ゲヴァルト処女、歴史&年表

2004/05/08-2007/10/11

辞書 

年表歴史歴史概要

 

基礎データ

十二神方台系のある惑星は直径1万キロ、重力は0.92Gで、地球よりちょっと小さい。故に弥生ちゃんはこの世界ではもともと怪力で快速だ。普通に恒星が一つある星系なのだが、太陽に核融合を起していない伴星があって、少し変な軌道を描いている。人が居るのは第二惑星だが、太陽の回りに微小惑星がごろごろしているので、本当は何番目か分からない。巨大伴星が1個、岩質の地球型惑星が2個、ガス状惑星が4個のこじんまりとした世帯。

十二神方台系は一日27時間で自転、333日間で公転する。つまり、地球時間だと、一年は374日間になる。一月28日で「白の月」の公転周期と同じ。一年に3日足りないが、構わず28日で補正しない。33日周期で公転する極周回衛星「青の月」があり、33ヶ月に一度二つの月が満月で同時に南中する日があり、これを劫と呼ぶ。劫は33ヶ月つまり12+12+9ヶ月ごとに起こるから、1・4・7・10月に限定されそれぞれの1日とされる。11年周期で「青の月」は同じ日に南中する事になるから、この劫を正しい1月1日として「劫年」と呼ぶ。
年の1月1日と、陰月劫月の1日が一致する大劫年は308年に一度。
      注;適当にこさえた設定だから、まちがってるかもしれない。

一年333日。9×37日でもあり、9日を「週」と呼ぶ。また一年を三つに分けて「季」と呼ぶ。春・夏・秋で、春初月→春中月→春旬月→夏初月→と呼ぶ。春旬月は別名「雨月」、夏旬月は「暑月」、秋旬月は「冷月」と呼ぶ。冷月の前に「チューラウの訪い」という現象が起こり、一気に寒冷化するのを冬と呼ぶ。
一見すると、37日を一月とする方が便利なようにも思えるが、「白の月」は時間の守り神とされるので、通常12月でいくのがこの世界の決まり。四月が一季だから、換算は別に難しくない。十二神一星に対して一月が当てられる。雨月はミミズ神、暑月はゲジゲジ神、冷月はトカゲ神、と決まっており、他の月は神様の担当が換わるのを蜘蛛神殿で暦として売っている。

時間も同じで、一日を12に分割する。「朝」「昼」「晩」と簡単に三つに分けるが、「朝」は日の出から南中まで、「昼」は南中から日の入りまで、「晩」は日の入りから日の出まで、と不均衡になる。日の出はタコ神、南中はカタツムリ神、日の入りはカニ神、午前0時はコウモリ神、となる。
曙光時(払暁午前6時)、初一刻(午前8時)、早次刻(午前10時)、昼天時(正午)、睡五刻(午後2時)、残六刻(午後4時)、呑天時(日没午後6時)、宵一刻(午後8時)、夜次刻(午後10時)、暗中時(午前0時)、闇五刻(午前2時)、待六刻(午前4時) と呼称。
更に一刻を分割すると、二分(1時間)、三分(40分)、五分(24分)、二五分(12分)、三五分(8分)、五五分(5分弱)、五三分(1分)となるが、分単位で約束をするのは非常識。
「東西南北」は地球と同じで、太陽が出て来る方が東、沈むのが西、太陽が通るのが南、となる。

数の数え方は二三五記法というものを使う。これは、数字の1、2、3、5を用いて全ての数字を表すもので、かけ算と足し算を組み合わせた非常に合理的なもの。ただし計算はめんどくさい。10、60、100、600、1000、6000、と十進法と六十進法とがごっちゃになった位取りをする。これでは計算が困難なので、弥生ちゃんは強制的にアラビア数字十進法を導入した。

世界を構成するエレメントは、天地、火水、金成である。金は金属、成は生き物を表す。つまり、生きているという命自体を特別なものとして認めている、他のエレメントで構成されているわけではない、という事だ。故に、無生物から命を生み出そうなんて事を考える人はいない。成の究極の姿が神である。金は不変を、成は転変も意味するから、十二神方台系の人は神様もいずれ死ぬと理解している。

十二神方台系は東西南北1000里1000キロの正方形に近い領域。人口は約250万人と面積に比して少ない。褐甲角王国120万人、東金雷蜒王国70万人、西金雷蜒王国25万人、その他浮遊民や神官巫女等宗教関係、難民が居る。最盛期は神聖金雷蜒王国末期で350万人を越えていたという。惑星全体では、このような閉鎖領域が40有り、人間は30程に居るらしい。1億人に満たない。

年表

(基礎年表)
12000年前:天地創造が始まったとされる。最初に巨大なタコが何万匹も海に投げ込まれたという。多分時代は嘘。
6000年前:天地創造が終わったとされる。1000年間休んで、その後人間が地上に連れられて来たと伝えられる。
5000年前:コウモリ神の護りと導きにより、北の山の更に奥から最初の人間が連れて来られたとされる。時代は正確にはわからないが期間は1000年も無かったと思われる。
4000年前:ネズミ神旧石器文明開幕。正確な時代は分からない。残されたネズミ文字洞窟壁画により、暦を推察して1000年間存続したと推定。
3000年前:タコ神聖女王国建国初年。十二神創始暦2000年、十二神創始暦はタコ王国時代に作られたため、建国初年が2000年ちょうどとなる。
2500年前 交易警備隊長によるクーデター。タコ巫女王5代テュラクラフ・ッタ・アクシ失踪。十二神創始暦2561年
2000年前:金雷蜒王国建国初年。十二神創始暦3054年。
1000年前:褐甲角王国建国初年。十二神創始暦3998年。ただしこれは初代武徳王カンヴィタル・イムレイルが救世に乗り出した年で、4052年に正式に建国された際に遡って計算した。カンヴィタル・イムレイルは生前に王国の成立を見てはいない。
800年前 神聖金雷蜒王国が二つに分裂、十二神創始暦4179年
750年前 ギジジット封鎖を以って毒地の完成とする。十二神創始暦4242年、以後着実に拡大される。
400年前 重甲冑の最初のものが実戦投入。以後獣人の使用は停止される。
200年前 赤甲梢実験部隊の前身、有翼飛翔実験団設立
100年前 「チューラウの先触れ」と呼ばれる非常に寒冷な気候が3年続き、各地で不作が続き餓死者が大量に発生、難民もこの時を境に急増。十二神創始暦4900年
70年前 「真実の救世主の書」完成。
50年前 イローエント沖の海戦において褐甲角軍が歴史的大勝利。
40年前 褐甲角王国空前の好景気。赤甲梢にて兎竜運用実験始まる。
30年前 うすのろ兵の導入始まり、寇掠軍が弩車の使用を開始。
25年前 イローエント沖海戦の再現を目論むも、褐甲角軍大敗北。
20年前 武徳王の代替わりに伴い、寇掠軍の大挙襲来。
10年前 人頭率事件
6年前 ヘビ出現!
5年前 神聖王の代替わりでガトファンバル王の時代になるも、大して変りはない。
4年前 ヒィキタイタン事件。
現在:蒲生弥生ちゃんが降臨した時点。トカゲ神聖国建国初年。十二神創始暦では5006年。
100年後:蒲生弥生ちゃんが降臨して100年後。トカゲ神聖国は繁栄中。
未来;十二神創始暦6500年。蝉蛾神の時代。18代目ガモウヤヨイチャンが北の山中にひっそりと暮らしている。

 

【弥生ちゃんの行程】

【一年333日、陰月12月・28日刻み。劫月9月・37日刻み】
劫月の日付は、朔日(1日)、十日(10日)、廿日(20日)、丗日(30日)、晦日(37日)と呼ぶ。

0日(秋旬月26日、創始暦5006年1月13日 地球時間5月20日)
      弥生ちゃん降臨。23時間後無尾猫が発見。5時間後青晶蜥(チューラウ)神と遭遇。ハリセンをもらう。
+2日(1月15日) ネコの案内で滑平原を脱出、街道でティンブットに遭遇。
+4日(1月19日) タコリティ到着。カタナを買い、ヒィキタイタンと遭遇。

(春初月1日 1月24日)
+7日(1月26日) タコリティ脱出。円湾へ遊びに行く。
+1日(1月27日) 円湾。テュラクラフの神像を発掘。
+2日(2月1日) テュラクラフの神像をタコリティに運搬。大センセーションを巻き起こす。
+15日(2月16日) タコリティ出発。東金雷蜒王国に密輸船で向かう。
+4日(2月20日) ガムリ点の先のガムリハンに到着。サガジ伯メドルイ邸に滞在。
+12日(3月4日) 毒地に向けて出発。 +2日で毒地に進入。アィイーガを捕獲。

(春中月1日 3月5日)
+25日(4月1日・劫月)
      ギジジット到着。巨大金雷蜒神と戦闘、勝利。その晩0時、毒地を浄化。大地震を引き起こす。

(春旬月1日 4月14日)
+30日(5月3日) ギジジット出発。
+15日(5月18日) ギジェカプタギ点の近傍に到着。

(夏初月1日 5月23日)
+5日(5月23日) 草原中に滞在。ゲルワンクラッタ村でバッタを叩き落とす。
+4日(5月27日) 赤甲梢と遭遇。
+3日(6月2日) 「女達の密議」を終えてゲルワンクラッタ村を出発。
+5日(6月7日) 草原中を鈍行中にティンブット率いる「プレビュー版救世主隊」と合流。+2日ミィガン離脱。
+5日(6月12日) デュータム点の郊外に到着。
+10日(6月22日) デュータム点に入城。大歓迎を受ける。+1日ッイルベス刺客に遭い死亡+5日神官メウマサク刑死

(夏中月1日 7月4日)
+12日(7月6日) ヌケミンドル防衛線にて褐甲角金雷蜒両軍、全面的な戦争に突入。+1日デュータム点にて弥生ちゃんその報を聞く
+16日(7月22日) 弥生ちゃん、デュータム点を出立。ウラタンギジトに向かう。

(夏旬月1日 8月13日)円湾にて新生紅曙蛸巫女王国樹立宣言。第6代テュクラッポ・ッタ・コアキ即位。

(夏旬月17日 9月1日) 赤甲梢、東金雷蜒王国領突入、電撃戦開始。
+1日 (9月2日) ウラタンギジトにて弥生ちゃん、聖蟲を持った大狗の刺客を退ける。
+2日 (夏旬月21日 9月4日) 電撃戦開始+3日。赤甲梢、東金雷蜒王国首都ギジシップ島へ侵入開始。
+1日 (夏旬月22日 9月5日) 赤甲梢、ギジシップ島の神聖宮にて神聖王と会談する。

(秋初月1日 9月17日)

 

歴史事典

コウモリ人: 十二神方台系が成立後、コウモリ神時代と推定される時期に、聖山の大洞窟から人間を地上に導いたとされる神秘的な存在。「ウェゲ」とも呼ばれる。無知無力な人を守って草原に下り、自ら獣を狩って人々に与え食となさせ、また植物の食べ方や着物の作り方、穴居する方法など様々な生きる知恵を与えたという。ネズミ神時代に突入し、額にネズミの聖蟲を持つネズミ神官の登場と共に、再び聖山に帰ったとされる。彼らの記録はネズミ神時代の洞窟絵画文字によって伝えられている。また、聖山神聖神殿都市がある大洞窟は、コウモリ人以前に人間が神によって育てられて居た揺りかごだ、という説がある。

神人: 十二神方台系の歴史の中で、十二神の救世主の他に、神の使いとして存在した人。不老不死の属性を持ち、深い知恵と優れた能力を持っている。聖蟲は持たないが、それに類する供となる生き物を同伴する事が多い。神人に会って自らも不老不死の力を得た人が居るらしい。歴史上特筆される神人は数名だが、他にも人に知られずに活動し続けていると思われる。
著名な神人は、「ガンガランガ・ギャザル」の牧神、山野の薬草を教えたトカゲ神の使いとされる薬神人、戦の場に現われる黒衣の獣神人、天文の読み方を教えた占星神人、西の海に現われる鯨神人、雨乞いの秘法を教えたミミズ神人、が挙げられる。

番頭階級:社会階級 タコ王国時代の知識支配者階級。原義は元々広域の商業活動がタコ女王宮殿の独占事業であった時代の管理運営にあたる番頭が独自の文字タコファベットで情報の独占をはかり、急速に力をつけて事実上の支配者階級を形成したところから始まる。事業経営を主業務とした為にタコ女王宮殿に納められる利益の蚕食して富裕化し、また汚職で特定層に便宜を図ることで更に権力を高め、タコ女王直属の交易警備隊と対立する。番頭階級打倒を目的に行われた交易警備隊のクーデターが挫折し、タコ女王宮殿崩壊後は番頭階級は各地の実力者の下で実務を担当、往々にして権力を奪取してそのまま支配者に成り代わることが多く、忌み嫌われる事となる。金雷蜒王国成立後は、実務から引き剥がされ文書統計の管理のみを行う書記カーストへと鞍替えを余儀なくされた。

小王: 紅曙蛸巫女王五代テュラクラフ・ッタ・アクシ失踪後の混乱する方台各地を分断して治めた多数の権力者。自ら「王」を名乗るももちろん他が許すはずも無く、便宜的に「小王」と呼ばれ歴史的に定着した。
元は紅曙蛸女王に従った各村の長に過ぎないが、交易網が寸断し物資の不足が生じると武力を以ってこれを確保し、次第に近隣へと勢力を伸ばしていき、遂には領域に柵を巡らせて国と王を名乗る事となる。
また追放された番頭階級を迎え入れ文字と計算の機能を入手するも、しばしばこれに反乱されまた王位を奪われる事が多く、血を見る解決がしばしば起こる。さらには紅曙蛸女王に替わる権威として火焔教と呼ばれる過激な宗教に傾倒し、生贄の儀式を行って自らの権力の強化に務める者も多かった。
金雷蜒王国成立時にほとんどの小王が征伐され、あるいは服属し、単なる地方の役人に成り下がったが、中には独自の文化と経済力を保ち続け、神族にすら権威を認めさせる者も有った。「御殿」「御女」と呼ばれ、6000年代まで存在する。
歴史上の評価として「小王の時代」は聖蟲に依らない人間のみの社会の雛形とされ、後の平民主義の理想モデルともなるが、半面圧政や暴力も多かった暗黒時代と理解される。

毒地: 褐甲角王国勃興後、神聖首都ギジジットへの侵攻が予想された為に当時のギィール神族が会議をもって周辺地域を毒で封鎖して人間の出入りを差し止める事が決定された。これが順次拡大して青晶蜥神の滑平原全体を覆い尽くし、「毒地」と呼ばれる区域になる。ボウダン街道の南30里から、乳白色の霧に年中覆われた青晶蜥神の神域まで延々500キロもの広大な領域を人工の毒で覆うのは不可能と思われたが、その地域に張り巡らされた用水網を使って100年掛かりで成し遂げる。
用いられた毒は本来除草剤と殺虫剤を混ぜたものであり、これが撒かれた地域はまったくの不毛の土地となる。だが本来、この毒は哺乳類鳥類にとっては致命的なものではない。濃度の偏りによって大量に吸い込むと具合が悪くなり動けなくなるが、死には到らない。ただし、不毛の地で動けなくなるのは直接に死を意味するので人の出入りを制限するという本来の目的は達成出来る。
そのような性質であるから、聖蟲を持ち体調の管理を神の力で行えるゲジゲジカブトムシの神族神兵にとっては、毒は障害とならない。また巨大ゲジゲジ神の脱皮した殻を食べて成長したゲイルも死なないし、当然聖蟲にはまったく影響が無い。さらには、簡単な薬物投与によって毒による体調の悪化を防止する事が出来、大気濃度が濃い時には防毒面を用いて直接に吸わないようにすれば、数週間の行軍も耐えられる。非常に弱い毒ではあるが、しかし体質によっては劇的な症状の悪化を見せる者も少なくなく、長く毒地で従軍した者には子に奇形が生まれたりして、決して容易く克服出来るものではない。この毒には臨界量というものがあるらしく、十数年も毒地で従軍した兵が或る時突然劇的な症状を見せて死ぬ、という事も珍しくはない。その為に、防毒面にはあらかじめその反応を誘発する毒ではない薬品が薄く仕込ませてあり、防毒面がかぶれない者は毒地に連れていかない事と決まっている。
防毒面の製法と症状を抑える薬の処方は、金雷蜒王国の軍事機密であるが、長年に渡る戦争によって褐甲角王国でも或る程度推測が出来て、模造品が作られている。これを用いる事で短期間の毒地での活動が可能だが、さすがに本家とは性能が違い過ぎ、長期間の行軍、毒地深くの侵入は不可能となっている。また防毒面の大きさも尋常ではなく、これを着けていてはまったく闘えない。
毒地全体を覆っていた毒は、創始暦5006年春中月二十五日の深夜、青晶蜥神救世主ガモウヤヨイチャンによって完全に浄化され、毒を毒地全体に供給する施設も閉鎖された。だが、数百年にわたる毒の散布の結果、大地には無機塩が染み込んでおり、そこに流れる水は飲用に適さず、数年の自然浄化を必要とした。
なお、ギィール神族が戦闘で使う毒煙筒は毒地に撒かれた毒とは異なり、即効性のある劇薬である。これに対しては専用の薬品による吸着で短時間の間防毒面の効果があり活動出来るが、すぐに薬品の効力が消える為に使用後は速やかに撤退するべきである。毒が効果を失うのは約10日も掛りかなりの長期間その場所を封鎖出来る為に、毒地の毒と併用されて効果を発揮する。

大審判戦争:歴史 トカゲ神救世主蒲生弥生ちゃんによって褐甲角王国と東金雷蜒王国との間の緩衝地帯であった毒地が浄化されたことにより、両軍の兵力がいきなり正面から対峙することを余儀なくされた為に起こった、最終戦争。この戦争により東金雷蜒王国は滅亡し、褐甲角王国の建国使命と悲願が一挙に成就することになったのだが、犠牲もまた多くギィール神族の4割と黒神兵の1割、両軍一般兵多数が戦死した。この戦争の特徴は、いきなり前ぶれも無く始まった為に、両軍とも最大速度で軍勢を戦場に投入したのだが、それが戦力の逐次投入という最低の戦略をとる羽目になってしまった事である。速度に勝るギィール神族がいちはやく褐甲角王国領に突入し蹂躙して褐甲角軍の一般兵を大量虐殺したのだが、黒神兵の増援が到着し戦列を整えたと同時に赤甲梢の東金雷蜒王国への単独長躯侵攻という情報が届いて、ゲジゲジ軍側の戦意が激減したところでの大会戦となり、結果一方的な褐甲角軍の勝利となる。「大審判戦争」の名は、これまで褐甲角王国が営々と続けてきた民衆の解放戦争が一向にはかどらず千日手の状態になっていたところでのトカゲ神救世主による今回の状況を、黄金カブトムシ宮殿元老が、神によって審判が下される時が来たと述懐したことに由来する。「神は怠惰をお許しにならなかった」

ネズミ神官:歴史 タコ女王以前に世界を支えていたネズミの聖蟲を額に戴く特別な人物。大体2、3の村に一人居て、火を起こす超能力を持つ。また天候を予測したとか獲物の居場所を教えた、雨乞いをした、怪我病気を治療したとかの、以後の巫女の役割をまとめて行っていたと推測される。特にリーダーシップを発揮して村を繁栄に導くとかはしなかったとされるが、洞窟内でネズミ文字を使って人々に世界の知識や神々の世界の仕組みを教えたとも言い、その知識から”大きな耳の人”とも呼ばれた。タコ女王時代以降は北方の山中に隠れ住み、文明を浴さない少数の人間とそれまでの生活を続けたが、たまに外の世界に出てきて動物達になにかの術を施し、意のままに使役したという記録が残っている。

人肉食:歴史 ネズミ神時代は旧石器時代であり、本格的な狩猟採集を生業としており、その為の技術をネズミ神官が指導していたと伝えられる。だが末期になると人口の増加により食糧危機が頻発し、飢饉の中で人肉が食される事例もたびたび見受けられた。ネズミ神官はこの風習を改めさせる為に自ら司祭となって人肉食を神聖化し、一般人が行うことを厳禁した。しかし一度正式に認められてしまった人肉食を核として独自の宗教的展開が行われ、ネズミ神官以外の宗教者によって超能力を得る秘儀として多用された。タコ女王時代には食糧事情が改善したために人肉食の習慣は途絶えたが、宗教的人肉食は水面下で密かに存続しまたタコ女王時代の文明的発展の風を受けてバロック化して、仰々しい儀式となって人を魅き付ける洗練を見た。タコ女王国崩壊後は表面に躍り出て、各地の対立を煽るイデオロギー的支柱となるが、ゲジゲジ神救世主により打倒され金雷蜒王国時代には徹底的な弾圧を受けてほぼ壊滅した。現在は暗黒教としてタコシティ周辺あるいは聖山の大森林地帯にわずかに残る。

督促派行徒:政治勢力 弥生ちゃんが登場する10数年前から跳梁する行動的テロリスト。理念は薄く論理的ではなく、ともかく行動を起して世の中を変革することを目指している。彼らは自らの世代からトカゲ神救世主が選ばれると信じ、その人物はなにもしない人物ではなく、なんらかの社会的行動を起こし変革を志す者であろう、という思いこみで行動する。故にそのバックボーンは希薄で感情的なものになりがちで、一部の勢力では人喰い教の教義である人肉食を翻案した多数の殺人をもってオーラを身につけるというものまである。

人頭率:歴史 東金雷蜒王国に10年前まで約五年続いた税金。ギィール神族は王宮から貨幣を借りて財物で返すという経済制度を持っているが、その償還の利率をギィール神族が雇用する奴隷の数で上下する制度。東金雷蜒王国王宮財務宰領ジッジルビト請ヴィドドが発案実行したもので、この制度により各ギィール神族が抱えていた病身高齢者不具の奴隷が市中に放り出されることになり、それをしなかったギィール神族は破産となった。この制度が施行された5年間に5万から10万人が死んだとされる。

ヒィキタイタン事件:歴史 褐甲角王国で先政主義と先戦主義の両者が元老院で対立し、先戦主義の主導者ソグヴィタル範ヒィキタイタンが宮廷クーデターを起そうとして失敗、訴追されるところを聖山本殿のカブトムシ神像への参拝という名目でカプトニアを脱出し、人質で残ったカタツムリ巫女ファンファネラが処刑され、永久追討刑を言い渡された。

蕃兵:歴史 古代紅曙蛸王国時代に女王直属の兵として用いられた蛮族の兵。紅曙蛸神救世主初代巫女王ッタ・コップの生まれの村の住民だといい、全身に不可思議な文様を刺青として彫り込んである。この文様によって幻惑されて、存在を他者に気付かれずに行動出来る。主な武装は丸木の弓と毒矢、投槍。タコの絵が描いた笠を負っている。ほぼ全裸で甲冑や防具は身に着けない。「トロシャン・トロシャン」と呼ばれる十二神方台系南西部の森に住む、らしい。
五代テュラクラフ女王の失踪と共に歴史から姿を消したが、この度めでたく復活。

「破軍の卒」: 褐甲角神初代救世主武徳王カンヴィタル・イムレイルが最初の大規模反乱を起し敗北を喫して無法都市タコリティに逃げ込んだ時に従っていた12人の兵士。いずれも一騎当千の武者であったと記される。後2人は戦死し、3人は謀殺されるが、10家が血筋を残し褐甲角王国を支える重臣となり、褐甲角の聖蟲を戴いて最初の神兵となる。
黒甲枝に留まったチュダルム家、レメコフ家を除く8家の金翅幹元老員家が、通常この名で呼ばれる。カプラル家、メドメディエフ家、シュンパ家、ヅズ家、ソトバン=ワグド家(2家が併合して一つになる)、ロー家、ゥドバラモンゲェド家(女性当主が続き、聖戴権を返上している。神官巫女として仕える)
彼らは最初期の神兵であるから、カンヴィタル・イムレイルの誓約を常に果たさんと試み、金雷蜒王国と雌雄を決する大戦争を企図する。ソグヴィタル王 範ヒィキタイタンの唱える先戦主義の強い後ろ楯となり、議会内での工作にも務めた。だが実戦を担当する黒甲枝とは異なり、かなり空想的宗教的観点から戦争を示唆する為に、実質の指導力は無いと考えられる。とはいえ長年の研究の成果から東西金雷蜒王国内部の軍事・家系的情報を深く揃えており、大審判戦争後の和平交渉では担当者を送り込み武徳王の代理として停戦と軍縮の実務を受け持った。

「ゲジゲジ乙女団」 弥生ちゃんが北方針葉樹林帯に飛ばされて不在だった時に、救世主代行を務めたキルストル姫アィイーガによって結成された、ギィール神族の若い女性のみを集めたトカゲ神救世主支援隊。別名は「推参軍」という。活動目的は褐甲角王国内において、初代救世主カンヴィタル・イムレイルが唱えた通りに救世が行われ民衆が幸福に暮らして居るかを、神族の目で確かめるという査察である。もちろんこれは褐甲角王国によって激しい反発を受けるが、議論の筋は通っているので反論は難しく、遂には受入れを承知させた。故に軽武装小人数のみでの査察となる。初代上将は南海の海賊神族シトロメ純ミローム。
 この経験を踏まえて、後に青晶蜥王国には神族神兵の有志によって「神聖傭兵団」が結成された。 

「ジョグジョ薔薇の乱」: トカゲ王国成立後初の大規模な内乱で、弥生ちゃんが鎮圧した最後の戦い。弥生ちゃん最初の狗番ミィガンの長刀が敵の手に渡り、神刀が悪の手で用いられた最初として歴史に記録される。弥生ちゃんはこの長刀をキルストル姫アィイーガの狗番に依頼して取り戻させ、自らのカタナで破壊するが、三つに折れたそれぞれが回収されて再び闇の手に落ち、その後の闇の歴史で度々重要な役目を担ったという。

『武徳聖伝』: 褐甲角神初代救世主武徳王カンヴィタル・イムレイルの伝記。褐甲角王国においては最重要の聖典とされる。前篇と後篇の2冊に分けられるが後篇はもっぱら彼の息子達の記録になり、通常は前期の逸話を綴った前篇を聖伝とする。

『真実の救世主の書』: 弥生ちゃんに先立つ事70年前に方台に現れたとされる救世主イル・イケンダ(4901〜30年)の言行録。ただし、イル・イケンダの実在が確認されない為に、この書自体が創作物であるとされ、金雷蜒褐甲角両王国で禁書とされ所持者は弾圧を受けた。密かに方台全域に広がって多数の読者を獲得し、督促派行徒の思想的バックボーンとなった。

難民収容所: 大審判戦争時に褐甲角王国で、東金雷蜒軍と呼応して破壊活動を行うと懸念された難民を隔離収容する為に作られた施設。最大のものはイローエントに作られた。難民保護局の管轄。その後、トカゲ王国建国時にここに収容された者はほぼ全員トカゲ王国民とされた。

「朋民・伏徒」: 大審判戦争時に褐甲角王国で、難民と、脱走して姿をくらまして犯罪や反乱武装闘争を行うようになった難民の集団に対する新しい呼称。ベイスラ県の難民移送司令部で作られた。折角作ったがあまり使われなかった。

重甲冑の謎武者 ギジシップ島で神聖宮に入る最後の関門となった武者。黒甲枝と同じ構造の白銀の重甲冑を用い、良くしなる2メートルの美しい剣を用いる。重甲冑はカブトムシの聖蟲を持たなければ使えるものではないが、彼らは額に怪しい気持ち悪いゲジゲジがカブトムシに化けているような奇妙な蟲が憑いて居て怪力を発揮する事が出来る。またカブトムシの聖蟲を持つ者と戦う場合、聖蟲の発する精気を吸い取って自らの力に換える事が出来て、精気の漲り具合に応じて翼甲冑にも追随する極めて疾い動きも実現し、吶向砕破をも同威力で返す。10名が出て来たが決闘の結果赤甲梢2名を殺害、シガハン・ルペによって討ち取られる。

謎の聖蟲 謎の重甲冑武者に取りついていた聖蟲だが、聖蟲と呼ぶにははばかられる未完成さ醜さがある。元はカプタニア神聖神殿で育成される聖蟲の幼虫の遺骸が盗み出されギジシップにて研究されて居たもの。聖戴者に怪力は与えるものの精神の平衡を乱し、まともな人格から逸脱して破滅に向かうが、自我を薬物で抑える事により長期間の使用に成功した。

赤甲梢決死隊 赤甲梢の電撃戦において渡海の為の船の確保は最大の重要事であった。操船にはわずかな神兵では足りない為に、赤甲梢では海軍出身者をクワアット兵から募り、決死隊として事前に潜伏させていた。50名、渡海成功後は生き残った35名が2艘の船に乗り込み東の海に大きく漕ぎ出して金雷蜒王国の警戒網を潜り抜け、南周りでイローエントに脱出した。

赤甲梢ギジシップ神聖宮突入:5006年夏旬月廿二日初一刻(午前8時)にギジシップ島神聖宮に突入した赤甲梢は、まず二人のギィール神族に神聖宮内部の道案内を受けた。彼らは神聖王への直通通路を示すが、それ以外の場所にあるすべての財宝や書物等々貯蔵物の保存の為にわざわざ経路を策定して提示した。これに基づき赤甲梢は神聖宮内部を進む。
彼らの大半は途中の大広間「饗宴の間」において戦闘を繰り広げ、ここで終了している。赤甲梢総裁代理メグリアル妃焔アウンサと頭領シガハン・ルペが神聖王の居室に案内された為に、停戦となる。神聖宮内部での神兵の損失は無い。
神聖王ガトファンバルはわずか5歳の幼児であり、赤甲梢到着後まもなく崩御する。彼の代はここで終了し、王の直接の王子はウラタンギジトで神祭王を務める者しか生き残らなかった。慣習として神祭王は神聖王にならない為に、ガトファンバルの孫の代に相当するギィール神族ガトファンバル王エメラージャが神聖宮に迎えられ、ゲバチューラウ神聖王を名乗った。赤甲梢との交渉は彼との間で行われた為に、後の外交交渉はすべて正常な状態で成立する。
その後和平がなった事が神聖宮の城外にも伝えられ、対岸の領域で逃げ回って居た赤甲梢兎竜部隊も停戦しシンデロゲン港で本隊の到着を待ち、神聖王と共に本国に凱旋する事となる。赤甲梢の死者の大半は渡海の途中であった為に回収は不可能であり、ギジシップ島内での戦死者のみが神聖宮の外苑に葬られた。

赤甲梢の改変:赤甲梢の東金雷蜒王国侵入は黒甲枝の神兵全てに快挙と称えられたが、反面軍令を大きく逸脱した作戦でもあった。当然処罰が下されるべきだが外交上の問題から今それを行うのは得策ではなく、赤甲梢の発展的解消という形で葬り去る事を画策する。また軍事における状況の激変で既存の戦術戦略が時代遅れである事が暴露され、先進的な赤甲梢の戦術が全軍に取り入れられる為、逆に赤甲梢単独でそれを担う必要が無くなり、実験部隊としての役目は順当に解消された。
まずかねてよりの計画どおりに、赤甲梢兎竜部隊は所属を換えて街道高速警備隊となるところ、今次大戦において兎竜隊の活躍目覚ましく、今後は褐甲角軍の花形として特別名誉のある部隊へと格上げされる。これが紋章旗団兎竜部隊、である。従来の紋章旗団装甲神兵隊は黒甲枝諸家における戦死者の補充の為に一度全隊員を元の所属に戻し、家長が失われたならば順当に相続させ、また跡継の居ない家に養子に入り家名の存続に当たらせる。これは赤甲梢の神兵の中でも由緒有る家系の出身者は同様の任務を与えられ、部隊を去らせた。
そして残った赤甲梢の隊員の内、兎竜隊の者を中心に新「紋章旗団」を組織して兎竜部隊の運用を任せる事となる。また装甲神兵隊も解隊して、隊員を各地方の士団へ所属させ、新たに導入される翼甲冑部隊の指揮を任す事となる。翼甲冑による集団戦闘は今次大戦においてゲイルに対処する有効な手段と認められ、重甲冑が敵新兵器に対抗できなかった事も鑑みて、今後の褐甲角王国軍の主力となる事を期待されている。当然それを指揮する赤甲梢の隊員は一階級昇進しての配属となる。
しかしながら赤甲梢は完全な解体をされるわけではなく、従来通りのクワアット兵に剣匠令を与える訓練部隊としての性格はそのままに残された。つまり、赤甲梢から神兵を抜いて存続させる。これを現赤甲梢総裁メグリアル劫アランサに指導させて、本来の王家としての役割を果たさせる。
ここまでが赤甲梢の改変であるが、クワアット兵が手柄を立てて神兵に取り立てられるルートがこの改変では断絶してしまう。そこで新たに取り立てられた神兵を配属する場所として、青晶蜥神衛士団が設けられた。実験部隊という名目で赤甲梢が独自の判断で行動する、という事の無いように青晶蜥神衛士団は厳格に運用される、…はずであった。

『カブトゥース(褐甲角神聖戴権継承)』戦争:5042年に起きた褐甲角王国再統一を目論む一連の武力紛争。特に黒甲枝諸侯国への電撃戦を指す。黒甲枝の聖蟲継承を武徳王の認めた者のみに限るとし、これまでの家系による相続の習慣を改めようとした事に端を発し、黒甲枝の自主性と王国としての使命との両立を考える論争から、再統一派の武力蜂起へと進展した。
最終的には青晶蜥神救世主第三代 来ハヤハヤ・禾コミンテイタムの仲裁で幕を閉じ、分立が画定する。青晶蜥神星浄王の権威を特に高め、国際紛争の調停を果たす枠組みが確定した事件である。

東金雷蜒王位継承戦争:5328年の東金雷蜒王国首都ギジシップ島への電撃戦を挟む20年にも渡る紛争。断続して行われた。この時期金雷蜒神の地上での化身が天に帰り、聖蟲の繁殖率が目に見えて減って来た。この為東西王国の聖蟲繁殖を統合すべきとの合意がなされ、より環境の適したギジシップに集中する事となるものの、東金雷蜒王位の継承が断絶し、次代の王を巡って神族が対立。それに乗じて西金雷蜒王国から王を迎えようとして、武力紛争に及ぶ。
5328年の船による電撃戦は、事前に作戦が漏れており到着時点で迎撃の猛攻を受けて船団は全滅、後にガッパーイネガを名乗る王子は捕虜となり10年を牢獄で過ごす事となる。
しかしその後の紛争で両者は決着の機会を失い、聖蟲の繁殖自体が困難になるに従い和解を模索する事となり、5337年の青晶蜥神星浄王の調停で戦争を集結させ、ガッパーイネガを東金雷蜒神聖王と為した。
だがその後も聖蟲の繁殖は支障を来し、5343年にはギジジットへその機能の全てを移譲させた。

「ギジジット制圧作戦」:5699年。平民による武装勢力「理性方台解放軍」がギジジットを襲撃して聖蟲の繁殖を断絶させ金雷蜒神の聖蟲を根絶やしにしようと試みた戦争。
ガンガランガを中心に勢力を揮っていた「理性方台解放軍」は周辺諸国と度重なる紛争を繰り広げ、状況の一気打開を図り、聖蟲を絶滅させるギジジット制圧を目論んだ。火銃と荒猪車を用いる強力な機動部隊での侵攻を妨げる事が出来ずギジジット市に肉薄を許すも、外周の円形城壁は破壊が不可能であり攻略に手間取っている間に、ギジジットの応援に駆けつけたテュクルタンバの青晶蜥神聖傭兵団に背後からの攻撃を受ける。
この戦争は火銃と爆弾、荒猪車の威力を歴史上明らかにしており、ギジジット防衛隊も青晶蜥神聖傭兵団も多大な損害を被るが、火銃の装填に時間が掛かり逆撃を受けて潰滅、敗走後も周辺諸国からの集中攻撃を浴びて「理性方台解放軍」は消滅した。
歴史上では聖戴者が組織的に参加した最後の戦争として知られ、以降は近代化された火器と荒猪車を操る平民主体の軍事力に取って代わられた。

「理性方台解放軍」:5650〜5700年に方台に現われた、平民による統治で方台を神の支配から解放しようと試みた武装集団。聖戴者による支配が弱体化するに従い、世間の風潮は人間主体になっていき、遂には武力によって聖蟲を駆逐しようと試みるこのような勢力の台頭を招く。「理性方台解放軍」はその中でも最大の勢力であり、当時普及が始まったばかりの火銃と爆弾を駆使して、各地でテロ活動を行い、遂にはガンガランガ・ミンドレアに拠点を築く事に成功し、周辺の聖戴者による神権国家と紛争を繰り広げた。
だが周辺国も火銃と爆弾を配備するようになると勝利が得られなくなり停滞し、民衆の批判も浴びるようになり、事態の打開を求めてギジジットで行われている金雷蜒神の聖蟲の繁殖を断絶させる事を目論んだ。
5699年に行われた電撃戦において当初は快進撃を続けるもののギジジットの城壁に阻まれ、テュクルタンバからの青晶蜥神聖傭兵団の援軍に挟み撃ちにされて敗走。機を見た周辺国の集中攻撃を受けて消滅した。
以後しばらくはこのような武装集団は見られなくなるものの、方台各国において聖戴者の政治からの隠遁が相次ぎ、自然と平民主体の政治が行われる事となる。その先駆者と呼ぶ事も出来るが、彼らが人民解放を旗印とした悪行の数々も暴露された為に、その後を継いだと公言する勢力は無い。

青晶蜥神聖傭兵団:5006年に弥生ちゃんが降臨したのに伴い組織された青晶蜥王国建軍準備委員会が後に改称したもので、褐甲角・金雷蜒の聖蟲を持つ聖戴者をも団員とする特殊な武装集団。
弥生ちゃんが方台を分割統治するに際し各々の紛争を調停する時の武力的背景として設立した。最初はメグリアル劫アランサ王女と共についてきた赤甲梢神兵を併せていたものの、酔狂なギィール神族も加入して混成部隊となる。また、特に弥生ちゃんから神剣を授けられた者もあり、武力と同時に治癒の魔法も使って広く民衆に受入れられた。
弥生ちゃんは正義の為にこれを用いる事を二代救世主メグリアル劫アランサに勧めたが、同時に「金をもらわないで動いてはならない」と命じてもいる。傭兵団が独自の判断で方台において勢力を拡げる事を厳に戒めたものであり、故に神聖なる傭兵として名乗っている。
多数の紛争に出動しているが、5699年の「ギジジット制圧作戦」を最後に戦闘集団としての役割を終え、後は主に聖蟲の権威を利用する調停者として存在した。
最終的に、すべての聖戴者を統合した「十二神方台系聖戴傭兵団」として、5985年の「方台統一政府」樹立に立会い、5998年にその活動を停止し民衆に奉仕する社会団体へと変容を遂げた。
6311年に最後の褐甲角神の聖蟲が消滅し、聖戴者は居なくなるがその後も団体は残り、民衆保護と福祉、社会正義の実現に尽力している。(6666年)

カプタニア街道掌握戦:5913年ベイスラを拠点とする「ソグヴィタル民衆王国」が周辺諸国の牽制を振り切って「カプタニア武徳王国」が掌握するカプタニア街道を奪取しようと試みた戦争。狭義には、その最初の試みであり歴史に残る大失敗であった作戦「瞬発戦」の事を言う。
この時期は聖蟲の数が極端に減少し、すでに一般人が支配する小国の乱立状態となっている。その中でも唯一聖蟲を持つ者が君臨して居た「カプタニア武徳王国」は方台東西を繋ぐ要路カプタニア街道を掌握し、繁栄を続けて居る。この街道を抑える事は方台統一を目指す者には必須であるので、カプタニア周辺国は互いに小規模な戦闘を繰り返し牽制しあい、その均衡の中にカプタニア武徳王国は安泰を保っていた。
その均衡を破ったのがソグヴィタル民衆王国の将軍メメロンの麾下にあり当時最新鋭の人工動力車を有する汽動車部隊指揮官エガレイオンで、彼は周辺諸国が荒猪車の準備に要する時間の内にカプタニア城を落城させると豪語し、メメロンの制止を振り切って出陣する。新型触発弾を用いる榴弾砲を装備する汽動車はカプタニア武徳王国の守備隊を瞬く間に蹂躙し、半日の内にカプタニア城に肉薄した。近代的な砲撃戦への備えを持たない古代様式のカプタニア城はなす術もなく陥落すると思われたが、城に面するアユ・サユル湖上に浮かぶ軍船からの砲撃により、エガレイオンの汽動車隊はあっけなく潰滅し作戦は失敗に終る。
メメロンはこの失敗を国内の世論喚起に用い、カプタニア城は必ずソグヴィタル民衆王国が取るとの決意を国民に固めさせて本格的な攻略作戦を展開。周辺諸国はその動きを牽制しカプタニア武徳王国に援助し妨害工作もたびたび行ったが、1年半後に和平の締結に成功。武徳王の平和裏のカプタニアからの退去とカプタニア神殿の保持、王城の保存を条件にカプタニア街道はソグヴィタル王国の手に入った。
その後カプタニア街道の利権を手にしたソグヴィタル民衆王国は周辺各国に優越し、平和的に併合して領域を拡大。「南方台民衆王国」へと改称する。方台の南中央部を領域とする大国となり、北部全域を支配下に収める「北街道方台平民国」と、方台統一戦争を繰り広げる事となる。

聖戴者消滅:6311年。歴史上最後の褐甲角神の聖蟲の消滅は、聖戴者の死去と共に聖蟲が天に昇る形で起きた。既に褐甲角神の地上の化身は5830年に天に帰っており、それから500年も残って居た事になる。
聖戴者はカンヴィタル渠ムネアリゥ、だがカンヴィタル王家の末裔ではなく黒甲枝サイノヴェ侯がカンヴィタル宗家に迎えられた。褐甲角神の聖蟲の繁殖は6208年に終了しており、最後の聖蟲がこれにあたる。寿命103歳で4名の黒甲枝の額に座を設けた。
金雷蜒神の聖蟲の消滅は5998年、十二神方台系聖戴傭兵団が解散する際に、金雷蜒神聖王と12名の最後の聖戴者が聖山大洞窟を通って異国へ消えた時である。金雷蜒神の聖蟲の繁殖は最後まで行われており、この頃は10年に1匹の割合で生まれて居た。
青晶蜥神の聖蟲の消滅は5998年の金雷蜒神聖王の方台退去と同時に3匹の内2匹が共に去り、1匹のみが残され25代救世主と共にあったが、ハリセンの内に隠れて住み、以後人の目の前には現われて居ない。ハリセンは6072年に破損して失われている。
紅曙蛸神の聖蟲の消滅は確認されていない。6085年の18代紅曙蛸巫女王の失踪以来後継者が現われて居ないので、既に失われたものとされている。

精神健全化運動:6290〜6300年にかけて起った政治・社会運動。方台に残された神秘的なものを一掃し、理性による支配を謳い上げ、文化的弾圧と破壊を行った。
この運動は当時の与党「理性的民主運動体」が自らの権威を高め支持率を上げる為に行ったデモンストレーションであり、党の私兵集団「迷妄打破正義青年同盟」が主に行った。
主な対象は十二神信仰であり、神殿組織が破壊され、聖山神殿都市は軍隊の力も借りて完膚無きまでに破壊された。だが地上の文化遺産は市民運動により保護され、古文書も図書館ごと地中に埋めて保存された。
その後「理性的民主運動体」は与党を転落し、議会の外で破壊運動を繰り広げる事となるが、6311年の聖戴者消滅を受けて制定された「宗教文化保存令」に基づき、破壊活動を禁止され非合法組織となり、より穏健な勢力にとって代られた。
精神健全化運動自体は一部勢力によるものではあるが、進歩的と称する人々は程度の差はあれ彼らに同調し、その後も文化遺産を人々の目から隠していく運動を根強く繰り広げた。その最大の成果が「歴史真正運動」であり、聖蟲の存在と十二神救世主の存在を歴史の闇に葬り去る事にほぼ成功している。しかしながら、最も優れ最も輝いた救世主であるガモウヤヨイチャンの影響を社会から消すことは不可能であり、近年はほころびを見せ、歴史回復運動により修正を余儀なくされている。(6666年)

黒甲枝諸侯国:5009年に勃発した「ジョグジョ薔薇の乱」で乱に参加した黒甲枝がイロ・エイベントに立て篭って作った国で後にグテ地全域の支配も任された。
旧褐甲角王国の国是を守り、民衆議会の庇護者として黒甲枝、神兵があるという態度を頑に守り、経済的にも彼らを主体として関与しない体制を貫く。だが厳しい環境下にある地域に存在するので成り立たず、黒甲枝の連合体による一種の共産体制を取り、少ない産物をまんべんなく貧しい民衆に分け与える事となる。もちろんそれでは足りないので、海洋に乗り出し海の傭兵団としても知られる事となる。
この地を拠点とするにあたり、弥生ちゃんから「トロシャンテの森の絶対封鎖」を命じられ、契約の証しとして「契約の神剣」を賜る。彼らはこの命を絶対的に守り、森を原生林のまま保ち続けた。
聖蟲が激減した青晶蜥神時代後期になっても黒甲枝による支配は続き、5985年の「方台統一政府樹立」まで存続し、国民投票の結果統一政府に参加するが、以降も独自の支配権を保ち続けた。正式な滅亡は6311年の聖蟲消滅であるが、この頃は一つの協会として存続するのみであり、その後も協会は続いている。一方領土においては黒甲枝の薫陶が厚く、民衆が独自の文化を築いており、彼ら自身が黒甲枝の後を継ぐと称し今(6666年)も尚武の気風に溢れて居る。

ガモウヤヨイチャン祭:青晶蜥神救世主ガモウヤヨイチャンの降臨を記念するお祭り。歴史的には結構新しく、5998年青晶蜥神救世主方台退去の後に始まる。
12年に一度の大祭と4年に一度の年祭があり、各地から集まった球団がペナントレースを行う。このお祭りの最中は青晶蜥神救世主ガモウヤヨイチャンによる神剣での治癒が行われ、病人が多数詰め掛ける。またこの時期に限り、ガモウヤヨイチャンへの武術の挑戦が許され7種の武器にて掛け試しをするものの、大抵の者はぶん投げられて終る。
かっては大祭の開催地は方台全土を回り持ちしていたが、6666年時点においては聖山北方のトリバル峠にて細々と行われている。
この大祭の時期は民衆の意識が昂ぶり、しばしば社会的正義を訴えるデモや打ち壊しが発生するので、政府当局の弾圧を何度も浴びた。また優勝チームの応援団が河や湖に飛び込み何人も溺死するので、水辺に近付く事を禁じる独自の風習も生まれた。
現在(6666年)は野球はより穏やかなスポーツ「シュュバン」へと姿を換え、熱狂的な祭からは外れた紳士の嗜みとなっている。しかしながら野球はまた武術の訓練の場でもあるので、方台各所でひそかに行われ続け、義兵団を生み出す元ともなっている。

ピルマル産業:6666年時に存在する大手家電メーカー。主に家庭用炊事器具や熱利用の製品を扱う。テレビ番組「美しき方台紀行」のスポンサーであり、番組の意見を送って来た視聴者には自社製品を抽選で送っている。全自動七輪「カムラアン3型」にはイカをひっくり返す機能がある。

ナイター:ガモウヤヨイチャン祭の大祭で行われる秘儀。早い話が決勝戦であり、夜間大松明を掲げて行われる。

 

 

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