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『げばると処女』
蛇足外伝 1

2019/04/26開始

 

 「蛇足外伝」とは、
すでに物語は終了している『げばると処女』ではありますが、近代化改修を行う際に再検討した結果、
もうちょっと説明があってもいいのでは、と思うところもありまして、
今更ながらに蛇足とは知りつつも補足してみたものです。

そもそもからして、本編執筆時にはとにかく先へサキへと進む事を目的としたので、
本来ならば描くべきキャラクターの繊細な心の襞などをさらっとぶっ飛ばしております。

なお、予告だけしてその後執筆を放棄した外伝「げばると処女 刺客大全〜死屍累々〜」の数本が復活することとなります。
今回数年ぶりに「げばおと」新作を書くにあたり、以前に書いた本編と設定の整合性を保つべきであろうとは思いますが、
  まあ、そうだね。ちょっとくらい食い違ってもいいかHAHAHA

数編書いてみて分かった事ですが、この外伝は「治癒者」としての弥生ちゃんが色濃く表現されています。
本編執筆中は意図的にその辺りを省いて、弥生ちゃんが過度に聖女と見えないように配慮していたらしいですね。

 

【目次】

EP1 第3.5章「刺客大全:弥生ちゃん、親を喪いし子等に遭う」190426 副題”孤児”

EP2
  第3.5章「刺客大全:殉ずる者の一人も居ないのは」201114 

  第3.8章「狗番のお仕事」190924 ”狗番”

  第9.5章「千客万来赤甲梢御一行様」200622 ”赤きサムライ”

  第12.5章「刺客大全:狗番ミィガンの刀」200129 ”神刀”

EP3
  第2.5章「刺客大全・デュータム点破壊計画」210919”歴史”

EP6
  第6.5章「アィイーガ、神々の碁盤」201215 ”碁”

  第6.67章「礼節と忍耐」220217

     *****

 

 Episode 1『トカゲ神救世主蒲生弥生ちゃん、異世界に降臨す』

 

第三・五章 弥生ちゃん、親を喪いし子等に遭う     2019/04/26

 仮面の男と知己を得た弥生ちゃんは、彼の手引きでタコリティの顔役達との対面を果たす。

「だからさ、それが嫌なんだよ」

 神官以外の者を仲介者として立てた事に、トカゲ神殿は大きく反発した。

 そもそもが青晶蜥神救世主であるのだから、どこよりもトカゲ神殿が優先度高いはず。
 俗世の有力者を束ねて協力を募るにしても、トカゲ神殿独自の思惑がある。
 次がトカゲ神「チューラウ」であることは千年も昔から定まっていた。
 あれもしよう、これもやりたい、こうすれば救世主様の御為になる、と妄想を連ねて分厚い未来議定書を作ってしまう。

 言いたい事はよく分かる。
 しかし大々的にトカゲ神の優越を唱えれば、他の反発を受けるのは必至。
 既存の体制、ゲジゲジ・カブトムシの二神を奉じる王国に真っ向から喧嘩売るようなものだ。

 トカゲ神殿は不承知だ。

「新しい青晶蜥神の王国を建てるのです。
 既定の方針がございまして、救世主様にもこの計画に則ったお振る舞いをしていただきたく存じます」
「却下! 全部白紙!」

 ざんねんながらこの世界には未だ「紙」というものが無い。「白紙」では通じない。

 

 弥生ちゃんは当面の座所をただの大富豪の家に定めた。
 トカゲ神官巫女が十重二十重に固めて身動きできなくなるのを避けてである。
 仮面の男の推薦により、タコリティ最大の実力者フィギマス・ィレオの屋敷を借りた。

 ちょっといい加減で大雑把なタコ巫女ティンブットは当然に傍に居る。
 それどころか、タコ巫女をずらりと並べて「弥生ちゃんハーレム」を形成していた。
 タコ巫女はおおむねいい加減。トカゲ巫女とは大違い。

 ティンブットは尋ねる。

「トカゲ神官巫女がお邪魔なのは分かります。
 ですが、女奴隷ではお気に召しませんか? 貴人の傍に侍るのはおおむね奴隷でございますが」
「大いに気に入らないね。そもそも、
 いや奴隷制というものが国々によって様々な形態を持つのは知ってるけどさ、人間本来あるべき姿じゃない」
「ではガモウヤヨイチャンさまは、褐甲角王国寄りのお考えという事でございますね」
「うーん、そこは実態を見て、まだ保留というとこで」

 ティンブットと奴隷談義を行うのを聞きつけて、仮面の男が部屋に姿を見せる。

 彼は現在、「トカゲ神救世主」の最高護衛責任者を引き受け、また各方面との折衝に当たっている。
 思ったとおりの有能ぶりだが、タコリティの有力者の間では、彼の存在は公然の秘密だったらしい。
 鋼鉄の仮面で隠される額の謎も、正体もバレバレ。
 だから誰も異議を唱えない。
 むしろ、タコリティの「誰か」が救世主を独占するのを防いでくれる、有り難い存在と捉えていた。

「ガモウヤヨイチャン様は、奴隷の解放をお望みですか」
「よく来てくれました。

 えーとね、基本的にはそうなのだが、有能な経営者の下で働く事で日々の糧を得るという点に関しては、なかなか現実はね」
「結局はそこに尽きます。
 ギィール神族が奴隷の生殺与奪を恣とするのも、彼らの智慧により多くの奴隷を養っているからに他ならない。
 褐甲角王国は奴隷を解放して自由の民としてきました。
 ですが、暮らしは自らの労働にて支えるのを原則として、なかなかうまくはいきません」
「だよね」

 

 ところで、と弥生ちゃんは提案する。
 そろそろ貴方も、本名を暴露してくれませんかね。

 仮面の男は、鼻から下は見えているから、輝くような白い歯を見せて笑う。

「その儀はひらにご容赦を」
「でもいちいち「仮面の男」呼ばわりはめんどうだ」
「なるほど、仮の名が必要ですか」

 彼は背後を振り返り、従う武器商人ドワァッダを見る。
 タコリティにおいて一番の友人であり、彼であれば適当な名を考えてくれるだろう。
 だがドワァッダは拒絶する。

「ここはひとつ、ガモウヤヨイチャン様に御名を頂いてはいかがでしょう」
「それがよろしゅうございます。
 やはり仮にでも名がありませんと、わたくし共巫女もお呼びするのに躊躇いたします」

 ティンブットも賛成。
 彼の仮面を見る度に、「あー褐甲角王国から逃走中の謀反人ソグヴィタル王殿下であられるのだな」などと考えなくて済む。
 弥生ちゃんもその気になった。

「仮の名、というのだから、でもわたしが名付けるのだから、方台の名前でない方がいいかな」
「ガモウヤヨイチャンさま、では星の世界の言葉にてでございますか」
「異存が無ければ」

 もちろん仮面の男には反対する理由が無い。

「じゃあねえ、んーと、要するに誰だか分からないという意味であるのだから、……”ジョン・ドゥ”?」
「おお! ジォンドウですか。してその由来は」

 何も知らない人達を騙すようで、弥生ちゃんさすがに心が咎める。

「無しナシ。今の無しね。
 えーとー、ミスターXだから、」
「みすたぁれっくす、でございますか」

 ドワァッダの発音が少し違うのは、方台の言葉の特徴ある発音に引きずられてだ。
 弥生ちゃんの名前も、何度教えても皆正確には発音できない。

 仮面の男は、その響きにうなずいた。

「ミスタレクスですか、方台には無い名前でいかにも不思議に聞こえます。意味はなんと」
「”誰かわからないけれど、いわくありげな男性”」

 おお、と男達は感心する。まさにそれこそが望んでいたものだ。
 部屋に侍る多くのタコ巫女達も、さすがはガモウヤヨイチャンさまと叡智を褒め称える。

 

 こうして仮面の男は「ミスタレクス」を公式に名乗る。
 しかしながら公文書において「ミストレクス」と表記された。
 これは方台の記法の習慣に引きずられての変形で、普段慣れている単語との混同が原因。

 とにかく言語関係は変形が激しく、弥生ちゃんも正しい方台語を早急に覚えるのを決意する。

 

          *** 

 さて問題は、人の世のごたごただ。

 弥生ちゃんが来て以来、タコリティはにわかに騒然とする。
 そもそもが「無法都市」を名乗り、金雷蜒褐甲角両王国の支配を受けぬ、海賊密貿易の聖地。
 まさに謀略のるつぼだ。

 両王国から潜入する工作員も多く、いや内々に密使が派遣され兵も若干名を常駐させている。
 位置的には褐甲角王国が近く、それどころか軍港イローエントがお隣で即征服も可能であるが、
堂々とギィール神族が居を構えて呑気に遊び歩いていた。

 仮面の男こと「ミストレクス」本名ソグヴィタル王 範ヒィキタイタンも、この地では神族と親しく語り合う。
 褐甲角王宮中枢で国事に携わっていた頃とは大違いの自由さを満喫する。

 ギィール神族も、千年の定めにより降臨した弥生ちゃんに会いたがる。
 ただ彼らは、何をしでかすか分からない。
 いきなり剣を抜いて救世主の素っ首斬り離すなども、想像に難くない。

 一応の注意をして引き合わせたが、何事もなく歓談に及ぶのに安堵する。
 別れ際に神族にトカゲ神救世主の印象を尋ねてみると、

「何時首を斬り落とされるかと、なかなか緊迫した楽しい時間であった」

 弥生ちゃんがドワァッダの店で買い求めた長刀が、今にも鞘走らんと感じられたそうだ。
 銘は「KATANA」と定められた。星の世界の言葉である。

「あのカタナ、鞘に納まっていても気配で探る。まるで生命を持つかのようだな」

 彼等の額のゲジゲジは、ヒトでは感じ取れない特殊な知覚を持つ。「神の眼」だ。
 その力で確かめての言葉。

 ミストレクスも身を固くする。
 自身が佩く大剣にも、弥生ちゃんから神威を授かった。青い光を発して鋼鉄をも易と斬る。
 ただの剣ではないとは握る柄からも伝わるが、
     生命か。

 

「というわけで、やってきましたトカゲ神殿。毎度おなじみ流浪の救世主のお時間でございます」
「前々から思っていましたが、いちいちのご説明はどなたに対して行っているのでございましょう」

 トカゲ神「チューラウ」は、また医療の神である。
 そもそもがトカゲ神は冬の寒さと氷・水晶を司り、火傷を癒やすと創世神話にも記される。
 神秘のハリセンに人を癒やす力を宿し、この有効活用が救世主に求められるところだ。

 というわけで、お供若干名と共にトカゲ神官の案内で病人が数多集う神殿を視察する。
 ぜつぼーした。

 最初から期待はしていなかったのだ。
 中世レベルの医術が呪い師と大して違いの無いこと。
 医療どころか寿命を縮める療法や毒物を処方したりも標準。
 近代医学の観点からして、いや21世紀に生きる一般人の視点からしても、やばいのは分かっていた。

 ただ、この地にはギィール神族が居て合理的科学的な方法を知っている。
 医学の分野においても、拙くはあってもそれなりに、と……。

「ガモウヤヨイチャンさま、いかがいたしましたか」

 呑気に尋ねるティンブット。

 足元には、一面絨毯を敷き詰めたかに多くの病人がひれ伏し、神威を期待する。
 心底真剣に、命懸けで。
 弥生ちゃんがタコリティに出現したとの報を聞き、一縷の望みを託して遠方より這ってきた者も居る。
 道中あえなく落命した者も少なくない。

 ティンブットにしてみれば、能天気に容易く考える。
 多少の病はハリセンぱーっと扇げば、野に風のそよぐが如く霧消してしまうだろう。
 また実際そうなのだが、

「うううううううむうううううううう」

 そうではない、そうであってはならないのだ。
 弥生ちゃんは十二神方台系に何時までも居るわけではない。
 後を継ぐ者が居たとしても、神威によりすべての病を根絶など出来ない。
 やはり尋常まっとうな医術によって人を救う力を養わねば、正常な社会とは呼べない。

 しかしながら、神威による医療であっという間に患者を治せば、
医術に携わる神官達のプライドずたぼろではないか。

 彼らがもっともらしく処方する薬品の多くが、良くて無意味、多くがとんでもない毒物劇物、
わずかに効く薬物があっても使い方間違ってる、なんて指摘できない。
 いや指摘しなければならないのだが、では今現在彼らがやってるのを強制的に止めさせて指導するべきか。
 誇り高い彼等にこれまで学んだすべてを捨てさせ、再教育するのにどれだけの軋轢が発生するか。

「……、ガモウヤヨイチャンさま?」

 様子のおかしい救世主を案じて、ティンブットが、お供が、トカゲ神官巫女が本気で青くなる。
 なにかまずい事案が発生したのでは、

 弥生ちゃん、俯いたまま腰に手挟むハリセンをゆっくりと抜く。
 右手に掴んで、ぱあんと大きく音を立てて開く。
 飛び散る青き光の雫。一面を染め上げる青、青、青。

 この光に包まれるだけで、病人達は痛み苦しみが軽くなる、感じない。
 神秘の法悦によって、全身が溶け身を蝕む邪悪が滅ぼされる感触がある。
 実際軽い病であれば、この段階で全快した者も居た。
 足萎えの者がにわかに立ち上がり、盲目の人に光が蘇る。

 感動感謝の声があちらこちらから湧き上がり、やがて神殿全体を揺るがした。
 まさに奇跡、まさに神威、まさに救世主の到来がここに実現す。

 喜びに沸く人々の中で、一人弥生ちゃんだけが憂う。

「これではあかん……」

 

 以後弥生ちゃんは無感動のまま、トカゲ神官の案内に従い医療現場を視察する。
 本日は出血大サービスとして、無制限ハリセン治療全無償。
 だがその前に、患者を担当する神官に症状と経過、どのような治療を施してきたか、つぶさに説明を受ける。

 千年一度の救世主、それもトカゲ神に医術の神智を明らかにされた弥生ちゃんを前に、どの神官も緊張する。
 それぞれが行ってきた療法処方にもし万が一誤りがあったとすれば、どのような罰を下されるか。
 彼等は緊張し、初年の医学生の頃を思い出すかに真剣に、熱を入れて説明を行う。
 それがどれだけ真剣な努力と経験の末に獲得した知識であるか。

 また薬品の説明を受ける。
 タコリティは通商の盛んな土地で有力者富者からの寄進も多く、医薬品は質も量も十分に充実する。
 得意となって説明する神官の話を、だが聞いてはいない。
 頭の上のカベチョロが、それぞれの薬品の真の効能をリアルタイムで教えてくれるのだ。

 言葉を必要としない情報の伝達で、薬品の正体が判明する。
 身の毛もよだつとはこの事か。

 聞いている内に弥生ちゃん、ずんずんと降り積もる黒い雪で心が覆われていく。
 とにかく今日は、何も言うまい。今日だけは。
 ただただ目の前の病人を癒やすだけに集中しよう。

 先程の青い光でも十分に癒しを得られなかった重症患者が、ハリセン直接殴打により劇的な改善を見せる。
 介助するトカゲ巫女に担がれ息絶え絶えやっとで現れた者が、帰りは自ら溌剌たる足取りで去っていく。
 列を為す患者達はその姿を羨望し、今や遅しと順番の来るを待ちわびる。

 結局その日、弥生ちゃんは24時間ぶっ通して人を殴りまくった。
 気付けば、付き合ったお供やトカゲ神官巫女が疲労でぶっ倒れ、ただティンブットのみが未だ正気を保っていた。

「えーと、ガモウヤヨイチャンさま、御身体に障りますから、その程度でご容赦ください……」
「足りねえ、まだ足りねえ」

 

          *** 

 トカゲ神殿にも良い所は有ったのだ。

 通常医療行為には多額の費用が掛かり、貧困層の利用は出来ない。
 しかし十二神方台系においては、富者の医療はとんでもない大金を請求するが、貧者には無料か格安。
 金持ちからふんだくったカネで貧乏人の薬代に当てているのだ。
 無論、十分な金額とは言えない。足りない。それでも無いよりははるかにマシ。

 トカゲ神殿の世話となり大金を払うのは、有徳の行為と見做され尊敬を受ける。
 これは素直に感心するべき習慣であろう。

 

 弥生ちゃんは、とにかく方台における医術の改革を推進する。是非も無い。
 だが何処から手を付けるか。

 有害な行為や毒物は禁止するにしても、代替のそれも有効な手段を用意しなければ改善とは呼べまい。
 血液検査もX線撮影も出来ない状況で、完全な医療などあり得ない。
 そもそもが医者であるトカゲ神官が解剖実習すらやらないのだ。人体への理解がまったくに足りない。 
 結局は子供だましで誤魔化して、おいおいと置き換えていく他考えつかなかった。

 それでも、絶対やってはいけないものは断固として禁止する。
 トカゲ神官は異を唱えるが、やがて抗弁も途絶える。
 弥生ちゃんが個々の症例に関して極めて具体的に細密に「方台医術的に正当な」意見批判を述べるのに、降参した。
 前日の24時間耐久ハリセン治療大戦において、神官達が必死に真摯に報告した患者の治療処方のすべてを記憶し、比較参照し、分析した結果だ。
 たった1日で方台医術のすべてを極めたと言ってもよい。

 トカゲ神官は救世主が只者でないのは予期していたが、これほどに論理的であるとは想定もしなかった。
 或る意味彼等と同種の人間を救世主として得たと言えよう。
 元より神のお告げに逆らうつもりも無いが、理を尽くしての説得には心底より感服する。

 またその姿を患者達、タコリティの実力者、他神の神官、学匠賢人が覗き見て、
「ああやはり、この人は真に世の中をお救いくださる御方なのだ」と納得した。 

 

 さて薬物である。
 化学合成の類は存在しないから、すべて自然材料を用いている。
 タコリティ周辺、いや方台南岸全域は乾燥して植生に乏しく、薬草の種類も量も少なかった。

 交易によって入手するわけだが、特に必要なものは「薬草取り」を頼んで調達してもらう。
 プロフェッショナル薬草取りとはいかなる人物か、その山岳サバイバル知識はいかなるものか、確かめてみよう。

「なんですか、この人」
「え、ええ。ガモウヤヨイチャンさま。これはまた、素晴らしい、男前でございますね」

 とんでもないイケメンが一人、控えている。
 粗末な身なりではあるが、絹をまとうタコリティの有力者達よりもよほどゴージャスだ。

 聞けば各地の山野を巡り、特別に高価な薬草を命懸けで採集してくる特殊な部族の出身者。
 部族伝来の秘密の地図により薬草の穴場を熟知して、他の追随を許さないそうだ。

「青晶蜥神救世主様の御前にて、己が如き卑しきが控えおります事あまりに恐れ多く、面体を伏せさせていただきます」

 声も佳い。全体まるで映画俳優。
 薬草取りなんかさせておくのは勿体無いが、しかし。

 弥生ちゃんはなにか引っ掛かる。彼はほんとうに、只の薬草取りなのか。

「尋ねる。このタコリティ周辺には海以外にろくな産物は無く、薬品となるものも少ないだろう。
 近隣に有用で豊富なものは無いか」
「ございます。ですが、効能が限られます故にさほど高価な薬物とはなりませぬ。それでおよろしいのであれば」

 既存の薬物、また毒劇物でも処理によっては使い道も効能も劇的に変わる。
 カベチョロの聖蟲の力と、近代化学の手法を用いれば、なんとかなるものも有るだろう。

 弥生ちゃんが試しに幾つかの有用動植物を問うて、男から満足のいく解答を得た。
 続く言葉に、救世主の傍に侍る者達が気色ばむ。

「よろしければ、浜にいらしてご自身でお確かめになられてはいかがでしょう」

「な、なんと! 救世主様に対して無礼であろう。尊い御手をそのような俗事で煩わせるとは」
「いや良い。わかった、やはり自分の眼で確かめないとね。
 行こう」

 というわけで、タコリティの街を出て近場の浜で貝拾いの御行が決まる。

 

 千年一度の救世主様である。
 普通にタコリティに行っても拝めぬ人が、わざわざ貧しい漁村に出没するのだ。
 近隣数十里より漁民が集まり群がって、トカゲの神様救世主様を見物に来た。
 老若男女、子供に至るまで伏し拝む。

 またそのお行列も、美々しく華やかであった。
 タコ巫女数十人が美麗な衣装で舞い踊り、楽器を奏でながらタコ神官が続き、
当然にトカゲ神官巫女、また護衛の兵も綺羅びやかに着飾り、まさに王侯貴族の遊山の態だ。

 弥生ちゃん、徒歩で良かったのに豪奢な輿に乗せられご立腹。
 脇を踊り歩くティンブットに苦情を言う。

「替わって」
「そうは参りません。偉い御方には相応の格式がございます。おとなしくふんぞり返るのもまた責務」
「やだー暴れたい」

 というわけで、イケメンが案内する浜辺で海洋生物を探査し、有用資源を物色する。
 地面に降りたらこちらのもの、海に素足を突っ込んで魚やエビを観察する。

 土地の漁民で素潜り漁をする者が、とっておきのお宝ということで大粒の真珠を献上した。
 弥生ちゃん懇切丁寧に謝意を表すが、さりとてそこまで喜ばない。

「ざんねんながら、真珠じゃ人は治らないからねえ」

 すこし離れた岩場にはまた異なる生物が棲むと聞き、小舟に乗って視察する。
 護衛の兵を乗せた小舟も数十艘が従うが、

「あ、なんだ!」
「舟底に、穴が、水が」
「うあああ、転覆する」

 ことごとくが随行不能となり、弥生ちゃんとティンブットを乗せた舟のみが進んでいく。
 案内のイケメンが、改めて頭を下げて挨拶をする。

「青晶蜥神救世主様には御不快と思われましょうが、ここはおとなしく誘拐されていただきます」
「うんまあ、そういう展開になるとは思ってた」

 弥生ちゃんの言葉に、またちっとも驚かないタコ巫女ティンブットに、逆にイケメン戸惑った。

「ご自身が拐かされるのを承知で、舟にお乗りになられたのですか」
「だって用が有るんでしょ。わざわざ誘拐なんてめんどくさい真似するんだから」
「すべてお見通しでございましたか。それでは改めて名乗らせていただきます。

 我は「賤の醜男」と世間で呼ばれる者でございます。
 個々人に名はございません。誰もが等しく同じ役割を持ち、その為に死んでいきます」
「特殊な部族というのはほんとう?」
「はい。我らは数千年の長きに渡り、他の人々とは異なる道を歩み続けて参りました。
 その真の目的は、   我らが長老が申し上げる運びとなっております」

 

          *** 

 海岸の崖に開いた秘密の洞窟に小舟は着いた。
 上陸して案内された中には、彼とおなじ部族の者が数十名勢揃いする。
 ティンブットは思わず叫ぶ。

「ぅおおおおおおおおおおーーーーー」

 居並ぶは、若年から壮年まで取り揃えた男ばかり。これがまた全員美形と来ている。
 なんじゃこれはと取り乱すのも道理。

 白いヒゲを伸ばした長老が最前列に進み出て、救世主の前に平伏する。
 彼もまた、美老人。

「青晶蜥神救世主様にはこのような侘しい場所にお運びいただき恐縮の至り。まことに心苦しくお詫び申し上げます。
 御尊顔を拝し奉り、我ら賤の者皆望外の喜びに打ち震えております。千歳に栄えあれ」

「ふむ、で用件とは」
「まことに恐れ多い事ではございますが、救世主様におかれましては此の地にてお隠れあそばされていただきます」

 死ねと言われてしまった。

 見ると、男達の中に一人、装いの違う者が居る。
 彼は美男子と呼ぶよりはかっこいい系の肉体派。おそらくは戦士なのであろう。
 壮年の神職らしき人から恭しく槍を手渡される。

 金属ではなく、骨と角で作ったような槍。鉾と呼ぶべきか。
 生贄の動物の血が注がれ、骨鉾にぐんぐんと吸収されていく。

 いきなり鉾から角が伸びて、男の右腕に食い込んだ。
 何本もの角が生えてきて身体全体を覆い、やがてすべてを包み込む。顔面までも覆われる。
 骨で造られた全身甲冑ではないか。

 装着完了したらしく、甲冑の戦士は鉾を振って動き出す。

「これと戦えってこと?」
「一族の秘宝にして我が祖の形見である『骨牙鎧』にございます。
 褐甲角の神兵と相争っても引けを取らぬ無双の戦士にして、纏う限りは不死であります。
 くれぐれも、ご油断召されぬよう」

 ぶっ殺してやるぞと言った割には丁寧な解説。
 ティンブットさすがに吃驚する。どう見てもこれは不思議怪奇。

「ガモウヤヨイチャンさま、ここは逃げましょう」
「いやいや、それじゃあ来た意味が無い。
 あーこれ、ぶっ壊していいの?」

 骨鎧の戦士は丁寧に礼をして、おもむろに骨鉾を振り上げる。
 周囲を取り巻く美男子達は下がって、二人が闘う場を開けた。

 2歩進み出て、対峙する弥生ちゃん。未だ武器は手にしていない。
 真っ向正面から骨鉾が振り下ろされた。
 ティンブット、叫ぶ。

「ハリセンを!」

 骨鉾が跳ね返される。骨鎧自体が突き押され、あやうく後ろに転ぶところだった。
 攻撃の勢いは確かに尋常の人ではなく、驚くべき怪力で打ち込んだに相違ないが。

 弥生ちゃんはまだカタナを抜いてもいない。
 長老は驚く。
 いかに武術の達人であっても、長柄の武器を手にした武者の攻撃を素手で防ぐなど不可能。
 救世主様は何をなされたのか。

 居合である。
 身体が勝手に動いた。

「すまないね、しるく」

 遠く星の世界、地球の日本の門代高校同学年の友人に詫びを入れる。
 今使った剣は、彼女が修練し長年月を費やして憶えた技のコピーに過ぎない。
 イメージの通りに身体が動き、カタナを抜いて迎撃し、納刀した。
 まるで彼女が自身に乗り移ったように。

 日頃の努力を盗用するとも思えて、申し訳ない。
 だがそうでもしなければ、この世界で生き残るのは無理ではないか。

 骨鎧の戦士は激烈な攻撃を繰り返す。
 たしかに強い。目の覚める速度だ。
 常人の戦士であれば、たとえ受け止められても勢いを殺せず、怪力に潰されて死ぬだろう。

 しかし弾く。
 弾かれる度に、骨の鎧の破片が細かく周囲に飛び散った。

 敵は攻撃は得意でも、防御には優れていない。
 神器を今回初めて特別に許された、というところだろう。
 慣れてない。

 であれば、

 鎧を構成する骨が数本、砕け散る。
 着装する戦士本人の顔が露出した。驚愕の表情。

「おおお!」

 驚愕はむしろ、周囲で見る者の方が強い。
 無敵不敗の武器なのだ。神の力を用いて後れをとるなど考えられない。
 弥生ちゃんにはいとも容易く打ち破られる。

「ほおお、自動修復機能だ」

 砕けた骨が再び伸びて、また覆う。
 「生きた鎧」、生物兵器の一種ではないか。
 その心臓部はしかし、甲冑の外に在る。

「ガモウヤヨイチャンさまー、鉾です。鉾から強い霊力を感じます!」

 ティンブット、さすがに只の能天気巫女ではない。
 的確に、脅威の実体を見破った。

 見れば右腕と骨鉾が長い角で一体化している。
 着装時の様子を参考にすれば、鉾が本体で、使用者の肉体を強化する能力を持つと考えるべき。
 ではどうすれば解除できるか。

 改めて弥生ちゃん、カタナを構える。すらりと、銀鋼が洞窟内部に煌めく。
 青い光は迸らない。刃の先にだけに焔がちらつく。
 それだけで武器としては十分だ。
 鋼鉄をも容易く斬る、青晶蜥神救世主の神器。

 骨鎧が一瞬びくっと動いて防御の姿勢を取る。
 防御一辺倒だった弥生ちゃんが攻撃に出ると読む。

 時すでに遅し、彼の右腕は肘の位置で斬り離され、骨鉾を取り落とす。

 たちまちに解け始める鎧。長く伸びた骨が角が、剥落して男が露出する。
 骨鉾は急速に元のシンプルな姿に戻る。
 使用者から離れては機能しないものなのだ。

 右手にカタナを引っ提げたまま、左で鉾を握る。
 戦闘の余韻がまだ柄の中で息づいているが、やがて鎮まる。
 止まった。

 弥生ちゃん、骨鉾を長老に投げ渡す。

「大切な神器でしょ。こんなところで失ってどうします」
「あ、有難うございます。
 救世主様の広き御心、我ら遠く及ばぬと改めて思い知りました。
 これよりは一族すべてが、救世主様の御為に生命をなげうって尽くすと、お誓い申し上げます」

 振り返ると、タコ巫女ティンブットが切り離された腕を拾い上げる。
 戦士の傍に歩み寄る。

 誰も、彼を助けようとはしない。失敗には死のみで報いられる運命であったのだろう。
 神の力を用いて必勝を逃すとは。

 ティンブットはひざまずき、斬られた腕を彼の肘に当てる。

「ガモウヤヨイチャンさま、お願いいたします」
「うん、傷口はどう?」
「綺麗なものです。くっつきますよ」

 試し斬りの成果だ。どこまでだったらハリセンの治癒力で復元可能か、熟知する。
 ティンブットも伊達に供するわけではない。

 カタナを鞘に仕舞い、腰に手挟むハリセンを抜く。
 改めて青い光が洞窟内を染め上げ、男達に再びの驚きを与える。

 

          *** 

 歓待を受けて、再び舟に乗って海に漕ぎ出して帰ったら、帆船大艦隊に遭遇した。

 弥生ちゃん捜索と救出の為に結成されたタコリティ艦隊だ。
 司令官となるのはもちろんミストレクス。
 多くの海賊衆が集まり、協力している。
 常には互いに反目し合う海賊達も、トカゲ神救世主様の御為と一致団結してくれた。

 最大の軍船上でミストレクスと再会する。
 ちなみにティンブットは、例のように例のごとく酔っ払いだ。

「ご無事で何よりでございます、ガモウヤヨイチャン様」
「心配掛けたね。しかし、これだけの船をよく集められたものだ」
「タコリティにおいても、すべての勢力が船を出し合い協力するのは初めてとなります」

 軍船には所有者のフィギマス・ィレオも乗っている。
 弥生ちゃんの前にひざまずき、頭を甲板に押し当てて詫びる。

「この度は私共の監視警戒の眼が行き届かず斯様な仕儀と相成りました。
 責は我等タコリティに住まいする者すべてが負うものにして、ガモ」
「ああごめんなさい。陰謀と知ってて飛び込んだのは、わたしの悪いくせです。
 尋常の旅をしても世界の本質には辿り着かないから、なるべく乱を起こして反応を見る。
 そういうやり口を取ってるのです」

 フィギマス・ィレオは62才。
 この世界においては十分に歳であるが、眼光も鋭く自らも他人に対しても厳しい、気合の入った年寄りだ。
 ただの商人ではあるのだが、その風貌はむしろ千軍を叱咤する将軍の趣を持つ。
 ミストレクスの隣に立つに、実に相応しい人物と言えよう。

 人格者としても優れており、また敬虔にして慈悲深く貧しい者を支える度量も持ち合わせる。
 タコリティ随一の実力者として、金雷蜒褐甲角両王国からも信頼を寄せられた。
 運も強い。
 生有る内に千年一度の弥生ちゃん降臨に立ち会えたのも、天が彼を選び役目を果たせと命じるが故だろう。

 しかしながら、トカゲ神救世主の破天荒には目を丸くする。

 ミストレクスは尋ねる。
 誘拐者は何者であったのか。

「そうね。親に見捨てられた子供たちが、わたしに親を探して欲しいと頼みに来たの」
「親、ですか。あれほど大胆な拐かしを成功させる奴らです。どのような親であるのやら」
「コウモリ真人、と言ってたね」

 この言葉に、ミストレクスも驚愕するがフィギマス・ィレオはなおさらだ。
 改めて救世主に伺う。

「コウモリ真人を信奉する者共が、救世主様にお頼みに上がったのでございますか」
「なんでも、コウモリ真人てのは十二神方台系がひっくり返る歴史の転換点にのみ現れるらしいからね。
 わたしの傍に居たらそういう状況にもなって、真人が現れると思い込んでるみたいだね」

「彼等は「火焔教」とは名乗りませんでしたか?」
「いえ。そんなのは無かったね」

「はい、彼等は人食い教徒ではございませ〜ん」

 上機嫌のままティンブットも甲板上をくねくねとのたうち回り、答える。
 ミストレクスもィレオも胸を撫で下ろした。
 二人の安堵に、弥生ちゃんもくすっと笑う。

「そんなに人食い教徒は怖いの?」
「もちろんガモウヤヨイチャン様には何人も敵うものではありませんが、奴らは謀略謀殺を得意としますから」
「救世主様、ご自重なさってくださいませ。火焔教の奴らは、このタコリティの「どこにでも」居ます。
 この街は火焔教の巣窟とも呼べるのです」

 ミストレクス、さすがにそこまでは言わなくてもよいのでは、と懸念する。
 火焔教「人食い教徒」と街の関わり合いは、旧くて長くて深刻だ。
 「無法都市」が無法であり続けられる原動力もまた、恐ろしい闇が裏付けとなっている。

 しかし弥生ちゃんは平気。

「謀殺かあ。一人をぶっ殺したら歴史が大きく変わるというのなら、そりゃあやってみるだろね」
「ぶっ殺されては困ります。今後千年を人は後悔で過ごさねばなりません。
 どうか、さらなる警護体制の強化をお命じください」
「やなこった。そしたら病人だってあなた達は遠ざけるでしょ。身元不明の怪しい奴だって」

「それは……、」

 そうなのだ。
 病人のフリをしてトカゲ神殿に潜り込み、弥生ちゃんに最接近するのが暗殺者として今用いるべき手法。
 病の症状が重ければ重いほど身元確認は緩くなり、無警戒のまま神殿最深部に到達出来る。

 病を偽装するとは限らない。
 本物の病人の、それも死病に取り憑かれた者に「今生最後の大仕事」と命じれば、喜んで暗殺を引き受けるだろう。
 火焔教とはそういう輩だ。

 二人を安心させるように、だがまったく安心できない言葉を、弥生ちゃんは与える。

「最終的にはさ、自分の安全は自分でなんとかするよ。それがヒトってもんだ」
「困ります、それは困ります救世主様」

 だがもう取り合わない。
 街に戻ればまた病人達が待っている。いや、失踪していた間に事切れた不運の者も居るだろう。
 トカゲ神救世主さまは、一刻も休む事が許されない因果な商売なのだ。

 

「にしてもさ、身体べとべとだよ。お風呂入りたいね」
「そうですね〜、ヤヨイチャンさまあ〜」

 

          *****     END

 

 Episode 2『トカゲ神救世主弥生ちゃん、激闘の渦中に在り』

 

第三・五章 刺客大全:殉ずる者の一人も居ないのは     2020/11/14

 ゲジゲジ巫女「ヅィスチーム」は、王姉妹に仕える者である。
 神都「ギジジット」の神聖宮奥深くにて、様々な奉仕を行う奴隷の一人だ。

 王姉妹に仕えるとは言っても、実際に姿を見たのは数回のみ。
 神聖宮枢要部、天地を貫く巨大な縦穴で儀式が行われた際、その他大勢として駆り出された時だけだ。
 最低階の下っ端巫女である。

 それでも巫女は巫女。尊い存在と見做される。

 金雷蜒神「ギィール」の巫女は基本が美人だ。
 それもキラキラと輝く派手な娘、他を押し除けてでも目立とうとする性格が望ましいとされる。
 むろん頭も良くなくてはならない。
 目立つ場所に立ってもその任に耐える、使い物になる。
 知性と気位の高さが求められた。

 遠く王都「ギジシップ島」ならば、あるいはギィール神族が絢爛たる支配を行う街であったなら、
聖なる人に最も近くで奉仕する者として、崇められる存在だ。

 末は高位の官僚や貴人の妻として迎えられる。
 神族の愛妾となるのも、望んで叶えられぬものでもない。

 

 だが「ギジジット」は毒に閉鎖された荒野にそびえ立つ城市だ。
 訪れる人は少なく、街を挙げての祝祭も無く、綺羅びやかな神族もほとんど住んで居ない。
 おおむね労役の奴隷、守護の兵士。
 幅を利かすのは神官巫女ばかりで辛気臭い。

 そしてゲジゲジ巫女は、神聖宮奥深くに押し篭められての奉仕の毎日。
 女だけの牢獄で、気質から考えても最悪の環境だ。
 始終喧嘩が絶えず、手の早い乱暴者ばかりが増えていく。

 またそうでなければ王姉妹への奉仕は出来ない。

 生まれてすぐの赤子の頃よりゲジゲジの聖蟲と共に過ごす王姉妹は、「人」ではない。
 神聖宮の縦穴に巣食う巨大な金雷蜒神、
長さが数キロにもなるムカデの体節を持つ地上での「顕身」と繋がるために、人格の形成から特化する。
 聖蟲が発する赤い雷を用いて、神意を図らんとする。

 彼女らにとって神官巫女は塵芥も同然。命も一顧だにせぬ。
 なにがどう悪いか分からぬままに命を奪われる巫女も珍しくなかった。

 

 その日、「ヅィスチーム」は噂を聞く。
 天にも地にも心当たりの無い、まったく予想外の珍事だ。

「……ギジジットに、「トカゲ神救世主」さまが旅していらしたようだわ」

 人の往来が少ないギジジットだが、噂は方台全土から迅速に届けられる。
 トカゲ神救世主が降臨した、との噂は幾度も、ことごとく後に火刑に処せられたと報が続く。

 だが先日、南海タコリティの街から届いた噂だと、今度こそ本物だと。
 しばらく滞在していたようだが、その後の消息がぷっつりと途絶える。
 どこぞで野垂れ死にするようでは所詮偽物と思っていたが。

「これは本物だわ……」

 神聖宮がいきなり騒がしくなる。
 神官や高位の巫女達が左右に走り回り、なにやらこそこそと囁いた。

 同僚の巫女が下働きの下女を捕まえて強引に尋ねる。
 下女達は巫女と違い、神聖宮の外に自由に出られる。
 数少ない外界の情報源だ。

「それで、トカゲ神の救世主はどれだけの軍勢を率いて訪れたのです?」
「え、ええー、えー、軍勢ですか? 
 救世主さまの御一行の人数は、下僕も合せて10人くらいだそうです」
「ふぇ?」

 鎧袖一触。神族が巨蟲ゲイルで襲うまでもなく、兵の一隊で全滅だ。
 なのに、どうして無事にギジジットにまで辿り着いた?
 いや、軍勢も無しにどうやって世を変革に導き、新しい王国を立てるのか。

「王姉妹様がたは、どうなさるでしょうか」

 そりゃぶっ殺すよ、とその場の全員が思う。
 ギジジットを囲む円形の城壁を越える前に殺すだろう。
 殺さない理由が思いつかない。

 

 監督役の巫女が聞きつけて、若い巫女達をたしなめる。

「どうせ何事も無く収まるのみぞ。浮足立つでない」

 なるほど、それ以外の展開を予測出来る者など居ない。

 

     ***** 

 次々と噂は飛び込んでくる。
 たとえ禁じられようとも、女の口に戸は立てられぬ。

「トカゲ神救世主様は、すでに城壁を越えられたそうよ」
「一行は舟に乗られて運河を進んでいるらしいわ」
「救世主様のご案内を、ギィール神族のお一人が務めていらっしゃるらしいわ。
 ゲイルには乗らず、徒歩で付き従っていると」
「女の方よ、救世主様は。背の低い、髪が真っ黒で細長い、まだ子供のようね。
 青い衣をお召になっている」

「なんでもタコリティの傍の円湾の聖地で、巨大なテューク像を一刀両断になされたそうよ。
 凄まじい神威を守護兵も警戒していると聞いたわ」
「タコリティからギジジットまで、数多の関所や砦をすべて打ち破って通られたとか」
「信じられない!」

 どこまで本当か分からないが、異様さだけが伝わってくる。
 ギジジットに至る道程、神族の守る領地を抜け、ゲイル騎兵と遭遇し、毒地の霧を抜けねばならない。
 たとえ褐甲角の神兵といえども容易には通れぬ難路だ。

 ひょっとすると王姉妹様も、とっくの昔に迎撃の兵を出して阻止したのでは。

「運河の水城門まで舟が来たみたい。兵は多く備えるけれど攻撃命令は出ないらしいわ」
「神聖宮にお招きになるのかしら」
「王姉妹様が、金雷蜒神の顕現御身との拝謁をお許しになられたと言うの?」

「いえ、神の御前で成敗なさるのでしょう」

 王姉妹がトカゲ神救世主と会って何を語らうのか。

 新しい神の使徒は、旧い神に従う者を斥けねばならぬ。
 王国を打ち立て、方台の民を次の歴史に導く使命を負う。

 金雷蜒神の使徒が未だ地上に留まるのは、褐甲角王国が不甲斐ない故だ。

「でもトカゲ神救世主が女性であるのなら、あえて戦いを選ばないのでは」
「王姉妹様にそれを望むのは、……」

 言っている方が虚しくなるほどの、不毛な話だ。
 あの方々は人の命に毛ほども価値を見出さぬ。
 ましてや敵に対してなど。

 

     ***** 

 突然すべての巫女に非常呼集が掛かる。
 業務を停止して、所定の場所に集合せよ。

 神聖宮に内侍で勤めるゲジゲジ巫女は500名、カタツムリ・蜘蛛・カニ巫女なども100名は居る。
 男は通れぬ女人通路も張り巡らされている。
 すべて女だけで賄えた。

 だから、状況説明の為にゲジゲジ神官が姿を見せるのに、皆驚いた。

「御諚である。
 今より神聖宮は全体が神威で駆動する巨大な抹殺装置となる。
 青晶蜥神救世主を滅ぼす為に、恐れ多くも我が神御身体節より発する霊力を集約するのだ。

 もちろんこの度の仕儀は歴史上初めてのものとなる。
 何が起こるか分からぬ。場合によっては神聖宮自体が崩壊するやも知れぬ。
 速やかに全員退避を行う。
 何も持たずとも良い、直ちに宮外へ避難せよ」

 たった一人の少女を殺す為に、なんでここまで大袈裟な。
 いや千年一度の救世主なら、その身も神に護られるだろう。

 ゲジゲジ神とトカゲ神の神威を競う激戦が始まる……。

 

 巫女達は下僕の案内するままに通路を駆け抜ける。
 山吹色の衣、煌めく金銀のかんざし、麗しい巫女達がひたすらに外へと向かう。

 神聖宮は運河を通って出入りするのが正式な通路だ。
 歩いて出るのは通用口のみ。狭い。
 すべての通用口から蟻のように線を描いて雪崩れ出る。

 昼なのに陰る天を振り返る。
 にわかに生じた漆黒の雲が空を覆い光を奪う。
 神聖宮の真上にはにわかに輝く円盤が出現する。
 真っ白に、煌と照らし眼を潰す。

「目が、目が眩む」

 円盤の表面に複雑混沌の色が走り、幾何的な図形を描く。
 やがて絵となり鏡に映したかに画像が瞬く。
 まるで、遠く星の世界を覗き見るかの……。

 高位の老神官が叫ぶ。避難する上下貴賤すべての者に命じる。

「皆の者! 地にひれ伏し眼を瞑り頭を上げるでない。
 神の世界を覗き見てはならぬ。尋常の只人が覗っては罰が当たる。眼が燃えるぞ!」

 逆らう者など居ない。
 ここはギジジット、金雷蜒の神が棲まう都。神秘こそが支配の大原則。
 聖蟲神族の不興を買えば、赤い稲妻が人を打つ。

 下僕・奴隷、兵士戦士、神官巫女が頭を抱えて地に身を投げた。

 ゲジゲジ巫女「ヅィスチーム」もひれ伏すが、天から轟音が降り注ぐ。
 神聖宮の高い壁が雷に砕かれ、大きな石が降ってくるのかも。
 本当に大丈夫か。
 不安に襲われ、わずかに振り仰ぐ。

 見てはならないものを見てしまった。

 

 空中の光の円盤はしずくのように滴り、この世界に降り下らんとする。
 巨大な女人の顔に変じ、長い髪を引き頸から肩までが象られた。
 美しい女神がゆっくりと開く瞳に、憤怒が迸る。

 

「死んだ!」 

 ヅィスチームは自分が愚かにも禁忌を犯したと知る。
 直後に百雷が同時に落ちた光の柱が神聖宮に立つ。
 巨大な宮殿が弾け飛ぶかの爆発音に大地も震える。

 思わず顔を上げる人々。
 天より舞う無数の白い花びらが宙に溶け消えていくのを見守った。

 何が起き、誰がどうなったのか。
 我らが奉ずる神は無事なのか、勝ったのか。
 天空の女神はどちらの加勢か。

 

     ***** 

「うわ、」
「うわ、うわうわ、うわあ、わあああああああああ」

 人は皆、誰が止めるのも聞かず走り神聖宮から遠ざかる。
 ヅィスチームも走る。
 女神の瞳を覗いた罪に慄きながらも、今はただ命が惜しい。

 光が弾け黒雲が霧散した神聖宮の上空は、驚くほど澄んだ蒼天へと変わる。
 明るい空に、遠くより白い筋が走る。
 数千、数万、数百万の槍が一点を目指して突き進む。
 神聖宮の直上で、滝の流れのように垂直に地を貫く。
 金雷蜒神の地上の顕身が宿る縦穴を。

 舞い散る細かい氷の粒に、急速に冷える空気に、神官達はこれがトカゲ神の攻撃だと知る。
 青晶蜥神「チューラウ」は冬と氷雪、冷気を司る神だ。

 先程の白い雷が金雷蜒神、王姉妹の魔法攻撃だとすれば、
今度はトカゲ神救世主の報復だ!

 水道が、井戸が、運河の水が爆発する。
 大理石の彫刻に囲まれる噴水広場が、砕けて散る。人に破片が襲いかかる。

 2区画離れた家が吹き飛ぶ。石造りの立派な三階建てが。
 地の底からの爆発で根こそぎ覆される。
 城市至るところで家屋や水道施設が爆発し、陥没した。

 誰も原因を理解できない。これがトカゲ神の神威なのか。

 

 神聖宮は唸り続ける。
 方台で最大の人工建築物が揺らぎ、振動し、膨れ上がる。
 何一つ突起物の無い滑らかな外壁に無数のヒビが入り、部材が割れ砕け飛び落ちてくる。

 腰を抜かした老賢人が、宮を仰ぎながら天に問う。誰に問う。

「中では何が起きているのだ。どのような巨大な怪物が、戦い合っているのだ」

 金雷蜒神の巨大な御身体節は城市を囲むほど長いとされる。
 ギジジット全体が神を包む為に建造されたとさえ言われる。
 激しく蠢けば神聖宮も崩れて不思議はない。

 それが互角に戦い仕留められぬとは、どれほどの怪物が暴れているのか。

 

 振動が急に終わる。宮を震わすすべての動きが止んだ。
 代わりに吹き出す生臭い臭い、蒸気。肉が焦げるおびただしい煙。
 縦穴を囲む宮の外壁が、まるで巨大な煙突になったかに白い煙を噴き上げている。

 火事なのか、神聖宮が燃えているのか。
 だが誰が消火に向かう。
 神官戦士が役目であるが、一人として動こうとしない。恐怖に足が竦むままだ。

 戦いは、どちらの神が勝ったのか。ほんとうに終わったのか。

 

 きらり、キラリと金色が煌めいた。
 煙の中、高く、神聖宮の外壁一番上の縁に、
そのまた上に聳え立つ神秘の塔から、美しい聖なる光が垣間見える。

 それは強く、明るく、また正しく世界を照らす。神の存在を確かに証すものであった。

「あれは、金雷蜒神の御神光だ!」

 高位神官の声であろう。黄金の光はまさに金雷蜒神「ギィール」が放つもの。
 であれば勝ったのは、

「いや隣に青い。青い光が同じく煌めいて!」

 青晶蜥神「チューラウ」を証す青く清らかな浄光が、黄金の光に寄り添うように並ぶ。

 下っ端巫女のヅィスチームには、何が起きたのか理解できない。
 偉い神官を、神秘を読み解く賢人の姿を探す。

 彼らは地に跪き、年老いた顔に涙を流しながら二つの光を見詰めている。

 これは、奇跡か?
 奇跡が起きたのか。

 

     ***** 

 この人が、青晶蜥神救世主?

 ギィール神族の女人と狗番が付き従う、長い黒髪の青い服を着た少女。
 これが救世主「ガモウヤヨイチャン」か……。

 

 神聖宮外の広場に整列をする神官巫女神官戦士下僕奴隷。
 ギジジットを取り仕切る最高神官が宣言する。

「王姉妹様方は、ゴヴァラバウト上数姉様以外は御無事であられる。
 されど御不快の極みにあり、御姿はお見せになられぬ。
 変わらぬ忠勤を励むがよい。

 当面の諸事は、こちらに在られる神族「キルストル姫アィイーガ」様がお引き受けくださる。
 ゲチョメル神聖王の血を引かれる御方で、
 聖上(神聖王陛下)より御下知が有るまで、我等ギジジットの下僕すべての主となる。」

 紹介を受けて、アィイーガの狗番が進み出る。
 ギィール神族は通常、己の奴隷に対して直接の言葉を与えぬものだ。

「下僕共聞くがよい。
 元より「ギィール」「チューラウ」二神の間に相争う理由は無い。
 互いに天河の計画に基づき人を導く為遣わされた星同士、共に有るに何の障りがあろう。

 されど此度の争いは、ひとえに人が神に多くを期待し過ぎたが故だ。

 特に王姉妹は長年に渡り「ギィール」の顕現御身を私し、己が良きように祭り上げてきた。
 巨大過ぎる御身体節も、本来有り得ぬ悍ましき姿であった。
 人の願いにて神を縛る、累代の増長昂じた末の仕儀である。

 「チューラウ」の御使い、救世主「ガモウヤヨイチャン」により裁かれ、悪は斥けられた。
 「ギィール」も呪いより解き放たれ、元のあるべき姿を取り戻す。
 天の与えし麗しき形へと生まれ変わった。

 今こそ見せよう。これこそが真の神の顕身だ」

 狗番ファイガルが後方に下がり、トカゲ神救世主が進み出る。
 おもむろに左腰に吊るす刀を抜き、聖なる青い光を振りまいた。

 光の清らかさに驚く人々。
 彼らの前に、誘われるかに姿を見せるモノがある。

 神聖宮の外宮の一つに隠れていたそれは、一見するにゲイルに似ている。
 同じ形ではあるが、そこまで大きくない。
 そして明らかに色が違う光が違う。
 まさに今生まれたばかりと納得する、艷やかな甲羅の輝き。
 神々しく麗しく、誰の眼にも正しさを認めさせる整った姿。

 巨大な御身体節に日夜拝礼し恐怖の内に勤行してきた金雷蜒高位神官達も、
心より湧き上がる鮮やかな崇敬の念に耐えず、双眸より涙を零す。
 地に身を投げて神に仕える喜びを表した。
 下位の神官巫女も続いて身を投じる。

 彼らの上を女の声が渡っていく。
 高からず低からず、よく透り誰の耳にも心地の良い、強い意思と力を秘めた声。

「ゲジゲジの神様です。みんな、通りで出くわしてもびっくりしないように」

 これがトカゲ神救世主なのか。金雷蜒王国の敵なのか。

 ゲジゲジ巫女ヅィスチームの心がチカと疼く。

 

 その夜、弥生ちゃんは毒地を浄化した。
 金雷蜒青晶蜥両神の神威霊力を合せ用いて、見渡す限りの平原すべてを冒す毒を一気に拭い去った。

 巨大な青い光の瀑布を、それを操る「ハリセン」の妙技を見た人は、
誰一人として弥生ちゃんを疑わない。
 この方であれば、山より大きな金雷蜒神に打ち勝っても当然。
 真に天河より遣わされた新しい救世主と理解した。

 ギジジットの次の支配者であり、服従すべき対象であると。

 喜びの内に早くも鞍替えする者も出る。
 古き殻にしがみつこうとする者に攻撃を始める。

 だが少数は肯んじなかった……。

 

     ***** 

 二神の闘争の場となった神聖宮は各所で歪み崩れ、元の威容を失っている。
 今すぐに崩壊するものではないが、内部に居住するのは当面諦めた方が良い。
 第一、巨大な体節が燃えた臭いが激しく立ち込め、長時間留まれない。

 幸いにして居住区は無事保たれたから、多くの宝物財物を外に持ち出せた。
 外宮の一角を仮宮として、王姉妹の為の館を整える。

 あくまでもギジジットの主人は王姉妹である。
 と、最初に弥生ちゃんから念を押され、キルストル姫アィイーガが命じる。
 神官達も納得した。

「王姉妹への仕置は聖上の権限。我らの与りしらぬものだ」

 

 外宮は、ギジジットが世界の中心であった時分に行政官庁が設けられていた区画だ。
 幾つもの庁舎の集合体で、古くはあるが宏壮にして豪華。
 再び用いられる日に備えて、美しく保たれてきた。
 こちらに新たな神聖宮を作り直す。

 まず、若い新しい姿を取り戻した金雷蜒神の為に、神殿を設けねばならぬ。
 同じく、青晶蜥神救世主「ガモウヤヨイチャン」の仮宮も必要だ。
 「キルストル姫アィイーガ」の政庁も仕立てねばならない。

 

「ガモウヤヨイチャン、ギジジットの神族はどうする?」

 ギジジットにもギィール神族が数名居住している。
 彼らは、好意的に協力してくれる、わけではない。
 長年に渡り神の顕身を独占してきた王姉妹に殺意すら抱いている。

 弥生ちゃんも悩んだ。

「アィイーガ、説得できる?」
「王姉妹に会わせなければ、なんとか抑えられるだろう」
「そうだね、わたし自身もあまり会わない方がいいかもしれないけど、」

 基本的にこの世界の枠組として、ゲジゲジの聖蟲を持つ者は弥生ちゃんの敵だ。
 神族は皆面白がって新しい救世主に会いたがるが、ニコニコ笑いながら剣を振り回して殺しに来る。
 本気で遊ばないと真価は見極められない、とぬかすのだ。

 まあ弥生ちゃんとしても、彼らが自ら鍛えた宝剣を、カタナで7つに斬り折って黙らせる。
 もったいないざまあみろだ。

「とはいえね、人手が足りない。ギィール神族の手伝いは何人でも欲しい」
「そうか。なら面会を手配しよう」

 

 難問山積みなのだ。
 今こそギィール神族の協力が必要。彼らの技術が不可欠だ。

 まず、ギジジットで何が起きてゲジゲジの神様がどのような変化を遂げたか。
 これを東金雷蜒王国の王都「ギジシップ島」に住む神聖王に報告しなければならない。
 ただの神官ではとても務まらないお役目だ。

 次にギジジットの城市・神聖宮の維持管理。
 激闘で大きく損傷したのは神聖宮だけではない。
 縦穴に接続される地下水道網で空気が圧搾され、各所で爆発崩壊が起きていた。
 古代よりの設備を修復するには、やはり神族の技術が必要。

 都市の防衛も。
 王姉妹に恨みを持つ神族が、異変に乗じてゲイルで攻め来る可能性もあった。
 ギジジットの戦力は僅少。弥生ちゃん本人の出動は願い下げだから、
交渉人を必要とする。

 さらには、毒地浄化の結果判定が必要だ。
 地面を耕し奥深くまで、地下運河や水脈までも青い光で浄化したが、それでも残るものはある。
 また浄化の副作用も考えられ、優れた研究者に現地調査をしてもらいたかった。

 合わせて毒地中の神族達の動向と、褐甲角軍の動きも知りたい。

 

 弥生ちゃんは在住の神族達に言った。

「いずれギジジットには神聖王陛下が、あるいはその名代となる神族が大軍勢を率いて状況確認に来るでしょう。
 それまでにわたしは此処を退去するつもりです。
 去る前に、金雷蜒神さまにとって必要なすべてを整えておきたいと思います」

 彼らギジジットに住む神族は、もちろん金雷蜒神への崇拝が特別に篤い人達だ。
 何よりもまず金雷蜒神の為に、との弥生ちゃんの言葉に大きくうなずいた。
 神聖王の裁きが下るまでは王姉妹への復讐は保留するとの約定を得た。

 基本的に弥生ちゃんが、神族同士の闘いに首を突っ込む義理は無い。

 

     ***** 

 神官巫女を束ねて行政を司る役目を引き受けた、キルストル姫アィイーガだ。

 神族の智慧は巨大な組織の運営も十分にこなすが、向き不向きはある。
 幸いにしてアィイーガはこの方面に明るい。だが、

「ゲジゲジ巫女が多過ぎる……」

 ゲジゲジ巫女は本質的には、「ガモウヤヨイチャン」に反抗的な存在だ。

 神官は男であるから、言って聞かせれば分からないではない。
 本人が納得していなくとも、状況が一つ方向に動き出せば従う生き物だ。
 女はそうはいかない。
 感情的に拒絶すれば、もう脅そうが宥めようが考えを変えない。

 弥生ちゃんには、侍女としてタコ巫女とカタツムリ巫女を充てがっておいた。
 だいたいアイツは男ばかりを好んで使役する。
 お付きは蝉蛾巫女フィミルティだけで良いのだ。

 アィイーガはゲジゲジ巫女の最高位「大神女」を呼んで、命じる。

「王姉妹4名それぞれに30名を付けて、1日3交代として日夜奉仕せよ。
 私にも30名でよい。王姉妹より多くを用いれば、要らぬ諍いとなるだろう」

「かしこまりました。余る者はいかがいたしましょう」
「洗濯でもさせておけ」

 金雷蜒神の体節が燃えた臭いで、衣類や寝具、帳が全部臭くなってしまった。
 一度洗わなければ使えない。
 洗濯は下位奴隷の仕事であるが、ギィール神族の目から見て、神官巫女と奴隷の区別は無い。

 

 王姉妹に奉仕するのはゲジゲジ巫女本来の責務。
 拒む者はいないが、
現在主人達は、巨大金雷蜒神の体節が滅びた縦穴に篭もり、塞ぎ込んでいる。

 臭気が篭もり熱気も煙も未だ残る状態で、頑強な男であっても長く居ると身体を害する。
 王姉妹も無事なはずが無いのだが、留まり続けた。
 額のゲジゲジの聖蟲が守ってくれているのだろう。

 奉仕するゲジゲジ巫女には加護は無い。
 年若い元気な者が選ばれ、突入する。
 3交代を命じてくれたアィイーガに感謝。それでも足りず6交代制とする。

 

 ヅィスチームも選ばれて、「ギジメトイス七数妹」付きとなった。
 ギジジットに残る王姉妹で最も若い、ギジメトイス神聖王の娘。
 まだ42才で柔軟性が残っている。

 彼女ですら、金雷蜒神の御身体節が滅びた衝撃に心を打ち砕かれたままだ。
 それでも姉3人に代わって政事を案ずる役を果たす。
 地上階に留まって嘆きを抑えていた。

 頭之巫女が平伏し、ご機嫌伺いをする。
 心持ちの良いはずが無いが、八つ当たりに巫女を殺すのは控える気力が残っていた。

「トカゲ神の御使いは、ギジジットを如何に触っておる」
「は。ガモウヤヨイチャン様は、」
「「アノ者」で良い」

「は。アノ者はギジジット自体を手に入れようとはお考えになっておりません。
 毒地を浄化した上は、褐甲角軍が攻め入るのも直と見極め、戦になる前に出立なさるおつもりです」
「戦が始まるか。
 フンコロガシどもは喜んで雪崩れ込むであろうな。
 だが金雷蜒神の御身体節はこの城より逃れられぬ。滅びるなら我らも供をしよう」

「恐れながら、新たな若き姿と変じられた神の顕身がございます。
 戦となり神都に賊が攻め入るとなれば、
 王姉妹様方共々に奉じて、東岸に落ち延びる計画を立てております」

「誰がだ。ああ、あの小娘(アィイーガ)か」

 

 「七数妹」は遠い目で、廃墟と化した円筒の城壁を眺める。
 規則正しく並び壁を支える木組みの列は歪み崩れ、各所が焼け焦げて垂れ下がる。
 ほんの数日前までの威容を思い出せぬほどに、圧倒する光景だ。

 直径200メートルのこの空間で、神の激闘が繰り広げられた。

「それは小娘に任そう。
 我等にとって神とは、この城の主以外には居らぬ。
 殉じる者の一人も無くば、虚しく思召すであろう」

 

     ***** 

 平伏する10人の若い巫女は臭気に胸を焼かれ、今にも吐きそうだ。
 だが王姉妹の前で失態を見せては、生きて戻れぬ。
 必死に、それこそ息を止め絶命したとしても堪えて見せねばならない。

 これでもまだ「七数妹」様の担当は楽なのだ。
 地下層の、縦穴の奥にまで降りた組は「防毒面」を携えて行った。
 挨拶する際は、やはり面は外さねばならないだろう……。

 

 頭之巫女の指示で、巫女達は奉仕を始める。
 ヅィスチームも頭を上げ、周囲の様子を確かめる事が出来た。

 彼女が覚えているのは、荘厳な儀式に参加した折の、
何一つ乱れの無い繊細にして幾何的な構造物としての「壁」であった。

 見渡す限りのすべての空間が高い壁で遮られ、人工の驚異に眼を見張る。
 神を讃えるには、これほどの智慧と労力が必要なのかと、感動すら覚えた。

 それに張り付く巨大なムカデの体節。
 巌のように不動の確かさで存在を主張する生命の塊が、
円筒の構造部にしがみつき、地下深くにまで螺旋を描く。

 これが神か。ギジジットに仕える者のみが目の当たりにする奇跡か。

 見る影も無い。
 木組みの構造が壊れるのはまだしも、壁全体を巻いてしがみつく体節が痛ましい。
 黒鉄よりも強固な甲羅が縦に3つに裂け、中の肉が露出し焦げて悪臭を放つ。
 傷跡は延々と地の底深くまで連なる体節全てに見られ、

 ヅィスチームは思わず声を上げた。

「ここで、何が戦ったの!?」

 

 巫女達は一斉にヅィスチームに振り向く。

 以前であれば、たちどころに命を奪われた。
 王姉妹の周囲には、姿を隠し密かに守る蛮族の護衛が潜む。
 不敬は問答無用で処せられた。

 今は誰も居ない。あえて退ける。
 事故でも起きて滅びるならそれも運命と、半ば期待を込めて。

 頭之巫女は迷う。護衛が居ないのなら、自らの手で巫女を処罰せねば。

 ギジメトイス七数妹が声を投げた。

「ガモウヤヨイチャンだ。この破壊はすべてアノ者が成した」

 王姉妹が一介の巫女に言葉を与えるなど、かって無い振る舞い。
 驚きよりも、そこまで自らを喪ったのかといたわしい。

 ヅィスチームもまた、自分の命を忘れた。

「ガモウヤヨイチャン様は、ここで巨人にでも化けたのですか?」
「それならば我らも納得したであろう。
 だがアノ者は、見たであろう小さな姿で、刀を一振提げるのみで我が神に立ち向かった」

「では、何故」
「何故と問うか。巨神の力を持ってしても倒せず、逆に葬り去られるを、何故と問うか。
 我らこそが知りたい。
 天河よ答えよ、何がアノ者の身に宿っているのか!」

 高い円筒の上に覗く青い空に、七数妹は乞い叫ぶ。
 ヅィスチームは、彼女の前に飛び出し、ひれ伏した。
 続いて放つ言葉に、自分が信じられない。

「お許しをください! 青晶蜥神救世主に仇を報ずるお許しを私にお与えください」

 

     ***** 

 神聖宮から引きずり出されたヅィスチームは、直ちに警護に引き渡される。

 ギジジットの城市全体を守護するのは、神聖王直属の軍勢。
 宗教的権威に惑わされず、中立の立場で治安を維持する。

 通例神聖宮内々の事は、神殿の秩序により解決される。
 神官や巫女の叛逆など、余人の手を煩わせない。
 今回は特別だ。

 ヅィスチームは、ギジメトイス七数妹より仇討ちの許しを得てしまった……。

 王姉妹の命令に神殿秩序は逆らえない。
 やむなく警護に任せる仕儀となってしまう。

 困惑するのはこちらも同じ。
 武人達はむしろ、ヅィスチームの説得に掛かった。

「金雷蜒神が青晶蜥神の使徒と争い敗れたのは事実。
 その仇を金雷蜒巫女が討ち果たさんと願うのは、僭越ではあるが理解は出来る。
 天晴な心意気と言えよう。

 されど、今やこの宮を実質的に支配するのはその救世主なるぞ。
 心得違いをいたすでない」
「何をバカを言っているのです! ここは何処ですか、どの神の神殿宮城ですか。
 金雷蜒神「ギィール」以上に尊いものなど有るはずの無い、いえ有ってはならない都のはずです」

「それが天河の計画と、高位の神官達も認めておる。
 救世主は神の命ずるままにギジジットを訪れ、万民の未来の為に戦い奇跡を起こされたのだ。
 第一お前なぞが刃で勝てるわけがなかろう」

「なんと情けない。己が力が及ばぬからと、忠節信仰を諦めよと申されますか。
 累代王姉妹様方の御恩徳を授かりながら、その窮地に目を瞑るおつもりですか」

 どうにも武人達は旗色が悪い。
 そもそもがゲジゲジ巫女は頭が良いのだ。
 真正面から相手をしては、言い負かされてしまう。

 迷惑だからと、神殿取締のカニ神官にヅィスチームを委ねた。
 神様の事はそちらでなんとかしろ。

 

「はてさて困った事よ。七数妹様の御諚を取り付けおったか」

 ギジジットは金雷蜒神を奉ずる神都であるが、十二神すべての神殿も備える。
 十二神官の協議により巫女ヅィスチームの処遇が取り扱われた。

 当然、巫女の所属するゲジゲジ神官が専権を主張する。

「今我らが奉ずるは若き新しき姿を取り戻した金雷蜒神の顕身であり、滅びた巨大な御身体節にではない。
 仇を報ずるといえども、何の仇かを鑑みれば、
 青晶蜥神救世主に御恩こそあれ恨む筋は見当たらぬであろう」

「されど、王姉妹様方の御苦しみを如何にせん。
 彼の巫女の申し分は理に叶うものにして、王姉妹様が受け入れるのも道理と思われるが」
「困った事よ。仇討ちが失敗すれば、命じた者にもまた処罰が及ぶであろう。
 そして万が一にも勝てる道理が無い」

「……、いっそ亡き者とするか」
「それが穏当なる処分と」
「他に同調者が増えても困るからの」

 待たれよ、とカニ神官が手を挙げる。

「復讐は、夕呑螯神「シャムシャウラ」が司る行為。
 我が身を捨て恩徳ある主人の無念を晴らさんとし、従うべき神に殉じようとする。
 この者こそ忠節第一等と讃えられるべきであろう」

「では、カニ神殿はガモウヤヨイチャン様への叛逆に加担すると、」
「そは別儀。
 ではあるが、成り行きとあれば致し方なし。
 今後も彼の巫女に続く者が現れれば、助力せずばなるまい」

 

 この問題、深入りしたくないトカゲ神官が提案する。

「いずれにせよ、ガモウヤヨイチャン様のお命を狙う者が居ると、ご本人に報告せねばなりません」
「ああ、確かに」
「救世主様の方で御対処下さるのであれば、我らが何を申すまでもない」

「投げ出すのか?」
「人聞きの悪い。論を深めるだけじゃ」

 

     *****

 キルストル姫アィイーガは大爆笑。

「そうか! そうだな、ソレは当然だ。
 誰一人として仇を討とうとしないそっちの方が問題だ」

「ですが、他の者にまで影響が及んで徒党を組んでの反乱になるやもしれず」
「そんなものを懸念しておるのか。
 ならばこうしよう」

 アィイーガはギジジット全域に触れを出した。

『金雷蜒巫女「ヅィスチーム」
 殊勝にも金雷蜒神の滅びた尻尾抜け殻の為に復仇を思い至る。
 この者が志を遂げんとするを妨げる者、また功を横から掻っ攫わんと加勢に乗り出す者を許さず。
 ただ成り行きを見守るべし。

 なお、ガモウヤヨイチャン護衛の者は本分を尽くすべし』

 

 笑いも怒りもしなかった者が一人居る。
 弥生ちゃんの狗番ミィガンだ。
 忠誠心は狗番の魂とも呼ぶべきもので、巫女ヅィスチームの心情が痛いほど分かる。
 しかし、

「ミィガン。この「ヅィスチーム」というゲジゲジ巫女を殺しちゃダメだよ」
「ですがガモウヤヨイチャンさま、公然と刺客を野放しにするわけにはいきません」

 弥生ちゃんは何も思わない。
 刺客暗殺者なんて日常茶飯事。一人や百人増えたくらいで驚きはしない。
 むしろそうでなければ、自分が何をやっているのか意義が分からなくなる。

 これまでの社会を覆す為に来たのだ。救世主が狙われ殺されない方がおかしい。
 だから、

「そうね、一人しか居ない方が問題だね。
 王姉妹という「意思」を失っては、この街の人間は何も決められない、動けないのか」
「あまりにも強力な支配者は、従う者から自尊心を失わせるのでしょうか」

「ちと困るな。復活して、またギジジットを支配してくれないと」
「こちらから和解を求めますか」
「にしてもだ、気力を取り戻してくれない事にはなんともね。

 あーなんでかなー。
 ゲジゲジの神様はちゃんとココに居るのに、どうして振り向かない?」

 ころんごろんと大枕にネコのように頭を擦り付けながら、弥生ちゃんは考える。
 だらけた姿を、蝉蛾巫女フィミルティは許さない。

「ガモウヤヨイチャンさま、みっともないですよ」
「どうしたらいいと思う。どうしたら新しい神様と仲良くなってもらえる?」
「それはー、一緒に仲良くするしか無いのではないでしょうか」

「いっしょにねえ」

 

 ミィガンは再度尋ねる。

「巫女ヅィスチームの処分は早急に決めねばなりません。
 他にも示しが付きませんので、ご裁可を」

「殺さない。いや、わたしとしては受けて立つ」
「ですが、」

 天下無敵の弥生ちゃんに、女が独り立ち向かってどうなるはずも無い。
 それでも行き着く所まで行かねば、巫女は止まらない。

「最終的には死なす事となりますよ」
「それが望みなのだから仕方ない。
 人の心を曲げて意に染まぬ生き方を強いるのは、わたしの趣味ではないさ」

 ミィガンは蒲生弥生という人が大分分かってきた。
 この人は、人の生命を一人の寿命とは考えていない。
 歴史の中で輝く魂と捉えている。

 ギジジットに至るまで多くの人の死を見てきたから当然か。

「ですが、他の者の見る前で行うのはお止めください。
 なるべく同調者を増やさぬ配慮をお願いいたします」

「うん、あそこでやるか」
「あそこですか?」

 フィミルティは嫌な顔をした。

 

     ***** 

 お触れが出て仇討ちが公にされて、ヅィスチームは身の置所が無くなった。

 誰もが見る目が違う。
 大半は、後ろめたく正義を覗きたくない羞恥であった。
 でなければ憎悪、侮蔑、驕慢、諦め。嫉妬や羨望で見る者もある。

 だが誰も、自分に倣おうとしない。
 「忠節」「信仰」がギジジットには無かった。そう結論づけるしか無いのだろう。

 どうして、いつの間にこうなった。
 あれほどまでに毎日唱えていた王姉妹への服従は、どこに消え失せた。

 だがヅィスチーム自身、彼女らの心情がよく分かる。
 むしろ何故自分がこんな事をしているか。そっちの方が分からない。

 そもそもがゲジゲジ巫女は忠義に篤いとは見られていない。
 機を見るに敏で、その場限りの利を目敏く見出し飛びつくのが信条だ。
 そして簡単に激昂する。

 自分もただ感情的に一時の憤懣が爆発したのみだ。
 堅い信念深い思索からではない。
 行き当たりばったりの極みで、ここに居る。

 

 仲間のはずのゲジゲジ巫女からなんとなく弾かれて、新たに配属されたのは倉庫。
 カニ巫女に混じっての仕事となる。
 居心地が悪い。

 道徳規範を司り復讐を見届けるカニ神殿は、自分の味方である。
 逆に催促をしているかにも感じられた。
 彼女達には信念がある。でも自分は。

 3日後、ヅィスチームは新しく外宮に整えた「神殿」に呼び出される。
 十二神の高位神官が並び、ゲジゲジ巫女の最高位「大神女」が迎える。
 カニ巫女が12人列を成して並び、その中央に立つ人は。

 今や誰一人知らぬ者の無い、トカゲ神救世主「ガモウヤヨイチャン」の狗番。
 「ミィガン」だ。

 促され、彼の前に跪く。

「金雷蜒巫女「ヅィスチーム」、青晶蜥神救世主の命を伝える。
 ただちに参るがよい。望みを叶えてつかわす。
 場所は、」

 狗番は右の人差し指を天に向ける。
 どこ?

 

 連れて行かれる先は神聖宮。その中枢である縦穴の円筒空間。
 ただし、王姉妹が悲嘆に暮れる場所とは反対側になる。
 「塔」だ。

 神聖宮自体が方台最大の人造物であるが、聳える塔も最高を誇る。
 どちらもギィール神族の天才が成し得た業だ。

 塔の基部には運河を流れる水の力で回転する車輪が有り、人の乗る「籠」を頂上まで送り届ける。
 「エレベーター」だ。
 一介の巫女が使って良い設備ではない。

 眼を開くと、既に天界。左右前後どちらを見ても空の上。
 ギジジットの街が、円形の壁に護られる城市のすべてが一望出来る。
 遥か先、霞む地平に自分の故郷までもが見える気がした。

 待っていたのはネコ、蝉蛾巫女。ここまで案内した狗番ミィガンが並ぶ。
 彼らが仕えるのは、

「青晶蜥神救世主「ガモウヤヨイチャン」さまであられる」

 ヅィスチームは跪く。
 灰褐色の薄い石板に覆われる床に、額を擦り付けて拝礼する。
 ここが目も眩む高い塔で、今にも気を失いそうなど、忘れた。

 弥生ちゃんは命ずる。

「剣を」

 蝉蛾巫女が動いて、ヅィスチームの前に小剣を置く。女性が用いるにちょうどよい大きさだ。
 これで何をせよと言うのか。
 自裁せよか。それもまた有り難い。

 蝉蛾巫女が救世主の意を伝える。

「金雷蜒神巫女「ヅィスチーム」に申し渡します。
 金雷蜒神さまの仇を討ち、王姉妹様方の無念を晴らす機会を差し上げましょう。
 かかってきなさい」

 

 ぞわ、と全身が総毛立つ。
 高塔の風の冷たさを上回る寒気が背筋を襲う。

 そんな馬鹿な救世主が居てたまるか。

 

     ***** 

 額の前に横たえられた小剣に、恐る恐る右手を伸ばす。

 十二神すべての神官巫女は武術の嗜みを持つ。
 タコ巫女カニ巫女のように表芸ではないが、おおむね器用なゲジゲジ巫女だ。

 剣の柄に触ると、ヅィスチームは身の内に異様な昂りを覚えた。
 鞘から鋼刃を抜き滑らすと、それは明確な形を見せる。
 怒りだ。どす暗い赤の焔が腸を焼き、心臓を燃え上がらせる。

 成り行きに押し切られ、忘れていた真理を思い出す。

 正しい判断、迷いの無い論理などくそくらえ。
 怒りに身を任せて荒れ狂うのが復讐の在るべき姿。

 剣を右手に立ち上がる。
 左の手は髪に回して、金銀に飾るかんざしを握り込む。
 ゲジゲジ巫女の得意とは、かんざしを暗器として用いる騙し討ちだ。

 眼の前の人を見る。
 遠くよりその他大勢として拝見した、背の低い、黒髪の長い、青い服を着た少女。
 青晶蜥神救世主「ガモウヤヨイチャン」、
まさにその人が、何の隔たりも無く自分と向き合っている。

 両腕を胸の前に組んだまま、長い湾刀は左の腰に吊るされるまま。
 戦闘態勢にはない。

 

 怒りが魂を震わせ、喉から迸る。
 人の言葉と思える叫びを上げ、剣が勢いよく床を覆う薄い石板を砕く。
 攻撃する意図も自らは覚えず、いきなり右手の剣が渾身の力で振り下ろされていた。

 ミィガンは驚く。
 これほどまでの強い意思を彼女は持っていたのか。
 自らの長刀で始末しようと背に手を回して、止められた。

「よい」

 最初の一撃は避けるまでも無い。
 剣風に吹かれるかに、弥生ちゃんは勝手に押し出されて間合いを外す。
 殺気を自ら制御できない、所詮はただの素人だ。

 

 驚き戸惑うのはヅィスチームだ。

 まるで自分の身体ではない。怒りが力に化して動きとなって、打ち下ろす剣があった。
 全てが一呼吸の出来事。
 これより早くは自分は動けない。

 つまり、最初の一撃で絶対に敵わないと見極めが付いた。
 では諦めるのか。

 打つ、打ち込む、叩きつける。
 思考より疾くに剣が走る。
 足元はふらつきながら、身体は病に冒されたかに揺れながら、矢継ぎ早に繰り出していく。

 ただ、頭の後ろの方に残る冷静な自分は分かるのだ。
 決して救世主には当たらないと。

 さすがに気付いた。
 多少は覚えのある武術の基本を、まったくに忘れているではないか。
 怒りに突き動かされるのみではダメだ。怒りを制御し、自ら一体とならねば。

 それでも分かるのだ。
 届きはしないと。

 

      ***** 

 ヅィスチームは空中にある。

 自ら求めた捨て身の一撃。
 救世主を巻き添えに高塔の頂より飛び出すのも覚悟の、最期の剣。
 目の前に居るはずの、居たはずの救世主が、まるで最初からそこに居なかったかに。

 遠く、はるか遠く青く広がる空の下に、かすかに見える灰色の筋が。
 あれはたぶん、ッツトーイ山脈。その先の緑の裾野に自分の故郷がある……。

 首だけ振り返る。やはり居た。
 塔の頂の、円形の小さな広場に青い服の少女の姿が。

 支えを失い浮く感触に、これで終わったと安堵を覚える。
 刹那に、救世主の唇が蠢くのを見た。
 あるはずの無い言葉を、聞いた気がした。

「(あなたの覚悟、たしかに見届けました)」

 青い服の、左の袖が伸びる。
 転落するヅィスチームを引き上げようと、手を伸ばす。
 掴もうとするのは、剣を持つ右手とは反対の、

 左掌に握り込むかんざしを振るい、救いを拒む。
 余裕があれば毒でも塗ったが、今は無い。
 せめて毛ほどの一筋を傷として与えられれば。

 

 もちろん弥生ちゃん、そんな小細工はお見通し。
 自らも空中に、ヅィスチームより大きく飛び出して、かんざしを避け左腕を掴む。
 そのままトカゲの聖蟲が巻き起こす風に乗って、元居た屋上に戻ってくる。

 胆を潰したのはフィミルティだ。
 弥生ちゃんが空を飛べるのは知っているが、いきなりは心臓に悪い。

 ゲジゲジ巫女を床に放り投げ救うのを見届け、初めて批難の叫びを上げる。

「……なんてことを!」

 

 ふんわりと風に抱かれて着地する弥生ちゃんを、横殴りに切り払う。
 まだ身を起こしかけたまま、ヅィスチームは剣を振る。
 命を救われた恩義も、それが有り得ぬ恩寵だとも理解はしつつ、怒りは収まらない。

 立ち上がる姿は長い髪も乱れて幽鬼の相。
 小剣を握る手も強張り、腕も砕けんとがむしゃらに突いていく。

 避けるのも億劫と、弥生ちゃんカタナの柄尻で、抜かぬままにみぞおちを突いた。
 ヅィスチームが初めて賜る救世主よりの攻撃。

 殺す為のものではない。
 ただ胃が逆立って激痛が走り、腿が力を失いその場に膝から崩れ落ちる。
 小剣も取り落し、まったくに無力に成り果てた。

 しかし怒りが燃え尽きる事は無く、骨まで焦がす劫火に転じる。

 左、右と両手で剣を拾い、跳ねるかに身を起こして前に投じた。
 当たるはずも無く、剣は煌めきながら金雷蜒神の骸の眠る深い縦穴に消えていく。

 横に倒れ薄石板の上で激痛に身をよじる中、頭上からの声を聞く。

「ネコよ、記憶しろ。
 ゲジゲジ巫女「ヅィスチーム」は、たしかに蒲生弥生ちゃんを殺す為に剣を振った」
「ネコは見た。このひとは本気だ」

「ミィガン!」

 眼を上げる。
 苦痛の涙と額に噴き出す汗の塩気で痛み曇る視界に、黒い山狗の面が見える。
 狗番ミィガンが、背負う長刀を抜いてゆっくりと迫る。
 青い光が一筋、刃に沿って長く走る。

 そうか、終わったのか。
 止めを刺すのは従者の仕事。それもまた定法どおり。

 我が身を焼くこの焔を、ようやくに消してくれるのか。

 

     ***** 

 冷たい風に頬を吹かれて眼を覚ます。
 生きている? 自分はまだ生きているのか。

 目の前に広がるのは暗紅色。日が落ちる寸前の夕空だ。
 一片の雲が茜と黒に染まり、陰りゆく世界をゆっくりと進んでいく。

 身を起こすと誰も居ない。
 そびえ立つ塔の屋上に、一人取り残されている。

「殺されなかった、のね」

 殺すほどの価値も無いと判断したのだろう。
 一介の巫女は王姉妹やギィール神族にとっては虫けらも同様。
 トカゲ神救世主にも路傍の小石と相違がない。

 周囲を確かめるとただ一つ、自分のかんざしが置かれていた。
 一応は武器ともなるこれで、自らの喉を突けとの命であろうか。

 当然だ。
 千年一度の救世主様に刃向かって、生きて済まされるはずもない。
 誰も殺してくれないのなら、自裁すべきであろう。

 しかし、死ぬ気は起きない。

「不思議だわ。どうしてこんなに人を殺そうとする怒りが揺るがないのかしら」

 

 屋上の縁に近付く。
 立って覗こうとしたが、足がすくむ。
 肉体はたしかに死にたくは無いようだ。

 這って顔だけを覗かせ、下を見る。

 穴が黒々と開いていた。
 直径200メートルの縦穴の、底の奥まですべて黒。
 沈まんとする夕陽が宮の壁に遮られ、ますます黒く塗りつぶす。

 闇。
 闇の中に、わずかに赤く光る点が一つ、二つ、どんどん増える。
 黒い穴の中に無数に、星のように煌めき、蠢いている。

 金雷蜒神だ。

 かってギジジットのすべてを支配していた巨大な金雷蜒神の顕身が、
ガモウヤヨイチャンに滅ぼされた延々と続くムカデのような体節の帯が、
まだ生きている。
 魂を失ってもなお朽ちず、屍が蠢き続ける。

 王姉妹様方は、これと会話し続けているのか……。

 

「ああこれは、」

 罰を受けていらっしゃるのだ。

 千年前、褐甲角神「クワァット」が救世に現れた際に、
「ギィール」が天に還るのを許さなかったのが王姉妹だ。
 天河の計画を捻じ曲げ、神を地上に縛り続けた。
 その枷こそがこの骸だ。

 だから、骸と語り続ける罰を受けねばならない。

「ならば、神に殉じようとする自分もまた、」

 思い出す。自分は人として許されざる禁忌を冒した。
 天を見上げ、地上に罰を与えんとする憤怒の女神の瞳を覗き見てしまった。
 だから「怒り」から解放されない。

 

 塔の縁に立つ。足はもう震えていない。
 暗闇に瞬き続ける赤い点が、すべて自分を見ている気がした。

 この神の為に死ぬのではない。
 髪をまとめてかんざしを挿して戻す。
 馬鹿な人間の女が、愚かさ故に自ら死ぬだけだ。

「      。」

 自分でもわけの分からぬ言葉にならぬ声を甲高く叫びながら、身を投げた。
 それがにんげんらしいと思う。

 

 金雷蜒巫女「ヅィスチーム」は神聖宮の高塔に招かれ、ガモウヤヨイチャンとの決闘を行い、
果たせずしてそのまま縦穴に身を投げた。

 ギジジットに仕える者達は、その報に接して皆同様に語ったそうだ。

「殉ずる者の一人も居ないようでは、味気なさ過ぎるか……」

 

 

第三・八章 狗番のお仕事    2019/09/24

 こうして弥生ちゃんは神都「ギジジット」の主となった。
 しかし、いい事なんか何も無い。

 王姉妹は現在茫然自失状態。まったくに実務能力が無い。
 彼女らに従っていた神官巫女も、何一つ決められない。

 2千年の長きに渡って君臨した王国だ。
 神官巫女は骨の髄まで神聖秩序に浸って生きている。
 金雷蜒神の聖蟲を戴く者、さらにその上の王姉妹に絶対服従が本能として刻まれている。

 天空に出現した女人の顔、王姉妹の長「ゴブァラバウト四数姉」の死、巨大金雷蜒神と青晶蜥神救世主の激闘および神聖宮の半壊、毒地浄化の光の瀑布。

 奇跡オンパレードの衝撃から回復するにつれて、旧秩序との整合性を求めて混乱も加速する。
 最大勢力を誇るゲジゲジ神官は方針を巡って延々会議を繰り返し、
ゲジゲジ巫女は、嘆き悲しみ神聖宮に籠もる王姉妹に従い涙を流し続ける苦行を強いられる。

 

「とりあえず、ゲジゲジ神殿はいいや。
 他の十一神殿の者を統合して実行委員会を組織します」
「では、ゲジゲジ神官達は私が引き受けよう。巫女は要らんがな、鬱陶しい」

 キルストル姫アィイーガが、混乱するゲジゲジ神殿を引き受けてくれる。
 彼女は、新生なった若い金雷蜒神さまと意識を通じその意を受ける作業で付きっ切りだ。
 王姉妹が新しい神様とまったく接触しないので、アィイーガこそがギジジットの心臓になってしまった。

「まずは金雷蜒神を奉る神殿が必要だ。
 半壊した神聖宮は放棄するとなれば、外宮を使うしか無いだろう」

 円筒形の壁で構成される神聖宮の傍には、ほぼ同規模の巨大な建築群が存在する。
 ギジジットが世界の中心であった時代は、各種政庁が設けられていた場所だ。
 「外宮」と呼ばれる。
 建築様式は古いがいずれも壮麗なもので、いつの日か復権する日を夢見て数百年無事に管理されてきた。

 調査の結果、少し手を加えれば十分に王宮として使える。
 また神殿を立ち上げる事が出来た。

 蝉蛾巫女フィミルティが恐れながら、と進言する。

「何よりもまず重要なのが、青晶蜥「チューラウ」神救世主ガモウヤヨイチャンさまの神殿です。
 ギジジットは金雷蜒神の神都ではありますが、忘れてはいらっしゃらないでしょうか」
「あー、そーだった」
「ああ、それは重要だな。本人は必要としなくても、神官どもが派手でけばけばしいものを欲するだろう」

 警備上の問題もある。
 王姉妹に忠誠を誓い、新時代の救世主を暗殺しようと企む者が居ないわけが無い。
 ただアィイーガの見解は少し異なる。

「あれだけの奇跡を見せたのだ。
 金雷蜒神も滅ぼされたのではなく、本来の姿を取り戻し神威を新たとした。
 王姉妹よりもトカゲ神救世主の方が天河十二神に近いと、神官どもも心得る。
 暗殺は無いのではないか」

「それはそれでつまらない」
「うむ」

 

     ***** 

 暗殺と言えば、アィイーガは思い出す。

「そうだ。ついでに言うとな、ギジジットにも若干名のギィール神族が居住する」
「おお! そちらの方が襲ってくるね」
「いや、連中は王姉妹に強く恨みを持っていてな、
 腑抜けた今を好機として神聖宮に押し入り素っ首刎ねても不思議はない」
「なんで!」

 アィイーガはこともなげに説明する。
 不便なギジジットにわざわざ住む神族は、いずれもゲジゲジ神の熱烈な信奉者であった。
 だが王姉妹は神の地上の顕身を神聖宮奥深くに隠し、彼らに見せようとはしなかった。
 それは怒る。

 常日頃から復讐の機会を窺ってきたが、今がまさに好機。
 弥生ちゃんは首を斜めに捻る。

「これはー、トカゲ神救世主が首を突っ込む話じゃないねえ」
「とはいえ王姉妹が殺されては困るだろう」
「うん……。なんとかなる?」

「王姉妹には会わさず、新しい金雷蜒神を彼らに見せよう。
 それで十分ではないか」

 神族に関してはアィイーガに全面的に任せるとした。

 実は弥生ちゃん、今こそ神族の手が欲しい。
 もう何人居ても足りない。

 

 さて、今回の主役は狗番ミィガンだ。
 彼の立場も微妙なものとなっている。

 彼は、ギィール神族サガジ伯メドルイから借りた案内人である。
 これに対して、新しく組織した実行委員会の神官達が異を唱える。
 「護衛には神官戦士を当て、ミィガン殿を重用なさらないようにお願いいたします」と。

 アィイーガに尋ねると、彼らの言う通りだと説教された。

「狗番とは、生まれた時より唯一人の神族を主と定め、己が身命を捧げ忠節に滅びる者だ。
 主の立場を生涯に渡って守り抜く。
 もしガモウヤヨイチャンの救世の仕置きが主サガジ殿の為にならぬと思えば、容赦なくその身を貫くぞ」
「狗番て、転職できないの?」
「無いなあ。主人が死んだら殉死するくらいだからな」

 アィイーガの狗番ファイガルとガシュムも、黒い山狗の面の下で「そうだ」という顔をする。

「つまりは、護衛ではなく別の役目であれば、傍に置いても構わないわけだね」
「四六時中身を護らせるには不適なだけだからな」

 というわけでミィガンは「YORIKI」というまったく新しい肩書を与えられた。
 星の世界の言葉で、意味は「自らの配下ではない、他からの援軍として従う者」
 アィイーガも納得。

 

     ***** 

 ガタガタと縄張り争いの結果、外宮の割り振りが決まった。

 最も大きな建物は、王姉妹の居城としてゲジゲジ巫女達に整えさせる。
 今は悲嘆に暮れ生きる気力も失せ連日神聖宮の縦穴で亡き巨大金雷蜒神の躯を前に涙を零す王姉妹も、
やがてはギジジットの支配者として立ち直るだろう。
 その時には、改めて新生なった金雷蜒神の神殿としても、この場を用いる。
 最初から用途は決まっているのだ。

 一方現在の金雷蜒神さまは、常にアィイーガと共にあり額のゲジゲジと赤い光線を通じて交信する。
 二人が離れるわけにはいかない。

 アィイーガはまた並み居るゲジゲジ神官達を率いてギジジットを支配せねばならない。
 当然に、トカゲ神救世主ガモウヤヨイチャンとの密接な協議が必要。
 三者が同じ場所に居を定めるのも当然だ。

 かっては財務省として用いられた重厚な建物を「トカゲ神救世主様御一行」の宿舎に定める。
 神殿も政庁も、めんどくさいからここで全部やる。
 名付けて「仮神宮」

 仮神宮における生活関連総責任者には、蝉蛾巫女フィミルティが当てられた。
 とはいえ彼女は歌姫が職分。
 この手の業務はカタツムリ巫女の得意であり、全員集めて侍女とした。

 カタツムリ神官巫女は演劇によって民衆に奉仕する。
 神話劇を演じる俳優なのだ。
 だが巫女は見目麗しく記憶力に優れるので、王宮の侍女として用いられる。
 緑の服を着ているからすぐ分かる。

 ギジジットにおける王姉妹の侍女はゲジゲジ巫女が務めるものであるが、却下!
 あいつらうるさい鬱陶しい。

 ギジジットへの征旅の途中で飛び入り参加した奴隷達も、フィミルティの配下となる。
 彼らも弥生ちゃんの従者として、それなりの位と役職をもらって鼻高々。
 ただ、旅を助けた彼らが果たすべき役割はもはや無い。
 せいぜいネコの世話係だ。

 

 そしてミィガンは、弥生ちゃん個人の狗番ではなく、仮神宮全体の警備責任者となった。
 常時百人の神官戦士を率い、混乱する神聖宮の治安を回復し、弥生ちゃん一行の安全を護る。

 傍近くで守る役目は他に譲ったが、代わりに救世主の「眼」となり神官や奴隷達を視察して回る。
 長年続いた不正や人権侵害を暴き出し、綱紀粛正する役目も与えられた。
 たいへんだ。

 

 夕刻になり、命じられた仕事を終えてミィガンは「仮神宮」の宿舎に戻った。
 「救世主の間」に伺候すると、弥生ちゃんはぺたっと腹ばいになって寝ている。
 傍ではフィミルティが、おいたわしやと眉をひそめて見守っていた。

 ついでに真っ白な無尾猫達も、弥生ちゃんに倣ってぐったりしている。
 こいつらは働き過ぎだ。
 噂話の伝達はギジジットにも居た同類に任せて、今は英気を養う。

 ミィガンは、控えるカタツムリ巫女に尋ねた。

「何事がおありになった」
「金雷蜒神官の皆様がお出でになりました。
 再び毒を撒いてギジジットを封鎖してもらいたいと仰せになります。
 あまりの頑迷固陋に救世主様はほとほと呆れ果て、たしなめられるのもお取りやめになりました」
「なるほど、おいたわしい」

 

     ***** 

 ミィガンの声を聞いて弥生ちゃん、がばっと身を起こす。
 こっち来いと手招きした。

「どうだった?」
「ゲジゲジ神官は王姉妹様方の権威を笠に着て、様々に横暴を働いています。
 他の神殿は相当の不満を持っておりますね」
「まあゲジゲジ神の都だからね。多少は許さざるを得ないけど、あいつら話にならない!」

 にわかに現れたトカゲ神救世主に実権を握られ、反発を覚える者は少なくない。
 だがそれ以上に、ゲジゲジ神官巫女への恨みを訴える者が多い。
 王姉妹による支配が崩壊した今、遠慮する気も無いのだろう。

「ひょっとすると神官同士での戦闘が発生するやもしれません」
「そこまで空気良くないか。やはり王姉妹に早く復活してもらわないとダメだな」

「それは賛成しかねるな」

 話を聞きつけて声を掛けるのはアィイーガ。
 巨大な、とはいえ小さな金雷蜒神と共に部屋に入ってくる。

 天井が高いから良いものの、こんな大きな生物を想定していない建物だ。
 やはり各所にぶつけて壊している。
 逃げ惑うカタツムリ巫女。だがフィミルティは動じない。
 ギィール神族に随伴して戦場にも連れて行かれる蝉蛾巫女は、巨大なゲイルにも慣れている。

 アィイーガは二人の狗番に命じて、自らの甲冑を外させる。
 今や金雷蜒神と唯一繋がる最重要人物であるが、しかし暗殺の危険は常に付きまとう。
 神族は互いに殺し合うのをむしろ美徳と考える。
 殺られた方がマヌケと謗られるのだ。

 肌も露わに男性に世話を受ける神族の姫を見て、弥生ちゃんは思う。

「女の狗番てのは、居ないの?」
「弱い」
「そっか、じゃあ使えないな」

 振り向いて来たから、ミィガンが補足説明をする。

「狗番は主人である神族の護衛こそが本分です。
 背が高く盾となるに相応しい体格を持っていなければ務まりません」
「そりゃそうだね」
「ですが、少数ではありますが女の狗番も居ます。「嘴番」と呼ばれます」

「鳥のくちばしの生えた面を被るのです」

 とフィミルティも口を出す。
 男は山狗、女は鳥。どちらも口吻は突き出している。

「狗番を何人も持つ裕福な神族であれば、1人くらいは置く事がございます。
 武術の達者ではありますがあくまで身を守る程度で、そうですね、嘴番は書状を届けるのが主たる任務と言えます」
「そうか、信頼のおける者を使者として立てる。その程度なんだ」

「王姉妹は持っているぞ。あいつらは男を傍に寄せ付けぬからな」

 アィイーガの言葉に、弥生ちゃんはちょっと考える。
 何を悩むと尋ねると、

「いや、あなたみたいに男の人に肌を見られて平気じゃないから、わたし」
「そうか、ならばミィガンも使えぬな」
「いやー、さんざん恥ずかしいところ見られてきたけどねえ」

 ちょっとだけ頬を赤らめる。

 そういう事情も有ったのか、とミィガン改めて知る。
 内心で少し驚いた。

 神族と並んでなんの遜色も無い尊い振る舞いをなさっているが、実は年若い女人としての羞じらいがあったのか……。

 

     ***** 

「吊橋効果だよ」
「なんだ。吊橋がどう関係する」

 夕食を摂りながらの歓談で、アィイーガは問い直す。
 当然のことであるが、救世主弥生ちゃんと、ギィール神族アィイーガが食べている間は、他は見守り給仕するのみ。
 これが旅の道中であれば皆一緒に食べたのに、寂しいじゃないか。

 献立は驚くほど質素。
 普通に穀物の粉を練って焼いたパンに、野菜入りのお粥ゲルタ抜き。
 ギジジットにも畑があって青物や果物が食べられるし、食用の家畜も飼っている。
 本日は大ネズミの焼き物で、狗番も合わせて6名様でたったの4匹。
 無尾猫達が生き血を吸った残り滓の再利用だ。

 本来であれば神官達は、千年一度の救世主様をもてなす贅を尽くした御馳走を毎食揃えただろう。
 だがどうせそんなには食べられない。 

 王姉妹がいつも何を食べているかと尋ねれば、彼女達は最高位の巫女でもある。
 かなりスピリチュアルな偏食を行って、ちっとも羨ましくない。
 だからまったく華美に陥らない。浪費にも繋がらない。

 良い点はいくらでも見習うべきだ。

 

「吊橋効果ってのはね、ぐらぐら揺れる吊橋を男女が一緒に渡っていると、
 きゃー怖いって女の子がしがみついてなんだかドキドキするのを、実はこれ恋心じゃないかしら? と錯覚して、
 橋を降りた後でも恋人気分に仲良くなってしまうという策だ」
「あーうん、話を聞く限りにおいてはそういう事も有るのかもしれないな」

 十二神方台系においては、恋人同士が仲良く人目もはばからずにデートする、という習慣が無い。
 自由恋愛は本当に珍しく、親や周囲の斡旋で結婚相手を定めている。
 バンド(組合)に属する奴隷などは、労働力供給の予定に合わせて繁殖計画が組まれるほどだ。

 しかし、まあ、無いわけではない。
 物語お芝居においても、主人公とヒロインが恋に落ちるシーンは描かれるし、吊橋効果的な話は存在する。

「しかしそれが王姉妹とどう関係する」
「だからさ、平原のど真ん中に王姉妹と金雷蜒神さまだけをぽつんと置き去りにして、ギジジットまで一緒に帰ってきてもらう。
 そしたらいくらなんでも王姉妹も、神様と仲良くなるでしょう」
「まあ、そうだな」

 

 議題は「どうやれば王姉妹が新しい姿の金雷蜒神さまと仲良くなれるか」

 王姉妹「ギジメトイスの娘達」4人は、巨大金雷蜒神と共に自分達も死んだと思っている。
 それだけの衝撃があったのだ、無理もない。
 だから残された世界がどのように変貌しようとも、もはや関心を持たぬ。
 神が新しい若き美しき姿を取り戻したとしても、無縁の存在となってしまったのだ。

 これは困る。

「困らないぞ。いざとなったら王姉妹を入れ替えてしまえば良いのだ。
 神聖王の住まう首都島「ギジシップ」ではゲジゲジの聖蟲が繁殖されており、それを司るのも別の王姉妹だ。

 神族が聖戴の儀を受ける時、必ず王姉妹とも会う。
 世間を広く見て物分りも良い、まともな人間だ」

 

     ***** 

 そんな良いものが居るのなら、と思わないでもない。
 だが弥生ちゃんは、

「でも奇跡を見ていないヒトに、今のギジジットを任せるのはちょっとね」
「そうだな。今後の協力体制も変わらざるを得ないな」

 そこで、と弥生ちゃんが言い出したのが「吊橋効果」
 アィイーガも悪い策ではないと思う。
 問題はむしろ、べったりと張り付くゲジゲジ巫女や護衛達をいかに引き剥がすかだ。
 ただ、

「王姉妹の額にもゲジゲジの聖蟲が載っている。夜でも方角を教えてくれるからそんなに困らないぞ」
「そんな機能が有るか。うーん。
 じゃあゲジゲジを頭から取ってしまえば、普通の人なんだ」

「聖蟲を取られたら死ぬだろう。それは最大の恥辱であり、究極の刑罰だ」
「ギィール神族って、聖蟲取られたら死ぬ?」
「取られぬように死ぬまで戦うな」

「ゲジゲジの聖蟲って、普通頭から降りたりしないの?」
「髪を洗う時には降りるな。水に濡れるのは嫌いなようだ」
「ちょっと降ろしてみてよ」
「自分のトカゲでやれ」

 とアィイーガが応じたとたん、弥生ちゃんの額の上に居るカベチョロがちょろちょろと走り出す。
 左の腕を伝って手の先まで行き、ごはんを一口ぱくっと食べた。

 こんなにサービス精神が旺盛な聖蟲を、アィイーガ以下その場の全員初めて見た。
 ネコも首をぐんと伸ばして観察する。

 弥生ちゃんはどうだと威張る。

「簡単だよ」
「トカゲ神は簡単だな。だがゲジゲジは言うこと聞かないぞ」
「そんな事無いさ」

 左手を伸ばして、指の先のカベチョロをアィイーガの額のゲジゲジに近付ける。
 両者が何事か会話している気がする。
 聖蟲の言葉など誰も分からないが、そう感じた。

 カベチョロが弥生ちゃんを向いて、何事か話しかける。
 うなずいて、腰の後ろに手挟むハリセンを右手で抜いた。
 そのまま開いて平たくアィイーガの顔の辺りに差し出す。

 ゲジゲジの聖蟲はぽんと跳んで、ハリセンの上に着地した。
 あまりにも簡単な「聖蟲剥奪」!

 アィイーガ驚愕。
 二人の狗番ファイガルとガシュムも硬直し、フィミルティは蒼白に、周囲に控えるカタツムリ巫女の1名が卒倒して崩れ落ちる。
 ネコ達も跳ね起き、乱闘騒ぎに備える。
 ここはアィイーガが激怒して刃傷に及ぶ場面。

 ミィガンも、脂汗を流しながら弥生ちゃんに進言する。
 ギィール神族を相手に繰り広げる様々な無茶を見てきたが、まさかこんな事まで可能だったとは。

「そのあたりで、聖蟲をお戻し下さいませ」
「ほい」

 とハリセンをぽんと叩くと、ゲジゲジは跳んでまたアィイーガの額に戻る。
 神族の姫は、ふぉーと長く息を吐いた。

「……、これも、神威か?」
「いや、聖蟲ってだいたいおちゃめだから、色んな事をしたいんだよ。
 普通は会話出来ないから我慢しているけど、話が通じればこうさ」
「聖蟲は遊びたがっている、そういうことか」

「王姉妹の額のゲジゲジ達も、たまには神聖宮の外に遊びに行きたいさ」

 アィイーガ、吊橋効果作戦がにわかに上手くいく予感がしてきた。

 幼少の時分よりゲジゲジを授けられた王姉妹だ。
 聖蟲の存在は精神を形作る基盤となっており、それ無しに生きるなど考えた事も無い。
 失えば、自殺する気力すら無い。赤子と成り果てる。

 その時支えとなるのが、新しい姿の金雷蜒神。

「うむ。なんとかなりそうだな」

 

     *****  

 2日後。弥生ちゃん一行は全員で神聖宮に乗り込んだ。

 神聖宮は金雷蜒青晶蜥両神の激突により多大な損傷を受け、歪んでしまった。
 倒壊の危険こそ無いものの、蟲の体節が焼け焦げた臭いが立ち篭め、極めて不快である。

 王姉妹は神が滅びた大円筒・縦穴に留まり、嘆き続ける。
 ゲジゲジ巫女達が遠巻きに見守っているが、悪臭に息も絶え絶えとなり倒れる者も多い。
 しばしば弥生ちゃんの元に担ぎ込まれ治癒の光を受ける。

 

 そこは救世主一行が小舟で到着し、初めて降り立った場所。
 再びの入城は、自らの足で歩む。

 ミィガンは、弥生ちゃんの護衛の神官戦士16名を率いる。
 さらに精鋭5名と共に真っ先に乗り込んだ。

 後続の神官戦士は甲冑を身に着けているが、この5名は儀礼用の衣服で無防備。
 ミィガンも上半身裸の狗番姿に、トカゲ神の使者を表す青い帯を肩から掛けるのみだ。

 王姉妹が使役する暗殺者集団が、どのように反応するか分からない。
 だが彼らこそが、弥生ちゃんの強さを思い知る。
 下手な真似には出ないだろう。

 救世主の露払いとして名乗りを上げる。

「天河十二神の定めし救世の計画に基づき地上に遣わされた星の世界の住人、
 青晶蜥神「チューラウ」が使徒にして方台全ての民草を救い導かんとする新たなる千年紀の王、
 有り難くも妙なる調べが御名を「ガモウヤヨイ」と申される御方が先導として、
 ガムリ点に居を定めるギィール神族サガジ伯メドルイが狗番、
 「YORIKI」の称号を与えられし者ミィガンが申し上げる。

 ガモウヤヨイチャン様が入来される。王姉妹様方にお取次ぎを」

 恐れ慄くゲジゲジ巫女達。
 半裸に纏う赤い衣を翻して、ただちに陣容を立て直す。年嵩の巫女が高い声で指図を飛ばす。
 たちまちに美しい列を作り、貴人を迎える礼をとる。

 弥生ちゃんはそもそもが堅苦しい礼儀を嫌い、どこにでもひょっこり姿を見せる。
 単刀直入に用事を済ませてしまう。
 それに慣れてきたゲジゲジ巫女だが、今回は真正面から最大限の礼儀を尽くして乗り込んだ。

 これは王姉妹に対しての公的処分を決定したという話ではないだろうか。
 あるいは、究極の裁きを下さんとするのか。

 ミィガンに続くのは、大きな金雷蜒神とキルストル姫アィイーガ。
 二人の狗番と共に、ギジジット最高位の神官長、大神官達を従える。
 神殿組織全体がアィイーガの指揮下に入った証拠だ。

 そして蝉蛾巫女フィミルティが天河の神を称える歌を高らかに響かせ進み、
弥生ちゃん徒歩で登場。

 神刀「カタナ」を佩き、額には青いウロコの輝くトカゲ神の化身を戴く。
 先細りのする長い黒髪を靡かせ、青き衣は凛々しくモノノフの趣きを魅せる。
 従えるは5匹のネコ。

 大円筒内部に姿を見せるや、天下に轟く大音声で呼びかける。

「遊びに行きましょう!」

 

      ***** 

 神官長達に話をしたのはアィイーガだ。
 金雷蜒神さまを連れて行ったから、反論の余地なく無条件に従わざるを得なかった。

「つまりだ、金雷蜒神は王城の外を視察したいと仰られる。
 ギジジットの外にも見るべき景勝は有るだろう。
 また、ガモウヤヨイチャンが成した毒地の浄化の具合も確かめたい。

 もちろん、神を単身で外に送り出すわけにはいかぬ。
 ギジジット総出で麗々しく行列を仕立てて参るぞ」

 神官長が答弁する。

「それでは、神聖王にのみ許される最大限の威容をもっての御行列を仕立てて行います。
 ですが王姉妹様方におかれましては、此度の御幸には御参加いただけないかと、」

「連れていく。むりやりにでもだ」
「しかしそれは、御勘気をこうむり、」
「金雷蜒神の地上の顕身が望むのだ。王姉妹の意向など無用」
「ではございますが、」

 アィイーガも嘆息する。
 分かってはいたが、神官というものは前例に従い経典や戒律に縛られ、とにかく融通が利かない。
 脅す以外には動きはしない。

 だが今回、まだ1枚説得のネタは残っている。

「王姉妹の気分が優れぬのは理解する。
 だが古き金雷蜒神の抜け殻のみを崇め懐かしみ、新たに若き姿へと脱皮された顕身をないがしろにするとは何事か」
「は、ははあ」
「オマエが畏まっても仕方がない。
 此度の遊行も、新しい姿の神に王姉妹が慣れて親しんでもらうのを目的とする。

 王姉妹が今後もギジジットの主として君臨するのを、ガモウヤヨイチャンは望んでおる。
 だがその為に絶対に必要な条件が、新しい姿の神に王姉妹が拝伏する事だ。当然だ。
 もしも出来ぬとあれば、次なる策を用いる他無い」

「次なる、……策とは」
「ギジシップ島の聖上(神聖王)に奏上し、新たなる王姉妹を派遣してもらう。
 旧き者はどこそに幽閉され隠遁を余儀なくされるだろう」

 驚愕と恐怖が神官長以下の者共を貫いた。
 それは同時に、ギジジットの神殿組織全体を入れ替える事ともなろう。

 腐った組織を捨て去り新しい人員で立て直す。旧弊を改める最高の手段だ。
 抵抗を見せるならば皆殺し。それが金雷蜒王国だ。
 王姉妹に不満と怒りを抱いていたギィール神族も、喜んで手を貸すだろう。

 アィイーガは神官達にトドメを刺す。

「既にギジジットに異変が有り、巨大な金雷蜒神がトカゲ神救世主に屠られたとの報せは各所に届いていよう。
 聖上も名代が兵を率いて状況を検分に、事態の掌握に来る。
 王姉妹が何の責務も果たさずただ呆けており、ガモウヤヨイチャンが金雷蜒神を独占していたと知れてみよ。
 いかなる処分が下るか、オマエ達の貧弱な頭でも容易に想像できるはずだ」

「理解、いたしました。王姉妹様方のお命を救う為にも、お考えを改めて頂かねばなりませぬ。
 我らギジジットに集いし神官巫女、総力を挙げて御幸を完遂してご覧に入れます。

 されど王姉妹様方の御心を変えるのは、我らの手に余ります」
「心配するな、そこはトカゲ神救世主がちゃんと考えておる。任せよ」

 弥生ちゃんはちゃんと考えている。とんでもない策を。

 

     ***** 

 翌日早速、王姉妹からの返事が届いた。

 神官長以下が必死になって説得したのだろう。
 神聖宮を追われれば、失われた神の姿を懐かしむ事すら不可能になる。
 さすがにこれは容認し難い。

 しかも処分を下すのは弥生ちゃんではなく神聖王だ。
 ゲジゲジの聖蟲を戴く者の非情さ容赦の無さは、誰よりも己自身が知っている。

 「諾」と言う他無い。

 

 返事を携えてきたのは神官でも巫女でもなく、「嘴番」だ。
 本当に女の狗番を王姉妹は抱えていた。
 しかし、

 弥生ちゃんは評する。

「おっぱい、だね」

 狗番はおおむね平時は上半身裸で、腰に革のスカートみたいなものを巻いている。
 肉体を誇示するのも、神族の従者として求められるところ。
 女の狗番も同様に、上半身裸で鳥の面を被る。かなり若い娘だ。

 陽に灼けた褐色の肌がいかにも色っぽいのだが、本人恥ずかしがったりしない。
 そもそもが東金雷蜒王国は温暖で、一般庶民も露出の大きな服を着ている。
 恥ずかしがる方がおかしいのだろう。

 弥生ちゃんに代わって、ミィガンが問う。
 狗番・嘴番が派遣されるとは、私的な連絡を行うという意味だ。
 王姉妹は公的には弥生ちゃんを認めぬ、と表した事になる。

「なぜ高位の神官や巫女でなく、汝が御言葉を授かったか。
 礼を失するとは考えなかったか」
「貴き御方の思し召しを我は詳らかに知らぬ。
 ただ、何者もこれを引き受けなかったが故と心得る」

 弥生ちゃんにはさっぱり分からない。
 なんで神官巫女はお使いを引き受けないのか。

 嘴番に付き添うのは、トカゲ神殿の大神官だ。宮廷儀礼に通じていた。
 彼はもちろん弥生ちゃん側の味方である。
 救世主の疑問を解き明かす。

「おそらくは、王姉妹様はこの度の返答を快くはお考えになっておられぬのでしょう。
 使いをした者はそれが故に御勘気に触れ打ち殺されると考え、誰も引き受けなかったものと」
「嘴番ならばいいの?」
「武術の達者でありますから、万が一に生き残る可能性があるのでは」

 つまり適当に避けろか。
 神族・王姉妹の横暴は今に知った話ではないが、それはさすがに可哀想。

「分かった。以後そなたを王姉妹とわたしの間の正式な連絡係としよう。
 それ以外の者を送ってきたら、ぶっ殺す」
「御言葉、謹んでお預かりいたします」

 嘴番は拝礼して、「救世主の間」から退出した。
 弥生ちゃんはミィガンに話し掛ける。

「王姉妹にとって、嘴番はさほど大切な存在ではないのだね」
「若き娘でありましたから、さほど長くも仕えてはいないのでしょう」

「嘴番てどうやって成るの? 狗番と同じに、生まれた時に定められるの?」
「嘴番はおおむね狗番の娘です。
 神族に姫が生まれるとお付きの者として任に着きますが、女人が神族になるのは少なく、
 また神族への道を歩み出したその時から男の狗番へと入れ替わります」

「じゃあ、ほとんど成る者は居ないんだ」
「いずれ数奇な運命を辿ってギジジットに参ったのでしょう。
 おそらくは、王姉妹様にお仕えする者はさほど長い寿命とはならないと推察します」

「ではあっても、他人の狗番嘴番をこちら側に引き抜く事は出来ない」
「出来ません」

 そうか、と弥生ちゃんは考えるのをやめた。

 この十二神方台系、いかに理不尽で非合理的な慣習があったとしても、
それを是とする人達が居て、命懸けで守っている。
 他の世界の者が口を挟むべきではないだろう。

 

 翌日。嘴番はまた来た。
 今度は鳥の面を外して、素顔を曝す。胸にも布を巻いている。

「王姉妹様よりお暇をいただきました。
 連絡係の件は、どうぞ別のお方をお選び下さいませ」

「狗番は転職できないと言った奴は誰だあ。」

 ミィガンも返答に窮する。
 そうか、解雇という手段があったか。

 

 

第九・五章 千客万来赤甲梢御一行様    2020/06/22

「もしトカゲ神救世主ガモウヤヨイチャンを討て、と命じられたら、お前達どうする?」

 赤甲梢総裁キサァブル・メグリアル焔アウンサ王女の問いに、誰もが口を噤む。

 

 赤甲梢実験戦闘団が、救世主の一行と衝撃的遭遇を果たした夜。
 草原に幾張も天幕・幕舎が設営された。
 ギジジットから付き従う神官巫女神官戦士、荷物運びの奴隷達が宿泊する。

 赤甲梢部隊も、警戒体制のままに野営を行った。

 先程まで焔アウンサは、救世主「ガモウヤヨイチャン」と会合した。
 同席したのはギィール神族の女人キルストル姫アィイーガと、蝉蛾巫女。
 姪のメグリアル劫アランサ王女も伴って、女だらけの。

 

 星の世界から来たと語る救世主は、劫アランサと同じ17才。
 だが子供のような漆黒の髪を長く先細りにしてなびかせた。
 額に戴くのは鱗が青光りする神々しいトカゲ。

 彼女はこの世界の人間ではない。
 にも関わらず、なんの得にもなりはしないのに、
敢えてその身を捧げ世界を救ってみせると請け合った。

 灯火の下で窺う表情には、深い知性と理性と共に、かなりの侠気が垣間見える。
 まともなヒトのやる事ではない。

 キサァブル・メグリアル焔アウンサ王女は、王国でも有名な破天荒。
 アバズレと呼ばれても致し方ない。
 その自分から見ても、天河の神様の此度の人選はどうにも、
やり過ぎ感が拭えない。

 我が姪、兄「メグリアル副王」の娘 劫アランサが、いきなり向こうに取り込まれてしまった。
 王女は新しい赤甲梢の総裁だ。
 彼女を籠絡するのは、赤甲梢部隊を自らの陣営に組み込むにも等しい。

 この感化力。
 危ういのではないだろうか……。

 

 深更に至り会合を打ち切り、明日仕切り直しを、と焔アウンサは訴えた。
 もちろん否やは無かったが、引き続き姪は救世主と語り続ける。

 運命に導かれて、と単純に形容するにはあまりにも惜しい、魂の響き合いだ。
 一日の出会いが百年の契ともなるのだろう。ああそうに違いない。

 これは神話劇の始まり。新しい千年紀を彩る最初の幕が上がる。

 

 というわけで、焔アウンサは立て直しを必要とした。
 昼間の失態、いや大敗北と呼ぶのがふさわしい。
 トカゲ神救世主の神威により、赤甲梢神兵ことごとくが失う面目を取り戻さねばならない。

 呼び集めたのは、物頭・旗団長の役職付き。
 戦闘集団としての実働指揮を任される者達だ。

 そもそもが王族の総裁はお飾り名誉職で、軍務においては指揮権を委ねられない。
 卓抜した政治力で赤甲梢の地位を大きく改善した焔アウンサであっても、そこに手は出さない。
 戦は男のもの。それでいいのだ。

 女官侍女は外に追い出される。
 総裁の豪華な幕屋の傍で、篝火に照らされながら待つばかりだ。
 もう日付が変わるというのに。

 

「あれはどういう攻撃だったのかを尋ねたが、
 どうやらトカゲの聖蟲は、他の聖蟲に対して「自らの感覚の記憶」を伝える能力を持つらしい。
 星の世界で食べていた料理の「味」を再現しただけと聞いた」

「し、しかし死ぬかと思いました。あまりの辛さに、」

「あれは、あの者にとっては蜂蜜並に甘い刺激なのだそうだ。
 東金雷蜒王国においてギィール神族にも試したが、皆大層喜んだそうだ。
 悶絶はしたらしいがな」

 昼間救世主の一行と遭遇した際に、赤甲梢の神兵全員がトカゲ神の攻撃を受けて七転八倒した。
 神武無双を讃えられるカブトムシの聖蟲を戴く武者の、かって無い無様。
 一般のクワァット兵がどれほどの衝撃を受けたか、想像も出来ない。

 ただ、この攻撃を受けたおかげで、
赤甲梢は全員が攻撃しよう、救世主を暗殺しようなどと考えない。
 理性的穏便に交渉によって互いの立場を理解すべきと、まっとうな路線を承認する。

 

 その前提の上での、王女の問いだ。

「ガモウヤヨイチャンを殺せとの命令を受けて、お前達はどう対処する?」

 

     ***** 

 赤甲梢神兵頭領「シガハン・ルペ」大剣令が、王女に尋ね直す。

 彼は29才で赤甲梢における神兵の最高位、指導的役割を果たす者。
 その任に耐える、部隊指揮でも有能な人物だ。

「それは、焔アウンサ様のご命令で、という意味でしょうか」
「違うよ。わたしはもう総裁職じゃない」

 それはそうなのだが、と居並ぶ神兵は口籠る。

 現在の赤甲梢総裁は、この度就任したメグリアル劫アランサ王女だ。
 千年に一度の救世主に対処するのに、あまりにも経験が無い。

 焔アウンサは公式には、私的な相談役として助言をするのみの立場である。
 が、部隊の誰もが指示を仰ぎに来る。命令を乞う。
 これまでどおりの確かな判断と指導力を期待する。

 いずれ王都カプタニアの軍政局から正式に辞令も来るだろう。
 復職か、総裁代理か。
 ガモウヤヨイチャンと対峙するのにふさわしい役職に。

 

「命令は、カプタニアから来る。武徳王陛下の勅命としてトカゲ神救世主を討てと指示されるわけだ。
 さてどうするよ」

 シガハン・ルペは同僚の顔を見渡した。

 赤甲梢の神兵は血統に拠らない。
 個人の武勲と資質を認められて聖戴を許された王国最強の戦士だ。

 しかし、一般庶民の出身者はまず正規の「クワアット兵」になるのが関門。
 この幕屋の内でも、ほんとうに成り上がった者は、ルペしか居ない。
 他は黒甲枝出身者で、元老院金翅幹家の者すら居る。

 「黒甲枝」の武人は、たとえ聖蟲を継承しない次男三男であっても、幼少より厳しく鍛えられる。
 武術体力のみならず、知能や教養においても人の上に立つべき者として躾けられた。
 軍学校に進み、聖蟲を戴かずとも任官すれば指揮官として働き、高位を得るのも珍しくはない。

 だが神兵頭領は彼だ。王女の問いに答えねばならぬ。

「それはやはり、陛下の勅命とあれば従う以外は無いものと、」
「そうか? ウェダ・オダ、どうだ」

 ディズバンド迎ウェダ・オダ中剣令は30才、黒甲枝出身だ。
 長男であるかられっきとした聖戴権保有者、しかし妾腹の生まれを憚り弟に聖蟲を譲ったという。
 だが彼自身の資質はまさに神兵にふさわしい。
 自らの功績によって、見事聖蟲を拝領している。

「そうですね……。
 まずはその勅命の出処が確かなものであるか、人をやって確かめますね」

 ルペは驚いた。勅命の偽造を考慮せねばならぬのか。
 スーベラアハン基エトス大剣令に振り向く。

 所詮は一般人出身のルペだ。
 王宮の慣習、黒甲枝に累代受け継がれる哲学や気概を理解できない。
 そんな時に頼りとするのが、貴族「金翅幹」家出身のスーベラアハン基エトスだ。

 彼は27才で非常な変わり者。
 放蕩という名目で家柄を隠して一兵卒に身を落とし、民衆の為に身命を捧げる戦いに飛び込んだ。
 不本意ながら抜群の功績を上げ、気付いた時は額に赤いカブトムシが乗っていた。

 彼は、ルペの戸惑いを解きほぐしてくれる。

 

「そう。まずは勅命が陛下の真正の御心であるか、疑わねばならぬ。
 元老院とはそういう場所だ。
 ニセの勅令を発して状況を整え、然る後に陛下に現状を追認させるなど朝飯前だ」

 基エトスの言葉にうなずきながら、王女はさらに迎ウェダ・オダに問う。

「で、勅命に偽りなしと判明した場合はどうする」
「されば、赤甲梢からは最高の責任者、総裁はご無理でも神兵頭領を差し向けて、陛下に御翻意いただきます。
 直接謁見いただけないのであれば、頑として王宮に居座り、何度でも奏上します」

「謁見が叶い、陛下のご真意を確かめて撤回が無いと聞いた後はどうする」
「されば、命を捨ててでも御諫言申し上げます。

 これは当代御一人の判断にて下すべきではない、王国の重大事です。
 以後千年に渡り民人に、
 「トカゲ神救世主を弑し奉り天河の計画に背いたのは褐甲角武徳王」と誹りを受けましょう。

 とにかく、陛下御自身がガモウヤヨイチャン様と直接に会見なされて、
 天河の計画を確かめられた上でないと、従えません」

 

「というわけだ、シガハン・ルペよ。人の言葉なんか聞くもんじゃないぞ」

 あっけに取られるルペだが、黒甲枝出身者は皆うなずき賛同を示す。
 彼らが千年を掛けて育んだ正義の魂は、初代武徳王の志を受け継いでいる。

 愚直であれ。愚かと呼ばれようとも決して筋は曲げぬ。
 民衆の幸福の為に働き、それを言い訳としての悪を許さない。
 たとえ己が身を滅ぼそうとも。

 基エトス一人のみが若干表情を異にする。

 金翅幹家は最初期の神兵達だ。黒甲枝の祖である。
 褐甲角王国が体裁を整え「国」として金雷蜒王国と伍する頃、彼らは気付いたのだ。

 愚直なだけではさすがに勝てぬ。
 権謀術数を弄するギィール神族に、真正面から立ち向かっても翻弄されるばかり。
 誰かが汚れ役を買って出なくては。

 

 焔アウンサ王女は改めて宣言する。

「赤甲梢は、トカゲ神救世主ガモウヤヨイチャンの身柄を保護し、あらゆる勢力からの生命の危険を排除する。
 それ以外の選択肢を持たない。と全軍に通達せよ。

 新総裁には、これだけでも手に余る。
 世間知らずに複雑な事を考えさせるなよ」

 

     ***** 

 幕屋から解放された赤甲梢の神兵達はほっと息を吐く。
 キサァブル・メグリアル焔アウンサ王女は、神兵クワァット兵共に絶大な信頼と敬愛を受ける人物だ。
 が、傍に居て心安らぐ人ではない。むしろヤスリで削ってくる。

 安堵した彼らを迎えるのが、女官達のとんがった眼。
 多くの男達と王女一人のみが幕屋で密談をするのだ。
 風紀上よろしかろうはずが無い。

 

「ルペ、ちょっと話そう」

 スーベラアハン基エトスが神兵頭領を呼ぶ。
 彼はルペの親友ではあるが、焔アウンサ総裁から別に命じられていた。

 王女は総裁職を辞めても、まだ隠居するつもりは無い。
 元老院にて果たすべき責任があり、自らの足場を固める必要がある。
 赤甲梢の男達は、彼女の石垣となるべきだ。

 その為にもルペを有力な黒甲枝家に娶せたい。
 彼を一人前の上流階級に、政治家へと教育する係に基エトスを当てたわけだ。

 ルペは振り返る。

「このような謀略の話は苦手だ」
「分かっている。だがもうちょっと付き合ってもらうぞ。

 先程の話、一枚欠けている要素が有るのだ。
 焔アウンサ様が、王都に手を回してガモウヤヨイチャン暗殺の陰謀を使嗾する。そういう目も有る」

 顔色を変えずには居られない。

「総裁のご本意は、ガモウヤヨイチャンに敵対するものなのか!」
「そうではない。確かに今おっしゃられたとおりに、トカゲ神救世主の安全を第一とするだろう。
 だが、タダで働こうとは思わぬのだよ」

「……なにか、見返りを求めるのか」
「そうだ。元老院の”誰か”に救世主を殺させようとして、それを自身で防いで見せる。
 総裁の信望はますます高まり、
 赤甲梢黒甲枝のみならず元老院の中にも賛同者を増やす事が叶う」

 ルペは思わず声を出す。ああ、そうだった。

「あの御方は、「先戦主義」派の領袖であったな。ソグヴィタル王に代わって」
「そういう事だ。東金雷蜒王国との大戦を始める為に、ガモウヤヨイチャンを利用する。
 それにより、ソグヴィタル王の王国への帰参も叶う。
 王を追放した勢力に打撃を与えるものともなるのだ」

「私は、どうすればいい」
「総裁もおっしゃっていた。人の言葉など聞くものじゃない、とな」

 苦虫を噛んだ気がした。
 まったく軍人てやつは、偉くなればなるほどろくでも無い話が絡んでくる。
 いっそ愚直であれ、とは理想の姿なのだな。

 

 シガハン・ルペは29才、スーベラアハン基エトスは27才。
 赤甲梢の神兵には20代後半から30代の者が多い。
 今より5年ほど前に大幅に増強された名残である。

 その頃副王「ソグヴィタル範ヒィキタイタン」は「先戦主義」を唱え、特に黒甲枝に大いに支持されていた。

 千年紀の終わり、トカゲ神救世主の到来を目前として、
王国はこのまま初代武徳王の誓いを虚しくしてよいのか?
 褐甲角神「クワァット」の御代の終わりを締めくくる一大決戦を行い、宿願を果たすべきではないか。

 王国存立の根源に基づく主張だけに、無視できる者は居なかった。
 武徳王も消極的ではあるが賛意を示し、軍の大増強が行われる。
 赤甲梢神兵も積極的な登用が行われた。

 だがこれは、無謀な主戦論であったのか、
 そうではない。切り札となるのが、赤甲梢だ。

 

     ***** 

 若干16才にして赤甲梢総裁に就任したメグリアル焔アウンサ王女は、就任3年目に方針転換を行った。
 それまで長く行われてきた「牙獣」の軍事利用実験計画を放棄する。
 代わって、「兎竜」に騎乗しての戦闘実験を主に据えた。

 兎竜は、真っ白な毛並みが美しい巨大な草食獣だ。
 草原に棲み、耳がウサギに似て温和な性格。だが背が高すぎる。
 地球のキリンに相当する生き物で、人間が飼いならす利点を思い付かない。

 しかしゲイルをも凌ぐ快速であるから、これに騎乗して神兵が攻撃すればあるいは。

 十二神方台系にはこれまで、騎乗に適した生物が居なかった。
 せいぜいが小さなイヌコマに子供や軽い女人を乗せる程度だ。
 戦士が騎乗しての高速戦闘など常軌を逸した発想だが、焔アウンサは是とする。

 「兎竜騎兵」と戦術を完成させた。

 

 兎竜を用いてのゲイル騎兵の迎撃戦闘が成功した、との報は、褐甲角王国を熱狂させた。
 千年来の宿願が、今ここに実現したのだ。
 これで恐れるものは何も無い。
 ソグヴィタル王が提唱する進攻計画・一大決戦に一気に世論は傾いた。

 異を唱えるのが難しい空気の中、
元老院にて主座を占めるもう一人の副王「ハジパイ嘉イョバイアン」が立ちはだかる。

 褐甲角王国が戦う意味とは、民衆の解放に他ならない。
 金雷蜒王国において民衆が困苦していれば、これを救い出す聖戦となる。
 だが今は大義名分が無いとの主張だ。

 10年前はそうではなかった。
 東金雷蜒王国において「人頭率」と呼ばれる新しい税金が施行され、大混乱を引き起こす。
 老人や病人など弱者を抱え保護する有徳なギィール神族が、何人も破産の憂き目に遭った。
 難民も多数発生し、褐甲角王国に逃げてくる。

 ソグヴィタル王の進攻計画もこの状況に立脚するものだが、ハジパイ王は一時の混乱と見た。
 実際騒ぎは数年で収まり、東金雷蜒王国は安定を取り戻している。

 焦るソグヴィタル王は「先戦主義」派を統合して、一気に国論を開戦に持っていこうとする。
 老練なハジパイ王はこれを読み、事前に元老院の総意を固め、ソグヴィタル王の弾劾に踏み切った。

 進攻計画にふさわしい時期は数十年の内に巡ってくる。
 しばし待てとの意図であったが、若いソグヴィタル王には耐えられない。
 武力をもって元老院を制圧しようと試み、逆に防がれ逃亡を余儀なくされた。

 「先戦主義」派は首魁を失い、息を潜める。同調者も口を噤む。
 最後に残ったのが、そもそもの進攻計画の発端となった兎竜騎兵の生みの親、
「キサァブル・メグリアル焔アウンサ」王女なのだ。

 

 ソグヴィタル王が追放されてまもなく5年。
 来たる大戦の先鋒となるべき赤甲梢の神兵達は、思いの外長い忍耐を強いられた。
 その不満を焔アウンサが忘れるはずが無い。

 しかし、さすがに潮時だ。
 有効な新戦術の考案者として高く遇され、ソグヴィタル王への連座は免れたが、5年も経てばほとぼりも冷める。
 赤甲梢総裁をすげ替えて、実戦部隊から王女を引き離す。
 兎竜騎兵も赤甲梢から分離して、新たに「兎竜高速兵団」を組織して毒地周辺の警備に当てる。

 これは、実験戦闘団としての赤甲梢本来の役目だ。
 新しい戦術を確立すれば、正規の部隊に運用を委ねるのが本道。焔アウンサも拒まない。
 新たな兎竜騎兵として、黒甲枝の遺児で構成される「紋章旗団」の神兵達を厳しく育て上げてきた。

 

 キサァブル・メグリアル焔アウンサ王女が赤甲梢にて為すべきは、もはや終わったのだ。
 元老院を主戦場としてまた大暴れを考える今この時に、
のこのこと現れてくれたのが、トカゲ神救世主弥生ちゃん。

 利用しない手があるものか。

 

     *****   

 シガハン・ルペとスーベラアハン基エトスは、深夜にも関わらず部隊の状況を視察した。

 現在赤甲梢は終夜警戒し、トカゲ神救世主ガモウヤヨイチャンの一行と、
神威による癒やしを受けようとする民衆を守っている。

 ベギィルゲイル村にトカゲ神救世主が到来した噂は、瞬く間にボウダン街道東西を駆け抜けた。
 既に病人と介添えが3千人も詰めかける。
 明日には倍にも増えるだろう。

 ボウダン街道は褐甲角王国内にありながら、交易路としてギィール神族の通行も許される。
 限定的ではあるが、神殿都市「ウラタンギジト」への巡礼路をゲイルに乗っての通行も可能だ。

 トカゲ神救世主の癒やしを求める者は、東金雷蜒王国からもやって来る。
 不測の自体が何時起きるか、いや起きない方が信じられない。

 神兵大剣令スーベラアハン基エトスは、兎竜騎兵ではなく、一般クワァット兵の指揮を任される。
 トカゲ神救世主警護の総責任者を命じられていた。
 病人達の粗末な天幕を囲む小隊指揮官、クワァット兵小剣令に報告を求める。

「不審者はまだ見つからないか」
「はっ! 必ず不埒な暗殺者が紛れ込むとの前提で警備しておりますが、未だ発見できません」
「病人に化けていれば無理からぬ事だが、万が一の影響は計り知れぬ。頼むぞ」
「はっ!」

 

 神兵頭領ルペも嘆息する。

「兵千人ではとても足りぬな」
「そうは言っても赤甲梢には不向きな任務だ。戦わずに守れというのはな」

 一般クワァット兵は調練で弓術を主に仕込まれる。一糸乱れぬ射撃で、ゲイルの上の神族を射竦める。
 また長槍を集団で用いて、ゲイル騎兵の突入を阻止する。

 だが白兵戦技・剣術に特化した猛者も少数居る。
 彼らは「剣匠」と呼ばれ、斬り込み隊を任される。

 「剣匠」の小隊を率いる者を「剣匠令」と呼ぶ。特殊部隊隊長だ。
 赤甲梢本来の任務は、この「剣匠令」の育成にある。
 各部隊から選りすぐられた猛者を鍛え抜き、指揮官として教育する。

 優れた者ばかりを育てるのだから、中には著しい武功を上げ、聖戴の栄誉を受け神兵に叙せられる者も出る。
 これが本来の赤甲梢神兵だ。

 いきおい、警備任務には適していないと言えよう。

 

「トカゲ神救世主の側でも神官戦士を2百名以上引き連れている。なんとかなるだろう」
「問題は、」

 基エトスは暗く静まる草原の向こうを見ようとする。

 カブトムシの聖蟲によって強化される視力は闇も貫く。
 何も捉えられない。
 確実に居るはずのゲイル騎兵は。

「ギィール神族がこんな面白いものを放っておくわけが無いからな」

「毒地全域に異変があり、混乱が生じている。
 現在の状況でも面白さを優先するだろうか」
「するさ。面白ければ危険など顧みぬ。それがギィール神族という奴らだ」

 

 翌払暁。
 幕舎の柱に寄りかかり仮眠を取っていたシガハン・ルペは、早速に叩き起こされる。
 焔アウンサ王女を護るクワァット兵の小隊長剣令。
 つまりは、既に前総裁は事態を承知する。

「毒地草原東方より接近するゲイルを2体確認。
 供回りは10数名、傭兵ではなく護衛と思われ寇掠用の武装を用いておりません。
 対処をお願い致します」

 わざわざ神兵頭領を召し出すのだ。撃退ではなく接遇せよとの指示だ。
 もちろん彼らギィール神族も、赤甲梢などに用は無かろう。
 ガモウヤヨイチャンの客だ。

 使いの小剣令に確かめる。

「新総裁はこの事はご存知か」
「就寝中とのことで、焔アウンサ様は伝えずとも良いと仰せです」
「そうか」

 若き王女は夜通しでトカゲ神救世主と語り合ったのだろう。
 疲れも無理からぬ事で、また指示命令も必要は無い。

 だが後で怒るだろうなと思う。

 

     ***** 

 真紅の「翼甲冑」ではなく、聖戴経験者にのみ許される「賜軍衣」に着替えて、
シガハン・ルペはゲイルの神族を出迎えに行く。

 既にスーベラアハン基エトスも賜軍衣で顔を見せている。

 そしてもうひとり、こちらは完全武装の神兵。
 兎竜黄旗団長カンカラ縁クシアフォン大剣令だ。
 彼が指揮する6騎が列となり待機する。
 黄色い真四角の旗が草原の風を受け、背ではためいた。

 カンカラ縁クシアフォンは黒甲枝の、それも重鎮と呼べる家の出身。
 金翅幹家の基エトスには譲るが、最も高い昇殿席次を持つ。
 いかに個人の能力のみで選ばれた赤甲梢神兵でも、家の序列は無視できない。

 そこで最高位となる彼を総裁の傍近くに配置する。
 焔アウンサ王女個人の禁衛隊の役回りで、貧乏くじを引かせていた。

 ルペは彼に尋ねる。

「前総裁は、」
「面白くなったら起こしてくれ、との命令だ。面白くなられては困る」
「うん、そうだな……」

 

 朝焼けの空の下、見渡す限りに広がる草原。どこまでも緑い。
 だがこれは見慣れた風景ではない。

 つい先日まで、毒地平原には命を奪う瘴気が立ち籠めていた。
 ボウダン街道沿いの草原はほぼ安全だが、それでもあちらこちらに草の生えぬ斑が見られた。
 遠く南を眺めれば、灰茶色の荒野が地平線まで繋がっている。

 それが、すべて緑の大地に。
 毒がすべて浄化されたのだ。
 夏に向かい草木の伸びる季節だが、今年は勢いが違う。命が溢れる。
 羽虫も無数に湧いて出て、鬱陶しい。

「来たぞ」

 カブトムシの聖蟲に強化された眼に、ゲイルの背の神族が見える。
 いまだ遠矢すら届かぬ距離だが、姿をはっきりと確認する。

 1人は立派な風体の中年の男性神族で、煌めく黄金の甲冑も豪華なもの。
 巡礼として街道を行く際に用いる護身用の装備だ。戦闘を目的としない。
 狗番と共に、女人を伴っているようだ。
 ゲイルの背に乗せるのだから、特別な身分の者だろう。

 もう1人は、おそらくこれは老人だ。
 甲冑を用いず半裸の姿をそのままに騎櫓の上にあぐらをかく。
 彼は病人なのだろうか。
 しかし、威厳は保つ。瞳がまっすぐにこちらを見る。

 神族の額に座すゲジゲジの聖蟲は、7里(キロ)内のすべてを知るという。
 こちらの眼で見えるのならば、彼らもまた見ているのだ。

 先手として、狗番が2名走ってくる。
 双方独立した2家であり、親族でも同盟でも無いらしい。
 どちらとも対等に接遇せねばならぬ。

 こちらも基エトスの指示で、クワァット兵の小剣令が兵1名を連れて走る。
 中間距離で使いの者同士交渉を行うのだ。

 

 ルペは縁クシアフォンに頼む。

「兎竜を1騎、走らせてくれないか」
「脅すのか」
「脅して逃げてくれるなら、どうでもいい相手だ。その程度の者を近付けたくない」
「了解した」

 1騎が進み出て、大剣令3名に挨拶すると、一気に速度を上げて行く。

 無毒となった草原を、真っ白い獣が駆ける。
 面白いほどの疾さで風のように、千切り飛ばされた雲のように、若い緑の絨毯を抜けていく。

 ゲイルの足元の供人は兎竜の接近に驚くが、背の神族は微動だにしない。
 ただ脅威は理解しただろう。

 兎竜騎兵の恐ろしさは速度だ。
 これまでのゲイル騎兵は神兵が迎撃に当たると、さっと逃げる事が出来た。
 如何に聖蟲の助けがあろうと、神兵の走る速度はただの人と変わらない。
 100キログラムの甲冑を身に着けて変わらぬのは十分異常だが、ゲイルに追いつかない点では同じだった。

 兎竜が投入された戦場では、逃走にも被害が発生する。
 戦術の幅が大きく狭められた。

 

     ***** 

 ボウダン街道は神殿都市への巡礼路に当たり、ゲイルに騎乗してのギィール神族の移動が許される。
 ただ、一般人がゲイルに近付く事は許されない。怖くて近付けない。

 救世主への面会を求める2人の神族は、ゲイルの上から赤甲梢に申請する。
 神兵頭領シガハン・ルペは、
トカゲ神の救いを求める病人達が怯えるので、巨蟲から降りるように求めた。

 中年の男性神族は狗番を通して回答するが、老人は肯んじない。

「もっともな要求だ」
「ゲイルは儂の足であり降りるなど考えも及ばぬ事。
 そもそもがこの平原は金雷蜒王国の領土であり、褐甲角王国の法など無効だ」

 これまたもっともな言い分。
 厳密に言うと、ガモウヤヨイチャン一行が宿営するこの場所は、ボウダン街道からかなり外れている。
 毒地の瘴気が害を及ぼす範囲は金雷蜒王国の領域であった。
 今は毒が消えているから、境目が分からない。

 赤甲梢としては、強力な兵器であるゲイルを人々の中に入れるわけにはいかない。
 どう折り合いをつけるべきか、やはり焔アウンサ王女に裁定をお願いするか。

 

「ようこそお出で下さいました。
 我が主、青晶蜥神救世主、星の世界よりの稀人、全ての終わりを司り新たなる世界を啓く者、
 無敵の決闘者にして誰の挑戦でも受ける「ガモウヤヨイチャン」は、金雷蜒神族の御二方を歓迎致します。
 ゲイルの背にあるままにお進み下さい」

 赤甲梢に代わって対応したのは、黒い山狗の仮面を被る若い男。
 半裸で陽に焼けた筋肉を顕とし、左肩からは山蛾の絹の太い帯を斜めに掛ける。
 色は青。

 ギジジットよりの隊列を指揮する警護責任者、弥生ちゃんの狗番「ミィガン」だ。

 彼はまた、赤甲梢の神兵に対しても伝言を授かっていた。
 聖蟲を戴く者には、たとえ敵であっても狗番は礼儀正しい。

「褐甲角神の使徒、赤甲梢神兵の御方々に申し上げます。
 我が主よりお言葉を授かっております。
 ”もしゲイルが問題を起こしたら、わたしが直接ぶっころします”
 御心配召されるなと」

 トカゲ神救世主の許可により、病み苦しむ人々の間を進んでいく2体の巨蟲。
 粛々と、朝霧のように静かに歩んでいく。

 人々もまた、恐怖と共に権威を示す金雷蜒神の現身を、地に額づいて拝んでいる。

 背後から見守る3人の神兵。
 彼らは長くゲイル騎兵と戦い続け、それが信仰の対象でもある事を失念していた。
 基エトスが小さく零す。

「そう、だったな。
 ギィール神族は巨大な力を自在に操り、叡智を示して地の人を導く。正しく神の眷属であると」
「ガモウヤヨイチャン様を巡る争いは、自然と神聖秩序に基づくものとなるのだな」

「当たり前過ぎる話だが、であれば我々もそうでなければならない、か……」

 

     ***** 

 会見場は直径60メートルの円形の原。
 神官戦士が巡らす結界縄の縁まで人が押し寄せ、輪を幾重にも作り見守った。

 そもそもが彼らは癒やしを求めるばかりでなく、
千年一度の救世主を一目拝み、天河の恩寵を授かろうと此の地に参ったのだ。

 2体の巨蟲が入り、背の神族の額に輝くゲジゲジの赤い眼が人を睥睨する。
 聖蟲を直接拝むのは、天罰覿面の禁忌不敬であった。
 群衆は巧みに視線を逸らす。逸しながらもちらと覗き、また恐れ入る。

 考えてみれば、ギィール神族が降臨した場所では庶民・奴隷は平伏して頭を上げないのが作法。
 弥生ちゃんの隊列だからこそ黙認される。

 

 スーベラアハン基エトスは、結界縄のすぐ内に大剣装備の神兵10名を配置した。
 妨害こそしないが、常に見守り圧力を掛ける。
 最強の戦士が纏う真紅の甲冑を間近で見るのも、これまた人の拝むところとなる。
 神秘の博覧会だ。

 カンカラ縁クシアフォンは、並ぶゲイルの後方で睨みを利かせる。
 輪の中心で会見に同席する二人に同情した。

 シガハン・ルペは赤甲梢神兵頭領、地位の上から仕方ない。
 スーベラアハン基エトスは金翅幹家出身でギィール神族に対する礼儀にも詳しい。
 赤甲梢総裁が同席しない無礼も補えるだろう。
 他の神兵では替えられない。

 願う。

「面白い展開にはしないでくれよ。頼むぞ」

 

 そして最後に現れるのが、巫女神官の行列を従えた青い服の少女。
 漆黒の先細りする長い髪をなびかせ、左の腰には細長い神刀を吊る。
 彼女の額を座と定めた小さなトカゲが、神秘の癒やしをもたらす青い光を発する。

 人々は、感嘆と歓喜の声を上げる。
 あの御方こそ天河十二神が選びし御使い、世界を導く第四の救世主、奇跡の癒やし手にして新たな歴史を開く人。
 星の世界から来た無敵の少女。

「ガモウヤヨイチャンさまだ……」

 神官戦士が開く結界縄の境目から入るのは、弥生ちゃん本人と蝉蛾巫女1名のみ。
 なぜか巫女の顔には艷やかに輝くガラスの円盤が2個、両の眼に貼り付いている。

 救世主と巫女は、狗番ミィガンと合流した。
 他に護衛は居ないが、赤甲梢の神兵2名がその役を務める事となる。

 千年一度の救世主の座るべき席は、旅の途中であっても豪華であるべきだ。
 だが彼女は簡易な軍用の床几を用意させている。
 それにも座ろうとせず、立ったままゲイルの背の神族に呼び掛ける。
 中年男性の方だ。

「まずはお苦しみを和らげましょう!」

 巨大な蟲は、左側の肢をすべて折って背を斜めに傾ける。
 騎櫓の神族は同乗する狗番の助けを借りて、女人を抱いて降りてくる。
 とても美しい人だ。
 病にやつれて容貌は衰え薄い紗で隠しているが、透けて見えるだけで並ではないと証している。

 聖蟲を戴かないからギィール神族の正妻ではない。
 だが神族の腕に抱かれてゲイルを降りるのだ。寵愛を独占する側妾なのだろう。

 神族の供が直ちに簡易な寝台を用意する。
 横たえられるのは30代半ばの女性。おそらくは経産婦。そして、

 弥生ちゃんは一瞥して告げる。
 ギィ聖音、ギィール神族同士が用いる言葉だ。

『体力が衰えておりますので、今は本格的な治療は出来ません。
 痛み苦しみをまず抑え、明日以降の術式の為に身体の中に”足場”を作り、補強いたします』

 遠い人垣からも熱い視線が何百も投げ掛けられる。
 彼らが待ち望む、青晶蜥神「チューラウ」の神威を用いる奇跡の治療だ。

 腰の後ろに手挟む細長い板状の神器を抜き、横に滑らせて開く。
 青い清浄な光が草原に輝き、朝の訪れを告げる太陽をも一瞬圧した。
 神族は思わず声に出す。

「それが、噂に聞く「ハリセン」か」

 

      ***** 

 惜しみなく空間にばら撒かれる青い光は、遠く輪となって見守る人にも恩寵を授ける。
 長年続く病の痛み苦しみが緩和し、者によっては劇的な回復も覚える。

 立ち会うルペも基エトスも、寝不足の疲れが一瞬で失せた気がする。

 

 弥生ちゃんは寝台に横たわる女人の上を、滑らせるようにハリセンをかざす。
 たちまち痛みは消え去り表情が和らぎ、主人の神族を寝たままに振り向きわずかに笑顔を見せる。

 救世主は、だが、

「やはり子宮だね」

 ハリセンを下半身の上にかざして精密に検査する。
 症状は重篤で、方台の医療は元より地球の現代医学を用いても救命は難しいほどに進行している。
 それでも額のカベチョロは、「まだイケる」と判定を下す。

 改めて集中してハリセンに気合を込めると、冷たく青い光の固まりを発する。
 衣を透かして、女人の身体に染み通っていった。

 彼女はわずかに疼痛で顔をしかめる。声が漏れた。
 神族は尋ねる。

「なにをしておる」
「病巣は子宮を中心に幾つもの臓器に広がり、生命の危機をもたらしています。
 不用意に取り去ればただちに命を落とす事となりますので、
 生命維持に必要な機能を迂回して別に設け、切り取り易くします」
「なるほど。自然と患部が消え去るわけではないのか」

「疼痛は、病巣に侵食された部分を”足場”から切り離した際に生じるもので、直ちには問題ありません。
 しばらく我慢していただきます」
「うむ」

 女人は寝たままに左の手を伸ばし、主の衣にわずかに触れる。
 その手を神族は優しく握る。

 疼痛は何度も続くが、それほど長くはなく、我慢できないものではない。
 あまりにも多く起きるので、そこまで重篤であったのかと驚いた。
 今この時に弥生ちゃんに会わなければ、間違いなく命を落としていたのだろう。

 救世主は神族に尋ねる。

「この方は、お子様は、」
「二人を産んでおる。いずれも男子で、健やかに育っている」
「ならば患部を完全に取り去っての”根治”を目的としましょう。
 以後妊娠は出来なくなりますが、よろしいですか」

 女人は主に不安な顔を向ける。
 「子を産めぬ女に用はない」 地球でも現代まで残る価値観だ。
 方台にあってはなおさらに、

「案ずる事はない。そなたは役目を果たし終えたのだ」

 疼痛が収まり、ハリセンを閉じた。
 再び腰の後ろに手挟み、女人に告げる。

「もう動けるはずです」

 促された女人は、痛み苦しみ衰えが無く、あまりにも自然に身を起こせたのに戸惑った。
 まるで何事も無かったかのように。
 思わず主を振り返る。彼は尋ねた。

「治ったわけではないのだな」
「寿命は変わっておりませんから。
 身体の中の”足場”が固まる明日、明後日ですかね、に手術を行い病巣を取り除きます。

 ですが全身に細かい毒の素が散らばっていますから、これを丁寧に掃き清め1箇所に集めます。
 いずれも健全な組織に食い込んでおり、下手に除くとやはり症状の激変を招きます。
 身体を騙すようにバレないように繊細に扱い、7日後に再びの手術で取り除きます。

 その後はもうハリセンは必要ありません。
 神剣を奉じるトカゲ巫女により緩やかに体調の回復を図り、
 1月後にはお戻りいただけるでしょう」

 女人の顔が明るくほころんだ。
 なるほど、神族が惜しむほどの美しさだ。

「ですから、」
「分かっておる。トカゲ神の力を借りるのに空手で参ったりはせぬ」

 神族の命により、ゲイルの背から木箱が降ろされる。
 開くと中からは、目も覚めるような宝物が幾つも現れた。
 二人の神兵も思わず息を呑む。

 弥生ちゃんは礼をする。

「ありがとうございます。これでまた病人達を養い癒やす事が出来ます」

 トカゲ神殿においては、富裕の者への治療は高額の謝礼を要求し、貧者に対しては無料で行われる。
 故に富者が神殿の世話になるのは有徳の行為と見做された。

 木箱は神官戦士達により運ばれていくが、あれだけのお宝を即換金するのは難しい。
 並の商人に扱える代物ではなく、客も王侯貴族や神族に限られる。
 また由来も重視されよう。滅多な者に売って良い品ではない。

 ここもまた、弥生ちゃんの頭の痛いところだ。

 

     ***** 

「見事だ! だが儂の身体を治せるかな」

 老人はゲイルの上から大声で喚く。
 舌が思ったように動かず、言葉として判別するのは難しいが、意図は通じる。

 ゲイルは頭を下げ、正面を低くする。
 3名の狗番に担がれて、半裸の老人が降りてくる。
 背は高いがやせ細り筋ばかりの肉体。察するに右半身が麻痺硬直しているようだ。
 だが眼は爛々と輝き、神族としての魂は死なぬ。

 ルペは気付いた。

「これは、中気を患っているのか」

 脳血管の障害により生じる様々な症状の集合。もちろん不治の病だ。
 ギィール神族は様々に智慧を用いて自らの健康も長く保つが、いきなりの卒中には抗し得ない。

 だがゲイルを操る事は出来る。
 ゲイルの操縦は額のゲジゲジを通じて行われる。
 その人が己を戴くにふさわしい者であるかぎり、聖蟲は人を見放さない。

 彼は地には座らない。狗番に支えさせ、トカゲ神救世主の前に立つ。

「出来るか、儂が」
「できません。」

 にべもなく断る弥生ちゃん。
 これにはその場の人、特に蝉蛾巫女が驚いた。

 救いを求める人を拒むなど、弥生ちゃんのこれまでの行動で見た事が無い。
 たとえ敵であっても、世の害となると思わなければ無理やりにでも助け治療する。
 それがトカゲ神救世主弥生ちゃんだ。

 腰の後ろからハリセンを抜いて示す。

「脳の神経を修復するには、このハリセンはちょっと大雑把すぎるのです」

「”神経”とはなにか?」
「手足全身に通じた細い糸で、身体を動かす指令を隅々にまで届け、また全身の感覚を中枢たる脳に届けます。
 脳はその神経が無数に張り巡らされ微細な構造を成し、高度複雑な機能を実現しています」
「つまり、脳は小さすぎて治療が無理と言うか」

 策は無くは無い。
 鉄槌で頭蓋をふっ飛ばして一から全部作り直すという方法が可能だ。
 あっという間に治るが、同時に記憶や性格も作り直してしまう。
 今回取るべきものではないだろう。

「トカゲ神にも得手不得手がございます。
 頭の事であればむしろ、ゲジゲジ神の専門ではないでしょうか?」
「なに、儂の聖蟲に任せろと?」

 さすがに老人も、先程の神族も驚く。
 自分が呼ばれたと、二人の額のゲジゲジも顔を上げ、赤い瞳を輝かせる。

 金雷蜒神「ギィール」は太陽と旱の神、輝く黄金、雷光、金属精錬を象徴する。
 そして人体においては脳の、特に知能を司った。

 言われてみれば当然であるが、それが通れば誰も困りはしない。
 愛妾を救ってもらった神族が尋ねる。

「青晶蜥神救世主殿、」
「わたしは姓名を「蒲生弥生」と申します。「やよいちゃん」とお呼び下さい」
「ガモウヤヨイチャン殿、
 我らギィール神族は2千年に渡り聖蟲と付き合ってきたが、そのような例は聞いた事が無い。
 聖蟲と知識を分かち合う我々に、まだ明かされぬ秘密が有ると言われるか」

「ちょっと、聖蟲同士で話をさせてみましょう」

 

     *****

 額でのほほんと暇を潰しているカベチョロをてこてこと指で小突くと、
聖蟲「ウォールストーカー」は姿勢を正し、老人の額のゲジゲジを見た。

 こちらもまたカベチョロに向き直り、赤く輝く眼を瞬かせる。
 目まぐるしく点滅し、光にて通信しているのだと理解する。

 やがてカベチョロは赤い口をくわああと大きく開き、
ゲジゲジもまた全身をぶるぶると小刻みに震わせて、黄金色に発光し始めた。

「おお、雷を!」

 小さな糸のような雷がゲジゲジの身体から幾筋も立ち上がる。
 パリパリと空気を弾けさせ、高い音が響き始める。
 雷は長く伸び、多数が集合して太い1本となり、うねうねと蛇行した。
 電流が、萎えた右半身に肩から突入する。

 たちまち震え、痙攣を始める老人の肉体。
 支える狗番も跳ね飛ばされ、それでも倒れず地に落ちず、立ったまま固定される。

 電流は人体内で枝分かれし、腕から腰から右足の先まで走っていく。
 外から見ても、輝く雷が透けて確認出来る。
 肉体に新たな経路が開発される。

 電流は無事な左半身にまで通じ、脳天から末端まで大の字に輝いた。

「幾らなんでもこれは派手すぎるな……」

 さすがの弥生ちゃんもヤバいかも知れない、と思い出した頃。
 電流は萎えた右掌から発して外に溢れ出る。
 長く伸びて先端が地を這い、探るかに様々なモノに、ヒトに触れていく。

 先程治療を受けた女人も、寝台の上で逃げ切れず、雷を受ける。
 だが痛みも脅威も感じなかったらしい。

 雷は老人が操る巨蟲ゲイルにしばらく触れて、やがて老人の体内に戻る。
 人体の発光は徐々に収まり、最後は両の眼のみが輝く。
 元のゲジゲジの聖蟲の中に納まる。

 終わった。

 

 しばらく皆が息を潜めて成り行きを見守る。
 自らの2本の脚で立ったままの老人は、ぷはと大きく息を吐いた。

「儂は、今、己の脚で立っておる……」

 気付けば彼は、たしかに自分の力のみでその場に屹立する。
 脚はわななき震え、今にも倒れそうではあるが、持ち堪える。

 ついで、右の手を動かし、指を1本ずつ折っていく。
 先程までは硬く握りしめるばかりの拳が開かれていた。

「動く。未だ重く不確かだが、たしかに我が意に従い肉体が動く!」

 声も言葉も先程より遥かに明瞭だ。
 彼は天を仰ぎ、安堵する。張り詰めていた精神が解きほぐされる。
 姿勢が崩れ倒れそうになるのを、傍で見守る狗番が助け止めた。

 狗番も感じる。
 主がたしかに、自らの脚で地を蹴って姿勢を戻そうとする動きを。

「我が主よ、これは御本復の兆しでありましょう!」
「喜ぶでない。身体が治ったわけではないぞ。
 聖蟲より雷が走る道が新しく延びた。
 名付けるに「雷脈」。
 これを用いて、仮初に手足を動かしているのだ」

 弥生ちゃんが解説する。

「神経を迂回して直接人体を動かす経路を、ゲジゲジの聖蟲が整えたのです。
 動きはぎこちなく元の通りとはいかないでしょう。
 ですが仮初にでも動くのであれば、やがて神経と脳も刺激に応じて機能を復元させる事もあるでしょう」
「治ると言うか」
「努力次第で」

 うむ、と老人は大きくうなずいた。
 満足すべき成果だ。ガモウヤヨイチャンを訪れた甲斐があった。

 だが彼は気がかりを言う。

 

     *****

「素晴らしい奇跡だ。まさに天河よりの救世主にふさわしい業ぞ。
 だがこれは、ゲジゲジの聖蟲を戴く者でなければ為されぬであろう」

 痛いところを突かれてしまった。
 正直に白状する。

「これまでも同様の症状を見せる者を癒やしてきました。
 いずれも根本を治すに至らず、ただ痛みを取り緊張をほぐし、日常を快適に過ごせる程度に誤魔化してきただけです」
「トカゲ神救世主も万能ではないか。

 だが儂は感じたぞ。
 右の掌より伸びる雷がそこな女人に触れた時、汝が見る病の本態を儂も見た。
 触れた者の肉体を、雷を用いて動かせる気もした。

 もし同じ病を得て身体が固まる者が居たとして、儂であれば雷を用いてその者の手足を動かせるであろう。
 動かす事で神経とやらが戻るのであれば、儂が助けとなろう」

「ではあなたは、聖蟲を戴かぬ者に対しても、救いの手を差し伸べてくださると」
「星の世界より参った年若き女子が塵芥のごとき下賤の者共を救わんとするのだ。
 この地を統べる我ら神族が怠けてどうする」

 ハハハハ、と中年の神族は笑う。
 呵々大笑、何も含みを持たぬ心よりの声だ。

「これは酔狂な。だが老体御一人では多くの病人は手に余ろう。
 聖蟲を戴く同じような病人を、何人か呼んでこよう。
 今見た光景を教えれば必ず興味を示すはず」

 そして愛妾に顔を寄せる。

「行かねばならぬ用が出来た。
 この地に留まり、ガモウヤヨイチャンの指図に従うが良い」
「我が主よ。御心のままに」

 彼女も愛する人を送り出す。瞳に嬉しい涙を浮かべて。

 

 会見は終わった。
 中年男性の神族は再びゲイルの背に乗り、草原の彼方に去っていく。
 トカゲ神官と巫女が彼の愛妾にかしずき、丁重に天幕に運んでいく。

 老神族の元にはギジジットより従う高位のゲジゲジ神官が伺候し、宿営地に留まる準備を始めた。

 去っていく弥生ちゃんの背後には無数の病人が従い、次なる癒やしの手を求める。
 これから彼女は風車のようにハリセンを振るって、苦しむ人を救うのだ。

 

 二人の神兵シガハン・ルペとスーベラアハン基エトスは、衝撃を覚えて会見場を後にする。

 ルペは、ふらつきを抑えきれぬまま、歩く。
 先夜焔アウンサ総裁が与えた問いを思い出す。
 「もしトカゲ神救世主ガモウヤヨイチャンを討て、と命じられたら、お前達どうする」

 声を絞り出した。

「討てぬ! 私にはあの御方は、討てぬ」
「そうだ、それでいい。シガハン・ルペ!

 褐甲角神「クワァット」の救世主は武徳王陛下唯御一人ではない。
 カブトムシの聖蟲を戴く者すべてが、救世主なのだ。
 自らが為すべきは、自らが定めよ!」

 

 

 その夜。
 赤甲梢神兵の主だった者は、再び前総裁キサァブル・メグリアル焔アウンサ王女の幕屋に呼び出された。
 今度は新総裁メグリアル劫アランサ王女も同席する。

 議題は、ガモウヤヨイチャンから示された驚くべき計画について。
 だが焔アウンサは、昨夜の問いに答えを与える。

「こないだ言ったな。
 「ガモウヤヨイチャンを討てとの命令を受けて、お前達はどうするか?」
 あれはな、忘れていい」

「忘れるとは、いかなる意味でしょう」

 行きがかり上、神兵頭領シガハン・ルペ大剣令が尋ねる。
 自らの方針は既に定め揺るぎは無いが、忘れろとは?

 前総裁は眉をひそめる。
 まるで鏡で自分の顔を見たかのように。

「あいつはな、ガモウヤヨイチャンはとんでもない食わせ者だ。
 陰謀奸計暗殺を楽しんでいる。
 この世界の実情を知る観測手段として、積極的に自分を囮としているのだ。

 あいつに刃向う者はその意図を見抜かれ、政治的背景を顕とされ、能力を暴き出され、覚悟を試される。
 方台の人間の本気を知る為に、自分を狙わせる。
 そしてしっぽを掴んで穴から引きずり出し、意のままに舞い踊らせるんだ。

 こんな茶番に付き合っていられるか!
 それよりだ」

 

 そして、とんでもない大風呂敷が広げられた……。

 

 

第十二・五章 刺客大全:狗番ミィガンの刀    2020/01/29

 新しく採用した嘴番「ハトゥパシェト」の任務はメッセンジャーであるが、実はあまり必要でない。

 正直ギジジットに居た時はほとんど使わなかった。
 だが褐甲角王国に入ってからは、忙しく出入りを繰り返す。

 金雷蜒王国にも褐甲角王国にも、千年一度の救世主さまの御姿を是非とも拝見したい、お言葉を頂きたい民衆の勢いが増している。
 彼らに対しては、高位の神官が天よりのお言葉を勿体付けて伝えるのが常道。
 しかし迂遠。神官秩序の複雑な階層を経て、いかにも遠くに感じられる。

 これを華麗にスルーし近隣の村長などに直接に言葉を伝えるのが、「ハトゥパシェト」だ。
 また彼女の配下に、毒地征旅に途中参加した3人の下僕を当てる。
 彼らもギジジットに居た時はほとんど役目が無かった。
 だが一般民衆と接触して、俄然大活躍だ。

 救世主「ガモウヤヨイチャン」さまがいかなる御方であるかを説明するのに、彼ら以上の適任は居ない。

 長期間に渡って寝食を共にし、辛い毒地の旅を成し遂げた仲間だ。
 彼らの証言には真実がある、命が籠もっている。
 弥生ちゃんがたしかに人間であると、彼らこそが語り得る。

 庶民と変わらぬ低い身分の生きた言葉こそが、人の心を揺り動かすのだ。

 無論彼らは礼儀作法など心得ていない。
 高貴な人に招かれ語る事もあるが、格式を損なわぬようハトゥパシェトが取り仕切る。
 早い話が「営業」のマネージャーをさせられていた。

 

 一方狗番のミィガンはどうしているかと言えば、「大将軍」になっていた。

 弥生ちゃんの護衛の統括指揮が彼の役目だが、ギジジットからの神官戦士が1百名。
 その後も行列に次々と加わり、兵員で3百名近くにまで膨れ上がる。
 彼らの頂点に立つ存在だ。

 ただこれは狗番本来の姿ではない。
 「任に非ず」と陰口を叩かれるのを、本人が宜なるかなと納得してしまう。

 それでもギジジットの神官戦士は奇跡の数々を目の当たりにして、弥生ちゃんの代理人である自分に従う。
 だがボウダン街道の神官達は、観念的にしか救世主を理解出来ない。
 我らこそが定められた真実の下僕であると、疑わない。

 「困ったものだね」と、弥生ちゃんも対処に困る。
 正直うっとうしい奴が増え過ぎた。
 「トカゲ王国」建国の功臣として、カベチョロの聖蟲をもらい「トカゲ神族」になろとする野心家も押し寄せる。
 放っておくと、今にも独立戦争を始めそうだ。

 だが尊敬に値する人も少なくない。

 新しく護衛対象に、トカゲ神官「シンチュルメ」が加わった。
 聖山「神聖神殿都市」のトカゲ神殿最高神官だ。トカゲ神官としては最高齢でもある。
 彼は、救世主がボウダン街道に出現した報せを聞くや一切を投げ捨て、
ヒラの神官に身をやつし、老骨に鞭打って道を急ぎ馳せ参じた。

 ミィガンは尋ねる。
 何故神官達を指揮監督する役職に就こうとしないのか。ガモウヤヨイチャンさまも提示なされたのに。
 老人は答える。

「救世主様のお役に立つのは、これからを担う若い神官達でございますよ。
 我のような老体はただひとりの医者に戻って、ひたむきに病人と向かい合うことが幸せでございます」

 そして嬉々として病人の間を回り、救世主が示す新しい医療を実践していく。
 彼は己が求める本分に立ち戻ったのだ。

 その姿にミィガンは羨望を覚える。
 自分もまた、一介の狗番に戻るべき時が来たと悟った。

 

     *****

 狗番が自ら辞職を願い出る事は、慣例上ありえない。
 またミィガンは主であるガムリハンの神族「サガジ伯メドルイ」より、案内人としての役目を命じられている。
 どこで使命を終わりにするか、どうやって話を切り出すか。

 幸いにして弥生ちゃんは、ミィガンの真意を敏感に察知する。
 随分前から、おそらくはギジジットに居た時から気付いていた。
 殊更に彼を重職に付けたのも、引き止めたいとの意思の表れだったのかもしれない。

 それでも熟した果実が自然と落ちるように、ミィガンの帰還は決まってしまった。
 蝉蛾巫女フィミルティは、ミィガンが離れると聞いて、こう言った。

「残念ですね。弱音を吐いていい男の方は彼だけでしたのに」

 彼女は知っている。
 どのような武人猛者、怪物暗殺者、また高位神官や神族神兵王族にも、一歩も引かず余裕を持って相手をする弥生ちゃんが、
実は男の人がちょっと苦手である事を。
 図星を衝かれて内心動揺しながらも、糊塗してみせる。

「吐いたこと無いもん」
「ええ、そうですね、どなたにも弱みを見せたりしませんよね」
「見せないもん」

 弥生ちゃんは、聖人として振る舞えば聖人に、英雄救世主として振る舞えばそのように見える。
 だが子供のように振る舞い、また子供にしか見えない時も有るのだ。

「送別会はしない!」
「よいのですか? 後で悔やむ事になるかも知れませんよ。それに、」

 ミィガンがこれまで果たしてきた護衛の総責任者を、誰が引き継ぐか。
 いわば側近中の側近を定める人事だ。
 我こそがと名乗り出る者も多く、もめるに違いない。

「アィイーガが知恵を出してくれた。アランサに全面的に任せる」
「赤甲梢総裁の、メグリアル劫アランサ王女ですか。
 それは褐甲角王国にヤヨイチャンさまの御身の安全を委ねるのと同じですよ。
 お言葉ですが、「国」というものをそこまで信じてはならないと思います」

「そりゃそうさ。だからアランサだよ」

 まだ世俗の垢に塗れていない、世間知らずで潔癖なお姫様に重大な責任を負わせれば、必死になってやるだろう。
 たとえ国の最高意思が弥生ちゃん暗殺に傾いたとしても、自らの立場を捨ててでも守るに違いない。
 王女はそういう人である。と、フィミルティも思う。

「こちらの陣営に王女様を引き入れるおつもりですか」
「おつもりです」

 悪党だなー、と改めて星の世界から来た救世主をグルグル眼鏡で見つめる。
 数少ない信頼に足る仲間を一人、失うのだ。新しい柱を求めるのも仕方がない。

「劫アランサ様が王子様であれば、面白かったのですが」
「なんだそれは」
「いえ、送別会はしないのですね」
「しない!」

 

     *****

 ミィガンが弥生ちゃんの行列を離れて数日後。
 ボウダン街道東の関門、国境「ギジェカプタギ点」に立っていた。

 東金雷蜒王国の玄関であり、複数の城塞で遮られる大要塞だ。
 ゲイル騎兵も20騎以上が常駐し、褐甲角軍の襲来に備えている。

 現在、要塞は特定の商人にのみ通行を許し、一般奴隷の出国を固く禁じている。
 毒地が浄化され通行が可能となり、両軍ともに平原に進出を開始した。
 各地で衝突を繰り返す。
 既に準戦時体制を取り、続々と神族と兵が集結していた。

 ミィガンも神族の全任鑑札が無ければ通れなかっただろう。
 主「サガジ伯メドルイ」と「キルストル姫アィイーガ」の2通。
 調べられる事も無く素通りできた。

 関所を抜け東金雷蜒王国領に入る。
 目に入るのは、夥しい数の病人だ。

 「プレビュー版トカゲ神救世主」の噂を聞きつけ、王国各地から病人が追いかける。
 関に到着し、真実の救世主ガモウヤヨイチャンまでもが毒地より出現したと聞く。
 喜びに衰えた身体も奮い立つが、しかし城壁が立ち塞がる。
 出国許可など降りるはずも無く、如何ともし難い。
 路銀も使い果たし道端に喘ぐ。

 もしもこの場に弥生ちゃんが居たならば、どう動くか。

 ミィガンの背には青晶蜥神の神威を許された長刀がある。
 離れる際に、弥生ちゃんから忠告された。

「旅の途中でこれを抜いて、正体バレたらダメだよ。ガムリハンまでとても帰れなくなる」

 黒い山狗の面を外し、路上の病人の世話をするトカゲ巫女に近付いた。
 この地のトカゲ神殿はどこに有るのか、尋ねる。

 ギジェカプタギ点は軍都であり、兵士も住民も多い。
 病院であるトカゲ神殿も大きく立派なものだ。またギィール神族を治療する特別に優れた医師も居る。
 彼らの前で、ミィガンは神刀を鞘から抜いた。
 たちまちに青い光が神殿全体を覆い尽くす。

 大神官も驚く。先日「プレビュー版」が奉じる神剣を見たばかりだ。

「これはまさしく! 青晶蜥神の聖なる治癒の光。貴方は一体、」
「先日までガモウヤヨイチャンさまのお傍近くに仕える事を許されていた者です。
 ガムリハンの神族「サガジ伯メドルイ」が狗番ミィガンと申します」
「おお、話には聞いていました。神族の方より遣わされた狗番が救世主様をお守りすると。
 何故御行列を離れてこのような場所に」

 ミィガンも心を決める。
 既に自分はただの狗番ではありえない。救世主の従者としての役を演じ続けねばならないと。

「故あって主の元に戻ります。
 ですがガモウヤヨイチャンさまの御心を思えば、路上に倒れる病人を見捨ててはおけません」
「貴方はまさしく救世主様の従者であられる。
 さっそくに青晶蜥神の御恵みを民に届けましょう」

 

 トカゲ神殿を包む光を見て、街に溢れる病人達が集まってくる。
 噂をネコや人に聞き、苦しい身体を引きずって長の旅路を耐えてきた。
 途中であえなく果てた者も少なくない。

 神殿の門の中央に、霊光を放つ長刀を掲げる人を見た。
 黒い山狗の面を被った若い男が、大神官と共に立つ。
 この方が、星の世界よりお出でになった救世主「ガモウヤヨイチャン」様であろうか。

 

 ミィガンは病に関して何も知らない。
 ただ弥生ちゃんが治癒を行う姿を近くで見ていただけだ。
 それでも神刀は当てるだけで奇跡を起こし、多くの病人が苦しみ痛みから免れる。
 快癒を見せる。

 症状の深刻な者にはトカゲ神官の助言を元に、患部に刃を差し入れる。
 身体の深部に青い光が差し込めば、内臓の疾患にまで劇的な効果が見られるのだ。

「これは、案外ときついな」

 一人二人ならともかく、百人も相手にすると青い光が自分にも影響を与えるのを感じる。
 青晶蜥神「チューラウ」の神威霊力が肉体に宿り、神刀を伝って病人に与えられる。
 神刀から直接光が出るのではない。あくまでも人の心が人を癒やす。

 思わず膝が砕けそうになる。
 改めて弥生ちゃんの偉大さを思い知った。

 

 翌日。トカゲ神殿に3人の男が訪れた。
 ギジジットの神官戦士、ミィガンの配下に居た者だ。

「お前達、何故この地に居る。救世主さまを御守りせぬか」
「我らはガモウヤヨイチャン様直々の命により、ミィガン殿がお持ちになる神刀を守護して参りました。
 ミィガン殿が道中神刀を抜かぬなら、正体を隠し密かに守れ。
 もしトカゲ神の神威を用いる事があれば、姿を現し指揮下に入れと命じられております」

 さすがに全てが行き届いた人だ。このような事態となるのを予想しておられたか。
 大神官も、救世主の配慮に感謝する。

「ミィガン殿、貴方は紛れもなく救世主「ガモウヤヨイチャン」様の名代であられますぞ」

 

     *****

 ギジェカプタギ点に留まって数日を過ごす。
 多くの病人を癒やし、また要塞を守護するギィール神族から取り調べを受けた。
 彼らの興味は救世主にではあるが、ギジジットで何が起きたのかを当事者の口から聞く事を欲した。

 取り調べの中で、神刀の新たな機能が判明する。
 邪な者が触れた時、柄だろうが鞘だろうが接触しただけで指が切れ飛ぶと分かったのだ。
 不心得者が警備の隙を窺い、盗み去ろうとして神罰を受けた。

「まるでゲジゲジやカブトムシの聖蟲と同じに、知性を持っているようだ。
 おそらくは神剣神刀こそが、トカゲ神における聖蟲に相当するのであろう」

 神族の分析に、ミィガンも納得した。
 だが聖蟲に等しいと知っては、一介の狗番が持つにふさわしい品とは思えなくなる。
 神殿に奉納した方がよいかと問うが、神族達の意見は一つだ。

「神刀を汝に許したのはガモウヤヨイチャンであろう。彼の者がよかれと思って与えたのだ。
 それこそ一介の狗番の浅慮で曲げてはならぬ」

 

 トカゲ神殿の支援を受けて、ミィガンの一行はギジェカプタギ点を出立した。

 東金雷蜒王国は、南北にまっすぐに伸びる海岸線とッツトーイ山脈によって挟まれる、細長い土地だ。
 主街道は海岸線に沿って伸び、大きな都市が幾つも有る。
 「プレビュー版青晶蜥神救世主」の一行もこちらを通った。

「であれば、「プレビュー版」が通らなかった山側の街道を行くべきだな」
「そうですね。救世主様の御恩みを待ち望む人も多いでしょう」

 ただ青い光で癒やすに留まらない。
 弥生ちゃんが定めた新しい薬品の処方や療法を、各地のトカゲ神殿に伝える任務もある。
 その為にトカゲ神官2名が同行する。
 器具や薬品を運ぶイヌコマと世話をする下僕も合わせて、10名の隊列だ。

 

 「カンニン・カニイン城」は、海岸線の主街道と山側の街道との分岐点にあたる。
 またも長の逗留を余儀なくされた。

 ここは、毒地方面に出撃する寇掠軍に傭兵や武器などを供給する基地でもある。
 今や王国中の神族が集ったかにごった返していた。

 今回の戦争の元凶がトカゲ神救世主である事は、神族の誰もが知っている。
 しかし怒りはしない。むしろよくぞ環境を整えたと称賛する。
 おそらくは褐甲角王国においても同じだろう。

 神族神兵共に、どちらの神が優越するかを決める最終戦争を待ち望んでいた。
 千年期の境目に臨んで、まさに期待通りの展開だ。

 ミィガンは神刀を用いて病人を治癒するが、出撃前の兵や神族が優先的な対象となる。
 弥生ちゃんは、自らカタナを振るってゲイル騎兵や巨大金雷蜒神を討滅した武神だ。
 その祝福を受けるとは、武運長久間違いなし。

 多大な謝礼を受け取り、おかげで城市に集まる一般の病人達に十分な食料医薬品を与える事が出来た。

 

 10日滞在し寇掠軍が続々と出撃するのを見送って、「カンニン・カニイン城」を出立する。

 紺地に白く染め抜いた「逆さトカゲ」の神殿紋章を旗に掲げ、道を進む。
 たちまちに人が集まり、あれは誰か、救世主さまの御使いだ、と噂する。
 しかし病人を見かけても、すぐには癒やしてはならない。まずは土地の神族の許しを得てからだ。

 各地の神族とその系列系譜についての知識は、狗番の必須教養。
 また主「サガジ伯メドルイ」の親戚筋や知人には、十分な助力を期待出来る。

 ただ中には、「邪な者の指を刎ね飛ばす」神刀に、妙に固執する者も居た。
 わざわざ罪人を呼んできて、触らせろと無理強いする。

「これは尊い青晶蜥神の秘宝でありますので、下賎の科人を近付けるのは許されません。
 ですが、神族の皆様であれば問題無いと思われます。どうぞお検めを」

 無理を言う神族は、しかし決して触ろうとしない。
 額のゲジゲジの聖蟲が確実な危険を警告するのであろう。

 

     *****

「ミィガン様はご結婚の約束をされた御方はいらっしゃらないのですか」

 カエル巫女が白い顔を間近に寄せて囁いた。
 とある町の、神族は出席しないが町の重役や大商人、高位神官・賢人も揃っての歓待の宴。

 彼らもまた高位奴隷身分であるが、町の実権を握る。
 もちろん神族と金雷蜒神に対する尊崇は篤いが、千年一度の救世主の到来を喜ぶ心に偽りは無い。
 独自の宴席を設けて、トカゲ神救世主の御使いを迎える。

 ミィガンもギィール神族が召し出すのであれば従うが、正直あまり酒宴の場には顔を出したくない。
 しかしカエル神、紫醸蟾「ア・ア」の神官巫女が呼ばれる宴席は、神事に相当する。
 礼を尽くして招きを受ければ、断るわけにもいかなかった。

 町長に相当する「市巷支令」は、巫女の言葉に大きくうなずく。

「ミィガン様はガムリハンに戻られたら御主に神刀を献上するおつもりと聞いております。
 ですが、額に金雷蜒の聖蟲を戴く方が他神の神威を帯びた霊宝を用いる事は無いでしょう。
 ミィガン様に改めてお許しになると思います」
「うむ……」
「であればおそらく、特別な神職として家を興す事を求められます。
 妻となられる方もよほどの身分でなければなりませぬな」

 考えた事も無かった。
 「市巷支令」の言葉はもっともで、反論の余地も無い。

 宴席に集う人は皆口々に勝手な事を言い始める。
 ミィガンがもはや「トカゲ神族」になったかの持ち上げようだ。
 嫁を世話したいと申し出る者まで居る。

 

 カエル巫女は、紫の妖艶な衣装を纏い宴席に華を添えるが、かなりの曲者だ。
 彼女達の日頃の出番は神族相手である。
 当意即妙機知に富んだ受け答えをせねば命に関わる。

「そういえば、新しい救世主であられる「ガモウヤヨイチャン」様は、女の方でいらっしゃいます。
 あの御方と添われるのはどのような人となるでしょう」

 金雷蜒王国だからゲジゲジ神官が筆頭上席となる。
 はたと膝を叩いて、声を上げる。まさにそれこそが天下の一大事!

「そうだ! 青晶蜥王国を新たに興すのであれば、千歳に栄える王家の基として良き御縁を結ばねば」
「おおお、そのような大事を忘れておりましたか」
「さすれば、神聖王に繋がるゲェ派の神族の方が選ばれるのではありませんか」
「いや褐甲角王国もある。あちらでは当然に王族を出してくるだろう」
「まったくに予想のつかない、隠れた名士が現れるのかもしれない。
 星の世界から到来された救世主と、地上の人が結びついて真の王国が成り立つのではないか」

 ミィガン、盃を手に唖然と成り行きを見送った。
 世の人はこのような事を考えているのか。まだ弥生ちゃんの救世は始まったばかりなのに。

 カエル巫女は嫣然と振り向く。瞳に燭台の光が揺らめいた。

「ミィガン様、ガモウヤヨイチャン様はどのような女人であられるのか、お話しいただけませんか」

 宴席全ての眼が自分に向かう。
 人を勝手に品定めするのは許されぬと思うが、逃げるのもまた無理なようだ。
 ミィガン、

「女人として、ですか」
「はい。妻となられる御方としてどのような人となりであるか、お聞かせください」

 視線はますますに重みを帯びて食い込んでくる。

「あの御方は、救世主としては完璧に近い人です。戦士としても不敵大胆、退くことを知りません。
  ですが、私が見たところ、恋愛に関してはかなりに奥手ではないでしょうか」
「ほお……」

「お可愛らしい方です。方台の珍しい文物に接してキラキラと眼を輝かせ、
 何にでも興味を示し、予想もつかない反応を見せます。
 人に優しく、特に弱い者に慈悲深く接し、病人の世話をして穢れるのをまるで厭いません。
 それでも一番楽しそうなのは、子供たちと遊ぶ時ですか。
 まるでガキ大将のように子供の先頭に立って駆け回ります」

「結婚に関してはお言葉はありませんでしたか。ご自身のものとは限らすに」
「現在最も近くお傍に侍る蝉蛾巫女フィミルティは、恋愛の噂などには淡白です。
 また「聖神女」と讃えられるタコ巫女ティンブットも、能天気でそのような色は見せません。
 どうやらその手の女性と共に居るのがお好きと、お見受けします」
「……、なるほど!」

 ほっと息を吐く。町の重役達は、どうやら納得してくれたようだ。
 カエル巫女はそんなに甘くない。

「ミィガン様は、慕わしく思われませんでしたか」

 宴席の人は一気に緊張する。さすがにそれは突っ込み過ぎだ。
 だが誘導尋問に乗ったかに、ミィガンは思わず口を開く。

「あの御方は、  高貴な身分の方としてのお振る舞いをなさいませんので、まるで普通の、
 まるで兄妹の仲のように、私を見ておられたのでは、

 そのように感じる事がたびたびありました……」

 

     *****

 旅を進め留まる度に、毎回多額の寄付を受けた。
 浄財は道端に伏して癒やしを待つ貧しい病人に食料医薬品を与えるのに役立つ。
 それでも余るほどに膨れ上がる。

 トカゲ神殿に寄進しようと考えたが、神族の言葉で取りやめた。

「下々の民草がトカゲ神救世主に貢を捧げるのは、救世主に立派で誇らしい姿であってもらいたいからだ。
 救世主の使いもまた、そう望まれる。飾って歩け」

 考えてみれば「プレビュー版青晶蜥神救世主」も、鳴り物入りで舞い踊りながらの賑々しい行列だ。
 弥生ちゃん本人はまったく華美を好まぬが、自分の身代わりは盛大に飾っている。
 民衆の心を読んで、最も好まれる姿に整えていたのだろう。

 ミィガンも上半身裸の狗番の姿から、戦装束の晴れやかな装いに替えた。

 タコ神官巫女トカゲ巫女が隊列に加わり、荷物を運ぶイヌコマと人足も3倍になる。
 護衛の兵も10人を雇う。

 

 街道にはしばしば病人を見る。
 いずれも遠方より噂を聞きつけて、苦しい身体を引きずり参る者だ。
 道中死を覚悟して、いやトカゲ神の御使いを一目見れたら本望と、死を前提に歩んでいる。
 あるいは、病人にかこつけて見物しようと戸板で担いでくる者さえあった。

 彼らに対しては、一々道端で癒やすのも面倒だ。
 適当な場所に留まって、客が集まるのを待つ事とする。
 近くの村人に頼んで動けぬ者も運んでもらう。

 

 だがその日は、道に一人の病人も居ない……。

「山賊だあー!」

 30人ほどの毛だらけむさ苦しい男、蛮刀というよりも包丁を振り回して襲ってくる。

 神官戦士3人で一番の年長が、「警護隊長」の肩書を得ていた。
 ミィガンは既に守られる側の人間。護衛の指揮は任せてある。

「恐れるな。たかが田舎の山賊ぞ、射止めよ」

 こちらは神官戦士に傭兵が10名、荷運びの人足も棍棒を振り回し、数的には互角の様相。
 ミィガンも弓を用いて応戦した。

 さほどの困難も無く撃退に成功。
 神族の紹介で護衛に付いている傭兵はいずれも手練で、装備も良い。
 山賊風情が勝てるものではなかった。

 

 隊列と整え直し、皆の無事を確かめて出発する。
 が、さほども行かずにまた襲われた。
 今度は緑色の草で偽装する、別口の山賊だ。半弓で攻める。

 双方射合って退けたが、イヌコマの1頭が矢を受けて倒れてしまう。
 ミィガンは抜いた矢を示される。毒矢だ。

「人が食らうと大変でした」
「うむ、だが」

 ミィガンが神刀を抜いてイヌコマに当てると、青い光でみるみる傷が治っていく。
 毒も消えて元気になり、不思議そうな顔で立ち上がる、
 再び背に荷物を載せても嫌がらない。

 

 またしても。
 今度は泥の仮面を被り蓑を着た連中。投石で攻撃してくる。
 撃退はしたが、

「いかん、矢が尽きた」

 ミィガンは警護隊長と協議して、決断した。

「どうやら謀られたな。罠の中に飛び込んだらしい」
「護るべきは神刀でありミィガン殿です。他は枝葉、打ち捨てて参りましょう」
「道に荷を下ろして、イヌコマは解き放つ。薬品の書を積んだモノだけでよい」

「ちくしぉー、もったいななあ」

 人足も護衛の傭兵も前払いで雇っている。損はしないから、命令に従う。
 ミィガンはトカゲ神官に命じた。

「いざとなれば、我々は神刀を護って4人で離脱する。
 後は任せるが、そなた達が狙われる事は無いだろう」

 隊列にはタコ巫女トカゲ巫女も居る。
 人質を取られ、また狙われると対処に困る。
 単独で逃げた方が分が良いのだ。

 

      *****

 果たして次に襲ってきた赤裸の山賊どもは、「あちらに宝を置いてきたぞ」と叫ぶと、一目散に道を走っていった。
 彼らは神刀目当てでは無いらしい。

 そして最後に現れる。
 革鎧を身に纏い立派な剣槍、長い弓を携えるれっきとした戦士達。
 傭兵の一人が正体を見知っていた。

「あれは、人食い教徒の連中です。かなりの手練だ注意して下さい」

 「人食い教徒」は兇悪な蛮行で恐れられるが、同時に思慮があり謀略に優れると知られた。
 元の身分も高く富裕な家の出であったり、戦士として十分な訓練を受けた者も多い。
 金雷蜒褐甲角両王国が根絶せんと取り締まるが、嘲笑うかに各地で跋扈する。

 ミィガンも、

「私も、ガムリハンの主の館で連中に襲われ命を落とすところであった。
 ガモウヤヨイチャンさまの御霊験が無ければ、此処に立ってはいない」

 警護隊長は傭兵に命じる。

「我らは神刀を奉じて離脱する。多少の時間稼ぎをしてくれ」
「ご武運をお祈りします」

 神官巫女は人足達が守って後ろに下がる。

 人食い教徒の戦士は20名、長弓で確実に狙ってくる。
 傭兵は投石で対抗するが、道端で拾った不揃いの石では効果も薄い。
 それでも5分は足止めが出来た。

 後は最寄りの宿場に駆け込んで、救援の手配をするまでだ。

 

 木立の中を駆け抜けるミィガンと神官戦士。
 警備隊長が走りながら打ち明ける。

「出立の際にガモウヤヨイチャン様から命じられております。
 ”もし神刀をどうしても守れぬと思えば、自然に任せよ”と。
 奪われても後で取り返せるそうです」

 治癒の奇跡を起こす神宝を退蔵するバカは居ない。必ず使って評判となるだろう。
 回収は不可能ではない。しかし、

「それでは私の面目が立たぬな。やはり死んでお詫びをせねば」
「我らもです」

 

 後方から追ってくる気配がうかがえる。
 姿足跡を隠しながら、それでも急いで駆け抜けるのは神経を使う。
 ただ、不利とも言えない。

 人食い教徒の戦士は武芸の腕は立つが、卑賤の育ちではない。
 野生児の山賊に比べれば、森の中での移動にも不自由がある。
 その点はミィガン達も同様だが、

 いきなり矢が飛んできた。
 ミィガンに直撃。だが背に負う神刀が、鞘に納まったまま青く光る。
 風が巻いて矢を逸らし、危ういところを救う。

「おお!」

 ミィガンも驚いた。神刀にはこのような機能も有ったのか。
 まるで話に聞く、神兵の額のカブトムシの聖蟲のような。

 そして思い出す。弥生ちゃんが常に先陣切って戦に臨み、退く時は殿を務めた事を。
 あれは、トカゲ神の神威によって隊列を矢から守っていたのだ。

「!」

 これは自分の勘。神刀を抜いて一瞬青い光を迸らせる。
 樹の根本に隠れていた小男を、樹もろとも両断。
 小男は、何が起きたか理解できぬまま絶命した。

「お見事です」
「気をつけろ。敵は森に詳しい小者を用いている」

 戦場においては神刀は、そこまで光輝かない。
 刃の先に仄かに青い焔がちらつくだけだ。しかし、それで十分。
 立ち向かう敵の槍刀を、構える上から斬り伏せていく。
 「受けた」時点で敗北が確定だ。

 迅速に片がつくので、味方の支援に回る事が出来る。
 4人揃って追手を斥けた。

 神官戦士達も褒め称える。
 彼らは毒地の征旅には居なかったから、神刀がいかに優れた武器であるか知らないのだ。

「だが結局は武芸の腕が重要だ。
 ガモウヤヨイチャンさまであれば、燕のように飛び回れるのだがな」

 

      *****

 警戒しつつも速やかに移動する。
 道に戻れれば早いのだが、当然に監視が居るだろう。
 待ち伏せを食らう。

 偵察を出した。この先人食い教徒が潜んでいないか確かめる。
 少し見晴らしの良い場所に乗り出して、矢を受けた。

 慌ててもうひとりが引き戻すが、矢を受けた者は痙攣を起こしてのたうち回る。

「毒矢だ!」

 矢を引き抜き、神刀の光を当てるが芳しくない。矢傷に刃を差し込んでようやく小康を得た。

「尋常の毒ではないな。瞬時に絶命する類のものだ」
「そのような毒を作れるのは、トカゲ神官だけです」

 「人食い教徒」には学識の高い神官や賢人も多いと聞く。
 天地自然の理をを学び究めんと欲し、果てに行き着いた姿が「人食い」なのだ。

 それにしても、弥生ちゃんが降臨した現在もなお、常軌を逸した蛮行に走るとは。

 矢を受けた神官戦士は回復したものの、極度に心臓が疲弊ししばらくは動けない。
 担いで連れて行こうとミィガンは提案するが、警護隊長に拒否された。

「我らはあくまでも神刀を護る為に命を捧げるのです。
 この地に置いて休息させ、先に進みましょう」
「だが、」
「行って下さい……。後で必ず、参ります……」

 本人が喘ぎながらもそう望む。彼らにとっての神聖なる責務なのだ。

 

 斜面を過ぎっての逃避行。
 矢で射られるのを防ぐ為に見通しの悪い場所を選ぶと、どうしてもこうなってしまう。
 進むのは難儀だが、敵も追うのに苦心する。

 森を熟知した小男の部族を手下として先行させるが、彼らはあまり強くない。
 神刀はありえないモノを簡単に斬るので、足場を失い坂下に転げ落ちる。
 しかし、

「う、うわあああっ」

 小男3人に抱きつかれて、神官戦士が一緒に落ちていく。生死は不明。
 ミィガンと警護隊長は、助けに行けない。

「進みます!」
「うん……。」

 森の中にだんだんと、人が木を切った痕跡を見る。
 近くに村があるのだろう。とりあえずそこに逃げ込みたい。
 だがミィガンは渋る。村人に迷惑を掛けないだろうか。

「ですが、森の中を逃げ回るのは長くは無理です。一度仕切り直して迎撃しましょう」
「やむを得ぬか」

 畑に出た。斜面を切り開いた焼き畑だ。
 急に見晴らしが良くなり、危ない。

「あちらの藪に走ります」

 だが、警戒する警護隊長の背に矢が立った。
 革鎧で貫通は防いだが、先端の毒に冒される。
 先程の神官戦士と同様に、崩れ落ち痙攣を始める。
 ミィガンは彼を引張り、藪に押し込んで、だが傍の木にも矢が突き刺さる。

「鎧を脱がさねば、」

 その手間で彼は死ぬだろう。こんな時弥生ちゃんはどうするか。
 神刀を振るって強固な革鎧を斬る。多少肌に傷が走るが、問題ない。
 矢傷はほんのわずか、鏃の先が突いた程度だ。それでも毒の効果は凄まじい。

 神刀の切っ先を傷に深く差し入れ、ようやく命を救えた。間一髪だ。
 警護隊長は、まだ痺れが残るままに口を開く。

「……もうし、わけ、ございませぬ。我を捨てて、さきに、」
「そうさせてもらう、連れてはいけない。だが人食い教徒もお前を殺しはしないだろう。
 あくまでも狙いは私、いや神刀だからな」
「はやく、ここを、はやく」

 だがミィガンは神刀を抜いたまま、畑に出た。絶好の標的。
 驚くほど遠くから矢が飛んでくる。狙いも過たず、まっすぐに。
 神刀を振る。刀身の周りに風が巻いて、矢を絡め取り吹き飛ばす。
 これが正しい風の護りの使い方。

 そして掲げる。

 光が畑を、斜面全体を真っ青に染め上げ、トカゲ神の神威を明らかにする。

 

     *****

「ガモウヤヨイチャンさまなら、どうするか」

 愚問である。
 敵の親玉を直撃し、指揮命令の秩序を破壊して、逃走を促すだろう。
 真正面からの決闘。それは自明の策だ。

 ミィガンは場所を選んだ。
 斜面の畑よりも平坦な場所を、決闘に相応しい広場を。

 当然に見通しはよい。弓で射られる。
 もはや脅威を感じない。風の護りの使い方を覚えた。
 何度射ても当たらないので、人食いどもが姿を現す。

 装備の整う10人の戦士に小者が5人。
 指揮官は、

「やはりそのような者であったか」

 背が非常に高く、雄大優美な体格。髪は燃える赤で、甲冑は着けずに諸肌を脱いでいる。
 人品卑しからぬが、性は傲岸不遜と見受けられた。

 ミィガン、狗番の習性として素直に頭を垂れ、戻す。

「銀月の御連枝でございますな。いずれの神族の和子様でいらっしゃいますか」

 ”なり損ない”だ。
 ギィール神族の家に生まれ神族となる事を望まれながら、聖蟲を得られなかった者。
 霊薬「エリクソー」を用いて育ったから、肉体的には神族と変わりない。

「神族の夢は捨てた。家も捨て親も捨て、己一人のみにて闇に生きる。死す時も星天の下であろう」
「何故に青晶蜥神の神刀を欲せられますか。天の理に仇なすおつもりか」

 彼は左手を横に上げ、従者達を引き下がらせる。
 代わりに自分が、極めて長大な剣を取った。
 ミィガンもうなずく。

「やはり、世にも稀なる宝は自らの手で握りたいと思われますな」
「その通りだ。神刀の威力を我もまた感じ、力で捻り潰してくれる」
「それでこそ貴きお血筋」

 2メートル近い巨躯、それに見合う腕力、速さ、柔軟性、技巧。
 あらゆる側面から、神族の戦士としての資質に弱点は無い。
 構える得物も神族の刀匠が鍛えた業物で、甲冑武者でも一撃で葬り去る。
 独り、前に進み出る。

 ミィガンも青い焔の雫を滴らせる己が長刀を、地に這わせながら歩む。

 

     *****

 決闘はおそろしく静かに始まった。剣戟の音が無い。

 触れれば神刀が強いに決っている。
 ぶつけ合わないように注意深く丁寧に、長大な剣を振り回す。
 やはり身長は力だ。
 体格に大きな差があり、ミィガンも後一歩の踏み込みが出来ない。

 だが、毒地で戦う弥生ちゃんの姿を見ている。
 誰よりも背が低く小さい彼女は、どうするか。

「前に踏み出す。最速で」

 自分でも驚く速さで、ミィガンは敵の懐の中に居る。
 あまりにも速すぎて、刀ではなく肩をぶつけた。

 死角に入り込まれた男は、右手のみで剣を握り、左は。
 山狗の面に拳を叩き込まれ、ミィガン鼻が歪む。

「         !」

 見ている人食いが一斉に声の無い叫びを上げる。
 ”なり損ない”は、神刀に左腕を切り離された。吹き出る鮮血。
 青い光は汚れた血を寄せ付けぬ。

 神刀は空中で軌道を変え、切っ先で長剣の根本を薙ぐ。あっけなく鋼が断ち切られる。

 最後に、右の膝を断つ。
 支えを失い、”なり損ない”は真横に倒れた。柄のみの剣を握り締めたまま。

 人食いの従者達は飛び出して、主を抱き起こす。
 討たれた本人はまだ敗北を認めぬ。
 神刀の傷は鮮やかな切り口で、案外と痛みが無いらしい。

「どけ! そこを、まだ儂は負けてはおらぬ、逃がすな」
「このままではお命を落としてしまいます。どうか、お鎮まりを」

 ミィガンは言い放つ。

「夢にも思うな、邪悪を癒やす神威など此の世には存在せぬ。
 その御方を救いたければ神刀を諦め、上手の医師を求めよ」

 

 決着はついた。ミィガンは速やかにこの場を離脱する。

 敢えて殺さぬ事で、敵の足止めをした。今回の襲撃は終わるはず。
 人を集めて捜索隊を組織し、警護隊長・神官戦士の安否を確かめねば。
 置いてきた隊列の傭兵達は、今どこに。

 腹部に鈍い衝撃を感じた。
 気付けば、草むらから槍が伸び、自分の腹を貫く。

 小男が一人、草で偽装し潜んでいた。
 槍と呼ぶには粗末な、先の尖った長い竿を地面に這わせていた。
 人食い教徒としては当然に、卑劣な罠を仕掛けたわけだ。

 泥に汚れた顔を引き攣らせ、歪んだ笑みを浮かべている。
 彼としては会心の一撃、大手柄を立てたと思うのだろう。そのとおりだ。
 ならば褒美をくれてやらねば。

「受け取るがよい」

 ミィガンが振り下ろす神刀は、小男を頭の先から股間まで一気に真っ二つに割いた。
 人間このような形で斬れるのか、鮮やかさにむしろ嬉しくなるほどだ。
 体内の血液が一気に全部噴出する。

 ミィガンは腹に刺さった竿を抜いて、背後を振り返る。

 あまりに凄惨な光景に、人食い共も戦意を喪失した。
 それどころではなく、指揮官を救わねばならない。

 ミィガン、ふらつきながらも足元をしっかりと踏み直し、毅然としてその場を離れる。
 姿が見えぬ所まで、無事を装って。
 倒れ込む。流石にやせ我慢も限界だ。

「腹か。臓腑を抉られたか、これは神刀の青い光でも追いつかぬな」

 弥生ちゃんでも、内臓の損傷はハリセンを用いた精密な手術を必要とする。
 とても真似出来るものではない。

 警護隊長の言葉を思い出す。
 ”もし神刀をどうしても守れぬと思えば、自然に任せよと命じられております”

「他ならともかく、知恵に優れた人食いには渡してはならぬな。
 悪の巨魁の寿命など伸ばされては、世の為には……」

 隠さねばならぬ。神刀を、
 どこか人目につかない場所に……。

 

     *****

 湖水の畔「ミレシャ」は、山側の街道で最も栄える都市だ。
 町は美しく整えられ、石造りの噴水が広場に設けられている。

 一人の女が居た。
 黒衣をまとい驚くほど背が高く、大きく、優雅に佇む。
 信じられない事に、彼女の髪は漆黒だ。膝の辺りまで豊かに伸びる。
 十二神方台系においては、人の髪が黒いのは子供の時だけ。
 それ以外であれば、「不老不死」の”真人”を表す。

 彼女の前に、人食い教徒が百人控えている。
 昼日中、誰の目もはばからず。
 いずれも高い身分を表す格式に則った装束で、狂気や殺戮の翳は微塵も見えない。

「人払いを行いました。しばらくは我らのみにございます」

 先頭に控えるのは老賢者。齢も70を越える。
 しかし彼女に比べればまだ雛だ。

 彼が促し、白い布で眼を覆う盲目の少女が錦の細長い袋を捧げる。
 ほのかに青い光がまとわるかに思えた。
 女の前で少女は包みを開き、中に納められる刀を取り出した。

 明らかに普通の武器ではない。神々しさと近寄り難い険しさを備える長刀だ。
 老賢者が改めて奏上する。

「青晶蜥神「チューラウ」の神威を帯びる狗番の刀でございます。お検めを」

 女が無造作に指を伸ばすのに、老賢者も慌てる。知っておられると思ったからだ。

「恐れながら、この神刀は邪なる者が触るとその指を切り落とす神威を備えております。
 抜くのであればこの端女にお任せ下さい」

 女は問う。心地よい響きと、絶対の服従を誓わせる重みを持つ声だ。

「この娘は無垢というか」
「神刀を回収するのに非常に手間取りました。
 地に差し込まれていたものを探し、足の指を斬られてようやくに見つけました。
 その後も無傷で掘る事の出来る者が居らず、この端女を得て可能となりました」

 だが女は、なんのためらいも無く神刀を握った。
 青い光は瞬いて輝くが、指が斬り跳ばされる事は無い。
 人食い教徒達は思わず声を上げる。さすがは教主様だ。
 老賢者も讃える。

「青晶蜥神も、貴女を天河の意思に沿う者としてお認めになりました。
 まさしく教主様に相応しい御物でございます」
「千年の齢を許された我は、もはや地上の善悪に縛られぬ。驚かずともよい」
「さようでございます」

 鞘から抜くと、刀身から眩い光が放たれ、噴水広場全体を青く染める。
 百人の人食い達は、光が自らの内部にわだかまる何物かを侵すのを感じる。
 癒やされるのではなく、正される気がした。
 先頭の老賢者も、光を袖で遮ろうとする。

「……我らにはこの光、毒になるのやも知れませぬ。
 聞けば神刀は邪悪を癒やす事は無いと」
「当たり前だな」

 女は長刀を左右に振って感触を確かめる。
 その度に青い光がたなびいて、水のように迸る。
 だが気付いた。少女が奇跡を目の当たりとしても、何も動じない事を。

「神の光を浴びても、この娘の眼は治らぬのだな」
「致し方ございません。眼が確かにあれば治りもするでしょうが、この娘は、」

 老賢者に促され、少女は白い布を外してまぶたを開く。
 女も一瞥して理解する。

「眼が無いか」
「義父が粗暴な者で、力任せに娘を殴り破裂させたと申します。
 左右ともに潰れて盲たところで家を追い出され、路上にて行きあぐねるところを我らの一人が拾いました」
「義父はどうした」
「死んだ、と聞き及んでいます」

 女はそれ以上の興味を惹かれなかったようだ。
 引き続き長刀を弄ぶ。相当の重さがあるにも関わらず、片手でひゅっと振る。
 少女の顔に、右の眼窩を切っ先で抉った。
 思わず少女も悲鳴を上げる。

「ひやっ。」
「何をなされますか、教主様」

 説明されるまでも無い。少女が両手で抑える右目に異変が生じる。
 破れしぼんだ眼球が急速に膨らみ、丸い形を取り戻し、
白く澄み切った艶が輝き、青く透ける瞳が蘇る。
 少女は叫ぶ。

「見える! まだぼんやりだけど、光が、ほんとうに見える!」
「驚きました。本来の持ち主の狗番でも、これほどの奇跡は成し得ていないと聞いております」

「使い手の力量に依るのだ。それにしても、暴力的なまでに凄まじい治癒力だな」

 人食い達は改めて拝礼する。
 貴女こそがまさに此の世の闇を統べる御方。ガモウヤヨイチャンに匹敵する黒き救世主。

 女は尋ねた。

「狗番ミィガンと申したか。この刀の持ち主はどうなった」
「深い傷を与えて、おそらくは死んだと現地の者は申しております。
 沢に落ちたために生死の確認は出来なかったと」

「生きておるかも知れぬか」
「既に神刀を得ております。ご案じなさるものではございませんが、確かめましょうや」
「いや、いい」

 それきり、忘れた。

 少女はまだ自分の身に起きた奇跡が信じられず、しきりと左右を見回している。

 

     〜END〜

 

 Episode 3『弥生ちゃん、錯綜する正義に歪む』

 

第二・五章 刺客大全・デュータム点破壊計画    2021/09/19

 救世主さまのご命令だ。

「ッイルベス。デュータム点に先乗りして民衆をある程度まとめておいて」

 

 デュータム点は東西ボウダン街道・南北スプリタ街道の交点にして、
北方聖山街道さらには西岸に、また王都カプタニアへの主街道の起点であった。
 褐甲角王国にとってカプタニアに次ぐ重要拠点だ。
(主街道:デュータム点より発しカプタニア山脈西側の内陸部を通りルルント・カプタニアに至る。
 褐甲角王国成立後に発達した街道)

 また十二神信仰の総本山「神聖神殿都市」、金雷蜒王国が築いた神殿都市「ウラタンギジト」への巡礼路にある。
 東西金雷蜒王国からギィール神族が訪れる事も限定的に許可され、
場合によってはゲイルに騎乗しての通行も認められる。

 それだけに人の出入りが激しく、不審者も多数が潜伏する。
 褐甲角王国の治安機関も厳しく取り締まり、密偵が眼を光らせた。

 こんな都市にトカゲ神救世主が乗り込んでいくのだ。
 四方八方から病人・野次馬・善男善女、
また新王国に仕官して一旗揚げようとする野心家が、
救世主の御楯となって一軍の将にのし上がろうと武人が、
信仰に篤い富豪も、新しいビジネスを模索する商人も、詐欺師も策謀家も、
もちろん学者や賢人宗教家、その他諸々の人が面会を求めて押し寄せる。

 どう手を付ければ良いものか。

 弥生ちゃん一行はデュータム点の治安警察機構「衛視局」の神兵と協議する。
 窓口となったのが、赤甲梢総裁メグリアル劫アランサ王女だ。

 彼女の実家「メグリアル副王家」は、デュータム点より発する聖山街道の脇、
「ウラタンギジト」と向かい合う形で築かれた神殿都市「エイタンカプト」を本拠とする。

 「ウラタンギジト」には金雷蜒神聖王の名代として「神祭王」が座す。
 金雷蜒王国は正式には褐甲角王国を対等の存在、国家とは見做さない。
 それでもメグリアル王家と非公式な外交を行っていた。

 

「ッイルベスはわたしが連れていきましょう。
 メグリアル王家の権として扱えば、大丈夫です」

 劫アランサ王女は軽く請け負うが、やはり心配だ。

 そもそも官憲が他の権力を認めるわけが無く、
トカゲ神救世主の一行は未承認の怪しい集団としか認識しようが無い。
 だが信仰、神聖秩序に関する問題で、行政は手を出せない。

 メグリアル王家はまさにこういう事態に対処する為に存在した。

 既にメグリアル王太子、つまり劫アランサの長兄がデュータム点に到着する。
 神兵戦闘団「メグリアル親衛士」も率いていた。
 ゲイルとの戦闘ではなく、外交使として訪れたギィール神族を護る為の、軽装平服での戦闘をもっぱらとする神兵だ。

 弥生ちゃんはお姫様に注文を付ける。

「いや、ある程度混乱して問題点を洗い出してくれた方がいい。
 私が入城した際には、倍する混乱が起こるはずだから」
「予行演習ですか、なるほど。だからッイルベスですね」

 「剣の巫女」ッイルベスは15才。
 劫アランサの2つ歳下になる。
 髪形は弥生ちゃんにそっくりでも、もっと優しげで可愛らしい。
 お姫様に直接話し掛けられて丁寧に礼をする。

 トカゲ神救世主の神剣を託され多くの病人を救い、彼女自身崇められる存在となったが、
あくまでも名代、ニセモノだ。
 自らに何の偉いトコロがあるだろうと、謙虚に身を慎む。

 

 翌日、「プレビュー版青晶蜥神救世主」の一行はデュータム点の大門を潜る。

 東金雷蜒王国の巡行を共に旅した「ッイルベス派」と呼ぶべき仲間がいる。
 また「プレビュー版青晶蜥神救世主」の総責任者はタコ巫女ティンブットだ。

 しかし彼女は付いていかない。
 自身も「聖神女」と崇められる立場であり、なかなか扱いが面倒になってしまった。
 ギジジットより随行した神官団も地元神殿との対立があり、今回は裏方に回る。

 行列はデュータム点のトカゲ神殿タコ神殿の者を主とした。
 救世主本人と同様に華やかに賑々しく大通りを練り歩く。

 通りの左右を埋め尽くす人、人の波。
 デュータム点の衛視局は混乱を恐れて、近郊にまで来た隊列に市民が加わるのを禁じた。
 隊列は患者を除いても2万人を越えており、これ以上の膨張は許されない。

 市内の人は逸る想いに身を焦がし、救世主の入城を待ちわびる。
 「プレビュー版」であっても興奮は爆発した。

 

 ッイルベスも劫アランサも悟る。

「ガモウヤヨイチャンさまが直接来なくて良かったわ……」

 

     ***** 

 ッイルベスは神剣による治療の拠点をトカゲ神殿に定めた。

 デュータム点ほどの裕福な大都市の神殿だ。
 またトカゲ神殿は病院の機能を果たす。
 建物は広く立派なもので、トカゲ神官達は救世主の聖業に応えられると胸を張る。

 が、治療開始と同時に破綻を来す。
 あまりにも多くの病人が殺到して処理能力を越えてしまう。
 足の踏み場も無い有様で、直ちに治療を中止した。

「これでは全然ダメです。
 ガモウヤヨイチャン様はもっと多くの人を一気に治療なさるのです」

 より広い場所を必要とする。
 トカゲ神殿はむしろ救世主様にお休みいただく宿舎として、
また謁見を望む高位の人々の控えの場として用いられた

 

 治療の場は露天の貨物集配広場に移された。
 ここならば多数の病人を余裕を持って扱える。
 だが、あくまでもッイルベスの枠内でだ。

 弥生ちゃんがハリセンを振るう力づくの姿を見た者は、
次から次へと病人が処理されていくのを知る。
 一応の治癒を受けた者も再びを必要とする事も多く、
トカゲ神官巫女が大車輪で介護に当たり休む間も無い。

 広場周辺の建物をすべて借りて仮の病棟にせねばならない。
 それだけの人数を食べさせ眠らせる設備資材が必要だ。
 そして何より。

「わたし達はおそらく邪魔となるでしょう。
 軽症者を専門とする治癒の場を別に設けましょう」

 

 ッイルベス達が見つけたのは野外音楽堂だ。
 デュータム点ほどの都市であれば、音楽を楽しむ劇場も備えている。
 程よい広さで、人が並ぶ広場も隣接する。

「ここなら十分だと思います」

 さっそくに病人を世話する資材を準備する。
 デュータム点には富豪も多く寄付も潤沢で物質的には困りはしない。
 多くの人足が動員されて、たちまちに治癒場が整えられていく。

「それでは神剣による治癒を始めましょう。
 病人を案内してください」

 音楽堂の周りには既に多くの病人が並ぶ。
 近隣より集まった、いや遠くの町村より必死に道を進んできた人達が、
今か今かと待ち望む。

 大きな剣が巫女の手に掲げられ、青い強い光を放つのを、
涙と共に振り返る。

 

 

 ッイルベスを守るのは、「プレビュー版」の巡行に従った神官戦士達だ。
 彼らは道中幾度も襲撃に遭い、また治安機関の締め付けにも苦しめられた。

 すべての人がトカゲ神救世主を望むのではない。とはいえ、拒むのも違う。
 新たなる天河の計画が示され世が新しい姿へと変革を見せるこの瞬間に、
自らも爪痕を残さんと、様々に干渉してくるのだ。

 神官戦士達は襲撃を敏感に感じ取り、未然に防ぐ策に自ずと長けていく。
 褐甲角王国の警備当局では気付かぬ隙も多々見出した。

 誰も頼りにはならない、自分達こそが命を張って守らねばならぬ。

 

 デュータム点には続々と神官戦士が集まってくる。
 彼らこそが神聖秩序の護り手。
 救世主の傍近くで聖業を見届ける者だ。

 「我らはこの日の為に生まれた」

 

     ***** 

 入城より3日、弥生ちゃんから指令が届く。

「今日は神剣の治療は止めて、市民との触れ合いの日としなさい」

 ッイルベス警護の責任者、神官戦士アルヘンブ兄弟はほっと胸を撫で下ろす。

「さすがは救世主様だ。見ずともッイルベス殿の状態をご推察になる」
「兄者、さっそくに病人の入場を制限しよう。
 トカゲ神官に事前に診察させ、急病人のみに対処するべきだ」

 アルヘンブ兄は24才、弟は21才。
 「プレビュー版」が出発した東金雷蜒王国南端の港町「ガムリハン」の隣、
南岸要塞「ガムリ点」の神殿を守る者だ。

 

 「プレビュー版」の一行は出発早々、官吏の足止めを食らう。
 当然といえば当然で、金雷蜒神の使徒を至高と見做す王国で、他神を許すわけがない。
 トカゲ神の神威を帯びた剣を奉じていたから尚更だ。

 押収せんとする官吏と、守ろうとする一行とで騒動となる。
 ガムリ点の十二神殿も参戦して神官戦士が投入された。
 たちまち流血の沙汰となる。

 もちろんタコ巫女ティンブットは人が傷つくのを許さず、ッイルベスに命じて神剣での治癒を敢行。
 却って神威の素晴らしさの宣伝となってしまう。

 是非にとも神剣を手に入れて「ギジシップ島」の神聖王に献上しようと、兵まで繰り出す。
 これを防がんと神官巫女までが身を投げ出しての紛争に拡大した。

 

 アルヘンブ兄弟が師事するカニ神官は、神殿の規律を守る者。
 兵の前に自ら立って神聖秩序の独立を唱えるが、暴行を受け瀕死の重傷となる。
 兄弟が助け起こすも既に虫の息。
 それでも老神官は抗う気迫を和らげることは無い。

「御行列を必ず守り、方台すべての民草に、青き光を届けるのじゃ」

 混乱の中ッイルベスの元に運ぶ事も出来ず、絶命する。
 新世紀到来の奇跡に供奉する殉教者となった。

 

 この騒動を鎮めたのは、一人のギィール神族の来訪だ。
 いかに官吏といえども神族の威光には逆らえぬ。
 他の神族は面白がって成り行きを見守っていただけだが、彼は違う。

「我は王孫、ヂニヴィル尊ルーフェル=ギジメトイス。
 騒動の責任者よ、前に出よ。聖上(神聖王)に代わりて裁きを与える」

 彼こそが、次なる神聖王「ゲバチューラウ」
 病の神聖王「ガトファンバル」に召し出され、海を渡り神聖宮に向かう途上であった。

 両者の言い分を聞き、ガムリ点の官吏が自らに求められていない任務を行ったと判断する。
 新たなる救世主に対処するのは、神族の役目。
 誰も手を出さぬのに、官吏が僭越をする。

 ヂニヴィルは裁定書をしたため、行列の責任者タコ巫女ティンブットに与えた。

 また彼はカニ神官の亡骸にも対面した。
 その最期をアルヘンブ兄弟より聞く。

「なんとも羨ましき者よ。
 千年一度の救世主降臨を見届け、聖業に従いて己が命を捧げるとは」

 そういう言われ方をすると、さすがに誰も泣けない。
 彼は遺命を授かった兄弟を見る。

「青き光の届く先を、我も見たい。
 構えて救世主の元に送り届けるがよい」

 神族の言葉は絶対だ。
 ましてや恩有る人の命であれば、是非とも叶えねばならぬのが金雷蜒王国の掟である。
 兄弟は胸に固く誓う。

 必ずや青晶蜥神救世主ガモウヤヨイチャンに会い、その助けになろうと。

 

     ***** 

 「プレビュー版」の巡行を守り長い旅を成し遂げた兄弟には、懸念がある。
 ッイルベスが普通の女の子に過ぎない点だ。

 「剣の巫女」の称号を賜っているが、神の力を操るのはあくまでも人。
 病に苦しむ多くの民を救う奇跡は、しかし本人に多大なる負担を強いる。
 3日治癒を行えば1日休まねばならない。旅はこのサイクルで行われた。

 ティンブットに聞いた話だと、トカゲ神の聖なる光は天河より発し、
地上にはガモウヤヨイチャンの身体を通して出現し、ッイルベスの身体に分け与えて剣を光らせるという。
 つまりはッイルベスが消耗する以上に弥生ちゃんに負担が掛かるはず。

 だが救世主本隊に合流し、本物を見て仰天した。
 爆発せんばかりのエネルギーの奔出を制御し、バカみたいに大量の病人を片付けている。
 ッイルベスはむしろあまりにも強すぎる力を受けて、耐えきれなかったのだ。

 デュータム点に入場し神剣による治癒を人々に分け与える今、
やはり3日に1日は休みが必要だ。

 

「兄者、指令には市民と触れ合えとある。いかがしたものか」

 今日は治療はナシと定めたが、音楽堂の周囲に集まる人は引きもきらない。
 老若男女、子どもの姿も見える。
 アルヘンブ兄は頬を緩める。

「市民と言っても、むずかしい神学の話はッイルベス殿には出来ない。
 それよりも次の時代を担っていく子ども達に、救世主さまが降臨した奇跡を伝えよう」
「なるほど。子ども達こそが真に救われるべき者か」

 直ちにデュータム点の神官達と協議が行われた。
 「子どもの神様」であるネズミ神の巫女が百人を選って連れて来る。
 7才以下の幼い者だが、皆「剣の巫女」を知っている。

 

 ッイルベスは本日は治癒は無しと聞かされて身体を休めていた。
 しかし一般市民との触れ合いの会を催すと聞き、身を起こす。

 巡行の時もそうだった。
 神剣を使わぬ時は神族の館や神殿に赴き、様々な検査や問答を受けるのだ。
 身体の負担は無いものの、神経は疲れる。

 この時とても上手く取り計らってくれたのが、タコ巫女ティンブットだ。
 彼女は元から高貴な方の御前で演じるのを許される優れた舞姫で、度胸満点。
 機知に富んだ、それでいてふんわりと柔らかくはぐらかす話術を備えている。
 天性のものだから参考にはならないが、何度も助けられた。

 今日代わりを務めるのはデュータム点のトカゲ神官だ。
 高位の方だが巡行を知らず、ガモウヤヨイチャンさまともロクに話していない。
 出来ないのだ。
 カブトムシを戴く法衛視が遮り王国の、それも民衆への影響力の強い者を近付けない。
 この神官も会合の末席で救世主の御声を聞くばかり。
 ッイルベスが正面に立たねばなるまい。

 

「え……?    」

 ぱっと顔がほころぶ。
 会見場で待っていたのは百人の小さな子達だ。
 また難しい顔をした大人の相手をすると思い込んでいたのが、拍子抜け。
 嬉しい誤算だ。

 引率のネズミ巫女がやはり笑顔で応じる。

「今日はこの子たちにガモウヤヨイチャンさまとはいかなる御方であるか、
 ッイルベス様がお話しください」

 子等は口々に「ねえさまねえさま」とお話をねだる。

 弥生ちゃんが手配した宣伝部隊がひそかにデュータム点に潜入し、「剣の巫女」の話題を盛り上げておいた。
 ネコが人の間にするりと入り込み、採算度外視で噂を語る。
 子ども達にも大人気となった。

 

     ***** 

 なんで小さい子を失望させよう。
 ッイルベスは床に座って低い、同じ目線で語りかける。
 トカゲ巫女はそもそもが病人をいたわる者。優しさがその基底に要求される。

 なにより次の千年期はトカゲ神の救世主が到来すると、ずっと前から決まっていたのだ。
 トカゲ神殿に身を寄せる者が期待しないわけがない。
 子ども達と同様に若い巫女も待ち望んでいた。

 

 和やかに楽しく進んでいく対話を見ながら、
警備のアルヘンブ兄弟は肩の力を抜いた。

 神剣による治療の際は一瞬も気を抜けない。
 ほとんどの病人は本当に身体が悪く純粋に神威による治癒を求めてくるが、
中には良からぬ企みを抱いて巫女を害そうと試みる者もある。
 医療は病人に直接触れねばならないから、安全の確保に万全を尽くせない。

 とにかく眼を光らせ不審者をいち早く見抜く不断の警戒が必要だ。

「アルヘンブ殿、」

 責任者である兄に、仲間の神官戦士が呼び掛ける。
 彼もまた東金雷蜒王国を巡行中に参加した同士だ。

「あなたに話があるという人が来ている。
 どうも、救世主様のお付きの方のようだ」
「なに?」

 少し会場を離れてッイルベスの姿が見える位置で、客に会う。

 中年の男性、風采の上がらぬそれでいて貧しくはなく、
デュータム点の商人によく居る、だが店を構えて商う者でなく、見ようによっては職人のような、
あまりに特徴がなく平凡としか言いようの無い人物だ。
 何度か会ったとしても、顔を覚えず名前も知らず、記憶に残らない。

 彼は懐より白い山蛾の絹布を取り出す。
 開くと、中より鮮やかな青が煌めいた。

 神都ギジジットのゲジゲジ巫女が鉄の刺繍針で縫い取りしたものだ。
 精緻な仕上げに、王侯貴族のみに許される飾りだと知る。
 図柄は、青い髪に2本の金色の角を持つ女人の顔。

 青晶蜥神救世主「ガモウヤヨイチャン」の紋章『ぴるまるれれこ』だ!

 アルヘンブ兄弟は素早く跪く。
 このような印を許されるのは、救世主様の側近のお一人だ。

 男は言った。

「立って、普通に立ち話をする態でお願いします」
「はっ」

 他人に見られては困るということか。この方は隠密なのだろう。

「私は救世主様より直接の命令を受けて、デュータム点における破壊活動を調査し事前に防ぐ役を与えられた者です」
「なにか、襲撃の兆候がございましたか」

 男はほんの少し口を歪める。笑ったかに。

「ここデュータム点は陰謀の巣窟。どこから誰が襲ってきても何の不思議もありません。
 ですが通常の襲撃であれば、褐甲角王国の巡邏や衛視局により防がれます。
 メグリアル王家の神衛士まで出張っておりますから、問題有りません」

「では何を警戒すればよいのでしょう」
「ガモウヤヨイチャン様はおっしゃいました。
 要人ばかりを狙うのではなく、何の罪も無い一般の民衆。
 それも弱い病人や女子どもを対象としての大量殺戮を試みる者が現れると」

 

 兄弟は愕然として振り返る。恐怖した。
 視線の先にはッイルベスが百人の子と楽しく語らう姿が。

 この子達が狙われるか。

 男は話を続ける。

「既にデュータム点の衛視局では、市の水道に毒を流す人喰い教徒の計画を察知しているようです。
 毒であればなにも上流のみでなく、近所の井戸などに放り込む事も考えられます」
「なるほど、警戒を強めておきます」

「ですが、察知された計画は使わずまた別の手を用いるかもしれません。
 くれぐれもご油断召されぬように」

 言うだけを言って、男は去っていく。
 兄弟も、立ち会った神官戦士も息を呑む。

「分かってはいた事だが、敵は多い……」
「兄者、そうは言っても病人の選別は出来ない。どうする」
「うむ、」

 考える。
 神官戦士として表に立っての警戒だけでは限度があろう。
 イタチを追うにはイタチの穴に入らねばなるまい。

「誰か使える者を選んで、平服にて民衆の中に潜り込ませよう」
「こちらも隠密か。
 だが衛視局も潜り込ませているだろう。鉢合わせ同士討ちに成りかねんぞ」

 

 するり、と無尾猫が入り込んでくる。
 ッイルベスが子ども達と話しているのを聞きつけ、覗きに来たのだ。

 警備としては余計なものの進入は防ぐべきだが、危険は無いだろう。
 女子どもはネコが大好きだ。

 真っ白な毛並みのネコはくるりと顔を後ろに向けて、神官戦士達を見る。
 驚くべき言葉を発した。

「ガモウヤヨイチャンに頼まれてる。見張りはまかせろ」

 

     ***** 

 暗殺者「チュバクのキリメ」は王姉妹から絶縁追放されて、弥生ちゃんの家来となった。

 彼が属していた謀略組織「ジー・ッカ」からも除名されたはずだが、
組織の者が彼の配下となってデュータム点を探っている。

 何故か。
 弥生ちゃんのやる事が王姉妹の利益となるからだ。

 

 神都ギジジットを発つ前に王姉妹と会談し、今後の在り方を考える。
 何よりもまず、ゲジゲジ神の地上の顕身こそが大事。
 つつがなく守っていくには固有の武力が必要で、それを支える財源・人員が求められる。
 神聖宮の再建の為にもカネを稼がねばならない。

 東金雷蜒王国の庇護下にあっては、従来どおりに窮屈なまま。
 しかし毒地が浄化され往来が可能となり農地の復元も見込める今、話は変わる。

 毒地全体を領地と宣言し、ギジジットを一つの国として独立させてはどうだろう。

 提案は驚きをもって受け止められたが、
神聖金雷蜒王国の昔に戻ると思えば、むしろ常識的だ。
 このままでは広い毒地は神族が気ままに専有して、税も貢も入ってこない。

 元より天河十二神の救世主は方台全土を統一して一元支配するのが本道。
 とはいえもう千年も分割が続いている。
 金雷蜒王国も西と東で分かれて、問題なく存続できていた。

 なにより、新しいトカゲ神救世主が方台統一をしないと宣言する。
 それで十分救世がなると説いた。

 ならば弥生ちゃんを支援して早く新体制を実現させた方が得策であろう。

 

「お前は裏切り者だ。だが良い方に裏切ったと郷の長老は理解する。
 だから仕事と割り切ってお前の指示に従う」
「郷にまで俺の話は伝わっているのか」

 デュータム点の「ジー・ッカ」責任者はチュバクのキリメと同年代だが、より上位の者だ。
 キリメは強情が過ぎて出世出来ず、このような重職を任されなかった。

 

 謀略組織「ジー・ッカ」はネズミ族と呼ばれる部族の出身者で構成される。

 かって方台人類は、最初の聖戴者である「ネズミ神官」に率いられ暮らしていた。
 地球で言うところの旧石器文明に相当する。
 やがて紅曙蛸女王「ッタ・コップ」が出現し、新石器文明を華々しく披露する。
 世界は大きく進歩したが、
時流に乗らず古い文明のスタイルのままに生き続けたのが「ネズミ族」だ。

 彼らの拠点は聖山山脈東方、東金雷蜒王国の北端の森だ。
 農耕を行わず、森の恵みによって生きる。のだが文明の産物は何処にでも忍び込む。
 外界の経済に侵食されず森を守る為に、
神聖金雷蜒王国と契約しその手先として暗殺謀略に従事する。

 彼らと同様に文明から隔絶した部族が、方台南岸西方「トロシャンテ」の原生林に棲むと聞く。
「ッタ・コップ」はその出身とされた。

 

「今回は「メグリアル神衛士」が我らの敵とならない。異様な話だ」

 長年活動してきた責任者が驚くのも無理はない。

 ここデュータム点は東西南北交易路の中心都市。
 しかも金雷蜒王国から非公式ながらも外交使が来て交渉を行う。
 ありとあらゆる勢力が工作員を派遣し、蠢いていた。
 もちろんギジジットの王姉妹もだ。

 これに対抗するのが衛視局だが、カプタニア中央政界の動向に左右される。
 真に安定を望むのは、武徳王より十二神信仰の祭祀を任されるメグリアル副王家。
 指揮下にある「メグリアル神衛士」はその意に従い愚直に平和を守る。

 「ジー・ッカ」とも長年暗闘を繰り広げる宿敵だ。

 キリメは強調する。今回は信じてもよい。

「赤甲梢総裁メグリアル劫アランサ王女が折衝に当たっている。
 王女はガモウヤヨイチャン様と極めて親密で、深い絆で繋がっている。
 もし褐甲角王国が裏切るのであれば、王女を含めて切るであろう」
「信じよう。すべてが例外だらけだ」

 

 「ジー・ッカ」の拠点には長年の活動の成果が集積される。
 衛視局しか持たないはずの、市全体の詳細地図も有った。
 地下水道網も含めて、様々な勢力が作った抜け道も記される。

 キリメの要求に応じて開示するが、これを見ればよく分かる。
 どこでだって破壊・暗殺は可能だ。

「さて。何処から始めるか」

 

     ***** 

「既に衛視局では人喰い教団による大量殺人計画を察知しているようだ。
 自訴する者が居て、水源の堰堤(ダム)に毒を流すらしい」
「人喰い教団のどの分派だ」

 人喰い教団も一枚岩とは言えない。
 今最も勢力の大きな派閥は『貪婪』を名乗り、不老不死の女に率いられていると聞く。
 ただ女は非常に信望が厚く、無意味な大量殺戮を行うとは考えにくい。

「ガセではないか」
「かもしれん。いずれにせよ多くの暗殺計画の一つに過ぎない」

 チュバクのキリメは弥生ちゃんから特別に注意すべき点を示唆される。
 その一つに、今話題に出た堰堤もあった。

「これはガモウヤヨイチャン様、またキルストル姫アィイーガ様より示唆されたものだが、
 デュータム点は古くにギィール神族に築かれ、今もその設備をそのままに使っている。
 神族が建築物に必ず仕込む自壊装置を使っての破壊を警戒すべきだろう」
「自壊装置か……。
 我らではどんな仕組みになっているか分からないからな」

「堰堤の図面は無いか、俺が自分で確かめてくる」
「ああ。だが衛視局が既に警備を強めているぞ。
 此処はよいのではないか」

 

 ギジジットでの激闘で都市インフラが大爆発。各所で崩壊し、
弥生ちゃんも直々に足を運んで被害状況を確かめた。
 その際に、ギィール神族の建築には必ず自壊装置が仕組まれると知る。
 これにより建築物構造物は極めて堅牢なものとなる。

 つまり、作動スイッチ以外の要素で機能が発現してはならない。
 経年劣化の損傷もある程度許容して、安定して機能せねばならない。
 要求を満たすため施工も丁寧に精密でなければならず、故に安全性も高く保たれる。

 神聖金雷蜒王国の時代より、建築を専らとする神族は工夫に知恵を凝らす。
 単純な分解では飽き足らず、派手に人目を惹くものを欲する。
 幾重にも連動して機能したり、周辺を巻き込み被害を甚大にしたり、
様々に考案された。

 ではデュータム点のような巨大都市を支える水源のダムに仕掛けられるのは、
どのようなギミックであろう。

 

 キリメは「ジー・ッカ」の若い者を2人連れて山に登る。
 デュータム点の水源となる堰堤は結構遠い。
 ここで破壊活動を行っても、都市にまで影響を及ぼすとは考えにくいが一応。

 ネコが居た。

 石造りの巨大な建造物を眺めている。
 視線の先には、褐甲角王国の兵士が何人も点検する姿が見える。
 情報の通りに、毒を流す破壊活動を警戒しているのだろう。

「問題は無さそうだな」

 とは思うが、ギィール神族の建築物に秘められた知恵を読み解く学識は無い。
 衛視局とて同じようで、学匠を伴っていた。

 学匠は、ギィール神族の科学技術を我が物として工業的にも独立するべく、
褐甲角王国が育成する学者、技術者だ。
 しかし神族が隠す宇宙の法則を、業の外見から分析するのは困難。
 未だ追いつく気配が見えない。

 遠目で見るに、学匠は中年男性。
 かなりの高位の者で、古代建築物に対して十分な知識を持つようだ。

 キリメは尋ねる。

「あの学匠が誰か知らないか」

 さすがに「ジー・ッカ」であってもデュータム点の人間すべてを知らない。

「コリス塔のインテクノというひとだ。えらい学匠だ」

 いきなりネコが答えてびっくりする。
 だが当たり前の事だ。

「チュバクのキリメ、おまえも来たか。ガモウヤヨイチャンに頼まれて見張ってる」
「おお! ネコも遣わされていたか」
「ネコが見ても何をしているのかわからない。でもわかることは有る。
 あの学匠は面白い事をする。自分で掃除する」

「掃除?」
「なにか積石が込み入ったところを、自分で触って草を取ってる。
えらい人は自分ではしないことだ」

 確かにおかしい。
 位の高い者が自ら手を出して作業をするものではない。
 人を使ってやらせるのが作法というものだ。

 だが学匠は現場から学び知識を積み上げていく。
 不審というほどではないだろう。

 若い工作員に命じる。

「街に戻って、あの学匠の素性を探ってくれ」
「はい」

 

     ***** 

 見張りを一人残して、堰堤の山から戻る。
 数キロも続く水路に沿っての移動だ。

 高低差や谷間もある道を、見事に水が流れていく。
 どういう仕組みか分からないが、揚水施設が何箇所も設置される。
 もちろんその全てを褐甲角軍の兵士が警備していた。

「毒の線は忘れてよいだろう」

 学匠についても、すぐに情報が上がってきた。

「どうやら人喰い教団が毒を流す計画は、学匠の一人によって訴えられたようです。
 協力せねば家族を殺すと脅されやむを得ず従ったものの、トカゲ神救世主の到来が近付くにつれて恐ろしくなり、
 自ら出頭したそうです」
「なるほど。だから学匠の上司が自ら乗り出したか」

 何もおかしな所は無い。
 にも関わらず、キリメの勘に触る。

「コリス塔のインテクノという人物は、」
「コリス塔は建築関係の学匠が集う研究所で、そこの所長代理を務めるのがインテクノ・レンカです。
 年齢は39才。
 水路関係の技術に特化した学匠で、デュータム点でも指折りだそうです。

 独身ではありますが両親と同居し、子どもが4人居ます。
 妹夫婦が流行り病で亡くなったので引き取っています」

「本当に不審な点が無いな」
「はい。およそ破壊活動になど関わらない常識人と見えます」

 

 遠くの堰堤が壊れても、被害は近辺のみに留まる。
 もちろん水源が破壊されれば大被害で何ヶ月何年も影響が及ぶが、
直接の暗殺には繋がらない。

 除外しても良いと考える。

「デュータム点にはギィール神族が残した遺構が幾つもある。
そのすべてに自壊装置があるとしたら、調べるのはコトだな」

 思い出す。
 ギジジットでは神聖宮での神同士の激闘で、地下水道が繋がるすべての施設で被害が出た。

「連動型、か」

 

 

 明日はトカゲ神救世主さまがデュータム点に入城すると大騒ぎの夜。

 堰堤の山を登る影がある。
 白い月は半分欠け、龕灯で足元を照らしながら慎重に進む。
 管理の小屋の前で兵士に止められた。

 人喰い教団が毒を流す噂は市中にかなり広まって、話題になっていた。
 既に計画は頓挫したと思われるが、真似する者は居るかもしれない。
 厳重に警備されている。

「これは! インテクノ博士ではありませんか。
 どうしてこんな夜分に、」
「いや救世主様の御入城が近付くにつれて、居ても立ってもいられなくて、
 もし万が一と考えるとどうしても自分の眼で安全を確かめたいと思いました」
「そうでしたか。こちらへどうぞ」

 「博士」とは、学者の中でも一流を認められた者の尊称。
 インテクノも十分その名に値する業績を上げてきた。

 警備責任者の小剣令も、ご奇特なことでと室内に迎え入れる。

「もちろん不審な者は見当たりません。
 今回は大丈夫だと思いますが、既に夜も更けました。
 こちらでお泊りください」
「ありがとうございます。
 ガモウヤヨイチャン様は昼天時(正午)に御入城になられる予定とか。
 それまでは見守らせていただきます」

 言うとインテクノは担いできた荷物を開き、革袋に詰めた幾つかの工具を取り出す。

「無駄かもしれませんが、少々点検させていただきます」

 

     ***** 

 兵士の案内でインテクノは堰堤を構成する石組みの最上部に登る。
 石橋のように作られ点検もし易い。

 神聖金雷蜒王国のギィール神族が手掛けたもので、千二百年を経てもなお壮麗優美を留めている。

「気をつけてください。暗いからあまり無理をなさらぬように」
「ああ」

 龕灯の光で足元を照らす。
 この直下が要石。堰堤の石積みの力が集約される最重要の急所。
 敷石に覆われて保護される。

 インテクノは兵士に見られぬよう龕灯をすっと持ち上げる。
 陰になる顔で、ほくそ笑む。

 すべてが我が掌中に。

 

 まだ十代の半ばでコリス塔の徒弟に採用されたばかりの頃、
徒弟全員がこの大堰堤に見学に連れて来られた。
 一般では入れない石組みの主要部まで案内され、見上げた時に背筋を電撃のような直感が走り抜けた。

 これが「技術」か。
 自分が到達すべき終着点か。

 以来必死になって勉強した。
 誰よりも熱中して学び、誰よりも早くに徒弟を脱し学匠見習いに昇進する。
 ギィ聖符で書かれた技術書を読み、神族の知恵に触れてますます渇望する。

 コリス塔でも難関の水路研究に配属されたが、失望する事が多かった。
 心踊る複雑な機構部は、常人が触ると故障すると眺めるだけ。
 せいぜいが老朽化した配水路を補修するだけの仕事。

 基本原理が分かっていないのだ。
 どんな理屈でこの構造を必要とするのか、洗練され飛躍する神族の思考に追いつかない。
 千二百年も昔のものなのに。

 

 インテクノは禁忌を冒す。
 古代からの智慧を集積する人喰い教団の地下図書館に、建築資料が眠っている。
 これを得る為には自らも教団に入らねば。

 幸いにして彼は、人喰い教団からも才能と資質を認められる。
 極秘研究の資料を流す事で、欲するものを手に入れた。

 大堰堤の内部構造図だ。
 建設時のもので、コリス塔では把握していない機能が幾つも見つかる。

 自壊装置も発見した。
 複数の自壊装置を連続的に作動させ、力を増幅し拡大する。
 目的は、デュータム点全市の崩壊。
 水の力を利用して、地下水道に圧力を溜め、地上に破壊芸術を現出する。

 市内8ヶ所の給水塔から1トンもある大石を1千歩(700メートル)も投射した。
 その着弾点は、

 

 現在の都市図と重ね合わせて、大笑した。
 かっては何も無い広場に、今はトカゲ神殿が建っている。
 まるで狙ってくれと言わんばかりに。

 そしてガモウヤヨイチャン降臨の噂を聞く。
 デュータム点を訪れれば、間違いなくトカゲ神殿に立ち寄るだろう。

 インテクノは自らが天河に選ばれたと知った。
 天命が彼に授けられた。

 デュータム点を破壊する仕掛けは唯一人、自分しか把握していない。
 自分以外に、救世主を殺す事が出来る者は居ない……。

 

     ***** 

 小屋に戻ってきたインテクノは、人数が集まっているのを見る。
 なにやら兵士達の空気が違い、緊張が見られた。
 王国に仕える者であればよく知る、貴人を前にした時の反応だ。

 何事かと眼を凝らすと、篝火に照らされる賜軍衣の人が居た。
 これは神兵および聖戴経験者のみに許される衣装だ。
 おそらくは衛視局の法衛視だ。

 だが焔に煌めく黄金を感じる。
 甲冑に黄金を用いて許されるのは、褐甲角王国においては金翅幹元老員、もしくは王族だ。
 ひょっとしてメグリアル王太子が視察に来たのか。
 こんな夜更けに。

 そして事態を認識する。
 黄金の甲冑を纏う人は、常人よりも遥かに背が高い。
 ギィール神族がこのような山中に姿を見せるとは。
 兵士達が緊張するのも無理は無い。

 インテクノは早足で近付いて行く。

 礼を失してはならない。神族は何をするかまったく分からない。
 気軽に人を殺しても外交使であれば褐甲角王国では罪に問えないのだ。

 黒い山狗の面を被る男も2名、従っていた。
 間違いなく神族の、それも女人のようだ。

 とりあえず地に跪き頭を下げる。
 自分が彼女の前で面を上げてよいか、それすらまだ分からない。

 心地の良い女性の声が、巻き上がる火の粉と共に降り注ぐ。
 褐甲角王国の者が分かるように、「ギィ聖音」ではない普通の言葉だ。

「ご苦労であるな。だが堰堤の自壊装置は動かんぞ。
 これは旧いものだから阻害排除の概念を導入しておらん。
 留め石を突っ込んでおいた」

 何を言っているのか、他の者には分からなかっただろう。
 インテクノのみが理解する。

 この神族の女人は、わずかの観察で自壊装置の仕組みを見抜き、
発動を防止する措置を施したのだ。
 つまりは、

自分の意図を知っている。

「な     、……、な、何のことでございましょうか」

 これはカブトムシの聖蟲を戴く法衛視が答えた。

「学匠インテクノ、
 汝が大堰堤のどこを点検し何を確かめたかは、見張りの者がしっかりと記録している。
 自壊装置の発動を企んでいたのは明白。
 取り調べを行う故、神妙に縛に付け」

「わた、くしが何をしようというのでしょう」
「明日入城を果たされる青晶蜥神救世主「ガモウヤヨイチャン」様に対する暗殺を企んだ罪、逃れられぬぞ」

 完全にバレてしまった。
 だが何故。自分はどこで誤った。

 神族の女人が再び声を与える。
 罪有る下民には過ぎた名誉だ。
 神族の眼には学匠といえども単なる奴隷としか見えない。

「人喰い共の陰謀を自訴して参った手下の学匠は、堰堤の操作をおまえが好きに行う為の目くらましであろう。
 案の定、衛視局はおまえを呼び出して点検を命じた。
 救世主入城の当日にこの場所に居ても、誰も怪しまぬ」

「わ、わたくしは、そのような大それた、」

 

「あーもういいよ、私に代わってアィイーガ」

 もう一人、女性の声がする。
 今度は若く高い声。おそらくは少女であろう。

 その人が前に出るのを、インテクノはわずかに顔を上げて見る。
 篝火の赤に照らされて衣服の色はよく分からない。
 だがまだ幼い黒髪の額の上に輝く色は、青。
 青い光を発する聖蟲を戴いている。

 そんなバカな、そんなバカな話があるものか。
 この人は、この、こんな場所に居てはいけないはずのヒトは、

 

     ***** 

 褐甲角軍の一般兵士が跪き頭を垂れる。
 千年に一度の救世主は、まさに武徳王陛下に匹敵する尊い御方。
 幾ら礼を捧げても過ぎることは無い。

 お供に白い大きなネコが足元に絡みつく。
 またインテクノの背後に黒い影が近付き、控える。

 最初から自分は、救世主の隠密に監視されていたのだ。

「トカゲ神救世主蒲生弥生です。こんばんわ。
 ひとつだけ聞かせて欲しい事がある。
 何故?

 これほどの破壊装置を自分の意思で操れると知れば、そりゃあどかんとやってみたいでしょう。
 でも動機としては不十分。

 私を殺さねばならないと思う、その理由が知りたい」

 ドクドクと心臓が激しく拍つ音を聞く。
 これほどの恐怖に包まれたことは、生まれてこの方無い。

 自分は死ぬ、それ以外に無い。
 もはや弁解の余地は無く、逃れる術も見当たらない。
 取引を持ちかける保険も用意してないし、そもそもが自分は、
なんでこんなことしてるのだろう。

 インテクノは顔を上げる。
 礼儀も何も、もう必要ない。
 ただ言いたいことを言うだけの、それがわずかに許された生きる時間。

「あ、あなたは、
 あなたは、真実の救世主ではない」

「ほお。」

 褐甲角王国に属する人は、全員が凍りつく。
 これほどの無礼があるものか。

 ガモウヤヨイチャンほど救世主にふさわしい人は居ないと、今や誰もが認識する。
 手法に賛否はあろうとも、味方になるも敵となろうとも、
紛うことなき青晶蜥神の選びし救世の使徒と納得する。

 インテクノは許されぬ言葉を次々に発する。

「わ、わたくしは幾らかは歴史を学びました。
 そして救世主とは、世の混乱と戦火の中より現れ、力で世界を救済し、約束された未来へ導く人と知ります。

 今方台は不本意ながらも安定した状態にあり、滅びになど瀕しては居ません。
 またあなたは、金雷蜒王国褐甲角王国どちらも滅ぼそうとは思わない。
 戦を避け、病人たちと戯れ、責務から逃れようとしています。

 なぜ剣を手にしながら戦を望みませんか。
 旧き王国を滅ぼさぬ限り平安は訪れません。
 間違った、不十分な救済により世界は延々と混乱し続ける。
 人がいつまでも理不尽に死んでいく。

 また千年を繰り返すのですか!」

 

 弥生ちゃんは、そしてアィイーガも、
額にカブトムシを戴く武人を見る。

 この学匠の訴えは、むしろ褐甲角王国に対する痛烈な批判だ。
 神より無敵の肉体を与えられ、千年の猶予がありながら方台統一を成し遂げられなかった。
 学匠自らが属する王国への断罪だ。

 神兵達こそが骨身に沁みて理解する。
 次なる救世主が現れる前に、究極の救済を実現する。
 叶わなかった場合、自分達は一体何をしてきたのだろう。

 ソグヴィタル王 範ヒィキタイタンが「大侵攻計画」を唱えねばならなかった悔恨だ。

 

 これ以上褐甲角王国への批難を続けさせるのも可哀想。
 弥生ちゃんは法衛視に尋ねる。

「この後この人は、死刑になります?」
「あ、ああはい。
 衛視局に連行した後は取り調べを行い背後関係を洗い出し、
 罪は既に確定しておりますから死刑は免れません。
 ただ公開の処刑は無いでしょう」

「この人の家族はどうなります」
「褐甲角王国においては、今回の件は王族に対する叛逆罪に相当します。
 家族全員が処刑されても致し方ありませんが、おそらくは加担していないでしょう。
 財産没収の上で追放。その程度の軽い罰となるでしょう」

 

 弥生ちゃんは知っている。チュバクのキリメから報告を受けた。
 学匠インテクノ・レンカには、年老いた両親と妹が遺した4人の幼い子が居る。
 一家の大黒柱を失い市を追放されて、どうやって生きていけるだろう。

 彼の後ろに声を投げる。

「青晶蜥神救世主蒲生弥生が命じます。
 この者を成敗せよ!」

 

     ***** 

 インテクノの背後に控えていた暗殺者チュバクのキリメは迅速に動く。
 裁定は下った。

 黒塗りの刃を抜いて音もなく忍び寄り、
まだ地に跪いたままの学匠の髪を掴み、喉を切り裂く。
 声も無く絶命した。

 刃を背に隠して、貴人に向いたまま後ろに下がる。

 

 驚いたのは法衛視だ。
 いきなりの、それも無慈悲な処刑に面食らう。
 未遂であり被害者もなく、しかも抵抗を見せない。粗暴な凶悪犯でもない。
 それ以上に取り調べも無く、犯行に関連する情報も聞き出していない。
 なんと短兵急な。

「こ、とか、青晶蜥神救世主様、この仕儀はさすがに、」
「学匠インテクノ・レンカは、大堰堤の警備中に人喰い教徒の襲撃を防ごうとして、凶刃に倒れました。

 これで公式の記録としてください」

 しばらくの呼吸の後に、法衛視は状況を了承する。

 インテクノの名誉は保たれ、家族が罪に連座する事も無く、
デュータム点を預かる衛視局の面子も損なわれない。
 誰一人として損の無い、適切な処置だ。

「しかし背後関係は、」
「動機が分かれば十分。またお仲間が殺しに来ます、その時聞けばいい」

 背の高いアィイーガの顔を仰ぐ。
 やっぱり「甘いな」と表情が告げている。
 これを褐甲角王国への貸しにすればよかったのに。

 弥生ちゃんは嘆息した。

「人を皆殺しにしないから救世主失格だなんて、初めて言われたよ」

「いやむしろ、その方が多いぞ。
 お前の元に仕官を求めてやって来る輩は、おおむねそう考える。
 ゲジゲジカブトムシの神族神兵尽くを殺し両王国を滅ぼし、新たなるトカゲ王国を樹立する。
 建国の功臣としてトカゲの聖蟲を頂き、トカゲ神族になろうとな。

 だのに救世主本人が戦を拒むなど、背信と見做すだろう」
「そういうものかなー」

 

 用は済んだと山を降りていく弥生ちゃんとアィイーガ。
 護衛に神官戦士達がおよそ30名も従っている。
 チュバクのキリメも行列の後尾に付いた。

 あっけに取られる褐甲角軍の兵士は、やがて残された遺体の片付けを始めた。

 

     ***** 

「昔読んだ神聖金雷蜒王国の観光案内に、「デュータム点では滅びの時に巨石が宙を弧を描いて飛ぶ」という記述があった。
 「石噴水」という。
 市全体がありとあらゆる仕組みで大掛かりに崩壊するように出来ていて、
 子ども心に面白いなと覚えていたな」

 葉片に綴られる文書は保ってせいぜい百年。
 劣化して読めなくなる前に、蜘蛛神殿で写本を作り伝えていく。
 それでも多くの文書に埋もれて、よほどの名著でなければ失われた。

 大山羊の革を薄く伸ばした羊皮紙も、山蛾の絹布にも記されるがいずれも長持ちしない。
 石に刻んだとしても、掘り起こされて積石に再利用されてしまう。

 そこでギィール神族は自らの陵墓の壁画に、好みの本の内容をびっちりと記す。
 自らの事績などを書き連ねるよりよほど有益と考える。

 神族達は時折思いついたかに古人の墓を暴き、略奪をする。
 だが金銀財宝などに用は無い。そんなものは自分で幾らでも作れる。
 壁面に記される古の本を今の世に復刻するのだ。

 

 後に調べて判明したことだが、
学匠インテクノは「石噴水」の機構を実現する為に、市内の給水塔を古代のまま見事に復元していた。
 高圧に耐えられなくなった老朽水路を現代風に新しく作り直すなど、
大いに働いていた。

 彼は喪われたが、その遺産は後の世まで伝わっていく。
 生の最期に理解者を得られたのだ。
 もって瞑すべし。悔いはなかろう。

 

 

 青晶蜥神救世主蒲生弥生ちゃんがデュータム点に入城する朝。

 「剣の巫女」ッイルベスは大門の前で真実の救世主を出迎える。
 神剣を飾り輿で押し立て、行列を先導して大路を練り歩く予定だ。

 ッイルベス警護の責任者はアルヘンブ弟に任された。
 弟はすこし怯む。

「兄者、ほんとうに我に任せてくれるのか。
 やはり兄者こそがふさわしくないか」
「行って来い。今生一度の晴れ舞台だ。
 東金雷蜒王国の神官戦士として、デュータム点の連中に威厳を見せつけろ」

 十二神殿に関わる者であれば、
神官巫女神官戦士、その他様々な職種で奉仕する者は、
千年の救世主の晴れ舞台をその眼に刻もうと願っている。

 

 街は至る所で音楽が鳴り響き、誰も彼もが浮き立った。
 晴れ着に身を飾り、花を供え、富者は酒肴を庶人に振る舞う。
 一年のお祭りがいっぺんに催される賑わいだ。

 ッイルベスの治癒場も、今は病人も付添いも誰も居ない。
 大門へ、また大路の左右で今や遅しと待っている。

 もちろん暗殺者犯罪者破壊主義者も人混みに紛れて機会を覗うだろう。
 彼らを追う密偵も、警備の兵も。

 誰もが真剣に時代に向き合おうとする。

 

 ガランと風が吹き抜ける治癒場に、アルヘンプ兄は一人立つ。
 少数の者が裏方に留まった。

 彼らの出番はこの後だ。
 今はそれぞれの務めを果たし、時を待つ。

 

     〜 END〜

 

【神官戦士と学識】
 神官戦士とは、特定の神殿に属するのではなく十二神殿全てを守る警備員だ。
 兵とは異なり集団戦闘を本分とせず、個々人の武勇にて事を収める。
 また神殿の使いを務め、庶人の間の揉め事の仲裁なども行う。

 

 神官と神官戦士の最大の違いは、ギィ聖符が読めるか否かだ。

 そもそも十二神信仰は教典を必要としなかった。
 十二神殿組織は初代紅曙蛸女王「ッタ・コップ」によって定められた。
 民衆への奉仕を目的とし、信仰の教化などは必要無い。
 ひたすら紅曙蛸女王の命に従うのみだ。

 紅曙蛸女王五代テュラクラフが地に隠れ王国が崩壊した後、
「小王」と生き残りの「番頭階級」が方台を割拠する。
 支配の基盤となったのが、「火焔教」を始めとする新興宗教の勃興だ。
 新宗教は紅曙蛸女王という絶対者を欠く。
 自らの神聖をどこに求めるか苦慮し、文字のチカラを以て存在を飾ろうとした。

 これらは現在「偽典」と呼ばれる。
 表音文字「テュクラ符」で記されるのだが、他者が読めない暗号や符丁を用いて、
より神秘性を高め支配力の強化を行う。

 十二神殿組織も対抗上教典を作らざるを得なくなった。
 歴代紅曙蛸女王の言行や命令を編集したもので、こちらは平易なテュクラ符で書かれる。
 これが十二神信仰「初期教典」だ。

 

 創始歴3000年代に突入してますます盛んとなる新宗教。
 だが金雷蜒神救世主ビョンガ翁とその息子達により、各地の小王は次々に討滅され、
新たなる聖戴者「ギィール神族」による統一王国が成立する。

 新宗教も尽くが滅ぼされ、「神聖」の名は神族の長である「神聖王」のみが冠した。
 この時唯一「十二神殿」のみが民衆に奉仕する宗教として許される。

 神族は、自らが用いる科学技術を厳密に錯誤なく記述する新たな文字体系「ギィ聖符」を発明した。
 十二神殿初期経典も「ギィ聖符」に書き改められる。

 十二神殿組織は本拠地を旧紅曙蛸王国の王都「テュクルタンバ」に設けていたが、
支配の都合上追放され、北方山脈の高地に移す。
 外界から隔離される僻地で、十二神殿の神官達は改めての理念の追求を始めた。
 神秘思想も発達してギィール神族をも惹きつけるものとなる。

 やがて神聖王も一定の権威を認めざるを得なくなり、「神聖」の名を冠する許可を与えた。
「神聖神殿都市」と称される事となり、北方山脈も「聖山山脈」と呼ばれた。

 

 こうして生まれる「ギィ聖符」の経典は、一般人の理解出来る平易なものではない。
 一方原始的な初期経典はテュクラ符で記されており、内容も単純。
 単純ゆえに分かりやすく、強く訴えかけるものとなった。

 神官戦士は武芸を主とするが、テュクラ符の経典を念入りに読み理解する。
 神官に比べて学識には劣るかもしれないが、
紅曙蛸王国時代の信仰はむしろ自分達により実現されていると自負する。

 書を読む神官戦士は実用にも重きを置き、民衆の役に立つ知識を積極的に学習する。
 地域指導者として手腕を発揮する者も少なからず輩出した。
 その最たる者が、褐甲角神救世主初代武徳王「クワァンヴィタル・イムレイル」だ。

 

 なおギィール神族により滅ぼされた新宗教は地下への潜伏を余儀なくされた。
 小王時代に最も栄えた『火焔教』を中心に再編され、
支配力の源泉であった文字・知識を核として命脈を保つ。
 「偽典」も多くが焚書されたが、彼らによって隠匿される。
 宗教のみならず科学技術や哲学などの多様な知識も蓄えられ、巨大な図書館を形成するまでになった。

 ギィール神族は一般人に対しては、天界より示される知識の開示を行わない。
 禁じられた叡智を求める賢人や学者は自然と地下図書館に興味を示し、
教団に帰依する事で閲覧の許可を得た。
 秘密を守る為に信徒は残虐な儀式への参加を強制され、やがて「人喰い教徒」と世間では噂されるものとなる。

 

 

 Episode 6前編『青晶蜥神救世主の不在』

 

第六・五章 アィイーガ、神々の碁盤    2020/12/15

 キルストル姫アィイーガは、若干迷っていた。
 弥生ちゃんの事績を記録する役目のカタツムリ巫女ファンファメラに尋ねる。

「どうすれば世人の期待を一番裏切れる? それも最悪の形で」

 尋常の神官巫女であれば、このような質問当惑するばかりだろう。
 だが彼女は、

「そうですねえ、もちろん金雷蜒王国なり褐甲角王国に隷従なさるのが一番がっかりしましょうが、
 あまり独創的ではありません。
 もっと面白く予想外の展開を期待するとなれば、  テュラクラフ女王様でございましょうか。
 ガモウヤヨイチャンさまに代わって古代の女王が何故か方台の主となる」

「悪くない」
「恐縮です」

 こういう冷めた台詞が、この女の見所だ。
 カタツムリ巫女としては規格外れの薄い胸にふさわしく、歪んでいる。
 世をひねくれて見るタチだ。
 ギィール神族の狷介さに付き合う、なかなか得難い人材である。

 一般常識に従えば、人はアィイーガに、
トカゲ王国の組織作りと人材選びで確とした準備を整え、
方台に戻ってきた弥生ちゃんにそっくり引き渡すのを望むだろう。

 だが独立心の強いギィール神族が人の期待に従う筈も無い。
 弥生ちゃんもそんなもの欲しくない。

 

「テュラクラフ女王か……。そもそもなんで今の世に蘇った。
 天河はいかなる意図でこんな奇跡を必要とした?」

 少し理解できるのは、”女王”である点。
 トカゲ神救世主が星の世界からきた”女”であるのを、方台の人間に納得させる方便だ。
 誰もが故事を思い出す。女性だからと能力を疑わない。
 それだけか?

 分からなければ訊いてみれば良いのだ。
 女王本人はデュータム点に留まって、褐甲角王国の高官達を煙に巻いている。

「誰か!」

 呼び出しに応じてゲジゲジ神官ジャガジァーハン・ジャバラハンが平伏する。

 神殿都市「ウラタンギジト」においては、神祭王ギィール神族との調整で大活躍、
東金雷蜒王国神聖王「ゲバチューラウ」の褐甲角王国入りを演出する大任を全うした彼も、
青晶蜥王国建国の気運高まる中、無聊をかこつ身となった。

 アィイーガが実権を掌握して、にわかにギジジット神官勢が息を吹き返す。

「暇だろ」
「最近は再び御役を頂きまして、有り難い事でございます」
「デュータム点に行く。テュラクラフ女王との会談を褐甲角王国の当局者と折衝してまいれ」
「五代様と、でございますか?」

 デュータム点との折衝は既に行っている。
 毒地近くの平原に大人数を野営させるのも大変だから、
デュータム点近郊に「トカゲ王」の仮王宮を開き、参拝する者、治癒を求める多くの病人を受け入れようと考えた。

 アィイーガ本人は毒地の草原に留まる。
 神族の来訪者は引きも切らず、当然ゲイルに乗ってくる。
 褐甲角の神兵が警護するがしばしば衝突寸前に陥って、毎回楽しく過ごしていた。

「おそれながら、ガモウヤヨイチャン様のお指図によりますと、五代様とはお会いになるべきではないと」
「だから行く。誰が咎めだてしようか」
「ははあ」

 神族がこうと決めたものを只の人が覆せるものではない。
 だがギィール神族は無謀とも無縁の存在だ。

「では五代様に対して何らかの優位に立てる算がございますか」
「あれが四代ならもっと面白かったのだがな」
「兵は用意いたしますか」
「無用」

 紅曙蛸巫女王四代ッタ・パッチャは、今も庶民の間で遊ばれている双六『ダル・ダル』を考案したと伝えられる。
 「ゲームの達人」として歴史に名を馳せる。

 

     ***** 

 デュータム点の衛視局は、青晶蜥神救世主代行キルストル姫アィイーガの申し入れに当惑した。

 紅曙蛸巫女王五代テュラクラフ・ッタ・アクシとの面会は、
会う人を虜にし廃人に変えると、知れ渡っているからだ。
 さすがに聖戴者にはまだ犠牲は出ていない。
 それでも事情聴取に当たった法衛視が何人も、深刻な精神障害に見舞われている。

 今やテュラクラフ担当に落ち着いた「銀椿」シメジー銀ラトゥースが対応する。

「神族の方に対してご無礼に当たるでしょうが、五代様に対していかなる御用向きか、お教え願えませんか」
「御機嫌伺いだ」
「  ……、本心でございますか?」

 アィイーガ、常とは違う装束でこの場に臨んでいる。
 金銀の甲冑ではなく、様々な色に飾られる山蛾の絹の豪奢な服。
 神聖王より許される”妃縁”の身分の装束だ。王姉妹と同格である。

 実際彼女はギジジットにて金雷蜒神と交信し、並の神族を越える立場を認められる。

 ただし、彼女の狗番ファイガルとガシュムは「蛤様」と称される狗番専用の重厚な鎧を纏っている。
 彼らが携えるのはガモウヤヨイチャンが神威を与えた神剣神刀だ。
 褐甲角王国も取り上げる権限を持たない。

 フフ、とアィイーガは小さく笑う。

「この剣の神威は、邪悪の波動から心魂を護る作用もある。
 噂に聞くテュラクラフ女王の誘惑にも効果はあるだろう」

 

 「救世主神殿」
 本来はデュータム点のトカゲ神殿で、今は青晶蜥神救世主の王宮として改装が進んでいる。

 中心部の拝殿は「石の玉座」と呼ばれる巨大な岩壁(の模造品)に作り変えられていた。
 弥生ちゃん本人の設計によるもので、宗教的に極めて重要な施設であると諭される。

 これが現在、古代の女王に奪われていた。

 紅曙蛸王国の宮城「テュクルタンバ」には、玉座こそ無いが巨大な磐の舞台があった。
 女王は磐の上で多数の巫女と共に過ごし、政務を行い占いをし、神に舞を捧げたという。
 「岩壁」は似ているのだろう。

「眠っているのか」

 銀ラトゥースの案内で「玉座の間」に踏み込んだアィイーガは、額のゲジゲジの眼で観察する。

 本来は青晶蜥神「チューラウ」に祈りを捧げる場所であり、百人以上が拝礼できる大きな空間だ。

 正面の岩壁と、手前の広間との間に一直線に溝が掘られている。
 俗人と神聖な救世主とを隔てる境として理解される。神話的結界だ。
 いずれ政治的意味も持つはずの仕掛けだが、

今は多数の人が艶かしく蠢く妖しい暗がりに堕していた。

 神官巫女、兵・戦士、官吏、民人、男と女。
 いずれも正気を失い、酒に酔ったかにまなざしも虚ろに、ほぼ裸で力なく横たわる。
 身を冷たい床に寝そべらせる。
 いや、生温い。空気が熱を帯びて漂う。

 部屋全体に木の根が這うように、縦横に細長い棒が走っている。
 赤白茶色、薄桃色。様々な色に移りゆく。
 白くて丸いあばたがびっしりと並び、呼吸するかに収縮を繰り返す。

 狗番ファイガルは気付いた。主に警告する。

「これは、巨大なタコの吸盤、足ではありませんか?」
「分かるか。全部生きているぞ」

「テュラクラフ様が南海からデュータムまで乗って来られた巨大なタコが、
 救世主神殿の下に潜り、地上に足を伸ばしています」

 銀ラトゥースが説明する。
 巨大タコは胴体が直径30メートルを越える扁平な球体で、足の長さも百メートル。
 尋常のタコであれば足は8本であろうが、先端が枝分かれして無数に伸びていると。

「つまり、ギジジットの巨大金雷蜒神と同じく、紅曙蛸神「テューク」の地上の顕身であるのか」
「はい」

 そうではない、とアィイーガは思う。
 額のゲジゲジを用いて神との交信を行った自分だ。
 正真の神とその眷属の違いを間違えるはずがない。

 これは神に属するものだが本体ではない、使役されるものだ。
 むしろ巨蟲ゲイルに相当するだろう。

 

     ***** 

 溝を埋める人を踏んで、アィイーガは岩壁のある舞台に渡る。
 巨人の神族であれば一跨ぎできる幅であるが、使えるものを躊躇しない。
 ファイガル、ガシュムと神兵銀ラトゥースは跳んだ。

 玉座の辺りには一際太いタコの足が1本渡り、大枕のように女王を包み込んでいる。
 侍るのはタコ巫女ばかりだが、いずれも眼に光が無く屍人のように虚ろな表情。
 それでも聖戴者に対して礼を取る分別は忘れていなかった。

 タコ足にもたれて眠る古の女王テュラクラフは、来訪者に反応を見せない。
 だが彼女の額の小さな白いタコはアィイーガのゲジゲジに向き直り、細い白い足をうにょうにょと伸ばす。
 黄金のゲジゲジも、ぴりぴりと小さな稲妻を纏った。

「なるほど」

 小タコは聖蟲ではない、とアィイーガは見切った。
 これが神だ。「テューク」の地上の顕身は最初から人々の前に姿を見せていた。

 銀ラトゥースに伝える。

「タコ女王が不思議を恣とするはずだ。
 女王は傀儡。神そのものが女を操り、「国」という新たな枠組みを指導した」

「では、タコ神の聖蟲は無いと」
「南海で興った「新生紅曙蛸王国」の若き王女の額に居るのは、たぶん聖蟲であろう。
 古の王国とはまるで異なるものと理解されよ」

 

「”知ったようなことを言う。まるで妾が無力の阿呆に聞こえるではないか”」

 「ギィ聖音」で女の声が苦情を言う。
 ギィ聖符・聖音は女王の時代には無かった言葉だが、驚くに値しない。
 地上のあらゆる出来事を知ると恐れられたのが、タコ女王だ。

 自らについて語る声に、テュラクラフ女王は目を覚ました。
 銀ラトゥースが謝罪する。こちらは普通の今の言葉だ。

「お休みのところ申し訳ありません。こちらのギィール神族、」
「アィイーガ。「ギジジット」にてゲジゲジの神と交わりその意を受けた女。聖蟲を戴く。
 今はガモウヤヨイの不在を引き受け、悩める民人を導くと称し、
 その実破滅へと駆り立てる算段を巡らせている」

 さすがにすべてご存知か。
 人を誑し呆けさせるのにも理由がある。
 情報を知識を、人格全てを吸い取られた抜け殻なのだ。

「我が名はキルストル姫アィイーガ。それなりに位や身分は持つが、古の女王には意味が無かろう。
 汝に問うべきことがある。何故今の世に蘇った。
 答えられよ」
「愚かな問いじゃ。人が世に生まれ落ちるのに理由など必要か」

 アィイーガは頬を歪めて笑う。想像通り過ぎる答えだ。

 

 「玉座の間」の扉口で待機するゲジゲジ神官に合図する。
 彼はアィイーガにとある品を託され、持ち込んでいた。
 小者と共に広間に突入する。

 境目の溝で、ファイガルが受け取る。
 現世と神域を分けるこの溝は、なるほど便利なものであろう。
 これより先は選ばれた者のみの領域。卑賤の者は逃げてよい。

 紫の包みを開くと、小さな木の卓が現れた。
 正方形の天板が非常に分厚く、低い脚が4つ隅にある。
 ウラタンギジトの職人に特注した、方台に二つと無い品だ。

「これは「GO」という星の世界の遊戯だ。二人向かい合って行う」
「ほお……」

 テュラクラフも興味を惹かれる。身を乗り出した。

「19の正方マス目の上に白と黒の石を交互に置いていき、石で囲む領域の広さを競うものだ。
 相手に囲まれたら自分の石は取られる」
「アィイーガは上手であるか?」

 ふ、と唇は笑い、眉はしかめる。
 弥生ちゃんに何度叩きのめされ涙を呑んだか。

「ウラタンギジトの神族の内では、私が最強だ」
「これを妾に強いて、何の得がある」
「この遊戯、盤面上千変万化して天地自然森羅万象を描き出すと言われる。
 女王が何を求めるか、如実に現れよう」

「不思議の品とは思えぬが、人の身で神に挑むか」
「いや、今回ゲジゲジにも手伝ってもらう。
 そちらのすべてを剥ぎ取る為、使えるものは何でも使うぞ。
 女王も神智を用いるがよい」

 おもしろい! とテュラクラフは立ち上がる。
 大タコの足から離れ、アィイーガの前に進み出る。

 背は低い。弥生ちゃんほどではないが、並の女人と変わらぬ。
 アィイーガはタコの神を見下ろす形となった。

 

     *****

 碁盤を挟んで二人の女はあぐらをかいて座る。
 女王は岩壁の玉座を背に、神姫は人界を隔てる溝を背に。

「酒は飲んでよいか」
「ご自由に。私はやらぬ」
「ただ遊ぶだけでは面白くない。なにか賭けようぞ」
「賭ける?」

 十二神方台系においては賭け事は尋常ではない。理不尽と考える。
 痴れ者の所業であるが、天意を巡って神と争わんとするアィイーガだ。
 十分に狂っている。

「ではこれをやろう。ガモウヤヨイチャンが神威を与えた私の剣だ」
「ならば妾も不思議の品を」

 立ち会いの神兵シメジー銀ラトゥースは不快の表情を示し、反対を唱える。
 神剣を景品とするのは、人の顰蹙を買い誹りを受けよう。
 だがアィイーガ本人にとってはあくまでも自分の剣だ。人に指図される謂れは無い。

 

 経験者であるアィイーガが先手で黒い石を置く。

「なるほどのお、」

と白石を置くテュラクラフも、急速にルールと戦術を習得していく。
 そして衒いもなく全力を出した。

 銀ラトゥースは、女王が置いた石が光を放つのを感じ、いきなり背後に下がる。
 左手を伸ばしてアィイーガの狗番達も下がらせた。

「何故です!」
「女王が神威を発動している。遊技盤上はもはや此の世ではない、近付くな」
「ではあっても、」
「主に任せるしかない。カブトムシの聖蟲でも危ういと判断するほどだ」

 

 アィイーガは見事術中に嵌っていた。
 区切られた盤上の空間を超えて、女王が生み出す夢幻世界に没入していく。

 細かい升目が延々と続く、果ての見えない永劫の宇宙に、
  星空の藍闇に雪崩れ落ちていく。
    足元が支えを失い、底が抜けたかの酩酊感。
 石を置く度星が生まれ、また死んでいく。
 あまりの恐怖に縋るものを求めれば、虚空より垂れるタコ脚が一筋。
 誰もが手を伸ばそう。救われよう。
 歓喜の門へと通ずる唯一の手蔓に導かれ、極彩色の奈落の渦へ。

 それが紅曙蛸女王テュラクラフの世界。

 

 黄金のゲジゲジが眼を赤く瞬かせる。

「ここが、女王の限界か」

 奈落へはもう何度も落ちたのだ。
 無限の孤独よりもなお絶孤な、敗北の刹那。
 天空の理を説き明かすゲジゲジの聖蟲が、知の地平を颯爽と駆け抜ける巨躯の神族が、
いかにも哀れに思える極北を。

「所詮は神人。限定された空間の奥深い襞を知らぬと見える。
 ガモウヤヨイチャンに遠く及ばぬ由縁だな」

 ゲジゲジの赤眼が高速に瞬く。
 絶大な演算力を駆使して、紅曙蛸神が展開する論理迷宮を突破する。

 ただ白と黒の石を交互に置く。その姿は変わりがない。
 一石ごとに膨大なエネルギーの交換が起こり、新しく天地が開闢する。
 情報の奔流を、ゲジゲジはただ演算のみで渡り切る。

 聖蟲は自身単独ではなく、ギジジットの金雷蜒神本体とも繋がっている。
 方台全土の聖蟲が連結し支援する。
 その速さは光を超えて闇を穿ち、因果の地平を冒して辿り着く。

 

『  敵が、居るのか……』

 

     *****

 そこは深い海の底。
 深く、深く、光も届かぬ深海の、そのまた先の尽きる場所。
 千を遥かに越える「テューク」の群れが、
神殿の足元に潜むヤツなど比べ物にならぬ巨大なタコが長く脚を後方に伸ばし、
蹲る山に突撃する。
 タコ達を醤蝦と勘違いするほどにスケールの違う、深淵の皇。

『この数でも、勝てぬのか』
『勝つよ。その為に戦っている』

 テュラクラフの、いやもっと若い、違う、でも似た明るい声だ。
 尋ねる。

『アレはなんだ』
『旧時空の支配者、暴君、我らを拒む者。ゲキに恨みを抱いている』
『ゲキ?』
『今の子にも伝わっているでしょう。この世界に本当に暮らすべき子どもたちよ』

 ”ゲキ”とは「真人」の意味だ。
 神話によると、天河十二神はかって星空を制覇した偉大な旅人「ゲキ」を再び現世に取り戻す為、
その苗床として方台世界を築いた。
 だが神の力をもってしても、「ゲキ」は還らない。
 やむなく「ゲキ」の祖型とも呼べる単純な生き物「ウェゲ」を作って、世界に住まわせた。
 それでも上手くいかなかったから、怒ってウェゲの頭を切り開き、ヒトデの欠片を押し込み、ようやくウェゲはヒトとなった。

『あれはゲキの復活を許さない。それに繋がるウェゲの繁栄も許さない』
『戦っているのか、ウェゲの世界を護るために』
『でも戦況利のない時もある。そんな時は一度歩みを止めて成り行きを待つよ』

 

「それがテュラクラフ女王の!」

 ふっと、眼を開く。
 碁盤に向かい合いながら、いつの間にかまぶたが下りていた。
 19の線条が交差する升目の上に、光と闇の互いにせめぎ合う陣が整っている。
 それは見たこともない景色ではあるが、

 宣言する。

「私の勝ちのようだ」
「勝ち以上のものも持って行かれたようじゃの」

 テュラクラフは宛然と微笑む。

 額の白いタコはうにょうにょと手を伸ばし差し招いた。
 もう一番来いや。
 ゲジゲジも金属光沢の身体を振動させて細かい雷を振りまいた。

 用は済んだと立ち上がる神姫に、女王が精算を申し出る。
 だが断った。

「不思議の品をもらってもろくな例しが無かったと、おとぎ話が言うからな」
「では遊技盤と石を持って帰るがよい。良い感じに育っておろう」

 ハハン、と納得した。
 弥生ちゃんが神剣神刀を生み出せるように、タコ女王は使った品を神宝に変えられるのか。

 狗番達に触れさせるのも物騒だと、自ら碁盤を拾い上げて去っていく。
 ウラタンギジトに文を出してもう一度誂えねばならぬな、と嘆息する。

 背後など振り返る気にもならない。

 「玉座の間」を出た所で、案内役を務めた銀ラトゥースが尋ねる。

「この遊技盤にはいかなる神威が込められたのでしょうか。役目柄お聞かせ願いたい」
「自在に巨大タコを操る神宝であれば、軍事上大問題だからな。

 心配するな、この盤で遊べば神の世界が覗ける程度だ。
 神官どもなら伏し拝むだろうが、まともな者には迷惑なだけぞ」

 

 仮王宮の宿舎に戻ってきたアィイーガに、カタツムリ巫女ファンファメラは尋ねた。

「五代様がこの時代でなされようとする目的は掴めましたか」
「我らが浅はかであった事は理解した。
 考えてもみよ、天河には天河の都合がある。人にばかり構ってはおられんよ」

 なるほどそれはそうです。と以後彼女は五代様の話をしなくなった。

 

     *****

 平原に戻ろうと準備を進めていたアィイーガの元に、特別な来訪者があった。
 西金雷蜒王国から「親戚」の使いが来たのだ。

 西王国は十二神方台系の北西部、百島湾の島嶼部を拠点とする。
 独自の「神聖王」と聖蟲を繁殖させる施設を持ち、独立して運営されている。
 東金雷蜒王国とどちらが上などは無いが、東側から船で物資を供給しないとさすがに立ち行かない。
 褐甲角王国の軍事力を東西に分散させる為、密接な協力関係を保っていた。

「アンクトクライン兀ヒィアーガ様より御書状をお預かりしております」
「ああ、」

 まだ10才にもならない頃、父が西王国で聖戴した親戚に祝いの品を贈った記憶がある。

「して、書状をただの商人に届けさせるか」
「アンクトクライン様は現在、西王国の通商を司る御役を務めておられます。
 キルストル様にはお力添えをいただきたいと、敢えて商人の私にお託しいただきました」
「ふむ。トカゲ王国と交易をしたいか」

 狗番のガシュムが書状を受け取り、主に捧げる。
 黒革の板に挟まれた絹布の書状は、神族公式の儀礼に則る。

 通常神族同士の通信は、狗番は用いずともそれなりに高位の奴隷あるいは神官を使いに立てる。
 にも関わらず、デュータム点にイカの干物を運ぶ商人に託していた。

 イカ「ティカテューク」は食用としても使えるが、紅曙蛸神「テューク」に似て恐れ多いとあまり人気は無い。
 もっぱらタコ神殿への奉納用だが、
弥生ちゃんがこれ大好物であるので、にわかに注目を浴びている。

「今の御時世、救世主様を引き合いに出すと褐甲角王国の取り調べも緩くなります故に」
「そういう利点が有るのか」

 商人”ティカクローヲン”を観察する。

 神殿への献上物を扱う商人には、それなりの品格を要求される。
 言うなれば神の御用商人であるから、並の富豪よりも上席に招かれる。
 とはいえ神職にはあらず官位も持たず、公式には特に身分保証は無い。人の評判だけだ。

 目の前の男も人品卑しからぬ体ではあるが、まあ偽名であろう。
 アィイーガはふふんと笑う。

「いずれの神族の御連枝か。商人などは嘘であろ」
「日頃はイカを売らぬだけで、商人には違いありません」
「ああ。西王国だからな」

 西王国は東王国と船での交易が無ければ生きてはいけない。
 また海路を犯す賊もあり、軍船を仕立てて防備もする。
 交易は神族自身が乗り出す事もあり、思いがけぬ身分の者が船長を務めていたりするものだ。

「めんどくさい事は抜きだ。西王国はトカゲ神救世主に何を欲しておる」

 

     *****

 西王国神聖王よりの内々の使者と見做して、早速に商談に移る。
 アィイーガとて家と領地を守り奴隷を養う経営者である。

「されば、腹蔵無く申し上げれば、
 青晶蜥神救世主ガモウヤヨイチャン様が提唱なされる東金雷蜒王国と褐甲角王国の和平共存の枠組みに、
 西金雷蜒王国も組み入れてもらいたく存じます」

「それはあやつの最初からの構想だ。
 加えて南海に立った新生紅曙蛸王国と、トカゲ王国も加えてそれぞれのままに保つものとする」
「有り難い思し召しでございます。が、実益も伴えばなお嬉しと」

 さすがに商人、花だけでは喜ばぬ。

「正直に欲しい物を言え」
「百島湾沿岸の本土側、褐甲角領に小さい港を一つ借り受けたく存じます。
 また港よりデュータム点に至る街道の自由通行権を。
 もちろん褐甲角王国には関税・通行料などをお支払いいたしましょう」

 なるほど。
 今は敵味方として争いいがみ合う西王国と褐甲角王国だが、
民間では密貿易で密接な経済的つながりを持つ。
 もしも和平が成り、公式に褐甲角王国との交易が始まれば、
ボウダン街道と接続して東西王国の直接交易が可能となる。

「莫大な利益が望めるな。トカゲ王国に期待するところ大であろう。
 されど、私には何をくれる」

 商談であるから遠慮はしない。対価無しには繁栄も許さぬ。
 ティカクローヲンは、それこそ今回の訪問のキモと声を潜める。

「キルストル姫アィイーガ様におかれましては、救世主ガモウヤヨイチャン様を探索に参ろうとは思われませぬか」
「なに?」
「神との戦で北辺に飛ばされ、聖山を越えて行方が分からぬ救世主様を探しに、人を派遣なさらないのですか」
「それが出来ればやっておるわ」

 十二神方台系の北辺、東西にまっすぐ連なる聖山山脈。
 南側人界の際は尋常の高山森林となっているが、北側は数百メートルの切り立った断崖、岩の壁となっていた。
 その先はどこまで続くか分からぬ針葉樹林の海。「樹獄」と呼ばれる。
 年中寒冷で作物も実らず、得体の知れぬ怪物が徘徊する。

 人界の側から至るには、聖山街道の突き当り「トリバル峠」より岩壁を下るが、帰った者は無し。
 「スガッタ教」の修行僧のみが死を前提に赴くのみという。

「いかに神族であろうとも、さすがに北の樹海で探索は出来ぬ。
 神兵であれば可能かもしれぬが、それでも広大な未知の領域を如何に探るか。
 まったくアテが無い」

「その探索、西王国が承りましょう」

 さすがにこれは驚いた。
 季節は今より冬に向かう。ただでさえ凍てつく土地にどのように人を送るのか。

「ああ、もちろん。冬は無理でございます。
 ですが春となっても未だお戻りが無いのであれば、捜索隊のひとつも送り出さねば薄情と批難されるでしょう」
「たしかにな。人を従えるのに不都合があるな」
「西金雷蜒王国では、船にて北岸をさかのぼり大河なども確認しております。
 小舟を用いればかなりの奥地まで進入して捜索が可能です」
「ふむ……」

 悪くない話。
 だが冬を越して数ヶ月、弥生ちゃんは生きているだろうか?

 いや死んだ事にしても良いのだ。
 あるいは探索の結果「救出に成功したが、以後人の前に姿を見せぬ救世主」であってもよい。
 トカゲ王国を成り立たせるのに、治癒の神威を帯びた剣が有れば足る。
 アィイーガが代行として引き続き、新王国を率いていく……。

 一番初めに探索を、それも大々的に行った者が利益を独占出来るだろう。

「西王国単独では説得力が薄いから、私を抱き込もうとするわけか。共犯としてだな」
「いかがでございましょう。
 様々な政略に繋がるのみならず、もし万が一にも救世主様御本人を発見できるとなれば、
 その者は功績第一番として高く崇められるでしょう」

「ふむ」

 

     ***** 

「それで、西金雷蜒王国からの申し入れは受けるのですか」

 カタツムリ巫女ファンファメラはしっかり秘密会談を聞いている。
 狗番ファイガルとガシュムは、今更ではあるがなんでこの女、ここまで邪悪なのだろうと思っている。

 カタツムリ巫女というものは王宮の侍女も務める心利いた者。
 見目麗しいが決して自分を前に出さず、仕える貴人の心象を害さず、政に口を出すなどありえず、
ただ背景として人の形をした家具として己を空しゅうする者のハズ。

 こいつは真逆、自ら脚本を書いて世の中を動かす気まんまんではないか。
 それを許すアィイーガ様も、いやそもそもガモウヤヨイチャンさまも、何故にこいつを野放しにする。

「悪い話ではないからな。
 それに、ヤヨイチャンの失踪が2年3年にも延びた場合の仕込みもしておかねばなるまい」
「そこまで長くなる可能性があるのですか……」

 芳醇な香りが漂うヤムナム茶のほのかな甘味と温もりを楽しむ。
 カタツムリ巫女はおおむね茶の淹れ方に熟達する。
 最近は弥生ちゃんが見出したシフ茶の秘伝が、新鮮な驚きを持って宮廷にも流行する。

 

「だがどちらを向いても思惑ばかり、皮算用ばかりでいい加減腹が立ってくるな」
「その大元が此処「青晶蜥神救世主」の仮王宮になるわけですが、」
「人が好き放題妄想を巡らせているのなら、思いっきり嫌がらせしてやりたいとは思わぬか」
「まあ、それも人情でありますね」

 ファイガルとガシュムは、そこは諌めるべきだろう、と腹が立つ。
 煽ってどうする。

「いっそあやつが方台に戻ってきた時、収拾が付かないほどに世を乱しておくのはどうだろう。
 誰の思惑も叶わぬ惨状にだ」
「それは難しゅうございますね。金雷蜒褐甲角両王国が秩序を確保するでしょう。
 下手な扇動は今の時勢には通じませんよ」

「あれはどうだ、前にあやつが言っておったろう。「王の居ない国」というやつ」

 えー、とファンファメラは神族の姫を見る。
 そんな馬鹿げた世界が来るわけないだろう。

「あれは、国の全ての民が等しく学問をし教養を身に付けてでなければ成り立たないと、仰っていました。
 バカには出来ぬとわたしにも思われます」
「そこをバカにやらせるのだ」

 しばし黙考。
 無学文盲の者なら、自ら国を運営しようなど考えもしない。
 手を出すのは、真に恐るべきは、

「中くらいの、自分を賢いと思い込んでいる者にお任せになれば、お考えどおりの狂乱が生まれると思います」
「うむ。それでいこう」

 

 平原に戻って2日後、ファンファメラは政治工作活動の草案を作ってきた。

「督促派行徒か?」
「はい。彼らは元々十二神信仰から離れて独自の政治体制を作る構想を持っています。
 これを利用して自滅に追いやろうかと考えました」

「だが連中が否定しても聖戴者は確かに居て、神官どもも民衆に支持されている」
「さればでございます。
 尊い御方と学識ある神官・賢者さらに神殿はすべて都市に集め、農村は下の者が住む事に定めます。
 農村のみで「王の居ない国」を実現するわけです」
「ほおー」

「もちろん貢は各村より徴収し都市に運ばれますが、農村内にては独立しての自治が行われます。
 ちょうど褐甲角王国の「邑民会議」のようにですね」
「あれは各村に神兵が居て公正を保つのを前提とするだろう」
「それを、督促派の「道理に目覚めた男」が行うのです」
「おだてて出来もしない事をやらせるのか」
「やらせます」

 ハハハ。アィイーガは笑う。

「面白い。怪文書としてお調子者の学匠などにばら撒いてこい」
「ではさっそくに写本を50部作りましょう」

 

 

 神威を帯びた碁盤は、その後「救世主神殿」に奉納され長く神宝として尊ばれた。
 たまに戯れに神威を確かめんとする者が用いたが、
一局指す間に十月が過ぎ去っていたり、
没入して日暮れに気付いたら、屋敷は毀れ家人は消え、近所に知る人も絶えた数十年後になっていた、などの寓話を残す。

 一方アィイーガの戯言から始まった「王の居ない国」は、闇の世界に浅く広く根を伸ばし、
創始歴5895年に「ソグヴィタル民衆王国」として結実。
 「タンガラム民衆協和国」に発展し方台全土を統一し、聖戴者の居ない国が完成するのである。

 

 「十二神方台系」は一辺千里の正方形、神々が遊ぶ遊技盤に擬せられる。
 「タンガラム」とは正方形の棋盤の意味だ。

 テュラクラフとアィイーガ、どちらが上手であったやら。

 

     〜END〜 

【褐甲角軍】
 褐甲角王国の軍隊は「褐甲角軍」だ。
 「クワアット兵」とはその中でも、戦闘部隊を意味する。

 つまり「褐甲角軍」は「神兵」「クワアット兵」を中核に、
補助や工兵・輜重を担当とする「壮丁」や、村の治安を維持する「邑兵」
各都市に雇用される「守備兵」、税や郵便・要人を守る「護衛兵」
また敵の情勢を探る「隠密」や「軍偵」、海軍においては水夫である「水丁」
さらには事務方などを含めて構成されていた。

 なお都市における下級警察官「邏卒」は、行政に属するから兵ではない。

 褐甲角神は「クワアット」であるから、
クワアット兵と褐甲角軍は同じではないかと思うのも無理はない。
 これは日本語表記上の問題で、
「褐甲角」と書いた時は「ギィ聖符」をそのままに読む「ギィ聖音」の発音となる。
 「かっごうかく」と呼んでもらうと幸いだ。

 英語に翻訳する場合はー、
Brown Beetle Hornであろうか。BBHだな。

 

【英語】
 であれば、金雷蜒はGold Thunder Centipedeに、
青晶蜥はBlue Crystal Lizard 、紅曙蛸はDawn Aurora Octopusということになる。
 GTC BCL DAO だな。

 ゲジゲジとムカデの区別がつかないが、仕方ない。

*****

 

第六・六七章 礼節と忍耐    2022/02/17

 三神救世主邂逅からコウモリ神人の出現と激闘、青晶蜥神救世主蒲生弥生ちゃんの失踪。
 と、人を驚かせる世紀のイベントから20日。

 東金雷蜒王国神聖王「ゲバチューラウ」はベギィルゲイル(ゲルワンクラッタ)村に帰還して、特に動かない。
 忙しいのは褐甲角軍と金雷蜒ギィール神族だ。
 村を守る形でカブトムシを戴く神兵が防衛戦を張り、平原に遊弋するゲイル騎兵200に対峙する。

 停戦協定は有効である。
 有効ではあるが、面白半分に突っ込んでくるゲイルへの対処は毎日のように強いられる。
 ゲバチューラウが止めればよいのだろうが、神聖王にそのような権限は無い。
 あずかり知らぬ問題だ。

「そもそもが金雷蜒神聖王は統治などしておらぬからな」

 赤甲梢神兵スーベラアハン基エトス大剣令 は説明する。

 

 赤甲梢、
キサァブル・メグリアル焔アウンサ前総裁に率いられ東金雷蜒王国王都ギジシップ島に突入した神兵団は、
神聖王ゲバチューラウの行幸に従って本国に帰還し、そのまま護衛任務に当たっている。

 本来であれば命令・軍律違反で全員が処罰されるべきところ。
 だが彼らが成し遂げたのは褐甲角王国建国以来の悲願、初代救世主クワァンヴィタル・イムレイルの誓願だ。

 神兵クワアット兵であれば誰もが参加したかった。
 もし自分が知っていれば何を捨てても参加しただろう作戦に、称賛こそあれ批難する声はまったく聞かれなかった。
 黒甲枝を指導し厳しく律するはずの元老院金翅幹家でさえも、法を持ち出したりはしない。

 それでは収まらないのが中央の軍政局だ。

 本来なら有って然るべき武徳王本人の論評を無理にも止めて、称賛も処分も棚上げにしている。
 赤甲梢の神兵達もただちに後方に移動させて査問に掛けるはずが、
ゲバチューラウの意向もあってそのまま護衛任務を継続させている。
 唯一、総責任者である焔アウンサ王女をデュータム点に、またカプタニアに呼びつけて審問を行うだけだ。

 なお武徳王23代カンヴィタル洋カムパシアラン・ソヴァクは、近衛兵団と共に毒地西方ガンガランガへと後退した。
 いつでも戦闘を再開出来るが、まずはゲバチューラウとは距離を置いて出方を見る。

 その陣屋に焔アウンサ王女が呼び出され事情説明を果たし、内々に激賞された事は秘密だ。
 この席で王女は、
ゲバチューラウの接遇にはよく了解した者をこそ当てるべきで、 最適任は自分と共に進攻突入した神兵、
わけても神族の儀礼と芸術に通暁するスーベラアハン基エトスにこそ任せるべきと進言する。

 武徳王は直ちにスーベラアハン基エトスを元の金翅幹元老員へと復す詔を発し、ゲバチューラウ応接の責任者に任じた。
 本人、えらい迷惑である。

 

     ***** 

「元老員が嫌だから一兵卒として軍に紛れたのだがな……」
「これも天より授かった宿命と諦めるしか無いだろう。考えてみれば要らぬ大回りをしたものだな」

 赤甲梢神兵頭領シガハン・ルペ大剣令が慰める。
 彼は一般の平民より奇跡のような昇進を重ねて赤いカブトムシを授かった者だが、
基エトスもほとんど同等の苦難を乗り越えてきたと知る。

 褐甲角軍の主力はあくまでも聖蟲を戴く神兵だ。
 常に最前線一般クワアット兵の前に立ち、ゲイル騎兵と果敢に大剣を交えている。
 神兵を凌ぐほどの華々しい戦功、となるとほとんどありえない。
 ありえない奇跡を何度も実現させた強者のみが真紅のカブトムシを戴くのだ。

「しかし今の世で金翅幹元老員に新たに任命されるなど聞いたことも無い。
 旧来の身分に戻るとはいえ、よほどの異例よほどの昇進と感謝するべきではないだろうか」

 黄旗団長カンカラ縁クシアフォン大剣令は、黒甲枝名門の家柄。
 とはいえ兄達を差し置いて聖蟲を戴くわけにもいかず、一般の小剣令から軍務を果たす。
 彼もまた奇跡の証。

 基エトスは、彼に対してはご愁傷さまという顔を向ける。

「貴公は昇進が内定したらしいな。兵師監だと聞いたぞ」
「任所が分からん。どこの何の部隊か知らずには喜べん」
「そうは言っても、大剣令と兵師監は天と地の違いだ。すなおに喜べよ」

 シガハン・ルペもうなずく。

 赤甲梢は別名「大剣令の墓場」と呼ばれる。
 見事聖蟲を戴き大剣令にまで昇進しても、そこでお終い。
 一軍を率いる兵師監への昇進は無い。
 そもそもが「赤甲梢総裁」が兵師監格であるから、ここに居る限りはあり得なかった。

「そしてルペよ。おまえも昇進してもらわねばならないぞ」
「そうだ。おまえはなんの門地も無く邑兵より始めて武勇を以て鳴る赤甲梢の頂点に登り詰め、すべての神兵の大望を成し遂げた。
 民衆の誇りとする伝説の男だ。
 自身は望まずとも、人がおまえに最高の称賛を要求する」
「おとなしくお受けするしかないぞ」

「う、うう〜ん」

 彼らが言うのは前総裁 焔アウンサ王女の語ったもの。
 良い話ではない。

 赤甲梢の神兵全員を褒め称えるわけにはいかぬから、最高位にあった者のみを昇進させ世間の眼を眩まし、
他は配置転換などで冷や飯を食わせて、うやむやの内に処理をする。
 赤甲梢自体も消滅する。

 すでに兎竜騎兵は戦術が確立して専門部隊が発足し、大審判戦争にて存分に威力を発揮した。
 赤甲梢が段階的に縮小されるのも必然で、誰も、属する神兵ですら反対はしない。
 戦技研究の実験隊としても、近衛兵団の役割を肩代わりしたようなもの。

 本来の意味での赤甲梢は剣匠・剣匠令の教育隊であり、聖蟲は必ずしも必要としない。
 すべて焔アウンサという傑出した指導者により拡大した権限であったのだ。

 

 

「しかし、だな」
「そうは言ってもな」
「この状況を見捨てていくわけにもいかんからな」

 巨大なゲイルが土埃を上げて地に転がる。
 赤い甲冑に身を包む神兵が、鉄槍で肢をぶっ叩いて巨大な蟲を躓かせた。

 毒地に集い退屈を持て余したギィール神族の無聊を慰めるのが、現在彼らに委ねられる任務である。
 今戦ったのは聖蟲を戴いて2年に満たない赤甲梢小剣令が2名のみ。
 それでも15メートルを超える蟲をあしらって涼しい顔をする。
 もちろん兎竜無しで、だ。

 ゲイルから投げ出され地に落ちた黄金の甲冑に、大剣が突き出される。
 遠目で見ながら縁クシアフォンは声を飛ばす。

「そこまでだ! 本日はこれでご満足頂き、お引取りを願おう」

 弧を描いてゲイルを並べ見守ったギィール神族が、ハハと笑い敗北した神族を嘲った。
 毎日のように笑い者となる神族がやって来る。
 噂に聞く赤甲梢の強さを確かめて、そして身体に叩き込まれて帰っていく。

 まあそもそもがゲイル騎兵の長所は高速と機動性だ。
 一点に留まって複数の神兵と戦っては、いかにゲイルが堅牢でも一発で戦闘不能に追い込まれる。

 それでも毎日手を変え品を換えて挑んでくるのに閉口した。

 

     ***** 

 ここで一つ、赤甲梢の装備の変更について語らねばならない。

 王都ギジシップ島に突入し、神聖宮までの激闘に次ぐ激闘を潜り抜けた神兵達は、
無論人命も損なわれたが纏う甲冑にも多大な損傷を受けた。

 焔アウンサ王女が新たな神聖王ゲバチューラウと会見し、褐甲角王国への行幸を承諾させた後は、
赤甲梢および紋章旗団の神兵達も戦闘を終了して、武装解除に応じた。

 損傷した「翼甲冑」はカブトムシの聖蟲を持つ者のみが扱える特別な鎧だ。
 常人が着装してもぴくりとも動かない重量を持つ。
 これを失った神兵達はただの軍衣のみとなるが、神聖宮の品位を落とすとしてまともな礼服が与えられる。

 そして甲冑もまた新品へと交換された。
 もちろん「神兵専用甲冑」だ。

 何故? と問われても困る。

 金雷蜒王国側としては褐甲角王国の神兵は、自らの好敵手としての強さを持ってもらわねば困る。
 黒甲枝が纏う「重甲冑」「翼甲冑」もギィール神族が設計・生産して、褐甲角王国に売っている。
 「新製品」も開発されていた。

 

 赤甲梢が用いる「翼甲冑」は、従来用いられてきた「重甲冑」と構造を替えて軽量化し、
背中の翼、タコ樹脂製の薄翅の推進効率を向上させている。
 その分装甲防御力は低下するが、それでも全備重量200キログラム(人間込み)となり常人の攻撃を受け付けない。

 この軽量化により、兎竜の背に跨っての戦闘という芸当が出来るのだ。

 とはいえ、200キログラムがどっしりと背に乗っては兎竜も堪える。
 なにせ兎竜の背に乗ろうと考え研究が始まったのが、わずか10数年前。
 重量を背全体に分散する鞍も鐙も考案されていない。

 走行速度が早くなると、背中の翼が推進力を生み出し揚力を獲得する。
 時速が40キロメートルを越えれば、兎竜は背の重みをまったく感じないまでになった。
 それでも低速での移動中は重量はずっしりと掛かってくる。

 兎竜騎兵の欠点を看破したギィール神族の工匠は、より一層の軽量化を試みる。
 また「翼甲冑」はそもそもが兎竜にまたがる事を想定していない。
 兎竜の背に優しい形状に変更した。

 無論装甲が薄くなれば防御力は失われる。
 が、その強度はおおむねギィール神族が用いる甲冑と同程度だ。
 兎竜による戦闘においてはゲイル騎兵と同等の戦闘力を持ちながら、神兵単体では低下させてバランスを保つ。
 ニューゲームを始めよう、という算段だ。

 この新甲冑、仮に「騎兵甲冑」と呼ぶ、は製作された全数がギジシップ島の神聖宮に集められていた。
 神聖宮のみで生産される特殊部品が使われている事もあるが、
褐甲角王国に提供する適切なタイミングを見計らっていたと言えよう。

 ご丁寧にも赤甲梢のイメージカラー「真紅」に塗装されている。
 赤甲梢専用として商品を用意していたわけだ。

 

 これを提供されたキサァブル・メグリアル焔アウンサ王女は戸惑う。
 「無料」、ではないからだ。

 ただこの甲冑は神兵のみが着装可能で、褐甲角王国以外では用が無い。
 どうせ買うに決まっているものを今買って何が悪い、との判断があった。
 むしろ神兵が着て本国に帰れば輸送費分安くあがる、と嘯くほどだ。

 というわけで、神兵甲冑百領をツケで買ってしまう。
 購入契約の承認を受ける為にも、焔アウンサ王女直接の弁明が必要であった。

 ちなみに破損した「翼甲冑」の修理も神聖宮で受け付ける。もちろん修繕費はごっそり取る。
 だがアウンサ、逆手に取って「翼甲冑を質に入れる」形で新甲冑の保証金代わりにした。
 これもまた「国有財産を勝手に処分した」罪を問われるべき案件だ。

 

 「騎兵甲冑」には、「翼甲冑」「重甲冑」には無かった新装備が追加されている。
 兜の額の部分から一本、長いツノが伸びていた。

 長さは30センチほど。
 神兵専用短刀と同様のムクの金属の塊で、強固さだけは間違いない。
 装甲が薄くなったから、このツノで飛んで来る矢を叩き落とせ、とするモノだ。

 あまりにもバカバカしい話で提供された神兵は呆れたが、
自分達で実験してみると、案外とイケる。
 強力な鉄箭であっても難なく弾き返した。

 どこから飛んで来るか分からない矢を剣で叩き落とす。常識を越えた妙技である。
 神兵であれば誰でもやってのけるが、剣で可能ならツノでだって出来る。
 むしろ両手が塞がっていても使える手段として納得をされた。

 ペギィルゲイル村に遊びに来るギィール神族も、新開発甲冑に興味を示す。
 額のツノで矢を叩き落とす芸を確かめに来た。
 兎竜の背にある時はまた別だが、地に降りてゲイル騎兵と対峙する時は、矢は常に上から降ってくる。

 至極便利な装備であった。

 

     ***** 

 この時期、ペギィルゲイル村の褐甲角軍の守備陣営は異様な形態となっていた。

 まずは赤甲梢。遠征により負傷者多数であるために半数が後方に退いたが、神兵50名と兎竜騎兵12騎が配置される。
 しかし、村には入れないものの兎竜高速戦闘団2隊30騎が近郊の東西に控えている。
 そしてメグリアル神衛士団50名。神族護衛の専門部隊で軽装にての戦闘に特化する。主に村内の警備に当たる。
 さらにはボウダン街道守備隊より重装神兵120名。これが主力となり、平原にて虎視眈々と隙を窺うゲイル騎兵に睨みを利かせる。
 クワアット兵2500が支援した。

 正直、ガンガランガに滞在する武徳王大本営よりも厳重と言える。
 問題は、この守備陣を統一して指揮する人物が居ない点だ。
 それぞれの指揮官が独自の判断で行動する。

 あえて、と言った方がよいか。今回の主役は外交使であった。
 東金雷蜒王国の最高指導者が褐甲角王国内に滞在するのだ。政治的外交的に千載一遇の好機。
 ありとあらゆる懸案をこの際に処理してしまおうと考える。

 外交使の総責任者は、王国の重鎮「破軍の卒」でありながらも黒甲枝に留まる レメコフ鳳マディテァズ大監総代。
 東部毒地全域を統括する大域司令官で、全軍を統括するチュダルム兵師統監に次ぐ人物だ。
 ソグヴィタル王 範ヒィキタイタンの追捕師レメコフ誉マキアリイの父でもある。

 外交使と言えば金翅幹元老員の独断場。ギィール神族に負けぬ弁舌で交渉を翻弄する。
 今回それは避けた。細かな利害の得失で判断してはならない事ばかりだ。
 故に軍の重職にありながらも元老員をも超える権威を持つ彼に託される。

 この人に戦闘部隊の指揮を執らせないのが、神聖王に対する配慮であった。

 

 彼を交えて、神聖王ゲバチューラウが責任者達に折り入っての頼みがあるとの申し入れ。
 何事かと会見場に指定された「仮王宮」へと伺候する。

 呼ばれたのは、赤甲梢総裁メグリアル劫アランサ王女、その次兄メグリアル芯ヱイダン。
 メグリアル神衛士の代理指揮官を務めている。

 本来であれば神聖王の警護はメグリアル王太子 暦ィメイソンが率いるべきなのだが、
現在は父王に代わってガンガランガの大本営に詰めている。
 メグリアル副王自身も、
にわかに出現した古代の紅曙蛸巫女王テュラクラフ・ッタ・アクシへの対応でデュータム点を離れられない。
 何をするか分からない点においては、巫女王の方が神聖王よりもよほど危険な存在だ。

 若い兄妹は歴戦の勇士であり軍の重職を務めるレメコフに、素直に頭を垂れる。
 長幼の別を抜きにしても、また「破軍の卒」と副王位の格を忘れるにしても、
そもそもが見かけからしてレメコフの方が偉い。

 今を去ること35年、先代の武徳王が南海において大勝利した戦役で、
彼は顔面に大いなる傷を受けている。
 今も痕がすさまじいが、「天下御免のいくさ傷」として誇りにこそ思え恥とはしない。
 「泳ぐゲイル」と戦った者は、神兵数多アリといえども彼のみだ。

 とはいえ武勇血気に逸る人ではない。
 今次大戦毒地を囲むボウダン・スプリタ両街道に広がる戦域で、部隊の配置兵站の円滑を成し遂げた智謀の将だ。
 次の兵師統監として疑う者はもはや居ない。

 だが、神聖王ゲバチューラウは彼を不快に思うだろうか。

「仮面は必要ないとのお言葉でございます」

 「仮王宮」はにわかに立てられた丸木の家である。
 規模こそ大きいが装飾はほぼ無くそっけない造り。に一見思えるが、そこは神族の作。
 アクロバティックな木組みに驚かされる。

 狗番に案内され中に入ると、それは柱の無いドーム状の空間。
 神聖王ゲバチューラウは直接に応対せず、神族廷臣の一人に会談を任せる。
 傍で聞きもしない。

 これは神族においては特に礼を失する態度ではなかった。
 格下のものには家僕や廷臣が応対するのは当然。むしろ客に対する礼儀ですらある。
 せめてメグリアル王が訪れたのではあれば、本人が会っただろう。

 ゲジゲジを戴く身であれば、別室で遊興に耽っていようとも細大漏らさず聞こえてくる。

 

     ***** 

 白いテーブルに3人と、神族廷臣が1名向かい合う。
 ズヌドキア、と姓のみを教えてくれたが、神族にしては背の低い人だ。
 背丈が近いから額の黄金のゲジゲジがよく拝める。
 「王宰」という役職を務めていた。つまりは宰相だ。

 と言っても、神聖王は金雷蜒王国の統治などしていない。
 それぞれの神族が自らの領内を適切に治めているので、国家レベルでの統治機能を必要としないのだ。
 神聖王・神聖宮に求められるのはゲジゲジの聖蟲の繁殖と聖戴の儀式のみ。
 多少は金融機能を持つが、他で代替できぬものでもない。

 「王宰」はつまりは神聖宮内部での業務取締り、家宰である。
 ただ求められれば何でもこなす。
 それが国家レベルの交渉であっても。

「聖上(神聖王)が仰られるには、このベギィルゲイル村はまことに居心地がよく離宮を構えるにふさわしい場所であるとの事。
 ここは古の街道の出口にあたり神都ギジジットとも直結する。
 互いに交渉を行う場として適切であろう。
 褐甲角王国としても、恒久的な外交施設としての趣を整えられるのをお勧めする」

 なるほど、前口上としては納得だ。
 ゲバチューラウは戦闘ではなく穏当な交渉を望んでいる。

「さて神聖王たるもの政務に励み政略を巡らさねばならぬ。
 聞く所によれば、カプタニアの元老院においては領地の拡大を今更に画策しているという。
 青晶蜥神救世主ガモウヤヨイチャン殿が姿を晦ました現在、
 新たな世界秩序を構築する前準備として、自らの権益・領域を拡張しておこうとする。
 これは当然の対応。
 であれば、我が方も同様に行うべきと考える」

「お待ち下さい!」

 さすがにこれは、レメコフ止めた。
 年若いメグリアルの王子王女には対応できない内容だ。

「我らにはカプタニア中央の動向は覗い知れぬ。ましてやそれは武徳王陛下のお考えではありますまい。
 どちらの御意向か」
「元老院だと申したであろう。ハジパイ殿であろうかの。
 もっとも彼の人もこれまでよりは牙も折れたかに大人しくなっていると聞くが」

「して、領域の拡大とは」
「南海タコリティの街は、今や「新生紅曙蛸王国」と称して新たに独立の王国を建てんとする。
 これは金雷蜒褐甲角双方の王国にとって見過ごせぬもの。
 双方の法の外として気ままを許してきたものの、新たに王を立てるとなれば話は変わる。
 また円湾で採掘される資源を独占されるのも困りものであるな」
「なるほど」

 これはハジパイ王の意向ではない、とレメコフは考える。
 元老院の首座を占める彼の人は、本来戦争による決着を好まない。
 だが南海円湾の制圧に一理があるとなれば、強いて止める真似もしないだろう。

 

     ***** 

「それで、聖上の行われる政略とはいかがなものでございましょうか」

 これまで年長者に憚って口を挟まなかったメグリアル芯ヱイダンが尋ねる。
 彼はまもなく25才となる。
 政治家としては未だ若年であるが、神兵としてはそろそろ中堅と呼ばれる領域に入る。
 メグリアル神衛士としても幾つか顕著な働きを見せた。
 金雷蜒王国への派遣も噂されている。

 三人の兄はいずれも優れた者と知る劫アランサであるが、
さすがに神聖王の思惑を直接に尋ねてよいものか、心臓がどきっと跳ねた。

 事も無げに王宰ズヌドキアは語る。

「聖上が此の地にあり続けることこそが、まさに政略。
 褐甲角王国に圧力を掛け続け、民衆にトカゲ神救世主の再臨の希望を与えているが、
 さらにもう一つ。
 集いし多くの神族に対して、これから金雷蜒王国が如何なる形を取るかお示しになられる」

「それは、」
「先程も申したがギジジットだ。
 此の地に参集する神族はゲイル騎兵で200を数え、補給兵站も古街道を通して行っている。
 必然としてギジジットの有り様に神族の眼は向かい、有効活用と恒久防御に関心が集まろう」

 レメコフが唸る。

「ギジジットを再要塞化なさいますか」
「方台世界の中心である神都を復活するとなれば、聖上は遷都なされて当然であろうが時期尚早。
 これまで神都を治めてきた王姉妹の方々と神族との軋轢を鑑みるに、然るべき身分の名代を差し向けるべきではないかと。
 またギジジットを中心として毒地の開拓を行うのであれば、東領よりの資金負担を減らす為にも自ら糧を求むべき。
 一個の独立した国と成さんとお考えである」

 レメコフも兄も構想の壮大さに驚くが、アランサは異なる。
 それはまさに、弥生ちゃんが唱えたギジジットの未来そのものだ。

 ズヌドキアは若き王女の顔色の理由を知る。

「然り。
 これは元々が青晶蜥神救世主ガモウヤヨイチャン殿が王姉妹の方々にお示しになったもの。
 聖上も構想をお聞きになられ是とされた。
 青晶蜥神救世主ガモウヤ……、ええいまだるっこい!」

 いきなり切れた神族に、カブトムシの聖蟲を戴く3人は眼を丸くする。
 ちなみに王族の二人は金色の、黒甲枝の主は黒いカブトムシだ。

「いかがなされた」
「何かございませぬか? 神聖王であれば「聖上」、武徳王であれば「陛下」とお呼びいたすであろう。
 青晶蜥神救世主にもそのような尊称がありませぬか」
「ああ、……まだるっこしいと」

 そうは言われても独創的な尊称など簡単に考えつくものではない。
 すると、神聖王ゲバチューラウの元から1人ゲジゲジ巫女がやって来た。
 聖蟲を戴く者の傍に華麗に跪き、言葉を告げる。

「”光星”と呼ぶのはいかがかと」
「聖上のお考えか」
「彼の者は天の星より降りし人、地上においてはまさに星の如く輝きて庶人に癒やしを与えている。
 まさに光る星であろうと」

 否やと言う者は居ないが、さすがにアランサは困惑した。

「されど、ガモウヤヨイチャンさまのお許しも無く勝手に尊称で呼ぶのはいかがかと」
「なに、尊称というは他人が勝手に奉るもの。
 呼ばれる本人もやがては諦めてままとするものよ」
「そ、そうですか……。」

 

 千年先の世では「アイドル」を意味する言葉は、このように生まれた。

 

   ***** 

 会見を終えた赤甲梢総裁メグリアル劫アランサ王女は、
赤甲梢事務局として用いられる民家に戻り、幹部3名を呼び出した。

 村の住人は金雷蜒褐甲角双方の要人に家を明け渡すこととなり、
1か所に集まり窮屈な生活を強いられる。
 さすがにこれは問題と仮小屋を毎日建ててはいるが、人は増えるばかりで追いつかない。
 心苦しく思いながらも使用させてもらっている。

「大変なこととなりました。あなた方赤甲梢の神兵にとっての一大事です」
「総裁、何が起きたのですか」

 神兵頭領シガハン・ルペ大剣令、スーベラアハン基エトス大剣令、カンカラ縁クシアフォン大剣令が並ぶ。
 秘密を要するとの事で聖戴者以外は追い出された。
 王女総裁と総裁護衛職ディズバンド迎ウェダ・オダ中剣令の5人だ。

 迎ウェダ・オダは常にアランサを補佐し、
青晶蜥神救世主やウラタンギジトの金雷蜒王国官僚、さらには軍や衛視局との折衝を務めた神兵だ。
 しかし彼が果たした役務の価値を理解する人は少ない。
 同じ赤甲梢神兵でありながらも敵国領突入の壮挙に参加しておらず、毒地中の激闘にも関わらなかった。
 論功行賞では決して評価されない貧乏くじだ。

 彼は真っ先に神聖王ゲバチューラウから突きつけられた難題を聞いている。
 これで何度目であろうか、困惑するばかりだ。
 王女は告げる。

「ゲバチューラウ陛下はあなた方赤甲梢神兵の護衛としての活躍を高く賞され、
 謝礼を払おうとのお考えをお示しになりました」

 ……理解できない。
 シガハン・ルペは総裁に問い直す。

「謝礼、でございますか。我々の護衛の功をお認めになられて」
「形としてはまったく矛盾はありません。あなた方はこれまで立派に務めを果たして来ました。
 ですが、」
「はい。我々はギィール神族の攻撃をこれまで防いで来たのです」

 現在神聖王ゲバチューラウは褐甲角王国領にあり、敵軍の神兵に十重二十重に囲まれ囚われの身となっており、
これを救出せんと勇気あるギィール神族がゲイルに騎乗して奪還の戦闘を繰り広げる。
 こう考えるのが筋であろう。
 ゲバチューラウは自らの意思で留まるといえども、毒地中の金雷蜒領内に天幕を移し行宮としてもよいのだ。

 縁クシアフォンは嘆息する。

「このような戯れ事は、焔アウンサさまがおいでになれば一言で片付けてくださったでしょう……」
「わたしもそう思います。叔母上が居ないからこそ遊ばれているのです」

「恐れながら、」

と口を出そうとする基エトスを、アランサは手のひらを向けて止めた。

「ゲバチューラウ陛下より忠告されました。元老員金翅幹家の者ばかりに考えさせてはならない。
 黒甲枝にも多少は儀礼についても頭を使わせろと。
 もちろんわたしに対してのお言葉でもあるのでしょう」

 レメコフ大監も兄王子も、これはアランサが一人で解決すべき問題と理解した。
 赤甲梢総裁としての器量を問われている。
 だから処理を任せてくれた。

「さすがは叡智の神族の長だ。 さて」

 シガハン・ルペは考える。
 彼はまったくの平民の生まれで、聖戴者の間の礼節や序列についての知識に乏しい。
 ましてや金雷蜒神族の狷介韜晦当て擦りなど対処のしようも無い。

 このような場合に強いのは正論、当たり前の常識だ。
 縁クシアフォンが黒甲枝の家に生まれた者として答える。

「断固拒否すべきです。我らは報酬をもらって人を守る立場ではない。
 そこは理解していただかねばなりません」
「分かっています。黒甲枝が、褐甲角軍に属する者であればどなたもそう答えるでしょう。
 ですが、それでよいのですか?」

 よいわけが無い、と4人の神兵は思う。
 そんなありきたりの答えを得る為に遊んでいるのではないはず。
 メグリアル劫アランサ王女が神族の相手としてふさわしいか、値踏みされているのだ。
 外交上の重大事であった。

 基エトスが空気に気づく。

「ウェダ・ヲダ殿、余裕がありそうだな」
「ハハ、これくらいの難題であれば青晶蜥神救世主の傍で何度も喰らいましたよ」
「そうですね。この夏の日々の一瞬たりとも、わたしは生涯忘れません」

 アランサも過ぎた日を懐かしむ。だが、彼女の夏は未だ続行中だ。

 ルペは尋ねる。
 もしもガモウヤヨイチャン様であれば、このような状況でどう考えるか。
 ウェダ・ヲダは、

「救世主さまであれば、遠慮なく謝礼を受け取るでしょうね。
 意地や体面にはこだわらない方ですから」
「だがそれでは一分が立たぬであろうよ」
「いえ、要は赤甲梢の神兵の懐を温めねばよいのです。
 神聖王を褐甲角王国にお迎えする準備のすべてを、ガモウヤヨイチャン様が御用立てなさいました。
 これまでに民より寄進された財貨を惜しげもなく、
 そして民衆の誉れの為にとすべて供出されたそうです」

「おおー!」

「であれば寂しくなった財布をもう一度膨らませて、全国より集まる病人を癒やす費えとなすべきでしょう。
 遠慮なく受け取ります」

 ルペは王女に答える。

「我らが受け取る謝礼も、本来あるべき人のところに寄進すべきだと考えます」
「そうですね、それが最も順当な流れでしょう」

「一言よろしいでしょうか」

 基エトスがこれだけは、と口を挟む。その策に基本的に問題はないが、

「安くてはいけません。神兵の働きに見合う金額を要求すべきです。
 足りぬとあれば突っぱねて金額を吊り上げるべきでしょう」
「神兵を安く見積もられては困る、ということですね」
「金額が大きく膨らめば、人の見る眼も変わります。
 青晶蜥神救世主の一行に寄進する際も大きく関心を惹けるでしょう」

 宣伝効果と呼ぶものだ。
 赤甲梢が公明正大に謝礼を受け取り、私する事は無く、
最もふさわしい場所に落ち着かせたと世間で認識してもらわねばならない。

 それでも黒甲枝としては完全な納得は出来ない。
 縁クシアフォンは異を唱える。

「しかし、カネの為に大剣を奮ったと思われるのは黒甲枝として末代の恥辱と、」
「そこはわたしに考えがあります」

 アランサはこれまでと異なりニコニコと笑みを見せる。
 弥生ちゃんと同じやり方をすればいいのだ、と思えば簡単に答えを見出せる。
 いやまったく、愉快ではありませんか。

 

 

 「ゲバチューラウはギィール神族を叩きのめす為に赤甲梢神兵を雇っている」
との噂は風よりも速くに平原中を駆け巡る。
 ベギィルゲイル村を訪れるゲイル騎兵の数は3倍に増えた。

 神族達は、噂通りの値打ちがあるか自ら確かめる……。

 

     〜END〜 

【大監総代と主席大監はどっちが偉いの?】
 圧倒的に大監総代の方が偉い。
 主席大監とは、複数の大監が配置される部署においての主席を意味するのに対し、
大監総代はそのものずばりに全ての大監の代表だからだ。

 主席大監の例を挙げれば、ヌケミンドル大要塞。
 王国防衛の最重要拠点であり最前線であるこの大要塞は、当然に要塞防御指揮官が大監である。
 しかしながら平原に打って出てゲイル騎兵を駆逐しなければ戦争が終わらないから、神兵攻撃軍が別に配置される。もちろん指揮官は大監。
 さらには要塞を支援する補給兵站連絡、破損した兵器や城塞の修理補修、新たな防塁の構築も司る大監も居る。
 それら全てを率いての作戦行動に全権を委ねられたのがクルワンパル主席大監であった。
 そのクルワンパルも、大域司令官であるレメコフに従う者だ。

 また主席大監は軍の階級ではなく役職だ。任を離れれば普通の大監に戻る。
 そして大監総代は任命されるものではなく、全ての大監・監が互選で定める言わば「組合委員長」的なものであった。
 褐甲角王国においては階級制度はあまり細かくない。
 カブトムシの聖蟲を戴く者は等しく神に選ばれた救世主であり、その先頭に立つ者こそが武徳王という位置づけになる。

     *****

 なお武徳王は尊称として「陛下」と呼ばれるが、これは日本語中国語とはニュアンスが異なる。
 金雷蜒神聖王はこの世で唯一の神聖なる存在として君臨する故に「聖上」と呼ばれるが、
武徳王もまた同等の位を民衆により求められる。
 だが民衆の擁護の為に兵達の先頭に立つ武徳王は、いと高き至尊の座より下りて地を駆ける存在だ。
 つまりは宮殿の高い所から降りてきた者としての「陛下」であるのだ。

 しかしながら金雷蜒神聖王としては、
民衆を救済する聖なる役目を天河の神より委ねられた自身もまた「陛下」であると公言している。
 褐甲角王国の外交使は神聖王を公式には「聖上」と呼ぶのを憚り「神聖王陛下」と呼ぶが、
特に無礼には当たらない事になっている。


 歴史を振り返れば、褐甲角神救世主にして初代武徳王クワァンヴィタル・イムレイルの称号は
「兄貴」であった。

 

 

  

***********************************

 

 

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