「巌窟嬢」 

 弥生ちゃん監獄島より見事脱出する、の巻 蒲生弥生は今、虜の身にある。

弥生「あれからもう何年経ったのだろう。わたしがここに監禁されたのはたしか桜の咲く頃であったような。」

 実際は弥生がこの座敷牢に放り込まれたのは今年の春、つまりまだ2ヶ月しか経っていない。
 だが、訪う者とて希なこの牢獄では月日の勘定が狂うのも致し方のない事であろう。

志穂美「何をたわけた事を。昨日も明美が来てマンゴプリン食べさせてくれたでしょうが。」

 無慈悲な牢番が容赦なく弥生を責める。
 この牢番、相原志穂美は別に誰が決めた訳でもないのに勝手に牢番のの役をかって出て、ひまを見つけては弥生の元へ留まりねちねちと陰湿ないじめを繰り広げるのだった。

志穂美「……それほどいじめて欲しいのなら遠慮無くやらせてもらうよ。」

 牢番はそういうとおもむろに学生鞄からカセットテープを取り出した。
 弥生は、今時CDかMDだろうに遅れた女だ、と思ったが牢番がそれをCDラジカセに入れた途端言いようもない苦しみに襲われた。

志穂美「広沢虎造次郎長三国志第一巻。テレビで通販してたのをあなたの為に買ったのよ。」
弥生「やめろ、やめてくれ。その凶悪な音波を止めろ。」
志穂美「うふふ、さすがは誰でも知ってる大名人。このまま一時間、名調子を堪能するといい。」
弥生「うがああ。」

 牢番はそういうと宿題でもらった数学のプリントをやり始めた。
 が、5分もしないうちに数学に飽きて図書館から借りてきた民俗学の本を読み始めたがそれにも飽きてノートになにやら落書きを始めたが、その間広沢虎造の浪曲を十分に楽しんでいた。
 楽しめなかったのは牢中の弥生だ。
 絶え間なく鳴り響く不快なおっさんの声に呻吟し脂汗を流し畳の上を七転八倒し座敷を右から左までごろごろと転がり爪を立てて堪え忍んでいた。
 だが永遠にも続くと思われたその苦しみが不意に終わりを遂げた。
 怪音波から開放されて畳の上でようやっと喘ぐ弥生に冷たい視線を送って、牢番はゆっくりと立ち上がりCDラジカセに手を伸ばした。

志穂美「B面盤だ。」
弥生「うぎゃあああ。」

 再び地獄の光景が始まりさらに加えて牢番までもが虎造に合わせて自分も唸ろうとした時、さわやかな風とともに救いの手が弥生に差しのべられた。

鳴海「こんにちはー。今日はお元気ですか、キャプテン。」

 それは牢番の妹で中学生の相原鳴海であった。
 姉と違いこの子は素直で明朗で裏表のない、簡単に言うと普通の子であった。
 どうして同じ腹から生まれてこれほど差が出るのか不思議なほどである。
 もっとも美人度は姉の方が高い。

 鳴海は座敷牢の部屋に入ってくると真っ先にCDラジカセの側に行って「うるさい」と一言言うなりスイッチを切ってしまった。
 姉は、見る人の血の気も凍らすような凄まじく恐ろしい目つきをしたが、妹だからそんなものを見ないで済ます技を自然と身につけている。平気だ。

鳴海「ああ、おいたわしい。またおねえちゃんにいじめられたんですね。」
弥生「うう、鳴海ちゃんだけよ。私のコトいたわってくれるのは。私もこんな目に遇うまではこいつらがこんなに薄情な連中だって気がつかなかったわ。」
鳴海「うう、かわいそうだよお。キャプテン、早くこんなところから出て練習をしましょう。」
弥生「鳴海ちゃん!」

 木格子越しにひしと抱き合った二人はしばらくしみじみと涙を零していた。

志穂美「何の用。」

 ぶしつけに志穂美が尋ねた。
 その声に鳴海は涙モードから急速に復帰して弥生をぽいと捨てて姉の元へ寄っていった。

鳴海「いやあー、用というほどのコトはないんだけど、犬の散歩の途中でこの近辺を通ったから。」
志穂美「嘘。うちからここまで2キロはある。散歩じゃない……、バカ犬連れてきたのか。」

 相原家の飼犬は日本犬の雑種でどうしてこんなにというほど頭が悪いので有名である。
 名は「ぴかー」、某有名SF宇宙ドラマの航宙艦の艦長からその名を取っている。だが似ているのは女好きという所くらいだ。

鳴海「あ、うん。連れてきてる。この部屋の前のとこに繋いで、」
志穂美「ダメダ!」

 と叫ぶと志穂美は部屋をものすごい勢いで飛び出していった。
 中学の時スプリンターとしてならし、ウエンディーズでも存分にその威力を揮っているしなやかな脚線美がスカートの上からでもよく弥生の目に映えた。
 つられて鳴海も飛びだしたので部屋には弥生が一人残されている。

 引き戸の向こうから恐ろしい志穂美の怒鳴り声と打擲の音、犬の泣き声、必死で姉に飼犬の命乞いを嘆願する鳴海の声、が聞こえてくる。
 弥生は犬の運命と自分の境遇とを重ね合わせて顔面を白く引き攣らせた。
 ひとしきり騒ぎが治まってやがて志穂美が戻ってきた。
 その立ち姿は厳冬の氷のように静かで美しい。

志穂美「……この間読んだ本によると、古代中国では出陣に際して駄犬を戦車で轢き殺して戦勝を祈願したそうだ。今度ウエンディーズの試合の時そうしよう。」

 遅れて入ってきた鳴海が弥生の方に困ったような照れたような笑い顔を向けた。

鳴海「お庭の土を掘り返していたんです。ところ構わず。芝生も少しダメにしちゃったし、苔も、その、岩から剥いじゃって。」
志穂美「しるくになんて言っておわびしたらいいか。
 やはり目の前で犬を打ち殺した方が良いか、いや、試し切りに使ってもらう方がバカ犬も世間の役に立って本望か。」

 弥生は目の前のこの女なら本当にやりかねないと思って、犬と鳴海に深く同情した。

弥生「でも、今お仕置きしたんでしょ。だったらもういいじゃない。しるくだって生き物を殺すのは嫌だよ。あの子は優しいんだから。」
志穂美「お仕置き?」

 呆れたように言葉を返すと志穂美は明かり取りの障子の方に目をやった。
 その方向には、たぶん犬が頭を抱えながら震えているはずだ。しかし、

鳴海「……バカ犬は、ぴかーはお姉ちゃんに折檻されるとサカってくるんです。」

 そういうと鳴海は頬を赤く染めた。
 なるほど、殴れば殴るほど喜ぶマゾ犬では躾もままならないはずだ、と弥生は納得した。

弥生「で?」
志穂美「で?、とは。」
弥生「鳴海ちゃんここに来てくれたのは犬の散歩が目的じゃないわけなんでしょ。私のお見舞い?」

 鳴海は弥生の言葉に促されて背筋を正して返答をした。

鳴海「もちろんキャプテンのお見舞いもあったんですけど、でも実は、」

 というと鳴海は二人の方に頭を傾けた。
 弥生と志穂美もつられて額を寄せ、当然弥生は格子に頭をぶつける事となる。

鳴海「……キャプテン、自分でナレーションしながら自分で頭をぶつけないでください。」
弥生「鳴海ちゃん、ギャグの基本とは自分の体を自分で傷めつける事にあるんだ。」
志穂美「そのとおり。よく覚えておきなさい。自ら率先して動く事がリーダーの資格というものです。」

 鳴海は釈然としないという表情を露骨に浮かべていた。

鳴海「実はぴかーの散歩をしている時に後ろから変な視線を感じたんです。なにか尾行されているみたいな。
 それで普段は通らないコースとか通って確認して見たら、やっぱり。」
弥生「ストーカーだ。変質者に狙われてるんだ、鳴海ちゃん。」
志穂美「男か?」
鳴海「ううん、わかんない。」

 鳴海の答に志穂美はあごに指を当て考え始めた。
 こうなったらなまじの事では反応が帰ってこないのを二人とも知っていたので、二人だけで話を続けた。

弥生「鳴海ちゃん、これまでにそういった事は無かった? 夜痴漢に遇うとか、変な荷物が送りつけられるとか。」
鳴海「ありません。というより、そういうのみんなお姉ちゃん目当てです。
 お姉ちゃんは、その、外見だけはいいですからフラフラと蛾みたいに引きつけられて、でみんなとんでもない反撃くらって退散しているんです。」
弥生「反撃って、物理的なもの? 半殺しにされるとか。」
鳴海「お姉ちゃんが中学生の時、おたくみたいにでぶでぶしてる人に真空飛びひざ蹴りってのしてました。アンジュレーション付きで。相手は10メートルくらいふっ飛んでいって川の中に落ちたんです。
 あの人、その後浮かんでこなかった……。」

弥生「・・・それは夢よ。鳴海ちゃん。大丈夫だって。それにリングアウト負けならまだヒットポイントは残ってたかもしれないじゃない。」
鳴海「そうですね。忘れちゃいましょう。あはは。」
弥生「あはははは。」

 志穂美はまだ考えている。
 あんまり真剣に考えているので自分が弥生の牢番である事などすっかり忘れてしまっているのだろう。
 弥生の指示で鳴海がおやつの鉢から栗饅頭を取り出して二人で半分こして食べてお茶まで啜っているのにも気付いていない。

鳴海「でも本当に始末に悪いのは宗教がかった人なんです。
 どういう訳だかうちのお姉ちゃんを入信させようって人は後を断たないんですよ。」

弥生「それは災難だねえ。志穂美はそういう方面の才能があるから、見る人にはそれが分かっちゃうんだろうね。
 で、そういうのにはどう対処してるの?」
鳴海「呪います。お姉ちゃん真っ昼間から呪いの儀式やります。
 ほんとに呪った人に悪い事が起きるんですけど、さすがに宗教やってる人は敏感ですね、自分が呪われたって気付いたらもう一目散に飛んで消えちゃうんですよ。
 昨日までべたべたとくっついて来てた人が、呪った次の日にはお姉ちゃんの姿が遠くで見えたと思った瞬間、もうダッシュしてるんです。」

弥生「厭魅でしょ。志穂美の呪い方って。お人形使う。」
鳴海「あ、凄い。さすがキャプテンだ。よく分かりますね。
 でもお姉ちゃんの方法って独特なんですよ。
 細い筆で半紙の上にものすごく細い字を紙が真っ黒になるまでびっしりと書き連ねて、それを細かく畳んで結んで人形にするんです。
 それもその書く字というのが普通の呪いの文句とかじゃなくて、下敷きに敷いている新聞の記事だったり広告のチラシの文句だったり漫画の台詞だったり、ともかく字なら何でもいいって感じなんです。不思議でしょ。」

弥生「そりゃ、逆に恐いな。純粋に書く事に集中している訳じゃない、それ。
 志穂美が呪ってるんじゃなくて、志穂美の潜在意識が勝手に呪いを掛けてるんだ。あえて自我を封じる事で通常の何倍もの強い霊力を引き出すんだよ。」
鳴海「そんな方法もあるんですか。知らなかった。」
弥生「普通はそれお経でやるんだけどね。一心不乱で写経をすると、それだけでもう修行の一つになるんだ。」
鳴海「へえー、へえー、へえーー。」

弥生「その割には志穂美って字が上手にならないね。書道部なのに。」
鳴海「それもお姉ちゃんの七不思議の一つですね。」
志穂美「まだいるのか、そいつ。」

 二人の会話に不意に志穂美が割って入った。
 振り返った弥生と鳴海は志穂美の体から目に見えない燐光が発しているのを感じた。

志穂美「そいつはまだこの近くにいるのか。」

 姉の問いに鳴海は瞬時に答える事ができなかった。志穂美が何を考えているか、にわかには計りかねたからだ。
 代わって弥生が応えた。

弥生「衣川のお屋敷だからセキュリティは万全でしょう。監視モニタに映ってるかもしれない。尋いてみたら。」

 だが志穂美の返事は実に彼女らしい、というより弥生率いるウエンディズの隊士らしいものだった。

志穂美「それだと公になる。」
弥生「わかるぞ、志穂美が何考えてるか。何を計算していたか。ここは衣川のお屋敷なんだからね。」
鳴海「きゃぷてん……。」

 弥生の言に不穏なものを感じて鳴海は制止しようとした。
 姉の志穂美が危険人物であるように、その友人たり得る蒲生弥生もまた危険な女だという事を思い出したのだ。

志穂美「ここには、……。」

 志穂美は静かに弥生の目を見つめた。
 燃え盛っている。弥生の眼から圧倒的な闘争本能が光線となって迸っている。
 その光は志穂美の中の氷の刃を激しく煌めかせた。

志穂美「ここには、真剣がある。薙刀も本身のがある。」
弥生「武家屋敷だもんね。」
志穂美「ならば。」
弥生「おう!」
鳴海「ダメです!!」

 鳴海は大声を上げた。
 姉の膝の上に両の手をついて哀願するように顔を仰ぎ見る。
 ウエンディズでは俗に「鳴海ちゃんポーズ」と呼ばれる必殺の可愛い体勢である。

鳴海「殺人はダメです、おねえちゃん。キャプテンも。」
志穂美「殺しはしない。半殺しだ。」
弥生「そうそう。」

鳴海「半殺しも生殺しもダメです。もっと穏やかに、ね。ほら、女の子らしく可憐に優雅にお仕置きしましょ。ね、ね。」

志穂美「トラは猫を被れない。」
弥生「同じネコ科だからね。」
鳴海「きゃぷてん、止めてくださいよー。お姉ちゃんは何時だって本気なんですから。」
弥生「だあーって、あたしろーやから出たいんだもん。ね、志穂美。あたしも連れてってくれるよね。ね。」

 志穂美はちらと弥生の顔を見た。
 今度は歓喜と期待でキラキラと輝いている。
 志穂美は一息ほっと吐き出すと立ち上がり牢の鍵が納めている黒檀の机の前に立った。


(つづく)
  

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