vs.ピンクペリカンズ

 

 

「念彼観音力。」

 背の高い鉄格子の門をくぐって今日も藍色の制服に身を包んだ乙女達が観音様の身元に集まってくる。身の丈十二尺の大理石の白衣観音さまは戦後日本の復興と鎮魂を願って信者により建立されたもの。慈愛に満ちたその表情に夏の朝日がまぶしく照り返し、山懐に抱かれた静かな校舎の中心で生徒たちを見守っている。

 決して怒らぬ事、微笑みを絶やさぬ事、観音様の御導きを信じて善行を心掛けること。学校の外では既に絶えた旧き善き日本の伝統を護り受継ぎ良き妻良き母として成長し、いつの日か美風復古はかるべし。それが桂林女学院、我らが愛しき母校。

 

 

「ええい、なまっちょろいですわ。」

 桂林女学院日本舞踊部分室「桂林棒手振社中」頭取、清水美鈴は玉をころがすような美声で悪態を突いた。日舞だけでなく民謡においても才能溢れる棒手振社中のリーダーは、しかし本日ごきげんななめである。リーダーの傍らで、二年生が一年生にマンツーマンで指導を付けているのを監督していた副頭取、徳俵幸が不審の声を上げる。

徳俵「なまっちょろいて、なにが? みんな良くやってるじゃない。創作日舞の発表会でも県で三位、全国行き損ねたけれどまずまずの成績ではないかしら。」
清水「それのことを言ってるんじゃないわ。野球の方よ。なんたって8連敗なのよ、代替わりしてからはじつに一勝十三敗。由由しき事態と言うべきだし日舞なんて女の遊びやってる暇なんか無いでしょう。」

 徳俵はすこし首をひねって考えた。彼女にしてみればこの連敗は計算どおりなのだ。そもそもクーデター騒ぎでばらばらになった桂林棒手振社中の戦闘チームを以前のように一心同体にする為に本来のベースである群舞でリズムを取り戻そうと、一学期間ほとんど全部を舞踊の稽古に費やしてきたのだから野球が強かった道理が無い。当然のことをどうして気に病むのだろう。もちろん、連戦連敗となればリーダーとしての責任を問われるだろうが、計画どおりなら夏以降は以前の一糸乱れぬ連撃による波状攻撃も復活してゲリラ的美少女野球に旋風を巻き起こすはず。それはOGも了解しているのだから急ぐ必要は無い。

徳俵「確実にチーム全体はレベルアップしているわ。気に止まなくてよろしくてよ。」
清水「でも結果が欲しいのよ。いや、正確に言えば、勝利よ。どこか適当によわっちいチームが転がっていないかしら。」

 清水の言に徳俵は苦笑する。そんな都合の良い噛ませ犬が手近に居るわけがない。

京本「頭取、ございますよ。ほんとによわっちいチームが。」

 二年生の京本紀香が御注進を上げる。この娘は一年生の時もこんな感じで清水美鈴のクーデターをそそのかしたのだが、当時の三年生の幹部から怒られるとまっさきに逃走離脱したお調子者の小心者だ。あまりの軽薄さに皆は持て余しているが、清水自身はそういう評判をわざと耳に入れないのかイエスマンが側に居るのが心地好いのか、いつも手元に置いている。置いてはいるが彼女の御注進とやらに従うのはさすがに懲りていて、最近は聞き流すことが多い。

 今度もまた無視するだろうと徳俵幸は軽く考えて、また日舞の指導に戻る。彼女は野球ではショートを守っていることもあり「中堅サチ公」と呼ばれるほどの人格者で、前指導部に反抗して清水美鈴がクーデターを仕掛けた時も、最後まで裏切らなかった。また復帰の際にも彼女を窓口として和解しており、他に人がいないからと代替わりで清水が頭取になれたのも、性格温厚人格円満の幸とふたりセットなら、ということでお墨付きを得たのだった。彼女自身がリーダーになれなかったのは、清水と異なり自分自身に絶対の自信というものがなく窮地に陥ると判断が停止するくせがあったためだ。故に彼女は補佐役に徹し、皆から絶大な信頼を得ている。

 そんな彼女にも欠点はある。いや、善人ゆえの欠陥というべきか、人間の愚かしさについて彼女の想像は自らの範疇を越えることが無かったのだ。自分の背後で実になげかわしい密議が続いていた事に気付かなかった。

京本「実はこのたび、ウエンディズ、ピンクペリカンズの合同チームと桜川エンジェルスの下級生二軍とがですね、テストマッチをすることになったわけですよ。」

清水「ピンクペリカンズといえば、ウエンディズの二軍で中学生のチームだわ。たしかにこれ以上弱っちいチームは居ないわね。」
京本「それに、恐ろしい上級生もウエンディズ、エンジェルス共に全員は揃ってないでしょう。なにせテストマッチだから、上級生に頼らないように監督するニンゲンだけが参加して。」
清水「そうね、依存心が付いたらいけないもの。背後に何も背負ってない状況で戦うからこそ、真の実力が試せるわ。テストマッチに主戦力が集結していないというのは、いかにもありそうな話ね。」

京本「よわっちい二軍に中学生チーム、不揃いの主戦力とくれば、これはもう一網打尽ではありませんか。」
清水「一考の余地があるわね。」

 清水美鈴の名誉の為に補足説明しておくが、彼女は決して頭の悪い生徒ではない。桂林女学院は親の経済状況で志望者が決まるハイソな女子校だが、進学コースもちゃんとあり偏差値の高い大学にも結構合格率は高い。こんなに頭の良い人が、どうしてこんなずさんな甘言に乗せられてしまうのか、徳俵幸には理解出来ない。しかし、悲劇は繰り返される。

 

 

じーわじわわわわわわわわわわわわわじーーーーーーーーーーじっ

 今年は夏が早い。七月梅雨明けと同時に熱波が襲いかかってきた。すでに八月上旬と同等の強烈な日差しが照りつける。しかし、暦の上ではまだ七月、期末テストが終了した翌々日という、憂さ晴らしにもってこいの日付だった。桜川エンジェルスとウエンディズ・ピンクペリカンズ合同軍は市営の公園内にあるグラウンドに集結した。桜川エンジェルスのユニフォームは上下赤の戦闘色。その色に恥じない破壊力を誇る攻撃的なチームだ。

 

弥生「うるうりぃいいいいいいいいいいいいいいい。」

桜川「お、蒲生。なんか乗ってるね。夏場は苦手なんじゃなかったか。」
弥生「今のわたしは血に飢えてるって感じ。ここんとこデスクワークで縛りつけられてろくに練習も出来なかったから、二三人餌食を出してくれないか。」
桜川「おー言うねえ。でも今日は私たちは出番ナシだ。二軍戦だからな。わるいなあ、血を見るのは次の機会におあづけだね。」
弥生「うがう、がう、がうう。はあはあ。」

 日向で暴れた為に弥生ちゃんは早くもオーバーヒート気味で、心配した明美の指示で美鳥が麦わら帽子を届けに行った。

美鳥「蒲生きゃぷてん、今日はずっと帽子被ってないとダメなんだそうです。日射病になるんです。」
弥生「ああ、昼過ぎだからもう日差しさいきょーだよね。」

 本日は土曜日、学校がひけた午後一時半プレーボールとなる。テストマッチだから手軽に短時間でぱぱっとやって、翌日の日曜日にその反省と強化練習を行うという計画だ。この時間以外にスケジュールに空きの有るグラウンドが無かったというのもある。ようやくにして見つけたここも午後四時には別のクラブチームに明け渡さねばならない。ほんとうにちゃちゃっと終わらせる必要があった。

桜川「じゃあ、運営の方も下っ端チームにやらせるということで、私らは手を引く。」
弥生「うん。審判は主審がこっちで副審がそっちね。しるくを出す。」
桜川「こちらは大楠だ。どちらもぽやぽや系だけどしっかりしてるから大丈夫だろ。以降判定に三年生は絶対口を出さないこと。」

弥生「心得た。ていうか、そっちフルメンバー来てる?」
桜川「三年生は三人だけだ。私と大楠と柏。」
弥生「こちらは四人。わたしとしるくと明美一号と聖ちゃん。まゆ子とふぁは口出し手出ししそうだから置いてきちゃった。」
桜川「志穂美はどうしたんだ。絶対居ると思ったのに。紂子が可哀想だろ。」
弥生「三時前には来るよ。・・・・なんのことはない、期末テスト悪かったらしくて呼び出しくらってたから補講に強制参加させられてるんだね。多分追試も受けさせられるわよ。」
桜川「お互いに三年生はたいへんだよな。」

 

 桜川エンジェルスは文字どおりに桜川良子がキャプテンを務めるチームである。このチームは面白い慣習があって、三年生は夏に引退して二年生に幹部を引き継ぐのだが、その際に”さくりふぁい”と呼ばれる儀式を行う。二年生が最強の者を互選で選び新キャプテンとし、三年生がひとりずつ全員その者と戦い、すべてクリアできた時はチームの名前に彼女の名字が冠される。つまり現在のチーム名は桜川良子がこの試練に見事勝利したという証しなのだ。残念ながら今回の新キャプテンである樹はダメだった。いやそもそも桜川良子の成功も三年ぶりの快挙でもあったわけで、前年のキャプテンをも擁する三年生に、たとえ手加減をしてくれているとしても、二年生が勝利するのはほとんど不可能なのだ。

 この制度には別の利点もあって、他のチームはエンジェルスの三年生をひっぱり出すのに或る種のステイタスを感じる、つまり格上感を演出する効果を生み出す。事実、昨年ウエンディズがエンジェルスの三年生と対戦したのは桜川達二年生チームを連敗に陥らせた末の、ようやく12月になってからだった。

 桜川良子は自陣の三塁側ベンチに戻ってきた。部隊のコントロールを二年生に任せる最初の試合であり、当然のことながら二年生はチームを自ら統率しての組織戦などやったことが無い。ぶっつけ本番での幹部交代だ。しかも間の悪い事にウエンディズに中学生まで交ぜた最弱チームとの対戦で、これに敗北することはほとんどあり得ないがもしそうなった場合は面目丸つぶれで、リーグ全体から白い目で見られるであろう。

 その点明美二号は気楽なもので、負けて当然、負け幅をどのくらいで抑えるか、という低レベルの要求しかされていない。三年生の先輩は卒業までは試合に出ると言ってるのだから、来年のチーム作りを今から始める感覚での余裕の采配となる。

 

桜川「おい樹。わかっているだろうが、負けることは許さんよ。だがそれ以上に無様な戦いをするなよ。」
樹「それは重々。」

桜川「じゅーじゅーじゃない。無様というのは、だ。中学生には怪我をさせるなよ、という意味だ。逆に言うとウエンディズの一二年生は構わん。なんぼでもぶちのめせ。」
樹「そこまでしなくても勝てると思いますが、では武器も使いますか。」
桜川「自分で決めろ。だが蒲生のやろーの話しぶりでは、雑魚チームといえども負けるつもりは無いようだ。仕掛けてくるぞ、じゃ、後は任せた。」

 と、土手の上に広げたパラソルに引き下がった。上ではクーラーボックスを用意しての快適な観戦支度が整っている。出場しないつもりではあるが一応はエンジェルスの真っ赤なユニフォームに身を包んだ柏紂子が、戻ってきた桜川に言った。

紂子「志穂美さんはなぜ来てないのだよ。」
桜川「学校の都合だそうだよ。心配しなくてもあの性格だから絶対に来るさ。」
紂子「それはよかった。今日は志穂美さんにあげるプレゼントをもって来たんだ。」

 ぱかっと半透明のタッパーウェアの蓋をあけると、数十匹の蝉のぬけがらが詰まっている。この時期すこし蝉の出現には早いからこれだけ集めるのにずいぶん苦労しただろう。一匹一匹に丁寧に色まで塗ってリボンを掛けたりラメを吹いたりとお化粧させている。桜川はこんなものを押しつけられる相原志穂美が気の毒になったが、所詮は他人事であるからどうでもいいやと無責任に思う。

 

 さて今回の主役は二年生だ。エンジェルス新キャプテン樹、副将米山以下六名を幹部とする新体制となる。

 ざんねんながら、新幹部には知恵袋的な人物が居なかった。ウエンディズならまゆ子、エンジェルス前幹部なら榎田に相当する者がない。あえて言うならキャプテンである樹自身がそういうポジションにある。

 樹リツ子は戦闘力もさることながらゾンビにも似た驚異の回復力とちょっとだけ他のメンバーよりも賢いところからキャプテンに推挙された。賢いといっても戦況に関するセンスが良く指揮統率に遅滞がなく予測に外れも少ない、という意味での頭の良さであるから、学校の成績自体は取り立ててぱっとしない。これはエンジェルス歴代キャプテンと同種の人材であることを意味し、自然とエンジェルスのカラーを決定づける。あまり策を弄さず事前の準備も最小限に留め、出たとこ勝負で反射神経運動神経でガチンコする自然派チームだ。故に乱闘にはめちゃくちゃ強いし、そうでなければなりたたない。今回桜川良子が突き放した態度を取るのも、自らあるべき姿を掴み取れという有り難い教えなのだ。

 米山みらいは中学時代はれっきとしたソフトボール部員で根っからの運動部生徒であり、今回エンジェルスの野球技術指導担当に就任した。堅実な性格で想像力に乏しいが、体力的には定評がありチームの主軸としてキャッチャーを務める。背がそれほど大きくないところが欠点であるが、大柄な選手に比べて戦闘力もさほど引けをとらない。
 若竹春香は一年生の時から一塁を任されていた戦闘力の高いメンバーだが、あんまり要領が良くなく敵中に孤立しての負傷が多い。一年生独立部隊の指揮を四月から任されており頼りになる戦闘技教官として慕われている。
 樫村潤はブラウンのソバージュとセルの眼鏡といったファンキーな愛敬のある容姿の持ち主だが、身体がそんなに強くなく冬場は風邪ばかり引いている。若竹とは逆に小器用で武器術に優れ野球のバントワークも巧みで、なんとなくいつも得点に絡んでいる。進塁率が高い事で逆に塁上で各個撃破される事も多いのが欠点と言えよう。今回センターを務める。
 杉下さゆりはサードを守る。彼女は手足がひょろりと長くきゃしゃでそれでいて割と巨乳という怪しげなスタイルの持ち主で、蜘蛛女の異名を得ている。細くて軽いからどうみても強くないのだが、結構頑丈で怪我に強い。ヘビ女柏紂子を継ぐ者として期待され常に彼女に付き従わされる可哀想な一年を過ごし、その甲斐有って最近では変人の名に恥じない一本ネジの狂った発言をするまでに成長している。
 稲葉祐美子はエンジェルスの新会計であり固い渋ちんの性格のセカンドだ。金銭の貸し借りは数年前まで遡っても絶対に忘れない記憶力を生かして、エンジェルスの作戦行動の生きたデータベースとなる。あれこれ考えるよりも以前の作戦を孫引きしよう、というわけだが、このスタイルはゲリラ的美少女リーグでは結構一般的で、と言うよりもまゆ子を擁するウエンディズ以外はどこもこれでうまくやっている。ケーススタディに基づく前例主義というのは戦闘集団の行動原理としていかにも普遍的で、それが故に独創的なウエンディズの台頭を許したきらいがある。

 他一年生が残りのポジションを埋めているがこれは暫定的なもので、去年の樹、若竹のような傑出した人材というのはどうも恵まれなかったようだ。

 

 試合を前にしてキャプテン樹は全員を集めて最後の打ち合わせをする。ベンチ裏から桜川と柏紂子が眺めるので、樹は後ろから視線でぐさぐさ刺されるプレッシャーを感じている。

樹「(桜川)キャプテンは、ぶざまは許さんと言った。負ける以上に無様はダメだ、特に中学生狙いはだめだそうだ。ではどうしようかという話なんだけど、どうしよ。」

 新エンジェルスは二年生六人に一年生が七人の計十三人という大所帯である。今回一年生二人が欠席であるが、それでも十一人。敵側ウエンディズが二年生三人一年生二人、中学生五人に員数外中学生五人というのだから、通常の計算では負けるわけがない。だが。

稲葉「正直言って負ける方が難しい。でもそれじゃあ上もウエンディズの方も納得しないでしょ、やっぱ。だから、試合をぶち壊すという展開はやめようよ。」

 言い回しが変だが、試合を潰すという戦術も当然に存在する。とりわけ暗黒どぐめきらがよく使う手だが、野球勝負を最初から諦めてひたすら陰湿な襲撃を仕掛けて出血を強い、相手に撤退を促すというのも有りなのだ。エンジェルスは使わないが、弱敵ウエンディズがそれを使ってくる可能性は少なくない。稲葉はどぐめきらによって何度かその手の攻撃の被害者となっており、神経質になっている。

米山「野球はどうなんだろう。ウエンディズの新メンバーは野球の技術はどうなんだろうな。」 
若竹「ここは待ちで様子見をした方がいいんじゃないかな。向こうの出方を待つというのも手だよ。一、二回の打順一巡するまでは、こちらから仕掛けるのはやめよう。」
樫村「でも消極的だと怒られないかな。機会が有れば一人ずつ潰して行くという線で。」
樹「うん。中坊は狙うなと言われたけれど、根性入ってない無警戒とかだったら遠慮無く潰していい。怪我さえさせなければ失神させても構わんよ。」
稲葉「じゃあ、まずは相手がどの手で来るかを見定めて、受けの姿勢で試合を始めるということで。」
米山「ま、不満はあるだろうけど、桜川キャプテンにはその位でがまんしてもらって、・・」

杉下「負けましょう。」

 いきなりの意表を衝く発言に五人はぎょっとして杉下に振り向いた。彼女は細くて長い指をひらひらさせて皆に答える。

杉下「最初に相手に大量点を与えましょう。わざと。で、それを追っかける、と。」
樫村「なるほど、ハンデを与えるわけだ。」
樹「なる〜、それならこっちも必死で追っかけなきゃならないわけだ。それも野球の方で。」
杉下「こっちが追う立場なら、遠慮も配慮もしなくていいから、結構楽でしょう。キャプテンはそういう必死な姿がお好みです。」

米山「決まった。最初に向こうに五点やろう。それでも足りなきゃ次の回でもう五点だ。」
若竹「なんか。やばーい空気が漂ってきたな。」
樹「そうと決まれば気が楽になった。よっしゃあ、とりあえず向こうの高校生は全滅させて雑魚中学生九人でフィールド埋めてやろう、というとこで勝負だ。」

 

 一方のウエンディズ一塁側陣地である。ピンクペリカンズのユニフォームは真ピンク。ウエンディズの、旧近鉄のものをベースとした袖部分が色ちがいで裾に縁どりがあるピンクのユニフォームに色を合わせてきた。持っているのは三年生の隊員だけで、一二年生は学校の体操服をそのままに着ている。ウエンディズの一二年生は、それぞれ今回参加しない上級生から借りて着ている。

弥生「鳴海ちゃん久しぶり! ほんとだ、背が伸びてる。私より大きくなったんじゃない?」
鳴海「あー、きゃぷてんだー。ほんとうにごくろうさまでした。おねえちゃんから聞いてますよ、生徒会を引退するにあたってどかんと一発大きな花火を打ち上げたとか。」
弥生「ちょっと情報に行き違いがあるな。」
鳴海「でも、ほんとだ。こうして並んで見ると。」

 身長が伸びてちょっと自信がある鳴海は弥生ちゃんと背中合せに背競べをしてみた。桔花が二人の後頭部に手を当てて厳密に測定する。

桔花「・・・・きゃぷてん。ひょっとして、150cm無いでしょう。」
弥生「そんなことないよ。私はいつでも公称150cmだ。」
桔花「わたしも、大きくなったんです。今丁度150です。」
弥生「あ、あらそうかしらん、ほほほ。」

しづ「うゐさま、本日は審判ということで、私たちに御助勢頂けないのですね。」
しるく「しづさん、泣かないで。決して手心は加えませんし助けにもいけませんけれど、私はいつもあなたたちを見守っていますわ。」

聖「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
明美一号「あー、二号ちゃん。聖が言うにはね、分からないことがあれば、・・・・自分で考えること。決して弥生ちゃんや自分に聞いてはいけないけれど、あたしだったらケガ人とかの場合に限って相談してもいいんだって。で、ここだけの内緒、聖ちゃんはあたしを通じてちょこーっとお知恵を貸してくださるそうだよ。」
二号「そ、そうですか。それは予期せぬ嬉しいお申し出です。いやー、正直ひとりで考えろと言われたらどうしようかと思ってましたよ。」
明美「でも加勢はしないよ。」

苗子「でも明美さん、うちのチビ隊士どもですね、万一の時は避難誘導お願いしますよ。逃げる事すらよくできないんですから。」
明美「逃げるのも芸の内だもんね。」

しるく「では弥生さん、二号さん。試合を始めます。ホームベースの所に並んでください。関係者以外はベンチの外に出てください。」
弥生「あいー。」

 

 ウエンディズ側は高校生が、キャプテン山中明美二号、副将草壁美矩、シャクティ・ラジャーニ、一年生江良美鳥、南洋子、ピンクペリカンズキャプテン東桔花、相原鳴海、鷺宮しづ、合田苗子、灰崎ほのか、が参加する。レギュラー計10名で、他5名の中学一二年生が居るがこれは練度の面からも体力の面からも戦力としてまったく使えない補欠の補欠である。監督として明美一号と聖がベンチ裏で助言し、弥生ちゃんは完全に手を出さないようベンチ後ろの盛り土上にまで引っ込んだ。弥生ちゃんと聖ちゃんは共に夏の暑さに弱いから、麦わら帽子に冷えるピタっと膏薬を額に貼り付けて対策している。麦わら帽子姿の弥生ちゃんはまるで小学生みたいでなかなかに可愛らしい。

 

 ホームベースの後ろで審判のしるく・衣川うゐとエンジェルスの大楠望巳が対面する。大楠はエンジェルスにおいてふぁと同様の役割をしている大柄なパワーファイターだが、性格は温厚で包容力があり人好きのする素敵な女の子だ。しるくとなんとなく容貌も似ていて、会合等で合流するとこの二人はワンセットで扱われる事が多い。中立公正を常に保てる冷静さと自尊心の高さが必要で人により向き不向きがある為、チームごとに審判に出す人材は固定する傾向がある。

 二人は向き合って”ゲリラ的美少女リーグ審判の誓い”を厳かに唱える。

「審判心得。

決して警察に捕まらないこと、一般人周辺住民に迷惑をかけないこと、
殺意ある攻撃を決して許さないこと、ゲリラ的美少女リーグ以外の人間の介入を断固阻止すること、
グラウンド使用料や周辺施設破損に関する賠償等の金銭授受を厳正正確に行うこと、
常に不偏不党を貫き判定に情実を加えないこと、たとえ自軍が窮地に陥ろうとも審判は介入しないこと、
自分の身は自分で護り試合の最後まで職務を遂行すること。

   チンチン。」

 最後のは金打(きんちょう)の換りで、昔武士が約束をする時に刀をちょっと抜いてキンと打ち鳴らしたことに由来する。金打したにも関らず約束を破るとなると腹を召す以外の責任の果たし方は無い。それと同様の重さがこの誓いには有るという保証だ。

 

 しるくが呼びかけて両軍がホームベースの前に左右一列ずつに並ぶ。ゲリラ的美少女野球といえども礼に始まり礼に終わる。が、

弥生「ふむ。まあまあ行き届いてるね。」

 エンジェルスが普通に一列に並んだのに対し、ウエンディズは通常のラインから三歩も離れて警戒して並ぶ。いきなり襲われても大丈夫なように間隔をとって備えているのだ。試合開始前に試合が崩壊するのはあまりにも情けないから、このいきなり襲撃戦法は普通使わないのだが、明美二号はちゃんと考慮している。

明美「ふふふ、やよいちゃん。二号は身の程というものを知っている昨今数少ないおんなのこなのだよ。ぬかりはないのだー。」
弥生「わたしが居ない間もよく練習していたようね。」
明美「技術や格闘は志穂美やふぁが教えてたんだけど、戦術と警戒、逃走術は聖ちゃんと私が教えてたのです。弱っちい者にはそれにふさわしい身の処し方というのがあるのだよ。」
弥生「うーむ、わたしが居ない方が却ってよかった、とか言ってたけど、そういう事だったのか。」

 しかしあまりにも離れていた為に、主審のしるくがウエンディズに注意をして、一歩前進させる。ウエンディズはざっと足並みを揃えて列を前に奇麗に進めた。その見事さにエンジェルス側も思わず感歎の声を漏らす。

桜川「・・・思ったよりもずいぶんと練習を積んでるな。特に中学生、意外としっかりしてる。背も割とあるじゃないか。」

 エンジェルスベンチ裏で桜川良子が一人ごちた。練度の高さを見せつければ、他もおいそれとは奇襲を掛けて来ない。あまりにも基本的正統過ぎて普通忘れてるところだが、古来より強い軍隊は見事に整った集団運動を見せるもので、その美しさが他者に脅威と慎重を抱かせる。

紂子「でも虚仮威しだ。」

 柏紂子が核心をいきなり衝く。確かにそうなのだ、ウエンディズもほとんどが春に入った新入部員、ピンクペリカンズはそれよりも練習を長く積んでいるが実戦経験がほとんど無い。よく整っているとはいえそれが戦力に簡単に結びつく筈もない。

桜川「そこんところをどうするか、だな。まゆ子が居ればなんとなく検討もつくんだが、二号どんは知恵は回るかな。」

 

 両軍じゃんけんをしてウエンディズが先攻と決した。エンジェルスが守備に散って行き、ウエンディズはベンチに戻って攻撃前の打ち合わせをする。

 今回打順一番に抜擢された南洋子が二号に言った。

南「きゃぷてん!」

二号「キャプテンというのはなんかこそばゆいなあ。なに。」
南「アレ、やってイイですか。」
苗子「あ、アレですね。」
二号「よしいけぇー!」

南「ハイ! キタキタキタキタキタァアアアアアアアアアアアーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
苗子「キタアーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」

 南と苗子はいきなり怪鳥のような雄叫びを上げた。その声の大きさにエンジェルスのみならずウエンディズベンチもあぜんとする。弥生ちゃんは眼下の明美一号に尋ねる。

弥生「なに、これ。」
明美「景気づけよ。ただでさえ弱いんだからせめて虚仮威しくらいしないと舐められるでしょ。弥生ちゃんだって事あるごとにバカ声で叫んでたじゃない。」
弥生「いや、こんな、・・・迷惑だったのかあ。わたし。」

 マウンド上でエンジェルスピッチャー樹とキャッチャー米山、一塁若竹がミーティングしていたが、このパフォーマンスにしばし唖然とする。だが対抗する必要を感じて若竹がベンチの一年生に合図してエンジェルスベンチ側からも悲鳴とも怒号ともつかない声が上がる。

米山「とりあえず、負ける気は無いというアピールだよな。」
樹「ま、蒲生さんの薫陶よろしく気合いは入ってるて感じか。勇将の下に弱卒無しと言うからね。」
若竹「つまり、なんだかんだ言っても蒲生さんと戦わなければならない、てことかな。」
樹「こっちも、なんだかんだ言ってまだ(桜川)キャプテンのチームだもんね。」

 

 一番南洋子は器用なもので左右両方の打席で打つ事が出来るスイッチヒッターだ。これは天然でそうなわけではなく、最初ずぶの素人だったものだから面白がってふぁが両方で打つ事を教えたらホントに出来てしまったという怪我の功名なのだ。美鳥、シャクティ、美矩の三人にもやらせて見たが、やっぱり他の者にはできなかった。相手ピッチャー樹が右利きだから左バッターボックスに入って行く後ろ姿を見送って、明美二号は隣に居るシャクティに話し掛ける。

二号「どうしたの、おとなしいじゃない。」

釈「いや、三年生が居ないって、こんなに心細いものだったなんて、ちょっとドキドキしてる。」
美矩「あ、・・・・実は私も。なんかおトイレ行きたいような感じ。」
二号「トイレならそこあるけれど、まあ、そうかな。」
釈「なんか明美ちゃん余裕あるじゃない。どうして、自信あるの?」
二号「いや、だってねえ。」

とちらと後ろを振り返る。明美一号がにこぱと手を振って返して来る。

二号「実際後ろに居るから、あんまりそんな心細いって感じないかな。」
美矩「すごー。やっぱ歴戦の勇士って感じ。」
二号「かもしれないねー。ね、鳴海ちゃん、なんか心細いって感じしないよね。」

 足元にしゃがんでごしごしと戦闘用バットを磨いていた鳴海に頭上から二号は話し掛ける。ひょいと顔を上げて振り返った鳴海は、確かにこの春までとは違い少し大人びて見える。美人度が増しているというだけではなく、面差しが姉である志穂美に重なるのだ。髪が少し伸びてツインテールのおさげが収まりが悪くなった、というのも影響しているようだ。

鳴海「え、そうですねえー。最悪の状況、というわけじゃないですから、そんなに感じないですね。」
二号「だよね。一号先輩と二人で敵中に孤立した時の方がよっぽど怖かったよ。」
鳴海「わたしも聖さんと孤立した時は、もうダメかと思いました。あれに比べればまだこの陣容ならなんとかなるなる。」
二号「なるなる。」

釈「う〜、きんちょーするー。」

 

 南はバッターボックスに入る前に主審であるしるくに挨拶をする。が、しるくは既に公正無私の審判に成り切っていて目でしか挨拶しない。南はついでエンジェルスキャッチャーの米山みらいの顔を覗きこむ。一年生であるからエンジェルスのメンバーをほとんど知らないので、この機に全員を覚えてようというつもりだ。

南「ちぇく。」
みらい「なんだい。」

 南がちゃんとバッターボックスに入った事を確認し、一二塁間に居る副審大楠にアイコンタクトで合図して、しるくは右手を上げ厳かに高らかに宣言する。

「プレイボール!!」

 

「始まったわ。」

 通り一本離れた松林の中からウエンディズとエンジェルスの試合を密かに観察していた清水美鈴がオペラグラスを覗いたまま呟いた。居並ぶ桂林棒手振社中のメンバーに一気に緊張感が走る。

 桂林棒手振社中のメンバーは14名、但し日本舞踊部の助っ人を狩り集めると30人を越す大軍となる。桂林棒手振社中の強味はこの人数にあり、たとえ練度の低いメンバーが混じっていても日頃鍛えた群舞の要領でタイミングの揃った集団による連撃を繰り出して敵に付け入る隙を与えない。その為に使われるのが通称”桂林バトン”と呼ばれる花飾りの付いた二本のバチである。主要兵器が固定されているから練習時間を集中して練度の低いメンバーをも速成で十分戦闘力に出来る。ユニフォームである五色の花模様を染め抜いた法被を被ってこのバトンを携え額に色鮮やかな鉢巻なり花笠なりを被ると、誰が見てもおめでたく華やかでとても集団格闘するようには見えない。ものすごく目立つ反面この扮装を解くと本隊がカモフラージュとなって、近所に伏勢を置いても誰にも気付かれないという効果もある。野球に併せての二重三重の擬装を駆使して、日常生活内で奇襲攻撃を掛けるのが桂林得意の戦術である。

徳俵「どう、エンジェルスの新チームは強そう?」
清水「そうね、二年生は見たことあるのばっかりだわ。戦力減退は無いみたいね。」
徳俵「ではやはり、ウエンディズを襲いましょう。」

 徳俵幸は今回の襲撃には反対であったが、ここまで出向いてしまった以上は全力を尽さねばならないと諦めた。やるからには勝たねばならぬが、しかし帰り際というのは頂けない。弱くて負けそうでも、未だ戦闘力を保持した状態のウエンディズを打ち破らない事には襲撃の意味が無い。カウントに数えられないのだ。試合中の他チーム乱入には厳密な規則が存在し、グラウンド上の正規レギュラーメンバーをグラウンド内で打倒し勝利条件である敵キャプテンを降伏あるいは失神等戦闘不能状態に追い込まねば、公式には襲撃が成立しない。これを「推参」と呼ぶのだが、正直言って桂林棒手振社中はやった事が無い。逆に出たとこ勝負に強いエンジェルスは常習者で勝ち数の3割がそうだったりする。だからエンジェルスに推参を掛けるのは無謀で、エンジェルスがベンチに引っ込んでいる攻撃時が推参のタイミングとなる。

 樹の陰から小手をかざしてグラウンドの様子を眺めていた京本紀香が怪訝な顔をして振り返る。

京本「ウエンディズのメンバーが、思ったよりも小さくないですね。小さい子もいるけれど。」
清水「そうね。どぐめきらと比べても平均身長あるみたいね。さすがに中学生を実戦に投入しようというのだから、選ってきたのでしょう。」
徳俵「三年生は何人居るの。」
清水「蒲生さんでしょ、主審が衣川のうゐさまでしょ、一号明美さんにあの小さいのは眼鏡の、くりくりした頭の、」
徳俵「祐木聖さんでしょ、無口だけれども歌の上手な。フロントがうゐさましか居ないけれど、蒲生さんはめんどうね。」
京本「蒲生キャプテンは襲撃前に排除しておいた方がよろしくないでしょうか。」
清水「一理あるわ。それにあのバカ声は、推参した方がひいてしまう迫力があるわ。」
徳俵「では誘い出して拘束しましょう。」

清水「可能ならば桜川さんも。」
徳俵「ええ。」

「頭取、なんか試合変ですよ。エンジェルスが打たれてます。」

 清水美鈴からオペラグラスを借りて試合状況を観察していた二年生の寺門墨江が異変を報告した。彼女は今回の作戦で重要な役を振られている。スリムで瞬発力に富むスピードタイプの選手だ。

清水「どうして。打たれるようなピッチャーじゃないでしょ、樹さんは。」
寺門「でももう満塁です。」
清水「まさか!」

 徳俵がオペラグラスをひったくってグラウンドを眺め回す。確かにウエンディズ側は塁をすべて埋めておりエンジェルスは走者に対して各個撃破の闘争を仕掛けたりもしない。ベンチも静まり返っている。

徳俵「まるでわざと打たせているみたい、・・・・あ、いや、打たせてるんだわ。」
清水「ハンデってこと?」

 松の木に半分登って眺めていた清水美鈴は、堪え切れずにずるると滑り落ちて、皆に向き直って言った。

清水「エンジェルスはたっぷり時間を掛けてウエンディズをいたぶるつもりみたいだわ。」
徳俵「そうでもしなければ試合が成り立たないのでしょう。十分有り得る事です。」
清水「ウチが対戦しても、ハンデをあげるでしょうね。でも今回は別よ。遠慮なく勝ちを取らせて頂くわ。」
京本「やはり推参でグラウンド上で殲滅するのですね。ハンデなしで。」
清水「ええ。蒲生さんも桜川さんも、ハプニングはお好きでしょうから、お望みの通りの状況を与えて差し上げましょう。これも観音様のお慈悲です。」

 桂林棒手振社中のメンバーは揃って合掌して、作戦を開始した。

 

 グラウンド上でのエンジェルス対ウエンディズの試合は予想に反して一方的な状況に成りつつある。一回表2アウトでエンジェルスは既に5点を失いなおも満塁である。最初はハンデだろうということで任せきりにしていた桜川良子もさすがに焦れてきた。予想外にウエンディズ、いやピンクペリカンズの打撃が良かったのだ。

 これには少し理由がある。城下中学校女子ソフトボール部が人間関係のもつれからこの春解散し、ピンクペリカンズが女子で唯一野球をする集団になってしまい、野球、ソフトボール好きの女子生徒が勘違いして寄ってきたのだ。ピンクペリカンズ隊長の桔花はその期待に応える必要を感じ、ピンクペリカンズ分室マトモニ野球ヲヤロウ会を立ち上げた。ピンクペリカンズはこれと練習をしている内に、いつの間にか純粋な野球技術も結構使えるようになった。マトモニ〜会のメンバーがピンクペリカンズの正規隊士になろうとしないのは、志穂美先輩のSHIGOKIが見た目非常に恐ろしいから、というのが一番の理由である。

桜川「いくらなんでも、サービスし過ぎだろ、これは。」
紂子「ちょっと、予想外だわね。せめてビーンボールくらいは駆使してもいいんじゃない。」

 だが三年生は堪忍袋の緒を締め直して口出ししたいのを我慢した。マウンド上の樹にも三年生の不満はひしと伝わってきて、さすがに方向転換しようという気になってくる。キャッチャー米山が樹の元にやって来た。

米山「打者一巡したから、刺しに行く?」
樹「うー、いや、とりあえずこの回はまともに行こう。それにしてもウチの外野はあれはなんだ。」
米山「あー、ちょっと無様だな。一年、後でシメよう。」

 樹はウエンディズに打ち易い球を投げてはいるが守備にまで手を抜けとは言ってない。新メンバーがどの程度使えるかを見るための試合であるのだから、野球技術に関してはあえて指示無しで通したのだが、ちょっと早いライナー性の打球をぼろぼろと後ろに逸らしてフェンスまで拾いに行くという例が多発している。この手の打球はオフサイド制、つまり外野より前に打球を落さねばならないルールを採用するゲリラ的美少女リーグでは当たり前のように出るのだから、深刻な事態だ。エンジェルスのショートレフトライトの一年生は未熟さを曝け出している。

米山「樫村下げて外野は全員一年生にしてみよう。責任がはっきりするように。」
樹「うむ。」

 米山が戻って試合が再開される。打順は二番。合田苗子だ。苗子も先程レフト前で順当にヒットを飛ばしている。ウエンディズの打順は南、苗子、鳴海、明美二号、美鳥、桔花、シャクティ、美矩、しづ。第一打席でしづは三振、シャクティは二塁上でアウトになって、現在塁上には桔花、美矩、南洋子が居る。

 

 苗子が右バッターボックスで構えた時、後ろからキャッチャー米山が話し掛けてきた。ゲリラ的美少女野球では試合中の会話に特に規定は無い。会話で集中力を途切れさせたり脅かして振り損なわせたり、あるいはいきなり殴っても可なのだ。ただしベンチに最も近いホームベース上でそんなことをすれば、両軍突入衝突の中心となりサンドイッチ集中砲火を浴びるのが必定。死を覚悟せねばならない。

米山「おう、中学生。サービスはここまでだ。次からは当てて来るぞ。」
苗子「御親切にどうも。」

 苗子にしてもそれは願ったり叶ったり。今日の試合の為に必死で練習してきた元々の対策をやっと使えるのだから、否とは言わない。むしろ、こうも簡単に打たせてくれるのに薄気味悪さを感じていた。ようやっと本番に到るという心境だ。

「・・ひょっ。」

 ウエンディズベンチおよび走者一同が皆息を呑んだ。まるっきりのデッドボールが苗子の喉元に迫る必殺コースでいきなり飛び込んできた。樹もエンジェルスの新キャプテンでありエースであるのだから、このくらいの必殺球は普通に投げて来る。だが苗子も瞬時に見切ってその場に転び、かろうじて難を避ける。米山の警告が無ければかわせなかったかも、と思わせるぎりぎりのタイミングだ。とても打ち返すなど出来ない。

 これに一番反応したのはピンクペリカンズの一二年生だった。彼女達は、自分達の上級生が初めて実戦で本気の攻撃を受ける所を間近で見たことになる。ウエンディズの試合に鳴海や苗子がしばしば抜擢されるのを応援したことはあるが、その時はウエンディズ正規メンバーががっちり固めている中での攻防で見る方も余裕があった。だが自分達が主役になる、という状況下ではひしと伝わって来る切迫感の桁が違う。身の毛がよだつとかおしっこもらしそう、とかの身体的感覚でしか表現できない緊張が走り、浮き足立ってしまう。

 だが本当にびびっていたのは塁上の桔花、美矩、南洋子だ。

桔花「これは、・・・・・死ぬかもしれない・・・・。」

 三塁上、つまりエンジェルスベンチに最も近い場所に居る桔花は最初に殲滅される位置に有る。ウエンディズの先輩方の戦い方では、最も自陣から離れて敵の集団に襲われた場合、ひたすら逃げて味方に合流するなどは不可能。下手に逃げると背中から追撃をくらい、そのまま味方の隊列に飛び込んで陣形を乱し、戦線崩壊も招きかねない。勝つ為には、最低でもここに10秒は留まり敵を足留めせねばならない。しかし、そう思って観察すると、エンジェルス三塁守備の杉下さゆりの細長い手足が自分に絡みついてくるようで巨乳に口を塞がれて呼吸を止められてしまいそうで、とても正視出来ない。

 こういう時尊敬する蒲生弥生さまはどうするか、と言えば、弥生ちゃんはそもそもこのシチュエーションでは攻められない。セオリー上確実に潰せるメンバーもしくはフロントの最重要戦力を足留めする、という風に決まっている。隊長なんか狙ってもさっさと逃げてしまうだけだ。最もよく狙われるのがウエンディズ最弱の明美一号や聖先輩で、常に狙われるから慣れている上に対処法も十分熟知していて、襲われても本隊布陣の時間をばっちり稼いでくれる。軽く落せそうに見えてなかなか潰れない、名うての悪女みたいな誘い方をしているわけだ。桔花程度では遠く及ばない実戦の持つ重みをイヤでも感じざるを得ず、習い覚える為には自らも死地に飛び込まねばならないと覚悟はしていても、怖いものはコワイのだ。

米山「おいおい。」

 起き上がった苗子は土埃をぱたぱたとはたくとあからさまにバットを自分の真っ正面にカタナのように構える。ソードアウトの体勢でデッドボール対策としては初歩であり基本なのだが、ここまで真正直に構えると普通のストライクを投げられたら対応出来ず簡単にアウトを取られてしまう。もう少し、打つ気を見せてくれないと試合の格好がつかない。

樹「むう。」

 樹はこの構えを、当然と見た。合田苗子はウエンディズ正規メンバーに混じって試合にもちょくちょく出ている、とは知っていたが所詮は中学生でありデッドボールに対して自分の身を第一に護りにいくのは極めて妥当だ、と理解した。たぶんウエンディズの上層部からそういう指令が出ているのだろうと。勝ちは遠いと覚悟の上で経験を積むのがウエンディズの目的なのだから、早々に潰されないよう安全第一で行くというのはそれはそれで正しいだろう。だとしても、樹が遠慮する必要は無いはずだ。

苗子「!」

 樹の第二球はソードアウトを構える打者に対する正統なアプローチとしての、手元に食い込んで来る中段のデッドボール、かわせない球だ。自らバットに当てに行くしか身を護ることは出来ず、当たったボールはピッチャー前に転がりいいようにされてしまう、ハメ球だ。しかし苗子は練習の通りに膝を折って姿勢を下げ、真正面に切り払った。ボールは樹の右の踵裏を抜け大きく跳ね上がり、二塁前に落ちた。

樹「ち!」
米山「やられた!」

 この技は現在主審のしるくが良く使うピッチャー返しの一打法「拝み斬り」で、通常なら投げたのと同様にピッチャーの手元に食い込んで行くライナーになる。さすがに完璧にコピーすることは出来なかった為足元に飛んだのが幸いしてまんまとヒットをせしめてしまう。

桔花「しゃ、」

 桔花は必死で走った。エンジェルスが全軍殺到して来る前にホームを駆け抜けてベンチで合流しようと、ただ前だけを見て突っ込んだ。が、その必死さは状況とはあまり関係なく、すんなりと一点を追加する。惨劇は二塁上で繰り広げられた。
 二塁前に落ちたボールをそのままセカンド稲葉が追い、捕球した時はすでに一塁走者南洋子は二塁に突っ込むところだった。稲葉は二塁にベースカバーで入った一年生のショートに送球するも、南の後頭部に見事着弾、跳ね返ってきたボールを再び捕球する。いきなり背後からの攻撃を受けて倒れ込んだ南はショートの膝に顎をぶつけてその場に倒れる。再度の送球を受けたショートが追い打ちを掛けるように頭上からグローブでアタックするも、南反応ナシ。あからさまにセーフ以外の場合ゲリラ的美少女野球のルールでは交戦して結果的に立っている方が正当ということになる。副審大楠は判定アウト。三塁美矩残塁でチェンジ、となる。

 大急ぎで二塁に集合したウエンディズのメンバーだったが、引き起こして見ると南洋子ははっと気が付いた。ショックでなにがなんだかわからなくなっていたようで、正気づくとぱぱっと機敏に立ち上がった。しかし顎のあたりが少し赤くなっている。衝突した相手が同じ未熟な一年生で衝撃を殺す安全な蹴り方に熟達していなかったのが原因だ。二年生ともなれば、打撃力と破壊力をコントロールして決して怪我はさせないが確実に打倒する術を心得ている。骨とか顎とかの傷つき易い箇所へ不本意な打撃を当ててしまう、といったヘマはそんなには無い。明美二号がチェックした結果、身体的ダメージはそれほどではないがとにもかくにも一瞬意識が飛んだかもしれないのでしばらく休憩させる事とする。代役は灰崎ほのかでウエンディズは守備に散って行った。

 

南「すいません。」

 ベンチに戻ってきた南洋子はとりあえず明美一号と聖に謝罪した。なにが悪かったとも思わないがともかく謝らなければならないと、やみくもにそう思った。

明美「まあ、背中に目は付いてないんだから仕方ないけれど。」
聖「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
明美「ふむ。前から思っていたんだけれど、あなたってちょっと人と感覚がズレてる、って聖ちゃん言ってるよ。身体イメージが実際より少し右手にズレてるって。」
南「は?」

 なんのことだかさっぱり分からない。直接聖先輩の顔を見たけれど、詳しく教えてくれそうにはなかった。もちろん一号先輩はそんな難しい事分からない。困ってベンチ裏の高い位置に陣取っている弥生キャプテンに尋ねてみた。

弥生「つまり、自分で思ってるよりも実際の体の位置がすこし内より左寄りなのよ。右手が長いと思いこんでいる、そんなとこね。」
南「あの、そういうことが起り得るんでしょうか。自分の体なんですよ。」
弥生「特に珍しくもない。目を瞑って歩いてみれば誰だって自分の思い通りにまっすぐ歩けないのと同じよ。普通は目で補正しているから気付かないし支障も無いんだけれど、手足を夢中で振り回した際に、あなたは思ったよりも手が伸びていなくて対象物にリーチが足りてない。今も、顔を庇う積もりで一瞬のそれまた半分遅れたみたいね。聖ちゃんには見えたようだけれど。」

 南は唖然とする。そんな微妙な皮膚感覚までもが影響するなんて想像だにしなかった。と言うよりもこれまで三ヶ月ゲリラ的美少女野球、厭兵術を練習してきてそこまで深い話を聞かされたのは今が初めてだ。身体感覚がズレていると言われてもどう修正すればいいのか、見当もつかない。

南「どうすれば、いいでしょう・・・・。」
弥生「なに、簡単なことで、木刀を振り回していれば普通に修正されるから大丈夫。木刀で狙ったものを確実に叩くという練習を夏合宿でするから心配しない。」
南「あ、それって、誰でもごく普通にあることなんですか。」
弥生「無いのが理想。でも全身の身体イメージと本物の体とが完全にマッチしているのは、よっぽどの達人、うちではしるくだけよ。」
南「はー、深い。ちえっく!」

 

 ウエンディズの守備隊形は、ピッチャーが鳴海、キャッチャーが明美二号、内野は苗子、桔花、美矩、ほのか。外野はシャクティ、美鳥、しづとなる。ほのかが守るショートは本来は南洋子のポジションだ。今回鳴海がピッチャーをするのは最も試合慣れしているのと、キャッチャーという危険な場所を中学生に守らせるのはリスクが大き過ぎるからで、苦渋の選択に近いものがある。キャプテンである明美二号が常に敵の奇襲に曝されるのだから、これは危ない。しかし他にこの任に耐える人間が居ないのだから、致し方ない。

弥生「あー、美鳥だな、キャッチャーをやるべきなのは。」
明美「ほんとだ。二号にピッチャーをやらせる為には、美鳥くらい頑丈そうなのをキャッチャーに据えなければならないのね。」
弥生「合宿で美鳥をそういう風に特訓しよう。ほんとうにあの娘はふぁの後継者になってしまうんだね。」

 マウンド上の相原鳴海は、興奮と緊張の極みにある。やっとここまで来たか、という感で胸がいっぱいになった。いつもショートの位置からその後ろ姿ばかり見ていた弥生ちゃんの場所に、今自分が居るというのはまるで夢のようでもあるし、悪夢のようでもある。ここに立って初めてキャプテンという地位の重みを真に理解したと思う。気がつくと、ホームベースから明美二号キャプテンが心配そうな顔をして駆けて来る。何事か、と思ったら、

二号「鳴海ちゃん、入れ込み過ぎ。」
鳴海「あ。・・・すいません、舞上がっちゃって。」
二号「打たれて当然、軽い気で行こう。策はあるんだから。」
鳴海「はい。」

 鳴海の額の鉢巻をぎゅっと締め直してあげて、明美二号が再びキャッチャーボックスに戻る。主審であるしるく先輩の表情をちらと伺うが、公正無私モードに入っている為ににこりともしてくれなかった。ちょっと悲しいが仕方がない。右バッターボックスにエンジェルスの選手が入って、しるくはプレイを宣告する。でも背中の上で小さな声で「頑張れ」というのを明美二号は確かに聞いた。

 

「蒲生弥生さまですね。ウエンディズ総裁の。」

 弥生ちゃんは右後方45度5メートルの位置からおそるおそるに声を掛けられて振り向いた。そこには見た事のない女の子が立っている。弥生ちゃんが見たことが無いということは、門代高校の生徒ではない。だがいかにも学校の体操着らしきものに身を包んでいるので、どこかのチームの一年生隊員と見た。それに、真後ろではなく、斜め後方の視界にぎりぎり入る方向から声を掛けたのはゲリラ的美少女野球リーグの礼儀に叶っている。真後ろ近くから声を掛けるのは無礼というよりも闇討ちの作法で、不用意にそんな真似をすれば警告無しの逆撃を食らっても仕方ない。

「桂林棒手振社中の者です。頭取の清水が蒲生さまに折入って御相談したいとのことで、お出で願いたいのですが、いかがでしょう。」

 大変丁寧な物言いで弥生ちゃんもそれに礼をもって応えねばならなかった。ベンチ裏で監督している聖ちゃんにちょっと手を挙げて離れることを告げると、その子についてグラウンドを出て行った。

 試合をやっているグラウンドのフェンスの金網をぐるっと回って公園の林を抜け、遊具の据えられている児童小公園にまで5分も掛かって歩いて行く。その間ずっと日向を歩かされ麦わら帽子を被っているとはいえ暑さに弱い弥生ちゃんはいいかげん機嫌が悪くなってくる。このままではいずれ論理性が失われ理性的な対応が難しい状態に陥る。もう少し進行すると、ふいに電源が落ちたようにくたっとなってしまうのだが、そこに到る前に目的地に到着し桂林棒手振社中の面々と対面した。

 彼女たちの姿を見て、弥生ちゃんは不審の表情を浮かべる。全員が桂林棒手振社中の正装だったからだ。派手な五色の花模様の法被に花笠、両の手には桂林花バトン。野球の装備を携えてないから試合では無かろう。彼女たちはこの格好でよくお祭りやらイベントに出動して踊りを披露するから、今日もまたそうではないか、と弥生ちゃんは考えた。もっとマトモな精神状態なら襲撃の可能性も考えたのだろうが。

弥生「ひさしぶり。なに?」

清水「まあ蒲生さん、ごきげんよう。ついにウエンディズも次代を担う人材を得てあんたたちも引退できるようになったのね。」
弥生「いや、引退は卒業まで無いけれど、まあ下の子達も頑張ってくれてるのは嬉しいかな。で、なに?」
清水「そういえば衣川のうゐさまが主審をなさってましたね。うらやましい、本来ならあの方はウチのような女子高に進学なさるはずだったのに、悔しいわ。同じ歳で同級生になれたのに、今は敵同士なんて。」
弥生「あ、そうね。しるくはお姫様だからそれが本当だよね。なんかしるくも変り者なんだよね、そういえば。男の子が居ないから、て理由でそっちじゃなくてウチに来たんだから。女の子相手じゃあ剣の修行にならないもんね。それはご愁傷さま。で、なに?」

清水「でもエンジェルスの二軍は結構強そうね。やはり桜川さんの薫陶よろしく勇猛果敢? なのかしら。遠目で拝見させてもらってもなかなかの活躍ぶりじゃないかしら。」
弥生「もっと近くで観戦すれば良かったのに。さだかではないけれど、どこかそのへんにドグメキラの偵察部隊が来てるはずだよ。」
清水「あらそう? そうね、当然次のチームの強弱を判定する為にデータ収集してるわよね。」
弥生「で、なに?」

 日向に立たされたまま他愛のない社交辞令が続いて行く。弥生ちゃんが暑さに弱いことを計算しての策であるのだが、あまりにも普通なので弥生ちゃん本人にすら気付かれない。桂林棒手振社中は下級生の指導が行き届いて色々な御接待用品も持ち歩いていて、立ったままの弥生ちゃんに日傘も差しかけてくれる。気の毒だから弥生ちゃんはそれを丁寧に断るが、つまりそのまま直射日光のただ中に立ち尽くすのを自ら続ける事になる。
 清水美鈴は自分も花笠を脱いで弥生ちゃんとの立ち話を続ける。相手が笠を脱いだ以上、自分も麦わら帽子を被ったままというのも礼儀に反するかな、と弥生ちゃんも釣られて脱いでしまう。なんとなく清川八郎暗殺の場面を想像する。

弥生「それで用件はなに?」
清水「それなんですが、私たちのチームもようやっと体制が整って参りまして、まともな試合が出来る状態にまで回復を果たす事が出来たのです。」
弥生「ああ、春先はひどかったもんね、12連敗だっけ。」
清水「8連敗で13敗です。しかしこれからはそうは参りませんよ。」
弥生「ああ、夏合宿の最中にでも対戦を組もうか。じゃあ朝方かナイターか、で。」

清水「それもよろしいのですが、問題は橘家弓さまをお迎えしての講習会です。蒲生さんは演武なさいますか。我が桂林棒手振社中では卒業生が群舞闘を披露しますが。」
弥生「それはー、不甲斐ないことだけどウエンディズは歴史が無いから、流祖様にお見せ出来るような何物も無いのよ。ざんねんだわ。なんとかしてしるく一人くらいは出場させたいのだけれど、どうにかならないかな。」
清水「それは、戦処女の方に相談なさったらよいわ。あそこの卒業生ならばうゐさまを引き立ててくださるでしょう。」
弥生「そうねー。でも講習会のことはウチは相原が一手に引き受けてるから、私では分かりかねることがあるのよ。また別の機会に相談しましょう。それだけ?」
清水「いえ、実は貴女にご相談があるというのは私ではなくて、こちらの寺門ですの。」

 意外な成り行きに弥生ちゃんは混乱した。清水美鈴の左手から一歩出た少女は、試合の時に見かけたという程度でもちろん話をした事も無い。ウエンディズの他のメンバーで彼女と連絡を付けているという者も無かったはずだ。先が予想できなくてしばしぼーっとしてしまう。昼天高く照りつける真夏の太陽で、弥生ちゃんの艶やか真っ黒トカゲしっぽヘアのつむじあたりがじりじりと焼けていく。

寺門「こんにちは。ごきげんよう。」
弥生「ごきげんよう。・・・て、えとー、あなたは、いえ顔と名前は一応知っているのだけれど、何かしらね用事って。」

 寺門墨絵は頭取である清水に倣って花笠を脱いで隣の二年生隊員に渡した。この花笠は、形こそ普通に盆踊りとかで女人が被るそれに似ているが紙と漆で塗り固められている陣笠と同じ素材であり強度は抜群、投石くらいではびくともしない。つまりこれを被る桂林棒手振社中は防御力ではゲリラ的美少女リーグ随一となる。寺門はついでに法被まで脱いで体操着姿になったので弥生ちゃんは目を丸くする。

弥生「・・・なに?」

寺門「・・・・・・・・やーい、なまこぉー。」

 言うや否や寺門は後ろを向いて一目散に駆け出した。瞬時我を失った弥生ちゃんも、脱兎のごとく駆け出して彼女を追って行く。「蒲生 弥生」姓名共に「生」の字が付くために小学生の頃から弥生ちゃんを罵る言葉は常に「なまこ」だった。これを言われると弥生ちゃんはぶち切れて前後の見境もなく攻撃して、小学生の時は随分と怒られたものだ。その逸話は、昔から神童として名高く行動力抜群で評判も高いから、弥生ちゃんと同じ地区出身の生徒によりどの学校にももたらされ、どのチームも一様に知っている。故に弥生ちゃんを怒らせる、あるいは屈辱を浴びせる時に普通に使うものだ。
 果たして弥生ちゃんは前後の見境もなく寺門墨絵を追いかけて行く。それがどういう意味と目的を持つのかまるで考え無しに、だ。弥生ちゃんも脚は相当に早いが、桂林棒手振社中随一の俊足を誇る寺門だ、そう簡単には捕まらない。ずいぶんと時間を稼いでくれるだろう。京本が差し出すスポーツドリンクを一口啜って、清水は全隊員に宣言する。

清水「では第二幕と参りましょう。」

 

 フェンス下の壁に隠れて桂林棒手振社中は試合が行われているグラウンドにこっそりと近づいていく。偵察に出していた二年生に合図を送ると、さり気なく戻ってきて合流する。彼女はいかにも夏のお嬢さん風恋人待ちという扮装をしていた為に極めて近い場所で観ていたにも関らずエンジェルスウエンディズ双方に気付かれなかった。化粧までばっちりしているから、ほんとにこのままデートに行ける。

清水「戦況は。」

「やはりエンジェルスです。すでに三点を取り返してまして、ウエンディズの一塁が負傷しました。さっき引っ込んだ髪がおかっぱの一年生が一塁に換りました。」
徳俵「エンジェルスはすでに乱闘をした?」
「いえ、個別の格闘の結果です。どうやらエンジェルスはよっぽどの事がない限り集団戦には及ばないようです。」
徳俵「とりあえず、得点で上まわらない限りは試合の続行を優先する気だわ。」
清水「そうね。後で、野球なら勝っていた、とか言われてしまうものね。」

「あ、」
清水「なに?」
「チェンジしました。ウエンディズの攻撃です。」
清水「ち。しばらく待機!」

 エンジェルスが守備位置に散って行く後ろ姿を見送って、桜川は隣の柏に話し掛ける。

桜川「ウエンディズは良くやっているじゃない。」
紂子「二塁上で集団で捕殺、ね。一対一では絶対に勝てないから一番人数を多く集められる二塁で潰す。セオリー通りと言えばそうだけど、普通なら救援が入ってすぐ集団戦に突入しちゃうんじゃない。」
桜川「いや、人数が固まっているから陣形を組んですぐ対抗できるし、そのままベンチに下がって亀になればおいそれとは手が出せない。ほら、ベンチの装備を見なよ。」

 今日のウエンディズベンチには長モノが十分に用意されている。盾まであるし投擲兵器も準備してある。篭城されてはグラウンド上の乱戦を得意とするエンジェルスでは攻めあぐねる。弱いながらもウエンディズ側はちゃんと考えているのだ。

紂子「うん。じゃあ相手を引っ張り出すしかないね。」
桜川「樹はそこんとこどうするかな。一回くらいは乱闘もしなきゃ許さないぞ。」

 エンジェルス三塁の杉下はその話をしっかり聞いていた。これはマズイとマウントにとことこ走って樹と相談する。樹たちはこの回も野球勝負をするつもりだったが、上の先輩が展開に焦れてるとなると作戦変更をせざるを得ない。ホームから米山も呼んで打ち合わせをして、見せ場を作らねばなるまいと方針を変えた。

 ウエンディズベンチもその様子を敏感に察知する。当然1回と同様の展開はあるまいと覚悟は決めていたのだが、得点をあげる事をきっぱりと諦めて事前の策に立ち戻ることを全員に通達する。

 

しるく「プレイ!」

 ウエンディズ3番鳴海がこの回の先頭バッター、前回はセンター前ヒットを飛ばしたがそれは樹の手加減した打ち頃のボールだった為で、次はそうはいくまいと覚悟を決めている。しかし、歴戦の勇士である鳴海と明美二号はただ打てば良い、乱闘をすれば良いという訳にはいかず、敵にボディブローのようなダメージを蓄積させて戦力を削ぎ味方の援護とする必要があった。

樹「ぐわあああああ。」

 鳴海は大健闘して、場外ホームランを含む17本のファールとオフサイドを連発する。ボール拾いは当然守備側が負担するので、グラウンド上のエンジェルスメンバーは右に左にグラウンドの外にと走り回される。一度などは桂林棒手振社中が潜んでいるグラウンド脇の道路にまでボールが転げてきて清水等を青ざめさせた。

 結局は鳴海は20球目にデッドボールを食らってアウトになるも、ベンチの大健闘を称える拍手で迎えられる。

一号「すごいすごい、鳴海ちゃん! 大活躍だ。」
桔花「ほんと、ホームランまで出た時はどうしようかと思ったわよ。」
シャクティ「いやー、まるで岩鬼が失神した時のドカベンみたいだわ。ほんと、マンガみたい。」
しづ「いわき? どか弁?」
鳴海「えへえへ、でもちょっと自分も疲れちゃった。」

 ネクストバッターズサークルから明美二号がよいしょとバッターボックスに入って来るのを留めて、キャッチャーの米山みらいはマウンドに向かう。

米山「次も同じ手で来る気だ。どうする、歩かせる?」
樹「そんな事したら逃げたと思われるじゃない。ファールが20が100本でも、投げ続けるわよ。」
米山「デッドボールという手もあるわよ。」
樹「明美一号二号にそんなもの当たるわけないでしょ。ストライクに投げ続けるしかない。」
米山「ガチンコの耐久力勝負ね。よしわかった。こうなればウチの外野手の走力テストだ。」

 1回の守備の反省から外野手は全員一年生に入れ換えている。鳴海のファールがよく効いたのも、二年生が外野に交じっていなかった為でもある。野球能力の低さではエンジェルス一年生もウエンディズと大差無い。
 キャッチャーボックスに戻ってきた米山は、明美二号に後ろから話し掛ける。

米山「打てるものなら打ってみろ、ということになった。」
二号「いやー、むしろデッドボールなんか楽なんだけど。」

 デッドボールの脅威に長年さらされ続けてきた二人の明美に、それはもはや何の意味も無い。うまく逃げて当たらないし当たってもちっとも痛くない場所で受ける。普通のデッドボールはバッターが入れ込んでいる所に当てるからこそ効果が有るが、最初からデッドボールに備えている明美達には軟球の直撃など何ほどもなく、当たって落ちた球を場外にかっ飛ばして外野に拾いに行かせる余裕もある。ちっとも痛がらないデッドボールは意味無しということで、ゲリラ的美少女ルールでは単なるファウルにカウントされるのだ。
 明美二号は、30本打った。その内の10本はエンジェルスベンチに直撃で一年生部員二三人にヒット、また10本はピンクペリカンズ中学一二年生が座る位置に打ち込んで阿鼻叫喚の地獄絵図を描き出す。最後には疲れ果ててバットを振れなくなり、見逃し三振で終わった。

桜川「むしろ、感謝するべきだろうな。」

 エンジェルス外野陣は総崩れ、全力ダッシュを繰り返して息も絶え絶えになり、二年生の若竹と稲葉に叱咤されている。格闘だけでなく走り込みもしなければ、と夏合宿メニューがどんどん組み上がって行く。

 いきなり球数を投げた樹を心配して米山杉下がマウンドに走って来る。樹も右手が痺れるらしくしきりに手を振っている。

樹「くそー、ヒッティングの練習をあれだけ積んでいたとは、情報も当てにならないな。連中はピッチャー狙いに特化してるんじゃなかったのか。」
杉下「あの二人はウエンディズオリジナルメンバーだもん。三年生と同じと思っとかないと。」
樹「次はぶち当てに行く。ささっとこの回終わらせる。」
米山「・・うん。ま、ちょっと打たれ過ぎたしね。次は一年だからうまく当たるだろ。」

 5番の江良美鳥は身体も大きいし力もあり相当遠くまで打球を届かせる、今の疲労昏倍したエンジェルス外野陣にはイヤな選手だから樹はさくっとデッドボールで片づける気になった。これを潰せばスリーアウトチェンジで休みが取れる。ウエンディズピッチャー鳴海にも今とそっくり同じのファウル外野攻勢で球数投げさせ球威を落させて大量得点に繋げよう、と決めた。さすがにこれ以上の失点は桜川キャプテンも許してくれないだろう。

 美鳥も右バッターボックスに入り、無造作に素振りをする。なんとなくキャッチャー米山に当たりそうで主審しるくが注意すると、美鳥は素直にそれを聞いて一歩前進して十分なスペースを作るとまた大きく素振りをする。どうやらこれは一種の示威行動らしいと判断して米山は樹に合図を送る。樹はさきほどの明美二号での失敗から修正してまず第一球は打てそうな感じの球を投げて打ち気にさせてからデッドボールを確実にぶち当てようと思った。どまんなか低めというなかなか良さそうなボールで試してみる。果たして美鳥は素直にバットを振り回す。ほとんどゴルフのスイングの形で振りぬいた球はまっすぐ樹の顔面に向けて飛び額の5cm上を凄まじい威力を秘めてすり抜けて行く。美鳥は事前の対策演習に素直に倣ってピッチャーライナーによる攻撃を行ったに過ぎないのだが、しかしボールは大きくセンターの後ろを越えて遥か遠くフェンス根元のブロック塀にまで到達する。普通の試合ならば文句なしに二塁打だが、ゲリラ的美少女ルールでは残念ながらオフサイドでファウルになる。しかし、あんな球を顔面に受けていたら自分はどうなっただろうか、と想像して樹はぞっとした。確かにこいつは早めに片づけた方が良さそうだ。

 樹は第二球をごく普通に投げた。これも相手の打ち気を誘うセオリー通りの球筋だが、美鳥はこれは見送った。外角低めという美鳥には難しい球だったからで特に考えは無かったが、エンジェルス側では受け止め方が違った。ピッチャー返しに最適な球ではなかった為に見送ったのだ、と修正を加えて来る。第三球は内角胸元を抉って来るデッドボール。この球は癖玉で、マウンドのプレートの長さを利用して構えるバッターの身体の真正面に鋭角で食い込んで来る回避不能コースだ。それでいてバッターには内角ぎりぎりのストライクになるように見えるというおまけ付き。必ず振って来るしピッチャー返しにも不適で、ソードアウトで斬り払う以外防ぐ事が出来ない必殺球だ。

 美鳥ももちろんソードアウトの練習を随分と積んでいるのだが判断が遅れた。狙いも付けず夢中で振り回したらたまたま当たり、しかし不運な事に跳ねかえって自分の鼻に当ててしまう。まともに食らうよりも覚悟が無い分衝撃が大きかった。すぱーんとその場にひっくり返り、海坊主が沸いて出るようにぬーっと無言で立ち上がると、うわあんと泣き出してしまう。
 主審しるくはスリーアウトチェンジを宣告するが、美鳥は泣きやまずバッターボックスを離れない。ベンチからシャクティが飛んで行って美鳥の手を引いてベンチに連れ帰る。ベンチに引き上げてきたエンジェルスのメンバーは、まだ泣きやまない美鳥の様子を呆れたように眺めるが、キャッチャーで近くから全てを見ていた米山が言った。

米山「騙されるな。あの手の女は意外とダメージを受けないんだ。泣きやませる為におごったソフトクリームをにこにこ食べてるような口だ。」
若竹「あー、そういう奴もいるなあ。」

 

 しかし、フェンス裏に潜んで試合を観察していた桂林棒手振社中の面々には別の感想があった。

京本「頭取! これはチャンスです。」
清水「わかってます。」

 ウエンディズ主力である明美二号と相原鳴海の二人が過度の打撃攻勢で疲労しているのに加えて最も身長の高い強力な戦力に見える一年生が被弾してダメージを受けている。さらにはエンジェルスも外野陣が左右に走り回されてバテており介入の余地が少ない、となると千載一遇の好機と呼んで差し支えないだろう。慎重な徳俵幸でさえそう思った。

清水「皆さん、本番です。参りますわよ。」

 

 明美二号とシャクティがなだめすかして美鳥を泣きやませ、全員がフィールド上に守備で展開したその時、ウエンディズ側ベンチの背後、先程まで弥生ちゃんが観戦していた道路に面して一段高くなっているグラウンドへの入り口にずらずらずらと五色の法被に身を包んだ桂林棒手振社中のメンバーが美しく二列に並んで静止する。

桜川「なんだ?」
紂子「あ。」

 全員整列した一歩前にひとり、清水美鈴がしずしずと現われ、見栄を切るように花笠に隠れた顔を上げ得意絶頂の表情を見せた。

清水「すいさぁ〜ん」

 言うや否やで清水美鈴を先頭に全員が両手に桂林バトンを振りかざし、グラウンドのウエンディズベンチ裏に駆け降りる。いちはやく事態を認識した明美一号と聖ちゃんは飛び出してしるくが居るホームベースに避難し、ついで明美二号はキャッチャーボックスからマウンド上に駆け出し、走りながら右手を上げメンバーに戦闘態勢を指示する。

二号「フォーメーション Θ!」

 

桜川「Θだって?!」

 ウエンディズ戦闘隊形「フォーメーション Θ」、エンジェルスでは「亀の子隊形」、桂林棒手振社中では「娘道成寺」と呼ばれるそれは、円陣を組んで内部にキャプテンあるいは負傷したメンバーを保護する防御陣形で全周を均等に防御する、相手側が数量的に多い混戦時にこそ使用すべき隊形だ。推参で敵がまっすぐに向かって来るこの状況では完全に間違い、判断ミスと思われた。

桜川「負けたな、」
紂子「おいおい、キャプテン。ウチが推参に介入しないとでも思ってるの?」
桜川「介入しないだろ、したら樹をどついてやるよ。」

 だが柏紂子は桜川に顔を向けず、マウンド上のウエンディズの隊形を眺めていた。

紂子「・・・外野の脚が遅いな。陣形組めてない。」

 外野に散っていたシャクティ、美鳥、しづの三人は深くに守っていた為に、マウンド上に形成されるウエンディズの隊列に参加しきれなかった。既に苗子鳴海桔花美矩で防御線を引いており桂林棒手振社中と衝突していたから、明美二号の指示により三塁側を回って合流する。桂林棒手振社中の襲撃メンバーは14-寺門で13名、10名のウエンディズを数的に圧倒しているが、第二線を引いている明美二号と南洋子、灰崎ほのかが必死に後方に回り込まれるの防いでいる。そして第三列となった外野の三人はシャクティの指示の下、後方に向いて布陣する。

釈「フォーメーション Θ-Δ-3 開始します。」
二号「フォーメーション Θ-Δ-3了解。隊列、整列後退!」

 左右から回り込もうとする桂林の隊員を必死に抑え込みながら、ウエンディズはシャクティの誘導で三塁側に移動を開始する。桂林はそのまま押し込もうとするからどんどん加速が付いてあっという間にエンジェルスベンチにまで到達する。

樹「下がれー! 手を出すな!!」
若林「一年! 挑発に乗るなー!」

 しかし、殺到する両軍の勢いに経験の乏しいエンジェルス一年生は狼狽えるばかりで、遂に二人ほど集団に呑み込まれてしまった。ウエンディズは隊列を左回転させてホームベース寄りにシフトし逆に攻勢に出て、桂林をエンジェルスに押しつけて行く。

樹「仕方がない。このままじゃウチにも被害が及んでしまう。」
米山「全員集結。 隊列、虎しっぽ隊形!」
樹「目標、桂林棒手振社中。 突撃!!」

しるく「これ考えたの、聖さんなの。」

 ホームベース上でしるく、明美一号、聖ちゃんは戦況を見守っている。しるくは主審であるからルール上戦闘に加わることを許されない。重い罰則もあるし、何より名誉の問題だ。
 しるくは振り返って明美一号に尋ねた。戦術的な指導は主としてまゆ子がやるのだが、彼女の戦術は奇を衒うもので多分に弥生ちゃんの強烈な指導力と志穂美しるくといった強力なフロントを活用する魔術的要素が大きい。戦力的に弱体化する下級生チームではより堅実な祐木聖が明美一号の翻訳付きで行っていた。

明美一号「そう。まさか桂林が来るとは思わなかったけど、推参の可能性は低くないってまゆちゃんに言われてたから。」
しるく「そうね、弱いチームは常に狙われますから。しかし。」

 エンジェルスが襲撃側をカバーしてくれるとは限らない。逆にウエンディズを挟撃する可能性は無かったのかと聞くと、聖ちゃんはぼそぼそと言った。

一号「そんな簡単な事をしても経験値上がらない。むしろ乱戦時での集団運用は新キャプテンの樹さんこそがうずうずしてやりたがる所だ、って。」

 そのとおり、実はこの展開を最も喜んだのは樹リツ子だった。なにしろ今回の試合は敵が弱いから集団戦闘を仕掛けるタイミングが取りにくく、またやった所でウエンディズが防御に徹し、場合によってはベンチに篭城するのは目に見えていた。個別に潰して行くにしても相手は中学生混じりで面白味が無い。必然的に野球勝負の比率が高くなり、折角部隊の指揮権を委ねられたというのに鬱屈した不満が残るところだったのだ。桂林棒手振社中の推参はまったくの計算外だったが、こうなってしまうとむしろ渡りに舟。ウエンディズに塩を送る積もりは無くても、いつの間にかエンジェルス対桂林棒手振社中の対戦となっていた。

 柏紂子は今度は桜川に振り向いて、ぱっと顔を輝かせる。

紂子「ほーら、介入しちゃった。」
桜川「うー、確かにこっちの方がおもしろい。前言撤回、いつきー けいりんつぶせー!!」

 しかし、桂林13に対してエンジェルスは11、しかも一年生二人がすでに軽傷を負っている。そして桂林の主武装であるバトンが問題だった。これは両端にゴルフボール大の保護材を付けたまさに人を安全に殴る為の道具で各人左右一対装備している。防御にも攻撃にも使える優れもので、これに対抗するにはこちらも長モノや防具を必要とするが、突然の介入を果たしたエンジェルスは装備を揃えられておらず徒手空拳で挑む。個々人の戦闘力はエンジェルスの二年生は高いのだが、一年生は桂林バトンが頭に当たらないようにするので精一杯だ。
 ウエンディズは首尾よく戦闘から離脱して再布陣を果たしたがこちらも桂林バトンによって負傷者続出で、フロントで防いだ四人は至る所打ち身でぼろぼろになっている。だがこのままエンジェルスに任せてはこれも名折れである。明美一号の助言と指図で中学生控え部隊がベンチに用意してあった盾とピッチャースプーン等長兵器を本隊に届けて武器戦闘対応に装備変更して、防戦に回るエンジェルスの援護に突入した。

 今度は一転して桂林棒手振社中が不利になる。完全装備のウエンディズの再参入でエンジェルスに余裕が生まれ、一年生隊員を戦列から外して武装を持って来させることが可能になったのだ。このままでは両軍が共に長兵器を装備して桂林が苦手な遠距離戦に移行してしまう。桂林バトンは素手やミットを持ってる程度の相手には有効だが、長さが35センチと短い為に長物には対抗できない。その弱点をカバーする為の装甲花笠だが、数的有利も失われるとなると撤退以外の選択肢が無くなる。推参は仕掛けた方が勝利目標を満たさずに撤退すると自動的に負けが確定してしまう。つまり後が無い。清水美鈴は叫んだ。

清水「ウエンディズの隊長を優先的に攻撃しなさい!」

 桂林は部隊を二つに分けてフロントで挟撃を支えると同時に遊撃隊を分離してウエンディズの後背を衝こうと試みる。エンジェルスも既に対武器装備に切り替えて戦線の再構築に成功したが、未だ桂林のリズムが揃った連撃を崩せずにある。他方ウエンディズも主力となるピンクペリカンズのフロントが疲労と負傷で戦闘力が低下しエンジェルスとの連携が保てなくなってきた。清水は思い切って5人もの人数を遊撃隊に割き、明美二号を集中的に狙わせる。ピンクペリカンズと交代する形で美鳥南洋子とフロントを構築していた明美二号はこれを避ける余裕がなく、後方で手すきであったしづが行きがかり上壁を作る形で桂林遊撃隊の正面に立ちふさがり、一気に潰されてその場に倒れた、

しるく「しづさん!」

 しるくは主審を仰せつかっている身であり、いくら自分のチームだからといって戦闘に参加することは許されない。だが鷺宮しづが桂林とウエンディズに踏まれている姿をそのまま正視し続ける事は出来ない。どうするか、

 

「ばし」

 逡巡するしるくはいきなり右の腰を叩かれた。何かと見ると、聖がしるくを思いっきり叩いて、そのまま混戦する集団に走っていく。明美一号もしるくの顔を見て、大きく叫んだ。

明美「すいさあん!」

 言うや明美一号は聖に追いつきその手を取って全速力で、ウエンディズを攻撃する桂林遊撃隊の背後に突入する。しるくも、もう何もかも投げ棄てて二人に続いて走った。

桜川「・・・・きぬがわのおひめさまがルールを破るか。すっかりゲリラ的美少女リーグの一員になってしまったな。」
紂子「来た。」

 エンジェルスベンチ裏で高見の見物を決め込んでいた桜川と柏紂子であるが、二人が見ているものはそれぞれ違っていた。柏が見ていたのは、

「せんぱいだ。」
「相原先輩だ。」
「志穂美さまだ。」
「ふぁ先輩も居る。」

 ピンクペリカンズ一二年生も口々に叫んだ。グラウンドに通じる道路沿い、桂林棒手振社中が乱入してきた入り口に、ふぁの配達用スクーターに二人乗りして相原志穂美が漸くに到着したのだ。スクーターの後部荷台から飛び降りる志穂美は夏の白い制服姿のままで、その場に仁王立ちになり戦況をしばし確かめると、当然のように坂を駆け降りる。

「推参!」

 スクーターのキーを抜いてゆっくりと降りたふぁは、やれやれという形で坂を下り、ピンクペリカンズの控え部隊を呼ぶ。中学一二年生といえども一応は武器の扱いの稽古もしている。それが最も有力な訓練係である不破直子の指示で武器を携え隊列を整え、ふぁ自身が先頭となってひたひたと桂林棒手振社中の背後に迫って行く。

 

 二分後、桂林棒手振社中はグラウンドを撤退した。誰が負傷したわけでもなく戦闘力を未だ維持してはいたが、推参の敗北というものは撤退する余力も無い状態で壊滅する事が許されないから、コンディションの良否は勘定に入らない。攻撃を諦めた時点ですでに勝敗は決したのだ。

「うゐさま・・・」
「しづさん、よく頑張りました。見事でしたよ。」
「うゐさま、うゐさま。私ごとき者の為に泣かないでください。」
「ごめんなさい。もっと早くに助けにいくべきでした。わたくしを許して。」

 叩かれ踏まれ蹴られて泥だらけになった鷺宮しづをしるくがしっかりと包容する。両の頬を紅潮させ涙で濡らしながらしづに謝り続け、しづの方が恐れ入るほどだ。

 桜川良子と柏紂子もベンチ裏からグラウンドに下りてきた。見渡せば両軍ともに負傷者続出。特にピンクペリカンズ幹部は全員が相当のダメージを被っておりふぁと明美一号の看護を受けている。美矩とシャクティも本格的な戦闘を初めて体験して放心し熱く焼けた地面の上にべたっと座り込み、美鳥はマウンド上で立ち尽くして空の青さを眺めていた。南洋子だけはいまだ戦闘の興奮の中にあり激しく叫び続け、中学生控え部隊は左右にはしこく動き回り、明美二号の指示の下、水やらおしぼりやらを近くの水道から運んで来る。どちらを見ても泥だらけ汗まみれ、バケツの水を頭から被ったように濡れていた。

桜川「樹! 状況報告。」
樹「は。桜川エンジェルス下級生チーム、総員11名。負傷5、重傷無し、失神無し。不明者無し。確認終了。現在負傷者の救護活動を行っております。武器損傷、ピッチャースプーン全損2、ミット半壊1。防護マット不明1。ボール消費無し。」
桜川「警戒体制は。」
樹「見張り1名をグラウンド前高台に配置。ドグメキラと思われる変装者2名確認、桂林棒手振社中の姿見えず。ウエンディズは現在、半壊状態。ただし三年生主力が集結、5名確認ほぼ無傷の状態で下級生の救護活動を行っております。」

志穂美「・・・・なんだ、うちがまだ勝ってるじゃないか。」

 ひとり傲然と周囲を見回していた志穂美が、ふとスコアボードに目を留めて呟いた。その言葉にエンジェルスの二年生全員が引き攣った。

桜川「紂子おー、うちがまだ負けてるんだってよ。」
紂子「6対3だから、そりゃそうだよ。」
桜川「いつきー、どうするね。」
樹「どうするも、ウエンディズがこの状態ではどうしようも。」

 桜川の言葉に狼狽えた樹リツ子は左右を見渡して、ようやくにしてまっとうな助言をしてくれる人を探し出した。

樹「大楠せんぱい、どうしましょう?」

 副審の大楠は、だがその前にやる事があった。彼女はいまだしづを抱いたままのしるくの前に立ち、ゲリラ的美少女リーグのルールに従って宣告する。

大楠「しるくさん、あごめん、衣川うゐさん。あなたは重大なルール違反を行った為に審判位剥奪資格停止三ヶ月、この試合から適用ですから、審判失格退場です。」
しるく「はい、申し訳ありません。」
大楠「よく決断しましたね。それが正しい判断です。さすがは衣川のお姫様。」
しづ「そうです。うゐさまは常に正しいのです。」

 しるくはまた一滴涙を零した。それは悲しいからではなく後悔をしているのでもなく、自分が為すべきことを間違えなかった事に安堵し、それを促してくれた友達に感謝する涙だった。その功労者である聖ちゃんは麦藁帽子を失い冷却シートの効力も失せ、体温が上がり過ぎ熱射病状態で近くの林の木陰で倒れて中学生にひたすら団扇で煽がれていた。

 

ふぁ「それはともかく、弥生ちゃんは?」
志穂美「ああ、どうして弥生ちゃんは居ないのだ。」
明美一号「あれー、そういえばいつの間に居なくなったんだろう。」

 聖と同様に弥生ちゃんも真夏の暑さに倒れていた。ただし、グラウンドから遠く離れた植物公園の深い木陰の中。そこに隠れていた桂林棒手振社中の寺門墨絵を発見し格闘に及び、遂にはしめ落として失神させるも自身も体温が上がり過ぎてそのままバテて倒れ込み、二人仲良くやすらかに寝ているのだった。

志穂美「おい、南。」
南洋子「はいなんでしょう。私はまだ戦えます。次は野球ですね、野球ケリ着けなくちゃいけませんよね。続行です!」
志穂美「いや、おまえ、血が出てるよ。」
南「え? あ、ほんとだ。ちぇっく。」ばた。

 

2004/11/8

 

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