「恋する天竺人形-シャクティ、北海道修学旅行に行く」

挿し絵はこちら!(05/06/12)

 

 

(第一回)

 未だ夏の気配が濃厚な九月の第一週、県立門代高等学校の二年生は北海道への修学旅行に出発した。例年ならばもう少し遅くに行くのだが、北海道は夏が短い為に早めにスケジュールを組んでいる。真冬の北海道もそれはまたよろしいのだが、南の暖かい地方の生徒たちにはさすがにお勧め出来ない。

洋子「先輩たち、もう飛行機着いたかなあ。」

 一年二組南洋子は、新校舎裏に有る園芸部の花壇の土をひっくり返して居た。園芸部新部長の一年三組峯芙美子がいかにも頼りないというので、面倒見の良い弥生ちゃんがちゃきちゃきちぇくの洋子を部長代理として期限つきで送り込んだのだ。もう一人、部長補佐として五組江良美鳥も園芸部に所属させられてしまう。洋子がお目付役で、実際の農作業はでかくて弥生ちゃん家で野良仕事に勤しむ美鳥の分担とした。芙美子はただ単に花と戯れているだけなのだが、ふわふわと儚げで可憐なその美貌の威力はなかなかのもので既に男子部員四名の加入にこぎつけている。

美鳥「飛行機なんですよねー、わたし、飛行機乗ったことないなー。」

芙美子「飛行機はおもしろいですよ。プロペラが回ると座席もぶるぶる震えて。」
洋子「ちょっと待て。そんなに小さな飛行機なのか、それ。しかもプロペラなんて。」
芙美子「20人乗りくらいでしたよ。」
美鳥「わーこわい。」

洋子「先輩たちが乗るのはもっと大きいよ。130人くらいかな。北海道行きは結構大きいのが飛ぶんだ。でも三組に分かれて飛ぶんだよ。」

美鳥「それはまゆ子先輩が言ってたのではリスク分散ということですね。」
芙美子「なんのリスク。」
洋子「いや、ひこうきおっこちる。」

 話していて洋子はなんだか馬鹿馬鹿しくなる。美鳥と芙美子は波長が合うというか、どちらもおなじぼやっと系だから相性がいいのだろうが、洋子には遅過ぎていらいらする。自分がなんで園芸部になんか入らなきゃいけないのかと思えば、蒲生弥生ちゃんキャプテンがちょっとの間、良いお目付役が見つかるまでのリリーフだというのを信じてしまったからに他ならない。ひょっとして騙されたのかな、とかも思うが一度噛んでしまうと足抜けも出来ないので、やはりいらいらするしかないのだった。

美鳥「でもー、北海道というのは遠いとこですよねえ、お金掛かるんじゃないかな、修学旅行でも。」
芙美子「去年はどこに行ったのですか、(不破)直子さまとか弥生さまとかは修学旅行でどうされたのかしら。」

洋子「なんだ聞いてないんだ。去年とおととしは修学旅行無かったんだ。校長が新任で来て、単なる修学旅行では勿体ないからと、おととしは受験する大学を東京やら大阪やらに見学に行って、現地で東京ディズニーランドとかUSJとかでお茶を濁して終わり。企業にも見学に行ったのかな。去年はさらに輪をかけて酷い話で、金払ってボランティア合宿とかさせられたのだよ。」

美鳥「宿泊費とか旅費を払って、ボランティア、ですか?」
芙美子「ひどい・・・!」

洋子「大体門代高校は二年生の時に修学旅行に行くことが受験のスケジュール上決まっているから、準備の為に入学する前に既に行き先は決まってるのね。だから、行きたくない!と思っても既に手遅れなのよ。そこで、今年の修学旅行は生徒会の蒲生弥生ちゃん書記(当時)が強烈な反対運動を繰り広げ強硬な交渉の結果、卒業後に同窓会で集まった時などに共通体験として語り合える価値というのを前面に押し出して、従来通りの修学旅行の復活が決まったというわけなの。三年前は台湾、四年前は韓国、その前は東北東京だったらしいから、北海道というのはさほど遠くは無いのだよ。ちなみにあたしたちは、台湾か香港あたりというはなし。たぶん台湾。」

美鳥「うわあ、蒲生キャプテンというのはわたしたちにとっては救いの神みたいのものだったんですね。それで、二年生の人達は誰もキャプテンを悪く言わないんだ。」
芙美子「感謝しなくちゃ。」

 それは確かにそうなのだ。弥生ちゃんはなんだかんだと毀誉褒貶の多い人だけど、生徒の為に良いことも一生懸命やってきた。

 例えば、今年の新入生の女子のスカートは少しばっかり裾が短く明るいグレイの、可愛いものになっているのだが、それも弥生ちゃんの功績だったりする。門代高校女子の制服は、何故にこんなにガードが固いのかと周辺住民も不審に思う程の丈の長いもので、色も暗めのグレイと実に重たく暑苦しいものだが、弥生ちゃんは一年入学時から先輩たちの服装変更運動に参加して継続的に学校側と交渉した結果、ようやくマイナーチェンジに成功したのだ。もっとも、小柄な自分が着ても映える服を無理やり採用させた、というのが真相らしいのだが。

芙美子「・・・・あ、仲山さあーん。」

 と、芙美子は校舎の陰から何かを探しているような素振りをしている女子生徒に声を掛けた。誰か、と二人が作業の手を止めて首を巡らすと、芙美子の同級生の娘だった。

「あ、・・・・・・・居た。」

 とその子は花壇の方に近づいて来る。

洋子「だれ?」
芙美子「同じクラスの仲山朱美さんです。」
美鳥「私とおなじ中学の人ですよ。」

 仲山朱美は三人の前に立ち、とうぜん花壇の中にまでは入らない、はなはだ不本意そうにこう言った。

朱美「よんどころない事情によって、なぜか今日から園芸部部長代理に私がなったということらしい。」

洋子「は? 部長代理は私だよ。」
朱美「えー、という事は、あなたは南洋子という人だな。えーと、わたしはあなたの代りになるらしい。三年生の蒲生弥生って人がそう言ってたから。」
洋子「きゃぷてんの? でもなんで。」
朱美「・・・まあ、そのへんはなんというか、その、色々とあって、御礼というかをなんかしようと思ったら、じゃあ園芸部に入る、ということになった。」
洋子「??」

 いきなり美鳥がぽんと手を叩いた。なにか心当たりがありそうだ。

美鳥「思い出しました。この人は中学校の時代からとても運が悪くて、人身に影響するような大事故をたびたび引き起こしかけた、札つきの要注意人物だったんです。」
洋子「・・・・鈍いの?」
朱美「じょうだん?」

美鳥「逆です。調子に乗ってやり過ぎて、」
洋子「・・・大体分かった。蒲生きゃぷてんはあなたを日頃から監視してたんだ。なんかやらかしかねないと。で、ほんとうにやらかして。」
朱美「だから私は園芸部の部長代理をしなければならないのだ。期限つきで二学期中だけだけど。」

 朱美は度の非常に薄い眼鏡をひくと動かせて、敷居を跨いでおそるおそる花壇の土の上に、芙美子の隣でしゃがんだ。

朱美「峯さん。あなたが部長なんだって? で、あなた一人に任せていると、かなりやばいとかいう話だったんだけど。」
洋子「こいつは意思が弱いにんげんなのだ。というか、押しに弱いから男子の毒牙から守ってやるにんげんが必要なのだよ、というはなしだ。」
朱美「やな役回りになりそうだなあ。」

 洋子がじろじろと朱美を見回していると、美鳥がつんつんと夏制服の半袖を引っ張る。

美鳥「南さんみなみさん。このひとをよーーーーーーーく観察して見てください。面白いことに気が付きますよ。」
洋子「なにそれ。」

 言われるままにじろじろと見る。背丈は洋子よりは高く155cm程度、どちらかというと胸は控えめ。色は白いが洋子ほどでもなく、ちょっと頬にそばかすが有り。文科系の娘ほどには貧弱ではないが運動部系ほどには筋肉も発達していない普通のスリムな体つきで運動神経はまあ普通かなと見る。髪は肩に掛かる程度には伸ばしているが取り立てて奇麗とも艶があるとも言えずむしろ痛んでるかなと気になる。眼鏡は銀縁でちょっとえらそうな感じもするが、度が本当に薄く、こんなもの無くてもいいんじゃん。

朱美「なによ。」
洋子「その眼鏡、伊達?」
朱美「これは防護マスクだ。目に虫が入るのを防ぐんだよ。」

 変人だ。

 洋子はまた美鳥に袖を引っ張られる。

美鳥「分かりませんか。」
洋子「なにか、あまりにも普通な感じがするんだけど、どこらへんを注意してみればいいのかな?」
美鳥「名前です。」
洋子「仲山朱美だろ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、?! あっ!!」

 と洋子はとっさに右手の軍手を外してそのまま朱美の後ろ髪をまとめて掴んで親指と人差し指の輪で根元まで絞ってみる。ちょうどポニーテールにする形だ。

洋子「あけみ先輩だあ。」
朱美「なにをするぅ。」
洋子「明美先輩だ、明美一号二号せんぱいとそっくりだよ、この子。」

美鳥「三号さんです。」
洋子「そうかあ、きゃぷてんが気にかけていたのはそういう裏があったんだ。そりゃそうだよ、眼鏡取ったらそっくりになるんじゃないの。」

 朱美はばっと洋子の手を叩いて振りほどき、立ち上がる。

朱美「蒲生さんには義理があるけど、あんまり馴れ馴れしく触らないでよ。」

洋子「・・・ちょっと性格違うね?」
美鳥「ケガが多いから、ひねくれたというのが、シャクティ先輩のプロフィール分析です。」
洋子「おお。釈先輩も要注目してたんだ。じゃあやっぱり、この子は、」

 勝手に話を展開する洋子に、朱美は切れた。一号二号と違って、彼女はかなり短気なのだ。

朱美「なんか知らないけど人を勝手に二号だの三号だの呼ばないでよ。」

 だが洋子の一人盛り上がりは止らず、こちらも立ち上がって対決姿勢になる。

洋子「いや、あなた。ウエンディズに入りなさい。というか、それが宿命というものです。」
芙美子「わー、私もはいりたーい。」

 緊迫した状況にぬるま湯を差す相槌を芙美子が入れたので洋子は前につんのめった。

芙美子「私も、直子様とおなじようにかっこよくなりたいですー。」

洋子「ちょっと待って、芙美子、あんたはウエンディズがどんなものか知ってるの?」
芙美子「かっこいいんですよ。強いんですよ。」
朱美「なんだそれ。というか、ウエンディズって、なに?」

 美鳥と芙美子はこの台詞にはまるで反応しなかったが、洋子は一人凍りついた。あんなに派手なのに、知らない? いや、門代高校の女子生徒なら誰でも一度は耳にした事があるだろうに、知らない?! 朱美の様子を改めて確かめてみると、ほんとうにウエンディズが何者であるのかを、まったく毛ほども知らないようだった。

洋子「うえんでぃず、見たこと、無い?」
朱美「というか、今初めて聞いた。」
洋子「うそお。」

 美鳥が思い出したように補足説明をする。

美鳥「ああ。仲山さんて、あんまり人の噂とか仲間内の流行とかには縁が無くて、浮いちゃうタイプなんですよ。」

洋子「・・あ、そう・・・。」

 おまえもそうだろう、と美鳥に向かって愚痴る洋子だが、しかし考えてみると何故先輩たちはこの時期までこの娘を野放しにして置いたのか、不思議に思う。三年生はともかく、二年生は人数不足の弊害を良く知っているのだから、さっさと声を掛ければ良かったのに。

芙美子「ウエンディズはとても強くてかっこよくて頭がいい人が居て、女の子の憧れなんですよ。」
朱美「そういうものなのか。あの蒲生さんがきゃぷてん?なら、そういうエリート集団なのかね。どっちにしろあたしには関係の無いはなしだ。」

 美鳥と洋子は、自分達の鼻を指差す。わたしたち、わたしたちを見て、エリート集団に見える? だがもちろん朱美は彼女たちがウエンディズの関係者であることすら気付かない。

朱美「まんがでそういうの読んだこと有るよ。学園を牛耳る生徒会長とかが居て、エリートだけの集団で学園内で恐怖政治するんだよ。風紀委員とか指導委員とかでさあ、でそいつらがナチスみたいに変な制服着てて妙に統制が取れてて、先生とかも手が出せないての。生徒会長が通りかかるとさ、右手を上げて「ハイルヒトラー」みたいに敬礼するんだよね。ウエンディズってそんなもんかね。」

 半分当り、半分はまったくの逆。敬礼もするけれど、カトチャンの「どうもすんづれいしました」だし、弥生きゃぷてんはそういうのは生徒会で別口で作ってしまって、ウエンディズはカウンターパートみたいにいいかげんなのだが、ひょっとしたらそんな風に思っている生徒は仲山朱美だけでは無いのかもしれない。

美鳥「あー、たしかそういうのは「ソロリティ」とか言うんじゃないかなあ。」
芙美子「わーかっこいいー。でもそういうのだったら、私みたいな頼りない子は入れないかしら。」
朱美「あたしみたいな、ドジで死に掛けるまぬけな子もお呼びじゃないだろ。」

 洋子は人知れず首をぶるんぶるんと横に振る。明美せんぱいは一号も二号もそんなリッパナヒトじゃない、というか、ドジでまぬけが超弩級の人たちだよお、と世界の真ん中で叫びたくなる。

洋子「会おう、せんぱいに。一号先輩二号先輩に会ったら、あなたもウエンディズが如何なるモノか、世界の広さ高さというものを思い知るでしょ。」

朱美「いいよ、そんなもの。」
洋子「いいから来る。来るのよ。」

 仲山朱美の襟首を後ろから引っ掴んで二年生校舎に行こうとする洋子に、美鳥はやはりこう言った。

美鳥「南さん、でも二号先輩は今、空の上。」

 

 

にょおおおおおおおおおおおーーーーーーーんんんんんんん。

 

 門代地区より電車で一時間以上行ったところにある小幡畑埋立地に新設された幡畑空港は、門代を含む小幡市全体の玄関口となり21世紀の新時代に発展を遂げる鍵として期待が大きく膨らんでいる・・・のは関係者だけだろうが、ともかくここから東京大阪沖縄や北海道へ直行便が出ていて、修学旅行には便利な空港だ。

 日頃飛行機には縁の無い門代地区の生徒たちは、飛行場を初めて見る者も少なくなく、皆物珍しそうに新空港内を見学して回っている。21世紀の空港だけあって、単なる発着のみならず観光スポットとしての設備施設も整っているから、半日くらいは退屈せずに潰せるのだ。

「まいったね、これ。」

 門代高校の二年生は普通科および数理研究科合わせて7組230名も居る。これを全部乗せるほど大きな機は幡畑空港からは発着しないので、もう少し小さな100数十人乗りの飛行機に三組に分かれて飛んで行く。よって、第一陣出発後、第三陣出発までは4時間も空きが出るのだ。第三陣つまり6組と数理研究科7組の北海道到着は午後4時になってしまう。

 9月の二年生には生徒会現執行部、生徒会長副会長会計委員長等々そっくり含まれるわけで、それぞれが無様をするわけにはいかないのだが、中でも一番頭を抱えていたのが前執行部での書記から副会長に昇格した2年5組安曇瑛子だった。彼女のクラスには一つ、どう考えても事件を起してしまいそうなヤバい面子が揃った班が自然発生的に出来てしまっていた。

釈「やあ、安曇さん、おはようございまする。わくわくしますね。私も現代文明のこの浮き世に生まれたからには一度は飛行機なるものに乗ってみたかったのですよ。天竺に里帰りする時には左様な仕儀にもあいなるかとか内心期待してましたけど豈図らんや、まさかの内国旅行で蝦夷地に落ちのびるのが先になるなんて、これはお釈迦様でもわけわかめですね。」

 シャクティ・ラジャーニは、まあいいのだ。彼女はその厄介な班の内部で唯一、・・・・かなり躊躇するところがあるけれど、まともで常識的な少女だ。というわけで班リーダーに推薦してそうなった。

物辺「シャクティさんシャクティさん、見てみて、これ。」

 と言うのはシャクティと同じ班分けになった物辺優子で、長い髪に絡みついたロザリオを首から外すのに往生している。

 シャクティが班長を務める5組女子3班は、シャクティ、物辺優子、若狭レイヤ、環佳乃、児玉喜味子、鳩保芳子の6名だ。他の班は仲が良い者同士が自然と集合したのに対し、この班はそこからあぶれた者で構成される。シャクティは誰とでも仲が良かったので他の班にも誘われたのだが、よりネタが豊富に取れそうな面子で旅をしようという不純な動機で3班リーダーになる。

 物辺優子があまりにも不器用なので、シャクティは彼女の髪をロザリオの鎖から外すのを手伝ってやった。彼女の髪は黒く太く固くおまけに脚の腿にまでも長く伸びている超迷惑な代物で、シャクティは髪と格闘する事5分、ほとんど優子をレイプするかのような怪しげな体位にまでなってようやく目的を完遂した。

釈「よっしゃあ、やあっと取れた。」

物辺「ふふふ、見て。一見するとただのゴシック調のロザリオよ。青銅製で形はでこぼこしているけれど、特に何もおかしなところは無いでしょ。」
釈「うん。」
物辺「だが、ここのところをこうすると。」

 ロザリオの仕掛けを解放するのにまた時間が掛かった。別に知恵の輪になってるわけでは無いのだが、突起に爪が掛からずに力が入らないので展開できない。仕方なしにシャクティがロザリオを受け取って、ぱかっと瞬く間に外す。すらーりと十字の金属が左右に分離して、鋭角部を顕にする。

物辺「ふふふ、ここの角度がエッジになって、人をも切り裂く刃となるのよ。これを飛行機に持ち込んだらどう思う。うふ、うふ、うふふふふふふふ。」

 鋏になるロザリオ、というのは確かに珍しいと思うが、青銅製の鋏というのも今時無いのだが、刃渡り3cmのこれでハイジャックをするのはかなりの困難を有するだろう。シャクティは折角開いた鋏をぱちっと納めて、また優子の首に掛けてあげる。髪を掻き上げて様子を整えると、また鎖に絡んでいてどうにも分離不能になる。

物辺「ちなみに私の家は神道です。このろざりおは、世間を欺く仮の姿ひっひっひっ。」

 彼女は演劇部に所属するが、暗黒舞踏に傾倒していて演劇部でも持て余しているらしい。

 

釈「・・若狭さん、あなた、何故に修学旅行というのに、・・・参考書持って来てるの?」

 物辺優子とシャクティの格闘の隣に在りながらも一心不乱に参考書に目を食い入らしていた若狭レイヤは、さらさらとしたショートカットにセルフレームの眼鏡に一重瞼、頬がすっきりとして冷たい印象の、大理石の彫刻を思わせる固い美人である。いわゆるガリ勉で友人も少なく誰からも誘われる事が無かった為に当然のように3班に押しつけられた娘だが、修学旅行の、それも飛行機への搭乗待ちという時点においてまで勉強し続けるとは、ほとんどマンガだ。

若狭「ほっといて。わたしはこんなイベントは元々反対だったんだから。どうして一週間も授業時間潰して金使って遊びに行かなくちゃいけないのよ。」
釈「だから。勉強ばかりしていては広い世間に目を向ける事が無くて、狭量な思考行動しか出来なくなるから、わざわざ社会勉強の一環として、」
若狭「何年前の発想なのよ、今時テレビを見てもインターネットくりっくしても、世界中ありとあらゆる所の情報が飛び込んで来るというのに、百年前の役人の思いつきをのんべんだらりと繰り返さなきゃいけないのよ。」

釈「じゃあ、若狭さんは去年みたいなボランティア合宿が良かったの?」
若狭「ばかじゃない。私は、下らないイベントで授業時間を潰すのが嫌だ、と言ってるのよ。」

物辺「とは言っても最早手遅れ、おまえ一人が教科書読んでても、今から起る地獄の饗宴に投げ込まれては、現実逃避も叶いはしないよ。いひひ。」
釈「現実逃避?」

若狭「だから、邪魔しないでと言ってるじゃない。」
釈「いや、さあ。まだ時間あるから、新空港のプレリュードエントランスとかいう観光施設を見ていかない? ここのベンチで二時間も座り続けるのもばかばかしいでしょ。」
若狭「どうぞ。」
釈「飛行機が離陸するところも見れるんだよ。かっこいいよ。」
若狭「どうぞ。」
釈「いや、だから。」

 と、シャクティは彼女が顔を伏せている参考書をさくっと手の中から引っこ抜いた。予想外の行動に、若狭レイヤはパニックに陥る。

若狭「か、かえして、返してよ、わたしの本返して!!」
釈「や、だから、折角の修学旅行なんだから皆で楽しく思い出作りをした方が建設的でしょ。」
若狭「返して、返して! じゃないとわたし、返して。」
物辺「ホホホホホッホホホホ。」

 シャクティが取られないように右手の参考書を宙に振り回すのを若狭レイヤは必死になって血走った目で捕まえようとし、物辺優子が煽り立てる。狂気を孕んだ高笑いにさすがに他のクラスの生徒もその他旅行者空港スタッフも注目する所になり、致し方なく安曇瑛子は介入した。

安曇「シャクティさん、なにやってるの! リーダーでしょ。」
釈「でも、修学旅行で勉強するなんて、非常識この上ない、と言いますか、貴重な旅費をドブに投げ棄てるような真似を勿体ないおばけの化身として私は許せない。」
若狭「かえせ、さっさと私の本返せ!」
物辺「ひぃほほほほほほ、ヒュハアハハハッハハハハハハアハ」
安曇「物辺さん、馬鹿笑いしない! 若狭さん、あなたもどうしてこんなとこで、頭に入らないでしょ。」

 安曇瑛子も、若狭レイヤの表情の異常さに気付いた。彼女は目を血走らせ、涙さえ浮かべて参考書を取り返そうと両手を振り回していて、日頃の冷血さを微塵も感じさせない狂乱の醜態を羞恥心もかなぐり捨てて曝している。

安曇「若狭さん、冷静に、理性を取り戻して。他のひとも見てる。先生も来るわよ。」
若狭「わ、わたし私は冷静よ。理性が無いのはあなたたちでしょ! どうしてよ、どうして誰も不思議に思わないのよ、なんであんな鉄の塊が空を飛ぶ!!」
物辺「くぁははははははあは」

 安曇瑛子は彼女の台詞に驚いて、シャクティに振り返る。シャクティも、彼女は非常に頭の働きが良く察しのいい娘なので、若狭レイヤの狂乱の原因を理解した。

釈「わかささん、ひょっとしてあなた、・・・・ひこうきがコワイ?」
若狭「あんなもの飛ぶわけが無いじゃない。あなたたちみんなバカよお。空気より重たい物が空飛んでくわけないじゃない!」
安曇「でも、若狭さん。船だって鉄の塊だけど海に浮くのよ。」
若狭「馬鹿にしないで!」

 と若狭レイヤはきっと鋭い視線を飛ばす。

若狭「わたしがそこらのアイドルとかケイタイとかにしか興味の無い馬鹿娘に見えて! 鉄の船はアルキメデスの原理でしょ。排水量よ、容積に比して鉄の函の方が水より軽いんだから浮くに決まってるじゃない。それともなに、あなた達は飛行機の比重が空気よりも軽いとでも言うの!!」
安曇「いや、そんな。」

 下手に勉強が出来る子が血迷うと手に負えないという典型だった。そう言われてみると自分だって何故飛行機が空を飛ぶのかはよくわからない。もちろん比重が空気より軽いわけがないのだから、それは確かにおかしいのだが、じゃあ現に飛んでるこの機械は一体なんだというのだ。

 シャクティは、ここまで来たら実力行使であまり痛くないように若狭レイヤをぶっ叩いて黙らせようとか考えた。幸いにしてウエンディズで鍛えた厭兵術はその手の打撃が得意中の得意で、練習半年の成果としてシャクティもなんとか実用レベルにまで技を鍛えている。

 

 その時、彼女らの後ろから大きく叫ぶ声がある。

「馬鹿じゃないの!? 飛行機が空を飛ぶのは、ジェットエンジンが凄い力で持ち上げてるからに決まってるじゃない。これだから田舎者は!」

 安曇瑛子は最悪の状況を想定しげんなりして声の主を見る。

 巨乳、茶髪のロング、長いが太いセクシーな脚とボンと張った尻、肉感的なボリュームを誇るその女は、5組においてトラブルを引き起こす最右翼と目されており、どの班からも放逐された筋金入りのバカだった。右手には空港内売店で売っている玄米ソフトクリームを高々と掲げ、左手には出発前だというのに誰に持ってくのか門代地区の名産「福フク饅頭」の包みをぶら下げている。

安曇「鳩保さん、・・・・・・・あなたなにを持ってるの?」

 彼女の名は鳩保芳子、中学生の時にカンザス州に2週間留学して来たというのが自慢のアメリカかぶれの派手な娘だ。何を食べてるのか胸が92cmもあり、それを隠そうともせず誇らしげに見せびらかして女子の顰蹙買いまくる。それで男子に人気があるのかと言えば、さすがにこんな色物際物に手を出す根性の座った奴は少なく、今だにフリーなのを彼女自身は不審に思っている。やはり自分の魅力はアメリカサイズかしらん、とかぬけぬけと言ってのける所が嫌われる要因なのだろう。

釈「ぽぽー! 飛ばしてるね、もうお土産買ったんだ。」
鳩「うん!」

 シャクティはこの娘が大好きだ。なんせ見ていて全然飽きが来ない。良く観察すると、彼女の言動にはまったく毒が無く非常に純真で親切で、男子に対しても子供みたいにはしゃいでいるだけで色目なんか使わないと分かるので、皆にもそう言って認識を改めるように勧めるのだが、あまりにも騒々し過ぎて近づこうと試みる者が居ないのが残念だ。この修学旅行ではひとつ彼女のいいところを知ってもらいたいとか、評価を上げる活躍をさせてみようとかを心中密かに図っている。

釈「でも持ってくのは嵩張るから、皆でそれ食べよう。」
鳩「えー? あ、飛行機は飲食物持ち込み禁止なのか。だから機内食って出るんだ。それは困った。」

 シャクティが鳩保芳子(ぽぽー)に気を取られている隙に、若狭レイヤは参考書を取り返した。またベンチに座ってぶつぶつと数学の公式やらを呟いている。

釈「あ、しまった。」
安曇「もう。飛行機がコワイならコワイと素直に言えばいいのに。」

鳩「頭の固いニンゲンはこういうとこがダメなのよ。勉強ばっかしてちゃダメだという好例ね。」

 信じられないことだが、鳩保芳子は学業成績は実は相当に良い。学年10位には入らないが20位に落ちたこともないという安定した実力を誇っている。それに比べて若狭レイヤは、自分の成績を公表しないから詳しくは分からないのだが50位より上がった事はないだろうというのが、その筋の分析だ。ガリ勉の若狭レイヤはその依って立つ価値観に従うと、逆立ちしても鳩保芳子に勝てない、という自然の摂理が有る。

 

喜味「ぽぽー、ちょっと先行かないでよ。ほらあんたもしゃきっと歩く。」

 と鳩保芳子の後から児玉喜味子が環佳乃を連れて帰って来た。どうもこの三人はお手洗いに行っていたようだが、鳩保のみが勝手に色んな所をうろついていたらしい。

 児玉喜味子と物辺優子、鳩保芳子は同じ物辺中学校の出身である。物辺中学校は門代地区の裏、半島部になっている門代の表を門代高校があり鉄道の駅がある方とすれば反対方向、トンネル抜けて弥生ちゃんの家の更に先のコンテナヤードのそのまた先にある島、物辺島にある。橋が架かっているから自動車徒歩でも移動出来るのだが、かなりの僻地になる。ここの出身者は二年生では女子5人のみ、その内の三人までが同じクラスの同じ班に居るというのは、仲良しではなく腐れ縁からということだろうか。

 児玉喜味子は左の脇に、今にも倒れそうによろよろと歩く小柄で細い少女、環佳乃を抱えている。環は病弱で体育の時間は常に見学の、薄幸そうな儚げな娘で、他の班で引き取ろうかという申し出もあったのだが、安曇瑛子と協議したシャクティが無理やり3班に入れている。彼女は自分の身体が弱い事を気にして常に遠慮しがちで、よその班では足手まといになるかもと気ばかり使うだろうが、3班はバカばっかりで彼女以上に足手まといの奴が居るからと説得をし、彼女もなるほどそれはそうねと快く移って来たという話になる。そこまで弱いのならば修学旅行に行かなきゃいいのにという人も居るのだが、苦しい息の下から這ってでも化けてでも行くと亡霊の様に呟く姿を見ると、誰も何も言えない。もっとも彼女にも修学旅行を成功に導く秘策が有るようだが。

環「ごめんなさい児玉さん、でもお手洗いには一人で行けるように頑張る。」
喜味「うーん、それはー、一人でおトイレで倒れていそうだから、やめて。」

 児玉喜味子はデコで三つ編みという非常に野暮ったい40年前の女子高生みたいな娘だ。というと40年前の生徒が気を悪くするだろう、ともかくセンスが悪い。女子だから鏡を見ないわけはないし薄汚れてたり不潔だったりはしないが、自己イメージが非常に貧弱らしく飾り気が無いし男子の目も気にしない。自分が他人から見られているという自覚に欠落したおばさんみたいな少女なのだ。成績は悪いが常識人で鳩保芳子ほどにはキレは無い、平凡極まりない人材であるが、病弱な環佳乃を気遣うには丁度良いだろう。

 これが、シャクティの修学旅行の仲間である。あらかじめネタが大漁なのは約束されている面子であり、シャクティはもうわくわくどきどきしてやまない。ここで一生分のネタを収穫出来るかもと思えば、バイトで稼いだ旅費も安いものだしリーダーとしての気苦労も全然苦にならない。さあどんと来い!

 

『・・・10時8分発札幌行きASA搭乗手続きを開始致します。ご利用のお客様は8番ゲートをご利用下さい。』

 キタアーーーーーーーー、とその場の男子女子が色めき立つ。2年3、4、5組の第二陣がようやくに旅立つのだ。
 と言っても既に荷物はまとめて貨物として搬入済みで、生徒たちは手回りの小さなバッグを持っているだけ。金属探知機も通り一遍で皆軽くに通過して行く。もちろん事前に引率の教師や修学旅行実行委員会の生徒役員および風紀委員が荷物チェックを完璧に済ませているからこそ、このスムースさが実現するのであり、その為に払った犠牲も数限りなくある。北海道に持って行き損なった様々な品、ぬいぐるみやら枕やら花火にガスガン焼き網木刀五寸釘電気アンカ等々がビニール袋23個分、後でバンに乗せられて門代高校に届けられる事になる。

 

 飛行機というものは、簡単に言うと鉄とアルミの土管に羽根が生えてるものであって、筒の部分の客席に生徒たちはどんどこ詰め込まれて行く。一応は定期便であるのだが、他の一般乗客には便をずらせてもらってほぼ門代高校の貸し切り状態にしているのが、シャクティたちの第二陣だ。その前後は一般乗客も同数程度乗るが、この便だけは生徒と教師だけで占められる。日頃はお行儀の良い本校生徒たちも、こうなってしまうと手の付けようが無い。席にこそちゃんと遅滞無く納まるが喋る喋る、うるさくて誰の注意も通らない。

「ひゅいーほほほほほほおおっほほほっほおほおほほおほほ。」
「ひいいいいいいい、いやああああ、降ろしてええええええええ。」

 若狭レイヤがいよいよ参考書の魔法も効かなくなって暴れ始め、隣席の鳩保芳子が無理やりにシートベルトで拘束するのを全力で拒否する。今は通路も往来する人で塞がっている状態だからいいが、少しでも空きが出来たらまじで逃走する可能性もある。

釈「副会長!」

とシャクティは席の上に半分立って、安曇瑛子に呼びかけた。彼女もこの状態を如何にすべきか、少し離れた自分の席で頭を痛めていたわけで、即反応する。

安曇「シャクティさん、なんですか?」
釈「若狭さんがうるさくてとても難渋しております。こういう場合、ウエンディズ方式で決着を着けてよろしいでしょうか?」
安曇「うえんでぃずって、蒲生先輩の流儀ですか? ・・・・・・許可します!」

 シャクティは背もたれにしがみついて後ろを向き、若狭レイヤに話し掛ける。

釈「若狭さん、飛行機が大丈夫になる魔法があるんだけど。」
若狭「いやああ、いや、いや、おかあさああん。」

釈「ぽぽー、若狭さんをこっちの方へちょっと押し出して。」
鳩「こんな感じ?」
釈「うん。」

 びゅんとシャクティの腕がしなっていきなりレイヤの頬を張り飛ばした。ただ張ったわけではなく、頭と延髄が真横に揺さぶられる特殊な打ち方、腕をしなやかな柳の枝のように使い衝撃をすべて相手に吸収させる、あんまり痛くないけれど意識が飛ぶ打ち方を使った。ゲリラ的美少女リーグのニンゲンは対処法もよく知っているからなかなか上手くは決まらないが、まったく無警戒のレイヤには電撃のように速やかに効力が発生する。

若狭「。」
鳩「おお。黙った。」
釈「そのまま寝かせておいて。離陸までの間だけでいいから、後で活入れるまでそのままに。」

鳩「いやーさすがに凄いね。フリッカージャブて奴なの? 手元が見えなかったよ。」

 素人が見るとそういう風に見えるのだなとシャクティも貴重な情報を入手する。小猫のようにおとなしくなった若狭レイヤをきちんと座席に座らせて、鳩保芳子も準備する。前席の児玉・環組も大丈夫そうだ。環佳乃が離陸の気圧の変化でどうかならないか心配だったけれど、それは自分の手には余る事態なので考えないようにした。

 やがて生徒たちの私語も落ち着き、フライトアテンダントの声も通るようになり、皆シートベルト着用で、滑走路上に出て行く機の感触に期待を高まらせた。

鳩「READY、READY、READY、YAHAAAAAAA,GOAHHHH!」
釈「まだだったら。」

 タキシングで滑走路に出てまっすぐと離陸方向に機首を向けると、左右のエンジンの音が違って甲高いものが混ざって来る。いよいよかな、と思うがあまり発進のショックとかを感じない。窓の外を見るといつの間にか機の速度が上がっていて、あれと思うといきなり足元がすうと寒いような軽いような感じがして、座席に背が押しつけられる。

「ははははははははは。」

 とシャクティの右隣の物辺優子が高笑いをしそうになるのを、いいかげんにしなさいと関西チョップで止めずうううんと上昇する気分を楽しんだ。

喜味「シャクティさん。」

 まだシートベルトを外していいというアナウンスが無いままに、前席の児玉喜味子が班リーダーであるシャクティに話し掛けて来た。

喜味「環さん、きぜつしてる。」
釈「あ、そう。」

 そうは言われても、シャクティにはまだどうしようもなかった。

 

 空中。離陸より5分。これから2時間の北への旅が始まるわけだが、映画一本見る程度おとなしく座っていれば済む話で電車と違ってうろつくわけにもいかず、監督をする先生か修学旅行実行委員だけが基本的に行動可能となる。

安曇「シャクティさん、若狭さんは。」

 さすがに弥生ちゃん風対応というのが気になって安曇瑛子が様子を確かめに来た。気絶しっぱなしはやはり心配なので、シャクティも席の後ろを覗いて鳩保芳子に起させてみる。

若狭「う、ううう、うーーん。」

鳩「だいじょうぶみたい。」
安曇「叩き方、あれで良かったの?」
釈「ショックで口も効けなくなる、というのが普通の効果で、失神は普通無いです。たぶん昨日の夜から一睡も出来なかったのが、一瞬意識が飛んだと同時に緊張が解けて人事不省に陥ったというところじゃありませんか。」

鳩「ならこのまま寝かしとこう。」
安曇「いや、それでも大丈夫ということを確かめてから。若狭さん若狭さん、ちょっと起きて。」

若狭「あ、ううん、・・・・・・は!」

安曇「騒がない、騒がないで。いい、もう怖がらなくていいんだからね、そのままじっとして、身体の異常は無いか自分で確かめてみて。」
若狭「こ、ここは、ここ、上。」
安曇「そう空の上、ちゃんと飛んでる。」
若狭「どどどどどど、どうしよ、どうしよう、おかあさん、」
鳩「どうしようも、おかあさん居ないから。」

若狭「ひっ、ひ、ひひひ、ひ、ひこうき、いや、」

 騒がないで、と安曇瑛子は若狭レイヤの口を塞いだ。とりあえず叩いた際のダメージは無いようだ。前の座席の背に挟んでいた参考書を手渡す。

安曇「着くまでこれ読んでて。で、児玉さん、環さんが。」
喜味「大丈夫かな、こっちの方がしんぱいだよ。起きないもの。」

 シャクティも、通路側席の物辺優子を押しのけて出て、環佳乃の脈を取る。

釈「弱いけど、元々こんな感じかな。安定はしてる。呼吸は。」

 口元に自分の頬を近づけてみて、問題なしと結論づけるが、

安曇「どうでしょうかね。この人、乗物酔いしないかな。」
釈「それはー、どうだろう。バスの方がずっと大変だろうから、ここでダメなら2時間で見極めがついてかえっていいかもしれないですね。」
安曇「あ、そうね。出るなら今異常が出てほしいけど。いやもちろん大丈夫の方がいいんだけど。」
釈「起してみます?」
安曇「ちょっとだけ。」

 ゆさゆさと軽く優しく肩を揺らしてみて、環佳乃は長い睫毛をゆっくりと上げた。

環「北海道に着きましたか。」
安曇「いえ、離陸しただけ。大丈夫? 異常は無い?」
環「ああ、離陸した時に意識が無くなったんですね。だいじょうぶです、わたし、乗り物にはけっこう保つんです。」
安曇「そう。でも無理しないでね、なにかあったら早目に言って。」
釈「背もたれ、寝かせようか。」
環「まだいいです。それに私も飛行機には乗ってみたかったですから。はあ、長い旅ってどきどき心臓がするものですね。」

 と静脈が透ける薄い拳を胸の前に当ててみるのを、シャクティと安曇瑛子はおっかなびっくりに見た。期待に胸が膨らんでいるのか、心臓に不整脈でも起ってるのか見極めが難しい。シャクティが物辺優子と席を変わって通路側で環佳乃の様子を頻繁に見ることにして、安曇瑛子は自分の席に戻る。

釈「ウエンディズでやった応急処置の訓練がこの旅行中に大活躍しそうですね。」
物辺「ちょっと覚えたくらいじゃ、却って役に立たないよ、そういうのは。」
釈「ご心配なく。ウエンディズでは知識だけでなく患者と症例もたくさん発生して、実践も十分こなしてますから。」
物辺「あ、そう。」

 物辺優子は気の無い返事をして、窓の外を眺めている。シャクティも一応は皆も落ち着いたので、鞄から「修学旅行のしおり」を取り出して改めて読んでみる。自分もよく考えたら飛行機は初めてだし北海道も行ったことがなかったのだ。どんなことが待ってるかなと考えると浮き浮きワクワクしてならない。札幌に着いた後はクラスごとにバスに乗って反時計周りで大体一周することになるのだが、途中バスが分かれて違う所に向かったり、旅館やホテルがばらばらになったりして、クラスごとに異なった体験をするのだろう。シャクティの狙い目は二日目三日目の和風旅館で、ホテルの個室に二人ずつ泊まるというのよりも遥かに面白い状況が期待出来る。

 

物辺「あ、ゆうほお。」
釈「え、どこ?」

 シャクティは、物辺優子がふと口にした言葉に、乗りツッコミで返してみる。窓の外も見てみると、・・・・・・なにか光るものが飛んでいるではないか。

釈「え、本物?」

 飛行機の左側に、同じ速度で飛んでいるなにかが太陽の光を照り返して光っている。シャクティ達だけでなく他の生徒も気付いて皆外を見て、反対側の席の者も乗り出して狭い窓の向うを覗こうとする。

鳩「・・・自衛隊ね。戦闘機だわ。」
物辺「近くない?」
鳩「うーん、数キロは先だからニアミスじゃないような感じもするけれど。」
物辺「撃墜命令を待ってるのかしら。」
釈「撃墜って、これを?」
物辺「修学旅行の民間機の貨物室に、数百万人を死に追いやる神経ガスがテロリストの手によって搭載されている、という映画は無かったかしら。」

 若狭レイヤが不穏な会話に参考書から目を上げる。

若狭「げきつい、ミサイル?」

鳩「でも陸地の上じゃあやらないんじゃないの。」
物辺「海の上に出て、神経ガスが海水で中和するようにそのまま海水面に突入させるのよ。尾翼を破壊するのかしらね。」
若狭「え、ええーーーー。」

鳩「じゃあ爆発しないように、ミサイルじゃなくて機関銃で撃つのかも。」
釈「機関砲でしょ、20ミリのバルカン砲。」
若狭「え、え、ばるかんてがんだむに付いてる奴?」

鳩「上昇して、機体が太陽に隠れた時が、勝負よ。」

 おおおおお、と窓の外を見ていた者達が皆声を上げた。その軍用機らしきものが上昇して姿が見えなくなったからだ。

釈「上に、行ったね。」
若狭「わ、うわきゃ、・・・・・・・・・・・・・・。」

 若狭レイヤはパニックに陥る前に、シャクティ物辺優子鳩保芳子に口を塞がれた。まるでタイミングを計っていたような見事なコンビネーション。

物辺「冗談よ。」

環「ふわああああ。」

 とシャクティの前席でため息を吐く声がした。冗談を信じていた者はひとりではなかったようだ。

 

 まだまだ空中。

物辺「それはそれとして、シャクティさん。あなた、一年生の時に転校して来たでしょう。」
釈「うん。」

物辺「あなた、色黒いじゃない。」
釈「インド人ですから。」
物辺「それに比べて私は胡粉塗った御所人形みたいに色が白いわけよ。」
釈「??」

物辺「わたしたちが結婚したら、どんな色の子供が産まれるかしらね。」
釈「ええええええ??!」

物辺「というのは冗談。あなたもこっちに来て随分経つのだから、そろそろ男が気になったりしない? 修学旅行というのは恋の季節よ。」
釈「え、えーへへへ。それはあなんといいますか、気になる人が居ないような居ないような。」
物辺「私は違う! やるわよ。」
釈「なにを。」

物辺「ばっちり決めてやる、見てて。」

 なにをする気だろうか。この話題の持っていき方からして、男の子と懇ろになる固い決意表明だと思わないでもないが、彼女のそういう噂を聞いたことが無い。シャクティは人気者だから色々と噂話が集まって来る中心に居るのだが、物辺優子といえば、男子が夜更けの教室で白塗りの彼女の姿を見て妖怪と思って逃げ出したとか運動場のネット裏に白いシーツを引っ掛けてへばりついて居て定時制の生徒が吃驚したとかの怪奇現象しか聞いていない。

 だが、シャクティはちょっと反省した。彼女も彼女なりに青春を有意義なものにしよう謳歌しようと努力をしているのだ。翻って自分の身を考えてみると、それは仲間内では人気者かも知れないが、浮いた噂の一つも無し。このまま卒業まで大過無く送る、というのに得体の知れない恐怖を感じたからこそ、ウエンディズに参加したその初心を思い出していた。おもろいインド少女は卒業して、恋するインド少女に脱皮する時は今なのかもしれない。

釈「そうかあ・・・・・。これはちゃんすなんだよね。」

物辺「ここで決めないと、卒業まで何も無いかもしれない。」
釈「もう二年生の2学期で、高校生活も半分過ぎちゃったんだよね。来年は受験とかで大変だし、」
物辺「浮かれるには、遅過ぎる、そうは思わないかい。」
釈「ぼやぼやしてる暇は無い、そういうことね。」

物辺「同士!」

 と彼女に両手を取られて上下にぶんぶん振られて、なし崩し的にシャクティは「恋する天竺人形」に変身した。

 

釈「恋愛ネタって、受けるもんね・・・・。」

(05/05/12)

 

 

〜『第二話 仲山朱美の場合』〜

まゆ子「するてえっとなにかい。このお嬢ちゃんをウエンディズに加入させたい、とお前さん達はいうわけだ。」

 放課後三年生の教室に峯芙美子と仲山朱美を連れていった一年生の二人、南洋子と江良美鳥は思いがけず冷たい言葉をもらってびっくりした。

 石橋じゅえるの教室で三年生だけのウエンディズ会議が開かれる、というのでじゅえるしるくまゆ子志穂美という面々が揃っている。まゆ子とじゅえるが席に着き、面接する形で椅子を二脚置いて、芙美子と朱美を座らせる。洋子と美鳥は二人の後ろに立って、推薦の言葉を言ったのだが。

 芙美子はともかく、明美一号二号先輩とそっくりの朱美は二つ返事で許してくれる、と思いこんでいた南洋子は、予想を裏切られて狼狽した。むしろやる気の無かった仲山朱美の方が落ち着いている。美鳥は、・・・まあいつものようにぼーっとしていた。

洋子「あの、でも、その。ダメなんですか。」
じゅえる「その峯芙美子さんはね、ふぁがダメだって言うの。可愛らし過ぎるから。」
芙美子「あのー、わたし、一生懸命がんばりますから、試してみてダメだったらそこで首にしてもらってもかまいません。どうか少しの間だけでもー置いてもらえませんか。」

しるく「だからダメなのです。貴女は蒲生弥生ちゃんという人を全然知りません。」

 珍しくしるくまでもが反対する。

しるく「弥生ちゃんという人は他人に対しても中途半端な態度を取ることを許しません。いえ、半端ならば徹底的にいいかげんな態度を貫くことを要求する、困った人です。一度引き受けてしまったからには、モノになるまで全身全霊を傾けて特訓し、途中で抜けても地獄の果てまで追いかけて連れ戻し、一人前の隊士に仕立てあげない事には卒業しない、というほどの真剣さで貴女を鍛え上げますよ。」

 洋子と美鳥は、その言葉は入る前に聞きたかったなあ、と今さらにして慨嘆する。仲山朱美はうんうんとうなづいた。

朱美「そうですよね、中途半端な気持ちで足を踏み入れるなんてのは冒涜というものですよね。ほら、だからあたしはいやだと言ったんだよ。」

 朱美を見て、三人の三年生は互いの顔を見合わせる。非常に罰の悪いような、誰か別の人が代わって言ってくれないかな、という風情だ。今回に限り、しるくが長い睫毛を伏せるので、仕方なしにまゆ子が口火を切る。世間では誤解されているのだが、実はじゅえるよりまゆ子の方が男っぽい性格である。

まゆ子「いやね、こちらの仲山朱美さんについては、二年生からも進言があったのよ。でもねえ、これ以上明美を抱えてどうするか、という問題もあるし、骨をボキボキ折る体質でしょ。」
朱美「そう。そうなんです。私はへたなことをすると骨折してしまう体質で、そんな乱暴な運動はやっちゃいけないとお医者さんにも言われているんです。」
じゅえる「ちなみに、どこらへんを骨折したの。」

 明美は椅子に座ったままスカートをちょいとめくり上げて、脚を三年生に見せた。

朱美「数々ありますが、右の脛、左の足の甲、左半月板損傷、腰も打ったし左右両腕同時骨折とか、左手指全損とか、首も寝違えたし、頭蓋骨骨折とかもあるんです。」
まゆ子「壮絶だね。」
しるく「御自分では注意していないのですか。結局は自分の身は自分で守るしか無いのですよ。」

朱美「なんだかよく分からないんですが、こう何と言いますか、そこにですね。穴があるんです。もちろん本当に穴が有るわけではなくて、普通の人ならばなんとなく避けている危険なスィートスポットみたいなものですが、それに私だけが吸い寄せられるようでして、スコッと墜ち込んでしまうんです。」

じゅえるまゆ子しるく「分かる、分かるよ。」「りますわ。」

 南洋子と美鳥は、なぜ先輩達がそんな超常現象みたいな事が分かるのかを不思議に思った。無論それは身近に、つい最近まで穴に落っこち続けていた明美一号の事例を見慣れていたからなのだが、新入部員である彼女たちは、幸か不幸か明美の真の姿を未だ見ていない。ウエンディズの練習を長年続けた甲斐あって危機回避能力が異常に高くなり、現在では明美も普通の生徒とほとんど変わりが無い健全な生活が送れている。

まゆ子「でもあなた、このままではいずれ、死ぬよ。」

 ぴくっと仲山朱美は全身をひくつかせた。そんな恐ろしい話をさらっと本人に言ってのける人は、これまで会った事が無い。まるでテレビで有名なおばさんの占い師のように断定する八段まゆ子に、朱美は底知れぬものを感じた。

朱美「でも、注意していればなんとか。これまでもなんやかやで命だけは助かってきたんですから。頭の骨折だってお医者さんの言う事には、普通なら死んでるってはなしだったんですよ。その意味ではわたし、運がいいのかな。」

じゅえる「志穂美どう思う?」

 じゅえるは、後ろの方であやとりをしていた志穂美に話を振った。あやとり、というか、はずれたボタンを自分でつけ直していた所、糸巻きを引っ張り出し過ぎて絡んで、それを解きほぐそうと悪戦苦闘している。彼女は事もなげに言った。

志穂美「より大きな不幸の為にいけにえを取っておいた、というだけじゃないかな。」
朱美「あはは。冗談おもしろいです。」

 誰も笑っていない。真面目で思いやりが深く、折り目正しいと一年生の間でも評判が伝わっている衣川の御姫様、しるくまでもが真顔で居るので、朱美はかなりへこんだ。そんな風に悲観的に過ごせる程、自分の境遇は恵まれていない、無理をしてでも空元気でも前向きに生きていかなければ、家の扉を開けることさえできないのだ、というのをこの人達は絶対に理解出来ない。そう大声で叫びたくなった。

じゅえる「しほみぃ、それって、予言じゃあないよね。」
志穂美「聖ちゃんは予言も出来るけど、私はそんな能力無いよ。でもその子、見たまんまそうじゃない。」

朱美「あのお、あの方は霊能力者かなんかですか。」
まゆ子「彼女は憑物を落とすのが専門。予言する人はまだ来てない。」

 じゅえるが朱美に向き直って真剣に話をし始めた。その口調に後ろに居た洋子美鳥もつい惹き付けられていく。

じゅえる「いやね、占いはもうしたんだよ、五月の内に。というか、二年生がこの子入れようという話を持ちかけて来て、で試しに聖ちゃんがやってみたら。」
まゆ子「悪い卦が出た。」
洋子「卦って、どんな結果が出たんですか。」
まゆ子「うん・・・。」

と、すぐ背後に立つしるくに、まゆ子は顔を向けた。しるくも困った表情で前のじゅえるに首を傾けて返事を代わってもらい、じゅえるも口ごもる。

志穂美「言えばいいじゃないか。葬式代がかさむって。」
朱美「なんだって?」

美鳥「あのお、ひょっとして先輩達は、お葬式のお花代がもったいないから、この人入れるのを拒んでるんですか。」
じゅえる「・・・・言いにくい事をずけずけと。」

 ばん、と椅子をひっくり返して仲山朱美は立った。もうこれ以上の茶番につき合う義理は無い。こんな連中と一緒に居たら、ただでさえ怪我するのに、崖っぷちで後ろから突き落とされかねない。

朱美「帰ります。構いませんね。」
じゅえる「まあまあ、」

と、じゅえるも立って一年生達と朱美の肩を両手で抑えて元の席に戻す。さすがに悪ふざけが過ぎた、という態度だ。

じゅえる「ぶっちゃけた話、今のはまったく正しいのだよ。五月に出た占いはそうでした。」
洋子「しかし、ならなんで放っておいたんですか。ウチの学校の生徒が危ない目に遭うのなら、弥生ちゃんキャプテンは放っておかないでしょう。」

まゆ子「あんた達の術が未熟だったからだよ。あんた達は明美の恐ろしさをまるで理解してない。
 いい、朱美さん。あなたは一人でその、危険の穴に落っこちるでしょう。でも明美一号は、道連れを伴って墜ちるのよ。」

 ひくっと、朱美の額が引き攣った。道連れ、それは考えた事が無かった。自分一人だけが悪霊に取り憑かれている、そう感じる事はあったが、友人知人にまで類が及ぶなど考えてもいなかった。いや考えるべきであったのだが、何故かすっぽりと頭からそういう想像力が欠けていた。

朱美「その、明美一号という人は、そんなに危なっかしいんですか。」

じゅえる「あなたは穴に墜ちるでしょお。明美は墜ちないのよ、穴のギリギリまでほんの一ミリというところにまで無邪気に歩いていく。ちょっと間違えただけでも大惨事という事態を何度も私達は目撃したわ。でもあなたと違って怪我しないから、本人の自覚が足りないのね。でも、他人がその穴に気付いて、明美に声を掛けるなり回避させるなりしようと思ったら。」
まゆ子「巻き添えくって一緒に、どかん!」

しるく「あなたの運勢がどうなるのかは分かりませんが、明美一号さんよりは大丈夫なはずです。ですが未熟な一年生が巻き添えにならないように、せめて洋子さんと美鳥さんが或る程度の厭兵術を身に付けるまでは、と声を掛けるのを控えていたのです。そういう意味では、今日はちょうどいい時節かしら。」
志穂美「うむ。」

 と、志穂美もあやとりを諦めて皆の所に寄って来た。勝手にそこらの椅子を引き寄せ背もたれを前にして跨がってじゅえるの右に位置した。

志穂美「仲山朱美、さん。どうするね、今ならばまだなんとかなる可能性はある。」
朱美「で、でも死ぬと決まったわけじゃないし。」
まゆ子「そりゃそうだ。今日明日死なれては私達の寝覚めが悪い。」

洋子「・・・それはなんとも利己的な・・・。」

志穂美「死ぬとしたら、ひどい死に方だ。それは保証する。」
しるく「志穂美さん。」

朱美「あの、あの、あなたがたならば、なんとかしてくれるんですか。」
まゆ子「自分の身を守るのは、最終的には自分の力だけだよ。」
朱美「それはそうなんですが。・・・ではあなたがたはなにが出来ると言うのです。」

志穂美「土壇場でじたばたする方法。」
しるく「しほみさん、・・・・朱美さん、志穂美さんの言い方は冷たいですが、」
朱美「それだけ、なんですね。他人が人の人生に関われること、というのは。」

 その場に居る皆がしんみりした。もうウエンディズ加入とかはどうでもよくなって、峯芙美子などは目を白黒させるだけだ。

朱美「あの、で、もし私が入ったとしたら、ですよ。なにをまずするのですか。」

 志穂美があごをしゃくったので、朱美の後ろで脂汗を流していた南洋子が練習の子細を説明する。

洋子「まず受け身。なんといっても受け身。それもアスファルトや階段で落ちた時にも有効な、すごい受け身。それと叩かれても大丈夫な防護の仕方、ひっくり返り方、飛び込んで転ぶ方法、いきなり脱力して意識不明になったような移動の仕方、自動車に轢かれそうになった時の回避の仕方、敵の矢弾が飛んでくるのを察知する方法、闇討ちの防ぎ方、ぶたれても痛くない部分で受けるやり方、高速運動歩方、隠伏術。」

朱美「なんじゃそれ。」

じゅえる「それが厭兵術というものだ。」
しるく「いざという時に最後の最後でじたばたする方法よ。」

朱美「わたしにも出来ますか。」
まゆ子「才能は関係ない、誰でもが出来なきゃいけない。」
朱美「しかし。」

 仲山朱美は絶対の確信が持てなかった。その場に弥生ちゃんが居たら、無責任に安堵させられたかもしれないが、この際それが得られなかったのはむしろ僥倖と言えるだろう。最後まで自分の意志で決められる。

朱美「でも、それで、わたしの何が変わるのか、・・・よく分からないんです。ごめんなさい。」

 と、席を立って三年生の教室から逃げるように廊下に出る。途端に背の低い生徒にぶつかって転ぶ。幸いにも手首を衝いたりしなかったが、その音に一年生たちが飛び出して来た。

洋子「あ、聖先輩。朱美さん、ほらこの人が占いの人ですよ。」
朱美「あ、あ、あああ、あの。大丈夫でしたか。」
聖「・・・・・・・・・・。」

「ひじりちゃんだいじょうぶ? 怪我無かった?」

 廊下の先から掛けられる声に、朱美は異様な既視感を覚えて、ゆっくりと首を上げた。自分の前には、触れてはならない運命の扉が有る。悪魔の見えない手で肩を掴まれたように、自分の意志と関係無しに身体がゆっくりと動き、声の主の顔を仰ぎ見る。

 

明美「あなたも、大丈夫?」

 

 仲山朱美はウエンディズに入隊した。ついでに峯芙美子も仮入隊という事になる。芙美子は正式の隊士ではなく、厭兵術の研究生として護身の術だけを習うと、まゆ子先輩が便宜を取り計らってくれた。

 三年生の教室を辞して、園芸部の花壇に戻る一年生四人は、なにか一生分の緊張感を使い果たしたような奇妙な脱力感に包まれていた。皆を引っ張って行った南洋子が、自分の責任を再確認するように、仲山朱美に尋ねた。

洋子「ねえ、・・・ほんものの明美一号先輩、どうだった。」

朱美「どうもも何も、あのひとってほんとうに生きた人間なのかな。おばけを見たような気がして、今もなにか信じられない。」
美鳥「明美先輩は至って普通のひとですよ。」
朱美「わたしにはわかる。あのさ、なんだろうね。・・・・・・卵がね、生卵がテーブルの上になんの支えも無しに普通に立っている。そんな感じ。」

 奇妙な比喩だが、明美一号を知る人間にはさほど突飛なものとは思えない。洋子は言った。

洋子「それは、・・・わかる。」
朱美「でもね、それは危なっかしくないんだ。立っている、普通に、いつかは転ぶに決まっているのだけれど、でも確実にずっと立ち続けるであろうという予感みたいな、天の意志みたいなものを、感じた。」
洋子「ちょっと大げさ過ぎる気もするけど。」

美鳥「・・もっとわかりやすく説明してもらえませんか?」
芙美子「わたしにもわかりませんー。」

 だが仲山朱美には分かっていた。それは一種の悟りに近い境地であろう。極限られた者だけが必然的に到達する、無我の位。そして、自分もまたその道を歩んで行けるのだと。

 こうして明美三号は誕生する。二号明美がそれを知るのは、まだちょっと先の事だった。

(05/09/20)

 

〜第三話〜

「こんな事もあろうかと!」

 と、鳩保芳子がスカートの下から取り出したのは、どうみても拳銃に見えるなにか、だった。なにか、というのはそれは誰も見たことの無い不思議な部品が付いた、リボルバーのようでそうでない、いかにも秘密兵器と見える怪しげなものだったからだ。

釈「ぽぽー、それなあに。」
鳩保「ふふふ、北海道にはヒグマが居る、巨大なシカも居ると聞いて、急遽科学部の先輩に用意してもらった最新最強のリーサル・ウエポン。」
若狭「りーさるうえぽんだあ?」

 地面に下りた若狭レイヤはまったく元気を取り戻し、修学旅行を存分に、・・まあ愚痴を言うのも楽しみのひとつなのだろうが、憎まれ口を叩きまくっている。

若「ちょっと待て、それはいったい何処に隠してたのよ。飛行機の中は、所持品検査は、金属センサもどうやって。」
鳩「そんなのは部品をバラしてちょいちょいと昨晩布団の中で組み立てたわよ。」
釈「ほーお、夜中ごそごそしてたのは、そんなもの作ってたからなのかあ。」
鳩「マスかいてたわけじゃないよ。」
若「ますだああ、なんちゅう下品なおんなだよ。」
物辺「え、ますのはなし?」
若「違う!」

 呼ばれてもいないのに物辺優子が口を挟んできた。シャクティは、彼女と何日か寝起きを共にする事で、この娘がたいそう、たいそう性欲が強いのだなあ、という事を思い知らされた。見た目は白ヘビのようだが、触ると身体が熱いし、いつもじとっと汗ばんでいる。北海道とはいえまだ暑い日はあついのだから、一枚脱げばいいとアドバイスすると、下着を脱いだりとなかなかに困らせてくれる。

鳩「これで風呂場を覗くような男子は生きる資格梨、すぱんとあの世に送ってやるわよ。」
釈「でもそれは一体なんの弾が飛び出すの。」
若「そうだ、そもそも火薬で飛ぶようなの持ってると明確に犯罪者だ、というかお前犯罪者だ!」

 鳩保は拳銃の横にぶかっこうに飛び出しているレバーを左手で握り、力をこめてがちゃっと引き、バネを掛けた。その音でシャクティはこの拳銃の制作者が分かった。

釈「・・・!それ、まゆ子先輩のさくひんだ。」
鳩「シャクティ、まゆちゃん先輩を知ってるの、というか。」
釈「ウエンディズの先輩だもん。そうか、それ新兵器なんだ。」
鳩「すこし違う。これは扱いが難しいから機械に明るい者でないと使えないてことで、ウエンディズには回さずに私にくれたの。」

 鳩保芳子と若狭レイヤは数理研究科という区分で入学して来た理系の生徒である。当然数学と科学の課程が多いカリキュラムをこなしているが、数理研究科40人の内、女子はわずかに5名。クラスに40人というのもさすがに多過ぎるので、男子だけで一クラス作り、女子は5組に編入している。
 鳩保芳子はつまり理系の生徒という事で、まあ傍目には当然だが、科学部に所属する。科学部の前の副部長は八段まゆ子、つまりまゆちゃん先輩である。ちなみに、まゆちゃん先輩は数理研究科ではない。

鳩「ウエンディズに持って行く新兵器は、うちで作ってるのだけど、実際の所まゆちゃん先輩は自分では設計だけして製作は下級生に回すのよ。つまり、科学部の活動というものの三分の一はウエンディズ新兵器製作に当てられるのね。」
釈「それは知らなかった。でもそれ、ボーガンね。」
鳩「構造的にはそう。ただし、コイルバネを使ってるからこんなに小さく出来ました。でも射程距離はあんまり無いんだこれ。20メートルってとこかな、それ以上あっても当たらないしね。」

若「で、そのボーガンでヒト殺そうって腹なの。」
物「しぬしぬ。」
若「うるさい。」
鳩「いや、これは別に矢を射出する装置ではなくて、いやもちろん矢だって飛ぶよ。その場合は射程距離は30メートルまでに伸びるし、そういう矢も持って来ている。ほらこれは、」
釈「おお、これは火薬でぱあんとなるダーツだね。駄菓子屋で売ってる。」
鳩「そう見えるのが素人の浅墓さ、実はこれは鋳型を起して、科学部で鋳造した鋼鉄製。」
釈「おお、CAST IN THE NAME OF GOD、YE NOT GUILTYすな。」
鳩「無答責です!」
若「そんなことあるかあ!」

 そもそもなぜこういう話になったかというと、今夜の宿は日本旅館だから温泉に入ることになる。ホテルのシャワーでもシャクティの黒い肌は女子の間でもなかなかに評判で、班員皆が見物に来たのだが、まあ高校生のやる事だから、男子が覗いてたーとか言い出す奴がいるわけだ。そういうのに限って別に見られても減る所無いじゃない、てのが多いのだが、あ、若狭レイヤはそのタイプではあるが、眼鏡を外すと湯煙の中よく見えなくて、見えないものは気にしないということで、覗きも別に気にしないというのは意外だな、ともかく別の班の生徒が言い出した。また悪い事に、修学旅行の一行は、1、2、3組は右回り、4、5、6、7組は左回りで北海道をバスで巡っている。6、7組は男子だけのクラスであるから、つまり、

児玉「覗きの予備軍だらけてことだよ。可能性としては全員が一回ずつ見る、ということもあるかな。」

 児玉喜味子は、まあ見られても構わないか、という鈍感な人で、だから女子に嫌われるんじゃないかな、とシャクティは思うのだが、個人個人の羞恥心というものに規格を作るのは難しい。ありていに言うと、親子で銭湯に通っていたシャクティは、人に裸を見られてもそんなに恥ずかしいとは思わない。鳩保、児玉、物辺優子の住む物辺村というところは家々でもらい湯とかするそうだから、やはり恥ずかしくないのではなかろうか。

物「言えば見せてやらないでもないのに。」
若「おー見せてやれよ、がばっと股開いて。」
釈「こら、挑発しちゃだめです、ただでさえ見せびらかしたくてうずうずしてる人に。」

 物辺優子は演劇部に暗黒舞踏を持ち込もうとして騒乱を起した痴れ者である。暗黒舞踏といえば山海塾、白塗りになって空中からぶら下げる、ということで頭から小麦粉の粉を被ったという信じられない逸話もある。裸を見せろと言えば、金粉くらいは普通に塗って御開帳するだろう。

物「班長!」
釈「はい?」
物「見せるんだったら、やはり剃った方がいいかな。」
釈「・・・・・・・あは。」

 5人が着替えた後から、ふらふらりんと環佳乃が着替える。熱も無いのにふらふらしているが、これでもバスでの長時間旅行にちゃんと耐えているのだ。彼女の秘策は簡単で、ともかく移動中は寝る。ひたすら寝る。目的地に着いたら起きて活動し見学し、バスに戻るとエンジンが掛かる前に寝る。なんの為の修学旅行か分からないが、それでも皆と一緒に旅行できることを喜んでいるから、文句は言うまい。
 環は他に人も居ないから、別に隠さずに服を脱いだ。病弱だから身体も細く骨組み自体からして貧弱で、胸も当然薄くあばらが浮いている。それでいて腰骨は突き出すように飛び出ているのはかなりぶかっこうで他人が見たら気持ち悪いのじゃないか、と昨日鳩保芳子に聞いてみたが、自分で思ってるほどには異常ではないものだよ、と自分の骨盤を触らせてくれた。なかなか、他人の骨を確かめるという体験は無いわけで、それはかなり経験値アップだな、と思う。

「は?」
 どことなく視線を感じて振り返る。振り返るが、何も無い。古い温泉は壁の節穴から見る、という話だったが、今日の宿の脱衣室は板張りではなくちゃんと壁紙も貼って密閉しているから、覗き穴らしきものはない。いや、そもそも、覗きの男子だって見るのだったら鳩保芳子のバンと張ってキュッと締まってボンと出てるものの方が面白いだろう。物辺優子のぬめっと光る白い肌に長い黒髪が蛇のように絡みつく長い肢体がそそるだろう。はたまたシャクティの黒い身体は服を着ていては見えないけれど、ウエンディズの練習できゅっと筋肉が引き締まってきて良い感じの曲線を描いている、の方が修学旅行のお土産としてふさわしいだろう、と思う。私みたいな気持ちの悪い身体見ちゃったらトラウマになるんじゃないかな、と妙な罪悪感を感じつつも、さっさとタオルを巻いて風呂場に入った。

釈「それにしても。」
 と、シャクティは物辺優子と鳩保芳子をしげしげと眺める。お湯に浸かって下から眺めると、この二人、なんとも壮観である。
若「おまえたち、ちょっとはタオルで隠せよ。」
物「銭湯でタオルで隠すのは貧弱な坊や。一物に自身が無いのね。」
若「いちもつなんかあるわけが無いだろ。」
鳩「一糸纏わぬすっぽんぽんを、女に見られてなにが恥ずかしい?え、言ってごらん。なにがはずかしいの、おねえさんちゃんと真面目に聞いて上げるから。」
若「きーーーーーーー!。」

 シャクティは銭湯に入り慣れているから二人の言う理屈も理解できるが、それにしても、まあ、確かに恥ずかしいものだ。
 シャクティは恐れ気もなく若狭レイヤに代わって反論する。
釈「でもね、その毛ダワシはしまった方がいいと思いますよ。」
鳩「ダメかな?」
釈「男の子なら見て楽しいかもしれないけれど、具体的かつ客観的に観察描写すると、どうにもおでんの筋を思い出すようなみょうな引き攣り具合とか、」
物「色もおでんに似ているかもね。」
鳩「うー、そう言われるとなにか自信が無くなってきた。」
釈「おとこのこならぜんぜんおっけーですけどね。おとこのこなら。」

鳩「ところでタマちゃん。」
環「は、はい。」

 と、じゃばじゃば身体にお湯を浴びて居た環佳乃はぴくんと反応した。まさかとは思うが、まさか自分もそのおでんとやらにされてしまうのだろうか。
環「あの、わたしはその、ご遠慮ねがいたいのですが、ほら身体弱いし。」
鳩「そういう事を言ってるんじゃなくて、ちゃんと温泉に浸かって薬効成分を染み込ませないとだめでしょ。そんなシャワー浴びてばかりじゃ。」
若「どうせ循環だ。対して薬効は無いよ。」
釈「あれ、循環は別に薬効と関係は無くて、主に細菌の繁殖と気分的な問題だと理解してましたが、ちがいますか?」
鳩「違わない。どうせ生の温泉は熱くて入れないか、冷たくて入れないかのどっちかだ。水でうめたりボイラーで沸かしたりするのに、循環も天然もあるものか。」
若「その気分がもんだいなのよ。」

 そうは言っても、修学旅行の宿泊先に選ばれるような温泉ホテルだ。完全に天然温泉のわけがない。前日まで二日間はビジネスホテルのユニットバスだったから今日の広いお風呂は全身のびのびと寛ぐ。どだい、北海道一周バスツアーなんて狭い座席に押し込められて長時間座りっぱなしで、おもしろいわけがない。

喜「ふあーごくらくごくらく。なんだか寿命が十年ほどのびましたねえ。」

若「ほら、あんたんとこの。あんなばばむさい事言ってるよ。」
物「喜味子がばばむさいのは今に始まったことじゃない。あんな女でもひっかかる男は居るんだから、お前の心配する筋合いじゃない。」
若「うそ、居るの。」
物「居るとは言ってない。どうもハードルが低そうだと勘違いして寄って来るのが居るんだ。」
釈「わたし、そういう告白された事いっぺんも無い。」
鳩「黒いからだろ。」
釈「くろいとやっぱダメかな。」
物「いんらんそうに見えるんじゃない?」
鳩「いや、インド人だからなにかおとうさんとかがだんびら引っ提げて結婚迫って来る、とか考えるんじゃないかな。」
釈「ああ。そういえばおとうさんもそういうこと言ってましたねえ。この間、大東先輩から手裏剣習ってましたから、わたしに手を出す奴はしゅびびとやっつけてやるとか。」

若「男って賢いな。」

物「男と言えば、花憐のチームはもてまくりだそうだ。」
鳩「城ヶ崎が? まあ、あのお嬢面に騙されるのは昔から少なくないし、普通なんじゃない?」
釈「城ヶ崎さんと言うのは、物辺村の同級生ですよね。一組の。たしかウチの草壁さんが同じ班分けになっていたはずです。」

 二年一〜三組は北海道を時計周りに観光している。四〜七組と違って男子のみのクラスを含まないから和気藹々とやっているはずだ。それに比べるとこちらは、風呂に入る度に男子のノゾキを警戒しなければならない。
若「どうして四組の女子は先に入って、内は別なんだ。」
釈「男子の方が多いから、女子を脇に置いているのでしょう。なにせ三倍頭数違いますから、当然の配慮ですよ。」
環「そうですね。六組と七組は男子クラスですから、先にお風呂に入れてしまうと、覗きをしにくくなるのではないかしら。」

物「つまらん。」
若「いや、おまえさんの裸なんか年中見飽きてるだろ。」
 演劇部の異端児物辺優子は、劇団山海塾の真似をしてほぼ裸身の全身タイツに白塗りパフォーマンスを時々公演している。全身タイツ(学校側の規制により)とはいえ身体の線が丸分かりするのだから、普通の女子ならば赤面して人前に出られない所、この女は露出狂よろしくぐにゃぐにゃと見せまくっているのだ。
 しかしシャクティは知っている。見物に来る男子は物辺優子の裸にはまるで興味が無い。というよりも、その奇態な白塗り化粧にびびって性欲を感じるどころではないらしい。むしろは、そして実に好ましい事に、彼らは彼女の身体が中国雑技団ばりにぐねぐねと曲がるのを、珍奇な怪物として楽しく拝見していた。その歓声と感想を客席で聞いたシャクティは、世の中エロばかりではないんだなあ、と日本を見直したりした。

若「しかし、数理科の女子はもうちょっと人数増えないもんかなあ。40人定員でわずか5人だよ。」
釈「なんだかんだ言っても、理系は男子のものであるという現実的な証明ではないですか。」
若「うん。でも自分でそう決めつける人間が多過ぎると私は思うんだよ。シャクティなんか、数学得意でしょ。理数に来れば良かったんだよ。」
釈「いえ私は、むしろ日本語と古典漢文の方が興味が。だからほら、読解力の問題なんですよけっきょくは。数学的思考というものは、畢竟言語能力の発達度合でカバーしてるという風に聞きましたよ。」
鳩「誰から?」
釈「まゆ子先輩です。」
鳩「ああ、そういうややこしい話好きだもんね、あの人。」
若「うん・・・。」

 この二人はまゆ子先輩の率いる科学部の部員だ。
 数理科の女子は3学年併せてもわずかに15名、互助会的に半ば強制的に科学部に加入させられている。数理科だから科学部というのはあまりにも安直だが、全学年の数理科女子が揃う場はここにしかないので、実用上はとても役に立っている。

釈「二人は幽霊部員じゃないんですね。」
 科学部に所属するからといって、熱心に活動しなければならないという法も無い。便宜置籍船みたいなもので、なにか行事が無いと部室に寄りつかない女生徒は半数を越えるが、この二人は、
若「過去問見せてくれるもので。」
鳩「私は要らないんだけど、若狭がひっぱって連れて行くから。」
 常に反発しているのは、いつも側に居るからだ。鳩保と若狭は、数理科以外の選択科目もほぼ同じでいやでも顔を突き合わせており、利害が共通する点が多い。シャクティは、まあ条件つきで仲良しさん、と二人を理解している。

鳩「そういや、若狭。まゆちゃん先輩にアレもらったの、お前だろ。持ってきてないの。」
釈「アレとは?」
若「ああ。アレね。そういえばお風呂セットに入れて、バスタオルと一緒にしていたような気が。」
鳩「もっといでよ。」
若「あー、そうね。使うとしたらここかもね。」

 と湯船から出て脱衣所に向かう。
釈「アレって、何?」
鳩「まゆちゃん先輩は去年のボランティア合宿で風呂場覗かれてたいそう困ったそうだ。」
釈「バスト88だもんね。」
鳩「わたしの方が大きい!」
釈「92だもんね。」
鳩「というわけで、わたしたちが難儀しないように、盗撮見破りセットをくれたんだよ。」
釈「でも、最近はデジカメとかものすごく小さなパソコン用ビデオカメラとかで無人で盗撮するでしょう。赤外線とかで人体を検知するのは、もう効かないよ。」
鳩「そりゃ何年前のはなしだ。今はもっと技術が進んでいて、レーザー光線を使うのよ。」
釈「レーザー?」
鳩「レンズに特有の屈折をレーザーでスキャンして、盗撮用カメラの存在を検知する。ま、人間の目にレーザーが当たると危ないけれど、そういう時は最初に赤外線で検知すればいいわけよ。」
釈「ふむ。」
環「ふむ。」
 と環佳乃も興味を示す。あーごくらくごくらく、と児玉喜味子はお湯に半分背泳ぎ状態で法悦の状態にあった。ちなみに物辺優子は、

釈「あー! こら、置物のライオンに登らない!」
物「ちょとだけ、5分だけ。」
釈「だめです!」
 物辺優子の長い黒髪を引っ張って、湯船に連れ戻す。ちょうど脱衣所から入ってきた生徒会副会長安曇瑛子は通りすがりにシャクティに言った。
安曇「物辺さんをしっかり管理してくれて、助かるわ。」
釈「班長ですから。」

 背は高いし身体は白蛇のようにのたくる物辺優子を拘束するのは、ウエンディズで鍛えたシャクティにもかなり困難であった。やむなく女同士抱き合ってウエストの辺りを絞り上げ、息が出来ないようにして弱らせてから、お湯の中に叩き込む。
物「いいわ、その責め具合。なにか内臓がきゅーっとしてくる。」
鳩「おまえ、マゾだっけ?」
物「いたぶる方が好きだけど、責められるのも悪くないとか、思う。」
鳩「ふむ。」

環「しゃくてぃさんは凄いですね。あんな暴れる人を簡単に抑え込むなんて、スゴイ。」
釈「いや、ウエンディズでは普通にだれでもあれ位使えるようになるんですよ。私なんかまだまだ。」
環「ホントにスゴイ。私なんか締められたらきっと、死んじゃう・・。」
釈「あのー、そんなに思い入れたっぷりに言われたら、どういう事を期待されているのか読めないのですが、」

物「締めろと言ってるんじゃないの。」
鳩「マゾか、たまちゃんは。」
環「マゾではありませんが、注射とか検査には慣れてますから。」
 とぽっと頬を上気させる。多分に、身体が弱いから病院通いする内に、医療マニアにでもなってしまったのだろう、とかシャクティは思う。

若「もってきたぞー。」
 と若狭レイヤはみょうちきりんなカメラを持ってきた。てっきりレーザー銃の形状をしていると思いこみ期待していたシャクティには肩すかしだ。
 若狭レイヤも、シャクティの落胆に気がついた。

若「いや、これはほら。見てのとおりにデジカメの防水用ケースを流用したものだよ。電子機器を風呂場に持ち込むんだから防水防滴は当り前だろ。」
鳩「それにくらべると、私のボウガンはすごいぞ。水の中からでも発射可能だ。」
若「で、このカメラ型センサから出るレーザー光線をそれらしい箇所に照らすと、自動的に左右に光線を振り回して。アレ?」

 風呂に入って居た五組の他の女子が若狭レイヤを取り囲んだ。そりゃあ風呂の中でカメラらしきものを振り回していれば、すっぽんぽん画像の撮影と勘違いされても仕方ない。
 若狭レイヤは必死に弁明をした。が、

鳩「そんなに怒らなくても。ほら、これは盗撮されているかどうかを判別するセンサなんだ。まあ反射光を分析するデジカメも入ってるけれどさあ、記録媒体は入ってないから安心して。」

釈「(記録媒体入ってないの?)」
と、湯の中に顔を沈めてこっそりと若狭レイヤに聞いてみる。
若「(入ってないけど、内蔵メモリに30枚くらい撮れる。)」
釈「(ぽぽーは、それ知ってる?)」
若「(もちろん!)」

 鳩保の説明に、まあ数理科でない子ばっかりだったので皆電子機器には詳しくなく、すっかり説得されてしまい。安曇瑛子が締めくくった。
安曇「じゃあ、とりあえずデジカメではないということで、だったらあっちのガラス窓の方に向けて使ってみてよ。」
鳩「ふむふむ。安曇さんは御自分のヌード写真を男子に撮られているというのは、お好みじゃない?」
安曇「あたりまえじゃない。」
鳩「だめだなあ。青春の想い出として、男子にもいい目をみせてやろうとかいう菩薩心を持ちなさいよ。私は違う! これから先の人生で、過去のヌード写真は汚点どころか美しいお宝として、男子皆々様に崇拝され愛蔵され、そして実用に供されて。」
安曇「ぜったいイヤ。すぐそのセンサー使ってみて。」
鳩「はい。」

 全員が退避して、大きな展望用ガラスの先にレーザー光線を照射した。まゆちゃん先輩の考案した盗撮カメラ探知装置は実に精妙に機能し、たちまち小型のカメラを発見した。

安曇「うそー、ホントに出てきたよ。」
鳩「ガラスの後ろの庭に出てみなければ取れないんだけど、これはどうも、ウチの男子が仕掛けたものじゃないね。」
若「あ、ほんとだ。ちょっと古い感じする。誰か、温泉盗撮ビデオ作って売ってる業者のじゃない?」
安曇「どうにかして!」
鳩「はい。」
と、別のボタンをぴっと押す。ぴーっと同じ箇所にレーザー光線が長時間照射されてカメラを焼く。

安曇「ほんとうにレーザー光線として使うのね。」
鳩「まゆちゃん先輩は手加減を知らない御方です。それ、別のとこにカメラは無いかな?」

 と風呂場全体をスキャンしてみる。さすがに毎日旅館の人が清掃しているだけあって、中にはそんなもの無かったが、

若「? ちょっと、鳩保。上の方もスキャンしてみて。」
鳩「上? ああ、照明の陰ね。・・?アレ?」
若「へんなとこあるでしょ。」

 鳩保芳子がスキャンの赤いレーザー光線を天井に向けると、たちまち反応した。
鳩「げ。これ、望遠レンズの反応もある。」
若「望遠ていうと、つまりリアルタイムで操作されているってこと?」
安曇「ど、どうするの。またレーザーで焼き切ってよ。」

 しかし鳩保は天井を見上げて言った。ちなみにセンサーの照射中も彼女はタオルで前を隠していない。
鳩「あのカメラは照明の近くにあるから、たぶん強い光を遮るフィルタとか付いてると思う。それに、これだけのものを仕掛けるんだから、カメラも定期的にメンテナンスされていると考える方が妥当かな。」
安曇「じゃあどうするの。私達の裸がインターネットとかで流れちゃうわよ。」
 と安曇以下の女子が慌て始める。鳩保はセンサーを若狭レイヤに返して、自らの武器を手に取った。ちなみこれは、ウエスト周りに渡した紐で尻の上にくくりつけていた。

鳩「案ずる事はありません。こんなこともあろうかと、まゆちゃん先輩から頂いたこのボウガン。使用する弾頭は電磁バースト弾で、電子機器を効率的に無効化します。当該カメラの電子部品を焼き無線通信も焼き、相手に推定10万円以上の被害額を与えます。」
安曇「いいから早くやって。」

 シャクティはこういう時はなにも考えずに先生や旅館の人に相談した方がいいのになあ、とか思ったが、その場の成り行きに引きずられて、鳩保が慎重に天井に銃を向けるのを見守った。まあ、話のネタとしてはこのくらい派手なのもいいかな。
 緊張するのか、環佳乃がシャクティの背中にしがみつく。

鳩「いきます。・・・・・しゅぼ。」

 ぱあんと天井で弾頭が破裂して激しい火花を撒き散らした。と同時に、風呂場の照明も落ち、旅館全体が停電した。

 展望窓から取り込まれる他の旅館の灯だけに照らされて、全裸の少女達は右往左往する。

 ひとり呑気に湯船でたゆたっていた児玉喜味子が、闇の中言った。

「お風呂の後は御飯なんだけど、・・たぶんちょっと延びそうね。」

06/02/02

 

〜第4話〜

 さて草壁美矩と山中明美二号である。

 彼女達も二年生であるから当然修学旅行に参加している。一組と三組だから、シャクティとは逆回りで北海道観光をしているわけだ。スケジュールによると、つまり、なんだ、要するにシャクティらが全館の電源落した旅館に何日か後に泊まる事になる。あはは。

 

美矩「はあ。」
美子「ウエンディズ、の人だって?」

 美矩は現代文明がほとほとイヤになる。いや、わずか10年前ならば誰も携帯電話など持っていなかったから、旅行中にこんな話を聞かずに済んだのだ。

美子「おや、10年前なら持っている人もかなり居たと、・・・どうなのかな?」
美矩「え、ポケベルの時代じゃないの?」
美子「いやー、10年前はもう携帯の時代だよ。たぶん。」

 別当美子、前の生徒会では弥生ちゃんキャプテンの下で書記を務めていた人で今は対外活動委員会副会長をしている。美矩と同じ一組の同じ班の娘だ。軽い感じがするサバサバした美人だが、飄々として男が居るのか居ないのか分からないところもまたいい感じがする。
 美矩は、どうでもいい事で論争するつもりも無いが、そういえば自分がいつ携帯電話を買ってもらったのか、なにか記憶があいまいではっきりしない。中学に入る前には持っていたような気もするが、10年前はまちがいなく持っていなかった。というか、それは7歳の時だから無いのも不思議は無い。

美矩「学校に持って来ることは、禁止されていたから。」
美子「今でも禁止だよ、校則では。」
美矩「え? そうだっけ。」
美子「生徒手帳見てごらん。ちゃんと書いてる。蒲生先輩はこれは改正しなかったもん。」
美矩「おおほんとだ。校内に携帯電話の持ち込みは禁止で必要な者は特別な許可が必要、て書いてる。なんで?」
美子「なんでと言っても、その校則は変更する必要が無かったからだよ。うるさいのは確かだ。授業中メールをするのもそれは迷惑だよ。」
美矩「・・・みんなやってるよ。」
美子「だから先生のきまぐれでアレは全部取り上げられても仕方ないんだよ。グレーゾーン、でもないか、完ぺきに黒だけど誰も取り締まらない、不思議な校則なのだね。」
美矩「うーむ。」

と、溶けかけたソフトクリームを食べる。北海道は酪農の土地だからソフトクリームも美味しい、というのが通り相場だが、たしかに美味しいがなにか決定的なものが欠けている。

美子「愛、じゃない?」
美矩「ああ、・・・そうね。なぜか男の子が寄りつかないもんね、ウチの班。」
美子「巡り合わせが悪かった。もっと隙の多い奴と組めば良かった。」
美矩「だね。」

 一組女子2班は、いかなる因果かメンバー全員が、・・・・美人だったのだ。別当美子もなかなかのものだが、二年生最強との噂の高い根矢ミチルと、その対抗と見られている城ヶ崎花憐がセットで付いて来た。なにを隠そう美矩だって、その筋では「一重のラムちゃん」と呼ばれるほどの美形であるから彼女らに混ざっても遜色無い。水泳部所属の如月怜は夏過ぎて日焼けで色黒いところがなんともセクシーだと、もっか評判がうなぎ登りである。

 にも関らず、彼女達に声を掛けてくる者が皆無なのには訳がある。ま想像するに第一の原因は、美矩がウエンディズに所属する点だ。ウエンディズメンバーはやばい、というのはもう徹底的に男子の頭脳に刷り込まれているらしく、近付いていっても防虫剤を振り撒いたように皆引き攣った笑顔で逃げる。実際友達に聞いてみると、美矩がときどきテレポーテーションしてるとか、背中に目が付いているような不自然な反応をするとかの極めて変態的な機動運動を無意識裡に行っているらしいのだ。たかが半年の訓練であっても、弥生ちゃん先輩から叩き込まれた厭兵術の歩方が自然と自分の身体を守っている。でも男の子からは守らなくてもいいのだよ。

 別当美子も似たような口だ。生徒会で重職にあるからと、すこし構えて見られている。間口が広そうだとの印象は、もう男が居るに違いないと誤解を産み、失敗を怖れる軟弱者の接近を拒むバリアーとなっていた。如月怜はそっけない印象のクールビューティであるから、御高くとまっているとか思われているのかもしれない。もっとも彼女には居るというが。

 根矢ミチルは更に悪い。彼女が二年生最強美人と呼ばれるその理由は、熱血、だからである。ラテン系の熱情、というべきものを、別にハーフでもなんでもない日本人だが持ち合わせており、下手に手を出して黒こげにされた男子も多数ある。テンパのショートに黒目がちの瞳が誰の目にも印象的で、強いエネルギーを感じざるを得ない。しかも新体操部であるから、誰もが見るだけで満足せねばならないという不文律が形成されてしまったらしい。

 そして、城ヶ崎花憐は・・・・・・・。

花憐「はあ。」
美矩「ごめん。」
花憐「いいのよ。あなたが謝る必要は無いわ。」

 とテラスのテーブルに戻ってきた城ヶ崎花憐はため息を付きつつ席に着いた。この観光牧場は馬にも乗れるが、花憐は乗り慣れているから特に感慨も無かったらしい。どうせ観光用の馬は手綱を曳いて厩務員が引っ張って回るだけで、この広大な大地をぱっぱか走り回れるわけではないのだから。
 そう、彼女はお嬢様なのだ。それもただのお嬢様ではない。こともあろうに、物部村の村長、網元であり市会議員でもある、の娘だ。彼女と御付き合いすると漏れ無く、鳩保芳子とか物辺優子が付いて来る!

花憐「はあ。」
如月「じぶんの手の届かないところを心配しても仕方ない。」
美矩「いや、私には分かる。ひょっとしたら、自分がすべての罪を被って、例の人を刺し殺しておけば、という悔いがあるのよ。」
美子「そこまでの覚悟が要るのですか、ウエンディズは、うわー。」

 城ヶ崎花憐は根矢ミチルが持ってきたジュースを受け取って、ストローを口に咥える。が吸おうとはせずまたため息を吐いた。

花憐「・・・小学校の時はまだ、・・・普通だったような気がする。ぽぽーは元気がいいだけであんまり頭も良くなかったし馬鹿笑いもしなかった。ゆうちゃんは男の子と手を握るのも嫌がる恥ずかしがりの子だったのに。どうしてかな、二人ともおっぱいが大きくなった途端に怪獣になっちゃった。」
根矢「成長ホルモンのバランスがおかしいのよ。」

 根矢ミチルはそっけなく言う。彼女は、5組の生徒の顔なんて覚えていないから、まったく平然としている。前しか見ないから隣の人間にも気付かない、人の顔を覚えない質だ。おかしいと言うのなら、この娘もかなり変な子だ。

 美矩は思う。世の中には最初から人生に選ばれた人間が居る。蒲生弥生ちゃん先輩はまずはその頂点にあるが、志穂美先輩や聖先輩もそうだ。根矢ミチルは変な子だが、素質はあっても未だ選ばれてはいない、のだろう。まだ彼女のエピソードにはカリスマを感じさせるものは無い。ひょっとすると、ウエンディズに入るべきだったのは、彼女かもしれない。
 でも自分は、・・・・・人生に選ばれた人間に選ばれちゃった人間、というのは不幸なのだろうか。

 そんな想いとは関係無しに麗しい時間は流れていく。確かに傍目から見ればこの班は素敵なのだろうが、それぞれに深刻な悩みを抱えている点ではどの娘も他の班の子と変わりはしない。美矩は、自分にすこし余裕が生まれている事に気が付いた。一年生の頃にはそんな考え方はしなかっただろう。また気付いたとしても、それはお互い様、で済ましていたかもしれない。彼女らはそれぞれに普通ではない人間で、普通ではない人生を生きているが故に他人に敬遠されるのだが、自分もとっくの昔に普通から脱落しているのだわ、と納得させられる。

 

花憐「なんだかね、5組の噂が流れたら、とたんに周囲の私を見る目が違ってきたような気がするの。」
美子「気のせいよ。」
花憐「自意識過剰なのかも知れないけれど、なにか私に対して説明責任を要求するような、そんな感じが。」

如月「それは気のせいじゃないな。」
 如月怜はじゅるじゅるとジュースをすすった。

花憐「やっぱり!」
美子「いや、・・・・・・・それは確かに、居るけれど。仁見一恵さんでしょう。」

 仁見一恵は一組で一番仕切りたがる娘で、修学旅行実行委員でもある。班分けだって彼女が決めたし、部屋割りも自分に都合がいいようにしているはずだ。
 美矩の見立てでは、彼女は要するに昔の自分と同じで、特別な存在に成りたかった娘だろう。いや万に一つの間違いも無い。彼女が仕切りたがるのは、ただ単にそういう性格だから、ではない。蒲生弥生キャプテンとは違うのだ。仁見一恵はかなり無理をして今のステータスを維持している。要するに役に立つ自分、というのを自分自身に納得させたいのだ。それはまあ、分からないでもない。しかし、たかがクラス委員を務めたくらいでなんか人生が転変する道理も無し、もっと決定的なモノを欲しているが見付からず焦っている。

 その目の前に、のほほんと城ヶ崎花憐がお嬢様らしい無神経さでふらふわしていたら、かちんと頭に来るのは、まあ当然かな。

美矩「ああ、それはーわたしも感じていた。なんというか、敵意、だね。」
花憐「でも私、あの人になにかした事は、ないわ。」
根矢「おうおうにして、他人の恨みというものは自分の知らないところで買っているものよね。わたしも根拠の無い悪意には始終曝されているわよ。」

 ばっと、根矢ミチルに彼女達は顔を向けた。この女、札幌で地元の女子高生に喧嘩売ったのをもう忘れたか。あの時美矩が「カドの立たない穏当な納め方」(C 弥生ちゃん)でなんとかしなければ、流血の修羅場になっていたに違いない。

 根矢ミチルは間違いなく特別な存在だ。ただそれが全国規模のオーディションとかした場合、どの程度のレベルかはまだ未知数と言える。新体操の世界もなかなかに厳しいらしく、インターハイに落っこちたからには、いやかなりいい線を行ったと聞いたが、小学生からやってる連中と比べられてはしょせんは年期が違うという事で、大会で順当に落っこちたと聞いている。
 しかし、彼女は別にそれを気にしている素振りは無い。高校3年間、ま実質2年ちょいだが、を掛ければなんとかなるなるという気楽な考え方らしい。門代高校は地方の県立の受験校だから、スポーツは取り立てて成績が良いという事もないから、それくらいで順等なのだ。ただ水際立った容姿とまともな運動神経、天性と呼べる印象の強さを表現しなければとの、歴史的使命なるものに突き動かされて日夜練習に励んでいる。努力はちゃんとしているのだから、ちゃんと実るのを祈ってあげるべきだ。

如月「仁見って、取りまきが居ただろ。あいつらと一緒の組でいいんじゃない?」
根矢「うん。」

美子「当てが外れた、というか、こっちに面子が揃い過ぎて注目を集め過ぎた。ウチの班にいるだけでステータスがアップする、とか考えたのだね。」
美矩「とんでもない誤解だよ。男子誰も寄りつかないじゃない。」

 まあ、それも人によりけりで、別当美子は自分から出向いて男子と楽しくやっている。そういう美矩だって、その気になればなびく男子くらい何人か居ないでも無い。しかしこの班に居るとそういう気にならないのも事実で、熱く灼けた鉄板に水を掛けても弾いてしまうに似た絶縁性に、なんだか居心地の良さを感じている。根矢ミチルが日常発しているオーラに近いもので、それが如月怜によって増幅されている。
 てきとーに分類すると、根矢ミチルと別当美子は正反対の存在だ。対極であるからこの二人は衝突しない。美矩は美子サイド、如月はミチルサイドに分類されて分割されている中心に、城ヶ崎花憐が居る。花憐はどちらのサイドでもなく、簡単に言うと別の次元に居る。外面は上等高級だが中身は普通人だから、この班に置いておくのは気の毒なのかもしれない。ま、友達があれじゃあ、彼女自身も普通人とは呼べないか。

 ともかく、美矩の班は根矢ミチルを如何に隔離するか、を最大の目標として動いている、と考えると良い。美矩と美子がフロントを務め他に対処し、如月が拘束具となり、で花憐がにも関らずミチルに陽の光を当ててしまうのだね。

 如月怜だって本来ならまったく一般的な存在じゃない、異常と呼ぶのに躊躇しない性格だ。要するにこれは、本人が自覚しない色気が漂うという奴で、美人である事には自覚的ではあっても、男に対するアピールがめちゃくちゃ強い事に気付いていない。いや、分かっているけれど制御の仕方が分からないという困った女だ。そっけない態度が、冷たい受け答えがどれほど相手を引きつけるか、本人は逆の効果を期待してそうしているのだから、お笑いだ。彼女は水のように透明になりたい、ま高校生ならそういう願望があるのは普通だろう。目立つよりは自分のやりたいように自然に自由にやりたいと思うのは人情だが、そうは問屋が卸さない。水も滴るいい女になってしまっている。これで水泳部というのだから、もうエロフェロモン大放散なのだが、水泳部員の男子共はなにをしているのかな。ま、透明である事と男が居る事は相反する事象だろうから、なんかうまくやってるんだろう。隠れ蓑的に誰かと付き合っている、とかかもしれない。彼女には男がいる、と聞いてはいるのだが誰も見たことがないのだから。

 で、根矢ミチルと一緒に居て一番得しているのが、つまりは彼女だ。ミチルの燃え盛る情熱が期せずして透明にさせてくれるものだから、居心地良く拘束具の役を果たしている。これまではこの二人はそんなに中がいいという事は無く、というか今回ようやっとカップリングしたのだが、相性は良いらしくてそれはそれでめでたいもんだ。

根矢「あいつは、目立ちたいのかな。」
美子「目立ちたいんでしょ。」
如月「世の中には一生懸命頑張ってもうるさいだけの人間と、何もしなくても人目を惹き付ける人間が居る。」

花憐「ぽぽーやゆうちゃんは、いやでも目立つタイプだわ。ああいうのを見ると、物凄く気に障るのかも。だから私に。」
美子「もっと個人的な恨みがあるんじゃないかな?」
花憐「でも私、高校に入るまで仁見さんに会った事無いもの。一年生の時はクラスだって違うし選択科目も違うし、委員会も私入ってないし。」

 城ヶ崎花憐もまた分析のし甲斐はあるわけで、彼女はただの一般人にしか見えないのだが、考えて見ればアノ物部村出身でアンナ友達が居て普通というのは逆に異常だ。シャクティから聞いた話だと、鳩保という娘も物辺優子というのも、まあ志穂美先輩の系譜に属するとかで、それはもう猛獣というか怪獣の類いに違いない。言うなれば物部村はインファント島で、城ヶ崎花憐が双美人、モスラがあの二人、という構造になるらしいのだ。双美人は美しいが無力な存在で、しかし無力だからこそ物語内において絶大なる意味を持つという。花憐が弱っちい自我しか持たないのはたぶん、例の二人の異常性を際立たせる効果があるのだろう。逆にこの娘は、彼女達が居ない事にはその特性を十分に発揮出来ない。一組に隔離されて居ては単に綺麗で押しの弱い、カモという感じ。男子にからかわれたり、それこそ仁見一恵に取憑かれたりするわけだ。

美子「みくぅ〜、なにぶつぶつ言ってるの?」
美矩「あ、いや。あー、あはは。」

 つまりは世の中うまく行く為にはそれ相応の燃料が必要なわけで、城ヶ崎花憐に必要なのは不幸という名のガソリンだ。物部村ではふんだんに供給されていたそれをこちらでも用意してやる事で、彼女の潜在能力を引き出せるだろう。

美矩「花憐〜あのさあ、物部村ってのはしるく先輩から聞いたんだけど、かなり特別な島よね。」

 物部村は半島にある門代地区の裏側に当たる地域で、50メートルほどしか離れていない島になっている。ちゃんと自動車が2車線通るコンクリート橋が架かっていて往来は普通に確保されているのだが、戦前までは或る種の秘境として怖れられていたとも伝えられる。が、そんな話を余所から越して来た美矩が知るわけもなく、ウエンディズに加入して、この地を納めていたお殿様の家系である衣川うゐシルク先輩から、怪談の一種として聞かされたのがその話。

花憐「あ、それゆうちゃんとこ。あの娘は神社の宮司が御家で、巫女もやってるから。」
美子「みこさんなのかー。」
如月「みこさんなのかあ。」

花憐「あーーーー、そうね、話せば長くなるけれど、巫女には違いないんだけど、どちらかというと口寄せとかイタコとかに似てる、・・・そのーゲキてのが憑くらしいのね。」
美矩「まじ?」
花憐「よくわからない。見たことないというか見せてくれないもん。」

根矢「ゲキて、なに?」
花憐「”外鬼”と書くんだけど、つまりは桃太郎の鬼みたいなもので、退治されて物部村に埋められたって話ね。だから、」
如月「ゲキの霊が物辺優子には、憑くんだ。」
花憐「そういうことかな。鬼なんだけどヘビとかいう話もあるし、角があるとか、キツネの顔だとか、まあ色々とあるの。」

美子「想像図でしょ、それ。」
美矩「いや、それ、しるく先輩の話だとほんとに顔が変形するってのだ。昔々まだ衣川家がここに移って来たばかりの頃、なかなか言うことを聞かない地元の有力者を成敗したら、その親族がゲキの祟りを引き起こす御神体を物部村から持ち出して、で凄い鬼が出た、て。人の顔がこう、ぐにゅとゆがんで、」
根矢「・・・・かいだん?」
美矩「怪談。で、その当時衣川家に食客として居た一刀流の剣客がその化け物と戦って、朝日が出るまで頑張って時間切れで勝ったとか。衣川家伝一刀流の発祥だとかでね、聞いたの。」
如月「剣術のおはなし、ね。あの人剣道部だったね。」
美矩「剣道じゃないけどね。」

花憐「あーーー、それ。夏祭りでやってる。」
美子「マジ?」
花憐「まじもなにも、そのお面の色塗り毎年手伝わされてる。お面を被って、家々をたたき壊しに行くお祭りがあるの。ま、普通は壊してもいい空の味噌樽とかを壊すんだけど。」
如月「まじかよ。」

美矩「わたしが聞いた話だと、鬼の手が御社にしまっている、とかで、それを削って呑むと超能力が授かるとか。」
花憐「嘘よそれ。手じゃないもん。」
根矢「じゃあなに?」
花憐「う、・・・・くちではいえない。」
美子「なんでよ。」
花憐「くちではいえない、・・・男の人のアレの干物、があるってはなし。つまりその、ゆうちゃんは毎年アレを祠から出してお祭りしてる・・・。」
根矢「・・・・ふつうでない、のが普通なんだ、ね。ゆうちゃんて人は。」

 美矩が聞いた話はそれだけではない。しるく先輩はその後こうも付け加えていたのだ。「物部村に住む人は鬼の子孫だから、或る条件が整うと怪力を発揮して世の騒乱を引き起こす事になると、島に隔離されていた。後年徳の高いお坊さんがやって来て鬼供養をして、ようやっと害が無くなったけれど、時が経って禁を破る者が現われたら、遠く遠方の地へ逃げ出すだろう」と。ついでに言うと、鬼が逃げ出すのだから門代地区は別にこれと言って問題は無いのですよ、と。まあ、かなりいいかげんな話だ。
 その条件がなんだったか?

 別当美子が不用意に口を挟む。彼女はしるく先輩の話を聞いていないのだから遠慮する理由が無く仕方ないが、やっちまった。

美子「で、花憐の家は鬼とは関係無いんだ。」
花憐「無い事はないんだけど、えーとつまりこういう話でね、ゲキという鬼は昔々五体ばらばらに斬り捨てられて、頭は京の都に持ち去られ、手足はそれぞれ四つの霊山に封印されて、胴体だけが物部村に埋められたのね。しかし京の都に届けられた首がいつのまにか首桶から逃げ出して空中を飛び回り人々を齧る害を為して、やがて北の空の果てに飛んでいったの。ところがその後、ウチの、あウチは物部村で網元やってるから船には色々と縁があって、でなんと北海道の最果てに首だけの鬼の伝説がある事を発見したのよ。で、その首塚の供養をやったのが私のおじいさん。」
如月「なんだか因縁だね。見付けて下さいと言わんばかりの。」
花憐「でも千年も掛かったのだから、そんなに縁が深いという事も無いのかな。で、その首塚を古くから管理する人、アイヌの人だったっけが言うには、その首鬼が封じられる前に、いつか自分の身体をもって来る人間が居る。その時が我の復活の時だー、とか。まるで安倍清明の物語に出るようなお話でしょ。」

根矢「・・・・つかぬ事を聞くけど、その首塚というのは修学旅行のコースから外れているよね?」
花憐「知らないー。だってどこにあるか知らないもの。」
根矢「ならいいんだけど。」
如月「なに? その首塚に御参りでもしようと思ったの?」

根矢「いや、ひょっとしたら、そのゆうちゃんというのが、祠から鬼のアレを持ち出していたりしないかな、とか。」

花憐「ヒッ!」
美矩「・・・・まさか・・・・。」

花憐「すいません、だれかちょっと、えーとあ、携帯私持ってた。その、ちょっと電話して来る・・・。」

 と、城ヶ崎花憐は真っ青な顔をしてテラスのテーブルを離れた。おそらくは、5組の物部村出身者、鳩保芳子にでも連絡をとって物辺優子が「鬼のアレ」を持って来ていないか確かめているのだろう。
 テーブルに残った4人は、何を喋るべきか考えつかず、天使が空中を飛び回り放題なのを看過している。だが、一応現実主義者の別当美子が場の空気を入れ変えようと努力する。

美子「それはそうと、修学旅行なんだからさ、旅の想い出くらい作ろうと努力するべきだよね。」
如月「今、凄い想い出が出来た。」
根矢「少なくとも、今のはじゅうぶん話のタネになる。」

美子「そうじゃなくて、恋の話よ。修学旅行といえば恋! 誰がとは言わないよ、自分だけでなくて誰かこの機会にと思っている友達の恋の成就をお手伝いする、というのも醍醐味の一つではないかな。」
美矩「ぐたいてきに言うと、誰の話?」
美子「だれでもいいわよ、なんか不吉なのが払えれば。そうね、あなたやってみない。」
美矩「私?」

根矢「そうか。誰かひとり生贄を出して、他の者がそのサポートに当たれば、いやに目立ったとしても他の班の人間からは嫌味な目で見られたりしないか。」
如月「めくらまし、というわけね。でもそれは、ミチルとか私じゃダメだ。角が立ち過ぎる。」
美子「そうそう、フレンドリーな感じの、誰からも好意を持って見られるにんげんに対して、皆でサポートするから反感を受けないのだ。というわけで美矩ね。」

美矩「すいません。わたしいままで、そいう人格者と見られているなどという自覚がありませんが。」
如月「敵意というのも無いでしょ。」
美矩「ま、ね。ウエンディズに入ってからどうなったかは知らないけれど。」

根矢「じゃ、きまりね。誰か適当なターゲットをでっちあげよう。誰か居る?」
美子「心当たりの無いではないな。話は逆だが、美矩に対して好きだ、という男子は知らないでもない。」
美矩「そりゃ、・・・誰?」

花憐「・・・・・もってきてるって。鬼のへのこ。」

 戻って来た城ヶ崎花憐は、意外としっかりした顔つきだった。だが言ってる内容は戦慄に値する。

如月「へのこ、てのは、そのぺ?」
花憐「鬼のアレよ。ゆうちゃん、ちょこっと削って粉にして、滋養強壮の薬として持って来てるって。あんな元気な人があれ以上なにをげんきにする気だろ。」
美矩「その割には元気じゃない。」

花憐「あ、だいじょうぶなの。二人とも鬼の首塚のありか知らないって。ひょっとしたら北方領土だったかも、とか言ってるし。」
根矢「知ってるのは誰?」
花憐「わたし。いえ、わたし自身は知らないけれど、いずれ成人したら教えてくれることになってるから、今は全然知らないの。だからもう大安心。」
如月「なんだ。びっくりして損した。」

花憐「それにねー、大体ゆうちゃんのもってるへのこの粉だけじゃダメなのよ。生贄が必要なんだから。物部村に生まれた乙女が五人。五体ばらばらになったのに対応して必要だ、て言うんだけど、えーと、ゆうちゃんでしょ、ぽぽーでしょ、五組にはもうひとり玉子が居るし、私と。」
美子「卵?」
花憐「児玉喜味子っていうゆで卵を丸呑みするのが趣味の子が居るの。この子は別に変な所の無い普通のひとだから、大丈夫。で、四人しか居ない。心配ないわ。」

美矩「そうか、物部村出身者は門代高校には四人しか居ないんだ。なんだ、じゃあ問題無いじゃん。」
花憐「だいたい、今時21世紀にもなって、鬼が復活するなんてそんなばかみたいな話があるわけが無いの。あーもう、こんなこと言っちゃってバカみたい、あは、あはは。」

 皆であははと花が咲いたように笑う。実際、先程までの空気の重さが嘘のようだ。まがりなりにも歴史の重みのある話で、その迫力に引きずられたが、蓋を開けて見ればなんという事の無い、神社の中身がお札一枚だった、というのと同じ拍子抜けの具合だった。

美子「で、その美矩に興味がある男子というのが、ね。ウチのクラスではなくて、三組の。」
美矩「あ、明美ちゃんのね。」
花憐「さんくみ? ・・・・・・・・・・・・・・あ。」

如月「何?」
花憐「さんくみに、もひとり、居た。」

 

 

 一方その頃、三組の山中明美二号は、ま、前半クラスだから一組に遅れること30分で件の観光牧場に到着する。
 明美の班は、どういうわけだか知らないウチに面子が振り当てられて、何故か体育会系部活の人間ばかりになって居た。

明美「あのー、嶌子さん。着いたわよ。」
嶌子「うぷぷうぷ、降りる。」

 バスに酔ってしまった南嶌子、ウエンディズの一年生南洋子の姉で夏合宿では酷い目に遭わされた彼女、が明美の隣の席に座っている。弓道部の彼女と、ウエンディズで次期キャプテンを務める事になった明美とは、おなじ運動部だということでスケジュールに空きが無い隙を衝かれて、班分けをその他女子達に勝手に分けられてしまった。ま、どうでもいい話だ。

明美「ちょっと、童さん、嶌子をひきずり降ろすの手伝って。この子、めちゃくちゃ車に弱いんだから。」
童「あ、いいよ。」

 童 稔わらべみのり、は陸上部でハンマー投げをやっているこれまた同じ班に半強制的に割り当てられたメンバーで、明美達の後ろの席に座っている。ハンマー投げという筋力勝負の種目を選んでいる割には、小柄でおとなしい生徒だ。あまり目立つタイプではない。小さいけれど中学校の時は、県大会上位入賞を果たした、とかも聞いている。

明美「嶌子さん、ほら外に出て草の上に立ったら気分良くなるから。」
嶌子「うぎゅー。」
童「ちょっと胴体を掴むよ。いい?」

 二人がかりで嶌子を外に持ち出した。バスガイドさんも気の毒そうに見ているが、担任は何もしてくれない。ま、潰れた女子生徒というのは結構扱いに困るものだ。下手に弄るとセクハラ呼ばわりされかねない。

明美「ほら、降りた。」
嶌子「あー、なんだかくらくらする。もう少し寝てた方がいいかも。」

 彼女は自動車酔いをするのが分かっているから、酔い留めの薬を飲んでバスの進行中はひたすら眠る事で対処していた。それでは修学旅行の意味が無いだろう、とは思うが背に腹は換えられない。ともかく皆に付いて行く為にはこれしか手段が無い。

 胴体を抱えて居た童が手を話すと、嶌子は駐車場の砂利の上に落っこちた。しかたなしにもう一度童が抱え上げ、明美が肩を貸して土産物売り場に連れていく。ここは修学旅行生も度々訪れるので、こういう症状の人間が休むのに好都合のひろい畳敷の休憩室もある。

嶌子「あー、じめんがうごかないってサイコー。」
と、畳の上にひっくり返って目を右腕で抑えながら、呟いた。明美が買って来たスポーツドリンクの缶を額に当てて、吐息をもらした。

嶌子「あけみさん、どうもすまないねえ。」
明美「それは言わない約束でしょ。」
嶌子「まさかこんなにバスに乗ってる時間が長いなんて。中学校の時はまだ列車が多くてよかったんだけど。」
明美「列車の方が酔わないの?」
嶌子「うごきまわれるじゃない。バスは身動き一つとれないから。これが飛行機だったらもう窓も開かないから、どうしようもないわ。」
明美「いや、来る時乗ったじゃない。」

 童 稔は、嶌子の看護を明美に任せて、自分は土産物売り場を物色している。だが、今お土産を買ってしまうと後々荷物になって困るから、明美は注意した。

明美「童さん、そういうのは最終日の自由時間にも買えるから。そんなビーフジャーキーとか、チーズとかは止めたほうがいいよ。」
童「ちがうー、これは御供え物として買わないといけない事になってるから。」
明美「おそなえもの?」

童「父親に言われてね、北海道にある親類のお墓に備えないといけないらしいんだ。なんでも、修学旅行のコースにまんまバンとあるらしいから、ついでに行って来いって言われてる。」
明美「でも自由時間でもそんなに勝手にはいけないよ。」
童「そうは思うんだけど、まあそのためのお金ももらったし。何と言っても、じさまの兄弟とかだから。」
明美「そうなんだ。北海道に入植したんだ。」
童「いや、なにか宝探しか金鉱掘りだかで、凄い事故に出くわして死んだんだって。だから、しかたない。」

と、その時童 稔の荷物の中から携帯電話の着信音が流れて来た。二昔前に流行ったポップスだが、今聞くとなんだか気恥ずかしい感じがする。たかが5、6年前なのに何故こんなに古臭いんだろう。

 リュックサックの中をごそごそとかき回して童 稔は電話に出た。二言三言と決して愛想の良くない喋り方をして、切る。

童「・・・おなじ牧場内からでんわだった。」
明美「だれ?」
童「一組の城ヶ崎。同じとこ住んでるから。」
明美「童さんてどこに住んでるの。」
童「物部。」
明美「ふーん。」

 草壁美矩と同じ話を聞いている明美二号だが、ぜんぜん内容を覚えていない。彼女は不思議とは縁が無い性格で、というよりも彼女と明美一号の人生は不思議に満ちあふれているから、他人の不思議にはまったく興味を示さない。美矩とはまるで反応が違うのは仕方のないところだ。

童「なにか、すごく困ってるみたい。でも、場所が分からないから大丈夫、って言ってた。でも、それってたぶん、私がお供えに行く所と同じだ。」
明美「ふーん。なに困ってるのか知らないけれど、クラスが違うからしゃあないよ。」
童「うん。」

 とまた土産物のショーウインドウを覗き込む。今度は本当に持って帰る為の飾り物やらアクセサリを見ている。
 童 稔は色がとても白くてかなり可愛い感じのする子だ。背も低いし、おとなしいから男子にも案外好感を持たれている。明美は、夏ごろも毎日部活に精を出していたようには全然見えないその肌の秘密を、なんとかして知りたいとか思う。ウエンディズは闇稽古とかも多いが、それでも日中の練習時間は短くなく、それなりに日焼けして腕とか妙な色分けがされてしまって困っている。そういえば、南嶌子も弓道部で屋内の稽古だから、色は白い。明美は地の色は黒い方になるから、すこし憧れる。

 その嶌子が息を吹き替えして、畳の上に上半身を起した。

嶌子「あ〜、死ぬかと思った。」
明美「どうする。まだ寝ておく?」
嶌子「いや、子山羊と遊ばなきゃいけない。」
明美「ヤギ?」
嶌子「仔山羊。そのためだけに今日のわたしは生きている。」
明美「あ、そう。」

 なんだかよくわからないが、二人ともそれなりに修学旅行を楽しんでいるようだ、と明美は頭を掻いた。

 

 

花憐「これは・・・・・・・、しぬかも知れない。」
美子「そんな大袈裟な。第一、ほら、鬼なんか世の中に居るわけないじゃない。」
花憐「それは甘い! 村の言い伝えが確かなら、」

如月「そういうのって普通、嘘話だろ。特に鬼とか龍とかは。」
花憐「そうじゃなくて、そうじゃなくて、そうじゃなくて、・・・・見たことあるのよ、鬼。」

美矩「まさかあ。」

花憐「いや、本物の鬼じゃないけれど、人が鬼になる瞬間て本当にあるのよ。ゲキてのはそういう人の負の感情に取り付いて肥大化させるという恐怖を餌にして成長する、」
根矢「・・・RPGみたいだ。」

 

 

 城ヶ崎花憐の心配が現実と貸すのは、翌日の明け方である。が、この時点では誰もなにも知らない。いやほんと、何もしらないし、結局美矩達がその事件の詳細に触れる事は無く、その意味では何事もおきなかったのだが、彼女達物部村出身の五人の少女はここ北海道で恐怖の極限に向き合う事となった。
・・・・・・無責任に続く。

(06/07/25)

 

 

〜第5話(最終回)〜

「というわけで帰ってきましたあ〜。これおみやげでーす。」

 と、二年生がお土産を持って集合したのは、ウエンディズ会議が開かれていた一年生の教室。余り使わない1年4組だから少し戸惑った。普通なら南洋子の3組か、江良美鳥の5組を使う。新たに4組が用いられる訳はと言うと。

明美二号「おお!」
美矩「おおお!」
釈「三号さんだあ。」

 山中明美三号、こと仲山朱美の教室で会議は行われて居た。ちなみに三年生はあまり居ない。皆受験の為に補講に出ている。暇なのはふぁと志穂美と、なぜか普段でもまるっきり忙しい弥生ちゃんがそこに居た。

 三年生はともかく、二年生達はいきなり四人に増えた一年生に目を丸くしている。大きな美鳥に小さな洋子、中くらいの眼鏡の女の子は妙に不機嫌で、おまけにふわふわしたましゅまろみたいに頼りない戦闘力マイナス評価確定の子がちょこんと座っている。

二号「きゃぷてん、これは一体。」
弥生「見てのとおりに、新しいメンバーが増えたんだ。あんた達が北海道に言ってる間に。」

 質問されるのは最初から決まっていたから、弥生ちゃんもなんの感慨もなくそっけなしに答えた。重荷を背負込む二年生への相談無しにやっちゃったというのは多少抗議があってもしかるべきだが、この程度で驚く人間はウエンディズ接触三日以内に消滅するから、いいんだ。
 釈や美矩は自分達でも仲山朱美獲得に画策したから、ああやっぱりそうなったんだなあと目をネコに細めている。一方の明美二号は、・・・・まだ仲山朱美が何者であるべきか、気付いていない。

釈「しかし、いきなりこうなりますか。」
ふぁ「なる時はなるもんだよ。」

美矩「あの、こっちのふわふわした子は。」
洋子「あ、峯芙美子さんです。正式なメンバーじゃなくて、厭兵術の研究生ということで。」

 峯芙美子は単にふぁのファンというだけだから、憧れの先輩を前にして二年生そっちのけでどきどきしている。小鳥のように震え頬を紅潮させて可愛いのは認めるが、きょときょとしないで、ここでは気の利いた自己紹介くらいするべきだよ、とか美矩は思う。
 同時になんとなく、此奴の面倒をみるのは自分なのだなあ、と気付いてしまった。美鳥はふぁ先輩と志穂美先輩が、洋子は弥生ちゃん先輩が直接に、仲山朱美さんは当然一号二号明美先輩が指導すべきである。シャクティのおもろい指導を受ける人間が居ないのはちと物足りないが、彼女は中学生の面倒をよくみている。で成り行き上、美矩にはこのような使い物になりそうに無い人間が割り当てられるわけだ。

 二号がひょいと右手を挙げた。

二号「いつのまに研究生という制度も出来たんですか。」
志穂美「いつの間にか出来てたんだよ。」
ふぁ「暗黒どぐめきらだって、野球をする人間と暗殺をする人間とでは養成過程が違うだろ。そんな感じ。」

 なるほど、野球の人数が足りないから普通に考えると無理やりメンバーにする所だが、別口で厭兵術の普及の手段も模索しているのか。弥生ちゃん先輩の深慮遠謀は学校のプールよりも深い。しかしながら、そういうものを作るのならば、私が入る時にしてもらいたかった、と美矩は思う。

美矩「えーと、その。じゃあ自己紹介ということで、一年生は。」
釈「あ、そうですね。というか、朱美さんは知らないでもないんだけどさあ。」
美鳥「まあ、そうなんですけど、けじめということで一応挨拶をします。わたしはー。」

志穂美「おまえはしなくてよろしい。」

 南洋子にせっつかれて、仲山朱美が前に出た。峯芙美子にぜんぜん積極性が無いので自然と自分が先を取ってしまう。なんとなく自分のポジションが決まりかけているようで、朱美はちょっと不愉快だ。あれから何度も考えてみたが、ウエンディズ一年生の間のパワーバランスが、集団としてはかなりぶっ壊れている、と思わざるを得ない。南洋子と江良美鳥がぜんぜんタイプが違うので協調した行動が取れないらしい。峯芙美子は見たまんまアレだから、不本意ながらも自分が仲を取り持つ必要がある。まあ朱美自身かって中学校でフットサルのチームをこしらえた経験があるから、リーダーシップをとるのには慣れていないでもない。ただアレは、人間関係のもつれで空中分解した。

朱美「なんだかよく分からないんですが、とりあえずお試し期間という事でウエンディズに入りました、仲山朱美です。どうぞよろしく。出身は美鳥さんとおなじ第三西中の、」
美矩「ばかな子だね。」

朱美「は?」

釈「バカですね。」
朱美「あのー?」

 二年生二人のいきなりの言葉に、朱美は頭にかちんと来た。ばか? いきなりバカかよ。二年生がどれだけ偉いのか知らないけれど、いきなりバカにされてそのまま残ってる玉じゃないぞ、私は。

二号「きゃぷてん! ウエンディズ局中法度はこの子にも適用されますか。」

 二号明美という人が、蒲生弥生ちゃん先輩に質問する。局中法度というものが有るとは聞かされたが内容までは朱美は知らない。どうせグループ内の規則だろうが理不尽ならやめてやると、半分くらい思っている。

弥生「適用を除外する必然性が無いでしょ。」
二号「この子、バカだ。」

朱美「あの、バカバカ言われるのはちょっと頭に来るんですが、なに?」

 切れた。が、誰もびっくりしない。というよりも、切れないようならバカだろう、という冷ややかな目で見られている。美鳥洋子もそうだ。あーああ引っ掛かっちゃったよお、という感じでぽっかり空いた深い穴の暗さの瞳で見つめている。
 朱美の了解する所では、三年生ではなく、この三人の二年生に引き合わされる事でウエンディズ入団が正式に発効する、らしい。三年生はもうすぐ卒業なんだから、面倒をみてくれる二年生の承認を得るのが一番大事なのは分かるが、バカ?

 おもむろに二号明美さんが喋り出した。朱美を諭すようにゆっくりと。その口調の緩やかさに込められた揺るぎない強さに、少し凄味を感じる。見た目と違って、この二号という人は結構出来るらしい。聞いた話だと二年生隊員の中で只一人、一年生の時からみっちり鍛えられて来たというから、三年生隊員と同じオーラが漂うのは当然なのだろう。
 ということはよくよく考えてみれば、二年生の他の二人の隊員は一年生と大して訓練のレベルに差は無い、ということか。

二号「ウエンディズ局中法度 その壱『敵前逃亡は死刑』。」
朱美「なんですかそれ。」

 二号明美は微笑んだ。もうちょっと自分で考えてみてね、という感じだ。とはいえ、死刑ってなんだ?
 無論、死刑なんてこと言われても普通の人間にはわからない、てのは美鳥洋子が真っ先に気付いた。二号さんの顔色を見ながら補足説明をする。

美鳥「うえんでぃずきょくちゅうはっとというのはね、簡単に言うとお、」
洋子「かいつまんで言うと、新撰組でいうところの局を脱するを許さず、というのがウエンディズでは敵前逃亡禁止に当たるんだよ。」
朱美「何故?」
洋子「ウエンディズでは四六時中戦闘中ということになっていて、気を抜くといきなり。」

 ぱこーーーん、と明美二号が志穂美に叩かれた。まさかここで来る、とは思わなかった二号は虚を衝かれ派手な頭部の振動音を空中に発散させる。志穂美先輩の手にはスリッパがいつの間にかあった。さすがに汚れた底ではなく、綺麗な上辺で叩いたのだが、布の縫い目がある生徒用スリッパは上で叩いた方が痛いはずだ。
 二号さんは頭を抱えながらも志穂美先輩に謝る。ウエンディズにおいては、叩くよりも叩かれる側に落ち度がある、らしい。

志穂美「北海道に行ってる間に緊張感が削がれたね。」
二号「も、もうしわけありません!!!!」

 朱美の乏しい知識を総動員して考えるに、要するに武術の訓練であるからには隙を見せた人間は無制限に攻撃してもいい、という文化がウエンディズには有るらしい。四六時中戦闘中というのはウソではない。

朱美「・・・アレ?」
洋子「あれ。」

美鳥「かんたんに言うとね。」
洋子「一度入ったら二度とは出られない、地獄の淵虎の穴がウエンディズなのだ。」
朱美「! 帰ります!!」

 と、向きを換える朱美の両手に美鳥と洋子がしがみ付いた。最早手遅れ、そんなことに気付かなかった自分がバカなのだー、という意味で二年生は自分をバカバカ呼ばわりしていた、と漸くに気が付いた。たぶん、彼女達も同様の手口で引っ掛かった被害者なのだ。

 朱美を強制的に椅子に座らせた後に、峯芙美子の自己紹介が始まって、終った、この間5分。とりとめのないメルヘンなお話に、二年生も三年生も視線が宙を泳いでいる。これか、この集団で生きていくには敵の度胆を抜かねばならないのか。峯芙美子恐るべし、と朱美はふにゃふにゃした女を見直した。

 

弥生「まあふたりともよろしく。で、お土産は?」

 本題に入る。今回のウエンディズ会議の目的は、二年生の修学旅行のお土産の受領なのだ。二年生はその言葉で突然ばたばたと動き始める。弥生キャプテンの言葉はまるで天の声で、二年生と美鳥洋子は弾かれてきびきびと動いている。大した訓練効果だ。

二号「あの皆さんの分は用意しました、が・・・さすがに。」
釈「新隊士の分は、さすがに用意していません。ごめんなさい。」

ふぁ「まあ、それはそれで。カニは?」
二号「カニはさすがに、なまものを学校に持って来るのはなんですし。」
志穂美「送ればいいのに。」
美矩「そのくらいなら、自腹で通販のカニを買った方が安いですよ。直送ですし。」
志穂美「うむ・・・。」

弥生「で?」

と、尋ねる弥生ちゃんの言葉に、シャクティがびくんと反応した。遠く北海道の事ではあっても、門代高校生徒の不始末は弥生ちゃんの耳にいやでも飛び込んで来る。シャクティ5組の班がやらかした数々の悪事がごろりんとメールでやってきて、弥生ちゃんは隊士取締まり不行き届きだとかで職員室で責められた、というのを帰ったその日にじゅえる先輩からの電話で聞かされている。
 もっとも、別にシャクティは悪さしてないし、というよりも悪いのは物部村出身者であり、さらにはまゆ子先輩の新兵器だ。

釈「あの、その件につきましては、色々と事前に設定を説明しておかねばならない部分がありまして、それにはちょっと長くなりますがよろしいでしょうか。」
弥生「聞きましょ。」
釈「えーーーーーー、そもそもの話の発端は物部村、いえ物部島の発祥について、ですね。彼女達、つまり五人の本校生徒がいかに常人とはかけ離れているか、というのは一般人の範疇を越えていまして容易には納得していただけないのです。それでも、やりますか。」

志穂美「ごちゃごちゃ言わないで、さっさと話をしろ。」
釈「では、ご覚悟を。」

 

 

 西暦2008年9月X日、北海道において修学旅行中の門代高校二年生の一行を悲劇が襲った。移動中のバス三台が突如崖下に転落、死者行方不明者100名を越す大惨事となる。
 だがこの事件において最も奇妙な点は、事故の一報が警察消防当局にもたらされるよりも早くに米軍の一部隊によるヘリコプターによる救難作業が行われ、一部生徒が収容された事だ。さらに、現場において米軍は救助とはまったく異なる作業を、そして発砲さえも行われた形跡があると被害者生徒の多数が証言している。いずれにしろ事件に深く米軍が関与していると報道関係に広く知られ、第一報において大々的に伝えられた為に、事件の原因が単純な事故ではなく演習中の米軍がミサイルを誤射した、あるいは脱走兵による襲撃かとさえ噂される。
 もっともこの噂は日本政府当局によってただちに訂正され、以後テレビ等には出回らなくなるが、現在のインターネット普及の状況では留めようもなく、各所において想像や中傷、捏造を含む事件への推理が多数繰り広げられ騒ぎを大きくしていった。

 事件の二日後。現場において収容された一人の女子生徒の遺体がアメリカのキャンプデービット空軍基地に移送された。厳重な警戒下で戦闘機による上空監視も行われた状態での搬入に、事情を知らされていない米兵達も緊張の色を隠せない。そして、遺体は特殊な処理をされて軍病院に、その後突如として警戒体制は解除され、何事も無かったかのように通常の体制へ移行する。

「御目覚めですか、ミスシャクティ。」

 女生徒の遺体、インド系インド人のシャクティ・ラジャーニは古代風のまっしろいローブを着せられてベッドの上に身を起している。死んだと思われた彼女は、実は仮死状態に留め置かれ、米軍収容後は十二人のサイキックヒーラーの霊的エネルギーの投与によって現世に舞い戻ったのだ。

 シャクティは二三度瞬きをすると、左脇に座る黒人女性に話し掛ける。

「今は、アレから何時間経ちました?」
「37時間です。日本時間で言えば、」
「そうですか。では、彼女達はもう戦場に到達して居ますね。皆様はもうお集まりですか。」

 テレビでよく姿を見かけるその女性は、微笑んだ。

「大統領は、・・・総理大臣閣下も、皆様既にお待ちかねです。ミスシャクティ、意識の覚醒は十分に果たせましたか?」
「常態からこのモードに移行する為には、一度死なねばならないというのはなかなか慣れないものです。準備が整っているのならば、参りましょう。」

 彼女に伴われて病室を出たミスシャクティは、数名の護衛に囲まれて病院の特別区画に案内され、非常に殺風景なホールに到着する。正面には巨大な金属扉がある。

「シェルターならばノーラッドのものが有名ですが、主要基地にはアレと大体仕様的には同じ設備が整っているのですよ。」
 基地指令がミスシャクティを出迎え、挨拶をして説明する。

「地下100メートルにある緊急時用司令センターは核攻撃に対しても万全の防御力を誇ります。」
「自分でも信じていない事を言ってはいけませんよ、少将。現在の核ミサイルは地下貫通型ならば100メートルはなにほども無いのでしょう。」
「これは。いや、そこまで御存知であれば世界中どこのシェルターも大差無い防御力であり、ここでも構わないとご理解いただけますね。」
「どうせ、地球上のどこに居ても、彼らを避け得ないのです。」

 金属扉が開き、内部から喧騒が漏れて来た。この施設が訓練以外でまともに用いられるのも数年ぶりで、多数の要員が忙しく動き回っているが、彼女達は他を避けさせて大名行列のように進む。100名が一度に乗れるほどの大型エレベータに入ると、地下と交信してやっと扉が閉り動き出す。

「この基地にお集まりの各国元首はミスシャクティがご指名になられた国の20名です。中には指名時には未だ政権に就いておられなかった方もございますが、よろしいでしょうか。」
「何事も計画通りにはいかないものです。」

 100メートル下でエレベーターの扉が開くと、そこは最新鋭の機材で満たされた超近代的な指令センターとなっている。正面に大きく展開するディスプレイは長さが20メートルあり、その表示面の明るさで照明が要らないほどだ。7列に並んだオペレータシートには各国から派遣された情報士官が宇宙から転送されて来るデータの解析にかかりきりになっている。数年前からこの日の為に各国が数機の観測ロケットを打ち上げ、現在当該宙域に到達して活動を始めている。

 指令センターの後方に設置された正面がガラス張りの特別シチュエーションルームに、各国元首は勢揃いしている。アメリカ大統領に日本の総理大臣、EUロシア中国と、更には今後の歴史において主要的な役割を示すとミスシャクティに示唆された数ヶ国の元首・指導者がそこに居る。
 彼らはミスシャクティの入室に、立ち上がって迎える。まるで彼女が地球最高の指導者のように、最敬礼を奉げた。また彼女もそれを当然に受け止め、彼女の為に据えられた席に着いた。

 アメリカ大統領が代表としてミスシャクティに尋ねる。観測ロケットからでは入手し得ない情報を、彼女は超知覚能力で知る事が出来る、という設定になっているのだが、彼女は言った。

「衛星軌道上のハッブル宇宙望遠鏡が使えないのは痛手です。あれでも十分な観測は出来ましたのに。」
「もうしわけありません。スペースシャトルの事故が無ければ、次の宇宙望遠鏡計画も進展したのですが、」
「何事も計画どおりにはいかないものです。観測ロケットは何機生き残って居ますか。」
「5機打ち上げた中でも、機能し続けているのは3機のみです。他に、別の探査目的で打ち上げたものが1機、当該宙域を確認出来ます。」

「しかたありません。人類史において最初の宇宙戦争の記録となるはずのものでしたが、残念です。ではわたくしが貴方がたに御覧入れましょう。」

 ミスシャクティが右手を上にかざすと、シチュエーションルームの内部に立体的に映像が映し出された。彼女の指示で部屋の照明が落とされると、より鮮明に浮かび上がる。

「撮影しようとしても無駄です。これは貴方がたの脳に直接送り込まれている映像です。照明を落とさせたのはより集中できるようにで、視覚とは本来関係ありません。」
「ですが、まるでその場に、宇宙空間に浮かんでいるような感じだ。」
「実際に現場にある監視オブジェクトの知覚の中から可視光線領域を転送しただけのものです。もっとも可視光線ではほとんど観測できませんから、以後はコンピュータにより処理された模式的な映像となります。3DCGのようなものですね。」

「我らの観測ロケットのセンサーでは、十分な記録が撮れないのですか?」
「実体はほとんど無理ですが、爆散時に放出されるエネルギーが可視光でも放射線でも観測出来るでしょう。ニュートリノの放出もありますが、現在の科学技術では十分な解像度が得られませんので、我慢していただきます。」

 どこかの国の大統領、が質問する。いかにもな話をするミスシャクティならば、未来的先進観測機器によるデータの提示も可能だろう、と。ミスシャクティは微笑んで答える。
「確かに容易い事ですが、貴方がたはそれをそのまま信じるのですか? 35世紀から来たと自称するわたくしを。」
「あ、それは。・・・それは。」

「私が貴方がたを呼び集めたのは、まさにそこに意義があるからです。貴方がたが現在の科学技術の全てを尽して観測し、自らの目で確かめ納得するからこそ、私の警告が意味を為すのです。」
「もうしわけありません、ミスシャクティ。」
「いえ。時期が21世紀初頭というのは、技術的にタイミングが悪過ぎましたね。カイパーベルト外で行われる宇宙戦争など地球とは無縁ですから、もう少し前ならば警告はしませんでした。」

「未来には、定まった歴史というのがあるのですね。これから起こる事態が寸分の狂いもなく、記録されている。」
「そうとも言えません。時間の流れには可塑性があります。どうでもいい事は多少の狂いが許されるのです。この21世紀の戦闘においては、確率的には低いのですが戦闘マシンの一機が海王星軌道まで侵入を果たす可能性があります。2000機の内の一機ですから、誤差の範囲内ですが。」

「カイパーベルトから海王星といえば、凄まじい距離がありますが、それでも突入があるのですか。」
「時間で言えば30秒ほどノーマークになるわけです。超光速飛行体にはその程度の距離はなんでもありません。」
「超光速・・・。」
「光の速度を越える、というのはさほど難しい技術ではないのです。理論はあと70年後に発表されますが、実装は500年後です。」
「とても信じられん。」

 既にSFはお腹いっぱいだ、と言わんばかりに、とあるEUの首脳がこぼした。彼はミスシャクティの警告に最初から最後まで懐疑的な人物だった。

「仮に、仮に500年後に超光速が実現したとして、その技術力をもってしても勝てない敵というのは一体なんなのです。」
「そうだ、それほど進んでいながら何故、辺境の地球などという路傍の石ころにも似た惑星を襲わねばならないのだ。」
「ミスシャクティ、我々の疑問はまさにそこにあります。敵とはなにか、何故我々を襲うのか。今まさに戦いが始まろうとする瞬間だからこそ、お答え願えますか。」

 ミスシャクティはしばし目を伏せ、かざした掌を握る。宙に浮かんだ映像は霞に消えた。

「分かりました。お話しましょう、ですがきっと、貴方がたの期待とはかなり異なります。」
「我らの期待とは、それは。」

「我々人類が、それだけの襲撃を受けるに値する存在だ、という期待です。そうではない、地球人類はそのような価値は持っていない。原因は別のもの、つまりは今我らを救う為に飛び出した5人の少女が、敵を惹き付けるのです。」

「それならば!」
 と席を立つ各国元首達に、ミスシャクティは手をかざして制止した。言いたいことは分かっている。原因を除去すれば永遠にその危機からは逃れられるだろう。だが、

「もし貴方がたがアトランティスの秘宝を持っているとして、それを狙う者が居るからと宝を捨てるでしょうか? ましてやそれが、後々には更に大きな利益を産み出すと分かっていて。」
「彼の少女達には、それほどの価値があるのですか。」
「フフ、彼女達が奉じているゲキと呼ばれる鬼の身体の一部こそ、人類を宇宙に解き放つ鍵なのです。今私がこの場所に居るのも、ゲキの力を利用したものです。」
「超光速技術、時間移動技術ですか。」

「それは児戯に等しい。時間の壁を越えられても、時間そのものの変更に必要な技術の難度に比べれば、原始人の着火技術程度でしかないのです。私が皆様とお話し出来るのも、この時間介入が取るに足りない、誤差の範囲内の出来事だからですよ。」

「時間変更。ゲキには、それが可能だと。」
「何度も改変が行われて居ます。そして、この度も結局は改変され、何事も無かった事になるのです。ただ、私が居るという事実を除いて。ゲキの存在は今回の出来事によって人類の歴史に正式に登場します。昔から在ったものですが、なにしろゲキという名はまさに「外記」、記録の外にあるという意味ですから。」

「では貴女が居なくとも、ゲキの存在は知れ渡ると歴史には定められているのですな。」
「私の存在が無いとすれば、コストとして20億人が失われます。」
「20億!」
「ですが、それは実現しない歴史なのです。なぜなら35世紀の我らがそれを甘受しない。しないからこそこの時代に干渉する。ゲキは時間改変能力を用いて地球を護りますが、その手段として我らは呼ばれました。ご紹介しましょう、35世紀から来た人類の庇護者です。」

 再び掌を天上に向けると、漆黒の宇宙に幾つもの光り輝く紡錘形が出現する。幾何学模様が表面に垣間見れるので、かろうじて人工物と確認出来る。

「船、ですか。」
「全長12キロメートルあります。時間宇宙艦隊、人類歴史保全戦隊の精鋭、ブロクレブシュ級時空戦艦72隻です。」
「観測室、確認出来ているか?!」

「無駄ですよ。この出現を感知できるのは、早くても25時間後です。超空間通信でこの映像は送られて居ます。ですが、サービスとして地球直衛艦の姿をお見せしましょう。月の裏側に出現します。」

 5分後、シチュエーションルームの前は騒然となる。地球周辺のレーダー衛星が一斉に月の裏側に突如として出現した未知の巨大物体を捕捉して警告を発したのだ。第一報のデータを解析しプリントアウトした資料を持って、技術士官が米大統領の元に飛び込んだ。

「全長10キロ以上、幅3キロの紡錘状物体、金属反応あり。推定重量1億トン。地球と月を結ぶL3ポイント上で静止状態にある。いつからここにあったのかはまったく不明・・・。」
「ほんものか。」
「本物ですよ。それに、特別な遮蔽技術を用いて時空間から姿を消していたのではありません。現在の地球の技術で言えば、迷彩色でそのまま居たというレベルですね。」
「何時から居たのです!?」
「昔から。私が現在に降りた時からです。」
「57年前からずっと、ここにあったのか・・・・。」

 シチュエーションルームは動揺を隠して、ようやく現実に向き合う事を決した。ミスシャクティの言葉に耳を傾ける。

 ロシアの禿頭大統領が尋ねる。ゲキとはなにか、ゲキとは人類といかなる関りを持つものか。当然の質問であるが、非常に答えがしにくいものでもある。
 ミスシャクティは、ゲキについては完全な答えを差し上げるわけにはいかない、と前置きした。

「ゲキとは人類史における最大のミステリーであって、貴方がたが自ら答えを出さねばならないものなのです。この場にお呼びしたのは、まさにそれを教える為です。人類が全歴史を費やし全精力を挙げてその正体を掴むべき神の授けた秘宝、秘蹟であると御考え下さい。」

「神、とおっしゃいましたな。神は居るのですか。35世紀の科学では、神は居ると結論づけたのですか?!」
「それもまた、自ら獲得すべき真実です。いずれにしろ、ゲキは「いま」に在り続けるのですから、存分にお試しください。」

「ヒントはいただけないのですか。」
「そうですね。由来を掻い摘まんでお聞かせいたしましょう。
 ゲキは異星人の技術であり、異星人そのものでもあります。」
「異星人、・・・いや、35世紀から時空を越えて現れたという御方に比べれば随分と常識的な存在ですな。」
「まったくです。」

 ミスシャクティは微笑む。非常に魅力的な、地球上のどの女優よりもはるかに人を惹きつける魅力を彼女は持っている。年齢は16歳という事になっているが、57年前から16歳だから、歳などは意味の無い不老不死者なのだろうか。

「ゲキの本当の名は既に失われています。ゲキとは、これが保存されて居た日本の物部島に伝わる伝説での呼称です。西暦1008年、京の都を騒がせた光り物、鬼が物部島にてサムライに討たれ、五体ばらばらになって身体の一部のみが島に保存され、長く人々に守られ崇められてきた、というお話です。現在の状況はそれから丁度1000年、バラバラになったゲキの一部を、物部島から来た五人の少女が遠く北海道の地で発見する事で引き起こされました。いえ、敵が襲来するのに合わせて、ゲキが自らを発見させた、というのが正しいのかも知れません。」

「オニ、というモンスターは、人間の形をしているものですな。私は日本の文化には少し造詣があります。」
「はい。オニは人型をしています。そして、今少女達は、そのオニの形で宇宙に飛び出しているのです。
 35世紀の知見では、ゲキと呼ばれる宇宙人は極めて人間に近い存在です。直接の遺伝的繋がりはありませんが、相似形と呼んでもいい。そして彼らには極めて特徴的な精神文化がありました。人の形を大切にするのです。」

「それも我らと同じだ。」
「いえ、そうではありません。彼らに比べると人類ははるかに形を歪めています。彼らは人体の内部に機械を入れる事を頑に拒否しました。自らの肉体の改変も行いません。忌避します。」
「おお。ナチュラリストの種族なのですね。」
「ふふ。まあそうですね。彼らはナチュラルな人体をそのままに留めたまま、人体の外部にテクノロジーを重ねて、文明を発展させました。これは非合理的な対応です。今日の技術で例えると、インターネットを使わずに電話で済ませた、というレベルの話です。より大量の情報が処理出来るようになったにも関らず、自分ではコンピュータを用いずに人工知能との口頭での会話でコンタクト出来るようにした、という感じでしょうか。」

「なるほど、不自然だ。」
「彼らの科学技術は一事が万事そうなのです。自分は変わらない、外のテクノロジーだけが進化する。インターフェイスとしての肉体に改変を加えることなく、ただただ人間で在り続けた。」
「技術と人間との関り合いにおいて、一種の理想型ですな。」
「理想、なるほどそう呼んでいいのかもしれません。彼らの科学技術文明は、宇宙空間に進出するようになって50万年も存続し続けたと思われますから、大成功だったのでしょう。」
「50万年! 人類史全てに匹敵する永きを人間で在り続けたのですか。素晴らしい。」
「彼らは宇宙を旅するにあたり、自らの肉体を改変するのではなく、衣服に相当するものにテクノロジーを費やし、無敵の強靭さと生命維持機能を向上し続けました。その究極の姿が、我らが見るゲキなのです。」

「つまりは、ゲキは衣服なのですな、異星人の。」
「なるほど、だから人の形をしている。」

「ですが、衣服と呼ぶにはあまりにも進化し過ぎました。動力を持ち推進器を持ち人工知能を持ち自己修復能力を持ち、再生から増殖機能まで持っています。ゲキの主人たる異星人が在る限り、見境なく彼らを護るありとあらゆる手段を可能とする全てが詰め込まれているのです。恒星間飛行と時間軸移動を除く全て、と言って良いでしょう。さすがにそれらの機能は外部オプションとなっていますが、オプションを自ら生成する能力を持っているとなれば、機能を内蔵しているのとほぼ変りません。」

「神、ですな、まさに。神を身に纏った人、ですか。」
「ですから、ゲキをオニ、鬼神と呼んだ古代の日本人は非常に卓見だったと言えるのです。しかし、この神には肝心なパーツが欠けていました。」

「衣服は、着る人が居なければ、なんの価値もありえない。異星人を失ったゲキには存在意義が無い。」

「ゲキが何故地球にあるのか、はそのあたりに原因が求められると思われます。ゲキは、主人を探して宇宙をさ迷い、主人と相似形たる人類を発見した。」
「主人たる宇宙人が地球に向かった、という可能性は?」
「残念ながら、ゲキを有する科学技術文明の終焉期は人類を遡る事8億年です。人類どころか多細胞生物もまだ地球にはいませんよ。」
「そうですか。」

「おそらくは人類が文明を持つのとほぼ同時期、1万年前ほどがゲキが地上に降り立った時期なのでしょう。あるいは文明の兆候を発見する機能があるのかも知れません。幾つもの生命系にセンサーをばら撒いて、文明の発生に合わせて巡回する、というミッションを行って居たのかもしれません。いずれにしろ、人類文明はゲキに発見され来訪を受けた。35世紀の研究によれば、人類史がゲキによって幾度も改変をされたと証明されています。」

「ゲキは、人類にとっての神、なのですか?」
「・・・少なくとも、ユダヤ、キリスト教、イスラム教で言う所の造物主の役は果たしていません。ご安心を。奇蹟の幾つかはまちがいなくゲキの介入によって起こっています。ですが、本当に重大な改変は、人類には理解されない。時間そのものを改変したからです。我々は時間を遡る能力を獲得して初めてそれを確認しました。そして、今日また起こるのです。」

 居並ぶ各国元首はミスシャクティの語る壮大な叙事詩に心打たれた。シチュエーションルームのガラスの前では、突如大量に供給され始めたデータの解析に追われる人々が右往左往する。各国から選りすぐられた科学士官達には、今日は人類史が新たに始まった日として記憶されるだろう。

 日本の総理大臣が、ゲキの搭乗者の5人の少女と、そしてミスシャクティがなぜか日本人の女子高生として北海道にあったのかを、当然の権利として問う。更には、なぜゲキが彼女らを選んだかをも問う。
 ミスシャクティは答えるのを拒絶した。彼女達がなぜゲキの主であり得るのか、は今はまだ解き明かさない方が良いと言う。単なる遺伝的なものではなく、資質が肉体によって継承されもしない。だから、彼女達を攫って子孫を独占する、という手段でゲキを手に入れるのは不可能だ、と警告した。

「ゲキが、自らが働くのに必要な因子を、この日の為にあらかじめ手元に置いて居た、と考えて下さい。ゲキには未来を予測するのみならず、未来の事象を覗く機能もあります。在るべき時在るべき場所に在るべきものが在る為に、事前の周到な準備が為されたのです。」
「因子というものがあるのですな。単なる偶然ではない、ゲキを用いるに必要な因子が。」

 空中の映像に突如CGによると思われる幾何学模様の補助表示が加わった。何事かを示唆しているようだ。

「ゲキが無事に戦闘空域に到達したようです。亜光速の飛行しかしなかったようです。結構掛かりましたね。」
「外部オプションが無ければゲキは超光速飛行ができないのですね。」
「恒星系内部での超光速飛行はオススメ出来ないのです。周辺惑星の生態系に多大な影響を与える事が分かっています。特に内惑星に生命は普通在るものですから、光速の10分の一程度が適正です。」

「ゲキの姿は映りますか。」
「見えているようですよ。こちらです。」

 ふわ、と指先を動かすと映像がパンして一体の人型の機械を映し出した。それは各国の指導者達を落胆させるのに十分なみすぼらしさだ。

「これが、ゲキ?」
「まるで第二次世界大戦の戦車のようだ。」
「ほんとうに、これが超兵器なのですか。まるで溶接で作ったようだ。」

 ゲキは、非常に単純な形態をしている。球体をベースとして頭部に丸い小さな球が付き、両手両足は魚の背骨に似た同じパーツの繰り返しで出来ている。20世紀前半のパルプSF雑誌に出て来る、レトロなデザインだ。

「背中に付いているのが搭乗ハッチです。ここから彼女達は乗り込みます。」
「これが本当に、宇宙機なのですか。20ミリの機関砲でも壊せそうだ。」
「なにかの間違いではないのですか。このハッチが人間サイズだとすれば、ゲキの全高は4メートル程度です。12キロメートルの時空戦艦の方がよほど頼りになる。」

 ミスシャクテイは見た目に騙される現代人の感性に微笑ましさすら感じている。先程亜光速で宇宙を飛行したと言ったばかりではないか。正しく科学的な判断が可能ならば、見た目通りの他愛の無いおもちゃではないと気付くはずだ。

「材質は、鉄です。本当にそこここに有る鉄を用いて居ます。無論ただの鉄板ではありませんが、所詮は鉄ですから強度には驚くほどのものはありません。」

 日本の総理大臣が発言した。彼は子供の頃からマンガやアニメに慣れ親しんで、不思議なロボットについても或る程度の推察が可能だ。

「バリアですか。このロボットはバリアーが展開出来るのですな。」
「さすがは総理。そうです、ゲキの本体はエネルギーバリアです。ロボットの形をしているものは単に人が乗る所に過ぎない。先程も言いましたが、ゲキの主人たる異星人は人の形を維持し続けるのに固執しました。故に人が乗る機械も人の形に合せ、人の感覚感触で好ましいものになっているのです。ゲキの外形は、異星人が触れて好ましいと思える形に作られています。機能を顕現したものではありません。」

「つまりは、形は大した意味を持たない、ということですか。動力や武器は内部に搭載されていないのですか?」
「異次元の階層に畳み込む形で形成されています。取り扱うエネルギーの大きさで言えば、12キロメートルのブロクレブシュ級時空戦艦よりもよほど大きい。三次元空間内に形を見せていないだけなのです。」

「納得しました。そのような存在であれば21世紀人の手に負えるものではありませんな。」
「我らがゲキの構造を解析するには、まず高次元空間を認識する手法の開発から必要になるわけだ。分かる道理がありませんか。」
「ご理解いただけましたか。そうです。これは分からないものなのです。ゲキの正体に気が付くのは、我々も30世紀になってからでした。35世紀の今でも、完全に理解したとは言い難い。ただ、ゲキは異星人の進化に合わせて、何十世代もの技術の階層を持っています。一枚一枚剥がしていくように、その時点での最高レベルの知性をゲキの解析に当てる事で、無限とも言える智慧を見出すでしょう。」
「つまり、異星テクノロジーのバイブルというわけだ。これを独占すれば、と思う者は、この場に何人も居るでしょうな。」

 各国首脳は互いに顔を見合わせた。中には敵対する国も存在する。戦争をし合い殺し合った歴史の覇者だからこそ、この場に居るとさえ言え、ゲキという至宝を目の前に置かれては殺戮の再現も厭わない連中であると、誰もが身にしみて知っている。
 ミスシャクティは変わらず微笑んでいる。ゲキの技術がこの先に人間の歴史にどのような影響を与え、どのような悲惨を招くか、彼女は知っている。それでも、歴史のタイムテーブルに合わせて彼らに渡さねばならないのだ。

「今は少女達の戦いを見守りましょう。ただ、一つだけ言っておきます。現在の戦いが終った後、ゲキは一時放棄されます。貴方がたが映像で見たあの古めかしいロボットの殻のみが残され、本体は再び物部村で眠りにつきます。動きもしないロボットを手に入れようと争うのは虚しいばかりですね。」
「本体は、どうなるのです。」
「300年後に再度の敵の来襲に応じて現れます。深宇宙への探査船が発見されてしまい敵の襲撃を呼び込んだ貴方がたは、ゲキの殻をモデルとした機動兵器で立ち向かい、無残な敗北を遂げ地球軌道への侵攻を許し、救い主たる真のゲキを全人類が見る事になります。」

「・・・・・その運命は変えられないのですか。」
「人類が事件までにあらかじめ滅びている、という選択肢はありますね。そうなれば私達は時間を越えて移民をし人間社会の再現をして、敵の襲撃を迎えねばなりません。」
「人類の絶滅よりも、深宇宙よりの敵の襲撃とゲキの復活の方が、時間にとっては重大な事件だ、というのですか。」
「人間が思う程には人間は貴重な存在では無いのです。」

 空中の映像には、5機のゲキロボットの姿がある。すべて同じ形をしているが、よく見ると微妙に違う点がある。魚の骨のような手足はまばゆい光を絶えず発して揺らめき、4本すべてが推進機関だ、と分かる。

「ゲキの推進機関はなんですか。」
「時空間歪曲推進ですが、7種類の空間移動手段を持っています。この手足の光は単純な対消滅ロケットですね。」
「対消滅! 反物質が利用可能なのですか。」
「相対速度秒速20キロ以下の機動戦闘だと、搭乗者の趣味に合わせてこれを良く使います。反動推進はすべて対消滅ロケットの駆動バリエーションでしかありませんね。大気圏内飛行にも用います。どちらにしろ大して高いレベルの技術では無い。注目すべきは、燃料である反物質をどこから入手しているか、です。」
「もっと穏やかな飛行は可能なのですか。」
「重力傾斜推進、楕円係数推進は周囲の環境にまったく影響を与えずに飛行が可能です。問題は敵が同じ推進方法を使っている場合には、互いに干渉をして逃げられないデメリットが有ります。対して身勝手に動ける反動推進は、遅いながらもそう悪くない。内部では慣性中和機構が働いていますので、爆発的大加速でも安全です。」

「どうやら、技術的疑問に関しては口を開かない方が良さそうだ。技術者に任せましょう。」

「しかし、ゲキロボットの武器は、今回襲って来る敵に十分な効果があるのですか。」
「それだ。まだ我々は敵について何の情報も頂いて無い。敵は、誰です。」

 ミスシャクティはこれについても明確な答えを避けた。理由は至極単純だ。今から姿を見る事が出来、ゲキとの戦闘が繰り広げられる。敵が何者でありどのようにすれば撃退が可能であるかを見定めるのは21世紀人の仕事だ、と。
 さすがに世界の強国を率いる指導者達だった。下手に説明する事で敵に対しての先入観を与え、判断を誤り、脅威について正しい認識を妨げてはいけない、とのミスシャクティの心づかいを感じ取った。敵は十二分に恐るべきものなのだ。そうでなければわざわざ35世紀から救援には来ない。

 ロシア大統領が空中に浮かぶ立体映像の深部を食い入るように眺め、敵を探す。人間は、人類は、自ら敵を見定め、勝つ為に必死の努力を積み重ねて生き延びて来たのだ。暖かい救いの手が差し伸べられるとしても、まず自らが立つ気概無くしては、人類に名誉などありはしない。

「ゲキロボットが、散開、いや円形の輪を作ります。敵は近い?」
「ゲキのコクピット内部で提供される情報は極めて単純です。人間が自力で判断出来るまでに極端に抽象化された記号のみで、攻撃の意志を与えるだけで続く作業はすべてロボット本体がやってのけます。ですが、勝敗の確率は明確に表示され、負ける時は冷徹にその可能性が示唆されます。」
「彼女達は、勝てると踏んだのだ。ゲキロボットはその命に従うのみ。」

「私はこの戦いの結果を知っています。ですが、それでも勇気には敬服せざるを得ません。勝利確率50.11パーセント。損害確率73パーセント。事前の予想では、最後にはゲキロボットが一機しか残らないと、彼女達には提示されているはずです。」
「ミスシャクティ、貴女の時間宇宙艦隊が支援を行うとの前提で、今の数字は出されたのですか。」
「はい。更にはこの数字は時空戦艦が完全に稼動状態にある、との前提でのものです。だが実際はそうではない。艦隊は、」

 ミスシャクティは目を瞑る。続く言葉を固唾を呑んで見守っていると、突如として映像の中に広がる光の輪が数十現れた。

「これは!」
「艦隊が先制攻撃を受けました。敵には因果律を制御する能力があります。35世紀の我々が持たない時間を操作する技術が存在するのです。」
「では、味方の戦力は?!」

「22隻が爆散しました。ですがおかげで、ゲキロボットは先制攻撃から免れています。彼女達の攻撃です。」

 5機が輪になったゲキは、太陽系の反対方向に機体の前面を向けた。丸いストーブのような機体中央部、腹部には銀色に輝く円盤が装着されている。一見してビーム兵器と思われる。ゲキは全機これを使用した。腹部がぴかっと小さく光るが、漆黒の闇にはなにも起きない。

「不発ですか?」
「いえ。我が方に倍する損害を敵に与えました。彼我の距離が極めて遠い為に光速以下のセンサーでは確認できないのです。」
「しかし、敵は2000・・・。」
「全長500メートルほどの機動兵器が2000機です。ゲキと同じコンセプトで作られた高次元動力機関を持っていますが、因果律制御装置は母艦にのみ存在します。」

「あ、またゲキが発光した!」
「因果律制御攻撃に気付いて、先手を打ちましたね。こちらの時間制御能力を用いて、因果律制御を妨害しています。これで、五分の戦いが出来ます。」

 残存する50隻のブロクレブシュ級時空戦艦が一斉に艦首の兵器を使用した。やはりぴかっと一瞬光るが効力は見えない。
 ミスシャクティが眉をしかめる。

「攻撃の効果は、どうなのです。」
「・・・思ったより防御力が高い。時空戦艦の主砲にも耐えるようです。数艦が同時に一目標に対して集中攻撃をして、初めて撃破しています。」

 また、時空戦艦の一隻が、まばゆい光球に姿を変えた。超光速兵器の攻撃には避けるという対処法が存在しないのだろう。

「ミスシャクティ。敵の状況を映像では捉えられないのですか。」
「模式図ならば出せますが、御覧にならない方が精神衛生上よろしいかと存じますよ。味方はおろか、太陽系の3分の2が包囲されている、という光景は私にも耐え難いものがあります。」
「では、全方位から攻撃されている、のですか。」
「太陽に臨む方向18度に敵機動兵器の存在は見られません。方向という概念は超光速兵器や転送兵器には意味を為しませんが、太陽系の内部だけは現在安全と言えるでしょう。あ、また。」

 時空戦艦が更に二隻爆散した。それに対応して戦艦の主砲はひっきりなしの点滅を繰り返す。

「計算によると、艦隊は18分後に消滅します。」
「ひとは、乗っていないのですか。」
「一艦につき、最低二人と人造人間が10名乗っています。彼らは21世紀の為に命を投げ打つ覚悟で、ここに居るのです。」
「ああっ、またっ!」

 戦艦の爆散した光の雲の中から、一機のゲキロボットが姿を見せた。首の後ろに水色の勾玉のアイテムを持つ機体は、鳩保芳子が搭乗する。

「鳩保さんが、なにか思いつきましたね。敵機動兵器の弱点に気がついたようです。」
「弱点! 空間を跳躍する攻撃からどうやって、あ!」

 5機のゲキロボットが一斉に姿を消した。以降、時空戦艦の爆散は止り、ひたすら艦首を煌めかせる。

「ミスシャクティ、一体なにが。」
「八艘飛びです。」

 日本の総理大臣が尋ね返す。彼にしかこの言葉の意味は分からないだろう。

「もしや、敵の機動兵器に乗り移っているのですか。」
「鳩保さんは私のお友達ですが、・・・・ここまでバカだとは思いませんでした。ゲキロボットは見た目のとおりに小さいから、敵の内部に侵入出来ると考えたようです。皆それを模倣しています。」
「内部に、入り込めるのですか。」

「可能なようです。いや、むりやりこじ開けています。 内部に侵入を受けた敵機動兵器は防御行動が不能となり、時空戦艦の集中攻撃の的になっています。他の敵も、内部にいきなり飛び込んで来るのを警戒して近接戦闘態勢をとっていて、長距離砲戦は停止しました。」
「おお!」

「しかし無茶な。」
「無茶などと生易しいレベルの話ではありません。言うなれば、戦車の砲身に潜り込んで、次弾の装填の隙に内部に入るのと同じ事をしているのです。」
「それは・・・・。しかし可能なのですね。」

「ゲキの人工頭脳は可能だと判断したようです。だが無論推奨はしません。無知の勝利ですね。高次元空間に畳み込まれた動力部機関部の存在をまるっきり失念しているからこそ、可能なのです。鳩保さんってば、あの娘は理系クラスなのに。   あ、」
「今度はどうしました。」

「物辺さんです。物辺優子さんが、敵機動兵器の乗っ取りに成功したようです。・・・・・あ。あたまが・・・。」
「ミスシャクティ、大丈夫ですか!」

「いえ、医学的に頭痛がするのではなく、あまりの突拍子の無い行動に対して、少し目眩いが。物辺優子さんが乗っ取った機動兵器は地球に向けて出発しました。時空戦艦に対して無意味な特攻を掛けて防衛網を突き破ろうとしています。あまりの無秩序な行動に敵機動兵器群の追随が間に合わず、他のゲキロボットに次々に乗り移られています。」
「ああああああ。」
「そんなにんげんに、超テクノロジーを預けて大丈夫なのか!?」

「・・・今度は城ヶ崎花憐さんの攻撃です。鳩保芳子さんの八艘飛びにヒントを得て、連続八艘飛びを行っていますね。鳩保さんの15倍の頻度で飛び回っています。その割には効果は低いようですが、敵機動兵器群の統一された連動は完全に破壊されました。」
「・・・・勝っている、のですか。」
「勝っています。冗談のように勝っています。あ、さすがに物辺さんの所業に目に余るものを感じて、童 稔さんが回収に向かいました。放棄された敵機動兵器は完全に沈黙した状態で、艦隊防衛網を突破して、太陽系内に侵入します。予測の通りに、2000機の内の一機が突入を果たします。」
「放置するのですか。」
「これは月の裏側の旗艦が撃破します。今しました。」

「最後の、5機目のゲキロボットの行方は。」
「探します。・・ありました。・・・・・・、何故?」
「どうしました。」
「児玉喜味子さんが搭乗するゲキロボットは、近接戦闘をやっています。手で敵機動兵器の外鈑をぶん殴っています。」
「殴る、とは、文字どおりに殴って。」
「ゲキロボットの手の部分になんでも消滅させるゲキバニッシャーと呼ばれる武器が付いていますが、これの存在に気付いたようです。妙に気に入ってますね。」
「近接防御システムは敵に付いていないのですか?」
「無論ありますが、非常に巧みにすり抜けています。三次元機動で高度な迎撃兵器システムを凌駕できるなんて、考えられません。」
「ゲキには最初から回避機能が付いているのではありませんか?」
「いえ、いえ。これはかって観測されたどのゲキの機動よりも更に巧みな。・・・というよりも、存在感が無くて敵にも気づかれてない、というところですか。」

「ああ! なるほど。どこの学校のクラスにも、そういう生徒は居ました!」
「・・・です。」

「残存敵機動兵器数、209。時間宇宙艦隊時空戦艦残存数38隻、ゲキロボット5機損失無し。」

「大勝、ですな。」
「い、いえ。まだ敵の本体、母艦が残っています。これは通称「宇宙おたまじゃくし」と呼ばれる巨大な黒色彗星で、決して光を反射しない暗黒物質を放出しながら後方に長く尾を引いて宇宙を旅する無慈悲な虐殺者です。直径100万キロ、尾の全長5000万キロ。暗黒物質は渦を巻いて進行しており、正面中心部の颱風の渦の目とも呼べる真空スポットから機動兵器が発進します。」

「ですが、機動兵器群が全滅すれば、敵も進路を変更するのではないでしょうか。」
「私達の記録では、ここでゲキロボットが必殺技を駆使して撃退するのですが、やはり計画通りにはいかないと、思います。」

 5機のゲキロボットは集合して、合体を始めた。魚の背骨のような手足を互いに搦め合って、一つの人型を作り上げる。合体というよりも、タコが交尾で絡みついている風情だ。長い手足が接続しあって、丸っこいロボットから、少しスマートな人型に変化した。
 その間に、時空戦艦は残存する敵機動兵器の大半を討ち滅ぼす。わずかに残った敵は撤退して巨大な暗黒彗星へと溶けていく。

 シチュエーションルームの中央に浮かび上がる立体映像が全面暗黒の球体によって占められる。まさに悪魔の化身と呼べる暴虐の天体が、太陽系に突入する瞬間を彼らは見た。

「巨大な渦の中心の空洞は弱点にならないのですか?」
「暗黒彗星のコアに直接通じている、と思うのは間違いです。この中心核は只の岩石惑星であり、敵の本拠は高次元空間にあります。ゲキロボットと同様に、本体は別の次元に設置されているのです。」
「ではコアを撃ってもなんの効果も無い。」
「はい。次の瞬間修復を完了するでしょう。外部の暗黒物質の層も同じです。中心から無限に湧き出して来るものですから、排除しようなどとは考えない方が良い。」
「再び内部に転送攻撃というのは。」
「暗黒彗星自体がブラックホールに匹敵する時空の歪曲場を内部に抱えて居ます。コアの岩石惑星の周囲を回転する擬似ブラックホールが包み、噴出する暗黒物質に回転を与えている。構造は以上のようなもので、弱点などはありえません。」

「ではどうやって攻撃しろというのだ。」

 ミスシャクティは目を瞑り、深くセンシングを開始した。暗黒彗星の内部に逆転の鍵となるなにかが隠れていないか、だがテレビアニメのようにご都合主義的な解決策は、無い。

「ふう。中ではじゃんけんをしていました。」
「なんですと?」
「合体したゲキロボット同士で主導権を誰が取るか、無限に続くじゃんけんをしているのです。」
「リーダーが決まらなければ、攻撃も無し、ですか・・・・。その女子高生達を殴ってやりたいのですが、どうにかなりませんか。」
「これでも一応は人類の英雄ですので、それはお止めください。・・・あ、じゃんけんに決着が着きました。」

 合体したゲキロボットが、なにやら手足を振り回し始める。どうやらテレビアニメのヒーローロボットと同じ見栄を切っているらしい。

「リーダーは鳩保さんです・・・。」

 だが敵は、間抜けな女子高生の御遊びが一段落するのを待ってはくれなかった。機動兵器の引き上げが完了した渦の中心部から、いきなり白色の眩い光線が放出される。それは暗黒物質に対する白色物質、つまりは白色矮星の高密度中性子の槍だった。宇宙空間で最も重い物質が亜光速で噴出して、合体ゲキロボットを襲う。

「おお、神よ!」
「南無三。」
「おわりだあ、この世のおわりだああ。」

 各国指導者達が口々に絶望を吐露する中、ミスシャクティだけは必死で映像を眺め続けて居た、いくらなんでもこんな攻撃を受けて無事な存在があるはずが無い・・・。

 立体映像のすべてが白色で染まり、彼らすべてを明るく照らし出す中で、ミスシャクティは立ち上がり、宣言する。

「勝利です!」
「ミスシャクティ! 貴方は現実が御覧になれないのか。今ゲキロボットは敵の攻撃を真っ正面から受け!」

「はい。受け止めました。」

「・・・・・・・・とめた?」
「白色矮星の構成物質である中性子の柱を、手で止めました。その反動で暗黒彗星内部のコアがずれて、内部時空にひずみが生じ、中心核に高次元空間でマウントされていたはずの動力部が、ずれてしまいました。」
「・・・・ずれた? ずれただけで、壊れるのですか?」
「なにせ、恒星数個分にも匹敵する質量で亜空間に固定されて居たものですから、ずれるというのは物理上あり得ない展開です。」

「敵は、では反撃できないのです、か。」
「反撃をしようにも、まず三次元空間に戻って来なければなりません。広大な時間の、さらに広大な宇宙空間から、ココを見付けねばならないのです。座標特定だけで一万年以上掛かるでしょう。」
「・・・では、勝ったのです、か。」

「はい。」
と微笑むミスシャクティに、各国指導者達は小躍りして喜んだ。まさに奇蹟! これ以上の結末が他に望めるだろうか。だが、

「見て!」

 とアメリカの女性国務大臣が叫ぶ声に、皆ぎょっとして振り返る。だが驚いているのは顔だけで、彼らは長い政治経験から、ぬか喜びという言葉の真の意味を知っている。

「ミスシャクティ。あれは、もしや。」
「おお神よ。私はかってこのような結末を映画で見ました。巨大な敵要塞を倒すと、中から現われるのは。」

 見つめる立体映像の先には、暗黒彗星の尾の部分から現われる巨大な人工物体の雄姿が徐々に明らかになる。その圧倒的な巨大さ、科学力に誰もが絶望の表情を浮かべる。

「分かっています。今、時空戦艦の旗艦から報告が入りました。全長5000キロにもなる超巨大戦闘艦です。」
「おお、やはり。」
「ここ、までか!?」

 いきなり空中の立体映像表示が乱れ、何者かの強制的な表示の割り込みを受けた。映像を表示していたミスシャクティは、無形の電撃に撃たれて、床に倒れる。

 浮かび上がったのはまさに悪魔。口とおぼしき器官が七枚に分かれて牙を剥き出し、目に擬される反射光を持つ赤い球体が三列に並び、長く太い甲殻類の触覚が車輪状に包み込む。恐らくは顔、であろうそれが無気味に振動したと思うと、低く鮮明な人間の声、魅惑的なバリトンがこだました。

「ふははは、地球の諸君! なかなかやってくれるではないか。褒めてとらすぞ。」

 髪を振り、気を取り直して改めて敵の姿を見上げるミスシャクティに、各国指導者達は説明を要求する。

「精神攻撃です! 我々人類の頭脳をスキャンして、思考言語を直接にハッキングしているのです。」
「ミスシャクティ、対処方法は。」
「残念ながら、35世紀の技術でも異星の知的生命体の思考形態をここまで完璧にトレスする事は、不可能。」

「はははは、私は全宇宙を統べる悪の帝王にして救世主、暗黒を御する者だ。私に逆らうのがいかに、・・・・・ぷつ。」

 空中の悪魔の顔がいきなり消滅し、ただのシチュエーションルームの天井が視界に入った、照明を落として暗くなっていたのに気付いた各国指導者の随員が部屋の灯のスイッチを入れ直す。
 ミスシャクティはインドから来た修行者風のサイキックヒーラー乙女に抱きかかえられて、元の席に戻る。

「ミスシャクティ。なにが起きたのですか。」
「ミスシャクティ。今の者は、一体。」

「皆さん落ち着いて聞いて下さい。脅威は完全に排除されました。ゲキロボットは敵巨大戦闘艦を一瞬の内に沈めたのです。我らに精神攻撃を仕掛けていた主、暗黒彗星の支配者も乗艦と共に消滅しました。」

「一体、いったいゲキロボットは何をしたのです?」
「ミスシャクティがおっしゃっていた必殺技を使用したのですか?」

「いえ。先程止めた白色矮星物質の槍を、そのまま押し返しただけです。敵巨大戦闘艦はこれに潰されました。」
「・・・それだけ?」

「はい。脅威は完全に除去されました。」

「・・・・ほんとうですか?」
「はい。」
「ですが、ではあそこに残った暗黒彗星は一体どうなるのです?」

「そうですねえ。太陽系外縁に惑星が一個増えた、と御考え下さい。内部のブラックホールによって質量の大部分が亜空間に蒸発するので、数億年も経てばただの岩塊になるでしょう。」
「それだけ、ですか?」

「それだけ、ですね。」

 再びミスシャクティは右掌を上に向け、ゲキロボットの姿を映し出した。
 5機のロボットは合体を解いて、まっしぐらに地球を目指して飛行している。4本の移動機関すべてに対消滅反応の凱歌の焔を宿して、明るく揺らめきながら虚空を駆抜ける。
 生き残った35世紀からの援軍、時間宇宙艦隊の時空戦艦が次々と姿を消していく。脅威が去り、元の時間に戻るのだ。

「ミスシャクティ、これからの予定は?」
「ゲキは、変更された時間の修復を試みます。時間軸の変更は数日前、彼女達が鬼の復活に遭遇する直前、修学旅行のバスが事故を起こす前にまで遡ります。少女達の日常に復帰するのです。」
「では、ここで観測されたデータはすべて、」

「いえ、データは残ります。貴方がたの記憶もです。私がここに居るのはその為、ゲキの姿を人類に密かに伝えるのが目的ですから。」
「では、我々はこのままに体験の記憶を持ち続けるのですね。」
「記憶は残ります。ですが、時間は遡ります。貴方がたの何人かは白昼夢を見たと感じるかもしれません。ですが、人類が打ち上げた観測機は時空改変の波から取り残されて、真実のデータを送り続けます。自らの記憶を疑わず、観測機の送って来るデータを全て信用して下さい。そして。」

と、ミスシャクティは可憐に笑った。16歳女子高生、という設定に則した自然な笑みだった。

「太陽系には新しい星の仲間が出来たのです。早くに発見してくださいね。」

 

 

 

釈「とまあ、こういったわけで、めでたしめでたし、と。」

志穂美「言いたい事はそれだけか?」
ふぁ「まあ、なんだ。まゆちゃんが居ると喜んだかもしれないが、相手が悪かったね。」

 二年生一年生はすべて弥生キャプテンの顔を上目づかいに見つめている。なんたって全ての決定権は彼女にあるわけだから、修学旅行の最中の不始末の落とし前をどのように解決してくれるのだろうと、固唾を呑んで見守っている。
 果たして、シャクティ先輩は、口先三寸できゃぷてんを煙に巻く事に成功したのか?

 

 長い沈黙の末に、弥生ちゃんは口を開いた。

弥生「おしおきだべえ。」

 

 十月の中間試験の時期頃まで、物部村周辺海域では、妙に花火が弾ける音が続いたと言う。物辺神社では御神木や狛犬に穴が幾つも空き、どこからかやって来た外人の悪戯だと、物辺優子の父である宮司が大層怒っていた。11月には何故か総理大臣が神社にお参りをして、周辺の警備が異様な厳戒体制を取ったとも聞く。
 いずれにしろ、物部村と門代高校のある観光風致地区とは、突出した半島部の裏表反対側になるので、学校生活にはほとんど影響は無かった。

 ものの本によると、この時期彼の有名なIMTF(インポッシブルミッションタクティカルフォース)が全滅の憂き目にあったらしい。50年後の2058年、アメリカ政府機関の秘密文書が閲覧解禁されて明らかになったそうだ。

 

(08/08/22)

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