いつも元気な中学生、相原鳴海(14)にも悩みというものはある。

 例えば、全然色気が無い所とか左右の尻尾(おさげ髪)の長さが最近不揃いだとか、ケイタイ買うお金が無いとか、成績があまり芳しくなくてこのままだと門代高校に行けそうもないとか、友達の犬飼あしびが最近購入する漫画誌を替えちゃってお気に入りのマンガの続きが読めなくなったとか、ぶすっとして何も言わないですねてると姉の志穂美にそっくりだと言われちゃった事とか、まあいろいろと取りそろえている。

 が、その中でも最大の悩みと言えば、愛犬ぴかーどの件であろう。

 駄犬ぴかーどは変な顔をした茶色い雑種犬であるが、言語道断に頭が悪い。悪いだけならまだしも恩知らずときている。犬は三日飼ったら一生恩義を忘れないというが、ぴかーどときたら鳴海が惜しみなく注ぐ愛情をまったく感じていないかのようにぼけぼけとしているのだ。

 だが、今度のボケは決定的に酷かった。

 城下中学校の修学旅行は二年生の秋に行われる。最近は不景気のせいか父母への負担を抑えるという名目があるのか、今時珍しい奈良京都への旅行であった。もうちょっと面白い所へ行きたかったという不満はあるが、皆でわいわいするのはどこに行っても楽しいから、それはそれでよかったのだ。

 問題は帰った後、鳴海が家に戻った時の事である。

 約五日、鳴海は家を留守にした。その間姉がぴかーどの世話をしていたわけだ。が、鳴海が京都でぴかーどへのおみやげを買って喜んで帰ってくると、ぴかーどは知らん顔したのだ。

 留守にした事をすねているのではない。まるで鳴海を、知らない人がやって来たかのごとくぽかーんと見上げた。しっぽも振らない。で、あろうことかネコでも迷いこんで来たようにワンワンと主人に吠えやがったわけだ。

 さすがの鳴海もこれにはキレた。ぴかーどへのおみやげをゴミ箱に放り込んでそのままむくれてベットで寝てしまった。もっともおみやげは夜中にごそごそと回収して翌日にはあげたのだが、食べ物では無くイヌのマスコットであったからぴかーど本犬はちっとも嬉しくなかっただろう。

 そんな鳴海を見かねて志穂美は言った。

志穂美「馬鹿犬には馬鹿犬にふさわしい飼い方というものがある。蹴飛ばしたり鞭で叩いたりご飯をあげないといった、イヌらしい躾をしたらそんな理不尽な心配をしなくて済むぞ。」

鳴海「おねえちゃんのイヌじゃないんだからなにも言わないで!」

 鳴海が志穂美の事を「おねえちゃん」と呼ぶのはよっぽど虫の居所が悪い時だ。志穂美は眉をしかめた。

志穂美「ならいっそ他人に躾を任すというのはどうだ。どんな馬鹿犬でも主人のいう事を聞くようにする犬名人というのが、どっかいるだろう。」

鳴海「だからもうほっといて。ぴかーどは馬鹿犬で上等なんだから。ほんにんがやる気無いものをどうしたって意味無いじゃない。」

志穂美「だから馬鹿犬が馬鹿をして馬鹿を見るのは鳴海なんだから、自分でなんとかするしかないだろう。そのとばっちりを受けるのは私なんだぞ。」

鳴海「いつもいつもいつもいつも、おねえちゃんのとばっちりを受けてるのはあたしだ。」

志穂美「それはそうだな。」

 志穂美は、これ以上何を言っても無駄だと悟り、鳴海本人が言う通りに放って置いた。

 40分経過。

 志穂美はその間授業のノート整理をした。

志穂美の字は、書道部に所属しているのにも関らずとんでもない悪筆で、書いた本人ですら1週間も経つと判別不能になるという代物だ。だから、読めなくなる前に清書し直さなければならない。この清書したものがまた酷くて、確かに誰でも読めるレベルにまで改善されてはいるが、ついでに落書きもいっぱい付属してきて、なんの教科のノートか解読に難渋する怪文書に変身するのだ。

 にも関らず、志穂美のノートを借りて勉強するという強者が、同じクラスの大東桐子以下三名も存在する。志穂美は絶対居眠りをせず、教師の言を細大漏らさず完全に記録しているから、悪筆を解読するだけの価値はある。授業中、教師が何を考えてたか、しぐさを観察しての分析まで存在するその内容は、もはや学校生活の生態記録というまでに発達しており、授業中爆睡する事を義務づけられているタイプの人間には殊の外珍重されている。彼女たちが赤点を取らない為にも、志穂美はノート整理を怠るわけにはいかなかった。

 一心不乱に書字し続ける姉の背中を、鳴海は毛布から目だけ出して見つめた。

鳴海「・・・・・・・・ねえ、おねえさま。」

志穂美「姉者と呼べ。」

鳴海「その呼び方は嫌なんだったら。・・・・・まゆ子おねえさんならなんとか出来ないかな。科学の力で。」

志穂美「科学、・・・・・か。不可能ではないかもしれない。」

 無責任に言い放つ。が、当然否定的に答えるべき鳴海は、返事をしなかった。

 志穂美はくるっと椅子を回して鳴海に向き直る。

志穂美「生体改造というのはどうだろう。まゆ子ならやるかもしれない。」

鳴海「生体改造・・・・・・・、サイボーグになるの?」

志穂美「改造人間だ、って犬だから改造犬か。」

鳴海「いくらまゆ子おねえさんでも、お医者さんのまねは出来ないでしょ。」

志穂美「なるみ、まゆ子が、”出来ない”と言われる事をやりたがるへそ曲がりな人間だって知ってるだろ。」

鳴海「・・・・・・・ぴかーど、なおるかな?」

志穂美「聞いてみてやろう。」

 というと、志穂美は部屋を出て階下の電話に向かった。相原家にはケイタイも親子電話も留守電すら存在しない。未だに電電公社の黒電話なのだ。ビデオもゲーム機も無い。テレビですらリモコンを有していない、1980年代の家かと見紛う時代錯誤な生活を送っている。が、最初からそういう便利な物が無いと、特に不便とは感じないのが人間の不思議な所だ。

 鳴海はふとんをかぶって目だけをじぃーーーーーーっと見開いていた。いくら改造手術をしたとしてもあのぴかーどの知能が改善されるのだろうか。今回に限っては鳴海はぴかーどの犬権よりも、実利を優先する覚悟だ。その方が結局はぴかーどの犬生にとって有益であろう。ここは心を鬼にして、改造手術でもなんでも受けさせるのだ。

 

 志穂美が戻って来た。特に出る前と変わった様子はない。鳴海の方を振り向かずに椅子に戻って背を向けたまま言った。

志穂美「出来るって。」

鳴海「ほんと!?」

志穂美「生体改造は必要無いって。知能だけを向上させるのならば、どうとでもなる、そうだ。」

鳴海「信じられない・・・・。」

志穂美「鳴海、一つ聞いておきたい事がある。」

 志穂美は振り返り妹の顔を見つめる。鳴海も姉の顔を食い入るように見た。

 志穂美は言った。

 

志穂美「・・・・・・まゆ子は、”ぴかーどをろきゅーたすにするんだね、I see”って言ったけど、どういう意味だ?」

 

************************

 

 次の日曜日、鳴海は中学校の友達と衣川邸に行った

 ゲリラ的美少女野球団ウエンディズ城下中学校分隊”ピンクペリカンズ”(通称PP)は いつの間にかメンバーが二人増えている。一人は結成当初の構想時から予定されていた合田苗子、加えて鷺宮しづの推薦によって灰崎ほのか、という子が加入した。鳴海、桔花、しづ、と計5名となる。野球をするにはまだまだ足りないが、戦闘ユニットとしてはどうにか機能出来る人数だ。

 

 合田苗子は家が建設業を営む社長令嬢であり、小学生の頃から少林寺拳法を習っている。勧誘活動の一環として衣川邸見学ツアーに連れてこられた彼女は、その体験を父親に話したところ熱烈な説得と厳命を下され、まあ仕方なくもなんとなくもやる気が無いわけじゃないんだし、と選択肢が無いような状態に追い込まれて入隊した。

 なにやら怪しげな思惑が父親には有るんじゃないだろか、と苗子は疑ったりもしたのだが、入ってみて、ウエンディズの試合の応援に駆り出されてみると、武道の試合とは異なる、本当に一触即発の雰囲気から戦闘状態に突入する展開の緊張感にすっかりやみつきになってしまい、完全なゲリラ的野球少女に洗脳されてしまった。

 

 もう一人の灰崎ほのかは、鷺宮しづの、ごく限られた人脈にとりあえず一人居た、というレベルの薄いつながりで勧誘された。気配というものが無く、黙って座ってると誰にもその姿を察知されない、ほとんど幽霊のような特殊能力の持ち主である。といって別に病弱とか運動能力が低いとかいう訳ではなく、敏捷性には欠けるががばっとしがみつくと176cmのふぁでさえも容易に剥がせない強力な緊縮力を持っている。

 ウエンディズには専門家はいないが、どぐめきら風暗殺術を教えたらかなり使える人材になるんではないだろうか、と特殊訓練の計画をまゆ子なんかは考えている。

 

 今回PPのメンバーはふぁとしるくを教官としてグローブを使った格闘の訓練を受けた。この技法はゲリラ的美少女野球の根幹を為すものであり、これが出来ないと”ボールキープディフェンス”という、ランナーをぶっ叩いてアウトにする事が出来ないので試合が成立しないのだ。といってもやり方は簡単。両手でグラブを持ってそのまま振り回しぶん殴る。単にそれだけではあるが、そこは武道であり厭兵術である。簡単な中に無限の奥行きを持っていて極めるのはなかなかに困難だ。練習では一塁ベースに似たキャンパス地の角型特製バッグ、通称「角布団」もしくは「山田くん」、を使う。

 苗子は小学生の頃から少林寺拳法を習い帯も茶色である。柔道も少し噛った事があり多少は腕に覚えがあったのだが、ゲリラ的美少女野球の格闘は彼女の想像を超えるものだった。苗子がいくら叩いていってもふぁに全然届かない。身体に触るどころかふぁの構える角布団に自分から当てる事も出来ない。殴っても蹴ってもいいよと言われていたのだが、そんな隙は微塵も無く、角布団を振り回す以外の事をしようとするその思考を読まれているかのように弾き飛ばされ、すかされ投げられ、叩き伏せられるのだった。

苗子「やあ、やあ、はっ、はっ。」

桔花「苗子、がんばれー。全然当たってないよー。」

 桔花は黄色い声援を飛ばす。苗子に三カ月先んじて練習を始めた桔花だが、弥生ちゃんから未だ実戦投入のお許しを得ていない。ウエンディズ最弱と呼ばれる明美聖と対しても、今の苗子のように打撃が全然届かないのだ。明美聖じゅえるは弱いとはいえ実戦経験は豊富に持っている。自分の身を守る為に逃げ回るのも随分と板に付いていた。

 

鳴海「・・・・・・。」

 鳴海は、苗子が桔花としづと三人でフロントラインという一直線の陣形を作り打ち掛かる練習を始めるのをじーっと見つめた。三人一組でラインを作る、これはゲリラ的美少女野球戦闘ユニットの最小単位で、大体のチームが3×3×3のユニット構成で運営されている。ウエンディズで言えば、最前列フロントラインがしるくふぁ志穂美、二列目コアラインに弥生まゆ子鳴海(明美二号)、三列目バックラインじゅえる聖明美一号である。この構成が最も安定しており、攻撃にも防御にも陣形の展開にも逃走にも便利で即応能力にも隙を見せないベストである、とゲリラ的美少女野球リーグでは認識されている。

 つまり、PPはまだ戦闘チームを形成するに至っていないのだ。わずか5人、いや鳴海はウエンディズで正規メンバーとして行動するから、4人で敵にやられない陣形を考えねばならない。それにしても、

 

ふぁ「自分で回るんじゃない。相手を舞わすんだ。自分たちは回り込むなんて考えない。考えるんじゃない、って言ったろ。」

 と、ふぁはPPのラインをばらばらに分断し、個別に打ち倒してしまう。三対一なのにまったく歯が立たない。

ふぁ「動くときは前後、それも後ろにはまっすぐ下がらない。回るのは百年早い。」

 地面に図を描いて説明する。遠くでよく見えないが、チーム単位の運動の模式図のようだ。ゲリラ的美少女野球では乱闘はチーム単位で行われる。当然チーム単位で統一された動きをとる特別な力学が存在するし、それを打ち崩す方策も数多く考えられている。相手の後ろに回り込めばよい、と言うのは易いが下手に回ると自分たちが側面や背後を見せてしまい、いいように打ち破られてしまう、そんな事を教えているらしかった。

 ふぁは熱心に教えてはいるが、再開された練習ではやっぱり陣形はまともに動いてはいなかった。運動能力に優れた苗子だけが突出し良いようにあしらわれ、それを壁としているので桔花はふぁに取りつく事も出来ない。しづと言えば、ふぁが恐くて手が届く間合いに踏み込めないのだ。全然ダメ。鳴海はなんだか歯痒くなり、知らずに焦りが沸き上がってきた。

 

ほのか「一、二、ころん。一、二、ころん。」

 ほのかは鳴海の監督の下、芝生の上でひたすら転がっている。本当は受け身を覚えさせたいのだが、ともかくこけ方に慣れてもらわないとけがをしてしまう。だが鳴海は、自分で動きたかった。

鳴海「桔花あー、わたしも。」

 自分も陣形の列に加わろうとしたその時、鳴海はしるくに手を引っ張られた。

 

しるく「鳴海さん、わたしとしましょう。」

 ちょっと違うが、鳴海は思いっきり暴れたかったのだ。大暴れして、なんだかもやもやとしたものを吹き払いたかった。しるくの申し出は願ったり叶ったりで喜んで角布団を掴んで、鳴海は位置に付いた。

 しるくと鳴海は向かい合って礼をした。角布団を構えると間合いを測り呼吸を読んで一気に踏み込んだ。しるくが受ける事を見込んでの第一撃だ。普段しるくは第一撃は受けてくれる。格下の相手の力を引き出して負荷を掛けてくれるのだ。が、今日は違った。案に相違してしるくは受けてくれない。

鳴海「あ、うあ。」

 しるくは自分からも踏み込んだ。さっと体を開いて鳴海の角布団をすかすとそのまま左から側頭部に一撃を与える。不意を突かれて鳴海は崩れ落ちた。

鳴海「くっ。」

 ふぁ逹もほのかも手を止めて二人の練習に目を移す。地面に倒れたままの鳴海にしるくは言った。

しるく「鳴海さん。立ちなさい。」

 鳴海は手を身体の下に畳み、腕立て伏せの要領でばっと飛び上がった。

鳴海「お願いします。」

 しるくはまた避けた。今度は鳴海もそれを読んでいたのだが、鳴海が振り向くより早く、しるくは既に背後に移っている。鳴海の腰に密着する形で回ったから間合いが近過ぎて、鳴海はどんなに早く回ってもしるくに追いつかない。しるくはそのまま鳴海の尻を突き飛ばした。

 四メートルほど吹っ飛んでまた鳴海は転んだ。

しるく「立ちなさい。」

 

 ざっと立ち上がり角布団を構える鳴海は、間髪を入れずにしるくの直撃を受けた。アッパーだ。鳴海が構えた角布団を打ち上げ防御を突破して、腹からあごにまっすぐ何もさえぎるものがないように突き込まれた。

しるく「はい立って。」

 次は左上から大きく打ち込まれた。肩で受けて辛うじて耐えた鳴海だが、返すカタナで右から角布団を弾き飛ばされた。素手では角布団を受け切らない。ばしばしばしばしと連撃をくらって逃げ出すハメになる。

しるく「はいもう一度。」

 しるくが出てくるのに合わせて自分も打ちに出た鳴海だが、しるくは、ぱと足を止め、くるっと後を振り返り背中を見せた。真正面からぶつかる事を考えていた鳴海は気勢を外されて、そのまま宙を飛ぶ。

 

しるく「注意が足りないわよ。」

鳴海「は、はい。」

 ごろんと前転して息を整え鳴海は立ち上がる。しるくが受けるように構えたのでじりじりと近づき打っていった。今度はしるくは素直に受ける。鳴海が何度も叩くのを受け止めるだけだったのだが、打たれているにも関わらず前進した。じわりと後に追い詰められていく。打ち疲れて息を吐いた所を、しるくに大きく踏み込まれた。

鳴海「くっ!」

 鳴海はいちじくの木に押し付けられてしまう。足をじたばたさせるが身動きがとれない。

 

しるく「どうするの?」

 鳴海は角布団を捨ててしるくにしがみついた。が、しるくが袖を振るとそのまま芝生に転がされた。

 

 PPのメンバーはあっけにとられて見ている。鳴海が自分達とは年期が違いかなりの腕である事は周知だから、その鳴海ですらまるで歯が立たないのにショックを受けたのだ。

 ふぁも少し驚いた。しるくは自分には厳しいが練習の時、他人にこんな真似はしない。いつもはもうちょっと分かり易い攻めをする。それにしるく自身が男ばっかり三人の兄を持つ末っ子であり、鳴海に対しては”妹が出来たみたい” と喜んで思いやり溢れる付き合い方をしているのだ。

 

 空の手で立ち上がった鳴海は激しい息づかいで構えも何もない。角布団を拾わずにそのまましるくに手刀で打ち込んでいく。グーパンチは角布団等で防がれるとむしろ自分の方が痛いから、ゲリラ的美少女野球では殴る時は手刀か掌底、平手が標準だ。

 しるくは角布団で受ける。が、やはり前進して押し込んだ。今度は鳴海は周り込むのだが、不用意に近づいて足払いを掛けられ、打ち込む姿のまま芝生に落ちた。

 

ふぁ「しるくーーー。」

 しるくはふぁの方に顔を上げた。ふぁは顎をしゃくって止めさせる。しるくもうなづいて角布団を下ろす。芝生の上に手をついて肩で呼吸をしている鳴海に近づいて言った。

 

しるく「鳴海さん、心が乱れてますよ。」

 鳴海は顔も上げずに答えた。

 

鳴海「わかります?」

しるく「それはもうはっきりと。なにか悩みがあるんですね。」

鳴海「こころが乱れると弱くなるんでしょうか。」

しるく「いえ、いつもより気合いは入ってましたよ。動きが雑になってるのです。それに自分のこころがいらついていると、相手してくれる人も同じこころで返してくれます。」

 

鳴海「そうですね。ありがとうございました・・・・・。」

 

 ふぁが促して桔花は全員を整列させた。

桔花「練習を終わります。礼。」

 

 練習を終えるとちょうど正午であった。しるくは皆にお昼ご飯を食べていく事を勧めた。

 ふぁとPPのメンバーは座敷牢でお昼を頂いた。母屋で食べてもよかったのだが武術家としてはあまり奇麗でない所の方がふさわしいかな、と思えたのだ。今日はそれほど寒くも無かったから、すき間風が吹き込む座敷牢でも障りは無い。だが、お昼のメニューまで武術家にふさわしいものが出るとは予想しなかった。

 衣川家の昼食は、お姫様のお食事にも関わらず一汁一菜の質素なもので、そこらへんのコンビニでお弁当を買ってきた方がずっと贅沢に見えるという代物であった。もちろん使われている食材は吟味され、味もなるほどと納得させられる結構なものであったが、量に関しては女の子とはいえ育ち盛りの中学生にも物足りない。

 

ふぁ「えーと、これが衣川のお屋敷の標準なのかな。」

 失礼にならないように極めて遠まわしにしるくに異を唱える。

しるく「晩はもう少しおかずが付きますが、大体こんなものです。やはり一般の方には少ないでしょうか。わが家では5代藩主保芳公の頃から質素倹約に務めてきました。上に立つ者が範を示さねば下の者がついてこないという事だそうです。」

 まったく当然という顔で語るしるくに不満を訴える勇気のある者は一人も居なかった。

 鳴海も、常は大食らいなのだが、今日だけはしるくに叩きつけられて筋肉痛であまり食欲が沸かなかった。ただ、練習前よりはすこしこころはすっきりして透明な感じになっている。

 鳴海がちら、としるくを見ると、にっこりと微笑んで来た。なんとなく恥ずかしい感じがして、鳴海は頬を染め、わずかしか無い汁を啜った。苗子はそんな二人の様子にちょっとした違和感を覚えた。鳴海の姉である志穂美とは試合場や練習でちょっと会った事があるが、どちらかというと、この二人の方がずっと姉妹という感じがする。というか、何故志穂美が鳴海の姉であるのか、解せない。

 

 ちょうど話に間が空いたので、桔花がふぁとしるくに尋ねた。

桔花「しるくさんはウエンディズで最強だということですが、弥生さまとはどちらがお強いのでしょうか。先程の鳴海との稽古の様子だと、しるくさんの攻めは、なんというか、とても厳しいって、強いというよりも急所にずばっと入ってくる、って感じでしたが。」

しづ衣川の姫様はしるくじゃなくて”うゐ”さまです。

 さり気なく鷺宮しづがしるくの呼び名に訂正を入れた。実のところ、ふぁでも時々しるくがしるく以外の何者でもないような気がするほど、この呼び名になじんでしまって、ひょっとしたら失礼かな、なんて罪悪感が頭の片隅をよぎったりする。しるくはふぁの事を、本名の下の名前でちゃんと丁寧に呼んでくれるから、なおさらだ。

 

しるく「弥生さんは妖精さんですから。あの方と闘って本当に決着をつけるとしたら、どうなるでしょうか。直子さん。」

ふぁ「うん、弥生ちゃんの闘い方は妖精だかんねー、強いとかいうレベルの問題じゃなくて、勝つにしても負けるにしてもものすごく印象が強いんだ。わたしとも本気でやったら、・・・・・そうだねえ、ギャラリーが多いところでやったら、弥生ちゃんの方がなんか知らないけど勝っていた、って感じになるのかなあ。」

 PPのメンバーは、しかし「妖精のような闘い」という言葉を理解できなかった。鳴海には分かる。鳴海は弥生ちゃんの闘い方を一時まねしていた事があるのだ。だが、華麗にして鮮烈、もっとも危険な場所にもっとも優雅に飛び込んでいく、弥生ちゃんのスタイルはとても常人に模倣できるものではなく、当然の帰結として酷い目にあってしまったので、それ以降はしるくと志穂美のまねで闘っている。損得を考えず思いっきり全身でぶちかます志穂美のスタイルは、実は性に合ってるのではないか、なんて自分でも思えたりする。

 よくよく考えると、先程のしるくとの練習では、姉のスタイルでは無く、しるくの出来の悪いまねで闘っていたようだ。格上の相手に対して同じスタイルで小細工を弄した闘いをすれば、それは惨敗するだろう。

 しるくの「心が乱れると動きが雑になる」という言葉が今さらにして身に染みた。

 

 ふと、しるくはなにか思いついたようだ。桔花に向き直って言った。

しるく「そうだわ。折角皆さん来てくださったのだから、うちの犬と遊んでいってください。あの子達、よそから来た人と遊ぶのは大好きなんです。私も普段は忙しくてあんまりかまってやることが出来ないから、桔花さんお願いしますわ。」

桔花「あ、はい、犬ですか。何匹いるんですか。」

しるく「5匹。」

 と右手を開いて数を示す。にっこりと笑った。

 PPの責任者は現在、鳴海ではなく桔花である。鳴海は試合中は桔花たちと離れているから、自然桔花が指揮を執る。しるくは鳴海が犬が大好きである事を知っていたが、筋を通す為に桔花に持ちかけたのだ。

 中学生たちはぱっと顔がほころんだ。だが、鳴海だけは少し寂しそうな笑顔を見せた。今は衣川の、とても頭が良くて可愛くて美しいイヌたちと会いたいとは思わなかった。会えばまたぴかーどの駄犬ぶりを思い出し、頭の中で渦巻いて自分を憂鬱にさせるだろう。

 

 しるくは鳴海の心の変化に気が付いた。ふぁもそうだ。

ふぁ「・・・鳴海、犬、すきだったろ。」

 鳴海は取り繕うように必死で笑顔を作り応える。

鳴海「ええ、墺洲丸は元気ですか。初瀬ひめは、キンちゃんたちも。」

 しるくとふぁは、その姿に、なにやら痛々しいものを感じた。

 

しるく「・・・・・じゃあ、桔花さん、案内いたします。犬が嫌いな人はいません?」

桔花「大丈夫です、だーーーあいじょうぶ。たぶん。」

 皆で礼をして食事を終わり、立ち上がってお膳を片づけた。しるくは意図的に鳴海を放っておいて、桔花に進行を任せた。鳴海も、これ幸いと顔色を見られないように、人数の中に隠れる・・・・・。

 

 

 衣川のお殿様は犬好きでかっては十数頭も飼っていたのだが、自分で名前も覚えられないような数は飼ってはいけないと奥方にたしなめられた為、いまは外に紀州犬が二匹、座敷に狆が三匹にまで減っている。しるくの兄達が居た時分は犬もいろいろと遊びに連れていってもらえたのだが、現在彼らはそれぞれ家を出て暮らしているため、犬の世話は衣川藩時代からの世襲のお犬番だったお爺さんがひとりで面倒をみている。

 紀州犬は牡が”墺洲丸”といいい、兄弟がオーストリアにもらわれていったのでその名を与えられた。そのつがいの”初瀬姫”はもともとはただの”初瀬”が名前であったが、しるくが「姫」「姫」と溺愛した結果、いつのまにか名前も変わってしまった。どちらも紛う事無い血統書付きで、手入れも行き届いており、コンテストに出れば確実に一等が取れる名犬である。狆の三匹もつがいとその子で、これまたややこしい名を持っているが、鳴海たちウエンディズの人間は略して呼んでいる。”キンちゃん”は”錦綾王”とかいう名前の、狆一家の家長である。これもまた美しい犬で、賢くて人懐っこくて、遊びに行くと心から歓待してくれる。毎回衣川邸を出る時に鳴海は一匹引っさらっていきたくなるのだ。

 大喜びで犬達は中学生たちと仲良くなった。鷺宮しづは実はイヌは苦手だが、狆にまとわりつかれて目をしろくろさせている。苗子と桔花は紀州犬を元気に運動させる役をかって出た。灰崎ほのかは犬よりも池の鯉の方に関心があったのだが、それは犬達が許してくれなかった。鼻先でつんつんされたり、引っ張られたりして、遊ぶというより遊ばれてしまう。

 鳴海はひとり、その輪から外れ母屋の縁側に腰かけていた。しるくがそっと近づいて隣に座り、話しかける。

しるく「ぴかーどさんに何かあったのですか。」

 鳴海はずーっと遠くの方を見つめた。山の向こう側には大きく海が広がっている。

鳴海「・・・・・同じイヌなのに、どうしてこれほどまで違うんでしょうか。私が育て方間違えたのかな・・・・・。」

しるく「まあ。鳴海さんがぴかーどさんをとても大切にしているのは、私もよく存じてますよ。鳴海さんが悪いわけがあろう筈がありません。」

鳴海「でも結果はこのとおりです。ぴかーどは大きくなるにしたがってどんどん馬鹿になっていくんです。」

ふぁ「なんだ、そんな事で悩んでたのか。」

 遠くの方で聞き耳を立てていたふぁが寄って来た。やはり鳴海を気に掛けていてくれたのだ。

ふぁ「犬のすることなんだから、いいかげん割り切った方がいいよ。やっぱり生まれつきのものがあるんだから。」

鳴海「おねえちゃんにもそう言われました。馬鹿犬には馬鹿犬としての扱いがあるって。」

しるく「それも、すこし無責任な言い方ですね。」

ふぁ「でも正論だ。で、志穂美はそのまんま放っておけと言ったのかい。」

鳴海「いえ、まゆ子おねえさんに相談して改造手術をするって事になりました。」

 ふぁとしるくは互いに顔を見合わせた。

ふぁ「まゆ子、が、改造する、わけ?」

鳴海「あ、でも生体改造はしなくていいことになりましたから、ぴかーどは痛くなくて済むらしいです。」

しるく「ほっ。まゆ子さんは本当にやってしまいそうですから、びっくりしました。」

ふぁ「そりゃそうだ。いくらまゆ子でもそんなの獣医の免許が無きゃできないからね。」

鳴海「はい。でも知能を向上させるだけならなんとでもなるんだそうです。」

 ふたりはまた顔を見合わせる。

ふぁ「手術をせずに、知能を向上させる、んだね。」

鳴海「はい。」

しるく「ひょっとして洗脳でしょうか。」

ふぁ「いや、クローン技術を使って頭の良いぴかーどを0から作りなおすんじゃないだろうか。頭が二個付いて、脳味噌2ばーいとか。」

 鳴海は縁側からひっくりこけた。確かにまゆ子ならそれくらいはする。手術をしないからひどい事はしない、などという虫のいい話は彼女の選択肢には存在しないのだから。

 

鳴海「ぴ、ぴかーどは、ぴかーどはどうなるのでしょう。」

 だがふぁもしるくも容易な返答はしなかった。しばらく考えて、しるくが様子を探るように慎重に言った。

しるく「弥生さんのおうちには、私の家の犬よりもはるかに頭の良い犬が住んでいるのだそうです。本当にぴかーどさんをどうにかしたいと思うのなら、一度見学なさってはどうでしょう。」

ふぁ「そう、だね。まゆ子の事だから、ひょっとするといくら改造しても勝てないと思ったら手を引くかもしれない。へそ曲がりだから、”ほどほどで満足する”って言葉は知らないからね。」

 鳴海は起き上がり、ふたりに礼をした。

鳴海「ありがとうございます。確かにぴかーどだけを見ててもダメでした。もっといろんな犬を見て、ぴかーどにふさわしい飼い方というものを発見しなくちゃいけませんでした。」

 ふぁもしるくも大きくうなずいた。二人の胸中は、まゆ子の所業から一匹の哀れな命を救う事が出来ただろう、という安堵で満たされていた。

 

 

 衣川邸を辞して後、PPのメンバーと別れて鳴海は一人バスに乗った。弥生ちゃんの家に犬見学に行ったのだ。蒲生家は門代高校がある街側ではなく、裏山のトンネルを抜けた田んぼばっかりの浦という所にある。そのまた向こうは海に面しておりコンテナヤードがあり、今年の夏はなんとかというアーチストが10万人コンサートというのを開いた、そのくらい何にも無いところだ。

 バスを20分ほど乗って降りたところは、見事に田舎だった。弥生ちゃんの家は農家である。ご両親は双方とも中学教師であるが、祖父母は農業を営んでいる。両親は億劫がって農作業に手を出さないのだが、弥生ちゃんと中学生の弟は今時珍しい程に熱心にお手伝いをしているそうだ。「じじばば孝行」として地域で表彰され市内報で記事が出た事もあると、志穂美は教えてくれたが、「市内報を熱心に読んでいる人間が果たしてこの世に居るのだろうか」、という根本的な疑問には、姉は艶っぽく微笑んで答えてくれなかった。

 用水路に懸かっている橋を渡ると、小さな笹薮の陰から弥生ちゃんがひょっこり現れた。

弥生「あれ、鳴海ちゃんこんな所までどうして。」

鳴海「キャプテン、その格好は。」

 弥生ちゃんはもんぺ姿にタオルを姉さん被りにして、同性の鳴海の目から見ても思わず胸がきゅんとなるほど、愛らしい姿であった。

弥生「あ、今日は大根抜いてたから。どうしたの、しるくのところで練習してた筈じゃなかった?」

鳴海「ええ、練習はつつがなく終了しました。しるくさんには熱心なご指導頂いて、ぴんくぺりかんずのみんなは喜んでましたよ。」

弥生「しるくのする事に抜かりは無いからなんの心配もしないけど、でも、なんでこんな田舎までわざわざ来たの、鳴海ちゃん。」

 鳴海はすなおに自分の気持ちを打ち明けた。もはやぴかーどがうんぬんはどうでもいいんじゃないか、などと自分の奥底では思えて来た。このままずっと、ウエンディズの先輩達に自分の心を知ってもらえれば、ぴかーどの馬鹿さ加減も笑って許せる、そんな自分になれるような予感がする。

 弥生ちゃんは黙って頷きながらひとしきり鳴海の話を聞き、少し考えて言った。

弥生「まゆ子のする事だから、確かに知能はなんとかなるんだろうけどねー。でも犬だから、人間みたいにならないからといって、責められる筋合いは無いと思うんだよね。ぴかーどくんからいい所を見つけ出すというのはそれは確かに不可能な作業に違いないけど、うちのチロみたいじゃないからダメってのはないんじゃないかな。」

鳴海「頭いいんですよね。キャプテンの所のワンちゃんは。」

弥生「うーーーん、泥棒二回も捕まえた事があるから確かに賢いと思うけど、でも所詮は犬なんだよ。」

鳴海「それでいいんです。犬という生き物がどの程度賢くなれるのか、それを今調べてるんです。」

 犬の知能の平均、というものが分かれば、多分ぴかーどのレベルというものが分かるだろう。ひょっとすると、自分が考えているよりはマシだった、という事もあるかもしれない。逆に、もうどうしようもないダメなレベルであれば、それはそれで改善しようという無駄なあがきは必要なく、志穂美の言う「馬鹿犬にふさわしい扱い」をすればよいだけの話だ。どっちにしろ、衣川邸で悟ったように、鳴海は犬を数多く見る必要があった。

 

 弥生ちゃん家は大きな古い農家である。家自体は戦後に大改修しているから、それほど古臭い印象は無いのだが、かっては牛を飼っていたという納屋は、これは江戸時代の建物そのままである。敷地も、母屋に納屋に車庫に倉と随分と広いのだが、農家だから必要あってその広さがあるわけで、別にぜいたくな造りということはない。

 コンクリブロックを積み上げただけの簡素な門の脇を抜けると、それは居た。

弥生「ほら、鳴海ちゃん、チロだよ。今年で10才かな。数えで言うと11才か。私が幼稚園の頃からいるんだ。」

 チロと呼ばれるその白犬を見た鳴海は衝撃を受けた。

 

     これは、イヌじゃない。もっと別の生き物だ。

 

 そう感じた。少なくとも鳴海にはそう思えた。その顔は知性に輝き、動作の節々に思慮深さが見れる。チロは弥生ちゃんの顔を見て、鳴海を見て、鳴海の匂いを嗅ぐともう一度確かめるように弥生ちゃんの顔を見て、一声「ワン」と吠えると鳴海にしっぽを振った。

弥生「歓迎するって。」

 チロは確かにそう言った、それ以外の意味はあり得ない。

 鳴海は、思わずその場にしゃがみ込んだ。訳も無く涙が溢れてくる。ぴかーどが可哀想で可哀想で、どうしようもない不公平感に叫びたくなった。「馬鹿犬は馬鹿犬として扱った方が良い」、志穂美の言葉が改めて鳴海を打つ。確かにそうだ。出来もしない事を無理やり望むのは、ぴかーどにとっては虐待に等しいだろう。間違っていたのは自分だったのだ。

 小さく呻く鳴海にチロが顔を寄せて来た。鳴海の様子に驚くでもなく、また他の犬の様に鳴海の感情に反応して慰めに来るのでもなく、鼻先を鳴海のひざにこすりつけた。きゅーきゅーと鳴いて鳴海の注意を自分に向ける。顔を上げると、チロの瞳は、鳴海の心を理解し共有しようとする慈愛に満ちていた。

チロ「・・・・・・・・・・・・・。」

鳴海「・・・どうして、」

 

 同じ生き物なのに何故ここまでの差を付けたのか、鳴海は神様をなじりたくなった。

 

******************************

 

 家に帰ると志穂美が外出着のままで居間にいた。鳴海と同様に今帰り着いたようだった。志穂美は無言のまま一冊のファイルを鳴海に示す。

志穂美「まゆ子が呼び出しを掛けて来た。ぴかーどの採寸をさせてくれと言われたぞ。」

 ファイルを受け取った鳴海は立ったままそれを開いた。

 そこには確かに、生体改造をしないでぴかーどの知能を改善する計画が載っていた。特製の犬用ジャケットに小型のモバイルコンピュータを装着し、GPS携帯電話と連動させ、ぴかーどの動きを遠隔操作でコントロールする。マッサージ用の高周波治療器で電撃を与え、反抗するぴかーどの動きを制御するのだ。モバイルコンピュータは音声認識機能まで備えており、ある程度は人語を解して自動でぴかーどにお使いをさせる事も可能だ。

 まゆ子が言うように、まったく生体改造は必要ない。世間一般のイヌよりも確かに賢く振る舞うだろう。弥生ちゃんのチロよりも。

 

     だが、

 

 

 

 2001年12月現在、ぴかーどはやっぱりぴかーどのままであった。

 

 

 

END

2001/12/28

 

 

 

 

 

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