いつも元気な中学生、相原鳴海は夕暮れの中、仲間たちと家路を辿っていた。身体が鉛のように重い。

 

 ゲリラ的美少女野球団二軍ピンクペリカンズは四月を終えた現在、部員12人にまで膨らんでいる。去年12月の時点では5人に過ぎなかったので、これは大いなる進歩だ。三学期に一年生への勧誘大攻勢を掛けて、ウエンディズ応援ツアーを組織して戦略的に運動した結果、四人を獲得、ついで新年度新一年生にも大攻勢を掛けて6人、計15人の大所帯に膨らんだ。が、先日の大東桐子せんぱいによる戦闘演習を敢行した結果、見ていただけの新一年生3人が逃亡、という不本意な結果となるも、12人だ。数的には十分すぎる勢力だ。というか、運動部でピンクペリカンズより少ない所も数あるから、まずは満足すべきだろう。

 現在の指導部の構成は、三年生5人、

隊長 東桔花、教導 相原鳴海、会計 鷺宮しづ、主務 合田苗子、医療主任 灰崎ほのか

 隊長の東桔花は弥生ちゃんの熱烈なファンであり、ピンクペリカンズも本来はウエンディズおよび弥生様のおっかけとして作られたものだ。その本来のステータスは今も保存されており、正規メンバーではないが応援には来るという隠れ部員が少なからず居る。彼女達はとてもじゃないが物騒で参加出来ない練習は遠目で見ているが、代わりにピンクペリカンズの世話をなにかとよくしてくれる。3学期の短い期間で新入部員を獲得できたのも、彼女達のおかげだ。若干数男子も居る。その元締めが桔花なのだ。

 桔花は上部組織であるウエンディズとの連絡係もしている。鳴海に、姉の志穂美に通してもらえばいいようなものだが、弥生様と話が出来る、と嬉々として役目を引き受けている。応援動員スケジュールの作成も彼女の役目だ。

 髪が伸びる日本人形にそっくりな鷺宮しづは、これはしるくのファンである。鷺宮家はもともと衣川藩士であり、彼女自身、衣川家と縁の深い幼稚園に通っていてしるくと関りがあった。会計職は、彼女の得意とするところでは無いかもしれないが、他に振る役職が無いから仕方がない。彼女もピンクペリカンズ創設メンバーだ。

 少林寺拳法も習う合田苗子は、戦闘力を買われて一早くウエンディズでの実戦に投入されている。彼女は体育会系少女であるから、下級生の統率も任されている。はまり役だ。

 灰崎ほのかはあいかわらず存在感が無い。別に頭が悪いとか無能だとかではないのだが、外部との交渉を必要とする役職には当てられないので、薬箱担当となっている。ケガの多いゲリラ的美少女野球では、練習には薬箱は必ず携行する事になっていて薬品係はかなり重要な役目だ。本人もこの役を気に入っているらしく、なんだか怪しげな富山の薬売り系の変な名前の紙包みをせっせと買い込んでいる。

 そして、相原鳴海は、彼女は別格であるので、教導という全体の練習を指導する役職に就いている。

 

 

 さてその練習だが、最近入った新一年生は未だ小学生の様で、とてもじゃないが戦闘には耐えられない。二年生ですらまったくの素人同然で逃げ回る事すら出来ないという状態で、苗子が必死になって受け身と基礎体力の育成、基本的な野球技術の修得に努めているがかなり大変だ。

 いきおい、主力の三年生だけ別メニューの練習という事になる。まあ二年生に筋のいいのがいて、ひとりだけ混ぜてやっているが、それにしてもついてくるのがやっとでとても戦力としては使えない。それでも数があるのは大きく練習の幅が広がるわけで、6人での三角ベースという基本的な実戦演習を展開している。初期メンバー全員がなんとかボールの運び、コンタクトの具合がゲリラ的美少女野球らしくなってきた、というのがこの頃だ。

 しかし今日の練習は特別だった。

 

 今日はウエンディズから、志穂美とじゅえるが来た。一軍にあたるウエンディズから週に一、二度メンバーが指導にやってくる。大概は志穂美かふぁ、武器術でしるく、たまにまゆ子。何事につけても忙しい弥生ちゃんは本当ならもっとひんぱんに来てもらいたいのだが、なかなか時間が取れない。ウエンディズがやってくる日は当然のようにハードな練習になる。が今日は違った。本日の教官は珍しくもじゅえるだったのだ。志穂美がおまけで付いてきたが、メインはあくまでじゅえるだ。

 何故なら、今日のテーマが、「へたれな隊員を動員して強敵を効果的に葬る方法」だったからだ。

 

 ルーチンワークで決まった練習をこなしていくのは、それは大変ではあるが或る意味、楽だ。体育会系の練習は身体は使っても頭は使わないから、毎日の継続が可能なのだが、ゲリラ的美少女野球リーグ、あるいは厭兵術の練習は逆に頭と神経を酷使する。ともかく、未体験の状況に瞬時に的確に反応する事を要求されるところから、特殊部隊の訓練に例える者もいるがどうして。銃で的を射撃していけばよい単調な対応と違って、相手にケガをさせずに攻撃を効率的に無力化する、と同時に全体の状況とゲームの流れを立体的に把握して、集団でも個人でも最適となる行動を取らなければならないゲリラ的美少女野球の練習は、遂行目標が複数並列に存在する点から、より高度と言える。背中に目が付いているだけでは足りず、未来と人の心をを見通す目が必要だ、と厭兵術訓練マニュアルにも載っている。

 つまりは力や技術では無い。というか、その程度の優位は武器得物によってかんたんに覆る。人数の違いや周囲の状況、飛び交う言葉ひとつでも一気に形勢が逆転することもある。戦場の戦闘術や試合での格闘技と違って、現実世界でのリアルな生き残りを志す場合、これほどまでの複雑さを要求されるのだ。

 というわけで、講師は志穂美ではなくじゅえるになる。体力的にはまったく見るべきものの無いじゅえるは、その実複雑な状況認識と的確なポジショニングで門代地区リーグにおいて高い評価を得ている。なんと言ってもここ五ヶ月でまったくケガをしていない、という所に彼女の実力を見る事ができるだろう。弥生ちゃんがピンクペリカンズに今回期待するのはこの、じゅえるのケガをしない能力の獲得なのだ。

 弥生ちゃんは、大東桐子をピンクペリカンズの実戦演習に投入した事を、かなり後悔している。ケガ人続出という事態に、未だ早過ぎたと評価した。と同時に、このレベルの敵から身を守れるようにするのは、自分の義務だと認識した。故にじゅえるを派遣し、志穂美はそのための実験台、仮想敵として同伴させた。

 

 

 ピンクペリカンズ代表隊長、桔花はじゅえるに言った。

桔花「あの、わたしたちが高校生に比べて戦力が劣るのは理解しますが、最初から負けっぽい戦をするのはちょっと承服しがたいです。どうせならぱーっと派手に勝ちたいんです。弥生様のように。」

 桔花は弥生ちゃんのファンであるから、弥生ちゃんの様に勝ちたいと願う。本来体育会系の娘ではないが、この一年で相当に仕込まれてすっかり隊長らしくなった。二月には花粉症でダウンした聖の代役でウエンディズの試合に実戦投入もされて、このところ意気盛んだ。ぱっと開いた花のように逆立つ髪の毛を左右に括って、練習に望んでいる。

 じゅえるは額に手をやり、眉間のしわを解きほぐした。

じゅえる「あんたたちはなにか勘違いしてるね。戦闘力の大小と強弱は違うんだよ。たとえばだ、でんじゃー紫なんてのはまるっきり弱いチームだよ。その、レギュラーからフロント抜いた外野ばっかりでチームを作るとする。そりゃあ最弱だ。でも、けっしてあんたたちに負ける事は無いんだな。一年生の新入部員と三年生のレギュラー落ち雑魚戦闘員とは、経験が違う。というか、ゲリラ的美少女野球はスポーツの団体じゃない。厭兵術の、つまり武道の練習をスポーツに偽装してやってるんだ。だから、二軍やベンチウオーマーでもそれなりの戦闘力を身につけてなければならないし、レギュラーでないからといって弱い事は許されない。個人個人の戦闘力とチーム全体の戦闘力とはあまり関連性が無いし、またチームが勝つ事が目的でもないんだよ。」

桔花「それは重々に承知してますが、それでも勝ちたいんです。」

じゅえる「勝ちたいって、どこに。」

桔花「それはあー、・・・・・・・・・・・。すいません、うちのチームが勝てるところ、思いつきません。」

じゅえる「そういうもんだよ。となれば、勝利とは別の目的をもたなければならない。」

桔花「はい。」

じゅえる「それはいやがらせだ。」

桔花「は?」

じゅえる「対戦した相手が、あーーもうあんなのとは二度とやりたくない、って思うようなえげつない戦闘の仕方を身につけなければいけないね。要するに存在感だよ。相手に自分達のチームを売り込むために、ピンクペリカンズ独自の戦闘スタイルを確立する必要があるのさ。」

桔花「はあ、まあ、そういうものですか。」

じゅえる「その戦闘スタイルが評価されれば、あのチームと対戦すればこういう特殊な状況での戦闘経験を積む事ができるな、と認知されて対戦申し込みが増えてくる。それで自分達も経験を積むことが出来て、更に戦闘スタイルの練度を上げて改良を重ねて、勝利することも可能だ、ってね。チームとしての特異性を獲得しなきゃ、単にチームが一個増えたってのに過ぎないのだよ。闘ってもなんの面白みも無いところとお義理で試合をするほど、ゲリラ的美少女リーグはお人好しではないんだな、これが。」

 

 桔花は仰天した。これまでピンクペリカンズを単なるウエンディズの二軍として見ていた自分の不明を思い知らされたのだ。たしかにじゅえるの言う事には反論の隙も無い。シビアだが、もともと桔花はシビアでスリリングな弥生ちゃんの闘いに憧れてチームを作ったのだ。今回の練習も、そんな自分達の甘さを弥生様が危惧して、喝を入れる為に毒舌でなるじゅえる先輩を派遣されたのだろう。そう解釈した。

 まあ、たしかに弥生ちゃんはそれに近い事を考えてはいた。が今回の処置はあくまで、前の練習でピンクペリカンズとウエンディズ新入部員が、大東桐子にケガさせられた事に対する補強なのだ。じゅえるが言う理屈はまた例のごとくまゆちゃんの入れ知恵である。

 

 とはいえ、じゅえるが独自に考えピンクペリカンズに授けた策は非常にいやらしいものだった。

 意味の無いアイコンタクト、である。

 試合最中、隊員同士が目で会話をし合う。それはどこでも、なんのスポーツでもやる事だが、じゅえるが指示したのは、始終それをやって相手にプレッシャーを掛ける方法だ。相手は、ピンクペリカンズのチーム全体がひんぱんなアイコンタクトを取るのに気を取られて集中力を失う。なにか仕掛けてくるのではないかと必要以上に警戒して、全体としての有機的な戦術を運用できなくなる。これは局地的な戦闘でも有効である。ともかく相手の気をそらすのだ。集中力を別なものに引きつけ、注意力がそれた背後から襲いかかる、しかも強力な致命傷を与えるのではなく、ヒットアンドアウェイで小刻みにダメージを与えていくピラニア戦法だ。

 これに熟達すれば確かに強力な武器となる。同時に、チーム全体の練度が上がれば、ほんとうに意味のある作戦を有機的に運用して相手に組織的な攻撃を仕掛ける事もできるのだ。これに似た戦法を取るのは、老舗の疾風流星ヴァルキリア(戦乙女)と桂林棒手振社中であるが、戦乙女はほんとうに意味のあるアイコンタクトをしてるし、棒手振は踊りの振りで会話して全員に戦術の変更を伝え、間断の無い連携をとるというスタイルだ。嫌がらせとしてアイコンタクトやジェスチャーを使うのは確かに画期的なアイデアである。

 しかし言うは易く行うは難し。一応の打ち合わせの後、実践演習で志穂美を相手に9人掛かりで戦闘すると、これはもうおもしろいように中学生たちは打ちのめされていく。アイコンタクトもへったくれもない。手近な者をかたっぱしから叩き伏せ、当たるを幸いなぎ倒し、逃げる者は追いかけ後ろから蹴飛ばし、向かってくる者は弾き返して踏んづける。阿修羅のごとくと言うもおろか、志穂美の姿こそ阿修羅のオリジナルだ、とすら思わせる恐ろしい戦いだった。しかも、それでもまだ志穂美はセーブしていたのだ。なにせ、誰一人ケガをさせていない。皆無傷ではあるが心理的ショックが大きくて10分も立たない内に全員が戦闘不能に陥った。

 それを脇に座って無言で眺めていたじゅえるは、ピンクペリカンズ全員を呼び集めた。

じゅえる「またひどいもんだね。最初からうまくいくわけはないけど、これはひどいね、また。」

桔花「はあ、はあ、はあ、すいません。あいこんたくと、まるで効果ありませんでした。」

じゅえる「当たり前だね。そこで座って見てたけど、何の意味も無いアイコンタクトで敵を混乱させることが出来るわけがない。というか、あんたたち、なに、あのアイコンタクトは。まるで、誰か先に攻撃してくれないかな、って顔色をうかがってるだけじゃない。気付いた? 志穂美はアイコンタクトで自分から目を反らした人間から叩き潰していたんだよ。」

 全員沈黙した。まさにそうだったからだ。アイコンタクトと言われても、なにをコミュニケーションしていいのかわからない。そもそも連携しあう必要すらわからない。自然、誰が先に攻撃するか、順番を探っているだけとなる。要するに皆逃げ腰であるから、順番を他に譲る腰抜けから先に潰していくのが正しいというわけだ。

 

 じゅえるは言った。

じゅえる「あー、不本意だが手本を見せます。まったくもう、弥生ちゃんも嫌な役振ってくれるよ。」

 じゅえるは鳴海と苗子を選んで三人で志穂美と向き合った。志穂美は腕を組んで傲然と立っている。先程までの激闘が、まるで何も無かったかのように息一つ乱れていない。じゅえるは二人と二三打ち合わせて、二人を正面に前衛として置き自分は二歩下がって構えた。

 ピンクペリカンズの残りのメンバーはその姿にすこしざわめいた。つまり、じゅえるは一番後ろにいるわけで、アイコンタクトをする相手が誰も居ないのだ。先程まで彼女たちは志穂美を中心に輪になって囲んで攻撃していたから、アイコンタクトを取る相手は常にどこにでも居た。しかし、じゅえるがやろうとしているのは。

 志穂美が前進する。それに釣られてじゅえるの側も一歩引いた。さらに志穂美前進、じゅえるは右に流して全体として回転する。じゅえるの右手に苗子、左手に鳴海を配置しているから、苗子の方に回っている事になる。いまだ誰も接触していない。志穂美は更に追いかけてじゅえるを直撃しようとするが、ふたりに阻まれて追いつかない。ふい、とじゅえるが視線を苗子の方にやった。だが、それは、苗子の背に視線を向けたわけで、アイコンタクトではない。つまり、じゅえるは志穂美にずっと集中していた視線を苗子の方に外したわけだ。

 志穂美の注意は当然苗子に向く。だが、苗子は自分にじゅえるの視線が向いているとは分からない。ただ最初の指示を守って志穂美との距離を保っているだけだ。志穂美はまったく変化を見せない苗子の姿から、じゅえるの作戦を読み解こうとする。しかし、そのわずかな躊躇に左から鳴海が攻撃を掛けた。不意を衝かれて志穂美はその場にしばし停滞し、鳴海に顔を向けるが、途切れた注意の隙に、今度は苗子が攻撃を仕掛ける。もちろん手もなく弾き返されるのだが、苗子も深くは打ち込んでいない。下がる苗子の脇に鳴海が戻って来て、また壁を作る。じゅえるはまた志穂美に視線を注ぐ。

 さすがにいやになって志穂美は一歩下がって、じゅえる側が攻撃してくるのを待つ。じゅえるは、志穂美が待ちの姿勢になったのを見て、声を出して苗子を少し下げた。つまり、鳴海、苗子、じゅえるの斜形陣になる。志穂美は当然一番手前の鳴海に攻撃を仕掛けるはずだが、彼女は右に動き斜形をずらして三人を直線と見るように、鳴海を直線の先端にもってくる位置に移動する。しかしなおも志穂美の視線はじゅえるの動きを注視している。じゅえるは斜形を崩して自ら左に移動し、鳴海の左の方に回って来た。志穂美との間にかなり距離はあるが、じゅえるがフリーになったわけだ。

 志穂美はきっとじゅえるを睨む。それに対してじゅえるは視線を外して、苗子の居た場所にアイコンタクトを飛ばす。志穂美はそれに気を取られず一気に前進してじゅえるを襲おうとする。が、不意に後ろから襲われた。苗子は特に指示も受けなかった為当然のように右回りを続け、志穂美が前に出た為自然と背後を取る形となっていたのだ。じゅえるが飛ばしたアイコンタクトの位置には、とっくの昔に居なくなっていたが、志穂美はそこに苗子が居ると思いこんでしまい、背後からの攻撃を許してしまう。

 ついで鳴海の攻撃を脇から受ける。が、それに構わず志穂美は前進しじゅえるを目指すが、じゅえるは下がりながら右に回り、志穂美は中学生ふたりから攻撃され放題になる。さすがに耐え切れず振り向いて二人に対峙する。二人はそれまでの攻勢をやめ、また距離を保った壁を作る。が、苗子がじゅえるからアイコンタクトを受け志穂美の後ろに反応を見せた。じゅえるが接近して後背からの攻撃を狙ってる、と思った志穂美はきっ、と左を振り返る。が、じゅえるはまだ遠くにいる。その虚を衝いての鳴海の攻撃を受けてしまう。仕方なく鳴海に対処する志穂美。じゅえるはその間に戻って来てまた隊列を組み直した。

 

 観戦しているピンクペリカンズのメンバーは、正直言ってなにがなんだか分からない。現象としては、志穂美が鳴海と苗子に小刻みにちまちまとした攻撃を受けているだけなのだ。確かにどちらが優勢かと言えばじゅえる隊であろうことは、これは間違いが無い。だが肝心のアイコンタクトがどこで使われているのか、見当もつかないのだ。ただ、時間が経つに従って、志穂美がいらいらと狂暴になっていく姿がおそろしげである。

 ひとしきり闘って、じゅえるは戦闘を止めた。鳴海と苗子はふわあーーーーーと大きく息をつく。なにせ実際に闘っていたのは二人だけであり、じゅえるは一回も攻撃に出なかったのだ。だが、確かにじゅえるが後ろにいると、志穂美の注意力が散漫となり、攻撃する隙が増えてくるのは事実だ。やりやすくは無いし、一瞬足りとも気を抜く事は出来なかったが、負けてると思う瞬間はこれは無かった事を考えると、確かにじゅえるはなにかをしていたのだろう。しかし、とりたてて指揮らしいものをとってないじゅえるのどこが、そうさせたのだろうか。闘った二人にも分からない。振り返ると志穂美も息を荒げている。先程は9人を相手に全員叩きのめしても息を乱さなかった志穂美が、相当の疲労を覚えているのだ。ほんとうに、なにかへんだ。

 

 じゅえるは三人から離れて、見学していたピンクペリカンズの所にやってくる。 

じゅえる「あーーーー、わかった?」

桔花「・・・・・・・・わかりません。」

しづ「志穂美教官が非常に嫌そうにありましたー。なぜでしょお?

じゅえる「話せば長いが、終始いやがらせを受けていたからだよ。」

桔花「ふたりに最初どんな指示をしたんでしょうか。」

じゅえる「特にはなにも。間隔を保ってやられないように、隙があったら攻撃すること。常に私をまもるように前に出ること。このくらいかな。」

桔花「それだけで、アイコンタクトはしなかったのですか。」

じゅえる「意味のある指示は、戦闘中しなかったね。言葉だけで。むしろ、志穂美に対してアイコンタクトをしていたのだよ。わかる?」

桔花「やっぱりわかりません。」

じゅえる「まあ、おいおいとやっていこう。疲れるから、後はあんたたち自分で練習しといてよ。」

桔花「あ、はい。ありがとうございました。」

 隊長である桔花は全員を整列させ、じゅえると志穂美に礼をした。ついで、練習をしようとしたが、先程まで闘っていた鳴海苗子のふたりが妙な、相当の疲労から動けなくなっているのを発見した。仕方なく、とりあえずふたりを置いて、野球の守備練習に隊士を展開させる。

 

 石段に腰かけて回復をはかっている鳴海と苗子は、さきほどの戦いの細部を一生懸命思い出そうとする。どうにも理解がいかない。確かに闘っているが、二人は志穂美に大ダメージを与えるということは無かった。が、ダメージを与えられるという事も無かった。運動量もさほど大きなものではない。というか、志穂美に9人で掛かっていった時の方がよほど動き回ったのだ。じゅえるの指揮で闘った時は、ひたすら間隔を開けてやられないようにしているだけに過ぎず、その意味では楽だったはずだ。これといった戦闘中の転換点てのも無かったはずで、その意味では彼女たちは何もしなかったに等しい。にも関らず非常な疲れを感じざるを得ない。たぶん神経を使い過ぎて精神的に疲れてしまったのだろう。しかし、志穂美の疲労度を考えるとこちらが勝っていた筈だ、という結論が得られる。もっとも志穂美は、さすがに、二人を置いてもう回復した様子を見せている。

 

 あえぎながら苗子は鳴海に聞いた。

苗子「わかる?」 鳴海「だめ、全然。じゅえるさんはなにをしたんだろ。」

苗子「少なくともやられなかったわよね、あたしたち。ふたりだけで志穂美先輩と闘えると思う?」

鳴海「まさか。あっというまに捕まって終わりだよ。お姉ちゃんの突進力は前になにが有ってもぶっ飛ばす勢いなんだもん。」

苗子「あ、そうか。さっき志穂美先輩は突っ込んでこなかったんだ。ずっと距離を保ってたよ。だからあたしたち無事だったんだ。」

鳴海「でもじゅえるさんはずっと後ろに居たよ。特にお姉ちゃんを防ぐなんかをしていたようには思わないな。というか、お姉ちゃんは私たち三人が束になって掛かっても、屁でもないんだから。」

苗子「そうだね、不思議だ。じゅえる先輩は何をしてたんだろう。」

 

 さっぱりらちがあかないので重い身体を引きずってじゅえるの元に行った。じゅえると志穂美は大きな樹の蔭で休んでいる。この樹は志穂美が城下中学校の生徒だった頃、陸上部の真夏の練習でよくお世話になったなじみの樹だ。

 

志穂美「なんだ、だらしないな。お前達。」

 志穂美はすっかり回復したようだ。が、それは志穂美が化け物並みの回復力を持っているからであり、並みの人間なら未だへたばっているだろう事は自然と想像できた。

苗子「志穂美先輩。先程はじゅえる先輩に何をされてたんですか。なんか凄く疲れてたようですが。」

志穂美「ああ、ああ、あれは、自分の力を十分に使えないっては非常に疲れるんだよ。やる気は十分以上なのに、ぶっ叩く気は十分なのに、手が届かなくていらいらしてた。じゅえるを叩きのめさなきゃ終わりにならない事は分かったからな。」

鳴海「ひとりずつぶっ倒していくってのは出来なかったの? おねえさま。」

志穂美「姉者と呼べ、と何遍言えば分かるんだ、お前は。」

鳴海「だってその言い方嫌なんだもん。 で、どうして?」

志穂美「突っ込もうとすると、じゅえるがそいつの後ろに回るんだよ。ストッパーみたいにね。突進すると二人分押しのけなきゃいけない。当然距離が稼げないから、後ろからも攻撃を食らう。突進はどこまでも押し込んでいくから、一人に分断できるので、集団から引き離せなければ意味がない。」

鳴海「じゃあじゅえるさんがやってたのって、突進を防いでただけなの?」

志穂美「いや、こっちの意図を読んでたよ。やろうとする事を、すべて事前に潰された。んでもって、やりたくないことをさせるんだよ。出たい時には出してもらえず、出たくない時には引っ張りだされる。嫌な女だ。」

 

 さすがにじゅえるは苦笑した。志穂美以上に自分が人に嫌われているなんてのは、無いだろうに。

じゅえる「ま、なんだ。ウエンディズのフロントはバカ強だけど、バックス最弱だからね。囲まれて袋だたきにされないよう、いつも相手を牽制するのを鍛えられたんだよね。聖と明美とあたしの3人でなにができる? できっこない。だから、何もやらないこと、を徹底的に練習したんだ。」

志穂美「そうなのか? 知らなかったな。うしろなんか振り向いたこと無いし。」

じゅえる「弥生ちゃんもそうだよ。振り向くのはまゆ子だけだ。まゆちゃんとふたりでウエンディズのディフェンスを作り上げたんだけど、あんたたちはまったく評価してくれないからねー。」

 鳴海は、もちろん後ろを振り向かないタイプの人間だ。第二列コアラインで指揮する弥生ちゃんの隣で必死に脇目も振らず眼前の敵を払いのけて来ただけだ。自分の背中でそんな高度な技術が駆使されていたなんて、今初めて知らされてすなおに驚いてしまう。

 それは苗子も同じだが、そんなに複雑な技術なら、中学生の自分達に再現出来るか、疑問に思う。正直に、なんか出来そうも無いと意見をぶつけてみた。それに対するじゅえるの返答はきわめてげんじつてきで身も蓋も無い。

じゅえる「できないだろうねえ、そりゃ。ウエンディズはフロントが絶対崩れない、っていう特別な条件を持ってるからねー。しかも勝機を確実に逃さない強力な指導者がいて、戦闘の最中でも全体を把握出来る分析能力を持った作戦参謀も居る。こう言っちゃなんだが、ピンクペリカンズには絶対無理だ。」

苗子「はあ。それは救いようが無いですね。」

じゅえる「だから、私がひとりでやってる事を、9人掛かりでやるんだな。ウエンディズのようにフロントは強くないし、第一中学生だ。どんなにあがいても高校生のチームには勝てないよ。だからフロントで戦力をぶつけあうというのは最初から放棄しよう。

 んでもってフロントは3人じゃなくて6人にする。2×3組で6人だ。それを間隔を空けて横列にならべて戦線を長くする。6:3の2列が隊形だよ。第一列は敵のフロントと直接戦闘をしないで互いに防御しあって内部への敵の浸透を食い止める。で、隊を左右に運動させる。つまり、戦闘を正面戦力のガチンコから、中央司令部の戦術中心の頭脳戦にもっていく。そこで、アイコンタクトが意味をもってくるわけだ。欺瞞情報で敵の戦術的展開を妨害して隊の連動を阻害するのだよ。」

鳴海「つまり、いやがらせ、ですね。でも、それじゃあ決定力不足でいつまで経っても勝てないって事になりませんか?」

じゅえる「負けなきゃいいじゃん。というか、9人掛かりで志穂美一人の相手にならないんだ。そんなのはとりあえず負けないで済む方法を確立した後の話だな。まゆちゃんのはなしだと、第二列の3人に投射兵器を持たせるという方法もあるらしい。第一列の合間から近接で敵を狙撃するんだと。」

苗子「おおお。それはなんだか勝てそうな気がします。それは確かにどこのチームもやってないですね。」

鳴海「じゃあ弾弓かボールかも用意しておきましょう。」

志穂美「ああ、まゆこが言っていた、新型の武器ってのは、そういう風に使う為のものだったんだ。ムチとかモーニングスターも用意するとか言ってたな。」

苗子「な、なんだか勝てるような気がしてきましたあ。おーーーーい、みんんなあつまれえええ!!」

 

 不意に練習を中断させられて不審に思いながらも集まって来た中学生たちは、苗子と鳴海の、ところどころ誤解や暴走もまじっている、新戦法構想の熱を帯びた説明に、次第にその興奮を高めていった。特に後方から飛び道具で攻撃するアイデアに言が至ると、ことりとパズルのピースが正しい位置にはまったように、理解は熱狂へと転換した。このアイデアによって初めて、先程のじゅえるの模擬戦闘の実体を、つまり自身は後方列に居て戦闘はしないまま前列を壁に使う戦法の、意義と応用を認識し理解し得た、と誰もが思ったのだ。

 はたから見ていたじゅえると志穂美は、まあ、ところどころツッコミを入れたくなる衝動を抑えながら、中学生たちの熱狂を微笑ましく見守っていた。どうせ間違いがあればまゆ子が修正するのだ、ここはひとつ彼女たちの自主性と応用力を見てみよう、と、二人は言葉を交わさずとも同じ意見に達し、そのままに放置する。

 

 

ピンクペリカンズの幹部達三年生は一気にフォーメーションづくりに盛り上がってしまい、にわか会議を始めてしまった。取り残された二年生一年生が手持ち無沙汰でぼーっと突っ立っているしかない。それを見た志穂美が気を利かせてくれた。

志穂美「鳴海ー! こいつらに稽古つけてやってイイか?」

鳴海「あ、お姉ちゃん、ごめん、お願い。」

桔花「あ、すいません。ちょっとの間お願いします。」

 

 志穂美は下級生7人を引き連れてグラウンドに戻っていった。フォーメーションが完成するまでは手を出さないようにしようと、じゅえるもついていく。志穂美が行ったのは、「強襲」の練習だった。

 「強襲」は別に特別な練習ではない。要するに、一塁攻略の方法だ。ゲリラ的美少女野球では、ボールを手にしたフィールドプレイヤーがランナーをぶっ叩く事でアウトが成立する。それもただ単にタッチすればいいというものではなく、相手がひっくり返る、少なくとも膝を突くくらいのダメージを与えて初めてアウトを認定されるのだ。それに対してランナーは、何がなんでも一塁手をぶっ倒す、あるいは攻撃を回避してファーストベースにたどりつく必要があるわけで、通常一対一の戦闘であるこれを称して「強襲」と言う。二塁三塁攻防はまた様相が異なるのだが、一塁攻防は基本中の基本。マスターせずには試合が出来ないという主要技術なのだ。

 練習のやり方は至極シンプルなもので、ピッチャーじゅえるが投げた球をキャッチしてまたじゅえるに投げ返し、そのまま一塁まで走ってファースト志穂美に一撃する、単純なものだ。通常は、下手な攻撃ならファーストが思いっきりアッパーで弾き返すのだが、まだ受け身も取れない素人に志穂美といえども酷い事はしない。殴り易いように構えたグローブにランナーがどかんと体当たりやパンチをして通り抜ける、実に楽珍な、どちらかというと手を抜ける練習のはずだった。

 志穂美とじゅえるが手本を見せて、二年生から始めた。その間、三年生はフォーメーション研究に専念する。

 

桔花「つまり、前列が6人要るという事は、二年生も数に入れなければ揃わないって事なのよね。」

苗子「でも正直二年生も使えないぞ。三年生全員を前列に配置するってのしかやっぱないんじゃない?」

しづ「でもキャプテンが前列に出るのはとても危ないわ。

鳴海「後方だってちゃんと守らないと。前列に全部三年生を投入したら、たぶん後ろから攻められると一気に崩壊する、・・・よね?」

桔花「でも、そうすると、誰を後ろにするの? 私は前の方がいいわ。前がいい。絶対。」

苗子「キャプテンだから後ろに居なきゃだめだろ、おまえは。」

しづ「正直言って私は前列は無理だわ。すぐにやられちゃう。

苗子「うん、まあ、そういうことなんだな。後ろでもすぐやられそうだけど。」

鳴海「桔花だって、そんなには強くないしー、でも、しづちゃんよりは強いんだし、後方からの攻撃を支えるのはかなりパワーが必要だと思うのよ。」

桔花「いやよ。やっぱり前列でなきゃ活躍できないじゃない。」

苗子「でもキャプテンやられたらおしまいなんだよ。ゲームセットだ。」

     ほのか「・・・・・しづちゃんをキャプテンにしたらいい。」

 

 うわっ! と他の四人はのけぞった。すっかり灰崎ほのかがそこに居た事を忘れ去っていたのだ。多分、こっそり抜けても誰も気付かなかったろう。額が摺り合うほど密着して会議していたというのに。あんまりびっくりしたものだから、全員その場にしゃがみ込んでしまい、でもそのまま会議を続ける。

苗子「しづがキャプテンってことは、つまりどういう事よ?」

鳴海「あー、つまりそれはウエンディズで時々やる、”聖っちゃんチャレンジ”だね。聖さんを中心に置いて弥生キャプテンも前に出てくる。」

桔花「あ、そうか。名目上のキャプテンと指揮する人が違うのは別にいいんだ。」

しづ「でも、それはつまり私の所に攻撃が集中するという事だわ。私怖い。

苗子「いや、だからさ、このフォーメーションってのは直接ぶち当たったりしないんだよ。相手の攻撃を受け流してなるべくまともに戦わないようにして、それで後ろから撃ち殺すんだ。」

桔花「殺しゃあしないけど、ま、そういうことね。だから大丈夫なんだよ。あなたは列の後ろに居るんだし。よしそれできまり。試合中はしづがキャプテンね。」

鳴海「そういう時は、たいしょーって言うんだよ。大将取られたら終わりってわけね。前線に出てこないんだから、守るにはむしろ楽だわ、その方が。だからつまり、しづちゃんは飛び道具を練習しなきゃいけないんだ。」

苗子「で、残りの二年生を二つに分けて、一方を前列に、もう一方を大将の護衛にするわけだよ。ま、護衛にしても頼りないんだけどね。」

鳴海「それで二年生の配置なんだけど、てづまちゃんを前列に持っていきたいのはやまやまなんだけど・・・・・・。」

 

 二年生で一番筋がいいのが、若竹手妻という質屋の孫娘だ。この娘は非常に手先が器用で要領がよく、小学校では「バスケの引田天功」と呼ばれた程のテクニシャンなのだが、中学に入ってからはその器用さが災いして曲芸シュートの完成に走り、肝心の試合では役に立たなくなったという、世紀のお調子者だ。元々が祖父の手品好きが高じてこんな不思議な名前を付けられたくらいで、最近までは手品部に入っており現在もまだ部員なのだが、あんまり派手過ぎてそこでも浮いてしまい、いよいよ芸能界デビューでもするか、などというバカを口走っていたところを、担任の先生に頼まれて廃品回収のようにピンクペリカンズに放り込まれた、いわくつきの隊士なのだ。

 元がバスケの選手だけあって体力もあるしスピード瞬発力も申し分ないが、器用な分すこし当たりが弱い。とはいえ、二年生一年生では一番の有望株であるのは確かなのだ。

 

桔花「・・・・・後列がいいってわけね。後方への防御を考えればそれでもいいのかなあ。」

苗子「あれはお調子者だから、前列に置いておくのもちょっとコワイものがあるしね。飛び道具使わせたらうまいんじゃない?」

桔花「じゃあ、てづま後列でしづの手下、と。」

鳴海「で、二年生二人を加えて前列6人、と。あれ? なんか忘れてる気がする??」

   ほのか「・・・・・一年生がおっぽり出されているよ。誰も面倒をみないことになってる  。」

苗子「う、・・うわっ! あ、ああ、そうか、そうだ、せめて一年生にも一人二年生のリーダーを付けておくべきじゃないかな、って気がするね。」

桔花「でもそれじゃあ8人になっちゃうよ、一軍が。ただでさえ貧弱なのに。」

鳴海「そうだね、・・これ以上は削れない。・・・・・・・・あ、そうか、そこでアイコンタクトだ。遠隔操作で一年生は動かそう。」

苗子「うん、正直言って一年生は乱闘に入って来てもらいたくない。逃げるに逃げられなくなる。」

桔花「う、ん。じゃあ、一年生は遠巻きにくっついてくるだけで、でも指揮は私たち前列には無理だ。しづにやらそう。」

しづ「え、うそ。そんなの出来ないわ。遠くの一年生を乱闘中に動かすなんて。

鳴海「出来なくてもやってもらおう。大将なんだからね。」

苗子「だな。」

「で。・・・・・・」

 

 会議は際限無く続こうとした。が、ふいに後ろから呼びかける者がいてやむなく中断する。顔を上げた全員の目の前には、

てづま「センパ〜〜〜〜〜〜〜〜イ。私たちもうぼろぼろです〜〜〜〜〜〜〜〜。」

 と言うや、若竹手妻がその場にぱったり倒れた。ぎょっとしてグラウンドを見ると、一二年生全員がひっくり返っていて、澄ました志穂美となんだか申し分けなさそうに照れ笑いするじゅえるが居た。

鳴海「おねえちゃん、なにを!」

志穂美「なにも。」

じゅえる「なにもしてないよおー。」

 本来ならこの強襲の練習は、メンバーが一巡する間に息をつく休み時間が発生する、本当に楽な練習だ。一塁手との間で格闘している時間を、他のメンバーは呼吸を整え休息するのに使える。しかし志穂美は、

鳴海「一体どうしてこんな簡単な練習で皆バテてるのよ。」

桔花「ホントだ。バテてるだけで、ケガしてるわけじゃないんだ。」

苗子「志穂美さん、叩きましたか?」

志穂美「全然。」

 志穂美も少し汗をかいている。という事は、叩いてはいない。叩けば瞬時に相手を昏倒させるから、汗はかかない。

 

じゅえる「桔花ちゃん、やってみなよ。」

と、じゅえるが桔花にボールを投げた。桔花は受けるや軽くすっと投げ戻し、走って一塁の志穂美にアタックする。一二年生がやったとおりの練習だ。

桔花「あ、」

 アタックの瞬間、その一瞬よりもわずかに早くグローブで腕を押さえられ、志穂美に動きを止められた。全力で走って来たにも関らず、その場に立ち止まってしまう。志穂美が上からのしかかるように、ぐうーっと力を掛けてくる。身動きが取れない。

桔花「あれ、」

 志穂美がにたと笑い力を抜き、そのままとんと後ろに推す。志穂美の力に抗していた筋力をそのまま後ろに解放され、バランスを崩した桔花はよたよたと5メートルも後ずさりして、やっと止まった。じゅえるが声を飛ばす。

じゅえる「ほら、まだ一塁踏んでいない!」

 はっと気づいて桔花は本腰を据え気合いを入れ直して本気で志穂美にぶつかっていく。が、また、インパクトのほんの数瞬前に触られて止められてしまう。全力で突っ込む自分の勢いを全部自分自身の内部で処理させられ、崩したバランスを逆さに推され、後ろに飛ばされる。

 

苗子「これは、キツい。」

 桔花は何度も何度も志穂美に立ち向かう。それはちょうど、相撲で関取が下っ端になんども稽古を付けるみたいなもので、加えて5ー7メートルをダッシュするおまけ付き、という感じだ。5、6度往復を繰り返すと志穂美は初めて塁を空け、やっと桔花は一塁を踏んで解放された。あっという間に息を切らせ、ぜーぜー言っている。

 ずい、っと苗子が前に出る。

苗子「お願いします!」

 志穂美がうなずく。じゅえるが本気で軟球を投げ、苗子の素手の手の中にぱしーんと小気味良い音を立てる。それをすかさずじゅえるに返し、本気で全速力で頭から志穂美に突っ込んでいく。

志穂美「!」

 だがやっぱりぶち当たる寸前に動きを止められた。そのままぐーーっと下に押しつけられ、苗子は潰れないように必死で足腰をふんばり堪えた。志穂美はひとしきり押すと、ぱっと突き放す。ふんばった苗子の脚の筋力が解放され、それがそのままに後退する力に変換されて、桔花の倍のスピードで転がるように戻っていった。

苗子「!」

 ここも堪えて、また苗子は突撃する。どうも、志穂美に押さえつけられるより、後退を自力で止める方がスタミナに響くようだ。繰り返す内に、やはり息があがってくる。5回目にやっと塁を踏む事を許してもらった。

鳴海「てづまちゃん、これを何回繰り返したの?」

てづま「4回繰り返したところで一年生は全滅しました。最後はわたしだけ残って12回まで。」

 未だ膝を地面に付けたまま荒い息で手妻は答えた。

 

志穂美「おーーい、なるみー。」

 志穂美が鳴海を呼んでいる。だが、鳴海は応じず、しづとほのかの腕を取り、志穂美の方に押し出した。自分は、そこらへんに散らばっている一年生二年生の様子を見回った。皆くたびれきっているが、特に異常は無いようだ。息が戻ればもう一回くらいは練習できるだろう。動けそうな者から順に叩き起こしていく。

じゅえる「なるみちゃーん。」

 マウンド上のじゅえるが呼びかけてくる。振り向くとすでにしづが一塁上でひっくり返っている。

じゅえる「今日はこの練習でおしまいにしましょう。全員がひっくり返るまでね。」

 やはり、じゅえるさんは、じぶんはキツい事はしないんだなあ、ずるいなあ、といつものような感想を抱きつつも、ゾンビのように起き上がってくる一二年生を列に並べる。なんだか運動部のまともな部活のようで、鳴海はちょっとおかしく思った。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 

 というわけで、ピンクペリカンズは一二三年生まで念入りに叩き潰された。特に鳴海は、ひとりだけ別格だから、地面に転げて真っ黒になるまでしごかれてしまった。

しづ「もう歩けません。タクシーを呼んでください。おうちに帰れません。

苗子「えい、幹部のくせに泣き言を言うな! 下級生に示しがつかんだろ。」

桔花「それはいいけど、この練習は、わたしたち、だけじゃ、できないよね。技量と体力に格段の差が無いと、わたしたちだけじゃあできない、ってのは、これからのれんしゅうではできないよね。それは、こまったような、こまらないような。」

    ほのか「何をいってるのかわからないよ。」

桔花「わたしたちだけじゃあ、ほんとに強くなる練習できない、ってこと!」

 

 練習を終え、服を着替えて帰り道についたピンクペリカンズは、足取りも重くカタツムリの歩みで下校している。ずるずるの一年生を一人ずつ帰すのはちょっと危険だから、隊列を組んでいるのだが、どろどろに疲れきった女子中学生の集団、というものは今時の世間では珍しいらしく、夕暮れの坂道で人目を引いている。

 これまたぼろ雑巾のような若竹手妻がほんの少し歩みを早めて、桔花の側に寄って来た。

てづま「あの、ところで、あたらしい戦闘法ってのは、どうなりましたか?」

桔花「戦闘法? なにそれ。」

てづま「いや、それは、さっき、じゅえるさんが言っていた。」

 

 桔花はその場に立ち止まり、じーーーーーーーーーーっと考える。そして天を仰いだ。もう早、日は落ちて、それでもなお空に赤い雲がたなびいている。そういえばツツジも咲くようになったなあ、ゴールデンウイークはもうすぐだな、その前に確か実力試験があるはずだ、ウエンディズの次の試合はGW中だから、応援団の人数はいつもの倍は来るのかな、・・・。

 その場に留まる桔花につられて、ピンクペリカンズ全員が立ち止まり、彼女を見つめる。天を仰いだまま、桔花は言った。

 

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・、じゅえるさん、なに言ったっけ?」

 

 

 

 

 

2003/04/26

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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