「おひさ」 



弥生ちゃんが生徒会の引き継ぎで大童の最中に、まゆ子ふぁじゅえる、の三人はウエンディズの今後を考える上で非常に重要なプロジェクトに取り組んでいた。
 すなわち、「次の部長と幹部を徹底教育して使えるようにする」計画だ。
 三年生の部員が引退した後にウエンディズの生き残りを図るには、やはり二年生を一人前に仕立て上げる必要があるのだが、如何せん部長候補である明美二号が、所詮は明美であるという限界点にぶち当たっているわけであり、生半可な対策ではどうしようもない。後の二人はこの間入ったばかりの新入部員であるわけで、本音を言うと。

まゆ子「・・・・・・・・・打つ手無し!」
じゅえる「同意。」
ふぁ「ははは。」

 気合いの上がらないコト、志穂美にぶっとばされそうなものであるが、さりとて本当に何も無いというのは一種の爽快な気分を与えて三人に深刻感は全く見られない。
 人気の絶えたまゆ子の教室で三人丸くなって相談していると、なんだか深刻な相談をしているようで、時折廊下を通る生徒が不思議そうな視線を投げ掛けていく。六月ともなれば夕方と言っても陽は高く、なかなか空の色も変わらない。相談に加わらない志穂美としるくは、新入の一年生二年生を一生懸命しごいている。四人はついに座布団アタックにまで行き着いた。

じゅえる「ここまでくるとねえ、いっそ解散しちゃった方がー、てくらいなものなんだけど。」
ふぁ「まあまあ。これが弥生ちゃんを基準に置くからそういう風に感じるわけで、明美二号をそのまま見れば、・・・・・・・・・・・ま、なんだ。」
じゅえる「なんだってなによ。」
まゆ子「運動部の部長には向いてないわよねえ、あの子。というか、明美なんだもん。」
じゅえる「受け身のタイプだもんね。能動的に動かないのが、むしろ長所ってくらいだもん。」
ふぁ「そうそう。」

 三人は顔を見あわせて、あははと笑った。いくらへそ曲がりの彼女達でも限度というものがある。逆さにひっくり返しても今のお間抜けお笑い系状態の二年生を、いきなりばりばりと緊張感のある、気合いの入った戦闘指揮官に仕上げるなんてできるわけがない。
まゆ子「現実問題としては、ウエンディズがこのまま存続するのならば、彼女達にそっくり任せるしかないわけよ。」
ふぁ「まあ、わたしたちも、卒業まではほとんど引退なんかしないで面倒みるしかないってわけよね。でも、やっぱり卒業してしまうんだから、そうなればもう手が届かない。」
じゅえる「まだ半年以上先の話であるんだからその間になんとかすればいい、という事ではあるのよ。でもねえ。」
まゆ子「素がもとだけにねえ、半年スパルタで鍛えたとしても、やっぱり緊張感は無いと思うんだよね。」
ふぁ「うん。」

 これが普通の運動部であれば、人数が無いのならば、とただ存続する為だけのいいかげんな人材に任せておく、という事が許されるのだが、ゲリラ的美少女リーグにはそんな寛容は無い。弱いチームは遠慮容赦なく叩き潰して、あとはもう取り合ってくれないのがオチだ。つまり、勝てないまでも舐められないようにしなければならない。威厳というものが必要なのだ。
 なまじ指導力と統率力のあるリーダーが一世を風靡すると、後の世代がツケを払わされてしまうというのは、どこの世界でもよくある話なのだが。
まゆ子「・・勝てないかな。」
じゅえる「なにが?」
ふぁ「というか、話の流れ上、野球だろ。」
まゆ子「勝てないかな、明美二号で。」
ふぁ「悪くはないけれど、決定力が無い。二三人相手でも負けはしない戦いはできるけれど、勝てない。」
じゅえる「まして集団戦となったら、指揮能力はあの子には無いでしょ。」
まゆ子「いや、9人を指揮することはできないかもしれないけれど、それはどこのチームでも一緒よ。指導部は普通乱闘に直接は参加しない。指揮する人間は戦闘から外に普通居るものだわ。」
ふぁ「まあ、・・まあそうだね。でもウチはそんな余裕も人数も無かったわけだし。」
じゅえる「明美二号を戦闘から外すっての? そりゃあ無理よ。というか、二年一年でやっぱり一番強いんだもん。」
まゆ子「逆ぎゃく。明美二号に指揮をさせないで、もっと別な人間に戦闘指揮をさせる、諸葛孔明方式よ。」
じゅえる「ほお・・・・。」

 悪くないアイデアである。確かに戦闘指揮には向いてないが、戦闘そのものには案外使えるのが明美二号である。戦闘部隊の中核を為して、外に指揮、というか状況判断する人間を置いて戦闘をコントロールさせれば確かに格好は付くかもしれない。
じゅえる「でも、誰に。今居るのは皆新入部員だから、・・・・そうね、使えないという点に置いてはどれも皆一緒か。」
ふぁ「一年生は戦闘に参加させるだろ。あの二人はなんとか使えそうだよ。美鳥なんかパワーあるし、南は性格的に戦闘に向いてる。」
まゆ子「やはり二年生にしましょ。だから、明美二号は戦闘に自ら参加する、ということで、それに適した戦闘方法に訓練し直すのよ。小人数を率いて打撃力のある戦闘部隊を構成して、つまり今のフロントラインを再構成するわけね、で、まあ人数9人に足りないからまた勧誘するとしてというか来一年生に鳴海ちゃんとかが入学してくるのを見込んで、第二列を指揮する人物として使えるのは、」

 考えるまでもない。二年生は残り、牛倉美矩とシャクテイしか居ないのだから、この二人のどちらかをチョイスすればいい。しかし、
ふぁ「どっちもどっちだけど、釈の方はおちゃらけてるけど割と真面目だしよく戦闘にも取り組んでる。でもセンスは無いな。野球も下手だし。」
じゅえる「美矩の方は可も無く不可も無しという、一番やっかいなタイプよ。判断力遅いんじゃない。」
まゆ子「美矩は、結構武術には向いてる、なんというかなー、割と内向的なところあるのよね。自省的というか、ともかく考えちゃう。」
ふぁ「だから胃が痛くなるんだ。」
じゅえる「そうねー、釈よりは複雑そうなんだけど。でも頭いいのは釈の方よ。」
まゆ子「たしかに釈は頭イイ。でも、戦闘指揮に頭が要るかといえば、それもちょっと違うな。流れを読む能力は時としてカンみたいなものだ。」
じゅえる「カンもいいわよ、釈は。」
ふぁ「お笑いってのは間合いだろ。訓練出来てると言えなくも無い。」
まゆ子「そうねー。」

 なにしろ選択肢が無さ過ぎる。どちらかを選んで専門家に育て上げれば、もう後戻りは出来ない。この選択でウエンディズの今後が決定されると言ってもよい。しかし、三人には選択をする自信が無い。
まゆ子「しるくと志穂美、聖ちゃんも。あとやっぱ弥生ちゃんに聞いてみなければダメなんじゃないかな。」
ふぁ「なんで一号明美外すんだよ。」
じゅえる「あの子が選んだ方の逆にすればいいんじゃない?」
まゆ子「あー、案外そういうのって当たるんだよね。でもなんだ、結局全員で協議しなきゃいけないってとこに落ち着くわけだ。」
ふぁ「それにしても。」

 ふぁが少し目を落とし机を睨んで考えるのに、二人は意外な感を持った。ふぁがこんな表情をするのは本当に珍しい。脳味噌使ってるんだわ、と二人を同時に思った。意外なことに、ふぁはこういう表情の時だけ、女っぽく見えるのだ。やっぱちゃんとすれば美人じゃない、となんだか失礼な感想をじゅえるは持った。

ふぁ「やっぱ二人に面接してみるのが先なんじゃないかな。」

 

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「いっきまああああああああすうううううううううううううううう。かこおーーーーーーーーーーーおおおおおおおんん。」

 新入部員二年生草壁美矩、シャクテイ、一年生江良美鳥、南洋子はグラウンド上でまたまた特訓を受けている。今日の指導はしるくと志穂美、通常なら地獄特訓になるはずだが今日は野球の練習をしている。正直行って格闘の練習の苦しさキツさに比べると、野球練習は天国だ。なにせ指導している二人ともが実はそんなに野球に詳しくない。いつもやってる練習をなぞるだけで特に変わった事もやらないから、練習量の予想が付いて力をセーブ出来るのだ。これがふぁやまゆ子の指導なら、カガクテキ合理的に体力を削るいやらしい練習を延々と繰り返し帰る頃には足腰立たなくなるほどにまで絞られるので、今日はもう全員大歓迎なのだ。

 今日のメニューは簡単に言うとフリーバッティング。一人30本志穂美が投げる球を打っては交代して守備について球拾いをする。球拾いは確かに走り回らせられるがそれでも息を付く暇は少なくなく、今日は打球に飛距離を与えるバッティングが課題なので丁寧にしるくが指導し、その間時間的余裕があるからますます守備は楽になる。指導がもう一人居れば間断なく動き回らせられるのだが、今日は遊んでいるみたいなものだ。

美矩「とは言うものの、わたしたち結構様になってきたよね。」
釈帝「ノックしてもボールすっぽ抜け無くなったし、バッティングで当たれば外野まで打球飛ぶし、ちゃんとバックホームで球届くようになったし、もう甲子園は目の前かな。」
南「そんなのは野球やってるんだから当たり前です。小学生でもそのくらいやります。とはいうものの、先輩たちが短期間でここまで出来るようになるなんて予想外の進歩ですよ。」
美矩「そうか、あんたたちは元から運動部だったわね。」
南「弓道部です。」
釈「やきゅうかんけいないじゃん。」
南「いや、運動神経と基礎体力というのがありましてですね、わたしは元からスポーツ万能なんですよ。弓道部だって走り込みも筋トレもするんです。」
美鳥「筋トレは大好きです。」
南「それは変態。」
釈「へんたいだ。」
美矩「馬鹿じゃない?」
美鳥「へへ。」

 志穂美としるくが打ち合わせをしている間、四人は雑談に興じていた。順等に考えると野球練習はこれでおしまい、あとはより強烈な格闘になるはずだから今のうちに息抜きをしているのが正しい。しかし、今日に限って続く練習は無かった。志穂美としるくなのに。

釈「どうしたんですか、お腹痛いんですか。」
しるく「ごめんなさい。家の用事で今日は早く引けなければいけないの。明日はわたしは学校も欠席します。」
志穂美「私は弥生ちゃんの代理でゲリラ的美少女野球評議会に出席する。だから今日はここまで。自主練にしようかとも思ったけど試験も近いから練習切り上げるよ。」
「バンザーイ!」

 うかつにもシャクテイが両手を上げて快哉し、釣られて四人ともに手を上げてしまった。見る見る内に志穂美の機嫌が悪くなる。しかし一度言い出した事は決して変えないのが志穂美のいいところで、一度やらないと決めたからにはなにがあろうとも今日の練習は無いのだ。

しるく「まあ、志穂美さん。この人達も練習が嫌いだと言ってる訳ではなくて、今日がたまたまお休みになるというので少し喜んだだけですよ。」
志穂美「いや、まあ、今日はとりあえず余力を残しておいて試験勉強でもさせて、夏になったらげしげしに絞り上げるのに心置きなく過ごさせるという結論に達したわけだからやらないけど、心構えがなってないのは許せないところだ。」
美矩「あ、あの、なんでしたら、私たちすこし残って自主練てのでは、・・・。」
志穂美「許さん。」
美矩「あは。」
志穂美「あー、そうだ。このまま練習やめるのは致し方ないが、何もさせないという手も無いよな。お前達、今日はこれからグラウンド整備しなさい。」
しるく「まあ。そうでしたわ。その手がありました。」

 一年生二年生は呆然となった。通常ウエンディズはグラウンド整備はしない。野球部が一生懸命やってくれてるのをゲリラ的に強襲して荒らしまくる毎日なのだ。もちろんいつもいつも成功する訳ではなくたまに捕まって整備させられることもあるのだが、基本的にやる気が無い。もう、キャプテンである弥生ちゃんがやらないのだからこれは絶対だ。弥生ちゃんには彼女なりの考えがあって、この30年夏の大会で1回戦負けを繰り返す不甲斐ない男子野球部に喝を入れるつもりで敢えて屈辱を味合わせている気なのだが、当の野球部員が全然応えてないのが腹立たしい。

しるく「ではおねがいしますね。」
 と、三年生二人はバットとグローブをまとめて全員分持って引き上げていった。自分のものは自分で片づけてくれるのがウエンディズの先輩たちのいいところだが、元々同学年にしかメンバー居なかったから習い性になってしまってるわけだ。下級生たちは野球部の部室裏から勝手にトンボを取って来て、それはいいかげんに地面を均し始める。なにせゲリラ的美少女野球はイレギュラー大歓迎でおもしろいかんじでボールが跳ねるように特殊なグラウンド整備をわざわざ試合前にやったりする。それもまた作戦の内だ。今日はシャクティの発案でナスカの地上絵を描くことになった。トンボの広い幅で絵を描くのはかなり困難だが、そこはウエンディズのメンバーで一生懸命に知恵を絞って見事に差し渡し50メートルの鳥の模様を完成させた。

釈「我ながらよくやったと思う。」
美矩「素晴らしいね。」
南「今度ミステリーサークルもやってみましょう。」
美鳥「おなかすきました。」
釈「しかし今幹部の三年生めちゃくちゃ忙しいみたいだね。ホントならもうほとんどの部活は二年生に引き継ぎ終わっちゃってるでしょ。」

 門代高校は受験校なので、体育会系を除いて部活動はほとんど6月には三年生は引退してしまう。運動部だってほとんどはインターハイ予選落ちで夏になる前にはやることが無くなり、皆心置きなく夏講習に勤しめるという実に都合よいスケジュールになる。ウエンディズの三年生はそれぞれ独自に所属する部があるので、そこの引き継ぎで皆てんやわんやなのだ。

美矩「考えてみれば、わたしたちはウエンディズしか所属してるとこ無いのよね。三年生の人たちって皆さんタフだわね。」
南「みな変人の人ばっかりですから。」
釈「キャプテンの弥生さまが生徒会でしょ。まゆちゃん先輩が科学部でじゅえる先輩が文芸部、ふぁ先輩が園芸部、しるく先輩は剣道部、志穂美先輩が書道部に一号明美先輩が図書部、と。なんにもしてないのは聖っちゃんせんぱいだけね。」
美鳥「不破先輩の園芸部は後継者が居ないというので困ってたよ。」
南「あんたやればいいじゃない。農作業好きでしょ。」
釈「そーだよ。大恩あるふぁ先輩のお役に立ちなさい。」
美鳥「あ、でもわたし、畑に行かなくちゃいけないから。」
美矩「まあ、ほんとに農業やってたら、学校でまでやろうって気にはならないでしょうね。」

 野球部の部室裏にグラウンド整備の道具をいいかげんにおっぽり出して、彼女たちは女子更衣室へ向かった。授業で使う一般の体操服で練習は行うのだが地面に転がることが多い為に軍手とヒジヒザ当ては欠かせない。まゆ子はそれに加えてヘルメットまでも作ろうとしたのだが、ほとんど学生運動スタイルになってしまったので先生達から撤回を要求する強力な圧力が掛かり、敢えなく断念の憂き目にあった。

南「でもわたしたち、そろそろユニフォーム買うべきじゃないですかね。ちゃんと様になってきたんだし。」
美矩「そうねー、あのピンクのユニフォームってどこで売ってるのかしらね。やっぱり運動具店に注文するのかしら。」
 シャクティと美鳥の顔が暗くなった。二人の家はあまり裕福では無いのでそんな金は出せない、というのが本音だ。それに敏感に気付いて美矩は慌ててフォローする。
美矩「あ、でもね、でんじゃーぱーぷるはユニフォーム自分達で作るのよ。あそこコスプレが本職じゃない。キャプテンの紅美月さんは別名お針子女王て言って、裁縫の天才なのね。」
釈「わたし、お裁縫できない。」
美鳥「不器用ですし、生地買えないです。」

 四人とも押し黙る。裁縫は一号明美が達者だという事だが、さすがに生地まではどうにもならないだろう。後で先輩たちと相談するということでお茶を濁し、とっとと着替えて退散する。
釈「でもあれよね。わたしたちの代でユニフォームのデザイン変えるという手もあるよね。」
美矩「どんなの?」
釈「たとえばあー、新撰組みたいな法被、とか。」
美矩「背中に”誠”の文字入りで? そりゃあ無いよ。もっと可愛いの。たとえばあー、ぴるまるれれことか?」

 このアイデアは後にまゆ子によってゲイリースーツ、つまり擬装合羽として実現した。全身にカモフラージュを施し薮に紛れ敵を待ち伏せする。この戦法は暗黒どぐめきらによって芸術の域にまで高められた。



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 明美一号と聖ちゃんは特に引き継ぎをしなければならない部活の役職というのは無いのだが、やはりそれなりに多忙である。要するに聖ちゃんが一号に家庭教師してるのだ。明美は例のように例の如く、中間テストでひどい成績を取ってしまった。三年生でこれはちとしゃれにならない、というので担任の先生に呼び出しをくらう程で、このままでは進学はおろか就職も出来ませんよ、なんて言われてしまう。門代高校は進学校だから、商業高校と違って就職の役に立つ資格なんか全然世話してくれないのだから、確かにやばい状況だ。

 というわけで、ウエンディズで明美向上対策本部というのが結成される。ついでに志穂美の成績もちと問題有りであったのでまとめてなんとかしようと、そういえばふぁもそんなに呑気にしてちゃいかんよ、とかでこの三人を集中的にいじめまくっている。明美に専属の形で教授しているのが聖ちゃんなのは順当の人事で、志穂美担当のまゆ子とかふぁ担当のじゅえるとかに比べると受ける明美本人が素直で反発しない分、容易かと思われたのだが・・・・・・、



明美「ごめん、ひじりちゃん、ごめん。」
聖「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

 素直で真面目、なのに成績の向上が全然認められない。明美はひたすら平身低頭するのだが、心を入れ変えたところで頭も良くなる道理は無い。

聖「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
明美「ごめん、頑張るから。」
聖「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

保奈美「・・あの、聖さん。明美の場合はもっとレベル落として教えた方がいいんじゃないかしら。」

 見兼ねて吉田保奈美が後ろから声を掛けた。明美は図書部員だから図書館の、それも図書準備室でふたりは勉強している。図書室では生徒が何人も勉強していて、声を出して教えるのは憚られてガラス一枚で隔てた図書準備室に引っ込んだのだ。図書部でもすでに代替わりが終わって、部長だった吉田保奈美も楽隠居になっている。彼女も成績は威張れるほどは良くないのだが、明美の悲惨さは目を蓋うほどで、部外者である聖ちゃんによる個人教授の場を快く提供しているわけだ。

聖「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
明美「生半可なことじゃ、まにあわないんだって・・・・・・・。」
 聖ちゃんの言葉を翻訳してますます明美は小さくなる。もはや勉強どころではないと断念して、聖は教科書を閉じた。

保奈美「あ、聖さん!」
明美「ひじりちゃ〜ん、ごめんなさい〜。」

 何も言わずに席を立ち図書準備室を出て行く聖に、ふたりは同時に声を出した。があ〜〜〜〜〜〜ん、というのが正直な心境。遂に見捨てられてしまった、と残されたふたりは打ちのめされた。

明美「ほなみぃ〜、わたしどうしよう〜。」
保奈美「あけみ、その、なんと言うか、あの、」

 ここまで来ればあとは家庭教師か塾に行くかしか打つ手は無いだろうが、明美の家の経済力ではそうもいかない。下に弟が二人も居るのだ。小学五年生と中学一年生で、教育費といえば明美以上に係ったりする。長女である明美は自分を捨てても弟達のために尽くそうと思う、まあよいお姉さんであるのだが、それもこの成績では説得力が無い。

保奈美「?」

 ふと保奈美が耳をそばだてた。音楽が聞こえる。階上の音楽教室からと思ったのだがどうもいつもの曲と異なる。図書館のある建物は一階二階が図書館で三階が音楽室、四階が視聴覚教室になっている。故に吹奏楽部が練習する音が防音を施した図書室にわずかに聞こえるのが常なのだが、今日の音はすこし違った。

 人の声だ。歌っている。それも防音設備を透過する凄まじい声量で。
 図書準備室内をふたりが見回すと、後ろの窓が風通しの為に少し開いていた。そこから漏れているのだろう、ガラスの向こうの図書室でもそれに気づいた生徒たちが首を巡らせて音の出所を探っている。

明美「聖ちゃんだ!」
保奈美「歌、音楽教室だわ。学校で歌うのって初めてよね。」
明美「めちゃくちゃ上手なんだよ。CDも作ったことあるし。」
保奈美「ええ、知ってる。」

 二人は図書館を飛び出して三階の音楽室に向かって階段を駆け登った。だが今や階段そのものが一つの楽器になっていた。
 音楽室から漏れた歌声が階段全体に反響して、吹き抜け四階全部を揺さぶっている。吹奏楽部の一、二年生が練習の準備をしている最中だったらしく、階段の上下に列を作り楽器を抱えておろおろしている。或る者は涙さえ流しているが、大半はこの事態が認識できず困惑している。手近に居た二年生の女子を捕まえて保奈美が問いただそうとするが、無言で唇に人差し指を当て、沈黙を保つことを逆に要求されてしまった。

 音楽教室の扉が半開きになり、そこから音が漏れていた。扉の前では吹奏楽部員が鈴なりになって中の様子を必死で窺っている。が、そんなことはどうでもいい。ともかく声が、歌が空間全てを包み込み、そこに居る生徒達の全身を、いや魂を直接振動させている。

 保奈美はふと、目の前に光るものを感じた。保奈美だけではない、何人かが左右を見回している。明らかに光が飛び交っているのだ。振り向いて階段の明かり採りの窓を見ると、外の、グラウンドから光の粒が射しこんでいる。なんらかの動く金属製品の反射光だ、と分かったが視覚効果としてそれは最高だった。階段に詰める全員が音と光の飛び交う万華鏡の中に放り込まれたみたいな、その場に突然出現した幽玄境の有り様に心を奪われた。

 しかし、声はいきなり止んだ。歌声の余韻が最上階に吸い込まれ、消えた。誰一人咳きひとつ立てることなくたっぷり三十秒沈黙が続き、やがて音楽室内から二三漏れる拍手の音に代り、それもどんどん多くなり、階段中の全員の拍手が加わり反響で耳が割れるほどにまでなった。

 我を忘れてひたすら拍手する一二年生をかき分けて、明美と保奈美は階段を上った。音楽室の半開きの扉を開けようとすると、顔を真っ赤に染めた聖が硬直しながらも出てくる。明美の顔を見て、聖ちゃんは俯いてしまった。

 明美が聖の手を引いて階段を降りる。だが左右に分かれた吹奏楽部員たちの握手を求める掌の林に、保奈美明美はまたしてもかき分けるのに苦労させられたのだ。
 ようやくにして図書館の中に戻ってくる。図書室内に居た生徒はほとんどなにが起きたのか理解出来なかったようだ。顔を見合わせたり席を立ったりして落ち着かないが、聖の方に寄って来たりはしない。それよりも、三人に続いて入って来ようとする、楽器をぶら下げた吹奏楽部員を締め出すのに保奈美は苦労させられた。

 明美と聖は図書準備室に入り、先程のそれぞれの席に着いた。聖ちゃんはまだ顔面を紅潮させている。明美はどう声を掛けるべきがわからなくて、沈黙のまま聖の顔を眺め続けている。ようやくに吹奏楽部員を捌いて保奈美が戻ってきたのを機に、聖がぼそぼそと呟いた。

聖「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
明美「ふむ。」
保奈美「なんて?」
明美「むしゃくしゃしてやった、こんなことになるとは思わなかった、今は反省している、って。」

 

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 明美二号も現在最大のプロジェクトに取り組んでいる。

 この夏の合宿は全部二年生、実質二号ひとりですべてのプランを立てなければならないのだ。これは隊長になる為の訓練の一環であるわけで、他に代る人が居ない現状では彼女がイヤイヤながらも取り組まねばならない。確かにイヤなのではあるが、そこは明美であって、押しつけられて無理強いされると、意外とやってしまうという、不思議な性質がある。むしろ自分でなにか考えねばならないという事態に比べれば遥かに楽と言えなくもない。これが一号ならば、やるだけやって失敗するというオチなのだが、二号はそこのところはうまくする。というか、このくらいなら何とかなるだろうというのが、弥生ちゃん達幹部の考えなのだ。

 放課後校門でしばし待たされて立ちんぼになっている。最近は三年生はゲリラ的美少女野球リーグの会合に二号を連れて行くことが多い。余所のチームでは二号は実質次のウエンディズリーダーと看做されているだろうと思うと、気が鬱になる。そりゃあ他に人が居ないんだから誰が考えてもそれ以外の選択肢なんてないのだが、しかし自分がリーダーの器ではないことは自分が一番知っている。なんとかして免れる方法は無いだろうか、と思うのだがじゃあウエンディズをおっぽり出して解散、でいいのかと言えば、それもなんか嫌だ。実際明美二号もウエンディズ初期メンバーに限りなく近い。立ち上げに関与したようなものでそもそもメンバーが10人しか居らずそれも鳴海ちゃんが中学生で、要するに最初からレギュラーを任されていた二号にとってもウエンディズは捨てられない大切なものになってしまっている。

 今にして思えば、どうして自分は別の同級生をメンバーに勧誘しなかったのか、と後悔するのだが最早取り返しはつかない。精々牛倉美矩とシャクティが早急に使えるよう成長してくれるのを願うだけだ。

志穂美「待たせたな。」
 遅れて志穂美がやってきた。二号は講習でしかたなしに外れたのだが、志穂美先輩はウエンディズの練習で遅れたのだから文句を言う訳にはいかない。今日は志穂美先輩が正使で明美がその補佐になる。

二号「今日の議題はなんでしたか。どこが来るんです。」
志穂美「どぐめきらとでんじゃー紫だ。議題は、”橘家弓さまをお迎えして夏講習を開こう”だな。どぐめきらが幹事になって流祖さまを招こうという結構なはなしだ。」
二号「はあー、そんなすごい方がいらっしゃってくれるんですかー、凄いな。」
志穂美「私も会ったことは無いんだが、弥生ちゃんやまゆ子の話では、スゴイんだそうだ。なにしろ、どこがスゴイのか分からないくらいスゴイという話だから。」
二号「それは想像を絶する凄さですね。でも本当にこんな田舎に来てくれるんですか。」
志穂美「心配するな。家弓さんはもっとスゴイ田舎の出身だ。それに日本中から世界まで飛び回ってるという話だから、移動については問題無いだろう。」
二号「どんなすごい技を持ってるんでしょうね、わくわくしますね。ところでーーーーーー。」

 明美二号は口ごもる。やはり、そういう講習会てのにも、自分はなにか重要な役割を押しつけられるのかな、と心配になったのだ。というか、他の部活ならそういう連絡会みたいなのも二年生に代替わりする季節なのだし。
 二号のそんな様子を見て、志穂美は察しをつけたようだ。強い口調だが安心させるように穏やかに言った。

志穂美「心配するな。卒業までは弥生ちゃんがキャプテンだ。御前に指導力を必要とさせるようなことはしないよ。」
二号「あ、いや、その。」
志穂美「卒業してしまっても心配するな。どうせ、このままなら人数不足で試合も出来ない。新一年生を入れてメンバーを揃えて訓練して、それで夏までは潰れるだろう。一年も先の話だ。」
二号「そ、そうですよね。まだずっと先の話ですよね。あはははは。」

 だが志穂美はそんな二号の様子にすこし危惧を感じたようだ。
志穂美「明美、おまえ。」
二号「はい?」
志穂美「いや、なんだ。アレ受けてみないか?」
二号「アレとは?」
志穂美「厭兵術の開祖の里で有るという、真夏の特訓だよ。なんか10日間山奥に篭って修行をする、地獄特訓というはなしだ。」

 明美はぷるぷると首を振った。これ以上オソロシイことはゴメンだ。第一弥生きゃぷてんも志穂美先輩もそれはやったこと無い。

志穂美「いや、わたしもね、一度やってみたいのだが、何しろ遠いからな。費用も掛かるし。」
二号「費用掛かるんでしたら、私はもっとダメです。」
志穂美「そうなんだが、やるとなにか根拠の無い自信がつくんじゃないかと思うんだが、ダメかな。」
二号「ダメです。」
志穂美「ダメか。じゃあ仕方ない、戦処女がやる夏合宿に飛び入りで参加してくるかな。あそこはオリジナルが毎年来るって言うし。」
二号「え?」

 オリジナル、というのを初めて明美は聞いた。この場合オリジナルとは、厭兵術のオリジナル、つまり免許皆伝を持っている人、という意味ではないだろうか。

志穂美「あの人は弥生ちゃんも会ったっていうからなあ。」
二号「あの、その、なんですかそのオリジナルってのは、なにか戦処女の合宿には特別なコーチが来るんですか。弥生キャプテンも会ったことあるんですか。」
志穂美「オリジナルというのは、フォクシーズのオリジナルメンバーだよ。流祖橘家弓さんが作った最初のゲリラ的美少女野球団。」

 うおおお、と一人明美は燃え上がった。そんな人が指導してくれる合宿ならそりゃあ戦処女は強くなるはずだ。しかし、弥生キャプテンが会ったこと有るというのは、

志穂美「うん。元を質せばだな、ウエンディズはそもそも弥生ちゃんが適当に作った野球チームなのだよ。小学生にバカにされた弥生ちゃんが、復讐の為に立ち上げた臨時で即席の野球団。」
二号「はあ。」
志穂美「しかし相手は小学生とはいえリトルリーグだ、寄せ集めの、それも野球未経験者で作ったウエンディズが勝てる道理が無い。」
二号「ですね。」
志穂美「そこで弥生ちゃんはツテを頼って、短時日でいきなり強くなる野球の仕方、というのを習いに行ったんだ。それが、」
二号「ゲリラ的美少女野球・・・・。」
志穂美「桜川の前のエンジェルスのきゃぷてんの紹介だったかな? 或る日曜日習いに行って、月曜日、もう弥生ちゃんは人が変わってたもん。」
二号「じゃあゲリラ的美少女野球の神髄をわずか一日で体得したって言うんですか、きゃぷてんは。」
志穂美「よっぽど教え方のうまい人に会ったんだろうなあ。そういう事が出来るのはたぶん、戦処女に来るというオリジナルの人だと思う、推測だけどね。」

 明美はしばし考えて、思い切って志穂美に話した。こんなことを言ってしまえばもう後戻りも出来なくてキャプテンにされてしまうだろうけれど、でも言わずには居れなかった。見る人が見れば明美二号に次期キャプテンとしての自覚が芽生えた、と評価するかもしれない。嫌だけれど、でも仕方ないのかもしれない。

二号「志穂美先輩。せんぱいたちが卒業した後の話です。私たちだけでウエンディズをやっていくのはいいですけど、でも誰か指導してくれる人が居ないのは良くないとは思いませんか。」
志穂美「思うね。考えてみれば私たちはよくもまあ、誰にも習わずにウエンディズをやって来れたと、感心してしまう。弥生ちゃんの指導力洞察力にまゆ子の構想力と分析力、計画立案力。それにしるくという本物の武術家が居たことが大きいんだろう。」

二号「先輩たちが卒業すれば、そういう良いバランスが失われて二度と戻らないと思うんです。」
志穂美「その懸念はある。」
二号「だから、わたしたちにも正式に厭兵術を習っていてゲリラ的美少女野球にも詳しい、まっとうな指導者の人が必要では無いでしょうか。」
志穂美「講師の人が、要る、か。もっともな話だ。もっともだよ。」
二号「毎日とは言いませんが、週一でも月一でも指導してくれる人の心当たりはないですかね。」

 志穂美は首をひねった。二号の言うことはもっともだが、そういう人が居ればとっくの昔に教えを乞うている。その辺りに詳しいのはやはり弥生ちゃんだろうが、弥生ちゃんの口からそういう人の話を聞いた覚えが無い。

志穂美「すまん。わたしではその問いには答えられないようだ。でも今日行く会合でだれか聞いてみよう。」
二号「ええ、そうですね。」

 明美二号はため息をついた。なんだ、やっぱりわたしは会合に行かなければならないじゃない。結局好きも嫌いも無く、宿命とか運命によって、自分がウエンディズのキャプテンにされてしまうんだなあ、と諦めた。でもこんなに気合いが入らないんじゃ、怒られてしまうな、と自分では思うのだが、なにも拠り所が無い今の自分ではそれは仕方ないだろう。

「こまったな、・・・。」
 小声で呟いて、はっと口を押える。弱気なところを志穂美先輩に聞かれたとしたら、あとでどんなお仕置きを食らうかわかったもんじゃない。

 だが、前を行く志穂美はなんの反応も無かった。後ろからじっと見ていると、なんとなくいつもの志穂美先輩とは違うものを感じた。それは、二号にはうまく説明できないのだが、女っぽさ? 色気のようなものがわずかばかりに醸し出されている。考えてみれば、せんぱいももう18歳だ。変わらないように見えても人はどんどん変わって行くのだな、自分も来年にはキャプテンらしくなっているのかな。とりとめもなく考える。

 突然、志穂美が歩みを止め、ぼーっとしていた明美二号はぶつかりそうになり、大きくバランスを崩してやっと転ぶのを免れた。志穂美が振り返り、にたあーと笑う。その笑顔はいつもの怒った顔よりもよほど凄惨で魂を吹き消す迫力があった。

志穂美「男なら居る。」
二号「え?」
志穂美「男なら心当たりがある!」

 

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美矩「シャクよお、釈ちゃんよお。わたしたちこれでいいのかな?」

 といきなりの愚痴るような質問に、帰りがけのシャクティはびっくりした。今日はめずらしく早く帰れたから、道端の古い角店でアイスを買う事が出来、お気に入りのラムネバニラアイスを頬張って至福の境地にある時だったからなおさらだ。

釈「むぬううぬぬ、ぬうぬぬぬぬう。」
美矩「いや、無理して喋らなくてもちゃんと食べてからでいいんだけどね。」
釈「むぬぬうぬう、はあ。で、なにが。」

美矩「いやね、ほら、山中さんよ、明美ちゃんだよ。あの子だけひとり、なんか重荷を背負わせてるみたいな気がしてねー。」
釈「そりゃあ、仕方ないではないですか。なにしろ、一人で三年生の人達に混ざって活躍してたんだから、わたしたちと一緒にされるのは却って迷惑。てなものじゃないです。」
美矩「でも、それでいいのかなあ。そりゃあ技術的な面とか戦闘のもんだいとかは、わたしたちはなんの役にも立たないけどね。隊の運営に関してはもっと肩代わりできるんじゃないかなあ。」
釈「あたしは出来ないですよ。やったことないもの。なんというか、この歳になるまで一切責任のあるポストなんか就いた経験まるで無しです。いままでずっと、”おもろいインド人”で免罪されてきましたあ〜。」
美矩「あ、それ、ずるいな。」
釈「ずるいです。なにせ色黒いですから、腹も黒いんです。」
美矩「じぶんでいうなあ!」

 美矩は自分のオレンジのアイスが溶けて串からだらーんと流れてくるのを下からすすり上げて、目線をシャクテイから車道に移した。坂の上から米屋の配達の白いバンがぬーんと下りてくる。それを見送る美矩の後ろから、シャクテイが話を続けた。

釈「とは言うものの、なにかせずに居れるほど、あたくしも厚顔無恥では無いですけどね。」
美矩「でしょお!」
 と美矩は振り返る。

美矩「このままでいいわけは無いのよね。わたしたちもなんか役に立つというところを見せないといけないじゃない。」
釈「ありますよ。役に立つ方法。新しく一年生を勧誘してくるんですよ。」
美矩「お。」
釈「人数が増えれば管理に困ったりするけれど、でも人数不足で試合が出来ない、ってのよりはずっとマシでしょ。二号さんが三年生の幹部のヒトから帝王学を施されている間、あたしたちは地道にすそ野を広げて行くというのが、賢いやり口です。」
美矩「釈かしこーい。なるほどおー、そういう役に立ち方もあるんだ。」

釈「実は一人、心当たりがあります。」
美矩「ふむふむ。」
釈「とんでもない不良です。なにしろ一年生の癖にほとんど学校に出てきていない。」
美矩「なんと。」
釈「それもそのはず、入学前にスキーで両脚骨折です。」
美矩「なんじゃいそれは。」
釈「五月になってようやっと登校してきたという按配で、まだ松葉杖突いてますからどこも勧誘の手を出してない。」

美矩「というか、それじゃあ役立たないじゃん。」
釈「あまいですねー、怪我が治ればちゃんと元どおりですよ。元々スポーツ万能なんですから。」
美矩「なんか、釈、その子に詳しいみたいね。」
釈「興味ありますから、お店に来た時に目を付けてました。」

 シャクティの家は怪しげな創作インド料理店である。当然客層はかなり偏っている。というよりも、古色蒼然たる構えの戦前洋風食堂にインドの神様のポスターが貼ってあるという怪態なシャクティの店に入ってくるような人間は、それも女子高生が一人で入ってくるなんてのは、よっぽどの変り者と言えるだろう。

美矩「ただものじゃないね。」
釈「見るからに只者ではありません。なにしろ。」
 とシャクティはアイスをずるずるとすすり上げると、美矩の耳元に唇を寄せた。

釈「・・・・・三号です。」

美矩「え?」
釈「髪をポニーテールにはしてませんが、間違いありません。メガネを掛けてましたが、外せばそっくりです。」
美矩「まさか、明美三号?!」

 驚いてシャクティの顔を見つめる美矩。シャクティはニタと黒い顔に不敵な表情を浮かべて話を続けた。

釈「既に手は打ってあります。中学校の同級生だったというヒトをここに呼んであります。」
美矩「嘘!」
「こんにちは。」

と、二人の後ろから声がした。びくんと反応して美矩はオーバーアクションで振り返り身構え、がっくりと肩を落とした。
 後ろに居たのは、なんの事はない、江良美鳥だった。

美鳥「釈先輩ー、きましたー。」

釈「例のはなしを美矩さんに。」
美矩「なに、美鳥が同級生だったの。」
美鳥「じつはそうだったんです。というか、釈せんぱいに言われるまで、明美先輩方にそっくりだって気づきませんでした。」
美矩「そんなに似てるの?」
美鳥「似てません。」

 肩すかしを食って美矩はあっけにとられた。シャクティが補足説明をする。

釈「似てないのは性格なのね。性格が違うから表情が違って、髪型も変えてくる。メガネも掛けるしサングラスが好きとかいう話で、趣味も行動も違う。でも。」
美矩「肉体というか顔が似てるわけね。」
 美鳥がこくっと首肯いた。

美鳥「言われてみれば、たしかに似ていると言えますね。多分姉妹に間違われるでしょう。でも、・・・・・老けてますから。」
美矩「老けてる明美さん?」
美鳥「今まだ15歳なのに大人びて見えるんです。三年生の明美先輩よりも大人っぽく見えます。普通のヒトは、一号先輩よりも年上と見るでしょう。」
美矩「むうー、ただものじゃねーな、それ。」

釈「もんだいはその性格でね、一匹オオカミらしいのよ。」
美矩「それはなんとかなるでしょ。一度入れば抜けられないのがウエンディズよ。今の内ならば弥生きゃぷてんやまゆ子先輩や志穂美先輩がなんとかしてくれるでしょう。で、運動能力はどうなの、イケる?」
美鳥「サッカー部です。女子サッカー。」
美矩「そんなのあったの?どこ、中学。」
美鳥「第三西です。女子サッカー部は、つまりその子が作りまして、その子の卒業とともに消滅しました。」
釈「それは初めて聞いたよ。どうして。」
美鳥「反則王です。試合中に相手にラリアットかまして一発退場になりました。というか、そもそも6人しか居らずフットサルしかできなかったわけで、キャプテンであるその子が退場連発食らって3ヶ月出場禁止になっちゃいましたから、」
美矩「どうしようもない乱暴者、てわけね。」
釈「どう? なんとなく有望っぽいでしょ? まるで大東さんみたいだ。」

 美矩は、弥生きゃぷてんの友人であり、手裏剣術の達人である大東桐子の姿を思い浮かべた。ところかまわずに手裏剣を投げて、そこら中穴だらけにして度々職員室に呼ばれている、三年生の桐子は、よくもまあちゃんと進級できたものだと感心するようなどうしようもない不良娘である。それでいて案外女子にはなんとなしに人気がある。ふわふわしていて自由な感じが、日頃学校生活で抑圧を感じている種の生徒には、一服の清涼剤として映るのだろう。美矩はそのタイプではないが。

美矩「いけるかもしれない。というか、そういう人は、弥生きゃぷてんや志穂美先輩は喜んで受け入れてくれるんじゃないかな。」
釈「で、その子の名前がね、」


美鳥「仲山朱美です。」

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 しばし角店のビニールの軒先に沈黙が走った。目の前の道路を帰宅する門代高校の教師の青黒い車が通り抜けて行く。


美矩「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。惜しい。」
釈「惜しい。」
美鳥「惜しいですよね。ダメですかね。」

美矩「いや、これはイイ。たぶんこれはイケる。」

 思わず知らずに顔に笑みがこぼれてくる。というよりも、腹の底から笑いが込み上げてきて、知らず声になって漏れ出てくる。シャクティ美鳥もつられて笑う。なんだか知らないけれど、これはもう笑わざるを得なかった。

 

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 いつもの喫茶店で始まったゲリラ的美少女リーグの今日の会合は、暗黒どぐめきらを幹事として、でんじゃー紫、ウエンディズのみという小編成で行われた。

 もちろん隊長級の人間はどこも出しておらず、幹部1補佐の二年生1の計6人のみ。議題も限定され「橘家弓さんを招聘して講習会を開こう」だけを話し合われた。といっても、これは別に前例の無いことではなく、三年前にも門代地区に家弓さんは来られており、その時の資料を再検討すれば大体準備はオッケーという楽なものだ。前回開催時はまだウエンディズが存在しなかった為、特に副幹事としてその経験を積むことになっている。

 暗黒どぐめきらで今日来たのは三年生でbSに当たる加藤早紀子と二年生で次に副長となるらしい河田繰子、でんじゃー紫からは三年生でやはりbS格の下条みくりと二年生金月綾女、ウエンディズが相原志穂美に山中明美二号である。下条みくりはゲリラ的美少女リーグ随一のフェロモン女でありそのあやしい影響力を大概の選手は苦手とするのだが、さすがに志穂美は色気の影響力を受けない。
 そのみくりが言った。

みくり「問題は費用なんだけど、ホテル代も要らないって。旅費も滞在費もすべて無用だって橘さんが仰しゃるのね。」
志穂美「結構なことじゃないか。なにか問題ある?」
早紀子「問題があるとしたら、よその地区のリーグにウチが軽く見られるんじゃないか、ということなんだそうだよ。」
志穂美「面子のもんだいか。それは厄介だな。流祖をタダ働きさせれば、ウチのリーグの格が落ちるというわけだ。」

みくり「前の講習会は幹事が戦処女だったでしょ。だからそこらへんはしっかりしてたみたいなのね。後で人間を出して家弓さんのお仕事の手伝いをしたというんだけど、でも今回はそういうのも無いし、やはりいくらか包んだ方がいいんじゃないかしら。」
志穂美「いくらって、いくらだよ。相場って奴があるわけ?」
早紀子「5万円、くらいじゃないかな。高速代往復にホテル代二泊だから、そのくらいは掛かるんじゃないかなあ、根拠無いけど。」

志穂美「というか、ほんとうにホテルに泊まるわけなのか?」
みくり「そこも不明。ひょっとして知り合いの家に泊まるアテがあるのかも。」
早紀子「じゃあ、ホテル代といって出すのは却って失礼に当たるんじゃ。」

志穂美「他のリーグはどうなんだ。なんかデータ無い?」
みくり「ウチのリーグが関東から一番遠いんだから、あんまり参考にならないと思うわ。」
早紀子「つまり、よくもまあこんな遠くまでお出でくださいました、という気持ちをね、形で示さなきゃいけないというんだよ。みんな。」
志穂美「常識だね。」

早紀子「これが他の武術ならねー、大人が居てそこらへん教えてくれるんだけど、ゲリラ的美少女野球はねー、家弓さんが自分で作ったものだから人いないしねー。」

 しばし三年生三人がうーんとうなり、二年生三人ははらはらして見ていた。が、やはり一番バカな事を言い出すのは、ウエンディズの志穂美だった。明美の想像どおりだ。

志穂美「いざとなったら、頭を下げよう。土下座して受け取ってもらうという事で、うちの弥生ちゃんにやらせるぞ。」
早紀子「いや、やっぱ幹事であるうちの宮を土下座させて。」
みくり「じゃあ、美月も土下座させるということで、最終的には無理矢理おしつけてしまいますか。」

 明美はおいおい、と思った。まるで隊長たちがおもちゃみたいじゃないか。でもまあ、幹部の人達にとっては同級生だから、そんなものかなとむりやり納得する。

明美「で、総計何人くらい集まる計算になるんです。」
 早紀子とみくりがひーふーみと数え出す。

早紀子「120人は来るな。戦処女が最大で50は来るでしょ。ウチも30は行く。」
みくり「7チームあるし、OGも来るかもしれないわよ。なにせ家弓さんだもの。」
志穂美「そんな大人数どこに集めるんだ。グラウンド借りれるのか。」
早紀子「前に戦処女がやった河原の土手のグラウンドというのをまた借りるつもり。さすがにもう押えたよ。やばかったって。」

志穂美「二日に渡って、というのが曲者だな。交通費も二倍だ。泊まるわけにもいかないし。」
みくり「泊まる? キャンプ張って泊まるというのも考えた?」
早紀子「面白いけどおもしろすぎ、却下。第一そのグラウンドは寝泊まり禁止だよ。女の子ばっかしだし。」

繰子「いや、あの、どうでしょう。主要メンバーだけ泊まりというのは。誰かの家に隊長級の人だけ止まって家弓さんを御接待するというのでは。」
みくり「でも家弓さんにもご都合があるのでは。」
早紀子「うんん、誰か知り合いと会うとかの予定があるかもしれないし。」

志穂美「でも家弓さんという人はどういう人となりなんだ。わたしは会ったことが無いから分からないんだが、気さくな人かな。」
みくり「感じのいい方だわ。とても普通っぽい。でもあの方はまるっきり普通ではないのだから、普通に見えるのは異常なのよね。ぜんぜん強そうじゃないんだもの。」
早紀子「全然わからないんだよ、あの人の技は。見えないから何をされたのか分からない。強いのか弱いのかも分からない。だから相手もなめて掛かって、結果やられちゃうという戦術を使うんだそうだよ。説明だと。」


みくり「じゃあまとめ。家弓さんへの御礼は5万円として、受け取らない場合は隊長連中が土下座してでも受け取らせる。」
志穂美「いざとなったら切腹でもさせよう。」
みくり「で、御接待は隊長達がどこかひろいお家で家弓さんと一晩楽しく過ごすということで、出費は最低限に押える。家弓さんのご都合がお悪いようでしたら、中止。」
早紀子「でもその場合、ひとりお供を付けよう。家弓さんがどこか行っちゃわないように。」

みくり「二日目の最終日、すべての日程が終わった後で各チームからお金を徴収します。それまでの出費はどぐめきらが肩代わりするということで。」
早紀子「うん。」
みくり「互いのチームの交流会は、それぞれで適当にやるということで、連絡協議会は関与しない。合同打ち上げもやらない。後で協議会で反省会として小規模に行う。と。」
早紀子「まあ、節約モードでやるということで、まあこんなもんか。」

志穂美「つぎは概算を出してみよう。シミュレーションやって実際どのくらい掛かるか、計算して。」
早紀子「じゃあ10日後ではどう? もちろんその概算はうちがヤルけれど、次は5チーム協議会ね。」
みくり「ということで、今日はお開き。」



 あとは適当に世間話になる。
 今日は別に面子の張り合いをする気も無いし、それをするにはメンバーの構成が問題なのだが、特定の人間にしか反応しない超越派の志穂美に、色気むらむらのみくりという顔合わせでは、常人である早紀子に張り合おうと考える余地すら与えない。テーブルを二つに分けて、二年生は二年生同士で交流を深めて来い、ということで明美二号と河田繰子、金月綾女の三人はまじまじとにらめっこする事となった。

綾女「ということは、ウエンディズの次期キャプテンはあなたで決まり、てことね。」

 金月綾女は試合ではあまり見ないような気がした。どちらかというと線の細い、病弱な印象を与える、ほんとにゲリラ的美少女野球の選手かと疑わせる儚さだ。美人というには癖があるがまとまった顔だちで髪は長いし身体は細いし、色も病的に白い。指もガラス細工のようで紅茶をかき混ぜるスプーンの反射と相まって、陶製の人形のようだ。しかし、

綾女「いや、別にどこも悪いとこないし、病気一つしないし、入院したことも無いし。」
繰子「嘘だあー、じゃあなんで試合に出ないんだ。」

 河田繰子は暗黒どぐめきらの標準に従ってやっぱり背が低い。153cmだという。今年もやはり、大きな一年生は入らなかったという。というよりも、小さい子がここならイケる、と思って入って来、背の高い子は故に遠慮するという悪循環が続いているそうだ。くりくりボブで目も大きい印象の強い娘で、気が強そうだなあと明美は思った。

綾女「いや、軽過ぎて。体重軽過ぎてふっ飛ばされるというんで、試合出してもらえなかったのよ。出来るのよ、格闘、きらいじゃないし。でも集団戦には向かないってんで控え要員よ。」
明美「でんじゃー紫って、集団戦に向いてる人ってあまり居ないよ。」
繰子「うんうん。だってカッコ付け過ぎだ。もうちょっと筋トレとかしてご飯食べて、体重増やさなきゃ。」
綾女「そんなことしたら、こすぷれしたときに困るじゃない。これでもダイエットしてるのよ。」

 絶対40キロ無いように見える綾女がむくれてまた紅茶をかき回す。どうやら砂糖が入れたくて入れたくてたまらないという風情だ。ちなみに明美と繰子はコーヒーで、明美はブラックにわずかに砂糖、繰子はどんどこミルクを入れてカフェオレにしてしまった。

繰子「じゃあ、あなたは代替わりしたらポジションどこになるの。」
綾女「練習じゃあね、ショートやったりもするんだけど、外野は一年生と相場は決まっててねウチは。三年生はバッテリーと内野、二年生は二三塁の補欠ですぐさぼる三年生の肩代わりで交代要員とショートね。進級するに従って前の方に前の方にと移って行くわけよ。」

明美「じゃあショートは二年生の定番てポジションじゃない。エリートコースて訳?」
綾女「なんというかなあ、わたしはさ、美月先輩のマネキンみたいなもので、お針子女王の先輩が試合のその都度新作作ってそれを着せられてるのよね。試作品だから強度に問題があって、試合に出ると解れちゃったり裂けちゃったりするから、動くなと言われてるんだ。」
繰子「なんだそれは。」

綾女「そういう貴女はポジションどこなの。」
繰子「ああ、こんどからキャッチャーやることになった。」
明美「おお。」

繰子「あなたは。」
明美「あたし? いや、普通はショートやってるけど、でもひょっとしたらもうそろそろピッチャーやらされるかもしれない。でも、一年生で大きいのが入ったからそっち使うかなあ。」
綾女「人数が少ないと大変ね。」

繰子「ウエンディズの一年生は何人入ったんだ。今まではあなた一人で、後は中学生動員してたでしょお。」
明美「うん、二年生と一年生と二人ずつ入ったんだ。現在も勧誘活動中だから、夏までには下級生だけでチーム作れるくらいにはなるよ。というか、中学生の子達が来年上がってくる予定だから、人数の心配は無い。たぶん無い。」

 と、口からでまかせの強がりを言ってみる。こんなところで不利な情報垂れ流してなめられるのは良くないだろう。なんだかんだ言って、明美二号はちゃんと次期キャプテンの役割をじんわりと受け入れている。


 そうこうしている内に、三年生が席を立ち出したので明美たちも慌てて席を立つ。綾女は紅茶をかき回すだけかき回してほとんど口を付けてなかったので急いで飲み干してむせてしまった。

志穂美「金を出せ。」
 やっぱりおごってはくれなかったので、渋々500円出した。これがスターバックスとかならもうちょっと安いのだろうけど、門代地区にはそんなハイカラなものは無いし安めの店はとっくに閉まっているのだから仕方ない。

早紀子「じゃ、そういうことで。」
 と、三者三様に別れて行った。どぐめきら組は電車で、紫組はバス停の方に向かう。志穂美と明美は逆を向いてアーケード街の方へと歩き出す。



 既に10時を回り、アーケードの天井灯も消えてわずかに街灯が残るだけという寂しい光景。外の道を通った方が車道のライトと車のヘッドランプでよほど明るいのだが、それでも左右が人の住んでいる店舗ということで、安心といえばこの道が一番だ。

 女ふたりとはいえ明美二号はさほどの心細さは無い。もちろん志穂美が並みの男よりもよほど強いということもあるが、最近は自分の力量も大分分かってきて道で見る男の子でも、これは勝てる勝てないと見当が付くようになったのだ。それに、厭兵術で教える逃走術は心得の無い者ではとても追随出来ない。逃げることに関しては明美二号はすでに達人と言えるだろう。

 志穂美が、会合前の話に戻して言った。

志穂美「やっぱりねー、指導する人というのは連中分からなかったよ。戦処女に聞いてみるしかないみたいだな。」
明美「せんぱい、言ってましたね。男のヒトなら心当たりがあるって。」

志穂美「なんのことだ。あ、ああ。心当たりがあると言ってももちろん厭兵術ではないよ。なにせ厭兵術は武道家でも知らない人の方が多いという秘密の武術だからな。」
明美「というか、歴史の闇に消え去った武術だ、という話でしたね。」
志穂美「橘家弓さんが表に出すまでは、な。だから知っているというのは別の武術の人だ。」
明美「なるほど、技術指導をすればいいというわけでもないですからね。もっと根本的な武道的なものを教える人というのが必要だ、と言うんですね。しるく先輩みたいな。」

志穂美「しかしねー、あの人は武道家でも無いからなあ。」
明美「何する人です?」
志穂美「天狗だ。」
明美「天狗道のひとですか。」
志穂美「違う。武道天狗だ。ようするにどこの流派にも属せずに一人でやってるんだよ、山に篭って自然の中でひたすら武術の腕を磨く。」
明美「げ。」

志穂美「そういうわけだから色んな技を使うわけだ。真剣も振り回していたっけな。鎖鎌とか槍とかも本身の奴使ってたな。そういえば、あれはあ、多分てっぽうだ。」
明美「げ。」
志穂美「まゆ子が言うには、南部14年というタイプの軍用拳銃なんだが、まだ弾が残ってるって言ったよ。」

明美「・・・・・、どうして先輩はそんなひととお知り合いなんですか。」

 志穂美はその場に立ち止まって、ふっと上に顔を向けた。暗くなったアーケードの天井からは星明かりは見えないが、たまにすきまに鳩が眠っていることもある。

志穂美「なんでだろう、いまの今までその人のことまるっきり忘れてたなー。

 クラスメートなんだ、その人の娘と。」

明美「ああ、娘さんが居るひとなんだ。ああよかった。」

志穂美「身体が弱くてね、中学の三年生の時、一学期の半ばにやってきて、その時はわたしたちよりも二歳上だったのかな、学校に行けなくてね。」
明美「そう、だったんですか。」
志穂美「夏が終わるとまた入院してしまって、それっきりだ。死んだとは聞かないけれど、今はどうなったんだろうな。

 その人がな、わたしの事を好きだて言ってくれたんだ。
 わたしが陸上部で走ってる姿がとてもきれいだって。身体の調子が良かったら遅くまで練習見ていたな。陽が暮れるまで見てたから、危なくて送って行ったもんだよ。まゆ子に二人分の鞄持たせて。
 知ってるか、まゆ子ってその時分は随分と太ってまるまるとしてたんだぞ。」

明美「それは初耳です。」
志穂美「背が伸びて、でもその頃と体重は変わってないから、ほっそりしたように見えてるけど、本質的にあいつ太る体質なんだ。で、ダイエットの為にわたしたちについて来て、ひいひいいって山登りしたんだ。」

明美「その人は、からだよわいのに山に住んでたんですか。」
志穂美「自分の家なら帰れるんだな、それが。にんげんてのは不思議なもんだ。だがねー、親がそういう人だろ。仕事するより刀振り回している方が性に合ってるてわけで、お金どうしてたんだろう。家も、今じゃあ下では見れないくらいにひどい家だった。」

明美「そりゃあ、・・まるで平成の世とは思えないような暮しですね。」
志穂美「うん、ありゃあどうも、昭和40年くらいの生活だな。テレビも無かったし、裸電球だったし。蛍光燈の方が電気代安いのにね。
 で、おかあさんが居ないんだ。死んだのか逃げたのか、ひょっとして家族と離れて遠くに仕事に行ってたのかもしれないな。そうか、病院代稼いでたのかな。今気づいた。」

明美「あの、そのおとうさんて人はひょっとしてダメ人間なんじゃ、」
志穂美「その人は、そうは思ってなかったようだな。とても尊敬してたぞ、おとうさんの事。自分がろくに動けないというのもあるんだろうけど、なんせ、木から木へ飛び移っていたからな。」
明美「げ、ほんきで天狗だったんですか。」
志穂美「しかしほんとにどうやって食っていたのかな、未だに分からないな。」

 ふたたび二人は歩き出した。明美は思う。どうも、志穂美せんぱいはその親娘になにか強い影響を受けたのじゃないか。ひょっとして、憧れを抱いたとかもあるのかもしれない。

 アーケードの出口まで来て、二人の道は分かれることになる。志穂美は送って行こうというのだが、どちらかと言うと志穂美の道の方が人気が無くて物騒なくらいだから、明美は固く遠慮した。自分の家のあるマンションはここからもう見えてるくらいなのだ。

 ただ、明美はやはりこれは言わねばならないと思い、志穂美に向いて言った。

明美「あの、せんぱい。先程の指導する人の件ですが、どうもその人は向いてないようにおもいます。」
志穂美「だめか? まあ、おまえがそう思うのなら、たぶんダメなんだろう。つまんないこと言ったな。」
明美「でもせんぱい、その人は今もそこに住んでるんですか。」

 志穂美は背後に首を巡らせて、遠くに見える山に視線を投げかけた。

志穂美「わからないな。」

 明美二号は挨拶をして、志穂美と別れた。十歩行って振り返ると、まだ志穂美が立ち止まり山の方を見つめている。なにか呟くように思えたが、明美のところまでは声は聞こえない。


志穂美「あのヒトの名前は、なんていったかな・・・・・・・。」

 

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ちろ「わんわん。」
弥生「ただいまー。」

母「何時だと思ってるんです! 今何時だと。」
弥生「別に遊んできたわけじゃないわよお。遊ぶんだったらもっと早くに帰って怒られないようにするよう。」
母「あんたひとりで学校背負って立ってるわけじゃないでしょ。他の人にも手伝ってもらいなさいてあれほど言ったのに、また一人で抱え込んでるんでしょ。」
弥生「人たのむとおそいんだよねー。というか、生徒会長がなにもしないんだから、私が代わりにやらなくちゃいけないのよね。て、自業自得なんだけど。」
母「もういいからさっさとご飯食べて寝なさい。」
弥生「でもお風呂入ってさ、宿題しなくちゃいけないのよ。」
母「まゆ子さんから電話あったわよ。宿題は気にするな、学校に来たら渡すって、あんた、人に宿題頼んだの。」
弥生「なんでそういうことするかなあ、てああ、そうか。レポートだ。お母さん、このレポート私、去年書いた。三年生に頼まれて。それと同じ課題出たんだ、また。ほら、教師としてどう思う? こういった怠慢じみたことやってると、生徒の方もちゃんと対応するのよね。まゆ子の過去問データベースがね。」
母「うんもう。」

葉月「あ、ねえちゃんやっと帰ってきた。」
弥生「おお、おかえり。じゃないやただいまー。」
葉月「ねえちゃん、明日また朝から美鳥さん来るって?」
弥生「来るんじゃないかなあ。門代高校の朝講習の方に来なきゃダメなんだよほんとは、でねえ、おじいちゃん、・・・・・・・。」


 

2004/05/21


 

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