秋晴れのすばらしい日曜日、弥生ちゃんは港の見える公園に遊びに出掛けた。ふぁが、その公園でフリーマーケットがあると教えてくれたからだが、別に何か探そうとかいう気持ちは全然無かった。ふぁが自分でママレードを作って売り飛ばすというのでこれは面白いかなと付き合っただけの事だ。

 ふぁのママレードは、中に何が入っているか分かったものじゃなかったので弥生ちゃんは味見もしなかったのだが、結構な人気で午前中には売り切れてしまった。暇になった二人はてんでばらばらに出店を回って買う気のない所を見せつけて回ったが、ある爺さんの店に弥生ちゃんは引っ掛かってしまった。

 弥生ちゃんは別名「じじいごろし」と言われるくらい妙に年配の男性に受けがいい。家にちゃんとワンセットじじばばが元気に暮らしているので最近の子供にしては年寄りに対応するのに長けているからだが、それだけではない、弥生ちゃん自身の中にある妙に古風な所を年寄り達が目ざとく見つけ出す為もあるらしい。

 そこで弥生ちゃんは爺さんから古い真鍮のドアノブを売りつけられた。こんなもの買っても付ける所は無いのに、と後でふぁに不審がられたが弥生ちゃんは怯まなかった。

弥生「実はね、これ、いわくありの品物なのよ。」

ふぁ「ほう。」

弥生「聞いておどろけ。このドアノブはなんと、殺人事件の有った部屋のものなのだ。」

ふぁ「げ!」

弥生「怪しげな爺さんの語るその現場の凄まじさ、血生臭さと来たら夜中におしっこに行けなくなる恐ろしさだったわ。」

ふぁ「なにを好んでそんな不吉なモノを買ってきたんだよ。」

弥生「爺さんは言った。こういう一見不吉な由来を持つモノは、逆に金運を上昇させる効果を持っているんだと。運勢量比例の法則なんだそうだ。言われて見ればこのドアノブ、アールヌーボーを感じさせる優美な曲線を描き、巴里のあぱるとめんとの扉に彩りを添えていたかも、なんて想像も羽ばたくわ。ひょっとしたら骨董的価値も高いかもしれない。」

ふぁ「なんぼでこうた。」

弥生「五百円。」

 ふぁと語らい踊るように街を歩いていた弥生ちゃんは港の裏通りでピタと止まった。

弥生「はて。」

ふぁ「どうしたの。」

弥生「このデザイン、このあーるぬーぼを思わせる優美な曲線は。」

ふぁ「そりゃもういいよ。」

弥生「このアパートの外装の隅っこにある装飾と似ているような。」

ふぁ「へ?」

 と見上げたふぁは目の前の瀟洒なアパートの四隅を縁どるくすんだ金色の装飾に目を止めた。

ふぁ「まずい。これそうだ。」

弥生「まちがい、ない、よね。」

ふぁ「まゆ子連れてくれば良かった。多分このアパートのもんだよ、そのドアノブ。」

弥生「という事は件の殺人事件とやらはこのアパートで起ったものであると。」

ふぁ「ちょっと待て、それよりその爺さん、なんでそんなドアノブ持ってたんだ。ひょっとして。」

弥生「このドアノブは、現場に到着した警官隊がドアぶち壊して入った際にそのままダメになって、その後立ち入り禁止になってた所を、黒魔術の心得のある爺さんが闇のタリズマンとして使うため、夜中密かに侵入してぶんどってきたという。」

ふぁ「そりゃ泥棒じゃない。よくもまあそんなものを金出して買ったね。」

弥生「なんでかなあ、爺さんの話を聞いてたら、これが本来私の為にあるものだって気になったんだ。おかしいよね。」

ふぁ「それってさあ、あんた催眠術に掛けられたんじゃない。止めようよ、黒魔術なら聖だって詳しいって言ってたし志穂美なんか霊能力あるから相談して捨てようよ。」

弥生「ふふふ、さすがは不破君だ。私がこれから何するか、よーくご存じのようだね。」

ふぁ「だからさ、あんたのそのへそ曲がりの性格が利用されてるんだってばあ。」

 弥生ちゃんは吸い込まれるようにアパートに入っていった。アパートの入り口は日本では珍しい木の大扉で黒光りする板の上には、弥生ちゃんの手にあるノブと同じ装飾を施した、ノッカーが太陽の光を鈍く反射していた。

 ふぁは慌てて弥生ちゃんについて行った。が、弥生ちゃんが触れた時は羽の様に軽く開いた扉はふぁには鉛で出来ているように重く固く開くのを拒むのだった。それでもむりやりこじ開けたふぁは廊下に立ち尽くす弥生ちゃんを発見した。

ふぁ「やよいちゃん、」

弥生「見て。」

 廊下の左側に5つの扉がまっすぐ並び、それぞれに同じ真鍮のドアノブがある。どれも日頃丹念に磨かれているのか、人の手に触れているにも関らず金色に光り輝いている。

ふぁ「でも、どの扉もちゃんとドアノブがあるよ。」

弥生「それは、・・・無くなったらちゃんと修理するんじゃない。」

ふぁ「それじゃどこの扉かわかんない。」

弥生「うむ。」

 と応えて弥生ちゃんは左右に首をめぐらせた。

 彼女たちの後ろに階段があった。上に登る階段には太陽の暖かい光が射し、地下に下りる階段にはなんとなく湿気の匂いがする。

ふぁ「何考えてるか分かるけど、勝手によそのアパートをうろつき回るのはだめだよ。」

弥生「そりゃそうだ。」

 弥生ちゃんはためらわずに下へと降りる階段に進んでいった。

 おい、と引き止めるふぁを振り切って5段ほど降りた弥生ちゃんは左手の人差し指でなにかを指し示す。

 とっ、と進んで弥生ちゃんが指差す先を見たふぁは絶句した。

ふぁ「おまえなああ。」

 指の先には「管理人室」と書かれた表札がある。他の部屋とは異なる、むしろ現代的な受け付けがあった。

ふぁ「正面突破するわけー。」

弥生「勝手にうろついたらいけないんでしょ。」

 弥生ちゃんは更に3歩降りるとのぞき窓のガラスをこつこつと叩いた。

 こつこつ、こつこつと三度叩いた所で応対に男が出てきた。40代のどことなく社会からはじき出されたという印象を与える、瘠せた陰気な男だった。彼はその風貌から容易に予想される無愛想な応対をしようとしたが、弥生ちゃんは相手の出鼻をくじいて自分のペースで話をたたき込んだ。

弥生「このドアノブこちらのアパートのものです。前に私、こちらにうかがった事があってピンと来たんですが間違いありませんね。」

管理人「ちょっと見せてもらって、」

弥生「いえ、もう確認しました。間違えようがないですから。これ特注品ですよね、他のドアノブに換えるようだとお困りになるでしょう、お届けにあがりました。」

管理人「いや、それは確かにここのものには違いないようだけど、今ドアが壊れたという部屋は・・・」

弥生「どちらのお宅でしょうか。私がお届けしても良いのですが、これを入手した際、気になる事を聞きましたもので管理人さんに一応お届けしておこうと思いました。」

管理人「気になる事というのは、」

弥生「盗品です。これ。」

 ふぁは弥生ちゃんの臆する事なく畳み込んでいく弁舌に驚嘆した。弥生ちゃんはもっと柔らかく、皆の意見を全体として纏め上げていく喋りをするタイプだと思っていたのだが、いまの彼女はまるで相原志穂美のようだ。相手に逃げ道を与えないで追い込んでいく手法を弥生ちゃんが使った事は今までにはない。そんな嫌な女ではなかった。

 盗品と聞かされて管理人は逃げられなくなった。

管理人「盗品、ですか。」

弥生「正確には盗難届けが出されなければ盗品とは呼べませんが。出しますか。これ売ってた人はまだあそこに居るでしょう。」

管理人「いや、いや、それはちょっとまずい。」

弥生「だめですか。ではしかたないですね。盗まれた部屋の方にお届けいたしましょう。」

管理人「いや、私が預かって、」

弥生「ダメです。盗まれた方にちゃんとお返ししなければ。防犯上の問題点があるとお伝えしなければ。でもどの部屋かわからないから一軒一軒回るかしら。」

 弥生ちゃんはそれだけ言うとぱっとスカートをひるがえして階段を上り始めた。驚いた管理人が扉を開けて飛び出してきた。

 管理人は逆光の中、階段の途中で身体をひねって立っている弥生ちゃんを目を細めて睨み付けた。

管理人「・・・・・どこまで知ってる。」

弥生「かなり詳しく。」

 ふたりの間に漂う緊迫感にふぁは息を呑んだ。だが折れたのは管理人の方だった。

管理人「事件の起きた頃はそうやって覗きに来る奴がいっぱい居たんだ。」

 嘆息すると弥生ちゃんを追い抜いて階段を登っていった。すれ違う時にふぁも睨み付け、ふぁは身体がびくっと震えてしまった。ついで弥生ちゃんが、やったね、という感じでウインクしながら登ってきたのをあっけにとられて見送ってしまい、慌ててついて登る羽目になった。

 階段には陽の光が充満し黄金色に輝いている。わずかに舞う埃までが天使の翼がまきちらす鱗粉のように煌めいていた。三人は三階まで登った。この階段はここで行き止まりで屋上にはいけない。

管理人「本当ならこの部屋は一番見晴らしの良い部屋だったんだが。」

 階下とは異なりこの廊下は部屋が三室しかなかった。向こうには本棚や木箱を積んだバリケードがあった。

管理人「勝手に入り込む奴が多かったんだ。なにせ派手に報道されたからな。」

 と言うと管理人は打ちつけた板を剥がしてバリケードを一部通れるようにした。弥生ちゃんとふぁは植木の台のようなものを乗り越えて入っていった。

 行き止まり、では無くその先には屋上に向かう非常階段への扉が有った。弥生ちゃんの左手には、ノブの無い扉がある。

管理人「二十年前からこのままだ。捜査が長引いて現状に復旧する事が保留されていたのがずるずると、オーナーもやる気なくして。お化け屋敷だとかいう評判も立ってテレビ局が取材に来る事あったんだがそろそろ潮時か。」

 というとノブのあった穴に手を入れて、器用に扉を開けた。

管理人「なにも無いんだよ。血痕ももう残ってないし。」

 弥生ちゃんとふぁが部屋に入ったが、中には埃が積もった床があるだけだった。窓にも板が打ちつけてあるが窓が開かないようにしているだけで西日が十分に差し込んでいる。板の隙間から何条も差し込む光のコントラストで二人は目が眩んでしまった。

管理人「そこの隅に女が倒れていたんだ。鎌で喉を切られていて血が池みたいに溜まってて、目も抉られていたのかな。

  もう一人、こっちの台所の前に俯せに倒れていた。これはここの住人じゃなくてその友達だったんだが、後ろからやっぱり鎌で刺されて死んでた。刺さったままだったな。

 ここを借りてたのは金持ちのボンボンだったんだが悪い仲間に部屋ごと取られた形になって女を何人も連れ込んで誰が住んでいるのかわからない様になっててね、その中のひとりに男を取られたって女が半狂乱になって押し込んできて、これだ。

  男は、そこだな。入り口の前で30ヶ所くらい包丁で刺されてた。二つの死体が転がる部屋で十二時間待ち伏せしてたんだ。廊下にまで血が流れ出て、俺は足滑らせて転んでね、で血まみれになって警察に容疑者としてしょっぴかれたんだよ。」

 何もない部屋で、むしろ懐かしさを込めて惨状を語る管理人の言葉がふぁの耳をすり抜けていった。彼女にはそれがまるでおとぎ話のように実感の無いものに聞こえた。この管理人の人生にはこの殺人事件以外は特筆すべき事が無いのかも知れない、と思った。弥生ちゃんはきょろきょろと周囲を見渡して何かを探している。だがちょうどいい場所が見つからなかったと見えて足元に、持っていたドアノブを置いた。

 部屋の中でただ一つ、磨かれたドアノブだけが時間を越えて過去の惨劇が本当に有ったと主張しているように見えた。

 

 

 白い光の中、弥生ちゃんは目を覚ました。

 前夜妙に疲れて10時には床に就いた弥生ちゃんは深い眠りの中に落ちた。だが、朝を迎えても身体の芯はまだ気怠さを覚えていた。いつもの自分でないと感じながらも朝の準備を進める弥生ちゃんは、目は冴えていても夢をさまよっているようだった。

 いつもより遅い朝食になった。朝講習に行く弥生ちゃんは普段なら7時には家を出るが、今日は家族みんなと食事を摂る事になった。新鮮な気もするが同時に自分がいない世界に放り込まれたようにも感じられる。まるで現実感が無い。

 ひょっとして昨日という日が無かったのではないかとも思えてきた。昨日の出来事は夢の中、今日は昨日のやり直し。

 味つけ海苔をそのままバリバリとかじる。漬け物をかじる。みそ汁を飲む。御飯を口に運ぶ。咀嚼する自分の口の音が現実よりもリアルに響き、モノを食べるというより異物が身体に入っていくという気持ちがした。

 目の前で話をする家族の声がとても遠くに聞こえる。世界の中にひとりだけ取り残されたように感じられる。そしてテレビの音が聞こえてきた。

 誰も見ていないテレビを弥生ちゃんだけが見つめている。朝の光が翳を生み、白く輝くテレビ画面が浮き上がる。

 ヘリコプターで空撮されたその映像にはたくさんの警察車両がならんでおり、中心には昨日訪れたアパートが映っている。調子の外れたレポーターの声が連続殺人を叫んでいる。

 弥生ちゃんはずっとみそ汁を啜った。

 

 

「本当だったら。」

 弥生ちゃんは言った。

弥生「本当よ。殺人現場に行ったのよ、私達。昨日。」

 ここは「外教」、旧小講堂で体育の時間、雨が降って外で運動できない時などに急に保健の授業が行われたりする古い木造の建物だ。二階はかっては体育教官室になっていたが現在では閉鎖されている。床が抜けるかもしれないからだ。

 この場所はよく運動部がミーティングに使っている。当然ウエンディズも使っている。ウエンディズは生徒会から正式な部活動と認められてはいないが、生徒会副会長は蒲生弥生その人である。

 弥生ちゃんとふぁは学校に行っても身体がうずいてとどまらず、思い余って昼休みにウエンディズ全員を招集して打ち明けたのだった。

弥生「このアパートは二十年前にも殺人事件があったのよ。私達昨日その部屋に入った。でもそれが、今日になって同じ部屋で殺人が繰り返されるなんて。」

ふぁ「そうそう。そうなんだ。私達が見たあの部屋で、なんにも無かったんだけど、私達がむりやり開けさせて、だから、かな? やよいちゃん。」

 ふぁが頼りなさげに弥生ちゃんに尋ねた。自分達のせいで封印されていた兇暴な運命が動き出したのだろうかと朝から落ち着かなかった。この際弥生ちゃんがその相棒というのは心強い。弥生ちゃんは決して挫ける事の無い女だからだ。

弥生「だいじょうぶよ。なんにも無い。なんにも無かったんだから。」

 弥生ちゃんもふぁを強く支えた。自分も、求められる役割をちゃんと果たしている限り、強く立っていられる。立っていなければならないのだ。

 だが目の前に座っている他のメンバーは怪訝な顔をするばかりだった。

じゅえる「弥生ちゃん、話が見えないんだけど。」

 困惑してじゅえるが尋ねた。弥生ちゃんは、関係のない彼女達ではこの感触を共感できないかと嘆息した。

じゅえる「殺人事件て、どこ?」

弥生「どこって港の近くの裏通りよ。倉庫街じゃないよ。観光風致地区の方。」

 だがじゅえるはまゆ子と顔を見合わせて不審がるばかりだった。

まゆ子「弥生ちゃん、その殺人事件っていつの事?」

弥生「今日だよ。今朝テレビでやってたでしょ。ねえ、ふぁ。」

ふぁ「うん。パトカーがいっぱい止まってへりが飛んで、やじうまがいっぱい来ててどのチャンネルでもやってたじゃない。見てないの?」

まゆ子じゅえる「うん。」

ふぁ「うそおー。」

 ちょっとおどけたように言ってみたが、案に相違して誰も賛同してくれなかった。

 志穂美は言った。

志穂美「今朝は朝7時45分から8時18分までテレビを見てたけど日本全国平穏無事。二股の大根を映していた。殺人事件なんて無い。」

 志穂美は低血圧で朝講習は出てこない。自然朝も遅くテレビもちゃんと見ている。断言するその迫力に弥生ちゃんは違和感を覚えた。

弥生「民放だけじゃないよ、NHKもだよ。」

志穂美「全局見た。殺人事件は報道していない。第一朝からパトカーなんて走ってないしヘリも飛んでない。そんな音も聞いてない。」

 思わず顔を見合わせたふぁと弥生ちゃんはそのまままゆ子の顔を見た。彼女も表情で否定している。弥生ちゃんは足元が溶けて流れ出す気がした。

弥生「音は、・・・・・・・ヘリの音は、私も、聞いていない。」

ふぁ「うそだ、うそだあ。あたしちゃんと見たよ。繰り返し見たんだから。寝ぼけてなんか無い。」

 いきなり怒り出したように叫ぶふぁをなだめるように、穏やかな声がした。

しるく「二十年前だったかしら、その殺人事件。弥生ちゃん、それも本当なの。」

弥生「え?」

 虚を衝かれて弥生ちゃんは絶句した。よく考えるとそんな事件は昨日初めて聞いたのだ。本当かどうか確かめてもいない。だが、フリーマーケットの爺さんは、いや殺人現場の管理人は確かに、・・・・・。

 「ふん。ふん。ふんふんふん。はい! 弥生ちゃん。」

 聖に耳打ちされていた明美が大きく手を挙げた。

明美「聖ちゃんが言う事には、この近辺の過去三十年間で三人以上が死んだ殺人事件は一件のみで、それもアパートじゃなくて河原なんだって。全部男だって。」

弥生ふぁ「そんなばかな。」

 弥生ちゃんもふぁも自分の立っている所がどこかわからなくなった。自分たちが正しくないとしたら、昨日の体験は、だがあの現実感は幻とはとても思えない。

志穂美「確かめてみるしかないようだ。」

 と志穂美は立ち上がり、外教を出ていった。まゆ子とじゅえるも弥生ちゃんの顔を見ながら続いて行った。弥生ちゃんは言った。

弥生「本当だったら。本当に私達アパートに行ったんだったら。」

 そう叫ぶと弥生ちゃんもふぁも外教を飛び出した。結局全員が真相を確かめにいく事になった。明美は言った。

「あの、ところで皆さん。午後の授業はどうするつもり。」

 

 門白高校から商店街、駅前、そして港の所まで下りてきたウエンディズはただの一台もパトカーを見なかった。警官もマスコミもやじうまも無く、平穏無事ないつもの一日だった。違うのは昼飯後という中途半端な時間帯に女子高生である彼女達が群れているだけだ。

 念の為道行く人に尋ねてみたが誰も殺人事件を知らない。ついでに商店街の不破酒店に行ってふぁのお父さんに20年前の殺人事件を知っているかと尋ねてみたが、これもやっぱり記憶になかった。学校のある平日の真っ昼間にいきなりフルメンバーが店先に現れても不審がられなかったのは、これは弥生ちゃんの人徳の為せる技だ。

 だが弥生ちゃんの不安はどんどん現実化していった。ふぁはおもわず弥生ちゃんの手を握ってしまった。そして答は圧倒的な現実として彼女達の前に現れる。

ふぁ「あれええーーーーー。」

弥生「そんなことって!」

 思わず叫ばすにはいられない。昨日訪れたアパートがそこには無かった。いや、アパート自体はあったのだが昨日とは趣が違う。アパートの装飾がアールヌーボー調ではなく、安物サイディングろここ調になっていた。確かに似てはいる。が全くの偽物だ。大扉も無くごくありふれた当たり前のエントランスになっている。中に入ると扉の並びは似ているが真鍮のドアノブなんか使ってなかった。

 弥生ちゃんとふぁのふたりは階段を駆け上がった。五階まで上れた。バリケードなんか無かった。屋上にも出れる。港から吹いてくる潮風の中、衛星放送のアンテナの姿が二人を現実に突き落とした。

まゆ子「ここで間違いないわけね。」

弥生「ここで無かったら、ここ以外無い。」

ふぁ「なんでえ、そんな事あるはずがないじゃない。」

 だが二人は勢い込んで言った。

「この人だこの人だ、間違い無い。」

 管理人室を訪れて出てきた男に二人は言った。確かに昨日会った管理人だった。だが、

管理人「殺人事件なんて人聞きの悪い。」

 と早々に二人を追い返してしまった。

ふぁ「なんで、なんで知らんふりするのよ。」

 弥生ちゃんは今や認めなければならなかった。

弥生「まるでキツネにつままれたみたい。」

 跪く弥生ちゃんの前に志穂美がしゃがみ込んだ。

志穂美「してそのドアノブを売ったという爺いはどこに。」

 

 公園に爺さんはいた。フリーマーケットは昨日で終わっていたが、地面にシートを敷いてまたがらくたを並べている。

弥生ふぁ「あーーーーーーーーーっ! なんでこれがこんなとこに!!!」

 シートの上には昨日、弥生ちゃんが買ってアパートに安置してきたあの真鍮のドアノブがある。

弥生「なんで、なんでこれがあるんだよ、爺さん。説明して。」

爺さん「ははは、これは昨日のお客さん。なにか問題でも。でも返品はお断りだよ。」

 だが爺さんの目は笑っていなかった。いや、笑えなかった。志穂美が恐い目で睨み付けていたからだ。志穂美の視線は爺さんの全身を凄い圧力で締め上げている。

弥生「これ、このドアノブ! 私が買ったものがなんでここにあるのよ。」

爺さん「昨日はいくらだったかな。500円、なるほど500円分の仕事をしたから戻ってきたという事だな。」

 爺さんは志穂美を見ないように弥生に応対した。

弥生「じゃあ、じゃあコレもう一回買い戻すとしたら幾らなのよ。」

爺さん「はは、そうだな、今日は5000円くらいかな。」

弥生ふぁ「き、きたねーーーーー。」

 憤るふぁと弥生ちゃんの側に志穂美が静かにしゃがみ込んだ。強烈なオーラが全身から発散している。爺さんは思わず顔を背けた。志穂美が指差した。

志穂美「爺い、これはいくらだ。」

 志穂美の指の先には一本の玄能があった。黒い錆びの浮いた、最後に使ったのは戦後すぐではないかと思わせる年代物だ。爺さんは言った。

爺さん「それは、300円だ。」

志穂美「買った!」

 と言うが早いか百円玉を投げ出して玄能をひっつかんだ志穂美は、そのまま肩の後ろまで振りかぶると、例のドアノブの上に打ちつけた。

ふぁ「ひっ。」

弥生「しほみ、・・・・・。」

 だが志穂美は玄能を何度も何度も振り下ろした。見る見るうちにドアノブは何がなんだかわからないものに変っていく。誰も志穂美を止められなかった。そして。

 しるくが柔らかく志穂美の肩に手を置いて、やっと志穂美は玄能を止めた。弥生ちゃんは我に返って爺さんの顔を見上げた。

弥生「ごめんなさい、爺さん。わたし、!」

 

 だがそこで彼女達が見たものは。

 

 

End

2000/10/19/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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