「外教」とは、そとにある教室の略だ。
門代高校のグラウンドの脇にある木造の旧小講堂で、現在は雨天の時体育の授業で保健体育をするか、運動部のミーティングで使ったりしている。
二階は元は体育教官室であったが、今ではいつ床が抜けるか分からないので立ち入り禁止とされる。二階に上がる階段は、最初は左右にあったのだが現在では校舎側のものだけが残っていて反対側はまったく撤去され、出入り口の扉だけが空中にあるというなかなかキッチュな趣を見せており、門代高校の名物の一つとして親しまれている。
外教は使用するに特別な許可は要らない。というか、外から中の様子がまる見えで、おまけにグラウンドからボールがしばしば飛んできて窓ガラスも2割方割れ、中に門代高校名物のグラウンド砂嵐が吹き込んでくるという有り様では、使いたがる者が居ないのも致し方ない。
一応は講堂であり演台があるので、演劇部は毎年新部長の発案でここでの練習を試みるが、上から何か落っこちてきそうな風情があるので早々に撤収するのが風物詩となっている。
この演台でびびらない者といえば、蒲生弥生くらいのものだ!
ちなみに外教の隣は食堂である。購買部も兼ねていてパンを買うのに校舎からずいぶんと離れているので生徒は非常な困難を強いられている。この食堂で供される水っぽいカレーは、これも歴代OBに語り継がれる門代高校の名物の一つだ。
さて、本日はウエンディズ会議の日だったりする。
通常ウエンディズは会議は空いている教室で行うが、今日は未だ補習をしているクラスがあった為、外教でする事となった。中学生で門代高校の生徒ではない鳴海ちゃんを除いてメンバーは集合した。まだなのは両明美だけであるが学校に居る事は確認されているので、弥生ちゃんは静かに待っている。
他のメンバーも弥生ちゃんに倣って無言で席に着いていた。
こういう状況下では弥生ちゃんはよく特殊な訓練をする。いきなり状況を設定しての模擬演習を発動して、突発的事態に対応する訓練とするのだ。突然馬に乗ったインディアンが襲って来た場合とか、ナチスが防毒マスクを装着して手榴弾を棍棒代わりに殴り込んできた、とかの想定すら不可能なシチュエーションでの戦闘訓練を強いられる。
インディアンが襲ってきた時の演習結果は、弥生ちゃんの判定では「全員死亡」であり、後で対騎馬の特訓を課された事を全員昨日の事のように覚えている。常時上に向かって武器を構えるあの訓練は、かなり辛かった・・・・・。
弥生ちゃんは瞑想している。ウエンディズの隊士たちが息を呑んで注目する中、弥生ちゃんの気合いが徐々に高まっていく。いや、見るからに気力が集まっていき、圧力を高め、今にも爆発しそうだと彼女達は感じた。そして、
弥生ちゃんは目を開いた。厳かに宣言する。
「状況、・・・・・獏!」
全員、ばと席を立って教室の内周に散開した。これはウエンディズ戦闘フォーメーション’α’「各自安全を確保、戦闘体勢、状況確認、司令部確認、戦闘指令が出るまで各自対処」を行う体勢である。
しかし、
ふぁ「ばくぅーーーーー!!!」
まゆ子「獏って、そんな。」
じゅえる「獏ってどんなの、ねえ、どんなのよ。」
志穂美「まゆ子、ぶっ殺していいのか。」
まゆ子「え、いや、ちょっと待って。」
しるく「まゆ子さん、獏の戦闘力ってどのくらい。」
ふぁ「そもそも獏ってどんな大きさなんだあー。」
聖「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!」
弥生ちゃんはじっと左手の腕時計を見つめている。この時計は弥生ちゃんが中学校に上がる時に祖父から戴いた大切な時計だ。右往左往するメンバーを尻目に、秒針は刻々と進んでいく。そして一分が経過した。
弥生ちゃんは右手を上げて宣言した。
「状況終了。獏は逃げた。」
全員がっくりと肩を下ろす。失敗だ。だが、
ふぁ「やよいちゃん! 獏なんてどうすればいいのよ。」
じゅえる「大体獏なんて動物園にも居るかどうかわかんないような珍獣じゃない。そんなのがいきなり出現するなんて、非常識すぎるわよ。」
志穂美「殺してよかったんだろ。獏って、角が生えてるんだろ。」
まゆ子「いや、角は、本物の獏には生えてないと思うんだけど。」
弥生ちゃんは右の掌で皆を抑えて言った。
弥生「獏は貴重な動物だ。傷つけてはいけない。」
まゆ子「ほら。」
志穂美「う、」
弥生「獏は貴重な動物だ。怒らせたりおびえさせてはいけない。」
じゅえる「あうーーー。」
弥生「獏は貴重な動物だ。逃がしてはいけない。よって正解は。」
弥生ちゃんは右膝をきゅっと持ち上げてしばらく片足でバランスを取ると、傍らの机を蹴飛ばした。戦後すぐの頃に使ってたんじゃないかと思われるぼろぼろの木の机は、砂で滑りずりずりと床を引っ掻いて外教の入り口を塞いだ。
弥生「獏を閉じ込めちゃう。」
しるくは天を仰いでため息をついた。
しるく「はあーーーーーーー。だめだわ、わたくし。」
弥生「今回のミッションはバリケードをいかに速やかに構築するかにあったわけね。最近私達は過剰に戦闘的な行動が多かったから、逆に防衛的な対処には柔軟性が欠けてるのよ。じゃあ、いいわね。今度みんなでバリケード構築演習をしましょう。」
明るく解説する弥生ちゃんに、全員うつむいてしまった。バリケード構築といえば、そりゃ当然力仕事だろう。日差しも強くなってきているというのに、何の因果でそんな目に遇わなければならないのか。
そこへ明美二号がよろよろと転がり込んできた。
明美「遅れて済みませーん、キャプテン。」
弥生ちゃんは二号の顔を見て首を傾げた。
弥生「顔色が悪いよ。変なものでも食べたの。」
明美「いえ、ちょっと昨日寝てないもので。」
じゅえる「なーに、なんか心配事でも有るの。」
二号は首をめぐらせて全員をじーっと眺めた。その目は明らかに充血しており、常の叩いても死にそうにない様子とは完全に違う精神状態を表わしていた。
明美「お兄ちゃんが帰ってきたんです。連休中。」
じゅえる「よかったじゃない。あの大学生っておにいさんね。」
明美「帰ってきたのはよかったんですけど、明美先輩が私の家の近所で道に迷っていて、で、それを見つけたお兄ちゃんが私と間違えて先輩を家まで連れてきて、私が帰ってみるとなんか二人の感じが、なんというかいい雰囲気というか慣れてるようなというか、私の知らないおにいちゃんのような、ひょっとして私邪魔なんじゃないかとか、先輩は私じゃないんだからそんな事までしないでとか、」
ふぁ「ふむ。」
明美「このまま二人が出来ちゃって結婚とかになっちゃったりしたら私どうしようかとか考えちゃって、あのいえ、明美先輩は好きなんですけど、でも同じ顔をした人がおねえさんとかになっちゃったらどうしたらいいのかなんて、・・・・変、ですか。」
弥生ちゃんはかかかと三回笑って二号に向き直って言った。
弥生「笑い事じゃないね。」
明美「そうなんですー、笑い事じゃないんですー。」
しるく「まあ、なにか素敵なお話しね。」
まゆ子「いや、しるく、これは素敵かどうかは、本人にしてみればちょっとってなもんで。」
じゅえる「なにー、あんたのおにいさんって、まさかシスコンとか。」
明美「いえ、いええ! そんな事まったく無いんですけど、まったく無かったんですけど、というか今でも全然そんな事ないんですけど。」
じゅえる「ふーーん。下手によく出来た妹よりも、ドジでのろまなカメの妹の方が保護欲求をそそるってものかも知れないね。」
まゆ子「そういう考え方は、ありかもしれないねえ。どっちにしても年下は変わらないんだから。」
明美「いやあ、そんなのはやですー。」
弥生「ちょっと隠微な感じがするね。」
しるく「うふふふ。」
明美「やああーーーーーーー。」
あんまりいじめるのも可哀想なので志穂美が、珍しく助け船を出した。
志穂美「でも明美には誰か好きだって言ってた男がいなかったか。」
じゅえる「あ、そうねえ。たしかサッカー部のキーパーの奥村クン、だったっけか。」
弥生「ああ、あの、あんまりぱっとしない。」
門代高校サッカー部は、ダメである。八人しか居らずメンバー足りないってのだから、万年一回戦負けしている野球部よりダメだ。
これは学校としての方針の為である。サッカーに注目がいっている現在、むしろラグビーに才能を結集したら結構成果が望めるというので、本来サッカー部に来るような人材がラグビー部に半強制的に取り込まれているのだ。この方針はかなり成功していて、門代高校の運動部としては例外的にラグビー部は活躍している。
つまり、サッカー部はカスばっかりな訳で、揮わないのは仕方がない。顧問の影響力の差を恨むばかりである。
そのサッカー部でもぱっとしない奥村クンだが、ぱっとしない割には人気はある。不器用で口数も少ないのだが、却ってそこに幻想が発達する余地があるらしく、また競争率の低さも魅力の一つなのだ、という。
じゅえるの説明を聞いても弥生ちゃんやしるくにはよく分からなかった。が、二号には福音の鐘の音に聞こえたらしい。
明美「そうなんですか、なんだ、そうか、ちゃんと明美先輩には好きな人が。」
そこへ、外のバケツに蹴つまずく騒々しい音を立てて、明美一号が飛び込んできた。血相を変えている。
明美「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ。」
ふぁ「なんなんだ、一体。」
明美「聞いて聞いて聞いて聞いて、奥村君一年の女と付き合ってるってーーーーー。」
と言うが早いかビーと泣き喚いて手近の机を蹴飛ばし、古い木製の重たい机であったからその反動で明美本人が吹き飛ばされ、後ろの柱にぶつかりガラス戸を振動させるとくるくる回って砂だらけの床面に着地した。あまりに見事な狼狽ぶりに聖はビデオに撮って保存しておきたかったと思った程だ。
弥生「奥村クンって、サッカー部の、キーパーの。」
明美「そうなの、一年のくさかべってのと一緒に帰ってる所保奈美が見たって言ってたの。」
ふぁ「そんだけ?」
明美「そんだけあればじゅうぶんだよー。」
というや、またそこら中にぶつかって何度も弾き返されながらふらふらと外教を出ていった。ウエンディズ会議の事はとっくに頭から飛んでいるようだ。
どたばたと去っていく明美一号を見送ったメンバーは、同時に思い出したかのように二号の方へ振り返った。明美二号は衝撃に打ちのめされ見るも無残な有り様だった。
明美「もう、だめだ。」
まゆ子「くさかべって子、知ってる。」
明美「わたしらの間では「らむちゃん」で通ってる女です。」
弥生「ラムちゃん?」
ふぁ「似てるのか? 空を飛ぶとかビキニでうろつくとか。」
明美「髪は長いんですが、飛んだり跳ねたり角が生えてたりはしません。黒板消し掃除機を雑巾で水拭きして感電した事があるんです。」
弥生「ああ。」
明美「せんぱい、わたしはどおしたらいいでしょうか。」
弥生「ええええー、こまったな。」
だが、腕を組んで顎に指を当てて何事か考えていたじゅえるは、その場にふさわしくない明晰な口調でその問いに答えた。
じゅえる「これはチャンスよ。」
明美「え、」
じゅえる「あなた、明美とうり二つじゃない。そのらむちゃん女から奥村クンを取り上げて、で一号と入れ代わったら万事解決! これは神があなたに与える最後のチャンスだわ。」
明美「チャンス、そう、ですか、ね。」
ふぁ「首尾よく行ったら、後で見たらそう風に見えるかもね。」
しるく「まあ、まるでスパイ映画みたいだわ。面白そう。」
まゆ子「そりゃあ面白いけれど、うまくいくかな。」
志穂美「うまく行かなくても、二人の仲をぶっ壊せばいいだけの話だ。損はしない。」
明美「損はしない・・・、そうか!」
弥生「そうだね、成功しなくても奥村クンがフリーに戻ればいいだけだもん。」
二号はびしっと気合いを入れ直し、木の椅子を弾き飛ばして立ち上がった。倒れた椅子が床に落ち、外教全体に響き渡る音を立てた。
明美「ありがとうございました。じゃあさっそく私、ぶち壊してきます。早退お願いします。」
弥生「許可する。」
ふぁ「がんばれよおー。」
明美「はぁいーーーーーーー。」
勢い込んで明美一号と同じように柱にぶつかりながら出て行く二号を見送って、聖は言った。
聖「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
弥生「え、なに、一号とおなじように二号も奥村クンを好きになって、両方とも振られたらどうしようって?」
じゅえる「同じような二人だから、おんなじようになる確率は、はは、小さくないね。」
しるく「二号さん、また夜眠れなくなってしまうわ。」
聖「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」(笑)
聖が初めて言った冗談に皆一斉に笑った。
座ぶとん二枚級の出来だと芸能にうるさい志穂美も評価してくれた。
その後両明美がどうなったかは、今は語らずにおこう。
2001/05/28
まゆ子「ところで弥生ちゃん、会議ってなんだったの。何か重要な用があったんじゃない?」
弥生「あ、うん。私達、進級する事は無くなったの。また、シリーズ延長よ。」
全員「げげげー。なんでーー。」
しるく「新一年生の設定も用意しているのに、どうして。」
弥生「う、ん。簡単に言うとね、このメンバーで十分保つって事なのね。このメンバーでやらなければいけないお話のストックがまだいっぱい残ってるの。」
弥生「それに、正直言うと、明美二号がこんなに活躍するとは当初考えもしなかったのね。メンバーを増強しててこ入れする必要がまったく無いのよ。」
志穂美「頑張ってるのだな、あの娘も。」
じゅえる「いたしかた、ないか。」
まゆ子「まあまあ。志穂美ー、鳴海ちゃんもまだ活躍し足らないんだし、これからって事でいいんじゃない。」
弥生「そうだね。じゃあ次は鳴海ちゃんの主役でいこうか。」
ふぁ「うんうん。そうしよう。最近ご無沙汰だったし、喜ぶよ。」
志穂美「みんな、ありがとう。」
しるく「うふふ、うふふ。」
弥生「あはははは。」
皆笑