統則最前線

 国会議員蒲生弥生の特別な依頼を受けて、小学校教諭相原志穂美(27)は行動を開始した。
「弥生ちゃんは相変わらず妙な事に首を突っ込む。」
と、志穂美は独り言で感想を洩らしたが、だからといって依頼を拒否するつもりは全く無い。蒲生弥生という人が無駄なことに他人を巻き込む道理が無いからだ。いや、最終的に無駄になるのは構わない。重要なのは経過でありいかに世界に関与するかで、結果を求めるのならば弥生ちゃんが既に放っているだろう二の矢三の矢でどうとでもなるのだ。一の矢である自分は精々やりたいようにやらせてもらおう。無論、本業に差し支えない範囲で。

 依頼の内容はかなりおおざっぱなものだった。
「あんたの住んでいるとこで、なにか怪しげな仕掛けが動いているらしい。警察のロボット関係に注意して探ってみて。」

 流れ流れて、と言っても大学を選んだら自動的にそうなったのだが、相原志穂美は現在廣嶋中核市内の小学校で教鞭を取っている。中国地方五県をまとめた中国州、事実上は四国州と合わせての経済圏の中心となる行政首都であるここは、また一方で両州を守る治安上の要所でもある。
 地球温暖化に伴う海面上昇と同時に崩壊した中国経済が外部に送り出す大量の難民は、世界同時紛争のひとつ太平洋諸島戦争を引き起こした。戦争集結から10年、現在は難民の流出は収まっているが日本全土で500万人を越えて定住する事になっている。急速に流入した難民でありまた現在はロボットの導入で単純労働の雇用が激減しているから、彼等はなにをするでもなくただ各所の難民キャンプ内でアテの無い中国本土送還を待っている。たぶんそんな日は遂に来ることは無く、最終的には日本国民として同化せざるを得ないのだろうが、現在はその過渡期としてかなり不安定な状況にあり、難民キャンプ内の自治権を巡って難民同士が抗争を繰り広げている。
 廣嶋中核市でも、旧広島市南部に自然発生的に成立した難民キャンプをフェンスで囲み、海上に居住区を造成して30万人を収容している。中四国州では最大規模の難民居住区だ。大阪以西でこれを凌ぐのはすべて九州にあり五つの居住区で200万人を受け持っている。旧広島市の難民居住区は、九州の居住区から不法に脱出して移って来る難民が最初に身を寄せるので、本州の関門としての役割を持っている。当然警察力も増強されており、半分軍隊と呼べるほどの装備ももっており、中でも遠隔操縦のロボットを利用した機動部隊の活躍はよく知られている。

「まずは、うちのクラスの土器るぴかの母親から当たってみる羽目になるだろうね。弥生ちゃんのことだから当然私の担任する生徒も調査済みだろう。」

 相原志穂美は身長169センチ、細身ではあるが刀のようにしまった筋肉の整えられた身体を持っている。中学時代は陸上部で短距離を走っていたが高校に上がって後は、蒲生弥生が主催する特殊な武術集団に所属して日夜対術に研鑽を積み、半分は彼女の私兵のような感じとなって数々の武勇伝を重ねている。戦争中のことで国内治安も悪化した時であったから出番に事欠かず母校の生徒達の安全確保に尽力し、志穂美も大いに活躍した。卒業は2047年だから戦争には間に合わなかったのだが、志穂美の同級生の中にも何人かは国軍に入隊した者も居る。キャプテンであった蒲生弥生は非常に政治的志向の強い人間で、当然のように東京大学に入学しそのまままっすぐ中央省庁に進み、現在はあっさりと衆議院議員となり一期目を忙しく過ごしている。
 志穂美はそんな大所高所に立つ柄ではないから、身近な自分に出来る範囲の事で最大限の努力をしようと、戦後さらに不安を増した国内治安の中、子供たちを守ろうと教師の路を選んだ。だがそれもやはり、なにがなんでも世の中の役に立つ、という蒲生弥生の気質に影響を強く受けた為なのであろう。後悔は無いが、めんどうな人と関り合いを持ってしまったなあ、という感慨はある。だが志穂美を知る人は皆、弥生ちゃんはよくあんな物騒な人を良導したなあ、と感心しているのだが、当の本人たる志穂美はそんなことには気がつかない。

 現在小学校で3年2組を受け持つ志穂美には、クラスの中に一人警察関係者を母親に持つ生徒を抱えている。
 土器るぴか、「かわらけ」という苗字も「るぴか」という名も妙な女の子だが、2050年代ではむしろ志穂美のような20世紀風の名前こそ珍しい。「たま」や「ぽち」は普通で、「ばくれつ」「ちゃれんじゃー」「えろいむえっさいむ」といった怪しい名を持つ子も、なんのコンプレックスを持たずに仲良く皆で遊んでいる。
 土器るぴかの母親が、警察のロボット隊に所属しているわけだ。年齢は31歳。志穂美達よりも一段上の世代、現在では「戦争世代」と呼ばれる年齢層だ。彼女自身も日本国軍海上戦力部隊に所属して南方戦線で遠隔ロボットの操作員として太平洋上の島々を転戦し、終戦間近で戦傷を負ってリタイア。その後回復してからは警察に移って軍で覚えたロボット操作技術を使って治安維持に貢献している、というのが志穂美の理解するところである。名は土器能登子、出身地は石川県と思われるがそこまでは聞いていない。父親は居ない。離婚ではなく、元から結婚していないシングルマザーだ。

「ロボット関係といい、わたしの所に言ってくるからには、彼女が問題に違いない。が、直接尋ねてみてもなにも言わないだろ。まして、警察内部でなにか重大事が起きているというのならば、わたしの手に負えるものじゃない。」
 長年付き合って来たから、志穂美は蒲生弥生という人のモノの考え方を熟知している。志穂美自身も相当なものだが、弥生ちゃんという人はまさしく天下の奇人である。権力志向の強い人間ならば総理大臣になって何か歴史に名の残る事を、と考えるだろうが、弥生ちゃんはそうではない。総理大臣になるのはただのワンステップで、日本のチカラを存分に発揮して温暖化と海面上昇と難民流出で昏迷する世界情勢に明るい希望の火を灯そう、という事を考えている。もっと大胆に言えば、21世紀の救世主に成る気なのだ。細かいことなどは気にしない。
 故に、志穂美が動くべきは行政・警察関係に直接アクセスすることではなく、もっと大きな枠組みで何事か起るのを察知し善処する事を要求している。

「あ、そうか。わたしの身が危ないのだな。土器るぴかとその母親を巡って何事か起る。当然それはわたしにも影響をして、それはたぶん、かなり危険を伴う・・・。なるほど、そうなる前にこちらから撃って出ろ、というはなしなんだ。なるほど。」
 相原志穂美は高校時代、蒲生弥生の私兵集団においてはフロント、正面で敵を叩く役を受け持っていた。苛烈、激烈、峻烈という形容詞こそが志穂美に捧げられた。守勢にも強いのだが本質的に攻撃型の性格である。撃って出ろ、というのならば願ったり叶ったり、早速に行動を開始する。

「まずは下調べ。警察の内部情報なんて知らないし、敵はたぶん警察内部には居ないだろうし、弥生ちゃんがどの筋から情報を入手したのかが分かれば狙いも正体も見えて来るだろう。うん。」
 志穂美は電話を取って仮想ディスプレイを立ち上げた。三次元立体映像で映し出される名簿から、かっての仲間を呼び出した。相手の留守番AIの応対に、知りたい事だけを矢継ぎ早に語り掛ける。
「ひょっとしてウエンディズ関係だけではなく、厭兵術の方、いや天狗道の方にも手を回した方がいいかな?」
 相原志穂美は小学校の教諭としては優秀である。文句を付ける隙も無い立派で威厳のある女教師であるが、それを成り立たせる為のバックボーンはかなり複雑な交友関係にあった。


第一章 女教師、暗夜の陰謀に立ち上がる

「土器さん、聞きましたー? あの例の、監察官とか査察官とかいう人のはなしですけど。」
 統則ロボット隊市内緊急展開班に所属する土器能登子巡査長、階級は低いが特殊な資格を有している為に隊長級となる、は廣嶋中核市中央警備センターの特殊車両整備所にあるオフィスに居た。市内緊急展開隊とは、遠隔操縦ロボットを用いて市内に発生する重武装犯罪に対処する部署であり、広島湾内のロボット臨検班、機動隊の治安出動班との三本柱で州首都の平和を守っている。

 土器能登子(31)は警察に奉職する身ではあるが、生っ粋の警察官ではない。正規の警察官教育をすっ飛ばして、統則ロボットオペレーターの教育係としてヘッドハンティングされてこの部署にある。戦時中に急速に発達した遠隔操縦ロボットの一種、統則ロボットは極めて優れた機動性を持つがそれゆえに扱いも難しく、実際に戦場でこれを駆使していた人材は軍関係のみならず警察や公安、海上警備、要人警護と様々な分野から引く手数多である。が、やはり特別な才能が無いと十分には使いこなせない。ロボットであるからには半自動でもミッションをこなせるのだが、これを手足のように扱うのは戦時中でもオペレーター100人中3人がいいところだった。人を殺すだけならばフルオートでも可能だが、人質や民間人の中からゲリラだけを狙撃する、あるいは拘束するという高度な任務になると途端に遂行可能なオペレーターは激減する。その数少ない人材の一人が、土器能登子だった。

「監察官じゃないよ、あのヒト。統則ロボット隊の研究員だ。システム工学の観点から警察内部の統則ロボット運用状況を鑑定に来たんだよ。どこの州の中核警察でも、統則ロボット隊は泥縄式に立ち上げられたものだからね、ここらで効率的に再配置を考えるのが筋でしょう。気にしない。」
 能登子は部下の嵐山どろっぷ(20)にそう言い聞かせた。彼女は警察に採用され訓練を受ける当初から統則ロボットオペレーターを志望した最初の世代の一人だ。背は低く、採用基準ぎりぎりの155センチ。妙なもので、統則ロボットオペレーターに志願するのは皆、背の低い婦警ばかりだ。無論、男子の警官は人手不足の中、全員がまず外勤に回されるという事情もあるが、100%女子というのも不可解だ。

「それはあれですよ。イモタコナンキンは江戸の昔から婦女子の好む所だと、相場は決まってるのです。」
 もう一人のオペレーター、蔡典子(22)がそう言って能登子をなだめる。女子ばかりがオペレーター候補生になると心配しているのは、能登子の生徒の第一期生である彼女が一番よく知っている。
 土器能登子は当初教育係として採用されたのだが、統則ロボットを使える人材がほぼゼロであったから自然と自分で操縦する事になり、結局は実績がものを言って隊長級に昇格してしまった。もう人は殺さない、と娘に言って警察に入った約束を破ってしまったのは心が痛むが、だからと言って目の前で繰り広げられる凶悪な犯罪を留めるチカラが有るのに看過する事は、やはり出来なかった。

 嵐山どろっぷが、典子の後を次いで言った。
「ほら、あれですよ。男子はあの、なんでしたっけ、前世紀のロボットの、人が乗る奴。」
「がんだむってやつ?」
「そうそれです。搭乗型ロボットでないとやる気が起きないんです。」
 典子もそれに同意した。
「統則ロボットはですねー、遠隔操縦とAIの自立制御の組み合わせですから、パワーを我が物とする感触が無いでしょう。アレが良くないんだと思いますよ。」
「でもそんなもの、警察では使ってない。」
「軍にはあるんでしょ、そういうの。」
 能登子は、どろっぷの問いに頷いた。
「人型じゃあないけど、確かにあるね、個人機動装甲ビークル。ペンギンみたいだけど。あと、統則腕を有する個人潜水攻撃艇もある。」
「それは初耳です。」
 典子が興味を示して来る。彼女はロボットオペレーターよりもコンピュータを駆使しての状況分析が得意で、それはそれで重宝なのだが統則ロボットオペレーターとしての才能はどろっぷに劣る。もっとも嵐山どろっぷは未だ修行中の身で、先輩である典子に模擬戦ではダブルスコアを付けられるほど技量に差がある。

「まだ機密解除されてないのかな、あれは・・・、あ、ゴメン。なんか電話入った。」
 土器能登子等は現在待機任務中で、勤務中の私的通話は禁止されており留守番AIが相手に応答してくれるのだが、そのAIの審査を潜り抜けてでも入って来る通話となると余程の事態である。少し緊張して右耳の後ろの通話スイッチを押した。2050年代の技術では絆創膏のようなシート状のコンピュータが実現しており、これを皮膚に貼り付けて個人の情報能力を向上させている。皮膚の上から神経に直接電磁パルスを送り込み情報を伝えるから、一々指で操作する必要は無いが、私的通話の場合その意志を明確化する為にこのように直接操作する事が義務づけられている。この縛りが無いと、勤務中のべつまくなしに私語に興じるバカが続出する。

「はい土器です。あ、相原先生ですか、るぴかがなにか? え? え、はい、はい、は、はい。はい、では。」
 あっという間に用件だけを伝えて娘の土器るぴか(9)の担任相原志穂美先生は通話を切ってしまった。能登子が警察官であり勤務中であることに配慮したのだろうが、この際もう少しちゃんとした説明が聞きたかった。

「なんです?るぴかちゃんがどうかしました?」
 嵐山どろっぷが心配そうに尋ねる。るぴかは彼女に少し遊んでもらった事がある。
「いや、よくわからない。ちょっと個人面談で話したい事があるから、非番の日に時間を空けてくれ、というだけ。緊急性は無いみたいだから心配しないで。」
「しかし、AIの対応を突破して来るのでしょう。余程の事があったんじゃないですか。」
 典子は事件絡みでの留守番AIの解析に慣れている。AIがどういう状況でどのような反応を見せるかは熟知しているから、今の話に腑に落ちないものを感じたのだろう。

「相原先生は妙に迫力のある人で、留守番や門番AIを問答無用で黙らせる事が出来るみたいなのよ。謎と言えばそうかもね。どっちにしろ立派な先生で父兄の皆さんからの信頼の厚い人だから、確かに深刻な話があるみたいだわ。」

「! 旧市西3ブロック軽鴨にて傷害事件発生。無登録の手動操縦車から拳銃を乱射。」
 いきなり統合管理センターから外勤警官の一報が飛び込んで来る。今はまだ戦後10年という不安定期で中国から旧世紀に蓄積した小火器が大量に放出された為に、普通の民間人でも容易に銃器を購入出来る。対戦車ミサイルだとて、1万円はしない。もっとも、拳銃弾ぐらいでは貫通しない防弾機能を持った衣類も出まわっており市民の防備も常識的に行われているから、そう簡単には大事には至らないのは、社会の進歩と言えるだろうか。

「出動要請は、未だ無い。高速隊が先か。」
 交通警察の機能の一部は行政サービスとして警察から分離されて、パトカーは全て防弾高速の機動戦対応になっている。電磁パルスで電装系を灼き切って停止させるサプレッサーと呼ばれる非殺傷兵器も搭載しているから、車に乗っている犯罪者にはほとんど統則ロボット隊の出番は無い。

「いえ、出動要請です。違法改造で電磁シールドが施されている擬装戦闘車両の可能性が強いとの事です。パトカーによる追跡を中止し、上空のバルーンからの監視に切り替えます。」
「ハンガー、タコハチ2、4、5出動準備。5号にはマイクロミサイル搭載。順次キャリアに搭載発進。」
「ハンガー了解。」
 統則ロボット typeTACO-8「蜃龍」、その名の通りに蛸の形状をしている遠隔操縦ロボットが自動シーケンスに沿って自律的に出動準備を行い、武装選択してキャリアとなる高速パトロールカーの上部に一体ずつ上っていく。蛸とは言っても腕はメインが4本で残りの作業肢は格納されていてすっきりとしたシルエット。直径70センチの球状のボデイはカーボンナノチューブとチタンで作られ小口径徹甲弾の浸透を防ぎ、表面はCNTラバーで覆われていて旧時代のAK-47程度では傷もつかない。ボディの上にはロボット専用のウエポンシステムが搭載され360度自由に回転して自動で照準発射する。土器能登子の指示で5号機にはボディ後部のコンテナに対車両用のマイクロミサイルが1発搭載された。
 ハンガーの整備員から出動準備終了の合図が出る。キャリアとなる無人パトカーも合わせてが統則ロボット隊の装備だが、車両は車両だけに整備員は車両課の所属だ。

「嵐山、キャリア1操縦。2、3はオートで追随。蔡は追跡対象の解析と進路予測。」
「はい。」「やってます。」
 急を聞いて控え室で休憩して居た三人の隊員が戻って来た。市内緊急展開隊は8名が所属、内2名は準待機の非番で、全員が女性である。
「児玉、嵐山のバックアップ、キャリア制御。」「了解。」
「環、キャリア2・3の操縦。蔡、タコハチ任す。」「了解。」「了解。」
「鳩保、ハンガー行って管制車の準備。」「了解!」

 一人だけ背が高く巨乳の隊員が元来たドアを開けて階下の車両整備庫に向かう。統則ロボットは遠隔操縦専用で、廣嶋中核市旧広島市のみならず、近隣の県外ですら高層飛行船の中継でタイムラグ無しに操作が可能だが、それでも現場近くにオペレーターが出動する意義はある。現場の空気を吸い、他の課の隊員の様子を知る事で、ディスプレイの向うに現実を置くのとは異なるリアリティを感じ取る事が出来るのだ。土器能登子は戦争中、その事をイヤという程叩き込まれた。遠距離からの操縦、自らは絶対安全な管制船に居るままの操作をすると、必ず誰か兵士が死ぬ。同じ手袋越しに状況に関与するにしても自らは死の恐怖を感じないのでは現場の兵士の生の感覚と間違いなくズレると、血の涙の中で理解し、警察の統則ロボット隊でも絶えずそれを訴え続けている。

 嵐山巡査が振り返らずに言う。
「タコハチ2、出動します。接触予想時間はは4分後。」「出動よし。」「了解。」

 最初のタコハチが出動して、土器能登子は統則ロボット隊長である墨俣警部に報告した。彼は隊長ではあるが三つの班をそれぞれコーディネイトするのが役目であり、現場指揮に立つ事は無い。海上でのロボット臨検作業を戦前からやってきた荻原警部補、博士号を持っていて統則ロボットシステムの専門家である機動隊治安出動班兼ロボットオペレーター養成所の桑田巡査部長、戦争中は特筆すべき敏腕ロボットオペレーターとして多数の引き合いがあった土器能登子巡査長、と人材は揃えてある。未だ実験的で日々陣容が変わる統則ロボット隊を州警察上層部、州知事の期待に沿う実戦部隊に仕立て上げる為に裏方に徹するのが、彼の仕事だ。

「おおっと! 土器さん、これ12.7oじゃないですかね。」
 監視気球からの映像を分析していた蔡典子が、当該車両を確認して武装らしきものが屋根に設置されているのを発見した。
「なに?」
「この、長いの。ターレットで旋回するような感じがします。高速隊が引っ込んだのもこれのせいでしょう。」
「擬装じゃないの?」
「最近は自作というのも増えていると聞きますが。」
 12.7o弾は装甲材としてCNTを多用する現在の警察車両にも依然として有効な威力を誇っている。特に徹甲弾を使用すれば防弾車でもぼこぼこ穴だらけにされてしまう。また20o徹甲ミサイルというものもある。全長20センチの小型ミサイルではあるが高速で飛行し、12.7o弾と同程度の装甲貫徹力を持つ。装甲の進化でRPG等の成形炸薬弾の破壊力が無効化される中、戦時中は簡易対物銃として多用された。弾体さえあれば適当な水道管からでも発射可能だ。

「車両はアカマツの輸出専用ノーメンテナンスピックアップトラックに防弾を施した物と推定。燃料電池ではなくディーゼルエンジンで動くタイプですね。」
「まだそんなもの売ってたんだ。」
「メーカーのカタログには載ってますよ、国内販売は排出ガス規制で禁止ですが。極端に電装品の数が少ないので、部品が無くても修理出来るようになってるんです。アフリカあたりでは大ヒットしてますね。」
「電磁シールドも必要無い、か。」

 環巡査がキャリアの操縦、といっても現在はAIによる自動操縦を監視しているだけだが、が署内通話を受けている。
「土器さん、組織犯罪対策課からもうしばらく泳がせて行き先を特定して欲しいと連絡がありました。背後関係を掴む手掛かりが必要だと言ってます。」
「なんだ、○暴関係か。」
「被害者が、特殊風俗店経営者で借金が元で撃たれたらしい、と現場の警官が報告してます。被害者は20発以上撃たれていますが、防弾衣で軽傷です。」
「殺人は目的ではなく、嫌がらせ、借金返済の督促か。OKて伝えて。」
「了解。」

「キャリア1、現場に到着。当該車両は現在時速90キロで一般道を走行中。自動操縦の一般車両は待避完了。行けます。」
「まだよ。しばらく距離100で追尾、車両進行方向のバリヤ設備も凍結。」
「はい。」

 蔡巡査に土器能登子は話し掛ける。
「どう思う? 旧市街を西に出るかな。」
「いや、たぶん、宮島口を回って、難民居住区に逃げ込むのでは。」
「そうねえ、ちょっとまって。」

と、組織犯罪対策課と連絡協議する。
「そう、そう。これは背後関係薄いよ。はい、中国人難民組織の、了解。」

「嵐山、抑えるぞ。グレネーダー、ペイント弾装填。」
「キャリア1、タコハチ2、グレネーダにペイント弾装填。目標は後部カメラ左右。」

 キャリアの高速パトロールカーの上に乗っているタコハチ2のウエポンシステム、6.5o自動照準ライフルと30oグレネーダーが統合されたロボット専用火器で、重量が12キロもあり口径は人間用と同じでありながらも対物対ロボット用の強壮弾を使用出来る、にセンサー隠蔽用のプラスチックペイント弾が装填された。グレネーダーは通常4種類の弾体が計20発を弾倉内に格納しており、状況によって自由にそれらを入れ換える事が出来る。ペイント弾はロボット兵器を無力化させるのに最も有効な弾種で、単に光学センサを妨害するだけでなく、熱赤外線、電磁波も遮断する特殊な液体プラスチックを内蔵している。今回、車両後部のカメラセンサを潰して、後方視界を効かなくする。

「キャリア2、タコハチ4ライフル対物弾装填。キャリア1のすぐ後ろに付けろ。車体上部の銃器と思われる装備が稼動した場合、破壊制圧しろ。」
「キャリア2、了解。」
 土器能登子は気軽にピンポイント射撃を指示するが、これはタコハチの火器管制システムが簡単にやってしまう程度の内容だ。ロボット兵器の強味は、人間ならばまず不可能な、自分が激しく動き回る状況での狙撃を極普通に当ててしまう所だ。短砲身のグレネーダーの命中率は昔と変わらず酷いものだが、ロボットが自分に搭載されている装備の性能特性を十分に把握し補正するので、高速移動する車両上から移動目標に対する場合でも、200メートル以内なら10センチ円内にも命中させられる。

 タコハチ2を操作する嵐山どろっぷがちらと能登子の顔を見た。
 統則ロボットtypeTACO-8の操作は前面投影立体ディスプレイを使って180度の視界で行う。弾丸状の鍋の内部に映像を映し出す形の表示装置で、ゴーグルタイプの立体ディスプレイに比べても、肉眼で手元が見えて操作性が向上し、能登子が前線に居た当時のインターフェイスよりも自由度が上がっている。統則ロボットの性能向上は著しく、開発されて10数年で人間の特殊部隊による突入作戦を完全に駆逐するまでに成長した。同時に要求されるインターフェイスの能力もどんどん高くなりオペレーターの再訓練の負担も大きい。
 前面投影立体ディスプレイ(FPCD)の最大の長所は、オペレーターが直接他者に指示を受け助けもらえる点だ。仮想空間内への没入度はゴーグルタイプと同等でありながら、現実空間内で客観的にも状況を見返す事が出来る。戦後、経験の浅いオペレーターを教育する為に開発されたものが、そのまま実用にも降りて来たわけだ。

 能登子も手元のディスプレイで逃走車両を見続けていたが、こちらが攻撃に移る兆候を向うでも感知したのだろうか、車両上部の武装らしきものが動き出した。
 長い銃身にも見える筒は同じ長さの箱が上部に乗せられており、左右には支持する機構らしきシリンダが見える。後部には更に50センチ角の立方体が二個接続され、後方に直径30センチの円筒が付いている。ターレットとおぼしき金属製の円環で360度旋回出来るはずだが、

「?! いや、これは。」
 すぐに命じてキャリアを銃口らしき開口部から外して蛇行運転をさせる。土器能登子は戦時中太平洋全域の島嶼部で数々の間に合わせ兵器と遭遇し、自身もそれにより負傷し重体に陥った。その経験からこれが、相当にヤバい代物だと判断する。

「なんです?」
「たぶん、カタパルトだ。バネ式の弓矢だよ。」
 金属の矢を投射する弩、あるいは回転力を利用するカタパルトは火器よりもむしろ攻撃力の高い武器として乱用された。21世紀の素材を用いるとただの弓矢でも十分な射程距離と威力を獲得するし、エンジンを用いたカタパルトは機関砲並の速度で矢やベアリングを発射する。センサー類が発達して火薬の爆発を利用する武器が熱赤外線で感知されるようになると、これら静的な武器の有用性が注目されるようになったのだ。
 弓矢といえども十分な重量を持つ金属製鋼製の矢は、個人用アーマースーツくらい普通に貫通する。まして機械力で発射するこの車両に搭載するような大型のものは、機動装甲車といえども無事では済まない。発射速度が遅いのが救いだが、当たればタコハチも一撃で活動不能に追い込まれる。

「キャリア2、タコハチ4、攻撃を許可する。キャリア1、タコハチ2、隙を見てペイント弾発射。」
「了解。」「了解。」
 環佳乃巡査が操作するタコハチ4が6.5o自動照準ライフルで逃走車両を攻撃した。三点バーストで上部に設置される武器を破壊しようとするが、一般公道上での戦闘だ。射線上に民間建築物が存在するタイミングではプログラムが抑制を掛けて発射出来ない。やむなくボディを攻撃するものの、案の定装甲が施されていて内部に貫通する様子が無い。鋼板ではなく特殊ガラスとCNTを積層した使い捨て装甲だと思われる。防弾車が想定するAK-47の7.62×39o弾ではなくタコハチの対物ライフルだから或る程度効果は有るはずなのだが。
 カタパルトから金属矢が投射された。長さは50センチ程の鋼矢でかなりの初速だが、十分予測しているから当りはしない。ただ、これも射線上に人間や危険物がある場合は、キャリアはわざと当たるように指示されている。爆発はしないから、穴が開く程度は許容範囲なのだ。どうせ人は乗っていない。
 鋼矢は道路脇の車留めブロックを粉砕した。威力だけならたしかに対物ライフルの銃弾と同程度有る。第二射も早かった。連射機能を持つという事は、これは戦時中活躍した「武器職人」の作品だろう。難民居住区にはそういう人材が幾らでも居ると聞く。元は中国経済が崩壊するまでは、メーカーに就職して工場で働いて居た者達だ。工学の学位や博士号を持っている者さえ珍しくない。

「よし!」
 嵐山巡査が操作するタコハチ2がグレネーダーでセンサー部にペイント弾を命中させる。続いて二発センサーが隠してありそうな部位に当て、完全に後方視界を奪った。カタパルトは発射口を左右に振っているが標的が見えないのだろう、発射はしなくなった。次いでタコハチ4がカタパルトを回転させるターレット基部に命中弾を与え、機能を停止させた。土器能登子は環巡査に命じて左側の窓にもペイント弾を当て、視界を潰した。しかし車両は依然として時速90キロ台を保っている。タイヤやエンジン部には一発も当てていないから走行には問題ない。操縦者にも当てていないから、このまままっすぐ進んでいくだろう。

「はい、土器。はい。いえ、このままタコハチで停止させます。そちらは一般車両の通行制限を、はい。お願いします。」
 搭載武器が無力化したのを見て、高速隊が任務を引き継ごうかと申し入れて来たが、車格が大きくパトカーで停止させるのも剣呑なので、タコハチを乗り移らせてマニュアルで停止させる事で合意した。アンカーを接続して無理やり停止させるのも路面に与える影響が大きく、事故も多い。
 車両を停止させる位置を決定して周辺に警官を配置する。パトカーが待機して銃撃戦にも備えるが、統則ロボット隊がヘマを打たない限りはその必要は無いだろう。

 嵐山巡査はキャリアの操縦をAIのプログラムシーケンスに移してタコハチ2の操作に専念する。キャリア2が車両の動きを牽制する隙を衝いて、キャリアを車両に幅寄せし、タコハチを乗り込ませた。統則腕を持つタコハチは吸盤や接着盤を利用してビルの壁面や天井に貼り付いて移動する事が出来る。移動する車両間を乗り移るのはほとんどAIに任せても大丈夫なのだが、乗り移られた事を相手にぎりぎりまで知られないよう静かに行うのは、結構腕が要る。
 タコハチ2は完全に逃走車両の上に乗り、破壊されたカタパルトを乗り越えてフロントガラスに近付いた。もちろんこれも防弾ガラスであるが、タコハチの統則椀には衝撃波を使って防弾ガラスを破壊する装置が最初から設置されている。特殊部隊の突入作戦には必須の装備だからだ。

 嵐山巡査が土器能登子に最終確認をする。
「いきます!」「OK」
「3、2、1」
 右前の統則椀がフロントガラスを粉々に破壊すると、内部に格納されていた作業肢が運転席内部に侵入してマイクロボムを放り込む。音響爆弾の一種で直径2センチの球形弾、音と光だけでなく衝撃波でも人を撃ち、失神に追い込む機能を持つ。タコハチ2は左の作業肢で車のマニュアル操縦のハンドルを固定し、改めて機体の位置を進めてフロントガラスの割れた穴にすっぽりと入り込む。
 更に作業肢を侵入させて、完全に車体のコントロールを確保した。直ちにブレーキを掛けて停止させる。

「男、2です。ヤクザですかね。」
「中国人じゃないね。これはー、北朝鮮系の暴力団かな。」
 タコハチ2が撮影する内部の情報が関係部署に流され、組織犯罪対策課の仕事になる。
 停止した車両のドアを左右からタコハチ4、5が開けて中の男達を引きずり出すが、未だ失神中で何の抵抗も無かった。中国系犯罪組織ではよくこういう状況では車体を遠隔操作で自爆させるのだが、それも無かった。タコハチが二人の男の身体検査を行い、拳銃とナイフ、小型爆弾を押収し、粘着テープで拘束した後に、駆けつけた警官に引き渡した。ここまでの作業全部が、体内に埋めこまれた爆弾による自爆の可能性を伴う危険なもので、生身の警官がやりたくないものだ。統則ロボット隊に手柄を渡す事になるのは面白くはなかろうが、背に腹は替えられない。21世紀前半の後遺症で人口が減少して、警官の数を揃えるのに苦慮している。貴重な人員をロボットに出来るような事で失いたくはない。

「はい。はい、はい。なるほど、じゃあ車両もそちらにお任せして。はい、一応完全に検査してから、はい、お願いします。」
 土器能登子は統則ロボットの操作と指揮には長けているが、犯罪者の行動に関しては知見に乏しい。ゲリラの戦闘員の行動を想起すれば作戦行動は間に合うのだが、捕まえた男達が何故自爆も無くあっさり捕まったのか疑問だったので、組織犯罪対策課に尋ねてみた。答えは簡単で、この程度の事件で死ぬのは馬鹿馬鹿しいから、との事だった。規律の厳しいゲリラ組織とは異なり、犯罪組織はあくまでも営利目的であり、死ななくてよい時には死なない自由と権利があるのだそうだ。
「なるほどね、刑務所の中の仲間も、一応は資産の内なのか。」

 

(05/10/18 続く)

 

 日曜日がたまたま非番であったから、土器能登子は娘るぴかの小学校の担任、相原志穂美の特別な個人面談を受けた。
 能登子の記憶では、相原先生という人は非常におっかない厳しい先生であるが、なによりも生徒の安全に留意するという評判だった。「自分の身は自分で守る」という事を生徒に徹底的に叩き込む主義らしく、彼女のクラスになってからるぴかは家でもいきなり机の下に伏せたり、姿を隠して移動したりするようになった。
「おかあさん、今日はね、おすもうをしたよ。顔面なぐってもいいんだよ。こうするとね、痛いけれどぜったいけがしないんだって。」
とかを夕食時に実演してみせるのに閉口した覚えもある。

 土器能登子とるぴかの親子は警察の官舎ではなく、一般行政の公務員官舎に住んでいる。元は統則ロボットの教官として雇われたのだから、これが筋なのだが、おかげでるぴかは普通の小学校に通う事になる。警察幹部や特殊部隊員の家族や子弟はテロの標的に成り得るから専用の特別に警戒の厳しい学校も有ると聞くが、るぴかの学校は近所にある150年以上の歴史を持つ由緒正しい名門校だ。

「へー、なんだろう。おかあさんだけの個人面談なんて、ふしぎだね。そういえば、四月の面談にはおかあさんいなかった、からかな。」
「そう言われてみれば、ローテーションの関係で個人面談も電話で会っただけだね。なんだったかな。」
「えーとねー、たしか、結婚式だ。桑田さんの結婚式でおかあさんじゅんばん代わってあげたんだよ。」
「あー。」
 るぴかは小学三年生の9歳。まだ小さいが、母親である能登子よりもしっかりしたところがある。能登子は仕事以外ではけっこうぼーっとする事も多い、無駄な一日を過ごして悔いの無いタイプだが、るぴかはそんな暇があったらお布団干そうと言うA型だ。髪の毛もふわふわしてすこし天然のパーマが掛かっており、黒髪がぺたっと貼り付く能登子とは随分印象が違う。父親似だ、ということなのだろうが、彼女が生まれてからこっち会った事は無い。別に彼が薄情だからでは無く・・・、

「そういえばね、おかあさん。学校に行く道にへんなものが出来たんだよ。なんだと思う?」
「変? さあなにかしら、新しいお店。」
「ブブー、正解はまねき猫でしたあー。高さが大人の男の人ほどもある大きなまねき猫が、なぜか道路の端に立ってるんだー。」
「へー、どこの広告かしら。」
「広告じゃないよ、なにも書いてないもん。しかもけっこう重たいの。男子がけっ飛ばしたら跳ね返って道路にこけてあたま打ってんのばーかみたい。」
「どこにあるの、それ。」
「正門前から100メートルくらい行った、ほら凄いイヌの居るコンクリの壁の厚いおうちの前。あそこの交差点の右っかわの植え込みの横。」
「桜が咲いてた方?」
「それ、にあるの。」

 そこは公道のはずである。民間人がかってになにか設置してよい場所ではない。と言って行政がいきなり巨大まねき猫を置く道理も無い。たしかに謎である。

「あ、もうおかあさん行かなくちゃ。じゃ後頼んだね。」
「おかあさん、相原せんせい怒らせないでよ。あの先生怒るとみさかいないんだから。この間も誰かのおとうさんが文句言いにきたの、追い返しちゃったんだよ。帰る時その人、ものすごい青い顔してたんだって。」
「まるで妖怪だな。じゃ、留守番に変なプログラム食べさせないで。遊んで来ていいから。」
「はーい。」

 2050年、服装の流行はさほど突飛なものではない。いや、むしろ20年30年前と比べると極めて地味になったと言える。理由は治安が悪くなったからだ。誰もが通常の服の上に防弾衣をまとう。CNTの布にセラミックのビーズを埋めこんだ簡易なものだが、拳銃の流れ弾や手榴弾の破片程度なら十分に効果がある。デザインも機能も種々あり、安いものになると一万円を切る。そんなものを重ねて着て暑くないかと言えば、これも問題は無く、服や付属パーツに温度調節装置が付いてくる。地球温暖化により海面が上昇して気候が激変した結果、夏に雪が降ったその一時間後気温40度になってもまったく普通だ、という異常気象が定着してしまった。全体としては日本列島の有る位置は温帯から亜熱帯と海面上昇前と分類は変わらないが、海流の変化の影響が強く出て太平洋岸は相当寒冷化している。この環境を克服するには建物や車両にエアコンを付けるよりも、むしろ個人に温度調節装置を付けた方が効率がいい。
 土器能登子も、いかにも警官という固い職業を象徴するように地味でタイトなワンピースを着て、その上に派手なコートを羽織っている。能登子は身長170センチのかなり肉感的なボディの持ち主で胸も豊か、子持ちには見られず街で声を掛けれられる事も少なくは無い。目立たないように振る舞う時は、この防弾コートはなかなか便利だと思う。

 小学校に到る道を能登子は確かめるように歩いて行った。普段自分の子供がどんな環境に暮らしているのか、朝一般人が通勤通学する時間帯の街を見る事はほとんど無いので、もの珍しく眺めて行った。能登子が出勤するのは朝は6時、帰ってくるのは8時過ぎ、とご近所様とはすれ違う。メイドロボットでダメならば郷里の母親を呼ぶしかない、とるぴかの世話を考えると暗澹たる思いに囚われる時もあるのだが、幸いな事にるぴかはすくすく健全と育っている。まあ、メイドロボも遠隔操作で能登子が自分で動かしている時が多いのだから、るぴかは別に寂しいと思わない。世の中便利にはなっているのだ。

「なるほど、まねき猫だ。おおきいなあ。」
 それは全高が170センチ、胴回りが2メートルもある巨大な白いまねき猫だった。左手を上げているのでお客さんを呼び込むタイプだ。触ってみると材質は発泡石だった。石油資源の消費を防ぐ為にプラスチックの代用として多用されるようになった材料で、細かい石の粒子を型に合わせて接着して成形したものだ。強度も耐火性も断熱性腐食性も価格面でも優れており公園の遊具にも使われる安全性を持っている。まねき猫の内部は中空で、叩くと反響した。
「中に機械が入ってるな。なんだろう。」
 土器能登子は戦時中の経験からこういうものは容易に触ってはならないと知っている。が、ここは平和な一般社会であり、あまり警戒心を表に出すと他人に変な眼で見られる。その中間で折り合いを付けるのは結構難しい。能登子の防弾コートには対物センサーも追加されており、危険物を自動的に探知することができ、このまねき猫には反応が無かったから安心して触れた。
 まねき猫の前後左右を色々と調べて見て、尻尾のつけ根あたりに設置者製作者を示す小さなプレートを発見する。
「・・・都市環境恒常性研究委員会? 聞いたことないな。」
 コンピュータで調べてみると、たしかにそれはあった。驚いた事に全国警察庁の外郭団体でこの四月に発足したばかりだ。しかし、その団体のHPを調べてみても、周辺情報を検索してみても、巨大まねき猫事業については一切出て来ない。念の為に中国州の設置許可申請書を調べてみたら、これはちゃんと存在する。なんと、廣嶋中核市と旧広島市内に100ヶ所も設置する計画なのだ。

「わけわかんない。」

 新廣嶋天応第一小学校。
 生徒数1,000人、150年以上の歴史を持つ公立の名門校だ。もっとも学校の位置は海面上昇に対する応急措置と新市建設で移動し、ついでに数校が合併し、その後生徒数増加で分校した、と歴史はかなり複雑だ。21世紀初頭の若年人口の減少の後遺症で学校数は一時激減したのだが、その後政策的な人口維持政策と留めても流入する外国人の為に新設校が増加し続けている。増加分の多くは難民居住区内で中国人難民向けだ。
 21世紀半ばの学校建築は、かなり奇妙なものに変わっている。なによりもセキュリティが完璧に確保されなければ、学校認可が下りない。不審者の侵入を防ぐ為に高さ3メートルのフェンスに電磁柵、爆破テロに対抗して防爆シールドが何枚も立ててある。防爆シールドとはCNTラバーで作られた網を高密度に圧縮した板で、爆風と高速の飛散物を受け止めたラバー分子がずるずると伸びる事でエネルギーを消費し、被害を最小限に留めるものだ。AIによる全時間監視とロボットが巡回しての不審物の撤去も行っている。2045年からは攻撃的武器のロボットへの搭載も許可されているので、今や学校はちょっとした要塞とも言えるが、各所に大型立体ディスプレイが配置されて自然の風景を映し出し、開放的空間を演出していた。

 土器能登子はるぴかの入学以来と言えるほど久しぶりに小学校を尋ねた。父兄参観も最近はカメラで教室を覗いてよしとする人も多い。学校外でのレクリエーション等には極力参加するようにシフトを調整した結果、学校自体を訪問する事がほんとうになくなってしまったのを、今更ながらに反省する。
 父兄のIDをAIに確認させて、校門のくぐり戸を開けてもらうと、なんとなく懐かしい景色があった。不審者の校内への侵入を防止する為に、2020年頃から学校建築には日本古来よりの築城建築の手法を導入している。校門から入った生徒たちはぐるりと迷路のようにねじ曲がっている通路や階段を越えて、校内に入る。通過に時間が掛かるようにして、その間に上から監視カメラやセンサーで不審者や異物の侵入を感知するわけだが、旧い城跡に入るようで子供にはこの仕組みは人気があった。能登子もこんなところで友達と遊んで、先生に怒られた覚えがある。
 校舎の玄関前には既に案内ロボットが待っていた。今日呼ばれたのは能登子だけだから相原先生がロボットを置いておいたのだ。このロボットは基本的には家庭で使われるメイドロボと同程度の性能で、校内で子供たちと共に生活するように柔らかな素材で覆われている。が、人間そっくりというわけでもない。手足に継ぎ目はあるし胸のディスプレイパネルには操作する先生の顔が映る。AIで自律的に行動する事ももちろん可能だが、誰かが操作している事を知ると相対する者が精神的に落ち着くのもメイドロボと同じだ。

「土器るぴかちゃんのおかあさまですね。お待ちしておりました。三年四組までご案内いたします。」
 ロボットは丁寧に御辞儀して、校内に上がることを促した。廊下はもちろん土足を脱いで来客用スリッパに履き換える必要がある。廊下で子供たちにモーターシューズを使われない為にも、上履きの着用は義務づけられている。
 学校の監視カメラは基本的には分かるようにこれ見よがしに配置されているものと、見えないものとに分けられる。能登子は職業上のくせで、建築物内部の監視機構をそれとなく確認していく。ひょっとしたらここにも統則ロボットで突入しなければならない事もあり得ると思えば、知らず目が険しくなる。
 教室に近付くと、内装が木製である事に気付く。柔らかで息が詰まらず圧迫感が無いように国産の木材を使って教室内を仕上げるのは、能登子が子供の頃から変わりが無い。なんだか場違いな気がして、防弾コートを脱いだ。温度調節装置も切ったので肌寒さを感じるようになる。

 ロボットが止ったので、教室の扉の前に立つ。小学生の教室だから、なんとなく背が低い強化紙の障子の引き戸だ。

「しつれいします。土器るぴかの母でございます。」
「担任の相原志穂美です。どうぞ、お掛け下さい。」
 教室の中には相原先生が待っていた。椅子から立って能登子を案内して、教壇の前に設えた対面席へと座らせた。周囲には生徒用の小さな机が並び、小人の国みたいで少しおかしくなった。
 相原志穂美先生は、小人の国の巨人だ。身長は169センチと能登子よりも少し小さいのだが、すらりと細身でそれでいて弱さを感じさせないしなやかな筋肉の存在を感じる。格闘技に通じているという話をるぴかから聞いたが、確かに目の配り方は一般人と異なり的確だ。警察関係者だからといっても今日は武装は持って来なかったのだが、後ろの席に置いた能登子の防弾コートの内部もちらと確かめている。

「お姿を拝見しますに、土器さんは、身体を改造していますか?」
 ぶしつけに志穂美は質問する。能登子は確かに、筋肉の付き方が常人とは少し異なる。普通は体操のインストラクターに見られる事が多いのだが、分かる人はそこに人工の気配を感じる。
「いえ、改造ではなくて、ナノマシン療法を受けています。体内の免疫物質の制御を肩代わりしているので、プロティンの吸収にも影響が出ているようです。」
「個人情報に戦傷を受けられた、と書かれておられるので、失礼しました。」
 能登子の前に対面して志穂美は着席した。紙の資料をぱらぱらとめくるのを能登子は眼球に連動するカメラで撮影して確かめてみたが、個人情報は入学時に記入した程度しか無く、むしろこれまでのるぴかの学校内での評価に関するレポートが興味深かった。

「土器能登子さん、えー警察関係にお勤めという事ですが、正規の警察官ではない?」
「いえ、警察官になりました。」
「そうですか。それでは、るぴかさんを転校させるお積もりはございませんか。」

 いきなりの申し入れに能登子は戸惑った。警察官だから子供を普通の学校に通わせてはならないという規則も無いし、実際普通の学校に通わせている家庭も多い。自分が特別に危険な任務に就いているわけでもないので、これは予想外の話だった。

「あの、学校になにか、脅迫みたいな事がありましたか。」
「いえ、ぜんぜん。」
「そうですか。」

 志穂美は資料の横に置いていたノート型コンピュータを操作して画像を表示させた。日本国軍海洋戦力部隊の統則ロボット『蛤竜』だ。かって能登子が操作していたものの後継機にあたる。
「統則ロボットというのは、これですか。ほんとにタコの形をしているのですね。」
「警察で使っているのはこれとは異なります。『蜃竜』の警察用バージョンで、機体としてはこれの一つ前の型の派生版ですね。」
「タコですね。」
「タコです。」
 志穂美は何故か非常に納得してうなずいた。

「土器さんはこれのオペレーター兼インストラクターという話ですね。」
 そんな話を学校関係者にした事は無いが、どこからともなく漏れたのだろう。ひょっとしたらるぴかが喋ったのかもしれない。
「はい。統則ロボットというものは、そのタコ足が特徴でして、タコに見えるかと言えばそれはタコ以外には見えない。」
「イカは無いのですか。」
「無い事もありませんが、それはまた別の任務で使用するロボットですね。でもそれが、なにか。」

「私も土器さんをお迎えするにあたって、一応調べてみたのです。軍に居る友人に聞いたのですが、統則ロボットのオペレーターは非常に危険な職業だという話で、」
「いえ。遠隔操縦するわけですから、むしろ安全ですよ。」

 志穂美は能登子の顔をじーっと見詰める。釈迦に説法はしたくない、という風情だ。能登子は自分がまずい事を言ったようだと察して、考え直す。統則ロボットオペレーターは確かに遠隔操縦でロボットを動かすから、自身が危険に曝される事は無い。だが、
「・・・戦時中はたしかに、危険と言えなくもなかったですね。統則ロボットの成果は凄まじいものがありましたから、敵も対策を練って、その操縦者を当然のように狙って、・・・きます。」
 志穂美は微笑んだが、能登子は自分が今何を懸念すべきか、ようやくに気付き愕然とした。何故こんな重要な事を、娘の小学校の教諭から諭されねばならないのか。

「あの、・・・現在は、警察任務では未だにそういう事は起きていないのですよ。いえ、軍の特殊部隊や組織立った海賊や犯罪集団が相手ならいざ知らず、市中での犯罪にはそういったバックボーンは見られない。」
「えーぇと、そうですね。警察が本格的に統則ロボットの使用を始めたのはわずか三年前ですから、誰も特殊部隊のロボット隊と同程度の認識しかなかったようですが、もう違いますね。注目されてますよ。」
 志穂美はコンピュータで犯罪記録らしきものの資料をちらと見て答える。明らかに、かなり深いレベルで警察の記録を閲覧して高度な分析した、と能登子は推察した。

「あの、・・・・先生はどうしてそんなコトをご存知で。」
「その筋のマニアに聞きました。その筋の議論板では話は逆でしてね、犯罪に統則ロボットを利用したらどうか、という話が延々と続いていまして、実際に統則ロボットをいかに手に入れるかで侃々諤々の議論がされているのです。当然、市内で実際に統則ロボットを使っている警察の動向には注目が行ってまして、議論の主題が最近では、どうやって警察の統則ロボットに対抗するかになってるみたいです。あ、勿論わたしにはそんな趣味はありません。軍の友人というのが、聞いてもいない事をべらべらと教えてくれたのです。」
「はあ。」

 聞いて見ればなるほどと納得できるが、それにしても目の付け所が奇妙に鋭過ぎる気がする。いくら生徒を守る為とはいえ、そこまで気を回す必要が本当にあるのだろうか。疑念を見透かしたように志穂美は長い睫毛を上げ、能登子の瞳を見詰めた。相原志穂美先生は厳しくおそろしい先生だが、女性としては美人だよ、とるぴかが言っていたのを再確認する。

「御懸念は分かりますが、どうにも説明し難いものがございまして。」
 志穂美は電子ペンをひょいひょいと振り回して空中に何事かを書く。それを能登子が身に装着するコンピュータが読み取る。聞いた事のある名前が目の前に浮かび上がる。
「衆議院議員?」
「私の古くからの友人ですが、とても妙な人物です。若くして国会議員というのは、それは変人に違いないのですが、彼女はかんたんに言うと、”正義の味方”なのです。」
「せ、せいぎのみかた。」

「今回の警告は彼女からのものです。それに従って私も少し調べてみました。カンですが、ヤバい感触があります。」
 ”ヤバい”などという死語を使ったので、能登子は彼女達に得体の知れないものを感じた。その正義の味方の国会議員と相原先生は、多分同類項にくくられるニンゲンなのだろう。話を聞いた軍関係者というのも、おそらくは。

「具体的に言うと、なにがヤバいのでしょう。」
「彼女が気付いたくらいですから、おそらくは行政か軍か、あるいはそれらを横断した形で、何者かの意思が何かをする。私はそう睨んでいます。」
「何者、とは誰です?」

 志穂美はそこで、思い出すようにニタと笑った。
「たとえば、正義の味方が居たとして、なんでも使える素敵なタコロボットがあるとします。貴女ならどうします?」
「え? それは、・・・・正義の為に、働きます、ね。」
「彼女ならこき使います。限界一杯までやりますよ。」
「・・・うあ。」
 どの種類の災いかようやくに理解して、能登子は頭を抱えた。それは確かに、ヤバい。
 志穂美は言った。

「貴女の統則ロボット隊は今後ますます注目されるでしょう。任務でやっているからには避けられない事です。」
「・・るぴかの転校も、考えておきます。」
「その方がいいでしょう。」

 呆然として小学校を後にした能登子は、思いついて家に電話した。メイドロボ”ANITA”を直接コントロールして部屋の中を覗いて見るが、るぴかは遊びに行って留守だった。メイドロボは通常ホームキーパーと呼ばれる家庭管理AIに接続されているものだが、能登子はさすがに軍関係でロボットを扱ってきただけあって、スタンドアローンにしている。ホームキーパーの制御を外部から乗っ取られても、ANITAは別のルートでアクセス出来るようにする為だ。二つのAIの間の仮想共通メモリに、ホームキーパー”OCT”からの伝言があった。

『第8天応小学校3年4組担任 相原志穂美先生より、学校の監視網で土器るぴかさんを”特別要警戒児童”に指定し、常時居所の監視を行っています、との伝言がありました。』

 能登子はふうっと息を吐く。あの先生は切味が良過ぎて、疲れる。よくよく考えて見れば、新型統則ロボット『蛤竜』の機密指定は未だ解けていないだろう。軍事専門誌にも載っていない写真を良く入手出来たものだ。

「早い内になんとかしよう。これは、警察も当てにできそうにないから、自分の手で。」
 そうは言っても、根本が弛緩した性格の自分には、裏で嗅ぎ回って政治力を行使するなどは無理がある、と絶望的な気分に包まれるのだった。

 

 敵は翌日の月曜日に現われた。(05/11/05続く)

「土器能登子、さん。2026年11月11日生まれ、50年中四国州広域機動警察・高機能遠隔操縦ロボット技能教官として嘱託で入隊、高度自律制御ロボット運用研究、統則ロボット実用試験に参加。警察活動における統則ロボット運用マニュアル及びオペレーター教育プログラムの作成に協力。52年廣嶋中核首都警察統則ロボット隊に警察官として巡査長で配属、特殊技能資格による現場小隊指揮資格免許。以降昇進試験は受けていないものの、統則ロボット隊指揮官として極めて優秀な成績を上げており、市内高速展開部隊の中核メンバーとして欠くべからざる人材、と。こんなところですか。」

「はあ。まあ。」

 土器能登子の前に座ってノート型コンピュータの個人ファイルを眺めているのは、かなり大柄な女性だった。年齢は25歳以上で若作りしているから詳細は不明。髪の毛がぽわぽわと柔かい所はなんとなく娘のるぴかに似ていて妙な気がする。ひょっとすると、るぴかが成長した姿というのが正しいのかもしれない、という逆デジャブーを感じる。

「たいへん結構な活躍ですが、他から引き抜きの話は来ませんか。国軍からとか、他の自治体から。」
「海外から話がありましたが、軍関係はこりごりですし娘の養育の問題もありますから、通っていた大学のある地元という事でこれを選びました。今は待遇面でも仕事の面でも問題を見出せませんので、転職は考えた事がありません。」
「道州警察はとんでもない所に飛ばされる事もありませんからね。」

 目の前に座る彼女の名は、円条寺蓮。面接を受けながらも能登子は装着型コンピュータで人事情報を検索している。先に面接を受けた蔡典子がそれとなく注意してくれたので、心の準備は済んでいる。向こうばかりがカードを握っているのが面白いわけが無い。

 円条寺蓮、27歳。なんと皇宮警察に所属する研究員だ。身長は181センチとバレーボールの選手並に大きい。実際、彼女と同じ名を持つ選手がインターハイに出場していた記録も引っ掛かるが、こちらを信じると年齢は33歳になる。あからさまに怪しい。彼女の研究課題は、特殊重要警備対象の護衛における統則ロボットの導入、だ。何編かの論文も見つけ出してリアルタイムで蔡典子に読んでもらっているが、相当に高度かつまともな研究ではあるらしい。これが本当ならば、統則ロボットのオペレーターとして凄腕の能登子の所に尋ねて来るのも当然である。だが、相原先生の忠告を受けた身では、そんな常識的な納得の仕方は出来ない。

「娘さんがいらっしゃるのですね。9歳で名前はるぴかちゃん。良いお名前です。御結婚はされた事が無い?」
「はあ。出産時の事情が事情ですので、そこんところはなかったことに。」
「男親が居なくて困りませんか。」

 なにか妙な雲行きになってきた。

「それはー、もしかしたら決定的におかしな点もあるのかもしれませんが、比較する経験が無いので少し、わかりません。」
「そうですねえ。私も他人の事は言えないのです、男親無しで育ちましたから。もっとも親戚一同にはコワイおじさんが多数あって鍛えられました。」
「はあ。」
「現在はお付き合いされている男性も居ない? 御結婚の予定も無い。」
「はあ。」
「なるほど。」

 彼女の言う所は、現在では非常識ではない。男女は結婚して子供を産むべきだという風潮が、社会の主流になっている。21世紀初頭の少子高齢化の時代を経て、やっとの想いで人口構成を改善し、さらに戦争だ。蔡典子や嵐山どろっぷが小学生の時分は日本でも、街を歩けば週に一度は死体を発見するという悲惨な状況で、ために人は固まって暮らすべき、家族は互いを守りあって子供もちゃんと作って生きて行こうという気風に自然となったのだ。シングルマザーは犯罪者の付け入る隙が大きく、るぴかの通う小学校のPTAでも問題視している。

「あの。そろそろ本題に入って頂けませんか。」

 さすがに痺れを切らして能登子は催促する。単に個人の性向をモニターするのが目的ではないだろう。なにか、を目論んでいなければ統則ロボットオペレーターに会いに来たりはしない。
 円条寺蓮は微笑んだ。

「これからしばらく、おそらくは一年程度になりますが、廣嶋中核首都警察統則ロボット隊の運営に私が多少関与致します。そのご挨拶と隊員の皆様の性格を直にお会いして知っておこうというのが今回の面接の目的です。私の計画には、個々の隊員の人格や能力の差が非常に大きな意味を持って来ますので、このような書面で回されるデータでは心もとないのです。」
「計画、とは一体。」
「土器能登子さんは、エンジェル道というものを御存知ですか?」

「え?!」

 知らないではないが、今ここに出て来る話ではない。善の善なる力をもって昏迷する世界情勢を一挙に改善しようという社会運動で、天使のイラストをトレードマークにしている。るぴかがエンジェル運動なる妙な体操を学校から習って来て、台所でやっていたのを思い出す。
 円条寺蓮は能登子の返答を待たずにそのまま話を続けた。

「情勢が昏迷の度を深めると、色々な世直しの運動が現われるものです。宗教も最近は活発ですが、エンジェル道はちょっと違いますね。口で言ってる教えとは異なり、あれは筋肉バカの集団です。だから困る。」
「・・・はあ。」

「だがアレにも良い点、見るべき点はあります。善を為す為には、その邪魔となるものを無理やり排除しても構わない、というものです。実際に現在の世界でなにが難民を苦しめる元になっているかと言えば、それぞれの国家民族の現地政府です。大半が腐敗堕落したヤクザの集まりみたいなものですが、それぞれが民衆の代表ということで一応は自主性を尊重しなければなりません。」
「そう、ですね。その話は聞いた事があります。日本の国際援助の内で本当に難民に届いているものは2割以下だというのですか。」

「国連関係者、援助関係者は皆思っていますよ。こんな腐れ外道な政府は叩き潰して、自分達の手で効率的に政権運営をして民衆を救いたい、と。私がやろうとするものも、これに近い考え方に基づくものです。」
「すごく、物騒なはなしですね。」

「貴女だけにはお話ししておきますね。貴女は私の計画において、無くてはならない存在になるでしょうから。」

 うわーきちゃったよー、と能登子は脳内で悲鳴を上げた。事前の警告が無ければ、ひょっとしたら流され易い自分は、この言葉に舞上がっていたかもしれない。

「現在廣嶋中核市においてなにが問題かと言えば、それは間違いなく。」
「・・・中国難民です。旧市南区沖にある難民隔離収容街区ですね。犯罪の70%はあそことなんらかの繋がりがあります。」
「4年前の和進党政権の政策の結果、難民収容区では彼等の自治が或る程度認められるようになりました。これは当初の一時的暫定的な難民保護から、かなりの長期間日本での滞在を見込んだ対応に切り替えたわけですが、治安維持までも難民に一部任せた事が犯罪の続発に繋がったわけです。」

「私もそう思いますが、反面殺人事件は減ったのです。警察の統計を見れば分かりますが、目に見えて減っています。特に日本人の被害者数は激減しています。これは成果と言ってもよいのではありませんか。」
「そうですね。第一段階としては、良いと思われます。そこで次のステップを。」

 円条寺蓮は、能登子の方を向いているディスプレイに市街地の模式図を映し出した。市内各所に無数の光点が有り、なんらかの電子回路に見えた。

「国会レベルで未だ結論が出ていないのですが、第二段階として彼等の自治活動に外部から干渉してその他の犯罪を抑制する必要があるのです。」

「・・・! エンジェル道。」
「そうです。」

 と、にこと彼女は微笑んだ。柔らかな日差しを思わせる、底の無い明るい顔だ。これがこの女の武器なのだな、と鈍い能登子にも分かる。

「関与し、場合によっては人事にまで踏み込んで、難民収容街区を安全なものに変革させます。ただし、相手があいてですから表立ったオペレーションではトゲが刺さります。関与している事を気付かれないように、ささやかに密やかに、しかし断固として行います。統則ロボット隊はそのお手伝いをしてもらいます。」

「ようやく理解が行きました。何故私なのか。単なる警察の特殊部隊的な活動ではなく、軍の浸透操作作戦をやるつもりなんですね。嬉しくはありませんが私は、その手の作戦では日本でも十指に入ります。」

「という事です。後はおいおいと相談して行きたいと思っていますが、たぶん全てを理解出来るようにはならない、とお考え下さい。私は統則ロボットだけに頼ってこれをするのではないのですから。」
「了解しました。」

と、能登子は席を立つ。毅然としているが、内心ではえらいことになったと途方に暮れていた。やっぱりるぴかは転校させよう。

「あ、それからこれを。お嬢さんに。」

 会議室の扉を開けようとする能登子に背後から声を掛け、円城寺蓮は右手の紙の小箱を手渡した。二人とも立ってみると、やはり蓮の大きさが際立った。能登子だって身長は170センチあるのだから小さくはない。だが、スペック以上に彼女は雄大さを感じさせるオーラを持っている。拒む事を考える余地も無く、御辞儀をして箱を手に部屋を出る。敬礼の方がよかったかな、と気付いたのは廊下を歩き出してからだった。

 

「招き猫でしょ、それ。」

 統則ロボット隊市内高速展開部隊の控え室に戻って来た能登子に、開口一番嵐山どろっぷ巡査は言った。蔡典子は能登子からの恣意的なリークによって、面談の内容のかなりの部分を知っている。

 円条寺蓮からもらった小箱の中には、小さな招き猫が入っていた。プラスチック製でスイッチがある。入れてみるとブルブルとしばらく振動して、止った。もう動かない。

「あ、これ。るぴかの学校の傍にあったののミニチュアだ。」

 ひっくり返して足の裏を見ると、都市環境恒常性研究委員会、と書いてある。

「そうか、あの模式図の光点は、巨大招き猫の配置先だったんだ。」

 装着型コンピュータのイメージ記録を再生して先程の図を出して正式な地図と照らし合わせて見ると、やはり新廣嶋第8天応小学校の傍にも光点があった。してみると、巨大招き猫で難民を犯罪を制御するつもりなのか。

「この招き猫、私ももらいました。典子が早速ばらしてみましたが、特に問題は無いようです。」
「中身は何?」

 典子が答える。彼女はソフトウェアのみならず、ハードもそれなりに詳しい。

「指向性超音波スピーカーとパッシブ測遠計ですね。ミリ以下の運動も感知出来る高性能のですが、さほど高価なものではありません。」
「用途は?」
「さあ。」

 正直、この招き猫に使われているのは電気仕掛けのオモチャに使うような部品ばかりで一個1000円程で作られている。ぶるぶる動く以外の機能も無いとなれば店で売るのもためらわれる。バックに国や政府が付いているからこそ量産が可能なのだろうが、路上の巨大招き猫と同じく先程の地図が無ければ見過ごしてしまうところだ。

「内蔵コンピュータのプログラム、解読できる?」
「やれと言われればやりますが、たぶん極めて簡単な仕掛けですよ、これ。目的が分からないと何をやっているかも理解出来ないと思います。」

「目的は、・・たぶん、対人だ。」
「対人てのは、・・・ああ、そういえばこういう構造の地雷があったような気がします。指向性爆弾を人が居る方に向けるてのが、ちょうどこんな感じですよ。」

 製品の方向性がようやくに見当が付いて、がぜん典子はやる気になった。

 能登子は昨晩の当直だった嵐山どろっぷに出動報告を聞く。

「2034、猫救出に出動、てのはなんだ?」
「電柱に登った猫が下りられなくなってにゃーにゃー鳴いていたのを近所の人が通報してきたものです。運悪く、市長の方にも苦情が持ち込まれて。」
「上からの指示ね。首尾は。」
「タコハチを上らせて精密作業用アームで確保しました。これ、訓練用に最適です!」

 彼女達統則ロボット隊の隊員は新設時に採用され訓練を受けたから、最長の蔡典子でも3年の経験しか持たない。今でも月に一度は訓練センターで習熟訓練を行っている。生物を生きたまま捕獲するミッションの難度は最高レベルで、認定証明をもらわなければ対人の任務で実践する事が許されない。マニュアル操作では。

「翌0308、戦闘用サイボーグが酒場で拳銃を振り回して暴行、人質を取って篭城、というのは。これほどの事件なのになにも上がって来てないけれど。」
「それはー、出動したのはしましたが、説得に応じて投降しましたから。」
「なんだ。」
「元々お酒飲んでくだ巻いてただけですから、警察を呼ぶほどの騒ぎじゃなかったんですよ。38口径だし。」

 住民が日常的に防弾服を着用している巷では、旧世紀の遺物ともいえる38口径のピストルはエアガンと同程度の脅威でしかない。当たり所が悪ければ死ぬには違いないが、個人防衛用の非殺傷兵器の方がよほど強力だ。

「でも戦闘用サイボーグなんでしょ。データ回して。・・・なにこれ?」
「なにこれ、なんです。えーと風祭研一34歳、機械工。43年、陸戦機動歩兵科二士としてフィリピンに派遣中事故により右薬指小指切断。人工指移植処置を受ける。復帰後そのまま任務を続けて45年に除隊、以後二度転職していますがいずれも戦闘とは縁の無い普通の職業です。戦闘用サイボーグ登録はミスなんじゃないかと思ったんですが。」

 能登子は自分の従軍経験から分かるのだが、その当時の日本国軍は負傷による四肢の欠損に対して、クローニングによる代替肢の移植ではなく、人工物による短期の機能回復をもっぱら行っていた。その理由は電脳化が種々の理由により機密保持に不適当とされ禁止された反動で、末梢神経にデータコネクタを挿入して肉体の外部に情報を引き出すアウトプラグと呼ばれる手法での人機融合を狙っていたからだ。

「つまりは、指に接続ソケットを付けて外部機器の操作を直接可能にしたのよ。このソケットに自動照準ライフルを接続したら、並の特殊部隊員では叶わない程の反射神経、命中率が実現されるのね。」
「へー。でも持ってたのは50年以上前の照準カメラもくっつかない古銃ですよ。」
「あー、指にカメラでも付いてるのかな。」

「隊長!」

 

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