ピルマル薔薇園の解放

ピルマル歴240年7月

 6月24日に起こった反体制活動家エヌク・ヨハリソンのリンチ殺害事件は、7月13日に警察当局より、反政府組織内部での仲間割れによる抗争事件として発表されマスコミ各社はそのまま報道した。

 しかしその三週間の間に、これが内務監察治安部によるものである事がテレメール通信網の裏回線を通じて全市民の知るところとなっており、この虚偽の報道をきっかけに全国規模での一斉デモへと拡大する。

 デモは約2週間続いてついには首都マルカハイ近郊で暴動騒ぎを起こすまでに発展したので、中央政府は第2首都防衛軍を動員して鎮圧に当たった。

 だがこの治安出動のさなかより決定的な事件が起こった。

 7月22日。ピルマル理科工業第1特殊兵装販売部長ヨン・ヨト・キオンの乗った自動車がデモ隊に取り囲まれ暴行を受けたとして車載した武器を起動、8人が重軽傷を負うが却ってデモ隊の攻撃は激しくなり、ヨンは軍に救出を要請、ただちに一個小隊が向かって電気銃の水平射撃を行なって救出した。

 この時は電気銃による攻撃であったため負傷者は出なかったのだが、電撃を受けて意識不明のデモ参加者達をヨンが男女を問わず蹴って回る姿が一般民衆によりムービーテレコで撮影されテレメールで放送されたのだった。

 ヨンの救出に当たった小隊隊長デンモルク中弐尉は、兵に彼を抑えさせ暴行をやめさせたが、ヨンはピルマル理科工業の権威を振りかざし更にデモ参加者の射殺を要求した為、平手打ちをして拒絶した。ヨンから事件の顛末を報告されたピルマル理科工業は政府要人に働き掛け、軍上層部はデンモルク中弐尉を解任、拘留する。

 この措置に対して第2首都防衛軍は激しく反発し、更に市民団体に情報がリークされるとデモは一気に拡大、ピルマル理科工業に対しても矛先が向けられ、全土のピルマル理科工業支店は焼き討ちされた。

 政府は事態を静める為に第2首都防衛軍を撤収、代わって首都近衛兵団、ピルマルレレコ親衛隊による治安維持に当たり、ヨンを車載武器の使用による傷害罪で逮捕した。

 これにより首都周辺は沈静化したが、周辺都市や地方では暴動は更に激化、特に西部の中核都市マルハミィ、マルハミラは中央政府より派遣されている総督が脱出するまでに至った。

 7月30日。ここに至って政府は全土における無期限の戒厳令を布告、全中核都市で防衛軍が市内に進入して治安回復を図る事とした。また、経済活動に多大の損害が出る事を怖れてこれまで行われなかった、テレメール通信網の無期限閉鎖が決行され、無線放送も大きく制限された。

 だがこの措置は完全に裏目に出た。

 情報が遮断された民衆は新聞や放送の報道をまったく信用しなくなり、口コミで 情報交換を行なっていたのだが、戒厳令が発令されてから一ヶ月、夏の終わりにある一つの噂が発生する。

 「ピルマルレレコは既に死んでいる」

 この噂はそれまで民衆のタブーとなっていたピルマルレレコの権威に対する 反抗という新しい状況を産み出し、各反政府勢力は路線の修正の為に一旦活動を停止した。より穏健な勢力やこれまでのデモ、暴動に反発を覚えていた一般民衆にとってもこの噂は奇妙な現実感をもって受け止められ、社会は全体的に異様な沈静を見せる事となる。

 政府はこの状況をまったく認識できなかった。現象的には各地の治安は回復しデモも暴動も終息したため、戒厳令の解除を決定。首都マルカハイを除いて防衛軍の撤収も開始した。

 9月1日。未だテレメール通信は封鎖されたままで夏は終わり、学校が新学期を迎えた。だが生徒達の話題の中心は「ピルマルレレコ死亡」の噂で、新しい伝達ルートを得た噂は、これまでは不確定情報として状況を見守っていた民衆の間に確実な情報として一気に拡散した。

 噂は民衆にまったく信頼されていないマスコミをも動かした。当初は政府発表どおりに「ピルマルレレコ健在」を報じていたマスコミ各社も、まったく動きを見せない政府に対して次第に非協力的になり、ピルマルレレコの生存を示す確かな証しを求めてのキャンペーンを行った。

 政府はこの要求に対してまったく動かなかった。従来通り「ピルマルレレコは健在で、ピルマル薔薇園で研究活動を行なっている」という声明を発表するだけで、生存の証明を何も出さなかった。

 その内に、これまでピルマル理科工業と近い立場にあった各地の大学が、この30年間にピルマルレレコが何の科学理論も機械も発表していない事に不審の念を示し、マスコミ各社も同様に一度の記者会見も撮影も行われていない事を暴露するようになった。

 だが政府は動かなかった。「ピルマルレレコ死亡」の噂はもう百年の昔から定期的に発生しては消えていったので、今回もすぐに沈静化するだろうと静観していたのだ。

 9月27日、テレメール通信網復帰。これは経済の停滞が市民生活に重大な混乱を引き起こし始めた為であり、その復帰も官公庁、軍や企業に限って、しかも首都マルカハイを経由する回線のみとして各都市同士を直接に繋がない様に十分な注意を払ったものだった。

 9月28日、マルカハイ中央株式取引所、大暴落。テレメールが復帰して再開した株取引は予想通りに大幅な値下がりを見せる。

 9月29日。東南部の都市マルブフハイで狂女踊る。この女は大暴落で破産に追い込まれた為に狂ったとされているが、彼女は自分はピルマルレレコの生まれ変わりだと称し、かって地下に葬った古の魔法の生き物達をこの世に復活させると大声で喚いて回った。彼女は誰にも制止される事もなく2時間以上マルブフハイの中心街を踊って回った後警察に保護される。その直後、マルブフハイ近郊に眠っていた銅翼龍(カッパードラゴン)が目覚めて都市上空を飛行した。マルブフハイ防衛軍の戦闘機2機が緊急発進、龍に発砲するも逆に2機とも撃墜される。龍は首都マルカハイの方向に向けて飛翔したという。

 この事件はテレメールの裏回線でまたたく間に全土に広まった。ピルマル理科工業はテレメール回線による通信事業も独占しており、この種の怪情報はすべて盗聴して削除していたのだが、動力線に信号がリークするというバグを利用した裏回線は中心のサーバーを経由しないでテレメール回線から直接読み取れるので抑える事ができなかった。もともと裏回線は1キロメートル以下の通信しか出来ず、個人の通信機の無数のリレーを通して情報が流通しているので原理的にもピルマル理科工業にはどうしようもなかったのだ。

 10月1日。この日は全国で一斉にデモがあった。暴力的なものではなく、むしろ淡々と静かに市民が集まってきて自然発生的にデモになったもので、その目的は勿論、政府に対して「ピルマルレレコの生存の真否を明らかにする」事を求めるものだった。

 これに対して政府は警察の治安部隊を派遣して抑える、また従来通りの声明を発表したが、警察官といえどもピルマルレレコ死亡の噂の真偽を確かめたいのは一緒だったので、なしくずし的にデモ隊は各都市の知事公邸や官庁になだれ込んでいった。

 だが地方自治体の首長もまたこの件に関しては情報を得ていない事は同じだったので、各地方の知事、市長、村長、中核都市の総督の連名による中央政府に対する公開質問状の提出と最高裁判所にピルマルレレコ生存に関するあらゆる政府情報の開示を申請した。

 10月5日。中央政府首相幹事 トゥグ・吉プルルは全土に向けて特別会見放送を行なう。それは今回のピルマルレレコ生存の真偽を問う公開質問状に対しての正式な解答であり、彼は明確にピルマルレレコの生存を表明し、同時にピルマルレレコが病に冒されており通常の状態では無い事を明らかにした。また、近日中に容体が良ければ特別にピルマルレレコのテレビインタビューを実施する事を全国民に確約した。

 10月7日。各地のデモは終息したが、広場に人が途絶える事は無くピルマルレレコの病気平癒を祈念する市民集会へと変化した。

 首都マルカハイでは再び第1、第2首都防衛軍が市内に進入して東西に配置、ピルマルレレコ親衛隊はピルマル王宮正面に布陣して市内中心部は封鎖された。またピルマル理科工業の武装警備隊も市内の本社ビルを囲んで警備を強化した。

 同日、ヤン・ヨト・キオン不起訴決定、釈放。また夏のデモ、暴動で逮捕された民衆のうち、反政府組織の構成員でない者も釈放された。その数24.501人。

 10月10日。ピルマルレレコの会見インタビューの特別番組が放送された。

 この番組は当初録画で行われる予定だったが、最高裁判所長官 ミドリ・アンカラの勧告で生放送となる。会見場はピルマル王宮翔鯨の間、中央噴水となる。ここはかってピルマルレレコが私的な客に会う時に使ったとされる場所であるが、最後に使われたのはすでに40年も前の事である。

 この会見に参加したのは首相幹事 トゥグ・吉プルル以下の閣僚15人、地方中核都市総督8人、全人間最高議会上議長 住ミ・キリクルル 下議長 シンボ、最高裁判所長官 ミドリ・アンカラ。

 人間博士会総帥 キンドルフ ピルマル科学アカデミー総裁 立花マント、ピルマル理科工業社長代行 ユウ・コウベン・スゥク。

 他に各テレビ局、新聞社代表が10人。

 それにピルマル科学研究会主宰であったミツトノ・リトリの末孫であるミツトノ・レレコがインタビュアーとして指名された。

 10月10日午後2時00分 特別放送開始

 全土全国民が注視する中、テレビ中継は首相幹事トゥグ・吉プルルの釈明から始まった。彼はピルマルレレコの容体は思いの外悪く、この病が地球に固有の大気に起因するものでピルマルレレコの解析能力をもってしても治療法が見つかっていない事、またこの病気の為ピルマルレレコが異常放電を起こす為に普通の人間では近づけなかった事を説明し、国民に無用の心配を掛けない為にこれまですべての報道を制限した事を政府の責任によるものであると陳謝した。そして現在ピルマル科学アカデミーが総力を挙げて治療法の研究を行なっており必ずピルマルレレコは快癒すると約束した。

 そしてミツトノ・レレコによるインタビューが開始される。

 ミツトノ・レレコは若い時分にピルマルレレコの侍女をしていたとして国民に知られている。ピルマルレレコに会った事のある「民間」の生き証人としてこれまでもピルマルレレコ死亡の噂が流れた時は彼女の下にマスコミ各社は駆けつけ、否定するコメントさせてきたのだが、今回彼女もこれまでピルマルレレコに会えなかった。

 ピルマル王宮翔鯨の間 大理石で作られた真っ白い噴水の前にピルマルレレコは座っていた。彼女は全身から青い光を放っておりテレビカメラでは輪郭がぼやけて見えた。ピルマルレレコが公共の場で最後に姿を見せたのはもう40年も昔になるので一般民衆は誰も本物を見た事がない。だが光を発して神々しいその姿に誰もそれが本物のピルマルレレコである事を疑わなかった。それはこの会見に列席した面々も同じである。閣僚はともかく各都市の総督、民間報道各社代表も今回初めてピルマルレレコを見た。

 インタビューに答えるピルマルレレコは民衆の想像していた通りの姿だった。それは地上に降りた女神、誰よりも愛し慈しんでくれた人間世界の母、科学と進歩を教えてくれた偉大なる教師。ピルマルレレコは皆に迷惑を掛け心配させた事を謝罪し、自分の病気平癒を願ってくれた事に感謝した。そして今も自分が人類社会の役に経つ為に日夜研究をしている事を明かし、まったく新しい飛行機械の模型を見せてくれた。  この日のピルマルレレコは完璧だった。誰一人ピルマルレレコの健在を疑った者は居なかった。その時までは。

 話は自然とプライベートな事に移り、ミツトノ・レレコが侍女をしていた頃の思い出話になった。

 ピルマル薔薇園の中央にあるピルマル神殿で毎日蜜蜂の世話をして、ピルマルレレコが身体に停まった蜂がびっくりしないように放電を我慢していた姿をミツトノ・レレコが見て笑った話をしていた時、ミツトノ・レレコが大粒の涙をその双眼から流したのだった。この時61歳になる彼女が泣きながらインタビューを続ける姿にテレビの前の全国民は深い感動を覚えたが、ピルマルレレコの態度は彼女が涙を流す前とおんなじだったのだ。

 ミツトノ・レレコは涙を流しながらそのままインタビューを続けていく。そしてピルマルレレコは楽しそうに会話を続けていく。まるでミツトノ・レレコが泣いているのが見えないかのように。

 そして。

 ミツトノ・レレコはいきなり席を立つとピルマルレレコの膝にすがっておいおいと泣き出したのだった。更に「やめて、もうやめて、偽者のレレコさまを喋らさないで」とピルマルレレコの身体を大きく揺すり始めた。

 その場に居る者は全て硬直し、一体何が起こったのか理解できなかった。だが最初に理性を回復して動いたのは首相幹事トゥグ・吉プルルの腹心として知られる内務監察治安部長ベイギルだった。彼は大臣では無いが治安維持に関する説明の補足をする為に特別にこの場にいる事を許されていた。彼は逸早く事態の異常を認識し、ミツトノ・レレコを抑える為にカメラの前に飛び出した。だが、彼が押さえつけるとミツトノ・レレコはより一層ピルマルレレコを揺すり、大きく傾け、ベイギルが無理やりにミツトノ・レレコを引き剥がした時、反動でピルマルレレコは噴水の中に落ちてしまった。

 水に落ちたピルマルレレコは爆発した。電気回路がショートし発光部分の電極がスパークし、モーターが異常回転してピルマルレレコの部品を引きちぎり表面カバーを突き破って歯車を周囲に散乱させた。

 この会見で使われたのはピルマル理科工業が作ったよく出来たロボットだったのだ。これの原形はピルマルレレコが200年前の「ウロボロスの角煮の戦い」で勝利した時のトリックで使用したものだが、その設計図がピルマル理科工業にまだ残っていたのだった。ミツトノ・レレコはトゥグ・吉プルルとベイギル、そしてピルマル理科工業社長代行ユウ・コウベン・スゥクに芝居をしてピルマルレレコが健在である事を証明するよう強要されていたのだ。

 すべての人間がその時凍りついた。この光景の一部始終を見つめていた国民は皆、ピルマルレレコが本当に死んだのだと理解した。

 特別放送はそこで中断終了し、黒いテロップが流れたままでテレビ放送は夜まで回復しなかった。

 放送終了直後から全国全都市で全市民が一斉に暴動を引き起こした為である。

 その夜の暴動は悲しかった。誰も民衆を止めなかった。警察も防衛軍も民衆を規制しようとしなかった。前の暴動の時には何重もの兵隊の列に守られた官庁街も今度は誰一人守ろうとしなかった。公務員でさえ暴動の列に加わっていたのだから。各地で庁舎に火が掛けられ空を焦がすような炎が漆黒の闇に消えていく。どこからともなく、街の至る所からすすり泣きの声が聞こえてくる。何十万人もの嗚咽が炎と共に天に昇っていった。

inserted by FC2 system