温泉忍者姉妹 日本列島巨魔退治之旅

 

第一話 すふれ銭湯に立つ

 

 日本古伝忍術蓬松流宗家十八代を襲名したばかりの女子高生 唄方すふれは、父に道場に呼び出された。

 忍者が堂々と道場を構えたり宗家を名乗るのもなんだとは思うのだが、そこは気にしない。
 肝心なのは、すふれが若干十五歳でありながら姉を差し置いて宗家を名乗る羽目になった経緯である。

 道場には親戚一同数十名の大人が詰めている。あらかた爺さん婆さんで、若いのは姉一人くらいか。
 宗家十七代 唄方外郎が正面神棚の前に座る。忍者の神様は天狗の祖とされる猿田彦大神だ。流派によって違うけど。
 学校の制服で来たのはまずかったかなーとは思うが、忍者は世間一般日常の空間に紛れ込む者。人に怪しまれてはおしまいだ。
 父の教えの通りにこれで良い。と覚悟を決める。
 一方父は純白の羽織袴というめでたい姿。まだ40そこそこだから、それほど貫禄が有るようには見えない。
 平々凡々サラリーマンの態を装うところが、優れた忍者の証だろう。

「すふれ、参りました」
「うむ」

 道場中央に唯一人座らせられるのも、襲名式以来。自分で言うのもなんだが、あれは酷い試練であった。よくぞ命が残ったものだ。
 とばっちりで母淡雪はもう2ヶ月も寝込んでいる。
 心配性の母は戸の陰から娘の試練を覗いて居たのだが、それを知らずにすふれは爆発手裏剣を道場の外に蹴飛ばした。至近で食らった母が餌食となる。

「すふれ、何故優れた姉でなく己が宗家十八代に選ばれたか、分かるか」
「いえ父上。さっぱりです」

 二つ歳上の姉めれんげは眉目秀麗成績優秀、忍者の腕前も自分よりは遥かに優れる。襲ぐとすれば当然お姉ちゃんと思っていたのだが、

「姉は婿を取って唄方の家を継ぐ男子を生まねばならぬ」
「はあ」
「十八代宗家当主は十六歳で死ぬのだ」

 へ?

「百五十年も前から予言されている、確定した未来だ。故におまえに任された」
「父上、ちっとも理解出来ません。もう少し丁寧な説明をお願いします」
「うむ、まあ分からんだろうな……」

 話せば長い事ながら掻い摘まんで説明すると、黒船ペルリが悪いのだ。
 西暦一八五三年アメリカ合衆国海軍東インド艦隊ペリー提督は日本に開国を迫ったが、もう一つ恐るべき任務を帯びていた。
 すなわち「巨魔の封印」。
 新大陸を征服したヨーロッパ白人は、当地の禁忌など弁えずさまざまな呪術魔術的結界を破壊して行った。
 ネイティブアメリカンの呪術師によって封じられていた『世界に終りをもたらす者』巨魔もまたその一つ。
 人の世を幾度と無く滅びに追いやった存在を、アメリカ最大の金鉱脈の霊力で封じ込めるのに成功する。封印には永続的な呪術処置を必要とした。
 そんな事とは露知らず、白人および後に成立した合衆国政府は金欲しさに、うっかり呪術師の部族を滅ぼしてしまう。
 当然報いが訪れた。

 しかし救いは有る。呪術師が残した精霊の予言だ。
『吾を東方の彼方の土に投げ棄てよ。汝らは時の輪の再び巡り来る朝までは安楽を得よう。されど巨魔は必ず復活する』
 というわけでペリーは「東の果て」日本に巨魔の封印を押しつけた。
 或る意味ベストな選択だったのかもしれない。
 日本には古来よりの悪霊調伏の手法や術者が未だ多数存在する。欧米ではすでに失われた精霊との交感も行われる。
 忍者もその一つだ。単に呪術的な束縛のみならず物理的現世的な手段にて魔を封じる特殊技能者、それが正統忍者である。
 戦国の世のはるか昔より戦争とは呪術の戦いでもあり、敵の術者を倒すのは常人では不可能であったのだ。

「というわけで、時の徳川幕府より巨魔の封印は我らに託された。禍をひそかに処分するのを任されたのだ」
「はい」
「だが幕末の動乱により徳川幕府からの処分料の支払いが滞り、そのまま放置。明治新政府よりも得られなかった為にほったらかしにされてしまう」
「しかたのない事だと思います」
「とはいえ気になって、代々襲名時には新当主が『封印』の様子を確かめるのが慣例となった。私もそうした」
「はい」

 やっと本題に入る。つまりすふれが十八代になったからには、それの状態を自ら確かめねばならぬのだ。

「であるのだが、一九九九年七の月、悲劇が起ってしまった。何者かにより封印が破られたのだ」
「なんですって!」
「悪気があってやったわけでは無いのだろう。幼子のやる事ゆえに仕方がないと言えなくも無い。だが決して許されるものではない、本人が償わねば」
「はあ」
「……覚えてないのか、すふれ」
「えーとー」

 なんとなく記憶が有る。一九九九年と言えば自分は四歳か。あまり覚えてはいないが、母や姉の話だとめちゃくちゃな悪戯をやりまくっていたらしい。

「無論我ら蓬松一党も手をこまねいていた訳ではない。今日まで様々に巨魔を封じる手段を研究し幾度も試みたが、いずれも効果が見られなかった」
「……はい」
「かくなる上は蓬松流最終奥義、禁爆炎冥鎖を使うしかない。巨魔が復活する瞬間に大量の爆薬を用いて術者ごと封印する、宗家当主のみに許される封禁法だ」
「     。」

「すふれ、済まぬな」
「うわああああああ、すふれちゃんああああああああ」

 背後に控える姉がいきなり泣き出した。やはり、妹に隠れて事情を知っていたのだ。

 大人達にはその他諸々の打ち合わせが有る。すふれと姉は道場から追い出された。
 母屋に帰ったすふれは、茫然自失。付いて来た姉はしくしくと泣き続けるばかり。
 考えてみればおねえちゃんが泣く姿など自分の記憶には無い。
 いつも明るくいつも優雅で失敗に縁が無く、幼少より忍術体術に優れ子供相手の喧嘩では不敗を誇り、技芸とくれば何でもすぐに玄人はだしに上達する姉に、涙は必要は無いのだ。
 それに比べて自分はと来れば、……天の神さまはよく考えてくれているなあ、と感心する。

 だからと言って運命に抗う努力を諦めるわけにもいかない。なにせ自分の生命だ。

「おねえちゃん、巨魔についてどんなこと知ってる? なにかまだやってない方法とか無い?」
「ううすふれちゃん、ごめんなさい」

 そして自分が取って代られたなら、と何度も何度も繰り返す。姉の姿にすふれは気付いた。
 あ、これ、代わる事出来るんだ。自分から巨魔を取って、他の人に移せるんだ。
 しかし許されない。
 姉の性格であれば積極的に、いや強引にでもすふれから悪を引っこ抜いて自分に移し換え、嬉々として自爆するだろう。
 だが姉ではダメなのだ。
 すふれにこそふさわしく、そのとおりにくっ憑いているから、これ幸いと奥義を使う。

 姉と自分の違いはなにか?
 すふれは小学校時代からの通信簿の記述を思い出す。
 『すふれさんはもうすこしがんばりましょう』『なにごともあきらめずにさいごまでがんばりましょう』『しゅくだいはちゃんときじつまでにていしゅつしましょう』『もっとがんばれFIGHT!』

 うん、巨魔はダメ人間が大好きなのか。

「ううすふれちゃんどうしよう、どうしたい? 何がしたい、おねえちゃんなんでも言う事聞いてあげる」
 と言われてもですね、おねえちゃん。すふれは別にこれまでとなにか変わったところも無いし、死ぬまでにやるべきなにかも無いし、……困ったな。

「とりあえず、おねえちゃん。あのね、学校もあることだし忍者のお仕事もあるし、これでもわたし宗家十八代だし」
「学校! そうね、学校があるわ。そうだ、明日私もすふれちゃんの学校に転校しましょう」

 姉の顔がぱっと明るくなる。めれんげは高校三年生、偏差値も高い私立の名門お嬢様学校である。
 対してすふれは公立の普通の高校。取り立てて頭悪くないが、姉の学校に比べればさすがに落ちる。

「いや、おねえちゃんそこまでしなくていいから。わたし自分でなんでも出来るよ」
「ええそうですわ。毎日四六時中すふれちゃんの傍に居ましょう。姉妹なんだからそれが当然よね」

 姉に欠点があるとすれば、思い詰めたら周りが見えずに猪突猛進する所だ。肝心のすふれが言うことを、もう聞いてない。

「そうよ、禁爆炎冥鎖を使う最期の日まで、私達姉妹がこの世に生きた思い出をたくさん作りましょう!」
「ああおねえちゃん、あの、そのあんまり頑張らなくていいから、」
「ええすふれちゃん、すふれちゃんは何も考えなくていいからね。私が何でもやってあげる。任せて!」

 

 翌日。
 すふれの学校「丹生四区高等学校」は春満開。校庭に桜も咲いている。
 新入生であるすふれは一週間前に入学したばかりで、希望に胸を膨らませていた。昨日までは。
 校門に入って来る未だ中学生ぽい幼い子に、各クラブの部員勧誘が群がっている。

 唄方すふれは忍者である。運動神経抜群でスポーツ万能を買われて、中学時代は色んなクラブの助っ人で活躍した。
 令名はもちろん高校にも轟き、各運動部は挙ってすふれに殺到する。
 が、

「どきなさい、すふれちゃんに触っちゃダメです!」
「え〜おねえちゃんー」

 めれんげおねえちゃんがボディガードのようにすふれにぴたりと付いて、群がる勧誘を斥ける、蹴飛ばしている。
 長い栗色の髪をなびかせる今時珍しいたおやかなお姉様に殴られて、女子の先輩達はなにがなんだか分からない。
 周囲で同じように新入生を勧誘していた男子先輩も、見たこともない美人の乱暴狼藉に目を丸くする。

 すふれは、まあ多分そうだろうなとは思いつつも、姉に尋ねる。

「おねえちゃん、転校の手続きはもう済んだの?」
「ええ。校長先生のお宅にお邪魔してお願いして来たわ」

 どうりで朝御飯の時に居なかったはずだ。
 忍術宗家唄方の朝は早い。稽古の為にすふれは五時に起きて来るのだが、おねえちゃんもう家に居なかった。
 旭日が登る遥か前から校長先生のお宅に押し掛けていたに相違ない。

 ただ残念ながら、おねえちゃんは三年生である。一年生のすふれと同じ教室には居られない。
 無念のほぞを噛みながら割り当てられた自分の教室に行って大歓迎されたのだが、一限目の休み時間には早速すふれの教室に顔を出す。
 新しく出来たすふれの友達もびっくりだ。

「おねえちゃん」
「なにすふれちゃん」
「その制服どうしたの?」

 めれんげは丹生四区高校女子制服をちゃんと着ている。彼女の為にあつらえられた、完璧にフィットした姿にこれが前々からの計画だと知る。

「こんなこともあろうかと、すふれちゃんと同じのを用意しておいたのよ」
「うー、まーいいか」

 だが言うべきことは言う。おねえちゃん、毎回休み時間に来るの禁止。
 悲鳴を上げ妹の名を呼び続けながらも帰って行くおねえちゃんを横目に次の授業の準備をするすふれに、おともだち多田野香矢が尋ねる。

「おねえさんは、」
「唄方めれんげ」
「め、メレンゲ! スフレにメレンゲですかい。でも三年生なのにわざわざ転校して来なくても、受験生でしょうに」
「おねえちゃんはああいうヒトです」
「う、うん」

 これは聞いてはならねえ事だと理解した香矢は、さすが忍者は只ならぬと認識を新たにする。

 

 NINJA。
 ところによっては乱破とか素破、しのびの者、草などなど様々な名で呼ばれているが、主に戦国時代に活躍した諜報及び潜入工作専門技術者として知られる。
 かって映画やテレビで荒唐無稽な忍者像が無責任に描かれ人々に誤解を与えた為か、より合理的に史実に正確な姿を明らかにしようと現在では試みられる。
 21世紀の日本人にとっては、単なる特殊工作員という理解だろう。

 そんなことは有り得ない。
 単なる小領主同士の小競り合いである桶狭間の戦いでさえ、あれほどの熱意と努力を以って長年の研究を続けても、実像があいまいで「これが史実だ」と結論出来ないのだ。
 裏に隠れて生きた人の真の姿を、資料が無いに等しい現代で明らかに出来る道理が無かろう。
 そもそもからして忍者の起源すらまったく誤解されている。
 人に紛れて密かに敵の情勢を窺う。怪情報を流し内応を促し謀反を唆す。火付け盗賊拐かし暗殺などもする。
 この程度は世界中どこでも、社会と呼ぶほどに人の数が集まれば自然に発生するものだ。特筆に価しない。
 闇に蠢く彼らが「忍術」を得た時に、初めて「忍者」となったのだ。

 日本において忍術らしき技能が史実に現われたのは、西暦672年。後に天武天皇となる大海人皇子が「遁甲」の術を用いて自ら活躍したとある。
 天皇自らだ。
 海外から導入された最新尖端技術であったろう、と容易に推測出来る。

 「遁甲」といえば、やはり有名なのは三国志諸葛亮孔明。奇門遁甲八陣の計で呉の陸遜を欺いた故事が有名だ。
 なに、あれは三国志演義で史実ではない? だから言っただろう、史実なんか分からないのだ。
 魏呉蜀の三国は日本では卑弥呼の時代。忍者が活躍した戦国時代からさらに1300年も前だ。
 テレビも無ければ新聞も無い、ケイタイも無い世の中で、人がどれだけの情報を知り得たか。孔子は怪力乱神を語らずと説いたが、合理的に否定したのではない。説明に窮するからやめたのだ。
 「正史」に「史実」として記されるものは、現実のほんの触りに過ぎない。後世客観的に見てつじつまが合っていると思われるシナリオを綴るだけ。
 合理的に見えるはずだ。

 だが実際は、当時であっても「わからない」、が正解である。
 マスコミが大発達し多大なコストを掛けて取材合戦を繰り広げる現代においても、政治の中枢、あるいは軍事の現場の実相がまったくにリアルに語られる事は無い。
 知ってるという奴は大法螺吹きだ。

 信じられるのはただ一つ。現在まで遺っているものだけか。
 日本古伝忍術蓬松流を以って、例としよう。

 当流が敵とするのは、「軍師」だ。
 軍師とは、兵法を用いて自らの集団を戦にて勝利させる者。更には政治外交にも進出して、自らの主人・国家を他よりも有力に隆盛させる者。
 この認識にほぼ間違い無い。問題は手法だ。情報伝達手段が乏しい中、合理的論理的な方法のみで実現出来るものではない。
 一方で、彼らが生きたのは宗教の世紀。無知蒙昧な民衆があちらこちらの神様仏様を崇め奉り、威光を借りて現実世界でも利を得ようとする。不思議がひたひたと身を抉る現実だ。
 軍師は時代の波に乗り人々を効果的に動かして、兵を勝利させる。
 勝利を獲得出来るからこそ合目的であり、合理なのだ。逆ではない。

 というわけで、彼らは魔術を巧とする。主の為に吉凶を占い、縁起を担ぎ、必勝の信念を兵に授ける。史家もこれは疑わない。
 その上で采配に口を出し、兵法を以って勝利に導く。だが重要なのは兵法ではなく魔術の方。
 何故ならば、兵法にて勝利を得たと理解されれば戦場の功名はすべて軍師のモノとなる。前線で戦った兵も、将帥も面目丸潰れ。部隊維持に非常に良くない雰囲気を産み出してしまう。
 そんな空気も読めない奴に、軍師など務まろうか。
 いかにして自らの存在を消し、主の采配に最大限の権威を認めつつも裏では合理的論理的な作戦を展開し、将兵共に努力精進を積み重ね困難な勝利をもぎ取ったと誤解させるか。
 「おまえが居なくても勝てたのう」という御館様の言葉こそが、軍師血の涙にじむ成果なのだ。

 自然、彼らは人を遠ざける。常のヒトとは異なる存在と誇示することで自らの立場を神格化し、魔術の効力を高めるのだ。現代のマジシャンと同様だ。
 当然彼らが召し使う独自の手勢も、人外となる。忍者もその一つではあるが、修験者山伏神人といった宗教勢力が挙げられる。
 そして、ほんまものの妖怪変化や鬼神も用いていた。勿論常人の目には見えぬ。
 見えぬが居る、が当時の人の一般常識だ。「オニ」は「隠ぬ」の転、とはよく知られる事実。

 見えぬモノには誰も勝てぬ。勝てぬから、勝てる技術を持つ者を雇う。
 これが正統忍者である。
 だが本当にソレは居ないのだろうか?

 日本史上最大の戦争と論ずるまでもない大東亜・太平洋戦争。合理をベトンで塗り固めた近代戦争においても宗教勢力、魔術の影は色濃く差す。
 「鬼畜亜米利加國の首魁、大統領ロォズヴェルトが密教の調伏によって頓死した」というは、その筋の者なら誰もが心得る。

 軍師、未だ健在なり。
             (テストで引用すると死にますよ)

 

「なるほどねえ」

 多田野香矢は本気で感心した。さすがは忍法宗家、よくもまあべらべらと口から出まかせが出るものだ。
 すふれ、澄ましてえっへんと威張る。

「まあ実際、ホントにソレは居るんだけどね。だから当流では火薬を多用する」
「オニが火薬で吹っ飛ぶの?」
「どこに居るか分からないモノを攻撃するのに、火薬ほど適したものはありません」

 合理! さすが二十一世紀においてまで忍者を名乗るだけはある。こいつに近付いてはなんねえ。

 さて、毎時限ごとの休みにはおねえちゃんは来なくなったが、お昼休みには堂々とやって来るに決まっている。
 そこですふれはスカウトされた運動部に連絡して、テストしてもらう事にした。
 まずは体育館でやる女子バスケ部とバレー部から。

「すごい、すごい!」

 忍者無敵である。なんといっても跳躍力が常人の比ではない。
 成長の早い麻の種を播いて毎日飛び越える修行などは基本中の基本。今ではバレーのネットの上まで飛ぶ。バスケのリングに自分が入る。
 こんな奴に敵う者など居ようはずが無い。

「入って! すふれちゃん入って!」

 バスケ部バレー部の部長さん以下が涎を垂れ流しながら懇願するが、他にも欲しいクラブは幾らでもある。
 ずるいぞーとつかみ合いの乱闘となった。
 大人気すふれの姿を陰から見守る姿がある。

「ううすふれちゃん、皆のアイドルになりたいのね」

 姉のめれんげだ。今回先手を打たれてすふれ独占に失敗する。已む無く変装して体育館に侵入した。
 ちなみに、すふれに出来る事はめれんげにも出来る。忍者だから。
 とはいうものの若いすふれの方が体重が軽いから、もっとぽんぽん跳ぶ。フィギュアスケートと同じで今が最盛期だろう。

 多田野香矢がタオルを持ってすふれを迎える。おともだち一号としては、なんとなく鼻が高い。

「すごいねすふれちゃん」
「なあに大したこと無いよ、ぜんぜん本気じゃないし」
「まだ凄いの?」
「忍術の練習の時は、ボールの代りに火の点いた爆弾でああいうことするのさ。おねえちゃんと投げっこだよ」

 近付いちゃなんねえ、こいつら姉妹には。

 香矢の危惧は数時間後本物になった。
 放課後も同じように運動部に逃げると悟っためれんげは、いちはやく変装して掃除の時間から一年生に紛れ込んで居たのだ。
 髪を括って眼鏡を掛ければ、立派に不慣れな新入生。教師も含めて誰一人見破れなかった。

 こうしてすふれはめれんげに拉致され、仲良く家路に向かうハメに陥る。
 腕にしがみつき左右を警戒する姉に、すふれは困って言う。

「おねえちゃん、こんなところに敵なんか来ないから」
「いいえ、すふれちゃんは可愛いから油断できないわ。どこの悪が狙って来るか、」

 めれんげ、鼻をくんくんとさせる。なにか妹が変。

「すふれちゃん、汗かいてる」
「それはー、」

 まさかおねえちゃんが追い回すからとは言えない。
 だが忍者たる者少々の運動で息を切らせたり汗などかいてはならない。父に知れたら怒られる。
 めれんげは周囲を見渡して、いいものを発見する。

「あそこで汗を流しましょう」
「え? 銭湯?」

 ちいさい古い銭湯があった。午後四時、今開いたばかりだ。もちろん知らないお店である。
 一度思い定めたおねえちゃんに逆らう事は出来ない。のれんをくぐってちゃりちゃりと番台に料金を置く。

「うわあー」

 銭湯は古かった。古過ぎてハイカラにまで行着いた。いい感じにゴージャスな、まるでローマ浴場の趣さえある。
 よくぞ21世紀まで生き残ったと思わず褒めてしまう。

「ここは当たりね」
 めれんげも大満足。
 早過ぎてお客は二人以外誰も居ない。姉妹でちゃぱちゃぱするのに何の障害も無かった。

 お湯がじゃばじゃば出て来るのはライオンではなくグリフォンだ。おそらくは、番台に座っていたお婆ちゃんはこれを烏天狗と思っているだろう。
 さっと流してすふれはお湯に浸かる。
 高校一年生未だ十五才であるから、身体の線は固く青く、ほころぶ前の蕾のよう。弾ける活力が四肢の発達した筋肉を巡り、いつでも飛び出して行ける。
 こんな子が、来年の今頃は五〇トンの爆弾で焼き尽くされるとは。

 めれんげ思わず涙が零れる。ふくよかな胸に一滴落ちた。
 姉はすふれと違って身体に筋肉が付いているように見えない。ふっくらと柔らかく、女性としての魅力に溢れている。
 フェイクだ。これも忍術のひとつ、自らの戦闘力を隠して潜入する為に筋肉を分からなくする修行がある。クノイチの心得なのだ。 
 あくまでもやわらかたおやかな弱いオンナと見せ掛けてこそ、果たせる任務も有る。
 抱きしめてマッチョとバレてしまっては元も子も無い。
 事実格闘戦においては、すふれの倍の破壊力を持つ。一撃が重くて下手に食らうと立ち上がれない。

『なかなか、これはなかなか。絶景だな』

 はっ、と振り向く。男の声が湯気に響いた。
 忍者に気付かれずに女湯を覗くとは只者ではない。これは、まさか、

「すふれちゃんの肢体を狙って来たのねこのゴーカン魔!」
「おねえちゃん、なんて恥ずかしい!」

 男声は三十才前であろう。逞しさ精悍さ修羅場にも慣れた余裕が表現され、発する者はそこそこカッコイイ行動派であろうと推測される。
 忍者であるならば、武闘派の一番アブラの乗った頃であろうか。
 だがめれんげにはそうは聞こえぬ。
 「げへへ、ろりのはだかをぺろぺろとなめまわしてくれる」的変態野郎に脳内変換されて聞こえている。

 そこか、と投げる手裏剣をすふれが止める。おねえちゃん、さすがに爆薬付き手裏剣は使っちゃダメ。せっかくの銭湯が壊れちゃう。
 ちなみにすふれもめれんげも全裸である。手裏剣はどこに隠していたのだろう?

『フフフ、妹の方が冷静だな。さすがは蓬松流宗家十八代』
「あなたは誰? 敵、では無いわよね」
「いいえすふれちゃん、これは変態よ。すふれちゃんを狙って来たの」
『おいおい。そのお姉さんをちょっと止めてくれ。仕事の話ができないじゃないか』

 忍者は有り得ない場所で情報交換をするものだ。もちろんすふれも心得るが、さすがに女湯を覗かれるのは嬉しくない。
 何の用、とぶっきらぼうに尋ねる。
 すふれとめれんげの忍者姉妹はこれまでに幾つもの事件を処理している。遺恨があるとすれば、その線か。

『巨魔だ』

 姉妹は共に固まった。蓬松流内部での極秘事項にも関わらず、この男はもう嗅ぎつけた。
 めれんげ焦る。色には見せないが、彼が下手な台詞を吐く前に爆破してしまおうと考える。
 巨魔について、すふれに知られてはならない事があるのだ。

『心配するな御同業だ。我らは同じ徳川幕府より巨魔の処理を依頼された。蓬松流がちゃんと保管していてくれた間は、用も無かったがな』
「おねえちゃん、大丈夫みたいだよ」
「……ええ、」
『十八代に伝えておきたい話がある。蓬松流の大人達が隠している事だ』

 やはり。めれんげ左手を握り締める。銭湯に入る前に仕掛けておいた指向性爆弾を、今こそ炸裂させるべきか。爆破方向を男湯に向けておいて大正解だ。
 すふれは、だが聞きたがった。なにせ自分の運命についてだ。

『七つの輪具』
「え?」
『七つのリングだ。ペルリが日本に持って来たのは巨魔だけではない。制御する為の黄金のリングも持ち込んだ』
「それは聞いてないわ」

 姉が問い返す。巨魔についての情報はすべて把握していたはずなのに、そんな話は初めて聞いた。

『サスケハナ号には載せていなかったからな。二度目の来日時に持ち込まれたのだ』
「それがあれば、巨魔の発現を封じられるの?」
『制御の為、と言っただろう。発現した後に用いるべきものだ。これさえあれば』

 めれんげは怯んだ。今爆発させるべきか? だが聞かねばならぬ。ここまで知った以上は、

『これさえあれば、禁爆炎冥鎖が失敗した後でも対処可能だ』
「!」

 失敗? 無駄死にする可能性もあるのか。
 姉の顔を見て、真実だと知った。そうか、めれんげに巨魔を移せないのは、姉だと失敗の怖れがあるからだ。
 すふれは声に尋ねる。

「そのリングはどこに有るの。あなたは知っている?」
『うちの先祖が日本全国に埋めて廻ったと聞いているが、地図は無い』
「そう……」
『だが、巨魔をその身に宿す者であれば必ず見つけ出せるはず。心をしばし明け渡せば、行方を教えてくれるだろう』
「貴様!」

 それが、すふれには伝えてはならない事であった。心を開いて巨魔と精神を同一化すれば、十六才になる前に発現させられる。
 妹にはもう一つの生きる術があるのだ。
 悪に堕ち、世間に禍を振り撒いて自ら巨魔となる道が。

「リングって、こんなの?」

 すふれは、お湯を吐き出すグリフォンが咥えていた丸い金色の輪っかを示す。真鍮製で、あまりよく磨いてないから茶色になっている。
 だがすふれが触ると黄金に輝く。光を放つ。

「え?」
「きゃ」
『おおお! まさか、まさかこんなところに』

 ぱちっとストロボが光った。潜んで居た男がデジカメで輪具を撮影する。

『うちの爺様に鑑定してもらう。渡してもらえれば確実なのだが、』

 もちろんめれんげはそんなに甘くない。今度こそ爆弾手裏剣を投げようとする。

『怖いお姉さんに預けておこう。その調子だ。日本全国を駆け巡り、残る六つを見付けたまえ』
 ハハハさらば、と男の気配は消える。

 めれんげは濡れたタイルの上に座り込んだ。いくら忍者でもいきなり大量の情報に晒されては混乱する。
 すふれは手にした輪具を改めて見直し、ちょっと困る。番台に座っていた人の良さそうなお婆ちゃんから、これを分捕るのはちと心が痛い。
 もう一回来てニセモノとすり替えておこう。

「おねえちゃん」
「……、なに、すふれちゃん」

 いつもしっかりしている姉が疲れている姿を初めて見た。
 なんでも出来るお姉ちゃんだが、事前に予測されていないものには弱いのだろう。出たとこ任せでアバウトな自分の方が、こんな時はけっこう強い。

「ねえおねえちゃん。あいつ、リングがここに有るとは知らなかったんだよね?」
「そういう風に感じられたわ」
「じゃあ、あいつのカメラって、なんの為に有ったんだろ?」

 めれんげ、考える、すふれ、思いついたままの言葉を口にした。

「あれって、出歯亀という奴じゃないかなあ」

                           (第一話終)

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