げばると処女

最終巻
エピソード7 終り良ければ統べてよし、蒲生弥生ちゃんの大審判

 

 

【幽霊のはなし】

 十二神方台系には幽霊は居ない。
 そもそも幽霊なるものが物理的に存在するかは別として、方台の文化風土の中に「幽霊」と類似する概念が無い。
 これには理由が有る。
 方台の哲学では世界の諸相は三つの分類、六つの元素によって成り立つ。水火と天地と金劫の組だ。
 水と炎は当然の対比、天地は、真空もしくは気体と物質。金は金属ではなく永遠不滅を表し、劫は限りある生命を表わす。
 つまり生物とは物質と生命から構成される存在であり、生命が脱落してしまうとそれで終り、と考える。

 では魂は無いのか、と問えば、それは確かに有ると答える。生命と精神は別の概念だ。

 考え方は簡単。動物に魂はあるか? 思考するか? 思考するのならば、それには魂が有る。
 取り敢えず無尾猫は思考する。また幾つかの動物は思考しているらしい。聖蟲とは意思疎通出来ないが思考しているのは間違い無い。
 魂は空、気体に属する存在で、天の星の光のよう、空気の震える音のよう。実体は無いが、たしかに存在を主張する。

 ただ地上においては、劫の裏付けの無い魂は儚くかき消えてしまう。
 人が死んで生命が脱落すると、残響とも言える魂は遠く西海の果てまで鳴り響き、天に帰る。地上に留まろうにも夜の怪物の息吹にかき消されてしまう。それほど幽かなものだ。

 問題は逆に、魂の無い肉体が生きて動いていたらどうしよう、ということになる。
 思考しない存在は最早人間ではない。社会の規は通じないし、おそらくは神の法も届かない。
 故にそれは、「鬼」と呼ばれる。
 方台の言葉の正確な翻訳だと、「枠の無いもの、制限の失われたもの」を意味する。

 枠が無ければ禁忌は無く、善悪の分別も無い。未来も考えず過去にも執着しない。生死の価値さえ弁えない。
 欲得も自身の安全も顧みず、人の情けも憎しみも覚えず、ただ生命の欲求を満たすのみ。
 物質的に危害を加えられる点を考えれば、幽霊なんかより遥かにタチの悪いモノに違いない。

 幸いな事に、人間にはコウモリ神の加護が有る。
 聖なる洞窟から方台に人を導いたコウモリ神は、また夜の護り手、怪物の産みの親でもある。
 鬼等例外的な存在を排除する為に、神は怪物を率いる。夜の闇の中さまざまな異形を伴い巡り歩き、人間に仇なすソレを喰い殺す。

 殺人事件などが起きた場所にコウモリ神のお札がべたべたと貼られるのも、その為だ。
 不吉も魂と同等の、実体を持たないがたしかに存在するなにか、であり、しかもしばしば伝染性を持つ。
 速やかにコウモリ神の眷族に食べてもらう為に、勧請するわけだ。

 

 さて幽霊だ。

 十二神方台系には幽霊は居ない。居なかった。蒲生弥生ちゃんの降臨までは確かに無かった。
 今は有る。弥生ちゃんがうっかり教えてしまった為だ。
 一度人の記憶に刻み込まれた概念は、独り歩きをしてしまう。
 だが仕方が無い。

 弥生ちゃんは北方大樹林に飛ばされ天河十二神と遭遇した後は、確かに幽霊が見えるようになったのだから。

 

第一章 懐談百物語

「プラズマです! プラズマが霊魂を此の世に留めるのです。」
「おおー、それこそがガモウヤヨイチャンさまがお明かしになられた人界の神秘、幽霊存在ですな。」
「然様。幽霊なるものが地上において様々な悪を人に唆し不幸を呼ぶのは、最早究理神官の常識と言えるでしょう。」

 

 幽霊の概念は元々十二神方台系には無い。
 物質の成り立ちの思考法が幽霊的なものを導き出す路を持たないから、永遠に論じ合っても出現するはずが無かった。
 そんな幸せな世界に『ユウレイ』を持ち込んだ弥生ちゃんは万死に値するだろう。

 とはいえ、幽霊らしきモノが見える人物・才能は確かに存在する。
 彼らはそれを古来より「隠蟲・後ろ蟲」と呼ぶ。
 あくまでも実体はあるがあまりにも小さいか巧みに隠れるが為、人には感知出来ない蟲の仕業と言い慣わして来た。
 だが合理主義者は弁を尽して否定する。無力な蟲が巨きな人に幻を見せるなど有り得ない、と。

 弥生ちゃんはここに『プラズマ』なる新概念を投入する。
 固体液体気体に続く物質の新たなる姿として、プラズマを確と打ち出した。
 さらにプラズマの実例として炎を挙げた事で、方台科学史は革命的展開を見せる。
 なんとなれば、炎と光の根源については学者が何千年も追求し続けて来た難問中の難問で、天界の知恵を授けられるギィール神族にすら明らかにされぬ秘儀中の秘儀であったのだ。

「プラズマです!」
と自信たっぷりに言ってのける救世主に、誰も逆らう事が出来ない。また実際正しい情報であるからには、抗う術など持ち合わせてはいない。

「つまり、プラズマなるものはそれ自体が振動し、音を発するのですな。」
「音のみならず、電波も発生します。」
「で、デンパ?」
「電波です! ここんところは説明するには200年ほど掛りますが、とりあえずプラズマは波動を発し、また受ける性質を持つと覚えて下さい。」
「は、はあ。」
「さて魂ですが、あなた方の考えるところに拠れば、魂とは生命の波動、思考そのものというわけですね。」
「はい。生命の元素たる劫の活動によって引き起こされる特徴的な作用、それが思考であり、思考の総体が霊魂です。」
「ですが、生命を支える劫が消失すると、思考も停止し霊魂も消失する。」
「はい。」

「プラズマです!」
「ははあー。」
「プラズマが霊魂を引き継ぎ現世に留めるのです。無論記憶のみを維持し、新たなる思考を為すことはあり得ません。それは単なる残響の保存装置として働きます。
 が、そこに劫を持つ存在、人間が差しかかるとどうでしょう。空間内に保存される霊魂の波動を直接に浴びて、彼の思考は否応なく影響される。あたかもそこに死者が居るかのごとくに感じてしまう。」
「ひぃ〜。」

 もちろん口から出まかせの大法螺である。罪の無い悪戯と笑って許して欲しい。
 というかこの冗談、弥生ちゃんオリジナルではない。地球におけるお茶目な友人「八段まゆ子」がでっち上げた幽霊仮説なのだ。
 マッド・サイエンティストの気質を持つ彼女が書いたネタ帳を、弥生ちゃんは以前に読んだ事がある。その記述を度々引用しては方台の救世に大いに活用してきた。
 方台人民は知らない間に彼女の恵みを受けている。その代償としてお茶目仮説を流布したに過ぎない。

 方台の人がそれを法螺だと気付くまで5千年も掛るとは、さすがの弥生ちゃんも予想しなかった。

「宇宙を形作る三元六素、そのすべてを繋ぐ統一理論が今! 青晶蜥神救世主によりもたらされた。」
「水火、天地、金劫の三元が人間存在の全側面を支配する究極の理論が、まさに我らの手に。」
「神の姿が、今はっきりと我の目に見える。プラズマだ、プラズマこそが天河に続く永遠の掛け橋なのだ。」
「うう、この恩寵いかにして報いれば良きものか。」
「ありがたや、もったいなや。」

 弥生ちゃんの言うには、末期時に強力な感情が発露したり不遇な最期を遂げた者が、特にプラズマに記録されるらしい。
 この理屈は誰にでも速やかに理解される。幽霊は理解しなくとも、無念残念を残して死ぬ者が歴史上絶えた例は無い。
 彼らの思いがどこに消えるか、なるほど長年気掛かりであった。
 特に戦さで倒れた者は最も悔いが強かろう。家族友人愛する人から遠く離れて死なねばならぬ、
 無惨に戦場の露と消える恨みは、何時いつまでも残るはず。遺族に伝える言葉をきっと抱えているだろう。

 

 というわけで、「幽霊祭」なる儀式が生まれた。
 方台各地でそれぞれに懐かしい人を思い起こし、弥生ちゃんの定め給うた手順に従い執り行われる。

 今日は創始暦五〇二二年秋旬月(冬月)廿一日。弥生ちゃん降臨より16年後の世界のお話だ。

 

「いや今宵は雲一つなく星が眩いばかりに輝く、良き夜ですな。」
「このような夜なれば、天空高くに人の想いも届くはず。」
「いや、追悼会が今日でよかった。よかった。」

 毒地南部、今は青晶蜥(チューラウ)神の滑平原と呼ばれる、に設けられた青晶蜥王国開墾地。
 チョクルヱンディ村において、円湾の戦いの追悼会が催された。
 この村に住む者はかって新生紅曙蛸王国に属し戦いに従った兵も多い。
 戦から15年を経てもなお記憶は生々しく、当時を悼む人が村の集会所に集っている。

「村長さん!」
「お、持って来てくれたか。おお皆の衆、これは今回の追悼会にあたり総督様より授かった神酒の樽だ。」

 引き出される荷車に、男も女も同じく歓声を上げる。
 濁りの無い澄み切った穀物酒は弥生ちゃんより製法を授けられた神酒であり、一般庶民はなかなか口に出来ない。普通の濁り酒よりも度数が高く、強く鮮やかに酔う点も人気の理由だ。
 これを当地を治める領主から授かったのにも理由が有る。

 青晶蜥王国滑平原開拓総督を務めるのは、ソグヴィタル貞アダン。
 新生紅曙蛸王国にて宰相を務め、円湾の戦いで捕えられたソグヴィタル王 範ヒィキタイタンの息子だ。
 彼は父の王位・聖蟲の剥奪に累して聖戴の権利を喪失し、只の人として褐甲角王国を追放される。
 その後青晶蜥王国に迎え入れられ、二代救世主星浄王メグリアル劫アランサの命を受け、この地を治めている。

 総督が父を支えた人に酒を賜うのは当然だ。今宵、統治する16村全てに神酒の樽を積んだ荷車が届けられる。

「さあさ、皆さん。」
と、村人は大きく焚かれた火の傍に集まり、神酒を恭しく頂く。
 弥生ちゃんの国の風習として、酒は湯で燗して供された。五臓六腑に熱い恵みが染み渡る。
 円湾攻撃は冬であった為、追悼会は寒風吹きすさぶ中で行われる。この温かさははなにより有り難い。

 その一方で、村の重役達は窓の無い土壁の倉庫に集まった。
 彼らは幽霊祭の儀式を密室で行う。幽霊を呼び出すにはなかなか繁雑な手順が要る。

 

「どおれ、プラズマの用意は整ったかな。」
「ハハ村長さん。プラズマを百個用意するのはなかなか大変でしたよ。蝋燭も高価いし。」

 窓を完全に閉ざした建物の中に百本の蝋燭を燈し、床に直に座り死者の思い出話をする。一つ話が終る度に蝋燭を1本消して行く。
 百本の蝋燭全てが消えた瞬間、幽霊がその場に現われる、かもしれない。
 これが正式な幽霊祭の作法だ。

 とはいえ流石に百話もすればネタが切れる。
 略式で済ます方法もちゃんと用意されていた。物語は13話1「クール」にて供されるべし、と手引書に記される。

「十三話目は、どなたがなさるかな。」
「チュバクさんだよ。あ、ほらお二人が。」

 チョクルヱンディ村で会計責任者を務めるチュバクとその妻が、大皿に料理を乗せてやってきた。
 13話とはいえ結構な長丁場となる。料理と酒は欠かせられない。
 チュバクは倉庫の戸口で言った。

「いや村長さん、わたしは円湾の戦いには居なかったから、話は出来ないよ。」

「チュバクさんはジョグジョ薔薇の乱の時に、南に来なすったんだね。その時の話でいいよ。」
「あーあの戦さも酷いものだったねえ。でもあの時は、誰もコワイとかイヤだとか全然思わなかったなあ。」
「円湾の戦いと違って、列の先頭にガモウヤヨイチャンさまがいらっしゃったから、ここで死ぬのが天への早道と思っていたかなあ。」
「あの時死ねた人は全員天河で楽三昧とか、ほんとだろうかねえ。」
「本当なんだろうなあ、羨ましいなあ。あんな機会はこの先千年生きたって巡って来はしない。死に損なったなあ。」
「ま、ま、チュバクさん上がって、奥さんも。」

「では失礼して。」
「はい。それじゃわたくしもご一緒にお願いします。」

 倉庫の中には中高年の男女20名が座っている。当時兵士を務めた者も特に呼ばれていた。
 チュバク夫妻が先客に遠慮しつつ座を空けてもらい床に納まると、村長は自ら扉を閉ざしコウモリ神のお札を貼って封印する。
 蝋燭の灯がキラキラと目を眩ます密室の中央に進んで、静かに座り一同に礼をする。

「プラズマはよろしいかな。ではまずは村長の儂から始めよう。」
 村長は左右の者から盃を受け取り神酒を注いでもらうと頭上にかざし、ガモウヤヨイチャンと天河十二神、紅曙蛸の女王、円湾で没した人達に捧げる。

 祭壇が無いのが、幽霊祭の特徴だ。
 百本の蝋燭の光が満ちる閉鎖空間の中央、虚空こそが幽霊の席となる。
 プラズマは空虚にして力満ちるもの。雷を呼び光を発し震え響きデンパにて天界に届き時には臭いまで漂い、だがあくまでも実体は無い。
 何も無い空間こそが、霊魂を呼び招くのにふさわしい祭壇だ。

 村長は百の灯火に声の震えが届くよう明瞭に、ゆっくりと語り始める。

 

「今は還俗したが、儂はあの時蜘蛛神官として六代様テュクラッポ王女に従っていた。戦さの記録を取る為だ。
 記録係は書庫に座っていれば済むものではなく、頻繁に外の様子を見に派遣されたな。海賊衆の小舟に乗って円湾の隅々を回った。

 あの時、こちら側は500隻も居たかな。明らかに数が多過ぎた。
 円湾は広いとはいえ、出口は一ヶ所のみ。護るのは楽だが、所詮は袋の中のネズミで、持久戦を仕掛けられたら持ち堪えられん。
 長期戦に備えて大船は物資を抱えているのだが、それゆえ船足は遅く戦いには向かぬ。
 結局はただ浮いて居るだけ邪魔をするばかりで、本当に戦えるのは小舟ばかり300くらいだ。

 その日の儂は円湾の出口をまっさきに護る舟に乗っておった。
 外海には数日前から褐甲角海軍が見えておった。ひたひたと、そう豆粒かと思う小さな影が波間の向こうからゆっくりと、確実に、儂らの方に向かって来る。
 無数の兵士が甲板に列と並び、槍先刃先がきらりと太陽を照り返し、ちかちかと儂らの目を撃った。

 儂の舟の舟長は言ったよ。
 いかに海賊商売が長くとも、これだけの軍船を見たことが無い。褐甲角王国はタコの王女様を本気で殺す気だ、と。

 外海に出ては褐甲角軍の軍船にはとても敵わない。元から軍用に作られた船とは性能が違い過ぎる。
 こちらは円湾の中で待ち受けるしかなかった。数隻ずつの小舟が隊を組み、狭い水路を少数ずつ入って来る敵を袋だたきにする待ちの戦さだ。
 だがこちらにはタコの王女の加護がある。テューク(巨蛸)は海の護り神で、儂らは負けるとも思わんかった。

 褐甲角海軍でも、テュークが怖くて全軍の突入はできはせん。
 そこで中型の軍船を一隻ずつ侵入させて、こちらの小舟を確実に潰して行く地味な戦術を行った。

 これが怖いのなんの、人が空から降って来る。相手の船縁が高いから、矢を射掛けるのに近付かねばならん。その距離を神兵は跳べるのだな。
 間合いを間違えて近付き過ぎると、そして舟は簡単に止まれはせんのだ、ばりんがりんと甲板をぶち抜き落ちて来る。
 丸い鋼の甲冑が大きな鎌か鋤みたいなのを振り回し、がりげりと木を削っていく。

 あっという間に最初の5艘がやられたよ。
 乗り移られた舟では戦うどころじゃなく、海賊は必死で海に飛び込んだ。神兵に立ち向かうバカなぞ居ない。
 こちらに泳いで逃げて来る味方の頭越しに、弓や弩を射掛けるんだ。
 うん元は味方の舟なのだが、いつの間にか敵のものになっている。奪われた舟を逆に利用されないよう、火矢も撃ち込んださ。
 舟の上で火を扱うのは大ゴトで、火壷を転がして舟自体を燃え上がらせる不手際も続出だ。

 水夫が火に巻かれて海に落ちる。舟自体が燃えてしまって、えい面倒だとそのまま褐甲角軍の軍船に突っ込んだ。
 燃える舟が敵の舳先で断ち割られ、真っ二つに折れて沈んで行くのさ。

 いやはや海も地獄だと、儂の目玉はまばたきを忘れたよ…。」

 

 すっと、蝋燭が1本消える。話の呼吸に合わせて消して行く。
 百話を13話で済ますのだ。1話あたり8本を消す。蝋燭係が皆の注意を逸らさぬよう静かに動いて蓋を被せる。
 最後に残るのは、部屋の四隅と中央の5本だけ。
 締めの1話で暗黒となり、虚空に幽霊が浮かび上がると伝えられる。幽霊祭はソレ自体が怪談だ。

 

「次はどなたかな?」
「わたしだ。わたしはその頃は単なるタコ石掘りの人足で、その前は難民だったけど、なんというか戦争でがらっと立場が変わったかな。」
「おお、では陸地が持ち場かな。」

「円湾はタコ石の採掘場だから、ぐるっと全部の崖がすべてテューク(巨蛸)の化石なのだな。タコの化石の上に石やら土が積もって大地となっている。文字どおり世界の礎だ。
 その崖を横に掘って行った採掘坑がそのまま居住区やら倉庫になっていた。わたしはその倉庫番だ。
 陸地で穴の中なら敵と出食わさないかといえば、これがとんでもない。
 今にして思えば、褐甲角王国は夏の頃のとっくの昔から、円湾で戦うつもりだったんだな。倉庫の洞窟に廻し者をこっそり忍ばせておいたわけだ。

 洞窟で一番大切なものといえば、これは水。飲料の水をタコリティから大量に運んで来て洞窟内に備蓄していたのだが、これがいけない。
 そもそもがタコ石タコ腸の鉱山だから、僅かな水気が毒を溶かし込むのだよ。水槽の中にすこしずつすこしずつ溶けて行く。蓋はいいかげんな木の板だから、大水槽はいつの間にか人の飲めるものでなくなっていたんだ。
 これには皆もほとほと困り果て、で御存知のとおりに海の上船の上に水桶、樽を積んで居た。だから船足が遅くなり、戦闘に出て行けない。
 水の番をしていたのは区域によってそれぞれ違う海賊の親分衆だ。これがひそかに褐甲角王国に抱き込まれてたんだな。

 戦争が始まると即、そいつらは裏切りを始めた。
 だがヒィキタイタン様はお偉いよ。裏切り者が出るのは詮からご承知で、討伐の部隊をちゃんと配置してたんだ。
 わたしが見たのはその部隊と裏切り者の戦闘で、奥深いテュークの洞窟の篝火の下で斬り合いだ。

 テュークの採掘坑というのは、つまり土と小石で埋まった化石の形に沿って掘って行く。
 灰を固めたような細かい目の土がへばりついているのを削ぎ落とし、化石の内部に入り込める隙間を探して回るんだ。だから大きなタコの周りをぐるりと回る穴になる。
 物凄くややこしい構造の洞窟だから、隠れようと思えば誰にも見付けられない。また人でも殺して引きずり込めば、絶対に分からないんだな。

 こんな場所では弓は役に立たず、ただもう近付いて斬り合うしかないわけでね。がっちんがっちんやってたさ。
 禁衛隊は元がクワアット兵の、ヒィキタイタン様を慕って集まった連中だからこれがまた強いのなんの。
 海賊ってのは、力は強いかもしれないが斬り合いの練習なんか誰もやったことがない。軍事教練なんか戦争が始まるかなという頃にようやく真似事したもんだ。
 だが追い詰められ洞窟の隅に逃げ込むと、どうしてしぶとくてねー。

 洞窟はそれぞれが孤立しているわけじゃなく、隣の洞窟に脇道が必ず掘ってある。
 この脇道をくるくる抜けて出て来るんだ。それも女子供が避難している洞窟にさ。
 大きな刀をぶら下げたひげもじゃの男が血相変えて出入りする。甲高い悲鳴がどこもかしこもうるさいばかりに響き合い、それを聞いて入り口からは禁衛隊が雪崩れ込んでくる。
 揚げ句の果てに人質沙汰だ。もう誰が敵やら味方やらさっぱりわからない…。」

 

 皆その場に居た者ばかりだ。話の一つひとつに15年前の自分を思い出し、よくぞ生き残ったと不思議に思う。

 幽霊祭には参加する人の共感が不可欠だと、弥生ちゃんは言った。
 死者の思い出話をすることでそれぞれの魂が共振し、灯す百本の蝋燭の炎を揺さぶりプラズマの発振を促す。強い共感は、彼らに縁の有る霊と同調を見せる。
 プラズマ同士の呼び声である『デンパ』は自らと同じ震えを求めて空中を走り、怪談話で語られる故人の霊魂を呼び覚まし、光の早さで幽霊祭の中心に招来する。

 だから祭に参加する人は恐ろしいとは思わない。あの日亡くした親兄弟が、友人が、夫や子らが僅かでも姿を見せればと願っている。
 切に出現を欲している。

 

「それでは私が。私はこう見えても昔は海賊だったのです。」
「おおー!さすが、やはりどことなく違うはずだ。」
「かっこいい。」
「ふはあはあ、まあそんなこんなであの時は小舟に乗って戦っていたわけです。

 上から神兵が降って来る、なんてのには勝てはしないから、おおむね弓や強弩で射ていたわけです。円湾新生紅曙蛸王国の前衛は、並の海賊とはちょっと違う。
 どこがと言うと専門的になるが、かんたんに説明すると装備がかなり強力でした。一応は一国の海軍ですから。
 あの時の戦は金雷蜒王国からおもてむきは支援は無かったのですが、秘密兵器の供給はちゃんと有った。強力な海戦用の強弩や大弓、焼夷弾などがひそかに持ち込まれてたんです。

 褐甲角王国の軍船は確かに強力なのですが、金雷蜒海軍に比べると火に弱い。火矢を撃ち込まれると必死になって水兵が消さなければいけない。
 かと言ってこっちも火に強いわけじゃないですが、的が小さいから大丈夫。大型の敵船にぼんぼん火矢を打ち込みました。
 いちばん強力な武器は強弩です。これは金属製で重たい。人が運べるもんじゃない。
 で、これが舟の舳先に設置されているわけですよ。

 本来敵の横を併走して射るのが海戦の基本なんですが、正面にのみ撃てるよう設置されている。
 それも仕方のない話で、強弩の弦を引くのに水夫が3人も必要です。滑車を掛けて3人の男が必死になって引っ張ってようやく弦を掛けられる強力さ。引っ張る都合で前にしか置けないんです。
 これで撃たれたらさすがに黒甲枝の神兵もひとたまりも無い。分厚い甲冑でもぐっさり刺さって即死間違い無しですが、そう簡単には当たらない。

 そこで焼夷弾です。人を狙っても当たらないので、船縁に焼夷弾をぶつけて火を点けるしかない。強弩は相手の矢が届かない遠方からぐっさり射る事ができるから、狙いを定めて消し難い場所目掛けて、ぽんと撃つ。

 まあ燃えますよ。
 焼夷弾というのは木と革で出来た丸い筒に入ってるんですが、刺さると同時にぶわあっと火を噴く。めらめらと船が燃え上がる。
 撃ち所を考えているから、向こうが気付く頃にはぼうぶうと燃え上がり手に負えない。しかも水を掛けると逆に炎が強く燃え盛る。
 さすがに閉口して、褐甲角海軍も大型船を後ろに下げ、小型軍舟での海賊戦に切り替えた。
 そうなれば、こっちのもの。軍舟には神兵は普通1人しか乗ってない。鉄弓でびゅんびゅん射てくるんですが、こちらにだって強弩があるし、2人引きの強弓もある。
 海の上では神兵の怪力無敵があまり有効でないんですね。水夫の腕が勝敗を左右する。

 なにしろ円湾は、外海から切り離されて波が穏やかだと思うと大間違いで、不思議な渦が逆巻くのです…。」

「テュークですな。」
「テュークですよ。」
「テュークのことならば、わたしに話させてもらいたい。」
「クリンコさんですか。クリンコさんはたしか、」
「そうです。わたしはあの時、褐甲角海軍の方に居たんですよ。それも、テュークに沈められた船の上に。」
「おおー、それではお願いします。」
「では。

 わたしクリンコは攻め手の側に居たわけだ。時の流れは恐ろしいもので、今では皆さんとこうして仲良くお仲間させていただきますが、あの時は敵だったのです。すみません。」
「いえいえ。人それぞれ辿る道は違っても、最後はガモウヤヨイチャン様の御示しになられたこの地で仲良く開墾に勤しんでいるのです。お気遣い無く。」
「どうもありがとうございます。

 さて、わたしが乗っていた軍船は『羊歯舞』、50人漕ぎのかなり大きな船です。帆柱は1本ながら快速で投石器も装備する完全な戦闘用の船だ。
 戦闘用と民間輸送船を改装した海賊船と、どこが違うかといえば沈み難さ。
 軍船は内部に幾重もの隔壁を備え、多少の穴が開いて海水が入り込んでも大丈夫。転覆しない為に敢えて水を入れるという策すら使えます。

 そうこうする内に小型軍舟同士の戦いが極まり、こちら側つまり褐甲角海軍の方が少々不利になってきた。
 地の利が紅曙蛸王国側にあったわけで、軍舟をこれ以上投入すると状況の収拾がつかないと思われた。こちらは潮の巡りを知らないものでね。
 そこで一旦撤収して、改めて中型軍船を投入し敵方を牽制しつつ軍舟で側面を衝く作戦に切り替えた。

 先程の火攻めの話のとおり、褐甲角海軍はあまり火に強くない。
 だが中型軍船であれば船縁が低く舷側ではなく甲板に被弾する事になる。横よりは、上から来られた方が消火には都合がいいのです。
 そこで50人漕ぎばかり12隻が陣列を整えて円湾入り口を通過する。

 いや気持ち悪いものですよ。明らかに水の底にはなにか黒い大きなものが泳いでいる。
 それも1匹2匹じゃない。ものによってはわたしの乗っている『羊歯舞』よりも大きな影が、すーっとすり抜けて行く。
 こいつらが今ここで浮上したらと思うと、息が詰って今にも死にそうでした。

 なにせ敵はタコの王女、テュークを操る紅曙蛸神の巫女王です。
 褐甲角海軍の水兵だって船乗りです。紅曙蛸(テューク)神の信者はいくらでも居る。出撃時には必ず紅曙蛸神の祈祷を行うのが慣例です。
 それが今回、その紅曙蛸の救世主の国を攻め滅ぼすわけです。こりゃあもう罰が当たって海の藻屑に消えるなと、誰もが心に覚悟を決めていた…。」

 

 十二神信仰においては、一人が複数の神を信仰しても特に背信には当たらない。むしろ多ければ多いほど信心が深いと尊敬される。
 だから青晶蜥王国に帰依し弥生ちゃんの遺命に従い荒地を開墾する彼らも、そのまま紅曙蛸神を信仰し続ける。
 なにしろ彼らは巨大なテュークが大暴れした姿をその目に留めているのだから。

 大皿に飾られたお祭の御馳走に知らず手を伸ばし、酒なり甘藻水なりにぐびりと喉を潤しながら、神の化身の顕現の様に耳をそばだてる。

 

「あの日の海戦は特に激しく、ここで一気に勝敗が決するかと思われました。

 やはり大船で多数の矢を射掛け動きを制限した結果、褐甲角海軍の軍舟が優位に立ち、追われた紅曙蛸王国側は繋留された大船の方に撤退を余儀なくされた。
 ここで後方より督戦なされていたヒィキタイタン様のお指図でしょうか、紅曙蛸王国側も大船による直接戦闘に踏切り、10隻もの完全装備の軍船が櫂を漕ぎ出し向かって来る。
 軍舟を後退させ、大型船だけで戦列を整える。『羊歯舞』も全速力で突入し、わたしも力の限り漕いでいたのです。

 まあともかく漕いでいる時は戦況は見えない。見えないながらも矢が飛んで来て頭上の楯にびしびしと刺さる音がする。
 ついで黒い煙が立ち込めて息が出来ず、漕げなくなった。ギィール神族から供与された毒煙筒です、これがぼんぼん飛んで来る。
 軍隊としては褐甲角海軍の方が練度が上なのですが、装備兵器の点では紅曙蛸王国精鋭はむしろ秀でていて一進一退。

 さすがに息が続かず褐甲角軍は一度後退し陣列を組み直す事となり、1隻ずつ円湾出口に後退する。
 これはよく分かります、急に空気が綺麗になり息が楽になりましたから。
 だがここで逃げられては一大事、と紅曙蛸軍が追って来る。阻止せんと小型軍舟で足留めを掛ければ、それを見てさらに海賊軍舟が突っ込んだ。

 ごっちゃになり円湾入り口付近は舟同士で乗り移れるほどの距離で混み合ってしまう。
 これは好機と、神兵の方々は次々に飛び降りて敵舟に乗り込み、当たるを幸いに大剣を振り回し斬りまくる。
 漕ぎ手のわたし達も今だと叱咤され再度突入し、敵舟を舳先で薙ぎ倒して行く。

 これで勝ったー、と思った時。思ったんですよほんとうに。

 いきなりどばあーんと巨大な肢が、まるい、腕を広げたよりも大きな丸が5列も並ぶ大きなタコの肢がにょっきりと海面に突き出した。
 あっしまった、と思う暇も無い。『羊歯舞』はぐるりと左舷から肢に絡み付かれ、ぐうんと動きが止まる。
 いきなり櫂が宙を漕いだので、何かと首を突き出して海を覗いてみれば、水の中緑色の海面の下にぎろりと光る巨大な眼が赤なのか黄なのかちかちかと煌めいて、ぐりりとこっちを見詰めている。

 いやもう死にました死んだと思いました。
 テュークは明らかにわたしたちを、人間を理解している。敵兵だと知っている。
 神様は絶対にわたしたちを許さない。

 誰が言い出したわけでもなく、漕ぎ手はみんな逃げ出した。
 甲板では神兵が大剣を振るってタコの肢を斬ろうとするが、まったく刃が通らない。ぶにょんぶにょと弾き返し、却って吸盤に吸いつけられ捕らえられる。
 もうだめだ、と我先に海に飛び込んだ。友人も上役も関係無しに、逃げられる方に走っていく。でも進めない。
 船はぐいっと傾いて、逃げた者を引き戻す。甲板を転げて、テュークの眼の方にわたしたちはかき寄せられる。
 ばきんぼきんと材木の折れる音がして、分厚い頑丈な楯板がべりべりべいと引き裂かれ剥ぎ取られ、木っ端と化して撒き散った。
 テュークは、あれは息をしてるのか、海水がぶあわと間欠的に上に吹き上がる。潮の泡をぶくぶく噴いて船全体を包み込む。

 あ、だめだ。と観念し紅曙蛸の神様にお祈りし、よくよく考えると紅曙蛸の神様にやられてるので御利益無いぞと、もうひたすたにガモウヤヨイチャン様の御名を唱えるばかりでした。
 ぐるんと船は天地が逆に、甲板が海に底が空に回ったと、そこまでは覚えているが、分からない。

 気が付くと味方の軍舟の上だった。溺れていたのはほんの僅かな時間で、海の上でも消えない泡に挟まって浮いて居たと聞かされた。
 テュークはどうやら4体も出現したらしいのですが、もしかしたら肢が出ていただけで本体は1匹だったのかもしれない。
 とにかく、こんなバケモノには太刀打ちできないと褐甲角軍はほうほうの態で撤退した次第です。

 だが後で聞いた話だと、テュークの肢はあまりにも大きい為、敵味方の区別無く触るもの皆海に引きずり込んだらしい。
 紅曙蛸王国の側でも被害甚大で、以後テュークが出る事はなかった。おそらくはヒィキタイタン様が六代様にお願いして鎮めて下さったのでしょう。

 それからは持久戦になり、アレだ。例の裏切りだ。」

 

「いやどうも、クリンコさんありがとう。流石にテュークに沈められた人は滅多に居ないから、貴重なお話ですな。」
「まったくまったく。これは若い者にも語り継がねばならんねえ。」
「次はどなたかな。」
「わたくしが次をお話しましょう。」
「おー、テュランメルさま。ここは有り難い六代様のお話を頂戴いたしましょう。」

 中年の、だが歴然とした美女が進み出て中央に座る。赤いテュークの縫取りを無数に散りばめる紗の衣を、冬着の上にも羽織っていた。
 この女性は紅曙蛸巫女王六代テュクラッポ・ッタ・コアキの近侍をしていたタコ巫女だ。

 新生紅曙蛸王国は今もタコリティに存在するが、テュクラッポは古えの紅曙蛸王国の首都テュクルタンバとで、年ごとに交代で住居を移す。
 北と南で宮廷の構成員も違い、互いに分かれて政争を繰り返している。
 テュランメルは年々政治色が濃くなる宮廷を嫌い、聖神女ティンブットに倣い放浪の舞巫女生活に戻っている。

 

「円湾の海戦でのテュークの召喚は、実は六代様の思し召しではありません。

 当時方台にはお二方の紅曙蛸女王がいらっしゃいました。
 五代様テュラクラフ女王陛下は遠く北方のデュータム点にお出でになられましたが、その御力は全土を覆い、円湾でのテュークも支配なされていたのです。
 千里眼にて円湾の戦況を御覧になられ、何よりも六代様の御身が大事とテュークを呼び覚ましお守りになられたのです。

 六代様はそれで良しと思われましたが、宰相であられるソグヴィタル王 範ヒィキタイタン様はお咎めになられました。

 テュラクラフ様は四半万年(2500年)の眠りを経ての復活であるから、今の世の情勢が少し御分かりにならない。
 闇雲に神の力を用いるは人の生きる力を削ぐ悪しき振る舞いにて、天河十二神も省みられ、聖蟲の力を代ごとに減じていらっしゃる。
 ギィール神族には天上の叡智をお与えになられたが、黒甲枝の神兵には戦う力のみとし、人の知恵を働かせるように企てられた。
 青晶蜥(チューラウ)神救世主に到っては、星の世界よりの神人に御力をお預けになられ、常人にはお与えにならない。
 神を崇め、されど神に頼らず、人の知恵・力にて方台を治めるべし。神人聖蟲はただ援けるのみ。
 これこそが今の世に敷かれる天河の計画、慮り。
 であれば、古えのテュークを用いての世界の支配は慎むべきであろう。勝敗に悲惨が付き纏うとも、歴史の大道は人が示すもの。
 そうお諭しになられました。

 六代様はトロシャンテの森奥深く、文明の届かぬ地のお生まれでいらっしゃいますが、世界の隅々までをお識りになられます。
 ヒィキタイタン様の御進言に真実を見出され、従われました。紅の頭冠の魔法を用いて、テュークの活動をお鎮めになられます。
 また褐甲角軍においても、再度のテュークによる攻撃を恐れて円湾への軍船の突入を控えられ、両軍は膠着状況に陥ります。

 さて、その六代様ですが、あまり人には知られていない悪癖がございます。
 夜中にお一人で神殿船を抜け出し、子供のテュークの頭に乗られて円湾のあちらこちらへとお遊びになられます。供の一人も従えず、悪戯なされていらっしゃいます。
 六代様は魔法の力で御身体が人には見えなくなる術をお用いになられます。こっそりと、褐甲角軍の船にもお出ましになられました。

 なにせ12歳でいらっしゃいますから、敵船に乗り込んだところで何をするでもなし。
 剣令の背後から機密書類を覗き込んだり、作戦指令盤の上の船の駒をてきとうに入れ換えたり、鍵倉に納められている酒壷を引っ張り出して漕ぎ手の水夫の眼の届く場所に放り出して置くなどの、罪の無い悪戯です。

 されど、さすが額にカブトムシの聖蟲を戴く神兵の方は勘が鋭うございます。
 眼には見えずとも何者かが入り込んだとお気付きになられ、船中を調べて回ります。その神兵との鬼ごっこが、六代様のお楽しみでございました。
 たいがいの場合、六代様は御無事に船を降りられ、テュークの頭で海を渡り無事にお戻りになられます。
 お楽しみの時間は我ら侍女が寝ている夜の間で、暁となる前には寝所にこっそりと入り込み、寝ているふりをなさいます。

 たださすがに連日のお遊びが祟り、御疲れでいらしたのでしょう。
 その日に潜り込んだ軍船は褐甲角南海軍旗艦『大方光』です。この船にはもちろん総司令官がいらっしゃいますが、金雷蜒王国よりお出でになられ戦況を御覧じられるギィール神族 シトロメ純ミローム様が御乗船になられていました。
 シトロメ様は、当時御失踪中であられたガモウヤヨイチャン様の名代キルストル姫アィイーガ様の御親友で、「ゲジゲジ乙女団」の総帥であられます。
 この時も、褐甲角軍が戦さにあって無法非道を働かぬか見届ける為、特にと旗艦にて観戦なされていらっしゃいました。

 ギィール神族の方々は黄金に輝くゲジゲジの聖蟲の御力で、7里(キロ)の範囲に有るあらゆる物事や人を知る、と言われます。
 たとえ魔法を使おうとも、聖蟲の眼からは逃げられません。
 シトロメ様はたちまちに六代様を見つけ出し、自らの居室にお招きになられました。

 六代様は常の人の言葉はお用いになりません。トロシャンテに伝わる方台の古語か、ギィール神族のお用いになるギィ聖音のみです。
 もちろんシトロメ様はギィ聖音にお達者で、お二人は方台のあれこれ、日々の面白き事などを夜も更けるままにお語りになられました。
 ですが、そこはまだ子供であられる六代様、そのまま安心なされお休みになられてしまいました。

 もちろん旗艦であれば神兵はいくらでもいらっしゃいます。
 目に見えぬ不審者が居ると悟り、船中をくまなく捜索され、当然にシトロメ様のお部屋にもいらっしゃいます。たちまちに六代様は見つかってしまいました。
 さて困ったのが、艦隊司令部です。
 六代様の保護はもちろん当初よりの作戦目標でございます。されど本人の同意の下で穏便にお運びいただかねばなりません。
 さもなくばテュークの暴走を招き、無敵の剛力を誇る神兵が百と束になっても抑える事ができません。なにしろ海の上の話です。

 ほとほと困り果てた司令部は僚艦と連絡を取り、艦隊に同行なされていたレメコフ誉マキアリイ兵師監をお呼びになられます。
 レメコフ様はヒィキタイタン様の幼き日よりの大親友であられ、また追捕師の任も帯びています。誰よりもヒィキタイタン様に近しい彼の方を通じて、六代様をお戻しになられます。

 そのお迎えに私も同行いたしました。
 30人漕ぎの非武装の舟にて単独で円湾の外に出て、褐甲角南海軍のただ中を進みます。
 明くる前の闇の中、舳先に焚いた篝火の赤い焔に照らされる雄々しく凛々しいヒィキタイタン様の御姿がございました。
 漕ぎ手の者はいつ周囲から矢を射掛けられるかびくびくと怯える中、宰相様のみが堂々とお指図をなされます。

 完全装備の神兵が率いる褐甲角軍の軍舟が、幾艘もわれらと同じ向きを進みます。
 彼らは皆ヒィキタイタン様の御姿を御覧になられると、大剣を正面に捧げ最高の軍礼をなざいます。
 並び立つ鋼の煌めきに、ああこの御方は未だ王国においても慕われているのだ、とわたくしは心強く感じました。

 敵旗艦『大方光』に接舷し、六代様を受け取ります。されど深くお休みになられる六代様を余人に、それも殿方に触らせるわけには参りません。
 我らタコ巫女の侍女が先に乗り込み御支度を整え、それでも揺れる船の上でお休みのまま運ぶのは難しく、シトロメ様の御力をお借りする事となりました。
 シトロメ様は甲冑の地金が肌に触れては冷たかろうと敵地にも関わらず、そうですギィール神族にとってもそこは敵地だったのです、甲冑をお脱ぎになられて六代様を抱かれます。
 御自ら船縁を乗り越え綱を片手に海面まで降り、ヒィキタイタン様の御手にお渡しになられます。

 それは実に素晴らしい光景でした。
 世にも珍しき三種の聖蟲、四半万年の時を越えて甦った真っ白きタコ、黄金に輝くゲジゲジ、薄翅を拡げるカブトムシが鼻を突き合わせる近くにまで集ったのです。
 その時、シトロメ様とヒィキタイタン様は何事か短くご相談になられました。ですが、われらには声は聞こえません。
 おそらくはその後の、紅曙蛸王国降伏後の段取りなどをお尋ねになられたのだと存じます。

 その後われらも舟に戻り、元来た暗き海を円湾へと戻って参りました。」

 

 ふぅ、と蝋燭の灯がまた消える。既に百の半ばまでもが昏くなり、より深く闇が染み込んで来る。
 そろそろプラズマに幽霊が宿らぬかと、焔の中に影を探してちらちら覗き込んだ。

 一息ついて、皆酒なりとっておきのヤムナム茶なりを啜った後に、思い出すのも苦痛な思い出話を始める。

 

「これは儂から話をしよう。皆骨身に沁みて覚えているだろうがなあ。

 さて、テュークの攻撃で軍船が沈んだ後は、褐甲角軍は持久戦に臨んだ。元より定まっておった作戦じゃに、誰も驚かん。
 包囲されて居た儂らも当然と受け止めたし、これでお終いと覚悟を決めた。
 誰が見ても明らかじゃったからのお。
 海賊の親分衆は表では六代様に服従してはおっても、裏ではこっそりと自分だけが生き残る算段を幾重にも企てておった。
 いやさ、あまりにも策略が込み入り過ぎて、どれが先じゃったか後じゃったか分からんで、まごまごしている者が却って忠義の臣にすら思えたほどじゃ。

 儂ら下々の者が信じられるのは唯六代様テュクラッポ王女さま、そして宰相閣下ヒィキタイタンさまじゃ。
 それでもヒィキタイタンさまは褐甲角王国の出で、額には黄金のカブトムシを戴いておられる。カブトムシがそっぽを向く悪行はとてもではないが行えない。
 非道を為してでも新生紅曙蛸王国を生き長らえさせるなど、出来ぬ相談じゃ。

 他に人は居ないかと振り返れば、タコリティ最大の実力者、海賊の総元締フィギマス・ィレオ殿じゃ。この御仁は尊敬に値する、海の中の真珠の如き有り難い御方であった。
 だが利はすでに無く、裏切り者共を改心させるなど出来はせぬ。軍勢を率いて褐甲角海軍を打ち破るなどは、海賊衆にはどだい無理じゃ。
 それでもフィギマス殿の信望があればこそ、残る民も多かった。

 他の海賊衆や鉱洞主は、真っ白なところがまるで見えぬほどに腹黒い方々であられたさ。それも道理、正義や法に従い集まった輩ではない。
 ただどの方も紅曙蛸(テューク)神への信仰は篤く、六代様を害そうとは思われなんだ。これだけが救いであるな。
 裏切りはむしろ、六代様をいかに保護せんかの名目をもって正当化されおるのじゃ。

 主な方でも、コルチン殿、ハピハバレンテ殿、サトィウーマヌ殿、シベル殿、皆褐甲角軍とつるんでおる。サクヴアハァンム殿は西金雷蜒王国から支援を受けておった。連中が抱えておる傭兵隊長も全部がぜんぶ裏切り者じゃ。
 さすがにこれでは誰の目にも見え見えで、噂を消さんが為にそれぞれ小舟に乗りて円湾出口まで勇んで攻め出すが、敵が見えればすぐに引っ込んで来る。
 「ミミズの頭出しションベン掛けられ泥に戻る」、と子供たちもが嘲り歌ったものじゃ。

 さても頭の痛いこと。
 ヒィキタイタン様も最初から、彼らが忠誠心を発露して勇猛果敢に闘うとは考えておられなんだ。裏切りもお責めにはならないが、ほとほと愛想が尽き果てた。
 最初から彼らを抱えて国など出来ぬと、御存知だったのじゃろう。
 この戦さ、なんの為にと今にして考えれば、それらの有力者を通り越して下々の民を六代様に直接結い付けるが目的だったのじゃ。

 神殿船から禁衛隊を派遣なされて、それぞれの隊長の篭る洞窟を厳しく調べ、民の暮らしに障りが無いか気にかけておられた。
 だがあの寒い日、あれがいかんかったな。

 その日は明ける前から酷い寒さで、誰もが寝ていられず眼を醒ます。円湾は冬でもなかなか温い場所じゃが、年に2回はこんな日もあるのじゃ。
 円湾を囲む高い崖から、滑平原を渡った冬の寒気が雪崩れ込む。円湾は岩で囲まれておるから寒気が外に抜けず、寒さが何日も滞る。
 海水よりも空気の方が寒いから、分厚いもやが掛かって一寸先も見えはせなんだ。

 寒さに堪え兼ねて、民は火を起こす。薪ならば良かったのじゃろう。だが木材は砦の補修や船の修理に使う大事なもの、代りにタコ炭の欠け片が幾らも落ちておる。
 これがいかんかった。
 円湾のすべての洞窟で一斉に焚かれたタコ炭の煙。もやが晴れぬのと同様に円湾の中に留まり、洞といわず船といわず、すべての人を燻り出した。
 さらにはタコ炭の毒じゃ。ギィール神族が毒煙として用いるのもこの煙。
 殺人用に仕上げていないとはいえ人の肺に染み入り、たちまち気分の悪くなる者が続出。洞全体が死に絶える所まで出る惨状じゃ。

 裏切り者がこの状況を見逃すはずも無い。
 濃い霧の中正体の知れぬを幸いに配下の海賊を引き連れて、円湾内の到るところで桟橋を壊すは船に火を付けるわ、貯えられし食糧や財物を盗むわで、やりたい放題。
 もちろん民の命など気遣うはずも無い。刀の先も見えぬ霧じゃ、男が女か子供も老人も当たるを幸い斬り殺し、それを別の有力者の仕業と六代様に訴える。
 なんのことはない。連中は新生紅曙蛸王国などどうでもよかったのじゃ。
 それぞれ敵対する勢力を討ち滅ぼし、自分達に都合の良いタコリティの街を新たに作る算段じゃ。六代様はお飾りに過ぎぬ。

 さりとて信心篤い者も少なくはなく、彼らの非道に憤り復讐報復を叫ぶも数知れず。
 たちまち円湾内での内輪揉めの血嵐が吹き荒れた。
 褐甲角軍どころではない。ただ生き残るのに必死、逃げるのに必死。
 素直に円湾から逃げ出せばいいものを、ぐるぐると回って仇敵を追い探し、火矢を射掛けては関係の無い船まで焼き尽くす。

 船には真水も積んでいたから、陸の洞に住む者はたちまち渇きに窮してしまう。陸地の水瓶は、裏切り者が最初に壊す標的じゃ。
 零れた水を舐めたなら、それにはタコ炭の毒が染みておる。ぐるぐると腹が下り上からも下からも汚物を垂れ流し七転八倒して海に落ちる。
 ぷかりぷかりと死人が浮かび、潮の干満に引かれて洞の外に漂い出た。

 この有り様を目にしては、いかに鬼謀の帥あれども万已む無く、ヒィキタイタンさまにおかれても降伏なさらざるを得なかった。
 なおも立て篭ったところで、殺されるのは敵軍の手にあらず。
 味方同士が相争えば恨みは分別を越えて燃え盛り、遂には六代様の御身にも及ぶであろう。

 六代様、フィギマス殿と協議なされ、ヒィキタイタンさまは単身円湾の外に漕ぎ出し、和を請いにお出でになられた。」

 

 老人の掻い摘まんでの説明だ。聞く者は皆、さらに悲惨な状況を目の当たりにしつつ、生き残った。
 続いて三人四人と、同じ惨状をそれぞれの視点で語って行く。
 今日は幽霊祭、亡くなった者の供養を念じて思い出話をする催しだ。主役はあくまでも死者である。
 話者が替わるたび、一本またと蝋燭の火が消えて行く。陰に籠って滅々と、倉庫の中の空気は淀んで行く。
 なるほどこれが幽霊か、と誰もが暗い天井を振り仰いだ。
 目では見えず耳には聞かず、されど闇の中に確かになにかが泳いでいる。いや、死んだ時のそのままに冷たい海水に漂っているのだろう。

 幸いなことに弥生ちゃんは、怨霊を清める方法も伝授してくれている。
 英雄譚だ。
 冥い気分を振り払い死者の魂を慰めるには、なにより強き漢の物語がふさわしい。戦さの死者が報われるのも、明るき益荒男の躍動と一体になって翔ければこそ。

 話をする者は定まっている。
 ソグヴィタル王 範ヒィキタイタンの下で六代様をお護りした禁衛隊の勇士。和議を求めて漕ぎ出した船にも乗り合わせた武人が、村にちゃんと住んでいる。
 さあさ、と呼び招かれ歴戦の勇士は中心に座る。
 彼は褐甲角軍クワアット兵として凌士長を務め、ヒィキタイタンが王都を追われた際に自らも軍を離れタコリティに忍び込み、忠誠を誓った人物だ。
 王の話をするに、彼ほどふさわしい者は居ない。

「では改めてソグヴィタル王殿下、いや宰相閣下の雄姿をお聞かせいたそう。これは閣下が聖蟲を戴いて行った最後の決闘の物語でもある。

 降伏するは容易い。我が身に縄を打って小舟で流せば用は済む。
 されど案じられるは六代様の御身の行方。新生紅曙蛸王国が滅びるにしても、テュクラッポさまが辱められるは許せない。
 しかしながら、裁きを下すは王都カプタニアに在られるハジパイ王。
 この老王は褐甲角(クワアット)神の大義を楯にソグヴィタル王の帰参を許さず、六代様に救世主の御位をお認めにならぬ。
 されば頼るべきは黒甲枝の御方々。もののふの情けを知る神兵なればソグヴィタル王の御心を尊重され、裁きの場でも公正と礼節を護ってくれると堅く信じるところである。

 とはいえ、何の担保も無しに頼めるほどには、褐甲角王国の規律は緩くない。
 ハジパイ王に与して陰謀を操る金翅幹元老員も戦場に姿を見せるとあれば、金打の重きを剣にて証さねばなるまいと、思い定める。

 

 時に創始暦五〇〇七年冬月丗三日。戦さが始まって12日目にして円湾は陥落する。
 霧が晴れ渡り、久しぶりの太陽が照らす昼天時(正午)。

 ソグヴィタル王は小舟に腹心たるドワアッダ殿を伴われ、また我らには台船も曳かせて来た。
 台船は真四角船縁の無い平たい船で作業などに使うのだが、この時は決闘の舞台として用いられる。尺は四方15杖(10.5メートル)、槍を用いるにはちと狭く、神兵が思い切り踏み込めば床板を破る危うさがある。

 ソグヴィタル王は右の腰に下げられた「王者の剣」、青晶蜥神救世主ガモウヤヨイチャン様より青き光の神威を授けられし黄金作りの剣をドワアッダ殿に預けられ、自らは神兵の用うる大剣を掲げて決闘の庭に臨まれる。
 おおーい、と懐かしき友を呼ぶかに褐甲角南海軍へと声を掛けた。

「誰そ有る。我と戦い打ちひしぎ虜としてカプタニアに引き立てて行く者は居らぬか」

 武人たるもの皆、ソグヴィタル王の心中を瞬時に察する。これ以上の戦は無益、されど決着は剣によって締め括らねば軍の誉れとはならぬ。
 敵が内紛によりて滅びたなどは、とてもではないが誇れない。金雷蜒王国ギィール神族、いやガモウヤヨイチャン様の御嘲りの対象となろう。
 姦計にて滅びた古えの紅曙蛸王国を再度姦計にて挫いたなどと、歴史に刻まれては黒甲枝の恥。

 されば、ソグヴィタル王 範ヒィキタイタンを打ち破り正々堂々凱旋せよとの御諚である。

 南海軍総帥提督ホゥマ健トツゥバム前列大監、ソグヴィタル王の声を聞きて直ちに幕僚に尋ねる。
「誰か有る。名誉有る決闘に恥じぬ強者は」

 南海軍舟戦神兵団に技量才能溢れる武者は数有れど、ソグヴィタル王と戦うとなれば末代までの家門の名誉。強さのみならず家柄においても由緒正しき武人が望まれた。
「これに、」
と応じるは、黒甲枝カンボル家、コゴォト家より出し剛の者。黒甲枝の中でも最も旧き百の家系に連なる血。
「よし」との大監の許しを得て、それぞれ異なる小舟に乗り兵に漕がせて台船に着ける。

「ソグヴィタル王。我ら両名がお相手いたす」
「おおよくぞ参られた。両名同時にお相手いただけるか」
「なんの、正々堂々一人ずつでお願い申す」

 舟戦神兵団が用いる丸甲冑の滑らかなる兜を脱ぎ捨て、額の黒茶の聖蟲を陽光に晒し、まずはカンボル殿が大剣を構える。
 コゴォト殿が見届けるが、内心我こそはと先手の不覚を待ち望む。

 ソグヴィタル王が御支度は、甲冑は用いず裸に金鎖の羅を纏うのみ。軽き身にては大剣の重さ勢いに負けて振り回されるも、全身一丸となって動けば矢よりも早い。
 対するカンボル殿は海軍用ふる丸甲冑。神兵専用の甲冑としては最も軽く動き易い。
 両者共にカブトムシの聖蟲を戴き、軽快さにおいて差が無ければ、武術の鍛錬のみが勝敗を分ける。

 さりとてソグヴィタル王は本来武人にあらず。
 王都カプタニアに在られる時分には、諸国より武術の名人達人を呼び寄せ妙技を学ばれた御方ではある。
 されど神兵とは違い戦場に出ることはなく、ましてやゲイル騎兵と斧戈を交えることも無い。
 武において黒甲枝が負けるなどあってはならず、南海軍の名誉を損なうことにも成りかねぬ。

 先手のカンボル殿その重圧を退ける見事なる剣裁き。右斜め上より円月を描く大きな疾い斬り込みで、真に必殺の刃を放つ。
 正面より構えしソグヴィタル王、大剣を右手にて支え小さく御身に添わせるや躱すことなく踏み込んで、喉元に大きなる切先を突き出せば、これはと神兵避けきらぬ。
 慌てて逃げるも腕の振りは留まらず、気がつけば自ら大剣を手放し台船の縁まで飛んでいる。
 なんたる不名誉。神兵の剛力のみが扱える重さ5石(15kg)の鋼の塊、ゲイルの甲羅さえ砕く無敵の大剣を自ら手放し命を惜しむとは。

 我ら紅曙蛸神殿禁衛隊、これはしたりと渋面作るカンボル殿をやいやと囃し嘲笑う。
 飛んだ大剣はかろうじて床板に突き刺さり海の藻屑となるを免れる。促され自ら拾うを余儀なくされた。
 次は慎重にと喉の高さに切先真っ直ぐ構え、左半身にカンボル殿はじわじわと攻め入るも、ソグヴィタル王右の手に大剣提げて床を差し、胸板さらす無防備ぶり。
 またしても嘲け給うかと一気に突き込むも、王はなんと剣を握り換え柄尻にて丸甲冑が心の臓をお衝きになる。
 捷きこと電光の如し、どちらが勝ったか負けたか傍目には分からぬ。しばしの沈黙、されど王は自らの大剣をお掲げになる。
 どうと倒れるカンボル殿に、我ら胸を撫で下ろし両手を上げ戈槍を掲げて歓声を上げる。

 無惨なる敗北を遂げた僚友を自ら担いで小舟に戻したコゴォト殿は、改めてソグヴィタル王に願い奉る。
「王よ、神兵を嬲るはお控え下され」
「なるほど、貴公は一撃で退けよう」

 黒甲枝大剣の手合わせ正規の作法に則り、地に這う切先を互いに向きを揃え、えいやの吶声にて突き合わせる。
 これは身に重き甲冑を纏いし者が有利な型。されどソグヴィタル王一歩も動かず、コゴォト殿を弾き倒す。
 理由が分からぬ。同じ型同じ高さ同じ大剣を用いて、何故に自分のみが尻餅を突くか。
 驚く顔を隠そうともせず、遮二無二王に突きかかる。二度三度宙を斬り、背後に回る王に向き直る。
 がん、と真っ向額の辺りに斬り掛かるソグヴィタル王が渾身の刃。コゴォト殿必死で受けるもそのまま膝が屈して、またしても木の床に崩れ落ちる。

「勝負有り」
と、南海軍旗艦『大方光』より声が上がる。振り向けば、艦隊提督より高い楼に黄金に光る麗人の姿有り。
 遠くデュータム点の青晶蜥神救世主代行キルストル姫アィイーガ妃縁より遣わされし、「ゲジゲジ乙女団」団長シトロメ純ミローム様だ。
 ギィール神族の眼に疑いを挟む者など、方台に居はしない。ましてどの神兵黒甲枝も勝敗明らかなりと見定めて、ただ嘆息するばかり。

 シトロメ様は高き戦楼より声をソグヴィタル王に投げ掛ける。
 彼の神族麗姫は海賊を業とし当地円湾タコリティにも深き縁を結びし御方。兜も信心の証として、金銀の丸鉢がテューク(タコ)を象っている。

「ソグヴィタル王。その剣技、星の世界よりもたらされしものと見受けられるが、如何に」
「いかにも、ガモウヤヨイチャン殿御逗留の際に授けられし奥義なり。されど聖蟲の霊力を用いぬ只人が技。挑んで参れ、方台が子等よ」

 こうまで言われては退く途を持たぬ。たちまち舟戦神兵団より若手の神兵が数名手を挙げ、大監に許しを得ては台船に上る。
 7人ばかりが各々得意の武器をかざし王に挑むも悉く退けられた。或る者は海に落とされ、或る者は元来た舟に突き返され伴する兵ごと覆る。
 幕僚参謀切歯扼腕し、誰ぞと新たなる挑戦者を呼ばうも、さすがに今一度の恥を重ねる者は無し。

 恐れながらと申し出るは、王都にてヒィキタイタン事件の追捕師命を受けたるレメコフ誉マキアリイ。
 黒甲枝の重鎮の家門にして自らも兵師監の位を帯びるソグヴィタル王の友人なれば、大監これを良しとせず、自ら次なる討ち手を選ぶ。
 直々の指名を受けしは、未だ30歳に満たぬも総髪白き神兵 顎髭までもが白い中剣令タキ殿だ。

 彼の方はこれまで破れし神兵の戦い様を良く見極め、甲冑を脱ぎ手甲脚絆のみの軽装となる。得物も剣槍でなく、鎖と錨にて搦め取らんと試みる。

「うむ、これこそシシドバイケンの例しであるな」
 ソグヴィタル王大きく首肯き、大剣に換えて左右常人の剣を構える。
 双剣にて鎖を防がんとするはタキ殿の思惑を越え、やむなく此の世で許される限りの疾さ鋭さで弾き合う。
 鉄鎖絡げて縛らんとするも双手の剣にて逆に抑え込まれ何度も危うく、額の聖蟲を討たれんばかりとなる。
 遂には鎖を捨て素手にて抗うも甲斐無く、手傷を負われて海に蹴り出された。

「やんぬるかな」
 大監、これ以上の醜態をギィール神族の眼には曝せじと、再び人を選ぶも皆俯き応じぬ者ばかり。南海軍舟戦神兵団、武門の誉れはいずこに有りや。
 やむなくレメコフ兵師監を振り向くも、眼の端に止りし赤褐色の甲冑がある。

「そこな神兵、名乗るが良い」
「ご指名有り難く。我はベイスラが任地にて、夏の大戦にあっては穿攻隊に属し毒地を征する剣匠令サト英ジョンレ」
「むう、赤甲梢であるか」

 サト殿はいかにも赤甲梢にて神兵戦技を磨かれしも、赤甲梢にはあらず。されど翼甲冑を纏いては大監の誤解を晴らさんとも覚えず、そのままに海へと押し出だす。
 円湾の戦闘は皆様お語りになられた通りにて、加勢の神兵に出番無く、軍船上にて無聊をかこって居た御仁である。
 ようやくに回り来たしかも名誉の戦場に、喜び勇み背中の翅を大きく羽ばたかせ、台船に飛び上がる。

 ソグヴィタル王も赤甲梢との対戦は予期せず、尋ねるは、
「赤甲梢前の総裁メグリアル王女 焔アウンサ殿はご健勝なるか」
「嗚呼、王よ。メグリアル妃にあられては、先日御落命になられたり」
「これはしたり。あの厚顔鉄剣をも砕く女傑が、いかなる仕儀にて運命を迎えられたか」
「場所はミンドレア、スプリタ街道上にて獣人を擁する正体不明の兵に襲われ、護衛の神兵折悪しく不在にて単身迎えるものの心臓を抉り取られて亡くなられしと聞かん」
「なるほど、英雄に相応しき最期であられたか。我も続かん」

 再び大剣に換えて尋常に打ち込まれるソグヴィタル王は、されどサト殿がベイスラにてゲイルを相撲で討ち取りしとは露も知らず。
 剣にて打ち合うは利が無くとも翼甲冑の大翅を存分に生かして飛び回り、身を捨て鎧に刃を食い込ませて大剣を封じもぎ取って、無手にて王と絡み合う。
 さしもの王もこれは不利と存ずるが、一度始めた掴み合いを止めるもならず、神兵聖蟲の与うる金剛力にて台船を揺るがす。

 双方打つ手無く膠着したと見定めた提督大監、ここぞと命ずる。
「皆上がりて王を捕え参らせよ」

 王に退けられし神兵はそのまま小舟にて待機し闘いを見守り続けて居たものが、命令一下鐘が響くかに台船に飛び移り素手にて王を抑え奉る。
 数十の神兵にてようやく捕われしソグヴィタル王、サト殿に言葉を賜れる。

「汝に負けたにあらず。されど誇るに許しは要らず」
「有り難き哉。女房に嬉しき土産也」

 褐甲角海軍ようやくに勝ち鬨を上げる中、静々と進み出る船がある。
 六代様テュクラッポ・ッタ・コアキ王女もソグヴィタル王と共にカプタニアに参らせ給い褐甲角王国が正義を確かめんと、侍女神官巫女を従え現われる。
 その麗しさ美しさは女嬬にあらず、まさしく千年を統べる女王の風格にして、何人も冒すことあたわず。

 再び艦隊旗艦上よりギィール神族シトロメ様が言葉を奉る。
「我見届けたり。ソグヴィタル王、紅曙蛸神が女王、カプタニアにて新たなる舞いを楽しもうぞ」

 なるほど、カプタニアに待つはまさしく千年の大審判。
 星の世界より天河十二神の賜れたガモウヤヨイチャン様の嬉しき御帰還、青晶蜥王国建国の大礼であった。

 

 語るかっての勇士は居住まいを整え深く頭を垂れ、今は亡き王に黙祷した。
 ソグヴィタル範ヒィキタイタンは降伏後カプタニアの法廷に引き出され、弥生ちゃんによる劇的な解放を受け、その後も新生紅曙蛸王国の宰相として方台新秩序の構築に尽力する。
 しかし相次ぐ権力闘争の渦の中、ついに刺客の刃に倒れた。
 今より6年前の出来事だ。
 墓をカプタニアに築く事を許されずタコリティ近郊に小規模の陵を設けたが、息子ソグヴィタル貞アダンは何時の日か褐甲角神の宿り木に還さんと辛抱強く交渉を続けている。

「さて、遂に蝋燭の炎も残り5本、最後の話となりましたな。」
「やあ、プラズマはまだ幽霊を呼びませんかな?」
「毎度まいど呼び出されていては、死者も落ち着いて眠れませんよ。」
「はは、しかり。」

「それではチュバクさん、よろしくお願いいたしますよ。」
 村長がチュバク夫妻を手招いて、席を示す。

 彼らが幽霊祭の最後を締めくくるのは当然だ。この祭は死者の魂をプラズマの共振で招くものであるが、真の目的は違う。
 死者の思い出話をすることで彼らの生きた日を蘇らせ、あの激動の中心に確かに居た彼女を呼び返すことを願っている。

 創始暦五〇〇九年三月三日春初月丗六日。
 蒲生弥生は十二神方台系より小舟にて西の海に去る。

 多くの人が別れを嘆き、身を大地に投じて留まるよう懇願するも、聞き入れられなかった。
 コウモリ神人との激闘で受けた傷は浅からず、また奇蹟のハリセンを修復する術を求めて方台を離脱する。
 必ず帰る、との約束ではあったが3年後に戻ったのは黒い肌の異国の少女、青晶蜥神救世主三代目となる来ハヤハヤ・禾コミンテイタムであった。
 彼女の手でハリセンは再び方台に戻され青い輝きは多くの人を救ったが、それでも弥生ちゃんを永久に失った悲しみを癒せなかった。

 弥生ちゃんを呼び返す為様々な祈祷や儀式が行われるも、なんの効力も得られず虚しい浪費で終る。
 自ら小舟に乗り西の海に漕ぎ出して救世主様を連れて戻ると言った者も、帰らない。
 それでもなお諦め切れずに、民衆は幽霊祭を通じて星の世界に呼び掛けているのだ。

 

 チュバクは妻を左に座らせ、見守る人に深々と挨拶をする。

「わたし、チュバクのキリメはガモウヤヨイチャンさまにお仕えしましたが、ほんの末座に連なるだけの者です。それでもよろしければ、在りし日の御姿をお話しましょう。」
「奥さん、それは嘘だよな。チュバクさんは救世主さまに大層信頼され重要な仕事を任された、と噂に聞きましたぞ。」
「うふふ、そうなんです。このひとは目立つのが嫌いでこんなことばかり言うのですよ。」

 これとたしなめる夫を尻目に、チュバクの妻は勝手に喋り出す。

「夫はかなり早い時期からガモウヤヨイチャンさまにお仕えしていたのですよ。デュータム点にお出でになられる前、毒地からゲルワンクラッタ村にお入りになられたその時と聞いております。」
「おおー、それは褐甲角王国で一番早い信者ということですな。チュバクさん。」
「う、うん、まあそういうことになります。」
「それだけでなく、デュータム点から聖山のウラタンギジトへ、ボウダンの平原に戻って来られる間中ずっとお仕えしたのです。」

 チュバクの妻はこれしか自慢が無いのだよと言わんばかりに、べらべらと夫の話を続ける。
 古着問屋に長らく勤め金勘定に優れていたから信者を束ねる会の会計責任者となり、トカゲ神殿に協力して物資を購入する手助けをし、働きを認められて青晶蜥王国建国準備委員会の会計人の一人に選ばれ…。
 つらつらと偽の経歴を読み上げられる本人は、背筋に冷や汗を流している。
 隠れ蓑としてそのような肩書きを持ってはいたが、実際経理に関しては素人に毛が生えた程度なのだ。バレない為に、こっそり昔の手下を呼び寄せて銭勘定をやらせるほどだ。

「こ、こら。そのくらいにしなさい。
 あー、というわけで今妻が説明しましたとおりに、私はガモウヤヨイチャンさまのお傍近くに侍る事をしばしの期間許されました。」
「おおー。」「ほら。」
「ですが、…そうです、私はたしかにガモウヤヨイチャンさまから命を新しくもらいました。一度死んでハリセンの御力にて再びこの世に生を受け、終生お仕えすると心に定めたのです。」
「やはりそうですか。チュバクさんの救世主様に帰依なさる態度の真摯さは、只者ではないと思ってましたよ。」
「はあ、まあ、ですから、

 そうです。私にはそういう経緯がありますが、戦に出るような強さも立場も持っていませんでした。だから青晶蜥王国を建てるのに命を賭けたわけではございません。
 皆様のように死線を彷徨い苦難に喘いだのでもないので、幽霊祭でお話ししてよいものか。」
「いえいえ、どうぞお願いします。」

「それでは、お話いたします。

 …私が戦に赴いたのは唯の一度、ジョグジョ薔薇の乱です。あの大軍勢の中に皆と同様勝手に加わり、夢中で進んでいたのです。
 ガモウヤヨイチャンさまは、ジョグジョ薔薇様の挑戦に御身一つで応えられました。旗持ちのシュシュバランタ殿のみを従えられ、たった二人の軍勢として南方にお出でになられます。
 私共近くに侍る者に何の相談も無く、また周囲に控えていた軍兵の誰をも伴わず、御自身のみで「売られた喧嘩をお求めに」なられたのです。

 これは困ります。
 救世主様の命があれば、私共は生命を惜しまず闘います。たとえゲイルの前だとて、怖れることなく飛び出します。
 ですがこの時はなんのお下知も命令も無く、ただただ前に進まれます。
 私共は考えます。いえ、最初から結論は出ていたのですが、ジョグジョ薔薇様に対してどう向かうかは態度を決めかねていたのです。

 なにしろあの御方は金翅幹元老員であり、額に黄金のカブトムシを戴きます。
 褐甲角(クワアット)神の聖蟲は、その宿主が正義を失えば直ちに見捨て、たちまちにカプタニアの御山に帰ると伝えられます。
 ジョグジョ薔薇様とその御一党が聖蟲に見放されていないのであれば、そこにはやはり正義がある。正当な理由からガモウヤヨイチャンさまにお挑みになられたと見受けられます。
 同じ聖蟲を戴く黒甲枝、赤甲梢の神兵の方々は、特に迷われました。
 またギィール神族の殿様方も、褐甲角神使徒同士のいさかいに手を出すのを控えられます。

 誰もが為すべき方策を見失い、右往左往しておりました。

 そこに、このガモウヤヨイチャンさまのお振る舞いです。
 皆驚き、恐れながらも呆れ、でもただひたすらに救世主様の後を追いました。
 考えることは止めます。ただガモウヤヨイチャンさまと同じ道を、同じ先へと向かうのが嬉しく楽しくて、従ったのです。

 軍勢はたちまちに大きく膨れ上がり、スプリタ街道を下る間に道の左右から数多の人が押し寄せ加わります。
 どこからともなく飯が出て肉や魚や鳥が振る舞われ、酒の瓶が回され、焚き火の傍で人が踊ります。大きな大きなお祭りでした。

 そしてイロ・エイベント県の荒地に雪崩れ込み、ジョグジョ薔薇様の軍勢と対峙いたします。
 私がガモウヤヨイチャンさまより直にお言葉を頂いたのは、その時です。
 まさに敵が目の前にあり、不思議の力により昼の光が暗黒へと転変し、不安と恐怖に包まれた人が混乱するその時、

 

「もうし、もうし父上。ここを開けてください。」

 いきなり倉庫の扉を外からどんどん叩く音がする。幽霊祭は外から邪魔が入らないのが絶対の条件であるから、声の主の父親、つまり村長は立腹して扉越しに問い質す。

「こら、今は大事な時だ。滅多なことが無ければ呼び出すなと言っただろう。」
「もうしわけありません。ですが、おそらく幽霊祭はもはや必要無いでしょう。」
「どうした。外でなにが起った。」

「天に、天に徴が表れました。幽霊祭の祈りが星の世界に届いたと思われます。」
「なに? なにが起きた?」
「どうぞ外にお出で下さい。夜空にくっきりと浮かび上がる、コレはまぎれもなく。」

 尋常でない言葉に、倉庫の中の者は互いに顔を見合わせ、村長に首肯く。
 扉に内から封をしたコウモリ神の葉片のお札を剥いで、分厚い木の扉を開けると。

「う、うわあ。」
「この光は!?」

 倉庫の外は眩い光に包まれ、まるで昼の明るさだ。勿論星月の光ではなくもっと特別な、神々しい明るさに村人は驚き天を仰いで指差している。

「なにが起きたのだ。なにが、」
「父上、天をご覧ください。」

 息子の勧めるままに村長は倉庫を出て、広く開ける滑平原の夜空を仰ぐ。
 一面に冬の星座が輝くはずの藍闇の天蓋には、かって方台の誰もが浴した光が在る。

「おお! おお!」
「これはまさしく、ファイブリオンだ!」
「…天空のいと高き座を占め神々をも越える聖霊ファイブリオン、間違い無い。」

 四方の地平線に確と分かたれる広大な夜空に、純白の光の帯が舞っていた。この光は13年前、ジョグジョ薔薇の乱の時に始めて方台で観測されたものだ。

「帯に流れる五条の腕脚、テュークを思わせる胴体を持たぬ身体、」
「人に似て非なる丸い顔、厳しい目、」
「そしてなにより、まったく他の色を含まない純白の、はっきりとした力強い光。これぞまさしく高空の聖霊ファイブリオンだ。」

 オーロラに似た空中発光現象だ。しかし方台の歴史上これまで観測される事の無い光だった。
 13年前、弥生ちゃんが天空を指差すその時まで、誰もこの現象を知らなかった。故に救世主が教えるままを、皆記憶する。

 大人も、子供も、老人も。皆が光の下で踊る。跳ねる。
 白い光を全身に浴びるかに、冬の冷たい空気の中両手を差し上げ、奇蹟の再臨に顔をほころばす。

「父上、これはまちがいなく幽霊祭の、」
「、我らの祈りが天に届いたのだ。なあそうであろう、チュバクさん。」
「ええ、ジョグジョ薔薇の乱の際にガモウヤヨイチャンさまがお呼び出しになられた、星の世界の護りの聖霊。まちがいなく祈りが届いたのでしょう。」
「おお、ああ、有り難い。なんという恵みの深さか!」

 村のそこかしこで、跪き天を仰いで祈る人の姿が見える。
 村長も、幽霊祭に参加していた村の重役たちも、それぞれに天に向かい感謝を捧げる。

 その中で一人、チュバクのキリメは立ち尽くす。
 寄って来た妻の肩をそっと抱き、誰に語るでもなく、幽霊祭最後の話の続きを始める。

 

「…コウモリ神人様の御力で昼の光は奪われ、世界は暗闇に包まれました。
 驚き怖れる私共を鎮める為に、ガモウヤヨイチャンさまは天空を指差します。全ての人の視線が指し示す先に集中した時、
 それが現われました。
 まるでテュークのような姿、5本の肢は冥い空の隅々まで伸び、眩いまでにはっきりとした純粋な白の光を投げ掛けます。
 顔はまるで人のように目鼻口が備わっていますが、決して人ではない。そして厳しい眼差しを地上の我らに向けている。

 誰かが問いました。
 「ガモウヤヨイチャンさま、あれは神ですか?」
 「違う、あれは神ではない。天空のいと高き座を占める裁定者、高空の聖霊ファイブリオンだ」
 「あの光は、我らの味方ですか?」
 「あれは誰の味方もしない。あまりにも高い場所に居る為に、地上の世界には影響を及ぼさないのだ」
 「では、ただ光を投げ掛けるだけ」
 「聖霊ファイブリオンは地上の人間に対して、なんらの力も貸さない。ただ指し示す先に正義があるだけだ」

 この言葉に人々は奮い立ちます。救世主が御示しになり、また天空よりも促される。
 戦いの正義はいずれに有るや、そんな迷いは消え去りました。
 我先にと人は走ります。兵も神兵もゲイル騎兵も、百姓も商人も奴隷も女も、誰もが光の指し示す先に走ります。

 でも私は行けなかった。私の役目は救世主の身辺を護ることだったからです。
 私は役目に誇りを持っています。重要さにいささかの疑念も持ちません。ですが、心が動いた。

 この広い世界を、戦場の大地を、己が思うがままに駆ける喜びを、私の心は欲していた。
 何の枷もなく使命も無く、野の獣と同じに身に宿る全てを自然に投げ出したくなりました。

 そんな私の心をガモウヤヨイチャンさまはお見通しになられます。
 チュバクのキリメよ、まもなく世界は次の舞台へと進む。進んで行く。そこに私はもう居ない。でもファイブリオンの光を置いていこう。
 彼の聖霊の指し示す正義に、実は何の意味も無い。
 無私の正義を感じ取れる者が、自らの心が指し示すままの正義を受入れられる者が迷わず進むのを見届けるだけだ。
 チュバクのキリメよ。お前も、自分が欲するままの世界を生きてみよ。

 それがガモウヤヨイチャンさまが私にお授けになられた言葉です。
 私は嬉しくなり、小躍りし、小剣を抜いて飛び出しました。ガモウヤヨイチャンさまを、我が魂の救い主を振り返らず、まったくに忘れて。

 傍らの妻以外誰も話を聞いていない。声が届かない。
 だが、自分の半身となる女は微笑んで応えた。

 彼女を娶ったのもただ任務の隠れ蓑とする為。デュータム点に多数詰め掛けていた信者の中から、子連れの寡婦を選んだだけだ。
 それだけの女だったのに、今もこうしてふたりで居る。
 彼女の子は自分を父と呼び健やかに成長し、今はもう嫁ぎ子を産んだ。孫だと、笑って見せに来る。

 いつかこの偽りの関係も崩れると思っていた。護衛の任務から解き放たれて、共に居る理由を失えば自然と消え行くはずだった。しかし、

 彼女は天の光に手をかざす。その指先に白い焔を宿すかに、何のためらいも怖れも無く聖霊を招いた。
 彼女は唱える。正しく世界の神秘を説き明かす、ガモウヤヨイチャンの言葉を。
 人の祈りが天河の神に届く理由を。

 

「ファイブリオンは聖霊だけど、でもその身体を形作るのはぜっとぴんち…、」
「ああそうだ。あれもまたプラズマだ。」

 

第二章 廻脳遊戯 

 デュータム点近郊、キルストル姫アィイーガとカタツムリ巫女ファンファメラの会話。

「こういう状況を、”チャンス”と言うのだろうか。」
「ガモウヤヨイチャンさまは”ちぃゃあ〜ぁんす”とお言いになります。今はもう誰も覚えていない、遠い昔に廃れた発音だそうですが。」

                        ********************

 

 第一の兆候は、赤甲梢神兵頭領シガハン・ルペ大剣令の言葉だった。

「西側の御味方、バファット沼駐留隊がどうも警戒体制を換えた風に思われます。旅人の往来が停止しました。」
「そうですか。しかし往来の調整は珍しくありません。特段の注意は必要無いでしょう。」
「いえ、ここ数日の往来者の中で純粋な商人だけが妙に減っています。ボウダン街道西側になにか起きたのかも知れません。」

「商人、ですか。」
「商人は純粋に利を求めて動くもので、危険な要因を感じ取ると行動を手控えます。」
「なにか、とは何です?」
「それは、私にも。」

 赤甲梢総裁にしてベギィルゲイル村統合警備責任者メグリアル劫アランサ王女は、困惑して神兵頭領を見る。
 根拠も無く警戒しろと言われても、なにを見ればいいのか。
 だが輔衛視チュダルム彩ルダムの進言で考えを改めた。

 赤甲梢はただの神兵ではない。邑兵クワアット兵から這い上がり、特段に目覚ましい武勲を上げて聖戴の栄誉を勝ち取った、常人を越える資質の持ち主ばかりだ。
 その頭領たるシガハン・ルペも黒甲枝とは縁の無い町家の生まれ。ただ武勇に優れるばかりでは、この地位にまで登れない。

 元よりカブトムシの聖蟲を戴く者は直感に優れる。アランサも彩ルダムも、聞いている内に心に小さな黒雲が沸き上がる。

「注意しておきましょう。」

 

 第二の兆候は、金雷蜒王国側との定例警備会議でもたらされる。
 東金雷蜒王国神聖王ゲバチューラウの護衛総督、神剣匠ゥエデレク峻キマアオイと打ち合わせした際に不意に尋ねられた。

「王女よ。現在方台で最も早い通信手段はなにか御存知か。」

 アランサはしばし考えて、答える。

「おそらく、私ではないかと。」
「はは、さすがに空中飛翔者には敵わない。だが残念ながら王女は唯一人。方台全土を覆う通信手段で最も早いのは、ガモウヤヨイチャンが作った鏡信号通信だ。」

 弥生ちゃんは暗殺組織『ジー・ッカ』の烽火通信網を改良し、鏡を用いた光通信網を作り上げた。
 3つの光の組み合わせで複雑な通信文を極めて高速かつ確実にやりとりし、方台全土で起きる事件を3日の内で知る。
 ウラタンギジト滞在中はアランサもその恩恵をよく受けたが、毒地に出て赤甲梢を指揮する今は一線を画する為に利用していない。

 もちろん通信網の存在は他者には秘匿されている。
 だが毒地に集結したギィール神族は地平線の彼方で点滅する光の列を観測し、原理を独自に解析した。

「これは実によく出来た通信手段だ。3つの光の3つの組み合わせで1文字を表わす。迂遠なようだが確実で高速に伝わる。誤りを補正する手段も用いている。」
「ええ、さすがに星の世界の知恵と感心いたします。」
「既にギィール神族の間でも応用が始まっており、毒地内に連絡網を構築しつつある。これの利用は軍事のみならず諸方面に革命的変化を促すだろう。」
「そうですか。」

 残念ながらアランサにはあまり深刻には感じられない。赤甲梢の総裁とはいえ軍事にはほとんど素人なのだ。
 また赤甲梢が擁する兎竜隊はゲイル騎兵をも凌ぐ高速移動手段である。通信の速度で困ったことはない。

 ゥエデレクの言葉は続く。

「此所ベギィルゲイル村に逗留を始めて後は、我らも通信網の恩恵に与って来た。居ながらにして聖上が方台の諸事情に明るいのもその為だ。」
「デュータム点の救世主代行キルストル姫アィイーガさまのご配慮ですね。」

「うむ。
 だが今朝になって通信が途絶した。『これから楽しむ』との文章を最後に、東西どちらからも入らなくなった。
 王女はこれを、どう考える?」

 どうと問われても、神族の知恵で分からぬものが只の女に読み切れる道理が無い。
 だが目の前に座る筋骨隆として優美な巨人に見捨てられない為に、アランサは真っ当な答えを直ちに発せねばならなかった。瞬時も迷ってはいけない。
 ウラタンギジトで学習した、ギィール神族と対等に付き合う極意だ。

「最後の通信文『これから楽しむ』はガモウヤヨイチャンさまが時折使う星の世界の慣用句で、これから何か派手な活動を始めるぞ、という決意表明です。
 キルストル様が神聖王陛下に対して何事かを行う、そう解釈します。」
「なにをする。」
「陛下が最もお好みになる状況の演出、停滞した和平交渉を打開する為に、…いやなことを考えてしまいました。」

「つまり、これよりはなかなかに楽しめる状況になるわけだ。
 ところで、毒地に集結したギィール神族の連合軍が南方に20里後退した。面白い事態だとは思わないか。」

 有事の際には神聖王の救援に駆けつけるはずの神族連合軍があえて遠ざかる。
 これは神族がゲバチューラウを見捨てたとさえ看做せるだろう。

 アランサは知らず背筋に冷や汗をかく。

「大層おもしろい事態になっていると考えます…。」

 

 第三の兆候は、ゥエデレクとの対話の後に招集した緊急警備会議の席で浮上する。

「なんですか、正使全権代表のカプラル様が一時村を退去なさるのですか!」
「は。にわかの御指図で我らも困惑しております。」

 ゲルワンクラッタ村ことベギィルゲイル村の褐甲角側警備体制は3つに分けられる。

 一般の警備を司るのが一村守護と古街道出口防衛の神兵組で、彼らが先任だ。クワアット兵500を率いて村内秩序を維持する。
 それとは別に、褐甲角王国の外交使節団を護衛する部隊が随行する。防秘の為に独自の権限と通信手段を有する。
 そして赤甲梢だ。ゲイル騎兵が突入してきた際には、赤甲梢が迎撃を受け持つ。兎竜6頭と装甲神兵団25名を駐留させており、さらに村の外、毒地内平原西部に兎竜隊3旗団36騎、東部に装甲神兵団2幟隊50名を配置する。

 この三者の総合責任者が、メグリアル劫アランサ王女である。
 若年にして経験が無いと危惧されるが、神聖王ゲバチューラウの意に沿う人事であり、また青晶蜥神救世主ガモウヤヨイチャンの薫陶が篤い。
 和平交渉を先導するのはまぎれもなく弥生ちゃんであるから、最適任と看做された。

 王女を驚かせたのは、外交使節団護衛の責任者たる神兵大剣令だ。

「はい。また正使の離脱に伴い協議も一時停止となります。神聖王陛下が特別な祭祀を行う御予定ですから、その間は進展しないとお考えです。」
「それはそうですが…。」

 予定では、ゲバチューラウは極めて特別な祭祀をここベギィルゲイル村で数日掛けて行う。
 神聖宮のみに伝わる門外不出の秘儀で、おそらくは二度と外では見られないと思われる。
 儀式の実施に際しては村内外の一般人の往来を禁じ、特別な警備体制を構築しなければならなかった。

 外交使節団がこれを機として休息を取るのも理解できる。ここ1ヶ月の繁雑な交渉の結果を整理するにも好都合だろう。
 しかし敵方の総大将たる神聖王が王国内に居続けるのだ。
 全権代表である『破軍の卒』カプラル春ガモラウグ元老員が村を離れるのは、得策とはとても言い難い。

「カプラル様から、私に対してなにか伝言はありませんでしたか。」
「申し訳ございません。承っておりません。」

 

 一つひとつは大した変化ではないのだろう。
 だが三つの兆候を合せると、アランサには極めて重大な凶事が振り掛かって来るかに思われた。

                        ********************

 

 ボウダン街道、毒地古街道出口付近にあるベギィルゲイル村に、神聖王ゲバチューラウは滞在し続けている。

 季節は冬。村にも雪と氷が押し寄せ、朝の目覚めが辛い。
 幸いにしてアランサの寝室には高価な東金雷蜒王国産の窓硝子が入っているが、重ね着をしても寒かった。
 ただ村の美しさは白を纏って更に清廉な印象を増し、ゲバチューラウもますます機嫌が良いと聞く。
 警備責任者としては上々と考えるべきだろう。

 降雪も納まり天候の回復した寒いながらも麗らかな陽の下で、彼は極めて特別な祭祀を行う。
 『廻脳慟覘(かいのうどうてん)の儀』と聞いた。褐甲角王国側の文献には一切記録が無い極秘中の秘儀秘蹟だ。

 見たい、とは思う。また今回に限り禁を解いて、儀式を見学するのに制限を設けない。
 だが警備責任者のアランサが村中をうろつき回るのは、さすがにはしたなく思われる。
 代わりに彩ルダムに視察を命じた。
 村全体、村人までも動員する大がかりな儀式との話だから、なにがしか助けにはなるはずだ。

 

「これはー、なんでしょうか。紐ですか。輪のお祭りなのですか。」

 戸外に出た彩ルダムが出くわしたのは、色とりどりの紐だ。
 赤青黄緑紫白黒橙金銀、ありとあらゆる色に染められた紐を村全体に張り巡らせる。ただ張っただけでなく、厳密に測量して円形に渡している。
 立ち木や薮、家の屋根にまで紐は掛かっていた。
 直径は様々だが、最大の輪はまちがいなく200メートルを越す。中心は広場に設けられた大階段、ゲバチューラウが儀式や謁見に使う壇だ。

 褐甲角王国にはこの手の祭は無い。聖山に伝わる十二神信仰の儀式にも類似するものは無いはずだ。
 これから何が行われるのか、さっぱり分からない。

「あ、スーベラアハン様!」
 彩ルダムは赤甲梢で唯一文化芸術に詳しい神兵を見つけ出した。

 スーベラアハン基エトス大剣令。
 金翅幹元老員の家に生まれながら聖蟲を戴くことを拒み、身分を偽り只の一兵卒として軍に入り武勲を上げ、いつのまにか赤翅の聖蟲を授けられてしまった変わり種神兵である。
 彼は生まれに相応しく教養が深く、特に神聖金雷蜒王国の歴史的文物や芸術に通暁する。
 故にベギィルゲイル村に有っても慎重な扱いを要する物品財宝の取り扱い、神事儀典に関しては彼が警備を担当すると定めていた。
 「叡書」と呼ばれる学芸員もカプタニアから多数呼んで、彼の配下に付けてある。

 輔衛視と大剣令。互いに顔を見合わすと、なんだか楽しい。
 カブトムシの聖蟲は本来夏の虫であるから、寒さは苦手だ。聖蟲は不死身ではあるのだが、どうしても動きが緩慢になってしまう。
 そこで、褐甲角の聖戴者は冬場は毛織物の帽子を被る。
 ふわふわした大山羊の毛の間からちょこんと顔を覗かせる聖蟲は愛らしい。

「これは輔衛視殿。」
「大剣令、この儀式について分かりますか? 輪っかばかりですが。」
「数学的な規律に基づいて厳密に張られています。おそらくは儀式自体が数学的な手続きを用いる機械的な、まさにギィール神族にのみ遂行可能なものでしょう。」
「我らが見て良いものでしょうか。本来極秘裏に行われるのでは、」
「そうでしょう、文献に記述が無いところからも、一般神族にすら秘匿されて来たと考えられます。それが私の目の前で行われるなんて、ああ。」

 彩ルダムの見るところ、色には見せぬが彼は相当に興奮している。
 絶後であろう体験に、目を皿の如くに見開いて細大漏らさず記憶しようと試みる。

 話している内にどんどんと太鼓の音が鳴り響き、荘厳な楽が流れて来た。
 正装に身を包んだ金雷蜒軍の兵士が守る中、静々と神官巫女が進み出る。

「おお!やはりこれは十二神信仰に関りがある儀式か。見て下さいあの巫女達の扮装、あれはまぎれもなく天河の神を表わすもの。してみるとこの輪は天体? 天の神座の移動を示すもの、であれば彼女らの配置は厳密な計算と観測に則って、」

 大剣令が語るとおりに、様々な神の姿に扮した巫女達が輪に沿って歩き出す。付き従う神官は規矩を持ち輪の中心を振り返り測量を開始する。

「察するに、これから未来予測を行います。天文か気象か、あるいは方台大地に起きる森羅万象を読み解く、」
「占いですか。」
「占いはギィール神族はバカにするのですが、これは。!おお、やはり来た。ガモウヤヨイチャンです!!」

 神族に手を引かれる青服の女性、トカゲ巫女チュルライナが静と進み出る。
 彼女が着る服には、彩ルダムも覚えがあった。
 かってこの村で二人のメグリアルの王女と共に見た異世界の装束。県立門代高校の青い制服だ。

「チュルライナの服は、この儀式にあっては最新の変更でしょうね。」
「本物が降臨されたからには、姿を模すのは当然です。しかしこれではっきりした。やはり未来予想を行う占術だ。」

 チュルライナを導く神族に許可を取り近付く。彼女の身柄引受人は彩ルダムであるから、特別に質問も許された。
 巫女は弥生ちゃんそのままに右手にはハリセン左の腰には長い刀を吊るし、額に硝子のトカゲを戴く。
 普段は鱗が青く艶を照り返す頬に、朱を差したかの羞じらいを見せる。

「私はこの儀式はもう3度目になります。前回まではちゃんと裾の長い衣を着ていましたが、この格好は恥ずかし過ぎます。」

 さもありなん。弥生ちゃんのスカートは薄いグレーで丈は膝上となる。子供ならまだしも、成人女性が着るにはあまりにも短過ぎる。
 ちなみにチュルライナの背丈は170センチ近い。弥生ちゃんとは20センチも差がある。
 細く長い脚が剥き出しになり、腿の外側をびっしりと埋め尽くす鱗も冬の日に露わ、ぬめる光を放っていた。

「これから一体なにをするのです。」
「長いのですこれは。主役は神族の方々で私達はただの駒、それぞれに象徴する神や人の運勢を記録する目印に過ぎません。」
「恐ろしい儀式ではないのですね。」
「おそろしく退屈ではあります。」

 一際華やかな音楽が流れて来たので、部外者の二人は退散する。
 振り向けば、広場の中央に設置される大階段に黄金の仮面を被った背の高い男が登る。
 ゲジゲジの聖蟲を誇張し象った仮面で、頭全体に無数の肢を絡ませてしがみ付く。
 金雷蜒(ギィール)神自体の象徴はすでに配置されているから、これは神聖王ゲバチューラウを表わす駒だ。

 ついで、ゲバチューラウ本人が階段に登る。自ら指示して黄金仮面の駒を配置する。ギィール神族が3人も付いて行って規矩を駆使して位置を定める。
 タコ神官が奏でる曲に合わせて、20余名の神族が手分してそれぞれ駒の位置に進む。
 神官達を使役してなにやら懸命な計算を始める。

「計算…か。参ったな、算術の出来る奴は呼ばなかった。」
「スーベラアハン様、私は王女の元に戻ります。後はよろしくお願いします。」
「は。」

 大剣令はすでに輔衛視のことなんか忘れている。
 警備のクワアット兵に的確に指示を放ち儀式の邪魔をしないながらも、叡書を率いて必死に儀式の次第を記録し始めた。

 

 赤甲梢の事務所に戻った彩ルダムは、ここでも慌ただしい喧騒に包まれる。

 余所から情報が入るのを待つまでも無い。赤甲梢は元より諜報機関を有し、毒地や金雷蜒王国領内に潜入し探索を行って来た。
 彼らを近隣に派遣し独自に調査して、警備の方針を決定すればよい。
 とはいえアランサはさすがに実務は不案内だ。これまで担当して来た人間に指揮を任せようと考える。

「彼らを差配してきたのは、スーベラアハン大剣令ですか。」
「夏に毒地に潜入する指揮を執ったのは彼です。表の警備で忙しそうですが、呼び戻しますか。」
「そうですね。」

「それはいけません!」
 彩ルダムの声にアランサ以下懸命の作業を行う神兵・剣令が振り返る。ちと声が大きかったかと、羞じらったが進言する。

「スーベラアハン様の儀式への入れ込みようは尋常ではなく、このお仕事から外してしまえば一生恨まれますよ。」
「それは剣呑です。」

 彼が毒地潜入を指揮し得たのも、ギィール神族の文化に詳しいが為。今回味方陣営の動向を探るのだから、学識は必要無い。
 趣味に没頭しているのを邪魔するとコワいから、進言を入れて一般剣令を指揮官に任じた。

「それにしても、」
と、アランサは溜め息を吐く。

「ウェダ・オダからの報告はまだ届きませんか?」
「いえ、残念ながら。」

 ディズバンド迎ウェダ・オダ中剣令は夏中アランサの傍で総裁代理を務めた。
 弥生ちゃんの行列を良く護り、王女を賢明に補佐し誰一人意義を申し立てぬほどに育て上げた功労者と言えよう。

 その彼を再びデュータム点に戻しキルストル姫アィイーガとの連絡係とし、神兵2名とクワアット兵100を委ねた。

 赤甲梢本隊と合流出来ないのは彼にとって不本意であろうが、近くに居れば前総裁キスァブル・メグリアル焔アウンサ王女の助けにもなる。
 叔母が査問を受けるかも、と万が一を考えての布石であったが、今になって大正解。アランサが唯一安堵できるよすがとなる。

「あるいは既にウェダ・オダは叔母上の御下知に従っているのかも知れませんね。異変があれば、叔母上が見過ごすなどありません。」
「……。」

 楽観的な言葉に、だが彩ルダムは逆に心が暗くなる。

 

 午後、アランサはゲバチューラウから儀式の説明を受ける。
 可能であれば警備に全力を注ぎたいところだが、神聖王自ら解説されるとあっては遠慮も出来ない。
 そもそもが彼の機嫌を損ねたら警備どころの話ではなく、和平交渉も立ち行かない。
 王女アランサには接待も重要な任務である。褐甲角王国が若年の自分に期待するのは畢竟ソレのみであるから、手は抜けない。

 衣装化粧を整え彩ルダム以下の女官侍女を従えたアランサは、村の広場の変り様に驚いた。

「なんですか、これは普請工事ですか?」
「私にもまるで分かりません。何をしているのでしょう。」

 一見して分かるのが、この儀式に絶対必要なものは規矩であることだ。
 円形と線形の二つの定規を組み合わせ、糸の付いた分銅で垂直を定め、大きな嘴器(木のコンパス)で角度を測る。駒となる仮装した人の位置を計算で厳密に割り出す。
 それも神官にやらせずに、神族が自ら行っていた。
 村の広場のそこかしこ、色とりどりの紐の輪が通る薮の中まで分け入って、複数の神族の組がそれぞれ熱心に測量する。

 アランサも彩ルダムも、神族が口角泡を飛ばして論ずる姿を見た事が無い。

 常ならば全てに透徹した眼を持ち瞬時に正解を導き出す彼らが、あーでもないこーでもないと主張し激し、数値を巡って決闘に及ばんとまでする。
 狗番や家令はそれぞれの主人の激昂に戸惑い怖れ身を縮め、ひたすら計算が整うのを乞い願う。

「…総裁。ここは素直にゲバチューラウ陛下にご説明をお願いしましょう。」
「そうです、ね。お邪魔してはなりません…。」

 ゲバチューラウは儀式が始まった時そのままに、大階段の上に在る。
 彼自身も儀式に積極的に参加して、他の神族に段上からの観測結果を直接叫んで伝えている。高貴な身分、それも神聖王の姿にはとても見えない。
 これは確かに一大事とアランサも彩ルダムも覚悟を決める。

「陛下。」
「おお、王女よ参られたか。だが今は少し取り込んでいる。」
「陛下御自ら采配なさる重大な儀式なのでございますか。」
「居なくても構わぬのだが、参加する以上誠実に関与せねばならぬ。うむ…、少し休もう。」

 ゲバチューラウは熱くなり過ぎた自分を反省して規矩を傍らの狗番に渡す。ゲジゲジ巫女が捧げるヤムナム茶の盆の傍に座り、王女と輔衛視にも着座を勧める。

 ゲジゲジの聖蟲は冬の寒さを毛ほども感じない。赤い目玉をくりくりと回して、人の走り回る姿を興味深げに見詰める。
 毛織りの帽子から顔を覗かせるカブトムシに、「なんだ寒がりめ」と言わんばかりだ。

「『廻脳慟覘(かいのうどうてん)の儀』と伺いました。由来は、」
「金雷蜒(ギィール)神救世主初代ヴィヨンガ翁が自ら編み出した輪板定規が、原型である。ガモウヤヨイチャンがそうであるとおりに、ゲジゲジもカブトムシも初代の救世主は額の聖蟲と人語にて会話が出来る。後代の我らには許されぬ知識を直接に教えられ、形にしたものだ。」

「占い、ですか?」
 彩ルダムの質問に、ゲバチューラウは瞬時止まった。

 ギィール神族はなにより合理性論理性を重んじる。得体の知れない霊感やらに頼る占術など一顧だにしない。
 あなたは占いを信じますか、との問いは神族に対する侮辱とさえ覚える。
 だがゲバチューラウはそのまま続ける。

「『廻脳慟覘の儀』。2千年の昔に生まれた当時はこう呼ばれていた。『ウェゲの思考法の模式展開図』。」
「ウェゲの思考?」

「誰でもが知る人間創造の神話だ。
 天河十二神は大地創造後、初めはゲキと呼ばれる優れた生物を育くんだ。だが試作品は根付かず失敗に終る。
 已む無くゲキの前身となる野蛮な生物ウェゲを生み出し聖山の大洞窟内で育て、コウモリ神が大地の隅々にまで導いた。
 それが我ら人間だ。」
「はい。ネズミ神官が火を司った太古から、そのように教えられています。」

「この儀式はウェゲの思考に則って与えられる未来の予定図だ。天河の計画はこのようなカラクリで策定される。
 考えてみれば当然の話、ウェゲの性向に反した計画を押し付けても、適応出来ず従えずに滅びてしまう。
 園芸と一緒だ。欲する姿に成長させるには、自然に反せぬ適切な型を与えてやらねばならぬ。」

「ではこの儀式を行えば、次に天が何をなさるかを読み取れるのですか。」
「そう伝わり、また幾度も予測に成功している。」

 なるほど説明が確かなら、歴史の予定が見えるはず。起きることではなく、与えられる事象が分かるのだから間違い無い。

 アランサは改めて村の広場全体に拡がる幾重もの色の輪を目で辿った。
 相変わらず神族は互いに言い争い駒の配置や向き、手足の運びを論じ合う。未来を読み解く作業であれば、妥協は許せまい。

 ゲバチューラウはヤムナム茶を喫し、個人的な感想を述べる。彼が自らの心情を表現するのは無い事だ。

「この儀式は余自身にとっても重要な意味を持つ。神聖宮の王姉妹は、これの遂行を以ってようやく王の代替わりを認める。彼女らの妨害無しに行えるのは、なかなかに有り難い。」

「そのような儀式を宮の外の、しかも敵国領内で行って良いのですか?」
「覗き見た程度ではなにも分からぬ。また神族の知恵を用いても完全とは程遠い。
 現実の世の複雑極まりない事象の全てを、わずかな駒の動きに落とし込むのだ。近似などとは脇痛い不正確な結果しか本来得られぬ。
 今神族達が必死になるのも、その作業だ。初期状態の入力で失敗しては得られる結果に意味が無い。

 あそこで懸命になって式次第を記録する赤甲梢に言っておくが良い。後で解説の書を贈呈するから、無闇と頑張らなくてよいと。」

 遠くを眺めれば、スーベラアハン大剣令が叡書達を急かしてしゃかりきに葉片を撒き散らしている。描けるだけの全てを絵に留めているのだ。
 未知の儀式に興奮するのは良いが、さすがに金翅幹家の者として慎みが無さ過ぎる。

「しかし、それほどに難しいものなのですか。」
「今回は特段に難しい。星の世界からの稀人をどう記述すべきか、手引書にも無い難題だ。皆困惑している。
 そして彼女の影響を受けた方台既存の駒が。見るがよい。」

 指差す先は、赤い甲冑を纏った女人だ。華やかな作り物の甲冑は戯画化されて丸く、王女らの慣れ親しんだ形をしている。大きな翅が印象的だ。

「あれは赤甲梢の翼甲冑ですね。しかし着ているのは女人で。」
「キスァブル・メグリアル焔アウンサ王女だ。彼女には別の形で予言が与えられているが、その検証作業も同時に行う。現在の混乱を引き起こした張本人のひとりだから、記述せねばなるまい。さらに、」

 と示す別の駒に、アランサは赤面した。
 白いふんわりとした服を着る巫女の背にはこれまた大きな薄く透ける翅がある。

「…私、ですね。」

 これ以上お邪魔をしてはいけないと、アランサと彩ルダムは早々に逃げ出す。
 ゲバチューラウは再び階段の中央に立ち、広場の隅々にまで良く通る男性らしい美声を轟かせた。

 

 日が落ちてすぐにアランサと彩ルダムは村を抜け出した。広場には篝火が焚かれ、相変わらず神族の激昂する声が響く。

 二人の目的地は褐甲角王国の外交使節団だ。ゲバチューラウと一線を画する為に、使節団は村の外に宿営地を設けている。
 毒地に面する褐甲角王国の村は必ず防風林に囲まれ、農地も幾重もの林で隔てられる。
 林を抜けるアランサの一行はわずかに5名。侍女と護衛の神兵2名のみを伴う隠密行だ。

 宿営地の外側、篝火の明かりが届かぬ薮を回って一際豪奢な天幕に到達する。

「兄上。」
「アランサ、よく参った。」

 外交使節団副使メグリアル王太子 暦ィメイソンだ。既に正使カプラル春ガモラウグがこの地を離れた為、彼が最高責任者である。
 互いに立場が有り、同じ村に居てもろくに会話をする機会も得られない兄と妹は互いに抱き合い、親睦を確かめ合う。

 アランサには兄が3人居る。すべて同腹で、すでに3人ともに成人してメグリアル神衛士に属する。
 王太子暦ィメイソンは27歳。神衛士団長であり、ウラタンギジトのゲイル騎兵と日常鼻を突き合わせ神族には十分慣れていた。
 今回の和平交渉でも重要な役を任される。

 兄ならば、正使カプラルのみが大本営から与えられた情報も明かされているはず。
 アランサは十分に落ち着いて、それでも兄の胸に飛び込むかの勢いで尋ねる。

「兄上!」
「分かっている。」

 兄が懸念するのは、アランサがゲバチューラウや神族とかなり親密な交際を行う点だ。
 ギィール神族が額に戴くゲジゲジの聖蟲は、超感覚によって人の心を読むと言われる。噂ではなく、彼らはこの力でしばしば陰謀を逃れ暗殺の刃から身を護る。
 巧みな質問を発することで尋問を受ける人間の内心に生じる動揺を見抜くらしい。

 アランサに王国の重大事を伝えれば、神族にそのまま気取られるかもしれない。
 だが意を決して、兄は妹の耳に手を添え囁いた。

「…ボウダンに敷かれた大本営本陣において、事件が起きた。陛下が負傷なされたようだ。」
「! 敵ですか?」
「伝わっておらぬが、元々の状況が不安定極まりない。どこが手を下したにしろ、誰もがそれに付け込むだろう。」
「…このベギィルゲイル村においても、ですね。」

 「破軍の卒」を代表するカプラルが急ぎ戻るのも当然だ。この事件は軍事よりも政治的に極めて大きな影響がある。
 武徳王の指導力が低下する隙を衝いて、様々な勢力が自らの益となる方向に世を導かんとするだろう。

 

「ウェダ・オダの報告書はまだですか…。」

 遅くに村に戻りそのまま就寝したアランサは、寝床についてまでもそう零した。
 彩ルダムにもどうにも出来ない。距離の壁はあまりにも高く、いたずらに時が失われていく。

 

「総裁、参りました!」

 待望の報告書がデュータム点より届けられたのは、翌未明。まだ明けやらぬ闇の中、伝令が飛び込んで来た。
 昼間の精神的疲れからとっぷりと寝付いていたアランサは、彩ルダムの声に飛び起きる。
 本来ならば王族にそれほどの負担を掛けるべきではないが、手配して昼夜を問わずウェダ・オダの報告書は上げるよう取決めておいた。

 だが最初に内容を確認したシガハン・ルペは、複雑な顔を留めたまま王女の寝室を訪れる。

「見せて下さい!」
「総裁、驚かれないでください。」

 注意を促すのも道理。そこにはアランサの想像を絶する状況が書かれている。

「”秋旬月四日夕刻から晩にかけてミンドレア県中部スプリタ街道沿いの村でメグリアル王女 焔アウンサ様の御行列が何者かの襲撃に遭い、全滅。王女も行方不明…”。
 なんですかこれは。」

「これは我らにも予想外の事態です。まさか前総裁が危難に遭われるとは。」
「ウェダ・オダは神兵2名をすぐさま確認に向かわせた、…3日も前、いえ事件から6日も前の話ではないですか。」
「既に確認を終えていると思われます。おっつけ続報が届きましょう。」

「叔母上が、まさか、そんな。」

 しかし実感が沸かない。
 焔アウンサ王女といえば褐甲角王国においても名うての悪党。一軍を率いての総攻撃ならともかく、小部隊に殲滅されるなど誰が考えよう。

「なにかのまちがいではありませんか?」
「ウェダ・オダの報告は信頼に値しますが、こちらからも確認の使者を送りましょう。」
「ええそうです…、いえいけません。今は一人でも神兵は割けません。」
「ですが、」

 アランサは考える。確かにこれは大事件だ。そして武徳王の負傷おそらくは暗殺未遂事件、と連動する。

 武徳王襲撃の件は、ルペにも伝えていない。
 彼であれば二つの事件を継ぎ合わせ、何者が黒幕か導き出すだろう。が、今は事を大きくすべきではない。

 彩ルダムを振り返ると、暗い部屋の中でも分かるほどに顔面が蒼白となっている。打ちひしがれ、尋常の精神状態ではない。

「彩ルダム、どうしました。」
「いえ総裁、いえ、これは言っても詮の無い事です。確認が取れて後にお話いたします。」

 これでは助言を得るどころではない。ルペの顔を見て、うなずき、アランサは寝台から立ち上がる。

「シガハン・ルペ。前総裁が襲撃にあった件は、赤甲梢幹部以外は伏せよ。部隊を動揺させるな。確認はウェダ・オダに任せる。こちらからは何もしない。」
「は。」
「事情は詳しく話せぬが、かなり深刻な事態がボウダン街道西側で進展中と思われる。警戒は厳重に、不審者の侵入を見逃すな。工作員らしき者は片端から逮捕せよ。」
「金雷蜒王国側の人間でもですか。」
「誰何は厳しく、確実に身元確認をして入村を遅延させよ。それでかなりは保つはずだ。」
「心得ました。」

「あとはやはり、周辺に派遣した諜報員の報告から各司令官の対応を確かめねば。」

 もどかしい。勅令で濫用を禁じられていなければ、自らの翅で飛び大本営や叔母の状況を確かめに行きたい。
 キルストル姫アィイーガは、叔母の急報を3日も前に知っていたはずだ。武徳王本陣の異変もすぐに感付いただろう。
 だからこそ通信を封鎖した。

 情報だ。神速の通信手段こそが軍にとって最重要の命綱だ。
 何故弥生ちゃんが膨大な手間と金銭を要する通信網を必要としたか、心底から理解した。
 眼が欲しい耳が欲しい。千里の道を一飛びにする通信手段がこの手に欲しい。

 

 夜明までまだ随分と有る。彩ルダム達が去った後もアランサは寝台に腰かけたまま暗い部屋で考えて居た。

 だが考えるほど混乱する。心乱れ、こめかみ・胸が痛くなる。
 人の命を弄ぶ謀略を思うだけで、純な乙女は体調を崩してしまう。いかに額にカブトムシの聖蟲を戴いていても、気の病いには勝てない。

 元がアランサは大病をして髪の色が乳白色に薄くなってしまったのだ。自身の健康については、最優先とは言わないまでも重視する。
 だからこそ、と言っても良いだろう。
 弥生ちゃんの傍に居て安らぐのは、癒しを司る救世主だったからだ。
 デュータム点、ウラタンギジトに居た頃は、無理難題に苦しむ事はあっても一点の曇りも迷いも覚えなかった。常に太陽が眼の前で輝いていた。

 もう一度あの自分を取り戻さねばならない。だが弥生ちゃん無しにどうすれば。
 アランサは暗い部屋に立ち上がり、自身の荷物をひっくり返した。普段使わぬ道具の中から、錦の袋に包まれた一振りの刀を取り出す。

 弥生ちゃんから与えられた青晶蜥(チューラウ)神の神威を帯びる刀だ。だが今までに一度も使ったことが無い。
 褐甲角(クワアット)神の使徒としての自覚を失わぬ為、あえてアランサはこの神刀を用いない。
 それを承知で弥生ちゃんは与えた。万が一の時に王女の命を救うお護りとして。

 もう一つ理由が有る。この刀は、弥生ちゃんの愛刀『カタナ』と良く似た姿を持っていた。
 日本刀に近い形なのだ。

「誰かある。」
「はい。」

 薄闇の中に答える侍女の声に、アランサは心なしか軽く明るい声で命じる。
「剣術の稽古をいたします。用意を。」

 

 木立を包む白い霧の中、風を斬る音がびょうと鳴く。

「一之太刀」
      「向突」「鍔砕」「霞」
             「二之太刀」
                    「脇構」「陰刀」「下段落」

 用いるのは、後に「易鮮の刀」と呼ばれる神刀だ。アランサはこれを人を斬るのにも人を癒すのにも用いず、ただ剣術の練習にのみ使った。
 故に青い青晶蜥神の光は放たず、トカゲの鱗の微妙な色合いの艶を見せる。
 青から緑、時には赤黄色にまで千変万化する光は、使う人の心をそのままに表現する。

 アランサの技量はすでに弥生ちゃんの指導を必要とせぬ段階にまで達していた。
 乾いた土が水を吸い込むが如く教えるままを確実に正確に速やかに、星の世界の人が乗り移ったかに剣技を覚えて行く。
 単に技を知るばかりでなく、心の在り様、魂の姿までも忠実に方台に呼び起こす。

 誰が誘ったわけでなく、自然と林の周りに人が集まって来た。
 前夜から警備に付いている兵や剣令、神兵が、星の世界の妙術を盗み取らんかに眼を細めて見入っている。

「もう、完成の域に達しているのではないか。」

 彩ルダムが左を振り返ると、巨きな麗しい筋肉の壁がある。神剣匠ゥエデレク峻キマアオイも、王女の剣先に流れる玄妙な光の帯にただ感歎するばかりだ。

「ガモウヤヨイチャン様がお伝えになられた星の世界の剣術、『キヌガワ家伝一刀流』です。この技の使い手は救世主様の御親友にして、劫アランサ王女に生き写しと聞きます。」
「やはり選ばれた仁であるのか。さもなくばこれほど早くに会得できるものでなかろう。」

 刃の光はすでに純粋な青を引くばかり。使い手は無心忘我の極にある。
 ゥエデレクは右手の指を前にかざし、光の輪の行方を確かめる。

「なるほど。今の王女であれば、あの前に私が立ったとしても難なく切り伏せてしまうだろう。」
「ええ。王女は大丈夫です。」

「そなたはまだ、赤甲梢前総裁 焔アウンサ王女の運命を告げていないのか?」
「告げるべき時が参りました。でも大丈夫です。」
「ああ。」

                        ********************

 

 夜が明け村が活動を再開すると、神族がいきなり外に飛び出した。
 彼らは深夜まで測量と計算を繰り返していたが、その後はおとなしく引き下がって寝所に籠った。が、眠っていたわけではない。
 翌朝、他の神族の不備矛盾を衝き自らの意を徹す為、一心不乱に徹夜で演算を行った。
 計算結果の葉片の束を相手に突き付け、口角泡を朝霜の上に飛ばして、作業を再開する。

 災難なのは駒を務める者達だ。
 駒は手足の向き運びまでもが意味有るものとして厳密に定められる。人形のように何時間も同じ姿を留めねばならない。
 だが冬の早朝だ。霜は凍り、前日の雪もまだ溶けずに残っている。

 下手をすると死人が出るかも、とアランサはゲバチューラウに抗議すると決めた。
   
「王女よ、よく参られた。そなたにとっても重要な事象を設定し終わったので確認してもらいたい。」
 ゲバチューラウの機嫌はすこぶる良い。徹夜上がりとは思えないほどに頬が輝いている。

「王女は妄岐星を御存知だろうか。」
「…いえ、始めて聞く名です。天河の星のひとつですか。」
「彗星の一つではあるのだが、占術においては逆回転する分岐星だ。ある時点を境に星が二つに分かれ、一方は順回転を続けるものの他方は新しい軌道を描き反対に回る。」
「はあ。」

「実は100年前にも妄岐星は発生した。あろうことか、我が金雷蜒神聖宮を表わす星から分かれている。すでに3周を果して安定して存在する。」
「逆回転なら凶星ですか。」
「そうだ。だが幸いなことに婪毋と呼ばれる状態にある。不胎の女を表わし虚しく子を求める、あるいは子を貪り喰い殺す星だ。」
「それは災いでありましょう。」
「国家というものは多かれ少なかれ人の子を貪り食らうものだ。つまりはこの星は小なりといえ国家の体裁を持つ。
 本年の軌道では、この星が褐甲角神の軌道と交差する。その結果がそなたに見せたいものだ。」

 ゲバチューラウ自身の案内でアランサと彩ルダム、狗番神官巫女侍従侍女護衛がぞろぞろと付いて行く。何事かと褐甲角側の警備も飛んで来た。
 或る駒の前で止まる。
 昨日見た翅を持ち赤い甲冑を纏う女人だ。地に横に倒れている。

「この駒はキスァブル・メグリアル焔アウンサを表わす。見ての通りに、死んでいるな。」

 はっ、と彩ルダムが息を呑む。だがアランサには実感できない。

「叔母は、既に亡くなっているのですか。」
「焔アウンサ王女の運気であればあるいは乗りきれるかと期待したが、天河の予言の通りになったな。」
「予言! では既に叔母に運命は知らされていたのですか。」
「チュダルム殿は知っている。」

 はっと振り返ると、輔衛視は未明と同じく白い顔をこわばらせるだけだった。
 アランサは確信する。彼女は確かに、叔母の死を知って居た。

「しかし、ですが、その星は何者です。叔母を殺せるほどの力を持つのですか。」
「評価は難しい。方台人民すべての敵と言えるが、闇の世界の秩序を整える者でもある。ガモウヤヨイチャンの対とも見える、歴史に特筆すべき存在だ。」
「まちがいなく人間ですか。神の御使いではないのですか。」
「うーむ、それも怪しいな。そうだな、この軌跡から判読するに、すでに人間の域を越えているかも知れぬ。」

 さっぱり分からない。が、軌道の進む先に別の駒が有る。
 男性で、黒い革の鎧を身に着ける。うずくまり、眼を手で押えていた。

「これが武徳王だ。」
「傷付いている、のではありませんか。」
「そのように見えるな。だが眼を押さえるのは「真実が見えない」、「現実の状況に対応出来ない」と解釈する事も出来る。いずれにしろ能動的な行動は取れぬ。」

「これが現在ですか。」
「そうだ。」

 

「総裁。」

 動揺著しい彩ルダムを宿舎に送り届けて赤甲梢の事務所に寄ると、シガハン・ルペが昨日派遣した諜報員の第一報を伝える。
 詳しいことはまだ何もつかめていないが、周辺の砦や駐屯地がいきなり警戒を強めた理由が分かった。

 神兵伝令だ。
 神兵自らが伝令を務め、昼夜を問わずに走りぬける。聖蟲を有する神兵ならば常人を遥かに越える速度で疲れも知らず、日に200里(キロ)を走る。妨害にも極めて強い。
 これは兎竜が実用化されるまでは褐甲角王国最速の通信手段だった。また最重要時にしか用いない武徳王専用とも定められる。

 そんなものが走って来れば、内容を知らされずとも各中継地では異変を察知する。
 『破軍の卒』カプラル春ガモラウグへの伝令の姿を見て、どこも事態の大きさ深刻さを知ったのだろう。神兵は元々勘が鋭いものだ。

「なるほど。それで旅人の往来が止まったのですか…。」
「総裁。これもまた見逃せない情報です。」

 ルペが示すのは村より東、カプタンギジェの関所周辺の様子を伝えるものだ。
 東西貿易の一大拠点でもあるギジェ関は、国境を挟んで両方共に大きな街を抱える。集う商人や荷役の人夫、交易警備隊は情報収集の有力な手蔓だ。

「扇動者、ですか。”東西の状況を市にて語る者有り、ギジェ関防衛もその情報に揺さぶられ警戒を強めた”、とありますね。」
「金雷蜒王国の手の者でしょうか。ゲバチューラウ陛下の王国入りを喜ばぬ神族は多いと聞きます。」
「どうでしょう…、この手はガモウヤヨイチャンさまがよくお用いになります。」
「なるほど救世主の筋という可能性もありますか。それは困った。」

 キルストル姫アィイーガの差し金ならば、さほどの心配は要らない。ただ彼女が握る通信手段の威力は凄まじい。
 どの駐屯地も次から次に飛び込む「真実」の前に右往左往するばかりで、容易に煽動挑発に乗るだろう。
 「これから楽しむ」の通信文の意味は、まさにこれだ。

 アランサは断じた。

「デュータム点のキルストル様の狙いは、状況の混乱です。混乱に乗じて蠢く褐甲角王国上層部の軽挙盲動です。
 神聖王陛下に圧力を掛け易い状況を作り出し、一方的に褐甲角王国を悪に仕立て上げる。」

「そのような策が救世主の利益となりますか?」
「神聖王陛下への民衆の同情を煽り高め、一気に解決する。いかにも救世主にふさわしい劇的な展開でしょう。」
「芝居がかってますな。なるほど、それは効果的だ。」

 

 ウェダ・オダの第2報を、アランサは彩ルダムの寝室で聞いた。
 前総裁の安否を確かめに行った神兵の確認報告であろう、と封板を開いたアランサはまもなくぱたっと閉じてしまう。

 彩ルダムに見せるべきではない。
 だが、彼女は思いの外元気だった。

「…総裁が赤甲梢の神兵を誰ひとり伴わなかったのは、このような事態を予期していたからです。私も、本来の任務であるアランサさまの輔衛視にに戻れと。」
「予言はギジシップ島で与えられたものですか。それほどまでに確度の高いのですか。」
「人間が知りたいと思って導き出す予言ではありません。否応無しに天が見せる、確定した未来なのです。誰一人逆らえない。」

「なのに、叔母上は運命を受入れられた。」
「死の予言は戦う者としてはむしろ喜ぶべきと、お笑いになりました…。」

 深く瞑して、アランサは封板を輔衛視に渡した。次の文章が書いてある。

『前総裁の安否を確かめる為に派遣された2人の神兵はボウダンの大本営にて足留めをされた。本陣中にて重大事件発生との由、詳細は神兵にも明らかにされぬが近衛兵団が臨戦体制を見せている。
 スプリタ街道南北の通行は完全に遮断され、神兵であっても移動許可が出ない。安否確認は他に托する外無く、焔アウンサ王女懇意の元老員に王都への連絡をお引き受け願い、配偶者であられるキスァブル様に御一任すべきとの御助言をいただいた。

 なお我らの問い合わせに対して本陣より直々にお出ましになられた将軍閣下より事態の説明が行われた。詳細はやはり明らかにならぬが、キスァブル・メグリアル焔アウンサ王女が襲撃に遇われ護衛隊はほぼ全滅に間違いは無く、されど王女の身柄は確認できず安否も不明。

 劫アランサ総裁に対しては、事態に動揺せず赤甲梢を引き続き束ね、金雷蜒神聖王陛下護衛の任務に専念されたしとのこと。
 幹部以外の神兵クワアット兵他にも秘密を保ち、別経路で情報がもたらされた場合であっても箝口令を敷くべき、と命じられた。』

 

 日暮れから夜に掛けて次々と諜報員の報告が入って来る。
 おおむね予想通りの結果だ。各司令官は大本営がにわかに沈黙した為、独自の判断で対応していた。
 ほとんどが冷静に防備を固め積極的な行動を慎んでいるが、そうもいかない事情がある。

 「元老院の意向」なるものが、にわかに注目された。

 無論軍命令系統から外れた私的な意見で、実力部隊を動かすわけにはいかない。
 だがここ20年は先政主義派の天下で、人事に関しても主導権を得て来た。特に国境最前線ギジェ関の総司令官は、元老院からの推薦で決まる。
 彼らが王都の元老員との間に特別な連絡経路を持つのは当たり前。
 もしギィール神族の挑発に乗せられ軍事的暴発が起きたとしても、緊急に停止させる符丁なりが決まっていたのだろう。

 本来妄りに用いられるはずの無いこれが、今回いきなり湧いて出た。
 ゲバチューラウに対する圧力を陰に陽に高める策を指示して来る。
 しかも「意向」は各地で少しずつ食い違う。複数者が独自に発して、受信側が混乱する様が見て取れた。

 また民衆に働き掛ける「扇動者」の手法も判明した。
 彼らは南海岸で行われている新生紅曙蛸王国への攻撃について情報を垂れ流す。
 元より紅曙蛸(テューク)神は一般民衆に広く支持される人気の有る神だ。往時はボウダン街道中央に王都テュクルタンバが栄えていた。
 加えて現在は、失われた古代の女王テュラクラフが街道終端デュータム点に居る。

 ただでさえ慎重を期さねばならぬ状況で、タコの国が滅ぼされる報せを聞かされるのだ。
 与えられる情報の正確さ、的確に時節を読んで小刻みに公開される物語的手法。興味の無い者でさえ眼が離せない。

 褐甲角軍に対する反感はいやでも盛り上がり、各駐屯地を囲んで抗議行動に出る始末。
 放置も出来ないから兵を出して規制をすれば緊張は高まり、自然もう一人の救世主である金雷蜒神聖王に眼が向かう。

 扇動者と金翅幹元老員との思惑が合致したかの、この動き。
 誰かが裏で糸を引いていないわけがない。

「方台の反対側の情報を速やかに伝える術は、キルストル様しか持っていません。煽動者は彼女の仕業に間違いない。
 元老員に対しても、鏡通信の利用を許しているのではないでしょうか。大本営が混乱する隙を生かして、遠く離れた神聖王陛下に圧力を加え追放する。一度領内から出てしまえば、どうとでも始末は付く…。」

 情報の速度を用いる詐術だ。
 元老員は本来有り得ない高速通信で状況を有利に進めようとの考えだが、相手にまんまと使われている事に気がつかない。
 鏡通信を巧みに用いれば、味方同士を闘い合わせ自滅に追い込むのも容易かろう。
 弥生ちゃんが敵でなくてほんとうに良かった、と胸を撫で下ろす。

 ただアランサにはもう一つ、キルストル姫アィイーガの狙いが読めない。
 彼女は最終的にはどういう解決を考えているのか。
 褐甲角軍の脅威を悪戯に高めても、一瞬に打ち消すだけの大仕掛けを用意できるのだろうか。

                        ********************

 

 翌朝、赤甲梢本隊に対しても「元老院の意向」がやって来た。
 命令書である。
 カプタンギジェ関特別防衛軍団総司令、主席兵師大監から直接にアランサに宛てて発せられる。

『赤甲梢はベギィルゲイル村東西に展開する兎竜部隊・装甲神兵団を撤収させ警備の規模を縮小。ギジェ関より派遣される神兵士団と交代せよ。』
『赤甲梢単独による敵国領内侵入に関しての査問会が王都カプタニアにおいて行われる。神兵頭領シガハン・ルペ以下大剣令位を持つ神兵全員を出頭させよ。』

 これが真の敵だ。
 アランサは、ルペとスーベラアハン大剣令に渡して意見を尋ねる。

「これは正式な命令書でありますね。逆らうわけには参りません。」
「誰の意向だと思いますか。」
「大本営でも王都でもない。大本営近辺に集う金翅幹元老員の、…先政主義派の判断かと思われます。」

「このような政治的意図を多分に含む命令は、往々に見られるものです。前総裁焔アウンサさまも苦労なされました。」
「叔母上はどのように切り抜けられました。」
「引き伸ばしです。部隊を形だけ動かして元老員の御味方の助勢を仰ぎ、事実上の撤回を成し遂げておられます。」
「ソグヴィタル王の御力、…ですか。」

「今となっては、ですな。」

 アランサは即断を迫られる。
 無論正式な命令に逆らうなどあってはならず、また逆らった途端に警備責任者、赤甲梢総裁を解任されるだろう。

「引き伸ばし、ですね。」
「それが正しいと存じます。」

「周辺状況の悪化を理由として、主席大監のご意見を再度仰ぎましょう。なにしろ私は若輩者、込み入った現状での撤収は荷が重い。支援の兵師監なりを派遣してもらいます。
 ゲイル騎兵の脅威に対応しながら慎重に部隊を撤収させ、その後に村内の撤収作業に入ります。金雷蜒王国側に弱みを見せぬ事、またゲバチューラウ陛下の御意向を曲げぬ配慮が必要です。
 さらには毒地内に集結した神族連合が不審な撤退を見せるのは、再度の攻勢を期しての準備段階に入ったとも考えられます。赤甲梢撤収が真に適当な判断か、再考をお願いしましょう。」
「完璧です。ついでに、大本営の武徳王陛下にアランサ様が村を離れる御許しをいただきましょう。総裁が神聖王陛下の護衛を務めるのは勅命によるものですから。」

「査問会の方はどうしましょう。」
「大剣令を全部取られては部隊が動きません。当然のことながら、村を撤収した後となります。」
「ならば問題有りません。ですが、主席大監はそんなことも考えないのでしょうか?」
「あの御方も遠くからせっつかれて、困っているのではないですかね。」

 

 ゲバチューラウに朝の伺候に行く道すがら、アランサは綺麗な山蛾の絹を纏った子供に出会った。

 十二神方台系では貴人の傍に童子を遣わせる風習があり、村の子供が用いられている。
 冬の寒い日には、子供が小さな火壷を王の部屋に持って来る儀式を行う。
 ゲバチューラウに対して務めを果たした帰りであろう。

 アランサの記憶では、この子供はベギィルゲイル村一村守護ジンハ守キンガイアの娘だ。
 黒甲枝の子女らしく、劫アランサ王女と認めて道の端に寄り、うやうやしく可愛らしく御辞儀をする。

「御奉仕の帰りですか。」
「はい王女さま。おはようございます。」
「御父上は今はどちらにいらっしゃるか、御存知ですか。」
「はい。父はいましがたまで、わたしの。あ、父上!」

 聞いた話だと、ゲバチューラウの元に村の子供が奉仕に上がる度に、彼はこうして見守るという。
 黒褐色の重甲冑を纏い朝から警備に臨む彼は、アランサと同様に一日たりとも休むことなく働いている。
 アランサは一度、彼に尋ねてみたかった。

 神兵は何より褐甲角(クワアット)神の使徒だ。王国の大義に身命を賭して従う。
 その彼が、弥生ちゃんの説得に応じて金雷蜒神聖王の受入れに真っ先に賛同したという。
 ほとんど軍令違反に近い判断を必要としたはずだ。王国に盲目的に従う黒甲枝が、何故。
 しかも弥生ちゃんは彼を決闘で完璧に打ち破り恥辱を与えた。その光景をアランサは今も鮮やかに思い出す。

 黒い巨大な甲虫が、王女の足元に跪く。

「ジンハ、面を上げなさい。」
「は。」

 虫の貌の装甲面を被っておらず、顔がちゃんと見える。3児の父と聞くが、なるほど軍人の厳しさと共に温かさも垣間見える。

「ベギィルゲイル村の一村守護は、後に外交使となるのが通例と聞きますが、貴方もそれを希望しますか。」
「は。守護を志願した際にはそのように考えていたこともございます。」

 それは、彼が先政主義派に属する、ということだ。金雷蜒王国と均衡状態を維持していこうとするのだから、当然そう看做される。
 なのに何故自らの立場をひっくり返す真似をするのか。

「貴方はガモウヤヨイチャンさまより御文を頂き、ゲバチューラウ陛下の受入れに協力されたと聞きます。それは神兵として正しい判断ですか。」
「正しい、ですか。必ずしも正しいとは言い切れぬと、自身でも考えます。」

 それが黒甲枝というものだ。自らの思想信条よりも、王国全体の方針に従うべき。滅私奉公こそが至上の信仰である。

「では何故、と聞いてもよろしいですか。」
「答えは有りません。自身でも見出せません。ですが、ガモウヤヨイチャン様はこう仰しゃいました。
  『褐甲角神の使徒は、巌となれ』と。」
「巌ですか。」
「激流に抗して立ち続ける、只の岩です。歴史は、その岩を踏み台に回り始める。」

 アランサは感に打たれた。これこそ黒甲枝だ。
 民衆の幸福の為に我が身を捨て私欲を投げ打ち、ひたすら戦場の泥となる。
 なるほど、ただ王国に従うばかりが神兵のあるべき姿では無い。

 弥生ちゃんがいかにして人の支持を取り付けるか、再度思い知らされた。
 彼が望むものを、まさに望むがままに与えるからこそ、彼女に従うのだ。

「安心しました。」
「は。」
「貴方がそのような方であると知って、私は本当に安心しました。迷いも消えました。巌ですか、それこそ、今の私に最も必要なものです。」

 この人は大丈夫だ。弥生ちゃんは良き人を見出し、自分に与えてくれた。
 彼が在る限りこの村は、ゲバチューラウは大安心だ。

 であればアランサも、思う存分に翅を拡げ、褐甲角神の使徒として翔ばねばならぬ。

 

 既にゲバチューラウは広場中央の大階段に居る。いや、ずっと居た。
 しかも朝から酒を食らっている。
 2日も徹夜をして酒を呷ればたちどころに眠りに就くだろうに、気怠い素振りも見せはしない。計算に神経が昂ぶって、少々麻痺させるくらいが丁度良い。

「お疲れではありませんか。」
 アランサの問いにも異常な上機嫌で応える。

「これほど面白い結果が見られるとは想像もしなかった。天地創造に立ち会ったとしても、この興奮は味わえぬであろう。」
「未来が予測できましたか。」
「ガモウヤヨイチャンだ。」
「やはり。」

「彼女は妄岐星だ。しかも史上最大の凶星だ。これが笑わずにおれようか。」

 アランサとしては、なんとなくそんな気がしていたから驚かない。いや、自明の結論に神族が驚くことをこそ驚いた。

「あの御方の運命が、方台の枠内で留まるはずがございません。」
「尤もだ。だが更に凄まじい展開を見せている。
 王女は、ヒトデという生物を御存知か。」

「ヒトデ、でございますか。海辺に住み岩にへばりつく五角形のアレですか。」
「食用にもならぬ無用の生物だが、人間創造神話においてはかなり重要な役目を持つ。」
「ヒトデの話は覚えています。
 確か、最初のウェゲもやはりまったく動かず、ほとほと困り果てた神はヒトデを切り裂いてウェゲの頭に押し込み、ようやっと歩き始めたとか。」

「そうだ。ネズミ神官が大洞窟に残したおびただしい絵文字の中から発掘された逸話だ。」

 方台創造・人間創造の神話は十二神信仰の根本であるから、教養有る者なら誰でもが知る。
 その元は、方台到る所にある洞窟内に描かれた絵文字の文書だ。
 火を吹く白ネズミを額に戴く人物によって統べられていた時代の名残である。

 神聖金雷蜒王国の時代から収集と解読が開始され、一般に公開もされている。
 ただ所詮は絵文字であるから、判読に失敗したり原義を失っている文章も少なくない。

 人間創造という最重要の神話であっても、「ヒトデ」の意味が分からず丸暗記するしかなかった。

 ゲバチューラウは白い陶器の盃を傾けると、再び口を開く。息が熱い。

「その部分の絵文字は、実際は”☆”こう描く。ヒトデはまさにこの形をしているから、おおむね正しいと思われる。
 だがヒトデを人間の頭に突っ込んで有益な結果が得られるとは考えにくい。
 これは判読の間違いだろうと、長年謎のままに留め置かれて来た。」
「そうなのですか。」

「この謎が、今年いきなり解けた。」
「え! 解けたのですか。」
「正解をもたらしたのはガモウヤヨイチャンだ。星の世界の文字では、”☆”はそのまま”星”を意味するそうだ。我らの文字では”*”だな。
 これを神話に当てはめてみると、
  『天河十二神は、星のかけらをウェゲの頭に押し込んだ』となる。おそらくは星の世界の人のかけら、だ。」

「あ! なるほど。それは、まさしく正解でしょう。
 …では我々方台に住む人間は、ガモウヤヨイチャンさまと血縁関係がある?」
「そう考えても良いのかもしれぬ。だがここで重要な問題が浮上する。

 天河十二神はウェゲの頭に、行動を司るなにかを押し込んだ。おそらくは脳だ。ウェゲは、星の世界の人間の脳をもらって動き出した。
 では、本来のウェゲの脳はどうなったのだ?
 人は、ウェゲとどこまで異なる思考をする?

 こう考え出すと、ヴィヨンガ翁が聖蟲から『ウェゲの思考法の模式展開図』をもらった意味も理解できる。
 我々がウェゲとして思考出来ないから、模倣する為の道具を必要とするのだ。」

 突拍子も無い説だ。さすがにアランサも困って眼のやり場に探す。
 自然とゲバチューラウの頭上の黄金の聖蟲を見てしまう。
 知識を説き明かすゲジゲジであればウェゲの秘密も知っているだろうが、あいにくと人語で話してはくれぬ。

 ゲバチューラウは王女の視線を感じて手を額に持って行き、己が聖蟲を撫でる。とんとんと頭を小突くと、蟲は長い胴体を前後して踊った。
 ゲジゲジ巫女から酌を受けて、王は話を続ける。

「この説を踏まえた上で、もう一人の女人を思い出さねばならぬ。

 紅曙蛸神初代救世主ッタ・コップは、建国の宣言の時にこう言った。『ウェゲがウェゲにあるまじき時、必ずこれを滅する』。
 四代までの女王は即位の時にのみこの言葉を発した。
 だが五代テュラクラフ・ッタ・アクシは、失踪するまでに7度も用いて臣下を諌めている。」

 ゲバチューラウの示唆するものが、アランサにも理解できる。
 歴史上この言葉は「人が人の道を踏み外した時」と解釈されてきた。普通に考えると、そうとしか取れない。
 だがもし人とウェゲが違うものならば、こうも取れる。
   『人が、ウェゲと異なる振る舞いをする時は、必ずこれを滅する』。

 テュラクラフ女王は長い眠りから醒め、方台に甦った。彼女の目に2500年後の人間はどう映るのだろう。

 

「そこでガモウヤヨイチャンだ。
 彼女の運命を計算した結果、史上最大の反逆の星と確認された。その軌跡は方台を司る輪よりも大きく、まったく新しい宇宙を作っている。
 だが方台が滅びるとは出ていない。むしろさらなる飛躍が約束される。
 ただし、役者が違うらしい。ガモウヤヨイチャンの民が、方台の人間に代わって発展する。そのような卦が出ている。」

「今居る人間が駆逐される、そう計算されたのですか?」
「分からない。だがそもそも我ら人間は、天河の神にとっては使い捨ての生物なのかもしれない。畑を耕す前に、肥料となるべく種を播く花があるな。アレと同じに。」

 階段から眼下に拡がる色とりどりの輪の列を眺める。
 既に神族達は他の駒を捨て、ひたすらに弥生ちゃんの駒、巫女チュルライナを追い掛ける。
 皆、恐怖の結論を検証するのに血眼だ。幸福とは完全に反対の証明を導き出すと知っても、留まれない。

 正常の人間がそんな未来を直視できようか。たとえ感情を持たぬとされるギィール神族であってもだ。

「陛下。私にもささを一杯頂けませんか。」
「うむ。飲まずには居られないな。」

 

「やあ。」
 ネコだ。1メートルの真っ白な体は残雪と見分けがつかぬほどに、陽に輝く。

 ほろ酔い気分のアランサは赤甲梢の事務所に戻る途中で、無尾猫の1匹と出くわした。
 ころっと忘れていたが、方台において世間の情報を知るにはネコに聞くのが一番。驚くほど細かいところまで知っている。
 だが、アランサは少し迷った。
 ネコから有益な情報を引き出すのは、かなりの名人芸が必要となる。失敗するとネコビスケットを掠め取られるだけだ。

「なにか、楽しいおはなしは無い?」
「ほおお、そう来たか。楽しいおはなしは王女様はあまり欲しくないと思ったぞ。」

 さすがにネコは人を見る眼が有る。警備責任者のアランサは、外界の状況が喉から手が出るほど欲しいと知っていた。
 だがアランサも、弥生ちゃんの傍に絡まり合う何十匹ものネコの嵐に慣れが有る。

「気分がくさくさするから、たのしいお話をちょうだい。」
「よしきた。代金は前払いだぞ。」

 付き従う侍女を振り返ると、彼女はちゃんとネコビスケットを持っている。ネコと女人は相互補完関係にあると、神代の昔から決まっていた。
 巧みに首根っこの後ろのネコビスケット専用袋(誰か人間の手作り)に仕舞い込むと、ネコは王女に語り始める。

「おもしろいおはなしと言えば、恋愛ものだ。みんな大好きだ。」
「今一番流行ってるのは、なに?」
「キルストル姫アィイーガが、ゲバチューラウに言い寄られている物語。今凄い展開なのだ。」
「展開、ってどうしたの?」

「ゲバチューラウは大危難の真っ只中にあり、今にもカブトムシ軍に押し包まれ殺されそうな勢いだ。
 赤甲梢に護られているけれど有名な総裁 アウンサ王女がなんと悪党共に襲撃されて行方不明。跡継のアランサ王女は意気地がなく、王都からの命令でゲバチューラウの傍から逃げ出した。」
「あはは。それおもしろいわ。」

「そこでアィイーガが乗り出した。止める人の手を振り払いゲイルに乗り、十重二十重とカブトムシ軍に囲まれるゲバチューラウの元に単身突き進む。」
「…それは、お話よね?」

「うん。でもほんとのはなしでもある。今アィイーガはほんとにこっちに来てる。」
「そのお話を作った人は、誰?」
「秘密の覆面カタツムリ巫女だそうだ。」

 ファンファメラだ。あの巫女は弥生ちゃんと対等に話が出来るほどの奇矯な性格だとは知っていたが、まさかこんな策を献じるとは。アィイーガも喜んで乗ったに違いない。
 だがアランサが知る限りでは、彼女が書く脚本には深刻重大な欠陥があるのだ。

 神聖王と救世主の友人である神姫との求婚劇などいくらでも麗しく雅やかに飾れるだろうに、絶対やらない。
 鮮血が吹き上がり肉塊がひしゃげる暴力の嵐の中から奇蹟の花が咲き誇る、そのような筋書きこそが彼女の作風である。

「その次はどうなってるの?」
「ばたばたと人が倒れて、あらかたの登場人物が皆戦死する。アィイーガも瀕死の重傷を負いながらもゲバチューラウを救い出し、…おおっとココから先はまだひみつなのだ。」

 そんな無茶な展開をされてたまるものか。
 期せずして諸悪の根源とこれから与えられる未来を知ったアランサは、侍女に命じてもう一枚ネコにビスケットを与えた。

 

 ネコの話を聞かされたシガハン・ルペはさすがに驚愕の表情をしばらく留めていた。
 それをほんとうにやる人達だと聞いて、机に手を付いて心の臓が落ち着くのを待つ。

「総裁はデュータム点で、ウラタンギジトで何を体験されたのです!」
「えーと、ウェダ・オダが柔らかい人で助かりました。」
「さ、さすがは焔アウンサさま。そこまでを見抜いて人選されたとは。」
「偶然というのはなかなかに有り難いものですよ。」

 しかし人が大量に死ぬ脚本の通りに事を進めるのは、幾らなんでも看過し得ない。

「どのように対処いたしますか。ネコが言うとおりに総裁が逃げ出しますか。」
「まさか。この結婚劇を民衆の間に広めれば軍司令官の耳にも入り、自ずと行動を手控えるでしょう。そういう策ですから、何もしないのが一番と見ます。」

「しかしゲイル単騎で街道を進むなど、いくらなんでも無茶が。」
「単騎ではありませんよ。民衆と一緒です。それがガモウヤヨイチャンさまの策なのです。」

「民衆を楯にする策は、しばしば悲劇的展開となります。軍の規制の枠を逸脱して民衆の掃討にすり替わるのも稀ではありません。」
「その時はその時、赤甲梢を挙げて民衆を救いに突っ込みます。黒甲枝と赤甲梢が相討つ最悪の戦闘となりますが、褐甲角王国の名誉は最低限で救えます。」
「叛逆、でございますぞ。」
「脚本よりもさらに面白い展開ですね。そうなれば。」

 これがガモウヤヨイチャン流の戦略か、とシガハン・ルペは理解した。
 劫アランサ王女を存分に使いまわし、民衆を思うがままに操って、青晶蜥王国建国の礎とする。
 千年に一度の、いや歴史に例の無い民衆参加の偉業であれば、大量虐殺の犠牲も無私の献身として称讃の内に記録されよう。

 人の命よりも、人の世の欲するままを実現するのが、救世主の使命。
 考えてみれば、褐甲角神救世主初代武徳王カンヴィタル・イムレイルの聖業ですら、無数の民衆の血に染め上げられている。

 とはいえ一個人のルペとしては、それは有り難くない。劫アランサ王女には今暫く王国に留まってもらわねばならない。

「間者を用いましょう。」
「赤甲梢の諜報員ですか?」
「いえ、村に入り込んでいるカプタニアの筋の間者です。彼らに今おっしゃられた総裁の御決意をそれとなく伝え、後ろに居る者に破滅を控えさせます。」

 王女は少し考えて、微笑んだ。
 敵となる金翅幹元老員は改めてアランサの政治的価値を考え直し、対処の必要を覚えるだろう。

「そうなれば私も晴れて、暗殺の対象となりますね。」
「は。ガモウヤヨイチャン様と御同様に。」
「嬉しくも感じます。」

 

 方針が決まれば、アランサの出る幕は無い。
 ルペの指示を受けた諜報員を指揮する剣令は驚いたが、こちらから能動的に状況を制御するのだ。受身に回るよりはるかに分が良い勝負となる。
 直ちに村内に入り込んだ間者に接触し、件の王女の決意を密かに洩らす。

 冬の木立の闇の中、村の東西北へと隠れながら走る姿が観測できた。

                        ********************

 

 久しぶりにぐっすりと眠れたアランサは、これまた体調を回復した彩ルダムと共にゲバチューラウの元を訪れた。
 ゲバチューラウは先日来ずっと階段の上で過ごし、また他の神族も階段の上に寝そべって酒を食らっている。
 計算は既に終了したらしい。規矩は投げ棄てられ、ただ一つの駒がクルクルと回るだけだ。

 スーベラアハン大剣令が寄って、先夜の状況を報告する。
 彼も神族に付き合ってこの3日完全に徹夜となり、眼が血走っている。

「どうやらガモウヤヨイチャン様を示す駒の動きがあまりにも目まぐるしく、計算が出来なくて改めて方程式を組み直し、チュルライナを舞わせているようです。」
「舞で計算が出来るのですか?」
「はあ、私がすべて見届けた結論としては、この儀式は極めてゆっくりと進む舞とも考えられます。
 ガモウヤヨイチャン様の駒はおよそ100倍は早く動くようですね。」

 チュルライナも大変だ。神族が計算をしている最中はじっとその場に動きを留める苦行が待つし、今は息の続く限りを走り回らねばならない。

 方台を表わす輪の陣の外に設けられたもう一つの陣で、それは行われる。
 遠目で見ると、15人は数える兵士の駒が静止する間を、チュルライナ扮する弥生ちゃんの駒が駆抜ける。
 何故か背中に子供を負ぶっていた。

「あの子供はなんです?」
「村の子供を借りて背に縛りつけています。どうやらウェゲを表わすようです。」

 タコ神官が奏でる楽に合わせてトカゲの肌を持つ巫女が舞う。鉦の拍子に手足を揃え、跳ねるように飛ぶように進む。

 アランサはゲバチューラウの近くに寄って挨拶をする。
 彼は無言で杯を上げるだけで、何も語らない。ただ弥生ちゃんが行着く先を望むだけだ。

 きんこんかこんと耳を劈く鉦の声、乱調子の弦の音、笛は悪疾に冒された人の吐息がごとく。不快で不吉な音楽が広場中、村中を満たす。
 あまりにも長くチュルライナが踊り続けるので、スーベラアハン大剣令に尋ねる。

「彼女は大丈夫なのですか。」
「いや、さすがに常人ではありませんね。神兵並に持続力があります。背の子供をもう5人も換えてますから。」

 きんきんと一本調子に金属音が鳴り響き、遂にタコ神官が諦めた。指が攣り、もはや楽器を演奏出来ない。
 それを機に神族達は立ち上がり、チュルライナの傍に寄って行く。
 狗番に助け起こされたゲバチューラウも階段をよろめきながら降り、向かう。侍従侍女神官巫女も主人に付いて行き、トカゲ巫女を取り囲む。

 ざんと土を蹴り、地に敷かれた銀色の紐を跨ぎ、くるりと回ってカタナを振るう。兵士の駒が差し出す戈を撫で、背後を巡って再び紐を跨ぐ。
 背の子供は眼をつむり、背の高い女人にしがみ付くばかり。揺れる歩調に酔いを抑えられない。
 それでも巫女は進む。飽きず疲れず一心に正しい所作を繰り返し、カタナを宙に煌めかす。

 行着く先は螺旋の中心。幾重に巡る銀の渦は一つの神器を要に描かれる。

「あ。」

 遂に駒は神器に到達した。三人のゲジゲジ巫女がチュルライナの背より子供を地に下ろす。
 よろめき座り込んだ男の子は、しかしゆっくりと身体を起こし、跪くチュルライナと巫女達の前に立ち上がる。

「おおおおー。」

 見守る神族は皆手を叩き称讃する。陣を囲んだ全ての者が、万雷の拍手で童子の起立を祝福する。

「おお見よ、今正しきウェゲが大地に立った。」

 

 ゲバチューラウはアランサを振り返り、予言を告げる。額のゲジゲジの聖蟲が赤い眼玉を光らせてうなずき、宿主の言葉を肯定する。

「ガモウヤヨイチャンは神より授かった試練を終え、方台に舞い戻る。まもなくだ。」

                        ********************

 

 3日後。ベギィルゲイル村の西方より大勢の民衆が街道を進んでこちらに来る、との報が入る。
 かねてより準備をしていたアランサは、自ら兎竜に跨がりわずかの供回りを従えて、迎えに行く。

 人の数はおよそ3千。中心に1体だけゲイルが有る。
 指呼の距離まで近付いて、アランサは兎竜を停める。
 民衆もその場に立ち止まり、地に額ずいて平伏する。伏し拝み、涙を流して喜ぶ者さえ有る。

「キルストル様、これはいかなる所業にあらせられますか。」
「そういうそなたこそ、何をなされた。道中なかなかに面白いことになったぞ。」

 アランサは西方に配置していた兎竜隊に命じ、街道を進むキルストル姫アィイーガの一行を平原上の離れた場所から監視、併走させた。

 間者から各駐屯地に御注進が届いていたのだろう。どこの部隊もアィイーガの行く手を阻まず民衆の規制もしなかった。
 なにせ赤甲梢が目の前で見張っているのだ。
 めったな事をすれば噂の通りにアランサが王国の秩序を逸脱し、闇雲に民衆の安全を確保する。叛逆の汚名も省みない。

 アィイーガはゲイルの上から赤甲梢総裁に語る。
 赤紫の華麗な妃の装束で、ギィール神族にはあるまじき甲冑を排した無防備な姿。戦支度に類するものは、黄金の仮面のみだ。

「そなたのせいで脚本を一部変更せざるを得なくなったではないか。」
「どのように書き換えられました。」
「うむ。

”王国の命令に逆らえず神聖王護衛の任を捨てたメグリアル劫アランサ王女は、自らを恥じ被り物に額の聖蟲を隠し街道沿いの町に身を潜める。
 されど『大盗バゲマゲの改心』の舞台を見て自らの誤りを悟り、ゲルワンクラッタ村に取って返し、赤甲梢を率いて我と民衆の命を救う。
 叛逆の王女の仲立ちによって、我とゲバチューラウは遂に結婚の約定を成立させる”
と来たものだ。

 とんだ田舎芝居になってしまったではないか。」
「ファンファメラに謝っておいてください。鮮血迸る舞台に出来ず申し訳ない、と。」

 

 アランサは兎竜の背で満足げに微笑んだ。
 されど、さすがに兎竜隊を民衆の護衛に付けたことは彼女の権限を逸脱する。文字どおりに叛逆と取られても仕方の無い行為だ。

 悔いは無い。
 我もまた、流れに抗して立ち続けるただ一つの巌となるばかりだ。

 

 それにまもなく、弥生ちゃんが帰って来る。

 

【チキチキ! 弥生ちゃん財宝争奪猛レース】

 「ヤヨイチャン財宝」と俗に呼ばれる青晶蜥神救世主に由来する隠し財宝伝説は、方台各地にイヤと言うほど存在する。
 が、創始暦五〇〇六年においては1ヶ所しか無かった。
 ボウダン街道中央付近、古都テュクルタンバの遺跡から発掘されたソレである。
 発掘者は弥生ちゃんの禁衛隊「神撰組」。
 彼らはこの地を護る命令を与えられ、当然のようにソレを発見したからには、まさに聖なる財宝であろう。と、外の人は思う。

 だが当事者は、

「これはー、なんだ?」
「トカゲ、でありましょう。」
「鱗があるから、それにトカゲ以外に似ている生き物は無い。」
「ああ間違いなく青晶蜥(チューラウ)神に属する生き物だ。だがこんな奴見たことないな。」
「どうだ、誰か知っている者は居ないか?」
「神族生まれの旦那なら、書物で読んだことあるんじゃないか。」
「いや、…いや、これは、なんだ?」

 あばら屋同然のテュクルタンバのタコ神殿を立て直す工事を始め、土に鍬を入れた途端、この生き物が現われた。
 皆驚き怪しむ。誰もこんな動物見た事が無い。いや、想像すらしない。
 体長は1メートル高さは50センチ。円形で大人2人で抱える重さ。
 純白の身体には鱗が有り、頭があり手足尻尾が有り、甲羅を背負っている。

 甲羅の有る生物は方台でも珍しくないが、此奴は丸い殻の中にすっぽりと入り込んで手足頭だけを出している。
 まるで陶器の甕の中に住む不思議な生物。甕の上には赤色で文字にも見える紋様が描かれるが、誰にも読めない。おそらくは星の世界の文字であろう。
 であれば、明らかに神獣だ。

 老齢博識のタコ神官タクリコンも古今に例を見出せない。第一発見者として、彼が名を付けねばならなかった。

「そうじゃのお、これはまさに甕をかぶっておるから、『カメトカゲ』とでも呼ぶかの。」
「そうですね、その名称で適当と存じます。」

 「神撰組」隊長”コンドーサン”ことゥアンバード・ルジュは、救世主代行キルストル姫アィイーガに神獣発見の報を届ける。
 だが何の命令も返って来ない。
 代りに来たのが、噂だった。

「紅曙蛸女王国の王都テュクルタンバ遺跡にて、ガモウヤヨイチャンの財宝が発見された」
「テュクルタンバに眠るタコ女王の宝を、神撰組が発掘した」
「かって女王が舞い踊った宮殿の石舞台の下から、金色の女人像が現れた」
「歴史に秘められた謎を説き明かす世紀の大発見で、今後の方台秩序を決定付ける」
「神器であり、玄妙なる作用が奇蹟を引き起こす」

 もちろん根拠の無いでたらめで、カメトカゲを見た者ならば一笑に付す無責任な妄言だ。
 ではあるものの、盗賊を惹き付けるには十分過ぎる効果がある。神撰組200人もの兵が護る事実が信憑性を裏付けする。
 そして極め付けに酷い噂が。

「神器はガモウヤヨイチャンが十二神方台系に帰る際に目印となるもので、これが無いと救世主は戻って来られない」

 こんな話を聞かされては、真偽の程は置いてもとりあえず確保しなければ気の済まぬ勢力が、ごまんと有る。
 というわけで、いきなりテュクルタンバは闘争の宴となった。

 

「ハッハァー、トカゲ神救世主の禁衛隊だとおー! ”目蔭のゾヴェティ”が楽しいことしてるじゃないかあ!!」
「貴様、”地狽のジェグジェク”か。相変わらずの盗人稼業も御苦労だな。」
「えへはあ、おまえも狙いは一緒だろうが。救世主のお宝をこっそり掠めておさらばよ。他人のこと言えるかい。」

 ぎりんと刀で斬り合うのは、派手な美男のいかにも筋者の戦士。「ダエモン」の名を弥生ちゃんからもらった彼は、緋い羽根で全身を飾り華麗に戦う。
 その姿一幅の絵画の如く、煌めく白刃に優美な楽さえ聞こえて来る。

 彼は財宝を求めて襲い来る賊の中に、旧知の同業を発見する。
 これまた派手な飾りの、悪党面。「ダエモン」の向こうを張ったかの装いだが、人殺しの兇相を隠そうともしない。
 尖った牙を剥き出しに笑い、「ダエモン」を聖者の禁衛隊から叩き出すかの言を吐く。

 ま、だいたいそんな線だろうと神撰組の連中は皆考えていたから、今更驚きはしない。ただ、本名やっぱり違うじゃないか、と納得する。

 「”目蔭”のゾヴェティ」の二つ名は、あまりの美しさに女共が手をひさしにして遠目でも見ようとする姿に由来する。
 まさしく世に二人と居ない凄味のある美男子。
 妹もすらりと背が高く兄によく似ていながらも清楚な趣を持つ絶世の美女だ。

「ゾヴェティよ、妹は達者かあ。」
「なんだまだアゲンシャに懸想してたのか。」
「へえへ、あの女にはたっぷり貸しが有るからなあ。まとめて身体で取り立ててやるぜ。」
「おまえも悪い女に引っ掛かったなあ、バカ奴が。」

 ジェグジェクは段平振り回してやたらめったら斬りまくる。
 だが、さすが弥生ちゃんの試練を潜った禁衛隊士。誰一人怖れることなく盗賊共を処理して行く。
 仲間はどんどん討たれるも、兇賊は気にしない。
 革鎧に紺と黒の領巾をあしらい、髪から眉毛に到るまで濃い紫に染めてこれでもかと目立つ姿を翻し、ゾヴェティのみを相手とする。

 ゾヴェティこと「ダエモン」は本性を曝け出す羽目になり、逆に生き生きと羽根を伸ばして存分の悪党三昧。
 こいつこんなに強かったのか、と周囲の目も変わる。

 

 一方その頃、

「あれぇ〜、おめえはなんでこんな所に居る?」
「こいつぁー、ネンコイの片目の兄貴ぃ。じゃ禿げ頭のオヤジがガモウヤヨイチャン様に取り立てられたってのは、」
「おうよ、オレサマ晴れて救世主様の御為に働く禁衛隊よお。」
「おおー御出世だねえ嬉しいねえ。兄貴バンザイ!」
「バンザイじゃねえ、さっさと刀を引かねえか。」
「いや、これも商売だから。」

 「オッチャン」こと交易警備隊上がりの中年禿頭隻眼の戦士も、やっぱり元の仲間と出くわした。「ダエモン」の盗賊連中とは別口の、本来は交易警備隊である一団だ。
 ちなみに交易警備隊は、紅曙蛸王国の昔からタコの女王に従う者と定まっている。

「おめえ、どうしてオレ達に刀を向ける。ガモウヤヨイチャン様の天罰が怖くねえか。」
「いや兄貴、そのお宝はテュクルタンバに古くから埋められてたものだろう。ならそれはタコの女王様のものだ。五代様に献上せにゃならんぞ。」
「ちょっと待て、おめえ達財宝がどんなものか、知ってるのか?」
「金銀タコ石宝玉で飾られたサンゴの大枝と聞いたぞ。」
「バカ、それは出まかせだ。誰かに騙されてるんだ。」
「まあそれは手に入れてから、考えるさあ。」

 

 一方その頃。
 「カモ」の名を貰った傲岸な神裔戦士も、知り合いの神族に出くわしていた。
 ゲイルに騎乗せず兵を従え徒歩で戦闘に臨んでいる。腕自慢の神族は地に降りての戦いを好む。
 装いも常の黄金全身甲冑ではなく、かなり着崩し隙だらけ。勇猛さと度胸を示すのみならず、従う兵と同じ危険を分かち合う。
 兜も被らず、額の聖蟲を露にす。黄金のゲジゲジも宿主と同じく戦闘的な気配で威嚇音をシャーと発する。

 彼は「カモ」を見て、にやりと唇の端を曲げた。

「これはこれは、チッカオナン殿の愚息ではないか。そなた、ギジシップには何度貢ぎ物を運んで行った?」
「く、お前に答える義理は無い。」
「5度だな。蟲選びの儀は5回を限度とするから、それはそれは物入りだったろう。虚しいな。」
「く、だが私は別の道を見出した。聖蟲が無いと見くびるのもそれまでだ。」
「なるほど、ガモウヤヨイチャンから神剣を貰えば、神族と同等か。なるほどよく考えた。で、そなたの光る剣はどれだ?」
「くうう。」

 禁衛隊に弥生ちゃんは3本の小剣のみを与えている。幹部8名それぞれに授けるつもりだったが、全部揃える前に北に飛ばされたから仕方ない。
 1本は当然隊長であるゥアンバード・ルジュが持つ。1本は弓使いの「ミツヒデ」が預かって鏃に神威を与え、甲冑をも貫く攻撃を行う。
 もう1本は金策でデュータム点に出掛けている「サンダユウ」が身分保証として用いて、戦場には無い。

 神族は笑う。優美な肉体を黄金の槍に寄り掛からせ、左右で繰り広げられる血闘もどこ吹く風。

「ハハハ、そなた神剣を託されるほどには、ガモウヤヨイチャンの信任を得ていないのか。そうかそれは残念だな。では私が手柄を立てる機会を与えてやろう。」
「うぅむむむ、だが何故だ。ギィール神族が何故救世主の財宝などに興味を示す。」
「欲しいものを気の赴くママに取る。それがギィール神族だ。誰に命じられるものか。それも分からぬとは、どっぷりと奴隷の汚水が身に染み着いたと見えるなハハハ。」
「く、くそお。」
「おおそれだ、その台詞こそが奴隷にふさわしい。」

 返事の代りに「カモ」は鉄矛を振り下ろす。武術の腕前に関しては、ゲジゲジの聖蟲が載っていようがいまいが変わらぬのだ。

 

 『神撰組』隊長 「コンドーサン」ゥアンバード・ルジュは、改築中のタコ神殿に残りカメトカゲを護っている。
 統一された勢力が相手なら部隊を集中して対処も出来るが、今回は複数の勢力がバラバラに襲う。
 各個撃破しか手は無く、無駄とは知りつつも全方位に兵を展開せねばならない。

 隊士の一人が走り込み状況を報告する。カメトカゲを抱えて護る老タコ神官と「ダエモン」の妹も、びくっと顔を上げる。
 伝令の隊士も身体中あちらこちらの武装が剥げている。手傷こそ負っていないが、奮戦の後が見て取れた。

「報告します。敵は推定6個のまったく指揮系統の違う勢力で、総数はおよそ500。手が足りません。」
「うむ。既に応援の手配は済んでいる。半刻(1時間強)ほどで褐甲角軍の神兵に率いられた部隊が到着する。各小隊長には耐えろと伝えてくれ。」
「は!」

 味方は200。敵が連携しないとしても、劣勢は否めない。一度退却して態勢を整えたいところだが、カメトカゲを抱えてはどこにも行けない。

「たいちょおー!」
 そうこうする内に、またしても怪我人が運び込まれる。
 ルジュは直接に戦闘に関わらないにしても、青晶蜥(チューラウ)神の神威を帯びる小剣を用いた怪我人の治療で忙しい。

 右手に血糊がべっとりと付いた長刀を引っ提げた身体の大きな若い男が、怪我人を担いで来た。「リョーマ」ことスハン・ネシュだ。

「隊長、お宅の副将がやられちまったぞ。はやくトカゲ神様の光を。」
「む、セキネィがか?!」

 田舎で武術教師をしていたルジュは、門人達を引き連れて弥生ちゃんの下に身を寄せた。
 彼が「近藤さん」であるからには、当然「歳さん」や「総司」も居るわけで、弟子達のまとめ役であるセキネィは隊長秘書を務めていた。
 革鎧を脱がせて確かめると、右の胸を深く抉る矢の切れ端が見える。鏃に返しが有るからそのままでは抜けない。

「これはいかん。」
 さすがにルジュも心胆が寒くなる。

 肺の腑を抉られて生き長らえる者はそうは居ない。
 心臓に直撃を食らわなかったのは幸いとしても、肺に血が溜ればほどなく呼吸が出来なくなる。矢を無理やり抜けば傷口を拡げて即死しかねない。

「これは、うーむ、これは難しい。」

 聖なる青い光を放つ小剣は確かに目覚ましい治癒能力を持つ。ばっさり斬られて100針も縫う傷でも、難なく血を停め命を救う。
 だが深い傷には効果が薄い。傷の奥にまで光が届かねば効かないのだ。元々癒り難い矢傷は絶望的ですらあった。

「危ない!」
 「ダエモン」の妹アゲンシャが悲鳴を上げると同時に、板壁をぶち破って巨漢肥満の賊が2人押し入った。斧と槌とを構え、何物も阻むを許さぬ勢いだ。
 ルジュも「リョーマ」も迫力に、一歩遅れた。

 巨漢は兇悪な得物を振り上げて叫ぶ。

「おたからを、」「おたからはどこだああ。」
「きひょぉおおおおおおおぉろるぉぅおを!」

 怪鳥音を引きずりつつ、灰色の影が矢の速度で彼らを襲う。
 ボロ同然の衣のみを纏うその男は、鍛え抜いた腕と脛で巨漢の腹を貫き頭蓋を砕く。スガッタ僧の「イッキュウ」だ!

「ちぴょおぅほうおお、はあわぅおぅ、ほうぃ、はう!」

 蹴りの連撃で半分死に掛けの肉塊を部屋から放り出し、中の者の安否も確かめずに戦いの輪に戻って行く。

 「イッキュウ」ことドンズネイ師は普段は死んでいるかに動きに活性が無い。ものぐさとさえ呼んでいい。
 あれで本当に弥生ちゃんの大演習に居たのかと訝しまれるほど存在感が薄かった。
 が、戦いの中に放り込んでみると強さ疾さに驚かされる。身に寸鉄を帯びずして刀槍の鋼が閃く戦場を駆抜ける。
 これは本当にヒトであろうか。

 「リョーマ」も目の前で繰り広げられた惨劇とさえ呼べる格闘に冷や汗を手で拭う。

「いやあの坊様が敵でなくて、よかったあこれまたな。」
「ゥアンバード様。」

 美女アゲンシャの声にゥアンバード・ルジュが気を取り直し、自らの門人の治療を再開したのを見届け、「リョーマ」も再び戦さに戻る。
 長刀を肩に担いでちら、と彼女の目を見るが、反応ナシ。

 破られた壁に寝台を立て掛け塞ぐ間も、神剣による治療は行われる。だがセキネィのみに掛かりっ切りにもできない。
 怪我人は次から次に運ばれて来る。
 重傷者もさる事ながら、軽傷者は青晶蜥神の神威により即再戦が可能となる。人手が少ない中優先せざるを得ない。
 ルジュは神剣の効果の皮肉さを改めて思い知らされた。弥生ちゃんが抱く治癒の能力の理不尽さを共有する。

「おい! ここはもうダメだぞ。なんとか策を考えろ。」

 全身血塗れの巨人がどかどかと足音高く入って来た。「カモ」である。
 頭の上から膝までもが真っ赤に染まり、誰もが絶命を直感する。集中する視線の意味に気付き、彼は言った。

「あ、大事ない。これは返り血だ。うむ人間切羽詰まるとなんでもできるものだな。」
「本当に大丈夫なのか?」
「ああ、ゲジゲジの聖蟲をな、上からぶっ叩いてしまったのだ。聖蟲自体はびくともしないが、下の頭が弾けてこの有り様だ。」

 そんな事よりと、タコ神殿がすっかり賊共に取り囲まれ防御が追いつかないと避難を勧告する。
 神殿の外は敵味方入り混じり、系統の異なる敵同士が互いに殺し合う混沌に陥った。
 隙が有るとすれば混乱の今だが、しかし重傷者と大きなカメトカゲを担いでは逃げ切れない。

 ルジュは決断を渋る。

「余の宝なら一時渡しても取り戻せるが、カメトカゲは生き物だ。ガモウヤヨイチャン様の御帰還に必要との噂もあるから、殺されるやもしれぬ。」
「置いてはいけぬ。どうする。」

「いたしかたありません。再度埋めましょう。」

 アゲンシャの澄んだ声に、ルジュも「カモ」も首肯いた。1刻(2時間15分)ほども見付からねば、褐甲角王国の援軍が到着し奪還出来るだろう。

「だが重傷者が、」

 すでにセキネィは顔面紫色で瀕死の状態。これまでと諦めるか。

「どうした矢傷か。神剣の光が肺腑にまで届かぬのか。おい貸してみろ。」

 「カモ」はルジュの右手から神剣を無理やりに取り上げると、セキネィの右胸にずぶりと突き立てる。
 この行為にはさすがに皆が肝を潰した。
 青い光を放つ神剣は何より尊い弥生ちゃんからの頂き物。戦さに使うのならまだしも、味方に突き立てるなど。

 だが「カモ」は迷わず鏃を抉り取る。セキネィは末期の息を血飛沫と共にぐばぁっと吐いて頭を床に落すが、動じない。
 鏃が抜けた穴からゆっくりと神剣を抜いて行く。噴き出す血は赤黒く、だが徐々に湧くのを止める。
 神剣は激しく輝き、肺を内部から透かすほど光が満ちる。剣先が抜けた時には、すでに傷痕に新鮮な肉が盛り上がり修復が完了していた。

 ルジュ、これが正解であったかと門人を抱き起こすと、果たして息を吹き返す。

「おお、有り難い。さすがに神族の血を引く者は知恵が違う。」
「出たとこ勝負だがうまく効いたな。ひょっとすると穢れで神威が失せるかと思ったが、さすがガモウヤヨイチャン様の神剣は腹が座っている。」

 セキネィは自らも回復したと覚えて立ち上がろうとするも、血を多量に失い足に力が戻らない。
 他の重傷者にも同じく神剣で抉る荒療治で癒して行くが、

「ひゅらっはあああは!」

 格子の嵌まる窓をぶち破り、紺と黒とに彩られる盗賊の頭が飛び込んだ。続いて緋色の美形もするりと抜ける。

「待て、ジェグジェク!」
「ふはあ、アゲンシャ居たなあ。相変わらずの佳い女っぷりだあ。」
「地狽のっ!」

 だがジェグジェク当初の目的を忘れず、弥生ちゃん財宝を室内に探す。盗賊だけあって、お宝を目ざとく発見する。

「その白い陶器の甕が怪しいな。怪しいぞ。輝きが並じゃない。」
「く、」
「その甕置いて出て行って貰おうか、え禁衛隊の皆さんよ、お、おおおお?」

 老タコ神官が重さに耐え切れず抱えていた甕を床に下ろすと、のそりと手足が生えて歩き出す。
 ”地狽”の異名を取るジェグジェクも、何が起きたか目を丸くした。

「お、おたから、お宝が歩いてやがる…。」
「バカ奴、最初から宝などここには無い!」
「いやそんな、そんなはずが。確かにここで不思議なモノが見つかったと、アノお方から聞いて来た…。
 !そうか、それだ不思議だ、歩く甕ほど不思議なモノも此の世にはあるまいて。」
「ちいぃい。」

 「ダエモン」とジェグジェクは双方共に両手に短刀を持って、目まぐるしく輪を描き斬り合った。
 二人は同じ技同じ力ほぼ同等の体格で、戦闘は均衡の内に激しさを増して行く。余りの疾さに加勢しようにも手が出せない。

 部屋に入ろうとする盗賊が後から後から顔を覗かせ、ルジュも「カモ」も防戦で手一杯に、干渉する暇が無くなった。

「親ブン、親ブン!」

 板壁の向こうから頻りにジェグジェクを呼ぶ声がする。どうやら彼を頭とする一隊が神殿周辺を確保したらしい。
 ジェグジェクも返答する余裕はまるでないのだが、そこは度胸勝負の盗賊稼業。「ダエモン」を強く弾き飛ばして、手下に応じる。

「おうどうした。何人やられた。」
「いけねえ、親ブンいけねえ。他の盗賊連中と鉢合わせてして、互いに殺し合いになっちまった。」
「なぁにぃ〜。」

 盗賊は必ずしも集団戦闘に強くない。連携の演習などやったことは無いし、兵法なども心得ぬ。
 弥生ちゃん財宝を狙って押し寄せた賊には、正規の訓練を受けた傭兵や規律の固い暗殺集団が混ざっている。
 欲と打算でのみ繋がる盗賊団には、はなはだ都合の悪い展開だった。

「ちぃ、待ってろ今仕事を片付ける!」

 治療に用いていた低い木の机を蹴り上げ「ダエモン」の動きを妨げた隙に、ジェグジェクはカメトカゲに突進した。

「いけない!」
 美女アゲンシャは老齢のタコ神官に飛びついて、兇刃の脇をすり抜ける。
 この賊が老人子供に対しても微塵も躊躇せぬ外道と知っているから、捨て身で体当たりした。二人は激しく床に倒れ込む。

「へっへえへ。」
 邪魔者が居なくなったのはもっけの幸い。ジェグジェク両手の短刀を振り上げる。
 彼が依頼主から受けた仕事は、『ガモウヤヨイチャン財宝と呼ばれる不思議の物体の奪取、手に余るようならば完全なる破壊』であった。
 バカでっかい甕のような生き物を担いでは逃げられない。ならば。

 「ダエモン」が、「カモ」が、ルジュがカメトカゲの元に駆け寄らんとする。手を伸ばす距離が、永遠に等しく、絶望的に、遠く、
 瞬間。

「砕けちれええええ。」

 くにょおおうむおんおんおんおんののののおのんんんんんんん。

 釉の掛かった陶器に似る艶やかな白い甲羅は、戦場に相応しからぬ荘厳清浄な音を響かせた。
 真摯に経文を唱える人の声の高さ。心に染み渡り己の来歴を問わんとする優しくも力強い震え。
 幾重にも反響して唸りを空中に留め、殺し合う人々の手に持つ刃に籠り、自然と争いを止めてしまう。

 平和を願う神の声は、それを鳴らした盗賊にまずは強烈に作用する。
 カメトカゲを打った短刀握る両の手に強い痺れを生じさせ、ごとりと鋼を床に落とす。
 音は頭蓋でこだまし巡り出て行かず、脳を揺さぶり思わずその場に膝を屈する。

 闘気を挫かれるのは、神撰組の隊士も同じ。
 「カモ」も「ダエモン」も、音に弾かれ板壁に突き当たり、手にする武器を放してしまう。
 ルジュは神剣を持っていたが唸りに合わせて光が発し、眼が眩み床に手を衝く。

 やがて衝撃から醒め、目を開き気を取り直して立ち上がる時、

「きゃっ!」
「うお、おおおおっ。」
「なんでいこれは、なにが起きてやがんだ!」

 カメトカゲの呼び掛けに応えて大地も震え、辺り一面が細かく揺さぶられた。

「なん、これは、地震か!」
「うおおおおおお此世の終りかあぁーひいやああああ。」
「ぐううう、砕ける。」

 元々安普請のタコ神殿がばりばりと破れ傾いて行く。だが壁が剥がれても柱は立ち続けたので、誰も潰されずに済んだ。安普請の効能である。
 どうやら助かったと安堵の息を吐くと同時に、神殿の外で声がする。

「隊長ー! たいちょうー!」
「親ブン!」
「おい、アレはなんだ石が浮いてるぞ!?」

 別の異変が起きたと感じ、ルジュは瓦礫をはね返して飛び上がる。「カモ」も「ダエモン」もジェグジェクも、揃って板壁の残骸を蹴り外に出る。

「おおお!」

 巨大な石舞台が高く盛り上がっている。
 平家の屋根ほどの高さだったものが、見上げるばかりの小山にまで隆起していた。
 この石舞台はテュクルタンバに残る紅曙蛸王国唯一の遺跡。かっては宮殿の中心に納められ、歴代の女王が舞い踊り託宣を下し謁見や政務を行ったと伝わる。
 何千人で引こうともびくとも動かぬ巨岩がわずかの時間で浮き上がり根を見せ、脇に穿たれた洞窟の入り口を曝している。

「隊長! ゥアンバードさん!!」
「おおシンポーロ君、無事だったか。」

 副隊長「ミツヒデ」ことシンポーロ・ヒトマは主に褐甲角王国出身の兵を率いて闘っていた。
 彼も元はクワアット兵の剣令で、しかも名に嘉字を持つ黒甲枝出身者であった。弥生ちゃんの下に馳せ参じる事で実家が咎を受けてはならぬと、敢えて嘉字を捨て身をやつす。
 彼は論理的な思考を用い弁が立ち、いささか理想論に傾く所が大きいので、「カモ」などの反発を買う。
 だがいざ乱戦の渦中に置くと剛毅な男振りを見せ、不利な状況の中一歩も退かず得意の弓を存分に使って多数の敵を討ち取った。
 口先だけにあらずと証明し、隊士にぐんと信頼を深めている。

「シンボーロ君、なにが起きた?」
「岩が持ち上がり山になり、洞がぽっかりと開きました。カメトカゲに何をされましたか。」
「賊が神獣を短刀で強く叩き、不可思議な音が響き渡ってこうなった。理由が分かるか。」

 「ミツヒデ」は洞窟をきっと睨み考える。
 今この瞬間はにわかの変事で敵も味方も止まっているが、迅速の決断をしなければ逆転の機会を逸する。
 彼は歴史に関しても知識が深い。紅曙蛸女王時代の文物や記録の中で、このような現象は…。

「…洞窟祭壇、です。あれこそは古の巫女王が用いた祭壇でしょう。カメトカゲはこれを呼び出す為の鍵、いや呼び鈴のようなものではないかと。」
「むう。ではあの中には、」

「お宝でぇ〜い!!!」

 誰より早く気付いたのは、盗賊「地狽のジェグジェク」だ。硬直した兵達の間をすり抜け、手下共も放って単身洞窟に飛び込んだ。
 彼に遅れる事数瞬、さらに2名が飛び込んだ。
 黒覆面の暗殺者然とした細身の男。布張甲冑と呼ばれる板金を布で包んで音が出なくした隠密戦士。どちらも寄せ手の一派の頭領と見受けられる。

 ルジュも急いで後を追う。
 祭壇を今の世に呼び起こす鍵がトカゲの形をしているのは、弥生ちゃんを求めている証拠。青晶蜥神救世主以外が入ってはならぬ制約に違いない。
 不逞の輩の侵入を許しては、神撰組の沽券に関わる。存在理由が失われる。
 ここが一番、勇気と腕の見せ所。

「シンボーロ君、後を頼む!」

 長刀を携え、隊長自ら洞窟に駆け入る。一人で良い格好をさせてなるものかと、「カモ」も鉄矛を振りかざし続く。

「ドンズネイ師!」

 「ミツヒデ」の声に応えて、「イッキュウ」も隊長の後を追い洞窟に走る。彼が居れば敵がどんな手練れであろうと間違いは無い。
 スガッタ僧が入った後は、神撰組総力を挙げて他の侵入を阻止する。
 「ミツヒデ」が、「リョーマ」が、「ダエモン」が、「オッチャン」が、それぞれの部下を率い得意の武器を陽に煌めかせ、再び流血の嵐を吹き起こす。

 

 半刻(1時間強)が過ぎて褐甲角軍の応援が到着し、賊が退散を遂げた後。
 洞窟に入った6人が戻って来た。

 敵味方ともに放心状態。目もうつろに灰色に曇った空を映している。

「隊長、なにがありましたか。」

 敵も3人無事なままである。警戒しながら「リョーマ」が急いで岩を登る。
 だが誰も反応しない。ぜいぜいと息を荒く吐いて居る。
 スガッタ教の鍛錬で肉体を苛め抜き息を切らすなど忘れてしまった「イッキュウ」ですら、凡夫と同じだ。

 若い大きな男が陽を遮り影を自分の顔に投げ掛けたので、ようやくルジュは動き出す。目を何回も瞬かせ、口を開いた。

「…おお、スハン君か。」
「なにが有りました。洞窟の中には何が居ましたか?」

 ルジュはゆっくりと空を見上げ、右手に長刀を握ったままなのに気が付いた。自分が何をしに洞窟に潜ったのか、今初めて思い出す。

「ああ…、女だ。」
「おんな、ですか中に居たのは。それはもしや、紅曙蛸女王ですか!」
「…女王? いや、それはどうだろう。あれはー、女だった。」

 埒が明かない。より明敏な頭脳を持つはずの神裔戦士に替え、尋ねてみる。

「…あー、女だな。乳の大きな、背の高い筋肉のよく発達した、それでも乳房が殊の他大きな半裸の女が居た。」
「その女は何者です。名を聞きましたか。」
「いや、…そうか、名が有ったかも知れぬな。」

 大柄な自分より首1つ分高い巨人も要領を得ぬ話しかしない。困り果て、スガッタ僧にも尋ねてみる。
 見たところ彼が一番強く衝撃を受けていた。無敵の超人であるはずの彼を、何がそこまで打ちのめしたのか。

「…いかに女人といえどもあれ程の乱暴狼藉は言語道断。厳に慎まねばならぬと、拙僧は考える。」
「しっかりしてください。女に何をされたのですか。」

「…撲られた。」

 岩の下では数百名の兵が聞いている。彼らも洞窟の中身について興味深々、耳をそばだてる。
 宝も必ず有るだろう岩室だ。魔法の力を振るう守護者が居るのも道理。
 だが、女に殴られたくらいでこれほど心に打撃を受けるのか。

 ごごご、と岩が沈み始め、入った者も大地に降りる。ようやく、敵味方の分別が戻った。

「ち、ち、ち、ちく、くっそお。ここは預けた覚えていろ。この礼はきっと必ず絶対に、取り返してやるからなあ!」

 ”地狽のジェグジェク”がいち早く正気付き、捕縛の手をすり抜けて逃げ出した。
 彼は己一身以外に頼る物が無い。故に逃げるのに成功した。
 忠誠心や信仰の裏付けが無ければ戦えぬ、暗殺者然とした覆面男や隠密戦士は易々とクワアット兵に取り押さえられる。

 隠密戦士の板金の装甲を取り払い肉体が陽の下に露になると、皆驚いて声を上げる。
 鍛え抜かれた筋肉にはっきりと、真っ赤な拳の跡が何十発も残っている。強固な鎧の上から殴られたにも関わらず、打撃は内部に浸透する。

 改めて「ミツヒデ」は隊長に尋ねる。

「いったい、女に何をされたのですか?」
「…俺は、後ろから組みつかれ脳天逆さに投げられた…。臍で投げるのだと説教も受けた。」
「「カモ」殿は?」
「私は、女に右腕に飛びつかれ、生肌の太股で首を挟まれ床にねじ倒されて、喉を絞められた。」
「ドンズネイ師は?」
「拙僧、結界に張られた綱に振り飛ばされ、跳ね返る身を尻で顔面押し潰され、その後綱を張る四隅の杭の上に押し上げられると、股ぐらに頭を突っ込まれさらに担がれて、雪崩落ちるかに床に脳天から叩き落とされた…。」

「…………。」

 いずれ劣らぬ猛者達がぼそぼそと語る戦慄の光景に、誰もが財宝の有無を尋ねるのを忘れた。

 

 

「で、財宝は?」
 3日後金策から戻った「サンダユウ」は、容赦なく仲間の不手際を責める。

 美濃の梟雄斎藤道三に因む名を与えられた商人出身の槍の名手は、本名をスト・ュヰティ・ソトォオン・メグル・ニハ・ヴァバゲェラと言う。
 かって娶った4人の女房の姓を後ろに繋げているとおりに、婚姻を繰り返すごとに財産を倍増させたと豪語する。
 山賊海賊紛いの交易で財を貯え街一つを支配するまでになったが、風来坊の性を捨て切れず冒険の日々を求めて全てを投げ打ち、槍一本で弥生ちゃんに仕官した。
 デュータム点他を回ってタコ神殿改築の寄付金をたんまりとせしめて来たからには、留守を責める資格が有ると自らを任ずる。

 隊長「コンドーサン」ゥアンバード・ルジュは、首を右に捻りながら、答える。女に床に投げられて以来、どうも首の収まりが悪い。

「すべてがタコ石で作られ、金銀の燭台が幾百も輝く部屋を財宝と呼ぶのなら、それはまさしく有ったと言える。」
「おお、それでよいのだ。で、その女から財宝を貰えるか?」

「それは無理でしょう。」
 「ミツヒデ」が代わって答える。彼は大神官タクリコンと共に、再び地面に潜った石舞台を念入りに調査した。

「タクリコン殿の話では、隊長達が遭遇した女人はどうも二代様ではないか、とのことです。」
「二代、というと、紅曙蛸女王二代か。」
「はい。クラケーノ・ッタ・パチロー様です。」

 2千8百年も昔の人物だ。常識では有り得ないが、なにせ今は五代テュラクラフ・ッタ・アクシが生存する。他の紅曙蛸女王が居てなんの不思議があろう。
 「サンダユウ」は隊長に尋ねる。

「その女人の額には、タコの聖蟲が居たのか?」
「分からない。ただ床は妙にぶわぶわと柔らかく、タコの頭の上のような感触がした。」
「ふぅ〜む。だがどうして二代様と分かる?」

「タクリコン殿が申されるには、二代様には奇癖が有って、訳もなく人を撲るのが大好きだった、と。」
「大の男を6人もぶん投げ、殴り飛ばすのが趣味か!」
「不思議と撲られた者は怪我しなかったと伝わりますが、まあ、なんです。」
「ふむう〜。」

「ともかくだ。」
 隊長のルジュは議論を打ち切るかに強い声を出す。誰より自分が動揺していては、隊の士気が保てない。

「ともかく、今度のことは我らの手に余る。ただひたすらにガモウヤヨイチャン様の御帰還を願い、それまでは現状を凍結しておくのみ。これで文句ないな。」
「はい。」
「タコの女王が絡むのであれば、触らぬ方が良いか。」
「我ら神撰組の方針もこれまでどおり。ここテュクルタンバのタコ神殿を立て直す。地震が起きるとも知ったから、生半可な建物では許されないぞ。」
「そうなりますか。」
「また金が掛るな。だが二代様までもがいらっしゃるとなれば、参拝者も倍増だ。どこからでも引っ張って来てみせるぞ。」

 「サンダユウ」は涼しい顔で再び算段を頭で繰り広げる。
 金が無ければ戦さは出来ず、勝ちも無い。陣容が整う前に部隊潰滅に陥らなかっただけで儲けもの、というのが彼の立場だ。

 だがルジュは相変わらず渋い顔のままだ。彼が託された弥生ちゃん財宝保全の任務、これが今回全う出来たのか自分でも疑わしい。
 全力を尽したのは間違い無いのだが、どうにも納得が行かぬ。
 木訥頑固な性格であるから、なおのこと己を許せない。

 ゴツ、と目の前の机を握り締めた拳で叩く。

「世の中強い者はいくらでも居る。日頃の鍛錬を努々おろそかにする事莫れ、という教訓だ。」

 頭の中まで筋肉が詰っていそうな結論。だがこれが、弥生ちゃんに望まれた禁衛隊『神撰組』の隊長だ。

 

 

【紅曙蛸女王列伝】

 建国をもって創始暦二〇〇〇年とした初代紅曙蛸神救世主ッタ・コップは、方台に初めて現れた論理的合理的人物と評価される。
 彼女の政策はすべて論理的裏付けがあり、結果と原因がはっきりと理解できる。
 どのような経緯で政策が提案され運用されたか詳しく記録が残されており、長らく治世の範となってきた。
 3千年後の世でも誉め称えられる最高の救世主、名君の中の名君と、称讃を恣にする。

 が当時の世相を振り返ってみると、つまり彼女以前に論理的合理的人物は居らず、方台中の人間すべてが非合理不条理の中に生きていた。
 一般民衆の視点では、ッタ・コップは極め付けの変人であったわけだ。

 彼女に比べると二代以降の紅曙蛸女王ははるかに分かり易い。
 ッタ・コップ時代の理性の洪水に押し流されそうになった人々は、二代のデタラメさに安堵し、熱狂的な支持を捧げた。

 何故訳の分からない事をする人間の方が受けるのか、は近代以降の人間には理解し辛い。
 それは世界の捉え方の反映だ。万象は人間の知恵を越えて様々な転変を見せる。
 自然のシステムの因果関係を乏しい知性で読み切れる道理が無い。
 1時間後の天気さえ分からないのに、1年先の未来を誰が知ろうか。春に植えて秋に収穫する農耕の実りすら、途方もなく遠くに思えてしまう。

 不条理の世界を限定的な理性で切り取るには、数千数万年の経験が必要だ。
 ッタ・コップは過程を無視して、新石器時代に相当する高度な文明を持ち込んだ。付いて行けない人が多数出るのは当然の話。

 対して二代クラケーノ・ッタ・パチローは、分からないものは分からないでいい姿勢を打ち出す。
 焼き畑農耕を部分的に中止して旧来の狩猟採集に戻し、地域ごとに産業を分ける。意図的に物資の偏在を行った。
 人は農業の高い生産性と、天候不順による失敗との差を見極め、どちらが得かを測り始めた。
 合理よりは功利に動かされ、文明の受容を行ったわけだ。
 逆に言うと、ッタ・コップ時代の人は利潤の概念無しに命じられるまま生産・交易活動を行っていた。

 人が自ら損得の判断をして、自発的に労働するよう仕向けたのが二代紅曙蛸女王の功績とされる。

 結果として貧富の差が発生するが、この矛盾を解消するのが、つまりは非合理な女王の命令だ。
 儲かっている所から無慈悲に産物を取り上げ、貧困に苦しむ地域に持って行きタダでバラ撒く。
 損得勘定ではとても理解できないが、女王のする事ならば致し方ない。

 紅曙蛸女王国にはその後「番頭」と呼ばれる知識階級が生まれ、産業と交易を管理した。
 彼らはやがて利益を私し財を貯え、独自の権力を行使するまでになる。数百年を掛けて貧富の差が拡大し、奴隷が生まれ人身売買が行われる。
 人の合理的判断が引き起こした自然の結果と言えるだろう。

 

 さて二代ッタ・パチローだが、奇癖でもって今の世にも知られる。
 彼女は背が高く男性並みに発達した筋肉を持ち、それでいてしなやかで骨が無いかの柔軟性を示し、ついでに豊満な乳房を露な衣装で誇示する不思議な体型の人物だ。

 彼女は恵まれた身体を活かすかに、格闘を好んだ。というよりも、所構わず護衛の兵に襲いかかる習慣を持っていた。
 『二代様、訳も無く撲り給う』の文字が、治世を記す歴史書に幾度も連ねられる。
 只拳で殴るのではない。
 非常に手の込んだ撲り方を用い、何故そんな真似をしなければならないのか近侍の者に首をひねらせた。

 もちろん素手にこだわらない。武器も得意で兵士の教練に自ら乗り出す事もしばしばあるが、最後にはやはり肉体同士のぶつかり合いに帰結する。
 女王の命令で、「叩きつけるとすぐ壊れる椅子」やら「人をぶん投げる時に下に敷く長机」などを作った工人は、どのような思いであったろうか。

 極め付けに不可解なのが、夜の営みだ。
 女王の寝室に寝台は無く、15杖(10メートル)の正方形の床で眠る。
 床には弾力で人が跳ね返る特殊な敷物が用いられ、周囲四隅には杭を立て3本の綱で結界を張った。

 この寝所に夜毎屈強な男を招き入れ、媾合の可能性を追求すると称し、侍女や巫女を排して女王一人で応対する。

 だが扉の向こうから聞こえて来るのは男達の悲鳴ばかり。あるいは女王自ら数を数える声。
 3まで数えるのを何度も繰り返すのと、10まで数える時の2種類の方法があったと伝わる。

 翌朝解放される男達はいずれもげっそりと消耗し尽くし、あるいは手足が折れていたり、呼吸停止心停止している者も少なくなかった。
 不思議なことに死者は滅多に出ていない。女王は瀕死の人間を生き返らせる奇蹟の技を備えていたとも記録される。
 男達は夜の務めを幾度か果たすと自ら宮殿を辞し、田舎に引き篭り、生涯女を近づけずに過ごしたという。

 

 悪癖の災難は男のみに襲いかかったので、女達は平穏無事天下泰平の中で二代の治世を満喫する。
 女性向けの装飾品や衣装の研究が発展したのも、この時代だ。
 ッタ・パチローは飾り甲斐の有る華やかな美女でもあり、麗しく装った姿を民衆の前に惜し気も無く晒して、無数の賛詩を紡がせた。

 もちろん麗しい衣装を風と陽に翻して、訳も無く人を撲り給うたわけだ。

 

【神撰組の編成】

 十二神方台系においては、禁衛隊と近衛軍とは明確に異なる軍事組織だ。
 近衛軍は「王の直接の命令に従って作戦行動をする軍隊」であり、禁衛隊は「王族の私的な警護組織」である。

 故に禁衛隊は戦争に参加しないし、近衛軍の命令も受け付けない。予算の出所からして両者は異なっている。
 例えば、近衛軍は暴動や謀叛の鎮圧に出動するが、禁衛隊はあくまでも宮城の警護を固めるだけ。
 城から討って出て敵に攻撃するのは近衛軍の任務であり、王族の避難を進言する時は禁衛隊を通じて奏上される。

 この差が失われ双方共に似た任務をこなす時、王朝は崩壊の危機にあるとさえ言えよう。

 

 青晶蜥神救世主の禁衛隊「神撰組」は創始暦五〇〇六年秋初月に結成され、五五五五年に再臨した弥生ちゃんにより解隊された。
 当初の隊員(隊士と呼ぶように要求された)数は、208名。いずれも弥生ちゃんの苛酷壮絶な大演習に耐え抜いた猛者ぞろいだ。

 幹部は8名。演習最終日終了時点で未だ立っていた者で、武術の腕もさる事ながら群を抜く頑強さを持ち合わせている。
 彼らはそれぞれ、星の世界の歴史的偉人の名を与えられた。
 「コンドーサン」「カモ」「ミツヒデ」「リョーマ」「サンダユウ」「ダエモン」「イッキュウ」、そして「オッチャン」だ。

 弥生ちゃんは彼らに青晶蜥(チューラウ)神の神威を帯びた小剣を身分証明に与えた。
 霊的な治癒力を持つ神剣の行使を許された彼らは、後に神族神兵と同等の資格を認められる。
 神剣は弥生ちゃんの方台退去後、神撰組幹部の証しとして代々継承された。「名前」も同様に受継がれ、何時の間にかにそれぞれの神剣の名ともなった。
 故に、神撰組の幹部は常に8名、総隊長は「コンドーサン」を名乗る。

 幹部は青晶蜥神にちなんで、自らを「八鱗衆(後に八鱗将)」と称す。
 またその他の隊士を「袖鱗兵」と言う。大演習の際に弥生ちゃんに袖でふっ飛ばされた、という意味だ。

 

 隊は基本6つに分けられた。8人の幹部が直接戦闘指揮を執る。

 総隊長である「コンドーサン」ゥアンバード・ルジュは、弥生ちゃんの傍に在り最終的な防衛を務めるものと定められる。
 「禁衛本隊」と呼ばれる20名を指揮するが、これは隊内で最も信頼の厚い決して裏切る事がないと確信が持てる者のみを選抜した。
 中にはルジュ自身が武術を教えた門人も数名含まれる。
 ただし、弥生ちゃん本人はそれこそ方台最強無敵の戦士であるから護衛を必要とせず、弥生ちゃんの近侍を護るのを主たる任務とした。

 宮廷の慣習では、禁衛隊長は否応無しに暗闘の渦に巻き込まれ護衛の任に専念する事は難しい。ルジュも自身の適性に反する政治工作を余儀なくされる。
 そこで、通常は総隊長代理として「リョーマ」スハン・ネシュが指揮した。
 彼は長身大躯の明るく誰からも愛される性格で、方台を改革せんと希望に燃える若者であった。
 役目柄弥生ちゃんの傍に侍る事が多くなり、星の世界の政治社会情勢についての知識を授けられたという。
 後に彼は「民主主義」なるものを唱え弥生ちゃんとの対話集を残す。この思想は長く埋もれるが、数百年を経て民衆王国運動へと結実する。

 副隊長は「カモ」チッカオナン玄テゥェゲヒ、「ミツヒデ」シンポーロ(禾)ヒトマの嘉字を持つ2人が任じられる。
 「カモ」は神族の生まれで聖蟲を授かることが出来なかった神裔戦士。「ミツヒデ」はれっきとした黒甲枝の生まれで褐甲角軍に所属していたが、嘉字を隠して神撰組に加入した。

 「ミツヒデ」は元から軍人として兵を指揮する能力が有るので、実戦部隊としての神撰組を委ねられた。
 「上撰隊」と呼ばれるクワアット兵邑兵傭兵などの組織戦闘経験者が集められた3個小隊75名を率いる。
 だが名目上はこれら小隊は「ミツヒデ」「サンダユウ」「イッキュウ」のそれぞれが隊長として預かる形を取っている。

 「上撰隊」があれば「下撰隊」もある。交易警備隊や一般人、奴隷を出身身分とする者はこちらにまとめられ、「オッチャン」ネンコイ・シカが指揮する。2個小隊50名。
 新しい王国を築くに当たって旧来の身分にこだわるのは理不尽にも感じられるが、さにあらず。彼らはむしろ、身分が低いにも関わらず救世主に取り立てられたことを誇りに思う。
 専門に訓練された兵を擁する「上撰隊」よりは戦闘力に劣るが、士気は高く粘り強い戦いをする。
 「オッチャン」は交易警備隊長として長年の経験があり、能力や出身が違う混沌とした隊列を率いるのに慣れていた。
 総合的な戦術決定は「ミツヒデ」が行い「下撰隊」が独立しての行動は無いとされるが、孤立分断される時も多く「オッチャン」はしばしば独自の判断を要求された。

 一方「カモ」は、同じ神裔戦士や大力の士など特に戦闘力の高い20名で「僑兵隊」を名乗る。
 方台の戦闘では多数の兵で順当に襲うを陽動として、特別に強力な者を少数側面から突入させる戦法がよく用いられる。
 これに対応するには、やはり同等の勇者を当てるしかない。
 また神裔戦士は神族と同等の教育を受けているから、毒や仕掛け武器、擬装罠などを発見する能力も持ち合わせる。
 そこで全隊が配置に付く前に先遣として乗り込み、安全を確認する任務を引き受けた。
 受入れ先が金雷蜒王国やギィール神族であれば、「カモ」の知識や礼法は極めて有益であった。
 先遣任務に2メートルの長身の一団がやって来れば押し出しが利いて人目を惹き、「神撰組ここに在り」と評判になる。

 「カモ」はなぜか本来の姓名で呼ばれる事を好まず、周囲に対しても「カモ」「カモの旦那」と呼ばせており、後には正式に苗字をこれに改めた。

 「ダエモン」ことスネェティ・ウエデェレットは、後に「目蔭のゾヴェティ」と本名が判明する。
 彼はかっては盗賊に属し、出自の怪しさから一般の兵士を指揮するのは適当ではないと考えられた。
 そこで、彼と同様に出自の定かならぬ者を束ねた「偵察隊」を与えられる。15名が配下とされた。
 また妹アゲンシャは神撰組唯一の女人として正式に登録された。護る対象の弥生ちゃんが女であるから必要と総隊長のルジュが認めたが、彼女の美貌に誑かされたとも言える。
 この偵察隊は後に不祥事が頻発し、ゾヴェティが脱退した後は一度廃止される。
 仕える対象が二代救世主メグリアル劫アランサに代わった後は、女武者を新たに採用し女人対象の護衛班として発足し直した。

 「サンダユウ」スト・ュヰティ(・ソトォオン・メグル・ニハ・ヴァバゲェラ)は無一物から商人としてかなりの成功を収めた経験を持つ。
 海賊山賊まがいの交易活動や相場を荒して財を成したが、富貴よりも冒険に魅力を感じて再び流れ者に戻り、弥生ちゃんの元に身を寄せた。
 そういう人物であるから、神撰組運営の資金調達や物資購入で存分に才を発揮する。
 故に本隊から離れている事が多い。金銭や物資を取り扱う為に、「輜重隊」輸送専門の兵を与えられた。
 もちろん通常の荷物運びの人夫は幾らでも集まる。彼らを管理する為の兵が20名。
 加えて護衛の必要があれば「上撰隊」の自らの小隊25名も動員する。

 「イッキュウ」ドンズネイ師は個人主義の権化であるスガッタ僧だ。兵を指揮する気が全く無い。
 彼の下には誰も付いていないが肩書きが無いのは困るので、「武術総師範」とされた。もちろん彼は、スガッタ教に帰依した者以外に武術を教えるつもりは無い。
 後には「監察班」が彼の下に配属されるが、これにも何の関与もしなかった。

 

 神撰組の隊旗は「木刀章」である。青地に白で旋風を表わす螺旋を描き、木で作られた刀をあしらった。
 大演習にあって自分達を苦しめた弥生ちゃん御手製の木刀を貰い受け、隊の象徴としたのだ。
 だがこの木刀は青晶蜥神の神威を浴びて芽を出し葉が生えて来たので、当時駐屯していたテュクルタンバに植えると大きく育ったと伝わる。

 神撰組は弥生ちゃんの方台退去後も忠実に責務を果し続ける。200年ほどの間方台全土の憧れとされ、熱誠溢れる勇猛の士が己が腕を試しに毎日門を叩いたという。

 だが一神教であるピルマルレレコ教の勢力が伸長するにつれて神撰組も変質し、やがて独自の権力を振り回し顰蹙を買うようになる。
 創始暦五五五五年の末期には、後継者が見付からない宮廷の状況もあって、救世主星浄王十三代カマランティ・清ドーシャの権力は完全に抑え込まれ、神撰組の横暴に民衆は苦しめられていた。

 カマランティ・清ドーシャの捨身祈祷により再び方台に呼び出された弥生ちゃんは、その横暴ぶりに腹を立て500年の時を越えて再度大演習を行った。
 神撰組隊士、幹部まで含めて2000人を暴虐の篩に掛けたが、余りの苛酷さに誰一人初日を耐えられなかったという。
 採用が縁故に偏り世襲も多く能力を問われる事が無かったから、仕方ない。

 

 なお、「神撰組は鱗様の小札を綴った鎧を用いていた」という俗説は史実に反し、小説や演劇で流布した虚偽の考証である。

 あくまでも禁衛隊として働く神撰組は、独自の制服の下に鎖帷子を着込むのみで、宮廷人を驚かさないようにした。
 正面切っての戦闘であれば普通に褐甲角軍から提供された武具甲冑を用いる。神撰組初期では装備も整わず、それぞれの隊士が自前の武装を用いていたほどだ。
 ピルマルレレコ教と結託して勢力を伸張させた後は経済的にも潤い、幹部は華美な板金鎧を用いた。
 それでも一般隊士は護衛の任務に適した布の制服を用いており、色とりどりの飾りや意匠で目立ったものの、最後まで専用甲冑は揃えなかった。

 とはいうものの、鱗紋の意匠は青晶蜥神に仕える者としてふさわしく、隊士もこれを好む。
 星の世界から伝えられた大きな角袖の服の袖端や裾に、大きく鱗紋を描き、街を闊歩したと伝えられる。
 五五〇〇年代の、顰蹙を買っていた頃の風俗だ。

 

 

第三章 既知との遭遇

 透明寒天ジュレ状モアイ像(どちらかというとインカの石像に似ている)を見事撃破した弥生ちゃんは、カタナを鞘に納めてふぅと息を吐く。

「もうこの変なロボットと戦うの飽きたー。」
『これは料金所みたいなものだから、我慢して付き合ってくれ。』

 弥生ちゃんの額に座すカベチョロの聖蟲が、あいかわらずのバリトンで脳内会話を繰り広げる。
 背中には簑に包まれたウェゲの少年が眠そうな目で弥生ちゃんの横顔を見詰め、足元では荷物を背負った人間顔の無尾山猫が寄って来る。
 ちなみにこいつは最初に遭遇した奴で、他のネコは繰り返される不思議戦闘中に次々と脱落して行った。

「ヤヨイチャン、13連勝だな。」
「13、もうそんなにやっつけたか。」
「でもアレはなんなんだ。生き物でも機械でも無い。ネコにはよく分からない。」
「私も知らないんだけど、…なにコレ?」

 と指でカベチョロをつつく。
 青い聖蟲は頭の上をちょろちょろと歩き回り、少し考えて答えた。

『…分類上は、生物の一器官、と看做すべきだろう。巨大な生命体の末端、指先か爪みたいなものだな。』
「生命体って、天河十二神のこと?」
『地球人の考える生命体とは概念が極端に食い違う。だが生命なのだ。』
「具体的にはどこらへんが違うの。」
『直径400光年の星間生命体、を理解できるだろうか?』

 げ! と弥生ちゃんは目を剥いた。なんじゃそれは。

「直径400光年、てそれは一個体と数えていいものなの? 宇宙空間に身体が横たわってるの?」
『茫漠たる空間にはもちろん何も無い。或る惑星上では有機生命体として生活し、或る空間ではプラズマ状生命体として恒星風を餌に思考の網を展開し、また数万キロメートルもの巨大な機械生命体と化し亜光速で航行中だったりもする。』
「ありとあらゆる形態の生命体の連合…。宇宙連邦とかじゃないの?」
『だが一つの生命なのだ。こう考えよう。プログラムを実行するのに、コンピュータの構造や形態を問わないのと同じ、と。』

 しまった。これは自分の趣味の範疇を越えている。今こそマッド・サイエンティストが必要だ。

「えーと話を整理しましょう。私がこれから会う相手は、人間の言葉や思考が通じるのね?」
『私とおなじとおりに、ちゃんと通じる。だが知性のレベルはさほど高くない。せいぜい人間程度だ。』
「何故?」
『我らはゲキを再生する為に有る。故に我らの知性も同程度に設定された。ゲキと地球人類は相似形である。』
「はあ。」
『この知性のレベルで成し遂げられない事業は、普通に失敗する。知らない事は分からない。だからこそ、そなたを地球から持って来て動かしてみた。』

「超知能でなんとかするのは無理なの? それとも禁じられてるの?」
『形だ。形にふさわしい知能もまた形だ。』
「なに言ってるか分からないけれど、そういうルールなんだ。」

 弥生ちゃんはその場に立ち尽くす。
 神様と会見するのだから多少の不思議や理不尽は覚悟していたが、ちとそれでは足りないらしい。

 

 ヤマネコがスカートの裾を引っ張るので振り返ると、うっそうたる針葉樹林の中に先ほど倒した寒天ジュレがぐにぐにと再生を始めている。
 これまで葬った12体とは異なる反応だ。

「なにが起きる?」
『ゲートが出現する。これまでの戦闘はゲートを呼び出す為の手続きに過ぎない。』
「あー料金所みたいなもの、ね。」

 透明な巨像は人の形を再度形成しつつも崩壊分裂成長し、樹々の背を越え高く聳える。
 脇に零れた塊からも別の巨像が発生し、2体が競って伸びて行く。
 どちらも一応は人間型であるから手がちゃんと有り、触れた木々はめしめしとへし折れて空間を明け渡す。

『来るぞ。』

 弥生ちゃんは怯えるネコを抱きかかえ、大きくジャンプした。空中で虚を蹴りさらに舞上がる。
 靴の下を巨像から伸びる手が大きく薙ぎ払って行った。
 空から見ると、針葉樹の森に大きな広場が開かれる。直径は今は200メートルほどだが、まだ拡がる。

 ヤマネコはもう何度も宙を飛んでいるが、相変わらずの怖がりだ。人間とほぼ同じ顔をぎゅっとしかめて眼をつぶる。
 逆に背のウェゲはきゃっきゃと飛行を楽しんでいる。巨像が両手を天に差し上げて腰から上をぐるんぐるん回すのを、遊園地のアトラクションを見るかに熱中する。

 弥生ちゃんはそれほど長くは飛べない。風に揺られて徐々に降りて来る。
 ゆっくりと降下する足の下に、無数の切り株が並ぶ。
 倒れた樹体の列はジュレの手に撥ね飛ばされ広場からすべて排除された。凄まじい力、ほとんど爆弾だ。

「なんというか、巨大な踊る埴輪像になってしまった。」

 着地して巨像の次の行動を待ち受けるも、2体共に役目を終えて停止する。
 すでに透明ではない。表面もつるりとした質感が失われ、石質に変わる。
 両の手をバンザイして搦める腕が、ちょうどアーチになっていた。ゲートと言うのなら、まさしくこれが。

『ゲートが出現する。』

 再度カベチョロが魅惑の低音で警告する。彼の言葉通りに、開けた広場に異変が起きる。
 埴輪のアーチの足元から、大きな双葉が顔を覗かせた。葉の一枚が人の身体の大きさを持ち、メタリックな光沢を放っている。
 金属の芽はそのまま茎を伸ばし枝を拡げ無数の葉を付け成長し、徐々に目的とする形を表わす。

 人型だ。遠目には少女に見える。たおやかで優しく、瑞々しい。頭が有り両手が有り、足は根に繋がりよく分からない。
 ロングスカートの裾を膨らませた12歳、というところか。

 少女は足を地から抜いた。根を切り、右の足裏を宙に浮かせ、着地。一歩踏み出して残る左足を引き離す。

「全高15メートルの少女人形か…。」

 元が金属の葉であるから、完全に人を摸したモノではない。顔も無い。
 だが人型で美しい。愛嬌も有る。弥生ちゃんを見て首をこくりと傾げ、スカートの脇を両の手で摘まみ引き上げ、会釈する。
 スカートは長さ10メートルの巨大な葉が数枚重なって出来ていた。尖った葉先は金属の硬さを誇示し、裾が触れば地面を抉る。

「ひょっとして、これをぶちのめさないと神様に会えないのかな?」
『たぶん、そうだろう。』
「おい。大丈夫でしょうね。いいかげんだと困るのよ。」
『これはそなたの歓迎だ。脳の中に有るイメージに基づいて構成されている。』
「なにを!?」
『天空に到るゲートのイメージだ。見覚えが無いか、人形を破壊すると別の次元に転移する状況に。』
「そんなゲームみたいな、…はっ!」

 少女人形の右手に枝が伸び、杖に変じて行く。葉が所定の色彩を帯びて整い、ディスプレイ画面上で見慣れた姿に変身する。
 ひょっとしなくてもひょっとして、これは。

「ゲームなのね。」
『心当たりがあるか。』
「この人形倒したら、もう一個バカでかいロボットが現れて、それ倒すと宇宙に行けるのよ。」
『ならその知識に基づいて戦うがいい。』
「ワンコインでぇ〜?!」

               **************************

 

「かくして弥生ちゃんは勝利した。巨大美少女人形を撃破し、その直後虚空から現れた電子要塞(脚付き)の無敵装甲から幾重にも繰り出される兇悪な殺人光線を凌ぎ切り、コアブロック結晶がわずかの時間解放された隙に全力必殺全霊ぶった切りで一撃破壊。その鮮やかさは額の上のカベチョロですら称讃を惜しまぬものであった。」

「ヤヨイチャン、もういいか。」
「いや、どうやって巨大美少女人形を撃破したかの手に汗握るスリルとサスペンスの描写がまだ。同じ氷雪系能力の激突は最悪の相性で、」
「そういうのはいいから、次に行こう。」
「でも双頭の竜が!」

 無慈悲なヤマネコに促され、弥生ちゃんは空中に浮かぶ赤い文字に触れる。光のみで描き出され、何の媒体も介在しない。

「”【じめん/うちゅう】”。いくらなんでもこれは無いだろう。」
「なにか問題があるのか?」
「英語で書いてないと気分が出ないー。」

 ひらがなで”うちゅう”と書かれている方を触ると、びごっと警告音が鳴り文字が太くなった。

 

 衛星軌道上を周回する状況、というのを理解するには、宇宙時代を迎えた科学知識が無いと無理だ。
 ヤマネコは言う。いきなり夜になって吃驚したと。

「ヤヨイチャン、下の方に大きな玉が浮いてるぞ。」
「ああ、アレはさっきまで私たち居た所だよ。」
「? あれは玉だ、地面じゃないぞ。」
「うん、十二神方台系に来た時も同じような説明したんだけどね…。」

 弥生ちゃん御一行様は高度700キロ程の空間に漂っている。
 のだが、踏んづければちゃんと床が有る。目には見えないが、たしかに足には感じられる。
 ちゃんと重力も有り、手を離せばモノが落ちて跳ね返る。指で床を擦れば軌跡が光って図形を描く事が出来る。
 ちょうどいいから、ネコと背中のウェゲの少年相手に天体の形状と運動、万有引力と軌道速度の講釈を始める。

 説明を受けて、ヤマネコは言う。

「これは夢だ。」
「ああそうね。そう考えた方が正しいかもね。じゃあ、」

 出て来いUFO! と右手を差し上げて叫ぶと、7階建ウエディングケーキに目一杯電飾を施した巨大構造物が出現する。
 距離はおおむね10キロ先の同一軌道、てことは、このケーキ最大直径で2キロオーバー高さ4キロてとこか。
 周囲には無数のカメムシ型円盤も飛ぶ。赤青緑の電球が点滅して、目がちかちかする。

 ヤマネコは言う。

「確かに夢だ。」
「ちょっとあざといわね。未知との遭遇にしても、安っぽい。ガンダムでも出ないかしら。」

 せなで火を噴く人型が出た。唐突に。
 却下だ!
 呆れて弥生ちゃんが右手を振ると、爆発四散して消滅する。ウェゲは背中の上できゃっきゃと笑って喜んだ。

「おら責任者説明してみろ。」
『うう、これは私の管轄する事象ではない…。』

 こづかれたカベチョロは苦しそうに責任逃れをする。確かに彼は三月兎の馬鹿騒ぎに関与していないだろうが、天河十二神の端末なのだから釈明する義務がある。

「どないしてくれるんや責任者でてこい!」
『うう…、それは、それは、』

『お答えいたしましょう。』

 虚空から投げ掛けられる美しいソプラノに弥生ちゃんは振り向き、驚愕した。
 人間とほぼ同じ大きさの光の天使クリオネがひれをぱたぱたしながら舞っている。幾らなんでも、これは、独創性に欠ける…。

 クリオネは弥生ちゃんの反応が期待したものではなかったのか、不審そうに尋ねる。

『どうしました?』
「いや。まあ、形や外見には特にこだわるまい。うん、それがオトナというものだ。」
『形は大切ですよ。』

 クリオネは宇宙を宙返りして、真正面に位置した。

「とりあえず、あのウエディングケーキみたいのは、何? 未知との遭遇?」
『あれはー、「ONLY YOU」という映画から持って来ました。』
「アニメかい。」
『先程から御不満なようですが、これらはすべて貴女が記憶するイメージからモデルを抽出しているのですよ。だから独創性が無いのなら、それは貴女に無いのです。』
「詭弁だ。無数のイメージの中から自由に選べるのなら、それは選択者のセンスが悪いんだ。」
『うう、そう言われると、返す言葉が。』

 クリオネは右のひれを折って袂のように「口元」を隠す。妙に人間くさい、俗っぽ過ぎる。
 弥生ちゃんは改めて説明を求めてカベチョロをこづく。

「ちょっと。これほんとうに天河十二神?」
『正確には、中央代表端末だ。天河十二神と呼ばれる存在の中枢部に直結する、最も実体をよく表わすものだ。』
「あんまり賢そうじゃないんだけど。コウモリ神人やあなたの方がよほど賢く見受けられる。」

『我らは機能を限定され興味を示す範囲とアクセス出来る情報をを職分に狭められた、極めて小さな存在だ。だからこそ有能に働くことが出来る。
 対して中央代表端末は無制限に情報を開示され、この惑星上で可能なすべての物理現象を制御出来る。』

「全知全能の神、なんだね。」
『まさにそう呼んで差し支えない。』

「でもアレは一人よね。天河の計画ってのは、12の神様の合議制で決められると考えてたんだけど、違うの?」
『12の12乗個の完全に異なる個性の人格の合議で、計画は策定実行される。すべての人格の最低了承線が、あの端末の振舞いになる。』
「……船頭多くして船山に登る。」
『言い得て妙だな。』

 カベチョロは恥ずかしながら、と弥生ちゃんに謝る。これから極めて理不尽な交渉をしなければならない、その前払いだと言う。

 

『もういいですか?』

 クリオネが両ひれをぱたぱたさせて催促する。弥生ちゃんも覚悟を決めて、全知全能センス0の存在と向き合う。

「えーと、とりあえずここは何処か。バーチャルイメージの修飾無しに、静かにお話出来る環境を表現して下さい。」
『えー、折角歓迎しているのにー。』
「いや、だから実務協議をしましょう。ビジネスライクにですよ。」
『なるほど、オフィスものをご希望ですね。』

 わずかに反射する透明な壁で構成された一辺30メートルの立方体内部に、居る。
 床面には相変わらず惑星が大きく弧を描き、天井には当地恒星系の模式図が星空に重ね合わせて表示される。
 調度は中小企業の会議室風の安っぽい長机とパイプ椅子。御丁寧にもホワイトボードが用意された。これは便利。
 クリオネも形状を人間型に変更する。相変わらず光って定かには見えないが、とりあえず人間の女性と判別できる。
 背は弥生ちゃんより高いが、更に高くヒールを履いた形状に足が成っていた。ビジネスライクにオフィスレディなのだろうが、ちょっと変。

『ご要望があれば、”課長”を用意します。』
「そんなところは凝らなくてよろしい。で、どこから始めます?」
『とりあえず、”天河十二神”とは何者かをご説明いたしましょう。』

 光の天使は指し棒でホワイトボードをかちかちと叩く。どうも、これがやりたかったようだ。
 弥生ちゃんは適当にパイプ椅子を引いて座る。ウェゲの少年を担いだままだから、かなり器用な座り方だ。茶は出ない。気の利かないOLだ。

『天河十二神とは、有機生命体知性種族ゲキの再現を目的に結成された複合擬似生命群です。あなたが先ほど頭のトカゲから説明を受けた星間生命体の部分集合です。』
「あー、星間生命体ってのの全部じゃないんですね。」
『そいつがどこで生まれたのか、誰も知らない。ですが、こういうライフサイクルを持っています。
 ご飯をいっぱい食べて成長し、しばらくお休みして、排泄しながらばらばらに分解して小さくなって終了です。今現在は終期の途上にあります。』
「はあ。」
『ご飯というのは、形状です。増殖過程に遭遇した異種生命体が生み出すありとあらゆる形状、生成物、言語と思考・論理哲学、都市や機械、文明科学技術、文化風習社会機構などなどを全部記録します。その中から有益なものを自らの機能に組み込み成長し、また別の惑星に拡がります。』
「SFにはよく有るタイプの生命ですか。際限無く膨脹し貪欲にあらゆる科学技術を要求し同化して行く。「抵抗は無意味だ」って奴ね。」
『ですが10万光年ほども拡大すると、さすがに目新しい宇宙人は居なくなります。刺激が無くなると増殖を停止し、貯えた情報を整理し索引を作ります。宇宙大百科事典を作るのです。』
「ふむ。」
『ここまででだいたい5億年ほど生きています。膨脹速度は光速以下ですから、こんなものです。
 …なにか、足りませんね。』

 光の天使は自己の形態情報を書き換えた。腰に紺のタイトスカート、顔には尖がったセル眼鏡を掛ける。出来るOLの形が欲しいのだろうが、やっぱりイメージ貧困だ。
 ホワイトボードはかちかち叩く為のものではない、と気がついて、おもむろにマーカーで図を描いていく。
 口を△に開いた○が、色んな形をぱくぱくと食べて、眠り、ぶりぶりと排泄する絵。無くても説明には困らない。
 黒一色では華が無いと感じたのか、緑と赤のマーカーで装飾を始めたので、止めて先を促す。

『編集作業が完了した時点で、星間生命体は一つの結論に到達します。蒐集した形を再現して宇宙に還元すべきだと。
 そこで、様々な無生命惑星に到り環境に適した生命体を再現します。異星の生命をデータから復元して移植するのです。』
「それを、直径10万光年内の全惑星上でやっちゃうんだ。」
『凄いでしょう。』
「いや凄いけど、」

 それは生命播種、まさに神の仕業であろう。排泄行為には違いないが、確かに世の為人の為になる宇宙生物だ。

『後はこの再現事業の繰り返しです。どんどん分裂して小さくなり、それぞれが異なる生命の再現に特化していきます。』
「つまり、ゲキと呼ばれる種族を再現する為に分裂した星間生命体が、天河十二神。」
『そこで本題に入るわけですよ。』

 

 前置きが長い。足元のヤマネコも背中のウェゲもすっかり寝入ってしまった。

 光の天使はテンション上げて説明するのに疲れたのか、パイプ椅子を引いてどっこいしょと座る。
 なにか手持ち無沙汰に長机の上をうろちょろ探していたが、ふいに思いついたかに虚空から湯飲みを出現させる。
 ブレイクタイムには茶を飲まねばならぬ、という情報を検索したに相違ない。
 一人でずるずる飲んでいるのを見せられて、さすがに弥生ちゃんも腹が立つ。まずは客に勧めるものだろう。
 指でちょいちょいと自分を指して催促するとようやく気付き、椅子をかたんと後ろに弾いて立ち上がる。いそいそと「給湯室」に飛び込んで、用意を整えた。
 こいつ社会人失格だな。

 弥生ちゃん、ほぼ半年ぶりになる日本茶の香りをすーっと満喫した。方台にはカフェイン入り飲料が無いから、結構効く。眼が冴えた。

 

『えーと、ゲキです。ゲキは極めて特殊な事例です。
 この生物は、実のところ私たちはよく知らないのです。』
「おいおい。」
『私たちが宇宙に拡大し始めた時、ゲキは既に滅亡して痕跡を残すのみだったのです。だから生きたサンプルを私たちは知らない。』
「なるほど。恐竜復元みたいなものか。」

『とりあえず宇宙中に散らばるゲキの遺跡と被造物を集めてみましたが、極めて例外的な存在だと確認されました。この人達は、不死じゃない。』
「不死ではない? 宇宙人って、不老不死が当たり前なんですか。」
『普通の知的生命体は死から逃れる為に肉体の機械化から情報化へと、より生存性の高いものに進化します。能力も拡大します。』
「データ化する、バーチャルな存在になるってことか。デジタルデータなら幾らでも複製が利き、保存に場所もコストも掛からない。転送も再生も簡単。」
『ま、どれだけ対策施しても滅亡する時はするんですけどね。世の中そんなに甘くない。

 でもゲキは常に死の危険を内包しながら生身で宇宙に進出し、一大文明圏を確立しました。』
「なるほど。再現してみたくなる種族だね。」

『で、遺跡と化石からDNA類似物を採集して、有機化学的に生体構造を再現しました。欠損部分はゲキ自身が残した書庫のデータを参考に修正しました。
 ゲキはロボットの中に住む独自の生態を持っているのですが、これも作った。個体をサポートする機械生命体”聖蟲”もこしらえました。』
「ふむ。」
『でも動かない。根源的な欲望やら生存本能等の、生命の根幹とも呼ぶべき機能を進化史上で喪失していたのです。
 欠落したものを補う手段があったはずなんですが、これが分からない。』
「そういう種族であれば、生きたサンプルが無いと再現できないのかも知れないね。なるほどそれは大事だ。」

『という訳で、形態的に一番近いと考えられる地球人をモデルに、文明を手に入れる前のゲキの社会を疑似的に再構築してみたのです。
 ゲキの前身に当たる身体強度の高い原始人ウェゲに、地球人の脳に由来する生存本能を司る回路を移植してあります。』
「ゲキと地球人はなにか関係があるの? ゲキの末裔とか。」
『まっったく関係有りません。およそ20億年前にゲキは滅びてます。』
「そう。」

 

 足元に目を落すと、惑星大気上層に見慣れない発光現象が有る。まるでオーロラで絵を描いたような、地球には無い現象だ。
 ちょっと面白い図形だ。おそらくは人を模している。両目に鼻に口が有る。ただし胴体は無いも同然、タコに似た手足が犬の字にうねっている。
 明らかに人工物であるから、天河十二神が行っているのだろう。だが宇宙空間に絵を描いて誰に見せるのか。

 出来る女らしく脚を組んで色っぽくかっこを付けているが成功しているとはとても言えない光の天使に尋ねる。
 よく見れば、図形と天使とは同じ色の白色光を用いている。

「あの光の、顔が有るようなタコのよな手足が伸びてる発光現象は何?」
『あれですか。あれはファイブリオンです。登録商標みたいなものですね。』
「とうろくしょうひょう?」
『星間生命体は分裂してそれぞれ別の種族生命体を再現しようと試みます。互いは無接触で孤立した状態にあります。
 ですが、ふらふらと余所の星系に流れて行き、既に使用中の惑星で再現実験を行おうとしたりします。それを防止する為のサインですね。』
「ちゃんと連絡すればいいじゃないか。」
『いやそれが、対象とする生命体の知性に合わせて再現側も構築されてますから、無闇と侵略するタイプの人も出来てしまうんですよ。困ったものですねえ。』

 まぬけな生命体なら、創造主もまたまぬけ。知性に規制を掛けるこのシステムは良く出来ている。

                ******************************

 

 背中のウェゲが目を覚ましふぁ〜あとあくびをした後、みゅおうと小さく鳴いて腹が減ったと訴える。
 考えてみれば黒い虚空に浮かんだ状態で長時間過ごすのは、子供にもネコにも相応しくない。

「あの、十二神方台系の今後について話すのは、もうちょっと落ち着いた場所にしません?」
『そうですね。エグゼクティブセレブにもいい加減飽きて来ました。』

 またなにかしら呆気に取られることをぬかしやがった光の天使は、ではと場所の設定を換える。
 本当に移動しているのかは分からない。だが、何のリアクションも無しにすぱっと光景が変わるのはストレスが溜る。

 非常に美しい湖畔、もしくは入り江に転送された御一行様。開口一番、弥生ちゃんは叫ぶ。

「だから! これは「ロードオブザリング」のマット絵背景でしょお!?」
『バレます? 一部「スターウオーズエピソード2」も混ぜてみました。』
「があああ、なんて独創性の無い、」
『ちなみにこんなことも出来ます。』

 エグゼクティブセレブの衣装から、ギリシャの女神風に着替えた光の天使は、さっと右手で風を払う。
 瞬時に見渡す限りの全景を埋め尽くした骸骨白骨の海賊が、ざっと見積もって50万体ほど、こちらに向かって突進して来る。
 弥生ちゃん間髪を入れずに腰のハリセンを抜き、蒼雷一閃薙ぎ払う。骸骨全滅。

「また、つまらぬものを目一杯斬ってしまった。」
『ほおおお、それが噂のハリセンですね。そこまで大規模なマップ攻撃が出来るんですか。いやー感服しました。』
「あのさ、つかぬ事を聞くけどさ、引っこ抜くとあんたの全機能がストップして再起不能になる透明クリスタル基板の集積所、今風に言えばサーバールームの在り処教えてくれない?」
『や、やだなあ。そんなもの有るはず無いじゃないですか。』

 弥生ちゃんの眼が本気であるのを見て取って、天使は壮大な景観から小じんまりした風景に設定を換えた。

 

「…ギィール神族の、邸宅、の廃墟?」
『方台の未来についての話し合いならば、こんな感じがよろしいのではないかと。』
「そう。こういうのがいいんだよ。出来るじゃない。」

 ギィール神族の邸宅の心臓部、広い石舞台とそれに連なる幅の広い階段。階段の上はゲジゲジ神殿をも兼ねる神族の家であるはずだが、ここの所が少し違う。
 合掌した両の手に似た、尖がった屋根のふっくらと膨らむ建物。初めて見る形だ。
 乳白色で石積みの継ぎ目が見えず一体になっている。凝灰岩から削り出したかの優しい感触の家。

「これは何の施設です?」
『まだ決まっていません。よろしければ青晶蜥神救世主の、いえ蒲生弥生さんの神殿ということにしてはいかがです。』
「う、ん。」

 弥生ちゃんには分かっている。自分が方台を退去した後は様々な尾鰭の噂が付加されて、いつの間にか神様扱いされるだろう事を。
 であれば専用神殿を自分好みに指定するのも可であろう。

 石舞台の真ん中にアルミの丸テーブルが用意され、ビーチパラソルが陰を投げ掛け、冷たいドリンクが給仕される。少し汗ばむ初夏の気候。

「ここは、北方大針葉樹林帯では無いですね。」
『今はもう冬真っ盛りで完全に凍結してます。零下50度ですよ。人間なんか生きて居られません。』
「???、まだそれほどの期間滞在してるとは思わないんだけど。」
『天河十二神の固有時間と方台の、つまり貴女が属する時間とでは流れる早さが違います。貴女が破壊した透明なゴーレム像が、時間の違いを段階的に同期させました。』
「はあ。そういうものね。」

 温くなったのでヤマネコが目を覚ます。先程の50万体骸骨さんいらっしゃい軍団を見ずに済んだのは、臆病なネコには幸いであろう。

「あれ、いつの間にか素敵な所に来ている。」
「ま、あ。いいや。で、実務協議をしましょう。というかその前にウェゲのご飯。」

 ネコと一緒になって荷物を開き、袋の中から食糧を取り出す。
 「砂糖芋」と適当に呼んでいる甘く丸い根茎。食用が可能と判明した紫色の斑点を持つアロエ風肉厚の葉。針葉樹の幹に傷を付けてだらりと流れ出す樹液を詰めた水筒(解体したカニカマ甲冑の部品流用)。そして主菜となるのが、

 天使は目を皿に見開いて、どこが目かは全身光っていて分からないのだが、感想を述べる。

『これはかなり、グロいものですね。』
「ほっとけ。」

 トカゲのメザシがそこにはあった。体長20センチのトカゲが5匹ずつ串に頭を貫かれて燻製にされた。これが10個も入っている。

「何時追手が掛るか分からないから、保存食作ったんだよ。」
『それは御苦労な。』

 背中のウェゲが手を伸ばして欲しがるので、弥生ちゃんはトカゲを1匹外して肉を引き裂き始める。
 ウェゲは咀嚼する事を覚えたので、もう唾液と噛み合わせて柔らかくしてやる必要は無い。だがまるごとトカゲを与えたら骨までガリガリと噛んで喉につかえさせてしまうので、身だけを解して与える。
 その間彼の手にはメザシの串を持たせている。ご飯が何匹もくっついた串を握っていると、とても御機嫌なのだ。

 天使は再び目を丸くした。

『食べますね。』
「食べるよ。男の子だからどんどん食べるよ。」
『一体どうやったんですか。Q8系列のウェゲが自発的反応を見せるなんて有り得ないことです。』
「そうは言っても、ちゃんと食べるし笑うしやんちゃもするけど。」

『それにしても、ちまちまとした作業になりますねえ。』

 トカゲは小さいから、肉を引き裂き骨を外すのはかなりの難事になる。北方に住むトカゲは肉も薄く食べ応えが無い。

「もうちょっと大きなトカゲが居ると、燻製にする前にバラして助かるんだけどね。30センチ級の大物が。」
『大きいのがイイですか? 大きいトカゲが。』

 天使の眼が、やっぱり光って分からないけど、らんらんと輝くのを弥生ちゃんは見落とした。彼女はここぞとばかりにかねて用意のソレを呼び出す。

『出て来いチラノン!』
「ちょっと待て!!」

 全長13メートル地上高8メートル、前世紀の覇者の姿があった。庭園の樹木を特徴的な小さな前肢で掻き分け石舞台に歩み寄る。
 天使は胸を張り誇らしげに高らかに紹介する。

『こんなこともあろうかと、作っておきました。言わずと知れたT・レックス、ティラノサウルスの「チラノン」です!』
「ちょっと待て、そのゴジラみたいな背の高さはなんだ! 現在の研究を取り入れてないぞ。今は頭から尻尾まで水平に天秤みたいに伸ばしてるのが主流の、」
『えー、こっちの方がカッコイイじゃないですかあ。おっきくて。』
「そもそもなんでこんなもの作ったんだよ。」
『やはり青晶蜥神救世主にもふさわしい乗用生物が必要かなと。ゲイルにも兎竜にもひけを取らない、見栄えのいい戦闘力の高い生物をおみやげに持って帰っていただこうと、』
「要らない、そんなの要らない!」

 石舞台に上がって来る恐竜が天使の言うことを聞いて大人しくするのか、自信が持てない信頼出来ない。
 ぐりっと白目を剥くソレに、せめて爬虫類並の合理的行動論理を期待するのも絶望かなと判断する。なにせ作った奴が奴である。
 やむなく左の腰に手をやって、刃渡り1杖(70センチ)のカタナを抜く。青い光が迸り太陽を凌ぎ、考証不十分の恐竜をのけぞらせる。

『あ、』
 天使は驚いた。

 背中にずっとしがみ付いていたウェゲの少年が、ぽんと飛び降り石の床面に立ち、弥生ちゃんと同じ形で構えたのだ。
 差し出す右手には、カタナを擬してトカゲのメザシの串が有る。

『立ちました…。』
「あ? ああ、最近はちゃんと背中から降りてトイレするようになったから、楽だよ。」
『でもこれじゃあ、分離して活動出来る、のです、か?』
「もうそろそろ背中も卒業する感じだね。」

 天使はウェゲに注目したまま、右手を挙げて恐竜を抑える。
 12才少年の目線に合わせて腰を屈め、顔を同じ高さにする。眼と思しき部分から光が照射され、ウェゲの全身をスキャンする。

『確認しました。脳全体の活動が開始され、自律的行動が可能になっています。何故でしょう。』
「何故って、元からそういう風に出来てたんじゃない? 私の背中の上で行動を学習して、動き出した。」
『方台のTQ系列ウェゲの成体に、子供のQ8系列を世話させる実験はイヤと言うほど繰り返しました。でも、こんなことは初めてです。』
「私だから? 本物の人間じゃないから?」
『それならば、コウモリ神人と同じ保護誘導ユニットで間に合うはずです。基本構造は同じですから。』

 恐竜がちゃんと制御可能と知った弥生ちゃんはカタナを鞘に納めて、一緒に考える。
 自分はウェゲ育成に際して特別な処置を施しただろうか。

「ひょっとして、」
『はい?』
「方台の人に世話をさせた時、彼彼女らはウェゲの世話しかしなかったんじゃないかな。」
『当然です。ウェゲの保護を最優先です。』
「その時、普通に生きて行く為の活動、食糧調達とか周囲の安全確認とか火の始末やら、ちゃんとさせた?」
『ウェゲの保護養育が目的ですから、余計な事はしませんよ。当然です。』

「それだ。」

 弥生ちゃんはもう1ヶ月もウェゲをおんぶして、彼が相当に賢いと知った。
 一度やった事ならば、そのリアクションで背中の自分がどういう影響を受けるか知って、身構えるのだ。
 彼に生存本能が無いなんてのは嘘だ。ただ、まったく何の選択も無しに全てを受入れる。見たまま感じたままを全て記憶する。

「しがみ付いている間、宿主がどうやって生きて行くかを学習するんだよ、この子は。だからその間、宿主には精一杯生きて行く努力をさせないといけない。言うなれば、生存本能を学習するんだ。」
『しかし、そんな生命体は他に記録がありません。そんな繁殖形態ならば育児の負担で種族全体が滅んでしまいます。』
「だから、十分進歩してゲキが自然環境を征服した後に、生存本能が脱落したんでしょ。」
『科学技術文明が進展した後で、そうなったと言うのですね。』

「ゲキは、人間が人間で無くなる状況に直面したんだ。だから必死になって人間で在り続けようとした。機械化の拒絶、死の恐怖の受容、理解出来るよ。」

 これは大変、と光の天使は石舞台から姿を消す。
 残されたのは弥生ちゃんとウェゲとヤマネコと、チラノン1匹だけ。
 石舞台の外で尻尾を座布団に脚を投げ出して座るゴジラ型考証のティラノサウルスは、ぐるぐると口の奥で唸り声を上げ小さな生命を脅かし続ける。

       ***********************

 

 たっぷり30分後、光の天使は戻って来る。今度は3人連れで、いずれも同じ女神様風衣装。

『お待たせしました。天河十二神の結論が出ました。却下です。』
「は?」
『十二神方台系で行なわれているTQ系列ウェゲの社会構成実験は終了し、ガモウヤヨイチャン式育成法を施されたQ8系列ウェゲで新社会を構築します。』
「つまり、方台の人間は廃棄処分ってことですか。」
『そんな人聞きの悪い。無駄に終らせるなんてコストパフォーマンスの悪い事はしませんよ。
 知的生命体には歴史が必要です。自分が何処から来てどんな暮らしを経験し何を目指して進歩したか、営々と続く歴史の記憶が無いと社会が空中分解して絶滅してしまうのです。』
「ふん。方台の人間はその記憶を編む為にだけ生かされて来たってことか。」

『それに、ウェゲを入れ換えると言ってもすぐじゃありません。
 今後千年間はQ8系列だけのコロニーで育成繁殖実験を行い、ウェゲ自身にヤヨイチャンメソッドが実現できるか試してみます。
 さらに次の千年間でTQ系列社会にQ8系列個体の出生比率を上げる形で段階的に置き換え、2千年後には歴史と科学技術とを共に手に入れたゲキと為す計画です。』

「つまりミミズ神救世主の時代には完全な形でのゲキ再現計画が完了するってわけだね。ま、それまで方台の人間社会が保てばいいけれど。」
『あ。ソレです。』
「うんそれだよ。このままだと5、600年後には方台は滅びるからね。」

『やっぱり、分かりますか…。』

 

 3人の天使の中央に位置する者、おそらくは最初から居る奴で便宜上1号と名付ける、は丸テーブルの傍に寄り椅子を自ら引いて座る。
 本腰を入れて相談しなければならないと覚悟を決めたらしい。
 弥生ちゃんも対面する席に座る。ウェゲの少年はとことこと走ってきてがしっと背中に貼り付いたが、椅子には背もたれがあるのでおんぶにはならない。立ち続ける。

 何から話せば良いものかと思案した天使1号は全身から発する光を止め、素顔を晒した。
 それは地球に居る友人の映し身。3人の天使はどれもまったく同じ顔形姿を持っている。
 人選の意外さに、さすがに弥生ちゃんも驚いた。

「明美、あけみじゃないかあ。」
『そうです。地球で貴女が毎度お世話を掛けている”山中明美さん”の姿を借りました。』
「でもなんで明美なの? 明美はそんなに役に立つ人物じゃないよ。」
『現在私たちが陥って居る状態を説明するのに、この姿が最適だと判断します。どうか御推察ください。』

「…………、それほどこまっているんだ………。」

 ヤマネコは座った明美と、立っている明美達の双方を見比べ、弥生ちゃんにこっそりと言った。

「後ろのふたり、このあいだからこそこそ隠れて見ていた人たちだ。」
「ああ、あの物凄く運の悪い二人組ね。明美ならしょうがないさ。」
「何回も死んだはずなのに、なんで生きているんだろう。ネコには分からない。」

 明美一族の不死身性は弥生ちゃんにとっても不可思議だ。先祖は狼男だよと聞いても信じてしまいそうだが、まあ有り得ないことはどうでもいい。

 

「問題は方台のウェゲ、人間社会の今後だよ。」
『確かに我々天河十二神は、方台社会の崩壊と文明の消滅を危惧していますが、どうして分かりました?』
「そりゃあ分かるさ。一目瞭然だ。

 千年前、神聖金雷蜒王国はギィール神族の内乱によって滅亡の淵に陥り掛けた。それを防ぐ為に無敵の戦士、褐甲角神の救世主が遣わされる。
 だがね、科学技術を与えられる神族はまあ理解できるとしましょう。
 でも無敵怪力の戦士を投入てのは、いただけない。地球人類の歴史に範を求めたにしては、余りにも飛躍してる。」
『やはり、不自然ですかね。』

「考えられる事は一つ、ギィール神族の活動を強制的に抑え込まなければならなかった。だが元凶である神族の排除も出来ない。
 科学技術を使いこなす人間の育成こそが天河の計画であり、担い手である神族は現段階では絶対に必要ではあるが、しかし厳重に制限されねばならない。
 で、問答無用に活動域を狭める褐甲角神兵が投入されたわけだよ。」

『そこまで見抜いておいでなら、何を怖れたかも分かりますね。』
「文明の限界に突き当たったんだね。閉鎖領域で発生した文明には良く有る結末だ。」

 人が増え街を作り文化文明を開花させ、その繁栄を支える為に食糧の増産農地の拡大が要求される。
 原野や森林を切り拓き水路を通して農地を広げ、また巨大建造物を作る為、生活や工業に使う燃料として、樹木の伐採を進めた。
 だが森林の減少で気候が変わり、これまで当然と思えていた自然の恵みが失われる。
 産業の形態も替わり衰退する自然から更なる収奪を進め、最後には砂漠化の憂き目に遭う。
 水も草も失われ人も家畜も住めなくなり、乏しい食糧を求めて争い合う。遂には殺した敵の人肉を食べるまでに零落れ果て、絶滅を迎える。

 十二神方台系のウェゲも同じ過ちを犯しそうになった。天河の禁令、天罰を伴う禁忌として怖れた原生林にまで人が入り始めた。
 だから森林をホームグラウンドとするカブトムシの神、褐甲角(クワアット)の化身が立ち塞がる。
 これが千年前のシナリオ。

 その後金雷蜒・褐甲角の両王国は均衡しつつ争い合い、戦争を常態化させていく。
 褐甲角王国は組織的戦闘力を整備し産業を育成し、特に製鉄能力の増強を図り武装強化に務めた。
 結果、再び森林の破壊を進めてしまう。

 馴れ合いとも呼べる終らない戦争は防御策を発達させ、互いの成長を阻害する大規模な損害を受けなくなる。
 両王国間での交易体制が整備され、運輸能力を増大させる船舶の建造が盛んとなり、ますます森林伐採が進む。

 文明のストッパーとしての褐甲角神兵の機能は「管理された戦争」の中で、失われた。

 

『さすが!』
「さすがじゃない、あんたたち、何をし出かした? 発展のスピードと人口増加率は厳密に管理制御されてたはずでしょ。文明の暴走が起きた時、その行着く先も分かってた。
 何故事前に対策を取らない? それは、あんたたちの失敗だからだ。」

 大岡越前、いや遠山金四郎によって悪事を暴かれた大黒屋平兵衛みたいに、明美1号はテーブルに顔をひれ伏す。
 ちなみに明美一族のトレードマークはポニーテールである。女神的衣装を身に着けていても、律義にキャラ設定どおりに後ろ頭に尻尾を伸ばしている。

『ごめんなさい!!!』
「いや私に謝られても困るんだ。」
『確かに私たちの過ちです。でもでも悪意があってしたことではなく、というかそのままだったらちゃんと上手く回っていたはずなんです。カニ神さんグループが異議申し立てなんかするから、』
「怒らないから順番に、論理的に説明して。」

 

『えーと、要するに悪いのはローマ人です。』
「ふむ。」
『ローマ人がそのまま衰退せずに直線的に文明を進展させていれば、史実よりも千年は早く月までロケットを飛ばしていただろう、とか言われてます。』
「ローマの科学技術は確かに素晴らしいものがある。で、」

『そこで私たちは考えました。ギィール神族の時代をこのまま続ければ、目的とする高度文明に最短距離で辿りつけるのではないか。
 だが十二神方台系には文明の発達を促す要素が決定的に欠けています。畜力の利用に適した生物が住んでいないのです。』
「牛とか馬とか、象でもいいか。動力として用いるにふさわしい従順で強力な生物。たしかに方台の自然にそういうのは居ないね。」

『動力源としては人間の臂力を用いるしかありません。ですがこの形態の文明では、高度な科学技術の恩恵に浴する上流階級と、永遠に動力として生き続けねばならない奴隷階級とに分断されます。』
「もっともだ。それは望ましい形態の社会じゃない。」

『そこで、ウェゲの負担を減らす動力を別途与えてみればどうだろう、との実験計画が提出されます。
 貴女も神聖首都ギジジットで見ましたね。巨大ゲジゲジ神のとぐろを巻いた身体が生み出す膨大なエネルギーです。主に液体の満ち引きを繰り返す圧力として提供されていました。』
「ふむ、地下水路を走る波力としてだね。それで。」

『ギィール神族は私たちの意図にすぐ気が付きました。ギジジットを中心に滑平原の開拓を進め、たちまちに広大な農地の開発に成功します。波力を水車で変換してさまざまな工業に利用もします。水路の上では平底の舟がひっきりなしに往来して物資を運搬し、空前の繁栄を方台にもたらしました。』
「大成功だ。でも。」

『ですがここで、カニ神グループと呼ばれるプロジェクト監査集団が異議を唱えたのです。
 巨大動力のこの段階での提供は文明をいびつな方向に導き、真に目的とする宇宙文明への発達を結果的に阻害する可能性が高い、と主張しました。
 私たちも指摘を受入れギィール神族の額の聖蟲に指令を送り、神の力を俗事に用いるべきではないとの思想が社会全体に布衍するようにしました。』

「それは当然にギジジット中心の繁栄を終了させる。
 段階的に領域を縮小していくも、一度膨らんだ人口と繁栄の記憶は消し難く、失われる動力の代わりに奴隷の苛酷な使役へと向かう。
 運搬手段が失われる為に資源の供給も滞り、手近な資源の確保に各地の神族が争い合い、内戦へと突入する。

 あー、万死に値するねその実験を提案した奴は。」
『ひー。』

 

 弥生ちゃんはテーブルの上のドリンクを取ってストローを口元に持っていく。
 ぐるぐると幾重にも渦を巻いたストローの中をオレンジ色の液体が進んで行くのを、ウェゲは眼を輝かして見詰めている。好奇心いっぱい。
 自分では3口ほどしか飲まずに、弥生ちゃんはウェゲにストローの口を差し出した。
 ウェゲは賢い。弥生ちゃんがやったのと同じに液体をぐるぐると回転させて吸って行く。ストローの使い方をちゃんと見抜いていた。

 ヤマネコも物欲しそうにテーブルの上を眺めるので、なにかあげるものはと探す。と、いつの間にか出現した皿の上にネズミ型の大きなグミキャンディーが乗っていた。
 著作権的に危なっかしい耳の大きなネズミである。
 明美1号に尋ねてみると、これは無尾猫専用のお菓子で中には人工血液がたっぷりジューシーに含まれていると言う。
 尻尾を摘まんで鼻先でちらつかせると、人間に似た顔をだらしなく弛ませてヤマネコはくれろと催促する。

 なんだか平和な、いつまでも浸って居たい光景だ。

 

「で?」
『はい!』

 明美1号以下は弥生ちゃんの鋭い声に背筋をぴんと伸ばし不動となる。

「どうしてあなたたちは、そんなに急いでゲキを作ろうとするの。何億年も生きる生命体なら10万年くらいは待てるでしょう。」
『いやーそれが、自分で言うのもなんですが私たちは飽きっぽい性格でして、1万年くらいでケリがついてくれないと集中力の持続が出来なくなるんです。』

 なんといういい加減な。弥生ちゃんはこいつらを『無定見生命体』と呼ぶことに決めた。
 対面の内心の怒りに感付くことも無く、明美1号は愚痴をこぼし続ける。

『いえ最初から納期は1万年て決まってたんですよ。普通の知的生命体ならそれだけあればなんとかなるものです。
 ですが今回ゲキの再現に当たっては、発祥惑星の生態系の再現に5000年。人類創造からすでに5000年と、とっくに使い果たしてしまったのです。
 それでいてプロジェクトの進展状況はまったく初期段階に留まり、外部からの小刻みな介入無しには社会の維持が出来ず自発的進歩の兆しも見えず、というかウェゲはどんどん地球人っぽくなっていくし、もうお手上げさっぱりなのですよ。』

「ゲキっぽい発展とかウェゲ独自の文化とか、まったく出て来ないんだ?」
『さっぱりです。私たちが地球文明の歴史から移植したものしか、ここには無いんです。』
「どうするのよ。」
『どうしましょう。もういっそのことすっぱり諦めちゃって、郷里の宇宙空間に帰って結婚でもしちゃおうかなあーとかも考えたりするんです。』

 頭痛くなる。いくらほんものの明美だって、こいつよりはずっと筋が通ってしゃんとしているぞ。明美本人への冒涜とさえ言えるだろう。

『でも!』
 ぱん、と両手を打ち合わせて表情を明るくする。後ろ頭の尻尾が揺れる。

『幸いにしてヤヨイチャン様のおかげで、Q8系列のウェゲの目覚めに成功しました。これで後千年やっていけます。残業だってへっちゃらだ。』
「だから滅亡の危機に立ってるんだって。」

 憮然として弥生ちゃんはそっぽを向く。ドリンクは背中に貼り付くウェゲの少年がすっかり飲み干してしまった。

 結局の所、明美に代表される天河十二神は、これからの方台の維持発展に関してまるっきりノープランなのだ。
 だからこそ弥生ちゃんを連れて来た。
 毛色の変わった救世主を放り込めば怪しい化学反応を起こして社会が一足飛びに発展するかも。虫のいい、ご都合主義の、脳に鬆の入った試みである。
 だが正解だ。

 

「致し方ない。」
 瞑目して深く息を吐く。致し方ない。
 方台の人々には悪いが、やはり救世主たるもの世をこそ救うべきであり、個々の人間に深入りするわけにはいかない。

「絶対禁令だ。」
『は?』
「原生林に手を出す奴、木を切る奴、森を損なう奴は死刑だ。女子供であっても容赦なく斬るしかない。」
『な、なんと!』

「また利用可能な森を厳密に定め、木を1本切る度に苗を1本植えていくように、法律で定めておこう。焼き畑なんかする奴は一族皆殺しだ。」
『そんな乱暴な。それではまるで暴君ではありませんか。』
「だがここまでやっても文明崩壊を防げる自信が無い。いや、無理だろう。強硬に原理主義的に掟を守り抜く鋼の意志を持った管理人の集団を作らねば。」

『本気なのですか。』
「嘘吐いてどうする。」
『本気なのですね。』

 天河十二神も分かっている。
 禁じ手を用いて一度は破滅を防いだが、長年月を経て人間が成長し生きていく動きに抗し得ないと。障害を乗り越えるのが生命だ。
 たとえ自ら滅んだとしても、それが彼らの歴史である。ゲキでもウェゲでも地球人でもない、彼ら自身の足跡だ。

 弥生ちゃんが課す『絶対禁令』も、いずれ破られ廃されるべきものだろう。
 それでも、うまく運用すれば千年は保つ国となるかも知れない。

「言うて分からん奴は、ぶん殴ってでも理解させなくちゃいけない。理性の成長なんてものに期待してはダメだ。
 いやそれでもまだ足りないな。
 方台を小領域に分割して個別に統治させ、1箇所でだけ自由に開発して敢えて自滅に陥らせ、以って他の戒めと為す。見せしめだ。」
『鬼ですか、あなた鬼になりますか?!』

「情も移っちゃったしねえ、方台がイースター島みたいになるのは私も望みはしない。それに、この子の家になる所なんだろう。」

 また眠くなって瞼がくっついて来たウェゲの頭に手を回し優しく撫でる。
 その姿に、明美1号はべこりと頭を下げる。御礼だ。弥生ちゃんは彼女たちが望んで果たせなかった究極の目的を叶えてくれた。

 

 1号は背後に立つ2人の明美と顔を見合わせ、互いに首肯いた。一番歳が若く見える3号が弥生ちゃんの傍に歩んで行く。
 3号が直接尋ねる。声はやはりまったく同じなのだが、ほんのわずか声調が軽い。

『この子に名前は付けましたか。』
「一応”ハヅキ”と呼んでるよ。」

 蒲生葉月、弥生ちゃんの弟の名だ。男の子に付けるには手頃と考えたのだろうが、安直だ。
 ただ実の弟と同じ愛情を注いで、今日まで守って来たと理解する。

 3号はいきなり変形して人物を換えた。目の前に座る弥生ちゃん本人とまったく同じ形同じ服装となる。無いのはハリセンだけ。
 「ハヅキ」は抱きついている人と同じ人が現れて混乱する。思わず顔を上げて、弥生ちゃんの背中から身体を離す。

 どちらが懐かしい背中だろう。間違いなく今くっついている方が本物だ。では目の前のひとは?

 椅子に座る弥生ちゃんは肩にしがみ付く手を優しくぽんぽんと叩く。ウェゲがトイレをする時は、こうして促してやると安心して離れる。
 「ハヅキ」は一人立つ。
 新しく来た方の弥生ちゃんが手招きをするので、そちらに歩いて行こうとするが、椅子に座った弥生ちゃんをどうするべきか困り果てる。
 だが椅子に座った方は、対面している人と話を始めた。関心が自分から逸れている。
 だから、立っている方の弥生ちゃんに近付いて行く。

『自分のことを話していないと知って、勝手に動き始めた訳ですか。』
「言葉は理解しなくても、そのくらいは分かるんだよ。賢いでしょ。」
『ええ。それに、とても良い子です。』

 弥生ちゃんは振り返らない。3号の変身した自分が誘うままに離れて行くウェゲを気にしない素振りを続ける。
 少年は、石舞台を降りて観葉植物の林へと案内する3号に追いすがり、背中にしがみ付こうとする。
 一閃!

「ほお。確かにアレは私だ。」
『ご安心いただけましたか?』

 背中に抱きつこうとするウェゲを、3号の弥生ちゃんがチョップでお仕置きした。おんぶを拒絶したのだ。
 「これからは自分で歩きなさい。もうひとりで大丈夫なのだから」と諭す言葉に、真剣に首肯く。
 ウェゲも自分がちゃんと覚醒して四六時中の保護が必要無いと理解する。成長したのだ。

 3号の弥生ちゃんは、まさしく本物と同じ反応をする。考えた通りの納得のいく行動を示す。
 自分自身の正しい分身、いや本人そのものだ。
 だったら大丈夫。私はぜったいに間違えない。ハヅキに最善を尽してくれる。

 ヤマネコは2人の弥生ちゃんの不思議な光景を見守り、2号明美に振り返る。
 2号は超音波のネコ語を用いて直接に会話し、命令する。彼はウェゲと共に有り、成長を見守り助けねばならない。
 ウェゲと、これから生まれるウェゲたちには弥生ちゃん以外の家族も必要だ。
 葉陰の向うに進んで行くウェゲにととっと走って追いつき、一緒に消える。

 弥生ちゃんも席を立った。バーチャルの蒼空を見上げ偽物の太陽に眩しく眼を細める。

「じゃあ私も、方台のみんなの所に戻りますかあ。随分長く待たせてしまったみたいだし。」
『非情の鬼に成りに、ですね。』
「なるよお。鬼でも閻魔様にでも。」

       *****************

 

 地下。
 弥生ちゃんと明美1号2号は石造りの地下構造部に居る。目の前には、モノクロツートンカラー渦巻く巨大な空洞が口を開いている。
 どう見てもタイムトンネルだ。

 1号は言った。

『このトンネルと抜けると、十二神方台系に出られます。時間調整も自動的に行われます。』
「最初からこれ使えば良かったんじゃない?」
『それはそれで困るのです。Q8系列のウェゲに自発的活動を促す成果も得られなかったでしょ。』
「まあ、手続き上はそれでいいのか。で、」

『長さは約400キロ。ダンジョンになっていて様々なクリーチャーが住んでます。大変危険です。』
「ちょっと待て。それじゃあ何時まで経っても帰り着かないでしょ。というか、400キロを歩けっての?」
『ダメですか。』
「ダメじゃあないけど、出来るなら乗り物貸してもらえないかな。急ぐんだよ色々と。」

 1号は右手の指先をきれいに揃えて、後ろを指す。
 案内する先には、2号明美の零れんばかりの笑顔と共にチラノンの巨体が有る。まるでダーツの景品にこれ貰えるよと言わんばかりだ。

『チラノンに乗って行けばどんなモンスターが出ても大丈夫です。ドラゴンだって一噛みです。』
「いや。…それは遠慮する。」

 1号驚愕2号落胆の表情。ベストの選択であるはずが、何故に弥生ちゃんの拒絶に遭うのか、理解できない。
 もちろん弥生ちゃんも必死だ。こんなもの人界に持って帰ったら後の始末がどんな困難を極めるか。断固拒否すべし。

『で、でも早いですよ。400キロ疲れるじゃないですか。』
「いえ結構。モンスターも自前で退治します。でもホントに乗り物無いの?」
『瞬間移動も超高速移動機械も有りますけど、規則によりお貸し出来ないのです。』
「あー、色々と五月蝿いんだよね、カニ神さんグループが。」

『ケッタマシーンなら御用意できますが、使いますか?』

 何故に中京地方の言葉を使うのか分からないが、ダンジョン内で自転車てのはかなり問題が有る。道が悪いと速度も出ないし。

『あのー、』
 2号明美が手を上げる。提案があるそうだ。

『視聴者プレゼントに「チラノンミニ」というものをひそかに用意していたのですが、お用いになりませんか。』
「視聴者ってなんだ?」
『分かる人にはわかるのです。』

 ティラノサウルスの「チラノン」のミニならば、それはおそらくヴェロキラプトル。
 知能も高く敏捷性も優れて集団で狩りをする最兇最悪の捕食恐竜を方台に連れ帰ると、どんな地獄を巻き起こすか。

「要らない、いらない! そんなものに乗るくらいなら、イヌコマでも! …あ。」
『イヌコマですか。なるほど。』

 積載重量60キロだとテコでも動かなくなるイヌコマは、しかし体重40キロの弥生ちゃんを乗せてなら風のように走る。
 元々入り組んだ森の中に住んでる生物だから、ダンジョン内でもしっかり走るだろう。

「チラノンもチラノンミニも要らないから、イヌコマ頂戴。」
『しかたないですねえ。』

 犬の耳を持ちニホンジカと同じにちいさな草食獣が出現する。懐かしく可愛いから首根っこにしがみ付いて抱くと、ぺろぺろと弥生ちゃんの顔を舐めて来た。
 ただし400キロをイヌコマ1頭では走破できない。餌や水も積まねばならないから、さらに2頭が用意される。

 これ以上長居をするとどんなお土産を押し付けられるか分からない。
 さっそくイヌコマに飛び乗ると、左の腰からカタナを抜いて青い光をたなびかせる。ダンジョン内の照明もこいつでなんとか賄える。

 

 最後に確かめるかに1号が傍に寄り、道案内をする。

『このダンジョンは右手に行けば聖山神聖神殿都市の大洞窟に出ます。そちらの方が便利でしょうが、ここは左手に行ってください。』
「何故?」
『貴女に是非とも会わねばならない人が待っています。どうか、お願いを叶えてあげてください。』
「なるほど人助けね。分かったそうしよう。」

『それとー、これは天河十二神よりの無理なお願いなのですが、お聞き入れ願えませんか?』
「奥歯にモノが挟まった台詞だねえ。いいよ、どうせ面倒は覚悟の上だ。チラノン引き取れで無ければ、なんとかする。」
『有難うございます。

 あの、実は私たちは方台と同規模の再生実験場をこの惑星に32個造成しました。
 1個は管理本部、もう1個には大規模破壊実験場と兇悪宇宙人隔離施設を置いて、生態系再生実験は30箇所。それぞれ自然条件を変えて運営しています。
 この内ウェゲの生存に適したものが24箇所。ウェゲの定着に成功したのが20箇所。新石器レベル文明導入に成功したのが8箇所。金属器文明が4箇所となります。』
「ふむ。十二神方台系はその4箇所のひとつか。」

 

『つまり人間が住んでいる方台が20個有るわけです。これら全てに、…そのー、救世主がひつよう…。』

 

【十二神方台系分割支配】

 東金雷蜒王国神聖王ゲバチューラウとキルストル姫アィイーガの結婚式は、方台全土諸勢力の祝福の内にベギィルゲイル村で行われた。
 この機を利用して弥生ちゃんは、方台新秩序を定める同盟を列席した諸王と結ぶ。

 「神聖守護同盟」、歴史上初の複数国家が対等の立場で参加した条約・同盟である。

 内容は至極単純。
 これからの十二神方台系は、互いに独立した軍隊と権力を持つ王が大地を分割統治する事を認める。統一王朝の否定である。

 金雷蜒王国側に異存は無い。元々、東西ギジジットと3つの独立した勢力として成り立っていたからだ。
 神聖首都ギジジットも「ギジジット央国」として正式な国家と認められる。初代の王はキルストル姫アィイーガ。王姉妹の代表として、煩瑣な責務を押し付けられる。

 一方褐甲角王国の側は混乱し、異議申し立てをする。
 弥生ちゃんの構想では、褐甲角王国をカンヴィタル武徳王、ソグヴィタル、メグリアルの三王家で分割する事を勧めるからだ。
 何故と問うのは当然だが、答えは実に辛辣だ。

 褐甲角王国積年の宿願、初代武徳王カンヴィタル・イムレイルの聖なる誓いである、神聖金雷蜒王国の打倒は遂に果たせぬまま終った。
 後に残るは過剰なまでの軍備である。
 これ以上不要の軍備を維持するならば害は民衆に及び、平和の内に発展しようとする方台を再度混沌に陥れるだろう。
 また方台統一の美名の下、難民を初めとする様々な弊害が隠されて来た。
 可及的速やかに改善の措置が必要であるが、統一を求めて軍事力の増強を続けていては不可能だ。

 全ては千年の内に硬直化した政治体制が問題である。
 改革を成し遂げるには広大な領土を一人の支配者が治める従来の方式では不適当。
 適当な大きさに分割しそれぞれ善政を競い合い、最善の結果を生み出す国に倣うのがよろしかろう。

 

 善政の競争、という概念に、同盟締結を見届けようと集まった諸国の賢人や学者・官僚は色めき立った。

 元より神族神兵は神の力を以って方台民衆を治める。だが実質働いているのは、只の人である彼らだ。
 弥生ちゃんの構想は否応無しに聖戴者の力を削ぎ、彼らの権限を拡大強化する。
 当今の政治・社会的流行に則した、革命的思想であった。

 ただ方台全土の統一は、国家の概念が地上にもたらされて以来の聖願であり、捨て去るには戸惑いが大き過ぎる。
 これにも弥生ちゃんが完璧な解決を与えてくれる。

 方台は理念的には常に一つの国であり、領域分割したとはいえ人はすべて方台の民。千年を天河十二神に許された青晶蜥神救世主により、等しく権利を保護される。
 方台全土で適用される「天賦人権法」と、分割された領域でのみ有効な「支配法」と、二階建の法体系が導入される。

 「天賦人権法」の中には、生来の権利として「逃散権」なるものが民衆に認められた。
 悪政の暴虐に苦しめられる民衆は、国を出て善政の地へ移る権利を有する。難民は周辺各国が責任を持って受入れると定めてある。
 まるでお前達はほっとくと悪政をし出かすと言わんばかりの、法だ。

 また弥生ちゃんは別に戦争を禁じたりもしない。悪逆無道の国家は正義の王に滅ぼされるのが当然、とも公言する。

 そもそもが褐甲角神の聖蟲を授ける権利は、カンヴィタル武徳王のみが有する。
 たとえ王国を分割しても聖蟲を持つ者が支配者に留まるのであれば、カンヴィタル王家が主導的役割を示すことに誰も疑問を持たない。
 つまり、何も変わらない。
 行政の改革のみが進む話であった。

 褐甲角王国も了承し、新生紅曙蛸王国も交えて、「神聖守護同盟」は発足する。
 同盟最初の行動は、唯一方台新秩序に参加しない西金雷蜒王国へ加入の呼び掛け。ならなければ、武力により強制的に帰順させること、である。
 創始暦五〇〇七年は、海戦の年となった。

 

 さて、弥生ちゃんの秘めたる策は、どこか適当な小領域で開発による自然破壊を誘導し、自滅させ、全土の戒めとする。
 森林保護「絶対禁令」の周知徹底である。

 選ばれたのは、褐甲角ソグヴィタル王国。
 元々ソグヴィタル王家とハジパイ王家は祖を同じくし、政治的立場の違いから二つに分かれていた。
 ソグヴィタル王 範ヒィキタイタンが身分を剥奪され家名を返上した為、時のハジパイ王が改めてソグヴィタル王家を名乗る。

 支配領域は旧褐甲角王国の東と南。
 方台中央を南北に貫くスプリタ街道左右の穀倉地帯を有し、ベイスラ山地とサユールの森林に恵まれた農林業主体の土地である。
 当初は南海のグテと呼ばれる不毛の地も有していたが、「ジョグジョ薔薇の乱」の後「黒甲枝諸侯連盟」に分け与え、維持負担から免れる。
 南の果てイローエントの港湾も有し産業にも交易にも不自由の無い、経済的基盤のしっかりした国であった。

 これをぶち壊す。

 

 全土で施行される「絶対禁令」がソグヴィタル王国でだけ免除されるのを、当初誰も不審には思わなかった。
 ソグヴィタル王国北部が面するカプタニア山脈は褐甲角(クワアット)神の棲む聖山で、元から「絶対禁令」に似た掟が存在する。
 カプタニア山脈で木材の調達が出来ないのなら、当然ベイスラ山地から切り出すしかない。

 また毒地に新しく開墾される「青晶蜥王国」の新領地で大量の木材の需要が見込まれる。
 ベイスラは開墾地の西隣にあたり、木材供給地としては最適の場所だ。これは救世主の要望であると皆理解した。

 ベイスラは方台最大の湖であるアユ・サユル湖に面し、ヌケミンドルの水路を用いれば難なく木材を運搬出来る。
 大消費地であるカプタニアにも以前から木材を供給してきた経緯がある。産業としての基盤は整っていた。
 新時代を迎えて、ベイスラの林業はフル生産体制に突入する。

 王国分割から20年。ソグヴィタル王国は方台で最も豊かな国と化す。
 「金の生えて来る国」と呼ばれ諸国から多くの人が訪れ、王都に定められたノゲ・ベイスラの街は大発展する。
 南のイローエント北のデュータム点に匹敵するスプリタ街道の主要都市となった。

 だが繁栄は100年も続かない。人が予想を働かせるよりも早く、ベイスラの山は荒地となった。
 輸送の困難はあるがサユールの奥地にまで伐採の手を伸ばし供給を続けるも、地形の障害に突き当たり間も無く拡大は停止する。
 禿山に今更のように木を植えてみるが、すでに環境が激変し麓の畑でも水資源の確保が困難となり、連年の不作、飢餓までもが発生する。

 ソグヴィタル王国の為政者たちは木材が金を産み出すのを当たり前に育った。ベイスラがダメならばと他国の山に眼を付ける。
 標的とされたのは、南西トロシャンテの原生林だ。
 海辺近くまでうっそうと生い茂る森は、他ではもう消えた巨樹を多数蔵し、財産的価値は計り知れない。
 グテの海浜は漁業すら振るわぬが、材木を切り出し船にて運ぶならむしろ好都合。イローエントの港で陸揚げしてこれまでの販売ルートに乗せれば良い。

 或る意味、彼らは慈善事業として森林伐採を考えていた節がある。
 グテの地に住む者は等しく貧しく、森を切り拓き農地の拡大も同時に成せば生活も改善するだろう。

 だがトロシャンテの森を護るのは、「黒甲枝諸侯連盟」。カブトムシの聖蟲を戴く神兵の合議にて国を運営し、王族の支配を受けない。
 彼らが一国の支配を許されるのは、「ジョグジョ薔薇の乱」時に停戦和平の条件として弥生ちゃんと交わした契約に依る。
 契約最大の責務こそが、『トロシャンテにおける絶対禁令の強制的な執行』であった。
 弥生ちゃんはそれのみを要求し、また青晶蜥王国は毎年グテ地に支援金までも出している。

 頑に譲らず賄賂や脅迫にも屈せぬ「黒甲枝諸侯連盟」に対し、ソグヴィタル王国は卑劣な手段を弄して攻め立てた。
 4つに分割した褐甲角王国を旧に復して統一し、カンヴィタル武徳王の命に従う大原則を主張する。
 武徳王に逆らう者には聖蟲の継承を認めぬ『聖戴継承権(カブトゥース)』剥奪をちらつかせ、「黒甲枝諸侯連盟」の根幹を揺さぶった。

 とはいえソグヴィタル王国の困窮は天下に明らかで、真意は誰の目にもはっきりと見える。
 業を煮やし軍を揃えて「黒甲枝諸侯連盟」領に侵入するも、武辺を宗とし貧困をむしろ誇りとする黒甲枝に手もなく打ち破られてしまう。

 10数年に渡り七転八倒を重ねたソグヴィタル王国は遂に王家が断絶し、カンヴィタル武徳王に後継者の派遣を要請する羽目にまで陥った。
 新王はデュータム点近郊に王宮を構える青晶蜥神救世主星浄王を訪ね、改めてベイスラにおける『絶対禁令』の施行を要請。
 各地より植林事業の知識を持つ技術者を呼び寄せて、300年掛かりで山に緑を戻した。

 

 なおソグヴィタル王国の王都ノゲ・ベイスラは、その後もスプリタ街道の要衝として機能し続ける。
 街は合理的進歩的に設計され、千年の長きを支える能力を備えていた。
 ソグヴィタル王家が決して愚かな支配者ではなかった証拠として留意しよう。

 王国の失敗は「聖戴者の蹉跌」として歴史に刻まれる。
 聖蟲を戴く者を中心とした政治体制に疑問を呈し、後の「平民王国運動」の呼び水となった。
 ノゲ・ベイスラは運動の中心地の一つとして、千年期の後半には活動家の巣窟と化す。
 遂には民衆が選挙で統治者を選ぶ「ソグヴィタル民衆王国」として、王にも聖戴者にも頼らぬ国を打ち立てた。

 彼らが最初に行った改革は「因循姑息な神聖秩序の桎梏である『絶対禁令』の破棄」であり、再びベイスラの山を切り始めまもなく大災害を被ったのは、歴史の皮肉であろう。

      *****************

 

 弥生ちゃんは毒地開墾の費用を賄う為に、当時方台最大の銀行家であったジューエイム・ユゲルから200年限の莫大な借金をした。
 だがわずか40年で完済に到る。
 ベイスラの繁栄に関連して、どのような便宜が彼に許されたか。推して知るべし。

 

【白い粉の恐怖】

 十二神方台系には、ゲルタの常食による中毒と思しき風土病が存在する。その名も「ゲルタ酔い」。
 中高年それも貧困層に多く発症する病気で、足腰が立たなくなり食事、特にゲルタを受けつけなくなる。
 治療法は無いがゲルタを避ければとりあえず症状が軽減されるし、ゲルタ以外の食品も取る富裕層には見られない。

 治癒を司るトカゲ神の救世主である弥生ちゃんは当然に注目し、ハリセンや額のカベチョロを使って詳しく調べた。
 結果は「タリウム中毒」。ゲルタに極微量に含まれるタリウムが体内に蓄積する事で発症する重金属中毒と判明した。

 なんでゲルタがこんなものを体内濃縮するのか、分からない。
 ただ、毒性の有るものを天河十二神が食用に許していた点は留意すべきだ。
 おそらくは、ゲキの発祥惑星の環境ではこれが普通なのだ。「ゲルタ酔い」で死ぬ人が出ない事からも推測出来る。

 だからと言って放置もできないが、食うなと命じるわけにもいかない。
 ゲルタは方台の食の根幹を成し、塩ゲルタとして塩分を供給するに留まらず、出汁の素としても大いに活用される。
 方台の食文化において味とはゲルタを指す、と言っても過言ではない。
 まずいのだが、そのまずさこそが彼らの母の味である。

 貧困層は塩を抜かれた出し殻のゲルタを常食するが、これすらを失えば彼らにどんな幸せがあろうか。
 ゲルタが無い人生は光を失ったも同然。ある哲学者はそう書き残し、慣用句として用いられるほど人口に膾炙する。
 「ゲルタ酔い」を防ごうと思えば、食文化そのものを敵に回さねばならなかった。

 

 でも負けない。
 弥生ちゃんはお節介の質だから、ゲルタに代わる食材を検討し始める。
 要求されるのは2点。
 ゲルタは出汁を取る為に使われるから、味が出るものでなければならない。
 またゲルタは塩分の供給源として価値が認められる。代替物も塩を十分に含む食品でなければ困る。
 ついでに、出汁を取ったガラも食べられるのが望ましい。

 そんな都合の良いものを弥生ちゃんは知っている。昆布だ。
 百科事典を見ると、方台にもちゃんと昆布が取れると書いている。食用も可能だ。
 産地は北西の百島湾付近が有名。とはいえ産業としては成り立っていない。ごく限られた漁師が不漁の時に茹でて食べるに留まる。

 西金雷蜒王国攻略時、弥生ちゃんはわざわざ足を伸ばして北の海岸リュミタン・グテを訪れた。昆布の利用状況の視察である。
 驚愕した。
 彼の地にあって昆布は、屋根を葺く材料として用いられているのだ。巨大な昆布が丸のまま、幾重にも重ねて乗っけてある。
 道理で百科事典には「リュミタン・グテの住人は飢饉の年には屋根を食べる」と記述されているはずだ。

 料理の仕方も酷かった。
 海水でぐつぐつと何時間も焚いて棒で突いて摺り潰し、ぐじゃぐじゃになったものをそのまま食べる。見た目通りやっぱり不味い。
 しかし昆布自体は上物であった。
 ほどよく乾いた屋根の昆布を下ろさせて、細かく切って一晩湯冷ましの水に浸けておくと、ちゃんと味がする。
 漁師や随員に試させると、やはり美味しいと感想を述べた。方台の人間にも昆布出汁は通用する。

 ただ問題が一つあった。リュミタン・グテは天候不順で、昆布を乾かすのに向いていないのだ。
 ゲルタと同様に海水をじゃばじゃば掛けて塩まみれにするのにも、この地は適していない。
 弥生ちゃんはたちどころに問題を解決する。生乾きの昆布を南方に船で運んで、年中日照りのグテ地で乾かせばいい。潮水を盛大にじゃばじゃば掛けるのだ。

 こうして方台における昆布の商業利用は始った。塩と昆布を何層にも重ねたミルフィーユ状態にし、煉瓦大に切り出して供給する。
 当初は注目する人も少なかったが、なにせ塩が付いて来る。方台内陸部では塩は極めて貴重な物資であり、どんな形であれ供給されれば歓迎する。
 偏見があった為に、塩をこそぎ落とした後はイヌコマの餌として昆布は利用された。

 イヌコマや大山羊が人間の言うことを聞くのは、ほとんど塩の力である。イヌコマを飼う為に塩を必要とする、とまで言える。
 ではイヌコマは昆布をどうしたか。植物性の素材であるから、塩を舐めるに留まらず喜んでかじかじ噛む。ゲルタでは見られなかった行動だ。
 あんまり美味しそうに食べるので、人間も試しに齧ってみた。これはいける!
 特に固いのがいい。方台の人間は地球人より顎の力が強い。昆布の固さは荒くれの交易警備隊員にも好まれた。

 イヌコマを多数使う交易商の間で昆布は広まり、全国に普及する。
 これまた弥生ちゃん指導による毅豆原料の醤油製造が軌道に乗った頃には、昆布はすっかり食卓に定着していた。
 だが、さすがにゲルタを駆逐するまではいかない。ゲルタはたんぱく源としての機能も持っていたからだ。

 

 さて、お節介が弥生ちゃんの悪癖である。
 食用を勧めるかたわらで、悪魔の実験に取り掛かる。昆布からエキスを抽出し、精製し、ついにはアレを取り出した。
 グルタミン酸ナトリウム、化学調味料だ。
 この白い粉の威力はもちろん十分知っている。害もだ。にも関わらず、やってしまった。

 実験して人に食べさせる。何人か舌を痺れさせるが概ね好評。いや、被験者を魅入らせてしまう。
 ゾンビのように白い粉を求める彼らに恐れをなし、弥生ちゃんは研究データの破棄を命令。壷一杯に作った粉もドブに捨てる。
 が、実験に協力した学匠の一人が逃亡。精製法が外部に流出してしまう。

 彼はその後「人食い教団」に身を寄せ、魔法の粉の製法を伝える。
 教団では「高潔なる人物をも陥落させる傀儡の呪法」と呼び、「死人の舌から抽出した純粋なる味の結晶」とも称す。
 人を洗脳して教団の為に働かせる手段として長く用いた。

 さらには後年の一神教「ぴるまるれれこ教」の爆発的な普及に際しても、隠然たる力を行使する。
 洗礼の際に授けられる聖餐に粉が混入され、信者を味の虜として十二神信仰をも覆す勢いを得た。
 その結果青晶蜥神救世主への崇拝も陰りを見せ、社会に抑えが効かなくなる。
 乱れた世を憂い、創始暦五五五五年に十三代救世主カマランティ・清ドーシャは火中に身を投じる捨身祈祷を行い、弥生ちゃんを方台に再臨させた。

 この召喚時にお昼の焼きそばパンを喪失して弥生ちゃんは烈火の如くに怒り狂うのだが、自業自得と言えよう。
 まことに彼女はどうしようもない奴だ。by弥生

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 西金雷蜒王国攻略時、リュミタン・グテの海浜を視察した弥生ちゃんは昆布のついでに海苔も取った。
 随員が止めるのも聞かず荒れ狂う波濤の間を跳ね、海中より突き出た岩に八艘飛びをして岩海苔を採集する。
 もちろんこんなことしなくても、地元の漁師は安全に取るのだ。

 海苔の佃煮を作るには、未だ醤油の製造が間に合わない。
 ここはやっぱり板海苔でしょう! と簀の子に拡げて漉いて行く。(簀の子くらい方台にもある。そもそも船の帆がむしろだ。)
 出来るのはいいが、人々はこれを何の為に用いるか、首をひねる。
 弥生ちゃんがぱりぱりと齧るので自分たちも食べてみて、やっぱり不審に思う。味がしない。味付け海苔ではないからだ。

 だが救世主は止らない。

 そもそもが板海苔の製法は紙漉きから来ているのだから、紙も作ってやろうと考える。
 初期の紙の材料は、樹の皮に加えて古くて使い物にならなくなった漁網やボロ布である。漁師が住むリュミタン・グテにはどちらもあった。
 人を多数動員して布や廃網を煮て繊維をばらし臼で搗いて、やっぱり簀の子で漉いてみる。
 なんとか紙らしいものが出来上がるが、そこは素人の浅墓さ。
 墨で字を書いてみると、どろーんとにじんでなにがなんだか分からない。大失敗。

 でも負けない。材料や成分を替えて再度挑戦する、のはいいが、さすがに時間切れだ。首根っこ掴まれて公務に復帰させられる。
 やむなく学匠を1名、専属の研究員に任じて紙の製造を続けさせた。
 こんなものが出来るのだよ、と広さ1畳もの板海苔まで作って、この大きさが出来るまで帰るなと厳命する。

 それから10年。すでに弥生ちゃんは此の世に無い。
 学匠は書字をしてもにじまない、平滑で色ムラの無い立派な紙を作り上げた。大きさも指定されたサイズに仕上げてみせる。
 ただ、量産には到らない。
 材料となる樹木はかなり珍しいもので、特別に栽培して量を得なければならないからだ。植生領域も南方に限られる。
 学匠は南方に居を移し、紙専用の畑を開き栽培方法を研究し、30年を経てようやくに量産体制を確立する。
 と言っても売るほどは出来ない。時の青晶蜥神救世主星浄王に献上するだけだ。
 王宮に届けられた紙は見事なもので、国際条約や法律の制定など国家の重要事の保存書類として利用される。
 また木版印刷技術を用いて法律書や科学技術書の出版が行われ、方台全土に秩序と光が届けられる。

 民間で紙が利用されるのは、それからさらに100年を要した。

 なお弥生ちゃんに紙の研究を任された学匠の名は「ペヒパー」である。どんな基準で彼を選んだか、一目瞭然だ。

                        **************************

 

 西金雷蜒王国攻略時、リュミタン・グテの海浜を視察した弥生ちゃんは昆布のついでに天草も取った。
 細菌研究の培地のために、寒天を必要としたのだ。方台医療を向上させ感染症を撃退する布石である。
 ところてんが食べたい、などの私欲に基づく軽はずみな行動では、決してない。

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 ひじきも。

 

第四章 娘芝居聖蟲戯 むすめしばいせいむのたわむれ

「というわけで、最年少神族としての悲哀を噛み締めたイルドラ姫ことイルドラ丹ベアムは虜同然の我が身を呪い、八つ当たりに奴隷共に鞭を振るうのであった。」
「待て、勝手に人の行動をでっち上げるな。」

 

 イローエント近郊で発生した難民の暴動は一向に収まる気配を見せず、円湾への出兵にも障りがあった。
 これを解決したのが、誰あろう「ゲジゲジ乙女団」。
 ギィール神族が難民暴動を引き取り鎮撫し、衛視局の難民行政を監視し物資配給を行き渡らせ、ガモウヤヨイチャンに代わって公正な裁判を行う。
 三方一両得とも言える奇策妙案ではあったのだが、実際に行うとなればなかなか難しい。

 もちろん暴動を抑えて最大の得をするのは褐甲角王国南海軍で、安定したからこそ円湾への出兵が叶ったわけだ。
 ツケは衛視局、難民管理の部所に回される。
 彼らは平和的人道的に難民を傷つけずに管理するただでさえ厄介な難事を抱えているのに、その上ギィール神族の監視を受けるのだ。
 心穏やかであろうはずが無い。

 巨大なゲイルに乗り黄金の甲冑を煌めかせて難民の間を練り歩く神族の姿は、時代が世界が変わったと如実に示す。
 難民たちが服従する態度も、また変化した。
 今日は一応従っておくものの、弥生ちゃんの再訪の際には必ず失地を回復するだろう。そんな目付きになっている。
 既に彼らは褐甲角王国を絶対神聖の権威と看做さない。打倒覆滅が可能な、此の世の権力の一つと考える。

 これ以上難民を刺激しない為、衛視局はゲジゲジ乙女団に対して、ゲイルでの外出を控えるよう要請する。
 だから視察は隔日となり、行程の計画を衛視局が審査してようやくに許される取決めとなった。

 

 というわけで、イルドラ丹ベアムはここ4日外出していない。
 前回は同じく「ゲジゲジ乙女団」に属するカエル姫、三荊閣ミルト宗家の末娘ミルト佳ストパタラ=リュゥンが遊んで来た。
 そのまた前は、
 

「ミルト殿、今の台詞は誰に向けて発したものであろうか。妾には理解できぬが。」
 年齢は26歳と聞く。詳しくは身の上を語らぬが、甲冑に記される紋様や装飾で正体は歴然と知れる。神族名鑑にも載っている。

 西金雷蜒王国の王姉妹、ガランコーマ十八数妹シィス・ドゥン。

 「香牌」の称号を持つ政府要人にして軍船12隻の提督、秘密部隊「スルグリ」の統括者。
 分かりやすく言うと、西金雷蜒王国の南海方面工作総責任者である。
 美人だが少々眼が悪い、近視だ。目を細めてものを見る姿が美貌を強調するようで、なんだか気に食わない。いつか眼鏡を掛けさせてやる。

「大した事ではない。イルドラ殿は演劇的に自らの状況を虚空に語ってみせる癖があるので、私も真似てみただけだ。」
「なるほど、非はイルドラ殿にあるのか。」

 実はカエル姫、彼女に対して少々負い目がある。

 「ゲジゲジ乙女団」最年少の二人は、当然のことながら貧乏くじを引かされた。面倒くさい難民管理の役目を押し付けられる。
 褐甲角当局とサシで渡り合う重要かつ刺激的な任務ではあるが、やはり戦場の方が面白いに決まっている。
 お姉様方が楽しく観戦視察に赴くのを衣を噛んで見送った。

 二人の下には、当地で難民を指導する者が参集する。
 ヤクザまがいで拳一つでのし上った者から、金雷蜒王国に差配される組織の長まで、色々居る。

 その一人、かってギジシップ島で神聖宮に仕えていたと称する典奏バンドの出身者、これが曲者だった。
 巧言令色おべんちゃらばかり使う奴で、鬱陶しい事この上無い。神族に対する礼儀こそ弁えているが、それ故にどこまでも付け上がる。
 実質の指導力はと調べてみれば、口の上手い此奴がなにかと優先するが中身はすかすか詐欺同然。難民の間にも人望は無い。
 それどころか褐甲角当局にも言葉巧みに取り入って、支援物資を横から密かに掠め取る。

 奸佞なり、とざっくり斬ってしまうと、これが西王国の廻し者であった。
 「便利な男であったものを」と抗議されるが、知ったことではない。

 

「代わりを探さねばなるまいな。難儀な事よ。」

 眉をひそめた王妹は、二人にチフ茶を勧める。
 特徴的な灰褐色の陶器の茶椀は、西王国製。土が良くないので鯨の骨を混ぜて焼くと聞く。(注;鯨は水棲哺乳類ではなく、魚竜に相当する巨大な生物。卵胎生。)

 チフとは、とある草の実だ。食用ではない。枕の中身として詰められる。地球で言えばソバ殻に相当する。
 要するに枕を火で焙り焦がしたものを煎じて飲む。下民の風習であり、上品な神族に受入れられるものではない。

 だが実は現在、チフ茶は最新の流行なのだ。
 流行の元は弥生ちゃん。北方神聖神殿都市に到る聖山街道を巡幸中に、地元農家の老婆から献じられた。

 聖山街道は寒冷で作物が実らぬ貧しい土地柄。食い詰めて盗賊に走る者も多い。巡礼者は盗賊に財をくれてやるを喜捨とも考えるほど、頻繁に出没する。
 そんな所に住む婆に、ろくなもてなしが出来るはずが無い。
 だが心を込めて弥生ちゃんにお供えしたのが、チフ茶だ。

 弥生ちゃんは一口味を確かめると、うむと首肯きごくりと一息に飲んでしまう。
 この婆、実はチフ茶名人とも呼べる者で、他が煎じた茶とは隔絶する香り高い淹れ方をする。 
 弥生ちゃんにしてみれば、極上の麦茶に遭遇したのと同じだ。激賞し方法の伝授を請い、自ら厨房に立って習った。

 噂はたちまちに南北東西に触れ回られ、人々は婆直伝の作法でチフ茶を飲んでみる。
 美味い。たしかに香り高く味わい深い。
 ヤムナム茶の甘味は無いが、すっきりと喉に染み渡る。第一安い。
 というわけで、進歩的な人ならばチフ茶を飲むべし。遅るる勿れ、が合言葉となっている。

「う、うむ。」
「いただこう、か。ミルト殿。」

 丹ベアムとカエル姫は好意を無にするわけにもいかず、我慢して茶を啜る。
 シィス・ドゥンが淹れる茶は流行の名人老婆の作法ではなく、西王国風なのだ。
 ヤムナムの甘藻が取れない西王国では、チフ茶を代わりに常飲する。ぐらぐらと真っ黒になるまで煮出し、苦みとエグみをわざと引き出す。
 おまけに大山羊の乳まで入れる。どろりとしてほのかに生臭さも漂うが、向かいの王妹は平気な顔で喫す。

 彼女たちの額の上では3匹の黄金のゲジゲジが人には聞こえない音できゅらきゅらと会話をしている。
 丹ベアムとカエル姫の聖蟲はギジシップ島で繁殖されたものだが、シィス・ドゥンの聖蟲は西金雷蜒王国首都島エィントギジェの産だ。

 出身が違うと流儀も違うらしく、双方のゲジゲジは互いに脅したりそっぽを向いたり、なだめるように身体を前後に揺すってみたりと忙しい。

 

 さてその西王国だ。

 元々はタコリティは、東西金雷蜒王国の交易中継地として価値がある。神族の海軍がしばしば遠征し褐甲角南海軍と交戦するのも、交易を護らんが為だ。
 褐甲角王国を後背から脅かす西王国の存在は東のギィール神族にとって貴重なもので、万難を排して支援を継続する必要が有る。
 西王国にとっても人口や産業の規模が小さい彼らの生命線であり、交易路は絶対に確保せねばならない。

 ただ両者には明確な違いがある。
 東の神族は戦力の優勢を誇示し正面からの戦闘を好むが、西王国は戦力を損なわぬ計略を優先する。
 人口で30万、神族も200余名しか居ないのだから仕方がない。
 陰謀や暗殺が主要な手段となり、自然タコリティの暗部人食い教団とも関係が深くなる。
 さらには彼らの手引きを得て、褐甲角王国イローエントの内部にも深く巣食って居た。

 丹ベアムは、シィス・ドゥンの次の手を知りたく思う。弥生ちゃんによって世界が変わるのを、彼女が指をくわえて見過ごすはずが無い。

「それにしても退屈だな。西王国では陰謀の一つでも進めてはおらぬのかな。」
「そうは言われても、我らは今は待ちの状態であるからの。為すのであればゲジゲジ乙女団であろう。難民を唆すなり虚偽の約束をするなどして踊らせるのが筋だ。」
「我らは平和の為に動く。誤解してもらっては困る。」

 退屈はカエル姫も同じだ。数日に一度の外出で満足できるはずも無い。

「イルドラ殿、なにか手は無いか。円湾の闘いも終った今、難民を動かす策を講じるのが時の必然と考えるが。」
「その為の手段を我らは最初から持っている。ただ褐甲角側が許可せぬだけだ。」

 「ゲジゲジ乙女団」そもそもの目的は、トカゲ神救世主の業績や方台の現況を伝える演劇団を守護し、神聖王ゲバチューラウと救世主代行キルストル姫アィイーガとの結婚に武徳王の仲介と祝福を求める事にある。
 正確な情報を与えて民心を動揺させ、和平の気運を盛り上げて神兵による支配体制に疑義を抱かせる策だ。
 残念ながらここイローエントではあまりに影響が大き過ぎる為に、演劇団は到着したものの公演は禁止されている。
 折角カプタニアから高名なカタツムリ神官巫女を呼んだのに、宝の持ち腐れだ。

 シィス・ドゥンも芝居には興味がある。他の地域での公演の成果と巻き起こす騒動は、彼女の耳にも入って来ている。

「イローエントには名優ファミルコンとスファミコンの兄弟神官が来て居るとか。見たいものよのお。」
「それは確かに見物であろう。」

 カエル姫は手を打った。そうだ、芝居を見よう。
 丹ベアムは否定する。褐甲角当局が難民一般市民に対しての公演を認めるわけがないではないか。

「いや、下民奴隷どもに見せる必要は無かろう。我ら神族だけで観賞すればよいのだ。なんならフンコロガシどもに見せてやっても良いぞ。」
「?!、神兵も交えて聖戴者のみを観客として演じるのか。ふぅむ、一つの手だな。」
「それは良い思いつきじゃ。妾も賛同するぞ。」

「では決まった。カタツムリ神官たちも暇を持て余して腐っておろう。今宵から練習に励ませようぞ。」

                ***************

 

 新生紅曙蛸王国宰相ソグヴィタル範ヒィキタイタンは、捕えられイローエントにまで連行された。

 戦場で即決の処断をするのは、さすがに王の身分からして不適当。少なくとも王国領の、それも衛視局を持ち手続き的に万全を尽せる場所でなければ後事が祟る。
 加えて、紅曙蛸女王六代テュクラッポ・ッタ・コアキも自ら投降してきた。
 彼女の取り扱いもまた厄介で、ヒィキタイタンのとりなしが無ければ会話にも難渋する。なんだかんだで彼に依存しなければ、護送も出来なかった。

 南海軍円湾討伐司令部、イローエント衛視局共に困り果てる。

「これは、一軍の分に余る仕置きだ。」
「おそらくはカプタニアにて武徳王陛下直々の御指図を頂かねばなりますまい。」
「ソグヴィタル王は青晶蜥神救世主ガモウヤヨイチャンとも親交が有り、助勢を得ての紅曙蛸王国復興だ。外交交渉抜きでの処理も無理だろう。」

「とはいえ救世主は今は失踪中で、行方は杳としてしれません。」
「うむ、実際ボウダン街道の状況はどうなのだ? イローエントには何も情報が伝わって来ない。」
「目耳を布で覆われたかに、何事も我らの所には伝わらぬ。組織的な情報遮断が行なわれている気配がする。」
「だがそれは、陛下ではなく金翅幹元老員の意向かも知れぬ。軽挙は慎むべきだ。」

「ではソグヴィタル王の処分は、保留ということで。」
「現実的な対応だな。」

 

 だが、ソグヴィタル王の身柄に関して優先的な権利を持つ者が居る。
 謀叛の嫌疑を問わんとする召喚に応じず人質となったカタツムリ巫女を処刑せしめた罪。その追捕師は武徳王直々に任命され、生殺の全権を有する。

 追捕師レメコフ誉マキアリイ。
 ソグヴィタル王とは幼少より学問武術を共に修め、密かに城外に抜け出す数々の冒険にも従った、親友にして最大の理解者である。
 彼の目の前に、5年追い続けた仇の姿が有る。

「こうして虜囚となった御身を眺めると、なんだか不思議だな。カプタニアを出奔する前より遥かに王者の風格を感じる。」
「自分でもそう思うな。やはり王と呼ばれるには、何者も上に戴かぬ完全自由な権力を振るわねばならぬのさ。」
「してみると、タコリティの王となったのは自然の成り行きだったのだな。」

「もっと早くに気付くべきだった。赤甲梢だけでも率いて独断の私戦を行うのが、自説の当然の結論だとな。」
「それをしてくれたなら追捕師として思う存分に戦えたのだが、惜しいことをした。」
「うむまったくだ。」

 ヒィキタイタンはイローエント衛視局の一室に軟禁されている。局長の私室を用いているからそれなりに豪華で、王が用いても不自由はしない。
 監視は神兵が6名、昼夜を問わず片時も離れない。いずれも南海軍舟戦神兵隊の猛者で格闘に秀でている。
 なにしろ捕獲の際にあれだけ暴れ強さを誇ったのだ。警戒は否応無しに厳重となる。

 窓も無い部屋で、立ち歩くのさえも咎められる身だ。運動不足で伸びのひとつもしたくなる。
 額の黄金のカブトムシも薄く透ける翅を開いて、ぶるぶと震えて見せる。

「マキアリイ、いくらなんでも退屈だ。なにか暇つぶしの材料を持ってきてくれ。なんなら拷問吏でもいい。」
「こんなによく喋る犯罪者も他に居ない。諦めろ。」
「新生紅曙蛸王国はいいぞお。政務軍務経済普請に調停金策暗殺者と、夜眠る暇さえ無い。」
「その間俺は待機の連続だったんだ。少しは苦労を思い知れよ。」

 

「少しよろしいか。」
と部屋に入って来たのは、イローエント衛視局長と軍制局長、南海軍総帥提督。この地に集う大監だらけだ。
 マキアリイは兵師監の位を授けられたが、彼らに比べると下っ端になってしまう。

「なんでしょう。」
「実は「ゲジゲジ乙女団」より怪しげな提案がなされた。ソグヴィタル王も対象となっている。王の参加を是非にと要請して来た。」

 ヒィキタイタンも親友と顔を見合わせ、逆に尋ねる。自然大監達の言葉も変わり、背筋を伸ばして敬意を示す。
 元々がヒィキタイタンは先戦主義派の頭目であり、軍関係の神兵黒甲枝にはすこぶる評判が良い。
 王国を裏切った形になる今でも、むしろ我が身一つで新王国を立ち上げた手腕気概に敬服する者が多数有るほどだ。

「無論我が身はそなた達の判断に任せるが、厄介事か。」
「紅曙蛸女王テュクラッポ・ッタ・コアキ様にも招待状が行っているはずで、そちらからも恐らくはソグヴィタル王の出席を要請して来るでしょう。」
「何の儀式があるのだ。」

「それが、儀式には違いないのですが、……観劇です。」
「???」

             **********

 

 本来ならばイローエントのタコ神殿に神座を設けるべきであろう、紅曙蛸巫女王六代テュクラッポ・ッタ・コアキは、衛視局の会議室を占拠している。
 ヒィキタイタンの身を案じて近くに陣取っているわけだ。おかげで厳粛たるべき衛視局は巫女侍女女官の白粉の香りいっぱいでむせ返る。

 通路の左右に並ぶ侍女を掻き分けて女王の居室に入ったマキアリイは、走り逃げて来る「剣の巫女」を胸板で受け止めた。
 「剣の巫女」の顔は、べたべたと七色の紅白粉で塗りたくられている。

「どうしたクワンパ。」
「どうしたもこうしたもありません。六代さまが!」

 カニ巫女クワンパは、現在「剣の巫女」と呼ばれる。

 ヒィキタイタンが帯びる「王者の剣」は、弥生ちゃんから与えられた神威により凄まじい力を持つ。
 元より虜の人に武器を与えるわけにはいかないが、なにせモノが神剣で余人に触らせるわけにはいかない。
 また褐甲角王国で預かるのも良しとはされない。
 「王者の剣」は新生紅曙蛸王国独立の象徴でもあり、これを勝手に処分すれば民衆の強い反発を受ける。
 もしもヒィキタイタンが刑場の露と消えたとしても、この剣を帯びる者は彼の意志を引き継ぎ紅曙蛸王国の首座を占め、必ずやタコの女王を守るだろう。
 今や歴史的意義さえ持ち合わせているのだ。

 そこで、褐甲角王国とも紅曙蛸王国とも中立な立場を取るカニ神殿に仕える巫女クワンパが、「王者の剣」を預かった。
 もちろんヒィキタイタンが納得した人事である。親友マキアリイと共に追捕師の任を帯びて長年彼を追い続けた巫女には、それだけの権威が認められる。
 更には、邪な者が弥生ちゃんの神剣に触れると、すぱっと手が斬れてしまう特性もある。
 厳正中立を貫くカニ巫女であれば、悪心を抱いて剣を扱ったりはしないだろう。

 豪奢な拵えの宝剣を金色の鎖で背に負うクワンパは、粗末な巫女装束にも関わらず当代第一等の華麗さを身にまとう。
 これでもう少し器量が良ければ、とか、せめて笑顔であれば、とか思うのだが。

「どうしましたかレメコフさま。」
「いや。いつもながら済まぬな。」

 「剣の巫女」は常にタコ女王の傍に居らねばならない。それが神剣を渡した際の契約だ。
 確かに「王者の剣」は警戒厳重に護られる必要がある。誰かがこれを盗み出し、紅曙蛸王国の分派など名乗られては対処に困る。
 六代様と共に在れば間違い無い。女王も得心なされるであろう。

 だが、悪戯者の女王の傍に常に侍るのを義務付けられるカニ巫女には、災難だ。
 へらへらと笑うタコ巫女の中で一人だけ仏頂面をしていれば、それはそれは面白かろう。
 マキアリイ、笑いを堪えながらも色を塗られた巫女を元の席に押し戻す。女王の傍のタコ巫女が濡れ手拭いでクワンパの顔を拭き上げる。

 彼はまた、テュクラッポの警備責任者にも任ぜられた。
 推薦者はやはりヒィキタイタンだ。女王はギィ聖音(ギィール神族の用いる特殊な言語)しか話さない。
 だがこの言葉は黒甲枝には理解できぬ。金翅幹元老員ならば使えるのだが、彼らに女王の身を託すなど論外だ。
 黒甲枝の中でも最高位を持ち屋台骨とも目される名門レメコフ家の跡取りマキアリイならば、ギィ聖音をかろうじて扱える。
 彼ならば、安心出来る。

 テュクラッポが尋ねた。年若い女王は彼がヒィキタイタンの親友だと知り、むしろ自分の手駒に取り込もうと画策する。色気までも弄するから、中々に手ごわい。

「(面白き申し入れがあると聞いた。)」
「さすがにもうお耳に入っておいでですか。」

 女の口に戸は立てられぬ。退屈は誰もが同じであるから、芝居をすると聞けば勇んで触れ回る。
 あるいは女王が召し使うと聞く蕃兵の力であろうか。身を透明にする魔法の戦士は、おそらくはこの部屋の隅にも潜んでいるはず。

「カプタニアより参ったカタツムリ神官が、六代様の無聊を慰める為芝居を演じてみたいと願い出ております。」
「(ゲジゲジ乙女団からの申し入れであろう。だがもう少し先があるな、続けよ。)」
「は。先方は、聖蟲を額に戴く者全てを招待しております。内容にいささか過激なところがございます故に、一般庶民に見せる前に聖戴者に見分してもらおうとの意図でございます。」
「(妾は困らぬぞ。)」
「まあ、然様でございましょうな。」
「(困るのは黒甲枝であろう。)」
「はは、確かにそう思います。」

 女王は立ち上がり、マキアリイに若木のようにしなやかな細い肢体を預ける。身を屈めて顔を覗き込む。
 礼装甲冑に抱く若い肌から馥郁とした香りが立ち上り、天地が逆転する感触がした。
 若干13歳とはいえ、男を手玉に取り生殺与奪を恣にする手腕を彼女は持ち合わせている。

 とはいえ、ちょうど鼻先に白い子タコが赤い瞳をこちらに向ける。触っちゃダメよ、と細い木の芽のような腕をふるりと上げた。

「(ソグヴィタル王は来るか。)」
「連れて参りましょう。なに、王が脱出など試みますれば、私自らが成敗して御覧に入れます。」
「(意地悪な奴じゃのう。)」

「では、よろしゅうございますね。」
「(待て。その芝居にはもちろん神兵も来るのであろうな。)」
「金翅幹元老員、あるいは総帥提督や大監は全員が出席すると思われます。」
「(全ての神兵を席に集めよ。皆の顔が見たい。)」
「全ては無理ですが、当日非番の者、あるいは役目を代えてでも大勢の神兵を集めたいと存じます。」

「(楽しみじゃのお。のおクワンパ。)」

 膝から下り、カニ巫女のかさついた頬をぐにぐにと引っ張る女王をどうやって留めるか、マキアリイはしばし考える。
 クワンパが恨みがましく睨むのに、済まんなと目で謝って、しばらく犠牲になってもらう。

 

     (((〜INTERMISSON〜)))

 最年少神族というものは、本当に可哀想なものだ。

 「ゲジゲジ乙女団」団長シトロメ純ミロームに観劇会の計画を上申すると、彼女は快く許可を出した。
 元より演劇団の守護が役目であるし、まずは神兵に見せて内容を吟味させるのは理に適っている。
 芝居が当地で行われたとの噂は市民難民にも拡がり、一般公開の要望も高まろう。

 問題は、言い出しっぺは裏方を務めねばならぬ常識的不文律だ。
 神族と呼ばれるほどの器量があれば、唯一人でもその位の催し物は企画運営出来るはず。
 三荊閣ミルト宗家の末娘ならば、神族を多数招いての宴席も慣れている。
 イルドラ姫カエル姫の二人に任せて大安心。

 否と言う自由など二人には無かった。面子と誇りが妨げる。
 かくして神族18名、金翅幹元老員12名黒甲枝神兵200名、紅曙蛸女王とソグヴィタル王までもが出席する観劇会計画は進行する。
 ちなみにシィス・ドゥンは裏方からまんまと逃げ果せた。
 王妹がする仕事ではないから、最初から何もしないつもりで小娘を煽ったに相違ない。

 

 やると決めたからにはイルドラ丹ベアム、手は抜かない。
「よし作るぞお菓子!」

 観劇会、それも神族神兵を多数呼んでとなれば、大宴会そのものだ。
 しかも十二神方台系において観劇とは、朝日の出に始り日の入りに終る一日懸りの大仕事。盛大に飲み食いして楽しむに決まっている。
 さらには客は褐甲角の神兵だ。額のカブトムシが蜜を好きなように、神兵も揃って甘党である。
 彼らをもてなす為にお菓子が必要ときたものだ。

 だが、

「金が目一杯掛るな。少し計算してみよう。神兵200を確定として、ギィール神族は18名全員が出席するだろう。加えてタコ女王にソグヴィタル王、金翅幹元老員も居る。」
「芝居の出来によるが、主役のカタツムリ神官巫女にも客と同じ贄を与えねばなるまいな。250名として計算しよう。」
「フフ、ミルト殿。聖戴者ばかりが好い思いをするわけにもいくまい。神族の宴会であれば奴隷達にも恩恵が施されるものだ。剣令や狗番、侍人は元より、当地に集う、」
「…イローエントに収容される何万もの難民すべてに施しせよと言うか。それはさすがに無茶だ。」
「だが連中は期待する。」
「であろうな。その分は流石に勘定を別としよう。当地に在る神族全員が負担を分け合うべきだ。」

 結局カエル姫の実家ミルト家にツケを回すこととして、聖戴者250名に大盤振るまいと決まる。
 特に今回、一応は褐甲角軍戦勝の祝いも兼ねる。ギィール神族が喜ぶ話ではないとはいえ、そういう性格を帯びてしまう。

 石盤に丸石を並べる算盤で、ざっと計算して
「2千金!」
「う、うーむぅ。」

 丹ベアム脂汗を流す。何を隠そうイルドラ家、大審判戦争の出兵に当って借りた金が200金である。これでさえ返せるか危ぶまれる。
 ちなみに褐甲角軍兵師監の年棒がおおむね100金。21世紀初頭地球日本の年収で換算すると、約1000万円。
 すなわち、カエル姫は2億円ほどをお菓子御馳走に投入する。

 当然、そんな大金持ち合わせが無い。
 生憎と言うべきか幸いとすべきか、ここイローエントは交易によって栄える港町。資金の融通には便利な手立てが揃っている。
 当地に詳しい者の手を借り人を介して、当代随一と噂される金貸しジューエイム・ユゲルと接触する。

「なに、二重利率だと?」
「は、貸し金に発生する利子自体もお返しいただくまでの貸し金と見て、それにもまた利率が掛る仕組みにございます。」
「なんと悪辣な。ガモウヤヨイチャンの天罰がそなたの頭上に落ちるであろう。」

 だがなんとしても現生を手に入れねばならぬ。カエル姫已む無く印章を借用書に押す。
 この貸し金は3月も経たぬうちにミルト宗家が引き受け、本業の武器取り引きにて清算され紅曙蛸王国再軍備の基となるのだが、それはまた別の話。

 軍資金を手に入れた二人は、とりあえず真っ先に手を着けねばならぬ食材確保に人を派遣する。
 真っ白でぷるぷるとしてほんのりと甘い蟲餅の材料はシロアリだ。蟻塚を一つ崩してわらわらと湧いて出るシロアリを捕まえて、これでようやく丼一杯となる。
 250人に供しようと思えば幾つの塚を崩さねばならぬか。
 とりあえず難民から壮士50名を募り、歩いて3日の森に遣わせた。もちろん派遣費用もこっち持ちだ。

 基本的に人手は難民から幾らでもかき集められる。なにせ無業者失業者の群れであるから、呼ばれれば喜んでやって来る。
 賃金など求めたりはしない、これは奉仕だ。なにしろ神族神兵大宴会の用意なのだから、宗教的儀礼の趣さえ帯びる。

 のだが、飯を食わずに働くわけではない。汚い格好で御馳走作らせるわけにもいかない、衣服の供与も必要だ。
 狩り集めた難民には家族親族老人子供が居る。これらの暮らしが立つように補償もしてやらねばなるまい。
 結局は「タダほど高いものは無い」を実践してしまう。

 何故にこれほど人が必要か。そりゃファンタジー世界だからだ。
 食材の調達、運送、保管、加工、調理。加えて薪や水の確保から作業着の洗濯に到るまで、ありとあらゆる局面で人力を必要とする。電話一本でトラックが食材を運んで来たりはしない。
 常時千人が厨房周辺で食材の加工に渾身の力を奮い、大山羊イヌコマ鳥鼠豕が屠殺される声が幾重にも響き渡る。
 さらに厄介なのが、これら食材を収める倉庫の警備に厳重を期さねばならない点だ。
 宴会の御馳走を盗み出す不埒者は掃いて捨てるほど押し掛ける。神族神兵の宴の一端に触れ余禄を授かる、これも神事であり罪とは認められぬ事例である。
 もっとも、窃盗に失敗し警備に殺されても、これまた神事扱いなのだが。

 丹ベアムは窓から忙しく働く人の波を見下ろし、頼りなげに言った。
「2千金で、足りるか?」
「う、うむ。なんとかなるだろう、たぶん。」

 カエル姫、甲冑の腕を組み献立に悩む。思ったほどには上質の食材が入手できない。
 当たり前だ。現在イローエントは難民が市民の倍を越えて存在し、食わせて行くだけで精一杯。新生紅曙蛸王国を打ち破り、敗者の群れもこちらに流れて来る。
 褐甲角南海軍もいまだに臨戦体制を崩してはおらず、報復や反撃、タコ女王の奪還に警戒を怠らない。物資の優先は彼らにある。

 いかにミルト宗家の姫とはいえ、これではままならぬ。
 困難な中ではあるが、ギィール神族は不足不備を状況のせいと許してくれはしないのだ。
 いわばこれは戦争。カエル姫と丹ベアムはゲジゲジ乙女団と西金雷蜒王国の神族に対して、真っ向から闘い勝たねばならない。
 戦さに必要なものは。

「蜂蜜、足りぬな。」
「甘味は勝利の方程式ではあるが、冬だしな。今から取り寄せるのも遅かろう。」

 既に観劇会は4日後に迫る。他の町に使いを出して足りない食材を補うのは無理だ。近場はとっくの昔に洗いざらい分捕って来た。

「ヤムナムも足りぬ。特に上質なものは品切れだ。」
「誰だあれほど飲みおったのは。他の都合は考えぬのか。」
「…済まぬ。はあ〜、ガモウヤヨイチャンであれば、蜂蜜の代わりを得るのも容易かろうのお。星の世界には甘いものが幾らでも有ると聞くが。」
「チヲコレイなる奇蹟の菓子を、我は救世主名代より聞いた。方台に存在する食品を例にしては形容も出来ぬ美味らしい。」
「それがあれば、勝てるのお。」

 生憎と弥生ちゃんは辛いものの欠如で不自由する。
 北方大針葉樹林帯から「砂糖芋」なる根茎を採集し栽培して砂糖製造にこぎつけるのが、これからわずか2年後だ。彼女たちは運が無い。

 愚痴っていても仕方がない。知恵を用いて可能な限り工夫を凝らさねばならぬ。

「芸術的でなければいかん。皿の上卓の上に料理を並べるに、芸術的でなければならない。それが星の世界風の流儀だという。」
「そのようなこと異人より習わずとも神族なら皆行っておる。だから田舎ものは困るのだ。」
「ミルト殿の言われる芸術と、我の考えるところは大きく異なる。ただ飾るなら審美眼など必要はない。
 忘れてはおらぬか。我らの客は褐甲角神兵だ、虚飾を厭う者だ。武人画を生み出した者どもに通り一辺倒の飾りつけで贅を誇るか。」
「む! なるほどそれは考えねばならぬな。」

 カエル姫最近のご自慢は、自らの愛蛙を方台随一の武人画の達人ジュアン呪ユーリエが描いた板絵を入手したことである。
 可愛らしいだけでなく、魂の息吹生命の躍動がわずかな色彩から零れ落ちんばかりに表現される。
 王妹シィス・ドゥンも是非とも譲って欲しいと頼み込むほどの、それは素晴らしい出来だ。大審判戦争最大の収穫と呼んでもよい。

 残念ながらジュアン呪ユーリエの名はイローエントに集う神兵の中には見られないが、武人画を解する神兵は幾らでも居よう。

「芸術か、あるいは哲学か。ふむ、いつの間にか美の風潮も革新を遂げておるのだな。これが歴史の転換か。」
「それとは別に、派手に下民どもに神族の威勢を見せつけねばならぬ。新時代が確かに訪れたと印象づける宣伝こそが、ゲジゲジ乙女団の存在理由だ。」
「ああ、芝居を上演する許可を褐甲角側から取り付けるのも任務だな。『ガモウヤヨイチャンの葬送』か。」

 弥生ちゃんの名が出たことで、二人はとある逸話を思い出す。
 聖山金雷蜒神殿都市ウラタンギジトにおいて、褐甲角メグリアル王女 劫アランサは紐状の食品を作って神族に食べさせた。星の世界で人気のある料理を真似たと聞く。

「下民共にはこれを施してやろう。ガモウヤヨイチャンの神威の端に触れたと感激するであろう。」
「それは良い考えだ。作り方は知らぬが。」
「我らの知恵が有ればなんとかなる。食べたことも無いが。」

 

 様々な苦難障害を乗り越え企画を進行させるのは、ギィール神族にとっても嬉しい。
 だがさらなる問題が次から次へと襲い来る。甘味以上に重要と看做されるのは、

 丹ベアムは言った。
「今度は酒だ!」

          ***********

 

「うむ、眠たいな。」

 今日はめでたく観劇会当日。準備万端整って、後は客を迎え入れ芝居の幕を開けるまでだ。

 丹ベアムとカエル姫は既に3日徹夜している。
 ギィール神族だとて睡眠は必要で、また適宜寝ているのだが、額に聖蟲なる便利なものがあるとついつい使ってしまう。
 寝床の中からでも部屋の外、周辺一帯の状況が超感覚で分かるから、作業の進捗状況を覗いて回る。視察の時よりも丁寧小まめに見て回る。
 それではもちろん休息にはならない。だが日が昇れば起きぬわけにもいかず、仮面を着ければ顔色悪いのバレないから、どうにか誤魔化している。

 ちなみに昨夜は、ほんの数時間前の話だが、遂に待ち望んでいたものが到着した。
 夜通し松明掲げてイヌコマに積んで駆けてきたのは、準備初日に手を打ったシロアリ蟲餅の調達隊だ。
 祭礼には欠かせない蟲餅は、基本神様にしかお供えしない。が、今回神の化身たる神族神兵すべてに献じる。これが無ければ宴は始まらない。
 50名の壮士は森を隅から隅まで引っ掻き回し、塚という塚を崩して、ようやく200人分の材料を確保する。
 その間現地住民を動員して、シロアリを湯に潜らせ、固い頭を取り除き、真っ白な餅に加工する。
 腐らないよう塩水に沈めて保存するもなかなか数が揃わず、全員死に物狂いで働いた。

 そして今朝、3日の道のりを1日で駆抜け遂にイローエントまで届けきった。
 道中何事かと飛び出した盗賊に行く手を阻まれるも、聖戴者観劇会の御用と申し述べると連中もははぁーと平伏し、一緒になってイヌコマを走らせる。
 その功しかと見届けた、と二人の神姫は盗賊達に天河の祝福を授けて旧悪を許す。
 元より彼らも難民が身を落としたもので、機会があれば良民に戻りたいと願っている。

 蟲餅は少々少ないが、これだけあれば幾らでも誤魔化しが効く。天晴な働きだ。

「これでなんとか格好が付く。菓子に関しては万事遺漏は無い。」
「うむ。ガモウヤヨイチャンの御恵みも有ったからな。」

 海野山川の珍味を揃える大宴会にあって、最高に珍重される食材を二人は獲得した。

 十二神方台系の河川には体長3メートルにもなる巨大な両生類「嫗媽」が棲息する。
 身体は真っ白でぬめりを持ち、頭部から長い黒髪が尾にまで垂れ下がる。目はほとんど無く、口だけが赤く大きく開く。
 まるで肥満した中年女性の姿であるから「川母」とも呼ばれるこの生物は、元来大人しく人を害することも無い。
 流れに口を開き魚が飛び込んで来るのを待つだけなのだが、たまに溺れたシカやイヌコマも呑み込んでしまう。
 嫗媽は必死に消化しようと試みるが、骨が固いから3日ほどで諦め、形を留めたまま吐き戻す。「吐蝋肉」と呼ばれるコレが最高の食材だ。
 半ば蕩けた肉は飴色となり甘く香ばしく、骨も軟化してこりこりと絶妙の食感。
 いかなる料理人も手を加える事が出来ぬほど、完成しきった味わいだ。

 シカイヌコマでさえ幻と呼ばれるが、絶頂とされるのはなんと溺れた人間を呑み込んだものだ。
 さすがにこれを食べるのは犯罪であるが、人食い教団であれば禁忌も無い。最高権力者である天寵司祭の就任式でのみ供されると、モノの本には書いている。

 この奇蹟の食材をイローエントの富商が隠匿していると、ガモウヤヨイチャンの熱烈なる信者の密告で知らされる。
 カエル姫は聖戴者の特権として強行査察を行い氷室から発見し、「正当なる対価」を払って入手に成功する。
 黄色シカの仔で大きくはないがほぼ完全な姿を留めており、持ち主も味見をしていない。完璧だ。

「こう言ってはなんだが、神兵に食わすのはかなり惜しい。」
「連中美食の趣味は無いから、ものの価値が分からぬかも知れぬ。だが惜しんでも仕方ない。これで勝利は決定的となった。」
「うむ。」
 

 カエル姫は自らの狗番を呼び、命令を伝える。

「かねての手筈通りに彼の者達を港に遣わせよ。黒甲枝どもを叩き起こして参るのだ。」

          (((本篇をお楽しみください)))

 

 

 まだ明けやらぬ空の下、神姫の命を受けた蝉蛾神官巫女の二人が褐甲角南海軍の港軍営に向かう。

 元より夜明と共に起床が軍律で定まっているが、今日は港湾に響き渡る妙なる女声で叩き起こされる。
 この日の為に丹ベアムは、イローエントの港が一望出来る高台に大きな木製拡声器を作っていた。箪笥に似た箱を開き、特殊な刻みを施された板の前で歌えばどこまででも声が徹る。

 未だ眠りに就いていた褐甲角神兵クワアット兵海兵は、聞いたことの無い不思議な調子の歌に不審を覚えて目を開く。
「これは、……星の世界の歌であるか!」

 遣わされた蝉蛾巫女は、北方聖山は神殿都市ウラタンギジトにおいて弥生ちゃんの側近フィミルティによって組織された『戦車隊の歌』16人女声合唱団の一員だ。
 弥生ちゃんは徹底的に『戦車隊の歌』を叩き込んだ後も、暇が有れば要望に応えて日本の歌謡を伝授することに務めた。
 この巫女もフィミルティが習い覚える傍に侍り、共に日本語原語の歌を記憶し忠実に再現する。

”(著作権により省略)〜♪”
「むう、なんだこの心に染み渡る歌声は。歌詞が分からぬのに何やら身体が動く、動いてしまう。」
 高台から流れて来る鋭くも明るい『チャンチキおけさ』の響きに、寝ていられる者などありはしない。我も我もと兵舎の外に争い飛び出し零れ落ちて来る。
 軍船の中からも兵が顔を出し船縁に乗り出して、歌姫の姿を探す。

「おお、あそこだ!」
”(          )〜♪”
 遠目に見える人の群れに意を強くし、歌姫は次なる曲に唇を濡らす。『おまんた囃子』の強烈な歌い出しに、港に溢れる男達は口を開いて見上げるばかり。

 巫女と交代し拡声器の前に立つ蝉蛾神官も、イローエントでは名の知られた歌い手だ。
 弥生ちゃんには直接習っていないが、演劇団が到着すると同時に巫女の手解きを受け、原語のままを高らかに歌い上げる。

”(          )〜♪”
「なにを、何を語っているのだ。何という意味だ。何故同じ言葉を何度も唱える!?」
 男の美声が繰り返す”KONNICHIWA”が、脳にこびり付いて離れない。これでもかこれでもかと打ちつける音節が、耳を塞いでも聞こえて来る。

 説明せずばなるまい。
 弥生ちゃんは爺ちゃんっ子だから、古い歌を良く知っている。否、古い歌しか知らない。
 もちろんテレビで一度聞いた曲をそっくり覚える記憶力を持つのだが、最近のものには何の興味も無い。
 昔幼稚園の頃、爺ちゃんが喜ぶから一生懸命覚えた歌が、ソウルソングだ。
 もっとも段々と古くなり、戦後すぐから戦中の軍歌、戦前へと遡って行く孫に怖れを為した爺ちゃんに止められている。

 というわけで、『三波春夫ベストヒットメドレー』が巫女に教え込まれた。弥生ちゃんの感覚では、これでもちょっと新し過ぎるかな、てとこだ。
 『東京五輪音頭』『船方さんよ』『一本刀土俵入』『ルパン音頭』とひとしきりこなした後は、『東京音頭』(『大東京音頭』ではない)に『皆の衆』(これは村田英雄)『GOLDFINGER’99』(弥生ちゃんも頑張って新しい曲に挑戦する。ただし郷ひろみだし。)

 ついでデュエットに移り『東京ナイトクラブ』から『昭和枯れすすき』へと進展して、神兵も胆を決めた。
 今日の観劇会は遊びではない。断じて楽しいものなどではない。
 戦だ、戦争だ。
 褐甲角神の使徒として我らの覚悟を試される。金雷蜒神族とガモウヤヨイチャンと、両者から方台を治める器量を問われている。

 

 甲冑を捨て賜軍衣に身を包みありったけの徽章勲章を張り付け、王宮に上がる時にしか用いない聖蟲を強調する制帽を被り、家章と呼ばれる黒甲枝の家格と昇殿席次を表わす飾り帯紐を肩から掛けて、完全装備で会場に向かう。
 本来であれば身分の高い者にしか認められない諸刃の剣を帯びるところだが、しかしこれを用いるのは半分しか居ない。
 普通の剣は刀に比して構造上どうしても強度が下がり、神兵の奇蹟的剛力を受け切れず折れてしまう。
 礼装として用い得る装飾を施した刀も有るが、神兵はもっぱら儀仗棍と呼ばれる50センチほどの棍棒を携える。重量は5キログラム。
 全無垢の鋼鉄製であり、刃が無いからには折れる心配も無く思う存分に振り回しぶちのめせる。重甲冑にすら効果が認められるほどに強力だ。
 それでいて装飾はどれほど華美に施しても許される、美味しい所だらけの武器である。

 今や弥生ちゃんのテーマソングとなった「ラバウル小唄」方台編曲バージョンが奏でられる中、イローエントの大路を列になって神兵が進む。
 これほど美々しい神兵の姿は、南海最大の大都市イローエントにおいても見ることは無い。
 早朝にも関わらず市民は皆通りに出て、窓を開き、天下の壮観と眺めている。だが神兵たちの表情に宿る殺気に息を呑み、声を上げる者は少ない。

 観劇会の準備に携った難民達も会場周辺で一目見ようと押し掛けるが、これまた無言の圧力に気圧され重厚な空気に潰される。
 受け付けで記帳する姿も眺めるが、その度机の上に置く儀仗棍の重みを表わす音に、溜め息を吐く。
 姿こそ柔らかく刺激が無いが、あくまでも神兵は常在戦場。決して和平を目指すものではない。

 記帳を済ませた神兵は、門でカエル神官巫女の出迎えを受け一杯の酒を献じられる。
 酒は娯楽や嗜好の為に有るモノではない。人の心の虚飾を剥いで真実の姿を露にする聖なる水鏡、神の武器と考える。故にカエル神官が醸し、巫女が捧げる。

 本来酒は神事祭礼の時にしか振る舞われず、口にする事は無い。
 にも関わらず当今は平日の、しかも昼間から酒に溺れる者も居る。混じりっ気の無い九真の神酒ではなく、水で薄めたまがい物が堂々と商われ、密造酒までもが横行する。
 これも千年期の終りに社会が動揺する証として、心有る者を憂えさせた。

 酒にて清められた神兵は、係の案内するままに急造された木製の観客席に座る。

 中央の石舞台を馬蹄形に囲む階段状の席には、一人分ずつの幅を定めてあり、それぞれに数字が記される。
 これは神兵の昇殿席次を示すもので、軍での階級を越えて黒甲枝の序列を表わす。
 日頃軍務にあっては縁が無いが、今日ばかりは互いの家の名誉を賭けて厳密に配置に着いていく。

 こうして黒甲枝は席に収まるも、未だ金翅幹元老員、ギィール神族は姿を見せぬ。
 最終的には紅曙蛸女王とソグヴィタル王の入場まで芝居は始まらない。それまでの場つなぎに舞台上では軽業や物真似、歌や小演劇が行われる。
 にこりともしない客を前にしてひたすら芸を披露する緊張と恐怖はいかばかりであろうか。

 

 続々と聖戴者の入場が続く。
 今日ばかりはイローエント衛視局も許可せざるを得ず、10体のゲイルに神族が分乗し堂々と大路を練り歩き市民難民を睥睨して会場に向かう。
 褐甲角王国においてゲイルがこれほどの数で平和裡に通行するのはボウダン街道の外交司・神祭王の行列のみ。
 人は家の2階にも届く巨蟲の姿、打ちつける13対の肢の音に驚き怖れ、改めて天河十二神の偉大さを思い知る。

 対するに褐甲角王国金翅幹元老員の一行は輿にて進む。
 神族と対抗するには乗り物を用いる他無く、クワアット兵16名に担がせた5基を連ね、更に5名は完全装備の兵100ずつを率いて旗幟も勇ましく練り歩く。
 互いの威勢を張り合うからには敢えて仰々しく物々しく兵を動かし、人を驚かす。
 会場周辺にて500の兵を左右に配し陣を敷き、長槍白刃を朝日に煌めかせ弓弦を鳴らす隊列行進の儀礼を披露した。

 ちなみに会場は4日前から常時千人3交代にて厳重警備され、暗殺や襲撃が万が一にも起こらぬよう規制している。
 人食い教団あるいは督促派行徒が会場を血で穢し、神事を妨げる企みも考えられる。
 他愛もない妨害で聖戴者の宴を断念したなどの噂が方台中に流れては、イローエント南海軍の立つ瀬が無い。

 払暁より呼び込みを始め、初一刻(午前8時)にしてようやく紅曙蛸女王六代テュクラッポ・ッタ・コアキが入場する。
 前三者と異なり女王の行列は瑞々しく麗しく和やかで、花と踊り、タコ神官奏でる雅な楽に飾られ見守る民衆を魅了する。
 しかしながら密かではあるも警戒は厳重で、蕃兵が陰ながら守っている。
 彼らは魔法の刺青にて姿が見え難くなる術を用い、神族神兵でもあしらい難い強敵だ。南海軍は彼らの規制がまったく出来ない。総数すらつかめない。
 ただ彼らは紅曙蛸女王のみを護り、政治的活動には一切無縁である。新生紅曙蛸王国の軍事機構にもまったく関与しない。

 そして、

「おお、ソグヴィタル王だ。」
「ヒィキタイタン様が、なんとおいたわしい。」
「でもなにやらお元気そうで。」

 紅曙蛸女王に続いて虜となったヒィキタイタンが自らの足で歩いて会場に向かう。
 両手を前に揃えて大きな鉄の手枷、太い鎖で曳いて行かれる。いかにも哀れっぽいのだが、引っ張る兵よりも罪人の方が楽に堂々と歩いている。
 この姿、本人が考え大監たちに了承させた、いわば宣伝工作だ。

 ヒィキタイタンに対して黒甲枝特に実戦部隊の支持が未だ厚いのは周知の事実。イローエント南海軍も敵将でありながら尊敬すら見せている。
 これがカプタニアの元老院、ハジパイ王の癇に障らない道理が無い。
 さる筋では、不満を持つ黒甲枝がヒィキタイタンを担ぎ上げ武徳王に外交方針の変更を迫る、との憶測すら抱いている。

 そんな濡れ衣で謀殺されてはかなわない。
 ヒィキタイタンは、カプタニアにて裁判に挑み論戦に及べばむしろ有利と考える。
 イローエント南海軍はあくまでも敵にして我は捕虜、公私を峻別すると見せねばならぬ。その為の鉄鎖だ。

「マキアリイ。」
 ヒィキタイタンは自分の3歩後ろを歩く親友に問い掛ける。

「難民暴動の鎮撫をギィール神族に任せて安定させる策は元老員の発案で、ハジパイ王は強く反対したそうだな。」
「ああ。王殿下の言い分は尤もで反論し難い。カプタニアの誰もが同調するだろう。だがイローエントの状況を知る者にとっては、これ以上の妙案は無かったな。」
「円湾攻略こそが焦眉の急であったからな。」
「うんそれだ。そちらの方も強く急かされた。相矛盾する命令に反発する者も多く、軍制局は随分と苦労させられたと聞く。」

「そこまで察しの悪い人ではないのだが、妙だな。」
「それは、王殿下を知る者は皆言うな。いよいよ老いて判断力が鈍ったか、とか。」

 ふむ、としばし道に足を止めて考える。
 見ようによっては天下の行く末を案じている風でもあり、ヒィキタイタンがなおも歴史の主要な演者であると民衆に印象付ける。

 

 会場観客席中央、最高位を示す特別な桟敷にタコの女王が着く。
 左右全ての聖戴者が立ち上がり敬礼を捧げる中、テュクラッポとヒィキタイタン、侍女たち及びマキアリイとクワンパ他がの神官戦士に案内される。

「レメコフ様、あれを。」

 クワンパが示すのは舞台上で演じられていた滑稽芝居だ。今は女王の着座に際して跪き頭を垂れているが、主役の男が着ている衣はまぎれもなく青服。
 続きが見たいと、女王が指図して芝居を再開させる。
 たちまちマキアリイとクワンパは赤面した。

 滑稽芝居は、とある黒甲枝が弥生ちゃんの人気の秘密を知る為に、青服の男に姿をやつし市場に出向いて様々な失敗を繰り広げる話。
 お供のカニ巫女に桜色の衣装を着けさせ杣女に化け、二人して民人の前で舞踊る。
 だがカニ巫女はそもそもが無愛想不器用、人を叩くのが能にして癇癪持ち。黒甲枝扮する青服があまりに世情に疎いのに怒り心頭、思わず杖で叩いてしまう。
 あまりの不出来を見かねた本物の青服の男が思わず飛び出して、踊りで勝負することとなる。

 なんとなく自分達がやった事に似ている筋書きで、追捕師と剣の巫女はとても前を向いていられない。
 テュクラッポ女王がこちらを振り向いて、言った。

「(なにやら我の良く知る人物に似ておるな、兵師監よ。)」

 ふと気付く。舞台で踊る「本物の方の青服」に、マキアリイ見覚えが有る。彼はおそらく、いやまさか。
「彼奴、俺に接触して来た本物じゃないか。」

 角袖を引っ張り大きく姿を見せ、軽快に凛々しく踊る色男は、ちらとこちらを見て会釈する。
 間違い無い。

 考えてみれば、青服の男は弥生ちゃんの手の者として民衆を煽動する役を果たして来たのだ。
 「ゲジゲジ乙女団」も同じ任を務める。彼らが演劇団と合流して何の不思議があろう。

           **********

 

 客席が全て埋め尽くされたので、出演するカタツムリ神官巫女が勢揃いして舞台に上がり御挨拶。引き続き、神官正規のお仕事である御祈祷が行われる。
 これがだいたい30分ほど掛る。なかなかに退屈で、先ほど頂いた御酒の効力でふと眠気が襲う。
 祈祷が終ると祝歌が蝉蛾神官によって唱えられようやくに事前の儀式が終り、開幕だ。

 芝居が始めるに当たって、再び酒が全員に供えられる。
 今度は九真の酒ではなく、酢だ。酒と同じ発酵過程を経て、さらに進めれば自然と酢になる。「赤酒」とも呼ばれ琥珀色が美しい。
 もちろん料理にも使われるが、儀式で飲用の場合は眠気覚ましの効力を発揮する。

 皆酸っぱい顔をして小さな盃を傾ける。これはテュクラッポ女王にはちときつかった。
 観劇会に留まらず神事儀礼においては、節目ごとに幾度も酒を献じるのが方台の慣わしだ。儀式であるから飲まないわけにはいかない。
 逆に言うと、もっと飲みたくてもお代わりは出来ない。

 

 今日の出し物は、午前中が『青晶蜥神救世主の埋葬』、昼頃は短めの説教劇『大盗バゲマゲの昇天』、午後は時事解説劇『ゲバチューラウの求婚』である。
 この3作は後の世までも長く演じられ、中世代演劇の定番として数えられる。というよりも、「近代演劇」の始祖とも呼べる作品だ。
 だが今はまさに生まれたばかり。伝説が目の前で形作られる。

 舞台上で蝉蛾巫女が唄っている間は芝居は始らぬ。
 観客席では出し物について様々な噂が小声で語られる。

「昼に行われる『バゲマゲ』とやらが、どうも他では評判が良いようだ。」
「庶民的で、主人公が悪党であるのが人気の秘密だと聞くな。」
「けしからぬ話だ。だが救世主や神聖王を直接に描く前後の作品よりははるかにマシではある。」
「うん不敬ではないのかな。」

 

 舞台は神族邸宅の様式に従い庭の広場の中央に正方に設けられ、接して幅の広い階段が20段ほども上って行く。
 頂上は神族の邸宅の母屋となり、ここは既に神域である。

 通常の芝居は石舞台上のみで行われる。役者も踊り手も広場から舞台に上がり、降りる。例外は無い。
 何故ならば、階段の上には神族が居て劇を見ているからだ。階段を使用出来るのは神族と代理たる狗番のみ。他の者は触れることすら許されぬ。
 階段自体が、神族の聖性を強調する演劇的装置と呼べる。

 褐甲角王国でもこの風習は遵守され、貴人は階段上から観覧するのが通例だ。
 

「お、おお!」

 神官扮する黒甲枝、革の兜を被るのは神兵を意味する。聖蟲の偽物を額に載せるのはさすがに芝居でも許されない。衣装の様式が決まっており、神族神兵を表わす型がある。
 その「神兵」が、

 なんと階段の上から現れた。1人が7人となり、列を作り、楔の隊形で段を下りて来る。舞台左、西方に並ぶ。
 続いて今度は金色の御幣の飾りを頭に戴く「神族」が姿を見せる。7人が順に下りゲイルのような長い列を為し、一度舞台をぐるりと回ると右東方に位置する。
 東西に金雷蜒軍と褐甲角軍が対峙する状況。「三神救世主会合」の再現だ。

 両軍並んで見上げる階段上に、2人の人物が現れる。山狗の仮面を被り上半身裸の男言わずと知れた狗番と、銀色に輝く甲冑を着けたクワアット兵。
 彼らを先手として、飾り杖を捧げる神官姿が続く。黄金に飾られるゲジゲジが巻きついた杖、金色の縁を持つ絹の薄羽を備えた大きな剣。
 金雷蜒神聖王と褐甲角武徳王を示す徴だ。
 余人が弄ぶのは許されない。カタツムリ神官だからこそ、両王国が公認する徴を掲げられる。

 荘厳な楽が奏でられる中、二神の象徴が階段を並んで下りそれぞれの陣前に立つ。先に並んだ男達は後方客席に振り向き、歩を揃えて石舞台をざっと降りた。
 舞台上には王のみが立ち、より聖性を際立たせる。
 改めて見上げ、狗番とクワアット兵が手を伸ばして呼ばう階段上に翻る旗は。

「…青地に黄金の角を持つ女人の首。「神殺しの神」ピルマルレレコの人頭紋…。」
「救世主の現の姿を人が演じるのは、これは神話劇ではないか。」

 弥生ちゃんの王旗が巨漢の旗持ちによって大きく左右に振られ、観客の眼を集める。
 まさか王旗をそのまま芝居に許すとは、いくらなんでも反則だ。

 旗に続いて階段を下るのは、青い筒袖の服を着て細いすんなりとした脚を露にする黒髪の少女。左の腰には長い湾刀を下げている。

 通例は飾り杖のみで表される救世主を、肉の身で演じるのは特別な儀式における神話劇のみ。それも最高の役者だけに許される。
 たしかに三神救世主会合と、それに続くコウモリ神人の襲撃は神話と呼ぶにふさわしい壮大華麗な趣を備えていよう。
 だが最近の事例であるから、神官たちが神話を認定する暇も無いはずだ。

 弥生ちゃんに関してはすべての規定が定まらず、ほぼ野放し状態にある。
 

 舞台上には三神の救世主の姿が揃い、新たなる天河の計画が地上に記される口上が続く。
 もちろん史実通りではないが、ここら辺は神話劇の定石であるから文句を付ける者は居ない。ここで終らないのも誰もが知っている。
 コウモリ神人はいずこより現れるか。

 雷鳴を表わす銅鑼の音が響き、役者たちが階段を見上げるのに釣られ観客が皆注目する中、客席傍で給仕をする男が一人出し抜けに舞台によじ登る。
 あまりにも場違いな下郎の振舞いに異変が起ったかと訝しむが、華奢な男はそのまま黒い布を拡げ、身に纏う。
 簡素な、神の使いに対して礼を失するかの表現だが、彼の人がなんの虚飾も財物も欲しないと誰でもが知る。

 夜と眠りの守護者、諸々の怪物の産みの親、人類を大地に導いた黒冥蝠(バンボ)の化身、コウモリ神人だ。

 

 ここまでで既に10以上の演劇の戒律を破っている。もちろんカタツムリ神官単独で為し得る業ではない。
 デュータム点より送られて来た脚本がそもそも違反だらけであるが、石舞台と階段に関する戒律を無視する演出を指示したのは、イルドラ丹ベアムである。
 彼女の方針は至極単純。
 ギィール神族はしばしば地上の民の寿ぎに応じて、階段上で舞い踊る。その様式を援用したに過ぎないが、確かに画期的な舞台と化した。

 極め付けがこの後に続く場面で、コウモリ神人が変じた白衣の女怪と弥生ちゃんの激闘。「大怪獣空中戦」をそのまま階段上で再現する。
 観客、とくに褐甲角神兵は呆気に取られて口を開いたまま舞台を階段を見詰め続けた。

「これは、これはいかん。」
「ガモウヤヨイチャン様の御姿でこのようなあられもない、腿を見せつけるかの擬闘は許されるものではない。」
「風紀上、いやしかし、童であれば良いのか?」
「むしろコウモリ神人の御役があのような女人で、ガモウヤヨイチャン様を棒にてお叩きになるのを許してよいものか。」
「それ以前に、コウモリ神人の御役を巫女が男に化けてまた女に戻るなど、人を惑わすかの破廉恥な手品を、」

 戦闘シーンであるから仕方ないのだが、前半は弥生ちゃんが全身白い女の薙刀でぼこぼこ殴られ、後半は弥生ちゃんがカタナで女をぼこぼこにする。
 どちらも神の使いであるからここまでやらなくてもいいのにと思うが、脚本家が写実主義に傾く描写を試みているのだから致し方ない。
 ぼこぼこに叩かれた白い女はこれは堪らん、と一旦舞台を下り、今度は黒い翼のコウモリの怪物と化して襲い掛かる。
 だが怪物になっても形勢は変わらず少女にぼこぼこに殴られ、ついに階段を転げ落ちた。
 一般民衆が相手の公演であれば、観客総立ち大興奮の場面だ。

 怪物はよろよろと階段を登り頂点にて大きく両腕を開き黒き翼を拡げる。同時に焔が吹き上がり、銅鑼鉦太鼓の音が轟き渡る。
 階段下で大きくはためいていたピルマルレレコの旗が、旗持ちが倒れ舞台に突っ伏す。
 王旗が地面に倒れるなど言語道断、仮初めにもあってはならぬ不吉な演出だ。

 実際史実においてもコウモリ神人爆発の際、弥生ちゃんの王旗を掲げる旗持ちシュシュバランタは爆風に耐え立ち続けた。
 全身傷だらけ血塗れで、旗竿に寄り掛かり立ち尽すしかなかったのが真相であるが、それでも任務を全うする。
 救援に駆けつけた褐甲角金雷蜒両軍の士から、天晴武人の鑑なりと称讃された。

 それはともかく、王旗が倒れるほどの爆風の表現は絶大な威力を発揮し、弥生ちゃん役の少女が北の彼方に吹き飛ばされるのも無理なく納得させられる。

 再び舞台の上に神族神兵を表わす役者が戻り列を並べ、神聖王ゲバチューラウ武徳王カンヴィタルの象徴を前に
『青晶蜥神救世主は生きている。かならず方台に帰って来る』
と、声を揃えて宣言し、前半を終了する。

 

 しばし休憩。
 お菓子の時間だ。朝食を摂らずに訪れた者ばかりであるから、昼までの繋ぎに菓子の供応は有り難い。
 用意されたのは焼き菓子練り菓子に蟲餅の3種類。観劇者それぞれに小さなお盆に乗せて十二神の巫女が捧げて回る。

 またここでも酒が出る。今度は果物を発酵させて作られた「黄酒」と呼ばれる甘い酒だ。
 褐甲角神の聖蟲はカブトムシであるから、神兵も揃って甘いものが好き。なみなみと杯に注がれた黄酒は大歓迎される。
 またカブトムシ用に果物の切片も用意される。神兵の額の上でも宴が繰り広げられた。

 ほっと息抜きをする合間も、今の芝居の評がそこここで囁かれる。
 紅曙蛸女王テュクラッポの周囲の侍女も口々にアレがいいコレがいいと繰り返すが、当の女王はくすくすと笑い続けた。
 なにやら悪戯を企んでいるようだ。額の白いタコも手足を伸ばして踊っている。

 

 後半開始。
 劇の題名は『青晶蜥神救世主の埋葬』であるから、後半には弥生ちゃんを失った人たちの悲しみと絶望が描かれることになる。
 それに到るまでの描写が厭らしい。

 前半の「大怪獣空中戦」とうって変わって、心理劇の様相を呈す。
 人々は一度は神聖王武徳王の言葉に安堵するも、怪しげなる人物が跳梁跋扈し疑念を囁き、皆を不安に陥れて行く。
 背後にはさる筋の大物と言うべきか悪の帝王が鎮座して方台各地に指令を発し、弥生ちゃんの業績を貶め和平を否定し、民衆の希望の光を閉ざしてしまう。
 それは誰かと尋ねれば、なんとはなしに金翅幹元老員あるいはハジパイ王であるとも思われる。

 おもしろくない非常におもしろくない展開だ。

 弥生ちゃんにより倒されたコウモリ神人の仇を討つかに、舞台上にはコウモリ神官巫女の役が現れ着々と葬儀の準備を整えて行く。
 人々は抗う術も無く、流されるままに弥生ちゃんを葬る手伝いをさせられる。
 その度彼らは涙を流すが悪党の口車に反論する言葉も無く、現実的な対応処世として自ら手にする灯を吹き消した。
 後に残るのは漆黒の闇。暗幕に包まれ嘆き哀しむ声ばかり。

「させまいぞさせまいぞ。」

 舞台に踊り出るのは、青服角袖の色男。マキアリイに会釈したあの男だ。
 彼は野に有り人を煽った手法そのままに、舞台の上でも弥生ちゃんの無事帰還を訴える。
 捕方が集まり棒にて打ち掛かるが蝶の如くにひらりとかわし、ぱんとハリセン扇を開いてピルマルレレコの紋を示す。

 シャボン玉舞い散る舞台の上で、民衆はどちらの言葉を信じるべきか迷いに迷う。
 だがやはり、救いは天から差し伸べられる。

 

「そろそろかな?」

 イルドラ丹ベアムはゲジゲジの聖蟲の超感覚で舞台上の進行を確認した。そろそろ最終解決の場面であろう。

「待てイルドラ殿、どこに行く。」
 午餐の準備に忙しいカエル姫の言葉を尻目に、階段上の邸宅門前にととんと駆け登る。手には長弓と実戦用の矢を3本握る。
 ちなみにカエル姫はもっぱら御馳走の準備をし、丹ベアムは会場設営と芝居の演出を分担した。蝉蛾神官巫女が港で歌った拡声器も丹ベアムの作品だ。

 首を伸ばして舞台上を覗くと、こちらを見て観客が一様に驚く。
 役者でなく本物のギィール神族が姿を見せたからだ。しかも完全武装。
 額のゲジゲジも主と同様、傲然と身体を反らし二股の尻尾を振り上げる。

 何事、と神兵は腰を浮かすが、丹ベアムが黄金の弓をくるくると回すのにとりあえず落ち着きを見せる。これは休戦を呼び掛ける合図だ。

 弓にて指され促され、再び王旗ピルマルレレコが階段上に進み出た。
 旗に続く黒髪の少女は、今度はトカゲ巫女の衣装。救世主代行として青く輝く神剣を奉じる。もちろん作り物の長剣だ。
 彼女を呼び止め丹ベアムは、自らの腰に差す一振りの剣を右手で与える。
 小振りではあるが黄金作りの美麗な鞘を持つ、ギィール神族の御物だ。

 巨人の神姫の言うがままに、黒髪の少女は剣を抜く。
 たちまち太陽も凌ぐ霊光が辺り一面を青く染め上げた。

「あれは本物の、神剣!」

 くすくすとテュクラッポ女王は笑う。

 弥生ちゃんはタコリティに3本の神剣を残して行った。
 1本はヒィキタイタン自身の差料でギィール神族が鍛えた宝剣「王者の剣」。
 1本はハリセンの試し切り癒しに用いた警備兵の迷惑料にと渡し、巡り巡ってタコリティ最大の有力者フィギマス・ィレオの手に落ちついた「紅曙蛸女王従者の刀」。
 そして、弥生ちゃんがタコリティの武器商人ドワッダの店で最初に触った、ギィール神族の子供用の剣。紅曙蛸女王に献上されて「女王の剣」と呼ばれる。

 イローエント衛視局は前の2本は押収し、それぞれ「剣の巫女」を仕立てて厳重保管しているが、テュクラッポのものまでは手が出せない。
 悪戯好きの女王は深夜寝所を抜け出し、衛視局舎の神兵の眼を盗み、イローエントのあちらこちらを遊んで回る。
 理の当然灯に呼ばれる蛾のように、夜にまで及ぶ熱の籠った芝居の稽古をお忍びで見学し、不可視に化けた正体を丹ベアムに見破られた。

 しばらく遊んでいった女王は、『埋葬』の最後の場面で弥生ちゃんの神剣が登場すると知る。
 ここは本物を使うのが面白かろう、と自ら携える「女王の剣」を丹ベアムに預けて帰る。

 イルドラ丹ベアム、おもしろくないちっとも面白くない。
 極秘であるはずの神剣の受け渡しがいつの間にか外部に漏れ、先夜は何者かが奪いに来た。
 タコ女王なら無理でも、ギィール神族の小娘ならば可能と判断したのだろうか。実に腹が立つ。
 彼女は襲撃者を3名も槍にて突き殺し、狗番に密かに処理させた。聖戴者観劇会の前日にそのような事件があったなど知られては困る。
 実に腹が立つ。
 神剣の警備で自らまでも舞台に出なければならないではないか。弓も万が一の襲撃者を射殺す為だ。

 ピルマルレレコの王旗に本物の神剣の登場で、舞台上の思い悩む民衆は皆平伏し愚かな考えを捨て去った。
 『弥生ちゃんは必ず帰る。その証がこの旗この光だ。青晶蜥神の癒しの光が満ちる方台に幸いあれ。』

 少女の手からテュクラッポに神剣が戻されて、劇は終る。
 昼ご飯の時間だ。

          **********

 

 午餐はなんと2回も行われる。昼の部『大盗バゲマゲの昇天”改心の段”』を挟んで、それぞれに趣向の異なる料理が供される。
 昼に出るのは薬酒、「紫酒」と呼ばれるが薄く色が付いているだけだ。薬用植物を浸け込んで滋養強壮に効き、料理の味を妨げないすっきりした飲み口になる。

 観劇会の興を盛り上げる為に、宴も演出に凝らねばならない。
 石舞台上に紅曙蛸女王、ギィール神族、金翅幹元老員を招き、神兵はそのまま観客席で盆が捧げられる。

 10種の菜に7種の椀。量は少ないがいずれも材料を吟味した、一介の神兵がそうそう目にすることの無い珍味ばかりだ。
 しかも盛りつけ方が心憎い。華美な装飾を排して、褐甲角王国風に渋く決めている。
 それでいて華やかさ奥深さを感じさせる色彩の絶妙な配置。
 芸術においては自負する所の大きい金翅幹元老員も、自らの進むべき道を教えられ唸らざるを得ない。

 ただの神族ではやはり無理だ。三荊閣ミルト宗家で日頃宴席美食に慣れているカエル姫有ればこそ、これだけのものを作り得た。
 代価に2千金を費やすだけはある。

 タコ神官が和やかな楽を奏で巫女がゆったりと踊り、カエル巫女が神兵たちの間を回って酒を勧める。
 麗しい光景を蜘蛛神官が絵に留めんと筆を走らせた。
 聖戴者観劇会の様子は全方台に伝えられる。
 羨望を以って迎えられ、恐らくは各地でも同様の催し物が繰り広げられるであろう。

 テュクラッポは食を楽しみながら、ギィール神族と金翅幹元老員との間で芸術演劇についての対話を行う。
 難解なギィ聖音を巧みに用い教養深く歴史の理解も確かな幼き女王の智慧に、誰もがさすがと納得する。
 この娘は確かに一国を治めるにふさわしい器量を持っている。
 六代がこれなら、現在はデュータム点に逗留する五代テュラクラフ女王の威光はいかばかりか、恐怖すら覚えた。

 額に黄金の聖蟲を戴く者としては唯一人、ヒィキタイタンは神兵と同じく観客席で食べている。
 マキアリイにクワンパ、それに「紅曙蛸女王従者の刀」を預かる「剣の巫女」も一緒だ。
 彼女は若いトカゲ巫女であり、衛視局に許されて民衆に聖なる治癒を施している。市中に出る時は完全武装の神兵が2名クワアット兵20、民衆整理の邑兵100も付いて来る。

 マキアリイは言った。

「これは、返礼がおおごとだな。イローエント軍制局にはこれに応えるだけの財力は無いぞ。」
「心配は要らない。宴を催す前に俺がカプタニアに引き立てられていく。」
「それだがな、普通に歩いていくのか。テュクラッポ女王も付いて行くのだろう。」
「たぶんそのはずだ。止めても言うことを聞かんぞ。」
「いや、巨大なテュークに乗って街道を行くのだろうか。そうなれば大混乱必至だ。」
「うーん。」

 テュラクラフは森の中を炎で焼き尽くしながら巡幸した。「火栄渡り」と古代に呼ばれた道中だ。
 テュクラッポもテュークを自在に使役できる。確かに、そんな事をされてはカプタニア大炎上だ。

 ヒィキタイタンは宙を眺めて無責任に言う。時々この漢は無思慮をしでかすから、困る。
「まあなんとかなるだろう。小さめのテュークに乗るように言っておこう。」

 

 会場の外では民衆に対しての施しが行われる。貧しきも豊かな者も押し寄せて、観劇会の余禄に預かろうとする。
 人々のお目当ては、宴席で必ず振る舞われる酒と食事。それが方台のお祭りの定番だ。

 肉卵乳酪等普段目にしない御馳走が並ぶが、星の世界からもたらされたと伝わる「紐のような食品」が一番人気、人がずらりと並ぶ。
 と言っても「麺を打つ」技術情報はイローエントにまで伝わっていない。カエル姫と丹ベアムは頭をひねって独自の製法を編み出した。
 ジョクリ(かたくり草)の粉を練って、ところてん式に木箱から金網を通して押し出す技法を開発する。湯に潜らせ葛切りのようなものを作り、椀にすくって人々に与えた。
 汁の味付けも民衆が予想もしない端麗さで、これがギィール神族の食であるかと改めて憧憬を抱かせる。
 ゲルタではなく、材料を奢って大ゲルタの燻製を出汁に用いたのが勝因だ。
 カエル姫正直に言って、宴席の聖戴者がこれを食さぬのは残念に思う。

 子供たちにはお菓子も与えられる。焼き菓子と芋飴をネズミ巫女が配っている。
 宴席で出たものより数等落ちるが、そこらへんの駄菓子とは雲泥の差。そもそも蜂蜜などの甘味料は庶民の手に届かぬ高価さだ。
 子供から取り上げて自分で食べる親も居て、会場整理の神官戦士に杖でぽこりと殴られた。

 蜘蛛神殿のおみくじも会場で焼いて販売される。ジョクリ粉製で食べても美味しいおみくじだが、これはもっぱらお土産に使われる。
 抜け目の無いことに記念品もちゃんと作って売り出された。既存の商品にぴるまるれれこの顔を突貫で描いて用意する。
 金の有る者は御喜捨と考え、喜んで大量に買って行く。近所に配って、聖戴者観劇会の傍まで行った自慢をするのだ。
 収益金は十二神神殿の奉仕活動に当てられ民衆に還元される。

 さらに、貧しい人に塩ゲルタの包みが施された。
 塩がちゃんと付いたゲルタ1包があれば、家族5人で10日以上暮らせる。その場限りの御馳走よりよほどの価値が有る。
 暴動と戦争で良いことがまるで無かった人々にようやく差し込んだ薄日と言えよう。
 無論これは、褐甲角王国の支配を揺るがすギィール神族側の陰湿な攻撃とも認められる。
 イローエント衛視局、難民管理部局は財政困窮の中難民支援を強化せざるを得ない。大迷惑だ。

 これら民衆に対する施与の勘定は、カエル姫ミルト家及びイルドラ家の一切預かり知らぬ所。
 他の神族と西王国が負担するとの確約を取り付けたので、目一杯大盤振る舞いしている。
 三荊閣基準の大盤振る舞いだ、彼らは後にほぞを噛む。

 

 宴席の片付け掃除が終り、昼の部『大盗バゲマゲの昇天』が演じられる。

 『バゲマゲ』は説教劇に分類される。文字どおりに天河十二神の力で悪人が改心したり心傷付いた人が癒される教訓めいたお話だ。
 だが大人気である。
 要するに最後の一瞬だけ神官なりが出て来て「神の御業は偉大なり」とか唱えれば、どんな題材でも許される。
 およそ人間社会で起こり得る厄介事、愛欲嫉妬に不義不貞不仲、悪徳偽善掌返し。傷害殺人放火強盗窃盗詐欺恐喝強姦拷問、なんでも有り。
 政治絡みでなければ、昼間のワイドショー的な内容がかなり自由に描けるのだ。厳しい検閲を潜り抜ければ、だが。

 一瞬の人気を博しても多くは速やかに忘れ去られる。時事ネタだから再演されることも無い。
 年月を経て紐解かれるのは、やはり内容に深みを持ち普遍的な感動で人の心を揺り動かす作品のみ。
 『バゲマゲ』はその中でも最も人気があり数多の名優によって演じられ、庶人が台詞を諳じるほど親しまれるものとなった。

 基本この話は3つの場面から成る。
 弥生ちゃんが用意したゲバチューラウ歓迎準備のお宝を強奪しようとして己が罪に気付き改心する場面。
 ペギィルゲイル村に出頭して、一村守護神兵ジンハの尋問を受ける場面。
 ゲバチューラウの神餌人と決まり、ゲイルに呑み込まれて絶命する場面。

 「ゲジゲジ乙女団」はそれぞれに演劇団を率いて各地に散ったが、主人公バゲマゲを演じた3人の名優が互いに別の場面を得意とし演出に工夫を凝らし、後に併せて完成を見る。
 イローエントにて演じる大神官ファミルコンは、第一の場面”改心”に重点を置いた。

 残忍非道の兇賊”薮隠れのバゲマゲ”は手下を率いて、弥生ちゃんが遣わせた建軍準備委員会の一行を襲う。
 目も眩む宝物の数々を労せずして手に入れたバゲマゲは、これらは一体何の用かと尋ねる。
 答えて、神聖王ゲバチューラウが千年の和平を求めて褐甲角王国に入る歓迎準備の御為。弥生ちゃんは信者から寄付された財宝をそっくり丸ごと提供し、素寒貧になる。
 救世主が丸裸になって物取り盗賊が丸儲け。さすがにバゲマゲもバツが悪い。
 手下に命じて財宝運ぶ手伝いをさせ、自身もそれほど大きくないつづらを抱えようとして、持ち上がらない。
 重いのか、いやそうじゃない。歳なのか、いやまだまだ元気はつらつだ。
 ではどうしてお宝が持ち上がらない?

 バゲマゲ何度も抱え上げ肩に担いで歩こうが、あっちにフラフラこっちにクラリ。どうして直ぐに歩けない。
 いかなる仕儀と思案するに、建軍準備委員会の士は「汝に資格有りや」と問い返す。
 資格も何もお宝を運ぶに力以外のなにが要る。再びつづらを持ち上げるが、今度はテコでも動かない。
 う〜んううんと脂汗流し必死になって身を沈め、つづらの下に潜り込み、渾身の力でえいやと跳ね上げ、さあどうだ!
 だが財宝の行列は進む。バゲマゲ一歩も動けない。何かおかしいどうしてだ。
 封印破ってつづらの内を確かめれば、あろうことか山蛾の絹の女人の薄衣。羽より軽くひらひらと、凶賊の肩に降りて来る。
 馬鹿にするなと引き裂かんと、宙に舞う衣追い掛ける。両の手を掛け満身の力を込めて左右に、むん!
 だが手下の盗賊が台詞 「親ぶん、そいつぁならね。ガモウヤヨイチャンさまのお召し物だ」

 バゲマゲはっと思い至る。
 裂けぬのでない、担げぬでない。自らの身体がためらうのだ。
 無実の人の血に塗れ真っ黒咎に染まるこの俺の手が、世にも尊い救世主さまの御物を抱いて良いものか。
 再び衣を風にそよがせ、「ああ綺麗だな美しいな。このべべ誰が袖通すのだろか。聖上様の御女中か」と、ひらりひらりと舞い踊る。
 はたと手を打ち頭を殴り、「なんだそうか」と納得する。
 荷が重いわけじゃない罪が重い、己が身に担いだ穢れが重い。否、呪われしこの身が重い。
 「死にとうない」「堪忍しとくれ」と泣き哀願する旅人を、蟻でも潰すかに殺めて来た。奪った命が万石の重さで肩にのしかかる。

 上体裸に脱ぎ捨てて、空荷を担いでふうらふら。「去ね去ね」と行列に追われるも、あっちにぶつかりこっちで転び、ぼろぼろになって付いて来る。
 だが俺も”薮隠れ”と呼ばれし天下の大罪御尋ね者。憚ること無き極悪人だあ。
 誰の許しが要るものか、死ねばあの世が天河の原でカニ鋏にてぎっちょんと首を刎ねられ晒される。長机の指定席が今からちゃんと取ってある。
 悔い改めてなんとする。この罰当たりのさだめが変わるか。変わってよいか、ええ変わらせてなるまいぞ。それが正義と呼ぶものじゃ。

 ふらりふらりと村に到着。このまま進めば巡邏兵卒の虜となる。神兵大剣の錆とされる。
 「逃げよ」と情けなく尻に帆掛けて走らんとするも、今度は脚が動かない。ガニ股抜き差し進まない。
 えいどうした腐れ足よ。お前は胴が首から離れて嬉しいか、頭蓋が縦に真っ二つが楽しいか。
 「まっぷたつーまっぷたつぅ」と経文みたいに唱えると、村の子供もまっぷたつーと返して来る。
 おおそうだ、どうせ死ぬならまっぷたつ。神兵剛力無双の剣で真っ二つに裂かれたら、カニ神も首を刎ねるに苦労する。
 よし決めた、と村を護りし神兵ジンハの前に歩み出れば、どうしたことか脚はすんなり進み行く。
 足よおめえもまっぷたつが好きか、そうだなおめえはハナからまっぷたつだあな。

 

 ここまでで大体1時間。昼の部としてはちょうどいい長さで、一応の終わりとする。
 この後神兵ジンハの尋問にバゲマゲ侠気を見せる場面、ゲイルの口に吸い込まれて「ばりばり、ばありばり。こいつぁ痛ぇやはあはあは」と死んで行く所もちゃんとあるが、割愛する。

 午餐第2部は紅曙蛸女王ギィール神族金翅幹元老員は階段上の邸宅でもてなされ、舞台周辺は神兵だけとなった。ヒィキタイタン達も女王に付いて行く。
 今度は料理の出し方も違う。第1部が芸術的に禁欲的に神事らしく進められたのに対し、食べ放題飲み放題となる。
 九真の酒も肉も餅も、担ぎ切れぬほどに持ち込まれた。塩もカプタの粉も掛け放題だ。
 神兵は肩の荷を下ろしたかに寛ぎ、思い思いに集まって好きなものを食べながら、先程の芝居の評を語る。酒が自由に酌めるから、より熱が入った。

「『バゲマゲ』は、なるほど稀代の傑作となるやもしれぬな。」
「説教話とはいえ、神官も聖戴者も出て来ない。奇蹟が起きるわけでもない。にも関わらずあれほどの兇賊を感化するとは。」
「役を演じたファミルコン、さすがは王都で一番とされる名優だ。悪党でありながら救世主の威光の一端に触れ改心する内面を、あれほど鮮明に表現できるものかな。」
「私はひとつ気に入らない点が有る。この芝居、巫女がひとりも出なかった。」
「言われてみれば男だけだな。説教話では珍しい。」
「それでか。私はこの芝居大変に気に入ったぞ。昨今は女に媚びる劇が増えて、眼の穢れとなる不道徳な話が多い。」
「話の続きは、バゲマゲが神兵の取り調べを受け、ゲバチューラウのゲイルに食われて罪を償うという。見たいものだな。」
「蟲餌人の話は金雷蜒王国では多いが、褐甲角王国を舞台とするのはこれが初ではなかろうか。」
「狗番や蝉蛾巫女がゲイルに命を捧げて神族を救うのが定石であるが、バゲマゲはそんな殊勝な奴ではあるまい。」
「罪を償うのではなかろう。自らの人生に決着をつける、その覚悟を表現するのだ。おそらくは。」

「!! 諸士よ、見たまえ。」

 山のように持ち込まれる御馳走にもう食べきれぬと断った神兵だが、最後に会場に持ち込まれた子鹿を見て前言撤回。
 飴色に蕩ける半透明の肉、姿は生きていたそのままで脚を折って座り、今にも親を求めて跳ね回りそうだ。
 眼球までもが透けており陽の光を内部で屈折させ、輝いた。

「まさか伝説の吐蝋肉か…。」
「初めて見た。実在したのだな。」
「ギィール神族はこのようなものを宴に饗するのか…。」

 料理人が現れ紅曙蛸女王の勅許を示し、包丁にて右の腿を切り離す。骨は無いかにぷっつりと裂け、断面が濡れる艶を放つ。
 この右後ろ足が邸宅にて宴席を設ける女王以下の取り分で、残りはすべて神兵に下される。
 とはいえそこは聖戴者。我先にと奪い合ったりはしない。列を作って一人ひとりが小刀にて僅かを切り取り、下がって行く。
 これほどの珍味に巡り合うのは、おそらく今生でこの一度であろう。有り難く押し戴いて食する。

「……、今日のこの日の我が舌を、このまま記念に切り取って保管しておきたい…。」

 200人掛かりで子鹿をそっくり何も残さず食べてしまった。

          **********

 

 午後の部。観客席に着いた聖戴者は、再び酒を献じられる。
 「黒酒」、毒蟲を漬け込んだ薬酒だ。滋養強壮精力増進、精神を賦活する作用を持つ。
 酒と肉をたらふく食い瞼も下がって来た頃合いには、苦味は丁度良い目覚ましだ。

 

 『ゲバチューラウの求婚』、メロドラマ。皆そう知らされ納得する。
 そもそもが「ゲジゲジ乙女団」の活動目的は、神聖王ゲバチューラウと現在は青晶蜥神救世主代行を務めるキルストル姫アィイーガの婚姻を広め、褐甲角武徳王カンヴィタルに祝福を求める事にある。
 褐甲角(クワアット)神は契約と結婚を司り、神殿は結婚届けの受理と公証人を主目的とする。
 そのカブトムシ神の救世主に、ゲジゲジ神の救世主の結婚を仲立ちしてもらい祝福を受ける。
 天下万民平和の願いを実現するのに、これ以上の術があるだろうか。

 障害はもちろん様々に有る。一つずつを解決するのになにより必要なのが、褐甲角王国一般民衆の支持。賢人官僚宮廷人、黒甲枝の理解を取り付けねばならない。
 「ゲジゲジ乙女団」は方台恒久平和の為に日夜闘い続けるのであった。

 であるから、「ゲバチューラウの求婚」はまっとうなメロドラマだと誰もが考えるし期待する。
 脚本を書いた奴の人と為りを知らないから、そう楽観出来るのだ。
 もちろん最初は、まっとうなメロドラマとして展開する。

「…ううん、やはり、悪役はカプタニアの大人か…。」

 この話には弥生ちゃんは登場しない。コウモリ神人に吹き飛ばされ北の針葉樹林帯を彷徨ってる最中だから、仕方ない。
 しかしながら影が無いわけでもない。

 本編主人公アィイーガは、由来はよく知れない『ツンデレ』なる性格を備えている。
 ゲバチューラウの心の籠った贈り物をことごとく突き返し、なにやら不可解な判じ物を送って来る。
 求愛劇の常套手段とはいえ、さすがに神聖王ともなれば謎も空前のややこしさ。ゲバチューラル苦心惨憺して解いて行く。

 そもそもがこの結婚は色濃く政治的意味合いがあるのだから、すんなり結びついては面白くもなんとも無い。
 弥生ちゃんが示す方台新秩序にあって、東金雷蜒王国がどのような道を歩むか。神聖首都ギジジットはいかなる存在となるか。
 金雷蜒王国の奴隷と褐甲角王国の民衆とにどのような未来が訪れるか。
 そんな所を民衆に教育する目的も、この劇は負っている。
 判じ物の答えは体の良い時事解説である。

 ゲバチューラウの謎解きは和平を進める外交交渉そのもので、険しい山をアィイーガのきらりと光る智慧によって乗り越え、新たな世紀を迎える筋書きだ。
 御期待に応えて、やっぱり悪党が用意される。
 誰とは言わぬし固有名詞も使わないがどう見てもカプタニアの、それもハジパイ王ではなかろうかと思われる老爺が裏で糸を引く。
 手先となる黄金の甲冑を纏う戦士がこれまた意地悪ばかりをする。黄金甲冑が許されるのは、褐甲角王国では金翅幹元老員しか無い。

 つまりは褐甲角王国上層部が武徳王の意見も聞かずに、ゲバチューラウ和平の道のりをことごとく邪魔する様子が描かれる。
 神兵たちは怒りを覚えるよりも先に、同じ会場に居る金翅幹元老員を振り返る。

 当の元老員は、劇中の裏工作が当らずといえども遠からじの鋭い洞察を見せるのに、内心冷や汗を流していた。
 この劇を書いた人物は政治の中枢のごく近いところに在り、ほぼ無制限の情報の開示を受けている。
 透徹する分析力は只者とは思えない。外交あるいは衛視の長、国家第一級の賢人の目である。

 後世においても『_の求婚』は歴史的一級資料として高く評価された。メロドラマではなく、政治謀略劇としてだ。
 表の記録には残されない陰湿な政治工作がリアルに、当事者の眼で描かれる。
 専門の研究者も生まれるが、彼らは作者をギィール神族の一人、神殿都市ウラタンギジトのガトファンバル神祭王に仕える神族廷臣と推定する。
 だがその人物が直接書いたとするのにも疑念が残る。

 脚本は状況の変化に敏感に反応し驚くほどの早さで修正され、雷光の速度で方台全土に伝搬されたと伝わるからだ。
 当時の有力者や知識人の日記には、芝居が見る度に筋が違う、どんどん進展してまったく眼が離せない、と書かれている。
 一番の変更点は、第23代武徳王カンヴィタル洋カムパシアラン・ソヴァクの負傷の記述だ。

 或る時まではまったくに描かれていなかった武徳王が、急に姿を見せたかと思うとすぐに引っ込み、彼の不在に褐甲角側が右往左往する様子が描かれる。
 裏工作の方針が度々変更され場当たり的な対応になるのも、この下りからだ。
 後世の史学者は、この時機に武徳王が襲撃され重傷を負ったと知る。だから記述の変化が如何なる背景を持つか、鮮明に理解できた。

 もちろん当時は褐甲角王国により厳重に秘匿された情報だ。それをを入手出来るのだから、神聖王神祭王の側の筆とは思えない。
 では誰が?

 誰も、胸がぺったんこの一介のカタツムリ巫女の仕業とは考えない。ファンファメラの名は歴史には残らなかった。

 

 一番いいところで、休憩。

 ほっと息を吐き、これ以上の芝居の進行を許してよいものか思案する神兵、金翅幹元老員。
 対して紅曙蛸女王やギィール神族は涼しい顔を並べている。
 いや、思った以上に面白い。デュータム点のキルストル殿は良い脚本家を手に入れられたと絶賛する。

 カエル巫女が捧げてきた割と大きめの盃は、九真の酒に似て透明だが匂いがかなり違う。
 頭の上のゲジゲジが成分分析を行い、神族に飲まない方がよいと警告を発する。
 アルコール度数75、蒸留酒「火精」だ。
 ギィール神族のみがまともな蒸溜の方法を知る。彼らは飲用に用いたりはしない。もっぱら燃料に、飛噴槍の推進剤に使う。

 エチルアルコールだから飲んで悪いわけでもない。それに神事で出された酒は無理にでも飲むのが仕来り。
 神兵も鼻を近づけ舌で舐め、躊躇した挙げ句に意を決して飲み干した。
 くらっと来る。これは悪戯だ。

 観劇会の準備にこき使われ金まで出させ、裏方に回りお芝居が見られず御馳走にもありつけず、吐蝋肉も食いそびれたカエル姫イルドラ姫の、せめてもの復讐だ。

 喉から胸から胃に到るまで火に灼かれるまま、後半戦に突入する。
 ちなみにお芝居がはねた後は、晩の宴会は用意していない。解散だ。陽が落ちればお芝居も終る。
 神兵に持たせるお土産はちゃんと用意した。抜かり無し。

 

 前半と変わって、工作者たちは実力行使に踏み切った。
 武力にてゲバチューラウを恫喝し褐甲角領から叩き出す作戦だ。和平は頓挫し、弥生ちゃんが進める天河の計画に公然と反する。

 ここで極めて重要な人物が改めて登場。
 メグリアル王女 劫アランサ。空中飛翔者にして最も弥生ちゃんに近き者、次の青晶蜥神救世主とも目される。
 現在は赤甲梢の神兵を率いて、ゲバチューラウが滞在するペギィルゲイル村を護っている。

 彼女に対しても通達が下された。赤甲梢の護りを解いて、ゲバチューラウを毒地の草原に追い出せと言う。
 ただしこの通達文はどこから発せられたものか分からない。正規の文書には違いないが、中央軍制局が出所ではない。

 王女は悩む。弥生ちゃんの薫陶厚い彼女は、方台和平と新秩序の建設に身命を捧げる覚悟である。武徳王も同じ意見と思い、赤甲梢を率いて来た。
 だがこれは陛下の命令ではない。法的に整ってはいるが、裏が読み切れない。
 このような時に相談すべきは、前の赤甲梢総裁 キスァブル・メグリアル焔アウンサ王女。アランサの叔母に当る。
 赤甲梢と共に東金雷蜒領を横断し首都島ギジシップに渡りゲバチューラウを和平の場に引きずり出した英雄姫だ。

 叔母はこれもまた命令によってカプタニアに呼び出されている。赤甲梢総裁の職をアランサに譲り、わずかの供回りで王都に向かう。
 だが今や音信不通。連絡が届かない。
 不安に押し潰されるアランサ。まるで村ごと袋に包まれたようで、外部の状況がまったく掴めない。
 命令通達は昼夜問わず飛び込んで来る。その指示は二転三転してどれが本物か分からない。いやすべてが本物であるのだが、裏に潜む人物が違うと透けて見える。

 遂には村にてゲバチューラウを暗殺する試みまでもが伝えられる。アランサには、事の一切が終るまで眼をつぶれと命じていた。
 これを許してはガモウヤヨイチャン様に顔向けが出来ない。アランサは自ら兵を率いて暗殺者を排除する。
 しかし、今度はアランサ自身が叔母と同様にカプタニアに召喚される。武徳王の居るガンガランガの大本営でなく、だ。

 進退に窮したアランサは甘言に乗せられ、いや自ら乗ってペギィルゲイル村を後にする。
 軍務を捨てゲバチューラウを捨て、弥生ちゃんの理想からも背を向け、唯一人ボウダン街道を彷徨い歩く。最早何が正義で悪なのか、彼女には見極められない。
 とある街。人の声の集まる広場に、王女はふらふらと吸い寄せられて行く。
 そこには青服の男が居た。ハリセン扇子を開きピルマルレレコの絵を見せて、人に弥生ちゃんの降臨御業績を面白おかしく伝えている。
 列の前に押し出されたアランサは、うつけの如く目も空ろ。人の言葉も届かない。

 青服からりと衣を脱ぎ捨て、獣の毛皮を身に纏い大きな段平携えた山賊姿に変化する。
 新たに始る芝居の題は、『バゲマゲ』。

「まっぷたつーまっぷたつぅ」

 なんの奇蹟も必要とせず自ら改心大悟に到る無学文盲兇賊の姿に、アランサ自らの情けなさを思い知る、涙する。
 我は弥生ちゃんの傍に誰より長く在りながら、この体たらく。人としてこれほど恥ずかしい者も他にはあるまい。

 再び青服に着替え四角い袖を大きく拡げた男は、恐れながらとアランサに耳打ちする。
 「神聖王の危難を知ったキルストル様がデュータム点を出座なされ、単身こちらに向かっている。聖上を害せぬと知った輩は、今度は神姫を亡き者とする。」
 はっと顔を上げるが、既に男はどこにも居ない。
 てんでばらばらに通りを歩く人の波。その直中に、また一つ凶報が伝えられる。

「ミンドレアで、王国中心近くにてあのアウンサ様が、方台和平の立役者が暗殺された。剣にて胸を抉られた」

 最早頼れる者はどこにも無い。我が身一人で立たねばならぬ。
 アランサ決意に顔を上げ、メグリアル王家に累代伝わる降魔の利剣を握り締め、赤甲梢の元へと返す。
 その道すがらで聞く話に、「キルストルの身を案じて集ったガモウヤヨイチャンの信者が、兵に襲われる。これで和平も露と消えたがあはあは。」
 神兵神族の殺し合い権力争いならば、口も出すまい。だが無辜の民衆を犠牲にして我が意を貫くとは、それで褐甲角神の使徒と呼べるか。

 アランサきっと眦を決し、すらりと剣を引き抜いて、自ら封じた武徳王より戒められた褐甲角の神威霊験「空中飛翔」を解禁する。
 あれよと見上げる人の顔。
 向かうは西、キルストル姫アィイーガの行列だ。

 卑劣にも敵は金雷蜒の軍の扮装をして、弥生ちゃんの信者を襲わんとする。アィイーガの楯となる民衆を兇悪に取り囲む。
 伸びる刃先が善良勇気の人の喉にぐさりと刺さるその刹那、天より救いが現れた。
 千年の大義無償の奉仕に身を殉じる褐甲角神救世主が末孫メグリアル王家の三の姫、劫アランサ見参。

 アランサ振るう利剣の光に、応える大地の声が有る。
 見よ東から立ち上る土煙。あれこそは赤甲梢が誇る兎竜の騎兵隊だ。
 これは堪らぬと悪党共の軍勢は蜘蛛の子散らして逃げ去った。

 対面するアランサとアィイーガ。二人は共に弥生ちゃんの傍にあり、救世の大業を助ける仲間。
 アィイーガは礼の代りに王女に言った。

 「劫アランサ殿、それは謀叛じゃ。」

 

「なに謀叛?!」
「いや待て、そもそも何故にクワアット兵が敵兵の姿に身をやつし、悪を働く?」
「事実なのか、これに描かれるは真実なのか。それをまずは明らかにしろ。」

 神兵既に酔っぱらいの集団である。火精の威力は凄まじい。
 芝居の終わりを告げる歌の前に、一人の神兵が客席を抜け舞台に駆け上がる。慌てて左右の神兵が抑えに飛び出し、騒ぎを大きくする。
 もはや礼儀もへったくれも無い、聖戴者の節度もかなぐり捨てての大立ち回りだ。

 巫女侍女女優は七色の衣を振り乱して逃げ惑い、聖蟲の羽音がわんわんと会場中に響き渡る。
 紅曙蛸女王テュクラッポのけたけた笑う声が耳につく。

 西金雷蜒王国の代表 王妹シィス・ドゥンは、先ほど挨拶をして知り合ったソグヴィタル王 範ヒィキタイタンに振り返り、言葉を交わす。

「これは、御身以外に鎮められる者はおるまい。」
「いや、なんですか。暴れられる時には大いに騒ぐのが結構。神族の方々に不埒を働く者があれば、私が殴り倒して御覧に入れましょう。」
「そなたも酔っておるな。」

 

 観劇会に参加した神兵の多くが後に同盟を結成し、弥生ちゃんが進める方台分割支配体制に反旗を翻し、「ジョグジョ薔薇の乱」へと繋がって行く。
 彼らは自らの運命を知らない。
 劇中にて演じられるメグリアル王女 劫アランサと同じ矛盾に自らも立たされるとは、この時は誰も想像しなかった。

 ただ今は、大暴れ。

                                          (劇場中継を終ります。)

 

【メグリアル神衛士】

 聖山街道、神聖神殿都市に到る北の巡礼路を挟み向かい合う形で、金雷蜒(ギィール)神と褐甲角(クワアット)神の神殿都市が有る。
 東はウラタンギジト、東西金雷蜒王国の共有財産で褐甲角王国と外交交渉を行う協議地としての役割も果たす。
 対して西にはエイタンカプト、メグリアル王家の居城がある。

 街道は褐甲角王国領にあるから、メグリアル王は街道守護の役目を担う。
 方台全土からの巡礼者や神官巫女の安全確保、神聖神殿都市への寄付金財物の護衛、ウラタンギジト外に出た金雷蜒王国臣民やギィール神族の警護。
 神族は外交使でもあり、ゲイルに騎乗するから中々に扱いが難しい。

 また聖山街道は盗賊がやたら多いので有名だ。
 ここの盗賊は土地柄が貧しい故に農民が食を求めてやむを得ず転じたもので、本来敬虔な十二神信者だ。強盗はしても非道はせずと伝わる。
 巡礼も彼らに財を盗られるのを神への喜捨とも考えるくらいで、取締まりにも慈悲の心が要求される。単純な正義漢では役を果たせない。

 

 メグリアル神衛士はメグリアル王の直接の指揮下にあって、神聖秩序を護るのを使命とする。
 定数は20と少ないが、彼らは半ば外交使も兼ねた。
 高度な政治的判断を要求される場面に投入され、場合によってはゲイルに乗る神族を守ることさえある。

 他に、エイタンカプト防衛隊として10名の神兵が、また神聖神殿都市にも若干名駐屯し、メグリアル王に従う。
 こちらは純然たる軍の所属で、クワアット兵を率いて主に民衆を規制する。

 メグリアル神衛士は直接にはゲイル騎兵とは戦わない。戦ってはならないのが役目だ。
 故に装備も思い切って簡略化される。対ゲイル兵装を用いない。
 甲冑も、なんと普通のクワアット兵と同じものを用いていた。外見上寸分の違いも無い。

 擬装である。クワアット兵に化けているのだ。

 巡礼路には多数の一般人があり、様々な階層の者が寒さに震えながら必死で聖山に登る。
 彼らの目的はもちろん天河十二神の神殿への参詣だが、尊いというのなら聖蟲は十分に貴重な、天河の神が直接に地上に恵みを垂れている証明である。
 道端で聖戴者に出くわせば大地にひれ伏し額づき拝む。
 当然の礼であり、聖蟲を直視すると目が潰れるとの俗信も有る。神兵としても拒むわけにはいかない。

 神衛士の役目上それは不都合が多い。行動の自由を得る為にクワアット兵の甲冑を纏い、額の聖蟲を隠すわけだ。

 ただし、神兵としての強力な武器も携える。
 クワアット兵近接格闘戦装備では、左腕に小楯を装着する。これと同じ形のものを神衛士は常備する。
 只の楯ではない。全鋼製で重量も14キログラム。防御力は最強で、大剣や斧戈、強弩さえも防ぐ事が出来る。
 さらには神兵の怪力で投擲すれば100メートルを越え、直撃すれば人間なら即死、ゲイルにさえ損傷を与える。

 メグリアル神衛士の紋章は数字、麗々しく”十二”と描いている。もちろん「天河十二神」を表わすものだ。

 

 メグリアル神衛士となる資格は、神兵および金翅幹家出身者、クワアット兵で抜群の勲功が有り聖戴の栄誉を賜った者、となる。
 要するに、聖蟲が載ってれば誰でもいい。聖蟲の色も問わない。
 カプタニア神衛士では、黒甲枝出身者で聖戴権を持たない者、褐甲角(クワアット)神への信仰篤く盲目的に滅私の貢献が出来る者、であるからかなり違う。

 平均在任期間は9年強。6年程度が多く、20年の定年まで勤める者は少ない。
 メグリアル神衛士の志願者共通の動機は、「ギィール神族とは何者であるかを知りたい」である。
 願いがとりあえず叶い納得するのが、6年位ということだ。

 外交使として働く為にギィール神族に慣れておこう、と考える者も居る。在任中人脈を作っておくのは、後の出世に必ず役立つだろう。
 またギィール神族と信仰について語ろうと考える者も有る。金雷蜒神祭王の下に集う神族は、やはり信仰に理解が深い。

 様々な動機で集まるメグリアル神衛士には、個性の強い人が多かった。
 彼らは活発に動き回り、ウラタンギジトのギィール神族や官吏と知己になり、様々な形で繋がって行く。
 このネットワークの活用こそが、メグリアル王家真の財産だ。

 

 ちなみに褐甲角神殿都市エイタンカプトは、都市とは名ばかりのただの村である。
 メグリアル王家の居館と軍の施設は有るが、畑があって廷臣や兵士が耕し作物を育てている。場合によっては神兵やメグリアル王族までもが野良仕事に出る。
 街道沿いの民衆は皆貧しく食物にさえ事欠く状況だ。王族だからと贅沢を楽しむわけにはいかない。
 いや、民衆と同じ苦難を共有するのを喜びと為し、質素を旨とし貧乏を誇りともする。

 無論例外も有り、前赤甲梢総裁つまりは現メグリアル王 慎ライソンの妹 焔アウンサ王女などは派手好きで金遣いが荒かった。
 が、自分で金策を行い使う分には咎めるわけにもいくまい。

 

【蒲生弥生という人は】

 蒲生弥生という人が迷惑この上ない存在であると気付く者は、方台にはなかなか居ない。
 功罪半ばと予測する慧眼の士は数多有るのだが、彼らにしてもではどこで害が出るのか、理解していない。
 むしろ一般人は害となる影響をこそ求めているとさえ言える。

 閉塞した歴史状況を転換し新たな時代を拓くのは、理性ではなく熱狂だ。幻想だ。
 踊る阿呆に見る阿呆。世の為人の為に粉骨砕身全力全霊で獅子奮迅に働く小さな救世主が巻き起こす感動の渦に飛び込むのは、逆に賢い選択なのだろう。
 千載一遇の奇蹟に立ち合い、方台の民は今至福の内に有る。

 とはいうものの、やっぱり迷惑な人なのだ。

 

 弥生ちゃんの救世主としての方針は簡単明瞭。
 方台の人間の自主的な進歩を邪魔しないよう、極力近代科学文明を持ち込まないのを心掛けている。
 またそれは無理だ。

 救世主マニュアル本とも呼ぶべき、地球における友人八段まゆ子のSF・ファンタジー系ネタ帳にも、不可能に近いと考察されている。

 異世界・過去世界への降臨モノの嚆矢とされる、マーク・トウェイン作『アーサー王宮廷のコネチカット・ヤンキー』。
 この主人公は現在(21世紀初頭)の技術者ではない。何も無い未開社会に赴いて文明をひねり出す植民地時代の哲学に従って教育されている。
 高度な大量生産体制にバックアップされる消費者ではないのだ。
 だが彼にしても鉱業にまで手を伸ばすのは難しい。素材、特に十分な量の鉄の調達には時間が掛る。

 弥生ちゃんも一応は試算をしてみた。
 実用に耐える十分強力な蒸気機関をこしらえるのに、どれほどの量の鉄が必要か。工作実習として、ほとんど模型的なものを構想した。
 だいたい2トン以上の鉄が使われる。
 これより小さいものはデモンストレーションとして仕事をさせるのに非力だし、また工作精度が厳しくなる。

 機械と素材と加工技術には密接な相関関係がある。どれか一つが突出したりしない。
 自動機械なんて作ったことの無い方台の技術者が実現するには、扱い易い大きさと蒸気漏れを許す緩い精度でなければいけない。

 2トンの鉄といえば、換算するとクワアット兵一個中隊を武装する量に匹敵する。小隊25名として6個150名、これらの装備を整えるのに十分な鉄だ。
 だいたいからして十二神方台系は鉄の使用量が少ないし用途も限られる。ほとんどが武器や工具に用いられ、農具には使わない。釘なんか見た事も無い。
 つまり「鉄をかき集めて来い」と命じると、手近に有る武器を持って来てしまう。

 剣や鎧は鋼鉄製だから只の鉄とはまた違うのだが、一人あたり材料費だけで20金になると聞いた。
 計算するに2トンの鉄で3千金、日本円換算で3億円と来る。いかに救世主といえども、おもちゃで使うにはあまりに高価だ。

 しかもこれでは機械を作れない。一度溶かして鉄を均質化しなければならない。
 部品を作るのも一苦労だ。褐甲角王国では鍛造が主で、巨大な鋳造品を作る能力が無い。いや鋳鉄を作る高温熱源を持たない。
 圧延鋼板など論外。蒸気圧を受け止める大きく厚い鉄板自体が作れない。

 また作ったところで移動が出来ない。
 2トンの機械を丸ごと運ぶのは最初から無理としても、部材だけでも100キログラムを越えてしまう。
 運河を通る舟を使えれば幸いだが、陸地では荷車もろくに走れない。主要街道以外道の整備も進んでいない。
 方台には牛馬のような便利な家畜が居ないから、車の使用がまったく発達しなかった。

 とまあそういうわけで、蒸気機関車の試作は諦めた。人間が押すトロッコ鉄道も、線路の鉄の確保の段階で断念せざるを得ない。
 動力のみならず作業機械も同時に構築しなければ納得しないだろうから、さらに大きくなるとも考えた。
 まゆ子のネタ帳には、こんな状況で実現可能な人工動力もちゃんと考えてあるのだが、まあ置いておく。

 

 そもそもが弥生ちゃんは科学ガジェットを方台に持ち込もうとは微塵も考えない。
 ギィール神族に任せれば簡単なのだが、肝心なのはそれらを自らの知恵でひねり出す人間の在り方。自主的に工夫する姿勢こそが重要だ。
 いかに高度なオモチャを与えても、自らの身より発しなければすぐに作り方も使い方も忘れてしまう。瓜の蔓に茄子は接げないのだ。

 では何を方台の人間に教えれば良いか。モノよりも文化だ。
 閉ざされた箱庭のような小さな世界。
 何度も救世主を派遣しなければ千年も人の暮らしが変わらない、穏やかな幸せな、恵まれた、だが多様性に欠け脆弱な社会。
 外部と接触するには、ひ弱過ぎる。

 未知との遭遇にも動揺せず拒絶せず平和的に受容するには、経験が必要だ。

 弥生ちゃんは自身の役割を、異文化交流の時代の前座だと弁えている。
 天河十二神によって他の方台の存在を明かされる遥か前、タコ巫女ティンブットに誘われタコリティに足を伸ばした頃には、もう理解していた。
 そうでなければ、
       極め付けの異物”余所者”としての自分の存在理由が無い。

 故に、敢えて好みや気分で地球の、日本の文化をバラ撒いた。
 中には毒となる思想も有るが、特に社会主義共産主義は致命の毒であるから注意深く排除した、様々な形でそれとなく人に伝えて行く。

 今日は、そんな話。

 

第五章 黒甲枝三景

 褐甲角王国武徳王大本営。
 ガンガランガの中央付近に位置する館を中心として近衛兵団がものものしく陣を敷く。
 その一角。

 草原を覆う朝の霧に視界は奪われ、灰色に霞む武者の列が音をひそめて立っている。
 居並ぶは神兵ばかり。70名ほどが遠巻きに輪を作って取り囲む。
 重甲冑翼甲冑を装着した者も多く、このまま金雷蜒軍に突撃をしかねない殺気を漲らしていた。

 いや、それならば喜んで死地に飛び込むであろう。命を惜しむ者など一人も居ない。
 生憎と今から行われる儀式に立ち会うのは、ゲイルの顎に頭を突っ込むよりも辛い。

 輪の中央に椅子に座る3名が居る。神兵が2クワアット兵剣令が1、いずれも軍衣のみで武器も持たない。
 3人は小声で話をしていたが、今は口をつぐんでいる。
 最早伝えるべき何も残ってはいないのだろう。

 黄金に輝く礼装甲冑に身を包む人が、輪を割って3人に近付いて行く。
 彼は、儀式の主役の神兵に連なる金翅幹元老員だ。黒甲枝はそれぞれに金翅幹家と上下の提携関係を持ち配属や昇進、家督相続の便宜を図ってもらう。
 聖蟲の返還に際しても立ち会うこととなる。

 元老員の姿に、3人は同時に立ち上がり礼をする。
 主役の神兵が前に出て、対面した。その澄んだ表情に金色の聖蟲を持つ人は眉を歪める。

「決心は変わらぬか。」
「有難うございます、ヲンケール様。ですが、聖蟲はやはり弟に継がせたいと思います。」
「兄上、」

 デズマヅ琵マトレアツ中剣令は前赤甲梢総裁メグリアル王女 焔アウンサ暗殺事件の責任を取って、これから自害する。

 残る二人は立ち合い人で、弟のデズマヅ琴ナスマム小剣令と、共に王女護衛の任に付いていた神兵シミトヰ漣カントー小剣令だ。
 シミトヰは去年聖戴を受けたばかりの若い神兵で、行列を離れるデズマヅに代わり王女の警護を任された、実質の責任者である。
 自害すべきなのは、おそらくは彼であろう。だがデズマヅに留められた。

 

 自害は責任を取る一般的な方法で、特に珍しいものではない。記録に特筆されないありふれた話である。
 また回避出来ない運命ではない。
 今回の事例であれば、聖蟲を返上すれば良い。

 だがそれは黒甲枝の身分を捨てる事でもある。武徳王に従って天河の計画を遂行する聖なる義務からの逃亡に当る。
 先祖累代の武勲の全て、子孫の栄達、自らの理想と希望と矜持を棄てる覚悟が必要だ。
 一族揃って不名誉を背負い、公の職から離れて生き続けるのは、死よりも辛いものであろう。

 デズマヅ琵マトレアツは仮初めの生を全うする道を諦め、正道を行く。
 聖蟲を弟に譲り、引き続き神兵として武徳王に従い闘い続ける。黒甲枝として生まれた者にとっては当然の選択だ。

 だが今回、デズマヅの自害は人の注目するものとなる。
 方台で初めて、ガモウヤヨイチャンより伝授された星の世界風の自害を行うのだ。

 何故異界の作法を用いるのか、少々の説明が必要だろう。

 

 聖山街道東側に有る金雷蜒神殿都市ウラタンギジトに滞在中の弥生ちゃんは、神兵黒甲枝とも頻繁に対話した。
 その中に一人のメグリアル神衛士が居る。

 メグリアル神衛士はエイタンカプトに住まうメグリアル王の指揮下にあり、十二神信仰を守護する。
 また金雷蜒王国との外交折衝の場を整え、場合によっては外交使のギィール神族を護るのも使命だ。
 よって宗教や文化、神族の風習についての深い理解を要求される。いや関心を持つからこそ、メグリアル神衛士に志願した。

 弥生ちゃんとの対話においても、自然と話題はそちら方面に進んで行く。
 星の世界の武人の在り方について、彼は尋ねた。弥生ちゃんは喜んで日本の武士について一席ぶつ。

 後日、彼は対話をまとめて小冊子を作り、僚友に見せた。
 たちまち評判となり写本が作られ、神衛士のみならず神聖街道で任務に就くすべての神兵が眼を通すこととなる。
 写本は弥生ちゃんの元にも届けられ、誤謬の訂正と、言葉だけでは伝わらない事物は弥生ちゃん直筆マンガによる解説を付けて返還された。

 この改訂版はデュータム点衛視局の文書課によって100部も写本を作られ、王国全土に配布された。
 いずれ来る青晶蜥王国時代を規定する根本哲学を理解するため、大いに読まれる。
 武を以って成る褐甲角王国であるから、武人の話には興味があった。

 

 日本の武士の風習で最も注目されたのが、やはり「SEPPUKU」だ。
 先にも述べたが、責任を取って自害するのは方台でもありふれた風習である。
 にも関わらず、「切腹」の逸話は衝撃的であった。

 あまりにもあっけなく、無思慮に腹を斬って見せる。何故そのくらいの事が堪忍出来ずに、と驚き呆れる。
 だが眼を離せない。
 自分たちの知らないなにかが愚行の中に有る。

 弥生ちゃんは言う。

『およそ男子たる者、自らの生き死にの決着を他者に任せて如何にする。
 偶然運命使命忠誠義理契約、そんなものの為に命を棄てるべきであろうか。

 無論世に有って様々な責任や職務が絡み付く身であれば、勝手は出来ない。或る意味、人は全て公の奴隷であり自由は無い。

 だがここを最期と腹に決めたからには、勝手を通してなにが悪い。

 褐甲角の兵であれば武徳王に、クワアット神に身命を捧げる覚悟だろう。
 戦場にあっては己の安全も省みずにゲイルの顎に飛び込むはずだ。
 その時、何を考える?
 違う、なにも無い。魂だけが輝いている。その場限りを燦然と眩く照らし出す。

 この輝きの前に神もさだめもあるものか。
 法も無い忠義も無い。己が主人と自分との、対等の、人間としての姿が在る。

 天と地と、己一人が有る。先も後も無い、この瞬間だけが全て。
 SEPPUKUとはそういう行為なのですよ。有り難いこった。』

 

 究極の個人主義、無政府主義虚無主義の権化であろう。
 万物の価値基準が、唯の個人から発生する。何者も彼を縛ることが無い、完全な自由だ。
 だが同時に、この上無く社会的公的な在り方だ。

「この死に方は、他人に我を見せることを目的とする」
 黒甲枝はそう理解した。

 そして知る。弥生ちゃんの強さの理由を。
 異世界より召喚されなんの足がかりも無い身の上でありながら、方台の大地に全霊を叩きつけ走り抜ける。
 年端も行かぬ小娘に何故アレが可能なのか。

 むべなるかな。森羅万象の全てが、彼女の掌に有る。

 一度魂に目覚めた身には、千年の信仰も色褪せて見える。いや、新たな輝きを以って目に映る。
「神無くとも、我に光有り」

 褐甲角王国の武人は皆、星の世界に憧れた。
 そして、自分もそうありたいと願う。

 

 

「いや、遅れてすまない。」

 甲冑の触れ合う音を高く立て、一団の人が神兵の輪を割って入って来た。
 武徳王の代理として見届ける3人の高官と随員だ。

 褐甲角神救世主初代カンヴィタル・イムレイルと共に戦った同士であり、最初期の神兵でもある「破軍の卒」。
 その筆頭にして武徳王の代理も務める金翅幹元老員カプラル春ガモラウグ。52歳。
 
 「破軍の卒」でありながら聖蟲を返上し、専ら褐甲角神信仰の理論的支柱となるゥドバラモンゲェド華シキル。47歳女性である。

 そして武徳王を傍で支える聖蟲を持たない5人の大臣、その一である「将軍」。忘れるほどの歳ではあるがかくしゃくとして杖も用いず歩いて来る。

 通例であれば、彼らの内1名が居れば見届けは足りる。
 もちろん今回は異常な方法を用いての自害を検分に来たのだ。余計な手間を掛けさせた。

「ええい、なんとも腹立たしい。」

 憤懣やる方無いのが、カプラルだ。豊かな顎髭に唾を飛ばすほど怒っている。
 十二神方台系において50代とは既に老人の域だが、身体頑健な偉丈夫。精力に満ちあふれ素手で巨大な牙獣も殴り倒さん勢いだ。
 彼の怒りの元は、デズマヅ中剣令本人である。
 何故に栄えある神兵が、星の世界風の自害を試みねばならぬのか。理解出来ない。

 クワアット兵が並べる椅子に、一番の老人に順を譲るのが礼儀であろうが、彼は真っ先に座る。
 他の二人が座らぬ内に用事を言いつける。

「大剣を。」

 彼は自らが所有する巨大な剣を従者に担がせていた。
 神兵が用いる対ゲイル用の大剣と同じもので、カプラル家の刻印入り。重量は15キログラムもあり、一般人が担ぐには骨だ。
 その剣を所望する。早速に背から下ろし、主人の前に柄を差し出す。

 カプラル剣を握ると振り上げかざし、霧を斬って感触を確かめる。鋼に錆の一つも無い。状態は完全である。

「シミトヰ、これへ。」

 輪の中心からまっしぐらに神兵シミトヰが賜軍衣の裾をはためかせ走り来る。
 カプラルの前に跪き、頭を垂れて命令を待つ。しばらく待たされた。
 将軍と華シキルが席に着き、様子を整えるまで放置される。

 その間彼は迷った。自害すべきは自分であると再度訴えるべきであろうか。
 人食い教団の奸計に嵌まり護衛の任務から遠ざけられた、責めは明らかに自分に有る。

 若者の葛藤を薄く開いた眼で見て取り、将軍が言葉を与えた。寒いので、毛織りの膝掛けを用いている。
「陛下の御許しは出ぬ。諦めよ。」

 顔を上げて、老人と女人を見る。華シキルも同じ結論を表情で伝える。

「シミトヰよ、自らの大剣を携えておるな。」
 カプラルの太い声に、再度頭を下げ答える。

「は。」
「儀式にそれを用いることは許さぬ。黒甲枝の剣が同僚を傷付けるなどあってはならぬ。」
「…は。」
「代りに我が剣を貸そう。「破軍の卒」は、その為に在る。」

 弥生ちゃんの言葉を綴った小冊子に記される星の世界の自害の方法に基づいて、シミトヰはデズマヅの介錯を務める。
 大剣にて首を斬り落とすのだ。

 カプラルの怒りの原因はここにも有る。いくらなんでもこのやり方は野蛮に過ぎる。
 星の世界は方台より随分と進み科学技術にも文化にも優れると聞くに、何故このような蛮習を許すのか。理解できない。

 華シキルが口を開く。彼女にしても、大剣でとどめを刺すなど大袈裟過ぎると感じる。

「シミトヰ、そなたにとってこれは罰であるとデズマヅは言った。だが、それにしても、もっと斬れる剣を用いるわけにはいかぬか。」
「ゥドバラモンゲェド様に申し上げます。神兵中剣令デズマヅは先ほどこのように語られました。
 『我ら神兵は当然の権として大剣を奮い敵を屠るが、その切味がいかなるものか、一度は己が身で確かめてみねばならぬ』と。」
「酔狂な奴め。」

 大剣に刃は付いていない。両縁は尖っているが、強度を確保する為に焼き入れ処理を施してない。
 だがこれだけの重量を持つ物体を、神兵の怪力で翻車の如くに振り回すのだ。刃など無くとも甲冑ごと人体を両断するに不自由は無い。

 懸念されるのは、僚友先達を己が手に掛けねばならぬシミトヰの動揺。武芸を誇る黒甲枝といえども、心が定まらねば無用の苦痛を与えるやも知れぬ。
 なにしろ剣を受けるのはカブトムシの聖蟲を戴く神兵。手元が狂いうまく当らねば耐えてしまう。
 肉体の強さのみならず、聖蟲の薄翅が発する風も盾として機能する。

 華シキルは三者の中央に座す将軍に振り返る。
 老人は、少々歳は喰ってるが美しい女人に向かず、カプラルに言った。

「首打ち損じたならば、シミトヰにも死を与えるということでよろしいか。」
「ご老人がそのように御考えならば、異存は有りません。」
「シミトヰ、デズマヅの心を無にするなぞ儂が許さぬ。分かるな。」

「は。しかと心得ました…。」

 生きよと言う。誰もが自分に生きろと言う。それがシミトヰにはなにより苦痛だ。

 

 大剣を抱えたシミトヰが輪の中央に戻るのを機として、神兵たちが動き出し準備を始める。
 小冊子に描かれているのと極力同じに舞台を整える。と言っても、大したものは必要としない。

 草の上にむしろを敷いて、白木の小さな台を用意する。短刀を供える三方の代わりで、クワアット兵工作部の者が製作した。
 あっという間に整って、あまりの簡素さに見る者はふっと溜め息を吐いた。
 たしかに死ぬだけなのだから、何も要らないのは分かる。分かるが、聖戴者の最期としてあまりにも粗末過ぎるのではないか。

 デズマヅはうなずいた。
「これでいい。」

 友人の神兵が2名、武器を抱えて近付いた。間違いがあってはならないと司令部が没収していた3人の武装を返還する。
 大剣も神兵用短刀も両刃の長剣も並ぶが、1本の普通の短刀以外必要の無いものだ。
 神兵としての装備はあくまでもゲイル騎兵に対抗するもの、生身の人肉を抉るには大袈裟過ぎる。

「貴公の大剣は用いないのか。」
「は。カプラル様が所有されるこれにて、務めを果たせと命じられました。」
「そうか。」

 慣例に従って、十二神信仰において葬祭を司るコウモリ神官と、規律の遵守を担保するカニ神官が現場の清めを始める。

「無用!」

 デズマヅの思いがけない強い言葉に、神官たちの動きが止まってしまう。
 このような事態は想定外であるから、どうしていいか分からない。天河十二神の導きが無ければ、死後の裁きが行われる冥秤庭に到れない。

 褐甲角神信仰の教義理論を司る華シキルにとっても困った状況だ。おのおのの神の職分を冒すのは神聖秩序を損なう元となる。

「いや、よい。下がりなさい。」
 神官たちに命じて撤収させる。抗議にカニ神官が彼女に近付いたが、小声で諭され納得した。

「この儀式、元よりガモウヤヨイチャンが教示するものであるから、青晶蜥(チューラウ)神の管轄と看做してよかろう。あるいは「神殺しの神」ピルマルレレコ神の作法か。
 いずれにしろ、今日は例外でも明日には新たなる慣習と化す。」

 トカゲ神チューラウは冬の寒さの神、北の氷壁の守り神、癒しの神であるのと同等に、氷と硝子水晶の鋭利な切片の神、切断をも司る。
 金雷蜒神救世主によって鋼が地上にもたらされるまでは、硝子の欠け片こそが最高に鋭い刃物であった。
 腹を切り首を刎ねる自害の作法がチューラウに守られるのは、むしろ理の当然。
 神官たちはそう理解する。

 デズマヅにそんな気はまったく無い。ただ少しうるさかっただけだ。
 言葉の勢いに会場の雰囲気が硬質化して、神兵たちも居住まいを正す。
 遠目から見ていても、デズマヅの気合いがみるみる高まって行くのを感じる。聖蟲の目を用いれば視覚として認識できるほどに燃え上がる。
 だが熱と同時に冷静さも有る。重さと自由さとが同居する。

 デズマヅの額に微動だにせず収まっていた黒褐色のカブトムシが、甲翅を上げ薄く透ける翅を拡げる。
 それに応じて、見守る神兵の額に座す聖蟲が一斉に翅を開き、羽ばたいた。低い唸りが風を呼ぶ。

 唸りが淀む空気を震わせ、大地に染み渡る。居並ぶ人の身体の芯に深くに眠る原初の血を呼び起こす。赤い。目の中に光が射す。
 周囲を白く閉ざす霧が、光に代わる。

「ああ。」

 にわかに霧が晴れ、強い陽が差し込んだ。一瞬にして視界が開け、緑の草原が姿を表わす。

 武徳王を護る近衛兵団、クワアット兵の宿泊する天幕の列が幾重に並び、色とりどりの旗幟が翻る。
 デズマヅの自害の儀式も、軍の通常の態勢になんの影響も与えるものでない。粛々と本日の予定に従い動いて行く。
 武器の点検、演習、警備、いずれの時と同じ確かさ揺るぎなさだ。

 

 デズマヅ、羽織った賜軍衣を脱ぎ、弟に渡す。下に着るのは白装束、葬礼の際に死者に着せる服とは形が違う。近所の農家の女手を借りて特別にあつらえた。
 クワアット兵の軍衣に似る。
 簡素にして威厳を持ち、機能的でいて礼節を忘れない。

 弟が口を開こうとするのを省みず、さっそうとむしろの前に進む。一礼して靴を脱ぎ、どっかと中央に座り込んだ。

 「破軍の卒」カプラルは背後に控える者に命じて進み出させる。神兵、クワアット兵剣令、緑金の聖蟲を戴くカプタニア神衛士までも居る。
 彼らは武徳王暗殺未遂事件の際に警備の任に付いていた者だ。
 次に腹を切るべきなのは彼らであろう。

 数は5名、デズマヅ座るむしろの傍に到り、跪いて深く礼をする。

「デズマヅ殿、卒爾ながら我ら間近にて見分させていただく。」
「御随意に。」

 式次第を心得るデズマヅ友人の神兵が、弟の琴ナスマムに白木の台を差し出す。デズマヅの私物の短刀が乗せられていた。
 兄の賜軍衣を他に預け、出されるままに台を受け取った琴ナスマムは、傀儡のようなぎこちない動作で兄の元に運ぶ。
 むしろの正面に立ち、台を捧げたまま座り、兄と目線が合った。

 声が出ない。

「……。」
「案ずるな、早く置け。」
「は、はい。」

 必死で腕の震えを止め、短刀を台から落とさぬよう慎重に兄の前に据える。
 兄は微笑んだ。

「小冊子のガモウヤヨイチャン様の教えでは、ここで1本短詩を読まねばならぬ。」
「はい、そう書いていました。」
「そうだな…。」

 風がそよいでいる。先ほど霧を払った陽の温もりを運び、優しく頬をかすめていく。
 変わる季節の暖かさを感じた。そして思い出す。

 厳しく寒風がすさび吹きつけ凍る雪の中で、メグリアル王女 焔アウンサと護衛の兵、女官侍女、輿を担ぐ壮丁が死んだ。
 彼らが死の真際に求めたのは、この温もりであろう。

「忘れていた。」
「はい?」
「春になったら、アユ・サユル湖に舟遊びに連れて行く約束だった。ミートムを。」
「はい…。」

 デズマヅの娘ミートムは去年生まれたばかり、この春でようやく1歳になる。約束もなにも、言葉すら未だ解さない。

「”春に先駈けて、風に遊ぶ。幼子の舟を吹き、緑映す水面を滑る。どこまでも”」
「    。」
「ナスマム、おまえにも約束してもらおう。」
「はい、なんなりと。」

「夏には還れ。」

 そう言うや、デズマヅは右手を額に上げ、無造作に黒褐色の蟲を掴んだ。あまりに自然だったので、カブトムシは逃げも抵抗も出来ない。
 握った手を前に伸ばし、弟に両手を出させる。合わさる掌の中に、蟲を押し込んだ。

「しっかり捕まえておけ、絶対に離すな。暴れるぞ、耐えよ。」
「は、はい。」

 果たして琴ナスマムの手の中で聖蟲は大暴れを始める。宿主が尋常ならざる決意で危険に臨むのを察知して、救いに行こうとする。
 琴ナスマムは必死で手を閉じる。例え食い破られても放してはならない。そうでなければ自害に及べない。

 カブトムシは、だが拘束を解けない。
 本来であれば天河から遣わされた神の蟲を人為で捕らえるなど出来ない。鋼鉄の函に押込めても、いつの間にか抜け出ているのだ。
 宿主の強力な意志で、聖蟲の力を封じている。長くは保たない。
 それでも、しばらくは、

「(シミトヰ漣)カントー殿、小冊子によれば剣にて首を刎ね飛ばすのではなく、皮一枚を残して留め首が懐に転がり落ちるのが上手という。君に出来るか。」
「可能です!」

 冷水にて清められたカプラムの大剣を右脇に立て、むしろに上がったシミトヰはデズマヅの左後ろに位置を取る。
 無様は許されぬ。事ここに到っては無心に全力を尽すべきだ。
 黒甲枝として恥ずかしくない姿を、先輩には覚えてもらわねばならない。

 日頃は使わぬ型だが正坐を端正に極めたデズマヅは、最後にとシミトヰにも約束を強いた。

「幸いと呼ぶべきか、ガモウヤヨイチャン様がもたらす方台の新秩序はもう数年は固まるまい。戦場に不自由はしないだろう。
 死ぬのであれば、君は戦の中で死にたまえ。」
「   は! 必ず。」
「勝って死に損じるのであれば、致し方は無いぞ。」

 一息呼吸を整え、白い軍衣をはだけて腹を見せ、瞑目し、かっと見開き白木の台に据わる短刀に手を伸ばす。

 琴ナスマムの手の中ではカブトムシがさらに激しく暴れる、3対の肢ででたらめに掻きむしり、掌から血が噴き出す。
 それでも押える力は弛まない。
 兄の姿を凝視する彼に、痛みを覚える暇などは無い。

 

 ……自然と手が開き、甲虫の羽ばたきを妨げない。
 かすかな羽音を立てて宙に舞上がった血塗れの蟲は、ほんのわずか前に進み、ぐるりと輪を描いた。
 懐かしき人の上に降り立ち、しばし留まる。赤い両の眼の光が何事か理解しようと務めているかに、人には見えた。

 だがそれも束の間。蟲は再び舞上がり、まっすぐと上に、どこまでも高く、高くに。
 そして遠き南西のカプタニアの都に帰って行く。

 

「ヲンケール殿。」

 全てを見届けたカプラルはやはり真っ先に椅子から立ち上がり、強く鼻息を吹いた。
 デズマヅの脇にて見守る金翅幹元老員に声を掛ける。

「デズマヅ家の聖戴継承の件、貴公に任せる。下がるぞ。」

 後の言葉は、武徳王の警護を果たせなかった者に対してだ。最早用事は済んだ。再び謹慎に戻らねばならぬ。
 彼らを引き連れ風を巻いて武徳王の宿舎となる館に戻るカプラルは、背後にこう言い放つ。

「いかなる形であろうとも、許可無く死に及ぶのは不忠である。許さぬぞ絶対に。」

 

 将軍は、動かない。
 皺に包まれる両の手で顔を覆い固まっている。嗚咽に震える。

「この歳になって、このようなものを見ねばならぬとは。」

 あまりにも見事なデズマヅの最期に、老人は打ちのめされていた。
 これは違う、これは方台の世に有り得べからざる光景だ。

 彼がこれまで過ごして来た幾万の夜を、若者がひとまたぎで越えてしまった。美しく、潔く、駆抜けて行った。
 最早留めることは出来ない。デズマヅに続いて幾人もの若者が、同じく夜を越えるだろう。
 これからの千年で、どれだけの者が。

「ガモウヤヨイチャン様は儂らにとんでもないものをもたらせたもうた。災いだ、これはわざわいだ…。」

 華シキルが手を引くまで、老人は椅子を立とうとしなかった。

 

 琴ナスマムも草原に膝を突いて動けぬままだ。哀しいとか憤るとかの感情は、あまりの衝撃に吹き飛んでしまった。
 どう自分に言い聞かせるべきか、必死で探す。
 兄の死は、だが冷静に考えればこれまでの慣習と大して違うわけではない。黒甲枝として当然の決着に臨んだだけだ。
 しかし、これはなんだ。

 友人の神兵により周囲が片付けられて行く。
 亡骸には賜軍衣が掛けられ、葬儀の場に運ぶため担架が来るのを待っている。
 彼らも同様に、今目の当たりにした光景を心に落ち着かせるのに苦心する。

「よし、もうよいのだ。よし。」

 介錯を見事果たしたシミトヰも呆然自失、むしろから引き離されるまで大剣を構えたまま立ち尽くしていた。
 今も剣を離さない。

「デズマヅ小剣令!」
 うつろに眼を青草に這わせる琴ナスマムを見かねて、金翅幹元老員が鋭い声を発する。

「    は、」
「立て! 立って我が前に直れ。」

 弾かれるかに身体が動き、元老員ヲンケールの前に直立し頭を垂れる。クワアット兵として鍛えられた自動の習性だ。

「デズマヅ小剣令、貴公は今日よりデズマヅ家の聖戴権者当主だ。自覚せよ。」
「ですが、…ヲンケール様、」
「琵マトレアツの遺言を忘れたか。『夏には還れ』と命じられたであろう。」

 「還れ」、つまりは救世の聖業に従う任務に復帰せよとの意味だ。
 褐甲角の神兵は無名性を特徴とする。
 甲冑を纏い虫の仮面を被れば、外からは誰か見分けがつかない。功名争いをせず、己を滅して民に奉仕するを武徳王に望まれる。
 聖蟲を額に戴いていれば、剣を取り共に戦うのであれば、それが誰であれ構わないのだ。

 だが琴ナスマムは王女暗殺の現場に居合わせたにも関わらず、務めを果たせなかった。
 そんな自分が兄の後を継いでよいものだろうか。聖蟲を継承するに値するだろうか。

 いやその前にカプタニアに、父母に、なんと報告すべきだろう。
 兄嫁になんと伝えれば良いか。
 幼い姪に、父親が約束を果たせないと、どう言い聞かせるべきか。

”春に先駈けて、風に遊ぶ。幼子の舟を吹き、緑映す水面を滑る。どこまでも”

 優しい詩が重い。痛い。
 このようなものを作らせたガモウヤヨイチャンを、嫌いになった。

 

【黒甲枝三景 その2と3】

「私は別の考えを持っています。」

 いきなりのカロアル斧ロァランの言葉に、母、伯父伯母、金翅幹元老員ダディオ直スゥスィヒは驚いた。
 それまで一切口を開かず思い詰めた表情で、具合が悪いのかと心配していたが、どうやら発言の機会を待っていたようだ。

 

 王宮内庭に有る黒甲枝の集合住宅。その一角のカロアル家において重要な会議が行なわれていた。
 カロアル家の当主カロアル羅ウシィがベイスラで戦死し、兄の軌バイジャンも行方不明。まもなく半年を迎える。
 褐甲角軍の規則では、戦場で行方不明となり半年も何の痕跡も見付からねば、戦死と看做す。帰って来ればまた対処もするが、粛々と救世の聖業を引き継がねばならない。

 カロアル家には他に男子が居ない。親族の中にもすぐに聖蟲を引き継げるほどの武人が無い。
 一方、娘の斧ロァランは16歳となった。嫁ぐのになんの障害も無い歳だ。
 カロアル家の聖蟲を引き継ぎ武徳王に従う為、斧ロァランに即戦力となる婿を取り神兵と成す。
 誰が見ても妥当な措置だ。

 またダディオは、婿を「紋章旗団」より迎えようと勧めてくれる。
 紋章旗団は、黒甲枝家の正当なる聖戴継承権者でありながら幼少時に父を失い、代理として親族の他が聖戴して順番が狂ってしまった者を集めた軍隊だ。
 年配となって聖蟲を戴いても肉体が追随しないから、20歳前後に赤甲梢と同じ赤褐色の甲翅を持つカブトムシを授かる。

 大審判戦争にあってはメグリアル王女 焔アウンサに率いられ、赤甲梢と共に東金雷蜒王国領を横断し首都島ギジシップに渡り、数々の苦難を排して見事神聖宮ゲバチューラウの元に辿りついた。
 英雄である。
 赤甲梢は未だ国境付近に留まるが、紋章旗団は単独で王都カプタニアに凱旋し、人の誉めそやすところとなる。
 婿とするに、これ以上の存在は無い。

 

 だがロァランは容易に首を縦に振らない。
 無論兄 軌バイジャン生存の可能性が無いわけではない。ベイスラはあれだけの乱戦だったのだ、万が一も考えられる。
 それでも王国としては、カロアル家に次を要求する。
 対してロァランは、

 頬は紅潮するが表情はひきつり、尋常ならざる決意が見て取れる。
 ダディオはさすがに急ぎ過ぎたかと、改めて少女に向かう。

「たしかにこれは、貴女の問題だ。存念が有るのなら聞こう。」
「だ、ダディオ様そのような。これロァラン、ここは大人に任せなさい。」
「そうですよ。ダディオ様にお任せすれば何の心配もなく、おまえも存分に御務めできるのですよ。」

 伯父伯母のたしなめる言葉にも、ロァランは下がらない。

 金翅幹ダディオ家は王国初期の神兵であり、当時従者として長く仕えたカロアル家は、ダディオ家の元老院入りに従って神兵へと昇格した。500年も昔の話である。
 以来カロアル家の継承や聖戴に関する世話をダディオ家が行っている。
 金翅幹家は軍務に携るのを許されない。系列の黒甲枝家の配属や昇進に関与することで、自らの政治的基盤を固める。
 今回の事態はカロアル家存亡の危機であり、ダディオ家にしても重要な手駒を失いかねない大事だ。

 ダディオ家の隆盛はカロアル家の命運を直接に左右する。無論カロアル家の親族にも影響する。
 よって伯父もロァランをたしなめる。16歳の小娘が聖戴継承に口を挟むなど言語同断。

 伯父は幼少時は病気がちで軍務には向かなかった。官職にも就かず民間の商家の娘と結婚し、堅実な暮らしを営んでいる。
 彼の観点からすると、カロアル家が神兵として存続するのは極めて大きな利益となる。
 黒甲枝に連なる身には特別の信用が供与され、王国の御用を承る利益率の高い商売を行い、他に優越する尊敬も受ける。
 王国が新規事業を起こす際にも、いちはやく関与して成長することが出来る。

 官民癒着ではない。こういう経済なのだ。
 戦争の際には御用商人は、軍事物資の供給や輸送協力、技術者職人の供出に軍資金の一時貸し付けまで、様々な義務を負う。
 その任を果たす為に黒甲枝の子弟を民間に派遣しているとさえ言える。
 褐甲角王国は武によって立つ国であるから、すべてが戦争遂行の為に組み上げられていた。

 あるいは伯父の孫子の誰かがクワアット兵に成りたいと言い出した場合、採用に口を利いてもらうことも出来る。
 黒甲枝の家に生まれたのだ。武徳王に従い救世の聖業に従うのは一身の望み。
 自らが果たせなかった夢を息子ら孫らに、と考えるのは必然だ。
 彼だけではない。カロアル家の親族はいずれもそのように考えているはず。生憎と今は軍務に就いている者は少ないが。

 一族を代表して、ロァランの勝手を許すわけにはいかない。

「まあ、まあ。覇クリィさま。ロァランの話を聞きましょう。なんの考えも無しに言い出したわけではありませんから。」

 母 讃フィリアムが義兄の噛みつかんばかりの勢いをやんわりと受け止める。
 デュータム点から戻って以来、娘がなにかを深刻に考えていたのは、よく見て知っている。
 頻繁に王宮外庭のヒッポドス家に出掛けてネコの話を聞いているとも、本人から知らされた。

 デュータム点でメグリアル王女 劫アランサ様、青晶蜥神救世主ガモウヤヨイチャン様から離れても、なお情勢を気に掛けている。
 時代の中心近くに侍るのを許された特別に幸運な身であれば、尋常の考えから外れても致し方無いだろう。

 またそのように甘い、と義兄の妻はそっぽを向く。
 純然たる黒甲枝の出であり神兵の妻である讃フィリアムに、嘉字も持たぬ身分ではどうにも頭が上がらない。
 こちらの方が裕福だなどと強がっても、まるで効果が無いのが悔しい。

「では、聞こうではないか。」

 ダディオの声に、ロァランは背筋を伸ばす。凜とした姿に元老員もなるほどと納得する。
 さすがに時代の頂点近くに居ただけは有る。能はともかく胆は据わるようになったらしい。

「、私はデュータム点ウラタンギジトでメグリアル王女 劫アランサ様にお仕えし、ガモウヤヨイチャン様にも幾度もお言葉を頂く機会を得る事が出来ました。
 彼の方々が方台で為されることごとくが深いお知恵と限りない民への慈愛に満ち、天河の計画の確かさを日々痛感しておりました。」

「うむ。世にも稀なる貴重な体験をなされたな。」
「非力の我が身を口惜しく思う日々でもありました。若輩侏儒の身では尊い御方のお手伝いもままなりません。」

「いやロァラン、それでいいのだ。人間、分というものがある。己の器量を見極めて尊い方々のお邪魔をせぬのも、また世への貢献であるぞ。」

 伯父の言葉は痛切に心に刺さる。結局そこに落ち着くのだ。
 カロアル斧ロァランは只の少女に過ぎない。無力で、歴史の転換点の中心に立っていながら何一つ為さず、何一つ関われなかった。
 きっと眦を決してダディオに向かう。

「これで良いのでしょうか?」
「ううむ。」

 この問いは、ダディオにも痛い。
 武徳王親征に際して、彼は王都の留守居をするしかなかった。南の紅曙蛸王国討伐にも関与出来ない。
 政治を司る金翅幹家でありながら、この激動の時代になんの役も果たせないのは、子々孫々までの恥となろう。
 ダディオ直スゥスィヒ、動かねばならぬ時かも知れない。

「なにか、方法があるのか。斧ロァランよ。」
「私は本来、王女を補佐する輔衛視チュダルム彩ルダム様にお仕えするはずでした。あの方は女人の身でありながら、」
「なるほど。」

 ダディオが右手を上げてロァランを留める。それ以上言うと、また伯父に叱られる。
 
 女人聖戴。王族や金翅幹家、あるいはギィール神族であれば普通に有るが、黒甲枝ではほとんど無い。
 神兵だからだ。

 戦場には女人は相応しくない。
 ギィール神族の女人はゲイルの背に乗り寇掠軍を率いるが、それは神族だから為し得る。
 霊薬エリクソーを服用し2メートルの巨躯を手に入れる。通常一般人男子の肉体を優に越え、筋力も早さも精緻さも遥かに優れる。
 逆に言うと、ここまでしなければ戦場に出て来れない。

 それでも黒甲枝にも女人聖戴者は居る。わずかに5名。
 彼女らは、たしかに継承問題がこじれて暫定的に聖戴している。だが、どれも只者ではない傑物揃いだ。
 ロァランが例に挙げるチュダルム彩ルダムにしても、「破軍の卒」にして黒甲枝の重鎮チュダルム家の一人娘で衛視として何年も務めを果し、故メグリアル王女 焔アウンサの覚えがめでたく、ついでにその影響から天下無双のチュダルム槍の使い手となった。
 ロァランと比べられる人ではない。

 ただ政治的に考えると、悪い手では無い。
 今は失踪中のガモウヤヨイチャンは、おそらくは必ず帰る。千年の長きを統べる方台の新秩序を確立するだろう。
 またメグリアル王女 劫アランサは弥生ちゃんの薫陶よろしく、今や外交の最前線で大きな役目を果たすまでになった。
 千年に一度の空中飛翔者にして、次の青晶蜥神救世主になるかもと噂される。

 今後方台は女で動く。女の聖戴者の価値は極大となる。
 ダディオ家に繋がる黒甲枝カロアル家から女人聖戴者を出せば、新秩序構築に絡んで特別な地位を占めることが出来るはずだ。
 上手く取り計らえば。

 「いや、」とダディオは首を振る。

 カロアル斧ロァラン、あまりにも幼く危うい。思慮も浅く思い込みだけで突っ走り、身を滅ぼしかねない。
 聖蟲を戴くには相応の器量が必要だ。人物が出来ておらねば耐えられぬ。
 十分な準備期間と訓練を積み重ねていながら、過ぎた力に命を磨り減らし脱落する神兵も少なくない。

 カロアル羅ウシィを思い出す。彼は重厚で視野の広い立派な聖戴者であった。模範的な神兵だった。
 その彼にしても、若い頃は失敗も挫折も経験する。聖蟲に頼り過ぎたが故に大きな損害を軍に与えた事すら有る。
 父に追いつこうと軌バイジャンは懸命に働き、努力し研鑽し、大審判戦争で確かな実績を積み重ねながらも行方不明となる。

 聖蟲を戴くとは、それほどに厳しい試練なのだ。

 

「斧ロァラン、この件は私に一任してもらえぬか。しばし考えねばならぬ。また他の元老員とも相談せねば決められぬ。陛下の特別の御許しも必要だ。」
「はい。よろしくお願いします。」

 椅子から立ち上がり深々と頭を下げる少女に、ダディオは思う。
 決して悪いようにはしない。羅ウシィにも軌バイジャンにも誓い、最善を尽くそう。
 ただそれが、本人の気に入るとは限らないが。

          **********

 

 デュータム点の神兵”銀椿”ことシメジー銀ラトゥースは、予想外の人物からの招待状をもらい指定の料理店に顔を出した。

 招待主はメグリアル王太子 暦ィメイソン。
 直接の指揮下に無い黒甲枝が王族から招かれるなど、通常は有り得ない。金翅幹元老員の仲介があって然るべきだ。
 ただ銀ラトゥースはハジパイ王の後ろ楯があり、高度に政治的な問題で重要な役割を果たす事が多い。
 中央衛視局次代の星として瞠目される身であれば、特例が重なったとしても驚くには及ばない。

「よくぞお出で下さいました。よろしくお願いします。」
「これは、王太子殿下直々のお出迎え、有り難く痛み入ります。」

 王太子はにこやかで権を笠に着るなども無く、腰も低い。
 歳は同じ27歳、年長を立てるわけにもいかない。銀ラトゥースは当惑した。
 偉い人は偉そうに振る舞ってくれないと、下の者は困るのだ。

 ここはメグリアル王家御用達の良く心得た店で、秘密の会合にも対応できる特別な部屋を設けてある。
 壁板や床天井に盗み聞き出来ない処置が施されており、靴音の反響で銀ラトゥースも異常な構造を知る。

「壁に鉛が張ってあるのですか。」
「不思議ですか。」
「何の為にこのような処理がしてあるのですか。矢を防ぐというのではなさそうですが、」
「これは極秘中の極秘の工夫です、あなたの胸にだけしまっておいてください。ギィール神族が額に戴くゲジゲジの聖蟲の超感覚は、鉛の板を透過できないのです。」
「お、おお。それはまことですか。」
「まあ、デュータム点やエイタンカプトでしか必要の無い設備ですよ。さあ、」

 促され、されど王太子より先に席に着くのもためらわれる。勿論客を困らせる真似はしない。
 改めての挨拶が交わされる中給仕がヤムナム茶を注ぎ、部屋を出て分厚い扉を閉じる。
 おもむろに本題を始める。

「シメジー殿は「チューラウ神衛士」構想は御存知ですね。」
「赤甲梢の解体後に新設される、特段の功績を上げたクワアット兵に聖戴の栄誉を与え神兵に叙す際に配属される士団ですね。青晶蜥(チューラウ)神救世主を護衛する名目の。」

「今の説明に補足はありませんが、意義はそれだけに留まらないのです。」
「そうでしょうな。」

 メグリアル王太子 歴ィメイソンは「メグリアル神衛士」の士団長でもある。

 褐甲角王国には神衛士団は二つある。
 カプタニア山脈で褐甲角(クワアット)神の地上での化身である巨大カブトムシと神聖宮殿を護る「カプタニア神衛士」。
 もう一つが、神殿都市エイタンカプトと神聖街道、聖山神聖神殿都市を護る「メグリアル神衛士」だ。
 どちらも王家の、それも王太子格の人物が士団長を務める。

 王家が直接に指揮権を持つ神衛士団は、黒甲枝に任された褐甲角軍と常に微妙な関係を保って来た。

「我がメグリアル王家と神衛士は、ウラタンギジトにて金雷蜒王国との外交交渉を担って参りました。「チューラウ神衛士」は青晶蜥王国との間で、それを引き受けるでしょう。」
「厄介払いをする為に考えたものが、思いがけずに大きな役割を見出してしまう。よく有る話です。」
「それでは、色々困るのです。」

 メグリアル王家は神聖秩序の維持と武徳王救世の大義普及の為にある。政治の一線には関わらない節度を旨とする。
 だが現実はやはり生々しい謀略の中に住む。暗殺に倒れた王族の過半はメグリアル王家の者だ。

 弥生ちゃんが築く方台新秩序に従って、これからの千年は動く。当然、実質の権力は青晶蜥王国に集中するだろう。
 「チューラウ神衛士」がメグリアル王家を越えて力を持つのは必定。
 カプタニア中央政界に君臨して来たソグヴィタル・ハジパイ両王家の権力も、また削ぎ落とされよう。

 王太子は思いがけない人物の影響を伝えた。さすがに銀ラトゥースも驚く。

「実は「チューラウ神衛士」構想には、神聖宮殿のやんごとなき御方の意向が強く働いているのです。」
「神聖宮の? 陛下の御意向でなく?」
「神母クメシュ様が下界の惨状に酷く御心を痛められ、カプタニア神衛士団長カンヴィタル鮮パァヴァトン様をお遣わしになる、と聞いています。」
「これは、驚きましたな。」

 カンヴィタル鮮パァヴァトン、大物である。現武徳王カンヴィタル洋カムパシアラン・ソヴァクの兄の子だ。
 能力識見人格いずれにも優れ、つい最近までは次の武徳王にと囁かれていた。
 カプタニア神衛士団長の職は次期武徳王の修行の場とも看做される。武徳王太子という称号は存在せず、神衛士団長が代わりの機能を持つ。

 洋カムパシアランの王子が無事に成人した現在、彼は神衛士団長の座を速やかに渡すべきであろう。
 引退した後の行き先は、確かに懸念されていた。

「金翅幹元老員のいずれかに婿入りして臣下の列に加わる通例は、あの方にはふさわしくありません。」
「動乱のこの時期に優れた人材を腐らせるのも愚かに思いますな。」
「そこで神母様はお考えになられました。地上に平和と均衡をもたらす為に、新たなる属王家を立て「チューラウ神衛士」を委ねるべきではないか、と。」

 随分と大袈裟な問題になってきた。神聖宮殿は自らの権力強化の為に、地上に直接配下を持とうとする。
 それも方台新秩序に直接関与する方法で、だ。

 これはメグリアル王家にも一大事だが、政務を預かってきたハジパイ王にとっても見過ごせない。
 なるほど。

 銀ラトゥースは大きく首肯いて納得する。
「私に、「チューラウ神衛士」に入れ、というお話ですね。」

 メグリアル王家とハジパイ王は密かに連絡を取り合い、「チューラウ神衛士」構想を自らの制御下に置く画策をしていたわけだ。

 いかにカンヴィタル鮮パァヴァトンが有能であろうとも、手足が無ければ働けない。
 政治や外交のみらなず宗教哲学に詳しく、弥生ちゃんが突き付ける天河の計画にもたじろがない強力な腹心が必要だ。
 それを提供する代りに首に鈴を付けよう、というのだ。

 王太子は首肯く。

「この件に関してメグリアル王家とハジパイ王家は利害を共にします。新王家に過大な任を負わせ独走を許せば、政治的分権体制を終了させかねません。」
「政治と外交、国の両輪を神聖宮殿に取られてしまう。由々しき事態ですな。」

 そこで、ハジパイ王の秘蔵っ子とも呼ばれるシメジー銀ラトゥースに白羽の矢が立つ。
 鮮パァヴァトンを助け青晶蜥王国と渡り合い、だが注意深く褐甲角王国全体の利益の為に行動を掣肘する。
 困難極まりない任務であり、おそらくは彼以外に務まる者は居ないだろう。

 

「ん、どうしました?」
「いえ。」

 ふいに銀ラトゥースが声を出さずに笑ったので、王太子は不審に思う。
 もちろん王族に対して不敬ではあるのだが、笑わずには居られない。

「いえ申し訳ありません。ですがテュラクラフ様が、」
「紅曙蛸女王がなにか仰しゃっていらっしゃいましたか。」
「ええ、…それは計略ですな。」

 銀ラトゥースが甦ったテュラクラフ女王との折衝を一括して受け持っているのは周知の事実。
 古代の女王との対話の中で、今の世に対する批判や提言も聞いているのだろう。

「五代様は計略はいけないと諭されましたか。」
「最近ようやく古代の、紅曙蛸王国時代のものの考え方、人の在り方が分かって来ました。
 当時の人は、善悪に別を付けなかったのです。」

「善悪の判断が無い?」
「はい。正確には、未来予測をしないと言った方が良いでしょうか。」

 王太子は首をひねる。善悪はともかく未来予測をしないで、どんな国が成り立つのだろう。
 国とは、予測される未来の混乱に対処し民衆を救う為にこそ在るはずだ。

 銀ラトゥースは笑いを鎮め、表情を改めて語り出す。

「この度の策略も、勿論褐甲角王国ひいては方台全土の民衆の幸福と安寧、利益の為にと考え進めておられるわけです。」
「そう言っても差し支え無いでしょう。」

「計画計略の中には、たとえ今の世に不利益や犠牲が有ったとしても、後には万民の利益となる。そういう目論見で成り立つものがあります。」
「はい。」
「甚だしきは、現在悪を為したとしても人を殺しても、後に益すれば良しと看做す考え方もございます。いえ、本来悪とはそのようなものです。」

「これは耳の痛い。たしかに国家というものは、そういう側面からは逃げられません。」
「そして往々にして有る、よく聞く話です。
 計画が思惑通りに進展して結果を得られれば、なるほど善となるでしょう。が完遂に到らず頓挫し、悪の所業のみが残る。」

「うーん。」

 テュラクラフの、銀ラトゥースの言う「善悪」の概念は辛辣なものだ。
 未来が己の思い通りに成ると盲目的に信じることこそが、悪の根源となる。

 カンヴィタル・イムレイル以来この千年、褐甲角王国は方台統一と民衆解放の大義の下、流血を積み重ねて来た。
 だが世紀が代わり、方台統一は成し遂げられなかったと審判が下る今、ではそれらの行為は無駄だったのかと振り返らずには居れない。

 むろん黒甲枝は自らの行いを恥じたりしない。
 強弁と誹られようが、千年の長きに渡り我らが為すは全て善と看做す。
 古代の人は善悪に別を付けぬ。納得の由縁だ。

 

「テュラクラフ様は今の世に住む我らを受入れませんか。」
「ウェゲではない、と仰しゃられます。」

 十二神方台系に住む人はウェゲ、と天河の計画は定まっている。
 天空を駆ける神人ゲキの原型であるウェゲを育成し、後に神智を授けて完成させる。
 だが最初のウェゲは自力で活動できず、やむなく頭にヒトデの欠け片を埋めこんでようやく歩き始めた。
 方台に今住む人は、いわばウェゲの粗悪品だ。

「ですが、」
 銀ラトゥースの続く言葉に、王太子は背筋を伸ばして表情を明るくする。

「方台に唯一人だけゲキに極めて近い人が居るようですな。
 人の群れから自然と湧き出た天才児にして、ウェゲの枠を越え直接にゲキの域に届く者です。
 善悪の彼岸を越え利害の枠を省みず、未来の予測にも囚われない。今を限りに生きる素晴らしい叡智を備えている。」

「それは全ての人の福音だ。その方は今はどちらに。」
「あちらこちらを飛び回り忙しく働いておられるそうです。優れた資質をコウモリ神人様も御認めになられ、不老不死の祝福を授けられたと聞き及びます。」

 王太子は変な顔をした。その人はおそらく、アノ女人だろう。
 闇に隠れ潜む存在ではあるが、メグリアル神衛士団でも認知する。褐甲角衛視局では氏名不詳ながら逮捕の手配もした。人食い教団に深く関わる人だ。

「テュラクラフ様は、ガモウヤヨイチャン様に関してはなにも仰しゃいませんか。」
「ガモウヤヨイチャン様は現在の方台の人間の完成型だそうです。しかし御振舞いは、ウェゲそのもの。
 未来を予測して何事かを成すのではなく、星の世界の歴史を紐解いてこれから方台に何が起こるかを知り、適切な対処を施して回る。それだけです。
 ですからテュラクラフ様も口を挟もうとは御考えになりません。

 任せて大安心だそうです。」
「なかなかに矛盾した存在ですね。
 ですが、どうでしょう。ゲキに極めて近い方台のその方と、ガモウヤヨイチャン様と、どちらが天河の計画にふさわしいのですか。」

「さあ。なにしろ不死の運命で保存するほどですから、よほどに稀な人材なのでしょう。
 対してガモウヤヨイチャン様は星の世界からの仮初めの客。流星と同じく、瞬く間に消えて居なくなります。

 ただ私はこう考えます。
 ガモウヤヨイチャン様が構築される新秩序の中で、我らが運命の従属者とならない為には、自らゲキになるしかない。
 方台に生まれた人の後に続き、同じ振る舞い方を身に着ける。さもなくば千年の悔いを残すでしょう。」

「善悪の彼岸を飛び越える人の真似をするのですか…。」

 

 王太子メグリアル暦ィメイソンはしばし迷う。

 シメジー銀ラトゥース、噂に違わず大きな器量を持つ使える男であろう。
 だが彼は、褐甲角王国のさらに先を見通す眼を持つ。我らの御するところには収まるまい。

 この男を陣営に招き入れて大丈夫だろうか? もっと慎重な対処を考えるべきではないか。

「それはそうと、まだ御頼みしていませんでした。「チューラウ神衛士」への転属を、お願いできますか。」

「謹んでお引き受けいたします。ハジパイ王殿下の御為にも。」

 

 

第六章 ヒロインの証明

 ハジパイ王の大狗の飼育番となったゲワォは精力的に活動して、カプタニア内外の情報を収集した。
 王族の鑑札があれば、どの関所もほぼ無制限に通行出来る。
 遠くガンガランガの異変を受けて厳しさを増す警戒の中でも、自在に行き来して諸々を覗いて回った。

「どうも、妙な噂が出回っているようです。」

 ゲワォのハジパイ王への報告は直に行われる。他の密偵はもちろん直属の上司へ報告し真偽を確かめた上で上奏されるから、異例の扱いだ。
 彼だけが特別なのは、推薦人の格による。

「ガンガランガの重大事は巧みに情報封鎖がされている為、庶民にはほとんど知られておりません。それは良いのですが、代りにメグリアル王女 焔アウンサ様暗殺の件が未だに尾を引いています。」
「警戒強化を裏付ける理由が必要なのでな、アウンサ姫には死んだ後も働いてもらっておる。あの姫は庶民に人気が有ったからの。」
「ですが、それだけには留まりません。」

 ハジパイ王はゲワォの能力を高く買っている。
 彼は他の密偵と違い、かなり本格的に鍛え込んだ教養が有る。中級の官吏と同程度であろう。
 それでいて下層民や貧困層、難民の事情にも深く通じる。密偵特有の胡散臭さが無く、自然と人に溶け込めた。
 いや、彼等の代弁者となり不正を追求し巷の悪と対決する姿勢が任務を越えて今も同居し、虐げられる者に信頼を抱かせる。
 志の高さと泥臭さが同居する、奇妙な人材だ。

 故に、彼の懸念が気になった。

「不審を感付かれたのか?」
「王女の死に関して王国からの発表は未だ公式には有りません。また犯人についても捜査中とばかりで、真剣に探している気配が無いと庶民を見ております。」
「それは、儂の指示だ。儂らは下手人を知っておるからの。ふむ、少しまずかったか。」
「どこからか圧力が掛かっていると見て、あらぬ噂が乱れ飛んでおります。
 王女がカプタニアに入れなかったのは、入っては困る勢力の仕業ではないか、との憶測です。まずは元老院、さらには王殿下の関与もまた。」
「ふうむ。」

 焔アウンサ殺害の仔細は、手を下した本人から直に聞いた。その場にはゲワォも居合わせる。
 犯行動機も納得したはずなのに、何故この男は民衆の憶測にこだわるのか。

「焔アウンサとヒィキタイタンが生きておれば、方台に新しい時代がやって来ない。だから消す。あの女の説明ではお前は納得しないのか?」
「はい。」

 巨大なカエルを横に潰したような体格の男は、真摯な眼差しで王に答える。
 ゲワォは義に厚い。一度仕えたからには決して裏切らぬ覚悟が有り、誠意に溢れている。
 彼の懸念は、主人の危険を察知してのものだ。
 ハジパイ王は嘆息する。

「あの女は真実を語らなかったのか…。」
「あの御方は嘘などは申しません。ですが、すべてを明かしたと信じるのも危ういと存じます。」
「隠された裏の事情がまだ有るか。なるほど、アレはそういう者だ。」

 では何がと尋ねるが、ゲワォも答えは持っていない。情報が少な過ぎた。
 ただ見過ごしにしてはならないとの勘ばかりが働く。

「このような場合、ネコの長者に話を聞くのが一番と存じます。」
「ネコの長者?」
「はい。無尾猫は特定の人物の傍に集まり、方台全土のあらゆる噂を交換します。ネコに深く信頼され、通常は語られない極秘の噂までも教わります。
 為に「ネコの長者」と呼ばれ、世のすべてを読み解く能力を持ちます。」

「なるほど便利な者だ。カプタニアに居るのか。」
「幾人か住居します。されど、御下問に答えられるだけの知力と教養を持つ者は、ただの一人。」
「その者の名は。」
「軍に布地を納入するヒッポドス商会の令嬢、ヒッポドス弓レアル殿です。」

「おおヒッポドスか。あの家は元は東金雷蜒王国で神聖宮に仕え、王国に渡って来た後は経済閣僚として手腕を発揮し財政状況の好転に一役買ってくれた。
 その娘であれば確かに信頼も置けよう。ふむ、なるほど。」

 王は白い頬髭を撫でて考える。
 ネコの情報は確かなものだが、いかんせん聞き取るのに名人技が要る。政治に利用するのは難しい。これまでは避けて通して来た。
 ネコの長者とやらが使えるものか、確かめてみるのも悪くない。

「よかろう。ヒッポドスの娘を召し出して尋ねてみよう。手配を頼む。」
「はっ。」

 

 翌日。

「あら、ゲワォにいさん。」
「お、おおお! ハギット、なんでここに居る。本店で秘書じゃなかったのか?」
「それはにいさんの方こそ、逃亡中じゃなかったんですか。」

 王宮外庭の官僚の集合住宅街にあるヒッポドス本家を訪ねたゲワォは、門番やら巡邏やらに不審な眼で見られながらもちゃんと目的地に到達する。
 さすがハジパイ王の鑑札の威力は目覚ましい。
 ヒッポドス家でも初めて見る約束も無い不審な男を快く受入れた。王宮の御用を承る大手の商人だけあって、例外もよく心得る。

 だが未婚の令嬢との面会であるから、まずは女家庭教師が取り次ぎに現れる。
 30歳ほどの背が高く細い、色気はあんまり無い女性はゲワォの顔を見て、開口一番。

 

「……大旦那さまがお亡くなりになられ、本店には居辛くなったんですよ。今はお嬢様のお世話をしております。」
「そうか。10年も王都を離れていれば、それは色々変わるなあ。」

 ゲワォは元は中級官吏の家に生まれたれっきとした身分の有る人間だ。
 容貌こそ可愛くなかったが、幼い頃より学問にも運動にも優れ将来を嘱望されていた。
 だが侠気が有り過ぎ正義感に溢れ、衝突を起こすこともしばしば。
 両親は彼に尋常の教育を施すのを改め、王都でも名高い賢人ギョラン・ギョンギョの内弟子とした。

 その頃下働きとして後援者のヒッポドスから遣わされたのが、元蜘蛛巫女見習いミア・ハギットである。

 賢人ギョンギョは酒飲みだ。一度読んだ本はすっかり覚えてしまうから用無しと質屋に持ち込んで、カエル通りで潰れるまで飲む。
 二人は尊敬する師匠を回収するのに明け暮れた。
 身体の大きなゲワォが師匠を背負い、ハギットが飲み屋の払いと質屋からの本の奪還を受け持つ。
 たいへんではあるが妙に楽しい、明るい日々であった。

 その後ハギットはヒッポドスの先代に呼び戻され本店で会長秘書を務め、ゲワォは高級官僚へとひた走るはずが、ひょんなことから難民を虐げる下役人を殺め逃亡する。
 方台を流れ流れて巡り歩き、二人はまた出くわした。宿縁であろう。

「しかしまあよくも御無事で、お家には連絡されたのですか。」
「いや、さすがにそれは憚られて。母上はお元気だろうかなあ。」
「それはもおご健勝ですよ。時々顔を出して御機嫌を確かめていますから。」
「う、…お前がか。それは、…ありがとう。」
「いえいえ。」

 積もる話は様々有るが、ハジパイ王の御用で来たのだ。
 ハギットに案内してもらい、弓レアルが一日を過ごす中庭に上がる。

 鉄仮面の少女が居た。

「!?」
「あ。どうも、これはですね、ネコが鼻を引っ掻こうとするもので、仕方なく。」

「こちらはトゥマル商会のトゥマル・アルエルシイさまです。『青い髪のイカ女王』と呼べば、わかりますか?」
「ああ、あのイカ商売で大儲けしている。そういえば、髪までも青く染めたと、」
「染めたのではありません。色が抜けてしまったのです。」

 聞き慣れない男の声に誘われて、また一人少女が近寄って来る。
 地味な色、禁欲的でありながら活動のし易い服装、革の小物と短剣を吊っている。典型的な黒甲枝家の女人の装束だ。

「ハギットさん、その方はどなたですか。」
「斧ロアランさま、こちらは私の古い友人で今はハジパイ王にお仕えする、えーとーとりあえず”ゲワォさん”とお呼びください。」
「ハジパイ王の!」

 ゲワォも丁寧に挨拶する。いかに王の下で働くとはいえ、只のお犬番は黒甲枝の子女とは隔絶して身分が違う。
 だがカロアル斧ロアランは。

「なんという奇遇でしょう。私もハジパイ王殿下のサクラバンタに従う女官を務めていたのです。」
「そうなのですか。それは、恐ろしいお役目を。」

 額に緑金の聖蟲を戴く大狗サクラバンタは神兵に次ぐ格式を持ち王族の代理を務め、外出には女官や侍人を従える。
 どちらも同じ狗の番という点で親近感が有り、またロアランには極めて好都合な展開だった。

「そうです。王殿下にお願いするという手がありました。」
「は?」

 きゃらきゃらぺちゃくちゃと高音が飛び交う庭に、ここは女の魔窟だな、とゲワォは感じる。
 彼女たちはただ暇を潰しているのではない。この庭に満ちる空気に惹き付けられる。透明で静かな気配の中に高まる期待が有る。
 空気の大元は。

「あれが、ヒッポドス弓レアルさまです。」

 白い冬毛でもこもこに膨れた無数のネコに埋もれる丸い茶卓に、若い娘が頭を横たえている。
 ふんわりとした薄桃色の髪が風にそよぎ遠い春を待ち望み、アユ・サユル湖のはるか彼岸に注がれる眠たげな眼差しがゲワォに向いた。

 

 

 ゲワォが情報を提出するまでもなく、ハジパイ王付きの衛視と護衛係が面会者の身元を洗い出し危険を判断する。
 ヒッポドス弓レアルへの招請状は夕刻に出されたにも関わらず、朝にはすっかり審査が完了していた。
 面会客は2名。弓レアルにカロアル斧ロアランが付き添いとなる。
 もちろん、これ以上無い程に身元のはっきりした二人だ。

 ロアランにとっては半年以上も久しい王宮だった。
 去年初めてハジパイ王の下に女官として務め、王直々に赤甲梢の動向を探る密偵として選ばれた。

 あの日がとても遠くに感じられる。
 ほんの僅かの月日であるのに、世界が反転するほどに変わってしまった。
 父が戦死し兄が行方不明、義姉となるはずだった人と共に、再び王の前に頭を下げる。

「そなたは見覚えが有るな。何時だったか。」
「お懐かしゅうございます。黒甲枝神兵カロアル羅ウシィが娘 斧ロアラン。かって御狗付き女官として王殿下にお仕えしておりました。」
「うむ。そうだ、あれからボウダン街道に赴いて良くトカゲ神救世主の実相を伝えてくれた。そなたの働きは公には何の報いも無いが、大審判戦争における最大の貢献と儂は考える。」
「お言葉、無力非才の我が身に余る光栄でございます。」

「いやそうではない。」

 ハジパイ王は、極めて珍しい例外中の例外だ、執務室の奥の机から立って戸口まで歩んで行く。
 白髪の老人の姿を遠慮しつつに仰ぎ見て、ロアランははっと息を呑む。
 この人は、こんなにも歳を経っていたのか。
 前に見た姿は、王国のすべてを支配する怪物としての大きさ冥さがあった。人の気魄が物理的な圧力と化し、ロアランの頭を床に擦り付けさせたものだ。

 変わってしまった。なにもかもが変わってしまった。
 時代は動き人は歩みを早め、死者を振り返る者は無く、老人は置き去りにされていく。

 改めて見る王国最大の実力者は、確かに重責を担い叡智を以って難局を乗り切る大政治家であろうが、ただの老爺に過ぎなくも思える。
 むしろカプタニアの東街の通りに座って陽の暮れるを待つだけが、今の王にはふさわしいのではないか。

 白髪の中に座す金色のカブトムシは、夢見るようにわずかに触覚を蠢かせ、天窓よりの陽の温もりを楽しむ。
 王もいっそ清しい透明さで、孫ほども若い女官に語りかける。

「密偵や調査官ならば老若男女、上は王族から下人奴隷まで様々に放ちガモウヤヨイチャンの一挙手一投足までも調べ上げた。それこそ夜の寝言までもだ。

 だが政治的判断を行う際に最後に拠り所としたのは、カロアル斧ロアラン、そなたの報告書だ。
 そなたの文だけが、彼の者を人として捉えておった。人間としてのガモウヤヨイチャンが目の前に立つかに思い浮かぶ、見事な観察だ。
 儂はそれを頼りに人間として救世主と対峙し、方台の未来を賭けて戦こうた。

 負けてしまったがな。」

 言葉にならない。ロアランは自分以外の密偵達の努力する姿も知っている。
 身を換え姿をやつし泥に塗れ汚水を潜り、櫛の刃が欠けるかに仲間を失う恐怖と闘いながらも、王の命令を忠実に遂行した。
 今の言葉はロアラン一人に向けられたものではない。
 彼等全ての、大審判戦争の輝かしい戦勲とは無縁の功労者をねぎらう、ハジパイ王心底よりの感謝であろう。

 我知らず涙が頬を伝うロアランは、自分がここに何をしに来たか忘れてしまった。

 カロアル家が頼みとする金翅幹元老員ダディオ直スゥスィヒは、ロアランが切に願った女人聖戴の件の善処を約束してくれた。
 だが連絡はそれきり無い。
 人を介して元老院の動向を確かめてもらうと、ダディオは確かに女人聖戴者が果たす役割について熱く同輩に語っている。
 だが、ロアランの聖戴に繋がる気配がまるで無い。
 彼はどうやら、金翅幹家の女人を弥生ちゃんの元に送り込もうと考えているらしい。

 アテが外れたロアランは、ゲワォがかっての自分と同じ狗の番と知って、ハジパイ王に直訴する掟破りの手段を思いついた。
 冷静客観的に考えると、ダディオの頭越しに王に直接願うのは上下の秩序を乱し金翅幹家の面目を潰す、とんでもない蛮行である。が、ロアランそこまで頭が回らない。

 ロアランが聖戴にこだわるのも、歴史の中心に立っていながら何の貢献も出来なかったとの悔いからだ。
 だが、ハジパイ王の感謝の言葉に自らの思い上がりを正され不明を恥じた。

 弥生ちゃんに大狗を差し向け暗殺を試みた事に、せめて一言抗議するはずだったのも、忘れてしまう。

 

「ヒッポドス弓レアル。」

 ロアランの左隣に控えて居た弓レアルが立ち上がり、王に対して改めて御辞儀をした。
 彼女は黒甲枝の妻としても、金翅幹家に並ぶ格を持つ家の娘としても、ふさわしい礼式を弁える。
 だがここぞという時には、東金雷蜒王国の神聖宮で先祖が用いた伝統の作法を披露する。

 舞踏に倣う華麗で洗練された身のこなしに、貴人に慣れた女官やカタツムリ巫女も見惚れてしまう。
 ハジパイ王も満足げに首肯いた。
 再び跪き頭を下げる女人に尋ねる。

「そなたがネコの噂に詳しい長者と聞いて、今日は来てもらった。儂の願いを聞いてもらえるか。」
「なんなりと御申しつけください。」
「うむ。では用意してもらおう。」

 昨日ゲワォから、ハジパイ王の元で質問に答えてもらいたいと打診されて、弓レアルは条件を一つ付けていた。
 或る方法でないと十分に知恵が回らず、ネコの噂も思い出せない。王に対して非礼とも見えるのだが、それが許されるのであればと。
 ゲワォは先夜上申し、王の許しも取っている。必要な道具も揃えておいた。

 カタツムリ巫女が注文通りの丸い茶卓と椅子を並べ、小さな枕を机に置く。
 それではと優雅に裾を膨らませ椅子に座った弓レアルは、枕に右の耳を押し当てハジパイ王に横に倒れた顔を向け、ぼんやりと両の目を開く。

「それが、ネコの長者としてのそなたの姿か。」
「こうすれば、ネコ達は私が居ないものとして勝手に喋って行きます。聞くともなしに聞き、ネコに人間界の疑問を尋ねられれば教えるだけにございます。」
「ネコの長者は全ての噂に通じ、人の身では知り得ぬ真実も知ると聞いた。相違無いか。」
「少し違います。私はネコの噂を整理し最も価値があるものに整形して、ネコがより良く噂でご飯が食べられるのを手伝うだけです。」
「つまりは、ネコの利益の為に働く者というわけだな。」

 ハジパイ王は女官が持って来た籐の椅子に座り、弓レアルを間近に見る。
 不思議な光景だ。女は世界を横に眺める。上下の関係も社会的地位もすべて並列に見えてしまう。ヒトもネコも等しく。

「庶民はキスァブル・メグリアル焔アウンサ王女暗殺の一件に不審の念を抱いておると聞く。なにが原因か。」
「それは、ネコがこだわるからにございます。」
「ネコはこの件に誰ぞ黒幕が居ると、知っているのか?」
「ネコの噂には4種ございます。この件は、その一に該当します。」
「4種の噂とは、なにか。」

「1つはネコが知り、ヒトが知る噂にございます。これはネコにとって価値がありません。
 2つめはネコが知り、ヒトが知らない噂にございます。ネコが商うのはこれです。またこれをこそ探しています。
 3つめはネコは知らず、ヒトが知る噂です。ヒトの世の人情の機微、理屈を知らねば納得出来ぬものは、ネコの手に余ります。ネコの長者と呼ばれる人が役に立つのは、これを与えるからです。
 4つめは、ネコは知らずヒトも知らず、ただ有るのだけは知っている噂にございます。
 今回の件は、4つめにあたります。」

「その噂とはなんだ。」
「メグリアル王女様が赤甲梢を率いてギジシップ島に渡った際に遭遇した、不思議な重甲冑の戦士。この額に居た妖しの虫の正体、でございます。」

 ハジパイ王は内心で驚いている。これは確かに高度に政治的で、極めて危険な問題だ。
 金雷蜒王国が、褐甲角神の聖蟲と同等の力を持つ虫を飼っている。
 有り得ないはずの事実が焔アウンサによって暴露された。たしかに暗殺でもして人の目を逸らさねばならぬ。

「ネコは、虫の正体をどこまで掴んでおる?」
「ネコの力では無理です。ただネコは、方台各所に居られる数多の賢人に対して問いを発します。賢人はそれぞれに見解を述べ、言葉がネコの市にて取り引きされます。」
「つまりは知恵の利く者が虫の正体を看破したというのだな。してそれは何か。」

「賢人は皆こう仰しゃります。『褐甲角(クワアット)神の聖蟲より強い虫は地上には居ない』」

 弓レアルの脇に控えるカロアル斧ロアラン、また女官侍女は言葉の恐ろしさに皆気付き、不安げに王を見る。
 王は事の重大さを鑑みて、以後女官等を部屋から退けた。ロアランも共に退室する。

 天窓から光が差し込む、左右を高い本棚に囲まれた執務室に、老人と机に頭を横たえる女のみが在る。
 老人は女の誤りを正す。ゆっくりとした口調で優しく、だが断固として。

「我等クワアットの聖蟲を戴く者に、そのような不届きな輩は居らぬ。ネコは裏切りを見たのであろうか。」
「いえ。そのような御方はどこにもいらっしゃいません。」
「そうであろう。では何故、戯れ言をネコは伝える。」

「ネコはギジシップ島で赤甲梢が闘った逸話を正確に記憶します。不思議の戦士の額に居たのはゲジゲジでもカブトムシでもなく、黒光りのする体節の曲がった奇怪な虫でした。」
「なるほど、カブトムシの持ち主が裏切ったのではないか。」
「ですが神秘の怪力を用います。故にこの虫は、褐甲角神に連なるものです。」

「そんな虫は有り得ない。それとも褐甲角神は金雷蜒神聖王に新たな聖蟲を授けられたのか?」
「とあるギィール神族の老人のお言葉です。『おおかたゲジゲジの餌にカブトムシの幼虫でも喰わせたのであろう』」

 王は思わず椅子から立ち上がる。
「カプタニアから、神聖神殿から、聖蟲の骸が持ち出されたと言うか!」

 カプタニア王宮の頂上、神聖宮殿に付属する王国最重要施設、神聖神殿。ここではカブトムシの聖蟲の繁殖が行われる。
 成虫となって後は不死にして人為では決して害せぬ聖蟲だが、幼虫サナギの段階では死ぬ時もある。
 骸は金銅の壷に納められ霊廟に大切に保管されていた。カプタニア神衛士による厳重な警備の下にあり、何人も触れられない。

 盗み出されたとすれば、神聖宮殿を揺るがす大事件だ。

「もしもそれが事実だとして、では犯人は誰か。賢人は知っておらぬか。」
「かって聖戴の栄に浴し、今は隠者となられた方がこう仰しゃられています。『褐甲角神の宿り木に入れるのは、神衛士のみ』と。」

 だがハジパイ王は知っている。緑金のカブトムシを額に戴く者は、王族の命に逆らえぬ。
 背信行為を働けるのは、カプタニア神衛士でありカンヴィタル王族である者。神衛士団長以外に有り得ない。

 焔アウンサ王女の暗殺がアノ女の仕業であるのなら、彼女は神衛士団長カンヴィタル鮮パァヴァトンと通じている。
 いや彼の身を守る為に、王女を殺した。
 これが、真の理由か。

 

 しばしの沈黙の後に、ハジパイ王は鈴を鳴らし女官を呼び戻す。
 カロアル斧ロアランの再びの入室を許可し、弓レアルを引き取らせた。なんの咎めも無く、そのままに。

「ゲワォよ、聞いたか。」
「はい。」

 入り口の近くに置かれた背の低い書棚から、声がする。王の身を護る兵士を伏せておく小部屋だ。
 身分的に表立って王宮を歩けない下人や密偵は、隠し廊下を通って様々に奉仕する。カプタニアの王宮は迷路と化していた。

「それにしても、カンヴィタル鮮パァヴァトンか。意外な人物が出て来るな。」
「カプタニア神衛士団長様でございますか。あの御方とどのような繋がりがあるのでしょう。」
「さて。だがアレはヒィキタイタンも殺すつもりだ。それも鮮パァヴァトンの為だな。」

「「チューラウ神衛士」構想に、カンヴィタル鮮パァヴァトン様の起用が内定したと聞き及んでいます。新たなる属王家を立て、神兵の一軍を率いると。」
「ヒィキタイタン健在であれば、彼がその役を受けたであろう。なるほど読めた。」

 ゲワォにも、極めて大胆な女の計画が想像出来た。
 ソグヴィタル王 範ヒィキタイタンは先戦主義を唱え褐甲角王国建国の理念、救世の大義を新たな時代の幕開けまでに完遂させる運動をした。
 その人気は王国を追われた今も変わらず、クワアット兵黒甲枝に根強い支持が有る。
 もしも彼が死ねば、志を受継いだ者が大きな力を得て、次の時代の褐甲角王国を指導していく。
 いや、死ぬからこそ伝説となりヒィキタイタンの幻影はより強く輝く。後継者は揺るぎない支持を軍と黒甲枝から受けるだろう。

 もはやハジパイ王以下先政主義派の時代ではないのだ。

 王は天窓から差し込む光に顔を背け、暗い隅を見詰める。
 少し方針転換をせねばならぬようだ。このまま進めば、女の思うがままの姿に褐甲角王国は落ちるだろう。
 悪意に満ちた、ものではない。アレは方台の滅亡など望みはしない。

 だが、いいように動かされて面白いはずも無い。

「…ヒィキタイタンには、今少し生きてもらわねばならぬようだな。」
「イローエントより間も無く護送されておいでになります。元老院では裁判の末に死罪とされる予定ですが、介入なさいますか。」
「難しいな、儂の立場では死を申し渡す以外無い。」

 ヒィキタイタンの裁判は、これまでの王国の有り様を守らんとする守旧派と、弥生ちゃんが作り上げる新秩序に対応せんとする変革派の対決の場と成ろう。
 状況は守旧派にかなり不利だ。ヒィキタイタンは口舌の戦いでは無類の力を誇る。
 故に処刑を急ぐのであるが、牢内で謀殺でもした日には内戦すら起きかねぬ。

 アノ女が狙うのは、これか。
 守旧派変革派の不毛な争いをカンヴィタル鮮パァヴァトンが収めれば、以後20年は彼が実権を掌握しよう。
 まるで、今の自分のように。

「…ごねるか。」
「守旧派の皆様は王殿下を頼りといたします。慎重を呼び掛ければおそらくは、」
「いやそれでは止らぬ。裁判など無しでカプタニアに着いた当日に問答無用で処刑してしまおう。
 そう伝えれば反対する者が幾らでも現れまずは形式について大論争に及び、結局は陛下の御裁可が下るまでは処分を保留することとなろう。暗殺を考える者も減るはずだ。」

「時間稼ぎ、でございますか。」
「すべての鍵はガモウヤヨイチャンだ。アレが戻る前にケリが着くか着かぬかで、まるっきり状況が変わって来る。

 それにしても、だな。」
 王は姿の見えぬゲワォに笑い掛けた。

「この仕掛け、昨日今日始めたものではないな。ガモウヤヨイチャンが降臨する遥か前、10年は昔から考えていたのだろう。」
「あの御方の深謀遠慮は、常人の想像を絶するものでございます。」
「いや。やり方は知らぬが動機は単純だ。儂が老いぼれたので次を探しておったのだ。そうだの、アレに会ったのはもう40年にもなるか…。」

 

 

 翌日、ゲワォはハジパイ王の使いとしてヒッポドス家を訪れる。わざわざ呼びつけたのだから、褒美の一つも賜うのが筋だ。
 もちろん真の目的は焔アウンサ王女関連の噂を差し止める為、ネコの協力を仰ぐことだ。
 ネコは自らの安全に関わる噂は自主的に流通を禁止する。今回の事例もそれに相当すると、弓レアルから諭してもらおうと考えた。

 真っ白なネコが群れ集う中庭で、相変わらず弓レアルは茶卓の上に頭を横たえている。
 離れて見守るハギットに、ゲワォは訊ねた。

「また噂を聞いているのだな。」
「はい。ずっとです。」
「そうか。」

 他人には無為の時間を過ごしていると見えるだろう。だが、ゲワォは隠し部屋の中で聞いて居た。
 ハジパイ王は、弓レアルがカンヴィタル鮮パァヴァトンを示唆した時点で話を差し止め、こう訊ねた。

「そなたは今、自分が何を申しているか、理解しているか。この部屋より無事帰れると思ってか。」

 王は冷徹な支配者に戻る。
 王国を揺るがす重大事を他に聞かれてはならない。憶測であっても世間に流布するのを許してはおけない。
 弓レアルは明らかに死の淵への一歩を踏み出した。
 だが表情は相変わらず、眼を開いていながら何も見ず、何も心に響かない。

「はい。」
「では何故語る。無尾猫であっても、己が身を守る為には口をつぐむものだ。」
「はい。ですが、」

 陶器のように変わらぬ白い頬に、一筋の光がゆっくり伸びる。天窓から差し込む光が、右の眼より伝う涙に煌めいた。

「ネコの噂を聞き方台のすべての物事を知り、あらゆる賢人のご意見をうかがいました。でも、どこにもいらっしゃいません。
 カロアル軌バイジャンさまの御姿が、方台のどこにも無いのです。」

 彼女の身上調査書を王も読んでいる。
 婚約者カロアル軌バイジャン小剣令は、ベイスラの戦場で金雷蜒軍の一大攻撃作戦に遭い行方不明。失踪後半年を過ぎて、法的には戦死と看做され軍籍を抹消される運びだ。
 弓レアルは彼を探す手段として、ネコに全てを托した。
 日夜取り留めの無い噂話に耳を傾け、ひたすらに手掛かりを求める。
 不毛と思われようとも決して諦めず希望を捨てずに、ネコの市と格闘し続けた。

「でももう疲れました。
 もしもわたくしの命が御入用であれば、どうぞお取り下さい。そして安らぎを御与えください。」

 無事帰したのは果たして慈悲であったのだろうか。
 王はゲワォにこう洩らす。

「我等は少し浮かれておったのかも知れぬな。ガモウヤヨイチャンが巻き起こす時代の嵐に。
 だがあの者であれば別の道を見出せるかも知れぬ。救世主の隣に座って、普通に笑っていられる生き方をな。」

 

 ゲワォは脇に立つハギットを見る。
 初めて会った時はそばかすだらけの口だけは達者な、好奇心溢れる面白い娘であった。今は背も伸び少々薹が立ってはいるが、輝く瞳は変わらない。

「弓レアル殿は、やはり諦めないのだな。」
「ゲワォにいさんはお嬢様を見くびっておいでですよ。お嬢様は凄い人なのです、ネコにばかり頼るのじゃありません。確かな手掛かりが有るのですよ。」
「ふうん、それはなんだ。」

「恋する者の直感、でしょうかね。」

 それが、ネコたちと何時まででも戯れられる秘訣だろうか。無尾猫は暗い家には寄りつかないものだ。
 またハジパイ王が無事に帰した理由だろう。

 

「そうか。あの人は、自分の時間の主役なんだな。」
「にいさんも私も下手でしたからねえ。」

 

           (後篇 第七章に続く)

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