ゲバルト処女

エピソード4 忙中閑あり姦計あり

 

 

 『武徳聖伝』 第八章十七節

 (ギィルギィイルに四度目の裏切りを受けた)クワァンヴィタル・イムレイルに、槍組頭の一人テュダルムは憤懣やるかたない態度で処分に異議を訴えた。
「あなたは何故、あの男にこれほど寛大なのです。奴のせいで仲間が何人も傷つき死にもしました。死を以って報いるのが常道です。」

 イムレイルは、自分でも完全には納得していないと前置きしながらも、弁明した。
「確かに彼には死罪がふさわしいのかもしれない。だが、天から見てみると、彼が私を裏切る度に、私の仲間は増え兵は精強さを増し闘う気力に溢れて行く。
 どうやら彼には、私の至らない所を知り注意を促す力があるようだ。」

 テュダルムはその言葉を受入れず、次にギィルギィイルが幕屋に現われたらイムレイルの許可が無くとも斬ると宣言した。

 

 『真実の救世主の書』 第二章「目覚めの朝」九節

 クラタンパルに三度裏切られたイル・イケンダはしかし、弟子達に対して彼を責めるなと諭した。
 最も血気に溢れるスバルフは、短刀を鞘から抜いて地面に突き立て、師に対して諫言した。
「正しい道を行く者は、邪なる行為に対してはそれを正す義務が有るはずです。」

 イル・イケンダは彼の言葉が正しいとは認めながらも、教えを垂れた。
「彼の者は私にとって砥石のようなものだ。至らぬ所を気付かせ、鈍っている力を目覚めさせる緊張が有る。」
「では、四度目の裏切りも許しますか。」
「何度でも許すべきだ。自らを正しきものと自覚する人間は、他者がそれを確かめるのを妨げてはならない。」

 スバルフは短刀を鞘に戻して言った。
「ならば私は楯となり、血を流してでも貴方を護ります。」
 イル・イケンダは目を伏せた。

 

【火の救世主】

 十二神方台系において、救世主は「火」を司る者として理解されて来た。
 この理解の源流は、最初の救世主紅曙蛸巫女王初代ッタ・コップに遡る。

 彼女は方台の人々に火の点け方扱い方を教えた。焼き畑による農耕、土器陶器ガラスの製造、狼煙による通信、焼き刳り法による丸木舟の製作等々あらゆる火の使い方を示し、文明をこの地にもたらした。
 続く金雷蜒神救世主は金属の精練と利用というまさしく火の芸術の化身であり、その聖蟲も輝く焔を表している。
 褐甲角神救世主は前二代のように進んだ科学技術や文明をもたらしこそしなかったが、その治世全般に渡って戦争を繰り広げ、まさに鉄と炎の激突する世紀を作り出した。鉄鋼生産量は神聖金雷蜒王国の4倍にもなったと記録され、一般庶民の生活の中にまで鉄製品が導入された。

 そして青晶蜥神救世主ガモウヤヨイチャンである。
 彼女は方台に到来してもほとんど火に類する知識を与えなかった為に、当初は守護神の表す通りに「氷」の救世主と考えられた。
 だが、その後青晶蜥王国時代が進展すると、半ばには火薬が発明され銃器、大砲、爆弾が用いられる。後期になると蒸気機関や内燃機関を有する動力船、動力梯車、自走車が用いられ、電気の利用も始まった。
 これらの発明はすべて、ガモウヤヨイチャンが書き残した物理・化学・数学の教科書に基づいて開発されたものであり、その意味においては彼女のもたらしたものと理解出来る。
 つまりは彼女もまた火の救世主と呼んで差支えない。

 ではッタ・コップ以前はどうだろう。
 紅曙蛸王国時代の前は一般に「ネズミ神時代」と呼ばれる。王こそ居なかったが、ネズミ神官と呼ばれる頭にネズミの聖蟲を乗せた特別な人間が村の中心となり人々を率い、超能力によって炎を扱ったと伝えられる。点火する能力を持つのは彼らのみで、人々は彼らの熾した火を家々に持ち帰り、暖を取り煮炊きをした。
 そう呼ばれる事は無いが、やはり彼らも火の救世主の系譜に連なる者だろう。

 ネズミ神時代に先立つ先史時代、コウモリ神が人間を方台に導いたと言われる時代はどうだろう。
 この時代、人は火の利用をしなかったと神話は語る。だが常に人々の側にあり、人々をさまざまな危難から救い、動物を狩って養ったという「コウモリ人」は目がらんらんと輝き、まるで太陽のような暖かい光を発していた、と信じられている。

 

 

第一章 褐甲角の兵は剣に恥じる所無し

 

 ベイスラ地方を守る黒甲枝カロアル羅ウシィは、ノゲ・ベイスラ都市防衛隊長のままで兵師監に昇進した。

 各県の軍司令が軒並み兵師監から兵師大監(後列)に昇進した為に、その後を埋める形で長らく現場を指揮して来た者の位階を引き上げたのだ。加えて羅ウシィには特別な任務も与えられる。
 「スプリタ街道難民移送司令官」という、難航必至のありがたくない役目だ。

「昇進おめでとうございます、と言いたい所ですが、この任務は怨まれますよ。」
「うむ・・・・。」

 彼の下で引き続き従う事になった中剣令ビジョアン榎ヌーレの言葉に、眉をしかめる。
 元々この任務は羅ウシィが献策したようなものだから、中央軍制局も彼を指名する形で立案したのであろう。スプリタ街道沿いに潜伏して盗賊となり寇掠軍の手引きをしている難民の武装集団を摘発するには、国中に溢れる難民までをも集中して管理しなければならない。

 羅ウシィはスプリタ街道南側の地図を出して大机の上に拡げる。

「イロ・エイベント県、正確に言えばイローエント市近辺に難民の収容所を設ける。ここには既に難民が勝手に作った居留地がある。これを塀で囲んでそのまま収容所として、カプタニア、ミンドレア、ヌケミンドル、ベイスラ、エイベントの難民3万人を移送し、計6万人を3ヶ月程度留め置き戦局に干渉させないのが我らの任務だ。」
「3ヶ月で済みますか?」
「ありえない。最低でも半年、いや戦況によっては恒久的な居留も考えねばならない。まあ、そこまでの責任は私にはないが、移送任務の後には既に潜伏する武装集団の摘発と脱走の防止はやらねばなるまい。」

「与えられる人数はいかほどになります。」
「クワアット兵200、邑兵2000だ。」

「6万人に対して、ですか・・・。」

 榎ヌーレは地図上の街道を指で押さえ、宿場町を確かめる。一度ノゲ・ベイスラに集合させてから移送を開始するとして、行程は12日、女子供老人が居るだろうから、15日は掛かる。

「難民は、家財道具は持って来る事が許されているのですか。」
「必要最小限という事になっているが、ただでさえ貧しい彼らからわずかな家財を没収するなど出来ない。イローエントに着いた後本当に食べていけるのか不安に思う者も あるだろう。金に換えられる物は手放せない。」

「行程は15日と考えましょう。ベイスラ、エイベントの司令部に武装集団の討伐を依頼されてはいかがです。」
「それが可能なら私の所にこの任務は来ない。潜伏した難民を捕らえるには、軍事よりも巡邏の能力が必要なのだ。」

「イローエントの協力はどの程度得られるでしょうか。」
「イローエントの都市防衛隊長も私と同じく兵師監に上がり、難民保護局長となっているはずだ。収容所に辿りつけば彼に任せれば良い。だが、タコリティ独立運動、南海の海賊衆や東西金雷蜒王国の海軍の動きに対処する為に人数を集中して、内陸部には兵は配置して居ないだろう。」

 榎ヌーレの指は街道を外れてイロ・エイベント県の中程で止る。ここは植生の乏しい乾いた荒地で、不毛さでは毒地と大して変わらない。更に西に向かえば”ワグルクー(緑隆蝸)神の苗木箱” トロシャンテの大森林地帯に突き当たる。ここで脱走されては探しようが無い。

「サユール方面はいかがです。」

 サユール県はベイスラ山地を挟んでスプリタ街道の西に並行する裏街道となっている。耕作には向かない山がちな土地だが、貧しくはない。アユ・サユル湖によって遮られるので、このルートでの難民の移送は最初から考えられていない。

「サユールの司令官マガン殿は難民に対して良い印象を持っていないからな。一歩も県内には入れさせまい。」
「ならばイロ・エイベントに閉じ込めるという事で抑えましょう。移送終了後はエイベントの県境で封をして、武装集団の摘発に臨みます。」

「難民の武装集団、という呼称はまだるっこしいな。なにか良い名は無いか。」
「そうですねえ、反乱者であり盗賊団でもある。反面、唯逃げているだけの者もある。山犬のように隠れているのでしょう。「伏徒」というのはいかがです。」
「うん。」

 「難民」というのも既に実情に合わなくなっているのではないか、という疑問も有り、便宜的に「朋民」という語も考案した。要するに、今後難民は王国の行政に完全に支配され、これまでのような不安定であり自由でもある立場を失うと規定する。

 

 兵師監は三兵と呼ばれる軍の三つの権限、軍兵(作戦行動)・工兵(陣地構築・施設管理)・糧兵(物資供給)を持ち、一軍を自在に動かす事が出来る。軍資金の使途も自ら決定し、人事権も握っている。
 羅ウシィはノゲ・ベイスラの税務局に行き、若手ながらも辣腕を知られる税吏ワァゲド・エプを移送計画の主任主計官に抜擢した。難民輸送の任務には、彼のような経済の専門家こそが必要になる。

 ワァゲド・エプが真っ先に質問したのは、移送すべき難民の数が間違いなく3万人であるか、という点だ。だが、羅ウシィは明確な答えを出せなかった。

「残念ながら、難民の戸籍は存在せず調査をした事も無い。3万というのは概数で、とりあえずカプタニアから示された数字でしかない。」
「そんなにいい加減では物資の調達計画を立てられません。なにとぞ正しい数をお知らせ下さい。」

「分かっている。既に確かな者を大本営に送って、真実の人数を調べさせている。」
「期間が3ヶ月というのも怪しいものですか。」
「半年、と考えてくれ。戦況が変化すれば、計画に大きな狂いも生じるだろう。最初から倹約して半年は当初の予算で保たせてもらいたい。」

「何より重要な難民に供給する食糧ですが、これをイローエントで調達するのは御諦めください。」

 ワァゲド・エプの言葉に羅ウシィも榎ヌーレも目を剥いた。そこを外すと計画は根本から覆る。

「ダメなのか。備蓄が2年分は貯えて居たはずだ。あれを用いるように指示されている。」
「イローエントの税吏である私の友人の話を信じると、備蓄食糧は1年未満の量しか残っていないことになります。原因はグテの不漁です。イローエントはグテ全域の食糧供給に責任を負っていますが、近年の豊作にも関らずグテに向かった食糧は無いのです。」
「金が無いから穀物が動かなかったのだな。そこでイローエントの衛視局が備蓄食糧を流用したのか。」
「帳簿上は有る事になっていますが、実態は半分以下でしかありません。東金雷蜒王国への穀物輸出も好調だった分、備蓄に回すには価格が高くなり過ぎて充足できず、穀物ではなく金として存在します。」

「ガモウヤヨイチャンが降臨するまでは、ほぼ平穏であったから、な。」
「ハジパイ王は御存知のはずですが、難民移送計画には関っておられないのですね。」

「大本営に状況を説明して、難民をこのまま留め置きましょう。無理に移送して餓死者など出しては、褐甲角王国の威信が永久に損なわれます。」

 榎ヌーレは進言したが、羅ウシィは返事をしなかった。既に計画は動き出している。スプリタ街道の中部各地では既に難民が狩り集められ、ベイスラ地方に送られているはずだ。一度動かした難民を元に戻すのは、それこそ反乱を助長する最悪手だろう。
 彼は関係各県の情報を綴った山羊革を確かめ、地図をなぞって言った。

「食糧の調達は我らには無理だ。前線に近過ぎる。」
「はい。」
「これをこそサユールのマガン殿にやっていただこう。裏街道ならば食糧の輸送に危険はほとんど無い。食糧供給量に合わせて難民を小分けに移送する。
 イローエントの情報が正しいのならば、収容所の建設運営が上手く行くとも思えない。まずは収容所建設に万全を尽くす為に邑兵1000を送り支援する。残りの1000名とクワアット兵はベイスラ各村に分散して収容する難民の管理を行う。」
「ベイスラは最前線に近過ぎると思われます。エイベントに預けるのはいかがです。」
「いや。女子供老人をそのような状態で送るのは危険だ。難民の男だけを優先してエイベントに送る。その際には家財道具一式も彼ら自身に運ばせる。当座の食糧もだ。」

「家族を分割するのですか。」
「脱走を防ぐ為だ。また反乱行為は男が行うものだろう。家財という重石を着けて移動させる事で、彼らの行動の自由を制限する。ただし、エイベント移送もやはりイローエントの収容所が出来てからだ。先に送った1000名の邑兵を召還出来てからとする。」
「は。」

「ビジョアン榎ヌーレ、貴君は邑兵1000を率いてイローエントに先行し収容所建設の支援と、現地の実情を詳しく調査してもらいたい。特に、現地の難民社会の状況をつぶさに観察し彼らの大人と協議して、制御の方法を研究してもらいたい。」
「はい、先行して受入れ準備を整えます。」

 羅ウシィは地図の上のイローエントを指でこつこつと叩く。彼もかって赴任した事があるが、都市の繁栄と裏腹に難民が劣悪な労働条件で酷使されている、と改善の必要を覚えたものだ。

「嫌な予感がする。タコリティ独立に伴って難民社会にも激変が生じているだろう。王国に対する不満も高まっているはずだ。火に油を注がねば良いが。」

 

 

 イローエントは十二神方台系の南岸が真っ直ぐに東西に伸びる丁度中央当りに切り欠きのように穿たれた、三角形の入り江だ。天然の良港であり、古代から南岸の中心として栄えて来た。タコリティの名もかってはこの港に隣接する苑に冠せられたとの説もあり、紅曙蛸巫女王との縁も深い。
 現在では東西金雷蜒王国との公然非公然の貿易によって経済が成り立つ。タコリティの円湾から供給されるタコ樹脂タコ化石は大きな利潤を生み出して、 この地に繁栄をもたらしている。

 だがそれだけに、ここは軍事的にも重視される地域だ。海軍は精強を極め軍船も多く、何者にも譲らない戦力を備えている。50年前、先代の武徳王が大海戦に挑み歴史的大勝利を納めたのもまだ記憶に新しい。
 その一方で、陸上の戦力はほとんど整備されていない。無視されているのではなく、海兵が時によっては上陸して歩兵の役を努める為に必要が薄い、と認識されて陣容が小規模で留まっている。充実しているのは砦ともなるイローエント市そのもので、周辺地域は乾燥地帯が広がっており人口密度が低い為にほとんど防備が無い。

 つまりは南で唯一大きく繁栄する都であるが、軍人、黒甲枝には人気が無い。
 なるほど50年前はここを舞台に大戦が繰り広げられたが、裏を返せばその後50年間武勲から見放されている。大体海軍だけでは決定的な勝利は望めないから、補給路が長大になる南海からの侵攻はあり得ないと考えた方がよい。当時はタコ樹脂資源の確保の為に海軍の出動が促されたのだから、現在のような安定して双方共に儲かっている状態では衝突のしようが無い。

 グテの管理と防衛の根拠地にイローエントがなっている事も疎まれる由縁である。
 グテ、山と海に挟まれて耕作の困難な狭く乾燥した海浜部は、トロシャンテと呼ばれる大森林地帯の西南外周、方台の4分の一をぐるりと巻いて、西金雷蜒王国に面する百島湾に繋がっている。イローエントの行政はグテの南半分を管轄する。一応は三県に分かれていて統治する役所もあるが、イローエントの物質的支援無しには自活する事が出来ない為に、実質ひとまとまりとして扱う。
 黒甲枝の家は身分の高さにも関らず薄給で物入り、しばしば経済的に破綻するが、その負債を王国が肩代わりをする代償としてグテへの長期赴任が求められたりもする。左遷どころか島流しであるから、心躍る気分になれないのも無理はない。

 

 というわけで、イローエントは軍人よりは商人が幅を効かす街で、統治の実権も自治会議がかなり大きな部分を握っている。難民が集まって付近に街を作るのも、大商人達が安価な労働力を確保する為で、衛視局の黙認を取りつけて建設した。

「思ったよりも大きくて立派だな。カプタニアの難民街とは大違いだ。」

 傷ついた追捕師レメコフ誉マキアリィはカニ巫女クワンパを伴って、イローエントの東にある難民街を訪れて居た。人口は1万5千人というが、タコリティ市街の崩壊以降人が急増して、各所で増築工事が行われている。木造の家が多いが、しっかりとした土台に2階3階と重なる泥壁の大規模な建物も少なくない。

「難民といえども裕福な者、身分の高い者は居るのです。彼らは兵も養って難民達を束ね、法の執行も任されています。」

 難民出身のクワンパが説明する。彼女は親の代に褐甲角王国に流れて来たが定住する事が叶わず、家族は今も領内をさ迷っている。

 マキアリィは巫女の頭巾の下に覗く飾り気の無い顔を見た。彼女はなにかしら、自分を批難しているような気がする。確かに難民に救いの手が差し伸べられないのは黒甲枝の罪かもしれないが、王国の法に国民と難民を差別する条項は無い。各地の自治会議、農民議会の自主的判断に任すのが間違いなのかも知れないが、だとすればギィール神族のように強圧的に支配するのを彼らは望むのか。

「その難民の大人だがな、彼らはどうやって富と権力を保っているのだ。生業が無いからこその難民だろう。」
「ああ、そこから説明しなければいけませんか。バンド(カースト)は御存知ですね、金雷蜒王国の奴隷の。」
「それは知っているが、圧政から逃れた者が何故自由の地で支配に服するのだ。」

「一縷の望み、と申しますか。難民の間にも幾分かは故郷に戻りたいと思う気があり、また縁者が居ます。彼らに連絡を付けたいと思えば、金雷蜒王国内の伝令バンドを通さねばなりません。また、難民の困窮の度合を聞いた縁者からの救援物資を無事届けるのも、バンドの仕事です。難民達が相互に助け合って生きていけるのも、調整を行う牧隷バンドから人が派遣されているからです。」

「つまりは、金雷蜒王国からは逃げられても、バンドからは逃げられないのだな。」
「定住が叶い農地を頂ければ良いのですが、流浪している限りは命綱から手を放すわけには参りません。」

 マキアリィは周囲を行き交う難民の顔を見た。強い日差しの下に黒く影で隠された顔は、土埃に汚れているが思いの外暗くない。むしろ生気に満ちているとさえ見えた。

「タコリティが潰れて職を得る事が出来なくなったのに、何故彼らはあんなに明るいのだ。」
「世が滅びると知っているからです。ガモウヤヨイチャン様のおかげを持ちまして金雷蜒褐甲角の両王国が滅び、誰もが安楽に暮らせる理想の王国がやって来ると信じているのです。」
「そこまで恨まれていたのか・・・。」

 道行く人が、逆にマキアリィの顔を見ていく。どうにも目立っているようで、難民達が次第に彼らに視線を集めている。マキアリィは額の聖蟲を隠す為に交易警備隊の帽子を被り笠を掛けて日除けとして、正体を見破られないようにしているつもりだが、何故だろう。
 クワンパが呆れて答える。

「そんなに姿勢の良い難民は居ません!」
「いや、交易警備隊の振りをしているのだが、」
「彼らは長い旅で足を引きずっているものです。一番楽に動ける歩き方をするので、そのように威風堂々とはしていません。クワアット兵は武装が重たくてもっと慎重に歩きますから、そんな歩き方をするのは」
「黒甲枝だけか!」

 ばっと二人は駆け出した。難民の若い男達が何人も追いかけて来る。クワンパが持つカニ巫女の杖の先を持って、マキアリィは彼女を引っ張って走る。左の肋骨を6本も折られているからといって、ただ動くだけならば常人にひけを取る事は無い。辻を風のように抜けて、荷車の陰に飛び込み、追っ手をやり過ごす。クワンパが杖の先の旗のようにマキアリィの腕の中に転がり込んだ。

「何者だろう。」
「ただの若者です。不審者を報告すれば何がしかの銭を貰えるのでしょう。今はここにも様々な者が紛れ込んで居ます。」
「まずいな。私の配下の者達も、見つかっているかもしれん。」
「とっくに見つかっていますよ。」

 心配になって、集合先となっている難民街の外の酒場に戻ってみると、果たして変装した6人のクワアット兵がコブやら手傷を負って、マキアリィの帰りを待って居た。

「申し訳ありません。」
「いや、考えが甘かった。たかが難民にこれほどの力があるとは、今のいままで知らなかった。やり方を換えよう。」
「夜に紛れて、もう一度入りましょう。」
「無駄だ。むしろ夜の方が警戒は厳重と見た。クワンパ、どうだ。」

「そうですね。夜は彼らの方が動きが活発でしょう。昼間は、もう少し上手な扮装をした巡邏が隠れて見張っているものです。」
「そうか、衛視局も手は打っているのだな。」

 マキアリィは考える。これではいつまで経ってもスルグリの動きを掴む事は出来ない。西金雷蜒王国の特殊工作部隊スルグリが、難民を操って褐甲角王国を混乱に陥れる策略を未然に摘発するのが、今のマキアリィの考える王国への忠誠だ。ソグヴィタル範ヒィキタイタンの追捕が叶わぬとなれば、別の方法で貢献せねばなるまい。

 クワンパは言った。彼女はカニ神殿から裏社会の情報を入手する事が出来る為に、彼らよりはまだ事情に詳しい。

「スルグリは何をするのでしょう。」
「何と言っても、それはタコリティの独立に乗じて、裏から大審判戦争に加勢するつもりだろう。であるから、難民を・・・。」
「どうするのです?」

 彼らは首をひねって考えた。難民がいかに多くても、兵としては使えない。女子供老人も居るのだ、男達も自由には動けない。騒乱を引き起こすにはタネが欠けている。

「クワンパ、難民は暴動を起こすほどには煮詰まっていないな。」
「そう見えますね。救いがあるからでしょう。」
「ガモウヤヨイチャンだな。スルグリが手を出すとしたら、その辺りか。」

「誉マキアリィ様、青晶蜥神救世主がどうしましたか?」
 クワアット兵が尋ねるので、マキアリィは先程クワンパがした滅びの話をした。さすがにクワアット兵も難民達の恨みに声を失う。

 マキアリィはスルグリの考え方に見当が付いて来た。難民を動かすには謀略ではダメだ。金銭でも動かない。救いか絶望、難民が自ら動かねばならないと思い至る、なにかが。

「・・・・・タコリティのテュラクラフ女王は、難民の救いになるか?」

 不意の問いに、誰も答えられない。クワンパが神官巫女の端くれとして、口を開く。

「紅曙蛸巫女王五代テュラクラフ・ッタ・アクシは、あくまでも伝説の女王です。今の状況でなにかを為すとは考えられません。」
「そうだ、動くのはガモウヤヨイチャンだ。だが、ガモウヤヨイチャンに働き掛けるには、」

「紅曙蛸女王であれば、天河の計画に口を差し挟む事が可能でしょう。」
「うむ。難民達が自らの窮乏を訴えるのに、直接ガモウヤヨイチャンの元に行くよりも、テュラクラフ女王の下で運動する方が近くて早い。」

 マキアリィは席を立って、クワアット兵達に命じた。直接に尋ねるのがダメならば、更に直撃をするまでだ。

「ちょうどいい。御前達は明日は治癒を求めにトカゲ神殿に行け。たぶん難民も来ているだろうから、救世主について難民の間で流れる噂を調べて来い。」
「マキアリィ様はいかがなさいます。」
「私はクワンパと共にもう一度難民街に入り大人の館を見張る。おそらくスルグリは神官か役人の風体で出入りするだろう。それを見付け尾行する。」

 

 翌日、マキアリィは装いを改めて、交易警備隊の隊長の派手な服装で難民街に入った。いかにも怪しい風体ではなく、堂々と正面から歩んだ方が虚を衝くと考えての扮装だ。確かに難民達も今度はマキアリィを怖れて近付かない。左の腰に吊っている刀も二束三文の安物から、少し上等で見栄えの効くものに換えている。黒甲枝の目からすればなまくらに過ぎないのだが、昨日のものよりはマシだ。

「これなら黒甲枝には見えないか。」
「まだ立派過ぎます。左右の女達に色目を使いながら歩いてください。」
「難しいものだな。」

 二人は通りを真っ直ぐに歩いて、ひときわ大きな家の前に立つ。この家はイローエント市街にあっても十分高級と思われる重厚な造りとなっている。
 カニ神殿からの情報で難民達の大人や顔役について知らされているクワンパが説明する。

「これは、ガマックという商人の家です。商人と言っても世を忍ぶ仮の姿で、本来は伝奏バンドに属する者です。」
「伝奏といえば、王宮に仕える者だろう。何故そんな者が難民を率いているのだ。」
「どこにでも落ちこぼれは居ます。王宮で宮女に手を出して追放の憂き目に遭ったのです。その意味では正しく難民ですね。」

 二人は門の正面から近付いて、門衛の兵に話し掛ける。自分を雇わないか、と正面切って交渉するが門衛ごときに決められる訳もない。体よく追い払われて、ではガマック殿が出入りする時を待とう、とか言って堂々と門前に腰を据える。

「このくらい恥知らずであればいいのだな。」
「もう少し横柄だとよろしいですね。門衛を殴り倒すくらい。」
「そこまでしなくてもいいだろう、今日は。で、顔役は三人居るのだな。」

「はい。ガマックが位としては一番上です、頭も良い。次がタコ化石鉱山に人夫を斡旋するのを業とするモリアエール、バンドの後ろ楯の無いまったくの平民でしたが、たたき上げの実力が有り、兵も彼の元に集まって来ます。三番目がゲロン、番頭階級の末裔を自称する書記バンドの出身で金を扱います。東金雷蜒王国との通信は彼の配下となっていますね。」

「ガマックが有望だ、とする根拠はなんだ。」
「カニ神殿の神官様のお知恵です。
 計画がテュラクラフ女王を用いるのであれば、バンド内でも位の高い者を通した方が説得力がある。なにより伝奏バンドの出身であれば礼儀においては専門家ですから、新生紅曙蛸王国に使いするにも不手際がありません。」
「そうか。ここでも身分の高さがものを言ったか。」

 

 朝とはいえ夏の日差しの下、二人は3時間待った。道を行く者は彼らの姿に目もくれず、急いで歩いて行く。タコリティ崩壊で減った職を、今は街の拡充が吸収しているようだ。だが、大半の者は明日をも知れぬ困窮の中にある。病気に冒された老婆がやせ衰えた幼女を連れ歩く姿に、思わず目を蓋う。

「これが王国の現実です。目を背けないで下さい。」
「おまえは、ガモウヤヨイチャンならこの現実をなんとか出来ると思うか?」
「いえ。」

 クワンパが即答するのにマキアリィは少し驚いた。神官巫女であれば、千年に一度の救世主にもっと望みを掛けるべきだろう。

「ガモウヤヨイチャンでは、ダメなのか。」
「そんな事はありません。ガモウヤヨイチャン様はカニ神殿から見ても立派な御方です。我らが待ち望んでいたままに素晴らしい救世主です。」
「それでも、人は救えないと思うのだな。」

「たった一人、御自分の星から連れ去られ、見たことも無い土地に流されたのです。普通の人間なら他人なんかどうなっても構わないと思うでしょう。それなのに、立派に救世主の役を御務めです。素晴らしいではありませんか。」

「望み過ぎてはダメだ、と言いたいのか。ガモウヤヨイチャンは確かに世は救うが、個々の人間にまでは手が届かない。当然だな。」

 マキアリィは首を動かさないままに、周囲の状況を確かめる。いかに密かに動こうとも、カブトムシの聖蟲によって強化された感覚と直感の前には、人間の動きは泥人形のように拙い。

「どうやら、囲まれたようだ。」
「正体がバレたのですか。」

 こちらも表情を微塵も換えずにクワンパが尋ねる。カニ神殿の修行がよほど過酷なのか、彼女は自ら表情を削ぎ落としどんな深刻な事態にも動じない。

「・・・少し違うな。全体的に警戒している。これは先乗りで危険を排除しようとしている。誰か重要な人物が来るのだ。」
「このまま留まりますか。」
「いや、一度退こう。」

 座って居た石段から立ち上がり、二人はその場を立ち去った。去り際に悪態を吐いて先程彼らを追い払った門衛に石を蹴飛ばすのも忘れない。
 監視の目はなおもついて来る。道を200メートルも進んで辻を曲がって、ようやく気配が消えた。

 路地に入り人目の無いのを確かめると、マキアリィは家の泥壁から突き出る桁の材木に右手を掛けて、あっという間に屋根によじ登った。ほとんど左手は使わない。下で見上げるクワンパに、手で抑える仕草をする。彼女も心得て何事も無い振りをして杖を突きその場に立つ。

 かなりの距離になるが、聖蟲に強化された視覚ならば問題なく様子を窺う事が可能だ。それでも用心して小屋根の陰に隠れてガマックの屋敷を眺める。精神のモードが切り替わって、臨場感が遠方の視界に拓けてきた。まるで首から上だけがその場に飛んだ感触がする。

「? 輿で来るか、度胸がいいな。」

 貴人にしか許されない、4人で担ぐ飾り屋根が付いた白い輿が地上に下ろされ、後ろに続いていた侍女が履物を前に揃える。だが薄い布の衝立が立てられて、何者かはよく見えない。

「背が、高い?」

 きらりと、その人物の額が光った。黄金の頭飾りは褐甲角王国では王族にしか許されない。金雷蜒王国ならば、金そのものが常人には禁じられている。

 クワンパの背後に、7メートルの上からざっとマキアリィが飛び降りた。いきなりであったので、通りを行く中年男に見られてしまう。

「どうしました?」
「ギィール神族だ。見ているのがバレた。逃げるぞ。」

 通りに飛び出し、クワンパの杖を取って走り始める。周囲の難民はなにが起きたのかと首を回すが、あまりに早いので誰も追おうとはしない。
 難民街の外に出て、初めてマキアリィはクワンパが杖に必死でしがみついているのに気が付いた。彼女は走るのを諦めて杖に縋って、飛んでいた。

「丈夫な杖だな。」
「・・・・どう、しましょう。これから。」

 息も絶え絶えになりながらも平静を装い、クワンパはマキアリィに今後の行動を尋ねる。目当ての人物を発見したのだから、黒甲枝である彼一人が戻るのかと思った。

「いや、あの輿が街の外に出るのを待とう。難民街に泊まっている訳ではなさそうだ。」
「そうですね。たぶん、海岸に舟でも止めて、密輸業者の隠れ家などを用いているのでしょう。」
「うん。どうせならばスルグリ本体の居場所を突き止めよう。」

 マキアリィは、ここで改めてクワンパを見る。クワンパも彼の言わんとするものは察しが付いた。

「お前はここまでだ。後は私一人でなんとかする。カニ神殿に戻って待機していてくれ。」
「はい。」

 クワンパの使命はあくまでも追捕と復仇を見届ける事だ。レメコフ誉マキアリィが自力で行動を始めたからには本来の任務に戻るべきだった。

「では、一人でイローエントに戻ります。」
「誰か昨日の酒場に戻っているだろう。そいつと一緒に帰れ。危ないからな。」
「では、夕呑螯(シャムシャウラ)神の鋏の御加護がありますように。」

 物陰に隠れながらマキアリィの傍を離れたクワンパだったが、ものの5分も経たずに戻って来る。

「輿です!」
「なに、もうか!?」

 二人で身を隠しながら移動して確かめると、先程の白い輿が街を出て海岸の方に進んでいく。道こそあるが往来が全く無いので、非常によく目立つ。
 クワンパはすぐに気が付いた。

「あの輿は空です。人は乗っていません。」
「ああ。だがちゃんと護衛が付いている。・・あの護衛は、スルグリではなく、兵だな。先程の視線の圧力が無い。」

「尾行しますか。なんとなく囮のような気もしますが。」
「囮であれば、クワンパ、お前はもう目を付けられている。一人では行くな。」
「はい。」

 二人は輿を追って、南の海岸に向かう。木陰一つ無い乾ききった平地を、遠くに輿を臨み隠れながら進む。1時間ほど行くと青い海の姿が見えてきた。西側には遠く、褐甲角軍の砦が見える。

「マングル砦だ。すでに国境を越えているな。」
「こんな何も無い所に隠れ家があるのでしょうか。」

 二人は輿の姿が見えるか見えないかの距離で、追跡している。すこし盛り上がった坂で輿が見えなくなったので、マキアリィが先行して様子を確かめる。後から来たクワンパに謝った。

「すまん。嵌められた。」

 輿は横倒しに捨てられており、担ぎ手も護衛も居ない。見つめる二人だけがある。

「俺達をおびき出して料理する手筈だったな。別の道から兵がこの辺りに伏せていれば、なんなく獲物が飛び込んで来る、という算段だ。」
「どうします?」
「走る!」

 クワンパの杖を手にまた走ろうとする二人の周囲に、半径150メートルほどの距離をとって半円形に押し包む武装した集団が現われた。正規の兵ではなく、難民に武装させた私兵であろう。数は50人も居て、皆短弓を手にしている。マングル砦を背にしているので、二人が逃げ込む事は出来ない。やむなく反対の海岸へと向かう。

 追跡して来る私兵を振り切って、二人は隠れる場所を探した。ここはまったくに平地で、矢を避ける場所が無い。海岸であれば岩が転がっているので身を隠し逆転する事も可能だろう。

「廃村か?」

 そこはかなり昔に滅びたと思われる、村の跡だった。木材がまだ朽ちきらずに残っているので廃棄されて数十年という所だろう。泥の壁は乾き切りぼろぼろに崩れ落ち、柱は真っ白に風化して死からも見放された荒涼さを湛えている。

「のどが、」

 とクワンパが声を枯らすのに、マキアリィはやっとで止る。廃村であれば井戸の残骸くらい残って居そうなものだが、見つかったのは砕けた水瓶の破片だけで、雨水を貯めていた水槽には塩がこびり付いて白く、一片の染みさえ無い。

「・・・もうすぐ陽が落ちる。そうしたら私がなんとかする。それまで我慢してくれ。」
「はい・・。」

 だが難民達は狩猟犬までも用意していた。闇であれば夜目の効く黒甲枝が圧倒的に有利なのだが、イヌを使って監視するように指示されているらしい。敵がスルグリでギィール神族もあれば当然このくらいの配慮は有る。
 裏の海岸も覗いて見たが、暗い波は荒れ岩場は足元がおぼつかず、とてもクワンパを連れては逃げられない。廃村であれば舟が残っているはずもなく、ただカニを数匹捕まえただけだ。

「カニ巫女には悪いが、食物はこれしかない。食べるか。」
「カニ神殿は、別にカニを食べてはならないとの掟は定めていません・・・。」

 だが昼の強い日差しを浴びて体調を崩したクワンパは、なにも食べられなかった。水がなにより必要なのだが、有り余る海水を前にうらみごとを述べるしかない。

「・・? マキアリィ様、なにか音がしませんか?」
「気付いたか。どうも、波の中に舟を漕ぐ音が混ざっている。応援でも呼んだのだろう。」
「ですが、波が荒くてとても舟が着けられないと、」
「どこかに船着き場があるのかも知れん。」
「調べた方がよいのでは。」

「もういい。お前は寝ろ。朝までは動かないから、安心して身体を休めろ。」
「はい。」

 クワンパが目を瞑りすぐに眠りに落ちたのに、マキアリィは相当の無理をさせていた事を改めて気付かされる。カブトムシの聖蟲は憑いた者に無敵の肉体と怪力を与えるが、人の痛みに思いを馳せるにはこの力はどうにも不都合がある。
 化粧気の無いかさついた顔が昼間の日差しで灼けて色が黒くなっているのを、闇の中聖蟲の目で確認して、暗澹たる気分になる。我慢強いが所詮はか弱い女なのだから、探索になど連れて来るのでは無かった。たとえ本人が望もうとも、黒甲枝なら断るべきだった。

「致し方ない。クワンパには悪いが、敵兵を皆殺しにするしかどうにも助かる道は無さそうだ。」

 クワンパも難民の出身であるから、マキアリィも極力相手に傷をつけないよう手加減して対処している。本来の黒甲枝の神兵の力は、難民の私兵など50人でも造作なく殺せるのだ。
最初から強攻策を取っていれば、彼女をこんな目に遇わせる事もなかっただろう。

 マキアリィはカニを潰して、その汁を口に含んだ。甘い、生臭い不快な味がして、食べるのを止めた。

 

 翌朝、陽が昇ると同時にマキアリィは行動する。敵兵にこちらから攻撃を仕掛けて、水と食糧を奪う事を考えた。ともかく水を手に入れてクワンパの体調をなんとかせねば、先に進めない。

「脇から兵を襲って水と食糧を調達してくる。お前はここに隠れていろ。」
「・・・はい。」

 たちまち二人の兵を殺して水と食糧を奪い、ついでに矢も手に入れたマキアリィは、クワンパを隠している倒壊した家の陰に戻る。だが姿が無い。地面には複数人の足跡が残されている。数えたら4人以上にもなった。

 心を落ち着けて、周囲の風に耳を澄ます。どうせ敵は自分をこそ狙っているのだ、カニ巫女などオマケに過ぎない。自分に脅しを掛ける人質としてクワンパは使われるだろうから、殺されていないはずだ。

「呼吸音。・・・・2、3、いや5人居る。クワンパは、・・・無事か。」

 岩場の上に大きく姿を見せて、マキアリィは立つ。ここまでの手際を見せる敵であれば、ただ殺すだけが目的では無いだろう。一応交渉の余地があるはずだ。

「おい。居るのは分かっている。姿を見せろ。」

 磯の大岩の陰から短弓を構えた兵が左右から姿を見せる。難民の私兵とは異なりかなりの重装で、練度も高いと見た。彼らの放つ矢であれば、黒甲枝と言えども逃げられまい。
 前からは5人、更に後ろから間隔を開けて4人が姿を見せ、マキアリィを包囲した。

「その風体、何者だ。難民に雇われるような未熟な兵ではないな。スルグリか。」

 クワアット兵に匹敵する重装備の甲冑を身に纏っているが、加えて彼らは全身に呪具を無数に帯びている。まるでまじないが矢から身を護ると考えているようだ。こんな格好の兵をマキアリィはこれまで見たことがない。金雷蜒王国の寇掠軍でも、これほど装飾過剰では無い。

 マキアリィが抵抗しないと見極めて、彼らの隊長と思われる禿頭の男がクワンパを片手に現われた。ギィール神族に迫る巨躯で、筋肉は隆と盛り上がる。歳は結構上に見受けられ知性を感じないでもないが、首からぶら下げる真っ赤に塗った髑髏に年季の入った狂気が感じられる。

 

「・・・驚いたな、人喰い教団か。おまえ達もスルグリの手下か。」
「追捕師レメコフ誉マキアリィだな。」

 彼は、マキアリィの正式な身分までも知っていた。クワンパが喋ったのでは無さそうだ。彼女は男の手の中で力なくぶら下がっている。

「おとなしく従ってもらおう。さもなくばこの女の命は無い。」

 男はクワンパの首根っこを掴んで引き上げる。これほどの巨人の力であれば、女の細い頚骨などいとも容易く砕くだろう。

 マキアリィは言う。

「その女はカニ巫女だ、命などとうの昔に捨てている。それに復讐の神だぞ。そいつを殺せば、私はお前達に次の息をも吸わせない。」
「それが黒甲枝の言う台詞か。」
「今の私は交易警備隊長の低俗さを演じているのだよ。試してみるか?」

 男は困った顔をして、クワンパを下に降ろす。周囲の兵に合図をして、矢を番えるのも止めさせた。

「敵意は無い。お前がイローエント軍制局衛視局とは離れた立場で独自に動いていると知り、協力を求めに来た。」
「何?」

 

「協力だ。お前の助けが欲しい。」

 

 

 第二章 古の劫火の顎には、滅びを饗すべし

 

 人食い教、と呼ばれる宗教の成立は非常に旧く、紅曙蛸巫女王国成立の100年以上前に遡る。
 当時、十二神方台系には王国は無く、小集団が穴居して住み、野山で狩猟や採集を行っていた。地球の歴史区分で言うと旧石器時代にあたる文明レベルで、集団同士が交易をする事もほとんど無く、各個に縄張りを定めて平和に暮らして居た。

 その村落の中心人物が「ネズミ神官」である。神官とは呼ばれているがこの名は後の歴史学者によって付けられたもので、当時は「ネズミ様」「火ネズミ人」「火の守」などと呼ばれていた。
 その名の通りに彼らは額にネズミの聖蟲を宿し、人々に炎を分け与え、天候を予測し、数々の生活の智慧を教えた。火を熾す技術は未だ無く、ネズミ神官の超能力のみがそれを可能にするので、彼らはまさに神の使いとして崇められた。

 しかしながら時は移り千年紀の終わりが近付くと、増加した人間によって方台中で飢饉が発生する。狩猟や採集だけでは賄えない食糧を求め、村同士が喧嘩を始め、やがては組織立った戦闘さえもが行われる。後期になってネズミ神官から教えられた「弓矢」の普及で狩りが効率化すると、人々は野山の獣を狩り尽くし広い領域を互いに奪い合い、遂には人間にまで矢を向ける事態となる。

 その中で必然として生まれたのが「人肉食」の風習である。最初は敵を倒した肉を勇者が分け合い力を得る、との原始的な迷信であったのが、やがて組織的に敵の村を狩り人をまとめて殺して食らうまでにエスカレートしていった。村内では、戦いに参加しないネズミ神官よりも、勇者の長が指導力を増して秩序を乱すようになる。村を幾つも併合して、大勇者となる者まで現われた。

 ここに至ってネズミ神官達はガンガランガの野で会議して、人肉食に対抗する手段を模索する。そして生まれたのが、十二神方台系最初の宗教「人喰い教」だ。
 彼らは人を食べる行為が単に腹を満たすものではなく、人が帯びている不可視の霊力をも体内に取り込むと主張し、尋常ならざる手段で死んだ人間の怒りの霊力を取り込むと、食べた者の身体を蝕み災厄を招き入れ、遂には村全体をも滅ぼすと説いた。
 この災厄から免れる為には、神聖なる籤によって選ばれた生贄を正しい手段によって恨みを残さず殺し聖なる炎で清めて、初めて安全かつ効果的に霊力を取り入れられる、と儀式の次第を定める。人肉食の風習を日常の行為から宗教的な秘儀へと祭り上げる事で、濫用を防いだわけだ。

 この儀式は、村を統べるようになった勇者、大勇者達の権威をより高めるのに貢献したが、それゆえに普通の村民には許されなくなり、人肉食は日常から消えていく。
 そして紅曙蛸神救世主初代巫女王ッタ・コップの到来により、ネズミ神官達はその役目を終えて聖山の何処かへと去り、人肉食の祭祀も滅びて歴史の闇に埋もれた。

 しかし伝える者が少数ながら生きのび、社会の暗部に保存される。

 紅曙蛸王国時代は発達した社会構造と様々な文化的進展を誇り、十二神神官巫女制度も整備されて宗教の組織的運営が行われたが、その影響は人喰い教に対しても及ぶ。
 十二神に対する十三番目の神として、炎の暗黒神が仮想され、それに生贄を奉げ自らも伴食する事で神の力を得る教義が生まれた。儀式も精密の度合を増し、生贄をより陰惨に残虐に殺す事で暗黒神の喜びを増す、なども考案されて、発生当時の素朴さから大きく外れた絢爛たる祭典へと発展した。
 儀式の巨大化に必要な費用は、密かに彼らを応援した番頭階級よりもたらされ、また生贄として十二神の神官や巫女が拉致されて供されるようにもなる。

 その後、紅曙蛸巫女王五代テュラクラフ・ッタ・アクシの失踪により王国が崩壊すると、各地で一斉に小王達が自らの国を興し、人食い教の司祭も表に現れ彼らに仕えるようになる。
 小王達は人肉食による強大な霊力と共に、神人と呼ばれる不老不死の人間と同じ寿命を授かろうと考え、司祭達に方法を探らせた。以来、人喰い教団の目的は自ら神人になる、と確定する。
 だがこれまで方台で確認された神人は皆十二神の使徒を名乗るので、炎の暗黒神を奉ずる者と十二神の使徒になるべきだと唱える者の間で路線対立が起こり、教団は二つに分裂する。炎で人を煮炊きして食べる派閥と、生で食べる派閥との二つがたもとを分かった。

 生で食べる派は人を生きたまま分断する内に人体の構造についての知識を増し、やがて人を食べたからといって特別な力は得られず、正しい訓練の仕方によっては常人をもはるかに越える能力を獲得出来ると悟った。遂には人肉食の儀式を捨てて聖山に篭り、後のスガッタ教の元となる。

 煮炊き派は更に二つに分裂し、前者はコウモリ神が示したとする秘蹟を奉じて暗黒の闇に留まり、後者は小王達の権威付けの為の火刑を取り仕切る司祭として絶大な権力を振るった。
 後者は更に秘蹟の概念を取り込み、神人と秘蹟が表裏面で合一した火焔教へと進化する。炎を司る者こそが王たるにふさわしいとの理念を打ち立て小王達の争いを煽り、統一国家樹立へと向かう長い戦争の世紀を演出する。

 彼らの演出は金雷蜒神救世主の登場によって、予期せぬ形での成就を見た。金属器の利用を神から教えられた救世主は、聖蟲を増やして親族に与えギィール神族と為し自らの王国を打ち立てて、小王達の領国を瞬く間に制圧していく。
 同時に火焔教の司祭と信者、祭祀場、ありとあらゆる関連の文物をすべて炎に投じて滅ぼしていき、遂には完全な絶滅をも成し遂げる。
 金雷蜒神救世主は自ら「神聖」を名乗り、他の宗教権威の併存を許さず、十二神信仰の聖地を聖山深くの神殿都市へと追放する。その後千年の間、神官巫女は特別な奴隷のバンドとして扱われた。

 その裏で密かに生き続けて居たのがコウモリ神の秘蹟を奉ずる派閥で、決して地上には現われない方針で信仰と儀式を後世に伝えた。
 彼らは火焔教の失敗を受けて、確とした教義を作らず、ただ人を喰い神人となるを求める原始的な信仰の体系を保持し続ける。この単純な態度によって弾圧を逃れた彼らは無法の都市タコリティを拠点として、交易警備隊を通じて方台中にその勢力を拡げていく。
 全土に広がった彼らの連絡網はやがて力を得て、褐甲角神救世主初代武徳王クワァンヴィタル・イムレイルの新王国建国にも一役を支った。

 だが彼らは頑として表面には現われず、ただただ秘儀の継承をのみ続けて、ガモウヤヨイチャンの降臨を迎える・・・。

 

 

「『貪婪』、と呼ぶのか、人喰い教団は自らの事を。」

 黒甲枝レメコフ誉マキアリィは、人食い教徒達の案内で、タコリティの近辺に在る彼らの地下教会の一つに訪れた。教会と言っても何があるわけでもなく、ただ密輸業者が使っていた隠れ家をそのまま譲り受けただけの洞窟だった。蝋燭の炎に照らされた床には、人骨が転がっているわけでもなく、人を煮る釜も無い。

 マキアリィとカニ巫女クワンパを連れ出したのは、『貪婪』の中で”斧頭手”と呼ばれる位階にある、ガニメランバンという男だ。ギィール親族に迫るほどの長身、発達した筋骨、禿頭で50歳になる。だが思ったほど狂気を言葉に挟む事が無い。むしろ非常に冷静で、知能の高い人物だ。
 彼は二人と差し向かいで話している。周囲には20人からの人喰い教徒の兵が取り囲んでいるが、警戒の態度は解いて居た。マキアリィに暴れられては大迷惑だと、気楽にするように命じている。これはかなり無茶な命令だとマキアリィは思うが、ちゃんとそう出来ているのに感心する。この兵達は皆、死を自在に受入れる覚悟があるのだ。並の練度ではない。

 ガニメランバンは、現在の人喰い教団が一種の袋小路に入っており、変革を遂げる為には外部からの協力が必要だと説く。
 マキアリィはただ叩き潰せばよいだけなのだが、話自体はかなり面白いので最後まで付き合う事に決めた。クワンパは、おそらくは怯えているはずだが身じろぎ一つせずに付き従っている。カニ巫女の修行の厳しさは天下に名高いが、その成果がここでも役に立っていた。

 

「そうだ。宗教ですら無いのだ。今の我らは儀式の次第を守り、秘蹟を伝える為だけにある組織で、人血よりはむしろ金銭をこそ貪っている。貪婪、と呼ばれるにまさにふさわしい存在だ。」

 話の冒頭から、ガニメランバンは人喰い教団の執行部の堕落に矛先を向けた。最高位にある天寵司祭と切配主達が、現状維持に汲汲としていたずらに時を失っていくのに、彼は憤慨を覚えていた。彼の考えでは、人喰い教団は今こそ大いなる飛躍を遂げるべきなのだ。
 巨人の肉体から溢れ出す情熱のほとばしりに、クワンパは思わず顔を背けた。ちょっと臭い。

 マキアリィにはよく分からない。人喰い教団に飛躍されては困るのだが、彼の言には常識から外れたものがある。秘儀の重要性に無頓着な言葉に違和感を覚える。

「私の知識が正しければ、人食い教徒の目的は神人になる事だったはずだ。司祭達はその方法を模索するのではないのか? 望みは放棄したのか?」

 

 巨人はマキアリィの問いに、改めて自分が説明不足だったと感じて、話を元に戻す。体制批判をする前に、その根拠を示さねばならないのだ。

「望みは誰もが持ち続けているが、それはもう良いのだ。神人になる方法は既に見つかっている。実に簡単な、そして当たり前の方法だった。」
「神人になる方法が見つかったのか!」

 これにはマキアリィも少なからず驚いた。神人になる、つまり不老不死になるのは方台三千年の夢であり、聖蟲を持つ者にとってさえ無関心では居られない重大事だ。
 彼の驚きように、目の前の巨人はいかにも満足げだった。

「ああ、御前にもなれるぞ。簡単だ」
「よければ聞かせてもらえないか。三千年の秘儀を捨てても良い、と思えるほどのその方法を。」

「神人に会えば良いのだ。」
「・・・・・・それはあたりまえだ・・・。」

 あまりに平凡な答えに、マキアリィもクワンパも息を呑んで、互いの顔を見合わせた。それは昔話にもごろごろしている、極めてありふれた方法だ。無論おとぎばなしに過ぎず、誰がそうなったという特定は無い。そんなもので、人を殺してまでも永遠を授かろうという者達が納得するのか。

「その当たり前の方法を知るのに、我らは方台の暗黒面を三千年もさ迷ったのだ。笑え。」

 笑えと言われても二人の背後に並ぶ兵達は、巨人の言葉を叡智の極みにある、との真剣な面持ちで傾聴しているのだから、無理だ。一応クワンパがマキアリィに急っつかれて、頬を引き攣らせる。

 蝋燭の炎が洞窟内で黄色く揺れる。ふいにマキアリィは気が付いた。彼が自信を持ってそう言うからには、神人になる夢を実証した者が居るのだ。

「誰か、ほんとうに神人に会ったのか。」

 巨人、ガニメランバンは大きく相貌を崩して笑った。魁偉な容貌が破顔するとこれほどまでに恐ろしく見えるのか、クワンパは自分が生きたまま彼に齧られると思い、おもわず瞬きをする。

「そうだ。”白の母”と呼ばれる御方が神人に会い、自らも永遠の運命を授かった。」
「何者だ、それは。」
「すでに百の寿命を数えているがいまだ老いを知らず、人の極限までの働きをする。知識においては聖山の神通翁を越え、戦いにおいては黒甲枝でさえもあしらいかねる強さを持つ。」

「聞いた事が無いが。」
「名は幾つもあるからな。黒い髪のギィール親族の女、というのを褐甲角の衛視局では聞かないか?」

 マキアリィは本来武人として将となるべくして教育を受け、職分を果たして来た。現在はソグヴィタル王 範ヒィキタイタンを討つべき追捕師の任にあるが、治安関係の知識には乏しい。
 代わってクワンパが答えた。

「マキアリィ様。その名はカニ神殿が把握しています。非常に狂暴且つ獰猛で、一匹の獣のよう。だが子供と遊ぶ姿を何度も目撃されており、見捨てられた子をよく拾っていく、と聞きます。」
「食べるのでは無いのか?」

「食べたのならば、ここには居まい。」
と、巨人は右掌を差し出して、後ろに居並ぶ兵を示す。マキアリィが振り返ると、揺れる灯の中で、幾重もの頭が波のように会釈するのが見える。

「これは、”白の母”の私兵なのか・・・。」
「そして、我らはあの御方に『貪婪』の全てを差し上げようとする者だ。ぐだぐだと死に損ないの司祭共が、タコリティに寄生して干からびた骨を振り回し経を唱えるのをやめさせる。追捕師マキアリィよ、御前に頼みたいのはその介添えだ。」

「だいたい筋書きが読み取れた。だが、なぜ私なのだ?」

 当然の質問をマキアリィは発した。何故黒甲枝が必要なのか、なぜ衛視局ではなく自分なのか。
 しかし巨人はその点になんの不思議も覚えていない。説き伏せるように低く深い声で、洞窟内部に言葉を沁み徹らせる。兵達にも伝えておかねばならぬ事なのだろう。

「失われた古代の女王テュラクラフを得て、紅曙蛸王国は復活した。その覇権は今やソグヴィタル王の手にある。彼は眩いばかりに王道を歩む者だ。古代の王国の威厳を取り戻すのに、彼ほどの適任者は居ない。それを裏から蚕食するのが、天寵司祭と切配主達だ。
 この動きは、特に不自然なものではない。タコリティは古来より人喰い教の寄り主として長く在り続けた。つまりは、寄り主の図体が大きくなったのに合わせて、血を吸う蟲も大きくなろうと試みるわけだ。」

「人喰い教団の執行部は、”白の母”に従わないのか。」
「奴等は、奴等の手法では決して神人になれぬ事を熟知しているから、支配権を失わない為に栄華を必要とする。火焔教の繁栄を取り戻そうと願っている。
 考えてみれば、我らはタコリティに長居をし過ぎたな。都市を裏から操る喜びに溺れ、神聖なる使命を成し遂げる志を磨り減らしたのだ。凡夫であれば無理もない。」

 マキアリィは核心に踏み込む。後ろに控える兵達も、その言葉に色めき立つ。

「旧指導部を一掃する、のか。旧い司祭達を完全に葬る為には、陽の光で焙らねばならない。人喰い教団は、一度死んだ事になるのだな。」
「おお、分かりが早い。さすがは黒甲枝の重鎮レメコフ家の御曹司だ。
 そのとおり、人喰い教団は一度滅びる。だが只者に滅ぼされては美しくない。それにふさわしい人により華々しく散る、物語るに足りる絢爛たる滅びを得ねば三千年の先達に申し訳が立たぬ。」

「その後に、”白の母”を長とする新生人喰い教団が出来上がる。神人を中心とする新たな暗黒教団が生まれる、のか。ぞっとしないな。」
「秩序を司る者にとって、損とはならない話だぞ。我らはすでに神人となる方法を知った。人を食う必要も無い、とも知った。」
「人肉食は捨てるのか?」

 だが巨人は、奥歯まで灯に当てて更ににやと笑う。今度はまさしく貪欲な、暗い歓喜に溢れた陰惨な笑みだ。

「神人となるには、神人に会えば良い。だが神人に会うには、並の人間ではダメなのだ。人を殺し食らうのになんの躊躇も無い傑物でないと、な。」

 顎に手を当てて、マキアリィは息を吐いた。所詮は彼らは闇にしか生きられぬ者、完全な解決を得られるはずが無かった。自分に与えられるのは、現状よりも少しマシになるかもしれない、という希望だけだ。

「・・・いいだろう。だがおまえたちが巡邏の手から逃れるのを手助けするつもりは無いぞ。逃げ損なった者は容赦なく火焙りの薪に放り込む。」
「おお。元よりそのような約定を必要とはしない。人喰い教徒を殺せるだけ殺してもらいたい。」

「で、どこから始める?」

 

 

二日後、イローエント東の難民居住区に衛視局の一斉取締まりが行われた。完全装備の海兵が1000名に巡邏も500名が動員され、各所でスルグリの探索が行われた。無論、この程度で特殊工作員が捕まるはずもなく、さらにはギィール神族までが居るのだからこちらの動きも手に取るように分かるはずで、まったくの無駄骨に終るのは間違い無い。

「レメコフ殿、これでよろしいか。」
「はい。難民達の頭に、西金雷蜒王国のスルグリが紛れ込んで暗躍している、と刷り込む事が肝要です。敵の先手を防ぐには、難民が軽挙妄動しないように意識から改善しておかねばなりません。」

 イローエント衛視局難民治安保持室のアビン衛視監は、当初マキアリィの持ち込んだタコリティの内部情報に疑問を抱いた。

 そもそもが追捕師であるレメコフ誉マキアリィが治安関係の問題に首を突っ込んで来るのは管轄違いなのだが、しかし彼がソグヴィタル王の権威を汚してはならないと主張するのには、アビンも首肯せざるを得なかった。追捕を受ける身とはいえソグヴィタル範ヒィキタイタンは黄金のカブトムシの聖蟲を戴く王国の最重要人物であり、黒甲枝やクワアット兵の中には今も彼を慕う者も多い。タコリティを支配する立場になったとは言え、彼の王国に対する忠誠に変わりはないと信じている。
 故にマキアリィがソグヴィタル王の名誉を損なうスルグリ、人喰い教団の陰謀の壊滅に当たるのは妥当であり、アビンも彼が独自に動く事を渋々受入れた。

 しかしながら、マキアリィが出所を明らかにしないこの情報だと、タコリティの顔役達の約半数、フィギマス・ィレオと密輸業者の一派を除くほぼ全て、紅曙蛸神殿の内部にまで人喰い教徒がはびこっている事になる。当然ソグヴィタル王は知らず、裏面にて人喰い教団に支配される新生紅曙蛸王国を指揮しながら、褐甲角王国と対立するのだろう。

「どのようにしてこれほどの情報を知る事が出来たのです。衛視局でも長年追い続けながらも、ここまでは至ってません。おそらくは内部に通じる者が居て、」
「アビン殿、よろしいではありませんか。人喰い教徒にも内部の対立があり、我らはその内紛に乗じて王国に有利な状況を作り出せば良いのです。」

 マキアリィは、自分にはイローエントの衛視局の立場を越える責務がある、とアビンに言外に伝える。おもしろくはないが、現今の情勢下においては南海の防備と難民の収容で手一杯の彼らには、余計な手間が掛からないのをよしとせねばなるまい。

「して、スルグリが人喰い教団と手を組んでいるというのは、どの程度だろうか。」
「同床異夢を抱いて、どちらも相手を良いように利用しているだけでしょう。スルグリにはギィール神族が直接指揮に出向いていますから、地虫のような連中に対等な立場は与えない。」

「うむ。西金雷蜒王国のギィール神族を捕らえられれば、昇殿席次一等繰り上げ間違い無いが、」

「クワンパ。」

 マキアリィは後ろに控えていたカニ巫女を呼んだ。城内に居るマキアリィに直接連絡を取るのはさすがに無理があるので、カニ神殿のクワンパが連絡係を務める事を取決めている。彼女は昨夜ガニメランバンから書簡をもらい、夜分にも関らずマキアリィの宿舎に届けに来た。

 クワンパは書簡をそのまま衛視監に奉げる。防水と折り畳みに便利なように魚皮に記されているそれは真っ赤に染められ、拡げると全面から邪悪な文様が飛び出して来る。
 アビンもさすがにこれには驚いた。

「これが、・・噂には聞いているが、人喰い教の経典の装飾ですな。なんとも禍々しい。」
「装飾過剰だが、特に魔法などは掛かっていないらしい。虚仮威しですよ。内容はただ一文、『蟲はギィール神殿に居る』。」
「ギィール神殿、か・・・。」

 金雷蜒(ギィール)神、ゲジゲジの神の神殿は普通無い。ゲジゲジ神に仕える神官巫女は、頭痛、神経衰弱、妄想妄言、幻覚や幻聴、「蟲が憑いた」とされる各種精神疾患に対応する治療を本分とする。需要はあるが、歴史的経緯からその処遇はかなり低く、神殿の建立も許されていない。

 金雷蜒王国においてはゲジゲジ神官巫女はギィール神族に仕える特殊な奴隷とされた。額にゲジゲジの聖蟲を戴く神族は、聖山最高の神官である神通翁・嫗と同等と看做されるので、彼らの居館はまさしく神殿なのだ。殊更に別の建物などは必要としない。
 他方、褐甲角王国においては、ゲジゲジ神殿は正式な建物を作る事は許されず、カニ神殿かミミズ神殿の脇に宿房のみが許されている。これもまた当然の措置で、潜在的に敵性を認められ監視対象に置かれるのは仕方がない。

 つまりは、聖山以外には正式なゲジゲジ神殿はありえない、というのが一般常識だ。
 マキアリィはクワンパに問う。アビンも知っているだろうが、念を押すつもりで神官巫女の端くれとして答えさせた。

「ゲジゲジ神殿は、イローエントではどうなっている。」
「ミミズ神殿に神官巫女は暮らして居ますが、拝殿も無く小さな祭壇のみがあります。ギィール神族を泊めるほどの豪華な部屋などもちろんありません。」

「ではこれは、なにかの符丁だろうか。」

 アビンは考え込む。ギィール神族を捕らえるのはさすがに無理だろうが、スルグリの拠点の壊滅くらいは成し遂げたい。
 マキアリィは自分の推理を説いた。だが、それに妥当性があるかはやはり自信が無い。

「人喰い教団というのは歴史の長いもので、紅曙蛸王国以前から存在する。彼らは我々が歴史の闇に忘れ去った事物も代々受継いでおり、知られる事の無い神秘秘蹟も把握している。その彼らが言うのだから、ゲジゲジ神殿というは字句通りに受けとるべきではないでしょうか。」
「歴史上、ゲジゲジ神殿がイローエントに有った、と申されるのか。さてそれは、誰が知るだろう。」

 クワンパが口を挟む。

「やはりゲジゲジ神官のみが知るのではと考え、昨夜ミミズ神殿の宿房に行き尋ねて参りました。」
「おお、して結果は。」
「すでに廃墟と化しており、何もありません。位置は海軍練兵場の一角、倉庫の辺りになると思われます。」

「無駄足だったな。・・どうされた、レメコフ殿。」

「アビン殿。これははなはだ不快な質問ですが、イローエントにはギィール神族が隠れる所はありますか?」
「・・・いや、無い。イローエントは昔から様々な勢力に付け込まれているので、街全体に監視網が拡げられている。神族の留まれる建物は無い。これは難民街も同じだ。」
「にも関らず、我らはギィール神族を見ました。」

「う、うむ。」

「いかにスルグリの技が優れていようがギィール神族の特殊知覚があろうが、何の痕跡も無く動き回る事はこの狭い地域では不可能だ。にも関らず、彼らは自在に歩いている。」
「! 内通者が居る、と申されるか。」

「現在準戦闘待機中で、民間の船の出入りもままならない。密輸船もイローエントの近辺には近づけず、タコリティとの100里間では不意の臨検も行われる。その中で今、最も自由に動ける船は。」
「軍船、我が艦隊の船だ。」

「イローエントは歴史のある街です。かってはギィール神族の居館も多数有った。その幾つかは現在、黒甲枝や艦隊指令などの主だった者が用いているはず。」
「まさに、ギィール神殿に居る、か。レメコフ殿、私は一度衛視局に帰り、密かに探索を行う。貴君は独自の判断で動かれよ。」

 アビンは現場の指揮を下級の黒甲枝に任せて、血相を変えて城内にとって返した。しかし、マキアリィは動かない。配下のクワアット兵12名が完全装備で待機しているが、追捕師の命令を待ち続ける。
 さすがにクワンパが痺れを切らして尋ねた。彼女はマキアリィの命令に従う必要は無い。

「待っているのだよ。」
「なにをです。」
「アビン殿は信頼がおけるかも知れない。だが、彼が動けばたちどころに情報は筒抜けとなるだろう。」

 クワアット兵の隊長が彼の言葉に続けて問う。

「マキアリィ様。では、内通者が行動を起こすのを待っておられるのですか。」
「既に我らも監視されているだろう。だが、スルグリにとってはギィール神族の安全こそ最優先のはず。内通者の使う軍船に脱出を強行させる。その手始めとして。」

 

「火事だー。」

 難民街の建設現場から煙が上がっている。火の手は一つでは無いようで、三筋四筋も煙が見える。捜索中だった兵達は逃げる難民に逆らって火元に向かおうとする。周囲は騒然として、マキアリィの隊だけが取り残された。

「陽動だ。」
「この騒ぎに乗じて、軍船に乗り移りタコリティにでも向かうつもりですな。」
「気取られるな。沖の船の姿に注意しながら、海岸に向かう人の姿を探れ。」
「は!」

 クワアット兵達は直ちに街に入り、逃げ惑う人の間に不審な動きをする者を探す。

「クワンパ、おまえはもう戻れ。これから先は我らの領分。」
「はい。カニ神殿でお待ちして居ます。」
「うむ。」

 マキアリィは沖に視線を向けて停泊する船の様子を確かめる。沖の軍船の一隻が急にこちらに舳先を向けるのを見た。帆を下ろし、櫂を両舷に何本も突き出して漕いで来る。向かう先には港は無く、船を着けられる深さも無いはずだ。

「小舟でスルグリを拾い上げるつもりだな。では、人気の無い海岸に向かうはずだ。」

 彼は海岸線を走り、先日窮地に陥った国境沿いのマングル砦に向かう。今日は海戦用の軽快な鎧を身にまとい、十分な防備を整えている。強力な短弓も携え、神兵の力に耐える剣も帯びている。
 軍船は50人漕ぎの小型快速船で、艦隊では最も多い型だ。黒甲枝の神兵ではなく一般人の中剣令が船長となり指揮する。砦から1キロ西、海岸から100メートル先に停泊し連絡舟を下ろしている。海岸は岩場だらけだが、ここにはわずかに砂浜があり、人だけが脱出する分には問題ないだろう。

「砦の手前に着けるとはな。艦隊の軍船が止るのであれば、砦の守備兵も状況を理解出来ないだろう。巧妙だな。」

 

 マキアリィは連絡舟から見付からないように物陰に身を潜め、息を長く吐き瞑想状態に入る。

 黒甲枝は長年ギィール神族と戦った経験から、神族の特殊知覚を欺く方法を会得した。カブトムシの聖蟲を戴く限りは確実に所在がバレるのだが、心拍と聖蟲の発する波動を同調させると探知可能範囲が相当に小さくなると知った。更に思考を止めて状況に全身を溶け込ませ、聖蟲の波動を自然の風や雲のゆるやかな流れに委ねると、至近距離まで見付からないとされている。戦場の経験の浅い神兵にはなかなか使えない技だが、マキアリィは赤甲梢で研修を積んでこれを会得した。

 この状態であれば、神兵の感覚も極限まで高められ、聴覚だけでも広い範囲で状況を察知できる。

 号令が違うので、舟に乗っているのは明らかにクワアット兵では無い。スルグリが軍船自体を乗っ取ったか、あるいは最初から人員を入れ変えていたのだろう。
 陸には1キロほど北西に20人ほどの集団が近付く足音がある。軋む音から輿を伴うと推察される。彼らは追跡者に注意して急いではいるが、警戒を怠らない。たしかに優れた護衛だ。足跡も残さない見事な歩方の達人だった。追跡者はおそらく、一行の人数を10人程度と見誤るだろう。
 追っているのは、マキアリィの配下のクワアット兵だろうか。

「!」

 連絡舟で待機する兵の中に、マキアリィは知った声を聞いた。
「そういうことか。」

 

 マキアリィは距離を見定めて陸の隊列が300メートル程に近付いた所で覚醒し、頭を上げた。

 先日クワンパと共に罠に嵌められたように、この辺りの地形は塩を吹いた真っ白な平地が広がるばかりで樹木も無く、身を隠す事が出来ない。現在彼が持つ短弓は有効射程距離は120メートル、精度の関係から70メートル以内で使うのが望ましい。少し遠いが、神兵ならば一気に走りぬけて間合いを詰め、ほしいままに敵を撃ち抜くのも容易い。

 予想通りに連絡舟から兵が上陸しないのを確かめ、鏑矢を番えながらその場に立ち上がった。
 この一行の中に、ギィール神族は居ない。輿の中身は前と同様に、空だ。そうでなければ、マキアリィが頭を上げた時点で隊列の行動に変化があるはずだ。

 所詮は囮だ。だがスルグリには違いない。狩る価値は有る。

 

 常人用の弓でも、引けば折れた肋骨には響く。痛みも省みずに一杯に引き絞り、一行の上に射掛ける。これは、追跡するクワアット兵に対する合図で、彼らは隠伏しながらの追跡を止め最大速度で現場に走って来るはずだ。カブトムシの羽音に似た、びゅぅーっと空気を震わす音に、獲物の一行は動揺する。

 ただ一人の攻撃だったが、スルグリの隊列は乱れ、ただちに戦闘配置を取る。こんな無謀な攻撃は黒甲枝以外にあり得ない。たかが神兵一人とはいえ、常人が束になっても斬り合いで叶う相手ではなく、逃げようにも重甲冑を着けていてさえ常人より早く走るのだ。犠牲を覚悟で海辺に走り、舟に飛び込む以外死を免れる方法は無かった。
 それでも輿を捨てないのに、マキアリィは目を疑った。中身は空では無いのか? ギィール神族ではなくとも、重要な人物である可能性はある。無傷で抑えるべきだ。

 走る。獲物の進路を防ぐ形で正面に躍り出て、矢を番えながら走る。
 甲冑は海軍の一般人剣令が用いるもので、防御力にさほどの期待は出来ないが、とにかく軽い。黒甲枝にはなにも着けて居ないのと同様だ。
 人間に可能な限りの速度で敵の前に立ち塞がると、射程の最大でぼっと放つ。続けざまに三矢を射た。

 スルグリは一般人に見せ掛ける為に、ほとんど防具らしきものを着けていなかった。いかに鍛えぬかれた技を持っていても、常人に過ぎない。一人に二矢が当り、一本は輿の担ぎ手に当たる。地面に投げ出された輿は倒れず、そのまま立ち続けた。白い華奢な造りの貴婦人用の輿で、屋根には鳥の飾りも付いている。左右の窓には格子が下り、正面の扉にはどこかの商会の紋章が浮き彫りで描かれている。

 スルグリの兵は輿に隠れる形でマキアリィを迎え撃つ。なるほど重要ではあるが、命を楯にするほどの内容物では無いらしい。

 

 隊列が来た方向の後ろから、こちらも鏑矢が飛んだ。微かに聞こえる音は褐甲角軍の正式信号矢で、マキアリィの鏑矢に呼応するものだ。方向を確かめると、こちらも一人の甲冑武者が走り寄って来る。この疾さは神兵だ。

 

 スルグリは作戦行動中ではなかった為に、弓を二張しか持っていない。刀も短いもので、正規の武装を着用した兵には抗う事も出来ない。
 しかしスルグリは吹き矢の達人だ。水中に潜って細い管で息を繋ぎ、何時間でも留まって射撃の機会を狙うという。矢には毒や酸が塗ってあり、乱闘になった軍船上で黒甲枝が何人も命を落している。聖蟲に対しても効く毒をギィール神族から与えられているのだ。

 スルグリは地面に這い、矢を警戒しながらマキアリィが突入するのを待っている。吹き矢の間合いに入れば互角以上の勝機が有るのだ。

 一方のマキアリィは、矢の数が足りない。走るのを止めてじっくりと輿との距離を詰めていく。弓を構える者から先に射て3人を仕留めた。残りは5矢。

 

 喚声が聞こえるので背後を振り向くと、連絡舟から地面に上がった兵達がこちらに救援に向かう。
 兵の中には、一人特に目立つ背の高い禿頭の男が居る。人喰い教団の隊長ガニメランバンだ。連絡舟に乗る兵はすべて先日会った者らしい。
 だが彼らは動きが遅く、マキアリィに近付いて来ない。神兵に対して妥当な戦術ではあるが、要するにガニメランバンはやる気が無かった。何もしなければ後に立場を無くすので、弁解の為に上がって来たのだろう。

 それでも、追い詰められたスルグリには助けにはなっている。マキアリィの背後を脅かす事で彼らの自由度は高まり、間合いを詰める為に前進出来た。黒甲枝の新手が迫る中、目の前のマキアリィになんとか手傷を負わせて活路を拓くべきだ。

「是非も無いな。」

 マキアリィは弓を仕舞い、左の腰に下げた剣を抜いた。細身だが聖蟲の生み出す怪力に耐える神兵用の剣だ。海から吹き上げて来る熱い風の中、陽の光を照り返して見る者の目を眩ませる。兜の中のカブトムシの聖蟲も翅を震わせ唸りを上げ全身に霊力が漲って、人から神へとマキアリィの気配を変えた。

 

 一気に輿に向けて走る。右手に構える剣で円を描き、大股で地を蹴り直線に突き進む。マキアリィを押し包もうとするスルグリの輪に飛び込んだ。
 数本の吹き矢が確実にマキアリィの顔や胸元に向けて飛ぶ。だが避けもしない。あまりにも自分が疾いので、敵の先手の包囲をさっくり飛び越してしまった。

 スルグリの先手は振り返りもせずそのまま連絡舟に走る。後続は捨てた。5人が人喰い教徒の兵達に迎えられる。
 割を喰ったのが輿の周囲で支援に当たった者だ。マキアリィの剣に容赦は無く、吹き矢に怯む事も無く一閃で胴を断ち、剣を返して振り上げる先に別の顎を割っていた。矢が側頭部に飛んで来たのを無意識に左手が掴んでいる。神技。だがさすがにスルグリの兵は練度が違い、驚きも殺して瞬時に二の矢を放つ。

 振り上げた剣で矢を切り裂いたマキアリィは、射手が側面から射られて弾け飛ぶのを見た。後方から迫っていた神兵が追いついたのだ。長弓を構え目に付くスルグリを片っ端から射殺していく。その背後に遠く、クワアット兵の鎧が陽に輝く姿が何人も見えた。

「貴殿、残されよ!」

 スルグリを全滅させる勢いの激しさに、マキアリィは思わず叫ぶ。全部を殺されては後の手掛かりが掴めない。

「! 心得た、舟を討つ。」

 その神兵は矢の先を海岸の人喰い教徒に向けた。仰角を上げて、弓なりに放つ。マキアリィは残りの兵を殴りつけて地面に打ち倒していく。3人が気絶して生き残り、4人が死に損なっている。
 改めて剣を構え直し、輿の前に立つ。担ぎ棒をよけて扉に手を掛けると、神兵も舟を射るのを止めて輿に狙いを定める。防楯にはなっていないから、至近で射られれば両側の板を貫くだろう。

 中の気配を探ると、確かに人が居る。神兵同士で目くばせして、一気に扉を引き剥がした。

「ひぃいいいいい。」
と、でっぷり肥った小男が転げ落ちて来た。とてもスルグリには見えず、また重要人物にも見えない。

 あっけに取られたマキアリィに代わって、神兵が小男に問い質す。丸い兜の下の、顔は仮面で見えない。纏っている鎧は丸甲冑(ルゴワァーム)、神兵用に作られた重装備の甲冑で海中に落ちても泳げる仕様になっている。暗緑色をしているのは、南海舟戦神兵団の特徴である。

「おまえは何者だ。」
「ひ、ひ、ひ、おたすけを。私は、」
「殺しはしない。正直に答えろ。」
「わたた私は、えと、その、・・・重石だそうです。」
「・・・ちっ。」

 輿が空だと囮と見抜かれる為に、そこら辺に居た難民を放り込んで来たのだろう。ギィール神族が乗っているとは思わなくとも、情報を得る為に中身を捕らえようとするはずだ、と裏を読まれている。マキアリィもスルグリのあざとさに舌を捲いた。おかげで5人も手練れを逃してしまった。恐らくは彼らは隊長級の人材なのだ。手下を犠牲にしても生き残る義務がある。

 剣を鞘に仕舞って、マキアリィは海岸を見た。連絡舟はすでに陸を発して、軍船に戻りつつある。応援を呼ぶ間に、易々と警戒網をくぐり抜け脱出していくだろう。神兵は言った。

「一人、当たった感触があったが、死んではいないようだ。あれもスルグリか。」
「いや、少し違う。貴殿の名は? 私はソグヴィタル王の追捕師レメコフ誉マキアリィだ。」

「ああ、御噂はかねがね。私は南海舟戦神兵団に所属する中剣令タキ験ワゲェブルと申す者。以後御見知り置きを。」
 仮面を外すと、中から白い髭が出て来た。顔を見るとまだ若くも見えるが、顎髭が真っ白で奇異な印象を覚える。彼は話を続ける。

「レメコフ殿の配下と名乗るクワアット兵が難民居住区を捜索していた私の隊に飛び込んで来て、取るものも取り敢えず輿を追って来たのです。スルグリを探すようには命じられて居たが、まさか本当に引っ掛かるとは、予想外でした。」
「そうですか・・・・。」

 

 マキアリィは彼の顔を見て、考える。内通者に聖蟲を戴く者が居る、とは思いたくはない。だが彼がそうではない証拠もまた、無いのだ。

 12名のクワアット兵がようやくに現場に辿りついた。皆必死で走ってはいたのだが、甲冑に武具と完全装備であれば神兵の半分以下の早さにならざるを得ない。彼らは戦いに間に合わなかった事を詫びた。マキアリィは彼らに、生き残ったスルグリが自殺しないよう、また隠し武器を見逃さぬように十分注意して拘束させる。

「誉マキアリィ様!」

 死体から手掛かりとなるものが見付からないか探していたクワアット兵が、マキアリィを呼ぶ。懐から取り出した護符を示した。中から、赤い布に黒で不吉な文様がびっしりと描かれた経典の一頁が現れた。

「スルグリではなく、人喰い教徒も混じっていたのか。」
「こいつもそうです。まだ息が有ります!」

 と瀕死の状態の者を調べて居た兵から声が飛ぶ。どうやらスルグリは、足りない人数は人喰い教団から調達していたようだ。
 虫の息の人食い教徒の口元に耳を当て最後の言葉を聞いて兵が、マキアリィに振り返る。

「斧頭手さま、と言っています。」
「む、先日の兵の中に居た奴かも知れん。代わろう。」

 マキアリィは兵と代り、人喰い教徒を抱きかかえる。20歳前後でまだ若く、街ですれ違っても異常な教団に身を置いているとは決して見破られないだろう、甘い顔をしている。

「おい、聞こえるか! ガニメランバンに申し伝える事があれば言え。」

 男は人喰い教徒の隊長の名を聞くとうっすらと目を開いた。瞳に光は無く、なにも見えてはいないようだ。状況も認識できていないのだろう、黒甲枝の手の中に居るとは心得ずに、言葉を漏らす。

「斧頭手さま、わたくしも、お母様に食べていただきとうございました・・・・・。」

 絶命した男を地面に横たえて、マキアリィは立ち上がる。彼の胸にはやるせない想いが強く残った。

 ガニメランバンよ、これが御前達の新しい教義か。
 神人を中心として滅私の働きを為し、その身を奉げて食らわれる事で、神人の躰の一部となり永遠の命を共有する。

 

 振り返ると、沖に軍船の行くのが見える。一杯に張った帆に満々と風を受けて波を切り、東へと向かう。

 

第三章 聖なる洞に潜む怪物は、母の姿もて下る

 

「まだか、まだ参らぬか。」

 聖山神聖神殿都市、十二神信仰の大本山では、最高位の神官である法神官達が一人の巫女の帰山を何日も待ち続けていた。

 

 聖山とは、十二神方台系の北方を東西に貫く大山脈地帯で、最高峰は3500メートル。地球人の目からは大した高さでは無いと思えるが、近くに寄って見ると屏風のように立ち上がる威容に誰もが沈黙してしまう。
 聖山山脈は南側にはかなり急角度で下りて来てボウダン街道で平地になる。しかしその背後、北面は切り落としたようにまっすぐに落ちる断崖絶壁となっている。落差500メートル、人間の移動はほぼ不可能だ。唯一降る街道がトリバル峠と呼ばれる自然に出来た岩の階段で、極少数のスガッタ教の修行者だけが利用している。

 この壁が北方の寒気を堰き止めてくれるので、十二神方台系は年中温暖な気候を保っていられる。が、冬の或る時期にわずかに寒気が山脈を越えて、冷たい空気が一気に下り落ちて毒地・滑平原に広がり草原を一夜にして白く染め上げる。これを「チューラウ(青晶蜥)神の訪い」と呼ぶ。
 神聖神殿都市は、寒気が通るまさに真下に作られており、夏でも冷たい悪環境になっている。それでも人が暮らせるのは、山脈の横腹に深く穿たれた巨大な洞窟のお蔭だ。高さ300メートル横幅1キロメートルにもなるかまぼこ状の大洞窟が神官巫女を寒気から守り、わずかな地熱が人が生きるのに最低限の条件を与えてくれる。

 ただ護りを与えてくれるに留まらず、大洞窟には方台創世の神秘を示す数々の秘蹟が隠されている。元々はギィール神族が発見したものだがかなり早い時期に彼らは探査を放棄し、十二神信仰の総本山をこの地に追放した。神官達は神族に代わって内部の探査を責務とするが人智に依る研究は遅々として進まず、二千年を費やしても僅かの知識を得るに留まっている。

 数少ない解明された謎の一つが大洞窟の内部に深く響き渡る唸り声に似た音で、人間に対して何事か囁くように聞こえるので「ゲキの声」と呼ばれ、何百年に一度現われる異能の巫女が言葉の意味を知る、とされる。

 彼らが待つのは、現在唯一人その能を持つコウモリ巫女、アルカンカラだ。歳は90歳を越え白髪を地面にまで引きずる小柄な老婆だが、先年訪れた際には唸り声の中から青晶蜥神救世主の到来を示唆している。弥生ちゃんが降臨する7ヶ月前の出来事だ。

 

「やはり、迎えを出すべきであった。あの老婆が聖山の険しい山道を登って来れる道理が無かった。」
「落ち着きなされ。巫女の事は巫女に任すべきだ。コウモリ巫女の中であれほど長生きした者は居ない。コウモリ神殿の者が陰になり、その安否を常に気遣っておるよ。」
「その事だが、アルカンカラは頻繁に山に入るのでしばしば姿を見失い、今は従う巫女も居ないという。」

「だからだな。」

 法神官会議は十二神信仰における最高の意志決定機関だ。聖山において長年修行した高位の神官の中から、法神官達が合議して各神殿最高位の神官を選ぶ。更に、12人の法神官の内より、最も思慮深く叡智に優れた者を「神通翁」と呼び、神聖神殿都市の主と定めている。
 これに対し、巫女の側でも法神女と呼ぶ最高の巫女会議を持っている。法神女は法神官に従う立場にあるが、最も霊能に優れた者は法神官会議からも認められ、神通翁の地位に就く事もある。これを「神通嫗」と呼ぶ。

 しかしながら彼らとて聖蟲を持たぬ身であるから、天河の計画に基づく地上の変革には対処のしようも無い。唯一頼れるのが「ゲキの声」による占いで、二千年の永きに渡る研究の成果と、稀に見るアルカンカラの霊能と結び合って、現在は非常に確度の高い未来予測が可能になっていた。
 十二神を奉じる聖山神聖神殿都市が地上の権力に対抗するに、この占いは極めて重要な意味を持つ。唯一の武器と呼んでも良いほどだ。

 だからこそ、アルカンカラの帰還を彼らは待ちわびている。

 

「・・・・年老いた巫女一人に頼らねばならぬとは、なさけないのお。」
「まったくじゃのお。居らねばおらぬで、やりようもあるが、居るのなら意見を聴かねばならぬしのお。困ったもんじゃ。」

 最年長のタコ、ネズミ神の法神官がいらつく他をなだめるように言う。彼らは共に80を越えているが、更に歳上のアルカンカラにはさすがに遠慮をせねばならない。アルカンカラに匹敵する長寿の者は、聖山には92歳の神通翁しか無い。

 50代のミミズ法神官はその仕える神に似て狷介な性質を持っている。知能は誰よりも高いが堪え性がない。

「なにより怪しいのは、声の意志を聴く者が一人しか居らぬのなら、それが間違っていると指摘出来る者も無い、という点だ。「ゲキの声」の位置付けについては根本から考え直す必要があると何度も言ったが、」
「ミミズの、それは言うてはならぬ、人の分を越えた意見だ。我ら神官は目の前に現存するモノに対しては誠意を込めて向き合わねばならぬ。」

 コウモリ法神官がたしなめた。80代二人の法神官以外は皆50代だ。聖山の厳しい環境では、神官巫女も長生きは出来ない。50歳まで生きたなら神の恩寵を感謝せねばならぬ。神とは、ヒトの前に姿を見せる自然の諸相を意味し、どれ一つとして疎んじる事があってはならない。

 最年少のトカゲ法神官が口を開く。彼の前の法神官はタコ・ネズミに続く70代の年配であったが、ガモウヤヨイチャン降臨を聞いてその責を投げ出して地上に飛んで下りていった。今頃はウラタンギジェにて救世主に拝謁しているだろう。

「「ゲキの声」の意図を読む解法は整っているのです。声を聴く者を育てる試みはいたさねばなりますまい。」
「神聴伎の能は、なにを以って判別すべきなのでしょうなあ。それさえ分かれば、ミミズ巫女が全国を回って子供を探してくるのだが。」

 

 法神官の会議室は、神殿内にあるにも関らす洞窟様の造りになっている。奥まった穴に石の柱が立ち並び照明用の燭台が数本あるだけ、天井は煙抜きの穴が空いているだけで天窓は無く、入り口は左右の暗がりに隠されている。
 その入り口から神官が一人、顔を見せた。神宰官府に属する者だ。彼は手近に居たカエル法神官に耳打ちする。何度か頷いて、カエル法神官は皆に話した。

「ワクウワァクの手の者が、アルカンカラを見付けて連れて来たそうだ。」
「おお。さすがに手際が良いな。」
「これで議論が前に進む。だがアルカンカラの奴、耳が遠くなっていなければ良いがな。」
「あっ! それはかんがえなかった!」
「ははは、歳じゃのう。」

 

 神宰官ワクウワァク、神聖神殿都市の運営を一手に握る最高位の神官だ。年齢は40歳、異例の早さでの昇進だ。

 だが彼の出世はここまで。法神官、権之神官になるには究理神官となり専門的に教義を研究せねばならない。対して神宰官はあくまで運営、神殿そのものを預かるのみだ。腐敗を防止する為に、慣例上神宰官から究理神官への転進は許されない。
 とはいえ、十二神信仰全体の運営をも司るこの役職は一国の宰相にも比され、聖蟲を持たぬ身での最高の地位に上りつめたとも言える。

「神宰官さま、コウモリ巫女アルカンカラ様を無事お連れいたしました。」

 神官メテメテはワクウワァクの指示に従って秘密の任務を行う者だ。アルカンカラは本来コウモリ神殿の管轄にあるが、あまりにもたつくのでコウモリ神殿には内緒で独自の捜索を行った。メテメテは地上の信徒までも用いてようやく彼女を探し出した。

「御苦労だったな。アルカンカラ様はご壮健であられるか。」
「それが、さすがに御足元がおぼつかなく、ここまで輿で運んで参りました。」
「後で私もご挨拶に行こう。長らくお会いしていないからな。」

「アルカンカラ様は、神宰官さまを聖山までお届けになった方でしたな。」
「ああ。孤児だった私を見付けて下さり、聖山で生きる術を御授けになった一生の恩人だ。母とも呼べるだろう。」
「此度も、一人の子供を伴っておられます。特別な資格を持つ神の子、と申されまして、法神官会議にお連れになりました。」

「そうか。いずれその子も神殿で暮らす事になるだろう。良き巫女を選んでおこう。」

 メテメテは下界の支援者からの手紙を幾通か手渡して、部屋を辞した。支援者は金雷蜒褐甲角両王国に広く存在するが、中には大っぴらに出来ない方法で貢献している者もある。彼らから、神聖神殿都市の実務最高責任者であるワクウワァクへの連絡は、メテメテが受け持っている。

 ワクウワァクはその中の一通に目を止めた。十二神方台系には紙が無い為、木の薄板を二枚綴って封筒代わりにする。板の両面には宛て名も差出人の名も無い。
彼は封板の紐を解き、手の中に拡げた。中に収められた上質の葉片には、かすかに残り香がある。カエル巫女に聞いても分からない、方台中どこを探しても見付からない豊潤で甘やかな、懐かしい薫りだ。

 この手紙は、いつもの通りただ一言書いている。この一文を読むのを、ワクウワァクはどれほど心待ちにしているか。

「今度参ります。母より」

 

 コウモリ巫女アルカンカラ、齢96を数え方台では稀な長寿を得た、最も尊ばれる巫女の一人だ。背は低く腰は曲がり、白く長い髪を地面に引きずっている。纏う衣はコウモリ巫女の黒の衣装の色が褪せ、灰色に変わった古い装束でほとんどボロと言えるほどだが、決して新しいものを受け取らない。杖を突き日除けの笠を常に被って顔をめったに人に晒さないが、眼光は鋭く、隠された邪悪の心を見抜くと怖れられている。

 法神官法神女の一同が待ち受ける中、アルカンカラは神官戦士が担ぐ輿から地面に下ろされた。手を貸そうとするコウモリ巫女を払いのけ、自力で石の床に立つ。

「・・うちゃやきゃ、もったら、うぐ、だからいやだと言ったにぃや。」

「御咎めあるな。今は急ぎの大事にて、失礼ながら輿にて御運びさせて頂いた。一年ぶりでございますか。」
「じじばばどもはきらいにゃ。もっと若いやっを連れてきゃに。」

「もっともではありますが、歳の事はご勘弁を。今回も「ゲキの声」が響くようになりましたので、聞き解いて頂きたい。」
「いつまでも死にやあ婆ぁに頼りおって、くされぼけどもにゃ、土産がすぎたにゃ。」

 杖を持つのと反対の左手を振って、傍らに控えたコウモリ巫女を呼ぶ。跪き耳をアルカンカラの顔に寄せた巫女は、後ろの輿に合図を送る。彼女は言った。

「この度アルカンカラ様は、神聴伎の能を持つと思われる子を見付け出し、神聖神殿都市に伴われました。」
「おお。三百年に一度現れれば多いと伝えられる神聴伎が見付かりましたか。」

「知らんにぃ。今から試しゃぁ。」

 若いコウモリ巫女が二人付いて、アルカンカラが伴った子供を法神官神女の前に連れて来た。6歳ほどで、身分の高い子供が着る法子姿と呼ばれる服装をしている。

「どこの、子供か。」
「貰ったちゃにゃに、持て余しゃ、親もいらん言うてたに、貰た。」

「名はなんと言うかな。」
「アーリィカ!」

 法神官に尋ねられた子供は、すぐに答えた。偉い法神官さまには何事も逆らわず答えなさい、と傍に付いていたコウモリ巫女が諭した賜物だ。

「それで御前は、人の声以外のものが聞こえるのか?」
「脱いでみ、ぬいでみゃ。」

と、アルカンカラは杖を突き出して子供の袖を引っ張った。恐れながら、とコウモリ巫女二人が前に出て、子供の服を脱がし始める。
 なにが始まるか、と目を丸くしていた法神官たちも、子供の身体を検めて、声を上げた。

「反面妖であるのか!」

 反面妖とは、十二神方台系の言葉で「両性具有」を意味する。珍しいがめでたくは無い、あるいは神罰を受けたとも思われていて、家に隠して育てるのが普通だ。
 子供は老人達に全身をくまなく見られて恥ずかしがり、赤くなる。隠されて育てられた為に他の人の裸を目にする機会が無く、自分が異常であるという自覚も無いようだ。

「アルカンカラ様、反面妖の子であれば、神聴伎の能を授かるのですか。」
「知らん。ゲキが呼んでたにゃ、探して連れて来ただけにぃや。」
「では、去年のゲキの声は、この子が現われるのも示していた、と仰しゃるか。」

「放り込んでにゃわかるにぃ。」

 放り込む、というのは大洞窟の深部、陽の光も届かぬ迷宮に入る事を意味する。「ゲキの声」の意味を知るとされる”神聴伎”の霊能を持つ者は、一人中に入って詳しく声を聞き、翌朝には戻ってくる。迷宮内部に潜って無事出て来るのも、また能力の一部だ。

「では明日にでも、」
「今でえ。いまで。」
「しかしお疲れではありませんか。アルカンカラ様も、この子も。」

「ダメならはよ帰せ。そにゃが一番え。」

 法神官と法神女が集まって協議した。霊能に関しては法神女が主導権を持つが、神聴伎は今の法神女には居ないので論が分かれた。しかしアルカンカラが良いと言うのならば、時を待たない方が正しいと結論付ける。

「ではアーリィカ、おまえに頼もう。迷宮に入り、ゲキの声を聞いて来ておくれ。」
「・・・・・・・・うん!」

 再び服を着せられ、アルカンカラと、聖山に昇るまで付いて世話をしたコウモリ巫女の顔色を見て、子供は大きく頷いた。この子はなぜか怖いものが無いように見受けられる。

 

 迷宮。だがこの言葉とは、大洞窟の内部にあるものはかなり様子が異なる。

 大洞窟は幅1キロ高さ300メートルの平たいかまぼこ状で、内部に真っ直ぐ真横に5キロメートルほど穿たれている。なぜ長さが分かるかと言えば、そこが聖山の行き止まり、大絶壁になるからだ。洞窟がそこまで届いているとすれば、5キロになる。もちろん誰も最深部を覗いた事は無い。
 つまりは相当に広い空間なのだが、そこに無数の「箱」が置かれている。石で作られ一辺が数十メートルになる巨大な直方体が幾重にも積み重ねられ、その狭間が複雑に入り組んだ通路になる。まるで木箱の倉庫のようであり、積み木を乱雑に投げ入れたようでもある。箱の中はがらんどうで、内部には一面に文様とネズミ文字が描かれている。神聖神殿都市はこの文字を発掘記録して意味を解読するのを永遠の責務とする。

 神殿都市は大洞窟のひさしの下にある。神殿の近辺、最外縁の「箱」にのみ陽は当り、すぐ奥はもう闇だ。内部には有毒ガスや酸欠状態になる場所もあり、火が使えないので探索もままならない。ただ「ゲキの声」と呼ばれる洞窟全体に響き渡る音を頼りに、神聴伎だけが進むのを許される。

 神官戦士が番をする迷宮の入り口、もっとも平坦な場所にある通路から、子供は恐れ気も無く走っていった。見送る法神官神女の方が心配でため息を吐くほどだ。

「アルカンカラ様、もしあの子が神聴伎で無かった場合、どうなります。」
「ゲキに喰われて死ぬよー、にょお。」

 アルカンカラはその場にどっかと腰を下ろし、巫女が勧めても決して動かなかった。霊能に関しては法神女会議に委ねるしかない。彼女らの指図に従ってコウモリ巫女がアルカンカラを傍で見守り、法神官は引き上げる事にした。

 

 子供、アーリィカは石の壁の迷宮をとっとこ走っていく。巨大な箱は光を矩形に切り取って、明るい灰色と影のパッチワークに染め上げる。隅には雑草も生えていてムカデも姿を見せた。
 箱は正確に積み上がっているのではなく、斜めにずれたり崩壊して壁が落ちている所もあり、立体的な道筋が出来ている。崩れた石の下をくぐらねばならなかったりと、かなり危険な道もあった。
 しかしアーリィカは迷い無く進んでいく。聖山に来るまでに繰り返しアルカンカラから道を教えられ、すっかり覚え込んでしまった。どこまでも潜らねばならないのではなく、目標の場所まで行ければ良い。陽の光が届かなくなると、アーリィカは地面に顔を伏せて低くを見る。暗闇に慣れた目には、薄ぼんやりと光る「印」が見えた。これを目印にすればちゃんと行くべき場所に到るはずだ。

 深部に入り、もうまったくの光が無い暗闇に至って、アーリィカは止まった。ここでいいはずだ。頭をぶつけないように慎重に立ち上がり、周囲を見回す。
 ほわ、と、闇の中に広がる青い光があった。暗い、大きな影が揺らめき、アーリィカに手招きしているように見えた。

「カラミチュ!」

 障害物にぶつからないように手を前に突き出しながら、アーリィカは慎重に影に向けて進んだ。間違いない、とは思ったがやはり近くで確認しないと、不安でならない。

「カラミチュ! みつけたあ。」
「よく言いつけどおりに道を覚えたね、立派だよ。怖くはなかったかい。」

「ううん、ぜんぜんこわくない。だって何にも居ないもん。どうしてあの年寄りの人たちは、この穴をこわがるの?」
「それは、ここに誰も居ないのが信じられないからだよ。おまえは違う。何も居ないのが分かるのだね。」
「カラミチュもわかるんだよね。」

 青い光に照らされる、大きな、本当に背の高い女にアーリィカはしがみ付いた。衣の裾にしがみ付いて顔を押し付けると、とても素敵な、安心出来る匂いがする。
 女は膝を屈めてアーリィカを抱き上げた。青い光の中で、その人の整った顔の輪郭が浮かび上がる。

「ほんとうに良く出来た。ここまで出来るなんて、予想よりずっと上だよ。」
「婆ちゃんのアルカンカラが耳が痛くなるまで教えてくれたんだよ。でも、この光はなに? 火も焚いていないのにどうして明るいの?」

「これはガモウヤヨイチャン様から頂いたものだ。まったく熱くないのに、こんなに明るく光るんだよ。」

 女は手に長い刀を持っていた。清らかで人の心を落ち着かせる青い光が柔らかく刀身から発せられ、周囲の壁を青く浮かび上がらせている。

「カラミチュ、て名前も、ガモウヤヨイチャンさまからいただいたんだよね。」
「カラミテュイ、だよ、本当は。」
「どういう意味?」
「さあ。星の世界の言葉だから、私にも分からない。」

 アーリィカを抱いたまま、女はその場に腰を下ろした。アーリィカは膝の上に座り、首を反らして女性の顔を見上げる。頭の後ろには豊かな胸があり、もたれ掛かると二つの隆起が優しく受け止める。

「これからどうするの?」
「ゲキが来るまで待つ。夜の真ん中にゲキは来るから、大分待たないといけない。」
「寝ちゃダメなんだよね。」
「寝ては、ゲキの声を聞き逃すからね。でも先触れに色んな事が起こるから寝過ごしたりしない、大丈夫。」

「ねえ、ゲキの声って、この音?」

 迷宮全体に間欠的に沸き上がる深くくぐもった音がする。時に頬を揺さぶるほどの低い太い空気の揺れだ。

「これは、声に聞こえるか?」
「ううん、これは声じゃない。」
「そう、声じゃない。これは洞窟が息をしている音で、ゲキとは関係無いのだよ。」

「じゃあほんとうのゲキはどういうの。」
「それは来てからのお楽しみ。そうだ、いいものを見せてあげよう。」

 女は右手の長刀を上にかざした。この刀は手を離すと光が消えてしまう特徴があり、灯にするには常に握っていなければいけない。
 アーリィカは光る刀を見つめる。青い光は刀から発するのではなく、刀にまとわりつく光の雲から発している。それは、女が気合いを入れて握り直すのに呼応して、強くまばゆい光へと変わる。

「うわあ。」

 アーリィカは、光よりもそれを使いこなすカラミチュの強さに驚き、満足した。このヒトは優しいだけでなくてとても強く、大きな心を持っている。ゲキがすごく怖い怪物であってもきっと自分を護ってくれるだろう。

「ほら、周りを見回してごらん。」
「・・・うわあ、うわあ、すごい。これなに?!」

 壁面と天井との距離が分かり、非常に大きな空間に二人が居るのが分かった。青い光はその全てに届き、描かれた絵文字を浮かび上がらせる。天井までも埋め尽くした文字は、自らも光輝いて、まるで天の星だ。

「これはゲキが書いた文字だよ。表の神官達はこれを読み解こうと必死に頑張っているけれど、ガモウヤヨイチャンの刀が無いと、本当の文字は見えなかったのだね。」
「なんて書いてるの?」

「さあ。でも、おもしろいね。」

 刀の光を戻すと女はアーリィカを膝から下ろし、傍らに携えた革袋の中から穀餅と水筒を取り出した。二人は同じ餅を割って一緒に食べる。水筒の中身はアーリィカが飲んだ事の無いほんのりと甘い飲み物だった。

「ゲキが来るまでまだ随分と時間があるから、ちょっと眠ろう。」
「ううん、カラミチュ、もっとお話して。」
「うーん、なんの話がいい?」

「ガモウヤヨイチャンさま!」
「そうか。じゃあ、ガモウヤヨイチャンの周りに居る百匹のネコの話をしよう。」
「うん!」

 アーリィカは女の右隣にぴったりとくっついて座る。膝に手を置いて、脇に頭を持たれかけて彼女の温もりに包まれる。しかし見上げても大きな胸に遮られ、顔を見る事が出来ない。

「ね、触っていい?」
「うん? いいよ。」
「う〜ん、なんでこんなにおっぱいが大きいのかな? アーリィカのおかあさんはこんなに大きくなかったよ。」
「身体が大きいから、おっぱいも大きいさ。」
「なんでカラミチュは背がとても高いの? 男の人よりもずっと高いよ、どうして。」
「ゲジゲジが憑いた人は、背も大きくなるんだよ。私も昔はゲジゲジが頭に居たんだ。」
「ヘンなのお。」

 小さな両手に余る、紡錘形の乳房のかたちを確かめながら、アーリィカはなんだか眠くなってきた。青い光と女性の温もりとで、聖山に来るまでの緊張が一気に疲れとなって襲って来た。

「なんだか眠い・・・。」
「ゲキが来たら起してあげるから、ゆっくりとおやすみ。」
「・・・おやすみなさい、おかあさん・・・。」

 

 

 翌朝、アーリィカは光の差す場所まで女に送ってもらい、アルカンカラが待つ入り口の近くまで戻った。神官巫女に見付からないようにこっそりと、でも最後まで手を繋いで、二人は迷宮を出た。

「ね、ゲキって生き物じゃないよね。」

 昨夜の出来事を反芻するように、アーリィカは尋ねた。あれがゲキならば、人の目ではけっして見付からないはずだ。
 だが、女はゲキの正体について教えてくれない。

「なんだと思う?」
「ふわふわして、中身がなくて、宙に浮かんでいて、なんだかこそばゆい!」

「フフ、私もそれくらいしか分からないな。ゲキはゲキ、それでいいよ。肝心なのは、声だけだ。ゲキの声をちゃんと覚えたね?」
「ぜったいぜったいわすれない! ぜったい大丈夫。」

 朝霧の中に逆光の旭日が零れて、前が一面真っ白だ。二人の探検はここでお終い、また分かれ分かれにならねばいけない。

「ねえ、カラミチュ。次はいつ会えるの?」
「これからまたガモウヤヨイチャンの居る所まで下りるから、一月くらいかな。」
「寂しいよ。」

「だいじょうぶ。この神殿には私の言うことを良く聞く神官や巫女がたくさん居るから。皆おまえと同じように、私が連れて来た子供達だ。」
「みんな、こども。」

「そう。みんな私の大事な子供。私はみんなのおかあさん。」

「アーリィカも、こども? カラミチュの、こども? おかあさん?」
「そう、アーリィカのおかあさん。」
「おかあさん!」

 ようやくその言葉を言えた、とアーリィカは彼女にしがみ付いた。本当のおかあさんが居なくなって以来、初めて心の底から自分を認めてくれる人に会った。暗い穴底から見付けてもらった喜び嬉しさを、口に出す事を許された。黒い衣の膝にしがみ付き、アーリィカは泣いた。
 女は、アーリィカの濡れたように光る黒髪に優しく白い指を滑らせた。彼女自身の髪も黒く長く、光る霧の中にたなびいていく。

 

「おお、おお! 帰って来た。」
「うむ、ゲキに会って無事帰って来れたか。で、声は。」
「ゲキの声は聞けたのか。」

 迷宮の入り口から元気よく走り出た子供に、法神官は喜びの声を上げた。法神女達がアーリィカを囲み、怪我はないか、無事であるかを確かめる。
 最年長のネズミ法神官がアーリィカに成果を尋ねる。

「どうだ、アーリィカ。ゲキはお前にちゃんと話し掛けてくれたか。」
「うーん?」

 アーリィカにしてみれば、この人が言っている意味がよく分からない。ゲキはアーリィカに気付かなかった。頬に触れたにも関らず、自分が居るとゲキは分からなかったのだろう。ただあんまり近くに寄ったから、ゲキの独り言が聞こえただけなのだ。

「ゲキには、会えたのか?」
「『ウェゲは前に三つ、左に一つ、チューラを飛び越えた。チューラは外に下がる』。」

 意味は分からないが、アーリィカにはゲキの声はそう聞こえた。カラミチュはその答えに微笑むだけで、訂正も言い直しもしなかった。なんの事だかさっぱりだが、どうやらこれで良いらしい。

 果たして法神官達は大きくどよめいて、互いに討論をし始めた。一人が奉げ持つ小卓を地面に置いて、アーリィカに示す。

「あ。」
「そう、これだ。ウェゲが前に三、左に一、チューラウを飛び越えチューラウは外に下がる。そうだな。」
「うん。」

 それはゲーム盤だった。ぐるぐると渦を巻く白黒の帯が描かれ、一コマ毎に丸い穴が開いている。楊枝の上に小さな蟲の人形が付いた駒が、何本か穴に刺さっている。
 高齢のネズミ法神官とタコ法神官が、駒を動かし始める。「ウェゲ」とは人の顔が描いてある駒、トカゲの「チューラウ」を飛び越えて、「チューラウ」は渦の一巻き外に弾き出された。

「由々し。」
「まさに由々しき事態だ。ガモウヤヨイチャン様に変事が起きるやも知れぬ。」
「北だな。チューラウ神の居られる北へ向かう。」

「アーリィカよ、よくやってくれた。アルカンカラの後継ぎとしておまえを認めよう。」

「あ、そうだった。アルカンカラー!」

 周囲に立ち塞がり、頭の上から色々と尋ねる法神官達を掻き分けて、アーリィカは老婆のアルカンカラに走り寄った。アルカンカラは昨日からずっと動かずその場に在り、一睡もせずに迷宮の入り口を見つめて居た。コウモリ巫女達は高齢の巫女の身を案じていたが、子供が帰ってきてようやくに動き始めたので、胸を撫で下ろす。

「おおお、どしたにゃ、ゲキは居たか。」
「(ゲキなんか居ないよ。)」
と、内緒で耳元に話し掛けるアーリィカを、老婆はそうかそうかと抱きしめた。骨と筋ばかり皺だらけの手は意外の力強さが有り、アーリィカは体中が痛かった。

 再びアルカンカラの耳元にこっそりと伝える。

「(カラミチュから、アルカンカラに伝言。『しをたまわりました』ってなんの事?。)」

「お、おおおお、おおおお、おおおおっ!」

 いきなり泣き始めるアルカンカラに驚いて、アーリィカは飛びのいた。老婆はその場に膝を落としぼろぼろと涙を流し、石の床に手を突いておんおんと泣き呻き続ける。
 アーリィカはなにを自分がしてしまったのか理解出来ず、コウモリ巫女達は跪いてアルカンカラを助け起こそうとし、法神女も傍に寄る。

 だが老婆はそのまま床に横に倒れ、コウモリ巫女が悲鳴を上げ、医師の長でもあるトカゲ神、青晶蜥(チューラウ)の法神官法神女を呼ぶ。

 変事が自分のせいで起ってしまったと怖れおののき、後ずさりするアーリィカを背後から抱き留める手があった。80歳を越えるタコ法神官だ。

「これでいいのじゃよ。人は、次に託すべき者を見出せばその座を渡して天上の星河に帰る。アルカンカラは地上に長く縛られ過ぎた、そっと休ませておあげ。」
「でも、でも。」
「おまえは為すべき事をして、これからもやっていく。アルカンカラに報いるにはそれしかないのじゃ。それが一番、良いのじゃよ。」

 

 

 アルカンカラの葬儀は神殿内でかなり大がかりに行われた。ほとんど外部の信者には知られていない巫女だが、聖山においては教義発展に多大なる貢献をした神聴伎として、十二神殿すべての究理神官が参列しその偉業を称えた。
 葬儀自体はコウモリ神殿、黒冥蝠(バンボ)神の神官巫女が取り仕切ったが、彼女を記念して歴代の神聴伎の廟を建てる事が決まり、神宰官ワクウワァクの手に委ねられた。

「あ。・・・母上?」

 執務室に戻って来たワクウワァクは、灯の無い部屋の中に大きな黒い影があるのに気が付いた。漂う空気に、彼が受け取った書簡と同じ甘やかで馥郁とした薫りが混じっている。

「少し帳簿を調べさせてもらった。金が無いな。」

 窓から差し込む月灯の逆光に、なぜか彼女の白い肌、顔だけが輝いているようにはっきりと見える。唇に引いた紅の色まではっきりと指摘出来そうだ。

「母上、アルカンカラ様。灯を御使い下さいませ。灯木に困るほどには財政的に逼迫はしていません。」
「ガモウヤヨイチャンがデュータム点に居座って巡礼を堰き止めたからな。寄付寄進もそっちに回っているだろう。神宰官としては頭の痛いところだな。」
「ご推察、恐れ入ります。」

「これは千年続くぞ。財政的に聖山を潤す措置を考えねば、ガモウヤヨイチャンの膝下に留め置かれる事になるだろう。」

 ワクウワァクは自ら灯木に火を点けて、部屋を照らし出した。黒い衣、黒い髪が床にまで届き、長身の女が執務机に腰かけている姿を闇から浮かび上がらせる。
 灯に照らされ顔が見えるようになると、彼女は初めて笑みを見せた。ワクウワァクは跪き、親愛と尊敬を込めて足に額を擦り付けた。

「アルカンカラの葬儀は無事終ったか?」
「はい、滞り無く。」
「あれは私が王宮に居た頃の、最も古い侍女の一人だ。長い間よく身代わりとして働いてくれた。祭事には私と同じ丁重な扱いをしてくれ。」
「心得ております・・・。」

 ワクウワァクは葬儀に先立って埋葬の身仕度をされるアルカンカラ、身代わりの老婆の死に顔を思い出していた。
 長く伸びた白髪はコウモリ巫女によって肩の長さで切り揃えられ顔がよく見えるようになっている。おかげで、何十年ぶりかに素顔を正面から見る事が出来た。深い皺が幾重にも刻まれ褐色の斑点が無数に浮いていて、まるで人間とは別の生き物のよう。しかし表情は長年の責務を見事勤め上げた喜びと、永遠の苦役から解放された安堵感とがあり、見る者全てに深い感銘を与えた。或る法神女は羨望をすら覚える、と告白したほどだ。

「アルカンカラは死んだ。これからは私の事は「カラミテュイ」と呼ぶが良い。」
「カラミテュイ、でございますか。それが母上の新しい御名。」

 促して、ワクウワァクを立ち上がらせた。そのまま手招きして、彼の頬に白い左手を添える。ワクウワァクは思わず目をつぶった。女の手の温もりに、彼の魂が溶け出す喜びを覚えている。

「あれの代りに連れて来たアーリィカは、私と同じ本物の神聴伎だ。無垢なる者、穢れを知らぬ者として大切に育ててくれ。清さ潔さこそが、ガモウヤヨイチャンと戦う最大の武器となる。」
「無垢なる者へ。分かりました。私が全力を挙げて俗世の毒、聖山の勢力争いから守りましょう。」
「うん。」

 女はそのままワクウワァクを誘って、自らの膝に身を預けさせる。長くしなやかで獣の勁さを秘めた腿の弾力に、ワクウワァクは思わず両の腕ですがりついた。両脚は彼の重みを受けても微動だにせず、無限の許容を感じさせる。
 女はそのまま左手で、色が薄くなり白味を増した彼の髪を優しく撫で、子守り歌を歌うように指令を説いていく。

「ガモウヤヨイチャンは強い。常の手段では抗する事も張り合う事も出来ない。」
「はい。」
「利用するのだ。だが頼ってはいけない。あくまで距離を置いて、呑まれぬように毅然とした態度を示さねばならない。」
「はい。」

「そういえば、下界で面白いものを見たよ。ピルマルレレコ教、というものだ。」
「・・・ピルマルレレコ、ですか。たしかそれは、ガモウヤヨイチャン様の紋章として用いられる、異星の神だと。」
「下民というのは面白いな。十二神より上の存在として新たなる神を見出し、それにすがって死後ガモウヤヨイチャンの星に生まれ変わろうというのだよ。」
「戯れ事です。人が生まれ変わるなど、ありえない。」

「良いではないか。人には救いとしての幻が必要だ。いっそのこと、ピルマルレレコ神をここで祭るが良い。ガモウヤヨイチャンの星に生まれる為に、聖山に詣でるのだ。」
「はい。・・・・・・はい、おかあさま。」

 ワクウワァクはこのまま母に溶けていきたいと願う。母は、彼に限りなく優しく、だが容赦なく厳しかった。神殿の修行において人並みの成果では冷たい目で見つめられるだけだ。この膝の温もりを得る為に彼は常人である事を捨てねばならなかった。それ故に彼は今の地位にあり、母の為に働く力を得て、彼を尋ねて来る理由となる。

 女は、彼の上に覆いかぶさり両の手で頭を抱いた。天から降る声で全身を優しく包む。

「そういえば、御前の父親に会ったよ。」
「・・父上、でございますか。」
「ああ。既に年老いて世の動きに取り残され、時の泥濘に埋もれていきながら、それでもなお戦い続けている。自らに与えられた責務を果たそうと、国を傾けてでも正義を貫いている。」
「ちちうえが、私の父が。」
「おかしいだろ。でも王の血を受継ぐ者ならば、そうでなければいけない。敗北すらも光輝くのが王たる者の正しい生き方だ。」

「王の、血が。」

 

「おまえはどうなのだ、ハジパイ結トゥーマイダン。おまえは受継いだ血の証しを、私に見せてくれるかい?」

 

 誰も知らない彼の本当の名を唱えながら、女の言葉は続く。灯木の火が消え部屋が再び闇に閉ざされても、二人の姿は微動だにしなかった。

 

第四章 背伸びをして、大股で歩いて、怒られて

 

 ベイスラ県はヌケミンドルの南に位置し、防衛上欠くべからざる要地ではあるが、これまで大戦闘の舞台になった事は歴史上ほとんど無い。
 ベイスラ山地とアユ・サユル湖を控えるここは後背と呼べる地であり、守るには易く攻めるには大軍を以って押し通る以外手は無いので、通常の戦略では一度滑平原に出て迂回し、ヌケミンドルから侵攻するのが常道だ。

 今回の大審判戦争においても、ベイスラを失陥するという事態は想定されていない。故に、難民の処理をベイスラ防衛軍に押し付けるのは当然である。

 カロアル軌バイジャン率いる輸送小隊は連日活動を続け、ベイスラ全域からヌケミンドル南部方面までを始終行き来している。隊員はクワアット兵3名(軌バイジャン含む)、邑兵20名と変わらないが、イヌコマが30頭に増えている。
 輸送するものは食糧や燃料、薬品、衣料や布地が主で武器類は初回以後は運んでいない。領内に難民が増えて来た為にそれらは重武装の兵員を擁する輸送小隊に任されている。
 その代り、軌バイジャンには特別な任務が与えられている。彼は黒甲枝の出身でまもなく聖戴する身であり、またこの度兵師監に昇進したカロアル羅ウシィの嫡男であるから、黒甲枝の神兵達が個人的な用件を後方の家族に伝える連絡係に自然と決まってしまった。
 前線の神兵からは書簡を、後方の家族からは届け物を預かる為、しばしばノゲ・ベイスラやマテ村を訪れる事になる。おかげで、ベイスラ地方に赴任している黒甲枝の一家についてかなり詳細な人間関係を知る事になった。

「これまでは日々訓練と研修に追われて振り返る余裕など無かったけれど、こうして見ると黒甲枝も色々だなあ。」

と軌バイジャンは副隊長の凌士卒ジュンゲに感想を言った。軌バイジャンの小隊は当初、新米小剣令の補佐をするべく年長の凌士長が付いていたが、或る程度慣れて来たと判断したのか、一階級下のジュンゲに交替させられてしまった。もう一人のクワアット兵は最下級の凌士カドゥヲンで、彼は軌バイジャンとさほど歳も変わらない。

「ベイスラは少し特別なのです。王都に近いので単身で赴任される方も多く、逆に一族総出で移って来られる方もいらっしゃいます。」
「住むだけなら、ベイスラは良い所だしな。もう少し大きな街が出来てもいいようにも思えるよ。」
「人がもっと増えれば、たぶん賑わうのでしょうが、難民が増えても仕方ありません。」
「うん・・・。」

 領内をくまなく回る軌バイジャンは、神兵達から家族の身の回りの状況についての質問も受ける。その際例外なく尋ねられるのが、難民の流入の状況と安全確保についてだ。ノゲ・ベイスラを中心に領内に分散して収容されている難民は既に2万人を越え、地元住民との軋轢も生み出している。各村の自警団と衝突して野営地を変え、また別の村と衝突するの繰り返しだ。

「春には難民の盗賊団やら金雷蜒軍への内通者を一掃したが、あれがまだ生き残っていたらと思うとぞっとするよ。」
「はい。我らもあの討伐には参加しましたが、御父上の兵師監様のお指図には感服いたしました。まるで今回の事態を見抜かれたような早業で、」
「でも自分が見たところ、まだアレは少数生きてるな。なんとなく難民同士の繋がりが感じられるよ。」

「やはりそう思われますか。どうも、北からそっくり組織が移って来たようです。」
「内偵は入ってるのかな?」
「存じかねます。が、おそらく。」

 難民と地元住民との軋轢は、隊内にも深刻な影響を与えていた。軌バイジャンの小隊の邑兵はこの度の戦争で急遽狩り集められたニワカ兵であるが、彼らもまた地元民だ。生まれの村で難民が騒ぎを起すと知ればなんらかの行動を起こしたくなるのは自然の人情で、クワアット兵達は彼らを抑えるのに苦労している。
 一方でクワアット兵も、その出身は邑兵でありどこかの地方の村人であるから、逸る気持ちはよく分かる。難民に対して同情的な感覚を持つのは難しい。
 軌バイジャンはここに至ってようやく、黒甲枝という特権階級の存在意義を知った。方台全体を俯瞰して見るのは常人では不可能で、生まれからして特別な、広い観点での教育を受けた者で無いと統治は無理なのだ。聖蟲の有る無しに関らず、黒甲枝の家に生まれた者は一般人とは違う人生を歩まねばならない、とようやくに覚悟を決めた。

 

 今回の軌バイジャン小隊の任務は油の輸送である。ベイスラ山地の麓、西側はどんぐり油の生産でも有名だ。油は軍需物資としても重要だがイヌコマの背に載せるには重量の問題がある積み荷で、少量ずつ何度か往復しなければならない。おかげで、普段行った事の無いベイスラ西部の事情もかなり呑み込めて来た。

「きゃあーー、いやああー。」
「ふははは、まてこら。おい。」

 林の中から典型的な叫び声がするので邑兵に見に行かせると、案の定難民の少女が地元の自警団に追われている所だった。逆の場面に出くわした事もある。どちらにしろ、正義を司る褐甲角王国ではあってはならない事だ。
 軌バイジャンは先日、ようやくにして「戦闘章」を貰った。これは独自の判断で戦闘行為を行っても良い、という許可証で、これを持たない見習い中の小剣令は緊急避難的な防衛行動以外の戦闘を許されない。こういう事態に遭遇した場合でも、戦闘章が無ければ不干渉を貫かねばならないのだ。もっとも裏技があって、騒動の渦中にむりやり行軍すれば否応なく介入出来る、と以前居た凌士長に軌バイジャンは教わった。

 2人の少女を7人の自警団が追っているのを、軌バイジャンはただちに止めさせる。自警団と言っても正体はただのちんぴらで、村の有力者の子弟が取りまきを集めて自警団を名乗っているだけだ。本物の邑兵ならばクワアット兵出身の邑兵隊長によって厳しく統制されているが、生憎と現在はどこの村でも邑兵隊は戦争に駆り出され、このような輩ばかりが残っている。

 彼らはクワアット兵の姿を見ると肝を潰して、それこそひれ伏すようにその場に座り込んだ。
 軍事国家である褐甲角王国において正規兵であるクワアット兵の地位は隔絶して高い。そもそも装備からして違う。鋼鉄の板金で作られた完全な鎧は民間では所持も許されない。長弓も長い刀も槍もそうだ。邑兵はどこも革か木、蔦を巻いた簡易な防具に棍棒というのが標準的な装備で、たまに刃渡り30センチ程の交易警備隊の刀をぶら下げているのが関の山。訓練の度合もまるで違い、同じ武装をしていても邑兵はクワアット兵に子供同然にあしらわれるのが通り相場だ。目の前の自警団も自村の邑兵隊長の武術の腕を知っているから、現役のクワアット兵相手に抵抗するなどの無謀は最初から考えもしない。

 軌バイジャンが前に出て自警団の頭を問い詰める。身体は大きいが鼻の下がぬぼーっと長い男で、普通の選考基準ならば邑兵から外されるタイプの人間だ。妙に肌が白いのは、家が裕福で普段農作業などしないからだろう。

「何をしている。御前達は王国からのお達しを弁えていないのか。名乗れ。」
「は、はい。わたくしはアゲェ村の自警団団長で村の会計番チョガマベが息子ハインハです。村の水場に近付いて不審な動きをする難民の女を見付け取り調べようとしたところいきなり逃げ出し、」
「この付近には難民は何名ほど逗留している。」
「は、はい。300名ほどかと。」
「300もか。収容区画に水場は無いのか。」
「は、水は、たしか、こちらまで来なければ無かったかと。」
「では難民が来るのは当たり前だろう。邑兵隊長が居ないのならば(農民会議の)議長と役人はどうした。」
「議長は会合で村を離れて、お役人はいらっしゃいますが。」
「呼んで来い。移送司令部から定められた難民滞在に適正な資材の配分がされているか検査する。」
「は、はいー。」

 ただの輸送小隊の隊長ならばそこまではしないが、軌バイジャンはこれでも黒甲枝だ。民生の指導に当たる衛視の職分にも或る程度の知識は有る。ノゲ・ベイスラの司令部からも衛視局からも、輸送の途中で難民の一時滞在の状況を確認して不都合があれば善処せよ、との命令を受けている。見習い小剣令には過ぎる任務だが、人手がまるで足りないのだから仕方がなく軌バイジャンも背伸びをせねばならない。

 アゲェ村の役人がぜい肉の付いた身体でえっちらと走って来るのに案内させて、輸送小隊は難民に指定された収容区画へと向かう。村の外れのそのまた先にあるただの野原だが、300人が十日も滞在するには手狭で林の奥にまで天幕を張っている。ベイスラまでは特に粗雑な扱いをされていなかったのだろう、服装もちゃんとしているが、どの家族も大きな荷物を抱えている。

 軌バイジャンの経験では、難民と地元住民の騒動の原因は三つ、水場を荒らす、薪を勝手に切る、糞尿を垂れ流す、これがどこででも問題になる。食糧は現在は十分に供給されている為に、地元住民が盗難を騒ぎ立てる事はまだ無い。しかし、これ以上の難民の流入が続くといずれ配給に支障を来してもっと深刻な衝突が発生するだろう。

 難民の集団を率いる長はまだ決まっていなかった為に、軌バイジャンが立ち会ってアゲェ村の役人と自警団団長の前で一人の男を定めた。今後難民が引き起こした不始末は、この長を通じて解決する事になる。それ以外の直接の難民への仕置きは軌バイジャンが厳禁した。役人は県中央からの派遣だから、「本部に報告する」と言えば直立して畏まる。一方、自警団団長ハインハは口には出さないが不満で破裂しそうだ。彼は25歳程度に見えるが、18歳の小剣令に指図されるのが我慢ならないのだろう。軌バイジャンの若さは、確かに各地で指導をする際に障害となる。

「帰りにはまたこの道を通る。その際に改善がなされていなければ、しかるべき措置を取るからな。」

 こう捨て置いていれば、さすがに自警団も悪さはしないだろう。

 

「きゃあーやめてー。」
「ふははは、これはもらっていくぞ。」

 次の日、輸送小隊はまたぞろ典型的な悲鳴を確認して、邑兵の一人を偵察に出した。この役はもう決まっていて、邑兵の中でも一番はしっこいキル・ミルが当てられる。県の奥部だから敵は居ないだろうが、一応は教育通りに斥候のまねごとをして相手に見付からないように覗いている。

 帰って来たキル・ミルが報告する。

「難民の男が、同じ難民から品物を取り上げているようです。」
「うわーまた厄介な。」

 一概に盗難にあった、とは言えない。なんらかの便宜をはかった者がその代価を多少高く取り立てる、という場面に以前も出くわした。難民にも色々あり、裕福な王都カプタニアやヌケミンドル市から来た者は結構な財貨を持っていたりする。一方ガンガランガや同じヌケミンドルでも平原地方に居た者は大して財産を持っていない。この格差が悲劇を度々産んでいる。

 隊長が出て行くのはまだ早い、と凌士卒ジュンゲがキル・ミルを連れて確認に行った。その間、軌バイジャンは小隊に休みを取らせてイヌコマに食事をさせた。道の端の草で間に合うとはいえ、30頭のイヌコマの食欲は大したもので、これだけで結構問題になったりもする。目を離すとすぐ畑に下りて作物を齧るので管理が大変だ。
 その上、小隊の邑兵達の戦闘訓練を続けなければいけない。配属当初のずぶの素人に比べれば飛躍的に改善したとはいえ、未だ邑兵の戦闘力の平均値には到達していない。輸送任務をこなしながらではろくに訓練する時間も無いが、野営前には必ず棍を振るのと石を投げる練習をさせている。互いに棍同士で叩き合う練習が出来るまでになったので、彼らは皆自慢げだ。

 帰って来たジュンゲが報告する。やはり、なんらかの貸借関係があり、その取り立てを行っていたそうだ。だが、移動中の難民には稼ぐ場が無い。手持ちの財産をすり減らしていくしかなく、なけなしの金品を取られては後々どうなるか先行きが見えない為に、支払いを拒む事態が頻発していた。
 ジュンゲは仕方がないので強権で男に代金を負けさせて、なんとかその場を収めて来た。正直に言うと、このような金銭上の悶着はクワアット兵の出番ではない。

「この件は報告の必要は無いと思われますが、いかがなさいます。」
「父上は、いや難民移送司令官殿はこのような事態を想定して、独自の葉銭制度を用いると仰しゃっていたが、早くにしてもらわないとな。」

 褐甲角王国には紙幣の制度は無い。だが発想だけはあって、軍の非常時に商人から物資を借り上げるのに葉銭という切符を用いる事がある。これをもらった商人同士が互いに融通しあうのだが、燃えたり破れたりする葉っぱのお金は誰も欲しがりはしない。

 

 輸送小隊はベイスラ山地に入った。ここは広葉樹林でどんぐりが成る樹が多く、秋には皆で拾い集めてどんぐり粉やどんぐり油を作っている。ベイスラ県ではどんぐり油を王都に納める事で財政の3割を賄うほどの主要な産業だ。
 どんぐり油、どんぐり粉の製造はかなり人力を要するので、難民の季節労働者が多く働いている。その点では、ここは難民に寛容な地域なのだが。

「良い所へおいで下さいました、軌バイジャン様。実は大変な事件が起こりまして、我々だけでは収まりが着きません。」

 油の産地ジウジュン村の役人が、輸送小隊の到着を待ちわびて街道の途中まで迎えに出ていた。もう三度目の往復だからすっかり顔なじみになったが、この役人は脂ぎった顔に汗を一杯にかいて、光る額を軌バイジャンに擦りつけるように説明する。

「実は新しく来た難民達が、事もあろうに御神獣さまを捕まえて食べてしまったのです。それも一匹や二匹ではなく、11匹も。」
「なんだって! それでは村の者は。」
「もう頭から湯気を吹いて怒っていて、難民達の天幕に火を掛けるとかの勢いで、止められません。」
「それは一大事だ・・・。」

 ベイスラ地方の山岳地帯にはオガミモグラという体長30センチほどの動物が居る。モグラのように穴を掘るが、どちらかというと穴熊に近い。山と平地の境の柔らかい地面にトンネルを掘っている、人間とは利害関係の無い動物だ。これが、時折真昼のさんさんと太陽が照りつける中、ぽこっと地面から顔を出して大きな爪の生えた前足を振り上げて、太陽を拝む仕草をする。本当は何をやっているのか分からないが、ベイスラの人々はこの生き物は大変に信心深い動物だとして崇め大切にしている。殺すなどもってのほか、もし誤って鋤でも打ち込んで傷付けてしまったら、近くのトカゲ神殿に持ち込んで手当てをしてもらったり、自ら罰を受けようとカニ神殿に詣でるとか、大層な扱いをしている。

 もしこれが御神獣だと知って故意に殺したのであれば、住民達は犯人に死罪を要求するだろう。黒甲枝であってもその勢いには逆らえない。しかし、昨日今日連れて来られた難民達はそんな掟は露ほども知らず、まぬけな動物が食べられに出て来た、と思ったのだろう。

 黒甲枝カロアル軌バイジャンにとっても、これは正念場だ。
 もし難民を軽い罰で許したのであれば、ジウジュン村の民衆は彼を許さず、褐甲角軍クワアット兵の威信を大きく損ねるだろう。一方難民達に厳罰を加えた場合、難民が以降軍の指示に従わず各所で逃亡を繰り返したり反乱を起こす可能性さえある。

「邑兵隊長のガマランガ殿は居られないか?」
「邑兵隊は生憎東の前線に出払っていて、先の邑兵隊長オーカ様が自警団を率いておられます。」
「そうか、ならば自警団の暴発は無いな。よし、ではまず難民に会おう。」

 難民を率いていたのは身体の大きな、体格もがっちりした強そうな男だった。交易警備隊として方台を巡った事もあるという。名はタムト、34歳。クワアット兵である軌バイジャン達の前に出ても卑屈に恐れ入らないのは、東金雷蜒王国でゲイルでも見た為であろうか。
 彼はまず、御神獣を食べてしまった事は素直に謝った。だがその罰について村の意見には承服できないと言う。オガミモグラを食べてしまったのは35名、中には女や老人、3歳の子供まで居る。これらを等しく罰に下すのはあまりにも無体で、またオガミモグラがそれほど大切な生き物であるとは知らなかったと寛恕を願う。

「タムト、それでは収まらないのだ。事は信仰に関る話で、これを許せば以後オガミモグラが次々に難に遭いかねない。」

 軌バイジャンの言葉にも、タムトはなおも抵抗を続ける。自分達も来たくてここに居るのではない、褐甲角王国の命令で仕方なしにすべての生業を取りやめて移送に応じているのだから、滞在中に周辺住民との軋轢が起きたならば、それは褐甲角王国の責任だ、と言う。意見には納得させられる所も多いが、王国が非を認める訳にもいかない。

「ではどのような罰ならば受けるというか。」
「はい。まずは難民達の責任者として、私に罰をお与え下さい。ですが、オガミモグラを狩った者の中にはまだ幼い者もございます。その者にはなにとぞ温情あるお取計らいを。」

「さてさて参りましたな。その程度では到底収まりが着きません。最低でも難民をこの地より退去させて頂かねば。」

 役人はこう申し立てるが、移送計画の支障になる事例を認める訳にはいかない。かと言って、誰かを火焙りにしろ、などという過激な意見も許されない。

「死罪の件だが、これは却下だ。死罪ともなれば衛視の御検分が必要だが、現今の情勢下においてそのような暇はどなたにもありはしない。非常時であるから罪一等を減じて死罪は無い。」
「ありがとうございます。」

 タムトは素直に頭を下げた。軌バイジャンは、これはなかなか肝の座った男だな、と感心する。なぜこのような男が難民として不遇をかこっているのか、分からない。

「今後オガミモグラを傷付けた者に対しては、知らずに犯した場合初犯は杖打ち3回、二度目もしくは規則を知っての犯行であれば杖打ち10回および絶食5日、三度目は死罪となるようにノゲ・ベイスラに上申しておく。今回は知らぬ事でありまた最初の事件であるから、特別な扱いとする。今後山地地方に入って来る難民には、規則を周知徹底するように各村に申し渡せ。」
「心得ましてございます。」

 役人は軌バイジャンの意見を是とした。杖打ちはしなる丈夫な杖を用い渾身の力で打ちのめすので、身体の弱い者ならば絶命しかねない刑罰だ。骨を折らないように打ち方に秘訣があるので、クワアット兵か刑吏でなければ執行できない。これが10回となれば偉丈夫であっても一月は足腰が立たなくなる過酷なものだ。加えて絶食5日であれば、地元住民も納得するだろう。

「さて今回の処分だが、」

 

 正規のクワアット兵が来たと聞きつけて、ジウジュン村の多数の男達が詰め掛けている。それに対応するように、難民の側も男が横に列となって女子供をかばって立ち塞がり、このままでは石でも飛んで騒動に発展しそうだ。
 だが、打ち合わせを終えて軌バイジャンと二人のクワアット兵、役人に難民を率いるタムトが姿を見せると、双方は距離を取って裁きを待った。罪を犯したのは難民の側なので、軌バイジャンは難民に向けて話をする。もちろん背後では村人が聞いているのを承知の上だ。

 台の上に上り一段高い所から見下ろすと、難民達の様子がよく分かる。アゲェ村に滞在していた難民とは違い、ここには結構男手が揃っている。土木や採掘などの職に就いていた集団をそのまま移送させたのだろう。血の気の多い者も居て、手足に革帯などを巻いて喧嘩に備えていたりもする。素直に白状すれば、クワアット兵3名邑兵20名ではとても抑えきれない。

 役人がまず軌バイジャンの身分を発表する。何者が裁きを下すのかはっきりと示すのは当然として、彼の身分にものを言わせて強引に押し切ろうという算段だ。

「こちらに御わす御方は小剣令カロアル軌バイジャン様。黒甲枝の家の生まれにて聖戴拝領資格者、当ベイスラにおいてノゲ・ベイスラ中核都市防衛隊指令兼難民移送司令官たる兵師監カロアル羅ウシィ様のご子息にあらせられる。一同の者、神妙にお指図に従うが良い。」

 兵師監、というのは効いた。昨日までの常識であれば兵師監と言えば県全体を預かる一軍の将、軍とその支配下にある民衆をいかようにも出来る絶大な権力を帯びたお殿様だ。その息子となれば、たとえまだ聖蟲を戴いていなくても天意と呼べるほど発言に権威を持つ。
 なんでこんなに大袈裟な話になるんだ、と軌バイジャン自身は戸惑うばかりだが、父の名を使えばすんなりと収まるのであれば甘んじて羞恥も受入れねばなるまい。何事も王国の勝利の為だ。

「当地ベイスラにおいてはオガミモグラは神獣と崇められるほどの大切な生き物であり、これを傷付けるのは黒甲枝といえども許されぬ。いかに知らぬ事とは言え、神獣を捕獲し食すなど言語道断、重罪は免れぬ。今回このような事態に到るとは想定していなかった為に特別に寛大なる処置を取るが、今後引き続きベイスラに入って来る難民にはオガミモグラに対する禁令を明確に伝え徹底し、違反者は厳しく取り締まる旨を、難民移送司令官の代理として申し渡す。」
「へへえー。」

 難民に限らず、一般の民衆には高飛車な態度で接するのが極めて効果的だ。自分で言って歯が浮く台詞でも、これをこそ期待している者が多数有るのだから、恥を忍んで突っ走るしかない。

 以下、新しく定めた罰則について説明すると、背後の村人からは安堵の声が漏れた。死罪ともなれば騒ぎが拡大して難民が復讐に来るかも、と懸念もしていたのだろう。自分達で要求しておきながらコレだから、烏合の衆は信用ならない。

「今回難民に規則を徹底させる為に、敢えて代表たる者を選んで唯一人に罰を与える。皆の者は禁令に背けばいかなる目に遭うかとくと知り、後から来る難民にも詳しく伝えるように。
 罰を受けるべき者は前に出ろ。」
「ははあーっ!」

と、役人の横に並んで居たタムトが進み出て、軌バイジャンの前にひざまずく。

「殊勝である。御前には殺されたオガミモグラの数に合わせて11回の杖打ちの刑を行う。」
「御存分に、お願い致します。」

「もしも彼よりも罰を受けるに値すると思う者があれば、自ら名乗り出るが良い。居らぬか。」

 出ないだろう、と高をくくって例文通りの文句を唱えると、横一列に並ぶ男達が揺らめいて、やがて一人の若者とその弟らしき少年が前に出た。若者は軌バイジャンとほぼ同じ年齢、弟は14歳程度に見えた。

「申し上げます。」
「! 子供は下がれい!」

 軌バイジャンが叫ぶので、背後の大人に弟は引っ込められた。若者はそのままタムトの後ろまで進み、同じく地面に膝を着く。

「俺が、おれが最初に御神獣を捕まえて食ってしまいました。罪を償いたいと思います。」
「うむ。よくぞ申し出た。御前には杖打ち3回を与えよう。よって代表者たるタムトは8回に減刑する。」

「あ、ありがとうございます!」

 若者は地面に額を擦りつけて、軌バイジャンに礼をした。タムトも頭を下げるが、どうも「余計なことをしやがって」と小声で言ったようだ。

 杖打ちは技術を要し18歳の軌バイジャンには無理なので、クワアット兵の二人が行う。若者に対しては凌士カドゥヲンが、タムトには熟練した凌士卒ジュンゲが執行する。
 罪人は両手を杭に縛られ、砂袋を積み重ねたものの上に胸と腹を置き、執行者に背を叩き易いように向ける。下手に身動きすると背骨に当たって砕ける事があるが、それは本人の覚悟の無さに依るとして、特に考慮はされないとなっている。

 最初は若者への刑が行われた。カドゥヲンには多少手加減せよと言ってあるが、村人に説得力のある刑でなくても意味が無い。せいぜい派手に音を立てて叩く。

「ひとーつ。」

 若い背の筋肉にたちまち杖の痕が赤く記される。一発だけで背の皮が剥がれ、血が染み出て来た。感心な事に若者は悲鳴を上げなかったが、代りに離れた所で見守る弟や女達が声を上げた。
 更にもう一発、肋骨が軋み息が漏れる音と混ざって、笛の音に似た声が出る。
 そして最後。内蔵まで響く衝撃に、さすがに悲鳴が漏れた。だがカドゥヲンはちゃんと手加減をしているので、二日もすれば元のように動けるだろうと、軌バイジャンにジュンゲが耳打ちした。

 正直、軌バイジャンはこれ以上見たくないが、もう一人執行せねばならない。正面で微動だにせず刑を見届けるのも黒甲枝の務めであるが、杖が振るわれる度に尻や腸がむずむずする。

 輸送小隊の邑兵によって担ぎ起こされた若者に代わって、タムトが自ら服を脱いで砂袋の上に腹這いになる。その広い背中を見て、ジュンゲが軌バイジャンに報告する。

「この者は以前に杖を受けています。」
「そうか。どうりで落ちついているわけだ。影響はあるか?」
「大丈夫でしょう。体調を崩さないように、背の筋肉を痛めます。血が飛び散りますが、内蔵に響くよりはずっと予後がいいのです。」
「任せる。」

 タムトの左脇にジュンゲが立った。しなる杖を振り上げ感触を確かめて、タムトの筋肉の着き具合を観察する。右の広背筋のあたりをちょんちょんと突く。ここを叩くぞと予告したのだ。

「ひとーつ。」
「ふぐぅうーっ。」

 少年とは違い、タムトは一発目から悲鳴を上げた。それほどジュンゲの打撃には威力がある。衝撃音も、杖が風を切る音もまるで次元が違う。若者が打たれた時は黙って見ていた難民の男達も、今度は一撃でうろたえて列を乱す。
 これでも内蔵に衝撃が行かないよう手加減しているのだから、ジュンゲの技も大層なものだ。杖の効果を確かめるカドゥヲンは、思わず額から冷たい汗を零した。
 軌バイジャンも、この一撃には動揺を覚える。杖の打ち方の授業では、熟練者の手並みを見て技を盗むのも修行の内だと教わったものの、実際目の当たりにすると凄まじいとしか言い様が無い。勉強でもあるのだから目を離すのは許されないが、当たる瞬間思わず目を閉じてしまう。

「ふたーつ。」
「う、ぐううううっつ。」

 刑は8回。気絶すれば水を掛けて目を覚まさせて続行するが、ジュンゲは巧みに免れさせて執行を続ける。気絶して気力を失うと、急速に体力の消耗を招いて予後に問題を生じる。さっさと叩いて終らせるのが、最も安全だ。

 軌バイジャンはさりげなく後ろを振り返り、村人の様子を確かめる。難民達に火を掛けるとまで言っていた彼らだが、響き渡る杖の音に彼ら自身も怯えていると思われた。先程役人に確かめたところ、この村で杖打ちの刑が執行されたのは10年前にもなり、知らない者も多い。それほど平和な村だからこそ、調和を揺るがした難民に怒りが脹れ上がり過酷な罰の要求へと繋がったわけだ。刑罰の実態を目の当たりにすれば彼らも慎重を覚えるに違いない、と軌バイジャンは信じた。

 5回叩いてカドゥヲンが様子を確かめ、続行可能との判断を伝えて来る。既にタムトの背中は血で真っ赤に染まり、どこを叩いて良いか分からないほどで、一度血を拭っての再開になる。軌バイジャンはジュンゲに合図を送って、少し手加減をさせた。既に難民村人双方に杖打ちの効果は広まって、これ以上は余分だと判断した。ジュンゲもうなずいて、杖を大きく振り上げる。殊更に大袈裟に叩いて手加減を誤魔化す為だ。
 立て続けの3発に、難民達は皆顔を覆う。だが安堵の息を漏らした。8発を堪え忍んで、タムトは気絶をしなかった。小隊の邑兵達に手の紐を解かれ砂袋から取り除かれて、駆け寄った男達に引き渡された。

 これで刑の執行は終り、と宣言しようとする所に、難民の中から10人ばかりがおずおずと前に出て、軌バイジャンの前にひざまずく。自分達もオガミモグラを捕らえたから罰を下して欲しいと言う。タムトが皆の代りに叩かれるを見て、良心が疼いたのだ。

「遅い!」

 軌バイジャンは彼らの中から壮健な5人の男を選び出して、労役を命じた。

「今後、ベイスラからの移送が再開された際には指揮官に願い出て、食糧運びの労役を担うが良い。期間はイローエントに到着するまでだ。」
「へへーっ。」

 これ以上の長居は無用、と軌バイジャンは小隊を油輸送の任務に復帰させる。役人に命じて村人を解散させて、どんぐり油の油槽へと案内させる。
 イヌコマを進めて向かう途中、なぜか後ろから視線を感じる。邑兵達が自分を見ているのだが、なにかいつもと違う。
 ジュンゲが理由を説明した。

「どうやら連中も、隊長を見直したようでございます。」
「うーん、なんだかなあ。」

 

「そういうのはいけません!」

 任務を終えてノゲ・ベイスラに戻って来た輸送小隊は、しばしマテ村で休息を取った。
 前線の神兵達から書簡を預かっている軌バイジャンはそれぞれの家に赴いて家族に直接手渡していく。どこの家に行っても、立派になった、大人になったと褒められたが、サト英ジョンレの妻マドメーにだけは、彼は怒られてしまった。
 22歳のふんわりとした印象で誰にでも優しいマドメーは、軌バイジャンをまるで英ジョンレの弟のように接してくれる。彼女が言うには、若い者があんまり偉そうにしてはダメな大人になる、のだそうだ。

「それは兵隊を率いるのには、すこしは偉そうな態度をしなければいけないでしょうが、村に入って来た時はびっくりしました。どこのお殿様の行列かと思ったわ。」
「す、すいません。自分では気を付けていたつもりですが。」
「自分ではそうでも、周囲に煽てられる内に次第次第に自分の本当の姿、実力を見失って、とんでもない失敗をするものです。ジョンレがそうです。彼は聖蟲を戴いて有頂天になって、ひどい間違いをしちゃったのよ。」
「はあ。」

「聖蟲が憑いてるから偉いのに、自分が偉いと勘違いしちゃって衛視の試験落っこちちゃったの。仕方なしに赤甲梢まで出向いて剣匠令の資格を取りに行って、その間2年も私は置いてけぼり。もう頭に来て頭に来て、帰って来た時は籠の中の洗濯物をぶつけてやったのよ。」

「そう、なんですか。」

 これはいかん、と軌バイジャンも自らの驕りを厳しく戒める誓いを立てた。同時に、本当の自分を発見して厳しく指摘してくれる人が居るのを喜びとしなければならない、と改めてマドメーを見直した。

「次は一度北に向かうので、残念ながらお届け物は今回お預かり出来ません。申し訳ありません。」
「あらそう。それは困ったわ。まあジョンレも食事や洗濯で困ったりはしないでしょうが、私達もね。」

「なにか、村であったのですか?」
「難民が増えてきたでしょ。この辺りには逗留させない方針らしいんだけれど、街道に近いからひっきりなしに通るのね。あまり筋の良くない人も居るらしいから、おじいさん達が新しく柵を作っているの。」

 おじいさん、というのは元クワアット兵で出身地に戻る事なく定年まで兵役を勤め上げた人で、中には剣令や凌士監などの経験者も居る。マテ村はそういう人の隠居地としての性格も持つ。だからいざとなれば彼らの血が騒ぎ、王国と軍に対して最後のご奉公をしようと考えるのだ。

「あ、そうそう。カロアル羅ウシィ様のお達しによると、「難民」て言葉は使っちゃいけない事になったわ。「朋民」と言うの。」
「は、あ。それはどういう目的で言い換えるのでしょうか。」
「つまりね、難民はなにかから追われて逃げて来た人、という意味でしょ。でも褐甲角王国に受入れているのだから、既に逃げる人ではなく、これまで住んでいた人たちの友達だ、というのね。」

「あんまり、使われ無さそうな気がしますが。第一、今でも『スプリタ街道難民移送司令官』ですよ、父は。」
「そうなのよねー。」

 と頬に手を当てて、窓から吹く夏の風にふんわりした髪がまとわりつくのを抑える彼女を、軌バイジャンはとても美しいと思う。結婚するのであればこんな人がいいな、と願うが、残念ながら自分の婚約者の顔をよく覚えていない。美人だったような気もするが、当時は軍学校を出たばかりで周囲の環境が一変し、沢山の異なる顔が殺到して新しい人間関係を作っていた時期なので、以後会えなかった婚約者はまっさきに忘れてしまった。手紙は定期的に来るのだが、自分は・・・!。

「あ。すいません。手紙用の葉片と封板はありますか? 婚約者に手紙の一通でも書いておかないと。」
「まあ! 忘れてたの? それはひどいわ。」
「すいません、任務が忙しかったものでついうっかり返事を書きそびれていました。今ここで書きます。ヌケミンドル県内に入れば、湖を使う私書郵便はまだ生きているそうですから。」

「これをお使いなさい。婚約者の方はヒッポドス弓レアルさんでしたね。もう、だから謙虚になりなさいと言うのよ。」
「はい・・・・。」

 

 

 マテ村を出て北に上る輸送小隊は、スプリタ街道の大路に出た所で重装備の中隊と遭遇した。ベイスラとエイベントの県境にある要塞シジマーに増強配備されるクワアット兵100と弩車10両の部隊だ。
 通行規則により、劣位の任務である軌バイジャンの小隊は道の右に外れ、中隊の通過を見送った。隊の先頭で敬礼するクワアット兵達を余所に、にわか邑兵達は「本物」の軍隊の行軍に目を見張る。

 それはまさに、勇壮とか華麗とかの形容詞にふさわしい行軍だった。長槍を持ち銀色に光る甲冑を身にまとい整然とした隊列で進む精兵達、長弓で弩車を警備する兵は眼光も鋭く、道の端に控える民は視線から逃れようと頭を低くする。

 弩車は最新型で東金雷蜒王国製の弩は鋼が黒光りし、秘めたる威力を見る者の胸に刻み込む。鉄板張りの防盾は厚く、車輪も鉄の鋲が打ってありいかにも堅固。重量も相当なもので一両につき10人の邑兵が牽引している。後ろには鈍く先端の光る大箭や投げ槍を積んだ荷車が何両も続いている。人数はすべてで300人を越えていた。

 

「いよいよ、ベイスラでも本格的な侵攻が始まるという事だな。」

 あっけに取られている邑兵達を叱咤しイヌコマを道の中央に戻して、軌バイジャンは決意も新たに北に向かう。

 

【豆】

 十二神方台系に来て以来、弥生ちゃんの関心はもっぱら食にあった。

 救世主たる者、人を飢えから救わねばならない。精神的な救いなどは二の次三の次、生きていく事がまず大事、それこそが為政者たる者の務めだと心得ていたからだ。実際、世が乱れる原因の多くは飢えにあり、十二神方台系の歴史を紐解いて見ればなるほどまったくもってその通りだと誰もが納得する。
 しかしながら、世の人々は救世主にはそのような卑近な事象の解決は要求しない。もっとエキサイティングな、スピリチュアルな、ファンタジックな、つまりは神様のお使いとしてぱーっと目の醒める救いを求めている。が、救ってしまった後の世界が見えてしまう弥生ちゃんとしては、どうしても食糧の確保をこそ考えざるを得ない。

 この世界の主食は、基本的に二種類の穀物に求められる。一つはポップコーン草、次が片栗草。ポップコーン草はつまりはポップコーンに似た実がなる穀物で、これをそのまま焼いたり蒸したりして直接食べる事の出来る、実に美味しいものだ。食の王と呼んでもいい。粉にしてパンを焼く事も出来る。「穀餅」と呼ばれるもので、丸かったり四角かったり、えびせんのように細長く焼き上げてスープに浮かべたりもする。御菓子の材料にもなるし、ともかくこれは良いものだ。
 それには少し劣るが、片栗草も多用される。この草は実ではなく茎の中にびっしりと白い片栗粉状のでんぷんが着くというもので、イヌコマが好んで食べる。無論人間が食べても構わないが、なにせ片栗粉だから火を通しても餅は作れない。主にお粥として湯に溶いて食べている。低所得者層はこれが主食となる。栄養価はもちろん高いが、利用の自由度が低い為に社会の評価は低い。揚げ物の衣や餡かけも当然これを使う。
 更には、どんぐり粉というのもある。山間部の主食で、弥生ちゃんがウラタンギジトに滞在中は毎日必ずこれが出た。どんぐりを石臼で挽いて粉にして水で晒して灰汁を抜き、毒消しして食べるという面倒くさい食品だが、もっちりとした食感はなかなかにいける。ネズミ神時代にはどんぐりを大量に貯えると村のステータスが高まったという、歴史の深い食べ物だ。麺を打てば良いのに、と思うが十二神方台系にはうどんラーメンに似た細長い食品は無い。

 そして、豆だ。
 弥生ちゃんの目の前には「毅豆」というものがある。地球の大豆に似たものだが、その名のとおりに滅多やたらと硬い。どんぐりを食べるくらいだから少々の硬さでは諦めない方台の住人も、これには閉口して投げ出した。どのくらい硬いかと言えば、ギィール神族が軸受のベアリングに用いるほど。古来より武器としても用いられ、熱く焼けた毅豆を城壁の上から投げ、節分よろしく敵兵を攻撃して勝利した、という逸話も伝わっている。煮ても焼いても蒸しても歯が立たないという困ったもので、何日も茹で上げてようやく石臼に掛かるのだが、出来たきな粉はぱさぱさしてちっとも美味しくない。
 何故こんなものを栽培するかと言えば、これは要するに豆だから、根っこに根粒菌が着いていて土壌改良効果が見込めるからだ。荒地にはまずこれを植えて土地に栄養を貯えてから穀物や野菜を栽培する。その意味では有用な植物で、毒地再生には是非とも必要になる。毒地全体をトカゲ王国の領土にせんと目論む弥生ちゃんが注目するのも当たり前だ。
 完全に成熟した豆には歯が立たないが、末成りの状態、枝豆であればまだそこまで硬くはない。さっと茹でて美味しくいただける、すり潰してペーストにして利用するのも可。つまりは野菜として人々は見ており、夏の間弥生ちゃんの所にも毅豆スープとして度々食卓に登場した。だが野菜では保存が効かない。なんとかして成熟した豆を食べられる方法を探らねばならなかった。

 弥生ちゃんはこれが食用には向かないと聞かされても、さっと食べる方法を編み出した。もやしにしてみたのだ。十二神方台系にはこの発想は無く、皆驚いて見つめたが、結果は失敗。芽に毒があった。
 やはり地道に加熱して食べるべきだと模索するが、さすがに二千年も難攻不落だったからには、ちょっとやそっとでは柔らかくならない。聞く所によれば、どこかの地方には毅豆を美味しく炊き上げる名人が居るとの話だから、なにか方法があるはずだと連日首をひねり続ける。

 答えはひょんな所から見つかった。
「え? 十二神方台系ではサイフォンは7メートルしか水が揚がらないの?」
「サイポンとはなにか知らないが、閉導管は10杖(1杖は75センチ)だ。」
 キルストル姫アィイーガの水道橋建造技術に関する技術的な説明から、弥生ちゃんもようやく毅豆が柔らかくならない理由に合点がいった。気圧、が問題だった。十二神方台系は気圧が地球の平均より随分と低いのだ。沸点が低いから湯の温度が上がらず、豆も煮えない。
「待てよ、だとするとなぜ私は平気なのだ?」
 それは勿論、弥生ちゃんを地球から呼び寄せる際に、青晶蜥(チューラウ)神がこの地にあっても十分働けるよう身体を作り変えてくれたからに違いない。世を救うのに、空気が薄くて動けない救世主なんか必要じゃない。

「であれば、だ。毅豆を煮るのに必要なのは、圧力鍋だ。」
と、ウラタンギジトのギィール神族に依頼して鉄の鍋を鋳造した。弥生ちゃんが金属で鍋を作る、というのは既に皆の知る所になっていたから、神族達も嫌がらずむしろ技術的な課題を解決するのを楽しんで、圧力に耐える鍋をこしらえてくれた。こればっかりは土器の鍋では不可能だ。
 しかし、圧力を逃がさないようにする調節弁を付けるかどうかはかなり問題になった。有る方が良いが、工作精度の関係で鍋の崩壊の要因になりかねない。やむなく弁の使用は諦めて、ひたすらに蒸気を逃がさない銅パッキンの開発に精励した。またネジを利用した蓋の密閉は経験が無く無理だと判断し、テコの原理を利用して閂を掛ける方式が採用された。
 爆発しないように注意しながら火加減を考えて、慎重に加熱する。素人が用いても大丈夫なようにしっかりと完備したマニュアルを与えねばならない。弁が無いからには爆発の危険性もある。何度かの失敗を経て、この中には鍋大爆発という事例もある、ついに毅豆の調理が実現した。
「うん、おいし。」
 ちゃんと炊き上がった豆はふっくらと柔らかく、皆も喜んで食べてくれる。この圧力鍋さえあれば、人々を飢えから救うのみならず、味噌醤油納豆豆腐の製造も可能となる。
「やっぱ、バッタで醤油作るというのは、原料の入手の仕方からして困難だもんね。」

 この圧力鍋はその後度々改良されて、毒地開発に大きく貢献する。圧力を加えてモノを煮る、という発想にギィール神族も大いに着目して、後の化学技術の発展にも大いに役立った。更には、圧力鍋を用いた蒸気大砲の発明にも繋がり、軍事においても一時代を拓く事となるのだが、それは弥生ちゃんの預り知らぬ所だ。

 

第五章 真円の金貨に刻まれし象(かたち)は、魅惑の陰謀を帯びて

 

 黒甲枝サト英ジョンレ、最愛の妻にダメ呼ばわりされてしまった彼は、だが自身の運命にさほどの後悔もなく、それどころか今自分がこの場に居るのを神の恩寵と感じている。

 なるほど衛視の試験を落ちて安楽な人生設計というのが傾いてしまったが、本音を言うと軍人として生涯を費やす事にひそかな憧れを感じており、衛視や官僚という事務職は俺には向かないなと思っていた。
 だが武闘派一本で生きていくという道筋は、折り悪くのヒィキタイタン事件の煽りで非常に困難になり、今後10年は大規模な侵攻作戦は無いと諦めての衛視試験への挑戦だった。

 結果は大失敗。資格は推薦時にほぼ見定められているのだから成績は標準に達して居たはずだが、受験者が多いのは誤算だった。いや、誤算をしたのは彼一人で、他の黒甲枝はそれをも考慮しての策をちゃんと講じており、迂闊だとも間抜けだと責められても仕方が無い。
 次に衛視の席が空くのは早くても3年後。それまでを無駄に過ごすのは損、と意気揚々に赤甲梢に剣匠令の位を取りに行って女房に洗濯物をぶつけられたのも、今となっては楽しい想い出だ。

 

「うーん、草原の風は素晴らしいな。」

 晴れた毒地には夏の草が青々と広がり、涼やかな風が彼方から吹き抜けて来る。毒が立ち篭めて居た時分は、聖蟲を持つ神兵でさえ深呼吸は控えられていたが、今は胸一杯に吸い込んで、爽快感のみがある。

「毒地とはこれほどに美しい場所だったのだな。思わず筆を取ってしまうよ。」
「ユーリエ殿、また絵を描かれますか。」

 ジュアン呪ユーリエは武人画の達者として王都でも知られる神兵だ。彼も衛視や官僚の道に背を向けて、ひたすらに軍務に、ついでに画業に勤しむ毎日を送っている。年齢は31歳だが、筆の達者は少年の頃から定評があり、遠く金雷蜒王国の都でも作品は持てはやされていると聞く。もっとも黒甲枝たるもの副業で稼ぐ事は許されないので、百金で取り引きされる作も知人に気ままに贈っている。

 十二神方台系の絵画で主流なのが板絵、肘の長さの正方形の板に炭で下絵を描き、泥の絵の具で着彩していく。絵の具は通常5色で混色は出来ない。金雷蜒王国の画家は発色させる材料を方台中から探して多色を用いるが、武人画は少ない色を大胆に使って百の色を思わせる、力強くまた趣深いものだ。

「この絵は英ジョンレ殿の奥方に差し上げよう。夫がどのような場所で戦っているか、知っておくべきだ。」
「これはかたじけない。いやー呪ユーリエ殿の絵を頂けるとは、妻も喜びます。」

「今度カロアル家の世継ぎ殿が来た時にことづけるとして、・・・うん。」

 

 カンカンと板鼓を叩いて神兵を呼んでいる。遂に毒地内部に侵攻する作戦が発動の時を迎えたのだ。

 ベイスラ穿攻隊最初の進攻作戦は、毒地中50里(50キロ)東方にあるボラ砦の攻略だ。この砦は長く東金雷蜒王国寇掠軍の前進基地として用いられて来た仇敵であり、気候の関係で毒の薄かった年には、ベイスラ軍が何度か討伐戦を行った事もある因縁の場所だ。
 もちろん今回の大審判戦争においても、東金雷蜒軍はここに集って寇掠軍を幾度も出撃させている。ベイスラ穿攻隊はその全てを撃退し、敵戦力の疲弊を見て取って、遂に逆撃を敢行する。

 

 最終打ち合わせは神兵全員とクワアット兵の剣令達で行われた。ベイスラ穿攻隊は神兵100名、クワアット兵300邑兵300の構成で、神兵が通常の編成の4倍居る。打ち合わせをするにも隊長級が多過ぎて、中庭に木の長椅子を持ち出してやっている。前列はそれぞれの部隊長が、後ろの席にはそれぞれがばらばらに着いていた。

 英ジョンレと呪ユーリエは白兵突入部隊に配置されている。共に赤甲梢で剣匠令の位を取っているから、栄えある前衛を務めるのは最初から分かっていた。近衛ではなく赤甲梢で剣匠令を取ったのが英ジョンレの自慢で、王都にあって規律の徹底と護衛任務を主にする近衛兵団と、実戦本意、ゲイル騎兵と実際に渡り合って技を磨く赤甲梢とでは、同じ資格でも価値が違うと若い黒甲枝の間では格の違いを噂している。
 白兵突入部隊の隊長は赤甲梢中剣令ロク陽ハンァラトレ、英ジョンレの研修で教官だった人物だ。赤甲梢からベイスラには10名が派遣されている。なにしろ赤甲梢装甲神兵隊はギジェカプタギ点の要塞に殴り込みを掛ける為に作られた部隊だ。何十年か前には演習と称して赤甲梢単独でギジェカプタギ点に押し込み、逆撃されて全滅の憂き目に遭った事さえある。今回の任務はまさに彼らの十八番だ。

 

 毒地進攻軍ベイスラ士団穿攻隊の士団長、兵師監シジマー藍サケールが正面に立って直々に作戦の説明をする。彼は42歳、長くカプタニアの近衛兵団にあり副団長までも務めた。また神兵戦技研究団の団長でもあり、今回の大戦にあたり兵師監を授かって指揮に当たる。
 彼が中央司令部から与えられた任務は、ヌケミンドルの敵主力部隊を南側面から痛撃して攻撃の持続性を失わせる事にある。今回のボラ砦の攻略はその第一歩であり、毒地奥部へ進攻する橋頭堡として、ここの確保は絶対に必要だった。

 甲冑ではなく賜軍衣で説明に臨む士団長は、要職を務めていたとは思えぬほどの偉丈夫で背も高く、部下を置いて一人でゲイル騎兵に斬り込んでいきそうな雰囲気さえある。

「・・・偵察隊の報告によれば、すでにボラ砦から全てのギィール神族、ゲイル騎兵は撤収を完了したそうだ。砦の東方10里に野営地を設け待機している。数はゲイルが20騎、神族も同じだろう。狗番や兵が250ほどあり、野営地を固めている。これに対して、砦本体に残る守備兵は概数で300、単なる奴隷も居るから、戦闘員はそれ以下だ。
 砦本体の戦力は取るに足らぬ。脅威となるのは後方で遊弋するゲイル騎兵の攻撃だ。」

 戦の常道である城や砦に篭っての防衛戦を、ギィール神族はほとんど行った事が無い。歴史上その必要が無かった。
 彼らの民は皆奴隷であり、守るべき同胞ではない。支配者である神族が交代しても奴隷はそのまま主を換えて仕えていくのみで、神族同士の争いに荷担する道理が無い。また領地も神族は持っておらず、単に神聖王からその場所の利用権を借りているだjけで、これまた守る必要が無い。生産設備や家屋は自前の投資によるものだが、額の聖蟲以上に有益なものなど無く、これさえあればどこに行っても同じように産業を自力で興す事が可能だ。

 つまりはギィール神族はその身一つが助かれば良い気軽な生き方をしており、特定の土地にしがみ付かねばならない理由を持たない。

 更に、彼らが乗用するゲイルは高速性こそが真の価値であり、砦に篭っては威力をまったくに用いる事が出来ない。大抵の城壁であればゲイルの13対の肢は自在に乗り越えて行けるから、多大な犠牲を払って死守するよりも、失陥した砦を外から攻撃して奪還する方が容易い。砦に残る兵との戦闘で疲弊した攻撃軍を背後から殲滅するのを、当然の戦術として採用している。

「全軍は三つに分け、この本営には神兵15を残す。本営は主に南方への寇掠軍侵入を警戒しながら、増援隊として待機する。
 更に神兵5を攻撃隊との連絡任務に当て、本営との距離50里を確保する。
 攻撃隊は神兵80、クワアット兵200邑兵150。作戦に要する日数は予定8日、夏中月廿五日に作戦を開始。総指揮官は士団長である私が直に務める。

 初日、払暁と同時に本営を出発、武器食糧水等を運搬しながら、ボラ砦西方10里まで移動しここに陣を張る。夜襲を警戒しつつ砦の様子を観察し、新設された防衛陣を把握する。
 二日目、陣を守るのに神兵20、クワアット兵150邑兵100を留め、攻撃隊は払暁出発、到着次第戦闘開始。昼天時(正午)に一時戦闘停止、一刻時再開、戦闘終了は残六刻(午後4時くらい)。追撃を警戒しながらそのまま陣に整然と撤収。陣全周を固めて夜襲を警戒しつつ休息。

 いいか、分かるな。この二日目の夜襲こそが本作戦において最大の激戦が予想される正念場だ。ここでゲイル騎兵の襲撃を防ぎきれば、敵は後が続かない。三日目の戦闘において砦を支援する戦力も失われる。心して掛かれ。

 二日目深夜、敵ゲイル騎兵の襲撃の裏で、砦においては兵員の撤収が行われる可能性が高い。偵察隊はこれを監視して、砦内兵数を詳細に把握。
 三日目払暁、敵襲撃の後処理、味方兵員の状態把握。作戦続行が可能と判断した場合、攻撃隊を再編成。神兵10クワアット兵100邑兵100を本陣に置き、砦攻略に出発。到着予想時刻は昼天時。白兵突入部隊30を先頭に砦を攻略、陥落させる。突入部隊は砦制圧後、敵残存兵を掃討。砦内に仕掛けられた自殺機構を解除して安全を確保する。
 戦闘終了は残六刻、神兵40は陣に戻り防衛態勢を取る。白兵突入隊30とクワアット兵邑兵は砦に残留。ゲイル騎兵による砦の再奪取に備える。

 四日目、前夜の敵襲撃効果を分析して戦力の把握。砦が使用可能状態で残って居た場合、陣が前進して入城。以降ベイスラ穿攻隊の前線基地として使用する。すでに夜襲は無いと予想されるが、その怖れがある場合は攻撃隊全兵力で迎撃して、砦の支配権を確乎たるものとする。砦が焼損して使用不能の場合は、放棄して撤収。第二次ボラ砦奪取作戦を発動し、後日砦再建を主目的とする遠征を行う。

 五日目、砦の守備隊として神兵50クワアット兵150邑兵100を留めて、攻撃隊は撤収。負傷者、戦死者、捕虜を本営に帰還する。本営に到着後、戦果を確認、司令部に報告。支援物資の輸送体制の整備。

 七日目、本営よりボラ砦に物資輸送隊の出発。要員は神兵20、クワアット兵100邑兵100。
 八日目、輸送隊到着予定。兵員の交替。砦の再建を開始する。この交替をもって、ボラ砦攻略作戦の終了と看做す。」

 

 質疑応答が何人かの部隊長と交わされ、参謀格の剣令が答える。だが結局、褐甲角軍の神兵は砦を落とすのにただ一つの方法しか使わない。
 神兵を集中して砦や城の一ヶ所を攻め、防御を一時的に麻痺させたところで無理やり城壁を乗り越える。
 常人には不可能であっても、無敵の肉体を持つ者ならば、これで万全だ。突入隊に選ばれた英ジョンレ達が奮い立つのが当たり前。考える余地なく士団長の計画を呑み込んだ。

「君の甲冑は翼甲冑だから、城壁割りをやってくれないか。」

 打ち合わせが終り解散になった後、白兵突入部隊の隊長ロク陽ハンァラトレが、英ジョンレにそう依頼した。一番乗りで城壁を登る役だ。三人が定められるが他の二人は赤甲梢だと聞いて、英ジョンレは快諾した。教官であった陽ハンァラトレが自分の戦闘力を買ってくれるのだから、答えねばなるまい。
 呪ユーリエは正直羨ましい、と白状した。もう少し若ければ自分も選ばれたろう、と負け惜しみを言う。確かに彼は武術の腕でも知られているが、最も危険な任務は若い神兵からまず選ぶのは当然だ。

 既にクワアット兵は出立の準備を整えて命令を待っている。いかに神兵が強力であろうとも、武器矢石食糧飲料水を運ぶ補助の兵が無ければ、毒地へ進攻は出来ない。
 これまでは更に大気に漂う毒霧の脅威に曝されて来たので地理も不案内だったが、開戦からこれまでの決死の偵察行でボラ砦周辺の地形も随分と詳しく判明している。おおむね何も無い平原ではあるが、枯れ川や枯れ沼、かって人が住んでいた頃の街の遺跡や古井戸古水道といった伏兵を配置する場所は無数にある。更には風の道と呼ばれる場所もあり、風上から毒を撒かれると進攻軍が一気に窮地に陥ってしまう。ガモウヤヨイチャンによって浄化されても、いまだにここは毒地なのだ。

 

 神兵達はそれぞれの宿舎に戻って、甲冑と武器の最後の確認を行う。通常の手入れはそれぞれの家僕や従卒がやってくれるが、専用甲冑は複雑な機構を仕込んでいるので、神兵以外の者には手入れが出来ない部分もある。英ジョンレに支給された翼甲冑は、赤甲梢で用いた事があるがやはり不慣れで、自分でも動作の確認をして十分な調節をしなければ長時間の着装は無理だ。おそらく毒地での作戦中は一度も脱ぐ事は出来ないだろう。鉄箔と金網をタコ樹脂で塗り固めた飴色の装甲に念入りに磨きを掛ける。

「しかし、見れば見るほど妙な形をしているな、翼甲冑は。」

 蟲の貌である。兜は蟲の顔を象って人間がこれを着けると考慮されていない風にも思える。関節も薄いタコ樹脂の板で丸みを帯びた筒を作り何個も重ねて自由度を高めている。バネは肢にしか仕込まれていないが、反発力で跳躍の距離を伸ばす事も可能になっている。その為に敢えて生身の部分も露出させる大胆な設計で、これを作ったギィール神族は本当は褐甲角王国を滅ぼすのを目的としたのではないか、といぶかしんでしまう。

 そう。翼甲冑ソルヴァームも重甲冑ヴェイラームも共にギィール神族の作品だ。ギィール神族にはおかしな習性があり、時々こういう新兵器を作る為にわざわざ褐甲角王国に亡命してくる。こちらでは特に恩恵を約束したわけではないのに、身勝手にやってきて城や砦、武器や生産設備などを熱心に作っていく。彼らを収容する為にアユ・サユル湖の中心マナカシップ島に神族の為の隠し村まで用意されているほど、かなりの人数がやって来る。
 彼らが言うには、褐甲角王国にはテコ入れが必要、なのだそうだ。

 かって、褐甲角神救世主初代武徳王カンヴィタル・イムレイルが現われる直前、神聖金雷蜒王国末期には、閉塞した状況の中で神族同士がいがみ合い殺し合う悲惨な状況に陥った。ゲイルと呼ばれる巨大な騎乗生物が開発されたのもこの頃で、些細な利害の衝突で、あるいは末端の奴隷同士がいさかいを起した程度の理由で、凄惨な殺戮を各地で繰り広げた。
 この原因は神族自身に求められ、神にも等しい彼らが自らの運命を見失い社会に貢献する志を失い、厭世的破壊衝動に巨躯を抑えられなくなった為、らしい。

 褐甲角王国はそんな彼らに自身の姿を見つめ直す機会を与え、神の一族としての誇りを取り戻させた。たとえ支配地の半分を失ったとしても、規律を回復させ民を慈しむゆとりを戻してくれた事に、奇妙な話だが、彼らは感謝しているのだ。
 英ジョンレが読んだ東金雷蜒王国の書物には、そう書かれていた。兵学校時代はなんて身勝手な連中だと呆れ返ったものだが、自らも聖蟲を額に宿しギィール神族と対峙する身となると、彼らの絶対的な孤独も理解出来るように思えてくる。

 聖蟲は重い。

 人の身で神を宿すのは、いかに鍛えた肉体と精神であっても大いなる負担だ。それを戴く者に向けられる一般人民間人、奴隷達の期待の大きさにはめまいをすら感じる。
 褐甲角(クワアット)神に仕えるという神聖な使命を授かった、と誇りに思っても、神の偉大さを十分に地上で表現し尽くせているのかと自問すると、恥ずかしくならざるを得ない。もし王国が用意した民に無私の奉仕をする道筋が無かったとすれば、神使としての役割を見失い自分も絶望してしまうだろう。ギィール神族という敵が無ければ、褐甲角の神兵も旧時代と同じように互いを殺し合う羽目に陥ったかもしれない。
 褐甲角王国とは、平々凡々たる彼らが互いを支え励まし合って聖蟲の重さに耐える心棒、宿り木とも言える。おそらくは金雷蜒王国でも同じなのだろう。

 彼らは互いに敵を必要とする。自らに等しい力を持った好敵手が無ければ、正気を保つ事が出来ない。

 故にギィール神族は褐甲角王国に肩入れする。建国初期などは、武徳王に従い同じ神族に矢を向ける酔狂な神族すら居たと記録される。
 してみれば、褐甲角神の力を顕現する神兵達も、敢えて治を破り乱を起こさねば、ギィール神族の期待を裏切る事になるのだろうか。

 

「俺には難しいはなしはわからないなあ。カロアル殿ならば良い心得など教えてくれるだろうが、うーむ。ではやはり、ギィール神族を捕まえた場合は殺さない方がよいのかな?」

 英ジョンレは既に、ボラ砦攻略戦においてギィール神族を捕虜にする武勲の夢に囚われている。

 

 夏中月廿五日、毒地進攻軍ベイスラ士団穿攻隊は、ボラ砦攻略に出発した。

 結果。
 すべては士団長シジマー藍サケールの立てた計画どおり、寸分違わぬ戦果を得た。ボラ砦は三日で陥落し、ギィール神族を追い払い、砦に進駐する事に成功した。

 城壁割りで赤甲梢をも出し抜いて一番槍を果たした英ジョンレである。が、その表情はいつになく暗い。同じ白兵突入部隊のジュアン呪ユーリエは、砦に仕掛けられた数々の罠の解除をしながら、問いかけた。

「どうした。なにか気に掛かる事でもあるのか?」
「いえ、・・・・・まさかこれほど敵が強いとは、予想だにしませんでした。」

「ああ。そうだな、私もそうだ。ギィール神族が火を使って来るのは予想していたが、一般の兵でさえもあれほどの戦闘力があるとはな。見てくれ、私の甲冑にも一つ穴が開いてしまったよ。」

 英ジョンレも呪ユーリエも、穿攻隊すべての神兵達皆が、自らの思い上がりを糺され反省していた。なにが無敵の神兵だ、と自らの卑小さに恥じ入っている。
 その理由は、ボラ砦の防衛隊の巧妙さにあった。

 ギィール神族は砦の防衛を一般の兵に任せた。専門の訓練を受けた重装歩兵ではなく、甲冑は着けているもののプロではない臨時雇の兵だ。バンドの中には、日頃の生業とは別に戦闘訓練を日常的に行う所もある。たいていは神族の誰か、あるいは神聖王に恩義を受けて代々戦の徴用を担って来た者達だが、ボラ砦に篭ったのはそういう兵だった。
 武装は自前だが遠征費はちゃんともらう。恩義を受けた者だから、神族の命令にはきっちりと従い、死ぬ時も逍遥として受け止める。戦闘力としては低いが、覚悟は座っている。

 そしてギィール神族は彼らの義に報いる為に、秘蔵の新兵器を多数授けていた。これまでは寇掠軍の戦力バランスを保つ為に封印されてきた、神兵を殺すだけの性能を持った武器だ。様々な種類と原理があるが、ボラ砦の兵に授けられたのは火を多用したものだった。
 神兵の用いるタコ樹脂の甲冑は、軽量頑強、矢も常人の力で射たものは通さない万全の防御力を持つ。重甲冑は火災の中に踏み込めるし、軽装の翼甲冑や丸甲冑であっても火焔瓶を投げつけられても大丈夫なように作られている。はずだった。

 今回の焔は特別だ。耐火性が十分に有るにも関らず、与えられた火器は神兵の甲冑を冒す。特に厄介なのが、消えない火を放つ性悪な火焔瓶と、タコ樹脂を葉片のようにあっさりと貫く火矢だ。火焔瓶は、地球で言う所の「ギリシヤ火薬」に似た機能を持つ油が使われており、叩いても水を掛けても火が消えない。タコ樹脂そのものが燃える事例すらあり、誇り高い神兵が皆土の上を転がり回って消火に務めた。
 火矢は更に悪質だった。只の矢なのだが鏃の部分に黒い炭が付いていおり、これが灼熱しながら飛んで来る。普通の火矢かと思って叩き落とそうとすると、この先端の炭が甲冑をいとも簡単に貫くのだ。通常の矢であれば、弩から放たれた太い強力な箭であっても貫通されないタコ樹脂の鎧にあっけなく穴が開いた。鉄剣で弾いても金属に溶けた筋が刻まれる。まさに高温徹甲矢と呼べる代物で、褐甲角王国には存在すら知られていなかったものだ。
 どうやらこの炭は尋常ならざる代物で、鉄をも溶かす信じられない程の高温を発しているらしい。それも、一度火の着いた炭は消せない。土の中に突き刺さったままでもじんわりと燃え続けて、近くのものに引火する。

 加えて、砦周辺に掘られた空掘と堰堤が問題だった。深さは1メートルの掘とその土砂を積み上げただけの起伏が三列ほど砦を囲んで設けられ、合間には簡単な垣根が施してある。神兵にとってなんでもない防備なのだが、これが曲者だ。飛び越そうとすれば出来るのだがどうしても動きが阻害されて弓からのいい的になる。慎重に行こうとしても堰堤は矢を防ぐには低過ぎて逃げ場が無い。垣根はまったく防備にならないのだが、これがあると視界を遮って、どうしても或る一定方向に動きが制限されて、矢が集中する場所に案内されていた。

 死者重傷者こそ出なかったものの、矢を受ける者は多数出て昼間の内は効果のある攻撃はなかなか出来なかった。砦の外周を守る壁は高さがわずかに5メートル。だが金雷蜒王国の大型建築物としては例外的に石ではなく泥壁で作られ厚みが通常の三倍あった。褐甲角王国の城砦建築を真似たものだが、この厚みが神兵の鉄弓の効果を吸収する。石造りの城壁ならば隠れる場所を鉄箭が砕いて、飛び散る石片が城兵を負傷させるが、泥壁ではなにも起こらないしすぐに修復もされてしまう。粘土の固まりを積み上げた盾が相手では遠距離からの射撃戦が有効でない。

 要するに、なにもかも勝手が違ったのだ。金雷蜒軍が攻めて褐甲角軍が守る、この枠組みで長年戦をしてきた習い性は容易には転換出来ない。拠点攻略を主眼に訓練されてきた赤甲梢の者にとっても、予想外の展開だった。

「ゲイルが50体あれば、神兵100人では攻めきれなかったでしょう。」
「同意する。やはり攻城戦は兵数が命だ。クワアット兵が1000人以上で何日も掛けて攻め落とすという方策を取らねばダメだな。」

 二日目、砦攻撃を行った日の夜は凄惨な報復戦となった。物資を守る穿攻隊の陣を、攻守所を変えてギィール神族が襲う。20体のゲイルが闇の中から高速で接近し背から大弓で昼間の火矢を射掛けて来た。
 神兵ならば夜目が利く、耳で気配を察知も出来る。だが一般人であるクワアット兵邑兵にとって、夜のゲイル騎兵は死そのものだ。聖蟲の力でその場の状況を細密に把握出来るギィール神族に対して、闇に紛れて隠れるなど出来る道理が無い。盾の後ろに隠れて居ても、ぶざまに尻でも出しているのを見破られ、おもしろいように撃たれていく。

 神兵ならば闇の中でも見えるのだが、火矢にはどうにも閉口した。目が眩む。闇を走る火の曲線が乱舞して、強化された視力を持っていてもゲイルの動きがよく分からない。ただひたすらに自分に飛んで来る矢を叩き落とすのが精一杯だった。更には火焔瓶も100メートルを越えて飛ぶ。火で攻められるのを予想して物資は分散して配置して居たのだが、3割方も燃やされてしまった。しかもその火が陣の内部を明々と照らし出し、ますますゲイル騎兵に狙いやすくする。

 この夜の戦闘でクワアット兵邑兵の30人が戦死40人以上が負傷して、戦闘続行を断念するかの決断に、自ら攻撃軍を率いていた士団長を追い込んだ。だがゲイル一体を完全撃破した勢いもあり、ボラ砦内の守備兵が50人にまで減っているとの偵察隊の報告に基づいて、今日中の攻略を命じた。

 そして今、英ジョンレは砦内にある。

「自殺装置は結構ありますね。火を使った仕掛けならば砦そのものを焼きかねない。こんなものを置いたまま良く闘えたものだ。」
「罠を解除するなど神兵の仕事ではないが、引っ掛かった場合まともな甲冑を持ってない兵なら即死だからなあ。」
「最後には敵兵は皆死ぬ覚悟だったのでしょう。負傷した者も多かったし、あれが火焔瓶をくくりつけて抱きついて来るのは、どうにも。」
「他に神兵を殺せる手段が無いのだからな。今後アレには幾度も遭遇するぞ。」
「いやなもんですねえ。」

 と、英ジョンレは足元にあった縄を刀で引っ掛けて調べてみた。自分の剣を使うのはイヤだから、砦内にあった敵兵の刀を用いている。これに足を踏み入れて引っ張ってしまえば、毒矢が飛び出すか、火を吹くか。呪ユーリエが紐の先を調べて、泥壁を一部剥がして確かめる。

「種火は無い。毒だな。」
「筒ですね。毒煙を吐く罠です。神兵には効きませんが、今破裂されると。」
「今にして思えば、夜襲で毒樽やらを使われなかったのは幸運だったな。まあ連中も背に狗番を乗せていたから使えなかったのだろうが。」

 罠の仕掛けは単純なもので、解除するのに困難は無い。二重三重になった解除防止の工夫も無い。いかにも急に設置して逃げた、という風情がありありとうかがえた。
 その見え透いた仕掛け方に、呪ユーリエが不審を覚える。ひょっとすると肝心なものを見落としていないか。

「ギィール神族であれば、もっと芸の細かい、芸術的な罠があって良いのだが、面白みに欠けるな。」
「ああ、それは私も感じました。兵学校で習った自殺装置の教科書とまったく変わらないというのでは、まるで見付けてくれと言わんばかりです。」
「怪しい。なにかあるな。ひょっとしてこの砦は、落とされる為に守っていたのではないか?」

「ですが、石造りでない建物には、それほど大がかりな仕掛けは組めないでしょう。千年もの間使われて来た砦です。毒が晴れたのはまだ春の話ですよ。そんな大袈裟なものは無いでしょう。」
「確かに無い。だが仕掛けというのは別に自殺装置だけを指すものではない。もっと底知れぬ、身体に刺さったとげのような陰惨な。」

 排除した毒筒を後ろに従うクワアット兵に慎重に渡して、先を進む。ボラ砦は最初石造りで作られた普通の砦だったが、毒地中に長く孤立していた為に手近な泥で補修するように順次構造が変化していった。最深部ギィール神族の居住部だけが神聖金雷蜒王国時代の優雅な造りのままで留め置かれている。

 死体があった。砦に残った自殺兵で胴体が二つに離れている。英ジョンレと呪ユーリエは互いの顔を見合わせた。俺じゃないよ、と言いたいところだが、二人とも何人斬ったか覚えていない。ひょっとすると士団長様御自らが御手を下されたものかもしれない。兵師監シジマー藍サケールは、高い身分、指揮を執る重責にも関らず、砦の門が打ち破られた時に白兵突入部隊と共に乗り込んで、自ら剣を振るわれた。よっぽど事務机の前に座っているのが嫌な質だと見える。

「呪ユーリエ殿、これは?!」
「お、未使用の矢だな。」

 死体が持っていたのは、先に炭の付いた矢だった。正確には、投槍の先に火矢をくくりつけた急ごしらえの武器で、これで神兵を突き刺すつもりだったのだろう。

「おい、火はあるか。そこらへんから松明を一本借りて来い。」

 すでに夕闇が迫っている。砦の陰では篝火を焚いて内部の掃討が続けられていて、今日中に入城可能にしておく必要があった。昨夜の夜襲、昼間の攻略戦で兵の疲労は頂点に達している。クワアット兵邑兵を休ませ、いまだ衰えを知らない神兵で砦の外を固め再度の夜襲に備える事が計画どおりならば行われる。

 クワアット兵が篝火から火の点いた薪を持って来た。これで火矢に点火するつもりだったのだが。

「燃えませんね。」
「なぜだろう。これではないのかな?」

 比較しようにも、使用された矢は全て燃えてしまっている。水を掛けようが土に埋めようが、一度火が点いたこれはなにをしても消えなくて皆往生したものだ。
 呪ユーリエは先端の炭を手甲の指で触ってみた。かちかちと固い音がする。陶器ほどの硬さもあるのだろう。火打ち石か?と鉄に打ちつけてみるがやはり火は点かないが、炭が相当に丈夫であることは確認できた。

「温度が低いのではありませんか。鉄剣を穿つほどの高温を発していました。木が燃える程度の熱では、これは燃えないのかもしれません。」
「そうか。・・いや違うな。そうであれば、城壁の上やゲイルの背にふいごやらが必要だ。これはもっと簡便に用いていたぞ。」
「ああ、なるほど。ギィール神族が聖蟲から与えられる智慧で、点火させる方法を作っていたのでしょう。生き残りに白状させましょう。」

「おい、これを士団長様の所に届けよ。今言った事もお伝えしてな。」
「はっ!。」

 砦の中心部には小さな家がある。まったく場違いに、石を組み上げた瀟洒な小屋があり周囲には小綺麗な庭に花まで咲いている。その戸口に白兵突入部隊隊長ロク陽ハンァラトレが立っている。この赤甲梢は突入部隊の中の別班で、軍事機密に関する書類等を探っていた。

「おお、いいところに来た。ちょっと立ち会ってくれ。」
「隊長、この家にはなにがありますか。」
「どうやら金蔵らしい。このような無防備な所にと思うだろうが、ギィール神族の持ち物を盗めば天罰が下ると誰も手を出さないし、神族は確実に犯人を見抜くからな。これでいいんだろう。」
「金ですか。」

 黒甲枝の中にも不届き者はある。公金横領や汚職だってちゃんとある。人間だから地上の誘惑に逆らえない時と場合があるだろう、とちゃんと監査制度があるし倫理規定も作られている。陽ハンァラトレが躊躇したのも、神兵一人ではこういう場合処理が難しい件があり、証人が必要だったからだ。

「隊長、自分が代りましょう。金蔵であれば罠が無い方がおかしい。」
「そうか。」

 英ジョンレは隊長と入れ代わって、小屋の扉に手を掛けた。壊すには惜しいと思われる繊細な細工の施された木の扉には、板ガラスまでも用いられている。褐甲角王国では透明なガラスは結構な宝物で、特に窓に用いられる透明度の高い板ガラスは王族や富豪以外はほとんど使っていない。それも製造技術が金雷蜒王国より遅れているので、直径30センチほどの円形ガラスが関の山。鏡に用いられるほどの1メートル四方のガラスともなれば輸入品しかなく、百金以上で購っている。

「? あ、錠が掛かっているのか。」

 手の中で不自然な抵抗を感じた英ジョンレは、それが錠によるものだとなかなか気付かなかった。機械仕掛けの錠前は褐甲角王国ではほとんど見る事が無い。保安は人力を以って行い、秩序と正義によって担保されるというのが王国の在り方で、錠前などという装置は出番が無い。
 英ジョンレは振り返って尋ねる。

「壊しますか?」
「うむー、もったいないな。」

「英ジョンレ殿、私がやろう。錠前というものはなかなかに興味深くて、内部構造を研究した事があるのだ。」

 呪ユーリエが手甲を外して、細い針金を工具袋の中から取り出した。太さが3ミリほどの銅線で、甲冑の補修に使うものだ。
 英ジョンレと陽ハンァラトレは、彼の手元を見つめる。扉の中に仕込まれた錠というものは、話には聞いているが実際に目にするのは初めてだ。ひょっとするとこれも罠かも知れず、自殺装置が仕込んでいる可能性もあった。

「錠前のカラクリというものは、思ったほど進歩していないもので、ギィール神族はあまり開発に熱心ではないのだよ。どんなに精緻なものを作っても、他の神族はたちどころに見破るから、意味をなさないのだな。だから常人には手が出せないという程度で良い。これも、神族が破るのは考慮していない単純なものだが、・・・・?ここで、捻る、か。」

 ぱあーっと、周囲の庭から水が噴き出した。噴水が錠前に連動してあるのだ。後ろに控えていたクワアット兵が混乱に陥り刀を抜いて四方に警戒の眼を走らせる。
 呪ユーリエは銅線を鍵穴から抜いて、兜を取った。

「参ったな。この錠前は扉とは関係無い。」
「ただの遊びか?」
「はい。そもそもこれは、扉ですらない。本当に開く為にはこちらではないかと。」

 小屋の基礎に積んである石組みに眼を移して、色の変わり具合を確かめる呪ユーリエは、ここだと確信して一つの煉瓦を押した。確かに奥に引っ込むが、なにも起きない。更に石組みを確かめ、小屋の周囲を回り、別の煉瓦を見つけて押し込む。この作業を何回か繰り返して、後ろを振り向き言った。

「本当の錠前は、案の定寄せ木細工になっている。開き方がおもしろいぞ。」

 と扉の引き手に手を掛けて、一度押し込んで引く。と、扉が付いている壁自体が前に引き出された。目を丸くする陽ハンァラトレは理解出来ないと頭を振った。

「なんの為にこんな凝ったものを最前線の砦に設けているのだ?」
「戦場の無聊を慰める為、というか、単に作りたいから作っただけでしょう。」
「警備の役に立たない・・・。」
「逆に硝子を割れば、中に収められている毒筒が作動する、とかになっているのかも知れないな、英ジョンレ殿。噴水を仕込むくらいだから、その程度は普通にある。」

 あらためて英ジョンレが先に立ち、小屋の内部を確かめる。内部も美しく飾られ、妻のマドメーを連れてくれば喜びそうな可愛らしい部屋だった。中央には小卓が置かれ、一つの金工細工がある。手の中に収まる棒状の金属を、呪ユーリエに示す。

「これは、小屋の鍵だ。」
「小屋の中に、小屋を開ける鍵があるのですか。」
「なんともけれん味に溢れているな。人をバカにしている。」

「もうひとつ、これが入りそうなものがありますが、どうします?」

 かなり大きな宝箱が部屋の隅に置かれていた。白く塗装され花柄が描かれた、女の趣味に合せた美しい箱だ。上蓋にはやはり内蔵式の錠前がある。
 英ジョンレが鍵を手に二人の神兵に確認すると、そのまま用いろと頷かれた。同じカラクリを二度使うほどギィール神族はおちぶれてはいない。仕掛けを潜り抜けた者には、ちゃんとした褒美が与えられるだろう。

 とはいえ、英ジョンレも鍵の使い方というのはよく分からない。鍵穴に差し込んで、抵抗を確かめながら左右に回す。ちょっと間違えると聖蟲の怪力で鍵をねじ切ってしまうから、慎重に行う。

 かききき、かきっ。

 普通に錠は開いた。そのまま蓋を開いた英ジョンレの目に、眩い山吹色の光が飛び込んで来る。ガラス窓から差し込む残照を照り返して、部屋の中を煌めく光の破片で彩った。

「金です。金の装飾品です。しかしこれは。」

 箱の中身は黄金に輝く真円の小さな板だった。表裏面には細かい図像が刻印されている。十枚ばかりを手に取って確かめ、小卓の上に置いた。部屋の内部に危険は無いと見極めて、陽ハンァラトレは翼甲冑の兜を脱ぎ、右の手甲も取った。英ジョンレもそれに倣い、顔を出す。

「女の顔が彫っているな。裏はトカゲ神の御印だ。」
「ガモウヤヨイチャンの横顔、でしょう。ギィ聖符でそう書かれてます。」
「おお、呪ユーリエ殿は聖符が読めますか。」
「いやいやほんのわずかです。トカゲ神救世主ガモウヤヨイチャンの降臨を言祝ぐ、と書いてありますな。」

「で、これはなんですか。同じものが千枚もありますが。」
「ふむ。一見すると、わが国の貨幣にも似ている。金雷蜒王国では使わないがな。」

 金雷蜒王国では貨幣ではなく秤量通貨、金属の固まりの重さで取り引きをしている。どんなに巧妙に作った貨幣であっても、ギィール神族はたちどころに複製して偽金を作ってしまうから、目方で見分けるしかあり得ない。貨幣に似たものとして、金銀の小粒を検査所の刻印を施した金槌で叩いて潰した不定形の円盤が用いられるが、目の前のものとは月とすっぽんほどに違う。

「これは、純金ではないな。金を貼っているだけだ。地金は銅の品質の良いものだ。音で分かる。」
「わが国の貨幣はまぬけな音がしますからなあ。」

 褐甲角王国には、質の良い銅貨を作る財政的余裕が無い。銅も錫も貴重な戦略物資であるから、その使用は極限まで節約して、混ぜ物が入った極めて劣悪な品質の銅貨を大中小の三種類作っている。あまりにも品質が悪い為に、これを偽造してもたちどころに崩壊し模様が浮き出ず落とせばたちどころに割れるというものしか出来ない。王国の貨幣はぎりぎり形状を保てるだけの極限まで成分比を突き詰めており、余所では鋳造出来ないという事で偽金造りを防止している。ギィール神族が偽造したものは地金の品質がとてもよく、音でたちどころに偽と判明する。悪貨が良貨を駆逐する、というがまさにその原則が褐甲角王国経済を支えていた。
 またメッキの技術は褐甲角王国には無い。この円盤に施された金がどうして剥げないのか、彼らは不思議に見つめている。

 英ジョンレは一つを取って目の前にかざした。金は滑らかな鏡のように彼の顔を映し出す。純金ではないにしても値打ちが無いものとはとても思えない。これは一体何に使うものなのか。呪ユーリエがその姿を見て尋ねた。

「英ジョンレ殿、これは幾らくらいの代物だとお考えかな。」
「え? いや、私はその、このような宝物とは縁の無い暮らしを送っていて、見当もつきません。陽ハンァラトレ隊長はいかがです。」
「え、お。おお、そうだな。・・・赤甲梢の給金を知っているだろう・・・。」

「3金。出まわる数によって変わるだろうが、5金を投じる者も居るかもしれん。皆が持っていれば自分も、と思わせる美しさだ。青晶蜥(チューラウ)神救世主降臨をそれぞれが祝うにも、実によく出来た記念品だ。」
「ふむ。」

 呪ユーリエの判定に、二人も頷いた。1金は金雷蜒王国の銀小粒1個、褐甲角王国の大銅貨1枚に相当する。ゲルタ換算だと荷車いっぱいだ。ガモウヤヨイチャンの顔が刻まれたこの小さな円盤にそれだけの価値を認めるのは、特に不思議ではない。

「ではこれは、掠奪品として士団長様に届けよう。もし不都合が無ければ、この度の攻略戦に参加したクワアット兵邑兵に一枚ずつお与えになるだろう。」

「あ。あー、なるほど。そういう目的の物なのか。」

 英ジョンレが手を打って納得した。ギィール神族が、この度の大戦に従うのに何をもって奴隷達に報いればよいか。神族はあれでなかなか奴隷の関心を惹くのに気を使っている。奴隷達の喜ぶ事をするのは支配者として当然の務めだと心得て、祭や祝いをしばしば行っていた。無骨な黒甲枝には出来ない芸当だ。

「奴隷兵達にこれを分け与えれば、彼らも懸命に働くでしょう。本物の金を与えるよりは安くつく。」
「なるほど、そういう手もあるか。我が軍でも同様の手を使ってもよいかも知れぬな。」

 クワアット兵に宝箱を抱えさせて三人の神兵は小屋を後にした。もし間違えて扉や窓を破っていたとしたら、どんな報復が起きたかは興味があるが、砦の中心部に仕掛けられているものだ、作動させるのはやめておいた方が良いだろう。

 

 

 ボラ砦を巡る戦いはなおも続く。三日目の夜もゲイル騎兵の襲撃は行われた。あわよくば砦内部に侵入しようとするゲイルを追い払うのに、英ジョンレ達は徹夜での防戦に当たる。クワアット兵邑兵は疲労で思うように動けないから、神兵が率先して戦うしかなかった。

 夏の夜の毒地には、涼しい風が吹いて昼間よりはよほど快適だ。しかし水が無い。砦の水はしっかりと毒で汚染されていて利用は不可能。本営から持って来た水桶も400人もの人数にイヌコマ50頭までも加えては、半分ほども消費してしまった。湯を沸かそうにも、砦に積まれた薪の中には毒を仕込んだものも混ざっており、下手に火中に放り込めば毒煙で全滅の怖れすらある。

 だが大勢はすでに決まっている。ギィール神族だとて連夜の襲撃には耐えられない。後方に控えている奴隷兵達も夏の日差しに焙られてはタダでは済まないだろうし、砦から回収した負傷兵も居る。捕虜を取るのが面倒くさかったから、砦に残り生き延びた兵には勝手に逃走するのを許したが、彼らが増えれば金雷蜒軍の動きも鈍くなるだろう。

 今日を乗り越えれば、今晩を無事で過ごせば大戦を勝利に導ける。
 鉄弓を握る英ジョンレの手も自然と汗ばんでいく。戦の興奮からか、それとも焦りか。自らに平常心を言い聞かせて、闇に沈む平原の彼方を見つめている。

 

【青晶蜥神救世主の贈り物】

 弥生ちゃんはウラタンギジトに赴くあたって、お土産を用意しなければならなかった。
 神祭王からもらった引き出物のお返しにそれなりに豪華な品が必要なのだが、デュータム点滞在時においては結構な物持ちになっていた弥生ちゃんでも、ギィール神族のそれも王族に贈るような宝物は持っていない。というよりも、宝物と呼べる品はほとんどがティンブットとッイルベスが東金雷蜒王国を巡回した時に頂いたもので、ギィール神族の手になる作品ばかりだ。こんな品を神祭王には贈れない。

 かなりの日数考えた挙げ句、やはり地球の産物で十二神方台系の役に立つもの、世界を変革する品を贈るのが正しかろうとの結論に落ち着いた。だがそこからがまた難問。手軽に作れて歴史的意義が深く世界を変革に導くような、そんなご大層な代物はそうそう無い。いや、無い事も無いのだが、それによって方台のバランスが壊れて歴史が頓挫するとかなれば、救世主としては大失敗になる。大胆かつ慎重に選ばねばならなかった。が、弥生ちゃんは思い切って禁忌に踏み出した。
 まず弥生ちゃんは金工職人、飾り職人を数名集め、自分で書いた「ソレ」の絵を見せた。青晶蜥神救世主さまが直々にお呼びで、と恐縮しながら集まった職人達は、ソレが何なのか、何の役に立つのかさっぱり分からない。だが製作は可能だろう、という事で作業に取り掛かった。
 無論最初は失敗が続く。この品は精度が命なのだが、幾何学的に連続する模様を金属に刻み込むのは、手作業時代の職人にはかなり無理がある。やむなく工具からして作る羽目に陥り、鍛冶屋まで呼んで来た。
 やるとなれば徹底的にやるのが弥生ちゃんの身上で、職人達に出す注文も段々と厳しくなり、試作品に対しても容赦ない評価を突き付ける。やっとの事で出来上がったソレをかなり仰々しい宝箱に納めて、弥生ちゃんは意気洋々とウラタンギジトへ向かった。

 神祭王との会談に先立つ儀式と挨拶の中で、互いに贈り物を交換する。神祭王からの再度の贈り物は、今度は弥生ちゃんの姿形に合せた甲冑だった。青晶蜥(チューラウ)神の教義と象徴に基づいて象られた甲冑は、なんとなく魚を連想させる。流れるような滑らかな金属の肌、随所に青く輝く鱗紋、繊細な鎖帷子は女性が着る事を考慮して驚くほどに軽く、山蛾の絹布で裏打ちされたマントには天の星とピルマルレレコの顔まで縫取ってある。
 対面の儀式に参列した者は皆、神祭王の財力と神族の工芸の腕前に驚嘆の声を漏らす。その声の収まらない中での、弥生ちゃんの贈り物の披露となる。

 宝箱は一辺が1メートルでかなり小さい。だが皆の注目の中現れたのは、50センチばかりのまた箱。その中にはやはりまた箱がある。
 人をバカにしているのか、と神祭王側の廷臣が抗議の声を上げかけたが、神祭王はそれを留める。妙なものを出して恥をかくのはガモウヤヨイチャンなのだから、こちらの関知する所では無い。
「それが最後の箱です。」
との説明で神祭王が直に手に取ったのが、10センチ四方の小箱。まさか石鹸が出て来るとは思わないが、この大きさでは宝石であったとしても大した額には成り得ない。
 神祭王が小箱を開いて中から取り出したのは、一本の金属の棒の切れ端だった。
「これは、・・・・・なんであるか?」
「私の星では、世界三大発明にも擬されるものです。」
「ほう・・・。」
 神祭王が親指と人差し指でつまみ上げたものを、儀式に集まる人に示す。誰もが想像だにしなかったもので、不審というよりも失笑を漏らす者さえある。
「名はなんと申す品か。」
「”ネジ”です。」
「用途は?」
「それは、御自身で御考えください。」
「なるほど、余を試そうというのだな。よかろう。」
 鋼鉄に刻んだ螺旋に指を走らせて、神祭王は考える。ネジは、ボルト、ナット、ワッシャーの三点セットで出来ている。良い鉄を用いているが、取り立てて高価なわけではない。螺旋に従ってナットをぐるぐると回す神祭王に、傍らに控える外交司、ギィール神族ゲマラン昧マテマランが手を伸ばし貸してくれと催促する。

「む?」
 神祭王はナットを回し過ぎてネジが動かなくなった。かなりの力を入れて逆に回し、ようやくに元どおり動くようになる。
 その姿を見ていたゲマラン昧マテマランと別のギィール神族の目の色が変わった。聖蟲から与えられる智慧と知識が、脳髄に電撃的な霊感を授ける。
「殿下、私はそれが何であるか、察しが着きましたぞ。」
「私も。」
「言うな、余にも判りかけている。」
 ナットを逆に回し、ボルトから外してワッシャーを取り出したところで、神祭王にもこれがなんであるか、その可能性重要性が脳髄に爆発的に沸き上がって来た。
「おお。おおお、これは。これが星の世界の技術か。」

 弥生ちゃんは宝物としてもらった品、武器、兵器の類いをつぶさに観察して、十二神方台系では金属の接合にかなり苦労している事を見て取った。ネジはともかくハンダも無い。釘で打ち込む、針金で繋ぐのが精々で、とても精度のある頑丈な接合はしていなかった。むろんギィール神族の作品は見事なまでの、と言うよりも地球でも滅多に見られない巧妙な接合がしているのだが、それは大体が寄せ木細工になっている。複雑な形状をしたパーツをパズルのように嵌め合わせ、ゆるぎなく留まるようにしている。強度といい精度といい十分な接合法ではあるが、製作にはかなりの時間と熟練の腕が必要で、量産というわけにはいかない。
 そういう状況の中で贈られた”ネジ”は、ギィール神族の技術を爆発的に発展させる可能性がある。流石に、物作りに長けた神族の王は、この宝物の意義を認めて深く感謝した。
 だが、ついでにこうも付け加える。

「そちらに居られる褐甲角の王女は、これが何か御存知か?」
「いえ、まだ話してはいません。」
「ほほ、なるほど。青晶蜥神救世主殿はなかなかに狷介な御方だな。王女は未だ、ここで何が行われたか理解出来ておらぬようだ。」
 そうは言われても、居並ぶ群臣達と同様に知的には神の座にはいないメグリアル劫アランサ王女は頬をわずかに赤らめて、弥生ちゃんと神祭王と両方の顔を交互に見るばかりだった。

 

第六章 尻尾の勢いを駆る青服の道化は、夕闇に踊る

 

 その男はまったくもって珍妙な格好をしていた。
 全身真っ青な装束、禁色の青ではなく明るい藍色、で肩や袖が大きく膨らみ、被った頭巾は狐の耳のように二つ尖っている。手甲脚絆も藍色で背には軽快に革袋を負い、藍地に白くトカゲの文様が染め抜いた幟旗まで立てている。トカゲ神殿の所属だろうとは分かるのだが、決して神官ではあり得ない。こんな神官居るはずが無い。

 男は、見るからに只者では無い。方台の職業で言えば、交易警備隊の隊長が一番近い。背も高く筋骨も発達してなかなかに凛々しい。顔も甘くて様子が良く、女子が傍に着いたら離れないだろう色男伊達男ぶりをひけらかしている。

「なに?」

 ギィール神族イルドラ丹ベアム、17歳の少女の神族はゲイルの背から彼を見て、さすがに少し驚いた。
 兵ではない、交易警備隊にしては武装が無い。しゃりんとなる金輪の付いた杖を持っているが、武器ではない。夏の日差しの下でも汗を見せずに涼やかに笑うその顔には、ゲイルを前にしての恐怖も緊張も無い。

「ジムシ、あれは何者か?」
「申し訳ございません。私も、彼のような者を見たことがございません。」

 気に食わない奴だが物知りなスガッタ僧ジムシに尋ねてみても、この男についてはまったく見当が付かないと言う。
 案内の剣匠に伴われ、寇掠軍『ウェク・ウルーピン・バンバレバ(永遠の護手との邂逅)』の前にひざまずく彼に、上将であるガブダン雁ジジが尋ねる。隊には神族が6人参加しているが、彼は最年長の51歳で幾度も褐甲角王国に遠征した経験を持つ。彼にしても、この装束の男は初見らしい。
「まずは自己紹介を聞こう。名はなんという。」

「名はございません。我らは皆一つの名を持ちます。『チュラ(雪)』と申します。」
「ふむ、組織の名か。いずこに属する者か。」
「元は、大いなる神の都、奇蹟の大宮を預かる王姉妹様に仕える者にございます。」

「ジー・ッカか。」

 雁ジジはさすがにその名を聞いて眉をしかめた。
 王姉妹は神聖首都ギジジットに住み、金雷蜒(ギィール)神の地上の化身である巨大な蟲を神聖宮において守っている。ゲイルの養殖も行ってギィール神族に提供しているのだが、その価格が非常に高く納期もでたらめで約束を守った事がないので、神族皆から嫌われている。王姉妹にしてみれば、ゲイルの供給先を絞る事で王国内の勢力バランスを調整しているのだが、何よりも縛られるのを嫌う神族にとっては屈辱だ。また神族のギジジットへの立ち入りは禁止されており、神聖王の許可が無ければ死によってその罪を償わねばならないのも、癪の種だ。

「王姉妹に仕える者が、なぜトカゲ神殿の旗を用いる。」

 女性の神族キシャチャベラ麗チェイエィが一歩前に出て、上将に代って尋問する。二児の母でもある彼女は、おそらくは結構な色男と見て食指が動いたのだろう。丹ベアムの兄イルドラ泰ヒスガパンにさんざん誘惑を仕掛けていてこれだから、ベアムは好きになれないのだ。

「我らは現在、王姉妹様のお許しを得て、青晶蜥神救世主ガモウヤヨイチャン様のお指図に従っております。」
「ますます分からぬ。何故彼の者の指示を仰がねばならぬ。そもそも王姉妹と救世主はいかなる関係にあるのか。」

「詳しくは聞かされておりませぬが、ガモウヤヨイチャン様は神聖宮において、金雷蜒神の巨いなる御身体節を打ち破り、美しき稚き姿にお戻しになられたと教えられました。」

 唖然。剣匠剣令狗番達は何の話か分からなかったが、神族達も意味する所を理解するのに多大な努力を要した。彼らの間に伝わっている噂が正しければ、ギジジットに在る金雷蜒神の化身は全長が2里とも5里ともなる、海中のテューク(巨大蛸)や鯨すらをも凌ぐ巨大かつ不死無敵の神蟲だったはずだ。人の身では髭一本をも損なう事は出来ない。

 雁ジジが改めて男に問う。

「ガモウヤヨイチャンは如何なる手段を以って、神に勝ったのだ。」
「剣にて。」
「むうう・・・。」

 6人の神族はその言葉に押し黙った。神の力、については神族こそが誰よりもよく理解している。聖蟲は極めて限定的な力しか持たないが、それですら不死不滅であり、人の手により害するなど出来ないのだ。
 促され、男は話を続ける。

「王姉妹様はギジジットを神族の皆様に開かれ、古の繁栄を取り戻そうとお考えでございます。すでに入都の禁は廃され、此度の大戦をご支援になっておられます。」

 だが神族の耳には王姉妹云々のくだりは意味を為さない。明敏なる神族には直ちに察しを付けた。王姉妹の譲歩とも呼べる態度の軟化は、裏に潜む大事を雄弁に語っている。

「ギジジットが、神を失うのだな。」
「遠からず天に戻られるのであろう。」
「神無き後のギジジットを維持し続ける為に、王姉妹はガモウヤヨイチャンの力を借りようというのだ。」

 神族達に悲嘆や絶望は無かった。本来であれば既に千年前に、褐甲角神救世主到来と共にその役目を終え、金雷蜒神は天に戻っていなければならない。その予定を曲げて更に千年の永きに渡り地上の人間に神威を授けてくれたのを、感謝しこそすれ失われるのを恨む者など無い。ギィール神族はその程度の道理は弁えている。

「王姉妹の利益は分かった。して、ガモウヤヨイチャンは御前達を使役するに、何をもって利とする。」
「民の安寧と無事を。御殿様方の大いなる戦の炎が無辜の民を傷付けぬようにと、我らを派遣なさいました。」

「ふふん、なるほど。いい格好がしたいのだな、救世主であるからには。」
「上将。それはトカゲ神救世主にとって万金にても換えられない財産だ。軽視すべきではあるまい。」
「左様。彼の者は方台において、何一つ足がかりを持たない。人の期待と予感のみが救世主の力となる。我らが救世の事業に対していかなる態度で答えるか、ギィール神族の器量が問われている。」

 イルドラ丹ベアムも、ゲイルの背から口を挟んだ。

「そこな男。もしも我らが否と申し、褐甲角王国の哀れな雑民どもを薙ぎ払うと、ガモウヤヨイチャンは如何にする?」
「その場合、恐れながら、神族ことごとくを討ち滅ぼす覚悟だと、我らの前にて御誓約くださいました。」

「ほお、小気味の良い。」

 ギィール神族3000人全てを敵に回してでも民衆を守ろうという弥生ちゃんの姿勢に、彼らは称賛と同時に奇異を覚えた。弥生ちゃんはそもそもがこの世界の人間ではない。誰が死のうが殺されようが、本来関知するところでないはずだ。にも関らず、多大な苦難をも背負い込もうとする。真の救世主はかく在るべきか、と彼らも感慨が深かった。

 その人に従おうとする者だ。青服の男が神族の前に出てもゲイルを頭上に仰いでも、怯まず怖れず微笑みさえ浮かべ続けるのは、既に彼が奴隷を越え救世主の使徒となった証しだ。もとより死を意に介さぬジー・ッカの暗殺者だが、より強力な動機を得て時代の本流を歩む喜びを持って乗り越えていくのだろう。既に彼岸の者であれば、恐怖などあろうはずもない。

 雁ジジは、『ウェク・ウルーピン・バンバレバ』全ての神族の意志を聖蟲にて確かめ、男に答えた。

「・・我らとて、無益な殺生を好むものではない。雑民奴隷どもが逃げ散るを追い遊ぶほど、下劣でもない。だが目の前に居る者を避けて通る事はせぬぞ。いかにして民の安全を守る。」
「さればこそトカゲ神殿より許しを得たこの姿にて人の耳目を集め、襲撃の警告といたします。殿様方の御為には、難民の金雷蜒王国に従う者との間を取り持ち襲撃の御用意をしてお迎えいたします。」
「うむ。では敵兵をその地に集める事も出来るな。褐甲角王国に御前達が荷担せぬ証しはどこにある。」

「ガモウヤヨイチャン様のお考えによれば、褐甲角王国が今後も権威を維持し続けるには、民衆の目の前にてゲイル騎兵ギィール神族を撃破する必要がある、とのこと。最前線にて隔離された武勲では意味が無い。人の死に、死ぬを救う働きをしてこそ黒甲枝の誉となると仰しゃられました。」

「そこまで考えているのか、救世主は。つまりフンコロガシ共の国を救う為に、我らはほどほどに民衆を殺さねばならぬのだな。」
「なにとぞお緩やかに。」

 丹ベアムはなかば呆れた。人の世を救う為に差し向けられたにも関らず、ガモウヤヨイチャンはまるで死神の真似をさらりとやってのける。人を殺すなと言った次の言葉に、ほどほどに殺せと吐いてのける。しかも、誰にも異を唱えさせない巧妙さと慈悲をもってだ。彼女に比べれば選りすぐられた神族であろうとも、只の凡夫にしか見えないだろう。さすが天河の両岸に住居する神々の慧眼は凄まじいと納得する。

 よし、と承諾した雁ジジに、男はお近づきの印にと背中に負った革袋の中身を差し出した。トカゲ神殿がガモウヤヨイチャン直々の処方で練り上げた最新の医薬品だ。これまでの傷薬や毒消しに数倍する効力を持つ、と説明する。

「これが、薬品の使い方か。」
「左様にございます。その葉片に記された通りにお使い下さい。」

「妙な絵が描いておるのお。」
と、キシャチャベラ麗チェイエィがつまみ上げた説明書には、弥生ちゃんが描いたマンガが載っている。無知無学の下層民に対しても正確な用法を伝える為に、十二神方台系最初のマンガをわざわざ描いたのだ。絵に優れた蜘蛛神官が何枚も描き写し、各地の神殿や青服の男達に分け与えている。

 

 兵達が薬の品定めをしている間に、雁ジジは青服の男を呼び、蝉蛾巫女が持つ魚皮の袋を渡させた。ずっしりと重くかちゃかちゃと金属の触れ合う音がする。

「これは、なんでございましょう。」
「持っていくがよい。難民達を工作に使うとすれば、金が要るだろう。これを用いれば物資の購入も出来るはずだ。」
「ありがとうございます。・・・金、でございますか。」

 袋の中には、女人の顔が刻まれた金色の円盤が百枚ほども入っている。裏面にはトカゲ神殿の紋章まで入っているが、もちろん神殿にはこのような精緻な装飾品を作る能力は無い。

「ガムリ点にトカゲ神救世主が逗留した際に地元の神族に語ったという、星の世界の貨幣を真似て作ったものだ。ガモウヤヨイチャンの顔が彫ってある。おまえならば、よりよく使う事が可能だろう。」

 この「金貨」は、弥生ちゃんが東金雷蜒王国の港町ガムリハンで毒地潜入の準備を行っていた時、仮の宿を借りた神族サガジ伯メドルイに星の世界の風物の一事として語ったのを、彼がそのままに再現したものだ。伯メドルイは試作品を三荊閣の一角ガルポゥエン家に持ち込み、奴隷達への報奨として量産する事になった。もちろん褐甲角王国内部の難民達にもこれを渡し、物資の購入や破壊活動の軍資金として使うのも計画の内に入っている。弥生ちゃんの顔が入っているのも、褐甲角王国の一般商人や民衆が欲しがるように、敢えて最もタイムリーな題材を選んだ、という訳だ。

「なんと。既に東金雷蜒王国ではこのような策までも用意されておいででしたか。ありがたく頂戴し、殿様方の御為に最大の効果を上げて御覧に入れましょう。」

 

 

 青服の男は草原を戻り、『ウェク・ウルーピン・バンバレバ』も本格的な攻撃を行う。

 寇掠軍最大の弱点は、毒地の平原においては、部隊を移動させると非常によく目立つ事にある。人一人が国境を出入りするのに造作はないが、ひとかたまりでの移動となると、よく整備された褐甲角軍の警戒網にほぼ間違いなく発見される。ゲイルだけなら高速を利して突入可能だが、神兵の移動速度はゲイルには及ばないもののなかなか早く、これまでの寇掠軍は全て毒地の外周で撃退されている。雑兵とはいえクワアット兵が100もあれば、結構ゲイルを防げてしまうのだ。

 やはり大量に兵を送り込まねば、戦にはならない。
 東金雷蜒軍の戦略は、すべてこの条件の壁に阻まれて優位を取り得ていない。しかし、工夫の才に溢れたギィール神族はここでも画期的な策を編み出した。

「兄上、あれを使いますか。」
「試してみたいだろう、ベアム。」
「はい。ですが、奴隷達がなんと言うか、すこし心配です。」
「そうだろうな、私が奴隷であれば、あんな事は絶対にしたくない。自分の意志に関係無く、危険を防ぐ事も出来ずにただ運命に任せるなどな。」

 先鋒をイルドラ兄妹に任せた上将雁ジジは、小手調べという事で二人にすべてを任せた、他の神族は皆寇掠軍の経験があるから、初陣の二人に花を持たせる、あるいは弄んでみるつもりだ。当然二人も心得ており、皆をあっと言わせる手際の良い仕事をやってのけねばならない。

「今回の目標は、13番烽火台だ。既に褐甲角領に入った場所にあり、地域の物見櫓全てから報告が集中し警報を発する重要拠点だ。これを二人には撃破してもらう。」
「兵は20人。一騎当千の者達だが、うまく使えよ。」
「無闇と殺させては、神族の名折れだ。」

 兄の泰ヒスガパンは周辺地形を大山羊皮の地図で確かめて、友軍の配置と作戦行動を照らし合わせる。

「『ゲッタァーラド・キルド・ランパッパ(衝撃の鉤爪の痕跡)』が、明日から北側を襲うのだな。ベイスラ穿攻隊によって失陥したボラ砦に火を掛けに行く。」
「表向きはそうなっているが、信じない方が良い。寇掠軍がかち合うと、互いに偽の情報を流し合って相手に功を上げささないものだ。北へ行くと言うのならば、まっすぐ西へ行くだろう。」

 寇掠軍マニアとも言える雁ジジは、黒甲枝もさる事ながら、ギィール神族の戦い方についても熟知している。毒地は陰謀と姦計の巣であり、出征する神族死亡原因の第一位は、同じ神族による「暗殺」なのだ。
 だが泰ヒスガパンには迷いが無い。その透徹した推理を披露する背中に、ベアムは我が兄ながらもほれぼれとする。

「『ゲッタァーラド・』はゲェ派に属する隊だ。ゲェ派ではベイスラの穿攻隊に対してボラ砦を中心とした罠を仕掛けており、獲物となる神兵を毒地内に引きずり込む策を取っている。今回の作戦はその一端であるからには、東に進んだとしても最終的にはボラ砦に戻る経路を取り、撃退され敗北するを擬態するだろう。
 我らはその動きを利用させてもらう。13番烽火台に属する前衛13・3番物見櫓に捕捉されるように本隊が示威行動を取ってもらいたい。その隙に我らは南から進行し13・7番櫓を迂回、直接13番烽火台を急襲する。」

 キシャチャベラ麗チェイエィが豊かな胸を誇張するように、甲冑を煌めかせて泰ヒスガパンに接触する。だが言葉はあくまで殺風景だ。

「烽火台はあくまで司令部として働くからには、神兵がすべて出動する事は無い。最低でも二人は常駐しているだろう。剣匠に焼かせるのは無理だぞ。」
「うむ。第一、泥で固められているから火は通じない。」

 チゲル温泉で合流した二人の神族カマートラ椎エンジュとチュガ輩インゲロィームアは、共に男だが恋人同士である。チュガ輩インゲロィームアは神族ながら背が若干低く肌が真っ白で、更には目が驚くほど大きく顎が無いと思わせるほどに小さい、カエルのような容貌をしている。或る種の奇形ではあるが異様な美を湛えており、変なもの愛好家の神族が多数引っ掛かるそうだ。寇掠軍に興味を示したのは「男らしい」容貌の椎エンジュであるが、軍事的才能はむしろ小さな輩インゲロィームアの方が高いらしい。ゲイルとの親和性が高く、人と蟲とが一体になって戦う姿に常の神族では追随できない、と丹ベアムに椎エンジュは教えてくれた。

 狗番に命じて褐甲角軍の烽火台の見取り図を出した泰ヒスガパンは、泥を積み重ねた外壁ではなく、中央にある木造の物見台を指差した。

「問題ない。イルドラ家で製作した鳥兵を用いて、上から火を掛ける。烽火台そのものを焼き尽くそう。」

 丹ベアムも大いにうなずく。鳥兵、つまり凧による攻撃は攻城戦では良く用いられる。毒煙や炎を吹く筒を吊るしての頭上からの攻撃には、容易には抗する事が出来ない。500メートルも離れた場所からでも風を利用して上空で糸を切れば、そのまま流れていき自動的に作動する。兄と打ち合わせて鳥兵は彼女が操作すると決めており、道中でも幾度か試験的に上げてみた。

 上将雁ジジはイルドラ兄妹の計画を概ね可と認め、任せる事とした。ついでに宿題も与える。

「烽火台の壊滅は無論だが、それよりもそなたたちは神兵との直接戦闘の経験を積むが良かろう。少数の神兵であれば、こちらから仕掛けて逃げ延びられぬ事もない。より大きな戦の前に、強敵の攻略法を研究せよ。」
「御助言感謝する。ならば黒甲枝の首などを持って帰ろう。」

「ハハ、無理無理。」

 

 

 褐甲角王国ベイスラ県国境防衛兵団寇掠軍早期警戒隊の管轄である第13烽火台は、結構な砦でもある。
 褐甲角王国にはよくある建築物だが、曲輪の壁が無い代りに土を盛り上げて建物自体を少し高い所に作る。泥を塗り固めてあるから火にも石にも矢にも強い。門の代りに階段があり、守るに易く攻めるには苦労する。ゲイルの入城が無いから、大きな門を作る必要が無いわけだ。

 武装は強弩が10基ほど確認されている。据え付け式の強力な弩で、弩車に用いるものよりは威力が落ちるが、神族対策には十分過ぎるものだ。御丁寧にもゲイル返しと言える丸太が屋根近くに何本も長く横に飛び出している。その他には目立った固定武装は無いが、なにせ神兵が篭るのだから攻略は不可能に近い。

 兵員は100名だが、クワアット兵が主体となり戦力的には十分と言える。神兵は5名の出入りが確認されているが、状況に応じて巡回に出ているので、現在居るのは2名と見た。

「烽火台の外に、家があるな。これはなんだ。」
「通常時はクワアット兵はあそこで暮らしております。烽火台は機密書類等も多く、無用の者は内部に入らないようしています。」
「水は外か。」
「は。内部に井戸は無いと推察されますが、抜け穴が存在しておりそこから井戸に直行出来るようです。」

 先乗りした剣令がイルドラ兄妹に報告する。大審判戦争の前哨戦はギィール神族ではなく、これら一般人奴隷の兵が中心となって下ごしらえを行った。主に物見台・櫓の破壊を通じて、寇掠軍監視の警戒システムを混乱させ能力を落とし、このように軍事拠点の近傍への潜入を可能とした。13番烽火台の南東にある13・7番物見櫓も一度は破壊され、急造再建したものであるから監視体制に不備が存在し、その隙を衝いて通過した。

 泰ヒスガパンは聖蟲の超知覚を使って烽火台の内部を透過して観察した。と言っても、見た目には別に変わりはない。丹ベアムのみが兄の様子の変化に気付き、聖蟲を用いていると知っただけだ。
 聖蟲の超知覚は非常に精密ではあるが、色と臭いは分からない。物の形状や材質は「感触」によって知る事が出来るが、柔らかいものの探査は苦手だ。水中などはなかなか見る事が出来ない。その点烽火台の泥壁は乾燥しているから透過は容易だ。人間の声は空気の振動に触れ、「耳」ではなく「音の形」として「見る」。鼓動も同じく目で見るように感じられ、細かい感情の動きまで読み取れる。故に神族同士は自分の心の内を探られないように日頃から感情を表に見せない、そもそも感情に心を動かさない訓練を積み重ねている。

「兵は50しか居らぬな。出動しているようだ。」
「夕刻より慌ただしく動いて北へ小隊が出動しました。物見櫓の応援のようです。」
「そうか。」

 おそらく、囮として示威行動を取っている『ウェク・ウルーピン・バンバレバ』の本隊に対応したのだろう。だが神兵は動かなかったというので、危険度は変わらない。
 兄が言った。

「ベアム、私は先に出て、烽火台の外の家を叩く。神兵を引きつけている間におまえは鳥兵を使え。剣匠どもはベアムを護るのだ。」
「兄上、神兵だけを相手にして、クワアット兵はこちらに向かわせて下さい。鳥兵を操作しながらでも、雑兵くらいは相手に出来ます。」
「そうしよう。神兵二人を相手にしては、さすがにゲイルでも分が悪いからな。ではおまえの方でも兵を突出させて呼び込んでくれ。」
「はい、御武運を。鳥兵の攻撃が終了し次第、応援に参ります。」

「そこで、アレだな。」

 丹ベアムの聖蟲が、近くに居る剣令剣匠の生理的変化を感じ取った。「アレ」という言葉に、かなりの不快感を感じたようだ。だが便利なものは十分に使わねばならない。奴隷達の不満など考慮するに値しない。

 最初の一撃はゲイル2体をそのまま走らせて、烽火台に火焔瓶で焼き討ちを掛ける。2体のゲイルを一匹に見せるのがこの襲撃のキモで、短時間で大量の火焔瓶をばら撒いて多数による攻撃に思わせつつも、その後丹ベアムのゲイルは後方を大きく回って鳥兵の襲撃準備を行い再度接近、剣匠達にクワアット兵を引き付けさせながらも自身でも攻撃を耐え、ぎりぎりまで接近して鳥兵を烽火台の櫓に取り付かせ、放火する。

 丹ベアムは兄のゲイルのうねり方に同調させてゲイルを走らせ、一体化して近付く。同乗の狗番には大弓を構えさせガラスに錫を貼った瓶を番えて構えさせた。ゲイルの背の騎櫓の盾板に据え付けられた大弓は、全身の力を込め足を掛けて引き絞り射程100メートルを投ずる事が出来る。火焔瓶は油と薬剤が二つに分かれて詰まっており、割れて薬剤が空気に触れたところで反応して発火するようになっている。
 目眩しだから、必ずしも打撃となる場所に当たらなくとも良い。ゲイルの数を隠蔽する為の投射を接近する途中から開始する。兄と妹の後ろで、それぞれの狗番が全身の力を込めて弦を引き、瓶を放つ。丹ベアムの後ろには狗番のキアラ、泰ヒスガバンには狗番カラが乗っている。どちらも20代初めの若い狗番だ。
 一方丹ベアムは長弓を引き、鏑矢を放つ。音に驚いて飛び出して来る兵には、直接当てる。クワアット兵は、何重にも構えた監視網を掻い潜っていきなり司令部に飛び込んだゲイルにパニックを起した。

「・・・? 来たな。」

 烽火台の階段から黒い、丸い影が姿を見せた。神兵の用いる重甲冑ヴェイラームだ。
 神兵には妙な運があり、四六時中甲冑を着装しているわけでなくちゃんと脱いでいるはずなのに、襲撃した時にはちゃんと完全武装した姿で出て来るものだ。ギィール神族皆が同じ印象を抱く。いかに隙を衝いたとしても、油断させて奇襲を仕掛けたはずでも、「たまたま」ちゃんと甲冑を着けていて万全の装備で応戦するのだ。

 初動の早さにはイルドラ兄妹もさすがにびっくりする。予定の火焔瓶をまだ半分もばら撒いていない。丹ベアムは背後の狗番に叫ぶ。

「瓶はもういい! 太矢に換えよ。」
「はっ!」

 最後の瓶を投射し終えてキアラは矢に換え、対装甲戦闘に切り替えた。山犬の貌を摸した仮面の兜が、赤く瓶の炎を映し出す。蛤様の鎧は神族の背を護る為自ら矢を受けるべく、厚い鉄を打ち出したものだ。
 だが薄暮の中では、いかに熟達した狗番といえども有効打を期待出来ない。丹ベアムは使う矢を灯矢に換えた。金壷の中の火に突っ込んで点火し、神兵の進路を塞ぐように放つ。

 赤と黄色の点滅を繰り返しながら、灯矢は弧を描いて飛ぶ。聖蟲の超知覚で状況を把握する神族と違って、神兵はあくまで目と耳で敵の位置を知る。残像が残る灯矢は、効率的に彼女の身を守ってくれるはずだ。

「!」

 ゲジゲジの聖蟲の共振を通じて、泰ヒスガパンが妹に連絡して来た。『下がって鳥兵を使え』。既に一時の混乱から脱してクワアット兵も隊列を組み直している。兄のゲイルを追わせて、無防備になる後背を剣匠達に衝かせるのが当初からの計画だ。
 最後に放った灯矢が神兵に宙で叩き斬られたのを確認して、丹ベアムは自分のゲイルを下がらせた。あくまで一体のゲイルとして見せ掛けたまま、遠くに離れていく。乱舞する光の筋を祈るように見つめながら。

「ベアム様、鳥兵を。」

 狗番が差し出す凧を手に、丹ベアムは天を仰ぐ。風はほぼ無風であり、上空にもそれほどの強風は無い。聖蟲の目を用いれば風の流れも視覚で確認出来る。この風の状態であれば、ゲイルを走らせる勢いで凧を高く揚げ、肉薄して櫓にぶつけるしかない。
 左に大きく輪を描いてゲイルを烽火台に戻し、剣匠達が潜む薮に近づき、合図を送る。弓を構えた勇者達がクワアット兵の隊列に向けて走り出る。

 だが、クワアット兵はさすがに後背の警戒を怠らなかった。泰ヒスガパンのゲイルが囮であると見抜いたのだろう。直ちに向きを換えて迎撃する。数において劣る剣匠を支援する為には、丹ベアムもゲイルを前に出さざるを得ない。
 いかにギィール神族が器用だとはいえ、手間の掛かる鳥兵を操りながらゲイルを駆り、ついでに弓を使うなどは出来ない。攻撃は狗番に任せて鳥兵とゲイルの操縦に専念する。

 異様の神族チュガ輩インゲロィームアがゲイルと同化して操ると聞いて、丹ベアムもより深くゲイルの思考に同化する訓練を行った。通常時の走行であればゲイルも平静のまま動いているので大して障害も無かったが、戦闘中のゲイルの思考はさすがに同化するには繁雑過ぎた。興奮と逃走と、相矛盾する衝動がせめぎ合う神経のうなりに、聖蟲を通しての干渉は非常に難しい。
 更には頭上の鳥兵の操作がまた複雑で、ちょっと間違えるとすぐ落下する。鳥兵は鳥の形をして翼が細く、故に運動性は高いのだが安定性は無く、きめ細かい操作が無ければ真っ直ぐに飛ぶなどありえない。重い火焔筒をぶら下げているからバランスを崩すとまっ逆さまに落ちてしまうのを、必死で糸を操り宙に留める。

「? あ、こいつ、鳥兵の事を知っている?」

 ゲイルが自分の上に従う飛行物体に気付いて興味を持っている事を、読み取った丹ベアムは不思議に思う。「食欲」という感覚も沸き上がって来た。ゲイルは大きな鳥のようなものを格好の餌と感じ、下りて来ないか注意を上に向けている。それでいて「走る」「敵の矢を防ぐ」事にも意識は働いている。目が八つもあるから、上と前とを同時に見ても困らないのだ。

「便利なものだな。」

 そういう事ならば、と丹ベアムは鳥兵の操作をゲイルの感覚にリンクしてみる。自分の走りによって鳥兵の動きが変わると認識して、ゲイルは大いに喜び左右にうねる。
 意識の重心が鳥兵に移った為に「逃走の欲求」が抑制され、走行制御への介入が容易になる。丹ベアムはようやくゲイルの操作を自らの肉体と同様に自由に出来た。剣匠達を支援するのも、兄の姿を確かめるのも出来るようになる。鳥兵の制御は夢遊病の患者みたいに手が勝手に動いている感触がする。神経の信号が逆流して、ゲイルが自分の身体を操っているのかもしれない。

「そう。・・・そう、まっすぐ。・・・壁をかすめて、・・・点火!」

 紐を引き抜き、鳥兵に吊るされた火焔筒に点火する。下方に向けて噴き出す炎が渦を巻き、鳥兵は引きずる操作索を櫓に絡ませて落下する。たちまち櫓を組んでいる材木が燃え上がった。

「よし!」

 意識をゲイルの深部から戻して、丹ベアムは正気に戻る。いきなり人間の視点になって頭がくらくらするが、そのまま長弓を左手に掴み矢を番える。近くのクワアット兵を射ながら、背後の狗番に命令する。

「剣匠達に合図を送れ。『撤退準備』だ。」

 丹ベアムはゲイルをむりやりにクワアット兵の隊列に乗り入れ、突っ切って、兄が神兵と交戦する領域へ向かう。二人の神兵を同時に相手するのはさすがにもう限界だろう。彼女が代って牽制している間に兄を撤退させて、剣匠達を回収せねばならない。

「キアラよ、黒甲枝の首を取るぞ!」
「はっ!!」

 徹甲用の細い鏃の矢を取って、神兵の姿を探す。重装甲を誇る神兵に対するには、いかにも強力に見える大きな鏃ではなく、矢柄と同じ細さの、弾丸同様にさほど尖ってもいない鏃の方が深く貫通出来る。2メートルには少し足りないが並の男よりはよほど大きい丹ベアムが、背の半分の長さに切りそろえた栗色の髪をなびかせて、神兵に向かう。

「トゥーーーーー、おぉう。」

 手前に居た神兵に立て続けに3矢を撃ち込んだ。一本は当り、一本は切られ、一本は弾いた。当たった矢も甲冑の膨らみで止り、肉体には損傷を与えていないらしい。
 急速に突っ込んで来るゲイルに対して、その神兵は大剣で応戦した。この巨大な剣は、一振りでゲイルの肢を斬る事も出来る。無論むざむざと斬られるわけにはいかないから、体節を上下にうねらせてゲイルを上に跳ねさせた。全長13メートルの巨蟲が、神兵の頭上を飛び越える。行きがけの駄賃に、二股の尻尾で右に薙いですり抜けた。ふっ飛ばされた神兵が土の上を転がる。

「ヴェイラームでも、鞠のように転がるのだな。」

 場違いな感想を抱きながら、兄と交戦する神兵の真横を衝く。さすがにかわされて、大剣がゲイルの肢に接触するのを感じる。だが高速で走るゲイルの肢は、鉄道の駅に列車が走り込んで来るのと同じ勢いを持っており、巻き込まれないように斬るのはとても無理で簡単に弾かれてしまう。灰色の石柱に似た13対の肢は、鋼に対しても強靭さを示し、神兵の必殺技「吶向砕破の剣」ででもなければ、そう簡単には傷つかない。

「兄上!」
「しばし任せた!」

 紫に暮れる夜の幕で目には見えなかったが、聖蟲の感覚では兄の状態がよく分かる。ゲイルこそ傷ついていないものの、騎櫓の盾は跳ね飛び、大弓も失われている。兄本人は無事だが、狗番のカラは矢を受けているようだ。命には別状は無い。あれも長年我が家に仕える者だからそう簡単に死んでもらっては困る。

「キアラよ、振り落とされるな。射らずとも良い。」

 ただの人間である狗番が、これからは邪魔になる。ゲイルに最大の運動性を発揮させるには、神族だけが乗っている方が良い。
 既に丹ベアムも射撃を止めた。それどころではない、ゲイルの最大の力での激突を繰り返させている。神兵が姿勢を立て直して十分な体勢での斬撃ができないように、最大戦速でぶつけていく。跳ね回り、尻尾を振り回し、肢で蹂躙する。重甲冑の運動性では追随出来ないほどの動きを繰り返す事で、反撃を防ぐ。さすがのゲイルでも長くは保たない戦法だが、寸刻保てば撤退の準備が整う。

「! おおっ!!」

 丹ベアムはいきなり自分を貫く力線を感じて、思わずのけぞった。烽火台に近付き過ぎて、強弩の射線上に入ってしまったのだ。ギィール神族は自分に向けられる矢の軌道を、線として知る。矢が向いている方向を聖蟲が自動的に感知して、その軌跡を事前に描いて見せるのだ。この曲線から身を反らせば、普通当たらない。だが、下手な運動で集中攻撃の対象になってしまった場合、数十本の白い軌道が全身を貫くのを事前に知りながら死なねばならない。

「ベアム様、灯矢が上に!」

 舌を噛む危険を冒して、狗番のキアムが報告した。味方の撤退準備が整ったのだろう。ここが潮時だった。
 再び弓を手に、立て続けの三矢を射た。当てるつもりは無い牽制であるから、神兵の足元に突き刺さる。更に三矢を取り、もう一人の神兵にも射る。無造作に大剣で全てを斬り落とされる。

 間合いを開けて、兄の元に撤退する。クワアット兵が横腹から矢を射掛けて来るが当たるものではない。横目で観察すると、彼らが信じられないものを見た、と慌てているのがよく分かる。アレを見たのだろう。よく訓練された兵であれば、アレの意味する所を直ちに認識するはずだ。

 

 

 追う神兵を振り切って、兄のゲイルの右斜め後ろに着ける。神兵が立ち止まってこちらを指差すのが分かる。剣ではもはや追いつかず、鉄弓での追撃に転換するのだろう。ゲイルはともかく、人間の剣匠剣令達は逃げられないと見込んでいたのが、予想が外れて大騒ぎしている。

 イルドラ兄妹が使った「アレ」とは、舟だった。

 途中までは通じていた水路で荷物や人の運搬に使っていた丸木舟を、陸に引き上げてソリにしてしまったのだ。もちろんかなりの補強はしたが、平坦な草原で強力なゲイルに曳かせるとおもしろいように進む。兵を10人ばかり乗せても時速30キロもの十分な高速で走った。
 行きも、舟を使って30里(30キロ強)を一刻(2時間)足らずで突っ切った。いかに13・7物見櫓に死角があったとしても、この速度が無ければ確実に捕捉されただろう。夕暮れの長い影を利用して姿を目立たないようにして、人の足では考えられない速度で進む。これがベイスラ地方遠征軍が編み出した新兵器新戦法だ。

 神蟲ゲイルに人を曳かせる、という行為を権威への冒涜だと考える者も少なくなかった。しかし大審判戦争は金雷蜒神と褐甲角神の双方が、青晶蜥神救世主ガモウヤヨイチャンにその真価を評される正念場だ。なによりも勝たねばならぬ。すべてを賭けて、あらゆる奢りを脱ぎ捨てて、ひたすらに勝ちを求め存在の意義を証明せねば地上を統べる権利を失うと、どの神族も了解していた。さればこその兵を運ぶ舟の利用だ。
 舟ソリを使って高速で兵を国境線まで送り届ければ、金雷蜒軍は圧倒的な有利を得るだろう。雷の勢いで押し寄せ、嵐の早さで去っていく。少ない兵を効率的に用いるのにこれ以上の発明は無い。兵達も長距離を歩いて移動せずに済むから、肉体的な負担が少なく十分な体力で戦闘に臨むだろう。

 

 もう追撃は無いと見定めた地点で、イルドラ兄妹はゲイルを止め、兄が2艘引っ張っていた片方を、丹ベアムのゲイルに繋ぎ直した。1艘の舟には10人が乗っている。20人全て居るから誰もやられなかったのだろう。
 だが、楽をして撤退したはずの彼らの表情が変だ。誰もが目を丸くして、草の青さが移った顔色をしている。暗がりだから分からないと思っているのか、舟縁で吐いている者さえある。

 撤退時であるから相当に無理をしてゲイルを走らせた。2艘を曳いたので速度はかなり遅かったが、行きとは違い余裕が無く、進路の凹凸を考慮しなかった為に舟は派手に跳ね回った。転覆しかけた時もある。剣匠剣令は必死でしがみ付き、振り落とされまいと努力したのだろう。常日頃には無い速度にも耐えきったのは、鋼の鍛錬の賜物だ。

「兄上。兄上のゲイルもかなり疲れていると見ました。舟は空にして私のゲイルが曳きましょう。剣匠達はしばらく歩かせた方が良いかも知れません。」

 泰ヒスガパンもゲイルの背から振り返り、兵の惨状を確認した。苦笑いして妹に振り返る。

 

「ああ。少し、休んだ方がいいな。」

 

【手紙】

 十二神方台系には手紙という言葉は無い。紙自体が無いのだからとうぜんだが、それでは日本語として通じない。”葉書””葉文”と呼ぶのが適当であろうが、それはそれで誤解を産む可能性があるので、”手紙”は手紙、と表記する。ラブレターを”信書”なんて書くのも無粋だし。ちなみに葉片のみを届ける風習は無いから、葉書はありえない。元が葉っぱだから、配達時に破損するのだ。手紙はすべて封板と呼ばれる薄い木の板に挟んでいる。

 ついでに言うと、十二神方台系には「薔薇」は無いが、それに匹敵する豪華な草花は存在する。便宜上これも「薔薇」と呼称する。この花は多数の種類があるが、中でもジョグジョ薔薇と呼ばれる品種は赤と濃紫のグラデーションに山吹色の斑点の入ったそれはゴージャスな花であり、金雷蜒王国の神聖宮殿で王族自らの品種改良によって生まれたとされる。
 …でもほんとはチューリップに近かったりするのだよ。(蒲生弥生)

 

第七章 葉片に綴られる想いは、女達を彩りて 〜弓レアル楽勝宣言〜


 返信遅れて申し訳ない。現今の情勢下においては私信の配達を頼むのも難しいところだが、任務にかまけて書きそびれていた。お許し願いたい。
 この手紙はノゲ・ベイスラの近郊にあるマテ村にて、先達サト英ジョンレの奥方マドメー様より葉片を借りて書いている。マドメー様は私を弟のように良くして下さるが、最も気に掛けて下さるのが、婚約者たる君の事だ。任務と雑事にかまけて忘れがちになる私を叱って下さり、手紙を書くようにとお勧めになった。感謝を。

 ベイスラの情勢は日ごとに緊迫の度合を増しているが、マテ村のある奥部はまだ静かで何事も無い。ここは美しい村で、黒甲枝の御先達方の御家族やその従卒家僕、またクワアット兵の家族などが集まって暮らしている。つまりは、君と私が結婚した暁には、このような場所で共に住む。王都の生まれの君には田舎暮らしは慣れないだろうが、辛いものではない。庭の隅に小さな畑など作って自分の手で野菜等を育てて食べ、互いに産物を分け合ってとても仲良く過ごしている。日差しは明るくて緑は生い茂り、時々の草花で七つの色彩に溢れ、泥色の単調なカプタニアよりも目に鮮やかだと思う。

 むろん、任務は厳しい。なによりも最近はベイスラ県にも多くの難民が送られて来て、各地で住民といざこざを起している。輸送部隊に所属する私だが、任務で向かう道中にもしばしばこれをなだめ解決せねばならない。難民は王国の事情でこの地に連れて来られているだけだから悪意は無いが、何分にも数が多いために軋轢を産んでしまう。今のところは流血の沙汰になどはならないから心配は要らない。

 ただこの任務は私に少々背伸びをさせるようで、マドメー様に無理をしていると怒られてしまった。普段は絹布のように優しい方だが、やはり女性であるから、女性の目で見て少し怖いところが有ると思われたのだろう。黒甲枝としての威厳というものはいずれ身に着けねばならないとしても、齢相応の成長で無ければ人に不快感を与えて敬遠させるようだ。だが、それが小隊の兵を率いるのには不可欠なので、少々考えてしまう。君はどちらが好みだろうか、黒甲枝として立派な私と、人間として包容力がある私と。どちらも両立させるのはなかなかに難しい。たぶん、それは一人では出来ない業だと思う。近くに居て支えてくれる人があって、初めて自分の姿を見失わないで真っ直ぐに伸びていけるものだ。

 カプタニアには何の変事も無かろうけれど、君の無事を祈る。我が母を訪ね慰めてくれる事を心より嬉しく思う。妹が家を離れ遠くデュータム点に居るとなれば、カプタニアに母が居る道理も無いように思えるから、いずれは父兵師監と共にここベイスラで暮らすようになるかもしれない。ただ、その時は君と私はかなり遠くの任地に赴くのではないか。聖戴を受けて初めての赴任先というのは後の出世に大きく響いて来ると聞く。より困難な、重大な任務を仰せつかる事を私は願うが、君には少し酷な状況になるかも知れない。今から準備と心づもりをしておいてもらいたい。

 手紙はヌケミンドルの南端から湖の連絡便にて届けさせる。たぶん、戦況が落ち着くまでは次の頼りは出せないだろう。ご健勝なるを切に願う。

我が婚約者ヒッポドス弓レアルへ、褐甲角神の甲羽の御庇護があらん事を。

     カロアル軌バイジャンより

「お嬢様、おじょうさま。お庭にネコが参っておりますよ。」

 自分の部屋で婚約者からの手紙を抱いて至福の光に包まれて居た弓レアルは、家庭教師のハギット女史の言葉が耳に入らない。さほど上等とは言えない封板を開いたり閉じたりしては中の葉片を確かめ、また閉じては天を仰ぎ目をつぶり、褐甲角(クワアット)神に感謝するのを繰り返す。
 その様子を確かめたハギットは、これは今日一日ずっとこのままだなと諦めて一人でネコ用ビスケットを手に、内庭に出ていった。

 無尾猫はどれも皆同じ真っ白な毛並みで見分けが付かないが、これには少し特徴がある。背中の毛が少々逆立っているのだ。「飛び毛」と弓レアルが名付けたネコで、主に王国の西側の情報を持って来る。
 ネコは抑揚の無い、人情があるのか無いのか分からない軽い声で喋る。人語を話すとはいえやはりネコはネコ、人間と同じようには語れない。

「弓レアルは?」
「お嬢様は現在取り込み中です。婚約者の方から手紙が届いたのですよ。」

「ふーん、カロアル軌バイジャンはベイスラのノゲ・ベイスラの防衛隊長で難民をあっちにやる隊長もやってるカロアル羅ウシィの息子、だね。妹はガモウヤヨイチャンの傍に居る。」
「そうその御方。この戦争が終ったらお嬢様は御輿入れなさるのよ。」
「手紙はおもしろいか?」
「お嬢様にとっては宝石よりも貴重なものね。」
「ネコ要らないな。」

というと、顎をしゃくった。ビスケットを寄越せという意思表示だ。ネコはなかなかに人を見る目があり、弓レアルよりもハギット女史の方が今日の噂を喜ぶと知って、彼女自身に催促する。
 一枚出すが、首を縦に振らない。二枚出して目をぎょろっと開けた。まだ足りない。呆れて三枚目を半分に割ろうとすると、慌てて三枚全部を口でひったくった。

「油断も隙も無いわるいおんなだな。」
「三枚も取ったんだから、凄い話でしょうね。」

「弓レアルよりも、おまえが喜ぶ話だよ。ジョグジョ薔薇が帰って来た。」
「え? ・・・あの、ジョグジョ薔薇さま?」
「うん。またまた凄い格好だ。赤い羽と金色の兜で、どこの王様かと思った。」
「そうなの、ジョグジョ薔薇さまがねえ。」

 ジョグジョ薔薇こと、ジョグジョ絢ロゥーアオン=ゲェタマは金翅幹家元老員であるが、ただの人ではない。彼の一族は金雷蜒王国神聖王の血を引いている。

 300年というごく最近に亡命し、その身分のままの高き地位を武徳王に要求し、元老員として参政に加わった異色中の異色の存在だ。神族そのままに霊薬エリクソーを摂取して成長した為に、神族張りの2メートルの長身を誇っている。伝え聞く話によれば、絢ロゥーアオンは密かに王国を脱出して西金雷蜒王国に渡り、金雷蜒神の聖蟲を頂く為の七つの試練も見事成し遂げ、ギィール神族になる資格を持って帰って来たという。

 何故そんな人が褐甲角王国に居るか、というのは一般庶民には皆目見当もつかない謎だ。この一族はともかく派手好き目立ちたがりで、金雷蜒王国にあってはギィール神族に愛想を尽かされて目立たないから、地味な褐甲角王国に活躍の舞台を求めたのだろう、というのが政治を評する賢者達の大方の見方だ。
 一族の血筋からだけでなく、彼自身の個性としても非常に派手で行動も衆人を意識しての大袈裟なものとなり、今や誰一人知らぬ者の無い有名人だ。生き写しの胸像を自ら作って蜘蛛神殿に下げ渡す、信じられない売名行為で顔を万人に知られている。それが許されるのも、美貌故の特権だ。

「わかいおんなは皆彼がだいすきだ。」
「残念ながら、ウチのお嬢様には軌バイジャン様の方が上みたいよ。」
「そうらしい。まずい時に来た。で、聞くか。」
「もちろん。三枚もあげたのだから、元は取らなくちゃ。」

「メア・ハギットはおんなのくせに政治が大好き。ジョグジョ薔薇の姿よりも、なにを考えているのかの方に興味がある。」
「そうそう。」
「ジョグジョ薔薇は左遷されてた。ヒィキタイタンの肩を持ったからだ。でも、ガモウヤヨイチャンの起した戦争で立場は強くなった。だから武徳王に談判に行く。」
「攻撃軍を貸して欲しい、てのね。」

「それは表向き。無理を承知で高言してる。ほんとうはハジパイ王の所に行って、和平の使者になる。」
「・・・死ぬわよ。」

「死ぬ気は無い。死んだらもう目立てない。喧嘩を煽りたてるつもりだ。」
「ハジパイ王殿下はそんな口車に乗せられないわよ。」
「そうじゃない。東ゲジゲジ王国の王様が近くに来ると、便利。」

「・・・そういう事か・・。」

 先政主義を唱え主戦論を退けて来たハジパイ王は、否応なしの大戦に方台全土が引きずり込まれた今も和平の努力を続けている。
 しかし落とし所が分からない。坂道を落ちていく岩のように、戦に憑かれた黒甲枝とギィール神族を止められない。何人も逆らい得ない戦だからこそ「大審判」と呼ばれるのだが、王は神の意志に抗して頑に平和を求める。
 ハギットにはどちらが正しいのか分からない。
 人が死ぬのを避けるハジパイ王の立ち位置は、戦争が始まる前は間違いなく正しかった。だが一度動き出したものを止めようとすれば、無用な被害が広がるだけではないか。

 彼女がわずかに覗く情報の糸を手繰って推察するに、ハジパイ王は決して青晶蜥神救世主を見ようとしない。
 褐甲角神に従う者が他神の思惑に左右されてはならないと、あくまで王国の正義を貫いている。他の黒甲枝はとうの昔に、ガモウヤヨイチャンが作り出した大きな歴史の渦に身を任せているにも関らず、だ。

 彼が何事か成し得るとすれば、武徳王と神聖王が正面切ってぶつかる場を作るだけだ。頂上決戦となればお互い失うものの大きさにおののき、和平に傾くだろう。
 その為には、まず東の果てギジシップ島に御わす神聖王の腰を上げさせねばならない。
 和平の使者はしばしば殺されるが、挑戦の使者が殺された例は方台の歴史には無い。戦場で合見え無礼な首を叩き落としてやるのが礼儀だ。
 金雷蜒神救世主の血を引くジョグジョ薔薇以上に、神聖王の体面を傷付ける外交司は他に居ないだろう。

 ハギットははあとため息を吐いた。続く言葉に、ネコは目を細めてバカにする。

「ジョグジョ薔薇さまと言えば、”銀椿”よね。」
「ふるいな。今はみんな”銀の髪”と言うよ。」
「悪かったわね、古い女で。」

 主戦論先戦主義のジョグジョ薔薇が世人の注目を集めるのと同時に、彼と対立する先政主義の側にもアイドルが生まれた。ハジパイ王の薫陶を受けたその黒甲枝の名は、シメジー銀ラトゥース。”薔薇”に対して”椿”と呼ばれ人々の注目を浴びた。今年で彼は27歳に、ジョグジョ薔薇は26歳にまだなっていないはずだ。

「銀椿さまは今何をなさっておいででしょうかね。」
「あんまりおもしろいはなしは聞かないな。若いのに髪が不思議と白くなったくらいだ。う〜〜ん、デュータム点に入った黒甲枝の中に居た。」
「ハジパイ王殿下がガモウヤヨイチャンさまに対抗する為に、自分の息の掛かった姿勢の変わらない人を選んだ、てわけか。」

「御菓子が三枚だとこのくらい。」

 ネコは庭の水盤からちろと水を舐めると、蝶々がひらひらと舞い踊るのを鼻で追いかけて、姿を植え込みに消した。
 ハギットは少し考えて屋内に戻り、未だベイスラ上空をフワフワと飛行中の弓レアルに言った。

「お嬢様、私これからしばし外出して、本店の方にうかがってきます。」
「ばいじゃんさまぁ。」

 

 メア・ハギットは黒甲枝に代々使える従僕の家の生まれ。20年ほど前、武徳王逝去と継承の通例として大挙襲来した寇掠軍との戦いで、主人ともども父も戦死。後継者が無かった為にあえなく御家は断絶し、家族共々市中に放り出された。まだ10歳だった彼女は、利発さを見込まれて蜘蛛神殿への出入りが許され巫女見習いをしている時に、先代のヒッポドス商会の当主の目に留まり、引き取られた。
 彼の援助の下勉学に努め、一時は会長秘書にまでなったが、代替わりと同時に風当たりがやけに強くなり、内々での家庭教師に転向し経営からは除外された。

 そういう経緯があるから、彼女がヒッポドス商会の本店を訪れると、目がとんがった番頭が出て来て胡散臭げに応対する。まるで先代の旦那様が生きて戻って帳簿を調べている、とか思うのだろう。
 ハギットとしても、商売に口を出すつもりは毛頭無いが、拾ってもらった御先代の教えの通りにヒッポドス家の将来を考え、中央政界の流れを読み解く義務がある。もちろん、そんな重大事を女に任せるのを良しとする男はそうは居ないから、色々と手管を使って予測を各所に伝えるのだが、どうにもうまく行っているようではない。まあ、その役を仰せつかったのは自分だけではないだろうから、自分は自分に任せられた領域、黒甲枝の閨閥についての調査以外では沈黙を保ってはいる。

 が、それでもやはりなにか言わねばならないと思ってしまうのは、先代の教えとは関係無しの生まれついての性分であろうか。

「弟様の悌ティハルさまが、夏が終る頃にはギョンギョ学堂に御通いになられます。御屋敷からも付け届けをいたしますが、本店からもどうぞお願いします。」

「! ギョンギョ学堂ですか? ハンコバル学堂でなく。」
「ギョンギョ様の所です。なにかご不審でも。」
「い、いえ。御屋敷でそう決まったのでしたらなにも申しませんが、しかし商売の方は。」
「ハンコバル先生を家庭教師にお招きになればよい。一通りの事はもう私が教え終りました。あとは実践ですが、これはまだ3年ほど早いですか。それまでに視野を拡げる学問をなさらねば。」

「わかりました。ではギョンギョ学堂に寒季用の布地をお届けします。」

 王国の御用を仰せつかるヒッポドスほどの格式のある商人であれば、私財を投じて学問や芸術のパトロンになるものだ。彼らに投じた金銭はいずれヒッポドス商会の力となり、黒甲枝や元老院へのパスポートとなってくれる。
 ギョンギョ学堂は賢人ギョラン・ギョンギョを教授とする私塾で、ヒッポドス家の全面的な支援の下、有為の人材の育成に務めている。塾生は30人ほど、半数はこれまた学費の援助を受けている。ギョンギョほどの有名人を抱えられるのも、ヒッポドス家がそれだけの品格を認められる証しだが、それだけでは先に進めない。官吏や税吏などを多く輩出し、後々にはヒッポドスの役に立ってもらわねばならない。これは癒着構造ではなく、王国のシステムが民間からの人材の供給を求めるのに応じるという話で、むしろ不正を厳しく監視される、短期的には割の合わない投資でもある。

 ハギットもギョンギョの弟子の一人である。いや、彼の下女を勤めて仕事の合間に本を読み、塾生への講義を盗み聞きしていた。識見においてはカプタニア随一のギョンギョであるが、私生活においてはかなりだらしなく、酒を飲んでへろへろになっているのを幼いハギットが蹴飛ばして講義に立たせた情けない想い出もある。

 はたして尊敬すべき師は、ハギットの顔を見るといきなり袖を振り上げて頭を防御する。

「うわ、やめてくれ。脳は天から賜った宝なのじゃ、ココだけは蹴ってはならん。」
「お久しぶりです、御師匠様。ご壮健でなによりです。」
「珍しいな、一年ぶりか。おまえはとうの昔にお嬢様のお供で輿入れに付いて行ったと思ったぞ。」
「生憎とこの大戦さで色々と予定が変りまして。学堂になにか不足はございませんか、本を質に入れたとかであれば、もみ消してさしあげましょう。」
「してないしてない。」

 賢い人間にはよくあるが、ギョンギョは自分が読んだ本はすっかり記憶してしまうので、後は用が無くなる。、無用のものは酒に換えるのが賢い人のする事だと、ヒッポドスの蔵書を道具屋に売り飛ばしては、その度ハギットと当時の塾頭が取り返したものだ。

「して、今日はなんの用だ。」
「弟様ヒッポドス悌ティハルさまを来月あたりからお引き受け下さりますように、」
「アレはダメだ。3年早い。ガキは邪魔なのだよ。」
「いいんですよ、塾生の方々と触れ合われれば、それで用が足ります。御屋敷内で過ごされては、男の子はダメになってしまいます。」
「そんな目的でうちを使ってくれるな。・・・して、今日はなんだ。」

 忙しい彼女が普通の用事でわざわざ縁遠くなった師を尋ねるはずがない。すっかり見透かされて、ハギットは後ろに控えて居た下男に持たせた布の包みを差し出させた。ヒッポドス商会にとって彼女は結構な重要人物であり、市中を出歩く時は護衛が付く。
 ギョンギョは目をらんらんと輝かせた。この師に対しての土産であればやはり酒、それも最上級九品の醸酒であろう。手をぬっと伸ばすのを、ハギットはぺしと叩く。まるでネコそっくりだ。

「ジョグジョ薔薇さまが御戻りになりました。銀椿はデュータム点にてガモウヤヨイチャン様の御戻りをお待ちです。」
「誰から聞いた、というのも愚かだな。お嬢様のネコの仕業か。うむ、ジョグジョ薔薇はソグヴィタル王の事件には連座はしていないから、帰ろうと思えばいつでも帰れたのだ。満を持して、というところだな。」
「戦の火に油を注ぐと見ましたが、どこから手を付けるでしょう。」
「ハジパイ王だ。」
「やはり。」
「考えるまでもない。他の者は皆千年前からの誓約に基づいて、迷い無く進んでいる。つまずくのは自分で歩く者だけだ。」
「ジョグジョ薔薇には見かけに反して陋劣なところがあります。乱の気配ありと存じます。」

「乱ではない、粛正だよ。惑乱した黒甲枝の綱紀と誓約を粛正によって取り戻し、王国を元の状態に戻すのだ。ジョグジョ薔薇はその筆頭として、自らのこのこ飛び込んできた。」
「時期は何時。」
「この戦、大き過ぎる。これまで貯えた全てを一度に蕩尽するものだ。長くは保たん、三月、冬が来るまでには終るだろう。一時的にだがな。」
「粛正はその後に。ええ、戦の最中は出来ませんね。」

 話し込んでいる内に、ハギットは懐かしい臭いを感じてきた。書物を綴った古い葉片に生えるカビのきな臭さと、ゲルタの粥を焚いた庶民の生活臭。あんまり懐かしいからここにまた泊まって帰ろうと思ってみたが、それは遠い昔の不思議と幸せに感じられる小さな女の子の為の日々だ。すっかり背が伸びてしまった今の自分にはもう許されない香りだ。

「武徳王陛下は、それを御留めになりますか?」
「どうかな、陛下御自身も惑乱しているからな。誓約を新たに結ぶという事になるだろうが、その基いとなるものが今は見えないな。」
「御師匠はそれをなんとします。」
「儂ならば、民など捨てるな。民の為に働くのはもう終わりだ、義理はとうの昔に果たした。黒甲枝が自らの利益の為に神威を使うのが正しかろう。ギィール神族と同じにな。」
「ハジパイ王には、それは、」
「ジョグジョ薔薇には出来る。ハジパイ王に見せつけるだろう。王の粛正からは、ジョグジョ薔薇だけは除外されるのだ、出来るから。生贄となるのは、我が身をそう都合よく転換出来ない者達だな。もういいだろ、酒を寄越せ。」

「まだよ、まだ渡しちゃダメ。銀椿はガモウヤヨイチャン様を迎え撃つ為の備えですね。またジョグジョ薔薇と対立しますか。」
「秘蔵子だからな、汚れ仕事には使わんよ。ガモウヤヨイチャン様が相手では、銀椿も荷が重かろう。メグリアル王殿下を用いる事になるよ、と言うか神の領分に押し込めたいところだな。」
「最後に、その粛正はどういう形で終わりを迎えますか。」
「行き着くところまで行き着く。ハジパイ王も人の子だ、大きな流れの中で自らに求められる役割を果たすのみ。遠からず引退なさるであろう、その時までは殿下のなさりたいようになさる。」
「反動はありますね。」
「ジョグジョ薔薇はその風に乗る。彼の人生はまだ上げ潮にあるから、潰れない。銀椿が己の役割を果たすのはその時だな、引退したハジパイ王の代りを務め、復讐する。」
「どちらが勝ちますか?」
「さてね。ガモウヤヨイチャン様という別の庭が出来たからには、どちらもが生き残る可能性がある。まあ、ジョグジョ薔薇はいつかは高転びに転ぶがね。」

「御教授ありがとうございます。」

 背に手を回してそのまま酒瓶を受けとると、恭しく師に献ずる。満足そうに、実に幸せそうにギョンギョは包みを受け取った。ついでにこうも付け加える。

「黒甲枝の内々の争いだ、巻き込まれぬのが肝要。利に走るなよ。」
「はい。」

 学堂を辞する弟子を見送りに、ギョンギョも表に出た。夏の日差しの下、黒い影が蠢く下町の通りに二人は立つ。ギョンギョはハギットに首一つ小さい。
 彼は言った。

「ハギット。女を捨てるのはまだ早いぞ。クビになったらウチに戻って来い。」
「下女仕事はもうイヤですよ。でも、その時はどうぞ、お見捨てなく。」
「うん。」

 

 屋敷に戻ったハギットは弓レアルの部屋に様子を窺いに行くと、彼女はくるくると踊っていた。薄桃色の長い裾を翻し、優雅に軽やかにステップを踏んでいる。
 ハギットの姿を確かめても停まる事なく、話し掛ける。

「先生、庭師を呼んで下さい。」
「にわし、ですか?」
「ええ。私もバイジャン様と一緒に暮らす際には、小さな庭の一角に野菜を植えて育てるのです。今から庭仕事のやり方を覚えておかなくては。」

 お嬢様はいまだ、ベイスラ上空を舞う。

 

 

閑話休題。

 或る日、弓レアルは友人のトゥマル・アルエルシィの家に遊びに行った。高級ゲルタで財を為したトゥマル家は山手の屋敷街にあるので特段街の喧騒を受けないが、それでも道中相変わらずの殺気立つ風景に、弓レアルは眉をひそめた。

「戦争の真っ最中ですから、街が活気付き人が殺気立つのはわかりますが、もう少し慎みを取り戻した方がいいと思いますわ。」
「レアルさま、それは無理です。勝つか負けるかの大博打なのですよ。」

 アルエルシィは先日見せた翳の有る表情を一変させ、まるっきり明るく戻っていた。

「なにかいい事があったのですか?」
「え? ええ、まあ。世の中の仕組みというものを少し勉強しますと、見えないものも見えて来るという事で、自分が落ち込んでいたのが急に馬鹿馬鹿しくなったりするものです。」
「よく分かりませんが、そういうものですか。」

「レアルさま、あなたは救世主とは何をしにこの世にお出でになったと御考えです?」

 やぶから棒の質問に、弓レアルは戸惑った。アルエルシィは瞳をきらきらと輝かせ、新しいオモチャをもらった子供みたいだ。

「それは、ガモウヤヨイチャン様は人の世を救い、不正を正し悪を懲らしめ、安寧と平和の内に方台をお治めになるのでしょう。」
「ちがうのですよお、救世主はそういう事はしないのですー。」

 自分だけ答えを知っているパズルを他人に解かせるように、アルエルシィは得意の絶頂にある。が、常日ごろハギット女史に鍛えられている弓レアルには、なんだかおかしくてたまらない。

「えー、ではなにをなさるのです?」
「なにもなさらないのです。救世主さまは、人が自分の力で歩いて行けるように、見守り励ましてくれる。時には突き放して冷たく見守るだけなのですが、それは自ら立ち上がるのを促す為なのですよ。」
「はあ。ではガモウヤヨイチャン様がハリセンで人々の身体を御癒しになるのは、何なのです?」

「え? えーそれはちょっと待って下さいね、と。・・・そう、人間身体が一番です。立って歩く為には身体がしゃんとしていなくちゃ。だから、ガモウヤヨイチャン様は人の病を御癒しになるのです。あくまで人が自分で歩く為ですよ。」
「毒地をも御癒しになりましたよ。」
「そ、それもそうです。毒があったら、人間その中を歩けません。歩いて行く為には邪魔者は消します。」

「毒を消したら、その地を巡って褐甲角王国と東金雷蜒王国が戦になりましたが、これは?」
「それはー、それは、人間が自分で歩いている証拠なのです! 自分の意志でそうするべきだと決めたからには、戦って運命を勝ち取るべきなのです。」

「それは聖蟲を持つ方々に対しても、そうだと言うのですね。」
「え聖蟲? ・・・せいむはあ、せいむを持つ人はあ、あのおー、えーと、黒甲枝とかギィール神族も、人に入ります、よね?」
「人であって神でもある、救世主と同じ運命を受継ぐ方々ですよ。」
「そ、そういうのはですね、あれ、・・・書いてない。」

「古のテュラクラフ女王を御目覚めになさいましたよ。これは救世主の御力では無いのですか?」

「ざ、在庫一掃です!」

 思わず口走るゲルタ屋にふさわしい言葉に、布地屋の娘もうなずいた。

「そうですね。ガモウヤヨイチャン様の御業績は、なんとなく在庫一掃という感じがしますね。」
「そ、そうなのです。ガモウヤヨイチャン様はこの世に溜まった垢や埃をざっと洗い流しにお出でになったのです。綺麗になった世の中を、人は危なげなく歩いて行くのですよ。」
「それはよく分かるお話です。」

 弓レアルには、アルエルシィがいきなり救世主の役目などと大上段に振りかぶる話題を持ち出した理由が分かっていた。ネタとなる話か書物を手に入れたのだ。自分にも経験がある。新しい考え方を知った時、自分が妙に賢く大人になった気がして周囲に啓蒙したくなるのだが、あらかたの話はハギット女史は知っているのだから、困ったものだ。

「アルエルシィさん、御本を手に入れられたのですか? よろしければ私にも貸して下さい。」
「え、いえ。そそそそそのような、ホホ、レアルさまがお読みになるような御本ではありませんわ。」
「そうですか、それは残念です。黒甲枝の中には本がお好きな方も居られて、珍しい本をきっかけとして縁談がまとまった例もありますよ。」
「そーーおなんですか、ホホ。それは素晴らしい。わたくしも早くレアルさまのように、黒甲枝の殿方との御縁談を見付けてもらいたいものです、ホホ。」

 弓レアルはぐっとアルエルシィの方に顔を近づけ、小声で囁いた。

「中には、禁書と言って、衛視局が読むのも保持する事も許さない邪悪な書がございます。こういうのを手に入れると、火焙りになったりするそうですよ。」
「ま、まあああ、そのような恐ろしい、それは反逆ですわね。」
「なんでも、古に現れたとかいう偽救世主の業績を綴った書はこれがまた世にはびこりまして、督促派行徒を作ったと言われてます。この本を持っている事がバレますと、御家は断絶身は火焙り財産は没収墓は掘り返されるとか、もうこの世のありとあらゆる地獄を味わうらしいのです。」

「そおーですか、それはーそれ、そんなおそろしいものをもし私が持っているとしたら、あー、その場で火中に叩き込みます。」

「なにを隠そう、私も恐ろしい禁書の一頁を持っていたりするのですよ、・・・・・内緒ですよ、人喰い教団の祈祷書です。」
「う、うわ。」
「というのは真っ赤な嘘。ハギット女史がお書きになった贋物です。あの方は文書偽造が特技なので、こういった怪しい書の書き方も覚えているのです。私なんかその偽祈祷書のせいで三日三晩恐ろしさに震えて眠れなかったのです。」
「は、・・・・はあー。」

「そうだわ。私の御先祖がまだ東金雷蜒王国に仕えていた時に使っていた、魔法の書式というのがあるのです。なんでも高位廷臣にのみ伝わる古い魔法で、これが書かれたお札を持っていると神族の方から理不尽な扱いを受けずに済むといいます。お見せしましょうか。」

 是非にと言われて、弓レアルは葉片をもらって角筆でお札を書き始めた。ぐるぐると葉の隅を取り巻く線がシダのような文様となり、なにがなんだか分からなくなる。

「基本はギィ聖符なのですが、崩し字で読めないようになっているのですよ。」

 葉片全体を埋め尽くして、弓レアルは筆を置いた。

「何種類かありますが、これが一番私は美しいと思うのです。」
「なんと書いてあるのですか?」
「さあ。ただ霊験あらたかに効能間違い無しという話です。」
「いただいてよろしいですか。」
「どうぞ。」

 弓レアルもお札の意味は知らなかったが、内容はまったくアルエルシィにふさわしいものだった。葉片をかざして光の透け具合を確かめる彼女は、まさかそこに
『ゲルタよりまずいから、ゲイルに食べさせないでください』
と書いているとは思いもつかない。

 

 他日。

 ヒッポドス商会ほどの大商人ともなれば、各地にある支店からさまざまな情報が本店に届けられて来る。軍用の天幕や軍衣を供給するヒッポドス商会は、当然今回の大戦争で大量の注文を受けたが、戦況の行方によってはいきなり不要になり在庫を積み上げる羽目に陥るかも知れない。布地の増産量を慎重に検討し、発注しなければならない。
 ハギット女史がハジパイ王やジョグジョ薔薇の動向を気にするのは、こういう面での懸念があるからだ。

 その日の報告を、一族の当主の娘である弓レアルに持って来たハギット女史は、少し眉をひそめる。悪い話だったからではない、あまりにも良過ぎたからだ。

「ベイスラはどうなのです。」
「ベイスラ穿攻隊が毒地に初めて進出し、敵の前進基地を攻略、完全に占領してここを拠点に逆撃に移るという事です。」
「こちらから攻めれば、国境線内部には攻めて来られない、という訳ですね。」
「ええ、たぶん。」
「はあー、それですよ。良かった。バイジャンさまもきっと御無事ですわ。」

 個々の兵士や黒甲枝の慣習には詳しいものの、軍略には素人なハギットは軽々しく戦況を分析しない。だが上がって来る報せを素直に受け止めれば、褐甲角軍大勝利としか思えないのも確かだった。

「えーと、そうですね。ヌケミンドルでは神兵遊撃隊がゲイル騎兵の一団を完膚なきまでに打ち砕いたと言いますし、ガンガランガの兎竜隊はまたしても寇掠軍を追い散らしたと言いますから、我が方有利で進んでいます、・・・か。」

「大勝利間違い無し、です。」
「そのようで。」

 完全に楽天的な弓レアルは、何の憂いもなく勝ちを宣言する。更には、ひょっとしたら金雷蜒軍というのは案外弱くてバイジャンさまには楽勝なのかも、とか思ってみる。

「この調子ならば、今年の内にバイジャンさまがカプタニアに御戻り下さるかもしれません。やっと結婚式にこぎつけられます。」
「そうであれば、よろしいですね。」

 好事魔多しと言うが、何事もうまく行っている時こそ落とし穴が待っているとハギットは心配する。が、それを弓レアルに言ったところで戦況に関るはずも無し。機嫌が良いならそのままが良いのだと、トゲのある言葉は腹の内に押し込めておいた。

 

 上機嫌の弓レアルは長い裾を翻して、庭師の控えの小屋に声を掛け、急遽こしらえた菜園にいそいそと向かう。

 

第八章 勇戦。

 

 ヌケミンドル防衛線の戦いは新たな段階に入った。
 東金雷蜒軍が砦の構築に成功し、次々に兵員を送り込むようになると、戦闘の主役がゲイル騎兵から一般兵士による射撃戦となった。当然褐甲角軍もクワアット兵を前線に出して応戦。神兵は遊撃隊として砦後方から侵入しようとするが、ゲイル騎兵が攻守所を変えて迎撃する。またゲイルを用いた新たな砦の構築はなおも続き、泥の海を盛り上げとぐろを巻いて数刻余りで作る急造砦を左右に繋げて、褐甲角軍の防塁を包み込もうとする。

 戦況は一進一退。こういう状況下では、突破口を求めて熾烈な戦闘が局所的に散発する。

 手始めに行われたのが、神兵による夜襲だ。夜、一般兵の視力が低下した中での襲撃は、いかに人数を集め昼夜の別無く警戒していたとしても防ぐのは困難。軽装の翼甲冑を用いた神兵は、砦前の急造の阻止線をいとも容易く突破した。
 高さが5メートルほどしかない泥の壁は、人が登るのにもさほどの困難は無い。まして背中の翅を用いて風を巻き、高速で走行する神兵には障害とすら呼べない。壁上に並んだ弓兵達をなぎ倒すのも容易だと予想していたのだが。

「放て!」

 さすがにこの考えは甘過ぎた。夜間の警戒に、超知覚を持つ神族が交替で寝ずの番を務めており、その指示に従う兵も集中射撃に特化した精兵である。更に、用いる矢は徹甲用の細い弾丸様の鏃を用いて、軽装と呼べる翼甲冑では十分な防御が出来ない。砦の中から壁内への、味方を巻き込むのも怖れない迎撃に侵入した神兵はほうほうの態で逃げ帰った。

 

 一方、ギィール神族の側でも夜襲は行われる。金雷蜒側の戦線から外れた場所にある防塁は、当然守りも手薄で人数が少なく、神兵が詰めているとはいえ狙い目だ。後方から続々と送られて来る新兵器を試すのにも、格好の的となる。
 が、緒戦で手ひどく痛めつけられた神族達は安易な攻撃を慎み、一個の防塁に狙いを付けて集中的に攻撃し、地道に潰していく作戦を取った。なにしろ彼らはまだ前線の小防塁にしか取りつけず、本格的な城砦に辿りついていないのだ。

 従来の戦術であれば、防塁に毒煙筒を放り込むところだが、今回は前線に味方の兵が多く、その戦闘力を十分に発揮する為毒の使用は控えられる。勢い、神族は火に傾いた。
 味方の援護を頼んでゲイルで肉薄し、神兵の篭る防塁に火焔瓶を投げ込んでいく。大弓を狗番に引かせてガラスの瓶を投射する。当たれば甲冑越しにでも効果のある特殊な薬剤を用いているが、直接効果は望まない。防塁に物資の集積が出来ないように念入りに火を掛け、即応体勢を削いでいく。泥の建築とはいえ骨組みに木を用いている部分も多く、これに燃え移れば防塁の構造が弱体化する。
 その上で、遠距離狙撃を敢行した。

 ギィール神族がゲイルの背で用いるのは主に長弓で、タコ樹脂と木の複合材で作られた弓は重い徹甲矢で200メートル、普通の矢なら250以上飛ぶ。一方大弓は重量物の投射を目的とする構造を持ち、弦が太くて初速はあまり早くない。普通の小さな矢を用いても200メートルがやっとだ。今回の攻撃では手直しをして弦を細く反発を強くした特殊な大弓で400メートルを越える射程を実現した。距離を稼ぐ為に軽い矢を用いたが、先端には新兵器である陶炭鏃が使われる。

 

 既に各所で使われ始めている、陶器のように固い炭を付けた超高温で燃えながら飛ぶこの矢は、発明から未だ日が浅い。ギィール神族の技術の世界にも流行というものがあり、この炭は最近の注目の的なのだ。
 遠く南海の円湾で採取される「テューク(巨大蛸)」の化石、その中でもタコ墨と呼ばれる真っ黒な部分が素になる。この部分はもともと高温で燃えるから、金属精練の為にギィール神族は多用する。だが近年、この燃料が実は幾種類かの素材の複合したものだと研究が発表されて、神族達は成分の分離精製を競って行った。金槌で砕き石臼で挽き、水中で沈殿させて分離する。薬品で処理して溶け残りを更に砕いて粉にする。その結果取り出されたのが、この陶炭だ。

 油で不純物を抜き出して沈殿させたものを、低温で焼き固めている。面白いことにこれは木が燃える程度の熱ではまったく引火しない。鉄が溶けるほどの高温でも変質しない。一時はるつぼの材料に使おうとしたぐらい、非常に熱に強いのだ。だが一度燃え出したらとんでもない高温を発してじわじわと燃える。水中でも土中でも、つまり空気の供給が無い状態でも鎮火しない。一度燃えたら燃えつきるまで消えないのだ。しかも、その状態であっても材質の強度は維持されたまま崩れないし、断熱して支持部に熱が届かない。燃えつきた後は灰も残らず完全に消滅するが、それまでは固いままで焔がじんわりと進行していく。

 ギィール神族はこの不思議な素材にたちまち夢中になった。通常の手段では引火しないので、発火する為の条件を詳しく調べ、或る薬品と白金の触媒によって簡単に点火する方法を開発した。触媒という概念は十二神方台系ではまったく知られていない。またそもそも白金なんてモノ自体、普通の人間は聞いたことが無い。

 ともかく、陶炭は色々と応用が研究されているのだが、その最も下劣な用法が高温を用いて黒甲枝を射る、高温徹甲矢である。

「くそ、顔を出す事さえ出来ん。」
「ゲイルが、壁を削っている。出られん。」

 小規模な防塁一つに、ゲイル騎兵が20騎も詰め掛ける。2騎ほどが防塁に取り付いて壁や土台の泥を削り取り、その間他の者は神兵が出て来ないように大弓で精密射撃を繰り返す。
 なにせ聖蟲によって極めて正確に射撃の出来る神族だ。神兵が防塁から顔を出した所にまっすぐ矢を射るのもお手の物。大剣で薙ぎ払おうにも、今回用いられる高温徹甲矢は金属ですら融解させる。黒甲枝は大剣を殊のほか大事にする。ゲイルを相手にするのにこれ以外使うべき武器が無いので、破損は非常に嫌がる。また、この高温では神兵の重甲冑であっても抗する事が出来ない。若い神族がゲイルを用いて泥壁を削り取るのを、飛んで来る矢を必死に避けながら見守るしか、彼らに打つ手が無かった。

 

 この戦法で幾つもの防塁を失ったヌケミンドル防衛線では、司令官クルワンパル明キトキス主席大監に善処を求める声が殺到する。だが賢をもって知られる将軍は、事もなげに言った。

「泥は燃えないのだろう。泥の盾を作ればよい。」

 戸板に泥の塊と日干し煉瓦を張りつけた、極めて不細工な盾が幾つも作られた。厚さは20センチにもなり、重量は100キロを越える。矢が当たれば木部は燃える事もあるが、真っ直ぐ立てれば厚みでそのまま直立し続ける。
 泥盾の導入で高温徹甲矢を防いで防塁を削るゲイルに肉薄するのが可能となった神兵は、至近から鉄弓で応戦する。
 この対応はギィール神族によって予期されており、過酸化水素を利用したロケット「噴飛槍」で盾は突き崩された。だが崩れたと言っても遮蔽物が無くなるわけではなく、そのまま留まりゲイルを迎撃する事は出来る。泥を削るのは諦めて火焔瓶を放り込み、ようやく神兵の撤退にこぎつける。

 

「やられているな。」
「やられています。が、まあこれも予測の内です。小防塁は適当な時期に破られる必要がありますから。」

 ヌケミンドルに殺到したギィール神族をこの地に留め置くには、或る程度の敗北と勝利を小刻みに与え続ける必要がある。司令官クルワンパルは、武徳王から派遣されている元老員、督戦使ガーハル敏ガリファスハルに次の策を開示した。

「・・・野戦か。」
「ゲイル騎兵の最大の利点は野戦での高速移動です。これを使わないと、不満に思う神族はミンドレアやベイスラに転戦する怖れがあります。小防塁の守りはクワアット兵に任せて、神兵はゲイルを野に誘い出しましょう。」

 小防塁群の間には、直接城砦に続く間隙がある。ここにゲイル騎兵が侵入すると、左右の防塁から出動した神兵によって退路を遮断され袋のネズミになるのだが、今回クルワンパルはその神兵に突出して敵砦の後背を衝き、補給を遮断せよとの命を下した。ただし、出動するのは軽快な翼甲冑を持つ神兵だけだ。重甲冑では高温徹甲矢に貫かれるのは目に見えている。

「どうやら、甲冑の役割が変わる端境期にあるようだな。翼甲冑の量産が間に合って良かった。」
「はい、ソグヴィタル王に感謝せねばなりません。」

 翼甲冑ソルヴァームの量産と運用実験は、ソグヴィタル王 範ヒィキタイタンが東金雷蜒王国攻略作戦を進める為に15年前から推進してきた。その先進性は彼の失脚後も認められ、重甲冑ヴェイラームの後継として整然と配備が続けられている。
 翼甲冑の開発は、なにも高温徹甲矢の出現を予期したものではない。むしろ「うすのろ兵」の出現が背景にあった。うすのろ兵は、神聖金雷蜒王国時代から用いられて来た、薬物によって人体を強化された「獣人」と呼ばれる強力な兵士の廉価バージョンで、主に怪力と従順性、長寿命を考慮して設計されている。単体での戦闘は不可能ではないが知性に乏しく動きが単調なので、積極的には使わない。むしろ彼らは弩車の動力源としての役割を期待されて開発、配備された。

 弩車は強力な弩を搭載した荷車で、重甲冑をも簡単に貫くだけの威力を持っている。しかし、それだけに重量がかさみ運用には10数人もの兵士を必要とし、これまで寇掠軍が用いる事はほとんど無かった。重甲冑が主流を占めたのも、それを撃破するだけの武器を寇掠軍が持たなかったからだ。
 しかしうすのろ兵の登場が事態を一変させる。彼らは一人で弩車を曳き毒地を軽々と運ぶ事が出来る。また、弦を引き矢を装填する際にも、滑車を使って何人もの兵士が引かねばならなかったものを、簡単にすみやかにやってのける。撃つのは操作に熟練した兵士が行えば良いのだから、うすのろ兵に知性は必要無い。移動と装填という弩車最大の難点が克服された為、寇掠軍も近年は弩車の利用に積極的に変わってきた。野戦においても弩車の利用が始まったのだ。

 元々弩車は高度な製作技術を要し、褐甲角王国では十分な能力を持つものを作る事が出来ない。現在配備されているものも、実は敵国である金雷蜒王国からの輸入品である。神兵の強力さがハードウェアによって覆されると知った時、ヒィキタイタンは躊躇無く神兵の運用自体の転換に踏み切った。それが、高速移動して強力な矢からは普通の兵と同様に身を隠す、翼甲冑装備の赤甲梢スタイルだった。

 期せずして高温徹甲矢に対しても有効性を示した翼甲冑だが、しかしゲイルを追跡出来るほどには疾くはない。

「速度の違いはなんとする。野戦においては、現在もゲイル騎兵の優位は変わっていないぞ。」
「早ければ、ゲイルの上の神族も大弓や弩を使えません。長弓の射程は300歩(200メートル)、対して神兵の鉄弓はその倍になります。」
「なるほど。敵に戦場を設定させなければ、敵が近付く前にこちらが一方的に攻撃出来るか。」

「無論、かなりの危険を伴います。12名ずつの3隊を出動させて、翼甲冑隊の真価を見極めます。赤甲梢と同じように使えるとよいのですが。」

 

 野戦遊撃隊には、赤甲梢で剣匠令の位を取った神兵を中心に翼甲冑に慣れた者が選ばれた。ヒィキタイタンの東金雷蜒王国攻略戦が近いと考えて赤甲梢にて研修を積んだ神兵は、現在20代後半から30代前半になる。戦闘力としても経験から言っても、十分なはずだ。

 果たして、神兵が大挙して出動したという報に、ギィール神族は沸き立った。彼らは生来飽きっぽい性格なので、状況が膠着し始めると次の手を考える。いかにして神兵を毒地におびき出すか、あるいは自分達がもっと広い戦場に移動しようかと思案していたところだ。
 直ちにゲイル騎兵の隊列が組み上がる。寇掠軍伝統の軽快な猟兵装備で、神兵を獣のように狩るつもりだ。彼らの大半はこれを求めて出征している。

 一方の神兵の遊撃隊は、こちらもゲイルを狩る事を目論んでいる。高速で走行するゲイルに全方向から囲まれると予想し、4名ずつの3分隊が三角形を作り、その3隊がまた大きな三角形となり鏃のように行軍する。大剣は帯びているが、近接戦闘はするなと厳命されている。あくまで鉄弓だけで戦い、敵の高速性を封殺する。

 ゲイル騎兵の攻撃隊は25騎、神兵が出撃してもそのまま手を出さす、毒地深くに攻め入って来るのを待つ。一応は自軍の砦の後方を襲うと知ってはいたがそれは方便で、狙いはゲイル騎兵との決闘であると見抜いている。ゲイルの高速性を十分に発揮出来る領域にわざわざ踏み込んで来るのだ。敵将クルワンパルの挑戦、と受け止めずになんとする。

 泥の大地から草原へと出た辺りで、ゲイルが遊撃隊を囲み始めた。翼甲冑装備の神兵の速度は時速15キロ、最大速度は20キロを越えるがゲイルの50キロには遠く及ばず、周囲を走っても追いつかれる心配は無い。だが、さすがに弓の射程の違いには踏み込むのを躊躇せねばならなかった。
 彼らの額にあるゲジゲジの聖蟲は、自らに向けられる矢の軌道の模式図を鮮明に描いてみせる。予測不能の場合もあるが、脳裏に写し出されるこの白い線から身を逸らせば、大抵の場合無事で済む。この知覚の支援は、自らに向けられる矢や投射物があれば発射以前より機能して警告を発するが、それによると、神兵の近く250メートル付近から死亡判定が出始める。

 神兵の鉄弓は射程400メートル。重い鉄箭を用いてこれだから、木製の軽い太矢なら更に距離は伸びる。だが、時速50キロで走る移動目標に対して400メートルで当てるのはほぼ不可能といえ、命中が期待出来るのは250メートルとかなり近くなる。神族の長弓は距離200メートルで当てて来るが、このわずかな差がどうにも神族には越えられない。鉄箭はゲイルの甲羅を貫く為のもので、普通の矢なら弾き返す強靭な外皮であっても、これにはかなわない。ゲイルに替えは普通無いから、神族は自分のゲイルが傷付く事を怖れる。思い切って踏み込むにしても必ず神兵に有効打を浴びせねばならず、有効射程ギリギリの間合いでしかも互いに高速走行中では非常に難しい。

 だが、一人の若い神族がゲイルに輪の内部への突入を決意させた。彼は自分の長弓に工夫を重ね、通常よりも射程距離を伸ばしていたからだ。用いるのは通常の徹甲矢、先端が弾丸のように鈍く尖った細身の鏃を使用する。高温徹甲矢は使用する際に点火の動作が必要で、発射速度が鈍る。また翼甲冑の防御力であれば、この矢でも或る程度の効果は期待出来ると知っていたからだ。重甲冑翼甲冑共に設計者はギィール神族。長所と欠点の両方を神族誰もが熟知している。

 彼に続いて次々とゲイル騎兵は攻撃に飛び込んで来た。だが、クルワンパルが採用した赤甲梢の隊列「三元鱗」の恐ろしさにはまだ気付いていない。最初に飛び込んだ神族が一矢を放ち、次を構える瞬間、自らの敗北が彼の脳裏に突き付けられた。

 神兵達は4人で1分隊を組んでいる。翼甲冑はその名の通りに背中に翅を持ち、これで身体を推進して高速移動する。「三元鱗」の隊列は翅が発生させる風を効率的に使う為に4人を密集させていた。一人が起こす風よりも、羽ばたきの周期を合わせて揃って動いた方が高速での移動が可能なだけでなく、周囲に対して風のバリアとも呼ぶべきものを形成した。矢を防ぐほどではないが、命中率がかなり下がる。そして4人の神兵の矢が、同じ目標に対して向けられた。

 彼はかろうじて直撃を免れたが、背に居た狗番が即死。ゲイルも手傷を負い騎櫓のタコ樹脂の盾が跳ね飛んで、戦闘続行不能。直ちに離脱する。後続のゲイル騎兵も同様に4矢を同時に受けて攻撃することなく撤退。矢数が違うのだから話にならない。25騎がそれぞれ一度突っ込んだところで、全軍撤退を余儀なくされた。ゲイル1体が走行不能になり、その場に放棄。重傷が3体、神族も1名が戦死して序盤戦を終えるが、未だ神兵の行軍は止らない。

 攻撃隊第二陣は20騎。第一陣の惨状を見てさすがに狙撃による攻撃を諦めた。大弓で神兵の足元に火矢を撃ち込んで行軍の速度を鈍らせる。直接照準ではなく、山なりに頭上から矢を射掛けて攻撃するが、止められない。体勢を立て直した第一陣も加わって雨のように矢を降らして、やっと神兵は進路を変えた。と同時に、こちらも山なりに鉄箭を放つ。行軍を阻止する為にゲイルの肢が止まっていたのを見透かされた。頭上から落ちて来る鉄箭は、ゲイルに対しても十分殺傷力を持つ。神族達はゲイルを叱咤して必死に逃げ惑った。

 3時間ほどの戦闘の末に、神兵遊撃隊は撤退する。当初の目的であるゲイル騎兵の対応を探るのは達成したが、砦の後背を衝くまでには至らなかった。鉄箭の数も限られているから、矢が尽きた時点で戻らねばならない。損害は無いが、結局はゲイル騎兵に逃げられて悔いが残る。

「もう少し、足が速ければ。」
と誰もが思うが、こればかりは仕方がない。

「兎竜が要るか?」

 戦況報告を受けた督戦使ガーハルは、クルワンパルにそう尋ねる。キスァブル・メグリアル焔アウンサが率いる赤甲梢兎竜部隊は大審判戦争序盤において多大なる戦果を挙げ、ガンガランガに派遣された兎竜掃討隊も目覚ましい活躍を示している。
 だがクルワンパルは首を横に振った。

「兎竜を用いるには、ここは少し手狭です。ゲイルを後尾から追わねばならないと、メグリアル妃からお聞きしました。」
「うん。兎竜は追われると弱いと言うな。甲羅が無いのだから仕方がない。」

「何度か遊撃隊を試してみましょう。おそらく三度目から有効な対策を取って来るでしょうから、こちらも全滅しないように慎重に事を運びます。」
「次は”火”だったな。」
「はい。敵は砦内に多くの危険物燃焼物を持ち込んでいます。これに火を掛ければ、内部から崩壊するでしょう。」
「巨大な弓か。」

 敵にばかり火矢火焔瓶を使わせておく事は無い。こちらからも火攻めを掛ける為に、大型の投射兵器を用意している。うすのろ兵が居ないから神兵が操作する事になるが、この手の武器は神兵には人気が無い。命中精度が無く馬鹿力さえあれば誰でも使えるのだから、誇りある者が受入れ難いのは当然だ。

 

 翌日、クルワンパルの元に、ベイスラ県からの戦況報告が上がって来た。金雷蜒軍が新兵器を用いた場合にはすぐ連絡が来るように後方司令部に頼んでいたのだ。

「・・・・・舟?」
「舟をソリにしたのだそうです。兵を乗せて草原を移動します。詳細は不明。」
「舟か。」

 しばらく考えて、クルワンパルは督戦使の控え室に行った。ガーハルは青晶蜥神救世主から遣わされた観戦武官であるューマツォ弦レッツオと朝食を取っていた。ガモウヤヨイチャンとの約束で、弦レッツオは常に督戦使の監視を受ける事になっているが、二人の関係はそれ以上であると誰の目にも明らかだ。青晶蜥神救世主は独自のルートで情報を収集しており、「彼女」を通じてクルワンパルも毒地内の金雷蜒軍の配備状況を度々教えられている。

「舟か? ふむ、ゲイルの怪力があれば、地上を曳く事も出来るのだろうが、想像でも聞いた事が無いな。」
「ガリファスハルさま、ゲイルは神蟲ですから、ギィール神族がそのような用途に使うとは、大審判戦争前は夢にも考えておりませんよ。」
「そうか。ならば無理もないな。主席大監どの、その舟に対してどう対処する。」

「まだ参謀達と協議しておりませんが、小防塁群を放棄しようかと考えています。」

 この言葉にはさすがにガーハルも驚いた。口にしたヤムナム茶を噴き出して、弦レッツオに拭いてもらう。

「今一度尋ねる。防塁の全てを放棄すると言ったのだな。」
「はい。そうするべきだと、私は考えます。」
「理由はなんだ。この舟は防塁群を無効にするほどの強力な兵器なのか。」

 弦レッツオも口を挟む。
「主席大監様、ヌケミンドルはいまだ水路に水を湛えたままで、金雷蜒軍の兵站はそれで十分能力が足りているとの分析でありましたが。」

 身長2メートル、神族に成り損なった彼女に対しては特に返答をする義務も無いが、ガーハルも同じ事を考えているだろう。素直に答える。

「ヌケミンドルの防衛線の目的は、この地に東金雷蜒軍の主力を引きつけ、南北の領域に敵が向かわぬようにする事です。今回確認された「舟」は、ヌケミンドルではさほど意味を持ちませんが、ミンドレア、特に南のベイスラでは非常に大きな脅威になる可能性があります。」
「・・・・ミンドレアには、北のガンガランガから兎竜掃討隊が進出して来る事もある。長駆侵入はかなり困難だ。ベイスラならば、か。」

「はい。寇掠軍が大規模な進攻を行えないのは、兵員の移動に長い時間が掛かる故。特に撤退時に時間が掛かるのが、神族をためらわせる最大の懸念です。」
「兵が無ければ、なるほど大して意味の有る攻撃は出来ないからな。人を殺すのがせいぜいだ。」

「以前赤甲梢が、ゲイルの上に兵を乗せて運ぶのを目撃した事があります。誇り高い神族が神蟲に只の人を乗せるなどあり得ない、と我らは考えて来ましたが、舟ソリはその禁忌を和らげるのに十分な説得力があります。」
「乗せるよりは曳いた方がマシ、か。よく分かる。そして撤退時には兵を舟に乗せ、すみやかに毒地の奥に去っていく。なるほど、由々しき事態だ。」

 再度器にヤムナム茶を注ぎ、ガーハルは口に持っていく。防塁群の建設は、クルワンパルの献策で多大な費用を投じて行った。それを放棄するとなれば責任が問われるのは間違い無い。最悪司令官職を解任されかねないが、その懸念をも越えて彼は最善を尽くそうと努力している。

「この件は、主席大監ひとりの裁量には大き過ぎるな。兵師統監殿、また武徳王陛下の御裁決を仰がねばなるまい。」
「そのように考えます。」

 弦レッツオが花のかんばせをほころばせて、助言した。
「御裁決に三日掛かると、手遅れになるかもしれません。もしベイスラ県で既に寇掠軍が舟を用いて戦果を挙げていたならば、その報が届き神族が移動を開始するのに三日を要しません。」

「むう。主席大監どの、いかがする。」
「されば、今より参謀を集めて総攻撃を指示いたします。神兵全軍を挙げて敵前進砦を壊滅させ、背後にある物資集積所を焼き討ちいたします。その後、防塁群を放棄して城砦による防衛戦に移行します。」

「うん、その間に私が大本営に伺って陛下にお許しを得て来よう。」

「要するに、どちらが面白いかなのです。ヌケミンドルで大規模な戦闘があり神族とゲイルが存分に力を発揮出来るか、あるいはベイスラなどに移って国境線内部に深く浸透して民を殺戮するか。舟が使えるのならば、秤は随分と後者に傾くでしょう。」

 ガーハルは茶を飲み干すと席を立ち、従卒を呼んで直ちに出立の準備を整える。クルワンパルに、防塁群放棄の上申と責任問題については心配するなと言い残す。弦レッツオには、彼の居ない間前線に視察に行けず司令部にて待機するようにと、謝る。

「状況は一刻を争う。防塁群放棄後の策はあるのだろうな。」
「はい。但し、多少人死にが出ます。」
「それは考慮に値しない。構わずやりたまえ。」

 

 クルワンパルのにわかの命令に参謀達は驚いたが、実動の神兵達には歓迎された。詳しく裏の事情を説明されないが全軍突撃して敵を壊滅せよ、との命令に奮い立っても反対する者は居ない。防塁群の守備は考慮せずとも良い、となれば全勢力を敵軍に叩きつけるまでだ。

 神兵200、クワアット兵5000というヌケミンドル正面軍の半数もの兵力を投じて、総攻撃は翌早朝開始された。
 今日も今日とて、泥の壁を隔てて弩で矢を射合う戦だと思っていた金雷蜒軍の兵達は、にわかの大軍の動員にも意図が読めず戸惑うばかりだ。いかに神兵が無敵だとはいえ、うすのろ兵が引く弩車の矢は確実に重甲冑をも射貫く。聖蟲を持つ者が戦場で倒れるとなればその衝撃度は計り知れず、以後の士気に大いに関るはずだ。

 多数の兵員をもっての恫喝、と理解する剣令達だが、その朝当直に当たっていたギィール神族は戦場全体の状況を聖蟲により確かめ、戦慄する。
 神兵のみならず後続のクワアット兵でさえ、糧食を携えていない。輜重兵が続いていない。その日一日の戦闘しか考慮していない装備であり、こちらの砦を一気に力押しで叩き潰す以外の戦術は考えられなかった。
 まさか、と思う。敵将クルワンパルは知将としての名声をほしいままにし、これまでの戦いでも神族達は彼の才能の豊かさに大いに満足していた。好敵手として認めていた。
 その彼が、このような粗雑な戦闘を命ずるとは思えない。だが短期的に見れば、単に前進砦を落とすだけならば、大軍を一気に突入させる手が不可能であるはずはなかった。

「何故だ? 彼はこの場所に我らを集めるのが目的だったはずだ。」

 神族達も、クルワンパルが仕掛けた防塁群が時間稼ぎであり、他所に彼らを向かわせない囮である事は見抜いている。見抜いていながらも、彼が次に何をするか楽しみに待っていた、と言って良い。現に先日の翼甲冑遊撃隊による野戦は見事なまでの成功を納め、神族達はこれに如何に対処するか額を寄せ合って思案していた所だ。

 なにかあった、としか考えられない。だがその理由が隣の戦場に求められるとは、さすがに分からなかった。ヌケミンドル攻撃軍とベイスラ攻撃軍との間に垂直な命令系統は無く、互いの情報交換は一度後方の傭兵市を通じてのものとなる。「舟」の利用で兵員の高速移送が可能となった、という技術情報は彼らの元にはまだ達していない。

 砦に残った神族は剣令達に退却命令を出した。500人しか居ない砦に、200の神兵5000のクワアット兵が殺到するのだ。どんな手段で防ぐ事が出来るだろう。優先すべきはまずうすのろ兵、次に剣匠剣令、高度に訓練された剛兵と呼ばれる者達だ。今後も続く戦で主役となる彼らは逃がさねばならぬ。奴隷兵達を指揮して殿軍を務めるには、神族が残って指揮し続けねばならない。だが逃げるにしても神兵のこの早さに対しては、後ろから射られる怖れが非常に大きい大博打となる。十二神方台系には戦で敵を背後から攻めるのを咎める倫理は無い。後ろから斬られるのが恥であり、斬る者がそんなところまで配慮する必要は無いのだ。

 うすのろ兵が命じられどすどすと走っていくのに異変を感じ、剣令達が姿を消したのに、覚悟の座っていない奴隷兵達が留まる道理が無かった。結局殿軍を務めたのは当直の神族とその狗番、わずかの剛兵のみだった。面倒くさいから箱に並んだ火焔瓶を丸ごとゲイルの肢に引っ掛けて壁の外に放り出させる。燃え上がる焔の中を突っ切って来る神兵に、建築資材が転げ落ちる。弓を引く間も無く、ゲイルの肢が掘り返す泥土砂が敵を埋めていく。

 しかし多勢に抗し得るはずもなく、たちまち周囲の味方は斬り殺され、ゲイルが単体で敵中に孤立する。

「死んだか」

 そう見極めると、神族はゲイルをそのまま群がる敵の中に走らせた。もはや逃げる手段も無いとなれば、ゲイルの肢が跳ね飛ばし、二股の尻尾が当たる限りの敵兵を道連れに冥府に旅立つのみだ。
 結局彼は、二人の神兵と100人にも及ぶクワアット兵の死傷者を出して討ち取られた。ヌケミンドル防衛線での神兵の死者は、これが初めてである。

 だが褐甲角軍の進撃は止らない。砦を落とした勢いのままに、逃げる兵を追い続け、10里離れた物資集積所までもなだれ込む。
 さすがに前線の異常に気が付いて防衛態勢を整えていた金雷蜒軍だが、怒濤の進撃には抵抗を省みるという思案の影すら無い。多大な犠牲を出してまで物資を守るのは割に合わないと、早々に神族達は撤退を決定する。整然と、というわけには行かないが虎の子の弩車はうすのろ兵に曳いて逃げさせる。多少なりとも足を鈍らせようと、食糧や材木資材に火を掛けてゲイルに尻尾で蹴飛ばさせ、平原に散乱させた。味方にも害になるからと使わなかった毒煙筒を大弓で打ち出して、クワアット兵に多数の負傷者を出す。

 これまで一ヶ月を費やして準備した前線の軍備を全て失って30里までも後退した金雷蜒軍だが、しかし戦意自体は衰えていない。こんな攻撃が何度も出来る訳がなく、また出るのならばおびき出して、手隙になった城砦にゲイルで乗り込むだけだ。
 ただ、防塁群によるゲーム的な駆け引きを何故クルワンパルが放棄したのかには、神族の間でも議論が分かれた。後方に控える武徳王が病で倒れた、いや暗殺だという根も葉も無い噂が飛び交う。総攻撃自体が囮であり、ボウダン街道の赤甲梢が毒地深くに突入して金雷蜒軍の後背を遮断する、という無責任な読みも出た。

 答えは、彼らが態勢を立て直す前に出た。撤退する褐甲角軍が防塁群を放棄して城砦に戻ったとの報で、本陣近くに金雷蜒軍の肉薄を許す戦術に転換したと知り、他に彼らが移るのを怖れた為と理解した。ヌケミンドルの防備を敢えて手薄にして攻撃軍を引き寄せるのは、他所で防備に問題が生じたに違いなかった。
 しかし、ヌケミンドルの防備を緩めたのは問題が起きた場所に兵力を振り向けるためであろうから、ここに留まり続けても損得勘定の計算が揺るがない。彼らが気付く前に彼らが動く動機を削いでいる。既にクルワンパルの策に乗せられていた。

「やるな。」
「ううむ、是非とも奴を倒さねば、神族の名が泣くらしいな。」
「ヌケミンドルを抜けば、武徳王が控えているのだ。ここを避けて通るのも愚かな話ではある。」
「奴の次の手を読めば、我らが退く度に全力での攻撃を仕掛けて来るしかない。我らを余所に向かわせない為の、他の手が無い。」

「出て来るのならば、こちらにしても願ったりだ。」
「そういう事だ。」

 

 舟のアイデアがヌケミンドルに届くのに、更に二日を要した。クルワンパルの懸念のタネを知り、可能性に速やかに対応した彼の明敏さに神族も目を見張る。

「民に寇掠軍の手が及ぶのを懸念してのものか。」
「ゲイルよりも、兵を怖れたわけだ。なるほど、我らには無力の者を哀れむ慈悲はあるが、奴隷達には無いからな。」

「舟を陸地で用いるのならば、ヌケミンドルでも態勢を立て直すのに容易いな。こちらはこちらで当初の計画通りに進めよう。」
「攻城兵器というものが必要だ。傭兵市に発注しよう。」
「だが搦め手から内部に浸透して敵の腸に食らいつくというのも、なかなか甘美な策ではないか。余剰の神族はそちらに追い出そう。」
「そうだな。ここは神族が300人も居れば十分だ。」

 

 後方の司令部大本営から戻って来たガーハル敏ガリファスハルは、総攻撃の成功の報告を受けて、クルワンパルに言った。

「陛下から、良きように、とのお言葉を頂いた。責任問題にはならなかったぞ。」
「ありがとうございます。」

「それから兎竜をベイスラに回そうと思ったのだが、これはダメだった。どうやらカプタニアの中央軍制局では、大審判戦争に一気に決着をつける作戦を準備しているらしくてな、赤甲梢を割けないのだ。」
「何をするつもりでしょう。」
「わからん。ハジパイ王が噛んでいる事は聞いたのだが、詳細がまったく伝わって来ない。手の者に探らせているが、しばらくは掛かるだろう。」

「ギジジットへの単独攻撃ですよ。赤甲梢の兎竜を用いて、一気に突入するおつもりです。」

 驚いて振り向く二人に、ューマツォ弦レッツオは婉然と微笑む。更に続けて、こうも言った。

「その策は、ガモウヤヨイチャン様がキスァブル・メグリアル焔アウンサ様にお授けになられたものです。少し違いますがね。」

「・・・これは驚いたな。だがギジジットを攻めた所で、戦には勝てないだろう。なあ、主席大監どの。」
「そうでもありません。ハジパイ王の目論見は分かりました。神聖金雷蜒王国の首都であり金雷蜒神の神座があるギジジットを攻めれば、必ず神聖王御自らの御出陣があると考えたのです。和平を結ぶ相手が遠くギジシップ島にあれば困難ですが、毒地にまで出向いているとなれば、より易くなります。」

「そうか。彼ならばそう考えるだろう。だが焔アウンサ様はそのような捨て駒にはならないぞ。」
「ええ、私もそう思います。弦レッツオ殿、ほんとうに青晶蜥神救世主様は、ギジジットを攻めよと仰しゃられたのか。」

「いえ。ギジシップ島を直撃せよ、との御策です。」

 しばしの沈黙の後、ガーハルは天を仰いで大きく笑った。

「ハハハハ、ハハ。ギジシップか、そうか、神聖王を直接攻めるのか。なるほど、それは凄い。焔アウンサ様なら飛びつくな。」
「メグリアル妃様と、ハジパイ王殿下とが、互いに化かし合っているのですか。ギジジットを攻めるという策を献じその裏で、東金雷蜒王国に兎竜で長駆侵入して防備の薄い首都島に攻め入る。赤甲梢がガモウヤヨイチャン様の御使者となり、三神の王が共に集って和平を講じよう、というのですね。」

「内緒ですよ。」
と、弦レッツオは二人に口止めする。もちろん、こんな荒唐無稽な話を他人にするほど二人はバカではない。
 ガーハルは作戦の成否を、知将の誉れ高い主席大監に問う。

「で、どうなのだ。ギジシップ島への進攻に成功の見込みはあるのか?」
「わかりません。おそらくは八分は無理でしょう。ですが、毒地攻撃軍として神族の半分が出掛けている今ならば、常よりも倍以上も勝算は高くなっているはずです。まして赤甲梢には兎竜がある。」
「速度の問題か。うーむ、よくぞこのような大胆な策を考えたものだな。人間業とは思えん。」

「だからこその青晶蜥神救世主様なのでしょう。天河の計画にそう定められているのかも知れません。」

「して、裏でそういう作戦が動いていると知って、我らは如何にすべきだろうか。」
「特には何も。陽動としては、この地で大激戦を繰り広げ、敵の目を惹き付けるだけです。」

「既定の路線というわけだ。さぞかし人が沢山死ぬだろう・・・。」
「・・・・何をお考えです? ガーハル様。」

 急に無口になったガーハルに不審を覚えて、クルワンパルは彼の顔を見た。弦レッツオも覗き込む。
 二人の心配を振り払うように、ガーハルは表情を明るくした。だが、言葉は重い。

「やはり、世は次に移るのであろうな。ガモウヤヨイチャンが統べる、青晶蜥(チューラウ)神の時代に。」
「そのようですね。」

「・・・勝利は救世主の手に落ちるべきだ。だが死んでいった者達は、それで納得するだろうか。」

 ガーハルの胸には、大乱の予感がある。大審判戦争が清々しいとさえ感じられる邪悪な、陰鬱な謀略が、方台の裏で蠢く音が聞こえている。

 

【ゲルタ貨幣の数え方】

 十二神方台系では貨幣というものはあまり信用されていない。
 貨幣の発祥は紅曙蛸巫女王国時代に始まるが、当時は貨幣はそのものが宝物と呼べるタコ石で作られていた為にどんな形状であろうとも珍重された。紅曙蛸王国が五代テュラクラフ女王の失踪で崩壊した後は、交易自体が停滞して貨幣の必要そのものが消滅した。
 金雷蜒王国が建国され方台を統一した後も、貨幣の需要は回復しなかった。交易自体は以前にも増して盛んになったが、神聖王が全土で「一物一価」を推奨した為に物々交換と信用貸しの制度で十分経済が運営された。後には金属を用いて秤量通貨となる。工芸に優れたギィール神族を相手にしては、貨幣の偽造防止はほぼ不可能であった。

 貨幣が本格的に導入されたのは褐甲角王国の成立後になる。金雷蜒王国と異なり、十分な金属資産を持たなかった褐甲角王国は鉄の増産に傾注、貨幣も鉄を用いて鋳造した。これは単純に鉄本位制を敷いたのではなく、あくまで鉄を材料として交換価値以上を担保され流通した本格的な貨幣制度である。鉄材料の貨幣は一定期間後には錆びて流通不能になる揮発性を持ち、インフレの抑制と貨幣の流通の促進に役立った。金雷蜒王国側では当然のように偽造を行ったが、褐甲角王国は巧妙にも極めて劣悪な材料を用いて貨幣を作っており、これ以上劣悪であれば崩壊するギリギリの成分を維持する事で防止した。悪貨は良貨を駆逐するその直接的な効果を以って貨幣経済を守ったのだ。
 褐甲角王国の支配が恒常化するに従って貨幣は段階的に銅製のものに切り替えられ、現在は鉄貨幣は使用されていない。大中小の硬貨があり、大銅貨は1金=金雷蜒王国の銀1粒貨と同じ値と定められている。小銅貨60枚、中銅貨は5枚に等しい。小銅貨1枚は平均的な人足の日給と同等とされる。

 これとは別に、物々交換を前提とした「ゲルタ貨幣」という制度がある。干し魚ゲルタは極めて大量に生産され方台全土に流通している基本的な食糧で、どこの土地でもほぼ同じ価値を持つ。海水を何度も掛けては干す行程を経て干物となるので全体に塩をまとい、精製された高価な塩の代りに低所得層を中心に普遍的に必要とされている。
 どこの土地に行っても同じ価値を持つ特性を利用して、ゲルタ何枚かで商品の価値を表す慣習が出来た。通常ゲルタは25枚を1包みとして販売されている為、ゲルタ1包みが基本単位となる。この包みは軽いが結構嵩張る為に、人間が担ぐと12包、イヌコマには30包、荷車には60包の積載を標準とする。通例では荷車1両に積載するゲルタを、1金として取り引きする。
 つまり褐甲角王国の貨幣はゲルタ貨幣を基準として価値を定められており、大銅貨1枚がゲルタ荷車1両で1金、中銅貨1枚がゲルタ人間1担ぎ、小銅貨1枚がゲルタ1包み、という事になる。
 またゲルタは包みをばらした状態で販売される事があり、1包み25枚という換算で補助貨幣として流通している。むろんゲルタをぶら下げて歩く訳にはいかないが、その土地土地で5ゲルタ1ゲルタずつの価値を持つ私的通貨が有力な商人によって作られて、役所の公認を得て普通に流通している。これら補助貨幣は或る領域内でのみ流通が許されており、大商人の両替店でちゃんと清算してくれる。

 1金以上の金額は、金雷蜒王国と同様に秤量貨幣で清算するのが普通。金雷蜒王国は銀本位制なので、褐甲角王国もそれに倣っている。1金は銀1粒、これをハンマーで叩いて検査済みの刻印を押した不定形の貨幣となる。
 金と銀の交換比率は1対8。十二神方台系の金産出量はそれだけ少なく、神族や黒甲枝以上の身分にしか使用を許されてはいないので、一般社会にはほとんど出回っていない
 鉄と銀の交換比率は80対1。ゲルタ2包みは1石という重さの単位とほぼ等しく大体3キログラムになるが、鉄1石が1金で取り引きされる。つまりは銀37.5グラムが1金という価値を持つ訳だ。ゲルタ1荷車=鉄1石=銀1粒、という図式が成り立つ。

 精製された塩1石も鉄1石と同じ値段だ。塩は古代の社会では貴重品であり、地球でも大体鉄と等価で取り引きされている。しかしながら、精製された塩はそれほどの貴重品なので、古来通行税として取り立てられる事が多く十分には流通しなかった。そこで人々は精製されていない状態の塩、つまりはゲルタの干物状態で各地に運ぶ事を考えついた。塩ゲルタを材料として消費する現地で塩を精製するという方法で通行税を免れ、為に大量のゲルタが津々浦々まで運ばれる。これが、ゲルタが十二神方台系全土で同じ価値を持つ由縁だ。
 精製する為に塩を抜かれたゲルタは産業廃棄物だが食べられるので、市場で売っている。塩抜きゲルタ10枚の価格が1ゲルタだ。低所得者層の主要食糧の一つであるが、こればかりを食べていると髪の色が薄く亜麻色になってくる。肉を食べる者は髪が赤くなるので、身分の違いが一目で分かるという寸法だ。

 

 私(蒲生弥生)が市場で確かめたところ、ゲルタ1包みは大体日本円で1000円程度だった。日当1000円では生活は苦しかろうと思うが、そうでもないらしい。家族6人が暮らすのに、月ゲルタ1イヌコマで足りると言う。泥を塗った普通の家がわずか10金60万円で建つのだから、そんなものかと納得した。

 

第九章 怪談ムポルノ原

 ベイスラ県南部、エイベント県境から10里ほどのムポルノ村に住む農民カモゾーは、その日妙なものを見た。

 子供たちが大きな男の後を楽しそうに付いて行くのだ。この辺りでは見たことも無いすっきりとした体格の良い男で、顔もまるでカタツムリ神官のように整っている。動きも派手でいながら舞い踊る所作が美しく、どこから見てもカタギではない。
 服装がこれまた珍妙だ。まず背中に幟旗を立てている。青晶蜥神殿の象徴である下向きで壁に貼り付いたトカゲの絵が描いている。とんがった頭巾を被り、大きく広がる袖を振る。上から下まで見事に真っ青だ。足は裸足だが、百姓のように汚れていない、普段は靴を履いているらしい整った指先をしている。

 これが金属の輪の付いた杖をしゃんしゃんと鳴らしながら練り歩くのだから、子供はたまらない。皆何が始まるかと目をきらきらさせて付いて行く。彼の真似をして踊る者さえある。
 子供だけではない、男のあまりの様子の良さに、通りの女がぼーっとのぼせて見つめている。声を掛けられ家の中から身を乗り出し、ふらふらと表に出て来る若い娘もある。

 よく見ると男の後から、これまたとびっきりの美人が木椀をぽこぽこ叩き拍子を取りながら従っている。男の金輪と女の木椀はしゃりしゃりぽこぽこと、聞き覚えのない拍子の曲を奏でている。ついでに女が真っ赤に紅を引いた唇から甲高い遠くまで通る声で歌い出した。


 かくも尊き御方があるやぁ、千歳に一度の賜り物よ。
 天河の星神数多ある、此度は巡りしチューラウの、
    選〜びし救いの御手になるは〜、驚き不思議の有り難き。
 あらん事にや、この現し世の、人にあらずば神なる身にや。
 遠ーき遥けーき星の国より、呼ばれて降り立つ媛なりし。     」

 いい女だなあ、と鼻の下を伸ばして見ていると、三つ畑が離れた所に住むブラカ婆さんがやってきた。孫が居るからババあだが、歳は45でそう老けてはいない。

「あらま、なんだろね、あの女。カモゾーさん、あんなのがいいのかい、だめだめ、ありゃニワカカエル巫女だよ。とんでもない、なんでこんな所うろついてるんだよ。」
「カエル巫女には見えないなあ。歌がものすごくうまいから、蝉蛾巫女じゃないかなあ。」
「だめだめ、そんな歳までお嫁さん貰わないから、あんなあばずれがよく見えるんだよ。まったく昼日中から子供たちの前に、・・・なんだいあの青い服の人。」
「アレの連れみたいだよ。」
「あれまあー、いいおとこだねえー。」

 なに言ってんだ、と目を男に移すと、子供が十分集まったと見定めて何やらごそごそと準備を始めた。小さな折り畳み机を組み立て、棒を何本も取り出して並べる。なんだなんだと大人たちも集まって来る中で、頃は良しと見世物を始めた。

 

 青服の男は、はしと机を40センチあまりの棒で叩くと、ぱらぱらぱらとそれを拡げてみせた。根元の部分を留め具で繋いだ細い薄い板に、山蛾の絹布を張ったそれは、人々の予想を越えて大きく丸く広がった。つまりは扇子であるが、十二神方台系の人はこんな不思議な道具を見た事が無い。男の腕に羽が生えたかと思ってしまう。

「さてお集まりの皆様、まことにおめでとうございます。今年は待ちに待ったる救い主、青晶蜥神の御使いガモウヤヨイチャン様の御降臨を賜り、方台全土が慶びに沸いておりまする。されど皆様、ガモウヤヨイチャン様が一体なにをなさる御方か、いかに方台で救世の聖業をなさっておいでか、御存知ではあるまい。」

 そうなのだ。トカゲ神救世主さまがお出でになった、という話は誰もが知っているが、なにをどのようにしたのか、今どこにいて誰と会っているのかを詳しく知る者は、一般庶民にはほとんど居ない。一応はネコが噂を持って来るし、蜘蛛神殿ではおみくじを売り報せてくれるが、順序立てて説明してくれる人は居ない。役所や黒甲枝にとっては新しく到来した救世主は商売敵でもあるわけで、積極的に民衆に伝えようとは思わないし、むやみと話をばら撒く者があれば取っ捕まえて牢に繋いでしまう。
 今、褐甲角王国全土は「大審判」と呼ばれる戦争でおおわらわだが、それだとて何故今、何故金雷蜒軍が押し寄せて来るか、を理解している人間はほとんど居なかった。地方の役所に勤める官吏が血相変えて走り回り、各地のクワアット兵邑兵がかき集められ忙しなく旅立つのを、おののいて見つめている。

 分かりやすく説明してもらいたい、という欲求は一般庶民、百姓農民から最下層の難民にまで幅広く沸き上がりその水位を深めていた。
 このトカゲ神殿の紋章を幟に描いて持ち歩く男は、ひょっとしたら、と皆が食い入るように見つめている。

「はい、これがガモウヤヨイチャン様〜。」

 扇を返して絵を見せると、そこにはまん丸の顔、ぱっちり開いた黄色の目、真っ青な半円状の髪に左右に突き出した先端の丸い角、人ではあるがなんだろう、という絵が飛び出した。子供はわははと笑う。

「おっと失礼、これはガモウヤヨイチャン様の紋章ピルマルレレコだ。この絵が描いている旗こそが、ガモウヤヨイチャン様の王旗。この紋章を持つ者こそが、救世主様の御使いだ。」

 もう一度扇を返すと、そこには髪が長くて黒い、可愛い女の子の絵が描いている。弥生ちゃん本人が監修したのだから、まちがいなしの生き写しだ。

「これこそがガモウヤヨイチャン様。見なされ、この額に輝く青いトカゲこそが、もったいなくも有り難いチューラウ神の現し世の御姿だ。」

 ぱんぱんと机を叩く拍子に合わせて小気味良く変わる絵に目を奪われ、これが尊い救世主、神様の御姿だと示されたものだから、村人は皆地面に跪いて伏し拝む。子供たちはなにがなんだか分からず左右を見回すが、大人や年長の子に頭を押さえられて礼拝した。

 ちゃかぽこ、と女が木椀を叩く音で顔を上げると、またしても絵が変わっている。青服の男は開いたり閉じたりする度に、巧みに扇子を入れ変えて手品のように次から次へと淀みなく絵を示していく。
 これこそが、弥生ちゃんとタコ巫女ティンブットが額を突き合わせて考えた、名付けて「ハリセン紙芝居」。紙こそ無いものの、布であれば版木が使えて絵を大量生産出来るので、青服の男達に多数を配る事が出来た。それを扇子に仕立てたのは、やはりハリセンこそが新しい世界を切り拓くものとティンブットが強硬に主張し、弥生ちゃんもなるほどと納得した為だ。ぱんぱんと開く度に絵が飛び出すのも楽しくてよいかなと思ったが、青服の男達は存分に用いて人を惹き付けている。

 金属の輪のしゃりしゃりなる音と、女の叩く木椀のちゃかぽことで拍子も軽く進んでいく紙芝居は、弥生ちゃんが方台に降り立ってタコリティに寄り、失われた古代のタコ女王テュラクラフを発掘し、東金雷蜒王国から神聖首都ギジジットへ旅して、山よりも大きなゲジゲジ神との対決へ、とお話を繰り広げた。
 そのあまりの不思議さに、見る人は口をぽかんと開けている。特に巨大ゲジゲジ神との戦闘シーンは、女も布で作ったゲジゲジ神を振り回して迫真の演技。子供のみならず大人達までが手に汗握り、口が乾くのも忘れるほどの熱中ぶりだ。

 男は紙芝居を一幕一通りやり終えて、扇子を畳むとぱんと机を叩く。

「さて皆様、ガモウヤヨイチャン様はなにも不思議な事ばかりをする為にお出でになったのではない。
 皆様の御為になる、新しい御薬をこしらえになった。これまでトカゲ神殿で売っていたのとは効き目が違う、段違いだ。切り傷咬み傷火傷の薬膿んだ傷まで癒してしまう、腹痛便秘に食当り、毒消し疣取り痛み止め、化粧の薬まで作られた。
 なにより素晴らしいのが”セッケンヌ”だ。これを使えば汚れた顔も鏡のようにつるつるに、生まれ変わった佳い男。しかも綺麗になるばかりでなく、毎日用いれば病を退ける降魔の霊薬ともなる。はたまた、水に溶かせばこのような、」

 いつのまにか男の後ろで水桶を用意していた女が、木の皮の細い輪を石鹸水に浸して上に持ち上げると、ふわあーと泡が大きくたなびいた。丸く七色に輝くシャボン玉が宙に幾つも舞う姿に、これは夢か幻かと村人達は我が目を疑い、天から降って来る球体がしゅっと跡形もなく消え去るのを追い回す。

 

「おまえたち、そこでなにをやっている!」

 ばたばたと土煙を上げて走ってくる邑兵に、誰もがやっと我を取り戻した。はっと気付いて前を見ると、男の姿も、木椀を叩いていた女も無い。水桶だけは残っていたが、どうやらそこらの民家で借りたもので、水はすっかり流れている。

「おい、ここでなにをしていた。誰が張本人だ、喋れ。」

と見物人を問い詰めるのは正規の邑兵でなく、村の若い衆がにわかに集められてそのままの即席兵だ。本物は邑兵隊長のマジツコ様と一緒に東の前線に出征した。今は農民会議の議長様が昔取った杵柄で率いているが、そうそう思う通りには動きはしない。ならず者よりいくらかマシという程度で、戦の熱に浮かされて熱心なのはいいが勢いが空回りして乱暴も働いている。
 彼らは役所から不審人物が居たらすぐに身元を確かめ、怪しければ引っ張って来いと命じられているが、ただの荷物運びや野菜売りまでも捕まえては無駄な手間を増やしている。もっとも今回はまさに彼らの出番であったろうが、手遅れだ。

 子供たちは、邑兵のちんちくりんな籐の鎧を面白がって囃し立て、大人たちは彼らの横柄な態度に呆れて、ばらばらに帰っていく。邑兵は道の左右を通る者を捕まえて二人の行方を捜すが、誰に聞いても見ていない。

 いいおんなだったなあ、とカモゾーは邑兵達の取り調べをぼけーっと見ていたが、今解放された薪売りを不思議に思った。老婆のようで汚いなりをしているが、足元が妙に白い。腰は曲がっているがひょっとしてそれほどの歳ではないのかも、とずーっと眺めていたら道を外れて森の中に入っていく。土地の者ならそっちに行っても何も無いと知っているから、小便でもしに入ったのかと首を戻して自分も帰ろうと立ち上がった所で、ふと気が付いた。

 このカモゾー様、自慢じゃないが女に振られる事数十回、いずれもおまえさまは目付きが厭らしいとの理由だが、誤解だと言い切れない節もある。やはり女は尻だ腰つきだ、子供を産んでもらうのだから検分するのは当たり前、と自分に言い聞かせながら遂には尻鑑定の達人と自負するまでに鍛え上げた。その目で見た先程の老婆は、なんて迂闊、あれは歳の頃なら24・5の脂の乗ったいい尻じゃないか。
 そんなバカな、と林の中に追って入る。あれが老婆で無いのなら若い女が化けている事になるが、そんな器用な真似が近隣の者に出来るはずが無い。ではなんだ?

「・・・いた・・・。」

 知らずに見れば確かに老婆だが、足元が悪い泥地を普通の地面のようにひょいひょいと歩き、明らかに並の者ではない。薪は担いでいるが見た目ほど重くは無さそうで、身体が傾いでもいない。
 カモゾーは女が行く方向を見定めて、道を変えた。泥地を女みたいにはとても歩けないから遅れてしまうし、まちがいなく見付かるだろう。足場の良い道を先回りすれば、女の正体が分かるかも知れない。

 果たして狙いは的中、泥地を抜けた林に囲まれた草原に女はやってきた。中央に一本だけ生えている大きな木の傍に着くと、女は曲がった腰を戻して伸びをした。

「やっぱり!」

 草の茂みから遠目で見ているカモゾーには気が付かない。ぼろを脱ぐと先ほどのあでやかな女の着物が現れた。顔と髪は老婆のままで服だけ若いというのは妙な姿だ。女は木の幹をぽこぽこと叩くと、両手を掛けて樹皮を大きく引っ剥がした。

「う、うわ。魔法なのか?」

 突然ぽっかりと木の幹に大きな洞が現れて、中に手をやって何やらを取り出した。女はどうやら顔を洗っている。たちまちに元の妖しい美しい姿へと戻った。ついでに新しい服にも着替えている。女の肌が遠目に白く、形の良い乳房がが垣間見えてカモゾー生つばをごくりと飲んだ。

「こりゃあー、杣女だ・・・。」

 杣女とは、山姥と仙女を足したような化け物で森の奥深くに住んでいると考えられている。ベイスラでは西の山地に居ると聞いては居たが、こんな原の方にも出るとは初めて知った。

 女は今度はカニ巫女の姿になって、また木の洞を覆って隠した。荷物は薪ではなく、行李となって肩に担いでいる。左右をくるくると確かめると、口に指を当ててひゅぅーひゅいると鳥の鳴き真似をする。林の中から遠く同じ鳥が鳴き、そちらの方に女は歩いて消えた。

「・・・おどろいた。あんな化け物がほんとに居るんだ。」

 しばらくして何の物音も無くなってから、カモゾーは茂みから出て草原の中央の木に寄った。どこから見ても異常は無く普通に立っている木で、洞があるとはとても思えない。幹に触ってもずっしりと重い。だが女がしたようにぽこぽこと叩くと、少し浮いているところがある。ここに手を掛けてぎゅっと引っ張ると、木の皮というよりも板がかぱっと外れて大きな洞となる。

「こりゃあ、こりゃあどうだ。外から見て分からないように作ってあるんだな。こんな所にこんなものがあるなんて。」

 中を覗くと先程の薪が置いている。確かめてみると布の周りに細い木を貼りつけてあり、巻くと薪に見えるのだ。中から一本の瓶が出て来た。振るとちゃぱちゃぱ音がする。匂いを嗅ぐと、

「酒、だ。こりゃ凄い、上等の酒の匂いがする。」

 一般の農村では、酒は祭の時くらいにしかお目に掛かれない。それも白く濁ったどぶろくで、このようなすっきりとした良い香りではない。瓶の口の縄をぐるぐると解いて、木の栓をこじ開けて、左の掌にこぼして見る。

「こりゃ、おお酒の香が立ち上るよ。」

 手の中の酒をおそるおそる舐めると、舌がぴりりと引き攣った。聞いた事も無い強い酒で匂いだけで酔ってしまう。カモゾーは知らないが、この酒は「火精」と呼ばれる蒸留酒でギィール神族だけが用いている。そもそもが蒸溜という工程が秘伝であり、また飲むというよりも工業の材料や油を溶いて燃料とする為のもので、火焔瓶の中身ともなっている。弥生ちゃんもこれを分捕って傷口の消毒に用いているが、消毒の意味を誰も理解しないので貴重な秘薬を無駄づかいする、という目で見られてしまう。

 そんなものとは露知らず、意地汚くもカモゾーは瓶に口を当て、ぺろぺろと舐めてしまう。さっきの女が覗いていないかおっかなびっくりで背後を気にしながらも、酒の誘惑には逆らえない。が、これほど強いアルコールを生で飲んでしまえばたちまち酔っぱらうのが道理だ。酔ってしまうと大胆になる。ぐびぐびと喉を鳴らす内に、「女に見付からない名案」を思いついた。

 この木の皮を元に戻して、洞の中で飲めばいいんだ。

 改めて見直すと、木の皮を貼りつけている板の内側にそれ用の紐が付いている。これを洞の中から引っ張れば、内から閉じる事が出来るのだ。
 さっそく洞に足を掛け、ふらつきながらも身体を押し込めると、右手を伸ばして木の皮を引っ張った。が、閉め方がどうにもうまくいかない。木の皮が被さっているだけとなったが面倒くさくなって、これでも見付からないだろうとまたぐびぐびと飲み出した。

 

 飲めば寝る。目を覚ますと暗闇の中だった。すっかり陽が落ちてしまい、これでは家に帰れない。困ったな、と木の洞から首を出して覗いていると、なにやら松明の灯がこちらに近付いて来る。
 さっきの女かとびっくりして、急いで木の皮を引っ張り直し、どうにかうまく貼りつけた。うまい具合に覗き穴もある。ここに左の目を当てて、外の様子を覗いて居た。

 松明の灯がぐるぐると輪を描いて、人が一人やって来た。が、これも只の人ではない。蓑を頭から被って背を屈めている。腰から棍棒やら短弓やらをぶら下げて、狩人のようにも見えるがちょっと違う。

「!」

 仮面を被っているのだが、カモゾーにはそれが鬼の顔に見えた。というよりも、鬼に見える仮面を被っている。左右の顔が歪んだ恐怖に引き攣る死鬼の顔で、葬式の儀礼に使われるものだ。はたしてカモゾーこれが本物の鬼だと思い全身ガクガクと震わせる。昼間の女はやっぱり杣女だったのだ。杣女は鬼を率いて一晩で山を移すとか言う。その鬼達の集会所に自分は踏み込んでしまったのだ。

 松明の灯に誘われて、鬼が次から次にやってくる。最初の鬼は草原に危険が無いか確かめていたのだ。20数名も集まって、木の近くに火を起こす。考えてみれば、そこはたしかに灰の跡があった。鬼が焚き火をする場所だ。迂闊だったと悔やむが、後の祭。カモゾーは見付からないようにひたすらコウモリ神に祈った。化け物幽鬼と言えばコウモリ神にすがるものと決まっている。

 声は潜めているものの、鬼達はがやがやと互いに喋っている。聞こうとしたが、カモゾーには半分も理解出来ない。近隣の地名や人の名は分かるのだが、後はちんぷんかんぷんだ。東金雷蜒王国の方言がベイスラの人間に分からないのも無理はない。
 しかし、聞いている内になんとなく大意がつかめて来た。鬼達は、闇に紛れていろいろと各地で悪さをしているのだ。そういえば最近はこの当りも物騒になって、穀倉がこじ開けられたりイヌコマが盗まれたりしているが、それはこいつらの仕業だったのだ。役人は、金雷蜒王国からの難民が逃げ出して盗賊になったと言っていたが、そんな生易しいものじゃない。鬼ではないか。

 焚き火の上に肉が掛かり、良い匂いがしてくる。が、その肉はおそらくは盗まれたイヌコマだ。可哀想に、鬼達に殺されてばらばらに解体されたのだろう。そりゃあ祭の日にはイヌコマとか大山羊を潰して皆で食べるが、何の吉日でもないこんな日に食べられるとはついてない奴だ。そう言えば腹が減ったなあ。

 腹がぐうとなるの音に自分でも驚いて必死で死んだふりをしていると、鬼の一匹が木の近くに寄って来て、言った。

「おい、なにかこの木、酒の匂いがする。」

 うわ、さっき零した酒の匂いが残っていたんだ。カモゾーはガクガク震える。杣女の魔法の木の洞が見付かるとは思わないが、鬼だからダメかも知れない。二三匹の鬼が寄って来て、木の幹をぽこぽこと叩いている。闇の中で焚き火の灯だけが頼りだから、うまく手を掛ける場所が見付からないが、何人もが力ずくで引っ張れば壊れてしまうかもしれない。これはまずい!

 何か無いかなにかないかと必死になって考えるが、鬼を払う魔法などカモゾーが知る道理が無いし、神官でもなければ使えるはずが無い。が、やっと思いついた。昼間の杣女は去り際に鳥の鳴き真似をしていたから、あれは鬼にも利くのではないか。たしか、ドゥメ雉の声だ。

 ひゅぅーひゅいる。

 子供の時に鳥や獣の鳴き真似をする遊びをしていて助かった。鬼達は鳥の声を聞いたと思うや、ばっと一斉に立ち上がり、焚き火に水を掛けてざざざざと逃げ散ってしまう。後には風に草木がそよぐ音が残る。

「たすかった・・・。」

 カモゾーはこれ以上ここに居たら今度こそ喰われてしまう、と木の皮を足で蹴飛ばして、外に出た。方向が分からなくともここでなければどこでもいい。が、

 林に目を凝らすと、丸い金色の光が二つ、頭の上くらいの高さに浮いている。前にあるのだけではなく、向うの方にもまた二つ。ゆらゆらと左右に振れて、こちらに近付いて来る気がする。鬼の次は大梟か、とカモゾー腰を抜かしてしまう。大梟は背の高さが2杖四半(2メートルくらい)もあるフクロウで、鳥のくせに地面を歩く。夜の森をふらふらとさ迷って、人間を見付けると頭からばりばりと齧る化け物だ。婆が悪ガキを脅かすおとぎ話かと思っていたが、こんな事なら背中蹴飛ばしたりせずちゃんと聞いていれば良かった。墓の下のばあちゃん、済まんかった。

 仕方なしにまた木の洞に戻るが、さっき蹴飛ばしたせいか、木の皮がちゃんと元通りに戻らない。コウモリ神さま、いやガモウヤヨイチャン様どうかお助け下さいとブルブル震えながら頭を抱えていると、遠くの方から重いものを引きずる音がする。乾いた木の棒を叩き合わせるのにも似た、幾重もの音が響いている。かちゃかちゃと金属の触れ合う音もある。
 今度はなんだー、と外を見るのも止めて小さくなるが、ひたひたと木の周りを歩く音がして首を上げた。二人か三人、不思議と良い香りがする。木の皮の隙間から、月明かりにキラと煌めく鋼の色がある。

 ぬっと山狗の顔が洞を覗き込んだ。鉄の輪を嵌めた右手を突き入れてカモゾーの背中をがしと掴み、洞の外に引っ張り出す。ひいと転げ出たカモゾーは、三人の山狗の顔をした鬼に組み伏せられた。

 がりんごりんと石をぶつけあう音がして、夜目にも白い柱の列が歩いて来る。周囲にはまた鬼が、鋼の鎧を身に纏い長槍や刀を提げた戦支度の、・・・これは兵だ。

 ばっと上を見上げると、柱の列の正体が無学のカモゾーにもはっきりと判る。家ほどもあるこの巨大な蟲の名は、ゲイル。であれば、その背に乗るのはギィール神族、東金雷蜒王国の寇掠軍がこんな国境から遠い所まで、王国の護りを破って攻め入って来たのだ。こんなのに出くわすくらいなら、さっきの鬼に喰われた方がずっとマシだった。ゲイルは人を生きたまま喰うと聞く。口の中には百列の歯が生えていて、人間の肉を小削ぎとり、血を絞って飲むのだと。生き餌が口の中で悶え苦しむのを楽しむと、議長様がおっしゃっていた。

 山狗の顔をした鬼が、それは狗番だが、カモゾーを引っ立ててゲイルの傍に連れていった。カモゾーたまらず失神するも、頬を張られて目を覚ます。これは夢だ、杣女の怪しい酒を飲んだから夢を見ているんだ、それにしても妙に現実味のある夢だなあ。

 頭の上、ゲイルの背で声がする。先程の鬼の言葉も分からなかったが、更にまったく理解出来ない不思議な韻の美しい音の連なりだ。何が始まると見上げていると、夜空を背景に金色に輝く人の姿が見えた。白いゲイルの肢の上で月の光を全身に浴び、ふわりと地上に舞い降りる。神だ。

 カモゾーは頭を地面にめり込むまでに擦りつけた。ゲイルの背に乗る事が出来るのはギィール神族の他には無い。額にゲジゲジの聖蟲を戴き、目が赤くらんらんと輝いて手も振れずに人を殺すと聞く。地上におけるゲジゲジ神の化身にして人の姿をした天河の星。ありとあらゆる世の理を知り、不可能と呼べるものが無く、人の心までも読むと言う。
 こんなものに逆らえるのは、おなじく額に聖蟲を持つ黒甲枝の神兵くらいだ、どうしようもない。出くわした我が身の不運を呪うしか、と言うよりもどうせ死ぬのなら神様に殺してもらうのがいっそ幸運というものか。ああバカだった杣女の尻を追っかけるなんて恥知らずな真似をしたから罰が当たったんだ。

 天上の星の流れの妙なる響き、訳のわからぬ言葉で山狗達に話し掛ける神族に、ああ自分の事だなと既に死人と決まったカモゾーは目を必死で瞑り、次から次へと恐ろしい考えが沸いて出るのに必死で堪える。ひょっとしたらゲイルではなく、山狗達の餌かもしれない。東金雷蜒王国の兵は人も食らうと聞いたような無いような、どっちにしろ自分は食べてもさほど美味しくはないだろうから、試し切りに刀のサビにされるだけかもしれない。天河の冥秤庭の裁きでは、カニ神の鋏でちょん切られた生首が永遠に生きて長机に晒し者にされると言うが、鬼しか来ないこの原の一本立つ木の洞に生きた髑髏として放置されるのだろうか。

 ぐいと後ろ髪を引っ張られ、カモゾーは上に起こされた。狗番が主人にカモゾーの面を検分させているのだ。鼻をぐいと掴み頬を張って目を開けさせようとするが、カモゾーは必死で瞑り続ける。開けたが最後、聖蟲の魔力に魂までもが喰い尽くされて、ふらふらとさまよい歩く鬼の一匹になるのかもしれない。

 耳元で狗番が命じる。非常に綺麗な、まるでお殿様が使う古式めいた言葉だった。

「眼を開き、我が主人の問いに答えるのだ。ベイスラはムポルノ村が百姓カモゾーよ。」

 ああ、やっぱり神様は自分が何者かもすっかり御見通しだった、と観念する。実は最近泥棒が多いからと、服の後ろに名前を縫ったのを忘れている。追いはぎに襲われて身ぐるみ剥がれても後で取り返せるように、字が書ける人に頼んだのだ。狗番がそれを読んで主人に伝えたのを、カモゾーは神通力だと誤解する。眩いがんどうの灯で照らされるがまた恐ろしくて目を開けられない。

「おまえは青い服を着た男に会ったか?」
「ひぃい。」
「答えよ。舌を引き抜くぞ。」
「ひぃいいいいい、会いました。女にも会いました!」
「男はここで何をした。」
「ここではありません、ここは女が裸になって着替えました!」
「村で男は何をした、と聞いているのだ。」
「て、手品を。ひらひらと羽がひらひらと、絵が、沢山の絵がたくさんの、ガモウヤヨイチャン様のお話を、」

「男は、ここの民に、逃げよと言ったか?」
「え、逃げよと? いえ、いええ、薬の話を。ガモウヤヨイチャン様の御薬を、」

「ではここではない。」

 狗番は再びカモゾーを地面に叩きつけた。ゲイルの肢ががらんがらんと鳴る音がして、行列は再び進み始める。周囲をすり抜けていく幾重もの音に、カモゾーは頭を抱えて小さくうずくまった。ゲイルが自分を押し潰すのは今かいまかと待ち受ける。

 

 だが音が徐々に小さくなり、やがて無くなったと思って目を開け頭を上げると、そこにはまだ山狗が一人残って居た。カモゾーの胸ぐらを掴み凄い力で引き上げる。山狗の仮面の下に、人間の口があるのが見えた。

「我が主人は、おまえが素直に質問に答えたのを称賛なさった。勇気が有る奴だと。」
「ひい。」
「そこで褒美を授ける。これを持って、この木の洞に朝まで篭っているが良い。」
「ひい、ひい。」
「朝までここを動くでないぞ。また今宵起きた事を誰にも言ってはならぬ。言えばどこに居ようとも、禍がおまえの身を引き裂くだろう。」
「ひいいいいい。」

 狗番はカモゾーの手に小さななにかを握らせると、そのまま襟首を掴んで木の洞に放り込んだ。カモゾーが振り返ると、蛤様の鋼の鎧を青い月の光に煌めかせ、行列が去った方向に走っていく。背に長い刀を負っているのに改めて恐怖が沸いて来る。まかり間違えばあの刀で真っ二つにされていたのだろう。

 右掌の中に残る、狗番が押し付けたものを見た。指で輪を作った径の丸い金属の板だった。黄金に輝き人の顔が彫っている。これは何の呪いの具か、これがある限り自分はあの山狗に見張られ続けるのだろうか、と手から放そうとするが、指がこわばって動かない。必死で握り続けていた拳が開く事を忘れたのだ。

 

 金色の円盤を見つめながら、カモゾーは朝まで一睡もせずに震え続けていた。夢かな、やっぱりこれは夢だ、と思ってみるが手の中の光が朝霧に溶けていく事は無い。

 

【剣の処女】

 青晶蜥神救世主蒲生弥生は、神剣を用いて人を癒すプレビュー版ガモウヤヨイチャンに新たに二人のトカゲ巫女を採用した。一人はデュータム点に留まり故ッイルベスの剣を用い、もう一人は激戦の続くヌケミンドルへと旅立った。
 その後ウラタンギジトに向かった弥生ちゃんは、神殿都市を統べる金雷蜒神祭王の許しを得て更に3人の処女を選んだ。いずれもゲジゲジ巫女で、神聖首都ギジジットに赴き、そこに残して来た神剣を用いて大審判戦争で傷ついた東金雷蜒軍の兵を癒すのだ。
 しかし、

「最初に一人が行き、10日後二人が行きます。最初に赴く者はたぶん、後の二人を見る事は無いでしょう。」
「死ぬ、と言うのだな、最初に行く巫女は。」

 王宮の広間を借りて、エコノミー版ガモウヤヨイチャンの認定式を行う弥生ちゃんの言葉に、神祭王は眉一つ動かさずに答えた。3人の巫女は頭を垂れたまま石の床に控えている。
 弥生ちゃんは傍らの褐甲角王女メグリアル劫アランサを見た。彼女は今から述べる言葉を既に聞かされている。3人の巫女の運命がいかに過酷かを知り、弥生ちゃんを止めもした。

「最初に着いた巫女は、神族かその狗番に殺されるでしょう。神剣による治癒を、神族には授けないからです。」
「まちがいなく死ぬであろう。ギィール神族は誇り高き者、平素の病ならいざ知らず、敵と戦い受けた傷は天意の表れと心得ている。まして此度の戦は「大審判」と呼ばれる、褐甲角神との神競べだ。二神のいずれが地上において正しい道を歩んで来たか、剣にて証す神聖なもの。」

「はい。その決着をトカゲ神の力で締めくくろうとは考えないでしょう。識見に富み恥を知る神族ならば決して神剣による治癒は受けません、また、私もさせません。」
「青晶蜥神救世主殿は、神族の心を良く弁えておられる。」

「されど狗番は違います。仕える神族の為ならばいかなる手段をも厭いません。もしも神族が重傷を負い意識が無ければ、巫女を脅してでも治癒を強制します。」
「だがそんな真似をすれば、目を覚ました神族に治癒を施した巫女は斬られる。あるいはそうさせない為に、まだ意識の有る内に巫女を殺すやも知れぬ。」
「ですが、頑に拒めば主を失った狗番はやはり巫女を殺すでしょう。最初に赴く者に生はありえません。」

 神祭王は満足げに顎髭を左手で撫でた。十二神を巡る方台の倫理は厳しく、王を以ってその護持に当たらせるほどだ。弥生ちゃんが星の世界のルールをそのまま持ちこむならば一戦してでも止めねばならぬと覚悟していたが、幸いにも地上の規に従うという。

 だが、死ぬと分かり切っている任務に就く巫女はどうだろう。あえて、神祭王は3人の筆頭となるゲジゲジ巫女に尋ねる。命が惜しければこの役目下りても良いと。無論神族、王族の命が下れば誰だとて我が身を投げ出すに決まっている。この問いは弥生ちゃんを納得させる為のものだ。

 巫女はやはり喜んで死地に向かうと答える。うなづいて、弥生ちゃんは話を続けた。

「最初に赴く巫女は10日の内には運命を迎えるでしょう。だが、ただ死んでもらっては困る。後の二人を生かさねば、戦に傷ついた兵を癒す務めが果たせない。昼日中、神族達の見守る前で死んでください。良識のある神族は、以後神剣を用いる巫女を庇護するでしょう。」
「はい、ありがとうございます。ガモウヤヨイチャン様。仰せのままに、我が命果てる姿を人の目にさらします。」

「10日後に旅立つ二人の巫女は、後を継いで癒しを続けなさい。ですが、ここでもまた同じ運命に遭うでしょう。人は、一度の悲劇では納得しないものです。」

 神祭王も首肯する。戦が長引けば重傷者もそれだけ増える。瀕死の神族を抱えて一縷の望みを託す狗番に、説得が通じる道理も無い。
 弥生ちゃんはなおも続ける。

「二人の内どちらかは、やはり命を落とすと思われます。だが一人でなければならない。二人が共に斬り殺されて治癒を怠る事となれば、怨嗟の念はむしろ神族に向かいます。二人は交替して一本の神剣を用い、別々の場所で別々の患者に治癒を行い、必ず他方を生かすように。」
「心得ました。」
「心得ました。」

 最初に答えた巫女の後ろに控える二人は、同時に頭を下げて弥生ちゃんの命に服すると誓う。
 弥生ちゃんは更に言葉を繋いだ。手の届かない遠隔の地で、言葉のみの力で彼女達の命を守らねばならないのだ。

「四人目の巫女はありません。狗番や兵を生かしたいと思うならば三人目を大切にしなさい、と当地を守る神族に伝えるのです。それでもなお治癒を望む神族があれば、私の下に来るように。私であれば神族も癒しましょう。ただし臣従を誓うのと同義だとも教えなさい。」
「はい。」

 深々と頭を下げる3人の巫女に、弥生ちゃんは手ずからピルマルレレコ紋の入った印章を渡した。ギジジットに既に有る神剣にこれをかざせば起動するように魔法の封印を仕掛けてある。
 彼女達の献身の姿に深く感ずる弥生ちゃんだが、表情は固いまま変えない。人を救う為に自らの命を無駄に捨てる、矛盾しているが現実はこんな話でいっぱいだ。言わずもがなを敢えて付け加える。

「今言ったのは私の予測であり予言ではありません。幸いにして逃れる事があるかもしれない。常に賢明であり、命を惜しみなさい。」
「我ら、金雷蜒神の大御心にただ従う者にして、この命いつ何時なりと奉げましょう。されど、時が来るまでは地上に在りて己が務めを果たします。」
「うん。」

 広間から去る巫女達を見送って、神祭王が弥生ちゃんに尋ねた。

「やはり、奴隷を殺すのはお気に召さないか。」
「・・・なるほど、星の世界に居た頃なら決してこんな真似は出来ません。ですが十二神方台系に来てからは、いかに人を効率的に殺すかを日夜考えているのです。」

 ぎょっとして劫アランサは弥生ちゃんの顔を見た。自分が発した言葉の意味を知らないかのように、その表情に変わりが無い。
 神祭王は弥生ちゃんの言葉をむしろ称賛した。百万の大民の上に立つ者は眠っている時でさえその自覚が必要だと、為政者としての資質を認めた。

 弥生ちゃんは、だが首を傾げて二人に答える。

「ひょっとしたら、私は、十分な数の人間を殺せないかも知れない。歴史が変わる節目の激動を短期間に収めるのに必要な数が、稼げないかも。」
「ああ、青晶蜥神救世主であれば、その可能性は高いな。だが自分でする必要は無い。よければ余が幾人か推薦しよう。」

「私が殺せなければ、私の後を継ぐ者がその役を果たさねばなりませんから。」

 さらりと、ほんとうに微かに、自分がそう長くは方台に留まらないと宣言した事に、劫アランサも神祭王も気が付いた。ガモウヤヨイチャンは所詮かりそめの客、と自らを理解していると知った。この少女には時間はそれほど潤沢に無いのだ。

「急がねばならぬな。」
「ええ、急ぎます。」

「・・・。」

 なにか言おうとした。劫アランサは、だが心が千々に乱れて声にならない。自分の未熟さにまたしても打ちのめされるだけだった。

 

第十章 傍若無人の王女にも、ひとのこころはある

「頃や良し。」

 と、赤甲梢総裁代理 キスァブル・メグリアル焔アウンサは言った。
 毒地中に潜入し諜報戦を行って来たスーベラアハン基エトスを、自分の天幕に招き入れてねぎらっていた彼女は、電撃戦の開始時期を聞かれてそう答えた。

 装甲神兵隊紫幟団団長 基エトスは歳の割りには白みがかった髪を長く伸ばし、軍隊には場違いな半分世捨て人の風情を醸し出している。元老員金翅幹家の出身というのがまず叩き上げの赤甲梢と正反対。忠誠にも武勇にも大して重きをおかず、武勲も名誉も気にしない欲の無い性格だ。
 にも関らず、能力においては知勇どちらにもずば抜けて優れており、今回敵地に潜入しての諜報戦という困難極まる任務も完璧に近い成功を収めて帰還した。

 本人としては、元老院という謀略の渦の中で育ったからには、再び泥に塗れる任務はなるべく避けたかった。が、さすがにアウンサは王族として元老院の実態も熟知しており、他に人無しと当然に彼を用いる。

 基エトスは改めて尋ねる。

「では、大戦の状況が進展し、どちらも抜き差しならない状況に陥ったと判断するわけですか。」
「カプタニアから来た戦況の報告だ。正面軍指令クルワンパル明キトキス主席大監は防備を一段緩めて、敵軍と肉薄する正面決戦に臨んでいる。ベイスラ、エイベントにも寇掠軍が浸透し始めたというからには、ここ10日ほどで戦況ががらりと変わると見た。」

 深紅の髪を黄金の飾りの付いた椅子になびかせて、アウンサは正面に立つ彼を眺める。その表情にはいつもの得意の笑みではなく、抑えきれない歓喜を包み隠す硬い大理石の微笑みがある。言葉にも、跳ねる小鳥の勢いがあった。

 カプタニア中央政界の人士を多数知る基エトスは、これまでも敵味方を俯瞰して語る者に何人も会った。しかし、味方が窮地に陥るのをこれほど嬉しそうに話する人は初めて見る。呆れて言う。

「電撃戦が失敗すると、東金雷蜒軍の一層の大攻勢がありますよ。」
「うーんそれも悪くないが、どっちみち私達は死んでるから心配の必要はない。」
「我らがやり過ぎた、という事はありませんか。」

 基エトスは500名のクワアット兵を用い、毒地中に潜入し敵兵に化けて、東金雷蜒軍を西のヌケミンドルに誘導する偽情報を流して来た。ボウダン街道に敵が残留しては赤甲梢を敵領内に突入させる事が出来ないので、ヌケミンドルにすべて肩代わりしてもらったのだ。流された偽情報とは、

『武徳王と青晶蜥神救世主ガモウヤヨイチャンとが会談し、互いに協力し合って方台の民を導いていく。
 金雷蜒王国とも和解し、ガモウヤヨイチャンに従う者であればギィール神族をも加えて三王国が合同した平和な世界を作り上げる。
 黒甲枝は軍事を、ギィール神族は科学技術とを司り社会的役割を分かち合う。
 聖蟲を与える権限はガモウヤヨイチャンの承認の下、それぞれの王に許される。』

「焔アウンサ様、これはすこし過激過ぎましたか。」
「敵陣に潜り込んだのはそなただ。向うの反応はどうだ。」
「どうだもなにも、神族はこんなバカな話は信じませんが、兵どもの頭に血が上りますよ。神族を他に類の無い至高の存在と心得ていますから、その尊厳を冒す者を許しておけないと。」

「それだけか? 反応は他になかったのか。」
「実は東金雷蜒王国ではプレビュー版ガモウヤヨイチャンというのが巡っておりまして、救世主を慕う者が結構居るのです。彼らは褐甲角王国とトカゲ神救世主が結ぶのを止めさせて、金雷蜒王国側で独占しようと話をしております。」
「ほう、それは初耳だ。」
「神聖首都ギジジットにてガモウヤヨイチャンが行った神事を、総裁は詳しく御存知ですか。」
「聞いたが、にわかには信じられぬ話ばかりだな。巨大なゲジゲジ神を滅ぼして、毒地全体を巡る青い光の帯を走らせ浄化した。我らは自分で経験したからこそまだ理解出来るが、どうもな。」

「結果は大層な変化となって表れております。長らくギィール神族と対立してきたギジジットの王姉妹が態度を軟化させて、神聖首都を攻撃軍の支援に開放しています。これも聖業の証として兵達の信仰を高め、ガモウヤヨイチャンが彼らの側にあると疑わないのです。」

「ふむ。それでは褐甲角王国がガモウヤヨイチャンを虜にしている、とでも思ったか。」
「神族の意を受けて兵を鼓舞する者の中には、そういう演説をする輩も居ました。救世主を解放すると高らかに謳い上げると、奴隷兵どもの戦意が向上します。」

「さて、困ったな。」

 口では当惑を嘆きながらも、アウンサは楽しそうだ。事態が複雑化すればするほど、絡まった糸に巻かれて喜ぶ種類の人間が居る。彼女はこの噂を電撃戦にて、あるいはその後でもどうやって利用しようかと宙を眺めて練っている。

「その他には。」
「毒地に潜入したので分かりましたが、我が軍にも敵の間諜密偵が多数紛れ込んで居ます。」
「うん、その報告は受けた。半ばは隠密裏に処理したが、まだ多数残している。こちらの動きを密かに伝えねばならぬからな。」

「密偵はアゴーォ・ファンネムを拠点とし大剣令メリシオムに率いられておりましたが、首尾よくこれを討ち果たしました。」
「でかした! その者は生きて戻ったか?」
「多数の犠牲は出ましたが、実行者本人は回収に成功しました。」
「うん。褒美を与えよう。望むなら聖戴の推薦をカプタニアに送っても良い。」

「ありがとうございます。その者だけではありません、多くの者が我が身を捨てて王国の為に尽しました。自らの身体に刺青を彫って敵兵に化けもしております。彼らは今後この刺青がクワアット兵として働くのに障りとなりますので、額にしかるべき権威有る家の紋章を入れさせていただきたいと願います。」

 金雷蜒王国の奴隷は所有される神族の家の紋を彫っている事が多い。幾つもの家を渡り歩き、複数の刺青を誇る者さえある。これは身分証の役割も果たすので、毒地に潜入したクワアット兵はやむをえず互いの身体に適当な紋章を入れた。褐甲角王国ではこの風習は廃されており、刺青があるのは難民と相場が決まっている。

「わかった。ならばメグリアル王家の紋章を与えよう。彼らには何人たりとも後ろ指を差させない。」
「ありがとうございます。」

 アウンサは、机の上にある名簿を手に取って目を瞑った。ここには毒地に侵入して働いた500名が記されている。内100名が帰らぬ者となった。赤甲梢が独断で電撃戦を行い罪に問われる事となっても、彼らの功績までは無にしないと固く誓う。

 改めて、基エトスの顔を見上げる。表情が一変し真剣に、殺気さえもがほとばしる熱い視線だ。

「さて、ここからが我らの戦だ。基エトス、そなたに紫幟隊に戻ってもらいたい所だが、装甲神兵団は25名ずつの4隊に分けた。その内1隊はスプリタ街道穿攻隊に回して、残りは3隊。それぞれに良くやってくれて今から指揮官を変えるのもなんだ。」
「そういう話ではないか、と思っていました。」
「済まんな。代りと言ってはなんだが、そなたには紋章旗団の団長をやってもらいたい。」

「? 紋章旗団の団長はィエラースム槙キドマタですが、彼はいかがします。」
「頭が変わったんだよ。カプタニアから派遣された兵師監が指揮を執っている。無論、電撃戦についてはまるで知らない。こいつをうまいこと罷免させてだね。」
「そういう話だと思っていました。」

 日輪の背景にカブトムシを配した旗を掲げる紋章旗団は、赤甲梢と同じ赤いカブトムシの聖蟲を戴く神兵だが、出自が違う。彼らは正統な聖戴拝領資格者で黒甲枝の家の当主だが、不幸にして幼い時分に父を亡くし年齢的な問題で聖戴に至らなかった者達だ。代役を伯父等が務めたが、一度聖蟲を授かれば最低でも15年は軍務を義務づけられるから、その間彼らは聖蟲無しで過ごさねばならない。救済措置として仮の赤い聖蟲が与えられている。

 元は近衛兵団に属していた由緒正しい部隊であるから、今次の大戦においても格式を重んじた目立つ場所に配置されている。ガンガランガとボウダンの狭間、ガモウヤヨイチャンの目が届く要地だ。しかしながら兎竜部隊の大活躍の煽りを喰って、ここには一向に寇掠軍がやってこない。文字どおりの遊兵となり無聊をかこっている。

「神兵50名、そなたに預ける。金翅幹家出身のそなたなら、紋章旗団を率いても不足を言い立てる者もあるまい。後詰めとして本隊の1日後に続いてくれ。敵が背後を追うのを断念させ本隊の安全を確保するのだ。」
「かしこまりました。ですが紋章旗団はボウダンにあり、かなり遠くになりますがいかがします。10日の道を強行軍で1昼夜で走らせますか。」

「決行は3日後。それまでは彼らも動かすわけにはいかない。・・・走らせる。」

 神兵は聖蟲の力で無敵の肉体を授かっている。命じられれば重い甲冑を装着したままでも時速10数キロで一日中走る。200キロを踏破してしまうが、次の日も走るとなれば、これは前代未聞の大移動だ。

「紋章旗団の連中は東金雷蜒王国内の地理が分からないからな。どうしても知っている者が必要なのだよ。それが出来るのはそなたくらいなものだ。頼む。」
「道案内はよろしいのですが、彼らも誇り有る者ですから餌が無いと走りませんよ。ただの後詰めでは説得力を欠きます。」

「うん。ならばこうしよう。本隊先発隊はギジシップ島へ渡るシンデロゲン港までの道を決死で拓く。紋章旗団にはギジシップ島攻略の先陣を切って乗り込む役を任せよう。」
「私にもその役目をお与え下さい。港に残して退路を確保させる、なんてのは無しにお願いします。」
「あー、ちっ。
 ともかく、本隊イヌコマ補給隊に私は居る。正面きって暴れられないのは私も同じだ、そこのところをちゃんと言い聞かせるように。」

 

 

 総裁代理の天幕を出ると草原はもうとっぷりと日が暮れて、篝火の灯が幻想的に揺らめいている。

 隊長達の詰め所に戻ろうとした基エトスは、輔衛視チュダルム彩ルダムに呼び止められた。

 女性ながら聖蟲を戴くこの人は、黒甲枝の名門チュダルム家の一人娘だ。チュダルム家は実績から言えばとっくの昔に金翅幹家になっているべきだが、頑に軍務に就く事を望み、一段低い身分のままで留まっている。並の金翅幹家よりも格が上で、聖蟲を三匹授かる特権も持っている。
 彼女も女性ながら聖蟲を戴く栄誉を授かっているが、それが故に今回、焔アウンサに従って共に東金雷蜒王国に突入する羽目になってしまった。

 彼は彼女とほとんど面識が無い。用も機会も無かったから口を聞いた事が無く、毒地に潜入していた間は顔も見ていないだけに、少し驚く。人目をはばかるように左右を見回すと、声を潜めて彼女は囁いた。

「毒地よりの無事の御帰還おめでとうございます。貴方は金翅幹家の出ですよね、スーベラアハン家の。」
「そういう事になりますが、なにか。」

 手を基エトスの耳に当て、彩ルダムはこっそりと話す。

「ハジパイ王の御使いとなる”白寧根”という組織を御存知ですか? 若い元老員が王の密命を受けて謀略を行っていると聞きました。」
「・・・残念ながら私はもう何年もカプタニアには帰っていませんので、最近の事は分かりかねます。ですが毒地で情報収集をしていた際には、カプタニアの筋から、というものが多少ありましたね。」
「やはり! 王国の正式な方針と異なる外交交渉を行っていると、こちらでも幾分かの情報をつかんでいます。」

 基エトスは彩ルダムの顔を改めて正面から見る。この人は、たしか自分とほぼ同じ歳、焔アウンサの8つ下の28歳だったはずだ。奔放な王女の巻き添えを喰って婚期を逃したというが、その間遊んでいた訳では無いようだ。

「カプタニアの筋、というのは確かに非合法や常軌を逸した行動に走っているとも聞きます。動きに整合性が無く、複数の組が別々に動いているのではないかとの観測ですが、しかし間も無く発動の電撃戦には支障は無いと存じます。」
「問題は帰って来た後です。彼らがハジパイ王の命を受けているのなら、その企てを完膚なきまでに叩き壊す電撃戦を快く思わないでしょう。功のみを我が手に取り上げて、赤甲梢と焔アウンサ様のお立場を悪くするように取計らい、我らの帰る家が無くなっているかもしれません。」

「そういうお話ですか。なるほど、それは対応せねばなりません。毒地から帰って来た工作隊をカプタニアへの対応に当てましょう。」
「責任者を私の元に回して下さい。引き継ぎと、懸念される筋書きを幾つか思案してみました。」

 基エトスは思う。この人はなんだかんだ言っても、焔アウンサ様の身を大切に考えている。彼女が居なければ、電撃戦の渦中において敬愛すべき総裁代理はただ一人の女人として随分と苦労しただろう。有り難い時に来てくれたものだ。
 だが勿論、彼女の職責上このような独断専行は許しがたいものがあるだろう。そこをどう考えているか、尋ねてみる。

「輔衛視という立場にあれば、このような作戦を許容するわけにはいかないでしょうね。」
「あー、それは言わないで。もう目をつぶりました。こうなる事は幼い時分、あの方に最初に会った時にすでに定まって居たのです。絶対なにか王国がひっくり返るほどの大事をしでかすと思っていましたが、大当たりです。」

 耳を塞ぐように両手を立て髪を押さえて、彩ルダムは天幕の中に駆け込んで行った。どうやら、赤甲梢としても信頼に足る人物らしい。

「共犯者、というわけだ。アウンサ様にそそのかされての悪事はおそらくはこれが最初ではないな。おいたわしい。」

 

 天幕の中に篭る柔らかい灯木の光に包まれて、焔アウンサは架台に掛かる東金雷蜒王国の地図を眺めていた。既に作戦は完全に仕上がっており、最早アウンサの手を煩わすまでもなく赤い聖蟲の神兵達がやってのけるだろう。
 彩ルダムはしかし、自分を長年苦しめて来た姉のような人に、まだ迷いがあると見抜いた。

「今更なにをお悩みです。」
「ルダムちゃん、海軍がね。敵の海軍が南に下ってくれなければ困るんだよ。ギジシップ島に渡る際には、海軍が最後の防御線となる。」
「タコリティに信書を送ったのでしょう、ヒィキタイタン様に動いて下さるように。あの御方は信頼に値します。必ずアウンサさまの良いようになさってくれますよ。」

「動くのは間違い無いが時期がね、攻撃とずれてしまうと困るんだ。」
「しかし今更繋ぎを付けるわけには行かないでしょう。方台の北と南の反対側です。早伝令にしても10日は掛かります。」
「・・・ガモウヤヨイチャンの握っている連絡網なら、3日で方台の全土に届くそうだ。」
「まさか! そんな都合の良い連絡手段がこの世にあるはずがありません。それに3日で届くにしても到底間に合いません。ヒィキタイタン様に独自に判断していただくしかないでしょう。」

「信じていないわけじゃないんだ、あの男もねえ。はーやだやだ。疑い出すときりが無い。なんというか、神話の時代から蘇ったというテュラクラフ女王ね、この女によってヒィキタイタンが骨抜きにされたとかの噂も伝わって来ているのさ。」
「まさか。」
「まさかもなにも、これこそがガモウヤヨイチャンの筋の情報さ。ネコが伝えて来たんだよ。カブトムシ神を捨てて、タコ女神に寝返っていないだろうねえ。」

 馬鹿馬鹿しい、と彩ルダムは思う。アウンサとヒィキタイタンは同年齢で互いに先戦主義の両輪となって攻略作戦を準備して来た同志だ。たとえ王国を追われる身となっても、志まで捨てる人ではない。にも関らず、言わずもがなの懸念を口に出す。

 アウンサは珍しく弱気になっていた。無理もない、乾坤一擲千年に一度の大博打をやってのけるのだ。多少は逡巡してもらわないと、見ているこっちがはらはらする。人の手に可能な術は残らず行ったその上で、神の御加護を仰がねば。やるべき事はやり尽くし、まだ抜かりはないかと不安に陥るくらいで丁度良い。

 古くからの友人、いや子分として、王女の気を晴らしてやらねばなるまい。その為に自分はここに居るのだから。
 彩ルダムは話題を変える。無理やりにでも変える。

「アウンサさま、私と約束して下さいまし。無事帰って来たら必ず赤甲梢を引退なさり、劫アランサ様にお渡しになる、と。」
「なにを今更。最初からそのつもりでしょう。」
「どうも貴女の様子をうかがっていると、まだ何年もやりそうな気がしてなりません。戦が今後続こうがどうなろうが、赤甲梢をお放しください。兵達にも新しい息吹というものを浴びせねば、腐ってしまいます。」
「うあーわかったったら。確かに此所には長居し過ぎた。カプタニアの夫のとこにおとなしく納まるよ。」

 どうしても離れられない東金雷蜒王国の地図から必死で目を逸らし、正面に立つルダムを見上げたアウンサは不思議な感覚に囚われた。明るい茶色の髪を高く結い上げる彼女が、何故か自分よりも歳上ではないか、と勘違いしてしまう。いや、赤甲梢に赴任して来た時から、どうにも彼女に甘えたくて仕方がない自分に驚いている。男ばかりの集団の中にあって一歩も退けを取ることなく自在に采配して来たが、どうもそれは、もういいみたいだ。

「老けたね、ルダムちゃん。」
「な、なにを、なにを仰しゃいます。私はアウンサさまより8歳も下なんです!」
「なんかあなた、私の母に似ているような気がするよ。あー最初からそういう気がしていたから、ルダムちゃんを選んだのかも。」
「そ、そうですか? メグリアルの王母様には私も御生前良くしていただきましたが、似ているとは誰にも言われていません。」

「母上は優しい人だったけれど、私が尖り過ぎてあまり接点が無かったんだ。早くにカプタニアに出て来たし。」
「12歳、でしたか。」
「それ以前にも神聖神殿都市に勉強に行っている。デュータム点で閲兵に出たのが8歳の頃だ。幼児を担ぎ出して練り歩くのは、褐甲角王国の悪い癖だよ。
 不思議だな。私は母上になにをしろ、なにをするなとかは教えを受けた記憶が無い。にも関らず、必死で逃れようとした覚えがある。母上の元から離れられるならばと、喜んで城の外に出て行った・・・。」

「ああ、アウンサさまはそういう風にお感じだったのですね。私は王母様にお話をさせていただいたので、その理由が分かります。」
「なに?」
「幼いアウンサさまをあちこちに引っ張り出すのに、王母様は御反対だったのですよ。だから御務めを果たしてお戻りになられたアウンサさまを大事にしようとする余り、嫌がられて逃げられたと笑ってお話になられました。」

「可哀想だ、と思われるのがイヤで逃げ出していたのか。うーん、今にして思えば、ちゃんと留まって母上をお慰めすれば良かった。」
「いいんですよ、その分は私がやっておきました。」
「そうか。」

 席を立ち、アウンサは女官に命じて寝所の用意をさせる。今日はこれまで、と区切りを付けて明日に備える事とする。服を着替える間も、彩ルダムと話を続けた。

 

「つまりはだ今回の戦は、なにひとつ手を出さないけど全てがガモウヤヨイチャンの思惑通りに進んでいる。アレは我らとゲジゲジを戦わせて、適当な数に落ち着くまで討ち減らして、後に秩序を作り上げようという腹なんだ。」
「では、ガモウヤヨイチャンの王宮にて、アウンサさまは元老員なり廷臣になろうとお考えですか?」
「構想次第だが、私に小王国を一つくれようと言うくらいだ。協力するにやぶさかではないさ。赤甲梢を辞めた後でも、のんびりと楽隠居というのは性に合わないしね。」

「緩やかに、妻としてお過ごしになられた方が良いと考えますけどね。人には為すべき使命が三つ有ります。子として、親であり良人として、人として世に役に立って。前後の二つはもう十分以上にやり遂げられましたから、妻としての務めをお考え下さい。」
「考えてるよお。夫もガモウヤヨイチャンの王宮に連れて行こうかと計画している。芸術家というのは激動の時代にこそ光り輝くのだからね。」

「はあ。」

「そういうおまえもいい加減結婚して、なんとか子供を産みなさいよ。」
「もう諦めて居ます。これから私は、劫アランサ様の輔衛視として大体10年は過ごす計画になってますから。」

「アランサか。ウラタンギジトではなかなかに絞られているようだよ。ガモウヤヨイチャンは厳しいねえ。」
「そんなに?」

「ガモウヤヨイチャンはね、どういうわけだかアランサがとても気に入ってるんだ。彼女を、彼女以上の者に仕立て上げている、と感じるよ。遠くネコの話を仄聞する限りではね。」
「御二方は妙にソリが合い最初から仲が良かったのですが、出会いは偶然ではないと?」

「私は最近思うんだけどねー、ひょっとしたらアランサが青晶蜥(チューラウ)神救世主になるのかなと、そんな気がする。」

「そんな! いえ、・・・、そんな事になったらハジパイ王は、いえ武徳王陛下でさえも。」
「だが本来、方台に生まれた者こそが方台の救い主になるべきだ。そうは思わないかい。ガモウヤヨイチャンも言っていたよ。自分はあくまでもこの世界に有っては”異物”だと。」

「そんな。ではアランサ様は一体どのようになるのでしょう。」

「問題はおまえの行く末にも関って来る。アランサの輔衛視であるおまえは、とうぜんのように新救世主を支える側近として、権勢を世人に認められるわけだ。アランサに代って人に命じる宰相となるのかもしれない。女の救世主なら女の宰相であってもいいじゃないか。」
「そんなばかなはなしが、」

「もちろんおまえにそんな大事が出来るはずも無い。私が行って助けてあげるさ。」
「うわああー。」

「まあそこらへんをじっくりと、今夜は枕を並べて語り明かそうじゃないか。」

 

 

 翌朝、焔アウンサは輔衛視チュダルム彩ルダムとスーベラアハン基エトスを連れて、カプタンギジェ関の赤甲梢臨時本部に入った。
 表向きは神聖首都ギジジットに進攻する事になっているから必要な手続きと、ハジパイ王から遣わされた特使との会見があった為だ。早い話が、ハジパイ王により予定の変更を詰問されるのだが、王本人が来るわけでなし、代理のしかも聖蟲も持っていない官僚となれば、勝負は最初から見えている。

「最初に申し上げていたはずだ。事前に準備があったわけではなく、急遽立案した計画だけに早期の投入は不可能だと。」
「それはハジパイ王殿下もよく御存知ですが、ならば何故に今この時期の総攻撃なのですか、そこのところのご説明をしていただきたく、」
「だから何度も言うように、戦いとは機こそが全て、どんなに大兵力を集めようとも用いる時期をあやまてば勝ちにはつながらない。逆に寡兵であっても敵の備えの整わぬ内ならば十分に戦えるのだ。」
「しかし、」

 焔アウンサは、赤甲梢の東金雷蜒王国首都島ギジシップへの電撃戦を敢行する為の資金を調達するのに、神聖首都ギジジットへの直接攻撃の可能性を私的なルートを使ってハジパイ王に建言し、カプタニア中枢の意向という形で軍上層部・中央軍制局にねじ込んだ。
 ハジパイ王としてはギジジット攻略など不可能と知ってはいても、その政治的影響力の大きさから東金雷蜒王国神聖王自らの出陣へと導けるかもと考え、より和平交渉をやり易くする為の一時の方便として、アウンサの策を受入れた。

 ただし、中央軍制局がそのような子供だましに簡単に乗るはずも無く、アウンサはそれなりにもっともらしい侵攻計画も立てている。それが、今論議している所の「牙獣装甲車による侵攻作戦」である。

 牙獣とは、地球のカバを二回り大きくした巨獣で、表皮に牙のような無数の突起を持っている。口からは乱杭歯が生え皮膚を突き破るほどで、極めて獰猛な様子に見えて怖れられて来た獣だ。方台最大の哺乳動物でもある牙獣は、しかし思ったよりは穏やかな性格で、神兵の怪力があればとっさの際にも事故無く飼い馴らせると赤甲梢での飼育実験は結論づけた。アウンサが総裁になる20年も前の話だ。
 その後赤甲梢では兎竜の飼育運用研究に重点をおいて、牙獣の飼育は別の機関に任されたが、今回アウンサはこれの戦争での使用法を考案した。

 牙獣自体はその巨体にも関らず高速での走行が可能で、表皮も厚く並の矢では通らない為に、ゲイルと一対一の格闘をしても勝ち得ると見込まれるが、そこまでの活躍は期待しない。アウンサは牙獣の怪力を生かして大量の物資を一挙に毒地に運びこむ巨大な荷車の使用を提案した。外側には十分な厚さの盾を巡らして動く砦としても使用可能だが、これを数十両ギジジット近辺に配置していきなり前線基地を作ってしまう計画だ。
 毒が浄化されたからこそ取り得る作戦だが、中央軍制局もさすがにこれには唸った。牙獣の輸送力であれば、一度に神兵100人を運用するだけの物資の移動が可能だ、との赤甲梢の報告にも偽りは無い。よって、今後毒地中央に斬り込む際の保険として装甲車の製作に許可を出した。

 無論、アウンサは最初からそんなもの使うつもりは無い。1、2両を適当に工匠に作らせて、残りの資金で電撃戦に必要な物資を購入し毒地への潜入工作費を捻出した。
 その上で、日頃先政主義を唱え軍備に十分な資金を投じなかったが為に装甲車の製作が遅れている、とハジパイ王の使者に抗議しているのだ。悪辣としか言いようがない。

「しかし、今がその好機であるとは必ずしも。」
「ああ、御使者殿はカプタニアからの戦況報告を読まれたか。そのとおり、今やヌケミンドルには敵が大挙して押し寄せ、主将クルワンパルは前線を後退させるまでに追い込まれた。ボウダン街道こそ無事だが、ミンドレア、ベイスラには寇掠軍が国境深くに侵入して予断を許さぬ状況だ。味方不利、と考えるのだろう。だがそれは軍事の素人の考えだ。」
「ですが、軍制局の判断では、」

「聞け。今敵の注意はスプリタ街道にありボウダンではない。赤甲梢兎竜部隊の活躍で、ボウダン街道全域には寇掠軍は影さえ見せなくなった。これは、我らが遊兵になったという事でもある。敵が西に全兵力を投入するのならば、その後背が空くのは子供でも分かる道理。敵の補給を断てば前線でも十分な戦闘が行えず、我が方の防衛陣が必ず勝つ。これだけの規模の戦争であるから、一度撤退すればそう易々とは再動員は叶わぬ。つまりはヌケミンドル防衛線で敵に戦力を浪費させ国力を削ぎ、長期間に渡り大規模な作戦行動を取れなくする、中央軍制局当初よりの計画に適うのだ。
 敵が優勢に立つ今こそ、ギジジットへの攻撃を行わねばならぬ。分かるか?」

「しかしハジパイ王の御計画では、そのような短兵急な。」
「分からない奴だな。ギジジットを焼けば、神聖王は出て来るのだ。いや、補給線に障害が生じ前線が危うくなれば、神聖王も島に篭っている事などできない。必ず親征がある!」

「それはともかく、装甲車の製作が芳しくないと報告を受けておりますが。」
「ああーもう、だからこそ時間を稼ぐんじゃないか。私だって兎竜部隊だけでギジジットが落ちるとは思ってない。牙獣は神聖王が出て来た時に使うんだ。私が出撃している間も装甲車は作る。作っている。完成するまで兎竜を遊ばしておく訳にはいかないから、今出ようと言うのじゃないか。」

 

 徹底的に使者を子供扱いするアウンサの態度に、彩ルダムと基エトスは額に手を当てて深く悩んだ。御使者が可哀想だよ、と思うが仕方がない。

 いきなり、アウンサの声が飛んだ。

「基エトス! これ以降の計画進行表を使者に示せ。御使者どの、この者は我らがギジジットに出撃している間、赤甲梢への苦情一切を承る男だ。以後は彼にいくらでも文句を言うが良い。但し、全責任は私にあり、咎めがあれば私が全てを受けよう。ハジパイ王殿下には直ちに伝令を走らせて、今後の対応を協議するように。出陣は4日後だ、急がれよ。」

「4日! 4日ではとても間に合いません、せめて10日後に。」
「馬鹿。さっき、好機は今ぞと言ったではないか。4日後でも遅過ぎる、明日出ても良いのだ。それをそなたの為にわざわざ遅らせているというに、何事か。」

「ですが、」
「あー分かった。では5日だ。それ以上は待てん。輔衛視彩ルダム、記録しろ。ハジパイ王の使者の言を入れて、赤甲梢総裁代理キスァブル・メグリアル焔アウンサはギジジットへの進攻作戦を一日遅らせた、と。これで失敗すれば、そなたも責任を問われるぞ。防諜という観点からも、進攻計画は隠密であり速攻でなければならんのだ。一日遅れれば敵に防備の機会を与える。赤甲梢が全滅した際には、そなたの首も無いと心得よ。」

「焔アウンサ様・・・!」

 

 一方的に会見を打ち切って出て行くアウンサに、彩ルダムと女官達は走って追いかけた。基エトスのみが残って使者の相手をする。

「御使者どの、確かに牙獣の計画は遅れている。焔アウンサ様はその事に御自責の念を感じておられ、今回の兎竜のみの進攻作戦を立案されたのだ。その辺りをうまく、ハジパイ王殿下にお伝え下さい。」
「それは、それは分かりますが。しかしやはり独断と言うのは、」
「実は独断とも言えないのだ。ハジパイ王殿下よりの御使者は公式にはあなただが、他にも様々なツテがあり極秘に綿密に連絡をとっている。中央軍制局からの指示を越えて、王殿下の御命令を優先させている。あなたの役目はそのカラクリを隠蔽するものです。総裁代理が敢えてあのような強い、侮辱するかの言葉を用いられたのも、実はそういう事なのです。」

 基エトスは、我ながらよくもこんなデタラメが口から上手く出るものだ、と感心する。果たして使者は、ハジパイ王に使われるだけあって謀略の渦中にあると自覚しており、自らに課せられた役の筋書きを踏み違えないように注意深い。

「では、兎竜のみの単独進攻は実際は。ああ、そうでしたか。いや、しかしながら確認は取らねばなりません。」
「デュータム点に居る元老員がそれです。カプタニアよりは近い。なにとぞ4日でお願いします。」

 焔アウンサの東金雷蜒王国領侵攻作戦、作戦名「電撃」の進発は、明後日である。

 

 

【ぱりてぃ】

 青晶蜥神救世主ガモウヤヨイチャンは、神聖首都ギジジットの王姉妹に仕える秘密組織ジー・ッカの連絡網を利用して方台全土の情報を入手している。

 しかし、ただ単に伝令を使って集めるなどの芸の無い事はさすがやっていない。近代文明人として弥生ちゃんは、モールス信号で効果的に伝信をしようと考えた。幸いにして、ジー・ッカは独自の烽火台を持っており、様々な命令を伝えるようになっている。この連絡員にモールス信号を覚えさせようと試みた。

 だが、弥生ちゃんはこれでも21世紀の人間である。今更モールスは無いだろう、と反省してデジタル信号で伝えようと思い直す。なんとなれば、十二神方台系の表音文字テュクラ符は72文字もあり、モールス信号を援用するのに障害があったからだ。更に数字と特殊記号を合せれば100文字は越える。もうちょっと効率的な手法を用いるべきだ。

 結局、16進数2文字256通りの符号でコンピュータのデジタルどおりにやるしかない、と考える。4ビット2文字で全ての文字を表すのだが、これに更に1ビットを加えて3ビットの8進数3文字で伝える方式に落ち着く。いわゆるパリティビットを加えて途中の伝送エラーを修正するのだが、暗号化と覚えやすさからもこれを採用する。16進数はやはり人間の日常生活には出て来ない数だ、いくら頭が良くても扱い間違いを起こしやすい。対して8進数ならば普通に8までの数を扱えばよいのだから、不慣れで誤る事は無い。十二神方台系では数は235記法という、1235の数の組み合わせで全ての数を表すという合理的だが面倒くさい表記法を使うのだが、8はこの書き方でも問題なく扱える。

 更に、256文字の中に地名や人名で良く用いられる単語も登録して、伝送効率を高めた。単語の綴りの短縮化も考えて全部の文字を送らなくても途中までで通じる言葉はどんどん省略して、通信文の圧縮に成功する。

 これほどまでに考え抜かれた伝信方式はさすがに方台では初めてで、ジー・ッカの者達も驚きの目で弥生ちゃんを見た。彼らはこの方式を用いて、昼は鏡、夜は蓋付きのガンドウを使って、光通信で超高速での伝送を開始した。暗号体系の変更は王姉妹やギィール神族はよく行うので、弥生ちゃん式暗号体系も彼らにはすんなりと受入れられる。またパリティビットを加えた為に、個々の烽火台が通信文の内容を把握しなくても誤り補正が可能となり、その分高速での伝達が可能となった。「三日で方台全土の情報を得る」のも、大袈裟な誇張ではない。

 この通信は大審判戦争後も継続して行われたが、さすがに長く使うとギィール神族が存在に気付き通信文の解読を始めた為、暗号変換の作業も加えて完成を見る。

 同様のシステムを金雷蜒王国は早速真似て開始し、後には褐甲角王国も用いて、十二神方台系は中世並の科学技術にも関らず高速通信体系を備える事となる。光通信方式は、電信電話が発明されるまで約800年間用いられた。

 

第十一章 暗夜に遊ぶ少女は、綴れ織の現を覗く

 男が、浮いて居た。

 円湾の至る所に穿たれたタコ化石採掘場の一つ、現在は倉庫として使われる廃鉱の洞窟内の船着き場に、男の屍体は浮かんでいる。
 誰も省みる者は無い。後難を怖れて引き上げる者も無い。禁衛隊の配下の警邏組が来るまで、このままさらし続けられる。

 男の脇では、荷揚げ作業がそのまま続いている。円湾に敵が攻め入った時に籠城する為の物資を必死で洞窟内に備蓄している。倉庫として使われる洞窟は100よりも多い。その半数は真水が貯えられている。切り立った崖に海が眼下に迫る円湾では、飲料水を調達出来る場所が無い。天水ですら乾いた気候では望めず、やむを得ず東金雷蜒王国からの輸入に頼っている。

 男の屍が、ぴくっと動いた。何者かに引かれて、すいと洞窟の外の海に三角の跡を残して進み、眩い日差しの中に溶けて行く。

 

 これでよし。とテュクラッポ・ッタ・コアキは微笑んだ。

 額には小さな赤茶色のタコが鎮座し、腕を宙にくるくると振り回す。黒い髪は幾つにも小さく編んで紐になり、後ろで纏めて腰にまで届く帯を作っている。衣服は着ておらず、腰の周りの飾り紐に幾つもの装飾品や小刀、火打ち石をぶら下げる。日に焼けた褐色の肌には二色の刺青で文様が施され、顔には白粉で文様を描き足す。文様は微妙に蠢いて人の目を幻惑し、少女の身体を不可視に変えていた。

 当年とって13歳、新生紅曙蛸巫女王国の次代の女王、6代目のタコ神救世主となる彼女は、誰にも気付かれずに作業を眺めて居た。
 深い洞窟は篝火程度では通路の足元を照らすのがせいぜいで、少し離れた場所に居れば魔法の必要も無く誰にも見とがめられない。無数の男達が半裸で重い荷を舟から下ろし担ぎ上げるのを見つめていた彼女は、やがて興味を別に移す。

 屍体の名は、・・・もうどうでもよい。ただこの洞窟に有る限りはなかなか処分されないから、外の海に送る。小さめのテュークを呼び出して海中から密かに引っ張らせた。洞窟はそれぞれの有力者によって支配され、独立して運営されている。人の生死についても他は不干渉だ。内部での粛正であれば、みせしめとしていつまででも死体は放置される。ぶよぶよとふやけて魚についばまれるのは、大して面白い見世物ではない。円湾に住む人は皆慣れて飽きている。

 だから、ちゃんと処理してくれるヒィキタイタンの部下の支配する場所に送った。外の船着き場には新生紅曙蛸王国の法の支配がある。

 もうここに用は無い。担ぎ込まれる物資の中にきちんと防水されていない穀物があったが、知った事ではない。カビたものを食べて後には何人か死ぬだろうが、死人を泳がせていた罰として甘んじて受けるが良い。

 

 荷揚げの桟橋に下りて、人夫達の脇を無造作にすり抜ける。文様の力で誰の目にも止らないが、気付いたところでどうしようも無い。彼女の動きは驚くほど早くまたなめらかで、人間が留められるものではない。
 だが動いている彼女自身は、身体を重く感じている。裸身にまとわりつく空気が粘り、四肢の動きを妨げる。非常に大きな抵抗の中を泳ぐ感じで進みづらいが、かわりに下にもなかなか落ちない。

 洞窟の端を遠く、低く飛び、岩を蹴って外に出る。さて次はどの洞に行くか。
 割と大きな船が着いている洞窟がある。あれは、海賊のエーケン某やらの支配地だ。西金雷蜒王国からの船だから、面白い荷が入っているだろう。

 垂直に切り立った崖の岩肌に突き出る数百本の杭の道を軽やかに駆けていく。途中、小舟に飛び降りて、別の道に変わる。南海の眩い太陽の下、凪いだ海面に足跡を残した。二三歩であれば水面も歩ける。強い光で一瞬文様の効果が途切れ沈みそうになるが、無事に目的の船に到着する。

 舷側から垂れる綱にしがみ付き、様子を窺う。ああ、と納得した。褐甲角王国から人を連れて来たのだ。男達は海賊の姿をしているが統制が取れていて、無頼の徒とは明らかに違う。エーケンの配下となる傭兵にしては、出来が良過ぎた。これは正規の兵隊だ。

 とんとんと船縁を上がり、甲板の櫓に忍び寄る。果たして、エーケンが兵隊の隊長とおぼしき者と話をしている。

「・・・・一応は、私の手下として、はい、倉庫を用いて、・・」
「・・ソグヴィタル王の御用船は、あれか。」
「内偵が、・・・・そうだ、おまえはそのままに、・・・ト神の名において。」
「それはもう。」

 エーケンは大して力の有る海賊ではないが、タコリティ中枢からも縁の薄い男だ。付け入るのに便利だから、イローエント海軍が取り引きしたのだろう。褐甲角王国が円湾を包囲する際には、寝返って一身の安泰を得る算段だ。
 船室も覗いてみたが、さすがに聖蟲を持つ神兵は居なかった。タコリティにはギィール神族も何人か居るから、潜んでいれば必ず見付かる。そんな不用意な真似をするはずは無い。

 

 「市場」に向かう小舟の舳先に座って、テュクラッポはまた移動する。

 崩壊したタコリティの街からそのまま移動した住民は、たいていがそれぞれ縁の有力者の洞窟に住居を作っている。しかし市場は別で紅曙蛸神殿が治める共有地内に設けられ、どこにも属さない者、あるいは難民が暮らしていた。共有地と言っても大規模な船着き場で、商人のそれぞれが小舟に商品を乗せて売っている。舟とはいえ常設の店で、どこの大都市にも負けない規模の市場を形作っている。商人達もまた海の上、舟の中に住んでいた。

 物資の供給は、今のところ何の問題も無い。主に東金雷蜒王国から入荷しているのだが、食料品の多くは褐甲角王国イローエントの市場から直送してくる。難民の中にそれを専門に行う業者があり、イローエントの役人の目を掻い潜って大いに稼いでいた。

 テュクラッポが瑞々しい赤い甘果を勝手に取って食べていると、難民の商人の話が聞こえて来た。

「とりしまりが、ああ!」
「今までとは規模がちがうんだよ。なにせ人喰いが、」
「人食い教かね、おっかないねえ。」
「本気で潰しに掛かってるよ。そう、難民のね、」
「火焙りだってよお。」
「ひええ。」

 場所を換えて、別の商人の声を聞いてみる。こいつは武器を商っている。

「追捕師のレメコフ様だ。ほら、ソグヴィタル王の。」
「ああ、タコリティの城門前で、」
「腹いせか知らんが、タコリティに関係していた者を片っ端から、そうしたら。」
「人食い教徒か、うーん。」
「タコリティは元から多いらしいがね、闇に隠れて生きている奴が多いから。」
「ま、人喰いが取って喰うよりも、親分衆に殺される方が。」
「はは、違いない。」

 売り物の矢を一本取って調べてみる。曲がっていた。とんでもない粗悪品だが、百本一組とかで売る分にはバレないのだろう。鏃も劣悪な鉄の鋳物だ、刺さりはしない。こんなものを堂々と売っているようでは、円湾の防備を固めると言ってもたかが知れている。

 市場の桟橋は幾つもあるから、場所によっては専門店街が出来ている。難民貧民の為の店とは別に、高級品の店が集まった場所もある。今居る桟橋の管理人は交易商人ヒィデトで品質には定評があった。テュクラッポも少女らしく装飾品や衣服にも興味がある。もっとも文様の効果を発揮させるには、ほとんど裸身でなければならないが。

 高級品を扱うだけあって、桟橋の出入口では傭兵が警備している。そもそも金の無い者は立ち入り禁止だ。テュクラッポは彼らが警備する真ん中を堂々と進んで行く。派手に着飾った女がとある舟から上がるのにすれ違った。偽カエル巫女のショバショバという者で、早い話がモグリの高級娼婦だ。カエル巫女の修行をしていないから偽だが、元は良い家のお嬢様だったとか。流れ流れてタコリティに身を沈めている。

「あーやだ、こんなに潮風に吹かれたら肌が荒れちゃう。センケンヌを使ってもこれじゃあだめだわ。」
 石鹸は皮脂を落としてしまうから、こんな土地で多用するのは考え物だ、とテュクラッポは知っている。

「地面に足を着けてないと落ち着かないわね。いっそこの崖をごっそり削って平らな地面を作ってくれないものかしら。」
 それは何百年も前からやっているが、その度に崩れ落ちて埋まっている。テュークが下に眠る円湾では、なにをやっても無駄だ。

「それに、下女が塩水で洗濯するからすぐ色がへんになっちゃう。真水がこんなに高いとお風呂にもなかなか入れないわ。」
 洗濯はなるほど紅曙蛸神殿でも困っている。実は採掘の洞窟でも真水は沸くのだが、テュークの体内を通って来た水は毒地に撒いた毒と同じ成分を含み、有害だ。

「ま、いきなり親分さん達が集まってくれて商売繁盛はありがたいけど、いつまで続くのかねえ。」

 ショバショバが出て来た服飾の店の舟を覗く。

「あのケチ女、さんざん文句付けた上で、半分に値切って行きやがった。」
 客が客なら、通う店もそれ相応の下品さだという事らしい。

 

 見慣れぬ顔があったので、テュクラッポは桟橋の先に進む。高級品街の端に有る酒場に向かっていた。
 その男は、雰囲気から察するにイローエントから来た。地面の上に住んでいる者特有の歩き方をする。少し殺気立っていた。彼がなにに苛立っているか、興味がある。

 酒場の船の屋根に上り、男を眺め下ろす。この店は海賊の親分衆の会合も開かれる豪華な造りの船で、宿泊も出来る。警備も厳重で、身分の高い胡散臭い者が常宿に使っている。
 船の裏手にはこっそりと小舟が着けられ、頭巾に顔を隠した数名が既に座っていた。

「遅いぞ。」
「カロロマンが約束を違えた。今後の協力は現金払いだと言う。」
「ええい、どいつもこいつも足元を見おって。出せ。」

 水夫が櫂を漕いで舟が出て行ってしまった。行く先はたぶん、遠くに見える紅曙蛸神殿の別宮。タコリティ移設に伴って造られたものではなく、古くから円湾に設けられた由緒有る社だ。島になっており滅多に人も寄りつかない禁域なので、便乗出来る舟が無くテュクラッポも行き方に困ってしまう。

 口に指を当てて指笛を鳴らす。酒場の桟橋の隅に、一人の半透明の影が現れた。テュクラッポの護衛の蕃兵だ。裸身の男で、背にタコの絵が黒く描かれた籐笠を負っている。全身、顔面にまでも蠢く文様が施してあり、化粧で補うテュクラッポより完全な隠伏が出来る。
 テュクラッポは手話で舟を出せないかと尋ねる。が、拒否された。別宮に行くと今日中に帰って来れない可能性がある。晩餐の時間には戻らねばヒィキタイタンに叱られる。

 額のタコが、ぐにょぐにょと踊った。お腹が空いたと言うのだ。聖蟲は不死のくせに、このタコはよく物を食べる。あげないと髪をむちゃくちゃにしてしまうので、なんとかしないといけない。

 

 仕方なしに、行く先を換えた。鍛冶屋の舟が集まる桟橋に行く。ここには、タコリティに長年住んでいるギィール神族の工房船もある。
 ヘテコン峨インデュラヴは50歳の神族で、タコリティで武器や船の艤装品を作っている。大物が得意で高さが2メートルもある鐘や3メートルもある鉄弓を作ったが、さすがに船の上の限られたスペースでは大規模な鋳造は出来ない。今は飛噴槍(ロケット槍)を主に作っている。

 神族だけに、さすがにテュクラッポの訪問に敏感に気付いた。ゲジゲジの聖蟲の力でも姿は感知出来ないが、甲板を歩く音や床板の軋みを捉えて何者か居ると察しが付いた。姿が分からず足音だけある、となれば蕃兵かテュクラッポしか居ない。

「ッタ姓の姫か。入っても良いぞ。」
 工房だけに、下手に足を踏み入れると事故が起きる危険もある。ここにだけは、テュクラッポも許しが無いと立ち入らない。

「(こんにちは、峨の嘉字を持つ者よ。)」
 姿を現わし、テュクラッポはギィ聖音で答える。
 ギィール神族の用いる表意文字ギィ聖符を固有の音で読むギィ聖音は、天上の神々が喋る言葉とされ、また聖蟲同士が会話する際にも使われる。テュクラッポは普通の言葉も当然解するが、より神聖な感じがするとのタコ神官長の意見を入れて普段からギィ聖音で会話する。実際下々の者は言葉が分からないほど有り難がる、迷惑な姿勢を示している。

 峨インデュラヴもギィ聖音で返した。

「(なにかおもしろいことはありますか?)」
「(おもしろい事だらけだがな、お前がなにを知りたいかで話も変わって来るぞ。)」
 神族だけに、タコの王女に対しても遠慮は無い。たとえ金雷蜒王国の神聖王の前に出ても、聖蟲の繁殖を護持する使命に礼こそ尽くせど、同格と看做すのがギィール神族と呼ばれる人達だ。

「(島のタコ神殿に不審な人が入りました。彼らはなにをするひとでしょう。)」
「(うん、待て。タコ神殿の別宮には昔から司祭が居て、タコ神官ではないのだ。古の秘蹟を継ぐ者、という触れ込みだが人喰い教徒だな。)」
「(人喰い教徒の長の、天寵司祭と呼ばれる者ですか?)」
「(その下の切配主だと思うが、今はイローエントで大弾圧が始まっているから、逃げて来ているのかもしれんな。)」

 話の最中であっても、神族は金属をやすりで削り、形を整えている。今更船載の大弩をつくるのも間に合いそうにないから、簡便なロケット槍の量産に傾注していた。すべてヒィキタイタンの配下にある禁衛隊に配備される。

 身の丈2メートルの巨人が身体を曲げて銀色に光る筒を削る姿を楽しげに見つめるテュクラッポに、背後から声を掛ける者がある。

「これは! これはお出でに気付かずに失礼を致しました。紅曙蛸王女様。」

 振り返ると15歳ほどの少年が立ったまま深々と御辞儀をする。ヘテコン峨インデュラヴがタコリティでもうけた子だが、エリクソーを服用していないので普通の身長だ。頭を戻すと、目の前にテュクラッポの若い褐色の裸身が有り、再び頭を下げる。頬を赤らめるのが、面白い。

「(この者は聖蟲を授かる試練には出さないのですか?)」
「(うん、タコリティに住む分には別に必要なものではない。聖蟲があれば手先が器用になるわけでもないからな。)」
「(聖蟲の与える知識は必要無いのですか。)」
「(馬鹿でなければ、本に書いてある事だけでなんでもやり通せる。ギィ聖音は分かるからな。)」

 少年も顔を上げて、会話に加わった。額のタコが手を振り上げて歓喜する。

「(王女様、ヤムナム茶はいかがです。父上もあちらで王女様を御接待してください。)」
「(そのくらいでは仕事を中断する理由にはならん。ここに持ってこい。)」
「(わたしも、ここでいただきます。)」

 しかしながら、椅子に腰掛けると腰紐に吊るした飾りが横に垂れて、テュクラッポの股間が露になる。王女の秘部にどうしても目が行く少年は、満足に給仕が出来ない。

「(だらしのない奴だ。扇笑会(ギィール神族の成人式)くらいはさせておくべきだった。)」
「(女をまだ知らないのですか?)」
「(そうらしいな。)」
「(よろしければ、私が授けてあげましょう。)」
「(いや、図に乗って馬鹿をしでかすから、それはやめておこう。ヒィキタイタンの下で兵になりたいとか言い出すからな。)」
「(ではやめます。)」

 自分よりも年下の少女がこのような話を口に出すのを、少年は真っ赤になってうつむいて聞いた。

 

 工房船でタコに御菓子をもらい、小舟を出して「広場」に向かう。ガモウヤヨイチャンが両断したテュークの石像から伸びる桟橋で普通の10倍の幅があり、兵を1000人並べる事が出来る。また、左右に軍船を揃えての閲兵も可能だ。ここは、テュクラッポが第6代の紅曙蛸巫女王に就任する儀式の場所となり、現在準備が着々と進められている。

 工房船からは少年に送ってもらった。舟の上にはテュクラッポと櫂を握る彼しか見えないが、実際は蕃兵も乗っており臭いで存在を主張するので、少年は冷や汗を流している。

 にわかの視察に準備を司っている剣令ガコオーンは驚き、兵士人夫達の手を止めさせ集め、跪いて王女の上陸を迎える。

「これは6代様。御視察におかれましてなんの用意もなく、不調法申し訳なく存じます。」
「(気にするな。)」
 普通人では、ギィ聖音の意味は分からない。聖蟲を持たなければ、学者や隠者、高位神官くらいしか解しない。
 
 つかつかと歩いて行くテュクラッポを、ガコオーンは慌てて追いかける。少年が追いすがって来て、剣令の問いに答える。ギィール神族とその息子となればタコリティでも要注意人物であり、ヒィキタイタンの下に仕える剣令であれば皆知っている。

「王女は、なにをなさりにここにお出でになったのだ。」
「どうも、テュークの像に御用がお有りなようです。」

 弥生ちゃんがハリセンの神威で切断して中から失われた古代の女王5代テュラクラフ・ッタ・アクシを発掘したテュークの化石は、現在何人たりとも踏み入るを許さぬ聖地となっている。日夜紅曙蛸神殿から遣わされた神官戦士が警備するが、当然テュクラッポは制限を受けずに柵を越える事が出来る。
 直径が100メートル、すっぱりとななめ30度に斬り落とされた化石の中心部、テュラクラフ女王が赤いタコ石に化して眠っていた場所に行くと、テュクラッポは穴に手を突っ込んで調べてみる。

 桟橋から見守る少年、剣令、神官戦士達は、肩まで穴に突っ込むテュクラッポに戸惑った。なにをしているのか皆目見当が付かない。

「(まだ無かった。)」
 戻って来た王女はそう言って、ヒィキタイタンが待つ神殿船に戻って行った、もちろん今度はガコオーンが手配したちゃんとした御料舟である。さすがに服を着せられて、テュクラッポは桟橋を離れて行った。

 神殿船で多くの巫女に迎えられるテュクラッポは、そのままヒィキタイタンの部屋に連れて行かれた。また勝手に抜け出した事を怒られるかと思ったが、部屋の中はそれどころでない。腹心の武器商人ドワアッダがイローエントの情勢を報告している。

「すると、空前の規模での人食い教徒の取締まりが起こっているのみならず、難民の弾圧も始まっているのか。」
「弾圧と言うよりも、反乱の鎮圧です。北から送られて来る難民と、昔からイローエントに居る難民を一元的に扱うという話で、地元の難民が財産を取られまいと騒動を起していると聞きました。」
「ばかな、そんな理不尽な措置を取る道理が無いだろう。」
「勿論です。これは誰か、火を焚き付けた者がありますな。」

 王女の額のタコが目をクルクルと回した。テュクラッポの脳裏に、今ドワアッダが説明した状況が目の前で見るように映し出された。なるほど、これは酷い。

「イローエントの衛視局はどういう対応を取った?」
「ベイスラの難民移送司令部とかの指示が優先するのですが、市の西側にも難民街を作るのだそうです。北から送られて来る者を住まわせる計画ですが、そちらに身一つで送られると思ったようです。」
「ふむ、単なる誤解のようだな。」
「そう思います。ただ、人食い教徒の洗い出しに一度は難民街をさらってみる必要はありますから、まったくの濡れ衣とも言い難いかと。」

「・・む。お! 不良娘のお帰りだ。」

 テュクラッポは部屋に入ると、机の上のイローエントの革地図を覗き見た。難民街の位置に赤い丸が幾つもあり、ここが反乱の起きている場所だろう。無造作に指差す。
「(全部モリアエールの力が強い所だ。)」

 ヒィキタイタンも覗き込み、資料を出して確認する。
「なるほど、坑夫の斡旋業のモリアエールが囲っている街だな。おそらくは彼に連なる者に真っ先に移動の措置が取られたのだろう。」
「坑夫人足の斡旋ですから、新しい難民街を建設する人夫も彼が世話したのでしょう。・・・そうか、彼らの家族も一緒に送る、というまずい措置を取ったんだ。」
「不手際、だな。だがあえて間違いを犯したようにも見える。何者かの意図が垣間見える、か。」

「こちらとしてはどう対処いたしますか。」

「(モリアエールがこちらに逃げて来る、という事だ。難民も引き連れて。)」
「そうだな。人数が増えれば強くなるというものでもない。非戦闘員も抱え込むと、やはり体力は落ちるだろう。地味に堪えるな。」

 ヒィキタイタンに説明されて、ドワアッダもこの謀略の真の狙いを知った。新生紅曙蛸王国を潰す為の布石が、どんどん打たれている。人喰い教徒の弾圧も、タコリティの有力者の間には崇拝者が多いと知っての行動だ。このままでは、ヒィキタイタンと新タコ女王が人喰い教団を庇護する者として断罪されるだろう。

「戦争の口実としては、まことにもって正当なものに、という訳ですな。なかなか、なかなか。」
「さて、どうした、ものかな。」

 歌うように考えるヒィキタイタンの心底が、テュクラッポには分かっている。彼が北の赤甲梢から受け取った手紙には、東金雷蜒王国の海軍を南に引き付けるようにとの懇請がある。難民の反乱を利用してそれを実現すると、ヒィキタイタン念願の東金雷蜒王国領への直接侵攻が成り立つのだ。
 無論その手紙は見せてもらっていないが、夜中にこっそりと読んでしまった。キスァブル・メグリアル焔アウンサという女人は、興味深い。

「ドワアッダ、評議会の連中な。まだごねているか。」
「ヒィキタイタン様が御譲りになりませんから。東金雷蜒王国と結ぼうとするフィギマス・ィレオ様の申し入れに、皆揃って賛同しています。」
「このあたりが潮か。海賊衆に連絡して武装船を集めてくれ。イローエントに難民を救いに行く、と言えば私が決断を下したと知るだろう。」
「ではいよいよ。」

「考えてみれば、丁度良い時に騒ぎを起してくれたな。我が祖国の非を鳴らし仁道を騒ぎたて、自らが正義漢面をするというのはいかにも私にふさわしい行いだろう。」
「実に御見事な嫌味ぶりですな。」
「出撃の前に、6代巫女王の即位を発表しよう。景気付けにも丁度良い。テュクラッポ、これでよろしいか。」

「(ヒィキタイタンさまのお望みのままに。)」

 

 巫女達に付き添われ食事と湯浴みを行い、寝床に入るまでをずっと監視付きでテュクラッポは行った。今日はもう逃げ出してくれるな、という意味だがそうもいかない。明日にでも即位式が行われるのであれば、一刻も早くアレを手に入れねば。

 薄い絹布を被ったテュクラッポは寝ついたフリをして巫女が下がるのを確かめると、舷側に開いた窓に寄って、人の耳には聞こえない音で合図をした。すぐに外から返って来る。
 ごりごりと木を擦る音がして、嵌め込みの窓がかたと外れた。甲板の上で控えて居た蕃兵がこじ開けてくれたのだ。

 テュクラッポはするりと窓を抜けると、海面に飛び降りる。波の下から音も無く浮かび上がって来た巨大なタコの脚が、彼女の足元を支えて海面を滑って行く。無数の船が眠る円湾を、夜着をなびかせて真っ直ぐに進む。

 着いたのは、昼間のテュークの化石だった。警備の兵は居るが付いて来た蕃兵が後ろから叩いて眠らせる。誰も居ない板の広場に、テュクラッポは降り立った。

「(テュラクラフが送って来るのは、今日のはずだ。)」

 再び、化石の上に乗ると、中心の穴まで登る。覗き込むと、
「(あった!)」

 手を伸ばし、ずるりと溶ける黒い墨を拾い上げる。粘液の中に、きらりと光る赤い石がある。
「(ふーん、こんな形を選んだのか。)」

 墨を海水で洗って、中から現れたのは赤いタコ石で作られた頭冠だった。
 テュクラッポ・ッタ・コアキが正真正銘の紅曙蛸神の救世主であると世間に認めさせるのに、タコの聖蟲だけでは足りないとテュラクラフは言っていた。ガモウヤヨイチャンが用いるハリセンと同様に神威を表す器物が必要だ、と即位の日までに届けてくれる約束になっていた。
 どんな形になるのかわくわくして待っていたが、案に相違して身に着けるものだ。ハリセンのように人を叩く景気の良いものだと良かったのに、とは思うが仕方がない。

 細い月の暗い明かりに頭冠をかざして形を確かめ、自らの頭に被せてみる。額のタコが巧みに避けて冠の中心に座を移した。

「!」

 ばっと外す。この頭冠はめったに使うべき代物ではない。直感的にそう知った。

 

 テュクラッポは頭冠を受け取ったその足で、陸地にある紅曙蛸神殿に向かう。フィギマス・ィレオが所有する洞窟の一つを借りた神殿は一般参拝者の為のもので、女王とヒィキタイタンへの陳情を受け付ける場ともなっている。ここも間近に迫った即位式の準備に忙しいが、さすがに深更も過ぎると寝静まっている。

 タコの脚から降り立ったテュクラッポは、警備の神官戦士の目を盗んでこっそりと忍び入る。不可視になるまでもない、ここは自分の家なのだから誰に遠慮する必要も無い。ただ皆を起こさないように静かに移動する。

 神官長トバァリャも眠って居た。歳老いたその横顔をしばし見つめて、眠りから醒ますのも可哀想だなと思うが、夜の内に終らせて置かねばならない大事だ。灯木に魔法みたいに簡単に火を点けると、老人を優しく揺り起こした。
 さすがに長年タコリティという騒々しい街に勤めて来ただけあって、不意に起こされてもトバァリャは驚きはしなかった。だが王女が直接というのはさすがに予期せぬ事態で、腹に掛けてあった布を蹴飛ばして跳ね起き、床に下りて礼拝する。

「(尋ねたき事があって来た。)」
「なんなりとお尋ね下さい。」
 神官長だからといって、誰もがギィ聖音を使えるとは限らない。タコ神官はギィール神族と接する事が多いからそれでもよく知っている方だが、下手な喋り方は却って神族の機嫌を損ねるので、普通の言葉を使うように定められている。タコリティには神族も黒甲枝もほとんど居ないから、なおさら使わない。

「(もし、なんでも願いの叶うハリセンが手に入ったとして、妾は如何にすべきか。)」
「?」

 トバァリャは質問の意味が分からない。だがそこは長年神に仕えて来た身であるから、大抵の理不尽には慣れている。

「なんでも、とは例えば人の命を救うとかでもよろしゅうございますか。死人を生き返らせるなど。」
「(限定的だがそれも可能だ。)」

「滅多に用いるべきではありません。人の生き死にを自在に出来るとなれば、命を粗末にする者が増えまする。また富貴の願いが叶うとなれば、尋常の道を辿らずにひたすら王女様の御身を狙いましょう。更には、恨みを晴らさんが為にその力を求め、あるいは防ぐ為に争いが起こります。」

「(うん。だがもらった力は使わねばならぬ。)」
「尤もでございます。しかしながら、一度使えば秘密は必ず漏れまする。秘してもなお人が押し寄せましょう。王女様は、これはと思う者だけをお選びになり、新王国の発展に寄与する場合にのみお使いください。」

「(月に一人くらいでよいか。)」
「さてそれは。むしろ使う使うと言いながら、まったく使わぬ方がより人を惹き付けましょう。」
「(悪い奴だな、そちは。)」

 再度礼拝したトバァリャが顔を上げると、すでに王女の姿は無かった。灯木を手に廊下に出て左右探してみたが、やはりもう居ない。
 居室に戻り再び眠ろうと試みるが、王女の言葉が頭にこびりついて目が冴える。願いを叶える? そのような話は古代紅曙蛸王国時代の書物にも記述されていないが、何故そんな力が必要なのか。額にタコの聖蟲があり巨大なテュークを呼び出すだけで、何人も紅曙蛸神の救世主を疑わぬであろうに。
 だが遠くデュータム点を思えば、青晶蜥神救世主ガモウヤヨイチャンがハリセンの力で日夜人を救っている。比べれば見劣りもするのだろう。

 なにかあるとは思ったが、寄る年波か、いつの間にか眠ってしまった。

 

 タコの墨を流した暗い海を渡っていると、無灯火のまま進む小舟があった。気になって、足元のテュークに命じて舟の側に寄る。
 海の上に人が立っているのを見て、小舟の中はがたごとと騒ぎになったが、一人微動だにしない者がある。頭巾に顔を隠した長身のその人は、片手を上げて他の者を鎮める。

「(こんばんわ、ごきげんよう。)」
 テュクラッポが挨拶をすると、落ち着いた響きの良い女声で返答があった。潮に混ざって、香水の香りがする。銘柄はシキ薔薇草、西の海島でしか取れない草だ。

「(お嬢ちゃん、夜遊びが過ぎるとカブトムシの男に尻を叩かれるよ。)」

 そのまま行きすぎる小舟を、海面から高く突き出たタコ脚の上でテュクラッポは見送った。舟は紅曙蛸神殿の別宮の島に行く。

 

 創始暦5006年夏旬月朔日、円湾に設けられた大桟橋の広場にて、紅曙蛸王国6代巫女王テュクラッポ・ッタ・コアキの即位式が行われた。
 出陣する兵士達、軍船に乗り込む海賊達、その他タコリティの民がそれぞれ大船小舟に乗って見守る中、褐甲角王国のソグヴィタル王 範ヒィキタイタンを介添えとして、曙色の王旗を掲げ新生紅曙蛸王国を統べる宣言をした彼女は、トバァリャ神官長に奉げさせたタコ石の頭冠を自らの手で戴いた。

 その時、頭冠からは旭日をも凌ぐまばゆい、だが目には優しい光が発し、差し渡し70里にもなる円湾全体をを包んだという。

 

【パンツァー・リード】

「ガモウヤヨイチャンさま、もっと星の世界の御歌を教えて下さいまし。」
と、蝉蛾巫女フィミルティがせがむので、弥生ちゃんは景気の良いのを歌姫に教える事とした。
 すでに「ラバウル小唄」は東金雷蜒王国を巡ったプレビュー版ガモウヤヨイチャンのおかげでブレイクしており、褐甲角王国側でも一発ぶちかましてやるかあ、と本気で取り組んだ。

 弥生ちゃんは地球にたいへん歌の上手い友達を持っている。祐木聖という名の、フィミルティにそっくりの眼鏡ぐるぐる髪の毛くりくり少女で、ほとんど人と話さないがよくよく耳を近づけて聞いてみるととんでもない毒舌家、という実に弥生ちゃんにふさわしいお友達だ。身長は146センチ、フィミルティは150センチそこそこで弥生ちゃんとほぼ同じ。ここだけが違うが、二人はとても良く似ている。
 この少女はただ単に歌が上手いのではない。悪魔的なまでに人を惹き付ける天性の声を備え、ろくな訓練を受けていないにも関らず高校の合唱部など足元にも及ばない実力を得ている。のみならず、一度聞いた歌は寸分違わぬ精度で再現出来る特技があり、まったく縁の無い未知の言語による歌であっても発音一つ間違えない。或る時、ラジオで一回だけ聞いたヘブライ語の、それも老婆の聞き取りづらい悪態を毒づく恨みがましい唄を寸分違わず再現して、道端で安物のアクセサリを売っていたイスラエル人を驚嘆せしめた逸話も持つ。

 聖ちゃん曰、「何者かが私の口を借りて唄っている。」
 こんな人をお手本にしてフィミルティは教えられたのだから大変だ。弥生ちゃんはカベチョロの聖蟲のおかげをもって、一度見聞きしたものを完璧に思い出す能力を持つ。知らないものは知らないが、知っているものならば徹底的に重箱の隅を突いた細部まで想起できるのだ。

 歌の題名は「パンツァー・リード」。赤甲梢の電撃戦に際して、それにふさわしいものをと選んだ。幸いにして、というよりもたまたま運悪く、弥生ちゃんの地球での知恵袋で軍ヲタでもある八段まゆ子が、聖ちゃんの能力をいたく気に入ってドイツ軍戦車隊の歌を教えてみたのだ。無論全篇ドイツ語である。
 弥生ちゃん本人はドイツ語には疎いが聖ちゃんが完璧に歌いこなしたから、歌自体は再現出来る。十二神方台系の人間に教えるにあたっても、そもそもが蝉蛾巫女というものはギィ聖音の、本人には意味がまったく分からない歌を完璧に歌う事を義務づけられているから、知らない言葉でも問題は無い。
 三日掛りでフィミルティは弥生ちゃんが満足するレベルにまで歌い込み、完全にマスターした。

 マスターしたからには他に教えて広めるまでだ。地球の歌は十二神方台系の歌とはまるっきり音階も構成も違う。普及に当たってはプロジェクトチームを作って組織的に分析、教授法の研究からして必要だった。蝉蛾神殿は総力を挙げてこの難題に取り組み、才能溢れる巫女を集めて正確無比に伝える事に成功する。

 そして、ウラタンギジトに在る金雷蜒神祭王、ギィール神族、褐甲角王女に金翅幹元老員、黒甲枝に高級官僚、高位神官、その他もろもろのセレブを集めての披露となる。

 衝撃、であった。

 四四16名の蝉蛾巫女が高らかに歌い上げる姿はまるで女神が地上に降り立った如く。人の心を揺さぶり昂ぶらせ、滂沱の涙を流し感動に打ち震わせた。
 次いで弥生ちゃんから説明を受けた彼らの脳には、かなり掻い摘まんで説明した北欧神話の「ワルキューレ」の姿が、どんな像を思い描いたかは知らないが、確として刻み込まれ、それぞれの家へ国へと持ち帰られた。

 その後、思い出せる限りの歌を弥生ちゃんから伝授された16名の巫女達は、披露の場に出席したVIP達にそれぞれ迎えられ、方台各地で「星の世界」式音楽の伝授に励む事となる。
 特に、最初の衝撃であった「パンツァー・リード」はワルキューレの伝説と不可分のものとなり、戦士の魂を黄泉路に送る鎮魂歌として特別な格式を与えられ、貴人の葬儀の定番として尊ばれた。

 

第十二章  欲望を追求する者は多けれど、極める者は古今に稀なり

 フェビ(蛇)は元々十二神方台系には居なかった生物であるが、既に人はこれを避けて通れぬものと覚悟を定めている。
 だからメグリアル劫アランサは、ウラタンギジトの祭礼宮殿の庭でネズミを丸呑みにするフェビを見かけても、さほどは驚かなかった。むしろ、咬まずに丸呑みする特異な食事法に興味を覚えた。巻き毛で乳白色の長い髪を地に付けるほど身体を横に傾けて、観察する。

「顎が外れてもだいじょうぶなのかしら?」

 ウラタンギジトのフェビは、弥生ちゃんが無尾猫達を総動員して根こそぎ狩っている。それも生きたまま、棒の先に輪を付けた専用の道具でしゅるっと簡単に捕まえてしまう。彼女が言うには、このフェビの毒は十二神方台系の医療に画期的な恵みを与えるかも知れないのだ。

 弥生ちゃんの話では、フェビには二種類の毒がある。身体を損なうものと脳の機能を麻痺させるものだ。フェビに咬まれた者は、咬まれた箇所が青黒く腫れ上がり、一ヶ月ほどもこんこんと眠り続けた末に静かに息を引き取るのだが、青黒く腫れ上がるのが前者で、眠り続けるのが後者の毒だ。この毒が出る牙はそれぞれに分かれており、眠りに陥る毒を集めて適切な濃度で人に与えれば、人は眠りに就き痛みを感じぬままに身体を切り開き損傷した箇所を修復する事が可能、らしい。ハリセンが一瞬で行う業をゆるやかに人間の手で行えて、星の世界では多数の人の命を救っているそうだ。
 実現すれば、研究と熟練によって高度な医療を身に着けたトカゲ神官で済み、ハリセンの神威もさほど用が無くなる。青晶蜥神の力が失われるであろう千年先にも人を救おうと、弥生ちゃんは考えている。

 時をも超える構想に、アランサは正直に言ってついて行けない。あまりにもこの人は高過ぎて遠い。もしも方台の人間が青晶蜥神救世主に選ばれていたとしても、とても真似は出来なかっただろう。

 しかしアランサはそれでも彼女に食い下がらなければならない。叔母のキスァブル・メグリアル焔アウンサに言われるまでもなく、この時代に責任有る立場にある者として歴史に恥を記さぬように、出来れば誉れとなる足跡を残したいと考えている。だが同時に、青晶蜥神救世主の救世の聖業に自らの命を奉げたいとも願っている。一人の人間として世に明らかな貢献が出来るかもと思えば、こんなところで挫けては居られない。

 

 そう。メグリアル劫アランサは現在かなり微妙な立場に追いやられている。
 青晶蜥神救世主との遭遇当初は、確かに彼女が傍に貼り付いている必要があった。だが今や褐甲角王国も救世主に応対する体制が整い、ウラタンギジトに責任有る立場の者を寄越している。正式な使者が来ればアランサは潔く去らねばならない。いかに救世主の覚えがめでたくとも、それが王国の秩序だ。

 なんとしてもこの場に踏み留まり、有益な人材である事を証明せねばならなかった。またそれは、赤甲梢単独での東金雷蜒王国領突入、首都島ギジシップへの進攻の独断の責任をかばう事にも繋がる。アランサが弥生ちゃんの傍に居続ければ、叔母アウンサと赤甲梢を政治的に救えるのだ。

 この件に関しては弥生ちゃんは当てに出来ない。彼女はアランサに好意的ではあるが、褐甲角王国の秩序にまで踏み込んで介入しない。それどころか度々アランサの立場が危うくなる事件をこしらえては、試すように突き付ける。この試練に今まで耐えて来たからこそ、自分が救世主の傍に在る事を他者も容認した、とも言える。つまりは弥生ちゃんはちゃんとアランサを守ってくれているのだが、ついて来れないのなら仕方がない、という態度だ。これ以上の甘えは許されない。

「いかにすれば、いかにすれば私を認めさせる事ができるか。いかに・・・。」
「なにをぼおっとしているのだ。」

 庭の向うに高い人影がある。ギィール神族キルストル姫アィイーガだった。彼女は神聖首都ギジジットで金雷蜒神の地上の化身と交信した功により、「妃縁」の位を神祭王から頂いた。神聖王の正妃に並び王姉妹と同格となる高い位だが、本人は不満そうだ。こんなもの要らないが、法的に放棄する手続きが存在しない。押売り同然に位を受けて、王宮に閉じ込められる羽目になる。

「姫アィイーガさま、ネコの姿を見ませんが、知りませんか?」
「地上の状況を知りたいのか。だが生憎無尾猫はすべてガモウヤヨイチャンに呼び出されて、ネコの麻薬とやらの実験に付き合っているぞ。」

「?」

 アランサの額の黄金のカブトムシがぶるっと翅を震わせる。聖蟲は多種の聖蟲と遭遇すると、普通緊張する。アィイーガは普段から近くに居るが、それでも聖蟲の緊張は慣れるという事が無い。いや、ギィール神族が相手であればそれが正しい対応の仕方なのだろう。気を許した友であっても、ギィール神族は微笑みと共に寝首をかくくらい普通にやる。迂闊に近付き過ぎて害されても、不覚と呼ばれて仕方ない。

 黄金の縫取りを施した薄い山蛾の絹を纏ったアィイーガは、近付いてアランサを見下ろす。心の奥を読めない笑みを浮かべたまま、カブトムシの王女に言った。

「当ててみよう。カプタニアから来た外交司だな。邪魔だと言われたのだろう。」
「そのような事は。しかし私も引き下がる訳には行きません。」
「だが、その為の足がかりが無い。ガモウヤヨイチャンには頼れない、電撃戦は近い。さて困ったな、というところか。」

「ハジパイ王の手の者には従いません。ですが武徳王陛下の命であれば、素直に下がらぬ訳には参りませんから。」

「騒ぎを起こせば良い。」
「?、え。」
「外交司には解決し得ない騒ぎを自ら起こせば、また一月くらいは稼げるだろう。その間に全てが済む。」

「・・・その方法もありますが、私の手ではありません。」
「窮屈な女だな。」

 と、アィイーガは庭園の花に手を伸ばす。美しい蝶が蜜を吸い、隣の花に移るのを真っ白い指先で追う。蝶も怯える事なく、女人の周囲で遊んでいる。飼育されている希少種の蝶だが、弥生ちゃんの額のトカゲ神の化身はこれが大好物で、ばりばりと食べて宿主を困らせる。

「では、なにになりたい。」

 尋ねる風情でも無く発した言葉だったので、アランサはそれが自分に向けての質問であるとはしばらく気付かなかった。

「何と言われても、わたしはただ、・・叔母上のご指示に従って、・・。」

 冷ややかに見つめる目に、アランサは顔を背けた。その段階はとうの昔に過ぎ去った。今ここに居るのは自分の意志であり、ガモウヤヨイチャンの聖業に参加したいと願うからこそ迷い焦っている。アィイーガが尋ねるのもそれだ。
 彼女に見下されない為にも、自らの意志を決然と示さねばならない。彼女は今後も、おそらくは弥生ちゃんが方台に居る間はずっと付き合うつもりだ。「面白いから」、動機は単純だが、自分もやはり近い。

「・・そうですね。私は、ガモウヤヨイチャンさまに、褐甲角王国がこの千年を無為に過ごして来たのではないと証明せねばなりません。聖蟲も戴き王家の生まれでもあり、歳が近いからには、条件も大して差は無いと見て良いでしょう。」
「カプタニアへの返答は、それでよいではないか。小娘と救世主の座を張り合うのであれば、小娘の方がふさわしいと。」

 コムスメ呼ばわりは止めてもらいたいが、しかしアランサの強味はまさにそこにあるのだろう。ハジパイ王が遣わした外交司には、華が無い。ウラタンギジトの神祭王の前に出て褐甲角王国の威勢を示すには不適当だ。小娘が大きな顔をしているからこそ、神祭王も興味を見せる。

 アィイーガは話すべきは終ったと、勝手に離れて行く。確かにもう迷う時は過ぎた。

 ひょっとしたら助けてくれたのかな、とも思うが、彼女への恩返しには事態を面白くするくらいしかないので、礼は言わない。

 

 ウラタンギジトは聖山街道の東脇にある神殿都市であり、東西金雷蜒王国が会合し褐甲角王国と交渉する外交の舞台でもある。
 十二神方台系では珍しい、高さ17メートルの白い石で築かれた城壁に全周を囲まれ、楼閣も備えて要塞としても一級の設備を持つ。人口は5000名だが、外周の街に倍する人数を擁す。聖山街道一の賑わいを見せ宿泊施設も多数有り、巡礼が必ず泊まる一大観光名所だ。

 ギィール神族は神祭王ギジメトイス次数兄を頂点として50名が常駐する。東西金雷蜒王国の外交使が10名ずつ居て、両王国間の交渉はすべてここで行われる。
 東王国と西王国は同じゲジゲジの聖蟲を戴く者であり同じ敵を持ちながら、あまり仲が良いとは言えない。端的に言うと、西王国は政争に破れて逃走した挙げ句の分派であり、金雷蜒神の地上での化身を抱く神聖首都ギジジットを有する東王国が正統を称するのは当然だ。故に両王国は褐甲角王国を道具に互いの勢力を削ごうとさまざまな工作を行っており、紛争も絶えない。神祭王はどちらにも属さず調停を行う役も担っている。

 神祭王は代々神聖王となるべき男子の中から、志願者がこれを引き受けている。就任に当たっては特に試練など無いが、ウラタンギジトで一生を送る覚悟が必要だ。役目柄暗殺の危険が少ないので、同じ代の継承権者よりも長生きをする確率が高いが、一度神祭王に成った者は神聖王には即位しないのが慣例となっている。
 神祭王は現在の神聖王の名をそのままに冠するから、実際は「ガトファンバル神祭王」を名乗るが、ここウラタンギジトではギジメトイス次数兄で通す。文字どおりギジメトイスの二番目の王子であり、同じ代で最初に神聖王となった三番目の王子よりも歳上なので、こう呼ぶ方が適切だとされる。ギジメトイスの王子達は彼を除いて皆短命で、人選を間違ったとも言われた。46歳、在位は40年になる。対して神聖王は・・・。

 ギジメトイス次数兄はまずは賢明に責務を果たしている。何度も戦乱はあったが、ここ20年は平穏無事で過ちを冒す機会すら無く、退屈な日常を送らねばならなかった。が、それに耐え得るのが神聖王の血筋だ。通常のギィール神族ならばしびれを切らして乱を起こす所を、じっと我慢する徳に恵まれているからこそ「神聖」の名を継ぐ事が出来る。
 さりながら、彼は自分に与えられた機会を待って居たとも言える。神祭王に即位したのは40年前、順当に生き続ければ必ず青晶蜥神救世主の誕生に立ち会えると期待しての受諾であったはずだ。わずか6歳ではあっても、そのくらいの分別は持っていた。今年は創始暦5006年、弥生ちゃんが来るのは丁度その6年分遅れた事になる。

 

 彼の目からしても、青晶蜥神救世主はまさに天河からの賜り物と呼んで何一つ不足の無い、優れた、そして画期的な救世主だった。
 彼女が方台に降り立って以降、世界情勢は大きく動き、金雷蜒褐甲角両王国は最終局面に向けて暴走を開始した。或る経典では、トカゲ神時代の始まりには世界の終りとも呼べる大破局に直面すると予測されていた。実際前三つの救世主はそれなりに大規模な動乱の中に出現した。だが今回はどちらを向いてものっぺりと弛緩した退屈な平和の中にあったので、彼は半ば失望していたのだ。変わりようが無い、と。

 大間違いだった。これほどに鮮やかに、これほどに疾く、これほどの規模で世界を破滅に追い込むとは、まさに人間業では無い。しかも何一つ非道を行わずに、方台中の人間の期待を過不足無く実現する形でやってのけたのだ。
 ギィール神族も黒甲枝も、共に最終戦争を望んでいた。戦乱に怯えるはずの民衆も、世界を洗い上げる流血の幕開けを待ち焦がれて居た。それほどまでに世は停滞しきっていたのだ。千年続く倦怠を、更に千年続けるのか、ウラタンギジトを訪れるギィール神族は皆口々にそう漏らしたものだ。ギジメトイス次数兄も彼らと意を同じくする。天河の創始神達よ、願わくば再びのテュークの劫火を降らせたまえ、そう祈祷した事さえある。

 ガモウヤヨイチャンは、彼の思い描く破壊神としての性質を最大限に備えている。おそらくは創造神としても適うのだろう。

 故に彼は、ガモウヤヨイチャンの周りに凡俗の徒輩が取り付くを望まない。光を曇らせる塵が掛らぬように、細心の注意でウラタンギジトを治めている。その一方で、弥生ちゃんに対する刺客の群れには一切手出しをしない。その程度で消えるのならば興醒めだ。鏡を磨くには擦らねばならぬ、とこちらに火の粉が掛らぬようにしながらも野放しにしている。

「今日は、どこの刺客か?」
「さて、誰一人口を割る事無く死にましたから、分かりませんな。」

 弥生ちゃん付きの外交司となったギィール神族ゲマラン昧マテマランが、神祭王の問いに答える。今日の予定を聞くように、刺客の有無を尋ねるのが最近の日課となっていた。三日に一度は必ずある。大抵はウラタンギジトの城壁すら越えられないが、それだけに選りすぐられた者のみが弥生ちゃんの元に参上する。

「仕留めたのは。」
「褐甲角の王女とその配下の赤甲梢ですな。ガモウヤヨイチャンの居る賓館にも辿りつけませんでした。」
「王女自ら手を下すとは、なかなか鍛えた者共であったのだな。」
「されど、聖蟲が無ければこの程度が限界でしょう。王女は空も飛びますからな。」

 「空飛ぶ王女」として、メグリアル劫アランサは既に崇拝の対象となっていた。本人はこの力を身の丈に合わないと悩んでいるが、圧倒的に目を惹くには違いない。空を飛ぶのは褐甲角神救世主初代武徳王カンヴィタル・イムレイルにのみ許された特権と思いがちだが、本来カブトムシの聖蟲を戴く者ならば誰でも可能らしい。ただ口で伝えて分かる技術では無いので、千年にわたって飛翔は見られなかった。
 アランサは弥生ちゃんと遭遇しいきなり風に舞い上げられた時に自然と覚えて、今では自在に飛び回る。褐甲角神救世主としてふさわしいのは武徳王ではなくこの王女だ、と囁く者さえある。彼女をどう位置付けるかで褐甲角王国内に軋轢が生じていると聞くが、余所事だから神祭王は気にしない。

 話が出たついでに、昧マテマランは神祭王に裁可を仰ぐ。褐甲角王国側がメグリアル劫アランサに代わる者に交替したいと言って来た。衛視統監の高位にある黒甲枝で聖蟲も持つガダン筮ワバロンという50代の男だ。

「王女ほどは面白くはないだろうな。」
「面白い人間が救世主の側にありウラタンギジトで交渉に立ち会うのは、カプタニアには面白くないと見受けられますな。」
「ハジパイ王か、あの男も退屈だな。」

「いかが致します。」
「我らの与り知らぬ所。但し、王女ほどには自由には振る舞えぬと伝えよ。「使者の路」以外踏み込む事は許さぬ。」
「定法どおりでございますな。」

 ウラタンギジトは金雷蜒王国領だから、褐甲角王国側の使者に定められた領域しか許さないのは当然だ。アランサには特例として破格な自由を許して来たが、むさ苦しい初老の男になどうろつかれてたまるものか。
 昧マテマランは恭しく礼をする。この外交司は使者をいたぶる事に喜びを覚える悪癖がある。アランサでは随分と楽しませてもらったが、最後にもう一度遊んでおこうと既に策を整えている。

 

「王女さま、劫アランサさま!」

 呼ばれて振り返ると、女官で最年少のカロアル斧ロアランが必死になってアランサを探していた。手を振って合図すると一生懸命に走って来る。長い裾の服ではあるが、結構早い。
 アランサの前まで来ると、すっと膝を折って頭を下げる行程で滑らかに停まる。自在に走り自在に停まるのは武術の基本中の基本だが、斧ロアランは良くつかう。そもそも女人は走らないものとされているから、よほどの緊急事態だ。

「劫アランサさま、デュータム点からお出での衛視統監ガダン筮ワバロン様がお呼びでございます。なんでも、神祭王から使者の資格を問う試みが与えられるとか。王女さまにも参加を御願いしたいとの由にございます。」
「ついに来ましたか!」

 もうアランサは迷わない。カプタニアの思惑にも左右されない。自分がここに在りたいと願い、ここに在る事に意義を見出せると知って、心を決めた。
 覚悟の程が感じ取れたのか、斧ロアランも敏感に察して言葉を換えた。王女に会う前は、この試練から如何に免れるかを進言するつもりだった。

「挑みますか?」
「ええ。筮ワバロン殿には悪いけれど、私にしか出来ない事があります。」
「ですが、その試練というのが、」

「・・・・ええっ!?」

 褐甲角王国の関係者の宿舎となっている隔離館に戻ると、外までウェダ・オダが出て待って居た。
 赤甲梢神兵で唯一アランサに付いて来て副官となったディズバンド迎ウェダ・オダは、礼装甲冑に姿を換えてウラタンギジトでは過ごしている。さすがに純戦闘用の翼甲冑重甲冑は許可されない。彼は自前では礼装甲冑を持っていないから、アランサの実家であるエイタンカプトから寸法の合うものを届けさせた。剣も常人用の細いものを帯びて、ウェダ・オダ得意の双鞭(しなる鋼の槍を二刀流で使う)は封印されている。

「総裁! これはたいへんな事になりました。前代未聞の栄誉でもありますが、」
「聞きました。筮ワバロン殿はこれを受けるのですか?」
「まずは総裁の御意向を聞いて、と言っていますが、やる気は無いようです。総裁が失敗なさりここを立ち退けば、彼の役目は果たせるわけですから。」
「なるほど、でもそう思い通りにはさせません。」

 アランサの控え室として用いられている広間に行くと、賜軍衣に身を包む重厚な印象の男が椅子に座って待っていた。衛視統監といえば法務においては頂点の役職で、王国に3人しか居ない。この上は元老院との折衝をする宮法監しか無い大官だ。
 誰がどう見てもアランサより交渉に当たるのに適している人物だが、ひるまない。

 一応は王族のアランサの方が位は上なので、上座に座る。筮ワバロンは立ち上がり、王女に拝謁の礼をした。アランサは彼に座る事を許し、言葉を掛ける。

「既に聞いたな。金雷蜒王国側では、青晶蜥神救世主との会談に褐甲角王国が陪席するのを正式に断るつもりだ。」
「これまでが異例の厚遇でしたから、驚きは致しません。ですが、ガモウヤヨイチャン様は未だ王ではありません。条約を結ぶ権限も持たないと、金雷蜒王国側も認識しております。」

 筮ワバロンは嫌味な男ではない。むしろ慇懃としてアランサに理解を示している。50歳も過ぎれば普通は家督と聖蟲を息子に譲るものだが、彼はまだ聖蟲を戴いて居た。娘はあってもまだ婿が定まっていないのだそうだ。

「法的な立場はそうではあるが、神聖なる秩序においてはそれは正しくない。ガモウヤヨイチャンが定める所を、我らが守らねばならぬという形に成りつつある。」
「ウラタンギジトでの会談は、我らにとって著しく不利です。改めて三者が対等に会談できる場を用意したいと申し入れました。」
「うん。だがそれは少し早い。」
「はやい? それはいかなる意味でございましょうか。」

「ガモウヤヨイチャンは既にその為の時を選び場を定めている。交渉の相手は武徳王陛下と神聖王御本人と決まっている。」
「それは、それは大層難しい話かと存じますが、如何なる手段を以って為されますか。」
「近日中に判明するだろう。だがその準備が整うまでは、神祭王との会談に是非とも陪席し続けねばならぬ。そなたでは無理だ。」

「そのようにうかがっております。では王女様はこの挑戦をお受けになられますか?」

 アランサは部屋の戸口に控えるウェダ・オダの顔を見た。彼は自分が悩んでいる事を知っていたから、困惑の末に道を誤るかと危惧していた。アランサの新たな覚悟を知らないから、今でもそう思っているだろう。

「私は受ける。そなたはどうするのだ。」
「生憎と、その手の技術を私は持ち合わせていません。辞退させていただきたく存じます。」
「うん。」

 

 神祭王の意として外交司 昧マテマランが伝えて来たのは、救世主との会談の場に陪席するには、彼ら神族と特別な友誼を得ねばならない、というものだ。つまり、いがみ合いを捨て友としてならばその場に居る事を許そう、との破格の厚遇ではある。が、その為の方法が曲者だった。

 ギィール神族は寇掠軍に参加する時、神族の食事は互いが交替で腕をふるい皆に振る舞う風習がある。毒殺されないように相手に目の前で作らせる実利的な意味もあるが、味と趣向についても厳しい審査があり、不評を買えば蔑みを受け背後から矢を射られる事もある非常に過酷な試練だ。つまりは、ギィール神族は料理においても卓越した腕前と審美眼を持つ。

 今回、アランサに課せられる試練がこれだ。神族に対して料理を振る舞う。神祭王以下の神族廷臣に対して、彼らの目の前で自ら料理し奉げる。認められれば仲間として、会談に共にあるを許そう。
 もちろんこのような友好的関係は、褐甲角王国が成立して以降は例が無い。遡って、初代武徳王が建国の聖業に当たっている時に、物好きにも仲間となり神聖金雷蜒王国に叛旗を翻した神族とそういう関係になった、くらいしか記録が無い。

 だが、メグリアル劫アランサは王女である。人に料理して食べさせた経験は、生まれてこの方有るはずが無い。無いのを承知で、この試練を突き付けて来たのだ。
 迂闊に挑戦を受けて無残に失敗すれば方台中に噂は広まり、アランサ本人だけでなく父メグリアル王や、カプタニアの武徳王陛下までもが面目を潰すだろう。それだけの重みがある。筮ワバロンはそれを承知で受けるのか、と尋ねていた。

「私は、受ける。」
「向こうにはそう返答してよろしゅうございますか。御辞退なさり、ガモウヤヨイチャン様にとりなしてもらうという方法もございましょう。」

 恐れをなして逃げてくれた方が彼には都合が良いのだが、そんな素振りは毛ほども見せない。

「策はございますか?」
「無策ではこのような不利な申し入れを受けはしない。勝算は確かにある。」
「それをうかがい安心いたしました。では、王女様にお願いいたします。」
「うん。」

 すくっと席を立って、アランサは部屋を出て行く。その後をウェダ・オダと女官達が追う。ウェダ・オダは敢えて、もう一度尋ねた。

「総裁。失礼ではありますが、お尋ねします。総裁は料理に関しては、確かに得意であられるのですね?」
「女として一通りの事は習っています。更には、野戦において自活する為の方法も伝授されています。」
「それは! それは決して用いてはなりません。野の草や毛虫を食べるなどは、決して。」

 アランサは足を止め振り返る。料理に関しては彼よりも後ろの女官達の方が心配する。だが、

「斧ロアラン、手を貸しなさい。他の者は普段通りに定められる仕事を続けなさい。」
「はい。」「はい。」

「斧ロアラン、あれを作ります。」
「?、・・・・・・アレですか! あれはガモウヤヨイチャン様でさえも失敗なされた、」

「ガモウヤヨイチャンだからこそ、失敗したのです。方台の味覚に関しては我らの方が秀でているのは当然です。」
「しかし、本物は星の世界の、」
「私は本物の味を知っています。聖蟲を通じて、かってガモウヤヨイチャン様が食されたアレの記憶を伝えられたのです。」

「では、方台の材料でアレが完成すると、そうおっしゃるのですね。」
「ええ。そして神祭王以下の神族の方の口に合わせて調整するのも、我らにしか出来ません。」
「はい!」

「外に出ます。城壁の外の市場に食材を買い出しに行きます。」
「はい!!」

 

 調理法の研究に三日を必要とした。なにしろ弥生ちゃんが草原に居る時に挑戦してさんざん失敗を重ねた末にようやく不出来な試作品として完成した料理であるから、アウンサも苦闘するのは当然だ。
 だが、寇掠軍での料理はギィール神族でも出征前から何ヶ月も考える代物であるから、この程度の期間の試行錯誤は問題にしなかった。恥をかくにしても成し遂げるにしても、王女自身が万全の自信を持って答えを出さねば、意味が無い。

 そして披露の当日が来る。朝早く白い霧の立ち篭める日の出直後から、出汁を取り始める。

 アランサは長い髪は後ろでまとめ、衣服は腕の動きを妨げない軍衣を上半身だけ着用し、更に袖を捲り上げ紐で縛っていた。斧ロアランは王女の手伝いとして専ら火の番をする。火吹き筒を持ち、煤に顔を黒くしてひたすら火加減の調節に努めた。

 一部始終を見せるのが寇掠軍の掟であるから、神族が入れ代わり立ち代わり厨房に現れて手際を見つめる中、二人は懸命に働いた。

「大した食材は使わないのだな。」

 見守る神族の一人がそう呟いた。そう、この料理は特別に豪奢なものではない。弥生ちゃんが星の世界の味が恋しくなってこしらえたものだから、日常のごくありふれた料理なのだ。だが彼女の居た国はその料理に特別な思い入れがあるらしく、単純でありながらも鋭利な刀剣で削ぐに似た繊細な工夫を凝らして、出汁を仕上げると聞く。自らの味を得るのに数年を要する事もある。

 今回ただの三日で切り上げたのでアランサには不安は残るが、しかしメグリアル王家に伝わる秘伝のスープの味を基本としてふさわしい調整を行った。彼女にとって懐かしい味でもある。だがこの味をどこまでも鋭く、純粋に、心を抉るまでに突き詰めねばならないとは夢にも思わなかった。
 材料はイヌコマの骨、ゲルタ、それに香草と野菜だけ。カプタ(虫の粉の調味料)は絶対に使わないのが、弥生ちゃんが辿りついた結論だ。醤油も味噌も無いから、塩にのみ頼らねばならない。調合を思案する弥生ちゃんの眼差しの如何に厳しかった事か。

 大きな土瓶が火に焙られ出汁が順当に仕上がると、客達が席に並び始めた。神祭王も正面に座った所で、アランサは厨房から出て挨拶をした。

「料理は一品のみ。これのみを食していただきます。」

 ざわと声が上がる。神族をもてなすのに一品しか料理を出さないとは非常識にも程がある。だがアランサの気迫に押されて抗議はしなかった。一品のみで済ますというのであれば、それはよほどの逸品であろう。

 厨房に戻ったアランサは、出汁の具合を確かめる。うん、これならば問題ない。これまでに作った中で最も良い加減に仕上がっている。
 既に椀に添える大鼠の焙り焼きも出来上がった。水鳥の玉子も茹でた。大山羊の乳で作った脂も用意した。

 火加減に細心の注意を払いながら、斧ロアランが顔を上げる。いよいよだ、これから調理の最終段階に突入する。アランサは言う。

「茹でる大瓶の湯は?」
「大丈夫です。沸騰しています。・・・やりますか。」
「始めます。」

 クワアット兵に命じて、神族達の前に大板を持ち込ませた。清潔な布を敷き板を横たえ、粉と水と、そして棍棒を手にアランサは現われる。

 上から下まで滑らかな白木の棍棒を見て、神族達も声を上げた。長さは1メートルにもなり、太さは戦闘用の棍よりも少し太い。人殺しの道具とも為り得る強靭で重いティア柳の枝だ。およそ料理とは縁の無い道具に、使い方も分からない。

 アランサは板の前に両膝をついて静かに座り、粉を水で練り始めた。どんぐり粉が3、トナク粉が7、塩。これに清水を少しずつ加えながら揉んで行く。渾身の力を込めて揉んで行く。

 弥生ちゃんは言った。
「この料理は、コシが命。強靭で粘り強く、そう簡単に千切れてはならず、溶けず零れず、それでいて滑らか。ぷっつりと切れる歯応えと、喉越しのつるんと滑る心地良さとを両立させる為には、ひたすらに練る。力の限りに。」

 料理で勝負すると決まってからは、アランサは弥生ちゃんには会っていない。会えば必ず確かめて、おそらくは惑いの森に落ちるだろう。それを察して弥生ちゃんも彼女と顔を合せる事は控えていた。だが草原で、小さな身体に全身の力と、それ以上に燃える気迫で粉に挑む彼女の姿は、アランサの目にしっかりと焼きついている。ものを食べるのにここまで必死になる人が居るのか、と恐怖を感じたほどだ。
 今アランサも、あの時の弥生ちゃんに負けぬ真剣さ必死さで粉に挑む。ひたすらに練る。全身の力を込めて、背筋から溢れ出るパワーの全てを粉に注ぎ込むように。

 アランサの額の黄金の聖蟲が唸った。甲羽を拡げ薄い透明な翅を震わせて、宿主の気迫に呼応する。どおーん、と全身を震わせる音がした。実際は鳴らなかったのだが、見守る者の心に轟いた。聖蟲が、必殺の戦闘に劣らぬ勢いで粉に向かうアランサに力を授ける。神気が弾ける。

「これが!」

 カブトムシの聖蟲が発動した姿はなかなかに拝見できるものではない。見られる時は斬られる時とも言え、その場の神族にとって初めての体験だった。

「ほお。美しいな。」

 神祭王はそう呟き、ひたすらに粉に向かうアランサを称賛した。傍らの昧マテマランも、料理がこれほどまでに人の心を打つものと初めて知った、と述べる。

 頃やよし、とアランサは棍棒を取り上げ、全体に粉をまぶした。掌でしごき、余分を落とす。練り上げた粉を棍棒で延ばして行く。なにしろ一度に10人分を作るのだ。一気にいかねばならぬ。

「コシだ、麺の命はコシだ。だが固けりゃいいってもんじゃない。」
 弥生ちゃんが作ったのは、麺だった。十二神方台系には、紐のように細長い食べ物は存在しない。餅のように焼くか、スープに溶くか、クルトンみたいに浮かべるかしか料理の形態が無かった。無ければ食べたくなるのが麺の魔力というもので、思いついたら居ても立ってもいられず、デュータム点近郊の天幕の中で粉と格闘した。

 普通に焼いて食べる穀餅の粉はトナクだが、これではのっぺりとしてふやけた安物のうどんみたいなものしか作れない。どんぐり粉だ、コシと勁さを兼ね備えた麺を作るにはどんぐり粉を適当な割合で混ぜるのが肝要。多過ぎてもいけない、歯で噛み切れなくなる。あくまでも滑らか流麗にして、ぷっつりと弾力の感触を残して切れる、出汁もからむうまい麺でなければ。

 結局弥生ちゃんは、ラーメンとソバの中間のようなものを作った。味噌も醤油も無いから、塩ラーメンだ。出来は良かったとは言えないが、それでも満足した。やっぱり麺はサイコ−だよ。

 棍棒によって延ばされ、重ねられ、また延ばされ、畳んで鋭い刀により断ち落とされた練り粉は、細い紐となって湯に落ちる。さっと湯掻いて、ざるで打ち上げ湯を切り、椀の中で出汁と邂逅する。大鼠の焙り焼き肉とゆで卵、野菜を少々乗せ乳脂で仕上げて、ゲジゲジ巫女の給仕に運ばせる。
 麺を手繰る食器には、敢えて「箸」を用意した。ウラタンギジトの神族達は、弥生ちゃんが二本の棒で物を食するのを興味深く見て、真似も始めているので、彼らを試す趣向にこれも添えた。

「やりました、ガモウヤヨイチャンさま。」

 全身から噴き出す汗にも気付かず、棍棒を抱いて厨房の端に座り込んだアランサに、斧ロアランは清水を汲んで差し出した。王女様、お見事でございます、と。

 

 結果は書くまでも無い。後日、同じ手順で弥生ちゃんにも作って食べさせてみると、

「なんか、ちがう。」
と言われてしまった。

 十二神方台系の麺料理は、このアランサの料理を嚆矢として後に大きく発展した。

 

 

最終章 雷鳴轟く

 創始暦5006年 夏旬月十六日、赤甲梢はカプタンギジェ関を発して毒地に進出した。

 これは予定の行動であり、ふたたびボウダン街道沿いの草原を兎竜隊で掃討すると公式には発表されている。金雷蜒王国の神聖首都ギジジットへの単独進攻作戦は秘されてはいるが、どちらにしても毒地には入らねばならない。毒地中50里にて一時停止、二日野営して後に作戦が発動するとなっている。これが、カプタニアのハジパイ王へ提出したギジジット進攻の前奏部分だ。

 兵力は、赤甲梢総裁代理キスァブル・メグリアル焔アウンサを将として、神兵150名クワアット兵600名。兎竜70騎にイヌコマ400頭という大部隊だ。大審判戦争冒頭において快勝を続けた焔アランサであるからこそ、これだけの兵力による攻勢を許される。神兵150はカプタンギジェ関の防衛軍とほぼ同数で、並の兵団の3倍もの戦闘力となる。支援するクワアット兵の数こそ少ないものの、ギジジット制圧を目的とせず攻撃を仕掛けるだけならば十分な戦闘力と言えよう。

 構成は、兎竜部隊6旗団、神兵装甲歩兵集団(装甲神兵団)3幟隊で、本体には焔アウンサがクワアット兵と共にイヌコマを護る事になる。加えて、作戦行動中の軍律をカプタニアから派遣された輔衛視チュダルム彩ルダムが見守る。
 輔衛視は、長期に渡って中央との連絡が疎遠となる遠征部隊が、カプタニア中央の意向に沿って行動するかを監視する役目であり、また虐殺や無法な掠奪を兵が行わないように司令官に進言する役も負う。神族の圧政から民衆を解放するというのが褐甲角王国の国是であるから、輔衛視の働きは大変に重視されていた。

 作戦の指揮は赤甲梢神兵頭領で兎竜部隊赤旗団長 大剣令シガハン・ルペが執る。彼は、焔アウンサに代っての作戦遂行の全てを任されている。褐甲角王国の流儀では、王族は戦場に出ても直接指揮は行わず、軍の熟達した者に任せる習慣となっていた。その方が戦況を冷静客観的に見つめる事が出来て、戦略的政治的により有効な決断が出来ると考えるからだ。
 これに倣い、焔アウンサ本人は戦闘指揮には口を出さない。彼女は赤甲梢の旗印として褐甲角王国の権威を戦場に明らかにするのが役目で、ギジジット攻撃を王族自らが行う最大限の政治的効果を狙っていた。

本隊イヌコマ高速輜重隊
 司令官キスァブル・メグリアル焔アウンサ総裁代理・兵師監格
 副官カンカラ縁クシアフォン大剣令 以下直衛神兵5名
 輔衛視チュダルム彩ルダム

兎竜部隊
 赤旗団12騎、団長シガハン・ルペ大剣令 赤甲梢神兵頭領
 青旗団12騎、メル・レト・ゾゥオム中剣令
 柿旗団12騎、シンパト斥レオーネ中剣令
 緑旗団12騎、スルサクサン夏ィー大剣令
 水色旗団12騎、ゲシュ封ラナ・ベハマス中剣令
 本隊直衛・黄旗団10騎、(カンカラ縁クシアフォン大剣令) カムリアム・サイ中剣令

装甲神兵団
 紫幟隊25名、隊長ベーニャ暦エヴェイ大剣令
 赤紫幟隊25名、エロァ均ガシュト大剣令
 黒紫幟隊25名、ケルベルト咆カンベ大剣令

 他にクワアット兵の百人隊6箇を有しており、一部はイヌコマを率いての軽走兵となる。イヌコマ軽走兵とは、武装をすべて脱いでイヌコマの背に積み、掛けた紐に手を引かれてひたすらに走る兵で、現地に到着後に装備を身に着けて戦う。常の兵の3倍もの機動力を持ち、騎兵の無い十二神方台系では長らく最速の戦闘力であった。

 

 というのが、偽装とはいえ内外に説得力を持たせたギジジット進攻作戦である。
 カプタンギジェ関内部にも敵方の間諜は多数存在して、褐甲角軍の情報は筒抜けであるから、細心の注意を払ってギジシップ島侵攻作戦を隠蔽した。あまりにうまく出来過ぎたが為に、このままギジジットも攻めてみようかと焔アウンサは迷ったほどだ。 

 それだけに間諜も作戦を信じて警戒の報を出す。ギジジットに通じる毒地中の街道には寇掠軍10箇隊以上が防衛線を引いているはずだ。さらにはギジジット本体にも1万人の兵力が集中する。いくらなんでも制圧・占領は不可能だと誰もが思うが、そこは破天荒で知られた焔アウンサだ。どんな手に出て来るか、ギィール神族達も手ぐすね引いて待っている。
 これも焔アウンサの計略のひとつで、敵に受動的、防衛的体勢を取らせる事により、東金雷蜒王国侵攻が露見した場合にも即応して追撃が出来ないようになっている。

 加えて、カプタンギジェ関の国境防衛軍も、ギジェカプタギ点に対しての全面攻勢を開始する。勿論陽動だが、これまでほとんど大規模な攻勢が無く散発的な戦闘に終始した国境防衛軍団の神兵達は、これ幸いにと鬱憤晴らしに火の出るような攻撃をする。難攻不落を誇るギジェカプタギ要塞群に近隣から兵力が集中して、なおさらに国境線内部の防備が薄くなる。

 

「総裁代理。すべては計画通り、順調に進行しております。」
「うん。」

 シガハン・ルペに促され、焔アウンサは輿の上から振り返り、全軍を眺める。
 アウンサが見ていると知り、神兵達、兎竜の上の騎兵、イヌコマを曳くクワアット兵達にも期待と興奮、不安とが張り詰めた空気が漂う。日は既に西に傾き、そろそろ行軍を止め野営の準備をせねばならぬ。だが、今回の計画に野営は存在しない。

 輿を止め地面に下ろさせると、シガハン・ルペは全軍を停止させた。焔アウンサは手近に居た兎竜を一頭呼んで、その背に登る。神兵が差し出す背を踏んで、聖蟲の力を借り一気に4メートルの上に飛び乗った。そのまま隊列の横に出て、向きを東に転換させ全軍に自分の姿が見えるようにする。

 焔アウンサの前に神兵クワアット兵が跪く。彼女が20年を掛けて鍛え抜いた男達を前にして、一瞬何を言おうかと戸惑った。
 見つめる目、高まる期待、激戦の誘惑、興奮、それでも残るカプタニアから指示に背く不安、罪悪感、そのすべてを焔アウンサは背負わねばならない。人を前にして口ごもった事などかって無い彼女をして黙らせる圧力が集中する。

 懐に手を入れ、粗末な小筺を取り出した。これはゲルワンクラッタ村で弥生ちゃんと分かれた際に託された、カプタの調味粉の入れ物だ。中には、

 小筺の蓋を開くと目が眩む、強い、青い光がほとばしる。草原全体を覆う程に輝き、茜色に染まる空の時を戻した。

 青晶蜥神救世主ガモウヤヨイチャンから預かった、青晶蜥神の聖蟲のしっぽが入っている。あれから2ヶ月近く経つが未だに死なず、ぴんぴんと跳ねている。この筺を東にかざすと、一直線に青い清浄な光が遠く地平線の彼方まで走りぬけた。

「進路は東!我が征くは地の果て神聖王が都ギジシップ。赤甲梢全軍に継ぐ、転進せよ。」
 特に凝った演説など必要では無かった。歓声を上げ一斉に立ち上がる男達には、焔アウンサの心は常に届いている。長年待ち望み鍛え備えた大願を、今こそ果たす時が来たのだ。

「全軍、所定の計画に従い部隊の再編を急げ。クワアット兵はこの地に野営の偽装を施せ。一晩篝火を焚き、我らが此所に在ると思わせるのだ。」
 シガハン・ルペの采配で慌ただしくギジシップ侵攻部隊への再編が始まる。

 兎竜の背から下りて来た焔アウンサに、チュダルム彩ルダムが駆け寄った。これ以降焔アウンサは輿を捨て、自らイヌコマと共に走って東金雷蜒王国にまで行くのだ。二人は女人ながらも甲冑を身に着け、長距離走の準備を始める。彼女達が着装するのは赤甲梢の翼甲冑ではなくカプタンギジェ関で調達した礼装甲冑であるから、背に推進用の翅が無い。その分自力で走らねばならない。いかに聖蟲の助けがあるとは言え、大変な運動には違いなかった。

 幔幕の中、焔アウンサの準備を手伝いながら、彩ルダムは言った。

「アウンサさまならば、もう少し考えた演説をなさり兵を鼓舞されるかと思いましたのに、いやにあっさりとして済ませておしまいになりましたね。」
「昨晩色々と考えたんだけど、いざとなると必要が無かった。こいつらは皆、行けと命じられる以上を欲していないからね。」

 兵達が左右に駆け回り土埃が上がる中、二人の用意が整ったと見て、副官となる兎竜黄旗団長カンカラ縁クシアフォンが幕の内に入り、跪いて進言する。

「総裁、ほんとうに兎竜にはお乗りになりませんか? 我らばかりが楽をするようで、どうにも心苦しくあります。」
「そんなにイヤならば、兎竜を空にして走らせよ。甲冑武者を乗せては、いかに兎竜といえども重くて疲れるのだ。聖蟲を持つ我らと一緒にするな。休ませられるものならば、一頭でも空にしろ。」

 この近辺には寇掠軍は居ないが、変り者のギィール神族がゲイルを駆ってうろついていないとも限らない。兎竜騎兵による護衛は不可欠だ。仕方なしに、縁クシアフォンは言った。

「では、やはり計画に従って参ります。総裁と輔衛視殿は決して敵と剣を交える事なく、我らにお任せ下さい。」
「ああ、戦闘には一切口は出さない。それが王族としての責務だ。」

「縁クシアフォン殿、頼みます。」

 彩ルダムにもそう言われ、黄旗団長は下がった。手足を振り甲冑の動きを確かめる焔アウンサは、まるで子供のように嬉しげだ。日頃は甲冑を用いるなど許されないから、楽しくてしょうがない。このまま剣も振るってみたくなる。呆れた彩ルダムに諭された。

「アウンサさま、くれぐれも御自重くだされまし。」
「してるしてる。赤甲梢に来てから自重しなかった日は無い。」
「自重している方が、あれ程までに王都に名を轟かせますか?」

 どんどんと立ち並び火が点される篝火を背に、焔アウンサは西の方、遠いカプタニアに首を回して夕日に目を細めた。

「さて、次は連中の番だ。うまくやってくれよ。」

 

 「連中」とは、近衛兵団特別部隊「紋章旗団」の事だ。

 彼らは赤い聖蟲を額に頂きながらも、赤甲梢では無い。正式な聖戴拝領資格者ではあるが、幼少の頃父親に軍務の続行が不可能となる事態が起こり、叔父や親戚に一時的に聖蟲が回されて順当な相続が出来なかった者達だ。そのまま順番を待っていると30歳を超えての継承となり軍の秩序と戦力に問題が生じるので、仮の措置として赤いカブトムシが与えられる。

 仮の聖戴であるから、彼らは自らの資質を周囲に証す勇猛さを求められ、手柄を立てる必要があった。故に一団にまとめられ、独自の戦闘集団を作り運用されている。
 この10年程は近衛兵団から赤甲梢に編入され実戦部隊としての猛訓練を施され、ボウダン街道の寇掠軍を相手に迎撃戦を戦い鍛え抜いて来た。焔アウンサの指揮の下、兎竜を駆り寇掠軍撃退の実績を着々と上げる赤甲梢に対して、近衛兵団が危機感を覚え紋章旗団に自らの名誉を託した、という背景も有る。

 兵数は50名、いずれも30歳以下の若い神兵達だ。血気盛んな彼らだが、今は不満に鬱屈する毎日を過ごして居た。

 大審判戦争勃発後、彼らは赤甲梢から切り離され、デュータム点近郊のボウダンとガンガランガの境目付近に配置された。ボウダン、スプリタ両街道の結節点で通行の要地でもあり、褐甲角王国中枢部への入り口とも言える重要な位置ではある。しかし赤甲梢の兎竜部隊、特にガンガランガに配置された兎竜掃討隊の働きは目覚ましく、紋章旗団は寇掠軍の姿を見る事さえ無い。精鋭でありながらも働く機会を得られず、ただ気ばかりを焦らせた。

 更に、配置替えに伴い司令官が変わった事も不満の種だった。今次大戦に際して、紋章旗団は兵師監を将に頂き独自の作戦行動を取る自由を得た。が、その兵師監が問題だった。アスマサール幣ガンゾヮールという40代の近衛兵団に長く居る人物だが、彼は実戦向きというよりもむしろ儀礼や祭典の運営において定評がある。今回昇進して兵師監となったが、彼に期待されるものはやはり、そういう方面を遺漏なく行う事だ。
 紋章旗団が配置される場所はデュータム点に近く、滞在中の青晶蜥神救世主ガモウヤヨイチャンを護る形になる。救世主を求めて押し寄せる人の中には、性急に青晶蜥王国を立ち上げようと独立戦争を口にする者さえあり、一触即発の気配さえ漂う。紋章旗団に慎重さと政治的配慮を期待してアスマサールが起用されたのであるが、政治の道具として使われる事に若い神兵のいらだちは募る。

 彼らが空しく時を過ごす間にも、僚友であった赤甲梢は次々に戦果を上げて行く。本来ならば自分達もそこに在ったはずの戦場を、遠くからただ眺めるしかない。

 彼らが赤甲梢を辞す前日、総裁として長く仕えた焔アウンサが特別に一人でやって来て、草原に皆で車座に座り今後についての話をした。
 焔アウンサは、赤甲梢の神兵に話したのと同様に、ゲルワンクラッタ村でのガモウヤヨイチャンとの会談の内容を語り、東金雷蜒王国首都島ギジシップへの単独直接攻撃の計画を打ち明けた。彼女は、紋章旗団が同じ仲間だとしてこの秘密を打ち明けたが、本来は近衛兵団に属する彼らには驚愕の重大事だ。これは明確に軍律の違反、いや武徳王に対する反逆を疑われても仕方ない。だが一方、これこそが彼ら黒甲枝が父祖千年に渡り待ち望んでいた究極の目的であり、拒絶するにはあまりにも甘美な誘惑だった。

 焔アウンサは、侵攻作戦の発動時には必ず紋章旗団に連絡をして、同行を呼び掛けると約束した。紋章旗団の団長であるィエラースム槙キドマタは即答を避けたが、団員の動揺は大きかった。
 彼らは自身の置かれた立場をよく弁えている。聖蟲を戴いてはいてもこれは仮のもので、後にはちゃんと黒いカブトムシを譲り受け家督を相続させねばならない。だが王国あっての黒甲枝であり、王国最大の目的で存在理由と呼べるのが金雷蜒王国の打倒なのだ。

 反逆にも類するこの作戦に積極的に賛同する者は、当初彼らの間には少なかった。勿論、カプタニアの中央軍制局やハジパイ王ら先政主義派に密告する者は居なかったが、態度を決めかね悩んでいた。
 しかしその後の彼らへの処遇により、作戦への参加は暗黙裡に全員共通の意志となり、槙キドマタは決断した。

 焔アウンサは、去り際にこう言ったのだ。
「その時が来れば、司令官を斬ってでも私の元に来い」、と。

 

 赤甲梢の進発と同時に、紋章旗団には焔アウンサから書簡が届いた。内容はとりとめのない陣中見舞いであるが、意味する所は一つしかない。彼らは極秘に集まって協議し、団長に一任する。

 彼は書簡と共に司令官室を訪れ、アスマサールと談判した。

「・・・その件は知っている。赤甲梢とメグリアル妃は本日毒地中の神聖首都ギジジット攻撃の為に進発した。それに伴い我が部隊も東に50里移動し、赤甲梢の空白を補う事になっている。」
「そうではありません。これは虚偽の作戦計画です。」

 ィエラースム槙キドマタは29歳。紋章旗団は30歳になると近衛兵団に復帰し、再度の聖戴式に備えてカプタニアに配置され平穏にデスクワークで過ごす事となっている。危ういところで彼は実戦から外される目から免れた。彼の父親は20年前、武徳王の代替わりの際の恒例となっている寇掠軍の大挙襲来で重傷を負い、予後不良で亡くなった。今はィエラースムの家は父の従兄が継ぎ聖蟲を戴いて、まもなく彼に引き渡される予定だ。

 アスマサールは、槙キドマタの言葉に不審そうに眉を上げる。ギジジット進攻作戦は、赤甲梢に縁の深い紋章旗団を任された彼だからこそ知る極秘事項だ。それを団長とはいえ中剣令の資格しか持たない槙キドマタが知り、なおそれが虚偽だと言う。胡散臭い事この上ない。
 だがアスマサールは寛容に彼の話を聞いた。なにしろ赤甲梢に紋章旗団は10年以上も居たのだ。現在の団員はすべて編入以降に入団し、将と呼べる人を焔アウンサしか知らない。

「なにか、証拠があるというのか。」
「この書簡をお読み下さい。焔アウンサ様が我らに宛てて届けられたものです。」

 読んではみたが、時候の挨拶と武運を祈る程度しか書いていない。これにはなんの意味も無い。

「わからんよ、これでは。」
「何も無いのは、当初の作戦計画に変更が無いからです。我らが赤甲梢を離れる前に聞いたのは、神聖首都ギジジットを襲うのではなく、東金雷蜒王国首都島ギジシップを直撃する作戦です。」

 ははは、とアスマサールは笑う。確かに荒唐無稽も過ぎて笑うしかない。どんなに突拍子も無い人間であっても、敵国深奥の中枢部に直接攻撃が出来るなど考えはしない。
 よしんばそれが可能であったとしても、そこでなにをするつもりだ。神聖王の殺害に成功したとして、だが神聖王となる資格はギィール神族誰にでもあるとされる。ゲジゲジの聖蟲自体殺すのは不可能だし、神聖王が戴く唯一の雄の聖蟲をなんとか封じたとしても、西金雷蜒王国にもう一人の神聖王と控えの雄がある。東西王国が統一して褐甲角王国に当たるだけだ。

 だが次の槙キドマタの言葉で顔色を変える。

「この策は焔アウンサ様がお考えになられたものではございません。ゲルワンクラッタ村、元のベギィルゲイル村で青晶蜥神救世主ガモウヤヨイチャン様と、焔アウンサ様、メグリアル劫アランサ総裁が会談された際に、救世主より下されたものだと聞き及んでいます。これは、天河の計画の一端なのです。」
「まさか、そのような・・。」

「それが証拠に、焔アウンサ様は救世主よりトカゲの尾を預かっています。青晶蜥神の地上の化身であられる救世主の頭上の聖蟲の、光輝くそのしっぽです。これを金雷蜒神聖王に突き付ければ、おそらくは和平の会談に否とは言わないでしょう。」
「つまりそなたが知る所では、メグリアル妃の目的は勝利ではなく和平の会談、か。頑な神聖王の態度を青晶蜥神の神威で打ち砕き、方台を和平に導くと。」
「その構図の中に、恐れ多くも武徳王陛下は入っておられません。」

「わかった、わかった。そういう事か。王国の頭ごしに青晶蜥神救世主は金雷蜒王国と和平を結び、方台に新秩序を打ち立てようというのだな。メグリアル妃は救世主の使いとなって、東金雷蜒王国に乗り込むと。武力をもって、か。」
「ギジシップ島に乗り込まねば、交渉は叶わないでしょう。神聖王の目の前に到るまでは、神兵の力を信じて突き進む以外ありません。」

「これは由々しい事態だ。早急にカプタニアに連絡を取り善後策を協議して、いやそれよりも赤甲梢を止めねば。」
「止りません。赤甲梢ですから、焔アウンサ様の命令以外は聞きません。」

 むう、と一声唸ってアスマサールは考える。槙キドマタの言う通りに、今からカプタニアに連絡をしても手遅れだろう。停止命令も拒否されるに決まっている。キスァブル・メグリアル焔アウンサ王女の性格は、式典で見かける事の多かった彼にはよく分かっている。確かに、実力で抑えねば止らぬ人だ。

「策はあるか、赤甲梢を止める策は。」
「一つだけございます。誰かが行って無理やりにでも止めるのです。」
「早速にカプタンギジェ関に連絡を送り、」
「それは無理です。今ギジェ関では金雷蜒軍との激烈な戦闘が行われているはずです。その予定になっています。」

「ええい、なにか、なにか手があるはずだ。」

「我らを行かせて下さい!」

 槙キドマタの言葉に、アスマサールは凍りついた。予想外、いや彼は一瞬の内に紋章旗団の造反に懸念が及んだのだ。赤甲梢に長くあり、これほどの秘密を打ち明けられるほど信頼を寄せられる彼らが、カプタニアと焔アウンサとどちらに忠誠の重きを置くか。
 恐る恐るに尋ねてみる。

「ギジェ関の国境線まで、300里ある。どう見積もっても5日はかかる。」
「夜を日に接いで走り抜き、二日で追いついてみせます。」
「説得は、無理だな。」
「焔アウンサ様お一人を抑えれば、済む事です。」

「赤甲梢は反抗に出るだろう。」
「我ら王国に忠誠を誓い、武徳王陛下の命令に全身を奉げる者です。必要とあれば赤甲梢の僚友といえども、討ちます。」

 彼の言葉をすべて信じるほど、アスマサールは能天気ではない。が、確かに他に手は無い。ギジェ関から使者を送ったとしても、赤甲梢を捕捉するのはたぶん東金雷蜒王国領の真っ只中になるはずだ。まとまった兵力でしかも神兵の戦闘集団でなければ、辿りつく事さえ出来ない。

 アスマサールは決断した。武徳王の大本営とカプタニア中央軍制局、ハジパイ王と元老院にも急使を送り対応を協議している間に、紋章旗団で追いついてどのような命令にも備えるべきだ。

「私も行こう。私も聖蟲を戴く者だ、遅れはせぬよ。」
「はっ!」

「紋章旗団はただちに出立の準備を。クワアット兵はよい、神兵のみの長距離行軍だ。糧食は簡易保存食を二日分、カプタンギジェ関にて補給を受ければ良い。ただひたすらに走る。」
「はっ、御下命確かにお受けしました。」

 槙キドマタが退出すると、アスマサールは従卒を呼び直ちに彼の重甲冑の整備を命じる。その間、報告書上申書命令書と矢継ぎ早に書き上げて行く。彼の胸にも、しかしわだかまりが有った。

「金雷蜒王国領への単独進攻か。神兵であれば誰でも、血が騒ぐ、・・な。」

 

 団長から出撃の命令を受けた紋章旗団の神兵達は喜びに沸き、直ちに準備を整えた。名目は赤甲梢の単独行動を止める為ではあるが、現地に着いてみなければどう転ぶか分からない。あるいは逆に、東金雷蜒王国の防備が予想以上に固くて赤甲梢が跳ね返されているかもしれない。救援の為にも彼らは急がねばならなかった。

 一刻の後にはすべての神兵が準備を整えて、本営の中庭に整列する。クワアット兵が見守る中、司令官アスマサールより訓示を受ける。が、そんなものを聞いている者は誰も居ない。出立の命令がいつ下るかのみが関心事だった。

 そうは言っても訓示はせねばならない。紋章旗団の忠誠を疑うわけではないが国是に背くのでは無いから、土壇場で暴走して赤甲梢と合流する事も十分考えられる。言葉が空しく宙を舞う中で、この一言だけは神兵達の胸を刺した。

「・・まかり間違えば、廃嫡家名断絶の処分も必ずあり、」

 赤甲梢の行為が反逆と認められる可能性は非常に高い。彼らに荷担すれば、紋章旗団も間違いなく家を取りつぶされ聖蟲を継承する権利を失い、王国から放逐されるだろう。改めてそれを突き付けられと、さすがに背筋に緊張が走る。楽天的な者が戯れに口走った台詞に、一縷の望みを托するまでだ。

『なあに、いざとなったら青晶蜥王国に駆け込んでガモウヤヨイチャン様に拾ってもらおう。』

 

 赤地に黄丸、伝統的様式に則った黒茶のカブトムシ紋を描いた団旗を掲げ、深紅の翼甲冑に身を包んだ50名の神兵が草原をひた走る。街道を走るよりも、通行人や関所の無い草原の方が格段に走りやすい。多少の起伏や薮はあるが、翅が生み出す推力により驚くほど軽く駆抜けて行く。

 その後ろをアスマサールも付いて行く。重甲冑とはいえ、四肢のバネにより装甲の重量を肩代わりされ筋力をそのまま推進力に変換出来、背中には16対の小翅が付いていて風を巻き起こし300kgの重量を押す。仕様の上では翼甲冑にひけを取らないが、やはり機動性には格段の差があった。50キロを走りぬけるには問題ないが、100キロ200キロとなれば、関節機構が障害を起こし軋み始める。甲冑自体が重量を引き受け軽快な運動を可能にする仕掛けが逆に災いし、衝撃に絶えずさらされるバネが接続部にひびを入れ崩壊を始める。

 アスマサールはそれでもよく付いて行った。一夜を過ぎ翌朝までは走りぬけ、120キロを越えた時点で翼甲冑の神兵に押してもらいなおも付いて行ったが、国境までのちょうど中間で転倒した。破損した甲冑をかばおうと無理をして、膝を傷めてしまったのだ。聖蟲が無ければ脚がねじ切れるほどの衝撃にも耐えて来たが、ここが限界だ。

 団長の槙キドマタは隊列を停止させ、司令官の指示を仰ぐ。自分の同行が無ければこれ以上の行軍を許さないと言い出した時、彼には配下の神兵を抑える自信が無かった。「司令官を斬ってでも、私の元に来い」との焔アウンサの言葉が脳裏をよぎる。

 痛めた左膝を手で押えながら、アスマサールは自分の選択を後悔した。重甲冑を着て長距離を走るのはどだい無理があった。無防備でもよい、賜軍衣でならば紋章旗団に追随出来ただろう。実戦経験においても不足は無いと自負していたが、どうやらそれは奢りであったようだ。
 だが彼は、職務を続行せねばならぬ。このまま若い神兵達を行かせて間違いが起これば、彼の力では庇いきれない。たとえ首尾よく侵攻が成功しギジシップ島へ到達できたとしても、軍律違反の責を免れる事はできないのだ。

 槙キドマタの手を借りて立ち上がったアスマサールは、しかし誤りを知った。蟲の仮面に隠した顔の、各々の表情には生気が満ち溢れている。未来への期待と、燃え滾る戦場への憧憬で魂が躍動している。
 これ以上若者の邪魔をしてはならない、心がそう震えた。黒甲枝の先達が、褐甲角神救世主初代武徳王カンヴィタル・イムレイルが挑んだ大願への道が、彼らの目の前に、風に青く揺れる草原の向うに拓けている。その道はかって彼自身も求めたものだ。

 アスマサールは槙キドマタの右手を両の掌でがっしりと握った。強固な甲冑の鋼の指が、強く紋章旗団長を握り締めた。

「いけ! 行って御前達が信じる正義を成せ!」

 紋章旗団の神兵50名は彼らの司令官の前にざっと並び、頭を垂れて敬意を示した。改めて隊列を組直し、団長の号令の下、全速力で草原を東へと駆抜ける。

 遠ざかる赤い甲冑の煌めきを、アスマサールの重甲冑が、黒い甲虫と化した人の姿がいつまでも見送っていた。

 

 前にも増しての快速で草原を駆抜ける紋章旗団は、やがてイヌコマを率いるクワアット兵の集団に遭遇した。幟旗にメグリアル王家の紋章を掲げている。赤甲梢の兵達だ。
 彼らの前に停止すると、クワアット兵の隊長が駆け寄って伝言を伝える。

「総裁代理キスァブル・メグリアル焔アウンサ様のお指図にて皆様をお待ちしておりました。食糧と水を用意しております。急ぐのは分かりますが、ここで一度休憩をなさって下さい。」

 弾む息で槙キドマタは尋ねる。もう二昼夜を走り抜いた。

「赤甲梢本隊はどうなった、どこまで侵入した。」
「われらが知るところでは、兎竜部隊、本隊共に毒地中のゥエーゲル間道の関を突破し、無事東金雷蜒王国領に侵入いたしました。続報はありませんが、この侵入に対応してギジェカプタギ点の敵軍がゥエーゲル間道まで進出する姿勢を見せており、ギジェ関の我が防衛軍団は阻止の為に野戦展開を行っています。」

「では、ギジェ関の司令部は焔アウンサさまのお味方か?」
「必ずしもそうではありませんが、紋章旗団の突入はお認めになっておられます。続きはゲルワンクラッタ村に待機されておられる、・・・あ。」

 暫時の休憩のつもりではあったが、熱気がまとわりつく甲冑を脱ぎ捨て水をかぶり、飯を食い喉を潤すと、疲れが一度に押し寄せ睡魔が襲い来て、神兵達は草の上に転げてそのまま眠りに落ちてしまった。

 眠りから目覚め、敵領内侵攻の装備糧食を受け取った紋章旗団は再度の行軍を開始する。まもなくゲルワンクラッタ村に到着し、一人の赤甲梢の出迎えを受けた。既に翼甲冑に身を固めた完全装備のその人は、右手に鉄弓をかざした。

「基エトス様でございますか。毒地よりよくぞ御無事にお戻りなさいました。」
「槙キドマタ殿、よくぞ参られた。これより後は私の指揮の下に就いてもらう。異存はおありか?」

「いえ、我ら紋章旗団、スーベラアハン基エトス大剣令のお指図に従います。」
「うん。我らはこれより東金雷蜒王国国境を突破し、全速で駆け、本隊の一日後の距離を取って本隊への追撃を粉砕しつつ、ギジシップ島へと渡るシンデロゲン港まで進軍する。」

「それまで合流は叶いませんか。」
「本隊に居られる焔アウンサ様の安全が第一となる。我らが後続として接近するとなれば、敵は追撃を断念するだろう。」
「はい、しかし。」

「分かっている。焔アウンサ様はそなた達紋章旗団にこう言い残された。シンデロゲン港までは本隊が道を切り拓き首都島ギジシップへの渡航手段の調達に全力を尽くす。ギジシップへの突入においては、紋章旗団に先陣を賜る。」
「おお!」

 この言葉に神兵達は歓声を上げた。さすがに焔アウンサ様は我らの心の機微を熟知してらっしゃる。

 槙キドマタは声を高め、赤い蟲の姿に似た団員の士気を鼓舞する。カブトムシを描いた団旗が翻る。

「東へ、焔アウンサ様の元へ、我らの将に続け!」

 

 

【エピローグ】

猫「にゃ。」
猫「にゃな。」
猫「にゃなにゃなにゃ。」
猫「うにゃにゃらにゃ、にゃらなにゃにゃ。」
猫「ふーっ。」
猫「なあ〜、なああ〜なあ〜。」
猫「にゃ。」
猫「にゃ。」
猫「にゅにゃ。な。」
猫「うなあーご、な。にゃ。」
猫「にゃん。」
猫「にゃにゃにゃにゃにゃ、にゃな、なあ〜な。にゃ。」
猫「のうああご、な。」
猫「にゃ。」
猫「ぬなあご、な、なご、なああ、な。にゃ。」
猫「ねや、にゃあ。」
猫「ねゃ、にゃにや。」
猫「に。」
猫「に。」
猫「にぃ〜。」
猫「にゃごにゃにゃにゃ、にゃなにゃなにゃにゃあにゃ。なごにゃあにゃあ、ねごにゃあにゃん。にゃん。」
猫「ふおぁー、ふぁー。にゃん。」
猫「なん。」
猫「にゃ。」
弥生「にゃあ〜。」

猫「ガモウヤヨイチャン、下手な猫の鳴き真似はめいわくだ。」
猫「下手というよりも、今なんて言った?」
猫「シャクリトン砦に日は落ちて、河岸の者に下賜する菓子に瑕疵は無し。請求書は実家の母に付けておいて、とガモウヤヨイチャンは言った。」
弥生「いや、にゃあとしか言ってないけど。」
猫「言った。」
猫「とても聞き取りにくかったけれど言った。それに二重の意味もあった。カエルの焼きなまし味の鱠の作り方の一部が混ざっていた。」
猫「それを言うのなら、星の世界の軌道計算に必要な主要諸元の数値が入っている。」
弥生「え、嘘?」
猫「”MEIOUSEI”てのはなんだ?」
猫「前から聞こうと思っていたけれど、”SOUKAITEIBUTAI”と”SHOUKAIKATUDOU”の違いはなんだ?」
弥生「な、なんでそんなこと知ってるのよ、あなたたち。」
猫「今言った。」
猫「うん。言った。」
猫「言いたくなくても聞こえて来る。」

弥生「・・・金輪際猫の鳴き真似はやめます・・・。」
猫「それがいい。」

 

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