ゲバルト処女

エピソード3 救世主弥生ちゃん、錯綜する正義に歪む

 

 

明美「そういえば最近、弥生ちゃんの姿見ないね。」

じゅえる「なんか、生徒会の全国組織の集まりとかで東京に行ったんじゃなかったかな。」
まゆ子「国会議事堂を見学とか傍聴するんだっけ?」

志穂美「京都で世界中の学生が集まって、国連の腐敗と怠惰を批難する決議集会に出ると聞いたが。」
しるく「それは先月の話です。結局弥生さんは行かなかったようですが、・・・なんでも主催者の筋が悪いとかで。」
ふぁ「そうなんだ。」

聖「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

明美「ふむ。聖ちゃんが言うにはね、

 弥生ちゃんは案外、どっか異世界に飛ばされて救世主の役でもさせられてるんじゃないかって。」

「あははははは。」

じゅえる「いかにもありそー。」
まゆ子「そうなったらもう、嬉々としてやるね、弥生ちゃんは。」

釈帝「・・あの、弥生ちゃんキャプテンなら、今職員室に居ましたよ。なんだかもの凄く忙しくて、身体が二つ有っても足りないとか言ってました。」

志穂美「なんにでも首突っ込むからだよ・・・・。」

 

【天文のお話】

 十二神方台系と地球とでは暦が違うのは当たり前。

 私が地球から持ってきた腕時計(祖父から中学入学時にプレゼントされたもの。太陽電池で動くから電池切れは無い!)で計測したところ、一日は27時間もある。地球人は25時間周期で睡眠を取るという話だが、時差の狂いは、まあかなり早い段階で慣れた。
 だがこの世界の人間はきっちり12時間眠る。短い人でも8時間は絶対睡眠時間に当てる為、夜中に私一人が起きている、というはめによく陥った。一日が24時間以上あればもっと色々な事が出来るのに、という人がたまに居るが、増えた時間は寝るというのがどうやら答えらしい。

 一年は333日。地球時間に直すと374日になる。年齢の換算は地球時間とほぼ同じと見ていいだろう。333=9×37。一年を9で割れば実に便利なカレンダーが作れる。実際に「九季」という区分もあり、「春・夏・秋」×「初・中・旬」で「夏初月」という呼び方をする。冬は季節としては無く気象現象としてあり、秋旬月に30日ほど霜が降りて寒冷化する事を言う。無い年もある。
 冬至の日が1月1日だが、これは遠日点。わずかに楕円な軌道を描いて回っているから、一年で太陽の視直径がちょこっと大小する。

 衛星は二個、黄道面を素直に周回する「白の月」が28日、北極南極を周回する極周回衛星「青の月」が33日で回っている。「青の月」の方が遠く小さい。この二つの月の配置では長年月経つとややこしい軌道変化を起こすはずなのだが、三千年の観測記録を見るとほとんど関係が変わらないらしい。「白の月」と「青の月」は33ヶ月に一度「劫(合)」を起こし、この日はどこかで大災害が起きるとされる。実際、毒地で大地震があったしね。

 太陽は一つ、惑星は四つが知られている。彗星は100ほども確認されて皆名前が付いている。彗星は「テューク(タコ)」の仲間と思われていて、創世神話によると、天河を遊んでいた無数のテュークを神々が海に投げ落として十二神方台系の基礎を作ったとされる。タコリティの東の円湾ではその姿が本当に観察出来るのだが、実際はこれは何なのだろう。

 ギィール神族はちゃんと天動説を知っているけれど、それ以外の人は天体の方が動いていると信じている。
 当然世界は真っ平らで、海の端は天と接触してそのまま泳いで登っていける。死んだ人の魂は魚になって天に上り、天河の両脇の神様によって生前の罪を裁かれて、善い人は神様の庭で楽しく遊んでやがてまた地上に降りて生まれ変わるが、悪い人はカニ神に首をちょん切られてそのままいつまでも生き続け、机の上に長く晒し続けられる、そうだ。

 重力はおそらく0.92程。この世界では私はちょっとしたスーパーマンだ。でなければ、こんなに長く歩き続けられる訳が無い。

(蒲生弥生)

 

 

第一章 古の女王の吐息は、南海をさざめかせる

 

 イローエント。
 十二神方台系南岸中央に位置する大きな港町で、褐甲角王国南端国境の鎮守府である。東100里の隣に無法都市タコリティがあり、イローエントはそれに対抗して海上を支配する重要拠点だ。テュークの円湾から産するタコ化石はイローエントからのみ褐甲角王国に輸入され、街は大層賑わっている。

 にも関らず、イローエントの名は黒甲枝の心を重くする。それは『左遷」と同義で、ここに派遣されれば数年間は中央政界からも戦闘からも隔離され、虚しい時を過ごす事となる。
 西側は「緑隆蝸(ワグルクー)神の苗木箱」と呼ばれる大山地で住む人とてまばら、タコリティ周辺は乾燥した不毛地帯でギィール神族の寇掠軍の往来も無い。たまに海賊船が近くを航行するがそれは東西両金雷蜒王国との公然の密貿易の主役であり、イローエントはタコリティを介する三角貿易により潤っているのだから、軍船を出して沈めるわけにもいかない。名ばかりの鎮守府であって、実際は馴れ合って平和に暮らす方台の縮図だ。

 

 だから、タコリティにおいて破れた追捕師レメコフ誉マキアリィが心身を癒すのにまったくふさわしい場所だった。
 マキアリィは鎮守府から提供された官舎ではなく、街場の家を借りて傷ついた身体を寝台に横たえていた。暗い部屋から見る通りには夏の日の強いコントラストに彩られた人の影がひっきりなしに往来し、世界は常に進んでいると否応なしの現実を突きつける。

 彼の看護をしているのは追捕師に与えられたクワアット兵の従者だが、今は所用で外出している。代わりに側に居るのはカニ巫女のクワンパだ。床に就き天井を見詰めていながらも感じる彼女の怒りのオーラが、いつまでも収まらないのをマキアリィは不思議に思っている。ソグヴィタル範ヒィキタイタンとの決闘から既に一月以上も経つのに、人間はそれほど長く怒りを持続出来るものだろうか。

 彼女は言った。

「起きられますか。」
「褐甲角(クワアット)神の聖蟲が憑いていても、怪我が癒る時間は常人とは変わらない。左側の肋骨をすべて折られたんだ、無理を言うな。」
「でも元気そうです。」
「痛みは軽減されるからな。だが、こうして喋るのも実はまだ苦痛だ。」

 カニ巫女は黙った。黙ったがじっと視線で抗議し続ける。
 彼女の怒りが正当なものである事は、マキアリィも認める。彼女はカニ巫女としては最高に意義のある「王族に対する復讐」を請け負っているのだ。三千年の歴史のある神官巫女制度にあっても、これほどの重大事がこんな二十歳になったばかりの巫女に任された例は無い。
 彼女は二人目の巫女だ。最初の巫女はちゃんとした位を持つ歳も50に近い恐ろしげな女だったが、カプタニアに待機し続ける事2年で身体を悪くして、若いクワンパに交替を余儀なくされた。

「なあ。」
 マキアリィは前々からの疑問を問い掛ける。

「なぜおまえのような若い巫女が、こんな大役を割り当てられたのだ。」
「あなたが不甲斐ないからです。」

 クワンパは間髪を入れずに答える。鈍い刃のようにマキアリィの傷に突き刺さる。

「カニ神殿ではソグヴィタル王の追捕の任がまっとうされず、いずれ復権が果たされる可能性が高いと予想しました。であれば、それを見届ける巫女は誰でもかまいません。」
「そういう話か・・・。」

 政争に破れたソグヴィタル範ヒィキタイタンだが、その敵手たるハジパイ王 嘉イョバイアンは高齢で十年もすれば帰還も叶うだろう。その間追捕師は差し止められカニ巫女も待機し続けるとなれば、他にも任のある高位の巫女を就けて置くのは損失だ。見習いからやっと正式な巫女になったクワンパで上等と見定めたのも道理だ。
 マキアリィは笑う。さすがに胸の傷は痛むが、こうして普通に話が出来るのも十日ほど前からがやっとだった。聖蟲を持つ黒甲枝には生半可な打撃では効果が無いからとはいえ、ヒィキタイタンも随分とやってくれたものだ。

「悪かったな。折角一緒に死ねる機会が巡って来たのに。」
「期待したわたしが愚かでした。」

 クワンパは一年半で待望の復讐の機会を得た。だがその結果がこれだ。儀式が成し遂げるのなら良し、もし失敗し破れたとしてもその時は追捕師は死ぬだろうし、彼に従うカニ巫女も殉死し共に神殿に捧げられるはずだった。だのに、仇に情けを懸けられ命を長らえるとは。

 化粧気の無いかさついた顔を向けてクワンパは見詰め続ける。憎悪に満ちた瞳を見るに、なぜこの娘はそれほどまでに死にたがるのかマキアリィは不思議に思う。そもそもカニ巫女に成りたがる女とは一体どんな背景を持っているのだろう。夕呑螯(シャムシャウラ)神は復讐と不寛容の神で、若い娘がその一生涯を捧げるのにふさわしいとはとても思えない人気の無い神だ。

「起きられますか。」
 再びクワンパは同じ言葉を発する。立てる訳が無いのに、いやでも復讐に人を駆り立てようとする。それがカニ巫女の使命であるのは承知するが、

「聖蟲を持っているのですから、動けるでしょう。」
「肋骨がくっつかない内に無理をすればこのまま傷が固定して、大剣も振れず弓も引けない身体になる。それこそヒィキタイタンには勝てなくなる。」

「昼間から寝て居ては、それも大動員が掛かった今休んでいるのは、気が重いでしょう。」
「言うな。」

「こうしている間も世間は動き未曽有の大戦争が勃発しようというのに、何もしないで居られるのはひとえにヒィキタイタン様のおかげですね。」

「おまえは、・・・く。」

 思わず上半身を起したマキアリィだがさすがに痛みが走り顔を歪めた。だがクワンパはじろと目を向けただけで動こうとはしない。カニ巫女の任務には看護や介護は入っていない。それはトカゲ巫女の仕事だ。
 ゆっくりと姿勢を元に戻して、マキアリィは彼女に尋ねた。カプタニアに居る間はほとんど口を利く機会も無かったが、今どん底の状況に陥ってようやく、この巫女との接点が出来たようだ。

「なあ、聞いていいか。おまえは何故、カニ巫女になりたいと思ったんだ。」
「・・・わたしの話、ですか。」
「そうだ。他の巫女ならばその動機は推測出来るが、夕呑螯(シャムシャウラ)神に仕えようとする者はまったく分からない。おまえは一体カニの神になにを求め、そして死のうと思えるんだ。」

「わたしは、・・・・。」

 さすがにクワンパも口ごもる。そもそもカニ神殿に務める者は様々な儀式の作法を教え、神官巫女の行状を取り締まる任を持つ。風紀委員のような存在で、憧れて志望する者など居るはずの無い神職だ。だがそれでも、その恐ろしげな姿に光を見出す者もある。

 ゆっくりと口を開く。自分の事を喋るのはこれが初めてだ。必要も無かったし、話すべき相手も居なかった。いや、過酷なカニ巫女の修行に過去など意味は無かったのだ。徹底的に私情を排し感情を殺し、後先を考えず規則に従うのがカニ神殿の流儀だ。

「・・わたしの親は、難民でした、東金雷蜒王国から流れて来た。今となっては何が不満で国を出たのかもわかりませんが、もう何十年も方台中をさ迷って居ます。奴隷をそのくびきから解放する、そう褐甲角王国では宣言していますが、それは嘘です。ここはひどい国だ。私達一家はどこに言っても除け者扱いされ、安くこき使われ季節が代わり仕事が無くなると村を追い出されました。何度も金雷蜒王国に帰ろうとしましたが、一度奴隷の籍から自由になった者は野の獣と同じです。どこにも居場所がありません。」
「そうか・・・。」

 難民の問題は近年深刻になっていた。褐甲角王国では各々の町村は民衆の会議によって治められ黒甲枝や官僚の直接支配は行っていない。自治会議は構成員の権益のみを考えるから排他的で外部の人間、特に流れ者の難民には冷淡だ。難民は季節労働者として薄給でこき使われ、必要が無くなると躊躇無く首を切られる。どこの村に行ってもそうだから皆都市に集まって来るが、彼らの作る貧民街は治安の悪化の元となり、金雷蜒王国からの間者の巣窟として衛視局や警邏の厳しい取締まりに遭い、火災時延焼防止の為と称して町を焼き払われたりもする。

「そんな中で育ったわたしが、まともな人間になれるわけがありません。家族から離れて自分の居場所を探しましたが何処にも無くたちまち悪党の食い物にされ、偽カエル宿で客を取らされるようになりました。そこに来たのがカニ巫女の行列でした。」

 カニ巫女は神官巫女の行状取締まりが任務だ。特にニワカカエル巫女、つまり売春婦の管理が重要な役目である。本来のカエル巫女は教養も深く手練にも優れた上流階級の間でのみ奉仕する傾城の妓女なのだが、下層階級の女性が生活の為にやむなく身体を売る時にはカエル巫女の鑑札だけを買ってニワカカエル巫女になる。これは地元のヤクザが売春婦を食い物にするのを防ぐ為で、カニ巫女は毎晩歓楽街を練り歩き鑑札の無い売春婦を取締まり、ヤクザやヒモを棒で叩きのめす。

「わたしには衝撃でした。カニ巫女はなにも考えずに他人の為に棒を揮います。身の危険も顧みず無謀にもヤクザと立ち回りめちゃくちゃに店を壊し、女達を引っ掠い連れていきます。助けたからとて何の役にも立たない、自分でも救われることを諦めた女達をです。
 わたしはなぜかと尋ねました。どうしてこんな余計な事をするのか、と。でもそのカニ巫女は恐ろしいひとでした。こう答えたのです。
『おまえの言い分など知るか。こうすればいいから、こうしてるだけだ。』
 そしてめちゃくちゃに棒で叩かれました。」

「それが、おまえがカニ巫女になった、理由・・・。」
「はい。たしかにそうすればいいから、そうしただけなんです。ヒモやヤクザが居なければお金は溜まります。お金さえあれば、家族はなんとか暮らしていけるのですから。」
「まあ、そんなものか。」
「だからわたしは考えるのをやめました。振り返るのもやめました。わたしは神に仕えているのではありません。そうすればいいと見定めたからこそ、わたしはカニ巫女なのです。」

 マキアリィには正直よく分からない。分からないが、この娘にとってカニ神は確かに救いとなっているのだろう、それは理解した。だからこそ追捕師としての自分に従い、共に死のうとする。そこに意味など求めない、そうするのが正しいからそうしているだけなのだ。そして自分は、そんな彼女の姿に、そうする事がやはり正しいのだと確信を深めるしかないわけだ。

 クワンパは言った。
「起きられますか。」

「おまえなあ。」

「タコリティの周辺では最近怪しい輩が蠢いています。ソグヴィタル王の指導から外れて、この度の大戦争に乗じてタコリティの独立を勝ち取ろうとする者が西金雷蜒王国と手を結ぼうとしています。」
「! ・・・おまえ、なんでそんな事を知っている。」
「カニ巫女は町を練り歩きヤクザを叩きのめしますから、裏の話には詳しいのです。・・・起きるのですか。」

「当たり前だ。」
「今動くと大剣も振れなくなりますよ。」
「常人を斬るのにそんな大げさなものが要るか。その話、イローエントの衛視局はまだ知らないのだな。」
「はい。」

「まったく。ヒィキタイタンも足元の注意が甘いな。」

 マキアリィは誰の助けも借りずに寝台から下り、賜軍衣を引っ掛け普通の剣を右手に提げて病室を出ていった。クワンパは自分の背丈よりも長いカニ巫女の棒を取って彼の後に続く。

 

 

 覚醒したテュラクラフ・ッタ・アクシ、失われた古代紅曙蛸王国の五代目の支配者と言葉を交わしたソグヴィタル王 範ヒィキタイタンは、彼女が歴史書に書かれている「悲劇の女王」などではないとすぐに理解した。

 古の記録では歴代の紅曙蛸(テューク)神の女王は皆、神に等しい知恵を備えていたという。彼女達はなんでも知っている。いや、知るはずの無い、あるいは情報ですらない事までも知っている。だが臣民は同じ情報を共有していないので、彼女の言葉の背景が読めずに戸惑った。女王の意志と意図を測るのに彼らは全精力を費やす。会話を記録し前例を紐解き王宮内外のあらゆる事象を観測して類推し意味を探り、遂には記録と算術に優れた番頭階級を生み出した。

 紅曙蛸の女王とはそれほどまでに「知る」を極めた存在だ。番頭階級が徐々に腐敗し私服を肥やし、民衆を苦しめる存在になっていくのを女王が知らなかったはずがない。
 恐らくは救世の最初の一歩が踏み出された時に、初代ッタ・コップは滅びを知っていたのだろう。

 全知の神人が地上においていかに振る舞うべきか、テュラクラフ・ッタ・アクシは明解に示してくれる。
 彼女はなにもしない。ただ訪れる人に二言三言語るだけだ。その言葉の重さは聞く人ごとに違っている。或る者はまるで理解出来ずけげんな顔をして退出するが、別の者は瞬時に顔を青ざめさせ、あるいは真っ赤になって逃げるように去っていく。女王はなにを指図する事も無いが、逃げ去った彼らは独自に考えて突飛な、滑稽な、時には悲惨で残酷な行いに及ぶ。

 新生紅曙蛸王国の臣民はそれを女王の詔の故だと理解した。人々の期待を裏切らず薄めない為、矛盾する行動の結果に意義を与えつじつまを合せる釈明をするのに、ヒィキタイタンとその忠実な腹心ドワアッダは苦心惨澹している。

 一方、女王はと言えば、

「どうにも、困ったな。」

 ヒィキタイタンは絡みつくテュラクラフの四肢をようやくに振り払って、政務を執り行う船長室に飛び込んで来た。
 現在テュラクラフの神殿は百人漕ぎの軍船が務める。テュークによってタコリティが崩壊した後、彼らは守備隊だけを残して全員船に乗り、街全体を東に数十キロ離れた「テュークの円湾」に移動させていた。ここには街を作る平地は無いが、長年タコ化石を採掘した坑道跡に家財を持ち込んで、家や店や倉庫を作り始めている。

 彼女は全知であるが、情報になんの価値も見出さない。彼女自身の安否に関るものでさえ、足元を蟻が歩いているのを見るように無感動だ。あまりにも膨大な情報に一々拘泥している暇が無く、機械的処理を行っているだけなのだ。彼女の興味はむしろ自らの肉が享受する快感、食欲や睡眠、遊戯、無駄な会話、そして男女の営みに限定される。

 戸惑いながらも彼女の要望に確実に応えていくヒィキタイタンの姿に、ドワアッダは胸を撫で下ろした。この仕事は他の誰にも真似が出来ない。ヒィキタイタン以外の者であれば、嫉妬により瞬く間に新生紅曙蛸王国は崩壊しただろう。褐甲角の武者が夜の格闘にも強いとは寡聞にして知らなかったが、考えて見れば褐甲角(クワアット)神は婚姻の神でもある。聖蟲を戴きしかも王と称えられる者がその道の第一人者であって何の不思議があろうか。
 だが、

「カプタニアの御妃様と御子様は、なかなかに御むずかりでございましょうな。」
「言ってくれるなよ。あれらが居ると思えばこそ、俺も正気を失わずに済むのだから。」

 ヒィキタイタンは、しかし元気そうだった。さすがに神秘の女王との交わりでは消耗するという事は無い。むしろ彼女から精気を絶えず与えられていると感じる。常人であればこれにより麻薬的陶酔と根拠の無い万能感を覚えるのだろうが、さすがに彼は聖蟲の作用については専門家だ。自分を見失わず、さりとて女王を満足させる事も忘れず、日々真剣勝負で常勝を誇っている。

「それにしても、紅曙蛸神の女王がこれほどに、・・・淫蕩であったとは。」
「弁解するわけではないが、違うぞ、ドワアッダ。彼女の頭の中では膨大な記憶が渦を巻いていて、人間の処理出来る量をはるかに超えている。それに流されず溺れない為には、自分が今ここに居る、肉体を持って地上にある事を日々確かめねばならないのだ。そうでなければ彼女はたちまちに人間に対する興味を失ってしまうだろう。」

「では古代の紅曙蛸王国が滅びたというのも、番頭階級のせいではなく、自ら人を御見捨てになられた、という事ですか。」
「多分。それも天河の計画どおりなのだろう。」

 番頭階級は専横が過ぎて、交易警備隊が中心となったクーデターで一掃された。反乱勢力は番頭階級が滅びた後はテュラクラフを中心として強権を以って民を指導する専制国家を望んだが、彼女は応じず巨大なテュークを呼び出し姿を地の底に隠したと伝えられる。

 ヒィキタイタンはようやく古代紅曙蛸巫女王国の在り方が理解出来てきた。書物では汲み取れない深い意味を知ると、単純には紅曙蛸王国を復活出来ない訳も知る。

「ガモウヤヨイチャンは言っていた、『この世界の神様は実にお節介だ』と。俺もそう思う。

 つまりはこうだ。ッタ・コップ、初代の紅曙蛸女王にして救世主は方台の人間に支配というものを教えた。王国によって統べられる人間世界の形を示した。だが王国自体は神の直接支配を必要とするものではない。人間が人間の王を戴いても十分に成り立っていく。故に、いつまでも神の力にすがりつくなよと、自ら姿を消し人間共を放り出して自らの王国を築かせた。」

「では、」

 ドワアッダの問いはタコリティ全ての人の懸念だ。女王は今後、新生なった紅曙蛸王国をどこに導くのだろう。
 ヒィキタイタンはそれに対しての答えを持っていない。テュラクラフ自身が持っていないからだ。世は今や青晶蜥神救世主の御代であり、ガモウヤヨイチャンが十二神方台系をどうするかによってタコリティの姿も決まる。

「今にして思えば俺は、眠るテュラクラフ女王にガモウヤヨイチャンを重ねて見ていたのだな。」
「あの方は潔癖な方でしたからな。子供、と言った方がよいのかもしれませんが。」

「ともかく、タコリティを独立した紅曙蛸王国と為すのはテュラクラフ女王抜きで進めるのがてっとり早い。人間が自らの力で治める国に、女王が君臨する。この形だ」
「分かりました。重役達にはこれまでどおりに円湾内の新タコリティ建設を進めさせます。ですが、」

「ああ。なんらかの女王の印が必要だな。幻想でいい。それが核となって王国の結束力を高めるものだ。・・・、なんだ?」

「騒いでおりますな。何事でしょうか。」

 甲板上で兵士達が騒ぐ声がするのでヒィキタイタンとドワアッダは外に出た。左舷に兵士達が集まって弓を構えている。
 ドワアッダは禁衛兵の隊長を任されている中剣令マウペケムに何事が起きたのかを質した。禁衛隊はクワアット兵出身者で作られた傭兵隊で、タコリティの軍勢内で唯一ヒィキタイタンが信頼を置ける部隊だ。

「丸木の小舟に怪しい風体の者共が、5艘で100人以上が本船を囲んで居ます。」
「なに! 海上の警備は何をしていた。警戒の鐘も狼煙も上がっていないぞ。」
「わかりません。いきなり現われたのです。まるで海の中から浮かび上がって来たような。」

「驚くことはありません。彼らは妾のこどもたちです。」

 いつの間にか、タコ巫女を引き連れて女王テュラクラフが甲板に上がっていた。改めてタコ神官が楽を奏で、女王の出座を告げる。

 身長は弥生ちゃんよりも少し大きいが、十二神方台系の女性としては小柄な方。曙色の薄物の衣装で首までを覆い露出は少ない。装飾品は控えめでわずかに玉帯を一本巻いているだけ、髪を高く結い上げて額のタコの聖蟲を際立たせるスタイルにしている。見た目には若くて美人で肉感的ではあるが目の光が常人とは異なって、見る人は美しさよりも荘厳さと深遠さを感じる。視線に物理的に身体を抑え付ける圧力を感じる、とタコリティの重役達は口を揃えてヒィキタイタンに語った。聖蟲が無ければ、彼女の前に出ることはむしろ恐ろしいのだと。

 甲板の上に出て来た女王は、数名のタコ巫女を従えている。女王は男女を問わずに寝所に引き入れ彼女達も皆餌食とされてしまった。その姿をヒィキタイタンは見せられた事があるが、数名の巫女を一度に愛撫し、そのいずれもが快楽に意識も飛ばして軟体動物のようにのたうつばかりだった。それでいてテュラクラフ本人は涼しい顔をしてまるで淫蕩さを感じさせない。そのままヒィキタイタンと打ち合わせを行った。

 支配者としてのテュラクラフは実に見事な女王ぶりだ。霞に包んだ婉曲な物言いで、神の託宣に類する詔を的確に発していく。意味は難解だが言葉は平易で、庶民の語彙を中心に喋る。これは、ギィール神族による韜晦した言辞の装飾を経ていない、古代紅曙蛸王国時代の王宮の言葉なのだろう。
 彼女は政治向きの発言は滅多にしない。これまでに発せられた命令は再建される紅曙蛸神殿の様式についてと、祭祀の手順を古代式に変更したのみだ。それが却って人々の心証を良くするのを、ちゃんと心得ている。タコリティの人間はテュラクラフに神話的存在である事を望み、政治と軍事についてはソグヴィタル王 範ヒィキタイタンに求めた。

 実務はヒィキタイタンに、聖務はテュラクラフにと理想的な分担で、新生紅曙蛸王国はその威容を整えつつある。

 

「妾が招いたのです。この者達も永い時を待ちわびていました・・・。」

 ヒィキタイタンはマウペケムに合図して、禁衛隊の兵に矢を番えるのを止めさせる。兵士達は警戒を解くと舷側を離れて女王の為に場を開けた。兵が退くのを見て丸木舟は軍船の側に寄せて来る。

 彼らはまったくに異界の住人だった。頭髪は無くほぼ裸身で赤く焼けた肌の大部分を複雑な刺青で鎧っており、その文様の細かさが目に突き刺さりどうにも正視する事ができない。武装は丸木の弓に投槍だけだがその穂先には毒が塗られているようで陽の光をてらてらと赤黒く照り返す。楯は持たぬが丸い藤笠をそれぞれが負っていてタコの図像が黒々と描かれていた。
 接舷すると、彼らは身を屈め、次の瞬間猫のように大きく飛び上がり甲板によじ登った。船縁の上で様子を確かめ、テュラクラフの姿を確認するとその足元にひれ伏した。その数は8名。金の飾り紐を帯びているので、首長達と思われる。

「なんでしょうか。彼らを見ると、目が。」

 マウペケムの言葉にドワアッダはそれが自分だけの錯覚ではないと知る。彼らの身体に描かれた文様は生き物のように蠢き、見る者に天地がひっくり返ったと思わせる目眩いを与える。一番向うに居る者の姿がなんとなく霞むのも文様の力だろうか。

「”蕃兵”でございます。」

 ヒィキタイタン達の背後からタコリティの最高神官、トバァリャ神官長が教える。彼は60近い歳だがやはりテュラクラフの毒牙に掛けられて腰を痛めてしまった。船室で休んでいたが、騒ぎに尋常ならざるを感じて無理をして起きて来た。

「タコ神殿の旧き言い伝えによると、初代救世主ッタ・コップ様は御自分の生まれの部族の者に特別な文様を与え、見る者の目に留まらぬ不可思議な兵として召し使っていたそうでございます。テュラクラフ様の御隠れの後には彼らの記述も途絶えたのですが、やはり末裔は生き続けておりましたか。」

 甲板に額を擦り付ける彼らの内一人が進み出て、女王の足に頬擦りした。テュラクラフはそのままに許し彼の頭を優しく撫ぜる。まるで忠実な飼犬が主人に甘える姿に見える。
 テュラクラフはヒィキタイタンに振り返る。澄んだ高い声で甲板上の者すべてに聞こえるように喋った。

「ヒィキタイタン殿、ここは暑い。妾はもっと涼しい場所に出ようと思います。」

 ここ、とはテュークの円湾のみならずタコリティのある南岸をも指す。気温が高いだけでなく雨も振らず飲料水にも事欠くこの環境は、確かに夏場は地獄にも等しい。

「今しばらくの御留まりを。いずれ良き地に紅曙蛸王宮を築こうと計画して居ますが、現在の状況ではそれはあまりにも困難でここで御辛抱なさってもらいたい。」

 ヒィキタイタンも追放の身ではあっても王である。伝説に彩られた古代の女王に対しても引け目を感じる事は無く、それ故にタコリティ独立の現実派から根強い支持を得ている。それがテュラクラフにはなかなか興味深く、対等の物言いをする事を許していた。だが実際は十二神方台系において真に彼女と対等なのは、現在ガモウヤヨイチャンただ一人。紅曙蛸(テューク)神の御代では聖蟲を戴くのは只一人で、歴代の女王はそれぞれ初代ッタ・コップと同じ神の代理人である。

 テュラクラフは話を続ける。彼女の言葉は神の託宣であり予言である。決定であり覆す力を持った者は世にありえない。

「この者達の導きで一度陸に上がります。二月後には妾の力を欲する者がタコリティに来るでしょう。」
「二ヶ月? なにが起こるのです。」
「トカゲ神救世主がしばし方台より姿を消します。改めて神に呼ばれ新たな使命を示され、決断を強いられる。どちらを選ぶかはさておき、不在の混乱はこの地にも及びます。」

「我らが命を賭けて女王をお護りいたしましょう。どうか御留まりを。」
「干上がって死んでいく者を見るのは不快です。」

 テュラクラフは婉然と微笑む。甲板上の者は、裸形の異人を除いて皆衝撃を受けた。予言が正しければテュークの円湾は出口を、おそらくは500隻を越える軍船で封鎖される事になるはずだ。金雷蜒褐甲角の両王国が未曽有の大戦争に臨む時、戦況に関係しないだろうタコリティにこれほどの大軍を差し向けるのは何者か。

 だが予言を知っていれば、本来あり得ない選択肢を敢えて選んでしまい、結果予言を実現させる事にもなる。タコリティが予言を信じて厳戒体制を敷き開戦に備えれば、却って他に警戒され攻撃を誘発するのかもしれない。極めて確度の高い予言は誰をも最善と思われる方向に駆り立て暴走し、状況のコントロールを奪い去る。

 ヒィキタイタンは混乱する。未来はテュラクラフには簡潔明瞭に見えるのだろうが、その一部を知らされる者には何も知らないよりはるかに不鮮明になる。まるで蕃兵の刺青文様に似て予想は常に蠢き、人を迷いの森に誘う。

「ソグヴィタル王!」

 ドワアッダがヒィキタイタンの腕を強く掴み、思考の陥穽から現実にひき戻す。テュラクラフが見えない触手を伸ばしてヒィキタイタンを包み込むと思われたのだ。タコの象徴する意味は「混沌」、女王はまさしく藍色の深淵に潜む怪物だった。

 だがドワアッダには確信がある。この状況を打破する光がただ一つ有る。

「ソグヴィタル王、鍵はガモウヤヨイチャンです。あの方は決して方台の民を御見捨てにはなりません。タコリティにも必ず善き道をお示しになります。」
「そうだった。今や世は青晶蜥神救世主の御代なのだ。テュラクラフ女王とてそれを覆す事はできない。」
「はい!」

「テュラクラフ女王、貴女はどこに玉座を移されるお積もりか。」

 ヒィキタイタンは気を取り直して女王に向かう。今女王に消えられては紅曙蛸王国再建が頓挫する。伝説の女王の姿は、今こそ必要なのだ。
 テュラクラフはふふと小さく笑った。彼女はなんでも知っている。ヒィキタイタンが何を問うのかに、心当たりが幾つもあったのだろう。どれを最初に問うか、賭けていたのかもしれない。

「トカゲ神救世主さまは面白い遊びをお始めになりました。妾もそれに倣いましょう。」

 船縁から新たな異人が飛び出して、ヒィキタイタンの前に跪く。小柄で、女だった。髪を泥で固めて丸く、禿頭に見せている。腰に草を編んだ帯を巻いているだけの裸体で、やはり全身には蠢く文様が刻まれている。
 ばっと顔を上げたその女は、尖った若い乳房を露にした。胸までも文様を彫り込んであるが、顔面には泥の化粧をしているだけでほっそりとした面差しがテュラクラフに似ている。

「・・・影武者ですか。」
「テューク神の化身も無いと困りますね。」

 袖口からずるりと小さなタコが這い出てテュラクラフの掌で頭をもたげる。異人の一人にそれを与えて、彼が娘の額にそれを載せた。この二人はどうやら親子のようだ。

「いずれ妾も戻りますが、それまではこの女王を守り立てなさいませ。」

 と言うや、テュラクラフは身を異人達に預け、彼らは女王を担いだまま船縁を乗り越え、各人が連携して器用に女王を丸木舟に移乗させた。タコ巫女も兵士も手が出せない、あっという間の出来事だった。
 テュラクラフは手を上げ、軍船の上のヒィキタイタンに言い置いた。

「トロシャン・トロシャンに参ります。用があればタコの印を描いた笠をお持ちなさい。彼らが案内するでしょう。では、ご健勝をお祈りします。」

 ”トロシャン・トロシャン”は古語で”いないいないばあ”を意味する。現在「緑隆蝸(ワグルクー)神の苗木箱」と呼ばれる南西部の深い森は、古代にはこう呼ばれて居た。名の通りに、この森に人が踏み込むと不思議な現象に巻き込まれ必ず迷い、最後には行き倒れて朽ち果てる死の森と怖れられている。ギィール神族の超感覚でさえもここでは制限されるので、人は誰も近寄ろうとせず開発も伐採も行われていない。

 丸木舟は軍船から離れると、そのまま円湾の出口に向かって漕ぎ出した。いくらも離れない内に海面に異様な渦が巻き、皆が驚いて注意を離した隙に、いつの間にか全ての舟の姿が見えなくなった。夢を見ているかと思ったほど何も痕跡を残さなかったが、只一人異人の娘だけが甲板上にあり、それまでの体験を現実と証していた。

 ヒィキタイタンは彼女を優しく助け起こす。よく見れば歳は弥生ちゃんと同じほどで、文様さえ無ければ普通のたおやかな娘のようだった。彼女は手を引かれるままに立ち、ヒィキタイタンの胸に身体を預ける。

「∬∝⊇▽○◎♀♂刀E・・。」
「!? おまえ、ギィ聖音で喋れるのか。」

 ギィール神族が用いる象形文字ギィ聖符を直接音読みした言葉がギィ聖音だ。褐甲角王国では学匠と王族以外はほとんど誰も理解出来ない超難解な言語である。
 ドワアッダはなんと喋ったのかをヒィキタイタンに尋ねた。もしや、テュラクラフ女王から特別な命令を受けているのかもしれない。

 ヒィキタイタンは複雑な表情で忠実な友に振り返った。

 

「『貴方のお望みのままに』と言っている。」

「・・・・・テュラクラフ女王は、ヒィキタイタン様をそのようにお考えでありましたか・・・。」

 

 

第二章 沸き起こる歓呼の声に、救世主は眠れない

 

「うーん、あまり良くない。」

 偽弥生ちゃんッイルベスを診察して、弥生ちゃんは言った。
 ッイルベスには別に体調の異変は無い。ただ、これだけ神剣による癒しを行い日常的に青晶蜥神の青い光を浴びていれば影響があるかも、と予備的に調べてみた。
 女だけの天幕の中で、ッイルベスは一糸纏わぬ姿となり、弥生ちゃんにハリセンで撫で回され、目の下をあっかんべされ、舌を引っ張られ、胸に耳を当てて心音を聞かれ、背筋の歪み腕脚の関節を一々曲げて調べられた。その結果が、この言葉だ。

 弥生ちゃんの一行で現在最も位階が上の年嵩のトカゲ巫女が尋ねる。彼女は権之巫女という位にあり、ボウダン街道全域のトカゲ巫女を統べる者だ。

「ガモウヤヨイチャンさま、ッイルベスの身体にはいかなる異変がございますか。それは命に関りますか。」

 トカゲ巫女は青晶蜥神の命に従って病に苦しむ人を救う。その過程で病を伝染されて倒れる者も少なくないが、それがトカゲ巫女の宿命である。たとえッイルベスが命を落とそうとも、千年に一度の救世主の名代を果たした故であれば名誉には思っても恨みは無い。

 しかし弥生ちゃんの次の言葉は、誰にとっても意外であった。

「このままだとこの子、不老不死になっちゃうよ。」
「え? それは神人になる、という事ですか。」
「ああ、この世界ではそういう人は神人と呼ぶんだったね。」

 トカゲ巫女達はざわめいた。だがそれは、神の恩寵とは言えても身体に悪いとは思えない。弥生ちゃんは続ける。

「不老不死とは、この姿のままいつまででも変わらず生き続ける、という事だ。チビのままね。もちろん子供を産む能力も失う。」
「ですが、それは特別な運命を授かった者として、甘受すべきではありませんか。」
「特別な人間であれば、いいでしょう。しかし凡人に耐えられる運命ではない。」

 トカゲ巫女の代表として、権之巫女は頭を下げた。確かに只の人が不老不死を授かっても良いことなど無い。

「それに、トカゲ巫女心得にもあるじゃない。『人の痛みが分からない者が治療を行うのは許されない』て。不老不死になっちゃうと、そういうのは分からなくなるね。」
「では、神剣を長く行使し続けるのはやめた方がよい、とお考えですか。」
「うん。二年を期限として次の者に代わるよう決めよう。ッイルベスは既に大量に浴びているから、一年半で。」
「かしこまりました。」

 まだ一年以上も救世主の名代を続けられると知って、ッイルベスは安堵した。ただやはり不老不死にはなりたくはない。人の幸せは、人と共に在って初めて得られるものだ、と自分でも思う。

 ッイルベスは衣服を纏い装いを整えた。偽弥生ちゃんは飾り物であるから、本物の弥生ちゃんよりも立派に見えるよう衣装も凝ったものになっている。胸に「ぴるまるれれこ」の縫取りがある筒袖の青い上着、という点はデザイン上外せないが、下は長く引きずるスカートになっていて、脚がにょっきり見える弥生ちゃんとは随分違う。肩にも金糸の組み紐があり、額にはガラスのトカゲが聖蟲の代りに飾られる。よく落っこちて割れるのでスペアの用意が欠かせない。

 ッイルベスの支度が終ったところで、トカゲ巫女会議となる。弥生ちゃんがトカゲ巫女に直接指図するのはあまり無い。普通はトカゲ神官を通して巫女は動いている。

「”偽弥生ちゃん”計画は、まずは大成功と言えるでしょう。ッイルベスはよく私の名代を務めてくれました。これからもやってもらいますが、新たに二人増やしたいと思います。」
「ッイルベス一人では足りませんか。」
「これから私はウラタンギジトにしばらく逗留して、青晶蜥王国を建てる準備をします。民衆の治療はかなり難しくなるでしょう。それに、一人では方台全土に手が行き届きません。褐甲角王国、東西金雷蜒王国に一人ずつ派遣する、中でもッイルベスはこれから激戦が予想されるカプタニア周辺に留まってもらいたい。」

「かしこまりました。良き巫女を選って近日中に御前に上がらせます。」
「必ずしも、私にそっくりでなくてもいいよ。」
「心得ました。やはり心根が名代に耐える、礼儀を良く弁えた者にいたしましょう。」

 妙な話だが、本来一元的に統べられるはずのトカゲ神官巫女に派閥抗争らしきものが始まっている。ッイルベスは当然東金雷蜒派で切り札でもあるが、聖山に近い自らを本流と看做すボウダン街道派は今回の新名代選定で大いに力を増すだろう。表では決して争う姿を見せないが、弥生ちゃんはもうその動きに気付いている。

「人の言うことを聞かない強情な巫女がいいな。戦争中に敵地に乗り込んでも潰れない人。」
「は? はい。それは勿論、よくよくに選びます。」

 巫女達を残して天幕を出た弥生ちゃんは、外に控えて居たシュシュバランタを伴って低い丘に上り景色を眺めた。
 ここはボウダン街道の始点で四街道が合流するデュータム点。十二神方台系の北側で最も繁栄している都市だ。「点」が付くが要塞ではなく、防壁もおざなりなものしかない。褐甲角王国の深奥にあり攻められる怖れはまず無く、また聖山に向かう神聖街道の始点でウラタンギジトに向かうギィール神族も受入れる国際都市だ。

 丘の上に翻る水色の「ぴるまるれれこ」旗を仰ぎ見て、参拝に訪れた者がこちらに振り返り跪いて拝礼する。人があまりに多いからデュータム点の郊外に天幕を張って、市内の受入れ準備が整うのを待っているのだが、むしろ街から人がこちらに溢れ出て市を為すほどだ。

「チュバクのキリメは。」
「こちらでございます。」

 ギジジットで王姉妹より貰い受けた暗殺者は、風采の上がらない中年の参拝者にしか見えない姿で情景に紛れ込んで立って居た。呼ばれてやっと、弥生ちゃんの前に跪く。

「例のあれは出来た?」
「はい。ガモウヤヨイチャン様のお役に立つ者を数名集め、デュータム点を調べさせております。」
「どの筋の仕事かは、知らないね。」
「無頼の者の顔役を通しておりますので、各々は繋がりがありません。」
「うん。」

 と弥生ちゃんは遠眼鏡を取り出して覗く。これまで東金雷蜒王国で見た都市とは異なり、褐甲角王国の建造物には華が無く造りも雑だ。実用一点張りなのは、黒甲枝が搾取をしておらず無駄な公共事業を行っていない証明でもあるが、観光客には面白くない街だ。

「位置はいいわね。この辺りに城を作ったら便利がいい。」

 旗に気付いた人が続々と丘の下に集まって伏し拝む。このまま引っ込んでしまってはサービスが悪い、と弥生ちゃんはカタナを抜いて青い光を放った。皆両手を拡げて光が自分の方にも注がれるのを乞い願う。暫くかざした後にカタナは仕舞ったが、表情が重い。
 チュバクのキリメが気付いて尋ねる。

「いかがなさいました。」
「風が、重い。人が死ぬ時はこんな気配があるんだ。」
「何者かが狙って居ますか。」

 チュバクのキリメは謀略と暗殺に対応する為に求められた者だ。弥生ちゃんとその周囲の者に変事が起きぬよう、裏で警戒し続けている。だが、そういう話ではない。

「デュータム点にも陰謀がある。都市は魔物だよ、必ず人を陥れる仕掛けがある。例えば、あれ。」

 弥生ちゃんが指差したのは北側の山にある石造りのダムだった。神聖金雷蜒王国時代の建築物でデュータム点に水を送っている。これがあるからこそ、この街は都市として栄える事が出来た。

「ギィール神族の建築物には必ず自壊装置が付いている。私が街に入ったところでアレを壊されたらかなわないな。」
「すぐに調べさせます。」
「いや、例えばだよ。」

 人がどんどん集まって来るのに辟易して、丘を下る。再び天幕の列に戻りながら、思った。

「私一人が襲われるならなんとでもなるけれど、これだけの人数に害を為そうという敵には、どうやって対処するか、な。」

 

 デュータム点は褐甲角王国の重要拠点である。しかし黒甲枝が直接行政を受け持ってはいない。褐甲角王国の基本理念として、民衆は奴隷ではなく自らの意志で生きていくというタテマエがある。実際は兵站基地としての役割が非常に大きいので常に軍の指導を受けているが、基本的には富商達が自治会議を作ってこの街を仕切っている。

「いや、よくぞおいで下さいました。メウマサク神官長様。」
「いよいよ、いよいよ待ちに待った青晶蜥(チューラウ)神救世主様をデュータム点にお迎えします。この良き日に青晶蜥神殿をあずかる貴方様には、千歳の誉れとなるでしょう。」

 メウマサク神官長、デュータム点のトカゲ神殿を率いる大神官の長で、ガモウヤヨイチャン受入れの最高責任者だ。医術の名手としても知られ、請われて他の都市にも出向いて術を施している。おそらくは、ガモウヤヨイチャンとの会見で権之神官に、あるいは更に上の法神官にまで昇進するのではないかと噂されていた。

 彼は、しかし居並ぶ自治会議の面々に対して、曇った表情を見せた。

「いかがなさいました。」
「いえ。青晶蜥神救世主を迎えるのはトカゲ神殿の悲願。されど、ガモウヤヨイチャンという御方は戦いを好まれます。人を癒す術しか知らぬ我々に救世主様のお手伝いがどの程度可能かと。」

「確かに。人を癒す聖業と、青晶蜥王国を打ち立てて世界を繁栄に導くのと、二つの異なる目的を達成せねばならぬのですからな。」
「左様。トカゲ神殿に仕える者が、必ずしも廷臣として取り立てられるものでもない。金雷蜒王国も褐甲角王国も、神官巫女はどちらも重きを置かれなかった。」

「そうなのです。無論我ら神官団は持てる力の全てを挙げてガモウヤヨイチャン様に従いますが、重きを置かれるのは、・・俗世に生きる貴方がたではないかと考えるのです。」

 会議に参加する富商達は皆喜び、もしやデュータム点が王城に選ばれるのではと妄想を逞しくする。
 メウマサクは実務的な打ち合わせを二三行い、富商達が弥生ちゃんに寄進をする取り纏めをして、自治会議の広間から退出した。彼に付いて来た神官ヨエテが少し憤慨して上司に言った。

「彼らはトカゲ神殿にも宗教的な教義があるのをすっかり忘れています。救世主は教義についても新たなる時代を啓かれるものを、まったくに無知で、」
「俗人であれば、神殿も救世主も具体的な実利のみで評価するのがよいのだよ。私が心配するのはむしろ、救世主が星の世界からこれまでの教義を逆転する概念を持ち込まぬか、という点だ。」
「どうなのでしょう。我ら三千年の修行と研鑽が否定される事にはなりませんよね。」
「無理解であればまだしも、と願うよ。」

 神聖神殿都市に暮らす神官達の関心はそこにある。そもそも神官巫女の制度は紅曙蛸神救世主巫女王ッタ・コップによって作られたもので、金雷蜒神救世主により神聖の位より追い落とされ、故に抽象的な教義の確立に向かい、褐甲角王国の成立後は王国の定めた法律によって縛られる身となった。救世主が出現する度に十二神信仰は大きく姿を変えられてきた訳で、今回の青晶蜥神救世主の出現は更なる変化をもたらすだろうと警戒を強めている。

 この心配は杞憂ではない。弥生ちゃんは降臨の直後にタコリティで会ったトカゲ神官達に、薬品類の効力と副作用の系統的な分析と記録の整備を指示している。個々の神官達の経験によって決められていた処方箋の共通化も始められた。医術と魔法の分離、これが弥生ちゃんがトカゲ神殿に突きつける変革の刃だ。神学の教義から医学が解放される日も近い。

 ヨエテは嘆息した。

「もしも高位の神官が、たとえばメウマサク神官長様が救世主に選ばれて居たらと思うと、悔しくてなりません。何故に地上の人間では無いのでしょう。」
「愚痴を言っても仕方がない。既に救世の聖業は始まっているのだ。たとえここでガモウヤヨイチャン様がお弊れになっても、最早時代は後戻りをしない。」
「戦争ですね。どちらの王国が勝つでしょう。」
「大勢の人が死ぬ。これだけは確かだ。方台に刻まれる傷痕を癒すのに何十年も掛かるだろう。拒んでも顔を背けても、否応なく我らの時代になるのだよ。」

 

 デュータム点を守護する黒甲枝は現在救世主どころではない。

 ボウダン街道西端と南のガンガランガの野が彼らの守備範囲となるが既に実戦部隊の展開は終えており、兵站基地としての機能の強化が要求されている。年間取り扱い量の3倍もの物資がデュータム点に集積され前線に送られているのだから、人手不足も甚だしい。そこに、トカゲ神救世主の到来だ。警備に割く人員などあるわけが無いし、荷物運びの人足達が総出でガモウヤヨイチャンのお出迎えに行ってしまうので対応に苦慮していた。

 故に、メグリアル劫アランサが弥生ちゃん関係を一手に引き受けてくれるのは大歓迎される。彼女は赤甲梢総裁という一軍の将の位を持っており、デュータム点の司令官と同格に当たる。本来ならばどちらが主導権を取るかで争う所、今回に限ってはすべてお任せすると丸投げされてしまった。

 赤甲梢総裁護衛職ディズバンド迎ウェダ・オダは歩きながら話した。彼は実務には疎いアランサに代り、デュータム点との交渉の全てを受け持っていた。

「或る意味ではこれは我らにとっても最大の幸運です。本来ならば何度も査問を受けカプタニアから検分に来るのを一ヶ月も待たされたはずです。アランサ様がまだ若く御しやすいと思われたのも、彼らの警戒心を解きました。」
「ええ。叔母上はそこまで読んでいらしたのですね。」
「警備は邑兵ですら余裕がありませんが、街の自警隊が使える事になりました。一時的に我らに編入されますので、隊長達にお目通りください。」

 二人は警護のクワアット兵を数名だけ連れて、自治会議が置かれている建物に入った。立派な議場はあるのだが、大動員でそこも借り上げられて兵站指令センターになってしまい、自治会議は近くの蜘蛛神殿の別館に移っている。都市の神殿は皆彼らの寄進に依るものだから、普通に大きな顔をして入っている。

 アランサは入り口で見知った顔に出会った。

「あ、メウマサク神官長様。」
「これはメグリアル劫アランサ様。このような場所にお出でに。」

 アランサはメウマサクをよく知っている。4年前彼女が死の病に冒された時、侍医となったのがデュータム点から呼ばれた名医の誉れ高い彼だった。結果的にはアランサの病は彼が癒したと看做され、ますますその名を高めるのに貢献した事になる。

 メウマサクとヨエテは廊下に跪いて王家の者へ臣従の挨拶をする。アウンサは恩人に立つように言ったが、そのままの姿勢での会話となった。

「メグリアル劫アランサ様は、この度青晶蜥神救世主様を御案内される役にお就きになったと伺いました。こちらからご挨拶に出向くべきをこのような場所でとなった事を深くお詫びいたします。」
「国運に関る重大事が、私の初仕事となりました。貴方にはデュータム点に居る間、幾重にも面倒をかける事になりましょう。お許しください。」
「何を申されます。青晶蜥神救世主様は我らが千年の永きに渡りお待ちして居た御方です。どのように申しつけられようとも、皆喜んでお受けいたします。」

 迎ウェダ・オダが先を促すので、アウンサはもう一言言い置いてその場を後にした。

「街に入る前に、メウマサク様もガモウヤヨイチャンさまにお目通りなさいませ。普段は楽しい御方ですよ。」

 

 翌日メウマサクはヨエテを連れて、弥生ちゃんの天幕へ挨拶に行った。既に何人ものトカゲ神官巫女を派遣しているし、各地から参集する神官達の世話をして一行に便宜を図ってきたが、神官長自ら出向くのは初めてだ。弥生ちゃんから、トカゲ神官はそれぞれの神殿・部署で本分を尽すべきと自分を迎える為に医療を怠るのは厳禁されていた為、神官長自身は一番最後に伺う事になった。

 弥生ちゃんは『謁見の間』と呼ぶべき豪奢に飾った天幕で彼を迎えた。無論自分の趣味ではないが、ティンブットが「世の中には財貨の量で人の値打ちを測る馬鹿者が居るのですよ」と助言したから、それらしい人物にはこちらの天幕を利用する。室内の装飾は皆”偽弥生ちゃん”が巡行中に寄付されたもので、東金雷蜒王国の産物に慣れたデュータム点の者にとっても目を惹く品ばかりだ。
 弥生ちゃんの前には、狗番のミィガンに代り武術に名の有る神官戦士が2名立っている。これもティンブットが弥生ちゃんのお役に立つ者をと探して来た。神官戦士は普通甲冑は用いないが、壁として立ち塞がるのが仕事だから胴鎧だけは着けている。

 メウマサクの目の前に居るのは、確かにただの少女だった。しかし神官巫女からの報告で、星から来たこの救世主が尋常ならざる眼力とゲイルを前にしてもたじろがない胆力を備えた、ほとんど超人である事を彼は知っている。
 彼女は割と上機嫌だった。派遣したトカゲ巫女から天幕に入る前に、昨夜何事か異変がありほとんど寝ていない、と聞いたが素振りも見せない冴え渡った表情で壇上にある。

「ごくろうさま。先日来あなた方デュータム点のトカゲ神殿には大変迷惑を掛けています。ごめんなさい。」
「なにを仰しゃいます。我らは千年の長きに渡り、貴方の到来を待ち望んで居たのです。喜びに沸きこそすれ、誰一人迷惑に思う者はございません。」
「ふむ。」

 彼女の額には、彼が長年待ち望んで居た神の化身が鎮座する。輝く鱗に飾られた流線型の身体から蒼く燃える焔が微かに立ち上り、サファイアのように透明な長い尾を振っている。これこそが聖蟲。すべてのトカゲ神官が憧れ求めた救世の使者の証。

 メウマサクは思わず全身が細かく震えるのを感じた。これがふさわしい者は、叡智に優れ人を導く才を天性として与えられた神々しい偉丈夫であるはずだ。女であるとは、ましてそれが天空より遣わされた異世界の少女であったとは。

 その人、蒲生弥生ちゃんは壇の右隣に立つ丸い硝子を目の前に付けた蝉蛾巫女に話し掛けた。

「この人は、褐甲角王国でも一二を争う医術の名人だそうだよ。」
「そうですか。ではさぞかし慕う人も多いのでしょうね。」
「聖山に上って、次の法神官て偉いヒトになるらしい。ひょっとするとトカゲ神救世主になるのかも、と思われていたんだって。」

「そのような戯れ言をお信じにならないでください。」

 メウマサクは思わず声を上げて、弥生ちゃんの言葉を遮った。

「我らトカゲ神殿に仕える者は皆、思いも掛けぬ所から救世主を得ると心得て居ました。星の世界から、とはさすがに考えませんでしたが、意外な人物がその任を得ると誰もが予想していました。」
「ふむ。」

と、弥生ちゃんは自分の背中に手を回し、無尾猫を一頭引っ張り出した。人の噂で糧を得るこの自堕落な生き物が、青晶蜥神救世主の天幕の周りを何十頭もうろついているのは、彼もすぐに気がついた。

「ネコの話とはちょっと違うねえ。貴方は若い頃、自分が救世主になるんだと周囲に強く語ってたらしいし、督促派行徒と間違えられて警邏に捕まったこともある、ってね。」
「そのようなことまで。申し訳ございません。若気の到りというもので、時代の風に当てられて自らの分を弁えず高言したことがありました。」
「そりゃいいんだけどね。」

 と、ネコに対して小声で話し掛ける。ネコは寝そべったまま首をもたげて、二言三言答える。

「お嬢さんがいらっしゃいますね。双子で13才の。」
「はい。」
「でも、誰も見たことが無い。声は華やかで明るく聞こえるけれど、姿はどこからも確認されない。」

「我が家のしきたりで、女子はみだりに表に出るべきでないと躾ております。」
「ならばいいのですが、医術の上手で功名に逸る者は、しばしば家人に対して実験を行うのです。それが心配。」

 背筋に冷たい汗が吹き出すのをメウマサクは覚えた。この少女は確かに尋常でない洞察力を備えている。トカゲ神官が必ずしも救世主に忠実でないのも見切っている。

「悪とは、」
「はい。」

と、頭を垂れて救世主の言葉を聞く。

「悪とは、必ずしも顕かなるものではない。むしろそれは正しいもの、議論の余地無く当たり前の事として存在する。救世主が意外な人物であるのはその為です。思考の枠の外から攻撃されるから、世界にとって衝撃なのです。」
「はい。」
「人を救う試みが、いつも称賛されるとは限らない。全ての人が救いを求めているわけではない。それを見極めてなお且つ救うのが青晶蜥神救世主の仕事です。」

「・・・私ごときが救世主を志すなど僭上の沙汰だと、今改めて思い知りました。ガモウヤヨイチャン様、どうぞ方台を善き世にお導き下さい。」

「ということを、昨夜思い知らされたわけなんだ、わたしも。」

 と、弥生ちゃんは表情を崩す。とても複雑な笑顔をしている。母親が子供に諭されてその成長に気がついた、そんな顔だ。

「ガモウヤヨイチャン様。」
と天幕の外から呼ぶ声がある。

「お時間ですのでお越し願いたいと、ジャバラハン様が、」
「今行く。
 貴方も付いてらっしゃい。青晶蜥神救世主の仕事を見せてあげます。」

 と、天幕から弥生ちゃんは出ていった。頭を下げて見送ったメウマサクは、ヨエテと共に弥生ちゃんを追った。
 弥生ちゃんは神官戦士の案内で天幕や参拝者の群れから外れた森へと行く。かなり離れた人気の無い場所へ、どんどん進んでいく。

 不安になったヨエテがメウマサクに尋ねた。

「神官長様、この先にいったい何があるのでしょう。」
「分からぬのか、もう姿が見えているではないか。」

 言われて先を仰ぎ見たヨエテは、木々の梢の上に白い骨のようなものがあるのに気がついた。横に長く連なるそれの名は、死と同じ響きをもってかすれた声に発せられた。

「ゲ、ゲイル・・・。」
「神餌人です。」

 二人の後を行く神官戦士が説明する。
 昨夜救世主の天幕に、ウラタンギジトへ移送中の神餌人、つまりゲイルの餌となる人間が救いを求めて迷いこんできた。彼は罪人であり、自ら裁きを得る為にゲイルに喰われる事を志願したが、ウラタンギジトに近付くに従い恐怖に捕われ錯乱し、どうにも自分を抑えられなくなって隊列を脱走し、青晶蜥神救世主の一行に飛び込んだという。

「神餌人であれば、褐甲角王国との取決めで一切干渉がならないはずでは。」
「左様です。しかしその取決めに青晶蜥神救世主は拘束されません。ガモウヤヨイチャンさまは昨夜その事でお悩みでしたが、お答えになりました。」

 森の中の開けた野に、巨大なゲイルと神官、奴隷、そして神官服に似た白い衣を着た10名程の人が並んで居た。彼らは神餌人と呼ばれ、金雷蜒神聖王と王族が用いるゲイルの餌となる特別に選ばれた人間だ。
 しかし無理やりに選ばれたわけではない。ゲイルは神聖な生物であるから、餌となる者にも名誉が求められる。彼らは自らが犯した罪の重さを自覚し、それを償う為に敢えて地上で最も恐ろしい刑罰に志願した。彼らの命は金品によって購われ、賠償金として犯罪被害者とその遺族に贈られる。

 弥生ちゃんは彼らの側で説教をしていたゲジゲジ神官に話し掛ける。皆弥生ちゃんの姿に気付き、跪いて拝礼する。

「どう、話は着いた?」
「はい。キルストル姫アィイーガ様は地上において金雷蜒神と交信なされ、既に王姉妹様と同格の御方です。神祭王の神餌人を頂いても、格式においてなんら不足する所はございません。」

 ゲイルは既に装飾を取り払われ、本来の獰猛な姿を取り戻した。木々の間を揺らめく姿は、蟲というよりは博物館で見た鯨の骨にそっくりだ。
 アィイーガは二人の狗番に支えられ、丁度ゲイルに乗る所だった。いつでも儀式に取り掛かれる。

「あの人は、どちらに。」
「はい。」

 二人の兵に見守られ、その男は立ち木の根元にしがみ付いていた。小刻みにその身を震わせ、ひたすら裁きの時が来るのを待っている。
 近寄る姿に金雷蜒軍の兵も跪く。気付いた男が転がるように飛び出して、弥生ちゃんの膝にしがみ付いた。

 それは一見すると滑稽とも思える光景だった。娘のような歳の少女に中年の男が恥ずかし気も無く泣きじゃくり、よだれや鼻水を垂らしながらしがみつく。少女は嫌がるでもなくそのまま幼子をあやすように優しく髪を撫で、彼がとりとめもなく口走る言葉に一々頷いている。

 メウマサク神官長は案内をした神官戦士に尋ねた。

「彼の罪は、なんなのです。」
「過失です。採石場の責任者で、彼の指示に従って三人が死んだと聞いております。」
「東金雷蜒王国の法では、奴隷を上位の者が殺しても死罪にはならなかったはずだが、」
「だからこそ、その責任を負おうとする真摯さ誠実さに感じ入って、神祭王の神餌人とされたのです。」

 後ろから神官ヨエテが、まさにメウマサクが聞きたい事を尋ねる。

「ガモウヤヨイチャン様は、青晶蜥神救世主はいかなる処分を下されたのですか。」
「それは、・・・・。」

 10分以上も男が喋り続け息を切らした所で、弥生ちゃんは二言三言声を掛ける。優しく静かに、微かに、その横顔はあくまで穏やかで日常的で、神の代理たる神秘性威圧感などは微塵も感じさせないが、その場に臨む者全てに美しく映った。
 神官戦士は自分が声を発する事で透明な時間が壊れるのを怖れたが、振り切るように説明を続ける。

「キルストル姫アィイーガ様が解決策を見出して下さいました。彼はここでゲイルに呑まれます。」
「ここで?!」
「はい。恐怖に足がすくみ一歩も歩けない者にこれ以上の旅は無理だと。青晶蜥神救世主に見守られながら逝くのは、神餌人が望み得る最も幸運な旅立ちです。」

「救世主様は、人が死んでいくのを良しとされたのか・・・・・・、!」

 ゲジゲジ神官が二人の側に近付いて、準備が整ったと告げる。男はそれまで泣きじゃくっていたのを止め、誰の助けも受けずに自ら立ち上がり、弥生ちゃんと対面する。恐怖の色は隠し果せないが、無理をして笑みを浮かべていた。弥生ちゃんは彼を仰ぎ見て、また一言告げた。
 彼は少し頭を下げて礼を言い、後ろを振り返る。黄金の鎧に身を包んだギィール神族に駆られる白い骨の列柱が、がらがらとぶつけ合う音を立てて広場の中央に位置を取った。

 彼はその前に歩いて行く。歩いて行こうとするが、動けない。弥生ちゃんもゲジゲジ神官も傍を離れて、残る神餌人の近くに寄った。
 これ以上彼が動く事は無いと見極めたアィイーガがゲイルを前に進め、大きく鎌首をもたげさせた。高さは7メートルにもなる。
 彼は目を必死で瞑り両手をしっかりと握って頻りに上下に振って金雷蜒神に祈り続ける。弥生ちゃんの背後の神餌人達も必死で経文を唱えた。

 アィイーガは二度ゲイルをけしかけては留める。試すように、目を瞑っていても感じるように、日差しを遮って影を投げ掛ける。彼は壊れた人形のように腕を上下に振り続けた。
 三度目に、アィイーガはゲイルの口をゆっくりと近づけさせて、その吐息を彼に浴びせた。
 ぴたっと、動きが止る。白い衣に包まれた彼の肉体の中で、恐怖が膨張していく様が、誰の目にも明らかだ。

 だが全ては一瞬で消えた。四度目はアィイーガはゲイルを留めなかった。男を一口で呑み込み、顎を閉じる。
 ゲイルの殺戮は、むしろ慈悲に溢れている。口腔内に並ぶ百列の歯は、瞬時に人の身体を切り裂き肉を削り取り、苦痛を覚える暇を与えない。ただ、多少の血が顎から吹き出る事で、やっと見る者に何が行われたか伝えるのみだ。

 

 全てを終え、神官戦士達が粛々と後片づけをしていく。彼らの前に弥生ちゃんは立ち続けていた。身じろぎ一つ、瞬きさえせずに殺戮を見届けた。
 青ざめた唇で、メウマサクとヨエテは弥生ちゃんに近付いて話し掛けた。問うべきがあった。

「真の救世主ならば、彼を助けられたのではありませんか。」

「・・・・・そうね。助ける方法なら7通りほど考えた。後悔の無いように記憶を奪ってどこかへ流すか、足腰立たないくらいぶん殴って本国に送り返すとかも。でも彼がそれを望まなかったから。」
「生きようと、助けを求めて飛び込んできたのではないのですか。」
「それならば、いくらでも助けられたのだけれど、・・・違う。
 彼は、トカゲ神救世主ならば恐ろしさに留めようもなく震える身体を癒して、心静かに死の元に歩み続ける方法を教えてくれると信じていたのよ。」

「先程は、どのように説得なさったのです。」
「何も。ただ彼が喋るのを聞いて居ただけです。彼の家族の事、生まれてこの方の事、お仕えした神族のこと、友達のこと、何を求め生きて来たか、なにを見て心に感じたか、そして事故が起きた時自分に何が出来なかったか、牢の中でいかに悔やんだか。でも一言も「助けてくれ」とは言わなかった・・・。」

「最後になんとお言葉を掛けられたのです。」
「あれは、『天河の冥秤庭にて、チューラウの隣の席でお待ちしております』と。」
「冥秤庭に行かれた事が御有りで?」
「まさか。そう言えば安心すると、ゲジゲジ神官に言われたから。青晶蜥神救世主は用があれば嘘だってつきます。アィイーガ!」

 一仕事終えたアィイーガがゲイルから降りて狗番達と弥生ちゃんの方に歩いてきた。感情を殺して育った彼女は、平静とまったく変わらぬ様子を見せる。

「どうだ、ガモウヤヨイチャンどの。まだゲイルに人を食わすのは許せないか。」
「いえ。私はこの件に関してはもう口を出さないと決めました。あなたたち十二神方台系の人々が自らそれを止めるべきだと決断する時まで、救世主ごときが干渉すべきではない、とね。」
「いい心掛けだ。」

 再び回り出す日常の時間に、耐え切れず追われるようにその場を離れたメウマサクに、ヨエテが必死で追いすがる。

「なんだ、なんだ、なんなんだ、アレがほんとうに我らの救世主なのか。」
「神官長様ー!」

「あんな者が世界を導くならば、世界は一体何処に向かうのだ。チューラウはアレに人を殺す権を認めたのか。」

 薮を掻き分け飛び出したのは、夥しい参拝者の海の中だった。メウマサクの目の前に、ガモウヤヨイチャンに救いを求める人が幾重にも列を為していた。
 急に立ち止まった背中に、ヨエテはぶつかる。尊敬すべき神官の先達は、人々が目に入らぬかのごとくに遠くを見詰め、つぶやいていた。

「糺さねばならぬ。神ですら道を誤るのだ。私が、人々を滅びの手から救わねばならない・・。」

「メウマサク神官長様、」

 彼に声を掛けたのはデュータム点から派遣したトカゲ巫女の一人で、彼の子飼いの者だった。
 トカゲ巫女はメウマサクの耳元で、秘せられた事実を打ち明けた。

「なに? ッイルベスが神人になりかかっている、だと。」
「はい。神剣を長く使い過ぎると不老不死になると、救世主様はお禁じになられました。」

 

 トカゲ神殿の脇にある神官長の職邸に戻ったメウマサクは、そのまま庭園の隅にある岩窟仕様の祭壇に向かった。紅曙蛸王国時代の洞窟祭壇を真似たそれは、しかし入り口に太い鉄の棒が何本も嵌まって、獣の檻のように改造されていた。
 暗い祭壇の中に向かって、彼は優しく声を掛ける。

「娘よ、お前達が父の為に働く時が遂に来たぞ。もうしばらくの辛抱だ、今太陽の光を見せてやろう。」
「おとうさま、私達が人前に出ても良いのですか。」
「おとうさま、お外で遊んでもよろしいのですか。」

「ああ、思う存分に駆けるがいい。この日の為に、おまえたちは生まれたのだからな・・・。」

 

第三章 北の都に咲く双輪の花は、可憐な毒に彩られ

 

「獣人の処方だ、間違い無い。毒への耐性が与えられているから、500年は前の文献に基づいているな。」

 その薬品リストを見せられたアィイーガは即座に答えた。念の為に確かめてみるが、絶対だと請け負う。
 獣人の処方は元々ギィール神族が奇跡の肉体を作る霊薬エリクソーから発している。とはいえ、ひたすら戦闘力の強化、筋肉の増強に務め、寿命が極端に短くなる事も厭わない処方は神族に忌避され、絶対やってはいけない見本として皆が心得ているそうだ。

 弥生ちゃんはこのリストをチュバクのキリメから受け取った。彼がデュータム点に遣わした数名の間諜は、都市の内情を探り今後の交渉を有利に進めるはずだったが、トカゲ神殿の内部情報を探った者からはこの驚くべき書類がもたらされたわけだ。

 弥生ちゃんはため息を吐く。出来るならば、自らの直接の配下となるトカゲ神官巫女を信じたかった。しかし、これでは。

「大量の薬品の横流し、しかも戦闘用にしか使い道の無い獣人の処方、毒殺対応、と来たもんだ。メウマサク神官長の狙いは、なんだ。」

 アィイーガが事もなく答える。

「それは、トカゲ神救世主になる気だったんだろう。獣人の能力をうまく使えば、奇跡の一つくらいは起こせるからな。」
「だろうね。不正の1ダースくらいは覚悟していたけれど、最悪。」

「・・申し訳ありません。」

 誰に求められてもいないが、消え入る声でメグリアル劫アランサは謝罪した。デュータム点は褐甲角神殿都市エイタンカプトのお膝元で、アランサもたびたび訪れているなじみの街だ。メウマサク神官長には彼女自身も治療を受けている。名医の誉れ高く誰からも尊敬され、神官としての最高位も間違い無しと見られていた彼にこんな裏があったとは。褐甲角王国の王女として、不明を恥じ入るばかりだ。

 しかも弥生ちゃんは城内に入る前に、既にデュータム点を救ってしまっている。

 デュータム点に水を送る山間のダム、神聖金雷蜒王国時代の建築物に秘められた自壊装置を発動させ、青晶蜥神救世主諸共押し流そうとする陰謀を事前に察知し、犯人を捕らえて処断したのが昨夜の話。これもまた督促派行徒の仕業で、しかも王国に禄を食む学匠であった事実がアランサを落ち込ませた。
 民衆を救うべき褐甲角王国内部がこれほどまでに腐っていたとは、衛視局はなにをしていたのか。彼女自身の咎ではないが申し開きのしようも無く、逆に弥生ちゃんに慰められのも腹立たしく情けなく、一夜を悔し涙で明かしたのだった。

 弥生ちゃんはアィイーガに尋ねる。

「てことは、今の獣人は毒の耐性が無いの?」
「毒を受ければその部位の血を止め、すみやかに毒消しの治療を行うのが、現在の標準的な手法だそうだ。褐甲角王国は毒矢を使わないからな、少しでも獣人が長持ちするように耐毒の処方は止めている。皮膚に青黒く斑紋が出て見た目にも美しくない。」
「ふむ。」

 結局、滞在中何事も無ければ弥生ちゃんが直に処分を下すのはやめにして、神職取締まりを責務とするカニ神殿に任せる事に決めた。が、アィイーガはせせら笑う。

「何も起きないはずが無いじゃないか。」
「そりゃまあ、あるだろうねえ。」

 アランサは、弥生ちゃんがアィイーガに簡単に同意するのを不審に思う。まるで何事か起きるのを期待している風にも見える。
「なにか前兆でもあるのですか。」

「いや、さっきまでそこの天幕の裏で、私達の会話をトカゲ巫女の一人が盗み聞きしてたから、ねえ。」
「デュータム点から派遣されている奴だよ。メウマサクとやらの手の者だろう。」

 またしてもアランサは頬が赤らむ。と同時に、ガモウヤヨイチャンが十二神方台系に降臨して以来ずっと、このような謀略と密殺の危険に曝されてきた事を知る。並に優秀な人物が青晶蜥神救世主であったなら、既に百回は死んでいただろう。

 

 

 夏初月廿七日、弥生ちゃんはデュータム点に入城した。青晶蜥神救世主として最初から歓迎されての大都市への入城は初めてで、これを以って救世主降臨が正式に十二神方台系で認知された。
 ガモウヤヨイチャンの行列は、ティンブット指導の下デュータム点の全神殿神官巫女勢揃いで行われた。タコ神殿から舞楽の隊列が星の世界の音楽を奏で、蝉蛾神殿の歌手が弥生ちゃんを称える歌を、カタツムリ神殿から神話の時代から今日までの歴史を物語る扮装をした俳優達が、カエル神殿からは婉然と微笑む妓姫が沿道に待ち受ける人々を楽しませる。
 そして、

 今日だけは輿の上に高く担ぎ上げられた弥生ちゃんは、精一杯愛想良く手を振った。人々に注目される事は慣れている弥生ちゃんだが、これほど歓迎されるとさすがに照れる。とはいえこの瞬間にも家の屋根から弓で狙われるとか、人々の列に毒樽を投げ込まれるなどのテロ行為も有り得るから、にこにこしながらもやはり自分で監視をせねば気が済まない。実際何人か不審者も発見し、チュバクのキリメが率いる隠れ警護隊に人知れず拘束させた。

 弥生ちゃんに続くのはアィイーガの『あまり恐くないゲイル』を先頭とするギジジットのゲジゲジ神官団だ。デュータム点の住人はゲイルには見慣れていないが、この熱狂の中ではもう怖いのも恐ろしいのもどうでもよくなり、いっそここで殺せとばかりに飾りつけられたゲイルに触ろうとして神官戦士に追い散らされた。
 次は、イヌコマに乗った”偽弥生ちゃん”ッイルベスと神剣の輿で、東金雷蜒王国から行列に付いて来た様々な階層の人々もそれに続いた。彼らは「プレビュー版青晶蜥神救世主」の巡行で寄進された様々な宝物を担ぎ、デュータム点の人に見せびらかせる。東金雷蜒王国の威勢はこれほどのものだと言わんばかりで、デュータム点、褐甲角王国の富豪達の心に対抗心を沸き起こさせる。これはティンブットの計略で、デュータム点においても寄付寄進を目一杯集めるつもりだ。

 弥生ちゃんが乗る30人で担ぐ大輿の上に、真っ白な無尾猫が一匹するすると登ってきて、耳打ちする。

「すごいすごい。こんな行列見たことない。聞く人皆喜ぶ。」
「よしよし、この話をよその町でも目一杯喋りまくってよ。で、例のアレはちゃんとやってる?」

 ネコ達は行列の見物に人が出掛けて空になった街を走り、安全を確認して回っている。特に付け火には注意するよう言われているが、今の所無事だった。
 ネコは更に念を押す。

「ごちそうごちそう。」
「わかってる! 後でフィミルティの所にみんなで行きなさい。」

 行列の目的地はデュータム点の中心広場に隣接する蜘蛛神殿、つまり仮の自治会議議場である。その庭に特設された舞台の上で自治会議の議員達、デュータム点の褐甲角軍を率いる兵師監(将軍)とその配下の黒甲枝、そして褐甲角王国第三王家のメグリアル劫アランサ王女が待ち受けた。

 アランサはデュータム点の衛視局を率いる黒甲枝から、この歓迎は必ずしも王国全体が青晶蜥神救世主の聖業に全面的に協力するわけではなく、ましてや新王国樹立に賛同したわけでもない、と念入りに説明された。単に、天河の神々の意志に逆らうものではなく最大限に尊重する姿勢を表明する、だけ、だそうだ。また、これから始まる大戦争、巷では誰言うとなく「大審判」戦争と呼ばれるようになった未曽有の大戦において、その遂行を青晶蜥神救世主が妨害する言動を見せた場合、弥生ちゃんを躊躇なく拘束軟禁する、という。
 ボウダン街道において黒甲枝ジンハ守キンガイアが破れるのを見たアランサは、彼らの言に空しさを感じる。そもそもこの度の大戦争だって、ガモウヤヨイチャンが毒地を浄化した事が発端だ、と既に世に知られてしまっている。だからこそ「大審判」と呼ばれるのだから、何をかいわんや。しかしメグリアルの姫は呆れた素振りを黒甲枝に見せるわけにもいかず、「善きように」と微笑むしか無い。

 そしてアランサの後ろには、

「メウマサク神官長様、まさしく新時代の到来ですな。ごらんなさい、あの人の群れ、あの喜びよう。自分の生きている内に救世主様の降臨に巡り合えるとは、天河の神に感謝を幾ら捧げても足りませんぞ。」

 傍らの高齢の議員の言葉に、メウマサクは仮面の笑顔で応じる。既に派遣した子飼いのトカゲ巫女から、ガモウヤヨイチャンが自らの不正に気が付いていると報告を受けていた。彼の滅びは目の前に迫っているというのに、何を喜べるのか。しかしその場に居たはずの、彼の前に立つメグリアルの王女は未だに何も言って来ない。おそらくは救世主の一行がデュータム点を出た後で処分が下されるのであろう。彼のチャンスは弥生ちゃんが街に居る時だけだ。

 興奮はさらに高まり、舞台に大輿が横付けされ弥生ちゃんが降り立った時に頂点に達した。薄い昆虫の翅を摸した衣装に身を包むメグリアル劫アランサ王女と、今日ばかりはちゃんとぴかぴかに飾りを付けた弥生ちゃんとが並び立ち、大群集の歓呼の声に応える。

 式典の次第では、次にメウマサクを頂点とするトカゲ神殿の者が打ち揃って弥生ちゃんに忠誠を誓う事になる。舞台の上にあった彼は一段と低い位置に降り、トカゲ神官巫女達と共に地に跪き額ずいて、救世主の降臨を喜びその聖業に献身し命をも捧げる事を誓う。

 これは、屈辱だ。

 本来ならば誰であれ青晶蜥神救世主に対してこのような思いをメウマサクが抱く事は無かったであろう。しかし、
 ガモウヤヨイチャンだけは別だ。彼女はメウマサクの立場を、矜持を、心をずたずたに引き裂いていく。長年掛けて積み上げた全てが故も無く崩壊していく様を、指を咥えて見ているしか彼には術が無い。望みがあるとすれば、それは。

 

「救世主様、いまなんとおっしゃいましたか?!」
「え、いや。星の世界の言葉だと、”点”は”ポイント”と言うのかな、と。」

「デュータム”ポイント”! 今日からこの街は”デュータム・ポイント”と名乗ります!」

 怒濤の歓声が押し寄せて、舞台に立つ人を包む。弥生ちゃんはしまったーうかつだったー、と唇を噛んだ。今後行く先々の人が、自分達の町や村にも「星の世界」風の名前を付けてくれとせがむに違いない。口が滑った、と後悔してももう遅い。

 しかし嬉しい事も有る。

「い。烏賊だ。」
「はい。西金雷蜒王国の海で取れましたティカテュークで御座います。」

 それは舞台上で捧げられた数々の贈り物の内の一つ、飴色に透ける身体に粉を吹いた懐かしい姿がそこにあった。

「イカだ、熨斗烏賊だ。」
「はい。西岸の名物にございます。」

「ひぃ〜〜ん、懐かしいよお。」

と手にとって頬擦りする弥生ちゃんに、群集は熱狂した。星の世界からお出でになった救世主様が、十二神方台系の文物にこれほどお慶びくださるとは。望外の答礼にデュータム点の人々は皆感涙に咽せた。

 

 その晩の街を挙げての大歓迎会の宴席を抜けて、メウマサク神官長はトカゲ神殿に戻ってきた。

 神殿の内部には、輿に据えられたままの神剣が運び込まれ、「東金雷蜒組」と呼ばれるトカゲ神官巫女の一団が守って居た。神殿の周囲には神官戦士団も警護を務める。
 メウマサクは、神剣の行使者として人々に知られるようになった”偽弥生ちゃん”ッイルベスに案内を乞うて、輿に近付いた。

「あ、ご注意下さい。不用意に刃に触りますと、指くらい簡単に落ちますよ。」
「鉄をも切り裂くと聞いたが、」
「はい。東金雷蜒王国において、ギィール神族の方々が何度も剣で打ち掛かりましたが、ことごとく断ち切られてしまいました。」
「御前はこれでケガをした事は無いのか。」
「どういう理屈かは分かりませんが、私に限っては刃が刺さらないようです。」

「なるほど。」

 と輿から降りてメウマサクは神剣の治癒について詳細を尋ねた。ッイルベスだけでは症例をうまく説明出来ないので、トカゲ神官も説明に加わる。

「すると、この剣でも人を癒せない事もあるのだな。」
「外傷や流行病いには劇的に効果を示しますが、反面内臓の損傷に由来する症状においては、痛みの軽減と全体的な体調の回復こそありますが根本的解決は無いと思われます。」
「表層的に働く、という事か。」
「慢性の病や毒にも効き目が顕著です。しかし重篤な症状ではやはりガモウヤヨイチャンさまがお持ちになるハリセンでないと無理です。」
「ハリセンを他の者が用いた例は無いのだな。」
「ありません。ですが多分、用いても救世主さまのようには使えないでしょう。ハリセンの真の力は、人体を解体して修復する秘術にあります。あれは青晶蜥神の聖蟲を持たぬ者には到底無理かと。」
「なるほど。」

 メウマサクは輿の上で青い光を湛える神剣を見上げた。この剣を使用して人を癒し続ければ、青い光を自らも受けて不老不死の神人になると聞く。

「この剣の効力は、いつまで続くのかな。」
「いつまで、と申されますと。」
「つまり、ガモウヤヨイチャン様が十二神方台系にあられる間だけ、という事は無いのか。」

 これに関してはッイルベスが知っていた。

「ガモウヤヨイチャンさまに伺いました。地上にチューラウの御姿が有る限りは、霊力は絶えず供給され続けると仰しゃったので、千年の間はおそらく大丈夫です。」
「それは良い。実にいいな。なるほど、なるほど。」

 

 

 翌日。舞台をトカゲ神殿に移して、弥生ちゃんの大治療大会が行われた。全ての人を分け隔てなくハリセンで治癒していくという、誰もが待ち望んでいたイベントだが、来るのは病人ばかりとは限らない。むしろ、一人の病人をダシにして十数人もの一般参拝客が弥生ちゃんのお傍に近付いて、ハリセンで撫ぜてもらおうとする。大混雑必至で却って本物の病人が体調を悪化させかねず、本当に治癒を望む者には別会場のッイルベスが神剣にてまっとうな処置を行う。

 弥生ちゃんの傍を固めるのは兵士ではなく神官戦士達で、彼らは大群集の中にも押し入って不審者が居ないか検査している。トカゲ神官巫女も総動員で治療看護に当たる。近郷近在からあらゆる症例の様々な段階の病人が担いで連れて来られているので、弥生ちゃんの前に辿りつく前に死にそうになるのを、彼らが途中で食い止める仕組みだ。治療費は今回大サービスで、なんとまったくのタダ! 但し、会場の周辺には青晶蜥神救世主ガモウヤヨイチャンの関連グッズ、お札やらおみくじやら、ぴるまるれれこワッペンに青ガラスのカベチョロ、神剣のミニチュアまでがわんさか売られていて、儲けはそちらで出すようになっている。弥生ちゃんのデュータム点入城が遅れたのも、ティンブットが発注したこれら関連グッズの生産が間に合わなかったからだ。グッズ販売では定評のある蜘蛛神殿から巫女の応援を募っている。

「これはまた、凄まじい人数だな。」
「外から来た人だけで5万人は居るのでしょうか。よくもまあデュータム点に泊まる所があったものです。」

 アィイーガとフィミルティは何事もせずに神殿の屋根から高見の見物をしている。ギィール神族であるアィイーガは、敵地であるデュータム点を勝手にうろつき回る事は許されないし、蝉蛾巫女フィミルティは弥生ちゃんの私用を承る為に待機している。

 大活躍なのはいいかげんなタコ巫女ティンブットで、ここで稼がなければいつ金儲けするのだと言わんばかりに、自治会議その他の富商富豪を回って、青晶蜥神救世主への寄付寄進を呼び掛ける。その際に「プレビュー版青晶蜥神救世主」の一行が東金雷蜒王国でいかに厚遇されたか、ギィール神族がどのようにもてなしてくれたかをさりげなく、感動的に、印象深く、押し付けにならないよう注意しつつも吹聴して、彼らの自尊心をいたく刺激する。

「・・・青晶蜥神聖王国建国準備委員会というものを、ここデュータム・”ポイント”で立ち上げます。聖山に近く青晶蜥(チューラウ)神の滑平原に下 るこの地は、王宮を建てるのになかなかにふさわしい場所の一つとして、ガモウヤヨイチャンさまの覚えもめでたいようですよ・・・・。」

 こんな事を言われては、富豪達も乗り気になるしかない。ボウダン街道の中心にはかって古代紅曙蛸王国の首都テュクルタンパがあり、きらびやかな栄華を誇ったと歴史書には記されている。青晶蜥神救世主降臨を受けてその再来にデュータム点が成り代わるのだと、彼ら自身も妄想に酔った。

 

 弥生ちゃんは、神殿入り口の壇上で民衆の握手責めに遭っている。握手、というよりもしがみ付く、あるいは手が抜ける程に引っ張られると言った方がよく、警備の神官戦士も手荒な真似が出来ないから、優しくそれでも強引に参拝者を引っ剥がしていく。しかし次から次に押し寄せる参拝者に、彼ら自身も踏み殺されそうだ。
 なにしろ参拝者達は、青晶蜥神救世主の前で死ねたら極楽往生間違い無し、と言わんばかりに生命の危険も省みずトカゲ神殿に突っ込んで来る。貧しい者もこの日の為にと全財産をはたいてデュータム点に泊まり込んでいるのだから、必死さの度合が違う。

 この熱狂ぶりは十二神方台系においてこれまで見られなかったもので、知らない間に弥生ちゃんはまたしても宗教上の観念を塗り替えてしまった。民衆が権力に組織されずに自らの意志で宗教活動にのめり込む「大衆動員宗教」の始まりとして、歴史書に特筆される。

 壇の上の弥生ちゃんは、最早余裕をかなぐり捨ててハリセンで参拝者の頭をどつき張り回す「バナナの叩き売り」状態に陥った。個別に病状を把握する暇も無く、ただ人数をこなすのに精一杯だ。戸板に乗せられて運ばれる病人の中には、明らかに瀕死あるいは死んじゃってる者まであるが、ハリセンでどつけば何割かはちゃんと生き返ってくれる。死んだままの者はそのままコウモリ神殿に直行して、弥生ちゃん参列の合同葬儀が行われる事が決まって居て、それを狙って自ら毒をあおる大馬鹿者まであった。

「にゃああああああ〜〜!」

 いきなり弥生ちゃんの嬌声が群集の頭上に響き渡る。警備上不手際があった、と神官戦士達は血相を変えて駆け寄ったが、状況を確認すると更に頭に血が昇る。

「こ、この、この不届き者がああ!!」

 デュータム点近郊に住むレロン・ゥエンゲと名乗る者が、犯人だった。彼は両足が萎えて歩けない患者に化けて、身体障害者専用ルートを這って壇上に辿りつき、助け上げようとした弥生ちゃんの尻を、まんまと触る事に成功した!

「ふ、不覚!」
 弥生ちゃんは頬を真っ赤に染めてスカートの尻を押さえる。レロン・ゥエンゲは屈強な神官戦士達に寄って集って袋だたきの目に遭った。

「この者、いかが致しましょう!」
「逆さ磔!!」
「ははあーーー!」

 レロン・ゥエンゲは参拝者が押し寄せる沿道の上に、高々と逆さに磔にされた。
 彼の物語はここで終わりである。その後磔から解放された彼がどこに行ったのか、誰も知らない。しかし彼はこの一事をもって千年先までも名を知られる大有名人、歴史に名だたる大痴漢となる。「逆さ磔の男」はその後の演劇や小説、絵画彫刻において好んで描かれるモチーフとなり、また彼の経歴やその後の活躍が偽造されて一大ヒーローに上りつめ、ガモウヤヨイチャンの救世の聖業を助ける謎の快男児として持てはやされる事になった。

「不覚!」
「なにをやっているんだか。」

 

 壇上に押し寄せる人の波の中、少女は花を抱えてゆっくりと弥生ちゃんに近付いていた。

 参拝者は病人一人に対して付き添いが平均5名、ほとんどが野次馬根性で弥生ちゃんを拝みに来ているから、何らかの献上品、花や御菓子を持っていた。豕と呼ばれる食用タヌキを抱えている者すら居る。警備に当たる神官戦士達も一々荷物検査するのは諦めて、ただ顔色を見て悪心が無いか判別しているだけだ。法子姿と呼ばれる身分の高い子供の服装に身を包み頭巾を被った彼女も、ほぼ素通りで登っていく。

 献上品だけを持った者は壇上で患者とは切り離されて、供物台に案内される。供物台は弥生ちゃんの背後を回って少し離れており、何人もが列となって献上品を預け巫女にお札をもらっている。柵が有り神官戦士が杖を持って警備しているが、手の届く所に救世主が居るのに彼らが冷静で居られるはずも無い。最も近い場所は人が立ち止まって脹れ上がり神官戦士達に押し戻されている。そのすぐ後ろからも花を抱えたおばさんが柵から壇に転げ落ちて弥生ちゃんに走ろうとして、捕まった。

 少女は前後を見回して、前に居た20代後半の婦人の手を爪で引っ掻いた。白く小さな指にわずかに伸びた爪、だが内出血したように青黒いそれが肌に走るとすぐにミミズ腫れに成り、婦人は左手を押さえて列に倒れ込んだ。
 行列内で倒れる者は少なくない。神官戦士と前後の参拝者が彼女を助け起こすが、その為警備にわずかの隙が出来た。

 飛び出したのは一人ではない。誰もが弥生ちゃんに近付く機会を窺っていた。たちまちに6人が柵を飛び出す中に、少女も居る。頭巾の下の白い、白粉を塗った顔に思わず笑みが走り、歯を剥き出した。

 

 瞬閃! 弥生ちゃんは左手一本で腰に吊るしたカタナを抜き、後ろも見ずに横に薙いだ。飛び出した参拝者の中で只一人、少女だけが顔を押さえて壇の上に転がる。

 絡みつく患者達の手を振り払い、カタナを左手に提げたまま弥生ちゃんは仁王のように厳とした気配を発して立ち上がる。皆、何事か異変が起きたと察知して、粛然とする。
 弥生ちゃんは言った。

「触るな! 毒を持っている、杖で取り押さえよ。」

 瞬時茫然とした神官戦士達は、だが明確な指示を得て気を取り直し、起き上がって来る少女を輪に囲んだ。彼女は口を押さえて血を流しているが、傷を受けたようには見えない。再度弥生ちゃんは注意する。

「引っ掻かれるな!」

 だが少女は獣の敏捷さで暴れ回り、打ち下ろされる杖を叩き折り、遮二無二弥生ちゃんに近付こうとする。神官戦士は2名が爪を受けて、顔や腕を大きく腫らして倒れ込んだ。
 弥生ちゃんはハリセンを腰の後ろに戻してカタナを握り直し、傷ついた神官戦士に峰打ちを食らわす。青い光が弾けて彼らが受けた毒を散らした。ついでに少女の真正面にばんと立ち塞がり、息を呑んだ瞬間に間合いを詰めて右頚動脈を峰打ちで強打して、昏倒させた。

 トカゲ神殿の建物からフィミルティとアィイーガが飛び出して来た。黄金の鎧に身を包んだ神族の姿を見て、弥生ちゃんは言う。

「双子だ、もう一人居るはず!」

 アィイーガにはそれで十分だった。獣人の処方を与えられた双子の少女が、トカゲ神救世主の命を狙って群集を巻き添えに襲って来る。数万人の中からでも、額のゲジゲジの聖蟲は瞬時に対象を発見した。

 もう一人の法子姿の少女はまだ100メートル先に居る。しかし自らを射貫くアィイーガの視線に敏感に気付いて、白粉で固めた顔を上げる。

 ぱあん、とアィイーガの額から赤い光条が走った。
 「金雷蜒神の雷」と呼ばれる聖蟲の直接攻撃だ。空気にレーザー光線を吸収させプラズマ化して膨張破裂させ、大音響と打撃を与える。だが刹那に身を翻した為に、少女は直撃を免れた。頭巾を飛ばして白い顔、白い短い髪を曝し、群集の上を驚異的な跳躍力で飛び越えて逃げた。

 場内の群集に紛れて不審者の警戒をしていたチュバクのキリメが少女を追う。壇上からは遠くて状況がよくつかめないが、アィイーガの雷はなにより雄弁に事態の深刻さを物語っている。彼は人の波の中を魚が縫う滑らかさで抜けて、街に消えた少女を探す。王姉妹の特別の許可を得て選抜した「ジー・ッカ」の工作員が5名、彼の行動を支援して街に網を張り、逃げる獲物の行く手を阻む。

 壇の上では弥生ちゃんが倒れた少女を調べている。いつ息を吹き替えすかも知れないので手足は縛り上下に引っ張って拘束されている。

「口の中に、紐がある。これを噛み切ると腹の中のなにかが反応する仕掛けだね。最初に歯を斬ってよかった。」
「何を仕込んでいるのだ。毒でも吐き出すのか。」

 アィイーガもこのような特別な仕掛けを施された獣人を見るのは初めてだ。さすがに金雷蜒の聖蟲でも人体の内部までは透過出来ない。弥生ちゃんは小刀で少女の服を切り裂いて胸から腹を露出させた。
 そのおぞましい姿に、フィミルティが悲鳴を上げる。

「酷い・・・。」

 少女の全身は青黒い斑紋が無数に浮き出ていて正視に絶えない。顔と手だけを白粉で誤魔化しているが、化粧が無ければ人前に出ることは叶わない醜さなのだ。
 弥生ちゃんは慎重に腹に手を当てて触診する。額のカベチョロの聖蟲が感覚を支援して、胃の中の異物の詳細を教えた。

「どうやってこんなものを呑み込んだんだ? 喉の大きさよりも太い筒だ。中には強い酸が入っていて、紐を噛みきり引き抜けは強烈な反応を引き起こして爆発する・・・。」
「・・・毒を含んだ全身の肉を、ガモウヤヨイチャンに浴びせる手か。」
「そんな! これを施したのはこの子の父親なのでしょう?!」

 フィミルティは既にこの少女の身元を教えられている。トカゲ神殿神官長メウマサクの双子の娘。13歳だが身体を見るとまだ11歳程度で、胸も膨らんでいない。
 そんな物騒な奴はさっさと殺して穴に埋めてしまうのが一番だ、とアィイーガは思うが、トカゲ神救世主はそんな事はしない。

 弥生ちゃんは神官戦士と壇上の巫女に命じて参拝者を大きく後ろに下げさせた。ハリセンを引き抜いて、腹の上に当て、慎重に位置を確かめる。

「腹をかっさばいて、中の筒を取り出す。それ以外に方法は無い。」

 突然少女がかっと目を見開き、斬られて血が吹き出している歯で噛みつこうとする。毒を含んだ血を浴びれば普通の人間なら相当のダメージを負うが、弥生ちゃんは動きを予測していたように無造作に血飛沫を避け、ハリセンで少女の顔をぶん殴って再び眠りに就かせた。

 ハリセンが青い光を篝火の大きさに膨らませて滴らせ、遠目で見る群集までをも照らし出す。

「術式を開始します。」

 

 少女、双子の妹の方は街を逃げ続けていた。

 父メウマサク神官長の言った事と全然違う。自分達は父の手で何者にも負けない力を与えられたはずなのに、どうしてこんな目に遇うのだろう。
 彼女は確かに並の人間をはるかに越える速度で走る。人を飛び越え高い塀を登り、家々の窓をくぐって逃げているのだが、追跡者を振り切れない。デュータム点の街区を縦横に疲れも見せず駆抜ける自分に、どうして普通の人間が追いつけるのか。
 格闘戦で敵を倒そうにも、追跡者はたくみに姿を隠し前に立ち塞がろうとせず、背後から投げ矢で攻撃してくる。痛くはないがちくちくして気持ち悪く、涙が出る。顔に塗った白粉も剥げて、自分でも酷い面相になっているのが分かる。

 もういやだ。でも、一度始めたからには勝たなければお父様は許してくれないだろう。お薬をもらえないと激しく骨が痛むのだ。お父様の言葉に逆らうと、姉妹ふたりともあの痛みの中で一晩中苦しまねばならない。あれはほんとうに痛い、骨が捩じられて一本一本が縦に裂ける気がする。あまりの痛みに瞼を閉じる事が出来なくて、目が乾いて涙が止らない。あんな御仕置きはもうたくさんだ。でも言うことをちゃんと聞いて、ちゃんと結果を出すとお父様はほんとうに優しい。お薬を手ずから匙で飲ませてくれると、身体の芯からぼーっと熱くなって、空を飛んでいるみたいな軽い気分がする。そのままお姉ちゃんと一緒に一日中なにも考えずにぼーっとしているのが一番楽しい。雨が振って洞窟のお部屋に水が沁みてくるのも、なんだか許せる広い心になる。何しろ私達はお父様を救世主様にする為に生まれたのだから、がんばらなくちゃいけない。偽者の救世主は火焙りになるんだ。私達が火焙りにすると、お父様の偉大さを王様もちゃんと分かって、救世主様として崇め奉るというおはなしだ。大きなトカゲ神殿の、その十倍ものお城が私達のものになる。何百人もの家来を使って、悪い連中を皆殺しにするんだ。だから私はがんばらないといけない。

 少女を追うチュバクのキリメ以下「ジー・ッカ」の暗殺者は、獲物のあまりの持続力に正直参っていた。毒を塗った投げ矢はもう5本は刺さっているのにまったく支障を起こさずに走り続けている。彼らも獣人を相手にするのは初めてなので慎重かつ大胆に攻撃をしているが、これでは止められない。進路を予測して先回りし、人込みに入らないよう誘導するのが精一杯だ。それも、限界がある。

 少女はやがて、家の屋根を越えて再びトカゲ神殿の側に戻ってきた。沢山の人がなにが起きたのかも知らずに続々と詰め掛ける先に、彼女は青く光るものを見つけた。

「あれだ。あれが偽者の救世主ガモウヤヨイチャンだ。」

 それは”偽弥生ちゃん”ッイルベスが神剣で治療を行う広場だった。弥生ちゃん本人には野次馬を含めた熱狂的な参拝者が押し寄せるが、本当に治療を必要とする者はこちらの方に案内される。ッイルベスの手に負えなければ、とりあえず体調の改善を図って後日弥生ちゃんが直接ハリセン治療をする、とトカゲ神官巫女が説明して合理的に患者をさばいている。

 行儀よく順番に並ぶ患者の列に、いきなり上から少女が舞い降りた。

 背は低くとても13歳には見えない小柄な姿、街中を逃げ回り泥に塗れ投げ矢を受けた傷からはどす黒い血が零れている。流れる汗で白粉が溶け落ちて青い斑紋が浮き出た顔に、だが患者達は驚きつつも優しく語りかける。

「あ、あなた。ガモウヤヨイチャン様に癒しておもらいなさい。この先でッイルベス様が神剣の御力を御授けになりますよ。」

 少女は小さく頷いて、再び駆け出した。あの青い光の所にお父様が救世主になるのを邪魔する女が居る。髪が長くて頭にトカゲを付けている奴だ。

 ッイルベスの下にも順番を待つ患者が何百人も居る。トカゲ巫女が彼らの間を回って体調を悪くする者が居ないか、日差しを浴びて弱っていないかを確かめている。おおむねの者は大丈夫だが、しゃがんで静かに列が進むのを待って居た。だから、飛び越えて進むのに人はまったく障害にならない。なにが通ったのか誰も気付かない内に、百メートルも続く行列の先頭に少女は達した。

 神剣を用いるのはかなり神経を使う。青い光はッイルベスが必要を感じなければ発せられないし、患者の症状に応じて光の強さを変えねばならない。内臓が弱っている人には深く染み透る光を、皮膚が冒されている者にはまんべんなく柔らかく当たるよう、時には神剣の刃を当てて患部を焼き尽くすといった具合に、症状を見て一人ずつ丁寧に治癒していく。
 脇目も振らずに集中している。だからッイルベスは直前まで気付かなかった。

 神剣が青く震えて危険を報せる。はっとして宙を見るッイルベスは、もはや少女の手の届く所にある。

 ッイルベスは神剣の震えから、この危険は非常に強い毒からもたらされると知った。長く神剣を使ったから、なにを癒すべきかは読み取る事が出来るようになった。広い範囲、恐らくは数十メートル内に毒が撒き散らされるイメージが脳裏に浮かぶ。

 斬らねばならぬ。ガモウヤヨイチャンさまを慕って集まった人を守る為に、神剣で敵を討たねばならない。

 ッイルベスは瞬時にそう思ったが、剣術を知らず身体も小さく、重い神剣を支えるので精一杯の彼女には無理だ。

 飛び掛かる少女は鈍く振り上げられる神剣を造作もなく潜り抜け、ッイルベスにしがみ付き、胃の中の筒から延びる紐を噛み切った。それが本物のガモウヤヨイチャンでは無い事には、たぶん気付かなかっただろう。

 

 

 トカゲ神殿の舞台で双子の姉の体内から破裂筒を摘出するのに成功した弥生ちゃんは、直後別会場のッイルベスが襲われたとの報せを受けた。
 もう遅い、とは知ってはいても走る。多くの参拝者がすぐ脇を抜ける弥生ちゃんに手を差し伸べるが、強引に振り払って進む。

「ガモウヤヨイチャン様・・・・・・。」

 トカゲ神官巫女、警護に当たっていた神官戦士が茫然として救世主の顔を見上げた。誰もが悔恨に打ちのめされている。その周囲には多くの患者があって、正面に大きく沸き上がる神剣の光に瞬き一つせず見入っている。
 弥生ちゃんは立ち尽くす神官戦士を押しのけて、青い光の中に踏み込んだ。

 ッイルベスが石の床に横に倒れている。彼女がしっかりと抱いた神剣は通常よりもはるかに大きな光を放ち、直径が2メートルもの球光となってすべてを包んでいる。
 その横には、腹から胸にかけて身体の前面がすべて弾け飛んだ少女の死体がある。爆発の衝撃で腰椎が折れて、逆にくの字になっている。顔はほぼ無傷で残り歓喜の表情を浮かべたままだ。周囲に散乱した内臓と血液は、ほぼすべてが青い焔を上げて燃えていた。

「青晶蜥神の霊威で浄化されているな。毒の効力はもう無いだろう。」

 弥生ちゃんに遅れてきたアィイーガが額のゲジゲジの聖蟲で危険を確かめる。フィミルティと神官戦士達も駆けつけるが、惨状に言葉を失う。
 弥生ちゃんはこの会場の責任者であるトカゲ神官に尋ねる。

「ッイルベス、だけ?」
「・・・・・申し訳ございません・・・・・・・。」
「答えろ。ッイルベスだけか?」

「は、・・い。ッイルベスだけにございます。その他の者も爆発に巻き込まれましたが、同時に青い光も大きく弾け、誰も影響を受けずに済みました。」
「ならばよし。」

 弥生ちゃんは跪き、ッイルベスの身体に手を当てた。まだ暖かいが、すでに決定的なものが失われている、と何人も瀕死の人間を救った聖蟲が教える。
 アィイーガが隣に来て、救世主の様子を確かめる。だがその顔には彼女が期待する、あるいは心配する表情は無い。

「50人目だ。」
「そうか。」
「この世界に来てから、私の為に死んだのはッイルベスで50人目だ。敵として死んだのはもっと居るだろうし、私の知らない所で私の為に死んでいる人間は更に多い。」

「・・・御気になさってはいけません! 彼らは皆、ガモウヤヨイチャン様の降臨を心から願い、命を捧げた事を悔いてはおりません。敵であってもこの日の為に生きて来たのです。だから、決して。」

 フィミルティが必死になって弥生ちゃんの心が挫けるのを防ごうとするが、その必要は無かった。アィイーガには分かる。天河の十二神は、方台の為にまことにふさわしい救世主を選んでくれている。この程度で諦める心の弱い者に、世界を救う大事を任せたりはしない。

 弥生ちゃんは立ち上がり、毅然とした態度で振り返り命を下す。

「ッイルベスとこの少女の亡骸を丁重にトカゲ神殿に運び、コウモリ神官の指図に従ってふさわしい様式で準備を整えなさい。メグリアル劫アランサ様に事の子細を説明し衛視局の検分をお願いし、・・・メウマサク神官長を拘束しなさい。カニ神殿に使いを出して最高位の神官にお出でを願いなさい。残りの者は、」

 弥生ちゃんはその場に居る者全ての顔を見渡した。神官巫女だけでなく患者参拝者も未だ多数有り、弥生ちゃんの様子を窺っている。いや、むしろ騒ぎを聞きつけてこの場に集まって来ている。

「残りの者は、更に別の会場を用意して患者を移し、医療を再会します。次の青晶蜥神救世主名代に選ばれていた者は!」
「はい!」

 2名の若いトカゲ巫女が名乗りを上げる。彼女らはッイルベスの神剣の使い方を学習する為にこの場に居た。弥生ちゃんは再びッイルベスの傍に跪き、諭すように一言語りかけるとその手から神剣を取り、立ち上がる。柄を上にして二人の巫女に差し出した。

「剣を任せます。ッイルベスに劣らぬ働きを期待します。」

 

 

「裁判は行われません。これほど明白な証拠があれば、裁判の必要がありません。処刑は明日昼天時に行われます。」

 メグリアル劫アランサは最悪の結末に言葉を失ったが、粛として自らの責務を引き受ける。衛視局と自治会議双方と交渉してメウマサク神官長の罪を明らかにし、法に則った処分を推し進めた。カニ神殿は弥生ちゃんからメウマサク神官長の背信を裏付ける数々の証拠を提示されると、自らの不明を恥じ神官長が自害して罪を償おうとして止められた。

「人喰い教徒に薬品を横流ししていた、という一事でも、すでに死刑が確定です。最も大きな罪は青晶蜥神救世主に害を為そうとした事ですが、これは法に規定が無く単なる殺人未遂として扱われます。さっそくにカプタニアに使者を送って、元老院で該当する刑法を定めますが、今回は遡及して適用されない事をお許し願います。」

 メウマサクの計画はかなり巧妙で長期に渡るしっかりしたものだった。

 人喰い教団から獣人の処方を手に入れた彼は、必要とされる薬品を横流しして人喰い教団内部でも獣人の育成を行い、黒甲枝の連続暗殺で世情を混乱させる。それを自らの双子の娘に解決させて権威を高め、十二神神殿から独立した新たなる「救世主教」を作り上げる。信者を組織して自治会議を開き、宗教を中心とした半独立の王国を築こうというものだ。本物の救世主が出現した場合は教団に取り込んで民衆から隔離し、飾り物として布教の具に使い、教団の運営はメウマサクが全権を握る。

 地球の宗教団体を知っている弥生ちゃんにはその仕組みがよく分かり、メウマサクが実に的確に大衆というものを理解していると感心した。反面、褐甲角王国が聖蟲に依存して大衆の心理から乖離し始めているのに気付いていない、と憂慮する。時代は弥生ちゃんが来る前から大きくうねり進んでいるのに、まったく対応できていない。

 アランサはまた睫毛を伏せた。彼女はついこの間赤甲梢の総裁職に就いたのに、前任の焔アウンサですら経験していない面倒にばかり遭遇する。

「メウマサク神官長は名誉有る死を望んでいます。」
「名誉有る、とは?」
「褐甲角王国では、通常身分の高い者には毒杯が送られますが、」

「トカゲ神官に毒だなんて!」

 フィミルティの憤りにアランサも同意する。毒で人を殺そうとした者を毒で殺すなんて、出来過ぎだ。
 アランサは弥生ちゃんに尋ねる。

「星の世界には、名誉有る死罪というのはありますか。」
「・・・そうね。一般的とは言えないけれど、自らの赤心を露にするという意味合いで、小刀を以って自分の腹を真横に切り裂く、というやり方が名誉だね。今はあまりやらないけれど。」
「トカゲ神官にそんな事ができるもんですか。」

 フィミルティが毒づくのに、アィイーガがにやりと笑った。

「名誉有る死が望みなのだな、メウマサクは。」

 

 デュータム点の城壁の外には火除けの広場がある。普通はこういう空間には難民街が勝手に作られるのだが、デュータム点は物資輸送の要路であり、荷物や兵の集合地としてそのままになっている。
 ここはまた、刑の執行が行われる場所でもある。十二神方台系の流儀では刑罰は共同体の外で行われ、そのまま山野に屍骸を打ち捨てる。メウマサクの処刑は正午過ぎにここで行われた。朝から野次馬が列を為し、十重二十重に広場を取り囲み邑兵に槍で脅されては後ずさりする。急造の柵が人だかりで今にも倒れそうだ。

 なにしろ罪人は、皆が待望した青晶蜥神救世主を直接に弑逆しようとした、それもトカゲ神殿を預かる神官長で名医の誉れ高い人物だ。これもまた歴史の転換点の一つのイベントとして人々は受け止めた。旧体制がぼろぼろとその正体を曝け出しながら崩れていく第一歩と考える。彼の名声は時代の供犠としてまことに十分なもの、処刑の方法も十分に豪勢なものだ。

 ゲイル。ギィール神族キルストル姫アィイーガの騎乗する巨大な死の蟲に呑まれる事は、褐甲角王国においてもやはり一種のステイタスを認められる。人間一人を殺す為にこれほど大がかりな舞台装置を必要とするのも、それが祭の一環だからだろう。見世物としても実に荘厳で過激、背に跨がるアィイーガの黄金の鎧が夏の日に煌めいて、いやがおうにも群集の興奮を掻き立てる。

 執行の指揮をとるのはメグリアル劫アランサ。城壁の上にある楼塔から広場の兵に指示を出す。デュータム点の衛視局は、事もあろうにギィール神族のゲイルが国事犯を処刑するのに強く反発したが、しかし千年に一度の救世主への反逆にどのように対処すればよいか前例も無く、アランサが全責任を請け負ったのでやりたいままに任せた。

 楼塔の上に水色の人頭紋、弥生ちゃんの王旗ぴるまるれれこ旗が掲げられる。救世主の臨席を合図として、処刑は始まった。
 ゲイルの側で準備を調えていた狗番、ゲジゲジ神官、神官戦士らが離れ、ゲイルががらがらと肢がぶつかる音を立てて中央に進み出る。背のアィイーガは長い槍を持ち、時折ゲイルの肢を叩いて方向を指示する。飾りをすべて取り去って、本来の兵器としての姿を取り戻した巨蟲は長い頭をゆっくりと犠牲に向けた。

 メウマサクは処刑場を囲む群集に何事か喚いた。演説の一つもぶつつもりだったのかもしれないが、歓声と怒号とゲイルの肢の音に遮られ、誰にも届かない。己の無力さを悟った彼は改めてゲイルに向き合い、そこで初めて自らの死を現実のものと意識する。千年の救世主の夢に誰よりも深く酔っていた事に、彼はようやくに気が付いた。

 裂けるほどに大きく口を開き誰にも聞こえない叫びを上げ、周囲を必死で見回す。逃げようにも背後は城壁に阻まれ左右の柵は遠く、ゲイルはあまりにも早かった。駆けては転び、起き上がってはまた転び、小石を拾ってはゲイルに投げて届かず、また音にならない叫びを上げる。その様に、群集は怒りよりもむしろ笑いを催した。

「興醒めだな。」
と、アィイーガはゲイルの向きを返した。最初から分かっていたが、この男はゲイルの餌としては卑小過ぎる。一幕の笑劇として多少遊んでみたが、こんな愚物を呑み込ませては先に食べさせた神餌人の男の魂が迷惑がるだろう。

 ゲイルの二股の尻尾が向きを返す時に地面の石を巻き上げ、それが当たってメウマサクは脚に怪我を負った。満足に走れなくなった身ではありながらも、必死に逃げ場を求めて処刑場をさ迷う。いつしか、誰からとなく彼の元に小石が飛ぶ。やがて石の雨となって降り注ぎ、彼は頭を抱えて城壁中央の最も群集から遠い場所に避難する。群集による投石は十二神方台系においてポピュラーな処刑法だ。石は重ければ威力があり速やかに死をもたらすが遠くには飛ばず、小さな石は当たっても致命傷とはならず、死ぬまでに何時間も掛かる。最後には罪人は全身ずたぼろとなって息絶える非常に残忍な方法で、褐甲角王国ではほどほどの時点で投石を止めさせ、兵が射殺する事で慈悲とする。

 射殺の指示は処刑を取り仕切るアランサの責任だが、彼女は弥生ちゃんの表情を窺ってタイミングを見極めようとする。しかし弥生ちゃんは、メウマサクではなく彼に石を投げる群集の顔を見ていた。弥生ちゃんは思う。メウマサクはいかにも罪人だが、つい先日までは誰からも尊敬され慕われたデュータム点一の著名人だ。彼を処刑するのにこれほどまでに楽しそうに石を投げる人々を、自分は救わねばならないのか。いや、だからこそ救わねばならないのだ。

 弥生ちゃんは言った。その言葉を聞いて、アランサも決断を下す。

「青晶蜥王国においては死刑は斬首と磔だけにして、どちらも兵のみが罪人を害し、民衆は見るだけにしよう。」
「慈悲を。」

 

 

「・・・ガモウヤヨイチャンさまを襲った双子の片割れは、一命を取り止めて今はカニ神殿の地下牢に拘禁されています。毒は消えましたが獣人としての薬剤の効力が切れるまで約一年間そのまま留め置かれ、その後はカニ神殿がふさわしい処遇を考えるそうです。未成年ですから、父親にそそのかされたものとして罪には問われません。」
「任せるよ。
 で、願いの筋というのは?」

 弥生ちゃんの元には二人の神官戦士が面会を求めて参上していた。彼らは兄弟で、ッイルベスの巡行に出発点のガムリハンから従った者だ。ッイルベスの墓がデュータム点に作られ彼女が使った神剣が安置されると聞いて、専属の守護者となる事を弥生ちゃんに願い出る。襲われた時、彼らも近くに居ながら何の力にもなれなかったと悔いており、残りの生涯を墓所を守って過ごしたいと言う。

 弥生ちゃんはいい顔をしなかったが、結局許す。彼らが辞した後、フィミルティにヤムナム茶を淹れてもらいながら、愚痴った。

「・・・いい人は早死にするというけれど、使える者はつまらない仕事をやりたがり、賢い者は勝手に滅びる。最後まで私の前に残るのは、一体どんな奴なんだろう。」

 フィミルティは毒舌で鳴らす者だ。彼女の言葉に弥生ちゃんはただ茶を啜るしか無かった。

「ネコ、なんじゃないですか?」

 

第四章 奮い立つ若武者に、薫風は微笑む

 

 褐甲角王国ベイスラ地方は基本的には国境防衛の第二線と見られている。
 金雷蜒寇掠軍が攻めるのは、やはり直接ヌケミンドルを抜いて王都カプタニアに、あるいは北のガンガランガを越えて西金雷蜒王国への通路とするのが通常の戦略で、南のベイスラ、エイベントは搦め手の攻め口でしか無い。

 だが今回の大審判戦争では出征してくる寇掠軍は通常の10倍の兵数と見込まれ、こちらにも十分脅威となる大軍が攻めてくるはずだ。

 ベイスラ地方の通常の防衛シフトは、国境線である毒地の縁に沿った15ヶ村に5名の黒甲枝がそれぞれ10人のクワアット兵と常駐し、その背後に大剣令1名が率いる5名100人が緊急展開部隊として待機する。更にそれをサポートするのが中核都市ノゲ・ベイスラに駐屯するベイスラ中核軍5名200人と、都市防衛隊3名50人があり、通常は民政を管轄する10名の黒甲枝も予備兵力として存在する。邑兵はベイスラ地方全体で約2000人が居て、計2500が全兵力だ。
 ただし彼らは常に部所に居るとは限らず、ローテーションを組んで半数が休暇と演習、邑兵ならば農作業の為に、シフトから外れている。

 呑気なようだが、その程度でも平時の防衛は間に合った、という事だ。司令官である兵師監ですらベイスラには常駐せず、カプタニアとヌケミンドルを往復して会議と折衝を繰り返す日々を送っている。

 今回の大動員にあたっても、ベイスラ地方の体制は休暇組が全員戻ってきただけで、ほとんど変更が無かった。しかし、王都から別に「穿攻隊」と呼ばれる黒甲枝のみで結成された特殊攻撃隊が派遣される。若手の黒甲枝を中心に100名がベイスラを拠点として毒地内部に強行侵入して、寇掠軍の進路を防備が完成したヌケミンドルに誘導する。彼らの最初の任務は、毒地内部に設けられている寇掠軍の砦の一つを奪取して、毒地侵入の橋頭堡とする事だ。

 

「君は生まれるのが4年遅かったんだよ。惜しい事をしたな。でも気にしなくても、この戦争はかなり長くなるさ。死ななければ必ず、聖蟲を戴いて戦列に参加出来る。」

 ベイスラを守る若き黒甲枝 サト英ジョンレは剣匠令という特殊部隊章を持っているので、今回の戦争において花形と呼べる穿攻隊に選抜された。彼はノゲ・ベイスラで聖蟲継承の為の研修を積んでいたカロアル軌バイジャンの良き先輩としての役目も負っている。

 軌バイジャンは19歳になった。予定ではこの夏王都に戻って結婚するはずだったが、すべてが怒濤のようにこの大戦争に流れ込んで個人の計画はご破算になってしまった。だからと言ってそれを残念がる者や運命を呪う者は皆無だ。
 なにしろ黒甲枝、褐甲角王国のすべての兵は金雷蜒王国との最終戦争、ギィール神族の完全制圧をこそ目的として一千年鍛え上げられており、その機会が自分が兵役に在る内に来ぬ事をこそ無念がっていた。まさに千載一遇の好機にあって、聖蟲を額に戴き戦場を駆けるのは累代の武門に冠たる誉れ。この状況をお膳立てしてくれた青晶蜥神救世主ガモウヤヨイチャンこそ、彼らの歓呼の対象となって然るべきだ。

「残念には思いませんよ。むしろ、よくぞ間に合った、と言うべきではないですか。」
「そうだな。クワアット兵であっても、いや聖蟲を持たぬ分それだけ危険に近付くのだから、儲けものだ。防御網を突破して来る寇掠軍は必ずあるからな。」

 大動員が掛かってより後は、寇掠軍の接近はめっきり減った。その代わりに姿を見せるようになったのは、常人の専門兵による偵察隊だ。彼らは攻撃はしてこないが、こちらの防衛体制を観察して、なにごとか工作を行っては霧の中に消えていく。本格的な攻勢に備えての下準備を着々とこなしていた。

「でも正直、金雷蜒軍はこちらにどれくらい来ますかね。」
「うむ、それはまったく分からないな。寇掠軍が100隊来るとして、ヌケミンドルとミンドレアに70隊は集中するだろうから、10隊以下かな。」
「常時10隊となると、それは蜂の巣を突いた状態になりますね。」
「2500の兵数では完全に不足だな。内側から難民が呼応する事もあるだろうし。」

 それを防ぐ為に穿攻隊はある。敵に先手を取られない為に毒地内に踏み込んで、進撃路の横腹から寇掠軍を痛撃する。黒甲枝百名もあれば、神だとて退けるほどの強大な攻撃力だ。

「しかし、ヴェイラームが使えないのは苦しいですね。」

 黒甲枝が用いる専用の重甲冑ヴェイラームを穿攻隊は用いない。原因は夏の暑さだ。

 ヴェイラーム自体は炎天下の使用にも十分耐えられる。火災の中に侵入する為に、甲冑の表面の塗料のひびを使って水を全身に回し、蒸発する気化熱で甲冑を冷却するように設計されている。内部にもタコ樹脂で作られた細かい翅が何枚も生えていて、聖蟲の発するオーラの変動に合わせて振動し内に篭る熱を排気する。重甲冑開発の歴史は熱対策の歴史と言ってもよく、その面では十分な対策が取られているのだが。
 重甲冑は冷却の為に水を必要とする。この水を毒地中では確保出来ないと、諦めたのだ。通常の防衛任務ならば拠点から出動して数時間後には撤収し冷却水を補給する。しかし毒地中に何日も滞在する今回の作戦では飲料水ですら十分な量を確保出来るか疑問視されていて、水が切れたらただちに帰還するよう定められていた。その貴重な水を一日に十リットルも消費する重甲冑は、使用を控えざるを得ない。

 その代わりに与えられたのが、赤甲梢が用いている翼甲冑ソグヴァールだ。色は赤ではなく黒褐色となる。

「どうですか、ソグヴァールの着心地は。」
「軽くて動き易いのはいいとしても、楯にはなれないな。無敵というわけにはいかない。」
「装甲が薄いから仕方ないですよ。」

 黒甲枝の運用は、重甲冑の防御力を利して後続のクワアット兵の楯となる事も見込まれている。平均身長2メートルのギィール神族が放つ黄金の矢は射程が200メートルにもなり、クワアット兵の兜すら軽く貫通する。ゲジゲジの聖蟲によって弾道補正がされるから常人の遠く及ばない奇跡的な命中率で、ふとした隙を見逃さず確実に当てて来る。ギィール神族の射手が居る空間では、絶対大丈夫な重甲冑の陰に隠れてでないと移動も不可能になってしまう。

「悪くはないんだ。だがこの翅がな、どうにもおさまりが悪いぞ。」
「格好はいいですよ。蟲みたいで。」
「これを使えば早く動けるらしいのだが、イヌコマの速度で長距離移動出来るわけもないし、矢から逃げるほど早くも無いからなあ。」

 翼甲冑ソグヴァールは、重甲冑を置き換えるものとして製作され赤甲梢で運用試験が行われていた最新型の鎧だ。背中にタコ樹脂の大きな翅が四枚あり、これが振動して走行速度を上げる機能を持っている。装甲を密閉していないので冷却の必要が少ない反面、装甲厚はヴェイラームの半分に、自重を肩代わりして負担を軽くするバネも無くなって機能的には普通の甲冑でしかない。運動性は上がっていても総合的な戦闘力が本当に向上しているのか未だ評価が定まっていない。

 にも関らずこれが必要とされたのは、最近金雷蜒寇掠軍が戦場に強弩や大弓を投入するようになったからだ。

 荷車に据え付けられた大型の弩や弓は威力は十分に大きいものの、その重量と機動性の無さからこれまでは寇掠軍には用いられなかった。黒甲枝の重甲冑も、戦場に大型の投射兵器が無いからこそ無敵を誇っている。その優位が破られて、重甲冑が攻撃により破損する事例が頻発するようになったのがここ十年。軍政局は黒甲枝の運用を再考せざるを得なくなった。
 ソグヴィタル王 範ヒィキタイタンが先戦主義を唱えたのには、この事態への憂慮もある。東金雷蜒軍が装備の革新によって効果的な打撃力を確保する前に叩いておこう、という主張には同意する者が多い。翼甲冑への換装が実施されたのも、彼の指導力と先見の明に依る所が大きい。

「しかしまあ、うまくやるさ。敵中に潜入する時はがちゃがちゃ鳴る甲冑は用いないからな。矢に当たらなければいいだけの話だ。
 それはそうと、王都から手紙が来たんだって?」

「え? ああ、はい。婚約者のヒッポドス弓レアル嬢から、・・・なぜかネズミ神のおみくじ袋に入って来ました。」
「いいじゃないか。白穰鼡(ピクリン)神の袋ってのは、おまえに手柄を立てて来いと励ましてるんだ。」
「えーそうですかね。なにか、安産祈願をもらったみたいで落ち着かないんです。」

「で、カプタニアについてなにか書いてるか?」

 大動員においては敵の間諜に内情を知られない為に、国境線に沿ったスプリタ街道では民間の通信がすべて禁止になっている。黒甲枝といえどもその縁者が全て軍令便を使えるわけではないので、やはり情報不足に陥っていた。その状況下で奇跡的にバイジャンの元に辿りついた手紙が注目されるのも仕方がない。と言っても既に検閲済みではある。

「カプタニアの事も書いてはありますが、半分はトカゲ神救世主のことですね。」
「見ていいか。」
「はい、・・・どうぞ。」
「照れるなよ。」

 弓レアルの手紙は縁どりに山蛾の絹を用いた高級な葉片だった。上流階級や王族でしか用いられない、どこで買い求めれば良いのかさえも分からない品で、黒甲枝とはいえそれほど裕福ではない英ジョンレは思わずのけぞった。カロアル家も経済状況においては大差無いはずだから、軌バイジャンは凄まじい所から嫁をもらうと吃驚する。

「・・・そういやあ、おまえの父御は聖蟲を譲ったら兵師監になるとかの話もあったなあ。やっぱり見ている所は違うもんだなあ。」

 バイジャンの父であるカロアル羅ウシィは大剣令でノゲ・ベイスラ市の都市防衛隊指揮官である。先々月は市に直接寇掠軍の侵入を許したが、ベイスラ中核軍を演習の為にヌケミンドルまで呼び寄せて手薄にさせたのが悪い、と特に処分はされていない。寇掠軍を手引きした難民内の秘密組織の実体をかなり暴き出して再発を防止した点も評価されている。バイジャンは父の下で聖蟲を継承する研修を行っていた。

「・・・・救世主の噂ばっかりだな。おもしろいが。」
「どう思います? ミョ燕が斬れると、トカゲ神救世主に勝てるというのは。」

 手紙には、バイジャンの妹 斧ロアランから聞いた話として、ガモウヤヨイチャンが自分に勝つにはミョ燕を斬る早さが必要と言った、と書いてあった。二人の頭上を夏の鳥、赤ミョ燕がついついと宙を縫って羽虫を採り、子育てに励んでいる。

「あんなもの斬れるわけないじゃないか。矢よりも早いぞ。第一高い所に居るから、剣も届かない。」
「でも星の世界にはそれを可能にする剣士が居た、と書いてますよ。」

「ちょっとまて。」
 と英ジョンレはミョ燕が近付くのを待って、剣を振ってみる。だが早さはともかく、タイミングと軌道を掴めないから当たる素振りも無い。

「・・ギィール神族なら、どこ飛ぶか分かるから斬れるかもしれんな。」
「しかし、救世主は鉄をも斬るんですよ。早さはどうにかなっても、実際は無理ではないですか。」
「鉄を斬る、というのはよく分からないな。太い大剣でも瞬時に両断出来るのかな。」
「さあ。」

 なんとものどかなものだが、二人がこうして話が出来るのも今日が限りだ。英ジョンレは穿攻隊の編成で最前線に、軌バイジャンは輸送小隊を任されてそれぞれの活動を始める。
 別れを前に、英ジョンレはふと思いついて言った。

「そうだ。輸送隊なら、マテ村の傍も通るだろう。たまには家に寄って室の様子も見てくれ。なにも無いとは思うが、」
「はい。二ヶ月は帰れないでしょうからね。」

 マテ村はノゲ・ベイスラの隣にあり、黒甲枝やクワアット兵の家族が多く暮らしている。英ジョンレの家もあって、二年前に結婚した妻と住んでいる。黒甲枝の神兵は聖戴前に結婚して、派遣される任地に若妻を伴うのが普通だ。

「おまえの金持ちの嫁さんは、村で暮らせるかなあ。」
「考えた事もありませんでした。そうかー、そういう問題も有るのか。」

 

 新米小剣令は黒甲枝の出身だとはいえ、やはり聖蟲を持つ神兵、たたき上げのクワアット兵の小剣令と比べて一段低いものと看做される。だからクワアット兵3名、邑兵20名の少数でも文句は言わないつもりだったが、軌バイジャンは与えられた邑兵を見て驚いた。ただの素人の農夫だったからだ。

「戦闘訓練は、邑兵の訓練は受けて、・・・いないのだな。」

 輸送小隊だから訓練も要らなければ武具甲冑も必要無い、と司令部は見切ったのだろう。単純に荷運びの人夫だけを配属して良しとする割り切りに、バイジャンは先行きの不安を感じる。

「隊長。ものは考えようです。こういう連中であれば輸送中寇掠軍に襲われても、立ち向かって防ごうとはせずにさっさと逃げ出しますから、死なずに済みます。」
「そ、そうだな。良いように考えよう。」

 だがクワアット兵をわざわざ配置する輸送隊は、最前線近くにまで進出する。近くに友軍があり黒甲枝が寇掠軍の浸透を阻んでいるとはいえ、油断は禁物だ。輸送任務の第一回としてイヌコマ20頭を受領する為に軌バイジャンはノゲ・ベイスラの北、ミンドレアの県境に出発する。

 

「行ったか。」
「ええ。別に心配する事はありません。まだ大丈夫です。」

 ノゲ・ベイスラの駐屯砦で、都市防衛隊隊長カロアル羅ウシィは息子が出立した報告を受けた。副官のビジョアン榎ヌーレは心配するなと言ったが、実際バイジャンは寇掠軍とすでに交戦した経験があり、ゲイルの顎を覗く目にも遭っている。新米ではあって一人のクワアット兵隊長として十分やっていくだろう。

 羅ウシィは息子の事は一旦忘れて、職務に邁進する。彼も神兵の一人だ。古今未曽有の大戦を前にしてひとしおの感慨を覚える。褐甲角神救世主初代武徳王の神聖なる誓いを自分の代で果たせるのに、喜びを覚えない訳が無い。

「スバスト兵師監様はこちらに入られるのか。」
「二日後です。司令部付きの黒甲枝が入りますから我らは東の砦に移る手筈になっていますが、大弩はそのままにしておきます。」
「この間のような浸透攻撃は無いだろう。監視網を強化して途中で撃破するから、それで構わない。英ジョンレの代わりは。」
「キマル信マスタラム殿とハグワンド礼シム殿です。4名の体制に強化されますが、その分守備範囲が少し広がります。」
「南北2名ずつで行こう。しかし民政を司る者を軍に引き上げては、民の暮らしが滞るな。」
「致し方ありませんが、今年の穀物の収穫は諦めざるを得ないかもしれません。刈り入れ前に最前線の村に火を放たれるのは、おそらく防げまいと存じます。」
「今年はな。来年無事収穫できるのを祈ろう。」

 防衛体制自体は羅ウシィもさほど心配はしていない。なにしろ神兵100名の穿攻隊が配属され、攻撃側としてベイスラは機能するのだからこれで十分なはずだ。問題があるとすればむしろ、王都で定められる政治的な策動にあるだろう。
 その策動に羅ウシィも多少関っている。彼自身が提唱した一人ではあるがこうも早くに、それも極めて大規模に行われるとは予想もしなかった。だが現実にそれは行われる。

「カプタニア、ヌケミンドル、ミンドレアの難民をすべてイロ・エイベントに移送する作戦については?」

 榎ヌーレも羅ウシィの複雑な胸中を理解する。この措置が行われるのはノゲ・ベイスラが浸透攻撃を受けたが故なのだ。

「スバスト兵師監様が直接に御指図なさいますので、こちらに詳細は届いておりません。ただ、・・・」
「ただ、なんだ。難民狩りの件か。」
「既に民間に情報が漏れているようで、姿をくらます者が増えているとの報告が上がっております。ベイスラ山地に逃げる者は良いのですが、草原に潜む者を捕らえるのはかなり人数が必要になり、」
「・・本来の防衛態勢を損なう、のだな。だが未だ指令が下っていない段階で、予備的に拘束する法的根拠が無い。仕方が無い。」
「はい。」

 中核軍と異なり、都市防衛隊はこのような政治的活動を割り当てられる向きが強い。衛視局と協力して治安活動に当たるのが平時の主任務と言えるほどだ。不穏分子と呼ぶべき何万もの難民を移送する任務は、おそらくは羅ウシィに任される事となるだろう。

 

 

 軌バイジャン率いる輸送小隊は四日の道のりをただ歩くのも勿体ないから、一応は調練をしながら行く。歩調を揃えるとか号令に従うとかの基本中の基本が無いのだからかなり難渋する。だが、ゼロから始めるというのも結構面白くてバイジャンは王都の教育軍で小隊を任された時の事を思い出しながら進んだ。

 まるで素人の邑兵だとはいえ、いつまでも素人であろうとする訳も無い。機会があるのならば手柄を立てて認められ、れっきとしたクワアット兵に推薦してもらおうと思う者もちゃんと居る。クワアット兵は邑兵から優秀者を選抜してフルタイムの完全な兵士に鍛え上げ、黒甲枝の指揮の下金雷蜒軍との直接対決に動員され、何年か務めた後には元の出身地に戻って邑兵隊長に、更には自治会議の主要メンバーになる。ささやかではあるが平民の出世の王道だ。

 ヌケミンドル南端の補給地でイヌコマを受領したバイジャンは、その背に「夏用のクワアット兵の鎧」を百両積んでベイスラに戻る。イヌコマの背だけでなく邑兵達もそれぞれが着用して、なんとなく本物の兵隊の気分になる。
 「夏用の」とはものの言い様で、実体は鉄を使わない籠状に編み上げられた籐製の鎧だ。邑兵が使用する廉価なものでクワアット兵が使う高水準の鎧と比べて防御力は格段に低い。ただ革鎧を下に着るクワアット兵は夏場は蒸れて動けないので、通気性抜群!のこの鎧を支給された。これでも投石や棒くらいには十分な防御力が有り、鉄板の胸楯や手甲を流用して装備すればほどほどにまともなものになる。

「隊長ー。こんどはたたかい方を教えてください。」
と、その気になった邑兵達は催促するが、残念ながら武器の支給は受けていない。バイジャンは部下のクワアット兵と相談して投石のやり方を教える事にする。

「いいか、投石は戦闘の基本中の基本の攻撃だ。これさえ覚えれば、当たり所さえ良ければギィール神族だって撃退が出来る。」
「棒や槍を使っての格闘がやりたいんですが。」

「そんなもの、一朝一夕に出来るくらいなら、クワアット兵の何年もの調練は要らない。とりあえず投石を覚えれば万全だ。
 まず石は大小の二種、これだけを使う。大は握り拳大のもの、小はワグラ(食用カタツムリ)大のもの。大は接近戦で、小は遠距離で使う。これより小さなものは当たっても効果はほとんど無く、大き過ぎるものは遠くに飛ばないからまず当たらない。」
「はい。」

「大の石は10数歩という近距離で格闘戦時に使う。破壊力は十分に大きく、間合いは槍よりも長いのだから或る意味最強の武器だ。ただし大きく重いから、一人3個を持つのが精々。与えられた投石の機会は確実に生かさねばならない。誰か、投げてみろ。」

 と言われて、元気のいい者が一人前に飛び出して見本にやってみようとするが、肝心の石が無い。

「隊長、石がありません。」
「ばかやろう、そんな事で戦争が出来るか、探せ。」

 大あわてでそこら中を這いずり回って、ようやくそれらしい大きさの石を持ってきた、と思ったがそれは赤土が固まったものだった。適当なものはそうそう無いのを教えるのが目的だが、さすがに笑えた。

「良い大きさの石はそう簡単には見つからない。手に入る時に確保しておく。投石ならばどこでも出来ると考えるのは間違いだ。だが大の石は持ち運ぶのにかなり苦労する。小の石を常時携帯しておく事が投石の最大の要点だ。次!」

 代わって別の邑兵が前に出た。石を探せ、と言えばさすがに小さい石ならば容易に見つかり、十個以上を両手に抱えて戻って来る。投げろと言われて投げたが、とんでもない方向に飛ぶし距離も無い。バイジャンが見本を示して投げると、真っ直ぐに前に飛び距離も倍はあった。

「正規の邑兵訓練ならば誰もが同じ距離を飛ばせるまで厳しく訓練するが、暇が無い。まっすぐ前に投げる事に留意して自分の飛距離を掴め。全員練習開始。」

 20名の邑兵はてんでに石を投げ始め、クワアット兵二人が一人一人指導する。30分も投げるとへとへとになるが、なんとか形になってきた。副官のクワアット兵がバイジャンに耳打ちする。

「ですがこの程度では、矢で射られる前に先手を打って投げる、というわけには。」
「そんな難しいこと出来るわけない。逃げるのに多少役に立つくらいで十分だ。」
「模擬戦闘をしてみなければ、投石の恐ろしさと限界は分かりませんからね。」

 ベイスラの内部を進むのに敵が居るわけもなく、輸送小隊は普通に進む。地元住民も心得ておりちゃんと炊き出しをしてくれるので食糧を自前で運ぶ必要が無く、輸送隊は最大限の荷物を運ぶ事が出来る。これが無いと、自分達の数日分の食糧と土鍋までもモッコで担いで運ばねばならない。
 バイジャンの隊は北部の出身者が多くて、輸送隊の進路上には知り合いが出向いて色々と便宜を図ってくれたりもする。邑兵は彼らに甲冑姿を見せて誇らしげだ。

「!? 盗賊ですか。」
「いや、難民がなにごとか嗅ぎつけて草原地帯に逃げ込んでいる。彼らの一部が徒党を組んで盗賊をやっているようで、我らはこれから討伐に向かう。貴殿らも警戒されよ。」
「了解しました。」

 バイジャンは警戒小隊と遭遇して武装盗賊団の情報を入手した。難民の盗賊団ならば装備も無いに等しいから、三人のクワアット兵が持つ弓で十分対抗出来るが、邑兵達は緊張して格闘戦の訓練を懇願する。

「捕獲するわけじゃないんだから、投石で追い散らせば上等だぞ。」
「しかし棍くらいは支給を受けた方が良いと思われます。」
「我らは輸送小隊だから、長柄の武器は邪魔になるからな。どうしよう。」

 いつまで経ってもなにも教えてくれないので、邑兵の一人は自分で石斧を作って腰にぶら下げた。籐の鎧に石斧、投石というのでは、まるで古代紅曙蛸王国時代の兵隊だ。バイジャンもさすがに折れて棍棒の自作を許し、格闘の演習を始めた。

 実際は、盗賊団が武装した輸送小隊を襲って来るはずも無い。何事もなく小隊は進み、丸木の棍棒をぶら下げた奇妙な集団と妙な目を向けられながらも、輸送先の前線部隊に到着する。邑兵が着用していた鎧までも全数引渡し、また元の農民姿に戻ってノゲ・ベイスラに帰還する。

「お、ほら。出ました。」
「あんな鎧でも威嚇効果は随分とあったんだなあ。」

 盗賊団の斥候と思われる汚い服装をした男が一人、高台の上からバイジャン達が行くのを眺めている。イヌコマが20頭も居るので食糧でも運んでいると思ったのだろう。だが襲ってくる事は決して無い。クワアット兵が一人でも居れば勝ち目が無い事を、彼らもよく心得ている。

「射ますか?」
「我らの任務ではない。無視しろ。」

「あの、隊長。あんな遠くに居るのを弓矢で当てる事が出来るのですか。」

 邑兵の先頭を行く者がバイジャンらの話を聞いて尋ねた。100メートルも先に居る盗賊に矢が当たるとは、素人には想像も出来ない。バイジャンも配下のクワアット兵に尋ねてみる。

「御前達、あれが当てられるか。」
「そうですねえ、3本に1本という所ですか。」
「当たっても防具を着けていれば効果はあまり期待出来ませんが、あれならばまあ。」

 見本ということでバイジャンが弓を引き絞り、男に狙いを定めた。斥候を務めるだけあって目は良いらしく、こちらを狙っている事に気付いて男はさっと姿を消した。が、構わずバイジャンは矢を射た。
 すーっと飛んでいく矢の行方を皆首を伸ばして確かめる。バイジャンの矢は男がさっきまで居た足元辺りの土に刺さった。邑兵は皆感嘆の声を上げる。
 副官のクワアット兵は言った。

「二本射れば、当たりましたね。」
「風が無いからな。行くぞ。」

 

 ノゲ・ベイスラに戻った輸送小隊は休む間も無く次の任務を受けた。今度は矢を2000本運ぶというもので、ついでにマテ村に寄って黒甲枝に届ける私物を家族から受けとる事を命じられた。

「マテ村か。英ジョンレ様の奥方とはどんな人だろうな。」

 バイジャンは英ジョンレに頼まれた事を思い出した。彼と父の羅ウシィは家族はカプタニアに残しているので、マテ村には足が遠い。思い返せば今カプタニアの実家には妹の斧ロアランも無く、母が一人従者と守っているだけだ。この夏には帰るはずだったのに、気落ちをしているのではないかと少し心配になる。

 邑兵達は生まれの村から装備が届いて、やっとまともな姿になった。邑兵装備は自治会議の負担であるから、村の経済状態によって装備のばらつきが激しい。バイジャンの小隊に所属する邑兵にも、先に輸送した鎧ですら高級品と思えるほどのいいかげんな防具しか支給されなかった。籐の胸楯に籐の笠、手甲も木製で脚絆も無し。ただ武器に関しては鉄の楔が横に突き出た短棍が軍から直接支給された。丸木の棍棒の方が長くて強いのだが、鉄が付いているだけで大喜びする彼らに冷や水を浴びせる事も無いだろう。

 マテ村はノゲ・ベイスラから5里も無い。バイジャンの下のクワアット兵二人もこの村に家族を置いており、久しぶりの帰還を喜び合っている。
 バイジャンは人に尋ねて、サト英ジョンレの家に向かう。彼から聞いた話では、妻の名はマドメー、歳は二つ下の22歳。子供はまだ無いのをすこし気にしている。彼の父がイローエント勤務であった時に近所に住んでいた幼なじみだ・・・。

「まあ、貴方がカロアル様の御子息ね。御噂は夫から聞かされていますよ。」

 春の陽の包み込む優しさを持った美しい人だった。髪は丁度解いていて緩やかに風にそよぎ、豊かな胸に掛かる。瞳は黒く大きく、バイジャンは吸い込まれるような錯覚を覚えた。

「小剣令カロアル軌バイジャンです。サト英ジョンレ様には兄のように良くしていただいております。」
「そんなに固くならなくてもよくてよ。お茶でも飲んでらして下さい。彼に持っていってもらいたいものもあるし。」

「は、はい。では失礼します。」

 

第五章 金雷蜒少女、鬼谷の妖気に美身を震わせる

 

 メガアラム村を出立しッツトーイ山脈の間道を抜けて毒地に入った若きギィール神族イルドラ泰ヒスガパンと丹ベアムの兄妹は、進路を変えて一度南に下った。

 遠回りにはなるがこの地には温泉が噴き出し、その湯を飲ませるとゲイルの甲羅が厚くなり強度が増すと、同行する神族ガブダン雁ジジに教えられたので寄ってみた。彼は50代の年配でこれまでに何度も寇掠軍を組織して褐甲角王国に攻め込んだ「寇掠軍マニア」である。
 もう一人、キシャチャベラ麗チェイエィも彼らと共に行く。彼女は25歳の美女でやはり寇掠軍の経験者だ。前回は黒甲枝に騎乗するゲイルの肢を一本斬り落とされているので、ゲイルの強化の必要がある。

 

「兄上、あの女には御気を付けなさいませ。」
「私に言い寄って来るのが気に触るか。」
「そうではありません。あの、いかにも自分が兄上になんでも教えてやろうという驕慢な態度が厭らしく、なめまわすように眺める視線が予告のようであまりにも底意が見えるのが、却って解せません。」

 ギィール神族は幼少より心の動きを他人に読まれない為に感情を殺す事を義務づけられて成長する。だが長じては逆にあらゆる感情を演じ使い分け、却って真意を他に知られない芸を身に着ける。20歳と17歳最年少の神族である兄妹には未だ到達出来ない領域だ。

 イルドラ丹ベアムは数ヶ月前に聖戴を受けたばかりの神族に成り立ての少女だ。17歳は聖蟲を受けるのに必要な7番目の試練を受ける最短の年齢であり、兄と同じくこの歳で聖戴に至ったのは金雷蜒王国領にその名の轟く快挙だった。
 背は他の神族よりも低い190cmで未だ幼さを留めており、髪の色も黒味の強い栗色で結わずに背の半ばで切りそろえ、風に流している。着用する黄金の鎧は蔵に残っていた何代か前の神族が用いたもので、当代の流行からはいささか外れているが、随所に小楯を配した無骨な「兵刃態様」と呼ばれる種類で防御力には定評がある。ただ胸が余り隙間が空くのが困り物だ。

 丹ベアムが自分の噂をしていると知ってか、麗チェイエィがゲイルを寄せて来る。

「丹ベアム殿、ゲイルを駆け比べてみぬか。」
「ここでか。」

 温泉に到る道はかなり険しい山道となり、ゲイルが疾走するにはいささか問題がある。なにより道幅が狭く、一体ずつしか通れない。ゲイルは聖蟲を持たぬ人間の言う事を聞かぬから、神族に成り立ての丹ベアムは未だ操縦に慣れておらず、この山道を最大速度で走らせる技量を持っていない。
 麗チェイエィはそれを知っての挑発だ。が、丹ベアムは受けた。

 止める狗番を振り切ってゲイルを前に出し、麗チェイエィのゲイルと頭の位置を合せる。13対の肢を持つ巨蟲は元々荒地やガレ場に強く、坂道や城壁でも速度が変わらない走行特性を持つ。他のゲイルに弾き出されない限りは大丈夫なはずだ。
 兄の泰ヒスガパンも止めない。やると言い出したら止らないのは自分も同様だから、妹のやりたいように任せるしかない。死ぬ事が想像ついても干渉する訳にはいかないのが、神族の礼儀だ。

 互いに槍を振りかざし、ゲイルの肢を叩き疾走を指示する。麗チェイエィが叫んだ。

「あの、一本尖った岩まで。」
「了解した。」

 肢のぶつかり合う轟音を立てて二体のゲイルが走り出し、後には落石の雪崩れを発生させ泰ヒスガパンはゲイルに狗番達を守らせるのに必死となった。雁ジジもゲイルに石を弾かせながら言う。

「妹御は稚気が抜けぬな。技量が足らぬのに前に出ては、後ろから追い立てられ操作を誤るだろうに。」
「負けず嫌いは生来のもので、たわめても一生癒らぬもののようだ。」

 雁ジジの言う通り、丹ベアムはたちまち己の失敗に気が付いた。ただ登るだけならばゲイルに任せておけばよいが、崩れぬ足場を見つけて的確に指示するのは慣れぬ自分には無理がある。肢が絡まないようにするのが精一杯なのに、更に山側から追い抜きを掛けてくる麗チェイエィを防がねばならない。下手に速度を落とせば相手のゲイルが自分の上を走っていき踏み殺されかねないから、嫌がおうにも走らせるしかない。

 しかし、さすがにこのストレスに丹ベアムのゲイルも耐え切れず、蛇行して足場を探るのを止め、尺取虫のように身体を上下にくねらせて跳ね出した。足元が崩れるのも構わずに最速で崖を飛び登る。騎櫓を結わえている帯や鎖がゆるんで丹ベアムは放り出されそうになるが必死に噛りついた。にも関らず、麗チェイエィは冷静に足場を崩さぬよう慎重に各肢の運びを指示し続け推進力を的確に与えて、跳ねる丹ベアムのゲイルを追い抜いて前に出た。
 さすがに丹ベアムも速度を緩めるよう指示し、本来の歩方に戻させる。最早競争では無くなり、易々とゴールの岩に麗チェイエィのゲイルが巻きつくのを下から眺める羽目に陥ったが、これほどの難所で最高速で走らせる体験は貴重な勉強となったから、文句は言わず甘んじて敗北を受け止めた。ギィール神族は恥辱に対しても感情を高ぶらせる事は許されない。

「丹ベアム殿、見よ。あれが目的の湧泉だ。」

 眼下には狭い谷間に数件の木造家屋が建つひなびた温泉宿があり、立ち上る湯気に霞んでいる。

 

 秘湯チゲルは古来より南部に住むギィール神族の隠し湯で、戦傷を癒す湯治場として使われてきた。ここはチゲルバンドと呼ばれる特殊な奴隷のカーストがあり、どの神族の支配下にも無い。つまり中立地帯であり、戦で傷付け合った神族同士もここで会ったならばおとなしく矛を納めねばならない。混浴だが、元々神族は女人であっても男の狗番に身体を洗わせて平然としているのだから、特に意味は無い。

 丹ベアムも一糸纏わぬ姿となり、だが手首には隠し武器が仕込んである金属の環を巻いてはいる、湯に浸かり身体を休めていた。いかに霊薬エリクソーで得た強靭な肉体であっても、長時間の鎧の着装は負担となる。無論これから何ヶ月も続くのだから慣れねばならないが、夏場の陰も無い平原でそれではさすがに死んでしまう。対策を考えねばならなかった。
 彼女の傍には二人の狗番と喙番(女の狗番で鳥の面を被る)が一人控えている。さすがに主人と同じ湯には入れないが、湯気で蒸れるので面は外している。普段は顔を見せない者が素顔というのも変な感じで、すこし笑えて来る。

 丹ベアムに遅れて、麗チェイエィも湯に浸かった。彼女は石鹸を持参してこれで身体を洗っていたが、排水が温泉に混じらぬようにと管理人に怒られてしまった。ギィール神族ならば、石鹸という概念を聞かされればたちどころにその製法を知るので、丹ベアムも自作して持ってきては居るが、後で使おうとして正解だった。各種鉱物が溶け込んでいる温泉の湯では石鹸の泡立ちも悪いようだ。

「あの婆あはミミズ巫女だそうだ。道理で底意地の悪い顔をしている。なんだ奴隷のくせにあそこまで言える奴が居るなんて、他では考えられん。」

 隣に寄ってきたので席を空ける。この浴槽は神族の為に作られているので、常人の狗番では足が届かずに溺れてしまう。中に腰掛けも彫り込まれているが、ぬるぬるして立つと滑って頭を打ってしまう。たまに死人も出るという危険な浴槽だ。

 麗チェイエィは丹ベアムと違って、十分に成熟した肉体を持っている。平均身長2メートルの巨人であっても、神族のプロポーションは人体の理想型に近く、自然に任せてひょろっと長いとか無闇と筋骨が膨らんでいるとかは無い。彼女は二人も子を産んでいるが身体の線に崩れもなく、ほどよく引き締まった筋肉に脂肪の柔らかさが趣を添えて女の目からしてもぴとぴとと触りたくなる魅力を湛えている。難点があるとすれば、すこし乳房が大き過ぎる点であろうか。丸く膨らむのではなく前に突き出し紡錘形になるのが、十二神方台系の女性の特徴だ。

 丹ベアムは、実に殺風景な疑問を口にした。

「この温泉の湯はゲイルの甲羅を固くするというが、人間が飲んでも効果はあるのだろうか。」
「傷には利くが、事前に飲んでも意味は無いだろう。特に神族はエリクソーで調整されているから、妙な薬物が混じっていると却って害になろう。」
「残念だな。」
「だが子作りにも利くとあそこの立て札に書いてあった。試してみるか。」
「まだ早い。相手も決まっていないし、あても無い。」
「奴隷であれば、そなたの歳にはもう子は居るものだ。早くはないぞ。」

 そうは言われても、神族が相手でないと子は神族になる資格が無い。男であれば女奴隷や巫女に数を産ませて出来の良い子を取るという手も使えるが、慎重になってしかるべきだ。

 丹ベアムは席を立って湯の中をついと泳いだ。温泉というものは不思議なもので、泉ごとに湯の色も違うし温度も異なる。煮えたぎる湯もあって大チューラウ(トカゲ)の卵を湯掻いていたりもする。チューラウを飼育して卵を取るなどをわざわざしているのも、ここくらいなものだ。

 湯に潜るって浴槽の下を見る。石を削っただけの簡素の造りで、一面にうっすらと、隅の方には固まって湯の花が付着している。小さな魚が数十匹群れて泳いでいた。
 がばっと頭を湯から上げて、言った。

「魚が居る。この湯加減で死なない魚もいるのだな。」
「そんなバカな。」

 と麗チェイエィも潜って確認する。浴槽は幾つか隣接して掘ってあるのだが下に通路があり魚をそれを伝って移動している。各槽温度が違うから、温い浴槽で主に棲息しているらしい。

 石鹸の泡を一生懸命に流して掃除していたミミズ婆が、神族に対しての礼も弁えずにぶしつけに言った。歯が無いから妙な発音になる。

「はっぢの水槽は魚がびっぱいイるから、入ったら魚が垢を喰でぐれるよ。」

「ウエロ、試してみよ。」
「はっ。」

 と麗チェイエィの狗番が腰布をとって魚の水槽に入った。この水槽は浅く常人でも溺れず、温度も低い。湯もかなり澄んでいて、黒い背中の小魚がさーっと狗番の身体に群がるのが見える。

「我が主よ、この魚には歯があります。」
「痛いか?」
「痛くはありませんが、皮膚を削り取るようで、出ると赤く腫れるのではないかと思われます。」

「死なしなぃよ。出来物とか傷口とかぎれにしてぐれる。」
 ミミズ婆が言うので、これはこれでいいのだと理解する。見る分には結構面白いので二人は四つんばいになって覗き込み、浴槽の中の魚の働きを確かめている。

 

「尻を突き出してなにをしているのだ?」

と、湯殿に入ってきた泰ヒスガパンが二人の姿を見て言う。丹ベアムが振り返ると、堂々たる兄の裸身が目に飛び込んできて思わず赤面してしまった。後ろからは狗番を従えて雁ジジも続く。

「遅かったな。」

 麗チェイエィが尋ねる。二人は先にゲイルに温泉の湯を与えていたのだが、他の神族も泊っているのに気付き挨拶に行っていた。
 泰ヒスガパンは小さく嘆息した。

「先にバガラ・ファンネムに行っていた者だ。彼らの話によると、既にヌケミンドル、ミンドレア方面に向かう寇掠軍は100を越えているらしい。」
「では神族で700は、軍勢は一万二千人は居るな。」
「そのような場所に付いて行っては、何程の働きも出来ないだろう。兵站は運河が使えるようになったと聞いた。神聖王が自ら官吏を派遣して無料で輸送任務を果たすらしい。」
「寇掠ではなく、褐甲角王国の殲滅を御望みなのだ。しかし100隊はいかんな。」

「兄上。むしろ南に向かい、搦め手から攻めましょう。」

 丹ベアムが言う南とは、ベイスラ、エイベントの南部地方となる。南部はただ畑があるばかりだから攻められても褐甲角王国にはさほど打撃とはならぬが、黒甲枝にまみえるには味方が手薄なこちらの方が確実だ。

「雁ジジ殿も同意見だ。殲滅戦であれば黒甲枝にこだわらず、クワアット兵の数を削いでいくのが有益だと言う。」
「可哀想な雑兵どもを蹴散らすのか。なんとも残虐なはなしだな。」

 表情は笑みのまま麗チェイエィが応じた。丹ベアムは既に身体を起して前を向いているが、彼女はそのままに尻を突き出して泰ヒスガパンを挑発する。
 だが彼も表情を礼儀正しく微笑みを留めながら、狗番に身体を洗わせる。丹ベアムは自分に付いていた喙番に命じて、兄に奉仕させる。

「では我々も急いだ方がよくありませんか。後から来る者は皆そう考えるでしょう。」
「いや、二三日ここに留まっていこう。ここは山中だから気温は低いが、平原に出ると今のままの甲冑では熱暑に耐えられぬ。少し手直しをせねばならぬようだ。」

「そう言えば、夏場に寇掠軍を出した例は無いな。防毒面を被って暑さに耐えながら毒地を行く、などは無理だからな。」
「空気抜きの隙間を設け、水筒をつけ加え、日傘を騎櫓に据え付けよう。狗番達の鎧にも手を加えねばならぬな。」
「兄上。強制的に冷却する為には、聖蟲の発する振動を利用して翅を震わせると聞きました。」
「あれは、褐甲角(クワアット)神の聖蟲の話だ。金雷蜒(ギィール)神の聖蟲の精気の振動は弱く利用が出来ない。」
「そうでもないぞ。振動数が低いだけで力はある。」

「おお、魚風呂か。これは古傷に心地よいのだ。」

 と、狗番のウエロを上がらせて雁ジジが魚の居る浴槽に浸かった。頭の上で軍議が始まって放っておかれ魚に突かれ放題になっていたウエロはようやくに救われる。

「うむ。こうして魚に皮膚を突かせていると、心の垢も食い尽くされるようだな。そこの者、用事があるのなら近う寄れ。」

 

 湯気の向うに向かって雁ジジは言葉を掛けた。その者の存在は丹ベアム達も気付いており、温泉で仕える奴隷と思い気にも止めなかったのだが、

「殿様には我が想いを御賢察になられ、恐悦至極にございます。」
「禿頭にネズミ文字で印を刻むか。スガッタ教の僧侶だな。このような辺地に求める真実はあるか。」
「真理真実は我が身一人にあり、心赴く所は天地の果てに、極める所は蟻の牙先にございます。」
「では湯になにを求める。傷の癒しか。」

 湯気の向うで姿はよく見えないが、その者の影は武術を修めた達人の様に見て取れた。ひょっとすると刺客かも知れないと、狗番達も緊張している。

「主を求めております。我が会得し真実の、更に奥を望むに人の身にては限り有り。方台に道の教えを響かせるその術を手にするには神の大輿を必要とします。」
「面白い。神族を乗りこなすと言うか。おまえが会得したものとはなんだ。」

「幽の玄影。地の箴言。人を操る大いなる闇の働きを見、我が師ラゴロクの秘伝で関与を許されます。」

 

「幽霊が見えるというのか、戯けた事を。」

 丹ベアムは口を挟み応じた。十二神方台系には幽霊という概念がほとんど無い。人は死ねばその身は滅び魂は速やかに天に引き上げられ裁きを受ける。神の召喚を逃れて地上に留まる魂などありえない、と信じている。聖蟲によって科学知識を与えられるギィール神族であればなおさら、死後の世界も信じない。

 だが雁ジジは右手を挙げ、丹ベアムを留めた。五十の齢を経た彼は、この者になんの兆しを見たのだろうか。

 男はゆっくりと近づき、魚風呂の浴槽の側に控えた。30歳半ばで痩身、ひきしまった筋肉、身体には無数の傷があるがスガッタ教の修行の為に自ら付けたものだ。頭には一本の髪もなく、絵文字が数個刺青で描かれている。これは紅曙蛸王国時代以前に使われていた記号でネズミ文字という。今や滅びた文字だが、聖山山中に棲むネズミ族と呼ばれる蛮族はなおこれを護り、天よりの導きとすると聞く。

 泰ヒスガパンが妹に代わり、尋ねる。

「具体的に述べよ。我らに何を求める。」

 男は頭を更に下げ、答えた。

「戦場のただ中に現われる神人との邂逅を。」
「おお。激戦の渦中にのみ現われる、原初の護り手コウモリ人の姿を今に留めるというあの神人か。」
「我らの戦に、彼が現われるのか。」

 雁ジジも泰ヒスガパンも感に打たれた。コウモリ神人と呼ばれるその人は、方台において歴史の行く先を定めた重要な戦に必ず現われ、勝敗の帰趨を指し示す。彼に会った者は後にそれぞれの王国の礎に刻まれる大いなる働きをした、と戦人の間で永く語り継がれる伝説だ。「大審判」と呼ばれ、二千年の王国の掉尾を締めくくる今度の戦に彼が現われるのは理の当然であろう。

 丹ベアムは喜ばない。コウモリ神人に会った者は歴史に名を留めているが、皆非業の最期を遂げたという。戦死ならともかく、そのような悪縁に自ら飛び込むなど正気の沙汰では無い。
 麗チェイエィが立ち上がり、優雅な裸身を曝け出す。男に命令した。

「戦列に加わるに値する、おまえの芸を見せよ。」
「かしこまりました。」

 男は礼をしてしゃがんだまま少し下がり、立ち上がると湯殿の凝灰岩の壁を見詰める。彼と壁の間には浴槽が二つ、煮える湯を湛えて横たわるが、
湯の上を沈む事無く走りぬけ、矢のように壁に右手をめり込ませた。距離にして12メートルを瞬きする早さで駆抜けた。
 壁に左手を当て、ゆっくりと右手を抜く。生身の腕が岩の間に深々と突き刺さり、穿たれた穴から湯が噴き出した。

 雁ジジは手を三度叩き誉め称え、彼の陣に加わる事を許した。

 ミミズ婆が壁に開いた穴を見て、大声で叫んだ。

「あーこのばぢあだり者奴が、んだごどしでかすが。」

 

 

 二日後、一行はチゲル湯に居た二人の神族を加えて6名で寇掠軍を結成し、平原に下りる。

 スガッタ教の武装僧侶は名をジムシといい、武芸全般に通じる達人であった。彼は便宜上「剣匠」を称し、ガブダン雁ジジの配下となる。雁ジジは推されてこの寇掠軍の上将となり、『永遠の護手との邂逅(ウェク・ウルーピン・バンバレバ)』の名を付けた。『護手』とは、黒冥蝠(バンボ)神の別名でもある。

 彼らの最初の目的地は、傭兵市バガラ・ファンネムだ。傭兵市はすべて、ギィール神族の互助会「ゥイ・ゴーマン・ゲイル」の運営となっており、三荊閣と呼ばれる有力神族の三派が仕切っている。バガラ・ファンネムは東金雷蜒王国南端の鎮守府ガムリ点に拠点を置き、西金雷蜒王国との貿易で栄えるガルポゥエン派の管轄だ。

 市には既に50を越す神族が参集し、寇掠軍の編成を行っている。バガラ・ファンネムは規模としては小さな市だが、奴隷や凌兵、剣匠が5000人も揃って主人となる神族の訪れを待って居た。兵の養成は「ゥイ・ゴーマン・ゲイル」が戦争専門バンドを通じて行い、各神族に貸出す形態を取る。寇掠軍に参加する者はゲイルと黄金のみを用意すればよい。

 

「こうして見ると戦の準備の為だけでなく、それ以外の店も多いな。」

 丹ベアムは初めて見る傭兵市の賑わいを楽しんで居た。人の集まる所には、必ず商売人がやって来て遊興の店を開く。神殿の出張所も設けられ、紅曙蛸神殿からは楽人の奏でる曲が市全体に溢れ、通りには艶やかな衣装を身に纏ったタコ巫女やカエル巫女も舞うように行き交っている。よく聞けば、流れるのはプレビュー版青晶蜥神救世主ッイルベスの一行が奏でていた、星の世界の楽曲だ。東金雷蜒王国ではこの曲はかなり流行になりつつある。

「おお! これは良いものだ。是非とも買わねばなるまい。」

と麗チェイエィが手に取ったのは、露店にいくつも重ねて展示してある大きな鉄の半球であった。まるで楯の大きさが有る。ベアムも寄って確かめる。

「これは、楯なのか? 鋼ではないから、矢を防ぐのは無理だろう。」
「おそれながら、」

 店主が跪いて応対する。一般奴隷の商人がいずこかの神族から商品の販売を委託されているのだ。このような者が何人も出店を並べて、武器装備品の市場を形成する。

「おそれながら、それは武器ではございません。星の世界からいらっしゃった青晶蜥神救世主様が、毒地を渡る際に用いられたという”鉄の鍋”です。」
「鍋! なべか。なるほど、これは軽い。しかも丈夫で運搬に不便が無い。奴隷に鼎を運ばせる必要が無くなるのか、考えたな。」

 十二神方台系では食事の用意に金属器を用いる習慣が無い。金属はなによりも武器として用いられる尊い材料で、食事のような卑俗な行為に用いるべきではないと考えられてきた。故に交易や軍勢の隊列であっても、二人がかりで人足が土器の鍋や鼎を運んでいく。寇掠軍に100人奴隷兵が居れば5個は必要だが、この鉄鍋ならば一人で運んでなお余裕がある。

 

「ああ、居た居た。見ろ、こいつらは皆仏頂面をしているぞ。」

 次に覗いたのは蝉蛾巫女が控える天幕だ。蝉蛾巫女は毒地を行く際には風の流れを読み隊列を安全に導く不可欠の存在だったが、毒の消えた今はまったく必要が無くなってしまった。どこからもお呼びが掛からないので空しく小声で唄っているだけだ。
 丹ベアムは少し可哀想に思ったが、だからと言って用の無い者を戦に連れていけない。戦に巫女など本来あってはならないものだから、任から解放されたのを喜びこそすれ怨むのは筋違いだ。

「・・・・キシャチャベラ麗チェイエィ様、イルドラ丹ベアム様。蝉蛾巫女を一人お選びなさいませ。」
「! おまえか、なんだ、いきなり沸いて出るな。」

 スガッタ僧ジムシが、狗番を通さずにいきなり二人に声を掛けて来た。彼は実に奇妙な動きをして、狗番が留める手をすり抜けて神族の側に侍る事が出来る。狗番達は皆彼の存在に怒っていた。
 丹ベアムは彼に問い返す。何故今更蝉蛾巫女が必要なのか。

「それは、霊の託宣にございます。」
「面白い。幽霊が巫女が欲しいと望んだのか。生贄にでもする気か。」
「未来の事は確とは分かりませんが、我らがこれより臨む戦には必ず必要となるのです。」

「・・いいだろう。一人くらい連れていっても邪魔にはなるまい。誰か、私に従う者は居ないか。」

 麗チェイエィの問いかけに、蝉蛾巫女は互いに顔を見合わせて、やがて一人が立って神族の前に跪いた。20代前半の巫女だ。

「名は。」
「エローアと申します。」
「寇掠軍には何度従った。」
「三度で御座います。」
「歌え。」

 エローアと名乗る巫女は、戦場を駆けるゲイルを称える曲の一節を歌う。彼女はふくよかな体つきをしているが、声は高く良く透る。歌の上手い者が風を読む力にも優れているというのが、巫女の能力の判定法だ。ただ彼女は大方の蝉蛾巫女と違い、すこし視線がはっきりし過ぎている。実務系の巫女によく居る気働きの利くタイプのようだ。

「この者ならば喙番の代わりにもなるだろう。」
「ジムシよ、ひとりで良いのだな。」
「おそらくは。」

 

 市を一巡りしてゲイルの元に戻った二人は、男たちが集めて来た兵や装備を見回した。剣匠や凌兵が多く、通常の寇掠軍では大半を占める荷物運びの奴隷兵は少ない。物資の輸送に運河の利用が可能となったので、前線までの途中を運ぶ必要が無くなった為だ。毒が満ちていた時は防毒面を被りながら荒地を行くので一人あたりの荷物量も少なく、大量の奴隷兵が必要だった。

 丹ベアムに兄の泰ヒスガパンはこぼす。

「うすのろ兵というものも欲しかったのだが、我らは少し出遅れた。正面から黒甲枝を射殺すのは見物であるのだがな。」
「それは残念でした。」

 うすのろ兵とは、獣人の廉価バージョンだ。通常の獣人は育成に資金と時間が掛かり寿命も短いのに対し、これは強化する機能を絞って安価に大量に育成できるようにした。
 動作が緩慢で知能も低い怪力だけが取り柄の存在だが、強力な弩の弦を簡単に引き重い矢を番えさせれば、黒甲枝の鉄弓と同等以上の威力と距離で射撃戦が可能となる。撃つのは専門の兵がやるのだから、知性は必要無い。むしろ知能が低くて従順なのが運用に便利と好評を博している。格闘戦を諦めたのが成功の鍵だ。

 雁ジジが、派手な服を着た「ゥイ・ゴーマン・ゲイル」の使いから書簡の葉片を受け取って、列侯に伝える。寇掠軍では神族同士では身分の差が無く、互選で経験豊富な年長者を指揮官「上将」と為し、その他の神族は「列侯」と呼ぶ。

「今宵、この市を取り仕切るガルポゥエン派が出陣の祝宴を開くそうだ。神族は皆参集せよと要請して来た。礼をせねばなるまい。」

 

 祝宴ではイルドラ丹ベアムは神族の男性達に大層持ち上げられた。入れ代わり立ち代わり何人もの若い神族が彼女の前に現われて、愛を囁く。毒地の寇掠軍というのは、見知らぬ神族の男女が集い契り合う場でもある。だが今回の戦場は人が多過ぎて、真剣に考えるには騒がし過ぎる!

「はあ。」
「ハハハ、今度の戦はかってない大規模なものだけに、皆血が滾っているからな。許されよ。」

 一人だけ甲冑を着用していない、派手な毛織物のケープを羽織った神族がまた彼女の側に寄って来た。兄よりも一つ二つ上という若さだが、周囲の者の様子を見るとこの市でも重要な役職にある者のようだ。

「申し遅れた。私はイスコハラ鋳アンガ、このバガラ・ファンネムを預かっている。以後御見知り置きを。」

 イスコハラ家は三荊閣ガルポゥエン宗家の家令格を務める重要な神族だ。彼はその新当主だ、と丹ベアムは知っている。ギィール神族の名士録くらい神族なら誰もが諳じる。イルドラ家とは比べ物にならないほどの金持ちだとも聞く。

 彼はしばらく丹ベアムと話して、供を連れて去っていった。かなり長かったので良い線を行ったのかと、麗チェイエィが確かめに来た。

「かなり御執心だったではないか。彼はどうだ。」
「他の神族ならば良くても、アレだけはダメだ。顔はいいが、根性がなっていない。」

 丹ベアムが顔をしかめるのを、麗チェイエィは不思議に思う。彼女の見たところでは、イスコハラ鋳アンガの将来性は群を抜いて高く、性格や美しさも泰ヒスガパンに匹敵する逸品だ。

「何が気に食わない。」
「危ないから寇掠軍に行くなと言う。あれは許せない。」
「なるほどな。・・・ところで、兄上が危機に陥っているぞ。」

 首を上げて兄の姿を探すと、泰ヒスガパンは何人もの女人に取り囲まれていた。麗チェイエィよりも年上の神族の女性達が、舌舐めずりして兄に誘惑を仕掛けて来る。

「失礼。」

 丹ベアムは甲冑の左手に仕込まれた隠し武器を開放し、兄の元に歩いて行く。その意図に気付いた神族の男達は皆にやにやと笑いながら道を開け、宴を主催するイスコハラ鋳アンガは驚いて奴隷の剣令達に彼女を止めさせようとする。

 麗チェイエィは女奴隷の捧げる盆から煮た鳥肉を取り、指先でつまみながら乱闘の行方を眺めていた。

「なんだ、ベアムも楽しそうじゃないか。」

 

 

第六章 針の穴から覗く天は、どこまでも青く

 

「お待たせいたしました。ハジパイ王殿下の御用意が整いました。面会の御予定の方は、こちらでお待ち下さい。」

 

 褐甲角王国、正確には「褐甲角の神軍により導かれる正義と公正の王国」と呼ぶ、には三つの王家があり、それぞれに性質を異にし役割を分担して国を支えている。

 第一で主たるカンヴィタル王家の当主は、王国の支配者にして救世主、全軍の総司令官である武徳王を務める。
 武徳王以外の王家の人間は表に出ることなく、カプタニア王宮最上階の神聖王宮で褐甲角(クワアット)神の聖蟲の繁殖を行っている。金雷蜒王国の王姉妹と同じ役目だ。褐甲角神の地上の化身が在るカプタニア山地を守るのも彼らの仕事で、詳細が明らかでない小数の神兵団を率いている。

 第二が政務を取り仕切るソグヴィタル・ハジパイ王家だ。元はソグヴィタル王家ただひとつだったが政策の違いで二つに分家し、元老院で互いに覇を競う事となった。現在ソグヴィタル王である範ヒィキタイタンが追放されているので、ハジパイ王 嘉イョバイアンが政務を一手に掌握する。法を重んじる褐甲角王国では元老院での議決を優先し、その結論を取り纏め武徳王に上奏するハジパイ王は、事実上全権を委ねられている。
 但し、軍事に関しては武徳王に直接任命される黒甲枝の兵師統監が統括し、元老院および官僚が口を挟む事は許されない。

 第三は、主に地上にあって武徳王の代理を務めるメグリアル王家で、十二神最高神殿のある聖山に近いエイタンカプトに神殿都市を作り、褐甲角神信仰を司る。
 メグリアル家は初代武徳王の末女の血筋に繋がるもので、男子直系ではない為に一段低く見られている。しかしその分世間への露出が多く、巷で褐甲角王家といえばメグリアル家を指すほどだ。昔から霊能に優れた者を多数輩出して信仰面において王国を支えて来たが、中央政界からは遠い為に政治抗争の割を食わされる事も多い。

 そして元老院は、聖蟲を戴く黒甲枝の家から特に王国に功があった56家を選び、参政の任に就かせている。彼らはまた三王家に配偶者を出す義務も負い、王国を支えるべき存在として『金翅幹』の名を持つ。

 以上の褐甲角王国上層の者は皆、額に黄金の甲羽を持った聖蟲を戴く。
 金雷蜒(ギィール)神のゲジゲジの聖蟲と褐甲角(クワアット)神のカブトムシの聖蟲の違いは、突然変異の発生数の差だ。ゲジゲジの聖蟲は二千年ほとんどその形が変わらない。王家であっても一般のギィール神族と同じ聖蟲を戴いている。
 対して褐甲角神の聖蟲は翅や外皮、角の形や色の違う個体がしばしば見受けられ、隔離して飼育すると新品種が出来上がる。こうして元々は黒褐色に金縁の一種しか居なかった聖蟲も、千年の内に5種ほどが出来上がった。
 王家の者は完全な金色の甲羽を持つ聖蟲、元老院は白金に近い薄い色の聖蟲、黒甲枝は原種とも呼ぶべき黒褐色の、赤甲梢には細身で赤い甲羽を持つものを、と分けられている。そしてもう一つ、緑金色の甲羽を持つ聖蟲は。

 

 ハジパイ王 嘉イョバイアンが召し使う大狗サグラバンダの額にあるのが、この聖蟲だ。ハジパイ王はこの聖蟲を通じてサグラバンダの見るものを見、感じるものを知る。緑金の聖蟲を戴く者は、王族の黄金の聖蟲によって遠隔操作をされる。使い方によっては恐るべき神器なのだ。

 サグラバンダは専属の狗飼いと女官によって世話をされるが、一日に朝の一度、ハジパイ王から餌をもらい主従の契りを確かめる。それが終る時間が大体午前8時。支度を整えて元老院に入り、執務室に届いた書簡類を確かめるのに一時間を要し、面会は9時半から開始される。
 十二神方台系には時計が無いので、太陽の高さで大まかに時間が決められるが、それでも時間にうるさい人は厳守を要求する。面会者は約束の一時間前から執務室の前の長椅子で順番を待つ。ハジパイ王は高齢の為にスケジュールが狂う事もあるが、機嫌の良い時はどんどん進み順番も約束の時間も繰り上げるので、待たせない為に一時間前に到着する事が礼儀として要求される。

 

 

「うん、む。前哨戦がすでに始まっているのか。」
「はい、最初の寇掠軍の襲撃は地震の前に予定されていたもので、その残存部隊が一段落した後の本隊がようやく前線に到着した模様です。」

 ハジパイ王は軍事には関与しないとはいえ、国全体に影響を及ぼす前線の状況を逐一知る義務がある。今朝第一番の訪問者は軍政局からの報告だった。

「ギィール神族は今回、これまでの寇掠軍とはまったくに戦法を変え、一般兵を十分に用いる事にしているようです。ご覧ください。」

と、賜軍衣姿の黒甲枝が拡げた地図はミンドレアの最前線付近の模式図だった。完全に要塞化されているヌケミンドル国境と違い、すぐ北のミンドレアは従来通りの国境線の防備形態を留めている。

「・・この、物見台が現在の攻防の最前線です。高所から接近する寇掠軍を察知し防御体制を整えるわけですが、今回金雷蜒軍は物見台の沈黙を図ってきております。」
「それは例の無い事なのか?」
「ございません。少数の兵であれば、一つ二つ潰したところで他の幾つもの物見台からその姿を察知されます。ですが今回は組織的に複数の物見台を同時に破壊する作戦に出ております。ゲイル騎兵ではなく、一般の剣匠がその任に当たっているようです。」

「こちらの対応はどうなっている。」
「物見台は本来邑兵の上位者に任せられる役目ですが、今回クワアット兵にその任務を換えています。しかし、物見台は毒地に突出した位置にあり多数の兵を防御に当たらせるわけにもいかず、被害が続出しております。」
「黒甲枝を当てれば良いだろう。」
「既に命令を出しておりますが、いささか後手に回った観があり、ミンドレアでは物見台の3割が完全破壊を被っております。」

「目を奪われたという事だな。次は。」
「はい、ゲイル騎兵はヌケミンドル方面では得意の騎射が出来ませんので、代りに重装甲兵を用いると思われます。また彼らの得意の工芸を用いた新兵器が大量に投入されると見込まれ、現にこれまで我々が遭遇していない兵器による攻撃も受けております。」
「対応策は。」
「強弩、弩車、大弓を城塞に完備し、防御を固めております。敵に比べれば旧式ではありますが威力で別段不足するものではない、と前線からは報告されています。」

「うむ。」

 その後更に今後の展開の予想を聞かされるが、本来ハジパイ王には軍に関与する権限は無い。ただ物資の消費量については各部所に厳密な報告を出させるよう指示するだけだ。
 帰り際に、報告の黒甲枝は付け加えた。

「軍需物資の輸送に民間の隊列を使う件につきましては、各県で個別の対応をしておりますが、彼ら民間人が戦死や傷を負った場合の補償について、元老院での御早い討議をお願い致します。」
「うむ。」

 だがハジパイ王はその件はかなり引き伸ばすつもりだ。正直に言って、現在の財政状況ではそんなところまで面倒を見きれない。それどころか、最終的には十万にも達すると見込まれる全土から動員される兵をどうやって食べさせるか、財務官僚の悲鳴を聞く毎日だ。

 

「次の御方。衛視局街道保安室さま。」

 カタツムリ巫女の侍女が次の面会者を呼び込む。カタツムリ巫女は本来神話劇を演ずる女優であるが、記憶力と即応する能力に優れている為に王宮で侍女としても召し使っている。美人で舞台上で見栄えのする豊かな身体の持ち主が多いから、王宮に上がった黒甲枝がよく嫁にと望んでいき長く務めないのが悩みである。ハジパイ王に仕えるのも歳は若いが気の利いた者で、緑の巫女服と頭巾で覆っても隠しきれない美貌に面会者は目を奪われる。

「ガモウヤヨイチャンの件だな。」
「はい。メグリアル劫アランサ様は、青晶蜥神救世主様に対する無礼への不敬罪適用拡大を再度御要請になられました。」
「元老院でまとまった案はこれだ。武徳王陛下に上奏した後に発効するが、かいつまんで言うと、武徳王神聖王、一つ下がって私と同位でもなく、王家に属する者に対する不敬と同等の扱いを受ける。ガモウヤヨイチャン本人が処罰する場合には褐甲角王国は官人への罰以外は関与しない。ガモウヤヨイチャンの宮廷の臣を名乗る者に対しての犯罪は、これは認めず単なる一般人への犯罪として取り扱い王国が一意に処罰権を持ち、正式に青晶蜥王国の樹立が認められるまでこの措置は続く。」
「はい。先行して通達しておきます。」

「それで、青晶蜥神救世主の動向は。」
「未だデュータム点に留まっておられます。おそらくは、戦況の行方を確かめていると思われます。」
「デュータム点の機能は、半ば程も低下している。早くに立ち退いてもらえ。」
「は。」
「して、人はまだ彼の者の周りに集まっているのか。」
「はい、街道の行き来に混乱が生じておりますので伸びは鈍っておりますが、現在は西岸からの参拝客が増大の一途を辿っております。」
「ではデュータム点の物流に、これ以上の負荷を掛けるのは不可能だな。」
「ですが、民間の物資輸送は更に倍増しております。まるでデュータム点が青晶蜥王宮にでもなった賑わいだと聞き及んでおります。」

「ガモウヤヨイチャンはそれだけの人間をどうやって食わせるつもりかな。」

 

「次の御方。税務局蔵庫課さま。」

 税務局は元老院に属する役所で財務と徴税を請け負う。今度の戦争で国倉に納められた物資を丸ごと放出しており、国中の役所が空になっている。

「それはならぬ。」
「は。しかし、それでは。」
「飢饉に備えて備蓄してあるものを、戦争の為に放出して良いわけがなかろう。」
「されど我らの調査によれば、各町村の自治会議が保有する備蓄穀物は国庫の備蓄量の定数の倍に相当すると、」
「それでもならぬ。敢えてというのならば、その自治会議が保有する分を特別税としてかき集めよ。飢饉への対策は王国が主体とならずにどうする気だ。」
「ははあ。」
「出入りの商人が今度の大盤振る舞いで大いに潤っているだろう。特別運上金を取り立てる算段をするよう関係部所に通達せよ。」

 

「次の御方。衛視局南辺海事室さま。」

 治安を司る衛視局において、無法都市タコリティと密貿易に対処する部所だ。ヒィキタイタンが姿を現し新生紅曙蛸王国の建国を宣言した為に、この部所は一気に注目を浴びた。

「現況は。」
「既に紅曙蛸王国本体はテュークの円湾に移動し、タコリティはただの砦となっております。が、今回の戦争に介入しようと海賊どもが集結しているとのこと。イローエントの軍船を出して叩いて置くべきと要請が上がっておりますが、軍政局は握り潰しました。」
「だろうな。敢えてギィール神族の目を南に向ける必要は無い。」
「御下問のありました、紅曙蛸巫女王五代テュラクラフが呼び起したと思われる巨大なテュークですが、以後姿を見た者はございません。円湾に潜入した間者も確認してはおりませんが、円湾内では通常の頻度よりも高い地鳴りがしており、確実に存在するものと思われます。」
「兵器として使う事も有り得るか。」
「攻められれば必ず、その神威を揮うと推測されます。」

「やっかいだな。東金雷蜒王国との戦争に新生紅曙蛸王国が介入する予測はどうだ。」
「ソグヴィタル王が在られる限りはと。ただし、海賊共がどれだけソグヴィタル王に従うかは未知数です。場合によっては、テュラクラフ女王が彼らに影響を受けないとは言い切れず、」
「女王をこちらの手に入れる訳にはいかぬか。」
「武力では不可能と思われます。むしろ、和平の会談を持ちかけイローエントに行幸を願うべきかと。」
「正攻法だな。ヒィキタイタンを通さずに、タコ神官に直接繋がる手立てを模索せよ。」

 

「次の御方。近衛兵団スタマカッさま。」

 王都カプタニアを防衛する近衛兵団はカンヴィタル武徳王の親征に従ってヌケミンドルまで本営を移すが、それは軍政局の管轄でありハジパイ王の関知するところではない。

「なにか。」
「衛視局に掛け合ったがらちがあかないので、お願いに上がりました。デュータム点において青晶蜥神救世主ガモウヤヨイチャン様を襲った「獣人」に関する情報を衛視局に命じて御開示くださりませ。」
「なるほど、武徳王陛下の御天幕をそのような化け物に襲われると思われたか。では近衛兵団長であるその方に限り、開示しよう。最も重大な情報は、この獣人を作り上げたトカゲ神官メウマサクが、育成に必要な薬剤を多量に人喰い教団に流していた事だ。」
「! それは初めて聞く。そのような重大な情報を何故に我らにお伝え下さらない。人喰い教徒どもが陛下の御命を狙えばいかがなさいます。」
「それほど案ずる必要はない。金雷蜒王国では長年の研究の末に、どうやっても黒甲枝の神兵には獣人では叶わないと結論づけている。人喰い教団がそれ以上の獣人を作れるはずがない。油断しなければ、万全だ。」
「は。」
「むしろ私ならば近衛の抜けるカプタニアで獣人を使うが、それは衛視局が防ぐ。案じ召さるな。」
「・・ありがとうございました。」

 

「次の御方。元老員キマさま、アケルヒナさま、シヂチヘリママさま。どうぞお入り下さい。」

 彼らの姿を見たハジパイ王はカタツムリ巫女に命じて扉を閉め、部屋の前に座る面会希望者を下げさせる。
 この三人は元老院の若手で、ハジパイ王の唱える先政主義を信奉する『白寧根』と呼ばれる秘密会のメンバーだ。早い話がハジパイ王に経験の浅い元老員が操られているわけで、元老院の外で権限外の工作活動を行っている。『白寧根』は実際は何組もあり、それぞれが互いの存在を知らずハジパイ王とだけ繋がっている。その名の由来する通りに、土の下に広がる根の繊毛の様に密かに王国を支えている、筈だ。

「君達は、どこまで行った。」
「ハジパイ王よ。我らはガンガランガにて難民組織の人間と接触しました。」「無論、人を介して。正体を明かす事はありません。」

 神聖王と直接交渉する、あるいは身柄を押さえる以外にこの戦の早期決着の術は無い。彼らは難民の裏社会を通じて東金雷蜒王国の情勢を知り、また神聖王宮に工作を持ちかける任務をハジパイ王より与えられていた。

「(東金雷蜒王国の首都)ギジシップ島はどうなっている。」
「トカゲ神殿の人間の神聖宮への出入りが激しい、とのこと。青晶蜥神救世主の剣が王宮に持ち込まれたそうです。」
「王宮内で医師を必要とする事態が起きているというわけだな。今のガトファンバル神聖王は何歳だった。」
「たしか28歳であったかと。2番目です。」

 金雷蜒王国の神聖王は、前の代の王の息子達が年齢順に王位を継承し、その代が死に絶えるまで同じ名を用いる。それぞれの神聖王の子は分け隔て無く同じ王位継承権を持ち、皆等しく次代の王となる。現在はガトファンバルといい、ギジメトイス神聖王達の息子達だ。

 ハジパイ王はしばし考える。このような大規模な戦争が何年も続けば、どちらの王国も共倒れする。戦争に明け暮れ権威を失った両王国の傷ついた民に救いを与えるのは、青晶蜥神救世主ガモウヤヨイチャンであろう。彼女は労せずして方台を拾い上げ、自らの王国を手にする。これを最初から画策していたのならば、彼女は救世主などではなくもはや魔王と呼ぶべき存在だ。

「では、神聖王自らが出陣して毒地を親征するなどは、ありえないのだな。」
 ハジパイ王はため息を吐いた。元々無い可能性を必死に探しているのだから、この程度は落胆するに値しない。

「やはり、」
と、キマ家の元老はハジパイ王の気に触るだろう事を言う。先政主義には反するが、戦は攻めねば勝てぬのだ。

「やはり神聖首都ギジジットを失陥させるのが、和平を呼び掛けるのに最もふさわしいかと思われます。」
「あるいは、ソグヴィタル王の献策に従って、ガムリ点を船で攻めて直接ギジシップ島に乗り込むのが。」

「どちらにしても、必要な兵力を今の防衛体制から割くのは不可能に近い。武徳王陛下から許しは出ない。
 ・・・・・、時の車輪を逆に戻す、のを神は許すと思うか?」

 それは青晶蜥神救世主ガモウヤヨイチャンを暗殺して、天河の計画を頓挫させる事を意味する。万が一成功した場合でも歴史がどこに転がるか分からない愚者の策だ。
 ハジパイ王は、彼らに一つの手段を囁く。彼自身もこのような非道が天に通じるとは思えないが、時折歴史は他愛の無い失策を見逃すのに賭ける気分にもなる。

「メグリアル劫アランサの傍に私が就けた女官が、ガモウヤヨイチャンから直接聞いた話というのを伝えて来た。」
「間者ですか。」
「ただの女官だが私の言には逆らえぬ。カロアル斧ロアランと言ったか、その娘の話では、ミョ燕を斬れる早さを持つ者であれば自分を斬れる、とガモウヤヨイチャン本人が述べたそうだ。」
「ミョ燕を?」「人では無理でしょう、私は長剣をかなり使いますが、動きの読めないミョ燕を空中で斬るのは不可能です。」「人では・・・、ヒト、ですか・・。」

「そうだ。人では無理だ。だが、人で無ければ、どうなのだ?」
「ひとでなければ・・・・・。」

 

 昼天時、つまり正午になって面会は一時終了し、休憩となる。
 カタツムリ巫女達は午前中に持ち込まれた資料や書簡を整理し、新たな指示に従って書簡や命令書を葉片に綴り、関係部所に資料の作成を依頼する。その間にお昼御飯も食べるわけだが、ハジパイ王はヤムナム茶以外は昼は摂らない。カタツムリ巫女が休んでいる間は、彼は「小説」を読んでいる。

 小説は褐甲角王国の発明だ。それ以前は戯曲や詩はあったが、架空の人物を主人公として現実世界での物語を描く表現形態は、この300年ほどで成立した。

 褐甲角王国は科学技術では金雷蜒王国に劣るが、それをカバーする為に人間を効率的に使う人文分野での発展が長足で進んでいる。成文法に基づく整然とした官僚制度と系統立って行われる人材の教育、辞書事典の整備、一糸乱れぬ統率の取れた軍隊制度と戦術研究。
 特に歴史研究には非常に大きな力を注いでおり、時間に埋もれた事象が掘り起こされ検証記録されている。悪く言えば前例を真似する為なのだが、神の力を授けられたギィール神族や武徳王を範に取るのだから、その示唆する所には大きな知恵が隠されている。歴史を一般読書人にもわかりやすく解説する文書が、小説誕生の元となった。

 とはいえ、小説だけを書いて生活が成り立つほどの市場規模は未だ無い。ハジパイ王が主に読むスガッタ僧で歴史学者のパグポーエンも、誰あろうハジパイ王からの資金援助により研究を深め歴史書を書き、その副産物としての小説を王に届けている。

 パグポーエンの専門は、紅曙蛸王国時代後期。つまり紅曙蛸巫女王五代テュラクラフ・ッタ・アクシが地中に隠れてより、金雷蜒神救世主登場までの500年間を研究する。この時代は「神の不在」と呼ばれる暗黒紀で、聖蟲も救世主も無い、人間が人間の力だけで生きていた歴史上稀な期間だ。

 ハジパイ王はだからこそ、この時代を扱った小説を好む。人が自らの力のみを頼み、聖蟲を持たない各地の小王達が互いに争って勢力を拡大しては潰れていく姿に、新時代を作るヒントを得ようと思うからだ。しかし、それゆえにこの時代は人気が無い。
 パグポーエンの著作はハジパイ王の命で写本が作られ、各地の蜘蛛神殿の書庫に届けられているのだが、人はもっと派手な神聖金雷蜒王国時代、あるいは初代武徳王の活躍を描く褐甲角王国勃興期を好む。でなければ、時代不肖のの恋愛物か、人喰い教徒やら督促派行徒が出て来るサスペンスしか読もうとしない。

 

「ハジパイ王様、照ルドマイマン様がいらっしゃいました。」

 午後最初の面会は、誰あろう彼の息子である。ハジパイ照ルドマイマンは40歳で王太子だが、いつまでも王位を譲られないのでただの元老員に留まっている。派閥としては先政主義だが、父とは異なりソグヴィタル王 範ヒィキタイタンの影響を強く受けている。と言うよりも、千年紀の終わりに、しかもガモウヤヨイチャンの登場を見てもなお頑に政治姿勢を変えないハジパイ王に対して、元老院の見方は急速に冷却しつつあった。

「父上。昼には王殿に御戻りください。朝から執務室に入り浸っているのは、健康によくありません。」
「おまえは書類がカビ臭いからと言って、私にまでカビが生えるとでも思っているのか? 用件はシュクバイァンの事だろう。やはり言うことを聞かないのか。」

 ハジパイ錦シュクバイァンは11歳、ハジパイ王の孫だ。彼は血気盛んな男子の常として、元老院に納まって政治の勉強をするのを不足とし、黒甲枝の子弟を教育する兵学校への編入を望んでいた。
 常であれば、父である照ルドマイマンがそれを許す事は無い。だが現今の情勢を鑑みるに、彼も褐甲角王国が原点回帰する必要を強く感じており、願いを叶えようと父王の説得に来たのだった。

「ルドマイマン、おまえの言い分にも理はある。だが王族がそのような振る舞いをすれば、他の元老も習わずには居れないだろう。和子の全てが兵学校に通うとなれば、元老員の軍政局への口出しも多くなり、王国の根幹がひっくり返る。」
「ですが、」
「褐甲角王国の法は、軍が民を直接に支配せぬ為に作られている。兵師は常に軍を主体にものを考えるから、民草の暮らしや命を軽視する。それを防ぐのが元老という制度であり、元老院でのみ定められる法なのだ。・・・と言っても聞かぬのであろうな、シュクバイァンは。」

「父上、あの子を特別に兵学校へ編入する事をお許し下さい。他の元老の子息には、また別の方法を与え善処致します。」
「なにか腹案があるのか。」
「元老の子息の為の兵学校の設立を、武徳王陛下に願い出てみようかと存じます。今私の周りの元老が、その為の法案作りに動いています。」
「そうか。」

 留めようと思っても、子はやがて親の思惑から外れ自分の道を歩み始める。ハジパイ王は、自分がいささか長生きをし過ぎたかと、執務室の中を見回した。

 ここに積まれた書類、そのまた何倍もが倉庫に納められている、が50年元老院で格闘して来た証しだ。ヒィキタイタンの父である先のソグヴィタル王と何度も議論を白熱させ、元老院の分裂の危機を招いた事もある。武徳王も御代を代わり、いつの間にか王宮で自分より歳上の者は数えるほどになってしまった。
 余力が有る内に引退し息子を陰で支える方が、元老院の健全性を保つのには良いのだろう。だが、不本意ながらもヒィキタイタンを追放してしまったからには、自分には王国をこの難局から救い出す責務がある。立ち止まる事はまだ許されない。

「・・・ヒィキタイタンの王子は、9歳だったか。」
「貞アダンは、シュクバイァンの後ろにいつも付いて、剣術の稽古をしていますよ。彼も兵学校への編入を望んでいます。」
「それは許されぬ。ソグヴィタル貞アダンは唯一人、ソグヴィタル王家を継ぐ者だ。万が一にもその身が危うくなる事は避けねばならぬ。・・・おまえならば分かるだろう、クルタィアンが生きていれば。」

「今年は二十歳になります。此度の戦に喜んで飛び出していったでしょう。」

「元老の子息の為の兵学校か、・・進めるがよい。シュクバイァンは黒甲枝の兵学校への編入を許すも、新しい兵学校が出来たら迷わずそちらに移すのだ。」
「はい。あれも喜ぶでしょう。」

 

 カタツムリ巫女が次の面会者を呼び込む。
「次の御方。メダマンマル市参政ハゲダ・・、あいけません、あ、あっ、ハジパイ王様、権之巫女クワァンクァンさまが是非にとお目通りを願ってございます。」
「仕方のない。通すが良い。」

「父上、なんとかして下さい!」

 褐甲角巫女クワァンクァン、本名はハジパイ芽デェラといい照ルドマイマンの姉だ。神聖王宮ではカンヴィタル王家の者が褐甲角神の地上の化身に仕え聖蟲の繁殖に携わるが、彼女は褐甲角巫女の総代表としてその手助けをしている。

「どうした。」
「どうしたではありません。武徳王陛下の御親征をお止め下さい。父上は元老院の用が住んだらさっさと引き上げておしまいになり、神聖王宮に関ろうとしないからこんな話になるのです。」

「親征といってもヌケミンドルの後方に大本営を置き、天幕などではなくちゃんとした建物を御座所とするのだ。おまえが案ずるような事は無い。」
「だから、たまには神殿においでくださいと言うのです。褐甲角(クワアット)神の御託宣で今神聖王宮は大騒ぎなのです。それを陛下は無視なさるように出陣の用意ばかりを急ぎ、」
「なにがあったのだ。」

 カプタニア王宮の最上階神聖王宮のそのまた上には、褐甲角神殿があり、カンヴィタル王家の女性が王神女として褐甲角神の化身に仕えている。ギジジットの王姉妹と同様に、彼女も聖蟲の羽ばたきを通じて神と交信し、その声を武徳王に託宣として告げる。これは王国の最重要機密であり、最高の意思決定機関だ。
 だが神とはいえ蟲は蟲、全長5メートルになる黄金のカブトムシの言葉は不明瞭で曖昧模糊とし、幾重もの意味が重なって理解に苦しむ。ハジパイ王がこれを重視しないのも道理で、過去数百年、託宣が政治情勢に有為な示唆を与えた事は無い。

「今回は違います。極めて明瞭な意思が示されたのです。父上はお出でにならないから。」
「なんと出たのだ。」
「”消滅”です。」
「・・・・・なにが消滅するのだ?」
「それが分かれば苦労しません。だから陛下を御止めくださいとお願いしているのです。」

 意味は確かに極めて明瞭だが、対象が分からないでは対処のしようが無い。褐甲角神の託宣であるから王国に関るなにか、には違いないが、心当たりを挙げると肝が冷えるものばかりだ。だから託宣などには信が置けない。

「ああ、こんな時にソグヴィタル王がいらっしゃれば、あの方にお任せして陛下もご安心でしたのに。そうだ、父上! 今からヒィキタイタン様をお呼び戻し下さいませ。」
「無茶を言うな。公式に追捕を受けている身だぞ。」
「父上には軍の事はなにもおわかりになりません。黒甲枝にも信用が無いし。お分かりですか、ヒィキタイタン様が黒甲枝に強く支持された理由が。あの御方は黒甲枝が長年、」
「わかったわかった。で、なにがして欲しい。」

「父上ならば陛下に此度の御託宣の意味を伺う事が出来るでしょう。自らその意味を他人に説くとなれば、陛下もお考えをお変えになるかもしれません。」
「御出陣は明後日であったな。わかった、明日の朝最初に伺うと、おまえから典礼官に伝えておきなさい。」
「ありがとうございます、父上。」

 

 3時過ぎになると、カタツムリ巫女がすべてのスケジュールを一旦打ち切ってハジパイ王を強制的に御昼寝させる。平均寿命の短い十二神方台系では相当に高齢と呼べる68歳の身では、侍女が健康を案じて設ける休息の時間を拒絶する説得力が無い。

 長椅子に横たわり天井を見つめる。丸く穿たれた天窓から差し込む陽の光が、カタツムリ巫女によって絞られ薄暗くなる。これでは小説を読む事も出来ない。
 瞼を閉じて眠りを求めるが、目が冴えて落ち着かない。娘がばたばたとかき回していったせいか。諦めて目を開き、天窓から零れる光を見る。
 部屋を眺め回す。壁面に据えられた大鏡には暗く、積み重ねられた無数の報告書の束が映っている。

 鏡を見てハジパイ王は思い出した。何時訪れても鏡ばかりを覗いていたギィール神族の姫の姿を。
 アユ・サユル湖の中心に浮かぶマナカシップ島は亡命したギィール神族が匿われる場所で、王族以外の者が訪れる事は決して許されない禁断の土地だ。彼らの無聊を慰める為に、ハジパイ王も足繁く通ったものだ。
 あれから40年。気が付けばもう何年も島には行っていない。最後に訪れたのは姫の葬儀の日だったか、それともその父の葬儀だったか。

 

 ふと気配を感じた。人ではない。人が気付かぬ僅かな動きだ。
 ハジパイ王の額の聖蟲が、黄金の翅を持つカブトムシがゆっくりと甲羽を開く。あまりにも長く同じ時間を生きて来たのでつい忘れてしまうが、この聖蟲は彼と共に激しい政争の渦を潜り抜けて来たのだ。暗殺の危険を何度もこれが助けてくれた。

 翅が震えて微かな風を巻き起こし、彼の身体を包み込む。空気のベールが不可視の障壁となり刃や毒矢から守ってくれる。
 長椅子の横に立て掛けていた儀礼用の剣を手に取り、ゆっくりと身体を起こす。儀礼用と言ってもギィール神族が鍛えた、聖蟲の怪力に耐える剣だ。常人の攻撃ならば決して遅れを取る事は無い。

 ハジパイ王は剣を抜き膝に横たえ、しばらくじっと気配の位置を確かめていたが、ひゅっと右手を回して長椅子の下をさらった。

「いかがなさいましたか。」

 剣を振る音に不審を覚えて、カタツムリ巫女が顔を覗かせる。指図して天窓を元に戻し光を入れて、長椅子の下を確かめさせた。

「!! これは、・・・・「足の無いトカゲ」です。首が飛んで、きゃあ。」
「騒ぐでない。トカゲならばいつも王宮の壁に貼り付いているではないか。たまたま足が無いだけだ。」
「ですが、・・・。」

 カタツムリ巫女は仲間を何人も呼んで、一番年若い者にヘビを片付けさせた。しばらく敷物に付いた血をふき取ろうと努力したが、あまりにも時間が掛かるのでハジパイ王は命じて敷物自体を執務室の外に放り出させた。

 新しい敷物を用意する間に、彼は考える。確かに蟲やトカゲは昔からいつでも上がって来るものだ。だが毒を持ったヘビが上がって来るのは、やはり時代の転変を意味するものだろうか。褐甲角神の託宣もこれと併せて鑑みれば、また人を脅かす事になるだろう。

 ハジパイ王は長椅子を立って、戸棚の下を探る。この奥には確かアレがあった。十数年前部屋の模様替えをしようとしたカタツムリ巫女が抱え上げぎっくり腰を起して以来、そこに変わらず有るはずだ。

 15キロもあるソレは手が掛かっても容易には動かず、老体では引っ張り出すにも苦労させられる。ようやくにして戸棚から姿を見せたのは鹿革で覆った細長い包みで、紐を解くと積もった塵が天窓から差し込む光に舞う。

「まだ錆びてはいないようだな。ちょうど良い機会だ、家僕に命じて手入れをさせよう。」

 覆いの中から現われたのは、ハジパイ嘉イョバイアン専用の大剣だった。元々刃は無く鞘も無い剣だが、その切っ先は鋭く青光のする鋼は強大な威力を秘め、戦の庭に伴われるのを待っていた。
 柄を握って持ち上げようとするが、到底上がるものではない。両手で構えて本腰を入れて持ち上げようと試みた、その瞬間。

 黄金の聖蟲が翅を拡げ、激しく羽ばたいた。ハジパイ王は全身に抜きがたく絡んでいた老いという名の枷が一気に吹き飛び、筋骨に若さと熱い血潮が弾けるのを覚える。大剣はいとも容易く持ち上がり、片手で天に突き上げられた。
 齢を越えて聖蟲はなお戦う精気を、力を与える。その爽快感開放感、万能の自由と可能性への期待こそが王国を正義に駆り立てる原動力だ。

 

 だからいかんのだ、とハジパイ王は思う。

 この煌めきこそが、人を神に依存させいつまでも己の足で立とうとせず、盲目的に救世主の到来を待ちわびさせる。人としての尊厳が、毅然として独り立つ気概が無くて、どんな神が人を救えるだろうか。魂の奥底から沸き上がる微かな焔の輝きをこそ頼むべきで、聖蟲の煌めきは日輪の、他からの借り物に過ぎないのだ。

 あるいは、そう感じる自分が異端なのか。人は、神から離れては一日も生きていけない存在なのかもしれない。この方台の大地にただカビのように生えては枯れるを繰り返す生き物として定められたのだろうか。

 

 黄金の聖蟲は翅の振動をいく分か抑えたが、未だに羽ばたき続けている。ハジパイ王の自問を神との戦いと認め、加勢をするように震え続けた。

 

【闘猫】

 弥生ちゃんは或る日、世にも珍しい「闘猫」を見た。つまり、無尾猫同士の喧嘩だ。
 無尾猫は元来臆病でものぐさな生き物だから、同族同士で喧嘩するなどは普通無い。繁殖期で発情していても、これは弥生ちゃんも何度か見たが、凄まじく情けない獲得競争をする。雌に選択権があるのだが、雄同士が闘うのではなく、雌に泣きつき土下座して選んでもらう。どちらがプライドを捨てられるかという競争をしているようで、見ているこちらがいたたまれなくなる、それはぐだぐだなものだ。

 それでも闘猫はある。無尾猫は知的生命体であるから、闘争の目的も知的なものだ。
 ネコはネコ同士超音波で会話して、大量の噂話を獲得する。その通信プロトコルは非常に高度なもので、五感すべての体験を非常にリアルに交換して、あたかも自分が現場に居る臨場感を脳内に再現する。
 それほど高度な通信手段であっても、やはりエラーは発生する。事実誤認はどうしても起こるし欠落した情報を想像で補完する事は普通にやっているのだが、ここにネコの個性が入り込むのが喧嘩の原因だ。交換した体験に妥当性を欠くと思われる補完が入っていると、ネコはその体験を拒絶する。伝えたネコは自分の体験を否定されるのだから、それは怒る。温和なネコをして物理的衝突を決意させる程の大きな怒りだ。が、

 喧嘩の前哨戦では当然のように声による威嚇が行われる。しかし言葉を操る無尾猫のうなり声には意味があり、超音波で相当大量の情報伝達が行われる。罵詈雑言もそれほどバリエーションがあるわけでもなし、威嚇はついには口喧嘩へとエスカレートする。解説のネコによると、どちらがより大量のどうでもいい情報を事細かく知っているかを競っており、何故そんな事を知っているかにネコとしての姿勢の深さと哲学があるらしい。つまりは想像による補完の正当性を相手に認めさせようとするわけだ。
 無論普通のネコは平均的な能力しか持たず、それほど差がつくはずも無い。だからこそ泥沼の口喧嘩となり半日も続けるとさすがにネコもダウンする。しかし疲れて倒れるのは勝敗に関係無く、相手を引きずり起して水場に連れていき、回復した所からまた続行する。

 武力衝突はこのサイクルが破綻した時、つまりどちらかがうんざりして逃げようと思った時に発生する。相手が負けたと認めない内はネコは口喧嘩を止めようとしない。逃げる相手を連れ戻し叩いてでも討論を続行させ、それを振り払う為に戦闘する。終いには何が原因だったかも忘れて双方叩き合い、そこでようやく他のネコからの仲裁が入る。この段階になるともう勝敗は意味を持たず互いの闘争本能が暴走しているだけだから、水でもぶっかければちゃんと分かれる。
 その後三日ほどくたびれ果てて寝て過ごすが、起き上がるようになると喧嘩なんかきれいさっぱり水に流して互いに仲良くするものだ。

 弥生ちゃんはその過程の一部始終を観察した。・・・・・・すごく疲れた。

 

第七章 いぬのはなし

 

 デュータム点への入城の際に、青晶蜥神救世主蒲生弥生ちゃんは押し寄せる人達から様々な贈り物をもらった。その中でも庶民からのプレゼントで多かったものが、「豕いのこ」である。

 豕は地球ではブタの事だが、十二神方台系では食用タヌキを意味する。「犬の子」という意味の名前を持つので、弥生ちゃんの頭のカベチョロが翻訳にドジって「豕」にしてしまったのを、その方がいいと弥生ちゃんが意味を固定させた。なんとなれば、十二神方台系にはブタが居らず、ブタに相当する雑食の肉用家畜がこれだけだからだ。
 ただしブタの仲間の生物はちゃんと存在する。体長が2メートルにもなり草原を精悍に駆ける、その名も「荒猪あらじし」。聖山山中に住み猟師もこれを怖れるという、背中に盛り上がったコブが人の背も越える「山荒猪」。十二神方台系で最も強力な哺乳類で体重が5トンを越え、頬から乱杭歯が皮膚を貫いて露出する「牙獣」もブタの仲間だ。どれも極めつけの猛獣でギィール神族でさえあしらいかね、黒甲枝の為の獲物と心得られている。家畜にするなどとんでもない。

 それに対して「豕いのこ」は体長50センチ、日本のタヌキとほぼ同等の生き物でころころと丸く愛らしく、人懐っこい。日本のタヌキは肉が臭く食べてもまずいが、これはかなりの美味で各家庭で晴れの日の御馳走として大切に飼われている。人が近付くと遊んでもらおうと大はしゃぎするので、番豕としても用いられる。毛皮もふかふかで冬の衣料にも重宝する、実によくできた家畜である。しかし、無尾猫はこれが大嫌い。体長はネコの方が倍もあるが、さすがにイヌ科の生物であるからネコごときには負けはしないのだ。

 食用であるから、弥生ちゃんもこれまでに何回か御馳走になった事があり、特に嫌悪感も示さず美味しくいただいた。なにせ異世界であるから地球の日本の常識を持ち込むわけにもいかず、郷に入りては郷に従えと食べ物にほとんど文句を付けたりしない。
 デュータム点で贈り物となった豕も何匹か食べてしまったが、たくさんプレゼントされたと聞かされて見学に行ったのがまずかった。構ってもらおうと目をらんらんと輝かせる100匹の豕にたちまち篭絡されてしまい、食用禁止命令を出してしまう。

 その後関係各位と意見を交換して命令は撤回したが、弥生ちゃんがもらった豕は送り主に返すことにした。しかし蝉蛾巫女フィミルティの言葉に従って、そのまま返すのは思いとどまる。

「この子達は、それぞれのお家で家族の一員として大切に飼われて来た豕です。子供たちの友達で、それをガモウヤヨイチャンさまの御為にと涙を呑んで送り出したのです。この子達を救世主さまがおあがりになるのを、彼らは無上の喜びとするのですよ。」

 それが証拠に、豕たちは一匹一匹ちゃんと名前が付いていて住所を記した名札を首にぶら下げている。子供が書いたと思われる葉片も添えられていて、拙い字で綴られた救世主さまへのお願いを読むと、このまま帰しては彼らがどれだけ落胆するか容易に想像がつく。

 そこで弥生ちゃんは、ピルマルレレコの焼印を作った。冷凍火傷で痛くないように豕にスタンプを押して、元の家に届けさせる。

「この印は、なにか霊験がございますか?」
「いや、特に。豕が元気で長生きするくらいじゃないかな。」

 しかし、青晶蜥神救世主の印を押された豕はたちまち大ブームを巻き起こし、百金を投じて買い取ろうとする者や盗んでまで手に入れる者が続出する。やむなくトカゲ神殿でお布施を取ってスタンプサービスを行う事になった。

 弥生ちゃんはむーと考える。なにかする度に軽挙妄動する者が多くて、ろくに身動きが取れない。

「ガモウヤヨイチャンさま、この焼印を我が額に押す事をお許し願えませんか。」
「却下!」

 弥生ちゃんの王旗を奉げ持つシュシュバランタがこんな事を言い出すが、それを許せば何百人と続いて皆が青晶蜥王国廷臣を名乗るだろう。

 そのシュシュバランタももめ事を引き起こした。彼は本来旗持ちバンド内では中くらいの身分で、王旗を持つべき最上位の生まれではない。ギジジットに居た旗持ちからいいかげんに選んだ弥生ちゃんが悪いのだが、毒地を脱するとたちまち猛烈な抗議を受けた。褐甲角王国にはバンド制度は無いのだからどうでもいい話なのだが、極力方台の流儀に従おうとするとそうもいかない。
 弥生ちゃんは協議してもう一本「青晶蜥王国の旗」を作る。古典的な様式のトカゲの絵が描かれたもので、金雷蜒褐甲角両王国の旗と同じく十二神信仰の由緒正しい図案だ。バンドから推薦された正統なる身分の旗持ちはこれを掲げ、シュシュバランタが掲げる「ピルマルレレコ」旗はガモウヤヨイチャン専用として彼と彼の子孫のみが掲げる事を許される、と定めた。

 

 さてその青晶蜥王国だが、未だ宮廷は定まっていない。
 弥生ちゃんは、領土も領民もまだ無いのに大臣とかを先に決めるのは馬鹿馬鹿しいと取り合わないので、周囲に集まって来る有象無象共はかなり不満を漏らしている。弥生ちゃんにしても、この時期にやってくるような奴にろくなのは居ないと見極めを付けて、じっくりと品定めする。すでに出来上がっている派閥の構成を見ると、実権は未だ無いものの宮廷党争だけは華やかで、実は結構おもしろい。

「おもしろいでは困ります。本当にどうなさいますか。」
と苦言を呈するフィミルティだが、彼女はほんとうはどうでもいい。弥生ちゃんの役に立つ者以外はさっさと追放したいと思っている。

「うーん、やはり領土が無いと租税が入らないから国民を食わせていけないしー、領土を手に入れるには軍隊が無いとダメだしー、どうしよう。」
「さて、どうしましょう。」

 いいかげんなタコ巫女ティンブットは、トカゲ神のお土産商売から解放されてほっとしている。現在は神聖神殿都市から高位の神官が派遣され事務財務一切を取り仕切っていた。本来ならばトカゲ神殿がすべて行うべきだが、デュータム点神官長メウマサクの一大不祥事を受けて、全神殿が一致協力して支援すべきだと方針転換が為された。

 弥生ちゃんはぼけーっと窓から青い空を見上げて、言う。最近は剣術の稽古が激しくて、筋肉痛で身体が重い。

「私がもしも悪人であれば、領土も軍隊も無しに王国を作り上げるんだけどねえ。私が住んでいた星の世界にはその為の様々な”テクニック”がある。」
「だめなのですか、それでは。」
「なかなかに見事な詐欺商売だからね。」

 弥生ちゃんはけっこう呑気で、まとまらないものならば部分的にでも社会を支配しようと考える。宗教というものは、病と罪と死を扱っていれば食いっぱぐれが無いのだから、病院王国として青晶蜥神殿のみを肥大化させても十分やっていけるだろう。それ以上の価値をどこに見出すか、が腕の奮いようというものだ。

 

「ティンブットとフィミルティにはねえ、別の仕事に掛かって欲しいんだ。」
「なんでしょう。」
「要するに、あなたたちの本業に立ち返ってもらいたい。歌と踊りで、方台中の人間が一度は救世主さまの所に御参りしなくちゃと思ってしまう宣伝をするの。案内係に宿泊所施療院と施設も作って、私の所に遊びに来るのを楽しく快適に整えて欲しい。」

 ティンブットはプレビュー版青晶蜥神救世主で鍛えられているから、分かりが早かった。弥生ちゃんはつまり、御伊勢さん感覚で救世主参りをさせて金を落とさせようと企んでいる。

「ついでに、これは直接にお金を集める方法なんだがね、誰かその方面に強い人を探して来て欲しい。」
「どのような仕組みで集金するのですか。」

 フィミルティは尋ねるが、毒地からギジジットを通ってボウダン街道に出るまで弥生ちゃんが自分で会計をやっていたほどで、彼女にはその面では期待しない。

「この世界にはまだ無い方法でね、『宝クジ』というのだよ。一枚六分金くらいの金額でお札を売り、それに書いている番号が当たると百金がもらえる。というわけだ。」
「賭け事ですか?」
「まね。でも、そのお金で青晶蜥神殿に施療院を建てて貧しい人を治療しよう、という崇高な目的が掛かっている。ついでに、その百金を私自ら手渡すとしたら、」

「・・・悪どいやり口ですねえ。そんな事をしたら、普通誰でもそのお金を直接ガモウヤヨイチャンさまに寄進してしまいますよ。」
「うむうむ。ではその人の名を新青晶蜥王宮の柱に刻んであげる事にしよう。末代までの誇りとなるでしょう。」
「うわー、ひどい。」

「ついでに、六分金も庶民には高額だから、皆でお金を出し合ってクジを共同購入し、その代表者が私の所に御参りに旅する費用を捻出する、という仕組みも作り上げましょう。」

 弥生ちゃんは別に金銭にがめついわけではない。それどころか、デュータム点の衛視局の黒甲枝と会見して経済犯罪についての議論も行っている。無限連鎖講とか悪徳金融の手口とか、地球の例も多少開示して事前に対策を施した。弥生ちゃんは元々東大に進学して司法試験に合格し、国家公務員として中央省庁に勤めた後政治家に転身する、という将来設計を持っていたから六法全書くらい昔から眺めている。悪を滅ぼす為の準備に怠りは無い。

 

 メグリアル劫アランサは、デュータム点滞在中ほぼ毎日弥生ちゃんと共に居る。最初の内は互いに忙しく、またメウマサク事件で非常なショックを受けた彼女だが、一段落するとトカゲ神殿に寝泊まりして本腰を入れて星の世界の剣術を稽古するようになった。

 現在のところ劫アランサは唯一人、弥生ちゃんの風の早さに付いて行ける人間だ。彼女自身、黄金の褐甲角神の聖蟲の力で「空が飛べる」ようになり、聖蟲の羽ばたきで弥生ちゃんと同等の速度も手に入れる。褐甲角神の聖蟲を持つ者は本来空を飛べるのだが、褐甲角神救世主初代武徳王カンヴィタル・イムレイル以外何者も実現出来なかった。劫アランサはその秘密を手に入れた事で政治的にも微妙な立場に追いやられた。

 その憂いを吹き飛ばすように彼女は剣術の稽古に明け暮れる。
  弥生ちゃんが聖蟲の助けを借りて友人の「衣川うゐ=しるく」からコピーした剣術は、流派は「衣川家伝一刀流」。介者剣法に属する攻撃的な流派だ。スポンジが水を吸うように劫アランサは速やかにこれを吸収し、たちまち師匠の水準にまで追いついた。
 既に飛ぶ事においては凌駕したが、しかし弥生ちゃんの真の奥深さを知るのもここからだ。対等の相手を得て、弥生ちゃんも更に闘い方を進化させる。ようやくに進歩へ向かうステージに到達した、とも言えるだろう。

 華やかな「しるく」の剣技に加えて、弥生ちゃん本来の技が表に現われて来た。「厭兵術突兵抜刀法」、護身の法だが単に防御ではなく、居合で逆転を狙う体術だ。
 弥生ちゃんの「厭兵術」の師と呼べる人は、1.5センチメートルの距離まで相手の攻撃を引きつけてから初めて反撃に出る、というレベルに達している。無論トリックがあり、相手を誘い受けるからこそ可能になる。劫アランサはそれが分からないから、同じ速度を持っていながら常にいいようにしてやられる。

「ガモウヤヨイチャンさま、それも教えて下さい。」
「だめだよん。これを覚えたら、剣がごっちゃになっちゃう。これはまた、別の人に教えるんだ。」

 

「救世主様、劫アランサ様、用意が整いましてございます。」

と、トカゲ巫女が二人を呼びに来る。今日はこれから、トカゲ神殿の拝殿で最前線の状況説明を行うのだ。劫アランサは表情を固く緊張したものへと変える。弥生ちゃんの所の戦況報告は、デュータム点の軍制局衛視局から伝えられるものと異なり、厳密で正確で、そして容赦が無い。

「ついに本格的な戦闘が始まったってね?」

 拝殿はその名の通りに青晶蜥神を拝むトカゲ神殿の最重要部だ。が、現在その青晶蜥神は姿を変えて弥生ちゃんの頭の上に居る。当然拝殿は弥生ちゃんの執務室となる。
 すでにそこには、各地に手配してある情報網が伝える両軍の状況が揃えて提示してあった。磨かれた石の床には模型を使ったヌケミンドル地方の軍配置図も用意されている。

 劫アランサも真剣な眼差しで配置図を見る。軍政局からはおそらく三日遅れで伝えられる情報だ。褐甲角軍は掴んでいないだろう東金雷蜒王国毒地中の兵力配置図もある。

「最初からゲイル騎兵を直接ぶつけているわけか。少し予想と違うね。」

 情報網の元締め達が弥生ちゃんと劫アランサに報告する。
 彼らは難民組織や交易警備隊、奴隷のバンド間の連絡網に入り込んだ「ジー・ッカ」の下請け工作員で、神に直接仕える王姉妹を崇拝する者だ。二千年に渡りこのような者達を密かに育てて来たからこそ、王姉妹はギィール神族に毛嫌いされる。

「どうも、新兵器の投入が行われているようです。ギィール神族はそれを試す為に敢えて先攻したと思われます。」
「では形の上ではともかく、意識としてはまだ前哨戦なんだ。しかし褐甲角軍はそうじゃない。」
「はい。ゲイルが出たからには本格的な戦闘と心得ております。あるいは、黒甲枝の神兵を毒地に誘い出す作戦なのかもしれません。」
「なるほどね。どう?」

 と弥生ちゃんは劫アランサに振ってみる。

「赤甲梢の配置はどこになります?」
「はい。こちらでございます。」

と、報告者の一人が赤い甲虫の模型で示す。ボウダン街道カプタンギジェ関の近辺と、デュータム点の南となるガンガランガ地方の二点に分散している。

「なぜです? 私には報告が無い。」
「ガンガランガの赤甲梢は、黒甲枝選抜の穿攻隊に編入されました。故にメグリアル劫アランサ様へのご報告は必要無いと判断されたのかも知れません。」
「叔母上の所には今どれほどの兵力が残っている?」
「兎竜隊が70騎、装甲神兵が130です。」

「ふむ、つまり50人が抜き取られたわけだ。よくそれで収められたね。本当ならば100人は取られたはずだよ。さすがだね。」

 弥生ちゃんは劫アランサの叔母キスァブル・メグリアル焔アウンサの政治手腕を褒めた。だがアランサは懸念する。

「しかし兎竜を取られては、ギジシップ島への電撃戦が、」
「おっと。壁に耳ありだよ。この者達は知っているけれど、どこに間者が潜んでいるか分からない。口に出しては言わない事。」
「は、はい。申し訳ありません。」

 

 改めて両軍の配置を確かめる。ヌケミンドルの要塞は鉄壁で何十万もの兵を差し向けても落ちるようには見えない。ミンドレア、ベイスラの穿攻隊100名ずつの神兵は、殺到する寇掠軍を横腹から衝いて思う存分の戦果を上げるだろう。

 弥生ちゃんは呟くように、言った。

「これは、・・・褐甲角軍の負けだな。」
「なんですって!? どうしてこの布陣で我が軍が負けるのです!」

 あまりの言葉に劫アランサも日頃の慎ましさをかなぐり捨てて食ってかかる。だが弥生ちゃんの言葉は止らない。

「ヌケミンドルの防備が固過ぎる。ここは持久戦以外の手は無い。ならばゲイル騎兵はすべてその外に向かうでしょう。」
「しかし、南北の両翼も寇掠軍の突入を許したりはしません。黒甲枝の神兵の力を侮らないでください。」

「それが問題だよ。黒甲枝が強過ぎるのが良くない。勝つのであれば、黒甲枝を相手にしない戦法を取るべきだ。私ならばそうする。」
「・・・ゲイルで、クワアット兵を襲うのですか。」
「クワアット兵だけでなく、邑兵と、一般市民もだ。黒甲枝以外のすべて弱き者が攻撃の対象になる。」

「おそれながら、」
と説明役は口を挟む。ギィール神族は慈悲に篤く、黒甲枝以外の民衆は本来彼らの奴隷であるべきで無用の殺生をしない、と。だが、弥生ちゃんの言葉は辛辣だ。

「私の星では、神の一族みたいな慈悲深く礼節に富んだ軍隊というのはほんとうに無くてね、戦場の悲惨については嫌と言うほどよく知っているんだ。それにギィール神族は現実主義者だから、黒甲枝が何の為に戦っているか、を考えて足元を崩しに掛かる。」
「ですが、」

「たぶん、戦争自体は褐甲角軍の勝利で終る。ギィール神族はヌケミンドルを抜けずに多大な犠牲を払って撤退する。だがその反対に、ヌケミンドル以外の地域では一般人民間人が多数犠牲となり、戦場に立つのは黒甲枝だけ、という有り様になる。一般人を守る為に在る黒甲枝の神兵、という名目が永久に崩れ去った後に、褐甲角王国が以前のような権威を保ち続ける事はできない。一方東金雷蜒王国は数年後にはまた元の勢力を取り戻す。つまりは」

「戦で勝っても、王国は滅びる。そういう事ですか・・・。」

 劫アランサは青ざめた顔で、青晶蜥神救世主を見詰める。ガモウヤヨイチャンは救世主というよりも政治家の側面が強い、と知ってはいたがこれほどまでに冷酷な予想が可能だとは。生まれ育った世界の歴史こそが彼女の最強の力なのだ、と劫アランサは知る。同時に、星の世界が理想郷などではなく、むしろ地獄に近い恐怖の大地だと悟った。

 弥生ちゃんは話を続ける。

「王国の権威を守る為には、神話の再生産を行わねばならない。多分正解は、防備を緩めゲイル騎兵を王国内部に或る程度の深さまでおびき寄せる事だ。民衆の目の前で、黒甲枝がゲイル騎兵を直接倒す。現在の布陣で発生する一般人の被害の1割増しくらいで済むでしょう。王国の権威は守られる、・・・・この策はお気に召さないようだね。では、」

 弥生ちゃんはチュバクのキリメを呼ぶ。足元に跪く彼に、弥生ちゃんは命ずる。

「やはり、”謎の薬売り計画”は必要なようだ。実行の指令を送って。」
「かしこまりました。」

 

 カロアル斧ロアランは豕を連れてデュータム点の下町を歩いて居た。

 彼女は正式には赤甲梢総裁付き輔衛視の下に配属された女官であるが、現在はメグリアル劫アランサの女官を務めている。当の輔衛視チュダムル彩ルダムは幼なじみでもあるキスァブル・メグリアル焔アウンサにとっ捕まって、カプタンギジェ関に連れて行かれた。
 しかし辞令には「輔衛視付き」になっているので、斧ロアランは実にちゅうぶらりんな立場にある。15歳と女官の中でも最年少という事で、結局なんでも屋にされてしまった。

 今日は総裁護衛職兼補佐役のディズバンド迎ウェダ・オダの私用を承っている。赤甲梢の神兵としては唯一人、劫アランサの傍に居る彼は多忙を極め、家族がデュータム点に住むのに一度も顔を見せられない。この後何ヶ月留守にするか分からないので、とりあえず家にことづてを届けてもらおうと考えた。劫アランサもそれに賛成し、お詫びも兼ねて手空きの女官を差し向かわせた、という塩梅だ。

 劫アランサは、今巷で人気沸騰の「青晶蜥神救世主様の印を押された豕」を贈った。ピルマルレレコの人頭紋の焼印は、痕が癒ると青味のかった白い毛が生えてきて、なかなか可愛らしい。妻と娘二人という迎ウェダ・オダの家に贈るにはうってつけのアイテムだ。

 ロアランは護衛のクワアット兵と二人で、人でごった返す市を抜け、木戸をくぐり、狭い路地を行く。届けるだけならば何度か家を訪れたこのクワアット兵だけでよいのだが、彼女を送ったのは劫アランサの気持ちである。ロアランもこのお使いは心が安らぐのを感じた。
 なにしろ、着任以来3ヶ月休みがまったく取れなかったので、ゆっくり街を歩くのも久しぶりだ。思い返せば無我夢中、なにがなんだかまったく覚えていない3ヶ月だ。

「ちょっと待って。」
と、護衛を止めて帽子を脱ぎ、髪を手で梳いた。褐甲角王国の女官は革製の帽子を被っているので夏場は蒸れる。小川の側を通ったついでに、風に髪を当てて涼を取った。
 豕はハアハアと舌を出し、早く行こうと急きたてる。人が多い道を通ったので興奮したのだろう。

「それにしても変ね。ここは、まったく普通の、庶民しか住んでいない街じゃないの。」
「迎ウェダ・オダさまの奥様は庶民の出ですから。」

 はっきり言うとここは、とても裕福とは言えない人が住む街だ。家も狭いし庭も無い。屋上に野菜を植えて家計を助けていたりもする。この川も近所に住む女達が洗濯をして、見上げれば無数の敷布や衣類が綱に掛かって靡いている。

「庶民の暮らし、というものを想像はしましたが、なんと言うかまるでここは、・・兵舎ですね。」

 護衛は苦笑する。泥で塗り固められたこの狭い路地は、確かにカプタニアの兵舎そのものだ。いや、彼ら赤甲梢に属する兵は日頃広い草原に天幕を張って暮らしているから、ここよりずっとスペース的には恵まれている。

 目的の家はなるほど裕福そうには見えないが、花の鉢がいくつも飾られ住んでいる人の心持ちが現われている。近所の人が護衛の姿を見て御辞儀する。特に驚きもしないから、この家が誰のものか周知されているわけだ。
 そのまま彼に任せて応対してもらう。果たして戸口で待っている間も、中から女の子の顔が二つ、ひょこひょこ出入りしてロアランと豕をかわるがわる確かめる。

 中から女の声で、娘達に許しが出た。わーいと飛び出してロアランの手から豕の綱をもぎ取るように受け取ると、そのまま表で遊び出した。8歳と5歳、と聞いている。

「おねえちゃん、ありがとう。」
「こら、おねえちゃんじゃありません。女官様ありがとうございます、でしょ。・・どうも済みません、行儀がなっていなくて。この子達は、」
「いえ、」

 ロアランは改めて挨拶をし、彼女も丁寧に名乗り礼を述べた。オダ・パパァルマという名だが、正確にはディズバンド・オダ・パバァルマであるはずだ。ディズバンドの家に受入れられていないからと、あえて結婚前の名を使っているのだろう。代りに夫の方が妻の姓を背負っている。

「迎ウェダ・オダさまは、折角デュータム点に戻って来たのに家に帰る暇が無い事を気に病んでおられました。せめて一時だけでもお会いしたいと、蜘蛛神殿のメグリアル劫アランサ様仮宮にお嬢様共々お出で下さるようにおっしゃっていられます。これは劫アランサ様のご希望でもあられますので、是非お出でになるようお願いいたします。」
「は、はい必ず。かならず参ります。」
「そして、これは内緒ですが、この豕は劫アランサさまから、旦那様を長く御預りする事へのお詫びの品でございます。」
「もったいのうございます。」

 ひたすら恐縮するオダ・パパァルマだが、卑屈に感じられるところは無く日々転変する状況をむしろ面白がっている、そんな風情がある。周囲の反対も多かったろうに物怖じせず迎ウェダ・オダと結婚したのだから、実際大して肝の座った女性なのだ。

 少女達も呼んで、ロアランはしばしメグリアル劫アランサと青晶蜥神救世主ガモウヤヨイチャンの人となりについて話した。豕を抱いたまま目をきらきらさせて話に聞き入る幼子に、ロアランは自分が背伸びをし過ぎていた事に改めて気付かされた。自分より歳下の子の相手をするなんて、久しぶりだ。

 この家は落ち着く。息が自由に出来て、肩の荷を降ろす事が出来る。端から見ると立派な武人である迎ウェダ・オダが、黒甲枝の運命を自ら下りた理由がなんとなく分かる気がした。

 

 母と娘と豕とに見送られて、ロアランは迎ウェダ・オダ邸を後にした。もう一軒尋ねるべき家が残っている。
 ロアランは護衛に言った。

「次の御役目は、すこし気が乗りません。」
「焔アウンサ様の別邸ですね。私も一度も行った事がありませんが、どのような御役目です。」
「狗です。聖蟲が憑いた大狗を受領するのです。」

 キスァブル・メグリアル焔アウンサの三回目の結婚の祝いにハジパイ王は大狗を送ったが、それは彼女の趣味では無かった。突っ返すのも失礼だからデュータム点の私邸で4年飼っていたが、劫アランサの赤甲梢総裁就任の祝いにこの際押し付けてしまえ、と考えたわけだ。

 王都カプタニアにおいて大狗の世話をしていたカロアル斧ロアランが責任者に選ばれるのは理の当然。大狗の状態を確かめて飼育番と赤甲梢総裁役宅に移す相談をしてこなければならない。

「はあ。やはり大きいな。」

 焔アウンサの私邸はデュータム点の高級住宅地にある。他の家と少し異なり、厚い泥の壁が4メートルの高さあり小さな要塞のようだ。王族だから当然だが警備も厳しく、私兵が護衛を留めてロアラン一人が狗を飼う庭に通された。
 庭は外観とがらっと異なり、神聖金雷蜒王国時代の様式の白い石造りのあずまやと泉水が、夏の陽に照らされる緑の芝生に映えている。洞窟様の祭壇もあるが、どうも拝んでいる気配が無い。案内に聞くと、カプタニアから元老員の夫が遊びに来る時だけ焔アウンサはこの屋敷に寄りつくそうだ。

 とはいえ無駄に屋敷を持っているのではなく、元老の子息達が神聖神殿都市に参拝に行く道中の宿として使っており、情報を交換する場所になっているらしい。かってソグヴィタル王 範ヒィキタイタンが王都にあった頃、先軍主義派の元老達の会合が何度もここで催され、兎竜部隊創設の計画が練られたと、案内役は誇らしげに話してくれた。

「こちらでございます。」
と狗小屋に連れて来られたロアランは、そこに知った顔を見て驚いた。

 大狗の飼育番は、ロアランの前に何度も姿を変えて現われた人だった。ある時は役人の格好をして、別の時は神官に、更には兵士に化けて赤甲梢の隊列にやってきては彼女から焔アウンサ、劫アランサ、ガモウヤヨイチャンの動向を聞いていった。密偵としての斧ロアランの繋ぎ役が、あろう事か見張られる対象の家に仕える者だったとは。

 正体を見破られた飼育番は案内役に代わって狗小屋を案内し、人気の無い場所で話をする。

「こんな場所でお会いするとは、さすがに驚いたでしょう。」
「あなたは一体、本当は何者なのです。」
「見ての通りの狗飼いですよ。長年、何代にも渡って王宮に仕えて来た者です。」
「しかし、・・いえそうですね、求められればハジパイ王殿下のお望みに逆らうなどありませんよね。」

 ロアランは男を観察する。30半ばの彼は、道理で役人や神官の扮装が似合ってなかったわけだ。よくよく見れば、王宮に仕える者特有の実直さや頑さがちゃんとその顔に浮かんでいる。

「ですが、あなたの正体にあの聡明な焔アウンサ様はお気づきにならなかったのですか。」
「多分、お気づきでしょう。私だけでなく、この屋敷に務める者の半分はハジパイ王か軍政局の息が掛かった者です。金雷蜒王国の間者がいるかもしれません。」

「そんな!」

 絶句するロアランに男は口調を抑えて優しく言った。

「本当に貴重な情報を手に入れるには、どうすればいいと思いますか。」
「え、・・それは、」
「密偵の中には、人を金銭や女人で篭絡したり、隠しごとで脅迫する者も居ます。罠に陥れて人を破滅させたりもします。ですが、王国の行く末を左右する情報はそんな手段では得られません。」

「・・・。」

「最も強力な武器は、信頼です。裏表無く忠実に仕える者、誠実に相対し時には諫言さえしてその人の為を思う者には、彼が間者だと知っていても情報を与えてくれるのです。」
「それは、裏切りではないのですか?」

「あなたは、王国を裏切っていますか?」
「い、・・・・いえ、私は決して王国に対する、」
「私も同じです。ただ王国の為に、賢き人が王国を正しき方向に導く手助けをしているのです。私は間者である事を誇りに思っても、自分をイヌだとは思いません。」

 ロアランは彼の顔を見詰めた。間者の言葉であれば、それですら真実とは言えないのかも知れない。結局自分の立ち位置は自分で見つけるしかない。そして彼女に今出来る事は、

 

「・・そうだ。狗は、・・・劫アランサさまの御屋敷にお連れしてもいいのでしょうか。緑金の甲羅を持つ聖蟲は、王族によって支配される、・・・。」

「それでよいのです。あなたはあなたがなさるべき職務を忠実に果たすべきです。ハジパイ王がお望みなのは、あなたが見た生の救世主、生の劫アランサ様の素顔、人となりです。いきいきとした日常の御姿を語っていただければ、これ以上無い。」
「そんなものが役に立つのですか?」

「情報を分析する上で最大の障害は、その人の人格を知らない事、です。読み違えの大半はここで失敗します。ハジパイ王は、救世主様と劫アランサ様を知りたいと願っています。知らないよりも、はるかに王国の御為になるとは思いませんか?」

 

 

第八章 赤き矢は平原を貫いて、旭日を望む

 

 夏中月2日、赤甲梢臨時総裁キスァブル・メグリアル焔アウンサは、国境線を護るカプタンギジェ関より南に30里毒地中に張られた陣中において、大審判戦争が遂に本格的な局面に突入する報を聞いた。
 現総裁メグリアル劫アランサから正式に部隊の指揮権を移譲された彼女は、王都カプタニアの軍政局の指示に従い、ボウダン街道全域において北上する金雷蜒寇掠軍を撃退し、敵を西のヌケミンドル大防衛線に誘導する役目を果たし続けていた。

 毒地中に兎竜部隊を分け入らせ、進撃する寇掠軍を背後から強襲し壊滅させる。口で言うのは容易いが、これまでの褐甲角軍には到底不可能だった。
 理由は簡単、まず、毒地には部隊が入れない。兎竜は毒に弱いし、クワアット兵も不十分な防毒面では長期間の毒地内での行軍は不可能だ。赤甲梢単独で大型の防毒面を使用するとしても、所詮徒歩では高速のゲイル騎兵に対抗できない。

 だが更に褐甲角軍には決定的なハンデがある。

 ギィール神族の額に在る黄金のゲジゲジの聖蟲は、寄り主の神族に知識と情報を与える。目をつぶって居ても周囲の状況が手に取るように分かるし、人の息づかいや鼓動を察知しその意図を知る。軍の移動などの大騒ぎであれば、山谷の障害を乗り越えて半径7キロくらいの範囲で確実に捉える事が可能だ。
 つまり、ギィール神族を奇襲したり計略に掛ける事は不可能で、それどころか褐甲角軍の方が謀られ続けてきた。故に褐甲角軍の軍略は常に正攻法のみを強いられる。そして、正攻法にも意地の悪い策が色々有る事に気付いたわけだ。

 

 

 兎竜部隊は8隊の内2隊を軍政局に取られ、更に2隊は兎竜の休息と馴化の為に焔アウンサの手元に置いて、4隊が作戦行動を行っている。
 彼らを指揮するのは赤旗団長シガハン・ルペ、29才。兎竜部隊を統率する彼は焔アウンサから作戦の全権を預かる赤甲梢の筆頭だが、素顔は武人には見えない優しさで年よりも随分と若く見られて困っている。亜麻色の髪を長く伸ばしているのは、焔アウンサのリクエストだ。兜に引っ掛かって切れ毛になるから切りたいのだが、決して許しは出ない。

「24隊目です。」
「うむ、マァマメル第4砦への応援だな。これを最後として、一旦引き上げ本隊に合流する。手土産代わりに神族を虜にするぞ。」
「おおー!」

 現在彼の手元に有るのは赤・青の二旗団24騎と黒幟を掲げる装甲神兵団25名だ。兎竜隊はゲイル騎兵のみを相手とし、装甲神兵団は歩兵を壊滅させる。

 今回遭遇した部隊は寇掠軍ではなく、金雷蜒軍の前線基地であるマァマメル第4砦を補強する戦力の移動だ。完全装備で訓練も行き届いた重装甲兵100と弩車を10輌曳いており、これが砦に入ったら短期の攻略は大軍を用いても容易ではなくなる。虎の子の重装甲兵を守る為に、ゲイル騎兵がボランティアで12騎も付いていた。
 さすがの兎竜部隊でもこれを相手にするのは骨が折れる。シガハン・ルペはベースキャンプに伝令を送り、黒幟隊を呼び出した。正面からぶつかって敵を破壊するには、やはり兎竜よりも神兵の鉄弓の方が向いている。兎竜を操る旗団はゲイルをおびき寄せ、敵戦力を連携させない策を取る。

 兎竜ほどではないが、装甲神兵団は早い。通常の歩兵が時速4キロで行軍するのに対して、通常速度で6キロ、走行すると15キロにも達する。生身の人間であれば甲冑や武器装備の重量でこんな速度は出ないし、走れば戦場に到着した頃には疲労困憊して使い物にならないが、装甲神兵はこの速度で数時間巡行してそのまま戦闘に突入出来る。ゲイルでなければ相手が出来ない、真に恐るべき強者だ。

 

「敵軍の陣容を確かめて来る。3騎付いて来い!」

 青旗団長メル・レト・ゾゥオムも、シガハン・ルペと同じく平民からクワァット兵を経て、赤甲梢に取り立てられた者だ。歳は若く24歳、彼の部下もおおむね若い者を集めており、独自の判断で交戦する事は未だ限定的にしか認められていない。

 青旗団は敵隊列の後方3キロを追尾している。今回の目標はゲイル騎兵ではなく砦を増強する重装甲兵であるから、しかるべき場所にて兵力を集中して叩かねばならない。その戦場を設定する為に、赤旗団は敵のはるか前方を遮断するように先行し、青旗団が追い立てる役を負っていた。

 4騎で強行偵察するメル・レト・ゾゥオムにつられて、ゲイル騎兵も4騎が向かって来る。どちらも高速の騎乗生物を駆っているのだから、草原での騎射戦を欲していた。だが青旗団は未だ戦闘開始の許可をもらっていない。

 行軍を止めて重装甲兵が応戦の気配を見せている。弩車も向きを換え発射可能体勢に移行して、兎竜を指向する。

「・・・弩車が、こちらに向きを追随させる。うすのろ兵がやはり居るな。」

 弩車は二輪の荷車に強力な弩を載せた攻城兵器だ。黒甲枝の重甲冑には通常の兵器では効果が無いので、野戦用の軽量な弩車を開発して金雷蜒軍は用いている。射程は400メートルを越え太い矢や鉄箭、投槍などを打ち出し、楯や城壁でも打ち砕く。軽量化はしているがかなり重い為に長らく運用に苦労して来たが、最近東金雷蜒王国では「うすのろ兵」というものを用いて効率化を図っている。
 うすのろ兵とは特殊な薬液を与えて筋肉を肥大させた獣人の廉価バージョンで、力は強いが判断力が鈍く一個の戦士としては意味が無い。だが、怪力で強弩の弦を引かせれば一般人が何人も掛かって引くよりもはるかに早く装填を完了させ、桁違いの発射速度を実現する。撃つのは専門の射手が行うので知性は必要無い。ただ弦を引き車を曳くだけの機能しか持っていないが、その分獣人に比べて育成が簡単で寿命も長く、しかも従順で使いやすいと神族に好評を博している。

 メル・レト・ゾゥオムは弩車の射程に入らぬように草原に大きく弧を描き、元の位置に戻る。部下が兎竜を寄せて言った。

「御苦労様です。」
「弩車は片側5輌全部が追随して反応した。うすのろ兵は確実に5体以上だ。」
「火矢で弩車だけ焼けませんか。」
「うん、だがそれは我らの役目ではないからな。」

 隊の後方で警戒をするゲイル騎兵の動きが慌ただしくなった。目的地であるマァマメル第4砦まで残り20キロ、日が暮れるまでには到着出来ない。夕闇の中行軍を続けては圧倒的に不利だから、むしろ陣を敷き迎え撃つべきと決心したようだ。
 兎竜の再度の接近は無いと見て、金雷蜒軍は三角陣を取り全周に防備を固めた。中央では早々に炊事の火を焚いている。まだ陽は高いが、万全の準備を整えておく腹だ。

 メル・レト・ゾゥオムも隊を退かせて兎竜を休ませる。こちらも兎竜に腹ごしらえさせておかねばならない時間となった。実際、聖蟲が額に在ると限界を忘れて行動してしまい、クワアット兵やら兎竜に無理な負担を掛けてしまう。聖戴して間もない彼は、先輩の赤甲梢から常にそれを注意されている。

「夜戦というのは、兎竜にはあまり歓迎されないのだろうな、やはり。」

 

 赤旗団が戻って来て合流し、兎竜隊は敵陣から5キロほどのかろうじて双方ともに観測出来る位置で装甲神兵団を待つ。
 シガハン・ルペは兎竜から下りて強行偵察の内容を聞く。敵マァマメル第4砦から応援が来ないとは思うが、数騎哨戒に出しておいた。

 敵陣の内部ではやたらと忙しく動き回っている。楯を巡らせて穴を掘り、小砦を作るようだ。兎竜部隊の一番やっかいな点は、兎竜から飛び降りて装甲神兵がいきなり陣内に飛び込んでくる事で、囲いに死角を設けるわけにはいかない。生憎と平原で隠れる林も依るべき丘も無く、全周を防がねばならないから戦力を一方向に集中も出来ない。

 哨戒に出した兎竜が一騎帰って来た。

「黒幟隊25名全員、北北西12里の位置まで到達。指示を待っています。」
「よし。日没を合図に1里点まで移動。完全に暗くなった時点で灯矢を合図として突入せよ。」
「はっ。」

「我らは日没から半刻後にゲイル騎兵への挑発を開始する。青旗団はこの場より先行して攻撃せよ。赤旗団は右周りに南方から攻撃を開始する。ゲイルを陣から引き離せ。」
「はっ。」
「風向きに注意しろ。兎竜に対しては毒樽を使用して行動不能にする可能性がある。風下には行くな。」
「はい。」

 

 平原に日が暮れていく。見渡す限り何も無い大地に取り残された二つの軍勢が激突の時を静かに待っている。金雷蜒軍の陣ではすでに焚き火の始末もして完全な沈黙に入った。茜色に染まった雲が流れ、遠くカプタニア山地の陰に太陽が最後の輝きを見せる。陣の傍に蝟集する巨大なゲイルの影が長く草の上に伸び、背にある神族の鎧が遠く見詰める赤甲梢にまで光を反射する。
 そして世界は赤く、黒く、夜を迎える。互いの姿が舞い降りる闇に包まれ、人と獣と蟲との見分けを難しくする。

「始めよう。」

 青旗団12騎が4つの分隊に分かれて包み込むように進軍する。対しては5匹のゲイルが立ち上がり、迎え撃つ。通常ゲイルの背にはギィール神族しか乗らないが、今回は全周を警戒する為に狗番も弓を持ち、主人を護る。
 赤旗団は哨戒に出している分を除く10騎で南に周り接近する。こちらも5匹が対応して出て来た。

 

 ゲイル騎兵と兎竜赤甲梢と、どちらが優れているかは議論の分かれるところだ。

 武器はどちらもタコ樹脂と木を貼り合わせた長弓を用いる。射程距離も200メートル前後、赤甲梢は兎竜が怯えるので激しく弦が鳴る鉄弓は使わないが、その怪力で神族より威力は強いと言えよう。矢数は積載量の大きなゲイルは100本以上に特殊な矢や投槍、ロケット槍までも持つが、赤甲梢は背に30本、前に20本を携える。

 ゲイルは時速50キロ、兎竜は60キロで小回りが利く。平原で闘う分には兎竜の方が上だが、地形が入り組んで来ると肢の多い踏破性に優れたゲイルが俄然有利となる。
 兎竜は哺乳類であるから甲羅を持たず、矢を受ければすぐ使えなくなるのに対し、ゲイルは常人が射た矢や投槍ではびくともしない。ゲイルは接近戦に使えても、兎竜は無理だ。しかし背の神族を弓で狙えば、その差は補われる。

 更には、額の聖蟲の差もある。接近して格闘戦となれば赤甲梢に叶うはずもないが、ゲジゲジの聖蟲によって周辺状況や風向風速までもが察知する神族は射撃の精度が桁外れに高く、また回避能力にも優れている。
 何度か寇掠軍を襲ったシガハン・ルペの想像では、神族は飛んで来る矢を放たれる前に見ている節がある。必殺を期して死角から放った矢が易々と避けられる場面を何度も目撃した。逆に、真っ正面から撃ち込むと逃げ切れず当たる時が多い。

 一方赤甲梢は、聖蟲によって身体機能を著しく向上させ無敵の肉体と怪力を得ているが、加えて五感も強化されている。勘も常人を越えて鋭く、飛んで来る矢を無意識の内に迎撃してしまう事もある。兎竜という大きな的がほとんど無傷で済むのも、この能力の故だ。

 おそらくは互角。ギィール神族はこの新たなる敵を大いなる脅威と見做し対策を練っているが、兎竜騎兵は登場からまだ10数年、戦果を上げ始めたのはほんの数年前からで、どちらも実戦データが不足する。ボウダン街道での戦いで兎竜部隊への注目はいやが上にも高まって、以後褐甲角軍の主役に躍り出る事は間違い無かった。

 

「む! 見たことの無い隊形だ。」

 青旗団に向かう5匹のゲイルは、常のようにばらばらで向かうのでなく、前後に一直線に並び、蛇行しつつ走っている。この隊形で兎竜の一分隊を包み込むように円を描き、他の分隊には後方のゲイル騎兵が対応し、隙を見せない。

 メル・レト・ゾゥオムの兎竜に部下の赤甲梢が兎竜を寄せて来る。

「隊長、これは兎竜部隊への対抗策です!」
「分かっている、前後をそれぞれがかばい合って一匹の長大なゲイルとして動いている。」
「いかがしますか?!」

「接近し過ぎて輪に取り込まれるな。我らが囮となり、敵を先導する。後尾の騎櫓に集中して攻撃しろ。・・・・くそ、傷つくと順番を交替するな、あれは。」

 

 赤旗団も同じ状況に陥いり、シガハン・ルペはいささか自分達が働き過ぎたとすこし後悔した。

 高速の騎乗生物同士の戦闘は神聖金雷蜒王国時代にギィール神族が得意とした。現代のゲイル騎兵にもその技が伝わっているのだろう。兎竜対策を研究されては、東金雷蜒王国への侵攻作戦が成功する見込みがまた下がってしまう。

「慌てるな、我らは所詮時間稼ぎだ。距離をとって陣地から引き離せばよい。アプラット、おまえは我らを楯として姿を隠し、密かに神族を狙撃せよ。」
「はい!」
「他の者は私に続け、先頭のゲイルの左右に平行して走るのだ。尻尾は目もくれるな。」

 ゲイル騎兵と兎竜とは射程距離ぎりぎりの間隔を空けたまま互いに矢を射るが、その頻度は低い。どちらも無闇と撃って当たる的では無く、装甲神兵が到着する本番に備えて矢を温存しておかねばならない。現在はゲイルの一体化隊列によって攻手を欠くが、乱戦になって隊列がばらばらになった後は兎竜から存分に射る事が叶うのだ。

 だが若い旗団長メル・レト・ゾゥオムは焦っていた。他に異論が有った中で自分を抜擢してくれたシガハン・ルペに、その選択が正しかったと証明しなければならない。焔アウンサに骨折りしてもらい黒甲枝ゾゥオム家への養子縁組がなった恩にも、戦功にて報いるつもりだ。

 危うい距離まで接近するメル・レト・ゾゥオムの分隊に、ゲイル騎兵は狙いを絞って矢を集中する。遂に新兵器までも使用した。

「・・・!!」

 灯矢が水平に飛んできた。信号用の灯矢は炎色を様々に変えて遠隔した味方に意志を伝えるものだが、これはまばゆい光が点滅しながら兎竜の鼻先をかすめていく。

「いかん! 兎竜の目が眩む。」

 薄暮の中でのこの灯矢の使用は、聖蟲で感覚を強化されている神兵にとっても視界を遮る難物だ。慌てて分隊を離れさせ、隊列を再編した。

 平原の遠くに垂直に黄色い灯矢が上がる。黒幟隊が、ゲイル騎兵が用いた灯矢を味方の信号と間違えて呼応してきたのだ。包囲は北。金雷蜒軍の陣がそれを見て、北側に弩車の配置を集中する。

「すこし早いが仕方がない。突入の合図を出せ。」

 シガハン・ルペの指示で赤い灯矢が打ち上げられた。高く100メートルまでも上がる矢に、敵陣の重装甲兵達が一斉に緊張し武器を準備する金属音がこだまする。敵に心の準備をする時間を与えたのはわずかに失策だ。

 

 

 装甲神兵は元は紫・赤紫の二つの幟隊50名ずつであったが、現在は紫・赤紫・菫・黒(濃色)の4隊に分かれ、ボウダン街道全域に展開する旗団とペアを組んで出撃している。これとは別に紋章旗団という神兵団があるが、近衛兵団の教育軍のようなものだから既に別の指揮官が任命され、焔アウンサの指揮下から外れている。

 赤甲梢の装甲神兵は、西海岸の装甲海兵団をモデルとして作られている。黒甲枝の集団戦闘は重装甲を纏った神兵が一列に並び楯となり、その後ろにクワァット兵が続くのだが、装甲海兵団は軽装甲の神兵だけが敵船に乗り移って攻撃する。赤甲梢も、敵砦に神兵だけで侵入して攻略する殴り込み部隊として組織された。ソグヴィタル王 範ヒィキタイタンが黒甲枝の若手改革派の意見を纏め上げた「ギジェカプタギ点・ガムリ点同時攻略作戦」において決定的な役割を果たすべく、焔アウンサに研究を託されたものだ。

 今回早期に敵前進基地を5つも攻略出来たのは、まさに日頃の鍛錬の成果が発揮されたものであり、軍政局からも武徳王からも称賛され表彰されている。またその成果を全軍に広める為に、ミンドレアとベイスラに新たに設立された黒甲枝だけの突撃戦隊「穿攻隊」に教導隊として20名が派遣されている。

 

 黒幟隊を預かるのは黒甲枝出身のケルベルト咆カンベ、40歳。焔アウンサが総裁に就任する前から赤甲梢だった最後の一人だ。彼も、焔アウンサの引退と同時に赤甲梢を退くつもりで凌士監という軍官僚の資格を取ったのだが、どうして彼女がなかなか引っ込まないのでずるずると居残り、遂に晴れの舞台に主役の一人として出演した。赤甲梢は引退と同時に聖蟲を返還するので、下手をしたら今回の戦争に参加出来なかったかもしれない。

 咆カンベは戦場から5キロの位置で夕闇の中地上を乱舞する灯矢を見た。打ち合わせとは違うが、これほど火が用いられるのであれば既に乱戦に突入している可能性が高かった。部下に命じて突撃の合図をシガハン・ルペに送る。もし間違っていたとしても早足で30分もあれば到着するから、さほど問題では無い。

「敵一里点まで速歩行軍、左右の者はゲイル騎兵の乱入に対する警戒を怠るな。前進!」

 5×4の隊列となり、一人を斥候に、咆カンベが前方で先導し、のこり三名が後方を警戒しながら早足で進む。わずか25名の陣容だが、褐甲角神の神兵は一人ひとりが戦車に相当する。赤く塗られた赤甲梢専用甲冑「ソルヴァーム」が背の4枚の翅を広げて振動し、風を起こす。この推進力で赤甲梢は垣根や壁を乗り越えて、砦に単身で突入出来る。

 戦場に接近するにつれて状況が段々と分かって来た。要するに兎竜で攻めるには敵部隊の装備が整い過ぎているのだ。ゲイル騎兵の数も多い。赤甲梢がこれまでに平原で遭遇したどの部隊よりも強力で、寇掠軍を攻めるようにはいかない。

「つまりは、兎竜隊の限界がここにある。野戦で大軍を相手にするには、機動力より破壊力が必要なのだ。」

 敵陣を1キロに望む距離まで来ると、兎竜の分隊が接近し誰何する。無論同じ赤甲梢を見間違えるはずはないが、途中で黒幟隊が一戦交えて消耗しているという可能性もある。計画通りの戦力が揃っていると確認すると、白い灯矢を打ち上げた。

「二列横隊、掃討弓戦行進。鉄弓構え。標的は各自判断に任せる。前進!」

 聖蟲を戴くほどの軍人であれば、一々標的を指示する必要も無い。ただひたすらに前進し、視界に入る敵を射貫いていけばよい。各人蟲を摸した仮面を被り、背後に装着されている二枚の予備装甲を前面に回して完全防御体勢を取り、10人が二列となって前進する。咆カンベ以下5名は左右に分かれて側面からゲイル騎兵が突入してくるのを警戒する。

 一歩一歩、敵陣で待ち構える兵の様子が見えて来る。奴隷兵とは異なり、重装甲兵は装甲神兵の接近にも乱れる事なく静かに射程距離に入るのを待ち構えている。左右で疾走するゲイル騎兵の一群も、いきなり神兵に突っ込んで来ない。それだけ重装甲兵に信頼があるのだ。

 700メートルまでは何事も起きなかった。弩車の最大射程距離は500メートル、神兵の鉄弓で400メートルだ。弩車は7輌までが北面を向いているが、発射速度は鉄弓には及ばないから20名の神兵の一斉射撃にはとても応じきれない。今まではそうだった。

「! 敵、射撃開始を確認!!」
「なに?!」

 600メートルで彼らは予期せぬ攻撃を受けた。何名もが手にした鉄弓で飛んで来る矢を叩き落とす。到底届かないはずの距離で、普通の矢が何本も飛んで来る。咆カンベは一旦行進を止めた。

「なぜだ。伏兵があるのか。」
「いえ、方向は敵陣からまっすぐに。どうやら弩車が普通の矢を、それも一度に何本も射ているようです。」
「新兵器か?!」

 弩車の強い弓では普通の矢は使えない。鉄箭や太矢、あるいは投槍を発射するもので、人間が引く弓用の矢では加速が強過ぎて折れてしまう。発射過程になんらかの工夫を凝らして、折れずに長距離を射る事を可能にしたのだろう。しかも同時に何本も射る事が出来るとは、ギィール神族の知恵は計り知れない。

「ひるむな。この矢ならば損傷は軽微だ。増速前進。」

 歩調を早めて隊は再び前進を開始する。鉄箭や太矢でなければそうそう打撃を受けるものではない。早くこちらの射程距離に入って弩車の射手を攻撃すれば、形勢は逆転して一方的な展開になる。

 矢は雨のように降り注ぐが、赤甲梢の翼甲冑に弾かれ、また鉄弓に叩き落とされて効果を上げない。黒甲枝の重甲冑ほど強固ではないが、タコ樹脂と鉄箔を何重にも張り重ねた装甲は並の矢では貫通出来ない。

「弩車射程、入ります!」

 後列の神兵が矢を番え、宙を睨む。弩車本来の矢の威力は、重甲冑でも貫通する。これを防ぐには鉄箭で迎撃するしかない。最大射程で弾道飛行してくる太矢を後列が叩き落とし、前列は前方の防御を継続する。
 明らかに違う金属の振動音を発して、全ての弩車が攻撃を開始した、同時に通常の矢の攻撃が止む。

 太矢は想像よりもはるかに多く降り注ぐ。現在5輌が太矢を放っているが、三倍の数に立ち向かっているようだ。

「この再装填の早さから考えて、うすのろ兵が弦を引いているな。」
「鉄弓、射程に入ります!」

 曲射弾道で飛んで来る弩車の矢を防いでいた後列が45度の角度で敵陣を狙い、鉄箭を射る。最大に引き絞られた弓弦が甲高い音を響かせ、風鳴りを残して重さ100グラムの鋼鉄の矢を宙に解き放った。

 弩車は、弥生ちゃんが初めて見た時、「37o速射砲だ!」と叫んだとおりに対戦車砲に似た形状をしている。二輪の荷車に大弩を載せ、鋼鉄板を張った楯が前方に備えつけられている。金雷蜒軍が使うものはその改良型で、楯が二重になっていて蝶番で開き防護範囲を広く取れる。更には別パーツの屋根も装着して山なりに落ちて来る矢から弩本体や射手を防護するようになっている。
 しかし、赤甲梢が鉄弓で放った鉄箭は尋常でない破壊力貫通力を持っており、楯は大地を割るかと思わせる大音響を発して抉られた。一応は耐えたものの、鋼鉄板を貫いて木部にまで食い込んでいる。この攻撃で弩車の発射は一時停止して、神兵前列も鉄弓に矢を番えて攻撃に移る事が出来た。

 攻守所を変えて、今度は一方的に神兵が矢を射掛ける。しかし、楯は耐えぬき弩車を守る。重装甲兵が地面に穴を掘って頭上を守って居た大楯も、かろうじて貫通を免れる。
 敵陣中央から、直上に黄色く点滅する灯矢が上がった。

「距離、強弩の射程に入ります!」

 200メートル。これは二人掛かりで射る強力な弩の射程距離であり、ギィール神族の狙撃弓の有効射程距離である。弩車が平射で直接矢を当てられる距離でもあり、ここからが神兵の本領を発揮する場だ。敵陣に最後まで残って居た二匹のゲイルが身を起こし、背のギィール神族の鎧が火に赤く煌めく。
 咆カンベは最後の命令を下す。

「前列抜刀、突撃! 後列散開突撃、ゲイル騎兵の突撃に各自迎撃せよ。」

 前列の神兵は鉄弓を捨て、背に負った大剣を構えて前方に突進する。翼甲冑ソルヴァームに装備された4枚の翅が振動して推進力を発生させ、時速25キロというとんでもない速度での突進を支援する。敵陣までわずか30秒だ。その間撃たれ放題になるが、大剣を正面に構えひたすら振り回す神兵を止められた者はかって居ない。たまに弩車の矢が命中するというが、矢が刺さったままでも敵陣に乗り込んで爆発的な破壊力を奮い、後には生きた者を残さない。

 それまで穴に潜んで居た重甲冑兵が飛び出して、射れるだけの矢を射る。弩車も唸りを上げて最後の矢を放った。ひたすら鉄箭の霰の中で必死に耐えて来た敵兵の最後の攻撃だ。

「!! ゲイル騎兵接近!」

 ここで遂に、装甲神兵に対してゲイルが突っ込んできた。神兵に対抗するには、ゲイルが直接に肢で踏み潰し跳ね飛ばすしか攻撃手段が無い。
 ゲイルの突入に続いて、今度は兎竜がゲイルに襲い掛かる。神族が兵を援護する為に後方に注意が向かわなくなったのを、赤旗団青旗団の兎竜隊が猛撃する。

「全騎、各個に攻撃せよ。」

 シガハン・ルペの命令が駆け巡るが、言われるまでもなくひたすらゲイルの背後を追い、神族の乗る騎櫓に矢を射掛ける。今回は狗番も乗っていて背後に射返すので兎竜も危ういが、もはや矢を迎撃する事も無く直接に狗番を射て対応する。

 敵陣の内部から何十本もの灯矢が飛び出した。激しく明滅しながら戦場を飛び交い、彼我の目を眩ませる。

 いきなり弩車の一輌が破裂する。最初に突入した神兵が大剣で叩き壊したのだ。吶向砕破の剣という聖蟲の力を利用した必殺技が炸裂し、鋼鉄に覆われた弩車の部品が散乱して、重装甲兵達を襲う。続々と神兵が陣内に飛び込み、頭上から、あるいは大楯を弾き飛ばして正面から兵士に必殺の刃を振るう。接近戦ではどのような豪傑であっても神兵に叶うわけもなく、もはや算を乱して逃げ惑うだけだ。

 神兵後列はゲイル騎兵の突入に耐えていた。兎竜隊が神族を狙撃する為に制御がゆるんでいるが、ゲイルは独自の判断で神兵をなぎ倒す。だがあいにくと翅の生えている赤甲梢は身軽でゲイルの攻撃をたくみにすり抜け、巨大な肢で殴られても飛んで転げて無傷で済ませられた。

「・・! ケルベルト隊長ーーー!」

 黙々と前進を続け背後を脅かすゲイルを駆逐する咆カンベと4人の神兵は、敵陣中で味方の呼ぶ声を聞いた。

「どうした!」
「火焔瓶です!」

 陣内に突入して破壊と殺戮をほしいままにしていたはずの神兵から、場違いとも言える救援の要請がある。急いで駆けつけてみると、三人もの神兵が敵兵から火焔瓶をぶつけられて、地面を転げ回って消火していた。

「なにごとだ。」
「特殊な薬品を用いた火焔瓶です。兵が自殺的に至近からこれをぶつけ、甲冑に燃え移りました。」
「そんなバカな。火矢でも弾くはずだぞ、仕様では。」

 タコ樹脂と鉄箔を塗り固めて作られた赤甲梢の甲冑は、短時間であれば火中を進んでも問題無い。しかしギィール神族はこの甲冑の弱点をよく知っており、タコ樹脂を劣化させる薬品を火焔瓶に混ぜていた。

 

 ゲイル騎兵は重甲冑兵の救援を諦めて、戦場の離脱を図る。既に救うべき者が居ないと見定めたのだ。だが、火焔瓶の騒ぎでかなりの人数の兵が逃走に成功した。兎竜隊も灯矢によって兎竜が怯え、また傷を負っていた為に無理な追撃を控え、攻撃を終了した。

「団長、あれをごらんください。」
「おお、まさか神族があのような真似をするとは。」

 シガハン・ルペが見たものは、ギィール神族に対する常識を根底から覆すものだった。
 逃走するゲイルが胴体を下げて、敗走中の重甲冑兵を背中に拾い上げる。気位の高い神族が狗番以外の者をゲイルの背に乗せるなど、これまで考えられない事だ。ゲイルは12匹がすべて健在のようで、それぞれが3、4人の兵を乗せ、おそらくは30人以上の兵を回収したのであろう。よく訓練された兵士はこれからも活躍の機会があり勝利の為には救わねばならない、と合理的に割り切ったのであろう。

 青旗団長メル・レト・ゾゥオムがシガハン・ルペの兎竜に寄せて来る。彼の兎竜は矢こそ受けていないが、打撲の痕があり、流血もしている。

「追いますか?」
「いや、兎竜がもう限界だ。・・おまえの隊では神族を仕留めたか?」
「残念です。狗番ならば何人か射殺しましたが、神族にまでは届きませんでした。」
「こちらも同じだ。」

 咆カンベが制圧した敵陣を確かめて、彼らの元にやってきた。旗団長達は兎竜を下りて戦果の確認をする。

「死亡が32名、うすのろ兵が3体、捕虜が15名と瀕死の重傷が7名だ。こちらの被害は負傷が5名。内、特殊な火焔瓶で甲冑を焼かれた者が3名。傷は大したことは無いが甲冑は使用不能の状態になっている。」
「今回の戦は異例の事態が続出したな。報告書が長くなるぞ。」
「ああ。金雷蜒軍も本気を出して来たという事だ。やはり装甲神兵は50人体制でないといかん。」

 シガハン・ルペは神族が逃げていった南方をずっと眺めている。メル・レト・ゾゥオムが不思議に思って尋ねた。やはり追撃すべきだったろうか。

「いや、・・・こう考えていたのだ。もしも神族が最初から兵をゲイルに乗せていれば、どうだったかと。」
「まさか。奴隷をそうも易々とゲイルに乗せるなど、国の秩序がひっくり返ります。」

 しかし咆カンベはシガハン・ルペに賛同した。一度はゲイルに乗せたのだ、二度目はもっと簡単に合理的に乗せるだろう。それがギィール神族だ。

「だがそうなれば兎竜隊はますます活躍の場が増えるというものだ。10人を乗せていれば、さすがに肢も鈍るだろうからな。」
「いずれにしても、兎竜運用に修正を加えねばならぬようだ。焔アウンサさまの本陣に戻ろう。」

 

 

「マァマメル第4砦には、敵応援部隊として重装甲兵150が入ったそうだ。最初から二隊で一方が囮になる作戦だったらしいな。」
「もうしわけございません。」

 カプタンギジェ関の近郊の草原に設営された赤甲梢の本陣で、シガハン・ルペは、赤甲梢臨時総裁キスァブル・メグリアル焔アウンサから彼らが帰還した後の状況を説明された。マァマメル第4砦はガンガランガに最も近い砦であり、ここの攻略に失敗したのは後々響くだろうが、赤甲梢は次の作戦へと向かう。

 

「ボウダン街道に沿った5箇所の前進基地を壊滅、応援に駆けつけた寇掠軍を24隊まで撃退。神族の捕虜こそ無いものの、確認された死者が4、重傷17、ゲイルを1匹完全撃破。」
「まずまずの戦果である。褒めて遣わすぞ。」
「ありがとうございます。」

 天幕の外に机を持ち出し書類を広げヤムナム茶を啜りながら、焔アウンサは副官を務める黄旗団長カンカラ縁クシアフォンが読み上げる戦果を聞いた。
 広大な平原に真っ白い兎竜が草を食み、色とりどりの旗に彩られた天幕が立ち並ぶ。美々しい神兵が赤い鎧に陽を照り返し、麗しい女官や侍女が焔アウンサに奉仕して絵本のようなのどかさを醸し出す。

 副官に押し上げられ出撃が叶わない縁クシアフォンは、勲功著しい赤旗団長に目くばせをする。「代わってくれ」との意味だが、あっさりと流す。シガハン・ルペは総裁に続く赤甲梢bQだが、参謀役としてじっとしているのはやはり性に合わない。可哀想な同僚に押し付けてしまうべきだ。

 焔アウンサ自身は毒地への襲撃に同行しない。各隊長に任せて本陣で情報収集と部隊の配置に腐心していた。
 褐甲角軍が金雷蜒軍に勝つには、いかにして敵の驕慢を利用しておびき寄せるか、厭らしいまでに見え透いた罠に物好きにも足を踏み込ませるか、といった心理的なものになる。無敵の神兵という手駒で千里眼の神族に勝つには、力押しをどの程度でどの頻度でどの方面から順に行うか、というスケジュール管理こそが重要だ。鉄壁の陣形を殊更に誇り対する敵に奇計を用いらせ、こちらはそれを隙として逆撃で報いる。将としての胆力がものを言う戦だ。

 しかし彼女自身そろそろ飽きて来た。このようにちまちまと寇掠軍を潰していくのではなく、決定的に時代を動かす未曽有の大作戦が待っているのだ。

 

「このくらい餌を撒いておけば十分だろう。では、いよいよ”ギジジット攻略作戦”の決行だ。」
「??? ギジシップ島、ではないのですか?」

 過日、赤甲梢は青晶蜥神救世主ガモウヤヨイチャンと邂逅し、十二神方台系の未来について三日に渡る議論を行い、その席で東金雷蜒王国の首都ギジシップ島へ直接侵攻し、金雷蜒神聖王を捕らえる策を授かっていた。毒地中に大多数のギィール神族が出征し本国が空の状態において、高速で移動可能な兎竜を擁する赤甲梢だけに可能な作戦だ。
 焔アウンサはその策を受入れ、軍政局に隠れてひそかに下準備を整えていた。兎竜部隊をボウダン街道沿いの全域に展開させて、北部に侵攻する寇掠軍を一掃したのも、その準備の一環である。

 シガハン・ルペも配下の神兵達も皆、大いなる作戦がいよいよ実行に移されると期待し心沸き立たせて本営に戻って来たのだ。いきなり方向が別とは、納得出来るはずも無い。金雷蜒王国滅亡は褐甲角王国千年の悲願であり、カブトムシの聖蟲を持つ者全てが救世主初代武徳王に誓う聖なる約束だ。ようやくにそれが実現するかと思われたのに、何故に滅びた都ギジジットに向かわねばならないのか。

 彼らの期待を知っているにも関らず、焔アウンサはしれっとした顔で話を続ける。あたかも最初からこっちだと決めていたかのようだ。

 

「ふふ。赤甲梢は更に大いなる獲物を狙ってギジジットへの攻撃をカプタニアに申請するのだよ。ギジジットを制圧しようというのではない、一矢を射掛けて金雷蜒王国の根幹を脅かし、神聖王直々の親征を導くのだ。それがハジパイ王殿下の御望みだよ。」

「ハジパイ王が?」

 ますます分からない。ハジパイ王は元々先政主義の第一人者で戦争自体に反対していたはずだ。ギジジットへの攻撃などというますます火が燃え上がるような真似を何故欲するのだろう。焔アウンサは、傍らに控える縁クシアフォンに目くばせした。どうやらこの計画は既に十分な検討がなされているようだ。彼が概要を説明する。

「つまりはハジパイ王殿下は和平を望んでいる。その為には東金雷蜒王国神聖王ガトファンバルと直接会見して交渉しなければならない。神聖王の出陣こそが金雷蜒軍全体を統制して停戦を可能とする唯一の方策だが、密偵の報告によるとギジシップの神聖宮殿にその気配はまったく無い。」
「なるほど。後方の宮殿に控えて居ては、神族に対する命令権も無い。であればギジジットへの直接攻撃で王国の社稷を直接揺るがし、神聖王の親征を促すのが和平の早道と見たわけだ。だがハジパイ王殿下の思惑を、よくぞ見破ったな。」

 焔アウンサは高々と笑った。

「あははは、あはは。私のデュータム点の別邸は元老員が出入りして色々と工作をする拠点として使われていてね、ハジパイ王の息の掛かった密偵も多数勤めているんだ。」
「密偵が? それは、アウンサさまの動向を窺っているのではありませんか。」
「だから、私の動きをお知らせしてあげてるのさ。ついでに何に関心を持っているかを知れば、逆にハジパイ王の思惑も手に取るように分かる。」

「ではこの策は。」
「目眩しだ。ハジパイ王にこの作戦を働き掛け、その裁可が降りるまでの間、我らは休暇を楽しめるというものだ。約半月、兎竜を休ませ再訓練し、イヌコマを揃えてギジシップ島への遠征軍の編成が可能になる。表向きはギジジット遠征の下準備として怪しむ者も居ない。」
「東と南と、赴く方向が違うだけですからね。」

「(紫幟隊長)基エトスの情報工作隊にこの噂を毒地中にも流させて、ギジジットへの防備を固めさせよう。更にボウダン街道への兵力投入が減るだろう。ギジェカプタギ点を迂回する通路を守備する兵も減る。」

 

 焔アウンサは、平原で思い思いに羽を伸ばしている兎竜の自由な姿を背に負って、机上の地図に指を滑らせる。
 東金雷蜒王国北部つまり進撃路周辺の地図で、ここ十年に渡りクワアット兵の密偵が死線を越えて送って来た献身と叡智の結晶だ。何人もがこの任務の為に命を落している。

 シガハン・ルペも縁クシアフォンも感慨深げに地図を見た。もしもガモウヤヨイチャンの降臨が無ければ、この地図も百年も書庫に死蔵されたかもしれない。

 焔アウンサは言う。

「半月。この半月が地獄だ。スプリタ街道の防衛線で繰り広げられる死闘が最高潮に高まった時こそ、我らが出陣の時。」
「はっ!」

「おまえ達も鋭気を養っておけ。ギジシップ島への電撃戦では誰ぞに死んでもらわねばならないからな。」
「それをこそ赤甲梢は望みとします。長く、待ちました。」

「うん。長かったな。」

 遠く、南海の端に居るソグヴィタル王 範ヒィキタイタンに焔アウンサは思いを巡らせた。彼が提唱した東金雷蜒王国への直接攻略が15年の月日を経て遂に実現する。アウンサ自身も彼と共に計画の策定に立会い、自ら兵を鍛えて時を待った。本当に長く待ったのだ。

「ハジパイ王には、」
「は。」

「ハジパイ王に対するのは、ガモウヤヨイチャンにやってもらおう。デュータム点の劫アランサに連絡して、両軍和平の仲介をしてもらう。
 おそらくは、王はギジジット侵攻に強く興味を示すだろう。ガモウヤヨイチャンの介入を何より嫌がるからな、あの御仁は。」

 焔アウンサの言葉に縁クシアフォンが応える。彼女はそれに、猛獣が牙を剥く笑顔で返した。

 

「踊らせる、のでございますね。」
「範ヒィキタイタンを汚い罠に掛けた責任を、とってもらわねばならないからな。」

 

第九章 戦戯の棋盤に列する駒は、泥濘の中に転ぶ

 

 ヌケミンドル正面軍の総指揮を執るのはクルワンパル主席兵師大監である。23代武徳王カンヴィタル洋カムパシアラン・ソヴァクから直々に指名を受けて、王国中枢部を守る城塞群に篭る最大の神兵団を率い采配を揮う。

 

 褐甲角王国の軍組織は、地球のものと少し異なり中級指揮官の充実が無い。佐官級の位が無いのだ。
 これにはもっともな理由がある。尉官級の将校指揮官である剣令が大中小の三位、将官級の兵師との間に、黒甲枝という身分制度の壁がある。黒甲枝の剣令は聖蟲を持つ事で強力な破壊力を備え前線で主戦力として活躍するが、その際には同じ黒甲枝の命令しか聞かない。戦闘においては黒甲枝の剣令が常に優先され、一般人の剣令はその補佐に徹する。便宜上の上官というものにはとらわれない。

 とはいえ、少将に相当する兵師監であっても率いるのはわずか3000人の兵だ。クワアット兵全軍を集めても3万強という人数では、それほど細かく指揮官の位を分けても却って効率が悪くなる。小人数なりに有意義な区分が成り立っているという事だ。

 大審判戦争では、この中級指揮官が無い制度が裏目に出た。
 神兵クワアット兵のみならず、各地の邑兵までもかき集めてスプリタ街道・ボウダン街道に集中された兵力は既に7万人。兵師監の数が足りずに、引退した黒甲枝までも動員して運用している。
 兵師監が増えればそれを統率する兵師大監も足りないわけで、こちらも急遽増員された。人材は皆経験者であるから能力的には問題無いが、彼らに与える位階に窮してしまう。仕方なく、現役で兵師大監を務めていた者を前列大監と称し一階級昇進したものと見做し、更に各方面の最終責任者を主席大監と呼ぶことにした。地球で言えば、中将を三つに分割したようなものだ。

 主席大監は現在8名。軍政局中枢に3名、東西南北各方面に1名ずつと、ヌケミンドル正面軍指令である。

 

 クルワンパル明キトキス主席大監は41歳。兵学校に在籍中から褐甲角軍の将来を背負って立つ将帥の器を認められ、20代で兵師監に抜擢された英才だ。黒甲枝の主要家系の出身ではないが、聖戴後わずか3年で小剣令のまま軍政局に迎え入れられ、当時の兵師統監の参謀となりその才を発揮した。
 彼が重用された理由はもう一つ。ソグヴィタル王 範ヒィキタイタンを長とする若手黒甲枝の改革派と一線を引く態度を示した為に、元老院先政派からも好意を持って迎えられたからだ。ソグヴィタル王に彼が同調しなかったのは、先軍派の動機が青晶蜥神救世主の出現に対する焦りから来ると見定め、褐甲角王国を救世主と対立する概念と看做す点ではどちらの派閥も大差無いと理解した為だ。
 だが彼の思惑とは別に、ハジパイ王も彼の才能を称賛し特別な推薦をもって神聖宮殿での軍学の進講を依頼され、武徳王に拝謁する栄を得た。

 普通このような立場にあれば人の妬み嫉みを買うものだが、主要家系で無い事から彼一代での栄誉と思われ免れた。また結局はしかるべき大戦争も起きずに学者的存在で終るだろうと、誰もが才能の浪費を惜しんだものだ。

 

「はてさて。人の死ぬを見るは楽しからざる体験であろうが、兵師であればむしろ喜ぶものであるかな。」

 クルワンパル主席大監の傍で前線を視察するのは、武徳王から直接派遣された督戦使で元老員のガーハル敏ガリファスハルだ。奇矯、と評される人物であるから彼の意見には耳を貸す気も無いが、機嫌を損ねて武徳王陛下に妙な讒言をされても困る。丁重に隔離しよう、と心に決めた。

「主席大監、いや司令官殿と呼ぶべきか。そなたはこの戦、勝つおつもりか、それとも勝利以上のモノを得るおつもりか?」
「それはまた、突拍子も無いお尋ねです。私は陛下より与えられた使命を愚直に果たすだけです。」

「いや、そういう話ではない。戦後の事を考えると、つまりは青晶蜥神救世主ガモウヤヨイチャンの存在を踏まえてのことだよ、戦が終った後の方台の状況にどう落とし所を着けるかという問いだ。明敏なそなたならば当然その程度は考えておろうし、またそうでなければ主席大監など務めてもらっては困る。」

 クルワンパルは顔をしかめた。元老員というのはとかく論が中空に浮かぶものだが、彼の言葉はその最たるものだろう。黒甲枝は愚直である事を美点とする、それ以上は元老院が考えて法として定めるものだ。彼は自分に対して、その規を破れと言っている。

「いささかお言葉が過ぎると思われます。そのような問いはハジパイ王殿下にこそ、お尋ねください。」
「あれはダメだ。ガモウヤヨイチャンを殺す気でいる。」

「・・・まことですか。」
「無論、その程度で時勢が旧に復すはずも無い、とは理解しているがね。こうは思わないか、すべての聖蟲が翅で飛び立った後、一人だけ居残っている奴が居る。」
「どこに飛んで行くかは元老院でお定めになるべきでしょう。あるいは、ガモウヤヨイチャンを王宮にお呼び下さい。」

「いや。・・・そうたとえばだ、このヌケミンドル正面軍、これがこぞってガモウヤヨイチャンの軍門に降るとしたら、面白いだろう。元老院も陛下も飛び越えてトカゲ王国を樹立してしまい、後でつじつまを合せる。そなたの才ならばそれも可能だ。」
「御戯れを。」
「ハジパイ王の頭の中は、そんなことで一杯なんだよ。とりあえず疑っているのは赤甲梢だな。」

「キスァブル・メグリアル焔アウンサ様ですか。あの御方は、なるほど新しく面白い事がお好きですか。」
「彼女だけではないぞ。その姪の劫アランサも既にガモウヤヨイチャンに取り込まれている。殺す理由には事欠かないのさ。」

 どこまで真実を語っているかは知らないが、クルワンパル自身も武徳王から直接信任を得ているからには、ハジパイ王の注目する所にはなっているのだろう。既に先政主義は雲散霧消しているのだから、王が次を考えて触手を伸ばしているのは確かなはず。軍政局の力を抑える為に自分を軍中枢から切り離し独自の派閥を押し付けるくらいは、当然有る。

「という話を前提に置いてもらい、この人物が最前線にて戦況を観察する事をお許し願いたい。」

 元老ガーハルがそう言って紹介する人物を、クルワンパルは眩しく見上げた。身長2メートル、彼よりも頭二つ分も大きい。ガーハルの黄金の鎧に対して、その者は白銀の鎧を身に纏っている。羽飾りの派手な兜の下から、花のように柔らかい茶色の髪が零れる。

「女性、ですか。」
「胸を見れば分かるだろう。見たとおりのものを信じたまえ。」

 銀の鎧の胸部には、乳房の膨らみが盛り上がる。だがタコ樹脂と鉄板で象られたものだ、ギィール神族の作ならば女の形に意味は無い。趣味でいかようなものでも着るだろう。

 兜の下から現われた頭には、ゲジゲジもカブトムシも無い。美しく整った顔だが、ただの人だ。この身長でこの体格とくれば、

「神族の出身で、亡命者ですか。」
「少し違う。青晶蜥王国より観戦にいらした救世主の廷臣だ。胸の印を見て欲しい。」

 その女性の豊かな胸の谷間には、七宝で青く描かれた角のある人頭の紋がある。青晶蜥神救世主ガモウヤヨイチャンの紋章「神殺しの神」ピルマルレレコ、であると今や方台中全ての人が知る。
 女性は、身長からは想像出来ない美しく澄んだ高い声で自己紹介する。

「この度、青晶蜥神救世主ガモウヤヨイチャンの宮廷にて組織された、青晶蜥王国建軍準備委員会にて観戦評論員を仰せつかったューマツォ弦レッツオです。以後御見知り置きを。」
「軍政局より報せは受けていましたが、まさか女性の方だったとは。」

「男です。」
「は?」
「エリクソーの服用を失敗し、体型が女性の外見と化してしまった者です。故に聖蟲より嫌われて聖戴の栄を受ける事が叶いませんでした。」

「真正、男なのだそうだ。おもしろいだろう。」
と、能天気にガーハルが笑う。弦レッツオも口元に手を当ててころころと笑う。服用の失敗など嘘だ、ギィール神族の中には自ら薬品の調合を行って生まれた性を転換する者が居る、とクルワンパルは聞いている。聖蟲がそのような者を選ぶはずが無い。

「それで、観戦をお許しねがえますか。」
「お断りします。ここ第三列の城塞まではガーハル様のお計らいで見る事が出来ますが、これより先は軍の機密に関りますので司令官の権において御見分をお断りいたします。」

 ガーハルと弦レッツオは互いに目くばせして肩をすくめる。最初からそう言われるだろうと想像はしていたのだろう。次の手もちゃんと用意している。
 弦レッツオは澄んだ声で、再度懇願する。

「それでは私がガモウヤヨイチャン様から受けた使命を果たせません。どうか、もう一度御考え直しください。」
「私は、武徳王陛下と兵師統監様以外より命令を受ける立場にありません。どうか御引き取りください。」

「ではいたしかたありません。ガモウヤヨイチャン様にはその通りにお伝えいたします。褐甲角王国では戦場において悪逆非道を働いていると。」
「そうだな。人に見せられぬとあれば、そう判断せざるを得ないからな。武徳王陛下もさぞお悲しみであろう。誇りとする黒甲枝がそれほど腐っていたなどとは、御想像もされてないだろうからな。」

「・・・なんと仰しゃられても決定は覆りません。また敵が王国に仇為す者であれば、いかようにも我ら非道を働きますぞ。」
「うむ。精励なされよ。」

 言いながらも、ガーハルは胸元から山蛾の絹布を取り出す。これは通例勅状を記すものであるから、クルワンパルはやっぱりそう来たか、と覚悟する。

「勅命であるぞ。」
「は。」
「青晶蜥神救世主ガモウヤヨイチャンが遣わした観軍使に対しては最大限の便宜を図り、その使命を全うさせよ。観軍使は常に督戦使ガーハル敏ガリファスハルの傍にあり、彼により行動の制限を受けその指示に従うよし、協定により定められている。」
「御錠に従います。」

 その言葉を聞き、弦レッツオは婉然と微笑む。いつのまにカプタニアは救世主と協定を結んでいたのか知らないが、まさか元老ガーハルの方便ではあるまい、とクルワンパルは自らに言い聞かせた。

「うむ。殊勝である。では最前線の防塁に案内してもらおう。いや、そなたで無くてもよい。誰か黒甲枝を寄越してもらおう。」

 

 

 ヌケミンドルに最大の防御陣が敷かれているのには、地形上の当然な理由がある。

 褐甲角王国首都カプタニアは、アユ・サユル湖とカプタニア山地との間に一本だけ有る街道の中心を抑える位置に有る。この街道は方台を東西に繋ぐ交通の要所で、ここを遮断されると、湖を舟で渡るかデュータム点方向から15日以上も掛けて迂回するしかない。つまり方台のヘソにあたる場所で、褐甲角王国はここを占拠する事で初めて確固とした基盤を手に入れ、以降神聖金雷蜒王国と対等に渡り合えるようになった。

 その要地に最も近く必ず通らねばならないのがヌケミンドルだが、更にこの地は他と比べて少し低いという特性もある。毒地は平原とはいえ多少の起伏があり、ヌケミンドル付近は大まかに測量しても10メートルほど低くなっている。毒地に降った雨はヌケミンドルを通じてアユ・サユル湖に流れ込むのだが、神聖金雷蜒王国時代にこの川を掘り下げて、逆にアユ・サユル湖から水が毒地に流れ込む用水を建設し、平原を潅漑して大規模な農地へと変えた。その当時の構造物は今も有効に活用されており、用水に掛かる巨大な石造りの橋は「方台三大建築」として、ヌケミンドルの観光名所にもなっている。

 水が流れるとおりに兵も流れる。毒地から下って行けばよいのだから、ここは当然兵力の集中にも適地となる。戦略上も戦術上もヌケミンドルを攻めるのが常道であり、古来より幾多の戦争がここで繰り返された。褐甲角王国も建国初期には絶えずここを攻められたが、国力の差が逆転し攻勢に出るようになると、金雷蜒軍が毒を撒いて平原を封鎖し人の行き来を制限して一応の安寧を見る。
 そこで褐甲角軍は恒久的な防御施設の構築に移り、ヌケミンドルの毒地際に大要塞群を建設したわけだ。

 もっともギィール神族が用いるゲイルには、ただの壁ではなんの障害にもならない。10メートル以上の垂直な壁面をもすいすいと登ってしまうので、長城のような兵の密度の低い防衛線は意味を為さない。丸く小山のように土を盛った上に砦を築き神兵を篭らせ、随時出撃して機動的に敵に対処するのがヌケミンドル防衛の基本戦略だ。互いをカバーする砦が幾つも立ち並び、金雷蜒軍の到来を待ち受ける。

 

 大審判戦争に際しても、カプタニア軍政局の最高幹部達はヌケミンドルの基本戦略に修正の必要を感じなかった。元々が毒地形成前の大規模戦争を念頭に置いて作られた施設であるから、十分防衛の任に耐えると思えた。問題があるとすればむしろ防衛線が固過ぎて敵が敬遠する事だ。

 討議を重ね、神聖王宮の武徳王とも諮った結果が、司令官にクルワンパル明キトキスを用いるという策だった。英才の誉れ高い彼は、その知性によってゲジゲジの聖蟲を持つギィール神族と十分対抗出来る。彼がギィール神族をおびき寄せる罠を仕掛ければ、神族はそれを食い破らんと欲してわざわざ挑戦してくるのだ。

 クルワンパルは着任早々、防衛線の前に小さな防塁を幾つも作らせた。一見すると無防備そうだが互いを補い合い、容易には攻略を許さない迷路のような陣形だ。この陣の妙味は、知恵を絞り適切な兵の使用を試みると、ほぼ必ず攻略できるようになっている点である。本物の防御線に達する前に、金雷蜒軍はパズル解答に精力を使い果たしやむなく撤退しては、別の軍が取り掛かる。これを繰り返させる為に神族が興味を失わないよう常に新しいパズルを仕掛ける訳で、それが可能なのはクルワンパル唯一人、と見定めたのだ。

 軍事の素人であれば、この陣は単なる時間稼ぎにしか見えない。弥生ちゃんがデュータム点でヌケミンドルの両軍配置図を見て即座に勝敗を断じたのも、それを見切ったからだ。地球の友人八段まゆ子であれば「三元奇門遁甲八陣の計」と叫ぶであろうそれは、真に知恵有る者であれば早速に迂回するものだ。
 しかし、ギィール神族は引っ掛かる。おもしろいから、以上の理屈は要らない。

 

 果たして、ヌケミンドルに先着した寇掠軍は、この防塁を見て考え込んでしまう。
 なるほど、急ごしらえの防塁は実に小さい。10人も詰めれば一杯だろう。しかし、土を盛った小山の上にあり掘や垣根で守られているから、歩兵ではとても攻められない。多人数を犠牲にしひたすらに押しつぶす作戦は、人数が少ない東金雷蜒王国にとっては敗北しか意味しない。弩車を持ち込むにしても、防塁は土と粘土で出来ているから壊されてもたかがしれているし、火を掛けても燃え広がらない。少数の剣匠で殴り込みを掛けるにしてもゲイル騎兵で乗り込むにしても、待ち構えるのは間違いなく黒甲枝の神兵だ。割が合わない。

 しかも防塁間は300メートル程で築かれており、黒甲枝の鉄弓ならば相互に矢が届き援護も出来る。最前列の防塁は勿論強固であるだろうが、合間を抜け内部に浸透してみれば四方八方から鉄箭を射られて針ねずみになって死んでしまう。

 大砲と爆弾があれば話は別だろうが、どちらも持ち合わせていない金雷蜒軍はこちらも地道に陣を作り兵力を増強してじわじわとすり潰すしかない、と見定める。だがもちろん、ギィール神族はそんなちまちました作戦は大嫌いだ。防塁の配置を詳細に検討し地図に正確に記してみると、果たして敵将クルワンパルの意図が見て取れた。

「我らに対する挑戦だな。」
「矢の届かぬ回廊が何本か作られている。ここに来い、と言っている。」
「罠以外の何物でもないが、どんな罠か興味が湧くな。」
「面白い。手並みを見せてもらおう。」

と、ゲイル騎兵単独で侵入していったのが、弥生ちゃんが報告を受けた本格的会戦の始まりだった。彼らは何の勝算も無しで行ったのではない。通常の弓では射程距離が不足するから、ロケット槍を抱えて行った。過酸化水素水を利用して飛ぶこの槍は、弥生ちゃんも東金雷蜒王国はガムリハンで試射した事があるようにギィール神族の間で結構知られているが、これまで褐甲角王国への寇掠軍では禁止されていた。射程距離は700メートル以上、どの飛び道具よりも遠くに飛ぶが運動エネルギーによる打撃以外の破壊力を持たないので使い所が難しい。

 クルワンパルが設定した回廊は幅が30メートル程度でゲイルも一列に並んで進まねばならない。矢が届かないとはいえ身を隠す場所も無く左右に退避する余裕も乏しく、いきなり襲われた場合には方向転換して逃走するのも相当に困難だ。
 しかしゲイル騎兵達はむりやり押し通った。そしてそれだけの価値はあった。より詳しく防塁の構造を観察できた為に、この迷路の性質をはっきりと認識した。

「この防塁は取られて取り返す、そういう考え方で作られているな。」
「ああ、西側からは取り易いようになっている。つまり奪還時にはこの回廊を通って歩兵を乗り込ませる事が可能だ。」
「我らがこれらを取ってもあまり有利にはならないが、取らねば不利のままで空しく時を費やすのだ。」

 そして、当然のように褐甲角軍の待ち伏せに遭う。ギィール神族の予想に反して、クワアット兵の集団だった。長槍と弓の百人隊が道の左右に埋伏していきなり姿を現す。集中的に攻撃されるが、こちらから乗り込んでゲイルで蹴散らそうとすれば防塁からの射程距離内に入ってしまい思う壷だった。しかしさすがに額に聖蟲を持つ神族はこの事態にも慌てず、まっしぐらに道を進み、ついには包囲から脱出する。出た先が弩車の射程内であったとしても、それが最適なのだから迷いは無い。むしろ弩車に対してこれまで温存してきたロケット槍(噴飛槍)を直撃させて、辛くも虎口を脱した。

「袋に押し込めれば矢も省みずにゲイルで防塁になだれ込むと知って、逃げ道も開けている、というわけだ。」
「死を賭しての突撃であれば、ゲイルはこの程度の防塁は容易く落とせるからな。」

 ヌケミンドルの国境線は約100キロで、全域に渡ってこの小防塁が作られているのではない。或る程度まとまった数が集中して建設されており、それ以外の場所は直接防衛線が開けている。狙い目に見えなくもないが、

「弩車をここに並べると、左右の防塁群から黒甲枝出撃して退路を立つ手筈になっている。」
「兵が10万あればもっと効率良く攻められるのだが、ゲイルを100匹並べても黒甲枝に手柄を与えるだけだからな。」
「結局は、我らも砦を築くのが最上というわけだ。」
「防塁に対しては攻砦、というは神聖金雷蜒王国時代に逆戻りしたような戦術だな。」

 弥生ちゃんが見れば囲碁みたいと感想を言うだろう、砦の構築競争が始まる。なにしろ防衛線の本格的な砦を落とすには大型の攻城弓や投石器が必要で、前線に投入するには歩兵の安全を図らねばならない。黒甲枝の突撃を防ぐ為に一基ずつ弩車を持ち込み土で囲みながら、作業領域を確保して行った。

「暑い・・・。」
「奴隷どもにはじゅうぶんな水と食糧を与えねば、たちまち倒れてしまうぞ。」
「アユ・サユル湖からの用水は、いつ水を止めるだろうか。我らが先に堰き止めて舟による運輸を確保するべきではないか。」

 季節は夏、しかも日差しを遮るものの無い平原での土木作業だ。すでに褐甲角軍の防塁建設で付近の草木はすべて刈られ、地面が掘り起こされて泥と粘土が陽に乾く乾燥した場所になっている。しかも二日に一度はざっと通り雨が降り、たちまち泥濘と化して足元が沈んで身動きがとれない。元が毒地の下流にあるから、こまかい粒子の土がこの近辺には溜まっている。
 泥濘の中で奴隷兵達は土を捏ね、袋に詰め背に負って運んでいる。いかに肉体労働には慣れていても、絶えず黒甲枝の突入に怯えながらの作業は遅々として進まない。寇掠軍はただ単に荷物を運ぶ、掠奪するだけの任務しか課されないと聞いていた者は、まったく予想が外れて不満を見せていた。しかしながら、目の前で巨大なゲイルが高速で走り回り、それと正面から激突しても退かない黒光りのする神兵の姿に、人間の手には余る天上の計画に基づく世紀の一大決戦である事はさすがに理解した。

 戦場のごく近辺に、アユ・サユル湖から続く用水が流れている。千年前までは毒地の緑化にも運輸にも活躍したこの水路は現在も生きており、作業員達は100名ずつ組になって現場近くまでを舟で移動している。これが無ければ移動だけでも困難を強いられるはずだが、何故かクルワンパルは用水への水の供給を止めようとはしない。おかげで大量の物資の輸送が出来て、攻砦は着々と完成に近付いていた。

 建設作業とは別に、神族達はは絶えず防塁への攻略も行っている。攻砦が完成するまでは黒甲枝を釘づけにせねばならないから、無駄を承知でも防塁攻略は続けねばならなかった。対して褐甲角軍では黒甲枝の神兵による突撃隊がしばしば夜戦を行い敵軍に突入して、多大な被害を与えていく。ゲイルで無ければ神兵にはまったく対抗できないから、神族は交替で昼夜を別たず警戒を続けている。妙な話だが、ヌケミンドルの戦線で最も働いているのは、支配者であるギィール神族だった。

 さすがに、この構図は彼らに疑問を抱かせる。

「ひょっとすると、攻砦は奴等に作らされているのではないか?」
「少し考え方を変えてみよう。」

 と、今度はゲイルの上に大弓を載せて、防塁に対して火矢を撃ち込んでみる。

 防塁は土と粘土で作られている。石は褐甲角軍の城塞建築においては柱を支えるのに絶対必要な箇所にしか用いず、木の柱を粘土で覆う構造を用いている。建築に必要な大石が十二神方台系においては不足している事もあるが、なにより急ごしらえの砦ではこれがもっとも安上がりかつ丈夫だからだ。直径1メートルほどの籐籠に布袋を入れ、その中に土と粘土を詰める。この塊を一個ずつ積み重ねてあっという間に土塁を作っていた。しばらくすると籐と布は腐って粘土は相互に融合して、強固な土壁が出来上がる。小石や砂を入れて上から衝き固めてコンクリート状にする工法も用いられており、見栄えは悪いが軍事用には十分以上の防御力を発揮する。

 こんなものに火矢を撃ち込んでも仕方無いのだが、聖蟲を用いた弾道補正を利用して防塁の矢狭に直接放り込むとなれば話は別だ。内部には多量の矢や物資が保管されている。火矢といっても油と薬品で爆発的に燃焼するようにもしているから、首尾よく入れば相当大きな痛手を与えられる。
 ゲイルの上に大弓のような無粋なものを載せるのは本来神族の美意識に合わない。しかし射程距離の長い攻城兵器を迅速に戦線に投入するにはこの方法しかない。ゲイル騎兵第二次突入隊はすべてこの装備で、やはり歩兵の随伴無しで侵攻した。クワアット兵の集団戦術に対抗するに、今回は毒煙筒も持参した。特殊な調合をしたタコ染料を染み込ませたこの筒は、毒地に満ちていたのと同じ毒を噴き出して敵を混乱に陥れる。防毒面はあるが、毒の調合をするギィール神族が受け身の褐甲角軍よりも優れた解毒装置を作れるのは当たり前で、この戦術であれば絶対負けはない。

 果たして、突入当初は面白いように防塁に火矢が当たった。中から黒甲枝が飛び出して来るが、思ったほどには燃え広がらない。どうやら内部では火災対策も十分行っていると思われる。回廊を行く突入部隊は火矢を使い果たしてそのまま疾走する。ついでに大弓で毒煙筒を放り込んで、待ち伏せしていると思われる場所に先制攻撃を仕掛ける。だが出て来たのは黒甲枝の神兵だった。神兵の重甲冑には不十分な性能ながらも大型の防毒面が装備され更に呼吸補助装置も付いている。毒煙中でもなんの制限も受けずに活動が可能だ。神兵は大剣や斧戈を用いてゲイル騎兵への直接攻撃を図る。たちまちに血みどろの格闘戦が始まった。ゲイルの肢に刃が食い込み体液が弾け、重甲冑が跳ね飛ばされて泥に埋まる。黄金の鎧に身を包む神族は至近距離から神兵の顔面に向けて矢を射掛け、火焔瓶を投げつける。

 しかしながら道幅に余裕が無い為にゲイルを集団で用いる事が出来ず、やむなく突入隊は脱出口に向かう。が、前回とは異なりその道は逃走が不能になっていた。ごくわずかずつ防塁の配置が変更されてぎりぎり矢が届くように設定されている。頭上から降り注ぐ無数の矢に神族は窮して、ついには道を外れて最短距離での逃走に追い詰められた。飛び交う鉄箭のただ中を自陣に向けて突き進む。

 この攻撃でついに神族に5名もの戦死者を出して、両軍は高い緊張状態に突入する。復讐を誓う狗番達が総攻撃を要求する中で、ようやくに攻砦は暫定的な完成を見た。

 だがその翌朝、金雷蜒軍は攻砦のすぐ脇に新たな防塁が出来上がっているのを発見して驚愕する。夜襲を行うと見せ掛けて、神兵が自ら粘土の詰まった籐籠を運んで簡単な土塁を積み上げたのだ。この位置に防塁があれば攻砦はほとんど意味を為さない。直ちに神族はこれを壊滅させるべく攻撃を命じる。先日の復讐に燃える狗番や剣令達を主体とする数に任せた力攻めで18時間後新造の防塁は放棄された。

 一応の勝ちは収めたものの、褐甲角軍はいつでも好きな場所に防塁を作る事が出来るという認識は、金雷蜒軍に深刻な作戦変更を突き付けた。仮設の攻砦ではなく本格的な城塞を必要とするからだ。しかし一ヶ所に兵力を集中しての築城は、却って敵軍に側面や背後に回られる隙となろう。
 ヌケミンドルに出征したギィール神族は集合して会議を開き、いかにして事態を打開するか討議する。様々な新兵器の投入が提案されたがどれも戦場全体に有効なものではなく、結局は黒甲枝には勝てないとの当然の結論しか出なかった。

 ここに至って遂に神族は、封じられていた荒技を解禁する。
 その日、最前線の防塁に詰めていた神兵は信じられないものを見た。ゲイルが土を運んでいるのだ。巨大な土の玉を無数の肢で転がして、前線にまで持って来る。更には地面にとぐろを巻いて穴も掘り、あっという間に防塁を作ってしまった。
 ゲイルは神族の額の聖蟲と形を同じくする尊い蟲だ。その神蟲にこのような卑俗な真似をさせるとは、予想をはるかに越える神族の思い切りだ。神聖金雷蜒王国時代の歴史書にすら記述が無いゲイルの使用法に前線の黒甲枝は狼狽して、後方の陣中にあるクルワンパルに対処を求めた。

 

 

「穴はどうなのだ。地底をくり貫いてゲイルが城塞の内部に侵入するなどは無いのか?」

 督戦使で元老員のガーハル敏ガリファスハルは前線から対処を求めに来た黒甲枝に尋ねるが、さすがにそれには答えられない。代わってクルワンパル主席大監が言う。

「さすがに、ゲイルの構造では地底を掘り抜く事は出来ないでしょう。それをするにはミミズかオケラのような形でないと。」
「たしかにゲイルは地を走る蟲だ。では地底からの攻撃は無いか。」
「すくなくとも最前線の小防塁にはありません。労多くして功が少な過ぎます。これからの展開は、敵の小防塁が一歩ずつ歩いてこちらに向かって来る、という形になります。」

「主席大監はこれを予想していたのか。」
「まさか、このようにゲイルが用いられるなど神族でさえ予想していなかったでしょう。ゲイルが神の化身と思われていた時代ならば、口にしただけでも暗殺されました。」
「時代が変わって、ゲイルをただの便利な道具として看做すようになったという事か。さもありなん、千年に一度の大戦、大変革だ。神威にのみすがっている者は最早カプタニアにしか居るまい。」

 ガーハルはこの後一度下がって、武徳王が大本営を置くヌケミンドルの県都クワァミンドルに報告に行く。対処法を携えてでないと武徳王の納得は得られないだろう。クルワンパルを急かせて策を絞り出させる。

「そうですね。当初の計画は今も有効ですが、防塁同士が接近し合い矢を射掛け合うのですから20日は時間が稼げるでしょう。」
「どちらが勝つのだ。」
「物資の豊富な方が。補給線の短い我らは未だ有利にあり、神兵が正面を護る限りは負けはありません。」

 話を聞いていた青晶蜥神救世主の観軍使ューマツォ弦レッツオが口を出した。本来作戦計画に口出しを許される立場にはない彼/彼女だが、ガーハルとの間で馴れ合って規律も緩くなり、相当なレベルの機密に関与していた。

「・・神兵の数が足りないのではありませんか?」
「そうだ。神兵に頼るのは良いが、後方のクワアット兵が遊兵となっているぞ。それでよいのか。」

 クルワンパルは眉をしかめて答えを少しためらった。黒甲枝の神兵はヌケミンドルにおいては500名が集結している。全数が1500名で内1200名をスプリタ・ボウダン街道の国境線に配置している中でも、ここは異常な集中ではあるのだが、

「・・・はなはだ言いにくい事ですが、足りません。前面に展開する200名に加えて第二列の200名の半数を投入したいと存じます。代わって後方防衛陣の主力をクワアット兵に転換したいと上奏するつもりです。」
「やはりそうか。うむ、私からも陛下に言上しておこう。ゲイルが200匹も出張っているのだから、神兵もそれに見合う数を必要とするのは当然だ。」

「ゲイルは500です。昨日報告が私の元に届きました。」

 デュータム点にある青晶蜥神救世主神殿では独自の方法で戦争の全状況を監視して、情報をすべてガモウヤヨイチャンの下に集中する体制を取っており、その一片が弦レッッオにも届けられている。ガーハルがさらなる情報提供を促す。

「金雷蜒軍の全軍では神族は何人が出征しているのだ。そなたの元にはそれは無いか。」
「東金雷蜒王国3000人の神族の内、既に毒地に入っているのは800名です。本国で準備を調えているのが500名、それ以外の者はやる気が無いとのこと。」

「ゲイルも800匹が持ち込まれたという事ですね。貴重な情報をありがとうございます。」
「どうだ、500のゲイルを支えられるか。」
「いえやはり、一度に投入されるのは100がせいぜいでしょう。疲労や負傷をしたゲイルを後方に下げて毎日同じ戦を繰り返します。こちらも神兵を交替させて疲労回復をさせねば。」

「なるほど。他には。」
「神兵も休養が必要ですが、重甲冑の破損がかなり激しくなっています。予備を用意しておかねば神兵の戦力が十分に発揮出来ません。」
「それはどうだろう。重甲冑はそう簡単に製作できるものではない。部品によっては東西金雷蜒王国への特注すら必要だ。」

 科学技術に優れた金雷蜒王国は、武器ですら敵である褐甲角王国に輸出していた。弩車に用いられる高性能の弩はほぼ全数が東金雷蜒王国製であり、軍船は海洋王国の西金雷蜒王国に擬装を依頼している。買う方も買う方だが売る金雷蜒王国も相当無定見であるが、さすがに黒甲枝の重甲冑の製造はこの状況では受けつけないだろう。タコ樹脂を用いた特殊な成形技術は、褐甲角王国ではまるで手が出ない。

 クルワンパルはそれでも甲冑の補充を要請せねばならなかった。

「西海岸にある神兵には代替となる翼甲冑を配置して、重甲冑を東に回してもらってください。絶対に必要です。」
「なんとかしてみよう。・・そうだな、破損の激しい重甲冑があれば貸してもらおう。陛下にもそれを示せば戦場の激しさを理解して頂けるだろう。」
「手配しておきます。」

「だが、」

とガーハルはにたと笑いかける。クルワンパルも彼が何を言いたいかを理解して、笑顔で応じる。

 

「計画はすべて順調です。ヌケミンドルは未だ、敵に対して存分に魅力を振り撒いています。」

 

 

第十章 金雷蜒少女、初めての接近遭遇

 

「・・・・暑い!」

 

 ヌケミンドルに殺到する攻撃軍を避けて、手薄な南部のベイスラ地方へと向かった寇掠軍『永遠の護手との邂逅(ウェク・ウルーピン・バンバレバ)』であるが、人が考える事は皆同じと見えて、やはり100人のギィール神族が押し合いへし合いして大混雑となっていた。

 なにせ日頃はせいぜい2、3隊しか受入れない寇掠支援施設に20隊もが殺到して、設備を互いが取り合い物資を奪い合うという始末。奴隷兵同士が喧嘩をして殺人事件までが起きていた。
 特にもめるのが水で、なるほど途中までは水路を使って飲用水を運んできたのは良いが、肝心の施設にそれだけの量の水を扱う設備が無い。ゲイルやイヌコマに水を与える水槽を急いで増築しているが、なかなか漆喰が固まらずに既存の小さな水飲み場に列を作って順番を待っていた。

 初めての出征で気持ちの昂ぶるイルドラ兄妹だが、やはり最年少神族というのはそれだけで割を食わされるもの。隊の6匹のゲイルを一人で受け持って、狗番と共に炎天下じっと待たされていた。ゲイルは聖蟲を持つ者の指示しか聞かず、最低一人は神族が居なければ世話出来ないのだから仕方がない。狗番にも剣令にも任せられない神聖な役目であると、自らに言い聞かせねばならなかった。

 イルドラ丹ベアムは17歳。栄えある初陣がこのような面白からざる雑用で潰れるとはさすがに予想もしなかった。黒味のまだ残る栗色の髪をかきむしり、明敏な頭脳に呪詛の詩文を何十と書き連ねるが、さすがに辛抱の緒が切れ、イルドラ家で最年長の狗番に愚痴をこぼす。

「パロバン、新しい水飲み場はまだ固まらぬか。この日差しならば既に出来上がっているだろう。」
「なにやら水漏れがあるとやらで、手直しが始まっているようでございます。」

 丹ベアムの狗番が前方を眺めて主に答える。
 狗番もさすがにこの日差しでは鋼鉄板の甲冑を身にまとうのは自殺行為であるから、着替えて軽装になっている。戦場において不用心とも思われるが、あんな蒸れるものを着続けて肝心の時にはバテて使い物にならない方がよほどの恥と、死を賭して涼を選んでいる。無論、山犬の仮面は律義に着けたままだ。前後を見ると、丹ベアムと同様に貧乏クジを引いた神族が、同様にゲイルの足元の影に座り込んで、狗番の世話を受けている。

 神族は黄金の鎧を脱がない。ギィール神族の敵は黒甲枝だけでなく、神族同士がいつ襲って来るかも知れないのだ。ベアム自身、最年少で聖戴の試練を越えた事を妬む者が万が一にも居ないとも限らない。兄の泰ヒスガパンを狙って、どこその性悪女が彼女の暗殺を企むやも知れない。一応は聖蟲の力を利用した冷却装置のおかげで快適に着装できるのだが、体力を消耗するぴっちりとした鎧を手放すわけにはいかなかった。

「薪を持って来て正解だったが、いつまで保つか。」

 ゲイルに水を飲ませた後は、食事の準備もせねばならない。ギィール神族には妙な習慣があり、寇掠軍遠征中は隊の神族が交替で神族の為の料理を作ると決まっている。誰かの奴隷に作らせて毒を入れられないように、神族皆の目の前で直接作るのだが、当然味にも厳しい審査がある。器用な神族だから皆それぞれに腕が立ち、自慢の独自メニューを振る舞うが、この日差しでこの環境でまともなものを作れと言うのがそもそもの間違いだ。丹ベアムは、大体この習慣は秋から春に掛けての気候の良い時期のもので、食材の保存が十分機能する期間だけにするべきだ、と本気で上将であるガブダン雁ジジに直訴した。

「今日の夕餉は姫様の順番でございましたな。」
「食材は日差しに当ててはいないだろうな。」
「ぬかりはございません。それぞれの隊の狗番で協議をして、砦の地下室に神族がお持ちになった食材を優先して保存する事にいたしました。」

「ならばよし。だが私の計算だと薪が三日しか保たないはずだ。人の言葉を信じて後方の支援を当てにしたのは間違いだったろうか。」
「水と武器の輸送を優先して、薪の舟が後回しになっているのかもしれません。」
「後で雁ジジ殿に補給を確実にする為に誰かを後方に下げるのを進言してみよう。剣令を補給の交渉に当てても軽んじられ無視されているのかもしれない。」

 がらんがらんと石柱がぶつかる音がして、前のゲイルが動き出した。ゲイルは悪環境に強い蟲で毒地に満ちていた毒霧の中でも平気で動き回るが、図体が大きいから必要とする水の量も桁違いに多い。夏場だと樽が2つ、200リットルはがばがばと飲む。一回飲めば3日は大丈夫というのは経済的であるのだが、冬場なら5日保つのだから補給線には最大限の負担が掛かっていた。

「ゲイルにも餌をやらねばならないな。」
「人ですか。」
「いや、まだその時期では無い。イヌコマでも呑み込ませよう。ほんとうならば今頃は褐甲角王国に到着して、クワアット兵でも呑み込ませていたはずだが、」

 この砦からベイスラ地方の国境線まではおよそ100里、歩兵を伴えば3日の距離だ。しかし最近はあまりに暑いので夜しか歩かない。陽が暮れて出発、深夜まで進んで睡眠、朝早くに更に進んで日除けを作り宿泊、夕方まで休息という不経済な日程を余儀なくされる。ここが平原で夜でも大して危険が無く、足元もしっかりしているからこのスケジュールが最適なのだが、さすがに敵地に近付くと支障が増えて来る。
 最大の障害は、草だ。毒地が浄化され草木が生い茂る事が可能となると、当然毒の影響の少なかった周縁部にまず生えて来る。既に3ヶ月を経過するから水気のある場所だと人の背丈程には伸びていた。草があれば虫も居る。蚊や蠅が隊列に群がり、寝る枕元でなにやら騒ぎ良く眠れない。なんらかの病を運んで来るものもある。そして、

「おお、姫様!」
 周囲の人がざわめいて、パロバンもベアムに注意を呼び掛ける。無論、神族はそれが接近中であるととっくの昔に知っているから誰も騒がないが、狗番や奴隷達は驚き警戒する。

 荒猪(あらじし)だった。平原に住む草食動物で体長は1.8メートル程の精悍で引き締まった姿の猪である。全身に剛毛が生えていてなかなか弓矢も受け付けず、狩りをすれば逆襲されて誰か一人は死ぬというなかなかの猛獣だ。狩ったところで肉は臭くアクが出て、とても食べられない。迷惑の代名詞とも呼ぶべきそれが15頭も居た。遠くから水の臭いを嗅ぎつけて来たのだろう。
 狗番や剣令が弓を構えて威嚇するが、平気で近寄って来る。奴隷達は関り合いを怖れてわらわらと逃げ散る。まったくこれが戦争に来た兵の姿かと思うと情けない。

 ふと見ると、前後のギィール神族が丹ベアムに合図を送って来る。最年少神族はここでも雑用を押し付けられてしまう。あまり接近されると事故が起こるから、ゲイルで荒猪を追い散らせと言うのだ。
 ベアムは仕方なしに立ち上がり、自分に日陰を作ってくれていたゲイルに命令する。全長15メートル高さ4メートルの巨蟲はがらんがらんと肢を鳴らしながらゆっくりと向きを換え、穏やかに進んで行く。

 いかに荒っぽい獣とはいえ、ゲイルに抗すものはさすがに無い。ととっと走って距離を取り恨めしそうに水飲み場を見る。ベアムは少しゲイルを走らせて、荒猪を追わせた。ようやくに草原の彼方に去って行く。

「なんとものどかな話だな。」

 いつの間にか近付いていた兄のイルドラ泰ヒスガパンが妹に話し掛ける。トラブルが起こってないか様子を見に来たのだ。彼の後ろにはスガッタ教の武装僧侶ジムシが居る。いけすかない、陰気で枯れ枝に似た細い手足の、それでいて武術の達人であるこの男を丹ベアムはまったく好きではない。

「兄上。」

「我らだけで協議したのだが、ベイスラも人数が多過ぎる。もう少し南に寄ろうと考えたが、どうだ。」
「エイベントの方面ですか。あそこに砦があるのですか?」
「雁ジジ殿の話だと、崩れかけた旧い砦が一応はある。物好きな寇掠軍が3年に一度は南に行くので、使えなくもない、という事だ。」
「補給はどうなります。運河が通じていないと、この暑さではたちまち干上がってしまいます。」
「大丈夫だ。枯れては居たが運河はある。水を流す事も可能らしい。5隊ほどを募って運河を通じさせ、南の端からベイスラを襲ってみるという作戦だ。」

「私には異存はありません。上将と兄上に従いましょう。ですが、ここを中継基地としてとりあえずの物資を確保してからでないと。」
「勿論だ。既に使いの者を出している。」

 

 

 三日後の夜、『ウェク・ウルーピン・バンバレバ』は南へと向かう旅路にあった。
 先遣隊として、彼らを含む三隊が別々のルートで同じ砦を目指す。別々なのは、最近は誰も通っていないこの近辺の様子を調査する必要があった為で、毒地を襲った地震により旧い遺跡が幾つか破損しているのを確認した。

「兄上、道標がありました。」
「うむ、千年前の街の跡だ。ジムシよ、よくぞ見つけた。御前が言うとおりの場所に、なるほど標はある。」

 『ウェク・ウルーピン・バンバレバ』は、スガッタ僧ジムシの案内で進んでいた。博識ではあるものの毒地南部になど来た事が無い彼が、かくも容易く古代の道標を見出す事が出来るのは、修行による覚醒の成果なのだろうか。

「イルドラ殿さま、私がこれらの在りかを見出せるのは、天然の道標に従っているからです。地下を流れる力の脈動を測り、その流れる先を進めば自ずとこれらに突き当たるのです。」
「馬鹿を言え。我らの聖蟲ではそのような力はまるで感知しないぞ。」

 丹ベアムが声を上げる。どうも、ジムシは神懸っていて虫酸が走る。幽霊を見たり、天変地異の兆しを見たり、今度は力の脈動と来た。非科学的なものには徹底的な拒絶をするのが神族としての当然の倣いだから、遠慮容赦なくジムシを問い詰める。

 しかし泰ヒスガパンはゲイルの背の上から妹を制止した。なにやら前方に集中して、月光の下青く照らされる不毛の土地を眺めている。
 兄に倣ってベアムも先に視線を向ける。額の黄金のゲジゲジがぴくぴくと二股の尻尾を動かし神秘の能力で地の下までをも見通し、ベアムの脳に情報を送り込む。

「気付いたか、ベアムよ。」
「はい兄上。この先に、空洞が、地面が陥没しています。」

 2キロほど進んだ街の遺跡の中心に、三角形の陥没が出来ているのが確認された。地下にはかなり大きな空洞があり、内部には人工物の姿が見受けられる。
 上将であるガブダン雁ジジは隊列を止め、神族は皆ゲイルの背から下りて来た。神族は皆好奇心が旺盛であるから、珍しいもの常では見られないものには必ず首を突っ込んでみる。

 陥没の縁にまで神族のキシャチャベラ麗チェイエィが身を乗り出して、下を窺う。
 彼女は25歳の妖艶な美女で泰ヒスガパンにしきりと誘惑の魔の手を伸ばして、丹ベアムをやきもきするのを楽しんでいた。これでも二人の子持ちで、色々と話をしてみるとよく子供たちの事を語り、印象とは異なり結構家庭的な側面があるのだと、ベアムに人の性の不思議を思わせる。

 月明かりでは影が落ちて陥没の底は見づらいが、聖蟲の眼を借りているので新月の闇でも支障は無い。モノの輪郭や素材の感触、有害物や仕掛けの有無は感知出来るが、色や臭いは分からない。
 踏み込み過ぎて足元ががらと崩れる。麗チェイエィは無造作にひょいと飛びのいて、ぽんぽんと飛び石伝いに戻って来る。

「神聖金雷蜒王国末期の建築物で、その後も長く使われていた形跡がある。青銅の大きな器、おそらくは鼎が据えられている。これはもしや、」
「人喰い教徒共の地下神殿ではございませぬか?」

 話の腰をジムシに折られて、麗チェイエィはむっとした。気まぐれな神族ならば今の一言で彼の首を刎ねていてもおかしくない。丹ベアムは狗番に首を振って咎めさせた。

「ジムシ殿、お尋ねがあるまでは口を挟むのは控えられませい。」
「出過ぎた真似を致しました。」
 ジムシはその場に跪いて謝罪する。麗チェイエィは機嫌を戻して、話を続ける。

「確かに人喰い教徒の神殿ではある。人骨も多数確認した。が、それですら表層に過ぎない。更に地下深くに続いており妙な感触がある。だからこそここが聖地とされたのだろう。」

 6人の神族は互いに顔を見合わせた。下に潜ってみるつもりだが、本来寇掠軍には無用なその行為が許されるか、年配の上将に尋ねる。

 雁ジジは明快に答えた。
「気になるものを放っておいては、後々心残りとなろう。地震の影響で内部が崩壊しやすくなっている可能性がある。二人、だな。」

 その言葉を合図に、神族達は皆一斉に右手を拳に握り、振り上げる。

「テュー・ギィ・ピィク、ア、ボン!」

 十二神方台系に伝わるじゃんけん、だ。紅曙蛸(テューク)、金雷蜒(ギィール)、白穰鼡(ピクリン)の三すくみというのは変わらぬが、もう一つ黒冥蝠(バンボ)の手があり、これを出すと勝負に下りた事になる。近年は白穰鼡(ピクリン)の代りに褐甲角(クワアット)が入っているものが庶民の間では用いられる。

 上将である雁ジジは下りた。残り5人でじゃんけんを続ける。最初に泰ヒスガパンが負け、さらに三度続いて女二人、丹ベアムと麗チェイエィが調査隊に決まった。

「ゲイルは下ろすわけにはいかんぞ。重過ぎて足場を崩す。」
「狗番と、ジムシだけでよいか。」

「恐れながら、」
と、ジムシが口を挟む。二人の神族の女性は顔を見合わせ、麗チェイエィが応じた。

「なにか?」
「蝉蛾巫女をお連れ下さい。」
「何故だ。」

 蝉蛾巫女エローアは雁ジジのゲイルに乗っている。毒地の毒が無くなったからには風の案内は要らないのだが、ジムシの進言で彼女を傭兵市で雇って連れている。
 雁ジジが手を差し伸べゲイルの背を下げさせ、エローアを地面に下ろす。彼女はなにが起きたのかまったく分からず、当惑していた。

「蝉蛾巫女は風を読む者でございますので、空気の通り道を知るに必要かと。」
「くだらぬ。我らにそれが叶わぬと思うか。」

「ジムシよ。真を言え。隠している事があるのだろう。私の目は欺けぬぞ。」
 雁ジジが右手にエローアを抱いて、ジムシを問い質す。ジムシは再び頭を下げて、上将に答えた。

「恐れ入りましてございます。」
「エローアには風を読む才だけでなく、おまえの言うに似た力がある。金雷蜒の神族をなめるでない。」
「お許しくださいませ。」

 ゲジゲジ神官巫女の本職は、憑き物落としである。精神病患者に対して「蟲払い」を行い正常に戻すのが古来より定められる使命だ。ゲジゲジを額に戴く神族にもその能力は要求され、また実際見事に行っていた。聖蟲の神威によって物狂いから解放された話は枚挙に暇が無い。
 雁ジジは手元にエローアを置いて、彼女の資質を知った。霊媒体質に近いものを備えているが、蝉蛾巫女の修行でそれをも克服している。歌う事で忘我の状態に陥っても乱れぬ心得は出来ていた。

「エローアよ、行ってくれるか。」
「御意のままに。」
「ジムシよ、彼女の身の安全はおまえが守るのだ。」
「ははっ。」

 

 丹ベアムと麗チェイエィは4人の狗番と3人の剣匠、スガッタ僧ジムシ、それに蝉蛾巫女エローアを連れて陥没の中を下って行った。
 上から見える人喰い教団の地下神殿には綱を用いずとも下りて行ける。まずは灯が無くとも様子が分かる丹ベアムが斥候として降り、危険が無いと確かめて狗番剣令を降ろさせた。彼らは腹にろうそくを使ったがんどうをぶら下げている。日本の江戸時代に使われたものと似ているが、中に金属鏡があり、前面に風よけやシャッターがあるなど相当な工夫が施されている。夜襲を掛ける際の必需品だ。
 最後に麗チェイエィとエローアがジムシの案内で降りるはずだったが、さすがに蝉蛾巫女はこのような危険な場所ではうまく立ち回れない。ジムシがおぶって行くと言うのを、麗チェイエィが布袋みたいにエローアを担いでひょいひょいと降りて行く。身長2メートルの神族は女性であっても並の男よりずっと力がある。

 麗チェイエィはジムシに言った。

「おまえは先手を務め、穴の底に降りよ。」
「は。」

 剣匠達が地下神殿の内部を確かめる。かっては人間を煮るのに使われていた巨大な青銅の鼎は、今は黒ずんだ風呂桶にしか見えない。部屋の隅には人骨が散乱していかにも人食い教徒の住みかにふさわしいが、死因は儀式のせいでは無いようだ。

「この者達は武装しております。ですが、争ったようでもありません。」

 狗番の報告に丹ベアムは頷いた。この地下神殿は建築こそ神聖金雷蜒王国晩期だが、内装や調度類にはそれから200年程は使われていた様子が見て取れる。

「この街を毒で封鎖する際に、地下の者は何も知らされていなかった、という事だろう。殺人鬼とはいえ哀れな最期だ。」

 最後に降りた麗チェイエィらが寄って来て、ジムシは早速に地底深くにまで続く大穴を覗き込む。エローアは暗い空間を恐ろしげに眺め回した。麗チェイエィの狗番が報告する。

「主よ、多少なりと黄金の品がございますが、いかが致しましょう。」
「捨て置け。文書があれば報告せよ。」

「麗チェイエィさま、丹ベアムさま、大穴の側にお出で下さい。」

 ジムシが神族の二人を呼ぶ。大穴は祭壇とは隔離され、低い柵が設けられていた。おそらくはここから先は高位の神官でもないと近づけなかったのだろう。

「何か見つけたか?」
「もしやとは思いましたが、この穴は自然に穿たれたものでは無いようです。」
「人の手に依るものか。」
「そうではなく、上から巨大な錐を刺したかのように真っ直ぐに真円の筒となっております。」

「面白い。それではまるで、古伝に聞くギジジットの神聖宮のようではないか。」
 と麗チェイエィは言い、丹ベアムも同意する。王姉妹が支配する神聖神殿都市ギジジットは、その中心となる宮殿に巨大な金雷蜒神が巣食う穴が開いていると伝えられる。

 念の為に聖蟲の知覚で穴を調べてみるが、底が分からない。知覚への妨害は無く澄み切っているが感触が得られない。この情報が正しいとすれば、穴の深さは7キロを越えるはずだ。

「よろしいでしょうか。」
 ジムシは尋ねる。十二神に直接由来する遺跡であれば、神族の許可無く手を触れる事は許されない。
 丹ベアムは言った。

「おまえは、この穴を降りられる所まで降りてみよ。一人で行き、危険が無ければ呼ぶがよい。」
「は。御指図のままに。」

 剣匠達ががんどうで照らす中、ジムシは一人で穴を降りて行った。

 穴の直径は20メートル、深さは見当も着かない。岩で出来ているのではなく、骨のような質感のプレートが何層も積み重なっては柱があり、また層が続くという繰り返しになっている。タコリティの円湾でタコ化石の採掘現場を見た者ならば、似ていると言っただろう。

 ジムシは綱をたくみに使い、栗鼠のようにするすると降りて行く。あっという間にがんどうの光が届かぬ距離まで降りた。ただ、彼の息づかいの音だけが穴に反響して上がって来て、下で小さく揺れる灯がちらちらと彼の姿を垣間見せる。
 だがそれも30メートルほど下った所で終った。闇の中からジムシが声を上げ、謝罪する。

「申し訳ありません。これ以上は無理と存じます。」
「下は更にどのくらいの深さがある。」
「降りた分の倍は確実にございます。」

 互いの声が穴にこだまして届くまでの遅延時間を埋める。その声の響きに、エローアが気付いた。

「この穴は、特定の音に特によく反響するようです。」
「響き、か。どうだろう、穴を掘った者が意図しての事だろうか。」
「エローア、どの音か分かるか?」
「やってみます。」

 エローアは発声練習を繰り返し、様々な高さの声を響かせた。女性としては低い音が、一番よく反響するように思われる。
 意を決し本腰を入れて声を響かせると、ぶおーんと地下神殿全体の空気が揺れ、巨大な縦穴が鳴動する。エローアは狼狽して丹ベアムに抱きついた。

「姫さま、止りません。響きが止りません。」
「これは反響ではなく、穴自らが震えているのだ。!、麗チェイエィどの、何をする?!」

 狗番達が止めるのを振り切って、麗チェイエィは穴のすぐ側に立つ。今や鳴動は全身を揺さぶる巨大な力となり穴の底へと誘わんとするが、彼女は敢然と立ち向かう。
 ぱがあぁーーんと空気が炸裂し、耳をつんざく轟音が穴の振動を凌駕した。麗チェイエィの聖蟲が赤い光条を、「金雷蜒の雷」を奥底へと発したのだ。さすがに鳴動は止み、やがて無気味なまでの静寂が戻って来た。

「・・・・暗い。」
「がんどうをこちらへ。そうだ、月明かりはどうして差して来ない?」

 彼女らはいつの間にか、高い円天井の岩掘りの部屋に移動していた。出口は無く、変わらぬのは目の前の穴だけだ。
 狗番と剣匠が持っていたがんどうで、天井を照らす。きらきらと細かい反射から、何枚もの小さな鏡の集合体で天井が構成されていると思われる。

「巨大な凹面鏡だ。光を反射して、中に、なにか、・・・・人の姿か?」
「きゃあ!」
「うわあああ。」

 エローアも剣匠も叫ぶ。宙に何やら形が現われた。陽炎のように歪んで浮き上がった光の帯は、やがてはっきりとした姿に結像した。
 それは多分、人だ。背は高く身体は細く頭は丸く角が有り、女人の優しげな曲線に筒をのばした不思議な服をまとっていた。腕にも脚にも筒をはめ、可動人形の不自然な関節の繋ぎ方をする。彼女は異形の怪物とつかみ合う姿で凍りついていた。何本もの触手が絡み付く所から、格闘をしている風にも見える。

「あれはテューク(蛸)か? ならば、女の姿をしたこの者は・・・・」

 エローアが急に声を上げる。全身が硬直し手がぶるぶると震え首に見えない枷があるようにもがく。振り返るその顔には苦悶に耐える表情が浮かんでいた。

『・・・わ、わら、妾の演算を妨害する事は許されぬ。』
「エローアどうした。何を口走る。」

 狗番と剣匠がエローアの前に列を作り、神族の二人を守ろうとする。エローアは虚空に歩み出て、穴の中心にまでそのまま進み、光の像の下に浮かぶ。

『我が名はぴるまるれれこ。この空間膨張率は現時空にあってはならないものだ。我を呼び出せし者よ、諸元歪曲を元に戻すが良い。さもなくば再帰的構築を、』
「そなたは神か、神を殺す神か。」
『我はアプルゲア論理基準に従い深宇宙を渡り、自らに抗する結晶化循環体系に同則融合する者。NINGENNの造りし自律回路素形よ、物理効力を留めよ。構築則の挿入を受入れよ。』

 空気が揺らめき岩壁の実景を覆い隠し、いつしか蜃気楼に似たおぼろげさで面妖なる器物の並ぶ光景を再現する。穴の縁を囲んで知らない記号が幾つも宙空に表示され、空気が脈動し何人もの異人の声が虚空のそこかしこから漏れて来る。
 狗番も剣令もただ驚き怖れ、刀を前に突き出すだけだ。主である神族にさえどうにも出来ぬものを、彼らがどうして耐え得ようか。

『GOCHUMONHAIJOUDEGOZAIMASUKA,O-DA-HAIRIMASU,KABECHORONTEISHOK-FUTATU,MA-BO-TENSNDON,TORINANNBANN,SUPEISU-GURANDOBA-GA-HITOTUZUTU』
『KONOTABIHASUPEISUAKEMI−KANNKOUWOGORIYOUITADAKI,ARIGATO−GOZAIMASU.TOUKINOANNAIGAKARIWOTUTOMEMASUHA−WATAKUSHI,PIRUMARUREREKO DE GOZAIMASUU..』

「留まられよ。我らはそなたと関り無き者。テュークの意志とは無縁である。攻撃はやめよ。」
「神なる身ならば眼開きて状況を確かめられよ。我らは敵にあらず、神域に迷い込んだのみ。寛恕されよ。」

 甲高い声で奇妙な言葉を叫び続けるエローアに、神族の二人は呼び続ける。彼女を通さねばこの場を支配する存在と交渉が出来ないとは分かるが、どうにもならない。
 だが丹ベアムはもう一つの可能性に気が付いた。試してみる価値はあるはずだ。

「音だ! 先程エローアが歌った声をもう一度この穴に響かせれば、あるいは反応があるかも知れない。」
「う、うむ。聖蟲の雷を使うのは、この状況ではかなり危険だ。それでいこう。」

 いざとなったら歌も上手いのが、ギィール神族だ。先程のエローアの音程に合わせて、穴に声を響かせる。果たしてやはり大きく反響して空間全体を揺り動かせ、宙空の幻が振動し像を乱す。

「あ、姫さま、声が途絶えました。」
と、エローアが突然普通に喋り出した。何者かの支配から解放されたのだろう。が、彼女が立っている場所は、穴の中心だ。

 危ないと思う間も無く、エローアは穴に落っこちた。その動きに引かれるように空洞全体の空気が縦穴に殺到し、その場に居た全ての者を容赦なく呑み込んだ。

 

 

 気付いた時は闇の中だった。灯は無いが、聖蟲を持つ丹ベアムには全員が無事揃っていると分かる。周囲を聖蟲の知覚で調べると、天井の低い隧道の中間のようだった。やはり神聖金雷蜒王国晩期の様式で穿たれており、前後に長く延びている。

「麗チェイエィどの、御無事か。」
「身体には異常は無いが、ここはどこだ。位置が特定出来ない。」
「私も同じだが、この隧道を通れば外に出られると思う。」
「同意する。狗番どもよ、起きよ。がんどうに火を点け灯を戻せ。」

「我が主よ、この暗さではそれは無理です。」
「仕方のない。」

と、麗チェイエィは兜を脱いだ。黄金の兜から姿を見せたゲジゲジの聖蟲は、自ら光輝いて、隧道内をわずかに照らした。その灯の中で狗番達は火を熾しがんどうの蝋燭を燈した。

 丹ベアムは隧道の先を確かめようとする。何者かに聖蟲の知覚が妨害され感度が鈍り、かろうじて100メートル先を知るのが限界だ。だが方位は分かる。

「西、だな。わずかに上り坂になっているから、間違いなく外に出るものだ。」
「西か。遺跡から離れるが、仕方ないな。もう一度戻る気は無い。」
「どのくらいあそこから離れたのだろう。さほど遠くはないようだが、」

「我が主よ。一人足りませぬ。ジムシの姿がございません。」
「放っておけ。生きていれば自分でなんとかしようし、死んでいれば助けは要るまい。」
「は。」

 彼女達は3時間歩き続けた。青く光る怪しいなめくじを踏んづけ、道を塞ぐぼろぼろのキノコを取り払い、湧き水に足を滑らせ、蝋燭も尽き聖蟲のわずかな灯のみを頼りにひたすら進み、遂に月の青い光が漏れ射す小部屋に出た。5メートル程の高さがある石造りの地下室で天窓に手は届かないが、この程度なら剣匠は容易によじ登り綱を下ろして皆を外に出す。
 出た場所はやはり旧い遺跡で水悉蚓(ミストゥアゥル)神殿跡と思われた。地面の上の新鮮な空気を思いっきり吸い込み、皆その場に脚を投げ出して休む。思わず笑いが零れた。

「ははは。それにしても、あれは何だったのだろう。」
「エローア、なにか覚えているか。」
「申し訳ございません。あの時私は声だけを発するカラクリとして、心とは別に喋り続けておりました。」
「うむ。おまえが悪いのではない。」

 狗番が遠くを望み、何者かが灯を提げて近付いてくるのを発見した。

「我が主よ、御味方が迎えに来たのかもしれません。」
「おお。今は聖蟲が目を回していて、よく分からぬのだ。誰か先に出てゲイルを寄越してもらえ。」
「はっ。」

 剣匠が一人立って、灯の方に歩いて行く。考えてみれば今夜は眠る暇が無かった。一心地ついたら明け方まで暫く寝よう。

 迎えを呼びに行った筈の剣匠が走って帰って来る。随分と元気が残っているなと感心するが、月灯の陰で見えない顔はかなり必死な様子だ。
 麗チェイエィは、分からない奴が馬鹿なのだと言わんばかりの風情で、言う。さっきまで自分も失念していたのに。

「我らは隧道を西に歩き、西から来る灯を迎えに行ったのだから、あれはな。」

「麗チェイエィさま、丹ベアムさま、たいへんです! 神兵が、黒甲枝の哨戒隊です!!」
「あー、やっぱりね。」

 

 

 こうしてイルドラ丹ベアムは一風変わった初陣を済ませた。わずかな人数で月明かりの下、二人の黒甲枝とクワアット兵の小隊から逃げ回り、やっとの事で『ウェク・ウルーピン・バンバレバ』の本隊と合流したのは既に明け方近く。誰も怪我をしなかったのが不思議なほどだ。

 倒れかかり兄の泰ヒスガパンに抱きしめられて、ようやく丹ベアムは安堵する。疲れたというよりも、やっと自分の脳が受入れ可能な現実世界に戻れた喜びが大きかった。

「幸いにしてジムシは一人で這い上がって来たが、あの後遺跡の陥没は突然の地割れで埋まってしまった。心配したぞ。」
「一体何事が起ったのですか。我々はどうなったのです。」

「ジムシの話だと、おまえたちはいきなり穴に呑み込まれ、また吐き出されたと言う。飛び出した勢いで遺跡を破壊したのだ。」
「それほどの力が働いたとは、まるで気付きませんでした。」

 丹ベアムは自分のゲイルの背に戻り、隊列は当初の目的である砦の方角へ向かった。
 心が落ち着き状況を冷静に整理確認すると、いつのまにか記憶が薄らいでいるのに気が付いた。さきほどまでの体験がまるで物語を読むように現実感が無く、細部が欠落し雑多な想像が混入してどれが正しい記憶かさだかではなくなっている。
 兄が遺跡の中で何が起きたのか尋ねるが、うまく説明出来ない。連れて行った狗番や剣令、エローアや神族である麗チェイエィでさえ同じく、語る言葉に窮している。

 

「たしかな事は、たぶん、・・・ガモウヤヨイチャンが関係して、いた、と。」

 

 

第十一章 聖戦に沸く武王の都は、今日もいいお天気

 

 前線では本格的な戦闘が激しさを増す中、ヒッポドス弓レアルはカプタニア王宮内庭に住む黒甲枝カロアル家を訪ねていた。

 現在カロアル家で聖蟲を戴く当主のカロアル羅ウシィはもちろん、弓レアルの夫となる軌バイジャン、さらには妹の斧ロアランまでもが王都を離れてそれぞれの務めを果たしている。一人残された義母を慰めるのは嫁になる者の務めと心得て、弓レアルは最近足しげく婚家へ通っている。

 義母は名をカロアル・ガラ讃フィリアムといい、黒甲枝ガラ家の出身だ。黒甲枝同士の姻戚関係というのは意外と少なく、普通は市中から富豪や農民議会の長といった民間有力者の娘を、あるいは城中に勤める侍女やカタツムリ巫女などを妻とする。聖蟲の継承は世襲ではあるが血縁関係を固めて貴族化するのを避けており、元老院金翅幹家の在り様と意識的に隔絶している。
 黒甲枝同士の結婚は幼なじみの関係でそのまま、という例が多い。任務で僻地に飛ばされて狭い人間関係の中で家族同士が仲良くなり、成長した時には当人同士がすっかりその気になっていて、親の言うことは聞かないものだ。

「ではお義母さまもそのようにして結ばれたのですね。」

 弓レアルは友人のトゥマル・アルエルシィと共に、カロアル家の中庭でヤムナム茶を御馳走になっていた。

「ええ、二人ともグテに飛ばされて、これから先どうしようかと途方に暮れていたのよ。」

「グテ、ですか?」
「ええ。方台の角のエイクロアン・グテね。本当になにも無い所なの。」

 アルエルシィのかなり失礼な質問にも、讃フィリアムはにこやかに答える。44歳の彼女にとっては娘の斧ロアランが帰って来たようで、物を知らないアルエルシィにも楽しげに接している。だが、グテの名を聞いたアルエルシィは茶を噴き出しそうになる程の衝撃を受けた。

 グテとは、山と海とに挟まれた海岸地帯を意味し、耕作には向かずさりとて漁撈で暮らすにも波が荒れてなかなか舟を出せない、人が住むにはまったく向いていない土地である。十二神方台系の西南隅はトロシャンテの森林地帯に挟まれてすべてこういう地形である。人はほとんど住んでいないが、東西金雷蜒王国の密貿易船や海賊が寄港するので褐甲角軍の警備隊が常駐する。要するにとんでもない僻地で、若手の黒甲枝が聖戴すると最初の任地としてこういう場所にまま飛ばされる。

 黒甲枝と結婚すれば、一緒にグテに行かねばならない事もあるわけだ。アルエルシィは弓レアルの顔を見るが、二つ上の友人はそんな懸念を微塵とも感じさせない穏やかな表情で会話を続けている。黒甲枝の従僕の家に生まれたハギット女史を家庭教師に雇う弓レアルは、そんな話は嫌という程聞いていた。

 讃フィリアムはアルエルシィの様子に、彼女が黒甲枝の生活についてほとんど何も知らないと気が付いた。道理で家の門をくぐった時からきょろきょろと周囲を見回すはずだ。

「アルエルシィさん、あなたは黒甲枝の家に御嫁入りする事がどういう意味を持つか、御存知無いのですね。」
「え? あ、はい。父はどのようにも手を尽して私を黒甲枝に嫁がせるつもりですが、父自身がほとんど知らないので、申し訳ありません。」

「そうですねえ。だいたい黒甲枝は裕福と言えるほどにはお金がありませんから。あなたが見た通りに家もこのように手狭ですし、召し使いも一家族しか居ません。」
「はあ。」

 手狭なんてものではない。粘土の壁の倉庫かな、と思った所の扉を開けるといきなり家の中だった。みずぼらしくはないが質素というには殺風景過ぎて、壁面に据えられた武具でさえ華やかに見える程飾り気が無い。内部はそれこそ櫓となって狭い建坪を有効に使う3階建てにも関らず、中庭がちゃんとあるのが不自然だ。弓レアルに指摘すると、
「火事になった時に水が無いと困るじゃない。」
と平然と返された。天水桶があるから、中庭が必要なのだ。

「レアルさんは黒甲枝について御詳しいのね。」
「ええ。親戚が嫁いでいますから、何度も内庭には遊びに来た事があります。アルエルシィ、後で闘技場も見に行きましょう。」
「闘技場?」
「内庭の地下には倉庫と一緒に闘技場があって、神兵同士が真剣で武芸の稽古をするのです。凄くかっこいいんだから。」

「闘技場は女だけでは行けませんよ。でも今は陛下の御親征に従って皆出掛けたから、誰も居ないのではないかしら。」
「はあ。」

 正直アルエルシィにはついていけない。武術の話でにこにことしている母と同年代の女性に、浮き世離れした神殿の巫女と同じものを感じてしまう。

「あの。やはり黒甲枝の家に御嫁入りするとなれば、武術の一つくらい覚えなければいけないんでしょうか。」

 意を決して尋ねてみるが、讃フィリアムも弓レアルも目をぱちくりとしている。弓レアルが言った。

「武術は素質と体力、なにより練習が一番ですよ。そう簡単に習い覚えられるものじゃありません。」
「それはそうなんですが。」

「全然関係ありません。丈夫な赤ちゃんが産めればそれで十分です。黒甲枝の家に生まれれば武術はご飯を食べるのと同じように習い覚えますが、外から来た人にまで戦わせようとは思いませんよ。」
「そうです、か。ええ、そうですよね、あは、付け焼き刃でやっても仕方ないですね。はは、」

「でも私はやってます。」
「え、そうなの。」
「単棒と小刀術ですが、10年やっても全然強くならないんです。」

「武術は用を覚えない人にはなかなか上達を見られません。レアルさんは危ないと思うような目には遇った事が無いでしょう。」
「お義母様は武術が必要な体験をなさった事がございますか。」
「ええ、密貿易の水夫達が・・・・。」

 アルエルシィはとりあえず、家に帰ったら早速武術の家庭教師を手配しようと決めた。弓レアルがこれほどまでに周到に準備を整えていたと知っては、自分もやらざるを得ない。と同時に、父の居るトゥマル商会本店に乗り込んで、商売拡張の為に黒甲枝に嫁がせようとする安易な態度を猛烈に懲らしめると決意する。結婚は一世一代の博打には違いないだろうが、そんな次元を越えた困難さがあるではないか。

 

「あの!」

 アルエルシィは讃フィリアムの武勇談の腰を折った。戦の話は所詮女には意味が無いのだから、それよりも黒甲枝の生活の実情を教えて欲しい、と正直に願う。
 彼女が一応は黒甲枝との縁談を望んでいる、と知らされていたので、讃フィリアムはかいつまんで黒甲枝の結婚生活を説明してくれた。一般庶民にとっては神秘的な支配者である黒甲枝だが、その内実を知ってアルエルシィは腰を抜かす。

 まず基本的に、黒甲枝は貧乏だ。支配階級であるにも関らず、まったく富貴とは縁が無い。大剣令であり地方の中核都市ノゲ・ベイスラの防衛司令官であるカロアル家で年の俸給が100金に過ぎない、というところで早くもアルエルシィは目を回した。一般庶民の家の年収が10金程度であるからそれなりにもらっていると言えなくもないが、アルエルシィはお小遣いで年にその倍は使っている。

 その俸給の中から、まず従僕の家族を養わねばならない。最低でニ家族、本宅と赴任地とでそれぞれに召し使うから単純計算で20金は軽く吹っ飛ぶ。更に彼らも兵であるから、武具も雇い主である黒甲枝が購わねばならない。傷病を得た場合には無論治療費も、再起不能ともなれば一生の面倒もみなければならない。任務にある時はクワアット兵の従卒が軍からあてがわれるが、彼らをタダで使う訳にもいかない。黒甲枝がこの有り様だからクワアット兵の俸給も最低限度に抑えられ、従卒が妻帯者だったりすれば生活を支える為になにかと面倒を見る。無論その他の部下に対しても。もっとも、クワアット兵は出身の町村で後に邑兵隊長として篤く遇されるから、さほど深刻に考えなくてもよい。

 なによりカネが掛かるのが、重甲冑の整備だ。黒甲枝のステータスシンボルである重甲冑はまったくの実用品であるから、使用すれば普通に破損する。通常の工匠には手も出せない高度な技術を用いている為、王国が用意した専門の工房に修理を持ち込み費用も補助されるのだが、完全にタダとはいかない。鉄弓も大剣も使えば壊れるし予備も必要だ。どれも貸与されるものだが、整備は各家が負担しなければならない。消耗品も自前で購入しなければならないが、市販品が無い神兵専用の品だからやはりかなりの値段になる。儀式の時の礼装甲冑も普段用いる賜軍衣にも、それなりの費用が発生する。聖蟲を戴き王国の威勢を体現する黒甲枝には零落する自由も無く、常に容儀を一定の水準に保たねばならない。

 加えて教育に費用がかさむ。単純な戦士に留まらず、民政にも携わり法を執行する衛視にもなる黒甲枝は無学では許されず、幼少より十分な教育を施されている。男子は10歳から兵学校に入り全寮制で鍛えられるが、それまでに可能な限りの教養は身に着けさせておく。また身体的に軍務に耐えられない者でも官僚として王国に貢献する道があるから、男女を問わず黒甲枝の家に生まれた者は勉学を生涯続ける事を義務付けられている。
 教師は通常、親戚や近所の黒甲枝の家族、従僕の家族で勉学を好む者だ。専門の家庭教師という手もあるが、いずれにしろそれなりの費用はやはり掛かる。高度な専門教育は私塾に通う事になるが、これは王家や豪商らが援助しているので無料だ。しかしそれ故に入塾者の選考は厳しく、必要な学力を身に着けるのにやはり初期費用がかさんでしまう。

 俗に「黒甲枝は矢には耐えても書に転ぶ」と言い、教育関連費に窮して破産状態になる事も少なくない。王国としてはそのような不名誉を看過出来ないから、負債を引き受ける代償として10年という長期に渡ってグテ等の僻地への赴任を命じている。
 つまりは、ガラ家はそのようにしてグテに過ごし、讃フィリアムはカロアル羅ウシィと出会ったわけだ。

 

「アルエルシィ、どうしたの?」

と、能天気に弓レアルが尋ねる。アルエルシィは彼女が、実家の経済規模に反して割と質素にしているのを長年不審に思っていたが、今ようやくに納得した。彼女は最初から黒甲枝の嫁になる為に物欲しがりしない体質に躾られていたのだ。

「あの、でも、その、大変ですね。今頃ヌケミンドルの最前線では大激戦が行われているわけですけれど、おかあさまにはそのあたりの御知らせとかはございますか。」

 場を繋ぐ為に強引に話題を転換する。よくよく考えてみると、このように呑気にヤムナム茶を啜っていられる状況ではないと思えるのだが、黒甲枝の妻はどう耐えているのだろう。

「それが全然なんにも入って来ないのです。留守の家に心配を懸けまいと、どこの家でもそんな話は露ほども伝えて来ないのですよ。私の所にはレアルさんからのお手紙が一番詳しくて。ロアランが今デュータム点に居るのも、レアルさんに聞かなければ私、まったく分からなかったの。」
「・・そういうものですか。」
「心配しても、矢は当たる時には当たるのです。留守をしっかりと護り、王宮から望まれる奉仕をちゃんとこなしていれば、それで十分。」

 内心はどうかは分からない。だが、勇者の妻、母となる人にはこれくらいの鷹揚さが無いと神経が参ってしまうのだろう。

 

 完全な敗北感を引きずって、アルエルシィはカロアル家を後にした。弓レアルが送って行くと言ったのだが遠慮してそのまま留まるように勧め、代りにカロアル家の従僕に城門までの案内を頼んだ。現在は各所での検問が厳しく、黒甲枝の関係者でないとなかなかに出入りも困難である。
 50代も半ばを過ぎた、十二神方台系では十分に年寄りな従僕にアルエルシィは道すがら話を聞いた。敵の侵入を拒む狭く曲がりくねった泥壁の通路を通り抜けながら、彼はカロアル邸では聞けない真実を語ってくれた。

「これまではロアラン様も御館にいらっしゃり、すぐ手の届く兵学校と近衛にバイジャン様もいらっしゃったので御寂しくは無かったのですが、今はもうどなた様も御役目によって散り散りばらばらになって、奥様は落胆されているのです。」
「やっぱり! そうですよね、いくら黒甲枝に生まれたからと言って、人の情までは変わらないですよね。」
「ええ。旦那様、若様、お嬢様の御無事を毎日褐甲角神にお祈りしています。ですが、心配なさる御様子を我ら従僕に見せる事も良しとはなさらないのです。」
「そうすべきではないのね?」
「心得ではそうなっております。情に心を惑わせて家を揺るがすはもっての外と。でも我らは何代にも渡って家に仕える者ですから、多少はご心配なさる御姿を見せて頂いた方が嬉しいのですよ。」

 彼の後ろ姿を観察しながら、アルエルシィは質問を続ける。年寄りなのに意外と足が早く、彼女と彼女の二人の護衛は追いかけるのに苦労する。長年に渡り黒甲枝に仕え戦場を往来して来た古強者で、背中の線が普通人とは異なりなんとなく四角い人だった。

「ヒッポドス弓レアルさまを、あなたはどう思います。あの方は黒甲枝の奥方として必要な全てを持っていらっしゃるのかしら。」
「なかなかに答えにくい事をお尋ねになる。ですが、これまでお言葉を掛けて頂いた中には、やっぱりと納得させられる良いものもございますよ。」
「あの方は外から嫁がれる人の中では、特別な部類に入るの?」
「あれ程のお金持ちはたしかにそうそうございませんし、金雷蜒王国の廷臣の裔と聞きますし、まずはめでたいかと。無論、より重い役目を仰せつけられた御家にはもっと高い地位の方が御輿入れなさいます。そうですね、弓レアル様はそのような御家に輿入れなさる方としては、普通ではないかと。」

「ではカロアル家では、あの方で釣り合いはちょうどいい、という事かしら。」
「旦那様がなにやら御昇進なさるようで、そうなれば御家の格も上がりますから、弓レアル様の御家ともちょうど良くおなりではないでしょうか。ハハ、従僕としてはしゃべり過ぎましたか。」

 あとはにこにことするだけで、アルエルシィの問いには答えてくれなくなった。

 彼女はそのまま考える。つまりは、ヒッポドス家では婿となる人だけでなく、現在の当主の将来性についても十分吟味して弓レアルの嫁ぎ先を決めたのだ。黒甲枝ならば誰でも良いというわけではない。それに対して自分は未だ権力機構の端にしがみ付く岩場を手探りしているに過ぎない。二代三代に渡る長期的な視野に基づいて、現在のトゥマル家の格式で可能な相手から始めないと成功はあり得ない、という事か。かなり位階が下がるだろうが、そのような相手はどう見つけるべきか。

「御門が見えて参りました。いま詰所で手続きをしてまいります。」
「最後に一つだけ教えて! カロアル軌バイジャン様って、かっこいい人ですか。」

 

 

 大門を出て華やかな西街に戻ったアルエルシィは、父との約束を違えて当たり前のように寄り道した。

「お嬢様、今日は神殿にお寄りした後は真っ直ぐにお帰り下さい。こんなに騒がしくては、またぞろ督促派行徒が出ますよ。」
「メショトレは心配性ね。忙しければこそ、商売も繁盛するんじゃない。」
「それはそうですが。」

 西の大門の前に待たせていた下男下女を引き連れて、蜘蛛(セパム)神殿に向かう。
 行き交う人は誰も前だけを見て早足で歩き、あるいは怒声を浴びせかけている。大審判戦争に用いられる物資の移動が頻繁で、王国の東西を繋ぐ要路でもあるカプタニアは街全体が殺気立っていた。

 幅の広い石段を登って、蜘蛛の巣を象った門をくぐる。黄色い粘土で彩られた円形の蜘蛛神殿は多くの参拝客で溢れ、何列にも並んで穀物の粉を焼いたおみくじを買い求めている。このような混乱した情勢では、情報こそが生き残る武器である。検閲が入っていようが、手に出来るものならばなんであれ争って知ろうとする。
 案内に出た蜘蛛神官に話を聞くと、あいかわらずガモウヤヨイチャン関連情報は禁じられているものの、デュータム点自体の状況を書いたおみくじは普通に頒布が許されていた。大量に押しかける参拝者の様子が少し皮肉混じりに描かれている。

「デュータム点でお倒れになった青晶蜥神救世主名代ッイルベス様の御業績。・・メショトレ! このお話のおみくじはこれだけ? もっと詳しいの買って来て。」
「・・・・ああ。ガモウヤヨイチャン様を直接扱えないから、ッイルベス様のお話に託して書いているのね。なるほど。」

 ひととおり目を通すと下男達はその場に待機させ、アルエルシィは別棟の教義堂に向かった。メショトレだけは付いて来る。

「お嬢様、またこの間の学匠の方とお会いになるのですか?」
「何よその顔。本を借りるだけよ。」

 神殿脇のネコの林を抜けて螺旋の石段を登っていく。集会所でもある教義堂の屋上には星辰の廟、つまり天空の星々の配置を示した星図板が有る。

「お嬢様、あれはなんでしょう。」
「なに?・・・・・、あ。」

 まったく場違いな場所に、それは居た。

 大山羊。
 イヌコマよりも大きく人の背丈ほどの高さがある。元は山に住む生き物で、ぴょんぴょんと跳ね回り岩場も駆け登る。頭の角は黒く細くゆるやかに巻いて、これでごつんとぶつければ人間くらい普通に死ぬという。色は茶色と白で長い毛に模様を為していて、この毛を紡いで衣服やじゅうたんを仕立てるし、皮も衣服や武具に多用される。肉質は上等で最高級の晩餐となり一般庶民の口にはなかなか入らないが、乳は様々に利用され食卓を彩っている。
 良い家畜の筆頭に位置する獣だが、街に住んでいてはなかなか目にする事は無い。アルエルシィだって十日に一度は食べているが、生きて動いているのを間近で見るのは初めてだ。

「メショトレ、驚かしちゃダメよ。」
「は、はい。お嬢様、ゆっくりとこちらにおまわりください。」

 若い雄で、アルエルシィよりわずかに背が高い。あれよという間に、かぷっと噛みつかれる距離にまで近付いている。
 二人はゆっくりと右回りにすり抜けようとしたが、アルエルシィの栗色の髪がわずかになびくのに大山羊は反応した。

「かぱ。」
「うわわ、髪を、髪を噛まれ、きゃあ。」

 アルエルシィは髪を押さえて、大きく石段へと飛びずさった。大山羊は数本残った髪をくちゃくちゃと噛んでいるが、なにか不思議そうな顔をしている。
 やがて再びアルエルシィを向くと、とことことついて来る。更に二段上に登ったが、やはり彼女が狙いのようだ。

「お嬢様、なにか大山羊を引きつけるものをお持ちではありませんか。先程のおみくじとか。」
「メショトレ、わたしはなにも、持って、いないんだけど。きゃあ!」

 またかぷっとやられそうになって、アルエルシィは上へと走って逃げる。大山羊もとんとんと跳ね登る。

「なんなの、なんなのよ。どうしてこんな所に大山羊が居るのよ!」

 人間より大山羊の方がずっと足が速い。アルエルシィは植え込みの陰に隠れてやり過ごそうとしたが、大山羊は鼻を突っ込んで熱い息を吹き掛ける。草の上を這って庭の端に出ると、そこは屋根の上だった。石段は円形の教義堂を螺旋に巻いて登って行くので、2メートルほどの低くにまた別の庭がある。

 屋根を伝って下りようとするアルエルシィを、大山羊はじっと見詰めている。こんなところまでは来れないのかと安心する間も無く、大山羊はとんと飛び降りて不格好にぶら下がるアルエルシィを下で待ち構える。これはいけないと、また上に這い上がろうとすると、とんとんと石を伝って大山羊は元の高さに上がってしまう。

「たすけて、誰か! たすけてえぇ。」

「どうしました。」

 下の窓から男が顔を出して、屋根と庭との間でぶら下がるアルエルシィに話し掛けた。声に聞き覚えはあるが、後ろを向いて確認する余裕は彼女には無い。

「誰か、たすけてください。大山羊がおそって、」

「トゥマル商会のアルエルシィさんですか。なにをなさっているのです。」
「山羊が、大山羊がわたしに。」
「ちょっと待って下さい。」

 男は脇の扉から出て、状況を確かめる。屋根の上に立つ雄山羊と、上にも下にも行けなくなったアルエルシィの姿に、やっと理解を示した。

「今下ろしますから、ちょっと待って居てください。」

 一度部屋に入り花を持って庭に戻ると、男は屋根の上の大山羊の後ろに放り投げた。大山羊が花を食べに行く隙にアルエルシィを抱え上げて地面に降ろす。

「素敵な香りだ。橋紅草の香水ですね。この匂いは大山羊に食欲を増進させる効果がある。牧童がよくこの花を与えて肥らせるのですよ。」
「そう、なんですか。私が美味しそうに感じられたのですね。」

「こんにちは、アルエルシィさん。」
「どうも、お助けいただき、ありがとうございます。」

 屋根の上から遅れてメショトレが顔を見せ、男の腕の中に居るアルエルシィの姿に目を丸くした。

「おじょうさま、お嬢様!」
「メショトレ、大山羊は?」
「今人が来て連れて行きました。それよりなんですか、その御姿は。」
「え? あっ!」

 ようやく自分が抱かれているのに気付いて、ばっと突き飛ばして離れた。顔面がみるみる内に紅潮するのが自分でも分かる。

「シバ・ネベさま、おひさしゅうございます・・・。」
「どうもあの大山羊は、カプタニアを通って戦場に運ばれる途中の糧食のようですね。蜘蛛神殿は草木が多いから、ときどき隊列のイヌコマが迷いこんだりするんですよ。大山羊は初めてだな。」
「どのように、お、御礼申したらよろしいか、その。」

「ああ、ちょうど良かった。この間の約束ですね。」

 シバ・ネベは部屋に戻り、四角い革の袋を手に再度出て来た。この部屋は蜘蛛神殿に出入りする学匠達が共同で使う控え室で、中を覗くと本だけでなく材木を組み合わせた複雑な定規や、設計図を記すなめし革を張った額縁などが幾重にも重なって見えた。

 厚い革を何枚も重ねた厳重な袋を差し出しながら、アルエルシィに礼を言う。

「この間は無理を言って済みませんでした。おかげで石工に手間賃が払えて、助かりました。」
「お役に立てればなによりです。学匠というお仕事は、色々と模型を作ってみるものなんですね。」
「あれは新設計の導水橋です。毒地に作る砦では水の供給が重大な問題で、破壊されないようにかなり無理な地形でも水を通すのです。あれは教授方の叡書様からたいそうお褒めをいただきました。」

 アルエルシィは革の袋を受け取り、中を確かめようとして止められた。不思議に思って彼の顔を見る。優しい輪郭に、真剣に警戒する慎重さが現われている。

「この本は、人目が有る所に放置しないで下さい。決して他人に見せてはいけません。内容がお気に召さないようでしたら直ちに火の中に放り込んで下さい。」
「大切なものではないのですか?」
「これは、一葉ずつ借り受けて、私が自分で写本したものです。完成するのに二年も掛かりました。青春の想い出と言っても良いものですが、全部覚えてしまいましたから。」

 借りた金の代りに、自分の持ち物で唯一対価と成り得る品として彼が差し出したのは、禁書だった。衛視局から禁じられた書物をひそかに市中で回し読み、写本して緩やかに広めて行く。法を破り王国に逆らうその申し入れを聞かされた時、アルエルシィは高鳴る胸に背徳の興奮を覚えた。彼が醸し出す優しさの裏の反逆の気配の根源に、自分も触れる事が出来ると、暗い喜びに何日か眠れなかった。

「この本には、なにが書かれているのでしょう。人喰い教徒の経典ですか、督促派行徒の哲学書ですか。」
「そのようないかがわしいものとはまるで異なります。これを読んで心にその言葉を刻んだならば、貴女にも必ず私達と同じ志が兆すでしょう。」
「良い、お話ですか。」
「この世において唯一善きもの、善き人の行いを記した書。70年前に方台に現われた、真実の救世主の言行録です。」

「・・・救世主の? ガモウヤヨイチャン様の前に救世主が。」
「信じられないのも無理はありません。王国にとって新しい救世主は所詮敵ですから、可能であれば闇に葬ろうとするのです。」

「・・・・・・・・・あなたにとって、この本に書かれている方こそが、救世主なのですね。」

 

 まるで想定していない話だった。この本が真実ならば、今世界を揺り動かしている者は誰なのだろう。神の力を授けられ、それを用いるのに輝くばかりの叡智を示すその人が、贋物だと言うのか?

「督促派行徒とは関係無いのですか。」
「似て否なる者、ですね。彼らは結局は神の力に盲目的にすがろうとします。この書に描かれている人を範とする者は、人を殺す事に喜びを覚えたりはしません。」

 言外の意に思い当たり、アルエルシィは背筋の毛が逆立つ興奮を覚えた。ようやくに彼の真の姿を知る事が出来たと、跳ね回る心臓が喜んでいる。

「最後に聞かせて下さい。この本を読んだ者にとって、ガモウヤヨイチャンとはどういう存在なのです。」

「彼女も本物の救世主です。しかし全く異なる考えに導かれています。この本に記される方は無制限に人を救います。目の前に在る人こそが、彼が救うべき世界です。対してガモウヤヨイチャンは人の生死や幸福には拘泥されません。彼女は世を、方台をこそ救いますが、限りある命の一つひとつは興味の対象外なのです。」

「そういう方には従えない、のですね。」
「彼女の輝きに目を奪われ、その足元にひれ伏す人は多いでしょう。しかし、千年先のそのまた先の時代において、人々の間に生命を得るのは彼女ではありません。そう確信しています。」

 

 呼ぶ声がして、二人は同時に顔を上げた。下女のメショトレがぐるりと教義堂の屋根を大回りして、下男達を連れてこの庭にやって来たのだ。ここまで、と諦めて手を振る。

「お嬢様、お怪我はございませんね。」
「ええ、大丈夫よ。たまには食べられる側の気持ちを知るのも勉強になるわ。」

 メショトレはやはりシバ・ネベに変な目を向ける。少しの時間だったが、自分の居ない間にお嬢様に何もしていないだろうか、と疑惑の視線で突き刺した。
 疑いを晴らす為に、シバ・ネベは敢えて今後の予定を詳しく説明する。

「私はこれから、ミンドレアの防塞を補修する役目で出発します。王国に禄を頂く身ですから、名残惜しいが仕方ありません。戦況にもよりますが、恐らくは一年はカプタニアには戻れないでしょう。あるいは更に別の地に派遣されるかもしれません。」
「折角知り合えたのに、ざんねんですわ。もっと色々と教えていただきたかったのに。」

「手紙を書きましょう。ちゃんと届くか定かではありませんが、戦場に近付けばまた世を考える材料を見つけ出せるでしょう。」
「フフ、小説のネタになると良いですね。」

 再び大山羊などに出くわさぬよう守られて立ち去るアルエルシィを、シバ・ネベは手を振り見送った。チラチラと名残に視線を投げ掛ける彼女の姿に、意を決し声を高めて告げる。

「・・・カプタニアで!」
「・・・?! はい!」

「カプタニアでも、いずれ素晴らしい事が、起こります。新しい時代の幕開けです!!」
「?? ・・・注意しておきます。」

「ええ。誰も予想出来ない、ガモウヤヨイチャン様でさえも驚く出来事ですよ!」

 

 メショトレに見つからないように本の革袋を服の襞に隠しながら、蜘蛛神殿を後にする。アルエルシィはまたここで彼との再会がきっと有ると信じた。
 だが多分、何をするのか知らないけれど、彼は失敗して自分の元に帰って来る、そんな予感もする。

「シバ・ネベさま。ガモウヤヨイチャン様はもう少し恐ろしい御方だと聞いていますよ。人に己を救わせる、残酷で優しい方だと。」

 軽はずみに救世主に牙を剥かないよう、青晶蜥神に祈る。彼シバ・ネベは勇者ではないのだから、ネコみたいに臆病に生きるべきなのだ。
 強い人ならば、最初から好きになったりはしない。

 

 

【羅針盤】

 十二神方台系には羅針盤というものが無い。
 ギィール神族は科学に詳しく磁石もちゃんと知っているが、それに方位を示させる発明はしなかった。額に聖蟲があり勝手に教えてくれるのだから羅針盤に用は無い。だが実際、磁石は方位を示すのに役に立たなかった。

 弥生ちゃんは毒地を行く際に必需品として羅針盤を試作した。が、それはどんなに工夫してみても真下を向いた。地中に巨大な鉱脈かなにかがが埋まっていて、地磁気を上回る磁場を発生しているのだ。これでは使えないから、やむなく額のカベチョロのナビゲートで毒地を旅する事になる。
 その後、何故聖蟲は方位を知るのかをギィール神族に尋ねると、皆「天空の真北の方角から声がする」と言う。弥生ちゃんも確かめてみたが、確かになにか訴えかけるものがある。

「あ、これ電波だ。」
 丁度AM波程度の波長であるから、ラジオを作ろうと思い立つ。天空から発せられる神の声、となれば皆喜ぶ事間違い無い、と青晶蜥神救世主感謝セールを考えたわけだ。
 幸いにして弥生ちゃんの頭の中には、科学技術に詳しい友人八段まゆ子のネタ帳がばっちり残っている。軍事オタクでもあるまゆちゃんは、こういう場合に最もふさわしいデバイスをちゃんと見付けてくれていた。

「ふむふむ、”塹壕ラヂオ”ね。これだわ。」
 第二次世界大戦中にアメリカ兵が戦場の無聊を慰める為に作った簡易ラジオである。必要な材料は、ほどよく錆びたカミソリの刃、鉛筆の芯、金属のクリップ、銅線、木片、アンテナ線、それに無線機のヘッドホンである。ヘッドホンは作るのにさすがに無理があるので、より構造が簡単なスピーカーを製作する。
「要するに鉱石ラジオなんだけど、・・・しかしまあ、よくもこんなもの思いついたもんだね。日本が負けるわけだ。」

 あんまり関係無い感想を言いながら、弥生ちゃんはウラタンギジトの工房から必要な部品をかき集めた。銅線は飾り細工用のもので、それを更に叩いて細くさせる。これを木片にぐるぐると巻いてアンテナ線と地面にアースして、錆鉄板と黒鉛の固まりを削ったものを組み合わせたダイオードに繋ぐ。めちゃくちゃ簡単だ。だがやはり、困難はスピーカーの方にあった。

「あまり強力なものを作ると、このいい加減なラジオの出力では鳴らないのよね。うーん。」
 スピーカーは電磁石がコーン紙と呼ばれる振動部を前後させる事で電気信号を音声に変換する。電磁石だから結構大電流を必要とするので、より小さく作らなければならない。銅線が十分に細くならなかったので、銅箔をぐるぐると巻いてこれを切り極めて細い電線を作る。ただ、一般的なスピーカーの形状は弥生ちゃんの技術では製造困難であった為、単にソレノイドが薄い鋼のリード板を振動させるもので我慢した。ともかく震えれば上等なのだ。

「・・・・・キタ!」
 コイルと黒鉛に繋いだ電線を左右させて巧みに検波すると、果たしてリード板は極めて微かに振動する。音が鳴っている、と言えなくもない。
「ガモウヤヨイチャンさま、なんだかわかりません。」
「うむ。」

 人に聞こえるほどの大音量にするには増幅器が必要だ。カミソリの刃でダイオードが出来るのだから、同じ半導体を用いるトランジスタが出来ない道理が無いが、案の定失敗する。

「おにょれ。」
と、弥生ちゃんが考えついたのは、リード板にガラスを擦らせて音を増幅しようという作戦。きょんきょん甲高い不快な音がこだまする。
「あ、来ましたきました。なにか音がしますよ。なんでしょう。」
「・・・・があーん。」

 弥生ちゃんの耳に飛び込んできたのは、まるでファックスの転送音だった。この電波は音声波ではなく、デジタルの信号波なのだ。いくらなんでもデジタル回路を作る事は出来ない。
 周囲の者は皆天空から降りて来る神秘の音色に心奪われたが、弥生ちゃん本人は敗北感に包まれて一人寝所に入って不貞寝したのだった。

 

 その後、この機械はデュータム点に贈られて永久保存され、ウラタンギジトで興味を示したギィール神族によって研究が続けられた。無論デジタルのデコーダーが出来るわけはないが、ラジオ自体は洗練され音も大きくなり、確実に電波を捉えられるようになる。そして電波の来る方向を明確に識別できるようになり、それが天の北極ただ一点である事が確認された。後には常に北極を知る方位識別機として船舶に搭載されて、外洋航行技術の発展に寄与した。

 

第十二章 破れし者の名は、栄光の翼に乗ってはばたく

 

 ソグヴィタル範ヒィキタイタン、新生紅曙蛸王国において女王の代理として実質全権を委ねられた彼は、現在「剣征王」と呼ばれる。
 その名の通りに何度も戦いに挑み、その度に目の覚める采配を以って兵を勝利せしめ、南海に巣食う武装集団、山賊衆、交易警備隊を配下に収めて行った。

 最後に残ったのが海賊衆だ。舟戦はヒィキタイタンにまったく経験が無い分野で、彼の名声も海の上までは通用しない。一応、タコリティの顔役達が抑える海賊衆が使えるがその数は南海岸に存在する三分の一でしかない。
 だが、海賊衆も決して敵対的ではなく、伝説から蘇った紅曙蛸巫女王に対しては服従の意志を示している。問題は、一元的に海賊団が統合されるとこれまでの商売が続けられなくなる点で、この調整が着かない限りは決してまとまった海軍戦力をヒィキタイタンは手中に出来ない。

 

 海賊といっても十二神方台系のものは無差別な襲撃など行わない。彼らは海の交易警備隊と言える存在で、通行料金を払えばちゃんと船団を護送するし物資人員の補給も請け負う。実に親切だ。ただ海賊衆にも所属するグループがあり、違う船団と遭遇した場合には遠慮無く襲撃を行う。つまりは敵対する海賊団同士が互いを襲撃して海上警備の必要性を認知させ、警備料通行料金を稼いでいる。馴れ合いのペテンのようだが、最終的に通行料金の金額は適正規模に落ち着いて船舶輸送の経済性を損ねたりはしない。海賊同士の自由競争によって、市場が正常に保たれている、わけだ。

 新生紅曙蛸王国による海賊衆の一元的管理は、この市場を閉鎖してしまうに等しい。互いの襲撃が不能になると通行料金が恣意的に定められ、結果高騰の一途を辿り最終的には船舶輸送を阻害しかねない。平和こそがここ南海の不安定要因である。

「だが互いが襲撃し合う仲では、一致団結しての戦争など出来はしないぞ。」

 ヒィキタイタンは忠実な友ドワアッダにこぼした。彼がこれまで手にした陸上戦力は所詮1万人に満たない。装備も訓練もまちまちで新王国への忠誠もうたかたのように儚く、海上戦力の確保が無ければとても既存の王国に対抗し得ない。

 ドワアッダにもそれはよく分かるが、反面海賊同士が戦闘を繰り広げるからこそ戦力として使える練度を保てるのだから、痛し痒しだ。統一された海軍であれば新王国が費用を出して訓練しなければならないが、忠誠心を期待出来ない以上弱兵になるに決まっている。

「ヒィキタイタン様、これは手を出さない方がよろしいと思われます。必要に応じて適宜彼らの協力を仰ぐべきで、縛ろうと考えればいずれ反乱を起こすでしょう。」
「言わんとする所はよく分かるがな、それでは手元にある三分の一も意のままにならないぞ。彼らを繋ぎ止める策が必要だ。旗印は女王がやってくれるが、実利を伴う絆がな。」

 海上交易は所詮素人には分かりはしない。諦めて専門家の意見を仰ぐべきだ。

 

 フィギマス・ィレオはタコリティ随一の権勢を誇る大商人だ。彼は東西金雷蜒王国と褐甲角王国の間の公然の密貿易により巨万の富を築いたが、それを独占せずタコリティにおいて一般市民への還元を行い都市の基盤を整備して、揺るぎない信頼を勝ち取った。言わば、タコリティにおいて最もパブリックに近い存在だ。

 年齢は62歳。今も眼光は鋭く、兵を叱咤する声は雷のように厳しい。ただ厳格であるだけでなく、采配も目の付け所も軍学の理に叶い、また人心を掌握する術にも長け調略においても他と隔絶した信頼感を与えて、新生紅曙蛸王国建国に大きく貢献している。
 敬虔な紅曙蛸神信者としても知られ、無法都市タコリティにおいて、彼は唯一「万全の信頼に足る男」という評価を得ている。

 

 ヒィキタイタンとドワアッダは、円湾に新しく建てられたフィギマス・ィレオの館に相談に行った。急造ではあっても一応は城塞としても使えるように堅固に築かれた館は、紅曙蛸神殿を抜いて最も大きな建物となる。
 彼の居室は最上部の見晴らしが良い場所に設けられている。窓には東金雷蜒王国から輸入した大きな窓ガラスが用いられ、船の出入りが一望出来る。一戦有る時は司令室としても使えるように考えられているが、調度類はタコリティの居館をそのまま移送して贅沢の粋を尽している。

 最初彼は紅曙蛸巫女王テュラクラフの為にこの部屋を提供しようと申し入れたのだが、ヒィキタイタンは敢えて紅曙蛸神殿の完成を待っている。フィギマス・ィレオを重用するのは当然だが、象徴としての女王を独占させるのは他の顔役達が了承しない。彼がタコリティの支配者とならないように、ヒィキタイタンが女王を輔弼する事を皆に求められている。
 フィギマス・ィレオもそれは承知しているから、ごり押しはしなかった。現在は紅曙蛸女王五代テュラクラフに代わって別の少女が巫女王の座に在るのだから、権利を主張し過ぎるのは新王国の分裂の火種となりかねない。

 ヒィキタイタンとドワアッダは豪華な長椅子に並んで座り、女奴隷の給仕でウゲ酒をもてなされた。アルコール度数は低いが薬草の煎じ汁で割っている為にかなり刺激の強い飲み物だ。フィギマス・ィレオはヒィキタイタンに上座の席を勧めたのだが、遠慮されて自分が正面に座る。

「して、”王女”殿下の御機嫌はいかがでしょう。無聊をかこっているのならば、道化なり蝉蛾巫女なりを差し向けましょう。」
「いや、あの御方は退屈をする暇が無い。今も某所で「御視察」を行っているだろう。困ったものだ。」

 テュラクラフによって残された少女、テュクラッポ・ッタ・コアキの処遇を巡っては、タコリティの主な者達の間でも様々な意見が交わされた。

 テュクラッポは年齢は13歳。歳の割には背が高く発育は良いが、所詮は子供だ。しかし彼女は特別な待遇で育てられており、貴人としての品格は備えている。話を聞くと、彼女の家は初代紅曙蛸巫女王ッタ・コップの生まれた部族の神職で、長年女子は巫女王となるべき定めを受継いだと言う。2500年の女王の不在にも関らず彼らは頑にしきたりを守り、遂に晴れて歴史の表舞台に舞い戻ったわけだ。

 伝説の女王テュラクラフに比べて求心力が弱いのは否めないが、世界に二つしかないタコの聖蟲を戴く点において彼女はまぎれもなく新王国を統べる資格を持つ。代理ではなく六代目と看做すべきとの意見が主流となり、テュラクラフが正式に譲位するまでは「王女」として遇するべきと定められた。タコリティの一般市民には、テュラクラフは重大な神事を行っており人前には出られず、代りに彼女を差し向けたと伝えている。

 

「護衛はいかがなされている。ソグヴィタル王のお手元に無くてもよろしいのか。」
「禁衛隊のマウペケムは任せるに足る者だが、王女殿下は姿を消すからな。護るのも難しいが、害を為すのは更に困難を極めるぞ。心配すべきはむしろ事故を起こさぬかという点だ。」

 テュクラッポの身体には彼女の部族の者と同様の文身が彫ってある。これは紅曙蛸神の加護を呼び込んで自らの姿を人の目に留めない効果が有る。注意して見なければ決して気付かれず、10メートルも離れると判別不能になる。暗殺には極めて有利な能力で、古代紅曙蛸王国時代には蕃兵と呼ばれる秘密の護衛がこの力を用いて女王の身辺を護っていた。
 ただ、この能力を用いるには身に衣服を着けてはならない。裸同然で円湾内を遊び回る王女に道徳上の問題を覚え、ヒィキタイタンは悩まされている。

 王女の身を案ずるフィギマス・ィレオに、ヒィキタイタンは秘密を打ち明けた。

「実は、王女の他にも蕃兵は居るのだ。聖蟲が無ければ到底気付かぬが確かに有り、人知れず王女を護っている。」
「まことですか!」

 この話はドワアッダですら知らされていなかった。聖蟲を持つ者で無ければ気付かないと明かされても、なお釈然としない思いを残す。
 ヒィキタイタンは忠実な友人に弁明した。彼らの存在が公になれば行動の制限の為に罠などを仕掛ける者が居るだろう。そうすれば王女に危害が及ぶ可能性もある。何も無いと思えば誰も対策を施さない。

「知らない方が良い事もあるのだ。私ですら蕃兵が何人居るのか知らされてはいない。ひょっとすると、テュラクラフ女王がそこで見ているかも知れない。」
「しかし!」

 フィギマス・ィレオがとりなしてその場を収める。ドワアッダはヒィキタイタンにとって極めて貴重な腹心で、重職を任されてはいないが新生紅曙蛸王国において欠かせない人物だ。それに、タコリティの筆頭である自分でさえ今聞いたのだから、となだめる。

 

 その場の空気を入れ変える為に、ヒィキタイタンは訪問の本来の目的を切り出した。海賊衆をいかに手懐けるか。ただフィギマス・ィレオも海賊衆とは少し距離がある。彼は密輸業者の元締めとして常に海賊とは接しているものの、所詮は顧客の立場である。いや、彼らの商売に踏み込まなかったからこそ、信頼を勝ち得ている。
 海賊衆の和解と統一を問われても、彼は特効薬を持っていなかった。しかし、密輸業者だからこその知恵は有る。

「左様、実利が無ければ彼らは動きますまい。分裂していればこその海賊ですから、新王国に縛りつけるのは無理無益と思われる。ですが彼ら共通の敵というのもまたございます。」
「ほお。それは。」

「脱行船です。彼らの管轄する水路を避けて、遠く外洋を航行して通行料金から逃れる船団です。」
「聞いた事はあるが、必ずしも成功するとは限らないのだろう、それは。陸地が見えない距離まで船を出せば、方位も知れなくなる。沖は波が荒れ天候も変りやすく、進路の変更を海賊衆に見付からない為に夜船出して、岩礁に乗り上げる事も多いと言うな。」

「しかし確実に増えているのです。海賊衆にしても決まった航路を通らない船は捕捉するのが難しく、また追跡しても同じ困難を自分達も受ける事になりなかなか難儀していますな。」

「・・・これをなんとかすれば、いいのか。策はあるか?」
「ございます。予てより考えていた事ですが、私一人ではいかんともし難い大規模なもので、新王国という基盤があればこそ実現し得る策です。」
「聞こう。」

「脱行船は陸地が見えない距離を進みますが、完全に見えなくなっては本当に進路に窮します。ぎりぎり見える距離を出入りして、かろうじて直進しているわけです。」
「うむ。」
「だが方台の東南岸は山が無く、水平な崖が続くだけで、或る距離を行くと急に見えなくなります。」
「お前、自分でも脱行船を率いた事があるな。」
「はい。特に夜間は方位も定まらず流され放題で、まま遭難します。これを防ぐ為に紅曙蛸王国の東西に巨大な灯台を建設して、脱行船の行き来の便を図るべきと存じます。」

「待て。それでは海賊衆の恨みを買うばかりではないか。なぜ脱行船の肩を持つ。」
「そこです。灯台が建設されたならば、脱行船は灯台の光が見える一線上を航行します。海の上に道が出来るのです。その道を全ての船が通るのであれば、海賊船も闇雲に広い海上を捜索する必要がなく、また自らが遭難する危険も減らせます。確実に脱行船を捕捉出来れば沿岸航路と同じ事をするだけですので、彼らには益する所が大きく、灯台を管理する王国にも従いましょう。」

「なるほど。灯台の灯はまた紅曙蛸女王の威を表す象徴ともなるな。良い案だ。だが、建設には時間が掛かる。高さが百杖を越える塔を作るのであれば最低で2年、東西と中央円湾付近に三基は必要だ。費用もかさむぞ。」
「それだけの投資に値するかと思われます。」

 かなりの良案であろう。海に生きる新王国の在り方を正面から押し出せば民心を掌握するのにも役立つ。だがあくまでこれが機能するのは平和な時でしかない。

「これで統一は出来ても、命を捨てて戦えとは命令出来ないな。実利で結びつくのなら、利が無いと見定めれば逃げるだろう。」
「やはり少数とはいえ完全な軍船を揃えて中核とせねば、戦にはならないでしょうな。」
「海の黒甲枝、が必要か。」

 東西金雷蜒王国にも褐甲角王国にも強力な海軍は存在する。海賊衆は数こそ多いが使用する船は商船改造のもので、対軍船の武装を施した正規軍の船と一対一では渡り合えない。たとえあったとしても、王国の為に命を捨てる覚悟を持った兵が無ければ、勝利は程遠い。
 その点では、フィギマス・ィレオは模範となる人物だ。彼ほど敬虔な紅曙蛸神信者は居らず、彼ほど新生紅曙蛸王国に力を尽くす者も無い。

 ヒィキタイタンは彼に、なぜそこまで出来るのかを尋ねてみたくなった。自分は成り行きに流されて今の地位にあるが、タコリティそのものに愛着はほとんど無い。フィギマス・ィレオにこそ新王国の未来があるはず、いや、無ければならない。

 だが彼はヒィキタイタンの言葉に苦笑いで返した。

「ソグヴィタル王にそこまで買っていただいて恐縮ですが、私は紅曙蛸神の教えを真剣に覚えた事は無いのです。金雷蜒神にも褐甲角神にも頭を下げぬ方便として、タコの神を崇めるふりをしていたのです。実際役に立ちました。」
「タコリティの主とも目されたそなただ、不羈の姿勢を表す為であろう。罪では無いぞ。」

「私が本当に信ずるものは、別にありました。若き頃はその理想をタコリティにて実現しようと考えたものです。」
「無法の街で理想か、いやそれは素晴らしい。だが無論。」
「ははは、確かに。この歳になるまで何一つ為し得ていませんか。我が身一つを律するだけで精一杯です。」

「良ければ聞かせてもらえないか、その理想を。人に広めれば多少なりと益する所もあるだろう。」
「それが、」

と、珍しくフィギマス・ィレオは口ごもる。タコリティにおいてはそれぞれの国の禁は意味をなさないが、さすがに褐甲角王国の中枢であったソグヴィタル王が相手では躊躇する。

「ソグヴィタル王は、イル・イケンダの言行録をお読みになった事はございますか。」
「ほお・・・。」

「フィギマス殿、その人にまつわる噂を御存知では無いのか?」
 思わずドワアッダが口を挟む。その人物の名は長年にわたって金雷蜒褐甲角両王国から弾圧され、言行を記した書は禁じられ焚やされている。

 だが、この名を口に出すからにはフィギマス・ィレオにも覚悟がある。ドワアッダには薄く微笑んで、一切を承知していると応えた。

「・・・幻の救世主、というやつだな。衛視局の書庫で参考資料を見た事がある。あれは確かに若い者には毒だ。無謀な行動に駆り立てる強い影響力がある。」
「おお、ソグヴィタル王もお読みになりましたか。」

「イル・イケンダ。生まれは創始暦4901年、没が30年。彼が救世主として目覚めたのがわずかに7ヶ月、覚醒より悲劇的結末を迎えるまでの言行を記した『真実の救い主の書』は今も衛視局の厳重な監視下にある。」
「ですがヒィキタイタン様。あの者は実際は。」

「ああ。読む者全てに強い感銘を与える実に印象的な人物なのに、誰も見た事が無い。描写に制限があるので、方台の何処の話かも分からない。人であれば親兄弟親類縁者があるはずなのに、誰も居ない。ありとあらゆる出来事を知る無尾猫でさえも、彼の話を一切覚えていない。」

「架空の人物、という評もありますな。誰そが書き記した他愛の無い物語、小説の主人公に過ぎないと。」

 フィギマス・ィレオは、禁の理由を知ってなお彼の言を自らの規範としていると、披瀝した。タコリティにおいて大抵のでたらめには慣れたはずのヒィキタイタンだったが、これほどの人物が薄氷のように頼りの無い根拠の上に生きていると知って、足元をすくわれた気分になった。

「全編を通して最も妖しい箇所は、全てが失敗に終った描写です。読者に、自らをその後継にと決意させる魅力に溢れている。」
「絶対的な非暴力、無制限の愛と献身、決して人を裏切らず愚直なまでに信を貫き、何物をも省みない捨て身の行動、・・・だな。彼自身は自らを救世主とは呼ばないのだ。」

「あの書は救世主の在り方をこの世に広く流布しました。ほとんどの者は読んだ事がありませんが、誰もがその人の生きた姿を知っている。そして救世主として再臨するのを願っている。架空の物語としては少々、力が強過ぎるとは思いませんか。」

「・・・現在のガモウヤヨイチャンに対する熱狂も、根源を求めればこの書に行き着く。人自体が架空であったとしても、世界を動かす力としては虚ではない。それは事実だ、認めよう。だがそなた自身は既に、・・・物語から解放されているな。」

「さすがにソグヴィタル王は御慧眼であられますな。歳を経て人の愚かさを骨身に沁みて知るようになると、この書がいかにも遠くに感じられるます。むしろ滑稽ですらある。今の私には紅曙蛸神殿の教え、混沌と空虚に満ちた喧騒、こそが人間社会の真実と思えます。」

 

 フィギマス・ィレオの言葉にヒィキタイタンは深く考えた。あくまで実利として、タコリティの兵に死をも怖れぬ強い忠誠心を必要とするのだ。その為には架空の物語であれ邪悪な教えであれ利用しなければならない。しかし根本と為り得るのは、勝利ではなくむしろ、

「フィギマス殿、良い話を聞かせてもらった。人を行動に駆り立てるには、無敗常勝の令名ではダメなのだな。敗北、こそが人を戦いに向かわせる。思い返せば我らが父祖、初代武徳王カンヴィタル・イムレイルは70年闘い続け負け続け、遂に存命中に王国を打ち立てる事が叶わなかった。だからこそ黒甲枝は今もイムレイルの誓いを果たそうと戦っている。」
「大審判、と呼ばれる大戦に挑む原動力でございますか。なるほど、敗北こそが人に力を与える。」

「では、私も一度負けねばなるまい。華々しく散らねばならぬのかも知れぬ。」

 

 ふいにヒィキタイタンは長椅子から立って、正面のフィギマス・ィレオの右隣に行く。何の前振りも無い行動だった為、彼もドワアッダもヒィキタイタンの意図が読めない。フィギマス・ィレオの背後に向かって手を差し伸べる。明るい窓ガラスから円湾の凪いだ青い眺望が広がるそこには、何も無い。

「∵∪〆≠÷≠♀♀≦」

「お、おお。」
「王女殿下! いつの間にここに入られましたか?!」

 ヒィキタイタンに右手を預けて空中から現われたのは、テュラクラフ女王が残した代理の少女 テュクラッポ・ッタ・コアキだった。

 額には小さなタコの聖蟲が紅い光を放ち、差し込む陽の光を凌いで彼女の輪郭を浮き立たせる。草を撚った縄を幾重にか巻いただけの小麦色の裸身に、黒い髪を固く一本に編んで提げている。巻き貝を連ねた飾り紐に石刃の小さな護り刀を吊るしているが、まったくの無防備な姿だ。

 彼女は裸身に泥で文様を描き、不足する文身を書き足して姿を消す能力を使う。一度見えてしまうと姿が有るのは当たり前に思えるが、気付くまではまったく分からない。なにしろそこはまったくの空間で、紛れ込む家具調度も、植木も無い。人が潜んでいると思う方がどうかしている。

 上着を脱いでヒィキタイタンは少女の肩に掛ける。寸法がかなり大きいので腰の下にまで裾が届き、すっぽりと裸身を覆い隠した。それが楽しいのか彼女はけらけらと笑い、ヒィキタイタンの胸に顔を埋める。見上げてギィ聖音で語りかけた。

「√刧刀縺Hゞ〃〃凵Z≧≦☆∝煤ソ〆?」
「ああ。
 フィギマス殿。西金雷蜒王国の潜入工作部隊「スルグリ」は御存知だな。」
「スルグリは確かに、タコリティを拠点として長年褐甲角王国への工作活動を行っています。留められるものでもなく、また彼らとの間に協力関係を築く事は新生紅曙蛸王国においても重要です。」

「そのスルグリがな、別の活動を始めたそうだ。新王国の乗っ取りというところか。」

「王女殿下がそれをお調べになられたのですか。」
「いや、聖蟲が憑いた人間が円湾に入ったので顔を見に行ったら、ギィール神族だったようだ。大したものだな、ゲジゲジの聖蟲に見付からないのだから。」

「ヒィキタイタン様、つまりスルグリを従える神族が円湾に入って直接活動を指揮しているという事ですな。直ちに兵を向かわせて立ち退きを願いましょう。」

「俺が行こう。裏でこそこそされるのは、もう飽きた。西金雷蜒王国も世紀の大戦に堂々と参戦して頂こうじゃないか。フィギマス殿、異議はあるか?」
「ソグヴィタル王のお考えのままに。なるほど、新王国が立ち上がったからには、我らも堂々と歴史に名を刻むべきでございますな。」
「御使者との事前協議が成った後に、正式に方台全土に対して巫女王六代テュクラッポ・ッタ・コアキを披露しよう。
 ドワアッダ、先に行って会見の準備を整えておいてくれ。あくまで平和裡に、但し侮られぬように、だぞ。」
「心得ております。」

 先に部屋を出るドワアッダに、少女は手をひらひらさせて見送った。ヒィキタイタンは先程まで座っていた長椅子に彼女を誘って座らせ、自分はその背に立った。少女は卓の上にある盆の菓子に手を伸ばし、ぱくっと口に放り込んだ。ついでウゲ酒の盃に手を伸ばすのをヒィキタイタンは留めて、隣室に控える女奴隷にヤムナム茶を頼む。

 フィギマス・ィレオは少女をじっと見詰めるが、その瞳には害意が無い。彼には情を挟まずに人を鑑別する力がある。少女は天真爛漫に見えるが、その実かなり複雑な思考を理解し、タコリティの現状も把握していると推察する。つまりは、女王として使える人物だと判断した。

「お召し物をあつらえねばなりませんな。女王たるにふさわしい衣装を。テュラクラフ様のものは、この方には少し大人過ぎます。」
「簡単には脱げないものがいい。すぐ裸になって消えるからな。」

「御船を差し上げましょう。船体を赤く塗って、帆も真っ赤な布帆を上げて。女王がここに在ると万民に知らしめる美しい船を作りましょう。」
「軍船で無い方が良いな。快速で、いつでも逃げられるように。神殿船はあのまま武装して旗艦としよう。」

「凵諱ロ∵刀W=÷=※」
「姿が見えなくなる文様を船にも描け、と言っている。文様を付け加えると曙色に光り輝いて目には映るそうだ。」

 タコの聖蟲は他と比べて自由度が高く、額を降りて少女の鎖骨付近で遊んでいる。呼吸に合わせてさまざまに色と模様を変える。
 無心に御菓子を食べる少女の頭頂部の美しく整った髪の分け目に、ヒィキタイタンは愛しげな眼差しを投げ掛ける。

 

「フィギマス・ィレオ殿、今後の話だ。ガモウヤヨイチャンを計算に入れずには、新王国も立ち行かぬ。」
「左様。あの御方は方台をどのように支配するおつもりでしょう。」

「実は、ボウダン街道に布陣する赤甲梢のキスァブル・メグリアル焔アウンサから書簡が届いている。焔アウンサは俺と旧知の仲で、東金雷蜒王国侵攻計画の立案にも大きく力を尽してくれた。その彼女から、タコリティの海賊を率いて騒乱を起こし、東金雷蜒海軍を南方に引きつけて欲しいと依頼してきたのだよ。」
「ほう、海軍を南に。では北岸を空にしろというのですな。おもしろい。」

「面白いだろう。だがこの案は焔アウンサ一人では成り立たない。首尾よく行ったとしても、せいぜい神聖王暗殺が関の山だ。殺してしまっては何にもならない。」
「御使者、ですな。武徳王陛下と、青晶蜥神救世主ガモウヤヨイチャン様との三者での和平交渉を勧める為の。・・・その席に我らも座るべきではありませんか。」
「うまくいくと決まったわけでもないが、勝ち目の無い賭けには滅法強い女人だから成功を前提に話を進めよう。
 我らはこの動きにどう呼応すべきかな。」

「ソグヴィタル王はやはりカブトムシの聖蟲を戴く御方ですから、褐甲角王国の利益をまず考えるべきです。人は本来の性に逆らうべきではありません。」
「聖蟲がある限りは、確かにそうだ。父なる王国を心底からは裏切れない。」
「我を曲げれば、むしろ兵や民衆の求心力を失います。訴追を受けた身でありながらも褐甲角王国は裏切らず、しかし新王国の為に最善を尽くす姿勢を示します。」

「だが金雷蜒王国に喧嘩を売っても、益する所は無いぞ。」
「ソグヴィタル王の知らぬ所で金雷蜒王国との連携が進むよう取計らいましょう。幸いにもスルグリが参っておりますので、活用させていただきます。」
「東西金雷蜒王国が連携して南海に軍船を集結させる。それに俺が抵抗している間に、焔アウンサがやってくれるのを待つのだな。精々派手に不和を演出するか。」

「あくまで王女殿下には傷の付かぬよう、新王国が分裂せぬように細心の注意が必要です。最終的な落とし所としては、ソグヴィタル王に敗北を背負っていただきます。
 金雷蜒王国側からは軍船を南に振り向けさせた策士として、褐甲角王国の側からは金雷蜒軍を南方に集め国境を脅かした罪人として、御裁きがあるでしょう。」

「うん。俺が死んでも新王国が残ればよい、という算段だな。」
「ガモウヤヨイチャン様はソグヴィタル王と御面識がありますから、御命を救けていただきましょう。和平交渉の場にあなた様が代表として出席し、安全を保障してもらいます。」

 

 二人の話にまるで興味を示さない少女は、だがヒィキタイタンを振り返り頭上高くにある彼の顎に話し掛ける。小鳥のさえずりで意味不明の言葉を喋る彼女と、それに黙って頷く彼とが、フィギマス・ィレオには歳の近い親子に見えた。

「⊥∠⊥∫゜ヾ〆々⊥♀ガモウヤヨイチャン。」

「なるほど。フィギマス殿、王女殿下はこう仰しゃっている。
 神話の時代から蘇った五代テュラクラフ女王はガモウヤヨイチャンとの会見の為に密かに方台中を移動しており、その不在を埋める為に自分がある、と六代巫女王披露の席で喧伝せよ、とな。」
「良い御考えと存じます。タコリティへの処分には、テュラクラフ様とガモウヤヨイチャン様お二方の決済が必要だ、との共通認識を作るのでございますな。」

「どうやら、簡単には死なせてもらえないようだ。」

 ヒィキタイタンは笑いながら、自分の首を右の手刀でポンポンと叩いた。

 

最終章 青晶蜥神救世主は明日を越えて、明後日に向かう

 

「あづぅ〜。」

 蒲生弥生ちゃんはその名の通りに三月三日の生まれで、冬場には強いが夏には弱い。弱いといっても知的能力は衰えないが、人様に対する優しさ思いやりが3割方ダウンして、滅法冷たい女になる。
 額のカベチョロの聖蟲も同様に暑さには弱いが、そこはそれ神様であるから自分だけは冷気をまとって涼しい様子を見せている。希望すれば弥生ちゃんにも冷気を分けてくれるのだが、夏場の冷房は身体に悪いてのが信念であるから遠慮して、団扇でぱたぱた扇いで涼を取っている。ハリセンは威力が強過ぎてそこら中コチンコチンになるので、果物の果汁や山羊乳を凍らせてシャーベットにして食べている。

「ガモウヤヨイチャンさまはずるいですよ。こんなものを独り占めするなんて。」
「氷室があれば出来なくもないが、あれは管理に手間も金も掛かるからな。こんなに簡単に凍り漬けができるのはやはりずるいぞ。」
「いやなら食べなくてもいいよ。」

 フィミルティもアィイーガも、弥生ちゃんのご相伴に預かっていながら文句を垂れるので、憎まれ口の一つも叩きたくなる。弥生ちゃんの足元には無尾猫が一匹、やはり氷が浮かんだ山羊乳を舐めている。

「ティンブットはどうしたの。甘いもの食べてると絶対顔を出すはずだけど。」
「ティンブット様は北の城門までお出かけになっています。なんでも夫がやって来るとか言うのですが、あの方は結婚されているのですか。」
「・・・ああ、すっかり忘れてた。十二神方台系に飛ばされて、一番最初に会った人間が彼女の旦那さんだ。チューラウ(青晶蜥)神の託宣を受けて滑平原の白霧の中に何年も留まって、私が来るのを待ってたんだよ。」

「ほお。普通の人間にチューラウが直接託宣を下ろしたのか。不可解な話だな。」
「言われてみると、当時は変には思わなかったけど、色々と状況を知った今になって考えるとどういう事なんだろう。尋ねてみなきゃいけないね。」

 青晶蜥神救世主ガモウヤヨイチャン一行は一月ばかりをデュータム点で過ごした後、ようやくウラタンギジトの受入れ態勢が整ったとの報せを受けて出発準備を始めた。

 この一ヶ月の間に方台の情勢は刻一刻と変り、弥生ちゃんの周囲も随分と様変わりした。
 まず青晶蜥王国建国準備委員会の体制がこれほどしっかりと固まるとは、まったく予想外の進展だ。最初は弥生ちゃん目当てにやってくる参拝者の中の一団に過ぎなかったものが、独自の規律を打ち出し構成員にしかるべき能力を持った人間が加わると、いきなりデュータム点の自治会議に発言権を持つまでになった。新王国の首都となればデュータム点の地位も繁栄も桁違いに高まるのだから、市内の議員や豪商はこぞってこれに賛同し資金も雪だるま式に集まって行く。

 あまり急激な拡大は褐甲角王国の衛視局から警戒と弾圧を受けるから、弥生ちゃんは検分する衛視を招いてわざわざ委員会を分割しなければならなかった。
 救世主神殿運営部、青晶蜥王国建国準備委員会、建軍準備委員会、ガモウヤヨイチャン後援会。
 大げさとも思ったが、それぞれに長を置いてデュータム点衛視局から認定証を発行してもらう。弥生ちゃんは確かに救世主の役を万全に努めるつもりではあるが、王となるのは両王国の首脳部と直接対話した後で決める、という立場を正面から打ち出している。

 アィイーガはその迂遠さを笑う。

「素直にデュータム点を占領してしまえばいいんだよ。血の中から掴みとらねば王国なんて出来る道理が無い。」
「それは理屈だけど、実は私はもっと大きなとこを考えている。『皇帝』になろうか、なあんてね。」
「? コホーティとはなんだ?」

 十二神方台系には歴史上「皇帝」を名乗る者は無い。方台を統べる者は「王」であり、ただ一人頂点に在るべき存在だ。かって紅曙蛸巫女王国時代後期には「小王」が乱立したが、金雷蜒神救世主は彼らをすべて奴隷として、「神聖王」唯一位のみを定めた。褐甲角王国も、方台を統べるのは一国のみで金雷蜒王国はいずれ滅びるものと見做し、暫定的に王位が両立すると解釈する。

 アィイーガは皇帝と帝国のシステムについて説明を受けたが、今ひとつ理解出来ていない。だが、聖蟲を持つ者を滅ぼす訳にはいかない、という点から出発する弥生ちゃんの考えには賛同する。

「自由?」
「自由。神聖王や武徳王に従う者は良い。だがそれ以外の在り方が、神族や神兵にも有るべきではないですか。」

「青晶蜥神救世主の下に、神族神兵の物好きがこぞって軍を作る、か。はは、夢物語だな。」
「面白いでしょう。」
「うん。トカゲ神族というものが無いのならば、それも悪くない。」

 

 弥生ちゃんの背後から、緑の服に身を包んだ巫女が現われた。聖山の十二神最高神官会議から派遣された正式なカタツムリ巫女で、青晶蜥神救世主ガモウヤヨイチャンの事績を記憶する使命を帯びている。秘書として常に傍に在り、彼女の証言で蜘蛛神官が伝記を書き起こす。

「ガモウヤヨイチャン様、またこのような場所で油を御売りになって。面会のお約束が何件も遅れてます。」

「あうー、あんまり面白くないんだよね、毎日同じ話をさせられるのは。何時になったら誰も彼も、一回言えば納得するんだよ。」
「仕方ありません。何方も真の救世主を御自分の目で確かめたいでしょうし、お言葉を直接に頂きたいのです。」
「がうー、ビデオでも撮っときゃ一発で済むのにー。」

 彼女は名を「ファンファメラ」と言う。「薄衣のカーテン」という意味で、カタツムリ巫女としてはありふれた名だ。だがフィミルティもアィイーガも彼女がニセモノではないか、と疑っている。
 弥生ちゃんには、何故そう思うのか理解出来ない。秘書としての彼女はまことに結構なもので、畑違いのフィミルティよりはよほど有能だ。

「背が低いのです。」
「そりゃまあ、これまで見たカタツムリ巫女では低いけど、私よりは随分と高いよ。」
「面差しも細過ぎます。」
「舞台に立つのには派手めな目鼻立ちが必要だ、てのは知ってる。でも美人でしょ。」
「決定的な弱点は、ココです。」
「ここ?」

 と、弥生ちゃんは自分の胸を指差した。ファンファメラの胸が小さいのが、なにより怪しい点らしい。

「カタツムリ神、緑隆蝸(ワグルクー)は見た目の通りにこんもりとしたものを守護する神です。国家や宮殿、家屋敷、山や森、天穹などの屋根があるものの神ですから。」
「胸がちっちゃいと、カタツムリ巫女としては失格なのか・・・・。」

 

 ファンファメラに急っつかれて、弥生ちゃんは謁見室に追いやられた。新参者のくせにやたらと強気で、びしびしスケジュールを仕切って行く。
 この時期の訪問者はこれまでの山師ぽいのや熱狂的信者とは異なり、各町村の自治会議からの代表が多くなっている。彼らは時代の激動から、ひょっとすると本当に新王国が出来るのかもしれない、と後を考えて御機嫌伺いに来た者だ。まともに相手にするのも億劫だが、粗略に扱うと何を言われるか分からないから、精々脅かしておく。さり気なく終末論などを語り、人間に自由な発展をさせると滅亡するとか吹き込んで、彼らの度胆を抜いておく。

「ガモウヤヨイチャン様、方台が滅び去るというのは真実でしょうか。それとも不信心者を懲らしめる脅しですか。」

 ファンファメラが首を傾げて尋ねる。聖山十二神の教えに終末論は無いので、どう対処してよいか分からないのだ。

「まあなんだ。方台は狭いからね。」
「狭いのですか? 十分に広いように感じられますが。」
「東西南北歩いて一ヶ月で端に着く、てのはそりゃ狭いだろ。私の国は面積で三分の一だけど、南北二ヶ月は優に掛かるよ。」
「さようですか。」
「人間が食い潰すには小さ過ぎるのさ。本気で開発を始めた日には、千年も要さずに沙漠に変わってしまう。」

 立て続けに4件の訪問者をこの調子で片付けてしまう。確かに終末論は毒が強過ぎるので、会う人毎に少しずつアレンジを変えて試している。主調は天罰では無く人の行いとして環境破壊が進展する、というものだが、わからず屋が来れば人心が乱れ邪悪が暴れ回るとか、やたらと神を振り回す奴には天から見放され災害が連続するとか、様々考えるのに苦労する。

「次はメグリアル劫アランサ様との打ち合わせです。」
「おう。」

 

 劫アランサはようやくに敵陣に乗り込む心構えを決めて、殺気立っている。なにしろ褐甲角の王族がウラタンギジトに入るのは稀な話で、これほどの重大事というのは古今に例が無い。彼女の父、メグリアル王 鴛エトシャイアンも熟慮したが本人が出向くのは大事になり過ぎるので、娘に任せる事とした。

「兄上がウラタンギジトの外縁に陣を張って、いつでも突入できるよう待機して下さるそうです。黒甲枝の神兵10名とクワアット兵500というのは、メグリアル王家に与えられたほぼ全数の兵力です。」
「随分と少ないね。」
「いえ、ウラタンギジトは所詮褐甲角王国領内にあるのですから、我らには本来兵は必要無いのです。応援ならばいつでもデュータム点から呼べます。」

 弥生ちゃんのウラタンギジト入りが遅れたのは、つまりは金雷蜒王国側が劫アランサ王女の受入れを許可するか検討していたからだ。
 東西金雷蜒王国共通の神殿都市ウラタンギジトの現在の主は、ガトファンバル神祭王46歳。東金雷蜒王国神聖王になる資格を捨ててのこの役目を既に40年続けている。全周に高い城壁を巡らせた要塞に篭って外に出るのも許されないが、至って賢明に責務を果たし続けている。ウラタンギジトは外交の最前線でもあるので優れたギィール神族や官僚が出入りして、知的興奮には事欠かないらしい。

「では、ウラタンギジトからの御使者を迎えます。アランサ、用意はいい?」
「ええ。・・・・、参りましょう。」

 演出の都合上、弥生ちゃんは救世主(トカゲ)神殿の拝殿で使者の到着を迎える。
 神殿の入り口には既にギィール神族キルストル姫アィイーガが黄金の鎧を着装してアランサが来るのを待っていた。彼女は神聖首都ギジジットにて巨大金雷蜒神と交信した為に特別な資格を与えられている。弥生ちゃんのウラタンギジトでの会談においては、一般ギィール神族の代表として立会人の役を務める。彼女の二人の狗番も黒い山犬の仮面に銀色に輝く蛤型の鎧を着けて、後ろに控えている。

 昆虫の翅を摸した金色の薄い飾りを全身にあしらう褐甲角王家の正装を身にまとい、剣を帯び、夏の陽の光に額の聖蟲を輝かせてアランサは使者の到着を迎える。遠く、デュータム点の北門から行進の楽の音が聞こえて来る。

 

 沿道に並ぶ群集は、神官戦士団に先導されるウラタンギジトの使者の行列に息を呑んだ。
 完全武装の重装甲兵が100人、隊列を組んでゲイルの前後を護っている。儀礼的な装備ではなく、5メートルにもなる長槍を林のように高く掲げ、強弩を背負った狙撃兵までもが従軍する。
 更に威圧的なのが、使者の二体のゲイルだった。アィイーガの「あんまり恐くないゲイル」で慣らされているとはいえ、ゲイルは見る者の心臓を冷えた手で直接掴むに似た恐怖を与える。体幹部は華やかに飾りつけをしているが、肢は無制限でなんの拘束具も嵌められていない。
 背の騎櫓は儀礼に則った色とりどりの幟旗を何本も掲げているが、タコ樹脂の楯を何重にも重ね投槍を10本立てて武威を誇っている。後ろのゲイルは大弓を二張も立て狗番も乗せて、射撃戦に特化した装備で構えている。使者の鎧も豪華だが完全に戦闘用のもので、仮面を下ろして表情を見せない。
 足元にも重装甲の狗番が付き従い薙刀で威嚇しながら歩むので、群集は知らずに後ずさりして列の両脇で押し合っている。

 つまりは使者は完全に戦闘をするつもりで城市に入ったように見える。アィイーガは鼻で笑った。

「形だけでも戦っている風に見せねば、示しは付かぬか。」
「御使者が尋ねぬ限り、貴女は口を出さないで下さい。これは私の仕事です。」

 劫アランサは緊張して、汗が額から一滴したたるのも気付かなかった。彼女は父メグリアル王からも、ガモウヤヨイチャンからもこう言われている。
「相手が無礼を働くようならば、貴女の判断で使者を追い返しても構わない」、と。

 デュータム点を血に染めて、金雷蜒褐甲角両王国を互いの息の根を止めるまで食らい合う激闘に叩き込むのも、自分には許されている。弥生ちゃんが待つ拝殿までの案内は、完全にアランサの支配下にあった。

 

「ガモウヤヨイチャン様、急な事ではありますが、お尋ねのあった『穴』とやらについて詳細を知る者が、お目通りを願っています。」

 ファンファメラが、拝殿で使者を待つ弥生ちゃんに耳打ちした。
 この席には、デュータム点衛視局長、自治会議議長以下議員に重職、聖山から来た高位神官が待ち受ける。彼らは皆、ウラタンギジトからの使者が無事に弥生ちゃんの前に辿りつく事を願って、死んだように静まり返っている。その中での彼女の耳打ちは、いやでも注目を集めた。

 弥生ちゃんは、チューラウの祭壇の正面に据えられた大きな椅子の中にちょこんと座っている。肘掛けに右手を置いてしばし考え、足元に居た無尾猫に二三尋ねる。
 ネコはするりと足元を潜り抜け、拝殿脇の扉から外に出て行った。ファンファメラにも指示する。

「その者に、貴女は絶対に近付いてはなりません。神官戦士のアガッぺが心得ているので彼に全てを任せ、円形劇場にお通しして。ネコが居るけど気にしない。」
「はい。」

 

 待つ事5分。今度は蝉蛾巫女フィミルティがやってきた。彼女はアィイーガと共に神殿前に居たはずだ。
 彼女も弥生ちゃんの耳元で囁く。

「やってしまいました。」
「だろうね。」

 アィイーガには、劫アランサ王女に優しくすべき道理は無い。ギィール神族全体に共通する性格だが、物事を面白くする為に敢えて騒動を引き起こす癖がある。
 フィミルティは恨みがましく弥生ちゃんに言う。

「ガモウヤヨイチャンさま、アィイーガさまを御止めにはならなかったのですか。」
「止めてとまるものならば、止めるけどさあ。」
「「やるのだったら徹底的にやれ」、と仰しゃったそうですね。」

 正直に言うと弥生ちゃんは、アィイーガがアランサに無理難題を吹っかける事に反対していない。メグリアル劫アランサ王女は国の定めるままに赤甲梢総裁という名誉職に据えられたが、この職は本来「何もしなくてよい」ものだ。前任のキスァブル・メグリアル焔アウンサこそが例外で、アランサには旧に復してもらいたいというのが軍政局元老院共に一致する思惑だ。
 それを承知しているからこそ、アランサは今回の任務に全身全霊を賭けている。自らの存在意義を成果として表したい彼女の望みを、弥生ちゃんは万全に叶えてあげようと思う。

「アィイーガさまは、王女が褐甲角王国を代表するに値する識見を持っているか事前に確かめた方が良い、と仰しゃられました。」
「そりゃ大事だな。アランサは武芸には秀でていても、学者じゃないからね。」
「お助けにならないのですか。」
「ない! ダメならダメでそのままお通しするように、と迎ウェダ・オダに伝えておいて。」

 

 更に待つ事10分。拝殿に居並ぶ高官や議員、高位神官達にも神殿前の騒ぎが伝えられ、皆緊張した面持ちにある。特にデュータム点の衛視局長である黒甲枝ガニングのうろたえようは、隠しても誰の目にも明らかだ。まだ18歳の王女にこれほどの大役を任せ、何の支援もしなかったと分かれば彼の罷免は間違い無い。たかが数十メートルのお出迎え、とその重要性を見損なったのは確かに大失態だ。
 次に報告に現われたのは、旧知の神官戦士だった。ギジジットから弥生ちゃんについてきたゲジゲジ神官ジャガジァーハン・ジャバラハンの配下で、彼らはウラタンギジトに弥生ちゃん受入れの協議に行ってきた。

「止めろ、というのなら聞かないよ。アランサ王女の誇りを傷つける事になるからね。」
「いえ。現状はむしろ、王女に傾いています。準戦闘態勢でデュータム点に御使者が乗り込んできた事に、アランサ様がご立腹になられて詰問されています。」
「ふむ。得意の方に議論の矛先を持って行ったか。やるね。」
「ですがその代償として、双方共今にも戦闘に及ぼうかという気配です。」
「がんばれ。」

「は?」
「ジャバラハンには、がんばれ、とお伝えして。」
「ははっ。」

 衛視局長ガニングがたまらず席を立って、弥生ちゃんの前に歩み出た。黒甲枝は聖蟲によって知覚を強化されているから、10メートル離れたひそひそ話くらいは普通に聞こえる。

「青晶蜥神救世主様、私は一時この場を離れまして、神殿前で交渉に当たられるメグリアル王女の御手伝いに参ります。」
「それは貴方の御職分で、御自由になされて下さい。ただし、下手に手を出すとギィール神族はへそ曲がりだから、やっちゃいますよ。」
「う、ですが、参ります。」
「うん。」

 彼と入れ代わりに、タコ巫女が弥生ちゃんの元に報告に訪れる。使者と共に聖山からやって来る夫を迎えに行ったティンブットの代理だ。

「ガモウヤヨイチャン様におかれましては、御機嫌麗しゅう。」
「前置きはいいから、何?」
「聖神女ティンブットは聖山よりお出でになったその良人たる方とめでたく再会がかないまして、これも皆ガモウヤヨイチャン様の御聖徳のおかげと慶び、感謝を申し述べております。」
「それは上々。他には。」
「お土産がございます。聖山名物の果物の干物で、冬の寒気に晒して甘味が増した珍味にございます。」
「いやそれはいいから。」
「ティンブットの言付けに依りますれば、ウラタンギジトの御使者、ギィール神族ゲマラン昧マテマラン様は礼法学が主なる御業にて、決して武を以って争う方では無い、との事です。」

「との事です。安心なさい。」

 と弥生ちゃんは拝殿に残った人達に大きな声で説明し安堵させる。最初から分かっていたが、ウラタンギジトの側だってこんな所で流血沙汰を起こしたく無い。第一連れて来た兵も百名程度でしかなく、まともにぶつかっては勝負にならない。

 

 最後に説明に来たのは、赤甲梢総裁護衛職ディズバンド迎ウェダ・オダ配下のクワアット兵だった。甲冑に身を固めているが、礼式上弥生ちゃんの前に来る時は刀を帯びていない。

「で。」
「大丈夫です。メグリアル劫アランサ様はつつがなくウラタンギジトの御使者に認められ、間もなくこちらにお出でになります。」
「うん。」
「ガモウヤヨイチャン様が御授けになられた、星の世界の剣術の口伝がなかなかに御使者の興味を惹かれたようで、我らも理解が難しくありましたが感服いたしました。」
「なるほど。あれは聞いただけでは分かりっこないからね。」
「はい。アランサ様が申される通りをその身において体現なされていると、御使者は感心になられました。」

 

 拝殿への通路がにわかに騒がしくなり、神官やら役人やらが露払いで先に入り、入り口の両脇に列を作って並ぶ。タコ神官達が楽器を構え、謁見の曲を奏でる。

 まずはアィイーガと狗番達が姿を見せ、正面の弥生ちゃんに挨拶をする。彼女は弥生ちゃんに対して、よくもやったな、という意味の目くばせをした。
 ギィール神族は聖戴に先立ってその資格を証す7つの試練を受けるが、その6番目はギィール神族の観衆の前で賢人達に矢継ぎ早の質問を受け、滞り無く瞬時に答えねばならない。口では絶対に神族に叶わないのだが、それに対して劫アランサは身体言語でもって答えるという手段で、使者を納得させた。”道”という概念の無い十二神方台系に地球の東洋哲学を移植する荒技を、またしても弥生ちゃんはあっさり実現したわけだ。

 次に現われたのが、ゲジゲジ神官ジャガジァーハン・ジャバラハンで、デュータム点を出る前より衣装がワンランクアップして帰って来た。大神官から昇進して権之神官になったようだ。両手でゲジゲジの飾りが巻きついた黄金の棒を捧げている。金雷蜒神祭王は神聖王から外交の権限を委譲されているが、この棒はそれを示すものだ。

 そして、メグリアル劫アランサ王女に導かれて、ウラタンギジェの外交司ゲマラン昧マテマランが姿を見せる。黄金の甲冑は増加装甲を外して軽装となり、代りに肩に絢爛たるマントを掛けている。彼の狗番は黄金の山犬の仮面を着けて5人も居た。彼らは帯刀を許されているが、クワアット兵が一人ずつ監視に付いている。
 更に、宝物を多数納めた黄金の筺が奴隷によって担がれて拝殿に捧げられた。金雷蜒王国の威勢を財物によって表すのだが、後で答礼に弥生ちゃんもなにか返さないといけないので、かなり困る。

 

 使者の入室を起立して見守った黒甲枝、デュータム点の自治会議議長議員、十二神殿高位神官らは腰を折り頭を下げて礼を示し、正面の弥生ちゃんが改めて席を立って使者に挨拶する。

 弥生ちゃんの服装は、これまで着用してきた門代高校冬の制服上下、青いジャケットに明るいグレーの膝までのスカート、エンジのネクタイと胸にぴるまるれれこの刺繍、に加えて、聖山の神官達が持ち込んだ青晶蜥神救世主正式礼装を着用している。

 100年以上前に聖山の公会議で定められた青晶蜥神救世主の装束は、あらゆる文献を参照し古今の救世主の姿を正確精密に考証し、教義に基づく様々な寓意を織り込んで、学識に溢れる最高の法神官法神女が意匠を考案した。天上の星河の完璧な配置にも比される、まさに正統もここに極まった、神々しいばかりに輝く豪華なものだ。
 しかしながら、夏場の事でただでさえ暑いのだから、上半身の一部のみを簡略化して着用している。両手を塞ぐとハリセンもカタナも使えないから、青晶蜥神の権能を表す水晶の杖とか盃などは持たなかったが、それでも神官達は大満足だ。彼らの先達の智慧と研鑽の結晶が、今現実に救世主を包み込んでいる。

 方台では稀な純粋な青の染料で染め抜いた大山羊の毛のフェルト生地に、血液と治癒を意味して鮮やかな赤の山蛾の絹を裏打ちした布をベースに仕立てられる。随所に鱗を意味する刺繍が銀糸で施され、新たにぴるまるれれこを表す角を持つ女人の姿も描かれた。頭部まですっぽりと覆う頭巾があり、裏地の赤が救世主の顔を明るく照らし出すように、大きく襟首を開いている。襟元は銀色に輝く加工をした魚皮細工で三角形を繰り返して縁取りされている。額の聖蟲の姿を際立たせる為に左右に水晶の完全なる球体が飾られ、差し込む陽の光を目映く照り返す。

 

 早い話が、弥生ちゃんはトカゲのコスプレ頭巾を被せられて、ウラタンギジトの使者の前に燦然と立っているのだ。

「この服、デザインした奴は、ぶち殺す・・・。」
 幸いな事に、彼らはとっくの昔に冥秤庭のチューラウ神にお召しを受けている。

 

 すっきりさっぱり夏服に着替えた(弥生ちゃんデザイン・トカゲ巫女縫製)身軽な姿で、弥生ちゃんは円形劇場に向かう。
 円形劇場は神様に舞や演劇を奉納する為の場所で、神殿ならどこでも持っている。裁判や弾劾、処罰にも多用され権威を見せつける絶好の場所でもある。トカゲ神殿のものはさほど大きくないが、出入り口は複数箇所あり、しっかりした扉で閉ざす事が出来る。

 お付きのファンファメラやトカゲ巫女を置いて、神官戦士達が全ての入り口を固める中、最奥部の扉から一人入った。

 中には100匹もの無尾猫が思い思いの姿で客席に侍って居る。ただし、どの一匹も決して気を緩めてはいない。それほどに、舞台の中央に立つ人が恐ろしかったのだ。

 身長は2メートルとギィール神族を思わせる長身。女性で、黒い髪が腰からくるぶしあたりまで伸びる。そう、黒い髪だ。大人の女性には決してあり得ない若い色の髪が闇のように全身に絡みついている。コウモリ巫女の喪服を思わせる黒衣が豊かな胸、大きく張った腰の優美な曲線を露とする。蠱惑的な笑みを静かに深紅の唇に湛え、天窓から差し込む光のカーテンの中に立っている。

 対する弥生ちゃんも、青光りのする先細りの黒髪を腰まで伸ばして、白いネコ達の間に割って入る。右手にはカタナを持ち提げ緒を左手で引っ張って水平に横たえる。一応は敵意の無い事を示しているのだが、やはり何時間もネコだけに相手をさせていたのは無礼だったろうか。
 ネコ達に二三話を聞いて、質問に移る。

「なんとお呼びすればよろしいですか。白い母? 闇の織り手、黒髪の貴婦人、虐殺者の恋人、不吉、サビィリオム(背神罪)、スガッタアレス(スガッタ教の尼僧、あり得ないものの意味)、アルカンカラ(コウモリ巫女の名の一つで葬儀に使う燭台の意)、メイ・メント・アレ(「名無しの権兵衛」の女性形)。それとも、・・・・・ゴバラバウト頭数姉?」

「お好きなモノで。いや、救世主様に新たなる名を頂くのも名誉でしょう。」
「では、カラミティ(災厄)という名を贈りましょう。わざわざお運びいただいたのは、”穴”について詳しい話を知りたかったからです。」
「誰から、それを聞きました?」

「ネコ達が断片的に知っていたのを、年代順に並べ替え重複する表現や捏造を取り除き、確からしい話を合成再現したのです。
 大きな穴の中に、神様が居る。深い暗い地の底から、光輝く女王が出て来る。陽炎のような光に包まれ、空中に闘いの姿を映し出す。ピュグマリオ、またはプレマリオン、あるいはプルマレアと名乗り、人に問いかける。」

「最も正しいとされる発音は、ピレマリオ・レコンですよ。それさえも、遠い昔の伝聞に過ぎませんが。」

「詳しくはお聞かせ願えませんか。」
「さて。これは私どもの間でも最高の神秘であって、我らの仲間となったとしても高位の司祭とならねば伝えられないのですがね。」
「”穴”は、実在するのですね。」
「毒地のどこか、にあるのでしょうね。・・何故そんなものを必要とするのです?」

「私も帰らなくちゃ。」
「そうか、星の世界から来た救世主様は、いつまでもこの地に留まるつもりは無いか。いや、留まれないのですね。」
「留まるべきでもないと考えます。」
「立派な御見識だ。では私も誠意を以ってお答えしましょう。」

「いや、ただで教えてもらおうとは思わないから。」
と、弥生ちゃんはネコ達を掻き分けて観客席の最前列に進み、塀をばっと乗り越えて丸い舞台の上に立つ。舞台の直径は15メートルほど、南面に大出口があり外庭に通じている。

 カタナを左の腰の正位置に吊り、こんこんと靴で舞台に敷き詰められた石を確かめる弥生ちゃんに、女は目を細めて言った。

「なにを、なさいます?」
「いや、情報を提供してくれる御礼にね。もうすこし、かな。」

 女に近付いて、8メートルの間隔を開けて止る。

「こんなものでどうだろう。」
「大変結構です。これほどの馳走をなさって下さるのならば、私も真実で応えましょう。」

 背が高く動きも早く隠し武器を多用するギィール神族は、剣で闘う場合7メートルの間合いを適正とする。経験が深く格闘戦に特化したこの不吉な女にとって、弥生ちゃんが居る距離はまさに彼女の世界だ。
 弥生ちゃんは言った。

「髪の中に隠してあるモノも、気になってね。」
「ええ。それは気になるでしょう。なぜなら、これは。」

 黒い突風となって女の髪が右回りで弥生ちゃんに襲い来る。周囲のネコには髪が突然伸びて突き刺さるかに見えた。皆一斉に首を持ち上げる。
「!」

くぅああああんんん。

 長い髪がたなびいて、元居た場所から伸びている。彼女は自分の動きを長く冥い髪に隠して、攻撃の起こりを隠す。女の姿は隠し持った長刀を片手に、弥生ちゃんの左側にあった。
 銀色に輝く長刀は刃に青い光を帯びて、弥生ちゃんの愛刀と接触する。腰に帯びたまま左の逆手で抜いたカタナに防がれ触れ合って、青い光を輪形に放つ。

 青晶蜥神の神威が篭る青い清らかな光が十重二十重に波紋を描いて空間に満ちる。
 ガラスの棒を打ち合せるに似た、澄んだ高い音が円形劇場に響く。その音色は天上の星の巡行に伴う音楽とさえ聞こえる。

 先制の初太刀に失敗した女は、二度三度四度と嵐の如くに打ち掛かり、その度光は劇場に満ちた。が、五度目を逆に弥生ちゃんに弾かれて、舞台の中央に戻る。

「・・・重い! まるで黒甲枝を相手にしたようだ。」
 女は弥生ちゃんが風のように早くミョ燕のように身軽だとは、知っていた。だが、自分の打ち込みを一歩も動かず耐え小揺るぎもしない重さを示すのには驚いた。弥生ちゃんは身長公称150センチ。2メートルのギィール神族と力くらべをして勝てる道理が無い。

 弥生ちゃんは逆に、神刀が女の手に有ってまったく普通に用いられるのにびっくりした。邪なる者がッイルベスの剣を墓所から奪おうとして、柄を握ったのに指を刎ねられた事件がつい先日あったからだ。

「忠告しておきましょう。その刀はけっして私の肉に刺さる事はありません。何故ならそれは。」
「いや、神威にも耐え斬り飛ばされなければ、用を為す。」

「持ち主はどうしました。どこで手に入れたのですか。」
「この場に有って、私が持つのです。聞かずとも由来は御存知で。」

「ミィガン!」

 

 突如響き渡る妙音に不審を覚えて、神官戦士達が扉を開いて中を覗き込んだ。舞台上で刃を交える二人の黒髪の女の姿に肝を潰し、全ての扉を開いて中に飛び込んで来る。

「ガモウヤヨイチャン様!!」
「近付くな! お前達の手に負える相手じゃない。」
「しかし!」

「覚えておきなさい。この人が、  人食い教の主だよ、っと。」

 神官戦士の何人かはギジジットから付いてきて、黒甲枝ジンハ守キンガイアと闘った場面を見ている。だが弥生ちゃんの太刀筋は以前とまるで違う。
 動きが極端に少なく小さくなっている。それどころかカタナをろくに構えもしない。一応下段に構えているのだが、彼らからすると隙だらけに見える。しかし、黒髪をなびかせ派手なフェイントで方向を分からなくして打ち込む大女の長刀を、無造作に弾いている。じわじわと間合いを詰めて、彼女を押し込んでいた。大人と子供に見える体格差があるのに、小さい方が鋼鉄で出来ていた。

 ついに女は刀での攻撃を諦め、髪を振り乱し大きく宙に舞わせて、弥生ちゃんを包み込んだ。
「・・! 投網か!?」

 だが流れる動作で床をネコみたいに這って掻い潜ると、横に体を捌いて髪を両断した。
「ウィッグに、錘と投げ縄を隠しているのか。方台でも一番強力な縄は女の髪を編んだのてわけね。」

 女は切り札を容易くかわされた事に憤然として、大きく後ろに飛びずさった。単に間合いを開けて仕切り直すつもりだったが、その着地が終る前に弾丸と化した弥生ちゃんに懐に飛び込まれた。

「!!」
「     ふむ。よくかわした。」

 女はかろうじて斬られ損なう。髪の仕掛けを失って身軽になっていたのが幸いした。逃げ飛んだ巨体が激突して、庭に通じる大扉をぶち破る。
 夏の日差しの中に転げ出た女は、それでも余裕を失わずに笑みで応えた。

「今はこれまで。見事な馳走堪能させて頂いた。」
「そう? まだやり足りないんだけど。」

「スプリタ街道南、ベイスラ県ヨガアネ村から真東に行くと、古いミミズ神殿の跡が有る。その地下に続く隧道こそ穴への入り口。もう700年も誰も通っていないがね。」
「ふむ。」

 弥生ちゃんはカタナを右手に横に開いて、神官戦士が押し寄せるのを留める。女を逃がすつもりだ。
 神官戦士達に不満はあったが、手傷を負ったわけでもない人喰い教徒の主に勝てるとも思えないから、指示に従う。

 女は潔く負けを認めると正面を向いたまま数メートル後退し、くるりと尻を見せて全速力でトカゲ神殿の庭を駆抜けて行った。逃げ足の早さはネコに迫るほどだ。

 

 神官戦士達は一応劇場の周囲を確かめ、他に刺客が無いか調べる。弥生ちゃんの傍にも寄って来た。

「お見事です。あれほどの使い手に一方的に勝利するとは。不動の構えと見ましたが、これも星の世界の術でしょうか。」
「ひとは、自分が攻撃している時は万全の態勢で打ち込んでいると思いたがるものでね。」

 神官戦士を束ねていたアガッぺが、弥生ちゃんに注意を促す。あの女が用いていた長刀は、もしや。

「うん。間違いなくミィガンの刀だ。取り返さないといけないが、どうせまたなんらかの方法で私の元に来るだろう。」
「追跡隊を出しますか。」
「人喰い教徒がそんなに簡単に捕まるわけがないでしょ。それよりミィガンだ。おそらくは、・・・・・生きていないだろうけど。」

「人をやって、ミィガン殿の行方を探させます。」
「いや。・・建軍準備委員会の者に招集を掛けて。三人! 東金雷蜒王国の裏事情に詳しい腕の立つ者を。生きていれば救出を、そうでない時は・・・・・復讐を。」
「はっ!」

 100匹のネコが円形の舞台に降りて、弥生ちゃんの周りに綿菓子のように擦り寄って来る。弥生ちゃんは人差し指を唇に縦にして、今の出来事は誰にも話さないよう念を押す。

 

「ガモウヤヨイチャン様、お久しぶりでございます。」
「?、・・・・・・・。!おおっ、なんだか随分景気のいい服装になってたから分からなかった。えーと、名前は聞いていないんだったね。私はネコ達に倣って『トンボの隠者』って呼んでたんだけど。」
「いかようにもお呼びください。名は無き者にございます。」

 弥生ちゃんはティンブットが伴って連れて来た中年の男性と面会した。彼は、弥生ちゃんが十二神方台系に降臨するのを、牛乳みたいに濃い霧の中に何年も留まって待って居た人物だ。
 彼の使命は方台に現われた救世主に、なにを為すべきかを最初に伝えるものだった。それが成功したかは、今となってはどうでもよい。ともかく弥生ちゃんは走り始め、万人に認められる押しも押されもしない救世主となっている。

「今はもう、名乗れるのかな。」
「それがー。」

「ガモウヤヨイチャンさま、この人は元々名前が無いんです。」
と、ティンブットが嬉しそうに言う。約半年ぶりに再会した訳だから、とてつもなくラブラブな気配を濃厚に漂わせている。彼女が、彼について驚くべき事実を説明した。

「この人は頭をごつんとなにかにぶつけて、記憶をきれいさっぱり無くしてしまったのです。」
「うそお。」

「本当です。私は、気が付いたらあの場所に居ました。自分が何者であるか、どういう経緯でここに居るか何一つ知らず、ただ救世主を待つ事だけを知って居たのです。」
「・・・でも、それはチューラウに会ったから、なの?」
「違います。私はそのまま霧の中をさ迷い歩き、行き倒れて無尾猫に発見されました。介護されしばらく過ごす内に、ただ使命の事だけが頭の中で大きくなり弾けそうになって、そこで初めてネコ達が私をチューラウ神の居る谷間に案内してくれました。」

「ふうむ。で、今は記憶は戻ったの?」
「いえ。神殿組織の力で前の身分と家族は探し出してもらいましたが、これが自分だと提示されたものを受入れられず、依然として私は名無しのままなのです。」

「ガモウヤヨイチャンさま。要するにこの人は、そこで生まれ変わったのですよ。だから、名前は私が付けます。」

 ティンブットは非常に瑞々しい雰囲気を漂わせており、ほとんど新婚さんだ。弥生ちゃんも、彼女の喜びの背景が読めた。つまりティンブットは彼を発見し非常に気に入って強引に夫としたのだが、当の旦那は使命に頭全体を支配されて上の空状態にあり、解放された今ようやく正面からティンブットを見るようになったのだ。

「ティンブットは旦那さんをどこで見つけたの。」
「霧の晴れる街道の側です。ネコと一緒に行ったり来たりするこの人を見て、ああここに居たんだ、と納得したのです。おそらくは、天河の計画に私達が会うと定められていたのでしょう。」

「ふうん。で、名前は考えたんだ。」
「はい。『サトラパト』というのはどうでしょう。初めて会った時からもう何年もそう思っていました。」

 古語で『まちぼうけ』、紅曙蛸巫女王時代に恋人の帰りを何十年も待ったという男の名だ。タコ巫女の舞曲の一つに彼の話も有る。弥生ちゃんと共に旅している間も、彼のことをずっと思って居たティンブットの気持ちも、そこに籠められているのだろう。

「いいんじゃない。で、今はどうなっているの。お仕事は?」
「はい。私はあれからスプリタ街道を北上して聖山に上がり、神通翁・嫗様に御報告をいたしまして、ネコの神の大神官を仰せつかっています。」
「ネコのカミって、何?」

「聖山に居るネコ達の頭領です。それの大神官というのは閑職でして、まあ、ていのいい飼い殺しでございますね。」

 青晶蜥王国でティンブットと一緒に働いてみないかと誘ったが、彼は聖山でネコの神と暮らす方が良いと断った。そういう性格の人間はどこの社会にも居るから仕方ない。

「じゃあ、ウラタンギジトに居る間はあなたもずっと近くに居て、私を支えて下さい。」
「はい。無学非才の身であっても、多少はお役に立てる事もあると思います。」

 無学なんてとんでもない。ネコと共にあり、ネコの噂を集積し分析して世界の姿を明らかにする手法は、彼から弥生ちゃんが学んだものだ。彼がながながと伝えた方台の情勢と救世主の使命についてのレクチャーは、その後実態を観察するに全然役に立たないと判明したが、この手法だけは完璧に自分を助けてくれる。彼がチューラウ神に与えられた真の使命は、おそらくそれだったのだろう。
 あるいは、ネコ達が自身で青晶蜥神救世主との繋がりを求め、媒介として彼を選んだのかもしれない。ネコは、人間が思うよりもずっと策謀に長けている。

「ネコのカミ、てのにも会ってみなきゃいけないな。」

 

 

 結局、ウラタンギジトへは必要最小限の人数で行きたい、という弥生ちゃんの希望は叶えられなかった。

 トカゲ神官巫女の隊50名、神官戦士団100名、青晶蜥王国建国準備委員会及び建軍準備委員会50名、荷物運びの奉仕についていく市民100名。これにギィール神族キルストル姫アィイーガに従うゲジゲジ神官以下の神官戦士100名に荷物運びの奴隷100名。ティンブット率いる十二神殿神官巫女団100名と合わせて、総数500名、イヌコマ1000頭の大行列となる。
 加えて、褐甲角王国赤甲梢総裁メグリアル劫アランサ率いるクワアット兵100名に従者侍女20名、デュータム点の衛視局から官僚10名に下吏25名。外交司ゲマラン昧マテマランが連れて来たウラタンギジトの重装甲兵100名と、さらには正式な参加が認められなかった弥生ちゃんの信者が数千人規模でウラタンギジトまで同行する。

 ウラタンギジトは山中にあれども1万人を養えるだけの規模を持った城塞都市だが、これだけの人数が一度に押しかけては障害を来してしまう。あらかじめデュータム点から物資を送り受入れ準備を整えて、初めて入城の許可が出た。
 最大の障害と思われたメグリアル劫アランサの会談への同席も、無制限に許された。どちらにしろ、一度弥生ちゃんに会ってみなければどう状況が転ぶか想像も出来ず、東西の金雷蜒神聖王に対策の上奏もできない。予備的な会談であれば、敵国の王女くらい傍にあっても構わないという見解だ。

 ゲマラン昧マテマランは外交の専門家として褐甲角王国にも知られた人物であり、和平と戦を適量に用いて双方の王国が並び立つよう腐心して来た。ハジパイ王の好敵手とも言える。
 彼の目から見た弥生ちゃんは、明らかに覇王の相を備えた新時代を拓くに足る強力な破壊者と映る。いや、彼女が方台に姿を現わした時点で、既に時代は逆戻りの出来ない段階に移行したと、彼は解釈する。『十二神方台系の外』という概念が革新的過ぎて、人がそのままで在る事を許さないのだ。

「変革の時代は力有る者にとってはこの上なく面白く、良い巡り合わせに生を授かったと天にも感謝するが、黒甲枝は耐えられるかな。」

 彼は知っている。弥生ちゃんの真の敵は、正義を積み重ねて来た成果である現状を守る旧革新勢力、つまりは褐甲角王国であり、進取の気風に溢れた金雷蜒王国ではない。ギィール神族はいざとなればたった一人でも生きて行けるが、黒甲枝は民人を護るという誇りの支えが無いとたちまちに錆ついてしまう。

「高潔なる武人という概念を神の一族の座に押し上げた褐甲角王国は、そのまま滅びるには惜しい代物だ。金雷蜒神の光の前に屈伏しない者は、我らにも好ましい。チューラウ神の救世主はいかなる救いを彼に与えるか、見物だな。」

 故に彼自身は、メグリアル劫アランサ王女の会談への同席をすぐに承認した。忍耐強く政治の荒波に揉まれて来たメグリアル家は黒甲枝の手本ともなる存在で、彼女が耐えられるのならば褐甲角王国にも未来はある。
 また、若く美しい王女が運命に翻弄される姿は、嗜虐趣味を掻き立てずには居られない。

「ガモウヤヨイチャンという人も、彼女が簡単には潰れないよう色々と武器を揃えてくれているな。楽しいことだ。きっと神祭王にもお喜び頂けるだろう。」/p>

 

 ゲイルの背の上で、彼は高らかに笑った。嘲弄にも快哉にも感じられるその声に、行列を見送るデュータム点の人々は心が騒ぎ立つ不安と予感を覚える。
 ガモウヤヨイチャン様は必ず帰って来る。デュータム点に戻って、人々を救う神の王国を建てて下さる。そうでなければ、混沌の渦に自分達の運命は流れ込むだろう。

 かならず、かならずお戻り下さい。導いて下さい、と誰もが弥生ちゃんに祈った。小さなイヌコマの背に乗る、小さな救世主に必死の願いを注ぐ。

 

 

 創始暦5006年夏中月十八日、青晶蜥神救世主ガモウヤヨイチャンの一行はデュータム点を出て、神殿都市ウラタンギジトに向かう。

 

【エピローグ】

 褐甲角王国南の中核都市イローエントから東に20キロ離れた国境線「マングル砦」近くの廃村に、黒甲枝レメコフ誉マキアリィとカニ巫女クワンパは逃げ込んだ。50年前の大戦で焼かれた村には真水が一滴も無く、照りつける太陽の下で渇きに苦しみながら、彼らは廃墟の間を隠れて進む。

 西金雷蜒王国の秘密部隊「スルグリ」が難民と結託して新生紅曙蛸王国に干渉しようとしている、との情報を得た二人は、イローエントの難民街に変装して忍び込んだ。
 難民にも上下の別はあり、支配層と呼べる者は兵を貯え絶対の権力を誇り、ひそかに策謀を企んでいる。彼らの屋敷を見張ればスルグリと接触する機会を抑えられるだろうと目論んだが、周囲の難民全てが二人の敵とも言え、密告されてたちまち窮地に陥った。

 タコリティでソグヴィタル範ヒィキタイタンに重傷を負わされたマキアリィは、聖蟲を戴いていながらも無敵とは言い難い。まして変装して防具も纏わぬ軽装であり、カニ巫女も連れていてはろくに格闘も出来ず、やむなく撤退を余儀なくされる。
 難民街から兵に追われるままに間道を走り、隠れる場所を探して飛び込んだのがこの村だった。

 

「海岸線に辿りつけば、密輸業者の隠れ家くらいあると思ったんだがな。」
「砦に近過ぎます。いくらなんでも、ここにはないでしょう。」
「斬り込むのは容易いが、お前を連れては無理だからな。もう少し我慢しろ。」

 二人は既に30時間も水を口にしていない。べっとりと粘り着く舌を海水で洗わねばろくに喋る事も出来ない。マキアリィは聖蟲を戴くだけあってまだ余裕があるが、我慢強いとはいえただの女人であるクワンパはもう数時間しか保たないだろう。

「脇から兵を襲って水と食糧を調達してくる。お前はここに隠れていろ。」
「・・・はい。」

 何十年も放置され太陽に焙り続けられた家の残骸にクワンパを置いて、マキアリィは身を屈めて敵の隙を窺い、走る。
 タコリティで受けた傷はまだ癒えず、左手は実質使えない。正体を悟られないように剣ではなく交易警備隊が用いる刀を下げているが、ほとんど棍棒のような切味で一太刀で人を殺せるというものではない。短弓で武装している敵に対するには、かなり不利な状況だった。

「せめて賜軍衣があれば、弓はなんとかなるのだが。贅沢は言ってられないな。」

 三名で左右を警戒しながら捜索する兵に、物陰から石を投げる。果たしてマキアリィが潜んでいると気付いて矢が放たれた。耳元を擦過する矢を、マキアリィはそのまま掴み取る。聖蟲を持つからこそ出来る離れ技だ。

「これこれ。矢が手に入ればだな。」
 そのまま右手の二指で挟んで投げ返し、一人の胸元に突き立てる。鎧と呼べるほどの防具は身に着けていない難民の兵は心臓を抉られて、あおむけに倒れる。隣の兵がすかさず矢を放つが、マキアリィはまたしても、額の前で掴み取る。

「悪いな。」
 矢を放った兵は同じ矢を額に受けて、これもあおむけに倒れた。残った一人は応援を呼びに逃げて行く。死んだ兵の装備から、水筒と食糧、矢筒を取ってクワンパの待つ廃墟に戻る。

「二度は同じ手は通じないだろう。さすがに今度はこちらの攻撃を予想して物陰に隠れながら来るからな。」

 真っ白にかさついた板をめくり上げてクワンパを探すが、居ない。周囲を見渡しても、ただ群青の海の色が見え潮騒の音が聞こえるだけだ。

 

 マキアリィは耳を澄ませた。聖蟲によって強化された知覚は人間の何十倍もの能力を持ち、敵が潜んで居たとしても鼓動や呼吸音で人数を知る。クワンパの呼吸は水分の不足で荒く喘いでいるはずだから、

「・・・! 2、3、いや5人居る。クワンパは、・・・無事か。」

 岩場の上に大きく姿を見せて、マキアリィは立つ。黒甲枝だとはいえ、生身で背後から矢を射られればさすがに死ぬが、クワンパの命には代えられない。

「おい。居るのは分かっている。姿を見せろ。」

 磯の大岩の陰から短弓を構えた兵が左右から姿を見せる。二人を追って来た者とは装備が違い、かなりの重装で胸楯も下げて兜も被っている。これでは威力の低い指矢の術は効かない。
 5人が姿を見せ、更に4人が背後から迫ってマキアリィを包囲した。どれもかなり訓練が行き届いた兵で、彼らの放つ矢からは逃げられないと観念する。だが、尋常の交易警備隊や海賊には見えない。武具だけでなく、呪具で全身を覆っている。

「その風体、何者だ。難民に雇われるような未熟な兵ではないな。スルグリか。」

 最後に、隊長と思われる巨人がクワンパを右手に現われた。禿頭でかなり立派な鎧を着け、鉄の鋲を打った長棍を左手に持つ。首からは真っ赤に塗った髑髏をぶら下げる。

「・・・驚いたな、人喰い教団か。おまえ達もスルグリの手下か。」

 

「追捕師レメコフ誉マキアリィだな。おとなしく従ってもらおう。さもなくば。」

 巨人の右手がクワンパの細い首を締め上げる。彼の力であれば、頚骨を砕くのも容易い。

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