げばると処女 APPENDIX

 

 

【一方その頃弥生ちゃんは、無茶をしておりました】

 テュクルタンバ、古代の王都にして今は巨大な岩舞台のみが残る片田舎。
 交易警備隊長出身の中年禿頭片目の戦士ネンコイ、弥生ちゃんから”オッチャン”の名を与えられた彼は繁多である。

 弥生ちゃんの禁衛隊「神撰組」は救世主代行キルストル姫アィイーガの命でここを死守する。
 一応は莫大な財宝が確認されたのだが、なにせ番人が化物だった。
 盗賊どもも怖れをなしてアレ以来寄りつかない。
 褐甲角王国も神兵10兵1000を常駐させるから、神撰組はほんとうにやる事が無かった。草でもむしっている。

 こういう時貧乏くじを引かされるのは、常に引いている人。ネンコイが実質隊士を任された。
 何もしないというのは忍耐を試される。士気を高める為に無理でも仕事を作り出さねばならない。
 結果、無意味と忙しくなる。

 連日の雑用で隊士達はだらだらしている。一見すると士気なんかまるで無い。
 だが交易警備隊ではこれでよいのだ。
 方台全土を何十日も掛けてひたすら歩く。目的地に着けば即次の旅に乗り換える。
 気張っていては身体が幾つ有っても保たない。長持ちするようにだらだら歩くのがコツだ。

 暇なら訓練でもしろ?食い物が無ぇのだ。
 ばたばた動き回れば腹が減る。デュータム点から資金や食糧は補給されるが、潤沢とはいかない。
 隊士の半分は食糧調達で山に入っている。畑を耕そうと考えるくらいだ。

 しかし、いい加減雑用を探すのも飽きた。誰か代ってくれねえかな。

 隊長の”コンドーサン”ゥアンバード・ルジュはいいのだ。あの人は真面目だし手堅いし泥臭い仕事も嫌がらないし、どちらかというと自分に似ている。
 ただ他の幹部連中はまったく興味を示さない。
 ギィール神族に生まれた高慢な戦士、黒甲枝出身で計算高い剣令、お気楽な武術自慢、山師、盗賊、究極個人主義のスガッタ僧。
 ……俺がするしかないじゃないか…。

 このまま弥生ちゃんがずっと帰って来なければどうなるのか。
 ネンコイは草に寝転がって夏に向かう青空をぼーっと眺めた。もうすぐ雨季も来る。

「……せめて”オッチャン”とかでなく、星の世界の偉い武将の名前だったらなあー。」

 高い空をなにか飛んでいる。鳥か? 鳥にしてはきんぴかに光っている。
 こういう不思議は交易の旅の途中で何度か見た。方台の空は案外と変なものが多いのだ。

「ぁあ?」
 虫だ、カブトムシだ。大きなカブトムシが高い空を飛んでいる。
 ちょっと待て、この高さこの距離でこんなに大きく見えるなら、あのカブトムシはどんな馬鹿デカさだ?

「おっちゃ〜ん!」
 カブトムシが女の声で叫んだ。聞き覚えが有る。
 ネンコイがばっと立ち上がり、天を見上げる。馬鹿でっかいのは、カブトムシ神の地上の化身だ。
 では、その背に乗る女人は!?

「おっちゃ〜ん」
 ガモウヤヨイチャンさまだ! 自分に向かって手を振っている。大きく千切れんばかりにだ。
 こちらをも手を振り返す。近くでだらけていた隊士達も気が付いた。
 帰って来た、救世主さまが帰って来られた!

 テュクルタンバ岩舞台の上空を黄金のカブトムシが旋回する。大きく一周すると、青い光条が真っ直ぐ西に向けて放たれた。
 デュータム点だ。弥生ちゃんはこれよりデュータム点に向けて飛ぶ。

 ネンコイは叫んだ。
「おら貴様ら、カネでも太鼓でもなんでも叩け。全員招集しろ!」
「で、ですがそれは敵の襲来を報せる、」
「うるせえ、こんな大事が他に有るか。がらがら鳴らせぃー!!」

 上空から再び弥生ちゃんが手を振る。自分に向けてだ。そのままぴゅーっと西に向けて飛んで行ってしまった。

 俺は”オッチャン”だ、オッチャンでいい。俺は天下に名高いおっちゃんだぞー。
 ネンコイは歓喜に打ち震えて叫んだ。

 ガモウヤヨイチャンさまの御帰りだあ!

 

 デュータム点より少し離れた平原に弥生ちゃんの信者は集まっている。市内に収まりきらず、野外に天幕を張って弥生ちゃんの帰還を待つ。
 中心となるのはトカゲ神の老神官シンチュルメ。
 彼は聖山にて青晶蜥(チューラウ)神の最高神官を務めていたが、弥生ちゃん降臨の報せを聞き位を投げ棄て下界に降りる。ヒラの一神官に戻って病人を救う。
 救世主と共に病に苦しむ民衆と接するのは、トカゲ神官無上の喜び。老骨に鞭打ってなんの悔いがあろうか。

 いつもの通りに病人を診ていた彼の頭上に、黄金の光が射す。
 なにごとと見上げる空に、いかにも神々しい神の姿があった。背には、誰もが待ち望む星の世界よりの救い主が。

「シンチュルメ、待たせた。」

 地にカブトムシ神が肢を着けるよりも早くに弥生ちゃんは飛び降り、老神官の手を取った。
 彼には3月で戻ると書き置きしたが、倍も長く不在にしてしまった。許せ。

 シンチュルメは皺だらけの顔に滂沱の涙で救世主の帰還を喜ぶ。今死んだら極楽往生間違い無し。
 信者も慶びの声を上げ泣き出す者も多いが、それにしてもカブトムシ神の地上の化身に乗っての御帰還とは如何なる仕儀や。

 おっとり刀で弥生ちゃんの側近達が飛んで来る。
 デュータム点には救世主神殿が有るのだが、蘇った古代の紅曙蛸女王テュラクラフにより占拠される。
 女王の影響力は凄まじく近付く者は皆廃人となるので、青晶蜥神救世の運営本部は市外に脱出していた。

 弥生ちゃんは叫んだ。

「シュシュバランタはいずこ!」
「はっ! こちらに控えおります!!」

 長い旗竿を抱えて走る太鼓腹の巨漢が信者を掻き分け進み出る。弥生ちゃんの旗持ちだ。

「シュシュバランタ、掲げよ!」
「はっ!」

 青地に女人の首の人頭紋。青い半円の髪に金色の角を2本生やしまっすぐに正面を見つめる「神殺しの神」ぴるまるれれこの顔である。
 これこそが弥生ちゃんの王旗。コウモリ神人との激闘の後に、初めて翻る。

 青晶蜥神救世主蒲生弥生ちゃん、復活だ。

 

 沸き上がる歓呼の声の中、弥生ちゃんは巨漢に話し掛ける。

「それにしても、旗持ち覚悟の戦傷、天晴だ。」
「有難うございます。」

 シュシュバランタは毛の無い頭から顔から肩から、全身到る所に細かい傷を負っている。既に癒えてはいるが、ミミズ腫れとなり異形の姿。
 これも皆、コウモリ神人と弥生ちゃんの激闘の場に唯一人立ち会った証。空から降り注ぐ牙の破片を浴びつつも、決して王旗を地に落とさなかった勇気の印。
 致命傷は弥生ちゃんが与えた空飛ぶ小刀が弾いたが、全ては防ぎきれず全身血塗れで立ち往生寸前を救われる。
 彼を回収した褐甲角軍においても、旗持ちの模範として篤く遇された。

 その後出血多量で2月ほどは身動きできなかったが、神剣による治癒で体調も戻り、今再び弥生ちゃんの隣に立つ。

「この傷はシュシュバランタ一代限りの名誉。たとえ万金を積まれようが王侯貴族の位であろうが引き換えに出来ぬ宝にございます。」
「よく言った。ところで、今一度私の為に死ぬる覚悟はあるかい?」
「いずこへなりと、どのような怪物相手でございましょうとも、シュシュバランタは御傍を離れませぬ。」

「うむ。ではもいっぺん死んでもらおう。」

 秘書である巫女ファンファメラ他に細々と今後の指示を与え、再び弥生ちゃんは巨大カブトムシ神の背に戻る。
 真なる目的地はカプタニア。ソグヴィタル王 範ヒィキタイタンを救わねばならない。
 だがその前に、

「ガモウヤヨイチャンさま、いずこへ参られます。」
「うん。ガンガランガの武徳王本陣へ、なぐりこみだ。」
「へ?」

 

 ガンガランガの草原には武徳王の大本営が有る。近衛兵団神兵200にクワアット兵5000の大軍勢、金翅幹元老員も数十名が従う。
 天空よりの珍客に当惑した。
 なにしろ巨大カブトムシ神だ、彼らの護り神がトカゲ神救世主を背に舞い降りる。どう対処すべきか、誰にも分からない。

 公然の秘密であるが現在武徳王カンヴィタル洋カムパシアラン・ソヴァクは目を患っている。
 守護神の到来に自ら迎えねばならぬ所、まずは代理として金翅幹元老員筆頭「破軍の卒」カプラル春ガモラウグが立つ。

「青晶蜥神救世主ガモウヤヨイチャン様と御見受けいたします。騒がしき戦陣への御降臨、痛み入ります。」
「うん。」
「されど、何故我らが主の化身に乗りてお出でになられましたか。ご説明を願いたく存じます。」

 なんだか怖そうな髭のおじさんに謙られるのは気味が悪い。とはいうものの、弥生ちゃんまったく怯まぬ。

「カブトムシ神に乗っての方台への帰還は、武徳王陛下御自らによる御勧めに従ったもの。改めて陛下へのお目通りを願いたい。」
「は。して御用の向きは如何に。」
「武徳王陛下は毒にて御目を患うと聞き及びます。僭越ながら我が神チューラウの光にて癒さんと参上しました。」

「なんと!」

 カプラル流石に抑えきれず、怒りに身を震わせる。
 卑しくも褐甲角神の聖蟲を戴く者が、他神の力を借りるなど許されるはずも無い。
 ヒラの神兵ならまだしも、王国の頂点に在り救世主たる武徳王にそのような真似されてたまるものか。
 決然として申し述べる。たとえ一戦交える事となろうとも、こればかりは許せぬ。

「謹んでお断り申し上げます。天河十二神の理においても、それは許されませぬ。」

 弥生ちゃん、予想の範囲内の返答にうむと首肯く。言った。

「手向かいを許す。」
「は?」
「近衛の神兵ことごとくを討ち滅ぼし、武徳王陛下の御前に参るから、掛かって来なさい。」

 殴り込みだ。少女の背後には青地に女人の首の人頭紋、「神殺しの神」ぴるまるれれこが翻る。
 「神殺し」が褐甲角王国に牙を剥く。

 カプラル、如何に豪胆であろうともこればかりは冷や汗が背に伝う。再度確かめねばなるまい。

「本心よりのお言葉であられますか?」
「もちろん人死には私の好むところではありません。ですが、」

 つつ、と脇より身を屈めて近付く者が有る。
 白銀の鎧に身を固めた背の高い女人が、弥生ちゃんに木で作られた刀を捧げる。
 青晶蜥王国建軍準備委員会より派遣された神裔戦士ューマツォ弦レッツオである。

 カプラルも彼女の存在は見知っていたが、今更に弥生ちゃんの手下であったなと思い出す。
 柔らかく麗しい姿、人に警戒を与えぬ物腰雰囲気。毒の無い、されど決して物事の本質を外さぬ鋭い洞察。
 只者ではないのは誰の目にも明らかだが、まさかここで本性を表わすとは。

 武徳王が半ば失明状態であると弥生ちゃんに報せたのも、彼女の仕業であろう。(注;様々なルートでバレバレです)
 特別に大本営の出入りを許したのが、仇となったか。

 弥生ちゃんは弦レッツオが差し出す木刀を受け取った。聖山ウラタンギジトより下る際に敢行した大演習で用いたものと寸分違わぬ姿、材質。よく心得ている。

「貴女って人は、あいかわらず良く気が利いて、困っちゃうな。」
「御褒めにあずかり光栄に存じます。」

 青晶蜥王国の猟官活動に詰め掛けた様々な階層の人の中でも、彼女は飛び抜けてヘンな人だった。
 ほとんどテレパシー並みに人が欲するものを見出し、それとなく差し出し気付かせないのだ。
 二言三言口をきいて、即採用。だが神官巫女の中に混ぜるとたぶんとんでもない事が起きるので、褐甲角王国への観戦武官の役を振ったのだ。
 こんな所で出くわすなんて、さすがの弥生ちゃんでも計算外。

 しかしながら、木刀であれば思う存分暴れられる。握る曲線に早くも神威が籠り、青い疾風が渦巻き始める。
「掛かってきなさい!」

「カプラル様!」
 近衛兵団長スタマカッ兆ガエンド兵師大監が「破軍の卒」の肩をがっしと掴み引き戻す。
 これよりは近衛兵団の仕事。交渉は決裂、金翅幹元老員の出番は終る。

 元より黒甲枝にしても他神の力を借りようとは思わない。まして武徳王陛下を無理やり「治癒」させようなどは、許しておける道理が無い。
 だがそれ以上に、方台最強の名をほしいままにする弥生ちゃんと剣を交える事が出来るとは。武人の本懐ここにあり。

 この際、少女だとかチビだなどは評価の外だ。
 彼らは皆コウモリ神人との激闘を間近で見た。いかに重装甲で剛力を振るう神兵であっても、コウモリ神人には到底叶わない。巨大な獣身と化しては尚更だ。
 にも関わらず、弥生ちゃんは危なげ無く退けてしまう。人の強さでは無い、正に武神。
 「神殺しの神」の名を地に叩き伏せれば、褐甲角王国はこの先千年も輝くだろう。

 たたっと若い神兵が1名走り出る。
 近衛兵団と言えども全員が常時甲冑を着装しているわけではない。当番に無い者は平服で待機する。本陣中心部にはそういう者が多い。
 彼は神兵のみに許される賜軍衣すらも纏わず、大剣一振を抱えて弥生ちゃんの前に立ち塞がる。

「我は近衛兵団キンカラン尊ジアムロゥム小剣令。ガモウヤヨイチャン様におかれては、速やかに御引き取り願いたい!」

 近衛兵団でも一二を争う無鉄砲の若手神兵だ。一番手を誰にも譲らぬと用意も無しに飛び出した。
 だが兵団長の目による承認を得て、栄えある役目を引き受ける。

 弥生ちゃんは鋭く声を発する。微塵の惑いも見られない。
「参る!」

 

 近衛兵団の他の兵団との違いは、神兵の能力を極限まで引き出す事を目的とする点だ。
 赤甲梢があくまでも敵金雷蜒領への侵攻を企図して戦術と装備を整えているのに対し、近衛では神兵個人の武術を奨励する。神兵同士が戦って勝つ事を重視する。
 神兵最大最強の技は吶向砕破。
 聖蟲による爆発的な加速力で自らを砲弾と化すこの技は、精神集中に時間が掛る。出来るだけ短くするのが近衛の奥義だ。

 キンカラン小剣令も未熟ながら、他の兵団の神兵よりはよほど短く発動出来る。
 尋常の相手では無いと知るから、最初の一撃から狙った。口上の最中に既に精神集中に入っているのも、戦術というもの。戦に綺麗も汚いも無い。
 ちなみに只の少女が大剣による吶向砕破を食らえば、地上から消滅する。血の入った革袋が破裂する惨状となろう。

 とはいえ、戦慣れをしているのはむしろ弥生ちゃんの方だった。
 「参る」と叫ぶ声が届く前に、キンカランは額に木刀の一撃を食らっていた。
 いくら弥生ちゃんでも吶向砕破なんか受けられるか。発動を未然に防ぐのが唯一の勝機。

 余りの思い切りの良さに兵団長スタマカッも唸った。ほんの数瞬遅ければ、いや既にキンカランは発動を始めていたのだ。
 それが証拠に彼の手から離れた大剣は遥か遠く、千歩(約700メートル)先まで飛んで行く。
 重量15キロの金属塊だ。ここまで飛ばすには大砲並の威力を必要とする。吶向砕破は確かに発動した。

 ばったり倒れるキンカラン。もしも額に黒褐色の聖蟲が居なければ、頭は半分に消し飛んだろう。
 弥生ちゃんは聖なるカブトムシごとぶっ叩いた。そうでなければ、肉体のどの部位であっても吶向砕破の逆流で千切れ飛ぶ。
 頑強無比不滅の聖蟲を叩くのが、唯一の正解。それでも神兵が失神する。

 見守る人は硬直した。
 神兵であればキンカランが何をしたか一目瞭然。いくらなんでもただの木刀を構える相手に吶向砕破は無いだろう。
 だが、それですら青晶蜥神救世主に防がれる。

 ちょこちょこと指で呼ばれて、弦レッツオは弥生ちゃんに近付いた。指示を幾つか受ける。
 戻って来て近衛兵団長に言上する。

「ガモウヤヨイチャンさまよりの御言伝です。吶向砕破に対しては、まったくに手加減が出来ない。御使いになられる方は死を覚悟されよとのことです。」
「…使うな、とは言わぬのだな。」
「はい。」

「弦レッツオ!」
 たまたま大本営に顔を出していた弦レッツオの身元引き受け人、金翅幹元老員ガーハル敏ガリファスハルが彼女を強引に引き寄せる。

「これは一体いかなることか! ガモウヤヨイチャン様は退けぬのか?」
「退けませぬ。天河の計画にございます。ここで武徳王陛下は御本復あそばさねばなりません。」
「それにしても、神兵悉く打ち倒すなど出来るはずが無い。止めるのが臣下の筋であろう。」

「いえ。やる気でございますよ。」

 その通り。キンカランに続いて武装を整えぬまま飛び出した神兵が既に5名、いずれも地に伏している。
 吶向砕破は効かぬと見極め尋常の勝負を挑むが、数秒も保たずに木刀の餌食と化す。
 更に続く神兵は装甲無しでは無謀と判断。まずは用意の簡単な丸甲冑の武者達が続々と列に並んで行く。

 ガーハル、悲鳴を上げるかに白銀の鎧の肩を掴む。

「どうする気だ。ここで青晶蜥神救世主と褐甲角王国が滅ぼし合おうと言うのか!」
「ガーハル様、周囲をご覧くださいませ。」

 女人に言われて目を左右に走らせるが、何も見えぬ。見守る兵の姿のみだ。

「ガーハル様、彼らの羨望の眼差しに気が付きませぬか。クワアット兵は皆、ガモウヤヨイチャンさまに御手向かいする神兵の方々を羨ましく思っております。」
「う、…何?」

「これはカブトムシの聖蟲を戴く方のみに許された特権にございます。金雷蜒の神族にも神剣を授けられた方にも出来ぬ。不滅の肉体を持つ神兵だけが耐え得る天の恩寵です。」
「決闘が、か。」
「神聖首都ギジジットでは巨大な金雷蜒神の地上の化身を葬られ、コウモリ神人の変化の獣をも退けるガモウヤヨイチャンさまに、他の何人が抗えましょう。千年一度、いえ万代に一度きりの奇蹟にございますよ。ガーハル様も御挑みになられてはいかがです?」

 またしても甲冑の神兵が宙に舞い上げられた。あの木刀はなんで出来ているのだ、神兵渾身の一撃を軽く巻いて弾き飛ばしたぞ。

「う、ううむう、神兵のみ、褐甲角神の使徒のみに許される、試練か。」
「はい。」

 明るく答える弦レッツオの声を背に、ガーハルは飛び出した。左に帯びる剣を引き抜き、並ぶ近衛の前に走り込む。
 黄金の甲冑が煌めいた。

「我は金翅幹元老員ガーハル敏ガリファスハル。近衛にはあらねど、ガモウヤヨイチャン様には一手御指南頂きたい!」

 12秒後、ガーハルは地にめり込んでいる。弦レッツオは近付きしゃがみ、感想を聞く。
「いかがでございましたか?」
「痛い…。」

 ちょいちょいと呼ばれて、彼女は再び弥生ちゃんの傍に行く。帰って来た。
 近衛兵団長と「破軍の卒」に言う。

「金翅幹元老員の方が御挑みになられるのであれば、キリの良い数の区切りとしてお加わり下さい。5人または10人毎に。」
「うむ。」

 「破軍の卒」カプラルは腕を組んで了承する。近衛ばかりに面白き事をさせておく謂れも無い。
 先ほど弦レッツオがガーハルに説いた言葉を、彼も聞いていた。なるほど周囲のクワアット兵の目の色が違う。
 彼らは皆、弥生ちゃんと戦いたくてしょうがない。如何に手酷く痛めつけられようとも一生の宝。死んでも天の河原での安楽が約束されよう。
 およそ武術を齧った者であれば、方台最強の戦士に触れてみたいのが人情。

 そう言うカプラルも身体がうずく。彼とて武術には人並み以上に熱を入れた。そんじょそこらの黒甲枝には負けはせぬ。
 弥生ちゃんの指示には続きが有る。

「近衛兵団長スタマカッ兆ガエンド様におかれましては、願わくば”LAST=BOSS”を務めていただきたいとのことです。」
「ラスボス、とは何か?」
「ラスボスとは一連の戦いを締め括るにあたり最後に出現する、最も優れ最も強大なる敵にございます。戦の意義を明らかにし、天下に己の正義を問うべく全力全霊を尽くしての死闘を要求される、そのような者にございます。」

「ガエンド! その役儂に譲れ!!」
「お断り致します! これは近衛兵団長たる私に、ガモウヤヨイチャン様が直々にご依頼下された栄え有る御役目。謹んで引き受けさせていただきます。」

 カプラル苦虫を噛みつぶし、それではせめてと最後から2番目を手に入れた。

 

 既に百人神兵が転がる。中ボスに大物が現れた。

「ハジパイ王太子、照ルドマイマン。武徳王陛下の御楯となりましょう。」

 剣ではなくクワアット兵の槍を抱えている。これまで大剣のみならずありとあらゆる白兵武器が試された。槍も何本折られた事か。
 案の定、ハジパイ王太子も槍を7つに斬り折られた。弥生ちゃんの木刀はただの木の棒の癖に、鋼鉄だろうがタコ樹脂だろうがなんなく貫き斬り飛ばす。
 ついで全身甲冑の装甲部位を雨あられと殴られる。時間にして20秒、念入りに叩きのめされ、留めに尻を蹴飛ばされて場外退場。

 カプラル等の前の土にめり込んだ。

「王太子殿下、情けのうございますぞ!」
「うう。やはり近衛のようには行かないですか…。」

 放せ通せ、と中年女性の声がする。金翅幹元老員「破軍の卒」でありながらも聖蟲を返上したゥドバラモンゲェド家の現当主 華シキルだ。
 彼女は聖蟲を持たぬ身でありながらも、右手に長剣左に丸楯を引っ提げ神兵の列に加わろうとする。数名のクワアット兵に腕を掴まれ制止されるが、叫び続ける。
 わたしも混ぜろお

 カプラル、同じ「破軍の卒」としてなんとかせねばと思うが、さすがに心情が分かり過ぎた。47歳の女人に涙目で訴えられると、いかんともし難い。
 弦レッツオに振り返ると、よろしいですよと微笑みが返る。

 神兵を差し止め、華シキルを立ち向かわせた。
 うおりゃあーと長剣振り回して果敢に弥生ちゃんに挑むが、木刀でぺんと叩かれその場に崩れ落ちる。失神。
 女人であるから、弦レッツオが一人で引っ張って回収する。

 濡れた手拭いで顔を清めて、ようやく意識を取り戻した華シキルはがばと跳ね起きて、言った。

「これが「神殺しの神」ですか。」
「いや、そなたを倒すのにそんな大袈裟なものは使ってないぞ。」

「いえ、この姿。この周囲の人の空気、誰一人として拒む者が無い。激烈苛烈な戦いが目の前で繰り広げられるにも関わらず、ひたすらに明るく朗らかな、これが「神殺しの神」の実態です。」

 カプラルにも近衛兵団長にも理解されない。だが彼女は正鵠を射貫いていた。
 「神」は死なぬのだ。神が地上を去る時には、人に喜びがある。全ての責務を果し終えて、天に戻るのだ。めでたい日、弥生ちゃんは手助けするのみ。
 もしもこの言葉が後世に伝えられていれば、ぴるまるれれこ教団などは成立しなかったかもしれない。
 だが一連の戦闘は、近衛の神兵の感想のみが記録された。
 曰「怖かった」と。

 

 戦闘は終局を迎える。
 金翅幹元老員「破軍の卒」カプラル春ガモラウグ、8秒。武術に優れる者ほど早く叩きのめされる傾向があるから、この数字は良い方だ。

 そしてラスボス。
「近衛兵団長スタマカッ兆ガエンド兵師大監。我を倒さずして武徳王陛下へのお目通りは叶わぬと知れ。」

 スタマカッは完全装備の重甲冑に王国旗、褐甲角軍旗、兵団旗等5本も負う。胸には銀箔で大きく「光明始源樹紋」を描く。
 この紋章はカプタニア山自体を表わし、カブトムシ神の聖なる宿木を象った。
 近衛兵団誇りの印。

 得物は大剣。神兵最強にして最後の武器である。
 鈍い鋼の光に照り返され、さすがに弥生ちゃんも動けない。なるほど近衛兵団長はこれまでの神兵とは格が違う。

 スタマカッが最強の由縁は、やはり吶向砕破だ。何時いかなる時、いかなる体勢からでも発動出来る。つまり連撃すらも可能という意味だ。
 しかも反応がずば抜けて早い。もちろん眼で敵を追っては、ここまで動けない。
 直感だ。全身の感覚を研ぎ澄まし、未来すらも先読みして動くから何人にも遅れを取る事が無い。
 百の矢で全周から射られるとしても、すべて叩き落とす自信が有る。

 正真正銘の化物であるから、弥生ちゃんも踏み込めない。
 まあ、やりようは幾らでも有るのだ。こういう敵にこそ”冷凍光線”は使うべきだし、小刀を宙に舞わして注意を逸らすのも常道だ。
 卑怯ではない。そもそも褐甲角の神兵がべらぼうな超能力の持ち主であり、おまけに聖蟲が発する風の護りすら装備する。
 こちらはただの木刀だ、責められる義理は無い。

 対峙は1分を越えた。さすがにスタマカッも焦れて来る。
 ラスボスであるから護りに徹するのが筋である。が、これまでやられた彼の部下は、皆積極果敢に挑んで敗れ去った。
 待ちで勝つのは、彼らの頭領としていかにも消極的。だがやはり動けない。

 弥生ちゃんが温存する秘技の威力が、彼の直感を先程から激しく刺激する。
 「突き」だ。この少女、これまで神兵をさんざんに叩きのめしたが突きは使っていない。
 重装甲であろうとも貫き死んでしまうからだ。秘するほどの得意技と見る。

 大正解。弥生ちゃんはこの化物を倒すにはやはり厭兵術突兵抜刀法と思い定め、下段に構えた。
 一見すると上半身がら空きなのだが、なにせ元々背が低い。スタマカッからしてみれば、男の下段が更に地を這うようなもの。対処に窮する。
 已むを得ぬ。こういう場合は圧倒的な破壊力でなにもかもを吹き飛ばすに限る。
 吶向砕破で弥生ちゃんの立つ地面ごと爆砕しよう。

 

 きらり、きらりと光の粒が弥生ちゃんの周囲を舞う。雪、いや氷だ。細かい氷の結晶が暖かい季節に静かに降り注ぎ、陽光を散乱させる。
 幻想的な風景にスタマカッは先手を取られたと気が付いた。
 幻術、目眩しだ。トカゲ神救世主は氷を使っての技も持っていたか?

 小細工は通常必要無い。相手が最強の神兵近衛兵団長だからこそ、用いる。額に座すカベチョロが弥生ちゃんの身を案じて加勢する。
 対して神兵のカブトムシも重甲冑の周りに風の護りを吹き起こし、氷晶の光を拭い去った。

 弥生ちゃんの姿が消えた!

 間髪を入れずにスタマカッは吶向砕破を発動する。真正面下から来るはずだ、姿は見えぬが薙ぎ払う。
 釣り鐘が割れるかに重く激しく轟いた。賭けは当る。
 弥生ちゃんが天空を穿つ勢いで足元から沸き上がるのを、大剣の鋼が受け切った。
 青い光の粒を撒き散らし、木刀が砕け散る。勝利!

 だが代償は大きい。金剛石の壁を思いっきりぶっ叩いたようなもので、大剣を握る右手が痺れて動かない。衝撃は全身を襲い目の前が暗くなる。
 他方砕けた木刀は衝撃を全て肩代わりした。黒髪なびかせて自由に動き、重甲冑の背後にするりと回る。

 弥生ちゃん、素手でも強い。
 合気系柔術の要領で動かぬ鋼鉄の右手首を極めると、そのまま背に導き地に伏せさせる。
 脇を踏んで右腕をねじ上げると、もうどうやっても動けない。何故動けぬかすらもガエンドは理解出来ぬ。
 とはいうものの、そこから先は手が無い。
 なにせ重甲冑だ神兵だ。このまま腕をねじ切るほどの怪力をこちらは持たない。動けぬようにしたは良いが、素手では留めが刺せなかった。

 仕方ない。腰の後ろに邪魔にならぬよう横たえた神刀「カタナ」をぎらりと抜く。こいつで重甲冑の手足のバネを斬れば、さすがに負けを認めるだろう。

 

「それまで!」

 神兵達に幾重にも守られていた奥の院より、武徳王カンヴィタル洋カムパシアラン・ソヴァクが姿を現わした。
 目が見えぬ彼を導くのは、聖蟲を持たぬ老人達。

「それまで。ガモウヤヨイチャン殿の勝ちを認めよう。ガエンド、良いな。」
「……は。無念であります。」
「皆の者も良く戦った。礼を言うぞ。」

 揃って敗北を喫した近衛の神兵、金翅幹元老員が頭を垂れる。
 認めねばなるまい。方台最強の戦士はガモウヤヨイチャンであることを。

 弥生ちゃん、近衛兵団長の甲冑の手を離し、カタナを元の鞘に納める。よく見ると右掌に裂傷が有り血がどばどばと流れ出る。
 先ほど木刀を砕かれた時に、さすがに傷を負ったのだ。やはり本当に強い敵にはこちらも余裕など見せてはならぬ、と反省頻り。
 ちょっとタンマと自分で自分を治療する。ハリセンを使うまでも無く、額の上のカベチョロが冷たい息を吹き掛けると傷は見る見る消えて行く。

 様子を脇を支える老人より聞き、武徳王は呆れた。

「さすがに御戯れが過ぎますな。」
「はあ。200の神兵はさすがにきつかったです。」
「しかし負けを認めねばなりませぬ。どうぞ私にも青晶蜥(チューラウ)神の神威を授けて下さい。」

 腰に挟む神秘のハリセンをするりと抜き取り、両手で構えて武徳王に一礼する。
 老人達は戸惑い陛下を守ろうとするが、諌められる。これも天河の計画の一環だと。

 青い光を盲いた目に柔らかく当てると、徐々に痛みが引いて行く。やがて瞼越しに青い光を、それが止むと太陽の赤が感じられた。

「もう目を開いてもよろしいですよ。」

 武徳王の眼に光が戻る。鮮やかな世界が蘇った。
 瞬きをして、異界よりの少女の顔を間近で見る。三神救世主邂逅以来の対面だ。

「それにしても無茶をなさる。そこまでして私の目を癒さねばなりませんでしたか?」
「実はソグヴィタル王の御処分について少しお話がありまして、お願いを聞いてもらうにはどうすればいいかと、」
「なるほど、

       ……。」

 

【タコ女王顛末】

 方台に帰還したトカゲ神救世主蒲生弥生ちゃんは、蝉蛾巫女フィミルティにいきなり殴られた。痛打であった。

 まあ仕方の無いところではある。長い間留守にしたから、皆心配しているだろうなあとは思っていた。なじられるくらいは普通に有る、と予想もする。
 だから群集の先頭にフィミルティ等側近の巫女達が飛んで来るのも、受入れようと考えた。
 予想通り、ではあったのだ。

 ただ、ここまで力一杯殴られるのは計算外。
 カプタニア旧城前に押し寄せる群集は、瞬間凍りつく。ほんとうに、ぴたりと動きを止めた。
 先ほどソグヴィタル王またハジパイ王に対しあれほど厳しい裁きを下したのだ。タダで済むはずのあろうことか。

 当の本人だが、一瞬茫としたもののすぐに正気を取り戻す。これはマズイ、自分がではなくフィミルティがだ。
 神聖秩序の上から言えば、そりゃ即刻打ち首獄門でも不思議の無い狼藉。なんとかしなくては。
 殴った本人には理性は無い。弥生ちゃんにしがみ付いてわーわーと泣き喚くばかりだ。身動きとれない。
 殴られた方が殴った方を一生懸命なだめる、なんとも理不尽な光景が展開される。頬を腫らしたまま、自分より歳上の巫女を必死で慰め侘び続ける。

 亀の甲より歳の功、「聖神女」タコ巫女ティンブットはただちに状況を理解する。弥生ちゃんの本意も読み取った。
 群集の前に立ち両の腕を拡げ、高らかに申し述べる。

「ガモウヤヨイチャンさまはこう仰しゃっておいでです。
 方台の人々が我の不在の間いかばかりに心配をしたか、よく心得る。一人一人に侘びねばと思うが、今の巫女の一撃を以って換えさせてもらいたい。
 青晶蜥神救世主はこの後いつまでも汝らと共に在り続ける!」

 安堵。皆息を吐き、再びの熱狂が巻き起こる。
 弥生ちゃんはうまく収めてくれたティンブットに感謝するが、もちろん帰還を一番喜んだ人は彼女でもある。

 さて問題はフィミルティだ。
 いかにその場を取り繕ったとはいえ、千年一度の救世主さまをぶん殴って無罪放免は有り得ない。
 神殿取締まりのカニ神官は元より、十二神すべての神官が処罰を要求する。
 だがなにせ救世主さまだ、弥生ちゃんの意向がすべてを凌駕する。
 「あれは私が悪かった」と言われては、引き下がるしかない。

 フィミルティ本人は、さすがに正気に戻れば犯した罪に慄然とするが、まあここで死んでも悔いは無い。弥生ちゃんさまが戻られたのだ。
 しかしながら「自殺してもハリセンで首くっつけて天の河原から引き戻す」と言われたから、死ぬのはヤメタ。
 割りを食うのは、結局殴られた弥生ちゃんだけだ。

 考えてみれば、失踪中に心配を掛けたとはいえ別に遊んで居たわけじゃない。むしろ方台の誰よりも大変だったのだ。
 自分とおなじ大きさの男の子を何週間も背負いながらカニカマ怪人と鬼ごっこして、巨大な魔法機械少女と冷凍バトル、帰路には冥界の七皇子の襲撃をたびたび受ける。
 ろくにメシも無い。チラノン押し付けられそうになる。唐揚げにだってされ掛けた。
 でも誰も報いてくれない。一番偉いのは自分だから、自分で自分にご褒美をあげるしかない。

 誰にも聞かれないように密かに愚痴る。
「救世主って、因果なしょうばいだよお。」

 

 因果と申せば、カプタニア滞在中に「レケラチヲ舌禍事件」というのが起きた。
 カプタニアの蜘蛛神殿に仕える巫女レケラチヲがついうっかり口を滑らせて
「ガモウヤヨイチャン様は、ミミズ神の時代に降臨されなくて良かったですねえ」なんて、喋ってしまったのだ。

 頭の上にミミズの聖蟲がにょろにょろしてたら、確かに気持ち悪いことこの上無い。が、さすがに不敬が過ぎた。
 噂を聞いたミミズ神殿神官巫女は烈火の如く怒り狂い、レケラチヲの死を願い出る。連中粘着質を天与の性とするから、引き下がる道理も無い。
 神殿取締まりのカニ神官の裁定では、なるほど正当なる要求だと看做すわけだが、事が自分についてであるから弥生ちゃんも介入せずばなるまい。

 死はさすがに大仰でも、それなりに強烈な罰を与えねばと頭をひねる。賢人の意見を取り入れて、処罰を決めた。
 すなわち「終身無言の行」、生きてる間は言葉を発してはならない。
 口から先に生まれた蜘蛛巫女にはあまりに酷い仕打ち。だが死ぬよりは遥かにマシなのだから、甘受せねばなるまい。

 処罰の日、弥生ちゃんは神殿の広間にレケラチヲ一人を残して因果を含める。

「たしかにこれは神聖秩序に基づく正当な処罰であるから、いかなる理由があろうとも禁を破るのは許されない。
 しかし、もし命を捨てても伝えるべきと判断した場合は、躊躇無く言葉を発しなさい。それが青晶蜥神救世主ガモウヤヨイチャンの命令です。」

 軽はずみな巫女は静かに頭を下げて、命令を有り難く頂戴した。
 後に彼女はカプタニアにおける恐るべき陰謀、青晶蜥神救世主二代を務めるメグリアル劫アランサを襲う唐揚げ鍋の罠に気付き、禁じられる言葉を発した。
 アランサはからくも難を逃れるが、為に巫女は命を落す。

 もし弥生ちゃんの命令が無かったら、歴史はどう転んだであろうか。

 

 弥生ちゃんは宿所に旧カプタニア城を使った。
 カプタニアは外国の使節を受入れた例が無かったので、迎賓館を備えていない。たまにギィール神族が訪れた場合は、王族もしくは金翅幹元老員の邸宅を用いて来た。
 王宮はさすがに不用心。如何に信義に厚い褐甲角王国とはいえ、潜在的な敵国をそこまで信じるのは迂闊を通り越して間抜けであろう。

 結局新しく迎賓館を建設するまでは旧城を用いると定まる。
 物件としては上等。造りは旧いのだがなにせ目立つ場所に有る城で、常に人の手が入り修復されている。
 湖に近いのも好都合だ。
 弥生ちゃんと同じくタコ女王六代テュクラッポ・ッタ・コアキも旧城に泊まる。彼女が使役するテューク(巨蛸)は当然水の中、湖に潜んでいた。

 紅曙蛸王国宰相ソグヴィタル範ヒィキタイタンは褐甲角王国よりの即刻の退去を命じられる。のだが、アユ・サユル湖の上は実は治外法権なのだ。
 マナカシップ島のギィール神族の為にそういう取決めがなされており、拡大解釈してヒィキタイタンはカプタニアに留まり続ける。
 弥生ちゃんは彼と協議して方台新秩序の構想を深めた。また新生紅曙蛸王国が独立した国家であるとの声明を発表する。
 帰って早々からちゃんと政治はしているのだ。

 そのヒィキタイタンは、武徳王大本営にて近衛兵団神兵200人斬りを行ったと聞いて激しく落込む。
 マキアリイと二人、地上における最強の決闘を為したと自負するものが、あっさりと越えられてしまったのだ。それは凹む。
 尤も、闘争とは同種同格の者同士がぶつかる時が一番激しく、また高度な技量が示される。カプタニアの決闘が名勝負であったのは間違い無い。
 と、弥生ちゃんに慰められた。

 二人はカプタニアを出た後は、ゲジゲジ乙女団の護衛の下に東に進み毒地に出て、東金雷蜒王国の保護下に入る予定だ。

 ゲジゲジ乙女団の神族とも弥生ちゃんは懇談した。彼女らはキルストル姫アィイーガの指示で動いている。
 アィイーガは今も青晶蜥神救世主代行であった。帰って来たからには連絡を取って引き継ぎしなければならない。乙女団に頼んで書簡を届けてもらう事とする。

 中の一人、イルドラ丹ベアムとも知り合う。彼女は大戦中毒地で不思議な体験をしており、いかにも怪しい底無しの大穴の話をしてくれた。
 これはデュータム点で撃退した黒衣黒髪の女の語った秘密の遺跡であろう、と見当を付ける。
 話を聞けば聞くほどに、「地球」と関係有る風に思えてきた。「ぴるまるれれこ」とも縁が有るらしい。

 後にイルドラ姫の案内で大穴を訪れる。弥生ちゃんは方台救世の脇で、密かに自分家に帰る手段も求めていた。
 予想はどんぴしゃり、地球で作られた機械がそこに在る。
 天河十二神が太陽系をアクセスした際に捕獲した宇宙船の残骸だ。年代はおそらく21世紀より数百年後。
 残念ながら惑星間航行船で、求める恒星間超光速航行技術は無かった。

 

 帰還後さっそくに刺客様御一行が大挙して押し寄せる。カプタニアの中央衛視局は取締まりで大童となった。
 捕えてみると、こは如何に? 半数がなんと弥生ちゃんが召し使う『ジー・ッカ』の者だ。
 彼らは皆ネズミ族であり、精神的支柱であった「髭じいさま」の死に弥生ちゃんが関与したとのあいまいな情報を受けて復讐に参じたのだ。
 「髭じいさま」を送ってまだ半月も経っていない。近場に居た村長達が石剣を振り上げ襲って来るほどだ、末端が暗殺に走るのも無理はない。
 とっ捕まった彼らを前に並べ、額に皺を寄せて思案する。
「おまえたち、有休をあげるから村に帰り、髭じいさまのお墓に詣でて来なさい」 方台に残される最も古い有給休暇の記録である。
 『ジー・ッカ』の者はぞろぞろとスプリタ街道を北上してネズミ族の村に向かう。彼らは村に着いて説明を受けると、救世主様に刃向かった事を激しく後悔するのだ。

 ネズミ族の村では、里帰りした者の話を聞いて危惧を募らせる。弥生ちゃんとの間では既に和解がなされ、忠誠を捧げているのだ。
 それを知らない方台各地の仲間達に伝えねばならない。「彦」のゥガム他の村長は協議して、責任有る者を派遣し説得して回ると決めた。
 最も重要なのは、側近中の側近であり裏の警護を司る「チュバクのキリメ」。なにしろ一番近くに居て、一番信頼されている。
 彼が牙を剥けば如何に弥生ちゃんでも防ぎきれない。
 説得の為にわざわざ「媛」のサリュウがデュータム点にやって来た。そのまま居着いて侍女になってしまう。

 弥生ちゃんはカプタニアにキリメを呼び寄せず、デュータム点で職務を続けさせた。
 再会した際には彼にも「有休」をやろうと言ったのだが、拒絶される。「自分は一度死んで命を与えられた身であるから、他に忠誠を捧げる人は居ない」のだそうだ。
 「髭じいさま」は別だろうと思うのだが、そういう意固地な態度を見初めて彼を採用したのだ。仕方ない。

 『ジー・ッカ』不在の間陰で支え護ったのは、青服の男「賎の醜夫」達だ。
 何時知り合ったのか誰も知らない。ただ随分と深く関係するのだな、と薄々理解する。
 実は彼らと遭遇したのはタコリティ、方台に降臨した最も早い時期の話だ。
 タコリティで3日間弥生ちゃんは失踪する。その際のエピソードを何時か描く時も来よう。

 

 護衛と言えば、赤甲梢総裁メグリアル劫アランサ王女は当然のように弥生ちゃん護衛の任務を申請したが、中央軍制局に却下される。
 赤甲梢は東金雷蜒王国神聖王ゲバチューラウの護衛任務があり、また国境ヌケミンドル防衛線にはゲイル騎兵が大挙して押し寄せ睨み合いを続けて居る。
 これはヒィキタイタン裁判に圧力を掛けて、査問の為にカプタニアに赴くアランサの立場を強めるゲバチューラウの配慮であった。が、弥生ちゃん帰還後は逆に働いた。
 中央軍制局はアランサに、毒地に抜ける紅曙蛸女王テュクラッポとヒィキタイタン、ゲジゲジ乙女団の護衛任務を割り振った。
 ヌケミンドルには兎竜と赤甲梢神兵も待機しているのだから、当然だ。そのまま毒地に入り今度は金雷蜒軍から紅曙蛸女王を護る事となる。
 アランサはそれでも食い下がるが、弥生ちゃんに説得されて諦めた。ヒィキタイタンやテュクラッポと語らい理解を深めるのは、彼女の成長に大きく寄与するだろう。

 代って任に就いたのは、レメコフ誉マキアリイ兵師監。神兵20名クワアット兵2000の指揮を執る。
 追捕師の任に長くあった彼は、兵を指揮する事に飢えていた。大審判戦争の晴れの舞台にも参加出来ずに、南海でヒィキタイタンを追い求める。
 少し休んだ方が良いとの勧めを断り、まったく別の任務を希望した。
 弥生ちゃん護衛は任務自体はそれなりの神兵で務まるが、格式を考えると王族かそれに匹敵する身分が必要。「破軍の卒」レメコフ家の人間であれば適当である。
 マキアリイは行列に従って西回りでデュータム点に向かう。

 カニ巫女クワンパともここでお別れだ。追捕師の任務を見事果し終えて、彼女は一階級巫女の身分が上がった。
 だが二人は再び南海で巡り合う。
 弥生ちゃんに反発するジョグジョ薔薇に煽動されて南海軍の黒甲枝神兵が反乱を起こし、周辺の難民も不穏な気配を漂わす中、南海方面の裏社会に詳しい二人はそれぞれ属する組織の命令で派遣された。当然のようにコンビを再結成する。
 ジョグジョ薔薇の乱が鎮まり、弥生ちゃんが「神刃一〇八振」の事件で大きく傷付いて南海を去ると同時に、二人は分かれる。

 その後12年、会う事は無かった。
 マキアリイは兵師統監の職にあり、中央軍制局の執務室で彼女が亡くなったとの報に接する。
 カニ巫女として街を巡回しモグリカエル巫女(違法売春婦)の摘発中に、ヤクザに刺されて死んだという。
 聞けば彼女は結婚をして子供も居るらしい。カニ神の教えに従い方台の一隅で己の使命を果し、人間としても堅実に暮らして、職責に殉じたのだ。
 マキアリイは一人瞑する。それ以上を彼女が望まないと知っていた。

 

 弥生ちゃんの西回り巡幸はこれまで恩恵にあずかっていない褐甲角王国西側の住民を喜ばせた。
 その旅にイカ女王トゥマル・アルエルシイも付いて行く。ただの物見遊山だが、南に夫を探しに行ったヒッポドス弓レアルに教えてやるつもりだ。
 デュータム点で彼女は生涯のライバルと巡り合う。もう一人のイカ女王だ。
 そもそもが北方聖山の近辺では神様への御供え物としてノシイカの需要が有り、弥生ちゃんにも捧げられる。イカ販売業者がちゃんと居た。
 人は食べないのでさほど儲からなかったのだが、カプタニアにおいてトゥマル商会が大々的に販促を行って状況が一変。
 こちらも弥生ちゃん信者の間に盛大に売り捲る。

 アルエルシイは自分と同年代の少女商人と激烈な闘争を繰り広げた。後年「青イカ戦争」と呼ばれる一大商戦だ。

 兄をSEPPUKUで失ったクワアット兵剣令デズマヅ琴ナスマムは、カプタニアに戻り葬儀を行った後カエル街で飲んだくれる日々を送っていた。
 ネコの報せで醜態を知ったアルエルシイは弓レアルの勧めで彼を迎えに行く。だが彼は、軍に戻って戦う意欲を失っていた。
 家庭教師のハギット女史は思案し、それならばと南海に向かう弓レアルに同行するのを提案した。
 どうせ気晴らしが必要ならば、軍とは関係無い方がよいだろう。お嬢様には腕の立つ護衛が必要だし、失踪したクワット兵の回収でもあるのだ。決して無意味な旅とはならない。
 デズマヅも受入れ、軍に長期の休暇願いを出してハギットと共に弓レアルを追う。
 旅は数々の苦難に満ち、幾度もの冒険を余儀なくされる。デズマヅも方台の裏面を覗き、改めて聖蟲を戴く決意を固めるのであった。

 アルエルシイに関りのあるもう一人の男性、学匠シバ・ネベは褐甲角王国の密偵となり、督促派行徒や人喰い教徒の摘発に貢献した。
 だが裏切り者を放置するはずも無い。彼はまもなく死ぬ。

 

「来たぞ、ついに!」

 テュクルタンバの「神撰組」にも弥生ちゃんの命令が届けられる。
『神撰組は建軍準備委員会の派遣する警備隊と交代し、直ちにデュータム点に赴き救世主神殿の支配権を奪還せよ』

 これだ。彼らが待ち望んでいた真に歴史的に意義有る使命とは、これをこそ言う。
 デュータム点救世主神殿は現在紅曙蛸女王五代テュラクラフ・ッタ・アクシに占拠され、まったくに機能を失う。弥生ちゃん到着の前に奪還するのは、まさに禁衛隊「神撰組」の役目。
 命令書には付属文書が付いていた。「カモ」こと巨人の神裔戦士宛てだ。

「『カモの尊大さに期待する所大である』。……、これはどういう意味だ?」
「わからんのか。」

 命令書を読み首を傾げる「コンドーサン」ゥアンバード・ルジュを、巨人はせせら笑う。

「隊長、それは」
と解説するのは、「ミツヒデ」だ。命令書には救世主神殿の支配権奪還とあるが、タコ女王を討伐せよとは書いてない。
 平和裡にタコ女王の撤退を促し、褐甲角王国や十二神秩序から権威を取り戻す。弥生ちゃん、トカゲ神殿の優位を彼らに認めさせねばならない。
 それには神兵神族に謙る態度を見せては成り立たぬ。何者にも頭を下げぬ横柄さ尊大さこそが有益であろう。
 同時に、不遜な態度を見せながらも礼節を弁えねばならない。そんな芸当ができるのは「カモ」一人のみ。

「というわけだ。今回私に任せてもらいたい。ガモウヤヨイチャン様御自身の指示だからな。」
「う、む。なるほど……。」

 ルジュはまだ首を捻る。もちろん隊長として主導権を主張しても良いのだ。ただし相手がタコ女王や聖戴者となると、さすがに手に余る。

「では俺はなにをすればよい?」
「隊長が一番たいへんです。政治をしなければならないのですから。」

 「ミツヒデ」の言葉にルジュは顔をしかめる。政治か。

「救世主神殿の支配権回復とはつまり、ガモウヤヨイチャン様の権限が当地においてなによりも優先するとの宣言です。隊長は救世主の名代として万人に認められる神々しい存在でなければなりません。これが政治です。」
「う、ううむう。むずかしいな。」

「カネが要るな。」
 山師「サンダユウ」がすかさず指摘する。政治とはまったくカネが湯水のように流れ落ちて行く。この戦の武器は弓矢刀槍でなく、カネだ。

 

 10日も経たぬ内に「神撰組」はデュータム点に入城した。隊士200名は新調した制服に身を包み凛々しく仰々しく行進する。
 つい最近まで食糧にも事欠いていた部隊とは、とても見えない。やはり弥生ちゃんの帰還がなってこそ、金策も十全に機能する。

 この入城にカネをふんだんに使ったのが勝利の鍵だ。デュータム点の市民感情は神撰組に好意的に傾き、救世主神殿の支配権奪還に大いに役立った。
 やはり世論の支持こそが権威には必要。
 隊長であるゥアンバード・ルジュは、いささか気恥ずかしくはあるが、方台一の伊達男と呼ばれるまでに持て囃される。弥生ちゃんの名代として十分に権威を高めた。
 もちろん裏では暗闘が繰り広げられる。特にタコ女王は目に見えぬ護衛を伴う。裏表全力を尽くして、神撰組はなんとかやり遂げた。
 ただやり過ぎたきらいはある。この時の派手なイメージが固定されて後の世に神撰組の増長が起きるのだが、彼らの知ったことではない。

 神殿を占拠していた女王テュラクラフも、周囲の風向きが変わったのを感じて何時の間にか消えてしまう。訪れた時と同じく、まったくに予感をさせない退去であった。
 行き先は、弥生ちゃんには分かっている。
 1ヶ月の道中の末にデュータム点に入城し、女王がずっと独占していた「玉座」に座って説明する。

「テュークの移動は極力乾いた土地を避けたいんだよ。ここに来るのにもカプタニア山脈の森林中を移動している。今は聖山の森の中だね。」
「して、行き先は?」
「テュクルタンバ。」

 

 テュクルタンバに再び三神の救世主が集結した。今回は紅曙蛸女王六代テュクラッポも顔を見せるから、四神会合だ。
 巨大なゲイルや兎竜、また重甲冑の神兵が密集する中で、それぞれの救世主は古代紅曙蛸王国の遺跡である岩舞台に向かう。
 テュラクラフはそこに居た。

 100メートルを越える体長の巨蛸が岩舞台に絡み付く。曙色の薄衣を纏う半裸の女王は、触手に悠然と身を預けていた。
 まずは六代テュクラッポが進み出て、先代と会話する。どちらもギィ聖音で話すので分かりづらいが、どうやら六代を代理ではなく正式にタコ女王として認めたらしい。
 小女王に手を引かれてテュラクラフは三神救世主の前に立つ。
 弥生ちゃんほどではないが、あまり背は高くない。黄金比の均整を持ち、なるほど男が放っておく道理が無い色気を発散する。
 額の白タコも隠微な踊りを見せた。六代の額のタコよりも達者に踊る。

 デュータム点では多くの者が女王の虜となり廃人と化す。退去後は正気を回復するが、なんと彼らは別人となっていた。
 一度死んで転生したと信じている。以前の自分をセミの抜け殻のように思い、すっかり過去のものと捨て去りなんのしがらみも感じない。
 家族に泣きつかれ弥生ちゃんが治療に当ったが、洗脳ではないので癒すなどは出来ない。
 やむなくもう一度ぶっ殺して、ハリセンで復活させて元に戻ったと思い込ませる。
 なかなか手強い患者であった。

「カメを」

 弥生ちゃんの言葉に、神撰組隊長ゥアンバード・ルジュがこの地で発掘された不思議の生物を抱えて来た。白磁の艶に輝く甲羅を持った爬虫類、カメトカゲだ。
 青く輝くカタナを抜いて刃を返し峰で叩くと、くぅぉおおんと世界全体に響き渡る澄んだ音色を発する。遠く、常世にまでも染み透る。

 ごおと地響きがして岩舞台が揺れる。持ち上がり山と化して、神秘の洞窟が姿を見せた。
 テュラクラフは大きく眼を見開く。初めて示す生の感情、弥生ちゃんはようやくに彼女が生身の人間であると確信を得た。
 洞窟の口に女人の姿が有る。
 背が高く、胸が大きく、筋肉の良く発達した活動的な姿。ゥアンバード・ルジュ等が見事に撲られ投げ飛ばされた女人だ。
 彼女を見てテュラクラフは顔面を蒼白にする。緊張? いや恐怖だ。

 岩山を降りて、まっしぐらにテュラクラフの前にやってくる。大人と子供くらいに背が違う。
『お、おねえちゃん!』

 え?、と三神の救世主は耳を疑った。テュラクラフの口から発せられたのは、およそ女王に相応しくない普通の言葉。
 「おねえちゃん」は大きな右掌をカニのように開いて、がばとテュラクラフの顔面を鷲掴み。そのままぶらんと宙に吊り自分の肩に担ぎ上げた。
 引き攣る六代テュクラッポ。12歳の少女には衝撃の光景である。

 右に女王を担いだまま、指先で三神の救世主も招く。彼女に続いて洞窟に入って行った。

 

 こうして紅曙蛸女王五代テュラクラフ・ッタ・アクシの伝説は終る。
 洞窟の中で何があったか、4人の救世主は語ろうとしない。一説では初代紅曙蛸女王ッタ・コップと対面して未来の予言を授かったとされる。
 それが証拠に「紅曙蛸女王の預言」が世間に広まった。
 曰、新生紅曙蛸王国には7名の女王が即位する。つまり古代と合わせて12名の女王が用意され、13番目が即位した時十二神方台系は滅びるというものだ。

 真実は分からない。ただこの過程を経て、六代テュクラッポは天地で唯一の紅曙蛸女王となる。
 ソグヴィタル範ヒィキタイタンを宰相として南海に独自の王国を築き繁栄の礎となるのだが、古代の女王と比してまったく違う点がある。
 彼女は後々までも若く美しかったのだが、さすがに70歳を越えると普通に老衰して100歳でちゃんと亡くなった。不老不死ではなかったのだ。

 テュラクラフ・ッタ・アクシは結局何の為に現れたのだろう?
 そう問う人は多い。実際、蘇っても何事か成したわけではない。
 だが弥生ちゃんは語る。

「いや自分では何もしないことで、周囲の人間を大きく動かした。私もそのつもりだよ。」

 そして、自分がタコ女王の二番煎じであるとも言う。
 考えてみれば2千年にも渡って聖戴者が社会を直接統治する体制が続いたのだ。たった一人の救世主で世の中どうにかなる、と考える方が今ではおかしいだろう。
 古代の女王を思い起こさねば、ここまで弥生ちゃんに熱狂したか疑問だ。

 

 テュクルタンバに集結した四神の使徒は会合を持ち、新生紅曙蛸王国を国家として承認しテュクラッポを紅曙蛸神の救世主と認めた。
 また弥生ちゃんに『星浄王』の名を贈り、青晶蜥王国の建国を勧奨する。
 領土は未だ確定していないが、デュータム点近郊に青晶蜥王宮を建設し、毒地の南「青晶蜥(チューラウ)神の滑平原」と呼ばれる場所が青晶蜥領となる約定を結んだ。

 さらに「方台新秩序」と称する国際機関を設け、国家同士対等な条約を締結する公式な手順を策定する。後には国際法も定められた。
 テュクルタンバは神殿都市として再建されると同時に外交の舞台として整備され、「方台新秩序」の事務局が置かれる。
 最後に、未だ「方台新秩序」の外にある西金雷蜒王国に対して参加を求める外交交渉を行い、必要とあれば武力を以ってしても組み入れると決定した。

 波乱万丈の予感を漂わせ、新しい千年紀が始まる。

 

         **********

 ガンガランガとミンドレアの県境より東方120里(キロ)、草原の真ん中に廃市が有る。
 かっては繁栄したのだが、金雷蜒王国が毒を撒いて封鎖する防衛策を取った為に、この街も捨てられた。
 郊外に環状列石の遺跡が有る。俗に『石のギャザル(饗宴)』、5メートルを越える巨石が幾つも意味ありげに立ち上がる。
 伝説では、ガンガランガに現れた神人に従う無数の獣達が、そのまま石に変化してここに残るという。

 毒地が浄化されて一般人でも立ち入りが可能となると、宗教関係者が戻り始めた。
 そして今日、300名を越えるスガッタ僧侶が集合する。遺跡は直接にはスガッタ教とは関係が無いので、かなり異質に覚えた。

 中に、女が居る。歴史上唯一人のスガッタの尼僧「スガッタレス」だ。黒衣長身でくるぶしまで伸びる髪は漆黒。
 灰色の衣の僧侶達とはあまりにも違うが、それでも彼女が最年長の修行者だ。なにせ百年を生きている。
 スガッタ教の伝説的な導師を何人も知り、教えを受けた。異端でありながらも最も正統を行く。

 今回彼女は、立ち合い人である。

 スガッタ僧の目的は、この地に古の神人「ガンガランガ・ギャザル」を呼び出す事にある。正体はおそらくはコウモリ神人。
 女はコウモリ神人に認められ不老不死を与えられ、自身も神人と成った。彼女が呼べば応えてくれるはず。
 祈祷の手順は古来より定まる。焔の中に生きた動物を投げ込むのだ。人間が最も相応しいが、女はそれを差し止める。
 コウモリ神人は人の死を望まない。さりながら、死を見せて呼ばねば来ぬだろう。

 女は自身の長い髪を一房切って渡す。神人に認められた彼女の肉体の一部が燻れば、確かに祈りは届くはず。
 果たして、髪の燃える臭いが天に届くと同時に暗雲が立ち篭め、列石に雷が走り、電光の影がコウモリ神人に姿を変える。
 肉が薄く顎の細い男とも女とも取れぬ顔、髪ではなく獣毛が頭に逆立ち、そのまま衣に繋がっている。蝙蝠が翼を己が身に巻くかに見えた。

 僧侶達は大地にひれ伏す。元より神を呼び出すなど人の身で為してよい業ではない。天罰下されれば甘んじて受けよう。
 それでもなお神人に伝えねばならぬ事が有った。
 彼らは、野火が如くに方台全土に広がる一神教「ぴるまるれれこ教」に対しての危惧を語った。このままに放置すれば、いずれ人の世を滅びに導くであろう。

 神人は首をひねる。所詮は人が作り出した教え。これまでに幾つも生まれ、うたかたに消え行く。今回は何が違うのか。
「神が唯一にして絶対、という概念こそが許されませぬ。天河十二神を否定するのみならず、不可視無形のものに過剰なまでの妄想を捧げ、際限の無い偶像化を行います。」

 スガッタ教で長年月に渡って議論され思索を繰り返し、遂に到達した結論だ。神はあくまでも形をもたねばならぬ。限界と滅びが無くては、単なる禍に過ぎぬと。
 一神教は神の滅びを否定する。無限万能の力を妄想し、自然の秩序の複雑さを矮小単純に理解する。
 行着く先は、人間自らの願望の神格化。妄想自体を妄想する羽目に陥ろう。

 コウモリ神人が彼らの懸念を理解したかは不明だ。ただ、それが弥生ちゃんによってもたらされた、との事実に反応する。
 砕かねばなるまい。

 牙を与える。

 

 大きく左の腕を開き、翼膜の下より童子が現れる。4歳ほどの裸の女児だ。
 伸びる髪は黒く長く、大地に己の背丈の何倍もを引く。白い肌は淡い光を放ち、まるで闇から零れ落ちた真珠のよう。
 軽く伏せた目を開くと、強烈な力が迸る。目に見えぬ圧力で、巨石の一つが砕け散った。

「ゲキだ。」
 コウモリ神人が紹介する。これこそが天河十二神が求める方台の住人、大地の真の支配者。究極の人間だ。
 しかし神話は語る。神の力を以ってしても、ゲキはその身を長く留める事ができない。優れた知恵と強い神通力、匠の技を備えていながら、自らがそれに耐えられぬ。
 故に能力の劣る、知恵を持たない原初の人間ウェゲが大地に放たれた。

 コウモリ神人はウェゲの護り手であり、ゲキを支配する立場には無い。
 僧侶達は戸惑った。この幼子いかに扱うべきか。

 知らぬ間にコウモリ神人の姿は消えている。無数の大人たちに囲まれて、唯一人のこどもが立つ。
 男を押しのけて長身の女が中央に進む。このような事もあろうかと、自分は儀式に呼ばれている。
 腰を屈めうずくまり、幼女と視線の高さを同じくする。
 しかし正面には決して回らない。この子が本当に人間の味方であるか、未だ不明なのだ。

 どちらも髪は黒く長く肌は白く、本物の母子に見える。いや、大きさが違うだけの相似形か。
 であれば、恐るべき存在だ。人の命を貪り食う魔獣であろう。

 身体を確かめる女の手が尻に回る。ゲキであれば無くてはならぬものが、確かに存在した。
 尻尾だ。毛は無く長い肉の突起で色は茶、つけ根あたりで肌色に変わる。
「確かにゲキだ。」

 女の言葉に僧侶達は首肯いた。
 真正のゲキであるならば、地上に降りたどんな神よりも尊い。方台を受継ぐべき者だからだ。

『跪け』
 幼女はいきなり言葉を発した。ギィ聖音だ。声には知性と人を従える権威が表れる。
 見た目に騙されてはならない。この者は方台最強の戦士ガモウヤヨイチャンと対等に戦う”牙”なのだ。

 男達は再び大地にひれ伏し拝むが、黒衣の女だけは幼女を触るのを止めない。
 牙を剥いて威嚇する。今度の顔はまさに獣、コウモリ神人の娘である証。

 女は動ぜずに微笑みで返した。本物の子供に対しては絶対に見せることのない、殺人者の笑み。

 集まった中で最高位の僧侶が、女に話し掛ける。
「この者は汝に預けた方がよいのであろうか。」
 否定する。彼らがコウモリ神人に訴え、与えられたのだ。スガッタ教団は以後ゲキを中心として活動せねばならない。

 それに、と忠告した。
 もしも神話が正しければ、ゲキの寿命は決して長いものではない。急ぐべきだと。

 

 数週間後、方台の人は僧侶が幼女の乗った輿を担いで街に入る姿を見た。
 スガッタ僧によるぴるまるれれこ教徒への攻撃が開始される。
 ぴるまるれれこ教を実質作った聖山の神宰官ワクウワァクとの暗闘の幕開けだ。

 ワクウワァクの父はハジパイ嘉イョバイアン、母は……黒衣の女である。

 

【げばげばぎっちょん】

 古の女王テュラクラフを冥府に葬った弥生ちゃんは、東金雷蜒王国神聖王ゲバチューラウからトカゲ巫女チュルライナを紹介された。
 藍色の長い髪、白目の無い黒曜石の瞳、青白く艶のある貌。背は高く弥生ちゃんと頭一つ分違う。
 そして、全身を掩う無数の鱗。

 衆人環視の中衣を半ば脱ぎ、救世主の前に肌を曝す。女人としては恥ずかしさの余り死にたくもなろうが、チュルライナは幾度となく命に従う。
 しげしげと見つめ、触ってみて、背後に回ってまた確かめ、髪も引っ張り、
弥生ちゃんは尋ねた。

「ウロコ、要らない?」
「はい。」

 決然としたチュルライナの答えにむしろ他のトカゲ神官巫女がびっくりした。
 確かに異形の身体は苦痛だろう。己の生れを呪いもするだろう。
 しかし今はガモウヤヨイチャン様の降臨なされた青晶蜥神の世。鱗は聖性を表わし、決して卑しめられるものではない。
 自らの運命を否定するのは、救世主に対する叛逆とさえ言えよう。

 だがチュルライナは前に進む。弥生ちゃんを見下ろし、表情の表れない瞳で訴える。

「良かろう!」
 弥生ちゃんは左に吊る神刀「カタナ」をぎらりと抜いた。青い光をたなびかせ見守る多くの人、兵に示し、ちゃっと刃を返す。

 完璧優等生と呼ばれた女だ。魚の鱗を取るのも大得意。(注;弥生ちゃんは御料理は苦手だけど、めんどくさい作業は大得意です)
 尾から頭に向けて包丁の背で削ぐのだ。

 カタナの峰が鱗を逆立て、脚から腹に向かってばりばりと剥ぎ取って行く。
 同時に青い光が傷痕を埋める。青白く滑らかな素肌がカタナの通った後に輝く。
 めんどくさいから衣服も一気に切り裂いて、チュルライナは一糸纏わぬ姿となる。複雑な光の屈折を見せる小円盤が宙に舞い散り、陽を浴びて煌めいた。

 弥生ちゃん、ぐるんと回しカッコ付けて納刀。額に掛る前髪をふっと掻き上げる。みっしょんこんぷりーと。

「とはいうもののウロコは生来のものだから、ほっとくとまた生えて来ます。自分で出来るようにウロコ取りをあげましょう。」
 懐から作業用の小刀を出して与えた。青い光を放つ短い刃には、1ヶ所深い欠けがある。

 これこそが後の世に「御肉徹しの刃」と呼ばれた最も貴重な神刀。
 コウモリ神人の化身が振るう骨のナギナタが弥生ちゃんを貫いた時、体内にて受け止めたあの小刀だ。
 直後北方大樹林帯に飛ばされ彷徨った際も、生きる為の作業に大活躍して弥生ちゃんを助けた。

 

 チュルライナは世にも希なる宝を授かり、トカゲ神殿にても高く遇されることとなる。
 だが弥生ちゃんはそれ以上何も彼女にしなかった。傍に呼ぶ事も無い。

 彼女はボウダン街道沿いのとある村に留まり、小刀を用いて人を癒す奉仕を行った。
 後に「ジョグジョ薔薇」の挑発を受けて立った弥生ちゃんに従い南海へ向かう。イローエントのトカゲ神殿に留まり、当地で癒しを続けた。
 トカゲ巫女としての名声は高まり、気が付くと巫女の最高位にまで昇り詰める。

 しかし天涯孤独の身であれば何を残すものでもない。
 老いて引退した後は「御肉徹し」も聖山に納め、元の村に戻って普通に暮らして死んだ。

 村にはトカゲ巫女を象った人形が郷土玩具として長く伝わる。頭がトカゲで髪が黒く裾に緑で鱗を描く。
 名を「げばげばぎっちょん」という。

 

【油話】

 トカゲ神救世主として十二神方台系に降臨した弥生ちゃんが、まず最初にやった奇蹟が「石鹸の製造」である。
 なんのことはない。自分がお風呂に入りたかっただけなのだが、一度作ってしまうと色々と考えた。
 つまり石鹸が大量生産されて一般市民の間にも安価に普及すれば、感染症の予防、乳幼児死亡率の劇的低下につながる。
 治癒を使命とするトカゲ神救世主としてまったくふさわしい仕業であった。

 だが難点が一つ。油が高価い。
 穀物、基礎的な食糧の生産で手一杯で、油を搾る作物の栽培が出来ていない。
 一応どんぐりを搾った油が用いられるが高価な為に灯油はおろか食用としてもぜいたく品で、せいぜい薬として用いられるくらいだ。

 そこで弥生ちゃんは考えた。石鹸は絶対的に必要。ならば、油糧作物の栽培を推進しなければ。
 後に青晶蜥王国領となる毒地南部において土壌改良の毅豆栽培に結びつき一大産業となる。のだが、そこまで悠長にしているわけにもいかない。
 手っ取り早く油が取れる方法を探す。

 有った。南海グテ地において大量に漁れる、油ゲルタという魚だ。
 現地では有害魚とされる。なにしろ網を入れても釣り針を入れても、こいつが喰い付いて他の魚を寄せつけない。
 食べられるかと言えば、ゲルタ種はたいがいアンモニアを含んでおり生では無理。塩漬け乾物にしようにも、脂ぎってどうにも加工が困難だ。
 もちろん魚油を搾ろうと考える者は居る。実際に搾油されている。

 

 ジョグジョ薔薇の乱の後、弥生ちゃんは漁師村に行って油ゲルタの視察をした。
 漁師のおっちゃんに聞くと、彼らはゲルタ油を小壷に入れて武器に使うという。海賊に襲われた時、油壷に火を着けて相手の舟に投げ込めばたちまちとんでもない臭気を発して退散させられるのだ。

 どれほど臭いか実験する。おっちゃんは油壷からほんの一滴を竃の火に垂らすと、
逃げた!
 弥生ちゃんも随員も、物好きで付いて来た神族も護衛の神兵も、漁師小屋から飛び出した。
 まるで催涙ガスをぶちまけたような破壊的効果。さすがの弥生ちゃんもびっくりだ。
 聞く所によれば、これはギィール神族にも納入されて純然たる兵器である毒煙筒の原料になる。神族お墨付きの危険物なわけだ。

 さりながら、弥生ちゃんは一瞬にして看破した。この臭いは油から分離出来る、と。
 学匠を定めて、ゲルタ油から臭気物質分離の研究を行わせる。
 残念ながら弥生ちゃん方台退去には間に合わなかった。およそ2年を経て油ゲルタの精製技術を完成。産業化に着手する。

 分離された魚油は無色透き通った滑らかな油で、食用にも灯油に用いてもまったく問題が無い。煙にほんのわずか魚臭さが残る程度。
 最も優れた点は、とにかく大量に入手出来るところだ。
 油ゲルタは南海では恐ろしいほど水揚げする。まるで無尽蔵に海の中に居ると思えるほどだ。
 念願の安価な石鹸製造が始まり、更にはゲルタ油を用いたランプが照明に用いられ方台の夜を明るく照らす。
 数百年後にはゲルタ油を用いた動力機械も実用化された。機械文明の発達も、弥生ちゃんによって約束されたと言えよう。

 

 懸念が一つ残る。大量に発生する産業廃棄物、搾られ尽した油ゲルタの処分方法だ。
 これに関しても弥生ちゃんは解答を与えていた。畑に撒いて肥料にすれば良い。油粕が作物栽培の助けになるのは、もちろん方台でも同じ。
 だが難題に突き当たる。

 ゲルタ粕は、とんでもなく臭いのだ。
 アンモニアと油中の臭気物質を含むのだから当たり前。もちろん産業化に当ってはゴミ捨て場を人の住む場所から遠く離したが、何キロも先からぷんぷん臭う。
 余所に肥料として売ろうにも、運搬が出来ない。
 実際、小舟に積んでの運搬中に船頭があまりの臭気に気絶して海に落ち死ぬ事件が何度も起きた。
 幸いにして方台には毒煙を防ぐ防毒面の技術があり、なんとか悲劇は収まったのだが、これでは売り物にならない。

 「どうせ土に撒くのなら、最初からゲルタを鋤込んだ土を売ればいいじゃないか」との意見が採用される。

 確かに土中にて分解されたゲルタ粕は臭気も失せて、栄養分だけとなる。少々嵩張るが、この土ならば普通に舟に載せて運搬出来る、遠隔地にも売りに行ける。
 雨に降られないよう大きな屋根を被せた畑にゲルタ粕を埋め、発酵させた土を売る産業が始った。
 肥料を施す事で方台の食糧生産量は飛躍的に向上し、増加する人口を支える助けとなる。

 

 のだが、副産物が出来てしまう。
 硝石だ。元々油粕の肥料は窒素分が栄養となるのであり、またアンモニアを大量に含むゲルタであれば、当然土中から析出して硝石が生じる。
 最初は何か分からず肥料に混ぜて売っていたが、次第にこれが色々応用の利く不思議な物体だと気が付く。
 弥生ちゃんが残した科学技術書もかなりの普及を見せており、様々に利用法が研究された。

 武器にも応用されて、遂には火薬の発明に繋がる。
 科学技術においては優れるギィール神族は、だが知識の源であるゲジゲジの聖蟲が火薬製造と応用に関する技術を封印しており、これまで発明には至らなかった。
 無理に携ると眠ってしまいまったく役に立たない。
 これを見た一般人は、火薬の技術が天河十二神の禁忌であると理解し、神聖秩序を覆す可能性を秘めると知る。
 積極的に兵器化が進められ、火薬発明からわずか100年にして銃砲の発明を成し遂げた。

 しかしながら陸上で重量物を運搬する手段が乏しい。また「方台新秩序」体制が良く機能した為に城郭を攻める戦争がめったに起きず、攻城戦用の火砲は発達しない。
 代りに舶載砲と小口径の銃器へと開発の努力が集中される。
 創始暦五四〇〇年代には双方が砲撃を交わし合う初の大規模海戦が行われ、陸上においても銃兵が戦場で弓兵強弩を圧倒する画期的な戦果が得られた。
 以後急速に銃砲の普及が進み、それまでの弓矢刀槍の戦闘形態を駆逐していった。

 新兵器の登場は神聖秩序にも多大な影響を与える。
 この時期、既にギィール神族は数を千人以下に減らしており、金雷蜒王国の支配権が揺らいでいた。
 戦場にゲイル騎兵の姿が見られなくなると、重装甲を纏う褐甲角神兵の出番も無い。
 ただの人間同士の争いに神兵が介入するのは避けられ、自由な発想で新兵器の投入と新戦術が採用される。

 銃砲の威力に自信を持った一般人は、聖戴者による方台支配から脱して自らを治める体制を議論し始めた。
 同時に十二神信仰に代る新たな信仰が急速に勢力を伸ばす。

 「ぴるまるれれこ」教団。
 「神殺しの神」、天河十二神を越える唯一絶対神ぴるまるれれこを崇拝し、死後はガモウヤヨイチャンの居る星の世界に生まれ変わろうという宗教だ。

 教団により信者を奪われた十二神信仰・神殿は浄財の寄付を受けられず、一般市民への各種奉仕活動が滞り、社会に不安と混乱を起こしてしまう。
 是正しようにも教団の影響は社会各層に広まり阻まれ、如何ともし難い状況に陥った。

 

【油話 その2】

 そして創始暦五五五五年。
 「真人」なる者に誑かされた星浄王十三代カマランティ清ドーシャは周囲の制止を振り切って、古代の火焔教の秘儀「捨身祈祷」を敢行。自らを燃え盛る焔に投じる。
 焔を割って現れたのは、550年ぶりに星の世界より降臨した救世主初代蒲生弥生ちゃんだ。

 諸事多忙の隙をようやくに見付けて、お昼の焼きそばパンを食べようとした時の無理な召喚だ。怒る。
 清ドーシャは烈火の如き鉄拳の嵐に見舞われ、焔で焼かれた方がマシと思える打撃を蒙った。
 しかしながら、ぐっじょぶである。
 混乱した世相、蔓延る悪、停滞した社会を刷新するのに最も適した人材を呼び寄せたのだ。

 

 再臨した弥生ちゃんがまず行ったのが、「ぴるまるれれこ教」の破壊だ。
 諸悪の根源であり元が自分であるからには、自ら決着を付けるしかない。

 教団本部は「聖堂」と呼ばれ、青晶蜥王宮の傍に建つ。驚いた事に青晶蜥王宮よりもさらに大きく豪壮な建物だった。
 聖堂中央の祭壇には、高さ10杖(7メートル)を越える金銅のぴるまるれれこ立像が有る。高位の信者のみが拝礼を許される秘密の神像だ。
 弥生ちゃんはここに民衆を引き連れて雪崩れ込み、新調なった「カタナ」でぶった斬る。
 そして宣言した。「わたしが、ぴるまるれれこだ。わたしが神を葬り去る姿こそが、ぴるまるれれこだ」と。

 信者は大いに戸惑い、なにが真実かを上層部に尋ねる。教団ではぴるまるれれこを唯一絶対神として教え、弥生ちゃんもその僕と看做す。
 まさか教義が嘘とは言えないから、「再臨した弥生ちゃんは偽者である」と強弁するしか無い。

 それに彼らは知っていたのだ。
 弥生ちゃんがもし本物であっても、それほど長くは留まらない。前回と同様に5年以下だろう、と。
 この期間を乗り越えれば問題無い。以前にも増して勢力を伸張し、方台全土を支配出来るはず。

 故に、敢えて反乱を企てる。武力にて”ニセ弥生ちゃん”を討伐して、ぴるまるれれこ教の正しさを天下に証明するのだ。
 教団には有り余るカネが有り、傭兵を多数抱えていた。銃砲も4000丁を保有する。これは褐甲角神3王国の全保有数に匹敵した。

 創始暦五五〇〇年代の戦は銃砲の数が勝敗を決する。
 青晶蜥王国が抱えるのは1000丁、しかし王国軍は弥生ちゃんの要請に反して中立を決め込んだ。彼らの大半もぴるまるれれこ教徒である。
 さらに禁衛隊「神撰組」も弥生ちゃん自らの手で解隊する。

 手元に有るのは救世主神殿宝物庫の武器ばかり。製作年代も形式も異なるおよそ300丁のみが戦力であった。
 これらは概ね二代メグリアル劫アランサに対して奉納されたものだ。彼女は武神としても崇められ、死後も武運長久を願って武器兵器を奉納する習慣が続いていた。

 もちろんハリセンの超能力を用いれば、大軍何するものぞ。しかし今回採用しない。
 神威を用いての勝利はこの際意味が無いと理解する。
 弥生ちゃんが去った後でも同じことは幾度も起きるだろう。天河十二神が直接に社会を統治する仕組みに反発する知識人も増えている。
 故に銃砲戦だ。神に頼らず人の力にて救世を成し遂げねば「方台新秩序」は崩壊する。

 

 地球の科学技術を投入するのは、ここだ!
 いつもの通りに「まゆちゃんのSFファンタジーネタ帳」を想起して、銃砲の強化に当る。

 

 創始暦五〇〇〇年代の銃砲、歩兵が用いる手銃は火縄銃ではない。
 なんとマッチを用いていた。
 「燐軸式発火手銃」と呼ばれ、火口にマッチを差し込み頭薬を機械が擦って点火する。マッチ棒は火薬を巻き込んだ紙で出来ており、そのまま導火線となる。
 マッチを方台に持ち込んだのも、やはり弥生ちゃんだ。手品のタネに使ったのが、いつの間にか真似されている。
 この形式の発火法は信頼性運用性に優れ、手を加えるべきとは思わない。

 改良すべきは弾丸だ。手銃の弾丸はやはり鉛の丸弾で、これでは命中精度が上がらない。
 ライフリングだ。銃身に螺旋の溝を掘って弾丸を回転させ、ジャイロ効果で飛距離と精度を飛躍的に向上させる。
 椎の実型の弾丸を用いるミニエー銃こそが選択すべきものだ。

「というわけで、溝を掘ります」

 トカゲ神救世主は切断の神、金属をいとも簡単に斬ってみせる。工具に神威を与えれば鋼鉄の銃身をさくさく抉る事が出来た。

 しかし懸念は有る。ミニエー銃は弾丸が銃身内にぴったりと収まり、発射時には旋条に押し付けられて回転を得る。
 つまりガス漏れがしてはならない。当然銃身内の圧力が丸弾よりも高くなる。
 そんな圧力を想定していない銃身に、さらに溝まで掘ったのだ。正直爆発しないか自分でも保証できない。

 おそるおそる、手銃の得意な者に与えて実験させる。少しでも危ないと思えば即逃げろと命令もする。
 試射した彼は驚いた。これこそが神の用いるべき武器、神銃だ。
 通常の丸弾を用いる手銃では射程距離200メートル、命中を期待出来るのは50メートルというところ。丸弾は一度空気抵抗で浮き上がるからなかなか当らない。
 弥生ちゃんが溝を掘った銃は射程で300を優に越え、150でも人間大の的に確実に当る。
「勝てます!」と、彼は断言した。

 意を強くしてミニエー銃と弾丸を量産する。しかし銃にばかり掛かりきりは出来ないのだ。戦争の準備は政治工作がより一層重要である。
 やむなく職人に任せるが、結局10丁にしか旋条を刻めなかった。

 こんなこともあろうかと、まゆちゃんは更なる対策を考えてくれている。戦車の滑腔砲で用いる「APFSDS装弾筒付翼安定徹甲弾」だ。

 鉄矢を口径と同じ太さの丸い木の筒で挟み込み、挿入。発射すると銃口から出た時点で木筒は左右に分離して、鉄矢がそのまま飛んでいく。鉄矢は触れないから銃身が傷付くことは無い。
 試射の結果は、射程距離はやはり300近く。命中率も100近辺で良好だった。形状的に横風に弱いのだが、丸弾と違い矢は細長いので重量を増やせる。

 鉄矢の製造は鋳造で簡単に済ませた。落とせば割れる脆い弾だが、実用上は問題無い。むしろ木筒をろくろで挽くのに手間取った。
 開戦まで職人が徹夜で努力して、1千発の量産に成功。100名に10発ずつを与える。他はこれまで通りの鉛の丸弾を用いた。

 しかし、これでも敵兵力に及ばない。勝利はやはり戦術だ。

 

 戦場はテュクルタンバの郊外の平原。選んだのは弥生ちゃんだ。
 挑戦状を叩きつけ、場所と時間をこちらの意のままに設定する。
 テュクルタンバは十二神の神殿都市であり、「方台新秩序」に基づく外交都市、「神聖傭兵団」の本部も有る。神族神兵が多数居り、ぴるまるれれこ教団に反感を抱く神官巫女の協力も仰げた。
 神聖傭兵団に加勢をこそ求めないが、彼らが守る土地であれば教団の妨害工作を受けずに十分に準備が整えられる。
 ギィール神族の工房も備わっており、新兵器開発の助けにもなった。

 他方のぴるまるれれこ教団は聖堂の有る青晶蜥王国王都「テキュ(日本語で”地球”)」、彼ら自身が呼ぶところでは「神都ピルマレパルス」に全軍を結集する。
 ここには十三代カマランティ清ドーシャと先代が残っている。

 弥生ちゃんに聖蟲「ウォールストーカー」を返した清ドーシャは、当初共に戦うと主張する。
 しかし「王都に留まり人の心を繋ぎ止めることこそ、青晶蜥神救世主の責務だよ」と諭しハリセンも預けた。
 だから敵中に在り続ける。

 確かに効果は大きい。救世主の膝元から初代救世主を討伐に行こうとするのだ、まともな者なら躊躇する、神罰を恐れて逃げ出すのが道理。
 教団はやむなくカネで動く傭兵と、教団高位を得た者つまり教団が倒れると全てを失う者達を主力として軍を編成する。

 指揮するのは教団七位に序せられるガモラマ・レクトン”主教”、41歳の横柄な男だ。既に3代に渡って教団で指導的立場を務める、名門と言えよう。
 彼は別に軍事の専門家ではないが、この戦は神同士の対決だ。主将は教団幹部でなければならない。
 戦争技術は傭兵に任せればよいのだ。高度な指揮能力を持つ剣令や兵師監並の位を得た軍関係者も教団に多く所属する。

 出立は雨の朝、多数の市民が怒りの目を向ける中で尊大に、意気揚々と軍勢は旅立っていく。

 

 戦場に到着し弥生ちゃん軍の布陣を見て、彼らは嘲笑った。
 矢楯が並べている。典型的な弓戦用の陣構えで、銃砲の威力の前には何の意味も持たない。

「頭の中は500年前と同じようですな。」
「でなければこれほどの戦力差が有って戦おうとは思わぬだろう。」

 ただし場所は良く吟味している。
 弥生ちゃん軍は銃砲の保有数300をすべて動員しても、ほんの小部隊に過ぎない。兵力を集中する為に低い丘に立て篭る形だ。
 周囲には割れ目や沼が有り、側面には容易には回り込めない。後方テュクルタンバへの撤退路もちゃんと確保されている。

 一方教団軍は兵7000に荷物運びの役夫2000、銃砲も2000を用意する。
 事前に間諜を放って調べたところでは、弥生ちゃん軍は兵1500がやっと。大半が前世紀の遺物の弓兵であり、役に立たないからこの場にも連れてきていない。
 銃砲2000は過大なのだが、なにせ相手は伝説の闘神だ。神威を使わぬとは言うものの、用心に越したことはない。

 戦争技術者が忠告する。
「敵軍の予備兵力は撤退路にて待ち構えているでしょう。深追いは禁物です。」
 ガモラマ主教も首肯く。
 弥生ちゃんは銃砲戦で敗れた後に、神聖傭兵団の援護を仰ぐ腹積もりかもしれない。ここでの戦闘はほんの形だけで済ますということか。

「ではどうする?」
「兵力は10倍以上です。正面から押し潰します。」
「痛快だな。」

 

 兵5000銃砲1500を3隊に分けて、弥生ちゃん軍と対峙する。残りは背後に控えるガモラマ主教を守る。
 教団軍の懸念は伝説的な強さを謳われる神聖傭兵団だ。ゲイル騎兵の神速と何物も寄せつけない重装甲の神兵は未だに脅威である。
 ぴるまるれれこ教団は彼らにとっても敵だ。弥生ちゃんが正面を受け持ち囮となり、背後から直接本陣を叩くことも十分考えられた。

 先鋒の指揮官は元はカンヴィタル武徳王国で大剣令を務めた者。銃砲戦の経験も十分に有る。
 手銃の有効射程200メートルぎりぎりに兵を進め、攻撃開始の杖を振るう。

 同時に彼は死んだ。首の下辺りに被弾して、そのままだ。昔ほどの重装備ではないが指揮官はそれなりの金属鎧を纏っている。が、何の恩恵も無い。
「なんだ?」
 狙撃とは考えにくい。この距離で当てられる手銃は無い。
 彼に代って副官が采配を執るものの、ものの1分でまた死んだ。

 事態の深刻さは全軍に共有されない。教団軍は盛大に撃ち返し、戦場は黒煙に包まれ視界が無くなる。
 下級指揮官達が発砲を止めさせ、煙が晴れて敵を観測する。この距離では大した効果は認められない。

 ガモラマ主教は前線指揮官がたちどころに2名も殺されたのに、眉をひそめた。身分の高い者を狙うのは定石であるが、容易ではないからこそ戦争は成り立つ。
「どうすればよい。」
「兵力が損なわれた訳ではありません。ただひたすらに押すべきでしょう。」
「うむ、前進せよ。」

 せめて100メートルまで接近せねば有効打は望めない。”前進”の旗が振られる。
 同時に、少数の兵力を割いて側面攻撃に差し向かわせた。どうやら全力を費やさねば倒せないと考え始める。

 近世までの戦は希望的観測に基づいて行われる。敵の矢弾はそうそう当るものではなく、均衡状態であれば自分が死ぬ確率は相当に低い。だから兵隊なんぞやってられる。
 しかし教団軍はいきなり地球近代銃器の脅威に直面した。
 前進した銃兵が順番に殺されていくのだ。確実正確に弾が当っていく。次は自分だと理解すれば、攻撃準備も何も無い。
 下級指揮官達は必死になって兵を叱咤するが、彼が真っ先に狙われる。
 指揮命令系統を明確化する為に、指揮官は華美な服装をするのが近世までの軍隊だ。よく目立って逃げようが無い。

 側面攻撃部隊もやはり狙撃に曝される。小部隊の機動的運用はそれこそ指揮官の能力に依存する。たちどころに撤退に追い込まれた。

「ええい、撃って撃って撃ちまくれ!」
 ガモラマ主教はやけになって怒鳴り散らすが、正解である。依然として兵力の圧倒的優勢はこちらに有る。敵が頭を上げられないほどに鉛弾を撃ち込めば良いのだ。

 鉛は貴重品だ。銃砲の発達により急速に需要が伸びて供給量を上回り、価格が急騰する。故に財力の低い組織では銃砲の充実が進まなかった。
 お宝が惜しげもなく丘に注がれる。後で陣地を掘り返してみれば、一財産作れるだろう。

 その内、銃兵達が騒ぎ始めた。弥生ちゃん軍の矢楯がおかしいのだ。
 鉛弾の集中攻撃を浴びてぼろぼろになっているのに、未だ防御の役を果たしている。望遠鏡で確かめてみると、騙された。楯の後ろに土嚢を積んでいるではないか。
 弥生ちゃんは自分が銃砲戦のど素人と見せ掛ける為に、わざと矢楯を並べたのだ。
 引っ掛かって思いっきり弾を撃ち込んでしまった。もし十分な兵力があれば、こちらが撃ち疲れた時を見計らい突撃を掛けただろう。

 司令部は方針変更を余儀なくされる。犠牲を覚悟の上で白兵戦闘部隊を敵陣に送り込むしかない。
 だが弥生ちゃんは伝説の戦士である。白兵戦闘格闘戦において、今も神と崇められる。
 如何に屈強の傭兵であっても、いや彼らだからこそ尻込みする。

 

「仕方ない。石砲を使え。」
 教団軍は1門だけ大砲を持って来ていた。青銅製で砲身は短く射程距離も短いが、大口径だ。丸石を砲弾とする。
 攻城戦の必要は無いとは思ったが、テュクルタンバを背景とするならば脅しに使えるかもと考える。
 これ1門だけで100人を移動に要するほどの大物だ。牛馬の居ない方台では車を使っても重量物の運搬は困難である。

 石砲の有効射程距離は300メートル。ただし近ければ近いほど破壊力は有る。
 手銃が十分に届く150メートルまで押し出して、弥生ちゃん陣地を砲撃し始めた。
 さすがに大口径の威力は凄まじく土嚢は弾け、陣内で人が動き回る姿が遠目にも観測出来る。

「撤退するな?」
 石砲の砲弾は10発しか用意していない。長時間耐えられると打つ手が無かったが、あちらも銃弾の量に限りは有る。すでに限界に近かったようだ。

「”青地に女人の顔の人頭紋”、ぴるまるれれこ旗です!」
 弥生ちゃんの王旗が確認される。教団軍は深刻なジレンマを再認識させられた。
 彼らはぴるまるれれこ神を崇め、死後は弥生ちゃんの居る星の世界に生まれ変わる事を目標とする。
 その神の旗を撃たねばならぬのか。いや、これは「ニセ救世主」であるから、旗を救い出さねばならぬのだ……。

「追え! 敵は逃げ出したぞ。」
 ガモラマ主教の叱咤で全軍が動き出す。開始前は深追いをするなと進言した軍事技術者も、ここまで苛烈な戦闘をするのであれば囮部隊ではないと判断する。
 弥生ちゃんを捕えられれば、

 銃兵の弱点は白兵戦闘である。重い銃器を抱えた上でさらに白兵武器を持つ事はできない。
 命知らずの傭兵団が銃弾を掻い潜って撤退する弥生ちゃん軍を追う。移動中に銃砲は使えないのは常識だ。
 逆撃された。
 手練れの傭兵が、銃兵ごときに格闘で弾き返される。弥生ちゃん軍は何故か銃本体で格闘して、勝っている。

 銃剣だ。この時代方台には未だ銃剣が存在しない。また必要でもない。
 高価な手銃を抱えた銃兵が白兵戦闘をするべきではない。そのまま撤退して手銃を温存すべきだ。槍兵他の格闘部隊が別に用意されている。
 しかし弥生ちゃんは贅沢な兵数を持たない。銃兵が直接白兵戦闘に曝されると考えて、原始的な銃剣を用意しておいた。
 銃口から短剣をねじ込むだけ、木製の柄が銃口にぴったりに作ってある。近代的な着剣装置は考える余裕が無かった。

 こんなものでも十分戦闘力を発揮する。弥生ちゃんの元に集った兵は武術格闘技の達人ばかり、傭兵如きに遅れは取らない。

 撤退しつつ格闘する弥生ちゃん軍の中心から、青い光が迸った。
「青晶蜥(チューラウ)神の御剣光です!」

 まぎれもなく弥生ちゃんが闘っている。「神殺しの神」伝説の救世主の姿に教団の兵も感に打たれた。
「怯むな、追え!」
 号令の下に兵達は我を取り戻し、敵を追う。そうだ、もう後戻りは出来ない。

 

 一心不乱に進んで、教団軍は枯れ河の真ん中に飛び出した。河底は平坦な道だが、左右はかなり高い土手である。
 気づいた時にはもう遅い。弥生ちゃん軍の後衛が土手に姿を見せた。全員が弓を装備する。

「ふ、伏兵です!」「わかっておる!」
 頭上から降り注ぐ矢の雨に、たちまち教団軍は地面に縫い付けられていく。
 だが伏兵の数は少ない。前後に突進すれば、抜けられるだろう。河底に行く手を遮るモノも無い。

 ぽん、と花火が上がる。火薬が発明されてすぐに花火も出来た。武器としても使われたが、銃砲後は烽火の代りにしかならない。
 振り返り空を見ると黒い筒が飛んでいる。やがて白い旗が開いた。見た事の無い物だ、武器か?

 方台火薬兵器には未だ榴弾や榴散弾が存在しない。
 触発信管は発明されておらず、導火線式の時限発火装置は不安定で空中での爆発を期待出来ない。着弾時には砲弾は破壊されて機能しないし、そもそも火薬を詰めた弾は発射時の衝撃に耐えられない。
 また発射器である砲自体が重くて機動性を持たず、榴弾が必要となる野戦には出て来ない。不要の品だ。

 弥生ちゃんが使ったのは木砲だ。
 木と紙と縄で砲身が出来ているほとんど使い捨ての大砲。軽いからわずかの人力でも十分移動可能だ。 
 口径よりも大きな砲弾には柄が有り、砲口に差し込んで発射する。射程距離は100メートル程度で、ほんとうに花火でしかない。

 砲弾には落下傘を仕込んである。空中に留まり、導火線が燃え尽きて爆発。古釘や鉄片を敵の頭上にバラ撒いた。

 教団軍は前後を落下傘榴散弾に襲われ、大混乱に陥った。撤退路が無い。
 右往左往する内に土手の弓矢に射竦められる。手銃に装弾する暇も与えられない。

 10数分後、組織的抵抗は終了。主将ガモラマ主教が降伏する。弥生ちゃんの王旗に逆上し、見境無く本隊を突っ込ませたのが敗因だ。
 およそ5000の兵が枯れ河に進入し、3000が戦死。無傷の者は一人も居ない有り様となる。
 後続2000は陣地攻撃で先鋒を務め指揮系統に甚大な被害を蒙っている。疲弊し銃弾も枯渇して戦意が無い。主将が降伏したと知るや一目散に逃げ出した。

 

 ガモラマ主教は軽傷を負ったのみで捕らえられた。

 弥生ちゃん軍には見届け人として神聖傭兵団の神兵神族が少数加わっている。
 彼らの使命は民衆に対しての虐殺や掠奪凌辱の防止、捕虜の処分や待遇の確認で、国際戦争法に則った対応を各国に期待する。

 ガモラマ主教も訴えた。
「私は一軍の将としての名誉有る待遇を、方台新秩序の定める国際戦争法に従って要求する!」

 だがギィール神族は嗤う。国際戦争法はあくまでも国家間の戦争に関する規程だ。
 ぴるまるれれこ教団は青晶蜥王国に本拠を置き、ガモラマも青晶蜥王国人。今回の事態も戦争ではなく反乱と看做される。国内法の範疇だ。
 法に則れば、彼は「反乱勢力の頭目」以上の存在では有り得ない。

 弥生ちゃんも気の毒そうに言う。以後教団を破壊するのに何度でも同じ場面に出くわすだろう。原理原則は正しくしないといけない。
「法は守らないとね。」
 ガモラマ主教はその場で斬首に処された。

 9000の教団軍をわずかの手勢で瞬時に全滅させたとの報は、あっという間に方台全土を駆け巡る。
 やはり「本物の神殺しの神」に逆らうのは無謀であった、と教団から離脱する者が相次いだ。

 青晶蜥王国軍も中立の立場を捨てて、弥生ちゃんの足元にひれ伏す。
 さすがにこいつらは信用できないから将軍以下幹部を更迭し、神聖傭兵団から指揮官を派遣してもらい軍を運営する。

 だが弥生ちゃんが再び兵を指揮する必要は無かった。
 一般民衆の支持が厚い教団を苦々しく思っていた方台各国が、一斉に取締まりを開始したのだ。
 主に税法上の監査を掛けると、出るわ出るわ。経済関係の不正行為が山ほど発覚する。
 また「無限連鎖講取締まり法」が500年の歳月を越えて復活し、残存する教団勢力を摘発していった。

 弥生ちゃんの指示で教団資産は凍結され、不当に財産を吸い上げられた一般信者への返還も進む。
 十二神神殿が民衆への奉仕を再開し、元の活況を取り戻す。

 教団が消滅して初めて、民衆は社会が寄生虫に食い荒らされていた事に気が付いた。
 瞬く間に粛正は方台全土に広がり、救世を喜ぶ声で満たされる。

 

 勝利と社会の刷新は正しい。だが弥生ちゃんは今回やり過ぎてしまった。
 地球の技術を導入した新兵器、ミニエー銃とAPFSDS、銃剣、簡易迫撃砲と落下傘式榴散弾は以後の軍事状況を激変させる。

 この内ミニエー銃つまりライフル銃は普及しなかった。
 驚異的命中率は魅力ではあるが、銃身内の加工は当時の技術水準を越え暴発事故も多くなる。
 高価な鉛を用いるから価格も跳ね上がる。比較的安価な鋳鉄を用い銃身に加工の要らない鉄矢の方が方台の事情に適していた。
 後には矢羽を曲げて空気抵抗で回転するよう工夫し、ジャイロ効果でさらに命中率が上がる。

 こうして方台の銃砲は鉄矢が主流となった。たちまち丸弾を駆逐して、命中精度と飛距離を生かした銃砲戦に移行する。
 元が徹甲弾であるから簡易な防壁では意味を為さない。弥生ちゃんが示した通りに土嚢と塹壕に隠れ互いが長期間睨み合う第一次世界大戦に似た状況となる。

 ここで威力を発揮するのが簡易迫撃砲だ。頭上よりの榴散弾は塹壕に的確に打撃を与えられる。
 砲の力が弱い為に鉄量を増やせず殺傷力は弱いが、木砲の製造コストの安さは極めて魅力的である。数を揃えて撃ち込めば命中精度も必要無い。
 軽量ゆえに野戦でも使用可能であり、夥しい数の人命を損なった。

 鉄矢に対してはまったく効果の無い甲冑ではあるが、頭上の榴散弾を防ぐ為に欠かせないものとなる。
 兵は昔ながらの重装を強いられ、行軍速度は遅いままだ。銃砲を利しての機動的戦闘は影を潜め、方台の平和は消極的に保たれる。
 戦場の進化は、去勢した荒猪が牽く車が実用化するまでお預けだ。

 去勢の技術は方台の外からもたらされたもの。
 弥生ちゃんは天河十二神に掛け合い、北方聖山にある大洞窟の迷路の通行を毎年数名にのみ認めさせて、外界との連絡を確保した。

 社会の混乱、ぴるまるれれこ教団の跳梁跋扈も、外界との接触を遮断された不満の鬱屈が原因と見定めた。
 星の世界よりの救世主の降臨、また西の海から三代来ハヤハヤ・禾コミンテイタムが来たというのに、その後500年も隔離される。
 当初の期待は強い不満に変わり、発酵を続け、この時期に爆発する。星の世界に生まれ変わると説くぴるまるれれこ教団が支持された由縁だ。

 地下迷宮を抜ける旅で外の世界に通じ、知識を持ち帰る事で方台の社会や技術はますます進化を遂げる。
 そして気付くのだ。他と比べて十二神方台系がかなり進んだ歴史段階にあると。
 方台の人は次第に増長し、自らを人間社会全体の指導者と任じるようになっていく。
 天河十二神、聖戴者による支配を退け、一般人自らが社会を治める民衆王国運動が盛んになる。

 青晶蜥神の時代の終り、外界との直接交流が可能になると予言される次の千年期を待ちわびるのだ。

 

【油話 その3】

 青晶蜥(チューラウ)神が地上に遣わせたカベチョロの聖蟲は3匹。それだけしか歴史に姿を見せていない。
 1匹目は言わずと知れた弥生ちゃんの頭に居る「ウォールストーカー」。最も高い権威を認められる。
 2匹目は二代メグリアル劫アランサが戴いた「スペキュラペイン」、背中の艶が印象的なカベチョロだ。
 3匹目は海の彼方からやって来た三代来ハヤハヤ・禾コミンテイタムがもたらした「ムーヴィンテイル」。尻尾をリズミカルに振るのが特徴だ。

 つまり青晶蜥王国においては3人が聖戴する。
 理想的には、救世主「星浄王」が「ウォールストーカー」を戴き、その後継者たる「光主」が「ムーヴィンテイル」を、引退した前任者「龍母」が「スペキュラペイン」を戴く。
 星浄王の平均在位期間は20年。光主に救世主としての自覚を促す為に早期に譲位して、自らは政治活動に専念するのが正しい形とされる。

 ところが「ウォールストーカー」は選り好みが激しく、なかなか額に乗ってくれない。やむなく「スペキュラペイン」を戴いて即位する者も多い。
 「ウォールストーカー」を戴く星浄王は特別な存在と看做され、これを正式な青晶蜥神救世主として数える慣習が出来た。(弥生ちゃんが直接見出した二代三代は数える)
 だから550年の長い期間に十三代しか進んでいないわけだ。

 青晶蜥神救世主の後継者は、救世主自身が見出す。
 光主の時代に神剣を抱いて方台各地を巡幸し人々に神の恩恵を与え、集まる人の中からこれはと思う少女を選ぶ。
 後継者に資格や特徴は無いとされる。直感だ。
 この人が次の救世主だと分かるから、王宮に連れてくる。後継者を見出す能力こそが救世主の資質でもある。

 

 十三代カマランティ清ドーシャは50年ぶりに「ウォールストーカー」に選ばれた救世主だ。民衆の期待は高い。
 しかし彼女は次代を発見出来なかった。星浄王位に就いた後も探索の巡幸を続けるが、やはり現れない。

 後継者選びを直感に頼る体制の危うさは今に始ったことでは無い。
 これを機にと、後継者選出を別の方法で行うべきとする意見に強い関心が寄せられた。
 聖戴者、天河十二神の使いによる社会の直接統治を脱し、人間が自らを支配すべしとの風潮も高まっている。

 各国の均衡に揺らぎが生じ、万が一を考えて動く者も現れる。社会に漠とした不安が漂い、乗じて人を煽動する輩が勢力を伸ばす。

 最も深く傷付いたのは清ドーシャ本人である。いかに懸命に政務に励んだとしても、人の見る目が日々険しくなるように感じられる。
 光主として見出されて25年。これ以上の後継者の空白は許されるものではない。
 先代の星浄王は未だ存命であり彼女を支えたが、既に齢50を越える。もしこの人までもが失われたら王国は、方台はどうなってしまうだろう。

 清ドーシャの絶望に付け入ろうとする者が多々訪れる。いずれも曲者であり忠実な側近に繰り返し排除されたが、政治的基盤が弱くなれば防ぎきれない。
 そしてついに「真人」を名乗る怪しげな人物が篭絡に成功した。

 背が高く出自はギィール神族であろうかと噂される真人は全身に白を纏い、常に顔を隠す。
 古今の儀礼に詳しく、特に古代の火焔教の秘術に通暁していた。
 中でも「神の化身を呼び出す」捨身祈祷に清ドーシャは惹き付けられる。自らを生贄として焔に身を投じ、以って天河に願いを届ける。
 真人は、乱れる方台を清めるには最も強く最も優れた星の御使い、青晶蜥神救世主初代ガモウヤヨイチャンを呼び出すしかないと説く。
 弥生ちゃんであれば、なるほどすべてを完璧に解決できるだろう。

 周囲の反対を押し切り誘われるまま焔の捨身祈祷を敢行した清ドーシャは、見事弥生ちゃんの召喚に成功。
 焼きそばパンの恨みで自身は殴られるものの、方台に光を取り戻す。

 

 というわけで、弥生ちゃんは増長した「神撰組」を取り潰し、邪悪な「ぴるまるれれこ教団」を血祭りに上げる。
 その他諸々の悪党共に正義の鉄槌を下して社会の粛正に成功したのであった。
 まさに「神殺しの神」と呼ばれるにふさわしい御姿。今回救世主ではなく魔王と呼ばれる由縁である。

 だが社会を不安に陥れた要因がもう一つ残る。
 青晶蜥神救世主の後継問題だ。

 自分で歩いて回るのも面倒くさい。
 清ドーシャが後継者探しに巡幸した当時の話を側近の巫女侍女他から良く聞き、ネコ達の間に残る噂を確かめて、首肯いた。
 さらさらと「手紙」をしたためて、遠方に使いを出す。
「それだけで分かるのですか?」との問いに、笑って応えた。

 20日後現れたのは中年の女性。清ドーシャよりも2歳上だ。
「この方は、見覚えがあります……。」

 未だ少女の頃、光主として神剣を任されて方台各地を巡っていた時に、或る村で会った人だ。
 腫物に触るかに敬して遠ざかる他の人とは異なり、姉のように気さくに親しく接してくれた。
 こんな人が光主であり、自分が後継者に見出されればよかったのに、と思ったものだ。

「この人が次の救世主です。」
 弥生ちゃんの宣言に、居並ぶ人は皆驚いた。まさか本人よりも歳上の後継者が居るなんて。
 だがそういう事も有り得るのだ。弥生ちゃんの説明だと別に年齢制限があるわけではなく、それどころか男性であっても良いと言う。

「固定観念に縛られるとダメなんだよ。なにごとも自分の心を信じるだけね。」
 本来であれば、清ドーシャと双子のような光主が揃えば、より強い指導力を発揮出来たはずなのだ。
 ぴるまるれれこ教団の取締まりも、ひょっとしたら方台の人間だけで出来たのかも知れない。

 喜びに沸く青晶蜥王宮。さっそくに祝いの宴が開かれる。
 人々の笑顔を確かめて、弥生ちゃんは裏に引き下がった。まだ次の用事が残っている。

 

 別室に控えて居たのは、清ドーシャに捨身祈祷を勧めた「真人」だ。
 豪華な刺繍が入った白い絹の頭巾を被り、顔が見えない。全身を白で装う神々しさはまさに真人の名にふさわしい。
 背はとても高く2メートル近く。創始暦五五五五年の今日、ギィール神族を含めてもこんなに高い人は滅多に居ない。

 弥生ちゃんは不用意に近付かず、十分に間合いを保ったまま尋ねる。

「もう、黒は身に着けないんですか?」
「余りにも多くの人を見送って、悼むのに飽きたのでな。」

 正体を見破られていると知って、頭巾を外す。見知った女の顔が現れた。デュータム点で神刀を用いて襲って来た黒衣の女、無数の名を持つ不死の神人だ。
 髪が真っ白なのを除けば500年前と変わらず、美しい。
 ただ違和感が有る。かなり疲れていると見受けられた。往時の世界を焼き尽くしても平然と立つ獣の迫力に欠ける。
 歴史の内に一人留まり諦観に取憑かれただけでは無さそうだ。

 弥生ちゃんは額の「ウォールストーカー」に手をかざして、聖蟲の目で女を透かして見る。

「老化、いや肉体の劣化が起こっているね。紫外線とか宇宙線の影響で遺伝子が損傷してるんだ。」
「?…。」

 老いた事は自分でも理解する。女は嘲笑って見せた。

「そういうことだ。不老不死とは言うものの、完全では無かったのだよ。」
「コウモリ神人が地上に居れば、或いは聖蟲を戴いていれば随時修復をしてくれたんだろうけどね。」

「これでは、役に立たなかったぞ。」

 真人が懐から取り出したのは黄金の鞘を持つ短刀だ。抜くと弱々しく青い光が漏れる。
 床に投げ出したそれを拾って見ると、刃に見覚えが有る。かって弥生ちゃんが狗番のミィガンに神威を許した刀だ。
 女に奪われ、彼女の手からジョグジョ薔薇に与えられ、戦場で回収して弥生ちゃん自身が3つに叩き斬った。
 折れを短刀に仕立ててある。

「神刀であっても時の流れには逆らえぬ。年毎に光が失せていき、人を癒す力を失った。」
「それはおかしいな。神刀の光は刀自身が持つわけじゃない。」

 刃を確かめて、左の指先で弾いてみる。途端に眩しく輝き青い焔が燃え上がる。

「この刀で他人を癒そうとしなかったでしょ。神剣神刀は自らが必要とされなければ機能を停止するように出来ているんだ。」
「そうだったのか。まあどちらでもよい、私には最早必要の無いものだ。」

 女は笑う。弱い。
 こんな表情をするとは思わなかったから、弥生ちゃんは胸が潰れる思いがした。

「なぜ、私を呼び出したのですか。」
「清ドーシャがそなたを望んだからだ。昔から人の願いを叶える為に生きている。」
「それだけじゃない。貴女自身が私を望んだんだ。」

 女は大きく息を吸う。それだけで疲れるほどに衰えていた。

「懐かしい。そなたは昔のままに聡明で洞察力がある。それでこそ救世主ガモウヤヨイだ。ほんとうになつかしい。」
「私自身にはさきおとといの出来事なんだけどね。」

「そなたしか居ないと知っていた。私を永遠の生より解き放つのは。
 「神殺しの神」に今一度会いたかった…。」

 笑顔のままに涙が零れる。時に取り残されるのが如何に残酷か、改めて知る。「髭じいさま」を思い出した。
 弥生ちゃんは考える。人の願いを叶えるのは、トカゲ神救世主も同じ。彼女の願いも例外ではない。
 だが確かめたい事があった。

「ぴるまるれれこ教団は、貴女の仕業なのかい。」
「昔わずかに関わった。今の繁栄と滅びは知らぬ。そうだな…、清ドーシャがそなたを呼び出す気になる程度には、弄ってみたか。」

 決定。殺してあげない。
 弥生ちゃんは再び光を取り戻した短刀を、投げた。まっすぐに心臓を貫き、柄までもが肉に埋まる。
 女は歓喜に咽ぶ。これで永遠の牢獄より解放される。我独り、人を悼み続ける日々は終る。

 されど心臓は鼓動を止めない。

「なにを、  …した?」
「神剣神刀のみならず、木の棒にだって神威は宿る。貴女自身を青晶蜥(チューラウ)神のお護りにしました。
 短刀は体内に留まり、内側より修復を続けるでしょう。」
「まて、それはダメだ。何も変わらぬ。私を見捨てるな。」

「トカゲ神が統べる千年の間は、神刀も光を失う事はありません。百年もすれば元の通りに悪事を働けますよ。
 では、ごきげんよう。カラミチュさん。」

 

【油話 その4】

 タコ女王テュラクラフを冥府に送り、デュータム点に戻った弥生ちゃんにゲルワンクラッタ村、元のペギィルゲイル村から連絡が入った。
 以前訪れた際に仕込んだゲルワン・カプタ(いなごばった)を醸す『醤油』が出来上がったという。
 醸造に当ったカエル神官はこうも伝える。「天露を授かりました」と。

 期待に胸を膨らませ、村人が行列を組んで届けてくれた甕を確かめる。おお本当に醤油みたいだ。
 しかし、弥生ちゃんが思ったものとはかなり違う。上手くは表現出来ないが、醤油ではない。

 とは言うものの方台の人間には大好評。味もさる事ながら、ばったを醸したという事実が大きくアピールするようだ。
 元々が十二神方台系では虫を乾かし粉にしたものを調味料に使う。虫醤油に反発する人は誰も居ない。

 気を良くした弥生ちゃんはデュータム点の皆とゲルワンクラッタ村の者に賜い、不在の間の労苦をねぎらう宴を開く。
 またお世話になった王様達にも甕を贈って御礼とした。

 

 カプタニアのカンヴィタル武徳王の元にも届けられる。
 「ばったを醸して作った天の露」と言われれば、確かに食指が伸びる。が、不用意に武徳王の口に入れて良いものではない。
 御膳を司る金翅幹元老員は神聖王宮の料理人に命じて、「虫醤油」の毒見と調査を任せた。

 10人ほども居る料理人は、もちろん王都カプタニアにおける超一流の技術者だ。初めて見る食材でも自在に使いこなしてみせる。
 数時間後、彼らは金翅幹元老員の前にひれ伏した。免職して欲しいと願い出る。

「何故にそのような事を言う?」
「我ら日々努力精進し研鑽を積み、武徳王陛下には最高の料理を御賞味頂いていたと自負しておりました。」
「うむ、その点に関しては何人たりも否定出来ぬ。」

「ですが、今回青晶蜥神救世主様のお届けになられた天露を使ってみて、とんでもない傲りであると思い知らされました。真実を知った以上はこのまま陛下の御膳を担当できません。」

 それほどのものかと彼らに命じて、簡単に料理をさせてみる。例の無いことだが元老員自ら厨房に足を運び、その場にて味を確かめる。
 一口含んで驚愕した。

「……、なに、か?」

 形容出来ない感覚が舌を襲う。これを味と呼ぶのならば、これまで自分が口にしてきたものはなんだったのか?
 彼とても美食に関しては他に譲らぬ経験を積み重ねている。にも関わらず、比較すべきを見出せない。

「他の料理で試してみたか?」
「は。10種ほどに用いてみましたが、いずれにおいてでも素晴らしいものとなりました。」
「試してみる。」

 だが王宮内部には至る所に耳をそばだてる者が居る。弥生ちゃんから贈り物が来たと知って、元老員が幾人も顔を見せた。

「これが、虫を醸して作った調味料か?」
「得体の知れぬものを陛下の御口に入れるわけにはいかぬ。」
「毒ではないのか? であれば、我らも確かめてみよう。」

 後から後から元老員が訪れる。職を辞すべき料理人達は全力で調理して、命知らずの忠義な毒見役に供して回る。
 何十人もが天上の至福に包まれ、ふと気が付くと甕の中はカラになっていた。

 全てが終った後に、武徳王の耳に報せが届く。

「それほどのものであったか?」
「は……。なんと申しますか、夢のような時間でありました…。」
「うむ、余も確かめたかったな。」

「私見ではありますが、もしもアレを独占的に供与すると言われれば、王国を裏切る者まで出るやも知れませぬ。」
「ふぅむ。残念だな。」

 

 大好評の虫醤油だが、材料であるいなごばったの捕獲は容易ではない。醤油を醸すだけの量を新鮮なままに得るには、ハリセンの力が不可欠だ。
 他の虫を用いて作ってみても、やはり同じ味は出来なかった。
 後に弥生ちゃんは毅豆を用いた醤油に切り替えた為に、幻の味となってしまう。

 だが弥生ちゃん退去後数年、二代メグリアル劫アランサは大量に発生したいなごばったに対してハリセンの超能力を使用。
 フリーズドライ効果で新鮮な材料を大量に獲得して、再び虫醤油の醸造を行った。

 以後毒地で大発生が起こる度に青晶蜥神救世主は出向いてハリセンを振るい、虫醤油を作ることが慣例となった。

 

【油話 その5】

”あのところで、弥生さん。油と関係の無い話が続いているようですが”

「そんなことはありませんよ。全部油関連です。」

”どこらへんですか?”

「だらだらと長く続くところ。」

”……、あー。”

 

 

【本編主人公】

 本編主人公ヒッポドス弓レアルの名は、歴史に残らなかった。
 とはいうもの無名で終ったわけではない。実は「神兵カロアルの妻」として世間に知られる事となる。

 夫であるカロアル軌バイジャンは、配属間もない小剣令として大審判戦争に従軍した。

 ベイスラの国境線付近で金雷蜒寇掠軍と遭遇。ゲイルに撥ね飛ばされて重傷を負ったとされる。
 運良く人に助けられるも記憶を失い自らが何者かを忘れ、そのまま戦線離脱。行方不明となる。
 彼の父親も神兵兵師監として同じベイスラで戦い、名誉の戦死を遂げている。
 黒甲枝カロアル家にとっては当主と後継者を失う存亡の危機となった。

 流離う彼を見つけ出し元の地位を回復させたのが、「妻」である弓レアルだ。
 様々な手段で記憶を取り戻そうとしたが薬石功無く、最後に縋ったのが方台を離脱する青晶蜥神救世主。

 創始暦五〇一〇年秋初月、百島湾より弥生ちゃんは1艘の小舟に乗って方台を離れる。
 前日までまったくに休むことなく人を癒し、また政務に精励し方台千年を定める様々な改革を行った。
 コウモリ神人との最後の死闘に傷付き、身体が透けて見えるほどに打撃を受けたにも関わらずだ。
 だがこれ以上は方台に留まれぬ。身体が崩壊して大爆発をすると額の聖蟲より教えられ、西の海に去って行く。

 最後の日、宿舎から港までの道すがらにも病人が左右に詰め掛け癒しを求めた。
 人群れの中に、カロアルと妻の姿も有る。

 弥生ちゃんはこの時期神威が頂点にまで高まり、ハリセンや神剣を使わずとも触れるだけで大抵の病は癒せるまでになっていた。
 記憶を失うカロアルなど造作も無い。額を撫でればたちまち元の自分を思い出し、黒甲枝としての責務に復帰する。
 カプタニアに戻り聖蟲を授かり神兵となって、カロアル家を再興した。

 武徳王が聖なるカブトムシを額に乗せると、彼は宙を舞い天高くに昇って行く。聖戴式に参列した人は大いに驚いた。

 空中飛翔者として知られるメグリアル王女 劫アランサは既にカブトムシの聖蟲を返還し、飛行能力を失う。
 弥生ちゃんから青晶蜥神の聖蟲「スペキュラペイン」を授けられ、第二代の青晶蜥神救世主星浄王を務めていた。

 神兵カロアルを王女の傍に置けば、褐甲角神の優越をギィール神族に対して示す事が出来る。
 彼は赤甲梢より改編された「チューラウ神衛士団」に配属され、武徳王カンヴィタルの代理として活躍した。
 神族神兵混成で結成された「第二回北方大樹林探検隊」にも参加して、砂糖量産に繋がる「砂糖芋」の獲得に成功する。
 探険の最中に遭遇した「暴龍チラノン」との激闘は伝説になり、広く人々に知られている。

 要するに英雄だ。弥生ちゃん退去後の方台を描くのに欠かせない人物であろう。
 であるから、彼が記憶を喪失していた頃の物語も民衆に求められた、
 この期間の主人公となるのが、「カロアルの妻」弓レアルである。

 無論彼女がどのように夫を探したか、詳しい資料が残るはずも無い。
 だが「カロアル」伝説において、常に彼女は「無尾猫の助けを借りる」「ネコの長者」と記述される。
 この時期の民間伝承の中から「ネコに助けられる女」を手掛かりに調べると、なかなかに面白い逸話が見出せた。
 すべて同一人物の仕業とは言い難いのだが、これら一連のネコ話を俗に「カロアルの妻説話」と呼ぶ。

 

 その第一として注目されるのが、当時の褐甲角王国の大政治家ハジパイ王、ハジパイ嘉イョバイアンの臨終だ。

 ソグヴィタル王 範ヒィキタイタンの審判において「両成敗」で聖蟲を剥奪された彼は、3年後もしくは5年後に世を辞している。
 死亡年の違いの理由は明確だ。弥生ちゃん方台退去前か、後か。これは非常に大きな差である。
 歴史学会では3年後、方台退去前に亡くなったと看做すのが主流だ。5年後説は王の権威を高める為の形式的なものであろう。

 聖蟲を失ったハジパイ王は褐甲角王国を巡り歩いて、ベイスラ県のとある村に落ち着いた。
 村で様々な人に知恵を授け、賢者らと語り合ったと伝えられる。亡くなったのもこの地だ。
 臨終の枕元には忠実な下僕とネコを使う女が居た、と記録される。
 ネコが方台各地の出来事の噂を伝え、女が王に話し聞かせて、床にありながらも政治の動きを見通した。

 この女が「神兵カロアルの妻」だとするのが、3年後説の根拠だ。「ネコの長者」は珍しく、そう何人も居たとは考えにくい。
 またカロアルが聖戴した後の消息は、夫妻共々に記録に確認される。
 5年後説では彼女が王の傍に居ることはできない。

 女が「カロアルの妻」だとする有力な証拠は確かに存在する。
 ハジパイ王の霊廟はカプタニアにあるが、臨終の地である村にも祠堂が建てられ祭られている。
 この村は、神兵カロアルの父が大審判戦争にて戦死した場所に非常に近いのだ。戦死の状況を示す壁画も祠堂に描かれる。
 壁画は、カロアルの父を仕留めたギィール神族が己の業績を誇示する為に出版した絵巻を描き写したと伝わる。実際褐甲角王国の武人画ではなく、神族の絵に近い。
 王の墓所にまったくに格下の神兵の死を記すのは不敬であろう。
 にも関わらず許されるのは、カロアル家がハジパイ嘉イョバイアンと深く関係した証拠だ。

 後にまとめられた物語『カロアルの妻女』では、このように描かれた。
 臨終間近の王は世話する女に対し、「ジョグジョ薔薇」と対決する弥生ちゃんの軍勢に加われと忠告を与えた。
 千里を見通すハジパイ王ならではの判断だ。求める夫も必ずそこに居る、と示唆する。
 果たして戦場で見出しカプタニアに連れて戻る途中村に立ち寄るも、王は既に亡くなっていた。となる。

 ちなみに祠堂に記されている死亡年が5年後説の根拠である。カプタニアの霊廟にも記される。
 これは、土に埋めた遺体が白骨化したものを掘り返し王都へ運んだ時を死亡年としたものであろう。
 時をずらして、せめてもの勝利と看做す心理が働いたのだ。

 実は15年後説もある。
 王の死が発表されて数年後スプリタ街道沿いのとある宿屋に15才ほどの少年が現れ、「我は先のハジパイ王である」と名乗り人を驚かせた。魔法の力で若返ったという。
 同様の説話が、主人公は老若男女色々だが、方台各地に散見される。
 騙り者に違いないのだが、しかしいずれも秘密の情報と高い教養、老練な判断の確かさを示しており、自らを「ハジパイ王」と名乗る不思議がある。
 王となんらかの関係があったのは間違い無い。或る研究者は王が召し使っていた諜報組織がかなりの期間残存していたとの説を唱える。

 

 次に確かとされるのが新生紅曙蛸王国 女王テュクラッポ・ッタ・コアキとの面会だ。

 南海に戻り都タコリティの復興に務める女王は、民衆に対して不思議な宝を賜ったとされる。三つの真珠だ。
 一つは「命拾い珠」と呼ばれ、どのような危難に遭っても一度だけは絶対に命を救ってくれる。宰相であるソグヴィタル範ヒィキタイタンも、この宝で危うく難を逃れている。
 二つめは「願い叶え珠」。どのような願いでも聞き届け叶えてくれる。
 ただし、願う本人の為だけに機能する。他者の為、あるいは後に他者に恩恵を分け与える願いは叶わない。金銭や財産、理想の伴侶などは無効という意味だ。

 そして三つめが「逝き還り珠」。海での遭難などの、他人に死ぬ所が見られていない者を一度だけ呼び戻す事が出来る。
 ネコの女はこの珠を求めて女王の元に参ったという。

 無論、彼女以外の人も多数訪れる。しかし宝をそう簡単に分け与えてくれるハズも無い。
 テュクラッポは人に欲する理由を聞き、尤もであれば対価無しにくれた。タコ石で作られた額冠に珠は次々と湧いて出る。
 とはいえ女王は気まぐれな少女だ。聞くだけ聞いてさようなら、が通常。人の不幸など聞き飽きた。

 多くの者が自分がどれだけ珠を欲しているか必死になって訴える。財宝を差し出す者も少なくない。
 その中で、ネコの女だけはまったく違う態度を示す。お話をしたのだ。
 失踪した恋人を求めて方台中をネコと共に流離う旅の出来事を、とりたてて飾り立てもせずにゆっくりのんびりと語った。

 彼女を描写する際に必ず記されるのが、「のんびりとしてモノに動じない、穏やかな」性格だ。ネコと友達になる資格として、後々までも語り継がれる。
 テュクラッポも彼女の話に引き込まれ、何時間もを対面に割いた。
 この時点で珠が彼女に授けられるのは確定だ。恋人をこの場に引き戻す「逝き還り珠」を女王は差し出した。

 ここで迷う。珠は魔法の力を持つから、確実に願いが叶うだろう。
 だが一回きりだ。もし次に恋人が失踪したら、いや自分の傍から離れたら戻るだろうか?
 珠の恐怖、真の意味を見出したネコの女は、結局拒絶する。何の為に来たのか分からなくなるが、断った。

 女王テュクラッポは満足する。珠に代ってタコ神の祝福を与えて、再び恋人を求める旅に送り出した。
 以後彼女は伝説として語られる。真に賢き者は不思議を求めないのだと。

 

 スガッタ教団にもネコの女の逸話が伝わる。

 コウモリ神人より賜った十二神方台系真の支配者「妖幼女ゲキ」は、「ジョグジョ薔薇の乱」の前後に弥生ちゃんと闘う。自身の超能力のみならず、闇の眷属を呼び出して軍勢とした。
 4歳くらいのちいさな女の子なのだが、強い力を秘めておりとても人間の手に負えない。
 日が経つに連れて我儘がどんどん激しくなる。スガッタ僧の手に余り、やむなく”母親”に預けることとなる。

 ここでもゲキは逃げ出した。風よりも早くに走り、人の目を振り切って毒地の中に消える。
 廃墟の街の中で、ネコの女と出会った。
 なにをしていたのでもない。女はここで道を失い途方にくれていたのだ。幼女と共に3日間、ただひたすらに困って居た。
 ようやくに”母親”に見つけ出され、ともどもに助けられる。「大人ならもう少し知恵を使って自ら脱出しろ」と説教されたという。

 ゲキと共に居て無事な者は無い。あまりに癇が激しく大人の言うことを聞かず、周囲の物を壊して暴れるのだ。
 にも関わらず、ネコの女とは仲良くしてなんとも無かった。被害に遭ったのは耳を齧られたネコだけだ。
 女のおかげで精神が落ち着いたゲキはスガッタ僧と共に再び人界に戻り、弥生ちゃんとの決戦に挑む。

 元より闘う為に授けられた子ではある。が、幸せはおそらくネコの女の所に有っただろう。
 徐々に知性を失い「子供」になっていくゲキには、安らぎが必要だったのだ。
 悔恨と共にこの逸話は締め括られる。

 ゲキの滅びと共にスガッタ教団は壊滅的な打撃を被り、復元までに100年を必要とした。

 

 また東金雷蜒王国神聖王ゲバチューラウにも会ったという。

 南海で海賊に拉致されたネコの女は船に乗せられ東金雷蜒王国に向かい、奴隷として売られた。
 買ったのはギィール神族。だがネコは方台中至る所に居る。たちまちに彼女の身元は明らかになり、奴隷の身分から解放される。
 もっともギィール神族は甘くはない。その気にならなければ普通に留め置かれる。
 ここでも機知に富んだ受け答えをして、神族に気に入られた。

 この神族が誰だったのかは伝わっていない。だがハジパイ王、タコ女王テュクラッポと来て、ただの神族では釣り合いが取れぬと思ったのだろう。
 首都島ギジシップの神聖王に仮託されたのも無理は無い。

 

 その他様々な説話が残る。盗賊の頭になったとか、海を小舟で行く途中クジラに呑み込まれ腹の中で暮らしたとか、どう見ても嘘も混じっている。
 それでも全ての結末は同じ。同じ答えを人は望む。

『カロアルの妻は行方不明の夫をついに見つけ出し、いつまでも幸せに暮らしましたとさ』

 

【さようならトカゲ神救世主弥生ちゃん】

 創始暦五〇一四年春、百島湾西金雷蜒王国海軍の巡視船が1艘の小舟を発見した。

 西からだ。
 航路を外れて大きく外洋にはみ出した船が戻るのはよく有る。しかしこの小舟は明らかに遠く西の海から来た。
 ここ数日西からの風が続き、百島湾の船は漕ぎ出せずに困って居たのだ。

 風は小舟を送り届けるかに、一つの島に着いた所で止む。
 他の港で沖合いを監視ををしていた巡視船が確認の為に近付いた。
 すぐに異常に気付く。帆の色が違う。
 方台では筵帆が主流だが、この小舟は布帆でしかも真っ青だ。大きく女人の顔が描いてある。

「ぴ、ぴるまるれれこ旗!?」

 これはもしや、3年前に方台を離れた青晶蜥神救世主ガモウヤヨイチャンの舟ではないだろうか?
 船長は聖戴者でもなんでもない只の剣令である。そのような重大事に対処出来ない。
 だが彼の記憶では、弥生ちゃんの舟「タイヘイヨウひとりぼっちだよ号」の帆は普通に白かった。

 確認せねばならない。水夫に命じて漕いで接近する。
 小舟は一本帆柱。巡視船よりは小さいが、外洋向けの特別な構造になっている。方台のどの船よりも荒波に耐えられる。
 間違い無い、「タイヘイヨウひとりぼっちだよ号」だ。

 ではこれに乗る人は。

 乗員の顔が見える距離まで近付く。甲板の上に少女が一人姿を現わした。
 白い服、黒く長い髪、頭には青く輝くモノが有る。光は強くはないが確実にこちらにまで届き、心を打つ。
 青晶蜥(チューラウ)神の聖蟲に相違ない。

 少女の足元にはネコが居る。全身黄色で黒の縦縞の入った奇妙な無尾猫だ。
 ネコが喋るのに耳を傾ける少女が、こちらを振り向いた。

 違う……、ガモウヤヨイチャンではない。
 少女は方台のどの人よりも、陽に焼けるどの膚の色よりも黒い…。

 

 西金雷蜒王国神聖王ヱ゛グナーマよりの急使を受けて、デュータム点青晶蜥王国仮王宮はどよめいた。
「西の海より、弥生ちゃんの御使いが訪れた」

 方台を離脱する際に「必ず戻る」と約束した。しかし困難であろう事は皆理解する。
 御使いであれば現在の状況も知っているだろう。いや、重大な役目を授かっているに違いない。
 彼らの知る弥生ちゃんは、バカはやっても無駄は決してしない人だ。

 青晶蜥神救世主星浄王二代メグリアル劫アランサは直ちに西に赴く。すべての予定をなげうって、天候不順も省みずの強行軍だ。
 10日の道を7日で走破し、百島湾に到着。ヱ゛グナーマが差し向けた御座船に乗って西金雷蜒王国首都島エイントギジェに向かう。
 船上でも気は焦る。
 カブトムシの聖蟲を戴いたままであれば、空を飛んですぐにでも会いに行けたのに。

 

 思えばこの3年半は辛いことばかりの日々であった。
 聖蟲「スペキュラペイン」を戴き星浄王二代に即位したアランサを襲うのは、政治状況の激変だ。
 弥生ちゃんの不在で流動化するのは予測されていたが、まさか足元から崩れるとは。

 3つに分かれた褐甲角王国は当初便宜的、小単位に分かれて効率的に社会を統治する形だけの分割であった。
 だが思いも掛けずに三者三様の経済発展を迎えて、たちまち意識が変わる。

 方台南部を任されたソグヴィタル王国は、本格的に始動した毒地開発に資材を提供し急速な発展を見せ始めた。
 北部ボウダン街道を押えるメグリアル王国は、星浄王アランサが家門の出身であるのも幸いし、東金雷蜒王国と密接な関係を保ち交易を一手に独占する。
 カプタニア街道と方台西部を占めるカンヴィタル武徳王国も、元々産業の発達した地域を領有し他を防衛する負担から解放されて、一気に花開く。

 経済が分かれた事により軍事的政治的にも独立性が高まり、独自の立場を主張するようになる。
 それぞれの思惑の焦点となるのが「方台新秩序」を主宰するアランサの動向だ。

 弥生ちゃんの強大過ぎる影響力に依って成立した「方台新秩序」を制御する手段が、アランサには無い。
 故に提携する国を必要とする。どこと密に協力するかで国際関係がネコの目のように変わる。

 正直、アランサは政治には疎い。弥生ちゃんの傍近くに在ってさんざん勉強したのだが、生来のものは直らない。
 また青晶蜥神救世主がいかなるものであるか、未だつかめない。弥生ちゃんの真似は誰にも出来ないのだ。
 自分なりの救世主の在り方を見付けねばならぬが、周囲は彼女の完成を待ってくれない。

 不慣れなアランサを強く助けたのは、輔衛視チュダルム彩ルダムだ。
 法律の知識が有り「破軍の卒」チュダルム家出身の彼女は、アランサよりは政争に慣れている。
 宮廷闘争の達人であった故メグリアル王女 焔アウンサの一番弟子として強力な手腕を発揮する。
 赤甲梢と共に東金雷蜒王国電撃戦にも参加しており、黒甲枝の強い支持も得た。

 彼女はカブトムシの聖蟲を戴いたまま青晶蜥王国に移籍し、宰相輔の位を得る。実質アランサの代理となって東奔西走する日が続く。

 一方でアランサは救世主としての責務も果たさねばならない。癒しを求める民衆が王宮に詰め掛ける。
 残念ながらハリセンは無い。
 コウモリ神人との激闘で破損した神秘のハリセンは、修復の手段を求めて弥生ちゃんが方台の外に持ち去った。

 アランサが使うのは「青晶蜥神救世主の剣」だ。
 東金雷蜒王国神聖王ゲバチューラウに特別に頼んで鍛えてもらった宝剣に、神威を与えている。
 ただ斬れるだけでなく音響的に優れた特性を持ち、独特の響きを以って見渡す限りの刃に共振し武を鎮める効果が有る。
 弥生ちゃん曰「プラズマの力を封印してある」のだ。

 だが治癒力はハリセンに及ばない。アランサはハリセンの使い方を教わっていないから、有ったとしても十分には使えないだろう。
 日々押し寄せる人に癒しを施して痛感する。自分は弥生ちゃんに遠く及ばない。
 最たるものが、他でもない彩ルダムの治療に当った時だ。

 交渉の為にカプタニアを訪れたアランサと彩ルダム。その歓迎の宴で惨劇は起きた。
 俗に「唐揚げ鍋」と呼ばれる兇悪な罠に嵌められ、アランサを庇った彩ルダムが全身に煮えたぎる油を浴びてしまったのだ。
 カブトムシの聖蟲を戴いていなければ、おそらく即死したであろう。

 アランサは神剣にて必死の治癒を行った。
 元々青晶蜥神の神威は火傷には特に効果が有る。神話においても、火傷したカブトムシ神をトカゲ神が水晶で冷やして癒したと記されるほどだ。
 彩ルダムは一命を取り止める。しかし全身を掩う火傷の痕を拭い去ることは出来ず、体調も元に戻らない。
 実質再起不能となる。

「辛いことばかりが起きるのは、アランサ様がその任に耐えられるからですよ」
 包帯に全身をくるまれ寝台に横たわる彩ルダムは、泣くアランサを優しく慰めた。

 

 傷心のアランサを支えたのは、「神撰組」隊長ゥアンバード・ルジュ。彩ルダムの脱落を好機として押し寄せる敵をことごとく退ける。
 また神族出身のューマツォ弦レッツオが宰相輔に就き、外交交渉を巧みにまとめて行った。
 彩ルダムと異なり他者と衝突しない彼女は、だが恐るべき陰謀家でもある。いや人知れず人を喜ばせ利益の有る方向に導く「陽謀家」と言えるだろう。
 それでも敵は多い。他者の利益を自らの害と看做す者は、彼女の存在を許しておけない。
 命を狙われる事も再三で、賊に包囲された彼女を助ける為に「オッチャン」ことネンコイは壮絶に戦死する。

 数々の犠牲を払ってどうにか動き始めた青晶蜥王国を率い、これから方台をどう導くべきか改めて考える今、弥生ちゃんの御使いを迎える。

 

 エイントギジェの神聖宮に、多くのギィール神族と談笑する少女の声が聞こえて来る。流暢なギィ聖音だ。
 案内のまま部屋に入ったアランサに、神族達は立ち上がり敬意を捧げる。
 その中央に、少女は居た。

 15才、いやもっと若いのか。丈高い神族とも対等に接していたから、年齢が上に見えるのだろう。
 異人とは聞かされていたが、確かに方台には見ない人だ。褐色よりもさらに黒く、日焼けなどではないと理解する。
 自らの肌の色に驚かれるのはもう慣れたのだろう、少女は微笑んで言った。今度は普通の方台の言葉だ。

「ガモウヤヨイチャンさまは”インド人モビックリ”と度々仰しゃられました。」
 藍色の瞳が人懐っこい。会う人をたちまちに魅了する生来の気質を備えていた。

 黒く固い質の髪の上には、まぎれもないカベチョロの聖蟲が居た。尻尾を左右に大きく振り踊っている。
 アランサの頭上の「スペキュラペイン」が赤い舌を出して盛んに威嚇する。喧嘩するのではない、どちらが偉いかの交渉をしているのだ。

「この子は「ムーヴィンテイル」です。青晶蜥神の聖蟲としては最後のものとなる。そううかがっています。」
「認めましょう。貴女はまぎれもなくガモウヤヨイチャンさまに選ばれた青晶蜥神の使徒です。」

 少女は改めて頭を下げて青晶蜥神救世主星浄王に礼を捧げる。自己紹介をした。

「ガモウヤヨイチャンさまの命により十六神星方臺から参りましたハヤハヤ・コミンテイタムと申します。以後よろしく御引き回しのほどお願いいたします。」
『そうではない。そなたは来ハヤハヤ・コミンテイタムだ。』

 西金雷蜒王国神聖王ヱ゛グナーマが訂正を加える。20代の若い神聖王だ。
 保護して居た数日の内に彼もすっかり魅了された。聖戴者の仲間と認め、嘉字を与える。
 神聖王自ら事情聴取に当っただけあって、様々に事情を心得る。彼女の目的も、弥生ちゃんが今どうなっているかもだ。

 促され、少女ハヤハヤは腰の後ろに挟む青い神秘のハリセンを差し出した。
 色硝子の透明さを持つハリセンを、アランサは初めて触る。彼女が「スペキュラペイン」を戴いた時はすでに破損しており機能を失っていたのだ。
 神器を手にしてもどう扱えば良いか戸惑う。

 ハヤハヤは、横にして開いて下さいと勧めた。
 言われるままにハリセンを開いて、扇面に現れたモノに驚いた。二人を囲む神族達も同様に目を見開く。

「ウォールストーカー…。」
 弥生ちゃんの額に座すべき聖蟲が、ここに居る。では今、弥生ちゃんを守る者は誰も居ないのか?

「ヤヨイチャンさまは、十二神方台系には3匹の聖蟲が必要だと仰しゃいました。」
「ですが、では御自身は如何にして、」
「”カタナ”が一振有ればよい、と笑っておいででしたよ。」

 アランサは知っている。青晶蜥神の神威を授かった刀剣の鋼の内には聖蟲が宿っていると。4匹目のカベチョロ「カタナ」が弥生ちゃんを守るのだ。
 しかし神刀の中に封じ込まれた聖蟲では及ばぬこともあるだろう。自らの手元から離れた例さえあるのだ。
 弥生ちゃん自身が被害を蒙った「神刃一〇八振」の決闘も、カタナが無かったばっかりにあれ程の惨事となってしまう。

「いけません。「ウォールストーカー」はヤヨイチャンさまの元に返さねば。船を、」
「残念ながら、私が通った後は海の道も閉ざされるそうです。これまでどおりに天河十二神は人の往来を認めません。」

 ハヤハヤは自らの運命もさらりと流した。つまり彼女も十二神方台系にて生き、故郷を遠く離れて死なねばならぬのだ。
 長いバナナの葉を巻いた束を差し出した。アランサに言いたい事は全部ここに書いてあるそうだ。

 大きな葉に何枚にも綴られる文を必死になって読む。なんだ、自分への指令は何一つ書いていないじゃないか。
 内容はすべて弥生ちゃん自身についてだ。西の海に船出して十六神星方臺に辿りつきハヤハヤを送り出すまでの、日常の記録。食べたものまでが細かく書いてある。
 これでいいのだ。方台の人はこれが知りたいのだ。
 さすがに弥生ちゃんはよく心得ている。自分を心配する人が何を欲し願うか、すべてお見通しだ。

 ハヤハヤは一緒に連れて来たネコも紹介する。

「トラです。」
 黄色に黒の縞を持つ無尾虎猫だ。
 ネコならば、バナナの葉に書かれるよりもはるかに詳しい物語を知っている。ネコの情報網を通じて方台全土の人に弥生ちゃんの姿が生き生きと伝えられるだろう。

 

 涙ぐむアランサにヱ゛グナーマが話し掛ける。
 若い神聖王は王都内では容儀も軽く、神族達と良く遊ぶ。西金雷蜒王国の特徴は、神聖王と神族が仲が良いことだ。

「来ハヤハヤはガモウヤヨイチャンから方台民衆への贈り物を託されている。検分してもらいたい。」
「はい…。」

 硝子の温室だ。ウラタンギジト神祭王の宮殿に有ったのと同じく、ここでも特殊な植物が栽培されていた。
 現在は片付けられており、硝子張りの箱が幾つも並べられる。中身は、方台では見た事の無い植物だ。

「これは、」
「ガモウヤヨイチャンが十六神星方臺にて見出した、十二神方台系でも有用に使える植物だ。およそ百種類をこの特別な箱に入れて運んで来た。」
「ヤヨイチャンさま御自身で選ばれて、」
「うむ。ハリセンの霊力で消毒しており検疫済み、だそうだ。」

 ヱ゛グナーマの話だと、これら有用植物の栽培には慎重と厳重な扱いが必要だそうだ。
 不用意に方台の自然中に放してしまうと勝手に繁殖して、既存の動植物に思わぬ悪影響を与えてしまう。
 それを考慮した弥生ちゃんは、本土から隔離された百島湾にて栽培実験を行い、それぞれの性質をよく確かめてから利用して欲しいと依頼している。

「実質的には西金雷蜒王国にこれらの宝を譲ったこととなろう。多大な利益を生み出す元であるが、青晶蜥神救世主に承認をもらいたい。」
「はい。…はい。」

 アランサは再び涙ぐむ。箱の一つ一つにバナナの葉の説明書が付属する。
 すべて弥生ちゃんの手書きであり、あまり上手とは言えないマンガによる図解も付いて来る。
 合せると500枚ほどにもなろう。一生懸命寝る暇も惜しんで描いている様が目に浮かぶ。

「まったくあの人は、……無理無茶ばっかりをして。」

 遠く離れていても、常に十二神方台系の事を気に掛けてくれた。見捨てられていなかった。
 アランサは泣く。しかし、これが最後の涙だ。

 

 来ハヤハヤ・コミンテイタムはデュータム点救世主神殿にて正式に青晶蜥神救世主後継と認められ、ハリセンの使用が許された。

 使い方も熟知している。アランサには教えられなかった分を徹底的に叩き込んでおいたのだ。
 「涙と鼻水が出るほど」に仕込まれたハリセン術は弥生ちゃんの手際をも凌ぐほど。どのような重病人でも鮮やかに救って見せる。

 チュダルム彩ルダムもハヤハヤの力で回復した。全身の火傷痕をハリセンがたちまち拭い去って行くのに、アランサも安堵する。
 なに一つ痕跡を残さず完治し、体調も元に戻る。
 だが彼女はカブトムシの聖蟲を武徳王に返還し、青晶蜥王国においても要職に就くのを遠慮した。
 方台が混乱した原因は自分にも有る、と責任を取ったのだ。以後はアランサの私的な相談にのみ応じて一生を終える。

 それが許されると見極める。ハヤハヤを得て、遠く離れた弥生ちゃんの心を知り、アランサは自信を取り戻した。
 彩ルダムが楯になる必要はもう無い。

 狂いも迷いも無いハリセン捌きに、アランサも示唆を得た。
 これは自分には出来ない。ハヤハヤが居れば人を癒す聖業に自分が携る必要が無い。
 ならば何をするべきか、今はっきりと見える。

 

 半年後。
 部分竣工なった青晶蜥王宮・岩の玉座の前に十二神官、青晶蜥王国廷臣、また各国代表を集めたアランサは宣言を行った。
 黄金の椅子に座る彼女は「青晶蜥神救世主の剣」を手に立ち、大きく振り上げ、弥生ちゃんのみに許される玉座の前に渾身の力で突き立てる。
 そして言った。
「我は今後、人を癒すことはしない」、と。

 新たに左の腰に刀を吊るす。弥生ちゃんからもらい神威も授けられたが武術の稽古にしか使わない、日本刀に姿の似た刀。
 「易鮮」と呼ばれ、心の動きを映し出す鏡でもある。

 抜いた。緑から赤、青に変わる光を列席する人に示す。
「我に、この刀を血塗らせないでもらいたい」

 救世主としての癒しの力をハヤハヤに任せ、自身は星浄王として方台の安寧と発展に全力を尽くす。
 必要とあれば闘争も厭わない覚悟の宣言だ。

 迷いを捨てたアランサは以後方台新秩序の確立に全精力を注ぎ込む。
 「鬼」と呼ばれるほどに非情でありながらも、熱い想いを政治活動にぶつけた。
 幾つもの混乱や戦争の気配があったが、断固とした態度でねじ伏せる。
 「チューラウ神衛士」をメグリアル王国からもぎ取り、「神聖傭兵団」に改組して戦争に強制介入するまでになった。

 『青晶蜥王国を建てたのはガモウヤヨイチャンだが、築いたのはメグリアル劫アランサ』、後に人はこのように評する。
 千年続く王国を作ったのは、まぎれもなく彼女だ。

 

 人々はハヤハヤの親しみやすい性格を愛した。アランサが怖い人になった分、優しさを異国から来た少女に求めた。
 後に東金雷蜒王国神聖王ゲバチューラウも彼女に嘉字を与え、「来ハヤハヤ・禾コミンテイタム」を名乗る。
 「禾」とは新たに方台に持ち込まれた様々な穀物の恵みを表わすものだ。

 民衆が聞きたがるのはもちろん弥生ちゃんの話。
 遠く離れた西の海で、我らの救世主さまが如何なる冒険を繰り広げたか。知りたくない道理が無い。
 ハヤハヤも喜んで語る。無尾猫「トラ」も、ネコ達の間に新世界の逸話を幅広く伝える。

 多少は誇張が有るのだが、こんな具合だ。

 

 西の海に漕ぎ出した弥生ちゃんは大洋の真ん中で凄まじいプラズマの光を照射されて、復活。しかしハリセンを修復する能力者を探さねばならなかった。
 十六神星方臺と呼ばれる土地に着いたのが、船出から1ヶ月後。
 暖かい気候で全土に植物が生い茂り、人も動物も混ざって暮らしている。様々な果物や種子が年中実り、食に困ること無い楽天地だ。
 文明の程度も高い。金属器こそ使わないが陶芸や硝子工芸が盛んで、石造りの立派な都市も作られる。

 神聖秩序的にはゲジゲジ神が訪れず次が来た状態で、コガネムシの聖蟲を戴く武人が千年を守っていた。
 だが150年ほど前に、ヘソにイソギンチャクの聖蟲を付けた怪人が現れる。
 この聖蟲は人に悪の精神を目覚めさせ、あらゆる世間の枷から解き放つ。手足が斬られても復元する無限の再生力を備えていた。
 十六神星方臺はたちまち混乱に陥り、暴力の支配する大地となる。

 イソギンチャク怪人の首魁は筋骨隆々たる偉丈夫。炎にも冒されぬ黄金の肉体を備え、剛力を誇るコガネムシ聖蟲の武人でさえも捻り倒す。

 また痩身鷲鼻なまず髭の不健康そうな魔法博士が泥をこねて作った巨人を使役し、人を恐怖に陥れる。
 この魔法博士こそが、ハリセンを修復する技術を持っていた。

 そして二人を操る謎の大淫婦。絶世の美女でありながらも一片の慈悲も持たず、鞭にて人を打ち据える。これがまた堪らぬ魅力となって、男達は足元にひれ伏した。

 三悪人を倒さずして、十六神星方臺は救われない。
 何人もの若者が救世を志す。様々な種類の爬虫類を額に載せた勇者がイソギンチャク怪人に挑む。
 しかしことごとく返り討ちに遭い、また淫婦に篭絡されて手下となった。

 第七の爬虫類救世主となったのが、弥生ちゃんだ。
 悪に堕ちた爬虫類勇者を打ち破り、三悪人をひとりずつ血祭りに上げて行くのが、お話の見所。
 弥生ちゃんを陰で助ける土地の美少女が、つまりハヤハヤだ。三度ほどイソギンチャク怪人に囚われたりもした。

 抗争は1年半も続き、弥生ちゃん率いるヤクザ軍団が遂に三悪人が立て篭る火山洞穴に雪崩れ込む。
 旧世紀の支配者と称する巨大イソギンチャク神を葬り去って、遂に救世に成功した……。

 

 ほんとか嘘かは分からない。分からなくていい。弥生ちゃんが元気に大活躍していることが嬉しい。
 それに、ハリセンと新しい救世主を送り届けてくれたのだ。
 これ以上何を望むというのだ。

 人々は最後にこう尋ねる。
「そして、ガモウヤヨイチャン様はどちらに。」
「あの方は行ってしまわれました。救いを求める人は多いのです。」

 ハヤハヤは西の空に目をやり、遠くを見つめる。
 十六神星方臺を救った弥生ちゃんは、全てが終るとまた西の海に乗り出した。留まるように哀願したが、次の方台に救うべき人が待っている。
 長い睫毛を伏せる。
 ハヤハヤ自身、弥生ちゃんが居なければ今頃は生きてはいまい。

 聞く人も十二神方台系で見送った日を思い出した。あの方は誰にも留めることが出来ない。

 自由な風に乗ってふわりと空を、イヌコマの背に跨がって草原を、白い帆を上げて海原を進む姿が目に浮かぶ。
 遠い最後の目的地、神の住まうという「フダラク」を目指し、天まで届く「シュミ」の山に向かってまっしぐらに、所々寄り道して人を救って、またまっすぐに。

 

「ありがとう、ガモウヤヨイちゃん。」

 

【げばると処女】

「まーったく、フィミルティなんかはぴーぴー泣き喚いていれば商売が成り立ちますけど、私なんかこれからが本番ですからね。次から次へと人が来て私が知るハズのない、いや知ってるとおかしい質問を根掘り葉掘り聞くんですよ。それに全部「誠実に」答えなくちゃいけない。もう地獄です。」

 創始暦五〇一〇年秋初月、陰月九月五日に日付の代わる深更。
 百島湾ミアカプティの港に面した弥生ちゃんの宿舎には未だ灯が点いて居る。

 弥生ちゃんの秘書であるカタツムリ巫女ファンファメラが大車輪で葉片の束と格闘していた。彼女は青晶蜥神救世主の伝記を書く為に聖山十二神殿より派遣されている。
 明日には弥生ちゃんは方台を去るから、今の内に聞きたい事全部を押えておかねばならない。
 方台全土様々な組織から彼女に当てて驚くほど大量の質問状が送られて来た。その一つ一つに誠実かつ正確に答えねばならない。

 世にも尊い救世主様であられる弥生ちゃんも、質問をこなす為に徹夜で付き合っている。

「もう飽きた〜。」
「そうは言われましても、これだけは確実に聞いておかねばならないものばかりです。厳選して千個に削りました。」
「あのねえ、そういうことはもっと早くにしてくれないと。」
「私に文句言わないでください。質問状がもっと早ければ日常会話の中でさらっと尋ねております。いえ、これまでずっとそうして参りましたが、それでも足りないとお偉いさんが言われるのですよもー泣きたいのは私の方です。」
「う〜。」

 弥生ちゃんは半ば透けて向うが見える身体でぶんむくれる。
 コウモリ神人との激闘の最中に重粒子線を大量に浴びて褶曲場空間エネルギー回路が破損、肉体の固定がいいかげんになってしまったのだ。
 なんとか回路は弥生ちゃんだけに付いている代物ではなく、方台の人間には皆組み込まれてある。
 ゲキという種族はたんぱく質による肉体と、目には見えない回路が協調して機能する存在なのだ。「魂」に物理構造がある、と言った方がよいか。

 面白いもので、こう透けてしまうと衣服を着てもごまかせない。服ごと、いや触ったもの全てが一時的に透けてしまうのだ。
 無論、弥生ちゃんの額のカベチョロは破損直後から修復に当る。通常の怪我ではないので青晶蜥神の青い光は役立たない。天河十二神による直接介入が必要だ。
 しかし、

『褶曲場回路修復の為にそなたの全身を精密検査した結果、驚くべき結論を得た』

 相変わらずの見事なバリトンで脳内に響き渡るカベチョロの声。

『コウモリ神人による攻撃で破損したと思われた箇所は、実ははるか以前から壊れていたとする測定結果が示された』
「ほお。」
『そなたが十二神方台系に転写され肉体を与えられた際に遭遇した時空衝突事故だ。アレにより回路の一部が欠損したと認められる』
「つまり、どういうこと?」

『修復が出来ない。いや元々我らも修復するつもりは無かった。最も簡単な方法は置き換えだ、新しい身体にこれまでの記憶を移し換えれば直ちに元に戻る。
 だが、』
「元が壊れていたものを新品で置き換えると、これまでと同じようには動かないわけね?」
『うむ。これまでのそなたの業績が欠損に由来するのであれば、置き換えは不都合を招きかねない』

「欠損、て具体的にはどういうものなの?」
『実は、高エネルギー線による攻撃のみならず、只の肉体的損傷で全体が崩壊する危険があった』
「私が怪我をすると、だいばくはつ?」
『まさに大爆発だ。円湾と同程度の巨大な陥没を引き起こし、爆風で方台生態系が全滅する』

「ほほお、ただちょっと怪我しただけで、ねえ。……そのこと、コウモリ神人さんは知っていたの?」
『我らも精査して今知ったばかりだ。彼が知る道理が無い』

「ほほお。」

 カベチョロお仕置きターイム。

 

 半年前を思い出ししばし沈黙した弥生ちゃんに、ファンファメラが心配して尋ねる。
 弥生ちゃん大爆発までもう残り時間が少ない。海上に出て強力なエネルギー操作を受け、補償回路を増設せねばならなかった。

「あと、どのくらいです?」
「80時間。二日で千里(キロ)は方台から離れなきゃいけない。海が荒れないといいけどね。」
「はい…。」

 若いトカゲ巫女が入ってきて、部屋中の灯木を入れ換えて行く。ファンファメラは文字を操るから夜通し照明が必要だ。
 彼女はこの建物中の灯を司っている。弥生ちゃんは他の部屋の様子を尋ねた。

「泣き虫王女さまはどんな具合?」
「はい。劫アランサ様はやはり今宵はお休みになられないようです。」
「うん。まあ、こちらの用事が済めば顔を出すか。そう伝えておいて。」
「かしこまりました。」

 この巫女も、半ば泣き出しそうだ。弥生ちゃんが方台を去るのに悲しまない者など居ない。それは敵であっても同じだ。

「ファンファメラ、例のアレはちゃんと上手く行ってるだろうね?」
「蠱毒の計ですか? はい、その件はシメジー銀ラトゥース様にお任せしております。あの方ならば上手くやって下さいますよ。」
「”銀椿”さんね。あの人は陰謀得意だもん。」

 蠱毒の計とは、弥生ちゃん退去後に害となりそうな複数の勢力を互いにいがみ合せ潰し合わせた末に、最後の生き残りを操作して方台政治を裏から操る策だ。
 青晶蜥神救世主星浄王を受継いだアランサの負担を軽くする為に、あらかじめ敵を減じるのだ。
 ただしまったく居なくなるようには出来ないし、やるべきでもない。ほどほどに強力な敵を星浄王自ら打ち破ることで、権威と実力を世間に示す事が出来る。

 弥生ちゃんはアランサが「方台新秩序」を上手く操縦できるように、多段階の策を講じてある。その為の人材を募ってひそかに裏トカゲ王国と呼べるものさえ作って居た。
 ”銀椿”もその一人だ。彼はすでに、”ジョグジョ薔薇”を破滅させるのに成功している。

 

 葉片の束をがさがさとひっくり返していたファンファメラは、はあと溜め息を吐く。
 意を決して尋ねた。

「ヤヨイチャンさま。やはりこれは御自身でお決めになるのがよろしいと思います。」
「ん? なに?」

「御自身の言行録の題名です。これはさすがに私の手に余ります。千年を越えてなお紐解かれる書でありますから、どうか「まともな」名をお付け下さい。」
「やっぱ、『弥生ちゃん血風録』では聖山が許してくれなかったか…。」

 ファンファメラは聖山の十二神殿から派遣される。重大な決定は上に相談して決済を仰がねばならない。
 天河の使者である弥生ちゃんの言行録は、そのまま十二神信仰の経典となる。おまぬけな題名を付けられてたまるものか。

 言い分尤もであるから、弥生ちゃんも真剣に考える。

「『弥生ちゃん行状記』ではどうだろう?」
「なにか、悪事を働いた人の記録みたいで、ダメです!」
「うん、じゃあ『弥生ちゃん始末記』ではどうだ?」
「なおさらダメです! もっと真剣にお考えください。」
「『弥生ちゃん風流記』ではどうだ!」
「うーん、やっぱりダメだと思います。」

 ファンファメラ、なかなか五月蝿い。当然だ、いい加減なことをすれば彼女が処罰される。死罪は無いにしても一生牢屋に閉じ込められよう。

 ちなみに弥生ちゃんの言行録は5巻38冊にもなる。これは歴代救世主の中でも最多の数だ。
 第1巻は救世記。弥生ちゃんが方台に来てからの事績を客観的に記録したもの。滞在僅か4年半にしては多いが、長生きをした初代武徳王カンヴィタル・イムレイルほどではない。
 第2巻は王事記。政治や戦争、発した命令や定めた法律についての解説である。弥生ちゃんの場合これがやたらと充実しており、「ヤヨイチャン法典」とまで呼ばれる。
 第3巻は内侍録。宮廷に仕えた者による身近な観察記だ。ファンファメラが任されたのはこれである。

 残りは他の救世主には無い。弥生ちゃん独自のものだ。
 第4巻は星智書。星の世界からもたらされた科学技術書である。弥生ちゃん自らが書いた教科書・問題集を含むから、かなりの分量になる。
 第5巻は神癒経。医学書だ。これも弥生ちゃんが書いたものと、トカゲ神官との問答集で極めて膨大な量がある。

 今後千年を指導する聖典であるから、立派な名が欲しい。『弥生ちゃん血風録』が却下されるのも仕方ない。

「そもそも『ヤヨイチャン○○記』というのがよくありません。もっと斬新な、鮮烈な、雄大なものをお考えください。」
「そうは言ってもねえ、言行録の題名がそれほど大事かなあ?」
「大事です! 褐甲角王国だとて、初代救世主の言行録『武徳聖伝』が公表された後に、「武徳王」という称号が定められたのですよ。言行録が先です。」
「じゃあ『弥生ちゃん星浄記』で、」

「そんなありきたりのがイヤだから、お尋ねするんじゃないですかあ!」

 バカーと叫ばんばかりのファンファメラに、弥生ちゃんも頭を捻る。これは困った。
 弥生ちゃん、独創的なタチではない。定められたものをきっちり正確に猛然とこなすのが本分で、オリジナリティは別の人に任せるタイプだ。
 しかしながら、まるっきり無能というわけでもない。

「…『ゲバルトメイデン物語』というのは、どうだろうね?」
「え、なんですって? げ、げば?」

「「ゲバルト」とは星の世界の余所の国の言葉で「闘争」、「メイデン」は「少女」を意味する。『闘争乙女物語』だよ。」(注;ちょっと嘘ついてます)
「星の世界の言葉を題名に用いるのですか……。なるほど! それはヤヨイチャンさまにふさわしい、素晴らしい題名です。これならば最高神官様でも文句は言えないでしょう。」
「うん、うん。じゃあこれでいこう。」
「他に候補はありませんか? 可能ならば幾つかうかがっておきたいのですが、」
「そうだねー。医療用語を使って、『アドヴァンスド タクティカル トリアージ 弥生ちゃん』てのはどうだ。」
「へ?」
「『とんなんしゃーぺいつぅんやんぷぅばい超級覇凰 弥生ちゃん』というのはどうだ! トカゲ神の眷属ということで鳥の名前を入れてみました。」

「……一番最初のが一番いいです。」

 

 こうして『ゲバルトメイデン物語』が採用され、聖山最高神官会議でも了承された。
 しかしながらファンファメラはこの名に欠けるものを見出し、後に「内侍録」のみを抜き出して一般向けに出版した際に題名を改めた。

 星の世界の言葉だけだと、方台民衆が弥生ちゃんの姿を見失ってしまう。
 あの人は星の世界からの救世主、神の御使い、無敵の戦士である前に、一人の少女だった。人々に愛される背のちいさな女の子だった、と第一番に想い出さねばならない。
 誰よりも優しく、誰よりも潔く、凛として曲がらす折れず、それでいてしなやかな、

 ついでに言うと、あんまり色恋沙汰に興味の無い初心な性格だったとも。

 

 だからこの物語は『げばると処女』である。

 

 

           げばると処女 −完−      2010/12/25

 

 

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