WENDYs

the Baseball Bandits

 ゲリラ的美少女野球団ウエンディズは蒲生弥生の私兵であると世間一般には認識されている。またそう見える通りに、彼女たちは日頃野球にかこつけてもっぱら集団戦闘の訓練に明け暮れている。

 

 なぜこのような異様な集団が生まれたのか?

 話は簡単。そこいらへんのソフトボールチームと同じで、

「いや、他にやってるヒトが居たもんで自分でもやってみようか、と。」

という訳だ。つまり、蒲生弥生が暮らしている地域には集団戦闘をスポーツとして行う組織があるという事だ。

 何を隠そう、これは実にまっとう健全な組織で、とある兵法者が考えた

「かよわき女子が単独で身を守るのは困難。何人か連れ立って歩いている時には皆が組になって協力して防衛に当たるべし」

という至極当たり前の発想から始まっている。

 つまりこの怪しげな集団はその中核には或る武術を擁している訳であり、それの訓練の為にも集団で戦闘訓練を行わねばならないが、さりとてうら若き乙女達がそのまま殴り合いをするのも穏便とは言えずなんらかの隠れ蓑が必要であるから、常にも乱闘騒ぎを起こしている野球のチームに化けたという事だ。

 その組織は現在「お気楽美少女リーグ」というふざけた名称を持ち17チームが加盟して140人あまりの少女達が日夜演習に励んでいる。

 その中にあって現在売り出し中で最も威勢がよいのが蒲生弥生率いる「ウエンディズ」なのである。

 さてこの武術の技術の大元は合気道から来ているがそれとは大きく異なる性質を持っている。つまり

「自己防衛を習得するからには習い始めた今この瞬間からでも自分の身を守られねばならない」

というもので、習得するのに時間が掛からない、いや覚えた次の瞬間からもう使えるという超即席武術である。故に複雑怪奇な技はこの武術には存在しない。勿論長く修行していくに従って技量は上がりより高いレベルに到達出来るように工夫はされているが、その根本は極めて単純明瞭なものである。それは

     「突き飛ばせ」

 これだけである。

 突き飛ばすだけといってもその方法は千変万化であり、また相手によっても手法は変わってくる。有り体にいえば、体重の軽い少女が普通の男を突き飛ばした所で何もならないわけであり、それが有効に働く為にはより良い突き飛ばし方を習い覚え実地に試してみる必要がある。

 だが詳細に検討してみると少女に限らず格闘の専門家ではない人間が自己防衛を果たそうとすれば自ずとこの攻撃しか使えない事が分かるだろう。

 人の手はモノを殴るようには出来ていない。蹴るのもなかなかに修練が要る。投げるといっても腰を引いた人間を素人が簡単にどうこう出来るものではない。関節技なら尚更不可能に近いと言っていいだろう。

 そもそも、有事には普通一般の人間は心が舞い上がり、あるいは萎縮して少々の護身の訓練を積んでいたとしてもその成果を発揮できない状態になる。いや、もし普通の人間がごろつき共に狙われるとしたら、実戦になる以前に言葉による攻撃で混乱している事の方が多いはずだ。接触するどの段階で攻撃に転ずれば良いか、実戦の経験の無い者にこの機微を分かれというのは土台無理な話と言える。

 だが、こんな状態でも反射的に出来る攻撃が二つだけ存在する。

     突き飛ばす事、と、しがみつく事、だ。

 とはいえしがみついてしまうとその後の展開は絶望的なものになる。護身の最善なるものはその場より無傷で脱出する事である。ここに逸早く到達する為には、なにがなんでも突き飛ばしの奥義を身に付けるべきであろう。

 更に注目すべきなのはこの武術が単に自己の身を守るのみを念頭に置いているだけでは無いという事だ。

 世間一般の護身術は極論すれば自分の命だけ助かれば良いという至極無責任な発想から成っている。無論命有っての物種であるが、だからといって何もかもその場に置いて逃げ出せば良いというものではない。手に携えるのが貴重なものであったり二度とは手に入らない、失うべからざる物であった場合、それを簡単に手放せるだろうか。また何らかのトラブルに巻き込まれて首尾よくその場を脱していながら、それらの物を置き忘れたが為現場に舞い戻り再び難に遇うという話も各所で聴く。

 可能であるならばそれらの物も持ったまま脱出したいと願うのは間違いだろうか。

 だがこの武術ではそれらをそのままで護身の役に立つように作ってある。

 つまり、手荷物をそのまま武器として使うという術だ。

 やり方は簡単。両手で荷物を持ってそれで相手を突き飛ばすというだけの話であるが、知らないとこれが出来ない。またこれくらいのものでも刃物等のマイナーではあるが残酷な武器に対して十分な防御力を持つ事になる。だがそれも使い方を知っての事だ。

 そしてこの術は物を取り替えると十分な威力を持った能動的な攻撃手段にもなろう。

 固いもの、長いもの、重いもの、こういった特性を持つ物であればこの術は防御そのままの動きで完全な攻撃技に転化する。いざとなったら相手に投げつけても良いのだ。そして投げるという動作もまた突き飛ばす行為の延長線上にある。いかにこの武術の根本原理が実戦に則したものであるか分かるだろう。

 最も簡単な行為を完全な技に変える。それも短時間で習得可能と為し、その上集団での戦闘にも適応させる。

 もし何人かで組になって戦えと言った時どういう方法で戦えば良いか。一人一人が殴りかかるなどは下の下、際たるものだ。集団が一糸乱れず敵の弱点に対して兵力を集中させる事こそが兵法の初歩。その時個々人に何が出来るか。殴る、蹴る、投げる、しがみついて寝技に持ち込むか。そんな事が可能な筈が無い。突く事のみがその場では役に立つ。

 相手を突き崩して戦線の崩壊をもたらす、これが歩兵の集団戦のセオリーである。その時個人は皆と同じ事だけをやれば良い。逆に言うと誰もが同じ技を習得していれば、特に知り合いでなくともその場に居る人間だけで戦線が構築出来るという事になる。ただ、集団になった時自分達がどのように動くべきか、どのように協力しあって戦闘を行えば良いか、日頃からやってみなければ分からない。

 この武術は個人による自己防衛に根本を置きながらも同時に実戦でも効果のある攻撃も習得出来て、しかも他ではあり得ない集団戦闘にも十分な対応が取れているという、およそ考えられないほどバランスの良いものに仕上がっている。 この奇跡のようなバランスの良さは、この武術の立脚点が単なる技ではなく兵法に置かれている為だ。

 現在のほぼすべての武道武術において戦う技のみが修練され戦い方そのものが空白状態になっている。だがこれを広める事により長年の空隙を埋めようという、実に野心的な日本武術の革新運動なのである。

 

 その名は

     「厭兵術撥法」

 兵、つまり武器および危難を避けて自らの身を守る、護身より一歩進んだ概念の防衛法であり、その技法の根幹を為す攻撃法より「撥法」、はじく法と名付けられた。

 

 

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