抜質

 

 

 

ゲルタ弁当編 2011/07/15

 

 刑事探偵マッキーと女事務員クワンパは、依頼人サクハラ・メジュレの在所であるサユール県インーガリト荘に向かう。

 ノゲ・ベイスラからサユール県に行くには2通りの道がある。ベイスラ山脈を越える山道か、一度北のヌケミンドル首都県に出てアユ・サユル湖の水路を使う方法だ。
 楽なのは断然水路。
 山道には交通手段は徒歩しかない。軍用自動車でも登れぬ急坂や石段を越えるのは、いまや修行僧か聖地棄民くらいなものだ。

 そんな根性を持ち合わせていないマッキーは勿論水路を選ぶ。どうせ交通代金は依頼人持ちだ。
 鉄道スプリタ本線から湖南岸線サユルコペチタ港行きに乗り換えて半日。サユール行き湖上客船で夕方には着く。
 船に乗ってすぐ、3人は食事を取った。

 客船にも一等から三等までの区別があり、メジュレは当然一等を予約する。
 刑事探偵さすがにそこまでは甘えられない。マッキーとクワンパは素直に二等切符で乗る。
 一等には豪華な昼食も付いて来るが、二人が甲板で弁当を食べると聞いて彼女も売店で買った。

 アユ・サユル湖は方台最大の湖だ。南北200里(キロ)東西80里もある。
 湖を渡る風は涼しいが、かなり強い水草の臭いがする。不快に感じる向きもあろうが、山奥の田舎に生まれたメジュレにはむしろ心地好い。
 昼飯時ということで甲板にはかなりの人が上がっていた。七輪で穀餅を焼きチフ茶を急須で売る店もある。

 船首左舷に据え付けられる木の長椅子にマッキーとクワンパは並んで座る。
 依頼人が自分の弁当を掲げて一緒に食べようと言うので、急いでクワンパが席を立った。真向かいの船縁の柵に腰掛ける。
 紳士的に勧めるマッキーにメジュレは機嫌良く応じて座り、彼を左に招く。

 それではと3人それぞれの弁当を拡げ、メジュレはマッキーの弁当を見て目を丸くする。

「焼きゲルタ弁当ですか」
「どうにも癖になりましてね、こいつは」

 ゲルタとは十二神方台系沿岸で広く大量に漁れる雑魚である。身にアンモニアを含む為に酷い臭いがしてしかも不味い。
 だがアンモニア発酵を経た上で干物にすれば、なかなか味の有る食品となる。
 かっては塩漬けにして方台全土に運ばれ、主食と呼べるほどに普及していた。通貨として扱われたくらいに普遍的なものであった。
 今でも少額貨幣の単位は『ゲルタ』である。銅貨には魚の絵が彫られている。

 干物をそのまま焼くと凄まじい臭いがして現代人なら逃げ出すが、軍隊では伝統的基本的な糧食として頑なに用い続けていた。
 臭い消しの味噌を付けてじんわりと焼くと、ゲルタの濃い味と味噌の甘味が相まって執着を覚えるものとなる。依存性すらあるほどだ。
 ゲルタ弁当を選ぶ男性は徴兵・軍隊経験者と見て間違いない。

「クワンパさんは、海苔弁当ですか」
「はい」

 ゲルタ弁当より安い海苔弁当を選ばざるを得なかったのは、探偵所長の払いが渋いからだ。
 海苔弁当は焼きゲルタ弁当からゲルタを抜いた構成だ。目玉となる食品は無いが不味くもない。ゲルタ中毒でなければ躊躇無くこちらを選ぶだろう。
 内容はジョクリと芋を混ぜた餅に黒い海苔を巻いたものと、豆羹、漬物が少々。

「私はカニ巫女ですから、平素より質素倹約に務めています」
「感心ですね。なにか、私の方が恥ずかしくなってきます……」

 依頼人が買ったのは、湖上客船で一番高いイカカラアゲ弁当だ。ゲルタ弁当の倍の値段がする。
 まず第一に容器が違う。二人の弁当は木の皮と紙で包んであるが、薄い白木の箱に納まる。
 内容も豪華。高級食材のイカを中心に多様なおかずが美しい彩りで目を楽しませる。
 小さめのイカが足も付いた丸のままの姿でカラアゲに。肉の炒め物に水鳥の卵焼き、山羊乳酥の和え物とサユールの山菜の漬物。主食のトナクを炊いたものが上品に盛りつけられる。

 メジュレ、さすがに気がひけて二人に勧めた。自分には少し多過ぎる。

「あのよろしければお手伝いいただけませんか?」
「そうですか」
「そうですか、では喜んで」

 白木の箸を伸ばして、マッキーは肉の味噌炒めを、クワンパは卵焼きを奪い取った。

「ゲルタですか……」
 メジュレはまだ味噌焼きゲルタを見つめている。なにか思い入れがありそうだ。

「ゲルタに何かありますか?」
「父が生きていた頃は、毎夜ゲルタが出たのです。黒甲枝たる者奢侈贅沢に溺れてはならぬ。常に民と同じ位置に立つ為にゲルタを食うべし、と」
「大昔からゲルタは兵隊の友ですからね。お父様も武人としての心構えを説かれたのでしょう」
「その時は私、ゲルタが死ぬほど嫌でイヤで、涙を流しながらようやく4分の1を呑み込んで許してもらっていたのです。今では館の料理人もゲルタは出しませんが、改めて見ると懐かしくて」

 彼女も箸を伸ばして、マッキーのゲルタをほんの少し摘まんだ。そのまま薔薇色の唇の間に入れる。

「……、やっぱり、おいしくないです」
「ええ、まあ。そうですよ」

(注;トナク・ジョクリは十二神方台系固有の植物で古来より食用として栽培されてきた。共に主食の座を争うが、トナクの方が格式が上とされる。
 トナクは日本語名「ポップコーン草」で秋にポップコーンのような白い実が弾ける。そのまま炊いて食べてもよいが、粉にして餅を焼くのが普通。「食の王」と称えられる。
 ジョクリは日本語名「カタクリ草」で水辺に生え、茎にびっしりとカタクリ粉のような澱粉が詰っている。トナクよりも気候の変動に強く収量が安定して、庶民の食を支えてきた。
 文字どおりにカタクリ粉と同じ性質を持ち、水に溶いて熱すると半透明になる。菓子にも用いられる。

 「豆羹」とは豆腐のこと。毅豆と呼ばれる大豆に似た豆を豆乳にしてニガリを加えて固める。天然ニガリを用いる為にどっしりと重く、材料の違いから少し甘味がある。
 素直に「豆腐」と呼ばないのは、豆腐という日本語がなかなかめんどうな出自を持つから。ちなみに「納豆」も存在するが毅豆産地である毒地南部でしか食されていない。
 「味噌」「醤油」の材料も毅豆であり、湯葉も製造されているが細切りにする為に「豆麺」と呼ばれる。)

 

 

ゲルタこそ国の宝編2011/07/15

 

 某月某日、スオ・ベイスラのカエル横丁の網焼き屋で刑事探偵マッキーは理不尽な責め苦に遭っている。
 ゲルタ焼きなどを頼んだのがそもそもの間違いだった。

 この店は酒と干物が出るだけの簡単な商売で、名店というほどはない。ただ焼くものに合わせて七輪を換えるくらいの心得は出来ている。
 ゲルタなんぞを焼いた網でイカやカタツムリを焼いたりはしない。繊細なカブトムシの幼虫を強火で焦がしたりもしない。
 網焼き屋としては当然のことを当然として出来る、当今珍しい店である。
 だからこそマッキーも顔を出したが、だからこそ寄って来る迷惑な客が居る。

「おにいさん、自分で金を出してまでゲルタなんぞを食うなんて、なかなかに廃人ですなあ。」

 開口一発めがコレだ。さすがにマッキーも警戒する。
 ゲルタ中毒患者というものは、自分が中毒であることを他人に指摘されるのを極端に嫌う。ゲルタが不味い、食うに値しない魚だとは常食する本人こそが良く心得るからだ。
 身体にも悪い。長年、まあ40年も食い続ければ腰が抜ける「ゲルタ酔い」という病気になる。特定重金属を取り込む性質を持つゲルタは大量に食べるべきではない、と国立保健機関からの警告も出ている。
 にも関わらず当の国家の、それも権力の中核を担う軍隊においてゲルタの干物が糧食の中心となる。炭水化物が切れてもゲルタさえあれば戦えると思っているのだろう。

「いやおにいさん、それは事態の核心を衝くお言葉ですな。ゲルタは軍隊における命そのものですよ。これが為に闘うとさえ言ってもよい。」

 男は察するに薄給の勤め人だ。事務員等が着ている地味な色の釦止めの上着に、革甲の木靴。従軍章が付いていないから学歴も低いと見受けられる。
 だらしない体型で着物も若干よれた、まあ酔客だ。歳は40に行ったかまだか。
 妻帯者ではないだろう。ちゃとした女房が居れば夫にゲルタなんぞを喰わせない。臭いがこびり付いて厨房が不快空間になるのを女は嫌う。
 現にこの網焼き屋でもゲルタ専用の七輪はこれまた専用煙突の傍に有る。味噌焼きにして臭いの発生を軽減しても、これだけの装備が必要だ。
 男は笑う。

「味噌焼きですか? まあ、普通の人はそこ止まりでしょうな。第一隣りの人が嫌がりますからねシシシ」

 歯で笑うな。
 温厚で知られるマッキー探偵も、さすがに男を追っ払うべきかと考え始める。
 だが同時に話をもう少し聞いてみたい気も有る。理性ではない、感覚がそれを要求する。
 安い着物からかすかに漂うゲルタンの焦げた臭い。

「焦げた?」
 マッキーは尋ねる。

「味噌焼き以外の方法は既に滅びたと思っていたが、違うんですか。」
「おおさすがに気がつきましたか。味噌焼きは確かに臭気を抑えるけれど、逆に後を引く欠点がある。対して本来のゲルタ焼きは強烈ではあるが余韻を残さない潔いものですよ。」
「ほお……。」

 さすが独自の道を逝く者は、それなりに深く物事を知る。
 しかしここは網焼き屋。本職の前で食材について滔々と語って、親父に蹴飛ばされないだろうか。
 振り返ってみると、親父もこの男には一目置くらしい。ちらりとマッキーを見て、悪い客に捕まったなという色を送って来る。
 男は得意になって熱弁を振るう。

「基本が違うのですな。味噌焼きは周囲の味噌を焼いて、ゲルタの肉にじんわりと熱を伝えるのが目的。ただ温めているだけと言ってよいでしょう。
 この加減を間違えて肉にまで火が通ると、とんでもない苦みとえぐ味が引き出される。御家庭で流行らない由縁です。職人技が必要ですからな。」
「うん。」

 マッキーも納得だ。
 金が無いからと事務所でクワンパに焼かせた時、まさにそのようなものが生成された。あれがカニ巫女でなかったならば、自分も決して箸を付けることはなかっただろう。殴られるのは誰しも厭だ。

「つまり現代の干しゲルタは本来そのまま食べるものなのです。調理済み、完成した保存食をやわらかく戻している。」
「たしかに軍隊に居た時分には、ゲルタをそのまま食う訓練も受けたな。」
「火が無くても食べられる、食べたくはないけれど食べてしまう。軍隊経験者であれば皆御存知ですな、私は徴兵検査で落っこちましたが」

 珍しくはない。国民男子は誰でもが国防の義務を担うが、戦争していない時まで全員に用も無い。
 平時であれば乏しい予算を費やすのに優れた人材を選ぶべきだ。指導的な資質を認められる者を優先的に徴兵し、同時に国策大学校への入学資格とする。マッキーもこれでゲルタ中毒になった。

「もちろんそのような便利なものが一夜にして登場したはずがない。現代のゲルタが発明されるまでに、もっと原始的な干しゲルタが存在していたのです。」
「あんたの臭いの元は、それですか。」
「実は今日この場に持って来ているのです。特別におにいさんにお見せしましょう。いえいえ、売りつけたりはしませんよこんなもの。なにせゲルタですから。」

 男の足元には十文字に縛られる油紙の四角い包みがある。煉瓦くらいの大きさだ。
 包みを大事そうに持ち上げて、マッキーの鼻先に突き出した。

「どうです、臭わないでしょう。」
「たしかに。」

 無臭。ゲルタであればたとえ缶詰であってもなんとなく分かる気がするものだが、これは本当に臭わない。というよりも、油紙を通して得られる感触と気配は。

「塩、だな?」
「まさに塩です。ゲルタの塩包み干し、これが真の干しゲルタです。」
「歴史の授業で聞いた事がある。干しゲルタは塩の代替物として流通し、故に通貨として扱われたと。」
「これが実物です。現代は塩がそのままに取り引きされるので廃れてしまいましたが、本来はこれをこそゲルタと呼ぶのです。」
「塩か、なるほど。」

 塩は現代でも国の専売であり財政を担う一翼となる。
 古代においても塩は税金として優先的に取り立てられ、満足に流通しなかった。輸送途中の関所を無事抜ける為にあえて不便な塩ゲルタの形で輸送された。と、中学校の歴史の教科書に書いてある。
 男は包みを高く掲げる。

「つまり塩です。ゲルタ本体にはなんの価値も無い。塩が付いてるから皆求める。塩が欲しいからゲルタを食べる。その程度の代物です。」
「軍隊においても塩は最重要の軍需物資だからな。ゲルタが兵隊の友であるのも当然だ。だが現代は、」
「そこです。現代は塩は塩として別に有る。ゲルタに頼らなくても問題無い。にも関わらずゲルタにこだわり続けるのは何故か。何故にあなたは中毒患者になってしまったか、これを問うべきでしょう。」
「あんたはその答えを知っているわけだな?」
「まさに塩なのです、ゲルタの味を引き出す秘訣は。論より証拠、焼いてみましょう。」

 うやうやしく包みを拡げると、塩で真っ白に固まる10枚のゲルタが現われた。一番上の1枚を網焼き屋の親父に示す。

「おやっさん、おにいさんに焼いて下さいよ。」
「へえぃよ。」

 右手で塩ゲルタを受け取って、ゲルタ専用七輪に向かう。他にも3人ばかり客が居るが、彼らも興味津々に見る。こんな店に来るくらいだ、いずれもゲルタに関しては一家言持つ奴だろう。
 塩は落す。木のへらでこそぎ落として魚の開きだけにする。
 みみちいまでに塩を落すのがコツだと、男は言った。ゲルタの価値は塩にある。塩は一粒たりとも残さずに活用する為に、煮炊きする前には完全に払い落とすのだ。
 親父は七輪のみならず網まで換える。通常の味噌焼きゲルタに使うものでは臭いが移ってダメなのだ。

「むしろ金網など使わずに木の串を刺して焼いた方が本格的です。」
「うん昔風にな。」

 火に掛けるとしばらくは何事も無い。じわりと表面に脂が浮いて艶が出る。この脂が赤く燃える木炭に落ちると、

「うおわああああ。」
「これです! ゲルタの臭いとはコレです!」

 爆発的とも表現すべき臭気が拡がる。味噌焼きでも似たようなものだが拡散速度、密度が桁違いだ。ただし煙は出ない。

「どうです、臭いですか?」
「凄い、すごいが、臭くない。何故だ?」
「臭いでしょう、でも不快じゃない。むしろ好感が持てます食欲をそそります。アタマで認識するのではなく、カラダが要求する味なんです。」

 ゲルタをひっくり返すとまた脂が落ちて、先ほどの倍の臭いが弾ける。至近で料理する親父は無事だろうかと心配するほどに濃密凶悪だ。
 マッキーにも分かって来た。これを真のゲルタと認めれば、味噌焼きなどはかすんでしまう。

「凄いな、この臭いに慣れれば怖いもの無しだ。」
「まだまだですよ。味もそうなのです。うんちく云々よりも一口食べる方が雄弁なのですが、一言。これはマズイですはっきり言って。それがゲルタの本質です。」
「不味い、のか。」

 へいお待ち、と親父が皿に焼きゲルタを載せて寄越す。顔を見れば目に涙を浮かべていた。さすが百戦練磨の親父であっても、平常心を保って調理するのは難しい食材らしい。
 焼いた姿はただの干物の魚だ。あれほど盛大に発散された臭いが、今は気にならない。脂が火に落ちる以外ではそれほど出ないのだろう。
 おそるおそる、箸を腹の辺りの肉に突き刺した。茶色の皮と白い身を摘まみ出す。
 食った。
 マッキーは鼻を抑える。口ではない。

「……鼻が、鼻が麻痺する。なんだこれは。」
「フフフ」

 男は更に食べろと促した。言われるままに食べる、食べる。鼻に石を押し込んだかの重い感触がして正直味にまで分析が及ばない。それでも本質を突き止めようと箸を進めれば、
 いつのまにか全部食べてしまった。残る飴色の骨と頭が食べられないのが惜しい。
 マッキーがあっけに取られているのに、男が感想を尋ねる。いかがでしたか?

「いや食っている最中はなにも感じないが、後から舌にまとわりつくようなこびりつくような、舌に脂をまぶしたような、決して美味いとは言わないが。」
「不味いでしょう。」
「う、ん。不味いというのが正直な感想だが、全部食った人間の台詞じゃないな。」
「食べる瞬間にはその味を感じない。食べた後には不味かったという印象のみが残る。だが食ったことに後悔は無い。これが真のゲルタの味です。」
「味噌焼きとはまったく違う食い物だな。あれは、一般人には決して勧められないが美味いものだ。」
「そうでしょう。ですが、それはゲルタの味ではない。ゲルタに執着する理由は味ではなく、認識できないカラダの欲求なのです。」

 マッキーは安酒で舌を洗う。脂が酒に溶けて、感覚を取り戻す。復活した舌は鋭利に研ぎ澄まされた刀のように冴え渡る。
 焼きゲルタには精神を賦活する作用でもあるのだろうか。

「秘密は発酵です。現代の干しゲルタは尿気(アンモニア)発酵を十分に進めて旨味成分を大量に発生させた後に、脱臭して干物にしています。なかなかに手間の掛る食品です。」
「塩ゲルタは発酵しないのか?」
「いえいえ、元の材料は同じですから長く置くと普通に発酵します。ゲルタ種の魚が不味いにも関わらず食用にされるのは、尿気のおかげで長期保存が効き方台内陸部への輸送が可能だったからです。」
「でも味噌焼きのに比べて、塩でまぶすのはほとんど無いと感じたぞ旨味成分は。」
「程度の差です。塩に封じ込められたゲルタであっても、輸送の途中で熟成が進みます。1ヶ月以上を掛けてイヌコマで内陸部に届けられ、場合によっては半年一年そのまま保存されます。」
「長期熟成、が秘訣なのか。味噌焼きのは、」
「2週間(1週9日×2)で出荷にこぎつけます。また輸送手段も鉄道やら自動車ですみやかに消費者に届けられる。」
「聞けばなかなか、べんきょうになるなあ。」

 マッキーはなんだか元気になった。焼きゲルタを食うと無性に腹が減る。戦闘的な気分にもなる。
 気が大きくなった。
 折り悪しく、網焼き屋に地回りのヤクザが2人入って来る。

「なんだこの臭いは、ゲルタか? 妙な臭いを出して隣り近所に迷惑を掛けるんじゃねえ。」
「へ、すみません。」

 親父が素直に頭を下げるのに、マッキーは腹が立った。ゲルタを焼くのは人民の当然の権利である。ましてや食うのはこの俺だ、親父になんの咎も無い、ゲルタの苦情は俺に言え。
 なんて理屈でヤクザの前に立ち塞がる。網焼き屋の親父としては大迷惑この上ない。
 ヤクザにしても、酔っぱらいに一々突っかかっていては商売に差支える。金も無さそうな奴に興味も持てはしない。

「いいから行けよ。」
「いや、ゲルタをあんたも食うべきだ。」
「あんなもの毎日食ったら頭がおかしくなる。」
「それは歴史的に間違っている。愛国者であれば誰も皆焼きゲルタで毎日を過ごさねばならない。」
「何言ってるんだこいつ?」

 マッキー立派な酔っぱらいだ。精神が研ぎ澄まされたように感じるのは本人の主観であって、端から見れば泥酔した中年男の姿である。
 ただ一つ違うのは、結構腕っぷしが強い点。酔ったくらいではヤクザ風情に遅れを取らない。
 片手で突き飛ばして店を出て行こうとするヤクザの腕を取り、関節技を掛ける。これは痛いタイプの関節技。

「なにをしやがる、放せ。」
「てめえ、兄貴を放しやがれ。」
「うはあははは、ゲルタを食わない奴はこれでも食らえ。」
「ぐはあ!」

 

 翌日、巡邏軍留置室内でマッキーは目を覚ました。いわゆるトラ箱である。
 頭がずきずきする。二日酔いだけではなさそうで、触ると後頭部にコブが有る。
 目を上げ鉄格子の外を見ると、女事務員クワンパの姿が。右手には全長180センチのカニ巫女の棒を携える。
 マッキー明晰な頭脳が瞬時に働き状況を分析。おそらくは、

 網焼き屋でヤクザ相手に大立ち回りを演じた自分は、最終的にはカエル横丁を警備していた巡邏軍に取っ捕まり一晩留置室に放り込まれ、身元引受人としてクワンパの所に連絡が行き、今手続きを終えてぶん殴りに来た。

「ま、まて。話せば分かる。棒で叩くのはやめろ。」
「なにが分かるというのですか所長。言うて分からん奴は身体に叩き込めというのが、カニ神殿の教えです。」
「だから、俺は知性派探偵マッキーさんだ。言えば分かる、分かるから棒は要らん。」
「叩かれる奴の言訳なんか聞く耳持たぬ、というのがカニ神殿の有り難い教えです。わたしも、それは人生の真理だと理解します!」
「まて、クワンパ待て、ちょっとおまわりさん今留置室内で犯罪行為が進行中で、うわあああああ。」

 ずたぼろになったマッキー探偵を引きずって巡邏軍の屯所から出て来たクワンパの前に、ヤクザが5名ほど立ち塞がる。
 用が有るのは男にであろうが、あまりに悲惨な姿にヤクザも惻隠の情を催したようだ。

「ねえさん、そのにいさんのイロかい?」
「バカな! わたしはこの馬鹿の身元引受人をいやいやながらやらされてる可哀想なカニ巫女です。」
「いや、可哀想なのはむしろ足元のにいさんだと思うんだが、えーと、なんだ。にいさんの口が利ける程度に回復したら呼んでくれ。ちょっと用があるんだ。」
「ああ、落し前ね。なんならここで息の根を止めておしまいにしましょうか?」
「いや、いやそれはちょっと、生きているにいさんに用があるらしいからな。」
「じゃあそういうことで。3日後では?」
「逃げも隠れもしない、……だろうなあねえさんは。」
「素面なら所長も逃げないから。では失礼します。」

 ヤクザとて、カニ巫女の棒はコワイ。
 カニ巫女の恐ろしさとは見境の無い正義である。たとえ5対1であっても男対女であっても、棒を振り回してくるだろう。
 こちらヤクザ側が悪くないのであれば、触らぬ神に祟り無し。

 

 探偵事務所で意識を取り戻したマッキーは、上着の懐から一枚の名刺を見付けた。
 『全国鰔ゲルタ評議会会員 アシドラ・スポン』と書いてある。塩ゲルタの男の名前であろう。
 しかしながら連絡を取ろうとは思わない。塩ゲルタ、なかなかにぶっそうな代物だ。剣呑剣呑。

 もちろん一度覚えた味を忘れられないのが、中毒患者の由縁である。

 触ってはならぬと知ってはいても面倒に首を突っ込むのが、正しい探偵物ヒーローの資質なのだ。

 

抜質 人生とは重き荷を背負いて長き坂を登るが如編 2011/03/01

 サユール県から一人で帰って来た女事務員クワンパは、下宿までの長い坂を必死になって登っている。
 荷物、お土産が重いのだ。
 サユールは田舎だから持たせてくれるのは農産物やら森で採集した山の幸。換金しても高くはないが、目方だけはずっしりとある。

 所長のマッキーはカッコつけて自分では持って帰らない。男が芋やら大根やらを持って帰れるかと、訳の分からぬ理屈を捏ねる。
 こねるだけならまだしも、サユールの船着き場で立法都ルルントカプタニア行きに乗ってしまった。人に会う約束があると言う。
 まあこの度の事件で「マッキー」とは世を忍ぶ仮の名と知れたから、不審な行動も多少は目をつぶろう。
 だが若い女に大荷物をそっくり任せるのは、「英雄」の所業ではあるまい。

「ふいー。」

 カニ巫女修行で多少は体術の心得のあるクワンパも、いつまでも尽きない坂にいい加減飽きて来た。
 サユールほどではないがベイスラ県も山がちで、県府であるノゲ・ベイスラも坂が多い。乗り合い自動車が出力不足で登れない坂が幾つもある。

「ねえちゃん、尻押そうか。」

 荷運び人足の男が脇の茶店で大股を開いてくつろぎながら軽口を叩く。昔ながらの人力が未だ有効なのは、やはり文明の力がまだまだ劣るからだ。

「いえ結構。体力に自信はあります。」

 律義に答えながらも、クワンパは背嚢の肩紐を握り直した。やはり10石(30キロ)も蜷芋を持って帰るのは無謀であったか。
 サユールでちょっとでも金になるのは痩身効果の有るこの芋くらいで、溜め込んだ家賃の代りにと欲張ってしまった。右には甘大根、左には香柴の束をぶら下げて、どこから見ても立派なイナカモノだ。
 自慢ではないがクワンパは町生まれの町育ち。農家なんか親戚にも居ない。
 裕福ではないが極貧というわけでもなく、娘に腰が抜ける荷物を担がせるほどには困っていない。
 学校の運動の時間では常に一番の成績で……。

 じりじりと西日が照りつける坂の真ん中で、立ち尽くす。汗が短い茶髪の中からどろどろと溢れ、首筋に滝を作る。
 ちょっと計算が狂った。一気に登り切ろうと考えたのは、若さに任せた自信過剰であったようだ。

「か、カニ巫女心得一ヶ条。『なにも考えずに真っ直ぐ歩め』」

 再び足が動き出す。この程度で挫けていては本物のカニ巫女になんかなれるはずが無い。人をぶっ叩く者は、自らも苦痛を受入れるべし。
 徹さねばならぬ筋があるならば、左右背後など振り返る要は無いはずだ。
 しかし、

「ちくしょおお」

 カニ巫女心得二ヶ条は『無駄口を叩かない』。愚痴などもっての外、説明や弁解が必要なあいまいな態度で人を諭せる道理が無い。
 クワンパ自分でもいまだしと思うも、腹が立つやら悔しいやら。
 とにかく坂の上まで行かない事には自分が自分で無くなる気がして、停まれない。

 もちろん文明の利器というのはあるのだ。
 もっと大きな通りなら坂の上から下まで道路に溝を掘って鋼線を通してある。巻き上げて貨車客車を引っ張る「斜上車」が運行中だ。
 いやいやそんな面倒な機械を使わずとも、イヌコマに乗っけるなり荒猪に牽かせるなりの伝統的手法を使えばいい。
 更に言うなら、電話で人を呼んで荷物を分ければいいだけの話。

「がああ。」

 坂征服。およそ20分で登り切る。がたがた考えるより頭を空にした方がマシな証明だ。やはりカニ神の教えに間違いは無い。
 ただ下宿まで、もう少し階段を昇らねばならない。

 

 クワンパの下宿は女子のみが住居する。とある未亡人が自宅を改装して作った、天河十二神巫女専門の下宿だ。
 もっともクワンパはまだ見習いですらない。カニ巫女の修行はまず2年の研修を受けた後、実社会に出て普通に生活する事が義務づけられる。
 社会の悪をこらしめるには、なにより自身が世間を知らねばならない。当たり前の話だが、これがなかなか厳しい。

 人は易きに走り、他愛もなく志を錆つかせる。働いて自分で稼ぐようになれば、「どうして他人の為に人生を棒に振らねばならないのか?」と思うに決まっている。
 恋だってする。男が出来れば巫女は簡単に神を棄てる。天然自然の理だ。
 神官巫女の中でもカニ神の使徒はまったく割に合わない責務を負っている。巷の正義を貫くのだ。
 人に恨まれヤクザに刺されるのが報酬と聞けば、誰も飛び込もうとは思うまい。
 それでも、だからこそ、そこに救いを見出し生きる喜びを得られる者も居る。感動を覚える場面が有る。

 とはいえせっかちな質のクワンパは1日でも早く世間の役に立ちたいと、刑事探偵の事務所に就職した。探偵業であれば社会の暗部、人生の裏を覗くのが日常となろう。
 安逸な日々を貪り志を失う事にはならないはずだ。

 ……今のところ、その目論見はなんとか、正常に機能する。
 証は背中のずっしり重い蜷芋だ。

「あらクワンパさんごきげんよう。10日ぶりですかね?」
「長らく留守にしてご迷惑をお掛けしました。何をしてるんです?」

 下宿玄関先の戸口に、女が一人宙吊りになっている。カタツムリ巫女見習いのフェールルミさんだ。20歳で、クワンパより一つ上。
 芸能三神と呼ばれるタコ・蝉蛾・カタツムリ神の使徒は、今ではすっかり世俗化した。踊りに歌に演劇が神への捧げ物であったのは遥か古代、今では大衆の欲望に使役する。
 ただ本物の神官巫女はちゃんと残っており、古典芸能として生き長らえる。

 フェールルミさんは神話劇を専門とするまじめな巫女だ。というよりも、彼女は神話そのものを研究する。
 カタツムリ神の巫女は本来、神話を人々に伝え神の力、天河の計画を説き示すのが使命。
 演技と説話は一体のものであり、演じてみなければ真の理解は得られない、とされる。

 ただ、宙吊りになる必要は無いはずだ。

「袖が、…くっついてるんですか?」
「おはずかしい。」

 虫取り糊によってフェールルミさんは接着されている。柱や桁に虫取り棒を仕掛けようとして、御自身が取っ捕まったらしい。
 足元には木の椅子が虚しく転がっている。じたばたと暴れた結果、足元が宙ぶらりんになっていかんともし難い状況となったわけだ。
 両手背中の荷物をどすんと下ろしたクワンパは、椅子を起こして自分も乗る。接着される先輩の衣を間近で確かめた。

「切りましょう。」
「うう。『ピルマル印の神威糊』は凄まじい威力です。」

 虫取り糊は実際子供には触らせてはならない危険物だ。御覧の通りに人間一人を軽く宙吊りにしてびくともしない粘着力を誇る。
 「コニャク」と呼ばれる芋を化学処理して作られ、添加物によっては強力な弾性を示したり、堅固な引っ張り力を見せたりする。
 建築や土木工事、機械工作、空気を通さないから車輪の空気袋にも使われて現代文明に無くてはならない素材なのだ。
 家庭用としては害虫やネズミ退治に用いられる。それらが通る道筋に糊を塗った木切れを置いておくと、おもしろいように取れる。

「出ましたか。」
「出ました。碁奇ムシです。」

 海外南方からやって来た渡来害虫だ。極めて旺盛な繁殖力を持ち、本来この方台には居なかった生物にも関わらずあっという間に全土を征服する。
 家屋にも棲みつき、ちょろちょろと人の目を盗むかに走り回り、食物を食い荒らす。碁石のように真っ黒でてらてらと油光りして、見るからに気持ち悪い。
 正義を守るカニ巫女としても決して許してはおけない外道昆虫であった。

 サユールに出張する前にも出没していたのだ。クワンパはカニ巫女の宿命として下宿の用心棒的役割を振られており、敢然と闘う事を求められる。
 だが碁奇ムシは神出鬼没にして姑息千万。一匹居れば百匹隠れているとさえ言われ、潰しても潰しても根絶に到らない。

「クワンパさんが帰って来るのを待ってました。大家さんがミシュミェさんの意見を採用して、毒煙を使う気です。」
「げええ。」

 ミシュミェはミミズ巫女である。25歳で正式な巫女だが、神殿には勤めていない。
 占いと呪法が専門で、下宿の一室を解放して恋呪い屋を開いている。どろどろとした女の負の感情を扱うのが商売であり、自身もどろどろとした粘着質の性格だ。
 ただ、職務上どろどろやらねっちょりとした気持ち悪いモノを取り扱うのに慣れている。
 碁奇ムシ退治を彼女が任されるのも必定。下宿丸ごと毒煙で燻すなどは、彼女としては穏当な策であろう。
 だが原液そのままの毒油を使ったら、向こう3年は悪臭が取れない。その臭いが虫除けになるのだが、人間までもが寄りつかなくなってしまう。

「フェールルミさぁーん、     あ! クワンパさん。」

 道路を走って飛び込んで来たのは黒衣の少女。髪も黒いが全身に黒しか身に着けていない。
 コウモリ巫女見習い待機中の14歳、サイァン・ウェイヱだ。まだ義務教育で中学校に通っている。

「どうも御無事のお帰りなによりです。おじいちゃんに聞いて来ました! 秘策があります!!」

 彼女の言うおじいちゃんとは、コウモリ巫女見習いになる前段階としての奉仕活動で接する人のことだ。
 コウモリ神官巫女は葬儀を司り嘆きを扱っている。肉親を失った人の家を訪ねて悲しみを和らげる奉仕を、巫女見習いは課せられる。
 彼女はまだ幼いので正式な見習いにはなっていない。コウモリ巫女もカニ巫女と同様に世間を知らねばならないと、一般社会での生活を義務づけられる。

 クワンパは尋ねた。

「糊の剥がし方?」
「はい、油です。ゲルタ油でなく団栗油を塗れば、しばらくするとコニャク糊は取れるそうです。」
「しばらくって、どのくらい。」
「熱した油ならすぐだそうですが、常温でも10分ほどです。」
「よし。」

「団栗油なら私の部屋の食品棚に有るから、」
「はい!」

 フェールルミの指示で少女ウェイヱは飛んで行く。なびかせる黒い髪を見送って、クワンパは零した。

「あの子、サユールの事件のこと知ったら大喜びするだろうな。」
「なに。コウモリ巫女に関係すること?」
「幽霊存在です。」
「ゆ、ゆうれい? プラズマですか?」
「そのまさかに出くわしましたよ。」
「うわあお。」

 サユールの事件は最初から、オバケが出るからなんとかしてくれ、という突拍子も無いものだった。が、現地で調査し隠された陰謀をあばいた結果、なんと超自然現象に遭遇する。
 幽霊存在とはプラズマを媒体として人間の魂が現世に残存して活動し続けるもので、コウモリ神の管轄に属する事象であった。
 プラズマの声が聞こえると主張するウェイヱにとっては、いたく惹き付けられる話だろう。
 もちろん神話伝説を扱うカタツムリ巫女にとっても興味深々。

「聞かせて、クワンパさん聞かせて。」
「いやそれよりもですね、事件を解決した謝礼として、サユール特産の蜷芋を大量にもらってきたのですよ。先輩や大家さんはこっちの方が好きなんじゃないかなと。」
「そ、それはそうね。宙吊りにされて痛感したわ。……もっと痩せないと。」

 カタツムリ巫女は芸能それも演劇を任務とする。胸がぼんと出て腰がきゅっとしまり尻も魅惑的に張り出す体型が、舞台映えして正しい巫女の姿であるのだ。
 とはいえ、気を抜くと少々出っ張り過ぎるきらいがある。フェールルミは普通人としては普通だが、カタツムリ巫女としてはもっと頑張りましょう。
 先輩は宙吊りになったまま、愚痴る。

「クワンパさんは細くていいわねえ。」
「坂登るので随分と搾られましたから。」

 

*****************************

じゅえる「こんなものかね。」
釈「クワンパさんはこんな感じだと思いますね。」
まゆ子「クワンパはともかく大変なキャラです。苦労ばっかりして、でもそれをしっかり受け止める強いキャラです。」
じゅえる「うん。

 ところで、この巫女下宿って結局何人住んでるの?」
まゆ子「若い未亡人の大家さんが離れに住んでます。28歳くらいでエロ純真な方です。
 この人は若くして玉の輿に乗り老富豪と結婚して即旦那死亡。莫大な財産を相続します。が、旦那側親戚一同に騙されてこの下宿といくばくかの金だけになってしまいます。ま、適正規模に資産が落ち着いたってところですかね。
 敬けんなピルマルレレコ信者です。ピルマルレレコ信仰は元は十二神信仰から来ていますから、巫女専門下宿を開いたというわけですね。

 一番年嵩なのが25歳のミミズ巫女ミシュミェ。恋呪い屋をやってます。雨乞いも承ります。これがヌシみたいなもので、大家さんはしばしばこいつの口車に乗せられて変なおまじないに凝ったりします。ただ騙すなんてことはしません。ミミズ巫女も倫理は厳しいのです。
 髪の色は薄いクリーム色。ミミズ巫女としては普通です。

 22歳のゲジゲジ巫女。今回出て来ませんでしたが、これが一番口うるさい。クワンパのカウンターパートになりますいつも衝突していると考えてください。
 大変な美人で頭も良く、高校もちゃんと出ています。クワンパは中卒ですから口では絶対勝てません。ちなみにこの世界では高卒は小学四年生までの教師になれます。それだけ教育レベル高いのです。
 ゲジゲジ巫女のこの時代での職業は主に理容。カリスマ美容師です。だから金も有る。
 髪は深紅。美人だからちゃんと肉を食べる機会が幾らでもあります。

 20歳のカタツムリ巫女見習いフェールルミさん。実は大学生でもあります。大学にも色々な形態がありまして、彼女の場合は教授に直接指導を受ける形で、或る意味徒弟ですね。大学成立以前の学問教授の仕方です。
 もちろん私立ですから彼女の実家はたいへんなお金持ちです。
 彼女の髪も赤いけれど、赤茶色という感じ。カタツムリ巫女として当たり前の生活を送っていれば、精進潔斎の結果赤味が薄くなるのが普通です。

 で、19歳カニ巫女見習い待機中のクワンパさん。刑事探偵マッキー事務所の事務員です。下宿の用心棒でもあります。カニ巫女の杖の扱いはもう一人前。
 髪の色は黄土色。若いからまだ色は濃いけれど、粗衣粗食がカニ神官巫女の日常ですからどうしても色は抜けます。

 そして最年少14歳コウモリ巫女見習い前段階の中学生サイァン・ウェイヱ。彼女はまだ巫女名をもらっていません。髪も黒いです。」

釈「大家さんはエロ純真ということですが、男は居ますか?」
まゆ子「そこは今から考えます。むしろ、ヒーローであるマッキーさんが彼女の美貌とさらに美しい心根に惚れる、というのが面白いのではないでしょうか。」
じゅえる「なるほど。」

 

釈「ノゲ・ベイスラには良い大学があるんですか?」
まゆ子「ソグヴィタル王国時代にずいぶんと金回りが良かったから、もちろん立派な大学があります。その名もソグヴィタル大学堂です。他に国立国策大学もあります。
 ただ正式な大学はこの二つだけです。あとは専門学校と高等学校。大学生というのは希少価値がある世界なのですよ、ここは。
 まあ方台全土で890万人しか住んでないから、それほど沢山は要らないとも言える。」

じゅえる「人口そんなもんなんだ。」
まゆ子「方台の農業で支えられる人口の上限、てところだね。実のところ、機械力を利用した農業てのはほとんど無い。小農家は未だに荒猪に鋤をくくりつけて耕作している。」
釈「ああ、それじゃあ仕方ありませんね。
 自動車が坂を上れない、と書いてましたけど、やっぱり技術力が低いんですか?」
まゆ子「石油が無い。」
じゅえる「まあ、それは不思議ではない。」
まゆ子「ゲルタ油で動くバスは、まあ平らな道だと調子いいんだけど、馬力が必要な場面だとちょっと非力でね。
 だから地面にケーブル張ってるところでは、バスからフックを伸ばして坂を引っ張り上げてもらう、てのが普通です。というか、そんな坂のある大都市なんてノゲ・ベイスラくらいなもんだ。」
釈「山地ですからね。」

じゅえる「もっと広いところに街を移そうとは考えなかったのかい。」
まゆ子「ノゲ・ベイスラはソグヴィタル王国の王都であって、権威が高い所なのだよ。スプリタ街道も通って居て便利だし。ついでに言うと旧ノゲ・ベイスラは城壁に囲まれた要塞都市であり、坂はそのまま防御施設となるのだ。」
じゅえる「ああ、「げばおと」1巻そのままなのね。そりゃ仕方ないな。」
釈「同じコンセプトのままに王都として拡大したんですね。」
まゆ子「だから、ノゲ・ベイスラの中には小さなノゲ・ベイスラが有る。「げばおと」で出た旧市は今は全域大学の敷地内だ。遺跡をそのまま使っている。新しく出来た王都、王宮の有る部分はアルホ・ベイスラ「王宮市」と呼ばれ、その外側にある一般の市街がスオ・ベイスラ「ベイスラ平民街」だよ。」

釈「つまりマッキー探偵事務所はスオ・ベイスラにあるわけですね。」
じゅえる「で、ここがヤクザ映画の舞台となるんだ。」
まゆ子「そういうこと。

 

 あと大学で補足しておくとすれば、旧ソグヴィタル王国では王都であるノゲ・ベイスラにのみ大学堂があったわけで、ソグヴィタル王国領域の大学堂は今もここだけです。
 ソグヴィタル領に住んでいる学生さんは、ソグヴィタル大学堂に行くのが目標になります。が、ノゲ・ベイスラは行政首都ヌケミンドル、立法都ルルントカプタニアに近くて、どうせ家を出るのならそちらの方に、と考えるとこですね。」
じゅえる「東大京大が近場にあるのなら、地元名門大学より考えちゃう、て感じね。」
釈「びみょーですね。」
まゆ子「逆に東大京大に行けない中途半端な秀才が都落ちして来たりするのだよ。
 ちなみにマッキー探偵はソグヴィタル大学には行ってませんよ。高校を出て学徒徴兵に応じて、大手柄を立てて帰って来た後は、警察学校に入って警察官→刑事になりました。」

釈「ヒィキタイタンさんは?」
まゆ子「ルルントカプタニアの大学です。彼の場合は特殊で、私立の大学堂に在籍中の20歳の時に休学して一般徴兵に応じています。大学生は免除されるものなんだけどね。
 で、そこに高卒学徒徴兵のマッキーさんと出くわして、なんか大事件が起こり敵が侵入してきて、二人で解決するのです。
 この時野球拳の技を生かして手榴弾を投げて敵をやっつけた英雄が、マッキーさんです。でもヒィキタイタンさんが掠われた令嬢を救出する大活躍した陰に隠れてあまり有名ではありません。
 というか、ヒィキタイタンさんはこの時の手柄を激賞されて、するすると国会議員に最年少でなっちゃいます。あまりにも目覚ましい出世であるから、マッキーさんは誰からも忘れ去られてしまいます。逆に、英雄の一人ということで警察にも居づらくなり、独立して刑事探偵になるわけです。」

じゅえる「ふむ。そういう背景が出来たのです。」
まゆ子「です。」
釈「でも、クワンパさんはそれを知らないのですか?」
まゆ子「なんか聞いた名前だなー、くらいです。マキアリィで知られていますから、マッキー探偵では分からなかったのですね。クワンパ子供時代の話だし。
 でもサユールは田舎だから情報も遅く、新聞に乗った顔写真とかがそのまんま覚えられていて、向うでは大人気大英雄ですよ。
 つまり第一話の依頼人の令嬢は探偵を雇って地元に帰って来たら、それがとんでもない有名人であって「姫様が婿さんを連れて来た!」というお祭り騒ぎになってしまいます。」
釈「おお! なるほど、それは第一話を書かねばなりませんね。」

じゅえる「そもそもマッキー探偵は何歳だっけ?」
まゆ子「30歳、というところで考えてますけど、ダメかな?」
じゅえる「ヒィキタイタン議員は?」
まゆ子「32、3歳か。議員としてはまだまだ若い若い。」
じゅえる「ふむ。じゃあその事件は10年、いや、マッキー十代での英雄ということにすれば、19歳てとこか。」
釈「ぎりぎり18歳というのがよろしいかと思います。」
じゅえる「12年前の事件なら、クワンパ7歳。そりゃ覚えてなくても仕方ないな。」

まゆ子「映画にもなっていますから、マッキー探偵はそれを言われると恥ずかしくて逃げます。」
釈「あはは。」

じゅえる「しかし890万人しか居ないのなら、大学もそんなに要らないね。」
まゆ子「まあ、一個の大学に学生が少ない少数精鋭と考えればいいんじゃないかな。
 えーと方台全土に古い伝統的な大学堂は、ガンガランガのサンパクレ女子大学堂を筆頭に、デュータム点テキュのピルマル星智大学堂、ルルントカプタニアの褐甲角大学堂、ノゲ・ベイスラのソグヴィタル大学堂、ギジジットの金雷蜒神聖学堂、聖山の十二神究理神殿、タコリティにある天眼海洋大学堂、東岸ミアカプテイ港にある三荊閣大学堂。
 こんなもんか。」
じゅえる「結構あるね。」
まゆ子「十二神方台系は学問に優れた社会なのだよ。ちなみにヌケミンドルにある東大相当の大学は国策大学校で、主に高級官僚を育成している。」

釈「大学それぞれに特色があるんですね。」
まゆ子「うん。まずサンパクレ女子大学堂は方台最初の自治大学で、最初の女子高等教育機関。実は今に至るも女子大学はここだけなのだ。
 ピルマル星智大学堂は救世主ピルマルレレコが伝えたという星の世界からの科学知識を専門に研究している。医学の中心地でもある。
 褐甲角大学堂は法学の泰斗。立法府もルルントカプタニアに置かれるし、ヒィキタイタンさんが議員になるのもここに在籍したからだよ。
 ソグヴィタル大学堂は民衆王国運動を産み出したリベラルの校風で、社会科学に優れている。文系大学だね。
 金雷蜒神聖学堂はギジジットで起こる異常なエネルギー現象を研究する、科学技術大学だ。また古代金雷蜒王国時代の研究の中心地でもある。
 聖山十二神究理神殿は字のとおりに、神学の最高権威。高山の環境を利用しての天体観測も行っている。
 天眼海洋大学堂は海洋と生態系、生物学を主に扱う。外国学部もあって留学生も居る。
 三荊閣大学堂は芸術と歴史学の中心地。またかって西金雷蜒王国にあった大学堂を併呑して、百島湾で外来植物の研究も行っている。

 国策大学は方台が連合国家時代の名残で、それぞれの王国が抱えていた実用営利目的の技術者養成機関・研究所が拡大された所が多い。
 医学と技術、農業商業で、それ以外には冷たい。国家の為になる技術者や官僚を育成するのが主目的だ。
 あと軍事大学というのも有る。兵器研究を行う工廠大学も存在する。これはゥワム帝国とは反対側の西海岸に作られている。
 海外との繋がりは薄いから語学は現在、軍事大学を中心に研究されているのだよ。」

じゅえる「外国学部ってなんだ。」
まゆ子「この世界は余所の方台に手の内を明かさないのがセオリーになってるんだよ。学問の拡散は原理原則になってない。
 つまり情報量が不足するから、語学のみならず外国のさまざまな事柄を引っくるめて理解しようとする。というか、それが出来るレベルの少ない情報しかないんだね。
 天眼海洋大学堂は海洋生物研究で外国とも交流、技術提携する必要がある為に外国学部というのがある。
 三荊閣大学堂は東方にあるゥワム帝国の脅威に直面しているから当然のように有る。
 ピルマル星智大学堂は歴史的に「シンダラ」と呼ばれる十六神星方臺に繋がりがあり、専門学部が有る。」

 

釈「ゥワム帝国てのはよほど侵略的なんですね。」
まゆ子「うん。実はだ、ゥワム帝国では砂糖が取れないのだ。で国交が成立した直後から、砂糖芋から抽出した十二神方台系産の砂糖を盛んに輸入していた。
 この値段が高いと文句を何度も言って来て、値段を下げろもっとたくさん寄越せとさんざんに要求し外交紛争が起きたのだが、十二神方台系でも砂糖はそれなりの高級品だ。
 無茶を言って来たので砂糖禁輸してみたら、ゥワムは海を渡って方台東岸に攻めて来た。
 残念ながら砂糖芋は寒い聖山地方にしか育たないし、やっと手に入れた芋もゥワムの土地では育たなかった。しかし方台の北にある無人の大針葉樹林帯に自生すると知って何度も侵攻してきたけれど、あそこは人間の住むような土地じゃなくて長続きせずに結局撤退を余儀なくされたわけだ。」
じゅえる「ふうむ、砂糖で戦争ねえ。それほどのものなんだね。」
釈「サトウキビというのは無いんですか?」
まゆ子「十六神星方臺には有る。今はゥワムはサトウキビから作った砂糖を主に輸入する。でもこれもゥワムでは育たないのだ。」
釈「お気の毒に。」
まゆ子「十二神方台系は砂糖芋があるからいいような気がするけれど、実は輸入サトウキビ砂糖に押されて経営が苦しいのだよ。」

じゅえる「しかし砂糖か。ゥワムってチョコが取れるんじゃなかったけ?」
まゆ子「カカオだよ。正確にはコーヒー豆とカカオの合の子みたいなものだ。で、ドロッとした油脂で苦い。砂糖を入れてチョコにするのだが、地球のチョコとはちょっと違う。」
じゅえる「不味いのか?」
まゆ子「苦いが、妙な元気が湧いて来る。」
釈「ガラナですね。」
まゆ子「これを飲んでるゥワム兵は無敵なのだ。」
じゅえる「そりゃー覚醒剤でも入ってるんじゃないだろうかね…。」

 

 

テストパターン その12011/01/26

♪抜質、抜抜質、抜質抜!

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛〜、あづい!」
「扇風機独り占めして、その台詞は無いだろう。」

 女事務員のクワンパが情けない悲鳴を上げて暑さにうだるのを、俺は涼しい顔でたしなめる。
 そもそも探偵というものは雨が降ったらずぶ濡れで、風が吹いたら吹きっ晒しと相場が決まってる。よほどの鍛え方でないと満足に飯を食って行けない。

「しかし所長、どうしてこんなに熱い事務所借りちゃったんです。」
「線路橋下以外のどこを借りる金があるというんだ。」
「事務員雇う金も無くなっちゃえばいいんだ!」

 再び扇風機を抱え込み、大口開いて風を吸い込む。
 この女、もう少し使えるかと思ったが、よくよく考えてみると個人探偵事務所なんかに流れて来るタマだ。余所ではまるで使い物にならない駄目人間なのだろう。
 ちと早まった。

「ぶち。」

 扇風機が止まる。部屋の隅でうんうん唸っていた冷蔵庫も止まる。すわ、電力会社の攻撃か?

「………ごごごご、ごうんごうんごうん、ががががががががががががが、ごうんごうんごうん、ごたがたがたがたぐた。かたかた………。」

 再び扇風機が回り始める。頭上を走る電車の振動で、どっか電気系統が跳ね飛んだのだろう。よくある話だ。
 だがクワンパは我慢しない。

「所長! こんなとこさっさと出て行きましょう。もっと西日の当たらない、涼しい、風通しの良い、大通りに面したお客がちゃんと来る事務所に!」
「そんな金がどこから降って来る?」
「営業です! 事件は足で探すんです。」
「俺は事件を調べるので足が棒だよ。探すのはお前がやれ。」
「わたしはぁ、でんわばんしなくちゃいけないですから。」

 化粧っ気の無い貧相なつるりと平たい面を得意気に突き出して、大口を叩く。電話ったって一昨日から一回もならないじゃないか。
 ばっ、と俺は飛び起きた。電話が鳴らない?

「おい、電話料金は払って来たか?」
「は? あー、ツケにしてもらいましたよ。もう3ヶ月も溜まってますねえ。」
「大家か? だがアレ、ほんとに電話会社に金払ってるのか?」
「……あ。立て替え分の支払いを、猶予した、だけ、かな?」

 探偵会社が電話使えなくて、なんの商売が成り立つか。
 致し方なく、俺は質屋に行くことにした。
 扇風機を放り込みたいところだが、それはクワンパが離さない。牙を剥いて抵抗する。他に金になりそうなと言っても、冷蔵庫はそれこそ部屋に付いていた大家のもの。
 なまじ家具付きの部屋を借りたのは、まずかった。こういう時質草が無い。

 万やむを得ず、俺は商売物の拳銃を質入れする事にした。どうせ弾矢は入ってない。カッコツケだけだが、ちらつかせるとなにかと便利に交渉が進むのだ。
 これを被らなければ一人前の探偵には見てもらえないカペラン帽を右手で掴み、俺は颯爽と古ぼけた木の扉を開ける。

「きゃっ。」
「あ、ああすいません。これは失礼をば。」

 天使が居た。
 およそ線路橋下の三流探偵事務所には縁の無い、清楚可憐な美女が尻餅を付いている。

「誰!」
 クワンパが険しい声を上げる。女の敵は女、借金取りも女。ともかくウチに顔を見せる女にロクな奴はいないと、彼女は心得る。

 俺は手を差し伸べ、実に紳士らしく彼女を助け起こそうとした。が、はね除けられる。
 俺が嫌いなのではない。まともな身分の女性ならそう易々と男に手を預けたりはしないものだ。
 彼女は自分の力だけで立ち上がり、衣の裾の埃を払う。それほどは汚れない。
 一応は部屋の前、階段付近の掃除はクワンパに念入りにやらせている。人間第一印象が大切だ。

 美女は真珠の艶の唇をしばし開き、ためらい、声を出す。

「あの、こちらはレメコフ探偵事務所ですか。」
「私がレメコフ・マッキイですが、事務所の名前はマッキイ探偵事務所です。……ご依頼、でしょうか?」

 まさかの仕事が営業努力も無しに転がり込んで来た。こんな機会は年に一度あるかないか。
 美女は部屋の左右を確かめながら、恐る恐る入って来る。クワンパの姿を見てほっと安堵の息を吐いた。
 こんな色気の無い事務員でも役に立つ事はある。女性の依頼人に警戒心を解かせるには十分な小道具だ。

 椅子を勧め、美女も確かめながらゆっくりと腰を下ろす。うん、裾の合わせ目から覗く脚はなかなかの曲線。

「あの、何度電話を掛けても通じなかったので、それで直接お邪魔することにしましたが、ご迷惑ではありませんでしたか。」
「なにをおっしゃいます。生憎とここ数日電話会社がこの近辺の電線張り替え工事をしていまして、通じなかったようです。申し訳ございません。」
「はぁ。良かった。」

 クワンパが突っ掛け履いた足を引きずってお茶の用意をする。その目はまるで烏がゴミ箱を品定めするかに、鋭い。
 金は有りそうだ。だが、抱えている事情がかなり特殊な案件か。
 この上品ないでたちでゴミ溜めのような線路橋下に来るのだから、少なくともまともな探偵事務所からはとっくに断られているはず。

 俺は彼女の正面に座り笑顔を見せる。営業用ではあるが、これでもなかなかに好青年ぽく評判は良いのだ。
「お話をうかがいましょう。」

 

 少し説明が必要だ。
 わが国は方千里、真四角な国土を持っている。そのおよそ中央付近に位置するのが、俺達の住む街ノゲ・ベイスラだ。
 けっこうな都会ではある。歴史も古く1500年も栄えているが、政治経済の中心都市とまではいかない。近辺で一番というくらいだ。
 元はソグヴィタル王国の王都であるから、様々に歴史的建造物や遺跡がある。もっとも北のカプタニアや南のイローエントほどの古都でもない。
 つまり中ぐらいなのだ。だから、俺のようなはんぱな探偵が存在する。

 中ぐらいにも利点はある。つまり、中央政界や経済界から弾かれた者が都落ちを食い止めて再起を図るのに、この位置は最適だ。
 残念なことに犯罪者の方も同じことを考える。警戒厳重な首都から離れたこの街を拠点に、全国に悪の触手を伸ばしている。
 報道新聞では「邪悪都市ノゲ・ベイスラ」と表現されたりもするが、それは大袈裟。ちょっとばかりヤクザが大手を振って歩いているだけだ。
 しかしながら、うちとは関係無い。そういう本当に厄介な事件は、ちゃんと警邏や巡察に行ってもらおう。
 もっと穏やかな、人死にの無い、知的な揉め事をなんとかしてあげようというのが、我がマッキイ探偵事務所である。

 その辺の事情を依頼人に懇切丁寧に説明する。たちまち彼女の顔も明るくなる。
 当然だ。探偵と言えば世の中の印象は最悪。ヤクザの親戚で悪徳代議士や企業の手先となり、人の秘密を暴いて回り恫喝強要のネタにする。そんなところだろう。
 映画が悪いのだ。犯罪映画は最近とみに流行し、ノゲ・ベイスラを舞台とした「邪悪都市抗争」モノが何本も何種類も作られ全土で盛んに見られている。
 小学生の子供ですら「おどれら許さんきに」というどこの言葉か分からない方言の決め台詞を真似している。実にけしからん。
 映画の中のヤクザの手先となる探偵と、本物の俺みたいな善良無害な探偵と一緒にされては困るのだ。

「やはり巡察監士のビジョアン・ヌーレ様の御推薦は正しいようです。」
「彼ですか。なるほど、彼の依頼や推薦で幾つか事件を解決しておりますが、まずますの満足を頂いております。」

 巡察監士というのは、簡単に言うと警邏兵が捕まえて来る犯罪者を裁判の必要があるか取調べる役目だ。
 警邏はなにせ兵隊の一種であるから犯罪捜査も荒っぽくずさんで、裁判に持って行くと証拠能力が無かったりする。そこで今一度事件を洗い直し、証拠固めをして上級の衛視に書類を送って裁判する。
 犯罪捜査もするが、彼らが出て来るのは難事件で長期に渡る捜査が必要と認められた時。発生120時間以内には出番が無い。

 このお嬢様が一級巡察監士であるビジョアン・ヌーレ殿に相談したという事は、それなりに面倒くさい話という証拠だ。

「どうぞ」
とそっけなく、皿をがちゃんと鳴らす勢いでクワンパが茶を勧める。外国産の緑茶も高級なヤムナム甘藻茶も手が出ないから、粗末なチフ茶だ。
 もちろんお嬢様は手を着けない。

 改めて観察すると、なるほど上品な、若いながらも教養深そうなお嬢様だ。旧家の生まれと見る。最近百年の経済的成功で成り上がった連中ではこうはいかない。
 そのくらいは見抜く眼力はちゃんと持ち合わせる。正直、この手の女性には縁が深いのだ。
 だからこそビジョアン殿が俺を推薦する。

「御在所はどちらに。」
「サユールです。」

 ど田舎だ。このノゲ・ベイスラとはベイスラ山脈を挟んだ向こう側、高地にあり森林にどっぷり覆われる。ただし交通の便は悪くない。
 ベイスラは広大な草原に面し、古来よりの大街道が南北を貫く交通の要所である。対してサユールは山側の街道が通っている。ベイスラ山脈によって交通が遮断されるから、サユールは独自に発展して来たのだ。
 またベイスラ、サユールどちらも我が国最大の湖アユ・サユル湖に面しており、北岸の要地カプタニアへの水路が開けてある。
 ど田舎ではあっても、人の行き来は多い。

「わざわざ探偵をお探しになられるのですから、犯罪被害に遭われたのですか。」
「そうとも言い切れないのです。」

 小首を傾げて考える姿がまたなんとも愛らしい。20才ほどに見えているが、ひょっとするともっと若いのかも。

「我が家の所領地は小ながらも人口は千人を数え、まずは平穏に暮らしております。皆顔見知りで気心も知れて、犯罪など聞いたこともないのんびりとした村です。」

 所領地という言葉に、要点を筆記していたクワンパがひっくり返りそうになった。無理もない、歴史の授業にしか出て来ない用語だ。
 我が国のある大地は、歴史的には十二神方台系と呼ばれる。単純に「方台」と呼ぶのが普通であり、現在の国名も「統一方台ゼビ期王国」だ。
 方台では古来より土地の個人所有が許されなかった。神に選ばれた唯一の王・救世主が全てを支配し、土地も彼のものである。
 この前提が崩れたのが、およそ500年前。「民衆王国運動」というのが起こり、王権から離れて民衆が独自に土地の所有権を主張し始める。

 「民衆王国運動」というのは仮の名、本名は「ならずものの暴徒」である。
 そんな連中にいいようにされてはたまらない、と考えた普通の人達は、旧来の支配者に頼って自らを守ろうと考えた。
 この時頼られた旧支配者達がそれぞれ定めた防衛領域が「所領地」である。
 まあ虫のいい話で、自分は戦わず偉い人に守ってもらおうという。で、また律義に民衆を守る人が居たわけだ。

 依頼人の一族は、その一人だった事になる。とすると、家が成り立つのは少なく見積もっても500年、おそらくは千年近いだろう。
 常人と違うはずだ。

「詳しくお教え願えますか。」
「実は、お笑いになるかもしれませんが、オバケです。」

 空気が丸1分凍結した。沈黙に耐え切れずにクワンパが身体の震えを必死で抑えている様、背後ながらも良くわかる。
 俺は、敢えて気まずい空気を断ち切る勇気を奮い起こさねばならない。

「オバケですか。」
「はい。白い敷布を被った、まぎれもないオバケです。」
「それは敷布を被った人でしょう?」
「敷布だけがふわふわと森の中を漂っているのです。何枚も捕まえましたが、人が被っていたようには思えません。」
「なるほど。」

 

 

*********************************

じゅえる「これはダメだな。」
釈「だめですかい?」

まゆ子「具体的に、どこがダメなのだ?」
じゅえる「これじゃあ、『サルボモーター』のローリング・キング氏が探偵モノをやっているようにしか見えない。」
まゆ子「あ!」
釈「あー、あーあー、そうですねえ。どこか親しみがあると思ったら、これキング氏ですね。なるほど、それはダメだ。」

まゆ子「うーなるほど、それは考えなかった。なるほど、もっと徹底的に造型を変えなくちゃ。」
じゅえる「しかし私は思うのだ。これは、そもそも探偵モノとして考えてはいけないものではないだろうか?
 「抜質!」はあくまでもファンタジー探偵小説だ。ファンタジーだよ。ファンタジーというものは、ファンタジー世界の空気を読者様に共感してもらうことが、第一。ストーリーやらキャラクターは二の次なのだ。」
釈「ラノベではキャラがあればいいだけですけどね。」

まゆ子「ふむ、つまりマキアリイを主人公とした一人称小説では、ファンタジーの空気が描けないということか。」
じゅえる「他の探偵モノのパクリにしか見えないわけで、余所の世界観が流入するのを避けられない。読者様も他と比べて、他と同じように観る。」
まゆ子「なるほど、それは本意ではない。」
釈「抜本改革が必要ですね。」

じゅえる「そこで、どうだろうね。主人公を女事務員クワンパさんに換えてみては。女の目から、どうしようもなくいい加減なでもかっこいい探偵マキアリイ氏を観察し、同時に日常生活観を醸し出す。これならばファンタジー世界を描写するのによくはないかい?」
まゆ子「クワンパか。」
釈「女主人公はやめるんじゃなかったのですか?」
まゆ子「「抜質」はハードボイルド浅見光彦サスペンスのパクリであるのだが、そもそも浅見光彦はハードボイルドではなかった。」
釈「それはー、さいしょから気付くべきです。」

まゆ子「なるほど。つまり目的とするものは、こうではないのだな?」
じゅえる「主人公は十二神方台系の世界そのもの、と考えるべきではないだろうかね。弥生ちゃんが色々と種を撒き散らしている世界を、コマとなる人物が説き明かす。」
釈「ふむ。」
まゆ子「それを表現するには、日常生活に立脚する泥臭い女の子、の方が向いているわけか。……クワンパ、ねえ。」

釈「次のテストは、クワンパ視点で描いてみましょう。」
まゆ子「うむ。」

(2011/01/22)

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