【彷徨える百合SEAーず】

(第一話)

「とつぜんですが、私、宇宙戦艦を手に入れましたー」

 二年生の樺湖ミレイがそう宣言しても、人形劇部の一年生は誰一人反応しなかった。

 ミレイ先輩は栗色の髪が豊かにたゆたうスタイルも抜群の美人だが、ちょっと変な人である。
 善人なのだ。困った人が居ると放っておけない、親切丁寧に世話を焼いてしかも鬱陶しくない。
 これは困る。抵抗出来ない。

 「みんなでお手伝いにいきましょー」とか言われた日には、どうやって逃げる口実を探すかで皆血眼になる。
 最後まで残った者は、先輩のかなしそうな目を見なくてはならない。心が痛む。
 どうせ「宇宙戦艦を手に入れた」というのも、人助けの結果の副産物だろう。前に白菜をリヤカーいっぱいにもらった時と同じだ。

 一年生部員5名、皆誰が生け贄になるべきか目配せし、牽制し合う。
 同じ二年生の3人の先輩に視線を投げると、「おまえたち観念しなさい」と返事が帰ってくる。
 先輩達は去年、ミレイによってヘビーロードを歩まされた。今年はおまえたちの番だと沈黙が雄弁に語っている。

 念の為、副部長の三年生カイラグ・マミアーナ先輩を見てみると、「逃げることは許さん」と怖い顔で促していた。
 ミレイ先輩は善人だから当然であるが、各方面に極めて評判が良く、また人形を使わせても迫真の演技力が高く評価されている。
 次期部長となる者の顔を潰すことは許さん、らしい。

 こういう時、友情なるものは無残にも敗北を見せる。
 一年生は度重なるミレイ先輩の善意に対処する為、「心の借り」制度を作っていた。
 授業のノート、代返、バイトの交代、無断外泊の口裏合わせと、互いに貸し借りを作り合って心の貯金を貯めていく。
 現在最も借りが多い人は、

 プロキオン女子学院大学地球文明学部文化生活科一年 多田野香矢はこほんと咳払いをひとつして、笑顔でミレイ先輩に振り向く。
 黒髪ショートカットに蛍光グリーンのセル縁眼鏡がファンキーな、いかにもばかな成りたて女子大生である。

「宇宙戦艦て、カー・オン級ですかあー」
「そんなばかなあー」

 ははは、と笑い合う先輩後輩。カー・オン級宇宙戦艦と言えば全長300メートルを超える堂々たるプロキオン宇宙軍主力戦艦。乗員も千名という大物だ。
 香矢、あえてあり得ない話を持ち出してこの話お終いにするつもりであったが、あいにくとミレイ先輩は勘の悪い人だ。

「サイラ級の宇宙水雷艇でーす。もう50年も前に全部退役した骨董品だけど、ちゃんと飛びますよー」
「マジですか?」
「学校の船着場に持ってきてます、みんな見に行きましょう」

 香矢、まさかほんとにマジであったとは想定外で、一年生の顔を見ると皆ぶるぶると首を横に振る。
 二年生の顔色をうかがうと、3人共にすまんね香矢という表情をしている。
 どうやら宇宙戦艦入手はホントのことらしい。

「えーと先輩、このあと人形劇の通し稽古する予定なんですけど。公演も近いし」
「大丈夫、あなたのパートは誰でも出来るから!」

 それを言ってはお仕舞いだろお、と香矢は情けなくなる。そりゃ獅子舞の頭でかぱっと幼児に噛み付くだけの役だけどさ。
 生け贄は一人だけと見定めてミレイは香矢の右手を取り、皆に挨拶した。

「じゃ、今日はこれで失礼させていただきます。役所星まで宇宙戦艦の登録しに行かないといけないのです」
「後のことは任された。行け行け」

 マミアーナ先輩が許可する。ミレイは今度の公演の主役ではあるが、大学生活そうそう部員全員が揃うものでもない。
 主役の「蛇女郎」人形を操る役もスペアがちゃんと居る。

 人形劇部の部室が有るクラブハウスを飛び出した二人は、地平線がまんまるのキャンパスを走っていく。

 プロキオン女子学院大学は、直径およそ3キロメートルの小惑星表面に有る。
 この星は学園惑星となっており、男子も居る大学に工学大学、付属高校中学小学校幼稚園および学生寮に教職員街まで完備する。

 公演というのは付属の小学校と幼稚園で披露するもので、地球では「ブンラク」と呼ばれた恐怖人形を用い不倫不貞の挙句の血みどろの惨劇を演ずるのだ。
 子供は怖いのおっかないもの大好きだし。

 

 船着場というのは、塔である。
 小惑星表面上には1Gの重力が設定しているが、百メートルも上がれば効果がなくて無重力になる。船舶はここに繋いでいる。
 もちろん人工重力などという結構なものを、人間ごときが実現できるはずもない。
 地球人はこの小惑星に、ここら一帯の小惑星群に住まわせてもらっている店子の立場である。
 自分で望んだわけではないが。

 エレベーターで重力効果範囲外まで上がり、足が無重力でふわと離れてケージの天井に頭をぶつける。宇宙のお約束はゆるがしてはならない。

「見事よ、香矢」
「えへえへ」

 この船着場は学園惑星への生活物資搬入用であり、大型船が泊まるようには出来ていない。
 塔の頂上部から桁が平たく左右に伸びてテレビのVHFアンテナに見える。素子の1本、棒状桟橋ごとに船を係留する。

 香矢はミレイに引っ張られるままに宇宙戦艦とやらが接舷する桟橋にまで浮いていく。
 二人共にスカートで、特に香矢はミニであるからちらちらめくれてしょうがない。
 だがミレイはふわりとフレアスカートの裾を華麗に捌いて、花のように着地する。あくまでも絵になる先輩だ。

 靴底の電磁石を起動させて、鉄板張りの桟橋に立つ。
 この世界、至る所に無重力があるから電磁石入りの履物は必需品である。

「はー、思ったより大きいですね」
「そうでしょ」

 サイラ級宇宙水雷艇は全長20メートル、空虚重量13トン満載100トンである。スペックだけを見れば小さいが、間近で仰げば結構な迫力が有る。
 貨物輸送車のトレーラーよりよほど大きいのだから当然だ。

 香矢が、いや一般市民が日常見る大型宇宙船は近傍の有人小惑星に行き来するだけの連絡船や貨物船だ。
 せいぜい100キロメートルしか移動しないから高速を必要としない。自動車並の速度で運行している。

 対して宇宙戦艦は惑星間航行船だ。秒速100キロメートル以上を叩き出す。
 が、推力は小さく長時間連続の加速をする。秒速100キロまで1ヶ月も延々と加速するのだ。
 船体の形状も自ずと変わる。

 それぞれの桟橋入り口には金網張りの扉が有る。一種の安全装置兼料金徴収装置で、鍵を開けないと発進出来ない規則になっている。コインロッカーと同じ。
 カード型の金属板の鍵を差し込むと、がちゃりと開く。まったくのアナログ機械錠だ。

 宇宙戦艦と機械錠。まったくかけ離れた技術レベルだが、現在の地球人の科学技術は後者の段階が主流である。
 つまり借り物だ。他所から持ってきた超技術の産物を、地球人が本来持っていた機械で継ぎ合わせて利用する。

「うおお、ほんとだ、これ宇宙戦艦だ」
「すごいでしょお」

 さすがに香矢は叫んだ。素人目にも、幾度も死線をくぐり抜けた歴戦の勇者だと理解できる。
 まず外鈑が民間船とまったく違う。対レーザー装甲だしアクティブステルス表面処理だし、至る所に細かい擦過傷があり丸く溶解孔が抉られている。

「これ! これ戦闘の痕ですよね、これ」
「うーんわからないな私には」

 ブリッジ、いや小さいから操縦室の外扉をまた鍵で開ける。エアロックなどという上等なものは無く、金属の板に窓ガラスがはまっているだけの扉だ。
 そもそもの操縦室が水上船と同程度の簡素さで船体構造から不自然に突出し、窓ガラス一枚きりで宇宙に面する。

「あの、先輩。これって危なくありませんか。宇宙で空気漏れちゃうんじゃ」
「大丈夫よ、宇宙服着れば」
「そうなんですけどね……。ハッ!」

 香矢は気付いた。この操縦室、後付けだ。床と部屋との素材が違う。
 戦闘で上部構造物をまるごと剥ぎ取られて、民間の修理屋がテキトーに作り直したのだ。これはヤバい。

「先輩、こんなものどうやって手に入れたんですか」
「うん、それはねー」

 ミレイは操縦卓の配電スイッチを入れて計器を確かめる。老朽船の印象に違わぬ、まったく電子化されていないアナログ操縦系だ。

 船だから舵輪が付いているのがお約束。だがこれは単に船体をローリング、横転させるだけのものだ。
 舵は一本のレバーで上下左右の十字に操作して噴射方向を変更する。これは角度が小さくしか動けない。推進中の船舶がそんなに急に曲がってはならないからだ。
 船体を回転させ、幅を寄せるには船体各所に設けられた姿勢制御ロケットを手動で噴射させる。
 ロケット1個ずつのスイッチがずらりと並び、ほとんどピアノだなと思う。

「……おととい町を歩いてたら行き倒れのおじいさんが居て、助けて病院に連れて行ってあげたら、自分はもう船には乗れないからって私にくれたの」
「え?」
「もちろん断ったわよ。でも、どうしてもと言うので断りきれなくて、ついつい」
「もらっちゃったわけですね。でも先輩、四級しか持ってないんじゃなかったですか?」
「そうよ」

 固まって動かないメーターを指でこちこちと叩くと、推進剤計、電池残量計の針がぐるんと回って、

「電池少ないわね。エンジン起動して再充填しなくちゃ。困ったわね、ちゃんと動くかしら」
「え、ここまでエンジン動かして無かったんですか?」
「四級免許じゃ禁止だもの」
「エンジン動かさないで、どうやって飛んだんですか電源は、というか、誰がここまで持ってきたんですかー」
「わたしー」

 ぺろ、と舌を出すミレイに香矢は愕然とする。

 四級宇宙船舶免許は自動車免許が取れる者なら簡単という代物だ。第一大型船の操縦は許されていない。
 定員10人以下の小型乗用船および総重量10トン以下の簡易貨物船に限定される。
 これら小型船は電力で加熱した推進剤の噴射、水であるから蒸気ロケットということになるが、による低速運転のみを想定する。
 動力源は基地で充電するバッテリー、もしくは太陽電池と非力なものだ。

 一方大型船は強力な核融合スラスターを主エンジンとして装備する。また発電機としても用いて姿勢制御用に船体各所に装備した蒸気ロケットを駆動する。
 やろうと思えば、姿勢制御ロケットだけで近距離を移動も可能なわけだ。

 つまりミレイは四級の要領で姿勢制御ロケットの噴射のみを使い、巧みに学園星まで船を運んできた。
 しかも誘導装置無しの目見当で。よくもまあ船着場にドッキング出来たものだ。
 先輩が器用なのは知っていたが、それは明らかに宇宙交通法違反である。

「いやね、おじいさんは港じゃなくて沖の岩礁宙域の中に船を隠していたものだから、スクーターで飛んで行って回収してきたの」
「無茶にもほどがあるわ!」

 ちなみに香矢は宇宙スクーターこと噴進器付き宇宙服免許しか持たない。高校生の時に取ったきりで、自分では飛んでもいない。

 

 さて、
 抜け道はいつも用意されている。
 港に泊まったままエンジンを動かして充電し、その電気で飛んで行く分には法的にグレーゾーンであった。

「すごいですね、すごいですね。バッテリーどんどん埋まっていきますよ。電気の缶詰です」
「電池はいいけど、水がもう残り少ないわ。役所星で補給しないと」
「何トン残ってます?」
「3トン。20トンが通常運行時の定格量だから、死にかけと言ったほうがいいかもね」
「先輩、水高価いですよ」
「そうなの……」

 あらかたバッテリーが満タンになったので役所星、中央官庁が存在する政都の小惑星に向けて出発。
 しゅぱしゅぱと船体各所の姿勢制御ロケットを噴射させて学園星を離脱した。

 道中も盛大に水蒸気を噴射して移動する。早晩推進剤タンクはカラになるであろう。
 もちろん水道代タダなはずも無く、宇宙船に必要な何トンもの水を買えばお金に羽根が生えて飛んで行く。女子大生のバイト代でなんとかなる金額ではない。

「だから、船を処分しようと思うの。おじいさんには悪いけど、私がもらっても持て余しちゃうし」
「賢明な判断です。でもこんな老朽船、中古屋が買い取るかどうか」
「エンジンは大丈夫だから、これを売り飛ばせば処分代出ると思うのだけど、ダメかしら」

「中古屋との交渉の際にはお力になりやすぜ。先輩はどうも人が善すぎますから」
「とにかく登記して所有権を確定しないと処分も出来ないものね」

 結局、役所星の船着場にタッチダウンした時には推進剤1トンを切ってしまった。
 ベテランの船員であればもっと節約出来たのだろうが、ミレイはど素人であるからぶつけなかっただけで上出来だ。
 さすがにこの推進剤量であれば、出港を運行管制局が許してくれない。
 船はここで立ち往生する運命にある。

「計算ですね先輩」
「わかります?」
「役所に処分費の肩代わりをさせるのも考えているんでしょ。それと、じいさんとやらの財産権の確認も」
「うふふ」
「へんな宙域に置いといたら盗まれてしまいますからね。役所星ならその点大安心」

「それに私、おじいさんから譲渡書も委任状ももらってないの。船もらったと言っても口約束だけだし」
「わかりますわかります。それでいいんです! 面倒は全部役所に押し付けるべきなのです」

 

 宇宙船の登記を取り扱う法務局の庁舎に行って、色々案内されたらい回しにされて最終的に巡り合った係の人は女性であった。

 結構上級の職員である。キャリア組というのだろう。黒のジャケットにタイトスカートを履いている。
 歳の頃なら30手前。黒茶色でおかっぱな髪が妙に太くて硬そうな、きつい目付きの人だ。背は低い。

「私はプロキオン行政府外事部星図記録局のカーリャ・ストゥです」
「法務局じゃないんですか?」
「今回の事例は特別ですので、私が取り扱います。不審に思われるでしょうが、それだけの理由が有るのです」

「先輩、男に縁の無さそうな人ですぜい」
「そこ! 聞こえてる。」

 ミレイはまだ申請書類は何一つ書いてない。そもそもどこから手続きを始めるべきか、それすら混乱しているのだから。
 おねえさんは学生証を見て身分証明を検索している。戸籍の情報は一応電子化されているので、コンピューターで簡単に照会できた。
 ディスプレイはブラウン管である。

「あなた、樺湖ミレイさんね。20歳。良かったわ、未成年なら手続き無茶しなくちゃいけないところだった」
「入院している船長のおじいさんの意思確認を役所の方でしてもらわないといけないと思いますが、そうですよね?」

「いえ、もうあなたに所有権移ってますよ」

 え? とミレイと香矢は顔を見合わせる。書類なんにも書いてないんですけど。
 長いつけまつげをぱちぱちと瞬かせて、おねえさんは言った。

「前船長 ユークレド・アマール氏は昨夜入院先の病院で死亡が確認されました。故人の意志を尊重して遺産である戦闘艇改造商船は樺湖ミレイ氏が相続すると決定しています」
「え!?」

 おじいさんは確かに行き倒れであったのだが、病院で話をした時にはまだそんなに悪そうには見えなかった。
 それが急死だなんて、いくら何でも早すぎる。

「ご家族の方はいらっしゃらないのですか」
「元々彼はプロキオンの出身ではありませんからね。記録ではアークトゥルスとなってますが、そこにも家族が居るとは書いてませんね」
「エトランゼですか……」

 他恒星系出身者をエトランゼ「異邦人」と呼ぶ。
 もとより地球人には恒星間移動能力が無いから、たまたま偶然になんらかの巡り合わせが悪くて飛ばされた人ばっかりだ。
 孤独死するのも無理は無い。

「ユークレド・アマール氏はただのエトランゼではありません。”ユリシーズ”と呼ばれる特定能力者です。また船の方も同じく特異な存在です」
「どんな能力です」
「それこそ、様々な恒星系を自在に渡って交流する偉大な航海者なのです」

 へー、と二人は驚いた。いや、確かにエトランゼなる存在が有るからには偶然ではなく意図的に渡ろうと考えておかしくはないが、それが自由に出来れば苦労はしない。
 人類の故郷、地球にだって帰れるはずだ。

 二人共にいぶかしげな目で見るから、役所のおねえさんも鼻白む。
 樺湖ミレイに疑われるとプロキオン行政府も困るのだ。

「信じてませんね」
「いえ、でもちょっと常識から外れてまして、理解に苦しみます」
「いいでしょう。ではびっちりと講義させていただきます。あなたがご自分の新たな境遇を納得するには、それが一番の早道でしょう」

「あのすいません!」
「なんですか、付き添いのひと」
「長くなりそうなので、トイレ行っていいですか?」

 

 おねえさんの講義は2時間も続いた。またそれだけの分量を必要とする内容だった。

 まず船の名前だが「恒星間交流船 プロキオン籍『彷徨えるプロキオン人』号」である。
 身も蓋も無い名前だが、軍籍当時の宇宙水雷艇『サイラ21』よりは遙かに文学的潤いが有ると言えるだろう。
 船齢は99歳、今年中に百歳になる。誰がどう見ても廃船必至の老朽艦で、飛んでる方が奇跡であった。
 もちろんプロキオン軍では同型艇は既に全部退役しており、部品も残ってない。百年前の戦闘艇なんか、今時なんの価値もありはしない。

 特筆すべき点が有るとすれば、この船はプロキオンで建造されプロキオン船籍であり、恒星間宇宙に旅立った最初の船長もプロキオン人であった事だ。
 以後船長は何人も代わり、他の恒星行政府の所有となった事もあるが、最後にはやはりプロキオンに帰ってくる。

 ではどうやって恒星間宇宙を航行するかと言えば、そんなものは誰も分からない。ただ出来るのを知っているだけだ。

 掻い摘んで説明すると、この宇宙船は特定の人物が乗ると、でたとこ任せで別の恒星系に無理やり飛ばされる。
 どこに行きたいとかの乗員の希望はまるで関係無しに、知らない星に飛ばされてしまう。
 迷惑この上無い。

 この能力を持つ特別な船は全宇宙に50隻ほど存在し、たまたま乗ってた人間が元の恒星系に帰れなくなるのがエトランゼらしい。

 ”ユリシーズ”と呼ばれる特定能力者は、数年から数十年船長を務めた後に後継者を見出して引退する。
 誰を指名すれば良いのかは、見れば分かるらしい。外見的特徴は無くとも、運命的に巡り会えるそうだ。

 もし船長が航海の途中で死んでしまうと、どうなるか?
 船は人手に渡り一般の船舶として運行されるが、最後には運命的に能力者に巡り会い、再び恒星間宇宙に旅立つという寸法だ。
 だが『彷徨えるプロキオン人』号がものの価値の分からない者の手に落ちた場合、たちどころにスクラップにされてしまうだろう。
 今回は運が良かった。

「つまり、出たとこ勝負なんですね」
「そうです」
「いい加減ですね。恒星間の外交というのは、行政府の偉い人が特別な方法でやっていると思って居たのですが」
「そうであれば私達もどれだけ楽なことか。でも実際は、この出たとこ勝負の老朽船に任せるしか無いのです」

 というわけで、超法規的措置によって樺湖ミレイに船は譲渡された。
 ついでにミレイには一級宇宙船舶運行免許も授与される。

 一級免許というのは、惑星間航行船を含むすべての宇宙船の操縦および業としての運行の許可。加えて宇宙空間での戦闘機動の為のアクロバティックな操船までもが許される。
 ついでに危険物爆発物取り扱い免許、軍用兵器所有許可、無制限使用許可並びに公的交戦権付与。非常時における宇宙空間での独断による捜査権、逮捕権、拘留権。
 軍艦と同じく船内での治外法権までもが認められた。

 まるで一個の国家である。

「あとこれも、」
と渡されたのは、プロキオン行政府発行のブラックカード。
 これを示せば軍民間を問わずに最優先無制限で推進剤である水の補給が許される。もちろん支払いは行政府持ち。

「これはどこの恒星系に行っても有効ですから、船の運行の為であれば遠慮なく使ってください」
「プロキオンのお金が他所でも通用するのですか?」
「そこはそれ、色々と相互に便宜を図って貸し借りを作り合い、うまいように回しています」
「なるほど。」

 

 というわけで船に戻った二人は早速に推進剤を補給する。満タンは20トンだが、貨物スペース全部を潰せば60トンは入る計算になる。

「全部はやめましょう、先輩。他にも食料とか交易に役立つ商品とかを載せて、何時でも星の世界に飛び立てるように準備しないと」
「そうねーじゃあ推進剤は定格の20トンに留めて、食料品も保存食を中心に……、何ヶ月分?」
「さあ?」

 まだ付いて来ているおねえさん、カーリャ・ストゥも港の運行管制局に掛け合って、ミレイの便宜を図っている。
 そもそもがミレイの一級免許は超法規的措置によるもので、本人には知識も技術もまったく無い。
 管制局のコンピューター記録にも、樺湖ミレイの名前はまだ無い。偽造免許と認定されてしまうから、通達を直接に持って行って命じなければならない。

「すいませんね」
「いえこれも仕事ですから」

 顔はまったく笑ってない。特別措置の非合法性に関してはやってる本人が一番分かっているのだ。

「役所星に来る前に船内を確かめたんですけどね、前の船長さんの、えーと」
「故ユークレド・アマール氏です」
「あのおじいさんは随分長くご病気だったみたいで食も細かったようで、積んでいる食料もほとんど無いんです」
「ああ、」
「衣類もほとんど着のみ着だけで、女の子が乗るようには出来てません。色々と買わなくちゃいけないのですが、何分にも突然の事で」

「つまり、船を運行する為の初期投資をするお金が無い、という事ですか」
「そういうのもブラックカード使っちゃっていいですか?」
「その為のカードです。必要とあれば何にでも使ってください、船関係であれば文句は言いません」
「ありがとうございます」

 そうと決まれば買い物だ。役所星には職員用購買部が設けられており、日用品や衣料もかなり格安で売っている。
 基本的に官僚とその家族しか購入を認められていない、一種の特権であるが今回は別。
 香矢は日頃は手が出ない高級食材がなんとなしに安いのを横目に恨めしそうに見ながら、保存食ばかりを買い込んだ。

「本来であれば軍の補給基地で融通してもらった方が安上がりなのですが、念の為に多めに買っておいてください」
「何年分ですか?」
「まあ、一週間よりは多くに。もし惑星間航行中に遭難でもした日には月単位で隔離されますから、なるべく」
「そんなに買えませんよ。持っていけません」
「塩と砂糖、ビタミン剤は必須です。10キロの袋で買ってください。あと食用油も缶で、米はアルファ米で茹でただけで食べられるのを。小麦粉はー料理できますか?」
「ミレイ先輩はなんでも出来ます。お料理お裁縫もばっちりです」
「なら素材を買った方がいいですね。乾燥青物と冷凍なんかも、それにミドリムシタンパク質をカートンで」

「お酢とお醤油とソースも胡椒も、カラシも缶で買っていいですか?」
「あなたの船なんですから、お好きなように」
「せんせー、お菓子は何PP分買っていいですか?(プロキオンポイント、通貨単位でパン1斤で10ポイント程の価値)」
「チョコレートはキロで買ってください。各種遭難事例から鑑みて、チョコレートは最後の武器です。物々交換でも大いに活躍です」
「分かりましたー!」

 その他諸々ダンボール箱で5箱も買って、もちろん女の手で持てる量ではないのでタクシーを呼んで港まで持っていく。
 船に積み込むのはさすがにカーリャはやってくれなかったが、そのまま乗って行こうとする。

「どうせ航海計画も無いでしょうから、軍の艦船基地星まで行ってください」
「ん? 何がありますか」
「なにももなにも、こんな老朽船をそのまま飛ばしたら何時分解するか分かったものじゃありません。いい機会ですから、大改修しましょう」
「そんなことやっていいんですか? 船の特殊能力に差し障りがあるのでは」
「いいんですよ、記録によれば前にも何回も改修してますから。折角プロキオン籍の恒星間交流船が母星に帰って来たのです。盛大に修理しましょう」
「はあ」

 一応は民間船で個人所有なのだが、行政府は気前よく金を出してくれるという。
 ここはお言葉に甘えて、やりたいようにやってもらおう。
 そもそもミレイは未だ船長さんをやろうとは思っていない。第一大学があってちゃんと講義を受けないと留年してしまう。
 他の恒星系に何年も行っている暇は無い。

 

 カーリャ・ストゥは、空気が漏れそうな貧弱な操縦室にふんぞり返っている。まるで自分が船長のようなでかい顔。
 あまりに反っているので、靴に磁力が無ければ無重力の中浮き上がって、バック宙を始めてしまうだろう。

 さすがにミレイも呆れて言った。

「あの、カーリャさん。あなたは船舶免許持ってますか?」
「四級は持ってます。でも操縦なんかしませんよ、私がやったら宇宙交通法違反ですから」
「私も名前だけの一級免許で、ちょっと怖いんですけど」
「ここまで自力で来たのですから、練習がてらに飛ばしてみましょう。習うより慣れろです」

「でも軍の基地星は500キロも離れてますから、この速度だとぜんぜん進まなくて」
「じゃあ大推力噴射で速度出してください」
「えー、そんなー」

 ちなみに今現在の速度は時速80キロメートルだ。四級免許の宇宙船であれば法定速度である。
 姿勢制御ロケットだけを使ってここまで出したのは上出来であるが、これ以上は主エンジンに推進剤過剰投入しての爆発的大推力の発生を要求される。
 百歳の老朽船には酷な運用だ。

 ミレイが渋るのも理由がある。ここまでの操縦はマニュアルでレバーとスイッチだけを使って成し遂げたが、主エンジンでの推進となるとコンピューター制御が必要になる。
 四級免許ではその課程が無い。やったことが無いから分からない。

 困る彼女を、カーリャは少し馬鹿にした。

「コンピューターというのは人間に楽をさせる為の機械です。そんなマニュアル操作なんかよりも遙かに簡単に正確に効率良く制御してくれますよ、キーボタン一発で」
「それはそうかも知れませんが、でもー」

 そもそもコンピューターというものを扱った事が無いのだ。
 大学の実習でもコンピューター操作課程が必修で設けられているが、あくまでもちょっと触ってみるだけのもの。
 実用は工学大学にでも行かない限りほとんど学べない。第一こんな高価い機械、誰が個人で持っているもんか。

「あの、わたしやりましょうか?」
「香矢ちゃん、お願い出来る」
「任せてください、わたしこう見えても高校では電子計算機部だったんですよ」
「やったー。じゃあお任せね」
「はいはい」

 電子計算機とコンピューターはちょっと違う、という事をミレイは知らない。
 そもそも高校の時は男子部員が機械に取り憑いて離さないから、女子部員はほとんど触れなかった。などの真実を知るはずも無い。
 いやいや、それどころか多田野香矢が何を隠そう立派な幽霊部員だったなんて。

 主エンジンを取り扱う機関制御室は、操縦室の真下にある。床の鉄扉を開いてハシゴで降りた部屋だ。
 本来であれば、ここが操縦室でもある。
 惑星間航行中は有人小惑星近辺の防御磁場から離れるから、高エネルギーの宇宙線や恒星風にさらされる。ほぼ露天とも言える上のブリッジは使うべきではない。

 というよりは、上は宇宙服を着て船外活動をする為のエアロック的な控え室と考えた方が良い。
 操縦装置が付いているのは、有人小惑星近くでの操船は有視界で行った方が遙かに楽だからで、宇宙水雷艇の本領を発揮する深宇宙では要は無い。

「スイッチ入れましたー。ぐるぐる起動をしていまーす」
「はーい」

 インタホンで上と話が出来る。伝声管ではない。さすがにそこまでレトロではない。
 香矢は学園星で充電した際もコンピューターを起動した。スイッチ入れただけなのだが、既にオーソリティーな気分である。

 核融合スラスターが甘くプラズマ流の噴射を始め発電を開始する。操縦室の計器にも発電量が表示され、針がびりびりと震えている。
 ミレイはカーリャに確認した。

「じゃあ大推力噴射開始します。ちょっと加速掛かりますよ」
「どうぞ」
「はい」

 かちかちとスイッチを繋ぎ換え、配管のバルブをくりくりと回して開く。
 アナログマニュアル操作の極地であるが、これで動くのだから文句は言わない。

 くん、と軽く後方に背が引かれる感じがする。大推力と言っても推進剤を効果的に使う経済運行だから、びっくりするほどの力は無い。

 ぶちん、と操縦室内の照明が消えた。一瞬で真っ暗になり、計器盤の灯も無く蛍光塗料の針だけが目に映る。

「香矢ちゃん、どうしたの?」

 と問うインタホンも機能しない。電力完全にアウトだ。
 電気系統は3つ有るのだが、推進系、艦内機器系、非常系すべて落ちた。非常系が落ちるのは許されないだろうとは思うが、老朽船だからこんな事もある。

「だから嫌だといったんですよー」
「ごめんごめん、ここまでボロ船だとは思わなかった。報告してちゃんと改修するから許して」

 

 所詮は地上を走る自動車並の速度しか出さない連絡船や貨物船は、特にレーダーなんか装備しなくても運行に支障は無い。
 むしろレーダー波が錯綜すると目障りだから、近くの灯台の電波標識に従って御行儀よく飛んでいる。
 一方通行をちゃんと守れば衝突しないという賢い選択だ。

 電源が落ちると標識を利用した航法支援装置も機能しない。が、標識自体を捉える事は出来る。
 ラジオだ。
 電波標識は音声でも位置情報を伝えているので、携帯ラジオを使えばどこから来た電波か分かる。

『ザザザ、……こちらアークトゥルス西38番惑星居留地A信号灯台です。現在アークトゥルス歴559年10月27日午前8時30分30秒……』

「変ですね」
「うん」

 プロキオン星系内の電波標識がアークトゥルスを名乗るわけが無い。
 カーリャは言った。顔は能面のように白い。
 この人はピンチになると表情が無くなるタイプらしい。

「ははは、これはなんかの間違いだ、私は今もプロキオンの星系内を軍の基地に向かって航行中の、」
「でも他の信号標識も全部アークトゥルスて言ってますよ」
「わかった、ドッキリだ。なんだー脅かしやがって」

 こんな時は自分で位置を確かめるに限る。天測して星の位置を確認して、自らの位置を算出する。
 プロキオン星系の主星であるα星とその伴星である白色矮星β。
 この二つの位置を知れば、自ずと船の位置も分かる。

 ちょっと眩しいのは仕方ない。操縦室の窓から外の宇宙をぐるぐると見回した。許されるなら真空に首を出して確かめたいところ。
 ミレイも続いて反対側の窓を見る。

「なんですかあのオレンジ色の恒星は」
「なにって、一番大きいのは主星αに決まってるでしょ。うちの星系の中心よ」
「でもこれ、ちょっと、遠いんじゃないですかね。あっちの湿気た黄色い星の方が近いような気がします」

「いえ、それどっちもα星じゃないわ。というか、α星どこ?」

 ミレイは、たぶんカーリャは絶対聞きたくないだろう推論を語る。

「あのオレンジ色のよく光る星は、たぶんアークトゥルスではないでしょうか? 中学生の時の天文地理の授業で習った気がします」
「嘘嫌冗談言わないで」
「ならスペクトル分析をしましょう。多分船のどこかに分光器ありますよ。」
「知らない知らない、もっと外を真剣に探して。絶対α星有るから」

「でも、見える星から測位するのは基本中の基本ですから。カーリャさん、プロキオン星系であんなオレンジ星見たことあります?」
「無い」
「でしょ」

「そ、そうだ。放送だ。電波標識がおかしくてもラジオ放送を聞けば、うん電波標識灯台がテロリストに占拠されて無意味な信号を発しているんだ。
 あはは、タネがバレればどうという事は無かった。なんだ、脅かすなよ」

『……はーいリスナーのみんな元気かな。アークトゥルスヒットソング30、カウントダウン行くぜー!……』
「こんなの出ましたけど」

「いやあああああああああ」

 カーリャは小さい身体を精一杯に伸ばして、耳を抑えて大きくのけぞる。
 無重力の操縦室内で危ないなあと思ってたら、案の定バック宙を始めてしまった。足の磁力靴が床から離れている。
 止めるにも蹴られそうで近づけない。ぐるんぐるんとおねえさんが回る。

「カーリャさん落ち着いて。これは夢でもなければ冗談でもなく、たぶんほんとにアークトゥルス星系に来ちゃったのですよ。
 なにせ恒星間交流船なんですから」

「そんな事はありません! 絶対です!
 何故ならば恒星間交流船の航海記録によれば、有人小惑星近辺の低速航路を航行中には他恒星系への転移などしない、としっかり書いているのです。
 そうでなければ私がこんなボロ船に乗ったりするわけが無いでしょ、無い!」
「そんなボロ船に他人を平気で乗せようとしていたんですか……」

「とにかく、ここはアークトゥルスなんかじゃありません。絶対です。超空間ジャンプなんかありえません。
 これは私見ではなく外事部全体の恒星間交流船に関する共通認識として了承される、そういう法則になっているという科学者のすいろんが」

「騙されたんですよ。あなたを乗せる為に」
「うわあああああああ」

 泣いちゃった。

「どうしたんです?」

 機関制御室から香矢も上がってくる。
 電源の復旧はブレーカーをばちんと上げるだけで終了したが、もちろん手順としては船体各所の点検を行い安全が確認されてからでないと許されない。
 香矢はそんな事知らない。

「なんだか大宇宙をジャンプして、アークトゥルスまで来ちゃったみたいなの」
「はー、さすがに恒星間交流船ですねえ。あんな短時間で何百光年も移動出来るんですか。凄いですね」

「うああああミウちゃんが、ミウちゃんがあああ」
「カーリャさんしっかりしてください。ミウちゃんと言うのはあなたのお子さんですか?」
「ネコが、猫の子ミウちゃんが家に、一人で置いてきちゃったあああ。今日の内に帰る予定だったのにいぃ」

「しっかりしてください。ミウちゃんは家に閉じ込められているのですか」
「ネコ用出口はあるけど、でも寂しいわきっと泣いてる」
「ああ、猫だから適当に他所のおうちでご飯貰えますよ寂しくない」
「うあああ、それもいやあああ」

 

 コンピューターを再度立ち上げて計算した結果、ここはやっぱりアークトゥルスと呼ばれる星系だった。
 正確には、アークトゥルスは非常に熱い星であるから地球人の居住には向かず、その隣の地味な恒星系に居留地が設けられ便宜上ここをそう呼んでいる。
 「アークトゥルスの方から来ました」というわけだ。

 何故『彷徨えるプロキオン人』号が飛ばされて来たかは明白だ。
 前船長ユークレド・アマール氏がここの出身であるから、里帰りしたかったのだろう。
 あいにく遺体は積んでいないが、親戚か知人に遺品を渡そうと船長室の片付けを始める。

 その間、カーリャはようやくショックから立ち直りアークトゥルス行政府との通信に成功。迎えの艦隊を差し向けてもらえる事になった。
 ちなみに船が出現した宙域は、最も近い有人小惑星から132万キロ。
 惑星間航行能力が無ければ絶望的な距離である。

「近いですね」
「3日もしたら着いちゃいますよ。さすが宇宙戦艦」
「まあ、それが本来の使い方ですから」

 だが主エンジンの使用にはカーリャは大きく戸惑った。また他所の恒星に飛ばされるかと考えたのだ。
 ミレイはその点楽観的である。前の船長のおじいさんの魂が故郷に帰りたかっただけなんだから、絶対大丈夫。
 果たして主エンジンはプラズマ流を調子よく噴き出して、なめらかに船を加速させていく。
 どうも推進剤増量したのがまずかっただけで、エンジンは極めて良好に安定しているようだ。

 加速中は暇である。操作する必要もほとんど無い。だからアークトゥルスのラジオを聞いて情報の入手に務める。
 テレビ放送もやっているのだが、『彷徨えるプロキオン人』号に積んでいるテレビと放送電波のフォーマットが違って見れなかった。

「カーリャさんカーリャさん、聞きましたか。アークトゥルスでは男女比が偏っていて、女の人はよりどりみどりに夫を選べるそうですよ」
「不健全な星だわ。そういうの嫌い」
「でもここだったらカーリャさんもすんなりとお嫁入りが」
「嫌だ、帰る。私はミウちゃんの所に帰るんだ」
「ここにだってネコくらい居ますよお」

 そして3日。アークトゥルス宇宙軍の艦隊と接触した。百メートル級の中型戦艦1隻に、『彷徨える_』号と同規模の戦闘艇3隻だ。

「あのくらいの大きさの船は駆逐艦とか巡洋艦とか言うんじゃないですかね」
「宇宙で飛んでる軍艦はすべて惑星間航行能力を持つから巡洋もへったくれも無いわ。まああれは駆逐艦でしょうけれど」
「友好的に接してくれると嬉しいですね」

 そこは大丈夫とカーリャは胸を張った。プロキオン行政府の代表がちゃんと乗っているのだ。交渉事は任せなさい。
 ベクトルを同期して、戦闘艇の1隻が接舷した。銃を持った兵士が宇宙服で乗り移ってくる。

 エアロックなどという上等な装備は故障中であるから、こちらも宇宙服を着て操縦室そのものに空気を入れたり抜いたりして出入りする。なかなか便利だ。
 与圧されて、兵士はヘルメットを外して挨拶した。
 結構若い、身長175センチほどの男性だ。口髭を生やしているのは当地の流行なのだろう。

「ようこそアークトゥルスへ。私はアークトゥルス宇宙軍内海哨戒艦隊第三分艦隊のトゥマロー中尉です。
 通信では前船長のユークレド・アマール氏が亡くなられて新しい船長が就任したと伺っていますが、証明するものはございますか」

「私はプロキオン行政府外事局のカーリャ・ストゥですよろしく。こちらがユークレド・アマール氏の診断書と死亡証明書、船を譲渡する遺言書、プロキオン行政府による新船長樺湖ミレイ氏を承認する議決書及び船舶譲渡証明書になります」
「これはご丁寧に、さすが行き届いてますね」
「いえ。仕事ですから」

「先輩、行政府による決議なんて何時出たんでしょうね?」
「知らないわ。自分の事なのに何も知らない」
「なんか陰謀の臭いがしますぜ。先輩やっぱハメられたんですよ」
「そう思わないでもないけれど、ここに来たのは人間の仕業ではないと思うわ」
「悪魔の業ですよ恐ろしい」

「そこ、変なこと言わない!」

 

 ミレイは前の船長のおじいさんユークレド・アマール氏から船を譲られた際に、これだけは絶対に守ってもらいたいとの注意事項を承っていた。
 同じ事をカーリャからも説明されている。つまり、恒星間交流船に各星行政府が要求する最重要任務だ。

 即ち、毎日必ず航海日誌を詳細に記述し後に役立つ資料として確実に保存し、他所の恒星系に到達したら日誌のコピーを、既に何度もそれぞれの行政府に提出しているから、新しく増えた差分を必ず提出する事。

 恒星間交流船の責務とは、星々に散らばる地球人社会を繋いだ情報交換だ。
 科学技術の最新情報はもちろん、各地の政治状況や軍事情勢、官報、市況、事件事故の報道、流行の商品や文化あるいはその現物。新聞や映画フィルムも提供する。
 なまじ交易品を積載するよりも、新聞1部の方が遙かに価値があった。

 今回、紙媒体でのコピーを作成する用意が無かったので写真、マイクロフィルムで提出する日誌を撮影した。
 カーリャが船に乗り込んだのも、プロキオン行政府に提出する分を作成する為だった。
 生憎その前に飛ばされてしまったから、マイクロフィルムはアークトゥルス行政府への提出用に使われる。
 おかげで、『彷徨える_』号は新たなる航海の為の手厚い支援を得る事が出来るのだ。

「じゃあ私は先方の駆逐艦に乗り込んで日誌を受け渡ししてきます。ミレイ船長はこのまま船に留まって管理に努めてください。」
「そういう役なんですね」
「船長はそうそう気軽に他人を信じて船を預けるなんてしてはいけません。命を捨ててでも船を守る覚悟を示してください」

「カーリャさん、わたしは?」
「あなたは、軍艦に乗っても仕方ないでしょ。そのまま船で牽引されてください。」
「えーわたしもモテモテになりたーい」

 相手側の船に乗り込むのは、受け渡しに確実を期す為だけではない。
 折角他星系に来たからには当地の情報をプロキオンに持ち帰らねばならない。アークトゥルスの最新情報を収集する暇は無いから、向こうに提供してもらう交渉が必要だった。
 船長とはいえ所詮はただの女子大生の樺湖ミレイに出来る芸当ではない。

 男っ気は無いもののそこそこ美人のカーリャは、アークトゥルスの軍人さん達に丁重に案内されて『彷徨える_』号を離れていった。

「せんぱい、なんかモテモテです!」
「ほんと。女性人口が少なくてモテモテってのは本当なのね」
「あーなんか悔しい。よく分からないけどくやしー」

 ついで兵士によって故ユークレド・アマール氏の遺品が運ばれていく。

 彼はここ13年『彷徨えるプロキオン人』号を預かって大宇宙を旅し続けた。50代を越えてからの流離いの旅はどれほど過酷だったろうか。
 断る事も可能だったはずなのだが、他に候補者が居たわけではない。折角の機会を無にしない為にアークトゥルス行政府は執拗とも言える説得を行い、根負けして彼は航海者の運命を受け入れた。
 その辺りの経緯も航海日誌には書いている。遺品整理の折にミレイ達は彼が何者であったかを確かめた。

 遺品と呼べるものはさほど多くは無い。個人的な思い入れが有りそうな物品は行く先々の星で人に与えてしまい、船には何も残していない。
 彼がそこに居た証明として現地の人に託していった。そういうものであろう。

「つまり足跡だけが生きた証ということね。船長さんになる前の人生はどうだったのかしらね」
「でもさほど不幸というわけでも無かったみたいですねえ。戦闘べらぼうに強かったみたいだし」
「あれは私、半分位誇張されているんじゃないかと思うのだけど。だって武勇伝凄いじゃない」
「まあ。でも様々な危機を生きて潜り抜けてますから、それなりに出来たんじゃないですかね?」

「うーん。アークトゥルスで知り合いの人に聞いてみましょうか」

 

 カーリャは駆逐艦に乗り移り、『彷徨える_』号も曳航される事になった。
 傍目から見てもあまりの老朽船ぶりに危惧を抱き、動力を停止して他船が曳航していった方が安全と考えたのだ。
 なにせ軍艦の乗組員は船のスペシャリスト。にわか船長のミレイや知識も無いカーリャは判断に従わざるを得なかった。

 兵士達が宇宙遊泳をしてケーブルを繋ぎ、送電線を船の外部電源プラグに接続する。

「私は船長さんだから船に残るけれど、香矢ちゃんはどうする?」
「一緒に居ますよ。向こうの人に船を預けるのも癪だし」
「じゃあこのままね」

 電線が繋がったから電話が直接外部と通じる。インタホンでそのまま曳航する戦闘艇と話が出来た。

「送電を開始します。主エンジンを落として機器電源系統を外部受電に切り替えてください」
「はいはい」

 香矢がいつもの通りに機関制御室に下りて制御盤に向かう。エンジン停止なんか簡単だ。コンピューターのスイッチをぽんと押すだけで、

「切りました」

 一瞬照明が瞬いて再び明るくなる。バッテリーからの給電に切り替わった。
 さらに電源ボックスを開けて外部受電に切り替えるレバーを押し上げる。

「あれ?」

 暗くなった。また停電だ。供給元が替わっても機器電源は落ちないはずだったのに、嘘つきめ。
 というよりは船が古過ぎて思ったとおりに動かないのか。ブレイカー全系統落ちてるし。
 毎度の手順で非常系のみをまっさきに復旧する。手馴れたものだ。蛍光塗料で「非常灯」と書いてるから、闇の中でもバカでも間違えない。
 上の操縦室に残るミレイにインタホンで話し掛ける。

「先輩、電気が通りません。そちらでちゃんと外から電気供給されてるか確認してください」
「香矢ちゃん、ちょっと上に来て。電気そのままでいいから」

 非常系電源はちゃんと機能しているから暗くはない。
 機器系電源を戻す前に必ず点検しろと、この3日カーリャに殴られまくったからさすがに学習した。そう簡単にブレーカー上げてはならない。
 だから先輩の言うがままにはしごを上る。

「どうしました。電気供給されてないんですか?」
「いえ、これ。」

 指し示すままの窓の外を眺めてみると、先ほどまで周囲に浮かんでいたアークトゥルス宇宙軍の船が居ない。

「アレ?」
「見て、あの星」

 首を曲げて上を覗くと、慣れ親しんだ恒星がてかてかと輝いている。

「あ。プロキオンαだ」
「そうよね、これα星よね」
「じゃあわたしたち、プロキオン星系に帰って来たという事ですか? ばんざーい」
「ばんざーい!」

 両手を上げて万歳する女子大生二人。だが、もちろん諸手を上げて歓迎してはならないと知っている。

「先輩、カーリャさんはどうしましょう」
「香矢ちゃん、それは」
「はい」
「無理」

「……ミウちゃん、どうしましょうかね」

 

 出現した位置はプロキオンの有人小惑星群から数万キロしか離れていない場所だった。
 既に3日長距離移動を経験しているミレイと香矢にとっては何ほどでもない。
 素直にエンジンを噴かして、元の役所星に接岸する。

 港の公衆電話で外事部に連絡してカーリャの消息を伝えると、直属の上司さんがすっ飛んでやって来た。
 細身の中年の男性であり、あまりに驚いて髪が乱れている。ちょっと薄くなってるのがバレてしまった。

「ストゥくんの事を聞いて大層驚いている。彼女は無事なのだろうか」
「たぶん。乗り移ったのは向こうの大きな軍艦でしたし、それに身分もしっかりしてますから」
「そうか。だが帰還はできそうだろうか?」
「さあ。お船が再びアークトゥルスに行く事があれば回収してきますが、なにぶんどうやったら飛べるのか皆目」
「そうだな、誰にも分からないのだったな……」

 カーリャは上司に騙されて危険な船に乗せられたのではなさそうだ。
 この人達は本気で、「有人小惑星の近くを低速で飛んでいる時は恒星間ジャンプをしない」と思い込んでいたのだろう。

 それだけに警戒は著しく、調査をする際にも『彷徨える_』号には決して乗ろうとはしなかった。
 修理の為に軍の基地星に赴く時も、ミレイに操縦させ自分達は別の宇宙船で離れて先導するだけだ。

「先輩、この仕事思った以上にヤバいですね」
「そうね。今回はちゃんと帰って来れたけど、こんな短時間で往復するなんて普通無いそうだし」
「わたし、もう乗りませんよ」
「そうねえ」

 

 ミレイと香矢は役所の人に案内されて、カーリャ・ストゥの家に様子を見に行った。
 低層アパートの官舎はレンガ造りのなかなか立派なもので、隣の人も高級官僚で裕福そうである。

 カーリャさんの愛猫のミウちゃんは、と探すと、やっぱり気ままに近所を遊び歩いてどこに行っても厚遇されている。
 餌に困る事は無さそうだ。

 手と足の先と左の耳が黒い白猫で、とても可愛い子であった。

 

 

(第二話)

 当初の計画通りに軍の港湾星にて、『彷徨えるプロキオン人』号の大改修が始まった。

 一方、船長の樺湖ミレイは軍の訓練教官がマンツーマンで操船技術を特訓する。
 既に一級宇宙船免許を持っているとはいえ、本人に何の知識も有るわけで無し。最低限の知識と技術は習得して、貴重な恒星間航行船を難破させないでもらいたいところ。
 だが、

「三級船舶免許取っちゃいましたー」

 特訓開始1ヶ月にして、もう大型低速船の免許皆伝になる。
 これには教えた教官の方が驚いた。
 プロキオン行政府の肝入りで軍は教え方の上手い教官を選抜して特別チームを作っていたが、それにしても上出来だ。
 恒星間航行船を管轄する行政府外事部星図記録局長のアーヴィン・E・ガトー氏も唸る。

「本来であれば商船学校で1年は勉強しなければ仮免許も下りないのだが、何故そんなに出来るのです」
「まあ、実際に本物の宇宙戦艦動かしてますからね」

 ゆるやかな栗色の豊富な髪後ろで束ねて翻し、ミレイは彼の前のソファに座る。
 現在は訓練生ということでオリーブ色の飾り気の無い実習服を着ているが、彼女に掛かれば華麗なドレスと化してしまう。
 商船学校とは違い、プロキオン軍の宇宙艦隊ではそもそも女性の採用が無い。彼女が女性で唯一の訓練生だ。

 たった一人の存在で、基地全体がぱあっと明るくなってしまう。
 様子を見に来たアーヴィン氏も思わず頬が緩む。やはり美人は反則だ。

 ミレイと共に来た訓練教官チームのリーダーも思わず和む。
 アーヴィンより一回り下の40代後半。肉が薄く刃物のような印象で軍人らしくきつい目をしているが、優秀な生徒にご満悦だ。

「樺湖ミレイ君は確かに本物のユリシーズのようです。これほど宇宙船の操縦に適正を持つ訓練生を私は見た事がありません」
「お世辞じゃなく、か。でも学科の方がたいへんなんだろう」
「はい。毎日勉強で船を触る暇がありません」

「その点はどうなんだ。促成栽培をして実が薄いと困るのだが、」
「学科の点でも申し分ありません。素直に軍士官学校を受けていれば首席で通る逸材です。女性であるのがもったいない」

 しかし三級免許はあくまでも近隣小惑星を行き来するだけのもので、惑星間航行船を運行する二級免許は更に厳しい。
 取得に3年5年は当たり前に掛かるし、難しい試験に通らなければならない。
 なにせ計算を少し間違えただけでも虚空の果てに飛んで行く深宇宙を旅するのだ。未熟を許容出来る余地など無い。

 

「こんにちわー」
「こんにちわ、先輩」

 とプロキオン女子学院大学人形劇部の後輩一年生2名が挨拶をする。アーヴィン氏の宇宙船に同乗してきた。
 一人はもちろん多田野香矢。黒髪ショートの変な眼鏡を掛けている間抜けな子で、前回アークトゥルスへの旅にも同行した。
 もう一人はクーネル・チョウ・チョウ。赤毛のパーマで陸上競技を中学高校時代にやっていたから身体の引き締まった子だ。

 二人共にビジターを表す空色の訓練服を着ている。

「あれどうしたのあなた達」
「先輩おひさしぶりです。アレから人形劇部は激動で、」
「先輩がこちらに入り浸りだから、にっちもさっちも行きません。早く帰ってください」

 アークトゥルスから無事帰還したミレイはもちろん公演に間に合い、計画通りに小学校と幼稚園で存分に人形遣いの技を見せつけた。
 おかげで子供達は阿鼻叫喚の地獄絵図に叩き込まれ、夜中におしっこに行けなくなった子8割、人形にトラウマを覚える子3割、登校拒否児2桁発生の大惨事に発展した。
 小学校幼稚園から以後人形劇部の立ち入り禁止。大学側にも正式な抗議が入るという始末。

 人形劇部部長三年生 ツツミ・ミドリ・リンネは各方面に平身低頭の謝罪の行脚を1ヶ月も続けて回り、腰痛を発症。
 副部長三年生カイラグ・マミアーナは部の立て直しと資金確保の為に東奔西走の毎日である。

 その間張本人のミレイは操船訓練三昧で、まったく何も知らなかった。

「ふうん、たいへんだったのね」
「何といいますか、テレビ局から取材が来るほどです」
「あの公演を8ミリ(映画フィルム)に撮って置かなかったのはしっぱいでした。アレは売れたに違いない」
「そう。それは残念、じゃあ今度は軍基地で慰問公演をしましょう」

 訓練教官強面の表情を一瞬強張らせ、びくっと肩を震わせる。
 ミレイの身上調査は当然詳細に行われ、生まれた時から今日までのあらゆる方面からの証言が分厚いファイルで届けられている。
 そのどれもが、「樺湖ミレイは何をやってもあっという間に覚えて完璧にこなすが、本人の自覚が無いままに極端な領域にまで到達して周囲が扱いに困る」と有る。

 子供達を地獄に叩き落とした人形劇公演、繊細な軍人の神経を直撃して部隊運営に支障を来すやも知れぬ。

「でも何でふたりとも来たの?」
「それはー、……」

 香矢とチョウチョウ、二人して顔を見合わせる。
 アーヴィン氏が替わって答えた。

「『彷徨えるプロキオン人』号の改修工事が、一応航海可能にまで進んだんだ。技術者による試験航海も終了して、後は君が確かめるだけ、   なのだが」
「はい。そう聞いてます」
「そうなのだが……、軍には誰も乗り手が居なくて。それに彼らは皆男だろう。女性の君と何日も過ごす事となってしまったらと懸念されてだね」
「はあ」

 要するに、誰も他の恒星系に飛ばされたくは無いのだ。
 軍人といえども親も居れば家族も居る。妻帯して子供が居る人だって大勢だ。
 その人達が何を好き好んでエトランゼの路を歩むだろう。

 だがサイラ級宇宙水雷艇改造商船である『彷徨える_』は、1人で動かすような代物ではない。24時間交代で管理せねばならない惑星間航行船だ。
 5名。いや、せめて3人は最低でも必要と考える。

「3人ですか。たしかにアークトゥルスまで飛んだ時は3人でしたね。そのくらいの人数が無いと確かに困ります」
「そこでバイトを雇ったんだ」

 後輩二人は複雑な笑いを浮かべて、先輩に挨拶する。

「バイトです。この前とは違って、ちゃんとお金出してくれるそうです」
「私はー、奨学金の問題が有りまして。行政府の方がなんとかしてくれるという事で」

 カネか。
 よくよく考えてみると、とミレイはこれまで考えて来なかった或る疑問に到達した。
 これまで誰も彼女に語ろうとしなかった問題だ。

「そういえば、私、お船を預かってお給料は?」
「あ!」

 アーヴィン氏も教官も意表を突かれて驚愕する。
 恒星間航行船の船長はどこからも給料は出ない。というよりは、各星々を飛び回るから支給できない。
 食べる事、船を運行する事は各星行政府が便宜を取り計らってくれるものの、船長本人に得が有るかと言われれば、誰しも返答に窮する。

「基本的には、だね」
「はい」
「基本的には恒星間航行船は自給自足だ。各星の行政府が便宜を図ってくれるとはいうものの、そういう都合の良い事態がいつもどこでも有るとは限らない」
「宇宙ですからね」

「だから自力で交易をしてもらいたい。その星で容易に手に入り他の星では価値が有る商品や情報を入手して、なんとか賄ってもらいたい。
 無論プロキオンに帰って来た時は行政府が手厚いサポートを約束する」
「プロキオンで手に入り、他には無い品物というのはなんですか?」
「絹だな。これはどこに行ってもひっぱりだこの人気商品と聞いている」
「絹ですかー」

 お蚕さまが作り出す絹糸は、合成繊維の技術が確立している現在ではさほど重要なものではない。
 貴重な食料生産の農地を削って桑を植え、蚕を飼い、多大な労力を使って生産する絹は、地球人移民の生活においては最下位の必要性しか認められない産物だ。
 しかしながらプロキオン星系は日本人の移民が多かった為か、何故か最初から絹を作っている。
 地球の自然を再現するために何者かが送り届けた植物の苗木に付いていたお蚕さまを、大事に大事に育てたのだ。

 その甲斐有って、今では「プロキオンの絹」は各星系で持て囃される重要な交易品となっていた。
 プロキオン行政府は一層の増産を進めると共に、単に素材としてではなく衣服として更に付加価値を上げようと服飾デザインの進歩と育成に注力する。
 プロキオン女子学院大学にも服飾学科があって、新進のデザイナーを幾人も輩出する。

「へー」
「へー」
「そうなんですかへー」

 女子大生3人感心する。多田野香矢が下世話な質問をした。

「絹って、どのくらい儲かるのですか」
「宇宙戦艦を買って、艦隊を揃えられるくらいだよ」
「へええええええ」

「プロキオン星系に用意された小惑星群には有望な鉱物はほとんど無いからね。そのままでは重工業はまったく発展しない、中世的な生活を送るしか無かった。
 だが恒星間交流船が訪れて、それも商船タイプの大型貨物船だった事で交易が始まり、絹の重要性が認識された。
 まったくお蚕様々なんだ」
「美味しいですよね、お蚕さま」

 繭を茹でて糸を取った後のお蚕さまの蛹の亡骸は、プロキオンの子供達の貴重なタンパク源として有効に活用されている。
 「お蚕さまチップス」というのがお菓子の定番だったりする。

「ああ、お蚕さまチップスはこれも案外と他所の星では人気だったりするんだ。食べた事の無い食べ物というのは、どこでも好奇の目で見られるからね」
「なるほど。意外なものに商品価値があるわけですか」

 ミレイは素直に感心する。その姿を見てアーヴィンは、ひょっとしてマズイ事をしてしまったかな、と薄く思う。
 「何をやらせてもなんでも出来てしまう」ミレイなら、商売だってすぐ覚えるだろう。
 数年後には宇宙を股に掛ける巨大な政商となって彼らの前に出現するかも知れない。

 訓練教官は左腕の時計を見て言った。ちなみにこの時計は針の有るアナログ式だ。さすがにゼンマイではないが。

「それでは、船の準備が整った時間ですから、試運転に行きましょう」

 

 『彷徨えるプロキオン人』号は、元は宇宙水雷艇『サイラ21』と呼ばれていた。プロキオン軍宇宙艦隊に所属するれっきとした惑星間戦闘艇だ。

 水雷、宇宙魚雷というものは至極単純に言えばミサイルに過ぎない。
 5トンから10トンの重さのミサイルを数発搭載して航行し、惑星間の深宇宙で発射する。無垢の金属の塊で弾頭には爆薬が入っていない。

 母機である宇宙水雷艇が1ヶ月を掛けて到達した秒速100キロメートルの超高速度のままで衝突する運動エネルギー弾だ。
 その破壊力は凄まじく、宇宙水雷艇1隻でも直径1キロメートル程度の小惑星であれば中核部にまで達する壊滅的被害を与えられる。
 下手に核爆弾を用いるよりも確実だ。

 実は核爆弾、原子核分裂技術を現在の地球人社会は持っていない。
 とある恒星行政府が先進的な工業力を身に付け、いよいよ核技術に手を出そうとした時、親切な宇宙人さんが訪れ「それは危ないからこれで遊んでいなさい」とくれたのが、核融合プラズマスラスター。
 そのコピー品が宇宙中の地球人社会にばら撒かれ、おかげで人類は恒星系内を自由に行き来する事が出来るようになった。

 代償として核爆弾を失ったが、そもそも軽い小惑星にはウラン等の核燃料鉱脈は無いのだから、無駄な努力をしなくて済んだとも言える。
 だが人間の愚かさは留まる事を知らず、核融合スラスターを使って核爆弾に匹敵する破壊兵器を実現しようと研究を始める。

 宇宙魚雷とは、核融合スラスターのエネルギーを直接破壊力に転換する原始的かつ有効な手段であった。

 とは言うものの、ではそんな大規模な戦争が起きるかと言えば、無い。
 恒星間の交流が盛んになり、自然と地球人同士の恒星間戦争に発達するかと思ったのは杞憂であった。

 地球人をそれぞれの星に移植した存在、または親切な宇宙人さんは、そこまで甘くはない。
 恒星間の行き来を極めて限定的なものとして、ほとんど通じなくしたままである。

 だから今は、どこの星に行っても宇宙水雷艇は存在しない。
 低速で小規模な戦闘、せいぜいが海賊行為とその取り締まりに特化した宇宙戦闘艇が主流だ。
 やろうと思えば惑星間航行船ならどれでも宇宙魚雷放出可能だから、という面も有る。

 

 最新鋭の宇宙艦艇が並ぶ無重力埠頭に1隻だけ老朽艇が繋がれている。
 香矢は一目見て、がっかりした。

「この前とまったく変わってないじゃないですか!」
「え? ペンキ塗ってるでしょ」
「それだけじゃないですかあ」

 全長20メートル空重量13トン。左右の艦船と見比べても貧弱で小さく見えるが、いざ足を踏み入れる段になると結構な迫力が有る。
 初めて見たチョウチョウは息を呑んだ。

「これ、レーザー砲で撃たれた痕ですよね?」
「なんですかこれ、全然装甲直ってないじゃないですか! あたしら殺す気か」
「まあまあ、香矢ちゃん」

 埠頭で出迎えた造船技官も、香矢の正直な叫びにうなだれるしか無かった。

「予算と工期の関係で、船体構造に関してはまったく手を付けてないんです。スミマセン」
「だってコレ、危ないでしょ。空気漏れるでしょ」
「それがなかなか上手く出来ていて、貨物・推進剤スペースだから人間には関係ない箇所ですから」
「でも撃たれるんですよ、死んじゃうんです」
「まあまあ、香矢ちゃん」

 ミレイはさすがに後輩を止める。
 この『彷徨える_』は既に老朽化も極限まで行き着いて、これ以上カネを掛けて改修しても何時沈没してしまうか分からないから、最低限の補修で済ませたのだ。
 もちろん船長であるミレイの了承の下でだ。

「このお船で戦闘なんかしないから。約束するから」
「でもそういうのって、不本意ながら起こってしまうものでしょう。誰も好き好んでこんな船で戦争しませんよ」
「それはそうなんだけど」

 第一、船には武器が装備されていない。
 本来戦闘艇であればレーザー光線砲にミサイル、主エンジンの超高速プラズマ流を利用したエンジンビーム砲などが装備されているのだが、百年も使えば皆ガタが来る。
 レーザーはとうの昔に損傷して取り払われ、ミサイルなんか高価いから買えないし、エンジンビーム砲も。

「エンジン、交換してくれないのよ。高価いから」
「絹で買えるんじゃないんですか! 恒星間で売れまくりなんでしょ」
「いや、この船のアイデンティティはどうも建造時から残存する主エンジンに有りそうな気がして、これを廃するのは止めた方がよいという結論になったんだ。
 ほら、恒星間跳躍能力というのがどういう理屈で成り立っているのかまったく分からないから、出来るだけオリジナルの船の姿を保たないとだね、」
「死ねとおっしゃるのかあ」

 香矢も別にそんなに深刻ぶっているわけではない。
 無いのだが、外見上ほとんど変わらない船にのほほんにこにことするミレイ先輩の代役を務めねばと、頑張っている。

 技官の人は、ここで名誉を取り戻さないとと弁舌を奮う。

「でも船体内部は大改修です。内張りを引剥して老朽化した電線と推進剤配管系統をすべて敷き直して、配電器も現在の戦闘艇と同じものに交換して停電を無くしてます。
 コンピューターはそのままですが、これは42年前に他の星で大改修を受けた際にもらった高性能なもので、はっきり言って今のプロキオン製のものより処理速度がはるかに上です。
 こういう高性能部品が数多く使われていて、下手に改造するよりも良いと調査結果が出ているわけです」
「それは手抜きの言い訳だ!」

「でもね、香矢ちゃん」

 とミレイが示すのは、改修計画書の後ろの方。生活関連設備についてだ。

「この無重力調理器の新品が、今度新しく導入されるのよ。アークトゥルスに行った時はたいへんだったでしょ、お茶を沸かすのもてんやわんやで」
「ああ、調理器壊れてましたね、あれ取り替えたんですか」

「そうです。今回最新型のドラムクッカーをミレイさんの要請に従って導入しています。このクラスの船にしては贅沢品と呼べるほどの一品ですよ」

 ドラムクッカーとは宇宙船や人工重力の無い小惑星で使われる万能調理器でもある。

 仕組みは簡単、密閉されたドラムの中に食材を入れて回転させ、遠心重力を用いて壁面に張り付かせ電熱器で焼く。
 無重力空間で一番困るのは食材が室内に飛び散る事で、ドラムクッカーはすべてを封じ込めたままに様々な作業が自動で可能だった。
 食材の細断、混ぜあわせ、こね、すり潰し。炒め、焼き、ひっくり返し。煮るのも蒸すのも衣を着けて揚げるのもなんでも来い。
 最後には食器の洗浄まで済ませてしまう。

 まさに夢の調理器であった。
 香矢もチョウチョウもこれにはびっくり。

「すごい」
「これはすごい。宇宙でお料理屋さんが出来ますよ」
「それもいい考えね」

 

 さて今日は、改修なった『彷徨えるプロキオン人』号を船長樺湖ミレイ本人が初めて動かしてみる。
 予定ではちょっとロケットを吹かして軍基地星の周囲を一回りするだけの簡単なもの。三級免許取りたてでもまったく危なげない。

 が、軍関係者も行政府の役人も誰一人近づこうとはしない。
 船単体なら、あるいはミレイ単身ならば警戒はしないが、両方が揃ってしまうと何が起こるか分かったものではない。
 人間誰しも不意に故郷を離れて遠くに跳んだりしたくない。

 責任者として訓練教官が咳払いをした。ここは彼が音頭を取るべきであろう。

「あー、樺湖訓練生。直ちに搭乗して発進準備」
「いえっさあ」

「ミレイ君の助手を務めるのは、あー君達のどちらが」

 香矢とチョウチョウは互いに顔を見合わせる。一度経験の有る香矢が先発するべきであろうが、その前に野暮用が。
 行政府の責任者であるアーヴィン氏の前に立つ。

「お約束のものを」
「あ、ああもちろん。」

 つまり報酬だ。バイト料先払いが今回の搭乗の条件となっている。
 時給1000PP(プロキオンポイント 1000ポイントはだいたい1万円相当)は極めて効率の良いお仕事だが、他の星に飛ばされてしまっては意味が無い。
 そしてもう一つ、保証金というものが有る。

 アーヴィン氏は大事に抱えた専用アタッシュケースを差し出した。
 開くと中から黄金の輝き。

「金塊1キログラム。プロキオンの金相場だと1千万PPになる」
「これこれ、これです」

 香矢が心配したのは他の星に飛ばされた先での生活費だ。プロキオンの通貨が通用せず、銀行振込で仕送りもしてもらえないとなれば、頼れるものは現物だ。
 どこの恒星系に行っても普遍的に価値が有り、嵩張らず重くも無いものと言えばやはり金塊であろう。
 もし万が一不意に跳ばされてしまった場合、ミレイとは独立して香矢に処分権が発生する保証金が用意された。

 前回行政府職員カーリャ・ストゥが置き去りにされた事例が有るから、真剣だ。
 行政府としても、この要求を断る事は不適当と認識され、素直に金塊を用意する。

「小さいですね」
「1キログラムの金というのは、手のひらに納まるくらいなものだよ」
「これは以後船の常備品として、ずっと置いときます。いいですね」
「ああ。確かに必要なものだ」

 チョウチョウは香矢のやり取りをあっけに取られて眺めている。第一金塊なんて初めて見た。
 プロキオンは鉱物資源に乏しい上に、金鉱脈というものは宇宙に漂う小惑星の上ではめったに形成されない。
 社会全体でも貴重な物質なのだ。

 準備はちゃんと整ったというわけで、香矢がまずミレイの補助をしに『彷徨える_』に乗り込んだ。
 大改修はしていなくても、後付けの操縦室はさすがに作り替えられている。窓のシールドガラスも二重になって、空気漏れの心配も無くなった。

 訓練教官がアーヴィン氏に説明する。

「今回の試験は主エンジンの不調時に肩代わりする核融合発電機を用いての推進実験です。
 前回アークトゥルスへの航海のデータから、主エンジンの高速プラズマ流に推進剤を投入しての大推力噴射が不能だと判明しています。
 本来であればエンジン自体の交換が必要ですがさすがにそこまでの予算が無く、断念しました。
 大推力噴射専用の水電離ロケットを船尾に増設して、さらに退役艦に搭載されていた発電機を流用して電源を別に確保しています」

「うん。主エンジンを使わなければ恒星間跳躍は起きないだろうという予測に基づいた改修だな。」
「そう願います。でなければろくろく軍の技術者や航海士を乗せる事も出来ません」

「だが、補助の女子大生は完全な素人だ。使えるのか」
「いずれ専任の航海士か機関士を付けるべきと考えますが、その前に十分な調査が必要です」
「ああ、人柱だな……」

 

 軍基地星は学園星、役所星とは異なり球形をしていない。長径4キロ短径1キロの落花生型小惑星だ。
 人工重力は地表から100メートルまでで上空は無重力、しかし300メートルまで1気圧の呼吸が出来る大気圏が設定されていた。

 つまり音が伝わる。有人惑星上で無茶なロケット噴射をすれば、小惑星全域に音が轟き渡る。
 騒音防止も三級免許での重要な責務である。

 『彷徨える_』は主エンジンを眠らせたまま増設された発電機を動かして、大型ロケットから加圧された蒸気を噴き出した。
 ゆるゆると埠頭を離れ、亀が進むかの速度で大気圏を仕切る電磁膜を乗り越える。
 大気の外に出ると姿勢を改めて制御して、地面に平行させて設定通りの軌道を周回し始めた。

 すべて訓練のまま。教官も文句の付けようが無い完璧な操船である。

 蒸気を間欠的に噴き出して、元の港に戻ってくる。3周回るスケジュール通りだ。
 異常は何も無い。

「どうやら、新しく導入した発電機はちゃんと機能するようです」
「不意に星を渡ってしまうなどは無いな」

 再び降下して大気圏内に入り接岸する。今度は香矢だけでなくチョウチョウも乗せた。
 どちらもド素人なのだが、経験者香矢が教える事になるのだろう。
 訓練教官としてはなんとも歯がゆく、見ていて危なっかしい。
 なんであんな小娘に機関を任せねばならないのか。

 だがミレイの操船はあいかわらずに完璧で美しく、あくまでもエレガントに上昇し大気圏を脱出する。
 設定された軌道に船首を向けて、

「あ     」

 いきなり消えた。噴射も爆発も発光も衝撃も無く、虚空のみがその場にあった。
 あまりにも自然に消えたので、見ていた者は自分がなにかを間違えた気になる。
 しばらく考えて、ようやく辿り着いた結論は、”恒星間ジャンプ”。

「た、たいへんだ。たいへん、なんとか」
「なんとかと言われましても、何を」
「救出、いや、今どこに居る? そうだ管制は、軍港管制は今のを見ていたか、見ていたな?」
「たぶん」

「情報を、レーダーセンサーの情報を、いますぐ早く!」
「は、はい」

 

 まさかこんな所で恒星間ジャンプをやってしまうとは、しかも主エンジンを用いずに低速噴射をしているに過ぎないのに、と軍港管制司令部はパニックに陥った。
 動けるものから真っ先に、と救難活動に艦船を出動させるも、どこに向かえばいいか分からない。
 基地の周辺を虚しくうろつくだけだ。

 恒星間交流船を管轄するのは行政局外事部星図記録局、つまりアーヴィン・E・ガトー局長。
 彼がつきっきりで管理していたのにこの有様では、責任問題にも発展する。

 が、その場に居合わせた者は誰しも、「乗らなくて本当に、ほんとうに良かった」と胸を撫で下ろすのだった。

 

 3時間後。『彷徨えるプロキオン人』号船長 樺湖ミレイから通信が入る。

「くじら座のタウに行って来ましたー」

 

 

(第三話)

 こうして大改修を終えた『彷徨えるプロキオン人』号は再び宇宙に飛び立った。

 正確には、叩き出された。
 こんな物騒なものは近くに有ったら大迷惑だと軍基地星からクレームが入り、改修も訓練も早々に打ち切られる。
 船長樺湖ミレイとしては、早く宇宙に出たかったからいいのだが、それにしても行政府と軍の恐ろしがり様が面白い。
 まるで厄病神かのように決して触らず、推進剤補給にもおっかなびっくりで、船内への物資搬入さえ手伝ってくれない。

 原理的には船単体、船長抜きであれば絶対に恒星間跳躍は起きないのだから心配は要らないのだが、目の前で船が消える所を魅せられてはどうにも抑えが効かなかった。

 というわけで、船の運行はミレイと「人柱01」多田野香矢、「人柱02」クーネル・チョウ・チョウの女子大生3名に任される。

「うわー、電源系統が4つに増えてるー」

 黒髪お馬鹿な多田野香矢はにわか機関士として、操縦室下の機関制御室を担当する。
 彼女とチョウチョウも訓練を強制的に受けさせられ、めでたく四級宇宙船免許を取得したが、もちろん惑星間航行船の操船にはほとんど意味がない。
 このレベルで大型船を動かせるのは、ミレイの不思議超絶技巧あればこそだ。

「発電機が増えたから仕方ないわ」
「ううめんどくさくなったな」
「センパイ!」

 赤毛のチョウチョウが手を上げた。彼女は香矢と違って知ったかぶりしないから、素直に分からないものは聞いてくる。
 中学高校と運動部に所属していた肉体派で、無重力空間では筋力が落ちるとひっきりなしにゴムチューブで鍛えていた。

「センパイ、この船内電気系統模式図ですが、非常用電源てどこから来てるんですか。バッテリーじゃないですよね」
「どこどこ」

 香矢もついでに覗き込む。そう言われてみれば気軽にぽんぽん非常用電源のブレイカー上げていたが、アレの先はどこだったんだ。

「これはー、船体の居住部で電線消えてるわね。たぶんー、たぶん生命維持装置からよ」
「あ、そうか。なるほど」
「壁の中全部びっしり太陽キノコですからね、そりゃそうだ」
「そうそう」

 太陽キノコとは、言うなれば「地球人を必要最低限の環境で飼う装置」だ。
 密閉空間にコレと人間を閉じ込めて最小限の物質を与えてやれば、循環して生存し続けられた。

 形状はマイタケの群生に見える。自己増殖機能を持った擬似生命体で、必要に応じて勝手に増えた。
 太陽・恒星光エネルギーを吸収して発電し、人間を生存させる為の機能を実現する。
 呼気二酸化炭素の分解、気圧調整酸素分圧の制御、温度維持、照明、汚水・廃棄物の処理。

 熱帯魚を水槽で飼う時の空気ポンプみたいなものと考えると良い。なるべく手間を掛けずに人間を生かす為のものだ。
 だから餌も出る。

「これがあれば遭難しても死にませんからね」
「でもこんな泥みたいなもの、10年も食べたくないわ」
「そうなんです」遭難KYAHAHAHAHAHA

 

 もっとマシなものを食うなら働かねばならぬ。

 軍基地星を追い出されて1ヶ月、試験航海を何度も試みたが一向に他所の星に飛び立つ気配が無い。
 これでは恒星間交流船の名が泣くというもの。
 プロキオン行政府はミレイ船長に、てきとうにそこらへんを好き勝手放題飛び回るのを命ずる。

 そこで仕事を取ってきた。ただ飛んでもしょうがないから、物資や人の輸送を請け負おうというわけだ。
 もちろん『彷徨える_』がいきなり他所の星に飛んで行くなんて、荷主は知りもしない。一般人には秘密だから。
 樺湖ミレイ船長もまだユリシーズとしての名を知られていない。
 警戒する人も居ないわけだ。

「冷凍青物配達です。西方第8資源鉱山星にまで食料品を届けます。往復10日くらいですね」
「今回は随分と遠いですね。」
「アーヴィンさんが遠くまで行けるお仕事を紹介してくださったのです。やっぱり他の星にジャンプするならそのくらい移動しないとね」

 3人はそれぞれ軍基地星で使ったオリーブ色の訓練服を着ている。
 これを着ていればなんとなく教官が隣に居る気がして、操船のミスをしないような感じがするのだ。
 傍から見れば、ド素人丸出しであるが。

「でも大学の方は」
「お休みを申請してきました。後でレポートを提出すればなんとかしてくれるように、大学側とも交渉して確約を取っています。
 それに船内で暇な時間は私が教えるからだいじょうぶ。去年取った単位はあなた達も絶対落とさせないわ」
「センパイは優秀ですからねえ」

「あら私、家では出来の悪い子で通ってるのよ」
「なんだその無茶な家は」
「超優秀家系なんですかー」

「いえ、私色んな事をちょこちょこやるばっかりで、最後までやらないって怒られてるの。
 お兄さんとかお姉さんは一意専心というか、もの凄い集中力があるのに、ミレイは飽きっぽいって」

「それは何でもすぐ出来ちゃうからでしょ」
「なんか嫌味ぽいな」
「違うわよお」

 

 2日加速2日減速の単調な航海スケジュールを無難にこなして、西方第8資源鉱山星に到着。

 その間乗員はやる事何も無い。コンピューターが勝手に主エンジン出力調整をしてくれる。
 だから大学のお勉強と、船舶免許のお勉強と、人形劇部の特訓をやった。
 暇だからはかどるはかどる。

「西方第8鉱山星管制? こちら輸送船『蛇女郎』号。入港許可を申請する」

 『蛇女郎』号とは、『彷徨えるプロキオン人』号の世を忍ぶ仮の名。一般民間人には恒星間交流船の存在は極力秘密にしなければならない。
 そうでないと、「他所の星に行きたい」という馬鹿者が殺到して整理に困る。

 もちろんこの名はミレイが付けた。

「こちら48鉱港湾管制、『蛇女郎』号のフライトスケジュールは受理していない。貴船は不法に入港を試みようとしている。停船せよ」
「こちら『蛇女郎』、フライトスケジュールの許可は受けている。再度改められたし」
「港湾。確認できず。再申請せよ」
「蛇女郎、了解」

 ミレイは淡々と応じるものの、香矢とチョウチョウはなんだが嫌な気がしてくる。
 向こうはたしかに48港湾と言った。小惑星登録港湾の最新版にはちゃんと「西8鉱」と書いてるのに、変だ。

 さらに出発前に見た資料写真の鉱山星と、目の前に浮いてる星と、なんとなく違う気がする。
 西8鉱よりも直径3倍くらい大きくて、従業員居住施設も充実して町までありそうな。
 港にだって鉱石運搬船が4隻も浮いている。
 西8鉱の港湾設備はこんなに整っていない、と資料にあるわけで、

「こちら48港湾。『蛇女郎』、なんだこの申請書は。プロキオン行政府とはなんだ?」
「蛇女郎、今回の輸送業務はプロキオン行政府の委託によるものだ。申請書も当局の」

「ばかやろう、ここはフォーマルハウト行政府の管轄だ。出直してこい」

 ミレイは後輩2人に振り返る。

「やったわ!」
「はあ」
「やっちゃいました」
「どうりで主星が変な色してると思ったわ。ちかちか明るいし遠くに塵雲も浮かんでるし」
「変だと思ったら調べてくださいよお」

 今更他の星に跳んだくらいでびっくりするミレイと香矢ではない。チョウチョウはまだ信じられないが、それでも2度目だ大丈夫。
 改めて港湾管制と通信する。

「こちら『蛇女郎』改め恒星間交流船『彷徨えるプロキオン人』号。フォーマルハウト行政府に恒星間交流船取り扱い協定に基づく対応を求む」
「こちら48港湾管制。暗号回線に切り替える。

 『彷徨えるプロキオン人』、恒星間交流船を証明するレジストタブレット提出を要求する。当方より係官が乗船して船長との直接交渉を行う。
 機関停止して港湾外にて待機せよ」
「『彷徨えるプロキオン人』、了解。」

 小型のボートが出て来るかな、と思っていたら人型ロボットが2機来た。これはプロキオンには存在しない機械だ。
 頭部は無く、肘膝の無い箱型の大きな四肢が有る。腹の部分に宇宙服を着た人が剥き出しで搭乗している。
 手足の末端にマニュピレーターが付いており、4本どれでも同等の作業が出来るらしい。
 背面のロケットが小刻みに噴射して姿勢を換える。

 

 レジストタブレットとは、恒星間交流船が各星行政府との間で交わした金銭取引の記録である。貸し借りが金属の板に記される。
 前回フォーマルハウトに来た時の記録と付き合わせれば、船の真贋が確認される。

「8年前ですね、フォーマルハウトに来たのは。前回の船長はユークレド・アマールというアークトゥルス人だったはずですが、」
「プロキオンに来て客死いたしました。私は彼から直接に見出されて新船長となった樺湖ミレイです」

 ミレイは栗色の豊かな髪をエアコンの風に投げて首を傾げる。シナを作って見せてるわけではないが、美人度UPで係官も魅了された。

 現在彼女は港湾管制局の応接室で入国審査を受けている。
 恒星間交流船は秘密であるから、鉱山管理局長と港湾管制所長の2名のみだ。
 港湾所長が審査をする係官で、30歳くらいの結構若い人。

 一方ミレイは単身で応じる。後輩2人は船でお留守番だ。

 『彷徨える_』に残された膨大な航海日誌によれば、恒星間交流船が奪取されそうになる例が相当に有るらしい。
 信頼できる相手でなければ行政府の役人や軍人にさえ預けてはならない。
 どうしても船を離れるなら、岩礁宙域に隠すくらいはやるべきである。故ユークレド・アマール氏のように。

「それで今回訪問の目的は?」

 そんなもの有るはずが無い。恒星間交流船はデタラメ気ままにジャンプするのだ。

「プロキオン星系の鉱山星に冷凍青物、食料品の配達だったのですが」
「ほお食料品ですか、それも野菜の」

 係官の後ろの椅子に偉そうにふんぞり返る鉱山管理局長が身を乗り出した。50歳ほどで、髪の薄い中年太りの冴えない小役人風のお方。
 直々のご質問である。

「量は?」
「10トンですね。西8鉱では3月分の消費量と聞いてます」
「こちらでは1週間も保たないが、よろしい。全量を買い取ろう」

 聞けばここフォーマルハウト48鉱山小惑星は主たる居留地から相当離れた僻地に有り、生鮮食料品の供給はほとんど無いらしい。
 わずか10トンとはいえ自然食品が入手出来れば、ボロ儲けやりたい放題。

「お取引ありがとうございます。それでお値段の方ですが」
「それはこちらの通常取引価格を参考に。もちろん他星系からの珍客であるから、多少は色を付けておこう」
「ありがとうございます」

 魂胆は見え見えであるが、ミレイは人に喜んでもらうのが何より嬉しい質だ。
 それに物資供給が一元的に管理されている鉱山星で、食料品なんか自由に売りさばけるはずも無い。

 もちろんプロキオンの西8鉱星では品切れになるわけだが、仕方ない。行政府のアーヴィン氏が上手く処理してくれるだろう。

「他に交易可能な商品は無いか」
「そうですね。こんな事もあろうかと、プロキオン行政府より絹を幾らか頂いております」
「キヌ?」
「シルクです。ご存知ありませんか?」

「聞いたことは有る。地球に居た時分の高級服地として使う布、だったか」
「はい。プロキオンではそれの再現に成功して、恒星間交流船を通じて全世界に供給しています」
「しかし服はなあ、こんな鉱山星では」

 むくつけき男達ばかりが集う鉱山に美麗な衣装が必要なわけも無い。

「ジョイ・ゲートの女達ならどうでしょう」

 港湾所長が進言する。局長もぱっと顔を輝かせた。

「そうか、女なら別の考えもあるだろう。サンプルが有ればそれを彼女達に見せたいが」
「ジョイ・ゲートと言うのは何ですか」
「ああ、売春宿だ」

 ミレイ、苦い顔をした。男ばかりの鉱山なら、売春宿は幾らでも儲かるだろう。
 恒星間交流船が運ぶべき商品に「ニンゲン」を加えても良いという事か。
 船長の心掛けが悪ければ、海賊船にも奴隷船にも成れるわけだ。

 ミレイは電話を借りた。トランシーバーも持っているが、向こうに内緒の話をするのは好まれないと理解する。
 ちゃんと盗聴されてやらねばゴキゲンを損ねるのだ。

「香矢ちゃん? うん商談は成り立ったけど絹がね。うん、うんそう、で私が考えるに反物よりも服そのものを、うんワードローブから3着ほど持ってきて
 それから、」

 ミレイは受話器に手を当ててこっそりと話す。

「香矢ちゃん、それとクーネルにも言っておいて。ここでは男性に気を許しちゃダメ。しっかり警戒して」

 

 恒星間交流船というわけにはいかないから、表向きは行商に来た『蛇女郎』号の乗組員だ。
 香矢はプロキオン行政府から預かった服を注文通り3着、気密袋に入れて真空中に飛び出した。

 この小惑星は鉱山つまり人間が居住する為の大気も人工重力も存在しない場所だ。港も真空の宇宙のままで、星の外に有る。
 こんな場所でも太陽キノコを増殖させれば、難無く人間は住んでしまう。
 なにしろ地球を追い出されてもう千年、キノコとは付き合っているのだ。悪環境にも慣れ親しんでしまった。

 香矢は宇宙服のロケットで港の与圧区画まで飛んでいく最中、左右で作業中の男達に手を振って愛想を撒いた。
 見る人によれば、新しい売春婦が来たように感じられたかもしれない。

 港で宇宙服預け、居住区歓楽街地区にようやく辿り着きミレイに服を渡して、ほっと息を吐く。

「これ使わなくてよかったですよ」
「そんなもの持ってきたの?」

 拳銃だ。無論そうは見えないようにピンクの花柄に偽装されているが、オートマチックのハンドガンで5ミリ径の弾丸を12発装填する。

「なんだか女に飢えてるみたいで、あちこちから冷やかされてしまいました」
「ここは鉱山星だからね。で、ここが売春宿」
「うわー」

 原色で趣味悪く塗られたアパートのようなものが、洞窟の中に建っている。わざわざこの建物を納めるために岩をくりぬいたのだ、さすがは鉱山星。
 そしておねえさんが居る。
 香矢は目を細くして、その格好を見た。

「なんだありゃ」
「あれがフォーマルハウトの婦人服よ。セクシーな」

 素材が悪い。悪すぎる。
 恒星間宇宙に移住させられた地球人社会では、衣服は普通単純な素材で出来ている。パルプ、つまり紙だ。
 パルプを固めて作った不織布を裁断して服に仕立てる。もちろんそのパルプ自体も天然素材、植物から取ったものではない。
 太陽キノコだ。
 キノコが吐き出す泥的食料の中に、植物繊維が混ざったものがある。これを薄く広げて塗れば、紙になる。栄養分を抜く処理をすれば耐水性もある立派な紙の出来上がり。

 もちろん布としては最低なのだが、風合いは悪くないし着れない事も無い。むしろ衣服の生産に労力を割かずに済むと、移住初期には大歓迎された。
 更に、これを薬品で処理して化学繊維を作り出す。紡績して糸を作り布を織るのが常道だが、一枚の紙のままプラスチック化して服にするという手もある。

 売春婦達が着ているのは、だいたいこのプラスチック服だ。
 てかてかと光り毒々しい色で染め上げられる服は一種のボンデージと見えなくもないが、繊維産業に優れたプロキオン人の目には有害だった。

「肌がごわごわしませんかね?」
「大丈夫みたいよ」
「でもアレじゃあ、男は寄って来ないのでは。どう見てもアレ宇宙服ですよ。ですよね」
「宇宙服と同じ素材だからねえ」

 心配は要らないようだ。そもそも男達は採掘作業の時には宇宙服を着ている。
 同じように宇宙服ぽい素材をまとうオネエちゃんは、セクシーに映るようだった。

「シルク、もったいないですね……」
「うーん、どうせならフォーマルハウトの主居留地に持って行って賑やかな所で売った方がいいかしら」
「そっちの方がずっと儲かります。目の毒だから、このまま引き下がりましょう。」
「でも、お金は有りそうだけど、ダメかしらね」

「うーん、……いや! これはダメです。あんな服喜んで着ている連中に、この服は絶対合いません」
「喜んでは着てないと思うけどー、じゃあ持って帰ります」
「そうです。こんな所一刻も早く脱出しましょう。食料品の代金は何を」
「この星で採掘される水銀を100キログラム」
「水銀て、儲かりますか?」
「他の星系ではまったく出ない所も有るそうよ。プロキオンの恒星間交易手引書によれば」

 

 じゃあ、と二人は逃げ出した。
 やはりこの星は空気が悪い。長居をして為に成るとは思えない。

 港に戻って宇宙服を着てほうほうの体で『彷徨える_』に飛び込んだ。
 留守番のチョウチョウは目を丸くする。

「なにか有りましたか」
「無い。でも私達が宇宙の交易者としてはなはだ未熟だという事が分かりました」
「はあ」

「出港だ出港。水補給済んでるよね」
「うん、定格量まで」
「水銀は、代金として受け取った?」
「今さっき人型ロボットがケースで届けてくれたけど」
「じゃあ先輩」

「出港します」

 港湾管制にフォーマルハウトの行政府役所星に行くと一方的に通告し、止めるのも振り切って出港する。
 真空中であるから、直ちに惑星間航行用核融合プラズマ推進を開始。
 船はゆるゆると加速して、鉱山星から離れていく。

 香矢はため息を吐いた。

「行政府の監督が十分とは言えない僻地の小惑星では、他所の恒星系から来たとか言わない方がいいですね」
「そうみたいね。いきなりジャンプして飛び出したとしても、まずは主星役所星を目指すのがセオリーみたい」
「したたかにならないとダメです。先輩はもっと警戒心を持って」

「でもセンパイ」

 チョウチョウはよく状況が理解できていないが、これだけははっきりしているので尋ねる。

「フォーマルハウトの役所星に行くまでに、恒星間ジャンプしちゃったらどうしましょう」
「どうしましょうか」
「どうしましょ?」

 

(第四話)

「こちら海賊船『緋色の爪』、我が進路上を航行中の宇宙船に告ぐ。停船せよ」

 フォーマルハウト行政府本部が有る役所星に行く途中、『彷徨えるプロキオン人』号は不意の通信を受けた。
 まさか世の中思いっきり真正面から「海賊船」などと名乗るバカが居るとは思わないから、さすがの樺湖ミレイ船長も焦った。

「か、海賊船?」
「先輩、さすがフォーマルハウトは野蛮な星ですぜい」
「センパイどうしましょう。停船しますか」

 惑星間航行中は上の操縦室ではなく、船内機関制御室でコンピューターを使って操船する。

 レーダー上に映る当該船舶はフォーマルハウト役所星方向から第48鉱山星に向かう軌道上に有る。直線ではないが、重力やら公転速度やらの関係上、これが最短距離となる。
 当然『彷徨える_』も同じ軌道に居るから、両者はいずれ接近遭遇する。
 こちらは秒速13キロ、あちらは秒速25キロ。相対速度38キロにもなる。

 ミレイ、首を傾げた。

「停船て、どちらの速度に合わせるのかしらね」
「相対速度ではなくて、航路上0速度の静止状態になれというのではないですか」
「じゃあ向こうも止まるの?」
「あー、無理ですね」

 秒速13キロも25キロも加速に数日を要して獲得している。止まるとなれば逆推進で同じだけ時間を掛けて減速しなければならないが、その間互いに遠ざかってしまう。
 『彷徨える_』の方はまだ遅いから秒速5キロくらいは大推力噴射で減速出来ないでもないが、大量の推進剤が必要で宇宙でからっけつになる。

「無理ですよセンパイ」

 クーネル・チョウ・チョウは壁に繋いだゴムチューブを左手で引っ張りながら言った。
 彼女考案の無重力筋トレは案外と効果が有るので、ミレイも香矢も暇を見ては鍛えている。
 軍艦であればトレーニング機器も積むところで、乗員に毎日数時間の訓練を義務付けているからそれに倣った。

 多田野香矢はレーダー上の海賊船の位置を計算尺で計る。これはレーダー上の物体が自分にぶつかる時間を計算するもので、瞬時に結果が出るから面白がって使っている。

「最接近まで1時間25分です」
「だからセンパイ無理ですよ。止まる頃には役所星に着いてます」
「そうねえ」

 ミレイ考える。そんな事は宇宙の誰でもが知っているのだ。
 にも関わらず命令する海賊船とは何者か。そこが問題だ。
 彼らの意図はなにか。

「いやがらせ?」
「そういう考え方ですか。こちらに進路を開けろということじゃないですかね」
「同一の軌道上に居る他船を一方的に退かせるのが目的というの」
「そうすると気分いいんじゃないですか」

 チョウチョウも賛同する。海賊船と名乗るのも、好き勝手に攻撃する乱暴者と相手に思わせて道を開けさせるのだろう。

「筋は通るわね」
「ですね」
「どうしましょう。素直に避けますか、というか避けた方がいいですよあんなバカの相手しなくても」
「そうねえ」

 ミレイ、しばし考えて、決断する。

「返信。”バカめ”」
「え!」

 香矢もチョウチョウもこれがなにかのお話に出てきたエピソードだとは知っているが、まさかホントに使う奴が居るなんて想像もしなかった。
 しかしまさにこのタイミング以外では使いようも無い電文であるのだから、やるしかない。

「分かりました。じゃあ音声でなく文章で。”こちら『蛇女郎』、バカめ”、送信」

 途端に返ってくる罵詈雑言の嵐。向こうも同じエピソードをちゃんと知っているようだ。
 ついで、

 クーネルが船体に異変を感知した。

「センパイ、どうも相手はこちらにレーザーセンシングを掛けているようです」
「なんの為に」
「それはやはり、攻撃の為でしょう。他に理由は」

 地球人はいきなり宇宙に放り出されて科学技術文明のすべてを失ったが、再建の最初期から電力とレーザー光線には事欠かない。

 太陽キノコのおかげである。
 太陽キノコは閉鎖環境に置かれるとエネルギー源である光を求めて光ファイバーとなっている菌糸を伸ばす。
 もし金属壁で封鎖されているとしても、菌糸の先端からレーザー光線を発して穴を穿ち、外部にまで到達するのだ。

 燃料もろくに手に入らない中、熱源としてこれを様々な工作に利用したのが文明再建の第一歩である。
 もちろん武器としても有用で、特に宇宙空間での戦闘においてはミサイルを凌ぐ主力兵器として、

「でもなにか、相手はこちらを掴み損ねているみたいで、何度も同じ事やってますよ」
「先輩、これはーひょっとして、見えてないのでは?」
「ステルスだものね」

 『彷徨える_』は元はプロキオン軍の宇宙水雷艇『サイラ21』である。小なりとはいえ軍艦だ、宇宙戦艦だ。
 装甲には対レーザーの防壁と共に、各種センサーを欺瞞する様々な処理が施されている。
 数次に渡る大改修を経てもその機能は失われるどころか強化すらされて、でも長年の酷使の結果相当に性能は落ちているはず。

 ミレイは敵の正体を見破った。

「この程度のステルスも看破出来ないとは、敵は素人海賊だわ。民間船に武器を積んだだけの非戦闘艦ね」
「猪口才な連中ですね。宇宙戦艦のなんたるかを見せつけてやりましょう。
 クーネル、戦闘配備。全砲門開け」
「ちょっとまった、全砲門てのは、アレ?」

 チョウチョウはミレイに振り返ると、大きくうなずいていた。

「準備お願い」

 大砲だ。惑星間航行船はたいていが大口径の大砲を1門以上装備している。「お手紙の配達」の為だ。

 互いに加速して容易に止まれない状態にある船同士が何かをやり取りしようと思えば、高速の投射手段を必要とする。
 ミサイルが最も良いのだが、高価い。だから大砲でカプセルを撃ち出そうと考える。
 とはいえ、対向して航行する船には使えない。
 そもそも秒速1キロ程度しか大砲では出せないから、相手が取れる速度には全然達しない。
 危険なだけだ。

 『彷徨える_』に搭載するのは100ミリ多目的砲1門。
 砲初速は秒速560メートルでしかないが、こんなものでも有人小惑星の人工重力を振り切って宇宙に貨物を打ち上げられる。
 ただし『彷徨える_』では常設していないから、宇宙服を着て手動で船外に砲口を突き出さねばならない。

「えー、私ですかー」
「二人は多いでしょ。頑張って」
「えー、香矢ー」
「働けよクーネル」
「えー」

 ミレイ、主エンジンの噴射を停止する。幾ら微々たる加速とはいえ船外活動中に後方に流されては大変だ。
 慣性飛行状態に移行すると、船内の微重力も消失した。
 これまで行儀よく室内に止まっていた様々なものが、ざわと動き始める。

 大改装なった『彷徨えるプロキオン人』号一番の変更点は、上部操縦室だ。
 どこの民間船大工が作ったか知らないがいい加減な作りの上物を取っ払い、現在のプロキオン軍宇宙戦闘艇の操縦室に取り替えた。
 ついでにエレベーターを増設する。機関制御室から宇宙服を着た作業員が、気密のケージでせり上がっていくエアロック的な機能を足したわけだ。
 これを使えば上部操縦室を真空にしたままで出入りが自由。宇宙服を着たままハシゴを昇降しなくても良い。

 砲は操縦室後ろの物置に突っ込んでいる。操縦室の空気を抜いての船外活動が必要だ。

「うう、行ってきまあす」
「がんばれー」

 ケージの蓋がきっちり閉まり、ぷしゅっと空気を抜く音がして上にせり上がっていく。便利なものだ。

「さて、こちらもちょっと脅かしてやりましょう」
「なにしますか先輩」

「軍艦と民間船の違いはレーダーよ。こちらが民生用のレーダー使っているから、向こうも舐めてかかってるのね」
「そりゃそうですけど、実際民生用レーダーしか積んでいませんし。どうしますか完全ステルス体制に入りますか」
「その前に、レーダー波を細工して」

 ミレイは、既に香矢よりも遙かに達者になったコンピューターを駆使して、なんらかのプログラムを作動させた。

「なんですか、それ」
「レーダー波を細工して、軍艦で使ってるような集中センシングぽくしたの。短時間でバーストさせる感じのね」
「でもあれって専用アンテナ無いとダメでしょ。かっこだけですか」
「かっこだけよ。その後完全ステルスになっちゃうと、」
「おおーなるほどいかにも軍艦ぽい」
「うふふ」

 果たして、軍用レーダーの集中センシングを受けたと思った海賊船『緋色の爪』はばたばたと大慌てで対策を取り、遅ればせながらレーダー波を停止させる。
 しかしながら、主エンジンで加速中であればいやでも位置はバレてしまう。

「あ、噴射やっと止めました。」
「センパイただいまー。大砲設置しましたー」
「ごくろうさま。じゃあ防御磁場切るね」

「ええええー」

 香矢と、船外作業から帰ってきたチョウチョウは驚いた。

 防御磁場とは「宇宙線防御磁場」の事だ。惑星間の深宇宙を飛び交う恒星風や高エネルギー宇宙線から乗員を守るために、船に張り巡らせている磁場である。
 『彷徨える_』の場合、船体を構成する3本の竜骨に沿って艦内全域を覆う形で展開される。
 上部操縦室が惑星間航行中はあまり使われないのも、防御磁場からわずかに突出して防御が十分でない為だ。

 この機能は乗員の生命を直接に保証するものであるから、主エンジンが停止しても機能し続けねばならない。
 故にバッテリーも兼ねている。低速時に姿勢制御ロケットの噴射で使っていた電力はこれから供給されている。

 もちろん磁場だから、遠方からでも存在を感知できる。姿が丸見えだ。
 だから軍艦、戦闘艦艇では戦闘時に防御磁場を停止させる機能が付いており、乗員を保護する設計になっている。

 果たして、『彷徨える_』でも。

「せ、センパイ、壁が。壁が震えています」
「なんですかなんですか、これなんで壁が震えるんです」
「ああそれは説明書に載ってたけど、太陽キノコが壁を透過する高エネルギー宇宙線を吸収して、必要以上に電力を発生させているのよ。大丈夫、ちゃんと防御出来てる証拠だから」
「なあんだ、そうか」

「で、でも、……コワイー」

 チョウチョウは怯える。これは戦闘なのに、なんでミレイ先輩はあんなに元気なんだ。香矢はなんで、何も考えてないんだ。

 よしよし、とミレイはチョウチョウを抱きしめた。一人で真空中の作業させてごめんなさいね。
 彼女はしっかりしているように見えるけれど、宇宙に単独で何日も過ごす生活には馴染めなかった。
 故郷プロキオンを何十光年も離れていればなおさらだ。

 最近はなかなか眠りに就けずにミレイに赤毛の頭を抱いてもらってようやく安心する

「よしよし、いい子いい子。だいじょうぶだからね」
「センパイー」

「なんだかなー、次の航海には使えないなー」

 香矢も、チョウチョウが人柱としての役目をそう長くは果たせないと理解する。
 まあ考えてみれば、ユリシーズであるミレイ先輩はとにかく、なんの背景も無いのに対応出来る自分の方が変なのだ。

 その香矢は、レーダー表示盤に映る敵船の見守る。
 敵は民間船を改造したに過ぎないから、防御磁場を切るなんて芸当は出来ない。
 レーダー波を出さなくてもはっきり姿が見えている。

「先輩、この反応はなんですかね。相手の防御磁場の向きが変わった気がします」
「それはー、船の向きが変わったんじゃないかしら。こちらに船尾を向けたんだと思うわ」
「減速ですか?」
「まさか。エンジンビーム砲を使う気だわ」

 エンジンビーム砲とは、主エンジンに使われる核融合プラズマスラスターを直接に攻撃に使う方法だ。
 プラズマスラスターは文字通り、核融合で発生したプラズマを噴射して推進するロケットエンジンだ。超高速のプラズマ流が発生する。
 最終的にはプラズマは拡散するのだが、船の近傍で拡散すると後方視界が得られない。また近隣に電子機器が有れば悪影響を被ってしまう。

 そこでプラズマ流を収束させてビームとし、ある程度船から離れた位置で拡散するように放出する。
 超高速のプラズマだから、0.1秒後に拡散としても数十キロを飛んでしまう。
 これを武器に転用したのが、エンジンビーム砲。
 もちろんただの噴射プラズマでは威力とならないので、重金属イオンもしくは水をプラズマ流に投入して運動エネルギーでダメージを発生させる。

 通常惑星間航行船の主エンジンは船体後部に付いているから、これを武器にする時は目標に後ろを向けねばならない。

「ぼ、防御磁場をふくげんしましょう、ぷらずまならじばで偏向できて」
「威力はプラズマじゃなくてそれに乗ってくる質量だから、意味無いわよ」
「じゃ、じゃあこちらもエンジンビーム砲を」
「こっちのエンジンは壊れてるのよ」
「ああーそうだった!」

 頭を抱え短い黒髪をかきむしる香矢に、ミレイは落ち着いて言う。

「だいじょうぶよ、レーダーに映らなければビームも当たらないから」
「だってでも、もうすぐ目で見えるんですよお!」

 目視可能な距離にまで近づけばさすがに所在を発見される。またいくらなんでもそこまで近ければ、不完全なステルス性しか持たない『彷徨える_』は検知されてしまうだろう。
 ミレイは腕の中のチョウチョウに尋ねる。

「大砲の中に詰めたのは」
「はい、言われたとおりに電磁バースト閃光弾とアルミ片爆弾です。上手くいけば相手の目を眩ませます」
「というわけね」

 チョウチョウを引き剥がして、機関制御室にも設置されている操縦卓に向かう。
 上部操縦室とは違い、ここの操縦装置は半自動、コンピューター支援が働く。砲の照準発射も可能だ。
 大迫力25インチ4:3ブラウン管モニターテレビ画面が映し出す船首正面画像に見入る。

 フォーマルハウトの空は宇宙塵が多く、恒星光を照り返して完全な黒にはならない。

 膨らんだガラスの面に走る走査線に、くすんだ闇と白い星の光点が描き出される。
 もちろん推進停止・灯火管制をしている敵船の姿は無い。
 香矢が叫ぶ。

「距離1000キロ! 最接近距離予測は800メートル」

 随分と正確な進路取り、さすが宇宙海賊さすが熟練の船乗りの腕と褒め称えるべきか。
 テレビに小さな光が数粒走る。

「レーダー波確認、位置バレました! 発砲を確認、数5、いえ更に5。大砲です」
「海賊船というのはほんとだったのね。そんなに重武装だなんて」

 しかし、エンジンビーム砲がハッタリだと知れた。そもそも民間商船の主エンジンにその機能は無い。
 海賊船『緋色の爪』は、普通の商船に大砲レーザー砲ミサイル満載の、火力は多くても決定力に欠ける船なのだ。

「砲弾爆発! 榴弾です」
「違うわ。子爆弾をばら撒いたのよ」

 この距離でこの進路なら、拡散すればさすがに当たる。
 ヤワな民間船なら子爆弾1発当たっただけでも相当のダメージを食うだろう。避けるしか無い。
 海賊の脅しとしては十分だ。

 コストパフォーマンス的には割が合わないが、面子の為に大盤振る舞い。
 ここフォーマルハウトはなかなか男気の有る世界と見える。

「どうします」
「あたまきた」
「え?」

 宇宙水雷艇改造の『彷徨えるプロキオン人』号は、小爆弾程度で沈むほど潔くはない。
 装甲板の表面に抉られた傷を見れば瞭然だ。もっと激しい戦闘を潜り抜けてきた。
 百年を生きてきた船の船長として、他に舐められるのは許せない。

 パネルに並ぶ姿勢制御ロケットのスイッチに白い繊手が走る。ピアノのように迷いなく正確に叩いていく。

 いきなり側面噴射で『彷徨える_』は完全衝突コースに躍り出た。
 もちろん砲弾の子爆弾は発射した船の進路上にはバラ撒いていない。真正面からぶち当たるバカは居ないからだ。

 100ミリ多目的砲発射。
 ひねり込んで直ちに上面噴射、敵船の船底をすり抜ける。最接近距離30メートル。

 レーダーを見ていた香矢にも、ゴムチューブに抱きつくチョウチョウにも、何が起きたか分からない。
 両船ともに急速に離れていく。相対速度秒速38キロメートル。3秒で100キロも開いてしまう。

 ミレイは香矢に指示して船体防御磁場を復元する。壁の内張り下の太陽キノコが振動を止めた。
 船内に静寂が戻り、香矢はほぅっと息を吐く。
 同時に咳き込むように尋ねた。今の機動は一体何?

「先輩、何をしました?」
「当てたの」
「砲弾をですか?」
「うん」
「意味無いですよ、閃光弾ですよ、光って電波出るだけですよ」
「エンジンには一番いやなばくだんね」
「ひい」

 やばい、この人はやばい。怒らせたら何をやらかすか分からない性格なんだ。

 エンジンビーム砲で脅しを掛けた『緋色の爪』は船尾を向けて進行していた。
 ここに電磁バースト閃光弾と電波妨害用アルミ箔をぶつけられれば、機器類はかなりのダメージを受ける。
 敵が一番何を恐れるか、何を苦痛に思うかを瞬時に判断して、効率的に攻撃したのだ。

「センパーイ、怖かったですー」
「よしよし、こっちにおいで」

 ミレイは泣きながら抱きついてくるチョウチョウをあやし、香矢に船体チェックを任せて船長室に向かう。
 乗員のメンタルのケアも船長の大事なお役目ということで、泣き虫さんをなだめねばならないのだ。

「ほーら、ホットケーキ焼いてあげるから。シロップどろどろ掛けてあげるから」
「はやくおうちに帰りたいですー」

 香矢も、家に帰りたい。学園星の下宿に帰りたくなった。

 

(第五話)

「というわけで、これがフォーマルハウトへの航海の収支報告書です」
「あ、ああ。さすがミレイ君はしっかりしているな」

 プロキオン行政府役所星の外事部星図記録局のオフィスで、局長のアーヴィン・E・ガトー氏に説明をする樺湖ミレイである。
 今回20日間の航海となったが、アーヴィンにすれば再び三度何度でもプロキオンに帰ってくるミレイが不思議でならない。

「恒星間交流船というのは、同じ星系を拠点に別の星と行き来するというものではないのだが、なんで君は出来てしまうのだ」
「さあ?」

 長い栗色の髪をふわりと揺らせてミレイは考える。なにせどうすれば恒星間ジャンプ出来るのかも分からないのだから、どうすれば帰って来れるか説明のしようが無い。

「たぶん、大学でちゃんと単位取らないと駄目だよ、という事ではないでしょうか」
「ううーん」
「で、今日持ってきたのがフォーマルハウトでの戦利品です。」

 長持サイズのコンテナ5つに詰まった財宝類が、オフィスに持ち込まれる。
 星図記録局員が中身を開けて目録とを作ろうとしているが、ミレイが既に作った完璧なリストで事足りる。
 アーヴィンも中を確かめて唸った。

「フォーマルハウトという所は、工業技術は下手だな」
「あそこは鉱業は盛んなのですが、それを自分で使う産業はあまり発達していないんです。大型の恒星間交流船がやって来て資源と引き換えに物品を置いていくみたいで」
「”ガーデン・マスター”の船だ。高度な工業製品を地球人社会に配布するのが目的らしいのだが、原材料を供給する星というのも有るんだな」

 「ガーデン・マスター」とは、つまり地球人を様々な恒星系に連れて行き住まわせた謎の存在だ。宇宙人と一般には思われているが、正体はさだかではない。

 各星系における地球人居留地は小惑星を不自然に人為的に並べて作ったもので、地球の1G環境と呼吸可能な大気が備わっている。
 まさに人間を住まわせるための環境を設えてくれているのだが、好意的にやっているわけでも無いのだ。
 そうであれば、生存可能ではあるものの草木一本も無い環境に放り出したりはしないだろう。

 形は作ったが、そこに自然環境を整え文化的な社会を形成するのはあくまでも人間の努力次第。
 まるで庭を作って草花を植えるように、人間を移植した。
 自ら広がる人間社会そのものが、庭園を彩る緑のように感じられる。

 故に彼らは「ガーデン・マスター」と呼ばれている。
 決して「神」ではない、という認識を確固として持つ為にも、そう呼び習わされている。

「フォーマルハウトはまだ若い星系で宇宙塵が多く、星系全体を取り囲む塵の雲に恒星光が反射して、ちゃんとした夜というのが無いんです。
 いつも薄ぼんやりと明るくて、樹木の成長にあまり適していないんですね。
 だから、あそこで一番価値の有るものは「木」なんです」

 とミレイが差し出したのが、木の置物。人間を戯画的に象ったもので、目に小さなサファイアが入っている。

「その代わり、宝石がごろごろしている。プロキオンとは逆です」
「う、うん。凄いな」

 お宝とはつまり宝石の山だ。ただしあまり上手に成形されてない。
 採掘したそのままをちょっと磨いて、糊でくっつけて置物にしている。素朴な土産物ばかりだ。

「これが絹200万PP分に相当する代金というわけです。フォーマルハウトの大統領閣下から直接に頂きましたから、値段的には十分だと思います」
「そこだ、どうやって大統領府になんか乗り込んだのだ」
「どうと言われましても、女の子ですから普通に真正面から」

 

 樺湖ミレイと愉快な仲間達は、フォーマルハウト行政府役所星に到着するとそのまま大統領府に遊びに行った。
 到着するまでラジオ放送を聞いて社会情勢を分析し、この星が大統領に全権が委ねられている半独裁国家だと知った。
 当然ロイヤルファミリーというものが存在し、その令嬢の結婚式が近いと知るや。

 結婚式と言えばウエディングドレス! 幸いにしてワードローブの中には見本として絹のウエディングドレスが用意されていた。
 これを令嬢の所に持っていけば代価マキシマムと見極め、大統領府直撃を選択した。

 その分析力行動力は、エリート官僚であるアーヴィンも感心するばかりだ。

「フォーマルハウトの大統領は平均在任期間は25年。その間行政をほしいままにして側近に利益を集中させて権力の維持を図るのですが、まあその努力が破綻するのがそのくらいの期間というわけです。
 今の大統領も20年を過ぎて権力を後継者に譲る画策をしている時期でして、令嬢も政略結婚だったんですね」
「なるほど、食い込む余地が多々有ったわけだ。」

「そこで絹を高く売り込む努力をしまして、現政権の幹部の方々とも広くお話をしました。政権内外の権力分布を調べて詳細を書き記したのが、このノートです」

 とミレイが示したノートには、フォーマルハウト政界関係者有力者の個人情報や履歴、互いの連携・敵対関係、その他諸々の裏情報がびっしりと書かれている。
 彼女はにっこりと笑う。

「前に、恒星間交流船最大の交易品目は情報、と聞きましたので情報収集に努めてきました。
 ちょうど良い事情通の協力者も居ましたし。

 もう数年もして現政権が瓦解すれば役に立たなくなるものですが、女子大生のちょっとしたお遊びということでお納めください」
「いや。うん、これはいい。これは素晴らしいレポートだ。
 情報をどう使うかは我々の仕事であって、価値は使う人間が見出せばいい。
 君は素晴らしい仕事をしてきた。今後も同様に情報収集をしてくれたまえ」
「ありがとうございます」

 アーヴィンはノートを改めてめくって、舌を巻いた。
 フォーマルハウト大統領府に居たのはわずか数日だったはずだ。それなのにこの情報密度、どうやって調べたのだ。

「それでですね、大統領には3人の令嬢がいらっしゃいまして、姉が29でもう結婚されてお子様もいらして、今回2番目の令嬢24歳の結婚式だったのです。
 これが酷い政略結婚でして、お相手は有力者なのですがヒキガエルを潰したみたいな容貌のがさつな人物でして、年齢も20も上という」
「個人的な関係性で権力を維持しようと思うと、そういう無茶な縁組が発生するのだな」

「この結婚に3番目の令嬢17歳がひどく立腹なされて、このままでは自分はもっと酷いブ男と結婚させられると」
「無理もない」
「というわけで、大統領府を逃げ出されたのです。もちろんフォーマルハウト星系はどこに行っても権力機構の目が光ってますから逃げようが無いのですが、」
「ふむ」

「そこに折りよく町を散策中の香矢と出くわしまして、そのまま『彷徨えるプロキオン人』号に密航なんかされちゃいまして」
「ま、まさか」
「令嬢の言う事には、フォーマルハウトなんてファッションセンス壊滅な星よりはプロキオンの方がずっと素晴らしい、ここに置いてくれと。

 今回その亡命申請を受け付けてもらおうかと、あ、後ろに控えておられる黒い帽子の方です」

 アーヴィン、さっきから長持コンテナの側につきっきりで居た若い女性に振り向く。
 紹介を受けて帽子を取って素顔を見せたのは、ソバージュの掛かった灰色の髪の肌の浅黒い美しい少女である。
 ミレイに呼ばれて彼女も傍に寄る。

「フォーマルハウト大統領キネックト氏の令嬢 メル・ガルトロルド・キネックトさんです」

 

 令嬢亡命の立役者となった多田野香矢だが、現在ピンチに陥っている。
 宇宙船に乗っているのが親にバレてしまったのだ。

 無理もない。10日の航海スケジュールが20日も開けてしまえば、いくらなんでも色々露見する。
 娘が学園星に居ないと知ったご両親がわざわざ下宿にまでやって来て、大騒ぎしてくれた。
 これは対処のしようが無い。

 一応は香矢は『彷徨える_』に搭乗した分のバイト代、最近は時給100PPに賃下げされていたが、20日分5万PPも稼ぎ出した。
 これがまたまずい。怪しいいかがわしい風俗バイトをしているのではないかと、両親に叩かれてしまう。
 やむなくアーヴィン氏に釈明を願ったが、いかんせん恒星間交流船は極秘事項である。
 また、娘が遠くの星系に跳ばされて帰って来れなくなる、なんて知ったらなおさら許しておけないだろう。

 そんなこんなで香矢は下宿を引き上げさせられ、新たに学園星に借りた家でおかあさんと同居させられる羽目となる。
 「人柱」業も引退だ。

「申し訳ありません、先輩」
「しかたがないわ。元々無理をお願いしていたのだから」

 「人柱」2号クーネル・チョウ・チョウも引退だ。フォーマルハウトへの長旅で精神的に疲れ果て、船なんか乗りたくないと宣言する。
 航海中もダメージが大きく、幼児退行現象まで起こすくらいだから断念せざるを得ない。

 

 そして、樺湖ミレイも。
 実家のある農園星に強制的に里帰りさせられてしまう。
 いかに行政府の権限でサポートしても、20日も学校を休めばどこからでも情報は実家に漏れる。

 みかんの樹が多く植えられた農村の一隅に、家は有る。木材使用を極力省いてコンクリと漆喰でさもそれらしくこしらえた、偽日本家屋だ。
 ミレイは畳敷き和室の仏間に正座させられ、まずは仏壇に平伏してお詫びした。
 ついで家族会議が開かれる。

 黒漆調プラスチック塗料塗の座卓正面にお父さん、右隣にお母さん、左側にお兄さんも仕事を休んで実家の星帰る、右側お姉ちゃんも小学校の教諭なのだが今日は早引けをして来た。
 お父さんがまず口を開く。

「ミレイ、なにか言い訳をしてみろ」
「は、はい」

 アーヴィン氏との事前協議によって、ミレイの家族には恒星間交流船の事実を打ち明けて良い事になっている。もちろん他に公言しないとの確約を取り付けて、の場合だ。
 口の堅さに関しては、樺湖家の面々は問題ない。
 だからミレイは正直に答える。

 お兄さん、樺湖ススメは半官半民の重機械工業に勤めている。上級職であればプロキオンの水準を越えた技術の産物がどこからか星を越えて供給されると知っていた。

「恒星間交流船なるものが存在する確証は有ったのだが、まさかこんな身近に居るなんて思いもよらなかった……」
「そうなんです。船を操って跳ぶ「ユリシーズ」という能力者は、偶然に見つかるものらしいのです」
「それでお前が、幽霊船の船長に」
「船齢百歳の老朽船ですが、幽霊船ではありませんよ」

 お姉さん、樺湖ミエルは村の小学校で3年生を教える、誰からも愛される先生だ。成績は優秀だったから学園星の勤務も望めたのだが、村に帰ってきて日々平和に暮らしている。

「でもミレイ、他の星に勝手に跳んじゃって、危なくないの?」
「えー」

 ミレイは嘘を吐けない性格だ。もっと言えば、嘘を吐くならば戦略的により効率的に用いるタイプ、こんな身近な場所で浅薄な虚言を弄する馬鹿ではない。

「えー、宇宙は危ない所でして、先日も宇宙海賊『緋色の爪』とやらに遭遇しました。その時は船の性能に助けられて無事でしたが、」
「ほら見なさい、危ないんだやっぱり」
「危ないのですが、恒星間交流船というものはそれに見合う価値が有ると、プロキオン行政府のアーヴィンさんも仰っています。星を跨いで知を交流する、地球人社会を一つに繋ぐ数少ない手段だと」
「でもあなたがそれをしなくちゃならない理由は無いでしょ」
「選ばれてしまったのですから、仕方ありません」

 ちろ、と姉の顔を見ると随分と心配している。
 ミレイはこれまでに危ない事なんか何一つしていない、と本人は思っているから不本意な気遣いに感じられる。
 が、
 姉の立場からすると話は別。何をやってもそこそこに上手くやってしまうミレイは、男の子に混じってかなり危険な遊びを苦も無くやってのける。
 傍から見ると自殺行為にも等しかった。

「ミレイ、危険は宇宙海賊だけじゃないでしょ。船というのは普通に運行していても危ない事が何度も起きるものなのよ」

 と、母も懸念を示す。農家の嫁で、ここ農村星から一歩も出たこと無いように見えるが、実は若い頃は女性警察官としてあちらこちらの星を飛び回っていたと聞く。
 アルバムにもその頃の活躍ぶりを示す写真が何枚も貼られているし、警察長官賞の額も仏間には飾っている。

「だから軍の基地星で集中特訓を受けさせられて、三級船舶免許を取らされました。近いうちに二級の特訓も受ける予定です。」
「でも敵は宇宙海賊だけでなくて、宇宙山賊とか宇宙怪獣とか」
「軍基地ですから、戦闘訓練もやらされています。完璧とは言えませんが、十分に自重して行動していますからご心配なさらないでください」

 樺湖家の人はミレイの航海日誌を読んでいない。
 だから、アーヴィン氏と軍の『彷徨える_』担当官が海賊船『緋色の爪』との遭遇記録を見て仰天した事実を知らない。
 ミレイの自重とは、一般世間社会の自重と、ちょっとニュアンスが違うと気づかなかった。

 父が母を止めた。心配してもきりがない。

「かあさん、こいつはお前のとこの血筋だ。お義父さんと曾祖父さんと、その血を受け継いでるんだ」
「そう、みたいですね」

 母が警察官だったのには、その親の薫陶が有る。
 母の父もその父も、プロキオン行政府の警察官だった。三代に渡ってプロキオン社会の治安を守っている。

「だがミレイ、お前が警察官になって危険な任務をこなすと言うのなら、父さん何も文句は言わない。
 しかし星の間を飛び回って見もしない場所に行くんだぞ。そこにお前は正義が有るか?」
「正義、ですか。お父さん」
「そうだ。プロキオンの利益の為だけに飛ぶわけではないだろう。聞いた所その『彷徨えるプロキオン』号とやらは、行ったきり帰れない事も多々有るらしいじゃないか」
「はい。こう毎回毎回元の星に帰ってくるのは不自然なそうです」

「そうだろう。行けば次にどこに飛ぶか分からない。プロキオンの為とは言いながら何時まで経っても戻れない。そういう旅だ。
 そこにお前が抱く使命感とは、何だ」

 さすが父、痛いところを突いて来る。
 強いて言うなら地球人全体の幸福と繁栄の為だろうが、そんな抽象的な目的では自分自身をだって説得できない。
 プロキオンの為とした愛国心であっても、実は不足する。

 それ以上の、ミレイ自身の欲求と願望の裏打ちが無ければ過酷な宇宙の旅、星を渡って客死するかもしれない運命を乗り越えられない。
 父はそういう事を尋ねている。

 さすがお父さん。

「私は、」
「うん」
「わたしは、地球に行ってみたいです」
「地球……。太陽系か」

「人類の故郷と呼ばれる太陽系の情報を、プロキオンの誰も持っていません。星図記録局のアーヴィンさんも、そこは空白だと教えてくれました。
 今地球はどうなっているか、地球から追放されて宇宙を漂っているはずの人々がどうなったか。
 『彷徨えるプロキオン人』号は、私にそれを見せてくれるような気がします。

 それが私が、ユリシーズとして選ばれた理由ではないかと考えます」

「地球か。うん」

 元々家族の誰もが、ミレイがこうと言い出したら絶対退かないと知っている。頑固な子なのだ。
 無目的でただただ宇宙を飛びたいと言うのなら、まだ止めようもある。
 が、地球人類根源に迫る疑問を追求する深い願いであるのなら、娘に任せるしかない。

「かあさん」

 父に促され、母も諦めて仏壇の前ににじり寄る。位牌を拝んで、脇に飾っていた鋼鉄の棒を手に取った。
 ミレイに差し出す。それは握りの部分に赤い紐を巻いており、根本付近に鈎が付いている。
 十手だ。長さが1メートルも有る。

「ひいおじいさんが使っていたものよ。これで宇宙山賊とか宇宙匪賊をメッタ打ちにして捕まえてたの」
「そんなだいじなものを」

「ミレイ、お前の船は百年前に作られたと言ったな。その頃はプロキオンの治安も荒れていて、強盗や放火魔が蔓延っていた時代だ。
 曾祖父さんはその十手を使って悪党どもを根絶やしにする為日夜戦って戦って、ついに平和な日常を作り上げたという。

 お前も、なにがどう転ぶか分からないが、子孫が胸を張って自慢できるような仕事を成し遂げてこい」
「はい、お父さん」

「だがな、宇宙怪獣にはさすがに十手は効かないだろうから、その時はちゃんと逃げるんだぞ」
「宇宙怪獣てほんとに居るでしょうか?」
「居る、たぶんまちがいなく居る。絶対だ」
「はい、注意します」

 

(第六話)

 だが船員が居ない。
 樺湖ミレイは数度の航海の結果、最低でも3人は乗員が必要だと理解した。
 さらに船を降りて商談や交渉を行う際には、船の番をする者が絶対必要。無ければ盗られるとも知った。

 正直に言って、「人柱01」多田野香矢、「02」クーネル・チョウ・チョウでは能力がまったく足りない。
 まあ香矢には異星の人といきなり打ち解けてしまう特技が有るから、これはこれで役に立つ。
 航海のみならず交易や情報収集の才能も、乗組員には求めるべきだろう。

 居るわけがない。
 そんな有用な人材を、遠く宇宙の果てに置き去りにする船に乗せるわけにはいかない。
 どうしたものか。

「ああ、ミレイ君。喜んでくれ、乗員が見つかった。というか、やっと説得に応じた」
「居ましたか、そんな奇特な人材が」

 プロキオン行政府外事部星図記録局長のアーヴィン氏から、浮き立つ感じの電話をもらった。
 大学文化部室棟の受け付けに1ヶ所だけ設置している公衆電話だ。

 人形劇部で練習していたミレイは、棟内放送で呼び出される。

「軍の宇宙戦艦乗組員だ。階級は低いが二級免許を持ち、戦闘経験も有る。
 しかも女性だ」
「女性!」

 プロキオン軍では基本的には宇宙戦艦、艦隊に女性は乗せない。
 いかに防御磁場があり宇宙線遮蔽が効くとはいえ、母体および卵細胞に悪影響が有ると考えるからだ。

 じゃあミレイはいいのか、という話になるがそこは仕方ない。
 ユリシーズは誰でもが成れるわけではなく、本人の希望の外で決まるのだから。
 また民間船では結構女性パイロットも居る。彼女らの保健統計資料は確かにその傾向は有ると認めるが、完全排除するほどではないと考える。

 要するに、軍は男社会なのだ。異分子の侵入を認めたがらない。
 にも関わらず女性乗員が居るのは何故だろう。

 電話口のアーヴィンもその点については配慮し、良く教えてくれる。

「ティロ・ガーシュイン後方軍曹 22歳女性。後方軍曹というのはだね、」
「プロキオン軍の編成では予備役ですね。そうか、民間協力隊出身なんだ」
「そうなんだ。自警隊が宇宙船を仕立てて周辺警備をしている中で、船主の娘がそのまま予備役資格を取ったんだ。
 もちろん研修の為に正規の軍艦に乗って一般海兵と同等の訓練も終了している。」

 恒星間交流船の乗員としてこれ以上の人材は望めない。
 しかしまずは面接。アーヴィン氏の勧めでもある。

「いかに条件が信じがたい偶然で揃っているとしても、やはり人事は面接に尽きる。もし君とソリが合わないと、長時間の船内生活で軋轢を生じるからね」
「確かに相性がいいのが一番です。でもその人は『彷徨えるプロキオン人』号が恒星間ジャンプをすると知っているんですか?」
「いやまだだ。長期間の無寄港航海を強いられる特殊な船が有るという形で説得をして来た」

「やはり人物を見てから、説得ですね」
「そうだ。ミレイ船長の手腕でなんとかしてもらいたい」

 行政府にいつまでもオンブに抱っこされるわけにもいかない。
 最後は個人の力量で船員を束ねるべきだろう、とミレイは勢い込んで顔を両手で叩いて気合を入れる。

 

「で、ミレイちゃんさ」

 プロキオンプロキオン女子学院大学人形劇部においては、明確な階級社会が形成されている。

 下っ端一回生は亡者と呼ばれ、上級生のあらゆる命令に絶対服従をせねばならぬ。
 二回生は鬼、地獄の鬼となり一回生をこき使う。
 その鬼を使役するのが三回生、閻魔様だ。人形劇部の幹部であり、公演から運営まで司る。

 そして引退した四回生は「旧世紀の支配者」「邪神」と称される。

 前部長四年生タチアナ・錦多老はプロキオンでも有数の財閥「錦多老」グループの総帥の娘であり、絵に描いたようなお嬢様だ。
 やることは強引で無神経、無理無茶はカネの力でなんとでもする。手が足りなければグループから社員を呼んでくるという我儘さ。
 しかしながら今回、それが大いに役に立った。

「ミレイちゃん、『蛇女郎』の公演はなかなか派手で良かったよ。あそこまで世間を騒がせるなんて、並の演技力で叶うものじゃない。おねえさん大いに大満足」
「ありがとうございます。タチアナ先輩にはテレビ局の火消しにお骨折りしていただいたそうで、申し訳ありません」
「いいいい。でさ、」

 はい、とミレイは首を上げる。

「ミレイちゃん、とは言うものの『蛇女郎』は封印だ。あれは現在のプロキオンにはまだ早すぎる演目だった」
「そうなんですか。折角練習したのに残念です」
「うん。あれを選んだのは私だし、アレの人形作るのにも随分とカネが掛かったから惜しいんだけど、さすがに無理」
「ですね、済みません」

「そこでだ、」

 とタチアナは席を立つ。左右に座っていた三年生部長副部長もばっと立って先輩に従う。
 女王様の貫禄で、くるぶしまで隠すロングスカートをゆるやかにだが力強く前進させて、ミレイの前に腕を組んで立ちふさがる。

「新しい演目を考えた。今度はメルヘンチックな子供にも大人にも歓迎される、優しい可愛い、でも可哀想なお話。
 『ごんぎつね』という日本のお話を知っている?」
「はい。キツネが山で果物とか持ってきたら、鉄砲でばんと撃たれるのですね」
「それだ。前回の公演は小学校で顰蹙を買ったから、今度は老人ホームでハートウォーミングな泣ける話をやる。『ごんぎつね』の好感度は最高レベルであるから、プロキオン女子学院大学人形劇部の汚名を払拭してくれるでしょう」
「はい。先輩のお望みのままに」

「貴女、兵十をやりなさい」
「ゴンを鉄砲で撃ち殺す悪役ですね」
「ただの悪役じゃないわよ」

 ふっと、巻き毛のプラチナブロンドを揺らせた左手を伸ばすと、三年副部長カイラグ・マミアーナが絵本を恭しく手渡した。
 表紙には淡いパステルタッチの狐の絵。『ごんぎつね』だ。
 タチアナは背を反って豊かな胸の前で絵本を開くと、ミレイに読み聞かせるように文章を追う。

「狐のゴンはだね、兵十が病気のお母さんの為に川から取ってきたうなぎを盗んで食べてしまうのだ。
 だがお母さんはまもなく死んでしまう。
 ゴンは深く反省し、せめてもの罪滅ぼしにと山の木の実を兵十の家に毎日持ってくる。

 だがそれを知らない兵十は、憎き狐奴がまたいたずらに来たと思い、鉄砲でばんと撃ち殺す。
 死体の傍には持ってきた木の実が散らばって、届けてくれていたのが実はゴンであったと兵十は初めて悟るわけね」
「はい。哀しいお話です」

「哀しい?」

 タチアナ、白い尖った顎を上げて、突き刺すかにミレイに身を乗り出す。

「お母さんを殺したに等しいキツネが、その程度の善行を施したとして、兵十はほんとに悲しい?」
「え、あー、そうですね。お母さんが死んだ時ほどは、悲しくないですね」
「でしょ。殺さずとも良かったかもしれないけれど、でもぶっ殺されても仕方のないいたずらキツネよ。兵十はそんなに悲しくない」
「分かります。先輩の解釈ではそうなんですね」

「そこでだ、兵十の演技は抑えたものになります。
 今回主役はゴンであり、ゴンの可愛さ健気さを強調したものとなります。観客の皆様にもゴンを見てもらいます」
「はい」
「兵十は脇役。その分を弁えての抑えた演技を貴女には要求します」

「了解しました」

 ミレイの返事と輝く瞳に、タチアナも大いに満足する。
 この二年生は実に理解が早く演出意図を正確に読み取り、素人離れした演技力で人形に表現させられるのだ。10年に一人も得られない逸材。
 見出したタチアナも鼻が高い。

「貴女なら立派な兵十を演じられますが、あくまでも影。ゴンを引き立てる舞台装置に等しいと思いなさい」
「はい。演出のままにあくまでも脇役としての兵十を演じてみせます」

「ツツミさん」

 現部長三年ツツミ・ミドリ・リンネにタチアナは命ずる。

「というわけで、適当な老人ホームを見繕いなさい。テレビ局の取材が入るのも承知する所を」
「はい先輩。取材の方の連絡は、」
「それは私がやります。あなたもねえ、前回は随分と後始末に苦労したみたいだけれど、それは華よ」
「はい」
「不祥事を起こして非難されるならそりゃ汚点ですが、演技が上手すぎて大スキャンダルと来ればもう役者冥利に尽きるというもの」
「ですね。ミレイは悪くありません」
「ごくろうさまなあなたの為に、この舞台を用意しました。今度は良い役、世の為人の為ご老人の無聊を慰める出来る女子大生の役を演じなさい」
「ご配慮感謝します」

「それじゃあ後はよろしく。私は就職活動で忙しいから」

 あっという間に居なくなる。ほんとうに勝手な人だ。
 部長ツツミも副部長カイラグも緊張で強張っていた全身の力が抜け、どっかりと椅子に座り込む。
 ただ、タチアナの指示は極めて具体的であったから、迷うことは何もない。
 二年生でミレイに次ぐ実力者の、地球服飾史専攻オリヴィエ・ステファノスに主役ゴンを命じた。
 彼女は人形の服を作る責任者でもある。

「オリヴィエ、じゃ次の公演の主役はあんただから、リーダーシップを取ってやって。セリフは無いからいいでしょ」
「セリフが入ると、どうしてもミレイの方が強いですからね。タチアナ先輩はさすがに見る目があります」

 ゴンは喋らずにナレーターがキツネの心の内の声として台詞を付ける演出となる。
 その方が、キツネの可愛さを表現できるとの目論見だ。
 オリヴィエはこういう動物モノや器物のキャラクターを扱うのが得意であるから、ベストな選択だろう。

「ミレイ、というわけで公演が終わるまでは船に乗ってどっか行くのは無しだ。いいね」
「はい。前回の迷惑を掛けた分、粉骨砕身して兵十を努めたいと思います」
「いやあんた、今回は抑えて、演技抑えて」
「はい、分かってます」

 栗色のふんわりとした長い髪を緩やかに振って頷くミレイに、ツツミは一抹の不安を拭い去れない。
 この娘、抑えた演技って分かるのかしら。
 目一杯最高水準の演技力で必死になって「抑えた芝居」をするんじゃないだろうか。

 ツツミは相棒のカイラグの顔を見る。彼女も懸念は同じようだが、

「だいじょうぶだよ。主役じゃないから」
「ま、まあね」

 

 人形劇部一年多田野香矢は行きがかり上ミレイに付いて行って、学食のカフェテリアに居る。
 母親に雷のように怒られたが、代償としてお財布たっぷりのバイト代を獲得した。だからいつもは手が出ない高価なA定食も頼めたりする。

「先輩、どういう人ですかそれ」
「アーヴィンさんのご紹介だからそれはしっかりした人なんでしょう」

 船員採用の面接だ。
 相手は二級宇宙船舶免許を持つ予備役軍人で航海経験も豊富と聞いているが、なにせ他所の恒星系に跳ぶのだ。
 よほど腹の座った人物でないと務まらない。

 船長ミレイでは気づかない点も有るから、香矢の意見も十分参考になるだろう。

「あ、あの人ですね」

 正規の軍人と同じネイビーブルーの上下作業制服を着て、目付きの鋭い女性が現れた。
 背は167センチ、ミレイより香矢より高い。髪は黒で長いが、首の後ろで一本に束ねている。
 宇宙空間での作業や戦闘には、この髪型はいかがなものだろう。

 香矢が手を上げると、かつかつと靴音も高くこちらに向かってくる。
 二人が座る丸テーブルの前で踵を揃えて停まり、敬礼する。

「ティロ・ガーシュイン後方軍曹です。樺湖ミレイ船長はどちらで、」
「私です」

 ミレイも立ち上がり、丁寧に礼をする。香矢もつられて立ち上がる。
 勧めに応じて、ティロ軍曹も席に着いた。

「星図記録局の(アーヴィン・)ガトー局長から、極めて特殊な任務に就いている船だと聞きましたが、具体的にはどういうものでしょう」
「まったく聞いていませんか?」
「かなりの長期間単独での航海となり、生命の危険も伴うと。しかも軍の任務ではなく身分を隠すことを強いられるとうかがっています」

 ミレイと香矢は顔を見合わせる。彼女は、スパイ映画みたいな諜報任務を想定しているのではないだろうか。
 それならむしろやり易い。

 香矢はガラスコップのジュースをちゅーと吸った。ミレイは髪を右手で空気に流して、核心を話し始める。

「以後の話は極秘となります」
「はい。軍の規定に従って機密保持の責任を負います」

「あなたもご存知でしょう。地球人類は現在60余りの恒星系に分散しての居住を余儀なくされています。
 恒星間を渡る手段は無く互いは分断され孤立して独自の生存圏を守っている」

「はい、高校の社会の授業で習いました」
「どうしてそんな知識が有るのでしょう? 誰も行ったことが無いのに」
「それはー、電波での通信かなにかで」

「行く船が有るのです」

 ティロはかっと目を見開いた。
 他の星に行く船の噂は、船乗りならば誰でも知っている。限られた特別な船で、特別な資格を持つ人間にのみ許されると。
 あくまでも根拠の無い噂だ。

「”ユリシーズ”というアレですか」
「改めまして、私は恒星間交流船『彷徨えるプロキオン人』号の船長でユリシーズの樺湖ミレイです。
 証明する必要は無いでしょう、行政府が特別に乗員を探すくらいに、私は十分なサポートを受けています」
「恒星間交流、ほんとうに有るのですね。

 で、でもその伝説だとたしか、船はどこに跳ばされるか分からない。何時帰ってこれるか、いや元の故郷に帰れるか不明だと」
「すでに星図記録局の局員が1名跳ばされて行方不明になっています。おそらくは彼の星でエトランゼとして暮らしているでしょう。
 大変危険な任務です」

「失礼ですが、あなたお幾つですか。ミレイ船長」
「20歳、ユリシーズになったのはほんの2ヶ月前です」
「よその恒星系にはもう行ったのですか」

 ミレイは香矢を見る。香矢も、経験者としてティロに語った。

「わたしはミレイ先輩とは違ってただのヒトですが、先輩と一緒に3回ジャンプしました。アークトゥルス、くじら座のタウ、フォーマルハウトは長かったですね」
「2ヶ月で3度も、しかも島流しにされた人も居る……」

 テーブルの向こうで軍曹の肩がぶるぶると震え出した。
 これはダメだったかな、やはり普通の人なら見もしない他所の星に跳ばされて帰って来れないというのは恐怖だよね、とか考えていると。

 彼女は右手でバンと卓を叩いた。
 二人はびっくりする。
 ティロ軍曹は拳をテーブルに置いたまま、俯いてぶるぶると震え続ける。

「……他の星に、跳んでいく……」
「あの、おいやなら無理をしなくても。義務というわけではありませんから」

 左の拳も叩きつけ、ネイビーブルーの制服姿の女が立ち上がる。

「やたっ! これだ。これを待ってたんだ。軍に志願した甲斐があったうおおおおおおおワァァァープ」
「ティロさん?」
「船長、樺湖船長、ぜひとも私を連れてってください。シリウスでもベテルギウスでも!」
「ベテルギウスは千年も前に大爆発しちゃいましたよ」

「そうと決まればこうしちゃ居られない、えとどうしよう、親父に電話して、いや極秘だったんだ。でも、ああそうだ、遺書! 帰ってこれないかもしれないんだから、遺書書かなくちゃ。
 すいません、ここらへんに文房具店はありますか?」
「あ、ここは大学キャンパスですから生協購買が、」
「よおし行くぞお、銀河の果てのアンドロメダまでも」
「いえ、そんなところ行く予定無いですから、というか地球人住んでないですから」

 香矢は、これはとんでもないハズレクジを引いた、とミレイを引っ張ってテーブルの下で話をした。

「これはダメです先輩。こんな舞い上がる奴はきっと向こうで勝手な行動をして行方不明になっちゃいます」
「でもこんなにやる気で、今からは止められないでしょう」
「ですが、でも、……知りませんよこんなの」

「ええ。ちょっとこれは迷惑かもしれないわね」

 人事はなんと言っても面接で人柄を見なくては、という鉄則を最確認するミレイと香矢だ。

 

(第七話)

 新美南吉作「ごんぎつね」は日系人の多いプロキオンにおいては極めてポピュラーな物語である。
 或る意味もはや神話と化したさえ言える。

 今よりおよそ千年前に突如地球より強制的に退去させられ円筒形の容器「監獄船」での居住を強いられた人類は、自然を全くに失った。
 なにせ監獄船は、いやただの人間を住まわせるだけのシリンダー状の金属容器であり、宇宙船としての機能はまるで持たない。
 ただ空気が詰まって水が有り、太陽キノコによって環境を維持されるだけの閉鎖空間だ。

 このような場所に数百年を過ごす。もしも人類が自らの文明を保持する強力な意志を持たなかったら、言葉でさえも失ってしまっただろう。
 だが先人たちは戦い抜いた。自らがどんな土地に住み、どのように自然と触れ合ったかを子供達に伝えていく。
 何時解放されるのか、いや何代先までこの状況が続くか分からぬままに伝え続けた。

 「ごんぎつね」は強力な武器として人々に自らが本来あるべき場所、権利として住まう楽園を教え続けた。
 作者の名は遠に忘れられ、そもそも狐という動物がどのようなものか姿形を忘れ去った末でも、語り継がれる。

 虜囚の日々は、此処プロキオンにおいては500年で終わりを告げた。だが地獄はまだ続く。
 監獄船からは出られたものの、彼らの目の前に広がるのは単なる球体。
 生命どころか土壌でさえも存在しない、まったくに無機的な小惑星であった。

 人類は不毛の球体に地球環境を移植する為に多大な労力を払い、過半の人命を失い、なおも働き緑の大地を実現させた。
 それはまさに、狐の「ごん」が住まう土地を取戻す戦いであった。

 最初の移民からさらに500年を経た現在、多くの小惑星に草木が生え農作物が育ち、森林までもが姿を見せるまでに成長した。
 が、狐は生息しない。
 「ガーデンマスター」が地球から狐を移植させる生体サンプルを送ってこないからだ。
 それでも皆知っている。田畑の脇に作られたお稲荷さんの祠の両脇に、狐の石像が仲良く並んでいる。
 兎と狐と、形状の間にどのような差があるのかも不明なままに作られた。
 実に尊い、懐かしいものだ。

 

 だからこの演目が受けない道理が無い。
 ましてや社会を引退したお年寄りが集うホームにおいての慰安公演となれば、可愛い「ごんぎつね」に誰が異を唱えよう。
 「蛇女郎」でお子様を恐怖のどん底に突き落としたプロキオン女子学院大学人形劇部が汚名を挽回するのにこれほど適したものはない。

 前部長四年生タチアナ・錦多老は絶対の自信を持ってプロデュースし、実家の財力影響力を行使してテレビ・ラジオ新聞社を招待する。
 報道側も、前回は騒ぎが起きてから駆けつけたので、肝心の「蛇女郎」公演の映像記録が残っていない。
 もちろん改めてカメラの前で演じてくれとの要求を大学当局が受け入れるはずもなく、虚しく言葉を費やして世論を煽ったに過ぎない。

 世人の注目を集める手段としては前回の悪評は最大限に効力を発揮して、タチアナは鼻高々である。
 上機嫌で紅白饅頭まで配る。もちろん系列の和菓子屋から調達した。

 観客はホーム入居者のご老人と職員およそ百。および報道30人ほど。
 人形劇の観客数としては多い方だ。
 そして公演は始まる。

 主役「ゴン」は二年生オリヴィエ・ステファノス、動物やモノなどの台詞を喋らない役での演技には定評がある。
 相手役「兵十」は同じく二年生樺湖ミレイ。「蛇女郎」でプロキオン社会を震撼させた張本人だ。

 結論を言うと、大成功である。
 蚕の繭をほぐして繋ぎ合わせて作った「ごん」はふわふわと愛らしく、人類の手から永遠に失われた地球の秋の野山を駆けて遊ぶ。
 観客はその生き生きとした姿に心奪われ、一体となって物語に引き込まれる。
 悪戯心でウナギを盗み、それが兵十の母親の為のものだと知り心を痛め、せめてもの罪滅ぼしにと山の果実を両の前足一杯に抱えて運ぶ姿を微笑ましく見守る。
 そして最後は鉄砲で、

 樺湖ミレイは実に大した役者である。演技を抑えて主役のごんを浮き上がらせ、自らは悪役に徹する。
 なんという酷薄な兵十。

 おかげで年寄り達は皆鉄砲で撃たれるごんに我が身を重ね、驚愕悲嘆し、理不尽への怒りに身を震わせる。
 おばあちゃん達は滂沱の涙でごんの名を呼び、椅子から崩れ落ちて床に両手を叩きつけて運命を呪い、再高齢98歳は心臓発作を引き起こす。
 おじいちゃん達はホームの庭に飛び出し、手に手に日本刀や猟銃を持って「兵十出てこーい」とガラス窓を叩き割って回る。
 ついには兵十人形が発見され、庭で磔にされ火炙りの刑に処されてしまう。

 一部始終は詰めかけた報道カメラのフィルムに収められ、その日の晩のニュースで星系全域に放送された。
 プロキオン女子学院大学人形劇部の悪名は天下に再び轟く。

 

「いやびっくりしたよミレイちゃん、さすがグッジョブだ!」
「すいませんタチアナ先輩。先輩までこんな目に遭わせて」
「いい、いい。これは凄いぞ」

 なにせ錦多老グループ肝入の公演だ。プロデューサータチアナの責任を問われる事必至であるから、お嬢らしく素直に逃亡を図る。
 『彷徨えるプロキオン人』号に飛び乗って、星を脱出だ。

 新任の操縦士でプロキオン軍予備役の後方軍曹の資格を持つティロ・ガーシュインが船長ミレイに代わって操縦把を握る。
 彼女は22歳でタチアナと同い年だ。

「船長、いいんですか。やはり残って自分で後片付けをした方が傷が浅かったのでは」
「そう思わないでもないですが、タチアナ先輩のお立場というものが」

 ミレイも眉をひそめて先輩を見る。自分がしでかした不始末ではあるが、実際タチアナの演出通りにやっただけだから、どこが悪かったかよく分からないのだ。
 あいにくとミレイは、自分の演技を自分で見た事が無い。
 そもそもが人形劇であるから操り手は舞台の箱の下だし、プロキオン社会はホームビデオが一般家庭に普及するほどには進んでいない。

 というよりも磁気テープを用いるビデオカメラ自体が放送局にしか存在せず、もっぱらフィルムを用いるムービーカメラで撮影をしている。
 収録時間が短く現像代も高価くつくから、そうそう撮るわけにもいかない。
 今回タチアナが報道を呼んだのも、他人の金で撮影しようとの浅ましい根性が混じっている。

「おかげで凄いものが撮れたぞ」
「まあ、すごかったですよ。私も兵十を撃ち殺してやろうかと思ったほどです」

 ティロは左の腰に下げる拳銃にそっと手を伸ばして撫でる。予備役軍人であるし自警団団長の娘である彼女は、幼少の頃より銃器の訓練を積み重ねてきた。
 用いるのも一般民間用の護身拳銃ではなく、警察用の執行拳銃と呼ばれる強力なものだ。
 とにかくこのティロ軍曹はてっぽうを撃ちたくてしょうがない女。
 『彷徨える_』の乗員になったのも、大宇宙を飛び回り悪の惑星で華々しい銃撃戦をやりたいとの動機からである。

「ところでさ、ミレイちゃん」
「はい先輩」
「香矢ちゃんから聞いたんだけど、あなたこの船に乗ってると他所の恒星にワープしちゃうんでしょ?」
「はい」
「大丈夫?」
「だいじょうぶですよ。ねえ」

 とティロに振ると、彼女も不満気に頷いた。

「自分は一刻でも早く恒星間航行をしたいのですが、まったく飛ばないので面白くありません」
「どういう条件が揃えばジャンプするの?」
「不明です。でも先輩が乗っている間は飛ばないように願わないと。
 そういえば就職決まったんでしたね。おめでとうございます」
「自分とこの系列会社に就職して何がめでたいものか。結婚までの腰掛けというか社会勉強だよ。」

「へえー」

 タチアナがプロキオン星系において一大勢力を誇る錦多老グループ総裁の令嬢である事は、ティロも聞いてはいる。
 が、そんな上流階級のお嬢様が現場に出て働くなんてあるのだろうか。

「あるのよそれが。従業員の働きぶりを見て勉強するとかでね、変装して新入社員に化けて」
「うわいやな風習ですね。後でそれがバレたら、そこの部署の人達どんな目に遭わされるんですか」
「怖いでしょ。このシステムで従業員を恐怖支配して今日の繁栄を築いたのよ錦多老グループは」

 ロケット噴射で生じる微重力でたなびく見事なプラチナブロンドの髪を左手で掻き戻して、タチアナは前方に広がる星空を見る。
 この金髪だって偽物だ。変装時にバレないように、幼少のみぎりより金髪に染めて世間に印象を強く押し付けている。本来は黒髪なのだ。

 ミレイは計器盤に表示される電波標識の位置を確かめ、ティロと話す。そろそろ通常航路に戻らないと推進剤が不足する。
 なにせ急な脱出だったので、惑星間航行の用意が整っていない。

「先輩、それで私たちはどこに逃げましょうか」
「そうだねえ、マスコミが追いかけてこない所と言えば、外周小惑星だろうけど」
「いっそ役所星に戻って御実家に引き篭もった方が安全ではないですか」
「それはつまらない。別荘の方にしましょう。沼星に」
「了解しました。進路、沼星に」

 

 プロキオン星系の地球人居留地は、直径3キロメートルほどの球形小惑星が12個円形に配置され、さらに36個の不揃いな形状の小惑星が外周に等間隔に並んでいる。
 いずれも人工重力と呼吸可能大気が有るが、人が主に住むのは内周球形惑星だ。開発も早くから行われている。
 首都である役所星、学園星もこれであるが、他も十分に自然環境が整い食料生産の任務を果たしている。

 一方外周36星は工業や資源供給に使われる。ミレイ達が訓練を受けた軍の港湾基地星もこちらになる。

 円形に配置と言ったが、その中心となる地点には何も存在しない。重力源が無いのだ。
 にも関わらず、小惑星群は互いの位置関係を損なわずに規則正しく周回を続けている。小惑星を並べた面は、常にプロキオンの主星αを指向する。
 明らかに異常、人為的な運動であり、何者かの意図が感じ取れる。円に並ぶ小惑星はいずれも形状を良く考えられており美しく、まるで庭園のよう。
 故にここを作った存在は「ガーデン・マスター」と呼ばれる。

 小惑星を拘束するのはなんらかの未知な力場であろうが、現在の地球人科学では検出出来ない。
 つまり真ん中を通っても宇宙船にはまったく支障が無い。
 中心点を素通りするのが反対側の星に移動する最短経路となる。通常航路とはこれだ。

「沼星、いいですね。船長、沼星行った事ありますか」
「私の育ったみかん星は、沼星の二つ隣よ」
「沼星はいいですねえ、お魚食べ放題で」

 沼星はその名の通りに沼の有る星だ。直径2.8キロの小惑星表面の80パーセントが水で覆われている。
 水深は浅い、30メートルそこそこだ。
 内周惑星ではあるものの、これでは農業に適さないので、水棲植物を生やして沼地環境を再現する。
 水草が生え苔が生え藻が浮かび、水棲昆虫も多く繁殖して魚を飼う事が可能となる。

 ドジョウ、ナマズ、フナ、川エビ、ザリガニ、シジミ、タニシ、亀などなど。いずれも出荷されて星系全域で食されている。もちろん高級品扱いだ。
 沼星の別荘とは、お魚食べ放題パラダイスを意味する。

「いいですね、沼星!」
「ご馳走するわよ、ティロさん」

 操縦をティロに任せて、ミレイとタチアナは上部操縦室から船内に降りていく。

 

 機関制御室の前方に居住区画がある。船長室と船員室、調理室だ。
 そのまた前はもう船倉であるが、『彷徨える_』では貨物を最大量積む事はほとんど無いので間仕切りして、居住区画を増設した。
 10人までの乗員が2ヶ月無寄港で航行できるキャパシティがある。しかし、運行には3人も居れば上等だ。
 余剰の人数は「亡命者」を運ぶのに使われる。

 タチアナも或る意味逃亡者であるから、お客様だ。逃亡者らしく厄介な荷物を持ち込んでいる。
 文楽人形「蛇女郎」およびその相手方「伊右衛門」だ。

 演目としての『蛇女郎』は安珍・清姫の「娘道成寺」と近松門左衛門作「女殺油地獄」を適当にミックスしたもので、作者は不明。
 とにかく怪奇物として作られており、特に「蛇女郎」の顔は美しい上臈の顎がぱかっと外れて舌が飛び出し、目の玉が金色にひっくり返るギミックを持つ。
 夜中に見れば大のおとなでも腰を抜かす形相。
 プロキオン女子学院大学においても、夜中人形が一人で勝手に動いて学内を徘徊していたなどの怪談話を持つほどだ。

 相手役「伊右衛門」人形も、これは侍・浪人の役であるから切腹機能を持ち、赤い腸がずるずると3メートルも引き出せるようになっている。

 ギミックにも金は掛かっているが、衣装がこれまたプロキオン特産の絹をふんだんに使った最高級の和服である。
 発注者はもちろんタチアナ・錦多老。金にモノを言わせて最高の人形を作り上げた。
 彼女自身も現役時代は「伊右衛門」を操作して、役所星の中心ホールでの公演を行った。

 要するに思い出の品であり人形劇部の大切な財産であるから、兵十人形のように燃やされてはかなわない。
 『彷徨える_』に一時避難をさせると、図らずも新旧の操者が揃ってしまった。

「ミレイちゃん」
「はい先輩」
「これはなにかの縁だろうね」
「そうですね。このままどこかの星に行って、公演をしましょうか」

「いやまて、どうせやるなら星の彼方。他の恒星系に飛んでプロキオン人形芸術の粋をご覧いただこうじゃないか」
「でも先輩、生きて帰れるか分かりませんよ。だいたい何処に飛ぶかもこちらでは決められないのですから」
「まったく?」
「全然です」
「そんなもので交易できるの?」
「それが案外なんとかなります。今も政府から貸与された絹布と衣装を預っていますから」

 タチアナ、両腕を組んで考える。
 演劇で金を稼ぐというのは、どんなものだろうか。娯楽の少ない星ならばどばどばと儲けられはしないだろうか。
 ただの劇なら無理かもしれないが、樺湖ミレイの演技力を持ってすれば勝算はかなり高いのでは。

 

「船長、沼星に着きました。最終減速過程に入ります」

 階上の操縦室からティロがインタホンで報告する。彼女は二級宇宙船免許を持っているから、この程度朝飯前だ。

「今行きます」

 と返事をして、ミレイとタチアナはまた上に戻る。
 新装なった気密エレベーターは2人乗りだが、少し狭い。双方豊かな胸が衝突してしまう。

 操縦室の窓の先には、のっぺりとした苔の色の小惑星。「沼星」だ。
 表面の80パーセントが沼であるから、どろりとした藻の色で全体を塗り潰されている。所々もこもととするのは柳の林だ。水際に生えて落ち葉を栄養分として沼に供給する。
 柳はまた薬用にも用いられる。

 全体に湿気た星であるので、家屋は地表付近には作らない。下に有るのは作業場だ。
 高度100メートルを越えたあたりで人工重力が切れるから、そこに建物を浮かせていた。下からの塔で支えられる。
 浮遊する家屋の床下には「地下室」が設けられる。重力圏内に越境しているから、ちゃんと引っ張られて快適に過ごせる設計だ。

 自分家の別荘が有りながらも、タチアナは遠慮の無い感想を述べる。

「まあ、変な星よね」
「変ですね」

「では船長、沼星管制に連絡して入港手続きをお願いします」
「はいはい」

 マイクロフォンを手に取って喋ろうとした瞬間、異変が起きた。
 いや、異変というよりは手品に化かされた心境だ。

 沼星が、緑から青に変わる。

「え?」
「え?」
「え?」

 それはまったくに紺碧の色を持つ、全球液体透明の小惑星であった。

 

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