【一方その頃弥生ちゃんは、無茶をしておりました】
テュクルタンバ、古代の王都にして今は巨大な岩舞台のみが残る片田舎。
交易警備隊長出身の中年禿頭片目の戦士ネンコイ、弥生ちゃんから”オッチャン”の名を与えられた彼は繁多である。
弥生ちゃんの禁衛隊「神撰組」は救世主代行キルストル姫アィイーガの命でここを死守する。
一応は莫大な財宝が確認されたのだが、なにせ番人が化物だった。
盗賊どもも怖れをなしてアレ以来寄りつかない。
褐甲角王国も神兵10兵1000を常駐させるから、神撰組はほんとうにやる事が無かった。草でもむしっている。
こういう時貧乏くじを引かされるのは、常に引いている人。ネンコイが実質隊士を任された。
何もしないというのは忍耐を試される。士気を高める為に、無理でも仕事を作り出さねばならない。
結果、無意味と忙しくなる。
連日の雑用で隊士達はだらだらしている。一見すると士気なんかまるで無い。
だが交易警備隊ではこれでよいのだ。
方台全土を何十日も掛けてひたすら歩く。目的地に着けば即次の旅に乗り換える。
気張っていては身体が幾つ有っても保たない。長持ちするようにだらだら歩くのがコツだ。
暇なら訓練でもしろ?食い物が無ぇのだ。
ばたばた動き回れば腹が減る。デュータム点から資金や食糧は補給されるが、潤沢とはいかない。
隊士の半分は食糧調達で山に入っている。畑を耕そうと考えるくらいだ。
しかし、いい加減雑用を探すのも飽きた。誰か代ってくれねえかな、と考える。
隊長の”コンドーサン”ゥアンバード・ルジュはいいのだ。あの人は真面目だし手堅いし泥臭い仕事も嫌がらないし、どちらかというと自分に似ている。
ただ他の幹部連中はまったく興味を示さない。
ギィール神族に生まれた高慢な戦士、黒甲枝出身で計算高い剣令、お気楽な武術自慢、山師、盗賊、究極個人主義のスガッタ僧。
……俺がするしかないじゃないか…。
このまま弥生ちゃんがずっと帰って来なければどうなるのか。
ネンコイは草に寝転がって夏に向かう青空をぼーっと眺めた。もうすぐ雨季も来る。
「……せめて”オッチャン”とかでなく、星の世界の偉い武将の名前だったらなあー。」
高い空をなにか飛んでいる。鳥か? 鳥にしてはきんぴかに光っている。
こういう不思議は交易の旅の途中で何度か見た。方台の空は案外と変なものが多いのだ。
「ぁあ?」
虫だ、カブトムシだ。大きなカブトムシが高い空を飛んでいる。
ちょっと待て、この高さこの距離でこんなに大きく見えるなら、あのカブトムシはどんな馬鹿デカさだ?
「おっちゃ〜ん!」
カブトムシが女の声で叫んだ。聞き覚えが有る。
ネンコイがばっと立ち上がり、天を見上げる。馬鹿でっかいのは、カブトムシ神の地上の化身だ。
では、その背に乗る女人は!?
「おっちゃ〜ん」
ガモウヤヨイチャンさまだ! 自分に向かって手を振っている。大きく千切れんばかりにだ。
こちらをも手を振り返す。近くでだらけていた隊士達も気が付いた。
帰って来た、救世主さまが帰って来られた!
テュクルタンバ岩舞台の上空を黄金のカブトムシが旋回する。大きく一周すると、青い光条が真っ直ぐ西に向けて放たれた。
デュータム点だ。弥生ちゃんはこれよりデュータム点に向けて飛ぶ。
ネンコイは叫んだ。
「おら貴様ら、カネでも太鼓でもなんでも叩け。全員招集しろ!」
「で、ですがそれは敵の襲来を報せる、」
「うるせえ、こんな大事が他に有るか。がらがら鳴らせぃー!!」
上空から再び弥生ちゃんが手を振る。自分に向けてだ。そのままぴゅーっと西に向けて飛んで行ってしまった。
俺は”オッチャン”だ、オッチャンでいい。俺は天下に名高いおっちゃんだぞー。
ネンコイは歓喜に打ち震えて叫んだ。
ガモウヤヨイチャンさまの御帰りだあ!
デュータム点より少し離れた平原に弥生ちゃんの信者は集まっている。市内に収まりきらず、野外に天幕を張って弥生ちゃんの帰還を待つ。
中心となるのはトカゲ神の老神官シンチュルメ。
彼は聖山にて青晶蜥(チューラウ)神の最高神官を務めていたが、弥生ちゃん降臨の報せを聞き位を投げ棄て下界に降りる。ヒラの一神官に戻って病人を救う。
救世主と共に病に苦しむ民衆と接するのは、トカゲ神官無上の喜び。老骨に鞭打ってなんの悔いがあろうか。
いつもの通りに病人を診ていた彼の頭上に、黄金の光が射す。
なにごとと見上げる空に、いかにも神々しい神の姿があった。背には、誰もが待ち望む星の世界よりの救い主が。
「シンチュルメ、待たせた。」
地にカブトムシ神が肢を着けるよりも早くに弥生ちゃんは飛び降り、老神官の手を取った。
彼には3月で戻ると書き置きしたが、倍も長く不在にしてしまった。許せ。
シンチュルメは皺だらけの顔に滂沱の涙で救世主の帰還を喜ぶ。今死んだら極楽往生間違い無し。
信者も慶びの声を上げ泣き出す者も多いが、それにしてもカブトムシ神の地上の化身に乗っての御帰還とは如何なる仕儀や。
おっとり刀で弥生ちゃんの側近達が飛んで来る。
デュータム点には救世主神殿が有るのだが、蘇った古代の紅曙蛸女王テュラクラフにより占拠される。
女王の影響力は凄まじく近付く者は皆廃人となるので、青晶蜥神救世の運営本部は市外に脱出していた。
弥生ちゃんは叫んだ。
「シュシュバランタはいずこ!」
「はっ! こちらに控えおります!!」
長い旗竿を抱えて走る太鼓腹の巨漢が信者を掻き分け進み出る。弥生ちゃんの旗持ちだ。
「シュシュバランタ、掲げよ!」
「はっ!」
青地に女人の首の人頭紋。青い半円の髪に金色の角を2本生やしまっすぐに正面を見つめる「神殺しの神」ぴるまるれれこの顔である。
これこそが弥生ちゃんの王旗。コウモリ神人との激闘の後に、初めて翻る。
青晶蜥神救世主蒲生弥生ちゃん、復活だ。
沸き上がる歓呼の声の中、弥生ちゃんは巨漢に話し掛ける。
「それにしても、旗持ち覚悟の戦傷、天晴だ。」
「有難うございます。」
シュシュバランタは毛の無い頭から顔から肩から、全身到る所に細かい傷を負っている。既に癒えてはいるが、ミミズ腫れとなり異形の姿。
これも皆、コウモリ神人と弥生ちゃんの激闘の場に唯一人立ち会った証。空から降り注ぐ牙の破片を浴びつつも、決して王旗を地に落とさなかった勇気の印。
致命傷は弥生ちゃんが与えた空飛ぶ小刀が弾いたが、全ては防ぎきれず全身血塗れで立ち往生寸前を救われる。
彼を回収した褐甲角軍においても、旗持ちの模範として篤く遇された。
その後出血多量で2月ほどは身動きできなかったが、神剣による治癒で体調も戻り、今再び弥生ちゃんの隣に立つ。
「この傷はシュシュバランタ一代限りの名誉。たとえ万金を積まれようが王侯貴族の位であろうが引き換えに出来ぬ宝にございます。」
「よく言った。ところで、今一度私の為に死ぬる覚悟はあるかい?」
「いずこへなりと、どのような怪物相手でございましょうとも、シュシュバランタは御傍を離れませぬ。」
「うむ。ではもいっぺん死んでもらおう。」
秘書である巫女ファンファメラ他に細々と今後の指示を与え、再び弥生ちゃんは巨大カブトムシ神の背に戻る。
真なる目的地はカプタニア。ソグヴィタル王 範ヒィキタイタンを救わねばならない。
だがその前に、
「ガモウヤヨイチャンさま、いずこへ参られます。」
「うん。ガンガランガの武徳王本陣へ、なぐりこみだ。」
「へ?」
ガンガランガの草原には武徳王の大本営が有る。近衛兵団神兵200にクワアット兵5000の大軍勢、金翅幹元老員も数十名が従う。
天空よりの珍客に当惑した。
なにしろ巨大カブトムシ神だ、彼らの護り神がトカゲ神救世主を背に舞い降りる。どう対処すべきか、誰にも分からない。
公然の秘密であるが現在武徳王カンヴィタル洋カムパシアラン・ソヴァクは目を患っている。
守護神の到来に自ら迎えねばならぬ所、まずは代理として金翅幹元老員筆頭「破軍の卒」カプラル春ガモラウグが立つ。
「青晶蜥神救世主ガモウヤヨイチャン様と御見受けいたします。騒がしき戦陣への御降臨、痛み入ります。」
「うん。」
「されど、何故我らが主の化身に乗りてお出でになられましたか。ご説明を願いたく存じます。」
なんだか怖そうな髭のおじさんに謙られるのは気味が悪い。とはいうものの、弥生ちゃんまったく怯まぬ。
「カブトムシ神に乗っての方台への帰還は、武徳王陛下御自らによる御勧めに従ったもの。改めて陛下へのお目通りを願いたい。」
「は。して御用の向きは如何に。」
「武徳王陛下は毒にて御目を患うと聞き及びます。僭越ながら我が神チューラウの光にて癒さんと参上しました。」
「なんと!」
カプラル流石に抑えきれず、怒りに身を震わせる。
卑しくも褐甲角神の聖蟲を戴く者が、他神の力を借りるなど許されるはずも無い。
ヒラの神兵ならまだしも、王国の頂点に在り救世主たる武徳王にそのような真似されてたまるものか。
決然として申し述べる。たとえ一戦交える事となろうとも、こればかりは許せぬ。
「謹んでお断り申し上げます。天河十二神の理においても、それは許されませぬ。」
弥生ちゃん、予想の範囲内の返答にうむと首肯く。言った。
「手向かいを許す。」
「は?」
「近衛の神兵ことごとくを討ち滅ぼし、武徳王陛下の御前に参るから、掛かって来なさい。」
殴り込みだ。少女の背後には青地に女人の首の人頭紋、「神殺しの神」ぴるまるれれこが翻る。
「神殺し」が褐甲角王国に牙を剥く。
カプラル、如何に豪胆であろうともこればかりは冷や汗が背に伝う。再度確かめねばなるまい。
「本心よりのお言葉であられますか?」
「もちろん人死には私の好むところではありません。ですが、」
つつ、と脇より背を屈めて近付く者が有る。
白銀の鎧に身を固めた背の高い女人が、弥生ちゃんに木で作られた刀を捧げる。
青晶蜥王国建軍準備委員会より派遣された神裔戦士ューマツォ弦レッツオである。
カプラルも彼女の存在は見知っていたが、今更に弥生ちゃんの手下であったなと思い出す。
柔らかく麗しい姿、人に警戒を与えぬ物腰雰囲気。毒の無い、されど決して物事の本質を外さぬ鋭い洞察。
只者ではないのは誰の目にも明らかだが、まさかここで本性を表わすとは。
武徳王が半ば失明状態であると弥生ちゃんに報せたのも、彼女の仕業であろう。(注;様々なルートでバレバレです)
特別に大本営の出入りを許したのが、仇となったか。
弥生ちゃんは弦レッツオが差し出す木刀を受け取った。聖山ウラタンギジトより下る際に敢行した大演習で用いたものと寸分違わぬ姿、材質。よく心得ている。
「貴女って人は、あいかわらず良く気が利いて、困っちゃうな。」
「御褒めにあずかり光栄に存じます。」
青晶蜥王国の猟官活動に詰め掛けた様々な階層の人の中でも、彼女は飛び抜けてヘンな人だった。
ほとんどテレパシー並みに人が欲するものを見出し、それとなく差し出し気付かせないのだ。
二言三言口をきいて、即採用。だが神官巫女の中に混ぜるとたぶんとんでもない事が起きるので、褐甲角王国への観戦武官の役を振ったのだ。
こんな所で出くわすなんて、さすがの弥生ちゃんでも計算外。
しかしながら、木刀であれば思う存分暴れられる。握る曲線に早くも神威が籠り、青い疾風が渦巻き始める。
「掛かってきなさい!」
「カプラル様!」
近衛兵団長スタマカッ兆ガエンド兵師大監が「破軍の卒」の肩をがっしと掴み引き戻す。
これよりは近衛兵団の仕事。交渉は決裂、金翅幹元老員の出番は終る。
元より黒甲枝にしても他神の力を借りようとは思わない。まして武徳王陛下を無理やり「治癒」させようなどは、許しておける道理が無い。
だがそれ以上に、方台最強の名をほしいままにする弥生ちゃんと剣を交える事が出来るとは。武人の本懐ここにあり。
この際、少女だとかチビだなどは評価の外だ。
彼らは皆コウモリ神人との激闘を間近で見た。いかに重装甲で剛力を振るう神兵であっても、コウモリ神人には到底叶わない。巨大な獣身と化しては尚更だ。
にも関わらず、弥生ちゃんは危なげ無く退けてしまう。人の強さでは無い、正に武神。
「神殺しの神」の名を地に叩き伏せれば、褐甲角王国はこの先千年も輝くだろう。
たたっと若い神兵が1名走り出る。
近衛兵団と言えども全員が常時甲冑を着装しているわけではない。当番に無い者は平服で待機する。本陣中心部にはそういう者が多い。
彼は神兵のみに許される賜軍衣すらも纏わず、大剣一振を抱えて弥生ちゃんの前に立ち塞がる。
「我は近衛兵団キンカラン尊ジアムロゥム小剣令。ガモウヤヨイチャン様におかれては、速やかに御引き取り願いたい!」
近衛兵団でも一二を争う無鉄砲の若手神兵だ。一番手を誰にも譲らぬと用意も無しに飛び出した。
だが兵団長の目による承認を得て、栄えある役目を引き受ける。
弥生ちゃんは鋭く声を発する。微塵の惑いも見られない。
「参る!」
近衛兵団の他の兵団との違いは、神兵の能力を極限まで引き出す事を目的とする点だ。
赤甲梢があくまでも敵金雷蜒領への侵攻を企図して戦術と装備を整えているのに対し、近衛では神兵個人の武術を奨励する。神兵同士が戦って勝つ事を重視する。
神兵最大最強の技は吶向砕破。
聖蟲による爆発的な加速力で自らを砲弾と化すこの技は、精神集中に時間が掛る。出来るだけ短くするのが近衛の奥義だ。
キンカラン小剣令も未熟ながら、他の兵団の神兵よりはよほど短く発動出来る。
尋常の相手では無いと知るから、最初の一撃から狙った。口上の最中に既に精神集中に入っているのも、戦術というもの。戦に綺麗も汚いも無い。
ちなみに只の少女が大剣による吶向砕破を食らえば、地上から消滅する。血の入った革袋が破裂する惨状となろう。
とはいえ、戦慣れをしているのはむしろ弥生ちゃんの方だった。
「参る」と叫ぶ声が届く前に、キンカランは額に木刀の一撃を食らっていた。
いくら弥生ちゃんでも吶向砕破なんか受けられるか。発動を未然に防ぐのが唯一の勝機。
余りの思い切りの良さに兵団長スタマカッも唸った。ほんの数瞬遅ければ、いや既にキンカランは発動を始めていたのだ。
それが証拠に彼の手から離れた大剣は遥か遠く、千歩(約700メートル)先まで飛んで行く。
重量15キロの金属塊だ。ここまで飛ばすには大砲並の威力を必要とする。吶向砕破は確かに発動した。
ばったり倒れるキンカラン。もしも額に黒褐色の聖蟲が居なければ、頭は半分に消し飛んだろう。
弥生ちゃんは聖なるカブトムシごとぶっ叩いた。そうでなければ、肉体のどの部位であっても吶向砕破の逆流で千切れ飛ぶ。
頑強無比不滅の聖蟲を叩くのが、唯一の正解。それでも神兵が失神する。
見守る人は硬直した。
神兵であればキンカランが何をしたか一目瞭然。いくらなんでもただの木刀を構える相手に吶向砕破は無いだろう。
だが、それですら青晶蜥神救世主に防がれる。
ちょこちょこと指で呼ばれて、弦レッツオは弥生ちゃんに近付いた。指示を幾つか受ける。
戻って来て近衛兵団長に言上する。
「ガモウヤヨイチャンさまよりの御言伝です。吶向砕破に対しては、まったくに手加減が出来ない。御使いになられる方は死を覚悟されよとのことです。」
「…使うな、とは言わぬのだな。」
「はい。」
「弦レッツオ!」
たまたま大本営に顔を出していた弦レッツオの身元引き受け人、金翅幹元老員ガーハル敏ガリファスハルが彼女を強引に引き寄せる。
「これは一体いかなることか! ガモウヤヨイチャン様は退けぬのか?」
「退けませぬ。天河の計画にございます。ここで武徳王陛下は御本復あそばさねばなりません。」
「それにしても、神兵悉く打ち倒すなど出来るはずが無い。止めるのが臣下の筋であろう。」
「いえ。やる気でございますよ。」
その通り。キンカランに続いて武装を整えぬまま飛び出した神兵が既に5名、いずれも地に伏している。
吶向砕破は効かぬと見極め尋常の勝負を挑むが、数秒も保たずに木刀の餌食と化す。
更に続く神兵は装甲無しでは無謀と判断。まずは用意の簡単な丸甲冑の武者達が続々と列に並んで行く。
ガーハル、悲鳴を上げるかに白銀の鎧の肩を掴む。
「どうする気だ。ここで青晶蜥神救世主と褐甲角王国が滅ぼし合おうと言うのか!」
「ガーハル様、周囲をご覧くださいませ。」
女人に言われて目を左右に走らせるが、何も見えぬ。見守る兵の姿のみだ。
「ガーハル様、彼らの羨望の眼差しに気が付きませぬか。クワアット兵は皆、ガモウヤヨイチャンさまに御手向かいする神兵の方々を羨ましく思っております。」
「う、…何?」
「これはカブトムシの聖蟲を戴く方のみに許された特権にございます。金雷蜒の神族にも神剣を授けられた方にも出来ぬ。不滅の肉体を持つ神兵だけが耐え得る天の恩寵です。」
「決闘が、か。」
「神聖首都ギジジットでは巨大な金雷蜒神の地上の化身を葬られ、コウモリ神人の変化の獣をも退けるガモウヤヨイチャンさまに、他の何人が抗えましょう。千年一度、いえ万代に一度きりの奇蹟にございますよ。ガーハル様も御挑みになられてはいかがです?」
またしても甲冑の神兵が宙に舞い上げられた。あの木刀はなんで出来ているのだ、神兵渾身の一撃を軽く巻いて弾き飛ばしたぞ。
「う、ううむう、神兵のみ、褐甲角神の使徒のみに許される、試練か。」
「はい。」
明るく答える弦レッツオの声を背に、ガーハルは飛び出した。左に帯びる剣を引き抜き、並ぶ近衛の前に走り込む。
黄金の甲冑が煌めいた。
「我は金翅幹元老員ガーハル敏ガリファスハル。近衛にはあらねど、ガモウヤヨイチャン様には一手御指南頂きたい!」
12秒後、ガーハルは地にめり込んでいる。弦レッツオは近付きしゃがみ、感想を聞く。
「いかがでございましたか?」
「痛い…。」
ちょいちょいと呼ばれて、彼女は再び弥生ちゃんの傍に行く。帰って来た。
近衛兵団長と「破軍の卒」に言う。
「金翅幹元老員の方が御挑みになられるのであれば、キリの良い数の区切りとしてお加わり下さい。5人または10人毎に。」
「うむ。」
「破軍の卒」カプラルは腕を組んで了承する。近衛ばかりに面白き事をさせておく謂れも無い。
先ほど弦レッツオがガーハルに説いた言葉を、彼も聞いていた。なるほど周囲のクワアット兵の目の色が違う。
彼らは皆、弥生ちゃんと戦いたくてしょうがない。如何に手酷く痛めつけられようとも一生の宝。死んでも天の河原での安楽が約束されよう。
およそ武術を齧った者であれば、方台最強の戦士に触れてみたいのが人情。
そう言うカプラルも身体がうずく。彼とて武術には人並み以上に熱を入れた。そんじょそこらの黒甲枝には負けはせぬ。
弥生ちゃんの指示には続きが有る。
「近衛兵団長スタマカッ兆ガエンド様におかれましては、願わくば”LAST=BOSS”を務めていただきたいとのことです。」
「ラスボス、とは何か?」
「ラスボスとは一連の戦いを締め括るにあたり最後に出現する、最も優れ最も強大なる敵にございます。戦の意義を明らかにし、天下に己の正義を問うべく全力全霊を尽くしての死闘を要求される、そのような者にございます。」
「ガエンド! その役儂に譲れ!!」
「お断り致します! これは近衛兵団長たる私に、ガモウヤヨイチャン様が直々にご依頼下された栄え有る御役目。謹んで引き受けさせていただきます。」
カプラル苦虫を噛みつぶし、それではせめてと最後から2番目を手に入れた。
既に百人神兵が転がる。中ボスに大物が現れた。
「ハジパイ王太子、照ルドマイマン。武徳王陛下の御楯となりましょう。」
剣ではなくクワアット兵の槍を抱えている。これまで大剣のみならずありとあらゆる白兵武器が試された。槍も何本折られた事か。
案の定、ハジパイ王太子も槍を7つに斬り折られた。弥生ちゃんの木刀はただの木の棒の癖に、鋼鉄だろうがタコ樹脂だろうがなんなく貫き斬り飛ばす。
ついで全身甲冑の装甲部位を雨あられと殴られる。時間にして20秒、念入りに叩きのめされ、留めに尻を蹴飛ばされて場外退場。
カプラル等の前の土にめり込んだ。
「王太子殿下、情けのうございますぞ!」
「うう。やはり近衛のようには行かないですか…。」
放せ通せ、と中年女性の声がする。金翅幹元老員「破軍の卒」でありながらも聖蟲を返上したゥドバラモンゲェド家の現当主 華シキルだ。
彼女は聖蟲を持たぬ身でありながらも、右手に長剣左に丸楯を引っ提げ神兵の列に加わろうとする。数名のクワアット兵に腕を掴まれ制止されるが、叫び続ける。
わたしも混ぜろお
カプラル、同じ「破軍の卒」としてなんとかせねばと思うが、さすがに心情が分かり過ぎた。47歳の女人に涙目で訴えられると、いかんともし難い。
弦レッツオに振り返ると、よろしいですよと微笑みが返る。
神兵を差し止め、華シキルを立ち向かわせた。
うおりゃあーと長剣振り回して果敢に弥生ちゃんに挑むが、木刀でぺんと叩かれその場に崩れ落ちる。失神。
女人であるから、弦レッツオが一人で引っ張って回収する。
濡れた手拭いで顔を清めて、ようやく意識を取り戻した華シキルはがばと跳ね起きて、言った。
「これが「神殺しの神」ですか。」
「いや、そなたを倒すのにそんな大袈裟なものは使ってないぞ。」
「いえ、この姿。この周囲の人の空気、誰一人として拒む者が無い。激烈苛烈な戦いが目の前で繰り広げられるにも関わらず、ひたすらに明るく朗らかな、これが「神殺しの神」の実態です。」
カプラルにも近衛兵団長にも理解されない。だが彼女は正鵠を射貫いていた。
「神」は死なぬのだ。神が地上を去る時には、人に喜びがある。全ての責務を果し終えて、天に戻るのだ。めでたい日、弥生ちゃんは手助けするのみ。
もしもこの言葉が後世に伝えられていれば、ぴるまるれれこ教団などは成立しなかったかもしれない。
だが一連の戦闘は、近衛の神兵の感想のみが記録された。
曰「怖かった」と。
戦闘は終局を迎える。
金翅幹元老員「破軍の卒」カプラル春ガモラウグ、8秒。武術に優れる者ほど早く叩きのめされる傾向があるから、この数字は良い方だ。
そしてラスボス。
「近衛兵団長スタマカッ兆ガエンド兵師大監。我を倒さずして武徳王陛下へのお目通りは叶わぬと知れ。」
スタマカッは完全装備の重甲冑に王国旗、褐甲角軍旗、兵団旗等5本も負う。胸には銀箔で大きく「光明始源樹紋」を描く。
この紋章はカプタニア山自体を表わし、カブトムシ神の聖なる宿木を象った。
近衛兵団誇りの印。
得物は大剣。神兵最強にして最後の武器である。
鈍い鋼の光に照り返され、さすがに弥生ちゃんも動けない。なるほど近衛兵団長はこれまでの神兵とは格が違う。
スタマカッが最強の由縁は、やはり吶向砕破だ。何時いかなる時、いかなる体勢からでも発動出来る。つまり連撃すらも可能という意味だ。
しかも反応がずば抜けて早い。もちろん眼で敵の動きを追っては、ここまで動けない。
直感だ。全身の感覚を研ぎ澄まし、未来すらも先読みして動くから何人にも遅れを取る事が無い。
百の矢で全周から射られるとしても、すべて叩き落とす自信が有る。
正真正銘の化物であるから、弥生ちゃんも踏み込めない。
まあ、やりようは幾らでも有るのだ。こういう敵にこそ”冷凍光線”は使うべきだし、小刀を宙に舞わして注意を逸らすのも常道だ。
卑怯ではない。そもそも褐甲角の神兵がべらぼうな超能力の持ち主であり、おまけに聖蟲が発する風の護りすら装備する。
こちらはただの木刀だ、責められる義理は無い。
対峙は1分を越えた。さすがにスタマカッも焦れて来る。
ラスボスであるから護りに徹するのが筋である。が、これまでやられた彼の部下は、皆積極果敢に挑んで敗れ去った。
待ちで勝つのは、彼らの頭領としていかにも消極的。だがやはり動けない。
弥生ちゃんが温存する秘技の威力が、彼の直感を先程から激しく刺激する。
「突き」だ。この少女、これまで神兵をさんざんに叩きのめしたが突きは使っていない。
重装甲であろうとも貫き死んでしまうからだ。秘するほどの得意技と見る。
大正解。弥生ちゃんはこの化物を倒すにはやはり厭兵術突兵抜刀法と思い定め、下段に構えた。
一見すると上半身がら空きなのだが、なにせ元々背が低い。スタマカッからしてみれば、男の下段が更に地を這うようなもの。対処に窮する。
已むを得ぬ。こういう場合は圧倒的な破壊力でなにもかもを吹き飛ばすに限る。
吶向砕破で弥生ちゃんの立つ地面ごと爆砕しよう。
きらり、きらりと光の粒が弥生ちゃんの周囲を舞う。雪、いや氷だ。細かい氷の結晶が暖かい季節に静かに降り注ぎ、陽光を散乱させる。
幻想的な風景にスタマカッは先手を取られたと気が付いた。
幻術、目眩しだ。トカゲ神救世主は氷を使っての技も持っていたか?
小細工は通常必要無い。相手が最強の神兵近衛兵団長だからこそ、用いる。額に座すカベチョロが弥生ちゃんの身を案じて加勢する。
対して神兵のカブトムシも重甲冑の周りに風の護りを吹き起こし、氷晶の光を拭い去った。
弥生ちゃんの姿が消えた!
間髪を入れずにスタマカッは吶向砕破を発動する。真正面下から来るはずだ、姿は見えぬが薙ぎ払う。
釣り鐘が割れるかに重く激しく轟いた。賭けは当る。
弥生ちゃんが天空を穿つ勢いで足元から沸き上がるのを、大剣の鋼が受け切った。
青い光の粒を撒き散らし、木刀が砕け散る。勝利!
だが代償は大きい。金剛石の壁を思いっきりぶっ叩いたようなもので、大剣を握る右手が痺れて動かない。衝撃は全身を襲い目の前が暗くなる。
他方砕けた木刀は衝撃を全て肩代わりした。黒髪なびかせて自由に動き、重甲冑の背後にするりと回る。
弥生ちゃん、素手でも強い。
合気系柔術の要領で動かぬ鋼鉄の右手首を極めると、そのまま背に導き地に伏せさせる。
脇を踏んで右腕をねじ上げると、もうどうやっても動けない。何故動けぬかすらもガエンドは理解出来ぬ。
とはいうものの、そこから先は手が無い。
なにせ重甲冑だ神兵だ。このまま腕をねじ切るほどの怪力をこちらは持たない。動けぬようにしたは良いが、素手では留めが刺せなかった。
仕方ない。腰の後ろに邪魔にならぬよう横たえた神刀「カタナ」をぎらりと抜く。こいつで重甲冑の手足のバネを斬れば、さすがに負けを認めるだろう。
「それまで!」
神兵達に幾重にも守られていた奥の院より、武徳王カンヴィタル洋カムパシアラン・ソヴァクが姿を現わした。
目が見えぬ彼を導くのは、聖蟲を持たぬ老人達。
「それまで。ガモウヤヨイチャン殿の勝ちを認めよう。ガエンド、良いな。」
「……は。無念であります。」
「皆の者も良く戦った。礼を言うぞ。」
揃って敗北を喫した近衛の神兵、金翅幹元老員が頭を垂れる。
認めねばなるまい。方台最強の戦士はガモウヤヨイチャンであることを。
弥生ちゃん、近衛兵団長の甲冑の手を離し、カタナを元の鞘に納める。よく見ると右掌に裂傷が有り血がどばどばと流れ出る。
先ほど木刀を砕かれた時に、さすがに傷を負ったのだ。やはり本当に強い敵にはこちらも余裕など見せてはならぬ、と反省頻り。
ちょっとタンマと自分で自分を治療する。ハリセンを使うまでも無く、額の上のカベチョロが冷たい息を吹き掛けると傷は見る見る消えて行く。
様子を脇を支える老人より聞き、武徳王は呆れた。
「さすがに御戯れが過ぎますな。」
「はあ。200の神兵はさすがにきつかったです。」
「しかし負けを認めねばなりませぬ。どうぞ私にも青晶蜥(チューラウ)神の神威を授けて下さい。」
腰に挟む神秘のハリセンをするりと抜き取り、両手で構えて武徳王に一礼する。
老人達は戸惑い陛下を守ろうとするが、諌められる。これも天河の計画の一環だと。
青い光を盲いた目に柔らかく当てると、徐々に痛みが引いて行く。やがて瞼越しに青い光を、それが止むと太陽の赤が感じられた。
「もう目を開いてもよろしいですよ。」
武徳王の眼に光が戻る。鮮やかな世界が蘇った。
瞬きをして、異界よりの少女の顔を間近で見る。三神救世主邂逅以来の対面だ。
「それにしても無茶をなさる。そこまでして私の目を癒さねばなりませんでしたか?」
「実はソグヴィタル王の御処分について少しお話がありまして、お願いを聞いてもらうにはどうすればいいかと、」
「なるほど、
……。」