まゆこのましなりぃ その5

2004/05/14

 

「えんじぇる道のすすめ」
「ドリル少女サイコーという話」
「誰でも出来る簡単動力」
「ワープ航法を実現する、のは諦めてー」
「CMを見よう!」

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えんじぇる道のすすめ

まゆ子「遅れ馳せではあるけど、ラストサムライ見てきたよ。」

釈帝「どうでしたー、おもしろかったですか。」

まゆ子「うーんん、そうねえ。殺陣はやっぱり日本刀に限るね。」

釈「ほー、やっぱり日本のタテは世界一ですか。」

まゆ子「というより日本刀の迫力は世界一、それを使っての殺陣ももちろん世界一って感じかな。鉄砲の撃ち合いとはまた違った緊迫感があるよ。ロードオブザリングでも合戦シーンは凄いんだけど、近接ショットでは日本刀最高だ。」

釈「ふむふむ。ビデオが出たら見てみましょう。」

まゆ子「あなたは映画には行かないの。」

釈「いやー、おこづかいの問題で、そうめったに見に行けるものじゃないんですよ。見に行きたいのは山々なんですけど、うちもなかなか家計が苦しいもので、その。」

まゆ子「そうか。」

釈「ということで、今日は、

     未来の武士道、        ってのはどうでしょう。」

 

まゆ子「ほう。なんか、あんたアイデアがあるわけ?」

釈「そうですね、つまり未来は皆サイボーグになるわけですよ。」

まゆ子「いきなり凄まじい斬り込みだなあ。で。」

釈「サイボーグってのはとても強いんですよ、機械の身体だし。で、中には兵器を隠し持ってる人もいるわけです。左手にマシンガン、膝からミサイルが飛び出して、足からジェット噴射で加速装置でスゴイ勢いで動くんです。」

まゆ子「なるほど、サイボーグだ。」

釈「でも、日常生活ではそんなものを使っちゃいけないんです。だから兵器を街中で持ち運びながらも使わない自制心が必要なんですね。で、そういう人が警察とか警備員とかやってるんです。強いから。」

まゆ子「ふむふむ、分かりやすい未来図だ。」

釈「で、身体を張って日夜悪と戦い続けて、負傷してサイボーグになるわけなんですよ。だから名誉の負傷というわけですね。特典とか特権としてサイボーグになれるんです。」

まゆ子「要するに、武装サイボーグは国家の為に貢献した人間にのみ許される、というそういう社会なわけだね。」

釈「まさにそうなんです。で、市民社会の平和を守るんです。だから普通の生身のにんげんよりもエライ存在なんです。」

まゆ子「それが未来のサムライてわけだね。」

釈「ええ、戦争で負傷したから年金が出るわけです。で、警備員とかの仕事が無い人はこの年金で生活してるわけなんですけど、折りからの財政難で年金が減額されてとても生活が苦しくなってそれだけではとても食べて行けないわけですね、だからアルバイトとか内職とかをするようになるんです。そこでアパートの一室で傘貼りをしたり盆栽や金魚を作ったり、近所の子供に手習いを教えたり、」

まゆ子「うわー、そんな細かいところまで言及しなくてもよろしい。わかったわかった。それはとてつもなくサムライだ武士道だ。」

釈「わかって頂けましたでしょうか。」

まゆ子「わかったけど、却下だ。そんなんどこも未来じゃない。そんなのは漫画のシチュエーションだ。」

釈「だめですか。ざんねん。」

まゆ子「とりあえず、サイボーグというのは置いといて、まずどこから武士道を見直さなければならないか、糸口を見つけなきゃいけない。
 ともかくだ、この現在および近未来の状況において、そういった特権階級としての武士はありえない。サイボーグなんかで無理矢理差別化した人間の階層というのは成立しないという前提条件の上に立脚しなきゃいけない。」

釈「ということは、・・・・・・武士は居ない、ってことに必然的になります。」

まゆ子「そう! 特別な階級としての武士はいない。代わりに軍人が武士になることも無い。格闘家や武道家が武士という訳でもない。武士は居ない、まずここから始めなきゃいけない。」

釈「それは変な設定ですねー。武士は無い、というならば武士道も無いって事になるんじゃないですか。」

まゆ子「うむ、まさにそこだ。武士は居ない。だから武士道なるものはありえない。何故なら武士道というものは武士という存在の前提の上にのみ許される道徳であるからだ。そして武士というのは単に武装する人間を意味するわけではなく、刀というアイテムの上に成り立つ一種の宗教者という意味合いが強い。要するにさ、鉄砲持ってちゃあ武士じゃあないんだよ。」

釈「じゃあ自衛隊とかは武士にはなれない。」

まゆ子「そこだね。旧軍は一応刀をぶら下げていたけれど、武士じゃあ無い。武士道精神に則ろうとしたけれど、そして天皇という仕えるべき主君もあったけれど、武士にはなれなかった。そこんところをもっと深く考えなければならない。武士というのは、日本刀と主君、この二つのアイテムを必須とするけれど、それではまだ足りない。いや、それで事足れりとする思考停止状態に陥っては武士道になどたどり着く事はできないんだよ。」

釈「ずばり、なにが足りませんか。」

まゆ子「傍若無人。」

釈「え?」

まゆ子「武士道とは死ぬことと見つけたり、という。でもそれは主君のために死ぬわけじゃあない。自分で勝手に死んでやる、という思想なんだ。死ぬのに主君も神仏も運命も必要としない。自分で勝手に生きて勝手に死ぬ。そこに他者の干渉を受けつけない。そういう強い排他性によって武士道は魂を得るわけよ。要するに傍若無人に生きてこその武士。他人に唯々諾々と従うのは単なる従者の道でしかない。」

釈「その二つは違うものなんですか。」

まゆ子「浪人には主君は居ない。そうね、たとえば子連れ狼よ。拝一刀よ。あれには主君は無い。されどどうしようもなくサムライなわけね。」

釈「おお、拝一刀、水鴦流ですね。」

まゆ子「スイオウ流ってのはその字で良かったのかな。ま、そういう事。軍人さんでは拝一刀にはなれないのだよ。」

釈「よーくわかりました。つまり、傍若無人に生きれない人間には武士を名乗る資格は無い、ということですね。」

まゆ子「その意味では、徳川三百年、真に武士足り得た人間はそう多くはない、とも言えるわけよ。武士道とは死ぬことと見つけたり、という言葉の真意は、武士であり掛かり人つまり奉公人家来である以上、主命には逆らえない。逆らわないのが武士道ではなくて、逆らわずに生きることを自分で決める、あたかも主君の命令が天地自然の理と同様の逆らえない宿命として、それに無心で立ち向かって行く。それが武士道というものね。鎌倉時代の御恩と奉公の概念をもううっちゃってしまって、ひたすら個人主義に徹し、原理主義的に滅私することが、この言葉の本当の意味。その意味においてこれは、主君とか藩とか、あるいは一身の利害とかはもう超越しちゃってる、アナーキズムと言ってしまってよい言葉なのよ。」

釈「それはほんとうに道徳なんですか。なんか、まさに道というか、熾烈なというか。」

まゆ子「そうね、ほとんど宗教に近い。だからこそ人を惹き付けるのよ。自分ではそうは出来ない、そうは生きられない。だからこそ一瞬の輝きの中に真の武士たろうとする。死の一瞬において真に武士たることが出来れば本望だ。というわけさ。だから、人は武士にはなれない。しかし武士道を生きることは出来る。そういうものよ。それはまた、死中に活を拾うという武道の究極の奥義にも通じるわけね。死を怖れず、死に怯まず、死の中に生きる。その時初めて真の武を生きることになる。この勁さこそが日本の武士道の目指すものよ。だから、鉄砲では無いのだね。鉄砲はもう確率の問題だもん。当たる時は当たるし、外れる時は外れる。没交渉的な殺人の前にはいかなる道徳も道もありえない。」

釈「では、未来のこれからの時代の武士道とはどういうものであるべきなんです。」

まゆ子「じつは武士道には兄弟がある。武士道、任侠道、天狗道はこれ皆一緒のものなんだね、表現は違うけれど傍若無人に生きることをその中核とすることでは同じ構造を持っている。」

釈「任侠道というのはヤクザの道ですよね。」

まゆ子「もってオトコとなす道、という意味だよ。だから今の暴力団に任侠は居ない。」

釈「なるほど。」

まゆ子「仁義礼智忠信孝悌の八つの玉、いずれをとっても武士道の兄弟は作れるんだけどね。武士道は忠、任侠道は義、天狗道は智かな。智に働けば角が立つ、その角を貫き通すのが天狗道さ。商人の道といえばそれは信でしょ。礼は、これはーたぶん宗教的な意味での礼だと思うんだけど、まあ僧侶でも神官でも殺されても節を曲げない人間てのは居る。仁はこれは王者の道ね。孝は親子の道だけど、中には師弟の縁も入るのかな。悌は兄弟の道ということになるけれど、これは仲間ととらえてもいいでしょ。」

釈「割と簡単にできちゃうもんなんですね。」

まゆ子「実際はこれら全部を徳目として身につけておかなければならないわけだけど、どれか一つ先鋭化させることで特殊化した道になることができるわけなのさ。

 さて、ではこれからの武士道はいかに在るべきか、を考えるわけだけど、つまりこのどれを選んで先鋭化させるべきか、という問題に行き当たるわけなの。」

釈「至極もっともな考え方です。で、さしあたってですねー、孝と悌は当たり前すぎておもしろくもなんともないから除外しましょう。」

まゆ子「礼は宗教と言ったけれど、そこには正義も入るかも。正しい道を説くのが宗教のあるべき道だから、これは今でこそ必要だけれど、ちょっと分からない。」

釈「うはー、それは今の時代にこそ欲しいものですねー。無いけれど。」

まゆ子「忠信義は手を付ける必要はない。任侠道を復活させる方法は考える必要があるけれど、今回の目的からは外れる。武士道はそうそう命のやりとりをするわけには行かない現代人には極めようが無い。仁は小泉さんにでも極めてもらうとして、残るのは智だけだよ。」

釈「天狗道ですか。またえらく厄介なものが残りましたねー。」

まゆ子「最高に難物だね。難物すぎて現代人には検討もつかない、ってところがいいじゃないか。これをリニューアルする方法を考えるべきだ。そこにこそ未来がある。」

釈「そもそも天狗ってなんなんですか。鼻が長かったりカラスみたいだったり、てのはどうでもいいんでしょ。」

まゆ子「天狗とは、神様のお使い。要するに宗教者ではあるんだよ。ただし、僧侶神官が正しい道を説くのに対し、天狗は正しい力を使うものだ。力、つまり技術であり武術であり知識であり技芸である、力の超越的行使者として常人を越えた存在を具体的な像にイメージすると、天狗になるわけ。力の中には武術、つまり暴力も含まれる。その点を捉えて、武士道任侠道と兄弟だ、というわけなのだけれど、天狗道にはその二つと比べて隔絶して違うものがある。」

釈「はあ。」

まゆ子「天狗には死は意味がない。」

釈「死なないわけじゃあないですよね。」

まゆ子「逆だ。死はいつも隣に有る。なんたって山よ、宗教よ。山岳仏教よ。修験道なのよ。死なんてそこらじゅうごろごろしてる。死を一々怖れていたら生きてくことさえおぼつかないわよ。つまり、死なんかはこの際どうでもいいのだ。天狗が常に向き合うのは”虚無”よ。」

釈「う、やなかんじだ。」

まゆ子「もとよりお釈迦様を例に取るまでもなく、人間は現実世界俗世界において虚無と対面して宗教の道に入るわけなんだけど、天狗てのはその虚無と常に直面対面し続けるのね。こんなことは常人には出来ない。負けると廃人よ、狂人になって山野をさまようことになる。そういうぎりぎりのラインにたちどまり続けるのが天狗、天狗の道なのさ。狂ってはいけない、だが狂わねばこんなところには住めはしない。だから天狗になる。様式化された狂気、それが天狗。ゆえにそれはもはや人間とは呼べない。ほとんどあの世の者であるわけね、神様のお使いとはそういう意味なんだ。」

釈「それ、現代というか未来にも、それリニューアルしなきゃいけないんですか。」

まゆ子「というか、これしかないもん。それに、虚無と直面するというのは、現代だからこそ極めて切実な問題としてあり得るのよね。武士道を越える未来的武士道を極めようというのなら、虚無の深淵を覗きこまなければならない。」

釈「いやです。」

まゆ子「わたしもやだ。」

釈「もーちょっとなんですか、そのー、ポップな、というかライトでヘルシーでカジュアルな武士道というのが欲しいんですけど、無理?」

まゆ子「うーん、やってやれないことは無いだろうけど、虚無も死も覗かないというのでは、腹の足しになる程度も達成出来ないんじゃないかなあ。」

釈「そこをあえてお願いします。」

まゆ子「無茶を言う。じゃあ、そうねー、結局「虚無」と「死」に匹敵するものを覗かない限りは、武士道みたいなものはありえないわけね。ではそれが他にあるかといえば、一個だけあった。」

釈「神様とか言わないですよね。」

まゆ子「神様は非常に近いな。つまり、「虚構」だ。」

釈「ほ、それは、死なないですね。」

まゆ子「最初から死んでるからね。」

釈「そういう捉え方もアリですか。」

まゆ子「この世のものでないものを覗くというのが、この武士道システムのコアになる部分よ。では「虚構」を覗くのがそれに匹敵するかといえば、それに気付いてしまえばまさしく無に帰す徒労というのがあるわけなんだよね。それは本当に死に匹敵する無価値さを持つ。死がソレ自体は何の価値も持たないように、そこに価値を認めていたものから光が失われてしまえば、」

釈「むしろ、現実はなにも変わらないというところでは、死よりもなお残酷ですね。それは。」

まゆ子「う〜〜ん、君はたしかにちょと違う人種だね。二号明美なんかとは違う。普通そこは自明なものなんだよ。フィクションはあくまで嘘であり、そこには本来何も無く、現実は確固として別にあり独自の論理で遅滞なく進んでいるという信仰を持っていて、前世紀の人間が神の実在を疑わないように、現実の価値を疑わないものよ。それが普通人というもの。あなたはそれをてきとーに乗り越えちゃうのよね。」

釈「えへへ。そんなに褒められたことは無いです。」

まゆ子「とまあ、そういうことだ。虚構の前身は宗教であるわけで、その点で言えば宗教のリニューアルでもある。天狗もサムライもヲトコもその本質は虚構であるのよね、そういうわけで、虚構性演劇性からこの手のシステムは逃れようが無い。ただ、現実世界には疑うべくもない確固とした価値がある、という信仰の光の前に屈してその虚構性を隠蔽してきたわけなんだけど、そこを暴き出すのが、新しい武士道の核心となるのよ。」

釈「わかりますが、しかしー、なんか漠然としてわかりませんね。」

まゆ子「アイテムと暴力が無いからね。暴力性をどこに織り込むか、何を象徴的アイテムとして選択するか、道徳的にはなにを基幹とするか、そこを詰めなきゃいけない。」

釈「アイテムと暴力。つまりカタナと武術ですね。」

まゆ子「それと、死の扱いね。現代社会には死が存在しない。身近には死は無い。生まれてこの方死体を見たこと無いという人間も珍しくない。その一方でメディアでは世界中から死の情報が大量ひっきりなしに供給される。つまり虚構としての死、、というわけさ。であれば、この新武士道は、というか先に名前を付けちゃうべきだな、は死を拒絶するべきだ。死んでもろては困る、というところから出発しなきゃいけない。虚構としての死に対抗するためにはやはり虚構としての生を当てるべきでしょ。普通そりゃありえない、というくらいに生きなければならない。」

釈「はあ、疲れそうですね。」

まゆ子「当たり前、その労力を惜しんでは何も産まれないよのさ。だけど、そうじゃない? 今たしかに生きているという実感を普通の人は得ていない。ではそれを端で見ていてもひしひしと伝わってくると感じられる生き方が、それが新武士道でなくてどうするのよ。」

釈「たしかに武士道はいかに生きいかに死ぬか、という道ですから、そりゃそうですよね。でも、ほんとうに死は考えなくていい?」

まゆ子「むしろ忘れちゃうくらいがいい。おまえ、それやってたら死ぬだろ普通、って思わせるのが勝ち。明らかにそれは虚構だよ、死を忘れるってのは。しかし、今は皆見ないよう考えないようにしているわけで、忘れちゃったわけじゃない。存在しない死を生きている裏側として必死で隠蔽し、自分でも気付かない怯えに包まれて生活してる、つまり虚構の死に怯える欺瞞に包まれた日常てのが、今現在のリアルな生なわけなのさ。
 ではそういう世界においての理想とは何? そりゃ天使様でしょう。死というものを忘れちゃった人、というのはまさに天使様とよぶべきじゃない?」

釈「それは天使道ですね!、エンジェル道なんですよね!!

まゆ子「天使不殺。いいじゃない。語呂がいい、完璧よ。」

釈「完璧です。天使さまになろうという道なのですね。まさに虚構中の虚構。嘘の中の嘘の真実。しかも死を司り天国に人を導くお役目ですよ。これを使わないでなにが新武士道だってなものです。まさにカンペキとしか言いようがない。最初は、まゆ子さんまた馬鹿話言ってるとか思ってましたけど、エンジェル道、イイ!」

まゆ子「であるからして、エンジェル道がその基幹とする道徳的徳目は、ずばり”善”!」

釈「異議無しです。まさにこの世において善を為す、それこそがエンジェル道。」

まゆ子「この世において善を為すには、まさしく力こそが必要、力あるところに光有り、これがエンジェル道の奥義。その中には活殺自在の武術も含まれるわけね。悪から人を救うためには暴力も時にはヤムナシ、されど不殺。これこそがエンジェル道。」

釈「うんうん。」

まゆ子「さらに、善を為す為には傍若無人でなければならない。消極的な行為によって結果として善を阻害する「巷の悪」、普通人の無関心無気力怠惰という名の悪を打ち破る為には傍若無人であるより他に道は無い。「破滅への路は善意で敷き固められている」とかいう寝言もあるけれど、そういう落とし穴に陥らない為にも、ストイシズムが必要なのよ。時には善意の奉仕者も否定しなければならない。いや、あえて素朴な善意をも踏みにじり真の善へと導いてこそ、エンジェル道。」

釈「うわー、孤独で厳しい道ですね、やっぱり。」

 

2004/3/15

 

 

ドリル少女サイコーという話

まゆ子「今日は宇宙戦車をやってみよう。」

釈帝「ほーー、宇宙戦闘機ではなくて、宇宙戦車ですか。宇宙戦艦でもなく、宇宙潜水艦でもなしで。」

まゆ子「宇宙潜水艦てのはいったいなんなんだよ。」

釈「いや、宇宙の海に潜って隠れて敵をやっつける宇宙潜水艦です。宇宙魚雷とか使って。」

まゆ子「そりゃあ遮蔽装置ってやつかな。それとも光学迷彩? まあともかくセンサーに捕まらないようにしてこっそり攻撃してやろうってわけだね。まあ考え方は分かるけど、実際使うとなると問題が多くてねえ、まずビーム兵器やミサイル火砲の類いは使えない。すぐ居所がバレちゃう。ロケット噴射を使っても熱源探知でバレちゃうでしょ。それがいやなら炭酸ガスロケットとかもあるけれど、絶対零度近くの宇宙空間に摂氏100℃からマイナス10℃くらいのガスを噴出するってのは、こりゃあもうばればれなんだよね。」

釈「ほー、じゃあ宇宙で隠れるのは無理ってことですか。」

まゆ子「無理に近い困難があるね。ましてや快速を生かしての奇襲攻撃となるとほとんど不可能に近い。だまし討ちしか実際は運用不可だね。」

釈「それは困った。じゃあ数を揃えてガチンコするしかないって訳ですね。スゴイ装甲でやられないようにして、ローマの軍隊みたいにずらずらと並んで。」

まゆ子「それは銀河英雄伝説の戦争のやり方だけど、惑星間、つまり火星木星あたりで戦争するとか、あるいは月周辺でガンダムみたいに戦争するとなると、そうもいかん。月周辺だと、石ころぶつけるのが一番的確な攻撃だし、惑星間戦争程度のレベルの技術となると、相互の距離が飛行に数週間掛かるとかになる。もう戦争というより郵便だね。双方出撃と同時に相手に姿がばればれで、超長距離ミサイルとか撃ち合って潰し合って、相互に至近の距離に到達するころにはもう弾薬が残ってなかったりして、そのまま引き上げるしかない、なんてことになる。」

釈「うーむ、宇宙戦争というのは極めて不自由なんですねえ。で、そこにどうして戦車が出てくるんですか。宇宙戦闘機じゃあだめなんですか。」

まゆ子「うむ。宇宙戦闘機ってのは宇宙ではちっともメリットが無いんだ。それは小さな宇宙戦艦に過ぎない。だから宇宙戦艦のデメリットもそのまま甘受しなきゃいけないのだね。それでいて小さいから装甲は薄い武装も貧弱、だから小さい宇宙戦闘機よりもちょっとでも大きい宇宙駆逐艦あたりの方が強いんだよ。ミサイルほど小回りが利くわけもないし。

 しかし戦争が無いわけでもない。有るとしたらよほど小さなレベルの小競り合い。そうなると、小型で重装甲でタフな機械、つまり戦車みたいなのが一番使い勝手がいいのだよ。要するに対テロ戦争と同じくらいの小規模な戦争しか近未来では起こりようが無い。故に宇宙戦車となるわけね。宇宙戦車と宇宙戦闘機とどちらが強いかと言えば、ま、ほとんど同じね。だだっ広い空間に展開すれば、弾の当たり具合はどちらも同じくらい。大きさもそう変わりはしないから脆弱さも同じくらい。ちょっと大きい宇宙駆逐艦あたりにぼこんとやられちゃうのも同じ。ならば、月面やら宇宙基地やらに上陸やら接舷出来る宇宙戦車の方がマシなのさ。」

釈「意外と論理的なんですね。ということはなんですか、つまり宇宙にアルカイダが居るとかいう設定でやるわけですよ。で、正義のアメリカ軍が攻めてくるという、そんな感じですね。」

まゆ子「う、・・まあね。テロの理屈はそれぞれだけど、まあそんな感じ。テロというよりも、人質取ってるというのがありそうな話ね。テロなら戦車の出番は無いけど、人質たてこもりなら、強行突入は十分にあり得るってわけ。」

釈「確かに戦車でなきゃいけないですね、それ。それはともかく、宇宙に人が住んでるんですよね、その世界は。スペースコロニーですか、あの蒲の穂みたいな。」

まゆ子「あなた、ひょっとしてガンダム見たことある?」

釈「がんだむシード見ましたー。」

まゆ子「あちゃー、そう来たか。まああれだよ。そのスペースコロニーってのはとりあえず忘れてくれ。あれは作るのはいいが住む人を宇宙にまで持ち上げるので大変だ、ってことで、そんなもなあ無い、ってことになったんだ。」

釈「住む人が居ない?」

まゆ子「あれは住人は100万人のオーダーだよ。で、それが10から100くらい固まって浮いている。つまり億の人を移民させる事になるんだね。ガンダムなんかだと、宇宙に50億人がとこ住んでいることになる。地球と宇宙で同じ人数が住んでる。これは要するに50億人がとこを強制移住させるというのと同義なんだよ。誰もわざわざ宇宙になんか住みたくないからね。」

釈「うわあー、そんなのはナチスを1000倍くらい拡大したようなもんですね。わかりました。ガンダムはうそっぱちということで、お話しを続けて下さい。」

まゆ子「だもんで、宇宙に住んでる人数は万の単位。10数から100万未満、というのが現実的でよろしい。その大半は月面に住んでいる。宇宙空間のステーションなんかには、まあ1万人がせいぜいでしょうね。皆お仕事で職住一所にしてるわけで、地球には滅多に帰らない。家族は月に住んでいる、というところでどうだ!」

釈「どうだと言われても、どうでしょう。というか、その人達はなんのお仕事をしてるんでしょうか。」

まゆ子「月の資源を使って、えーとなんにしよう。火星開発のための準備で宇宙船を作ってるというかんじで、地球から材料持ち上げるよりも月で作った方がずっと安くつくということで、月面で資源開発とロケット建造。火星に持って行くもの、建材とか製造機械とかの製造をしてるっていうようなお仕事よ。」

釈「結構な大仕事ですねえ、それ。じゃあ働く人が10数万人で、家族がその倍で20数万。計30万余、ってとこで話を進めましょう。でも火星移民計画でもやるんですか、それ。」

まゆ子「いやー、火星に恒久的な観測基地、まあ人員規模で言うと1000人弱、てのを維持する為に、月面にこれだけの設備がバックアップで必要だっていうことにしよう。多分これ位は確実に必要でしょう。」

釈「火星にはなにがあるんですか。火星人ですか。というか、テロリストは人間が火星に行くことに反対の、火星人保護が目的のグリーンピースみたいなものですね。」

まゆ子「火星人は居ないだろうけど、まあテロリストってのはそういうくらいの些細な理由で人殺したりするから、まいいか。で、火星に人が行くわけですよ。何故と言われてもこれは資本主義の原則みたいなもので、宇宙に一旦人が上がってしまえば拡大せずにはいられない。ていうわけで、火星に人が行けるか、という実験はもう済んで、次は火星に人が住めるか、になる。火星に人が住めたら、次は木星だね。木星には面白い衛星がたくさんあるからこれは継続的な観測、いやひょっとしたら本気で宇宙人宇宙生物が居るかもしれないってくらいのものがあるわけよ。人間はここに行ってみたい。行って遊んでみたい。でもそのためにはまず火星に行かなきゃいけない。火星に住めるくらいのポテンシャルが無いと木星には手が出せない。だから月を開発する事になるのよね。」

釈「ふむ。ロボットで済ますわけにはいかないんですね、それは。」

まゆ子「そりゃあ、手袋ごしに触るよりは直に触ってみたいでしょ。ロボット探査で済ますなら、もう1000年位宇宙技術の進展の必要無いもん。技術ってのは転がり始めた大岩みたいなもんで、次から次に目標が見えてくるんだよ。これは出来る、というのが見えれば、手を出さざるを得ないのが科学者であり技術者だ。常に前に進まなければ腐って死んでしまう生き物なんだよ。だから、火星に行く。火星に行くのは木星に行く為。木星に行くのはスゴイ衛星があるからそこを開発調査したいから。そういう、まあ端から見れば馬鹿みたいな理屈だけど、それで正しい。」

釈「火星でテロ、ってのは考えなくていいんですよね、今回。というか、火星用大型ロケットってのはどういうものになるか、でかいですよね、100万tくらい。」

まゆ子「あー、それはー、わからん。南極基地をイメージすると、2、3万tくらいで上等だと思うけど、エンジンのボリュームがどの程度になるかまったくの未知だから。まちがいなく核融合ロケットエンジンだろうけど、ひょっとしたら太陽風ヨットかもしれない。核融合ロケットで人間だけ運んで、建設資材は太陽風ヨット、という手もある。どちらも一機じゃあ済まないから、往復二機、予備を入れて火星と地球側で二機ずつ四機てのが、必要最小限じゃないかな。事故った場合には救出に行かなきゃいけないし。核融合ロケットなら人工冬眠は必要ないと思うけど、火星なら数週間で着くと思うけどね。でもその分居住スペースが大層なものになる。というか、いざとなったら船に全員収容してミッション継続、あるいは地球に帰還するというシチュエーションが考えられるから、収容人員数1000人、半年は居住可能な物資を格納。その他建設、研究資材や機材搭載で10万tクラスかな。」

釈「そりゃあ地球で作って打ち上げってわけにはいきませんよね。部品を作って組み立てて、てので作っちゃってもいいのなら出来るかもしれませんけど。」

まゆ子「いや、船体自体は月で取れる鉄やアルミ、チタンで上等なはずだよ。カーボン、プラスチックとかは地球産じゃなきゃ仕方ないけど、月の砂のシリコンでガラス繊維を作ってカーボンの使用量を大幅に節約出来るはずだから、9割がたは月資源製でいけるはず。燃料も月から採取するからね。」

釈「月で作るのにはエネルギーは太陽でいいんですよね。太陽電池で電気作って、アルミとかは電気の缶詰ていうらしいから、どんどん作れちゃう。」

まゆ子「ま、ね。アルミはそんな感じかな。月は昼間の内は太陽電池使いたい放題だから、じゃかすか作れちゃう。でも月の半分は夜だから、その間はお休みね。月軌道上に太陽電池衛星を浮かべて、電力を軌道上から確保して、一年365日昼夜兼行でプラントを稼働する、という手もある。というか、月は月の半月は夜だからね。」

釈「自転周期と公転周期が同期してるのです。だから月の裏側は地球からは絶対に見えない!」

まゆ子「えらいえらい。そういうわけよ。月は摂氏150度くらいとマイナス100何度を半月ごとに繰り返し、材料の伸び縮みで破損する可能性があるんだけど、プラントおよび周辺施設を全て地面の下、というか、砂の下に埋めちゃって定常の温度にしとく、という手もある。居住施設も土の下の方がいい。月は宇宙線や太陽フレアの影響をもろに受けるからね。太陽電池も定常の温度にする為に軌道上に浮かべといた方がいいかな。」

釈「となると、テロリストは土の下の施設に立てこもる事になるわけです。これじゃあ戦車というよりもモグラタンクが必要ですよ。ドリルの出番だ。」

まゆ子「あ、まあ、まあそうかな。ドリルが付いていてもいいかもね。」

釈「ということは、敵もモグラタンクだ。モグラタンク同士が月の地面の下で戦闘するんです。」

まゆ子「そこまではいかないと思うけど、まあ、奇襲的にドリルモグラを使うという可能性は否定しないよ。というか、月表面で戦車ってのはナンセンスだからねえ、すぐ上から見えちゃう。ドリルモグラは悪くないアイデアではある。」

釈「地面の上を進んでたら、バレますか。」

まゆ子「バレるし逃げようが無い。月には、というか月にも戦闘機は必要ないんだ。相当貧弱なミサイルでも、あっという間に月周回軌道、つまり月衛星軌道に弾体を投入できるから、事実上月の表面のどこからでも月のどこでもを攻撃出来るわけで、戦車が地表面を進んでたら、見つけた途端に御陀仏よ。戦闘機も同様に、どこに居ようが撃ち落とせる。」

釈「ほう。じゃあ口からでまかせで言ったドリルモグラはいい線行ってたんだ。」

まゆ子「というか、地下に施設を作るのはデフォルトにしてもいいんだよね。月には地殻変動が無いから地震も無いし、侵食も湧水も無い。ガリガリて掘っちゃえばそのまま施設として使えちゃう。つまり、ドリルモグラ必須なのだな。」

釈「コンクリはありますか? コンクリ無いと困るでしょう。」

まゆ子「日本のなんとか建設ってのが月で作れるコンクリってのを考えてたけど、まあ間違いなく月には石灰岩が無いから、というか石灰岩てのは大昔のホウサンチュウての死骸の堆積物なんだから有るわけが無いんだけど、ともかくコンクリみたいなどろどろでくっつくのは作れるみたいだよ。どんなのかは知らないけど。ただ、水が使えないからやっぱどうなんだろうね。普通の人の意見では、中東みたいに煉瓦を焼いて積み重ねて作るのが一般的だ。太陽炉で月の岩石をどろどろに溶かして型に入れて固めると、いろんな形のブロックが作れる。だから、まあ内装外装をコンクリで塗り固めようと考えなければ、継ぎ目有りで良ければなんとかなるんじゃないかな。月面に煉瓦造りのドームを作って、その上に砂を何センチかで被って日除けにする、という手もある。」

釈「なるほどー。つまり、土と岩でなんとかやっちゃおうというのが、月の建築のセオリーなんだ。」

まゆ子「だから、ドリルモグラをテロに使う場合は、通常一般の工事に偽装していらんところを掘っていて、或る日突然牙を剥く、ということになる。もちろん月面には要らない人は居ないから、テロリストも本来は作業員、スタッフだよ。」

釈「月面でのテロ対策安全対策はどうなってるんでしょうか。兵隊さんが常駐してたりするのかな。」

まゆ子「いやー、それはー、無いなあ。基本的には性善説に基づいて保安は最少だと思う。というか、所詮は真空中であるわけで、テロ対策よりも空気漏れ対策とかでブロックごとに別れている構造になってるだろうし、火災対策で空気浄化装置も個々のブロックで独立してる、と考えるべきだ。つまり小型のステーションの集合体であり、一度に全部を掌握する事は非常に困難という事になる。動力も太陽電池と太陽電池衛星からの送電でまかなっているから、原子炉みたいに壊されると大変な施設も無いし、工場施設は基本的に無人ロボットと考えるのが妥当だから、保安部は基本的に、人間自体を監視するだけでいい。
 月面テロで一番のターゲットは人間そのものってわけね。人間が集まったところを襲撃して人質にする。あるいは月面上を移動するバスやら軌道上に離脱するシャトルやらを攻撃する、ということになる。」

釈「酸素切れ、というのはありますか。」

まゆ子「うん、普通にあるでしょ。でも電気が通っている限りは多分大丈夫。環境維持装置は酸素供給と通常室内の空気を浄化、つまり二酸化炭素を分解して酸素に換えて戻すという作業をする。月面には対流はないだろうから扇風機で空気をかき回して二酸化炭素濃度が偏らないようにする。だから、電気が途絶えると、酸素不足より先に二酸化炭素中毒が発生する可能性が高い。もちろん火災が発生した場合には酸素も無くなるわけなんだけど。」

釈「じゃあ、テロ対策で電気を切るという手は使えませんね。」

まゆ子「絶対やっちゃダメ。それは、むしろ突入する時こそ電気を通すべきだ。つまり、占拠された施設は絶対に停電させちゃあいけない。保安コンピュータやセンサ、カメラ群も使えるからね。」

釈「では、立てこもりはあんまり得な方法ではないですね。むしろ施設破壊で責めた方が効果的なのでは。」

まゆ子「そりゃテロリストが生身の人間の場合でしょ。立てこもるのが全部ロボットで遠隔操縦で動いてるとなると、立てこもりは最大限の効果を発揮するよ。」

釈「あ、そうか。」

まゆ子「それとドリルモグラ。その能力をもってすれば、地下洞窟だろうがコンクリブロックで出来てようが施設内部をぶっこわすのに十分な破壊力をもっている。人員を1ヶ所に追い詰めて、あとはドリルモグラ特攻で一気に殲滅、というやり口もいけてるね。」

釈「爆発物は?」

まゆ子「爆発物は、さすがに施設内持ち込みはセンサで感づかれてしまうでしょ。そこまで保安は甘くないわよ。」

釈「じゃあサイバーテロで、ロボットとかドリルモグラとかを遠隔操縦でコントロールを奪ってしまう、というのが、月面テロリストの手口?」

まゆ子「テロリストも施設の職員なんだから、身元がバレるのはダメなんだよね。ゆえにサイバーテロに走るわけだが、火星行き宇宙船にバグを仕込まれるのは大ごとだから、コンピュータ関係もチェックは最高度に厳しい。よって、ロボットやドリルモグラを保守点検整備する際に密かに別回路でコントローラーを取りつける、という手口が最もありそうな話だね。」

釈「ふむふむ、なんとなくSFチックというか、古典的スパイアクションぽくなってきました。」

まゆ子「うん、なんとなくそんな感じだな。してみると、人間の想像力ってのは窮極点はシンプルなものに落ち着くのか。」

釈「それで、宇宙戦車ですが、そうなると、ロボットやドリルモグラの相手をする事になるわけですね。でも、それじゃああんまり大きなものは必要ないような、」

まゆ子「タチコマとかフチコマくらいの大きさのロボット戦車がちょうどいいかな。ただし火器の使用が適当だ、とも思えない場面も多いから、格闘戦能力を持つ歩行戦車がいいかもしれない。月面は六分の一重力だから、結構な防弾装備をしてもちゃんと軽快に歩けるからね。もちろんドリルも装備だ。」

釈「ミサイルでドリルモグラを撃破ってのはダメですか。って、施設内にあるのをぶっ壊したら施設も壊れるか。」

まゆ子「ドリルモグラは民生用としても相当硬いとみるべきだから、生半可なミサイルは使えない。そうねえ、天井高100メートルくらいある部屋でなければ施設内で使うのは禁止かなあ。」

釈「人間を立てこもりにするロボットってのはどのくらいの大きさ硬さでしょうか。アシモくらい?」

まゆ子「2〜いや3メートルのアルミ合金製てとこかな。もちろん防弾装備なんかないんだけど、月面の低重力では機械にはねとばされた石ころが相当な速度ですっとんでくるから、作業用ロボットといえども十分な強度が必要だよ。たぶん、拳銃弾くらいじゃ傷もつかない程度の硬さはある。まあそういう環境なわけであるから、作業現場に人間が立ち入る事は厳禁、無人と遠隔操作による現場、ということになる。」

釈「拳銃弾で傷もつかないとなると、そもそも鉄砲で壊せるものなんですか、それ。やっぱりミサイル使わないとダメなんじゃないですか。」

まゆ子「うーん、その可能性はある。月面ロボットはそう簡単に壊れちゃあ困るし、部分的に壊れても他の部分がバックアップして動作しつづける冗長性の高い設計になってるでしょ。今の兵器よりもタフだと思うよ。随伴する修理ロボットってのもあるだろうから、全壊でなきゃ死なないとみるべきね。人間がライフル銃持って、という程度の火力では制圧不能でしょう。ちなみに月面で使われる銃は小口径の炭酸ガス銃だと思う。火薬は発生するガスが面倒で、空気浄化装置のフィルタが汚れるし、炭酸ガス銃でも人間相手には十分過ぎるほどの威力があるよ。月面だから外では空気抵抗も無いし低重力だから、地球で400メートルくらい飛ぶ射程なら、2〜4キロの延伸は固いね。」

釈「それでもロボット相手には意味がないんですね。」

まゆ子「標的に当てた場合の威力は地球とおんなじだもん。まあ距離があっても至近で当てたのと同程度のダメージはあるでしょうけど、貫けない装甲なら地球に居ても月に居てもおなじ効果しか得られない。それにー、正直言って月面では人間に銃は撃たせたくない。跳弾がね、撃った弾が硬いものに当たって跳ね返ってくることだけど、屋内でぶっ放したらもうビリヤードっぽく何重にも跳ね返って自分とこ戻ってくるケースが発生しそうなんだよね。低重力だから。」

釈「じゃあ、当たっても跳ね返らないような、ねとっと貼り付く弾はどうでしょう。当たったらばしっと痛いんですけど、死なない。」

まゆ子「それじゃあ防弾着を着けてたら役立たないじゃない。 人間相手ならそれでもいいかもしれないけどね。」

釈「となると人間相手は考えないような大口径の機関砲で、がりがり壁を砕いて行くというような武装が必要ですね。だから宇宙戦車なんですか。なるほど。」

まゆ子「そうなんだ。まあ装甲車と言ってもいいけれど、装甲車は本来敵の弾を受けるようには出来てない。歩兵程度の攻撃なら跳ね返すけどね、対戦車、対装甲兵器用の武器には対抗しえない程度の装甲しか持ってないものなんだよ。それじゃあ困るから、宇宙戦車なのさ。敵の攻撃をぱりぱり跳ね返すだけの重装甲で至近に接近して、周辺に多大な被害を与えないように爆発物を使わずに敵を一撃で粉砕する。そういう機械が必要なのさ。」

釈「ドリルですね、ドリルでアタックするんですね。」

まゆ子「うんうん。」


2004/03/06

 

釈「ところで、タチコマとかフチコマってのはなんですか。狛犬ですか?」

 

誰でも出来る簡単動力

まゆ子「今日はSFと言っても普通じゃないのをやってみるか。」

釈「普通じゃないってどういうのですか、あ、江戸時代とか。」

まゆ子「うーん、それも悪くない。スチームパンクって言葉があるけれど、江戸時代のカラクリものでやる場合はあれはなんと言ったらいいのかなゼンマイパンクかな。」

釈「昔のゼンマイってのは鉄じゃないんですよね?」
まゆ子「江戸のぜんまいはクジラの髭だよ。」

釈「クジラの髭ってのは、結局なんなんですか、髭なんか生えてなくてつるつるしてるように見えますけど、毛ですか。」

まゆ子「あー、そうね、髭というのは確かに適切な名前じゃないかもね。あれは歯なんだよ。つまり口の中に生えている。でも本当の白い硬い歯が生えているのハクジラで、これはイカとかを食べるのね。それに対してオキアミとかのちっこい餌を大量に食べるタイプのクジラの口に生えてるのが、通称クジラの髭。そこらへんの海水をがばっと大量に呑み込んでその中にある細かいアミとか魚とかを呑み込んじゃうんだけど、余分な海水までは要らないから固形物だけを漉して水は捨てるフィルターの役割をするのがクジラのヒゲでね、一本一本はヒゲというよりも昆布みたいな板状の、というかそれこそ伸ばしたプラパンみたいなものなわけで、それをちょん切ってグルグル巻いたのが江戸時代のゼンマイなわけね。適度な弾力があってちゃんと反発力で巻いたエネルギーを開放してくれるから、動力として使えたわけ。まあ金属のゼンマイの方がいいんじゃないかなあとか思うんだけど、でもどうして日本じゃ金属バネのゼンマイを使わなかったのかな。作れなかったのかな。」

釈「はあ。じゃあ、クジラのヒゲが無くて金属バネがつかえなかったとしたら、ゼンマイは作れなかったわけですね。」
まゆ子「あ、うーん、そうね。初期の西欧の時計はゼンマイじゃなくて錘だったからね、動力源としては多少スペースを要するとしても、それで済ませたのかもしれない。」
釈「錘ってのは、どう使うんです。」
まゆ子「つまり位置エネルギーさ。錘を上まで持ち上げて、下に降りてくるのを調速して徐々に降りるようにして、それをぐるぐる巻きにした心棒をひっぱって回転させて動力とする。江戸初期の時計は全部これだったかなあ。」

釈「ふーん、わりと簡単なものが動力になるんですね。じゃあ、今日のお題は

      だれでも出来る簡単動力、

            てのはどうでしょう。」

 

まゆ子「・・・・・むずかしーなそれ。」

釈「でもこれまで誰も考えつかない動力ってのがあるでしょ。」

まゆ子「まあそりゃそうだけど、でも実際使ってみるとしたら、・・・どうだろう。まあマトリックスみたいな馬鹿話よりはましなことは話せるだろうけどねえ。」
釈「マトリックスってあれおもしろかったですか。なんか映画ビデオになったらみてみようかななんて思ってるんですけど。」
まゆ子「一作目は見たの?」
釈「テレビでみました。なんか緑の字がずらずらと流れてきて、えーと、なんですか、人間が水の中のカプセルみたいので、夢を見てるような感じで、えーと。」

まゆ子「コンピュータにつながれて仮想現実世界で二十世紀に居ると思わされて夢の中でずっと死ぬまで住んでいるのだよ。で、何のためにそうするかというと、コンピュータが太陽電池使えなくなって、代わりに人間を電池として使うのです。」

釈「はー、そんなことができるんですか。人間から電気取るなんて。」

まゆ子「あり得ない。こりゃあもう、なんでこんなあほらしい設定にしたのか、監督の脳味噌の中身を疑うようなどうしようもない、検討する余地などまるでないでたらめだ。」

釈「出来ない?」
まゆ子「というよりも、そんなこと考えるのはもう廃人だよ。」
釈「そうなんですか。なんかまゆ子さんなら出来るようにしてくれるかな、とか思うんですけど。」

まゆ子「普通に考えればクロレラ飼うよ。クロレラを大量に培養して、燃やすとかアルコール化して燃料にするとか、そういう風にする。もし太陽が本当に全然地上に届かなくて化石燃料も原子力も全然無いとしたら、地面に穴歩って地熱を使う。海底に穴歩って火山のマグマに水流して熱水にして噴出させてチューブワームを飼う。どこのバカが人間を電池にしようなんて思うもんか。というか、人間を飼うエネルギーがあれば、自分で使うよ。」

釈「そりゃそうだ。じゃあ、人力というのはエネルギーとしてはまったく役に立たないと。」

まゆ子「というか、自転車だってあるし、荷物担いで運ぶ人っているし、土木工事したり船ひっぱったりもするし、まあ世界中至る所で人力はエネルギーとして盛大に活躍してるんですけど。で、人間の動力ってわずか0.3馬力に過ぎないわけで、こんなもん電力に変換してもまるっきり不経済なのだよ。」
釈「0.3て言えば、つまり馬ってのは人間三人分よりもまだ強いってことですか。うひゃーそりゃ貧弱だ。」

まゆ子「ま、強いて人間を電力に変換しようと思えばだね、発電機を手で回すとか、ゼンマイを回してラジオ鳴らすとか、自動巻きの時計とか、その程度かな。太陽電池があれば対して意味のあるものではないけれど、でもケイタイが電池切れの時、それも雪山で閉じ込められてるとかなると、そりゃあ最後の手段としてなんとか役に立つかな。」

釈「結局最後はゼンマイに戻るわけですね。じゃあ、ゼンマイをもっと効率的にする方法ってのはないでしょうか。」

まゆ子「ゼンマイは、ゼンマイは重いからねえ。プラスチックを使えば最高に軽いゼンマイてのは作れると思うんだけど、でも紙より軽いゼンマイってのは作れないでしょ。巻く時わずかにスペースも必要で、つまり大きく嵩張るわけだし。軽自動車くらいは動かせないでもないと思わないでもないけれど、でもそれこそ電池やキャパシタ使った方がずっと大量の電力を貯蔵出来るからねえ。燃料電池車ってのもあるし。」

釈「はあ。それじゃあ、人口筋肉というので、ごはんを食べて動く自動車ってのはどうでしょう。動物みたいに内臓があって筋肉があって発電機をぐるぐる回すわけですね。」

まゆ子「意味があるとは思わないけれど、直接筋力を回転力に変換するとすればたしかに素晴らしい能力を引き出せるかもしれない。たぶんチーターよりも早い時速200キロくらいは出るんじゃないかな、それ。でも2分で疲れて止まっちゃうと思うよ。お腹も空くし。まだガソリン燃やして走る方が燃費いい。」

釈「あれえ、動物って極限まで効率化してるんじゃないんですか、おかしいなあ。」
まゆ子「そりゃ、ごく普通に自然界で手に入るエネルギー源を効率良く利用するという点において極限まで進化してるとは言えるけれど、でもごく限られた例外を除いては、回転動力を発生させる動物はいないし、燃焼によってエネルギーを発生させる動物てのもいないよ。というか、熱に耐えられないじゃない。こういっちゃなんだけど、よくもまあこんな貧弱な材料で生物って出来てるよ、って感心するほどよ。絶対的なエネルギー効率が悪いからといって進んでないとは言えない。」

釈「でも、それじゃあ、なんかすごいものは動かないわけでー、困ったな。どのくらいのエネルギーを必要とするんだろ。」

まゆ子「そりゃなにをさせたいかで、要求されるエネルギーの量は決まってくるだろ。」

釈「大気圏脱出とか。」

まゆ子「大きく出たな。生物でそれだけのエネルギーを放出させようと思えばメタンガス以外は無いだろう。つまり発酵だね。大量の有機物を分解して発酵させてメタンガスに変換してそれをどっかにため込んで、でもメタンでロケット作るわけにもいかないし。」

釈「あ、出来るんデスか。じゃあ止めます。」
まゆ子「うんん、そんな簡単に諦めてもらっちゃ張り合いが無いな。しかし、遺伝子改良でロケット燃料を生成する、ってのもおもしろみに欠けるからねー。現行の生き物をベースで考えるか。」

釈「ごく単純なところで、ロボット動かすくらいでどうでしょう。」

まゆ子「ま、生き物に出来るといえばそのくらいかなあ。しかし、やっぱり生き物をいじって機械の代わりにしようというアイデアはもう古い。プラスチックとかで構成される擬似生命体で、アルコールとか電気とかで動く、ってのが21世紀的に正しい。」
釈「偽生物というか、バイオロボットみたいな感じですね。」
まゆ子「そうそう。バイオ技術というのは、DNAベースだけじゃなくて、生体の構造を模倣するというアプローチもあるわけよね。あくまで機械、でもしなやかで柔らかい。動力源は機械的だけど動作は生物的。これよ。」

釈「じゃあそれを使う未来というと、いままでの未来図と変わってきますね。というか、21世紀の現在でいう未来図というのが、イマイチはっきりしないですけど、鉄腕アトムみたいなというのはさすがにあきませんよね。」

まゆ子「現在主流の未来図はブレードランナーとか攻殻機動隊とかだろうけど、鉄腕アトムの1960年代的未来図ていうのはレトロなんだけどーお、偽生物ロボットが主流になるとがぜん現実的になる。」

釈「アトム世界が実現するってことですか。」
まゆ子「まあ10万馬力はないけれど、感触的にはアトムっぽい世界というのは、・・・・そうかまだ誰もやってないな。」
釈「そうなんですか。」

まゆ子「いや、似たものはある。というか、子供映画のたぐいならおなじみの概念なんだけど、リアルで考えた人と作品は無いはずだ。」

釈「具体的に言うと、どんなのですか。というか、絵にでも描いてみないとわからないんですけど。」

まゆ子「あー、それはねえ。基本的には人間に楽をさせない社会、ごく自然な生活としてちゃんと肉体を使って生活する一見すると不便だけれど、でも人間としてはマシな世界という奴だね。自転車みたいな社会というとわかりやすいか。自転車なんてのは無理して自分でこがなくても自動車でもバイクでもある、でも人は好んで自転車に乗る。乗りたいから乗る。坂道なんかキツいけど、でもバイクじゃなくて電動アシスト自転車を作ってしまう。それと同じで、機械や業者に任せればいいものを、偽ロボットを使って自分でやるというわけだ。」

釈「じゃあ自転車もロボットになるんですか。というか、電動アシスト自転車はもう半分ロボットみたいなものなんだけど、えーと、たとえば、パワードスーツを着て自転車を漕ぐとか。」
まゆ子「うーむ、あたらずといえどもとおからじ、ってところか。どっちかというと、歩く為に下半身パワードスーツを使うとかだね。時速10キロ出るロボ脚とかで、歩き回る。」
釈「時速10キロというとー、自転車くらいですか。」
まゆ子「街中の自転車はそのくらいね。車道を通るかこいいのはもっと出してると思うけど、えー、坂道が余り無いところだと一日120キロくらいは走るのかな。8時間走るとして時速15キロ、時速10キロは上等でしょ。」

釈「うー、なんかすごく身近過ぎて進歩してるのかしてないのかわからないなー。普通のロボットは居ないんですか。アシモみたいの、というかメイドロボとか。」

まゆ子「意外とロボットロボットしたのは無いかもしれない。ロボットはいるけれど、ほとんど家具みたいなもので必要が無い時は室内の景色に成り切って気にも止めない。そうね、よくできたロボットはスリムなのよ。ロボットといえば鉄で出来た人形みたいのものてイメージがどうしてもあるじゃない。今のアシモもそうだけど、ある程度ボリュームがある。でも、偽ロボットは骨よ。」

釈「骨?」

まゆ子「胴体が一本の棒。手足も棒。ハンガーみたいなもの。オズの魔法使いのかかしでもいいかなーというか、まあそんなものよ。それでもちゃんとパワーを出せるし、人間よりも強い。バッテリーも内蔵出来る。で、人間が気にも止めないように働いている。つまり顔のないロボットよ。これまでは、ロボットって顔があったのよね、存在感が。仮面のようにのっぺらぼうでも、無言の圧力があるというのがイメージなのよ。でも、偽ロボットはその存在感が無い。景観にとろんと溶け込んで圧迫感が無い。夜の作業とかだったら、夢の中を影法師が働いているようなさり気ない存在なのよ。」

釈「それはアトムとは逆の存在なのではないでしょうか。もうそうなったらロボットじゃないんですよね、それ。」

まゆ子「ロボットに人格があるとさえ思えないロボット、まあ電気掃除機に個性が無いのと同様の、でも自由度はロボットロボットと想定されるものと同様でちゃんと人間の役に立つ。これが新機軸ロボット未来図ね。で、家とか街とかは意外と自動化されてないのよ。今とほとんど変わらない。そこに設備として偽ロボットが居る。」
釈「つまりは黒子の役に徹するということですね。いやむしろ、魔法の小人みたいに、姿を見ると消えてしまうみたいな。」

 

まゆ子「誰に聞いてもロボットはロボットでちゃんと有ると言う。けれどそんなコトを特別のものとして意識しない。ロボットと人間が対立したりするような概念を持っていない。そういう世界よ。で、その世界に”異物”としてアトム系だとかメイドロボ系の存在感の在るロボットが特別なものとして、なかばアイドル的に居るわけよ。」

釈「ふむふむ。じゃあその手のロボットはべらぼうに高い、もう人間よりも優先されるような代物なわけです。となると、人間のサイボーグ化というのも、ちょっと感じが違ってくるんでしょうね。サイボーグってのは究極行き着くところはそういった高価なロボットなんですけど、偽ロボットが居る世界は。」

まゆ子「うん。サイボーグ化というのを拒否するということが当たり前になってるかもしれない。盲導犬みたいな盲導ロボットとか、車いすみたいな感じで全身を包むパワードスーツとか、肉体に機械を埋めこむ必要のない補完機能というのが開発されてるでしょう。もちろんサイボーグ化もちゃんとあるんだけど、社会的にはどうでもいいという許容度になっている。
でまあ、未来というのは大体賢い学者さん連中の予想をことごとく裏切ってきたわけなんだけど、このレトロ偽ロボット世界も予想を裏切る事になる。なんとなれば、この世界は人間が怠惰であることを許さない。」

釈「はあ。まあ物好きで自分でやってみようというわけですから。からだにはいいですよ。」

まゆ子「うん、身体にはいい。身体は常日頃動かさなきゃさびついてしまう。時速10キロで動く下半身パワードスーツは確かに力は使わない代わりに脚を通常の倍は往復させて心臓はそれなりに動かすことになる。いやでも健康にされてしまう。庭仕事とかをロボットを使ってやろうとすると、ロボットを監督しておけばよいというわけではなくて、自分がロボットに持ち上げられて鋸で枝を切ってる、とかいう不思議なはなしになる。ロボットはちゃんと自分でそれをする能力があるけれど、細かいところを厳密に指示したりするよりも、自分でやった方が早いや、というのでなぜか人間が働かさせられてしまう。ロボットは人間が働くのを脇で補助するという本末転倒した働きをする。本来は省力化の為に作られた機械なのに、能力が拡張された結果人間が自力で出来ることの幅が広がって、何故かやることが増えてしまうというのは、コンピュータでもよくある話だね。」

釈「あははは。はあー、そりゃ間抜けな未来だ。なるほどお、総体的にはどこから見てもプラスの方に評価されるのに、なんとなく釈然としない、というなかなかユニークなものですね、それ。」

まゆ子「だからさ、この世界では誰もロボットを嫌ったりはしないんだよ。なんせ人間がちゃんと働いてるからね。で、ロボットの力を借りてだけれどなかなか大層な仕事が出来る。ちょうどコンピュータを使えば色塗れなくても絵が描けるとかみたいにね。自分ではよく知らないけれど、でも説明書どおりにロボットを扱ったら自分で家が建てられた、とか、複数のロボットを同時にコントロールして農場でひとりでリンゴ園のリンゴを世話出来たりするんだよ。自動化じゃなくて、あくまで能力の拡張ってわけね。一人で動き回る手間を複数のロボットが肩代わりして、リンゴの状態はカメラを通して自分で確認するし、自分で遠隔操作のマニュピレータで手を掛ける。
 はた目から見れば、自動化の方が効率いいんじゃないか、と思うんだけど、でも人間の智慧がいつも働いていることで、進歩が産まれるんだ。自動化なら進歩は停滞する。工場とかメーカーとかが設定する能力で天井になるわけだけど、人間の手足としてのロボットであれば、そこに新しい技、新しい領域が産まれる。でもその為には人間に汗をかいてもらわなければならない。」

釈「おお。そうか、ロボットによる未来、ってのはその進歩の部分がどうもヤなんですよね。なんかスタティックなかんじして、どんどん人間はのけ者でスポイルされてって感じで、アトム的未来観てのはそこらへんがどうも息苦しさを感じるんですよ。でもそれなら人間の未来は明るいですね。」

まゆ子「まあ億劫がる人間もいるんだけどね。電脳化で、仮想空間内での活動で全部すませちゃおう、なんて横着者が。でも、結局そこらへんはコンピュータの方が得意なのさ。電脳化された人間よりも、よくできた人工知能にものの分かったオペレータの方が、ずっとパフォーマンスは高い。なんたって人間の機械に対するアドバンテージってのは、人間そのものの身体性、制約される肉体そのものだもん。その優位さをかなぐり捨てて電脳化すりゃあ、剥き身のエスカルゴみたいにコンピュータの餌食にされちゃうだけよ。」

釈「はあ。まあ、ご飯食べなきゃ死んでしまいますからね−。」

 

まゆ子「でまあ、偽ロボットはなんでも動くんだけど、電気とか太陽電池とかをキャパシタとか電池とかに貯めて、モーターでね。そこらへんはもう確定しちゃっていいよね。ご飯を食べて動くとか、石油で動かなくてもいいよね。」

釈「燃料電池という手もありますけど、最終的には電気ですよね。やっぱ。」

まゆ子「だから、すべての動力は電気になる、と断言してもいいわけなんだ。しかし!」

釈「なに。」

まゆ子「世の中に偽ロボットが溢れているわけなのよね。人間の役に立とうとスタンばっている。このロボット達を遊ばせておく手はないわよ。」

釈「そりゃそうです。」

まゆ子「偽ロボットに自転車漕がせたり、荷車を押したり人力車引いたり、あるいは石臼をまわすのに偽ロボットの怪力を使ったり、川を遡る船をロボットが曳いたりだねえー。」

釈「ど、動力にろぼっとを使うんですか!?」

まゆ子「ゼンマイを巻くロボットもいる。で、よくできたカラクリ人形を動かして、と。」

 

2004・1・30

 

ワープ航法を実現する、のは諦めてー

まゆ子「つまり”ましなりぃ でぽ”ってのは、実現可能性は別に考慮する必要は無いわけなのよね。ただ、ある程度の説得力のあるカガクテキな設定を、それも今までに無いような斬新なアイデアを、そしてそれを利用してのフィクション、お話しであるとか漫画とかアニメ、CGとかが作れるように惜しげもなく無料で提供するのが、その存在意義なのよ。」

釈帝「それはまあ分かりましたが、タダというのが、わたしの体に流れる或る種の部分が納得をしないわけなんです。どうにかして、その、御代を頂くとかいう風にはならないでしょうか。」
まゆ子「そりゃあ関西人の血だな。後天的ではあるけど、あんたの体に染みついた関西のあきんどの魂の叫びてわけだ。

 ということで始まりました、ましなりぃでぽ。前回に引き続いておもろいインド少女しゃくていさんをパートナーとしてやってきたいと思います。」

釈「いや、だからですね、アイデアというのはもっと尊重されなきゃいけないわけでして、こうやって公の場に晒してしまうと独占権と言いますか、オリジナリティの主張さえできなくなってしまうんですよ。それは損でしょ。」

まゆ子「結構なことじゃないか。他の人、いや商業的にクリエートしてる人がわたしのアイデアで大金掛けて形にしてくれるというのなら、大いに結構。これも社会への御奉仕というものだよ。」
釈「いや、でも、そんな人が見ているとは限らないわけですから。」

まゆ子「甘いな。世の中には検索エンジンというものがあるんだよ。ぐーぐるあたりでそのあたりのキーワードをちょちょいと入力してやれば、いきなりましなりぃでぽに飛び込んでくる、という寸法。SF関係の人がその手のアイテムをぐぐってみれば、ましなりぃでぽは相当の確率でヒットするのだよ。」

釈「あ、それはつまり、まき餌ですか。」
まゆ子「まき餌であり疑似餌でもある。こういっちゃなんだが、この手の空想的アイデアを垂れ流してるHPの中では、品質の良い方だと自負しているのだよ、わたしは。他と比べて見れば、読みやすさも応用のし易さもダントツに高いのだあー。何故だかわかる?」

釈「そういう怪しいHPはわたし見ませんから、分かりません。」

まゆ子「ましなりぃでぽのアイデアは、オリジナリティが極めて高いのだよ。何故なら、他の人が考えてる事は排除してる。類似品は使わない。人がやらない考えないことを一所懸命に導き出してる。実はこれが大問題。ヒトは、自分が独自性を持つと思っていながら実際は他で読んだり見たりしたものをそのままトレースしてるに過ぎないということを自覚できないような精神構造になってるんだよ。」

釈「まゆ子さんは、そうじゃない、ってわけですか。」

まゆ子「幸か不幸か、わたしは天邪鬼なんだな。他人が出来るということはやりたがらないし、出来ないといわれるとやってみたくなる。他人が出来ないと言うものを無理矢理出来そうな形にでっち上げてるから、オリジナリティは考えなくても勝手に付いてくるんだよ。」

釈「うわー、つまり、疑似餌ってのは、そのつむじ曲がりなところを、あたかも実現可能性が高そうだと勘違いさせて他人の脳に刷り込むっていう行為のことですね。」

まゆ子「それは一種の洗脳と言ってもよいのです。苦い薬の糖衣みたいなもので、アイデア自体はどうでもいい。というか腐るほど出てくるからそれを餌として、天邪鬼な精神構造を他者の脳で再現するという、ミームによるハッキングというようなものを、どんどん垂れ流してるのですね。」

釈「あたかも、まともなHPのように偽装して、ですね。」

まゆ子「その為の道具としての、”お話しに使える”というアイデア展開上の制限であり、”師匠と弟子”モノ的会話文なのだ。なんせ、普通に小説とかしたら、普通のヒトは読まないからね。一歩それは空想上のモノだと引いて見ることになる。それでは困るのだよ。このHPはあくまで現実に存在する、現実世界でこそ意味を為す存在なのだから、会話文という手法で読者を客観的な立場から追い出してるんだ。つまり、私たちは”現実について”話をしている。と勘違いするわけね。」
釈「コワイですね-、おそろしーですねー、ましなりぃ。」

 

 

まゆ子「で、今日の御題は、『わーぷ』です。」

釈「宇宙戦艦ですね。あーよかった。ごく普通のふぃくしょんだ。」

 

まゆ子「結論からいうと、わーぷは必要ない。」
釈「げ。」
まゆ子「無くても構わない。」

釈「それじゃあお話しにならないじゃないですかー。」

まゆ子「まあ簡単な話なんだけどね。人間の文明がこの先何年続くと思う?」

釈「さあ、少なくとも1万年は続いてもらわないと困るんじゃないですか。」
まゆ子「一万年後の未来には、どんな風に人間は住んでると思う?」

釈「それはあ、・・・・・・・・・・・・・・・・、不明です。というか、現代の科学技術の予測では一万年後はわからない、というのが正解だと思います。」

まゆ子「ぐっどぐっど。だけど、一万年というと、普通の人間なら生きられない時間よね。」

釈「そりゃあ、生身の人間には無理です。」

まゆ子「でも不老不死は人類永遠の夢だ。生物学的に、例えば遺伝子改造とかで、これは実現すると思う?」

釈「いちまんねんですからー、屋久杉でもそんなには生きないと思いますけど。メタセコイアが一番長寿な生物でしたか。」

まゆ子「基本的には、遺伝子改造による不老不死は、無意味なのよね。考えてもごらんなさい。世の中のヒトが全部が全部生体的不老不死者になったとしますよ、で、社会はどうなる?」

釈「・・・・・・・・・・・・見かけはともかく、実質的にはジジババだらけ、ということになりますね。増えるばかりで減らない人口ってことに、・・・・なるわけはない、か。それは禁止ですよ、たぶん。」

まゆ子「死なないヒトは人じゃない、ってわけね。人間社会ってのは、人が死ぬ、誰かが占有していた資源やらポストやらをいつかは絶対失うことを前提として成り立っている、ってわけ。だから普通の手段での不老不死は人間社会の崩壊しか産み出さない。」

釈「正論です。でもやる人は居るんじゃないですか。ものすごい超金持ちとかが。」

まゆ子「常に若いままで居られる人間、てのはそれは理想なんだけどね。しかし、不老不死は脳味噌の中身まで不老不死であることを保証しない。」

釈「ぼけですか? でもアルツハイマーもいつかは克服される日が来るとか、頑張っているとか。」

まゆ子「そういう事を言ってるんじゃない。脳の可塑性、つまり頭の賢さの天井の話よ。ヒトって生物は生まれて後経験によってその知性を形作っていく。言うなれば、未知と遭遇することにより経験し、分析し、教訓を得て成長していくわけなんだけど、」

釈「長く生きていく内に、すべての物事を経験し尽くしてしまう、ということですか。それは困った。でも人間の体てのは、そんなありとあらゆるものを経験できるほどに、キャパシティをおおきいんでしょうか。」

まゆ子「そんなに大きくはない。そこが問題。
 ありとあらゆる事を経験し尽くす前に、自らの興味のおもむく範囲が限定してしまう。つまり個人の壁にぶち当たるわけね。そこまで行ってしまうと、もう新しい体験をする気が無くなる。いや、どんな経験をしたとしても、これまでのスキームの範疇で収めちゃうわけよ。これが人間の知性の天井ね。際限無く賢くなるということはあり得ない。いずれ、それ以上生きても全然変わらないという平衡状態に達するわけ。しかし、それでもなお時代は進む。不老不死者を追い越して、新しいヒトたちが新しい知の境界を切り拓くわけなんだけど、不老不死者にはそれはどうでも良くなる。というか、状況の本質的な違いを理解しないで、経験則からその行く末を勝手に予測しちゃうのだ。

 そこまでの天井に達するのに必要な年限は、たぶん120歳ほどでしょ。いつまででもお元気状態で居られる不老不死者なら、100と少しも生きたなら、もう変わらない、変わりようも変わる必要も無くなっちゃう。しかし、それでも時代は進み、ついていけない不老不死者を置き去りにして社会はどんどん変わっていく。」

釈「なるほど。生物の進化論的には不老不死は意味が無いわけです。そういう天井まで行き着いた人が街中でごろごろしてるのは、そりゃあ迷惑ですよね。でも、じゃあ、なんですね、脳味噌の不良債権が社会にどんどん溜まっていくという結果になるわけですか。」

まゆ子「いい表現だな。一番酷いのは経済関連ね。当然のことながら不老不死には金が掛かる。年間一億くらいは平気で掛かるんじゃないかと思うんだけど、そういう大金を長年月に渡って負担出来る人間てのは、大金持ち以上の超金持ちって事になるでしょ。」

釈「うーん、やっぱりそんな感じになりますよね。心臓移植だけでも数千万円掛かるわけなんですから。全身入れ変えるとなると、数十億は簡単にふっ飛ぶし、メンテナンスもやっぱそうなんですかね。」

まゆ子「まあアーキテクチャがメンテナンスフリーになってればもっと安いかもしれないけど、いずれにしろ数十年に一回はボディ入れ変えは必要だろうから、使用年数で割ると年間一億ってのはそんなに外れてないと思うよ。これが生物学的なものでなくても、機械の身体で置き換えるてのでも同じでしょ。」
釈「超大金持ちでないと不老不死にはなれない、と。」

まゆ子「当然超大金持ちは、莫大な資産を持ってるわけで当然のようにそれを運用している。その下には会社とかあるいは投資とかで何千何万もの人がぶら下がってる事になるわね。」

釈「そういう事になりますか。そんなレベルの資産家の生活ってのはてんで想像出来ませんけど。」
まゆ子「そんな資産を、時代遅れの不良債権脳味噌が運用しているとしたら?」
釈「うわ。」

まゆ子「そうなんだ。どんな天才的な経済人であってもいずれは滅びる。どんなに頑張ってもいずれは時代の波に乗りそこなって衰退していく運命にある。それが故の会社組織よ。法人てのは、生身の人間が不老不死ではいられないからこそ、会社という虚構の存在に法人格というものを認めて人間の寿命を越える生命を長らえている。それでもやはり失敗して滅びる企業が大半なのだけど、」

釈「ホントに死なない人間が会社の経営権をいつまでもいつまででも持ち続けると、・・・・死にますね。」

まゆ子「金の切れ目が命の切れ目ということになる。生物学的、あるいはサイボーグ的な不老不死は本質的な意味では死を免れることは出来ない。社会的にも許容しない。」

釈「わかりました。で、それとワープとはどういう関係があるんです?」

まゆ子「焦らないあせらない。

 つまりそういうことであるから、不老不死は別のアプローチを取らざるを得ない。人間存在は肉体と精神が不可分に結びついて現実世界に在るわけなんだけど、肉体の不老不死化は以上のように諦めざるを得ない。では精神の独立した不老不死化は可能かということになる。」

釈「でも精神の不老不死がぶつかるのが、つまり知性の壁ということじゃないんですか。」

まゆ子「知性の壁を越える為には、脳の機能を拡張しなければならない。当然元の生身の脳味噌はその拡張には耐えられない。まあどの程度の拡張かはあるけど、最終的には脳の全てを人工物に置き換える以外の選択肢は無い。」

釈「つまり脳をコンピュータに置き換えるってことですね。じゃあ精神もデジタルデータとしてコピーとかすることでいつまででも存在する、と。」

まゆ子「しかし、残念ながらそのデジタルデータとしての精神も、知性の壁は越えられない。いずれ古びて役に立たなくなってしまう。しかし、肉体を持たないデジタルな精神の存在を、社会は許容出来るわけね。コストが激安。取っとくだけならタダ同然だもん。」

釈「はあ。取っとくだけならそりゃあそうでしょう。でも、使い物にならなくなった知性が街をうろついていても、というか、そういうのは街をうろつくんでしょうか。というか、ロボット?」

まゆ子「ロボットアンドロイドに乗り移って、というのも有りだし、有機系アンドロイドというかレプリカントみたいな感じの生身に移す事も可能。デジタルデータだからバーチャル空間にのみ存在して仮想空間で散歩するとか、行きたい場所の観光用カメラとかを遠隔操作で自分の目のように使って現実世界を虚構で散歩するとかも出来る。一つのロボットボディに複数の人間が入るってことも、いや、使いたい人が空いてる時間を分割してボディを共有するとかも有り、なわけよ。」

釈「それは経済的ですね。要らない時間帯はボディが無くても大丈夫ってわけですよ。でも、そういう存在になったら、夜寝るのかな。」

まゆ子「寝る必要は無いけど、人間てのは寝ないで済むようには出来てないからね。肉の身体を失った後はやらなきゃいけない事も激減するだろうから、いずれ退屈する。当面やることをすべてやり尽くしてしまえば、寝るしかない。ある程度数十日起きっぱなしでやるだけやって、寝て、数十年後にまた起きて活動する、という事もアリなのよ。」

釈「わあ。数十年寝てても知性や人格がまったく変化しないで済む、というのがデジタル精神のいいとこなんですね。それは冷凍睡眠みたいな感じの不老不死ですよ。」
まゆ子「冷凍睡眠というのなら、生身の人間を冷凍して保存して、さらに解凍して元の通りに活動させるってのは、こりゃあ難題だ。でも、精神をデジタル化して生身の身体を捨てて、でも遺伝情報もデジタルデータで保存しておいて、気が向いたらそれをDNAに再生して肉体の再構成を行い、デジタル精神を移植する、という形で冷凍睡眠よりもはるかに確実な再生が可能になるわよ。」

釈「でも、そんなに便利に精神のデジタル化て可能なんですか。そこが一番の大問題だと思うんですけど、それって脳に電極入れますよね。」

まゆ子「入れないよ。ナノマシンだよ。脳にナノマシンを挿入して脳神経とは別のネットワークを構成して、既存の神経と協同して働くような人工神経網を形成し、知能や人格を損なわないようにバランスを調整しながら徐々にシェアを伸ばしていき、最終的にはコアとなる部分までも人工物で置き換える。その過程でバックアップ可能な形態に記憶や人格、思考形態や論理の癖とかを整理し直し、外部コンピュータで利用再現可能なものに再編し直す。この外部コンピュータってのは大量生産の規格品ね。生身の脳はひとりひとり相当構造が違うんじゃないかと思うんだけど、その差異を物理的なものからソフトウェア的なものに変換するのよ。で、最終的に自分の分身を自分の外に作り上げれば精神のデジタル化は終了する。

 本当にそれは元の精神と同一か、と問えば、・・・でもね、脳にナノマシンを外挿した時点で元の精神が変化していくと考えた方がいいわよ。ナノマシンと同居している事を前提とした人格、知性は、それは何も無い人間の人格知性と同一のものであると言えるだろうか、という事になるのよね。」

釈「それはー、義足を使ってる人間とちゃんと脚がある人間と、本質的な意味で同一な人間であるだろうか、というのと似たような話ですか。」

まゆ子「サイボーグものではよくある心理的葛藤ってやつね。しかし、不老不死化された人間が、死ぬ人間と同一の存在であり得るのか、いやあって良いのだろうか、という問題もある。不老不死を獲得するためには、何かを捨て何かを許容しなければならない。決して完全自然状態の人間存在ではあり得ない。となると、ナノマシンを外挿した脳に宿る知性はなにを持ってオリジナルとなすべきか、新しい定義が必要になるのよね。」

釈「うーん。そういう事でしたら、オリジナリティってのはどこに求めるべきだと思いますか、まゆ子さんは。」
まゆ子「最終的には、記憶も取り替えられるべきだと思うのよね。というか、例えば、記憶喪失を何回も繰り返す人間が居たとして、その人を何をもって同一人と認識すべきか、それも手紙を通して間接的にのみ接触している状況において。」

釈「げ、そりゃとんでもない難題ですよ。それは結局、・・・・周囲がその人が同じ人間だと思うから同じ人物だとして在る、という事になるんではないでしょうか。というか、何故記憶も取り替えなきゃいけないんです。」

まゆ子「新しい体験を知識に体系化して自分の人格知性を再構築するためよ。つまり知性の壁を突破する為には、一度死ななきゃいけない。死んで生き返ったまっさらゼロの人間に、これがお前が前に生きていた人生の記録だよ、という感じでオリジナルの記憶を客観的な形で提供する。そういう形で何度も何度も死と再生を繰り返し、記憶に依存しない人格、という不老不死の人間にふさわしい存在に自らを作り上げていくのね。そうでなければいずれ存在する事に退屈して永遠に起きて来ない眠りを自ら選択することになる。それでは不老不死とは言えない。不老不死を生きるには、不老不死に耐える人格でなければならないわけで、それは生身の人間の頃の人格そのままではありえないのよ。」

釈「もしやそれは、悟りというものではないんでしょうか。お釈迦様のように悟らなければ不老不死を生きていくことは出来ない、と。」
まゆ子「多分、それにかなり近いものだと思うよ。少なくとも、現在の一般的普通人の人格では不老不死は耐えられないし、惰性で生きていく人間に何事か社会の役に立つ仕事が出来るとも思わない。使える人間、使える不死人を作らなければ何の意味があるのか、という事になるわよね、そりゃ。」

 

釈「ひい、かなりシビアな世界だな。」

まゆ子「だって、人格がデジタルデータで保存出来る、って時点でもはや不老不死の条件はクリアしてるのよ。後は不老不死で何をするか、という問題になる。ただ在り続けるのならば数十年ごとに一回一日だけ人格を再生する、ってことで数万年はなにも考えずに生きる事ができるんだから、文句は言えない。というか凡人は不老不死の運命を得ても、何も為すことは無いのだよ。」
釈「というか、不老不死の人間は、普通の死ぬ人間の社会の事に関してはなにも考えてないですからね。不老不死の人に生きてる人間の社会をかき回して欲しくないですよ。ですから、えーとなんだろう、つまり生きてる事に意味の有る不死人以外の不死人は、お客さん以上のことはしないでね、という風潮になるんじゃないでしょうか。」

まゆ子「そうそう。死ぬ人間の社会は、平凡な不死人を受け入れない。神のごとき人間でなければ不死の意味を認めない。となれば、悟りの一つでも得る以外無いじゃない。

 

で、ワープの話よ。」

釈「なんとなく分かって来ましたよ。悟りを開いた不死人にはワープって意味がないんですよね。」

まゆ子「いや、それだけじゃないんだ。デジタルデータ化された人間は、光速で宇宙を移動出来るのよ。1Cよ、物理的限界速度なのよ。」

釈「それはつまり、データの送信という意味ですね。」
まゆ子「つまりだね、核融合でも反物質でもなんでも構わないけど、恒星間宇宙船というのを作るのね、無人の。宇宙船にはコンピュータとロボットとアンドロイドと、その他工業機械が積んでいる。中にはDNA合成器とかもある。で、無人のまま数十年の航海をして、他の恒星系に到達する。そこに、」

釈「そこに、地球からデジタルデータ化された人間の人格を転送して、現地でコンピュータ化された人間として再生されるわけなんですね。」
まゆ子「そして小惑星とかに拠点を作って鉱工業を発展させて、新しい宇宙船を作る。当然それは無人で、より遠くの宇宙に飛んでいく。その宇宙船が目的地の恒星系に着いた頃に地球からデジタルデータ化された人格を転送して、ということになる。宇宙って寂しいところだから、不死人となっていても長く乗っていられるようなものじゃないわよ。でも、この形態ならば、勤務に飽きたら地球に戻って交代要員人格を転送して、とかも可能になる。つまり乗り降り自由な恒星間宇宙船てわけね。」

釈「うう、ほんとに転送装置なんだ。スターゲイトとかなんですね、それ。」
まゆ子「さらに、DNA合成器も積んでいるから、遠く離れた恒星系で生身の人間社会を形成することも理論上は可能なわけ。恒星間移民てわけなんだけど、途中でイヤになる人も確実に発生する。地球に帰りたい、とかいう人が出る。これまでの計画ではその人が帰ることはできなかったわけだけど、このシステムならばデジタル化して遺伝情報も添え付けして転送すれば、ちゃんと地球に帰れるんだ。」

釈「あの、転送元の人間のひとはどうなるんです?」
まゆ子「自殺。」
釈「やっぱり。ていうか、まあどうでもよくなるんですよね、生身の肉体てのは。」

まゆ子「で、不死人だ。

 つまりこの恒星開発計画はとてもじゃないけれど退屈な仕事なわけね、なんにも無い。少なくとも異星の生命系でも発見しないかぎりホントにおもしろくない仕事なの。それでも次の恒星系の探査を進めようと思えば小惑星開発をして恒星間宇宙船を作らなければならない。それも、何個もだよ。まったくのロボットに託してもいいけれど、でもやっぱり人間が関与するべきであるだろうから、デジタル不死人が転送で何十年と従事することになる。まあ飽きたら地球に帰って現地の人格は消去あるいはリセットすればいいんだけどね。
 で、そういう作業に携わる物好きな不死人は、そうは居ないと思うんだ。何十年何百年と不毛とも思える事業を継続しつづける精神力は、真の意味での不死人にしかあり得ない。でもその数が限られているとすれば、

     コピーだね。」
釈「コピー人格ですか。じゃあ地球を中心とした何十光年て星々には、おんなじ人格のデジタル不死人がそれぞれに独立して存在し、不毛なような宇宙船開発に携わっている、と。」

まゆ子「それらの人達は地球から現地に到達して再生された年をもって名前とする、たとえば”蒲生ヤヨイ2356”とか”石橋じゅえる2578-AUGUST”とかになるわけよ。
 で、まあなんらかの都合かで中心地である地球で会議をしなくちゃいけないということも有るかもしれないから、光速で転送されて地球で再生された”蒲生ヤヨイ2356>2482”とかになって、どんどんナンバーが増えていく。で、そのコピーのコピー同士がオリジナルの主宰する会議やら慰労会とかで、同一人物ながら喧嘩する、とかいう面白い絵が見られるのよ。」

釈「おもしろすぎます。」

 

03/11/21

 

CMを見よう!

まゆ子「まあ、そういうわけで『ましなりぃ でぽ』も随分と久しぶりなんだな。」

釈帝「はあ。これはサボリなんじゃないでしょうか。」

まゆ子「わっとびっくり。なんでシャクが居るのよ。」
釈「明美二号ちゃんが『ゲバルト乙女』で忙しいというので、選手交代です。ほら、テレビの番組改編にあたって内容は変えずにレギュラーだけ換えるてのがあるじゃないですか。あれです。」
まゆ子「はあ。でもシャクじゃああんまり代わり映えしないね。同じ二年生だし。」
釈「そりゃあ困りましたね、ははははは。」


まゆ子「そりゃあともかく、阪神日本一成り損ないおめでとう。」

釈「ばんざーいばんざーいばんざーい。ひーーーーん、星野カントク辞めちゃいました-。岡田カントクだとまた最下位独走ですぅー。」
まゆ子「その心配は多分にあるね。阪神子飼いの監督だから、これまでと同じ轍を踏むって。」
釈「そうでしょ、そうですよね。やばいですよ。フロントは何を考えてるでしょう? せっかく星野監督が外から新しい血を入れたのに、元の木阿弥ですよね。」
まゆ子「まあ星野前監督が了承してるんだから、・・・・て、こういうのが一番やばいのさ。」
釈「どうしましょう。阪神が再び、というか日本一になる秘策ってのはないでしょうか。」
まゆ子「そりゃあ、まあ、なんだ、阪神はフロントが悪い上にファンも最悪だ。星野カントクも阪神でなかったらもうちょっと長持ちしたかもしれない。なんせ、スゴイ疲れたって言ってるしね。心臓に悪いほどに、プレッシャーがキツいんだよ。」

釈「でも、なぜファンが悪いんです。熱烈応援でダメなんですか?」
まゆ子「王カントクがね、て今度阪神破って日本一になったけど、」
釈「あうー。」
まゆ子「王カントクがダイエーに来たばっかりの頃、最下位独走でファンに卵ぶつけられたのよね。」
釈「ほえー。」
まゆ子「阪神てのはそういうの無いでしょ。どんなに最下位でもどんどん応援して、諦めきってる。これじゃあ強くなれないわ。へぼなプレー、へぼな試合をやったら怒らなきゃ。たこ焼きでもぶつけてやれ。」
釈「そ、そうなんですか。」
まゆ子「そうだよ。熱々のたこ焼きをぶつけるくらいに怒りを表現して経営にダメージを与えるような総スカン状態にして、初めてフロントも動くんだよ。それが岡田カントクってのじゃねー。」
釈「そう言われると、返す言葉も御座いません。」

 

まゆ子「まあ、そういうわけで、今日は何にしようか。野球はまあ置いといて、テレビの未来、ってのはどう?」

釈「はあテレビですか。やっぱり平面壁掛けテレビってのが未来のテレビですよね。」
まゆ子「それもうあるじゃん。まあデバイス関係の進歩もそうだけど、放送の形態ね。今日のテーマは。」

釈「なにかなにか、面白いネタあるんですか?」
まゆ子「いや、ほら、日テレのプロデューサーが視聴率調査を探偵使って調査家庭を見つけてお金で自分の番組の視聴率を上げるっていう事件があったでしょ。」
釈「あー。あれですね。やりたいことは分かりますが、それはヒキョーです。」
まゆ子「というわけで、まあテレビの未来も考えなきゃーいかんってわけなのさ。それに大体、HDDレコーダーとかDVDレコーダーとかあるじゃない。あれってCMぽんと飛ばせるからね。それに今ではインターネットで記録した番組をどんじゃか流してるって状態で、CMというやり方が通用しない世の中になってきてるのだよ。」

釈「CMってのは、・・・・あれってそんなに効果あるんでしょうか。昔から疑問に思ってたんですが、CM無ければやってけないものなんでしょうかね。」
まゆ子「あー、それは現在の状況を考えるとわかりづらいよね。CMで氾濫してるもん。それに昔の人はもっと真剣にテレビを見てた。家族揃って同じ番組を見てたんだけど、今はもうてんでんばらばらで、映像ソースも放送とは限らなくなってるからね。」
釈「じゃあ効果が無いCMもある。」
まゆ子「いやまあ、昔から役に立たないCMってのはあるんだけど、
 でもねえ、逆に言うと、今はテレビショッピングてのがあるじゃない。で結構な視聴率も取ってる。」

釈「じゃぱねっと高田さんですね。そういやあれは全編CMみたいなものだ。なるほど、CMはCMでもっと楽しめるものにすれば、効果は絶大てわけですよ。」
まゆ子「なかなか鋭いな。いっそのことCMばっかりを流す放送局というのがあってもいいんじゃないか、と思うんだ。というか、インターネットでもっとCFつまりコマーシャルフィルムをばんばん放出すればいいとおもうんだよね。もっと面白くてコレクションの価値がある、ヲタクが欲しがるCFを。」

釈「ほうほう。でもわざわざCMなんて欲しがる人、そんなに居るんでしょうかね。」
まゆ子「どこにでも、マニアは居るさ。というかCMマニアってのは結構多いよ。ただこれまではビデオテープで取ってたから流通手段無かったんだな。ダビングすりゃあ質は落ちるし、CFをパッケージで売ってるわけでもないし。まあニュースマニアと同類で報われない趣味だったんだけど、これからはちゃう。」
釈「ちゃいますか。」
まゆ子「ちゃう。CMマニアが世の中の主流に踊り出るのだよ。お金を払わなければ見れないCM、というのが出来る時代なのだ。」
釈「くらくらしますね。」

 

まゆ子「この、CM別フィルムで供給というのはまた別の活用法もあってね、ほら、WINMXとかWINNYとかのファイル共有ソフト、これが今大問題なわけだ。ただで映画とかアニメとかが見放題落とし放題で、パッケージソフトが売れないわけなんだな。でもこの状況が続くと、コンテンツ供給側が疲弊して制作意欲が減退して、良い作品が作れなくなるという悪影響を産み出すのだよ。と言って、タダで映像見放題、見たことのない珍映像とかも世界中から見れる、ってのはこれは永遠の夢なのだな。」

釈「そうですね。テレビってのはタダだから、ってのが凄く強いですよ。一々お金払わなきゃ見れない、っていうのなら、ここまでテレビが発達する事も無かったと思いますよね。」
まゆ子「ホテルのテレビがそうだね。一時間100円で、で見るかというと、無ければ無いで済んでしまう。」
釈「あれは妙なものですよね。誰も見ないのに、タダならテレビ付けとくんですから。テレビって中毒性あるんですよね。」
まゆ子「だから、タダは正しい。」
釈「絶対に正しい。」
まゆ子「タダで見れるところから、物事は全て始めなきゃいけない。」
釈「そうだそうだ。」

まゆ子「となると、CMシステムは肯定しなきゃいけない。飛ばして見れるなんてのは言語道断なわけね。」
釈「それはかなり厳しい制約ですね。やっぱり見たくないものは見たくないですよ。違います?」
まゆ子「まあ、見たい分野のCMが見れれば、というところで勘弁してもらいたいね。で、本編のデータにはCFが含まれていないのが理想だ。要らない情報で脹れ上がってるというのは格納にも困難だし、第一やだ。」
釈「それはやでしょう。ということは、CFは別にくっついてくる、と。さっき言ってたみたいにCFが独立して存在する、というわけになるんですね。」
まゆ子「そうそう。・・あんた、明美二号より勘が鋭いね。」
釈「てへ。」

まゆ子「そういうわけだ。CFは別に存在する。強制的に送り込まれている。ただ、本編のデータとは別だ。本編のデータをプレイヤーで鑑賞する際、ヘッダを読み込んでCFを再生する。当然その機能の無いプレイヤーでは見れないように暗号化されている。」

釈「でも、普通のそういうソフトで流れてる映像は、基本的には違法な存在ですよね。ちゃんと暗号化しているのは無いのではないでしょうか。」
まゆ子「というわけで、ファイル共有ソフト自体にその機能が備わっているようにする。すべての映像、音声ソフトに自動的に暗号化を掛けて専用プレイヤー、もしくはプラグインで別のメジャーなプレイヤーでも、復号化機能を付加してじゃないと見れないようにしてしまう。これで、完璧よ。」

釈「でも、見せたいCFを常に自分のコンピュータに入れとかなきゃいけないんじゃないでしょうか、その方法は。」
まゆ子「それは、どうでもいいや。時限式にしておいて、何月何日まではこのCFを見るように、という指定があれば無理矢理決まったCFを見るようにしておいてもいいし、見たいCMのジャンルを指定しておくというのなら、次の機会にそのCFを見せられる、という事にもなる。なんにせよ、光ファイバーや高速ADSLの時代なんだからそんなのはどうでもいいんだ。ともかく、CFを見なければ本編が見れない、というシステムが確立する事に意味がある。しかも、キーを買う方式と違って、鑑賞する度にCF再生を要求するのだから、いつまででも、それこそ数十年前のデータであっても機能し続けるんだな。」


釈「でも、そういうのキライな人多いんじゃないですか?」
まゆ子「多いだろうね。まあ、でもCF無しで見れるようにクラックする人は必ず出るのだけど、しかしそれにメリットはあるのだろうか、という事になる。たかだか1分程度の時間でクリア出来るCMを、わざわざいじり直さなければいけないだろうかね?」
釈「はあ。そう言われれば、そうかも。」

まゆ子「むしろ、今後問題になるのは、内容の改竄だ。映像を好き勝手に書き換えてばらまくという人間は必ず存在するし、そのための器材ソフトも揃ってきてる。ま、いわゆるアイコラみたいな感じで動画も改竄するってのが、たぶん次に問題になるよ。それを防ぐ為にはあらかじめ保護された映像をばらまいておく方がよいのだよ。裏市場というか、違法ソフトのカテゴリーを潰しとくわけだね。」

釈「それでもやっぱりクラックする人間はいるんですよね。ただで見れるのに、何故かしらそういう風にしてしまうのは、どういう心理なんでしょうか。」
まゆ子「まあ、商業主義に対する反発とか抗議とか、誰かに支配されるのを嫌うとか、かな。まあなんだ、共有というのはコンピュータがネットワークでつながった頃からの根深い思想でね、ソフトってものはタダで誰でも利用出来るものでなければならない、ってのがあるんだ。1960〜70年代頃のヒッピーとかニューエイジサイエンスとか、まあそういうのの名残でもあるんだけど、でもそれで現在のコンピュータ利用者が確かに利便性を獲得もしてるんだから、バカにしたもんでもない。」

釈「でも映画とかアニメとかは別なんじゃないですか。作るのにはちゃんとお金掛かってるんだし。コンピュータのプログラムはどうか知りませんが、あれってお金掛かるんですよね。」
まゆ子「掛かるね。主に人件費だと思うけど。それと大規模なものになると管理するのにまたお金が掛かる。なんせ、作ってる本人がタダでばらまいたりしちゃったりするからね。厳戒体制を敷いてないと出来た時には皆持ってる、という有り様になる。」
釈「そりゃ極端な。」
まゆ子「いや、なんたらというゲームが最近やられたみたい。開発途中のがそのまま外部に流出しちゃって、またそれをそのまま使って別のゲームに仕立てて売ってる奴が居る。」
釈「ま、まさに生き馬の目を抜くというような。」
まゆ子「ふるいことば知ってるなあ。

 まあそんな感じなのだよ。ともかく世の中にタダでなんでも配るのが正義と思ってる人間が居て、どうも絶滅しそうにないから、なんとかしなきゃいけない。だから、タダで配る、複製も簡単。でも、再生するたんびにCM見なくちゃいけない、というのは有効なのだよ。そして、配布や放送がタダなんだな、これは。勝手に持って行って勝手に増殖してくれるんだから安いもんで、しかもある程度までは幾何級数的に増殖する。

 もし、このプレーヤーが全部再生タイトルをインターネットで報告してくるとすれば、視聴率調査ってのが全数調査で出来たりもするんだな。」

釈「はあ、じゃあ、例えば、人には言えないような怪しいビデオを見たりしても、バレちゃったりするんだ。」
まゆ子「そういう場合もある。」
釈「それはいやですね。使わないですよ。」
まゆ子「まあそうだろうね。そこはなんか、特典とかマイレージとかで釣るしかないんじゃないかな。基本的には誰が何を見たかは隠しておいた方がいいのはそうだけど、でも、CM料金をどうやって分配するかという問題がある。これは、公平に分配するなんてことは出来ないだろう。」


釈「はあ。自分で撮ったビデオとかを自分で流しても、自分にお金が返ってくる、という風になるとそれはラッキーですね。」
まゆ子「理想はそう。だけど、誰が流してもいいというのならば、そりゃあ不可能であるし怪しい犯罪的なユーザーはバレちゃうから逃げる事になるでしょ。そうすると、なんだか衰退してしまう。仕方ないから”上流”という大手コンテンツ制作者で積極的にソフトを流すとこにだけにそれを分配する事になるでしょ。」

釈「まあそういうのが一番妥当だと思いますけど、でもソレは確かに大手の所が独り占めってわけでちょっと卑怯な感じもしますね。まあ、ポルノとかはイヤでも流れるわけですから、そういうのにまで広告収入を分配する必要も無いんでしょうけど。て、いうか、それが一番多いんじゃなかったですか、インターネットってのは。」
まゆ子「昔はね。今はもっと普通のコンテンツである作品の方が多いのかもしれない。ポルノってのは画質とかは、まあなんだ、なんか動いてたらそれでいいってものだからね。現在の技術でやっとネットワークで普通のものが流せるようになったって言った方がいいかな。」

釈「なるほど。これまではどうでもいいポルノ産業だけが蚕食されていたのが、普通の一般映画産業にまで害が及ぶようになったから、問題になってきたってわけか。」

まゆ子「というかあ、これまでは保存出来なかったわけよ。コンピュータでCD−R搭載機が一般化したのが3、4年前でしょ。それまではなかなかに保存も出来なかったし、画像の圧縮技術もろくでもないのしか使えなかったんだな。一般的に売ってるDVDやらビデオテープの画質の方が圧倒的に良かったわけで、一定以上のクオリティを求めるユーザーなら、そんなぱっちものには手を出さなかったんだよ。」


釈「うむー、じゃあこれからはテレビも新時代の新しいビジネススタイルを獲得しなければいけなくなっちゃったってことで、・・・ああ、だからテレビを考えるってことになったんだ。そか。」
まゆ子「うむー、そう言われてみれば長い前振りだったな。

 
ということで、まあBSデジタルとかいうのも新しく出て来たけれど、所詮はアンテナが必要なややこしい機械なわけで、そんなものが要らない、ADSLというか光ファイバーでダダもれするのがまっとうなテレビ、って事になるんだよ。」

釈「あ、じゃあ、つまりCM見なきゃいけないシステムは、そういう時代の為のものなんだ。今はそれを先取りしてるってわけなんですね。」
まゆ子「うん。つまりこれまでは放送局がつらつらと流れる電波で番組を送っていたものが、これからは光ファイバーで1パックの番組をそのまま送ってくる。CMは別。という形態になるってことだ。同じ番組の録画を見ても、その時々で流れるCMが変わる、というのはなかなか良いシステムではないだろうか。」


釈「でもそれじゃあ、ビデオ屋さんとかレコード屋さんは廃業ですね。映画館は生き残るでしょうけど、それは時代の流れなのかな。」
まゆ子「貸本屋潰れて、でも漫画喫茶とか最近は出来ちゃったじゃない。リバイバルだね。だから完全には無くならないと思うんだけど、そうね、お店に行かなきゃ見れない専用ネットワークの映像コンテンツとかゲームとかは有りかもしれない。お店に行かなければ聞かれない音楽とかあって、お店全体がスピーカーシステムになっていて、そこでしかそれは聞けないし、その音響システムが無いとちっとも面白くない、というの。なんだ、生演奏と同程度のリアル感を売りにする喫茶店みたいなもので、名曲喫茶の再来か。」

釈「じゃあじゃあ、そのビデオバージョンとして、立体映像が見れるお店、ってのもありですか。小さな映画館みたいになっていて立体映像装置が置いていて、そこで生漫才が見れるんです。」
まゆ子「そ、それはマニアックなお店だ。なるほど、テレビ向きでない芸人さんってのも居るから、そういうのもありかもしれない。というか往年のタモリの芸は密室芸という、せせこましい部屋やクラブとかの10人以下でこそ最大限に受ける芸だったらしいから、そういうのを提供するお店というのは、イケルかも。」

釈「つまり、テレビが見れる喫茶店ですね。」
まゆ子「むう、まるで昭和30年代みたいだ。」

釈「でもでも、ソフトのパッケージ売りってのは無くなっちゃうんですか? それは哀しいです。」

まゆ子「ダメだね。映像も音声もネットでダウンロードの方が早くて安くて正しいのだ。例外はコンピュータソフト。あれだけはダウンロード販売と同じくらいに箱売りが売れちゃう。なんでかというと、説明書だよ。説明書だけは紙に印刷しているのがずっと見易い。まあ、肥大化し過ぎたマニュアルってのは誰も読まないけど、でも逆に解説書の類いは相当分厚くても紙の方が説得力有るし、実務的だ。」

釈「となると、ビデオでも音楽でも、本に絡めて売ればまだいけるって事ですか。」
まゆ子「そだね。シナリオとパンフレットとメイキングの本に、DVDとか付いてたらまーだ売れる。その意味では今のDVDパッケージとかはせこくっていけないや。つまり本質的に残るのは本屋だけという事になる。電子ペーパーてのもあるけど、でもやっぱ紙がいいよ。紙の本で、電子チップが埋めこんでいて、コンピュータと通信してしかるべき所から本編映像をダウンロードする、という形態になるのかな。」


釈「電子ペーパーってのはいけませんか。」
まゆ子「あまり期待はしないね。もちろん有効に使える場面はいくらでもあるけれど、でも紙は、印刷物はあの手ざわりがいいんだから、なんか妙につるつるする電子ペーパーってのは、好きになれないって人は多いんじゃないかな。それに普通の紙だって進歩しないわけじゃない。目に見えない手で触っても分からない電子回路を漉き込んで、HTMLみたいに触るとコンピュータが反応するような本も作れるでしょ。」

釈「ほー、つまり、触ると音が出るとか喋り出すとか、そういう本が出来るってことですか。じゃあ、部分的に電子ペーパーにしておいて、そこんとこだけ動く紙、というのも。」
まゆ子「うん、電子ペーパーの利用法としてはそっちの方がいいな。全部が全部電子ペーパーでなくて、途中挿し絵とかが、そうなっている。それは魔法の本だね。」

釈「ということは、映像のメディアと本が合体するという事でいいわけですね。」
まゆ子「音も平面ディスプレイから出るようになったから、電子ペーパーから発音するってことも有りだね。つまり、本屋さんに行くと、立ち読みしている人の手から色んな音が聞こえてきたりする、って事になる。悪くないね。」
釈「ちょっとうるさいですけどね。」

まゆ子「英語の本の、わからない単語を指でなぞると、和訳して出てくるというのも有り。ああ、そういや電子ペーパー自体に普通のインクで印刷するという手もあるな。読む時だけ字の後ろに絵が浮き出て動き出す、とか。」
釈「素敵ですね。って、なんだか本屋の未来は明るいですよ。レコード屋とかレンタルビデオ屋さんとかは暗いですけど。」
まゆ子「うん。まあそういう本ならば、貸本屋も儲かるだろうから、転職すればいいんじゃない。今はなにより出版点数が多過ぎて、内容の質に応じた扱いをしてもらえないんだから、本自体の価値が上がるってのはいいでしょ。ぺらぺらな電子ペーパーに内容を移して簡易に見る、ってのも出来るし、ちゃんとした立派な動く本もある。そういうバラエティの豊富さが豊かな社会ってもんだ。」

 

釈「つまり結論としては、媒体自体に愛着が有りそのまま鑑賞出来るメディアは、勝ち。ってとこですね。私、本屋さんになろうかな。」
まゆ子「で、テレビはどこに行ったのだ。」

釈「あ。」

 

2003/11/4

 

 

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