まゆこのましなりぃ その4

2003/04/26

「まゆちゃん明美の嵐を呼ぶ戦国大乱戦」
「まゆと明美の神隠し」
「日本新経済再生プランBYまゆ子」

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「まゆちゃん明美の嵐を呼ぶ戦国大乱戦」

まゆ子「ところでこの、”ましなりい”を書くのに一体どのくらいのコストが掛かるか知ってる?」

明美「え? だって、ただなんじゃないんですか?」

まゆ子「ま、執筆にかかる時間に時給を掛ければいいんだけどそれはサービスとして、でもま大体1000円くらいはかかってるんだ。」

明美「え、なんでですか、だって言いたい放題書いてるだけでしょ。なのに。」

まゆ子「言いたい放題書いてるんだけど、だいたい後で書いてる事が間違ってないように検証もするんだ。あるいは、書くネタを探して本買って来たりする。それに掛かる費用が、だいたい1000円。」

明美「はあ、そうか、そうですねえ。趣味で書いてるに過ぎないのにやっぱりお金はかかるもんなんですねえ。」

まゆ子「というわけで今回買った本がこれ、『謎解き日本合戦史』、680円なんだけどそれ以外に甲冑の本も買ってしまいましたから、だいたいトータルで合わせて引用回数で割ると1000円くらいよ。ちなみに甲冑の本はイラスト描く参考にするし、合戦の本はウエンディズの戦闘シーンの描写にも活用される。」

明美「おお、そうだ。ちゃんとお勉強してたんですね。そうかあ、そういう日ごろの地道な努力がこうして、・・・・あんまりお金にならないけれど実を結んでるんですね。」

まゆ子「で、この本なんだが、ちょっとへんな本。掻い摘まんで言うと、

 

  日本の武士は刀ではなくて弓鉄砲ばっかり使って闘っていた

 

という結論なんだな。」

明美「はあ、弓ですか。なんか意外ですね。刀でチャンバラしてたと思ってました。」

まゆ子「いや、まあ、刀でチャンバラもしてはいたんだろうけど、この本で書いてるのは戦争よ。本格的な軍勢を集めての戦争。そのときには日本人は刀なんか使わないでもっぱら弓を使ってた。鉄砲伝来以降は鉄砲ばっかりで、史実を検証すると刃物のついたような武器でのチャンバラはやらなかった、と書いてある。」

明美「そりゃあ一体どういうわけで、というか、なんかよくわからないんですけど。」

まゆ子「主張は簡単。日本人は古来より近接、白兵戦闘をする文化はそんな主流ではなく、戦闘においては離れて闘う遠距離戦闘を主にやっていた。ということね。で、過去の戦争の「報告書」ではなく、ごほうびや戦傷の記録を調べると、それが立証されるという。

 ま、この戦傷の記録ってのはかなり信憑性はあるわよね。なんせ、ケガしたらそれに見合って補償が出たんだもん。だから偽傷は厳しく審査されたし、戦死もそうね。闘って死ぬのと、逃げ出して殺されるのとはちと違う。ごほうびを出す方もケチだから、ちょっとでも疑わしいところがあればごそっと値切るわよ。だから、この記録はかなりの信憑性がある。」

明美「ははあ、なるほど。なんでいきなりお金の話をし出したかというか、そういう風につながっていくんですね。

 しかし、なるほど、たしかにそういう記録ならウソ偽り大袈裟は、かなり少ないJAROも安心ってもんですね。」

まゆ子「しかも、これは大切な証拠の書類であり、父祖伝来の名誉の証しでもある。戦争の参加者当事者の子孫の家に大切に保存されている非常に重要な歴史の証言よ。」

明美「その重要な書類に、チャンバラはしてない、って書いていたわけですか。」

まゆ子「らしいね。わたしが調べたわけじゃあないけど。で、その死傷者の比率を勘定すると、矢傷、礫傷がだいたい8割、切り傷突き傷がそれ以外、となる。礫ってのはようするに投石器で投げた石ね。もっとも原始的な遠距離戦闘の武器であるけれど、その有効性は近世になるまで衰えなかったわ。というか、現代の歩兵の装備をもってしても、投擲に適した大きさの石、ま卵大の石による直撃を受けた場合、たとえヘルメットにボディアーマーをつけていたとしても、少しやばいわ。」

明美「まあ、そのへんはウエンディズで経験済みですから、わたしたちは。で、そういったすこし離れた位置から相手を攻撃する武器による戦死や負傷が、チャンバラの傷よりもずっと多いってわけなんですね。」

まゆ子「たぶん、これは事実。ということは、日本人はチャンバラなんてしないでもっぱら離れて飛び道具で闘っていた、という結論になってもおかしくはない。と言ってもまあいいかもしれないわね。

 

 でも、この著者の良くないところは、結論先にありきなのだよ。」

明美「って、つまりチャンバラはしなかった、っていうのがまず議論の最初にある、と。」

まゆ子「なんでかというとだね、この著者は、どうしても第二次世界大戦の日本軍の銃剣突撃を否定しようという意識が強いんだ。この本においては、その部分は全体の1割くらいだけど、全編をとおしてその意識が強く支配している。読者はどうしてもこの本を冷静には見られないわ。結論先にありき、と感じざるを得ない。」

明美「はあ。で、まゆ子さんは、相変わらず例のように天邪鬼をするわけなんですね。チャンバラしてた、って言いたいわけなんでしょう。」

まゆ子「あはは、それは後のお楽しみ。

 で、だ。つまり、この著者の言いたい所は、日本人は古来より飛び道具を主体とした戦闘を行って来たのであり、白兵チャンバラはめったにやらなかった。やったとしても偶発的なもので、戦場の主役は弓、後には鉄砲であり、槍以外の武器は、たとえ武士の魂といわれる日本刀といえども主役の座についたことは無い、ってのだよ。ま、実際刀は戦闘をするのにそんな役に立つってものではなかったらしいけどね。

 で、それは明治維新、いや攘夷運動の頃に欧米との戦闘、つまり下関事件とか薩英戦争の時とかにさんざんぱら火力戦でやられて、そういう白兵戦闘で戦争に勝てる、という意識は雲散霧消してしまったにも関らず、日露戦争を経て、軍部支配によって白兵至上主義に取り憑かれた結果、第二次世界大戦で無謀な突撃を繰り返していたずらに人命を損なった。軍部大バカ、って言いたいのだよ。」

明美「はあ、なるほど。恨み骨髄までってところなんですね。なるほど、結論先にありきってわけなんだ。」

まゆ子「さてここで問題です。なるほど、確かに戦前の軍部は白兵至上主義と言ってもよい精神風土に冒されていたわよ。これはまあ認めてもいいです。また、その指導による戦闘でも、実際戦果は銃砲によるものであり、白兵戦闘はほんのわずかな結果しか残さなかった、と言ってもいいでしょう。これは、どっちかというと補給の問題だけどね。弾丸がたっぷりあればバカスカ撃てるから、当然戦果は火力によるものだよ。で、弾丸が無くなりゃあ、白兵戦闘しかやりようもない。この本では補給に関してはまるっきり欠落してる、って言ってもいいわ。

 ま、たしかに、弾丸が無くなりゃあ撤退するのが筋だろうけど、しかし、ま、つまり、この著者が言うところの戦闘ってのは主に対米戦、それも太平洋上の島嶼部での戦闘のことを念頭に置いてる、というか限定してる、と言ってもいいね。同じ軍隊が中国大陸じゃあ、泥沼化と言われながらも決して負けてはいなかった、てのは勘定に入って無いんだから。」

明美「中国大陸では銃剣突撃はしなかったんですか?」

まゆ子「相手が中国軍、共産軍だからね。装備の点では日本軍の方が上だった場合も多いのよ。当然日本軍の方が強い。だから共産軍は日本軍の補給線をゲリラ的に叩くっていう戦術を取らざるを得なかった。いよいよ戦争の末期にまでなっても、だ。正面からぶち当たっては日本軍にはとうてい勝てなかったんだから、この著者の言うところは、あまり理性的ではない。

 

 と、まあ、素人に文句付けられるようではいかんだろう。ってわけだ。ま、ノモンハン事件でソビエト軍と対決した時はこてんぱんにやられたんだけどね。戦車のレベルがあまりにも違い過ぎたから、これは歩兵の責任とは言えない。」

 

明美「はあ。で、実際のところ、日本人はチャンバラしなかったんですか?」

まゆ子「それをこれから検証していこうというわけだ。ここで整理すると、この著者は

     ・本来日本人は白兵戦闘を好まず、戦争ではもっぱら遠距離戦をしていた

     ・維新以降、銃砲類の進歩の結果を受けて、白兵戦闘の価値は激減というか不可能になった事を日本人は理解した

     ・にも関らず、大バカの軍部は白兵至上主義を兵隊に強いて、日本人の性向にあわない白兵戦闘銃剣突撃で多くの人命を無駄に失った

と言ってるわけなのだ。

 さて、ここで、日本人なかんづくその中でも戦闘の専門家である武士がどういう戦闘をしていたか、という事を、武家の活躍華やかなりし鎌倉時代を舞台に語っていこうってわけだ。何故鎌倉か、というと、ま、著者にとって都合のいい時代であるわけなのだよ。まず鉄砲がまだ無い。槍も無い。槍は戦国時代でもそれなりに活躍したからね。槍は当然白兵武器で、鉄砲弓矢に続く死傷率を上げていて、ちとヤバいのだ。だから、槍の無い、長刀主体の鎌倉時代が都合がいいのだ。そして、鎌倉時代は平安の後、つまり古代王朝時代の中華帝国的軍制が崩壊した後、であるからなのだよ。」

明美「つまり、純粋な日本人の戦闘を語るに、鎌倉時代が非常に都合がいい、というわけなのですね。」

まゆ子「そのとおり。そして、著者の主張にとっても非常に好都合なのだ。なにしろ、鎌倉時代の武家のたしなみと言えば、弓馬の道。つまり馬を操る事、弓を射る事に集約されるのだ。そこに白兵戦闘は言及されていない。ついでに、軍記物でも、源平の戦は弓戦であったことは、これはもう万人の認めるところであるからなのだよ。平家物語では、取っ組み合い組み打ちの描写こそあれ、太刀長刀を打ち当てての戦闘ってのはあんまり無いし、弓こそが決戦を制する主要武器であると実際書いてあるからね。」

明美「はあ、じゃあ、別に遠距離で弓矢を撃ち合って闘っていたってのは間違い、というわけじゃあないんだ。」

まゆ子「もちろん完全に正しい。ただし、弓で闘う事イコール離れて闘うこと、ではないんだ。そこが欠落している。」

明美「???」

まゆ子「鎌倉時代は矢を入れる入れ物を箙と言う。一個に15ー20本入る矢の入れ物だ。ただ入るだけでなく、乱暴に動いても矢が落っこちないようになっている。これを大体二個装備する。矢数は40本くらいだね。三個持ってくのはおバカ。嵩張って動けなくなる。どうせ後から補給が来るんだから、一戦闘分持っていけばいい。」

明美「40本ですか。そうですねえ、神社の破魔矢で40本って言えば相当のカサがあるから、持っていくには限界かもしれませんね。」

まゆ子「当時の貨幣価値でいって、仮に一本1000円とする。消耗品だからそんなに高価であるわけにもいかないが、鏃は金属製だし当時の金属製品は安くはないから、仮に1000円としても問題はないだろう。これを40本装備すると、ひとり4万円だ。4万円で人が殺せれば御の字だろう。」

明美「そうですねえ、4万円ですかあ、たしかに安いかもしれません。そのくらいなら、なんとか個人でも調達出来ますねえ。」

まゆ子「で、戦争でこの矢を放つわけだ。的は当然敵の武者であり雑魚戦闘員だ。武装して甲冑や防具を着け木の楯を装備して、地形も利用して矢で射られないように備えている。これに対して40本の矢を射て何本当たるか?」

明美「・・・・? さあ。」

まゆ子「答えは ”0” 絶対に当たらない。当たるわけがない。当たらないように備えているんだから。40が100でも当たらない。だから当てる為の方策が要るわけだ。」

明美「それは、当然ですねえ。そんなに間抜けな戦争は無いわけですから、だれだって矢に当たらないようにしますよ。」

まゆ子「じゃあどうするか? もちろん人数を集めてくるという方法がある。集団で雨あられと打ちまくれば、小人数の敵ならば抗し得ないで当たってしまう。これはつまり、射撃する範囲が広がるし射撃する角度も広がるってことだね。死角を狙い易くなる。

 次に、相手が備えていない場所から撃つ。つまり地形を利用して、相手が矢を防げないポジションを取って一方的に攻撃する、ってわけね。これは当然どちらも行うから容易ではないわ。」

明美「あの、威力を上げるってのはどうでしょう? 強力な矢でばかんと打ち負かすってのは。」

まゆ子「それは、実は、この本の著者にとっては鬼門なんだ。なぜならば、弓矢は威力を増すことは難しい。なんせ人間が引くもんだからね。それを改良したのが機械弓、つまり弩だ。これは鎌倉時代にはすっかり廃れてしまっている。だが、著者はそのことについての検証をまったくやっていない。なぜならば、論に不都合だからだ。

 弩は古代王朝ではちゃんと採用されていた。何故ならば本場中国や朝鮮半島では昔からずっと使っていたから。そして威力のあること、扱い方の簡単さには定評がある。弓は専門の技術として長年練習をしなければ満足には使えない。一方、弩はどしろうとでも、弦をひいて留め金に引っかけて、狙って引き金を引くだけだ。農民からの徴兵でも十分使いこなせる。そして威力も大抵弓より大きい。弓は引き絞るのに両腕を使ってやるけれど、弩は全身の力を使って弦を引っかけるし、撃つ前にあらかじめ引いて待機していればよい。使うたびに全力で引き絞る弓とは格段に体に対する負担が違う。

 弓の弩に対するアドバンテージは、発射速度と重量、および価格だな。戦場で意味があるのはこのうち発射速度、つまり単位時間で何本の矢を射れるか、そして危急の折りにすぐ使えるか、ってとこだ。しかしこの利点は、射手の数つまり兵隊の人数でどうとでもなる。なんというか、信長の長篠の戦いの鉄砲三段撃ちは、とっくの昔に弩で実現してるんだな。

 だからこの本の著者の意見に従うと、弩を装備した古代王朝の軍隊が最強となる。おかしいでしょ?」

明美「はあ、そりゃあもう、ずいぶんとおかしいですねえ。なんでそんな便利な弩が無くなったんでしょう。」

まゆ子「これは他の人の意見だが、日本人はこういったカラクリモノが昔からキライだった、という。」

明美「それはウソです。日本人くらいカラクリ大好きな国民はいません。というか、今の日本の繁栄は全部機械によるものじゃないですか。」

まゆ子「有力な意見では、やっぱり値段が高かったというのがある。だが兵器だよ。普通の弓に対して有利な点があり、確実に強いのであれば、廃される必然性が無い。

 もう一個、古代の軍制である国民皆兵制が崩壊し有力貴族の私兵による軍勢が主体となったとき、装備の統一も無くなった、というのがある。」

明美「でも弩は強いんでしょ。装備の統一が無くなった、っていうのは、つまり好きな武器を使っていいという事ですし、それなら弩を使う人が居てもいいじゃないですか。」

まゆ子「つまり、奈良とか飛鳥時代を例にとっては、著者の話は頓挫せざるを得ないのだよ。遠距離で射撃で戦争をしようと思えば、弩最強なのだ。でも日本人は弩は捨ててしまった。大陸では本格的に活用されていて精度も高い立派な武器である弩をだよ。」

明美「・・・・・・・・・なぜでしょう。弩は無くなっても弓は大々的に活用されてたわけですよね。そして、刀よりも弓矢で殺される人の方が多かった・・・・・・。」

まゆ子「結論を言えば、矢が当たらなかったってことでしょう。日本人の戦争では、弩を使っても矢が敵に当たらなかった。でも弓なら当たる。なぜ?」

明美「さあ?」

まゆ子「弓と弩で決定的に違うのはその重さと速射性だ。弓はいきなり何本も連続的に射撃するのに関しては弩をはるかにしのぐ。しかも軽い。弩は機械物だから、どっかぶつけると誤動作することもあるが、弓にはそれはない。変な運動をしても間違いは起きないんだ。その特性を生かすのは

 

     こっそりと障害物の陰に隠れて接近し、至近距離から必中させる、って戦法だ。地形の起伏に富んだ日本においてはこの戦法は非常に有効だね。」

明美「おお、その戦法はグッドですよ。なんかやっと日本人らしい戦い方にお目に掛かったって感じです。なるほど、それならなんとなく日本人は昔からやってたな、って感じしますね。」

まゆ子「当然のことながら、この戦法を取る時彼我の距離はかなり近くなる。通常の射撃戦の半分、いやほとんど指呼の距離、10数メートルという非常に危険な位置にまで進出する必要がある。これは、ほとんど接近戦白兵戦の距離だよ。ちなみに弓ならば、通常は50メートルが有効射程距離だね。当たれば死ぬほどの威力は、普通の弓普通の射手ならば、50メートルが限度だ。そして、当たるのは30メートル。弓道で練習してる距離はこのくらいだよ。50越えると、矢はまっすぐには飛ばないからね。山為りに撃たなければ届かないし当たらない。弩はこの距離が三割は増すかな。撃って当たり所が良ければ、防具着けてる相手だけど、100メートルでも死なないでもないが、弓だと強弓でもそんな威力は無い。」

明美「じゃあ10数メートルっていえば、無茶苦茶危ない距離ですね。」

まゆ子「即死距離だよ。当たれば確実に死ぬ。だから、そんな接近は許さないのが吉。だが、それをやっていた形跡は別のところからも得られるんだ。

 

 わたし、甲冑の本も買ったって言ったでしょ。日本の甲冑ってのは、世界の他の国のものと比べて異常なところがあるんだ。

 まず気がつくところとしては、楯を持たない。雑兵は木の楯を持つけれど、ちゃんとした甲冑を持ってる立派な武士は楯を持たない。楯の重要性は、特に弓矢に対する有効性は十分に認識していたにも関らず、楯を持とうとはしない。これは、まあガンダムを見れば分かるけれど、チャンバラをするのにはむしろ不利なんだ。楯で相手の武器を防いだ方が白兵戦闘では有利。だけど日本の武士は楯は必要としなかった。にもかかわらず、両肩に楯が付いている。肩に大袖という、どっから見ても楯みたいなもんが付いているけれど、これは弓矢避けだよ。この構造では長物の、まあ刃は防げるけれど打撃力は防げない。肩の留め具のところで打撃力を受け止めるようになっているが、まあどっちにしろ白兵戦闘を考慮しての甲冑としては、??が残るところだよ。なんでか知らないけれど、弓矢を防ぐには良いようになっている。

 そして兜だ。日本の兜は非常にへんなものが付いている。シコロて呼ばれる首周りを保護する膨らみだ。ぶっ叩かれた時に首周りを防ぐ事が出来る。だが、後ろだよ。うしろに大きく膨らんでいる。非常に不自然。なんとなればこれは、うしろから叩いてください、って言ってるような防具なんだ。首まわりを防ぐなら、ほら剣道の防具みたいなタレが一番いい。そして日本の甲冑の元となった中国の甲冑はちゃんとそういう風になっている。変。」

明美「へんですね。なんか白兵戦闘を考慮していないみたいな形ですね。叩かれると弱いんですか?日本の甲冑って?」

まゆ子「いや、そんなに弱くは無い。というか、かなりよく出来てるよ。特に運動性と重量、通気性は抜群だ。高温多湿の日本では中国製の鎧だと蒸れて汗かいてしょうがない。それに重いと身動きができない。足場が悪く、起伏に激しい日本の地形を考えると甲冑には防御力よりも運動性を、そしてなにより軽さが要求される。その軽さには戦国時代にやってきたキリスト教のバテレンもびっくりだよ。なにせ、ヨーロッパのプレートメールなんかあんまり重過ぎて馬に乗っけるのに起重機で引っ張り上げる必要まであったくらいだ。重量に比して高い防御力を持つのが日本の甲冑だ。

 なのに、白兵戦闘に特化していないのが不思議。どうしてそんなへんな形をしているのか?

 だけどね、これをその弓矢で射掛けるのに接近戦を仕掛ける、って戦法に合わせてみると、非常によくわかるんだ。」

明美「あ、ひょっとして、そのこっそり近づいて、ってのに特化してるんですか、甲冑の形態が。」

まゆ子「まず肩に楯がある。これはすごく変。甲冑を着けているのなら真っ正面から敵に対して堂々と対決するべきだ。であれば、楯は前面に無ければならない。でも肩に付いている。それも上向きにだよ。横への防御と考えてもいいけどやっぱり不自然、楯を手に持った方がずっと強固だ。しかし、もしこれを着用した人間が姿勢を低くして、矢が飛んでくるのを防ぎながら接近するとしたら、どうだろう。姿勢を低く前かがみになって前の様子をうかがいながらこっそり前進する。この時、「正面」というのは頭であり肩である。だから、肩の所に矢を防ぐ楯があるのは非常に自然なことだ。

 それに兜のシコロだよ。あれは通常首回りを防ぐ事になっている。が実は首回りはすき間が開いてるんだ、あれ。長刀なんかで横に薙いだら、首が飛んでしまう配置にある。弓矢もそう。馬上にあって下から射られたら、この配置じゃあ顔首に矢が当たってしまうんだ。ものすごく不自然な装備だ。第一あれは後ろにある。後ろなんかに重装甲付けてどうするんだ。敵に後ろを見せるのかい? だがこれも、姿勢を低くして前をうかがうように移動するときには、非常に役に立つのがわかる。

 つまり、日本の甲冑で前面と呼べるのは、兜の頭頂部なんだ。

 ついでに言うと、これは戦国時代になってからだけど、雑魚戦闘員も楯を持たなくなって陣笠かぶるようになってるね。陣笠は、あれはどう考えても横、つまり直立しての戦闘では??な装備で、上から槍で叩かれる分にはいいけれど、横に薙ぐのには全然効果無い。でも地面に伏せたらかなり効果的な装備だね。」

明美「ほええー、じゃあ、正面きっての戦闘ってのは、無い?」

まゆ子「軍忠状、つまりごほうびの証明書に記されているとおり、弓矢が主体で闘った可能性が高い。しかし、弓矢で遠距離から闘ったとはとうてい思えない。むしろ、弓矢を利用した近接戦闘、準白兵戦闘を行っていたと考える方が正しいのではないでしょうか。」

 

 

まゆ子「じゃ、こんどは別の角度からね。

 弓矢を使っての遠距離からの戦闘、ってのでは矢は当たらないって言ったでしょ。だけど、もしそれをやるとしたら、ものすごい数の矢が必要になるのよ。」

明美「またお金の問題ですか?」

まゆ子「まさしくお金の問題だ。

 いまここに、武士の集団が、つまり軍隊があるとします。総数100人、つまり地方の豪族が鎌倉からの要請に応えて軍勢を引き連れて集合するとします。100人ってのは戦闘員の数であって、この人数が有効に機能するためには最低でも50人の補給部隊が必要です。メシを食わねば戦えないし、矢も運ばなきゃいけない。馬の飼い葉も必要だし、薬品とか消耗品、それに負傷者の介護後送のためにも人数が要ります。だから、100人プラス50人の大勢が必要です。」

明美「100ってのは大した人数なんですか? やっぱり万はいないと格好がつかないと思うんですが。」

まゆ子「100人ってのはもちろん自分の領土から連れてくる人間だよ。つまり、成年男子が100人。当然一番働かなきゃいけない年齢だ。ということは、そんな人間に出て行かれては困るわけだよ、農作業ができない。だから、連れていくとしたら、10人に一人、だね。比率としたら。ということは、成年男子は1000人居ないといけない。だが、もちろんただの成年男子じゃあない。戦って役に立つ年齢だ。だから、17、8歳から30歳まで、いや25歳がマックスか、昔は平均寿命も短いし老けるのも早かったからね。つまり若い男の人が1000人は必要なわけよ。その共同体には。当然、戦闘に使えない人間、年寄り、子供もいる。だから男の人はその3倍、3000人は居る。女の人も居るから、掛ける2で6000人だ。

 だけど、それは人数を調達出来る数であって、その他にも色々と費用は掛かるわけだから、その分の生産を受け持つ人数も要るわけだ。多分、その倍は必要だね。で、だいたい1万人はその共同体に、つまり御領地に領民が必要だ、ということになる。」

明美「1万人ですかあ、えーと、昔は人口少なかったんですよね。」

まゆ子「戦国時代、諸国の領主はこぞって産業育成、農地開墾に励み、多大な生産力の増強に成功した。それは江戸期に入っても続き、元禄時代頃に完了したと言われているけど、これで3000万人ってところね。鎌倉期には1200、300万人くらいじゃないかしら。日本国は60余洲、一国に15、20の郡があるとして、その内の一つを治める領主が、この100人の戦闘員を出したとすると、つまり郡ひとつに1万人。60掛ける20で1200。掛ける1万人で1200万。妥当なところじゃないかしら。もちろん、多分1万人で100人を出せるのは、かなり裕福な豪族だと思うんだ。」

明美「なるほど。そういう計算になりますかね。軍隊をつくるってのは大変なものです。」

まゆ子「さて、ここに100人の戦闘員が居るとする。その構成は、

 お館様が一名、その子、親族である一族が数名。合わせて5名とする。便宜上ね。この人たちは馬に乗っている。

 その人たちに仕える郎党と呼ばれる部下の人が居る。この人たちは通常も武士として暮らしていて武術の鍛錬も日頃行っている。領地も分けてもらっていて、自分の領民も居る。ま、村長さんくらいの人だよ。で、戦闘の時にはお館様の下知に基づいて兵士を指揮して闘うんだ。この人たちが20人とする。馬も乗れるけど、まあ乗らない。馬は大事で貴重なものだからね。このレベルの人までもが馬に乗っていたのは、たぶん関東、坂東武者だけでしょう。あそこは馬がたくさん居たから。

  で、残りは全部ただの兵士。農民が狩り集められてきた人たちだよ。当然練度も低いし戦闘力も大したことはない。ま、弓は引けるようになってるとしよう。これが75人。

で合わせて100人の小部隊となる。」

明美「じゃあ、馬は5頭ですか。随分と少ないですね。」

まゆ子「馬は当然換えが必要だ。5頭の馬を運用しようと思えばスペアが5頭は必要です。馬だってケガはするし病気にもなる。矢が当たって死ぬこともある。ぎりぎりぎっちょん連れてきていて、馬が死んだから戦えません、では通らないから、結局10頭は必要になる。荷駄のための馬も要るしね。100人で10頭だ、少ないと思う?」

明美「あ、いや、雑魚の兵士が75人でしょ。10頭は確かに多いかもしれません。」

まゆ子「さて、この100人を小隊に分けましょう。お館様と一族で五人。つまり五隊に分けます。

 すると、一族の人1名、郎党の人4名、兵士の人15名、計20名となります。これを一隊として五隊が有機的に連携して闘うことになります。」

明美「20人ですかあ。それはなんというか、適正人数ですねえ。ひとかたまりで動くにちょうどいい人数ってところですか。」

まゆ子「今でも陸軍の兵隊は小隊で15ー20人だからね。ちょうどいい人数だよ。で、一隊に1頭、馬が居る。」

明美「なるほど、馬は五頭でちょうどいいんだ。」

まゆ子「さて、その一隊に四人いる郎党の人です。この人たちにも手下は居ます。というか、この人たちも自分の領地から人間を連れて来て軍勢に加わっているわけです。だからつまり、15人の雑魚兵士を5で割って3、郎党一人が三人の人数を連れて来ているということになります。自分の村から3人ね。」

明美「一つの村から、3人も兵士を連れてきていることになるわけですかあ。それは、ちょっと大ごとですねえ。」

まゆ子「当然必要経費は自分持ちだ。あとでお館様から出るとしても、事前にはお金はもらえない。いや、手柄が無ければ必要経費すら出ないときてる。」

明美「う、」

まゆ子「当然消耗品の調達も自費だ。何ヶ月にもわたる長期遠征ならまだしも、近隣での戦闘なら自分で遠征費をひねり出さなきゃいけない。もちろん、矢もだよ。一本1000円の矢が40本、計四人分。戦闘が一回という事はないから、せめて三回分は用意しなきゃいけない。480本になる。きりのいいところで500本としましょう。50万円だ。」

明美「げ、」

まゆ子「部隊全体では50掛ける5掛ける5で、 1250万円となる。」

明美「げえ、軍勢ってのはそんなにお金掛かるもんなんですか。」

まゆ子「なーに言ってるの。ただ矢の値段を言っただけじゃない。だが言ったでしょ、これは単なる三回分でしかないって。遠征となるとこれの倍、3倍は矢の消費があるわけよ。だから、100人の戦闘員に加えて輸送部隊50人の中に矢を作る職人もひつようなんだ。」

明美「一回、100人の部隊が出動したら、1ヶ月で1億円くらいは必要ってこと、ですか。」

まゆ子「現代の軍隊は一個師団1万人で日に1億は必要だって話だわね。二億だったかな? 百人にしたら一日100万か、一月で3000万しか掛からない。安い安い。もっともこれはただ立ってるだけでの話だから、本格的な戦闘での弾薬消費量や燃料代とかも入れたら、100人の部隊で1億はそりゃ掛かるか。当時の貨幣価値で月1億円くらいの出費はあったでしょうね。人件費抜きで。後で戦闘員にはごほうびも出さなきゃいけないし、負傷者には医療費、戦死者には弔慰金が必要だ。」

 

まゆ子「さて、で、一回の戦闘に40本の矢を持っていく。これを消費するわけだが、矢戦といえば、矢を雨あられのごとくうちまくらなければいけない。一本射るのに掛かるのは20秒くらいか、てきとーに射れば毎分100本も撃てるそうだけど、ま、20秒として40本を射尽くすに、800秒、13分20秒だよ。」

明美「うえ、それで戦闘終わりですか。」

まゆ子「もちろんお館様とか統領とかが矢の供給をしてくれればもっとたくさん打ちまくれる。しかし、野戦の場合はそううまく後方から補給物資が届くってことも無いだろうから、これでおしまい、って言ってもいいでしょうね。

 

 とまあ、こういうわけだ。弓矢でばかみたいに遠距離から撃ってケリがつく戦争、なんてのはありえない。矢はもっと大切に使わないといけない。その為には接近して確実に矢を敵に当てる必要がある。

 こう考えていくと、日本人が遠距離から飛び道具で攻撃するばかりの戦をしていた、ってのはナンセンスな話になるわけよ。むしろ、弓矢を使って近接戦闘を仕掛けていた、と解釈すると自然に理解できる。逆に言うと、地形風土の関係で日本人は接近して弓矢で攻撃する戦法を取る事ができたから、大陸のような白兵戦闘主義を取らずに済んだ、ともいえる。なんせ中国の戦争なんかねえ、とんでもない人数でとんでもない矢数を消費するわけよ。あっという間に矢も尽きる。平たんな大地だから隠れることもできない。真正面からぶつかる白兵戦闘をしなきゃいけない、ってわけだ。それが一番安く上がる戦なんだね。」

 

明美「ううーーん、なるほどおー、たしかに弓矢が主役には違いないけれど、近接戦闘をしなかったわけじゃあないってことなんですよね。」

まゆ子「ちなみに、そういうこっそり近づいて攻撃するとき、他の武器はどうでもいいわけよ。むしろ携帯に便利なものの方がいい。太刀で上等ってことになる。また、敵の接近を防ぐためにはいきなり吶喊して突っ込んで相手を切り崩すという反撃法もある。この時は切って切って切りまくるしかないんだが、太刀や長刀で十分ってことになる。どうせ、矢で射るのに失敗したら、敵はわらわらと逃げ出すだけでしょうからね、深追いする必要は無い。」

 

 

まゆ子「さて、ここで問題。

  日本軍の銃剣突撃は、日本の戦争技術史上、まるで鬼っ子のように突然現われた、イレギュラーなものであるだろうか?    」

 

明美「・・・・・・・・・・・・銃剣突撃ってのは、鉄砲の先についた刀で敵を刺して殺すんですよね。てっぽうは、・・・・撃たない?」

まゆ子「撃たないわけないじゃない。目の前の敵を近接で撃ちまくり、その間も無いほど近くにいればぐっさり刺すわけよ。もちろん射撃が一番有効な攻撃法には違いないが、弾薬には限りがあって大事に効果的に必ず敵に当てなければいけない。

 これって、変な闘い方かな?」

明美「・・・・・・・・・・弓矢で近接戦闘、とほとんど変わらないような気がします。」

 

2003/4/02

 

 

まゆと明美の神隠し

明美二号「”千と千尋の神隠し”見ましたー!」

まゆ子「あ、長野だったか、幼い姉妹が山の中で行方不明だってね、可哀想に。」

明美「・・・・・・・・・あうー、いきなり落ち込むような事言わないでください。そっか、神隠しってそういうもんでしたね。」

まゆ子「ま、そういうことだ。どこかで生きていてくれるのではないか、というはかない希望を繋ぐ為にも、神隠しという言葉はある。ほんとに何年も経った後に帰ってくる子供もいたんだけどね。」

明美「え、そんなことが本当にあるんですか。」

まゆ子「神、というか天狗だな。天狗隠しって、神隠しみたいなものだけど、山岳修験道の行者崩れみたいな天狗に拾われて幼い頃から修行させられるってのはかなり実例がある。江戸とか、明治まではあったのかな。」

明美「はあ、でも、そんなのは、親の人は探さなかったんですかね。」

まゆ子「いや、そりゃ探すよ。ただ天狗と呼ばれるような人は頭いっちゃってるからねえ。それに、寒村で食べるのも無いような貧しいところでは、間引きとかで子供を殺すって事もあったから、一概に悪とは言い難い。それに、天狗の人は自分がやってることは常人には不可能なとても尊い事である、と思ってるから、べつに虐待してるとは思わないでしょう。つまり善意で天狗隠しをやっている。」

明美「げ、じゃあ、犯罪にならないってことですか。」

まゆ子「捕まらないからねえ。犯罪を犯罪として認める事が出来ない。第一、山で行き倒れになったのか、天狗に取ってかれたのか、判別は不能だ。帰って来て初めてそれは成立する。」

明美「そうですね。でも、ほんと、天狗でもなんでもいいから生きていて欲しいですよね。 というわけで今回のテーマ

      『まゆと明美の神隠し』です。

 

て、え、なんで? カガクテキではないんじゃないですか、神様って。」

まゆ子「科学的である必要もないんだけどね、このコーナーはお話しで使える設定を考えようってのが、本来の趣旨なんだから。」

明美「あ、ころっと忘れてました。お話しを作るのに、科学的に妥当な設定をこしらえる、ってのが元々の役割でしたね。

 

 でも、神さまですよ。」

まゆ子「SFにはよくでてくるね。」

明美「はあ、まあ、漫画でもアニメでも映画でもゲームでも、SFってのには、神様みたいに万能の人とかコンピュータとか、出て来ますが。」

まゆ子「基本的な事を言うとだ、神様、もしくは超常的な存在が出てくる段階で、そのお話しはSFではない。ファンタジーになる。」

明美「はあ、SFでは禁止ですか、神様は。」

まゆ子「あまりにもありふれているからね。神様とか悪魔とか出てくるSFは有名無名に傑作駄作ゴミまで合わせて、腐るほどある。神様を出さないSFってのはそれだけで価値がある、というくらいだ。」

明美「それは問題ですね。ではまゆ子さんはそれを覆す、科学的に正しい神様をつくろうってわけですね。」

まゆ子「うんにゃ。そんなのは、もうありとあらゆるパターンが出尽くしていて、今更参入したいとは思わないよ。第一やったって、一つ新しいのがまた増えた、ってだけだからね。わたしがやりたい、と思うのは

   『魔法的に正しい科学的神様の構造』だ。」

 

明美「魔法的にただしい、って、まゆこさん、魔法ごぞんじですか?」

まゆ子「知らないよ。だが、あなたが考えていることは手に取るようにわかる。

      魔法なるものを知らないのに、魔法的に正しいものなんて分かるわけがない、

こう言いたいんだろ。」

明美「はあ、そんなにあからさまに自分を否定しなくても、想像の世界であそんでもいいかな、って思ったりしますけどね。」

まゆ子「だが、世の中の人は皆誤解をしているのだよ。魔法とか奇跡とかは、まるっきりでたらめに発生しても許される、あなたそう思ってない?」

明美「え、・・・・・・・・・・・・・?? いや、もとから無いものですからねー、でたらめだとしても、誰も修正には来ないでしょう。なにか宗教的な裏づけでもない限り。」

まゆ子「そこが大間違い。魔法にはルールがある。」

明美「魔法を書いてるお話しには、大抵魔法のルールってのはありますね。それは。」

まゆ子「そういうのとは違う。魔法が存在すると仮定した場合、それを前提とした物理法則が自然と発生するわけで、その特殊物理系を逸脱する魔法は、その魔法体系からは発生しないのだよ。簡単に言うと、万能の魔法は存在しない、ってことだ。」

明美「はあ、よくわかりませんが、わかりました。魔法には限界がある、と。」

まゆ子「違う! そこがよく間違えるところだ。魔法は、魔法自体を裏切る魔法は成立させられない、という事だ。要するに、魔法がある、というのは現実世界に物理法則を一つ追加するようなものであり、ということはあらゆる事象はその特殊な物理法則に従い、それに反する事象はありえない、ということだよ。」

明美「はあ。」

 まゆ子「簡単に言うと、魔法がある世界では、魔法のある現実がある、という事だ。現実に私たちの行動に限界があるように、、魔法が存在したとしても、行動や物理現象に限界がある。この限界を越えた魔法の描写を持つ作品は、カスと言っても過言ではない。」

明美「おお、よくわかりました。突然スゴイ魔法を使って物語をおしまいにしてはいけないんですね。」

まゆ子「正確に言うと、なんの準備も無く、いきなり大技の魔法を発生させるのは阿呆な作者のやることだ、というわけね。手品と一緒よ。タネが無いのに奇跡は起きない、魔法の世界でもね、これをしっかりと認識していなさい、ということね。」

明美「はあ、それは、思ったより難しい話ですね。みんな、やっちゃいますもん。」

まゆ子「あはは。

 

 そこでだ、魔法とはなにか、が問題になる。」

 

明美「え、やるんですか、それ。てっきり不問に付すのだとばかり、わたしは。」

まゆ子「やるよ。やる気になった。

 で、魔法だ。魔法って結局なに?」

明美「何って言われましても、なんか不思議なスゴイ力で普通では考えられないような奇跡みたいな事がぱーっと起こる特殊な技術、のことなんじゃないでしょうか。」

まゆ子「たとえば?」

明美「たとえば、突然いきなり火の気の無いところが炎上したり、川の流れが逆流したり、ほうきで空を飛んだり、死んだ人が生き返ったり、おばけや怪獣を呼び出したり、そんなんじゃないですか。ゲームに出てくるのはそんな感じです。」

まゆ子「マッチとかライターでいいじゃない。川の流れが逆転するってのは、それはさすがに大仕掛けがいるか、巨大なジェットポンプを何十基もならべて。ほうきで飛ぶのは危ないからウルトラライトプレーンで我慢してください。死んだ人は生き返らないけど、死にそうな人は最近は結構生き返る。おばけや怪獣は、動物プロダクションに電話してレンタルするかな。おばけの着ぐるみ貸してくれるのはどこだろう。」

明美「なんか、姑息ですね。」

まゆ子「姑息もなにも、現実に存在する手段の方がずっといいもん。幽霊だって、ビデオとプロジェクタで出来ちゃうし、千里眼や千里通はテレビやインターネットで上等すぎるし、ファイアボールやライトスピアとかの攻撃魔法は、ホントの鉄砲やRPGの方がずっと強力だもん。」

明美「そうですねー、コンピュータって人間の代わりをするし、最近はロボットも歩いてますしね。飛行機はあるし、ロケットで月まで行っちゃうし。魔法って存在意義ないですね。」

まゆ子「ところが、だ。問題はそこには無いんだよね。確かに現代文明は魔法を凌駕する。だが人間はそれに慣れちゃうんだ。たとえばだよ、南海の孤島に住んでる未開の種族の人が、でんきも無いようなところの出身の人がだ、単身文明社会に出て来たとする。その人にとっては、目の前で繰り広げられているのはまさに魔法としか言いようのない超常現象だ。にも関らず、それに三日と経たずに慣れて普通に思ってしまうんだ。変だろ。」

明美「・・・・・・・・たしかに変ですね。そんじゃあ、魔法って、スゴイ事をしなくても魔法と思わせる別のやり方が存在するって事なんですかね。」

まゆ子「そう。魔法ってのは過去何百何千年もの間、人間に信じられてきた。今も信じている人は少なくない。にも関らず、それがいざ実現してなんでもない普通のものになってしまったのに、魔法は別のところで生き残っている。何故?」

明美「なぜって、やはり神さまとか霊とかを扱っているからなんじゃないでしょうか。いや、そうですね、神様とか精霊とかと関係があるスゴイ事が、魔法なんです。」

まゆ子「つまり、神様とか精霊とかが関係する現象は、たとえそれが大したことの無い些細なものであっても、魔法として人を驚かしひれ伏せさせるわけだ。」

明美「そうですね。科学にはひれ伏さない人が魔法や宗教には頭を下げますから。では、魔法の神髄というのは、そういう目に見えないもの?」

まゆ子「そう! つまり、魔法を科学するという事はそういう形而上の存在を科学するという事なわけね。」

明美「で、・・・・・・・、できますか?」

まゆ子「できん! だが、避けて通るわけにはいかない。なぜならば、魔法という現実を設定する為には神とは霊とはなにものか、を明らかにする必要があるからだ。それがどういうものであるかを厳密に精査しなければ、真にリアルな魔法は描けない。だが、ここで注意しなければいけないのは、神学とか哲学に足を踏み込んではいけないという事だ。」

明美「ですよね。そこ、不用意に手を出して酷い目にあった人、いっぱい居ますもん。作家の人とかみんなそこで頭おかしくなってます。」

まゆ子「だから魔法なんだ。魔法という一枚皮を隔てたところから、そういう怪しく危ない存在に接触しようというわけだね。

 

 さてそこで問題です。神様はどうやって生まれたでしょうか?」

 

明美「え、神様が人間を作ったんじゃ、・・・・・あ、いやそういう事じゃないんだ。にんげんはどうして神様を必要とするか、って事ですよね。」

まゆ子「そうそう。神様は人間が世界を理解する為に作り上げた架空の概念だ。だが、それは人間にとってぜったいに必要なものとなる。いや、どこの世界に行っても神様だけはしっかりと存在する。善悪はべつとしてね。つまり、人間の脳は世界を認識するのに神様というオブジェクトを意識に投影させて認識を組み立てるようにプログラムされている。」

明美「はあ。じゃあ、人間が神様を必要としなくなるのは、世界をただしく科学的に認識できた時、という事でしょうか?」

まゆ子「世の中そんなに簡単じゃない。運というものがあるからね。現実世界にべったりと張りついた、すべてを合理的にしか見ない人であっても運不運だけは否定しない、というか否定しようがない。現実に運の良いひと悪いひとは居るからね。単なる偶然にしては出来過ぎている、という事例は枚挙に暇はないし、才能と関係無しに成功してしまう、運が付きまとう人が居る。」

 

明美「       せんぱあーーーい、わたし、とわたしたちはその運の悪い方のひとですよお。

 

まゆ子「あ、そうだ、明美二号を相手に話してるんだった。運勢についてあんたたちにものを説こうとした私が馬鹿だったよ。

 そう、あんたたちがいつもいつも凶運に見舞われているように、偶然の著しい不均衡というのは存在するんだ。しかし、悪い方の運勢はこれは仕方がない。これは偶然で済ませてもまったく問題はない。ただ単に確率の問題と切って捨ててもいい。しかし、」

明美「しかし?」

まゆ子「問題は、幸運の方だ。運の悪いのは確率で済ませられても運の良いのはそうはいかない。特に、周囲が不幸凶事に見舞われているさなかでの幸運は、だ。

 たとえば、もし住んでいる村に山崩れがあって、村中の人が皆死んでしまったとする。ところが、どういうわけかその中には一軒だけ家も無傷で家族の誰も死なない、とかいう人が出るんだ。みんなで鍋をつついて河豚を食べたとして、みんな毒に当たって死んじゃったのに、ひとりだけ生き残る人がいたりする。これを単なる確率や偶然として捉える事は、人間には出来ないんだな。」

明美「はあ、それはそうかもしれませんね。そういう時は神様のおかげです、と皆思っちゃいますもん。」

まゆ子「ち、ち、ち! そんなに話は甘くない。

 

 もし仮に、幸運にも生き残った人を単なる偶然としよう。では、死んじゃった人はどうなる?単なる偶然で死んじゃった、で済むと思う?」

明美「あ、いや、それは、・・・まずいですね。化けてでますよ、あまりにも不公平ですから。」

まゆ子「でも幽霊なんて世の中には存在しない。と、まともな人なら考えるでしょ。」

明美「いや、でも、そんなに割り切って考えることなんか、当事者だったら出来ませんよ。自分だけ特別に幸運だ、って。あ、でも幸運という概念は、偶然では無いということですよね。」

まゆ子「そこになんらかの意思を感じてしまう。偶然を左右して現象を選別した何者かの意思を感じてしまう。

 だが、これは人間の意識の自己防衛本能によるフェイクの感覚だ、と言ってもよい。なぜならば、何者かの意思ならば、自分の幸運を他人のせいにする事が出来る。他人の不幸を納得させられる。

 

 考えてもみて、村中の人が全員死に絶えて、自分だけ生き残ったとする。でも他の村は別に無傷じゃない。その余所の村の人が見た時、この生き残った人をどう思う? 単なる偶然に生き残った普通の人だと思う? そうじゃない、この人は特別だ。単に幸運で生き残った、という意味での特別じゃない。他の人全員に見舞われた災厄から免れたという意味で、二重に特別なんだ。

 災厄で死んじゃった人は不幸よ。でも、単なる偶然でその不幸を片づけていいものかな? もしその不幸が単なる偶然だとしたら、生きている人はその不幸からどうやって免れればいい? 無理、不可能、制御不能よ。災厄から逃れる方法は無いわ。それに、死んだ人はどう思う?

 死んだ人は霊になる、という考えが確として存在しないような低次元の原始人レベルの文化だとしてもよ。死んだ人の事を生きてる人は思い出すのよ。生きてた頃に言ってた事が、死後になって実現するという事もある。遺言としての予言ってのはよくある話よ。年寄りなら知識があるから、若い人が知らない事を予測できたりもする。災厄関係ってのは特にそうだ。

 つまり死んだ人間は、生きている人間に思い出される事によって死から復活するわけだ。そして想像内に居る”人間”は生きてる時と同じように行動もするし考えもする、・・・・と感じられる。或る意味、復活は日常茶飯事として起こっていると言ってもよい。

     そこで、不幸によって死んだ人を思い出すのだよ。」

 

明美「いやなはなしですねえ。不幸で死んだ人を思い出せば、・・・・・どうしましょう。きっと怒ってるか恨んでるか呪ってますよ。理不尽ですから。」

まゆ子「理不尽だよねえ。不運にも災厄で死んだ人を、単なる偶然で死んでしまったと処理した場合、生きてる人間はきっと自分達が羨ましがられ恨まれている、と思わざるを得ない。野放しの不運災厄ならそれはたぶん、生きている自分達の方にまで伝染するさ。いや、ひょっとして、死んだ人間が不思議な力でその災厄を自分達にも押しつけてくるかもしれない。

 

 では、その災厄が、何者かの意思によって発生させられたものだとしたら?」

明美「何者か、って神様のことですよね。いや、悪魔でもいいですけど。で、災厄が神様や悪魔だとしたら、・・・・・・・・・どうしましょう、生きてる人間はどうしようもありません。」

まゆ子「それが答えだ。神様や悪魔が相手なら、人間にはどうしようもない。不幸に見舞われて理不尽にも死んでしまった人に対しても、生きている人間は無責任で済まされる。なんせ神様のする事だからね。それに、同じ時同じ場所で同じ行為をしていた人の中にも理不尽にも生き残った人がいる。これを神様の仕業だとした場合、災厄に見舞われた人はなにか間違えて神様の機嫌を損ねて災厄を送られた、と解釈する事が出来る。死んだ人間の災厄を、死んだ人間の自己責任とすることもできるわけだ。

 こうして、人の世で生きている人間は、使者の妬みや羨望から免れる、という寸法だ。実際、目に見えない自然の力よりも、目の前で死んでる人間の方がずっと怖いからね。これが生き返って自分達も死に連れていく、という想像の恐怖は人間社会に絶大な影響力を持つわ。災厄の悪魔や神様よりも、とりあえず目の前の死者から逃げなければいけない。そのためには、より大きな力を持つと思うけどとりあえずは目に見えないスゴイ存在というのを仮定した方がよっぽど分がいいのさ。」

 

明美「な、なるほど。それは確かに魔法的なお話しです。そうか、死者は想像することでいつまででもこの世に生き続けるわけなんですね。」

まゆ子「想像力ってのは人間が持つ最大の能力でもあるけど、最大の弱点でもあるんだね。現実の世界と別の、想像の現実世界を自ら作り出す。つまりにんげんという生物は常にふたつの世界に同時に存在しているんだよ。」

明美「分かります。すごくよく分かります。そこで魔法が必要となるんですね。」

まゆ子「あ、うん。まあそういうことだ。人間は想像の世界に住んでいる。ただし、無制限に自由な世界じゃない。それなら人間はどうしようもなく無力だという事実に直面せざるを得ないからね。そこで想像の世界を間違いなく歩くための道標や地図が必要となる。それを提供するのが、家族の老人であり、村の語り部であり、魔法使いなわけだよ。彼らは偶然に必然としての答えを与え、それを理解する枠組みを与え、それから逃れられると考えられる方法を示唆するのさ。それが魔法というものだ。」

明美「なるほど、魔法がいつまでも無くならないのは、想像という現実世界を生きる為の方法を提供しているからなんですね。それでは設定としてリアルな魔法使いってのは、」

まゆ子「或る意味では徹底的なリアリストだね。自分の持つストーリーの中で、想像の安全路を確実に完璧に踏み出さない自制心が必要だ。その態度が真摯であればこそ、他人もそのストーリーを共有する事が出来、魔法が魔法として機能する。

 

 だから、いっぱんのひとが考えるような、「頭の弱い人が魔法とか魔術とかにすぐ引っ掛かる」、ってのはそもそも誤解なわけなんだよね。つまりは迫力、気合いの問題であって、気合いが入ってるひとの言う事ならば、どう考えても理屈にあわないと思っていても、引きずられて行き着くとこまで行ってしまうのよ。」

明美「そうなんですよね。強く、自分にはなんの間違いも無いって態度で出られたら、なんだかわからないけれど言うとおりにしなきゃいけなくなっちゃうんですよ。あれはおかしいですよね、自分じゃこんなのはなんかおかしいってちゃんと思ってるのに、その場に居る誰も、おかしいって言い出さないんですから。」

まゆ子「その意味では弥生ちゃんは極めて強力な魔法使いだね。学校中が、先生まで含めてみんな弥生ちゃんの言う事が理由もなく正しいって思っちゃうんだから。ま、たいていの場合弥生ちゃんはほんとうに正しいんだけどね。でも、あの正しさは、手順を踏んで順繰りに推論で導き出したってのじゃなくて、ほとんどカンなんだもん。」

明美「そうかあ、そういう風に言われると、なんというか、魔法は未だ健在ってわけなんですね。」

まゆ子「というか、魔法から、いかがわしい前科学的な手品が排除された結果、純粋な魔法のみが世の中に存在している、ってことなのかな。戦争とかも、口先から始まっちゃうもんね。ただ、それは言葉のトリックじゃない。なんだか分からないけれど、その場の雰囲気とか場の空気がそうなってしまうんだよ。つまり、その空気をより早く的確に読み取ってその場の人間を乗せてしまうのが、真の魔法使いというものだね。」

 

明美「ひょっとして、まゆこさん、・・・・・・・・・かがくてきにそれをせいぎょできるんですか、その空気を。」

まゆ子「いや、それはもう、コンサートとかではやってるんだけどね。心理学とかずいぶんと研究されているし、自己啓発セミナーとかはそういう風に出来ている。つまり、そりゃもうみんな血まなこになって他人を踊らせる技術を開発しているんだな。」

明美「そりゃあ、・・おもしろくないですね。ごく当たり前のありふれたはなしなんだ。」

まゆ子「なんというか、現代人は場馴れしちゃってね、そういう群集制御技術に抵抗力とかもついて、昔ほどはうまく踊ってくれないのさ。昔はファシズムとか共産主義とか、まあなんでか知らないけど皆よくおんなじ事を飽きもせず出来るわね、ってくらい綺麗に踊ってくれたんだけど、今はそんな純な人はいないのだよ。」

明美「むかしのひとは、ほんとになんでそんなに簡単に動いたんでしょうね。今考えるとまるでわからないですよね。」

まゆ子「だから、現在は逆に、ほんものの幽霊とか神様を提示してやる方が、人を制御するのに効果があるわけなの。」

 

明美「はあ。

 

 ほんとうの神様ってのはなんですか?」

まゆ子「なんだと思う?」

明美「なんでしょう?」

まゆ子「分からない?」

明美「はい。というか、まゆ子さん、わかってるんですか?」

まゆ子「わたしが? あはは、わかるわけないでしょ。というか、だれに聞いてもそんなのわからないよ。」

明美「そうでしょう、そうなんですよね。そうですよ。わからないから、わからないんですよ。」

まゆ子「という事は、私が勝手に神様とか霊の実体を定義しちゃっても、いいかな?」

明美「え! まゆ子さんが? というか、そんなことして、どこからも文句来ないんですか?」

まゆ子「どこが文句つけてくるってのよ、どこの誰も、神様の実体について客観的な事実として提示できない現状で。

 

 そこで、私が、神様測定装置を作って、これが神様だ!ってのを

        世間にファクトとして動かし難い厳然として存在する概念として提示してやるのだよ。」

 

明美「え、え、え、そんなもの作れるのですか?!」

まゆ子「うん。というか、前にもちゃんと言ってるよ、霊魂測定器っての。覚えてない? ほら、猫の脳に電極を突っ込んで目に見えないものを測定するっての。」

明美「ああ、そういえばそういうのがありましたね。霊魂を測定するのに最適なセンサーは生物の脳だ、ってのでした。」

まゆ子「これを応用して、神様測定器ってのを作るわけよ。といっても猫脳は必要ないわ。なにせ測定する人物のを使えばいいんだもん。」

明美「げ、人間の脳に電極つっこむんですか?」

まゆ子「いや、そんなのはいらないな。脈拍と電気抵抗で上等だ。つまりウソ発見器だよ、おもちゃで売ってる。

 ようするにだ、場の空気ってものが、人間社会には存在する。それを人間はなんとはなしに感知して、自分でも知らない内にプレッシャーとして身体的反応を発生させる。その身体的反応を不安感として認知して心理的に処理するストレスが、人を魔法に引き込む原動力なのだな。

 このウソ発見器は、その、場の空気から発生する身体的反応を検知するものなのさ。ついでに、あの犬語翻訳機のバウリンガルみたいに、身体的反応のパターンを識別して、特異的な反応を発見する。つまり、測定者自身の内部から、神様を発見するってわけだね。」

明美「おお、なんとなくかなり詐欺っぽい話ですね。そうでなくっちゃ! 

 

 ということは、ですよ。神様ってのが本当にいるというのを信じないひとでも、そのウソ発見器を使って神様を発見したように見せかけることができるってわけですか。」

まゆ子「そこがミソだね。どんなに心霊現象とかに否定的な人でも、人間である以上、場の空気とかによってなんらかの身体的反応は確実に起こすわけよ。で、そういう人は、もしなんかの得体のしれない不安感を覚えたとしても、理性的に心霊現象とはまるで関係ないものだ、という認識をむりやりに自分に強制して考えないようにしているのね。でも、そこに、ほぼ客観的に自分の無意識の反応を測定して分析する装置があるとしたら、どうだろう。なんだかわからないけれど、なにも無い空間に確かに反応してしまう自分を見いだした時、その理性的な人はどういう反応をするだろうね。」

明美「えーーーー、どうでしょうね。そういう人は、もちろん神様とか霊の存在は認めないでしょうけど、その反応はたぶん出てしまうでしょうね。どういう風に理解するんでしょう?」

まゆ子「冷静に判断すれば、そして客観的に分析すれば、自分の肉体が脳と、つまり意識とは関係なしに外界のなんらかの情報を検出している、という極当たり前の結論に到達せざるを得ないでしょう。つまり認識力とは別のところで、人間は外界から影響を受け行動にまでそれを反映させている、という現実を認識せざるを得ない。

 ということは、その認識力、つまり人間の通常の感覚世界、つまり現実世界とは別のルートで人間に働きかける感覚世界が存在する、という事をいやでも認識する、ってことだよ。それはつまり。」

明美「それが神様ですか。霊というものなんですか。というか、それは、そういうのがあったとすれば、霊と看做すべきでしょうね。たぶん。」

まゆ子「うそんこの神様だけどね。でも、この機械によって、”意識で真っ正面から感知できる情報”以上のものを人体が検知している、という概念が一般常識として世の中に確立するわけよ。

 それに、たぶん、このウソ発見器はしばらく使うと必要なくなると思うんだ。使ってる人が、自分で自分の反応を分析して、空気を読むことを学習してしまう。つまり、霊能力とかを持ってる人と同等の技術を一般人が学習してしまうわけだよ。霊能力者ってのは、その感覚をイメージ想起力と結合してしまう人、つまり、訳のわからない感覚をなんらかのイメージとして翻訳する能力を発達させた人の事だ。そんなのは無理して身につけないくてもよろしい。

 

 大切なのは、神様を感覚で捉える、という概念の一般社会への普及だ。

 

 なぜならば、さ。日本の神様ってのは元々そういうものなんだよ。信仰の対象じゃない。神様を無理やり信じなくてもいいんだよ。というか、神様が居るのはデフォルトで当たり前。信じるのは神様の霊験、つまり御利益を与えてくれるという期待だよ。神様自体は最初から居るに決まってる。ではどこに、というと、それは、感覚が教えてくれる。なんか居る、と感じるところ、なんかスゴイ、そして善い感触を与えてくれるモノ、トコロ。それが神様の居る所なんだよ。

明美「はあ、ということは、千と千尋の神様が、当たり前ののように復活するわけなんですか。」

まゆ子「復活じゃないな。外国にまでその概念は広がっていくでしょ。信仰とはまったく関係なしに神様を知る、というキリスト教社会では目新しい概念だよ。哲学的な防壁が機能しない感覚的な感染力があるから、ずるずると広がっていく。

 理想を言えば、ケイタイにその機能を内蔵させたいなあ。ケイタイを握って周りを見渡せば、なんだか分からないけれど身体が感じているモノをケイタイが翻訳して教えてくれる。それは同時に、自分の身体が感じているものを客観的に見つめ直す、という行為でもあるわけで、或る意味では自分の心理というものを突き放して客観的に分析し、これまでのようになんかむかつくとか訳もなく落ち込むとかのいいかげんな心理状態に自我を振り回されることなく、正しくカテゴライズして整理する習慣を獲得するという事でもある。

 ま、ようするに、人間に最後に残された魔術的領域である心理空間を、客観的科学的に捉え直し、魔術的なものを外部に追い出す、という機能を果たすわけなんだな。魔法使いというものは客観的なリアリストだ、って言ったでしょ。外に魔法を認識する時、内の魔法からは解放されているのさ。」

 

 

明美「な、なるほど。つまり魔法を作るというのは単なる方便であって、現代の人間が陥っている自我の魔法的罠の束縛から理性を解放しようっていう大それた野望なんですね。」

まゆ子「わたし、サイコホラーってきらいなんだ。あれって馬鹿馬鹿しくてせこくてけち臭い個人的な理由を根拠に、くだらない変態的行為をさも高等な人間存在の表出のように描いてるじゃない。あれを無価値にするためには、現状の映画に出てくるようないかにも近代的な知性が現実的に解決する、って枠組みでは役不足なの。

 で、そういうサイコをサイコ自身よりも深く理解し、魔法的概念を抽出分離させて自由にコントロールできる、より理性的な知性を活躍させる必要があるわけなの。その答えが、外部に神様を感じる人。より正確には、自分の内部にかみさまを感じるようなバカな真似を排除できる人、でなければいけない。

 

 バカをバカと真っ正面から言う為には、こんなめんどくさい遠回りをしなきゃいけないんだな、これが。」

明美「うわ、そんな裏の狙いがあったんですか。」

 

2003/2/22

 

 

 

 

日本新経済再生プランBYまゆ子

明美二号「今日は何のおはなしでしょう。」

まゆ子「経済はどう?」

明美「おお、ありますか、なんかスゴイ解決法が。」

まゆ子「ま、ね。これまでの、ここ10年のアプローチは全部間違ってたのよ。まず今回の不況が歴史的にどういう文脈で起こっているかの理解が無い。日本がどういう状況にあるかを理解すれば、当然解決策も自然と出て来る。」

明美「でもまゆ子さん、あなたは経済学はご存じなんですか?」

まゆ子「しらん。」

明美「しらない!?」

まゆ子「知らなくても結構。なぜならば、今必要とされているのはエコノミストではなくて、というかエコノミストはそこら中にごろごろしてて、で、その連中の努力の結果が、これだもん。必要とされる人間は経済学のプロではなくて、経済学の分野における発明家よ。景気をよくする新産業を立ち上げる、」

明美「おお、なるほど。そういえば、てれびにでてくるエコノミストって人たちは大秀才には見えますが、決して天才には見えないんですよね。」

まゆ子「まさにそこんところの問題の核心がある。で、それを明らかにするために歴史を知らなければならないわけなのさ。」

明美「なんですか、その歴史ってのは。」

まゆ子「日本の近現代史よ。日本が、ペリー来航以来なにをして来たか、という理解が無い。ようするに、日本が頑張って潰されて来た歴史よ。」

明美「潰された?」

まゆ子「潰される。簡単に言うと、ペリー来航日米修交通商条約で日本はいきなり世界経済のただ中に叩き込まれた訳ね。それ以来日本は一生懸命頑張って国力を上げて、国内経済から海外進出へ、つまり世界経済における地盤を確立する熾烈な戦いをしてきたわけよ。で、頑張って日本の競争力が伸びて来ると、欧米列強がそれを潰そうと叩く。叩かれた日本は潰されまいと頑張って、結局成功して勝利する。と、欧米は、その分野での競争を放棄して、ルールのまったくちがう新しい競争の場を作り出して、ゲームを、つまり国力の戦いの枠組みを新しく立ち上げてしまう。当然、前のゲームで勝った日本は、ゲームに出遅れて大損害、大敗北をしてしまう。潰されてしまうわけね。で、そこから復帰しようと一生懸命努力すると、なんだか成功してきて、また日本が勝って、で、それを押さえつけようと欧米が叩いて、それで頑張って勝利する、と、また新しいルールで新しいゲームを作って、日本を置いてけぼりにする。これが日本経済の正しく歴史的な捉え方よ。」

明美「はああ、悪い奴らですね、その欧米の連中ってのは。」

まゆ子「より正確に言うとアングロサクソン。つまりイギリスとアメリカよ。その他のヨーロッパ諸国はゲームのフォローワーに過ぎない。つまりアングロサクソンがゲームを立ち上げて、その他ヨーロッパ諸国とロシアが追随して、日本がやって来て最後にゲームを潰す、この循環を繰り返してきたのが、20世紀の歴史なのだね。」

明美「それは、経済だけなんですか。」

まゆ子「経済だけだよ。というか、植民地帝国主義、軍国主義も所詮は経済が原動力。軍事というものは正しく経済問題の解決の為にのみ行われるのさ。宗教戦争でさえそうなのだよ。十字軍がいかにイタリア都市国家の懐を潤してルネッサンスにつながったか、知らない?」

明美「す、すいません。日本史選択です。で、そのゲームは今も続いている、と。」

まゆ子「さすがに最近は韓国とか中国とかの新しいゲームプレイヤーが出現してきたけどね、基本的な枠組みは変わっていない。で、80年代の日本は絶好調だったわけだよ。重工業自動車家電エレクトロニクス、航空機と軍事産業以外の分野ではほとんど日本がひとり勝ち状態になってしまった。そこでアメリカはこのゲームを放り投げて新しいゲームを始めたわけなのよね。それが、IT つまりコンピュータと金融よ。」

明美「はあ。なるほど、そういう風に話がつながっていくんだ。でも金融は置いといて、エレクトロニクスで勝っていた日本がコンピュータでやられるというのは、不思議な話ですね。」

まゆ子「それには理由がある。コンピュータは歴史的にその発生からして軍事と深いつながりがあるんだ。というか、最初のコンピュータは大砲の弾道の計算のためのものだし、敵国の暗号文を解読する為のものだったのだよ。今大流行のインターネットからして、あれは軍事技術そのもので、核戦争でアメリカ国内の電話線網が寸断されてしまった場合ともかく通信網を確保する為に生きてる回線をぐるぐる迂回して目的となる通信先と繋げる、という技術なんだ。」

明美「うわあ、軍事分野では日本はすっからかんに近いですから、軍事技術を持ってこられたら勝てないんですね。」

まゆ子「そもそもインターネットがクローズアップされたのは、日本がひとり勝ちしてる最中に「全国で光ファイバー網を作ろう」というNTTの計画に危惧を覚えたアメリカが、ともかく使える通信ネットワークをもってこい、というわけで引っ張り出したモノなの。最初にTCP/IPという通信の方式、つまりルールを押さえてしまったわけね。ちょうどその頃、ソ連が崩壊して、軍事技術の開発をしていた技術者が大量にあぶれてしまい、民間分野に流れ出した、という背景もある。」

明美「そういうわけですか。歴史的に把握しないといけない、というのはそういう意味だったんですね。ということは、日本が復活する為には歴史に倣わなければいけない、と。」

まゆ子「そういう事だね。ITの分野は、これまでずっと、規格と設計をアメリカに押さえられてきたから、アメリカひとり勝ちだったわけだけど、つまりCPUとかOSとかをインテルとマイクロソフトにいいように制圧されてきたけど、ここに来てちょっと変わってきた。アメリカはまだ勝ってるけど、日本の携帯電話はもの凄く発展してパソコンと変わらないような機能も実現したり、あるいはアメリカ国内からコンピュータの部品を作る産業がアジアに移転してしまったりソフトウエア開発でインドに勢力が移ったり、と最早アメリカのコントロールから離れてしまってる。

 で、まあそれはいい。問題は金融よ。」

明美「あ、あれ、コンピュータじゃないんですか、今日のおはなし。」

まゆ子「うん。金融と経済。コンピュータは今日はしない。」

明美「げ。」

まゆ子「で、金融よ。大体バブルからしてアメリカが金利引き下げとか勝手にやってしまったから、世界中の資金が日本に流入して起こった訳だけど、ともかく、日本が工業分野でひとり勝ちしたから、金融業界でまた別のルールによる新しいゲームを立ち上げてしまったわけなのさ。そこにちょうど良いタイミングで、ソ連が潰れて軍事分野で開発をしていた技術者科学者が大挙して金融になだれ込んで来た。」

明美「また軍事ですか。」

まゆ子「そうなんだ。軍事には経済学者とか結構重要な役目を負ってる。なんとなれば、とてつもなく大量の物資とか資源を右から左に動かす必要があるから、効率的な扱い方が必要になる。また兵力の展開とかも数学的なモデルで最適化する為に、数学者とかも要る。それが一気に金融業界に流入就職して、まったく新しいビジネスに変えてしまったのだね。つまり新しいルールによる金融が始まって、日本の銀行は乗れなかった。」

明美「なるほど。そういう仕組みですか。歴史的に見て理解するのは分かりましたが、じゃあ解決策もまたそこに有るわけですね。」

まゆ子「あるのだよ、そこに。

 話は簡単。つまり、ルールが変わって新しいゲームが始まると、日本は負けてる状態にある。今の金融、銀行業みたいにね。で、一生懸命追いつこうとするが、先にやってる者の方が当然強くて有利だ。勝てない。ここで、日本人は他の国の人と違う考え方をする。「このゲームに負けたら、死ぬ」とね。」

明美「死ぬ、ですか。他の人はそうは考えないのですね。」

まゆ子「ゲームを作った本人のアングロサクソンは、とりあえず利益が上がれば良いと考える。利益が得られなければ別のゲームをすればよい、と。フォローワーであるフランス人とかドイツ、ロシアとかは、ゲームに参加してほどほどで損しなければいいや、と考える。ゲームに置いてけぼりを食わなけりゃ良し、とね。日本人はそうじゃない。ゲームにマジになるんだ。思い詰める質ってのかな、で、徹底的に勝ちに行く。しかしルールを左右するだけのパワーは無いから正攻法だ。でも他の、先行する人がやるようなやり方では決して勝てない。勝てる道理が無い。となると、人の考えない事をやるしかない。ゲームのルールの範囲でゲームのパラダイムを根底からひっくり返す、そういう手段を考え出して実行する。ゲームを超越してマジになるんだね。そんなのには、そりゃあ勝てない。だからゲームは終了し、別のゲームが始まる。こうよ。

 要するに、現在の日本経済の低迷は、金融業のレベルが低過ぎるから負けてる。で、それを改善するのにエコノミスト達は、アメリカがやってるようなやり方でやらなければいけない、と言う。明美ちゃん、なぜ回復しないか、分かるでしょ。」

明美「そういう説明をするとよくわかります。つまり、マジで死ぬ気でやってないんですね、金融業のひとたちが。本気で勝つ気なら、ゲームをひっくり返す手段を考えなければならない。でもやらない。エコノミストの人たちは大秀才であっても天才じゃない、発明家じゃない。というわけですか。」

まゆ子「GOOD! だからこそ、わたしのような専門外の人の付け入る隙があるってものよ。じゃあその新しい手段とはなにか、という問題になる。

 

 で、これはエコノミストの人たちは分かっている。日本の景気を回復させる為には新産業を立ち上げる、これまでに無かった分野で稼げるようにする、という以外根本的な解決策は無い。でもエコノミストたちはそれが何かを言う事ができない。」

明美「出来ませんか。」

まゆ子「できないね。いろいろテレビとか聞いて理解したけど、株屋のひとってのは結局のところ、他力本願だ。自分でなんとかしようという気も能力も無い。新産業というのがどこか天から降ってきてくれないと、金の突っ込みようが無いってわけさ。これがエコノミストの限界だね。

 でもさ、明美ちゃん。今の日本、一個や二個の新産業でどうかなると思う? ましてや中国とか韓国とか台湾とか、すぐに追いついてこようという国がうろちょろしてる現在で、だよ。」

明美「あ、・・・・・・・・新産業が儲かるとなると、来ますね、それらの国。じゃあ、新産業が出来たとしても、すぐに思ったようには儲からなくなる。・・ダメですね、次から次に新産業を繰り出す必要があります。」

まゆ子「誰がそれを育成するの?」

明美「そりゃあ、政府、かな。政府でしょう。というか、政府以外は出来ないんじゃないですか。金融業の人はやらないんでしょ。そういう育成は。」

まゆ子「やらないね。リターンが帰ってこないから。でもじゃあ、なぜ政府はそういう直接資金の返ってこないような産業育成をするんだろ。」

明美「え? だってやらないといつまで経っても儲からないし、雇用も無いし、・・・・・でも直接は、・・・返って来ませんよね。どうしてやるんだろ。」

まゆ子「それは返って来るからだよ。直接投資分はそりゃあ返ってこない。でも新産業が立ち上がるとその周辺産業までも盛り上がって企業の業績もあがって雇用も充実し労働者の所得が上がって消費が拡大し、景気が良くなって税収が上がり、そこで回収するんだ。」

明美「ああ、それです。景気が良くなると税金も取れるんです。」

まゆ子「金融業もそれやればいい。直接は投資が返ってこない或る特定分野の産業育成に金融業者がスクラムを組んで、集中的に投資する。それは直接は返ってこないが新産業が立ち上がると周辺も盛り上がって設備投資も拡大し雇用消費が拡大して景気が良くなり、総合的にすべての企業の株価も上がって、

      そこで回収する。他力本願の金融業が、自力本願に変身するんだ。」

明美「で、でもそんな大量のお金、ありますかね。大量に必要でしょ、お金。」

まゆ子「そりゃそうだ。だけど大した問題ではないね。なぜなら、日本の民間の金融機関が取り扱える金額は、少々大きさの国が扱える金額よりもはるかに大きいからね。中くらいの国の国家財政で新産業が立ち上げられるとして、それ以上の巨額の資金にアクセスできる日本の民間金融機関が、何故にできない。」

明美「はああ、そりゃそうだ。それはそうだ。大きいんですね、でかいんですよ。なるほど、できるはずです。」

まゆ子「このシステムならば、新産業が次から次に出来る事になる。新産業を立ち上げる為の仕組み自体が新産業だからね。更に言うと、政府による産業育成はおうおうにして規制強化につながる。それが一番の経済の阻害要因だ。民間ならそうはならない。」

明美「なっとくしました。

 

 でも、その前に不良債権処理をしなきゃいけないんですよね。なんか、中小企業が潰れるとか言ってますけど。」

まゆ子「潰れるね。というか、いつどんなタイミングでやっても潰れるんだよ。それこそ絶好の好景気、バブルの真っ最中でも一気にバブルが弾けて、それまでのほほんとしてた企業が一気に潰れる。だから、いったん落ち込むのはどうしようもない。」

明美「でも、中小零細企業の中にはとても優秀な技術を持ってるようなところもあって、そういうのは潰しちゃいけないんですよね。って誰か言ってましたけど。」

まゆ子「まね。でもいいじゃん。潰れたら。だって、必要なのは、保護すべきなのは技術であり職人さんでありその伝統であるけれど、経営じゃないもん。しゃちょさんは要らない。零細企業ではしゃちょさん自身が労働者で職人ってのはよくあるけれど、職人であるその人を守るべきか、しゃちょさんであるその人を守るべきか、どう思う?」

明美「え? ええええええええとおおおお、そういう言い方されれば、そりゃあ、しゃちょさんはどうでもいいです、はい。」

まゆ子「大体ね、今だってそういう貴重な技術を持つ中小零細企業は保護も育成もなにもされてないのよ、潰れるまま。第一、人が、新しい若い労働力が入ってこないんだから、どう考えてもじり貧よ。ほっときゃもう十年もすれば景気良くてもリタイアよ、消滅。なーーーーーーんの手当てもしてこなかったのよね。今最近は起業家とかベンチャービジネスとか色々言ってるけど、それって今大企業とか研究機関とかに務めてる人に対して、中小零細企業のしゃちょさんに成れ、って言ってんのよね。でも、それがちゃんと成り立っていく手当てがなあんにも無い。バカみたいでしょ。」

明美「はあ。」

まゆ子「だったら、そんなのは潰れるちゃった方がいいわ。経営なんかおっぽり出しちゃえばいい。でも技術も職人さんも維持されて、若い人が入って来る方法を考えなくちゃいけない。というか、そんなの80年代から考えときなさいよってなもんで、今ごろになって慌てても遅いわ。潰れないような枠組みを死ぬ気で考えなさいよ。ずっと成り立っていくような、若い人が入って来る魅力のある存在になりなさいよ、という事に必然的になるわよね。」

明美「うあーーー、なんか言葉きついですね。まあ、正論ですけど。でもその方法って、・・・・・・・あるんですね、まゆ子さんだから。」

まゆ子「無論。そういう小規模零細企業なんか十把一絡げでまとめちゃえばいいんだ。で、工場というか生産現場はそれぞれ別でもいい。でも、経営は、営業は、経理はといったごちゃごちゃした仕事はいっしょくたにまとめてしまえばいいんだ。ちっちゃい工場が、単独で銀行に融資を個別に頼む、なんてのは前近代的過ぎる。そういった厄介な問題こそ、専門の重役が経営者が必要。でもその人たちが工場で働く必要は無い。じゃあ、現場の方はお月給もらってサラリーマンになるかといえばそうじゃない。ま、一応出資者とか株主とかもするような、工房の親方というか、そういうえらそうな人だわね。つまりアーティストとプロデューサーとちゃんと分けろっていう簡単な話。」

明美「あ、それわかりやすい例えです。そうか、アーティストなんだ。」

まゆ子「ついでに言えば、どういう商品を作ればいいか考える人も、別に居てもいい。そこら辺が零細企業はめちゃめちゃ弱いからね。商品開発の余力も営業力も無いし、下請けとして言われるままに作ってるだけなんだから。つまり、アーティストとディレクターとプロデューサーと、それぞれ別でイイじゃない、という企業の枠組みをちゃんとつくってやらないと、ベンチャーで会社を立ち上げるなんて、なんの安全装備もなく綱渡りをするようなものなのさ。危なっかしいったらありゃしない。そこをちゃんと改善するためには、どんどこ潰れて危機感煽った方が早いかも。」

 

明美「それにしても、アーティストみたいな技術を持った職人さんはそれはいいですよ。でもそれじゃあ、ごく一般的なサラリーマンとかパートとか派遣の人とかは浮かばれませんね。」

まゆ子「そういう時こそ労働組合、なんだけど、・・・・・・なんの役にもたたないねー。」

明美「そもそも労働組合って何をしてるんでしょう。ストライキなんてめいわくなだけですよね。」

まゆ子「基本的に日本の労働組合はもはや邪魔なだけの存在になっちゃった。JRとか鉄鋼とか大規模な産業で労働者がいっぱい必要なとこはまだなんとか力あるんだけど、今はどこの産業も小回りが効くような小さい単位になってるから邪魔なだけ、いやむしろ害にすらなってるわよ。」

明美「困りましたね。じゃあ個々人の労働者ってのはどこにもサポートするとこが無いってことですね。こまったなあ。」

まゆ子「加えて最近は常々勉強を怠らずにキャリアアップしていかないとリストラされちゃうって世の中だからね。それに転職当たり前となると、企業が社員教育で最後まで面倒をみるという事は出来ない。」

明美「うわあ、八方塞がりだ。なんとかしてください。」

まゆ子「なんとかしましょう。つまり、労働者はばらばらでは個々人は無力だから、ともかくなんらかの所属する環境が必要。だけど、会社は既にその役を果たす事が出来ない。当然会社単位の労働組合も無力化した。といって、産業単位の労働組合もこのご時世では会社ごとに景気は違うのだから、機能し得ない。となると、個人は個人でなんとかするしかないが、ただ単に自分の立場待遇を守る為だけでも、自分の能力を上げてキャリアアップを図らなければ時代の流れに置いてけぼりになってしまう。でも、そんなめんどうな事、仕事の合間に出来るわけがない。となると、

 誰かになんとかしてもらうしかないわね。」

明美「誰か、ですか。でも、今までの話では誰もいないような気がしますよ。」

まゆ子「教育、資格取得でキャリアアップ、となると、どうする? 一人でこつこつ勉強する?」

明美「それは、通信教育とか専門学校とか、公開講座とか、ですよね。」

まゆ子「それをコアにしよう。つまり労働組合に換えて学校を労働者の拠り所にする。これまでは、講座を終了したり資格を取ったら、ハイそれまでなんだけど、その後もずっとアフターケアをする。これからも何度も教育を受けてスキルを上げていかなければならないのだから、一回きりでお客を逃したら損というものよ。だから何度も利用してもらうよう、ずっとアフターケアをする。と同時に、転職が当たり前となると学校が転職の世話をしてもいいし、失業しても学校が再就職の世話をするべきだ。なぜなら、企業側としては、雇う人間の情報をしっかり持っている学校の協力が得られると、能力の確かなはっきりと身分の確定した人間を雇えるわけね。労働者の側も、自分の能力を一々足を棒にして歩き回って売り込まなくても、学校が代わってまとめて効率的にやってくれる。」

明美「おお! なるほど、ただの学校の役を越えて、労働者の面倒を一括してみてくれるサービスセンターになるわけですね。」

まゆ子「さらに言うと、その学校は人材を供給する事で企業に対しても或る影響力を持つ事になる。つまり、人材の質をコントロールする事で、企業側に学校の意見を徹させる事もあり得るわけよ。それは、そのまま労働者の待遇に対する保証にもなる、労働組合と同じ機能を持つ事になるのよ。

 ちゃんと企業で働いている人を学校側がより高い給料を払う会社への就職を見つけてきてヘッドハンティングする、という事も有り。ヘッドハンティングって、体のいいリストラの罠だったりする事もあるらしいけど、学校側にとっては労働者こそがお客様。そんな真似をすると一辺に信用を失ってお客が逃げちゃうわ。つまり安心して任す事が出来るのよ。」

明美「なんというか、・・・・・労働組合って、そういう事すれば良かったのに、今まで何もしてこなかったんですね。バカみたい。」

まゆ子「付け加えるに、学校側は手ごろな労働者をリストアップしている訳だから、新しい会社を興そうという人は、学校に来てメンツを揃えてさくっと会社を立ち上げる事ができるのね。逆に学校側も、経営者となるにふさわしい人を探して来て、銀行から融資を引き出して新しい会社を興して、労働者の人をそこに送り込む事により雇用提供のサービスを確立する事ができるってもんよ。」

明美「す、素晴らしいです。それだとまるっきり安心出来ます。まるで保険みたいな保証ですね。」

まゆ子「ついでに言うと、学校に行く事で、労働者の人が、会社内とか取り引き関係だけとかの狭い付き合いを越える、独自のコネを作って横のネットワークが出来るのも、それもまた個人個人の労働者の強みになるわ。また複数の異なる会社を横断する人間が学校には出入りするから、そこから得られる情報は、計り知れない価値がある。」

明美「わかりました。すっごくわかりました。」

 

 

まゆ子「まあ、こんな感じでいいんじゃないかな、と思うんだけど、でも景気をよくするってのにはこれでは足りないわよね。なんかもっと直接的に儲かるネタを用意しなくちゃ。」

明美「あ、これだけでは景気よくならないんですか。」

まゆ子「もっと即効性のある景気回復策を用意しなきゃついてけないで潰れちゃう人が出るわよ。エコノミストってそういうの他人になんとかせい言うばっかりで、なんにも具体策示さないんだもん。参っちゃうわ。」

明美「やっぱなんか新製品、新産業ですか。そういうのが無いとダメなんでしょ。ダメなんですよね。」

まゆ子「新製品なんか毎日いくらでも出てるから、特許で完全に独占出来るようなものじゃないとだめよね。でも、それはまあ難しい。燃料電池とか平面ディスプレイとか、もう色々な国が入り乱れて作ってるから、独占は出来ないわ。がらっと人の生活を変えちゃうよな新発明とかがあればいいんだけど、ロボットとか人工人格とか、まさかそういうのは無理だわね。」

明美「人工人格ってなんですか?」

まゆ子「つまり人間の代わりをやってくれるAIよ。究極的には人工知能研究はこれを作る事を目的としている。でもそう簡単にはいかない。言葉でさえ、未だ会話の認識もおぼつかない。」

明美「即効性は無理みたいですね。」

まゆ子「ちょっとした小ネタならあるけどさ、写真みたいに光を当てると何色にもなるインクとか、これだとカラープリンタが恐ろしく簡単な構造になる、安くもなる。複雑な形状の物体にもややこしい模様を塗装できる。ま、それほど儲かるとも思わないけど。それとか無線LANと眼鏡型ディスプレイをリンクして仮想空間を街中に作り出す方法とか、ケイタイに望遠レンズを付けよう、とかいうのは無かったかな?ビデオカメラが形状認識して手の形でチャンネルが変わるリモコンとか、 MPEG4でハードウエアデコードするビデオキャプチャやDVDビデオはまだ出てないね。」

明美「そういうのは大逆転にはつながらないでしょう。やっぱりおっきいものをなんとかしてもらわないと。」

まゆ子「大きいとなるとやっぱり建設とか開発だろうね。なんだかんだ言っても一番大きくて一番金になるのは不動産だ。」

明美「結局はそこに行き着きますね。でもこれ以上ビルを建てるというのも賢い考え方じゃないと思います。箱物行政はダメだって新聞にも書いてましたし。」

まゆ子「有るとすれば、都市デザインの大規模な変更でしょう。イメージを変えるのね。都市はコンクリートだらけで車が多くて排ガスが、とかをすっぱり排除する。都市と田舎とで人の行き来がスムースに何の抵抗もなく流入流出できるような、そんな都市に何十年も掛けて入れ変えていく、という政策、新しい都市デザインが必要だわ。それで日本中をがらっとまるごと入れ変えてやる、というどでかい青写真を打ち出してやらないから、経済にどうしようもない閉塞感停滞感が生まれる。」

明美「でも、都市に人が入りやすい、ってのにしたらますます田舎はさびれてしまうんじゃないでしょうか。ただでさえ田舎には雇用が無くて都市に集中してるというのに。」

まゆ子「だからさ、都市デザインだよ。簡単にいうと、都市と田舎と同じもので作るわけだ。都市に緑を、ってのはもう何十年も言われて来た話だけど、これをまるっきりひっくり返して、緑の中に都市を、という風にする。具体的に言うとビルの屋上緑化だね。ビルの上に植物が生えてるの。すべてのビルの上に植物が生えて公園のような植物園のようなのになってれば、すごく住みやすい。でも今の角型ガラス張りビルディングではどうもそれはやりにくい。だから最初から階段状で植物を生やしやすく人間も過ごしやすい、かなり複雑な形状のビルのデザインをデフォルトとして都市景観を作り直すのよ。

 なんというか、つまり、田舎とおなじ季節感を都市でも共有できるようにする、というのかな。人が住みやすいように、自然をそのまま受け止められるような、人間としてごく当たり前の環境を都市でも実現するためのデザインをばーんと打ち出すわけね。そうすると、都市が落ち着いて住みやすくなり却って田舎からの人の流入が減ると思うのよ。都会の人と田舎の人の意識のスピードの差が無くなる、国全体としてのスピードが調速されて同調するようになって、どっちでもいいかという事になり、そのまま田舎で住み続けようという人が多くなる。」

明美「はあ、都市を都市でないように錯覚させるわけですね。都会向きでない人が都会でも快適に過ごせるようにして、田舎風にしてしまう、と。」

まゆ子「なんか嫌な言いぶりだけど、まあそう。というかさ、これ以上モノって要らないじゃない。サービスだって無ければなんとかなるものだし、人間の欲望だって際限無く膨張するわけじゃないんだよ。限度がある。都市は人の欲望を駆り立てるように作られてはいるけど、でも高齢化社会ともなればそうそうぶっとばしていく訳にもいかない。生活が落ち着いてなければ子供生んで育てようかとも思わない。出生率さがっちゃってるから。となると社会全体国全体で右上がりの発展を前提としたグランドデザインを放棄して、定常発展型の国家デザインが必要なわけ。経済の拡大が無い中で大規模需要を作り出そうと思えば、箱モノの更新しかないでしょ。更新するには入れ変えるモノの方が前のものよりも良いと思わせなければいけない。付加価値が付いてないといけない。でも、これ以上便利になる必要も無いし効率化を進めても欲しくない。だったら快適性とか人間性の方にシフトするのが理の当然というわけさ。」

明美「なんか、ナチュラリストか守銭奴かわからないような言い方ですね。でも、悪い事は言ってないし、たしかにそれは需要を喚起するでしょう、たぶん。」

まゆ子「まあなんだ、二十世紀型の都市はもう要らないんだよ。理想にならない。そこからさっさと脱却したい、と世界中の人は皆思ってる。でも代案が無い。より住みやすい都市というのは、これ以上合理的には詰めようがない。徹底的に効率的な都市は人間の住み良い街にはなりえない。人をばらばらに孤立させるだけ。だからわたしはこういう田舎とシームレスにつながる都市を考えるようになったってわけ。たぶん世界中の人がうらやましいと思う街になるでしょ。

 ついでに言うと、水ね。都市に降る水は大部分流れて下水に消える。無駄になる。でも水需要はたくさん有るから上流からダム作って引いて来なきゃいけない。都市を緑がある事を前提に再設計する過程で、都市自体でも水を確保するように都市内部にダムを作ったような構造にして水資源を確保する事が出来るわ。21世紀は水争いの世紀になる、とか誰か言ってたけど、それに対する解答でもある。

 ついでのついで、緑。植物が生えるのはそれは嬉しいけど、世話するのに手間がかかる。また暗がりも出来て治安が悪くなるかもしれない。というか、樹木を生やしやすい、人の交流しやすい形状のビルは、ようするに屋上伝いに人が行き来出来る構造になってるからセキュリティに問題無いとは言わない。でも、そこにこそロボットとかコンピュータによる監視とかの需要も発生する余地があるってわけ。現状の都市構造のままでは自動車以外に自動化の需要が発生しないのよね。建物は閉鎖されてるし、人も隔離されてる。自動化ロボット化にはむしろ不向きな環境なの。つまりこのままの都市に住み続けていれば、新規需要は発生しない。もっとオープンエアな建築物が求められる。言い替えれば、現在の都市は二次元的に作られた昔の都市を積層する事で作られた、半三次元構造、つまり平屋の家をただ重ねただけ。でも、これからは真の三次元構造をもった建築物によって表面を有効活用する方向にする、立体都市になるべきなのだよ。」

 

明美「はあーー。口からでまかせ言ってるみたいだけど、色々と裏づけが何重にもあるんですねえー。感心しました。それで、このグランドデザインを政府がどかんとぶち上げれば景気回復するわけですね。でも、そんな大袈裟な話は聞いた事が無いです。官僚とか政治家には無理でしょうね、やっぱり。」

まゆ子「なんとかしましょう。土地不動産の証券化っての聞いたことあるでしょ。土地はこれまで取得したり借りたりしなきゃ利用できなかったのを、土地の権利を証券にしてバラして人に売って証券もってる人は配当をもらって、で代わりに土地をまとめて運用する。土地の利用を純粋の経済活動として捉えて、権利関係を抽象化してしまう方法ですね。当然土地証券市場というのが土地市場とは別に出来る、つまりあたらしい金儲けの場所が出来るという、実においしい商売よ。これを日本全体に適用する。とうぜん政治家は飛びついてきて・・・・・・・・・。」

明美「あ、もういいです。わかりました。そこで政治家をだまくらかして新しい都市デザインを採用させて、ついでに悪徳政治家を一網打尽にしてしまう作戦ですね。

   もう、まゆ子さんて理想主義者か悪魔かわかんない性格なんだから。」

 

2002/11/9

 

(続き)

明美二号「あれ? 完結したんじゃなかったですか?」

まゆ子「いや、ちょっとテレビで聞きづてならないのがやってたからちょっと。

 なんか新宿に高さ1000メートルのオフィス兼マンションのビルをぶっ建てようという「ハイパービルディング」なる構想がやってたから、ちょっと批判しといてやろうと思ったんだ。」

明美「1000めーとる! 冗談でしょ。」

まゆ子「それが冗談になるか本物がぶっ建つか、努力しているらしいです。」

明美「でもそんな、用地はどうなるんですか?東京の新宿でしょ。」

まゆ子「そりゃ既存の建物をぶっ潰してさら地にして、バカでっかい建物を建てるんだよ。」

明美「うはあー、正気の沙汰とは思えないですね。そんな、建ててる最中はどうするんですか、人の流れがぱったり止まっちゃうでしょうに。」

まゆ子「当然だね。新宿一帯ががらんどうになるから人の流れも変わる。ビルが出来上がった暁には、渋谷とかもっと別の所に東京の中心が移ってるでしょ。わざわざ都心を空洞化しようって言ってるのとおなじだね。」

明美「そもそもどうしてそんなモノ建てようなんて思ったんですか?なんか理由があるんでしょ。」

まゆ子「出来るから。技術的に可能な目処が立ったからやってみよう、という技術屋中心のプロジェクトらしい。で、一ヶ所にビルを集めてしまったら、その周辺の土地は緑の公園に出来るんだそうな。より人間的な活動空間が、三次元立体都市ができるそうだよ。」

明美「・・・・・・・大きいビルの中に人間を閉じ込めて、周囲に緑地を作るってのですか・・・・・。新宿、すっからかんにする気ですね。」

まゆ子「巨大ビルに用の無い人にとってはすっからかんだろうね。」

明美「で三次元立体都市ですか。なるほど、まゆ子さんの三次元立体都市と真っ向から対立する概念ですね。まゆ子さんのはオープンエアで木が生えてるのに対して、クローズドエアで外に木が生えてる。」

まゆ子「勝つのはあたしだ。まずなによりあたしの屋上緑化ビルはそんなに小さくは無い。小山くらいはある。でも高くは無い。なぜなら、地面がビルの屋上にまで持ち上がった構造だからね。大きくしても大きさを感じさせないデザインだよ。第二に、あたしのビルは高くない。底面積も広くない。そこそこよ。つまり既存の建物をそのままの敷地面積で置き換える事ができる。これは法改正が必要だけど、現在高層ビルを立てる時、敷地に公共スペースとしてなにも無い土地が要求されているけれど、あたしのビルはそれが必要ない。というか、至る所公共スペースだからね。当然同じ敷地面積でも容積は大きくなる。たくさんの部屋が取れるわけだ。

 そして三つめ。巨大1000メートルビルは誰でもが欲しがるものではない。ま、名古屋人は欲しがるだろうけど、日本全国に1000メートルビルが乱立する、なんて事はない。それにくらべてあたしのビルは、誰がどこに建てるのもラクチンだ。1000メートルビル一個より、屋上緑化ビル1000個の方が儲かるって寸法だ。」

明美「ついでに言うと、ロボットとかの導入に適しているのはどちらか、都市と地方との格差是正の役に立つコンセプト、とアドバンテージは色々あるわけですね。ま、911テロがあった後でそんなバカでっかい建物を作ろうというのは正気の沙汰ではないですけど。」

まゆ子「ま、なんだね。技術者主体で行くと戦艦大和みたいになる、という好例ですね。グランドデザイン、コンセプトというものは技術からは出て来るものじゃなく感性から生まれるものなんだ。1000メートルのビルを建てれば日本の技術力が発展して諸外国と隔絶した差がつくそうだけど、誰も欲しがらない技術は持ってても仕方ない。

ま、このプロジェクトは新宿の地権者全員をまとめて土地と建物をさら地にする必要があるから、そんなバカみたいな計画に賛同するわけも無いよね。」

明美「はあ、ちょっとかわいそうな感じ。」

2002/11/18

 

 

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