長編オモシロ小説
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昨夜の豪雨が嘘のように晴れ渡った夏の空。
物辺優子は門代文化会館の前に立つ。
いや眠いのだ。なにせ今朝午前二時半に物辺村に辿り着いた。
本殿でゲキの神様に帰還の挨拶をしたり祝子おばちゃんに意味も無く怒られたり、何故か地味な女の子がいっぱい居て騒いでいるのをぼーっと眺めたり。
で、寝たのは四時。しかし六時半に叩き起こされてラヂヲ体操に引き出され半分寝たまま手足を振り回して、
それから神社朝のお勤めと掃除をして、こういうのはもう双子にやらせろよと思うのだがあいつら調子良く脱出しやがるし。
気が付いたら午前十一時。さすがにバスで行くのは遅いから、喜味子が新しく作った梅安の胴体に城ヶ崎家の車を運転させて、文化会館前まで送り届けられた。
優子の顔を見て大きく安堵したのか、来橋いお は思わぬ高い声で叫ぶ。まるで舞台上での発声だ。
「ああーよかった、ちゃんと来てくれた!」
「来るさ、約束だもん。」
八月十日日曜日、今日は門代高校演劇部の特別公演が行われる。演目は六月開港祭と同じ『みずあらそい』だ。
これは演劇部オリジナルの脚本である。
門代高校演劇部では三年生から二年生に代替わりすると、新部長を中心にオリジナル作品の脚本を1本作る活動が代々行われてきた。
前部長三年生「馬渕歩」が作り上げたのがこの『みずあらそい』。
通常六月の公演で披露すれば終了なのだが、今回は反応が良かった為に夏特別公演を敢行した。
但し、三年生は出演しない。二年生新幹部を主役としての初の舞台であり、三年生は演出と指導に当たる。
来橋いおは二年生女子部長、つまりヒロインだ。とは言うもののこの芝居に恋愛沙汰は無く、ただの「村の女A」でしかない。
手足がすらっと長く肌が白く、細いのにむちっとしている。肉っぽい感じがどうにもエロい女だ。
優子はいずれこいつを使ってAVを撮ってみようと密かに思っている。
「いやーよかったー、物辺さん来てくれないとどうしようって思ってたわ。」
「先輩が来るならあたしも来るさ。そんな不義理はしない。」
本来門代高校の生徒は物辺優子と接触しようとは思わない。なにせ自他共認める変態だし、鬼の子孫だし、見るからにおっかない超絶美貌の持ち主でしかも中学時代の悪評が誰の耳にも入っている。
だが最近、恐れ気も無く優子に近づく人間が少なくない。おそらくは国際アクター「香能 玄」の娘だ、との噂が知れたからだろう。
有名人の娘というレッテルにはその他の異常性を包み隠す効果が有るようだ。
自分では変わらないつもりでも、他人を斥けるバリアが薄くなっていた。
来橋いおもその一人で、今も両手を優子の肩に置いて馴れ馴れしく体重を持たれかけてくる。
不快とは言わぬが、どう反応していいかよく分からない。
「それで、ちゃんと指定通りの衣装で来てくれたんだ。」
「まあね。これでいいのか。」
和服で来い、との指定で久留米絣の紺の浴衣を衣装箪笥から引っ張り出した。急な注文だから、饗子おばちゃんの手を煩わせてしまう。
注文の趣旨に異論は無い。『みずあらそい』は江戸時代中頃の農村を舞台としたお話だ。和服であるのは必然。
しかし来橋は胸の大きさを露骨に主張する薄いTシャツと学校ジャージ下。舞台大道具設置の力仕事の真っ最中で、忙しい。
「はいこれ!」
と手渡されたのはプラカードだ。「門代高校演劇部特別公演 本日午後一時より開演」と書いてある。
「はいこれも、」
と筵旗まで渡される。舞台で使う小道具だ。物辺優子はまるで一揆でも起こしかねない姿となる。
「何をしろと言うのだ。」
「お客の呼び込み。」
「ちょっと待て、一人か? あたし、」
「だって準備で忙しくて人手が足りないのよ。」
開演までもう1時間しかない。
ヒロインである来橋は自分の事だけでも大変なのに、新入生の面倒まで見なくてはいけない。
観客の呼び込みもまた重要な任務ではあるが、そこは物辺優子にお任せする腹積もりで臨んでいた。
「おねがい! ”エアチケットの優子”の奇跡をまたやって!」
「うう、」
「物辺さん、私が一緒に付いて行ってあげるわ。」
振り向くと、見慣れた美女の姿が一つ。
馬渕前部長の彼女、九泊加留先輩だ。
PHASE 473.
炎天下にあっても涼やかな印象の加留先輩は門代高校夏制服を着ている。私服ではない。
学校行事でもないのに何故と訝しむが、すぐに二人は気が付いた。
演劇部の宣伝活動を買って出るのを当初からの目的として、今日この場に来ているわけだ。部員でも無いのに。
本人好きでやってるから良いのだが、新女子部長として来橋は礼を言わねばならぬ。
「すいません、じゃあお願いできますか。」
「任せて。ぎりぎりまでお客さんを呼んでくるから。さ、物辺さん行きましょ。」
三年生の強みで、化け物優子をさっさと追い立てる。一方来橋は振り返りもせずに舞台の準備に戻ってしまった。これが正しい演劇部員の態度であろう。
優子は、しかしこの人が少し苦手だ。敬愛する先輩の彼女だから、ではない。
そういう線も無いではないがむしろ逆で、おそらくは、
「物辺さんは筵旗を持ってね。私はプラカードで宣伝するから。できるだけ愛想を振り撒いてね。」
門代文化会館は、例の大きな公園に隣接する公共施設だ。夏前に相原志保美先輩が猫男を退治した場所で、喜味子と嫁が勉強しに来る図書館も公園内に有る。
交差点を渡って4、5分歩くとアーケード商店街の東端に到達する。
「まずは人が多い場所に行きましょう。」
と加留先輩が主張するので来てみたが、残念。真夏の日曜日昼時の商店街に人が居ない。そもそも店が開いていない。
二人は首を捻る。
「あれ、こんなものなの?」
「日本全国商店街というのは今はこんなものじゃないですかね。だから寂れていく一方で。」
「東京一極集中の弊害ってやつかしら。」
「最近は門代も人が減ってますから。」
鳩保芳子が立ち上げた新装開店喫茶店に顔を出してみる。こちらも「準備中」の札が掛かっている。
人通りも無く、店も閉まって閑散としたアーケード商店街。耳を澄ますと遠く、野球の応援の声が聞こえてくる。テレビ放送される甲子園、高校野球だ。
門代高校はまるっきり縁が無いからすっかり忘れていたが、球児達の夏真っ盛り。
アーケードの中央にまで進み西端の出口まで確認出来た時点で、加留先輩は決断した。
ここで頑張っても客は来ない。
「船溜まりの方に行きましょ。あちらなら観光客がいっぱい居るはずよ。」
「でも観光客が高校演劇を見に来ますかね。来ないでしょ。」
「そこは”エアチケットの優子”の腕の見せどころでしょ。」
”エアチケットの優子”とは、去年の十二月クリスマスの奇跡の話だ。
門代高校演劇部OBが大学でも演劇サークルに入りクリスマス公演を行うに当たり、後輩にチケット販売を押し付けた。
大した枚数では無いが、今時生演劇を見に行く酔狂な者が高校生の中に居るだろうか?
一般社会人に売りつけてもいいのだが、なにせ少々悪趣味なお芝居だ。知らずに踏み込めば客は怒ってしまうだろう。
さてどうしたものかと思案していると、たまたま珍しく演劇部室に物辺優子がやって来た。
ほんとうにたまたまだ。そもそもが幽霊部員の優子が狭苦しい部室に篭って他の部員と世間話に興ずるなどは無い。
しかし正規の部員ではあるからには、チケット販売についても話してみる。何の期待もしなかったが、優子は「ああ、それ売りますよ」と安請け合いしてしまう。
大丈夫かなと不安に思っていたが、数日後再び練習中の演劇部を覗きに来た優子は「全部売った」と報告した。
それどころか、割り当てられた枚数を大きく超過して空チケットまで売りつけてしまったと言う。
まさかと思うが実際に代金を枚数分、その5倍にもなる空チケット代金を見せられては信じぬわけにもいかない。
そして公演当日クリスマス、芝居小屋には定員をはるかに上回る観客が詰め掛けた。
もちろん大多数は、そして彼等に噂を聞いた物好きが「絶世の美少女:物辺優子」を見にやって来たわけだ。
OBは歓喜し、サークル始まって以来の大観衆の前でクリスマス公演は開かれ案の定大不評を買ったのだが、それは高校生の与り知らぬ所。
だいたい観客は優子が芝居に出ると思って見に来たわけで、真っ赤な詐欺であるのだが知ったことじゃない。
とにかくこの一件以来演劇部内における優子の地位は大きく上昇し、一目置かれる存在となる。
もっともそれ以前にも部員勧誘に際して大いに貢献しており、一二年生だけで20名を越える現在の隆盛を見ているわけだ。
例年通りの普通の勧誘であれば、部員は三学年合わせて一桁。存続すら危ぶまれたであろう。
「だから今度も奇跡を見せてよ。」
笑う加留先輩だが、奇跡は安売りして良いものではなかろう。
アーケード商店街に沿った隣の幹線道路、かっては路面電車が走っており現在は線路が撤去されて道幅が広くなった、を渡る。港と鉄道駅を中心とした観光地区だ。
行楽客がうようよ居た。いや実際、うようよ居る。
何故通りを渡って商店街まで来ないのか不思議でならない。
季節は夏。暑い、海に行きたい。しかし泳ぐ気は無い。
そういう人が適当に近場の観光スポットを、と考えて門代に来るのだろう。おそらくは。
所詮は地元民にはよく分からない。
さて、楽しい家族向けスポットであるからには無闇矢鱈と迷惑な宣伝などしてはならないものだ。
こんな事もあろうかと、演劇部は予め周辺を取り仕切る観光案内事務所に許可を取っておいた。前部長馬渕歩の差金だ。
高校演劇で非営利となればさして反対されるものでもない。ただ鳴り物や拡声器は禁止、自分の声で呼び込まねばならない。
加留先輩はもちろん優子に声をあげさせる真似はしない。
自ら掲げるプラカードを高くかざして、これまた佳い声で訴えかける。
「門代高校演劇部夏休み特別公演『みずあらそい』まもなく開演でーす。皆さん挙って御覧くださいー」
所詮は一人の声である。誰が注目するでもなく、ただ周囲の雑踏に紛れてしまう。
だがわずかに目を留めた人は大いに驚き固まった。
物辺優子の姿から目が離せない。
止まった視線の先に何があるのか、近くの人も気が付いて同じものを見、また停まる。
視線が集中するのに耐え切れず、加留は久留米絣の後輩に振り返り、これまた息を呑む。
「! ものべさん、これが”エアチケット”の正体ね……。」
物辺優子は物辺優子しか演じられない。様々なシナリオで演じてみたが、どの役をやっても「物辺優子」以外の何者でもなく、芝居が成立しないのだ。
だがそれが「物辺優子」である限り、ありとあらゆる要素を自在に表現する事が出来る。
今は「女優」。
気を取り直して再び叫ぶ。今度は誰もが聞き耳を立てる。
いや、これが誰であるのかを聞きたがる。
「門代高校演劇部特別公演はじまりま〜す!」
PHASE 474.
既に「村の女A」の扮装をした来橋いおが優子と加留を出迎える。
二人の背後のざわめきに大いに驚き、狂喜する。
「優子さん、またやってくれたのね!」
ハーメルンの笛吹き男とはまさにこの状態を言う。観光客は二人の後をぞろぞろと追い、文化会館前に長蛇の列を作っている。
優子は筵旗を来橋に渡して、くるぶしまで届く黒髪をばさりとかき上げた。任務完了。
「ざっと千人てとこか。」
「うわー入りきるかな、観客席。」
来橋の指示で演劇部員達が表に飛び出し、観客の誘導に当たる。
演劇部顧問の男性教師まで出てきて、眼前の光景に言葉を失う。
「これは、凄い。こんな人数をどうやって集めたんだ。」
「凄いですよね、これみんな物辺さんを見に来た人達ですよ。」
「そうか、物辺か。それは困ったな。」
物辺優子は幽霊部員である。当然に芝居の練習なんかやった事が無い。
ただ今回、ちょっとだけちゃんと出番が有るのだ。居なくても別に困らない役だが、観客に嘘を吐いた事にはなるまい。
ここから先はまともな演劇部員の仕事。
観客があらかた座席に収まったのを確認して、加留は優子を伴って堂々と中央を通り最前列の席に歩いて行く。
左右幾百の眼が自分達に集中するのに、ちょっと優越感に浸りながら。
「物辺くん。」
「あ、先輩。」
九泊加留の恋人、演劇部前部長 馬渕歩が既に席に居た。
三年生は既に引退だが、今回特別公演の目的の後輩にすべてを託すに当って裏方に回り演出のブラッシュアップを図る。
自分達が作り上げた芝居を自ら観客席で見る、初めての機会を得たわけだ。
馬渕の右隣に加留先輩が座り、左通路側に優子が座る。最前列中央、ここに座る事自体が演出上の必然でもある。
舞台の袖から一年の女子部員が顔を出し、客席の様子を確かめてすぐ引っ込む。
アナウンスで、「只今より門代高校演劇部オリジナル脚本、『みずあらそい』の公演を始めます」
ブザーが鳴って客席の照明が暗くなり、舞台の幕が静かに上がっていく。地方の公共施設のものとしては妙に豪華な幕である。
最前列の三人は眼前で上る幕につられて首を高く上げ、元に戻して舞台に眼を向ける。
『みずあらそい』は皮肉なシナリオだ。社会風刺が主題と言ってもよい。
訴え掛けるものはまさに「平和」。終戦の日を前にして実にふさわしい内容と言えるだろう。
当然に、甘くない。
題名のとおりに、とある地方の農村で起きた水争いの顛末を描くものだ。
科学技術文明爛熟期と呼べる今の世であっても、天候の不順はままならない。日照りが例年よりわずかに長いだけでも、ちょっと雨が多くても困窮してしまう。
いわんや江戸時代においては、農民の生死に直結する絶対の運命とさえ呼べるだろう。
舞台となるのはどこにでもある平和な、穏やかな自然の普通の農村だ。人も純朴で犯罪も無ければ諍いも無い、理想郷と呼べる場所になる。
当初は穏やかなままのどかに劇は進行していく。何事も無い日常の風景がコミカルに進展する。
しかし、雨が降らない。日照りが続き田に水を引けず何時まで経っても田植えが出来ない。
段々と人の心が荒んでいく、村人は皆殺気立っていく。
そして隣村との境を流れる小川の水が堰を作って横取りされたと怒り、遂に武力による解決を模索し始める。
役人や坊主が諭しても止まらない。このまま放置すれば隣村の連中が図に乗ってますますの水泥棒をするだけだ。
誰が悪いのでもない、これが自然。自然の中に生きる人の真正の姿なのだ。
物辺優子は眼前で演じられる舞台に、正直のめり込んでしまう。
特に演技が上手いわけではない。所詮はこの芝居は三年生を主役として稽古を積んでおり、新幹部二年生は未だしと言わざるを得ない。
にも関わらず、迫力がある。心に響く声が有る。
六月公演の後二年生を主役として再構成するに当って、大いなる変更が加えられた。
監修:物辺優子になったのだ。
演劇部員として一人だけ観客席で舞台を見た彼女の指摘に従って改善を施し、演出にメリハリを加え台詞も修正してより強く観客の心に踏み込むものとした。
だが鬼の仕業だ。時に一般人の理解を超える高度な表現を弄するも、真摯に向き合い耳を傾け、馬渕は優子のイメージに確実に近付いていった。
しつこいほどに修正を要求した各場面の情景、役の心情、舞台の流れ、空気雰囲気、台詞の端々の音韻の響き。
全てが自分が思うとおりに再現されている。
これほど深く自分を読み解いてくれた人を、優子は知らない。
まるでオーケストラの指揮者がタクトを振るかに、心地良く舞台は進んでいく。
そして、
「(物辺くん、)」
右隣の馬渕に小さく突かれた。出番だよ。
客席最前列の優子が立ち上がる。明るい舞台の前に黒い影が湧き上がる。
PHASE 475.
舞台はまさにクライマックス。
旱に乾く小川のわずかな水を求めて両隣の村が争闘を繰り広げる直前だ。
あらゆる状況が流血を欲し、いや既に犠牲者が有る。
来橋いお扮する「村の女A」、彼女は隣村から嫁いできて子供も居るにも関わらず、両村激突の渦中に立たされる。
なんとか止めようと必死で立ち回るが、却ってどっちにも組みせぬコウモリ女として爪弾きにされ、子供もいじめを受けてしまう。
遂には飛んできた石が頭にあたって大流血。舞台中央に伏し、顔を恨みがましくもたげて天を呪う言葉を吐く。
一体神はどこに在る。正義は、慈悲は、雨は降らぬか。人を贄とせねば願いを聞かぬのか。
大地に満ちる怨嗟の声はむごいばかりの蒼天に届かぬのか。
まったくに何の解決策も見い出せぬ。神も仏も有りはせぬ、ただ生きるそれだけを求めて隣村同士が殺し合う。
激突の瞬間、
観客は一人の影を見た。
それまで座っていた最前列の女子高生が、絣の浴衣を来た黒髪の美少女が立ち上がり、舞台に進み出る。
何事かと息を潜めて見守った。あきらかに異常な行動で、舞台の上でもどう対処すべきか分からず動きを止めてただ凝視する。
よっこらせ、と舞台に上る物辺優子。踏み台くらいは用意してもらいたかったが仕方ない。これも演出だ。
おかげで浴衣の裾から白い脛が露出し、過剰に色気を振り撒いてしまう。顧問の男性教師がビデオ撮影しているからお宝映像となるだろう。
よじ登った優子は、観客に背を向けたまま背丈ほどもある長い髪を大きく払う。これほどの髪は日常生活においても不都合を来す迷惑なアイテムだ。
スポットライトに煌めく黒の艶に誰もが見惚れ憧れた。
まさに彼女を見るが為に、彼等は文化会館まで足を伸ばしたのだ。出番は少なくとも元は取ったと思えるはず。
優子は舞台上の都合を考慮せず、両村農民が筵旗を掲げ殺気立って鍬や鎌を振り上げるまま硬直する中、定位置に進む。
「村の境のお地蔵様の祠」、だ。くるりと観客席に振り向きピタリと停まる。
刹那に稲光。ガラゴロと雷鳴が轟く。続いて大粒の雨。ざんざと降り注ぐ(音がする)
村の男A、主人公にして水争いの騒動の扇動者は天を仰いで叫ぶ。歓喜の声で。
「雨だあーーーーーーーー!」
雨が降り田畑を潤し、遅ればせながら両村は急いで田植えを行い、後は例年通りに野良仕事を進めていく。
互いに殺し合おうとしていたのを忘れたかにのどかに、平穏な日々が戻ってくる。
誰も反省しない、省みもしない。誰が間違っていたわけでもない。
唯一人傷ついた村の女Aのみが、恨みがましくたどたどしい足取りで正面に立つ。
「これでええ、これでええんだ。」
何がいいのか分からない理不尽を抱えたまま、村の暮らしは続いていく。
終幕。
「神様は?」「神様はどこ、」
「あの少女の神さまは誰ですか」「あの、関係者の方は」「すこしお話を」
挨拶が済んで舞台の幕が下り、観客はロビーに出るなり一番の疑問と興味を真正面からぶつけて来る。
もちろん舞台は良かった、立派なお芝居だった、門代高校演劇部の頑張り具合は誰もが認めてくれた。
さりながら、まずはあの髪の長い少女は誰だ。それが知りたい。確かめたい。
関係者として馬淵と加留も質問を受け付ける。現役部員は片付けで忙しく応対できないから、ここは三年生の出番である。
しかしおかしな話だ。観客の、それも年配の方も多数見受けられるのだが、皆同音に「神様」と呼ぶ。
旱の村に雨が降ったのは神様のおかげだと信じ込んでいる。
演出上特に何も示唆してはいないのに、ただ単に不審人物が舞台に上がったに過ぎないのに、誰もが正しく認識する。
「あの娘は神だ」と。
これは卑怯な演出だったな、と馬渕も反省した。そもそもが六月の公演ではこの仕掛は採用していない。
なにせ本人が出演していなかった。
だが二年生にバトンタッチして、なし崩し的に彼女も指導的立場の一角を任される事となる。
嫌でも舞台に絡んでもらおうと考え出したのが、「神様」だ。物辺優子にしか出来ない役。
やはり本人にちょっとだけ喋ってもらおう、と加留は考えて一年生部員に呼んできてもらう。
だが来たのは農婦姿の来橋だ。優子の姿が見当たらない。
「そう言えばさっき舞台で挨拶した時にも、物辺さん居ませんでした。」
「ああ、居るものとばかり思い込んでたから、姿を見たかどうかも覚えてないな。」
「ホントね。本来ならセンターに立つべきなんでしょうけど、物辺さん遠慮がちだから端に居たのだとばかり思ったわ。」
しかしホントにどこに行ったのだろう。まさか独りで帰るわけはないし、
多分劇場の中に、きっと居るはずなのに、
「物辺さーん!」
出て行く人でごった返す中、加留の呼ぶ声が空っぽの客席に虚しく響いていった。
八月十一日月曜日登校日。
鳩保芳子は半分寝たような気合の入らない顔で二年五組の自分の席に座っている。身体がだるい。
この10日間はまさに動きっぱなしであった。いや五月ゲキの骸と遭遇して力を授かって以来、ずっと忙しい。
特に土曜日九日が酷かった。動くのはまだしも他人の心配をするのは、随分と堪える。
深夜遅くに物辺優子と城ヶ崎花憐が東京から戻ってきて、ようやく一安心して布団に潜るものの六時に叩き起こされてラジオ体操に連行され、再び戻ってまた寝て起きれば夕方だ。
疲れがどっと出て未だに後を引いている。
「喜味ちゃんは元気だなあ。」
自分以上に忙しかった児玉喜味子の席を振り返ると、嫁子他の女生徒達と歓談している。
こう言ってはなんだが、鳩保よりも喜味子の方が数段女子の間で人気が高い。巨大な乳を振り回し男子に媚を売りまくる鳩保は全女子の敵である。
「よーしホームルームするぞー。」
副担任の男子体育教師が来た。正規の担任の中年おやじは何故か現在フィンランドに居るらしい。
ガタガタと席を並べ直して座る生徒達。概ね7割は出席する。不在者は家族旅行とかか、いいなあ。
一応出席を取る体育教師は、特に連絡事項も無く夏休み中の素行には注意するようにとのありきたりの台詞を吐いて、こう続ける。
「お前たちも気楽にしていられるのは今年のお盆までだから、せいぜい羽を伸ばしていろ。来年は受験で夏休みなんか無いんだからな。」
まったくもってその通り、数理研究科に属する鳩保は医学部志望であるから今年だって気を抜いていられない。
しかし、嫌なことを思い出した。
3日前、新装開店喫茶店での軍師山本翻助との会話だ。彼奴はこんな意見をぬかしやがった。
「鳩保くん、君は医者にはなれない。」
「……医学部に受からないってことですか。」
「そうじゃない。君の学力は俺の調べた所では、もうちょっと頑張れば志望校合格できるだろうが、」
「私の成績調べたんですか、勝手に。」
「そりゃ軍師だからな。国立大学医学部とは大きく出たもんだ。そりゃ私立の医大はとんでもなく金が掛かるからな。
だが無理なんだ、君が医者になるのは。」
「合格できるのに医者にはなれない。医学部の講義についていけないって話ですか。それとも死体を見るのがコワいとか?」
「いや、もう死体なんか幾つも見ただろ。」
「えー、それほどはまだ。出来たてのも見てるんですけどね。」
クビ子さんに身体を乗っ取られた竹元すぐり先生の轢死体はそれは酷い有様であった。
「そうじゃないさ、NWOの関係だ。ゲキの少女に一番に求められるのはゲキの力の行使者としての立場だ。
各国権力機構は君達を世界の支配者としてふさわしい存在にでっち上げるべく様々な趣向を用意している。」
「ああ、そりゃ色々あるでしょうね。なんだかアメリカは私を大統領夫人にでもするつもりらしいですから。馬鹿げた話だ。」
「だからさ、君は医者に成れないんだ。成るのは構わないが、医者として働く暇が無い。」
なるほど。
「そもそも医学部を出たって医者に成れるわけじゃない。免許取って研修医として何年も勤務して勉強して、それでやっと一人前だ。その後も設備の整った大病院で経験を積み重ねないとまともな医者とは呼べない。」
「ですね。言いたい事が分かってきました。NWO関係のどーでもいいお仕事と医者の仕事は両立し得ないわけですか。」
「世界中に医者の卵なんて腐るほど居るさ、君の代わりは誰でもいい。
一方ゲキの少女としては5人誰が欠けるのも許されない。大切に丁寧に、世界の為人類の発展の為に育ってもらう必要がある。君達の成長を促す様々なイベントが用意されるのさ。」
「じゃあ私は医学部に行かない方がいいんですか。」
「いや、君は医学部に行ってちゃんと卒業するべきだ。」
???
「君達全員の成績を見たが、物辺優子さんはよくわからない。城ヶ崎くんはそれなりだが君ほどではない。児玉くん童くんは言うに及ばず。つまり明確に頭が良いと見做せるのは君だけだ。」
「そりゃどうも。」
「君達ゲキの少女はこれから世界のあちこちで色んな人に会うだろう。だが間違えちゃいけない、その人達の社会的地位はほぼ頂点、能力もトップクラスの人材だ。
君達の前ではへりくだっているかも知れないが、内心では何もしらない小娘がと馬鹿にしている。それだけの力と自負が彼等には有る。」
「はい……。」
「彼等に対抗するには君達自身がゲキの力抜きでも価値ある存在だと印象付けねばならない。学歴は大きな武器になる。特に医学部卒だと文句無しだ。」
「単なる箔付けの為に医学部で一生懸命勉強しろってのですか。」
「何の為の勉学か、って話さ。これからの人生生き易くする武器としての学歴だろ。ならば最善の策を選ぶべきだ。」
うーん。
「それにだ、他の子には出来ないわけだ。一人くらいは十分に知的であると印象付けないと本当に全員が軽く見られるぞ。
君に課せられる使命はなかなか大きいんだ。」
「やる気無くすー。」
教室の机に顎を乗せて、鳩保はうめいた。
PHASE 477.
やる事無いからそのまま帰ろうとした鳩保は、廊下で後ろからタックルを食らう。
正確には後ろに気配を感じて立ち止まったところに、童みのりが追突した。ちょうど肩甲骨の下に頭突きをかまして脊椎が逆さに曲がる。乳房慣性質量が災いして更に大ダメージ。
「うぷぅちゅ、」
「ご、ごめんよっちゃん。ごめん。」
三組のみのりは自分のクラスの状況の報告に来たのだ。
懸案であったサルボロイド星人が見事退治されて門代地区宇宙人有志隊も解散。
しゅぎゃらへりどくと星人もまた元の通りに縁毒戸美々世を再生してもいいはずだが、今日は登校して来なかった。
「美々世さんまだ身体作ってもらえてないのかな?」
「あー、」
どうでもいい話だ。美々世が居ようが居まいが、自分達には特段の影響も無い。
と鳩保は思うのだがみのりは大きくこだわった。
「だってあの人達野放しにすると悪いことばっかりするじゃない。」
そういう考え方もあるか。美々世が学校に姿を見せている限りは、まだ尋常なコンタクトを取ろうと試みるわけだ。
どの宇宙人もそうだが、地球人に対して無制限の好意を見せる者はどこにも居ない。なんらかの意図や利益の裏付けが存在する。
特にしゅぎゃらへりどくと星人は油断がならない。元来堪え性の無い、結果を迅速に得ようとする短兵急な連中だ。
敵に先手を取られないためにも、こちらから迎撃に向かうべきであろう。
「分かった、今度美々世の家に行ってみよう。」
みのりはほっと息を吐き安堵する。
この10日間主に働いたのは喜味子と鳩保だが、みのりにもずいぶんな負担が掛かっていたらしい。そりゃそうだ、ドバイで世界一ビルを倒してきたばっかりだ。
みのりさーん、と三組から声を掛ける女子が居る。
あれは「山中明美」って奴だ。おそろしく運が悪いものの、ダメージまるで無しの不死身というバケモノだが、三年生に同姓同名同不死身三倍増の超人も居るらしい。
たしか六月ぴるまるれれこ復活の際に弾け飛んだエネルギー粒子の直撃を受けたのが、その三年生。人体蒸発必至なのにまるっきり無傷なのだから、ゲキの少女どころの不思議ではない。
「神だとか宇宙人だとか不死人だとか、この学校は一体どうなってるんだよ。」
ちょこちょことみのりが三組に帰っていく。山中明美絡みで話が有るらしい。もうひとり日本人形みたいな髪の女も付属する。
あいつは確か、前に三組に行った時みのりの不在を教えてくれたついでに鳩保を詰った女だ。
「みいちゃんにはみいちゃんの世界があるわけだな。そこに美々世が居ないのはバランス悪いらしい。」
鳩保にも自分の世界が有る。義理が有る。
だから科学部部室である理科準備室に行ってみると、前部長の八段まゆ子先輩が一年生男子を従えて妙な物体と格闘していた。
機械の切れ端らしい。およそ現代の電子機器とは異なり、鉄の薄板を何百枚も重ねたような代物だ。
鳩保の姿を見てちょうどいいと、白衣姿の先輩は言った。
「鳩保、あんたの組の喜味子ちゃんはまだ居るか?」
「はあ。喜味ちゃんはアレでなかなか社交的で、まだ居ると思いますよ。」
「呼んでくれ、ちょっと手を借りたい。」
自分で呼べばよかろうものを、と鳩保携帯電話で呼び出した。
ついでに科学部女子班(数理研究科3学年女子全員の交流の場であり、鳩保はその責任者となった)の打ち合わせをしていこうかと思ったのだが、
「今忙しい。」
「はあ、じゃあ。」
体よく追い出されてしまう。先輩達は鉄板の切れ端にご執心だ、よほど面白いのであろう。
「あそうだ、鳩保!」
「はい先輩。」
「数理女子の壁新聞作るの聞いてるか。文化祭の恒例展示物だ。お前やれよ。」
「えーめんどくさいですよー。」
「それが毎年の責任者の仕事だ。逃げるなら生贄を連れて来い。」
「わかりましたよー。」
去年の数理女子の責任者は良かった。まったく関係のない八段先輩が勝手にやってくれたのだから。
残念ながら今年の女子に鳩保以上の適任者は居ない。残念。
自分と入れ違いに喜味子がおっとり刀で科学部に入っていく。二人、目で挨拶する。
「喜味ちゃんが数理ならなあ。」
文才は無くとも人望の有る喜味子であれば、人を集めて壁新聞を作るくらい造作もなくこなすだろう。
逆に、女子に恨まれる鳩保に女子同士の交流を図る共同作業は至難の業。
人それぞれ得手不得手が有るものだ。
PHASE 478.
「はいこれ、当座の運転資金。あと給料というか契約金ね。」
封筒に入っているのは200万円。銀行から下ろしてきた鳩保だが、何度中から1、2枚抜こうと思っただろう。
もちろん合法的なカネだ。
喫茶店の取得と改装資金はどこやらの裏帳簿を不正操作してちょろまかしたが、さすがに運転資金まで頼ろうとは考えない。
みのりがドバイから仕入れてきたお宝で換金が容易なものを売り飛ばして、ゲキの少女共通口座を作っている。
1億円はさすがに無いが、喫茶店運営くらいなら潤沢過ぎる。
元オーストラリア空軍戦闘機パイロット、魚肉マシュー・アイザックス大尉は素直に封筒を受け取った。
二十代後半の設定なのに少々老けて見えるそれほどはカッコ良くない白人男性は、にんまりと笑う。
「これでようやく仕入れが出来ます。」
「うん。」
魚肉大尉を雇うに当って、特別な待遇を認めている。一応は契約金を払うのだが50万円のみ、他に給料が月20万円もちろん年金やら健康保険は無し。魚肉だから。
更に加えて、喫茶店運営で生じた利益を彼が全部取って良い事にした。
ゲキの少女としては秘密基地がちゃんと機能すればいいだけで、喫茶店としての繁盛は考慮しない。
だがやる気の無いマスターに経営されてはかなわないから、利益を彼に譲る事とした。
とはいえさすがに彼一人だけには任せておけない。所詮は魚肉、信用はまるで無し。
「ウエイトレスの件はどうなりましたか、ハトヤスさん。」
「うん、それはこちらで用意する。普通の人を選んじゃダメだから。」
ゲキの超科学で構築され魚肉合成人間により運営される秘密基地だ。スタッフも一般人は不可、もちろんNWOに人員の提供を求めるわけにもいかない。
「その点に関しては祝子さんがいいアイデアくれたから、近日中に派遣するわ。よろしくね。」
「はい。」
「あとね、行きがかり上各国諜報員関係とか宇宙人の手先とかの迷惑なお客さんが来るわけだよ。」
「そうですね、まだ開店前ですが調査員らしき者がちらほらと、写真も撮って行きます。」
「だからちょっと武装しようと考えてる。無論当初からの予定で、ウエイトレスは戦闘員でもあるからそのつもりで。」
「怖い人ですか、それは困ったな。」
人間として作られた魚肉は所詮はニンゲンである。特殊技能や高い知能を持っていても、戦闘力に関しては最高でも特殊部隊員程度。宇宙人にとても太刀打ち出来ない。
ましてや戦闘機パイロットは陸に上がった河童も同然で、からっきし役立たない。
「ついでに対宇宙人戦闘の用心棒も付けておく算段だ。貧乏臭い人だけど一応はアメリカ人だし、お昼ごはんとか食べさせてあげて。」
「はい承知しました。」
喫茶店だからコーヒー紅茶だけでなく、ちょっとした軽食も出す。
しかしよくよく考えるとこの魚肉大尉は、飯を食うのだろうか。
「あのさ、魚肉人間ってのはご飯食べるの? 内臓無いんでしょ。」
「食べますよ。ただそう言われてみると、どこで消化してるのかはかなり疑問ですが。」
「まさか味音痴じゃないよね。」
「あー、前に女と暮らしていた時は、あなたの作る料理は魂が入ってないとかで怒られた事がありますね。」
そいつは難しい表現だ。美味い不味いを通り越して、何が出てくるか分からない。
ひょっとしたら祝子さん言うところの「ロボ味」チャーハンなんか作っちゃうのだろうか。
「わかった。ウエイトレスに料理の出来る子を選んどく。それなら大丈夫でしょ。」
「お願いします。」
「ちなみにあなたの得意料理は、」
「ハムエッグかな。」
そいつは大問題だ。
あなたはそう思った。
PHASE 479.
物辺村前バス停にあなたは立つ。正面に島へと続く道が80メートル、海と橋が見える。
右手には薬局兼雑貨屋「武半薬局」が有りジュースの自動販売機が2台設置されている。脇のベンチの上には葦簾で日除けが掛けられ朝顔が巻き付いていて、花は既にしぼんだ。
左手には空き地、かっては店舗が有ったがあなた達が生まれる前に取り壊されコンクリブロックの土台がそのままだ。裏手に畑がある。
背後を振り返ると車道。渡ると看板「物辺神社専用駐車場 参拝客以外の駐車はご遠慮ください」
砂利敷の駐車場に黄色いナイロンケーブルで車ごとのスペースを区切ってある。収容台数30、簡易トイレ有り。その先は広葉樹の林。
車道と駐車場の照り返しが酷く、下から顔を焼く。土埃が舞って目に入りそうで頻りと瞬きをした。
なにか、変だ。
よく分からないがバランスが悪い。抜けている。精神の心棒に当たる部分がひどくあやふやだ。
そう思うのはあなただけではないらしい。
橋の入口の護岸の傍で、物辺の双子小学生美彌華&瑠魅花が気怠そうに暇を潰していた。
イタズラもしない、蝉取りもしない。空になったラムネの瓶を名残惜しそうにねぶっている。
精気の無い物辺の女なんてものを初めて見たから、心配して話し掛ける。
「どうした二人とも?」
「ぽぽーねえちゃんか、学校か」「登校日ってなんであるんだろ、うっとおし」
「元気ないな、どうした。」
「せっくす」「せっくすがねー」
「え? なんだ。」
「祝子おばちゃんが夜通しせっくすする」「新婚だし」
ああ、とあなたも絶句する。和風建築平屋の物辺家は防音などまるで考えていないから、若夫婦の夜の営みが完全ライブ状況になる。
昔の日本ではどうやって対策していたのか。
思春期入りかけの小学生にはたしかに毒だ。配慮をせねば、
「いやせっくすはいいんだけどね」「むしろ大好きだ」「むしろ覗きに行って殴られる方が堪える」「おばちゃん手加減なしで発勁使う」「小学生を木人と間違えてる」「じゃっきーかよ」
「そうか……。」
心配して損した。小なりとはいえ変態は変態だ。
「それであたしらも考えたんだ」「そろそろ次のすてーじを目指すべきかなって」
「ステージって、何さ。アイドルになりたいのか」
「物辺村に飽いた」「うん」
「そうか、世界が狭いのが嫌になったのか……。」
考えてみれば物辺優子が外道に落ちたのも同じ小学五年生。野生のケダモノをいつまでも鎖に繋いではおけない。
ちなみに双子の父親は東京に住んでいる。祝子の結婚式に顔を出して、喜味子にマッサージで治療してもらったはず。
「あんたらの父ちゃん元気になったんだろ? 東京にまた戻るかい。」
「とーちゃんはなー」「とーちゃんまたインポになった」「どうも百回使うとえんぷちいになるみたいだってかーちゃん言ってた」「1ヶ月保たなかったよ」
「ひと月で百回もしたのか、あんたらの父ちゃんは」
「すごいだろ」「”性豪”ってんだよ」
「いやそいうのはバカって言うんだ。」
あなたと話している内に二人は再び煌めきを取り戻す。夏の光に目が輝き、頬に赤みが差してくる。
綺麗だ。
近所に住む見慣れた目を捨て客観的に観察してみれば、双子の美しさは恐ろしいほどに鮮烈だ。
小学生だから背は低いがすらっと手足が伸び、細い首うなじ襟足は女が見てもキスしたくなる。
顔と眼はそっくり同じはずなのだが、性格の違いで印象が違う。
姉の美彌華は暖色系が好きで華やか明るい、左右にリボンで結んだツインテールの髪がオープンな感じを与える。
妹の瑠魅花は対照的にばっさりと短く鋭く切り揃えてクールな雰囲気、寒色紺系統が好きで知的なイメージを醸し出す。
だが実はわざと印象を違えて互いのコントラストを高めているだけで、中身は同じパープルの怪獣だ。
二人はよく入れ替わり人の目を欺く悪戯を繰り返す。
あなたは言った。不注意にも、思いつきで要らぬ知恵を授ける。
「じゃあさあ、二人どちらかが東京に行って、もう一人は村に残るってのはどう?」
「ぐっどあいであ」「そうか、その手があったか」「ふたり時々入れ替われば、どちらも東京で遊べるな」「ふたごだしな」
「まて、ちょっと待て。勝手に入れ替わるのか。学校とかどうするんだよ。」
「学校でも入れ替わる、たのしいじゃん」「むしろ学校でやるから面白い」「けんとうのよち有り」「計画を進めよう」「ぽぽーねえちゃんありが10」
「ちょっとちょっと、」
やっちまったぜー、とあなたは後悔する。この先の展開が容易に想像出来た。
双子が入れ替わるには東京までの旅費が必要だ。無論親からせびるわけにはいかないから、資金を自前で調達する。
ゆうこが荒れていた時代の経験から分かる。邪悪の鬼の誕生だ。
指針を得て、この夏最後の計画の為に双子はいきなり飛び出した。左右に別れて駆け出す二人に、巨乳鈍重な女子高生は反応出来ない。
まるでつばくらめのように去ってしまう。
そういえば、燕が南に帰るのももうすぐだ。
PHASE 480.
城ヶ崎邸2階城ヶ崎花憐の私室。元は兄が使っていた部屋だ。
名目は勉強室で禁欲的な簡素さであるが書棚とAV機器が揃っている。大型画面でゲームも出来るが、機械だけ有っても使った事無い。
もう一つの私室、寝室は完全に女の子の部屋となる。ぬいぐるみが有ったりポスターが張ってあったり、クローゼットには決して外に着て行かない無茶な服が仕舞ってある。
物辺村の子を呼ぶ際には通常寝室の方に通す。幼なじみ同士で何の遠慮があろう。
だが今回、勉強室の方に案内された。初めての体験であるから違和感を覚えてあなたは少し緊張する。
折り入ってのお願い、と花憐に頼まれれば嫌とは言わないのに、改めてのこの態度。
よほどの事情なのだろう。
島の住人である家政婦が淹れてくれた紅茶のポットと茶器ケーキ皿を花憐自らが運んで来る。
銀のトレイで両手がふさがっているから扉をあなたに開けてもらって明るく笑うのが、正直不気味だ。
「ごめんねぽぽー、帰ってきたばかりの所を捕まえちゃって。」
「いやいいけど、花憐ちゃんその格好は何?」
あなたは高校制服のままだが花憐は着替えて他所行きの、フォーマルで仰々しく同世代の友人を自室でもてなす姿ではない。
まるでこれから殴り込みにでも行く勢いだ。
「今からおとうさんの後援会の人に会いに行くの。」
「ああ、また市会議員のお仕事に引っ張り出されたのか。お盆だってのに大変だね。」
「お休みで人が集まるから議員と会ってくれるんだけど、それとはちょっと違うのよ。実はね、おとうさん市長になるって言い出したの。」
「市長選挙って去年やったじゃん。まだ三年も先だよ。」
「なんだか市の外から来た人が裏で動いていて、市長になにか吹き込んだみたいなの。それで早期に辞職しておとうさん後釜に、って話らしいわ。
ね、おかしいでしょ。」
おかしいもなにも、そんな真似をすれば市長は一気に信頼を失って政治家として生きていけなくなる。
よほどの圧力が国レベル中央政界から掛かったに違いない。
「NWOか、ゲキ関連でそういう話になってるんだな。」
「うん、わたしもそう思う。まずいでしょ、どう考えても。」
確かに門代地区においてNWOが超法規的活動を繰り広げるなら、市長を直接指揮下に置くに如くはない。
だが性急すぎるし強引だ。民心の動揺を抑えて穏便に交代させるべきなのに、事前の周到な計画が見えてこない。
何者かがスケジュールに無い工作を仕掛けたのだ。
ゲキを巡る構図に割り込んで権力の一部を奪取しようと試みている。
「軍師だな。このあざとさは間違いない。政治関連の軍師が関与してるんだ。」
「軍師って山本さんみたいな? そうね、あの人だけが策士ってわけではないわね。」
「狙い所は悪くない。だがこちらに何の相談も無く、状況を進めてから事後承諾を取り付けるような真似は許さん。先手は常にこちらが取るべきだ。
潰そう、その動き。」
「ぽぽーお願いできる?」
ちょっとした汚れ仕事になろう。それだけの影響力を持つ者ならばカネもヒトも大規模に動かせるはず。裏社会ともつるんでいるだろう。
いわば政争を仕掛けられたのだ。血を見ずには収まるまい。
花憐は騒動の渦中に有って父親と後援会の人達を守らねばならないが、一人で出来る話ではない。
あなたの出番というわけだ。
「そういえばさ、花憐ちゃんたしか地区の広報紙になにか書いてたよね?」
「え、ええ。恥ずかしいんだけど。」
公民館の利用状況やら警察の注意などが載っている、どこにでも有り誰も読まない新聞だ。
花憐はこれに一種のポエムを連載している。高校生になってからだから、もう1年以上も続いていた。
誰も引受け手がないから生贄的に選ばれたのだが、その割には頑張っている。
数理研究科の壁新聞を作るのに、経験が生きるかもしれない。
「バックナンバー有る? ちょっと新聞作りの参考にしてみたくて。」
「ええ、一応は毎号取ってあるから。えーとファイルフォルダーに、」
「あーでもポエムだけじゃ分からないかな。」
「そうね、じゃあ編集部の人に紹介してあげるわ。若い人よ、結構。」
花憐が差し出す黒のファイルに、自分の記事がすぐ見れるように丁寧に収められている。
見せるのにまるで躊躇しないのは自信作という事だろう。そうでなければ長く連載なんか出来るはずも無い。
「えーと、なになに。
『てれまかし 黒の宵に紛れては
じぇすかぽとりす、ぼんそわーる 人のふり見て我がみよるにる 字余り
でもわたしはげんきですから心配しないで だーりんきすみー』
……。」
ポエムのコーナーを作るのはやめよう。
PHASE 481.
あなたも律儀な質だから、ティーセットを花憐に代わって自分で台所まで持って下りた。他所行きの服を汚しちゃならない。
早々に出立する彼女を見送って自分の家に戻る。しかし大きな違和感が残った。
何時から自分達はこうなったのだろう。一介の女子高生としては話が大袈裟ではないか。もっと平凡な、世界レベルでも政治レベルでもない小市民的日常を送るべきだ。
そもそもがバカみたいな夢物語だ。アニメやラノベのお話に脳が侵食されている。
どこかで方向修正をしなければならない。もっと堅実な地に足の着いた努力が報われる世の中に復帰せねばならないはず。
そうでなければ自分を見失って何をやっているかも分からなくなる。
差し当たってどの辺りから始末を付けようか。
豊かな胸元を強調する青いチューブトップのワンピースに着替えて、ゲキロボ秘密基地に向かう。諸悪の根源を求めれば帰着するのは此処しかない。
物辺神社本殿の黒い屋根の下をくぐって裏庭禁域の御神木にやって来る。細かい砂利を敷いて綺麗に整えられた小さな広場には、
目の覚める赤さの小さな花が無数に咲いている。御神木の百日紅が夏に咲くのは当然だが、昨日まで何の兆候も無かったのにこれは一体どうした事だ。
「ああぽぽー、今ね御神木からゲキを抜いてみたの。」
「どうして、それに洞は無いの?」
人間が二人は入れる大きな洞が樹には穿たれていたのに、今はまるっきり存在しない。つるつるとした幹には申し訳程度に縦に長い隙間が開いているだけだ。
太さもぜんぜん違う。女子高生3人が手を繋いで抱えるほどだったのに、今は胴回り1メートル半にまで縮んでしまった。
児玉喜味子は咲き誇る花を見上げて、ほんとうに済まない気持ちで語る。まるで樹にも心が有ると感じているようだ。
「私達が勝手に秘密基地にしちゃって、ゲキが御神木を春の状態のまま固定しちゃったのね。本来なら夏に花が咲くはずなのにこれまで抑えられて、樹の勢いが損なわれたんだ。
だから一度ゲキを抜いて普通に戻す。本当ならもう使わない方がいいんだけど、ここは無性に便利がいいからね。ごめんなさいとは思うけれど、今度は慎重に合体させてみるよ。」
あなたも見上げて、めまいがした。花の一つ一つが目に突き刺さるほど刺激的に赤く、頭の芯を抉り込んだ。
本当に現実の景色なのか、花はこれほどまでに鮮やかなものだったろうか。ひょっとして作りものの世界ではないのか。
「喜味ちゃん、じゃあ今はゲキの力使えないの。」
「いや、どこか別の場所に秘密基地を移転させるよ。ただゲキは箱とか洞とか家とかの、中に人間を入れられる形状を欲するからね。」
「島の空き家を使えば?」
「いやそれは最初に考えてボツにした。長年誰も入らない家に私達がうろちょろ出入りするのは目立ってしょうがない。」
「じゃあ何に。いや全部任すけど、それよりさ。」
あなたは喜味子にアーケード商店街にオープンした喫茶店の話をする。ウエイトレスの件を相談すると、快く引き受けてくれた。
「メイドウエイトレスね、なるほど可愛いエプロンも作っておこう。で、私達もそこでバイトするの?」
「無理。」
「じゃあ私達が働かないのを前提にシステムを組み上げておくよ。ふぅむ、戦闘員としての適性ねえ。」
たちまちろくでもない事を考えついた喜味子が笑いかけるが、あなたは実は彼女の顔を見ていない。
物辺村の住人は長年児玉喜味子と接してその容姿にも慣れている。でも、直視しているとは限らない。喜味子が居るのを認識すると、巧みに視線を外して顔を見ない術を心得ている。
4人の幼なじみも同じだが、親しいだけに配慮を悟らせないより高度な演技を身に付けている。
しかし思う。喜味子自身を傷付けずに普通に接するためではあるが、可哀想な仕打ちと言えなくもない。
やはり正面からしっかりと見て、対等に話すべきではないだろうか。大体見るだけでびっくりする化け物めいた顔相なんてそうそう有るものではない。
「喜味ちゃんあのね、」
「うん。」
あなたは思わずぎゃっと叫んだ。ついで目が眩み暗黒に包まれ、気が付くと喜味子の腕の中に居る。
「ぽぽー、あんた一体なにしてるんだ。いきなり倒れて気絶するとか。」
「ごめん喜味ちゃん、ちょっと今日は体調がおかしいみたい。」
全身に注意をやって痛めた箇所が無いかチェックする。幸いにして身体の力が抜けた瞬間に抱き止められたらしい。
鳩保の体重は巨乳巨尻の分だけ重いから大変だったろう。
自ら立ち上がり、左右を振り返って場所を確かめる。ここは物辺神社御神木基地、いや基地はない裏庭だ。
赤い花が無数に咲き誇り、だが先程のようには刺激的に感じない。普通だ、日常の意識レベルを回復した。
鳩保やっとの事で目が覚めた思いがする。
何者かに自分を覗かれていた気配がようやく消えた。
二年三組南 嶌子は弓道部に所属する。はっきり言ってエースだ。他の部員の誰よりも熱心に稽古に取り組み、成績上位を目指している。
ただちょっと変な娘で、固定目標よりは移動目標を狙撃するのが正しい弓術だろうと考える。実戦で使うのならば当然の技術だと。
現代の和弓でも人はちゃんと死ぬが、戦国の世の実戦用の弓と比べれば全然弱い。そもそも強弓を女性は引けないのだが、そこは気持ちということで。
つまり、厄介な子だ。自分の筋をあくまでも通そうとする。
黒く艷やかな細い髪を肩の半ばの長さで揃えて日本人形みたいに綺麗なのに、扱いに困る。男子も寄り付かない。
そこで運動部同士でくっつけておけ、と童みのりと山中明美の3人合わせて組にしておいた。
今彼女が一番腹立たしく許せないのが妹、南 洋子の仕儀。
中学生の時は姉と同じく弓道部だったのに、今は女子軟式野球愛好会に入っている。それは構わないが、野球をしているはずなのに毎日どこかしら怪我をして帰ってくる。
元来不器用で怪我の多い子ではあったがやはり異常だ、と姉が真相解明に乗り出した。
同じ愛好会に属する山中明美にねじ込んで、夏合宿で何をしているかを検分に行くと主張する。
「そもそも女子が野球をしたいのならソフトボールするべきでしょう。だのになんでこの学校は軟式野球なの?」
「えーそんな根本的なところから責められても。」
山中明美という娘はこれまた不器用で面倒に巻き込まれ易い体質で、生きているのが奇跡のような半生を送ってきた。
スポーツに特に興味が有るわけではないが、なんだかよく分からない内に巻き込まれて愛好会になし崩し的に加入する事となる。
ちょっと茶髪のポニテで、外見上は平凡極まりない。ブスと言われるほど酷くはないが美人かと問えば考えてしまうぱっとしない容姿で、人畜無害と評するのが正しかろう。
しかし善人だ。人当たりも良いしえこひいきしないし、男子からの受けも悪くない。普通子としては上級に値するキャラクターである。
であるから、嶌子に妹が傷だらけになるのは何故かと問われれば、返答に窮してしまう。
実際、練習ごとに毎回酷い目に遭ってるのは自分の方が多く、でも無傷なのだから個人の資質と考えるしか無い。
「えーとね、一年生にもっと運の悪い子が居て毎回こけているんだけど、洋子ちゃんほどにはケガしないのよね。やはり日頃の心構えというか慣れの問題なの。」
「いやそもそも何の練習をやっているのよ。この間洋子がスーパーボールを打ち出すボウガンってのを家に持って帰っていたわよ。アレ何に使うの?」
「あーそれはー、狙撃、かな?」
二人の問答を聞いている童みのりも何が何だか分からない。どうして野球の練習にスーパーボールが必要なのだ、ゴム玉を使って試合するのか。
嶌子は宣言する。
「一体なにやってるのか、今から見に行きます。童さん、付いてくるよね。」
「えーーーーとおーーーーー。」
元より女子軟式野球愛好会の夏合宿に顔を出すのは決めていたが、そんな査察団みたいな真似にいかにも協力者な感じで連れて行かれるのはどうだろう。
おろおろしながらも生返事をして、みのりは誰か助けてオーラを発する。
普段であれば小さな彼女の困惑した表情を誰かが見かねて助けてくれるのだが、残念ながら夏休み登校日で人が少ない。もう大半の人は帰ってしまった。
頭の中できゃあああああ、と叫びながら強制的に連行されていく。
「で、合宿所はどこ?」
「練習はここ1週間は衣川先輩のお宅に通いで、今日からは衣川警備保障の保養所を借りて泊まり込みに、」
「きぬがわって、三年生のお姫さまの?」
「その先輩。」
「ふーん。」
その人に関してはみのりも多少は知っている。衣川のお姫様とは江戸時代この辺りを治めていた衣川家の正統嫡流の末娘で、今もお嬢様なひとだ。
何を隠そう、物辺村はその衣川藩の政治犯収容所だった。不吉な鬼の社の島に反逆者が囚えられるのは理の当然であろう。
更には、江戸時代初期に衣川家が門代に所領を賜った際に、美貌で名高い物辺神社の巫女をお殿様の側室として献上しようとしたところ、地元旧来の名門碓井某が怒りゲキの力を蘇らせ自ら鬼と化して謀反を起こす。
彼に犯された物辺の巫女が産んだ姫が、今の物辺家の祖。物辺優子の遠いご先祖様である。
暴虐の限りを尽くしたゲキの鬼はたまたま当地に居合わせた一刀流の剣士に斬り伏せられて事態は終息。彼はそのまま衣川家の剣術指南となり、鬼殺しの秘技を御留流として伝えている。
衣川のお姫様はその剣術の達人と聞く。
だから優ちゃんは彼女が苦手なのだ。どちらも古い家柄の出として、また歳も近いことで地元の伝統行事等で遭遇する例が多く、その都度身を縮めていると聞く。
「で、結局どこなの。」
「えーと詳しい番地はね、」
あ、とみのりは声を上げた。バイト巫女で物辺神社に来た草壁美矩から聞いていたとおりに、保養所は物辺村のすぐ近くだ。
二人も気付いて、みのりが一度家に帰るのを許す。合流するのは保養所での練習からとしよう。
童みのりも暇ではない。十三日夜の物辺村年中行事「西瓜盗り」の総合責任者であり、十分な準備をせねばならぬ。
合間を縫っての合宿参加だ。つまらなかったらすぐ帰ってもいい。
だが約束の場所で驚くべきものを見る。神のチカラだ。
PHASE 483.
案の定と言うべきか、村に帰った童みのりはそう簡単には逃げられなかった。
待ち受けていたのは小学生組だ。十三日「西瓜盗り」襲撃の布陣と手筈、つまりは予行練習の特訓を再度引き受けざるを得ない。
なにせ去年の出来が酷かった。
中学生までは襲撃側で参加していたみのり達は、高校生になって運営側に回される。5人も高校生が居れば大人が手を貸す必要もない。
夜闇の中分担して畑の西瓜を守るのだが、児玉喜味子がよくなかった。
昼間の明るさで見ても恐怖なのに、懐中電灯の光に浮かぶ凶相に幼子が耐えられるものではない。
襲撃部隊は即座に壊滅し、泣き叫び逃げ惑う。足元のツルに蹴躓き、転倒する。
みのりは襲撃側に特別参加させられお守りをしていたが、ケガしないよう速やかに取り押さえねばならなかった。
子供たちも去年の記憶が有るから、いきなり喜味子ねえちゃんが出現した場合の対策を入念にしておこうと自主的に集まったわけだ。
似顔絵を書いたウチワを振りかざして、畑の中から出現するのをシミュレートする。絵でもコワいのだが実物はどんな威力だろう。
「おいふたご。」
みのりはおねえさんらしく、物辺の双子美少女小学生相手に偉そうに命令する。こいつらは五年生最年長だ。
「おまえたちを襲撃部隊副司令官に任命する。和ポン大将の命令に従ってちゃんと小さい子の面倒をみるんだよ。」
「えーめんどくせー」「みのりねーちゃんやってよー」「攻撃したいよ」
しかしよく見ると二人とも元気が無い。傍若無人の物辺の女にはあり得ないコンディションだ。
「どうしたの二人とも。」
「いや師匠がね」「うん、居なくてね張り合いがなくて」「どうにも気合が入らない」「なんか違う」
「居ないって、ゆうちゃんの事? どうしたの。」
「みのりねえちゃん、師匠は今朝ラヂヲ体操来た?」「居たよね?」
「えーと、スタンプの数はいつもと同じだから、ゆうちゃんは居た。居た、とおもう。」
「今日は登校日だ」「学校で見た?」
「見てない、気がする……。でも居たよ、たしか。」
「バスが一緒なのに見てないのかよ」「だめだこりゃ」
そう言われると返す言葉も無いが、見てないのだから仕方ない。
いや、よくよく考えると本当に居なかったのなら喜味ちゃんが耳を引っ張ってでも登校のバスに放り込んだはず。でも今日はそんな騒ぎは、無かった。
「居たはずだよ、たぶん居た。でも見ていない。なんでだろ。」
「うちの朝ごはんもちゃんと人数分無くなっているけど、師匠の姿を見てない」「当番のお社の掃除もしてるのに、姿がない」
みのりもなんとなく分かってきた。気配が無いのだ。
物辺村に住む者なら皆覚えがある。所用にて物辺の巫女が島を離れている時、大きな欠落感が生じる。物理的な説明は難しいが不在が分かってしまう。
無論今は饗子祝子が共に居るから何の不安も覚えないが、それでも、
「……東京に行ってる時でもこんな薄寒い感じ無かったよ。ゆうちゃんどうしたんだろ。」
低学年の世話を命じられた双子姉妹は案の定逃亡し、みのりは結局夕方まで付き合わされる。
最後まで練習を指導して、おかげで子供たちは目をつぶっても西瓜奪取が出来るようになった。
あとは本番を待つばかり。
「野球の合宿、顔出せなかったな。」
だが今晩からは女子軟式野球愛好会のメンバーは物辺村近辺の保養所に舞台を移し、泊まり込みで特訓をすると聞いた。
この時間ならもう来ているかもしれない。
みのりは家に戻って母親に「ちょっと遅くなるかもしれない」と言い置いて、村を出た。
五時を回ってそろそろ日が傾いてくる。夏の日は高いとはいえ、確実に秋が忍び寄る。
お盆が過ぎればクラゲが増えて海で泳ぐのも困難になるだろう。早く遊びに行かなくては。
なんだかいきなり悲しくなってきた。高校二年生の夏はこうじゃなかったはずなのに、何故か感傷が押し寄せてくる。
一人とぼとぼと護岸に沿った道路を歩く。何も建物が無いから前後の見通しが良く、どこまでも遠くが見える。
大型トレーラーが1両だけ通り、長くエンジン音をたなびかせて行った。
仲間が居ないからだ。こんな気持ちになるのは。
物辺村の4人とは違う。陸上部で共に汗を流して力の限り練習をする仲間から切り離されて、みのりの感覚は狂ってしまった。
夏といえば鍛え込みの季節。大会に出て合宿にも行って、思う存分練習をしていたはずなのだ。
もう何年も夏をそう過ごしてきた。
だが最近は走り込みすらしない。
練習しようが休もうが怠けようが、筋力体力はまったく衰えず超人レベルのままでキープされる。
本気で走れば何百キロだって行けるが、それですら疲労を覚えないのだろう。
こんなのは嫌だ。生きている感じがしない。
気が付くと道の先にぽつんと人が立っているのが見えた。まだ300メートルは先だ。
見覚えがある影、女性、門代高校指定体操服ハーフパンツ。
黒髪が長い、脚の肌は黒い。日焼けではなく。
シャクティさんだ。五組のシャクティ・ラジャーニさんは物辺神社のバイト巫女にも来て仲良くなった。
そう言えば彼女も女子軟式野球愛好会のメンバーだった。
手を挙げる。みのりを視認して挨拶をしてきた。
思わず走って近寄った。みのりもそのまま運動が出来るスポーツウェアで、練習中ならば加わろうと考えている。
「シャクティさん、何をしているの。」
「合宿所ここなんですよ。ほら。」
彼女が示す手の先の、車道を渡った向かいに白いコンクリの塀が巡らせてあり、門の脇のプレートに「衣川警備保障株式会社社員保養所」と書いてある。
「もうみんな来てるんだ。」
「先遣隊だけですよ。今回は中学生組も混ざってるから、世話役だけ先に来て準備しているんです。」
そして護岸の堤防の下を覗く。巨大な自然の岩が数個転がり波に洗われる上に3人が降りていた。
大きい、背の高い人達だ。
一人は知っている。江良美鳥、一年生。ここ数日バイト巫女で来ていた。
美鳥ほどではないが確実に170センチを越えるかっこいい三年生が居る。髪はショートで胸が大きくスタイル良く、たしか下級生女子の間で宝塚的人気の人だ。
シャクティさんは「ふあせんぱい」だと教えてくれた。
そして三年生の神様が居る。
「相原志保美せんぱいです。初対面ですか?」
「いえ、前に会ったことが……」
あの時はナギナタの白刃を闇夜に煌めかせて、ネコ男をしばき上げていた。
全身から立ち上る闘気の炎に圧倒され、みのりも身がすくみ手出し出来なかった。無敵のゲキの力を以ってしても接触を躊躇われる。
ゆうちゃんでさえ、精気を削ぎ取られて次の日学校を休んだくらいだ。
改めて陽の下で見てみると、とても美しい人だ。凄みが先に立って好意を覚えるまでにはいかないが。
「!」
みのりは自分に異変が起きているのに気が付いた。
ゲキが、身体の中のマイクロレベルのゲキ虫が、怯えている……。
PHASE 484.
神様とは、奇跡を起こす存在の事だ。
奇跡とは本来物理的に不自然な事象ではないが、観測する存在:人が欲しいと思ったタイミングでそれが起きる事を言う。
深山幽谷でいきなり大木が倒れても、誰も気付かなければ意味が無い。
また対象と現象との間に関連性が認められなくても、人が有意を覚えれば成り立つ。
意図してでなくとも特定のヒト・モノが居るだけで起きるのであれば、奇跡と呼ぶにやぶさかではない。神と称えるに不足は無いだろう。
神様「相原志保美」の能力は「宇宙人殺し」
何の攻撃もしないのに、彼女の傍に寄った宇宙人がころっと前触れも無く死んでしまう。地球人科学を遥かに超越し不老不死を成し遂げた高度知的生命体が、あっけなく逝くのだ。
何故と問うのは愚かな事。どれほど科学が進んでも、運不運からは逃れられない。
想定外の事象は必ず起きて、何重にも施された対策があっさりと突破され絶望的状況に陥ってしまう。死ぬ時はしぬ。
数億年の永きを生き抜いた古代宇宙人「ゲキ」の遺産であっても例外ではない。
みのりは、自分の身体の中で超能力を司る微細なゲキ虫が次々と崩壊しているのを確認する。
億を越える数が存在するから多少の損失では能力も損なわれないが、ゲキ・サーヴァントの集合知性は危機と認識する。
なんと、遂には自ら機能を封鎖しての冬眠状態に追い込まれた。
童みのりは3ヶ月半ぶりに普通人になる。
「みのりさーん」
江良美鳥が手を上げて挨拶してくる。左手にはバケツを持ち、中には貝が幾つか入っている。
いつもの通りに晩御飯を採集していたのだろう。バイト巫女の時にもびっくりしたが、ものすごく腹ペコなのが美鳥のキャラだ。
「美鳥ー、なにしてるのー。」
「晩御飯を調達していますー。全員ぶーん。」
そのまんまの答えが返ってくる。見れば背の高い三年生も釣り竿を手にしていた。
合宿に何人来るか知らないが、そんな大量の食材を釣り上げるわけにはいかないだろう。
見かねてコンクリートの胸壁から身を乗り出して、岩の上の3人に声を掛ける。
「あのー、村の先に行けばスーパーがありますがー、」
「米と味噌とイリコは確保した。菜っ葉も人数分調達した。あとはタンパク質だけだー。」
「ふあ」先輩という人は美鳥に負けず劣らずのDIY体質らしい。本気で人数分の魚を釣るつもりで、眼が座っている。竿も本人持参だと言う。
加えて、志保美先輩も本格サバイバル体質らしい。二人のやる事に何の疑問も抱かない態だ。
護岸の上のみのりとシャクティのみが常識的判断をして、任務の困難さを理解する。
「あのシャクティさん、合宿には何人来るの。」
「三年生が8人、二年生が3人、一年生が3人に加えて中学生が5名、外部の軟式野球チームの関係者が最低3名、及び南さんと童さんの計24名。」
「むちゃだ……。」
「私もそう進言したんだけど、せめてわかめを採るくらいで自給自足は諦めようって。」
シャクティさんもやっぱりおかしい。門代高校女子軟式野球愛好会は思想的に偏っている。
「あの、近くだから島に帰って玉ねぎとか干物の魚とか取ってこようか?」
「いえ実は保養所の冷蔵庫にはちゃんと食材がキープされているんです。この保養所は警備員の訓練所の役割を果たす事もありますからね。
でも今回それには手を付けません。有るけど使わないで我慢する。空腹に耐えて正義を貫くのが、今回の合宿のテーマです。」
「誰がそんなことかんがえたんだよお。」
「そりゃキャプテンに決まってるじゃないですか。」
みのりは自らの甘さを噛みしめるばかりだ。中学高校の陸上部夏合宿とはまったくに性格が異なる。
この人達は競技力アップの為に泊まり込むのではなく、根性試し精神修養の為に集まるのだ。
こりゃあ、これまでに無いハードなものになるな、と生唾を呑み込む。
シャクティさんは笑って付け加えた。
「あ、そうそう。今晩は夜間稽古もありますから、睡眠もほとんど取れないでしょうね。」
「……なるほど。」
魚釣りをデカ女二人に任せて、志保美先輩が独りで上がってきた。
岩の上を跳び、堤防によじ登って来る。かなり危ない。
それでもここにだけ一応コンクリの階段が設けられているから、保養所を利用する人は結構使うのだろう。
先輩は胸壁の上に仁王立ちになる。身長高い、ハーフパンツから伸びる脚長い。
何より態度がでかい。偉そうだ、そしてほんとに偉い。
「これが元陸上部か。」
「はい、童みのりさんです。」
シャクティさんも直立不動になって答える。やはり恐い人なのだ。
だが別に意図して威厳を出しているのでもないらしい。ちょっと表情を緩めてみのりに挨拶をした。
「相原志保美だ。わたしも中学の時は陸上部で毎日走っていた。なんで二年生の今になって辞めるんだ。」
「は、はい。ちょっと村の行事関係で忙しくなった事と、身体的特徴によって記録に問題が生じたためです!」
みのりも直立してはっきりと答える。そうでないと殴られそうで、この位置関係だと蹴られるのか。先輩の足が自分の顔の高さに有る。
だがさすがに超能力を得た結果、競技記録がオリンピックレコードを突破してしまった為、とは言えない。信じてもくれないだろうし。
志保美先輩はみのりを真上から睥睨する。凄い威圧感、押し潰されてしまいそうだ。
もし彼女に神様属性が無かったとしても、気の弱い人なら根性折れてしまう。
脂汗を流すみのりに、シャクティさんが小声で教えてくれる。志保美先輩がなにか考えているように見える時は、実は何も考えてないから心配しないで。
値踏みが終わった。
先輩はその場にしゃがみ込み顔を近付けて、それでも足りないからコンクリの上に正座して身体をさらに曲げる事となる。
こぼれる髪をかき上げ、みのりと目線の高さを合わせて歓迎の言葉を述べる。
「わらべみのりさん、合宿への参加を許可しよう。
ようこそ”ウエンディズ”へ。」
(鳩保3章省略)
鳩保、目を開けると畳の上に居る。
どこだここは、と見回すと自分家、自分の部屋。ベッドではなく畳の上に直に寝ている。
夏は暑いから布団じゃなくて冷たい所で寝ることもあるだろうが、今何時だ。十一時、午前。八月十二日。
もう昼だ。
起きて自分の身を振り返ると、なぜだかちゃんと着替えている。昨夜就寝前の格好ではない。
不思議に思って起き出して台所に行く。母親が、十一時であれば昼御飯の準備を始める頃か。
「おかあさん、私、」
「あらよっちゃん、なあに。」
母親の顔を見るに、特に自分は変ではないらしい。通常夏休みといえども朝はちゃんと六時半のラジオ体操に、……!
そうだラジオ体操だ。なぜ起きなかった。というか、なぜ起こしてくれなかった。
かあさんは、それ以前に責任者みのりちゃんが、無慈悲の喜味ちゃんが死んでても叩き起こしに来るはずが。
「おかあさん私、ラジオ体操に行き損ねた。」
「行ったわよ、よっちゃん。今朝は凄かったわね、みのりちゃんが20人も女の子連れてきて、いきなりラジオ体操の人数が倍に増えて。」
「へ、……?」
「その後朝ごはんも食べたでしょ。なによっちゃん、寝ぼけてるの。」
全然覚えがない。
だがそれならば着替えているのも説明が付く。一度起きて着替えてラジオ体操に行き、朝ごはんを食べて自室に戻り、
また寝たわけか……。
「それよりよっちゃんもう支度しなさい。」
母が促すのはお出かけだ。朝寝ぼけたままで自分は何か約束したらしい。
「え、どこ行くの。」
「やだ、おかあさんの検診に付いてくるって言ったでしょ。それともやめとく?」
「あ、」
思い出した。いやこれは前日よりの記憶で、朝のではない。
母鳩保このみは長期入院からこの七月に退院したばかりで、定期的に検診しなければならない。
今現在はまったくに健康だからすっかり忘れていたが、病み上がりなのだ。
それに、母が入院していた総合病院にはクラスメイトの環佳歩も居る。鳩保が連絡係としてしばしば見舞っていたが、夏休みに入ってからはご無沙汰だ。
「わかった、すぐ用意する。」
「お父さん(左古礼医師)のお昼の準備終わったらすぐ行くからねー。」
考えてみれば母娘二人でお出かけは、もう何年ぶりにもなる。
病院の検査の結果が良ければ、そのまま電車に乗ってデパートに買い物に行ってもいい。
とはいうものの、検査だけなのに結構な時間待たされる。予約はしてあるのだが、やはりお盆前で人が多い。
鳩保はその間を無駄にしないで、環佳歩の病室へと向かう。
佳歩は、五月頭の北海道修学旅行でのゲキの出現復活、鳩保等5人が超能力を授かった事件における『被害者』だ。
巻き添えを食って簡単に死んだ者は事象改竄が楽にできるが、苦しんで印象深く死んだ者は糊塗するのにかなりの手間を要する。
そこで、「持病による長期療養の為、修学旅行自体に行かなかった」シナリオが適用されて、二年生一学期間を完全に休学させられてしまった。
ゲキロボの因果律改竄による事件記憶の抹消は五月より延々と幾重にも繰り返されて、八月十二日「環佳歩の退院」を経てようやく完結する。
「鳩保さん。」
「環さん、やった間に合った。」
環佳歩は入院中のパジャマではなく、既に普通の夏服を着て病室のベッドに座っていた。
長期入院の為に色々と揃えていた私物も既に片付けられ、もぬけの殻だ。
鳩保素直に謝る。
「ごめーん、おかあさん退院してからは足が遠のいちゃって。」
「夏休みだから連絡事項も無いし、よかったのよ。」
彼女は元々が線の細い病弱な娘だ。退院出来るとはいえ、元気と呼べるレベルの健康ではない。
「えーと、今は?」
「母が退院の手続きをしていて、それが済んだらもう帰るわ。」
「そうか、よかった。やっと元通りだ。」
「鳩保さんこそ、お母さんが戻ってきた生活はどう。何年も入退院を繰り返してたって聞いたけれど。」
「ああ、うん。それがさ、おかあさん屋根の上に飛び上がっちゃって。」
「え、」
「庭で洗濯物を干していたらカエルが出てきて、びっくりして、気付いたら物置場の低い屋根に上がっちゃってさ。高くて降りられないって悲鳴あげて大騒ぎさ。」
「 元気なようね。それはすてきだわ。」
実際、元気過ぎて困ってしまう。
喜味子を筆頭に物辺村の4人が母このみの身体に特殊な運動プログラムを注入し、日常の家事軽作業を利用しての体質改善を自動で行うようにしてくれた。
一種のヨガ、導引術であり元気になるのは良いのだが、ついでに運動能力も向上させて危機に瀕した場合回避逃走出来るようにもしてくれた。
その結果がカエルを見て屋根に飛び上がる能力の獲得だ。ありがた迷惑。
「夏休みになって誰か、お見舞いに来た?」
「ええ。昨日シャクティ・ラジャーニさんが。」
PHASE 486.
「シャクティさんは、登校日だからそのまま来たわけだ。」
「ええ、制服だったわ。色々とお話してくれた、特に物辺村の皆さんのおもしろい出来事。巫女さんのバイトをしているんだって。それと結婚式が盛大に」
「祝子さんのだ。まあ正直今年の夏の物辺村は無茶苦茶忙しかったよ、死ぬかと思った。」
「それと、日曜日に行われた演劇部の特別公演のお話。シャクティさんも見に行ったんだって。」
それは知らないが、たしか。たしか……、えーと、誰だっけ。
「”物辺優子”さんが出演してたのよね。神様の役だって。」
「ああそうそう。」
「それから物辺さんのお父様は俳優の香能 玄だって、ホント?」
「あーそれは一応内緒ということでー。」
面白ければいいからと、シャクちゃんなんでも話していったのだな。さすが関西仕込みのお笑いの専門家だ。
「シャクティさんはね、今門代地区は物辺村を中心に動いてるって言ってたの。色々騒がしいのはみんな物辺村が元凶だって。」
「えー、なんだよそれ。」
「よく分からないけれど、闇のものが暗躍しているからあんまり夜道は歩かない方がいいんだって。」
「なんだその中二?」
「シャクティさんの説明だと、あ、ママ!」
退院の手続きを終えて環佳歩の母親が戻ってきた。鳩保も初対面ではない。
入院中高校からの連絡を一手に引き受けていたから、母親は丁寧に頭を下げてお礼してくれた。鳩保も気恥ずかしくなる。
ちょうど自分の母親の検査も終わる事だし、と退散した。また次は二十一日の登校日に、学校で。
改めて鳩保は考える。
母の検査は無事終了結果も良好異常なし。気味が悪いくらいに完全に回復しているとお医者さんは太鼓判を押してくれた。
不安がひとつ消えたから、より深く考えてみる。何かがおかしいのは分かるが、どこがおかしいのか分からない。
そして、そのおかしさを理解している人物が一人居るらしい。
「シャクちゃんか……、前から怪しかったからなあ。」
病院の待合室。支払いの順番を待つ間に鳩保は更に思考を深める。
午後であるから既に一般外来受付は終了しており、人影もまばら。天井付近に吊るされたブラウン管テレビがNHK総合の放送を漫然と流している。
日に何度同じネタを放送するのだろうか、繰り返し伝えられる海外のニュース。
耳に触る単語に鳩保は顔を上げて目を向ける。
『国連安全保障理事会はこれまでオヴザーバー資格となっていたNWO新世界秩序嚮導機構を特別理事として認める決定を全会一致で行いました。
国家ではなく民間の組織を理事とするのは今回が初めてで、国連軍の常設化に向けて一歩前進する見通しです。
この決定を受けてのNWO総裁ミスシャクティ女史による特別演説が国連総会で予定されており、これまでは安保理理事国にしか開示されていなかった新国際協力体制の枠組みが公開されると専門家は予想しています』
そして画面にはサリーを纏った褐色のインド人女性の姿が映る。重責と歴史的意義の大きさにも関わらず、彼女は思ったよりもはるかに若い姿だ。
アフリカの戦争難民の子供達に幾重にも囲まれて、平和実現の困難さと国連軍を越える独自性を持った実力機関の創設を説いている。
鳩保は再び顔を前に戻す。NWOは確実に世界を手中に収めようとしている。
対して我々は如何に振る舞うべきか。彼等と協調していくか、服従させる形で君臨すべきか。人類史の表面から姿を消してまったくに裏に潜む第三の道も存在するのではないか。
明らかに現在の人類社会にとって、自分達が手に入れた力は有害だ。科学技術の発展度以前に人間同士の和解と協力体制、人間性の進歩が欠けている。
百年くらいまったくの没交渉で秘匿しておいても問題は無いはず、いやその方が有益だろう。
なにしろ、
「よっちゃん行くわよ。」
検査費用の支払いを済ませて母が呼んでいる。特に服用すべき薬も無いし、晴れて無罪放免となったわけだ。
次の検査は1ヶ月後。鳩保が付いていく必要ももう無いはずだ。
「えーと、……、なんだっけ?」
どんどんどん、とテレビから応援の音が聞こえてくる。今甲子園では球児の夏真っ盛り。NHKの放送では当然に試合中継を流していた。
もちろん病院であるから音声のボリュームは控え目で、待合室全体としては静寂が保たれている。
鳩保、今まで自分が何を考えていたか、失念してしまった。
まったく面目ない間抜けな次第ではあるが、まるっきり思い出せない。
思い出せないのはつまり、忘れても困らない下らない話だったのだろう。
それよりももっと重要な案件が有る。
「おかあさん、これから買い物に行く?」
「ええ。よっちゃん今日何食べたい、ごちそう作っちゃうわよ。」
「そうだ、新しくこっちに出来たスーパー、まだ行った事無いよね。あっこ行ってみよう。」
門代高校女子軟式野球愛好会、チーム名は「ウエンディズ」、”WENDYS theBaseballBandits”だ。
もちろんハンバーガー屋とは縁もゆかりも無い。「ピーターパン」のヒロインのウェンディが元になっている。
メンバーの一人ひとりが夢の世界を飛び回るウェンディという意味だ。冒険の旅のヒロインはそりゃ毎日が戦闘であろう。
というわけで、野球そっちのけで格闘訓練に日夜明け暮れている。
だが野球が全然出来ない事もない。なにせ皆負けず嫌いだから、勝負と名が付くもので退いたりはしない。
「如何に野球の練習をせずに野球で強くなるか」の無茶な命題をクリアせんと日夜頭をひねっている。
畢竟出てくる答えは、「無茶な練習をしよう!」
二年三組南 嶌子の妹洋子がぼろぼろに傷付いて家に帰る道理だ。
嶌子は夜になって合流した童みのりに対して、こう切り出した。
「みのりちゃん、印地って知ってる?」
「本で読んだこと有る。江戸時代には禁止されちゃったけれど、昔の日本では河原の石を拾ってぶつけ合う乱暴な遊びが流行ってたらしいね。」
「この人達、まじで印地打ちの練習してる。」
「えっ!」
「投石は人類発祥以前から延々と現代まで用いられてきた正統なる攻撃手段だぞ。その威力は今も失われていない。」
はっと振り向くと凄い美人が立っている。みのりと嶌子は息を呑み、言葉も出ない。
なにせミス門代高校だ。
髪サラサラ、お目々ぱっちり、肌は抜けるように白くアラベスクを彫り出したかに鼻のラインが三次曲線を描いている。
しかし騙されてはいけない。門代高校のミス選出は女子生徒のみの投票によって行われ、その基準は「ド外道」なのだ。
美貌が今も保たれるのは、いかに彼女が効果的に練習を手抜きしてきたかの証左であった。
「三年の石橋じゅえる先輩です。」
解説のシャクティが黒髪を幽霊のように乱して、二人が座るベンチまでやって来た。
これが正しい。真剣に練習に取り組んできた者はこの姿でなければならない。
ウエンディズ会員、仲間内では”隊士”と呼ぶ、はこれまで三年生衣川うゐの実家私邸に通って特訓をしていた。
本日八月十一日より場所を衣川警備保障株式会社の保養所兼訓練施設に移し、泊まり込みでの合宿となる。
衣川邸との距離は3キロ、当然移動はランニング。しかも野球の用具一式を抱えて、ほとんど殴りこみだ。
女の子、高校生から中学生まで都合15名が転げるように保養所の運動場に飛び込んできた。
全員汗だく。まだ陽も高い夏の夕刻にやる運動ではない。全員じべたに突っ伏した。
先遣隊のシャクティは走っていないのだが、全員到着と同時に投げ出す用具を一手に引き受け片付けて、御覧の有り様である。
じゅえる先輩は涼しい顔で宣う。
「だいたい走るという行為はただ移動すれば良いわけでなく、なんらかの意図目的があるわけだ。
戦闘であれば武器防具を装着し携えて、つまり相応の重量物を抱えてとなるのが筋。素手空手でのランニングに意味は無いのさ。」
「それは衣川家のトラックに便乗してきた人の台詞じゃないですよ、先輩。」
これまたへろへろになりながらも走ってきた二年三組クラスメイトの山中明美が抗議する。嶌子みのりの面倒を見る責任者だ。
彼女はチーム全体の副隊長でもある。なにせ二年生が3人しか居ない中最も所属歴が長いのだから、次代のキャプテンを任される。
3人目の二年生、一組草壁美矩は城ヶ崎花憐の友人だ。
「一重のラムちゃん」を冠されるほどの結構な美人の彼女は、合宿今晩の調理担当となっていた。
「じゅえる先輩、飯作っていいですか。じゃなくて今から作らないと人数分無理です。なにせ20名越えますから。」
「食材の調達はー、 まあ無理だよね?」
「はい絶望的です。」
海での食料調達の状況を知るシャクティが残酷なる事実を申告する。隠してもしょうがない、無いものは無いのだ。
みのり、先程シャクティに申し出て断られた提案を再度先輩に言ってみる。この人はかなりちゃらんぽらんな人らしいから、通るかもしれない。
「あの、石橋先輩。この近くにわたしの家が有るから食材を取ってきましょうか。干物の魚くらいならなんとかなると思います。」
「ウンその手は有る。しかし無理だ。なにせ現実を直視しない連中が居るからな。」
「でもお腹が空いたら練習できないと思います。腹が減っては戦が出来ぬとも言いますし。」
「わらべみのり、ちゃん、だったっけ。君はウエンディズを誤解しているようだ。」
ミス門代高校は眉間に美しい縦皺を作りながら説明する。
「限界状況に自らを追い込み極限に到達する中で、初めて見出す真の自我の解放。これこそが我々の求める究極の目標なのだ。」
「はあ。」
「だいたいね、うちのキャプテンは元気有り余ってる自分を基準に考えるからね。彼女がもうダメダと思う所まで行かないと、私達も引き返せないのだ。」
「はあ、迷惑な話ですね。」
「だがそれがいい。」
にっと笑う先輩に、みのりはドキッと心臓が踊るのを感じた。
今や普通の人間と成り果てたみのりが求めるのも、自己の肉体を追い込む事。たぶんきっと、キャプテンさんと馬が合うはず。
横を見ると南嶌子も感じ入っている。
元が真面目に出来ている彼女はそもそもがストイック。ここに来るのだって、メンバーに混じって走ってきた。
じゅえる先輩は鋭利な曲線の顎に右の人差し指を当て、思案する。
「みのりちゃんは、陸上部で砲丸投げをやっていたと聞いた。力は有るね?」
「はい。自慢じゃありませんが女の子レベルではない筋力あります。」
「なら一仕事頼もう。なあに、ちょっとした準備運動だ。」
はっ、とシャクティ明美美矩が顔を上げる。まさかこの人、初対面の部外者にそこまでさせる気か!
「みのりちゃんには草壁の手伝いをして、夕飯の支度をしてもらいたい。」
「はい。喜んで。」
「じゃあ、とりあえず薪割りお願いね。」
「薪、ですか。あの木の。」
「そりゃーね、合宿だからね。野外炊飯だし。ついでに明日の朝食を作る分も割っといて。明るい内に。」
それも一人でやらせる気だ。
みのり、自分がこの人に読まれていると感じる。何を求めてここに来たかを見抜かれている。
なるほど、とりあえず全身くたくたにならなくちゃ本気になれない。
PHASE 488.
21人の女の子に対して与えられたおかずは、ハゼ2匹小さなタコ1匹ふぞろいの貝が5個。菜っ葉のみ。
まさかとは思ったが、ほんとうにやりやがった。分けて食べるのもばかばかしく、出汁を取って気分だけ味わう。
むしろコメがちゃんと人数前用意されていた事が奇跡と呼べるだろう。
大きな鉄鍋3個を薪の火に掛けてぱたぱたとウチワで扇ぐみのりは、量の膨大さに溜息を吐く。
「3升も炊かないといけないんだね。」
「おかずが無ければ米の飯を食べるしかない。夏場の運動だとご飯喉を通らないから、むりやりにでも食べさせるんだって。」
こちらは汁物を作ってる草壁美矩も、はーっと長く息を吐いた。煙に燻されて涙が出る。
やはりどう考えても人数分のスープにはならない。出汁を取るにも魚少な過ぎる。やむを得ず、いりこを鍋に突っ込んだ。
明日の朝食を作る分を、だ。
「こんな情けないお料理見た事無い……。」
「美矩さん、明日の朝食はどうなるのかな。」
「どうもこうも、無いものは無いんだよ。ご飯に塩振って食べるだけなんだ。」
戦慄した。同時に、三年生キャプテンの意図が痛いほど分かる。
飯だ。有事に際して何よりも重要なのが糧食の供給。何の活動を行うにしても、まずは飯から計画を立ちあげねばならない。
この基本的な要件を骨身に沁みて叩き込む為に、敢えて無残な晩御飯を企画したわけだ。
どれだけ頑張っても無いものは如何ともし難い。
薪を使って見事に炊きあがった白米に皆は惜しみなく賞賛を送るが、おかずが正体を表したと同時にどんよりとした縦線が表情に刻まれる。
ウエンディズ隊規第十七条「出された食事は残さず食べること」
いや食べるのだが、そもそも食べられるものを出してもらいたい。
最も優遇されたのはゲストである中学生女子軟式野球チーム「ピンクペリカンズ」のメンバー5人と来賓童みのり・南嶌子だ。
ちゃんと食べられるタコの足がお椀の汁に入っていた。それと煮出したイリコが少々。
年少者から注いでいくのがウエンディズの流儀らしい。
一年生二年生と鍋を浚っていった結果、三年生幹部にはほんとうに液体しか残らなかった。
調理責任者草壁美矩が土下座して尊敬する先輩達に詫びる。
「まったくもってもうしわけございません!」
「いやお前さんの責任じゃないから、頭上げろ。」
責任を問われるべきは食材調達に失敗した不破先輩と美鳥だろうが、そもそもが欠乏状態を演出するのが今日の夕飯の目的だ。
三年生も絶望的な表情を浮かべたまま、何一つ愚痴をこぼす事無く自らの席に着く。
合掌して「いただきます」の号令と共に皆食べ始めるが、しかし。
「あーだめだめだ、誰だ食料自給なんて間抜けを抜かした奴は。まゆ子か!?」
イの一番に苦情を叫ぶのはミス門代高校石橋じゅえる先輩だ。彼女が口火を切った後は、全員が遠慮なしに文句を言い始める。
もう指導部の権威とか統制なんか有ったものじゃない。学級崩壊だ。
だがみのりは恐るべきものを見る。「ウエンディズ」キャプテンだ。
自らが真正面から批難されているにも関わらず、微笑みを浮かべたままそれぞれの意見に耳を傾ける。
まるで彼女が促したかに、止めどなく愚痴が湧いて出るのを受け止めた。
「無礼講なんだ」、みのりは直感する。
組織に内在する不満や異議を表面化させる為に、敢えてこの場を利用する。人間腹が減ると口が減らないものだ、という原理を用いたマインドコントロール技法なのだ。
日頃はあまりにも偉大過ぎて意見すら出来ない彼女に、皆が堰を切ったかにまくし立てる。
包み隠さぬあらわな心の姿が有った。
これが指導力だ。
みのりは痛感する。自分とほぼ同じ背丈の小さな三年生が、見上げるほどの巨人に見えた。
これが必要だ、自分にとって欠けているものはまさにこの人の有り様だ。
ドバイに行って、何百人もから集中的に投げ掛けられた期待の眼差しに対抗するに必要な能力。指導力。
これこそが童みのりが欲していたものだ。
そして信頼すべきスタッフ。
じゅえる先輩も先ほどの愚痴をわざと真っ先にこぼしたわけだ。彼女の役割はシニカルな批評。
不破先輩も志保美先輩も、誰もが大きな役割を負っている。キャプテンが考える部隊運営を実現するために暗黙の了解で自らのロールを果たしている。
よく出来たチームワーク。鍛えられた戦力。漲る充実感。
だから「ウエンディズ」は凄いんだ。
みのりは思わず知らず頭を下げる。たいへん勉強になりました。でもお腹は空きます、おコメばかりは辛いです。
夕食後、それぞれ班に分かれて異なった仕事をこなす。食器の後片付けに風呂の準備、用具の手入れ。
みのりは中学生に混ざって「戦闘理論」の講習を受ける。
この集団は特殊な武術を基盤として活動を行っており、野球はその訓練の為の場、方便として機能し必ずしも野球自体を目的としない。
講師は「相原志保美」先輩。言わずとしれた武闘派だ。
口で説明するよりも自分でやってみるのが得意な彼女は、みのりを技法を知らない一般人戦闘員に見立て、実際に技を掛けて中学生に説明する。
みのりが体験した感想では、この武術はおそらくは押しくら饅頭を体系化したものであろう。突き押しを主たる攻撃手段として相手を転倒させるのが正法らしい。
その後分かれて風呂に入って、十時就寝。お風呂は広くていい感じだった。
じゅえる先輩が、一二年生中学生を集めて警告する。
「最新情報によれば、明日の対戦相手「桜川エンジェルス」が夜襲を企図している気配がある。これに対抗する為に2名1時間交代での歩哨を立てる。他の者はちゃんと寝るように。」
「せんぱい! 全員起きて迎撃するプランはどうでしょう!」
一年生のおかっぱの女の子「南 洋子」が手を挙げて進言するが、先輩は却下する。
「迎撃体制が整っていると知れば、エンジェルスは決して攻撃してこない。全員を徹夜させてへろへろにした所で明日の試合を行えば勝利間違いなしだからな。
また明日の夜は闇稽古が予定されている。正真正銘に就寝時間の無い夜通しの戦闘訓練だ。今日寝ないと絶対に保たないぞ。」
みのりは全身に奮えを感じた。これが戦闘思考というものか。
今日明日明後日と隊員のコンディションを考えて、最小のコストで万全を得なければならない。
宇宙人の超技術を手に入れ無敵を誇るゲキの少女、自分達であっても発想の段階で既に遅れを取っている。
長期的に戦いを続けるとは、発想力からして改善せねばならないのだ。
この思考法、是非とも覚えて帰らねば。物辺村の皆を守るために頑張らねば。
戦う事しか能の無い童みのりは、だが戦う事に特化して皆の支えとなる決意を固める。
中学生が一人手を挙げて質問する。
「じゅえるせんぱい、枕投げは許可されるでしょうか。」
「当然だ。いつ何時でも挑戦は受ける。オススメは相原志保美、最優先目標とせよ。」
さすがセンパイ、さらっと逃げる。やることがアザトイ。
PHASE 489.
八月十二日午前五時。童みのりは日の出前に起き出した。
すぐに外に出て歩哨の様子を確かめる。既に空は白み、東の海の果てが輝き始めた。
五時台の歩哨は三年生相原志保美先輩と二年生シャクティ・ラジャーニさんだ。
昨夜十時の就寝から1時間交代で2名ずつの歩哨が立っている。三年生1名が下級生1名を選んでパートナーとする。
みのりは深夜にも起き出してどのような形で警戒が行われるかを見学した。午前一時台の当番は衣川のお姫様と南洋子だった。
先輩に尋ねる。
「敵襲はありましたか。」
「四時、まゆ子と草壁が迎撃した。少数が威力偵察をしてきただけですぐ撤退した。」
「奇襲攻撃というのは日の出前が定番と聞いてますが、そのとおりですね。」
「日が出て起き抜けの兵隊が気を抜いた瞬間もよく狙われる。むしろ明るい分狙い易い。」
「なるほど。」
志保美先輩と並んで赤い朝日が水平線から昇るのを見る。自分は部外者ではあるが、胸に滾る高揚感を覚えた。
だが残念ながらみのりには定められた責務が有る。
「すいません先輩、わたし一度村に戻ってラジオ体操の指導をしなくちゃいけないんです。」
「村? 物辺村か。そういえば近いんだったな。責任者なのか。」
「はい。六時半からです。」
先輩はすこし考えて誰にも諮らずに決定する。
「よし、ランニングのついでに皆で体操に行こう。」
閑散とした朝の物辺村は急遽押し掛けた20名を越える女の子の群れで大騒ぎとなった。
全員が大きな声を出して気合を掛けて全力で手足を振り回すのを、小学生もお年寄りもびっくりして、また大いに喜んだ。
こんなににぎやかなラジオ体操は何時以来だろう。
「みのりちゃん、凄いな。」
児玉喜味子は合宿の様子を聞いて、彼女達が食糧難に喘いでいると知った。当然に援助を申し出る。
「卵、もってく?」
人数分21個の鶏卵を獲得して意気揚々と引き上げてきた隊士は、だが恐るべき襲撃の痕跡を発見する。
「コメが! コメが盗まれています!! 桜川のしわざだ!」
今朝の料理番を任されたのは一年江良美鳥とお客様南嶌子だ。誰よりも食に拘る美鳥の嘆き様は、まさに人生の蹉跌を3Dで巧みに表現したものとなる。
だが三年生はたじろがない。
「こんなこともあろうかと!」 科学部女子前部長八段まゆ子先輩は物置の脇に隠していた米袋をさっそうと担いでくる。
「緊急時用に糒を作っておいた。10キログラム有る。」
「ヤッター!」
炊いたコメを水に晒して天日で乾かしアルファ化した糒は、古代律令時代からの定評ある保存食だ。軍糧としても用いられる。
面白半分で作ったはいいが何時使うべきであろうか、と出すタイミングを図っていたらしい。まさに渡りに船。
しかし、生の糒をかじっても美味しくもなんともない。
「湯を沸かしてふやかすのだ」との指示に従い、全員で薪をくべ火を起こし大鍋に水を入れて火吹き竹を吹き始める。
生まれてこの方ここまで食事の用意に真剣に熱中した事は無い。林間学校で漫然とカレーを作る比ではないのだ。
「とにかく腹に詰め込んどけよ。午後は桜川エンジェルスとの野球戦試合だ。中学生も油断するな。」
おおー、と喚声を上げ気合の入る「ウエンディズ」の面々。
みのりは気が付いた。「コメ強奪」もやはり仕組まれたイベントなのだ。間断無く続く緊張と興奮、否が応にも意気上がる。
それに全員騙されている。そもそもが糒は美味しいものではなく、昨夜の夕食よりもさらにグレードが落ちているのだ。
にも関わらず誰も文句を言わない。否、嬉々として貪り食っている。茹で卵も付いてるから涙を流さんばかりだ。
なんという素晴らしい演出なんだ。勉強になるなる。
午前中格闘訓練で泥まみれになり、お昼もまた糒を食べ、試合に臨む。
みのりは志保美先輩に可愛がられて思う存分に地面に叩きつけられた。要するにお相撲の突き押しを専門にやってるようなものだから、体重軽いみのりは派手に飛んで行く。
肘なり肩なり尻などをぶつけてアザだらけになりながらも、爽快だ。
全身の力を振り絞って押してもびくともしない志保美先輩の強さに憧れる。
一方南嶌子は野球のルールの説明を八段まゆ子と石橋じゅえるより受ける。お客様2名は午後の試合で審判を務めるのが決まっていた。
「ウエンディズ」が詐称する「女子軟式野球」は一般の野球と相当にルールが異なる。なにせデッドボールはカウントしないのだから、無茶苦茶だ。
最終的には「立っている者が多い方が勝ち」というルールまで有る。
合宿所にやって来た「桜川エンジェルス」の面々は、思ったよりもはるかに真っ当なスポーツ少女の集団である。
聞けば正式なソフトボールの試合も半分くらいはやる、野球成分が高いチームらしい。故に個々のメンバーの運動能力が高く、正面からの戦闘で強さを発揮する。
小手先姑息の戦術を弄さないから、腹ペコで頭がうまく働かない現在の「ウエンディズ」にとって好敵手と言えよう。
試合開始に当って、合宿所を提供する衣川のお姫様がメンバー全員に宣言する。髪の毛ふわふわの柔らかい優しい印象のヒトだ。
「御夕飯は私の家から料理人が来て、トンカツをご馳走してくれます。みなさんがんばりましょう。」
尋常の気合を越え怒声を発してまで、皆喜ぶ。トンカツだ、トンカツの為なら命までも投げ出してやる。それほどの覚悟で戦いに挑む。
みのり、流石と、今日何度目かの感嘆の息を漏らす。
腹ペコで気が立っている中でトンカツのご褒美を目の前にぶら下げる。人心の掌握と操作は斯くの如くして行うか。
「みのり、あのさあ、」
二年三組同級生南嶌子は見かねて忠告する。
「みのりあなたね、そこまで何にでも感心するのは良くないと思うわよ。もうちょっと批判能力を身に付けてさ。」
そして試合終了。「ウエンディズ」は見事勝利し、「桜川エンジェルス」はべそをかいて逃走した。
犠牲も大きい。南嶌子の妹洋子は乱闘に巻き込まれ案の定ボロボロに、中学生組も手痛い洗礼を受けた。
「桜川エンジェルス」は決して弱いチームではない。むしろ総合力においては「ウエンディズ」に倍する戦力を有する。
しかしこちらは相原志保美、衣川うゐ、不破直子の鉄壁三人組が前衛を努め、八段まゆ子の巧みな戦術によって不利を覆す。
何より素晴らしいのがリーダーの指揮能力だ。
陣頭に立って皆を率いる姿はまさに獅子が吠えるが如く、判断の的確さ揺るぎの無さは大いなる巌の如し。
また個人の選手としての能力もずば抜けて高く、稲妻のようにフィールドを駆け抜けた。
シャクティがえへんと胸を張る。
「どうです、うちのキャプテンは凄いでしょう。」
「うん、うん。」
元々物辺村の五人組が共に通った中学校の生徒会長様だ、凄いのは折り紙つき。優ちゃんだって殴られた。
当時も傑物と思ったが、潜在する能力に相応しい仲間を多数得て、ほんとうに活き活きと活躍する。
わたしも欲しい、とみのりは願う。
自分のチームが、もちろん物辺村の皆とは別に、自分が大きく成長できるチームが欲しい。
夕食は約束通りに大きなトンカツだ。
肉も上等だし何よりプロの技でからっと揚がってさくさくの、さらに期待と空腹という最上級のソースの力で、今までに食べたどのトンカツよりも美味しかった。
サラダも付くし味噌汁にもちゃんと具が入ってるし炊きたて白米のご飯だし、皆大満足の顔で息を抜く。これも合宿運営のメリハリだ。
前日より空腹によって部隊の動向を制御していたのを一旦リセットして、不満の無いノーマルな状態で次に進む。
夜からは部外秘の必殺技の特訓と闇稽古をするスケジュールであるから、お客様2名は退場となる。入れ替わりに外部から指導する大人の女性もやって来た。
どんなことをしますか、と尋ねてみると、志保美先輩は本身のナギナタを持ってきて白刃を天井蛍光灯の冷たい光に煌めかせた。
巻藁とか斬るらしい。目隠しして。
妹の洋子がドジ踏んでケガしないよう祈りながら、二人は合宿所を去る。最寄りのバス停で嶌子ともさよならした。
童みのりの夏合宿体験入隊終了だ。
と思っていたが、翌早朝物辺村ラジオ体操に「ウエンディズ」は大挙襲来。全員が目を真っ赤にして徹夜明けの疲労を窺わせながらも力いっぱい暴れていった。
合宿は今日でおしまい。もうほとんどヤケになっているのを見て、みのりはくすりと笑った。
(鳩保2章省略)
八月十三日午前九時。鳩保芳子は自転車から降りて門代高校正門前に立つ。
お盆休みで誰も居ないとは知っていたが、実際に居ないとは思わなかった。
常であれば休みであっても人の出入りが有るはずなのに、テニス部か野球部かサッカー部が居るはずなのに、ほんとうに誰も居ない。
生徒用出入口も閉ざし上履きを取り出せない。それでも警備員は居て校舎正面玄関だけは開いていた。
来客用スリッパを取って校内に上がる。
「やっぱり外したかなあ。」
自分でも説明の出来ない衝動に揺り動かされてここに居る。
「学校についての古い記録を調べたかった」 とりあえずの目的はそうなのだが、何故調べねばならぬと思い至ったのかまるで分からない。
ただ強い責任感から自分は今日学校に来なければならなかった。
「しかし人が居ないとなると、図書館も開いてないのか。」
生憎と司書役を務める図書部員に知り合いが居ない。あらかじめ連絡しておけば都合を付けてもらえただろうが、人望の無い自分にはツテが無い。
「困った時のまゆちゃん先輩頼りも、」
うっかりしていたが、科学部女子前部長八段まゆ子先輩の携帯電話の番号を知らない。事務引継の時に聞けば良かったし教えてもくれたのだろうが、失念していた。
知らなくても、こちらには連絡手段が有る。まゆちゃん先輩がご贔屓にする児玉喜味子に聞けばいいのだ。
が、一手間を惜しんだばかりに鍵の掛かった理科準備室の前で立ち往生するばかりだ。
本当に校内誰も居ない。
一人、鳩保がぺたぺたとスリッパで歩く音のみがこだまする。夏なのに校舎はひんやりとして、冷たい風が吹き抜けていく。
薄気味の悪さを覚えて背後を振り向くが、もちろん何があろう。
「……小学校が、そう門代高校の前身の門代中学よりも前に小学校が、立派な小学校が建てられたんだ。戦前の話だ。
戦前の門代は港町として栄え大陸進出の窓口として多くの人が集まり、モダンな西欧風建築物が競うように建てられた。
その流れを受けて、他所には無い立派な小学校が。その資料と設計図がたしか門代高校に。
それと喜味ちゃんが好きそうな兵器の本が、戦前の事典がばらばらにされてスキャンされて廃棄処分に。
私はそれを阻止すべく今回の企画に参加して、本を貰う約束を……?」
ふと気づくと誰に言うでも無くひとりごちている。
いやこれは言い訳だ。誰に、何にかは知らないが現在の自分の状況を説明し、失敗を糊塗すべく屁理屈を並べている。
そうだ思い出した。
私にはやらねばならない任務が有ったんだ。
元々は城ヶ崎花憐の代理で、多忙を極める彼女が連載するポエムに代わる新企画を鳩保が編集部に売り込んで。
「そうだ編集部に連絡すればいいじゃないか。」
RRRR、タイミング良く携帯電話が鳴る。ああきっと編集長からの、やっぱり女子高生一人では無理だと思ってヘルパーを。
「はい鳩保です。」
「鳩保さん? シャクティです。今どこ?」
「え、シャクちゃん? あーここは学校、高校の二階で生徒会室に向かうところ。」
「暇ならウチに来ない? ちょっと鳩保さんに話したい事があるの」
「今すぐ? あー今はちょっと取材中で取り込んでいて、お昼過ぎなら大丈夫だけど。」
「その取材なんだけどさ、鳩保さん。
すっぽかしても誰も迷惑しないと思うよ……」
PHASE 491.
買ったばかりの外国製高級自転車で颯爽と乗り付けた鳩保は、アーケード商店街ではもちろん押して進むべきである。
幸いにしてシャクティ・ラジャーニの創作インド料理店は商店街入り口近くにあるから、労苦も無かった。
店の前に駐車して厳重に鍵を掛け柱に鎖で縛り付けて、扉を開き中を覗き込む。扉の上に付けられた古いベルがからりんと鳴いた。
「シャクちゃん、いい?」
「鳩保さんいらっしゃい。」
ミニスカメイド服姿の褐色の天使が微笑みを返してくる。これだけでも店に来た甲斐があるものだ、と男性であれば思うだろう。
残念ながら鳩保には百合成分は微塵も無い。
店に他の客が居ないのを確かめて、一番手前のテーブルに着いた。
「暑いねー、かき氷とか無いの。」
「インドかき氷、食べる?」
「いや、……。日本かき氷なら食べる。」
「かき氷ジャパン1丁!」
勢い良く厨房に声を掛けるシャクティに戦慄し、自らの選択に安堵を噛み締める。やはりかき氷は日本に限る。
「シャクちゃん、1週間ぶりくらいかな。おひさ〜。」
愛想よく語り掛ける鳩保に、だが天使は首をひねって考える。
期待した反応とは違うからちょっと不安になってきた。
「しゃくちゃん?」
「鳩保さん、一昨日の登校日私もちゃんと行ったよ。」
「え、おととい。登校日、え?」
「というよりも、鳩保さん昨日お店に来たじゃない。」
仰天して椅子から立ち上がる鳩保の前に、澄ましてお冷を置くシャクティ。
一応店内には冷房が入っているのだが、なにせ機械が古く性能が低い。全力運転しているにも関わらずまるで効果が見られない。
だがこの店はこれで良いのだ。インド料理はだらだらと汗を流しながら食べるべきもの、かき氷だってそうだ。
たちまち雫に覆われるガラスコップを掴んで、鳩保は喉に流し込む。爽やかにミントの味がした。
「シャクちゃん基本情報を確認しよう。私が、昨日、このお店に来た。これは事実なのか。」
「証人も居るわよ、若狭レイヤさん。というよりも、彼女がトラブってるところを私が発見して保護したら、どうしようもなく手に負えないから鳩保さんに来てもらったの。」
「おう。」
なんとなく理解できる。
いやもちろん覚えてないのだが、昨日の午後二時くらいから五時まで、ぽっかりと記憶に穴が有るのだ。
「若狭レイヤ」の名を聞いて何故か得心がいった。この穴を塞ぐアイテムは彼女だ間違いない。
再び席に座り、記憶を掘り返す。ダメだ、まったく手応えが無い。
しかし、ならば証人に聞けばいいのだ。
携帯電話を操作して若狭レイヤを呼び出した。
彼女は鳩保と同じ数理研究科に属する数少ない女子生徒。互いに仲は悪いが連絡網が嫌でも設定されている。
「鳩保だ、若狭あんたさ、」
「あー、なんだハトヤスか。昨日は世話になったな。とりあえず礼は言っておく」
「あのさ、大丈夫? 昨日はたしか心臓が、」
「朝になったらなんとなく大丈夫な気がする。なんかサンタクロースが来て治してくれたみたいな感触で」
「そうか。無事ならいいんだ。じゃ。」
鳩保、通話を切ってなお携帯電話を両手の中で握り締める。自分が今言った台詞が信じられない。
思い出そうとしてもダメだったのに、話している最中に不意に「心臓」の語が飛び出した。
「若狭レイヤ」と「心臓」は結び着く。ストーリーの想起は未だ叶わないが。
「シャクちゃん、あいつ心臓が、どうなった?」
「別に問題は無いよ。ただ心臓が止まりそうだって恐怖に駆られて、半ば錯乱して街を彷徨ってたのよ。不安神経症ね。」
「あいつ心臓病とかじゃないよな。でも、心臓になにか起きた。なんだ?」
「鳩保さんが見事解決してのけた。だから若狭さんもお礼を言う。そういうことだよ。」
知っているのに教えてくれない、シャクティは意地悪だ。まるで闘牛士のようにひらりと身を翻す。
「それで、電話で言っていた話したい事って、なに?」
「鳩保さん、それはあなたが知っているはずよ。」
まただ。お笑い好きの悪戯好き、クイズやとんちが大好きな彼女だが、あまり手が込んだなぞなぞは人を怒らせるよ。
鳩保、顎に指を当てしばし考える。いや違う。私は昨日何をした。
若狭レイヤに会う前に、自分は何をしていたか。
「……、シャクティさん。ミスシャクティって知ってる?」
彼女は無言で壁際に行き、物入れのカゴの中からリモコンを取り出した。
天井角の高い場所に設置されている黒いブラウン管テレビを点け、チャンネルをNHKに合わせる。午前十一時のニュースだ。
段々とボリュームが大きくなっていく。
『……ニューヨークで行われていた国連総会で特別演説を行ったNWO新世界秩序嚮導機構のミスシャクティ総裁が車両で移動中に銃撃を受け、亡くなりました。
ミスシャクティ女史は世界の紛争地帯に独自の人脈で組織した実力部隊を派遣して秩序回復と難民支援活動に貢献し、また……』
PHASE 492.
創作インド料理店が出す純和風かき氷は、やはりどことなくインドぽい気配が漂う。サフランの色をした氷は怪しさ爆発だ。
アルミの盆に乗せてきたシャクティは、あくまでもこれは「レモン水」だと主張する。
テレビに映し出されるインド女性ミスシャクティの映像とシャクティ・ラジャーニのメイド姿を見比べて、鳩保は敢えて言う。
「よく似ているね。シャクちゃんと。」
「この人はもう50年も世界平和の為に尽くして来た人ですよ。そんな、私なんかと一緒にしたらダメです。」
「でも似てる。」
褐色の天使はにっこりと微笑む。聖母の慈愛を頬に浮かべ暗殺事件を伝える音声の中静かに佇んだ。
「それよりさ鳩保さん。明日暇?」
「明日? あー今晩が「西瓜盗り」で、明日は何も無いね。」
「じゃあさお芝居行かない? チケットが有るんだよ。商店街でもらったんだけど。」
古びたレジスターの札入れの中から白い細長い紙を1枚引き抜いて鳩保に示す。
なんでそんなところに、と思うが案外と客が食事代の代わりに置いていったのかもしれない。
受け取り紙面を確かめ印刷された文字を読む。地のサイケデリックな文様がけばけばしく印象的だ。
「門代文化会館、で明日午前十一時開演。演目は『黄金の写像』、はあ。」
聞いた事の無いタイトル、劇団の名前も出演する俳優も知らない。どこの田舎芝居だ。
「有名な劇団?」
「私の知るかぎりでは、関西の方でアングラ的人気が有るという情報がそこはかとなく。」
「ゆうめいじゃないわけね結論としては。」
しかし気に掛かる。チケットの文様にどことなく見覚えが有った。
縄文土器か南洋の島の伝統図形を思わせる神秘を秘めたデザイン。原初のエネルギーに溢れ、訴える。
「俺を見ろ」と。
「わかった。でも1枚だけ? 誰か連れが居た方が楽なんだけど。」
「鳩保さん、誰を連れて行きたいかな。」
「誰って、そりゃ演劇なんだからその方面に興味のある、……、あーえーと、なんだ、ほら、アレだ。」
「アル・カネイ君?」
「違う。それじゃない、父親が芸能人で、自分でもそうなんだけど、くそ誰だっけか。思い出せない。」
「縁毒戸美々世さん?」
「それだ!」
シャクティを無遠慮におもいっきり指さす鳩保。氷の冷たさで脳天がきりりと締め付けられる。喉を素通りして心臓が凍る。
どちらか一方なら耐えられるが、かき氷副作用がダブルで来ては抵抗のしようが無い。
助けて、と言おうにも伸ばした指先が震えるばかりだ。
1分経過。
「……。死ぬかと思った……。」
「危険物をよそ見しながら食べるからよ。
美々世さんのお家はこの近所、商店街の裏通りの一階が店舗スペースになっているアパートよ。ちょっと古いわ。」
「古い? あいつこの街に引っ越してきたばかりだろ。」
「親戚か誰かが居るんじゃないかしら。一人暮らしじゃないし、」
「男?」
「おねえさんか従姉かな、とにかく学生ではないと思う。でもOLとも違う感じね。」
「ふぅーん。」
そう言えば美々世にも最近お目に掛かっていない。アイツ、元気で生きてるだろうか。
「そのアパートって、すぐ分かる?」
「いえ、出入口はちょっと難しいわ。店舗が有るから入り組んでる。
まって、地図を描くから。」
シャクティはメモ用紙を1枚抜いて、ボールペンで楽しくお絵描きを始めた。
このメモ帳、元は新聞折込広告だ。4つに切って目打ちで穴を開けビニール紐を通して綴り、白い裏面を利用している。モッタイナイ精神の発露であった。
「はい、出来上がり。美々世さん誘って、お芝居必ず見に行ってね鳩保さん。ぜったいね。」
「うん。」
かき氷ジャパン、税込み500円。銀色の大きいおカネで支払った。
PHASE 493.
鳩保は地元民ではないから、アーケード商店街の表通りを離れると早速迷った。
商店街自体は至極真っ当なお店ばかりなのに、一本筋を違えると歓楽街なのだ。
正確には、歓楽街の残骸と呼ぶべきであろうか。
長年続く景気後退加えて東京一極集中による地方の人口流出、いやいやそれ以前に物流や産業形態の変遷により更には戦後地政学的な状況の変化に従って
門代地区はゆるやかに衰退を重ねている。
観光に力を入れているのも、産業の振興は望めないからこれまでに積み重ねた遺産により食べていこうとの苦肉の策である。或る程度の成功も見た。
しかしながら、観光客を呼ぶにしても滞在型のリゾートは望めないから歓楽街が命脈を保つのは難しい。
というわけで、鳩保芳子はかなり寂しい場所に迷い込んだ。
もっとも夜のお店ばかりであるから昼は閑散としているのも理屈。おまけにお盆だ、「しばらく休みます」の札も貼ってある。
「えーとおー、……これだ!」
シャクティの地図には「一階部分が店舗スペース」と書かれているが、かなり広い。1軒の店ではなく幾つもの魚屋や八百屋が入っている。これは市場だ。
上がアパートになっているのだが、縁毒戸美々世の家はまだ違う。
この市場を抜けて路地の更に裏を通り、ほとんどネコ専用な狭い通路を抜けて鉄の非常階段を昇り、辿り着いたのが。
「ほお、こんな風になってるのね。」
高所から見ればアーケード商店街の外観が分かる。
店舗ビルの列かと思ったが、実際は古い木造家屋の集合体だ。店構えだけ洋風で本体はばりばりの日本建築である。
鳩保周囲を見渡して、ここがアパートの廊下だと認識する。かなり古い、1970年代に建てられたものであろう。
鉄扉が並び、プラスチックの表札が掛かる。「縁毒戸」はどこだ。
きょろきょろと首を回して探していると、背後から声を掛けられた。階段の下の踊り場からだ。
「おまえ鳩保だな、二年の。」
「え!」
振り返って下を見ると若い女が居る。白いジャケットを羽織るスレンダーな、ソバージュの短い髪のホステス?
冬の雌狼みたいに表情の読めない透明な瞳をしている。白人系のハーフかもしれない。
目が鋭いから堅気には見えず、まさか女子高生とは思わなかった。
「あの、なぜ私の名前を知っているんですか。」
「学校一の巨乳で嫌われ者とくれば、嫌でも耳に入るぞ。あたしも同類だからな。」
「えーとー、」
「三年の大東だ。大東桐子、知らないか?」
あ。やっと思い出した。この女は、世が世なら門代高校スケ番のヒトだ。
喧嘩三昧で警察沙汰になる事も多く欠席しがちで、進学校である門代高校にはまったくにふさわしくない天然記念物的硬派だ。
とりあえず世間的大人の間では優等生で通っている鳩保芳子にしてみれば、同類扱いして欲しくない。
「二年の縁毒戸だな、見舞いに来たのか。ここんとこ寝込んでるらしいな。」
「あ、えーとーセンパイ。美々世をご存知ですか。」
「上の階だから割とよく会う。外面はいいが人情味の薄い奴だ。ご近所さんににこりとも笑いやがらない。」
「でしょうね。(人間じゃないし)」
同じ階まで上がってきたセンパイは、鳩保より背が低いし胸も無い。
だが薄い身体ながらも筋肉にバネがあり運動神経良さそうだ。素手で喧嘩したら確実に負ける。
目が怖いが一応は顔面に笑いの型が宿っているので、自分も愛想笑いを浮かべておく。
「よく此処が分かったな。NHKの集金人ですら入り口見つけられないんだぞ。」
「シャクティさんに地図を描いてもらいました。ほら、インド料理店の二年生の」
「あいつか。あそこの親父さんにはあたしも世話になってる。」
「そう、なんですか。」
「お礼に手裏剣を教えてやったらしごく喜んで、あたしを「シショー」と呼ぶんだ。」
おじさんがお店の柱に穴を開けまくるのは、この女が原因であったか!
「しかしシャクティ・ラジャーニか。あいつ相当な曲者だぞ。知ってるか。」
「センパイなにかご存知ですか。 ひ。」
ほんとうに何気なく右手に銀色の小柄を握り、ちりちりの髪をちょいと掻き上げる姿に鳩保凍りつく。
だから、そういう物騒なモノを振り回すから怖がられるんだったら。
(ちなみに小柄は棒手裏剣ではない、が技術の有る人が投げればちゃんと刺さる)
「あたしはさ、低血圧で朝起きられないからよく遅刻して行くんだが、出勤してきたシャクティに会うんだ。」
「通学、ではなく?」
「ああ。朝講習にシャクティが高校に行くだろ。そして九時前になると帰って来て店の手伝いをするんだ。」
「いえシャクティさんちゃんと学校で授業受けてますよ。」
「だろ。おかしいんだ、朝見た奴が学校にも居る。
まるで同じ人間が2人居るみたいだ。鳩保、どう思う?」
どうと言われても、そいつは本当にシャクティさんが2人居るのではないでしょうか。
ひょっとしたら、3人?
僕、と普段通りの一人称を使うのが正しいのだろうけれど、テンションを上げる為に「俺」と言う。
俺は橋守 和人、中学二年生十四歳。物辺島唯一の十代の男子だ。俺より下は小学二年生まで男が居ない。
いや俺の前にも居なかった。今二十歳で島を出ている人が、最後だ。
つまり十三年間物辺村には俺以外の男の子が生まれなかった事になる。が、まあそれはいい。
問題は、近い歳の子供が今高校二年生の女子5人だったところにある。
この年は妙に子供が固まって一大勢力を作り上げた。しかも全員女だ、そして直近の年少が俺だけになる。
これは恐い。いじめてくださいと言わんばかりだ。
特に悪いのが鳩保のぽぽーだ。ゴウマンでインケンで見栄っ張りで陰で悪いことばかりしている。しかもHだ。
ぽぽーに比べればまだ物辺のお姫様は優しい方だ。
怒らせればコワいが、普通怒らない。何をしても無反応と言った方が正しいかな。とにかく現実回りの事を見ておらず、遠い世界の住人だ。
ただやっぱり邪悪は邪悪で、ぽぽーに誘われればどこまででも悪事に付き合うから困る。
二人に比べれば罪状は軽いのだけれど、城ヶ崎のお嬢様はとにかくアテにならない。
根は親切で優しく出来てるのだけど、もちろん無理難題を吹っ掛けるぽぽーが一番悪いのだけど、色んな役を押し付けられて引き受けて投げ出して逃げる悪い癖が有る。
昔は村長をしていた家だけど、こんなので人を使うなんてできるのか他人事ながら心配だ。
童みのりねーちゃんはよく分からない。居るのか居ないのか分からない。
でも時々、どうしてこんな重いモノが勝手に動いたのか? と思う時はだいたいみのりねーちゃんの仕業だ。不可能を可能にする迷惑な人だ。
中学高校と陸上部だから俺の先輩でもあるのだが、でも向こうは投擲で俺は長距離だからあんまり話も合わない。というか喋らない。
やっぱり一番困るのは喜味子ねえちゃんだろう。隣に住んでるからまるで俺の姉ちゃんみたいな気になってるらしい。すぐに世話を焼きたがる。
昔は、小学校の時はそれでもよかった。俺がいじめられてる時に助けに来てくれるのは有り難かった。
しかし歳が3歳離れているから小学校も半分で居なくなって、俺もそれなりに成長した。つまり男子が普通にやるように一人で何でも出来るようになった。
そうなると、ちょっとうざい。もちろん悪意は無く親切でしかも役に立つのだけど、そうじゃない。
自分でやりたいのにあちらもやりたがるから迷惑だ。
喜味子ねえちゃんは趣味と芸が広すぎる。勉強以外はなんとかしてしまう器用さだから、世話を焼きたがるんだ。
それにブスだし。
とにかく、去年の「西瓜盗り」で俺はひどい目に遭った。性的ハラスメントに直面した。貞操の危機だ。
詳しくは喋りたくないが、やっぱり主犯はぽぽーで優子様、だが一番腹が立ったのが現場を見ていながら止めようとしなかった城ヶ崎さんだ。
もちろん声で止めたのだが、口で言うだけで実行しようとしない。ダメだ使えない。
結局俺は喜味子ねえちゃんが乱入して二人に関節技を掛けて引っぺがすまでやりたい放題された。
その後トラウマを克服してなんとか日常生活に復帰したのだが、やっぱり前のとおりには行かない。結局陸上部も辞めてしまった。
一年前の話だからそんな大げさなって気が自分でもしないではない。ほとぼりがさめた所でまた戻ってもいいかなとか考えるが、きっかけが欲しいところだ。
再び西瓜盗りの大将を引き受けたのは、まあそんな感じ。
喜味子ねえちゃんが心配するのにもいい加減我慢できないから、良くなったと見せなくちゃいけない。
ところで西瓜盗りだが、この行事はなんと400年も前から続いている。戦国時代というから冗談みたいな話だ。
正式な作法だと、八月十三日の深夜零時に開始する。20年前まではそうだったらしい。
今は無理だ。子供が居ない、そもそも男が居ない。要するに西瓜畑に押し入って強奪して帰るのだから、乱暴な男祭りだ。
でも今現在物辺村の男子は3名のみ、俺と小学一二年生の兄弟だけだ。
物辺村は、村というほど大きくないのだが島まるごと一つを村と数えた名残からで、二〇〇八年現在の人口が50余名。内未成年が13名居る。
他の限界集落から見れば子供が多くてうらやましいそうだが、構成はかなり問題だ。
つまり高校生女子5名、小学校低学年と幼稚園児で5名、その中間が俺と物辺の双子姉妹しか居ない。ひどくいびつで行事にならない。
というわけで深夜に行うべき西瓜盗りも、夜八時に始める。それでも幼稚園児ならもう眠たいだろう。
第一幼児に難しいことや危ないことはさせられない。西瓜畑に夜踏み込むなんてもってのほかだ。
だから、今は休耕畑に買ってきた西瓜を置いて子供が持っていくだけの他愛ないものとなっている。
その後は打ち上げのパーティだが、小さい子は眠いから意味が無い。大人が酒盛りをするだけの話。
だが村のおじさんはこう言うのだ。
「かずぼん、男ならやっぱり戦って西瓜盗れよな」
この一言で俺がどれだけ傷付いたか、知らないのだ。
PHASE 495.
西瓜盗りの準備は午後五時には始まる。近所のおばさん、特に小さい子の居る家のおかあさんが集まって宴会の料理を作っている。
寄せ手大将の俺の家からも母親が出向いて音頭を取っている。
俺が小学生の頃までは村の男、おじさん達が西瓜の番をしていたが、ねえちゃん達が高校に上がってからは盗るのも守るのも子供の仕事になった。
守り手側の大将で行事総合責任者は童みのりねえちゃんに任されている。
最近高校の陸上部を辞めてすこし暗い顔をしていたが、聞いた話だと野球の合宿に参加して元気を取り戻したらしい。
おばさん達の前に立ってぺこりと挨拶をして、言った。
「…………。」
半分くらい聞き取れない。緊張しすぎて舌を噛んでモゴモゴになったのが原因だ。内容は大したことなく、怪我をしないように安全にやりますと約束しただけだ。
特筆すべきは、去年の失敗を鑑み実行手順を改良して、喜味子ねえちゃんにお面を被せると断言した事だろう。
喜味子ねえちゃんの顔は恐い。だが昼日中の明るい内は皆慣れているし、小さい子も大丈夫だ。
そもそもが喜味子ねえちゃんはモノを作ったり壊したりならなんでも出来る、子供にとっての強い味方だ。恐いけれど怖くない、むしろ頼もしい存在だ。
でも西瓜盗りの闇の中だと話は違う。懐中電灯を逆さにして自分の顔を照らすと、ほんとうに妖怪出現びびりまくる。
1年前の事だから、小さい子はもっと小さかった。5人全員がひきつけを起こし泣き喚き叫び逃げ惑い畑を無秩序に走り転んで怪我する者多数。
無事だったのは物辺の双子姉妹くらいだ。結局西瓜奪取は失敗し、俺が一人で挑戦しなければならなくなる。
これが惨劇の直接の原因だ。喜味子ねえちゃんは悪くないが、ねえちゃんが居なければ俺はトラウマを負う事は無かったはずだ。
七時前には参加者、物辺村未成年13名全員が集合。城ヶ崎のお嬢さんも忙しい中駆けつけてくれた。
この人が来ると村の空気がぴんと変わる。最近特に印象が変わったのだ。頼れる雰囲気が見て取れるようになったが、俺は信じない。
守り手の高校生5人が揃って、総合責任者のみのりねえちゃんが大人ぽく宣言する。「西瓜盗りを開始します!」
以後5人は宴会を離れて畑に潜み布陣して防衛策を講じる。去年は寄せ手側の特別ヘルパーだったみのりねえちゃんも、消える。
この場の責任者は俺になった。
すでに日は落ち段々と暗くなっていく中、寄せ手側の俺達は景気を上げてカッコ良いところを見せるしきたりになっている。
揃いの暗色のハッピにたすきを掛けて、ほっかむりで顔を隠して泥棒スタイルの完成。幼稚園・低学年の子供が泥棒踊りをするのはそれは可愛いものだ。
可愛くない連中も居る。物辺の双子美彌華&瑠魅花。るぴみかだ。
髪の長い方が姉のみみか、短い方がるぴか、と俺は覚えている。顔は同じでしばしば入れ替わって悪戯をするから厳密な区別は必要ない。
こいつらは小学五年生で児童とはもう呼べない。去年四年生までは子供こどもしていたが、今は違う。
第二次性徴期で女らしくなってきた。胸は出るし手足は伸びるし、色気すら発散している。
とっくの昔に子供はやめてるのだ。
俺は物辺村で唯一のティーンエイジャーの男子だから、父親と村の大人達から特別な掟を強いられている。
「村の男は物辺の巫女と契るのを禁ずる」というものだ。セックスしてはいけない。
理由は簡単で、物辺の巫女は外記の子孫であり鬼女だから、並の男は食い殺される。セックスに溺れて廃人になってしまう、らしい。
ばかな話だが、去年の襲撃によって俺は骨身に沁みて思い知らされた。
物辺の優子様、これは獣だ、肉食獣だ。しかも自分では手加減しているつもりだからタチが悪い。
優子様に限らず何方も同じで、どんなに優しそうに見えても思慮深く清楚であろうとも信じてはいけないらしい。
じゃあどんな男と巫女は結婚するのか。村の外からやってくる武芸者や修験者が歴代その役を果たしてきた。
先代咎津美様の夫で饗子様祝子様の父上である宮司さんも剣術の達人として名の有るヒトで、今でもしばしば村を出て日本中で教えていると聞く。
この夏祝子様と結婚して物辺家を正式に継いだ鳶郎様も、ウソかホントか忍者だと噂される。実際傍で見てみると胸板が体操選手並に厚く、只者ではないのは一目瞭然だ。
要するにこのレベルに鍛え上げた男性でないと物辺の巫女は吊り合わない。
只の村人Aでは瞬殺されるから、掟が有るのだ。
もちろん俺も絶対的に従うつもりだ。
その要注意人物るぴみかが傍に寄って耳打ちする。不自然に二人左右から挟み込んで俺を拘束するのは、おっぱいをぶつけたいからだろう。
「かずぽんの兄ちゃん、裏情報を入手した」「極秘極秘」
「なんだ?」
「ぽぽーねえちゃんが去年の反省をして、兄ちゃんに手柄を立てさせる段取りになってるって」「うん、一番大きな西瓜をかずぽんのにいちゃんの為に用意してるのダ」
「本当か? 何も聞いてないぞ。」
「嘘だと思うなら喜味子に聞いてみればいい」「ぽぽーねえちゃんが用意してるんだけどね」
5人の女子高生の中で絶対に俺の味方と呼べるのは喜味子ねえちゃんだ。しかし俺は尋ねなかった。
双子がにやにや笑ってるからだ。こいつらの認識だと俺は、喜味子ねえちゃんの弟でまったく頭が上がらないとなってるらしい。
幼い頃は確かにそうだった。何をするでもねえちゃんの尻に隠れるように付いて行って過保護なくらいに助けてもらっていた。と、母親から聞いている。俺は覚えていない。
双子は村のばあちゃん達からその情報を仕入れて、俺をからかうのに使っている。
ここでほんとにねえちゃんに電話をしたら、どれだけ馬鹿にされることか。
「わかったよ。どの畑だよ大きい西瓜を隠してるのは。」
「一人じゃ無理だ」「うん、無防備じゃないからこそ価値が有る大きな西瓜だ」
「だれが守ってる。ぽぽーねえちゃんか、優子様か。」
「ししょー」「ひとりだよ」
俺は深く考える。年少組の西瓜はみのりねえちゃんと花憐お嬢様が番をして、ごく簡単な守りしかしない。
それでは安易過ぎるから、お面を被った喜味子ねえちゃんが出現して脅かす算段だ。
手が空くのはぽぽーと優子様、しかし優子様が積極的に行事に参加するだろうか?
いや一人だとしても、去年のように素っ裸で待ち受けてたりしたらどう対処すべきか……。
「……僕一人だとどうしようも無いな。確かに。」
「あたしらが付いていくよ」「かずぽん兄ちゃんの手足となって働きますデス!」
双子のキラキラと輝く瞳を、俺は不審げに見つめる。こいつら何を企んでいる。
だが両方を連れて行く訳にはいかない。誰かが残って年少組を指揮しなければならない。
「二人は多いぞ。」
「じゃあるぴかが」「じゃるぴかが」
二人して瑠魅花の名を挙げる。理由は簡単、俺の好みがこっちの方だと分かってるのだ。
髪を短くカミソリのようにすっぱり切り揃えている双子の妹は、印象としては知的で静か、奥深いところがある。無論フェイクだ、外面だけだ。
実はこいつの化けの皮は鳩保のぽぽーが元ネタだ。一方姉の美彌華が手本にするのは城ヶ崎のお嬢様だ。
師匠の優子様があまりにも複雑高等過ぎて真似できないから、一段レベルを下げて近所のねえちゃん達を土台にイメージを構築している。
結果は大成功、るぴみかは小学校では女王様。俺が通う中学でも男子の間に強い関心が持たれている。まだ五年生なのに。
俺は違う。双子が村に来て以来ずっといじめられてきたから、本性を誰よりもよく知っている。
無邪気な子供の状態であれだけの悪魔ぶりだ、思春期に入って爆発的に成長したらどうなるか。手が付けられない。
十分注意しようと考えている内に時計は八時を示し、『西瓜盗り』の攻撃が開始される。
PHASE 496.
小さい子を驚かせないように喜味子ねえちゃんがお面を被るのは決まっていた。
しかし責任者みのりねえちゃんはこのルールにもっと積極的な意味を見出したらしい。
寄せ手大将としての俺の任務は、5人の年少組がばらばらになって置き去りや迷子にならないようにする事だ。
だから二人ずつ手を繋いでツーマンセルで行動するように決めている。
暗い畦道を縫って進み、戦場である休耕畑に近付き身を潜めて観察すると、お面の女が三人居る。ボール紙で作った簡単なものを被っていた。
これはおそらくは、おばけだろう。
小さい子が驚くようにねえちゃん達はおばけに扮して「こわいぞ〜」をやるわけだ。もはや西瓜盗りではなく肝試し大会である。
だが現状これよりハードな冒険を設定できない。そもそもが寄せ手は武器の携帯を禁じられ、素手で西瓜をかっぱらうのを義務付けられている。
これは戦国の昔の話で、物辺島を封鎖して乾き攻めにした海賊が武器を持って警戒している中、単身素手で潜入して瓜を盗んで来た故事に由来する。
つまりおばけは武器を持っている。新聞紙を丸めた棍棒で、寄せ手をぽこぽこ殴るのだ。
子供たちはきゃっきゃと笑いながら逃げ惑い、棍棒の攻撃を掻い潜る。
おばけの体型を見てだいたい誰か見当がついた。みのりねえちゃん、城ヶ崎のお嬢さん、ぽぽーだ。
子供達も幼いながら人を見る目が有る。5人の女子高生に対してもちゃんとランク付けがなされていた。
一番良いのが綺麗で優しい城ヶ崎さん。二番目がお姫様であり凄く神秘的な優子様、三番目が子供の味方みのりねえちゃん。
ダントツで人気が無いのが極悪非道インケンイジワルの鳩保ぽぽー。
喜味子ねえちゃんは番外、おそらくは人間のカテゴリーに入っていない。恐いけど頼りになる大魔神みたいなものだ。
おばけの中に喜味子ねえちゃんは居ない。たぶん最後の最後に出現してびっくりさせ泣かせる算段だろう。
大将としての俺の役目は単身敵中深くに入り込み、ラスボスを阻止するところにある。
喜味子ねえちゃん出現、いきなり畑は緊張に包まれる。
もちろんお面を被っており素顔ではない。目が丸く顔もまんまるフグ提灯のお面だ。怖くない、むしろ楽しい。
両手をばっと上に突き上げ、がばと地面から丸いものを取り上げる。
「すいかだ!」
わーっと押し寄せる子供達。しかし3人のおばけが接近を防ぎ、喜味子ねえちゃんが西瓜を奪い去るのを支援する。
俺の出番はここだ。
という事を念押しするかに、双子の瑠魅花が俺の背中を軽く叩いた。
言われるまでもなく、前進あるのみ。
「みんな、僕が西瓜を取ってくるから、おばけを食い止めてくれ!」
子供達に言い置いて俺は先に進む。付いてくるのは瑠魅花のみ、姉の美彌華は引き続き小さい子を支援する。
一抹の不安を残したまま、俺は深い闇に進入する。
気が付くと俺はひとりだ。
前を走る、追っかけていたはずの喜味子ねえちゃんが消えている。後ろに付いていた瑠魅花も居ない。
ではここはどこだ。漁業倉庫の裏の空き地、畑ではなくただ雑草が生えているだけの寂しい場所だ。
気付けばよかった。喜味子ねえちゃんは変な女だが空気が読めない人じゃない。
お祭りで人気の無い場所に行っても仕方がないくらい弁えている。
俺は多分、罠に掛かった。
ふぐ提灯の面を被ったのは喜味子ねえちゃんではなく、別人だったのだ。
だが優子様ではない。俺も村の人間だ、物辺の巫女を見間違えるはずが無い。
村の人間ではない誰かがねえちゃんに化けて紛れていた。
「フフフ」
「! るぴかか? 後ろか。」
「フフフにいちゃん、やっとふたりきりになれたね」
何を言っているこいつは。罠を仕組んだのは優子様では、ない、のか……。
「ふふふにいちゃん、ショウタイムだ」
「ちょっと待て何をする気だ。」
「鈍いなあ、それともわざとかよ。ラノベの鈍感主人公を真似てんじゃねえ」
すっ、と後ろから抱きつかれた。細く柔らかく、夜目にも白い腕が俺の胸の前に交差する。
背中に押し付ける膨らみかけの胸の感触。
俺は背筋に電流が流れたかに飛び跳ね、拘束から逃れた。
ひょっとすると世間一般の中学生男子にとっては願ってもないラッキーチャンスかもしれない。
だがそれは物辺の巫女を知らない人間の浅はかな態度であって、去年酷い目に遭わされた俺の到底受け入れられる事態では無い。
PHASE 497.
「何をする!」
「なにって、決まってるじゃん男と女がすることなんて」
「おまえまだ小学生だろ、五年生だろちょっと待て。」
「ノリの悪いにいちゃんだなー。ふつうこういう時はがばあっと抱きついて来るもんだよ男の方から」
とんでもない! そもそもが前提条件が間違っている。
物辺瑠魅花は自分がセクシーで俺が興奮して欲情しているのを前提で迫っているが、逆だ。
俺は怖くて怖くてどうしようもない。
第一、夜目がフクロウみたいに利く女をまともな人間とか呼べない。
俺は足元躓かないよう必死で注意しているのに、瑠魅花は真昼みたいに真っ直ぐ歩いてくる。
不意に気が付いたようだ。
「あ、そうか! 服脱がないから勃たないんだ。ごめん、そりゃそうだった。」
「いやまて、ちょっと、違うぞそれ。」
「じゃーんじゃじゃあーん。」
着ているハッピの前をはだけ下のTシャツをめくり上げ、ブラジャーまで露出する。まだ小さな膨らみかけでも必要らしい。
夜目にもくっきりと白い肌、細い胴体が浮かび上がる。いや、微かな燐光を放って輝いている。
そんな馬鹿な奇跡が、物辺の巫女に限っては起きるのだ。
おそらくは全身素っ裸で立っていても蚊に刺されたりしない。奇妙な力で美を損なうものを寄せ付けない。
鬼だから。
へそを見せびらかせながらゆっくり揺れて近づいて来る。コブラが左右に踊るのに似て。
俺は逃げない逃げられない。腹に力が入らず、足の筋肉の緊張が抜けていく。
小便漏らした時のようにじんわりと温い液体に沈み込んでいく気がした。
「だめかあ〜、やっぱパンツ脱ぐかあ〜。」
完全に遊んでいる。これがこいつ本来の目的だ。
心から魂から全身何から何までぐちゃぐちゃに男を壊して遊ぶ。それが楽しい時期が有る。
性的興奮はおまけに過ぎない。鬼の本性を露わにするだけで十分なのだ。
俺は瑠魅花に接触された。妙にとんがった指先でハッピの上から胸を触られる。
爪で線を引くように胸板を撫で、男の乳首を弄ぶ。小学五年生がだぞ。
背が低いから額を俺の腹にこすりつけて、これはネコみたいだ、やがて服もめくり上げてしまう。
ぴちゃ、ぴちゃ、と舌を細く出して腹筋を舐め始めた。生暖かい舌の感触が脳の頂点まで貫いて目の前が真っ赤になる。
思わず「きゅ、ぱ」とか意味の無い音が俺の口から漏れた。
「るぴかー、もうパンツ剥いだ〜?」
「これからー。」
普通に平静な声で尋ねたのは、姉の物辺美彌華だ。いつの間にか近付いて参加のタイミングを狙っている。
世間一般のイメージでは姉の方が人懐っこく柔らかいのだが、今日はまったく逆。
冷酷な声が俺の耳を貫いた。
「和ぽんのにいちゃん、まさかこのままセックスして脱どーてーとは思ってないよね?
多少抵抗してくれたらごーかんて選択肢も有ったんだけど、にいちゃんはヤメだ。」
「はな、せ。」
「逃げてみろよ、るぴかひとりくらい弱いっしょ。それとも女の子みたいに犯されたい?」
「みみか、どうする。」
瑠魅花が顔を上げて姉の選択を求める。腕を離したから、力の抜けた俺は膝を折って地面に座り込んだ。
二人近付き俺を見下し、短いスカートの裾がちょうど鼻先の位置に来る。
「どうするも、あんたまだ脱がせてもいないじゃん」「スマヌ。意外と反応が良くて普通プレイでもイケると思って」
「普通じゃ面白くないよ」「いや、普通でずるずるに溺れさせるのが王道ってものじゃん」「王道ヨクナイ」
「じゃあどうするん」「にいちゃんは弱いから、飼おう!」「飼う?」「メスブタにする」「おとこなのに?」
「おとこなのにメスブタだ」「いいね! GOOD」
何を言っているのか分からない。だろう、と美彌華が腰を曲げて顔を近付け、ごていねいに解説してくれる。
「ぐたいてきに言うとだね、にいちゃんはにくどれいにされるのだ。」
「馬鹿野郎……。」
PHASE 498.
思い返せば去年の夏の陵辱はまだマシだった。
中学一年生の俺は自分より大きな女子高生2人に為す術も無く捕らえられ、強引力づくで押し倒された。
だが今日みたいな精神をざぐざぐ抉る仕打ちはされていない。優子様はアレでもまだ理性が有った。
熟練しているから責め具合をよく心得ている。
双子は違う。俺が生け贄第1号だ。
考えつく限りの無茶な責めを容赦なく仕掛けてくるだろう。どのくらい上手に壊れるか、が興味の対象なのだ。
気が付くと全身剥かれて草の上に素っ裸で俺は転がっている。トランクスまで取られた。
「うふふふかわいい」「なるほどまだおとこじゃないんだね」「これは美少年というものだ」「ちごどんだ」
「ところで腐というものを知ってるかるぴか」「ほもせっくすだね今大流行の」「世間一般的に認知された正当な愛の形なのだ」「文部科学省推薦だな」
「にいちゃんを育成して立派なメスブタにしよう」「しかりしかり」
ぐへへへへと変質者の笑いを浮かべながら小学五年生が迫り来る。
本物の変質者の方がまだ何をするか想像できて対応が楽だ。るぴみかはサディストでもある、ほんとうに俺危ない。
だれかたすけて、と叫ぼうにも声がかすれて細くにしか出ない。悲鳴にも近い喉笛の音はより一層双子の加虐心を掻き立てる。
ほんとうに誰か、誰か、たすけてきみこねえちゃん!
瑠魅花がゆっくりと俺の上に跨ってくるのを咎める者は無い。
ヒヒを知っているだろうか? 漢字では狒々と書く。
動物園の猿の仲間でちょっと大きいのがヒヒだが、日本在来種には居ない。居ないにも関わらず古来より普通のニホンザルとは区別して語られる。
ニホンザルが年老いて妖怪化したものだとも考えられている。長生きした獣は半神化するのが日本の妖怪界のルールだ。
そんなもの要するに居ないわけだが、いきなり目の前に現れた。
邪悪淫蕩なるぴみかを両手で掴み俺からひっぺがし、跳ねて5メートル離れた草むらに投げ捨てる。
振り向いた顔は、うわああああああ!
るぴみかも先ほどまでの余裕綽々悪魔の笑みが消し飛んで、恐怖で真っ白に引き攣った。うわわわうああああ。
喜味子ねえちゃん怒っている。
普段の機嫌の良い時でも恐いのに、心底怒った顔はたとえ地獄の閻魔さまでも耐えられない。物理的破壊力を発生させ、邪淫を打ち砕く。
「こんなこったろうと思った! 優ちゃんだって淫魔外道に堕ちたのは五年生の時だったからな。」
「ぐ、ぐげええええきみこめ」「ううなんというはかいりょく、にんげんとはおもえぬというかおまえ人間じゃねえ」
「うるせえ、よくも和くんに酷いことしてくれたな。許さん!」
「げへへへえへ、許さんならどうするんだよ」「お仕置きかあ? そんなことはしないよなあ、だって子供にお優しいきみこさまだぜ」「やってもらおうじゃねえか、え。出来るならよお」
るぴみか、完全にやられ役の悪態を吐き続ける。テレビ時代劇ならこんな台詞使ったら主人公にぶった斬られるが、さすがに喜味子ねえちゃんはリアルのひとだ。
人殺しまでは出来ない。
左掌で美彌華の顔にアイアンクロー。ぎりぎりと地面から持ち上げる。女子高生離れしたパワーだ。
「おまえたち、女もインポテンツになるのを知っているか?」
「い、いんぽ?」「不感症ってやつか」「ま、まさかあたしらをいんぽてんつにする気か」「馬鹿な! 男ならともかく女にそう簡単にできるはずが」
「できるんだよ。いやらしい事考えただけで気絶悶絶、体調崩してゲロ吐いてのたうち回る。そういう風に出来るんだ。」
「う、嘘だ」「ありえない」「そもそもそんな症例聞いたこともねえ」「へへへ、子供騙しとは騙るに落ちたなきみこねえちゃんよ、ぐああああああ」
右の掌で瑠魅花が頭頂部を掴まれる。アイアンクローでヘッドロックを掛けられたみたいだ。凄まじい痛みが美少女の顔を歪ませる。
「できるんだよ簡単だ。このまま頭蓋骨の噛み合わせをちょいとずらしてやれば万年頭痛持ち、設定を弄れば条件付けて発動も可能。
この喜味ねえちゃん様にはな。」
「やめろお」「やめてえ」
「いや許さん。落とし前きっちりつけてもらう。」
その時、もう一人の人物が闇の中から浮かび上がる。淡い光を帯びて、女神様に見えた。
彼女は静かにねえちゃんを止める。
「喜味子、気持ちは分かるがそこまでだ。大事な物辺の巫女を傷つけるわけにはいかん。」
「? あ、祝子さん。」
物辺神社正統継承者物辺祝子が涼やかな姿で立っている。「西瓜盗り」の行事は神社とは直接関係ないから今日は暇で、ラフな格好をしている。
お言葉ですが、とねえちゃんは反論する。この二人野放しにすればいずれ優ちゃんと同じド外道に堕ちて、
「そうには違いないが物辺の巫女は誰だって一度は外道になるし、一生そのままだったりもする。」
「でも祝子さんは、」
「あたしだって東京に居た頃は悪の権化と呼ばれたものだ。学会からも追放された。
こいつら双子もどうせ同じ運命を辿る。少々傷めつけたところで本性が変わるはずもない。矯正は不可能だ。」
「ですが、」
「ああ分かってる。物辺の巫女を一般人に傷付けさせるわけにはいかないが、あたしがやろう。」
双子、ひぃいいいと抱き合い震える。
物辺祝子という人は物辺神社の巫女としては極めて例外的に、正義やら節制を重んじるタイプ。悪を為す者に一片の慈悲も見せる事は無い。
るぴみかも足腰立たなくなるまで許してもらえないだろう。
喜味子ねえちゃんもさすがに手の力を緩めて双子を解放する。祝子様が殺ると言うならば間違いはなかろう。
どうせ何をしても真人間になるはずが無いのだ。
祝子様は両手で双子を強引に引きずり神社に帰っていく。るぴみかの哀願がいつまででも続き、小さくなっていく。
俺は草に寝転んだまま、喜味子ねえちゃんと後ろ姿を見送った。
ねえちゃん振り返る。怒りは収まり表情は戻ったが、それでも恐いものは恐い。
「和くん大丈夫、怪我はしなかった?」
「あ、ああ、うん、それはたぶん。」
抱き起こされる手のぬくもりに、俺は一瞬気を失い掛けた。ねえちゃんの手の優しさは恐怖に震える俺の心を救ってくれた。
立たせようとしてねえちゃんは、俺が真っ裸であった事に改めて気が付く。
俺も、いきなり起きた自分自身の変化を認識する。
何故だ! 双子にはあれだけされても反応しなかったのに、なんでねえちゃんに触られるだけで俺は。
喜味子ねえちゃんは手を放し、周辺に散らばる俺の服を集めて持ってくる。
かなり困惑していると見えた。
「和くん、えーと服自分で着れるよね 。」
これが平成二〇年西瓜盗りの顛末だ。
俺の名は橋守 和人。地獄とさらに酷い地獄を見た男だ。
翌朝十四日、物辺村ラジオ体操に美彌華&瑠魅花は参加しない。
物辺の巫女の淫蕩さは矯正のしようが無く、どれほど折檻したところで本性が撓む事は無い。
だからと言って手加減する理由とはならず、物辺神社正統継承者物辺祝子による苛烈な制裁が加えられた。
結果、体操をする気力も失われスタンプカードに空白が生じるところとなる。
だが双子はこの試練の果てに、自分達が蛇の如き強靭な肉体と痛みへの底知れぬ耐性を持つと気が付いた。
鬼だから当然の資質であるが、これまで蝶よ花よと愛でられお姫様として育てられてきたから、己の限界を知らなかった。
一般人と同じ脆弱さを持つとの幻想を抱いていた方が、ひょっとしたら行動の枠となったかもしれない。
すべては後の祭りである。いや物辺の巫女であればいずれ通る路であろうか。
一方被害者の橋守 和人はとりあえず心身ともに無事免れて、複雑な想いを吹き払うかに朝のすがすがしい空気の中手足を振り回している。
何故か、喜味子の顔をまともに見る事が出来ない。
「夏休みが終わって二学期になったら、また陸上部に復帰しよう」、そう決意した。
昨夜の反省から、精神の平衡を保つにはとにかく日頃から肉体を鍛えねばならないと確信する。
動かなければまたもやもやと変な気分になってしまう……。
その児玉喜味子であるが、
「じゃあぽぽー、後はよろしくね。」
「うん任せろ。」
喜味子は家族3人で田舎に墓参りに行く。2泊3日の予定。
児玉家は戦後になってから物辺村に移住してきた新参者だ。鳩保の祖父左古礼医師よりも後、かなり最近になる。
元々物辺村には鶏を飼っている家があり、喜味子の祖父がその人と知り合って家と鶏舎を譲り受け、手伝いとして両親が呼ばれた。
祖父はまもなく亡くなったが、喜味子も生まれたから村に居着いているわけだ。
喜味子自身の本籍地も物辺村ではなく鹿児島と熊本の境目近く、と聞いている。
「鶏は信頼の出来る人に世話を頼んでるから問題ないけど、まあちょっとくらい見てくれ。あと和くんも、双子に喰われないように。」
「男の子だからいいんじゃないか、ソレは。」
「そうかなあ。よく分からんけど。」
城ヶ崎花憐も体操が終わったらすぐ出発すると言う。
とにかく厄介な状況に陥っていて、善後策を協議しなければならないそうだ。
いつの間にかすっかり大人の世界に足を踏み込んで抜けられなくなった。十七歳にして急過ぎるのではないか、と鳩保は思う。
などと忠告すると、「同情するならなんとかして!」と泣き言を喚いた。
相変わらずの逃げ腰花憐ちゃんだ。大安心。
鳩保と肩を並べて二人を見送る童みのりは、振り返りもせずに尋ねた。総合責任者だから当然、昨夜「西瓜盗り」の裏で何が起きたかを聞いている。
去年に引き続いての惨劇に眉をしかめ表情を堅くした。
「ぽぽー、こういう場合どう対処したらいいと思う?」
「みぃちゃんも恋の一つもしてみてから考えるべきじゃないかい。」
「うーん……」
正論である。正論とは論議にあらず、他人を黙らせる為の武器である。
早速みのりは考え込んでしまった。計算通り。
門代文化会館に自転車で乗り付けた鳩保芳子は、奇妙な違和感を感じる。
暑くない。日差しは燦々と照りつけまさに夏そのものなのに、肌寒い。
秋口であればそんな日も無いでもないが、お盆前だからありえない。よほどの荒天で陽も見えない程でないと気温は落ちたりしない。
妙だなと覚えるが、他の異様さに気を取られてすぐ忘れてしまう。
文化会館は広い公園と一体になった施設であり、周囲には桜だの銀杏だの蘇鉄だのが植えてあり良い木陰を作ってくれる。
人がまばらに過ごしていた。開演を待ち侘びる客だろう。行列こそ無いがなかなかに人気の劇団らしい。
ただ正体が掴めない。
老若男女ばらばらで同一の趣味や思想の線で繋がっていると見えなかった。無作為抽出で呼び付けたかに様々な人が集っている。
自転車を軽く漕いで公園の周りを流してみる。およそ3百人が待機しているようだ。
結構な人数だが興奮も熱狂も見て取れない。もし業務命令で嫌々連れ出されたのなら不満の一つも吐くだろうに、静かなものだ。
無感動無関心に行儀よく時間を待っている。気味が悪いほど従順に。
「やばいかな」と思ったが、昨日シャクティ・ラジャーニと約束したから退くわけにもいかない。
公園に居るのも嫌な予感がしたので、文化会館前の広い車道を渡った向かいのコンビニに避難する。
こちらは長閑に平凡日常の空気。窓辺の雑誌コーナーで立ち読みしながら、人の動きを監視する。
ついでにおにぎりとカフェオレを買った。
開場10分前になると人が集まり均等に並んで列を作る。指揮者が居るような一糸乱れぬ行動だ。
ひょっとすると宗教団体の集まりではないだろうか。演劇を通じて布教活動を行うのは昔からの正当な手法ではある。
コンビニの広い窓ガラスを外からコンコンと叩く者が居る。クラスメイトのシャクティだ。
約束通りに来て、鳩保を見つけて一緒に行こうと誘っていた。
珍しくインド民族衣装風の扮装をしている。あくまでも扮装だ、正規のスタイルではないはず。
急いでコンビニを出て駐輪している自転車のチェーンロックを外しながら、辛辣に評する。
「なにその格好。すっごく安っぽい」
「インドっぽくしてみましたが布地が安過ぎましたかね。一応手縫いです。」
「まるで文化祭のお芝居の衣装だよ。」
一方の鳩保は、自転車を漕ぎやすいスタイルながら昨日よりはシック。薄いカーディガンまで羽織って女性的な装いだ。
この姿ではあまり速度を出せないから、門代中心市街に出るまで昨日の倍も時間が掛かった。
自転車を押してシャクティと共に歩み、コンビニ前の横断歩道に信号待ちで並ぶ。
目の前を制限速度以上で飛ばす車の列と、その向こうに奇妙な静寂で並ぶ観客の、いっそ不気味な対比があった。
「シャクちゃん、あの人達なんかおかしくない?」
「鳩保さん知ってました? お盆の忙しい時に観劇に来るような人はだいたい変だって。」
「あ、あーまあそう言われてみれば、……変、かな。」
「アイドルとか俳優のお芝居を観に行く、これは普通です。でも演劇そのものを観に行くとなるとハードル高いですよね。」
「そっか、変なとこに首突っ込んで変だと言うようなものか。」
「ですね。」
なんだかものすごく割り切れないが、実に説得力の有る言葉に反論する気も無くなった。
信号が青になり、よく見るとここはもうLEDを使った新しい信号機だ。自転車を押して道を渡る。
文化会館の簡単な駐輪場に厳重に鍵と鎖を掛けて繋いでおく。高価いからちょっと心配だが公共施設だから、だいじょうぶだろう。
後ろで作業を見守るシャクティに笑って振り返る。
「おまたせ。」
「じゃあ行きましょう。知らない劇団の怪しげな夢の世界に。」
「ちょっとまったシャクちゃん、あんたも知らない劇団なのか。」
「お芝居なんか観に行く人は変だって言ったでしょ。私は主に寄席ですよ行くのは。」
「いやそれも変な女子高生だぞ。」
ご多分に漏れず門代文化会館はずいぶんと年季の入った建物である。40年は軽く前に竣工した。
当時は立派な誇るべきものだったろうが、二十一世紀の今日見るといかにも老朽化を隠せない。
観客席も何度か座席を入れ替えたのかもしれないが古色蒼然、タイムトンネルを潜ったかの趣だ。
およそ300人と見積もった観客は一階席のみに座っており、二階席には誰も居ない。
演出の都合で上は空にしておかねばならないのだろう。石仏みたいな顔を描いた1メートル大のベニヤ板が幾つか席に置いてある。
空いている席はど真ん中、先にシャクティを座らせた鳩保は知り合いが居ないか探ってみる。
中学の同級生女子を発見、しかし友達ではない。女の敵として鳴らした鳩保芳子に物辺村以外の友人が存在するはずも無いのだ。
だがあの女、こんな精気の無い顔ではなかったはず。ほとんど夢遊病者のうつろな瞳で未だ上がらぬ緞帳を見つめ続けている。
周囲の人も同じく、幕が降りたままの舞台を見つめる。催眠術みたいで本当に気味が悪い。
「あ、花憐さんですよ。」
シャクティに裾を引っ張られて首を回すと、左隅にかなりの年配者10名と一緒に座る城ヶ崎花憐のリボンが有った。
市会議員の父親のあおりを食って毎度退屈な行事に付き合わされる彼女の今日のお仕事は観劇か。では爺婆様方は後援会の人であろう。
ご苦労なこった。
声を掛けて呼ぼうとした時に、場内アナウンス。「まもなく劇団ヴィリケラント夏季特別公演、虚史劇『黄金の写像』を開演いたします」
致し方なくシャクティの左隣に座る。そのまた左は空席で通路。5席並んだこの一列にはシャクティと自分しか座っていない。
「シャクちゃん、虚史劇ってなんだ?」
「嘘の歴史のお芝居ってことでしょう。架空の国ですね。」
「嘘八百ってわけだ。」
こいつは期待できないな、と改めて尻の座りを直して正面を向く。つまんなかったら芝居の最中でもおにぎり食ってやろう。
だいたい昔の演劇は上演の最中に弁当広げて酒などかっ喰らっていたもんだ。おにぎりなんかポップコーンよりよほど静かに食えるのだから迷惑にもなるまい。
これも古き良き時代の伝統というものだ。
ビーッとブザーが鳴り客席の照明が翳っていく。続く不快な重低音に眉をしかめる。
のっけから不吉な感じで心臓がどきどきした。
PHASE 501.
マヤアステカインカ、シカン文明とかも聞いたことが有る。
王が居て生け贄を太陽に捧げる描写をすればだいたい中南米文明であろうと見当を付けるしかない。
遠い古代、どこと詳しくは設定しないがそれなりの巨石文明を有する都が舞台だ。
或る日天から神様がやって来て、王に告げる。
「これより7日の内に天地を滅ぼす災いが降りかかるであろう。だが心配は要らない。民人を我が与える巨大な洞窟にて匿い災いが過ぎ去るまで留めよう」
丸い蛍光灯のUFOに乗ったスパゲティモンスターの言うことなんかよく聞くものだ、と呆れるが、そこは昔の純朴な人のお話だ。
国を挙げて一大避難を開始する。神の使いの導きに従って地面にぽっかりと開いた穴に何万人もが吸い込まれていく。
舞台暗転、ぽっと暗く赤く灯り、不安げな古代人達の顔を陰影深く照らし出す。
背景のスクリーンに映像が投影、映画の1シーンらしい。「割とカネ掛かってるな」と鳩保感心する。
天変地異とはかなり控え目な表現で、出現したのは宇宙怪獣の群れ。ゴジラと言うよりは骨骨の恐竜、ドラゴンスケルトンと呼ぶべきであろう。
口からいかにも放射能ぽいビームを吐いて地上を灼き尽くす。いやほんと、ウルトラマンでも来てくれないと人類滅亡だ。
これに対抗するのが神の用意した遮光器土偶の大きな奴。ロボットの軍団だ。全高5メートルとさほどでかくはないが数は有る。
ロボットはぎこぎこと不器用に動いて骨ドラゴンを迎え撃つ。眼からビーム、両手の爪が回転して骨をがりがりと砕いていく。
それなりに強力なロボではあるが、しかし敵が多過ぎた。また火山の噴火や土砂崩れ洪水などの災害も襲い来る。
ロボット軍団は無残に敗北し、地上は一面水に浸り邪悪の治めるところと成る。
「あ、ノアの方舟だ」
画面にイトスギで作られた巨大な方舟が映し出される。中にはノアとその家族と選ばれたケモノが多数、災いが過ぎ去るのを水の上で待っている。
撃沈!
骨ドラゴンが水中を泳いで人類最後の希望を打ち砕く。いや、まあ逃すわけもないよな、邪悪のする事だから。
舞台がわずかに明るくなり、古代人達が起き上がる。彼らの上に再びスパゲティモンスター降臨。
「負けちゃったから、相当長い時間この地下空洞で避難を続けてもらいます」 なかなかアフターサービスが行き届いているぞ。
しかしながらここはかなりに複雑な空間だ。なにせ恐竜が生きて暮らしている。
おそらくはティラノサウルスであろう。巨大な直立二足歩行のライオンキング的文楽人形風マリオネットが登場する。
現代恐竜学の知見をまったく無視したゴジラ的立像は、児玉喜味子が見ていれば決して許すところではない。
まあそんなのはどうでもよく、古代人達は神様の勧めに従って地下王国を築き始める。
必要な物は太陽。しかし地下空間には存在しない。
そこで神様は丸く輝く火の玉を天井に吊るして、舞台全体を明るく照らす。賜る恩寵のなんたる有り難さか。
ついでに遮光器土偶ロボも遣わして人間の面倒を見てくれる。至れり尽くせり。
古代人達は神の命ずるままに地下空洞を耕し家畜を育て織物をし、石を切り出して都を築く。地上でやっていたとおり。
そして再び生け贄を捧げるのであった。
ただし太陽はこの地には無い。天空に輝く丸い玉はあくまでも太陽の代替物。
構うものか。名より実の有る方が断然偉い。
天空の玉は明らかに人類にとって有益な存在であり、拝むに足る。名も知らぬ神よりよほど尊い代物だ。
そこで彼等は絵を描いた。丸に人の顔と燃える焔の手足を添えて、神殿に刻む。
彼等はこの図像を『ファイブリオン』と名付けた。天蓋に在りて光輝き、我ら人類を養い守る慈愛の聖霊。
要するに古代人達は天井灯の崇拝を始めたわけだ。滑稽極まりない。
時は流れ、真に彼等を救った神はすっかり忘れ去られ、尊き存在は『ファイブリオン』のみとなる。
いや何世代も放っておいた方が悪いのだが、地下王国はすっかり偽神の市と成り果てた。
ファイブリオンの図像を描く神官が王と成り、人々は有難い絵を伏し拝む。
それだけなら児戯であるが、困った事態が発生した。
遮光器土偶ロボまでもが図像の主に従うのだ。
そもそもが下僕のロボ達は、実はスパゲティモンスターの造物ではない。
宇宙のゴミ箱に転がっていたのを拾って修理し使っていただけで、従順であるから深くは考えずに人間の相手をさせてきた。
マニュアル付いてなかったのでこのような事態は想定外、制御不能に陥ってしまう。
まあ人間の世話は良くするのだから特に支障とも考えない。
しかし、きっちりと落とし前をつけてくる。絶対者たるもの愚民に対して嫌がらせをするものだ。
神はファイブリオン信仰を弱める為に、再び三度地上から人を地下空洞に移住させた。
どういうわけだか知らないが絶滅したはずの地表面はすっかり元通りに、人もずいぶんと生き残り大繁栄を遂げている。
天変地異は已む事を知らず幾度も滅びに瀕するが、ゴキブリ並みの生命力で現世にしがみついた。
大旱魃が襲ったり、東の海から白い顔の蛮族が侵略してきたり、疫病が蔓延して9割方の人口が死んだりと忙しく、その都度人間を地底に呼び込んだ。
新参者はファイブリオン信仰に容易に馴染まず、旧来の民と諍いを繰り広げる。
その内皆気付くのだ。勝利の鍵はロボにある。ロボの制御権を握った者が地下王国の勝者となる。
ロボを従えるには、ファイブリオンの図像だ。
お宝の図像を巡っての闘争劇、惚れた腫れたの殺したの、とお決まりの筋書きが展開する。
誰が描いても効くわけでなく、やはり王族のみの技能であるから、俄権力者達は王族を殺しわずかの人数のみに独占させる。
そして登場、ナチスの残党。
連合軍ユダヤのナチ狩りの手から逃れ中南米に渡った彼等は、地底深く隠された幻の王国を発見する。
更には超兵器ロボとの遭遇。この力が有れば失地回復第四帝国の樹立すら可能であろう。
邪悪の魔手から図像を死守すべく、遂に最後の王子が地下王国から脱出。地上への帰還を決意する。
「狼の一族」に守られて洞窟を抜け地上世界の真の太陽を目にする王子は、残された民を救うべく祈りを捧げる。
スパゲティモンスターなどではない、もっとちゃんとした責任感の有る優れた神の降臨をひたすらに乞い願う。
そこに現れる怪しげな女。西の果て、海の尽きる場所に位置する島国に、絶対の光神が降臨したと告げる。
ファイブリオンの光をもかき消す眩き神の名はヒノモトマレコ。
この神にすがれば全てが終わる、と。
王子は女の率いる科学財団に助けられ船に乗り、島国に渡る。
もちろんナチスの残党は追手を放つ。遂にはロボまで地上に送り出した。
求めるは権力の源、延ばした金箔に描かれる偽神の絵図。
『黄金の写像』だ。
PHASE 502.
呆気に取られ口をぽかんと開けて見ていた鳩保芳子とシャクティ・ラジャーニ。
虚史劇というからどんな大風呂敷が登場するかと思えば、これまたとんでもない百畳敷だ。
ただ筋書きがめちゃくちゃであっても面白く無いわけではない。
なにせ出演人数が軽く百人を越える。ブロードウェイのミュージカルでもここまではと思われる大勢が、田舎劇場の狭い舞台にひしめき合う。
溢れた役者が客席にまで降りてきて構わず演技を続けるから、臨場感迫力満点。
それに結構上手いのだ。テレビドラマと舞台演劇の差はよく知らないが、たぶん相当出来る役者が揃っている。
小道具も本物そっくり。古代中南米文明のものに似せた陶器が一揃いに、恐竜やロボのマリオネットまで気合がカネが入っている。
どう考えても入場料収入で賄えるレベルではない。
「……有力スポンサーの紐付き公演ということか。」
鳩保はようやく観客の妙な気配に合点がいった。なんらかの団体がバックに有り、その筋で観客も動員される。或る種の広報活動でもあるのだろう。
問題は、今何故門代でそれをやらねばならないか、だ。
嘘八百と思えるお芝居の内容も、意図があっての大風呂敷であろう。案外とマイナスの自乗で実はホントの歴史ではないか。
シーンはクライマックス。
ナチ残党により送り出されたロボは西の果ての島に辿り着き、図像を描く技能を唯一備えた最後の王子を食い殺し、黄金の写像を手に入れた。
だがロボに写像が組み込まれた瞬間、王子の意識がロボに宿り何者の制御も受け付けない。ナチ残党皆殺し。
目指すは光神ヒノモトマレコ、磐座の山を目指して一歩ずつ迫る。
光神を守る異形の衛士を払いのけ遂に足下に辿り着くが、触れたと同時にロボの身は灼き尽くされ、卵を電子レンジに掛けたかに天空高くで弾け散った。
消防法は大丈夫なのか、劇場内での花火の爆発。観客席に火の粉が舞い踊るのを、鳩保もシャクティも必死になって追い払う。
腑抜けて顎を上下させるだけだった観客もようやく自我を取り戻し、同じく身を守るのに懸命となる。
もちろん大事無く火の粉はやがて光を失い、客席に静寂が戻ってくる。
舞台上には既に役者の姿はない。打ち捨てられた小道具や恐竜のマリオネットが無造作に転がる。
これで終わり?
「ホホホホホホ、オーホホホホホホホホホ!」
二階席中央にスポットライト。座席の前の手すりに腰掛ける女性が高く笑う。長い脚が宙に不安定に組まれ、今にも落ちる危うさ大胆さだ。
七〇年代エマニュエル夫人風エレガントな貴婦人の装い。眼の前には黒いレースが下りて表情がよく見えない。煌めく艶の紅い唇のみが不埒に蠢く。
「このようにしてファイブリオンの図法は断絶しロボットも喪われました。されど黄金の写像は、ホラ、この通り」
左の手で30センチ大の金の薄板を示す。両手を離して腰掛けているから、ますます転げ落ちそうだ。
鳩保の席は一階客席中央、見上げれば二階席の女が真上から直撃する位置関係だ。ほんとうは4メートルほど後方なのだが、体感はそんなところ。
「我が名はミセス・ワタツミ、間近に迫る滅びの日から門代に集いし皆様を救いに参りました。
アメリカの科学財団ハイディアン・センチュリー総裁ウェイン・ヒープの代理人として、日本全権を許されております」
女は若くない、少なくとも小娘と呼ばれる軽さは無い。若さより色気にステータスを振るのは欧米的価値観であろう。
台詞の発音からすれば紛れも無く日本人だが、仕草に洋物が混じっている。長年月外国で暮らしていたのではないか。
そして役者ではない。彼女の言葉には事実を包み隠さず語る深い信頼感を無根拠に覚える。
観客は一斉に立ち上がり、彼女を中心に放射状に注目する。座っているのは鳩保とシャクティだけだ。
その筋では有名な教祖的カリスマなのかもしれない。ぜんぜん知らないけど。
癪だから鳩保そのまま座っている。図太さ傍若無人さは自分の身上だ。冷ややかに一瞥されても知らん振り。
「ホホホホホホ」
再びの高笑い。自らに敬意を示さぬ小童など意にも介さぬ。
改めて黄金の図像を示す。
劇中でもたびたび掲げられた、丸にちょっと恐い無表情な顔とタコの触手みたいな手足がなびき、太陽ぽさを持っている。
色は赤の線のみで彩色はされない。黄金と血の赤のコントラストが目に突き刺さる。
「これこそは契約の証。如何なる災厄に地上が塗れようとも深淵世界において人類が生き残るパスポート。
自らを選びし者のみが冒険者ウェイン・ヒープと共に永遠を与えられる。ゆめ疑うことナカレ」
満場の拍手の中。とん、と女は空中に身を投げた。
あ、っと皆口を開くが、二階席の高さから緩やかに降りてくる。見えない翼を持つかに、危なげなく席の間の通路に着地する。
いかなるトリックであろうか。少なくともワイヤーワークではない。
女は左の脇に黄金図を掲げたまま前進し、舞台に向かう。木の階段を上り、ひとりスポットライトの中に立つ。
舞台に転がっていた事務机、「旧ナチ残党の司令官」が使っていたものだ、を引き起こし椅子を寄せてまっすぐ客席を向いて座る。
自信満々に宣言した。
「さあ、ホーリーケイヴ・ヴォールトへの移住申請を開始します! 約束の滅びの日は間近です」
我先にと舞台に突進する観客達。
鳩保とシャクティは人の波に逆らって客席を出る。外のロビーに退避した。
「なにこれ、シャクちゃん?」
「しらないわからない、こんなの想像していなかった。宗教団体の儀式なのかな。」
「終末教徒ってやつか。」
もちろん彼等が何を求めているかは完全に理解した。
劇中で語られた地下王国へ乗り込み移住する。支配の要となるロボの制御権も黄金の図像を手にして掌握済みだ。
ナチの残党の次はアメリカの財団かよ。中二病もここまで来るとふるっているな。
そもそもが中二病は70年代ニューサイエンスの流れを汲むのだから当然か。
「そうだ! 花憐は?」
「あれです。」
シャクティが指し示すのは、タクシーに乗ってさっさと逃げていく城ヶ崎花憐の横顔。さすがに逃げ足は天下一品だ。
鳩保芳子は絶望に包まれる。
文化会館を腑抜けた顔で出て行くと、とたんにシャクティの携帯電話が振動した。創作インド料理店にお客が大挙襲来てんてこ舞い、今すぐ帰って来いとのお母さんの懇願だ。
走ってアーケード商店街に戻る褐色のクラスメイトを見送り、駐輪場に向かった鳩保はあり得べからざるモノを見る。
「盗……、まれた……。」
空白が見えると言えば普通の人は首をひねるだろうが、ほんとうに空間が強烈な存在感を持って目の前に立ちはだかる。
絶対の重みと硬さをを備えた、現実としての”無”を認知せずには居られなかった。
もちろん高級自転車であるから十分以上に注意して三重に鍵を掛けていた。後輪ロック、ハンドルロック、チェーンで鉄の柱に繋ぐ。
現場で分解解体されたらさすがにお手上げだが公共の駐輪場では無いと思って、可能な限りを施した。
虚しく霞のように消え去っている。
「何時?」
演劇は2時間ちょうどの長さがあった。盗むには十分過ぎる時間だが、盗人がリアルタイムで獲物を監視しているはずもない。
何時の時点で眼を付けられ、犯行に及んだのか。観客の入場時は警備員も居て無理だったはず。
開演30分よりは後だろう。もし今さっき盗まれたのであればまだ近くに居るかもしれない。
手続きとしては文化会館の事務室に行って不審者を尋ねるなり監視カメラの有無を聞くべきだろうが、時を失っては意味が無い。
そんな事は後でも出来る。まずは自分の眼で見て確かめるべきだ。
駐輪場から会館前はコンクリートの路面、周囲はアスファルトで轍が残ったりはしない。手がかりは無い。
ならば山勘でどちらに逃げたかを決めよう。前後左右東西南北、犯罪者はどこを目指すか。犯行現場から速やかに離れたいはず。
ダメだ、街中ではどちらの方向にも通行の便は良く、狙いが絞れない。そもそもが高級自転車に狙いを定めるならば金銭目的、車両に積まれて隠されて移動するかもしれない。
目撃者は、居ない。続々と出て来る観客によって誰か見ていたか問う事すら出来なくなった。
「公園の中は?」
ありえないが一応走って確認する。長時間公園で過ごしていた人の中に目撃者が居る可能性も、
徒労に終わる。子供が野球の練習をしていたが自転車は見ていないと言う。将棋を指していた老人はそもそも周囲に目をやらない。
出口付近で花を売っていたおじさんも、なんだか分からない雑貨を路上に並べて居た猫おばさんも知らなかった。
こちら方面ではないようだ。
では前の車道沿いの東西方向か。
東に行けば物辺村方向でだんだん人家もまばらになる。そんな遠くには行かないだろうが、もし居るのなら目撃情報を得易いはずだ。
なにせ鳩保が毎日乗って「美しき自転車乗り」として評判になった。見覚えている人も居るだろう。
後回しで良い。
西に行けば……、これは諦めざるを得ない。どこまででも逃げる事が出来る。警察でなければ捜索出来ない。
ただアーケード商店街の方を通っていてくれれば。
いや、人通りの多い昼間の商店街にわざわざ盗品を見せびらかしに行くとは思えない。
思えないが、ダメで元々。他に行くアテを知らなかった。
強い日差しの下を必死になって歩く。公園の中はまだ良かった、木陰で日が遮られ風も吹き居心地がよく聞き込みも楽だった。
広いアスファルトの路面がぎりぎりと照り返す中マイナーな気分で歩くと、なんだか身体の調子まで悪くなる。
光る街が灰色に見えた。
薄く青のかった彩度の低い非人間的なCOLOR、まるで街全体が生き物で愚かな人間が罠に嵌るのを待ち構えているのではないか。
ひょっとしたら自分は熱中症になり始めている?
気付いて手近な自販機に飛びつき、飲料水のペットボトルを買う。飲まずに頭からぶっかけて冷却する。
少し、正気が戻った。頭に血が上っていたようだ。
残りを口に流し込みながら再度考える。
これは素直に警察に行くべきではないか、そうするべきだ。探すにしても人数が無ければ無理だろう。
しかし野生の勘で行く手も有る。犬が棒に当たる可能性がゼロと決まったわけでもない。
「くそー、犬が居ればな。臭いで追跡という手が使えたかも。」
あるいは天から鳥の目で見ていたら、今頃どこを自転車が走っているか分かるのに。
PHASE 504.
賢明な読者の皆様ならお分かりであろうが、鳩保芳子は自分を見失っている。
まず彼女が為すべきは編集部への連絡だ。取材活動で事故が起きれば、真っ先に編集長の指示を仰ぐべきである。
遅まきながらも鳩保は気が付いた。電話、電話はどこだ。
こんな時に限って公衆電話が見当たらない。電話ボックスを求めて商店街に足を伸ばす。
ボックスこそ無いが、とある建物の玄関先にピンク色の有料電話を発見。頼み込んで使わせてもらう。
”お掛けになった電話番号は現在使われておりません”
それは分かっているのだ。この電話じゃない、ちゃんと繋がる電話が商店街には有るはず。
再び発見、タバコ屋のカウンターの右隣に置いてある。
”午後二時二十八分三十秒をお知らせします……”
”明日の天気”
”ピーッと鳴った後にメッセージをお入れください”
”現在お電話が大変混み合っております。しばらくお待ちになった上で”
ちがう、全部違う。なぜ通じない。
こうなったら最後の手段。シャクティの店に行って電話を使わせてもらうまでだ。
アーケード商店街の出口付近にある創作インド料理店。だが今日はいつもと異なり客が大勢居る。
白いターバンを巻いたインド人団体客があまりにも多過ぎて店に入りきらず、更に20人が外で順番を待っている。
これでは鳩保が電話に割り込むのも許されまい。
諦めて再び元来た道を戻る。どうしたものか、アーケード往復3回目だ。何時になったら抜けられるのか。
「はとやすさん。鳩保芳子さん。」
フルネームを呼ばれて振り返る。大人の女性の声、知ってる人だ。
「先生ですか。こんなところで何をしてるんです。」
「それはわたしの台詞です。鳩保さん、なんであなたは行ったり来たりしているの。」
門代高校の教師、数学の竹元すぐり先生だ。しかしなんて格好なんだ。
ハワイの衣装のような派手な原色を散らした布を身体に巻いて、肩などを露出している。ゆるい。
さらに道端に置かれた巨大なビーチパラソルの下のテーブルでのんびりと寛いでいる。
「私はただ連絡を取ろうと、公衆電話を探して、」
「携帯電話を使えばいいんじゃないの?」
「ケイタイ、ですか。」
言われて初めて思い出した。そうだ公衆電話は携帯電話の普及で急速に数を減らしていたのだった。
第一自分も持ってるじゃないか。
白いテーブルの上に自分の持ち物を並べてみる。財布、鍵、ハンカチ、ティッシュペーパー、演劇のチケットの半券、携帯電話……。
すぐりは翡翠色の紙箱からメンソールのタバコを1本抜き、ピンクの唇に咥えて火を点ける。黄色いネコ頭が付いたペッツ型ライターだ。
このヒト、タバコを吸うんだ。と鳩保は意外に感じる。神経質だからキライかと思っていた。
「つまり数学の問題ね。7つの携帯電話を3回試行して本物を見つけ出す。」
「あの、1つずつ開けて登録してある電話番号を調べるってのはダメですか。」
「もっといい手が有るわよ。どれでもいいから使って、自分のケイタイ番号を打ち込んで呼び出すの。」
「……覚えていません。」
「自分の電話なのに? 記憶力抜群の鳩保さんが?」
呆れてすぐりは吸いかけのタバコをプレス鉄板の灰皿に突っ込んだ。
数十本刺さった吸い殻が真っ黒に盛り上がる。ぐじゅぐじゅと水を吸って膨張し、不快なニコチン臭を発散させた。
大人って嫌だなー、と先生の顔を見ると、無い。表情が。
なんらかの感情を表しているはずなのだが、読み取れない。幾つもの感情をモザイク的に組み上げて顔面で表現した、その代わりに魂を抜いた、極めて人工的な顔だ。
馬鹿にされてるようで、とても腹が立つ。
灰皿に蝿が集り始めた。真っ黒な大きな奴がぶんぶんと周回して、だんだんと数が増えていく。うわんわんと羽音が耳を貫いた。
さすがにすぐりも不快を露わにする。
「厭ね。」
「なんとかしてくださいよ。先生のせいなんだから。」
「それで、どこに連絡するの。友達? 家族? それとも自分の家?」
「編集部です。とにかく編集長に連絡しないと。」
「いいこと鳩保さん、安直な解決はそりゃ楽でしょうけど、重要なのは過程よ。どうやって解を導き出したか、そちらの方が数学的に重要なの。」
「だから解決を、」
「もうあなたは知っているはずなのよ。知っていながら自分を誤魔化している。結果を見たくないからよ。
解決策が安易なはずがない。不愉快で厭なものだけど、でも勇気を持って正面からぶつかれば!」
「だから何をしろと言いたいんです。」
「電話を掛けろって言ってるのよ!」
頭にキタ。真緑カエル色の携帯電話を掴んで開き無茶苦茶に番号を押してやる。
どこでもいい、誰でもいい。早く出ろ。
”わたしは、ミセス・ワタツミ。あなたが電話してくるのをずっと待っていたわ。さあ、悩みをおっしゃいなさい”
うわ、っと電話を投げ出す。
商店街のタイル舗装の道に落ちた携帯電話は二つ折りのヒンジが割れ、外装があっけなく外れ基板や電池が飛び出し散乱し、どうしようもなく分解してしまった。
気が付くと竹元すぐりは居ない。テーブルもパラソルも無い。
くしゃ、っと電話の部品を踏んだ。回復不能、外界との通信手段は完全に絶たれてしまう。
鳩保芳子はアーケードの屋根から漏れる白々しい光の中、自らの方位を見失う。
PHASE 505.
ちりりん、と軽やかに鈴が鳴り、扉が開く。
いらっしゃいませーと若い女の声が鳩保を迎え入れる。
新しく門代にメイド喫茶が出来たと知った鳩保芳子は、おそるおそる新装開店の店舗に足を踏み入れた。
2名のメイドさんが優しく微笑んで応対する。ただし、客をご主人様お嬢様などと呼んだりはしない。
メイド衣装は極めてオーソドックス。紺の服に白いエプロン、ヘッドドレスではなく丸い帽子を被っている。まるで大昔の看護婦さんだ。
勧められるままに入り口から2番目の窓際の席に座る。ガラスにステンドグラスの模様のシールが貼ってあり、外はよく見えない。
鳩保の相手をしてくれるのは短い黒髪の、胸のスリムなメイドだ。
美人だが地味で利発そう。きびきびと動き、世間一般のメイド喫茶の従業員とは雰囲気がかなり異なる。
もう一人は対照的に髪が長く胸が大きく動きも淑やかで、オタクの人が来店した場合はこちらの方が人気出そうだ。
「ここって、普通のメイド喫茶とはちょっと違いますよね?」
「ええ、マスターの趣味が入ってますから。」
テーブルやカウンターはごく普通の、有り体に言えば安っぽい喫茶店でしかない。メイド喫茶の典型に従っている。
違うのは壁面だ。壁一面に飾りとして鉄砲が何丁も掛かっている。
ヨーロッパの古いタイプの長銃でたぶん軍用。銃剣を付けて突撃する奴だ。
メイドは鳩保の目線が何を見ているか確かめて、説明する。
「あれはすべてレプリカです。ナポレオン戦争の頃に使われていたマスケットですね。各国有りますよ。」
「火縄銃も掛かってますね?」
「日本の堺で作られた形です。他はフリントロック、後に改造した打管式もあります。」
「ここって何のお店です?」
「戦列歩兵喫茶『Brown Bess』です!」
えっへんと胸を張るメイドに、鳩保あちゃーと目を覆う。なんて趣味的な、ほとんど一般客の利用を考慮してないじゃないか。
案の定店は空っぽで、カウンターの中の中年白人男性だけが動いている。
「あれがマスターですか。」
「ええ。元はオーストリアの騎兵大尉と聞いています。」
「はぷすぶるくてーこくかよ……。」
身体は大きく筋肉質であるが物静かなイメージで、枯草色の髪がわずかに寂しくなっている。
あんまりかっこいい男性ではないところに、逆にホントの軍人らしさが見えた。
彼が淹れた紅茶を胸の豊かなメイドが持って来る。鳩保しか相手が居ないから、二人がかりで接客だ。
この人は少し眠そうな舌足らずの声で喋る。背が割と高いから包容力の有るお姉さん設定だ。
「お客さんはあまり軍事に興味が有るタイプではありませんね。普通の喫茶店の方がよかったですかー。」
「いえ、正直どこでもいいから落ち着きたくて。大事なものを無くしたみたいで探していたはずなんですけど、まったく手掛かりが」
「まあそれは大変。でも今日はあまり外を出歩かない方がいいですよー。マスターが、」
振り向くと、カウンターの中から見ている。どうやら鳩保が曰く付きの客だと最初から承知しているらしい。
平たいメイドがマスターの意を翻訳する。
「朝から店の周りにオオカミがうろついていて、霧にまぎれて子羊を狙っているんです。
もちろん比喩的な表現ですが。」
「比喩……。商店街に不審者がうろついている、という意味ですか?」
「複数、いえかなりの大人数の不穏な輩が邪な目的に従って活動している。そう理解してください。」
「組織的に動員されてるって事か。」
「先程もやまねこさんがオオカミさんに挑んだ物音が聞こえていたのですが、さすがに逃げたみたいですよー。」
「山猫はいいんですか?」
「しょぼくれたネコですが、結構強いんです。邪悪な気配に敏感でぴりぴりしてましたからね。
あもちろん、比喩的な表現です。」
「あらー写実的な表現ではないかしら、やまねこさんは。」
彼女達の言葉の意味を半分も理解できなかった。やはり場の空気自体がおかしい、歪んでいる。
ただ歪んだ中にあっても健全性を保つ存在に出会って、安堵出来た。
ついでブルーベリーパイが来たから美味しく頂く。豊乳メイドが自分で焼いたのだと自慢した。
人心地ついて鳩保は立ち上がる。ごちそうさまでした。
「お会計おねがいします。」
「今お帰りですか。お勧めできませんが、」
「でもずっとこのままお店に居るわけにもいきませんから。」
メイド二人はカウンターに行きマスターと話をする。グラスを磨きながら白人男性は考え、決意する。グラスを置いた。
メイドは壁に掛けられたマスケットを下ろして弾丸の装填を始める。槊杖で銃身の奥を突き始めた。
「それはレプリカのおもちゃじゃなかったんですか?」
「ええ、警察にはその名目で届けています。でも実は、」
「ねえ、こんなに軽い鉄砲がほんとに使えるなんて思わないわよねー。」
マスターも腰に巻いたエプロンを外して銃を手にする。3人共にパーカッションを選択した。発火の確実性から言って当然か。
ちりんと鈴を鳴らして扉を開き、まず賢そうな方のメイドが外に出て警戒する。
いつしか店の外には深い霧が立ち込め、5メートル先も見えない。隣に店が有るのかさえ分からなかった。
反対方向に銃口を向けながらマスターが出て、その後に鳩保が、最後に豊乳が続く。
「居ますね。」
先行した平たいメイドの意見を聞くまでも無く、白い霧の奥深くに唸る複数の声が低く伝わってくる。
オオカミと比喩的に表現したが、案外本物の灰色狼かもしれない。
「撃ちます!」「許可する」
マスターの承認を得て、メイドは水平に構えた銃を何が居るか分からない所に指向させ、トリガーを引く。
発砲音と呼ぶよりは爆発音を発して銃口から大量の煙が吹き出した。黒色火薬を使用するマスケットは連射しようにも自らが放った硝煙により視界を失ってしまう。
手応えは無し。悲鳴や倒れる音はしない。
だが十分敵を警戒させたらしい。
メイドは続いて許可を求める。
「第二射!」「よろしい」
再装填の作業を経ずして、そのまま構えた銃が轟音を発する。今度は煙が出ない。
更に第三射、完全に自動式連発銃だ。
豊乳メイドが柔らかな声で機構を説明してくれる。
「さすがに単発式の前装銃は実用に難が有り過ぎますので、でも機構をほとんど変更しないままに連射可能にしてみましたー。」
「どうやって?」
「METALSTORMという会社の技術をパクりましてー、銃身内に直列に5発、弾をまとめて入れているのです。
それぞれの間には発射薬も詰められていて、電気信管による発火で1発ずつ、また連続してー、さらには5発同時列車みたいに並んで飛び出して貫通力向上も可能にしています。」
「そんな事ができるのか……。」
「ええ、作った人が変態的なシステム大好きでしてー。それにライフリングが無いのに弾が自分で回転する機構を取り入れて、滑腔銃にも関わらずライフル並の命中率を獲得しているんです。」
「どうやって回るんだよ。」
「電磁的にです。変でしょお?」
豊乳メイドはにっこりと笑って、逆側の霧に向かって発砲する。
どうやらオオカミ達は襲撃を諦めたようだ。趾爪の音がだんだんと遠く、消えていく。
メイド2名とマスターに左右を守られて、鳩保は店の前に付属している電話ボックスに入る。東屋に似た五角形のレトロな設備だ。
中の公衆電話はデジタル回線用と書かれておりモデムを使ったコンピュータとの接続も可能で、戦列歩兵に比べると妙にミライテキだ。
だがどこに電話するべきか。
マスターが教えてくれる。
「コウカンダイを呼び出して、行きたい場所を申請する。それでOK。」
「交換台って、これは自動でつながらないの?」
「でも番号分からなくても大丈夫、ベンリデスネ。」
なるほど。受話器を取って耳に当て昭和初期の電話みたいに「HELLO CENTRAL?」と呼びかけると、即座に応答する。
”鳩保様、どちらにお繋ぎしますか”
「家に。」
”かしこまりました”
瞬きすると、物辺村前バス停留所だ。
頭上を見るといつの間にかとっぷりと日が落ちて暗く、思ったよりも遥かに長く家を空けていたと知る。
これはおかあさんに叱られてしまうな、と覚悟して、
鳩保芳子は村に続く橋の上、ざぶと波の砕ける心地よい音を聞きながら我が家に向かう。
八月十五日 終戦の日。もはやうんざりするほど連続する晴天。
児玉喜味子は墓参りで、城ヶ崎花憐も昨日から家に帰っていない。
かなり寂しいラジオ体操だ。
鳩保芳子は家に戻り、家族皆で朝食を摂る。祖父父母芳子の4人が揃うのが当たり前の日常と、今や定着したのが嬉しい。
食べながら母が提案する。
「よっちゃん、今日はお父さんも何も予定無いからどこか遊びに行こうか。」
「遊びに、って。」
日本全国お盆である。そんないきなり言い出しても今更予約も取れないが、近場の行楽地ならなんとかなる。
母はずいぶんと長く入退院を繰り返しては自宅で療養をする、バカンスなんてとんでもない日々を過ごしてきたから埋め合わせをしたいのだろう。
気持ちは分かる。芳子も来年は大学受験、その先は物辺村に居るかすら分からない。
こんな機会はもう巡ってこないかもしれないが、
「いい。今日は一日家に居る。」
「家に? どこにも行かないの?」
「うん。家族みんなで家に居る。」
「そう、ざんねん。」
しかし家族揃って家に居る、どこにも行かないのも珍しく、それはそれで悪くない。
久しぶりにゆっくりしよう、とまとまった。
考えてみれば今年は五月からこっち忙し過ぎた。一日たりとも心休まる時は無かった。
何もしない、それでいいじゃないか。
その日、鳩保芳子はなにもしなかった。
ほんとうになにもしなかった。
一日何もせずごろごろと、夜更かしもせずさっさと寝て、朝起きると八月十六日である。
まだ明けやらぬ物辺村は静かな興奮に包まれていく。
島の前の駐車場に大型バンやトラックが次から次へと押し寄せ、青い目黒い肌異国の言葉が飛び交う喧騒が巻き起こる。
なんのことじゃと警戒して城ヶ崎家に詰める大點座のトノイさん達が様子を見に行き、帰ってきてラジオ体操中の城ヶ崎花憐に報告する。
「お嬢様、ハリウッドデビューです!」
「ひょへ?」
「よお。」
特に眩しくもないのにサングラスで表情を見せないのは軍師山本翻助だ。トノイさんの後ろに従って一人だけ島に渡ってきた。
ゲキの少女4人に囲まれ、カッコつけてグラサンを外す。
「よお、ご注文通りにバイト代連れてきたぞ。」
「あれ全部、撮影隊?」
「おう。知ってるだろ、スティーヴ・カメロン。」
「ぐぎょえ!!!」
花憐も鳩保もみのりも同時に怪音を発して驚いた。
スティーヴ・カメロンといえば70年代のデビュー以来常に世界の映画界のトップを走り数々の伝説的作品を世に送り出してきたハリウッドの超有名監督だ。
代表作を例に上げるにも目移りするほどの有名タイトルばかりで、特にUFOやら宇宙人やらメカSFを得意とする。
どこの筋を通せばこんな大物を一本釣り出来るのか、というかなんでこのヒトここに居るの?
「やあヨシコー!」
と明るく声を掛けるのは、これまた夏のラフスタイルでごきげんに歩いてくるアル・カネイだ。拒絶されるなどまったく考慮せず、無心に右手を振って馬鹿みたいだ。
さすがに全員気が付いた。なにせハリウッドだからこの男が、この男の上院議員のとうちゃんの仕業か。
「ヨシコ、考え得る最強の映画監督を押さえられたよ。世界中の誰が考えてもこれ以上ない最高の才能だ!」
「あー、そーね。そりゃすごいね、ははは。」
あまりのアホらしさに開いた口が塞がらない鳩保に代わって、花憐がアルに質問する。彼女の記憶に拠ればたしかスティーヴ・カメロン監督は今、
「YES、3DSF大作映画の撮影中で本来ならば日本に来る余裕など無いスケジュールです。」
「じゃあどうして、」
「彼もまたNWOに加入するアンシエントの一員です。フリーメイソンではありませんが、芸術家関係が多く属する集団が有るのです。」
「あーそうなの。それならやっぱり撮影に来るわね。何を置いても、スケジュールを中断しても。」
「キミコは、今日はキミコは居ないのですか。」
アルがきょろきょろとラジオ体操に集まった村人の顔を見渡して、児玉喜味子を探す。基本的に接点の無い二人であるが、何故。
「カメロン監督がモノベ村ゲキの少女の基本データを示された時に極めて強く興味を惹かれたのが、”IWANAGA”コダマ・キミコさんなのです。
彼が多大な違約金を払ってまでも日本に来たのは、キミコを撮る為と言っても過言ではない。」
「…………、は?」
とんでもないブス好みなのか? そりゃあ宇宙人とかエイリアンばかり撮っていれば審美眼もおかしくなるだろうが。
幾ら探しても喜味子の姿が見えず困惑するアルに、鳩保が告げる。
「喜味ちゃんは墓参りで田舎に里帰りしてるよ。」
「居ない? ABSENT? OH!スティーヴそれはショックです。キミコキミコと飛行機の中でもつぶやいていたのに。」
「そこまでご執心かよ。」
「帰宅は何時なんだ。」
「今日夜かな。」
「ならいいや。」
山本翻助は直接にはカメロン監督と交渉していない。だからそこまで喜味子の不在を深刻に考えなかった。
なにせ彼にはここ1週間、画龍学園オーラシフターの連中の命乞いをする極めて重大な任務が有った。
鳩保袖を引っ張って尋ねてみる。降伏の条件交渉どうなった?
OK、と小さくVサインを示す。そちらは本業だ任せておけ。
「それで鳩保くん、君達の方の準備は……寝耳に水って感じだな。今日から撮影って知らなかったのか。」
「知るもなにもカメロン監督が来るなんて想像もしないよ。無茶でしょそれ。」
「話は通ってるはずだぞ。日本の「彼野」と政府機関の許可が無ければそもそも近づく事すら出来ないんだ。」
「ちょっと待って。そりゃ確かにNWOの方はいいかも知れないけど、物辺村は。あー、えーとー、花憐ちゃん?」
「うちのお父さんはもちろん了承しているけど、でも物辺神社の人達は特に祝子さん何にも知らない、のじゃないかしら、……ね?」
「あ? あ、ははは?」
鳩保花憐は引き攣った笑いでシンクロする。
物辺島観光案内ビデオを撮るのなら誰よりも真っ先に神社正統継承者祝子に話を通すべきであった。
出し抜けに提案して無事で済むものか。
とりあえず翻助とアルを正面に押し出して弾除けになってもらおう。
童みのりは硬直している。
世界的有名映画監督が自分達を撮りに来日した事実に耐えられず、思考停止している。
PHASE 508.
結論から言うと、物辺祝子は物辺神社での撮影と出演を快諾してくれた。
無論相応のギャラが支払われるからであるが、既にゲキの存在とNWOによる管理の実態を知っているから撮影の意義を認めてくれたのだ。
流石世界的超有名映画監督のネームは強かった。
案外とミーハーなところの有る祝子が、折角来てくれた彼の期待を裏切るはずが無い。
障害はむしろ物辺饗子の方だ。
東京でセレブの名を馳せた彼女が撮影に尻込みするものではないが、阿呆の娘達がこれでまた妙な考えを抱かないかと危惧したのだ。
まあ普通、天使か妖精かと見まごう美少女双子小学生を映画監督の前に出せば、出演させようと考えるだろう。
阿呆の子達もその気になって日本を離れるとか言い出して、収拾の付かない事態にも成りかねない。
「物辺神社の巫女は表立って目立つ職業に就いてはならない」 伝来の掟を二人がどれだけ理解しているか。
そんなに心配なら納屋にでも放り込んでおけ、等の安直な手段はあり得ない。
巫女見習いとして現在二人は教育をされている。強制収容所の洗脳ではなかろうかと噂される苛烈さで、だ。
神事で働くのは当然の責務。撮影であっても変わらず奉仕させる。
だから今この段階でアメをやるのは、ちとマズイ。ムチが骨身に沁みて貫通し切っていない。
「KIMIKO! KIMIKOはドコですか。KIMIKO、Princess”IWANAGA”はドコに、Islandの居ますか。早くHurryUp!」
杞憂であった。スティーヴ・カメロンの興味は唯一点、児玉喜味子にのみ集中し、他に振り向く事が無い。
ほとんど錯乱とも呼べる狂態を繰り返し、「KIMIKO」を幾十回叫んだ後に不在を知らされ、頭を抱えその場にしゃがんで泣き始める始末。
生き別れの恋人の消息を掴んで全速力で駆け付けたらちょうど入れ違いで会えなかった、映画で言うならばそういうシーン。
世界的超有名監督であるから敬意を持って物辺村代表として出迎えたゲキの少女達も目を丸くして立ち尽くす。
何が彼をしてそこまで喜味子に執着させる。
アル・カネイは一応彼を招請した責任者であるから傍らに立ち紹介しようとするが、全身の精力を使い果たして崩れ落ちた初老の白人男性を引っ張り起こすのに苦労する。
誰か助けてと目を左右に走らせるが、Statesから来たスタッフも、こうなったら監督はダメだと諦め顔。
「どうしてそこまで喜味ちゃんにこだわるんです?」
神経図太い鳩保があえて質問する。この場の誰もが抱く疑問だ。
改めて問われて監督は姿勢を立て直し、まっすぐに正面を向いて初めてまともに挨拶をした。ただし悪戯少年が叱られて仕方なく従っている風でまるで大人げない。
若い内から白髪が目立つ彼は、口ひげ顎ひげも真っ白で真夏のサンタクロースな容貌だ。
唇を尖らせて熱弁を開始する。以後難しい概念が多数登場するので素人翻訳は無理で、祝子が意訳して皆に伝える。
「ワタシがKIMIKO・KODAMAに拘るのは彼女が極めて特異な容貌を持っているからです。それは皆さんもご理解いただけるでしょうが、芸術家の目から見ればまったく異なる。
そもそもが現代社会は美に関して大きく間違っているのです。
今や世界全体が巨大なメディア産業に覆い尽くされて商業的にイメージが共有され、またメディアが適当と認めない映像は巧みに排除され、人々の美意識を操作している。
特に20世紀になってから大きく変貌したのが聖なるイメージ、神の姿です。もちろんキリスト教的な神、大いなる男性の老人像は陳腐とすら感じられるほどに知られていますが、元々は違う。
インドのヒンズー教の神々が異形であるのは皆さんも御存知でしょう。基本的に美しい図像ですが、それでも非常識な姿を備えており見る者に恐怖を誘うものすらある。
神とは本来こうなのです。美しさ? 万人に与える癒やしのイメージ? そんなものはまやかしだ。
まず神とは恐ろしいものでなければならない。人は脅え、驚愕し、放心し、無力感を覚え圧倒され、ただひたすらに屈服を魂の奥底から強制される。
キリスト教とて本来はそうなのです。ケルビムやセラフィムなどの天使は明らかに人間とは異なる、恐怖を具現した姿で記述されている。翼の生えた美しい巨人などではない。
そうGODZILLA! 幼き日に白黒のテレビ画面で見た怪獣王”GODZILLA”こそ、真にあるべき神の姿に近いものだと考えます。
ワタシはエレメンタリースクールの頃から真の神の姿、心の底から驚き怯える絶対神聖のイメージを追求してきました。いや子供であるからこそそれに近かったと言える。
長じて映像業界に携わる事となり数多くの表現者クリエイターと会い、彼等の優れた作品と親しみまた共に仕事をしてきましたが、やはり違う。
近年のコンピュータグラフィックスの表現力をもってしても、まだ遠い。逆にどんどん遠ざかるばかりだ。
原初の驚きを求めて世界中をロケして回り、遂には深海作業艇にまでカメラを持ち込み海底生物を撮影してみましたが、ワタシの求めるものとはやはり違う。
そもそもが神の力とは人智を超えたものであり、姿形も人間の想像力の遥か先を行くものです。
どれほどの才能を集めて驚くべきイメージを生成してみたとて、所詮は人為。
ワタシの生きている間に真の神の姿に辿り着く事はあり得ないのか、と半ば絶望の内に自動人形の如く映画製作を積み重ねてきました。虚しい人生です。
だが今、ワタシの前に改めて希望が示された。
最初に彼女の、KIMIKOの写真を見せられた時ワタシは直感しました。ここに居た。天使がまさに地上に居る。
人生の全てを費やした探求の終着点が地球の果てNIPPONに確かに在る。
矢も楯もたまらず今やる仕事も放り出し、ワタシ自身のすべてを投げうってでも行かねばならない。太平洋を渡る飛行機が音速にすら届かぬ事に怒りすら覚えて、ただ一刻一秒でも早くKIMIKOに会いたい。
その一心で来たのですが…………。」
泣くな、いい大人が。喜味ちゃんは今晩にでも帰ってくる。
PHASE 509.
さすがにプロである。喜味子の不在を納得したスティーヴ・カメロンは気を持ち直して仕事に取り掛かる。
膨大な機材の搬入が開始され、島に続く橋の上は大渋滞となった。
今回持ち込まれた機材は最新鋭新開発3D立体撮影用。カメロンが撮影中のSF超大作映画で使用されているそのままだ。撮影現場から引き抜き急遽転送された。
いきなり決まった話だが、NWOはゲキの少女のイメージビデオ作成に最大限の精力を傾けている。
科学分析にも使える情報量の高い映像が求められ、超高解像度で立体的に撮影できるカメロンの機材はまさに世界で唯一条件をクリアするものだった。
もちろん大量の機械が物辺島に持ち込まれるとテロの危険が生じる。島に渡る橋の入り口、島の入り口と2箇所でチェックされ、爆発物と毒物の反応が調べられた。
それでも概ねがカメロン旧知のスタッフであるから、支障なく準備は進行する。百人を超えるスタッフをまるごと来日させた費用はいかばかりとなるだろう。
少女の小遣い稼ぎから始まったこの事業、とんでもない予算規模へと跳ね上がる。
午前八時。世界的超有名映画監督来日を聞きつけて、市長が門代地区選出の市会議員を伴って表敬訪問をする。言わずと知れた花憐パパだ。
軍師の工作による市長更迭の陰謀は鳩保芳子の手によって阻止された。
具体的には中央政界に手を回して軍師が後ろ盾としていた勢力、今回もまた『日本の明日の未来を拓く研究会』だ、に痛撃を与え反応を停止させる。
門代周辺において軍師の手先となり活動していた者にも個別に脅迫を加え、離反させる。
ついでに軍師本人に対して、鳩保がちょろまかしたヤクザの裏金の一部を付け替えてこいつの仕業に見せかけ、直接的制裁を行うように仕向けた。
さすが軍師だけあって耳が早く、ヤクザが事務所を襲撃した時にはもぬけの殻。海外に高飛びして杳として行方が知れない。
一方花憐は市長本人との面会と説得に時間を掛けた。
有力なアンシエントの後ろ盾無しで当選した市長は、故にNWOの構想から外れて秘密を明かされる立場に無い。
彼の頭越しに決定される米軍や自衛隊の動きに疎外感を深めていた。
自らの指導を受けるはずの市警察部ですら時として沈黙し詳細な情報を上げてこない。
疑心暗鬼に駆られる中での、「中央政界の意向」を笠に着ての辞任要請だ。軍師が実際は何者の使いであるか確かめる術すら無く流されていくのであった。
花憐が腐心したのはゲキの真の姿を市長に知らせないままに、超常現象を巡って世界中が動いている状況を伝える点だ。
最終的には花憐自身が市長の目の前で、超能力のデモンストレーションをする。
こういう時予知能力者は強い。効果はテキメンで、さすがに市長も納得する。
状況を理解した彼はNWOとの協力を確約し、また正規のルートで情報を得る権利を授かった。本来ならば有力アンシエントの主要メンバーのみに与えられる資格だ。
身柄の保証と監視の為に、彼はとあるアンシエントに加入する。「物辺神社氏子社中」、総代は花憐パパ。
この措置により市長は次回の選挙においても各方面からの強い支援を期待できるところとなり、また県知事選や国会議員への出馬にも足掛かりを得られた。
ステップアップする際には後継者として花憐パパを指名する事となろう。
良好な二人の関係を見て、花憐は前に立つ鳩保の背中にそっと顔を近付け囁いた。
「ありがと。」
鳩保花憐みのりはバイト巫女出動である。
あくまでも目的はゲキの少女5人のポートレイトであるが、名目は門代地区及び物辺島観光案内だ。また5人をただ撮影しても面白くはない。
逆に物辺島は小さくて貧乏臭い所だが、被写体としては相当に興味深い。なにせ不吉な鬼の島だ。
そもそもが渡るにも細くて長い橋を通らねばならない。この桟橋だけでもホラーオカルト効果満点、ゾンビ映画が撮れてしまう。
そして島には旧い神社。ただの白木で古びた社殿なら他所にもあるが、物辺神社は墨を塗る。焼板に大きな鋲を打って真っ黒に装甲する。
鬼の社だから。
鬼を封じ込める為の設備の跡が今も残る。かなり武張った様式美で、特に狛犬ならぬ狛武士の醜怪な石像は異様な雰囲気を醸し出す。
そして政治犯収容所としての役割。神社裏の森の下の崖には水牢があり、木の格子に波が打ちつける。
スティーヴ・カメロンは舞台装置としての島の景観に強くイメージを喚起され大きく頷き、次から次へとコンテを切っていく。
そして女優。
物辺神社の巫女5名総出演プラス鳩保花憐みのりで、あまりの華やかさに目が眩む。
ちょっと日本的にNINJAとかSAMURAI出してみようと考えれば、物辺の男達が待っている。
モノホン現役NINJAといかにも老師然とした宮司の姿に、ハリウッドでマガイモノばかりを見てきたスタッフも目を見張る。
本物の日本刀を本物のSAMURAIが握ると、こうなるのか!
ちなみに衣装は物辺神社の蔵に有った物をそのまま使う。
七夕祭の時に来賓で訪れた「テレビの神様」に、近い内にまた物辺村にスポットライトが当たるから準備しろと助言されていた。
貧乏な神社ではあるが衣装だけは豪華に揃う。歴代物辺の巫女の美貌は天下に鳴り響き、近在のみならず日本全国から錦の衣の寄贈を受けて蔵の中満杯だ。
物辺饗子は20点ばかりを選び出し、城ヶ崎邸に詰める大點座の者に依頼して洗張を予め行っていた。
本来であれば物辺村の女衆の仕事であるがさすがに近年は和服の扱いに疎くなり、島外の専門業者に任せた方が迅速確実である。
ちょうどお盆前に帰ってきて、撮影に間に合った次第。
撮影班もクローゼットをまるごと持ち込んでいたが、神社のコレクションを見て負けを認める。天下の美女の気を惹こうと長者達が贅の限りを尽くした衣装に勝てるはずも無い。
まあ昔のものだから、夏場暑くてしかたがないのだが。
上品ながらもカーマインの派手なスーツに身を包む黒人女性が童みのりの元にやって来る。お供の大男黒人ガードマンがジュラルミンのスーツケースを差し出した。
「ワラベ・ミノリ様におかれましては、こちらの衣装をお試し願いたく存じます」
開けてびっくり、黄金金キラのアクセサリー。宝石は少ないがその分地の衣装が映える作りになっている。
聞けば今回のイメージビデオ撮影を聞きつけたアフリカ系アンシエントが、日本的でない映像も欲しがったらしい。
アルを伴って鳩保がカメロンに要請に行く。もちろんみのりは硬直したまま引き出された。
カメロンはみのりの固まった姿に首を傾げるが、黒人女性がドバイでの勇姿をノートパソコンの動画で説明すると納得して新たに構想を練り始める。
門代の海、船上でのシーンをみのりを使って別撮りするらしい。
鳩保、女性に尋ねる。
「このアクセサリーは撮影後は?」
「はい。ワラベ・ミノリ様に引き続きご使用いただければ幸いです」
ほら、と鳩保がみのりを小突くと、うああーと表情を斜めに崩す。また宝物の在庫が増えちゃったじゃないかあ。
午前中は機材のセッテイングとカメラテストで潰れ、午後から本格的な撮影に突入する。
その前にお昼ごはん。物辺家の台所は使えないから、鳩保の家にバイト巫女とるぴみか巫女は逃げてきた。
もちろん喜んで全員分の昼食にオムライスを作る鳩保母は、しかし芳子を真面目な顔で詰問する。
「よっちゃんあなた、さっき警察から電話が有ったんだけど、あなた自転車盗まれちゃったんだって?」
PHASE 510.
「あ。 あ、うん。」
「やっぱり! どうりで昨日どこにも行きたがらなかったはずだわ。なんで言わないのよおかあさんに。」
「あー、」
これは気まずい。幼なじみの友達の前で母親から怒られてしまうなんて、恥ずかしいなんてものじゃない。
それよりどうして警察から連絡が。いやそもそも盗難届けを警察に出してないし、犯行現場の門代文化会館の事務室にも言ってない。
どこから漏れた。
「警察の人がね、不審な放置自転車を発見して自転車登録証から分かったって。誰かに取られて乗り逃げされたのね。だから今から取りに行ってきなさい。」
「へ、へえ。はい。」
「と言っても今から撮影もあるし。どうしましょう、おかあさんが行ってもいいけど、乗って帰るのは」
「私が取りに行きます。はい。」
バツの悪い芳子を、花憐もみのりもるぴみかもニヤニヤ笑いながら見守っている。
傍若無人の乳女のしおらしい態度はなかなか見られるものではない。
午後から始まる本格的な撮影は本場ハリウッドの雰囲気がひしと伝わってくる真剣勝負の場となった。
物辺祝子は撮影だからと日常を崩す人ではない。むしろこの機を利用して神官巫女の厳しさをるぴみかに叩き込もうと凄まじい殺気を発している。
姉の饗子も今回に限り同調して、二人が醸し出すオーラで神社はほんものの聖域へと姿を変える。
普段の物辺村を100とすれば、今日は鬼力10000%。無生物の石灯籠までが命を持って動き出すかに感じられた。
監督カメロンは息を呑み、スタッフもリテイクを出すまいと懸命に自らの仕事にしがみつく。
が、主役はゲキの少女達だ。
あらかじめNWOからどのような意図とイメージでそれぞれを撮ればよいか、監督に指定していた。
城ヶ崎花憐であれば優雅エレガントに知的なイメージを膨らませ、未来への先導者の姿を作り上げる。
童みのりは勇猛さ力強さを正面に押し出し、非西欧風エスニックな絵作りを望まれる。
鳩保芳子は、進歩だ。
現代、今この瞬間の全世界をリアルタイムに主導する力の感触。過去に拘らず自らの手で道を切り拓いていく健全な合理性。
まさにアメリカが好む人物像を押し付けようと企んでいた。機械モノとの絡みが他の娘より多い。
というわけでマウンテンバイクにも乗せられる。
最近巷で話題の「美しき自転車乗り」を活かして、噂の出元はおそらくNWO物辺島観測所だ、わざわざ用意もされていた。
自らの自転車を盗まれこれから引取りに行かねばならない彼女にとって、苦笑いの自然と浮かぶシーンである。
ひと通り撮影して、モニターで映像を確かめるカメロン監督。気迫漲る眼差しは、喜味子が居ない落胆を微塵も感じさせない。
ただ傍目で観察すると、なにかしっくりいかないようだ。
ジグソーパズルのピースがどうにも上手く嵌まらない。重要な、核心とも呼べるモノが手の中からスルリと抜け落ちている。
そんな表情が見て取れた。
カメロンは主要スタッフを数名集め苦り切った顔で協議をしている。
もう夕暮れ、日が落ちる。
安全上の理由から夜間の撮影は禁止された。只でさえ人や機械が多くてテロリストの侵入が懸念されるのに、夜もとなれば警戒も難しい。
その代わり、明日十七日日曜日の夜間撮影に警備の全力を注ぐ。
明晩は年に一度の大花火大会が開催され、近隣から多数の人が押し寄せる。
舞台を観光地区に移し花火を背景にゲキの少女達を描けば、この上無く素敵な映像となるだろう。
喜味子も帰ってくるし。
社殿での撮影を済ませたるぴみかが可愛い巫女姿のまま再び鳩保の家に来る。
鳩保の家、つまり左古礼診療所はいつの間にかキャストの控室になってしまった。晩御飯もここで頂く事となろう。
既に花憐もみのりも集結してほっと息を吐き緊張を解きほぐす。
見渡すと5人が皆でたらめな格好だ。
鳩保は現代的スポーティなスパッツ姿であるのに対し、花憐はどこやらの新進気鋭現代芸術家がデザインした尖ったドレスを着せられる。
みのりはアフリカさんが持ってきた金キラ衣装を身にまといさっきまで漁船に乗せられていたし、るぴみかは巫女さんだ。
「おい双子、どうもお前たちの現場でトラブルが起きてるらしいな。」
「ぽぽーねえちゃん、そうなんだよ全然進まない」「どういうわけだか知らないけど、画面にゴーストが映るって騒いでる」
「ごーすと? ノイズでも出てるのか。」
「いやほらカメラ3Dじゃん」「レンズが2つ有って焦点合わせて撮るっしょ。でもその焦点が上手く定まらないすよ」
振り返り花憐とみのりに聞くと、二人の撮影現場ではそんな事故は起きていない。鳩保もだ。
双子の姉美彌華がガラスコップの氷水を舐めながら、ふと呟く。誰に聞かせるものでもなかったから、誰の耳にも止まらなかった。
「でもさ、ししょーを撮ろうとするとおかしくなるんだよね……」
「今日の撮影は終了だとスティーヴが宣言した。また明日、早朝からお願いするよ。」
打ち合わせをしていたアル・カネイが診療所に飛び込んで来る。日も落ちてやむを得ず、終了だ。
ちなみに夜間撮影用の投光器などもちゃんと用意されている。保安上の理由が無ければカメロンは徹底した絵作りに拘ったろう。
やれやれ、と花憐はアルが居るにも関わらずドレスを脱ぎ始めた。どうにもこの服、首がチクチクする。
「ぽぽー、今日はここに泊めてよ。わたしの家、カメロン監督の宿舎になっちゃったから。」
「うんいいよ。」
「ぽぽーねえちゃん、わいらも泊めて!」「家に戻ると鬼にまたこき使われるタスケテ」
「祝子さんはねえー、しょうがないな。分かったわかった。」
「やたー」
女の子3人を余計に泊めて窮屈なほど鳩保の家も狭くはない。それよりだ。
「アル、車使える? ちょっと街まで出してほしいんだ。」
「街に? なにか買い物かい。」
「いやそれがさ、自転車盗まれちゃってさ。警察に行って引き取って来なくちゃいけないんだ。いや行きだけでいいよ、うん乗って帰ればいいんだから。」
「自転車も積んで戻るよ。そのくらいさせて欲しい。」
「あーでもね、シャクティさんにも話をしておきたいし、時間掛かるよ。」
「待つのもお安い御用さ。」
というわけで二人は夏の夜のドライブに繰り出した。
日本車である。
もちろん若い米人男性にとってこれは外車なのだが、カッコつけるなら別な選択肢を用いたいところだ。
残念ながら日本でアメ車は難しい。
まさかドイツ車を転がして国威発揚するわけにもいかないから、次善の策で日本車だ。
次回には修正しておいてもらいたい。
助手席の鳩保は窓側に肘を突いてぼーっとフロントガラスの先を見つめる。夜の海岸道路はぶっ飛ばすのに最適だが、もちろん制限速度内。
アル・カネイという男はどうしても一線を踏み越えて来ない。
「アメリカに帰ってたの?」
「ああ、スティーヴ(カメロン監督)に僕自身も説得したよ。」
「そう。今回のミッションが成功となれば、やっぱり私が大統領に会いに行くってのも進行中なんだ。」
「君さえ良ければ九月終わりくらいに、ダメかな?」
「いいんじゃない。でも、ただ大統領に会って終わりじゃないよね。もっとぐじゃぐじゃとした有象無象が罠を仕組んだり襲撃したり、ドバイのみのりちゃんみたいにさ。」
「それは無い、絶対にさせない。合衆国の威信に賭けて全力で君の安全を守ってみせる。」
「いやいいんだけどさ、むしろこちらではトラブルを寄せてまとめて撃破ってのをしたいんだから。
でもねー、」
なんだろう、この煮え切らなさ。この男の消極さ。
本来的に彼はそうなのだろうか? どうも違う気がする。仮にもゲキの少女の一人と結婚して未来の世界を牛耳ろうとする人間だ。
もっと野心的であるべきだ。否、そうであるからこそこの場に居るはずなのだ。
何か自分に隠しているな。そう感じた。正体は分からないが。
「だってさ、ホラ。あんたなんか元気いいじゃん。今。」
「え、ヨシコ?」
「アメリカに帰ったからだろ、それ。なんだかなー。」
警察署は夜でも開いていた。ちゃんと受付してくれた。
身分確認に門代高校生徒手帳を見せて、何枚か書類を書いて判子押して、それで終了。
奪われた愛車と対面して、鳩保はひしと抱き締めた。いやまったく、無くして初めて分かる重みも有る。
サドルに跨がり、もちろん撮影に使ったスパッツのままであるからこの行為が正しい。
アルが待つ警察署の駐車場に乗り付ける。
「じゃあ私、一度シャクティさんのお店に寄るから、そちらに車回しておいて。」
「分かった。でも時間掛かるかい。」
「あー展開に依るな。ひょっとしたらややこしい話になるかも知れない。」
車のドアをぽんぽんと叩いて、鳩保は軽やかに自転車を滑らせる。有難いことに一緒にぶら下げておいたヘルメットもちゃんと残っていた。
アルの車が背後でヘッドライトを点滅させるのを確認して、アーケード商店街への道に乗る。
鳩保は一人に成りたかった。
実はひとつ嫌な可能性を思いついたのだ。
そもそもが前提条件を間違っていた。ゲキの少女5人は常に監視されている。一昨日もだ。
持ち物も監視対象であり、駐輪中の自転車だってしっかり見張られていたはず。そうでなければおかしいのだ。
なにせ鳩保芳子は天下御免のVIPである。その愛車がわずかの時間とはいえ無防備に路上に晒される。これはチャンスだ。
普通、盗聴器くらいは仕掛けるだろう。細工を考えない方が非常識でおかしい。
暗殺計画だってあり得る。例えば自転車のサドルの中に放射性物質のポロニウムを仕込み、尻を乗せる度に被曝させ命を縮めさせる。
世界の諜報謀略戦においてはスタンダードとも呼べる方法だ。
故にNWOは決して監視を緩めない。たとえ高級車でなくても、放置自転車を5千円で買ってきた喜味子自転車でもきっちりとガードをする。
にも関わらず盗まれた。
NWO自身による工作活動でなければ、NWOすらも出し抜く凄腕の仕業だ。事前に周到な準備を施してでないと出来ない芸当。
事前の準備の中には、「鳩保芳子が確実にその場所に自転車で来る」条件も有ったはず。
では何故鳩保はあの日あの場所に居たのだろう?
シャクティ・ラジャーニに演劇のチケットをもらったからだ。
偶然だろうか。
「シャクちゃんはねー、怪しすぎるんだよね。」
警察署から近いアーケード商店街西側入り口を目指す。こちら側の右手3軒目が創作インド料理店だ。
商売上の観点からすれば絶好の位置にあるのだが長らく閉店を続けていて、今年の冬にシャクティ一家が関西から移り住み店舗を借りてオープンした。
シャクティが門代の住人になったのはつい最近という事になる。
「ゲキの復活を見越しての事か……。」
銀行前十字路の横断歩道を渡って、次はアーケード入り口前の信号を待つ。
目の前の商店街は妙に光り輝いて見えた。
もちろんアーケード天井には照明灯が設置され昼間のように明るく照らすが、もっと暖かな華やいだ光に満たされる。
「白熱電球?」
裸電球を連ねて吊るし出店を飾る。まるで昭和のお祭りの光景が、鳩保の目の前に広がった。
PHASE 512.
歩行者用信号が歩く人のカタチを青く表示する。
自転車を押しながら眩い光に近づく鳩保芳子は、徐々に喧騒と音楽に包まれていった。
こんなに大勢の人が商店街に集まるのか。子どもと大人がそれぞれまちまちに、思い思いの姿で夏を楽しんでいる。
通りの中央には花が凍り漬けになった氷柱が置かれ、小さな子がもみじの手で表面を触り、溶けた水にきゃっきゃと喜んでいる。
左右の店は営業時間を過ぎているのに全て開き、ワゴンを出してサービスを行う。
どの店もちゃんと人が居て商いし、店舗募集の張り紙や閉め切ったシャッターなど見ることは無い。
金魚すくいに風船釣り、輪投げにスマートボールと原始的なお楽しみが並んで子供が群れ集う。
テーブルに生ビールのジョッキに焼き鳥焼きそば。大人は皆酔い談笑を楽しむ。
テキ屋が集まる商業的な祭りではなく、商店街の人の手作り自分達のお祭りだ。
鳩保は呆気に取られてゆっくりと進んでいく。
こんなに人の居る中を自転車を押して通るのは非常識だ。シャクティの店の前に置かせてもらい、自分も。
あ。
知り合いが居た。編集部の人達だ。
新人の編集長はまだ大学生みたいで公務員らしさが板に付いてない。商店街の人と調子よく話を合わせている。
門代高校OGの髪の長い女性は夏だというのにロングスカートで、手に大きなジョッキを持たされて右往左往している。
左遷されて閑職に回されたと愚痴る千葉原さんは小学生の娘さんが輪投げゲームに興じるのを目を細めて見ていた。
喜味ちゃんの本を分解してスキャンしようとするJ島さんはいつもどおりに仏頂面で、
経費超過で怒鳴りこんでくる隣の主任さんも居て、
そして、鳩保芳子の為にわざわざブラジルから門代に戻ってきた香背男さんが。
けばい姉ちゃんが左腕にぶら下がろうとするのを振り払って、自分に手を差し伸べる。
行かなくちゃ。自分が本来あるべき場所に行かなくちゃ、と自転車を押す手に力を込めると、
後ろから来た中年女性と浴衣姿の大きな娘さんが通り抜けるので、危うく止めて。
正面に顔を戻すと、黒髪褐色のクラスメイトが立っている。
「鳩保さん、ようこそ。」
「シャクちゃん、これは何?」
「土曜夜市、商店街のお祭りよ。」
「どよよいち?」
「ええ。まだ二十世紀の頃、アーケード商店街の前に立派な百貨店が営業していた頃には毎年夏に毎週行っていた商店街感謝祭よ。」
眩い電球の光の列に、人の顔が急速にぼやけていく。
まるで夢の中に迷い込んだように平衡感覚を失いふらつき、しっかりと自転車のハンドルを握り直した。
「でもシャクティさんはそんな昔から門代に居ないでしょ。なんで知ってるの。」
「知ってるわ。あなた達が生まれる前から、私はずっとここに居る。門代の栄枯盛衰をずっと見届けてきたの。」
「……あなた、本物のシャクティ・ラジャーニさん?」
「本物よ、でも唯一ではない。いずれ分かるわ。」
「待ってシャクティさん、行かないで。もっと聞きたいことが。」
「ああそれからね、土曜夜市は無くなったけれど似たような事は今でも小規模にやってるの。ほら、明日の夜は花火で人が沢山来るじゃない。」
「ヨシコ!」
気がつくと、正面からがっしりと両肩を掴まれている。大きな手。
連絡が付かなくなった鳩保を心配して、アル・カネイが様子を見に商店街に入って来たのだ。
彼の身体で視界が遮られるはずなのに、シャクティの姿は、商店街で楽しむ人の姿がはっきり見える。まるで彼が透明にでもなったかに。
「アル、アル?なのね。」
「ヨシコ大丈夫か。ぼーっとして道の真ん中に一人で立ち尽くして、」
「ひとり? 私、一人で立っていた? アル、今あなたの目にこの場所で何が見えている?」
「ヨシコと自転車、それと誰も居ない商店街だ。」
「誰も居ない? シャクティさんは?」
「居ないよ。誰も、何も。」
「言うなれば並行世界ですね。鳩保さんは心だけ、時代を遡った門代に転移しているのですよ。」
相変わらず厳然として実在するシャクティ・ラジャーニが説明する。
彼女の背後には人の海。祭りを楽しむ人達の、日常生活が疑問の余地なく永続すると信じる人の姿が在る。
私と彼女と、どちらが現実世界の人間なのだ。
「アル電話して。物辺村の誰かに、私が精神攻撃されてるって、助けを、」
「分かった!」
鳩保を抱きしめたまま、アルは携帯電話を取り出しゲキの少女に連絡する。誰を選択すべきか、普通は同じ五組のクラスメイトを呼び出すはず。
出たのは童みのりだ。
「ぽぽー、だいじょうぶ?」
「みのりちゃん? 私、やられた。ミスシャクティに精神攻撃掛けられてるみたい。」
「ミスシャクティに? でもあの人は敵じゃないはず」
「とにかく助けて、脱出できない。」
「落ち着いてぽぽー、わたしもドバイで夢の中を彷徨う精神攻撃を受けた。その時脱出方法教えてくれたじゃない」
「ドバイで、ああ。そうだった、どうやるんだっけ。」
「喜味ちゃんの顔を思い出すの!」
喜味子の顔、ってえーとどんなだったかな……。
「うわああああああああああああ」
「ヨシコォ!」
いきなり静寂が襲ってくる。誰も居ない商店街、どこも開いていない店。幾つもの店舗が営業を捨て終日シャッターを閉ざしている。
消灯時間が来たのでアーケード天井の照明が切れて暗く、常夜灯のみが照らし出す。
視界が戻り現実感を取り戻した鳩保は、あらためてアル・カネイの胸にしがみつく。
こわかった。
「シャクティさんは、居ない?」
「ああ誰も居ないよ。」
しかし見回せばそこは、シャクティ・ラジャーニの創作インド料理店の真ん前だ。
二階住居部分の灯りが漏れているから、家族と共に彼女も居るはず。日常の生活者として、人の子、娘として。
呼び出して詰問しても、今の事態をまったく理解しようとはしないのだ。
「帰ろうヨシコ、物辺村に。」
「ええ、送って行って、アル。」
八月十七日日曜日。喜味子見参。
本当は昨夜十時過ぎに物辺村に帰り着いたのだが、スティーヴ・カメロン監督は警備に拘束されて対面出来なかった。
大切なゲキの少女がお疲れなのだから当然の措置。
というわけで朝六時前から児玉家に乱入するも、既に喜味子は起きて軍鶏に餌をやっていた。
網を潜って鶏庭に入り込んだカメロンは理の当然として軍鶏の群れに迎撃され、つつき放題の刑に。喜味子に救出される事となる。
彼の目には異形の少女はまさに天使に見えたのであろう。感激のあまり卒倒して気絶してしまった。
頭良くない喜味子には、カメロンの語る聖なるカタチ理論は良く理解できなかった。遠回しにバカにされてるように感じる。
だがその程度で機嫌を損ねるほど喜味ちゃんは人間の底浅くない。撮りたいと願うのなら好きにすればいい。
耐えられるものならな。
八時から開始された撮影は、昨日撮れなかった喜味子を中心として行われる。
カメロンの構想では、妄想の破壊崩壊、NWOがゲキに期待する夢想的な人類社会の発展を根底より覆すリアルな神話的飛躍、がテーマだ。
喜味子には何を着せても無駄だろう、という至極現実的な判断で普通の女の子ぽい衣装が選ばれる。二〇〇八年現在のリアル少女ファッションだ。
破壊力抜群。
見る者は空間がネジ曲がり胃の腑が裏返る感触を覚えて、行動の自由を失う。スタッフも動揺して機械が間断無く震える。
この効果は嫁子と共に桜色のワンピースを着て遊びに行った時に経験済みだ。非撮影時にはふぐ提灯のお面を使用して障害を極力防ぐ。
ただ聖なるカタチ、と捉えるのは正解らしい。精神が失調して倒れる者は居ても、不快感嫌悪感を催す症例は見られない。
左古礼医師が数名を診察したところ、「気に当てられた」と表現するのが正しいそうだ。あまりにも印象が強過ぎてゲシュタルト崩壊を起こしただけで、嫌悪感やトラウマを刺激するのではない。
つまり見る者に喜味子を拒絶する内因があるのではなく、無差別問答無用で薙ぎ倒す。そのような現象が起きていた。
カメロンが評するに、「KIMIKOは神を衣に着ている」 まさに言い得て妙。
鳩保花憐みのりは遠くから撮影風景を眺めていたが、プロとは大変なものだなあと感心した。
物辺村住人だって喜味子には慣れていても、実際は視線を巧みに外して見ていない。
にも関わらず撮影スタッフは、3D立体映像を撮る為の超高解像度モニターとにらめっこしているのだ。
危ないなあ、と注視してると案の定その人はぱたりと倒れた。左古礼診療所大繁盛だ。
間髪を入れずに次の要員が席に座る。1分1秒も無駄にしない、これがハリウッド魂か。
カメロン監督は微動だにせず透徹した眼差しで被写体を睨み続ける。動揺とダメージは同じだろうに、凄まじい執念。集中力だ。
そして理解する。彼が真に正しい事を。
喜味子一人のシーンを撮っている時はよく分からなかった。
しかし、「@」との共演をさせてみるとコントラストが際立って互いを高め合い、聖性が厳かに立ち昇る。
濡羽色の髪がくるぶしまでも垂れる「@」はまるで香具矢か衣通姫、この世のモノとは思われぬ幻想的情景だ。
一方喜味子はあくまでもリアル。現実世界の中心に屹立する奇巌、何物にも冒されない金剛石の絶対が表現される。
物辺神社御神木のサルスベリが血の滴る赤を枝一面に拡げる下で、
古代王朝絵巻を思わせる十二単の重ねの艶やかさと、既に秋の気配を織り込んだ素っ気ないスカート姿と、アンバランスながらも不思議な調和を見た。
世界の終わり最果てと、世界の中心とが同居して、時間の輪がこの瞬間に閉じる。
永遠こそ刹那。
カメラは見事切り取った。
スティーブ・カメロンはまさに、自らが追い求める聖杯を手にしたのだ。
そして移動。
今晩八時より門代観光地区で大花火大会が催される。海の上で1万発もが打ち上げられ、近隣より百万もの人が見物に押し寄せる。
門代観光案内として、これを撮らずにどうするか。
既に昨日から別班が派遣されて、撮影プランが構築されている。
観客でごった返す中での効率的な撮影と移動にはかなりの困難が予想されるが、そこはプロの仕事だ。
警備員を朝から配置して場所取りも完璧。撮影機材が怒涛の進撃で投入される。
なにせ最新鋭3D高解像度カメラだ。一度移動させればセッティングにかなりの時間が掛かる。
キャストの5人はお昼ごはんを食べる事とした。5時間遅れの昼食だ。
「花火の撮影は浴衣を着るみたいね。」
「うん、可愛いの用意してくれるって。」
「喜味ちゃんもちゃんと着なさいよ。いつも逃げるんだから。」
「あーもうどうでもいいや。着せ替え人形は飽きた。」
花憐とみのり、そして喜味子は何も感じないのだろうか。鳩保はどうしても腑に落ちない。
先ほどの撮影風景。もちろん鳩保自身も参加したが、どうにも頭数が合わない。誰か居るけど見当たらない。
まるで座敷童子だ。
「喜味ちゃん、ちゃんらーてなんだ?」
「ラーメンにちゃんぽん麺が入ってるだけだよ。」
「それだけ? 何か他に工夫は、」
「やり過ぎるとただのちゃんぽんだからねえ。」
高さ百メートルを誇る展望台を備えたタワーマンションの足元、土産物屋やレストランが並ぶ中、一番単純簡素な食堂に5人は入る。
ほとんど出店で収容客数も5人程度の、むしろ路上のテーブルで食べるような店だ。かき氷の方がよほど売れる。夏だし。
味は期待しないが、観光客相手に変なメニューがでかでかと書いてある。
「びるまうどんてなんだ?」
「さあ。食べてみる、ぽぽー?」
「うーん。」
鳩保やめた。普通にラーメン食っておいた方が無難と判断する。
しかし変なのに必ず手を出すお調子者は居るものだ。
狭いカウンターの向こうから店のマスターが差し出す「びるまうどん」の丼を手に取って、とにかく狭い店だから客が自力で運ぶ、一口啜って文句を言う。
「おやじ、これはカレーうどんだ。びるまうどんではないぞ、前に寿司屋で食べたのと違う。」
PHASE 514.
「え? お嬢さん、お寿司屋さんで本物を食べた事がおありですか!」
床を掃除するかに引きずる長い黒髪を後頭部で緩く縛る、物辺優子が安物割り箸を無遠慮に突き出してマスターに説教を始めた。
「そもそもびるまうどんてのは、大東亜戦争で南方インドシナに行ってきた兵隊が日本に戻り現地の味を思い出して考案した、引揚者の料理だろ。
寿司屋で食べたのはえらく貧相なトムヤムクンみたいな酸っぱ辛いスープに20年前の旧タイプスタンダードの麺が入って、申し訳程度にネギが浮いてさらに申し訳なくてすみませんな感じに細く切った鶏肉が浮いていた。
その貧相さこそがまさに終戦引揚げ時代を象徴して、これは時代を懐かしむものだと理解したのだが、今食べたのは全く違う!」
「ひええええ、お嬢さん、そのとおりでございます。」
脱サラっぽい中年親父のマスターがカウンターから飛び出してきて頭を下げる。
件の寿司屋は何年も前に閉店しているから、彼女が食べたのはおそらく小学生時代なのだ。
「色々研究してみたのですが、今のお客さんの口に合わせて美味しいと言ってもらえるようにすると、どうしてもリッチな味になってしまって。貧相さを理解してもらうのはちょっと。」
「やはり無理か。」
「商売上これは難しい食べ物です。」
「そうか。分かってやっている商売の都合であればいたし方ない。野暮は言わないよ。」
「ありがとうございます。」
「優ちゃん?」
物辺村4人の少女は、目の前で麺をすする物辺優子に対してすっとんきょうな声を上げた。
特に鳩保芳子は席を立ち、勢いでコップのお冷を零しそうになりながらも指差して叫ぶ。
「あんたドコ行ってたのよ今まで!」
「みんなと一緒に居たよ、ずっと。」
「そんな、あんたね、いやえーと、……説明しろ?」
「説明と言われても、喜味子。」
優子はびるまうどんではないびるまうどんを食べるのに忙しい。事情を説明するのも億劫だから、喜味子に鉢を回した。
ちなみに優子の服装は白のワンピース、目の覚める純白が肌のぬめる白さと相まって男達の視線を独占する。うどんの汁跳ねは要注意だ。
「あーぽぽー、優ちゃんはね、この1週間量子状態だったんだよ。」
「量子状態って、シュレディンガーか。」
「詳しい物理学の原理は知らないけど、優ちゃんは高次空間に身体を半分移動させてゲキロボのセッティングをしてたんだ。」
「なんでそんな。」
「ほら御神木基地からゲキロボを抜いたでしょ。ついでにメンテナンスもしたんだけど、システム的なところは優ちゃんにしか出来なくてね。」
「なかなか骨だったね、妙な宇宙幽霊も干渉してきて三次元空間まで影響が出ちゃったよ。ディファレンシャル・ファントム・コンクルージョンって言うんだ。」
鳩保呆れてものも言えない。優子も喜味子も自分達が悪いなんてまったく思ってないのだ。
メンテの影響とやらでどれだけ妙な目に遭わされたか、知りもしない。優子の存在をまるっきり失念していたじゃないか。
鳩保の不機嫌に、花憐もああやっぱりそうなんだと納得した。変なのは自分だけじゃなかったんだ。
「優ちゃん、ゲキロボの力が妙に不安定だったのは、あれがそうなの?」
「三次元でどうなってたかまでは感知しないぞ。触ってないから。」
「みいちゃんは影響無かった?」
「すごくへんだった。でも、毎朝ラジオ体操のスタンプ優ちゃんのも押してたし。」
「喜味ちゃん、そもそもゲキロボは何処に移してたんだよ。内緒にするから混乱するんだ。」
「使ってない釣り船を無断で拝借してゲキロボ移植してました。ごめん、でも、そんなに変だった?」
物辺村は元は漁師の島だから釣り船も何艘か有る。今は使う人も無い船が処分されずに残っていたのを、喜味子は利用した。
鳩保に内緒にした覚えも無いのだが、別に困らないんだからいいじゃないか。
「困ったんだよ、よく分からないけど嘘夢噛まされて。」
と優子の方も睨む。自分の存在を他人の記憶から消すなんて何考えてるんだ。
だからミスシャクティにつけ込まれて精神攻撃を許してしまったんだ。
優子はまったく自覚が無いが、自分では良いことをしていたつもりだ、しかしよく分からないが失敗していたのだろう。と結論づけた。
「ごめんなさい。」
「よし。」
PHASE 515.
まだ陽の高い内から門代観光地区にどんどんと人が集まってくる。
普段の日曜日でも観光客は来るが、海の対岸での集客も合わせて百万人。地区で処理できるキャパシティを超えてしまう。
鉄道駅では臨時列車まで出して次から次に人を吐き出し、駐車場はたちまち満杯になり裏道路上駐車までして警備のボランティアに怒られる。
だが往きはまだよいのだ。花火が終わっての帰り道が大混乱大渋滞。
深夜十二時まで車が列を作って脱出を待つ。
かてて加えて、今年はスティーヴ・カメロン監督の撮影が有る。
マスコミへの発表の無い極秘撮影だが人の口に戸は立てられず、野次馬がわいわいとやって来る。
事情を知らない人でも、大掛かりな撮影機材が動いていれば何が起きたと寄ってくるに決っていた。
まあだいたい納得だ。被写体が物辺優子や城ヶ崎花憐であれば、名前は知らなくてもモデルさんだろうと勝手に想像する。
タワーマンション最上階展望台でも撮影した。門代のレトロな建築物を上から見ればレゴブロックで作った街のようで、すごく可愛い楽しい。
そして浴衣に着替えて花火を待つ。
「喜味子ー!」
「こっちだー。」
ゲキの少女の友人達が特別招待で特等席に案内される。
撮影の為に絶好の花火見物スポットが占有されているのは当然としても、他の観客が居ないのは不自然だ。
ならばと知り合いを集めてエキストラに配置する。
「嫁子」八女雪を筆頭にバイト巫女経験者の草壁美矩、江良美鳥、九泊加留先輩に演劇部前部長馬渕歩。二年来橋いお以下演劇部全メンバーはもちろんカメロン監督来日を聞いて大集合だ。
一組花憐の友人達、特に如月怜は花憐のボディガードでもある。三組みのりのクラスメイトに合宿でお世話になった先輩後輩達。
五組は特に多くて、男女合わせてほぼ全員が集結した。鳩保大嫌いな若狭レイヤも、めでたく退院が叶った環佳歩も顔を見せる。
そして緑地の自作手製浴衣を着たシャクティ・ラジャーニ……。
「じゃん! どうですこれ。いい感じでしょう特に帯なんか蝶々ぽくて。」
「うん。」
このシャクティは本物だろうか。いや、鳩保が会ったシャクティ・ラジャーニは全部本物のはず。
無邪気な女子高生と全てを見通す謎の女子高生と、更には世界で活躍する人類の救世主ミスシャクティと、すべてが同一人物にして別人だ。
今朝新聞やインターネットで調べてみたが、やはりNWO新世界秩序嚮導機構なる組織は実在せず、総裁ミスシャクティ女史が暗殺された事実も無い。
嘘の記憶、いや最後に出会った彼女は平行世界と言っていた。
あるはずの現実、実現していたはずの未来。ゲキを中心に展開される複数並行した人類社会。
NWOがおおっぴらに活動する世界もきっとどこかに有るのだろう。
あるいは、これから始まる?
「あ、花火上がりましたよ!」
特等席で見る花火は殊の外大きく真上に見える。破裂する音がずしんと腹に染み渡る。
続いてどんどん打ち上がる。シダレヤナギのように長く尾を引く白い光が垂れ下がり、天に覆いを作ってみせる。
スマイル:)模様に爆発するのは、誰がこんなの考えた。
とにかく1万発以上を1時間弱で打ち上げるのだ。上を向いた首を休ませる暇も無い。
カメロン監督は引き続き自分達を撮影しているのだが、もう忘れた。被写体としての自覚も無しにただ花火に酔い痴れる。
それでいい。ゲキの少女は何物にも拘束されてはならない。
自然に自由に活き活きと後先考えずに力を使う。それをこそ望まれる。
まるで神様のように。
パンと開いてぱっと散る。花火のように華やかで儚く美しく、
二〇〇八年高校二年生の夏は終わっていった。
実に成るロマンスが無かったのは、己の不徳と言うべきか。でも面白かったからOKだ。
P.S.
後日鳩保は花憐家に行って、花憐が地元広報紙に連載するポエムを改めて読んでみた。
『照る月を 遠く眺めて ボンソワール
異国の空に住む母に でも心配しないでわたしは元気です は虚しくて
あらぬモナミの噂伝える ダーリンキスミー』
なんだ。普通じゃん。
花憐「読者の皆々様、毎度ごひいきありがとうございます。城ヶ崎花憐です。
お楽しみいただいております宇宙人すちゃらか小説『ゲキロボ☆彡』は遂に最終章に突入します。
残りあと2巻!
いやーさすがに長々とシリーズを続け過ぎましたから、二〇〇八年もずいぶんと昔の話となってしまいましたね。
ではラストスパート張り切って参りましょう。」
第十一巻「萬國吃驚博覽會」
・八月 サルボロイド再び強襲す
・八月 美々世再び死す
・八月 ウルトラ級宇宙怪獣襲来
第十二巻(最終巻)「世界があらかた終わった日」
・九月 最終宇宙戦争
・(九月 最終回)
PHASE 516.
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