長編オモシロ小説

ゲキロボ☆彡

上に

 

〜PHASE 302.まで

 

PHASE 303.

 八月一日登校日、門代高校一二年生の夏講習はこれで終わり。
 三年生は十日までしつこくやるのだが、ようやく夏休み本番だ。

 二年一組城ヶ崎花憐も教室でのホームルームを終えて、やったーと伸びをする。
 クラスメートで生徒会役員の別当美子がやって来る。

「花憐さん、今年はフランス行くの?」
「だめね、今年はなんだか行事が立て込んでお母さんの所行けないよ。」
「ふうん、それは残念。私はハワイ。」
「よく考えたらわたし、ハワイ行ったこと無いわ。グアムはあるけど。」

 思い起こせば小学五年生の夏休み、グアムに久しぶりに家族が揃ったのだ。
 父と母と兄と花憐。随分昔の話に感じられる。

 

 懸命な読者諸氏にはもちろん予想出来ていただろう。
 城ヶ崎家には可憐な美少女が持つにはふさわしくない物品が幾つか存在する。物辺神社裏秘密基地でゲキロボの管制に使っている白くて小さな四角いゲーム機などが典型だ。
 本来の所有者は花憐の兄で、家を出て進学就職したから使う者も居らず物置で埃を被っていたのを流用した次第。

 実は彼と花憐とは腹違いの兄妹である。彼の母が亡くなって後添いに花憐の母が迎えられた。
 年齢は8歳離れている。
 グアムに行った年には既に物辺村の実家を出て、大学周辺にアパートを借りて暮らしてた。

 兄妹の仲は悪くない。むしろ良い。
 花憐の母は後妻という事になるのだが、実の母よりも彼は懐き妹花憐も大事にしている。
 先妻は美しかったが随分と難の有る人で、いわゆるヒステリーを常態的に起こしていた。幼い彼も不安な日々を送ったものだ。
 おっとりとした花憐母に思慕を抱くのも当然と言えよう。

 彼女が非業の死を遂げたのは、何を隠そう物辺神社の存在が原因だ。

 城ヶ崎家に嫁入りしたのはもう26年も前。
 その頃物辺神社には未だ物辺咎津美が生きていた。
 優子の祖母であり、贄子饗子祝子三姉妹の母である。紛うことなき奇人であった。
 推して知るべし。

 

「それで、パリに行かないならどうするの。夏休み何も無し?」

 問う別当美子に、花憐首を傾げて考える。
 ゲキの力を授かった今年五月から息つく暇さえもらえなかった。バカンスなんて有り得るのだろうか。
 いや、主導権を他者に渡してはならないと鳩保芳子も主張する。
 休暇は自分の意志で、断固たる態度で勝ち取らねばなるまい。

「そうね、優ちゃんが東京に行くと言ってるから、一緒に行ってもいいかな。」
「おお。東京ビッグサイト行くの?」
「行かない!」
「残念。色々頼もうとか思ってたのに。」

 美子、ふんわりとゆるやかな明るい髪が花憐に掛かるほどに顔を寄せる。

「それで、例の話は本当なの? 物辺さんの父親が俳優の「香能 玄」て」

 やはりそれか。花憐、最近ちょこちょこと人に引っ張られて物陰に連れて行かれ尋ねられる事多し。いい加減うんざりだ。

「百パー間違いなしよ。物辺村じゃ誰でも知ってるんだけどね。」
「なにか証拠有る? 物辺村に香能 玄来たとか?」
「博多に公演で来た時わたし、お父さんと一緒に香能さんと会いました。1時間近くぶっ通しで「お友達の物辺優子さん」について聞かれました。」
「おおおおおお、それは間違えようの無い証拠じゃないですかあ。凄いスゴイ。」
「まあ、一般的に見れば凄いんでしょうけどね。」

 通常芸能人、それもスターの娘が近所に居れば盛り上がるべきだろうが、優子だから花憐達もまったく張り合いが無い。
 なにせ本人を見ていた方がよほど面白いのだ。
 だけどね、と花憐は思う。これでようやく肩の重荷を一つ下ろせる。

 なんとなれば香能 玄、直接には会えない連絡も付けられない娘の代わりに、城ヶ崎花憐に対して手紙やらプレゼントやらをしばしば送ってくれていた。
 その度花憐はプレゼントを物辺神社に持って行き饗子祝子に頼み、それとなく優子の枕元に放置する。
 もらって優子がどう反応したか、を書送るのも花憐の仕事であった。

「でもさ、なんで物辺さんに直接「パパだよ〜」て名乗り出ないんだろ。」
「それはねえ、なんでかしらねえ。」

 知っているけれど、別当美子以下門代高校の生徒には教えてあげられない。
 なにせ優子の母親 物辺贄子というひとは……。

 

PHASE 304.

 華道部部長花憐ちゃんは新入部員も増えて来た事だし、ただの登校日であっても仕事があったりする。
 校舎正面玄関と校長室に飾る花を活けるのも華道部の仕事なのだが、やはり夏。すぐに花がダメになってしまうから夏休み中はお役御免だ。

 園芸部との交渉も有る。
 彼等が育てた花を使って活ける契約になっている。しかし、実は園芸部は一度消滅して現在一年生部長が再立ち上げをしている真っ最中。
 この部長さんがまるで砂糖菓子で作ったみたいに甘々のファンシーな、しかも動きのトロい美少女で園芸なんて肉体労働に耐えられるのか危惧される。
 まあ案ずるのは花憐だけでは無いようで、生徒会の方からも手伝い人が派遣されているみたいだ。
 華道部からせめて水やりに人を出すのもやむなしと考えていたが、大丈夫らしい。

 というわけで、職員室の華道部顧問に報告に行く。後少し相談したい事も有る。
 恐ろしい古典のばあさん先生だ。
 老眼入った眼鏡をつんと直して、花憐の話を聞く。

「華道甲子園? ああそういうものも有るとは聞いてます。」
「わたしも有るとは聞いてはいたのですが、これは別に参加しなくてもいいものなんですよね?」
「あれは池坊でしたか。流派が違うから、そうですね。無理して出る必要はありませんね。」

 言われて花憐、ああと気付く。そういえば華道には流派がいくつも有って家元が居て、殺人事件てのが頻繁に起こっているんだった。ドラマでは。

「あの、ウチの学校は流派はどこになるのですか。」
「私の流派になります。」
「先生はどこの免状をお持ちなのですか。」
「巌流です。」

 花憐、しばし反応を停止する。
 これはー一種の冗談なのだろうか。それとも本当にそういう流派が有って、先生は免状を持っているのか。

「冗談です。」
「ですよねー。」
「夏休みに特に行事は予定されていません。合宿もありません。合宿したくらいで上達するものでもありませんから。」
「はい、それでは一学期の活動は今日で終了して、また二学期に。」
「ご苦労様でした城ヶ崎さん。あなたがしっかりしてくれるから助かります。」

 おっと、褒められてしまいました。少し感動。
 しっかりしている、との賛辞は今年春までの花憐には無縁のものであった。むしろ「しっかりしなさい」と叱咤されるのが習い性になっていた。
 職員室を出て、クーラーの冷気から見放された瞬間に汗が吹き出る。
 携帯電話が鳴った。鳩保だ。

「ぽぽー、今日は正義少女会議する?」
『みぃちゃんが帰ってからにしよう。喜味ちゃんもう帰ったし、ほら例の精神攻撃を防ぐ手段ての』
「ああ、アレ。もう出来たの?」

 童みのりがドバイで遭遇した睡眠攻撃に対抗する手段を、喜味子は早速に開発した。
 なにせNWOがあのていたらくでは、物辺村でも何時同種の攻撃に見舞われるか分からない。
 ゲキロボ洗濯機を回して特殊アイテムを作らねばならなかった。

 ちなみにみのりは明日帰国する。同行する物辺祝子の都合でイギリスで油を売ってくるから、地球を大回りして帰るのだ。

「優ちゃんは?」
『演劇部』
「ぽぽーは?」
『メイソンリーと談判』
「ならわたし一足先に帰るね。」
『うんじゃよろしく』

 思いもかけず暇になった。だが素直に物辺村に帰っても何が待ってるわけも無し。
 せっかくだから華道部の新入部員連れてかき氷でも食べに行って親睦会するか。

 しかし花憐の未来予知能力がびんびんと作動する。
 なんだか面白くない展開が今日この先に用意されている気配濃厚。なにせゲキの力で予測するのだから、昨日の天気予報並に正確だ。
 それでも何が起きるかまでは教えてくれないのが、嬉しくない。

 とりあえず、華道部部室にでも行ってみるか……。

 

PHASE 305.

 二年生2名一年生4名の華道部員を引き連れて校門を出ようとした城ヶ崎花憐は、顔をしかめる。
 やっぱり。

 何故コンバーチブル、何故白黒、何故校門前にどかっと停めて、警備員の人困ってるし、それに白のジャケットに紺のシャツ赤いネクタイてなんだこいつルパン三世か。

「やあ。」
 やあじゃない、山本翻助何しに来た。

「これは白黒じゃないぞ。ランプブラックにシルバーのストライプだ。」

 翻助が乗ってきた車は左右が黒で中央正面から後ろまで銀色の帯がまっすぐ入っている塗装だ。夏場は特に目立つデザイン。
 しかも乗ってる男がかなりの長身で、サングラスで、どう見ても勤め人ではなく遊び人が本職そうで、
 そしてミス門代高校代理絶世の美少女花憐ちゃんに気安く声を掛けてくるのだ。

 華道部員全員一気にテンション上がりまくり。
 さすが部長だ、男遊びも達人だ。などと心中勝手に思ってるのだろうか、大迷惑。

 花憐、ここは怒って見せる場所と心得る。だが鳩保と違って男に怒るのには慣れていない。

「これレンタカーでしょ!」
「俺、この辺りに駐車場借りてないからな。」
「なんでオープンカーなのよ暑いじゃない、クーラーも効かないし紫外線当たりまくりだし潮風で髪が痛むし排気ガスもろ被りじゃない!」
「御察しの通りに、お迎えに上がりました。城ヶ崎花憐様。」

 紳士らしく気障っぽく、いや人をバカにする態度で右手を心臓に当て深々と礼をする翻助に、華道部員悲鳴を上げる。さすが部長、我々に出来ないことをやってのける。
 二年生部員、つまり花憐と同じにちゃんと一年生から部員だった二組の子、が袖を引く。
 花憐花憐、このひと誰紹介して。
 しかし紹介と言われても、軍師だなんてどの口で言えようか。

 翻助、グラサンを外して胸にしまうとなんともいやらしい笑みを浮かべて女子高生に媚を売る。

「兵法・軍事評論家の山本翻助です。花憐さんとはそうですね、仕事上の付き合いと言っておきますか。」

 だからあなたたち悲鳴はやめろ。学校中に響き渡るじゃないか。それによく見ろ、この男アイドルでも俳優でも無いんだぞ。言うほど格好良くも無いんだぞ。
「私知ってる、この人テレビに出てたの見た。たしかイラクでリポートしてたの、爆弾爆発して」
「はは、まあ仕事ですからね。」

 こいつ、思ったより有名人だ。確かに行動力だけは有るみたいだから、報道関係に限って活動していれば普通に金儲けできるだろう。
 だが、ちょっとまて。部員に何を喋っている?

「ニンジャ犯罪というのをご存知ですか? 高度な運動技能と特殊な潜入術、それにハイテク機器を用いての強行スパイ活動をする集団が、今そのスジでは注目されているんです。」
「忍者ですか、21世紀にそんなのまだ居るんですか?」
「居るんですねそれが。たとえばこんな具合に、」

 と男が振り返るのにつられて華道部員達が見上げたものは。
 高さ2メートル、校門の門柱の上に手足を着いて猫のように身構える競泳水着の女だ。ボーイッシュな髪は水に濡れ額にくっつき、つい今しがたまで泳いでましたと主張する。
 花憐、なんかぜつぼうてきな気分になった。

「きさらぎさん……、」
「山本翻助何しに来た。」
「よう。」

 ニンジャクノイチの如月怜が水泳部の練習中に抜け出して花憐を守りに来た。明らかにスケジュールには無い行動であるから、このような姿での登場となる。
 華道部員一同、皆拍手。そんな高い所どうやって登ったのかしらないが、なんかほんとにニンジャぽい。

「如月君も付いてくるかい? 花憐さんと少々ドライブするのだが。」

 花憐、首を激しく横に振る。10往復くらいするが、如月怜には通じない。
 門柱の上から音も無く舞い降りる。裸足で、すんなりと伸びる脚がまたかっこいい。下校しようとする男子生徒が携帯電話のカメラでちゃっかり撮影する。

「私も同行します。」
「ちょっとまって如月さん、わたしは行くともまだ、」
「着替えを取ってくるから少し待て。」
「まって、まって、」

 花憐の言葉はまったく通じず、如月は水泳部の部室に飛んで行く。走りっぷりを見て、あれはほんとにニンジャだなと華道部員は皆納得した。
 どうしてこんな目に、と哀れっぽく見上げる花憐に翻助は言った。
 まあ押さえて、行かないと言い張っても嫌でも今日は連れて行くつもりだったから、観念してください。

「とりあえず損はさせないから。」
「これ以上何を犠牲にしろというのですかあなたは、」

 

PHASE 306.

 高速道路の吊り橋を渡って海を越えて、隣の県に到着。
 大したドライブではない、なにせ門代の街から見えている。
 門代地区は古来より交通の要衝と何度も記したが、ほんとうにちょっと移動すれば別の県に渡ってしまう。小学生の遠足でも行ける距離だ。

 目的地は橋の橋脚の隣に有る低い山、300メートルも無い。展望台の建物から門代を一望できる。

「ここはNWOの要員にとってちょっとした息抜きの場になっていてね。自分がどこでなにをしているか手に取るように把握出来るんだ。」
「あ、ここからでも物辺島見えますね。」
「だろ。」

 物辺島の子どもたちにとってここはテリトリーの外。島を反対側から見るのは初めてで不思議な感覚を覚えてしまう。
 遠く霞で青いが、確かに自分の島だ。小さい。

 花憐は展望台の2階でため息をついた。隣に立つ背の高い山本翻助に漏らす。

「わたし達は別にあそこが世界の中心だとも全てだとも思ってはいませんが、こうして見ると遠くに来ちゃったって感じますね。」
「大人になったって事だろ。いずれ島とも長くお別れする運命だ。」
「まだそうと決まったわけではなく、??この天文台はつい最近出来たものですか。」

 展望台の少し下の山腹に小規模な天体望遠鏡のドームが有る。高校の部活じゃあるまいし、こんな低い山に設けても意味は無い。
 指向する方向を見て花憐は眉をひそめた。

「これ、NWOの物辺島観測所ですか……。」
「当然。こちら方向からはここしか観測ポイント無いからね。」

 面白くない。
 花憐は車で借りたサングラスを掛けて目を隠す。だいたい真夏の真昼にオープンカーなんて乗ってられるものか。

「それで山本さん、わたしをここに連れてきた目的は。」
「人に会ってもらいたい。俺はその仲介役、君を連れてくるだけが役目だよ。」
「それで幾らもらうんです。」
「まあここに到るまでが随分と大変だったからな。それなりの手数料を頂いている。前金で。」

 そんな事だろうと思った。この男はカネなんか関係ないよって顔をしているのに、がめつく小さく稼いでいる。
 背後で警戒をしていた如月怜が二人の傍に寄る。数名が展望台に近づいていると報告した。
 敵か味方か、どちらでも同じだ。どうせ自分勝手な台詞しか喋りはしない。
 花憐は意を決して宣言する。

「会いましょう。でもその人怒らせたって知りませんよ。」
「いい覚悟だ。大人の女になってきたな。」
「そのとおりです。逃げる時はわたし、自分でタイミングを見計らいますよ。」

 

 2階の展望台に上ってきた紳士を見て、花憐はあーと納得した。
 魚船長さんだ。アントナン・バルバートル、フランス人58歳。
 元極右民族主義政党の党首で現在はEU欧州議会議員、NWOにおいてはレベル4の秘密開示資格を持つ。
 ハリウッドの大物俳優然としたなかなかのハンサムで、髪と口ひげが白いものの精悍な印象を与えている。
 007シリーズに出てきたら間違いなく敵組織の親玉クラスだ。

 花憐は物辺神社七夕夏祭りでもごく近くで会ったが、今日とはさすがに印象が違う。
 彼が持つレベル4の資格では、花憐が極めて重要な存在であると知らされていなかったのだ。
 故に当時はほぼ無視された。
 今日は違う。最初から王族・プリンセスを扱うかに丁重だ。

 2名の護衛の男性と秘書らしい若い女性を伴って展望台に現れた彼は、両膝を屈して花憐の前に頭を垂れる。
 ここまでやらなくても、と花憐は慌てた。

「そんな! お立ちください。」
「先日は知らぬ事とはいえ随分と不敬を働きました。お許し願い、私共の申し入れにしばしお時間を割いて頂きたく存じます。」

 フランス語だ。七夕メイド巫女で花憐がフランス語担当であったのを覚えている。
 下手に日本語を使うよりは、花憐の語学力に信を置く姿勢を見せた方が分が良いと踏んだのだろう。

 翻助に振り返る。いいのこれで?
 もちろん、彼はこの人に会わせる為に連れて来た。だが花憐の困惑も理解できる。
 あまり上手ではないフランス語で口添えする。彼は戦場取材の為に世界中に飛んでいて、ある程度語学は出来る。

「ムッシュ・バルバートル、プランセス”SAKUYA”は過度の礼節の表現に戸惑っております。現在はまだその姿勢は早いし、逆に不敬であるとも考えますよ。」

 おお、と紳士は驚き立ち上がり、改めて立ったまま頭を下げる。
 それよりも、花憐は翻助の言う「現在はまだ」に反応した。NWO内部では、わたしはそういう風に扱われるのがもう確定しているのか。
 エセ王族になったみたいで、靴の中が痒くなる。
 日本語で言った。

「山本さん、どうもこの話、長くなりそうですね。」
「少々。なにせ人類の命運が掛かった重要な会談だからな。場所を替えよう、ここでは落ち着かない。」

 彼が示すのは展望台の更に上、喫茶室だ。なるほど、物辺島を見ながら話し合うにはちょうどいい。

 

PHASE 307.

 展望喫茶室は相当に広いが、客は誰一人居ない。
 あらかじめこの会談の為に貸切にされていたのだ。店員ウェイトレスも只者ではない、NWO関係者と見受けられる。
 店ごと買収したと考えるべきか。翻助はここがNWO要員の憩いの場と言った。それだけの価値もあるだろう。

 しかし内装はちゃちだ。セレブに豪華にとは望まないが、こんな十数年改装してませんよ的しみったれた大学学生食堂みたいなのはいただけない。
 遠くドバイではみのりちゃんが絢爛たるアラブ富豪の贅を尽くしたおもてなしを受けているというのに、自分はこれか。
 なんか涙出る。

「山本さん、このお店はNWOが買ったて事はありませんか。」
「ああよく分かったな。7月1日付けで名義が日本のしかるべき組織に移ってるはずだ。」
「もっとお金出してなんとかしてくださいよ。いくらなんでもこれは、なんですか。なんというか、」
「元が市の施設だから、確かにロマンチックじゃないな。夜景はいいんだが。」

 山本翻助の与り知らぬ話ではあるが、彼ならば然るべき筋を通して店の改装を促すだろう。
 この展望喫茶室は花憐と同様にゲキの少女達が何度も会合で使う予感がするから、せめて彩りだけでもなんとかしたい。

 花憐の向かいにはアントナン・バルバートルが座る。彼が伴う栗色の髪のハーフ女性は日本語通訳であった。今の翻助との会話も囁いて教える。
 2名の男性の護衛、フランス白人とアルジェリア系の黒人だと思う、は後方のテーブルに座ったまま会談を見守る。
 花憐を威嚇しないため、視界に入らない位置を選んでいた。

 如月怜は下の展望台で待機したまま。この喫茶室はNWO日本側の管轄経営であり、店員は戦闘訓練を十分に積んだ者だ。
 忍者ではない、警察公安関係者だ。会談は敵対的なものにはならないだろうから彼等に任す。
 自分は外部の様子を確かめられる下に居た方が良いと判断した。

 双方準備が整ったと見て、翻助が席を外す。
 のを、花憐が白いジャケットの裾を引っ張って止める。逃げないでよ。

「俺は以後の話を聞く立場に無いぞ。だいたい秘密開示のレベルが違う。」
「ならわたしが雇います。それなら同席してもいいでしょ。」
「高いぞ。」
「代金は、今日ここで聞く情報。高過ぎるわ。」

 翻助にやりと笑う。情報の価値というものをようやく理解してくれたか。
 アントナンにも了承を取る。ちらりと美人通訳に目配せしながら、フランス語だ。
 「私は彼女の知らない知識を補足する形でアドバイスをするだけで、決定には決して関わらない。示唆もしない」
 上等である。
 だいたい此奴、こういう役をするつもりで花憐一人を連れ出した。もし本気で任すのならば、鳩保だって同伴させる。
 軍師という人種は大したタマだ。

 

 改めて、アントナン・バルバートルが自己紹介する。
 現在は欧州議会議員であるが、彼自身が拠って立つ門地はフランスの古い地方勢力であり、かってゲキの力を行使した『大釜の臓腑』と呼ばれる家系の守護者・騎士である。

「騎士ですか。」
「今では意味の無い称号ではありますが、今後そう名乗る事に栄誉を頂けるものと信じます。」
「ゲキの騎士になるという意味ですか。」

 確かに騎士らしい人物ではある。性格も攻撃的能動的なのだろう。
 だが彼にどれだけの権力が有るか、ヨーロッパのアンシエントにおいていかなる地位にあるか。それを知らねば話にならない。

「山本さん、こう言ってはなんですがヨーロッパのアンシエントはNWO内でどのような位置にあるの? 一枚岩でわたしをなんとかしようと考えているの?」
「ムッシュ、あなたの属するアンシエントの同盟についてお聞かせください。」

 翻助は自分が解説するよりもアントナンにさせた方が良いと判断する。
 彼もこれから花憐に縁談を持ちかける上でも、自分達の組織がどの程度の確かさと実力を持つか率直に語るべきと理解する。

「ヨーロッパのアンシエントの総数はさほど多くなく28、もちろんこれは合従連衡を重ねた末にここまでに絞り込めたものです。
 主に3つにグループ分けされ、最大の勢力を持つのが『黄金の林檎』、次に『銀の槍』ロンギヌスとお呼びください。そして『薔薇の軛』です。
 私は『銀の槍』に属しますが、3者の同意を得てこの栄えある役目を承っております。」
「ロンギヌスとはキリストを処刑した槍、聖杯伝説とかも関係するわけですね?」
「『大釜の臓腑』とは因縁浅からぬ伝説です。しかし宗教的特に過去のキリスト教の桎梏からは解き放たれています。
 宗教的に強硬な勢力は『薔薇の軛』であり、『黄金の林檎』はむしろアメリカに近い合理主義に基づく宗教的血統的な権威を頼らない集団です。」
「フリーメイソンですね。」

 ヨーロッパにも秘密結社はごろごろしている。教会の支配から脱して理性に基づく国家建設をしていこうと試みた、前近代の残滓だ。

「『銀の槍』は宗教よりも地縁、民族に基づく組織の集団です。血統をなによりも重視する。
 ゲキの少女を迎えてヨーロッパ勢力の主軸と成すにあたり、我々が中核的存在となるのは当然と言えます。
 現に私がこの任を授かったのも、三者が同様に血統の重要性を認めているからに他なりません。」

 なるほど、だが。と花憐は疑問に思う。それは白人主体の差別主義ではないのか?
 デリケートな話だからかなり婉曲に尋ねてみる。宙返りするようなひねくれた言い回しなので、アントナンは意味が分からず少し考えた。
 花憐のフランス語、未だし。

「ああ人種差別問題ですか。しかしそれは杞憂です。何故ならば、」

 アントナン、身を乗り出して花憐に迫る。

「ゲキ以外の血筋に何の価値も無い世界が訪れるからです。」
「!」

 

PHASE 308.

「何故ロンギヌスの名が選ばれたのか。それはイエス・キリストを害したものであるからです。
 最も価値ある者を滅ぼし、滅ぼした事によって永遠の力を得る。
 旧世紀の栄光あるヨーロッパをこそ葬り、その遺骸から不死鳥のように立ち上がる意志の表明です。人種民族の差別も等しく無と化すわけです。」

 口ではキリスト教は関係ないと言いながらも、どっぷりと首まで使っているのが面白い。
 ヨーロッパのアンシエントはやはりキリスト教を前提として組織が成り立っているのだ。
 花憐もだいたい構図が理解出来たが、なぜ理性に基づく『黄金の林檎』が中心にならないのか。それは確かめねば分からない。

「わたしが考えるには、『黄金の林檎』という組織はEUみたいなものを志向しているのではないでしょうか。」
「まさにEUを形作る原動力となった勢力です。ミスシャクティにより未来の計画がもたらされ新時代の新秩序を確立するにあたり、他の地域に遅れを取らない為にヨーロッパの諸勢力を結集する必要がありました。」
「じゃあヨーロッパのアンシエントの目標は最終的にはEUなんですか。」
「さにあらず。」

 そこはいかにも心外だ、とアントナンは大きく息を吐く。ちょうどウェイトレスがコーヒー紅茶を持ってきた。
 アントナンも熱いコーヒーを口に含むがこんな中途半端な喫茶店で、しかも警備関係者が淹れるコーヒーに満足できるはずが無い。
 渋面を浮かべるが、その顔もなんとなく素敵と花憐には見える。

「今のEUはまったく、当初計画したものとはまったくかけ離れたものと成り果ててしまいました。ヨーロッパの未来がこうであるのならば、私は実力を持って滅ぼさねばならない。」
「何がそんなに気に入らないのです? あなた御自身も欧州議会の議員でしょう。」
「官僚です。EUは実質官僚による独裁が起きています。議会など何の意味も無い。」

 花憐、ちょっと分からない。官僚支配はよくないとは現代社会の時間に習ったが、実際どこがどうしてどう悪いか、想像がつかない。
 翻助に聞いた。

「ダメなんですか?」
「ソビエト連邦てのは、知っているよな。高校生だし。」
「まあだいたい。官僚というか共産党支配によって崩壊したんでしたか。」
「NWOも、誰に選ばれたわけではない党派によって支配される可能性は低くはない。いやむしろ至極高い。市民の監視機構の無い秘密の秩序だからな。」

 じゃあ『黄金の林檎』を改革しちゃえばいいじゃん、とは思うのだが、代わりにどうすればいいかは花憐には分からない。
 それに、ソビエト連邦についての授業では「テクノクラート」とか聞いたような気がする。

「てくの・くらーと?」
「それだ」「それです!」

 翻助とアントナンも同時に突っ込む。まさに彼の懸念はそこにあった。アントナンに譲る。
 彼は我が意を得たりとまくし立てた。

「官僚組織は現状であっても社会とはかけ離れた独自の論理で自身の利益のみを追い求め、何者の掣肘をも受けぬ鉄壁の王国を作りがちです。
 人類社会の宿痾とさえ言える、高度に発達した社会組織であればこそ更に深い病根でありますが、宇宙人技術までも導入すればどうなるか。
 宇宙人の科学技術には単なるハードウェアに留まらず精神制御、人間社会を意のままに操る技術が含まれます。
 これをNWOの一部技術官僚に掌握されてしまえば、人類は滅亡です。彼等官僚には現状を維持する事は出来ても未来を構築する事は出来ない。
 ゲキの力を授かった少女達もその子孫も彼等のマリオネット、ゲキを操る制御装置に貶められるのです。」

「『黄金の林檎』には、懸念を示す人は居ないのですか。」
「心ある者は誰でも気付きます。ですが官僚機構は巨大組織を管理するには不可欠なもの、毒と知りつつも頼らねば何も始まらない。
 官僚機構の暴走を止めるのは唯個人の行動、衝動あるのみ。
 正義と未来への希望に突き動かされる無謀なラ・マンチャの騎士だけがそれを成し遂げるのです。」

 やばいはなしになった。
 彼は自身をドン・キホーテになぞらえる。既にそこまでNWOの官僚支配は強まっているわけだ。
 何故彼が魚潜水艦に乗ってNWO自体の本拠地を襲撃するハメになったのか、ようやく理解できる。
 人類同士の未来の戦いはもう始まっていたのだ。

 うれしくない。これはまったく嬉しくないぞ。
 本来であれば彼は、花憐を篭絡して王女さまにして立派な王子様の花嫁にするのが任務のはず。
 なのにこんな香りも彩りもない殺風景な裏話を聞かされるなんて。

「しかし、『黄金の林檎』とは心地よい響きです。」
「たしかに。貴女にこそふさわしい。三者は一致して貴女を総帥にお迎えする所存であります。」

 

PHASE 309.

 言うまでもなく「黄金の林檎」とはトロイア戦争の原因となった、三女神に向けて投げられた不和のリンゴの事である。「最も美しい女に」と刻まれている。
 そうは言ってもだ、五つのリンゴのどれを誰が取るか、随分と揉めたのではないか。

「ヨーロッパのアンシエントがわたしを選んだ理由は何です。適当に配分したのですか。」
「それは違う。我々は間違いなく、貴女が必要だからこそ指名した。お疑いなさらぬように。」
「でも、まあ優ちゃんは日本から離れませんか。一番望まれるのはゲキの宇宙人技術を掌握する喜味ちゃんだ、とわたし達は推測しています。」

 花憐が自ら本題に入ってくれたので、アントナンも本心では安堵する。
 だが何故選んだかは実際答えにくい質問だ。確かに誰でもよかったのかもしれない。

「おっしゃるとおりに、宇宙人技術を独占できればその勢力がNWOを完全に支配する事も可能でしょう。プランセス”IWANAGA”の扱いは微妙です。」
「それでヨーロッパの見解では何故わたしに。」

「”IWANAGA”の扱いはNWO内の交渉ではまったく解決の目処がつかない為に、暫定的にミスシャクティが預かる事となっております。
 リジェネレーター(再発現因子)である”KUSHINADA”は応用が難しい為に、日本に安定した管理を任されました。
 この二者の扱いに異論はありません。

 プロモーター(発動因子)”SUSERI”は軍事力によってNWOを主導するアメリカが特にと望み、誰も阻止できませんでした。
 スタビライザー(平衡因子)”TOYOTAMA”はミスシャクティ自身の出自がこの系統と聞かされ、また個人能力が戦闘力の権化となると判り、第三世界のアンシエントが望みました。
 我々は貴女のインデューサー(誘導因子)としての能力、未来予測に注目しました。
 これから起こる事象を先読み出来ればいち早く対応できる。アメリカやNWO中央事務局の思惑を越えて有利な立場を得られるだろうと考えました。」

「難しいですよ、未来情報の解釈と対応は。しかも選択分岐が同時並列に提示されますから。」
「故に我々が貴女を望みました。複雑で錯綜した情報の分析処理は、単純で浅い連中には無理ですからね。」

 暗にアメリカを批判しているのだな、と花憐理解する。確かに強引で単純な鳩保芳子はアメリカ向きだろう。
 つまり落ち着くべき所に落ち着くわけだ。

 

「それで、」
 と、花憐は話を促す。本当に聞きたいこと、話してもらわねばならないことになかなか辿り着かない。
 あなたはまだ肝心の事をわたしに喋ってないでしょ。

 アントナンも居住まいを正して語り始める。

「は。プランセス”SAKUYA”のご承認がいただければ、我らヨーロッパのアンシエントを束ねる総帥として、」
「そうじゃなくて。」
「は、」

 彼はしばし考える。もちろん花憐が尋ねる向きは分かっているのだ。
 しかしどう切り出せばよいか。単刀直入に申し入れるのが筋ではあるが、ちょっと事情が有る。

「貴女の配偶者の候補、であります。」
「そうそう、それ。」
「いずれも古い血の流れを受ける複数の候補が擁立されましたが、やはりゲキの力を以前に行使した『大釜の臓腑』の後継者こそがふさわしいと判断します。
 我らの中でも異論は多くございますが、可能性の強化増幅という外しようの無い強力な利点が有る為に、まずは互いに触れ合ってお考えいただこうと存じます。」
「名前はなんといいますか。」
「エマニュエル。彼等は男女対の双子として生まれ、代々エマニュエルとヴェロニカと名乗ります。」
「姓は?」
「人間には発音が難しくて、綴りで言うと”DDKHLOMTRTYERF’WOPOQQZANQCT=GUEIGC”となります。もちろん正確に発音を表記出来るわけではありません。
 通称で最後の音を取って「ゲイグ」家と呼び習わしています。」
「それは「ゲキ」なんでしょうね。」
「おそらくは。」

 超音波名でなくて良かった。だいたい宇宙人の血を引く人間にまともな名が与えられる道理がないのだ。

「どんな人ですか。性格は、趣味は、その他色々と釣り書きがあるでしょう。」
「ああそれなのです。心してお聞きください。

 エマニュエル・ゲイグ27世は御年二十歳、早くから世界新秩序構築に参加する為にミスシャクティの主催する人類の次期指導者を養成する学校で学ばれました。
 生来賢くまた多くの才能に恵まれた彼は最良の環境を与えられ、あらゆる方面に活動の手を伸ばしました。一種の天才児ですが、ゲイグ家の当主としては普通の事です。」
「26世、つまりお父様はどうなさいました。」
「残念ながら早くに亡くなられました。男子の方であるエマニュエルは寿命を全うする事がなかなか難しく、概ね冒険の最中で命を落としています。ですが、」
「才能故の早逝ですね。あまり嬉しくない旦那様です。」
「おお、”SAKUYA”よ。早計になさらずにもうしばらくお聞きください。

 運命は儚くとも彼らは身体的には壮健にして王者の風格を持ち、外敵に対して自ら立向い負けを知らぬ猛者も少なくはありません。
 或る時は教会の騎士として、或る時は国家を守る戦士として、また人知を超えた怪異から民を救う為に命を懸けて戦い続けております。まさに身を捨ててこそ名誉となるを地で行く一族です。
 本来であればゲキの加護を得て全人類に号令を掛けるところ、力は失われている為に魂の欲求に現実が追いつかず非業の死を遂げるとお考えください。」

「あまり結婚の相手としてはふさわしくないですね。」
「いえ運命は変えられるのです。

 先程先代26世についてお尋ねになられましたが、実はこの方は27世のお父上ではありません。
 『大釜の臓腑』においては常に男女の双子が生まれ、男エマニュエルには”万人を従わせる神の声”が、女ヴェロニカには”夢幻の造化”の力が備わります。
 ゲイグ家はエマニュエルによって率いられますが、あくまでも血統はヴェロニカが産む次の双子によって継がれていきます。」
「女系家族というわけですね。ではヴェロニカ26世の夫が真の父親である。」
「さようでございます。もちろんエマニュエル26世にも配偶者がございまして子も儲けてありますが、ゲイグ家とは別の者として扱われます。」
「ふむふむ。」

 つまり七夕祭りにアントナンを従えてきた中年の王女様が、それだ。
 『大釜の臓腑』は本体と傍系の二系統で成り立つ。社会的活動をするのはエマニュエルの系譜の傍系であり、ゲキの血統はあくまでもヴェロニカの産む双子なのだ。
 しかし、エマニュエル27世と城ヶ崎花憐が婚姻を結び子を成したとすると、

「もしわたしが子を産んだとすると、その子はゲキの系譜となるはず。インデューサー(誘導因子)としての能力とゲキロボを動かす資格とを代々備えていく……。」
「はっ。」
「ヨーロッパにはゲキの血統が二つ生まれる事になる。物辺神社と物部優子、と同じ関係なわけですか。」

 

PHASE 310.

 花憐には情報系の能力がゲキから与えられている。非常に鬱陶しい能力だ。
 ここまでを聞いて、警戒警報が頭の中にジャンジャンと鳴り響く。アントナンが語らぬ裏、『大釜の臓腑』の暗黒面の秘話が伏せられているとがなり立てる。
 聞かずにはとても居れない。

「じゃあエマニュエル27世の真の父親という人は、誰です。ヴェロニカの夫は。」
「それは、さる高名な社会的地位を持ち現在も精力的に活動なさってもちろん家柄もふさわしい、会ってみれば皆様から愛される好人物で、」
「名目上の夫のことではありません。」
「それはー、非常に繊細な事情がございまして、私如き者の口に出して良い事柄ではー、」
「言いたくありませんか。わたしも聞きたくありませんが、たぶん、おそらく、推測では……。」

 隣の山本翻助に振り向く。情報通の彼ならば事前調査でゲイグ家の内情を知っているはず。
 もちろん翻助も顔色を変えてアントナンに向く。

「俺に言わせるなよ。ムッシュに聞いてくれ。」
「聞きたくない聞きたくない。」
「分かってるなら聞くな。」
「というわけで、アントナンさん。聞きたくないから言わなくていいです。」
「は。ありがとうございます。」

 花憐としてもだ、昼日中の眺めの良い喫茶室でフランス白人初老のかっこいいおじさまから近親相姦についてのお話なんか聞きたくはなかったりする。
 まあだからこそアントナンの言う「運命は変えられる」が意味を持つ。

「もしもプランセス”SAKUYA”のお輿入れが叶えば、件の悪習もその任を終え一本の樹にまとめる事が出来るでしょう。
 『大釜』の因縁より解放される日が来るのです。」

 嘘八百だな、と思う。もしも花憐が嫁入りしても彼等「銀の槍」は密かにヴェロニカ27を招き、花憐の夫と通じさせ不思議の血統を繋いでいくに決まっているのだ。
 だからこその「銀の槍」だ。モラルを突き破るロンギヌスだ。
 こいつはひでーはなしだ、と花憐嘆息する。みのりちゃんが羨ましい。

 まあ王族というのは元々血族婚とか繰り返すむちゃくちゃだからこそ、世間に驚異を持って見られ崇拝されるのだ。
 この程度で驚いていてはお姫様なんかにはなれない。

「それで、エマニュエル27世ご本人はどんな方です。」
「素晴らしい方です。世界新秩序の構築にあたっては欠くべからざる才能を持った、」
「そうじゃなくて人間として、」
「人間、でございますか。人物、ですか。」
「そうどんな性格とか、趣味とか、わたしに対してどう思っているとか、」
「既にプランセスの情報はお耳に届いておられます。私よりもNWOの秘密開示レベルは上ですから、7月になる前にもう、」
「わたしについて何か言っていましたか? それともアントナンさんはその人に会った事がありませんか。」
「そんなことはございません。今日貴女に会って結婚の申し入れを先んじて伝えるにあたり、直々のお言葉を賜っております。」
「なんて?」
「それはああ、」

 映画俳優とも見まごうダンディな魅力あふれるアントナンはフランス人の典型らしくプレイボーイであろう。美辞麗句で小娘を騙すなど造作も無い。
 しかし、彼はゲキを恐れた。情報を操るインデューサー(誘導因子)の能力に恐怖した。
 下手に誤魔化すと心底を読まれて話をひっくり返される。現在の協定を破棄され、他の勢力に花憐が走るのを許してしまう。

 配慮は当然至極にして、彼の立場になれば誰もが同じく躊躇するだろう。
 自分では気付いていないが、花憐はゲキの能力が発動している時非常に澄んだ奥底の深い瞳の色になるのだ。
 透徹する魅力で美人度300%上昇、百戦錬磨の白髪紳士をも従えてしまう。

 見かねて翻助が補足説明した。

「花憐さん、ムッシュはこう言いたいのだよ。「旦那となる人が相当の奇人であってもびびらないでくれ」と。」
「奇人、変人? 変態じゃないでしょうね。」
「それは会ってのお楽しみだな。」
「ああ、そうね。よく考えたら優ちゃんの親戚みたいなものなのよねー。それは変態だわ。」

「ご理解いただけて恐縮であります。」
 翻助の説明を美人秘書に耳打ちされて、アントナン氏は額の汗を拭う。
 いかに王子様とはいえ変態では如何ともし難いものがある。それを承知で輿入れする物好きとなれば政略結婚くらいなもので、花憐にそっぽ向かれても仕方ない。

 

 下の展望室から如月怜が入ってくる。ガラスの自動ドアが開くのももどかしく、3人のテーブルに駆け寄った。

「大変。物辺村の上に妙な黒い糸が走っている。」

 3人慌ててガラス窓にへばりつき、遠くに霞む物辺島を望む。
 うっすらと糸のような雲のような線が広がり、それが何本も重なっていく。花憐は前に同じものを見た事が有る。
 アントナンも叫んだ。

「これって、硫黄島沖の宇宙戦艦を襲撃した時に電波妨害した、」
「なんということだ! あれはプラズマタール、遮蔽電磁膜だ。」

 

PHASE 311.

 物辺島の近くにある旧小浦小学校を流用したNWO宇宙人観測所。一見すると校庭にトレーラーや放送車が止まっているだけで、何も不思議は無いように見える。
 だが実際は米軍海兵隊による厳重な警備が密かに行われており、兵士は隣の廃工場を基地として無害な一般人を装い不審者不審車両をチェックしている。
 こんなごつい黒人の一般人とか普通に居るもんか。

 八月一日の昼下がり午後二時二十五分、観測所にぶらりと児玉喜味子がやって来た。お買い物自転車に乗ってである。
 小学校の校門は撤去され大型車両が出入りし易くなっている。バリケードも無いからすんなり中に入れた。
 そこで止まる。誰かやって来るのを待つ。

 暑い、というか痛い。白いTシャツにアーミーグリーンのショートサロペットパンツで腕脚剥き出しだから、直火で陽に焼ける。
 色白の花憐と違って黒くなるのは構わないが、さすがに白黒の身体を人に見せたら怪獣呼ばわりされると自分でも思う。
 せめて帽子くらいは被ってくるべきであった。

 青い警備員の服を着た東洋系アメリカン兵士が手ぶらでやって来る。日本だからもちろん拳銃携帯の「警備員」なんか居るはずがない。
 ただ彼は、拳銃どころかフルセット歩兵装備で来たかったに違いない。なにせ喜味子は見た目おっかない。
 実体は両おさげの可憐な女子高生だというのに。

「はろー。」
「あ、これは。コダマ・キミコさん、ですね。なにか御用ですか。」
「御用だよ。警備の隊長さんを呼んできて、今すぐ。それも戦闘装備で。実弾の。」
「戦闘、武装してですか?」
「うん。」

 待つ事5分。頭のつむじが真上からの陽に焼け焦げる。

 喜味子のオーダーはさすがにちょっと唐突過ぎた。
 いきなり戦闘装備になれと言われも困る。彼らは極力一般人に見せかける為に私服でリラックスする義務があるからだ。
 やっと装備を整えて出てきた隊長の中尉さん、に喜味子は眉をひそめる。
 普通の白人だったからだ。そりゃ背は高くて身体は大きいが、期待したものとは違う。まるでアル・カネイが軍人になったような人だ。
 海兵隊であれば壊し屋だと考えるのはとんでもない誤解で、要人警護や文化財保護、特殊機材の護衛などの慎重かつ高度な判断を要求される任務を専門にこなす部隊も有る。

 彼、白人に見えるが実はユダヤ人、はもちろんただの中尉ではなく、NWOの下位メンバーであった。
 同じく戦闘装備の隊員を2名従えて喜味子の前に立つ。

「こんにちわコダマ・キミコさん。御用だと聞きましたが何か問題が起きましたか。」
「いんや。でも、ほら髪の赤いCIAの英語の先生の、ミーィティアさん! は居るかな。」
「ミィーティア・ヴィリジアン女史はモンシロ高校に出勤していたはずですが、お会いになっていませんか。」
「うん。ま、どちらにしろこの観測所で受け渡しする必要が有るからね。」
「受け渡し?」

 中尉の目がきらりと光る。ゲキの力を持つ少女がCIAの対宇宙人要員に渡す物品だ。しかも海兵隊の護衛を必要とする。
 どのような物騒なオーバーテクノロジーか、警戒するに越した事は無い。

「じゃあ、ヴィリジアンさんが戻ってくるまで中で待たせてもらうよ。なにせここ暑い!」
「は! ご案内いたします。」

 

 10数分経って、観測所の校庭駐車場に巨大な真四角のアメ車が飛び込んで来た。
 喜味子が来たとの連絡を受けて、ミィーティアがクライスラーの旧車ですっ飛んで帰ってきたのだ。CO2をボコボコ吐き出して地球環境に悪い悪い。
 校舎3階の窓から覗いた喜味子は、この人運転下手だなあと思う。
 だって、そんな大きな車を不用意に切り返したら、そりゃ他の車にぶつけるだろう。
 聞いた話だと、アメリカでは自動車のバンパーは駐車場で他の車を押しのける為にあるそうな。
 まさしくそんな感じでずりずりと定位置に収まった。

 赤いスーツに紅い髪、鳩保の注文通りにキャラが立つアメリカンぽいセクシースタイルのミィーティアさんがヒールの足元引っ掛けて転びそうになり、転けた。
 泣かずに立ち上がり校舎に急いで入る。
 あの人も大変だな。

 ばたばたばたとサンダルの音がして、廊下を走り、元教室の観測室の引き戸をがらりと開ける。
 元が小学校校舎だから土足厳禁だが、屋内に土埃を持ち込まない為に外人の彼女らも上履きを使っている。
 もちろん兵隊さんもブーツのままビニール袋を履いて、さらに専用スリッパだ。

 息を切らせ額に紅い髪を一筋汗で貼り付けたミィーティアが笑顔を作りながら、元気よく挨拶する。

「おまたせしました児玉喜味子さん。何の御用でしょうか!」
「いや、とりあえず麦茶でも飲んでください。」

 物辺村観測所も夏真っ盛り。ソフトドリンクなんか飲んでたら太ってしまうから、麦茶が人気である。
 男性観測員から喜味子も麦茶をご馳走になっている。

 

PHASE 312.

「用と言うのは他でもない。みのりちゃんがお世話になったドバイの事です。」
「ああ。ドバイといえばブルジュ・ドバイ、テロリストに爆破されてしまいましたね。」
「え? 知らないの? あれみのりちゃんが中で戦闘したら倒壊しちゃったんだよ。」
「きゃあああああ。」

 ミィーティアさん、本当に知らなかったようだ。
 もちろん他所の部署の極秘情報をCIAの誰でもが知ってるわけも無い。所詮は物辺村観測所勤務なだけの女、そういう扱いを組織にされているわけだ。
 彼女が知らないのだから、男性の観測員また護衛の海兵隊も全然知らない。
 喜味子は最初から話をしなくてはいけなくなった。

「ぶっちゃけた話、ドバイのホテルが宇宙人の精神攻撃を受けてみのりちゃん本人を含む全員が強制的に睡眠させられてしまったんだ。
 おっそろしく強力で、しかも極めてリアルな夢を伴う。自分が正気であるとまったく疑わずに夢遊病みたいに警備任務を続けて、外部に「異常なし」て報告をし続けたんだ。」
「そんな、そんな強力な精神攻撃の事例なんかどこからも報告されていません。」
「だが有るんですよ。しかもNWOの最新最強の警備体制で精神攻撃への対処もしていながら、この有様。」
「まったく対処できなかったのですか? NP-8009EDc”アンチヒュプノ”と呼ばれる対精神攻撃妨害波発生装置がドバイに配置されていたはずですが」
「全然。」
「そうですか……。」

 この部屋で宇宙人の攻撃手段およびその防御兵器を知る者はミィーティアしか居ない。
 ”アンチヒュプノ”とは合衆国政府が宇宙人と提携して入手した技術で運用実績も多数有るのだが、そもそも地球人は精神攻撃のメカニズムを知らない。
 なんで動くか分からないものに頼って効かなかったとしても、お手上げなのだ。

「というわけで、NWOがあまりにも弱かったのでみのりちゃんからなんとかして欲しいって要請を受けました。」
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません。」
「とりあえず物理的な攻撃に関しては致し方無いという事で、精神防御アイテムを作ってみました。」

 と喜味子は自転車の前カゴに入れて持ってきた買い物マイバックをごそごそと漁る。近所のスーパーのトレードマークである無表情なカエルの絵がプリントがしてあり、女子高生らしい色気もオシャレも何もない。
 百円ショップで買ったと覚しきピルケースを二つ取り出した。
 一つをポケットに入れて、一応着ている服はミリタリー仕様と称するサロペットだポケットは山ほどある、片方を開ける。
 中にはお魚を象った小さな醤油入れが10個入っていた。

 ミィーティア・ヴィリジアンは右手の指を恐る恐る伸ばして、一つを摘み上げる。

「これは?」
「内服薬です。宇宙人が標準的に使う精神攻撃の40パーセントはこれでブロックできます。また70パーセントには精神攻撃されたと自覚できる作用が有ります。ちょっと頭痛がしてですね。」
「はあ、でもお薬ですか。」
「薬というかマイクロマシンですね。分子構造の一部にアンテナ状の所が有って、精神攻撃に使われる顫動波とかいうのを検知します。で、神経細胞に働きかけて興奮もしくは鎮静作用を攻撃の種類に応じて使い分けて無効化してくれます。」
「す、素晴らしい。これを頂けるのですか。」

 ミィーティア以外にも男性の観測員達や海兵隊員も興味津々で聞いている。
 とんでもなく進んだ技術だ。人間の精神を外部から自在にコントロールする技術など人類科学は現在まったく保有していない。
 これを分析して作動原理を解明すれば、逆に精神攻撃の技術を手に入れられるだろう。

「効果は76時間、それ以上経つと体内で分解されて痕跡も残りません。これで防げない精神攻撃となるとやはり専用のヘルメットとか全身甲冑とか支援装備が随分と必要になるから、ちょっと大袈裟になりますね。」
「ドバイでの攻撃は防げますか。」
「防げないけれど、頭痛で眠る事も出来なくなります。精神攻撃されてると分かるから、まいいでしょ。」

 上等過ぎる。

「えーとそれからこれ少数だけもらっても仕方ないから、分子構造をわざと簡単なものにして人間の科学技術で分析して量産し易いようにも作ってます。この手のものは数が無いと意味無いですからね。」
「有難うございます、ほんとうにありがとうございます。」

 ミィーティアはコメツキバッタのように繰り返し喜味子に頭を下げる。もしCIAなり宇宙人対策部署の上司が聞いていれば、さらなるピッチで上下動を繰り返させただろう。
 喜味子はミィーティアの手からお魚を取り上げてピルケースに直し、ポケットからもう1個を取り出して揃える。二つ重ねてもさほど嵩張らない。

「両方共10個入り、一つは分析研究用、もう一つは実際に使って実験してみる用です。」
「重ね重ねのご配慮、ありがとうございます。」

 観測所の人間もだいたい理解しているのだが、物辺村ゲキの少女の中で一番親切なのは喜味子だった。
 見た目は怖いが人類の味方だ。

 両手を揃えて平たく掌を並べて押し頂くミィーティアに、喜味子はピルケースを乗せようとして、
 ひょい、と上に持ち上げた。くれない。

 何故。表情をいきなり強張らせるミィーティア。もしや自分は何かとても失礼なことをして喜味子の機嫌を損ねたのか。
 やらかしてしまったのか……。

 

PHASE 313.

 喜味子、もう一度ミィーティア・ヴィリジアンの掌にピルケースを置こうとして、ひょいと持ち上げる。
 面白い。赤毛のねえちゃんの目にうるうると涙が浮かんでくる。もうちょっと上下動させたい衝動に取り憑かれるが、そこまで意地悪じゃない。
 その場の人全員に注意する。

「いいんですか? ここで一旦渡したら私何にもしませんよ。無くしても落としても二度と作ってあげませんよ。」
「は、ははーあ。決して粗相の無いように十分注意いたします。」
「本当に何にもしないからね。分かってますね。」
「全身全霊を挙げて頂き物を守ります。神懸けてお誓い申し上げます。」
「じゃあ渡しますよ、わたしますよ。」
「へへえーっ。」

 頭を低く下げ、手を高く押し頂くミィーティアの姿はどう見てもアメリカンではなく日本人だ。ひょっとしてこの人、日本に住んだ方が向いてるのではないか。
 観念して喜味子はピルケースを掌に置いてー、ひょいと上げる。
 ミィーティア、いかにも哀れな顔。

 こちらも困惑する海兵隊の小隊長中尉に喜味子は言った。

「私だったら、もらう前に一個中隊くらいは応援を要請するよ。」
「! これは気が付きませんでした。直ちに輸送支援を要請いたします。」

 無線機を使って中尉は最寄りの米軍基地で待機する物辺島機動守備部隊に連絡、支援要請する。
 考えてみればこんな重要な宇宙人技術の産物を、タイ焼きでももらうように気軽に手を出すミィーティアが悪いのだ。
 物品の重要性を正確に理解していないなによりの証明である。
 そりゃ意地悪されるはずだ。

「15分で先遣隊が到着。30分で輸送の準備が整います。なお近隣に潜伏中の護衛部隊も全展開いたします。」
「うん。」

 廃工場で待機していた残りの海兵隊員も別基地の交代要員も全て完全武装で小学校敷地に集合する。
 今日ばっかりは本気を見せねば米軍の沽券に関わるというものだ。

 プルル、っと電話が鳴り観測員の一人が出る。すぐに喜味子に向き直る。

「日本の陸上自衛隊も移動を開始したそうです。輸送支援任務への協力を通告してきました。」
「とうぜんですね。」

 地元警察のパトカーも全車一斉出動命令で付近の道路を通行止めし始めるだろう。何が起きるのか分からぬままに。
 自分で言ってなんだが、喜味子はちょっと大袈裟な事やっちまったと後悔する。
 選択肢は二つ有ったのだ。このままミィーティアねえちゃんにぽんと渡して何気なく平穏に運ばせるか。
 だが、いかに米軍とCIAが管轄しているとはいえ元は小学校の校舎だ。盗聴や盗撮されていないとも限らない。
 下手にねえちゃんを危険にさらすのも可哀想だな、と考えた。
 用心に越したことは無いし、それだけの価値が有る物だからこれでいいや。

 ふと見るとミィーティアのおねえちゃんが左右をきょろきょろと見回している。
 さすがに自分が何をしでかしたかを理解し、自分を除けて事態が進展するのに戸惑い恐怖する。
 おそらくは本国での査定かボーナスかに響くのだろう。
 可哀想だ。

「それじゃあ準備も整った事だし、ほんとに渡しますよ。」
「は、はい。」

 ミィーティアは中尉を見て了承を取り、今度こそ本当にと手を伸ばす。
 先遣隊が到着するまでもう5分を切り、今まとまった武装集団に襲撃されたとしてもなんとか持ちこたえられるだろう。
 OKだ。
 恐る恐る手を喜味子に差し出す。
 意地悪をせず、二つのピルケースをミィーティアの掌に乗せる。乗せた。手を放す。

「はい、どうぞ。」
「ありがとうございます。この御礼は必ず、」
「確かにタダでくれてやるわけじゃないが、みのりちゃんが随分とお世話になったからね。ドバイタワー倒壊のお見舞いというところかな。」
「は、はは。」
「ハハハ」

 緊張が一瞬ほぐれ、観測室に詰める人は皆笑った。

 

 その時、室内の観測機器のすべてのモニターがちらと揺らめき、表示を書き換えた。
 同時にびりびりと警報が鳴る。低く唸るのは機器に異常が起きた事を示すもの。
 観測者が急いで集中操作用コンピュータに取り付く。

「外部電源途絶、停電だ。」
「大丈夫、電源安定化装置が動いている。自家発電装置がもうすぐ起動、起動準備に入る。」

 ミィーティアも何が起きたのか確かめる為に携帯電話を掛ける。電力会社にだ。
 しかし、

「通話不能? 圏外ではなく電波が混乱してるわ。」
「有線電話も切れている。データラインは生きているがインターネットは切れ、あデータラインが物理切断を受けた!」

 小隊長の中尉も自身が持つ無線機のスイッチを切る。校庭に集合した隊員に連絡して外部の状況を確かめようとしたが、至近なのに雑音ばかりで繋がらない。

「強力なECM攻撃を受けている。敵襲だ……」
「敵襲?!」

 ミィーティアも観測員も驚いて声に出す。なんで今、このタイミングで。
 それはもちろん、喜味子が変なもの持ち込んだからだ。
 一人だけ冷静に告げる。

「この建物、どっかから盗聴されてるんですよ。敵は最初から襲撃を掛けるタイミングを狙ってたんだ。」

 

PHASE 314.

 もちろん旧小浦小学校を観測所に改装するにあたり盗聴盗撮を防止する策を講じてあるが、所詮は校舎。
 対策に限界が有るので、極秘事項を取り扱うなど本来考慮されていない。
 ゲキの少女がとんでもないお宝をぶらりと持ってくるなど、想定する方が頭どうかしてる。

 では襲撃者は何を狙っていたのか。
 海兵隊を二個小隊も常駐させるまでしてアメリカ合衆国政府が守りたかったものは、宇宙人技術を利用したセンサーだ。
 トレーラーに積載されるコンテナが丸ごと観測装置になっており、内部には正体不明の擬似生命体が収められる。ミィーティア・ヴィリジアンが宇宙人譲りの超感性によって制御した。
 各種電磁波磁場、宇宙線高エネルギー粒子、ニュートリノ、重力波から空間異常まで人類科学が知るほとんどの領域が観測できる。

 守備部隊はこれを「人員の被害を考慮する事無く保全する」命令を受けていた。観測所のスタッフがたとえ皆殺しにされようとも、コンテナを守らねばならない。

 小隊長中尉、NWOの下位メンバーでユダヤ人の彼は深刻なジレンマに直面した。
 命令に従うならコンテナを守りに校庭に行かねばならぬのだが、現在守るべき最優先目標は違う。
 「ゲキの少女」児玉喜味子だ。
 彼女の重要性に比べれば、コンテナの擬似生命体などクズに等しい。他の選択肢など有りはしない。
 喜味子の傍に有れば、対精神攻撃の薬剤だって守れるだろう。

 だが敵の攻撃の規模が分からない。強力なECMを用いるほどだから相当な戦力を持っているはず。
 ここは小学校を脱出してあらかじめ定められたシェルターに向かうべきだろう。
 コンテナは、放棄せざるを得ない。

 喜味子が言った。

「あ、どうぞお構いなく。私、自分は自分で守れますから。」
「いえ、そういうわけにはいきません。」
「ゲキの力が有るから正直護衛は邪魔です。あそれから私はお薬は守りませんが、それを持ってるミィーティアさんくらいなら片手間でなんとかしてあげますよ。」

 最大限の好意。
 彼はNWOメンバーだから知っている。ゲキの少女にとってNWOは必ずしも味方ではない。いや、彼女達の味方となる者は幾らでも現れる。
 これは人間同士の戦いだ、どちらが勝っても彼女達を巡る図式に変化は無い。
 にも関わらずこの申し入れ。中尉は素直に深く感謝した。

「それではここはお願いいたします。」
「うん。それからミィーティアさん、今の言葉記録。彼はちゃんと私を守ろうとして私が拒否しました、と。」
「は、はい。」

 敬礼をして海兵隊員達は速やかに校庭に駆けていった。
 やはり屋内に留まっていては何も出来ない。言葉に甘えて海兵隊らしく迎撃あるのみだ。
 喜味子は言った。

「とは言うもののだ、私戦闘力って持ってないんだよね。」

 えー、とミィーティアは泣き出しそうな声で聞き返す。ゲキの力で無敵なんじゃないんですかあ?

「ぽぽー鳩保みたいにビームもサーベルも出てこないし、みのりちゃんみたいに鉄球出ないし、花憐ちゃんみたいに超加速バリアも無いし、優ちゃんみたいに暗黒エネルギー放射もしないし。」
「ど、どうするんですか、どうすれば、そうだ中尉を呼び返して、」
「まあまあ。」

 確かに喜味子は極端に手先が器用になっただけで、戦闘向きの能力は付いて来なかった。
 巨大人型戦闘ロボに関節技掛けて制圧しろ、と言われれば出来ちゃうのだが。

 男性の観測員が話を聞きとがめて提案する。やはり喜味子は逃げた方がいいのではないか。

「私が逃げたらこの建物に直撃弾ぶち込んでくるでしょ?」
「敵の出方が分かりませんが、それはそうでしょう。攻撃ですから。」
「この小学校は私たちは通ってないんだけど、壊されたら困るんですよ。地域の思い出というやつがですね。」
「しかしそんな理由で御自分を危険に曝すのは、さすがに我々としても動かざるを得ませんよ。」

 本当に脱出させられそうだから、やむなく喜味子は変身した。バージョン『夏休み』。
 七夕祭りで使った巫女変身のバリエーションだ。手、腕足に体の全面、顔を除いて銀色梨地のコーティングがされてあらゆる物理作用から保護される。
 Tシャツは消えたがサロペットはそのままだから、至極変な姿になる。全身銀色タイツの宇宙人がズボン履いてる。
 ついでにヘルメット代わりのにわかせんぺいのお面が出現、デコにぴたりと貼り付いた。このお面だけでも戦車砲弾くらい完璧ストップ出来る。

「戦闘力は無いんだけどね、私が得意なのは物質を核としたシールドを作る事なんだ。装甲堅いのだ。」
「そう、なんですか。それを早く言ってください。」
「攻撃力無くても物辺村のゲキロボに砲撃支援要請したら、プラズマの塊が飛んできますからね。だいじょぶだいじょぶ。」

 ミィーティアも観測員達もやっと胸を撫で下ろした。
 なんだ、やっぱりゲキの少女は凄いんじゃないか。喜味子は言う事が普通過ぎて逆に困る。
 偉い人は偉そうにしておいてもらいたい。鳩保芳子みたいに。

 

PHASE 315.

 いざとなったら物辺村のゲキロボ二号を呼び出して緊急退避すればいいのだから、余裕。
 ちなみに鳩保は中南米チクシュルーブ・クレーター探査に一段落をつけて、二号の管制権を返還した。
 喜味子が新しい探査機を作ると約束したのと、使用中はてれぽーとが使えないと双子が抗議したからだ。そもそも二号はこういう変事の為に用意してある。

 というわけで、高みの見物。なにせ本物の実戦だからミリオタの血が騒ぐ。
 喜味子はお買い物マイバックからぱかっと開くと上下に画面がある携帯ゲーム機を取り出した。ペンで触って操作が出来る。
 もちろんゲキの力で強化済み。ゲキロボ携帯端末というところだ。

「敵の情報は、と。」
「へえ、便利な機械ですね。周辺の見取り図が出るんですか。」
「敵の数は……5。米軍増援はまだ到着していない、陸上自衛隊は、あコレ戦車90式だ。北海道に帰ったってのはやっぱ偽情報だったのだな。」

「いま敵と言いましたか? 敵の正体まで分かるのですか。」
「うん、プロパティ見ればえーとこれは。あ……。」

 「MOBILE AVATAR”Gascogne”」、硫黄島沖に浮かぶNWO本拠地宇宙戦艦に襲撃を仕掛けてきた魚潜水艦の搭載ロボだ。

「わちゃーこれはいかん。90式が、90式戦車が財務省の魔手に、」
「ご存知なのですか敵の正体を、」
「敵の兵器は水陸両用戦闘ロボットで劣化ウラン装甲を備えたM1A2戦車のさらに強化版までも簡単に貫通する機関砲を両手に装備してる。
 こんなもんと接触したら、きちょうな90式が!」

逃げてー、90式にげてー、と叫ぶがどこにも通じない。やはり直接戦車なり司令部に連絡しないと。

「電話!」
「ダメです不通です。」
「携帯もダメか。じゃあ、」

 首の後ろの不可視の電話しかない。鳩保に連絡してもらえばみすみす戦車を破壊される事も無く、

「喜味ちゃん?」
「うわぁ、かれんちゃんか!」

 首根っこ電話で花憐が連絡してきた。現在物辺村近辺に居るのは喜味子だけで、状況の説明を求める。

「うん、村じゃなくて小浦小学校。敵襲がね、ほら魚潜水艦の土管ロボが襲ってきた。」
「こちらにはその魚潜水艦の船長さんのアントナンさんが居るの。土管ロボはほんとなのね」
「ちょっとまって、まだ視認していない。」

 教室改造観測室から出て、廊下の窓に向かう。ゲキロボ携帯端末によるとこちらの方から見えるはず。
 ミィーティア他観測員達も出てきて外を望む。空が暗い、黒い霞が掛かっている。
 喜味子が目を凝らしてもロボの姿は見えなかった。

 代わりに空からばらばらとヘリコプターの音がする。輸送支援の先遣隊だ。
 まずい、彼等は観測所が敵襲に遭ったとまだ知らないはず。それとも通信が途絶したから感づいているか。
 正解は後者。それどころか上空から見る観測所には広く薄く黒い膜が拡がっていて、明らかに人為的な何かが起こっていると認識出来る。

 遮蔽電磁膜、通称「プラズマタール」。21世紀中頃から22世紀前半まで使われた未来の「煙幕」だ。
 原理的には電磁的な風船を地面に沿って広く薄く広げて、表面に黒色の微粒子を貼り付けるというもの。可視光線のみならず赤外線や電波も遮断する能力がある。
 この兵器はレーザー砲、無人偵察機や小型飛翔ロボット、自律判断型ミサイルの普及に対抗して開発された。
 横に薄く広いから、アウトレンジからの観測を効果的に妨害する。遠距離のレーザー攻撃を防いでくれる。
 では効果圏内に偵察機を侵入させればと考えるが、入ってしまうと機体センサーに微粒子がこびりついて観測不能制御不能となってしまう。
 低空に展開する電磁膜に反射する形で内部には妨害電波も満ちているから、ミサイル誘導も使えない。

 だが弱点は有る。上空だ。
 横に広いから上から見れば微粒子の密度が低くて、透ける。さすがに電波による探査は効かないが、光学観測で索敵出来る。
 何故そんな穴が有るかと言えば、

「わちゃ!」

 小学校裏のかなり広い畑から、光の矢が走る。空中のホコリが燃えて線を描く。上空を飛ぶ米軍ヘリに向けてのレーザー光線砲の攻撃だ。
 エネルギー密度はさほどでもないが、21世紀初頭の航空機相手には十分過ぎる破壊力があった。
 米軍ヘリは黒い煙を吹き出して再び海へと去っていく。
 同じ窓から覗いていたミィーティアが畑を指さす。

「ロボットが居ました。すごく見辛いけれど高さ3メートルくらいの筒型のボディの」
「私達は「土管ロボ」て呼んでる。」

 モビルアバター「ガスコーニュ」は頭部にレーザー砲を持っている。対空迎撃用だ。
 「プラズマタール」使用時は上空からの観測にこれで対抗する。弾道弾・ミサイルも迎撃できた。
 しかし主兵装ではない。所詮は現代の科学技術による劣化コピーで、威力も連続照射時間もオリジナルに遠く及ばない。

 故に信頼性の高い火薬式の機関砲を搭載する。

 

PHASE 316.

「光学迷彩か。」

 喜味子の目ではまだ見えない。ミィーティアは宇宙人の血筋で常人とは相当異なる感性を持つから、判別出来た。
 仕方ないからゲキの目で見る。なるほど、土管ロボだ。

 「ガスコーニュ」の光学迷彩は透明と呼べるほどにはならないが、物体の陰影を部分発光で打ち消し立体感を無くし、運動方向に逆らう画像表示をするから非常に視認しづらい。
 気付いたとしても立体感が無いから距離が分からず、照準できない。目視による射撃ではほとんど当たらないほどには効果が有った。
 もちろんレーダーも赤外線センサーも妨害されて、目で見る以外に方法が無い。

「前の宇宙戦艦襲撃では使ってなかったな。」

 宇宙戦艦島ではより高度な未来ロボ「マーズマンST」を戦場に引っ張り出す目的が有った。ロボットにはロボットで対抗すべき、と判断させる計算だ。
 それにあそこのセンサーは、ミスシャクティが提供する高度な未来技術を使っているはず。
 高度なセンサー?

「センサー、有るよね。ここには宇宙人技術の」
「は、はい。極秘事項ですが確かに宇宙人より供与された超広帯域超感度センサーが設置されています。」
「そのデータを海兵隊のパソコンにも転送してやろう。見えなくても対処できるようになる。」

 喜味子はちょいちょいとゲキロボ携帯端末を操作する。ペンをさらさらと走らせて、宇宙人センサーのデータを映像化して現実の光景に重ねるソフトを作り上げる。
 そういうものを作ってくれとリクエストすると物辺村のゲキロボ本体がプログラムしてくれるのだ。
 強制的に米軍のセキュリティをこじ開けて、物辺村観測所守備隊の軍用ノートパソコンにインストール。
 首根っこ電話で小隊長中尉の無線機に直接通信をねじ込んだ。アクセスには鳩保の強制電話の能力を借りている。

「あ、中尉さん? 喜味子です。敵の正体と位置が見えるソフトをそちらのパソコンに入れましたから、使ってください。」
”え? なんですか。軍のコンピューターに何かしましたか”
「しました。敵が見えるから対処し易いでしょう。じゃあ頑張って。」

 教室校庭側の窓に行き海兵隊の様子を見ると、ノートパソコンを開いて驚く兵の姿が有る。
 彼等は敵が5体も居る、それもロボットだとは気付いていなかったようだ。
 校舎三階に振り返り、喜味子の姿を認めて手を振った。良かった、役に立ったようだ。

「でもですよ、喜味子さん。敵が見えるようになったとして、彼等の武器で対抗出来るのでしょうか。」
「無理。」
「ですね。」

 しかし位置が分かれば作戦は立てられるし、最も強力な兵器をどこに配置すべきかも決定できる。
 ハンヴィーの上部に備え付けのM2重機関銃もSMAW携帯ロケットランチャーも。

「ちょっとー、きついかなーコレ。」
「あのロボットは強いんですよね、戦車がやられるほど。」
「90式もー、あぶないー。」

 ミィーティアに言われて気付いた喜味子、今度は陸自のコンピューターに侵入する。早く敵位置を教えてやらないと90式が撃破されてしまう。

 校舎はばたばたと兵士が走り回る音に包まれた。
 海兵隊は現在最も近い位置に居るロボット、つまり喜味子らが畑で見た機体にまず攻撃を仕掛ける。
 回り込まれて校門からの攻撃も危惧されるのだが、こちらは道路沿いで応援の部隊が急行してくれれば対処出来る。
 まずは一番近いものから。他に手が無い。

 ただし日本国内民間領域での戦闘であるから十分な量の弾薬を確保していない。無駄弾が撃てない状況だ。
 喜味子が送ったデータ可視化ソフトを使って慎重に照準を定めて、肩撃ちのSMAWロケットランチャーを発射した。
 このランチャーは対戦車ミサイルと違って固定目標や陣地攻撃にも使われるから、よく見えないがここらへん、という目標を狙うのに最適だ。

 爆発。命中。
 土管ロボ、いやトマト缶と呼ぶべき胴体に手足とロケットブースターが装備される、見ようによっては可愛い機体の姿が露わとなる。
 光学迷彩機構はデリケートなものだから、一発榴弾を食らって機能不全に陥った。所詮は現代技術のコピー品。
 だがダメージはまったく無い。表面薄皮が剥げた程度。
 歩兵が携帯する成形炸薬弾で傷つく装甲兵器は21世紀後半にはもう存在しなかった。

 姿が見えるから海兵隊は撃ちまくる。
 通信は効かなくても銃声や爆発音は味方に届くだろう。警報の代わりとなって、十分な慎重さを持って接近してくれるはず。
 一方土管ロボは発砲しない。海兵隊が小学校校舎を背にしているから、撃てないのだ。
 ロボの目的は喜味子が米軍に渡した対精神攻撃薬、加えて未だ喜味子が中に居る。
 この位置からでは、海兵隊を掃討するのは無理だ。

 ロボがぽんぽんぽんと畑で跳ねる。二足歩行で走行する。
 その姿は現在の、21世紀初頭の人間が知るロボットの走りとまったくかけ離れて、見事としか表現できない。
 小さいとはいえ10数トンは有るはずの機体がまるで重さを感じさせず、畑に大穴を開ける事も無しに軽快に進む。
 どのようなテクノロジーだろう、地面に掛かる圧力は戦車のキャタピラ以下のはず。
 これならば地球上どんな環境で用いても支障は無かろう。

 しかも弾を避けない。小銃弾はおろかグレネードランチャーも、再度のロケットランチャーの攻撃も全部受けながらまっすぐ近づいてくる。
 この程度の火力では傷も付かぬと言わんばかりだ。

 物辺村観測所守備隊、絶体絶命。

 

PHASE 317.

「1時方向車道から友軍戦車! JGSDFのTYPE90だっ。」

 陸自の90式戦車が勇躍一番乗りを果たして救援に駆けつけた。既に喜味子からの通報で敵は装甲戦闘ロボットと認識する。
 残念ながら情報通信機能が旧式だから光学迷彩を見破るソフトをインストール出来ないが、見えている標的なら問題無い。
 砲塔が旋回してラインメタル44口径120mm滑腔砲が土管ロボに指向する。

 ロボも反応した。
 「ガスコーニュ」の装甲材は極めて進んでおり、一般的な120ミリ戦車砲から撃ち出されるタングステン合金、もしくは劣化ウラン製のAPFSDS弾の貫通を許さない。
 しかし機体自体が軽いから、砲弾の運動エネルギーを直接に受けてしまうと衝撃で一時フリーズする。巨大ハンマーで殴られるようなものだ。
 やはり戦車は優先的に排除せねばならなかった。

 小浦小学校を背景にする海兵隊が、あらぬ方向にロケットランチャーを発射する。
 敵ロボットとまったく離れた場所で爆発すると、もう1機土管型ロボットが出現した。彼等は宇宙人センサーのデータを用いて、90式が闇討ちを食らわないようにしてくれたのだ。
 だが2対1。しかも90式の乗員はロボットの武装の威力を知らない。

 2機のロボは、両腕に装備された20ミリ先進機関砲の照準を90式に向ける。

「ああああ90式があああ!」

 ロボの1機、後から出現した方が吹っ飛び、同時に90式の砲塔を光が貫通する。
 砲塔後部に収められていた戦車砲弾のラックが大きく爆発した。新しい設計の戦車だと弾薬の誘爆が車体内部で起きないように、爆圧が外に抜ける構造になっている。
 だから思ったよりも深刻なダメージではないのだが、もちろん戦闘不能。

「うわあっ!」

 双方火砲発射の衝撃で小学校のガラスがこちら側すべて吹っ飛んだ。近過ぎる。
 轟音で耳が死ぬ。きーんと鳴って、なにがなんだか分からない。ミィーティアも男性の観測員達も廊下に転がって身を隠す。
 一人喜味子だけが立ち上がり、90式の最後を見届けた。

「こちらに弾が飛ばないように、後から出た方のロボを撃ってくれたんだ。」

 ふっ飛ばされた「ガスコーニュ」は動かない。至近弾を食らったのだ。貫通しなかったとはいえ、そのダメージたるや、

「お。もう再起動に成功したぞ。」
 機体よりも揺さぶられたパイロットの状態が問題であるが、1発だけであればほとんど支障なく作戦行動を続けられるらしい。

 状況は圧倒的に不利なまま。いかに米海兵隊とはいえ、戦車砲の直撃に耐える機動兵器など対処のしようも無い。
 応援の部隊も戦車までは日本に持ち込めない。陸自だって、この近辺はそもそも74式のテリトリーだ。非力極まりない。
 レーザーで焼かれるのを承知で空爆でもするか?

 

「きみちゃん?」
「ぽぽー? 今どこ?」
「市民プール。こっちまで爆音が聞こえてきたよ」

 鳩保が居るという市民プールまで物辺村からおよそ3キロ。120ミリ砲の咆哮は凄まじい。

「ぽぽー対策対策。私じゃ手が出せないよ。」
「というか、誰も手を出しちゃダメだぞ。これはNWO内部での抗争なんだから、干渉しちゃダメ」
「でもねぽぽー、」

 これは花憐だ。

「わたし、今魚船長さんと一緒に物辺村に全速力で向かってる最中なの。彼ならロボットのパイロットに話し掛けて撤退してもらえると」
「甘いぞ花憐ちゃん。この襲撃はたぶん、魚船長さんとはまったく関係ないはずだ」
「そう、かな? やっぱりそうかしら。彼も喜味ちゃんからの情報を聞いて驚いてるから」

「ぽぽーとりあえず対策だ。このまま守備部隊全滅は寝覚めが悪い。」
「うーん、でも手を出すのは、」
「喜味子、」
「優ちゃん? どこ。」
「学校。あたしが電撃で焼こうか?」
「いやそれは御免こうむる。優ちゃん手加減できないし。」
「ちぇえええ」

「喜味ちゃん、とにかくわたしが行くまで引き伸ばして。最後どうしてもダメならイリュージョンボムを使うわ」
「了解。じゃあ時間稼ぎの悪あがきしとくよ。」

 

PHASE 318.

 花憐の言う「イリュージョンボム」とは精神攻撃の一種で、感覚だけ大爆発に遭ったかに勘違いさせる技だ。人畜無害のびっくり技だが、生き物相手なら効果絶大。宇宙人も昏倒させられる。
 というわけで、喜味子は男性観測員の一人を引っ張った。

「下に降りて、狙撃銃を1丁借りてきて。射手付きで。」
「は、はい。狙撃銃を持った兵士を1人連れてくればいいのですね。」
「うん。あんま効果は無いけどね。」

 背を屈めて流れ弾が飛んでこないように避けながら、観測員は階下に降りていった。あんな格好しても、小学校の薄い壁なんか弾丸サクサク通り抜けなのに。
 来たのはプエルトリカンの兵士、バレットM82A3を抱えてきた。M2重機関銃と同じ12.7ミリ弾を使う大口径の、昔風に言うと対戦車銃だ。
 長大で重く、女子高生の力で取り扱えるシロモノではない。
 だが喜味子は言った。

「ちょっとこれ貸して、ぶっ壊すけどいい?」
 いいも悪いも、隊長からKIMIKOの言う事にはなんでも従えと命令を受けている。彼は日本語を喋れないから、ミィーティア経由で返事した。

「お望みのままに、だそうです。」
「ありがと。」

 彼が喜味子の筋力を測りかねて落とさないように慎重に渡そうとするのを、ひょいと取り上げる。人間の力ではない、ゴリラクラスだ。
 喜味子は銃をチアリーダーのバトンみたいにくるくると手の中で回すと、いきなり素手で分解し始めた。
 30秒で全部品ばらばらに、さらに20秒で元の姿に戻っている。
 変更点は照準器。今まで付いていなかった電気部品が追加されて妙な形だが、最近はSFアニメに出てきそうな変銃も実際にあるから、常識の範囲内だ。
 仕事を終えて喜味子はふうと息を吐いた。

「でけた。」
「喜味子さん、何をしたのですか。」
「名付けて、「嫌がらせ銃」。敵機動兵器の視覚センサーにばかり集中的に弾が当たるように組んでみました。」

 ミィーティアに説明を受けて、兵士の目がぎらりと光る。彼も歴戦の勇士だ、この銃の真価が即分かる。
 撃破は出来なくとも、センサーを潰して外部情報を遮断すればいずれ撤退せざるを得ない。
 負け犬オーラがなんとなく漂っていた者がいきなり野獣の気配を発散させて、ミィーティアも喜味子もちょっと退いた。

 その時、校庭駐車場側で発砲音がする。
 他のロボットが進入しようとするのを阻止せんと、ハンヴィー上のM2で射撃し始めた。
 だが全く効果が無い。そもそも現有兵器でもちょっとした装甲車には歯が立たないのだから仕方ない。ロケットランチャーで2発続けて撃ち込んでも、止められない。

「あれを、」

 喜味子に促されるまでもなく、新改良嫌がらせ銃を手にした兵士は3階の窓越しにロボットを狙う。
 光学照準器に特別な表示が追加され、主要センサーの位置が指示される。
 もちろん「ガスコーニュ」にはセンサー部を保護する先進的な材料が使われているのだが、ここはやられたら困るクリティカルポイントを針の先で突くかに細かく狙っている。
 校舎から校庭出口まで100メートル未満。この距離で狙撃なんか、外しようも無い。

 ぼかぼかと2発続けて撃ち込むと、果たしてロボットは止まってしまう。突然前が見えなくなって、他のセンサーでカバーする作業に時間を取られる。
 明らかに通常兵器による攻撃ではないので、用心の為一時撤退した。
 代わりに別のロボットが進入を試みる。機体表面上の光学迷彩機構がまだ破損しておらず目視しづらいが、照準器はしっかりと見破ってくれる。
 3発撃ち込んだら、これも撤退した。

 彼は満面の笑顔で振り返り、質問する。ミィーティアが通訳した。

「この弾は特別なものですか?」
「いえ弾は普通ですが、この銃から発射された時点でちょっと属性変わります。」
「連射しても大丈夫ですか。つまり残弾が無くなり弾倉を換えても効果は変わりませんか。」
「電池切れるまで大丈夫。切れたら電池交換で大丈夫。」

 彼は納得し大きくうなづき、今度は廊下側に行き90式を破壊したロボット2体の撃退を試みる。
 喜味子はパイプ椅子に座り、はあと溜息を吐いた。

「ちょっとまずいことやっちゃったかなあー。」
「あの銃はダメなのですか?」
「いや、ロボット側とすればこちらの抵抗をなるべく人死無しで制圧して目的を果たそうと考えたんだろうけど、近付けなければ遠距離から砲撃しなくちゃいけない。」
「あ、」

 ミィーティア、開いた口を押さえる。事態は確実に悪くなり、少し時間稼ぎをしたに過ぎないのだ。

「早く花憐ちゃんに来てもらわないと。」

 とは言うものの、だ。花憐の能力であれば突っ走ってもう到着していなければならない。
 何グズグズしてるんだ、あのリボン女は。

 

PHASE 319.

 遅ればせながら状況を描写すれば、花憐の後頭部では今日も元気にインディゴブルーから白へのグラデーションが掛かったリボンがはためいている。

「山本さん、もっとスピード出ないんですか?」
「無茶を言うな。オープンカーで200キロなんて自殺行為だ。」

 来た道を逆に高速道路を門代まで飛ばし、ランプブラックとシルバーの2色に塗り分けられたコンバーチブルが疾走する。
 山本翻助が運転で花憐を助手席に、後部座席にはアントナン・バルバートルが乗る。
 花憐が突風に負けない声で抗議した。

「なんでオープンカーなんですか! なんでもっと早い車を用意しないんですか。」
「仕方ないだろ、これが一番安全なんだから!」

 行きに聞いた話だ。ゲキの少女を送迎する際にはNWOは万全の警戒をしなければならない。
 理想を言えば装甲車に乗せて前後を警備車両に任せて、の大名行列が要求される。
 もちろん物辺村の人間には内緒のままだ。私的に車を使うのを、不安ではあるが干渉せずに見守った。日常生活を壊さない為に、だが警備関係者は気が気ではない。
 対戦車ミサイル等で攻撃されたらどうするか。日本なら大袈裟な武器が持ち込めない、なんて寝言は許されなかった。

 やはり武力による警戒には限界が有る。
 どうしても私的にゲキの少女を連れ出す場合は、いっそのこと彼女達の超能力に任せた方が安心か。そういう了解がなされていた。
 故にオープンカーだ。特に花憐はバリアーを展開できるし、高速移動能力を持つ。
 もし交通事故を起こしても自力でなんとか出来るだろう。

「プランセス、落ち着いて。モンシロに入れば交通規制もされて進めないでしょう。彼PON−SUKEに任せてください。」

 後席でなだめるアントナンの言葉に花憐はぎょっとした。

「あなた、「ポンスケ」て呼ばれているの?」
「おう。世界中どこでも一発で覚えてもらえる便利なあだ名だ。テレビでも名乗ってるぞ。」
「バカみたい!」

 さすがの花憐も切れた。ちんたらしてたら物辺村どうにかされてしまう。
 標的がちょっと離れた小学校の観測所だとしても、流れ弾が十分飛んでいく距離なのだ。ミサイル爆弾機関砲弾、どれが炸裂しても日常生活は送れない。
 遺憾ながら、ゲキの少女達には近隣住民の平穏な生活を護る義務が生じていた。
 物辺村正義少女会議の名は伊達ではない。

「ええ、もうやめた。山本さん、超能力使います。」
「お、おう。」

 高速で疾走するコンバーチブルが不意に無風となった。翻助もアントナンも何が起こったかと左右に首を振る。
 バリアだ。花憐が自分を守るバリアを車全体にまで拡大し空気抵抗を排除した。
 しかも時間感覚まで加速する。あまり早いと一般人の翻助らがついてこれないから、1.2倍だ。
 200キロ近い高速で飛ばしていたはずなのに、ぐっと100キロ前半にまでゆるやかに感じられる。

「山本さん、これで車は安全です。おもいっきり飛ばしてください。」
「知らないぞ、どうなっても。」
「そこは超法規的措置で事後処理です。」

 高速出口のランプウェイをとんでもない横G掛けながら回り、一般道に降りる。
 うまい具合に警察が交通規制を張って物辺村方向通行止めになっているから、突っ走る。
 車線を封鎖していたカラーコーンを蹴飛ばして、アクセル全開。海岸通りを矢のようにすり抜けた。
 やっと花憐の要求通り。

 翻助が言う。

「俺、実は運転そんな上手くはないんだ。」
「なんですって!」
「いや、アフガンで荒野を反政府勢力に追っかけられた事あるけどさ、早いのは苦手で、」
「いいから踏んでアクセル。」
「なんてこった、こんなお姫様だったのか。」

 

PHASE 320.

 物辺村近辺に潜伏していた陸上自衛隊の護衛部隊が出現して、小浦小学校に通じる道路を完全封鎖している。
 のだが、300キロを越えてしかも歩道や畑も突っ切って行く花憐の乗った車を制止する事は出来なかった。
 スピードを出すのは良いが今度は止まらない。戦闘の真っ只中に無防備に突入してしまう。

 海兵隊の増援も所詮は戦車装甲車を持ち込めないので、歩兵戦力による絶望的な戦闘が続いている。
 上空にはF/A-18戦闘攻撃機が3機旋回待機するが、レーザーによる対空攻撃を警戒して近付けず、大袈裟なミサイルを使うわけにもいかず傍観するばかり。
 唯一効果的と思われる海上からの砲撃を目論んで、海上自衛隊のミサイル艇が接近中である。

「うわあわわわ、わあああ」

 悲鳴を上げながらも山本翻助は海兵隊員を轢き殺さず、燃える兵員輸送車にぶつけもせず、見事小浦小学校に滑り込んだ。
 しかしブレーキが効かない。ゴムのタイヤで砂地の運動場に踏み込めば滑るしかなく、元の児童下足置き場にすっぽりとはまって止まる。
 花憐がバリアを使って止めた。

「上手いじゃないですかぽんすけさん。」
「お、おまえの超能力、むちゃくちゃだ。人間のぎじゅつの機械なんだぞ自動車ってのは、あんな無茶出来ないものだ覚えとけ。」
「はい。」

 にっこり笑って花憐は助手席のドアを開け、校内に降り立つ。
 校庭側を守っていた海兵隊員が殺到して来るのに左手で挨拶し、英語で尋ねる。

「児玉喜味子さんは上ですか?」
 カシャっと銃口が集中する。ああそうか、この人達わたしの事知らないわ。

 一応は物辺村宇宙人観測所の守備部隊はゲキの少女全員と家族・関係者の顔を知っている。
 だが銃撃戦の最中に超高速のオープンカーで突っ込んでくる不審者に、そこまで頭が回らない。
 運転席の山本翻助も、後席のアントナン・バルバートルも両手を上げてゆっくりと降りる。
 ここは穏やかに、穏便に。

「花憐ちゃん!」
「きみちゃん!」

 ああ良かった、上から喜味子が降りてきた。階段の踊り場から顔を覗かせ、海兵隊に呼びかける。
 このヒト達は味方です。
 喜味子の言葉に兵士は全員納得し銃を下ろして、また校庭での迎撃に復帰する。

 花憐、土足のまま階段を駆け上り喜味子の傍に行く。超能力なんか無くても元から足は早い。

「状況はどうなってるの?」
「それがさ、見ての通りに面白い事になってるんだ。」

 二階階段踊り場の窓から、土管ロボの顔が覗く。既に「ガスコーニュ」は小学校舎に取り付いた。
 そこからがいけない。

 全高3メートル重量10数トンの機体は機動兵器としては極めてコンパクトにまとめられているが、一般家屋しかも古い小学校に入るには大きく重過ぎた。
 鉄筋校舎ではあってもそんな重量物が内部で移動するのを支えられない。
 外から窓に手を突っ込んで目標物を確保する、のはいいが3メートルは低過ぎた。二階にも手が届かない。
 そこで土管ロボの上に土管ロボが乗って、三階に居る薬剤を持ったミィーティアを追い回す。

 海兵隊員も阻止を諦め、二段重ねのロボがバランスを崩して校舎に倒れ掛からないか固唾を飲んで見守っている。
 花憐、呆れた。

「なにこれ?」
「こっちが聞きたい。というか当初の作戦は良かったんだ。」

 喜味子が想定する強奪作戦はこうだ。
 まず強力なECMと有線通信の遮断で観測所を孤立させる。
 正体も見えないロボットの一斉襲撃で守備部隊を瞬間的に制圧、武装解除。
 しかるのちに脅迫的交渉をして目的の対精神攻撃中和薬を奪取する。
 逃走経路は海。得意の潜水をして脱出する。
 完璧なシナリオ、もしも喜味子が守備隊に加勢しなければ3分以内に作戦終了しただろう。

 しかしシナリオが崩壊した後はまるで無能を曝け出す。これが本当にプロの軍人のやる事か。

「いえ違います。彼等”Gascogne”のパイロットはアストロノーツ並の資質と高度な訓練を積み重ねた、正真正銘のプロフェッショナルだ。こんな無様な運用をするなんて!」

 喜味子の言葉に反応したのは、階段を上ってきたアントナンだ。山本翻助によって二人の会話は通訳されていた。
 ゲキの少女が戦術分析をしていれば、誰だって聞きたくなる。

 

PHASE 321.

「アントナンさん、あのロボットとパイロットはあなたの指揮下にあるのですか。」
「それは正確な認識ではない。確かに私は数カ月の作戦行動中彼等と共にあったが、指揮権は有していない。」

 花憐の問いにアントナンは正直に答える。この稚拙な襲撃が彼の意図だと誤解されては困る。

「私は彼等の能力を借りただけだ。作戦計画を持込み審査を受けて、それが人類の生存に有益であると承認されて初めて合流が許される。」
「誰がロボット部隊を保有しているのですか。」
「彼等は国際傭兵団で、設立にはミスシャクティが関わりNWO創設メンバーも参加する。NWOが現在の形になる前の武力形態と呼ぶべきです。」
「昔はアメリカ軍主体じゃなかったんですか。」
「冷戦下だからソビエトとの兼ね合いもあって、東西両陣営の片方と密接な提携関係を築くのは良くなかった。」

 国際救助隊サンダーバードということか。
 ならば今回の襲撃も、誰かが計画を持ち込んで上層部に承認されたわけだ。
 それにしても、この醜態は何だ。誰が指揮をしている。

 喜味子が推測を述べる。

「もしかして、パイロットは薬物投与されたり精神制御されて本来の思考力を失っているんじゃないですかね。」
「そうかもしれない。だが出撃前に厳密な身体検査を受け搭乗中は常時コンディションを計測されている。管制官が見逃すはずが無いのだが、」

「アントナンさん、つまり確実に人間のパイロットが乗っているわけですね。自動操縦とかでなく、」
「それはあり得ない。このロボットは未来の優れた技術をコピーして作られているが、制御装置情報処理機能は現在のシリコンコンピューターだ。
 地上戦闘などの複雑過ぎる状況でのAI判断はまったく処理が追いつかなかった。」
「そんな能力は無い、ぜったいに人間が乗っているのですね。」

 ならば決まりだ。「イリュージョンボム」を使って止めよう。
 その前に、

「きみちゃん、2階建てのロボを落とせない? このまま停止させたら校舎にもたれかかって大惨事になりそう。」
「わかった、蹴り落とそう。」

 安請け合いして喜味子は階段をとんとんと三階にまで上がっていった。
 ミィーティアは喜味子に命じられて長い一本の廊下を左右に走り回り、囮を務めている。
 土管ロボの目的が対精神攻撃薬であり、この状況に陥ってもなおそれを変更しないと見極めて翻弄させていた。

 1機を踏み台にして頭の上に登った「ガスコーニュ」は、手を伸ばせば更に2メートルまで手が届く。計8メートル、三階にはギリギリだ。
 機械の指を窓枠に掛けようとするが、もちろん機体重量を支えるほどの強度は無い。
 がりがりがりと窓の下を引っ掻いて崩すばかり。
 まるで鳥カゴの文鳥を捕る為に猫が必死にあがく姿である。

「喜味子さん!」

 ミィーティアは助けを求める声を上げる。いかに短い距離だとはいえ、廊下をばたばたと往復すれば息が切れる。

「どんな具合?」
「やっぱり薬以外には目がいかないようです。視野狭窄なんてものでなく、ほんとにそれだけしか知能が無いみたいで、」
「覚せい剤なのかな? ならケダモノ相手の対処をするっか。」

 喜味子は躊躇なく窓枠の上に立つ。ガラスなんかとっくに割れてしまっているから、何物も阻まない。
 眼下を見れば、「ガスコーニュ」が両手を振り上げてこちらを仰ぐ。後ろのミィーティアが目的だ。
 武器を持った兵士が立てばまた対応も違うだろうが、喜味子には脅威を感じないから今までどうりの無駄なあがきを続行。
 銀色全身タイツ変身の意味を推測する知能は無いらしい。

 ミィーティアが背後で叫ぶ。喜味子さん、あなた何をするのですか!? 馬鹿な真似はやめて。

「あー、テンション下がる事言わないで。ちょっと理性が抵抗するんだな。」

 もちろん普通の人間女子高生であればこんな真似しやしない。ゲキの力を授かったとはいえ、やはり常軌を逸した発想なのだろう。
 ちぇい!

「きゃああああああああ!」ミィーティアの悲鳴。

 窓の上から飛び降りて「ガスコーニュ」のおでこに蹴りを入れる。無論10数トンの重量を持つ機械が40キロ台女子高生の衝突で揺らぐわけがない。
 のだが、

「じぇぃじぇぃじぇい。」

 頭の上で数回ステップすると、機体全体のバランスが把握出来る。どこに荷重を掛ければ回復不能に傾斜するか、分かってしまう。
 喜味子手指は器用になったが、考えてみれば足にだって指は有るのだ。使おうと思えば自在に扱える。
 とどめ、と大きく蹴って元の窓枠に飛び上がった。不安そうに覗いていたミィーティアの顔の傍に着地して、振り返る。

 おお。土管ロボが後方に大きくのけぞって転倒する。手入れをしておらず、もちろんロボの足に蹂躙された芝生の成れの果ての上に落ちた。
 さすがに凄い音がする。なにせ10数トン、足で蹴飛ばして測定したところ13トンと20キログラムが落下したのだから、たいへんだ。
 地上で見守る海兵隊員も思わず顔を覆う。

 今がチャンス。

「花憐ちゃん!」

 

PHASE 322.

 花憐変身は0.1秒で終了する。ほんとは瞬間に出来るのだが、わざと遅く設定されてしまった。
 花憐と優子に限って変身過程に全裸ターンが発生するのだ。ちなみに鳩保変身は足元から頭まで順番に裸になって変わっていくから、全裸状態は存在しない。
 何故と言われも困る。それが変身の正しい姿だと強硬に主張する者が多数居たからだ。民主主義の原則だ。

 というわけでほんの一瞬、だが見る者の目に鮮烈に焼き付く裸身が曝される。
 今回ギャラリーは山本翻助、アントナン・バルバートル、海兵隊数名。サービスが過ぎた。
 変身後の姿はまるで繊細な工芸品で、猩々緋の色紙にアゲハチョウを切り紙した曲線鋭いコントラストを全身に纏っていく。
 ただし門代高校夏制服のスカートだけは残る。変身過程では透明化していたものが、終了後に実体化した。
 バージョン『夏休み』の変身は、その時着ていたものが一部そのまま使われるのが特徴だ。

 そして付属品のマジカルステッキ出現。頭部が本になっており、開いて地面に杖を着いて書見台の形になる。
 魔法攻撃「イリュージョンボム」を使うには、このアイテム1個が有ればいい。実際、情報検索機能を使うだけならマジカルステッキは単独で出現する。
 にも関わらず戦闘時には必ず変身が義務付けられ、全裸ターンが発生するのだ。
 民主主義許すまじ。

「……たしかに5機のロボットの中にパイロットがちゃんと居るわ。男性4名女性1名。」

 マジカルステッキの本の頁にパイロットの名前や国籍顔写真だって表示される。アントナンに確認してもらったが、いずれも彼が知る有能なパイロットだ。

「気絶させて「ガスコーニュ」を停止させます。よろしいですね。」
「ご随意に。」

 今回の作戦に関係は無いのだがアントナンに承認をもらって、攻撃を発動する。

「いりゅーじょん、ぼむ!」

 何故攻撃時に技の名前を大きく叫ばねばならぬ設定なのか。民主主義死ね。

 イリュージョンボムのイリュージョンたる所以は、それがまったく物理的破壊効果を産まない所にある。
 だが観測する者にとっては、まさしく爆発は起こっていると認識ざるを得ないのがこの技のミソだ。
 なにせ宇宙人は可視光線ばかりでなく紫外線赤外線電磁波重力波その他諸々の広帯域の感覚を持っているから、ウソ爆発など軽く見抜く。
 人間だって、爆発に伴う熱や爆風が無ければそれを破壊的な現象とは認識しないだろう。
 センサーや無人機を使って遠隔で観測する者にとっても、ウソ爆発なんかデータのエラーとしか理解できない。なにせ観測器自体が無事なのだから。
 いや物理現象としての発光や発音が無いのだから、機械的センサーが捉える道理が無いのだ。

 にも関わらずイリュージョンボムはおよそ考えられる知的存在全てを欺いてしまう。
 効力は生命体に限らず魚肉人間のような擬似生命体、超次元生命体、機械生命体はおろか単なるコンピュータにまでも発揮される。
 「騙される」可能性の有るモノは全てと言って良い。
 おそらくは「認識」の概念自体に干渉する能力と思われるが、メカニズムは花憐にはさっぱり分からない。

 ま、能書きはどうでもいいのだ。
 とにかくイリュージョンボムは効いて、土管ロボ「ガスコーニュ」はじたばたと数秒痙攣して停止する。
 パイロットが気絶昏倒したのは確実だが、ロボットの自動防衛機能やオート帰還機能も作動しない。完全に沈黙してしまい再起動も無い。
 だからと言って制御コンピュータが破損したわけではない。ソフトウエア的支障が起きたのでもないが、とにかく停まる。
 コンピュータも魂消てしまった、と表現すべきであろう。

 もう一つ、この技には便利な点が有る。効果時間が無限なのだ。
 花憐が解除しない限りは何時までだってこの状態が続く。もちろん人間の場合は病院に突っ込んで医療的措置を施さねばならないが、寿命が尽きるまで起きて来ない。
 さすがに危ないから、花憐はちゃんと解除される時間を設定している。通常10分を今回は1時間。ロボット自体には24時間のフリーズを強いている。

「きみちゃーん、停めたー。」
「あいよおー。」

 三階の喜味子が階段を降りてくる。左手にはふらふらとよろめき正体も無くなったミィーティアを強く掴んでだ。
 イリュージョンボムは指定された対象者は気絶してしまうが、周辺の者にも付随的被害を及ぼす。びっくりするのだ。
 普通なら「うわーすごかった」で済むのだが、地球人の枠を超えた感性を持つ彼女には刺激が強過ぎたらしい。

「いやー花憐ちゃん、さすがに凄いねイリュージョンボムは。ぴかぴかっとして。」
「ミィーティア先生、大丈夫? ちょっとやり過ぎたかしら。」
「この人は元々びっくりし易い体質だから、こんなものでしょう。」

 それよりだ、と喜味子はミィーティアの身柄および対精神攻撃中和薬を観測所守備部隊長の中尉に渡して、校舎の外に出る。
 さあ土管ロボめ、解体しちゃうぞお。

 

PHASE 323.

 イリュージョンボムによって沈黙させられたモビルアバター「ガスコーニュ」だが、全てのコンピュータが停止したわけではない。
 特に動力炉を司る自律保全装置は完全な機能を保ったままだ。暴走して爆発なんかしでかさない。
 搭乗者が乗り込むハッチのコンピュータロックも正常に機能し続ける。
 米軍海兵隊が恐る恐る土管ロボに接近しこじ開けようと試みても無駄だ。

 せっかくのお宝を前にしていながら何も出来ない。だから専門家の手を煩わせる。
 喜味子登場。未来兵器のコンピュータロックであっても、ゲキの力の前には赤子の手を捻るよりも簡単に開くであろう。

「開きますけどね、」
と自信たっぷりに語る喜味子が用いるアイテムは、ヘヤピン。まんま自分の髪に刺さっていたものだ。
 何故コンピュータロックがヘヤピンで開くのか、まともなコンピュータ技術を習得した技官・工兵にはさっぱり分からない。
 しかし開くのだから文句は言わない。

 最初に開放する「ガスコーニュ」は、素直に足を前に投げ出しお座りの形で停止する。
 上体がまっすぐに立っているからアクセスし易い。
 ハッチ開放のキーボックスは左腕付け根の後ろに有り、鍵も無ければスイッチも取っ手も無い。知らない者が見たらキーボックスだとは気付かないだろう。
 しかし喜味子の指は騙されない。これは一種の箱根細工で、装甲板を左右に数回ずらせば開いてくれる。

 典型的な10キータイプの入力装置があり、暗証番号を打ち込めばハッチ開放だ。
 ここにもカメラが有り敵味方識別をした上でキー入力を受け付けるという強情さ。無理に触ると攻撃する機能まで付いている。
 ひるまず喜味子が無造作に弄る。あっという間にセキュリティを解除してしまう。
 こんなもの、軍鶏の首〆るより遥かに簡単だ。

 最後にレバーを下げてハッチを開放する。内部のパイロットを引きずり出す為に、海兵隊員がライフルを構えて傍に寄る。
 喜味子の指示により一人がロボットのロケットバックパックに上り、M4カービンで上から狙う。万一パイロットが抵抗した場合射殺する。

「じゃあ」

 合図して、喜味子は開放レバーを押し下げた。機体各所で圧縮空気が漏れる音がして、土管の前半分がわずかにスライドして出る。
 「ガスコーニュ」は水陸両用機動兵器であるから、潜水時に備えて水密耐圧構造になっていた。
 スライドした前半分が傾いて、土管の上部に隙間を作る。更に頭頂部に据え付けられた対空レーザー砲が台座ごと後方に下がる。
 レーザーの下がコクピット。ハッチのハンドルが露出する。
 もう一人、海兵隊員がロボットに上る。喜味子にうなずき、ハンドルを操作して開放。
 M4を構える兵士が内部を覗き込む。

「……What,KIMIKO?」

 内部を覗いた2名の兵士が共に怪訝な顔をして問い掛けるので、喜味子も上がってコクピットに顔を入れる。
 すぐ戻して後方で心配そうに見つめる花憐に尋ねた。

「このロボットのパイロットは、男性だよね?」
「男性28歳メキシコ人、髪は黒、身長173センチでがっしりとした体型。表示にはそう出てたわ。」
「確かに人間なんだね?」
「ええ。イリュージョンボムが効いてないの?」
「じゃあ、これは何。」

 喜味子がコクピットに右手を突っ込んで、外に出す。飛び降りて花憐の前に立った。
 掌の中で気持ちよさそうに寝ているのは、白い、小さなハツカネズミだ。
 イリュージョンボムは確かに効いている。

「え? それ、だけ?」
「これだけ。人間のパイロットなんかどこにも居ないよ。」

 花憐慌ててマジカルステッキを具現化し、本を開いて確かめる。
 他の「ガスコーニュ」のパイロットには確かに人間の表示が出ている。男性3名女性1名、しかし先程まで有ったメキシコ人男性のデータが消滅している。
 アントナンに確かめた。

「この名簿は確かに「ガスコーニュ」のパイロットなんですよね?」
「間違いない。間違いないが、何故彼は居ないのだ? たしかにこの登録番号の機体は彼が専任パイロットのはずだ。」
「きみちゃん、他のロボは?」

 言われるまでも無く、喜味子と兵士は他のロボットの開放に向かう。
 結果。

 5匹のハツカネズミの可愛らしい寝姿が揃っただけだ。
 マジカルステッキの表示からも、人間は消えた。

「何が起きたのだ?」

 答えを知る者はどこにも居ない。

 

PHASE 324.

 モビルアバター「ガスコーニュ」は秘密兵器ではない、秘匿兵器だ。アメリカもロシアも存在と性能を知っている。
 が、これの存在を前提とした対応を全軍でしていない。出来ない。
 それはそうだ。戦車砲が当たっても無事な水陸両用、おまけに空輸も出来る機動兵器なんてどうやって対処したらいい。
 幸いにして「ガスコーニュ」の製造には未だミスシャクティの保有する宇宙戦艦内の設備が必要で、大量生産は出来なかった。
 現代人同士の戦場に出てくる可能性の無い武器は無視するに限る。そうでなければ使わない、そして効果の無い高価な対抗兵器をむやみと積んで財政が破綻するばかりだ。
 故に存在を秘匿する。どうせ21世紀中には実現する技術だから急がない慌てない。

 というNWOの協定を米軍末端が知るはずが無い。
 「ガスコーニュ」を鹵獲した米海兵隊はさっそく最寄りの米軍基地に運んで調査しようと試みる。
 無論直接の関係者であるアントナン・バルバートルが抗議をするが、彼の身分は海兵隊では確認出来ない。
 CIAやさらに上の部署への照会おそらくは大統領命令が必要であるから、とにかく時間が掛かる。

 一方物辺村ゲキの少女はと言えば、喜味子は未来の土管型人型ロボなる格好のおもちゃに触れて大興奮で、その場解体を始めている。
 検証に当たる技官も、なにやら上層部の雲行きが悪く政治的取引で最終的に手放さねばならないだろうと直感し、であればと喜味子のお手伝いをする。
 とにかく面白いところを十分に確かめて、カガクテキ興味を満足させた上で現状復帰させねばならない。短時間で。
 現場の観測員達も科学者であるから興味津々で、KIMIKOさん頑張れと声援を送っている。
 軍事評論家にして兵法研究家軍師の山本翻助も、本来その資格が無いところ花憐と喜味子に頼み込み、撮影こそ許されないが目の玉パッチリ開けて作業を注視し続ける。
 まったく男ってやつは。

 コクピットから回収された5匹のハツカネズミは1時間後目を覚まし、今は籠の中に居る。
 観測所は元は小学校であり、物置の中に昔児童がネズミを飼っていたと思しき専用ケージを発見した。
 ネズミ用車輪もあるし、くるくるとごきげんに回している。

 そして花憐は、

「じゃあ私帰ります。」
 夜になったし、つまんないから帰るのだ。

 アントナンが乗っていた黒塗りのセダンはTOYOTA車。これでボディガードと秘書、如月怜が後から追い掛けてきた。
 花憐らが乗った時速300キロのオープンカーなんかについて行けないから、普通速度になる。日本警察の通行規制と現場周辺での自衛隊の封鎖でなかなか進入出来なかった。
 アントナンは自分はこの場に留まり「ガスコーニュ」の引渡しを求めねばならないから、花憐に車を使ってくれと申し出た。ボディガードのフランス人男性が運転してくれる。
 そこで如月と一緒に物辺村に帰宅した。歩いてだって帰れる距離だ。

 物辺島に通じる橋の入り口で車を降りる。この先にも車は入れるが橋が心理的結界であり、余所者の介入をこれ以上許すべきではないと判断する。

「如月さん、家に寄ってってよ。」
「うん。腹減った。」

 確かにもう8時だ。夕食の時間も過ぎているのに、喜味ちゃんは元気だなあ。
 今日は大潮新月で空は暗い。橋の途中にところどころ点いている安っぽい蛍光灯の下を歩いて行く。

 しかし、何故ハツカネズミ?

「きみちゃん、何か出た?」
「花憐ちゃん? ううん、やっぱりロボの機体にはネズミの秘密は無い。もちろん遠隔操縦でも無かった」

 別に喜味子は楽しいからロボ分解をしているのではない。不思議奇ッ怪は宇宙人の仕業と推定するのが現状正しかろうから、関与した証拠を探しているのだ。
 首の後ろの不可視電話を使って物辺村正義少女会議を開催する。
 まずは鳩保から。

「あー喜味ちゃん花憐ちゃんごくろうさん。行けなくてごめんね」
「あーぽぽー、でーとならいたしかたない」
「そうね、デートなら仕方ないわね。プールだし」
「嫌味言うー。で、ネズミ以外には普通にNWO内の抗争て線でいいのかな?」
「私が判断するかぎりではこの襲撃、かなり辛抱強く計画されている。元々はアメリカの持ち込んだ宇宙人技術のセンサーが目標だと思う」
「ふむ、喜味ちゃんがたまたま対精神攻撃中和薬を持ち込んだから、いきなり計画変更したか。それだけの価値が有るととっさに判断したんだな」
「うん。臨機応変さではよほどの人物が関わっていると思う」
「そうね。でも「ガスコーニュ」をいきなり出動させられるって、どんな人なのかしら」

「喜味子ー」
「優ちゃん、演劇部は?」
「今終わった。通し稽古を見るだけだから行っても良かったんだけどさ」
「来なくて幸いだ、と思うぞその他大勢の人が」
「そのアメリカ軍のセンサーってそんなに凄いものなのか、ミスシャクティが提供する技術より」
「ミスシャクティの方がずっといいものを持っているはずだけど、使わせてくれないんだと思うよ」
「なんで?」
「そりゃ、舞台裏がばれちゃあ困るし」

 喜味子が言うには、ミスシャクティという人は大したタマであるから21世紀の人類を指導しながらも裏では宇宙人と折衝して、かなりやばい協定を結んでいる。
 人類に対する裏切りとさえ呼べるものが有り、超感度のセンサーを適切に使えば何をしているか分かってしまうらしい。

「喜味ちゃん、土管ロボを使った奴はそれを知って世間にバラすのだろうか」
「いやたぶん、……ぽぽー私に頭使わせるな」
「すまん。つまり土管ロボを使う奴はミスシャクティの隠された動きを検知して、他のNWOメンバーに優越しようと画策するわけだ」
「そうね。その人はミスシャクティの危ない動きに感づいていて、でも超感度センサーは持っていない、そして土管ロボを自由に使える立場に居るのね」
「違うぞ」

 優子が口を挟む。「ガスコーニュ」は自由に使えてもパイロットは動かせない。だからネズミの出番となるわけだ。

「ゆうちゃん、でもネズミは何に使ったの?」
「それはみのりなら分かるだろう」
「うん?」

 童みのりは今飛行機で帰国中、イギリスからシベリヤ経由の航路を使ってあと数時間で成田空港だ。

 

PHASE 325.

 不意に振られても、日本から遠く離れたみのりは事件の状況が掴めていない。
 一生懸命考えるが、土管ロボに乗った白いハツカネズミというメルヘンな絵が頭に浮かぶばかりだ。

「まるでシンデレラだね」
「シンデレラ?」

 花憐が問い返す。みのりは子供っぽいところもあるが野生の勘も優れていて、時折妙に真実を射抜く。
 物辺優子、鳩保芳子とは別の意味で変人であった。

「ほらシンデレラってお城の舞踏会に行く時魔法使いのおばあさんにかぼちゃの馬車をもらったでしょ」
「うん」
「馬車を引っ張る馬と御者はネズミが変身するんだよ」
「はあ」

「……魔法か、」

 鳩保が唸る。考えてみれば宇宙人が居て神様が居て、でも魔法は無いと思う方がどうかしている。
 科学技術とは別の論理と物理法則で働く技術が存在しても驚くには値しない。

「考えてみれば優ちゃんだって、物辺神社の女の人は全員魔法使いみたいだもんね」
「そうね、科学やらゲキの仕業って考えるより、魔法の方がふさわしいわ」
「自分でもそう思う」
「そう考えれば辻褄が合う、わけだ」
「うん」

 衆目の一致する所、敵は魔法使いと確定した。民主主義ばんざい。

 

 橋を渡ってすぐの場所に城ヶ崎家、花憐の家が有る。元々が島の門番としての役割を帯びているから、最初の関門として立ちはだかる。
 かなり特殊な建築だ。塀が高くコンクリートが分厚く窓には鉄格子が嵌まり各所に監視カメラを持つ。鉄砲狭間まであるのだから物騒だ。
 類例を挙げればヤクザの親分の自宅であろうか。
 花憐はインタホンのスイッチを押す。最新のものだからちゃんとビデオカメラが付いていて録画もする。

「花憐です今戻りました。」
”おかえりなさいませ、花憐お嬢様”
「友達を連れてきました。夕食の用意をお願いします」
”はいかしこまりました”

 ロックが外れる音がして、分厚い外扉が解放された。ここは通用口だがわざわざ正面玄関の車止めまで開けさせる必要も無い。
 如月が聞いた。

「家政婦さんは何人居るの。」
「一人よ、島のおばさん。でも夕方には帰っちゃう。今出たのはトノイさん。」
「でももっと多くの気配がした。」
「うん? インタホンの音で気付いた? そうなのよ今はトノイさん3人も居るの。」

 花憐の家には昔からトノイさんと呼ばれる人が居る。夕方になるとやって来て一晩中家を守って、朝には帰ってしまう人だ。
 幼い頃の花憐は「夜用お手伝いさん」と理解し、お金持ちの家にはどこも居るものだと思っていた。
 小学校高学年になって「トノイ」が「宿直」と書くと知るまでだ。

 物辺神社とアンシエントとの関係がはっきりした現在で考えてみるとなんの事は無い、彼等は花憐の家ではなく物辺神社を守る為に居る。
 城ヶ崎家を根拠として寝ずの番をするわけだ。
 道理で夕方勤務前に物辺神社でおじさん(じいさん)と組太刀の稽古をしているはずだ。ずっとお弟子さんかと思っていた。

「如月さんは知ってるかと思ってたわ。」
「いえデータとしては知ってるんだけど、部署というか流派が違ってね……。」

 如月怜は「物辺鳶郎」の配下のクノイチ、忍軍の末端だ。だが物辺神社と歴史的な関係は無い。
 ゲキの力が花憐達に許されると同時に命を受けて活動を開始した。

 一方「トノイ」は遥か昔、江戸時代の初めに物辺神社で「ゲキ」が覚醒した頃にまで遡る。
 双方同じく日本最大のアンシエント『彼野』に所属するが、全く別の組織別の秩序を持つ。
 異なる武装集団が隣り合って活動すれば、軋轢が。

 

PHASE 326.

 入ってみれば普通の家だ。そんなにややこしい構造をしていれば日常生活に差し支える。
 ただ和室の広間が多い。ふすまを外して繋げば30人くらい寝泊まり出来る間取りが幾つか有る。
 地下には食料倉庫が有り、現在の人口なら島民全員を収容して1ヶ月籠城可能なキャパシティを持つ。

 武器蔵も有るがさすがに空、代わりに花憐の父の趣味である狩猟用の銃が幾丁か保管ロッカーに納められる。
 ただし花憐は、父が狩猟に行った話を聞いた事が無い。

 そして事務所。選挙運動の時に本部となるも、実はほとんど意味が無い。
 物辺村は市中央から遠く離れた僻地にあり、選挙の時は便利が悪い。街に事務所を借りてそこを拠点とする。
 にも関わらず電話やファックスコンピュータ等の情報通信機器の充実ぶり。
 島周辺の監視カメラのラインも直結し、防災指揮所としての機能も持つ。

 「トノイ」さん達はここを控え室として使っていた。

「ただいま戻りました。」
「おかえりなさいませお嬢様。」
「父は?」
「今日はお泊りだそうでございます。」

 そう、と花憐は息を吐いた。仕方がない、フランスに逃げたまま帰ってこない母が悪い。

 出迎えたのは20代後半の女性2人、3年前の「トノイ」さんと5年前の「トノイ」さんだ。旧知の仲と言ってよい。
 トノイさんは普通女性だ。花憐と母を気遣って女性を選んでいたのだろう、1年毎に人が代わる。
 だが現在は男性が責任者となって2名の女性を指導する。

「郵便や荷物はありますか。」
「はい、既に検査済みです。」

 現在のトノイさんの最大の任務は、島内に持ち込まれる物品の検査だ。
 NWOの要請で日本政府は物辺島への郵便物や宅配便は直接に、村民の日常の買い物にもそれとなく監視を行なっている。
 橋の下にもいつの間にか爆発物検知装置が設置された。
 それでも足りないから、物辺神社宛のものを城ヶ崎家で受け取って調べていた。

 子供の頃花憐はトノイさんの仕事を拝見した事が有る。
 葉書封筒を畳の上に平たく並べて、レンズの無い虫眼鏡のような道具をぐるぐるとかざす。うんと頷いて検査完了。
 まるでおまじないだ。
 何をしていたのか分からなかったが、今なら理解できる。呪い除けだ。
 物辺神社に邪悪な魔法が入り込まないよう、あらかじめ霊的処理を施していたわけだ。

 

「おじゃまします  。」
「ようこそいらっしゃいました。キサラギさん、でしたね。」

 あーほんとだー、と花憐は無責任に思う。なるほど、如月とトノイさんはなんとなく険悪な雰囲気。商売敵なのだなと察せられる。
 しかも如月は女子高生、大人の女性2名に詰め寄られては口をつぐむ以外無い。

 睨むなとも言えず知らんぷりして、花憐は郵便物をチェックする。
 トノイさんは秘書ではないから通信の内容には関与しない。事務処理も行わない。
 市会議員としての公務や物辺神社代理などの父の責務に関係するものと、城ヶ崎家への私信を分離するのみだ。
 この家族宛を処理するのは花憐の仕事。なにせ常に家に居る城ヶ崎の人間は自分だけなのだから。

「あ。」

 非常に重要な手紙が有った。差出人は「香能 玄」。芸名ではなく本名を書いているので普通の人は気付かない。
 花憐が4日前に出した手紙への返信だ。

 物辺優子が遅まきながらこの年になって父親の存在に気付き、誰であるかを教えられ、一度くらいは会ってみなくては思い始めた。
 思い立ったが吉日と、花憐は早速「香能 玄」に手紙を書く。なにせ相手は国際スター、スケジュールを知らないと会いに行けない。
 案の定、内容は切迫したものだった。
 彼はハリウッド映画への出演の為に、今月半ばには日本を出国してしまう。年末まで帰って来れないらしい。
 会うのだったら今すぐ東京に行くべきだ。

「如月さん、」
 花憐は視線地獄のいびりを受けている如月怜に助け舟を出す。

「優ちゃんへの手紙があったの。今から届けに行くからついて来て。」

 

PHASE 327.

「向こうに取りに来させればいいのに。」
「それはそうだけど、そうもいかないわよ。」

 着替えもせずに再び家を出た二人は、物辺神社へと歩いて行く。

「やっぱりトノイさんは苦手みたいね。」
「歴史的にあんまり相性が良くないのよ、あいつらとは。」

 嫌そうな表情で如月が答えるのに、花憐はくすりと笑う。彼女がこんな顔をするのは初めて見た。

「何者なの、トノイさん達は。」
「寺社奉行の手先だ。」
「え、神社庁のひとだったの?」
「ちがう。江戸時代の寺社奉行だ。幕府の隠密だよ。」

 話せば長いことながら、かいつまんで如月が説明するところだと、
 昔日本の寺院神社には僧兵という武装集団が居た。神社だけなら神人と呼ばれる。
 勢力の大きな所は戦国武将並の兵力を誇り、かの織田信長でさえも手を焼いて遂には叡山焼き討ちにまで及んだほどだ。
 それだけの武装組織であれば当然諜報部門を持つ。いやそもそも宗教ネットワーク自体が諜報組織だ。

 戦国の世が終わり徳川幕府が日本全土を支配して僧兵も排除されたが、諜報組織はそのまま残る。
 宗教を基盤とした組織は忍者とは異なり、カネを出せばどこにでも付くわけではない。志操堅固である。
 故に幕府は壊滅ではなく懐柔に出た。
 全国の大名が抱える忍びの組織を解散させると同時に、宗教ネットワークを掌握する。
 特にキリスト教対策に功を奏したが、同時に幕府は想定しなかった脅威に直面した。
 「物の怪」だ。

 何の為に宗教ネットワークが活発に情報交換を行うかと言えば、やはり奇跡や怪異を探しているからだ。
 もし人に仇なす妖怪変化を発見すれば、専門の技能を身に付けた退魔師や僧侶が派遣される。
 この機能を幕府が肩代わりしなければならなくなった。

「それが「トノイ」さん。」
「それは城ヶ崎家固有ターム。連中は「大點座」と自称する。「大」に「丶」だから、私たちは「幕閣の狗」と呼んでる。」
「あの、今は日本政府なんですけど」
「NWOの呼称では「YAMATO HOUND」。最近では連中もこれを使ってる、字面いいからね。」
「やっぱり犬なんだ。」
「組織の目的が妖怪の番犬だから。」

 それで物辺神社の「宿直」をするわけだ。
 物辺の「物」は物の怪の「モノ」。

 

 夜道は忍者の得意であるが、花憐も夜目は効く。あらぬものまで見えるゲキの力は迷惑でもある。
 カエルやトカゲや夏の虫が自分達を見ているのが分かるのは、視線恐怖症の人間には堪えるだろう。
 幸い花憐は他人に見られ慣れた美少女であるから大事ない。

 ネズミがちうと見ていても、なんともない。

「ネズミだね。」

 花憐の指摘に如月は首を回す。さすがの忍者でも小動物にまで一々注意を払っていたら身が保たない。
 場所は物辺神社に付属する小さな広場。村の人は「石臼場」と呼ぶ。
 文字通りに大きな石臼が安置しているからだ。ただし本物ではない、形だけだ。

 この石臼は物辺神社でも重要なお祭り「お引き揚げ」で使われる。ゲキの髑髏が島に流れ着いた時、島民総出で引き揚げた故事を再現するのだ。
 季節は旧暦正月、一年で最も寒い時期。しかし実際に起きたのは11月だと聞く。
 何故にわざわざ厳寒を選んでと誰しもが思う。それだけ引き揚げるのが困難を極めたと主張したいのだろう。

 男衆が下帯一本で海に入り石臼に縄を掛け、えっさおいさと力を合わせて引き揚げる。
 すると村の爺様が「まだまだあ」と叫んで、石臼を海に蹴り落とすのだ。だいたい3回以上やる。
 儀式に参加するとその年は勝負事なんでも勝つ、と言われており、賭け事や宝くじに当たりたい人が参加を続々と申し込む。
 物辺饗子は参加料でほくほく、という塩梅だ。

 月が無いから石臼の姿もよく見えない。にも関わらず、白いネズミの姿だけがくっきりと浮かび上がる。
 直径70センチ高さ50センチ、中央に穴の開いた円筒の上に二本足で立っていた。

 そこにだけ月の光が有る。新月なのに、常夜灯も届かないのに徐々に光が増していく。
 周囲にキノコが生えていた。真っ白で笠の尖った形の良いキノコが、石臼の周りに直径2メートルの輪を描く。
 光はキノコから発していた。

「まあ! 妖精の輪だわ。」
「うわ、これドクツルタケか。ツキヨダケみたいにほんのり光って、でも、」

 とても美しいキノコだった。白く淡い光を帯びて見事な円形に整列する。まるで月が地面に降りてきたみたい。
 あまりに幻想的な光景で、まさに妖精の仕業にしか見えない。
 輪の中心に立つのが白いハツカネズミだ。

 花憐、ふらりと惹き寄せられていく。こんな美しいものに遭遇して素通りなんか出来るものか。
 危険であればゲキの力が警告する。たとえ蠱惑的な陶酔であっても、無粋なほど無神経に素面に戻してくれる。
 それが花憐の能力だ。味も素っ気もありゃしない。

 だが妖精の輪からは危険な情報が何も感じ取れなかった。悪意も作為も姿を見せない。
 ただひたすらに美しく、芳しく、甘やかで。そして、

 気付いた時には手遅れなのだ。

 

PHASE 328.

 『お出口はこちら』とゲキの超能力が矢印を表示するからなんの心配も無いのだが、ここはまったくの異世界である。
 目の前を覆う白い霧がさーっと晴れたかと思うと、たちまち極彩色の浄土の風景が広がった。

 「亜空間てやつなのね……。」

 今更びっくりする花憐でもない。現実の日常空間に魚肉人間が殴り込んでくる方がよほど迷惑で対処しづらい。
 不思議時空に引っ張りこんでくれれば能力非限定で解放できて楽ちんなのだ。
 傍らを見るが、如月怜の姿は無い。彼女は「妖精の輪」に踏み込まなかったのだろう。さすがニンジャだ、警戒心が強い。

「亜空間、あくうかんてのは、……けっきょく何?」

 SFに疎い花憐が亜空間の定義を知るはずも無い。まあぶっちゃけた話亜空間の定義など誰も知らないのだが、ここではこのように定めておこう。
 『三次元通常空間におけるなんらかの物理作用によって拘束され特異な関係性を強いられる部分空間』
 四次元空間とは違う。四次元であれば、三次元とは別の軸という物理的概念が確かに存在するわけで、拡張された空間自体は自然と存在するものだ。
 亜空間は所詮は三次元空間内の存在に過ぎない。場合によっては「系SYSTEM」と呼んだ方が良いだろう。
 ただ外部の空間を無視出来るほどに、それを統べる「ルール」が最大の決定力を持つ。
 決定力を生み出す存在によって切り分けられた三次元空間の一部を「亜空間」と呼ぶ。

 あるいはこう考えてはどうだろうか。
 この宇宙は多次元を持つ空間である。しかし、なんらかの作用によって三軸と時間のみが存在する領域が切り分けられた。
 「物理法則」と呼ばれるものを司る”なにか”が高次空間にあり、これによって発生する決定力が「三次元空間」と呼ばれる亜空間を創りあげた。
 その入れ子として、通称『亜空間』は存在する。

「勝手なことを言ってるわね……。」

 花憐は右手に出現させたマジカルステッキ上部の本をぱたりと閉じた。
 分からないものはぐぐる、という当然の行為をゲキの力でやってみたわけだ。しかし結果は芳しくない。
 この定義が正しいとすれば、ここ「亜空間」は何モノかによって故意に生み出され、自分はまんまと誘い出されてしまった事になる。

「それにしても、ねえ、」

 壮観である。
 神仙境と呼ぶべきであろう自然の絶景が目の前に広がる。複雑怪奇な形状でありながらもフラクタルな美を備え、すべてにおいて黄金率が保たれる。
 樹も水も美しく随所に森や滝が見受けられ、絶妙に音楽的に配置される。よほど優れた庭師の作と思われる。
 庭師と言うは比喩的なもので、実際は山が草木が水がそれぞれに意志を持ち最適な配置に自ら落ち着いた。そう感じる。
 要するに神様がお作りになった場所だ。

 不足といえば、生き物動物が無い。虫一匹見られない。
 何故か。

「……つまり、扉を閉めなくちゃ中には入れてくれないわけね。ちょこっと見せるだけで。」

 招待主はいじわるだ。花憐自ら退路を絶たねば、この世界の真の姿を顕してくれない。
 どうしますか? (Y/N)

「いやわたしはぽぽーや優ちゃんみたいに酔狂じゃないし、」

 だが待てよ、と思う。これは山本翻助の影響だ。
 ゲキの力を思いがけずに手に入れるのは、僥倖。力を使っておもしろおかしく一生を過ごすのが幸福な人生というものだ。結果として世界中の人々に何らかの福をもたらせられればなお良し。
 しかめつらをして力に制限を設け矩を巡らし囲い込み、自らを雁字搦めに縛って窮屈に無難に生きていく。のは、正しい選択ではない。
 ミスシャクティも言っている。あなた達はもっと奔放に無責任に放埒に生きてくださいと。
 ゲキの少女達が常識を超えた破天荒をする事で宇宙の法則が破れて、これまで見えなかった世界の真の姿が露わになる。
 新たな人類の未来を切り拓いていく。

 そういうモノを自分達は望まれている。ならば、
 せっかくだからご招待をお受けすべきであろう。

「じゃあ、おじゃまさせていただきます。」

 ぺこりと頭を下げて挨拶する。と、ゲキの超能力によって脳内に示されていた『出口』の表示が消失した。
 同時に『DISCONNECT』の表示が一瞬表れた。首根っこ不可視電話までもが回線不通となる。
 これはさすがに想定外。鳩保らの助言助力が得られないのは明らかにまずい。

 花憐、見事に孤立してしまう。

「あちゃー」
と言っても後の祭り。

 

PHASE 329.

 花が咲き鳥が歌いどこからともなく妙なる楽の音が聞こえてくる。
 飛び出す絵本のように、今まで見えている優れた景観がせり上がり花憐を包み球状に折り畳まれ、再度開けば街の中に立つ。

 唐の都の長安か、はたまた失われたポンペイか。
 ルネッサンス期のヴェネツィアのようなチベットのラサのような、ひょっとするとアキハバラのような、ありとあらゆる世界の都市の要素を兼ね備えた不思議な家が立ち並ぶ。
 というよりこの街の家々は妙にゆらゆら動いていた。人の動きに合わせて建築様式や設計がダイナミックに組み替わる。

 そして人だ。
 お察しの通りに全世界ありとあらゆる国の、いや国なんてけちくさい時代がばらばら無茶苦茶の古今東西の扮装をした群衆が居る。
 それぞれが気ままに喧嘩をしたり詩を吟じたり、酒は飲むは博打は打つは双六チェスに興じるは、屋台の蕎麦屋も出ているが商売そっちのけで哲学論議に耽っているは。
 誰ひとりとしてまっとうな社会人は居やしない。
 女は女で皆美人、綺麗な着物を身に纏い歌舞音曲にうつつを抜かす。
 子供も多数駆けまわるが、おかあちゃんは知らん顔。そりゃ桃源郷で世帯やつれもしないだろ。

 で、空には迦陵頻伽が飛び交い、鳳凰だったり龍だったりペガサスだったりと、幻獣オンパレードだ。
 塀の上の猫までが長靴履いて人語で喋る。帽子をかぶって剣を吊る。

「えーと、誰か説明をしてくれるかな?」

 これだけ人が居るのだから誰かに聞けば良さそうなものの、あいにく花憐にその勇気は無い。
 此処の人達皆どこかで見たような、あるいは知っているような、只者ならぬオーラ出まくりで、かなりの有名人揃いであると予感がビンビン働いた。

 しかし。
 であれば、女に聞くのはよろしくない。有名な女性というものは大概根性が悪いのだ。性根がネジ曲がっているからこそ、世に令名が鳴り響く。
 第一花憐は可憐な美少女である。己の武器を最大限に使って男性の助力を願うのが筋であろう。

「あのすいません、そこの紳士の方。」
 何故彼を選んだのか、自分でも分からない。ただローマの賢人風のローブを着ている人に、あるいは中国の儒学者風に尋ねるのはやめたがいいに決まっている。

 声を掛けたのはヨーロッパ近世風の衣装を身に着けた男性だ。
 髪が白いから老紳士と呼ぶべきであろう。白髪でおさげを結っているのは時代的おしゃれとして目をつぶるのもやむなし。
 革の上着に革の帽子、左の腰にサーベルをぶら下げる軍人か騎士であろう。少々土埃に汚れているから旅行中なのかもしれない。
 何よりポイントが高かったのは、彼が道端で遊ぶ子供達にちゃんと配慮した点だ。夢中で走ってくる子をさっと避けて邪魔をしない、気も使わせない。
 これはいい人に違いない。

「あの、もし、」
「ぅむん、吾輩の事であるかな?」

 振り向いた男は白人やはりかなりの高齢、特徴的な鷲鼻と左右に長い白い口髭、イギリスの裁判官みたいに横髪が3段にカールして。
 何者かはっきりと分かってしまった。
 花憐、やっちまったぜと自分の頭をぶん殴りたくなる。やはりあそこの選択肢は(y/N)であった。

「あの、もしやとは思いますが貴方様はひょっとして、ミュンヒハウゼン男爵ではありませんか?」
「いかにも吾輩はミュンヒハウゼン男爵カール・フリードリヒ・ヒエロニュムスである。お嬢さん、何かお困りであるかな。」
「ええ、とっても。」

 地獄に突き落とされた気分で花憐はかの有名なホラ男爵と対峙する。こいつぁいけねえや、古今東西誰を選ぶとしても、この男にだけはモノを尋ねてはいけなかった。

「あの、しかしながら本物のミュンヒハウゼン男爵という人は歴史上さほどホラは吹いていない、と思うのですが、」
「お嬢さんのご懸念は尤もだ。なるほど史実において、即ち現実世界の人間としてのヒエロニュムスは諸人に人気を博したとはいえ所詮は神の造りし哀れな一匹の子羊に過ぎぬ。
 されど御前に罷り出たるこの吾輩は正真正銘驚天動地の冒険を四海天地で潜り抜けし不撓の英雄ミュンヒハウゼン。人呼んでホラ男爵であぁる。」
「高名なる男爵にお会いできて恐悦至極に存じますが、ですがーわたし、今現在ここがどこかを確定情報として説明してくださる人を探していましてー、ホラ男爵に尋ねるのはちょっとどうかなあーとー、」

「ああなるほど。それは上首尾でござった。我輩を選んで大正解だ。」
「左様でしょうか。わたしはとっても不安です。」
「いかにも吾輩は空想の産物にして書物の主役、稀代のトリックスターであるのだが、これは吾輩に限った話ではない。
 この都に住む者ことごとくが空想妄想の産物、物語や伝説神話の登場人物である。2、3人は生身の人間も紛れておろうがの。」

 そりゃそうだろ、ミュンヒハウゼン男爵の住む街に生身の人間が居るはずが無い。たとえ居たとしても、

「あ、でもなんとなく現代ぽい普通のかっこうの人も居るみたいなー。」
「それは写真が発明された後の人物であるな。映画やテレビジョンで姿や声が残っている者であれば、正真の人間と見分けが付かぬ形で再現される。」
「テレビをご存知なのですか! あの失礼ですが、貴方は今現在が何年何日かお分かりですか?」
「グレゴリオ暦二〇〇八年の八月いっぴであろう。無論この街での暦ではないぞ。外の世界だ。」

 思ったより冷静にして合理的な人物だ、ミュンヒハウゼン男爵は。
 花憐、ひょっとして自分は当たりくじを引いたのではないかと思い始める。
 同時に、これが彼のキャラクターの魔力ではないかと恐れていた。

 

PHASE 330.

「つまりお嬢さんは吾輩にこう尋ねたいわけであるな。”イシャはどこだ?”」
「えー、あのー、」
「ぅむん、やはり21世紀の子供にこの冗談は理解できぬか。つまらぬの。」

 花憐は分からなかったが、もちろんこんなハイレベルギャグは物辺村の少女誰にも分からない。知っている男爵の方がおかしいのだ。
 気を取り直して花憐は質問を続ける。今から別の人を探し今と同じ問答をするのも億劫だし、それに「現代人」を探すのもやはりヤバイのだ。
 だって今そこに、ダーティ・ハリーが通ったんだもの。

 とりあえず花憐自己紹介。ただし誇るべき肩書きを自分は何も持たないから、ちょっと赤面する。
 なにせ相手は世界的に著名なホラ男爵様だ。

「いやいやお嬢さん、この場所に来る生身の人間は誰しもが強い力を持ち、現実の社会においてもいずれ名を成す事も多いのであるよ。
 そうであるなあ、花憐殿も今はしがない女学生であったとしても、数十百年後には世界三大美女の一人に数えられておるかも知れぬな。」

 カッカッカ、と笑う。さすがはミュンヒハウゼン男爵、女人の心を捕らえて離さぬ術に熟達する。
 花憐も少し安心した。とにかくこの人は話が通じるし、優しいよ。

「ここは架空のキャラクター、書物や映画の登場人物によって構成される世界なのですか?」
「少し異なるな。書物や演劇、映画やテレビは副次的な供給源だ。主役は神話伝説や歴史から取り上げられて実体化しておる。」
「つまり有名な人や英雄がこの世界にはいっぱい居るわけですね。でもどうして。」

「それは人が語るからであるな。神話や伝説あるいは哲学・歴史書の偉人を引き合いに出して語る内に、人の脳内にありありと生ける姿が見えてくる。
 この想像をここ閉空間世界は実体化させる。
 そういう場所なのだ。だから吾輩などは何人も存在する。」

「そうか、考える人が多い有名人ほど、多く実体化されるのですね。でも同一人物が多くて困りませんか。」
「融合するからの。吾輩が映画やテレビ、コンピューターを知るのも、20世紀人21世紀人の想像した吾輩と融合して知識を同化したからである。」

 ぴんと来た。つまり現代のキャラクターを想像した人なら、この空間にまだ滞在するかもしれない。
 でもその人達はどうやってこの世界に来たのだろうか。やはり花憐と同じく”妖精の輪”に踏み込んで、

 

 不意に花憐は引き寄せられた。男爵が肩を掴んで自分を庇う。
 振り仰ぐと、表情は真剣。この老紳士は歴戦の勇士でもあるのだ。いささか荒唐無稽ではあるが、それ抜きの実在の人物で見ても軍人だ。

「お嬢さん、貴女は少々厄介な星の巡りを持っておるのであろうな。」
「はあ、不本意ながら。」
「この長閑な神仙境において、化け物どもに狙われるほどに、の。」

 はっと気付くと、空に一団の妖獣が舞っている。黒い烏の翼を持った猛牛だ。槍で武装した鉄の乙女が騎乗する。
 花憐の頭上100メートルを中心に16頭が円を描いて、まさに攻撃態勢に移らんとする。

 が、慎重だ。逆撃を強く警戒する。
 花憐のゲキの力にではなく、ミュンヒハウゼン男爵の力量を怖れていた。
 考えてみればこの人本物のホラ男爵だ。無敵の英雄じゃないか。

「あれはなんですか、とても普通の人間には思えませんが。」
「傀儡じゃの。特別に珍しいものではないが、戦闘に使うとは無粋な奴だ。自ら剣を取って己を示す事こそが騎士の誉であろうに。」

 この世界に住む人間は元が架空の存在あるいは伝説であったとしても、皆等しくヒトである。そういう風に望まれて固定されているのだから、血もあり肉も有る。命だって落としてしまう。
 いや架空の人物であるからこそ、死が義務付けられている。なにせ伝説の英雄はその死もまた劇的であるのだから。
 生と死は不可分であり、輝かしい業績も悲劇的で涙を誘う最期が伴ってこそ語るに足るものとなるわけだ。

 故に争闘も盛んに行われるが、人同士が戦うのが筋である。流血悲惨大結構、数を頼んでも大砲を持ち出しても誰も咎めはしない。
 だが員数合わせに傀儡を用いるとは、これはいただけない。
 男爵は天に向かって呼び掛けた。

「お嬢さんに用が有るのなら地ベタに降りて口上を述べるが良い。それまでは剣なぞ抜かずに待ってやろう。」

 あくまでも男爵は自らの勝利を疑わない。まあ彼はどちらかと言うとギャグ界の住人だから、そうそう簡単に殺せはしない。
 鉄の乙女もよく存じており、勧めに従う。
 空を舞う猛牛からまっしぐらに飛び降りた。矢が突き立つように、16体が次々と直立したままに着地する。

「ふわー、」

 傀儡とはまさにこのようなモノを言うのであろう。彼女達は全身に黒鉄を纏い甲冑を着ているかに見えるのだが、違う。
 ジョイントが有った。人形の手足のように丸い部品が組み合わさって関節となり、軸で回転するように留められる。
 動力伝達機構なんかまるで考慮していない、中に手足が通っているのでもない。まさにただのジョイントであるからロボット呼ばわりも出来なかった。
 しかし顔は有る。兜に半分を隠すが鼻から下、顎までが露出して整った赤い唇を備えていた。

 彼女達は貴人に対する礼儀をちゃんと心得ており、騎士のように片膝を折って拝礼する。

「かの高名なミュンヒハウゼン男爵でいらっしゃいますか。」
「いかにも吾輩はそのような者であぁる。」
「我が主がジョウガサキ・花憐嬢を所望しております。何事も無くお引き渡し下されば幸いでございますが、否と申されますならば男爵の無聊を慰めるお手伝いを黒鋼輅女(へいがんるーにゅ)が努めさせていただきます。」

 これは恫喝だ。「黒鋼輅女」とやらは慇懃ではあるが断固として強制的に花憐を連行しようとする。
 対して男爵は、

「汝らが主は花憐嬢に何をお望みか。」
「城に連れ帰りワイフと為すおつもりでございましょう。」
「なに妻にと望むか。」

 花憐の顔を見る。そんなむちゃなと、花憐ぶるぶると顔を横に振った。
 もちろん男爵は了解してくれる。左目をつぶってウィンクした。

「吾輩としてもだ、妻となるべき女人を拐うに傀儡を以ってする情けない男に、易々とくれてやるを面白きとはせぬ。
 さあ槍を取るがよい。ホラ男爵がサーベルが錆び付いておらぬか確かめるがよいぞ。」

 

PHASE 331.

 ん?

 花憐は気が付いた。一番手前に居る黒鋼輅女を観察して、構造を看破したのだ。
 この傀儡は甲冑ではなく人形である。時計仕掛けの回転動力らしいがその根源、廻る心臓部が極めて非常識な機構であった。
 およそ考えられる中で最も馬鹿馬鹿しい動力であろう。

 亜空間で加速能力が使えるか不安であったが、ゲキの力は問題なく機能した。
 花憐パンチは黒鋼輅女の背の装甲を貫通し、直接回転動力の心臓部を鷲掴みする。超高速バリアの前には鋼鉄といえどもウエハースほどの抵抗しか無い。そもそも自動車の外鈑ほどの薄さだし。
 引き抜いて、加速終了。

 手の中には円筒形の籠がある。ネズミ車で、真っ白なハツカネズミが何が起きたか分からずに鼻をふんふんと鳴らして左右を見る。
 心臓を抜かれた黒鋼輅女はばったりと地に伏した。

「やっぱり。ガスコーニュの黒幕と一緒なのね。」
「おお花憐嬢! そなたもなかなかに力をお持ちではないか。このミュンヒハウゼン敢えて剣を振るうまでも無い。」

 と男爵がサーベルの柄から手を離すのも、空に別して兆しが見えたからだ。
 キラリと黄金に輝く光が差して、円を描いて舞う猛牛達をひるませた。
 虹色の雲を割って現れたのは、金の鳥籠に車輪が付いた馬車。いや馬は無く勝手に動くから自動車なのだろう。空を飛ぶから飛空車か。

 声が空から降ってくる。若い女性の高い、美しい声だ。年齢は花憐とさほど変わらないだろう。

「しばしお待ちを。お前たち、控えなさい。」

 黒鋼輅女は男爵を囲むのを止め、舞い降りる黄金の車の前に楔状に整列する。
 車は接地すると同時に変形を開始し、手足が生えた。まるで「ガスコーニュ」を黄金の竹ひごで作って、土管部分をゴンドラにした形。
 ギリシャ神話の女神の姿に似た、ゆったりと裾を引く白と柿色の二色に分けられた衣装の女性がゴンドラの前部を開いて降り立った。

 背は外人としてはさほど高くない。花憐も小さくない方だから、ひけを取らずに済む。
 髪は赤ワインの色で目は茶、と思ったら左目が琥珀色だ。左右でほんの少し違うものの光線の加減に紛れてしまう。キャラクターの異常性を示すにしては地味だった。
 外見の印象としてこのヒト、普通だ。
 美人ではあるが特別扱いするほどでもない。自慢するようだが花憐のが上。

 ただオーラが凄い。
 傀儡の乙女を従えるのは当然としても、周囲で騒ぎを見守っていた古今東西の偉人達に瞠目させ声を潜めさせる力が有った。
 ミュンヒハウゼン男爵は怯まない。権威に屈せず御婦人に強いのも彼の特質だからだ。

「これはお嬢さん、こちらの花憐嬢に無理強いをするは貴女かな。」
「男爵、それは誤解です。私は意に沿わぬ結婚に反対し、彼女を救い出す為に参りました。」
「なんと。それでは花憐嬢を妻にと望むはもしや、」

「はい。私の兄でございます。」
 言うや彼女は頭を小さく下げる。詫びとは異なる、羞恥を隠そうとするかに見えた。

 ここまで来れば誰が犯人か嫌でも察しが付く。
 女人の名はヴェロニカ、花憐をここに呼び込んだのはエマニュエルのゲイグ兄妹二十歳。『大釜の臓腑』と呼ばれるフランスの双子、元ゲキ使いだ。
 魔女の大釜をシンボルとするように、魔法をモチーフとする力を使えるのだろう。

「あなた、ヴェロニカ・ゲイグさんですね。」
「はい。貴女は”SAKUYA”城ヶ崎花憐さんですね。まことに申し訳の無い事態となってあいすみませんが、なにせ兄は、」
「この世界にお兄さまがいらっしゃいますか。」

「兄は極めて強い力を持っており、私の手ではとても鎮める事ができません。ここは、」
と地に膝を着く黒鋼輅女を示す。彼女等はエマニュエルの手先なわけだ。

「これらの指示に従って兄と対面していただき、直接にこの世界から解き放ってもらうしかありません。どうかご辛抱なさってください、私もお手伝いいたします。」

 今度は深々と頭を下げる。悪い人には見えないが、さすがに花憐経験値が上がり過ぎて他人の言葉を容易には信じない。
 男爵に尋ねてみる。

「この人を男爵は見知っていらっしゃいますか。」
「うんむ、見た事が有るとも無いとも言えぬ。力の強い者は自らの姿を自在に変化させるからの。さりとて花憐嬢がここを窮地と考えるならば、言葉に従うのがまずは近道ではないかな。」
「確かに。」

 一度乗った舟だ。行き着く先にまで行ってみなければ埒が明かない。
 そして安全牌を切らずに冒険する為に花憐は誘いに乗ったのだ。
 その前に、聞いておかねばならぬ事が有る。

「あの、ところでここは一体何?」

 

PHASE 332.

「亜空間と呼ばれる場所ですね。」
「それは知っていますが、何故摩訶不思議な世界になってるのです。それが知りたい。」
「さあ、どこから説明をすればいいものか……。」

 ゴンドラ付き黄金のガスコーニュに花憐とヴェロニカ・ゲイグ、ミュンヒハウゼン男爵が乗って空を飛ぶ。
 周囲には黒鋼輅女が騎乗する翼の生えた猛牛が円を描いて護衛する。この牛も近くで見れば鋼鉄板を張り合わせた人形であった。
 おそらくは、動力も同じ「ネズミ車」。

 手綱を握ってガスコーニュを操作するヴェロニカを近くで観察して、花憐はあまり嬉しくない事に気が付いた。
 この人は間違いなく兄と花憐の結婚には反対なのだ。故に花憐に対しては好意は持たない。
 ただ責任感から兄の策動を妨害しに来たのだ。
 だから信頼は出来るのだが信用は出来ない。いざとなったら花憐をナイフでぐっさり、というオプションも持つだろう。

 彼女の説明によれば、この世界は相当古い存在らしい。

「我ら『大釜の臓腑』がゲキの力を失ったのも、この世界で自在に遊ぶ能力を手に入れたから、と伝わっています。
 ここは意志想念によって全てが実現する理想郷。自らの想いの強さに拠って歴史の英雄豪傑を蘇らせ軍勢を揃え瞬時に城を築き、また打ち砕き、何時まででも遊べます。どこまででも飛んで行けます。
 食事をせずとも飢える事は無く、老いる事も病を得る事も無く、いつまででも寿命が尽きない。
 まさにアルカディアと呼ぶべき場所です。

 だがゲキ・サーヴァントにとっては面白くない。ここに住む限り、人は彼らの力を必要としないのです。」
「ああ、なるほど。現実世界とは関係ない場所で遊ぶようになったから、ゲキがへそを曲げてしまったのですね。」
「人類社会が発生した当初からこの空間は在ると思われます。我らの先祖が入り口を発見した800年前にはもう十分古かった、と聞いています。」

 さすがゲキの系譜だ、言う事が常軌を逸している。
 背後に立つ男爵に感想を聞くと、肩をすくめて見せるだけ。いかにホラ男爵といえどもついて行けないホラ話であった。

「この世界に今居る生身の人間はあなたとお兄様と、わたしだけですか?」
「もっと多く居るはずですが、距離もデタラメに離れていますからほぼ遭遇しませんね。この城市に限れば、あと1名くらいではないでしょうか。」

 足元ゴンドラの金網下に先程まで居た街が広がる。南北3キロ東西2キロ街道沿いに十文字に建物が並び、人口はおよそ8万人。
 全てが虚仮である。

「それで、どこに行くのですか。」
「ゲイグ家の居城です。歴代の当主が住まう場所です。」
「歴代って、何百年も昔の人間が今も生きているのですか?」
「ここはそういう場所です。」

 はあ、と納得するしか無い。
 鳩保や喜味子に連絡して解説してもらいたいところだが、残念ながら首根っこ電話は不通である。
 無理して繋げば通じるのだろうが、多分世界全体がぱちんとシャボン玉みたいに弾けて無くなるだろう。長く保っているがこの空間、デリケートにして脆弱なのだ。
 花憐の超能力が尋ねもしないのに教えてくれる。

「城です。」

 ヴェロニカの言葉に前を向くと、白い霞の向こうに小さなとんがりが見える。
 シンデレラ城にシルエットが似ているな、と思う。

 

 思った瞬間世界の四辺がめくれ上がり、花憐達を包んで丸くなった。街に来た時と同じ現象だ。
 気付いた時には部屋の中。全面黒檀の材木で組み上げた豪奢で広いが天井の低い室内に居る。英国貴族の書斎のグレードアップ版な感じ。
 黒鋼輅女が2体、メイド服を着て正面左右に控えていた。

 ヴェロニカの服もお姫様ぽく長いスカートの膨らんだ純白のドレスに替わり、端正に椅子に座っている。
 傍に細い支柱が立っていて、金色の鳥籠がぶら下げてある。
 左手後方に立つ男爵も革の旅装はそのままだが、土埃を拭い去り胸に勲章が付き白髪おさげにリボンが増えてお洒落度UP。金細工を施したマスケット銃を杖に持つ。
 花憐自身もローズ・レッドのお姫様ドレスになっていた。

 かりりんこりりん、と柱時計が振り子を揺らす音が響く。
 待つ事3分。

 鳥籠の中の「鳥」がぐげぇえええと怪音を上げ、背後からどかどかと靴音高く入ってくる。
 若い男性だ。赤い燕尾服を花憐初めて見た。おそらくは男爵と同じ時代の扮装ではないか。
 客に気を使うこと無くまっしぐらに正面に進むと、メイド輅女が捧げる盃を呷る。
 投げるように盃を返し、またまっしぐらに客と妹の前に大股で踏み込んで来た。

「私がエマニュエルだ。花嫁は誰だ。」

 誰だも何も、目の前には妹と男爵と花憐しか居ない。男爵と結婚するつもりか。
 花憐、理不尽だなとは思いながらも右手を挙げた。両手肘までの手袋を嵌めているから、踊るような仕草になる。

「わたしが城ヶ崎花憐です。」
「そうか、では教会に。」

 ちょっと待てぃ。阿も吽も無く、いきなり結婚式かい。さすがに腹に据えかねる。

「お断りします!」
「何故だ。その為にここに来たのだろう。」
「違います、というかあなたが呼んだんじゃないですか。」
「当たり前だ。嫁が勝手に来てくれると思うほど世情を知らぬぼんぼんではない。」

 なんだその理屈は。前後があべこべじゃないか。
 それにしても、と花憐は両腕を組んで自らを新郎と称す男を見る。

 何故外見と中身が揃ってないのだこの人は。もっとまともに育てばこの姿、誰も結婚反対なんかしないわよ。

 

PHASE 333.

 改めてエマニュエル・ゲイグを見てみると、ますますヴェロニカ・ゲイグが地味に思われる。
 髪は根本はヴェロニカと同じ赤ワインの色、しかし3センチも伸びると黄金へと変わる。常のブロンドではなく原色の黄に近い強さを持つ。
 染めたのかと疑うが、この世界思っただけで姿をいかようにも変えられる。多分この人が本当の自分と思う姿なのだろう。

 背は172センチくらい。靴底は厚いが、それを抜いての正味の身長だ。別にシークレットシューズじゃないし、そもそも背の低さなんか気にする人じゃない。
 可愛いと思う。男性にしては肌も綺麗だしすべすべしてるし、女と見紛うと表現すべきだ。
 そして妹と同じく左右異なる瞳の色。緑と金だ、こいつは目立つ。
 ヴェロニカを男にして派手な格好をさせてみた、これが正しい描写である。

 だが決定的に違うのが印象だ。ヴェロニカには世界の偉人をして怯ませる脅迫的なオーラがあるが、エマニュエルにはむしろ人が寄ってくる。
 このヒトが何を言うか、何を行うかを見届けたい。好き嫌いを抜きにしてとにかく見ていたくなる。
 注目を浴びるのが本性、生来の求心力を隠しもせず前面に押し出すのだから、鬱陶しい。スターの風格と見るべきか。

 妹が兄の無遠慮を咎める。双子だからどちらが上の差別は無い。

「エマニュエル、さすがに不躾です。”SAKUYA”はまだあなたの求婚をすら受けていません。」
「む? そうなのか、当然申し込んでいたと思うのだが」
「何時ですか、何処でですか。」

 なるほど。と、エマニュエル納得した。
 自分の心のままに全てが実現する世界であれば、求婚を申し込む前に準備はとうに整うはず。便利に慣れて手順を忘れた。
 ”SAKUYA”城ヶ崎花憐は管轄外の住人だった。

 改めて花憐に尋ねる。

「嫌なのか?」
「いやになりました。」
「うん素直なところは良い。だがこちらにも都合が有る、断られてむざと生きて帰すわけにはいかない。」

 ちょっとちょっと、それは悪党の台詞だろ。

「否と言うならば、そうだな我が妹と勝負して勝ってみろ。三番勝負だ、勝った方の願いを聞き届けてやる。」

 言うだけ言って、またずかずかと部屋を出ていってしまった。面会終了。
 花憐、左に介添えとして立っていた男爵に尋ねる。

「あれはー、貴族としての礼儀はいいのですか?」
「さあて、参りましたな。暴風が吹き荒れてそのまま抜けていったような、」

「ヴェロニカさん、勝負って決闘ということですか? フェンシングの、」
「ええと兄の言う勝負とは決して殺し合いではなく、ゲームを3回して決めよ、だと思います。」

 ヴェロニカもまた呆気に取られていた。我が兄ながら忙しない事だ。いかに現実世界が立て込んでいるとしても。

 

『ワタシが説明いたしましょう』

 鳥籠の「鳥」が口を開く。この世界何でもありだから、別にインコやオウムやキュウカンチョウが人語を喋ったとしても驚かない。
 花憐、

「うあああああああ!」
『なんですか失礼な』
「あ、あなた! 「天空の鈴」星人ね? クビ子さんと同じ。」

 籠の中身は生首だ。女で美しく、髪は緑でうねうねと艶やかに蠢く。もちろんクビ子さんとは顔が違う。
 生首は、自分の出自を正確に言い当てた花憐に逆に驚いた。

『びっくりした。ワタシが宇宙人だって貴女知ってるの』
「いや、だって物辺神社に住んでるし。」
『お察しのとおりにワタシは宇宙から来た麗しの天女、「天空の鈴」*************.*******よ』
「超音波名! 間違いない。うわあああ。」

 なつかしい。良かった、やっと話の通じる人と出くわした。
 花憐黄金の鳥籠に飛びついて抱きしめる。
 生首も、なにせこの世界妖怪変化がありふれていて首が飛んでるくらいじゃ誰もびっくりしない。久々の大注目で気分がいい。

『あの、さ。とりあえず鳥籠からワタシを出しておねがい』

 

PHASE 334.

『便宜上ワタシの事は”メルケ”と呼んでちょうだい。外の世界で遊びまわっていた時は、その名前で通ってたから』
「うんうん、でも何時からこの世界に居るの?」
『えーと、光緒八年だったかな……』

 「清」の元号で光緒八年は、明治十五年。西暦なら千八百八十二年となる。
 宇宙人メルケは120年も亜空間で遊び呆けていた。
 それより、花憐は気が付く。「天空の鈴」星人は定期的に生身の胴体と接続して栄養補給しないと死んでしまう。
 物辺神社のクビ子さんは喜味子に生命維持装置を無理やり装着されているから大丈夫だが、鳥籠の中でどうしてたのか。

『あ、それ大丈夫。この世界に居る限りは飢えて死ぬことは無いから。まあお腹が空いたと思ったらそこらへんの適当な』

 緑の髪でぬるぬると差し招くとメイド輅女がやって来て、自分の頭をぱかっと外す。
 首の継ぎ目には赤い肉と頸動脈、咽頭、頚椎が白く切断面を見せており、メルケ合体。

『ううん、この感触久しぶり。悪くないわ』
「うちのクビ子さんは代用品の肉体はランク落ちな気分がして嫌がったのだけど、」
『その子、地球に来てまだ間が無いのね。根性が座ってないのよ』

 代用品で良いなら差し出口は言わない。それよりも、だ。

「あなた、宇宙人ならここが何処で何がどうなってるか分かるでしょ。教えて!」
『なんだそんなこと心配してたんだ。だいじょうぶよ、これ人間が作ったものじゃないから』
「人間じゃないなら、宇宙人?」
『まあね。昔まぬけな宇宙人が居てね、地球人の夢というか妄想世界を物質化してみようと考えたのよ。そこで亜空間発生装置に人間を繋いで仮想空間を構築したのがコレ』

 おお、よく分かる。ファンタジーよりもSFの方がずっと納得しやすいわ。

「じゃあここは宇宙人によって管理される、しっかりした空間なのね。」
『そうとも言えないなあ』

 昔々の大昔1万と2千年よりももっと昔。まぬけな宇宙人が地球人の妄想世界を具現化するために亜空間発生装置を起動した。
 であなた達の妄想はこうなっているのだよ、と物理的に説明して悦に入っていたところ、件の地球人はこれどうやって作ったのと尋ねてくる。 
 そこで宇宙人は一度外に出てこれが機械です、と説明すると、地球人は機械を抱えてそのまま亜空間に入ってしまった。
 機械は自分自身が形成する亜空間内で亜空間を発生する事となり無限ループに突入。制御不能に。

「制御不能!」
『なにせ機械を起動した宇宙人本人が脱出不能になっちゃったから、それはもうダメなのね。止められない』
「でもそんな、大丈夫なの?」
『だいじょうぶ出られる人は出られるし、亜空間が壊れないように色んな人が働いてるから』
「色んなって、別の宇宙人?」
『宇宙人も居る。ワタシみたいに長く居過ぎてこの世界の部品みたいになっちゃってるけど、だいじょうぶ』

 やばいじゃないか。出られるなら出してちょうだい。
 メルケは取り合わない。そこのゲイグ家のお姫様は出入り自由なんだから、連れ出してもらいなよ。
 そりゃそうだ。

 ヴェロニカもそうしたいのは山々だが、兄の言葉に逆らえない道理が有った。

「あのー城ヶ崎さん、出るのは簡単ですが再び三度取り込むのも簡単なんです。兄の気持ちが変わらない限り。」
「ああそうだった、根本的な解決が必要なのね。それで勝負をしなくちゃいけないハメになって、」

 しかし不審な点が有る。さっきから引っかかっていたのだけれど、

「ヴェロニカさん、あなたはわたしとお兄さんの結婚に反対なのよね?」
「はい。これはあらゆる観点からしてふさわしくない縁談です。我がゲイグ家にとって不吉以外の何物でもない。」
「で、あなたが勝ったら縁談は破談。でもわたしが勝って嫌だと言ったら、それはやっぱり破談。」
「貴女が嫌だと言えば、そうなります。」
「意味無いじゃん。」

 どっちに転んでも結婚話は潰れる。なんだ、まったく問題無いじゃないか、これでどうだ!
 花憐、勢い込んでミュンヒハウゼン男爵の意見を伺う。

 

PHASE 335.

 だが男爵は気の毒そうな顔で首を横に振った。花憐嬢、ちと考えが甘過ぎますな。

「吾輩の見たところこちらのヴェロニカ嬢は、兄上の希望を覆す力を持たぬ。」
「え、自分は嫌なのに?」
「不承不承ではあっても、恩愛故に兄上の意のままを通してしまわれる。この方はそういう御人であられるな。」

 花憐、改めてヴェロニカを見る。彼女も痛い所を突かれたと顔を背けた。
 そういうことか。今や花憐にも反対の理由の察しが付いた。
 兄を愛するからこそ他の女を拒絶する。

 いや常人の女ならば歯牙にも掛けまい。ゲキの血を引く特別な自分を超える、城ヶ崎花憐だからこそ受け入れられない。
 断固反対すべきであるが、感情以外に抵抗する足場を持たないわけだ。

 言い訳をするかにヴェロニカは小さく呟いた。

「それに、兄には「万人を従える声」の能力がありますから……」

 鳩保と同じ能力。声によって全ての人間を自分の意のままに動かせる。血を分けた妹であっても逆らえないのか。
 男爵はさらに付け加えた。

「これは一般的な意見だが、女人は感情の生き物とされる。対して男はロゴスに従う。
 一時のその場の勢いでは感情に突き動かされる女人をあしらいかねるが、結局は論理合理の判断を優先する男性が勝ちを得るのが人の世の常。
 エマニュエル殿も己一人の恋愛感情で花憐嬢を娶られるわけではなかろう。」

 そうでした。ヨーロッパのアンシエント全体の意志によりエマニュエル・ゲイグは城ヶ崎花憐との婚姻を結ぶのだ。
 惚れた腫れたの問題ではない。

「けっきょくはー、勝たなくちゃダメってことなの?」
「負ければ嫌も応も無く教会で式を挙げるのではないかな。」

 これはいかん。最初から分かっていたが、緊急事態なのだ。

『じゃあ、ゲームの仕切りはワタシがやるという事でいいかな?』

 何故か生首メルケがゲームマスターに成りたがる。
 花憐はどうしたものかとヴェロニカと男爵の顔を見るがどちらも異存が無いようだ。
 この世界、面白い事は自分でやらなければ始まらない。イベントには積極参加がデフォルトらしい。
 花憐も元より同じ姿勢で今回のトラブル対処に当たっているわけだが、それにしても、

「なんか、まんまと乗せられている気がするんですけど。」
「それで良いのであるよ。馬は乗らねば御せぬもの、嫌々の騎手なぞ馬鹿にされ振り落とされるのが常である。
 こちらのお嬢さんは乗られるのであろうかな?」

 ヴェロニカも頷く。兄の言葉に従うわけではなく、自らの意志で花憐に勝負を挑むと言う。

「致し方の無い話ですが、身内の私から見ても兄は奇矯な人物です。もし城ヶ崎花憐さんが私に負けるような面白味の無い人物と分かれば、結婚する気が無くなるかもしれません。」
「善き覚悟哉。どうかな花憐嬢、本気の対戦で未来を決めるというのは。」
「いいですね、双方ゲームに臨む動機が整いました。メルケさん、お願いします。」

 メルケ、緑の髪を振り上げてゲーム開始の宣言をする。紐育に行きたいかー。
 おー、と3人が唱和するも、所詮は部屋の中。メイド輅女を観客にしてもさっぱり盛り上がらない。

『場所を換えましょ。街に戻って』
「そうね、ここ狭いしね。」

 お帰りはこちら、とメイド輅女が指し示すのは黒光りのする木の扉。よく磨かれた真鍮のノブが握ってーと手招きする。
 行きがかり上先頭の花憐が開いたら、

 

PHASE 336.

 元の街、元の通り。
 東西の偉人達が相変わらず遊興に耽り、花憐がぶっ壊した黒鋼輅女の残骸が転がる。

「どっ、どこでもドア?」
「この世界は意志の力ですべてが決まり、距離の遠近はさほど意味を持たぬ。進行の都合上移動シーケンスを描写する必要を覚えなかったのであろう。」
「そんな身も蓋も無い。」

 参考の為にこの世界全体の広さを聞いてみたら、西遊記だと男爵は答える。
 筋斗雲に乗って世界の果てまでぶっ飛ばしてもお釈迦様の掌の上。なるほど意味が無い。
 しかしながら場面転換の様子はなかなか見応えが有るものだった。
 花憐が扉を開いたと思ったら、扉でなく部屋全体が回転し外の街が迫ってきて、3人+生首が降り立ったと同時に扉が鍵穴の中に折り畳まれて消滅した。
 ハリウッドのCG映画ならなんとか再現できるだろう。

「トポロジーというやつですね、たぶん。」
「そんなことより、」

 とヴェロニカが指摘するのは二人共に紅白のお姫様ドレスに身を包み人前に立っている点だ。
 さすがにこれでは身動きが取れない。

「いやいや御二方とも目の醒めるお美しさですぞ。メルケ殿、最初のゲームはこの衣装のままで出来るものに定めましょうぞ。」
『そうですねー、じゃあ激しい運動を伴うのは二回戦という事にしましょう』

 緑の長い髪をうねうねと蠢かせて手として使う「天空の鈴」星人は、久しぶりの外界で眩しそうに目を瞬かせる。
 籠の鳥となって幾星霜、巷の遊びもご無沙汰で腕も勘も衰えてしまった。我ながら情けなや。
 このゲームが終わったら10年ぐらいぶっ続けで遊び倒そう。

『あー、とりあえず三回戦をすると決まってます。2勝すれば勝ちなんですが、緒戦連勝して決着てのはおもしろくない』
「だめなの?」
『一回戦二回戦での勝敗の結果を受けて、三回戦でのハンデを決めましょう』
「うむ、エマニュエル殿も三度戦わねば納得はせぬだろうからな。よろしいか御両人。」

 ヴェロニカは即答で肯いたが、花憐はしばし考える。
 この神仙境はアウェーだ、まったく要領が掴めない。常識では想像も出来ないからくりがまだ幾つも用意されているだろう。
 様子見するのが吉。一回戦は捨ててもよい覚悟で臨むべきだ。

「それじゃあ三回目でがちっと勝敗を決めるというのでお願いします。」
「うむ、引き分けなど無しにな。」
『はいはーい。えー、やはり知力体力時の運を試すのがゲームの三大理論です。ならば第一回戦は運試し』

 花憐ヴェロニカ共に肯く。
 双方ともゲキに選ばれた女として常人とは呼べぬ運を持っている。どちらが格上かを定めるに、まずは不思議比べをするのが正しいだろう。

 メルケ、緑の髪を右に、左に差し上げて、街の様子を確かめる。まるでアンテナで探っているかに見えた。

『うん。じゃあ第一回戦は街勝負。制限時間までにこの場所に、”生身の人間”を連れてくる事』
「なんですって!」

 血相を変えたのはヴェロニカだ。花憐にはこの勝負の難易度が分からない。
 抗議を受け付けるのも億劫と、メルケは男爵に合図する。
 男爵、手にする黄金飾りのマスケット銃を天に向け、号砲一発。

 ゲームの開始だ。

 

PHASE 337.

「あのー男爵、この勝負ってそんなに難しいのですか?」

 ヴェロニカはゲイグ家の使用人たる黒鋼輅女10数名を連れて街の東に去っていった。
 花憐は行き掛かり上西に進む。男爵とメルケは花憐に付いて来た。
 二人が花憐にアドヴァイスするのも許可されるが、同時にヴェロニカも如何なる手段の行使も許される。
 それだけ厄介なゲームなわけだ。

「難しい、いやほとんど不可能に近い。何故ならば生身の人と、この神仙境でのみ生きられる者と見分ける手段が無いからの。」
「なんですって。」
「そもそもだ、この世界は人間が住むにはまったく適しておらぬ。凡人が生きて暮らすに能わぬ場所なのである。」
「いえわたし凡人ですから。」

 男爵とメルケ、何をいまさらと花憐を猫の目で見る。
 ゲキの力を自在に用いる少女が凡人なわけ無いじゃないか。

「あー花憐嬢、そなたは言うまでもなく力を備えた人間であり、この世界に住むのを許された存在だ。
 しかし本当にほんとうの凡人が迷い込んで来た場合、数日の内に息絶えるのが常なのだよ。」
「ひぃー。ここって、そんな恐ろしい場所だったんですか?」

「いやいやそうではない、ここは本当に楽しい場所なのだ。自らの欲するまま望むまま、いやさ想像を超える楽しみに溢れておる。
 凡人は色の変化に惑わされ自らを見失い遊び回りはしゃぎ回って、生命力の限りも忘れて悦楽に溺れ、気付けば心の臓が止まっている塩梅だ。
 だがちっとも恐ろしくはない。肉体が滅びても心は滅びぬ。精神だけの存在となって、ようやくこの世界の住人に成る。
 我輩と同じ、空想上の生き物となるわけであるよ。」

『ここは外界からはアルカディアともヴァルハラとも、パライソとも呼ばれているけれど、ワタシとしては仙界と呼ぶのが正しいと思う。
 つまりね、生身の肉体を脱ぎ捨てて羽化昇仙した人だけが真の住人なんだよ』
「だいたいヴァルハラには生きている人間は入れぬしの。」

 ぞぞぞぞ、と花憐は全身の毛が逆立つのを覚える。
 最初から想像しないではなかった。いやそれが当たり前の認識だ。
 右を見ても左を見ても古今東西の英雄や偉人て、だいたいの人はとっくの昔に死んでるじゃないか。神さまだって妖獣だって此の世のものではない。
 あーわたしって馬鹿馬鹿、なんで「妖精の輪」なんかに踏み込んじゃったのよ。だいたいあれは良くないものと相場が、

 わーいと子供達が駆け抜けていく。本当に無邪気になんの憂いも怯えも無く、未来を思い煩うなど知らずに遊んでいる。
 あれは、

「あの子供達も死人なんですか。それとも、水子?」
「いや違うな。あれは長生きした人間の空想だ。」

 この世界に紛れ込むのに年齢制限は無い。長く生きて経験豊富な者なら、なんとなく勘が働いて入り口を見つけてしまうものだ。
 彼らはさすがに己の分を弁えて生命が果てるまでの遊びはせず、さりとて浮世に戻る事も無く、延々と世界に入り浸る。
 のんべんだらりと過ごすのも夢の内。だが長く遊べばさすがに里心が付く。家族友人を懐かしむ。

「帰ればいいんじゃないですか、それ。」
「帰るのだがな、また戻ってくるのだ。面倒見の良い吾輩は何人も見送り、迎えておる。誰一人として現世に留まろうとはせなんだな。」
『気付いた時は何十年何百年と経ってるからね。そりゃ行き場が無いよ』
「リップ・ヴァン・ウィンクル、浦島太郎ですか。」

 なるほど子供を空想するはずだ。どこまでも無邪気な、何時までも幼いままの。
 それは幼い時分の我が子の姿であったり、懐かしい友と遊んだ日の思い出だったりするのだろう。

「ここって思ったより寂しい場所なんですね……。」

 

PHASE 338.

 だが狙い目はそういう人だ。曲がりなりにも生身の人間であるから、連れて行けばゲームクリア。

「まあ、そうなのだがなあ。」
『そうなんだけど、さあ誰だろう』
「お二人にも分からないんですか?」

「うむ。だいたい外観が変わるからな、歳なんか若返って。」
『自分の理想の姿、自分がこうであろうと想像する姿でこの世界に居るんだよ。場合によっては別人に成り代わって、さらには別人の人格で暮らしているかもしれない』
「偉人ばかりの世界で、凡人は辛いからの。仮面を被るのも責められぬであろうよ。」

「じゃあ、自分はどうなったんです?」
「どうなのかのお。」
『そもそも自分って何、てところから問わねばならないんじゃないかなあ』

 そんなに変わっちゃあ、人間じゃない。生身なんて言えるわけがない。
 つまりこの神仙境で自我を正常に保ち得るのは、よほど自己に自信の有る強大な精神力の持ち主なのだ。
 すべてが想像で成り立つ世界において最も強い能力者だ。

「さてどうされる花憐嬢。通りを歩く者を片っ端から斬っていこうかの。生身の者なら斬られれば血も出よう。」
『斬ってちゃんとくたばる奴は、間違いなく生身だよね』
「うむ、だが死に真似の上手な奴も多いからな。血糊にごまかされるのも嬉しくない。」

「穏便に、男爵穏便に参りましょう。」

 何のアテも無くただ街を歩いて行く3人。そもそもこの勝負は花憐のものだから、花憐自ら方策を考え出さねば手助けも出来ない。
 気付くと街が茜に染まる。美しい夕景が広がる坂の上に居た。

「何故?」

 花憐がこの世界に吸い込まれたのは夜八時過ぎ。だが今までは中天高くに陽はあり続けた。
 いつの間に夕方に。

「ああ、これは誰かが懐かしく好ましく思う夕日の美しい街並みを再現したものであろう。この坂の上に立つと、時間の別は関係なしに強制的に夕暮れの風景が見えるのだ。」
「そんな無茶な。この世界の太陽に規則性や物理法則は適用されないのですか。」
「結構な力の持ち主の仕業であるな。この街は住む人の気分によって様々に姿を変えるが、ここから見えるものだけは必ず夕暮れにされてしまうのだから、大したものだ。」

 そんなデタラメな。じゃあこの世界、時間の進行は何によって見定めるんだ。いや、分からないから何時まででも遊んで居られるんだ。
 しかし坂の上は見晴らし抜群のスポットだ。ここから街の様子を確かめて生身の人の住んでいそうな場所を探せばいい。

 

 くるくる首を回して見る内に、坂上に樹木の生い茂る公園があるのを発見した。
 レンガの塀で囲まれ、割と大きなケヤキの木が腕を伸ばし、葉陰の暗がりに浮いているのは誰でもが知るニヤニヤ笑い。
 笑いだけが枝の上で花憐を嘲る。

「男爵あれはひょっとすると、かの有名なチェシャ猫ではないでしょうか。『不思議の国のアリス』に出てくる。」
「ああ。であろうな、忌々しい奴だ。」

 想像力で偉人や伝説、物語の登場人物が実体化する世界だ。透明な猫が居て何の不思議があろう。
 ただ今の花憐にとって助けになるとは思えない。なにせアリスに出てくるキャラクターは常軌を逸すると決まっている。

 とはいえ無意味では無かった。人を尋ねるに人間でなく妖精怪異に当ってみる手も有った。
 天空を見ても街角を見ても、色んなかいじゅーが遊んでいる。
 ドラゴン、ワイバーン、フェニックス。麒麟、蟒蛇、猪八戒。一反木綿に天狗に毛目玉、女の生首なんかも空を飛ぶ。

「男爵、この世界の人間以外のクリーチャーは誰が考えたものでしょうか。やはり呑み込まれた人間ですか。」
「子供だな。」
「さっき出会ったみたいな?」
「違う。実に玄妙の話でな、まさに童なのだよ。」

 子供なのだ。この世界にたまたま、あるいは必然として呑み込まれた子供の想像の産物だ。
 幼い子は想像力に限界を持たない。偉人のキャラクターを借りて体裁を繕ったりしない。遠い故郷の昔を懐かしんだりもしない。
 何でもが可能と知った子供達は容易に人間の枠を越え、自らの姿も大きく変形させ能力を増大させ奇跡を日常的に起こし、飛翔し、遂には人を捨てる。
 完全にこの世界に馴染んでしまう。

 花憐は高い夕暮れの空に白い雲の尾を引く大鴉を仰ぎ見て言った。

「あれは、子供の成れの果てですか。じゃあ肉体はどうしたのです?」
「さあて人間であった事さえ忘れてしまうからの。人の身体を持っていたのも忘れたのであろう。」

 本当、生身の人の住み難い所だ。ほとんど虐殺装置ではないか。
 男爵に振り向くと、先程チェシャ猫を見て以来苦虫を噛み潰したかの顔を続けている。

「だがの、花憐嬢。全てが無垢な子供の想像とは限らぬよ。例えば彼奴、チェシャ猫だ。」
「はい。」
「『不思議の国のアリス』を引用する奴に、碌な輩は居らぬのだ!」

 言うが早いか男爵は黄金で飾ったマスケット銃で狙いを付け、一撃でニヤニヤ笑いを撃ち抜いた。その技、電光石火。
 あらゆる物理攻撃を無効化するチェシャ猫も、ホラ男爵の銃弾を躱すまでには至らなかった。
 ギャーと叫んで枝から落ちる。

 生首メルケが褒め称えた。

『お見事!』
「己の能力にあぐらをかいて、空想をも砕く銃弾までは予想出来なかったようだな。
 どうせ幼女嗜好の変態性欲者の成れの果てであろう。花憐嬢も怯えるにはあたらぬ。」
「は、はい。」

 花憐、改めて男爵を見直す。柔和親切な老紳士であるが、決して柔弱な人物ではない。四六時中緊張の中にあり、また危険を楽しんでいるのだ。
 これこそがミュンヒハウゼン男爵、天下に名高い男伊達だ。
 メルケ注釈。

『それに、『不思議の国のアリス』は男爵の商売仇でもあります』
「あ、なるほど。」

 

PHASE 339.

『猫に聞くのであれば、あちらの方が結果は良いでしょう』

とメルケに勧められて公園の森を覗くと、真っ白で身体の長い猫が居る。体長は、……1メートル。

「あれ、豹じゃないの。ユキヒョウでしょ。」
『尻尾が無いでしょ、あれは無尾猫という自堕落な生き物で、猫同士噂話を交換して誰よりも世情に通じているんだよ』
「ほー、それはまさに今の状況に必要な手助けですね。」

 絶対にホントの事を言わないチェシャ猫より確実にマシな相手だろう。
 花憐は、ねーこねこねこ、と猫撫声を出しながらソレに近づいた。
 お姫様ドレスの真っ赤な薔薇が開いたような膨らんだ裾で藪に踏み込めば、たちまち遭難。

「たすけてー。」
「なんだー?」

 振り向いた白猫の顔を見てぎゃあーと花憐は悲鳴を上げた。これ猫じゃない、ぜったいネコなんてものじゃない。
 ヒトだ。ネコの顔の部分にヒトの顔を引き伸ばしてくっつけた、そんな怪物だ。

「たすけてー男爵助けてー。」
「な、なんだ、なんだ。この温厚にして繊細なわたくしに対して何たる侮辱。たすけてー。」
「あー花憐嬢その猫はまったくもって天然自然にその顔であるから、驚かれるな。鎮まられよ。」
「失礼しちゃうなあ、わたくしは去る。」

 動作の滑らかさはまさしく猫であり、煉瓦塀の上を伝ってつとつとと歩いて行く。
 反対側は高さ15メートル、崖に面しており4階建て相当の高さがあるが平気で行く。猫だから。

 メルケも元々宙に浮いてるから高い所の心配は無い。崖に沿って飛び無尾猫を追跡する。
 問題は花憐がどうするか。
 男爵が藪に踏み入って、花憐を抱え上げて救ってくれた。

「どうなさるかな花憐嬢。無尾猫の助けは要らぬか。」
「いえ、ちょっとびっくりしましたが、あのくらい変な生き物でないとこの世界では役に立たないんでしょ。使いますよ親だって神様だって猫だって。」

 ローズレッドのスカートの脇を両手で掴んで裾を引き上げ足の邪魔にならないようにして、花憐はぽんと跳ねた。
 猫と同じく煉瓦塀の上に立つ。幅わずかに15センチ。高さ15メートル、落ちれば確実に死ぬ。
 死なない。ゲキの力が有るから空中でベクトル変換出来る。
 花憐の能力は猫に優るのを忘れていた。

「男爵、わたしはこのまま追跡します。あのネコはこの街の全てを知っているんでしょ?」
「街の神経と呼ぶべきモノであるな。ヒトよりはよほど深く詳しくドブの中までも承知する。」
「追いましょう。」

 ならば吾輩も、と男爵も煉瓦塀に飛び乗った。老齢にも関わらず見事な身のこなし、軽業師よりも巧みに動く。
 当然の能力。物語『ホラ男爵』では、水に沈む前に左右の足を交換して浮き続ける新発想を用いて、彼はイエス・キリストに続く水上歩行者となった。
 自分のブーツの紐を自ら引張り上げて空中を浮遊したエピソードから、コンピュータ業界にも「BOOTSTRAP」の名を残す。
 運動能力においては人後に落ちぬ、高機動ヒーローだ。

 ちょこちょこと塀の上を走る花憐と男爵。背後から今後の行動について助言を授けてくれる。

「花憐嬢、そうは言っても無尾猫もタダでは協力してくれぬ。なにかしら彼の利益となるものをくれてやらねばな。」
「でもわたし、この世界には何も持ってきていません。」
「イメージを使って金銀財宝をでっち上げるのも容易いが、猫に小判の諺も有る。さてさて。」

 たしかに猫には鰹節、餌をくれてやるべき。
 でも花憐はこの世界ではほんとうに何一つ持っていない。ドレスだって借り物だ。

 

PHASE 340.

「あ、こらついてくるな。」

 とうとう猫に追いついた。
 近くで見ると、なるほど尻尾がまったく無い。お尻の尻尾が生えてくる場所の毛がまとめてピンと跳ねてるくらいで、むしろ人間そっくりだ。
 人間の顔に人間のお尻、二足で立ち上がれば特に区別すべきでも無いのかもしれない。

「えいうるさい奴だな、わたくしに何を聞きたい。」
「人、生身の、外界からこの世界に来た今も行きている人の居所を教えて欲しいの。おねがい、お礼はするから。」
「ふん。ネズミ1匹持ってないくせに、」

 あ、やっぱり猫だからネズミを食べるんだ。お礼はやはり餌なのだな。
 しかし、ネズミか。

「ねずみ?」

 花憐はスカートのヒダの一つ一つをまさぐった。もちろん煉瓦塀の上をかつかつと調子よく歩きながら。赤いヒールでよくもまあ器用に、と自分でも感心してしまう。
 スカートにポケットは無い、無いのだがなにか入れられる。外界から持ち込んだモノも見つかった。
 手紙だ。
 物辺優子への彼女の父からの手紙。これがあるからには、やはり夢ではないと認識できる。
 それと鍵。自宅の鍵は出る時は必携、いかに家にトノイさんが居ようとも手放すわけにはいかない。

 最後に見つけたのは、神仙境に招かれた後に手に入れた唯一の品だ。
 手の中でちうと鳴く。

「あのー、ねこさん? 実はわたし、ネズミを持ってるんですけど。」
「なんだって?」
「さっき黒鋼輅女を1体ぶっ壊して心臓部をひきずり出した時に、ネズミを捕獲しちゃったのよね。」
「くれ。」
「くれと言われても、食べちゃうんでしょ。」
「猫がネズミを食べて何が悪い。」
「それはーそうなんだけどー。」

 白いハツカネズミが哀れっぽくちゅーちゅーと鳴く。こいつもひょっとしたら人語を解するのかもしれないが、なにせ花憐はネズミ語が分からない。
 ごめんね、わたしはみのりちゃんとは違うのよ。

「じゃあこれあげるから、道案内よろしくねー。」
「ヤッター!」

 猫の頭の前に、ぽんとネズミを放り投げる。無尾猫は塀の上で飛び跳ねて空中キャッチのち横ひねり一回転して着地する。

「うおおおおおやったー、このネズミ外界のほんとの生き物じゃないか。めったに食べられない上物だ。」
「お礼にそれで、いい?」
「もっとくれもっと。」
「無いわよ。じゃあ約束守ってよ。」
「ついて来い。」

 ハツカネズミを、まだ生きたまま咥えて、無尾猫は意気揚々と歩調を速める。
 花憐も男爵もほとんど小走りとなり、右手に断崖絶壁左手に美しい木立を望みながら駆け抜ける。
 もう全力疾走で、空中を飛んで付いてくるメルケの方がへたばった。

『まってー』

 花憐、段々躁状態になってくる。なんだか楽しい。
 まるで自分がお伽話の主人公みたい。猫でしょ、男爵でしょ、生首でしょ、これをお供に冒険の旅に出かけるのだ。

「『オズの魔法使い』みたい!」
『かれんさん、それも男爵の商売仇ですよお』

 急に猫が立ち止まる。あまりに急だからブレーキが効かない。
 花憐、ベクトル変換能力を使って辛くも激突を免れる。スカートの裾がふわりと風に膨らんだ。
 背後の男爵も空中に飛び上がり、ブーツの踵を2回打ち鳴らして無事停止。
 後から遅れて付いて来たメルケだけがそのままのスピードでしゅーっと流れていき、花憐に緑の髪を掴まれて引き止められる。

 猫は煉瓦塀の上に行儀よく座り直し、咥えたネズミをあんぐりと呑み込む。(注;呑み込んだだけで、まだ食べてはいないからネズミ死んでない)

「ここだよ。」

 公園の森が途切れて、芝生の上に大理石の建物が並んでいる。
 ギリシャの古代建築様式だが、ご多分に漏れずに廃墟の遺跡となっていた。まるでギリシャ人が最初から廃墟を作ったかのように。
 歌声が聞こえる。女声で独唱だ。

「……すごい。」

 花憐思わず口に出す。
 少し低いメゾソプラノで非常によく伸びる声質だ。技量も十分、よく鍛えこんである。
 かなり遠く小さいのだが力強く心に沁み、人を惹き付けて已まない。歌い手の魂がそれだけ大きいと感じられた。

 だのに、メルケは。
『下手ですね』

 男爵もまた、
「ふぅむ、才能は認めるがいまだしと云うところかな。」

 冗談じゃない!

 

PHASE 341.

 花憐はお金持ちの家の子として、また市会議員の娘としてしばしばコンサートや観劇会に連れて行かれる。
 プロの声楽家の唄も間近で聞いて知っている。
 その経験から言っても、この歌い手は尋常ならざる才能の持ち主だ。いや才能だけでなく人間としてもきっと、すごい。

 全力で抗議しようとする勢いを男爵に止められた。

「いやいや花憐嬢、もちろん吾輩もメルケ殿も唄をけなそうとは思わぬのだ。だがここは神仙や伝説の偉人が集う園だ。
 息継ぎをしないマリア・カラスも何十人が住んでおる。」
「え、……。」
「第一歌や演奏は我らも得意でな、しかも嫌というほど時間が有り余っておるから練習もし放題。どなたも玄人と思って頂いて結構であるよ。」

 メルケに振り向くと空中でこくこくと肯く。
 芸術はこの遊び放題の世界においては基礎教養と呼べるもので、伝説の偉人や物語の人物はおおむね歌劇にも登場する。
 自分が出てくるお芝居の歌くらい歌えるに決まっていた。

 花憐愕然として遺跡を眺む。

「じゃあ、この素晴らしい声がこの世界では、素人なんですか……。」
「無論、生きた人間の唄としては絶品であろうな。」

 生きた人間。男爵の声に思わず振り向く。

「下手な唄というのは、つまりこの世界においては生身の生きた人間の証明、ってわけですか!?」
「猫は約束を果たしてくれた、という事であろうかな。」

 やったーと花憐しゃがんで真っ白な無尾猫の首根っこにしがみつく。人間みたいな変な顔でももう気にしない。

 煉瓦の塀から公園の芝に降り立ち、唄を頼りに進んでいく。
 巨大な石材を乗り越え、朽ち風化した東屋を過ぎり、かって流行したという廃墟洞窟風噴水を越えて、
 丘の下に広がるのは楽聖の集い。
 これまたギリシャ野外円形劇場に多数の偉人が揃っていた。

「こいつはー、ちょっとびびりますねえ。」

 モーツアルト! ハイドン、シューベルト、チャイコフスキー、ショパン、リスト、もちろんベートーベンも。
 うは、ジョン・レノンまで居るよ。
 音楽教室に肖像画が置かれている楽聖達が雁首揃えて額に皺を寄せ、中央石舞台に立つ少女の唄を審査する。
 彼女が向かう正面に位置するのは、大小無数の銅鐸や銅羅が整然と並んだ中国の打楽器1セット。鋳たばかリの黄金色に輝く。
 その前に座すのは中国古代の聖人だ。

「あれはひょっとして、」
「孔丘先生であるな。あの方は意外と数は少ないのだ。あまりにも古くから居過ぎて無数の分身が集合して一つとなり、生前よりも遥かに巨大な存在となっておる。」
「この世界の偉人は、イメージが集合すればするほど強くなるわけですか。」
「だからあそこに集う方々は皆本物と見做して良い。一人としていいかげん曖昧な者は居らぬのだよ。」

 孔子は「周」の時代の礼法の復活に尽力し、音楽にも深く親しみ高く尊んだ。誰よりもうるさ方と言えるだろう。
 そんな人を前にして一切怯みも見せず伸びやかに歌う彼女は、やはり只者とは呼べぬ。

 遠くから見る限り、背は低く中学生くらい。髪は栗色でさらさらと細く小学生の男の子のように短く丸く切り揃えていた。
 角度を換えて顔を確かめると、眼鏡。度の強いレンズで瞳は見えない。

 最も奇異な点は服装だ、よく見えない。天女の羽衣のように風にたなびいて長く、輪郭がはっきりとせず空に溶けていく。
 イメージによる衣服の構成が十分に出来ないのだ。物質化のコツをまだ掴んでいない。
 彼女は、花憐と同じく初心者に過ぎなかった。

「確かにあの人は生身の人間のようです。」
「うむ。間違いなかろう。」
『では、声を掛けて呼びますか』

 しかし、と花憐はためらった。美しい声に彩られる清浄な空気を乱すのは、犯罪に等しい不敬と感じられる。
 心配は要らない。部外者闖入者の存在に劇場内の楽聖達は一斉に気付き、ざわつき振り返る。首をすくめて岩陰に隠れたが、時既に遅し。
 正面審判長の孔丘先生が鐘をカーンコーンと2回鳴らして、唄は終了。不合格だった。

 

PHASE 342.

 要するに花憐達は大事なのど自慢の会場を荒らしてしまったのだ。なんてお詫びをしたものか。
 楽聖達はぞろぞろと劇場を後にし、唯一人歌い手のみが留まった。
 花憐達も岩場から姿を現し、ごめんなさいと降りていく。まったくもってご迷惑をお掛けしました。

 振り向いた少女はぐるぐるメガネの冴えない、大人しい、地味な子だ。
 無論人は見かけに拠らない。これだけの偉人を前にしてまったく怯まず安定して歌い続け、そもそもがこんな不思議空間に一人でやって来ているのだ。
 どれだけの胆力を備えているか。

 衣服が変わる。天女の羽衣が収縮して普通の人間の衣に戻る。
 青の上着、灰色のスカートへと形成された姿を見て、花憐愕然とする。
 これ、門代高校の冬制服ではないか!

「えええええええ!」
「…………。」

 向こうも花憐を見て驚いたようだ。と、自分を振り返ると同じ制服姿に。
 薔薇色のドレスが驚愕のイメージと共に変質して、冬制服を形成した。
 胸の校章を見る。間違いない、まったくもって門代高校の女子学生服だ。
 学年章の色は緑、花憐は青緑。彼女は小柄ではあるが三年生だった。

 三年生でぐるぐる眼鏡のくりくり頭、背が低く歌が極端に上手い。この人知ってる、わたし。

「さ三年の、祐木 聖せんぱいですかあー?」

 こくこくとうなずく。間違いない、これは絶対間違いない。なにより花憐前に会ったこと有る。
 この人は誰に習ったわけでも無く自宅で一人カラオケ練習をして、あまりの巧さに思わずCDデビューまでしてしまった超人だ。
 ついでに言うと、二年一組花憐のクラスメイト草壁美矩の先輩でもある。神様相原志穂美先輩と同じ、女子軟式野球愛好会に所属する。
 野良神様の友人であれば、そりゃあ神仙境にだって来るはずだ。

 花憐がっくりと地面に膝を着く。両手も着いてうずくまる。
 心臓がどきどきする手指が冷たい、酸っぱいものが込み上げる。だめだ何か変。頭が混乱して考えがまとまらない。
 まずは状況を整理して冷静に、順序立てて思考を。

「男爵ぁーく!」
「な、なにかな。」
「これは夢ですか、それともわたしが勝手に祐木せんぱいを想像力で形成してしまったのでしょうか?」
「この方はお知り合いなのかな。」
「わたしの学校の先輩です。こんな偶然がほんとに何の仕掛けも無しに発生するでしょうか? 夢ではないのですか?」

 さあて、と男爵も首をひねり白い髭を摘んで考える。生身の人間と想像の人間とを明確に区別する方法は本来存在しない。
 なにせ彼らは「本物」として造形される。容易にバレてしまっては意味を為さない。
 強いて言うなら、ぶった斬って赤い血が迸るか確かめる事だが、さすがに無理。死人に用は無いのであった。

「夢か現かの見極めは付きますぞ。頬をひねって痛ければそれは現実であると、一般的には考えられる。」
「なるほど、でも男爵のお手を煩わせるのも紳士的とは呼べませんね。えーとこれはー、そうだ。祐木せんぱい!」

 ぅわわ、と先輩は口を開く。この人は元来無口な質で普段はぜったいに喋らない。可聴域以下のとんでもない小声で呟く。
 にも関わらずの凄まじい声量で歌い、人を驚かすのだ。

「せんぱい、もし夢でないのならわたしをつねってみてください。さすがにホラ男爵の、」

 顔を上げて三年生に訴え掛ける花憐に、躊躇の無い右ストレートが炸裂する。
 これだ! 頬を撃ち抜かれながらも、花憐はリアルの直感に打ち震える。
 これだ、これこそが相原志穂美先輩の、いや女子軟式野球愛好会を結成したキャプテンの、つまり中学校の卒業式で優ちゃんをぶん殴った生徒会長さんの流儀である。

 ウルトラ軽量級の先輩の拳はそんなに痛くはないが、やっぱり痛い。これがリアルでないのなら、何を現実と見做そうか。

「いたいですー。」
「どうやら夢ではないようであるな。納得頂けたかな、花憐嬢。」
「はい、いたいー。」

 男爵に手を引かれて立ち上がる。花憐は身長が160有るから、先輩は胸の辺りまでしかない。小さい。
 にも関わらずのなかなかのパンチ力。というか、普通あそこで殴りはしないでしょお。
 恐るべき文化が女子軟式野球愛好会には横行していた。

 

PHASE 343.

 どういう経緯で神仙境にやって来たか尋ねてみると、だが祐木聖先輩はごもごもと口の中で呟いて聞こえない。
 メルケがどこから取り出したか分からない機械をくっつけると、聞こえてきた。「音声百倍アンプ」だそうだ。

「”……家で自分の部屋でカラオケの練習をしていたら、いつの間にかここに来てる。もう何度も来てる。”」
「おお、さすが”悪魔のアリア”。」

 普段の喋りの声は、増幅して聞いてみると小鳥のように美しい。
 だが歌う時はあくまで強く深く鋭くそれでいて軽やかな、天馬空を往く自由さ束縛の無さ、或る意味アナーキーさまで漂う異様異質な声となる。
 いきなり非日常が現出する様に、悪魔が喉を借りて歌っている、とまで噂されるのだ。

「つまり歌えばいつでもここに来れるわけですか?」
「”うん。”」

 さすが。これが真に力を持つ人なのだ。花憐みたいに借り物の力ではない。

「あの、ちょっと都合が有って生身の人間を探していたのですが、ご足労願えないでしょうか。」
「”うん、いいよ。”」

 花憐ほっと胸を撫で下ろす。ただ、祐木先輩がほんとうに本物の人間であるかは未だ不明。
 決定的な証明の方法を誰も知らないのだ。
 しかしこれ以上街を彷徨っても、他の人間に巡り会う可能性はまず無いだろう。

「では参りましょう。」
と言ってはみたが、ここギリシャ風円形劇場から元居た場所までどれだけ離れているのか。随分と走ったような気もするが。

 

 心配無用。いきなり周囲の光景が折り紙の箱を開くかに解体し、花憐達を包んで折り畳まれ再び開くと、スタート地点に立っている。
 なかなかご都合主義で便利がいいぞ、神仙境。

「そうか、これ縮地法という魔法なんだ。」

 見ると、既にヴェロニカ・ゲイグが戻っている。十数体の黒鋼輅女が陣を張る中央に座っている。
 相変わらず白いお姫様ドレスのままだ。
 隣に立つのは、かなり奇妙なコスプレの白人女性。虎柄の毛皮を肩手足の末端に纏う、猫耳ボンデージエルフな人だ。
 年齢はヴェロニカと同じ二十歳くらいか。ちょっと変な体型だ。
 手足は外人らしくスラリと長いのに、ウエストに肉が付き過ぎと思える寸胴さで、胸はポコンとハンバーガーみたいなのが飛び出している。
 決してモデル体型とは呼べないがコケティッシュな魅力が有り、男性にはモテそうに思える。

 花憐は言った。
「それ、片付けなさいよ。」

 ネズミ車の心臓を抜き取られた黒鋼輅女が尻を天に突き上げる形で擱座する。
 ヴェロニカは、そのままで動かさない。

「目印にちょうどいいでしょ。あなたがやった所業ですから。」
「くっ、まあ、まあいいわ。」

 花憐の陣営は、ミュンヒハウゼン男爵、生首メルケ、祐木聖先輩、と無尾猫だ。ちょっと戦力的に弱い気がする。
 門代高校冬制服の花憐を見て、メンバーを見て、ヴェロニカはふふんと笑う。

「そちらが、あなたが見つけた正真生身の人間ですか。お名前は。」
「祐木聖せんぱいです。わたしの学校の三年生ですから、間違いありません。」
「証明するものは?」

 それを言われると弱い。だが弱点はヴェロニカも同じはず。

「そちらが貴女が見つけた生身の人ですか。本物でしょうね。」
「お友達ですから。」
「この世界で知り合った?」
「いえ、外の現実世界での。携帯電話で呼び出してこちらに来てもらいました。」

 ずる! それって、反則じゃない?

 

PHASE 344.

 花憐、ゲームマスターのメルケの緑の髪を引っ張って問い質す。

「アレって、いいの?」
『生身の人間を連れて来ればイイ、てだけがルールで、呼び出して来てもらうのは別に問題じゃ』
「花憐嬢、そもそもだ。ヴェロニカ嬢に外の世界に力を持つ友人が居た方が驚異であるよ。この街で生身の人間を探すよりも遥かに難しい。」

 言われてみればその通り。だが聖せんぱいの例もあるし、どうなんだろう。

「ヴェロニカさん、その人が生身である証明は?」
「それはお互いが思いつく手段で確かめましょう。」

 男爵に相談する。

「空想をも打ち砕く銃弾なら、生身かどうか分かるのではありませんか。」
「生きた人間であればちゃんと死にますぞ。」
「それはよくない。」

 一方ヴェロニカも迷っている。彼女はお付きの黒鋼輅女に耳打ちされて、祐木聖なる人物が最近街にしばしば出現すると聞かされた。
 常時居るわけでないから捕まえるのは難しい。にも関わらず、上手い偶然で花憐はよくもゲットした。
 やむなく、ヴェロニカは道端を指さす。

「照魔鏡!」
 ぼんと煙と共に丸い大きな鏡が出現する。人の背丈ほどもある楕円形で、連想するのは白雪姫のお妃様の喋る鏡だろうか。

 花憐も対抗した。
「マジカルステッキ!」

 ゲキの力で花憐専用装備である魔法の杖が出現する。外の世界の人物であるならインターネットで検索して実在を確かめられるだろう。
 杖頭部の本を開いて検索を開始。御名前は?

「そちらの方のお名前は。」
「グリンダ・ゲッコー。もちろん仮名よ。」

 猫耳エルフの人は当然日本語は喋らないのだが、意味はしっかり聞き取れる。口の中でぺちゃぺちゃと舌が跳ねる、変な発音だ。
 それにしても、グリンダさんか。たしか善い魔女グリンダてのが居ましたね。GEKKOは、「ヤモリ」か。いかにも魔女っ子ぽい。
 だがさすがにゲキロボ検索テクノロジーは凄まじい。仮名だろうが魔法名だろうが看破して、たちまち正体を突き止める。
 フランスの大学に寄宿している19歳の女性で、ヴェロニカ・ゲイグとは中学校時代の学友であった。現在はヴェロニカはとっくの昔に飛び級で大学も卒業している。
 実在の人間と結論して良いだろう。

 一方照魔鏡に姿を映した祐木聖は。

「きゃっ。」
 鏡を覗くヴェロニカが弾き飛ばされ、照魔鏡は砕け散る。銀の細片が陽の光に煌めいて空中に溶けて消えた。

「男爵、どういう事です。」
「聖嬢の霊力があまりに強い為に、仮初の照魔鏡では耐え切れなかったようであるな。オリジナルなら大丈夫だが、レプリカではな。」
「つまり、正体を判定出来ない?」
「うむ。だが少なくとも並の存在ではないとは証明できた。力有る者に特有のな。」

 ヴェロニカはずるずるとドレスの裾を引きずって近付き、花憐と協議する。

「この勝負、引き分けという事で収めない?」
「ええ、そうですね。第一回戦は勝負け無しで。」

 

『第二回戦ー!』

 ゲームマスターメルケが緑の髪を振り回して宣言する。
 次は体力、運動神経勝負。
 でもどうやって。

 ミュンヒハウゼン男爵は街の上空を舞う鳥達の遊びを見て、言った。

「あれではどうかな、御両人。」
「なんですか男爵、あれはー、」
「鳥や翼を持つ獣が興じる輪くぐりのゲームであるよ。より美しく華やかに飛ぶか、金のメダルを多く獲得した者が勝つのだ。」

「いいですね、それ。地上でぐだぐだするよりも爽快です。」

 ヴェロニカが早速乗ってきた。ただし、と警告する。

「私の得意の遊びでもあります。」
「む、」
「どうなさいますか、城ヶ崎さん。」

 挑戦だ、明らかに花憐への挑発だ。でも自分だって空は飛べるし高速運動は大得意。負ける気がしない。
 敵の得意を打ち砕けば後の勝負が楽になる。

「受けましょ、そのゲーム。」
「よろしくてよ。」

 

PHASE 345.

 ぽん、とヴェロニカが手を叩くとまたしても縮地魔法発動。ぐるりの風景をを雑巾絞りで畳み込んで再度開くと緑の野原が広がる。
 短い芝生の平坦な草原で、周囲には無数の飛行機複葉機が並んでいる。

「飛行場、ですか。」
「ええ、私のお仲間よ。」

 ここに集う男達は皆空の英雄エースパイロットだ。
 ミリタリーに疎い花憐だとて、「レッドバロン」くらいは心得る。真紅に塗られた三枚翼、胴体に大きく描かれる黒十字を見れば瞭然だ。
 複葉機ばかりでなく金属製単葉機も有る。ここには第二次世界大戦までの軍用飛行機が揃っているらしい。
 あの日の丸付きのはまちがいなくゼロ戦だ。(もし喜味子が居れば即座に訂正したであろう五式戦である)

 花憐、老貴族に振り返る。ホラ男爵ことミュンヒハウゼンも戦場の油臭さが漂う草原にいささか安堵を覚えている。

「男爵は空中戦のご経験はお有りですか?」
「ぅんむ、我輩は古い世代の騎兵であるからな。空を飛ぶと言っても木馬がせいぜいだ。」
「もくば、ですか。」
「とあるスルタンの王宮で借り受けたものでな、なかなか調子の良い乗り物であるよ。」

 一方のヴェロニカ・ゲイグはゲイグ家専用飛行機械を持つとかで、黒鋼輅女を連れ立って駐機場所にせかせかと歩いて行く。
 ”お友達”グリンダ・ゲッコーだけが花憐の傍に留まった。虎柄猫耳をぴくぴくさせてヴェロニカを見送る。

「グリンダさん、あちらに行かなくていいんですか。」
「あいつは目の前のことにしか注意が向かない質で、私の事なんかもう忘れちゃったんじゃないかな。」
「ひどい友達ですね。」
「ああ、昔からひどい奴だよ。」

 しかしながらこのヒトは一応魔法についても理解の有る、しかも現代人だ。尋ねたい事が山ほど有る。

「グリンダさんは他の生身の人間に会ったことありますか、この世界で。」
「師匠が居るな。ヴェロニカと私の共通の魔法の師匠だ。師匠の友達というヒトが何人か、それでも片手で数えられる。」
「互いに連絡はできないのですか、この世界。」
「無理。基本生身でここに入れる人は結界を張って、他者の妨害を防いでいる。連絡自体が妨害になるよ、集中力が途切れるって。」

「まあここ広いですからね、他人と接触しないようにするのは簡単で、」
「そうじゃない。人と接触しない為に、世界を広くしているんだ。逆に人に会いたい時は世界自体を狭くすればいいのさ。」

 はあ。
 さすが魔法の世界は法則が違う。縮地の逆もまた存在するという事か。

「それでヴェロニカさんのマシンてのは、どんなものです?」
「ロケットエンジンで飛ぶよ。なかなかぶっ飛んだ性能の一人乗り、スターウォーズに出てくるような機械。」
「それはすごい。で、ヴェロニカさんの腕前は。」
「アクロバットではなく手堅くポイントを獲得していくタイプ。飛びに面白味は無いが勝負では強い。」

 花憐腕を組んで考える。
 さすが得意と言うだけあって、ヴェロニカはこのゲーム相当の自信が有るようだ。
 対抗するには自分も、

 と考えている内にも、生首メルケと男爵はWWTのパイロット達と交渉して花憐が乗る機体を借り受ける算段をする。
 無尾猫はめいわくにも飛行機の間をするりと抜けて偵察し、話のネタを探している。
 祐木聖せんぱいは、やることが無くてぼーっとつっ立っているだけだ。

 男爵が戻ってきた。

「花憐嬢、凄い機体が借りられましたぞ。」
「あ、ですが男爵、わたし飛行機の操縦はちょっと。」
「木馬であるよ。機械式飛行木馬の逸品がおあつらえ向きに用意されておる。まるで花憐嬢がこちらに来るのが分かっていたかに、今朝到着したという。」

 魔法の世界のおはなしだから驚く事ではない。偶然は必然でありまた天の計画なのだ。
 ただ花憐をここに連れ込んだエマニュエル・ゲイグが用意したものではない。

 神仙境自体に意志があり、運命を紡いでいる。

 

PHASE 346.

 花憐、当然の疑問を口に出す。

「あの男爵? 木馬ってどうやって空を飛ぶのですか。」
「花憐嬢は木馬に乗った事がおアリかな。」
「えーそうですねー、外国の遊園地でメリーゴーラウンドの木馬には乗りました。」
「よろしい。その木馬のとおりに自力で動く事はなく、別のものに引いてもらうのが通常の飛行木馬だ。魔法といえども同じ方式であるよ。」

「ああ、目に見えない精霊とかが引っ張って空中を飛ぶわけですね。」
「しかしながら今回用いる機械木馬はちょいと違う。引き綱はもちろん必要だが、他者に引いてもらうのではなく自力で綱を巻き取っていく。なんとも頼もしい奴である。」

 どんなものなんだろうと思う内に、パイロット達が台車に載せられた機械木馬を牽いてきた。
 鉄で出来ている。それは分かる。塗装色は黒。
 両足が金属地金のソリになっており地面を滑るし前後に揺れる。
 ではあるが、花憐第一の感想は、

「バイクですね。ヘッドライトも付いてるし。」
「モーターサイクルに近い乗り物であるよ。」

 つまりオートバイの車輪の代わりにソリが付いている代物だ。車体中央にガソリンエンジンが配置され、その上が燃料タンク、後ろが革張りのシート。
 まったくもってオートバイだ。
 だが木馬であるから車輪は無い。綱を巻き取るその機構は、

「車体の前部、木馬の胸で歯車がワイヤーを噛んで、ボディを通って後ろに送り出すという機械ですか。」

 ケーブルカー、いやロープウェイと呼んだ方が良いだろう。
 エンジンの回転で直接にワイヤーを手繰って進む、魔法世界においては驚くほどまっとう過ぎる機械だ。

 男爵も胸を張る。ただの機械には違いないが、そんじょそこらのバイクと一緒にされては困る。

「この神仙境には古今東西伝説のの名工名匠も数多居て、それぞれが自慢の腕を奮っておる。
 飛行機や傀儡も彼らの作品であるが、この木馬の製作者も只者ではない。
 誰か分かるかな、花憐嬢?」
「えーとー、このエンブレムはー、……。」

 分からいでか。このエンブレムは紛れもなく、そして今も日本の道を走っている。

「もしやこの木馬の作者は、H 」
「そのとおり、ホンダ・ソウイチロウ殿だ。」
「うひゃー。」

 そりゃオートバイぽいはずだ。というかそんな著名人をうかつに引き合いに出したらなんかヤバイんじゃないでしょうか。

「でもですよ、この木馬イクはワイヤーが空中を通ってないと走れないですよね。そういう機械なんですから。」
「左様。それも己の進まんとする方向に沿った経路にワイヤーが走っておらねばいかぬな。」
「空中でゲームをしようって時に、この機械ではダメなんじゃないですか。ワイヤー無いし。」
「花憐嬢、ちと頭の上を御覧じろ。」

 言われるままに、何もない蒼穹を仰ぎ見る。
 時刻は午前六時二十分、草原飛行場はとにかく朝早い「設定」になっていた。初夏の払暁は疾うの昔に闇を駆逐しすっかり昼間の明るさを取り戻している。

「やはり何もありません。」
「そうかな、では天より垂れ下がるアレはなんであろうかな。」

 男爵が何を言っているのか分からない。雲一つ無い空の何処を指しているのかと探すと青に溶けるかに微かに、天空高くより垂れ下がる一本の糸が見える。
 目を凝らし、ゲキの力までも使って最大望遠にしてみると、糸ではなく紐だ。
 尺骨長の木の棒が肋骨のように整然と並んで左右均等に突き出す、これは縄梯子だ。

「ジェイコブズ・ラダー、……男爵アレは神様が天国から下ろしているヤコブの梯子ですね!」
「であれば、だ。この世界の天空には、」
「神話伝説あるいは物語において、天からなにかが降りてくるという事例は……、ああ、そうですよね腐るほど有るんですね。」

 今や花憐にもはっきりと見える。縄梯子だったりクモの糸だったりジャックの豆の木だったり、とにかく天空を貫く縄状の物体に事欠かぬ。
 銀色に光る2本の鉄路は、銀河鉄道営業中の何よりの証し。

「どうかな花憐嬢、レースに勝てる気がしては来ぬかな。」
 あはは、と冷たい笑いが零れてくる。

 

PHASE 347.

 ヴェロニカ・ゲイグのマシンは全長5メートル、紡錘形の艇体の後部に左右二連の噴射装置を持つロケットだ。
 無塗装銀色の艇下部とマリンブルーに塗装された上部とのコントラストは、なんとなくお魚に見える。
 燃料はニトログリセリン。

「爆発、しない?」
「爆発力で飛ぶパルスロケットです。当たり前じゃないですか。」

 魔法の世界のロケットだから不意の爆発も意志で抑えられるのだろうが、横に並んで位置する花憐は気が気ではない。
 もっとも、爆弾の上にまたがるヴェロニカほどは危険でなかろう。

 彼女の飛行服はダウンが入って少し厚みの有るつなぎで水色、ヘルメットにゴーグルで口元もマスクで覆う。
 見た目少し黒鋼輅女に似ていなくもない。 
 その黒鋼輅女は翼の生えた猛牛に乗って飛行経路上の交通整理に当たっている。

 花憐、いぶかしげに尋ねる。

「あいつら、邪魔しないでしょうね。」
「そんなことしたらゲームにならないでしょ。」

 そりゃそうだと花憐も飛行服に着替える。変身だ。
 ゲキロボマジカルステッキを召喚して、大きな声で周囲に聞こえるように叫ぶ。
 ぴかぴかと七色の光を発して、例のように一瞬全裸ターンが発生して、赤薔薇色のぴっちり革スーツを着用した。

 若い男性のパイロット達がぴゅーと口笛を吹いてはやし立てる。美少女全裸だから、もちろんお気に召して頂けたのだろう。
 人間の目はリビドーやタナトスに直結する画像であれば、瞬間的な提示でもしっかり記憶する。ましてや目が商売のパイロットだ。
 花憐ヌードもコンマ数秒なのにばっちり記憶する。
 恥ずかしいが、もう慣れた。

 がばっと股を大きく開いて機械木馬にまたがる。

「とはいうものの、です。わたしオートバイ乗ったこと無いんですよ。免許も無いし。」
「花憐嬢、それは問題では無い。要はイメージであるよ、さっそうと風を切って飛ぶ己のイメージが、自然と結果をもたらす。ここはそういう場所だ。」

 男爵のアドバイスに花憐もうなづく。そもそも木馬が宙を飛ぶ事自体おかしいのだから、イメージなのだ。
 さらに、と男爵は顔を寄せる。白くて横に長いお髭が触れんばかりだ。

「花憐嬢、心して聞かれよ。この世界なんでもアリだから、レースの妨害に何が飛び出して来ても驚かれるな。」
「ヴェロニカさんだけでなく他の妨害者も出てきますか。」
「それからだ、機械木馬は機械では有るがその本性はあくまでも馬。機嫌を損ねると言う事を聞かぬが、楽しんで跳び回れば自ずから走ってくれる。良く良く御されよ。」
「ありがとうございます。」

 心配そうに見つめる祐木聖せんぱいと真っ白い無尾猫に合図をして、フルフェイスヘルメットを装着する。スイッチひとつで頭部を覆う装甲がセットされた。
 両者のマシンの中央前方に生首メルケが旗を緑の髪で巻いて掴んで、宙に浮く。
 にこにこしながら宣言する。

『じゃあ第二ゲーム始めますー。両者”ON YOUR MARKS!”』

 機械木馬のエンジンに火が入り、スロットルを開けて空吹かしする。
 花憐バイクはおろか機械モノ全般に渡って無知同然なのだが、四肢の運動神経に操縦に関するプログラムがインストールされていく感触を覚える。
 もともと情報系の能力をゲキから与えられているから、未知の乗り物であっても十分操縦可能なのだ。
 さらに加えて、花憐はアクションゲームやドライブゲームが得意。
 攻略情報完全網羅の喜味子ほどトリッキーには動けないが、タイムアタックで物辺村連中に負けた事無い。
 イメージで走れとミュンヒハウゼン男爵がアドバイスする通りに、ゲームで鍛えた技を発揮するだけだ。

 一方のヴェロニカは古いタイプライターのように多数並んだ丸いスイッチをカチカチと押していく。
 その度艇体各部に取り付けられた小型ロケットが瞬間的に小爆発して浮上力を獲得する。
 これだけ沢山の姿勢制御ロケットが必要ならば、運動性の自由度は計り知れないものが有るだろう。

 男性パイロットの1人が機械木馬に最初のワイヤーを噛ませて、”SET!”
 ぐん、ぐんと機械木馬がワイヤーを呑み込もうと、小刻みな前後運動を繰り返す。
 ロケット後部のメインスラスター左右がぱりぱりぱりとイグニッションの火花を散らす。

 遮るものの何一つ無い緑の草原に、一迅の涼風が過った。

 メルケ、緑の髪を振り乱し旗を振る。

『”GO! GO、GO!!”』

 

PHASE 348.

 機械木馬は草原上を低空で直進する。噛んだワイヤーが低く張ってあるからだ。
 一度元の街に戻って一周し、それから天に上るコース設定になっている。不慣れな花憐に木馬での飛行を習熟させるのが目的だ。

 それにしても、何故こんな都合の良いワイヤーが張ってあるのか。

「きゃっ!」

 後方に男爵達を置き去りにして300メートル。まっすぐ地平線の無い草原を時速200キロで疾走して、
 いきなり街に飛び出した。例の黒鋼輅女が路面に突っ伏している場所だ。
 縮地魔法とは了解しても、今回折り畳む過程が無いからびっくりする。
 更に驚いたのは、街路の空中至る所にワイヤーが張っている事だ。縦横無尽電線みたいに走っている。
 もちろん、先程生身の人間を探していた時にはまったく見えなかった。

 見ようとしなければ見えないワイヤー。無いと思えばほんとうに消失する。
 ヴェロニカのロケットが接触する危ない! と思ったのだが、難無く抵抗無くすり抜けて行く。
 彼女には最初から見えていないらしかった。

 姿勢制御ロケットを巧みに切り替えて噴射しつつ、ヴェロニカは花憐の横に付ける。
 街路を細かくコーナリングし続けながら、だから大した腕だ。
 ゴーグルとマスクで表情は見えないのに、にやっと笑うのが分かる。

「スピード、上げていきましょ。付いて来て。」

 ぽぽ、っとメインスラスターを3度爆発させて花憐の前に出る。
 パルスロケットエンジンというものは小刻み連続で小爆発を起こして推進力を生み出す機械だから、とにかくうるさい。
 後尾なんかで走って居られない。横に出なくては。

 うるさいと言えば、機械木馬だっておとなしくはない。ワイヤーを噛む歯車がぎりぎりと削る音を出す。
 機構上ワイヤーが無い所は走れないから、道を換える時には今使っているワイヤーを放して別のを噛まねばならない。
 だがそんな都合よく切れてたり、別のワイヤーの先端が飛び出したりしない。
 どうするか。

 イメージだ。有ると思えば有るし、無いと思えばワイヤーは消える。
 ただ花憐は未だイメージの創造を自在に扱えない。用いるワイヤーは、かって誰かがそこに在れとイメージした残滓であった。
 必ずしも都合良く張られていないワイヤーを使って効率的に走るには、ドライバーの腕が要る。
 ワイヤーに従ってただまっすぐ進む段階を花憐は突破した。

 ギアを上げて左に再び並ぶ花憐を見て、ヴェロニカは人差し指で合図を送ってきた。「上」。

「次の交差点で空に上がりましょ。」
「OK」

 下り坂の底が件の交差点、自動車や馬車、路面電車が走っている。縮地魔法が使えるのに変だとは思うが、車が欲しい人も居るのだ。
 というか、これ有名なロサンゼルスの坂じゃないか。

 坂下で二人はまっすぐ反転上昇する。交差点、辻の真ん中には魔法的に特殊な力場が有って、パワーが勢い良く噴出していた。
 上へと伸びるワイヤーも有る。

 トップ・ギアに入れてぐりぐりと上昇。エレベーターよりも早くに駆け上がる。
 重力なんか関係ない。林檎だって、落ちようと思わなければ下に落ちないのがこの世界だ。

 ロケットエンジンは元より拘束されない。花憐を軽く引き離して太陽の眩さの中に隠れてしまう。

「コース!」

 ゲームはレースではない。速さよりも美しさ、アクロバティックな飛行を審査員に魅せつけて判定する。
 もしくは、コース上に配置されているメダルを効率良く集めていく。
 アクロバットの得点もメダル換算されるから、最終的にはメダルの枚数で勝負が着く。

 上昇の頂点で花憐は周囲を見渡した。
 街の上に大きく張り巡らせたジェットコースターみたいな曲線を描く銀色が、ガイドワイヤー。これに従って進めば良い。
 だがそれは規定に過ぎず、このまま進んでも得点にはならない。
 メダルは経路上のみならず、少し離れた場所にもまとまって配置される。
 メダル一挙獲得を狙えば、自然とアクロバット飛行をしてしまう寸法だ。もちろん失敗すると障害物に激突する設定になっている。
 気球や浮き船、巨大飛行生物の腹などは柔らかくて大丈夫そうだが、山肌断崖絶壁や鋼のトゲトゲなんかもこれみよがしに用意される。
 死ねと言わんばかりであった。

 太陽から坂落しでコースに乗ったヴェロニカは、早くもメダル回収を始めている。
 彼女のロケットの各部に取り付けられた姿勢制御ロケットは、メダル回収の為の微妙な運動を可能とする装備である。
 ちまちまと、

「ちまちまね。あの人はそういう粘ちっこい性格なんだ。」

 同じ戦法を使っても決して彼女に勝てはしない。自分は走りの美しさで勝負する他無い。

「よ、」

 花憐は上昇するワイヤーを無いものと考えた。途端に木馬は空中に投げ出される。自由落下を始めた。
 ここでソリが役に立つ。表面積的にはほとんど意味が無く思えるが、スキージャンプ競技のように空中で浮力を発生させられる。
 もちろん落ちるには違いないが、かなりの自由度が与えられた。
 これを利用してとんでもない位置にあるワイヤーに乗り換えて、落下しつつも地上を目指して一直線。

「ぎゃあー」
 時速400キロを超えた。身体が風で剥ぎ取られそうになる。木馬から振り落とされる。
 必死でハンドルにしがみつき、ガイドワイヤーを目指してくるくるときりもみしながら突き進む。

 審査員が1ポイント芸術点を入れた。

 

PHASE 349.

 ちんじゃらちんじゃらとメダルにロケットが触れる。どこに仕舞っているのでもないが、とにかく自分のものとなる。
 TVゲームと同じだ、ソニックだ。
 高速で疾走してループすれば自然とメダルが溜まっていく。

 とはいえ意地悪な場所にもメダルは有る。
 思い切ってアクロバットをしなければ、そしてそのラインに乗るには幾つかメダルを諦めねばならない、厭らしい配置にされていた。
 どこを拾ってどこを切るか、ヴェロニカはコースを熟知する。
 知らないコースでも作った者の思考や嗜好を考慮して最大限のメダル獲得軌道を算出した。

 ロケットの操作盤はほとんどピアノの鍵盤となり、十指をフルに活用しての前後左右上下旋回あらゆる運動を繰り広げる。
 繊細に、大胆に、リスクを恐れず。
 ただどうしても失敗は有る。ミスって障害物にぶつければ、それまでに獲得したメダルを吐き出させられる。
 そこでリングだ。コース上幾つか設置されたリングの中央を通過すると、獲得メダルがスコアに計上され、手持ちはゼロとなる。

 ぶつけても、以後に獲得した手持ち分のメダルしか失わない。
 リングもまたコースから少し離れた場所に有る。すべてのリングを通過するのがセオリーだが、効率を考えると無視した方が良いものも有る。
 2つ目のリングを通過して50個のメダルを計上し、ヴェロニカは上を見上げる。

「ちっ。」

 花憐だ。アクロバットとは名ばかりのデタラメな飛行を繰り返す。

 花憐はガイドワイヤーに辿り着こうと、空中に幾筋も走るワイヤーを乗り換えて飛ぶ。
 が所詮は素人だ、正しい軌道に向いたワイヤーを選択するとは限らない。
 間違えたワイヤーから離れて正しいワイヤーに進むには、それこそ曲芸紛いの飛行をせねばならなかった。

 しかも木馬だ。空中に投げ出されたら単なる投擲物となってしまう。
 にも関わらず花憐は相当巧みに操った。何も無いところをかっ飛んでいくのが得意に見える。

 さもありなん。外の世界、門代の空を飛ぶ時はベクトル変換で放物線軌道を描いて自分を投げる。
 ワイヤー上をエンジンの馬力で疾駆するより、放擲されるのが性に合っていた。
 まさに投げっぱなし女。

「伊達にレース勝負を受けたのではないわけね。」

 芸術点で獲得したポイントはリング関係無しに計上される。失敗を怖れる必要が無い。
 リングを無視してコースを進めば、最短距離最速で通過できる。
 もちろん速度だって重要な評価点だ。
 先行者が通過してしまえばそのエリアのリングは間もなく消滅する。後続がメダル獲得に血道を上げていても、一気に吐き出す危険が増す。
 いや、のたのたちんたらしていたらギャラリーの飛行生物達がしびれを切らして、岩やら糞やらを落としてくる。当たればメダルを失ってしまう。

 今の所ヴェロニカがポイント数メダル数共に上回るが、

「ジョウガサキ・花憐、侮れない子!」

 パラララ、とメインスラスターに連続爆発で増速。メダル全回収出来なくてもスピード優先に方針を切り替えた。

 

 一方花憐は、

「痛い、いたい、いたいたいたたたあたた、」

 並ぶメダルに連続して頭をぶつけて大量獲得。
 ワイヤーに従う機械木馬はロケットほど自由に位置調整が出来ないから、メダルに接触するには搭乗者の人体を以ってするしかない。
 装甲フルフェイスヘルメットはもちろん完全ガードだが、ぶつければ衝撃が発生する。
 首ががくがく震えて、痛くはなくとも痛かった。

「!?、リング!」

 ワイヤーを無きものと思って離脱、水平投射。機体を縦ロールで回転させてリングに衝突しないように、通過。
 ポイント獲得13枚。ついで今の飛行に芸術点1ポイント追加。
 しかし逆走状態で次のワイヤーに掴まってしまった。オートバイにバックギアは無い。
 「クラッチ」で歯車を緩めて引っ掛けたままの状態、惰性の速度で進んでいく。

「やあ、ヴェ、ロ、ニカ、さぁ〜、んんん」
 ヴェロニカ機を追い抜いてしまう。逆さ吊り地面に頭を向けて、である。

 下に落ち始めたからワイヤー離脱。空気抵抗で正しく機体の向きを直して、今後のコース取りを考える。
 完全に地上まで降りてしまうとこれは損。確実に運動エネルギーを失ってしまう。
 登るにもトルク限界がある。機械木馬は上昇時にはギア比の許す速度までしか上げられない。
 しかもアクロバットもメダル取りも出来なかった。

 エネルギー稼ぎに一度高度を上げなくては。

 フォワン、と汽笛の声がする。黒煙吹き上げ蒸気がピストンを押し出す音が漏れる。
 蒸気機関車、銀河鉄道の列車が駅を出て空中の線路を進んでいく。
 なんというパワー、なんという力強さ。やっぱりエンジンの馬力が違う。
 なにせあっちは大気圏を脱出して宇宙空間、星の海を渡る機械だ。最終到達速度も並ではない。

「これだ!」

 花憐、ワイヤーを乗り換えて列車に向かう。まだこの速度なら機械木馬で追いつける。
 列車に掴まって高くに上がり、落下速度で最速コースクリアを狙う。

 後方に長く伸びる黒煙の雲を突き抜け、木馬は走る。鉄道通信線に噛み込んで列車に追いすがる。
 最後尾車両に到達、展望デッキの鉄枠に左手を伸ばして掴み、
 そのまま列車の加速に任せる。
 デッキ上で景色を楽しんでいた乗客が目を丸くした。ちょっと薄汚い毛布をまとったお子様だ。

 しかしこの行為、明らかにタダ乗りだ。銀河鉄道運行規則に反している。
 制服姿の車掌さんがウィンチェスターライフルを手に前の車両から走って来る。

 ヤバ、っと花憐は手を放す。もう十分高度を頂きました。

 

PHASE 350.

 高度6000メートル。機械木馬なら2分は優に掛かるところ、30秒で押し上がった。
 後は自由落下、そしてガイドワイヤーへ。

 と思ったら、空中に色々とお客さんが居た。
 もちろん通常のギャラリーは行儀よくゲームの進行を妨害せずに見守るのだが、食い意地の張った怪物さんには花憐がどうにも美味しそうに見えてしまうらしい。
 ぎゃあ、と巨大な黄色いくちばしでついばんで来る。

 まずい、空中でワイヤー無しだと逃げるに動けない。しかも5羽。青紫色で羽先が臙脂で鶏冠がオレンジの翼長7メートルの怪鳥が襲い来る。
 さてどうしたものか、ここでこそイリュージョンボムを使おうか。

 否。このお客さんを巧みにあしらったら、間違いなく技術点加算倍増。
 と空中戦を繰り広げる。ソリを使えば多少は空気抵抗で姿勢変更、軌道修正も出来る。
 そして、

「えーい!」

 ぽーんとソリで怪鳥を蹴飛ばす。
 男爵が言ったとおりに機械木馬といえども元は馬。それも悍馬だ。
 易々と食われる情けない生き物ではない。

 蹴飛ばした反動でも姿勢制御は出来る。上手く使えばコースに上手く復帰出来て。

「どいてー!」

 黒鋼輅女がのったりと浮いている。高度2500地点。
 彼女は別に花憐を邪魔しようというのではない。コース内に妨害者が入らせない警備をしていた。
 しかしヴェロニカさんはずるいのだ。
 際どいアクロバットを要求される地点では、コースアウトしそうな場所に黒鋼輅女を配置して万一逸れた場合のクッションにしている。
 障害物にぶつかる前に手下にぶつけて、自分は生き残る算段だ。もちろん輅女は潰れて死ぬ。
 ずるいぞエグいぞヴェロニカさん。

 怪鳥の1羽が黒鋼輅女が乗る猛牛の翼を引っ掛けた。鳥の方が大きいのだからひとたまりも無い。
 あーっと、輅女は落牛だ。
 落ちた先には。

「きゃあっ!」

 ヴェロニカのロケットが有る。せっかく貯めたメダルがちゃりんちゃりんと飛び散った。

「何を、なにをして、きゃあああああ。」

 怪鳥はロケットにも襲い掛かる。こいつら食い意地が張って見境が無い。
 のだが、さすがはパルスロケット。ニトログリセリンがぼこぼこと目の前で爆発すれば、翼有る生き物は退散せざるを得ない。
 その隙に、これ幸いと怪鳥共のターゲットを巧みにヴェロニカにすり替えて、花憐はコースの先を行く。

 芸術点10ポイント+頭脳プレイ1ポイント追加。
 敵方の獲得したメダルを吐き出させる妨害はゲーム上大いに推奨されるのであった。

 

『結果はっぴょー』

 チェッカーフラッグをぱたぱたと振った生首メルケは、木馬の排気ガスとロケットの爆風に吹き飛ばされて緑の髪がむちゃくちゃに縮れてしまった。
 それでも元気にポイント獲得数を計算する。

『勝者ヴェロニカさん 獲得ポイント548点。減点25』
『敗者花憐さん 獲得ポイント493点、減点32』

 減点は進路妨害によるものである。このゲーム相手を妨害するのはいいが、前進するのを妨げるとペナルティをもらう。
 とはいえ最後ホームストレッチ上でのデッドヒートの結果だ。
 順位としては花憐の3分の2機体差での先着で、大いに満足すべきであろう。

「残念、負けてしまいました。」
「いやいや花憐嬢、お見事でござった。初めての木馬レースでこれならば誰にでも胸を張って誇れますぞ。」

 うんうんと聖せんぱいと猫もうなずく。二人共宙を見つめ過ぎて首が痛くなってしまった。
 ミュンヒハウゼン男爵は激戦を戦い抜いた木馬のボディを愛おしそうに撫でる。
 まだ、エンジンの温もりが残っていた。

「これは実に見事な木馬であるな。最後には花憐嬢と人馬一体となって素晴らしい走りを見せてくれた。」
「ええ。だんだん機械と心が通じて、まるで生きているかに感じられるようになったんですよ。おかしな話ですけど。」
「いやいや、優れた機械とはそういうものだ。吾輩も久々に空を試してみたくなった。」

 他方ヴェロニカ機はと見れば、半壊状態。元々爆発で飛ぶというコンセプトに無理があった。

「ヴェロニカさん、姿勢制御ロケット、全部吹っ飛んでしまいましたね……。」
「ええ、いつものことですけどね。」
「こいつの走りには冒険が無いから普通に飛べば無事なんだけど、ちょっと他人と張り合うと無茶な振り回し方をするからね。」

 あちら側の味方ではあってもグリンダさんは呆れ顔で友人の勝利を祝っている。
 最後のデッドヒートはヴェロニカが仕掛けたもので、ワイヤー一本道を行く花憐は後方爆炎を食らわない為に遮二無二前に出るしか策が無かったのだ。
 ひきょーな手を使って自機をしたたかに壊してしまえば、草原飛行場のパイロット達からブーイングが出るのも必定。

 でも勝ちは勝ちだ。この三番勝負、ヴェロニカも命懸けで挑んでいる。

 

 メルケは縮れた髪を一生懸命に引っ張って延ばしながら、最後のゲームを宣言する。

『第三回戦、知能勝負!』

「待て。それは私が仕切らせてもらおう。」

 突然の声に振り返ると、パイロット達と同じ飛行服で紛れ込んでいたヴェロニカの兄、エマニュエル・ゲイグだ。
 複葉機の翼の薄い布張りの上で、器用にバランスを取って上下に跳ねていた。
 実に飛行機に悪い。怒られちゃうぞ。

 

PHASE 351.

 ぴんと右手の指を鳴らすと、縮地法。
 緑の草原が畳まれて、元の人混みの街の中。ついで二回目の縮地、ゲイグ城当主執務室。
 三回目は地下牢に出現した。

 花憐、場所がさくさく変わってももう驚かないが、地下牢は嫌だ。
 全周花崗岩の大きなブロックを積み重ねた広い部屋の天井に明かり取りの窓があり、嵌った鉄格子の上にエマニュエル・ゲイグが仁王立ちしているのだから。

 花憐、男爵、メルケ、聖せんぱい、猫。
 ヴェロニカ、グリンダ。
 計7名が閉じ込められてしまう。流石に妹が怒った。

「エマニュエル、これはさすがに承服しかねます。出してください。」
「ヴェロニカ、我が妹よ。先ほどのレースは何事だ。あのような無様を兄が見逃すと思ったか愚か者め。」
「ですが、とにかく勝利しないことには家名に傷が、」
「その為に黒鋼輅女を5体も潰しおって。あの者等に一々名前を付けて人間扱いをしている私の配慮を踏みにじってくれたな。」
「お許しください、兄さま。おにいさま!」

 どうやら黒鋼輅女は傀儡とはいえ使用人として十分な配慮を持ってゲイグ家では扱われていたらしい。
 だが所詮輅女も女、フィメール型の人形であるから、女であるヴェロニカにとっては敵も同然なのだろう。
 昨今は人形遊びは男の仕事なのだ。

 しかしながら、地下牢とは酷い。

「ヴェロニカさん、あなたのお城って何をしているのよ。地下牢に誰を閉じ込めるの。」
「ここは地下牢じゃありません、霊廟です。代々の先祖が眠る場所です。」

 言われて納得、そうか地下に有る閉鎖空間は別に牢屋ばかりではないのか。
 伝統有る城であれば、普通に霊廟や祈祷所が付属しているはず。
 でも待てよ。

「先祖は生きてるんじゃなかったの、この世界では?」
「各々想像の産物と化していますから、普通に生きて暮らしてますね。棺は有って名前も書いていますが、空っぽです。」
「なんて無駄!」

 男爵が花憐をなだめる。

「まあまあ、されどこの世界、吸血鬼やら幽霊やらも立派に住人として暮らしておるから、彼らの為の設備や空間もちゃんと用意されねばならんのだよ。」
「はあ、つまり吸血鬼専用の客間寝室みたいなものですか。」
「そのようにも使われるのではないかな。爵位の有る者同士として吾輩も幾人か知り合いを持つし、ヴラド公の城にも遊びに行く。」

 さすがホラ男爵は顔が広い。
 そういえば、と花憐はヴェロニカに改めて尋ねる、お宅、爵位は持っているの?

「そんなもの、くれると言っても叩き返しますわ。ウチはゲキに選ばれた家系です、今更世俗の権威もキリスト教会の祝福も必要とはしません!」
 えっへんと胸を張る。

 などとぺちゃくちゃ喋っている内に、天窓から差し込む光に声が有る。
 エマニュエルだ。

「ヴェロニカ、ジョウガサキ・花憐。両人に最終ゲームだ。まずは衣装を替えてもらおう。」

 飛行服の花憐とヴェロニカの衣装が瞬間的に切り替わる。
 再び赤白のドレスだが、腕肩胸元が大きく開いて素肌が露出し、身体のラインもしっかり出るパーティドレスになってしまう。
 ラメがキラキラと天窓よりの光を反射する。

「次にペナルティだ。ミスすると一つずつ失われる。」

 霊廟四隅の暗がりから古く黴びた、乾いた木の臭いのする腕が幾本も突き出される。
 俗な表現をすればミイラ男だったりゾンビだったりスケルトンなのだが、人間の腕の長さの3倍から5倍は伸びる。
 いや、もう少し正確に表現しよう。古い石棺の中から骸骨の腕が伸びてくる貯金箱のおもちゃのように、それは花憐達に襲い掛かる。
 まったくもって戯画的コミカルな動きでヴェロニカを含む全員が拘束され、それぞれ定位置に移動させられた。

 プレイヤーであるヴェロニカと花憐は左右に並んだ少し高い説教台に立たされる。
 花憐の側右手には3個石棺が並べられ、遠くから順に無尾猫、男爵、聖せんぱいが納められる。
 左側ヴェロニカの方も3個の石棺に、メルケ、グリンダが入れられた。先頭の石棺は空である。
 彼らは人質だ。プレイヤーがゲームに失敗する度に一つずつ没収されていく。

 という事は、花憐は3回まで失敗が許され、ヴェロニカは2回しか出来ない。
 妹は兄に抗議する。

「エマニュエル、これはどうした事です。フェアな措置ではありません。何故私だけ」
「これは兄からおまえへの罰だ。しかし第二回戦においておまえは辛くも勝利している。考慮せずばなるまい。」

 霊廟の入り口の一つが開いて、階上から骸骨の手によって老人が運ばれてくる。
 相当の高齢で足腰も覚つかず、髪はほとんど無く歯もすべて抜け落ち、目は開いているものの意識があるかも定かではない。
 誰だ、という顔でヴェロニカも険しく見つめる。こんな爺い知らないぞ。

 ヴェロニカ側先頭の石棺に納められる老人を、頭上の鉄格子の上から説明する。

「これは先々代エマニュエル25の夫人の父に当たるものだ。ゲイグ家身内であるから人質として申し分あるまい。」
「お兄さま、私はこんな人見たこともありません。」
「私もだ。誰を人質にすべきかを考えて、適当に見繕った。この歳まで生きれば生に未練も無かろう。」

 人質としてこんな無意味な人選も他にあるまい。
 花憐がマジカルスケッチで検索した結果、つまりこの人の娘がエマニュエル25世と結婚し生まれたのが、物辺神社七夕祭りに来たおばちゃん王女様だ。
 爺さん見た目は死に損ないだが爵位を持ちそれなりに高貴な人物であった。

 ちなみにもっと近縁の者を探すと、兄妹の父親であるエマニュエル26が婚姻すること無く儲けた男女が4名も居る。
 最年長は31歳、エマニュエル26が14歳の時に美人女教師に孕ませた子だ。他は女優、大銀行家の令嬢、出自の分からぬ行きずりの異邦人が母である。
 母子共に全員が存命中で、おそらくは神仙境とは縁の無い人物であるから召喚は避けたのであろう。
 更に26世の正妻と、ヴェロニカ26もちゃんと生きている。が、おかあちゃんはさすがに馬鹿な遊びに巻き込めない。

 そこで、まったくもってどーでもいい人物が選ばれた。

 ふがふが、と何が起きたか分からず暗い場所に連れて来られて目をしょぼつかせている。

 

PHASE 352.

「ゲームは簡単、霊廟のエヴェックが提示する謎を先に解いた者の勝ちだ。」

 説教台の上にはなるほど、クイズ番組でおなじみの早押しボタンが設置してある。
 出題者って、と霊廟の奥正面を見てみると、なにやら大きな石の塊が動いている。
 大理石を彫って作られた僧侶の像が、ごりごりと関節の軟骨を擦り減らす音を立てながら歩き出す。
 身長4メートル弱、霊廟の天井に頭を擦りそうだ。

「す、ストーンゴーレムですかあー。」
「ユダヤ教徒の伝統的なラビをモデルにしているようであるな。」
「そりゃゴーレムですから。」

 石棺の中に居ながらも男爵は呑気に評している。所詮は空想上の人物であるから、生死は特に問題としないのだ。
 生身の人間はそうはいかない。花憐は元より聖せんぱい、グリンダ、メルケは強く反発する。
 だってこのゴーレム、右手に巨大な石のハンマーを携えているのだから。
 花憐、

「……僧侶は戒律によって刃物の所持を禁じられて、もっぱら打撃武器を所持……。」
「どこの宗教だそんなまぬけな戒律は!」
「でもグリンダさん、あのハンマーはそうと解釈するしか。」

 聖せんぱいも粟を食って声の無い悲鳴を上げ続ける。
 誰がどう見てもプレイヤーが間違えちゃうと、ゴーレムがハンマーで人質をぺちゃんこにするのではと。
 それ以外に何をするものか。

「ヴェロニカさん、なんとかして!」
「……兄が私の言う事を聞き入れる可能性は、万に一つも有りはしません。」
「死ぬじゃん。ゲームの目的を見失ってるでしょ!」
「えーと、そうなりますかね。兄のやる事ですからね。」

「ヴェロニカちょっと待って。私もか、わたしも殺されるのか?」
『ヴェロニカ、聞いてない。ワタシはゲイグ家のペットじゃないんだから、殺されるのは理屈に合わないわよ』

 グリンダもメルケも無駄と知りつつ猛烈な抗議をする。
 しかしながら人質は骸骨の手によって石棺に封じ込められているから、脱出は不能。
 おとなしくぺちゃんこにされるしか無いのであった。

 静々と動き先頭第一の石棺の前に位置したゴーレムは、あらゆる抗議を受け付けずにゲームを開始する。
 石の唇が動いて、人造的な声を発する。
 喉にラッパでも入っているのだろう。深く、霊廟全体を震わす低音で喋る。

”早押しです”
 問答無用。回避不能。

 花憐もヴェロニカも覚悟を決めてベストを尽くさねばならなくなった。
 説教台上の早押しボタンにそれぞれが利き手を添えて、一音たりとも聞き逃さぬように耳を澄ます。
 人質達も邪魔をせぬように口をつぐみ、呼吸音すら殺そうとする。

 特に物理的変化は無いが、ゴーレムが大きく膨らんだかに見えた。
 運命が懸かると思えば白い石材で作られた像にも魂が有ると感じられる。
 発音器へ空気が流入する音が聞こえる。

”問題。
 朝は四足、昼は二足、夕べには三足になるものは何だ”

 どちらのプレイヤーもゴーレムが質問をすべて喋り終わるまではぴくりとも動かなかった。「……ですがぁ、」で続く質問だと困る。
 声が終わると同時に二人の手が走る。こんな簡単な問題、落としてなるものか。
 神速の花憐に軍配が上がった。

 ピンポーン
”ジョウガサキさん”
「にんg、      。」

 

PHASE 353.

 待てよ。いくらなんでも問題が簡単過ぎる。

 もちろん正解は「人間」。
 スフィンクスがオイディプス王に問い掛けた謎で、生まれ落ちた時は赤子として両手を付いて四足で這い、成長したら二本足で立って歩き、年老いたら杖を突いて三足で歩く人間の姿を指している。
 だがその答えはオイディプス自身の運命を表すものでもあり、答えたからには運命どおりの不幸な最期を遂げる事となる。とも言われる。

 引っ掛け問題だ! これは、正解を答えてはダメだ。

「に、……ニンジン!」
”ブッブー”

 回答権はわずかに遅れたヴェロニカに移る。

 ピンポーン
「ゆ、ユマ・サーマン!」(HUMAINと言おうとしてやめた)
”ブッブー、両者不正解。ペナルティ開始”

 もちろんヴェロニカも花憐と同じ結論に達する。しかし真の正解を導き出すには時間的余裕が無かった為に、やはり同じく嘘回答であえて罰を受ける。
 第一の人質、最初の石棺に封じ込められている無尾猫と死に損ないのおじいさんが対象だ。
 無尾猫足掻くが、骸骨の手の中ではどうしようも出来ない。

「なんで、たすけて、どうして、こんなの嘘、まってたすけてなにかの間違いだ、わたしは善良なネコちゃんで何も悪いことはしてなくてきゃあああああああ」

 ごめん、成仏してね。
 花憐の祈りと共に、1メートル大の立方体に柄を付けただけの石のハンマーが振り下ろされる。繰り返し、繰り返し。
 無尾猫はもじどおりのぺっちゃんこ、今川焼大にまとめられてしまう。

 続いて爺様だ。ゴーレムは容赦なく振り下ろし殺人が執行される。

「ヴェロニカさん、とめてえええ。」
「しかたありません。これがこの世界のルールです。」

 おじいさんも今川焼大にまとめられてしまう。猫は本来空想上の生き物だから諦めもつくが、しかし生身の人間は。
 血飛沫が噴き出す戦慄の光景。

「ふやあ、これはどうしたことじゃろうのお〜」

 おじいさんの石棺から、今潰された人の声が聞こえてくる。どうも、今川焼が喋っているらしい。
 ヴェロニカに説明を聞くのも怖いから、男爵に尋ねる。何が起きましたか?

「この世界では人が死ぬにも色々の形があって、肉体が滅びて精神も滅びる普通の形以外にも、肉体だけ失われて幽霊になる、精神だけ失われてグールとなる、肉体精神共にあれども魂が無い、名前を喪失して誰でもなくなる等々色々な末路があるのだよ。」
「しかし小さくまとめるのは、」
「肉体の変形という最期も有る。精神は機能し続けるも行動の自由を失い、いつまでもそのままの姿を留めねばならぬ。尋常の死よりよほど酷い話であるな。」

 桑原桑原と男爵も神に祈る。いくら口達者な彼だとて、いくら口先だけで生きていけるとは言えさすがにお断りだ。
 花憐、怖くて覗けなかった無尾猫がやられた石棺に走り寄る。

「ねこさんだいじょうぶ?」
「やられたー。」

 こちらも真っ白い丸い塊にされてしまい、言葉だけが使える存在になってしまった。
 が、痛くないという意味においては緊急の蘇生を図る状態ではない。

「『冗談じゃない!』」

 と叫ぶのは、メルケとグリンダだ。二人とも別にゲイグ家に命を捧げたわけじゃなく、メルケに至っては虜囚ですらあった。
 なんの義理があってヴェロニカの為に今川焼にならねばならぬのか。

 各々の個人的事情を斟酌する事も無く、ラビゴーレムは己に課せられた職務を遂行し続ける。

”考慮時間残り30秒、29、28……”

 つまり30秒以内に次を答えなければ第二の石棺に居る男爵とメルケが潰されてしまう。
 次は聖せんぱいとグリンダさん。最終的にはプレイヤーである花憐とヴェロニカまでもが処刑される。
 なにせ身内の爺様までも一時の余興に殺してしまうほどだ。嫁だろうが妹だろうが容赦せぬ。
 エマニュエル・ゲイグ、残虐性十分。

”20秒、”

 だめだ、頭が働かない。いや手掛かりが無い。
 この謎は正解は間違いなく人間だ、但しそれを言ってしまうと失敗なのだ。
 人間の何を答えればいいのか。何を以って正解とするか、回答者自分自身をも納得させる必要が有る。
 だがとっかかりが無い。エマニュエルの人となりを知らずして設問をクリアする事は出来ない。

 ヴェロニカさん、あなたならきっと解けるはず。なのに、何故答えない。どうしてそんな悲痛な顔をして天窓の兄を見詰め続ける。

”10秒”

 

PHASE 354.

「ええいまどろっこしい。こんなもの、止めりゃいいのよ止めりゃ。」

 グリンダがしびれを切らせて石棺から飛び出した。猫のコスプレをしているくらいだから気まぐれで辛抱の無い質なのだろう。
 腐っても魔法使い見習い、骸骨の腕が幾重も絡みつくのを猫爪で引っ掻いて削り折り、脱出に成功。
 しかし霊廟から逃げるのは無理と見て、ラビゴーレム自体の破壊を実行する。

 彼女が何をやるか花憐には、ヴェロニカにもはっきりと推測出来た。

「やめなさいグリンダ! それは罠です。」
「グリンダさん、逃げてえええええ。」

 こんなものはね、とグリンダは得意満面で石の巨体に取り付いた。
 骨と少しの干からびた肉を帯びた蛇のように長い腕が数十本襲い来るのも物ともせず、真四角な石ハンマーを振り回すのも巧みに避けて「あるべきもの」を探索する。

 ”EMETH”、ヘブライ語で「真理」を表す言葉。ゴーレムを駆動する魔法の源泉だ。
 これを修正して先頭の1文字を消し”METH”「死」とする事で、ゴーレムは停止崩壊する。
 ファンタジーに詳しい者なら今や誰でもが知るゴーレムの対処法である。

 だが! あからさまにスフィンクスの謎を使い、しかも引っ掛け問題を出してくるエマニュエル・ゲイグだ。
 これ見よがしのラビの姿でゴーレムを作っているなんて、書き換えて下さいと言わんばかりではないか。
 危ない、絶対に罠に違いない。

「やめて、グリンダさん!」

 残念ながら、グリンダはお調子者の魔女見習いである。
 お人好しにもヴェロニカ・ゲイグの呼び出しに応じて、殺人遊戯に参加させられるほどだ。

 石の衣のヒダの裏に絶対に発見されないように隠された、でもやっぱり見つかるわけだ計画通り、ヘブライ語の単語に指を掛ける。
 魔法を集中して、最初の文字を消去した。
 もちろん書き換えは強い魔法力を備えた優れた術者でなければ成し得ない。
 コンピューターのプログラム改竄に相当する、高度な法術である。

 新たに発動する魔法は”METH”。

「ぐぎゃああああああがぁああああああああ、」
「グリ、!」

 ゴーレムに取り付いた猫衣装のグリンダが、突如発光。強烈な熱と共に赤く全身を光らせる。
 燃えているのではない。人体内部が直接に高温に曝されているのだ。
 人体を構成する物質の内、水と酸素が強制的に反応させられ、高温ガスと化して抜け出ていく。
 後に残るのは人体の形をした炭素の塊。黒い炭だ。

 ゴーレムの体にしがみつく手足の指も炭化して、ぼろっと外れ、全体が石の床に落ちる。
 かくんと軽い音がして、首がもげた。落ちる時下になった左半身がぐずと崩れ黒い粉と化す。

 死、まさに『死』がグリンダの上に炸裂した。
 考えてみればゴーレム表面に書かれた魔法の文字がゴーレム自体に作用すると、誰が保証してくれるだろう。
 三千年も前の頓智が今も通用すると思う方が頭おかしいのだ。

 花憐腰が抜けそうになり、必死で説教台にしがみつく。
 ヴェロニカは、と見ると友人を失った悲しみを表情に表さない。ただ毅然と立ち続け、最後まで見届けた。
 立ち姿に未だ敗北の色は無い。
 友を自らの勝手で殺したのに、ゲームを投げはしない。

 ゲイグ兄妹は鬼畜外道の人非人か。

ピンポーン
”ジョウガサキ・花憐、回答をどうぞ”

 ゲームは進行中。ゴーレムは容赦なく回答を促す。
 花憐は自分が思わずボタンに指を掛け鳴らしてしまったのに気付く。

 でも頭の中空白で、何も思いつかない。
 このまま無回答ならばミュンヒハウゼン男爵までもが潰される。

 救いを求めて視線を泳がせる花憐。誰か助けて。
 そんな人居るはずが無いのに。無茶苦茶で理不尽で残酷なゲームから解放してくれるヒトなんて居るはずが。

 

 居るのだな、目の前に。

 

PHASE 355.

 第三の石棺からちょこんと頭だけ出している祐木聖せんぱいがこっちこっちと指で招く。
 心当たりがあるらしい。

 しかし、石の巨像は冷たく回答を要求する。

”ジョウガサキ・花憐、回答せよ”
「待ちなさいよ、今ちょっとアドバイス聞くんだから。ルール上誰がどんな助言をしても、問題ないわよね!」
”ルール上では、この霊廟内に居る誰から助言をもらおうとも、咎めるべき理由は無い”
「なら、ちょっと待って。今答えるから。」

 花憐説教台から降りて聖せんぱいの石棺の傍に寄る。ひざまずいて、耳を唇に近付ける。

「せんぱい、何か気づかれましたか?」

 声では答えない。代わりに右手の人差し指であるものを指した。
 振り返った先には、

「え、ヴェロニカさん? 彼女が答えを知っているのですか。」

 聖はこくこくと肯いた。さらに、もう一度彼女を指す。

「え? ヴェロニカさん。彼女が、……あ。いや、それは、なるほど、そうか!」

 せんぱいの言わんとする事が理解出来た。雷光のように脳内に思考が走る、迸る。
 そうかこのゲーム、あくまでもゲイグ家の都合で行われているんだった。

 再び、
ピンポーン。

”ジョウガサキ・花憐、答えよ”
「正解は、ヴェロニカ・ゲイグ!」
”回答の根拠となる理由を述べよ”

 ゴーレムには表情が無い。石像の表面には何一つ先程グリンダを灼き殺した時と異なるものは無い。
 にも関わらず、花憐はそれが孕む緊張が緩むのを感じた。
 正しい解答に辿り着いた直感が、自信を後押しする。

「朝には四足、つまりゲイグ家の兄妹エマニュエルとヴェロニカは対で生まれ、常に二人4本の足で立っている。
 昼、長じて大人になるとエマニュエルは家を出て自らの家庭を築き、取り残されるヴェロニカはゲキの大釜の傍に一人2本の足で立つ他無い。
 夕方、エマニュエルは早逝し彼がヴェロニカと交わって生まれた新たなる双子、3人は大釜を支える3本の足となる。

 さっきあなたの系図を検索して分かったの。
 ヴェロニカ・ゲイグ。この謎はあなたの寂しい運命を描いたわけね。」

 そして、と花憐は天窓の鉄格子の上に立つ、光のエマニュエルに視線を向ける。

「そしてヴェロニカ・ゲイグ。あなた、最初からずっと一人ね? エマニュエルはここに来ていないのでしょ。」

 天窓の上のエマニュエルは腰を屈め、顔を鉄格子に近付ける。
 その瞳は左右茶と琥珀色。口元には歪んだ笑みを浮かべる。大正解、これが本物のヴェロニカ・ゲイグ。

 お兄ちゃん大好きっ娘が男装し兄に化けて、兄として振る舞い、兄の嫁となるはずの人物をいたぶり殺す。
 なるほど、こいつは酷いやつだ。
 策謀の為に、おそらくはたった一人しか持たぬだろう魔法を共に分かち合える友人までも生贄にした。

 こんなのと身内になるのは勘弁してほしいなあー。

 

PHASE 356.

 スフィンクスの謎は解かれると同時に出題者も死ぬ。
 ラビゴーレムも表面すべてにヒビが入り石片が薄く剥がれ落ち、内部に納められていたものが露わになる。
 滑らかな、陶器で作った人型で魔法人形の核となるものだ。
 膨らむ、どんどん膨らむ。陶器だから弾力は無いはずなのに、内部からの圧力に抗しきれずに膨らんだ。
 薄く大きく伸びていき、丸く膨らみきって霊廟全体を押し潰すばかりに拡がり、
 弾けた。

 爆圧ですべてをなぎ払うつもりだったのだろうか。
 だが花憐の持つバリアには通じず、圧力はすべて上に、ゲイグ城を根こそぎ吹き飛ばすのに使われた。
 霊廟の天井も無くなり、青い空が屋根となる。

「やれやれ、とんでもない悪女でありましたな。」

 ミュンヒハウゼン男爵がいちはやく立ち上がり、近くに居た聖せんぱい、そして花憐の手を引いて瓦礫の中から助け起こす。
 メルケも無事で、緑の髪に埃を被ったままふらふらと皆の傍に寄ってくる。

『酷い目に遭いましたよお。ワタシがここで遊んでる内に、外では人間の根性ネジ曲がったんじゃないですかー』
「すいませんメルケさん、すっかり巻き込んじゃって。
 それから聖せんぱい。ありがとうございます。どうしてエマニュエルがヴェロニカの変装だと気付いたのですか。」

 問われて聖は顔を別に向ける。その先には、ただひたすらに立ち尽くす女の姿が有った。
 ヴェロニカ・ゲイグ、いやその影。本人に始末されずに生き残った。
 だが彼女は胸の前に両掌を広げて見つめている。自分が何者であるか、何者でなかったか、未だ得心が行かない。

 聖は言った。音声百倍アンプを通しても、小さな声で。

「”あの人は、自分の友人を殺すような悪いヒトには見えなかったの。”」
「ですね。本物はあんなに、イイヒトじゃない。」

 もっと早くに気付くべきだった。花憐はちゃんと知っていたのだ。
 物辺優子を参照すれば、ゲキの系譜が如何に常軌を逸して変態的であるか、容易に想像出来るはずだ。
 運命などには翻弄されず強かに、世間様に最大限の迷惑を与え続けながらもしぶとく生きていく。そんな連中だ。

 それに比べて偽ヴェロニカのなんと清々しい事か。
 言うなればこの影は、ヴェロニカ自身が考える理想的な自分。エマニュエルに愛される為の姿。
 少女的感性のままに結晶した、決して現実にはあり得ない妄想の産物なのだ。

 自分に視線が向いていると認識し、彼女は振り向いて言った。

「私は、これから、どうしましょう……。」

 被害は甚大である。城はとにかく人死にが洒落にならない。
 今川焼にされた無尾猫と爺様、炭にまでされてしまったグリンダ・ゲッコー。爆発の衝撃で遺体も四散してしまった。

「これは参ったね。どうしたものか。」
 とグリンダは言う。

 え? と振り返るとそこには先程までと寸分違わぬ猫コスプレのグリンダの姿が。
 しかし男爵が花憐のぬか喜びを妨げる。

「転生なされたか。グリンダ嬢。」
「ええ、死んでさっぱりこの世界の住人になってしまいましたよ。」
「え、じゃあこのグリンダさんは、偽物?」
「偽ではござらぬよ。この世界で死んだ生身の者は、自らを想像する事により自らを創造できる。不老不死の存在として転生するのである。」

「なんだけどさ。」

 以下グリンダの愚痴が続く。
 彼女も魔法使いの端くれであるからいずれは此処神仙境において出神して不死となる覚悟であったが、さすがにこれは早過ぎる。
 未だ修行中であるし、魔法の師匠に就いて一人前にならなくちゃいけないし、両親だって生きていて親孝行もしなくちゃいかん。
 そもそも結婚だってしてないし、ゆくゆくは子供の一人くらいは残したいわけで、まだ19歳なんだよ私。
 第一、男居ないのさ。どうしてくれるんだ、ヴェロニカよ。

 責任は自分にも有るわけだから、花憐としても心ゆくまで愚痴に付き合うつもりではあるが、しかしこの場はもう嫌だ。
 瓦礫の中で立ち話もなんだから、皆さん場所を元に戻しましょ。

 ぽん、と花憐が手を叩いて縮地。
 目の前には、例の擱坐した黒鋼輅女が出現した。

 

PHASE 357.

「確かに城ヶ崎さんをこの空間に連れ込んだのは私の仕業です。元の場所に戻すことも出来ます。」

 偽ヴェロニカが言う。
 先程までは本人自分をヴェロニカと疑わなかったのだから、経緯の説明もまったく揺ぎ無い。

「でも私、このままの姿で外の現実世界にも出入りしています。夢でも幻でもなく人間として扱われています。信じて下さい。」
「信じるさ。」

 グリンダが肯定する。その為の手段は彼女達の魔法の師匠が教えてくれた。

「外の世界から持ち込んだ器物を核とすれば、神仙境の文物や動植物を外界に持ち出せる。
 実体はみすぼらしいつまらないものでも構わない。外の人にはイメージどおりの素晴らしいモノとして認識され機能する。
 人間であっても同じだが、魔法が破壊されない為には最適の依代を用意する必要が有る。
 すなわち、使い魔となる動物だ。

 ゲイグ家ではハツカネズミを核とするみたいだね。」

 そういう手品なのだ。
 門代地区物辺村観測所を襲った土管ロボガスコーニュのパイロット達も、この手を使って造形されていた。
 偽ヴェロニカもまた。

「じゃあ、グリンダさんもコアにハツカネズミを使えば、元通りに現実世界に戻れるわけだ。」
「理論的にはね。ただ持ち込むのは本物のネズミでないと、」

 ありますよ、と花憐はぺちゃんこ今川焼にされた無尾猫に、先程あげたネズミを返して欲しいと頼む。
 腹の中のネズミは消化される事もなくぴんぴんした姿で、今川焼上に開いた猫口から吐き出される。
 元々無尾猫もイメージの産物で消化吸収の機能は要らない。
 食べたネズミが行ったのは、猫の腹の中に有るネズミ浄土。ネズミにとってのパラダイスであった。
 亜空間の入れ子構造。

 偽ヴェロニカも安堵する。

「それは、この世界に来たばかりの貴女が黒鋼輅女を壊して得たネズミですね。」
「ネコにはまた別のおみやげを持ってきてあげるとして、とりあえずグリンダさんこれでなんとかしてください。」
「うん。まあ、外に出られればもっといい依代を探せるし、我慢するよ。」

 黒焦げ炭化で殺されたにも関わらず恨みがましい台詞を吐かないのは、グリンダの心根がまっすぐな証拠だろう。
 ねじくれ曲がった本物のヴェロニカの友人としては過ぎた人であった。

 

 花憐、神仙境においてのミッションオールコンプリート。
 偽ヴェロニカの手引きで物辺神社に帰還する。

 祐木聖せんぱいは自力で神仙境に来たのだから、自力で帰る。誰の助けも要らない。
 生首メルケはこれまで囚われの身であった時間を取り戻すべく、もう遊びに出掛けてしまった。
 そして花憐は、最大の恩人に別れを告げる。

「男爵、ありがとうございました。貴方が居なければわたし、どんな事になったか分かりません。」
「いやいや、花憐嬢の御力であれば大した労苦も無く対処できたであろう。礼には及びませぬぞ。」
「この御礼は後日改めていたしますが、それにしても男爵?」

 うん、と老貴族は左右に伸びる白い口髭の先をぴんと尖らせる。

「ホラ男爵なのに、わたしに対しては実に誠実で、嘘やホラなどおっしゃりませんでしたね。これはホラ男爵としては如何なものかと思うのですが、」
「ああその事であるかな。なに、全てが虚仮のこの世界において、最もホラ吹きなのはまさしく我輩であるよ。」

「あ! そうか、裏の裏はオモテ、ってことですね。」
「その通り。吾輩は稀代の大法螺吹きであぁる。」

 花憐、男爵の首に手を回し、頬にくちづけする。あなたはまさにわたしの英雄。
 ミュンヒハウゼン男爵も、貴婦人のキスに少々頬を赤らめる。

「さあ花憐嬢、今こそ帰還の時。再びおいでくださるのを待ち望むが、あんまり来ぬ方が健康にはよろしいぞ。」
「また必ず参ります。でも、ホントほどほどにですね。」
「さらば!」

 偽ヴェロニカが展開した縮地魔法によって、今や懐かしい場所となった街から最初の美しい山の風景に転移する。
 同時にゲキロボの道案内が復活。「お出口はこちら」と表示が点った。
 山に背を向け、一歩踏み出す。

 

 どん、となにかに突き当たった。
 目を瞬かせると、自分は誰かに抱きしめられている。強く、緊く。

「き、如月さん?」

 クノイチ如月怜が、物辺神社石臼場で待っている。
 いやよく見ると花憐家のトノイさん達3人が、物辺神社のおじさんと饗子さんと双子と、優ちゃんと。
 鳩保も居て左古礼のセンセイも居て、鳩保のお母さんも居て。
 その他大勢物辺村の人達が総出で、自分を出迎える。

 なんで?
 それに、なんで如月さん泣いてるの?

 

PHASE 358.

 自分の姿を確かめてみると、服装はあちらに行く前の門代高校夏制服のまま。

「ぽぽー、今何時?」
「八時三十五分。」
「喜味ちゃんは、」
「小学校でロボ解体中。」

 喜味子がガスコーニュにまだかかずらわっているならば、今は八月一日の宵の口。
 時間経過わずかに10数分であった。
 神仙境では10時間以上遊んだからウラシマ効果で10日くらい潰れたかと思ったが、逆目で時間圧縮されたらしい。
 いや、夢を見たと考えてもいいのか。真夏の夜の夢にうつつを見失って。

「わたし、どうなったの?」
「どうも何も、ここでいきなり花憐が消えたって如月さんが血相変えて人を呼ぶから、みんな探しに来たんだよ。」

 石臼場で神仙境に取り込まれた花憐を、如月怜は失踪したと理解して必死に捜索活動を行った。
 昼間の状況を考えれば、NWO関連のハイパーテクノロジーを有する敵勢力の攻撃と見做すのが妥当だろう。事実そう外れてもいない。
 組織の力で大規模広域を捜索するのと同時に、近所に倒れていないか人手を集めて探すのもセオリーだ。

 ただ普通人であれば、目の前を歩いていた人間がいきなり蒸発消滅すれば度肝を抜かれる。クノイチだってそう思う。
 自分が護衛役として密着していながら、何の役にも立てなかった。予兆にも痕跡にも気付かない。
 混乱し精神の均衡を失ってウロが来るのももっともだ。
 それでも如月は泣きながら必要な手配を済ませ、多少大騒ぎになってはいるが懸命の努力を行った。

 首根っこに必死の力でしがみつく如月にごめんなさいと言いつつ、花憐は左手を高く挙げて捜索の村人皆に挨拶する。

「あの!、わたし大丈夫です。お騒がせしましたー。」

 ついで鳩保に目で合図する。広域捜索体制を終了させて。
 もちろん意図を理解して、鳩保はゲキの力を使い近隣警察や自衛隊海上保安庁他に超能力命令を下していった。

 物辺村住民は皆安堵してぞろぞろと家に帰っていく。携帯電話で、捜索の舟を出そうとしていた漁師の童みのりの父親にも連絡してくれる。
 誰も怒ってはいない。女子高生がいきなり失踪となれば躊躇なく全力で探すべきであった。

 後に残るは、鳩保と物辺優子。優子が長い黒髪を掻き上げて尋ねる。

「なにが有ったんだよ。「電話」でも通じなくなったからあたしがダイブするところだったよ。」
「話せば長いことながら、あ、ガスコーニュの襲撃もやっぱり魔法の仕業だったわよ。」

 本当に詳しい事は如月には教えられない。だがこんなに心配してくれる人に内緒も出来ないだろ。

「きさらぎさん、今日はわたしの家に泊まっていってよ。明日になって明るくなったら、安心できるでしょ。」
「うん、うん。」
「というわけだから、ぽぽー優ちゃん。あとお願いね。」
「分かった。」

 必死でしがみつく如月の腕をようやく外して、花憐は手を繋いで自分の家に帰っていく。
 ぐしゅぐしゅと鼻を涙で湿らせながらのクノイチを、一生懸命慰めながら。

 とはいえ花憐はおまぬけながらもきっちりした女だ。神社に歩いて行った目的を忘れてはいない。
 スカートのポケットから「香能 玄」の手紙を取り出して、優子の手の中に突っ込んだ。

「きさらぎさん、じゃ行くわよ。ほらちゃんと歩いて。」
「うん、ごめん。ごめん。」
「はいはい。今日は疲れたね。」

 鳩保と優子は、花憐家に戻る二人の後ろ姿を見送った。
 とにかく花憐ちゃん、ごくろうさんでした。ゲキの目で見れば分かるのだ。

 石臼場、丸く大きな石臼の中央に、次元の歪が存在する。
 亜空間への出入り口が新たに設定されていた。進入危険注意表示が視界に赤く光っている。

 以後ゲキの少女であれば誰でもアクセス可能となった。生首クビ子さんも遊びに行ける。
 「お馬鹿な双子美少女小学生の冒険」も、九月新番組で始まるのだ。

 

 翌早朝。花憐は二年一組クラスメートの草壁美矩に電話して、同じ門代高校女子軟式野球愛好会の先輩 三年生の祐木聖さんに連絡を取ってもらう。
 直接連絡するには電話番号知らないし、また不躾でもあろう。なにせリアルではほとんど接点を持たない人だ。

 それでも、花憐は確かめたかった。
 昨日の出来事が本当だったのか、それとも夢か。部分的には創作も入っている何者かの演出か。
 お尻の収まりが悪くて、証人を確かめたくて仕方がない。

 30分ほど後に携帯メールが入った。草壁美矩が教えた花憐の番号に、聖せんぱいが連絡してくれたのだ。

『私、役に立ちましたか』→『せんぱい本当にありがとうございました』→『なら良し』

 

PHASE 359.

 さて、実の父親から送られた手紙を手にする物辺優子。
 残念ながらこれは花憐宛であり、花憐が読むように書かれている。
 だが内容はもちろん優子本人についてであり、何時会えるかを楽しみにしていると自身のスケジュールの空きを伝えてくる。
 今月半ばには映画撮影の為にアメリカに飛ばねばならないから、八月十日より前が都合良いらしい。

 優子、神社の母屋に戻る道すがらに読んで鳩保に差し出す。鳩保立ち止まりさらっと流し見て、一言。

「城ヶ崎花憐という女は、ひょっとして香能 玄の娘なんじゃない?」
「そう見るか。実はあたしもそう思わないでもない。」

 いや、そうであったなら両者共によほど幸福な時間を過ごせただろう。
 花憐は長く会えない父子を案じて出来得る限りの思いやりを書いているし、それを受ける香能 玄も真摯に向き合っている。
 物辺優子が正式に親子の名乗りを上げたとしても、こう上手くはいかない。

「優ちゃん、ここは腹をくくって東京に会いに行くしか無いな。これ以上花憐ちゃんに頼ると、父ちゃんを盗られるぞ。」
「うーむ、さすがは爺い殺しというところか。」

 花憐の別名だ。その能力は先程の亜空間においても存分に発揮されている。

 

 というわけで、優子は我が家の祖父の前に平伏する。隣には饗子おばちゃんも正座して、稀なる神妙な表情。
 鳩保は双子と共に隣の部屋で、ふすまを開けて見守っている。

 事情の説明は必要無い。手紙を座卓の上に広げて確かめれば、優子がまったく正当な主張をしていると理解できる。
 問題は、物辺優子が物辺優子であるところに有る。
 饗子おばちゃんが指摘するのも、そこだ。

「優子、これは一生に一度の話だ、よく聞け。そもそもおまえは、人の娘になる気が有るの?」

 痛いところを突くなあ、と鳩保ふすまの陰から覗った。
 饗子の言はまったくもって正しい。人の娘になるどころじゃない、人間としてまっとうに生きていく気が有るのか、それが問われている。
 もしも中学生の頃の優子であれば、鳩保も絶対反対派に鞍替えだ。
 だってこいつ、にんげんじゃねえもん。

「おばちゃん、確かにあたしは普通の人間じゃないかもしれない。変態だし変態だし変態だし。」
「分かり切った事を言わなくてもいい。あたしだって金の亡者でニンフォマニアだ、一般人じゃない。でも実の親に不義理を働いた事はない。失踪したあんたの母さんだって、ただ失踪しただけだし。」

 鳩保、それは十分不義理だと思う。

「あんた、香能さんに会ってまず何を言う。おとうさんお初にお目にかかれて嬉しいです、なんて言うつもりか。」
「いえ、そんな。まずお詫びをします、そしてありがとうと言います。」
「何故。実の子をほっぽり出していたのは親父の方だぞ。」

「でもそれは、そうしなければならない理由が有ったからでしょう。あたしが香能 玄の娘だと世間に知れたら、きっと良からぬ事が起きたはずです。」
「ふん。」
「それに、あたしが会いたいと思ったらたぶん、何が有っても会いに来てくれたはずです。手紙を見れば分かります。
 父親をまったく欲しがらなかったあたしが、どう考えても悪い。」

 その点に関しては、饗子も忸怩たる思いがある。
 生まれたばかりの優子の世話を父と祝子に押し付けて、自分は東京でのんべんだらりと淫花を広げていた。
 祝子は姉の自分から見てもどうにも欠陥欠落部の多い人間で、特に子供の頃は酷いものだった。
 それでもマシになったのは、……いや、祝子は未だにちっとも真人間になっていない。

 どういうわけだか知らないが、物辺優子は勝手に育ち、勝手に己の欠落を補い、実の父親の心配をするまでに成長していた。
 爪の垢を祝子にも飲ませてやるべきだ。

 父に振り返る。

「とうさん、どうも本気のようです。」

 父/祖父は二人の話を腕を組んで瞑したまま聞いている。物辺家の当主としてまことに難しい問題だ。
 なにせ彼の娘、孫娘は極め付きの危険物。人間爆弾であってその管理人の役が自分であった。
 されど父として祖父として、娘達には幸せになってもらいたいと願う。彼女達にふさわしい幸せの形が分からないだけで。

 一息吐いて、祖父は目を開く。

「饗子、金を出してやれ。どこで稼いだか分からん金で父親に会いに行かせるな。」
「はい、とうさん。」

 優子、再び平伏し額を畳に擦りつける。神社の忙しい折に我儘を言ってすいません。
 祖父が席を立って居間を離れる。その背を見送って饗子はあえて姪に尋ねた。

 父親は所詮物辺の血ではない。物辺の巫女は物辺の女にしか理解できない。

「優子、でもあんた、何時まで普通人ゴッコするつもりだよ。」
「とりあえずは高校卒業まで。そのくらいまでは親孝行の真似事ができると思う。」
「ま、そのあたりが潮だろうね。」

 

 鳩保思う。おじさん、よくもまあこんなのと一つ屋根の下に暮らして早死しないもんだ。

 

予告

花憐「読者の皆様こんにちわ、城ヶ崎花憐です。わたしが主役のお話はどうでしたか?

 さて、前回の予告ではそれまでの分量と同じくらいで完結するとお伝えしましたが、反故になりました。
 なにせ本日二〇〇八年八月一日ただ一日を描くだけで、この巻を消費してしまうくらいですから。
 しかも、八月一日はまだ終わっていない!

 それでもここでだいたい3分の2です。そうであって欲しい。切実に」

・八月 美々世死す
・八月 優子東京に行く
・八月 喜味子モテ期到来
・八月 八月十五日
・八月 サルボロイド強襲
・八月 美々世再び死す
・八月 ウルトラ級宇宙怪獣襲来
・九月 最終宇宙戦争
・(九月 最終回)

 

PHASE 360.

 

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