長編オモシロ小説

ゲキロボ☆彡

上に

 

〜PHASE 254.まで

 

PHASE 255.

 朝起きると六時半、しまったとみのり跳び起きる。
 これは失敗、ラジオ体操の時間だ。最低でも30分前に集合しておかなければ運営上支障がある。
 物辺村の夏休みラジオ体操会は伝統的に子供の仕事であり、中学高校生に任されている。というよりは、ここ数年村で年長の子供と言えば童みのり他5人であったのだ。
 つまりゲキの少女達の担当だ。
 中でも主導的役割を担うのは、中学校から陸上競技部に所属したみのりである。
 鳩保も頑張ってくれるのだが、ムラ気が多くてしばしばバカをしでかし毎日定期的にが難しい。
 花憐は律儀な質なのだが、夏はバカンスにお出かけでお仏蘭西の母親の所に渡ってしまう。
 喜味子は夜更かししてTVゲームや機械分解で遊んで朝ふらふらだし、優子はおおむね話にならない。

 故にみのりが総責任者とされているのだが、

「しまった! おかあさんなんでおこしてくれないのおー……、?、?」

 デパートの家具売り場で寝ている自分に気が付いた。部屋は広いしベッドはふかふかで屋根が有ってキンキラの飾り柱が立っていて、
 いやよく考えてみると、いかに高級百貨店であっても売り場にこんな高価なベッドは置いてないだろう。
 なにかおかしい。ここはどこだ。

「おめざめでございますか、童さま。」

 優しい声に振り向くと、外人のおねえさんがメイド衣装で微笑んでいる。白人で金髪で綺麗なひとだ。
 待て、なにかおかしい。なにか自分は間違えている。ここは物辺村ではない、だがメイドさんが居る光景が夢でないと解釈してよいものだろうか。
 尋ねてみる。

「……ラジオ体操は?」
「はい。」

 室内に据え付けられる巨大なオーディオ装置のリモコンを操作すると、ちゃんちゃかちゃんちゃらららちゃんちゃかちゃんちゃららら、ちゃんちゃかちゃんちゃんちゃーん、と流れてくる。

「らじお、じゃない?」
「これは日本の放送の録音となります。現在日本時間は11時38分です。」
「ど、どどど、ドバイ?」
「おはようございます。」

 みのりもぺこりと挨拶した。おはようございます。
 後は勧められるままに洗面室に行って顔を洗って歯を磨いて、ついでにお風呂に放り込まれて軽く汗を流されて、すっきりした所で朝食に。

「和食の用意もございますが、いかがいたしましょう。」
「わしょく、ですか。」

 ここでちょっと考える。
 普通旅館に泊まると、朝食はだいたい簡単にご飯とお味噌汁と卵に味付け海苔がついてくるものだ。修学旅行や陸上部の合宿遠征はそうである。
 しかし七つ星超高級セレブバブルのドバイホテルに庶民的な朝食は望めないだろう。
 カニとかマグロとかお刺身の舟盛りがどんと投入されるのではないか?

「和食はやめにします。せっかくドバイに来たのだから郷に入りては郷に従えで、ドバイの朝食にしてください。」
「かしこまりました。」

 とは言うものの、みのりドバイの朝ごはんにまったく想像が及ばない。
 観光パンフレットで読んだところでは、ドバイで中東郷土料理を期待するのは間違いらしい。トルコ料理やレバノン料理が覇を競っているようだ。
 トルコ料理といえば世界三大料理の一つ、とパンフレットに書いているが、世界三大料理や三大珍味、三大美女はどのくらい沢山あるのだろう。
 メイドさんに尋ねてみる。

「ドバイの朝食というのは、トルコライスみたいなものですか?」
「と、とるこらいす、ですか?」
「違うんですか?」

 5人の専属メイドが急遽招集され、みのりの目の前で立ったまま会議を始める。
 彼女達は全員白人で、しかも日本語日本文化に通暁するプロフェッショナルメイドだ。
 だが誰も、「トルコライス」なるものに心当たりが無かった。

 無いも道理、みのりだって食べたこと無い。学校の友達と遠くまで電車で出かけた際に、レストランで誰かがそれを頼んだのを見た、に過ぎないのだ。

 こういう時は素直に、とメイドはインターネットで検索する。もちろん日本語HPだ。

「これがトルコライス……。」

 彼女達はもちろんドバイ在住であるから、トルコ料理には慣れ親しんでいる。しかしこれまでに食べたどれとも、ディスプレイに映し出されるJPG画像は異なっていた。

「……ドライカレーもしくはチャーハンの上にトンカツとパスタしかも日本にしか存在しないスパゲッティ・ナポリタンとサラダ他様々なおかずが乗っている、ものか……。」
「トルコ料理と言うよりは、これはメゼ(中東料理で前菜、点心のようなもの)を取り分けたものに近いのではないかしら。」
「うん、どちらかというと日本の、丼?」
「なるほど、近いものがあるわ。」

 さっそく厨房に連絡する。
 世界中の料理の敏腕シェフが多数待機しており、今回現地中東料理の出番だと張り切っていたが、「トルコライス」なるものを客が期待していると聞かされて当惑する。
 それでも実物写真とコンセプトに対する推察を理解すると、俄然張り切って調理し始めた。
 つまり、童みのり嬢は中東料理のさまざまなおかずをバラエティ豊かにちょっとずつ食べたい、と考えているのだ。

 ここは腕の見せ所。

 

PHASE 256.

 前夜のお見合い会&敵性宇宙人襲撃事件の処理の報告に、駐ドバイアメリカ合衆国大使館二等書記官を偽装するCIA職員でありながらもNWOエージェントであるところのメイスン・フォースト氏がやって来た。
 彼は取次のメイドが、「Mr.&Mrs.物辺は現在お会いになれません」と応じるのに少々失望する。
 所詮は子供の童みのりに報告しても詮無いからだ。
 だが、「ご夫妻は現在仲睦まじくしておられます」と聞かされてはいかんともしがたい。新婚夫婦が朝っぱらから励んでおられるのを邪魔するほどの阿呆ではない。

 やむなくみのりの都合を聞いてみると、「朝ごはんしながらならOK」と返ってくる。彼女にも尋ねねばならぬ件が多々有る故に、無理を承知で面会を求めた。
 部屋に入ると、大きなテーブルに一人みのりが座って食べている。
 彼女の前には大きな皿が一つ有るだけだ。サフランで炊いたコメの上に、12種類もの中東料理とサラダが少しずつ円形に乗っている。
 見たことも無い料理だった。

「おはようございます。昨夜はよく眠れましたか。」
「おはようございます。このままで失礼します。」

 みのりはフォークを手にゴキゲンであった。メイスンに自分の正面に座るよう勧めたが、彼は立ったまま報告する。

「本日の皆様のご予定を伺いに参りましたが、その前にホテルのサービスにご不満はございませんか?」
「まったく問題無いです。ご飯美味しいし。これが本場のトルコライスなんですよ。」
「TURK RICE……。なるほど、中東風だ。」(トルコは近東だけど)

 報告されるのは昨夜のお見合いパーティでの襲撃とその後の追跡劇の顛末だ。
 幸いな事にパーティでの被害者は最初の婦人他数名の軽傷者のみ。慌てて転んだりぶつけたもので、直接攻撃の結果ではない。
 代わりに追跡チームが大損害を被った。もっとも宇宙人相手に地球人の特殊部隊が功を挙げると考える方が間違っている。

「装甲バンが3台もやられちゃったのですか。」
「装甲と言ってもAKの銃弾を止められる程度の耐弾処理でしかないのですが、あ、」

 みのり、分かってない。装甲バンて装甲車より弱いの?

「本物の装甲車はさすがに町中を走らせるわけにいかないので、そういうものを用いています。
 問題は、やられ方です。隊員の証言では外から貫通されたのではなく炎が中から噴き上がった、エンジンやガソリンタンク自体が爆発したと言っています。」
「なるほど。」

 パーティでの攻撃では人間を直接燃やすほどのパワーは無かったが、派手な真似も出来るのか。
「それでも一時は追い詰めたのですが、新手が現れて撃退されています。まったく違うタイプの能力で、直接に車両やバリケードを破壊しています。」
「エネルギー攻撃ですか?」
「切断、と思われる痕跡が多数残っています。マシンガンから刃物が飛び出すとこうなるのではと推測します。」

 みのりは考える。
 門代地区でバトルロイヤルを繰り広げている連中とはかなり異質だ。彼等はエネルギー兵器も投射兵器も禁止され、格闘のみに専念する。
 他の地域でもレギュレーションは同じだろう。宇宙人はあくまでも人間に直接関与するのを避けて、目立たぬように密かに抗争を積み重ねてきた。

「正体は分かりましたか?」
「あなたがおっしゃった「人間でトルコ人男性」それと「Dervish」の線で調査中ですが、未だ。」
「見つけても勝手に攻撃してはダメですよ。必ず連絡してください。」
「もちろん対処する手段は我々も所持しております。いかに宇宙人であろうとも簡単には防御出来ない超現代科学兵器を。」
「うーん……、だいじょうぶかなあ。」

 

 TRRR、と電話が鳴った。部屋に備え付けの華奢な黄金の有線電話だ。

「あ、私でしょう。」
 メイスンが手を挙げる。この部屋の電話回線は外とは直結しておらず、必ずNWOのサーバーを経由し審査を受けて繋げられる。
 携帯電話も同様に電波が遮蔽されており、内部でのみ有効な中継局が設置される。

 しかし私物の携帯電話を使うのはお勧めできない。童みのりも物辺祝子も、昨夜の求婚者達によって電話番号を調査されているはず。カネの力は万能だ。
 メイスンからみのり達は専用ケイタイを貸し出されている。ドバイに居る時はこれを使うのを求められるが、当然NWOの紐付き盗聴有り。
 その他勢力による盗聴は防止されている事で我慢すべきか。

「私だ。どうした。」
『キミじゃないよお』

 子供の声が笑うかに、メイスンを退ける。
 彼はすかさずメイドに手を伸ばし、仕草だけで命令する。「不審な通話、対象不明。至急管制室に連絡して調査せよ」、想定内の事態であり対応だ。

「何者だ、何故この番号が分かった。」
『番号なんて関係ないでしょ、外とつながってないんだから。わかるでしょお、キミ達のコンピューターセキュリティを突破してるんだ』

 メイドの様子から異常事態を察知するみのりは、耳をそばだてて通話を直接に聞く。

『ああ、みのりさんこんにちわ。いや、おはようかな』
「!」
『キミじゃないよ、みのりさんは離れてても聞こえるんだ。だから、代わってくれないかな』

 メイスンが振り向いてみのりの顔を見る。要件は既に伝わっているのだが、
 みのりは右手の人差し指を伸ばして、下に押した。「切れ」の合図だ。
 メイスン直ちに従う。

「存じ寄りの方ですか?」
「前に一度だけ会った小学生の声です。不思議少年でした。」
「通話を切ってよかったのですか。」
「この部屋に電話掛けられるのなら、どこにでも掛けてこられるでしょう。今じゃなくていいです。」
「……そうですか。」

 メイスン・フォースト、昨日も認識を改めさせられたが、またも見直した。
 さすがにゲキの少女は場数を踏んでいる。宇宙人や結託する人間勢力の扱い方を随分と心得ているようだ。

 みのりも考える。
 あの少年がまず接触してきてクジを引き、それからイラン人青年によってクジを引かされドバイに招かれた。
 無関係なはずは無いが、さりとて求婚者の列に加わるとは思えない。
 では襲撃の方か。

「ご飯を食べたら出かけます。」
「はい、手配いたします。」
「あ、それからトルコライス美味しかったから、ほふりこさん達にも食べさせてあげてください。」

 

PHASE 257.

 本来VIPはホテルの地下駐車場から誰の目にも触れずに出立出来るのだが、昨夜の事件後は正面玄関を使う事になっている。
 火災警戒の為。追跡班が車両を燃やされた情報から、閉鎖空間よりはオープンスペースの方が分が良いと踏んだわけだ。

 おかげでみのりはホテル支配人従業員からNWOの警備員からその他大勢様まで、ずらと並んだ人の前を歩かされ波のように頭が次々に下がっていくのを見せられる。
 居心地悪いったらありゃしない。

 今日のお衣装はサファリルック。短パンに白いヘルメットみたいな帽子で、まさしく少年探検隊だ。
 好きで子供っぽい格好をしているのではない。敵が襲ってくるのだから、動くのに邪魔にならない機能的な服を選んだのだ。
 正面車止めに昨日のピンクきてぃちゃんリムジンが待っている。運転手とその助手も昨日と同じ、黒人女性とユダヤ人女性のCIAエージェント。

 車に乗ろうと振り向いた瞬間、それが目に飛び込んできた。

「お嬢ちゃ〜ん、象に乗っていかないかい!」

 インドゾウが居た。インド系の求婚者の誰かがみのりの関心を惹くために持ち込んだものだ。
 ホテルから出る一瞬を狙って配置しておくとは、ずるい。

 みのり、そのままぴたっと止まる。
 ゾウ、象に乗る。乗りたい、ゾウ乗りたい。だがこれは罠だ、あからさまなトラップだ。しかしゾウには乗りたいのりたい。
 首を回してゾウを見ると、足元には象使いのインドおじさんがにこにこしてる。
 これはいかん、なんという誘惑。遊びたい遊びたい遊びたい。

 だが断腸の思いできてぃちゃんに乗り込んだ。ゾウ、乗りたかったよお。

 一連の逡巡を、その場に居た者すべてが見切った。
 ”プリンセス「TOYOTAMA」は動物が好き”、求婚者達にまさに光の速度で報せが飛ぶ。
 これこそが価千金、ダイヤモンドをも凌ぐ有意義な情報だ。みのり攻略の糸口が見えた!

 

 七つ星ホテルは人工島に立っている。わずか数百メートルしか離れていないのだが、警備上の有効性は疑うべくも無い。
 橋を落とせば籠城も可能な大要塞であった。

 敷地内の緑地、橋を見送る場所に数名の男女が立っていた。
 動く窓越しの視界をよぎるのに一秒も無い。が、誰であるかみのりの眼はしっかりと確認する。
 リムジン後席の広い空間にぽつんと一人座らされていたのが、急遽機敏に反応して携帯電話を操作する。
 ドバイに来て渡された、NWO直通の電話だ。

「あ、メイスンさんですか。みのりです。
 先程の宇宙人に対抗する手段てのアレ、ロボットでしょう!? ミスシャクティからもらった。
 やっぱり! ダメですそれ使っちゃ。いや効果が無いわけではなく確かにだいじょうぶなんですが、事情がー」

 言えない。その未来ロボのパイロットは後に物辺村の身内となるから死んでもらっては困る、なんて言えない。
 先程の男女の中に、ブロンドのおねえちゃん少尉が居たのだ。魚潜水艦土管ロボ軍団に拉致られかけたロボット乗りだ。
  (詳しくは、第四十二回「南海の激闘編」を参照)

「使いたい? 困ったな、どうしよえーとー、じゃあ女パイロット禁止! ということで。はい、お願いします。」

 通話を切って、ほっと息を吐く。思わず狼狽してしまった。
 NWOが31世紀の未来人ミスシャクティより与えられた、22世紀後半の技術を用いて作られた戦闘ロボ「マーズマンST」。
 たしかに現行兵器に隔絶する無敵の防御力を備え、宇宙人に逆襲する攻撃力は持っている。

 しかしあくまでも対人間の戦争で使う兵器に過ぎない。レーザー光線を防いだりミサイルを撃ち落としたりできるが、徒手格闘宇宙人相手に完璧とは呼べないのだ。
 ただでさえ求婚者達を人質に取られそうなのに、その上身内も守るとなれば神経使ってしょうがない。

 PrrrPrrr。携帯電話が鳴った。
 この番号を知る者はメイスンしか居ない。先程のお願いに問題が生じたのだろう。
 気を取り直して蓋を開く。

「メイスンさんですか、やはりなにか支障がありますか。」
『キミもたいへんだねえ。何代も先の子孫のおばあちゃんを心配しなくちゃいけないなんて』

 顔から背筋から血の気が引く。先程のメイスンも同じ感覚を覚えたのだろう。

「あなたは、門代のお祭りで会った小学生でしょ。」
『うん、また会おうって言わなかったかな』
「嘘八百を言ってたから、それを本物にしに来ると思ってたよ。」
『あはは』

 

PHASE 258.

「ねえ君名前なんて言うの。なぞのしょうがくせい、ではないんでしょ。」
『うん、学校行ってないもん』
「年何歳?」
『うーん、身体はね10歳なんだけど、たぶん中身は20歳よりは上だと思うんだ』
「宇宙人のしわざ?」
『こう考えたこと無い? 教育の方法をカガクテキに進化させたら、同じ年数でもっと頭よくなるんじゃないかって』
「未来の教育だね。」
『そうそう、未来の教育。だから普通の子供じゃないけれど、こどもなんだ』

 だいたい分かった。
 みのりは首根っこ電話経由で物辺村御神木秘密基地に連絡する。

「喜美ちゃん、花憐ちゃん、居る?」
「居ないよ」
「ぽぽー? 一人だけ? 門代開港祭りで会った不思議な小学生がドバイでコンタクトしてきたんだけど、どうしよう」
「聞いてるよ。ばっちり」

 さすがに鳩保はそつが無い。みのりが緊急事態を感じて警報を出したのを、ちゃんとモニターしていた。
 とはいうものの、視線は14型ブラウン管テレビに釘付けとなり、白いテレビゲーム機のパッドで必死になって中米チクシュルーブ・クレーター上空をスキャンをしている。

「そいつの正体分かったぞ。どこかのアンシエントが宇宙人技術か未来技術かで英才教育をして組織の指導者を作ろうとして、やり過ぎて頭良く成り過ぎちゃったんだ」
「敵なのかな、味方なのかな?」
「みのりちゃんに興味が有るのは確かだけれど、好意的であるとは考えない」
「うん」
「遊ばれてるんだよ」

「どうしたらいいの、ぽぽー」
「あちくしょう。ここカモフラージュしてやがる。フィルタ処理しょりと」
「ぽぽー、何? わかんないよ」
「あ、くそ無関係宇宙人の巣だった。ちぇまぎらわしい、潰してやれ。えい」

 潰される宇宙人は災難だが、鳩保の名誉の為に言っておくと別に無差別殺戮をしているわけではない。
 ただちょっと巣穴に忌避剤を放り込む外道をしているだけで、とにかく無害である。

 鳩保が役に立たなくなったから、みのりは単独で対応せざるを得なくなる。

「えーと、だいたい分かった。」
『そうなんだ』
「で、君の名前は何かな。」
『そうだなあ、”未来の希望”とか”世界の礎”とか呼ばれてるんだけど、ばかばかしいよねそういうの』
「名前なの、それ」
『キミがTOYOTAMAなら、僕はSUKUNAと呼んでもらおう。それがいいや』
「スクナくん?」
『葉っぱの舟に乗ってやってきた小人の神様だ。日本神話だよ』

「バカにしやがって」
 これは鳩保だ。

 少彦名命は小さくても知恵の神だ。お前たちより賢いと言ってるに等しい。
 その理由も鳩保は知っている。

「あーみのりちゃん、そいつ未来ロボのねえちゃんの話知ってるだろ。それを知るのは未来人だ」
「おお!」
「未来人なら色々知ってるのは当たり前。だが、ミスシャクティとやらがそんな子供作るとは思えない」
「じゃあこの子、何?」
「未来人ミスシャクティの陣営も一枚岩じゃない、て事か。少なくとも未来情報の管理が十分では無さそうだな」

 さすがぽぽーだ、ちょっと変な風に狂っているけど頭の冴えは抜群だ。スゴイスゴイ。
 で、じゃあどうすればいい?

「それは本人に聞け」

 だからみのり、馬鹿正直に尋ねてみる。さすがに不思議小学生も呆れた。

『みのりさん、キミは天然なのかい? そういう事は、自分の意図を知られないように切り札のカードを隠しながらさりげなく婉曲に尋ねるものだよ』
「そんな難しいこと出来ないよ。」
『だいたいそのリムジン、至る所にビデオカメラやマイクが仕掛けられてる。今の話聞かれたし、運転手だって聞いてるよ』
「あ。」

 あまりにも当たり前の指摘に、今更ながらみのりはビックリする。
 NWOから借りているきてぃちゃんリムジンだ。そりゃあメイスンさんも聞いてるだろう。
 まあ聞かれたものは仕方ない。それならば、リスナーの興味をそそる話題に戻りますか。

「昨日の炎使いは、君の仲間なの?」
『違うよ、でも知ってるよ』
「どっちなの。」

『今日はどこに行く気だい? 砂漠に行ってラクダに乗ろうってのならダメだ、そこにはアイツは来ない』
「どこで襲うか、知ってるの?」
『あいつ、見た目に反して都会派なんだよ』
「詳しいんだね」

『だって、面白いんだもん』

 

PHASE 259.

 ややこしい話になった。敵の意図が明確にされたのだ。

 つまり敵はNWOが築こうとする未来の秩序を破壊するのを目的とする。ここまではいい。
 しかし、その理由がでたらめだ。

 まずNWOがミスシャクティという明らかにインド系の人間によって主導されているから、未来社会においては有色人種が支配的な地位に有ると想像する勢力が居る。
 欧米先進国が優勢する20世紀的秩序が崩壊し、世界が逆転されている。と考えるのだ。
 崩壊の根源は、やはりNWOにおいて有色人種を基盤とする血統の祖である童みのりに求められるだろう。
 であれば、今の内に始末しておくに越したことはない。

 これが常識的な判断。
 だが人にそういう誤解をさせ南北間戦争を誘発し、混乱に乗じて己の勢力を伸長させようとする勢力の仕業かもしれない。
 そもそも柱が5本は多過ぎる。主流1と無力なバックアップがあればいいだろう。余計な勢力は刈りこんでおこうと考えるのも自然だ。

 あるいは、みのり関係の血統の元となる家系を絞込み結束を高め団結力で勝利する為に、あえて乱を起こして鍛えよう、という鉄血な策も有る。
 はたまた、いわゆる上流階級支配者階級の勢力を排除して平等な民衆による真の世界秩序の構築の為に、みのりを担ぎ上げる算段もあった。
 いやいや、支配階級の無能を混乱の中で曝け出させて合法的に排除し、中立的理性的なNWO官僚組織による完全なる管理で黄金の千年王国を築こうではないか。

 何とでも理屈が付く。

 いずれにせよ、みのりに対する攻撃が全ての核であり原動力だ。
 攻撃があるからこそ、それら勢力は勝手な思い込み勝手な理屈で策動し、状況を拡大させる。

 まずは動かしてみよう。これが真の動機だ。
 襲撃者は単なる駒であり、カネをもらって働いているに過ぎない。
 ただの殺し屋だった。

 

 走るリムジンの中、みのりは呆然と座り続ける。手の中にはとっくに通話の切れた携帯電話を握り締めて。

「テロの真なる姿はアナーキズムに求められる、けっきょくは無茶苦茶にしちゃうのだから……」

 いくらみのりでもこれが最後の襲撃ではなく最初の一回に過ぎないと理解できる。今より先何十年何百年と同じ愚行を人類は延々繰り返していくのだ。
 権力の頂点に立つとはこういうものか。

「ぽぽーなら、なんとか出来るのかな?」

 生憎とユカタン半島で忙しく、鳩保は相手をしてくれない。第一、彼女と物辺優子は最初から己の立場を理解していた風に見える。
 対策もなにか有るのだろう。
 いや、有るのだ。そうでないと困る。みのりは考えるのを止めた。
 深謀遠慮はぽぽーと優ちゃんがなんとかしてくれるから、自分は目先の災厄だけを食い止めよう。それが童みのりの役割だ。

「よし!」
 ぱんと両手で頬を叩く。気合を入れ直した。
 結局どういう思惑があろうとも敵の宇宙人は攻めてくるし、犠牲者を出さない内に早急に退治する義務がある。
 誰に強いられるものでも無く、自分がそう決めたからやるだけだ。

 では敵は、昨日の炎のスタンド使いは今どこに。

 ピンクのきてぃちゃんリムジンはドバイ市内を走り回っている。
 主要な観光名所のほとんどは近年カネに飽かしてでっち上げたもので惜しくないのだが、さすがに戦場には選べない。
 かと言って、敵は炎使い。炎を用いるのに適さぬ場所では仕掛けてこない。

 奥の手は知らないが開けた場所、都会でないと出来ないと聞いた。
 なんらかの副次的な支援が必要なのか、それとも仲間の宇宙人刺客の協力を仰ぐのか。

 ちょっとまて、敵はほんとうは地球人のトルコ人であって宇宙人の力を借りているだけなのだから、宇宙人呼ばわりするのはおかしい。
 えーと、なんて呼ぶのが適正か。宇宙刺客? 銀河ハンター? スペースアサシン?

 リムジンが不意に止まる。これまで調子よく飛ばしていたので不審に思い、防弾ガラス越しの運転席にインタホンで話し掛ける。
 運転手は黒人のおねえさん。CIAだ。

「どうしました?」
「すみません、渋滞に引っかかりました。」

 車が有って道が有れば渋滞だって起こる。
 いかにドバイが金持ち国であろうとも、渋滞を無くす魔法は知らないだろう。

 みのり、窓越しに右手で合流する道を見る。1ブロック先の交差点まで車がつかえていた。
 自分達が走っていた道の先でなにか事故があって塞がったようだ。

「まもなく警察の事故処理車両が参ります。しばらくお待ち下さい。」
「うん。」

 みのり考える。もし自分が暗殺者であれば、今が最大のちゃんす!

「あ!」

 いきなり扉を開けてリムジンから飛び出した。不意の行動で、運転手助手とも制止する間さえ無い。
 午前中とはいえ夏の中東、車中のクーラーで冷えた身体を熱線が直ちに貫く。
 強い日差しに目を細めながら、前後左右を見渡した。
 車、車、車。高級車から一般商用車、日本車、外車、バス、トラック。
 これら全てを火に包めば、辺り一帯は地獄と化す。

『あいつ、見た目に反して都会派なんだよ』

 少年の言葉の意味は、これか!

 

PHASE 260.

 ドバイは未来都市、とはよく言われるが、みのりの目にはそうは映らない。
 確かに近代的な高層ビルがどんと立ち並んでいるのだが、あちらこちらで「建設中」。
 二〇〇八年秋のリーマン・ショックで世界経済が停滞を見せる直前であるから、ドバイでも派手に建てまくっている。

 ここは未完成の建設途上都市なのだ。

 だから街全体を用いたテロを企んだ場合、手の打ちようが無い。
 やはり事件が起きる前に秘密警察などで策動そのものを封じ込めるべきである。
 しかし、単身で武器や爆発物を必要としない今回の暗殺者には無力をさらけ出す。

 

 渋滞で足止めされたする自動車の列が遠くから順番に弾けていく。炎を高く噴き上げる。
 まったく無防備に燃え上がる車から、観葉植物の葉のように大きく焔が立ち上がる。左右に揺れながら拡大し、通りを包んでいく。
 火計によってみのりを封じ込め、同時に外からの救援を食い止める策だろう。
 もちろんみのり自身は簡単に逃げられる。所詮はガソリンの炎で、ゲキに守られる自分を焼くことは出来まい。

 だが人が居る。車に乗っていた、また通りの左右の店やビルの人達が巻き添えで焼き殺される。
 人質戦術だ。
 彼等を救うために、みのりは直接戦闘を余儀なくされる。

「”ストップ・ウォッチ”は?」
「だめー。生身の人間を超高速で動かしたら千切れてしまう。エネルギーシールドで守らなくちゃいけないけど、みのりちゃんには付いてない」
「ぽぽー!、どうしよう」

 さすがに緊急事態であるから、南米の探査を打ち切って鳩保も参戦する。

「まてよー今何とかする。なんとかした!
 空中警戒中のイカロボからビームを出して、車道の両脇の建物に延焼しないようにした。ただし、人の出入りも出来なくなる」
「車から逃げる人は?」
「逃げ道を作っておくから、そちらに誘導を。CIAの女が二人ついてるでしょ、やらせて」
「わかった!」

 ぼしゅ、っと地面のアスファルトに大きく矢印が描かれる。イカロボから照射されるレーザー光線でアスファルトに避難先を示したのだ。
 みのり、きてぃちゃんリムジンの運転手と助手に命じて人を誘導させる。

「わたしの事はだいじょうぶだから、とにかく逃げて!」
「ですが!」
「邪魔!!」
「は、はい!」

 もちろん敵が見逃すはずも無く、脱出口近くの自動車が爆発炎上する。が、いきなり炎が消し飛んだ。
 イカロボ大出力レーザー光線砲にはかなわない。

「ぽぽー、すべての炎をレーザーで散らせないの?」
「さすがにね、自動車全部を金属粉に変える覚悟がないと」
「う、ん。分かった。」
「地道に、敵に話し掛けて時間の引き伸ばしをして。居所を探知する」
「わかった」

 結局は鉄球を振り回すしか無いのだ。焔や鉄の破片から人を守る。
 みのりにとってはむしろ楽な選択だ。敵を叩き殺す良心の呵責を気にせずに済む。

 さっそく直径10メートルの大きな輪を描いて鉄球を回し、流れる人の波に逆らって自動車の燃える風上に向かう。
 街路樹として植えてあるナツメヤシの葉が鎖に巻き込まれて粉砕されるが、さすがにそこまで構っていられない。
 樹さんごめんなさい、と心で謝る。

「あ、みのりちゃんそれから、現地のNWOの連中が協力をしきりに呼びかけるけど、電話こちらで勝手に対応しておくぞ。存分にやれ」
「ありがと、ぽぽー」

 ぽぽーはやっぱり気が利くな。

 

PHASE 261.

 物辺村鳩保は、だがもっと重大な責任を負っている。
 制止しなければならないのはNWOの戦闘部隊だけでなく、ドバイ市当局の警察・消防・軍隊マスコミも含めて車両の接近を止めねばならない。
 ましてやヘリコプターなどは絶対禁止。これ以上燃えるものが現場に近づいては手の施しようが無くなる。

 物辺神社の裏、御神木秘密基地前に置かれたテーブルで14型ブラウン管テレビに向かい、ぴこぴことゲーム機を操作し続ける。
 机の左右には首だけの梅安とこれまたクビ子がお手伝い。
 特にクビ子は地球在住の宇宙人に詳しいから、解説役だ。

「解説のクビ子さんや、この宇宙人は何者だろうね?」
『これだけではちょっと。炎を操るなんて、誰でも出来ると言えばできますからねえ』

 机の上から50センチ浮き上がり、左右の黒髪を顔の前でつんつんと突き合わせて、クビ子考える。
 此奴はおしゃれ星人だから夏の日差しに焼けないようにUVカットのファンデーションを塗って、日除けの黒い帽子まで被っている。
 一方鳩保は、家の近所であるから袖なしのシャツを引っ掛けただけで、巨乳が零れそう。男に見せたらいきなり襲われてもしょうがない無防備さだ。

「ぽぽーねえちゃん、なにしてるのー。」「ゲーム? やらせてー。」
「違う。いまドバイではみのりちゃんが死にかけてるんだよ。」
「「おー!」」

 夏休みで暇な双子が母屋からカルピスを淹れて鳩保に出前してくれた。
 何をやっているか知らないが、昨夜から付きっきり交替制でぴこぴこ真剣にやってるのを饗子おばちゃんは不審に思う。
 自分とこの敷地内であんまり妙な真似されても困るのだが、黙って素直に熱中症で倒れられても迷惑。
 双子を使ってちょこちょこ様子を見に行かせている。

 双子はさっそく空中浮遊するクビ子の髪を引っ張り始めた。抵抗して良い権限はもらってないから、クビ子必死で耐える。

『鳩保さん、やっぱりこの画面小さいですよ。上空からの管制とみのりさん視点でのサポートとを同時に行うのは無理です』
「そうだな、デュアルディスプレイでないとダメだな。

 おい双子、母屋に余ったコンピュータのディスプレイとか小さいテレビ置いてないか?」
「無い。」「無いよ、ウチは貧乏な神社だから。」
「ち、こないだたんまりとお賽銭ぱくったくせに。」

「あれはどうかな?」「あれ? アレはばれたら殺されるんじゃ、」「でも今はいいじゃん。」「ふむふむ。」

「なに?」
「祝子おばちゃんのノートパソコン。今使う人居ないから、空いていると言えばあいてる。」「でも勝手に触るとおばちゃんに殺されるのだ。」
「許可する。」
「ぽぽーねえちゃんの許可がでましたあ、」「まいどありー。」

 双子、ぱたぱたとサンダルで走って母屋に戻り、即戻ってくる。
 小なりとはいえ物辺神社の巫女だ、やることにそつが無い。ノートパソコン付属の電源やマウス、ケーブル類も一式持ってきた。
 問題は、

「どうしたものかな?」

 14型テレビにもゲキロボの端末として使っている白くて小さなテレビゲーム機も、最近のパソコンと接続する端子を持っていない。
 映像端子は元より、USBもLANもPS/2も何一つくっつかない。規格がまるっきり違うのだから当然だ。
 こういう時喜味子が居れば家から接続用の怪しいアダプターを手品みたいに持って来てくれるのだが、

「このゲーム機の4個並んだ前面コントローラ端子って、なんかこれとよく似てない?」
「うん。」「そっくりだ。」
「突っ込んだら動くかな?」
「だいじょうぶじゃないかな?」「たぶんだいじょうぶだよ。」

 じゃあ突っ込んでみる、とUSBケーブル機器用B端子をゲーム機にねじ込んだ。
 規格が違うのだから入るわけは無いのだが、そこは梅安がいい感じにしてくれる。

「「やた!」」
「おお、くっつくね。さっそくパソコンが動き出したぞ。」

 祝子の紅いノートパソコンが、いきなりドバイ市内上空鳥瞰図を描き出す。
 ついで建物内部構造までも透過して、中の人の姿までもが白いシルエットで表示される。

 炎のスタンド使いはどこに隠れているのか。さっそくクビ子が取り付いて髪の毛でキーを押し始める。

『鳩保さん、とにかくこの双子、どけてくださいよ』
「お前たち、髪を引っ張るのはやめなさい。仕事の邪魔だ。」

 

PHASE 262.

 ぼんと弾けて車が宙を舞う。1トン有りそうな車両でも、ガソリン爆発の威力で軽々と吹き飛ばす。
 この敵はなかなかの知恵者だ。本来の能力を10倍にも100倍にも拡大して、攻撃力を高める事が出来る。
 もしも石油タンクや油田地帯で遭遇したら、戦車大隊であっても敗北するだろう。

 しかし鉄球に対抗するには重量が軽すぎた。
 ドバイの金持ちが乗る高級車であっても、ガガンボのように跳ね飛ばされる。
 もちろんみのりは手加減してだ。跳んだ先で巻き添えを出すのも嫌だし、ひょっとすると中に人が残っているかもしれない。

 いや、乗っていた。
 逃げ損ねた者が、死んでるのか生きてるか分からないが窓ガラスから見える。これは弾けない。
 鉄球の軌道を途中で変化させ、車両の屋根を引き剥がし薄鉄板をめくって助け出す。
 みのり本人が飛び込んで抱え上げ、安全ベルトを引き千切り、床を蹴飛ばして脱出。反動で車は向かいのビルに飛んでいく。
 途端に全体が炎に包まれた。
 みのりが飛び込むのを見て着火したのだろう。残念ながらタイミング外して失敗したが、恐るべき攻撃だ。

「おい! 関係無い人を巻き込むのはやめろ!」

 抱えた髭眼鏡のアラブ人をアスファルトに下ろして叫ぶみのりに、敵は昨日みたいには気軽に返答してくれない。
 だが、さすがに今の救出劇は見事であった。
 宇宙人語が耳に流れてくる。超音波であるから車両爆発の音にもかき消されない。

『立派な心掛けだ。お前は自分を正義の味方と思っているのか』
「人の命は助けるのが当たり前だ。どこに居る姿を見せろ。」
『私はお前ほどには度胸が無いし、志操も堅くは無い。実益にのみ拘るのを許してもらいたい』

 己の姿を晒す危険な真似はやらないわけだ。

 今度はみのりを囲む四方の車が一度に爆発して跳ね上がる。上から鉄塊がかぶさってくる。
 みのり、冷静に車両の中を確かめ人が居ないのを確認すると、さっと避けた。鉄球で跳ね返すのはここでは止める。
 正解。空中で4台の車はぶつかると同時に火に包まれ、炎が下に垂れてきた。応戦すれば焼けたガソリンをかぶる羽目になったろう。

 一台はトラックで軽油だから爆発しない。めらめらと大きく燃え上がり、まつ毛を焦がそうとする。

『大した戦巧者だ。尊敬に値するな』
「直接戦闘に応じろ。卑怯だぞ。」
『それは勘弁。詫びではないがひとつ教えてやろう。私の力の根源だ』

 敵は未だ自分が優位と信じて疑わない。鳩保が背後に居ると知らないからだ。
 みのりは唯一人で戦う。であれば私的に会話を楽しむのも狩りの楽しみというもの。

『お前も気付いているだろう、私も元は只の人間だ。ごく普通に生まれて育った平凡な男に過ぎない』
「それがなぜ暗殺なんて商売をする」
『力、だな。私が他の子供と違ったのは、力が神とは別に存在すると、幼い頃から知っていた点だ』

「力が欲しいから、宇宙人にすがったのか?」
『いやもちろん最初は神に祈ったさ。様々な神秘主義、伝統的な手法に励む。禁じられた邪法に手を染め、薬物や毒虫を呑んだりもした。
 だがやはりそんなものは効かないのだ。なんの価値もありはしない。
 求道だと、ばかばかしい。どれだけ鍛えても10セントの銃弾にも勝てないではないか』

 今度はオートバイが火だるまになって走ってくる。燃えるナツメヤシの並木を縫って歩道を疾走する。
 昨日宴会場の空中で人型になったように、炎人間が乗っていた。
 鉄球に弾かれてホームラン!

『私は絶望し、半ば狂乱して荒野に逃げ出した。何をやっても無力と認めるのに、私の人格は耐えられなかった。
 そして出逢ったのだ。その城に』
「城?」
『クリンタ城、と言っても分からぬか。砂の嵐に守られ何者の目からも隠された秘密の城だ。私はここに住む3体の精霊に招かれた』

「精霊に力をもらったのか」
『そういう事にしておこう。もちろんクリンタ城がどこにあるか、精霊とは何者かは謎だ。私自身、二度と行く事は叶わぬだろう。
 あれはただひたすらに絶望的なまでに力に乞い焦がれる者が一度だけ招かれる奇跡なのだ』

「宇宙人、とは思わなかったのか?」
『力を与えてくれるなら悪魔でも邪神でも構わぬが、宇宙人ならまだ人であるから天に背く所業でもあるまいよ』

 炎が一層強くなる。車両から流れだした油が合流して大きく燃え、左右の壁を登っていく。
 道の脇に立つビルには燃え広がらないから、みのりの頭上数十メートルを覆う炎の天蓋が出来上がった。

 頂上部から崩壊する。炎の滝がみのりに雪崩れ落ちる。

 

PHASE 263.

「やあみのりちゃん、大丈夫かい?」
「ぽぽー、まだ敵の正体分からない?」
「仲間については白状しないねえ。やはり捕獲しておびき寄せる策を取るか」

 炎が落ちる真下で、みのりは平然と会話する。
 鉄球鎖を頭上で回転させて傘にし、炎を拡散させて自身の身を守る。のはいいが、周辺の車に延焼してもう手の付けようが無い。
 幸いにして人は残っていないから、全部破壊してもいい。
 これ以上の被害を防ぐために攻勢に出るべきだろう。

「それで、あいつはどこに居るの?」
「すぐ隣のビルの中だよ。5階だね」
「え?」
「こいつは見晴らしの利く距離しか炎の遠隔操作出来ないんだ。ビルの中からこっそり見ている。
 だから見通しの良い交差点を襲撃の場所に選んだんだね」

「じゃあ最初からわたしの隣に居たの?」
「居たんだね、それが。喋り出したらすぐ分かった」

 みのり、ふくれる。ぽぽーも人が悪い。

「捕まえよう!」
「OK。でも生きたままかい?」
「うん。」
「そりゃあ難しいな。あの能力は、手足を縛っても操作可能だろ」

 あ。みのりそこまで考えてなかった。
 宇宙人の能力を用いる奴だ、念力を発動させるように考えただけで炎が出現するのだろう。
 意識が有るままだと脅威の除去が出来ない。手錠や牢屋では縛れないのだ。

「喜美ちゃんならきっと、」
「ああ、喜味子がその場に居たら簡単に捕獲しちゃうけどさ、みのりちゃんどうする?」

 もちろん鳩保はみのりを困らせようとは考えない。ちゃんと解決策も用意してくれた。

「意識不明の重体、てところで手を打たないかい?」
「死なないでダメージが大きい、ってこと? どうすれば出来るの。」
「炎を使おう。昨日のパーティと同じで能力のオーバーロードをさせる」

 ??

「敵は炎のスタンド使いだけれど、自分が炎で焼かれるのは考えてない」
「ふむふむ。」
「そこで逆に炎を集中してぶつけてやれば、能力を自身の生命を守るために使わざるを得ない。奴の能力を越えた炎をぶつければ」
「燃えて死んじゃわない?」
「断言しよう。熱では死なない。クビ子さんも梅安もそれは保証する!」

 ほんものの宇宙人が言うのなら信じるしかないだろう。クビ子はとにかく梅安が嘘やいい加減を言うはずが無いし。

「じゃあやってみるね。炎の凄いのをだね。」

 

PHASE 264.

 居所を教えられ、みのりは改めて道の横に立つビルを見上げる。
 未来都市ドバイにふさわしい新築ぴかぴかの高層ビルだが、下から5階ほどの高さまではデザイン上伝統的な装飾を施してあり、こっそり隠れる所が多い。
 もちろん敵炎の術者は姿を見られないようにしているが、みのり野生の感覚を総動員すると、見えた!

 ビルを仰いで呼び掛ける。

「おい! 見えたぞ。」
 反応無し。
 代わりに自動車が弾けて高張力鋼板の端切れが襲いかかるが、造作も無く防がれる。

「逃げられないぞ、おい降参しろ。」

 もちろんこれは駆け引きだ。敵が逃げる隙を作るために炎を総動員して攻撃してくるのを誘発する。
 果たして未だ燃え残っていた自動車が揃って爆発し、一気にみのりに集中する。鎌首をもたげたコブラのように、炎が道をうねって走り来る。

 鉄球鎖大回転!
 もともと炎は力場で操作出来る。敵がエネルギー力場ユニットで操作するように、みのりも鉄球で直接炎を操れた。
 回転、回転、大回転で炎の竜巻が立上がる。
 既にコントロールは完全にみのりの意志に独占される。

 火災旋風。鳩保の進言でみのりは炎に空気を巻き込ませる。
 これにより通常の炎よりもはるかに熱量が上がり、鋼鉄をも溶かす高温へと化す。
 鉄球の旋回に従って上空をふらふらと漂う竜巻を操りながら、慎重に標的を探る。
 もし近くに無関係の人が居れば使えない。あくまでも「熱では決して死なない」奴にのみ適用するのだ。

「おまえが炎のスタンド使いなら、この攻撃を耐えてみろ。」
『私はSTAND−TUKAIなるものではない。劫火の支配者、炎熱の硫王と呼んでもらおう』

 挑発に乗った。

「炎勝負、受けるか?」
『受けよう』

 言葉通りに、彼はビルのテラスから姿を見せる。生身を曝すのは昨夜の襲撃以来初めてだ。
 煮染めた色のターバンと襤褸と呼んでいいつぎはぎだらけのマントを纏い、豪華絢爛成金都市のドバイにはまったくふさわしくない姿。
 19世紀の昔からタイムスリップした時代錯誤な修行者が居る。

 顔の表情は、よく分からない。強い日差しと炎の竜巻で影がくっきり浮いて、ただ白い歯が笑うのが見えた。
 鳩保の言うとおりに、炎の熱で自らが死ぬとは露ほども考えていない。
 それだけの実績が有るのだろう。百戦錬磨の強者で砲炎爆炎を何度も浴びているのだ。

 遠慮は要らない。

 竜巻は一度上空にすべてが飛び上がり、高度100メートルで球体になる。
 改めて渦の中心が大きく口を開き、男を呑み込むかに襲い掛かる。
 燃える、溶ける、鉄がアルミがガラスが溶けて、ビルの脇腹に大穴を抉る。

 自分でやっていながら、みのりはちょっと心配になる。あの男、ほんとに大丈夫なのか?
 だが宇宙人の力であれば、このくらいは防いで当たり前。
 力場を操る能力者が炎を防げぬ道理も無い。

 燃料が尽きて、竜巻は消失した。
 地上の車もほとんどが焼け焦げて、ただ黒煙を吐くばかり。
 周囲には熱気が立ち籠め、空気が揺らめいている。

 1分経過。なにも起きない。
 呼びかけても男は語らない。上のテラスで倒れたまま、動かない。立ち上がらない。
 みのり、不安になって鳩保を呼ぶ。

「ぽぽー?」
「確認した。心肺停止状態だ」
「え? だいじょうぶじゃないの?」
「だいじょうぶだよ。イカロボから観測する限り火傷の跡は全く無い。着ている服だって燃えてない。さすが宇宙人パワーだ、あんな高温でもびくともしないな」
「なのに、どうして?」

「そりゃあー、あんな炎が周囲を包んだら酸素まったく無くなっちゃうでしょ。酸欠で窒息よ」
「ええええええええ!」
「いや、たぶん酸欠は無警戒だと思ってたんだ。炎の使い手は、炎がちゃんと燃える空気のいい状態に自らを置くものだからね」
「じゃあ、最初からこれ狙いで?」
「うん」

 騙された! 鳩保に騙された!

「大丈夫大丈夫、もうNWO当該部局に連絡した。いま男を確保するために特殊部隊のヘリが到着する。そいつらに任せたら死なない死なない」
「そんなあー。」

 バラバラバラ、とヘリコプターが到着する羽音がする。
 頭の上から完全武装黒覆面の戦闘員がロープを伝って降りてくる。
 そのままビルに突入して、宇宙人の力を使う男を確保した。生死の別は問わないようだ。

 みのり呆然。

 

PHASE 265.

 奇跡。ピンクのきてぃちゃんリムジンは生き残った。
 ルーフの上の赤いリボン飾り風プラスチックパーツがちょっと焦げただけで、全くに無傷である。
 理由は簡単。ここを起点としてみのりの行動を限定するために、敵が目印を欲したからだ。

 ちゃんと動くから、戻ってきたCIAの運転手と助手に任せてみのりはホテルに乗って帰る。
 人工島の七つ星ホテルは今朝までの余裕をかなぐり捨てて、臆病なまでの厳戒ぶり。戦車までもが正面玄関に配置される。
 出迎えたのはホテルのオーナーにドバイの偉い役人の人に、CIAいやNWOのおじさんメイスン・フォースト。
 その他大勢の知らない人は、多分ホテルに泊まるVIPがそれぞれに雇う護衛の責任者だろう。

 メイスンは自らリムジンのドアを開けてみのりを迎える。、プラチナ・ブロンドをしっかりオールバックに固めた頭を垂れた。

「ご苦労様でございました。」
「うん。」

 みのり本人としてはそれほど疲れていない。なんせ鉄球を振り回していただけだから、肉体的負担はほとんど無い。
 むしろ道義的責任やら心配でがっくり肩に重い荷を負っている。
 それはメイスンも理解する。彼は犠牲の数など一顧だにしない人非人だが、人の気持ちを察せぬ不感症ではない。
 人一倍に敏感で、それを武器に多くの現場で要人を誑かしてきた。

「襲撃でどのくらいの犠牲者が出ましたか。」
「死者はございませんので、お気になさらずに。」
「負傷者は多い、ってことですね。」

 はーっと息を吐く。みのりが悪いわけではないしどこで何をしようとも襲ってくる敵ではあったが、さすがに堪える。

「それで敵の炎使いは死にましたか?」
「いえ。」

 メイスンの薄い金縁眼鏡が陽光を反射する。光の加減で表情が見えないが、そして見せないが、彼は笑っているのではないだろうか。

「NWOの緊急攻撃部隊が回収しました。現場では心肺停止状態でありましたが、今は人工呼吸器を装着して一命を取り留めています。」
「意識は、」
「ありません。また薬物を投与して当分の間は人事不省になってもらいます。」

 やっぱり人じゃないや。彼等にとって襲撃者は強力な敵であると同時に、興味を大きくそそられる研究対象でもあるのだ。
 抹殺すること無くなんでも実験出来る意識不明にしてもらって感謝感激、なのだろう。
 車両の損害など物の数に入らない。

 だが宇宙人の力は未だ健在であろう。行使者に意識は無くとも自動で機能する可能性も有る。

「もし手に負えなくなった場合は、わたしでは無理です。日本の喜味ちゃんを呼んでください。」
「はい。Kimiko Kodama、プリンセス”IWANAGA”ですね。彼女であれば解析出来るでしょうか。」
「人体から宇宙人機能を分離するのも可能なはずです。でも実験データをNWOさんにくれるかどうかは、ちょっと疑問ですけど。」

 金縁眼鏡ますます光る。そいつは聞き捨てならねえ。

「なるべくご足労をお掛けしないよう努めたく思います。」
「うん。」
「それと少々お尋ねしたい件がございます。ロボットの操縦者が女であってはならないとのご指示はいかなる理由によるものでしょうか。」
「それはー、」

 それはー、言えない。言ってはならない。
 特にこんな怪しい曲者のおじちゃんには絶対言ってはいけない。

「秘密です。でも守ってください。」
「かしこまりました。」

 なんだかがっくりと疲れてしまう。炎に巻かれて鉄球鎖を振り回していた方がずっと気が楽だ。
 このおじちゃんは、こちらの精気を吸い取る魔法が使えるのかもしれない。
  相手をしているととにかく疲れる。みのりが実務的な会話を苦手とするだけではない。
 言葉には出さない、態度も見せない、何も仕掛けてこないのに、彼が心の奥底を覗こうとするのが分かってしまう。
 ひょっとして悪魔の化身ではないだろうか、とも思えるのだ。

 ホテル正面玄関からロビーにふらふらと入り込む。また赤絨毯だふかふかだ、これ歩きにくくて嫌だ。
 喉が渇いた、冷たいのが欲しい。アイス、アイスと呟くが、この玄関からの通路には喫茶店の類は存在しない。
 自分の部屋までの直通エレベーターが有るだけだ。
 戻ればメイドのお姉さんが色々と冷たいのを作ってくれるだろう。
 彼女達の仕事を無視するのも、賢い選択とは言えまい。
 気配りきくばり。

「えらいひとって、VIPのひとって、毎日あんなに沢山の人を使って神経疲れないのかなあ?」

 もちろんエレベーターにも単身では乗らせてもらえない。
 女性の護衛が慇懃に先導して、みのりの背後を守る者まで居て、サンドイッチ。
 疲れる、彼女達のお仕事の邪魔にならないよう歩幅を合わせるのも大変だ。だって二人とも脚長いじゃない。

 ほぼ最上階のみのりの部屋まで、あっという間に到着。300メートルも上がるのに小揺るぎもしない耳も痛くならないのは、よほどエレベーターの性能がいいのだろう。
 ちん、と開いた部屋に踏み込んで、

「お下がりください! 下がって!」

 みのりは護衛のお姉さんにエレベーターに押し込められる。もう一人も懐に納めていた拳銃を引き抜き、みのりの前に出る。
 彼女達は楯となって、みのりが別の階に退避するまでの時間を稼ぐ気だ。
 だが遅い。階数表示パネルの電源が落ちて、ケージ内の照明も消える。
 第一逃げ場の無い鉄函は最悪のルートだ。

 みのりは彼女達を押し出して、そのまま前に出る。何に反応警戒したかを確認した。

 水だ。

 

PHASE 266.

 七つ星ホテルは全室がいわば家になっている。メゾネットと呼ばれる方式だ。
 外壁ガラスの側を吹き抜けとして、一階二階が通じる立体的開放的な構造である。

 その全て、床から壁から天井まで、薄い水で覆い尽くされる。
 量としては少ないが、全面をビニールでカバーしたように水が貼り付いていた。
 重力で下に流れ落ちる事も無く、ただ覆う。尋常の物理現象ではない。

 昨日の今日で道路の襲撃だ。3人共に宇宙人、いや宇宙人の力を借りた人間の仕業と理解する。
 しかも敵対的、殺戮を目的のものであろう。

 みのりの世話をしていた5人のメイドが逃げ遅れて、今も部屋に居る。
 何が起きたか気付いた瞬間には手遅れだったようだ。
 それぞれ逃げ出そうとする姿のままに部屋のかしこで硬直する。立ったまま動かない。
 身体の全面を水で被覆されている。

「この敵は、水で縛る能力者みたい。」
「ここは危険です。早く脱出しましょう。」

 まったく役に立たないであろう拳銃を左右に構えながら、護衛二人はみのりを促す。
 一人はブラウンのショートボブで警察方、みのりの後方を守っていたのは黒髪ベリーショートの軍人、どちらも白人で護衛らしく暗いスーツを着る。
 英語で短く会話し、みのりをどこに逃がすか確認した。
 しかしエレベーターは動かない。非常階段は、

「非常階段はございますが、この階からであれば屋上のヘリポートが良いと考えます。発着場には無線機も用意されており、直ちに救出のヘリが参ります。」
「この階の他の部屋はどうなったのかな。誰が部屋を借りているの?」
「客ではありません。今回のご招待をサポートする要員が他の部屋を専有して監視と奉仕を行なっています。警護の兵士も控えて居ります。」
「その人達はどうなったんだろう。部屋はずっと監視されていたんでしょ。」
「そうです。ですがこの状況を放置し、私達に警告も無かったのを考えると、」

 たぶんダメだろう。
 みのりは天井を見上げる。非常に美しい細工で誤魔化してあるが、もちろん火災報知器とスプリンクラーが設置してある。

「あれが進入経路だね。」
「スプリンクラーですか。敵は水を自在に操るのですね。」
「非常階段にもスプリンクラー、有る?」
「……ございます。」

 最初から分かっていた事だが、既に敵の術中に有りどこにも逃げ場は無い。
 それどころか、自分達全員囚われの身だ。
 床に敷かれる一枚数千万の高級絨毯は水をたっぷりと含み、一歩歩く度に靴底で押し出され吐いている。
 みのりはサファリルックで靴下の上は素脚を見せているが、護衛は両方共にパンツルックであるから裾から水を吸っていく。
 たまたま濡れているわけが無い。

 敵はおそらく、力場で水を操り物体の表面を被覆するのが能力だ。被覆した物をそのまま固定するのだろう。
 もしも鼻や口まで被覆されてしまったら……。

 これまでに訓練したマニュアル通りに対応を検討する護衛二人を尻目に、みのりはばしゃばしゃと部屋の奥に入っていく。
 メイドさん達の状態が気になるのだ。これ以上水をかぶるのも致し方無し。
 それにみのり本人なら怪力で力場の支配を脱出できるだろう。
 だからこその人質だ。

「やっぱり!」

 赤毛でポニテのメイドさんはお風呂場で祝子に抱きついて殴られた人だ。
 足元になにかが絡みつくのを振りほどこうとする体勢で凍り付いている。
 だがよく見ると、身体が震えていた。まだ生きている。
 大きく見開いた目は瞳だけが左右に動き、様子を確かめられるのだろう。そして口は、開いている。

「ストロー1本分くらいの穴が有って、わずかに呼吸出来るようになってるんだ……。」

 人質だから殺しては何にもならない。他のメイドも同じく、かろうじて息は出来るようにされている。
 安堵するが、同時に敵の意図が明確に理解できる。
 みのりはエレベーター口に戻って護衛に告げた。

「わたしが敵の言うことを聞かないと、皆殺してしまう気です。」
「5人全員ですか?」
「いえ、7人。そしてこの階全体で囚われている人全部です。」

 7人という指摘に瞬時には気付かなかった二人だが、自分達も数に入っていると理解して戦慄する。
 だが護衛という任務からすれば、VIPの安全こそが全てを越えての価値となる。

「TOYOTAMA様、貴女お一人であれば脱出できるでしょう。ここは御自身の安全のみをお考えください。」
「それはそうなんだけどー、」

 日本の鳩保に首根っこ電話で聞いてみる。状況は物辺村でも把握しているはず。

「ぽぽー、居る?」
『いませーん。私クビ子でーす。鳩保さんはお家に帰ってお母様のお手伝いをなさってますー』
「あ? あーえーとー、どうしよう。」
『ここはイヌの恨みは忘れて私のアドバイスに従ってください。えー水ですか、水で呼吸を止めちゃうとはありふれた手ですね』
「でも効果的だよ。どうしよう」
『みのりさん一人なら、窓ガラス破って逃げちゃえばいいです。外の気温ならその程度の水は1分も掛からないで蒸発します』
「力場で蒸発は止められないの?」
『その力場じゃダメですね。あくまで液体にしか機能しません。この技術はそもそも特定の分子構造にのみ反応して、』

「対策教えて、対策」
『人質取られてるのに無理ですよ。直接術者を叩きのめすのが一番』

 あ、そうか。とみのりも納得する。

『敵に呼びかけてください。先程の炎の術者と同様に必ず応答するでしょう。宇宙人の力を授かった地球人てのは万能感を得て態度がでかくなりますから、不用意な接触や会話が大好きです』
「わかった。ありがとう」
『どういたしまして』

 

PHASE 267.

 みのり、部屋の中央に向かって右手を上げる。

「すいませーん、見てますかあ。お話しましょう。」

 護衛はなんと無謀なと思ったが、反応はすぐに返ってくる。
 室内のオーディオシステムが勝手に起動して音を発した。

『……意図を理解してもらえたようだな』
「その前に、どの程度の被害を出すつもりか教えてもらえませんか。場合によってはただじゃおきませんから」
『ほお、それではホテル全員と言った場合、どうなる?』
「その前にホテルを一瞬で、あなた諸共全部ぶっ壊します。」
『ハッハッハ、護衛の者が怯えているじゃないか』

 左右を振り返ると、確かに二人とも不安な顔をする。ゲキの少女の力は未知数で、どこまで出来るか誰も知らないのだ。

『たしかに。たしかに私はここに居る。ホテルまるごと破壊されては逃げ切れない。どうしたものかな』
「わたしがそちらの術中に素直に嵌ったら、皆解放してくれるという事で了解してください。」
『嘘を吐くかもしれないぞ』
「その時は仲間が一気にホテルぶっ壊します。登録された人間だけ確保して破壊するのも簡単です。」
『ハハハ、そうか一人じゃないのか。なるほど、それは従わねばならぬな』

 天井から水が滴り落ち、一気に壁を流れていく。
 拘束されていたメイドも解放され、濡れた絨毯に倒れ込んだ。全員が気絶して動かない。
 みのりに促され護衛の二人が駆け寄った。一人ずつを確かめて命に別状が無いと知る。

『名乗りがまだだったな。私は”塩”だ。』
「”水”じゃないの?」
『水に忍び込み、毒となる。二度とは良きものには戻らない。また表面に結晶して高貴なる金属を損なう』

 ???

『すまぬ、子供には分からぬか。つまり人を拘束するのみならず、電子機器をも損なう事が出来る。故にコンピューター制御の監視装置を突破して狼藉を恣にする』
「ああ!」

 みのり、ぽんと手を打つ。
 中学校の理科で習った。水に塩を混ぜたら電気伝導体となって電流を通す。ショートの原因となって機械も破壊される。
 電気回路の表面に力場で張り付いて、好きなように繋ぎ換えるのも可能なのだろう。

「すごいです!」
『お褒めにあずかり光栄。この力を以って人を闇に葬るを生業とする』

 ちょっと面白い男のようだ。オーディオから出るのは地声では無いだろうが、言葉は本人のもの。ヘブライ語だ。

「あなたもクリンタ城で精霊に会ったのですか?」
『クリンタ城?、”硫黄”はそんな事まで言ったのか。ああ、先程お前が葬った男は”炎”ではなく”硫黄”だ。イスラム錬金術三元質に基いて、我らは呼ばれる』
「じゃああなた達は3人組?」
『我ら三元質はあくまでも陰の存在。誰に知られる事も無く働くものを、”硫黄”は派手になり過ぎた。イラクやアフガニスタンで戦に慣れた習い性だな』

 この人はおしゃべりだ。聞かれてもいない事をべらべらと喋る。
 無駄に情報を垂れ流すのは別の目的があるのだろう。みのりの他にも聞いてもらいたい人が居るわけだ。

「それで、取引には応じていただけますか?」
『それはこちらの台詞だ。ゲキと呼ばれる無敵の力を持つ者がこの程度で死ぬか、私は半信半疑だ』
「もちろん抵抗はしますよ。ただそちらに先手を許すと言うだけで。」
『いいだろう。それが双方にとって公正な形のゲームだな』

 絨毯を濡らす水が命有るもののようにみのりの足元に集まってくる。むき出しの子供の脚に這い上がる。
 護衛の二人は驚いて拳銃を構えて絨毯を狙う。もちろん何の効果も無いのだが、ものは試しと銃弾を撃ち込む。
 水は跳ねるが止められない。ただ、オーディオの声が苦情を述べる。

『攻撃を止めさせてもらえないだろうか。痛くは無いが痒いのだ、神経が水にも通っているのでね』
「撃つのはやめて。相手の気が変わるかもしれない。」
「は、はい。」

『そう、それでいい。邪魔者を2、3人巻き添えに殺すのは、ルール違反でもなかろうからな』

 水がみのりの胸から首に、顎に上がっていく。
 思ったより水量は少ない。ほんの紙1枚ほどの厚みしかなく、濡れるというよりは覆うだけだ。
 この男の能力は、非常に弱い。炎を操った”硫黄”に比べると物理的破壊力は無きに等しい。
 だからこそ陰での暗殺を専門とするのだろう。

 すーっと息を大きく吸い込む。いよいよ水が鼻と口を覆う。

『それではゲームの開始だ。どちらの能力が勝るか、楽しみだな』
「ひとつ尋ねたいことがあります。」
『何かな』
「あなた、泳ぎは出来ます?」
『ハハハ、よく分かるな。そう、塩は水に溶ける。泳げない』

 

PHASE 268.

 ぽこんと水に潜った感触がした。
 顔の正面を覆う水は見開いた瞳の上も進み、視界を歪ませる。立ったまま溺れるわけだ。

 水は力場で制御される。彼が言うとおりに”塩”と呼ばれる微細な力場ユニットによりコントロールされ物体の表面に張り付いていた。
 広大な面積に均等に圧力を発生させるから総体としての力はかなり大きいが、単位面積辺りにするとせいぜい人間を拘束する程度となる。
 ゲキによって強化されたみのりの怪力を抑えるには全く足りない。
 逆に、力場を利用して泳ぐことさえ出来た。

 そして呼吸は。

「みのりちゃん、いいかい?」
「喜美ちゃん? 学校から帰ってきたの」
「詳しい話はぽぽーとクビ子から聞いた。まんまと相手を罠に嵌めたね」
「解析、お願い」
「任せて!」

 敵の力場が水つながりで直結している以上、居所を探るのになんの障害もない。
 水に神経が通っていると言うから、逆に力場を支配して能力の解除すら出来なくしてしまう。

 護衛二人に右手指で○を作って合図して、探索の遊泳を開始する。
 敵はこの階には居ない。一つ下、安全の為に上下階を空にしておいた部屋に潜んでいる。非常階段を使うが、通路の独占を保証するために二系統有って直結していない凝った作りになっている。
 まずは同じ階の隣室、NWOの監視室を経由する。だがもちろん分厚い隔壁が存在し、死んだ電子錠が閉ざしている。

 パンチ! 錠が開いた。鋼鉄製の隔壁扉をこじ開ける。さらにパンチ、向こう側の部屋の隔壁を開放。
 みのりの部屋と異なり、こちらの要員は未だ水に拘束されている。もしみのりを首尾よく殺せたら始末する気だろう。
 犯行の後、被害を拡大させて人手を割かせ追跡の手を少なくするのは逃走のセオリーだ、

 監視用の液晶モニターがずらりと並びオペレーターが驚愕したまま硬直する姿を横目に、非常階段へ通じる扉をこじ開ける。
 ここまで2分。そろそろ息が続かない。

 だがみのりは進む。非常階段へ泳ぎ出て階を下りると、躊躇せず目的の部屋の隔壁扉を叩き割る。
 水が増える。
 止められない、と敵は気付いた。みのりの怪力に抗するには力場が弱過ぎて足止めさえ出来ない。
 自らの持てる力場ユニットを総動員して、拘束するしかない。
 いやここまで来たら絞め殺すべき。

 しかし振り切る。
 水を増して質量に任せて無理やり強力に固定すると、逆に纏わり付いて離れない水の特性が失われた。
 巨大な寒天ブロックの中から抜けるかに、みのりはそれから飛び出す。

「ひゅうううっ!」

 息を大きく吸い込む。潜水4分50秒。
 走る。背後から水が四辺の壁を濡らして追い駆けるが、振り切り奥の部屋に走り込む。
 豪華でエレガントな防弾扉があっけなく弾け飛んだ。
 中は、みのり達の部屋に比べるとさすがに落ちるが、やはりゴージャスなVIP仕様。作りは同じだからここも2階建てで、部屋も多い。

「水は?」

 水回りの良い場所に敵は潜んでいるはず。
 風呂か、台所か、洗面所か。それとも、

「ここだっ!」

 ノブごと扉を引き剥がしたのは、トイレ室。VIP専用七つ星ホテルだけあって、トイレ自体が寝泊まり出来る広さ豪勢さだ。熱帯魚の水槽まである。

「ご名答。しかし、よく息をあれだけ長く留めていられたな。」
「わたし、漁師の娘です!」
「それは調査不足だった。潜水はお手のものなのか。」

 ヘブライ語で喋るからユダヤ人か、と思ったが黒人だ。20代半ば、ケニアのマラソン選手のように短い坊主頭。
 明るい色の派手なTシャツ、デニムのぶかぶかしたズボンを履いており足元はスニーカー。手元にノートパソコンや携帯電話を並べている。
 中東ではなくアメリカ人と見受けられた。

 みのりが怪訝な顔をするので、彼は言葉を英語に替える。

「依頼主からの注文でね、あくまでも中東人による攻撃と見せかける必要があったんだ。」
「だからあんなにおしゃべりだったんだ。」

 みのりの頭の中では複数種類の言語がセットされては戻される。この人は幼少より幾多の国を経巡って、母語がどれであるか本人ですら分からないのだ。

「第1ステージは君の勝ちだ。おめでとう。」
「じゃあ降参しますか?」
「そういう訳にはいかない。命有る限り戦わねばならないのは、”塩”も”硫黄”も同じでね。第2ステージに突入だ。」
「ルールは?」
「格闘!」

 背後からいきなり殴られた。もちろん、空中に出現する鉄球鎖が打撃を防ぐ。
人間の力ではない。小型のパワーショベルに殴られたくらいの打撃力と硬さがある。
 トイレ室では狭くて戦えないから、みのりは外に出る。待っていたのは人型の、白色半透明柔らかい光沢を持つ結晶だ。

「……、塩?」
「そう、私の意志で動く塩のロボットだ。水を操る結晶を統合するとこの形になる。銃弾をも跳ね返す強度を持つが、さあどうする。」

 あーでも、とみのりは思う。

 このロボット、いや人型結晶は鉄球鎖の敵じゃないや。

 

PHASE 269.

 再び同じ問題に突き当たる。
 勝つのは簡単。だがどの程度ぶちのめしたらぶっ殺さずに済むだろうか?

 先程は鳩保に騙されたみのり、今度は慎重に喜味子に尋ねる。

「きみちゃん、どうしたらこの敵穏便にやっつけられるかな」
「みいちゃん、これは非常にデリケートな問題だ。さっきぽぽーがやらかした悪行の数々のログを読んだけど、これは酷い」
「うんうん」
「とにかくその人型壊したら、相手も死ぬ。敵は物理攻撃に耐性が有るとアピールしてるけど、一撃で完全破壊絶命間違いなしだ」

 喜美ちゃんは正直で率直でとても堅実だ。鳩保は時々いい加減をやらかすムラッ気が大迷惑だが、喜味子は巌の如き安定感が有る。
 独創性が無いから面白いこと考えつかないだけ、でもあるが。

「どうしたらいいのどうしたら」
「そこで策だ。つまり死なない程度に、相手の防御を破らない程度にぶっ叩く」
「うん」
「卵の殻を割らないで叩いて叩いて叩きまくって、黄身をぐじゃぐじゃにする。頭の中パンチドランカーにしてやるのだ」

「死んじゃうよ!」
「そこは良い感じで手加減して」
「そんなー」
「じゃあ頑張って」

 理解は出来るが、ちっとも人道的でも穏便でもない。だがやらねばならぬ。

 第一向こうが戦う気満々だ。宇宙人の力で暗殺稼業をするくらいだから、超能力を使っての殺し合いも一度ならず潜り抜けている。
 炎の術者と行動を共にしていたのなら、よほどの破壊活動にも従事しただろう。
 小娘を歯牙にも掛けぬプライドが有る。

 というわけで、人型結晶の手足を尖らせ槍と化して突いてくる。一撃ずつが銃弾をも凌ぐ高速で打ち出され、避ける余地など存在しない。
 のだが、

「ぼげ」「ぶげ」ぼごご」「ぶぐ」ぬごご」「げぼ」「ぐぼん」「じょが」「のぺ」「ぬとと」

 鉄球の根本の鎖を短く持って手首で振り回し、死なない程度の軽い打撃を人型に加えていく。
 目安は結晶のヒビ。割れないように砕けないように、チューインガムの包み紙から薄い銀紙を無傷で引き剥がす繊細さで懇切丁寧満遍無く叩く。
 それは戦闘や攻撃のカテゴリーに属する行為ではなく、お料理の下ごしらえに似る念入りさを必要とした。

 ”塩”の術者は人型が殴られる度に面白い悲鳴を上げ、まもなく抵抗をやめた。
 突き出す結晶の槍は鉄球に激突し自らの力で砕け散る。制御の為の身体イメージが連動するから、本人も手足が痺れて感覚が消え逃げるも避けるも出来なくなった。
 それでも立っている限りは殴られないわけにはいかない。

「きゅぽぽん!」
「あ、」

 今のは上手く入り過ぎたのではないだろうか?
 人型はぶっ倒れ、同時に術者の黒人も倒れる。肉体に損傷は無いが、精神的ダメージが物理現象を引き起こし脳にただならぬ打撃を与えている。
 だが器質的欠損が生じたわけではなくあくまでソフトウェア的なダメージであるから、人道的穏便の範疇に入るだろう。
 つまりは痛覚神経に極度の電気信号がループで駆け巡り、脳内情報伝達物質垂れ流し状態。痛いの痛いの大バーゲンだ。

 みのり、完全勝利。
 人型結晶は全身に微細なヒビが入ったが砕け散らず、空中に昇華して消えていく。通常の終了手順が遂行されたようだ。
 衣類保存のナフタレンが蒸発していくみたい、とみのりは思う。

「おおみぃちゃんやった、上手にやっつけたじゃないか」
 日本から視覚を共有している喜味子が上首尾にご機嫌で褒めてくれる。

「きみちゃん、ちょっとやり過ぎちゃったみたい」
「なあに、炎で窒息に比べたら軽症軽症。さあ、ばらすぞおお」

 え、ばらす?

「きみちゃんなにするの?」
「いや、どうやって只の人間が宇宙人の力を操作できるのか、何故それが許されているのか、実物を精密検査して調べるさ」
「そうだ、ね」
「だからみのりちゃん、ちょっと手の感覚を借りるよ」

 指に細かい蛆虫が何百匹も這う感触がして、みのり全身の血液が凍り付く。
 ゲキに強化された喜味子の指先の感覚が首根っこ電話を通して共有された。
 きみちゃんはいつもこんな感触を得ていたのかとみのりは戦慄する。指先に脳が移ってきたようで、勝手に蠢いて餌食を探す。

「ふむふむなるほど」
 と言いながら、喜味子は黒人男性の衣服を剥いでいく。
 ”スタンド”と仮称しているエネルギー力場で形成される存在は、術者の身体感覚を利用して制御されているらしいから、当然に身体表面をナデナデする、

 させられているみのりは硬直中。男性の身体のあんな所までもを、きみちゃんはなんという大胆な。

「これはたぶん、コレだな」
 最後にみのりは腰をぐぐと曲げさせられ、男の肌に顔が接触するほどの近さになる。ちょうど乳首の辺りで、黒い短い毛が数本生えているのが見える。

「べろ」
「!!!!!!!!」

 舌で舐めた。舐めちゃった。舐めさせられてしまったよ。

 

PHASE 270.

「3ヶ月前に(合衆国)本国から応援にきたCIAの分析官です。まさか彼が宇宙人の刺客だったとは。」

 苦虫を噛み潰した顔をして、メイスン・フォーストは確認した。
 驚いた事に、またうかつな事に、彼は異変をみのりの護衛が連絡してくるまで察知できなかった。
 もちろん彼は正真正銘の人間であり、超常現象に対処するには程遠い能力しか持ち合わせていない。
 ましてや、

「運営スタッフに内通者が居るのであれば、何をされても当たり前だ。くそ。」

 さすがに鉄面皮の彼も表情に嫌悪感を剥き出しにする。
 至極当然。アメリカ本国から派遣されたという事は本国の身元審査をパスしたわけで、閣僚級の地位の責任者が一枚噛んでいるに違いないのだ。
 敵は、ホワイトハウス。

「はあそうですか。」
 と相槌を打つみのりも、お気の毒にと気遣うばかり。

 ”塩”がCIAでその相棒の”硫黄”がイラク・アフガニスタンで戦争に介入していた、と聞けば日本に居る鳩保や喜味子、優子が待ってましたと分析してしまう。
 つまり襲撃者は元々アメリカ絡みなのだ。非合法エージェントと呼ぶべきだろう。
 ただし、”硫黄”がアメリカの為に働いている意識があったかは、疑問だ。体良く騙されてこき使われていたのではないか。

 お見合いパーティの幹事がアメリカであるように、襲撃者の仕込みもまたアメリカ。
 至れり尽くせりであった。

 みのり、残酷な質問をメイスンに投げ掛ける。

「でもNWOってアメリカが主体となって作ろうとしているんですよね? なのに、その一番重要な枠組みを自分で壊すんですか?」
「有り得るのです。裏の外交の世界では、それは常態と呼べるほどの当たり前な。Warabe嬢にはご理解頂けないとは思いますが。」

 可哀想だから、鳩保の分析を教えてあげる。

「でもこの襲撃者は絶対わたしには勝てないんです。あらかじめ負けが確定した駒で攻めてくるのは、どういう理屈でしょう?」
「それは力を思い知らせるという方法です。主に組織内部の反対勢力や過激な一派の暴走を抑えるために、あえて無理な任務を押し付けて失敗させる。

 なるほど、裏の裏ですか。結果としてWarabe嬢いえプリンセス”TOYOTAMA”の評価は大きく上がりました。
 最初からそれを見込んで、反対派潰しを兼ねて。なるほど。

 申し訳ありません、少々熱くなったようです。」

 メイスン、再びクールな面持ちに戻る。
 だが無断でダシに使われるのは、理不尽に慣らされた彼にとっても不愉快な話なのだ。

 立ち上がって医療スタッフに指示し、”塩”を担架で運ばせる。
 ”塩”は生命に別状無いから、元気になればまたアメリカ合衆国のお仕事に復帰できるだろう。
 精神がちゃんと戻れば、であるが。

 

「それで、このような仕儀に成り果てたからには、宿をお移り願いたく存じます。」
「うーん、そうですねえ。」

 みのり達の部屋は現場検証の捜査官が入って現在無茶苦茶にひっくり返されている。
 宇宙人の襲撃であれば地球人には理解できない形状の置き土産が残されているかもしれない。爪楊枝の大きさの核爆弾だって普通に有り得る。
 最善の策はホテルの放棄であるが、最高級七つ星ホテルを捨てるのはあまりにも残念。

 みのりは言った。
 服は着替えさせてもらってないから、まだサファリルック。ただしもうすっかり乾いている。

「わたしは別の部屋を用意してもらえば、このままココでいいんですけど。」
「それは困ります。このような事もあろうかと、第二候補のホテルも万全の準備を整えています。」
「でも内部の犯行なんですよねえ。移動した先にはやっぱり罠が仕掛けてるんじゃないですか?」

「……申し訳ございません。」

 一々ごもっともであるから、メイスン頭を下げるしか無い、
 もちろんクレバーに見えるみのりの意見は、物辺村で生成されたもの。三人寄れば文殊の智慧だ。

「ですがこのホテルは全館封鎖して、水電力蒸気等すべてを停止する予定になっています。」
「もちろん他のお客さんには他所に移ってもらった方がいいと思いますよ。でも四度襲撃があるのなら、ここで迎え撃った方がいいんじゃないですか。」

 つまり戦場としては地形構造ともに熟知して適当。みのりにとっても最早ホームグラウンドなのだ。

「ですが十分なおもてなしが出来ません。厨房はおろか水道でさえ使えなくなります。」
「兵隊さんが食べる携帯戦闘食というのがありますよね、あれでいいです。」
「え?」

 メイスン驚く。
 まさか〇八年の平和な日本で軍隊用の戦闘糧食がひそかなブームになっていようとは、お釈迦様でも気が付くまい。
 これもやっぱり、喜味子の趣味である。

 

PHASE 271.

 午後三時半には物辺夫妻がホテルに戻ってきた。
 行きはCIAが調達した戦闘用ポルシェだったのに、帰りはDATSUNのピックアップトラックだ。
 メイスンと共に心配で玄関まで出てきたみのりも目を丸くする。

「ほふりこさん、ポルシェはどうしました?」
「いやー007ってあれは映画の中だけの話であって、本物に比べると温いねえ。」
「……なにがあったんですか。」

 鳶郎に尋ねると、目と手でだいたいの事情を教えてくれた。
 このDATSUNは荷台に武装した悪党どもを満載して襲ってきたのを、乗る人が誰一人居なくなったから借用したらしい。
 メイスンは妙な点を尋ねる。

「火器のレベルはどうでしたか。」
「AKもRPGもありませんが、WWUの頃の歩兵銃やダイナマイトを投げてきました。まるでアラビアのロレンスです。」
「ではドバイ市内への銃火器搬入禁止措置はちゃんと働いていたみたいですね。それはよかった。」

 よくないよくない。
 トラックの助手席からダークレッドのサマードレスを翻して降りてきた祝子は、みのりにおみやげの鉄片を差し出した。
 これは、貴重なものだ。

「十字手裏剣ですか、ほふりこさん。」
「最近の手裏剣は航空力学を応用して面白い軌道を描いて飛ぶんだよ。素でまっすぐ投げても50メートルで当たるし、屋根の上やら車の陰とかもカーブしてぐっさりだ。」
「おおー。」

「さすがは祝子さんです。あっという間にプロレベルの手裏剣使いになりました。本職も脱帽です。」

 鳶郎もお世辞を言う。
 祝子は技芸であればなんでも覚える才能を持つので、襲撃に際してもさくさくと敵を貫いていったのだろう。

 そんなハードな夫妻であるから、ホテルが襲撃されたと聞かされても顔色を変えない。
 ホテルを閉鎖してそのまま留まり敵を迎撃するとの方針にも賛同する。
 ただ戦闘糧食を夕食にというみのりの言葉には、眉を顰める。

「出前取れよ。」
「えー出前ですか。ドバイに出前の習慣は有るでしょうか?」
「多少の無理は交渉次第でなんとでもなる。ちくしょう、今晩こそはまともな飯にありつけると思ったのに。」
「ほふりこさんと鳶郎さんは、お昼何食べたんですか。」
「豆を煮潰したペーストを、食べる暇も無かったな。」
「食事を持ってきたウエイターがいきなりナイフでしたからね。」

 祝子達を襲った連中の方がバラエティ豊かな攻撃をしてきて、みのりよりもずっと楽しかったらしい。

「ところでみのり。朝飯な、メイド達に命じていた大きな皿の、」
「ああ、トルコライス。美味しかったでしょう!」
「うん旨かった。さすが本場と言いたい所だが、トルコライスってアレ、長崎の食い物だぞ。」

 えええええええっ?!

 

 急遽ホテルが閉鎖になると聞いても、宿泊中の求婚者達は誰も文句を言わなかった。
 昨夜のパーティを見れば危ない橋を渡っていると嫌でも気付く。これは一族の名誉と繁栄を賭けた決死の闘争なのだ。
 他のホテルにセーフハウスを確保しておいた者も多い。
 さすが金持ち、ヤバイ場数を踏んでいる。

 ぞろぞろと出ていく姿を、みのりはホテル3階のカフェから見ている。
 メイスン・フォーストと協議した結果、上層階の宿泊施設は閉鎖するものの、下のレストランやカフェを接収して居続ける事となった。
 さすが七つ星ホテルに入る店舗だけあって、立派なVIP室が用意されている。ものによっては並のホテルのスイートルームよりも豪盛な設備であった。

「風呂まで有るよ。」

 祝子がさっと汗を流してくる。今晩はこのVIP室を宿泊に当てる。
 警備の観点からしても、上層階よりは下に居てくれた方が脱出も容易い。
 求婚者達の争奪戦から守る為に最上階を当てていたのが、逆になってしまった。

 バスローブのままソファにどさっと尻を落とす祝子は、濡れた髪を自分でタオルで拭う。
 5人のメイドは”塩”の攻撃で半死半生にされ、今は病院。怪我こそ無いものの消耗が激しくリタイアだ。
 新しいメイドをとの提案を祝子は却下する。自分の事は自分で出来る。

「ん? お前たち何を話している。」

 祝子は、鳶郎とみのりが敵についての情報交換をしていたのを聞き咎める。
 みのりの、宇宙人の力を用いる人間の情報はNWO内でもトップクラスの極秘事項で、しかも内通者が居たなどは決して外部に漏れてはならない。
 対して鳶郎が語るのはドバイ市内での求婚者同士の暗闘で、どこに罠が仕掛けてありどのような手でアプローチしてくるかの貴重な情報だ。
 これを知らなければ気軽にラクダにも乗りに行けない。

 鳶郎が特にこだわったのは、みのりを襲う「スタンド使い」の数だ。
 ここドバイで一応の決着をつけておかないと、日本にまで来てしまう可能性も高い。うかつに物辺村に帰れない。
 最終的に何人を片付ければ済むのか、確定しておくべきだった。

 祝子はみのりの話を聞いて断じる。

「敵の数は7だな。」

「三元質というから、3人ではないのですか。祝子さん。」
「さん、じゃない。二人の時は祝子でよい。」
「いえ、みのりさんも居ますが、」
「物辺村の人間は数に入れなくて上等。なあみのり。」
「はい。鳶郎さん、遠慮しないでください。」

 鳶郎、ちょっと照れる。祝子は6歳も年上だし高飛車なのだが、結婚したからにはちゃんと夫を立てる気配も有る。
 新婚旅行中になんとか夫婦らしい関係を築いておきたい、と配慮してくれるのだ。
 三十歳だし、あんまりガキっぽい態度は取らない。

「イスラム錬金術で言う三元質は「硫黄」「水銀」「塩」、だが古代ギリシャ哲学の四元素「土」「水」「火」「風」に働きかけ結びつける要素として後に追加されたものだ。

 それにクリンタ城だ。これはゾロアスター教の悪龍アジ・ダハーカの居城だな。
 アジ・ダハーカはゾロアスターの最高神アフラ・マヅダに対抗する七大魔王の一つ。そりゃあ、7人悪党を揃えないと格好がつかん。」

「格好だけで、超能力者を集めるわけですか。」
「いや、悪党ってそんなもんでしょ。

 ところで、みのり。」
「はい、ほふりこさん。」

「あたし達は寝るが、おまえはあんまり気にするな。」
「はい。」
「きにするなよ。」
「はい。」

 気付かないみのりが馬鹿なのだが、新婚夫婦と同じ部屋で寝ると、とてもじゃないが眠れないのだ。

 

PHASE 272.

 駱駝が歩いている。

 尻の方から見ているからほんとは何の生き物か分からないが、確かにそれはラクダであった。
 ラクダではなく駱駝であるべきだろう、とみのりは思う。カタカナで書いたラクダとは少し違う生き物だ。

 駱駝は砂漠の船だから、これに乗り遅れたら干上がって死んでしまう。必死で追い駆けた。
 だがビーチサンダルで砂漠を走るのは無茶だ。小学生の夏休みみたいな白のワンピースも場違いだ。
 こんなものでは紫外線を防げやしない。着物の上から日焼けする。

 駱駝が2頭歩いている。前後列になって、やはりお尻しか見えていない。何故だろう、ゆらゆら揺れる長い首が後ろからは見えない。
 瘤のせいだ。一瘤駱駝も二瘤駱駝も後ろから見たら首を隠してしまうのだろう。

 それでは困る。駱駝が気難しいのは世間の常識。見知ってもらい好いてもらわなくては砂漠横断のチケットを発行してもらえない。
 だいたいドバイの砂漠というのは非常識だ。近代都市のまっただ中に砂の山がどんと残って、かさかさと溢れる砂に世界一の高層ビルも埋もれてしまう。
 街に戻るには駱駝に乗るしか無く、砂漠の船だから、砂の上だから。

 とはいうものの、何時まで経っても追いつかないのはどうしたものか。
 もうすぐ駱駝が3頭にもなってしまう。これでは背中に乗るまでに10頭にも11頭にもなるだろう。
 そんなに大勢の駱駝が水を飲むと湖が干上がってしまう。これは誇張ではなくみのりは見た事が有るのだ。
 小学校のプールの足洗い場に水を貯めて、さあどうぞと連れてきたらぐびぐびぐびりと全部飲んでしまう。
 やめてと必死に泣き叫んで止めたけれど、駱駝は言うことを聞かずにそれこそコンクリートの砂の目が乾くほどに徹底的に飲み干してしまった。
 あんなに悔しかった事は生まれてこの方無い。

 ここドバイでは惨劇を防がねばならない。だってみのりはもう三年生なのだから、お姉さんだ。
 身長も160センチを越えて、鳩保よりも大きくなった。
 四月生まれで一人だけずっと背が高い鳩保芳子をいつか追い抜くと心に決めていたのが、やっとドバイで夢が叶った。

 あれ、なにかおかしい。みのりが三年生であるならば、鳩保も三年生だ。でもずっと小さいぞ。
 いやそもそも三年生というのは中学の三年生であって小学校ではなかった。と言うよりも、小学三年生の頃は自分はそんなに小さかっただろうか?
 感覚がずれている。いや、集中すべきものを間違えた。
 考えるべきは駱駝であり鳩保ではない。いかに鳩保の背が高かろうとも、駱駝に乗る事は出来ないのだから。
 つまり測量技術の問題だ。
 みのりが手で駱駝の距離を測る時に比較の対象となるちょうどよい大きさが、人間であり鳩保である。
 自分達の中で一番背が高いから、鳩保を参考に物事の大きい小さいを測るのだ。

 駱駝の位置と鳩保の位置と、並んでいる高さを比べれば自分が駱駝から何メートル遅れているか分かるはず。
 しかし駱駝はもう5頭にも増えてしまった。最後尾の鳩保がたぶん150メートルとしたら、これは走らないとダメだろう。
 ビーチサンダルのままではとても追いつかない。万已むを得ず脱いで裸足で、

「だめ、みのり!」
 おかあさんがみのりを叱る。焼けた浜辺を裸足で走れば、足の裏を火傷してしまう。それで一回酷い目に遭った。
 足が痛くて、皆がボールできゃっきゃと遊んでいるのに、ひとりだけビニールのござの上で荷物の番をしなくちゃいけなかった。
 これは悲しい。だが遅れて置いてけぼりにされるのはもっと哀しい。

「いかないで」と声を上げるが、鳩保が陽炎の中で手を振るだけ。早くおいでよと招いている。
 そう言えば、自分の後に誰か居なかっただろうか。自分一人だけ駱駝に乗るのではなく、大事な人を送らねばならないのでは。
 振り返ろうとするも、怖くて後を向けない。もしその人が居なかったらみのりの責任だ。
 自分が連れて行くはずの人を、忘れて置いてきぼりにしてしまった。迷子になったかもしれない。
 あんなに沢山の人が居る中で、家族にも友達にもはぐれて一人ぼっちになるのは何故だろう。誰かに付いて行けば少なくとも出口には辿り着けた。

 でも最終的にはみのりは市民プールの更衣室ではぐれて一人泣いて飛び出した所をきみちゃんに。

 

「はっ!」

 

PHASE 273.

 びっくりした。なんだか分からないけれどびっくりした。
 振り向くとおとうさんが笑っている。若い、お兄さんみたいだ。

「それは蓑笠子でヒレに毒が有るから、不用意に手を出しちゃいけないぞ。」
「わかった。」

 幼いみのりは再びガラス箱で海の底を覗く。こう覗きながら獲物を探し、銛で突き刺して魚を穫るのだ。
 しかしあからさまに人間が居るのを見せつければ、普通の魚は寄って来ない。動きの遅い鈍感な連中ばかりだ。

「エビ。」
「小さいな。それは突けない。」
「うん。」

 ガラスと海水と、屈折する透明物を通すと海の底がとんでもなく深く見える。実際は50センチくらいだと思うのだが、足を一歩踏み出せば深みに嵌って溺れてしまう。

「みのり、ここは岩場だから大丈夫だけど、流れで沖に連れて行かれる事があるから足元には気を付けるんだぞ。」
「うんわかった。」

 おとうさんは海の事をなんでも知っている。小さな漁船に乗ってお魚を獲ってくるのだ。
 朝は早くてみのりが目を覚ました時にはもう漁から帰って来ている。そしたら朝ごはんで、みのりは学校に。
 最近は朝講習で自分も早いから、朝ごはんを食べる機会も少なくなってしまった。でも陸上部を辞めたから、ちょっとは取り戻せたかな。

「タコ。」
「みのりはタコ好きかい。」
「タコ美味しいよ。お刺身でも煮たのでも。」
「でもタコは昔この付近で紅白の合戦が有った時、敗れた赤旗のお侍が舟から海に落ちて溺れて、そのままタコになってしまったんだよ。」
「女の人が溺れたら白い衣がひらひらして、イカになったんだよね。」
「そうだ、よく覚えてたなみのり。偉いぞ。」

 ちょっと変だ。タコだったっけ、カニじゃなかったかなその話。

「カニ。」
「やめてくれ、みのり。それはカニじゃない。カニじゃない。」
「カニだよ。」
「違うそれは、恨みを呑んで死んでいった落ち武者の呪いが貼り付いて、それを食べたら」

 ぐさっと銛を突き入れた。カニの甲羅の如何にも恨みがましい祟ってやると言わんばかりの顔に刺さっている。

「カニ取った。」
 あーあ、とおとうさんは溜息を吐く。とうとうそれを捕まえてしまったか。

「それは取ってはいけないといったでしょ、みのり。」
「おかあさん、でもわたし取れたんだよ。」
「海に返していらっしゃい。返さないとお家に入れてあげませんよ。」
「でもわたし、カニ取ったんだよ。」
「聞き分けのない子は要りません。もううちの子じゃないよ。」
「でもおとうさんが、カニは取っちゃいけないって。」
「知らない! みのりなんかもう知らない。だからこんな所来たくなかったのよ私。」

 おかあさん、おかあさん、それは違うの。わたしがカニを取ったのはおかあさんを困らせる為じゃなくて、ほんとうは。

「ほんとうは?」

 そうだ、こんな事をしている場合じゃない。行かなくちゃ、海じゃない砂浜だ。浜辺でみんな待っている。

「わたし、行くね。友達が待ってるの。」
「待ってみのり。カニは、カニはどうするの?」
「カニはタコが食べるよ。だからだいじょうぶだよ。」
「みのり、それじゃあカニが可哀想よ。やめて、カニはやめて。」

 

PHASE 274.

 遅れてきてごめんなさいと、丸テーブルの席に着きながらみのりは謝った。
 花憐ちゃんはお誕生会をする時必ずお外でやる。家の中でやったらぽぽーとゆうちゃんが部屋中無茶苦茶に引っ掻き回す。懲りた。
 お庭でパーティを開いた方が被害はいくらかは少なくて済むのだ。

 しかし鳩保と優子は居ない。喜味子も居ない。
 花憐ちゃんと、美々世さんと、明美さんが居るだけだ。花憐は一組だが美々世と明美は同級生三組。みのりのクラスメートだ。
 美々世さんはいつもの黒髪くるくる巻き毛、明美さんは少し茶色でポニーテイル。花憐ちゃんはアゲハチョウのリボンを揺らしている。
 三人共に門代高校制服、夏服ではなく上着を脱いだ春先ファッション。

 いつものとおりに花憐ちゃんが難しい顔をして言う。

「予算がありません。」

 今日に始まった話じゃないから気にも留めないが、お金が無いのは大変だ。

「ケーキをホールで買うのは不可能と判明しました。決を取ります。買いますか買いませんか。」

 みのり、当然反対に手を挙げた。だって予算不足なら仕方ないじゃないか。
 だが縁毒戸美々世は異を唱える。

「アントワネットの昔からケーキが無いならチョコを食べろと言います。もしもウェディングケーキを買えないのなら、チョコで代用するくらいの工夫が幹事には必要だと私は考えます。」

 まただ。美々世さんはいつも正論を吐く。間違ってないから誰も反論できないが、でも実際は不可能ばかりなのだ。
 そしていつも明美さんが貧乏くじを引く。山中明美さんはどうしてこんなにと思うほど、いつもいつも不幸な目に遇っている。

「でも美々世、ウェディングケーキというものはアレ食べる所無いでしょ。」
「明美さんは食べる気が無い、棄権するとおっしゃいますか。それとも趣旨に賛同いただけないと。」
「だってこれは花憐さんのケーキでしょう。花憐さんが自費でケーキを買うなんて、それは道理が通らない。」
「そうなの!」

 と花憐ちゃんはさめざめと泣く。せっかくの結婚式の引出物になんでバームクーヘンが選ばれるのか、クリームのケーキは無理でも色々選択肢は有るだろう。
 あまりにも可哀想だから、みのりが手を挙げて発言を求める。
 美々世さんはいつものとおりに他のクラスメートには決して見破られない笑顔で武装したままだけど、ちょっとだけ侮蔑の表情を浮かべてみのりを指した。

「みのりさん、ケーキで無いならなにが良いと考えますか。」
「紅白のおまんじゅうで、」
「まんじゅう! あああ、そんな。なんて酷い。これまで生きてきた900年でこれほど冷酷無慈悲なお言葉は私記憶にありません。結婚式で紅白まんじゅう、それもウエディングドレスの花嫁がテーブルをひとつひとつ回って切り分けて行くなんて!」
「そんなこと言ってない。だっておまんじゅうは、」
「分かりました、みのりさんはおまんじゅうで。でも肝心の花憐さんの気持ちはどうでしょう。一生に一度の晴れ舞台を、それも旦那様と二人で入刀するのがおまんじゅうだなんて。」
「だからちがう、ちがうの花憐ちゃん!」

 さめざめと泣く花憐ちゃんは後頭部のリボンがオオムラサキアゲハと成って今にも飛んでいってしまいそう。
 このままじゃだめだ。なにか打開策を具体的に提案しなければ。

「提案!」
 打てば響くように、明美さんが手を挙げる。やった、さすがだ。

「チーズフォンデュみたいにさ、おまんじゅうをこう溶けたチョコの中に新郎新婦で浸してさ、」
「チョコフォンデュですね、明美さんにしては良いアイデアです。花憐さん、これで決まりですかね。」
「でも、経費の見積りがまだ。だってチョコだから。」
「確かに。明美さんのアイデアは一見すると完璧に見えますが、具体性に乏しい。というよりも、やってみなければわかりません。」

 美々世立ち上がり、金串を明美に突きつける。

「やってみましょう。」
「え、私で?」
「当たり前でしょう、言い出しっぺなんですから。さ、チョコ鍋は用意しました。」

 ぐらぐらと煮えたぎるチョコの鍋。下の火力は朴葉味噌を焼く為の固形燃料で修学旅行で見た事が有る。

「さあ明美さん、熱々のチョコを思う存分にご堪能下さりませ。」
「熱い熱い。」
「やめて、美々世さんやめて。そんなの耳に入れたら中耳炎になっちゃう!」
「みのりさんは黙っていてください。これは女と女の友情の証。花憐さんの為の愛の試練です。」
「だから、花憐ちゃん止めてええええ。」

「ダメなの。」

 急に冷静な花憐の声。むしろ沈んでいる。

「みのりちゃんもう分かっていると思うけど、これ緊急事態だから。」
「かれんちゃん、だから明美さんを助けて。」
「違うの。みのりちゃんが危ないの。でも自力で、わたし達にはどうにも出来ない。」
「大丈夫、チョコの鍋の火を止めるだけだから、鍋から燃料を外して。」

「そうだ、ぽぽーが言ってたわ。困ったときには喜味ちゃんに頼りなさい。喜味ちゃんの顔を思い浮かべなさいって。」

 えーと、どんな顔だったかな。きみちゃんは。

「うわあああああああ、」

 

PHASE 275.

「これは夢なんですか?」
『夢でもあり、現実でもある』

 黒い闇に星を散りばめたマントを被る、男か女か分からない人の後をみのりは付いて歩く。
 天井は無く、高く紺色の穹が見える。金属質の壁を持つ巨大な円筒の中に居た。壁の高さから塔と呼んだ方がふさわしいか。
 塔は迷路となっており外界から遮断され、幾星霜を数えてもなお正解を知る者は訪れない。

『力に善悪の別は無く、行使する者によってその評価が決まる』
「科学者のいつもの言い訳ですね。でも最近はそれでは通らない事も多いみたいですよ。」
『それは見方が反対だ。手段も力も、使われる為に有る』
「それはそうですが、悪い目的の為に作られたものであれば、悪い結果しか起きないでしょう。」
『哀しいな、我々はそのような目的など最初から持ってはいないというのに』

 みのり、首を回して周囲を見る。人は居ないが気配はする。獣ではなく鳥でも無く、蛇でも魚でも虫でも無い。
 姿は無くても四方全てに生きる証が臭い立ち、鼻が曲がりそうだ。

「生きているのですか、この塔は。」
『クリンタ城は待っている。その身を託すのにふさわしい人物を。だがこれまでに訪れたどの人間も、役を果たすには小さ過ぎた。使えぬではなかったが』
「やっぱり。」

 やっぱり、あのスタンド使い達と関係があるのだ。
 というか昼間舐めちゃったのがよくなかった。あの時直接にリンクが生じてしまったのだ、宇宙人と。

「あの宇宙人さん、お名前を伺ってもよろしいでしょうか。」
『我々は、”リュ・ル/フュ・ユェン”である。「総身に纏うもの」という意味だ。もちろん地球人の言葉ではない』
「何をまとうのですか?」

 見たまえ、とその人は右手をマントから突き出して周囲を指し示す。彼の指先の通る道で、金属の壁が輝いた。表面に刻まれた細かい模様に光が走る。
 まるで半導体電子回路の顕微鏡写真だ。

『我々は共存を望んでいる。クリンタ城を開放してくれる存在として人間が覚醒するのを待っている』
「覚醒すると、どうなるのですか。」
『特には何も起きぬのが望みだ。力は必要無き場合は用いられぬもの』
「結局は人間が悪いってことですか。」
『行為の善し悪しを定めるのは人間社会の規範であって、我々ではない。力は寄り主の生存をただ助けるのみ』

「あの、空中にいろんな姿を描き出す力場ユニットの構成するイメージは、何と呼んだらいいでしょうか。スタンド、はダメですよね。」
『かって我々の存在を知ったフランスの学者は、”Sprite”と呼んだ』
「スプライト使い、か。なるほど、スタンドよりそっちの方が正しい用語だな。」

 ここからが本番。みのりは決意を固める。
 もしも夢の中であっても、気合を入れて事に臨めば自ずと道は開けるはず。

「わたしがここに居るのは、偶然でしょうか。それとも招かれたのでしょうか。もし後者ならあなた方はわたしに何を望みますか。」
『ああそれこそ問題の核心だ。あなたはここに来るべきではなかったが、来たからには我々も想いを託す機会を無にはしない』
「不用意な接触、なのですか。」

『あなたは目覚めるべきだ。だがそれは叶わぬ夢。外からの助力を得られねばこのまま迷宮をさまよい続ける。急ぐべき』
「事態は急を要する、わけですね。でもじゃあ脱出はどうすれば、」

『我々には分からない。地球人ではないからだ。だがこれまで、この塔に来るまでにあなたは何度も覚えたはず』
「結局自力で夢から脱出しろと。わかりました、それで出口はどこに」
『来たのはあなただ、帰るのもあなただ』

 たしかに。帰り方も自分で見つけねばならないが、ここに来る前に自分は何をしただろうか。
 マントの人は最後に教えてくれた。

『クリンタ城には三頭の下僕と四枚の翼が有る。気を付けなさい』
「はい、ありがとうございます」

 

PHASE 276.

 頭を垂れて元に戻すと、砂漠だった。遠くにドバイ市街の摩天楼が揺らめいて見える。
 だがこれもまだ夢の中。間違いない。
 何故ならば目の前に電話が有るからだ。

「この電話、見た事がある。」

 ピンクのダイヤル公衆電話、日本のNTTのものだ。
 どこで見たのか、物辺神社だ。巫女のご奉仕活動をする時、外部に連絡するのによく使うから覚えている。
 最近はみのり達も携帯電話を持っているが、職務中巫女衣装でケイタイは祝子が許してくれない。
 儀式の最中にぴこぴこ鳴れば、それはやっぱり腹が立つ。
 だから袖の袂に十円玉を隠しておくのが物辺神社巫女心得ともなっていた。

 もう一つ物辺神社のものである証拠に、電話が置かれている木の台がある。
 何十年も前に作られた電話専用台で、いい加減取り替えた方が良いと思われるが、この台が引退するのは公衆電話が無くなる時だろう。
 下には電話帳が置いていて、本来台の後に有る柱にはタクシー会社の電話番号が貼り付けてあるはず。

 みのりは受話器を手に取った。この感触、まさに物辺神社。
 十円玉は、と身体を探すと巫女衣装で右の袖の袂の奥に、たしかにお金の硬さが有る。
 これも祝子さんのお仕込み、ありがとうございます。と感謝しつつ電話に放り込む。
 かちゃぷーと回線が繋がる音がした。

 でもどこに、電話番号は。

”やあみのり、探したぞ”
「優ちゃん? なんで、電話まだ番号回してないのに。」
”いや電話番号とか関係なしに通じるから。それよりさ、みのりに頼みが有るんだ”

「ちょっと待って、優ちゃんこれ夢の中だよね。なんでわたしに電話を掛けてるの。というかこれ夢なのか、じゃあ優ちゃんも本物じゃない?」
”言いたいことは分かるけど、あたしは本物の優子だぞ。首根っこ電話でみのりの深層心理の奥深くまで通話してるんだ”

「証拠がない。」
”おまえ、疑り深くなったな。とはいえ知識で真贋を確かめるのは無駄だ。もし夢を操れるなら、おまえが知ってる知識の中からしか質問は出てこない。解答もだ”
「じゃあどうしよう。」
”状況を説明した方がいいのかな。いや、それじゃあ手遅れになる?

 ならこうしよう。許すと言え”
「え?」
”許すと言え。それで万事すべて上手くいく”

「いやだよ。なにを許すのさ。」
”強情な奴だな、じゃあこうしよう。許すと言ったら夢の世界から脱出できる手段を教える”
「うんわかった。それで、どうするの。」
”許すと言え”
「方法を聞いてからね。」

”あー、簡単な事だ。夢の中から目を覚ますには、びっくりすればいい。ものすごく驚いて意識が急速に覚醒すれば、目は覚める。当然だな”
「論理的だね。でもこれは普通の夢じゃないんでしょ? 何者か宇宙人が介在している。」
”そこでとびっきりの吃驚の出番だ。喜味子をね、”

 ひゅ、っとみのりは息を吸う。思わず背筋がまっすぐになり、呼吸のリズムが一拍ずれた。
 分かった。脱出の手段。
 この優ちゃんは本当に本物の、物辺優子だ。間違いない。

「許す。」
”おう。脱出の手段はだね、喜味子を思い浮かべるんだよ。これ以上にびっくりするものはこの世に無い”

 

PHASE 277.

「これが、TOYOTAMAか。まだ子供ではないか。」
「すべての人は赤子で生まれる。成長して大きく世界を、歴史を動かす者となっていく。侮ってはならぬ。」
「確かに。」

 ホテル3階レストランのVIPルーム、みのりと物辺夫妻が寝泊まりする部屋に男が二人立っている。
 照明は落としたまま、誰に見咎められぬままに。

 若い男はインドのシーク教徒で白いターバンと濃い顎髭を生やしているが、身体はシンプルなオレンジ色のジャージ姿。
 ぱっと見にはブルース・リーに思えるのは彼がリスペクトするが故であろう。

 その右で大きな砂時計を左手にかざすのは、アラブ遊牧民の小柄な老爺。髭は白く、顔には深々と人生の苦悩が刻まれている。
 若い方が尋ねる。

「それにしても、”硫黄”と”塩”を苦も無く倒した強大なGEKIの力を、よく封じられるものですね。」
「人である限り、生有る者である限り「時砂の封牢」からは逃れられぬ。だがそれも、儂が敵意を見せぬからじゃ。
 この娘は恐ろしいぞ。夢の回廊をさまよい続けるにも関わらず、常に変わらぬ正義を貫いておる。
 もしも儂等が害意を持って近づけば、あるいはそちが扉の向こうから「銀月」を打とうと試みれば忽として目覚めて逆襲に転じるであろう。」

 ホテルを夜通し警備するNWOの要員、人工島に居る全ての人間が今や老人に生命を握られている。
 掌中の呪器「時砂の封牢」は単に人を眠りに就かせ夢の回廊に迷わせる機能しか持たないが、永遠に目覚めぬ路を歩ませる事も出来た。
 だがあくまでも人間に対しての力である。
 現在のコンピュータ制御の監視機械、自動攻撃システム、または昔ながらの機械仕掛けの鉄扉には効果を持たぬ。

 そこで「銀月」だ。若いインド人がクリンタ城で与えられた能力は”水銀”、銀色に光る液体を三日月状の刃と化して、あらゆるものを切断する。
 彼は同時に百もの刃を空中に出現させ、劣化ウラン装甲に覆われた米軍戦車をも易々と切り裂いた。
 だが真に恐るべきは速度と精度。機関銃で背後から狙われても、全弾を意識せぬままに切り払い身を守る能力を持つ。
 さほど遠距離には届かないが、文字通りの無敵を誇っている。

 その彼にして、老人にはまったく敵わない。人の精神に直接効力を発揮する「時砂」は世界の法則に反する禁断の邪法であった。

 インド人は身を屈め、みのりの顔に近付いた。
 よく眠っている。吐息に乱れはなく、心底安心しきって身を休めていた。
 振り向く彼に、老爺はうなずく。

「それはそちの心に邪念が無いからじゃ。故に儂はそちを選んだ。先の二人は力に溺れ傲慢となり、身を慎む術を知らぬでな。」
「ではこのまま、」
「うむ。剃刀で産毛を剃るように慎重に誠意を持って、決して心乱さず害意を覚えずに頸動脈を斬るのじゃ。」
「殺意を微塵も見せずに、ですね。」

 ジャージの腰に帯びる短剣を音も無く抜く。「銀月」の能力を得たにも関わらず常に携える、名誉有る刃だ。
 心底より尊敬できる敵を屠る時にのみ用いている。
 息が顔に当たればみのりは目覚めてしまう。折った紙を口に加えて、直接吐息が掛からぬよう準備して短剣を首筋に、

「……!」

 みのりが立ち上がる。男は自分がしくじったと思い、後方に飛び退く。音はしない、靴底は床の豪華な絨毯に包まれ人の気配を消してくれる。

「いや、まだ眠っておる。時砂は変わらずに落ち続けておる。」

 老人の左手の砂時計の中で、虹色に煌めく砂はさらさらと滞りなく落ち続けている。
 下の瓶には何も無い、何も溜まらない。砂は虚空に消えていく。夢の世界に。

 みのりの目は開いていない。老人の言うとおりに眠りに落ちたままだ。
 だが唇からは、

「”……きみちゃん、これでいいのかな? ちがうよぽぽー、ここはヌンチャク使いで。えー、やっぱり蛇腹剣でしょう! いやいや鉄球なんだから打撃武器を選択して、”」
「いかん、銀月じゃ!」

 老人の言葉に直ちに従い、インド人は空中に三日月の刃を出現させみのりを打った。
 広いとはいえVIP室の閉鎖空間に百の月光が舞い、眩い。

 

「やあ、みのりちゃんおはよう」
「おはようぽぽー、きみちゃん。優ちゃんも。花憐ちゃんは?」
「寝てる。昨日の徹夜が堪えたよ」
「ごめんねー」

 暗い中で目を覚ますと床の絨毯の上にインド風ブルース・リーとおじいさんが転がっている。
 敵だ。

「これ、どうしたの」
「恐ろしい連中だった。みのりちゃんを夢の世界に閉じ込めて、その隙に喉を掻き切る作戦だ」
「わたし、夢の中だったの? そう言えば優ちゃんが」
「おう、あたしの力の偉大さを思い知ったか」

「でもぽぽー、わたしこの人達やっつけた記憶が無いんだけど」
「そりゃそうさ、みのりちゃんの身体はこちらで遠隔操作した。鉄球勝手に使ってごめんよ」
「ううん、いいけど。でもそんな事出来るの?」
「だから優ちゃんに、みのりちゃんの身体の使用許可を取ってもらったじゃないか。「許す」って」
「ああ、あれはそういう意味があったんだ」

 跪いて敵の様子を確かめる。
 インド人とおもわれる白ターバンの若い男性は、懇切丁寧に鉄球で打ちのめされていた。息は有る。
 この仕事、きみちゃんだ。

「きみちゃん、どうやって鉄球の操作したの」
「ああ、こちらでコントロールに使ってるゲーム機にね、武器術格闘の支援ソフトを突っ込んで起動してコントローラでぼこぼこと」
「ゲームしたんだ。でも、おじいさんは」

 口を大きく開いて絶命している。薄いガラスの砂時計も割れて、だが中の砂はどこにも見当たらない。

「そっちの方は優ちゃんが、」
「でへへ」
「ゆうちゃんゲーム下手くそだもんね。自分勝手に振り回して。

 あ、朝日だ。」

 こうして事件は終わった。死して屍拾うものなし。

 

PHASE 278.

 メイスン・フォーストも「時砂の封牢」によって夢の回廊に囚われていた。
 爺をぶっ殺してしまったので正気に戻すのに手間取ったが、少々手荒い方法で目を覚ます。
 氷で頬を冷やしている。 

「夢を見ていました、仕事をする夢を。
 警備システムのコンピューターにハッキングを仕掛けられ、対処に全力を挙げている所にドバイ市内が焼き討ちです。脱出策を協議するために私一人が本国に召喚されて、軍の輸送機で離陸しようとする所に対空砲火で撃墜されかかった。
 考えてみれば、そんな状況で本国に呼び戻されるなんてありえない。私とした事が夢とは気付かずお恥ずかしい。」
「仕方がありませんよメイスンさん。私だって日本の「土這温泉」で暗黒忍者の妖術と対決するハメになり、祝子さんを守るのに必死でしたから。」
「おまえたちはつまらないなあ。あたしは慣れているから、異界からの精神への侵入だとすぐ分かったぞ。だがこういうのは出ようとしても出られるものではないからな。」

「そうなんです。ゲキの力を持っているわたしでさえまったく対抗できなかったんですから、気に病まないでください。」

 子供に慰められてもCIAで長年謀略に携わり死線を何度も潜り抜けた初老の男としては、ますます落ち込むばかりだ。

「弁解がましくなりますが、現在まで宇宙人の関与する案件でここまでの不始末を繰り返すなど無かったのです。
 今回NWOとしても最重要のVIPをお迎えするのですから最大限最新鋭の設備と熟練の人材を総動員しましたし、ドバイという開発途上の都市を利用して大掛かりな防御施設も構築したのに、この有様です。」
「そうなのです。ドバイは今後のNWOの構想においても重要な役割を果たすものとして、特に対宇宙人防御を念頭に置いて設計されています。
ですが、これでは考え直さねばなりませんね。」

 メイスンに続いて鳶郎の説明に、みのりは首を横に傾げる。
 二人とも何度も危険な目に遭っていながらこんな温い事を言うなんて、気付いてないのかな?
 いや、知らないのだ。

「あのー、」
「なんですかみのりさん。」
「これまではこの対応で十分だったという事ですか?」

 鳶郎と顔を見合わせ、メイスン改めて申し訳なく謝罪する。

「最新鋭の精神防御兵器も今回導入されています。ですが強制睡眠などという単純な攻撃に対処できないとは、無力非力を痛感します。」
「あーやっぱり、知らないんですね。」
「何をでしょう?」

「これまではそれぞれのアンシエントに肩入れする宇宙人同士が相互に牽制しあって互いの攻撃を潰し合って、結果として人間がなんとか対処出来るレベルにまで状況の難易度が下がっていた、んですよ。」

 メイスン、愕然とする。言われてみれば、今回はその他大勢の宇宙人の干渉がまったく存在しない。
 横槍が入らず仕事がやり易くて有り難かったのだが、同時に暗黙の庇護も無かったのか。

「何故です?」
「ゲキが居ますから。ゲキの力を人間が用いて、その本人がドバイに来てますから、他の宇宙人は様子見ですよ。」
「そうか、そうだったか。なるほど……警備計画を根底から再構築せねばならなかった。そういう事ですか。」
「ええ。でもこんな具合がNWOの実力というのなら、きみちゃんに頼んでせめて精神防御の為の機械を新しく組んでもらわないといけないですね。」

 現在ホテルの有る人工島では兵士・警備員・スタッフ数百人を叩き起こす作業が続いている。
 放っておいても丸一日寝れば嫌でも起きる、と喜味子は判断しているが、それでは困るので強制的に覚醒を促していた。
 タチの悪いことに一部監視要員は眠りに落ちた後でも職務を続け、寝ぼけたままで島外に「異常なし」のメッセージを送り続けた。
 本当に起きているか精神科医による確認が必要だから、半日はまるまる掛かるだろう。

 メイスンは改めてみのり達に質問する。

「どうなさいますか。これ以上ドバイに留まられても、最早我々には安全の保証が出来ません。日本にお帰りになられるのであればお引き留めいたしませんが。」
「襲撃者が打ち止めになるまでは帰れません。ですよね、ほふりこさん。」

 祝子うなずく。第一まだ観光もショッピングもしていない。

「みのり目当ての求婚者達に説明も付かんだろう。「NWOはダメでした」と白状するわけにもいかないし。」
「は。ご配慮いただきありがとうございます。」
「今日明日は居よう。その間に敵をおびき出して殲滅だ。みのり、物辺村の優子や芳子に策を練らせろ。」
「わかりました。」

 みのりは了解したが、さて今日はなにをしよう?

「えーと、ホテル内に留まるのはよくないですよね、やっぱり。」
「お前が居るとまた戦場になりかねん。島が警備体制を再編するまで、土産物でも買って来い。リムジンは?」
「幸い、Warabe嬢専用リムジンは破壊を免れております。運転手助手ともに島外で待機していましたので、使えます。」
「行ってこい。」
「あい。」

 TRRRRR、とみのりの携帯電話が鳴った。この番号を知っているのはメイスン率いるNWOの監視スタッフと、もう一人。
『やあみのりさん、今日はショッピングかい? ならオールドドバイに行くといいよ』
「あ、キミか。スクナくんだったね。」

 昨日の子供です、とメイスンに合図を送る。彼は直ちに監視室に連絡して、携帯電話の盗聴を急がせる。
 もちろん通信自体にはスクナが逆探知・解読不能の処置を施しているのだが、携帯電話のスピーカーの音を別のマイクで拾うのまでは阻止できない。

 ちなみにオールドドバイとはドバイ旧市街。成金開発が参入する前のひなびた只の港町であったドバイが未だ残って観光地化している。
 みのりもガイドブックで調べて、一度は行っておかねばとチェックを入れていた。

「オールドドバイは、でも人が多いでしょ。行くと大混乱になるよ。」
『だいじょうぶ、君への求婚者達は今日は邪魔をしない。僕の手の者が君の替え玉になって目を惹き付けているよ』
「影武者!」

 その手があったか。
 だがみのりはここにお見合いに来たのだ。動き易くなるのは分かっても、NWOは用意してくれまい。

『ショッピングの後は船に乗ろう』
「お船?」
『ペルシャ湾の伝統的なダウ船というものだよ。君は海の生まれだから船好きでしょ』
「うん。」
『なら決まりだね。港に案内を用意しておくよ』

 切れた。相変わらず勝手な奴。
 メイスン・フォーストは念の為に尋ねる。

「お出でになりますか?」
「うん。だって虎穴に入らずんば虎児を得ずと言うじゃないですか。」

 今回虎児の船なのだが。

 

PHASE 279.

 みのりに付けられたユダヤ人女性の助手が何の為に居たのか、今明らかになる。
 彼女はお買い物の達人であった。目利きなのだ。
 主に宝飾品や美術品が専門であり、求婚者よりの贈り物を鑑定する。一般庶民の童みのりにとって最も重要な役を今後も果たすはずだ。

 実を言うと、昨日から指定の銀行に宝物がどんどん搬入されている。受け取る意志が無くても返却不能、送り主の民族部族の習慣であるから尊重しなければならない。
 今現在の総額は86億円相当。
 不動産が無いから冗談みたいには膨らまないが、150億を超えるのは確実でしかも今回の分だけで、だ。
 二度三度とお見合いを繰り返せばどこまで殖えるか見当もつかない。

 などという事実はみのりには知らされていない。
 知ったら卒倒すると祝子に伝えられて配慮し、内緒にしている。

 助手の助けを借りてみのりはお土産を買いに行くのだが、自分の分だけでなく祝子のまで請け負った。
 総額30万円を使い切らねばならない。特に饗子おばちゃんには安物は買えない。
 30万円なんて大金の現生を初めて触ったみのりには、あまりにハイレベルなミッションだった。

「そう言えば空港でリムジン直行だったから、両替もしてないよ。」
「クレジットカードを使いましょう。」
「え? 子供でも使えるの。というかわたし持ってない。」
「これは日本国外務省から預かっているワラベ様専用のものです問題ありません。限度額も無制限です。」
「えー無制限てどのくらい?」
「さあ。日本国政府の資産ですから相当な金額が許されると思いますが、とりあえず1億円以下なら苦情も無いでしょう。」

 みのり、きてぃちゃんの後部座席で気分が悪くなってきた。
 ドバイにタダで来ただけでも気が咎めるのに、限度額無制限なんてどこの惑星の物語だ。
 心臓がばくばくと踊り続ける。ひょっとしてこのまま死んじゃうのではないだろうか。
 車窓に流れる町の姿に瞳を不安定に揺動させて異常を探る。
 宇宙人、居ないかな。居て欲しいな。お買い物よりずっと楽だし、落ち着くし。

 そうこうする内に無情にもきてぃちゃんはオールドドバイに到着する。
 降り立った。
 今日のファッションは水色のセーラー服ワンピースとつば広の帽子。船に乗るというから船乗りだ。
 中学高校と制服はセーラーでないから新鮮な気がした。お金を渡される前までは。

「まずは地元の土産物店から覗いてみますか?」
「お、おまかせします……。」

 そこから先はどこをどう歩いたかまったく覚えていない。ソフトクリームが舌に触った気がするが、首輪の付いたイヌみたいに指示されるまま行動しただけだ。
 正気を取り戻したのは、博物館。展示品の前ではお金を使う必要が無いから、息を吐ける。

「なんか途中でまた車に乗せられて、宝石店に入ったような気がするぞ……。」

 大それた事に自分は、饗子さんはこういうのは欲しがらない、とかぬかした気がする。だからユダヤ人のお姉さんが宝石店に案内して。
 おそろしい。あそこで自分は何を幾らで買ってしまったのだろう。
 お姉さんはお買い得だと言っていたけれど、ほふりこさんの30万円は突破していた気がしないでもない。

 みのり、頭を抱える。

「殺される。ほふりこさんにころされてしまう。」

 はっと閃いた。これは自分一人で動いた罰だ。物辺村に連絡してお金持ちでケチの花憐ちゃんにアドバイスを頼めば良かったんだ。
 しまった、手遅れだ。

「ころされる……。」
”それはドバイの真珠採りの舟です。粗末なものでしょう。でも昔はこれが町を支えていたのです”

 あからさまな日本語で話し掛けるのは、ドバイ現地の女の人。イスラム教徒らしく頭からすっぽり暗い布で覆っている。
 だがみのりには正体がすぐ分かった。むしろ懐かしい。

「魚肉人間さんですか。」
”はい。お迎えにあがりました”

 みのりに不用意に近づく人物が怪しくないわけがない。
 ユダヤ人のお姉さんが襟に付いているマイクで呼び掛けると、たちまち護衛が出現した。正確には、博物館の客がいきなり拳銃を抜いて取り囲む。
 当然のように仕込んでおいた。

 明るく気のいいメキシカン男性の観光客に化けていた人がリーダーで、5人の普通人仮装の特殊部隊兵を指揮する。
 英語で命令するが、ついでアラビア語で警告する要員も随伴していた。

「止まれ。その場を動くな、指も動かすな。」
”わらべみのり様、私は敵ではありません。本日のスケジュールどおりにおいでくださるのを案内するだけです”
「あのすいません、この人はとりあえず攻撃の意志はありません。乱暴しないでください。」
「そうは行きません。明らかに規定違反のあなたへの接触を試みています。また協定に加入していない勢力の存在であれば、実力で排除する事も許されております。」

 軍人さんは融通が効かなくて困る。魚肉人間に尋ねた。

「えーと、どうしましょう。無害である事を証明するだけでは済みそうに無いんだけど。」
”私には攻撃機能がありません。ですが自爆能力はあります。半径100メートルを完全破壊するのも可能です”
「だそうです。」

 さすがにこれは効いた。軍人さんはそのまま静止し、みのりとの交渉を見守る。
 みのり、顔を近づけて周囲に聞こえないように話す。魚肉人間の背丈は160センチ無く、近くて話しやすい。

「今の嘘でしょ。」
”はい。よく分かりましたね”
「魚肉人間にはそういうの載せない決まりになってるから。でもあなたはどこの宇宙人の製造なの? 顔の造形が少し変。」

 ソレの顔は巧みに造られているものの表情が無く強張ったまま。口は開いて喋りはするが全体が連動せず、人形以外には呼びようがない。
 これが地球出張所開設二千年の伝統を誇る老舗のせころべちょっとみんな星人製魚肉人間であれば、本物の人間よりも遙かに魅力的な表情であっという間に世間の人気者に成り上がる。

”私は地球人製です。未来から来たミスシャクティがもたらした合成人間技術を用い、21世紀の技術の限界を越えて作られました”
「今の人間の科学でも、こんなものを作れるんだ!」
”ですが1体20億ドル、維持コストが電気代だけで年間8千万ドル掛かります。とてもではありませんが実用レベルとは呼べないのです”
「みなさん聞きましたー?」

 もちろん特殊部隊は聞き耳立てて、集音マイクまで使って聞いている。
 20億ドル日本円なら2千億円相当のアンドロイドだ、これは破壊するより捕獲すべき代物だろう。
 さすがに隊長さんも独自の判断では攻撃出来ず、本部に指示を仰いでいる。

 それだけの開発費製造費を捻出出来るのは国家レベルの組織に違いなく、おそらくはNWOに属する国家の一つであるだろう。
 ひょっとすると最大の出資国アメリカ自身の、NWO表組織には明らかにされない秘密の部署で製造されたのかもしれなかった。

「じゃあこの人とお船に乗りに行ってきます。後よろしくお願いします。おみやげはホテルではなく直接日本に宅急便で送ってください、その方が確実みたいだから。」

 みのり、手を振って魚肉星人の右手を引いて、博物館から出て行った。
 メキシカンな隊長は左右の隊員の顔を見渡し、どれも困惑の色を浮かべているのを確認し肩をすくめる。
 今の心境を表現出来る手段は他に無い。

 

PHASE 280.

 船着場に待っていたのははしけだった。

 いや正確にはボートなのだろうが、船縁と同じ高さで板を張ってフラットにしているからどうしてもはしけに見えてしまう。
 大きくもない。木造で、船の中央に木の長椅子が背を合わせて左右に座れるように配置される。10人、いやもう少し乗れるのだろうか。
 強い日差しを防ぐ申し訳程度の簡単な屋根が長椅子に沿って設けてある。
 これで先端が尖っておらず、エンジンも付いてなければ躊躇なくはしけと呼ぶべきだ。
 とてもではないが金満ドバイで使う代物に思えない。

 だが左右の他の船を見回しても木造船ばっかりで、特にみすぼらしいものでも無いらしい。
 みのりは案内の地球製魚肉女に聞いてみる。

「これが乗り物ですか。」
”はい。不思議ですか、こんな安っぽい舟でお迎えして”
「えー別に贅沢は言わないのですが、さすがに想定外です。」

 ベールで覆われる人工の顔が少しほころんだ。

”これは水上バスです。渡し舟ですね”
「ああ!」
”運河を渡る際に一般労働者はこれに乗って移動します。極ありふれたものですよ”
「一般労働者というのは、外国人の出稼ぎの、」

 みのりだって事前に学習して来ているのだ。
 建設ブームに沸くドバイは外国から出稼ぎ労働者を多数集めてビルを建てており、その数は人口の9割にも及ぶと言う。
 しかし彼等は正式なドバイの市民ではない。あくまでも労働者、仮初に居るだけの人なのだ。

”ドバイは夢の都と呼ばれていますし実際多くの人を潤していますが、全員がお金持ちなわけではありません”
「それはそうですよね。じゃあこの舟は、」
”もちろんドバイの正式な市民は富裕なのですが、時代の流れに乗り遅れて昔のままの人も少なくはありません”
「やっぱり金融業者とか不動産屋、投資家しか儲からないんですね。世界中どこでも同じように。」

 とんとんと舟に乗り移る。フラットの床は船着場から乗り易く、まさに水上バスだと実感できた。

「えーと、これがダウ船ですか?」
”これはアブラです”
「油?」
”はい、アブラという名前です”

 アラブでアブラ、油。
 くすくすくすとみのりは笑う。笑い続ける。アラブでドバイでアブラ。けらけらけら。

 船着場でCIAのユダヤ人のお姉さんと変装特殊部隊が見送る中、アブラは出発する。
 船長いや運転手さんは普通のアラブ人だ。くすくすくす。

 風を遮る物が無いので、アブラの上は随分と快適。潮風に吹かれてみのりはやっと落ち着いた。
 全然ゴージャスでないのが、こちらに来て一番のおもてなしだ。

 もちろんNWOも無策ではない。あらかじめ船に乗ると言っていたから、ちゃんと哨戒艇を用意して離れた位置から追跡している。
 みのりを呼んだ謎の小学生をあわよくば捕獲するつもりだろう。

 隣に座る魚肉女に聞く。

「あなたを作ったのは、あの小学生のスクナくんなの?」
"いえ、あの方は私の製造には関与しておりません"
「同じ組織が作ったの?」
”そうとも言えません。ただ現在のレベルよりも遙かに進んだ科学技術の産物として、あの方と御縁が有るのです”

「あなたの製造に20億ドルも掛かったってのは、ほんとう?」
”正確には脳の製造に80パーセントの資金が用いられています。また肉体の方も未だ試作中の合成人体ですから劣化が激しく、1年使用で交換します”
「魚肉人間は力場で作ってると思うんだけど、あなたはそうじゃないの?」
”エネルギー力場技術は未だ現代人類には開示されておりません。ですから、私の肉体は普通の人間と同じく生物学的な構造があります。
 また現代科学では人間と比肩するレベルの思考力を持つ人工脳を小型化出来ないので、遠隔でリンクしています。
 人工脳だけで体育館大の施設と膨大な電力が必要ですから、これだけの資金が建造に必要となりました”

 雄大な話だが、日頃宇宙人産の魚肉人間を見慣れている目からすれば、いかにもお粗末な製品だ。
 これはスクナくんたいへんだな、とみのりは何故か同情する。

 このレベルの技術で大いに驚く人々を率いて、宇宙人と渡り合おうとする。それは大変だ。

 

PHASE 281.

 ダウ船は三角帆が特徴的な、アラブ世界伝統の帆船だ。
 西欧の、また日本や東アジアの船と異なり「縫合船」と呼ばれる手法で建造される。
 つまり外板がココヤシの繊維の紐で結び付けられているのだ。縫い目もちゃんと露出する。
 鉄釘や木組みでがっちりと固定するのではなく弾力性を持たせており、修理も簡単。水漏れはアスファルトを塗って防ぐ。

 大型のものなら30メートルを越えるが、基本的に大きくはない。マストも通常は1本で前に傾いて立ててある。
 そして三角の縦帆。向かい風でも推進力を得られ、運動性の高い取り回しの良さを生み出す。
 だが現代ではやはりエンジンを積んで機走するのが普通で、帆船は観光用や伝統的小規模な漁師のものだろう。

「とはいうものの、今では釘も使うよ。」

 帆船の高い甲板から声を掛けてきたのは、シンドバッドのように頭に布を巻いた男の子。

 観光用の船を借りて港から少し離れた場所に停泊している。
 縄梯子を下ろしてみのりを迎えるが、波で揺らいでアブラから乗り移るのは難しく、水夫が降りてきて手助けしてくれた。
 運動神経抜群のみのりの為ではなく、鈍い魚肉女を引き上げるのが主目的である。

 ととととマシラの如くに駆け上がり甲板上を確かめると、全員ターバンのシンドバッドで千夜一夜物語の世界だ。
 男の子が居る。紺の帯に金色の曲刀を差しているのが重そうだ。

 小さなターバンから栗色の髪がちろりと覗く。
 肌はつるっとなめらかで白く人形のように整っており、女の子みたい。だが人工的な気配は帯びていない。
 自然な子供らしさを備えているが、滑舌が良く高度で専門的な言葉を喋り慣れており、子供と思って聞く人には苛立ちを与えるだろう。

「やあみのりさん、やっと会えた。」
「……、うん。」

 みのりしばし考えて、ぺこりと頭を下げる。こんにちわ。
 そして尋ねる。門代のお祭り以来ずっと考えてきた事だ。

「あのクジは、お店の人が仕込みだったんだね?」
「え? 紐を引っ張るクジ? あれはたまたま引っ張ったら当たったのに君がたいそうびっくりしたから、招待する時そのまんま使ってみたんだよ。」

 これはびっくり、本当に運だったのか。
 いや、もっと重大事を白状した。スクナはみのりのドバイお見合いパーティに直接しかもかなり深く関与する重責にある。
 確かめねばなるまい。

「キミ、あなたスクナくん、キミはNWOの何者なの? 魚肉人間さんとどんな関わりがあるの。」
「それは出港してから話すよ。」

 手を上げると、船長らしい恰幅の良いおじさんシンドバッドが指示して水夫が動き始める。
 帆船の出港はなかなかめんどくさいものだ。
 甲板上は作業の邪魔だから、みのりスクナ魚肉の三人は船室に引っ込む。
 観光用船の船長室だから、ニセモノのお宝できんきらしている。金メッキ鳥カゴの中で白いオカメインコが「バカヤロー愛してる」と英語で叫んだ。

「この船は観光用として極力現代的なものを排除しているから、不自由は我慢してね。あ、でもちゃんとトイレはあるから。」
「うん。」

 さすがに無線機とGPSナビゲーターは搭載を義務付けられているのだろう。船長室の奥を覗くとそういうものが詰まった部屋が有る。
 ここはスタッフ以外立ち入り禁止。

 甲板の上ではアラビア語でやいのやいのと声が飛び交う。どうやら無事風を捉えたようだ。
 船長さんが顔を出してもう出て来て良いと言う。

「やあ、やっぱり海は最高だ。そう思うでしょ。」

 それにはまったく同感。帆船に乗ったのは初めてだが、これは素敵な感覚だ。
 ただ、セーラー服はまずかったな、と思う。
 先程の縄梯子もそうだが、スカートの裾がひらひらとして困ったもんだ。

 

PHASE 282.

 水夫がきびきびと動いてテーブルと日除けのパラソルを用意し、みのり達を迎える。
 スクナは単なる偉い人のおぼっちゃまクラスの扱いではなく、十分に指導力の有るVIPであると思われる。
 みのりとスクナが対面する形で座り、魚肉女が脇でご相伴にあずかった。船長さんも横に立つ。

 言いたいことをぶつけよう、とするみのりの機先を制して、スクナが口を開く。

「まず自己紹介から始めよう。僕はスクナという名前でこれからも呼んでもらいたい。君が関わっているNWOのスタッフにもそう伝えて欲しい。
 正式な呼称として、報告書に載せてね。」
「う、うん。」
「なぜそれを望むかというと、僕はこれからも君達に深く関わるつもりだからだ。長く続くゲキの乙女の物語の最初に登場する重要なキャラクターだよ。
 だから日本神話から名前を取った。」
「……ずいぶんと長期的な計画が、あるんだ。」

 みのりが前のめりになって聞いていた姿勢を戻して背もたれに体重を預けようとするのを、スクナは止める。

「あ、物辺村には電話しないで。」
「え?」
「君は頭の中の電話で自由に仲間と会話が出来るでしょ。それは今はやめていて。君自身が聞いて判断してもらいたい。」
「う、ん。」

 よほど深くゲキについて知っているようだ。
 不可視の電話は文字通り誰にも見えないから、これまで何者にも見破られた事が無い。
 知っているのはゲキの力を扱える者、たぶんミスシャクティの筋からの情報だろう。

 スクナもうなずく。

「僕は、僕が所属する組織は未来と深くつながりが有る。というよりも、未来のNWOの指令で動いている。」
「ミスシャクティ本人の指示で?」
「そこが少し違うんだな。たとえばコレ。」

 と指差すのは魚肉女。椅子に座ったまま深くお辞儀をする。

「コレはミスシャクティから提供された未来技術で作られているけれど、彼女が指示して作らせたわけじゃない。
 20世紀の人間に目の覚める高度な技術を与えてみれば、自然と使ってみたくなる。作りたくなる。
 それを狙って技術供与する。
 指示するわけではないが、期待通りに人類は動いて作ってしまう。」
「ふむふむ。」
「僕も同じさ。ミスシャクティ以外の未来人と連絡が付けば、特にミスシャクティに反発する気が無くても現代人は別組織を作って対応しようとする。
 狙い通りにね。」

 なかなか難しい話だが、みのりもこちらに来て随分と込み入った陰謀に付き合わされて来た。
 重要な点は、

「つまり、ミスシャクティは黙認している、という事なんだね?」
「そのとおり。彼女にも未来社会での立場があり、全権委任されていても完全に自由には振る舞えない。政治権力が三権分立をするようにね。
 現在の世紀における彼女の監視装置、監視機構を作るのも、彼女の仕事なんだ。」

「それも、NWO本体からは敵対的と見えるものじゃないといけない……。」

 よく出来ました、とスクナは手を叩く。
 それを合図に水夫が飲み物を給仕してくれる。丸くて大きな椰子の実がでんとテーブルに居座った。
 海賊風にココナッツの実ををナタでかち割ったそのままで、ストローと一緒に南国のお花が飾っている。

 みのりは三重に巻いたカタツムリみたいなストローでじゅるじゅると飲む。氷入りで冷たくて甘い。

「それでキミの組織の名前はなんていうの。」
「仮にだけど、「オールドファッションズ」と呼んで欲しい。」
「オールドファッション? ドーナツ?」

 くっくく、とスクナは笑う。こういう仕草は歳相応の少年のままだ。

 

PHASE 283.

「意味的には、”Ancient World Orders”と同じだよ。未来の世界のアンシエントなんだ。」
「未来のNWOから指示を受けてるんじゃないの?」
「NWOも千年続けば十分アンシエントさ。古き良き時代の自らの栄華を取り戻そうと、21世紀に手を出して修正しようとする。」
「じだいさくごー。31世紀だっけ?」

 じゅるじゅるじゅる、とココナッツジュースを飲んでしまう。美味しかった。
スクナも左ひじをテーブルに突いて、頬を傾けながらストローを吸う。さすがに椰子の実は小学生には大き過ぎる。

「時代錯誤なんだけど、未来人の視点ではのっぴきならない事態なんだ。」

 もう一度魚肉人間を指差した。こいつもジュースを吸う。なんという高性能。

「こいつ、ほとんどプロトタイプだけど並の人間より賢いよ。
 コレがこのまま進歩して脳も頭に入るようになって、人間社会に参加するようになったら、どう思う?」

「未来社会だねSFだね。」
「遺伝子改良で人間の能力を拡張して、宇宙空間でも住めるようになったら、どう?」
「すぺーすまんですね。」
「赤ちゃんに歯が生えるように、頭の中に自然に量子コンピューターが生えてきてネットワークに繋がって個人データを保存して、死んでも復活の呪文が効くのはなんだろう。」
「サイバーワールドですよ。」

「そういう進化をした改造人間社会の中で、昔どおりの生身の人間がゲキの力を背景として全人類に君臨していたんだ。
 凄い無理があるでしょ。」
「むちゃくちゃだ。」
「本来であれば進歩した改造人間がゲキの力を使って人類社会を導かねばならない。
天才と呼べるミスシャクティも、向こうの時代では生身人間の代表というだけで能力的にはまったく大したことが無いんだ。」

 みのり、目をパチクリする。
 そんな人間が現代に来て凄まじい革新を世界にもたらしていたのか。

 スクナは、でもミスシャクティを批判するわけじゃないんだよ、と釈明する。
 生身人間代表として彼女は大いに政治力を振るい人類全体を動かし、ゲキ覚醒計画・NWO構築計画を時間を越えて遂行する。
 行動力は間違いなく未来一の傑物だ。

「だいたいね、ゲキ・サーヴァントは生身の人間の言うことしか聞かないんだ。改造人間じゃダメ。
 そして、その他大勢の宇宙人にとっては、進歩した改造地球人なんて取るに足らない雑魚なんだよ。自力で恒星間飛行もできないし。
 重要なのはゲキ。ゲキの力を使える生身人間だけ。」

 難しい。未来は難しすぎて分からない。
 ただ、混乱と錯綜の中で奮闘するミスシャクティという人物がいかに優れた指導力を持つか、それだけが眩しく感じられる。

「キミ、ミスシャクティに会ったこと、有る?」
「綺麗なインド人の少女だったよ。君とほとんど同じくらいの歳で。」
「どんなひと?」
「冗談が大好きなひとだよ。こどもみたい。」

 それは大迷惑。偉い人が冗談ばっかり言ってたら、なにが起こるか分かったものじゃない。

「偉い人じゃないの?」
「すごく賢くて、人の心を手に取るように読み取る事が出来て、教養はこの時代の誰よりも深く、歴史も地理も政治経済芸術文化も全部分かっている超人なんだ。
 でも一番上手なのが、冗談なんだよ。」
「す、すごい人なんだね。」

 それだけ詳しいのであれば、やはりこの少年はミスシャクティの暗黙以上の了承を得て養育されているのだろう。
 そんな子が自分に近づいてくるのは、もちろん確とした計画と目的が有ってに違いない。

 

 テーブルの傍に控えているアラビアン船長の所に水夫が一人やって来た。耳打ちする。
 船長はアラビア語でスクナに報告する。少年もうなずいた。

「みのりさん、船の旅はここまでだ。次のアトラクションの時間になったよ。」
「あとらくしょん?」
「うん。名付けて”洋上のマミー伝説”!」

 小さな手で指差す方を望むと、陸と船との間の海上に妙な棒が突っ立っているのが見えた。
 みのりの野生に強化された瞳には、正体がはっきりと映る。

「み、ミイラ男……。」
「今日の襲撃者はアレだ。じゃあがんばってね。」

 

PHASE 284.

 ドバイはアラビアだし、砂漠が有るし、地理的にもエジプトに近いからミイラ男の襲撃くらいは予想の範囲に有る。
 しかし海上で、しかも船も無しに海面上に立って待っているのは想像を超えた。

 船長が古式ゆかしい筒型望遠鏡で覗いてみると、足元に杭や浮き草も無く、本当に海の上に立っている。
 特殊能力と考えるしかない。

 片舷に水夫達が集まって騒いでいる中、反対側の海を見た者が叫びを上げた。
 沖の方にもミイラが立っている。

 やがて船の周囲に人影が増えていき十重二十重、百を数えるまでになる。
 風はベタ止みで帆はだらしなく垂れ下がり、船はその場に死んだように留まる。

 誰かが叫ぶ。「エンジン!」
 この帆船は観光用であるが、やはり無いと困るからとエンジンとスクリューもちゃんと付いている。
 風が無くとも海域から離脱出来るはず。

 だが船長がエンジンに火を入れても、回らない。機関室を覗いた水夫も帰って来ない。
 スクナが言う。

「もう、侵入されてるよ。」
「キミの差金?」
「違うよ、でも他人に迷惑が掛からないように、ここに場所を設定したよ。」

 やっぱり関与しているじゃないか!
 みのり考える。
 ミイラの攻撃手段は何だろう。どんな超能力を帯びているか。知性は有るのか、共同して作戦行動を取れるのか。戦術指導は誰が。

 なんてのはもう昨夜の内に判明しているのだ。
 喜味子がみのりに宇宙人男を舐めさせたのは伊達じゃない。

 アラビア語で命令する。

「船長さん、全員で武装して迎撃体制をとってください。」
「いや、この船に武器のたぐいは一切積んでいなくて、」
「なんでもいいんです。デッキブラシでもトンカチでもフライパンでも、とにかく甲板に上がらせないで。」
「は、はい!」

 戦闘力の無いスクナと魚肉女は船長室に匿う。小学生と20億ドルは傷つかずに逃げ果せるのが最大の任務だ。
 みのり、いきなり船長の胸ぐらを掴んで詰問する。可愛らしい少女にキングコングばりの怪力があって、恰幅の良い彼も吊り上げられる。

「聞くけれど、この船長室にはおそらくスクナ君の脱出装置が有るよね?」
「あ、それは。……ありません。」
「有るならあの子守らないで皆を守る、無いなら彼を守るの優先。どっち?」
「そ、それは、」
「3、2、1……」
「船員を守ってくれ。」

 船長を放す。
 だろうと思った。何事にも用意周到な彼が危ない橋を渡るはずが無いのだ。
 ならば安心して存分に戦える。

 みのり、右手にプラチナ色に輝く鉄球鎖を出現させる。何もない空中から金属が出現するのは十分に手品的驚愕を水夫達に与えた。
 木の甲板に並ぶ男達に警告と指示を伝える。

「目的はあなた達です。敵はミイラ男、噛まれたら生きたままミイラになって襲ってきます。」

 いわゆるゾンビ攻撃。ミイラ男の襲撃を予想した時から想定済み対策済み。
 船長と水夫は襲撃への備えが無いから、黙って従うだけだ。

「でもだいじょうぶです! 治るお薬を既に用意済みです。噛まれても仲間を殺してはいけません。
 だけど極力噛まれたり体液を浴びたりしないでください。
 また無理して頑張って殺されたりもしないでください。死人はさすがに生き返りません。」

 皆一様に首を縦に振る。
 少女の言葉を聞いていると、なんだか本当に助かりそうな気がしてきた。

「じゃあ甲板上に敵を寄せ付けないで。みんなでがんばろー!」
「おおおーっ!!」

 男達は右の拳を天に突き上げ、勝利を誓う。なんだかよく分からないが勝てそうに思えてくる。
 みのりも鉄球を景気よく回転させ、ごきげんに甲板に仁王立ちする。

 ゾンビ、マミー、グール、アンデッド。ドバイに行くと決めた日から、どんな敵が攻めてくるか5人で考えた筆頭が、コレだ。
 不死身増殖系クリーチャーによる人海戦術攻撃。
 特に豪華クルーズ客船などは絶好のターゲット。ドバイなら絶対出るに決まってる! と、皆口を揃えて指摘するのだ。

 まさにまんまの状況が出来したからには、みのりも頑張らねばならない。
 物辺村のみんなはこれをこそ望んでいるのだから。ビデオもS-VHS標準録画でスタンバっている。

 頑張るよ、わたし。

 

PHASE 285.

 ミイラ男と書いてはみたが、実質はちょっと違う。第一包帯を巻いてない。
 皮がずるりと剥けて身体中至る所に垂れ下がり、またその下から皮がめくれて上がってくる。
 いわばタケノコの皮式に多重に開いているのだ。天然自然に包帯まみれになっている。

 当然醜い。生命の気配など微塵も漂わせず、ひたすら無機的に帆船の周囲に集まってくる。
 ミイラ映画ゾンビ映画そのままに両手を前に突き出して迫る姿は、まさにシャッターチャンス!
 水夫の一人はみのりの命令でコンパクトカメラを借りて撮影をしている。
 事後にNWOに報告するため、との名目だが、実際は物辺村の鳩保や喜味子、双子姉妹へのお土産だ。これは絶対受ける。

 ここでカリブの海賊とミイラ男との違いが出た。ミイラは普通船に登らない。
 カリブの海賊のゾンビであれば、鉤爪などを駆使して木の舷側にしがみつき這い上がってくるだろう。しかしミイラだ、エジプト調だ。
 どうするのかなーと眺めていると、舷側に足を掛け、壁面が地面であるかのように「水平に立って」歩いてくる。
 なんという高性能。鉤爪よりも遙かに自由度が高い。特殊技能区分をしてもよいだろう。

 思わぬ数が一斉に登ってきたので、水夫達は必死になって棒で払う。上から突いて叩き落す。
 しかしミイラだ。常人よりはパワーが有る。
 自らを払い落とす棒を掴んでたぐり寄せる。顔面なり胸部なりを突かれても、痛みを感じずまっすぐに上がる。
 あるミイラなどは突かれた棒の上に立って歩き始めるほどだ。さすがに怖気づいた水夫が棒を手放すと、そのまま海面に落ちていく。
 どぼんと沈むかと思ったが、ミイラは海面に激突してバウンド。水の上が地面であるかに、位置を保ち続けた。

「海面、いやものの表面に張り付く技能か。」

 知能はどうか? 何の策も用いずに船に上がるのは無能と言えなくもないが、現状これで間に合うからマイナス点にはなるまい。
 水夫の棒を受け止めないのは耐久力ゆえであるが、手で掴んで利用しようともしない。
 まっすぐ上がって噛み付くだけか。その割には慎重で、水夫の抵抗する様子を観察する姿も見られる。

「術者が遠隔操作するだけで、自発的な行動力は無い。ただしあらかじめ爆弾とか持たせていたら、ちょっと困る所だったね。」

 そうこうする内に両舷全周の手摺すべてにミイラが立ち並ぶ悲惨な状況に陥ってしまう。
 最初から期待はしなかったが、水夫達の防衛行動は何の成果も無く甲板への侵入を許してしまう。

 ここでミイラは新たな行動を見せる。身体の前、正中線に沿って額からへその下までの皮が一直線にぱっくりと割れる。
 ずたぼろに引きずる皮が開いて内臓を曝け出すのだ。が、もちろんミイラにハラワタは無し。
 緑色の粘液が滴る不快な空洞が水夫を取り込もうとする。

「そうか、これはまだミイラ男としては完成していないんだ。人間を取り込んで各種技能を継承するタイプの、人間乗っ取り系モンスターだ。」

 敵はなかなか芸が細かい。この能力は人知れず人を呑み込み支配して、他人の組織や企業、王国を乗っ取る事も出来るのだろう。
 いやー喜味ちゃんが喜びそうだ。

「お嬢様、納得してないでお助けください。」
 デッキブラシで必死に応戦しながら、全乗員を代表して船長がみのりに救いを求める。
 もちろん!

 鉄球が甲板上を大きくゆったりと旋回し、水夫に取り憑かんとするミイラを空中に跳ね飛ばす。重量は60キログラム程度であった、軽い。
 また既に取り憑かれた水夫にも鉄球が当たる。威力は無く人体爆発などしないが、ぽくんと軽快な音がして粘液で絡み付こうとするミイラだけを爆散させて引っぺがす。
 ぽんぽんぽん、と立て続けに水夫を打って、ポップコーンが弾けるかにミイラを排除する。

「おお! 素晴らしい。」

 水夫達は口々に褒め称え、神に祈りを捧げ始める。
 それほどにみのりの技は目醒しい。

 やり方は簡単。これは肩叩きの要領なのだ。みのりが家でお父さん相手に使っている。
 両手をゆるく中に空洞を作るかに合わせてぽくんと叩く。単体の拳で叩くよりも時間差攻撃で深くまで浸透して爽快な、素人あんまの技だ。
 応用して、鉄球は水夫に当てながらも勢いは無く、鎖を通して深く染み透る長周期の波動を与えている。
 効果絶大で我ながら会心の上首尾だ。

 しかし敵は数百、払う度に同数が上がってくる。また海中から次から次に出現するのが観測出来た。

「お嬢様、海から出現する元を止めねばキリがありません。」
「わかってるけど、まだ敵の親玉の位置が、」

 こう忙しいと解析どころではない。というか、もう分かっているのだが遠く離れた陸の上だ。
 海上をなんとかしない限り処理に行けない。
 さてどうしたものか。

 

 バラバラバラバラとはためく強いローター音がして帆船の頭上をヘリコプターが飛ぶ。
 羽音に負けない大音量でスピーカーが喚き散らす。
 メイスン・フォーストの声だ。

『プリンセス”TOYOTAMA”、我々がお手伝いできないでしょうか』

 空を仰いでみのり、両手を振って答える。

「海上の敵を蹴散らしてくださーい。銃が効くはずですー。」
『承りました』

 と言うやヘリコプターはその場を去ってしまった。
 すぐに助けてくれると期待した水夫達は呆然。口先だけかーと怒りを露わにする。
 そんな事は無い。

 まもなく遙か後方に控えていた巡視艇が全速力で突っ込んでくる。
 艇の前方に据え付けられている25ミリの機関砲が火を噴いた。

 

PHASE 286.

 12.7ミリは陸上では大口径なのだが、船は頑丈に出来ていて小さな漁船でもなかなか沈んでくれない。
 20ミリ以上しかも炸裂弾でなければ十分とは言えない。が、もちろん通常は威嚇のみで事足りる。

 巡視艇に乗っているのはドバイのコーストガードではなく、米軍NWO関係の人らしい。
 今日まで3日間いいところまるで無しの鬱憤を晴らすかに、海の上に棒立ちのミイラ男を射撃し始めた。
 弾ける砕ける皮が舞い散る。いくらなんでもオーバーキルだ、威力が強過ぎる。
 1発の銃弾が2、3体を同時に粉砕する。たちまち海上を掃討してしまった。

 が、飽きずにミイラ男は次から次に浮かんでくる。無尽蔵に製造されているかに撃たれても潰されても湧いて出る。
 手空きになって海面を覗く余裕が出た船長がみのりに言う。

「砕けたミイラ男が海中で修復しているように私には見えます。」
「うん、鉄砲では根本的解決にならないね。」

 帆船はまだ動けない。風が出てきたのに位置はそのまま、海に固定されたかに微動だにしない。

「海水が極端に粘性を高めているのではないでしょうか。ミイラの粘液のように絡み付いて、」
「じゃあ巡視艇も危ないんじゃ、」

 言う間に巡視艇が捕まった。大きな波に乗り上げたかに見えた瞬間、その場にぴたりと固定される。
 続いてミイラ男団体様ご来店。艇の乗員がサブマシンガンで追い払おうとするが、多勢に無勢である。

「応援が来ました!」と水夫が叫ぶので反対側の船縁に行くと、……みのり、あちゃーと目を覆う。

 ロボットだ。七つ星ホテルに待機していたはずの未来ロボ「マーズマンST」が飛沫を上げて海面を飛んでくる。ホバー走行で時速300キロも出していた。
 真紅のボディは映画「アイアンマン」のロボと同じ色。スフィンクスと同様に前後揃えた四足で姿勢を保ち、タコの頭的流線型全密封コクピットが風を切る。
 たしかに未来的だ。未だ地球上に海面を300キロで走る乗り物はあるまい。
 わずかに浮いているから海水が粘っていても捕まらないだろうとは思う。しかし、

 ロボは両腕に装備された機銃を使ってこれまた軽快にミイラ退治をこなしていく。標的に強度が無いのだから草刈りよりも簡単だ。
 ただ無尽蔵に湧いて出るから、たちまち弾切れに陥った。
 ロボをくれたミスシャクティは現代人の健全な発展を考えて、未来火器特にビーム兵装の使用を許可していない。

 残る攻撃手段は格闘だが、まさか正規のパイロットがそんな真似をするはずが。

「やってるよお。」

 ミイラ相手に殴る蹴るの暴行。ホバーの高速を利用して機体で跳ね飛ばしてクリアする。
 だが砕けたミイラの粘液がへばりついて、

「あーあ。」

 甲板上の水夫皆が一斉に溜息を吐いた。
 そりゃああれだけ粘液が着けば、捕まってしまうだろう。海に引きずり込まれるだろう。
 沈没する。海没する。
 哀れ未来ロボ「マーズマンST」、お前は悪くないぞ。乗ってる奴がバカなのだ。

 みのり、祈る。
 このロボに乗ってるパイロットがどうか、金髪のおねえさんでありませんように。あんなバカが未来では自分達の子孫のおばあちゃんでありませんように。

 じゅぼじょぼとロボは海水を吹き出す。前回水没の教訓から水中移動用にウオータージェットを装備したようだ。
 バンザイ、これで海中から脱出……、出来ないね。

「お嬢様……   、」

 情けない顔で船長がみのりを見る。もう頼れるのはお嬢様しか居ない。
 それはまったくそのとおりで、海面のミイラはあらかた掃除してくれた。これなら帆船もしばらくは保つだろう。

「じゃあわたし、陸に居る敵の親分をやっつけて来ます。後はよろしく。」

 と言い置いて、みのりは海に飛び降りた。水色セーラー服のスカートがふわりと開く。
 あっと叫ぶ甲板上の面々。水の下にはミイラの粘液が!

「ストップ・ウオッチ!」

 遠くドバイ市内に居るはずの物辺鳶郎が所有する時間停止アイテム「ストップ・ウオッチ」が起動した。
 いや、単なる加速装置なのだが、あまりに超高速だから実質は時間停止と見做せる。
 止まった海面はガラスのように固まり、みのりの靴が触れても沈まない。堅い。
 このまま陸までおよそ2キロ、突っ走るのに体感時間30秒も掛からない。

「ストップ解除!」

 ぴたっと静止したのは砂浜の、砂漠と繋がる無人の地だ。人は居ない。
 ミイラは居る。

 船に上がってくるのとは随分と異なる、滑らかな体表を持つのっぺらぼうが数体ふらふらと覚束ない足取りで海を目指す。
 まるで亀の赤ちゃんの孵化だ。

 彼等の生まれ出る元はと言えば、

「う、ぷっ!」

 思わず口を抑える。砂浜に横たわる夥しい屍体が悪臭を発し、

 

PHASE 287.

 市場から強奪してきたと覚しき大型トレーラーの荷台に満載されていた魚介類、少なく見積もっても20トン以上が散乱する。
 いかに強烈なアラブの陽光の下とはいえ瞬時には乾かず内部から膨れ上がって臓物を吐き出し、腐敗する。
 鼻を覆う異臭が真っ白な浜辺に立ち籠めた。

 大小数千匹を越える魚の亡骸の上に、巨大な緑のべとべとモンスターが君臨する。
 粘液でタンパク質を消化し、コラーゲンと化してミイラ男の元となる滑らかゾンビを産み出していた。
 ただ数が合わない。
 ここにある魚だけではあれほどの数のミイラ男を製造出来ないだろう。
 まるで海に潜ったミイラが水を吸って膨張し、分裂して増殖しているかに、次々と。

「増えるわかめちゃん方式か!」

 みのり、怒りが込み上げる。漁師の娘だからおさかなを無駄に死なした事に対する怒りは強い。
 だがもっと根本的な、根源的な欠陥がこのべとべとモンスター、スライムと呼ぶのが正しかろう、には有るのだ。
 此奴のマスターは誰だ。

「ホホホホホホホホホホホホホホホ。」

 しゃんしゃんとタンバリン叩きながら踊り狂う色白の女が居る。中東名物くるくるへそ出しのベリーダンサーだ。
 お供に黒人を2名伴う。彼等は楽器を抱え伴奏するのだが、みのりの冷静かつ野生の目耳が看破した。
 二人は奏でるふりをしているだけで、本当の音楽は脇のラジカセから出ている。エアミュージシャンだ。

 それはまあ、そうだろう。魚臭い中でまともに演奏出来るはずがない。
 対して、女の踊りはまさに狂気を孕んでいる。肌を焦がす強烈な太陽光を物ともせず、息が詰まる腐臭を吸いながらも秒2回転のハードなダンスを極めていた。
 またしてもホホホと高笑い。

「ワタシの名はザックーム、炎獄の亡者が味わう苦痛の実。罪と恐怖に彩られる醜き愛を現世に招き寄せる背徳の舞姫よ。ホホホあなたも一緒に踊りなさい。」

 なにが悲しゅうて若い身空で腐った魚の中踊らねばならぬのか。郷里の父母が泣いているぞ。
 宇宙人云々の前に、この人は心理カウンセリングを受けるべきではないか。
 そんな事より、

 みのりは叫んだ詰問した。なんで魚なんか使うのだ。ドラマ的におかしいだろう。
 こういう場合悪の怪人は人間を大量にぶっ殺してゾンビにして襲ってくるもの。それが定石であり視聴者観客の求めるものだ。
 超常の力を使って戦う行為は、それが世の人に見られている注目されていると信じればこそ張り合いが有る。ギャラリー無しでは虚しいばかりではないか。

 というところが宇宙人の力を授かった地球人の拠って立つ原理、戦う理由だ。
 不可思議な驚異であるからこそ、他者に特異的に認識され言い知れぬ恐怖を覚えられる。
 言わば神の座に在る快感。

 ただ人を殺すのならもっと簡単で有効な手段を人間自らが開発している。だが誰も驚かない崇拝しない。
 たしかにタンパク質を大量に調達するなら肉より魚の方が手っ取り早いだろう。宇宙人さんが魚肉で合成人間作る由縁だ。人も死なないで結構な事だ、
 それにしても、もっとやりようがあるのではないか。

 などと率直に女にぶつけてみる、案の定怒った。

「おい小娘、お前がホテルを換えて移らないから悪いのよ。2番目の宿にワタシが張ってた罠を無視してくれちゃって、だからこんな泥縄的に魚集めなくちゃいけなくなったのよ。」
「あ、やっぱりホテルを移動しなかったのは正解だったんだ。」
「ワタシはね、2週間も前から密かに網を張っていたんだ。どうせ最初の連中はしくじるに違いないからセカンドステージで、罪も無い人を生きたままゾンビ化して人質兼襲撃者にするクレバーな戦略よ。
それをクリアされても、心身ともに疲れきったところを眠りの爺ぃがトドメを刺す。かんぺきね!」
「うわーなんて姑息で卑怯な罠。まさに悪の女の犯行だ。」
「ホホホホホホ、ワタシがざっくうーむ」

 やっておしまい、と右手を振り上げ袖を回すと、緑のスライムがみのりに向きを換える。
 粘液だから鉄球攻撃は通じないだろう。ばらばらにしてもすぐ復元する。

 しかし、既に勝敗は決しているのだ。

「カモン、イカロボ!」

 右手に鉄球を持つから、左の手を蒼天に突き上げるとすぐさま白いイカが飛んでくる。
 今日はちょっと大きめで10センチもあった。
 みのり、イカロボの足を握って水鉄砲のように持つ。
 漏斗が勝手に蠢いて、スライムに狙いを定めた。

 

PHASE 288.

『舞 玖美子の知っとけ宇宙人講座ー!』

 物辺神社裏秘密基地では関係者一同打ち揃って、クビ子さんの講釈を聞く。アシスタントは双子美姉妹。
 時刻は午後七時を回り、皆夕食は済ませている。ソフトドリンクなどを持ち込んで怪談話で盛り上がろうという趣向。
 もちろんドバイでは現在みのりがミイラ男と交戦中である。

 クビ子さん、今日は主役という訳で黒髪に丁寧にブラシを掛けておめかしして現れた。
 地球在住宇宙人でも特に人間に親しいとする特性を、今こそ披露するのだ。

 うねうねと蠢く髪に扇子を持って、黒板の前に浮く。ぽんと叩いて景気づけ。

『あー皆さんよくご存知でしょうが、地球人は先史時代より多種多様な宇宙人と接触してきました。私「天空の鈴」星人もその一つ、神話伝説に色濃く足跡を残しております』
「能書きはいいから、解説かいせつ。」

『今回ドバイでみのりさんが接触した宇宙人の力を使う襲撃者、彼等に助力するのは何星人か。答えは”**************.***********”です。超音波名ですね』
「聞こえない!」
『みのりさんが夢で”リュ・ル/フュ・ユェン”と聞いてますから、そう呼びましょう。、”リュ・ル”と”フュ・ユェン”を同時に発音するのがコツです。人間の舌ではむずかしいですかあ』

 人を小馬鹿にするおどけた表情に、いらつく鳩保が言った。

「喜味ちゃん、こいつに任せてたら何時まで経っても終わりそうにない。代わりに発表して。」
「あいよ。」
『わーやめて、さくさく説明しますからー』

 こほんと可愛く咳払いして、本格的に説明に入る。もう容赦はしない、難しくて聞きたくなくても喋ってやる。

『”リュ・ル/フュ・ユェン”はシュシュルメメクリガイ星海と呼ばれる宙域に棲む非人型知的生命体の一つです。
 特徴は身体がとても小さい事。微生物サイズです。いや、微生物そのものと言ってよいでしょう。ほとんど単細胞であり、それが群体となって人間の体表面にくっついています。
 皮膚常在菌と一緒ですね。』

「ちょっとまて、そんなものが知的生命体になれるのか?」
『成れますよ。あなた達がスプライトと呼ぶエネルギー力場投射技術によって、なんでも出来ます。重力制御技術の発見や恒星間航行技術の完成も自力でやってのけた優秀な種族です』

「でもなんで人間の表面に付着しているの? 自分達自身の身体というのは。」
『あ、そういうのは元々無いんです花憐さん。彼等は大きな動物の体表面に取り付いて生息する寄生生物の一種です。1個体に取り付いている群が一まとまりの知性と作業単位となります』
「でも科学技術を自ら手に入れたのなら、乗り物作って自力で移動しようとか思わないの?」
『なんでですか? 大きな動物にくっついていたら楽ちんだし温かいし楽しいし、良いことばっかりじゃないですか』

「つまりそういうのが好きな宇宙人という事か。」
『です』
「寄生生物というのなら、クビ子だって同じだもんな。」

 優子が小アジのひらきを噛みながら断定する。その言葉に従って、双子は黒板に描いた細菌型宇宙人の絵の横に「同類」のクビ子さんを付け加えた。

「だが元の星で取り付くのは人型生命体ではないのだろ?」
『私の知る限りでは毛むくじゃらの四足歩行生物ですね。知性は熊くらいでしょうか』
「ふむふむ。知的生命体に取り付かなくても文明は建設出来るか。それで地球には何をしに来たの。」

 喜味子の問いに、クビ子も首を傾げる。さあ?

『他所の宇宙人が何を考えるか知れたものじゃありませんが、だいたい地球には滅多矢鱈と宇宙人種族が集まってますからね。お祭りかな、と誤解する奴が出ても不思議では』
「なんだその慌て者は、」

「それで、”リュ・ル/フュ・ユェン”は地球人の敵なの? 味方なの?」
『さあ、としか私には言いようが。彼らの行動原理であれば、取り付いている個体だけが味方であり、取り付いているものの種族全体には興味が無いと思いますよ』
「敵に取り付いたら敵で、取り付いた奴が力に溺れたら敵になる、か。厄介だな。」

 腕を組んで考える鳩保に、クビ子は左右に立つ双子と目配せし合った。

『これはチャンスですよ。この皮膚常在宇宙人を手懐けたら、誰でも超能力者になれたりします』
「ぽぽーねえちゃん、だからあたしたちね、」「あたしたちも超能力欲しー。」

「却下!」

 鳩保、花憐喜味子優子の責任者一同を呼び集め相談する。
 この宇宙人自体には悪意が無くても、取り付く人間次第ではとんでもなく邪悪な存在と成り得る。
 気ままな増殖や人間勢力の接触を許してはおけない。

「リュルフュン(仮名)には悪いが、退治してしまおう。そういう性質なら寄り主殺しても滅ぼせないね?」
『本人達が死ぬわけではないですから、次に近付いた人の身体に移るでしょう。逆に言えば、寄り主が死なない限りは移りません』
「喜味ちゃん、どうしよう対策は、」
「出来てるよ花憐ちゃん。洗えばいいんだ。」

「洗う?」
「ゲキロボ特製石鹸だ。これを水鉄砲に仕込んで、寄り主にぷちゅっと引っ掛ければOK!」
「早速みのりちゃんに届けましょ。」

 おーい、と母屋の方で呼ぶ声がする。饗子おばちゃんだ。
 西瓜切ったぞーと言うから双子が飛んで帰って、大皿を抱えて持ってくる。
 複雑な表情だ。

 優子、怪訝に思い尋ねる。

「どうした?」
「いやかあちゃんがね、」「かあちゃんが、生首のひとにもどうぞ、って。」

 全員の目が険しくクビ子に集中する。貴様、見られたな!?

 

PHASE 289.

 みのりの左手にカモンしたイカロボは、物辺村の喜味子が入力したゲキロボ石鹸のレシピを元に石鹸水を蓄えている。
 この石鹸水は皮膚常在宇宙人を綺麗サッパリ洗い流してくれるのみならず、人体隅々のミクロサイズの穴に侵入し徹底的に討滅するハンターロボット的能力を持つ。
 宇宙人を殺菌してもだいじょうぶなのかとクビ子に尋ねてみると、彼らには個体の概念が無くただ単に構成要素が減ったと感じるだけらしい。
 言わばヒットポイントが減少する程度の損失だ。無論全損は困るが、元々細菌であるから復元は速やかで容易い。

 ただ緑のべとべとスライムに石鹸水引っ掛けても意味が無い。スプライト能力によって粘液、コラーゲン及びムコ多糖体を操っているだけで、宇宙人の実体ではない。
 腐った魚を避けて白い砂の上を左回りでザックームを目指す。

「掛かったな!」

 いきなりのザックームの宣言にみのり、一瞬その場に止まる。
 しまった、さすがにこんな当たり前の行動は読まれるに決まっていた。

 砂漠の砂の下にスライムの粘液が染み込み、菌糸のような触手を忍ばせ罠を張っていた。
 みのりはまんまと踏み込んで、地面の下から伸び上がるキヌガサタケ様の網のドームに丸く包まれてしまう。

「ホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホ!」

 高笑いと共に女は踊る。黒人の伴奏2名も激しくエア演奏する。
 みのりを包むキヌガサダケから電撃が走り、激しくみのりを焼いた。

「ホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホ!」
「……、6分の1というところかな。」

 確かに電撃なのだが、ビリっとするだけで攻撃力が無い。並の人間なら痺れて動けなくなるが、それでも死にはしないだろう。
 最初に襲ってきたダルビッシュの炎の方が燃料による増幅無しでも格段に威力が上だ。

 みのり、以って他山の石とする。能力的に出来るとはいえ、慣れぬ事はするものではない。
 キヌガサタケをぱりぱりと破って外に出た。
 させるかと未成熟ミイラ男が襲って来る。まだ体表面がタケノコ状に割れていないからつるつるして、あんまり怖くない。
 第一こいつ力が弱い。さすが幼体だけあってのろのろと歩くしか出来なかった。
 ちゅっと殴っただけでも哀れっぽく吹っ飛んでいくから、むしろ気の毒に思える。

「ええい、お前たち、ワタシを守れえ!」

 ザックーム、ヒステリーぽくみのりを指差し叫ぶと、黒人2名がカーペットの下に隠していたAK-74で乱射し始める。
 ああ、彼等は護衛だったのかと納得した。くるくる回って踊っていたら、それは無防備だし。
 中東全域に普及しているAK-47およびそのコピー品に比べれば、74は高級品だ。
 ザックームの刺客業は随分と儲かっているらしい。

 もちろんこんなものでみのりは殺せない。鉄球周辺に発生する擬似重力変位に誘導され、全弾が鉄球にのみ当たる。
 1弾倉撃ち尽くしたところで二人は逃げ出した。化物相手に鉄砲で勝てる道理が無いと、早々に見極める。
 化物ダンサーの付き人護衛をしているのだから心得たもの。三十六計逃げるに如かず。

 ザックーム、自分が見捨てられるとは想定外で左右を神経質に振り返り、逃げた護衛を呼び返す。
 その間みのりは悠然と近付き、イカ鉄砲でゲキロボ特製石鹸水を吹き掛けた。

「きゃあああーっ!」と悲鳴を上げるも、別に石鹸水が人間を殺すわけも無し。何をされているか分からない。ただシャボンに塗れるばかりだ。
 効果は直ちに表れるが、ザックームは自分自身が心配でそれどころではなかったろう。

 緑のべとべとスライムは石鹸の泡が増えるに連れて小さくなり、とうとう消滅してしまう。
 残るは干からびた大量の魚の残骸のみ。

 ぽくっと拳で軽く殴ると、ザックームは気絶してしまう。いや、彼女はもう「ザックーム地獄の果実」ではない。
 只の踊り子だ。
 みのり、足元に倒れた女を冷たく見つめる。なにか変だ、違和感が有る。
 しゃがんで女の顔を覗き込む。中東風のはっきりとした目鼻立ちの美人。だが、

 むにゅと頬を引っ張ってみる。

「……38歳。」

 純真無垢の野生の感覚に、若作りは通用しない。
 心配が必要なほど若くは無かったのだ。

 

PHASE 290.

 ブルジュ・ドバイ。文字通りの世界一高いビルを目指して建設されている現代のバベルの塔である。
 商業利用可能なビル本体だけで636メートル、尖塔頂上部まで828メートルとなる予定だ。
 二〇〇八年八月現在、建設中でありながら既に人類史上最も高い建造物のレコードを更新している。

 だがこのビルは「完成しない」。
 バベルの塔が建設途中に天より雷を食らったと同じく、二つに折れて崩壊するのだ。
 理由はもちろん童みのり、プリンセス”TOYOTAMA”の見合いパーティが開催されたからである。

「宇宙人の襲撃者を釣るなら、それなりに派手な建物でないとダメだろ。だったらやっぱアレじゃない?」
と、恐ろしい提案をしてのけたのは物辺祝子だ。彼女の言葉に逆らえる人物は、その日ドバイには居なかった。
 また妥当な判断でもある。

 敵である宇宙人の力を用いる襲撃者は、こちらに万全の迎撃体制が有ると知る。敢えて罠を仕掛けるのであれば、餌がよほど魅力的でなければなるまい。

 ブルジュ・ドバイは構想の初めからテロに対する万全の警戒が為されている。
 〇一年アメリカ同時多発テロでニューヨークの貿易センタービルが無残にも崩落した光景を世界中の誰もが目に焼き付けた。
 「世界一の高層建築」計画と来れば、まず真っ先に狙われる。貿易センタービルの再現を企むテロリストは何人でも現れよう。
 特にイラク全土を米軍が制圧しなおも戦闘の続く状況において、アメリカの世界戦略を支える経済体制の一翼を担うドバイの金融市場が狙われない道理が無いのだ。

 今回みのりのお見合いを企画運営するNWOはまさにアメリカの世界支配を背景として成り立つ。それに協力する中東・アジア・アフリカの有力者支配者の子弟が、ここドバイに集まった。
 彼等がまさしく「バベルの塔」で痴人の宴を繰り広げるのだ。

 襲撃せずになんとする。

 

「ほふりこさん、これどうですかあ?」
「黄色がいいな。やはりお前は黄色が似合う。」
「でしょ。自分でも自信があるんです。」
「いやーまさに、京劇の孫悟空だな。」
「ひどいほふりこさん。」

 お見合いの衣装も敵の襲撃を前提として動きやすいチャイナドレスを選択した。もちろん深いスリットが腰まで切れ上がって、迫力の有る腿脚がぞっくりと露わになる。
 のは祝子の方で、みのりはチャイナと言ってもズボンを履いている。
 艶っぽいのも試してはみたが、ちんちくりんの背丈手足ではなんとも笑いがこみ上げて、お手伝いのメイド達も頬を引き攣らせ吹き出すのを堪えるのに懸命であった。
 ちなみに「塩」によって病院送りにされた彼女等も、一晩休んでちゃんと回復する。

 みのり、京劇の役者が着るような派手な装飾の入った服が手足鎖に引っ掛からないか、ちょっと暴れて確かめてみた。
 うん、大丈夫。

 鏡を覗いて、メイクアップアーティストの仕事を確かめる祝子は言った。

「しかし建設中のビルてのは、いいな。どれだけ暴れてもなんの心配も要らない。」
「そうなんです! 建設中ですから屋内に美術品とか高級じゅうたんとか巨大水槽とか金色の柱なんて高価そうな装飾が一切無くて、もう安心なんです。」
「ああ、よく我慢したなみのり。敵に殺されるよりも調度を傷つける方がおまえには堪えるだろ。」
「そうなんです。生きた心地もしないです。」

 今回本当に心配要らないと聞かされて、みのり本心から安堵する。
 いやもちろん建設途中のビルだって壊せば経済的損失は出るのだが、どうせまだ鉄骨とコンクリだ。内装工事だって中途半端。
 第一工事中なら作り直せばいいじゃないか。

「しかしそんな調子じゃ、金持ちの所に嫁に行けないな。」
「実は自分でもそんな気がします。」
「そうだなー、誰か代わってやればいいのに。お、そうだ。昨日あたしら豪華客船で海賊と遊んだんだが、中でお前の偽者に会ったぞ。」
「あ、それスクナくんが用意してくれた影武者だ。どんな子でした?」
「どんなもなにも、」

 祝子振り返り、脚を高く上げバランスを保って服の自由度を確かめるみのりを見る。

「……お前よりはるかに美人だ。」
「え? 影武者なのに?」
「そりゃ超常の力を使う小娘と聞けば、ちょっとくらいは神秘的なものを期待するさ。実物より綺麗な方が本物らしい。」

 うう。らしい理屈ではあるが、納得いかない。

「正体はタイの女優だった。おまえの背丈に合わせる為に、二歳ほど歳下を選んでる。中学生だな。」
「よく分かりましたねそんな情報。」
「ああ。本人と話して聞いた。」

 それは影武者大災難。物辺村関係者に遭遇するのが、彼女にとって一番のネックだろうに。
 ほふりこさんはこういう事を平気でする。根性のネジ曲がった人の情けを知らない女だとは知っているが、幾らなんでも冷酷だ。
 自分だったら会った瞬間呼吸が止まってしまう。

「それで、どんな子でした?」
「いきなりあたしと出食わしてもびびらず、すぐアドリブで立て直した。さすが役者だな。
 物腰柔らかだし優雅だし、それでいて運動神経いいし機転も利いて語学もそこそこ出来る。特に日本語は完璧だ。あれはみっちりと勉強した成果だな。」

 うう、ちょうのうりょくで語学して悪うございました……。

「みのり、あの影武者ちょっと出来がいいぞ。」
「はあ、スクナくんがわたしに配慮してくれたんです。」
「うん。だから、これは大切にしろ。自分でカネを出して雇え。」

「え?」
「これから見合いとか何度でもやらされるだろ。その時ダブルが居れば至極便利だ。」
「ああぅ! なるほど、それは便利です。」
「良い物をもらったな。スクナとか言う奴、なかなか出来る小学生だ。覚えておこう。」

 さすがはスクナくん。ほふりこさんのお眼鏡にすんなり適う。
 しかし影武者がプレゼントとは、なかなかあいつやりやがる。指摘されるまで全然気付かなかった。

「それから豪華客船でな、一緒に冷やし中華を食べた。」
「! 冷やし中華って、日本の冷やし中ですか、冷麺ですか?」
「おう、日本料理のシェフが居てな、美味かったぞ。」

 ずるい! ほふりこさん自分だけずるい!

 

PHASE 291.

 めんどくさいから3人揃ってピンクきてぃちゃんクリムジンでお見合い会場となったブルジュ・ドバイに乗り込む。前後を米軍の戦闘車両に守られながらの行進だ。
 まさか市街戦には及ぶまいとは思うが、敵に何度も蹂躙された末での対応だからなりふり構っては居られない。
 イラク戦では仕掛け爆弾でずいぶんと酷い目に合わされ、対応に装甲を追加倍加で膨れ上がったハンヴィー(HMMWV高機動多用途装輪車両)を用いている。

 みのり、しかしながら疑問に思って聞いてみる。

「ほふりこさん、でもですよ。このお見合いが危険だというのはもう皆知ってるわけですよ。求婚者の人ちゃんと来るでしょうかね?」
「来るさ。危険だからこそ連中は来る。
 みのりあのな、もし危険があって誰も寄り付かない所に、一人だけお姫様を救いに来る王子様が居たら、どうだ?」
「それは感動ですね。」
「だろ。絶対に来るんだよ。それだけのリスクを冒さねば得られない特典があるわけだ。
 むしろ連中は臆病者を排除するふるいが出来たと喜んでるだろ。」
「伝統的な支配階級ってのも、たいへんなんですねえ。」

「ですが、」と、鳶郎が口を挟む。彼の格好もまた動きやすく戦闘し易いものを選んでいるのだが……。うん、凄い。

「ですがみのりさん、何が大事かと言えば誰よりも何よりもまずみのりさんのお身体です。求婚者達を救おうとして自分を危険に曝すのは絶対に止めてください。
 彼等が何百人死のうがみのりさん御一人には代えられない。それほどの価値があなたにはあるのです。」
「それはーNWOの公式見解、ですか?」
「はい。」
「うーん。」

 悩むみのりに祝子がアドバイスを与える。そんな難しい事をこいつに言っても無駄だ。

「深く考えるな。おまえの能力なら目の前に居る人間全員を救えるだろう。だから全力で救え。」
「はい。」
「だが目の前に居ない、何処に居るのかも知らない奴まで救わなくていい。そんな能力はおまえには無いだろ。」
「それはー、優ちゃんなら出来ると思うんですが、」
「おまえには出来ない、だから考えるな。」
「はい。」

「会場に着きました。」

 世界一の高さを誇る建設中のブルジュ・ドバイの基部に、戦車や装甲車が多数集結している。
 兵員も多数で守っているが、参加者の姿は見えない。
 状況を総合指揮本部に詰めるメイスン・フォーストに電話で聞くと、既に全員が入場したと言う。
 一人ひとり身体検査を行って身元確認をした上で、入場許可を与えている。検査に3時間も掛かったらしい。

 鳶郎、メイスンの言葉に驚く。

「え! 拳銃の携帯を許可した、ですか?」
『丸腰ではとても安心できないとの参加者全員の要望に応えて、各組3名の内に護衛を含む事を許可し拳銃1丁の所持とナイフの携帯を認めました。防弾着の着用もアリです。』

 あまりに物騒な台詞に鳶郎は祝子とみのりを振り返るが、二人とも肩をすくめるだけだ。

「聞いたろみのり、心配は要らないんだ。ダメなら連中の自己責任だ。」
「はい。あまり考えないようにします。」
「求婚者同士の決闘とかあるかもしれないが、手を出すな。あくまで狙いは宇宙人の力を使う奴だ。」

 うなずくみのりだが、やはり楽しいお見合いパーティにはならないんだなと改めて覚悟を決める。

 

 ドバイ時間午後六時。
 日の高い内に片付けたかったが、急遽設定された会場と警備の動員から、これが最速の準備となる。
 それに白昼堂々と敵が攻撃してくるとも思えない。来るのはとにかく、逃げるに明るい昼間は不利である。
 敵の都合も配慮して黄昏時を選ぶのも戦略の内。それに第一、まだ夏の日は落ちない。
 ようやく熱気が落ち着きを見せる頃合いだ。

 傾いた陽が投げ掛けるブルジュ・ドバイの影で足元一帯はすっかり暗くなる。さすが世界一ビルだけあって、投影面積の巨大さも世界一だ。
 正面玄関の車止めでは灯を付けて主役を迎える。軍用車両も探照灯の準備を始めている。

 前後のハンヴィーが列から離れて所定の位置に着き、ピンクのきてぃちゃんリムジンが停止した。
 直ちに一個小隊の兵士が周囲を取り囲む。警戒の目を険しく全周に走らせ、車両の上のM2重機関銃もスタンバイ。

 無線の通話で安全を確認する声が複数響き、ようやく降車の許可が出る。

 きてぃちゃんリムジンのドアをボディアーマーで完全武装した兵士が開けて、まず降り立ったのは鳶郎だ。
 NINJA。TVゲームで出てくるような身体各所に複合セラミックスの防具を纏った忍者武者の姿、背には日本刀までも担いでいる。
 さすがの兵士もこれにはビックリした。
 本物のニンジャに遭遇するのも始めてではあるが、殺気まで漂う戦闘モードと対面して背筋に冷たいものが走る。
 これは強い。こちらが近代的な銃火器で武装していても、手も無く斬られてしまうのが容易に予想出来てしまう。

 続いて降りたのが、紺青の地に鮮やかに紅い朝顔を染め抜いたチャイナドレスの物辺祝子。
 長い黒髪はアップにまとめてやはり動きやすさに主眼を置くが、アダルトさが引き立ち崇高さ三倍段だ。
 想像を絶する美女の登場に、玄関前を警備する小隊が揃って直立不動となる。
 彼等も今日の任務が尋常ではないと理解するが、女神かと思える人までが参加するのだからよほどの大事と心得る。
 ひょっとしてこの会合で世界の命運までもが決まってしまうのだろうか。

 二人が車から離れて、そしてみのりが降りたのだが、目立たない。皆祝子に目を奪われて、黄色い孫悟空なんか視界の外に追いやってしまう。
 だから悠然と運転席に顔を寄せ、開いた窓から顔を出すユダヤ人のお姉さんと運転する黒人のお姉さんに指示出来る。

「じゃあちょっと行ってきますから、ここで戻ってください。最低でも1キロは離れていた方がいいと思います。」
「ご指示通りに待機しております。ご武運を。」
「うん。」

 みのり、舞台となるビルの全景を確かめようと見上げるが、目の前にそびえるのは黒い山。建物とは到底思えない。
 人類はここまでのものを作れる程に進歩したのかと驚嘆するが、同時にオーナー事業者に済まないとも思う。

 ちょっと荒らさせていただきますよ。

 

PHASE 292.

 1階。イギリス風に言うと地上階。
 吹き抜けで10階建て分の広大な空間がエントランスとなっていて、正直建物の内部か外部か分からない。
 開業後であれば空間全てに華麗な装飾が施されるのだろうが、いまだ寒々しい打ちっぱなしのコンクリートが剥き出しで戦闘にはうってつけ。

 何故か人が多い。

「何事。」

 尋ねてみると、これは求婚者達の護衛だと言う。相互に対立する関係の多い彼等は、前回お見合いの反省から緩衝材としての護衛を伴った。
 しかし会場となる地上百メートル付近の展望室に全員は多過ぎて入れず、やむなく地上で待機する。

 みのり不思議に思う。

「百メートルの展望室って、もう使えるんですか?」
「ここだけは内装も入れているそうです。出資者やマスコミに宣伝する為に、眺めの良い適当な高さに展望室を設けたのですね。」
「なるほど。」

「これだけのビルともなれば、建設途中の見学も面白いからなあ。」

 エレベーターも資材運搬用のものが使える。頂上まで直行ではないが高さ百メートルまで一気に上る代物なんて、みのりはまだお目にかかった事が無い。
 祝子、聞き咎める。

「待てみのり、おまえ門代の港にあるタワーマンション昇った事無いのか? あれの展望台百メートル越えてるんだぞ。」
「え? あ! そうか、あのビルはそんな高さが有ったんだ。気付かなかった。」
「バカ、高校から見えてるだろうが。今度昇って来い。」
「あい。」

 物辺村とは正反対の場所にあるから意識からすっかり抜け落ちていたが、もちろん日本にだって高層建築はぼんぼん建っているのだ。
 東京では600メートルの新東京タワーがこの夏めでたく着工の運びとなった。
 実感は全くないが、日本経済は現在史上最長の好景気の中にある、らしい。

 パーティのスタッフが1名、みのり達の傍に寄り何事か報告しようとする。警備の兵士に止められた。
 みのり、隊長を呼んで以後の兵士による随行警備は遠慮してもらう。
 ここから先は自分達の戦場。兵隊さんでは残念ながら荷が重い。

「それで、何でしょうか。」
「裏の資材置き場にプリンセス”TOYOTAMA”への贈り物が多数届けられておりまして、一度見分してもらいたいと求婚者の方々が申し入れて来ております。」
「宝物ですか?」
「いやあ一度見て貰えれば十分だという事で、見分が済めば早速に返却措置を取りたいのです。運営上多大な負担になりますもので。」
「分かりました。で、なにがそんなに沢山、」
「ご覧頂くのが一番でしょう。」

 祝子の顔を見ると、自分は関係無いよと表情で伝えてくる。鳶郎も祝子を守るというから、みのり一人がスタッフの案内でその場を離れた。

 正面エントランスからちょっと外れた、おそらく商店のテナントが入るスペースはまったくに手付かずでただ広いばかりだ。
 なにしろ世界一ビルだから、基部だけで大きな駅ビルがすっぽり入ってしまう。いや、物辺島自体が入ってしまう。

 広過ぎてだんだん不安になる。東も西も分からず、ただ案内されるままに歩いて行く。
 曲がりくねった連絡通路を抜けた先に有る広間は。

「なんだこりゃ、」

 め〜とかみ〜とかぷぎゃあとかの種種雑多の声がする。アニマル王国が展開されていた。
 二日目外出時にホテルの正面玄関で遭遇したゾウ使いのおじさんにみのりが深く心を動かされる姿から、求婚者達はペット動物こそが攻略の鍵と見定めた。
 その結果がコレ。世界中あらゆる場所から取り寄せた珍獣奇獣の数々だ。
 犬猫鳥鰐亀蛇仔馬綿羊山羊アルパカ、もこもこやふわふわがそこかしこに散らばって、

 そして動物達を世話する人々。

 全員全匹が、壁や天井に張り付けにされている。

「がゃあああ!」
と案内してきたスタッフまでもが見えないチカラに弾かれて悲鳴を上げ、みのりの傍から飛ばされた。
 コンクリ打ちっぱなしの柱に激突すると、そのまま高さ180センチ辺りで卍型に手足を曲げて磔になる。

「……糸?」

 よく目を凝らすと、人も動物も細い赫い糸で縛られている。広いスペース全体に糸が縦横無尽に走り、百匹を越える動物と同数の人間を壁面に固定していた。

「ひょほおほおほほおほ。うぐぅぃ。」

 いかにも頭のおかしな悪党らしい珍奇な笑い声を上げながら、その男は部屋の中央に浮く。
 小さなカーペットに胡座をかいたまま、宙を漂っていた。まさに魔法の絨毯。

「おお! アラビアンナイトだ。」
「お気に召してもらえたかな、ゲキの少女よ。私は絨毯職人で名はサッジャード、特技は見ての通りに人間を楽しい模様にして部屋を彩ることだ。」
「これはー、攻撃と考えていいんですか?」
「ああん。だが動くなよ。一歩でも動いたらこの弦糸がぴぃいーんと鳴り響き、すべての生き物が真っ赤な模様に変わってしまう。断末魔の絶叫で交響詩ができてしまうかな。ひゅはははあほうほおお。」

 今度の敵は糸使いだ。しかも人質を取る。
 確かにこれだけの人と動物を一度に拘束する力は尋常ではない。だけでなく、糸と言うからにはビル全体に張り巡らし、警備情報を掴んだりもするのだろう。
 人を拘束する能力は「塩」も使ったが、こちらの方がより強力。なにせ空に浮くくらいだし。

 改めて男の姿を見ると、アラブ人というよりは普通の人、ターバンは巻かないし髭も生やしていない。髪は茶色でぼさぼさで汚く伸びて、身なりにはとんと気を使わないらしい。
 焦げ茶色の作務衣みたいな作業着を着ている。自ら絨毯職人と言うから、ほんとうに職人なのかもしれない。
 せっかくの宇宙人能力をお金儲けには使っていないのだろうか。

 みのり、確認した。

「えーとつまりあなたは、拘束する能力ですね? いきなり爆発とかはしない。」
「爆発はしないが、人は弾けて真っ赤な血潮を噴き出すぞ。さあどうする、何が出来る。ゲキの少女よ。」

 男はにたにたと笑い続ける。おそらくは、みのりがどんな要求を呑んだとしても人質全員皆殺しであろう。
 金儲けには使わなくとも、能力はちゃんと自らの趣味として用いるのだ。サイコパスの変質者なのかも知れない。

 こんな奴、まともに相手をするのも時間の無駄。

「優ちゃん?」

 首の後の不可視の電話を使って、物辺村の優子を呼び出す。

「あいよ。状況はちゃんと掴んでいる」
「おねがい。」
「任された」

 ぴぃいーん、と弦が鳴り甲高い音が響き、だがそれは術者のサッジャードが意図したものではない。
 糸が緩んで封じられていた人も獣も解放され、一斉に逃げ出した。
 自らの力が一瞬で失われて、サッジャードは状況をまったく理解できない。

「な、なにをした。なにをやらかした!」
「いや、拘束て手段を2回も使うのはやっぱりバカだと思うんですよね、」
「ば、バカだと、ばかに、馬鹿にするな。この罠もう一歩おまえが踏み込めば、糸が周囲から絡み付き巻き付いて肉を細切れに、」
「ああ、そういう風にも使えるんだ。」
「なにをした、私の力になにをした。」

「ハッキングです。糸を操っているスプライトのコントロールをハッキングしてこちらで掌握して、解除しちゃいました。」
「なんだってえ! コンピューターじゃないぞお、神秘の力だぞ。そんなバカな真似が、」

 この男、絨毯職人のサッジャードはあまり頭が良くないようだ。自らの能力に溺れて研究も訓練も特に積み重ねて来なかったのだろう。
 宇宙人の力は便利過ぎるから、与えられた地球人は往々にして無能に成り下がる。自ら陥穽に嵌る。
 自重をみのりも固く心に誓う。

 サッジャードはついに空飛ぶ絨毯からも転げ落ちた。
 彼のスプライト能力は弦糸の「接触」によって伝達される。ハッキングにはまったく耐性が無い。
 みのり、つかつかと近付いて、腰の後のポーチに入れた水鉄砲を取り出した。もちろん中身はゲキロボ特製シャボン水。

「ぎゃああああああああああ。」
 いちいち悲鳴が大袈裟だ。石鹸水掛けられても痛くも痒くも無いものを。

「力が、私の力がーあ、」
「ハイ終了ー。」

 腰を抜かして床を這って逃げるサッジャードは、その場に通りかかったロバに蹴飛ばされて失神する。
 鉄球は必要無かった。まったく。

 

PHASE 293.

おんあぼぉきゃべいろしゃのうまかぼだらまにはんもじんばらばらりたやうん

 エントランスに戻ってきたみのりは、いきなり真白き光に包まれた。
 吹き抜けの広場全体を清浄で純粋な白色光が満たしていたのだ。
 何故そんな光が有る、というよりも何故自分はこんな光の中にのこのこと踏み込んでしまったのか、それが理解できない。

 あまりにも光が強過ぎて今は何も見えないが、先程まで見えていた光景を思い出すと、
 祝子さんと鳶郎さんが居て、鳶郎さんが祝子さんをかばうように覆い被さって、つまり白い光から守る形でポーズを決めていたわけだ。
 その他の人達、求婚者のボディガード達も同様に、自らを攻撃から守る姿勢を作っている。
 以上から推察して、みのりが広場に到達する以前に白色光は十分な光量で投げ掛けられていた事になる。

 全然気付かなかった……。

 そもそもこの光は何処から発しているのか。
 広場の中心にお坊さんが立っていた。インドのヨガ修行者のような上半身ハダカでオレンジ色の衣を肩から腰にかけて巻いている。
 袈裟と呼んだ方がよいだろう。みのりの記憶が正しければ、これはむしろ仏教のお坊さんだ。
 ならばタイかチベットの人か。

 思い出した。みのりはお坊さんが来ているのに少しびっくりしたのだ。
 まさか僧職に在る人がみのりに求婚はしないだろうに、何故と思って近づいた。
 30メートルほどの距離に踏み込んだ瞬間。

おんあぼぉきゃべいろしゃのうまかぼだらまにはんもじんばらばらりたやうん
おんあぼぉきゃべいろしゃのうまかぼだらまにはんもじんばらばらりたやうん

 よく新書を読むみのりは雑食性で色んな知識を持っている。物知らずだと鳩保にバカにされるから、知識で武装する必要があるのだ。
 だから別におまじないなど信じはしないが、密教の真言についてもそれなりに知っている。
 これは「光明真言」だ。

 大日如来毘盧遮那仏の御力である光明をもって一切の悪業罪障を除滅する、極めて強力な呪法だ。
 ほとけさまの無限の光が空間のすべてを埋め尽くして対抗できない。
 いやまぶたを閉じても、腕をかざしても、鉄球を前に掲げても光を防げない。網膜に直接投影されるかに何も見えなくなった。
 熱くも無ければ痛くもないが、その代わり得体の知れない複合的な感触が圧倒的なボリュームで全身を覆う。触覚痛覚も封じられた。

 のみならず平衡感覚までもおかしくなり、立っている事が出来なくなる。まるで無重力空間に浮いているかに感覚が無い。
 地面に着いている感覚も無い。まっすぐ立てないのなら倒れるだろうが、今自分がどんな姿勢を取っているかも定かではなくなった。

おんあぼぉきゃべいろしゃのうまかぼだらまにはんもじんばらばらりたやうん
おーむあもーがばいろーちゃなまはーむどらまにぱどまじゅばらぷるばるたやふーん

 聴覚も封じられて音は聞こえないのだが、とにかく真言だけが確実に耳に飛び込んでくる。
 これは明らかに敵の攻撃だ。声ではないがお坊さんの語る言葉が心に伝わる。

『汝今生に罪無しとはいえ人之世千歳の禍根とならん。御仏が大慈悲の真言にて六道を貫き疾く西方浄土極楽往生せん』

「きみちゃん、きみちゃんたすけて!」
「みのりちゃん、これはたまらん。無茶苦茶な攻撃だ。こっちのコンピュータまでダメージが来てる!」

 物辺神社でサポートしている喜味子からも悲鳴に似た報告が返ってくる。
 ゲキロボと直結して管制に使っている四角い白いゲーム機と14インチブラウン管テレビが暴走を始めたのだ。画面がぴかぴか光って何も見えない。
 通話自体はゲキロボ本来の能力である首根っこ電話を通じて行われるから支障は無いが、それを聞く脳内の言語野にもノイズが侵入して、聞き取り難い。

「きみちゃん、このひかり、どうにかして!」
「みのり落ち着け。これは光じゃない、情報だ」
「ぽぽー、じょうほうって、なにこれ?」
「光じゃない、情報を直接感覚器官に外挿してるんだ。この宇宙人の能力は大量の情報を投影して処理機能を麻痺させるものだ」
「どうしたらいいの? このままじゃわたし」
「そう、このままでは身体各部のありとあらゆる場所で神経が誤情報で暴走してしまう。直接坊主を攻撃しろ」
「できないよ、前が見えない。」

おんあぼぉきゃべいろしゃのうまかぼだらまにはんもじんばらばらりたやうんおんあぼぉきゃべいろしゃのうまかぼだらまにはんもじんばらばらりたやうん
おんあぼぉきゃべいろしゃのうまかぼだらまにはんもじんばらばらりたやうんおんあぼぉきゃべいろしゃのうまかぼだらまにはんもじんばらばらりたやうん
おんあぼぉきゃべいろしゃのうまかぼだらまにはんもじんばらばらりたやうんおんあぼぉきゃべいろしゃのうまかぼだらまにはんもじんばらばらりたやうん

おんばざらだど・ばん

 思考が麻痺し始める。何も考えられない。
 神経というなら脳がまず影響を受けるだろう。情報を処理する器官である脳が麻痺すれば、呼吸も心臓も止まってしまう。

 物辺村でもパニックに陥っていた。
 この力、でたらめだ。防御手段がまるで効かない。バリアを張る事も出来ない。
 出来ないも道理で、完全素通りで投影されておりブロックする鍵が見つからない。ブロックしないとは、術者本人ですら能力の影響を受けるという事だ。
 常人であれば本人がとっくの昔に死んでいるはず。だが強靭な精神を徹底的に肉体を痛めつける修行にて鍛錬しており、ありえない攻撃を実現する。
 絨毯職人とは大違いだ。
 この敵はクリンタ城で授かった宇宙人の力に溺れること無く自らを金剛石に鍛え上げ、強い意志の下で世界鎮護の為に用いている。

 生半可な正義の味方であるゲキの少女では勝てない。

 物辺村では討議が続いている。
 空間を直接分断して敵を亜空間に閉じ込め遮断するか、迂回経路を使ってイカロボを遠隔操作して直接攻撃でぶっ殺すか、選択を迫られる。

 が、みのり本人がもう限界だ。
 でたらめに鉄球鎖を振り回しても決して当たる事は無い。第一近くに居る人に当たってしまう。ダメ、これは。
 自分にはゲキから与えられた超感覚があるはずなのに、まさかこんなにも無力に封じられるとは。

 遠く、喜味子が叫んだ。言葉にノイズが乗って聞き取り難い。

「みぃちゃん、五感も第六感もダメなら、セブンセンシズだ!」
「!」

 声にならない声を上げ、鉄球鎖を投げて自らの周囲に円を描く。
 自分ではコントロール出来ないが、鎖本体が意図を認識して正確に輪の防御陣を張った。

 

 みのりは何と言ったのだろう。もし声が敵の僧侶に届いていれば、あるいは勝敗は転じたのかも知れない。

 気がつくと僧侶は床に倒れている。自ら鎖の防御陣に踏み込んで自動防御の餌食となったのだ。
 祝子も鳶郎も頭を振って立ち上がる。後遺症は無さそうだが、強烈な攻撃にしばしショック状態が続く。
 見回せば、求婚者のボディガード達も皆無事なようだ。
 しかし彼等の大半は宇宙人の攻撃を初めて受けたはず。しばらく安静にして経過観察をすべきだろう。

 祝子が言う。

「チェーンか、自分の周りに鎖でバリアを張ったんだな。」
「さすがにゲキの力は敵の情報攻撃を受け付けませんから、任せてみました。」
「おまえ、さっきなんか言っただろ。その声だけはちゃんと聞こえたぞ。」
「あー、うちのお父さんが昔読んでいたマンガが家にありまして、わたしも小さい頃からそれ読んでたんですよ。」

「そうか、わかった。「ネビュラチェーン」だな。」

 

PHASE 294.

 これで七つの敵を全て葬り去った。
 だが昨日捕獲したザックームを訊問して、最後の敵の存在を掴んでいる。
 ラスボスだ。

 百メートル上の展望室に求婚者達は集合しているはずだが、現在連絡が取れない。
 地上階が攻撃を受けてこの有様なのだから、上も既に敵の手に落ちていると考えるべきだろう。
 だが昇る。わざと敵の攻撃を受けて逆襲し殲滅するのが、今回の作戦の目的だ。

 しかし絨毯職人はともかく僧侶の真言の強烈さに、エレベーターに一人乗るみのりは戦慄する。
 ラスボスというくらいだからアレよりも更に強力なのだろう。どんな手段で待ち構えているか。

 エレベーターの扉が開いて展望室に降りても、静寂なままだ。だが人いきれはする。
 200人を越える求婚者が全員息を殺して事態を見守っていた。
 既にこの階は敵の占領下にある。

 探すまでもない。展望室は一応内装が整って簡易なパーティも催せるようになっており、中心にはピアノも据えてある。
 ピアニストの白人女性が緊張したまま、柔らかにソナタを奏でていた。
 傍に男が立っている。
 服装は黒で裾が長くカトリックの神父に似るが、今日的に表現すれば映画「マトリックス」の主人公みたいと言うべきか。

 年齢は35歳、黒髪黒髭で背は177センチ。アラブ人だと思うが少し違う感じもする。
 どこが、と思ってよく見ると目だ。瞳が薄い瑠璃色をしている。ドバイに来て色んな人種の人と会ったが、この色は始めて。
 そしてハンサムだ。さすがザックームがのろけるだけはある。

 名はサルマン・ナサラ。表の職業は密輸業者の元締め、犯罪者である。

 彼は言った。みのりが下で倒した僧侶の話だ。

「マツダ大師が退けられるとは思わなかった。彼は最強だ、我等の内で敵う者は無い。」
「あなたがクリンタ城で力を授けられた最後の人間ですね。投降してください。」

 首をひねる。彼が疑問に思う理由もザックームは白状していた。
 彼女の言によれば、彼はイレギュラーなのだ。

「クリンタ城か、確かに7人は招かれたが私は未だ到ってはいない。」
「聞いています。あなたはザックームから力を分け与えられたのですね。でも言ってました、あなたが一番強いと。」
「ザックームは、彼女は私に死ぬなと言った。身を守る力をくれた。
 だがそれだけだ。敵に勝つ力は持っていない。」

 彼の2メートル前に人型の光がうっすらと姿を見せる。スプライト能力によって形作られるイメージだ。
 透明感のある銀色、ガラス細工の華奢な滑らかさで形状に尖った所を持たない。

 彼は右の手を少し上げて、ピアニストに演奏を止めさせる。そのまま女性が引き下がるのを許した。
 落ち着いている、余裕が有る。人間的な大きさが感じられた。
 相当修羅場を潜っているな、とみのりは睨む。命懸けの取引、駆け引きで彼の胆力は鍛えられている。

「私はただ、不死身なだけだ。」

 これはみのりに対してではない。
 求婚者の一人が懐に隠していた拳銃で密かに狙うのに気付いて、言った。挑発した。
 言葉のままに求婚者は撃つ。ここで敵を倒せば衆に抜きん出て結婚に有利なのは確か。賭ける価値は有る。

 コンパクトなグロック26から発射された9ミリパラベラム弾は過つ事無く男の胸を目指し、当たる。彼は少し揺らいだ。
 だが跳弾がまったく別の場所で跳ね強化ガラスの窓をわずかに傷つけ、どこかに紛れる。弾が消えた辺りに立っていた人がざわつく。

 求婚者は弾倉にある10発全てを連射して、展望室中を混乱に陥れる。外れた弾が駆け巡り、何人もを傷つけた。
 だが標的にはまったく効果が無い。

 彼は大きく両の腕を広げて、肩をすくめて見せる。
 そんなものじゃ自分は殺せない。

 

PHASE 295.

「きみちゃん?」

 みのりは物辺村に連絡する。今の銃弾の防御は見えなかった。銀色の人型が働いた気配も無い。
 物辺村で解析してスプライトの能力の性質が解明出来なかったか。

「みのりちゃん、これ斥力場だ」
「斥力、バリア?」
「違う、ものを跳ね除ける力だ。重く早い運動エネルギーの大きな物体ほど強力に跳ね返される」
「鉄球では勝てないの。」
「ふわふわする風船を追い駆けるみたいになる。ちょっと大変だ」

「エネルギーを集中して斥力場を突破すればいい」

 物辺優子が至当な方法を提示する。まったくもって常道かつ王道ではあるが、喜味子は難色を示す。

「いや優ちゃん、そりゃ身も蓋も無い有効な手だけど、術者も粉砕されるから」
「事ここに至っては殺しても構わんだろ。NWOも文句は言わない」
「そりゃそうなんだけど、みのりちゃんがね」

 うんうんとみのりうなずく。ひとごろしは良くない、もっと穏当な策を示してちょうだい。
 ならばと鳩保が口を挟む。

「接近して水鉄砲を使えばいいじゃん」
「その手があった。」

「だめだよぽぽー。水鉄砲くらいは弾くさ、どんな近距離だって防げるよ。直接塗りこまないと」
「だめか」
「だいたいね、斥力場は花憐ちゃんも持ってるんだ。本人に対策聞けばいいさ」

 喜味子に話を振られて花憐おっと驚く。そうか、自分の高速移動時のバリアは斥力場って奴だったんだ。

「あーえーとみのりちゃんね、」
「うんうん、花憐ちゃんどうすればいいの?」
「あーそうねー、めんどくさいから時間停止してぶん殴っちゃえばいいんじゃないかしら」

 それだ!
 求婚者は200人も居る。半数が拳銃所持だとすれば、無茶苦茶な事態になりかねない。
 先手必勝サルマンを叩きのめす。

「ストップ・ウォッチ!」

 時間が静止した。様々な姿勢で銃弾を避ける人がオブジェとなって立ち並ぶ。
 これだけ混んでいれば鉄球を振り回すのも骨だから、一気に踏み込んで至近でぶっ叩く。

”!”

 人型が反応した。加速した空間の中みのりに呼応して動く。
 サルマンも加速能力を持っているのか? 違う、人型が自律して判断し防御行動を取るのだ。
 地球人の術者の判断に任せていれば銃弾なんかを的確に防げない。

 がつん、と鉄球が斥力場に接触してエネルギーを吸い取られる。威力のすべてが人型に移り、術者諸共宙に飛び逃げる。
 喜味子の言う通り、風船を捕まえる追いかけっこになってしまった。

「解除。」

 みのりは諦めた。
 加速空間中の戦闘はみのり本人にとっても有利ではない。空気抵抗を押しのけて動くのに凄まじいエネルギー消費を必要とし、お腹が空くのだ。

 速度の戻った展望室では驚くべき光景が再開される。
 ピアノの傍に立っていたサルマンがいきなり消滅して、まったく別の場所に出現する。
 見る人によってはテレポーテーションを使ったかに思えただろう。真相はみのりに殴られて弾け飛んだだけだが、彼等には分からない。

 サルマン、斥力場によってスピードを殺して展望室の隅にゆっくりと降り立つ。やはり無傷、あれだけの速度で移動してもダメージは無い。

「ゲキの少女はさすがだな。あんな高速で攻撃が出来るとは思わなかった。まるで人間砲弾だ。」

 まったく加速能力を持たないわけでも無いらしい。
 少なくともみのりが何をしたかを知る程度の高速化は有る。もしくは、事後に皮膚常在宇宙人リュルフュンから知らされるのか。

 彼が少し笑った。せっかちなお姫様を咎める気は無いが、演説の段取りを違えてもらっては困る。

「まだ説明が半分だ。なるほど私は不死身だが、クリンタ城の他の仲間のような攻撃力を持たない。
 そもそも城に赴いて力を授かったわけではないから、彼等からは一等下の存在に思われている。」

「あなたがボスではないの?」
「取りまとめ役という意味ならYESだが、上に立つ存在ではない。そもそも彼等は一つにまとまって集団として行動する気が無い。」
「では何の為にお見合いパーティを破壊しに来た。」
「それこそが核心だ。」

 声を大きく上げる。これこそが彼がここに居る理由、NWOに歯向かう由縁だ。

「私はクリンタ城の主が与える素晴らしい力の可能性を知った。もし7人の仲間が一致協力して戦えば、新たな国だって立ち上げられる。
 アメリカとユダヤ人によって奪われた祖国を取り戻す事も容易い。
 欧米の帝国主義者に協力して甘い汁を吸い、虐げられる民族を踏み台にして栄華を誇る各国の支配階級に鉄槌を加えるのも可能だろう。」

 更に自分には協力者が居る、と上着のポケットから光線銃のようなものを取り出した。
 それはまさにSFマンガアニメに出てくる、今時はもっとまともなリアリズムの有る形をしているから出てこないが、光線銃以外の何物にも見えない。

「これは23世紀の歩兵携帯火器だと聞く。レーザーだ。現在の戦車砲をも越える威力を持つ。
 何者か定かではないが、不思議な少年が私に接近して授けてくれた。」

 

PHASE 296.

 サルマンが掲げる光線銃に展望室の求婚者達は一斉に反応し、身を屈める様子を見せる。
 彼が一同を制圧する際に使って見せたのだろう。

 提供者はもちろん、あの子しか居まい。

 みのり考える。いかに23世紀の武器だとはいえゲキの鉄球には敵うまい。だが周辺被害甚大で犠牲者が多数出てしまう。
 如何にすべきか。
 だがよくよく考えてみれば、クリンタ城の宇宙人の力を使う敵は8人中7人までをやっつけたのだ。
 事前の構想は既に潰えた。彼一人で何が出来る。
 どうすれば攻撃を止めてもらえるのか。

 率直に尋ねてみる。あなたこれからどうする気なの。
 サルマンもその質問は予想外であって、しばし考えざるを得なかった。今、何の為に自分は戦うのか。

 返事の代わりに光線銃のトリガーを引いた。
 緑の光条が迸り展望室に一文字に線を穿つ。一射ごとの照射時間が0.3秒もあるから鉄やコンクリートを刀のように切り裂く。
 銃というより光の剣と呼ぶべきであろう。

 最初の照射でエレベーターが破壊された。
 続いて床に数回撃ってみる。コンクリートを突き抜け鉄骨が斬り折られ、崩壊する音が足元から響いてくる。
 下には逃げられない。
 求婚者と若干名のスタッフは揃って「上」への避難を強いられる。最頂部636メートルまで。

 我先にと階段に殺到して怒声と靴音が轟音となって通り抜けた後、展望室にはみのりとサルマンだけが残される。
 彼は大きなガラスから高さ百メートルの眼下に広がる夕暮れのドバイ市内を眺めて言った。

「何の為にと問われれば、今は自分の為と答えるしかないな。
 ザックームだけは死んで欲しくないと思っていたが、力を失った今ではむしろ私の運命に巻き込むべきでないだろう。」

「仲間無しで戦っても意味が無いでしょう。クリンタ城の力を使う人はもう、」
「いや城に行けば、クリンタ城の主に認められれば新たな仲間を得て再び集いを開く事が出来る。
 そう、私は城に行かねばならぬ。その為に力を見せねばならぬのだ。」

 銀色の人型が動いて強化ガラスを突き破る。高層ビルの強風が展望室に吹き込み、軽量のみのりは大きく煽られる。
 その姿をサルマンは嬉しげに見る。
 ゲキの少女が自分と同じに、ただ気まぐれに力に選ばれたに過ぎないと認識を確かめるかに。

「私の能力はこの高さから飛び降りても死なない。君はどうだ。」
「まさか、ビルをこのまま倒壊させる気なのか。」
「このブルジュ・ドバイは少々気に入らない建物でね。まるでバベルの塔じゃないか。
 まあ人を狩るついでの仕事だ、優先目標じゃない。頑張って止めてみたまえ。」

 サルマンは百メートルの空中に踏み出した。
 驚いてみのりが駆け寄ると、彼は風船のように風に煽られて浮き上がり、更に上の階に取り付いた。限定的ながら空を飛ぶ能力を持っているのだ。
 再び緑の光条が走り、ビルの外壁を貫く。
 こうして人を上へ上へと追い込んでいくのだが、レーザーで鉄骨を斬られ続けて何時までビルは耐えられるだろうか。

 

 どうすればいいか、と考えるみのりの傍に、白人女性が一人足元もおぼつかずに歩いてくる。ピアニストだ。
 多数の男達が階段に殺到したから、上り損ねたらしい。

 「あの」とみのりに呼びかける。これは困った、上に追わねばならないが、通り過ぎた人を下ろして救助する任務も発生するわけだ。

「あの、貴女はプリンセス”TOYOTAMA”でしょうか。」
「あ、はい。それはわたしです。」
「よかった!」

 彼女は胸を撫で下ろし、抱きついてきた。
 これはしまった面倒だ。そこまで構ってやる余裕が無い、どうしよう。

 なのに、何故か彼女はそのままみのりの首を締めてくる。興奮するのは分かるが、それはちょっと困ります。
「助けてください、たすけてください」と泣き叫びながら、必死で首を絞っている。これは一体何なんだ。

 

PHASE 297.

「助けてくれ」「助けてください」「苦しい、助けて」

と口走りながら殴り掛かってくる人を、みのりは避けつつ階段を上る。
 素手ならばまだいいがナイフや鉄棒、拳銃まで振り回して、だが殺意は無くむしろ自分の行為が理解できないと助けを求めながら襲ってくる。
 なんだこれは。

「あー、これ昨日のザックームの仕業だ」

 喜味子は最初に襲ってきたピアニストの女性を調査して結論する。ちなみに彼女はみのりに殴られて気絶した。

「でも喜味ちゃん、ザックームはもう宇宙人の力無くしているでしょ。どうやって。」
「昨日出てきたミイラ男ね、体の空洞に人間を取り込んで神経細胞を再プログラミングしてしまう機能があるみたいだ。スプライト能力で直接制御しなくても、自発的意志で攻撃してくるように調整できるんだ」
「洗脳か。でも助けてと言ってたよ。これは?」
「いかにも哀れっぽいでしょ、自分は何者かに操られているんだってアピールが。そうしたら心優しいみのりちゃんなら酷いこと出来ないと考えたわけだよ」

 さすがザックーム、卑劣極まりない。
 彼女が仕込んでいたという避難先のホテルでの襲撃は、このような状況を演出する予定だったのだ。
 なるほどひどく心に突き刺さる、残酷な攻撃だ。

 鳩保が感心する。
 精神的に堪えるばかりでなく、襲撃者を気絶させたら避難も出来なくなって、ホテルや塔が壊滅的ダメージを受けた場合多数の犠牲者が出るだろう。
 最終的にはみのり一人があえて殺されるしか選択肢が無くなる。よく考えているものだ。

「みのりちゃん、こいつはちょっとピンチだぞ」
「分かってるからどうにかして!」
「応援を寄越そう。イカロボを人質救出に投入する」
「うんうん。」
「だからみのりちゃんは遠慮容赦なくぶん殴って気絶させて。新兵器もそちらに転送する」

 おお、とみのりは驚いた。物辺村からドバイまで、物品を転送させるなんて芸当も出来るのか。
 実際はゲキ虫によって指定の品を現地で再構成するのだが、無論その方がよほど早くてモノも良い。

 輝く光の中に出現した新兵器とは。

「……結束バンド?」
「うん、ぶん殴った奴をこいつで拘束しとけば、後でイカロボが回収する。じゃあグッドラック!」

 家庭菜園で使う結束バンドの束を押し付けられて、みのり絶句する。こんなものでどうしろと言うんだよお。

「助けて」「たすけてくれ」「頼む、止めてくれ。私を助けてくれ」

 手に手に様々な武器を持った男達が哀れっぽい声を出しながらみのりに近付いてくる。
 武器といっても大半が建設・内装工事用の工具であるが、釘打ち銃を振りかざしていたりもする。
 気絶させるのも大変だ。人間けっこう丈夫に出来ていて、誰を殴っても確実に気絶するツボなんて都合のよいものは無かったりする。
 鉄球鎖を使うのも危ないし、

「ああ、なるほど。こうやってね。」

 適当に傷めつけて動けなくしたところで、後ろ手に回して結束バンドで縛れば一丁上がり。意識はあれどもぴくりとも動けなくなる。
 結ぶ手間も要らずぴっと引っ張るだけで、拘束完了。しかもマーカーが付いているから、誰がどこに居るかイカロボにははっきりと識別できる。
 なんだったらこれにロープを結んで地上に下ろしてもよい。ゲキ虫製だから体重200キロでも千切れはしない。
 結束バンド、便利じゃないか。

 問題はむしろ操られていない者だ。
 正気だからもちろんみのりを襲っては来ない。だが助けが必要なのは彼等も同じ。
 ぶん殴るわけにはいかない分黙らせるのに苦労する。いっそこいつらも結束バンドで、と何度思った事か。

 そんな心配をしている内にも、壁を貫いて緑のレーザー光線が襲い来る。
 サルマンは塔の外壁をふわふわ浮きつつ移動して、鉄骨やら構造材を集中的に狙っていく。
 近代的な設計であるから少々のダメージも分散されて塔は健在のままだが、徐々にバランスが狂っていく。
 まるでジェンガの塔を崩すかに、最終的には崩壊に追いやられるだろう。

 

 30分掛かって300メートル地点まで到達した。ちょうど半分だが、それでも東京タワー並の高さである。
 求婚者達はおおむね体力に優れ健康な者が多いのだが、さすがに200メートルの階段を駆け上れば全員疲れて倒れてしまう。
 これ以上は上れない。ドバイの塔、高過ぎだ。

 みのりはここで迎撃する事を決めた。
 というよりもレーザーに追い回されるのにいい加減飽きた。オフェンスに回るターンだと勝手に決める。
 もちろんみのりには飛び道具が装備されていない。空も飛べない。
 しかし日頃学校体育と部活で鍛えた技が有る。なにせ運動神経は子供の頃から抜群なのだ。

「弾。」
と要求するので、床に倒れて息を切らしているインド人の求婚者は素直に鉄砲玉を差し出した。.45ACPの弾倉だ。
 ぱらぱらとカートリッジを抜き出すと手近の窓辺に寄って、ガラスは既に破壊されている、サルマンが近付いて来るのを待つ。

 彼は基本的に下から攻撃する。人を上に追いやるのが目的だからだ。
 果たして無警戒に浮いている。彼の斥力場の能力では飛行は完全な自由にはならず、吹き上げるビル風が無いと上昇出来ない。
 だから風を読めば近付くタイミングが掴めるのだ。

「よし。」

 みのりは左手に握り締める6発の銃弾を軽く宙に投げた。
 右手ではプラチナに輝く鉄球を根元で握ってぐるぐると手首で回転させている。鉄球で銃弾を軽く叩くと、

 サルマンはいきなり上から銃撃された。しかも斥力場に触れた瞬間炸裂する。
 未使用のまま薬莢ごと飛んでくるから発射薬がショックで爆発した。
 軽量で炸薬量も少ないから害は無いが、予想外の展開でサルマンは少し慌てた。手近の階に飛び込んで銃弾をかわす。

「力で跳ね返せない?」

 斥力場は確かに働いたが、逸らす跳ね返すといった通常の効果が得られない。
 胸元に食い込んで危うかったとさえ言える。
 それも道理、みのりが鉄球で打った弾丸は秒速1500メートルを与えられサルマンに襲い掛かる。
 通常の拳銃弾の5倍の速度だ。彼がこれまでに体験した銃弾のいずれをも軽く凌ぐ。もう少し弾が重ければ斥力場も貫通されるレベルだった。

 みのりは卓球も得意である。テーブルの隅を突く精密な攻撃も難なくやってのけるのだ。

 

PHASE 298.

 ゲームのルールが変わる。壮絶な射撃戦に推移した。

 サルマンは依然としてレーザー光線銃で床下から上に向けて射撃するが、みのりの側も対抗して床を貫いて撃ち下ろす。
 鉛玉だと弱いから、特殊鋼のボルトやコンクリート釘を見つけてきてがんがん鉄球で打ち込んだ。
 いかに斥力場で守られるとはいえ当たり所というものは有り、黒い衣服をかすめて引き千切る。

 みのりの側も人質とされた求婚者達をレーザーから守らねばならない。
 これまでサルマンは直接人体への攻撃は控えてきたが、頭上からの射撃に応じて無差別に撃ってくる。
 人を一つ上の階に上げ、鉄球の鎖を床に這わしてレーザーを反射させるが全部の照射に有効なわけがない。
 求婚者は自らの運に任せて右往左往し、突き抜ける緑の光条にただ怯えるばかりだ。

 しかし、有利は階上に居る者に与えられた。
 幾らなんでもこれだけ撃ちまくれば、床天井が崩れて下に落ちる。サルマンは崩落するコンクリートや部材に押し潰されそうになり、慌てて空中に飛び出した。
 みのり、再度ボルトを左手に掴めるだけ持って狙撃に参る。
 だがサルマンは左の指で上を指して合図する。

「上に、誰も居ない上の階で戦おう」、そう伝えている。
 3つ上の階には誰も居ない。形だけはあるものの内装はまったく手付かずで殺風景だ。
 階段を駆け抜けてみのりが待ち受けると、サルマンがガラスを割って押し入ってくる。
 これまでは斥力場による防御能力しか注目して来なかったが、スプライトによって形作られる銀色の人型は格闘能力もそれなりに有りそうだ。

「プリンセス”TOYOTAMA”、ゲキの力が素晴らしいのは分かった。なるほどこれだけの力が有りしかも5人も居るのならば、世界中の支配者達が膝下にひれ伏すのもよく分かる。」

「あなたはまったく分かっていない。ゲキの力というものは、こんな格闘戦で測れるものじゃない。」
「ああ、確かに。私は中途半端な情報しか与えられていないのかも知れない。NWOという組織に対する認識が誤っているのだろう。」
「それにあなたはクリンタ城の宇宙人についても誤解している。宇宙人リュルフュン(仮名)はただ自分達にとって快適な存在を宿主に選ぶだけだ、戦争や闘争に興味は無い。
 人類社会への介入を望んではいない。」

「そうかも知れない。」

 サルマンの顔は窓から入る夕闇の逆光でよく見えない。だが自嘲でも敗北を予期してもいない、計画通りという顔をしているとみのりには思えた。
 彼はゲキには勝てないと最初から承知でこの勝負を請け負ったのではないか。

「だが私は、たぶん君よりほんの少し力について知っているのだろう。
 ……ここは面白くないな。最後の決戦を行うのは最上階屋上ではどうだろう。」

 確かに閉鎖空間内の戦いはビルへの被害が大き過ぎる。300メートル以下の基部へのダメージは既に限界で、ブルジュ・ドバイは一度解体して建て直すのを余儀なくされるだろう。
 みのりは賛同した。
「いいだろう。屋上に。」
「ではエレベーターを使い給え。これから上へのエレベーターはまだ生きている。」

「……。」
「そうか、先に乗ったら攻撃されると思うか。ならば私も一緒に乗ろう。」

 大胆というか愚かというか、サルマンの度胸は人間離れしている。ただ彼がそこまで出来る理由もみのりは推察出来た。

「ビルを壊す手段が別に有るのですね。爆弾?」
「そういう事だ。屋上での決闘まで手を出すのは賢明ではない。」

 これほどの超高層ビルとなれば、地上から屋上まで直通で上がる一本のエレベーターは効率が悪い。
 ビル内の人の行き来を考えても概ね百メートル高もあれば十分用が足りる。短いエレベーターを何本も乗り継いでいく方が経済的であるのだ。
 ブルジュ・ドバイは未だ建設中だが、資材運搬用のエレベーターが何本も稼働している。クレーンで上げるにはあまりにも高過ぎて風も強く、エレベーターを使う方が安全なわけだ。

 エレベーターの前にみのりとサルマンは並んで立つ。敵味方が同じ函に乗ろうというのだから、不思議な気分にもなろう、
 扉が開いてまずみのりが踏み込んだ。奥まで進み、振り返る。鉄球は持っていない、今は邪魔だから消した。
 サルマンはまず銀色の人型をエレベーター内に入れ、最後に自分が入る。人型は消さない。素手でもみのりは危険と思っているようだ。

 サルマン自身がエレベーターを操作して最上階に向かう。ここからでもまだ300メートルも有って長い。
 何なんだこの桁外れの大きさのビルは。

「君はどうやってその力を手に入れた?」

 不意に尋ねてくる。だがみのりも答えるに難しい質問だ。

「わたしは巻き添えを食って与えられただけです。本当に選ばれたのはお友達で、」
「そうか、だが君も込みで力は選んだのだろう。」

 しばしの沈黙。人型のスプライトがまっすぐにみのりを見詰め続ける。目は4個有って2個ずつ色が違う。赤と金色に透けていた。
 今度はみのりのターン。

「何故こんな事をするのです。力を示してNWOに対抗するつもりなんですか。」
「私達はNWOに対抗する謎の勢力によって雇われているに過ぎない。雇い主には遠大な計画があるのだろうが、私もそれを利用した。
 ステージだよ。神秘の力を劇的に用いるのにふさわしい舞台はそうは無い。
 お誂え向きの出演依頼が飛び込んできたから、飛びついた。そういう事だ。」
「そんなに宇宙人の力をアピールしたかったのですか。」
「いや、」

 サルマンは少し照れたように頬を赤くする。そんな少年じみた自己顕示欲に動かされる歳ではない、と言いたげだ。

「そもそもクリンタ城で力を与えられた7人は、それが宇宙人によるものだと気付いてさえいない。彼等はただ力が有るだけで満足だった。
 私は違う。これだけの力を持つ者が世に埋もれて生きるのを惜しいと思った。力にふさわしい正当な地位があり得るのではないか、そう考えた。
 その為にはやはり世を動かす勢力、支配階級に我々の力を見せつけねばならない。無視できる存在ではないと知らしめねばならない。」

「つまり、NWOに自分達を認識させる事が目的だった?」
「だがそれは、クリンタ城の仲間に対してもそうなんだ。彼等は栄華栄達に興味は無い、自分達が結集して事に当たれば偉大な業績を成し得るとも考えない。
 この個人主義を改めて一つの集団として機能させる為に、大きな仕事が必要だったんだ。
 だから私がまとめ役となって仕事を取って来た。」

「仲間が欲しかった、んですか。」

 みのりの言葉ににやりと笑う。顎を覆う黒い髭の中で、白い歯が光って見えた。

 

PHASE 299.

 屋上636メートル、だがさらに尖塔が建設中で思ったよりも広くない。
 みのりはさすがにおっかなくて、ゆっくりと下を覗いてみた。

「なんだ、これ。砂漠じゃない……。」

 さすがに世界最大のビルだけあって、他の高層建築が足元に見える。普通の家も砂粒ほどで、ドバイ市全体が薄く平たい荒野と砂漠に思えてしまう。
 砂漠の中に忽然と浮かび上がるバベルの塔。
 まさに天に背く人類の所業であった。

 だが今人類に背く敵は、この男。
 みのりは決然と覚悟を定めて立ち向かう。

「さあ来い。」
「うん、だがここからの眺めは絶景だな。これだけの物を作ったとしても、逆に自然の大きさばかりが目に映る。」

 サルマンは神父のように長く裾をひく黒衣を風にたなびかせて、みのりと同じものを見る。
 不思議なほどに殺気が無い。闘争をする気配が失せている。
 また正面切って戦えば必ずみのりが勝つと、彼も分かっているのだ。これまで自分が無事なのも、みのりが手加減しているからと理解する。

「どうした、やらないのか。」
「もう少しだ。もう少し待てばちゃんと、」

 チンと鳴ってケージが開く。みのり達が使ったのとは違うエレベーターから求婚者達が20人ばかり姿を見せる。降りてくる。

「え? なんで?」
「我々は、下に、地面に降りたはずなのに、何故こんな上に。」

 エレベーターはまた下に降りて、再び戻ってくる表示がされる。300メートルで残してきた彼等がどんどん屋上に連れて来られているのだ。
 しまった、これは罠だ。ザックームに洗脳された人間が、地上に降りると見せかけて上に人を連れて来る。
 みのり、サルマンに騙されたと気付く。

「謀ったな!」
「爆弾は上、この尖塔の上だ。そして私はここから飛び降りる。ゲキの少女よ、君の力の強大さは十分に理解した。次に会う時は更に敬意を持って迎えよう。」
「まて、じゃあこれで終り、なのか。」

「終わりだよ。退け時を見極める目を持たないと、私の稼業は成り立たないんだ。」

 高度636メートルから斥力場を使って風船みたいに流れていけば、ドバイ市内のどこにでも逃げられる。
 彼は必ずしもみのりの命が狙いでは無かった。ただ、クリンタ城の仲間がゲキに対抗できるほどの威力を持つと示すだけで十分だ。
 あとは逃げるだけ。

 躊躇なく空に飛び出した。強烈なビル風に吹かれてたちまち夕闇に昏い街の灯に紛れて消える。

「しまった……」

 チンとエレベーターが鳴って再びケージから犠牲者が降りてくる。50人が屋上にたむろする状況に陥った。
 サルマンは爆弾が塔の上に有ると言う。
 ブルジュ・ドバイの尖塔部は192メートル、ただしまだ半分も出来ていない。これが壊れるだけでも大被害間違いなし、屋上の人全滅だ。
 今から爆弾を解除するとしても、いやそもそもみのりにそんな芸当は出来っこない。

 物辺村に救援要請。

「きみちゃん! ぽぽー!」
「あーみのりちゃん、すまん。それダメだ」
「だめって、ダメなの?」
「爆弾さ、ビルの下にも有って今イカロボで解除してる。下だけで30個有って、しかも半分は未来の隠蔽技術使ってやがる」
「そんなきみちゃん、なんとかして」
「いや、まあ。でも上で爆発したくらいなら大丈夫なように設計してるから。うん、なんとかなるよ」

 ダメだ。喜味ちゃんは現代の設計技術を盲信している。下であれだけ鉄骨切られて大丈夫なわけないじゃないか。

「あーみのりちゃん」
「ぽぽー、なんとか」
「おう、実に簡単な方法を教える。尖塔の爆弾は解除できない、爆発する」
「うんうん。」
「ダメなものはダメだから、塔自体を排除しちゃおう。鉄球でぼかちんと」

 そんなあ、とみのりは泣きそうになる。
 鳩保が言う手はそれは正しかろうが、世界一ビルだ、世界中が注目しているのだ。
 みのりが叩き壊したと全世界に知れ渡ると、どんな目に遭うか。

「みのり、あたしだ」
「優ちゃん! 何かアイデアが、」
「ぼかちんだよぼかちん。景気よく行け」
「あうー。」

 もう知らない、どうなっても知らないぞ。
 みのりは鉄球を再び出現させて頭上で超高速大回転させる。
 周囲のギャラリーが目を丸くするのも構わずに、うりゃと中央にそびえ立つ建設中の尖塔に絡みつかせる。
 1周2周と巻いたところでぐいと引っ張ると、自分でやっててウソみたいだが、ぽっきり折れて塔が空中に倒れかかる。
 全部が出来ていないとはいえ60メートルはあろうか。これだけでもちょっとしたビルなのだが、ぽっきり逝った。

 ちなみに力は別にみのりが出しているわけではない。鎖の輪1個ずつに空間を足場とした推進機構が有るのだ。
 傍からだとみのりが怪力で引っ張っているようにしか見えないのは、ケレンという奴だろう。

 鎖をそのまま振り回して地面の上の適当な空き地に、それがまた好都合な広場が結構空いているのださすがドバイ土地には困らない、に向けて塔を投げ出した。
 ビル本体から100メートルも離れたと思った瞬間、

 ぼかちん大正解だ。
 並の爆弾じゃない、小型の核くらいは威力が有るのではないか。
 と思うのは素人の浅はかさ、みのりが爆弾の威力をよく知らないだけ。最近のプラスチック爆弾であれば数キログラムであっても小型ビル1棟くらい十分倒壊せしめられる。

 閃光と爆風に求婚者達も肝を冷やす。こんな爆弾が自分の頭上に仕掛けられていたのか。
 もしみのりが塔ごと排除しなければ、今頃全員死んでいる。

 ただぼかちんが遅過ぎた。あまり遠くまで投げられなかったから、破壊された尖塔のがれきがビル本体の下層部に突き刺さる。
 そこはレーザー光線銃によって鉄骨をずたぼろにされた箇所だ。

 がりがり、と不快な音を建てて世界一ビルが傾ぐ。
 みのりの野生の感覚のみならず、一般人の平衡感覚でも分かるほどに揺らぎ始めた。

 このビルは、ビル全体が倒壊する。

 

PHASE 300.

 尖塔の重量を一気に失ったのもまずかった。バランスが崩れ長周期の振動が起きて、ビル全体が揺らいでいる。
 屋上に残った者は皆理解する。ビルはこのまま倒れてしまう、まるで911のように。

 しかしみのりは諦めない。この人達を何とかしない限り息抜きも出来ない。
 全員抱えて飛び降りるか。さすがにそれは無茶だし、第一下にも瓦礫は降ってくるだろう。
 そういえば下の様子はどうなった。祝子さんと鳶郎さんはちゃんと逃げただろうか。警備の警察軍隊の人はちゃんと退避しただろうか。
 ビル下層階に取り残された結束バンド付きの人達の避難状況は。

「きみちゃん?」
「あーだから言ったんだよ。ビルの屋上で爆発したって、まっすぐ上から衝撃が掛かれば案外と持ち堪えるんだって。そういう風に出来てるんだ」

「それはいいから、きみちゃんビル内の人の避難状況は?」
「ぽぽーがNWO責任者を恫喝してとっくの昔に退避してる。祝子さん達も無事。
 あと下でみのりちゃんが拘束した人もエレベーターで下ろした。イカロボで修復したんだよ」

 さすがきみちゃんだ。堅実すぎて心配が杞憂に終わる。
 ならひょっとしてビル自体もなんとかなるかな。

「ダメだね。世界一ビル建設プロジェクト失敗だあ。まさにバベルの塔の再来さ」
「そんなあ。」
「まあもうちょっと保つよ。イカロボがビル自体に取り憑いて構造を肩代わり始めたから。もうちょっと傾くけどだいじょうぶ」
「あの、イカロボが外れたら、どうなるの。」
「それは聞かない方が精神的に楽かな。」

 楽じゃない。こんなの弁償できないよ。
 だがみのりには別に心に懸かる事がある。

「それでサルマン・ナサラの行方は?」
「ちょっとまって、今ビルで手一杯だから。それにイカロボの空中監視が出来ないから逃がしちゃったかな」

「きみちゃん、」
「何?」
「もういい。サルマンの行方が分かったから。」

 屋上の傾いた床面の上に、一人だけ重力に従いまっすぐ立っている男が居た。
 サルマン・ナサラ、逃げたはずの彼が再びみのりの前に現れる。
 何故。

「この程度で君が死ぬとは思わなかったのでね、どんな方法を使って逃げ延びるのか見てみたかったんだ。
 まさか塔を投げ捨てるとは想定外だ。人間の扱える力ではないな。」

 彼は右手に改めて光線銃を握る。近くで見るとますますおもちゃだSFガンだ。
 こんなものに戦車砲乱射並の威力を与えるとは、未来社会の戦争はどんな修羅場になっているのだ。

 サルマン、光線銃をみのりの額に向ける。だが引き金を引かずににやりと笑った。
 射線を外して床を撃つ。レーザーはコンクリートを貫通して、傾いだ床を支える鉄骨を何本も両断する。
 ついにビルの崩壊が始まった。まずは屋上が砕け散り、テーブルからトレイが落ちるように床自体が滑っていく。
 50人の男を乗せたまま。

「チェーン!」

 鉄球鎖が縦横に走り、落ちる人を絡めていく。50人全てがぶら下がるのをみのりの右手が支えている。
 左手は鉄骨に掴まり、位置を留める。
 塔をなぎ倒したくらいだから重くはないが、下手に動くとせっかく助けた人が鎖から振り落とされるから身動き出来ない。

「素晴らしい!」

 サルマンは光線銃を持ったまま手を叩いた。あくまでも人命救助を優先するみのりの覚悟に心底から感服する。

「なるほど、NWOが君を新しい世界の礎に望むはずだ。これほど美しい魂を私も今までの人生で見た事が無い。
 だが、だからこそ私も決断しよう。
 君がここで失われたら、NWOが目論むゲキを中心とした世界は間違いなく頓挫する。歴史が変わる。
 それでいいのだ。この歪んだ世界に君は眩しすぎる。人はもっと愚かな、醜い、泥をすすり汚物に塗れながらのたうち回って生きていくべきなんだ。
 我々のように」

 みのりの上に立ち、改めて眉間を狙う。今度は外さない。
 引き金を引いた。

 

「     ! どうした、なぜ出ない?」

 TRRRR、とサルマンの携帯電話が鳴る。こんな時に、と苛立つが発信人の表示を見て顔色を変える。
 誰だか、みのりにはぴんと来た。
 サルマンに光線銃をくれた子だ。

『やあキミ、だいぶシナリオと違うことをしているみたいだね』
「お前は、いやそれよりも何故光線銃が機能しない。お前が停止したのか。」
『残念ながら電池切れだよ。幾らなんでも使い過ぎだ。まあ十分楽しめたから、いいかな?』

「ふざけるな。肝心の時に役立たずにどうするんだ。」
『ああそれからね、彼女も光線銃を持っているから。腰のポシェットの中にほぼ同タイプのが入ってる。それを使えばいいんじゃないかな』

 通話は切れた。こちらから掛け直す事は出来ない。
 それよりも、光線銃がもう1丁有るとの情報が重要だ。サルマン慎重にみのりに近付く。
 なるほど、京劇の孫悟空みたいな黄色い衣装の腰の後ろに、いかにも水鉄砲然とした未来的フォルムの拳銃が隠されている。
 まったくもっておもちゃにしか見えないから、サルマンも尋ねざるを得ない。

「これは、本当に光線銃なのか? どう見ても水鉄砲なのだが、」
「あなたが使っていたのとはまったく違う、冷凍光線銃です。弾数が限られるから使っちゃダメです。」
「そうか、光線銃にも色々と種類があるのだな。だが1発撃てれば十分だ。」

 傾いだ床を登り再びみのりの上に立ち、冷凍光線銃こと水鉄砲を構える。
 みのり、嘘ついて悪いなあとは思いながらも、まあ騙される方が悪いんだと納得する。
 だいたいスクナくんみたいな嘘つきに騙される大人って、どうなんだろう。

 ぷちゅっと石鹸水がみのりの顔に掛かる。誰がどう見ても、ただの水鉄砲だ。

「なんだこれは、ほんとうにおもちゃではないか。」

 サルマン、自分の左掌に銃口を向けて発射する。石鹸水が打ち出され、ぶくぶくと泡が立ち、広がっていく。
 あーあ、残念でした。

 

PHASE 301.

 全身をシャボンの泡に包まれて、サルマンは力を剥奪される。ザックームと同じく皮膚常在宇宙人を滅菌されてしまった。
 みのりに怒鳴るが、未だ何が起きたか理解できていない。

「ふざけるな、コレは何だ。」
「あのーざんねんですが、あなたはもう不死身ではありません。宇宙人の力を根こそぎ洗浄してしまいました。」

 はっと気付き、銀色の人型を呼びだそうとする。もちろん何の反応も無い。
 彼は、自分が今や只の男であるのを認識せざるを得なかった。

 みのり、人が50人もぶら下がる鉄球鎖をぐいと引いてみる。大丈夫、まだ誰も落ちていない。
 ただこれを掴んだままだとサルマンを拘束する事が出来ない。

 男は呆然として自らの両手を見詰め続ける。こんな簡単に神秘の力が失われるなんて想像もしなかった。
 ザックームからそれを与えられた日の驚きをも越え、自らに対する失望で全身が満たされていくのを感じていた。

「これが、ゲキの力というものか。人から神秘を奪い去る力こそが、世界が支配を望むものなのか。」
「あー少し違いますが、まあそんな感じです。」

 ぴんぴんと鎖を引っ張る。最上部に掴まっている人はいずれも健康な黒人とターバン姿のアラブ人の男性、元気そうだ。
 これならなんとかいけるだろう。

 サルマンは、まだ現実を理解できない。受け入れられない。怒りに身を震わせる。
 当然の反応であるが、付き合ってやる義理も無いから拘束に入る。
 どうせ只の人間だから大した手間も掛からない。

「ふざけるな、ふざけるな。何がゲキだ、なにが世界支配だ。認めない、こんな結末は認めない。」
「落ち着いてください。ここは大人しく警察に身を任せて救助してもらうのが一番です。そのまま動かないで、足元に注意して、」
「ふざけるな!」

 既に斥力場が失われているから、傾斜した屋上部での移動もままならない。
 折れた鉄骨、コンクリから突き出す鉄筋に指を傷付けながら、彼は最後の武器を手に取った。
 拳銃だ。求婚者達の誰かの持ち物が、たまたま彼の目の前に引っ掛かっている。

 宇宙人の力があれば一顧だにしなかっただろう武器に、すがるように懸命に手を伸ばし、握り締める。
 みのりに向けた。

「なにがゲキだ、なにが世界だあー。」
「おねがい、そいつ悪人です!」

 ぱあんと妙に乾いた発砲音。爆竹が破裂する程度の他愛もない音がした。
 同時にみのりは鉄球鎖をぴんと弾く。
 鎖の最上部に捕まっていた男性3名が跳ね上がり宙に浮く。

 おねがい、そいつ悪人です! と言われるまでも無く、彼等の目には50人を鎖で支える少女を拳銃で狙う大悪党の姿が映る。

 こんな奴を許しておけるものか。
 彼等とて男性としての力を示すために日夜肉体を鍛え格闘や武器の術を仕込まれて育ったのだ。
 力こそが正義、が未だ強く意味を持つ地域を縄張りとする支配者の一族だ。

 敵は拳銃を持っているが、こちらは3人。頼るは鉄拳唯有るのみ。
 ぼこぼこに袋叩きにされてサルマン・ナサラは気絶する。不死身と呼ばれた男の、それが最後であった。

 だが銃弾は。
 みのりに向けて発砲された弾丸はどうなったのか。

 おそるおそる目を開けると、みのりの目の前に薄い金属板が突き刺さっている。
 六亡星を象った鋭い先端を光らせる超合金の刃が、悪意ある攻撃を受け止めた。

「……手裏剣。」

 忍者が使う六方手裏剣だ。
 してみると、鳶郎さんの影の軍団はドバイに居る間中ほふりこさんのみならずみのりまでも、密かに警護していたわけだ。

 が、よくよく考えてみると、こっちじゃなくてサルマンに突き刺した方が効果的ではないだろうか?
 みのりは率直にそう思う。断固意見すべき。

 

PHASE 302.

 こうして童みのりドバイお見合いの旅は終わった。
 帰りはファーストクラスではなくビジネスクラス。祝子達と同じ席をわざわざ取ってもらった。

 しかし、ドバイ国際空港は現在閉鎖中である。理由はテロ。
 建設中であったブルジュ・ドバイが何者かによって爆破され倒壊。全市は非常警戒体制にあり、空港も全便欠航となる。
 が、そこは蛇の道は蛇で、各国要人や特別に利権を持つ人間を速やかに退去させる航空機が用意され、みのり達も滑り込んだという訳だ。
 ただしパリ経由。地球をぐるりと回ってしまう。

 機内で見るテレビ画面には、無残にも倒壊した世界一ビルの残骸が大きく映し出される。
 犯人はサルマン・ナサラ35歳、アルカイダとは関係ないが別の反米テロ組織の首領格と見て現在訊問中である。

 みのりは背もたれにかじりついて後ろの席に夫婦二人並ぶ祝子に尋ねる。
 衣装は往きに着たメイド服。花憐ちゃんのプレゼントだから、大事なものなのだ。

「これで良かったんでしょうか。」
「何が悪いんだよ。メイスン・フォーストも喜んでいただろ、犯人有難うって。」
「まあ、犯人なんですけどね。」

 世界一ビルの建設費が幾ら掛かったか知らないが、どう見ても大損害である。オーナー首括ってもおかしくない。
 だがNWOにしてみれば、ゲキの力と付き合うにはどんなリスクとコストが掛かるかよく分かって、十分ペイしたのだと祝子は言う。
 騙されている気がしないでもないが、だからと言って自分が賠償するのも筋が違う。
 みのり、なんだか納得いかない。

「それよりだ、」と祝子が笑いかける。なかなか上機嫌。
 ドバイ新婚旅行はとんでもない顛末で終わったが、いわゆる吊り橋効果で夫婦仲は結構上手い感じになってきた。

 忍者の鳶郎はみのりにちょっと怒られて、困り顔。今回ドバイに13人の配下を先行して潜入させて、密かにみのりを守っていたのを見破られてしまった。
 事前に知らせていればみのりが護衛を守るという転倒した事態が生じるから内緒にしていたが、バレればやっぱり怒られる。

「みのり、今回お前は随分と沢山の人を救ったな。」
「いえでも、それは皆わたしを襲ってきて巻き添えになったわけですから、救ったというのは変な話で」
「経緯はどうでもいいんだよ。お前は金持ちを随分な人数救ったわけだ。」
「はい……。」

「そいつらが続々とお礼を貢いでいるぞ。」
「はあ、お礼ですか。」
「なにせ部族や豪族の正統後継者の命だからな、安い金では贖えない。」
「じゃあ、百万円くらいですか。困ったな、そんな大金はすぐ返さないと。」
「馬鹿か、桁が二つ違う。億千万が相場だよ。」

 ひく。喉が引き攣って息が出来なくなる。しゃっくりだ。

「現地でお前の金勘定をしてくれた女の話では、総額で2百億円くらいの財産が築けたんじゃないかな。」
「ひく。ほふりこさん、それはなにかの間違いです。返してください。」
「返すと向こうの面子が立たん。ここは黙って受け取っておくのが礼儀というものだ。」
「でもひく、わたし、そんなの、どうやって、」

 祝子ふふふと笑う。みのりに話せばこんな感じになるのは誰だって分かっているのだ。

「まあその金だって何をして儲けたものか。悪いこと無しで金持ちになる方法なんてそうは無いから、まあ気に病むな。」
「でもでも、でも。」
「もちろん無駄遣いしろとは言わん。世の為人の為になる使い方を考えて会社とか法人を作るんだな。人員はNWOが派遣してくれる。」
「そんな事でいいんでしょうか。ひっく。」

「まああたしもだ、億の金となると扱いきらん。饗子姉さんに相談してみろよ。」
「あい。」

 とんでもない事になった、とみのりはシートに座り直して窓の外の空を見る。肉眼では視認できないが、もちろんイカロボがエスコートして守っていた。
 それに、スクナくん。
 彼の問題もまったく決着していない。この先何度でも接近して介入すると自ら宣言していたから、何らかの対策を考えねばなるまい。
 でもわたし、そんな難しいこと、できないよ。

 だいたい、のうりょくばとるなんて……。

 疲れて眠ってしまうみのりを優しく確かめて、祝子は鳶郎に振り返る。

「こいつが結婚するまで、こんな騒ぎを何度も繰り返すのか。」
「みのりさんだけでなく、優子さん鳩保さん城ヶ崎さん児玉さん全員が片付くまで続きます。」
「ニンジャも大変だな。」

 暇つぶしにドバイの本屋で買ったコプト語の複製本を開いて、耳にはイヤホンを挿して自分の声が聞こえないようにしながら、言う。
 まるで鳶郎なんかに聞こえなくてもいいかのように。

「今度はさ、もっとまっとうなハネムーンに行こう。ハワイなんかに。もちろんコブ付きじゃなくて。」
「はい。」

「うん。」

 

 パリのオルリー空港で乗り換え便を待っている時、みのりは自分によく似た女の子がターミナルに居るのに気が付いた。
 舞踏か演劇の公演らしくスタッフと共に移動する。彼等全員の民族的特質から考えてタイ人のように思われた。

 祝子に指摘してみると、ちらと眺めて即断じる。

「お前の影武者だよ。」
「やっぱり!」
「1日早く脱出出来たんだな。スケジュール組む奴、上手いな。」

 立ち上がる祝子に、みのりは何をするのかと怪訝に思う。
 が、遠く手を振り影武者に挨拶するのにはびっくりした。わたし、まだ心の準備が出来てないよ。

 向こうも同じだが、さすがに役者なだけはある。
 「本人」を見ても動じず、両手を合わせて丁寧にお辞儀をした。

「みのり、せめてあのくらいには国際人になるんだぞ。」
「はい、ほふりこさん。」

 

PHASE 303.

 

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