長編オモシロ小説
|
結婚式と言えば大安吉日を選ぶのが定石であろうが、物辺神社には「仏滅三隣亡返し」という秘技が存在する。
文字通り仏滅や三隣亡の厄日をわざと選んで式を行うが、鬼の霊力で吉凶を逆転させる。不吉な祭神を持つが故に許される必殺技だ。
世の中にはよんどころない事情により厄日を選んで祝賀を行わねばならない人も居る。また周囲から祝福されない結婚をする人も少なくない。
これらをえいと運勢逆転させようとするのが「仏滅三隣亡返し」である。
歴史は浅い。
結婚式を神社でやるようになったのは明治以後だから、その頃の発明だろう。
物辺神社にも営業努力を怠らない才人が居たわけだ。
秘技にお世話になる事もなく、物辺祝子と「緋村鳶郎」の結婚式が決行された。
朝の8時から照りつける日がじりじりと肌に食い込む上天気である。
決行というのは、実のところ反対がかなり多かったからだ。
今回の縁談はNWOと日本の支援団体である「彼野」が持ち込んだ話であるが、ならばと他の勢力からも縁談が殺到した。
財閥の御曹司やら資産家の令息、青年実業家に財務省官僚、旧華族とよりどりみどり。まるで狩猟解禁日な有様で、祝子鼻白む。
念の為相手方の反応を聞いてみると、どの男も釣書の祝子の写真を見た瞬間快諾したという。ますます腹が立つ。
いっそ喜味子の写真でも貼ってやればよかったんだ。
で、腹が立ったからあてつけにニンジャと結婚する。
忍者というのはすぐバレた。寝てみれば一目瞭然だ。
そもそもは祝子は物辺の女としては例外的に清楚なタイプである。男性経験は比較的少ないし、またセックス自体得意でもない。
だから加減を知らない。
姉饗子が数年を掛けて夫を絞り尽くして不能にしたのを、一夜でやってしまうのだ。
並の男ではもたないところを、新郎となる彼は性技で対抗した。特殊な房中術を駆使して凌ぐのだ。
そんな技を若くして身に着けている者が只者なわけがない。
学究肌の祝子は自分ではやらなくてもコレクション的にその手の技を知っている。在学中に道場破り行脚までやったほどだ。
だからどの系統の技術であるか即見破った。
ニンジャばればれである。
「で、本名は何なのです?」
「いやーそれは、ハハハ。」
新郎の控え室で着替えを手伝う村の女達の中に児玉喜味子も居る。祝子おばちゃん直々の指名でお世話係になっていた。
結婚ノリ気で無いにも関わらず、他の若い女が寄り付くのを警戒する独占欲の強さはまあ普通の女とおんなじだ。
事実、彼「緋村鳶郎」が物辺神社に結婚式の打ち合わせに来る度、若い女が2、3人後ろからちょこちょこと付いて来る。
クノイチだ。
特に美人でもないが癖の無い顔立ちをしているから化粧で大いに化けるし、また目立たないその他大勢にも身をやつせる。
要するにニンジャの手下なのだが、さすがに祝子の癇に障った。
というわけで、40歳以下の女は喜味子だけだ。
この際だからと近所のおばちゃん達は着付けを喜味子に叩きこむ。元々島の住民は物辺神社にご奉仕するのが務めで、色んな技を知っている。
また喜味子は手先の器用さだけで生きている子だから、飲み込みが早い。
おばちゃん達の指図で新郎をくるくるすると、面白いように出来上がる。
「さすがに喜味ちゃんは器用だね。よっちゃんや花憐ちゃんもこのくらい出来たらいいのに。」
「あは、あはは。」
袴の紐をきゅっと締める。「緋村鳶郎」はニンジャだから和服を着るのも慣れており自分で出来るのだが、ここは女達に任せるべしとされるがまま。
実は喜味子がやってくれて助かった。いたずらなおばちゃんだと、弾みで股間をぎゅっと握ったりしかねない。
「こんな感じでどうです?」
「ありがとうございます。」
紋付袴のお婿さんの出来上がり。喜味子が襟をちょいちょいと直して、尋ねる。
「で、本名は何なのです?」
PHASE 207.
開いた障子の陰から新郎の控え室に30半ばの眼鏡の男性が顔を覗かせる。一応物辺家の親族と呼べるだろう。
「本日はお日柄もよく、君が緋村くんか。よくもまあ、物辺家に婿入りする覚悟を決めたもんだね。」
「どうも。あなたはもしや、」
ニンジャだから物辺神社関係者および他4人のゲキロボ継承者の親族知人の顔を調査書から見知っている。
隠河光央、36歳。物辺饗子の前の夫で双子の父親だ。
現在は離婚が成立しているのだが、特に呼ばれて式に参列する。彼にとってもこの結婚は状況を変化させる契機となろう。
喜味子が今見たところでは、線が細くて元気が無くてひょろっとして植物的で、饗子おばちゃんの連れ合いとしてはちっともふさわしくないと感じる。
だが昔の写真はとんでもない。派手なブランドスーツにとんがったサングラスを掛けて髪の毛ツンツンと天を衝く。顧客よりマスコミ受けのするファッションリーダーを狙う、どうしようもない世間知らずの若手起業家の姿があった。
知らぬ者が無いと謳われたほどの有名人なのだが、今は尾羽打ち枯らして件の如し。
まあ、これが素なのだろう。
着崩さないように新郎は椅子から立たないから、立たせてもらえないから、二人ともぎこちなく挨拶を交わす。
畳に光央氏が正座して話し始めるのだが、愚痴だ。物辺家の女と結婚したらどうなるかを親切心から教えてあげているつもりだろう。
裏の事情まで知っている喜味子とすれば、付き合わされるニンジャが気の毒で仕方ない。そんな事は百も承知で入婿するんだ。
あんまり時間を取られても支度に障るから、喜味子は彼と同じ畳に座る。
言を要さない。喜味子の顔を見ればたいがいの人は息を呑み、言葉を失う。光央氏も同じだ。
「 あ、君が?!」
「え?」
「君が饗子が言っていた、マッサージが無茶苦茶上手い女の子か。」
「はあ、そうです。」
「一目で分かると言っていたが、ほんとに一目で……、」
自慢じゃないが、喜味子は一度見られた人から忘れられる事は無い。知らない相手でも向こうから「児玉さんでしょ」と見つけてもらうのに苦労しない。
「一番ブスを探せ」と聞いておけば絶対確実だ。
光央氏、大変な無礼であるのに口に出した瞬間気が付いた。手遅れだが、その程度で目くじら立てるほど喜味子は安くない。
「饗子おばちゃんは例のマッサージ店の話をしましたか。」
「あ、ああ。うん、そう物辺村に簡易宿泊機能もある療養所を作って、その目玉に君が入るという話なんだけど、」
「まあ女子高生のマッサージで客が呼べると考えるのはおかしいんですけどね。」
「そうなんだけど、饗子の目が狂ったことは無いんだよ。だから彼女が言うのならまちがいなく。でも……。」
さすがに何の効能も謳わずに素人マッサージで毎年億を稼ぐビジネスプランに懸念を示さない者は居ない。
「ご懸念ごもっとも。じゃあちょっと試してみましょうか。」
「え?」
新郎の世話はおばちゃん達に任せて、隣の座敷に光央氏を連れ込んだ。ぴしゃっと襖を閉める。
手加減をするつもりであるが、効果的なマッサージをすれば人間だらりと形象崩壊を起こしてしまう。そんな姿を見られては、光央氏も後々肩身が狭いだろう。
マッサージ後には今着ている服もぐちゃぐちゃに乱れて着付けをし直さなきゃいけない。四次元時空的にもつれた服を直すには、一度脱いでもらわないと。
ちなみに饗子おばちゃんに聞かされた話だと、この人の身体の悪いところは「インポテンツ」。
「じゃあやりますね。」
「はぎゃあ」
光央氏一瞬で気を失った。ぐにょぐにょと3分ほど揉んで終了。骨格を元に戻すのに少し手間が掛かった。
ついでに着付けをやり直して、もう喜味子は男の服の着付けは和洋共に完璧。
最後に眼鏡を掛けさせて、額を平手で打って正気に戻す。
「は!」
「終わりました。」
「え、なにを。」
と言葉を発するよりも早くに、彼は自分の身体の異常に気が付いた。
いきなり襖を開けて新郎の控え室を前かがみで駆け抜け、廊下を小股で走って逃げていく。
新郎「緋村鳶郎」は椅子に座ったまま振り向いて喜味子に尋ねる。
「治療を行ったんですか。」
「いや、効いたかどうかまだ確かめてないんですけど、」
「あの様子だと、十分効果有ったみたいです。」
ならいいんだけど、と喜味子を首を傾げる。
PHASE 208.
数分後、饗子おばちゃんが駆け込んできた。黒留袖に博多織の帯を締めて、髪はアップでやはりヤクザの姐さんに見える。
背後には巫女姿の双子小学生が続く。
今回の祝言では、双子も巫女となってお手伝い。神社のお仕事デビューでもある。
おばちゃん開口一番、
「でかした、喜味子」
「効きましたか。」
「おお。というより若い頃より勃ってる!」
「はあ。私そういうのよく分からなくて、」
「ちょっと試してみる。不具合があったらもう一回だ。」
「はあ。」
式までには済ませてね、と言いたいところだが、風を巻いて廊下の角を消えてしまったから声も届かない。
おばちゃん達も卑猥な単語を口走る彼女に、ああやっぱりいつもの饗子ちゃんだあ、と呆れ顔で見送った。
物辺饗子は実は近所の人の評判は悪くない。祝子よりはるかにマシと言ってよいだろう。
理由は簡単、ぐーたらダメ母親だからだ。美人で金持ちでセレブとまで呼ばれ元旦那は一時とはいえ有名人、であるものの本人は結構抜けている。緩やかな性格であった。
母の物辺咎津美を標準として島の人は考えるのだが、比べて饗子は実に緩やか。間抜け野郎とすら見えてしまう。
無理して島に帰って来ずとも都会で何不自由なく暮らせように、わざわざ辺鄙な島で子育てをする。しかも他人にべったり寄り掛かってだ。
迷惑ではあるが、物辺の巫女にご奉仕するのは島の美徳。むしろ島民の為にわざわざ仕事を作ってくれるとさえ見えた。
心配りの行き届いた優しい人、が饗子ちゃんだ。
では先代咎津美とはどんな人だったか。優子の母贄子が似ている性格であり、優子本人は母に似ているとされる。優子を三乗したらだいたい同じものではないだろうか。
とにかく謎の多い人物であった。巫女であれば島に留まらねばならないところ、ふらっと1、2ヶ月失踪し、前触れも無く帰ってくる。
何をしていたのかと尋ねても答えないが、その頃外の世間では大事件が起こって新聞やラジオが大騒ぎしているという有様。
犯人この人ではあるまいか、と思うものの詮索すれば何が出てくるか知れたものではない。
もちろん子育てなんかしやしない。贄子饗子祝子の三姉妹は産み捨てられたも同然で、島の女達および「禍津美」さまによって育てられた。
禍津美さまとは咎津美の妹だ。実の姉妹ではない。何代か前に島を出た物辺神社関係者の子孫であり、親を亡くして島で育てられる事となる。
厳密に言えば物辺神社とは血縁が無いらしい。
島を出た関係者とはもちろん女であり、女しか産めない物辺家の血を伝えるのだが、何時の頃かで子孫は途絶え養子をもらいその血統となる。
故に禍津美さまは普通人だ。普通の少女が異常な物辺の女と姉妹として育てられる。
どれほどの恐怖を味わった事だろう。
ただ祝子が生まれた頃に禍津美さまは島を出てしまった。普通の男性と結婚して、彼がブラジルに出向するというので付いて行く。
祝子の養育は、しかし咎津美本人が長年の放蕩が祟ってしばしば寝込む身体となり、島には居るがほったらかしである。
幸いにして禍津美さまもちょうど産後で乳が出て、祝子も命を繋ぐ事が出来た。
物辺三姉妹にとって命の恩人であり、次女饗子は彼女の影響をかなり受けている。饗子が「母」と呼ぶ時は、実は彼女の方が多いのだ。
だから近所の受けがいい。
「ああ、そう言えば、」
喜味子は声を上げておばちゃん達の気を引いた。
「禍津美さまはいらっしゃいますかね?」
「ああ、おいでにはなれないと聞いているけど。入院されているのではなかったかね。」
「それは残念ですね。きっと喜んでくださるでしょうに。」
「ほんとにねえ、祝子ちゃんの花嫁姿、せめて禍津美さまには見ていただきたかったねえ。」
こんな具合に島民皆から慕われている人である。
ちなみに前回島に帰ってきたのは1年半前。ご子息を伴われての帰郷であった。
あの頃は既に病に冒されていたのだろう、顔色は良くなかったが誰の訪問をも嫌がらずに受けていた。
付き添いで居たご子息というのが、
「ご名代で香背男さまがおいでになりますかね。」
「そうだねー、来られるかもしれないねえ。」
この人が来ると、鳩保芳子が喜ぶのだ。
PHASE 209.
というわけで、花嫁よりもそわそわする女が居る。見てて優子は呆れてしまう。
「あんた主役じゃないから。」
「そりゃそうだけどさ。」
今回の結婚式では二人が巫女となって式を執り行う。ただし、優子の役はちょっと特殊だ。
「ゲキ」の鬼の分身として正面に鎮座して、直接に祝福を与える。物辺の女は自身が御神体であるからこその形式だ。
対して鳩保は世間一般の巫女さんの役割である三三九度を勧めたりなど神官の補助を行う。
本来であればこの役は花憐が専従であるのだが、本人断固拒否だから仕方ない。
ちなみに今回から双子美少女小学生の物辺美彌華&瑠魅花が巫女として参戦する。小学五年生であるからちょうどいい年頃だ。
優子は彼女達の教育も任されている。
「巫女デビューとして身内の、それも神社の跡取りの結婚式とは最高のお膳立てだね。優ちゃん。」
「あたしはドブさらいが巫女仕事の最初だったよ。」
「ああちゃんと覚えている。」
神事というのは華麗なものばかりではない。神社を掃除するのも神職の勤めだ。
特別な神域の掃除はそれ自体が神事となる。溝に詰ったゴミをさらうのもりっぱなお仕事であり、物辺の女にしか許されない秘儀である。
という理屈で、優子は祝子おばちゃんに汚れ仕事をやらされた。衣装を汚さずに掃除をするのは至極面倒で大変だ。今でもドブさらいは優子の担当である。
「そうか、今度からドブさらいは双子にやらせればいいのか。気付かなかった。」
「あんた意外とそういうの苦にならないタイプだからね。ヘドロ取るの嬉々としてやるし、」
「ウエット&メッシーてやつですか?」
「なにそれ。」
「優子、」
と呼ぶのは爺ちゃんだ。
物辺祝子の婿取りはそのまま神社跡取りが決まる事でもあり、近隣から神道関係者が続々と詰めかける。
なにせ物辺神社は特別な祟り神を祀っている。霊力は凶暴なほどに強く、江戸時代という近世においても現実に災いを引き起こした。
念入りに祭らねばならず、責任者は確とした信念を持って当たらねばならぬ。婿の責務は極めて重大。
だから参列者も遊びや祝いで来ているのではない。どの人も真剣勝負と呼べるほどの気合が入っている。精進潔斎して来た人まであった。
マジな人を相手にするのは爺ちゃんと饗子おばちゃんの役目なのだが、
「え、おばちゃんどっか行ったの?」
「祝子の替りは優子、お前がやるのだからちゃんと挨拶をして回れ。順番は分かるな。」
「偉い人の順でしょ? 上座から。」
「そうだ、間違えるなよ。」
手順がひとつすっ飛ばされた。元より優子はゲキの鬼の役として式の中心になるのだが、饗子おばちゃんが皆様をご接待した後の挨拶が予定されていた。
そのくらいで慌てる胆の座ってない女は物辺家には居ない。また優子だってやろうと思えば卒無く難無くこなせるのだ。
しかし、おばちゃんはどこに行った?
「おい双子、かあちゃんはどこに行った。」
「せっくす。」
「誰と?」
「とうちゃんだ。」
「勃たないでしょ。」
「喜味子ねえちゃんが揉んだら、立った。」
「お。早速に試したのか。でどう。」
「いまじっけんちゅう。」
「だから饗子おばちゃん居ないのか。」
和服正装五つ紋黒留袖でのセックスとなれば、これはまた随分とSM倶楽部的な見事な絵になろう。
撮影班を投入できないのを惜しく思う。
PHASE 210.
「撮影班の方ですね、こちらへどうぞ。」
島内会場案内を務めるのは童みのりである。今回内向きはすべて物辺の巫女が固めるので外回りを担当する。
本土側橋の向こうの駐車場の案内は城ヶ崎花憐が担当だ。式に出ないと決めてはいるが、遊んでるのはさすがに許されない。
みのりが今応接するのは撮影機材一式を携えた6名の男性。門代開港祭の時に優子の書道パフォーマンスを撮影したMYS、”M物辺・Y優子嬢の麗しき肢体の動画像を・S世界に広めよう団”のメンバーだ。
どうせ撮るなら本職を、と喜味子が連絡して今回特に参加願った。もちろん彼らも優子の巫女本職姿を撮影するのに反対するはずも無い。
ただ今回本式の祭祀であるだけに撮影4名音響2名に制限させてもらった。
巫女姿のみのりはぺこりとお辞儀をする。可憐なお猿さんみたいな仕草に、MYSのメンバーもほのぼのとする。
「今日の主役は優ちゃんじゃなくてお嫁さんの祝子さんですから、そちらの方を重点的に撮ってください。」
「ほふりこさんというのは、優子さんのお姉さんですか?」
「おばさんです。でも優ちゃんより若く見えます。」
「な、何歳なんですか。」
「今年で30歳です。」
「それはすごい。」
むろん彼らも物辺神社の下調べをしており物辺家の人間が美人ぞろいであると知っているが、さすがに本人を見ていない。
優子のみならず饗子祝子美彌華&瑠魅花と勢ぞろいした姿を見れば目の玉飛び出るんじゃないか、とみのりくすっと笑う。
カメラの配置は喜味子が厳密に設定して祭祀に支障無いように選んである。
物辺神社見取り図を元に撮影班が分担を定める後ろ姿を見守るみのりの背後に、
近くのスーパーマーケットの白いビニール袋が空を飛んで近づいて来る。
『わらべさん、わらべさん』
「うん?」
ビニール袋が喋る。ふわふわと空中2メートルを漂い、下を向いている袋の口から黒い女の髪が覗いていた。
『私もお手伝いしたいんですが、お許し願えませんか』
「おばけの出番は無い。」
『そんな事言わずに、私結婚式とかの華やかな式典て大好きなんですよお』
袋の中身は「舞 玖美子」さんだ。式の準備の賑やかさに釣られて、ふらふらと本殿に彷徨い出している。
ビニール袋は変装なのだが、さすがに異常さは隠しきれない。
「おばけ禁止。」
『そんなこと言わずに、見せてくださいよお』
「だめ」
童みのりは前にクビ子に合成犬を殺された恨みが有る。自分でも驚くばかりだが、この恨みだけはどうしても晴らせない。
ビニール袋の取っ手を掴むとそのまま振り回し、ぴゅーと空に投げ出した。
クビ子入りビニール袋は物辺神社の森を大きく越えて海にまで飛んでいった。
もちろんぽちゃりと水に落ちたりはしない。クビ子さんには空中浮遊能力が有るのだ。
みのりは首の後ろの不可視の電話を取って、裏のご神木の洞の中に居る梅安に連絡する。
「結婚式の間、宇宙人が島に入らないようにバリヤ張って。」
”かしこまりました”
ただちに不可視の障壁が物辺島周辺に半球状に張り巡らされる。おかげでクビ子さんは戻れなくなった。
一般人多数が居る式場周辺を生首が飛び回ったら、それは縁起が悪かろう。
諦めて対岸本土側の駐車場に海の上をふらふらと飛んで行く。
ビニール袋から垂れる長い髪が海面を擦り、魚がぱくっと食いついた。
PHASE 211.
物辺島に通じる橋の前で門番をしているのは、城ヶ崎花憐と如月怜だ。
二人共にこの結婚断固反対の立場であるから、おめでたい現場から離れる役を買って出た。
だが花嫁行列と祝宴には出席しないといけなかった。特に新郎は身内の出席が少ないので、「従妹」の如月怜は必ず顔を見せねばならない。
おもしろくない。だから二人共黒の夏ワンピを着ている。抗議の意志を表すのだ。
花憐後頭部のリボンも黒である。
それにしても、と眼前砂利の駐車場に繰り広げられる光景に、如月は呆れる。
「なんですかこの人達。」
「祝子さんの親衛隊よ。」
年の頃なら40〜25歳の男性がざっと見積もって百人ほど、大挙して押しかけ駐車場にたむろする。
どの男も切羽詰まったような、思いつめたような、どうしようもない自身の不甲斐なさを嘆くような情けない表情を浮かべている。
それでいて行動に出ようとは誰もしない。
「なんなんですこの人達。」
「親衛隊というのはこういうものよ。聞いた話だと、饗子さんの親衛隊の方がもっと大きくて熱狂的だったらしいわ。」
世代の差である。物辺饗子若かりし頃はまだアイドルと呼べる存在が芸能界で大きな位置を占めており、親衛隊も厳然とした規律の下で積極的な活動を繰り広げていた。
対して祝子の頃はアイドル不毛時代。モーニング娘。もまだ無く、前時代の残滓にすがってマニュアルをなぞるだけである。
「そもそも祝子さんはファンに餌をやらないタイプだからね、こんなものよ。」
「祝子さん30歳になる今日までフリーだったんでしょ? なにをしていたのこの人達。」
「だからね、それが親衛隊なのよ。」
花憐さーんと、呼ぶ声がある。今着いたバスから門代高校の友達が下りてくる。
嫁子、シャクティ、美矩、九泊加留先輩に縁毒戸美々世まで付いてきた。彼女たちはバイト巫女隊として頑張ってくれたから、特別にご招待。美々世除く。
ちょっと印度風金綺羅を隅に取り入れた余所行きおしゃれ姿のシャクティが言った。
「でも式場には入れないんですよね。」
「そうなの。今日の結婚式は普通の氏子の人とは違って、祝子さんの襲名式みたいなものだから。でもね、その後にぐるっと島内を花嫁花婿が一周する行列があるの。それに参加してね。」
「なんかわくわくしますね。」
先輩来たよー、と島に向かって声を掛けると、橋の向こうからばさばさと白カラスも飛んできた。バス停の標識の上に止まりくらぁああと甘えた声を出す。
加留先輩に早速媚を売るカラスに、美矩は改めて驚いた。
「放し飼いでもこんなに懐くんだ、カラスって。」
「この子は特別に賢いんだけど、カラスって頭いいのよ。」
「いいなあ、せんぱいいいなあ。」
もちろん白カラスは美女に媚びを売るのを惜しんだりはしない。美矩に対しても存分に色目を使う。
が、ふっと少女達の背後に険しい目を飛ばす。
釣られて見た全員は、海の方から白いスーパーのビニール袋がふらふらと低空を漂って近づくのを見た。15センチほどの銀色の魚が袋にぶら下がる。
なんだ?
その時タクシーが彼女達の前に停まり、洋装礼服の婦人を一人下ろした。
花憐はその人を見て顔をほころばせる。
「初瀬さま。」
「まあ花憐ちゃん、すっかり綺麗になって。どう、元気。」
美袋 初瀬(みなぎ はつせ)、30歳の祝子と同い年で既婚者。祝子の母咎津美の妹である禍津美の長女だ。お産はここで行ったから、物辺島出身者と呼んでもよい。
今回母の代理として結婚式に参列する。
花憐、この人にはしばしばお世話になり可愛がってもらったから、心からの歓迎を表す。が、
「おひとりですか? 香背男さんは、」
「その事は後で話をしなくちゃいけないんだけど、残念ながら私一人よ。」
「はあ。それはー、」
それは鳩保が残念がるだろう。
彼女は物辺神社のVIPであるから、花憐が直々に案内する。
後を如月に託して島に渡る橋を先導し、門代高校の友人も引き連れて進んでいった。白カラスも空中を悠然と旋回して随行し、実におめでたい。
如月振り向くと、縁毒戸美々世一人がその場に立ち尽くす。
「行かないの?」
「いやーちょっと、都合が悪くて。」
黒のレースで全身を華麗に彩るゴスの入った巻き毛の美少女は、物辺島を覆う見えない球体に阻まれる。せっかく正装を決めてきたのにあんまりだ。
しかたなしに駐車場に留まる気配を見せるが、思いついて先程護岸にたどり着いた白いビニール袋を拾いに行く。
たちまち「独り言」で喧嘩を始めた。
宇宙人だとは知らない如月は、この人もやっぱり変なのだなあと認識を新たにする。
PHASE 212.
美袋 初瀬が物辺神社の総責任者である伯父に挨拶し、今日の主役である祝子を祝福する事で、結婚は正式に認可された。
本来ならば先代の巫女による承認が必要なところ既に上の代は全員が死に絶え、残るのはゲキの血統に無い禍津美と先代咎津美の連れ合いだけだ。
この二人が許せば神社の継承が形式的に成立する。
実質は既に祝子に移っていたから不思議な話に見えるのだが、人間世界の掟だとこうせねばならない。理不尽だ。
しかし意味が無いわけでもない。未だ不承不承の祝子に覚悟を決めさせる最後の一押しとなる。
初瀬は祝子より2月早く生まれた同い年だ。母禍津美は初瀬と祝子を同時に抱いて乳を与えた。
故に初瀬は祝子の姉のような立場になる。
2ヶ月程度は誤差の内でどちらが上も無いはずだが、二人に関しては成り立っている。
皆がそういう風に扱うのだ。特に饗子がそう決める。
当時6歳の饗子にしてみれば、実の母とはいえ幼児の自分を放って他所を遊び回る咎津美よりも、ちゃんと島に居て優しく面倒を見てくれる禍津美の方がよほど母親らしく見えた。
いや、大人に思えた。偉い人が大人の定義であるならば、間違いなく禍津美様は大人である。そう認識する。
その赤ちゃんも偉いと思うのはごく自然な感情。饗子も大切に大事に扱った。
他方妹祝子の誕生は別に嬉しくもない。なにしろ命名の時にごたごたと揉めて、咎津美に「屠り子」なんて付けられそうになるのだ。
幸いにして育児放棄され優しい禍津美様の乳をもらう祝子と、初瀬を比べればどちらが上であるか一目瞭然だ。
その後禍津美は初瀬を連れて島を出るが、しばしば戻ってきてなにかと面倒を見てくれる。
同い年の祝子と初瀬が遊んでいて、しかし癇癪持ちの祝子が喧嘩をふっかけるのを見れば、饗子は躊躇なく初瀬の肩を持った。
祝子は何度もぶん殴られて学習し、初瀬を姉相当と承認する。
ちなみにこの頃長女贄子は中学生。饗子の目からは雲上人に見える。
そもそも「物辺贄子」なる人物が家に居た例がない。既に演劇の勉強を始めており、常に別の人に化けて成り切っていた。
意識的に演技をしているのは分かるのだが完璧過ぎて、「知らない人」が座敷に座っている。晩ご飯を一緒に食べている。
多重人格なんて生易しいものじゃない。まさに別人なのだ。
聞くところに拠れば、贄子は知らない人の家に勝手に上がり込み、その家の住人に化けて飯食って帰ってくるという遊びをしていたらしい。
家族がいきなり1人増えれば誰だってびっくりするが、贄子に限っては疑念を抱かれずごく自然に受け入れられた。
当然食事の用意が1人分足りないが誰が余分なのか分からない、という塩梅。
リアルザシキワラシである。
現在贄子は行方不明だが、饗子はおそらく「他人に成り過ぎて自分がどれだったか分からなくなった」と思っている。
死んではいないはずだ。
その饗子は野暮用でしばし時間を取られて、肝心の式の手順を遅延させてしまった。
本来であれば実姉である彼女が花嫁祝子の手を取って表に出てくるところ、いつまで待っても来ないから、代わりに初瀬が役を務める。
参列者が上げる驚嘆と賞賛の声に急かされて、襟を整え直して表に出ると。
白無垢姿の花嫁さんが燦然と輝いている。
美人が身上の物辺の女は特に花嫁姿が似合うが、清楚な印象を常に与える祝子は格別に美しかった。
饗子自身はセレブ結婚式を東京で挙げ豪華なウエディングドレス姿で人々を魅了しカメラのストロボ光を日焼けするほど浴びたのだが、
今日の祝子には負けたと思う。脱帽だ。
また手を取る初瀬がいい。
目鼻立ちは地味だし洋装だし、祝子の輝きの前には霞んで見えるにも関わらず、安心出来る信頼感がうかがえた。饗子本人よりもずっと姉らしく見える。
結婚式が求めるものは美ではない。幸福だ。結ばれる二人の縁が末永く続くように神に祈る。
美が出しゃばっちゃいけない。
初瀬の信頼感はめでたい門出にまさにふさわしいものであろう。
「遅れて正解かな?」
「いや、許さん。」
饗子、ぽこっと誰かに殴られた。誰?
社殿のスピーカーから雅楽の音が流れてくると、橋を渡った本土の駐車場に詰めかけた男たちが一斉に地面に膝を着いて泣き始めた。
炎天下ごくろうな事である。気持ちは分からないではないが、如月も花憐もさすがに呆れた。
ただ親衛隊的にはアイドルに個々人が直接関与して迷惑を掛けない仁義が正しい。また彼らは自らの分を弁えている。
物辺の女を嫁にする度胸の有る人間はそうは居ない。
「ということは、饗子さんの元旦那さんというひとはー、度胸もお金も有ったて事なのかしらね。」
「この仕事に当たる前に資料を読まされたんだけど、10数年前の隠河光央氏はバブル時代のようなバカだね。」
「バブルってよくわからない。わたしたち生まれる前だし。」
「私も資料でしか知らないけど、現在の社会の中堅ポジションに居る人はだいたいそのくらいの年齢で、……ごめんよく分からないや。隠河氏がそうだというのは調査員の印象で、その人はやっぱりバブル時代を知ってるわけだから。」
「謎ね。」
「思考形態が分からないという点に関しては、そう。」
隠河氏はバブル崩壊後に急成長したIT産業をイメージ的に牽引した一種の山師であり、インターネット初期に評価されたサービスを提供して会社を大きくした。
その後のIT分野の展開は彼の能力を超えて専門化細分化し、路線変更が必要とされた時期には饗子と折り合いが悪くなって彼自身の活力も低下。急速に世間での影響力を失い、銀行主導による会社の執行部のクーデターで実権を失った。
2000年以後は家庭用テレビゲーム業界で評論家ぽい事をしていたが、業界自体の縮小で足場を失い結局は単なる無職となってしまう。
原因として調査書はやはり、インポテンツによる本人の気力の減退があると結論付けていた。
やる気が無いから物辺島での「案件」に関与する可能性はかなり低いと見て、レベルCの関係者に分類する。
一般島民がB扱いだから、無視してもよい存在だ。今年はまだ島に来た事が無かったので当然か。
「君たちじゃ分からないだろう。」
いきなり会話に参加した人物が居る。振り返ると、白のタキシードを着ているがネクタイは締めていない、ラフな感じの長身の男が顔の半分をにやけさせて二人を見下ろす。
年齢は30代半ば、いやもう少し若いか。身長は185と見た。
陽に焼けた精悍な顔立ち、ちゃんと髭は剃っているつもりだろうがちょっと残ってるいいかげんさ。通常のサラリーマンでは決してない。
あまりお金持ちにも見えないがとにかく背が高い。「カッコイイ男」に分類していいだろう。
タキシードなら結婚式の参列者か。花憐はさっそく余所行きの顔を作って応対する。式には反対だが、仕事はちゃんと果たさねばならぬ。
「参列者の方ですか。招待状はございますか。」
「あるが、堅苦しい式には出たくない。そういうのは場違いでね。」
「祝子さんの御友人ではありません、ね?」
「新郎の方だよ。」
つまり如月の担当だ。顔を見るとうなずいた。忍者「緋村鳶郎」の”友人”だ。
「こちらは山本翻助氏。職業は軍師兵法家です。」
「ぐ、ぐんし!」
花憐驚く。21世紀の今日、まさか軍師を商売として名乗る人物が居るなんて想像もしなかった。
「あのー、軍師ってのは軍事評論家ってことですか?」
「それもやる。実際イラク戦争の見物にも行ってきた。テレビで現地リポートもした事があるのだが、まあ知らないだろうな。」
「はあ。」
再び如月の顔を見ると、どう説明するか考えている。忍者業界では軍師の存在は当たり前なのだろう。というか忍者も軍師も戦国時代の必需品だ。
だが今話題になってたのはそれじゃない。
「あの、あなたは隠河光央さんをご存知ですか。」
「俺達の一つ上の世代になるかな。随分と羽振りの良い彼はマスコミの寵児だったから、学生の目からはちょっと眩しい存在だったよ。」
「あなたはどう思いました?」
「いつまで続くか怪しいもんだとは思ってたさ。ただ儲けられる内に出来るだけ突っ走るのは正しいからな。」
「ホリエモンみたいなものですか。」
「あれはあれでまた違うから。隠河氏は一応モノとカタチが残るものを商売のネタにしていたぞ。
……まあ君たちにWINDOWS95時代の話をしても、仕方ないか。」
PHASE 214.
式は順調に進行していると思われる。
花憐に代わって鳩保が巫女役を務めて物辺のおじさんの手助けをしているのだ。めったな間違いはしでかさないだろう。
たとえ優子が神前ででかい顔をしているとしてもだ。
城ヶ崎花憐は少し迷った。
この軍師を名乗る山本翻助なる人物は、物辺島の彼女たち、またゲキについてどこまで知っているだろう。
たとえ物辺神社に婿入りするニンジャの友人だとしても、宇宙人についてどの程度の理解があるか。
下手に知識を与えたら、彼の身も危なくなってしまう。NWOは部外者にはとても厳しく排他的なのだ。
心の動きは彼にはお見通しだ。人の顔色を覗い情勢を知るのは軍師の能力の基本中の基本である。
「君はたぶん、城ヶ崎花憐という子だな? 宇宙人ゲキの力を使える少女5人の一人だろ。」
「あ、あなたはそれを知る立場に居る人ですか!」
「情報の収集と分析は軍師第一の仕事だ。そのくらい調べずにこんな田舎に来るもんか。」
ちょっと腹が立つが物辺島が田舎なのは天下に隠れも無い事実。にやっと口の端で笑う翻助はなんとも小憎らしい。
花憐、以後彼をNWOあるいは「彼野」関係者として扱う判断をした。
だが如月怜に確かめてみるべきだろう。
「この人、だいじょうぶ?」
「難しいところですね。彼は頭領の個人的な友人であり、また独自の調査により「案件」に到達した有能な人物ですが、信用は出来ません。」
「信用できないって言ってますが。」
「おいおい、それは無いだろう。レイちゃんよ。」
軽口を叩く翻助だが、如月もそれほどは知りはしない。頭領の手前仕方なしに遇しているに過ぎないのだ。
花憐改めて応対する。
「まあ今日のところは不問にしましょう。どうぞ、橋をお通りください。」
「いや、たぶん君とこのまま話を続けた方が俺の目的に適うはずだ。」
「え?」
物辺島に至る橋の入り口で番をする美少女二人は、駐車場の祝子親衛隊と共に真夏の陽光が照りつける下に居る。
午前10時とはいえ既に肌が痛い。日焼けする。
ただでさえ暑い黒ワンピを着てるのだ。やってられるか。
長話になりそうだからと、日陰を求めて場所を移す。「物辺村前」バス停横には薬屋さんが有りジュースの自販機も置いていた。
ここは割と涼しい。葦簾を掛けてベンチに陰も作っている。
二人は山本翻助に缶ジュースを奢らせた。花憐イチゴソーダ、如月はレモンティ。
翻助本人はコーラだがこの自販機はあまり聞かないメーカーのジュースが入っている。コーラと名は着くが、得体は知れない。
少女二人はベンチに腰掛け、彼は立ったまま缶を一口あおる。
涼しくなったところで、本題をどうぞ。
「唐突だが、俺を買って欲しい。」
「え?」
「NWOという全世界的秘密結社の策動の中心は物辺島の5人の少女だ。宇宙人ゲキの力を授かる奇跡を人類発展の礎にする為に裏表雑多な組織が非合法に動いている。
これは理解しているな?」
「はい、迷惑しています。」
「俺がなんとかしてやろう。物理攻撃なら忍者が守ってくれるだろうが、政治的社会的な攻撃に関しては君達はまるで無防備だ。NWOのいいようにされてしまう。」
「はあ、それはそうなんですが」
「軍師の出番だ。そういう状況を打開する為に俺は策を練る、実行する。主導権をこちらに回復する。」
「待ってください!」
花憐、手を挙げて彼を止める。
なるほど、軍師という存在がここに出現する理由が分かった。彼は物辺島にきな臭いものを感じ取り、参戦を目論んでいる。
だが、
「あの、そういう話はぽぽー、いえ鳩保芳子さんに持ちかけてください。そういう仕組みになっています。」
「彼女はダメだ。裏切り者になる。」
PHASE 215.
花憐考える。
勧誘方法はほとんど詐欺師のやり口なのだが、確かに自分達に必要な機能だ。彼の言うとおりに、NWOの連中はどこを取ってもまるで信用が無い。
ただ一番信用がならないのは、この男。山本翻助である。
それに何故鳩保を貶めるような事を言うのか。裏切り者とはどういう意味か。
こういう時最も真実に近い言葉を、花憐は知っている。
「お金はありません。」
「うん、知っている。女子高生から給料もらおうとは考えない。」
「お金ももらえなくて働こうという人は一番信用なりません。お引取りください。」
「いやメリットは俺にもちゃんと有るんだ。なあ、如月、レイだったかな君は。」
如月怜は隣に座る花憐をじろと見る。ニンジャクノイチであるから守秘義務は有るのだが、警護対象に疑念を持たれては責務が果たせない。
真実を述べねばなるまい。
「この人は追われているのです。」
「そうなの?」
「いえ差し迫った危機ではないのですが、ゲキの情報に独自にアクセスする事でNWOの情報機関にマークされました。
開示に厳密な審査と資格取得が必要な宇宙人情報に不正アクセスすれば、その人は抹消処分されます。殺されるんですね。」
「ふむふむ。」
「だからこの人はウチに逃げ込みました。「彼野」に仕える我等に協力する軍師として、処分を猶予されているのです。」
花憐と如月、同時に翻助を見上げる。なるほどこんな胡散臭い野郎はさっさとぶっ殺した方が安心だろう。
翻助、にやりと笑う。いかにも腹に一物で騙される方が悪いんだ的な、分かり易い詐欺師だ。
分かっているのに引っかかるのであれば、スケコマシと呼んだ方がふさわしいか。
「そういうわけだ。「緋村鳶郎」の庇護もいつまで続くか分からない。彼も組織のコマだからな。
そこで俺はもっと強固な不可侵の基盤を求めている。NWOに対抗するには、中心となる物辺島に拠点を置くのが最善だ。
うん? おかしいか。」
「いえ呆れているのです。」
なんとも虫のいい話。花憐達を楯に使って自分はのうのうと生き延びるつもりなんだ。
しかし、であれば納得も出来る。或る程度の忠誠心も期待出来るだろう。
「ぽぽー、いえ鳩保さんが裏切るという言葉の真意は何です?」
「あれは既にアメリカの息が掛かっている。NWOに取り込まれる可能性が大だ。結婚すれば君達自身の利益を最優先に考えなくなるだろう。
別に変ではない。結婚して子供が出来れば、実家の都合より婚家を優先するのが女という生き物だ。
分かるだろ、同じ女なんだから。」
「確かに、ぽぽーはそういう女です。」
鳩保は情の深いところが有るから、結婚すればそうなるだろう。自然な態度で裏切りとは呼べない、人間我が身が可愛い自分の子供が一番大事だ。
「そうなると日本の組織も駆逐されて、NWOが直接にゲキの継承者を管理するはずだ。「緋村鳶郎」も危ない。そうだろ、レイちゃん。」
如月、右の頬が一瞬ぴくりと引き攣る。
忍者といえども立場は盤石では無い、と花憐は知った。平穏に組織が機能していると見えても、実際は静かに権力闘争が進行中なのだ。
だからこそ「緋村鳶郎」は軍師を欲する。
忍軍自体の生き残りを果たさねばならず、権力闘争の専門家が必要だった。
しかし使われる立場のままでは自由に組織防衛が出来ない。そこでフリーの軍師山本翻助を使い、ゲキの少女達に直接交渉をさせた。
でも何故自分に。
PHASE 216.
「具体的に、あなたはわたしたちになにをしてくれますか?」
「まず諜報機関を作ろう。もちろん忍者とは別組織だ。当面はNWO内の各勢力の動向を監視するだけに留める。政治工作はしない。」
「なにもしないんですか?」
「したら殺されるさ。だから知るだけだ。各勢力がどのような思惑で動き、どことどこが連携しどこと反目するか、それを見極める。
これだけでも随分と振る舞い方が楽になるぞ。」
「無力ぽいのですが、」
「実力行使なら忍者が居るだろ。だが連中を使うには正しい情報と有効な分析が必要だ。もちろん組織の上部は、末端の実行部隊にそんな機能を与えたりはしない。
反乱が怖いからな。分かるだろ。」
「はい。そうか、これはNWOに対する反乱になるのですね。」
「物辺島の中核と直結していれば、そうは言わせない。護衛の為に必要な機能として認めさせる。
君達と忍者と俺とが、三者共にウィンウィンだよ。」
何がウィンウィンだ。物辺村を守る構図の中に自分を織り込んだだけに過ぎない。
それは分析官は必要だろうし、世事に長けて情報工作活動が出来る人材は欲しいが、彼である必要も無い。
「もちろんこれは第一歩だ。次の布石に過ぎない
先程、鳩保芳子がNWOに取り込まれると言っただろ。」
「はい。」
「取り込まれるのは避けられないし、また拒否する事でもない。要はこちらの都合がいいように彼女が動いてくれればいいんだ。
調査書のプロフィールから彼女の性格と資質を分析してみたが、女王様タイプだなアレは。」
「まあ、人を仕切るのが大好きですから。ぽぽーは。」
「ならばNWOの女王になってもらおう。物辺島の人間がNWOの頂点に立てば怖いものは無い。」
「はあぁ。」
「無論一人では何も出来ない。彼女に情報を与えNWO内部の各勢力の動向を分析し判断の指針を示す独自の支援組織が必要となる。
物辺島のゲキの少女の利益を第一に考える組織がだ。」
はははは。
花憐だとて恋愛小説やラノベ以外の本も読む。
読んだ知識において、軍師というのはまず詐欺師であり大法螺吹きが定番だ。おまじないや占いが主な仕事だとも書いていた。
山本翻助はほんとうにそのまんまの軍師である。天然記念物ものだ。
それが故に、あんまり憎めない。笑ってしまい、やりたいようにやらせてみたくなる。ダメで元々どこまでこの男に出来るか試したくなる。
「緋村鳶郎」もそうなのだろう。
「わたしを交渉の相手に選んだ理由は何です。ぽぽーがダメなら優ちゃんでも良かったはずです。」
「君の家は昔から物辺島を取り仕切っており、現在も父親は市会議員を務めている。
こういう仕事は習うより慣れろで、幼少より父の姿を見ている君は自然と振る舞い方を覚えているもんだ。
君達5人のプロフィールを見て策を練ったのだが、物辺優子はどうにも分からない性格で制御不能な存在だと理解した。
鳩保芳子はこういう理由で使えないし、童みのり、児玉喜味子も理解力が不足して荷が重すぎる。
いや、彼女達は本来強いんだ。自分一人でも生きられる。最悪の結果に陥っても逃げ延びて、世界の片隅でひっそりと暮らしていけるだろう。
だが城ヶ崎花憐は弱い。政治の本質とは弱さだ。弱いからこそ策をめぐらし敵を陥れ、最小の労力で最大の効果を得ようとする。
政治的な人間なんだよ、君は。」
バカにされた。
「でもわたしだって外国からお嫁さんに来いと言われるかも知れませんよ。」
「そういう計画になっているな。スケジュールも決まっているぞ。20歳になるまでに嫁入りするという稟議書のコピーを見た。」
「稟議書!」
夢も希望もない。わたしの一生って稟議書でなんとかされちゃう程度なのか。
「あの、参考までにそのお相手というのは誰です?」
「どっかの国の王子様だ。金髪双子の兄妹で王子様とお姫様。フランス語みたいな名前の、」
「あ、アレですか。」
「うん、どれだ?」
PHASE 217.
雅楽の音が別の曲に代わる。式は無事終了して、神社の外に花嫁花婿が出てくる次第になっていた。
これには花憐も如月も参加して島一周行列ををすると、強引に定められている。花憐の父と鳩保の差金だ。
仕方がないから立ち上がる。
「山本さん、結婚式が終わったみたいですから行ってみましょう。」
「おう、披露宴かな。」
「もう一手間ありますが、後は島中で宴会ですね。」
「まるでお姫様の結婚式だな。」
「実際お姫様ですから。」
形だけは存在する橋の入り口の鉄柵を閉めて「通行禁止」にする。
こんなもの子供でも跨いで越えるが、祝子親衛隊には金城鉄壁に見える。なんと無慈悲な。
橋の両側は海である。島までまっすぐに続くコンクリート造り、海面上2メートルと低く幅は車が1台通れるだけと狭い。転落防止も1メートルの欄干が続いてるだけだ。
橋の下をちゃぱちゃぱと潮が揺れる音が聞こえる。夏の日差しが波間で照り返し、顔を下から輝かせた。
男の長い脚が大股で陽炎の中を歩いて行く。白のタキシードだから眩しく光って、まるで真昼のゴーストだ。
なんだかな、と花憐は思う。
カッコイイじゃないか山本翻助。動きも軽やかで、忍者ほどではないが武術の心得も有りそうだ。
ガワだけ見れば上等なのに、なんで中身がアレなんだ。だいたいどこの学校に行けば軍師の勉強なんて出来るのだ。
彼にすれば、物辺島の宇宙人騒動はまさにチャンスに映るのだろう。面白くて楽しくて、スリルがあってしかも人類史に足跡が残ると来る。
そういう考え方も有るのかと、ようやく花憐も理解した。実際ファンタスティックな状況なんだ。なんたって宇宙人なんだから。忍者で軍師なんだから。
稟議書で決まってる花憐の婿というのも、王子様だ。金髪のプリンスさまだ。
そりゃあ面白いに決まっている。
やっと鳩保や優子がNWOの策に乗ろうとする気が理解できた。みのりちゃんをドバイに送り出すわけだ。
踊る阿呆に見る阿呆、陰謀する奴される奴。楽しんだ者勝ちなんだ。
「あはは、急ぎましょ。行列出発しちゃいますよ。」
ワンピースの裾を翻していきなり走りだす花憐に、如月は怪訝な顔で追いすがる。たちまち翻助を追い越し、どんどん先に飛んで行く。
「ほら。」
夏祭りで鉢頭さんが大暴れした参道に、社殿から花嫁が現れた。
宮司の父親と姪の双子美少女小学生巫女が先導し、姉の饗子が裾を取ってゆっくりと石段を降りてくる。
隣に立つのは紋付き羽織袴の好青年「緋村鳶郎」改「物辺鳶郎」だ。
ああ悔しいとハンカチを噛み千切る花憐と如月を尻目に、山本翻助は歎息を漏らす。
「6つも年上の三十女を押し付けられたと聞いたんだが、これはなんだ。とんでもない美人でしかも若いじゃないか。」
「見た目に騙されちゃいけません。祝子さんは紛れも無く三十女です。」
「いやこれなら俺だって騙されてやるさ。」
参道の左右には村の人が勢ぞろいして、新しい島の領主に祝福の声を掛ける。物辺神社の入婿とは、昔からそういう存在であるのだ。
行列が進むと、この人達も後ろに並んで一緒に歩く。島民全員が百鬼夜行さながらに練り歩くのが古来よりの習わし。
新婚の二人の後ろには、鳩保も巫女姿のまま続いている。結婚反対派の花憐を見つけておいでおいでと手招いた。
悔しいが、こんな機会は生涯に二度有るか分からない。物辺島に生まれたからには、花憐も一度は行列したいと願っていたのだ。
如月の手を引いて鳩保よりはかなり後ろ、門代高校のバイト巫女連に滑り込んだ。
山本翻助はそのままの位置で、右手のニ指を揃えて額に当てキザに挨拶する。友人の姿に、物辺鳶郎も目で返した。
行列の中から見ていた花憐はまたしても悔しく思う。
なんだあの人、やっぱりカッコイイじゃないか。
「あんたは行列しないのか。」
と、物辺優子は児玉喜味子に尋ねた。島民総出で花嫁行列の時間だが、神社内の後片付けと次に控える宴会の為に少数が残っている。
優子はゲキの鬼神様の代理人として重たい金冠を被ってご苦労さんであったし、喜味子も撮影班とビデオのチェックを開始する。おおむね満足のいく出来だ。
喜味子答える。
「みのりちゃんもね、行列しながら島内警備だよ。巫女は遊んじゃいられないの。」
「そりゃ済まないね。」
「というか、優ちゃんお色直しだ。巫女姿から振袖だよ。一人で着れる?」
「出来る、が手助けは有った方がいい。」
「よし。じゃあそういうことで、」
ひととおりビデオのチェックを終え、MYSの撮影班を次の現場に向かわせる。もう一班は行列をビデオ撮影しているが今度はスチル撮影が待っている。
優子、半ば呆れて喜味子を見る。
「ごくろうさんだね。」
「昨日は宴会用に軍鶏も10羽ほど〆ました。こっちは家業だから別にいいんだけどね。」
「なんか御礼しなくちゃいかんね。」
「なら1個だけオネガイしとこう。優ちゃんの結婚式もちゃんとここでやって行列もする事。また軍鶏を〆て代金を取るぞ。」
「うーん、なかなか難しいお願いだな。そもそも男が居ないとね。」
「あんたの母さんみたいにどこかにふらふらーと消えちゃうのは無しだぞ。」
そういやそうだ、と優子は改めて母を思い出した。
母物辺贄子は長女であるから本来であれば神社を継ぐ身であった。しかし優子を産んで実家に押し付けた後、失踪。
祝子が母替わりとなって乳飲み子を育てたのであった。
祝子が婿を取って正式に神社の跡取りになったからには、贄子に何の責任も無い。
罪の意識で帰って来れないわけではなかろうが、戻り易くはなったはずだ。
「かあさんに伝えておいた方がいいんだろうね。」
「居所知らないの?」
「うん。」
知らないものは知らないのだ。電話も知らない。今時携帯電話だろうがそれも知らない。インターネットメールアドレスも知らない。
そもそも現在、「物辺贄子」を名乗っているかさえも定かではない。
喜味子もさすがに呆れる。贄子おばちゃんの無責任さもさることながら、実の母が居なくてもあっけらかんとしている優子の情の無さもどうだろう。
「じゃあさ、あんたの父さんなら知ってるんじゃない? さすがにさ。」
「とうさん、て父親のこと? 遺伝上のあたしの。」
「それ以外の何がある。」
「いや、実はあたし、自分が誰の子かも知らないぞ。」
「なんで知らないの?」
「誰も教えてくれないもん。爺ちゃんだって饗子おばちゃんだって祝子おばちゃんも。」
喜味子、優子が脱いだ装束を畳む手を止めた。なんだこいつ。
「聞けよ。」
「えー、」
「ちょっと待て聞いたこと無いのか?」
「聞いていいの?」
「なんでダメなんだよ。」
「教えてくれないから、聞いちゃいけないものかと。」
「そんなことあるもんか。だって私知ってるぞ。」
今度は優子が驚いた。なんで本人が知らないものを、喜味子が知ってるんだ。
「いや、というか島の人だいたいが知ってるんじゃないか。だってうちの両親から聞いたし。」
「なんでだよ。なんで本人だけが知らないんだ。」
「というか、本当に聞いたこと無いの?」
考えてみると物辺優子、実は今のいままで父親なんて考えた事が無かった。そもそも男と女が性交して妊娠して自分が生まれた、という感覚自体が欠落していた。
木の股から生まれたのではないかいな、と。
「バカ!」
「うう、そうだった。よくよく考えるとあたしには父親というものが居るんだった。すっかり忘れてたぞ。」
「おじさん(じいさん)も饗子おばちゃんも、あんたがそうだから教えてくれないんだ。」
「そうだよな、聞く気が無い者に教えてくれないよな。そりゃそうだ。」
知るか、と喜味子は教えてくれない。そんなもの自分で聞けと突き放す。
当たり前の態度であり、そもそもが伝聞で知る喜味子よりも自分の肉親に尋ねた方がよほど間違いが無い。
だから優子はそこでヤメタ。どうせ行列が帰って来て宴会が始まれば、機会はいくらでもあるだろう。
たしかに有った。酒も入っているし、口も軽くなる。
喜味子がちらと教えてくれた範囲では、別に父親犯罪者ではなく死んでもおらず、むしろ有名人だそうだ。
ならば聞くのも話すのも恥では無かろう。ちゃんと教えてくれるはず。
が。聞かなかった。
いやまったく、酒というものは人の理性を奪い取るものだ。こんな重大事をすっかり失念してしまうくらいに。
だから未成年にアルコールは禁止されるのだ。
翌日。
新婚御両人と物辺村少女御一行様は空港に在る。
ゲキの継承者となった5人には因縁の深い場所であった。
彼女達が古代宇宙人ゲキの遺産を引き継いだのは、北海道に修学旅行に行き大地に眠る「ゲキの骸」を発見してしまった事に端を発する。
物辺優子のバカが道中のお守りにと御神体「ゲキのへのこ」の削った切れっ端を持っていったから、こうなった。
だがそもそも北海道に来なければこんな目に遭わずに済んだのだ。
北海道と門代地区とは日本の南北反対側となる。本来であれば修学旅行になど行かない距離だ。
運の良いことに、今年新空港が完成して北海道への路線が就航した。
PRも兼ねて格安運賃の優遇を受けて、門代高校二年生の北海道修学旅行が実現する。
まだ肌寒い北の五月に連れていかれたのも開港第一号の栄誉を授かる為であった。
それでも、去年一昨年の修学旅行とは天地の違いがある。
一昨年は大学見学に各地ばらばらの組で連れていかれただけだし、去年に至っては旅行料金を払っているにも関わらずボランティア合宿だ。
3年前に就任した校長の横暴によるものだが、いくら何でもこりゃ酷いと生徒会が断固として対決。
結果、今年は尋常まっとうな修学旅行が実現したのであった。めでたしめでたし。
その挙句が世にも悲惨な事件となってしまったのだが、ゲキロボによる事象改竄によって記憶の彼方に消え去った。めでたしめでたし。
「みのりちゃん、すてきすてき。それとっても可愛い。」
「えーでもーちょっとー、……恥ずかしい。」
童みのりも新婚に同行してドバイに行く。正確にはみのりに同行して新婚旅行に行くのだが、どうしてもみのりがお供に見えてしまう。
なにせ祝子が気合を入れて化粧をして衣装を選ぶと、巴里や紐育のトップモデルですら頭を抱えて逃げ出すほどの美人ぶりを発揮する。
今回、ドバイの石油成金にバカにされまいと饗子プロデュースのファッションで完全武装しているから、道行く人も何かの撮影かと振り返るほどだ。
対して新郎物辺鳶郎も、妻にふさわしい見栄えのするナリをしている。正直両人とも旅行費用より衣装にカネを掛けていた。
であるからして、お供のみのりもそれなりに頑張らねばならない。
無論資力の問題から普通の余所行き以上は買えないのだが、そこは物辺島の富豪花憐ちゃんが一肌脱いだ。
パリ在住の宝飾デザイナーである母に連絡して、伝手で某子供服ブランドに協力を要請。
突貫で縫い上げてもらったのが、現在着用している「メイド服」であった。
喜味子、ファッションにはまったく興味が無いからよく分からないが、これがかなり変であるのはさすがに見抜く。
「何故メイド?」
「フレンチメイドをモチーフに、フリフリのヒラヒラをゴージャスにあしらってみました。もちろん下品にならないように品位高く格調高く、それでいてみのりちゃんの庶民的な良さを正面に押し出す形で、」
「だから子供服メーカーというわけか。」
身長140センチはたしかに子供服の範疇ではあろうが、それにしても恥ずかしい。
本当はメイドじゃないんだよと表すために紺の丸いお帽子が付いて来て、これがまた愛らしくてみのりの魅力を100パーセント引き出した。
「可愛い可愛い。」
「ひー、はずかしー。」
優子も感心して腕を組み、評する。
「来年は着れないな、この服。」
「そうなの。今のみのりちゃんに、というよりもこの旅行にのみターゲットを絞って最大限のパフォーマンスを発揮するようデザインされてるのね。」
「デザイン料もかなりなものになったんじゃないか?」
「そこはそれ、NWOの方に必要経費ということでツケを回して」
「なら安心。」
そんなこと聞いてないよー、と抗議するみのりに、花憐は後頭部サフラン色のリボンを揺らして上機嫌に応える。
「ドバイのホテルにも着替えをばっちり用意してるから!」
PHASE 220.
旅行の計画はこうなっている。
まず新空港から関西国際空港まで飛んで、関空からドバイ経由イスタンブール行きに乗る。もちろんイスタンブールには行かない。
ドバイ行きではファーストクラスに3人共に乗る。優子が説明したとおりに、大人2人はビジネスクラスの料金でファーストクラスに乗れる措置が講じてある。
簡単だった。
鳩保が超能力を使うまでもなく、NWOのそれ担当部署に直電を掛けて「連れも行けないのならみのりちゃんはドバイ行かない」と伝えるだけでオールOK。
彼らにしても今回の案件に自分で予算を付けているわけではない。主催者はNWO本体ではなく、それに属する非キリスト教系アンシエント多数。
ドバイが舞台となるように、中東の富豪や王族もメンバーである。
カネなんざ腐るほど有るのだ、どばどばと使う。使わせる。
「喜味ちゃん、上空警戒は?」
「ばっちりだよ。」
地球人類の航空機は宇宙人技術の前では赤子同然。いかに警戒しようともレーザー光線一発で撃墜されてしまう。
そんなことされちゃかなわないから、ゲキロボ三号を新たに製作して既に空中に飛ばしている。
空中で飛行機を守るためのロボットはどのような形状であればふさわしいか、色々考えても分からなかったので鳩保は科学部のまゆちゃん先輩に相談した。
まゆちゃん先輩はマッドサイエンティスト・プロデューサーであるから、わけの分からないSF的相談にも快く応じてくれる。
「頭足類だね。」
「タコですか?」
「いや、イカだ。高速で飛行するにはたとえ空気抵抗をキャンセル出来るとしても、それなりに形状は考えなくちゃいけないよ。」
「しかし、人型ロボではダメですか?」
「飛行機に乗っている人を救助するとかもあるんだろ? なら硬い金属製のアームよりも軟体の触手である方が安全ではないだろうか。たぶん破壊された機体の金属の破片とかも襲いかかってくるから、より柔軟で人間を保護できる能力が必要だね。」
「ワイヤーを自在に操って腕みたいに使うとかもできますが、」
「なんかばらばらにちょん切られそうじゃないか。いかに能力的には問題なくても、助けられる人が不安に思うような形状はダメだよ。見た目が大事。」
「それでイカですか。」
「日本人なら皆大好き!」
「いやまあ、美味しいですけどね。」
というわけで、空飛ぶイカが出来上がった。ゲキロボ洗濯機を使って合成したイカを核に形成した胴長3メートル触手長7メートルという大物だ。
核が有れば何を材料にしても瞬時にゲキ虫を増殖させボディを形成できる。
護衛する旅客機が攻撃で破損した場合、機体に取り付いて同化し巨大イカロボに変身して乗客を救う事も考えている。
「みのりちゃん、イカロボは小さくなるとミミイカくらいになるから、ポケットにでも入れといて。」
「うんわかった。」
物辺優子が空港ターミナルの巨大な窓ガラスから上空の蒼天を見上げて、言う。
「みのり、祝子おばちゃんの世話をするのは大変だと思うけれど、泣くんじゃないぞ。」
「うん。」
「だいたいおばちゃん一人でなんでも出来るんだから、無茶な命令は無視していい。うちは貧乏神社なんだから、お姫様みたいに考えちゃ駄目だぞ。」
「うんわかった。」
「あと、興味を持ったものにどこまでも付いて行って迷子になる傾向があるから、トレーサーを撃ち込んどくんだ。」
「おばちゃん痛くない?」
「ちょっとくらい痛いのはいいさ。おしおきだ。」
祝子は語学の鬼であるから、外国に行ったら早速己の能力を使うだろう。だが鬼のくせに案外と騙されやすい口なのだ。
前にもマカオで古本屋漁りをしていて怪しい客引きに捕まり、誘拐されて売り飛ばされる寸前まで行った事がある。なにせあの美貌だから人目を惹いて仕方ない。
まあ、たいがいは騙した方が酷い目に遭わされるオチで終わる。
祝子は実は腕っ節も強い。そもそも父親が只者ではない武術の達人であり、娘3人の内唯一人それに興味を持った子であった。
「だからおばちゃんを絶対に戦わせてはダメだよ。」
「うんうん、わかってる。絶対させない。」
戦国時代の具足での組討なんかやられてたまるものか。首をこきっと捻ってフィニッシュなんか、逮捕されちゃう。
とにかく祝子は旧い技や知識を覚えるのが大好きだ。また一目見ただけで要点を見抜いて自分で再現できる化物である。
鬼だから、「覚える」能力の鬼だから。
花憐はほっと息を吐いた。
「みのりちゃんならそこの所は安心ね。格闘は絶対みのりちゃんの方が強いんだから。」
「でも心配だ。旦那の忍者の技を覚えて使おうとするかもしれない。」
「優ちゃん、もうちょっと信用してあげようよ。祝子さんももう30なんだから、大人なんだから。」
「心配だ、ぎせいしゃがしんぱいだ。」
面白がっている。優子は明らかにみのりにプレッシャーを掛けるのを楽しんでいる。
PHASE 221.
遠い異国への旅行だとは言え、新婚旅行はそう深刻に考えるものでもない。
搭乗の時刻が来たから、みんなでバンザイして送り出す。
だいたい島民の見送りは島をハイヤーで出る時に大々的にやっている。見送りに付いて来たのも最小限。
姉饗子も多忙故同行はヤメた。
物辺村関係者は童みのりの両親と、女子高生4人に双子小学生、そして初瀬さま。彼女も飛行機で東京に帰る。
美袋初瀬は完璧に整ったかに見える祝子の装いを確かめ、最後に襟を少し直して言った。
「一生に一度のことだから、まあ一度にしてもらわないと困る事だけど、頑張って」
「なにを」
「新婚旅行だから、それは頑張るのよ。」
さすがに自身も結婚しているから怯んだりしない。初瀬は物辺鳶郎の方に頼む。
「跡継ぎですよ。」
「はい。」
「24歳」の新郎は頬を少し赤くする。物に動じないニンジャではあっても、人妻の善意に抵抗出来ない時だって有る。
最後に童みのりに対しても配慮を忘れないのが、彼女という人間だ。
「じゃあみのりちゃん、くれぐれも祝子がバカをしでかさないように注意してね。でも、新婚さんのお邪魔をしちゃダメよ。」
「はい。」
可愛いメイドさんがぺこりと頭を下げる。両親もつられて頭を下げた。
物辺神社の関係者というだけでなく、禍津美さま家系はその人柄によって物辺島の住人に信頼され、愛されている。
ターミナルビルの屋上で、離陸する飛行機を皆して見送る。向こうからは見えないだろうが手を振った。
もちろん上空で円を描いて警戒するイカ型ゲキロボは常人の目には映らない。
少女達の中心で手を振っていた初瀬は、振り返り微笑み掛ける。
「私の飛行機はまだ時間があるから、ちょっとお話しましょうか。聞きたいことが有る人が居るわね。」
新空港だから色々と観光客相手の店が用意されており、ここだけで半日は潰せる面白さだ。
オープンカフェも有り、物辺村一行で大きなテーブルをひとつ占拠し、それぞれに注文を任せる。もちろん初瀬のおごり。
優子と美彌華&瑠魅花はなんの躊躇も遠慮も無く大きなパフェを頼む。身内の強味であるし、また敢えて甘える事で深まる絆も有る。
3人ともにそのくらい計算ずくだ。
鳩保花憐喜味子はそれぞれカプチーノ、ダージリン、抹茶アイスフロート。
鳩保は特に、これから真剣勝負であるから口にも精神にも苦いものを必要とする。
まずは身内同士のお話が始まる。主に双子の近況やら優子の今後の進路について。
もちろん優子は、鳩保がじくじくと突き刺す目線で先を促すのに気付いている。焦らしていたぶりたいところだが、初瀬のスケジュールが押しているから断念せざるを得ない。
昨日の巫女バイトの謝礼の意味合いも有って、進んで話題を振ってみせる。
「初瀬さま、今回香背男にいさまもいらっしゃるかと期待していたのですが、やはりお仕事ですか。」
「そうね、仕事と言えるでしょうね。第一結婚が決まって式までが早すぎたわ。残念ながら日本に戻るのは無理だったの。」
「ブラジルですか、飛行機代掛かりますからねえ。」
「それがね、」
と初瀬も鳩保の顔を見る。1年半前物辺島に里帰りした禍津美に従っていた斎野 香背男に鳩保芳子が殊の外懐いたのは、物辺島の住人知らぬ者はない。
その後禍津美は東京の病院に入院し、香背男はブラジルに帰っている。
ちなみに斎野姓は禍津美の夫のもの、美袋姓は初瀬の婚家だ。
「発掘調査ということで、ユカタン半島に出張しているのよ。」
「発掘、ですか。それはまた妙な」
香背男は博士号は持つが学者ではない。アメリカの金属会社の研究員だったはず。
家はブラジルに有るとはいえ、本人は南米中を行ったり来たりでどこに居ても不思議はない。しかし発掘をする仕事ではなかったと鳩保も記憶する。
「実はね、というよりは芳子ちゃんは知ってるでしょう。ユカタン半島に昔超巨大な隕石が落ちたクレーターが有るってこと。」
「ああ、恐竜が絶滅したアレですね。6500万年前でしたか。」
「その隕石に含まれていた金属に特殊なものが存在する、と聞いたの。専門的な事は私には分からないけれど。
それで現地の村の古い言い伝えの中にそれらしいものが有るというので、謎の部族と一緒に、」
「なぞのぶぞく、ですか。」
初瀬も、これは喋っていいのか少し迷った。弟を好きな女の子に要らぬ心配を掛けるのは心苦しい。
「土地の人に昔から尊ばれてきた神の部族で、宇宙からやって来たとも言われているのよ。」
「宇宙人、ですか。」
「そんなことは無いんだけどね。でも隕石と関係が有るのなら、やっぱり宇宙かしら。
なんでも常にオオカミのお面を被っていて普通じゃないんですって。」
「オオカミの面……。コヨーテではなくオオカミですか。」
「そこまでは分からない、私が見たわけじゃないから。ただかなり特別な存在らしくて接触するのに随分と苦労したと、先月電話で聞いたわ。
それで今も香背男は彼らと居るみたい。」
鳩保花憐はカップを口に、喜味子優子はスプーンを口に咥えて考える。
世の中偶然なんてものはそうそう無いと知らされる昨今で、つい先日狼男をぶち殺したばっかりの彼女達だ。
悪い予感で背筋がびりびりと振動する。
だから、初瀬が「心配しないでね」と言うのを平静に聞いてはおれなかった。
喜味子が、誰か一人は喋らねばならない、鳩保に忠告する。
「ぽぽー、もうちょっと辛抱しろ。」
PHASE 222.
美袋初瀬は母が入院する東京へ帰り、物辺村の少女達は空港に残された。時刻は正午頃。
折角来たのだからと双子小学生が空港中をはしゃぎ回って遊んでいるのに、「万引きとかしたら殺す」と警告を発して、
物辺村正義少女緊急会議開催だ!
河岸を替えて別のお店、もっと女子高生のお小遣いレベルに合った安いファーストフード店に落ち着いて、物辺優子が発言する。
「芳子落ち着け。」
「うるるううううううううぐぐぐぐぐぐぬぬう。」
「ぽぽーあのね、心配なのは分かるけれど、別に攻撃されたとか拉致られたわけじゃないから、ね。」
「にゅうるるるるるるる。」
「優ちゃん、これはやっぱり狼男との関連性が有ると見た方がいいのかな。」
「わたしも、それは思うんだけど、優ちゃん?」
「あー、そうだなあ」
「ぴききききききき」
優子、長い黒髪を引きずって身を乗り出し鳩保の脳天にチョップした。さすがに頭に血が上り過ぎだ。
「落ち着け、芳子。」
「痛いー。」
「喜味子、これはやはり現地調査が必要ではないかな。ここでぐだぐだ言ってても無意味だろう。」
「そうだね、狼男がオオカミの面を被るというのも変だしね。両者は関係が有るとしても同一じゃないかもしれない。花憐ちゃんはどう?」
「うん、でもここは慎重に。もしほんとに只の人間だったら、むしろ香背男さまのお仕事の邪魔になるだろうし。」
「というわけだ。芳子、自重しろ。」
「まさか優子に自重しろなんて言われるとは、私も地に落ちたもんだ……。」
鳩保、冷静さを取り戻す。花憐の「香背男さまのお邪魔になる」が効いた。
確かになんでもかんでも宇宙人の仕業にして良い道理が無い。
だがそれにしても、このタイミングでオオカミの面はいかにも間が良すぎて邪推してしまう。
喜味子が今得た情報を数え上げる。
「ユカタン半島、謎のオオカミ部族、隕石、特殊金属。そして香背男さま。これだけの条件で探せるだろうかね、私達に。」
「ゲキロボで探査すれば一発じゃないか。」
「ぽぽー他に手は無い?」
「見つけるだけなら簡単だけど、もし宇宙人だった場合存在を隠蔽されているかもしれない。というか、私達が考えるべきは敵が悪意有る宇宙人のケースだ。」
「敵って、ちょっと落ち着いて。」
「でもさ、優ちゃんがぶっ殺した狼男は、アレはもう1万年以上も昔に遺伝子調整された存在で、生物学的に種族が存続しているわけさ。
これは半分は宇宙人で半分人間でそのまた半分は獣でしょう。」
「きみちゃん、なんか複雑になってない?」
「いやでもさ、その部族というのは長年現地で崇拝されてきたそうじゃないか。オオカミに変身できる人間というのは、神秘的で宗教的だろ。
それってアンシエントじゃないか?」
「なるほど。」
心の平静さを取り戻す為にフライドポテトを貪り食い、鳩保はやっと頭の回転を安定させる。
アンシエントとはANCIENT WORLD ORDERSの略で、世界各地において宗教的な基盤を持って社会を先導してきた集団の意味である。
決して悪ではないし、不合理で遅れた前近代的な存在でもない。
「喜味ちゃんが言いたいのは、その部族が敵か味方かだけでなく、有益か無害かまたはなんらかの意図を持って友好的に近づいているのか、それともこちらを誘導してなんらかの果実を得る為か。
とにかく複雑な利害関係が存在する可能性を示唆しているわけだ。」
「そこまで考えてないけど、そんなところかな。」
「アンシエントであれば非常にデリケートな判断と、更に細心の注意を払ったオペレーションが必要なのよね。でもー、……ぽぽー自分の目で確かめてみたいわよね。」
「当たり前だあ。」
じゅるじゅるとシェイクを吸う。
普段不用意に体重が増えないよう注意を払ってカロリーを制限している反動で、ストレスが掛かると食べまくる。鳩保所詮は女の子であった。
神経質な姿を見てさすがに優子も心配する。
元はと言えば、狼男ぶっ殺した自分に責任が有るのだ。
「芳子、あのさあ。」
「なに!」
「この件はあたし達が直接手を出すのは止めた方がいい。他に任そう。」
「任すって誰に」
「CIAだな。」
PHASE 223.
振り返ると4人の頭上から話しかける男性が居た。185センチだと聞くが、細身であるから蜘蛛みたいでより高く見える。
もちろん花憐から話は聞いている。しかし、鳩保優子喜味子は昨日の祝宴の端でちょこっと見た程度。
目立つ男だからマークはしていたが、彼は男の偉い人とばかり喋ってアクセス出来なかった。
「山本さん!」
「よ。」
右手を上げて花憐に挨拶する彼は、昨日の通りに気障っぽい仕草。顔の半分だけにやつくのも、女蕩らしぽくて嫌だ。
鳩保が怪訝な目で花憐を睨む。
状況は理解しているが、こんな無遠慮な男だとはさすがに聞いていない。
「花憐、このヒトは。」
「昨日言ったでしょ、鳶郎さんのお友達で山本翻助さん、職業は軍師。」
「「彼野」の回し者てヒトか。で、なに?」
昨日の続きという感じで、翻助は花憐の背後に立つ。
さすがに白のタキシードこそ着ていないものの、派手でかつくたびれたスーツにノーネクタイで、遊び人な風情がぷんぷん漂う。
昨日深酒したから、ちょっとアルコール臭かったりもする。
「花憐さん、鳩保嬢は何故ゴキゲンナナメぽいんだ。」
「あーそれはですねーヘヘヘ。」
さすがに鳩保に関する香背男情報は軍師も入手していない。説明する話でも無いから笑って誤魔化すだけだ。
とは言え立ち聞きをしていたのだから、翻助あらかたは理解する。
「中南米はCIAの庭だし、アマゾンの原生林には宇宙人の拠点も結構有るらしくNWO内に専門調査室が設けられているほどだ。人探しなら彼らに任せると便利だぞ。」
「ほおー。」
4人、困る。狼男ぶっ殺し事件を白状する義理も無いが、これを言わねば何故彼女達がそれほど香背男を心配するかが伝わらない。
翻助の能力も未知数であり、下手に巻き込むと藪蛇に成りかねなかった。
喜味子、左隣に座る花憐の袖を引張り確認する。
「このひと、どの程度信用出来るのさ。」
「ゼロ」
「ううーむ、ゼロか。」
「おい花憐さん、それは酷い。」
まったく信頼出来ないとは、或る意味鉄壁な信頼度である。裏切り防止策をちゃんと講じれば使えるわけだ。
しかし鳩保はさらに疑念を深める。
「花憐ちゃん、かれんちゃんはどう考えてるか知らないけれど、私その人がCIAを動かせるとは信じられない。」
「えーそうねー、ぽぽーえーと、山本さん、あなたはCIAとどんな関係が、」
「関係があっても私的に使えるとは限らないよ。」
「そりゃそうさ、俺はCIAに何の権限も持ってない。」
しれっと語り4人共に顔を白く呆れさせる彼は、背後に腕を伸ばして指をぱちんと鳴らす。どこを取っても気障っぽい奴だ。
彼に呼ばれて来た男は、
「あ!」
「ヨシコ、そういう事であれば僕にも手伝わせてくれ。」
「なんであんたここに居るの?」
米上院議員の息子でフリーメイソンの下っ端、アル・カネイだ。
彼も翻助と同等に背が高いから、ファーストフード店の一角が不快な圧迫感を醸し出す。鬱陶しい。
優子が二人にも席を勧める。男は嫌いじゃないのだ。
「御二人共立ち話はなんだから、座んなさい。君は芳子の隣。」
「どこから聞いてる?」
「あ、先ほどのレディと話している時には、もう。」
「盗聴か。くそ」
鳩保ぺぺぺと唾を吐くフリをする。なんてこった、せっかくの初瀬さまとのお話が、嫌な思い出になってしまった。
翻助が話を自分に引き戻す。主役は自分でなければ気が済まないタチらしい。
「というわけだ。軍師というのはこういう仕事をする。自分では働かなくとも、使える人間を紹介する。的確な人材登用が勝利の鍵だ。」
「ちょっと待て。でも何故香背男さんが問題になると、あんたが知ってるんだ。おかしいじゃないか。」
「おかしくないさ。物辺神社関係者の所在はNWOがちゃんと管理している。その中の一人が特定のアンシエントに深入りするとなれば要注意だ。」
PHASE 224.
「オオカミの面の部族というのは、たしかにアンシエントなんですか?」
喜味子の問いに翻助真摯に応えようと努力する。
が、鳩保優子花憐の花畑に比べて一人だけブラックホールががばっと口を開けている感触がして、正視を続けられない。
「……宇宙人とまったく関係の無いアンシエントというのも存在する。宗教関係で勢力を持っている所はすべてNWOに参加する資格を有する。それを抱き込んで得があるか、という話だけだ。」
「オオカミの所は、どうです。」
「調査中、だな。実はさっきCIAのファイルにアクセスして一通りは知ってる。結果は「保留」になっている。」
翻助の言葉に合わせて、アルが手に持ったノートパソコンを示す。
世はまさに21世紀。インターネットを使えば世界中どこからでもCIAのデータベースにアクセス出来るわけだ。
驚く方が驚かれる。
「保留の意味は、」
「斎野香背男という人は、そのオオカミの部族が宇宙人と関係するかどうかを調べに行った。そう理解してくれ。もちろん本人は何も知らないし、彼を派遣した会社も事情を理解していない。
つまりだ、NWOのみならず他の組織も宇宙人に由来する技術の獲得にしのぎを削っている。そのどれかが、今回の調査を彼に命じた。
アンシエントはそれぞれの縄張りで社会に深く根を下ろしているから、一般企業にも支配力を有するわけだ。」
「ははあ。」
喜味子にはよく分からないが、鳩保は理解した。
つまり香背男は物辺神社関係者の重要性を理解しない組織によって、適当に使われているかもしれないのだ。
これは良くない。
「アル、CIAはその部族に今接触しているの?」
「それはさすがに、今見た情報だけでは。だが僕が掛け合ってエージェントを派遣してもらおう。自然な形で、その人の会社の関係者の名目で。」
「うん。」
「弱いな。」
物辺優子が澄まして口を挟む。紙カップのジンジャーエールをストローですする。
「時系列で前後関係を比べれば、香背男が部族と接触したのは、狼男が門代に姿を現すよりも前の話だ。両者が同じ組織に属すると仮定して、
向こうからこっちを調べに来た。先手を既に取られている。」
「ほおほお。」
「こちらがアクセスを試みても連絡付かないはずだ。調査員ぶっ殺して警戒させてしまった。」
「そうね優ちゃん、それが素直な見方だと思うわ。」
「じゃあどうすればいいんだ。香背男さんが助けを求めてるかもしれないじゃないか!」
再び激昂する鳩保に、優子が93センチ巨乳を押してなだめる。
「CIAだけでなく、こちらからも戦力を押し込んどこう。相手が狼男でも対抗できるだけの戦闘力を持ったユニットを。」
「でも優ちゃん、そこまでNWOに頼るのはどんなものかしら?」
「有るじゃないか、手駒が。べらぼうに格闘戦能力の高い、しかも中南米に明るい人材が。」
???
「優ちゃん、それってもしか、」
「ネコ男だよ。たしか今は米軍に捕まって、えーと」
アルを見ると、さすがに彼は知っている。
「今は沖縄のKADENA基地の一角に有る特殊な地下拘留施設に監禁されている。
下手に分析されると心臓のリングが爆発するとヨシコから聞かされたから、手付かずでそのままだと思う。」
「暇なんだね。」
「アル、あなたの伝手でネコ男ジョシュア・ガリクソンを釈放出来るかしら。」
「いやそれはさすがに、」
花憐の質問に眉をしかめるアルを見て、鳩保無言で立ち上がる。
「うおおおおおりゃあああ、出て来いCIA! ミィーティア・ヴィリジアン居るかああああー」
鳩保空港から物辺村に飛んで帰り、島近くに作られたNWOの宇宙人観測所を襲撃する。
他の3人と男性2人は、ただ笑顔を引き攣らせて見守るしかない。
小浦小学校跡地に元の校舎をそのまま使って開設された観測所にはNWOから派遣された科学者と連絡員、周辺に潜伏して密かに守る米軍一箇小隊が居る。
もちろん誰もが鳩保およびゲキロボパイロットの顔を見知っているから、為すがままに蹂躙されるのを甘受する他無かった。
たまたま近所のスーパーに食料品の買い出しに行っていた赤毛のおっぱいことミィーティア・ヴィリジアンが携帯電話で呼び出されてすっ飛んで帰るまで、およそ5分。
長い時間であった。
「は、鳩保さん、なんですかなんですかこれ。」
やたらでかくて四角くて燃費が悪くて走りにくくて仕方のない米車の中古を校庭を転用した駐車場に突っ込むかに乗り入れたミィーティアは、ドアから転げ出ると鳩保の前に走っていく。
左右両手にポポーブレードを出現させ当たるを幸い窓ガラスを割って回る姿は、まさに卒業式後のお礼参り。
荒れる十代の姿である。
「お、ねえちゃんやっと観念したか。そこになおれ手打ちにしてくれる。」
「ひぃー」
「芳子落ち着け、目的を見失っている。」
喜味子と花憐に羽交い絞めにされて大人しくさせられた鳩保に代わり、物辺優子が交渉をする。
アメリカ合衆国の宇宙人対策部署に所属する宇宙人との遺伝子ハイブリット人間であるミィーティアは、見方によれば狼男と同じ境遇にあると言えなくもない。
だから説明は簡単だ。
「というわけで、ネコ男を返却してもらいたい。CIAの要員を付けて中米はユカタン半島にあるチクシュルーブ・クレーター近辺に住んでいるオオカミ男族にエージェントとして派遣するのだ。」
「どういうわけかは存じませんが、それは私の権限を大きく逸脱してとても無理です!」
「いや、あんたの権限なんかには期待しないさ。ただそれをCIAでもNSAでもMIBでもどこでも構わんから実現可能な責任者の所に連絡しなさい。いますぐ。」
「と言われましても、そんなようきゅうを、」
「芳子ー、なんかあのトレーラーに積んでるコンテナが高価そうだから、ぶっ壊してやんな。」
「ひいいいいいいいいい」
アメリカ合衆国秘蔵の宇宙人技術を利用して作られた超機能センサーの心臓部がコンテナの内部に存在する。
これの重要性は人命をも越え、観測所に配置されているアメリカ海兵隊員は、人員の犠牲を顧みずにこれだけを確保するよう命令を受けている。
が、ポポーブレードの錆となりたい奴は居ない。
「わかりました、分かりました。今上の人と連絡して協議しますから、なんとか。なんとかお待ちを。」
地面に土下座して哀願する赤毛のおねえちゃんは、しかしよくよく考えてみれば政府から虐待にも等しい実験動物待遇を受けているのだから、こんなに必死になる義理は無いのだ。
私は知らないからもっと偉い人の所で直談判してください、こう言うだけでOK。
そんな事も分からないほどに洗脳され尽くしている、と見做すべきであろう。
優子もさすがに憐れに思う。
「おいカネイ君、ここは出番じゃないかな。」
「あ、うん、確かに。あのすいません、そういう事ですから。」
「は、はい。それでは。」
メリケン人二人が土の校庭の地面の上でぴこぴこ携帯電話をいじくって、それぞれに上位の権限を持つ部署に連絡して。
その間鳩保の頭を冷やすのに結構苦労させられた。
主に花憐が担当したが、喜味子はせっかくだからと海兵隊員の傍に寄って携える銃器の見物をしている。
至極楽しそう。だが鬼畜の形相で接近される彼らは生きた心地もしない。
ミィーティアおねえちゃんが叫んだ。優子が応じる。
「交渉、難航して上手くいきません!」
「この惨状をビデオで撮って送信してやれよ。今の芳子なら嘉手納基地にも殴りこむぞ。」
「は、はい。」
軍師山本翻助が優子の耳元で囁く。
「費用もあちら持ちという事で、要求に付け加えて」
「なるほど。ミィーティアさん、ちょっと。
でもあんた、どうやってカネイ君と知りあったのさ。」
「カネイ上院議員の来日準備を手伝ったんだ。こちらから強引に申し出てプレゼンして。」
「なるほど、踏み台に使ったんだね。」
結局1時間ほども交渉に費やし、最後はアメリカ大統領直々の決済までも受けて、ネコ男ジョシュア・ガリクソンの釈放と中米への派遣が決まる。
費用も、彼の監視役として要員が派遣されるから全部そこに織り込む事で解決して、ほぼこちらの希望通りの結果を得る。
もちろんあちらさんもタダ働きはしない。
狼男に変身する種族が居る確実な情報と、それに関連してなんらかの高度な科学技術が存在する可能性を知った。
もっと上手く丁寧に交渉を運べば、自発的に嬉々として派遣したかもしれない。
アルが優子と鳩保の傍に寄る。最終的な問題が発生したと告げる。
「ジョシュア・ガリクソン本人の意志だ。彼が行かないとなれば、どうしよう。」
「なんで? 牢屋から出されるんだから何が何でも食いつくでしょ。」
「それはそうなのだが、また彼も雇われてモンシロ地区に来たのだからカネで動くのだけれど、つまりアメリカ政府を信用しないんだ。」
「そりゃそうだろう。」
「金銭以外の報酬が無いと言うことを聞かない。どうしよう。」
「なにが欲しいと言ってるんだ。」
「それが、君たちに会わせろ、と。」
「ソロモンの指輪か。」
ドバイ行きジェット旅客機ファーストクラスのシートに座る物辺祝子は、背後の席の童みのりに聞こえるように言った。
関西国際空港までは普通に安い席で飛んだが、ドバイ経由イスタンブール行き「特別便」のファーストクラスに乗ってしまうのだ。
特別便というのは、何故かこの時期この日付に日本からドバイに行く人が急増し、しかもカネに糸目を付けないとの不思議な申し込みが相次いだ為、便をやりくりして最新鋭の機体を用いている。
何故そんな客がいきなり、という航空会社の疑問は当日になって解消した。
客筋が明らかに危ないのだ。
無論金払いの良い客ばかりであるし社会の上流階級に属する有名人が多いのだが、お供が良くない。
ガタイの良いいかにも軍人上がりと思われる者、一片の贅肉も無い研ぎ澄まされた筋肉で装い殺気のオーラを押し隠す目付きの鋭い男。また彼らの間にありながらもへらへらと笑ってキャビンアテンダントに軽口を叩く浮かれた中年白人男性。
女性も美しいがいずれも隙が無く、指先までも大理石の彫刻かと見紛う精緻さで整っているにも関わらず、誰一人爪を伸ばしていない。
空港警備は緊張しいつもよりも念入りにもちろん人員も増やして徹底的に調べたが、彼らは武器らしきものを持ち込んだりしない。いや私物自体を持ってない。
互いの姿をちらと確かめ、手にした小物にさえもチェックが入る。少しでも怪しげな物品を携えた者は視線を敏感に察し、ゴミ箱に放り込んでその場を離れる。
飛行機に乗る前に危険はあらかじめ排除しよう、との配慮で空港ターミナルはクーラーも効かない蒸し暑さを覚えた。
さすがにみのりも異常事態に気付くが、まさか自分のせいとは思わない。
飛行機に乗るのはこれで2回目。前回北海道修学旅行では皆に押されて定められた席にちょこんと収まって、そのまま北海道に運ばれてしまった。なにがなんだか理解する暇も無い。
比べて今回はさすがに余裕がある。ゲキの力を授かって格闘無敵になっているから、怖いお兄さん達が遠目に見えてもびっくりしない。
「あ。」
知り合いが居た。空港清掃員の服を着ているが、あれは確かに物辺神社の七夕祭りにやって来た女の子だ。
髪が長くて胸が大きいおねえさんとちょっと小さいショートカットの姉妹忍者。今日は空港警備の隠密お仕事のようだ。
振り向いて物辺鳶郎に「クノイチが居ました」と伝えると、彼は笑って言った。
「忍者は正体バレたらお終いですから、知らないフリをしてやってください。」
ファーストクラスの客ともなれば乗る前から待機場所も違うわけで、空港職員の案内で通されたVIPルームはどうにもみのりの落ち着かないふかふかさだ。
この調子では「社長室の椅子みたい」と言われるファーストクラスの座席がどんなのか心配になる。
おそらくは新幹線のグリーン車の座席のようなものであろう。あるいは校長室の椅子であろうか。
少なくとも、北海道に行く時乗った飛行機の座席よりは凄いはずだ。
なんか気分悪くなってきた。
そんな立派な椅子を万が一汚してしまったらどうしよう。寝こけてよだれ染みなんか着いちゃったら、腹切って詫びねばならない。
きょろきょろ首を左右に動かして小動物ぽく警戒していると、瞬く間に時間が来て係の人が案内に来た。
もうふらふらで、夢遊病状態で歩く。
「こら、ふらふらしないでまっすぐ歩け」との祝子の声だけが現実世界の出来事に聞こえる。
上品そうなお姉さんのスチュワーデス、なぜスチュワーデスがいつの間にかキャビンアテンダントに転職したのかみのりには分からない、が飛行機の扉の前で深々と頭を下げるのに、自分もそれ以上の角度で礼をする。
路面にめり込みそう。
飛行機の中も新幹線と違ってぐるぐる回ると、回るスペースが有る事自体が信じられないが、いつの間にか妙な部屋に案内された。
電気マッサージの安楽椅子が幾つも並んでいる! 何故、ここは温泉の娯楽室か?
最新鋭の旅客機の乗客席はビジネスクラス以下であっても液晶パネルが装備されて退屈しないようになっている。
ましてやファーストクラスであればコンピューターの使用に不自由の無い様々な設備が席ごとに備わり、みのりの目にはマッサージ椅子に見えてしまうのだ。
まあマッサージ椅子自体が高価いものなら40万円もする豪華さだから、比較対象として外れている訳でもない。
ただ、みのりの身体には大き過ぎる点だけが問題だ。豪華な革張りの席に埋もれてしまう。
物辺祝子と鳶郎夫妻はひとつ前の席に並んで座る。椅子自体が大きいから二人の姿が見えなくなった。ますます不安。
後から続くファーストクラスの乗客も皆お金持ちの紳士であって、しかも外人だ。
童みのり、孤立無縁である。
だが本当に異常なのはファーストクラスより下の座席であった。
今回用意された「特別便」は、本来存在した「ドバイ経由イスタンブール行き」の路線スケジュールそのままに、機体だけを替えたものだ。
だから本来の便に搭乗予定だった乗客が優先される。ファーストクラスの乗客は最初からの予定者だ。
最重要乗客「童みのり」が不当な圧迫を覚えないように、彼らを優先して配置する。自然を装っていた。
一方、みのりに圧迫を与えかねない連中も資産レベルで言えばファーストクラス常連組。いや、自家用ジェットで世界中を飛び回る富豪揃いだ。
それがビジネスクラスになんか押し込まれたから面子が傷つくやら席が貧乏くさいやらで、不平たらたら。
何故にこんなものに乗らなくてはならないのかと天を呪い悪態を吐く。
理由は簡単。今ドバイでは自家用機、個人所有の航空機乗り入れを制限しているからだ。
この措置の目的は当然に、不法な武器の持ち込みの禁止。世界中の大富豪が自前の護衛を伴って続々と乗り込んでいる中、武器兵器を持ち込まれては大混乱必至。
飛行機や船舶のみならず、陸路での進入も検問を各所に設置しての大規模な規制のまっただ中厳戒態勢である。
ビジネスクラスの予約をしていた一般客は彼らの煽りを食って、エコノミーに格下げになった。
最新鋭機種であるからエコノミーでも座席はいいのだが、こちらにはビジネスに座る連中のお供がぎっしり詰まっていた。
彼らは軽挙妄動して所構わず喧嘩戦闘を繰り広げるような安物ではない。が、商売敵同士が隣に座るとなれば心穏やかでは居られない。
あまりの圧迫感に乗客よりも乗務員の方が不安を覚え、一般客と前後別に分けて座らせる。
ますます不穏分子の密度が高くなる。
そんなこんなで剣呑な空気を詰め込んだまま滑走を開始した。
後戻りはしない。飛行機だから。
PHASE 227.
童みのりはほっと息を吐いた。ようやく要領が掴めて来る。
これは喜味ちゃんが前に言ったとおりなのだ。
五月修学旅行の前、初めて飛行機に乗るみのりに対して鳩保やら物辺優子はびっくりするネタを次から次にぶつけて来た。
やれ飛行機には靴を脱いで乗るのやら、上空では空気が薄くなるから酸素マスクをしなくちゃいけないとか、ピストルの弾1発で機体が気圧で破裂するなどと。
一方同じ飛行機初めて組の児玉喜味子は平気なままであった。機械物は二人以上によく知っているから騙されない。
で、喜味ちゃんが教えてくれた「アメリカ大統領専用機の秘密」というのが有る。
アメリカ合衆国大統領専用機は「AIR FORCE ONE」と呼ばれ空軍筆頭とされる機体である。つまり軍用機だ。
戦闘機と同じように空戦に対応した様々な装備が施されている。
もちろん元は旅客機であるから武器なんか積んでいない。操縦や通信に複数の系統が有り、防弾能力を強化しているくらいだ。
ただし近年は携帯型対空ミサイルによるテロに対抗して、レーザー光線でミサイルのセンサーを灼き切る装置が付いている。あくまでも目潰しで弾体自体は破壊できないが、当たらなければそれでいい。
それでも最終的には撃墜される可能性も高い。確固たる意志を持っての攻撃に、所詮は非戦闘機が逃げ切るのは至難である。
だから、脱出装置が付いている。
戦闘機のパイロットが撃墜されたらシートごと空に射出されるように、「AIR FORCE ONE」にも大統領専用射出シートが存在する。
イメージとすれば、映画「ダイハード2」でブルース・ウィリスが地上に降りた輸送機から飛び出した際に使ったものだ。
だが大統領は軍人ではないし高齢でもあるので、一般用の射出座席では首の骨が折れてしまう。
そこでカプセル型の射出座席が開発された。空気抵抗を防ぐために繭状のカバーを持ち、海に落ちたらボートにもなる。
これは特殊装備であるから、他の国の国家元首専用機には採用されていない。ただ需要はもちろん強く有る。
低価格化が進めば将来的には民間航空機にも取り入れられるだろう。
しかし、それで助かるのはファーストクラスの乗客のみ。安いチケットで乗った人はみんな死んじゃうのだ。
みのりは資本主義社会の冷徹な掟に唾を呑み込みながらその話を聞いた。
そして今日、その現物に遭遇する。
目の前に有る最新鋭のジェット旅客機ファーストクラスのシートは、何故か丸い。カプセルっぽいと言った方がいい。
様々な電子装備が個別の席ごとに付いているから、ふかふかに埋もれたままでも何不自由無く旅を続けられる。
この丸いハイテクサイバーシートが、他の機能を持っていないはずが無い。
射出座席だ! 低価格化に成功したのだ。
なるほど、喜美ちゃんはエライ。
もちろん喜味子は手の込んだいたずらが好きということである。
余裕が出来ると左右の様子を確かめる気にもなる。
みのりの席はファーストクラス左端後ろ。前の2席は新婚の二人が座っているがこちらには向いていない。だからきょろきょろしても祝子には怒られずに済む。
右側を見てどんなお金持ちが座っているかなと首を伸ばす。5人居た。
大会社の社長風の白人60歳くらいの男性。みのりの隣の席になる。
その前が、40歳くらいの富豪の白人夫婦で、髪は金髪目が青い。この人達は日本観光の帰りらしい。
ドバイ行きだからアラブ人も居る。案に反してターバンなんかかぶっておらずスーツ姿。
その先は見えないがCA(キャビンアテンダント)との会話から分析するに、アフリカ人の政治家らしい。大臣級の重要人物と思われる。
さすがファーストクラスだ。みのりとは住む世界がまるで違う。
くじが当たらなければ、というかNWOの陰謀が無ければ一生こんなものに乗る機会は無かったはず。
盛んに首を動かして周囲を見ていたから、不審に思ったCAがみのりの席にやってきた。
乗った当初は操り人形状態だったので注意していてくれたのだろう。
「ご気分はいかがですか」
「はい。だいじょうぶです」
「なにかお飲み物をお持ちいたしましょうか」
「えーとじゃあ、ホットミルクを」
「かしこまりました」
さすがに子供っぽかったかな、と自分でも恥ずかしくなるが、ホットミルクが落ち着くのは当然であるからむしろ合理的判断と自分でも納得する。
実際湯気の上がるマグカップに顔を埋めていると、どんどん冷静になっていく自分にむしろ驚くほどだ。
CAは向かい右側の社長さん風の人に話しかける。ドイツ語で、世界的にも有名な薬品会社のCEOらしい。
らしいというのは、さすがに言葉は分かっても業界基礎知識が欠けるのでみのりには理解できない為だ。
ゲキの力で外国語はもちろん宇宙人語に動物言語まで通じるようになった今でも、知識の無いものは分からない。
まあアニマルの非常識さに比べれば、高等知的生命体である宇宙人の所業はなんとなく察しが付くのだが。
社長さんはどうやらキャビアをご所望のようだ。さすがにファーストクラスだけあってみのりなど見たことも無い食べ物も用意していた。
キャビアフォアグラトリュフと来れば世界三大珍味として有名だ。
が、漁師の娘であるみのりには昔から疑問に思える事がある。キャビアはチョウザメの卵であるが、チョウザメの肉は食べないのだろうか?
夕食のメニューについてのお話もしている。
日本発の飛行機であるから食材も日本で調達しており、神戸ビーフに名古屋コーチンとそれこそマンモス輪切り肉クラスのでんせつのお肉も提示される。
基本的には乗る前にオーダーしているらしいが、みのりはやった覚えが無い。
祝子さんが自分の分まで注文しておいてくれただろうか。
話し終わってこちらを振り向いて笑顔をくれるCAに、みのりは言う。
「和食って、幕の内弁当ですか?」
CAちょっと驚いた。その話は今手前の観光に来た夫婦と交わしたばかりだ。まさか少女が聞き耳を立てていたとは想定外だ。
「幕の内弁当と言っても、そうですねご想像のものとは異なり和食のフルコースのような感じです。」
「はあ。どちらかというとお正月のおせちみたいなものですか。」
「そこまで量は多くはありませんが、考え方としてはそのように思われて結構です。」
「ふむふむ。ありがとうございます。」
ぺこりんと小さなお猿さんみたいに頭を下げるみのりに、CAも丁寧にお辞儀した。
彼女も少しみのりを見直したようだ。何故ならば、今の会話、
「ソロモンの指輪か。」
PHASE 228.
そりゃあ学校の成績も芳しくない童みのりが流暢にドイツ語で喋れば、物辺祝子に聞き咎められる。
前の席の金髪夫婦との会話は英語であるが、普通の女子高生が聞き取れるほどにご親切なものでもなかった。
図らずもみのりは、自分が常人でないと告白してしまったのだ。さあ大変。
新婚夫婦仲良く座っていた祝子はゆらりと立ち上がる。見かけファッションモデルか女優であるのに、発する鬼気は羅刹天。
みのりの傍に仁王立ちとなり、腕を組む。顔は怒ってはいない、笑ってもいない。
物辺の女を本気にさせたら、怖いよお。
「まあ前々からおかしいとは思ってたんだ。」
「ひぃ」
「そりゃいきなり神社に数千万円の賽銭が放り込まれれば異常と考えて然るべきなのだが、それに加えて世界各国からの要人詣でしょう。
御神木のウロは出来たり消えたりするし、鎮守の森には謎の凸凹イヌが走り回り、女の生首までが飛びやがる。」
クビ子のバカぁ、バレバレじゃないか。
「だいたいウチみたいな田舎の貧乏神社に婿に来ようて酔狂が居るのも肯けない。ねえ、ア・ナ・タ?」
火矢がハイテク安楽椅子の背もたれを貫いて物辺鳶郎にまで突き刺さる。いやまったくその通りであるから、こちらも冷や汗を流すばかり。
ちなみに彼が祝子から「あなた」呼ばわりされるのは、今のコレが記念すべき第1回目である。色気も潤いも有ったもんじゃない。
祝子、背を屈め白い貌をぬっとみのりに近づけた。お化粧の匂いが鼻に襲い掛かる。
振り向いちゃいけない、目を見たら殺される。
「わらべみのりちゃん、どうして外国語分かるのかなあ? おばちゃんに教えてくれませんか。」
祝子がみのりにこんな言葉使いをするのは天地開闢以来無い。
怒ってる、これはもうなだめようも無いくらいに徹底的に怒っている。逆らっちゃダメだ。
みのり、両方の腕がぎぎぎとまっすぐ前に不器用に突き出され、ぎくしゃくとふかふかのシートから立ち上がる。
木彫りの人形がコマ送りで歩くかに椅子から降りて方向を換え、祝子の正面に立つと、
がくりと力が抜け、これまたふかふかの床の絨毯に這いつくばる。土下座。
いやもう土下座の域を越え、お雛様のお供えの菱餅のような平べったさだ。
「ごめんなさい。」
「別に責めちゃいない。理由を聞きたいだけだ。どうやってそんな芸当を身に付けた。」
「ごめんなさい。」
「方法はいいや。問題はそれ、おまえだけの芸じゃないだろう。」
「ごめんなさい。」
「外国語が分かるスキルというのは、芳子や花憐には無かったな。でも優子はもっと別の、なにかとてつもなく厄介な能力を会得したはずだ。
そういえば、喜味子のマッサージ! アレはどう考えても常人の技じゃなかった。アレもそうか。」
「そ、そうですごめんなさい。」
「どうやった?」
「う、うちゅうじんの」
「宇宙人だ? 確かに宇宙人レベルの妙な超能力だが、ホントにというか、なんて宇宙人だ。」
「ゲキと言う名前の昔の今は居ない宇宙人の、」
「うちの祭神の鬼のゲキ?」
「優ちゃんが、御神体を持ちだしてその、」
「ああ、そういう事か。」
なんでこれで分かるのだ、とみのりも鳶郎も不思議だが、物辺祝子にしてみれば十分納得の行く説明であった。
優子小学校低学年のみぎり、裏の祠に納めていた「ゲキのヘノコ」と呼ばれる御神体を勝手に持ち出し悪戯しやがった事件が有る。
発案者は鳩保芳子、優子は従犯となり、祠の錠をこじ開けた実行犯は喜味子。花憐とみのりはおろおろとして現場を見守った。
ガキの他愛の無い悪戯ではあったのだが、しかし御神体を弄ったのはまずかった。
その後数ヶ月物辺神社の周辺では怪現象が続き、祝子も事態収拾の為に急遽東京から呼び戻された。
ゲキの祟りと考えれば、しかしそんな霊能現象がおいそれと起こるはずも無い。幽霊や心霊を信じるほど、祝子おめでたくも無い。
「ゲキの鬼とは何か」の疑問は物心付いた時から常に抱き続けて来た。
宇宙人? なるほど、さもありなん。
PHASE 229.
「みのり、具体的にはおまえはどんな能力を手に入れた?」
「ど、動物とお話する能力と、怪力です。鉄球を回して格闘します。」
「なんだいっつもやってるものじゃないか。」
陸上競技部で砲丸・ハンマー投げしていたみのりである。また犬猫小鳥、村の動物たちと通じはしないまでもちゃんとお話をするメルヘンな性格も、村民皆知っている。
ゲキロボの与える超能力は、日頃慣れ親しんだ生活の延長上にあった。
祝子、鋭く声を飛ばす。
「優子は?」
「う、宇宙の壁を飛び越えて次元の彼方の不思議星人とお話が出来る能力と、電撃です。」
「ラムちゃんか?」
「え、えーとたぶん、おそらく。」
「他の子は、」
「ぽぽーは喋った命令に誰でもが従ってしまう能力で、花憐ちゃんは未来予知が出来てすごく早く動けて、喜美ちゃんは壊れたものなんでも直しちゃいます。」
「なんだ、いつもやってる事ばっかりじゃないか。」
「は、はい。たぶん、そう思います。」
鳩保が高飛車で周囲の人間にいつも命令をしているのは、周知の事実。物事に敏感で臆病であっという間に逃げてしまう花憐の足の速さも、喜味子の手先の器用さもつとに有名だ。
非常識でない能力の拡張が、却って真実味を醸し出す。
「最後に、」
「はい。」
「その能力の事、知ってるのは誰? 饗子姉さんと父さんは、」
「饗子さんは知りませんが、物辺のおじさんは知っています。それと双子と、」
「ふん、七夕にウチに来た連中は皆知ってたわけだ。で、最後にもう一人。」
祝子、背もたれの向こうで怯える自らの旦那に言及する。
「物辺鳶郎も知ってるわけだ。」
「はい。」
一歩下がって背を反らせ、自らの席の隣に座る夫を見る。黒髪流して斜めに傾いだその姿、蛇女郎がにぱっと笑うかの能面の喜色。
百戦錬磨のニンジャマスターにして、心胆を凍りつかせる恐怖があった。
ファーストクラスの乗客全てが、日本語の会話は分からぬものの尋常ならざる気配に身動ぎ一つ許されない。
CAも「他のお客様に御迷惑ですから」と割って入ろうとするも、祝子のオーラに付け入る隙を見出せない。
土下座体勢からようやく顔を上げたみのりに、ドイツ人の社長さんがわずかに気を遣う瞬間が出来た。
もちろんドイツ語だ。
「君、大丈夫かね?」
「はい、ご心配ありがとうございます。」
「この方は、君のお姉さんか。」
「いえ、近所のお友達の伯母様で、」
「なにをする人なんだね、この威厳は只者とは思えないが。」
「日本の神社の巫女さんです。」
「MIKO!」
セレブな乗客達は手元のコンピューターで瞬時に”Jinja,Miko”を検索し始める。
出て来た答えに大納得だ。神様に仕える女性であれば、致し方なし。
PHASE 230.
祝子再びみのりの前に立つ。さすがに頭こそ下げさせないが、やはり土下座体勢。手を絨毯に着いちゃう。
「で。」
「はい。」
背筋の毛が改めて逆立つ。既に首根っこ電話で物辺村の喜味子と花憐に「バレちゃった」SOSを発し、救援を依頼。
二人のアドヴァイスは、「ただひたすらに耐えろ」であった。
「今度のドバイ行きも、宇宙人関係有るんだ?」
「はい。」
「具体的には何が起こっている。」
「えーと、」
話せば長いことながら要点を掻い摘んで説明すれば、というのがみのりの一番苦手な仕事だ。
なんとか一生懸命頑張って、息が切れた。
「なるほど。」
「 、そうなんです。」
「つまり宇宙人ゲキの超能力を授かった女子5名をそれぞれに手篭めにしてガキを孕ませ、その子を介して世界中の各種権力機構が牛耳ろうとする計画だな。
そして今回みのりを誑し込むパーティをドバイで開催する運びとなり、続々と世界のセレブが集結中なわけだ。」
「えー、おそらくたぶん、そうだとおもいます。」
「ドバイ行き豪華旅行券のクジに当たったのも、いやでも当たるクジを引かされたわけだ。」
ふん、と祝子鼻を鳴らす。さすがにあけすけな陰謀に呆れてしまう。けれんも手管も有ったもんじゃない、無粋極まる。
みのりの席の肘掛けに尻を置いて、改めて尋ねる。
「それで、おまえはどうしたい?」
「どうと言われても、まだ結婚する気は無いです。」
「そりゃそうだ。ガキだしな。」
祝子は30歳。それはみのりに同情する。
「分かった。今回はあたしが手助けしてやろう。潰せばいいな、その縁談。」
「お願いします。というか、どうすれば潰せるでしょう。」
「でたとこ勝負だが、パーティ荒らしは任せとけ。物辺の女の十八番だ。」
「はあ。」
ハイヒールでかつかつとかっこいい下半身のラインを見せびらかせて歩き、祝子は自分の席、夫の隣に戻る。みのりの用は終わった。
今度は、旦那の番だ。
「あなた、全ての状況を認識しているわね。」
「う、うん。」
「潰して構わない話なのか、これは。」
「確かに今急いでまとめるべき縁談ではないかも知れない。向こうの思惑は別として。」
「あなたの背後に居る組織にカドは立たないか。」
「今回は日本人は関係ない。いや、日本人と白色人種と欧米先進国民およびキリスト教徒が手を出す事は禁じられている。そういうレギュレーションで開催されるんだ。」
「ほおなるほど、血縁を結ぶべき対象が決まっているわけだ。血、ねえ。
で?」
ぐびっと、鳶郎は唾を呑み込む。
物辺祝子は全般的に怖いおなごであり、恐怖を引き出す様々な表情を見せるのだが、今の嗤いが一番セクシャルであった。
「流血沙汰になってもOKなんだな。」
ドバイ。二〇〇八年。
この年の秋にリーマン・ショックが起きて世界経済が破綻を来し各種バブルが崩壊してドバイにも影響するのだが、夏の時点では一点の翳も無い黄金郷であった。
金ピカの都である。
「金ピカというより、未来都市だな。」
新築なった地元空港と関西国際空港を経由して来た3人ではあるが、ドバイ国際空港の規模の大きさにさすがに息を呑む。
乗り換え中継点ともなっているから、世界各国からの旅客が多数入り混じりどこの国だか分からない有様。
現にみのり達が乗った飛行機も、ドバイ経由イスタンブール行きだ。
もっともファーストクラスに乗るようなハイソな乗客は混雑とは無縁のルートを使えるのだが、みのりも祝子も本来は貧乏人だ。
貧乏人らしく一般乗客と同じ通路にずけずけと踏み込んでいき、鳶郎を慌てさせる。
「祝子さんみのりさん。おむかえのリムジンが待っているはずです。そっちに行っては」
「リムジンなんか嫌だよ。もっと観光したいじゃないか、なあみのり。」
「はい。」
この点に関してはみのりも同意見。これ以上上流階級の真似事をさせられてはアレルギー反応を起こして蕁麻疹が出てしまう。
飛行機の中でもしっかりと握りしめていたドバイ観光案内のパンフレットを祝子に差し出した。
テレビでは最近露出が多いとはいえ、日本の書店を探してもドバイを直接のターゲットとした本はめったに無い。
花憐に協力してもらい、旅行会社に無理を言って手に入れてもらった。
「空港から電車が出ているみたいです。」
「なになに、……みのりダメだ。まだ出来てないぞ。」
「え!」
ドバイ・メトロは中東初の都市鉄道であり、三菱商事三菱重工業大林組鹿島建設といった日本企業とトルコの一社が手がけるプロジェクトだ。
みのりがもらってきたパンフレットの中に、その広報資料が紛れ込んでいた。
残念ながら開業は二〇〇九年九月である。
「えーーーー、せっかく楽しみにしていたのにー。」
「あー、なんだかかっこいい電車になる予定なのか。それは残念、また来ればいい。」
「そんなあー。」
しかたがないからバスに乗る。貧乏人はびんぼうにんらしい行動を選択するべきなのだ。
ターミナルビルから出ると、
「……、ほふりこさん。」
「暑い。いや熱い。」
真夏のど真ん中昼日中の中東はそれは暑いに決まっている。乗り換えとか色々考えると、バスはちょっと遠慮したい。
「タクシーにしよう。」
「はい。」
「それなら迎えに来ているリムジンが、」
「あー。」
当然の選択であろう。
第一勝手に消えたら、リムジンの運転手さんのお仕事が無くなってしまう。案内人まで用意しているのに、それは却って迷惑だろう。
算段が整い説得に成功したと、鳶郎が携帯電話で連絡してピンクのリムジンが回されてきた。長さ8メートルもあるウナギみたいな車だ。
鳶郎は言う。
「控え目ですよ、たった8メートル。」
「どこ基準の控え目?」
極めて特殊なリムジンである。おそらくは中東にも1両しか存在しないだろう。
まちがいなく童みのりを対象として用意されたものだ。さすが石油成金どもがやることは違う。
みのりも、あまりにも意外な車体に目をみはる。
「きてぃちゃんだ……。」
単にキャラクターをプリントするに留まらず、赤いリボンの作り物が左上の屋根に付いている。
PHASE 232.
此の男、悪。
みのりはそうレッテルを貼った。だって他に考えようが無いではないか。
ピンクのきてぃちゃんリムジンから案内役として降り立ったのは白人、アメリカ人中年男性。45歳くらいに見えた。
かっこいい、と言ってよいのだろう。大柄だが細い締まった筋肉、ビジネスマンや官僚には見えない実戦向けの肉体だ。
夏向きに白い麻の背広を着て、プラチナブロンドをオールバックに固め金縁の丸眼鏡を掛ける。
表情は柔らかいが目が細く、青い瞳に冥い翳が宿っている。
おそらくは相当の修羅場を潜っているのだろう。しかしながら、善の為だけに働いたとは決して思わない。
みのりの純粋ともバカともガキとも言える獣じみた感性は、超能力並に人の本性を抉り出す。
眼力の確かさは物辺優子の特質であろうが、邪悪を暴くのはむしろ自分が適している。
だから分かるのだ。此の男、悪。
ひょっとしたら宇宙人あるいは魚肉合成人間かもと真剣に見詰めてみたが、正真正銘の地球人だ。
とすれば、宇宙人と渡り合っても引けをとらない曲者と言えるだろう。
物辺島3人の中央に傲然と立つ祝子に身を寄せる。御注進。
「ほふりこさん、この人CIAでフリーメイソンです。」
「見ればだいたい分かるさ、胡散臭いこと。」
歯に衣を着せぬ第一印象の描写に、男も苦笑いする。
「立ち話も暑いですから、どうぞ中に。」
リムジンのドアを開けるのは彼ではない。運転手とその助手は共に女性である。黒人と黒髪の白人ぽい女性、国籍はたぶんアメリカだろう。
最初に車内に入ったのはみのり、祝子、物辺鳶郎は背後を警戒して乗り込む。
男も後方のキャビンに乗って、今後の予定を説明する。
「改めて自己紹介をいたします。アメリカ合衆国大使館二等書記官メイスン・フォースト、この度のパーティで幹事を務めさせて頂きます。」
「二等書記官がパーティ幹事?」
祝子もさすがに首をひねる。正直この男、パーティと言っても銃弾と鮮血が飛び散る宴の主人公ではないのか。
ここで重要なのは祝子の立ち位置だ。彼女が何も知らないのであれば、怪しげな男も虚偽を用いねばならない。
彼は鳶郎に尋ねる。旧知の仲のようだ。
「君は”Tobirou Monobe”になったのだったな。Mrs.Hohuriko Monobeはどこまで事情をご存知なのか。」
「残念ながら機内でだいたいの事情を白状してしまいました。”Outer
Inteligence”についても核心を理解しています。」
「宇宙人バレてしまいましたか。」
金縁眼鏡を一度指で押し上げて、祝子を見る。このレンズの薄さからすると伊達、いや電子情報端末なのかもしれない。
「ではMrs.Monobeにも”当事者”としてお付き合い願いましょう。もちろんお嫌であればMinori Warabe嬢とは別のホテルをご用意致します。」
「構わんよ、パーティは嫌いだが揉め事は大好きなんだ。」
「それは頼もしい。ではまず我々の組織が非常に不安定なバランスの上に成り立っている事をご理解ください。
俗にNWO、NewWorldOrderと呼ばれていますが、もちろんそんな実力はございません。世界各国様々な権力組織の寄り合い所帯に過ぎず、意思決定機関を持たず法も規制も存在しない。
有るのはただ紳士協定のみです。現在手中に有る利益、今後得られるであろう可能性を壊さぬだけの脆い絆です。
これを確固たるものとするには国家機関や国際会議では不可能。血縁による特殊な家系の創出のみが今後百年の先を考えた場合の最善策と了承されました。」
「百年? たった百年先までしか考えていないの。」
「現在の、またこれまで50年の準備期間に幾度も討議した結果の最善手です。百年先の人類に確実に使えるツールを用意しようと、それだけしか出来ないのです。
人類世界は今この瞬間も進歩し続けており遺伝子操作技術なども発達して、血縁という不動に見える枠組みですら何時まで有効か分かりません。」
「……続けて。」
「本来であればMrs.Monobeにご賛同いただく必要もありません。Minori Warabe嬢の同意さえ頂ければパーティを進行出来るのですが、今回貴女を後見人として認定致します。よろしゅうございますか?」
「OK。」
現在まで、みのり喋る出番ナシ。車は近代都市ドバイを進む。
PHASE 233.
きてぃちゃんリムジンは街をぐるっと回って指定ホテルに向かう。
運転手は黒人の女性、アメリカ合衆国のCIAだか宇宙人関係部局だかの要員であろう。美人ではあるしスタイルは良いが、それ以上に訓練された肉体を感じさせる。
助手席に座る黒髪の白人女性は、色は白いのだがそして日本人からは白人にしか見えないのだが、たぶんユダヤ人だ。これも戦闘訓練を積んでいると思われた。
2名共、みのりの護衛役であろう。
「次に私共、アメリカ合衆国政府のパーティにおける役割をお伝えいたします。
今回我々はパーティの幹事つまり補佐役に徹し、交渉には参加しないと定められております。
言うまでもありませんが、特別な家系を成立させる企てにおいて、誰が婚姻関係を結ぶかは決定的な意味を持ちます。
権力を発生させる基であり、今後の人類社会を掌握する要とさえ言えるでしょう。
アメリカ合衆国はもちろん独自にNWOを永続的に支配する計画を遂行中でありますが、他の勢力を納得させるには果実を分け与えねばなりません。
今回のパーティはまさにその為にあります。
我々は婚姻が成立するお膳立てをし仲介者となり審判として監視し、決して自己の利益を求める行動を取ってはならないと定められております。
ですが、我々は今回の計画を成立させる義務も負いません。婚姻はあくまでも男女双方の合意によって成立するものでありますから、上手くいかない時は致し方ありません。
暴力や権力、経済等の強引な手法を用いて婚姻を迫る者が出た場合は、審判である我々が実力を持って排除いたします。
ただしそのような不心得者はパーティの参加者有志によって徹底的な排除を受けるでしょう。」
「どんぱちで、だな。」
「はい物理的攻撃によって、です。彼らは本来互いに排他的な存在であり、競合者が脱落するのはそれぞれにとって有益でもあります。他を潰す合法的な理由を得られるのはむしろ歓迎すべき状況でしょう。」
祝子は、みのりが緊張して話に聞き入っているのを見咎めた。今回誰とも何もしなくていいのだから注意事項なんて聞く義理も無いのだ。
が、言ってどうにかなる肝の座った少女でもない。みのりのようなタイプを鎮めるには。
「おいみのり、そこのカウンターバーに行って冷たい飲み物もちろんアルコールの入ってないのを3つ作れ。」
「え? 飲み物?」
「これは豪華リムジンなんだから冷蔵庫くらい有る。酒も有るが、どうせパーティで銘酒もゴロゴロ出るだろうから、ここでは要らん。」
「は、はい。」
こき使ってやれば、みのりはちゃんと己を取り戻す。
まずは祝子にソーダ水を捧げ、次に物辺鳶郎に。最後に嫌だけれどアメリカ人のおじちゃんにジュースのコップを持っていった。
彼もさすがに困惑する。今回のプロジェクトの最重要人物であり最終目的である童みのりに、こんな事をさせていいのだろうか。
自分の為にはイチゴソーダを作って再び席に戻るみのり。説明再開。
「スケジュールは至極単純なものです。
本日は指定されたホテルに御三方をお連れして、そのホテルで歓迎レセプションが行われます。これには是非参加していただきたく思います。」
「ふん、敵情視察の意味でも面子を確かめておかないとな。」
「翌日からは我々運営側が用意する行事はございません。ご自由におくつろぎください。またドバイ市内どこにでも観光にいらしてください。
その先々でパーティ参加者が独自の趣向を凝らしたイベントを仕組んでいます。どれに参加しようとまた無視しようと構いません。
もちろん彼らもなかば強引にイベントにMinori
Warabe嬢を招待するでしょうが、もしご迷惑に感じられるようでしたら人をお呼びください。
周囲に居るアメリカ人らしき者はほぼすべてがNWOからの派遣要員です。また日本人の要員も随所に配置しています。車両も用意しております。
お困りの場合は彼らに助けを求めてください。ひょっとすると強引な方法を取らせていただく事になるかもしれませんが、確実にその場から離脱いたします。」
「たいへんなんですね。」
みのり、ここで初めてCIAのおじちゃんに話し掛ける。
PHASE 234.
みのりとしても、祝子にすべてを任せてよしとは考えない。そもそもが自分の人生の問題であるし、いざとなったらゲキの力でどうとでも出来る。
ここドバイには遊びに来たわけではない。社会科見学の一環、お勉強なのだ。
「ひとつ聞いていいですか。」
「なんでしょう。」
「ドバイでわたしを歓迎するということで、色んなものを用意しているのですね?」
「参加者個々の事情は関知いたしませんが、それぞれで貴女の好みを調査して最適な準備を整えていると思われます。」
「今日泊まるホテルもですか。」
「はい。」
「ピンク、ですか?」
意外と真剣なみのりの眼差しに、CIA男も表情を強張らせる。ピンク、色か。色になにか問題があるのか?
「どういう事でしょうか。」
「わたしの送迎の為にきてぃちゃんのリムジンを用意してもらった事で、心配になりました。ひょっとしたらホテルの部屋もピンク一色になってるのではないでしょうか。」
祝子もみのりがなにを心配しているのか解しかねる。ピンクでもいいじゃないか。
だがみのりの表情は真剣だ。
「もしピンクであるならば、データ不足です。わたしのパーソナルカラーは黄色、レモンイエローです。」
男、はっと顔を上げる。そういう事か。
ピンクのきてぃちゃんリムジンを派遣した事で、個人情報の収集に誤りが有るのではと懸念しているのだ。
だがそう言われてみると、ホテルの部屋も少女趣味を勝手に邪推してピンクに統一してしまったかも知れない。
携帯電話を手に取った。
「確認いたします。」
「ピンクから赤、カーマインは花憐ちゃんのパーソナルカラーです。ぽぽー鳩保芳子は青・瑠璃色。優ちゃんは黒もしくは白どちらも似合うし好き、でも黒にはウルサイから他人が用意するのは難。喜美ちゃんは緑色ただし緑青は合いすぎてちょっと怖いからやめる。」
「これは、」
これはしたり。
人物調査で趣味や好みの色の把握は基本中の基本であるが、ゲキの少女に直接聞き取りを行った調査員が居ないのを見透かされてしまった。
CIAの調査能力の限界を見極められ、突発的な事象に対処する能力の信頼性に疑念を抱かせてしまう。
みのりが特に子供っぽい少女だと侮ったのが間違いだ。
「それから、」さらに真剣なみのりの顔。
「きてぃちゃんはピンクでいいです。リムジンの色を塗り替えたりしないでください。」
「……はい。」
祝子もくすりと笑う。
つまりみのりは、きてぃちゃんリムジンを迎えに差し向けた事で、自分が子供扱いされていると怒ったのだ。
いくらなんでも高校二年生を捕まえてきてぃちゃんはやり過ぎた。
「メイスンさん、そういう事だ。あたし達にはあまり構わず自由にさせてくれ。リムジンもこのままで、妙なカネを使わずに。」
「心得ました。」
「それから車を別に用意して欲しい。みのりはきてぃちゃんでいいが、あたし等夫婦は別に勝手に遊び回る。運転手も要らない。」
祝子、夫の顔を見る。ニンジャだから自動車の運転も達者だろう。
「スポーツカーがいいな。ポルシェを1台見繕ってくれ。」
「それも戦闘用の奴を、」
祝子とみのり、驚いて鳶郎を見る。戦闘用ポルシェってなんだ、007が乗ってるやつか。いやあれは確かアストンマーチンだったはず。
というか、そんな無茶な要求をはい承りましたって、なんだCIA。
NWO指定ホテルは日本のテレビにもよく出てくる七ツ星だ。
ミシュランのレストラン三ツ星評価は有名だが、七ツ星ホテルというのはどう理解すればよいか、みのりにも祝子にもぴんと来ない。
高さ300メートル全面ガラス張りで豆のさやみたいな形の、設計者は中東の船の帆を象ったとする高層建築である。
日本人的感覚では土地で困ってなきゃ平たく作れよと思うのだが、そこは金余りだし。
問題はこのホテル、実はホテルではない。
2階建ての別荘を縦に幾つも重ねて全室オーシャンビューにしました的な、つまり家1軒を貸してるようなものだ。
当然宿泊料は冗談価格。最低1人1泊15万円以上と来る。
例のように例のごとく係の人が案内するがままに玄関を通ってエレベーターに乗せられ、着いた所がほぼ最上階である。
童みのり、状況の認識が出来ないままに祝子に振り返る。
「ほふりこさん、ざぶとんの海です!」
「ああ。」
そんなどうでもいい事で感心されても困るのだが、みのりの目にはまずクッションが飛び込んで来た。
クッションクッションクッション。なにこれ?
「中東だからね、これがラグジュアリーというものだ。」
「ざぶとんがですか。」
ホテル文化は西欧のものでありドバイでも様式を踏襲するのだが、中東であるからには土地のしきたりに沿った内装や設備も用意する。
今回童みのりと物辺夫妻を日本から御迎えするにあたり歓迎の方針を検討した結果、やはり中東エキゾチックを正面に押し出すべきと決定した。
故にクッションと絨毯だ。1枚数千万円珠玉の逸品が足元から襲いかかる。
この部屋に来るまでもさんざん高級絨毯の上をおっかなびっくり踏んできたみのりは悲鳴を上げた。
「足が食べられます!」
「ええい慌てるな。スリッパがどっかあるだろ。」
そんなものは無い。
元より土足で上がられるのも迷惑ではあるが、そもそもがこの部屋を使う人間は靴が土埃で汚れる場所を歩いたりはしないのだ。
祝子もさすがに想定外で左右をくるくると見回すと、敏感に察知したメイドがささっと近寄ってくる。
日本語だ。
「なにかお困りでしょうか。」
「室内用の靴を用意して。」
「かしこまりました。」
予想された事態であったのだろう。また靴や服など腐るほど用意されていたに違いない。
早速3人分サイズもぴったりの靴が揃えられる。
みのりも履き替えてやっと息を吐いた。こんな恐ろしい絨毯、死ぬかと思った。
きょろきょろ室内を見回すみのりに、祝子は言った。室内ではあってもホテルの外壁ガラスからペルシャ湾丸見えで、空を飛んでいるかの心持ちとなる。
「パーティはドバイ時間で午後7時からだ。すぐだぞ、まず風呂入って衣装合わせしてから休め。」
「衣装合わせ? なんですかそれは。」
「今日のパーティの主役はお前だろ、何を考えている。ドレスなんか山と用意してあるさ。」
ねえ、とメイドに尋ねると、はいと答えてくる。パーティドレスは二人共に専属のコーディネーターが付いて準備してくれるそうだ。
ちなみにさっきからメイドメイド言っているが、5人も居る。全員白人女性だ。
これはもちろんNWOがみのりの婿選びに支障が無いように、有色人種の従業員を完全に排除しているからだ。
もしもメイドの女の子と仲良くなって、その娘が実はさる筋のお殿様の縁者だった、なんて仕組まれた偶然を排除する為である。
日本人のメイド、も排除されている。
アラブ人の王族もアフリカ人の部族長もインド人の大富豪も、日本人と韓国人・中国人の見分けがつかないからフェアじゃない、と主張するわけだ。
一方、物辺鳶郎も室内を見回している。こちらは安全確認と監視装置の発見だ。NWOが用意した宿ならば当然盗視盗聴されていよう。
祝子もそれは理解するが、であれば外観だけを見て発見されるヘマはしていまい。
ホテルを建てる段階、部屋の内装を仕上げる段階で装置は組み込まれているはず。いかにニンジャといえども、
「ああ、祝子さん。それはいいんですよ、どこにカメラを仕込むかはセオリーがありますから大体分かります。」
「位置が分かっても封じるのは無理だろ。盗聴器なんかはさらに無理だ。」
「それがですね。」
ふいっと、部屋の照明が1段階下がって薄暗くなる。見辛いほどではないが、夕暮れが訪れたかに感じた。
みのりが二人を振り返るが、メイド達は。
「なに、この子達動いてない?」
「いわゆる加速装置、城ヶ崎花憐さんの能力を一部再現したものです。そうですね、みのりさん?」
「うん。」
みのりはとことこと戻ってくるが、祝子はそれに応じた動きが出来ない。自分が極めてゆっくりでしか動いていないと感じられる。
だが思考は、そして会話は通常通りに可能だ。
「なんだこれは。みのり、お前の仕業なのか。」
「喜味ちゃんです。敵が仕組んだイベントにのこのこと参加するのだから、相応の切り札を用意しておくべきだと機械を作ってくれたんです。」
「でも、あたしは動けないぞ。」
「私もです。」
鳶郎はそう言うが、こちらはゆっくりとだが手を挙げる。左の拳の中に極小のストップウオッチに似たものが有る。
「児玉喜味子さんが私の為に作ってくれました。新婚旅行の餞別です。」
「なんだ、あいつ案外と男に手が早いな。」
「児玉さんは実に親切で気の利く方です。監視装置を誤魔化すのはやめて、むしろ逆用する手段を講じてくれました。」
「なるほどな、加速した時間の中で会話すれば監視者には理解できない。だがあたしが動けないのは何故だ。」
「この機械は選択した人物にのみ効果を発生させますが、肉体を鍛えていないとせいぜい思考だけしか動けません。」
「ほふりこさんはいちおう一般人だから、そのくらいしか動けないんです。あと会話は頭で考えたのがそのまま聞こえて、嘘はつけません。」
「嬉しくないぞ。」
「ごめんなさい。」
「それでは、解除します。」
PHASE 236.
祝子が言うまでもなく長時間の飛行機での移動はさすがに心身に堪え、風呂で一服して疲れを取らねばならない。
が、
ホテルに風呂が付いていない。プールだ。
みのりの目にはこのバカでっかい水たまりがどうしても風呂には見えない。
だからと言って、じゃあ小さいシャワールームを使えばいいとの言葉にも従いたくない。なにせプールにはちゃんとお湯が張っていて、勿体無いからだ。
「たしかに勿体無いな。」
祝子もうなずく。みのりがプールだなどと騒ぐからどれほどのものかと確かめたら、なんのことはない。銭湯の湯船くらいなものだ。
ただゴージャスさは比ではなくローマ風に大理石の像が立ち並び、いかにもカネを湯水の如く使ってますよと誇っている。
「ほふりこさん、どうしましょう。」
「時間がない。効率優先だ。」
「はい。」
「一緒に入ろう。」
「はい。」
「鳶郎もだ。」
「はい。」
「え?」
みのり田舎の子であるから、風呂が壊れた時にはもらい湯に行く。他所のお家で混ざって入る時もあるから、男女混浴でもどうという事はない。
という常識を知らない物辺鳶郎が一瞬たじろいだが、祝子とは夫婦に成ったし、みのりは所詮は子供だし、拒否すべき理由も見当たらぬ。
問題は、お背中流しましょうという白人メイドだ。
日本語ぺらぺらで風習についてもマスターしている彼女達だが、さすがに混浴実行は当惑する。
しかし、お背中流さない事にはご奉仕できないから意を決して裸足で飛び込んだ。
失敗である。
彼女達は揃って敗北感に打ちのめされる。
そもそもが物辺の女の裸身を見て、正気を保てる者など居はしない。
鳶郎が白昼襲い掛からないのも、ニンジャ故の強力な自制心あればこその妙技である。
女だとてそれは同じ。
或る者は地上に降りた女神の美に目が眩み、或る者は己の美貌に永久の不信を抱いてその場にしゃがみ込み、百合気の有った者はふらふらと見境もなく抱きついていく。
祝子に手桶で殴られた。
「使えないな、こいつら。」
「そうですねー、ちょっと修行が足りないみたいですねー。」
さすがに物辺島の子であるみのりは平気だ。普段優子と遊んでいて、あいつがまた事有るごとに脱ぎたがる変態なので、蠱惑には慣れている。
にも関わらず顔を赤らめ逸らすのは、
「アナタ、さすがにそれは子供には目の毒だ。」
「す、すまない。」
いかにニンジャであろうとも、肉体の生理を完全には制御できない。隆と屹立する逸物は十八禁モザイク必須である。
「みのり、お前があたしを流してくれ。」
「はい。」
「役立たずメイド共は、アナタが引き受けてなんとかして。」
「ちょっとまって、そんな5人全員だなんて」
「身体洗うだけだ、せっくすしろとは言ってない。」
「それはわかるけど、ちょっと待って。祝子!」
「いいんですかほふりこさん。これは浮気じゃないんですか?」
「だからなんだ?」
「えー、新婚さんが浮気されても、怒らないんですか?」
「なにを?」
これは物辺の女の変態性を示す言葉ではない。祝子絶対の自信の表れである。
石鹸タオルでごしごしする玉の御肌を触ってみれば、みのりも納得する他なかった。
PHASE 237.
風呂からあがるとそのまま衣装合わせに突入する。
メイドに代わってコーディネーターが2名乗り込み、さらに化粧班として3名、ヘアアーティスト2名が投入された。
とはいうものの、祝子は薄化粧を本分としているから取り立てて手間は要らない。
自らもプロデューサーとしてみのりの準備に取り掛かる。
「あたしが主役より目立っちゃいかんだろ。」
「ほふりこさん、目立っていいんですよ今回。」
「目立つ気は無いが、目立たなかった例が無いものでね。」
物辺の女が普通の化粧でパーティに乗り込めば、凡百の花をひしいで宴席の目を独り占めしてしまう。主催者にとって迷惑この上ない。
この点に関しては饗子が得意で、自らを一段高い壇に置いて別格とし、列席した女達の面子が立つように配慮してくれる。
祝子は逆で、自ら壁の花を決め込んで人群れから離れた柱の隅で料理を貪って元を取ろうとするのに、男が雪崩を打って詰めかけむちゃくちゃになってしまう。
さすがに反省し今回姉に習い正面堂々と受けて立つつもりだが、主役「童みのり」がそれなりに整ってくれねば意味を成さない。
「どうだい、いじり甲斐が無いだろう。」
「はあ。いえ、仕上げて見せます。」
みのりのベリーショートでは、いかにヘアアーティストが豪腕であろうとも飾り様が無い。アクセサリを使おうにも、変なものくっつけたら頭重いと反抗する。
結局はお猿さん頭のまんまを見せつけねばならなかった。
「髪は諦めて化粧だ。それとドレスの方を、」
ワードローブが開かれ、およそ百のパーティドレスが姿を見せる。別に祝子用も用意され和服まで揃っている。
「うーむ、なんだかなあ。」
却下。和服はたしかに高価なものを用意しているが、物辺の女の眼鏡に適わない。
貧乏神社ではあっても歴代巫女は衣装に困った日が無く、四方の長者やお殿様、海を渡って遠国からも美麗な衣の献上を受けていた。鬼の美貌の賜物だ。
蔵が1棟全部着物で埋まっているくらいで、美術館が開けてしまう。
「あたしはこれでいいや。」
と、ロクに見もせずに選んだのは白と藍色のコントラストが目立つ動きやすいドレス。デザインはエキゾチックだが裾が短い。脚がわずかに覗く。
ちなみにここまで祝子は風呂上りのガウンを引っ掛けただけ。布一枚の下が裸と思うと、女体に慣れるコーディネーターもアーティストも思わず生唾を呑む。
「ほふりこさん助けてください。」
「我慢しろ。それが女の戦闘準備だ。」
「おしろい臭いのやだあー。」
ほんのり薄く塗られているにも関わらず、匂いが堪らずにみのりは椅子で暴れる。
天然自然の獣の嗅覚には、一種の拷問と見做せよう。
祝子、自分の夫が別な服を用意しているのに気付く。
「なんだ、それは。」
「男の用意は世界中どこに行っても大して変わらないからね。タキシードを」
「タキシードと紋付袴と、両方用意してどうするんだ?」
「古典忍法『変わり身の術』さ。最初紋付の和装でパーティに出れば珍しいから皆注目して、以後その格好をした人物が会場に有れば、そこに居ると勘違いする寸法だよ。」
と言いながら彼はノートパソコンでパーティ出席者の名簿を改めてチェックする。背後ではメイドの一人を専属として支度を進めていた。
風呂では存分に鍛え込んだ筋肉美を見せつけたから、メイドも頬を上気させたまま従う。
「出席者に不審な奴が居るのか?」
「不審と言えば皆不審、金持ちは何をするか分からないからね。とはいえ出席する者はそこまで警戒しなくてもいい。問題は、」
「来ているのにパーティに顔出さない奴だな。」
夫の背中に近づいて肩に手を当て、パソコンの画面を覗き込む。ついでに肩を揉んで緊張具合を確かめたが、よく鍛えられた筋肉は適度の柔軟性で平静を見せる。
さすがニンジャマスター、世界の大物を相手にしても動揺しない。
「その出席者は全員、みのりを嫁にしようとする金持ちのボンボン若様てことか。」
「そうでもない。もちろん有力者の直系が望ましいのだろうが、本当に世界を支配してきた家系であれば一族で最も有望で遺伝的特性の優れた者を親類縁者から選んでいるよ。」
「ほおお、長期的戦略に基づいて婿の資質を吟味しているのか。」
「もちろん馬鹿息子も少なくないし下手な攻撃を仕掛けるのは彼らだろうが、真に警戒すべきはそちらではない。」
「なるほどね。任せるよ。」
できました、とコーディネーターが報告するのでみのりの方に戻ってみると、なんだか笑いが零れてしまう。
たしかにいい仕事だ。田舎ちんちくりん娘をよくぞここまででっち上げてくれた。
裾を引きずるドレスは地は淡いピンクで、みのりが自己申告した黄色を上半身にあしらって爽やかで瑞々しい若さを演出。
ただ若さを垂れ流すに留まらず、セクシーさも醸し出す。
多産を美徳とし最高の価値を認める地域からの参加者が多いから、要求に応えて見せるのだ。
お猿さんガールを素材としてよくぞここまで頑張った、と祝子褒めてあげたく思う。
顔にこれと言った特徴が無いから被り物を使いたいところだが、頭に布を巻くと特定民族の贔屓だと反発する向きも多いから断念する。
コーディネーターはインド風ターバンぽい帽子を名残惜しそうに見る。これには大粒のダイヤモンドがセットで付いてくるのだが、没。
初めて履くハイヒールで立ち上がりドレスを踏んづけないかしきりと背後を確かめるみのりを、祝子が評す。
「馬子にも衣装と言うが、……そんなことはなかったな。」
「ひどいほふりこさん!」
PHASE 238.
みのりの次は祝子だが、これは簡単に済ます。そもそも祝子は化粧に時間を取られて他の事が出来ないのが我慢ならない質だ。
とは言うものの、見る間に化けていくのにみのりもメイドもファッションコーディネーターも感嘆を禁じ得ない。
最初に目に付いたとの理由だけで選ばれた白と紺のドレスも大正解、大当たり。百着並ぶ中でよくぞ選んでくれた、とドレス自体がお礼を言わんばかりだ。
化粧の専門家達も、これほどに美しい人が甘んじて世に埋もれていたのが不思議でならない。
この美貌があればハリウッドだろうがモデルだろうが、どこでも超一流を名乗れるだろう。
「当たり前だからな」
祝子がまったく無感動に疑問に答えるのも小憎らしい。物辺神社の女の余裕綽々は、並の女の自尊心を打ち砕く。
中東で例えるならばシェヘラザードかクレオパトラの再臨か。知的で優美で侵しがたい神々しさを発している。
祝子は一心に黒髪を梳くヘアアーティストに言った。
「あたしとしてはカサンドラぽいイメージを念頭に置いてだね、」
「やめてください縁起でもない。」
人類の未来を賭けるパーティの直前にそれは不吉で仕方がない。
ところでみのりだが、椅子に座ったままぴくりとも動けなかった。
動くとドレスにシワが寄る。下手に顔を触ると化粧が色んな所に付く。そもそも肘までの手袋なんて真夏にはめるものではないだろう、冷房は効いているとしても。
「ほふりこさ〜ん」
「そんなしゃちほこばらなくても、そこらへん遊びまわって来ていいぞ。」
「でもー。」
化粧を崩すとまたお姉さんとおかまさん達にお手数を掛けてしまう。それはいかん。
いや、もっと重要な問題がある。このままおトイレに行きたくなったらどうすればいいのだろう。
恐怖、みのりの全身を戦慄が走る。
おトイレに行ってはいけない、おしっこしたくならないように水ジュースの類は飲んじゃならない。
長い。緊張しっ放しで時計の針がまったく動かなく思える。
予定では開場は午後六時、七時開宴でみのり達主賓が登場するのが七時半。出番までまだ2時間も空いていた。
木彫りの猿人形に化けるのも限界だ。首根っこ電話で救援を乞う。
「喜美ちゃんたすけてぇー」
「あーよしよし」
みのりの様子は日本からちゃんと監視されている。
喜味子と花憐が物辺神社ご神木のウロの中に詰めてサポートする。二人が学校に行っている間も、梅安やクビ子が継続して面倒をみてくれる約束になっていた。
ちなみに鳩保は何故か使い物にならずうろちょろと情緒不安定なので、優子が代わって指揮を執る。これも不安要素。
パーティの作法に関してはそれなりに場数を踏んでいる花憐が忠告する。
「ドレス、だいじょうぶよ。大体それ踊るためのものでもあるんだから、少々動いても崩れないわ」
「で、でも」
「崩れたらまた着付け直してもらえばいいんだよ。その為にお金もらって来てるんだからさ、その人達」
「で、でもでも」
「みのりちゃん、そんなに落ち着かないのなら、なにかお守りみたいなものを持って行ったらいいんじゃない?」
「お守りって、何を?」
「自分が安心するものよ。そうねー、みぃちゃんだったら」
みのり、思わず右手を握り締める。
なにか安心できるものが欲しい、と願ったらとある物体が出現した。金属鎖である。
宇宙人格闘時愛用のトゲトゲの付いた鉄球鎖が自然と現れてしまった。
重い。いつもよりはるかに重く感じる。
なるほど大安心だ。
ちなみにドバイと日本の時差は5時間。七時開宴のパーティは、物辺島に居る喜味子達にとっては深夜〇時を回ってしまう。
だから今宵は徹夜覚悟でお菓子やインスタント食品ジュース類を洞の秘密基地に持ち込んだ。蚊取り線香も焚いている。
ついさっきまでは物辺村少女遊撃隊も手伝っていたが、さすがに小学生はもう寝る時間と饗子かあちゃんに母屋に引っ張られていった。
喜味子がやっているのはミミイカロボの管制だ。
移動中の旅客機に随行していったイカロボは、現地に着いたらそのまま上空を旋回して地上に潜む諸勢力の脅威分析を始める。
さすがゲキの力があれば、コンクリのビル内の人間一人ずつ素性を洗い上げ、何を喋っているかまで知ることが出来る。
そこまで深く調べる必要も無いのだが、武器爆発物の稼働状況やらコンピューターによるハッキングなどは見過ごすわけにはいかないだろう。
花憐も喜味子も、ぴくりとも動かなくなるみのりの緊張の解し方を知っている。祝子が使った手だ。
「みのりちゃん、これからそちらにドバイ市内の脅威分析をした地図をファックスで送るから、鳶郎さんの所に持って行ってあげて。もちろん他の人に見せちゃ駄目よ」
「うんわかった」
言われるままに椅子から降りて、ぎくしゃくとファックス電話の傍に行く。
先程までは動いたらダメだと思い込んでいたのをもう忘れてしまった。やはりこの子はこき使うに限る。
PHASE 239.
午後八時。
物辺村から来た3人は未だ控え室に留まったままである。
あまりに待たせ過ぎて、パーティ幹事役であるアメリカ大使館付きCIAのメイスン・フォースト二等書記官がお詫びに来た。
今度はタキシードの黒で、なんだか執事っぽい。パーティ参加者とスタッフを明確に区別出来るように服装を整えている。
「申し訳ありません。パーティ会場で未だ騒動が収まりを見せませんので、もうしばらくお待ち下さい。」
「金持ち同士で見栄を張り合ってるのか。迷惑な話だな。」
想定内の事態である。
同じNWOに属するとはいえ、参加メンバー全組織の名簿が公開されているわけではない。互いの存在を漠と感じながらも確証を持てないで推測するばかりだ。
それが今夜、一挙大公開の運びとなる。
今回集合したのは欧米キリスト教圏と日本を除く有色人種の勢力代表各位。
隣接する地域に住むからこそ競合して対立する者も少なくない。仇敵と呼べる間柄がいきなり鉢合わせしたらどうなるか。
しかも各勢力血気盛んの若者を代表としてエントリーする。
婿としての自らの力を誇示せんが為に、また今後の勢力争いの為に雌雄の決着をつけようと頭に血が上って当然なのだ。
祝子も開いた口が塞がらない。
「殴り合い、ですか。」
「申し訳ございません。格式を高めるために双方護衛を伴っておりませんので直接接触する次第となり、また1ヶ所で乱闘が起きれば別の場所でも触発されて」
「不手際です。」
物辺鳶郎の指摘に対して、メイスンもひたすら頭を下げるばかり。なんと言われても仕方の無い仕儀だ。
ちなみに参加者は1組3名以下、必ず女人を伴うのが定められている。
つまり童みのりの婿候補1名、その介添え兼第二候補の男性1名、及び随伴する女性。
女性は要するにパーティの雰囲気を和らげる華だ。若くなくてもよいが、さすがに母親を同伴するのはどうかと思う。
それがまた、母や叔母、祖母までが付いて来たりするのだ。嫁取りだから女親当然の権利、と誰もがプライドに面の皮を厚くする。
頑迷固陋の老人が先祖累代の仇敵と出くわしたらどう振る舞うか。
メイスンもさすがに愚痴る。
「まさか分別有り礼儀もわきまえた御婦人がこれほどまでに度し難いとは。私も未だ人生修業が成っておりませんでした。」
「出よう。」
祝子の決然とした言葉に、メイスンも鳶郎もはっと顔を上げる。
大混乱の渦中に自ら飛び込むと言うのか。
「あたしらが登場して、それでもまだ騒ぐ奴は遠慮なく退場処分にすればいい。資格喪失だ。」
「それは困ります。」
「だがそんなうっとうしい連中に付きまとわれては末代までの障りとなろう。ちゃっちゃと排除だ。」
祝子の言はあまりにも正しい。
「それに見ろ!」
緊張の極に達し心身ともに疲れ果てたみのりのとろんとした目が有る。
「こいつはお子様だから午後九時になると寝てしまうのだ。日本との時差を考えると、今は十二時過ぎてるからいつぶっ倒れても知らないぞ。」
「これは!」
メイスン・フォーストも事態が逼迫した状況にあるのに改めて気が付いた。
パーティの主賓が寝てしまったら元も子も無い。
「分かりました。それではご入場頂きます。もし以後も騒ぐ者があれば、裁定者の権限として強制的に退去願います。」
「まあ適当にやってくれ。」
それでは、とメイスンは足早に控え室を出ていった。
祝子もほっと息を吐いて、ちょいちょいとメイドに指図する。捧げるシャンパンのグラスをひったくる。
「こらみのり、しっかりしろ。これからが本番だぞ。」
「ほふりこさん、お酒はいけませんよー。眠くなります」
「眠いのはお前だ。困ったやつだな、だから未成年はめんどくさいんだ。」
「祝子さん、みのりさんの介添えは私が務めましょう。」
鳶郎の言葉に祝子はしばし考え、止めた。
やはり男性が未来のEVEに付き添うのは誤解を生み、まずい。メイドの手は腐るほど有るのだ。
「あたしの予想だとな、モテるのはあたしの方なのだ。虫除けは夫の努めだろう。」
「それは、」
それはそうだ。なんだかんだ言って祝子は鳶郎の事を気に入り始めている。
祝子、左手でみのりの尻を思いっきりひっぱたく。さすがに目がぱちくりと開いた。
「ショータイムだ。」
「は、はい。」
PHASE 240.
派手な鳴り物ファンファーレで宴会場に3人が入る。乱闘の跡はさすがに見られない。
会場は千人収容可能な大広間であるが、客はその半分。エントリー168組×3人であるから500人ばかりが詰めている。
密度を上げれば衝突が多くなるのを危惧しての制限だが、無駄であった。
彼らはどの組も電子機器の類を持っていない。
入場時に携帯電話に至るまで全て取り上げられて、撮影はおろか外部との連絡すら不可能とされている。
この措置はNWOにおける最重要機密であるところのMinori Warabeのプライバシー保護を目的とする。
が、パーティ参加者それぞれの面子が公になってはならないとの理由も有る。
掛け値無し反論無用の秘密結社の秘密会合であるから、やはり困るのだ。
まばゆい光に照らされてみのりは目を細める。
期待に反してカメラでぱしゃぱしゃ撮られなかったのは幸いだが、眩しすぎてお客さんの顔が見えない。
見えなくて幸い。どの人も突き刺すほどの真剣さと殺気を発して凝視する。
宇宙人ゲキの力を授かり、人類の支配者家系の祖となる女の値踏みだ。可能なら裸にひん剥いて吟味したいところだろう。
光に慣れて会場内の状況が一通り掴めた所で、みのりは一つの野望を捨てた。
宴会に用意されているお料理は食べられない、と覚悟を決める。それどころじゃない。
まあ最初から無理だとは思っていた。第一ドレスのウエストがきついから、お腹膨らんだら締め付けられてしまう。
それにしてもだ、世界のVIPが集まるパーティにどんな豪華な料理が出てくるのか、興味が募るのも自然の摂理。
第一勿体無いじゃないか。
などと阿呆な感想を抱けたのも、出席者の注目がみのりには殺到しなかった為だ。
参加者は無論のこと事前情報として「花嫁は16歳」と知らされている。
が、
物辺祝子は当年とって三十歳。にも関わらず、しばしば高校生と間違えられる若さをひけらかしている。
極東日本の神秘に手足が生えて歩いているかの高貴な姿に、これこそがまさに人類の救世主、未来の聖母の姿だと誤解して何の咎があろう。
その後ろにちこちこと不器用に歩いてくる、しかも鉄球鎖を引きずったピグミーマーモセットのような女の子に誰が注目するだろう。
同様に、物辺鳶郎もまったく注目されていない。女神の召使か奴隷とでも思われているのではないか。
獲物としてまさに絶品。相手にとって不足無し、とまずは各勢力第一候補の殿方が殺到する。祝子に。
部屋で鳶郎が指摘したとおりに、この第一候補とやらは各勢力現在の指導者・支配者直系の子息である。いわゆる馬鹿息子どもだ。
しかしながら多少のバカは金の力でなんとでもなる。世界の名門校を卒業するのも、優秀な家庭教師を付けて支援すればなんなくクリア出来る。
本性はともかく、外見はヨーロッパ的にソフィスティケートされている現代的な紳士だ。
と同時に、彼らはそれぞれの地域における前近代性を引きずる名門の血筋。先祖の誇りであるところの荒々しさ逞しさも表現する事を義務付けられている。
女を手篭めにするのも芸の内、人生修業な訳で、それぞれが華々しい戦果を誇っている。
女誑しのダンディとしても、この勝負他に負けられない!
数段高い壇上に燦然と輝く祝子の膝下に、彼らは次々と跪く。
囮としては大成功。
だが第二候補達は騙されない。彼らは女神の後ろに所在無げに佇むお猿さんガールに目を付けた。
何の意味も無くあんな庶民の娘がこの場所に立つ道理が無い。
そもそもが先程入場のアナウンスが、「Monobe夫妻とプリンセス”TOYOTAMA”」と告げたではないか。
派手に目立つ方がフェイク、なんてのは嫁取り謎掛けの世界共通神話。
本命はこちらだ!
と目星を付けるのはいいが、アプローチが困難である。
この少女、どこからどう見ても場違いだ。パーティはおろか上流階級にも慣れていないと思われる。
貧乏人なら金で釣るべきか?
いやそれは無茶な策で、パーティに集った諸勢力がオークションをしていけばどこまで天井知らずに積み上がるか知れたものではない。
そもそも少女本人がそれほどの財産を欲しがるだろうか。片手で掴める程度の札束でも使い切れずに困るのではないか。
では花や宝石を用いるべきか、あいにくとプレゼントの持ち込みも禁じられている。
ならば小粋な会話で? だが日本の一般人少女と見られる彼女に、こちらの言葉が通じるだろうか。
残念ながら対象が日本人の少女5人であると公表されたのは、つい先日七月になってからである。
いかに秀才揃いの第二候補群であっても流暢な日本語会話まではまだマスター出来ていない。
それに、彼女が手にする鎖はなんだ。
ハンドボール大のプラチナの光沢を持ったトゲトゲの球体にじゃらりと2メートルほどの鎖が付いてくる。
彼女は無意識にこれを手繰り寄せ、ちまちまと鎖を指に絡めたり伸ばしたり、また鉄球をつんつんと釣り上げては落としてみたりと器用に遊んでいる。
秀才達は明敏な頭脳を駆使して、球体の重量を弾き出す。
素材を鉄で見積もっても、およそ20キログラム。ハンマー投げ競技に使われるものの倍の直径があるのだ、20キロでもまだ軽い。
繋ぐ鎖の強度も考えると、全体で40キログラムにはなると思われる。
バケモノだ。さすが宇宙人の仕業。
PHASE 241.
正解は2.5トン。
球体部の素材自体は鉄とケイ素つまりゲキ虫である。強度はエネルギー力場が担保するので素材としての限界は存在しない。
重量の正体は表面のコーティングだ。
厚さ1ミリにも満たない表面層は中性子の稠密な集合体、とんでもない密度と硬度を持っている。中性子星と同じく強大な力で圧縮されていた。
とはいえ、球体自体にも重力・慣性制御が働いているから質量並の重さをみのりが感じる事は無い。
あくまでも対象にぶつけた時に2.5トンの衝撃が発生すればいいのだ。
でもそのくらいの重量ならみのりは普通にぐるぐる回してしまう。
鉄球鎖の正体を看破した目には、実に親切な標識に見える。こんなもの弄ぶ少女が並の人間であるはずがない。
婿第二候補群は意を決してみのりの前に列を連ねる。当たって砕けろ、今この場で決着しなくとも顔を見知ってもらえば後の展開が非常に有利となる。
しかも有り難い事に、みのりは彼らの言葉が使えた。
彼らは皆配慮の末に簡単な英語で話し掛ける戦術を取るのだが、普通に反応し会話して、ついで彼らの出身地の母語でも挨拶される。感動ものだ。
もちろん同じ事を語学の鬼である物辺祝子もやっている。みのりは祝子の真似をした。
言葉が通じるのであれば説得いや誘惑は容易い。が、同時にすべての求婚者が同じ位置に立たされる。
必死になって日本語の特訓をしてきた組には歯がゆいばかりであろう。
また同伴してきた母親連も敏感に反応する。
彼女達は首尾よく嫁に獲得できた暁には一族の掟風習を懇切丁寧に叩きこんでやろうと手ぐすね引いて待っている。
言葉が通じるのであれば、何の遠慮が必要だろう。
というわけで、母親の筋から馬鹿息子一軍にも情報が伝わり、囮の祝子の列が薄くなり始める。
馬鹿息子にも出来の良い奴は居るので、母の言うとおりに正しくみのりの方にも向かい出したのだ。
ほっと一息吐く隙が生まれて、祝子はシャンパンのグラスを要求する。鳶郎自らが持って来た。
扇子で扇いでもらいながらもみのりの懸命な応対を観察する。
「みのりには過分な婿だらけだな。」
「はい。全員一流ですからね。」
冷静客観的に見れば、彼らは女子高生「童みのり」の婿としては破格の存在なのだ。
財力や血統は除外して考えるとしても、どの男も先進国最高学府を卒業または在学中。各国政府主要機関あるいは財界で将来を嘱望される金の卵ばかりだ。
顔もいい。頭もいい。育ちも良ければ将来性も抜群。おまけに地位も金も伝統もあると来れば、通常断る理由は無い。
「成り行きに任せて適当にくっつけても、別にいいんじゃないか?」
「でも下手な選択で彼等の多数を敵に回すのは避けねばなりません。」
「政治だな。」
「政治ですよ。」
「みのりには無理だろ、そんな配慮。」
「ええ、無理ですねー。」
しれっと言ってのける鳶郎に、祝子も少し見直した。彼は、NWOとやらの組織のイヌばかりではなさそうだ。
「そんな気の無い態度でいいの?」
「今回はまとめないつもりですよね、祝子さん。」
「呼び捨てでいいよ。でも、なんかアナタ、先行きを知っているみたいだね。」
「何の事です」
鳶郎が紋付袴で笑う。裏事情を知る余裕が感じ取れた。
「ひょっとしたらこのパーティは茶番で、本番の見合いは別に用意されているのか?」
「今回国王級の出席者は居ませんからね。そんな方々が姿を見せると、ここに居る人達も恐縮せざるを得なくなります。」
「なるほど。顔見せでしかないわけだ。」
そういう事であるのなら、とグラスを再び鳶郎に預け、彼はまたメイドに下げる。
祝子の前の列に、血相を変えた求婚者達の怒涛の突進が再開される。
彼等は正しい情報を入手して真の目的がお猿ガールだと理解し気合が削がれる事著しかったのだが、さらに新情報投入だ。
Mrs. Hohuriko Monobeはプリンセス”TOYOTAMA”よりもさらに上位の存在であるプリンセス”KUSHINADA”の係累であり、宇宙人GEKIの力を長年守ってきた一族の女、と知れたのだ。
”KUSHINADA”こと物辺優子が日本の独占になるのは、NWOの通達によって全員の理解する所。ゲキの力の中枢の保存は絶対の責務である。
その”KUSHINADA”に影響を与えられる物辺の女を獲得するのが、無益であろうはずが無い。
祝子が一昨日結婚したばかりのほやほやである事実はなんの障害にもならなかった。ならば婿の顔をとっ換えればいいだけの話だ。
という訳で、極めて論理的かつ合理的に、彼等は再び美姫に襲いかかる。
迎撃準備。
PHASE 242.
ふと気が付くと、壮絶な求婚合戦が始まって既に1時間を超えている。
みのりの忍耐力も限界と見て、パーティの幹事メイスン・フォーストがNWOウェイター部隊を投入して男達を強引に引き剥がした。
会場内に防衛戦を張り、一時休戦を呼び掛ける。
求婚者達も、順番待ちの列内での相互の地道な嫌がらせ合戦にほとほと疲れ果て、提案を快く受け入れた。
第一も第二候補も疲労困憊し、飲み物や料理に手を伸ばす。ようやくパーティらしき様相を取り戻した。
「しぬかと思った……。」
「ご苦労さん」
みのりはメイドが用意した椅子にどかっと転げ込み、がっくりと首を落とす。
おそらくは、全生涯で遭遇する外人の男の人との会話数をここで一気に消費したと思われる。
見かねて祝子も近付いた。彼女は男を蹴飛ばし続けて、ついに右の靴が痛みを見せるまでになっている。
「ジュースでも飲むか? それとも酒の方がいいか。」
「おさけを未成年者に勧めるのもはんざいですよおほふりこさん〜。」
「それで、誰か目ぼしい男は居たか?」
ぜんっぜん覚えてない。
相手と対面した瞬間に彼の母国の情報がいきなり脳にインストールされて、母語での挨拶や会話が出来るようになるのだが、話した事を覚えておくメモリーは自分自前のものらしく右の耳から左に素通りだ。
ちなみに今の怒涛の求婚劇は、みのりの首根っこ電話経由で視聴覚情報を共有する喜味子が日本で録画している。
花憐家に眠っていたS-VHSビデオを活用する。
「とびろうさんは?」
「変わり身の術を使って、今会場内だよ。」
言われて見てみると、紋付羽織を着ている人物が見慣れた鳶郎ではない。髪は黒くて東洋人だが、ひょっとするとこの人は男装した女、クノイチではないか。
まるで宝塚だ。
本人はと探すと、男だらけの間をするすると淀みなく進んでいる。もちろんタキシードで周囲の人と変わらない。
彼が何者か、誰も気付いていないだろう。会場には中国や東南アジアからの参加者も多く、東洋人も特別に珍しくはない。
ただ女の目は誤魔化せないらしい。
他の出席者達は皆祝子かみのりをいやらしい目で凝視する。でなければ仲間同士でなにやら密談を繰り広げる。
広い会場にドス黒い欲望が渦巻いていた。
対して鳶郎はあくまで涼やかに会場内の女性に対しても十分な配慮をしつつ移動する。欲の欠片すら見えはしない。
つまり、いいおとこなのだ。
「ほふりこさん、なんか鳶郎さんが綺麗なおばさん達に捕まりましたよ。」
「ん? おばさん?」
「えーと、40か50歳くらいか、とにかく宝石じゃらじゃらしたおばさんが5人ほどで取り囲んで、」
「む。」
さすがは祝子三十女である。若い娘よりはむしろ自分より年上の女の心が透けて見える。
ちょっと面白くない。
メイスン・フォーストが近づいて今後のスケジュールを打ち合わせる。もしみのりの体調が良ければ、もう30分ほどはラウンドを回したいらしい。
彼の要望はすなわち出席者全員のものだ。
求婚者達はそれぞれ決死的覚悟で壇上に登ってくるから、行儀よく持ち時間を守ったりしない。先程1時間強の挑戦でもあぶれてしまった人が居る。
祝子の尋ねる顔にみのりはちょっと考え、言った。もう少し自分は頑張れそうだ。
意を汲んで、祝子が注文を出す。
「じゃあ前回に登った連中を排除後回しにして、まだ来てない者を前列に並ばせて、」
「かしこまりました。」
「あと、まだ空気が悪いぞ。ダンスでも踊らせろよ。」
「なるほど、確かに会場には黒い雰囲気が立ち籠めていますね。それではダンサーを投入いたします。」
「そんなものも用意していたのか。」
メイスンの合図で生オーケストラが演奏していた曲を変更する。会場両脇の扉が開いて、色とりどりのドレスに身を包む若い女性がなだれ込んできた。
こんな事もあろうかと待機させていた美人ダンサー計百人で、会場に入ると目に付いた男性の手をするっと取って、ソシアルダンスを踊り出す。
もちろん求婚者として来ている者は皆、欧米風の社交儀礼を完璧なまでに体得する。
ダンスだってお手のもの。
たちまち男女の輪が出来て、華やかないかにも社交界風舞踏会が姿を見せる。
祝子も立ち上がる。
「ほふりこさん、踊るんですか。」
「せっかくだからな、こんな機会はおそらく二度は無いだろう。」
「でも、踊れるんですか?」
「バカにするな。あたしを誰と思っている。」
祝子は技芸を覚える鬼である。そこに技があるのなら、覚えずには居られない性を持つ。
のだが、残念ながら社交ダンスというものはパートナーが必要で、相手に合わせるのが大嫌いな彼女には鬼門である。
みのりもそこらへんはよく知って危惧したのだが、今回秘策が有った。
クノイチである。
祝子、物辺鳶郎に化けた和服男装のクノイチに尋ねる。
「おまえ、踊れるな。」
「もちろん。」
問われるがままに指を差し出していわゆる”Shall we Dance?”のポーズを取る。
宝塚の男役ぽい人だから実に絵になる、祝子の相手を務めても引けを取らない。
こう言ってはなんだが、本物鳶郎が相手ではちょっと落ちる。
いや彼も社交ダンスは出来るだろうが、これほどには妖しく美しくならないだろう。
PHASE 243.
物辺の女には、表で派手に目立つ活動をしてはならない、との掟が有る。
見ての通りにとても目立って他を圧し、たちまち主役と成り果ててしまう。
地味で控えめなタイプの祝子でさえこれなのだ。饗子や優子が本気を出したらどのような騒ぎを引き起こすか。
さすが昔の人は思慮深い。
くるくる回るダンスの輪を眺めながら、みのりはほうーっと溜息を吐く。
これは女の子の夢の世界であって、自分も想像しないではなかった状況だ。
背丈の低い自分にはとても無理だと分かっていても、たとえ一夜限りのシンデレラであっても、その場に立ってみたいと思う。
しかし、祝子の鮮やかな艶姿を見せられては、なんとも自分がみすぼらしく覚える。
だいたい先程乱入してきたダンサーのおねえさん達もいずれ劣らぬ美人ばかりで、実にかっこよく踊っていた。本職だけど。
あんな中に飛び込む勇気は、いかに厚顔無恥の鳩保芳子であっても持ちあわせてはいまい。
メイドが一人寄って来て、踊りませんかと誘うも、鉄球をじゃらりと引き上げて断った。
くるくる回るのは自分の場合トゲトゲハンマーで上等だ。
「喜美ちゃん、花憐ちゃん?」
「見ているよ」
「見ているわ、みのりちゃんも踊りなさいよ」
「やだよ。それより花憐ちゃん、やっぱ社交ダンス習いに行くべきだと思うよ」
「う、うん。明日からちょっと考える」
「そうした方がいいよ。こういうのはたぶん花憐ちゃんの担当だ」
首根っこ電話で監視中の二人も休憩中。日本時間では既に午前二時をとっくに過ぎている。
「よお」
「優ちゃん?」
「調子よくやってるじゃないか。おばちゃんばかりにいいとこ取られる事無いぞ。なんか騒ぎを起こせよ」
「こんなとこで無理だよお」
「そうでもないんだな」
御神木秘密基地に遅ればせながらやって来た物辺優子がドバイの彼方に今更のちょっかいを掛ける。
鳩保も優子も、敵に先手を取らせずこちらがイニシアチブを握るのを身上とする。お見合いパーティであっても原則を違えるのをよしとしない。
不思議なことに花憐も同調する。
「みのりちゃん、」
「なに、花憐ちゃん?」
「わたしの超能力予報によると、ここで一発派手なイベントが起きる可能性が極めて高いのよ」
「まあ、お膳立て、舞台準備は整ってるしな。ずるずる」
「今の音、なに?」
「ああみのりちゃん、これは優ちゃんがカップ焼きそば食べてる音」
「食べたい! カップ焼きそば食べたい!」
「パーティの料理食べろよ」
「そんな暇無いよおお」
日本と無駄話をしている間に、ダンサーの出番は終了した。
引き続き祝子は人に囲まれフリートークを始める。向こうから来るのを待つばかりでなく、攻めに出た。
多人数を相手に話をしている分には、勝手な求婚を始めたり出来ない。
さすがだな、おばちゃん。
ダンスのお陰ですっかり空気が入れ替わり和んだ会場を、みのりはぐるっと見渡した。
もちろん異変は無し。宇宙人らしき人物も無し。
祝子の周りには十重二十重の人垣が出来、自分の前にも次のラウンドに備えて対戦者が順番に並ばされている。
同伴して来た女性達もそれぞれ自然と組を作り、二人の日本人女性を品定めする。耳を澄ますと何カ国語ものひそひそ話がしっかり聞こえて分かってしまう。
童みのりの言語能力はトカゲナメクジの類にまで有効な高性能であるから、カクテルパーティ効果も同時多重で機能する。
自分の悪口を外国語で聞かされるのは嬉しいものではない。
『…………ソロソロチャバンニモウンザリダ』
『ヲマエタチノノゾムセカイナド、エイエンニオトズレヌモノヲ……』
『ヨカロウ。Adjustmentヲカイシスル』
『ホノヲヲ、スベテヲヤキツクセ!』
??
不穏当な台詞にみのりは首を上げる。
今の言葉は人間のものではない。宇宙人語だ。
正確には、シュシュルメメクリガイ星海界隈の恒星間共通言語。この領域の知的生命体にはヒューマノイドタイプは居ないはず。
だが、敵襲だ。
みのり、かねてより不思議に思っていた事がある。
それはまあお誕生会のケーキにローソクを立てるのは良しとしよう。だが、花火を刺すのはいかがなものか。
ぱちぱちと弾ける火花がパーティ会場の燃え易いものが色々と有る中に堂々と入ってくるのは、危ないじゃないか。
だから会場内にチョコレートケーキ、いやボンブという奴が入ってきたのに自然と目が行った。
同時に10皿ほどがウエイターによって運ばれてきたのだが、一つが妙に気に掛かる。
とはいえ何が違うものでもない。
ぱちぱちと弾ける火花は赤かったり青かったり、不審な点はどこにも無く、周囲の人も気に留めない。
それでもみのりの勘は当たり。他のケーキの花火がまもなく燃え尽きたのに、これはいつまでも弾け続ける。
線香花火みたいに粘るなーと見ていたら、火玉がぽんと飛び出した。50センチ飛んでテーブルの上に落ちる。
テーブルクロスに引火するかと思ったが、無粋な事に不燃処理された安全なものだった。VIPをが日頃迎えるホテルは、さすがにちゃんと考えている。
つまり大丈夫なのだが、火はそのままテーブルの上を走っていく。料理の皿やグラスを避けて、まるで生き物であるかに進んでいく。
やっぱり、とみのりは顔を引き締める。
炎を自在に走らせる技術は喜味子にも聞いたことが無いから地球技術ではない、おそらくたぶん宇宙人だ。
ろうそくの炎ほどには大きくなったソレが、テーブルの間2メートルをジャンプした。明らかに何者かの意志が操作する。
二、三度テーブルを越えて、やがて獲物を物色するかの逡巡を見せ始めた。
いけない、これは攻撃態勢に移っている。
「ほふりこさん!」
みのりは鳶郎が持つ”ストップ・ウオッチ”経由で注意を呼び掛けた。思考をそのまま伝達するから、離れていても会話出来る。
標的とされる第一番はみのり本人だが、二番目でかつ防御力が無いのが物辺祝子だ。
炎が彼女を狙うのは当然と言えよう。
「ほふりこさん、気付いてますか? 小さな炎がテーブルを渡って、」
「見えてるよ。なんで誰も騒がないんだ?」
さすが祝子は常人ではない。大勢の男に囲まれ談笑しながらも会場の異変を察知する。
手口は簡単。みのりが壇上で不自然な視線の向け方をするのを、監視していた。
「祝子さんみのりさん、どうしましたか」
「鳶郎さん、宇宙人の襲撃のようです。小さな炎が」
だがみのりが教えた位置を見ても、鳶郎は首を振る。そんな炎は彼には見えない。
「ほふりこさん、これは一体」
「あたしが見えるのは物辺の女だからだろう。断言する、それは確実に有る」
「やはり宇宙人技術の、」
「あ」
炎が跳んだ。通りかかった女性の白いドレスの腰に着地する。
無論誰の目にも止まらない。やはり見えないのだ。
他には延焼しないのに律儀にドレスに焦げ穴を開けて、炎は女性の体内に潜り込んだ。
たちまち彼女は腹部を押さえて倒れ込む。床に落ちる前に近くの男性に抱き止められたが、苦痛に身をよじらせる。
跳ねた。
みのりは壇上から大きくジャンプ、求婚者の列を飛び越え同じ床に立つ。もちろん鉄球鎖を引きずったまま。
あまりに突然の移動に、メイドの誰も制止もできなかった。
求婚者達もいきなり背後に立たれて分からない。目の前からみのりが一瞬で消えたと思う。
走って、倒れた女性の傍に行く。矢の速度で人波やテーブルをすり抜ける。
黒人でほっそりした体型の美しい人だ。年齢は27歳くらい、おそらくは求婚者の誰かの「姉」であろう。
抱き止めた男性は中東系で、彼女とは無縁の人らしい。彼はすぐに手を上げてスタッフを呼ぶ。
もちろん上流階級のパーティには不測の事態に備えて医師を用意してある。
素人が何をする必要も無い。
だが宇宙人の攻撃を防ぐ能力はNWOの医師も持たないだろう。
医師はすぐに登場して診察を始めるが、激痛に暴れる女性に手を焼くばかり。あまりに力が強いので男性数名掛かりで抑えねばならない。
みのりも傍らで見守るが、明らかに彼等の対応は間違っている。敵襲だと認識していない。
祝子では無理、鳶郎にもどうにも出来ない。頼りになるのは、
「きみちゃん?」
「見ているよ。今、私の目を貸す」
喜味子はゲキロボにより、物体の構造を見抜く透視眼を与えられている。人体であっても内臓の好きな位置をリアルタイムで観察できた。
首根っこ電話経由でみのりが見た映像を喜味子に送り、解析されてまた戻ってくる。
視覚情報として提示され、まるでみのりにも同じ能力があるかに機能する。
「……お腹の中で、炎が燃えている」
「脂肪を直接燃焼させているみたいだね、それも100度以下の低温で」
「できるの、そんなこと?」
「やってるじゃん」
花憐の常識的な問いに喜味子はなんなく答える。炎という形を取っているエネルギーが脂肪を分解しているのなら、そりゃ燃焼だろう。
そんな真似を体内でやられたらとんでもない激痛を伴うはずだ。即死しても不思議じゃない。
対策は、治療法は。
「きみちゃん、どうすればこの人を」
「心配無い、今応援を寄越した」
言うが早いか、みのりの手の中にミミイカが飛び込んでくる。体長3センチの小さなゲキのロボット。
上空警戒時には10メートルを超える巨大な身体をしているが、本体はこのような可愛らしい姿なのだ。
「イカロボは元々みぃちゃんがお腹こわした時の為の医療機能も持っている。水鉄砲の形で掴んで、口というかロウトを患者に接触させて」
「わかった」
さすがきみちゃん。みのりが緊張するとお腹が痛くなる事をちゃんと覚えていた。
腹の中の炎が宇宙人技術であるのなら、ゲキロボの力で絶対に排除出来る。
そういう風に宇宙の法則は決まっている。
PHASE 245.
ぷしゅ、っとイカロボは薬液を吐いた。
喜味子は腹痛の時の為と言ったが、もちろんもっと深刻な事態も想定している。たとえば、毒。
パーティで毒を盛るのは陰謀暗殺古典中の古典であるが、有効であるからこそ現代でも多用する。
また近年では放射性物質を使用しての暗殺事件がマスコミで取り沙汰され、ロシア諜報当局の関与がまことしやかに噂される。
考えうる限りの攻撃に対処せんと、イカロボ仕様書に「万能お医者さん」と書いておいた賢明さを賞賛すべきであろう。
被害女性の体内に急速に浸透する薬液中には、微細なゲキムシが混入されている。大きさは300ナノメートル。
もちろん薬学的な効果を発揮するわけではない。
皮下脂肪を地味に低温で燃やしていた「炎」は、ゲキムシ投入に敏感に反応。格闘戦に及ぶ。
両手を大きく振り上げがおーと襲いかかる炎は、微小なゲキムシが無数に集まり同調リンクしてのエネルギー干渉攻撃に為す術もなく敗退。
回路損傷。雲散霧消してしまう。
エネルギーによって自らの力場回路を構成し再びエネルギーを封じ込めるブートストラップ型のロボットであるから、跡形も残らない。
優子が謝る。
「すまんみのり、逆探知できなかった」
ゲキムシが取り付いた瞬間から敵の親玉の解析を始めたのだが、女性の体内に飛び込んだ時にはもう制御リンクを切ったプログラム動作だったらしい。
相手に繋がる経路が無く、優子のハッキング技能が生かせなかった。
しかし女性は苦痛から解放され正気を取り戻し、みのりは取り囲み見守っていた人々に喝采を浴びる。
夢中で気付かなかったが、彼彼女等は皆「童みのり」の救世主としての資質を確かめようとしていたのだ。
何をしたかまでは理解出来ないが、変事に際して敏速に反応、ためらいもなく適切な対応を取ったと判断する。
まずは合格。
『……ソレガGEKIノノウリョクカ。ナルホド、ベンリナモノダ』
再び宇宙語の声がする。人間の可聴域の音波であるから会場内すべての人間が聞いた。
ついで副音声で英語版が流れる所は親切だ。どうやら敵は仲間内の通信を宇宙語で行い、本人は人間の言葉を使っているらしい。
みのり、鉄球鎖を手に立ち上がる。ドレスの裾が湧き上がる気迫に膨らみ、戦うお姫様が顕現した。
「なにものだ、姿を見せろ。」
『ダガソノチリョウホウハ、ヒトリニシカキカナイナ。ドウジニコウゲキサレルト、ドウダロウナ』
ぽっ、と炎が燃え上がる。ろうそくの火の大きさの、だが今度は誰の目にも見える。
ぽぽっ、と会場のあちらこちらで火が燃える。一斉にキャンドルサービスを始めたかに、数百至る所を燭光が照らし出す。
悲鳴を上げる出席者。彼等も自分達全員が標的にされたと認識する。
「鳶郎さん、ほふりこさんを守って」
「わかった!」
宇宙人の攻撃を人間がどれだけ防げるか疑問だが、会場内500人を守る自分の代わりに鳶郎には本分を果たしてもらう。
応援の物辺村御神木本部は、
「すまんみのり、本体は会場内に居ない。遠隔操作だ」
「優ちゃんきみちゃん、この炎どうすれば消えるの?」
「潰せば消える。でもその数が一斉にしかも出席者無差別に襲うとなると、ちょっと」
敵の目的は未だ不明。だがゲキの少女ではなくNWO本体を対象とするなら、このパーティはまさに絶好の機会。皆殺しこそが最善手であろう。
「鉄球には力場が有るから近くの炎をまとめて吸着出来るんだけど、そこまで分散されると」
「きりが無いよ」
「そうだわ、みのりちゃん!」
花憐が提案する。これはみのりが得意な技術の応用だ。
「わたあめよ、わたあめの機械に割り箸入れてぐるぐる回して絡めていくみたいに、一ヶ所に集めれば」
「おお」
ぎゅん、と右手で鉄球を回す。花憐の言葉を正確に理解した。
会場内に立ち尽くす出席者の間をすり抜け鉄球を飛ばし、諸所に輝く燭光を一つにまとめてしまうのか。
難儀な芸当だが、”ストップ・ウオッチ”が有れば。
「鳶郎さん、時間を止めます!」
「了解した」
鉄球が、鎖がぎゅんと回る。
PHASE 246.
みのりは本来器用な方だ。
喜味子に比べれば月とすっぽんだが、おとうさんと釣りに行って針や糸の仕掛けを用意したり、魚を針から外したりと丁寧迅速にやってのける。
物辺神社のけちなお祭でも、自分でわたあめの機械を操作してぐるぐる上手に作る特技がある。
金魚すくいも型抜きも上手。
鳩保などには「子供技ばかり上手になって」とバカにされるが、捨てたものじゃない。
今回のミッションも楽勝と見做せるだろう。
なにせ敵は会場内皆殺しを企図する。ちょっとくらい手元が狂って鉄球が人に当たっても、被害は許容範囲。悪いのは宇宙人だ。
だが優しいみのりは不手際をしでかさない。
”ストップ・ウオッチ”で加速された時間内でも、本物の宇宙人であれば干渉できるはず。
一発勝負、相手が対応に戸惑う内にすべての炎を絡め取る。
鉄球鎖が飛んだ。鎖の長さは自由自在、みのりの手首の動きに合わせて生き物のように飛翔する。
炎は陰険な場所にばかり有る。
はったりを利かす為に目立つ位置も多いのだが、テーブルの下、花瓶フラワーアートの中、御婦人の盛った髪の上、天井シャンデリアの電球の間とアクセスしづらいものばかり。
それでも鉄球にはトゲが有る。奥にあっても、つんと刺して炎を巻き取った。
千人収容可能な会場の広さをスィープするのに、およそ500回転ほどさせただろうか。
所要時間は、本来の時間にして1秒少々。丁寧にやった分手間取ったが、敵が対応する前に終了する。
会場中央の空中にまとめられた炎の群れは、停止いや極端に加速された世界の中で、ちかちかと点滅を繰り返す。
「なんだろう、これ」
本物の炎ではない。燃焼現象であるならば、加速された世界の中では氷のように静かに留まるはず。
これは点滅する。一つ一つがばらばらのタイミングで光を発したり消えたりと、まるでネオンサインだ。
「きみちゃん、なんか変だよ?」
「おもしろい、常時存在しているわけじゃないんだ」
人間の目には連続している炎だが、高速度カメラで撮影すれば居たり居なかったりするのだろう。
蛍光灯の光に似る。
花憐が当てずっぽうで分析した。
「これはー、ひょっとしてエネルギー量的にはそんなに大げさなものじゃないのかしらね」
「そうだね、省エネタイプのエネルギー力場だ。破壊力もこのままなら小さいよ」
「本物の宇宙人てもっと強力なんじゃないかしら?」
「うーん、確かに。もっと合理的で、そもそもケレン味たっぷりの攻撃しないだろうしね」
「きみちゃん、もういいかな」
”ストップ・ウオッチ”にも限界は有る。祝子や鳶郎が加速された時間内で呼吸が困難になる制限があった。
粘性が高くなる空気を普通の時間のタイミングで呼吸するのだから、当然だ。息を止めて動いた方がマシ。
そろそろ酸欠になる。
かち。
鳶郎のポケットの中の小さな時計が再び針を進ませる。
PHASE 247.
全ての人が状況を認識するまで、数十秒は掛かっただろうか。
会場内あらゆる場所で輝いていた炎が、気が付くと中央頭上で赤々と大きく燃えている。
衝撃的な光景だ。宇宙人なんという力、なんという速さ。
皆驚愕し恐怖する。もちろんみのりがやったとは考えない。
混乱するのは敵も同じだ。同時分散で制御していた炎が何時の間にか一つ所に固められ、攻撃意図を挫かれている。
コントロールを回復するのにやはり同じ時間を要した。
だが分散は諦め、せっかくまとまったのだから大きなままで使う。
炎はやがて巨大な人の姿になった。
遠く日本から監視している喜味子は、御神木秘密基地の14インチブラウン管テレビ画面に表示されるソレを指して叫ぶ。
「”魔法使いの赤”!」
「え、えーとー。」
残念ながら、花憐も優子も反応しない。鳩保が生きていればきっと同調してくれただろうに、残念だ。
しかし、ドバイの地で喜味子と同じ反応を示す人が居る。
「パワー有るビジョン! ”スタンド使い”かっ。」
物辺祝子である。喜味子より祝子の方がそれに関しての知識は深い。年齢的に直撃だ歳の功だ。
もちろん炎が集まって実体化したものの頭部は鳥の形をしていない。
最近の作品で形容するならば、2006年公開ハリウッド映画「ファンタスティック・フォー」に出てくる”ヒューマン・トーチ”が形状も由来も近いのだが、知ったこっちゃねえ。
なんかぼんやりする炎の人型は”魔法使いの赤”でいいのだ。
優子が言った。
「喜味子、”幽波紋”て何処に行ったんだ、設定。」
「いや! それは今更言及するまでもない瑣末な部分だ気にするな。」
「えー、とー」
花憐、気を取り直してドバイのみのりの状況を確かめる。
案の定、なにがなんだか分からない話で盛り上がるのに困惑していた。
「花憐ちゃん、どうしたいいのどうしたら」
「みぃちゃん落ち着いて、えーとその怪獣はエネルギー力場で形成されるロボットみたいなものだから」
「群体制御だよ」
喜味子が優子との虚しい論争を捨てて戻ってくる。
「本体は元の小さな炎なんだ。合体してもやはり小さい単位の別で動いている。各々が周辺のユニットの行動を見て、己が為すべき運動を決定しているのね」
「むずかしくてわからないよ」
「スタンド使いいや術者と言った方がいいか、は大雑把に動きの方向性を与えてやるだけで個々のユニットを直接制御していないんだ。だから」
「だから、なに? 今すぐにでも攻撃して来そうなんだけど」
優子、割り込む。
「鉄球でぐるぐるして目を回してやれば、術者も昏倒する。そういう仕組みになっている」
「ほんと? そんな簡単な方法でやっつけられるの」
「疑うな。宇宙人の力なんてもの、ずぶの人間が完璧な制御できるわけないだろ。洗濯機みたいにぶん回せ」
「わかったー」
妙に自信たっぷりな優子の言葉に、花憐一抹の不安を覚える。喜味子に尋ねた。
「いいの、そんな簡単な方法で?」
「群体状のスタンドであれば、一個一個を潰していっても本体術者にはダメージが入らないんだよ。スタンド全体を一度に破壊するか、術者本人を直撃するか。」
「それで全部まとめて回しちゃうのね。でも、完全破壊はしないの?」
「優ちゃん、どうしよう。ぶっ殺した方がいいかい。」
「敵の規模やら目的を確かめる為にとりあえず一度は逃してやろう。尻尾を追いかける。」
「OK!」
喜味子、改めてみのりに指令する。
「みぃちゃん、ぶん回せ」
PHASE 248.
鉄球の付け根を右手でぶら下げ、みのりは人の輪の中心に進み出る。
空中の炎の男に向かって叫んだ。
口から出た言葉は、トルコ語。
「名が有るなら聞きましょう。」
炎はしばし硬直する。
トルコ語、つまり術者がトルコ人であるとみのりは見抜いた。脳内自動言語インストールのおかげだ。
喉元にナイフを突き付けられるより、恐ろしい攻撃であろう。
燃える顔に口が開く。
『我は紅蓮の劫火、爛れた世界を火獄Cehennemと化し萌え出る悪の芽を焼き尽くす者也。また真理を追い求めるでもある』
”Dervish”なる単語にパーティの出席者の多くは反応する。イスラム神秘主義スーフィズムの修行僧を表す言葉だ。
イスラム正統の教えとは異なるものとして幾つかの国で禁止されるが、加えて宇宙人の力をみだりに借りるとなれば看過できない。
パーティに集まったNWOメンバーの半分にとって、身内の反逆者と見做せるだろう。
みのり、続けて宣言する。
「これ以上の攻撃は無意味です。今日は帰ってください。」
『なるほど素晴らしい能力だ。この場では確かに勝てぬだろう。しかし、未だ我が力理解せぬ者も多い』
「見せつける為に暴れて、力を誇示しますか。」
『然ぁり』
炎の男は大きく燃え上がる。エネルギーの発散量を倍増させ、出席者の身体を直接に焼こうとする。
彼の炎は本物ではない。人体を焦がして炭にするなどは不可能。
しかし脂肪を体内で分解したようにタンパク質を変質させるのはいとも容易い。体内でゆで卵を作るようなものだ。
即死せぬが故にむしろ悲惨で残酷な苦痛を生み出す。
許せる道理が無い。
みのりの手から鉄球が飛ぶ。炎の男のみぞおちに直接吸い込まれていった。
ゲキロボが生み出す鉄球は、力場で形成される存在を吸着する性質を持つ。
鉄球表面を覆う稠密な中性子層自体が力場によって封じられているから、干渉するわけだ。
炎の男を形成するエネルギー/力場ユニットは引きずられ、鎖の運動に従って旋回を始める。
ユニット同士の密度が低ければ抗しようも無い。凝集して相互の連結を強化する必要が有る。
が、回るに任せていた。
術者は鉄球から解放されないと知って、炎自体を回転させる。速度を同調すれば自ら回っているに等しく、コントロールは容易い。
炎は円環と化して、出席者の頭上を襲う。
「撹拌!」
みのりが叫ぶ。
必要は無いのだが、なんとなく声を出してみると気合が入る。アニメ特撮の必殺技を主人公が叫ぶのと同じに。
鉄球と鎖を繋ぐ部品は回転可能である。鎖の運動とは別に、鉄球自体も独自に回る。
ダブル回転で円環を構成するユニットは複雑怪奇な撹拌をされてしまう。
こうなっては制御のしようも無い。
いや、関与し続ける事で術者自身の三半規管が異常を訴え始める。
人間は人体各部をばらばらに運動させる機能を持たず、想像すら出来ない。
炎を身体感覚に従って操作する限り、逆のフィードバックを受けざるを得なかった。
炎が弾けた。空中で微かな光の粒となり、溶けて消える。
唯一可能な脱出手段、「放棄」を行ったのだ。
身体感覚的には人体の半分を空中に投影したのと同じだから、半身を失うに似た精神的ダメージを負う。
だが彼は本物の修行者求道者である。苦痛こそが人生。
逃げ去る前に精神力を総動員して再び炎を投影し、空中に文字を描いた。
「奴隷女」、次に狙われる者の予告だ。
鎖を振り回すみのりをNWOの奴隷と見做すのは、なかなか辛辣な表現と言えよう。
手元に鉄球を戻して、みのりはほっと息を吐いた。
自分を対象に襲ってくるのであれば一番安全で簡単だ。求婚者一人ずつの抹殺など企てられたら、手の打ちようも無い。
よかった、今日は枕を高くして寝られる。
気付くと、喝采の嵐の中に立っていた。
みのりに命を救われた人達が惜しげも無く賞賛を送っている。
これはやばい。敵の攻撃よりも遙かに大ダメージ。
顔面真っ赤になって、鉄球鎖をぶら下げ引きずりながらいそいそと元の壇に戻る。
追いついて祝子が何か言った気がするが、まったく耳に入らない。
はずかしいよお。
PHASE 249.
「しかし、鉄球をぐるぐる回すだけで勝てるのか。なんとも安直だな。」
「それは言わないでください。」
パーティはそのまま終了した。NWO主催者側は襲撃者追跡に要員を出動させ、それどころでは無くなる。
出席者にしても身の安全をかろうじて保てたのは僥倖。経験した知識の膨大さにより一時休戦しての方針立て直しを必要とする。
今回最も有益だったのは、目標「プリンセス”TOYOTAMA”」が実に強く有能である、と確認できた事だろう。
誰が配偶者になるにしても、肝心の童みのりが愚物であれば人類の未来は暗い。
危惧せぬ者は居なかったのだが、幸いにしてこの少女は「使える」人間だった。
アプローチのプランを練り直す手にも張り合いが出るというものだ。
みのりと祝子、鳶郎はホテルの自室に戻ってきた。がっくり疲れる。
「いや、炎の魔神は別にどうって事は無かったけどね。」
「そうですか、ほふりこさんはさすがですねえ。」
「みのり、お前は見ていないだろう。金持ち連中の炎が出た時の醜態を。」
「そんなにひどかったですか?」
「自分の身代わりに誰を突き飛ばすのが今後の戦略上効率的か、平気で品定めする連中なんだよ、あいつら。」
「うわー」
さすが金持ち、やることが汚い。
ドレスを脱ぎ捨て、部屋着に着替える。
メイドが高価な絹のパジャマを用意してくれるのだが、もっといいものを日本から持ってきていた。
門代高校校章入りジャージ。陸上競技部で使っていたものを流用する。
考えてみれば、今年の夏はもう合宿に行かなくていいのだ。
中学校以来の夏の習慣が無くなって、しょんぼり。
祝子もラフな格好に着替え、鳶郎に至っては「ホテル備え付けの浴衣」という寛ぎ様。
ひょっとすると忍者であれば和服の方が戦い易いのかもしれない。手裏剣隠す場所いろいろ多そうだし。
3人は夜遅くの夕食を今更に摂る。
メイドに命じてパーティ会場のご馳走を一通り見繕って取っておいてもらったのが、大皿に2つも有る。
「鳶郎、気が利くぞ。」
「鳶郎さん、ありがとうございます。」
「いえ、みのりさんもお腹が空いたでしょう。遠慮無く頂いてください。」
「それでは、本当に遠慮なく。」
ほんとうにえんりょしない。
祝子は先程の話を続ける。
「それにしても、アクションシーンとしてちょっと手抜きじゃないか、鉄球回すだけなのは。」
「今回は戦場が狭い閉鎖空間ですし人質が多数居まして、大胆な攻撃ができませんでした。日本の優ちゃんも相手の出方と背景を知るために泳がせる戦術を指示してきたので」
「なんだ、戦闘中も話ができるんだ、日本と。」
「そうでないとこんな難しい戦闘できません。わたし一人の判断じゃ大失敗まちがいなしです。」
「なるほどな、ひとりひとりはゴミみたいでも、5人集まればなんとかなると。」
「ごみはひどい、
あ、今優ちゃんから電話がありました。明日もまたさっきのが襲ってくる確率180パーセントです。やっつけても新手が襲ってくる可能性大という意味です。」
「だろうね、自分でも予告して逃げたから。」
「次はもっと派手に破壊力の大きな、周辺被害甚大な攻撃を仕掛けてくるそうです。炎のスタンド使いとしてふさわしい規模の熱量をもって。」
「ほお。で、どうする。」
どうする、とはどうだ?
「なにがです?」
「いや、あのスタンド使いをやっつけるのに、あたし達の助勢が要るか。」
みのり、考える。うんと考えても、答えはあまりよくない。
「じゃま、です。」
「正直でよろしい。」
「ほふりこさん、どうしましょう。わたしたち別々に行動した方がいいでしょうか?」
「そうだな、こちらは鳶郎と二人で適当にデートしてくるさ、スポーツカーを用意してくれるそうだから。」
「戦闘用ポルシェですね。」
「鳶郎、それでいいか。」
「みのりさんが一人で戦闘したいとおっしゃるのでしたら、我々の出番はありません。一般人護衛も外しておきましょう。
こちらは別口の、人間が人間らしく地味に陰険に仕掛けてくる罠を独自に解除破壊しておきますか、祝子さん。」
「じゃあ明日は自由行動だ。食ったらちゃんと寝ろ。もう子供は寝る時間の」
祝子は顔を上げて、これまた室内の装飾に恥じない高級なスイス製の置き時計を見る。
日本との時差は5時間。今はもう深夜零時を過ぎているから、日本では……朝。
「みのり、寝ろ。」
「はい。これを食べちゃったらですね、」
「そんなデザートは寝る前に食うな。冷蔵庫に入れとけ。」
「いえ、なんだかここのメイドさん達は今食べなかったらさっくり始末してしまいそうな気がして、明日の朝にはもう、」
「こいつらはそうするな。明日の当番のシェフとパティシエが待機しているし。じゃあ食って寝るか、勿体無い。」
「はい。」
祝子は、物辺の女はいくら食っても醜く肥るなど無いのを利用して、食べる食べる。ついでに飲む。
さすがのニンジャマスターも呆れて物も言えない。
物辺村朝六時半。
夏休みであるから恒例ラジオ体操が毎朝行われる。物辺村の子供は全員参加が義務付けられる。
企画運営するのは高校生の役目。
鳩保喜味子花憐優子&みのり、の仕事だ。
遠くドバイで格闘をするみのりのバックアップで徹夜してました、なんて言い訳はまったく通らない。
年寄りになってもラジオ体操を楽しみにしている煩さ方の爺さん婆さんが律儀にいらっしゃるのだ。
で、赤い目をした喜味子と花憐、徹夜はまったく堪えない物辺優子とは別に、睡眠をたっぷり取って美容にもばっちりの鳩保芳子嬢がお出ましになる。
「やあおはよう!」
「ぽぽーおはよー」
鳩保安眠には理由がある。こいつ、昨日の夜まで「香背男さまかせおさま」とぎゃあぎゃあ喚き散らして、どうにも始末に負えなかったのだ。
沖縄嘉手納基地から猫男を派遣するのはよいが、尋常地球人様謹製のジェット旅客機では地球の裏側までそんなに早く着かない。
やきもきしてうるさく、挙句ゲキロボ二号に乗って南米まで飛ぶと言い出した。
確かに個人用ロケットである二号は大気圏内でも秒速10キロメートル以上を叩き出すが、鳩保が行ってどうなるものでもない。
猫男は前身が南米潜入の麻薬捜査官だからこそ、今回のミッションに投入されているのだ。
日本の乳のでかい女子高生が行っても何の役にも立たないどころか、拉致られてレイプされるのが関の山。
喜味子の提案で二号を先行させて上空からスキャンする策で手を打ったが、それでも神経のささくれは治らない。
見かねた優子が電撃で安らかにおねんねさせてあげた。午後九時の出来事。
優子と双子小学生で鳩保家にまで担いでいって自室のベッドに放り込み、双子は芳子部屋を不法探索。祖父の左古礼先生就寝前の一杯のご相伴に優子はあずかり、まあ楽しく過ごしたのだ。
その後3人は物辺神社に戻って御神木秘密基地に顔を出すが、饗子かあちゃんに双子は捕獲され母屋に。
優子は喜味子花憐と合流してドバイ管制と、地味に忙しかったわけだ。
「というわけで、絶好調よしこちゃんです。」
「げんきになってよかったよ、ぽぽー。」
まあ助かる。鳩保子供達の前に出て、元気いっぱい乳振り回して体操のお手本をしてくれる。
徹夜で血圧下がったまんまの喜味子と花憐はそんな大暴れできないから、基本的には良いことだ。
小学生のラジオ体操参加カードに景気よくぽぽんとハンコを押しまくって上機嫌の鳩保は言った。
「じゃ、今日は私、学校休むから。」
「え?」
夏休みである。夏講習は原則自由参加だから、出たくなければ構わない。
八月も間近に控えて、そろそろ抜ける者が増えてきた。
花憐は、しかし休むのであれば徹夜明けの自分達がそうあるべきだろうと、一応抗議する。無駄だと分かっていても。
「ぽぽーあのね、」
「私は今からゲキロボ二号を遠隔操作して、ユカタン半島現地航空スキャンして脅威分析するから、今日は行けないや。皆によろしくね。」
「あのーぽぽーさん、わたし達だってみのりちゃんをね、」
「あ、みのりちゃんもあんた達帰ってくるまで面倒見とくわ。まあ寝てるんだから手も掛からないだろうけど、イカロボ空中警戒中でしょ。」
「あー、きみちゃん、どうしよう。」
「言うて聞く相手じゃないからなー。まいいや、クビ子に任せるよりはいいでしょう。」
「じゃあよろしくねー。」
なし崩し的に、花憐喜味子優子は夏講習に行かされるハメになる。朝登校の時間に目が開いてるのだから、当然にそうさせられる。親無慈悲なり。
門代高校行きバスの最後尾座席を占拠した3人は、まったく気合の入らないままつかの間の睡眠を貪った。
右端の席にひっくり返っている喜味子の寝顔はあまりにも恐ろしくて他人様には見せられない。顔に白いハンカチを掛けて隠しておく。
花憐は、眠いのに眠れない。背骨の芯がすぽっと抜けてぶらぶらしているが、何故か脳天だけはキリキリと亢進中。
左隣の優子に話し掛ける。
「ねえ優ちゃん、あのさ、」
「ぐう」
「もしかしたらわたし達、このままずっとこんな感じで忙しいんじゃないかしら?」
「ぐう、ぐう」
「ひょっとしたらゲキロボの力って、わたし達個人にとっては負担ばかり重くって、何にも有益じゃないんじゃない?」
「ぐぐう、ぐう」
「よねえ。」
PHASE 251.
無理なものは無理である。
朝早くから出てきたはいいが、花憐喜味子はまともに目を開けていられない。優子はそもそもまともに受ける気無いから、二人に付き合って講習リタイアした。
学生食堂のテーブルにぼーっと座っている。午前十時にもまだなっておらず、未だ準備中。
「暑いよ……。」
扇風機は回るが、クーラーなんて結構なシロモノはそもそも装備されていない。生徒が始終出入りするから、昔から開けっぴろげている。
門代高校の学食と購買は校舎から随分と離れて、校庭をぐるりと渡り廊下で回った外れにある。運動部部室棟の近傍だ。
食堂のおばちゃんが言った。
「あんたたちバカだねえ、空き教室で寝ていた方がここよりずっと涼しいよ。」
「そりゃわかってるんですけどねー」
学食前のグラウンドは、日が高くなるに従ってじりじりと焼けていく。吹き渡る熱風食堂直撃でいかんともしがたい。
りんごんと終了のベルが鳴る。夏講習中はいい加減にやってるから、二限だったか一限だったか忘れてしまった。
ぺこりんぴんぴろ、と花憐の携帯電話が騒ぎ出す。ぴ、っと開いて発信人を確かめた。
「しごとだわ 。」
「誰?」
「せいとかい。ミス門代高校代理の出番だって。」
「たいへんだねー花憐ちゃんは。」
「何?」
「夏はいろいろ自治体の行事なんかも有るのよ。野球部が甲子園でも行ってくれたら、張り合いもあるんだけどね。」
「有り得ない事言うな。学校創立以来県大会準決勝にも行ってないだろ。今年だって早々に」
「むなしいわね 。」
ずべずべどん、と喜味子の携帯電話が震える。出ると、嫁子だった。
「うん、眠い。うん、食堂。優ちゃん? 居るようん。わかった。
優ちゃん、あのさ演劇部の人が優ちゃん探してるって。」
「何故?」
「なぜも何も、用があるからでしょ。五組に誰か呼びに来たって。」
「ああ。」
長い黒髪をずるると引きずって立ち上がる。さすがに演劇部の用事は人任せには出来ない。
考えてみれば、演劇部まだ辞めてなかったな。部員であれば、そりゃ呼び出しに応じぬわけにはいかない。
ちなみに優子は今の女子高生として携帯電話はもちろん持っているが、教室のカバンの中に突っ込んで置いている。役に立たない!
「行くの、優ちゃん。」
「行く。」
ゆらりと髪を陽炎に漂わせて学食を出ていった。
実の所、物辺優子は夏女だ。暑さが身体に堪える事は無くぴんぴんしている。冷血爬虫類の活発な季節だ。
羨ましくて、ジト目で二人は見送った。
「ゆうちゃん元気ねえ。」
「夏は稼ぎ時って小さい頃から言ってたもんね。まあエロいのは夏だよ。」
「そうなのよね、わたしたちもエロいことかんがえましょ。」
「ああ、夏は恋の季節だね。私ゃ関係無いけど。」
「あのね喜味ちゃん、もしもよ、もしもみのりちゃんみたいにきみちゃんも、あーいう感じで婚約者選ぶパーティ開かれたら、どうする?」
「それは出席者きのどくだな。」
「いやでも、なんかするでしょ、向こうも。」
「子供を作って血統を繋がなきゃいけないシステム作るんだからな。そりゃ冒険だな。」
「どうするの。」
「他人の事は言えないが、私は別にブ男大好きという変態じゃないぞ。」
「知ってるわよ。ふつうよね喜美ちゃん。」
「逆にブス大好きという男も願い下げだ。」
「ええーそりゃね。」
「そうだかれんちゃん。」
「なに?」
「花憐ちゃんがさ、どうせ近日中にどっかから嫁入りの話を持ち込まれるでしょ。みのりちゃんみたいに。」
「らしいわね。稟議書で決められちゃってるらしいし。」
「その決まった相手ってのがさ、でも考えてみれば私達ゲキの少女であれば誰だっていいんだ?」
「システム的にはね。」
「もし花憐ちゃんの相手が決まったとしてさ、途中で気が変わったーて、私とコンバートするのはどうだろう。たぶん、あちらさんはとんでもなく驚くと思うんだ。」
きゃあははははははは。花憐は狂ったように笑う。
「それ、いい! それすごいわ。」
「まあ、あいつらの考えている事はつまりその程度なわけさ。」
「その話、みぃちゃんにも教えてあげましょ。きっと気が物凄く楽になるわ。」
「いや、自分で言っといてなんだけど、あんま嬉しい話でもないんだな……。」
「あついわねー……。」
扇風機が熱風をかき回す音が低く唸り続ける。
PHASE 252.
二年五組に戻ってみると、物辺優子を待っていたのは演劇部女子新部長であった。
来橋いお、二年二組。
演劇部いつもの練習着である上はTシャツ下はジャージ姿で、ぎこちない笑みを返してくる。
このオンナ、姿形はそう悪くない。演劇部に所属するぐらいだから、本人相当の自信を持っているのだろう。
顔は美形と言えないまでも、肌が真っ白でなんとなく蝋で作った感じがする。いや、ラードであろう。
手足がぬるっと伸びて人よりも長く、全身が脂身のお肉のように美味しそう、な女だ。
幼い頃から高脂肪高タンパクのファーストフードで育てば、こんな感じに発育するのではないか。
「やあ、久しぶり。」
向こうから挨拶するも、腑に落ちない気配濃厚。お使い、三年生の前部長の指示だろう。
演劇部員は男も女も物辺優子が苦手で仕方ない。
無理もない話で、前回門代開港祭りの公演でも毒舌批評をして女の子泣かせてしまっている。
「なにか?」
とりつくシマも無い対応を見せるのも、実は優子の優しさだ。近づきたがらない人間に愛想よくしてやるのは、むしろ不親切。
逃げる者には逃げ道を用意してやらねばならない。
「ものべさん、あの。私、今度女子部の部長になったから、」
「聞いてるよ、ごくろうさん。」
「それで、前回の「水争い」の芝居の件で、あなたが指摘した箇所を修正して再演する事になったんだ。」
「うん。」
「かなり良くなった、と思ってるの。あなたのおかげよ。」
意外な言葉が帰ってくる。
てっきりお前はクビだ、と思ったが、いつのまにか株が上がっているではないか。
「次の公演は?」
「八月十日区民会館で。顧問の先生が今年のはかなり出来がいいって、本格的にビデオ回す事に。」
「それは上々。暇なら見に行くよ。」
「うん。出来れば必ず。」
「神社の用事も忙しいから、まあなんとか。」
「うん。」
来橋、ここで口ごもる。本番の用事はこれじゃない。
物辺優子に対して言い難い事があるのだろう。
「あのね、物辺さん。」
「なに。」
「実はあなたの名前が外の演劇関係にも広まってね。昔うちの学校で演劇部の顧問をしていた先生が興味を示して、」
「ああ、うちの女どもは歴代門代高校に通ってるからね。」
「その人に25年前にあなたのお母さんの、モノベニエコさんが演技しているビデオテープを貸してもらったのよ。」
これには優子も息を呑む。贄子の昔の映像がまだ生き残っていたのか。
いや、当時の高校演劇界に旋風を巻き起こした女だ。残っていて当然、むしろ母校である門代高校に無いのが不思議。
どうして足元で抹消されたのか、は想像に難く無いが。
物辺の女が人の恨みを買うのは、息をするが如き安易さ頻繁さだ。
「それで今視聴覚室で上映会をしているの。あなたも、見に来る?」
もちろん行くに決まっている。こればっかりは、さすがに好意に甘えるにやぶさかではない。
PHASE 253.
ひやーんとする。視聴覚室には冷房完備、フル回転で冷やしてくれている。
これは堪らん。
最上部の扉を開けて階段教室に顔を出した物辺優子は、内と外との落差に気が抜けた。
この世の極楽や、と言わんばかりの阿呆面を晒すのに、彼女が唯一敬愛する前部長三年生 馬渕歩が声を掛ける。
「物辺君、よく来たね。ホラ、」
示すのは上映中のテレビ画面。29インチ4:3のブラウン管テレビが未だに備品として使用されている。
映像ソースが古いVHSテープであるから、再生機器としてむしろベストな選択であろう。
「昭和五十九年全国高等学校演劇祭のビデオだよ。24年前だね。」
「全国、ですか。」
「物辺贄子さんが在籍していた3年間は門代高校演劇部の黄金時代だったらしくてね、これがその集大成。三年生秋の舞台だ。」
物辺優子は一番高い段から立ったまま母のかっての姿を見る。
女子高生「物辺贄子」だ。
同じ画面を演劇部員10数名が何組かに分かれ、階段教室の思い思いの席を占めて見入っている。
先輩達の古い映像を確かめる、のではない。演じられる舞台の完成度があまりにも高く、惹き込まれて目が離せないのだ。
解像度は低く色ムラが発生しノイズも乗った、とても良いとは言い難い状態のビデオだが、時を越えて鑑賞に耐え得るクオリティを備えている。
優子の後に入って来た女子新部長 来橋いおも息を呑む。
これが物辺贄子、伝説の舞台荒らし。
優子は馬渕に言った。
「ばけものですね。」
「演技力とかの次元を超えている。この人は今ここに居る、ね。」
「聞いてはいたんですよ、おばちゃんに。あんたのかあさんは人間じゃねえって。」
人間じゃないなら、これはなんだ。プロの舞台でもこれほどに印象的では無いだろう。
才能? ありきたりの言葉で表現するのは馬鹿馬鹿しい。
鮮烈な情感は、見る人に彼女が傍に立つ気配を覚えさせる。耳元で台詞を囁かれるかの親密度を感じる。
だが、よくそんな化物じみた主役に付いていけるものだ。
来橋は前の席で鑑賞する部員に迷惑にならないよう、小声で前部長に話し掛ける。
「でも、……当時の部員の共演者もすごいですよ。主役にヒケを取らずに堂々と演じて、全体が立っているんですから。」
「ああ。間違いなく当時のメンバーは演劇部の黄金時代だろう。」
「すごいですよね。」
「そうですか?」
優子の言葉に来橋は眉を顰める。
それはあなたの母親の演技力は群を抜いている。だが他の人の努力と才能をけなす事は無いだろう。
「あたしが思うにですね、この人達の技術や才能は並以下です。私立の芸術科の特待生でも無いのにこんな舞台をさせられて、無茶だ。」
「ああ、それは僕も感じていた。というか、初めてこのビデオを見てからずっと思っていた。
この人達、なにかおかしい。」
馬渕歩の評価も意外なものだ。
たしかに異常なクオリティであるが、それは悪でも欠点でも無いだろう。なのに、何故。
「母に引っ張られて、自分の器量をはるかに超える演技を強いられていますね。当時の部員は。」
「物辺君、やはりそうだろうか。物辺贄子という人の才能は、自分が演技をするだけに留まらず、舞台全体を演出してしまう、」
「はい。共演者や裏方までも含めて支配し、「舞台を作ってしまう」のが能力です。」
優子は立ったまま前の机に両手を伸ばして身体を支え、ブラウン管に集中する。
その言葉の残酷さに、来橋はしばし気付かなかった。
舞台を作る? だが、完成度の高い演劇を観客に提供出来るなら、何の不満も無いだろう。
現に当時の部員は、今ビデオで流れている通りに全国まで遠征する。輝いている。
「このビデオを提供して下さった当時の演劇部顧問の先生から聞いたんだ。
物辺贄子さんには、野球で言うところのプレイングマネージャーの素質があり、演技をしている最中でも他の役者に指示を与えて、随時舞台全体をコントロールしていたって。
さらに言えば、監督をしていた先生の演出プランまでも、しばしば自分でも気が付かない内に修正をさせられていた。演技指導をしていたつもりで、実は自分も「舞台監督」の役をやらされていた、と。」
「ありそうな話です。」
場を作る能力。
神事を司る巫女としてはあまりにも当たり前の、だが常人には不可能な力を物辺贄子は持っていた。
これに比べれば物辺優子の演技力はあくまでも自分のみに限定される。
だから一人だけ目立って舞台から浮いて、芝居を壊してしまうのだ。
贄子は違う。自分の異常性を感じさせないほどに、すべてのクオリティを高みに上げる。
「先生から「その後」を聞いたよ。
物辺贄子さんの卒業後、次の年の一学期に演劇部は空中分解してしまった。前の年までは確かに自分達が出来た事が、春からはまったく不可能になったんだ。
もちろん高校生なりの歳相応の演技力で続けていくのは可能だ。
だが一度頂点を見てしまうと、あまりに情けなく不甲斐なく、泥人形がのたのたと蠢いているに等しく感じられて、誰もが諦めてしまったんだ。
顧問の先生も立て直し策をまったく見出だせず、もちろん演出力なんか最初から有るはずも無く。」
「すべてを投げ出すしかなかった、ということですか……。」
来橋は慄然とする。どうりで黄金期の栄光がまったく記憶されないはずだ。
むしろ演劇部暗黒の歴史。
優子が口を開く。今ビデオの舞台は最高潮。
PHASE 254.
「その後の話は、おばちゃんに聞いています。
母贄子と次女饗子おばちゃんは6歳離れているから、3年後に門代高校に入学してきます。
姉が鳴らした演劇部を覗いてみると、永久休部状態で部員も顧問も存在せず部室だけが残っていた。
饗子おばちゃんは姉がしでかした不始末を理解し、立て直しが自分の責務だと考えます。
自ら動いて部員を集め女だらけの演劇部を作り上げましたが、本人は演技をしません。プロデューサーの役ですね。
それで宝塚というかモーニング娘。ですかね、みたいなものを作っちゃってそれはもう大人気になったそうです。」
(注;おニャン子クラブ もしくはAKB48と言うべきであろうが、芸能界に疎い優子は二〇〇八年現在では知らない)
「ほう。」
「へー。」
「ところがその女たちがあまりに金回りがいいもので、集団でいかがわしいバイトをしている疑惑が発生して、学校側から強制的に解散させられます。
ま、濡れ衣なんですけどね。
金が有ったのは饗子おばちゃんだけで、自分のお古のアクセサリや衣装を惜しげもなくくれてやっただけで。
当時高校卒業前頃にはおばちゃん、クラブを5軒ほど経営していたとか言いますから。」
え? 馬渕も来橋も目を剥いた。
女子高生がクラブ経営? しかも5軒て、なんだ。
「しかしながらおばちゃんは偉いから、人材を育てていたんです。
演出志望や舞台美術、音響とかの才能が有る生徒を抱き込んで、演劇部を総体的に向上させていました。
それで解散させられた演劇部に代わり新しく演劇集団が発足し、やがて演劇部再建に成功するんです。」
「そういう背景が有ったのか……。前の演劇部の気風が残ってないはずだ。」
「それから3年後ですね、三女物辺祝子という人が入学します。
当時の事を知らない演劇部員が見栄えがいいからと勧誘するのですが、1週間で祝子おばちゃんはクビになります。
毒舌が過ぎた、と自分で白状していました。」
「なるほど。」
「分かる、わかるわそれ。物辺さん。」
さらに10数年。ついに物辺優子が入学し、演劇部に入ったわけだ。
「それで物辺さん、お母様は今何処に。これほどの才能が有る人が、そのまま消えてしまうはずが無いでしょう。」
来橋いお、嫌なことを尋ねる。優子もこの質問はちょっと答えにくい。
「物辺神社はだね、一族の巫女は人の目の触れる場所でおおっぴらに活動してはならない掟が有るんだ。」
「え、どうして?」
「迷惑だからさ。だが贄子は無視して東京の芸能界に進出した。高校生であれだけ名を売れば、至極当然にね。
25歳までは確かにやってたはずなんだが、私を産み捨てて神社に置き去りにしてから、行方不明。」
「それじゃあ物辺君は、母親と会った事が無いのか?」
「はい。だからこのビデオ、非常に興味深いです。あとでコピーしてもらえませんか?」
「ああ、それはもちろん。君が持つべき物だろうからね。DVDに焼いて、演劇部に置いても構わないだろうか。」
「それはご自由に。母も喜びます。人間の情がまだ残って虎になっていなければ。」
「そんな山月記みたいな。」
馬渕は苦笑する。
『山月記』は詩文の才能を持つ官吏が世に受け入れられぬのを想い患って山に篭り、ついには虎に化ける話だ。
才能が有りながら芸能界を失踪した母贄子をなぞらえて評するとは、さすがの毒舌と言うべきか、あるいは優子自身のわだかまりの成せる業か。
ビデオが終了し、画面にスノーノイズが映し出される。何年ぶりかに使ったビデオデッキがきゅるきゅるとテープを巻き戻す音が聞こえる。
馬渕歩を継いで演劇部の部長となった男子が、通常の稽古に取り掛かる為に全員に指示を与える。
が、どの部員も今見た舞台の感想で頭が一杯だ。むしろディスカッションをした方が有益ではないか。
と前部長は思うのだが、口を出さない。引退した人間がしばしば活動方針に口を挟むのは、あまり有益とは言えまい。
視聴覚室には馬淵、来橋、そして物辺優子が残った。
「それじゃあ、このビデオは学校の機材を使って取り込むから、画質調整を考えるとDVDは明日以降に。物辺君、明日も講習に来るかい?」
「たぶん。ですが今神社取り込んでいますから、分かりませんねえ。」
「そうか、その時は部室に取りに来てくれ。」
はい、と言いつつも優子は内に篭る表情を見せた。まだ質問があるのかと、尋ねる。
「なにか、補足する事があるかな?」
「や、あーこれは相談じゃないんですけどね。ちょっと尋ねたいというか、アンケートというか。」
「なんだい。」
「先輩、あそれと来橋。えー、俳優のー「香能 玄」て知ってますか。」
「え?」
知ってるも何も、有名芸能人である。年齢は50歳であったか、元はアクション俳優だが最近は演技に深味を増して実に良い役をする。
時代劇にもしばしば出演し大河ドラマで主役を張った事もあるし、ハリウッド映画にも顔を見せる。
現代演劇界の金看板の一人、と大きく喧伝するのが許される人だ。
「ほぼ毎日テレビに出ているかしら、ね。」
「ドラマはもちろんバラエティとかドキュメンタリーもやってるな。それが、」
「実はその人、贄子と昔知り合いましてね。どうにも実感は沸かないんですが、どうやらあたしの父親というものらしいんです。生物学上の。」
二人はぎょっと目を見開く。そんなバカなと笑い飛ばしたい所だが、今見たビデオの女が母親であればむしろ芸能人が父親でない方がおかしい。
「そ、そうか。それはありそうなはなしだな。来橋君。」
「は、はあ、そんなこと言われてもあんな有名人が、って、物辺さん、ホント?」
「自信無い。いや、あたしも昨夜聞いたばかりでね。」
「誰に聞いたんだ。信用できる人か。」
「信用できると思いますよ。母も伯母もお世話になった、祖母を看取ったお医者さんだし、あたしも生まれた時から診てもらってます。ウチのクラスの鳩保の、乳の大きい態度のでかいアレ、の祖父です。」
「そうか、掛かり付けのお医者さんか。それなら事情を知っているのが当然だな。」
「ホント? ホントにホント?」
来橋、興奮する。自分とは何の関わり合いも無いが、これが落ち着いていられるか。特ダネGETだぜ!!
ぴょんぴょんと長い手足で跳び回る。
鬱陶しいなあ、と優子は手でハエを払う仕草をした。
「今朝家で朝ごはんの時、あたしの祖父と伯母にも聞いてみたんですけどね。
「あたしの父親って、香能 玄?」と。そしたら気の無い返事で、「うん」と。」
「なんか怪しいわね。」
「それはもっと詳しく調べた方がいい。区役所に戸籍謄本とかで、」
「はあ。証拠も多数有るみたいな事も言ってましたが、やっぱ行くべきですかね?」
「それは行くべきだよ。」
「そうですね、やっぱ東京に行って確かめるべきですよね。やっぱ。」
PHASE 255.
TOPページに戻る | / | 『ゲキロボ☆彡』INDEXページに戻る |