長編オモシロ小説

ゲキロボ☆彡

上に

 

〜PHASE 146.まで

 

PHASE 147.

 さて喜味子だが、地獄が続いている。
 答案用紙が続々と返ってくるのだ。
 これまでは自己採点で赤点確実であったものが、何も書かなきゃ零点に決まってる、現実の物理的実体として目の前に突きつけられれば神経に相当来る。
 まともにやってる生徒としては門代高校前代未聞という成績で、さすがに親が呼ばれた。

 児玉喜味子の両親は、まったくもって普通の大人だ。
 似ていない。顔形が娘にまったく似ていない。父母共に大して美形とは言えないが、それでも二人合わせた娘がこれほどまでに人間離れするとは、DNAの仕組みはどうなってるのだろう。
 意地の悪いクラスメートの指摘が気になって、喜味子は自分の血液を鑑定してみたことが有る。
 ひょっとすると私、橋の下で拾われた宇宙人の娘ではないだろうか?
 結果はシロ。まったくもって地球人以外の何者でもなく、父母の娘に間違いない。ほっと胸を撫で下ろすも、じゃあなんでこんなに違うと別の疑問も湧いて出る。

 ところで喜味子の家は鶏屋である。鶏を飼って食肉として販売する。
 もちろん村の狭い一角で小規模に飼っているのだから、普通の鶏では商売として成り立たない。軍鶏を飼っている。

 物辺神社は武運長久の社である。「物辺」を「ぶへん」と読み替えて戦の勝利の祈願をしたり、出征の無事帰還を願ったりで戦前までは大いに繁盛したと聞く。
 当時は勇ましい遊びも多々有り、闘鶏も盛んだったと聞く。
 ただの軍鶏ではない。何を食ったか知らないが身の丈5尺の人の背丈ほどあるバケモノを戦い合わせて賭博を行っていたらしい。
 らしいというは、戦争に負けてGHQがやって来て、日本中の軍国主義的な色々を制限や廃止させていったからだ。
 物辺神社は真っ先に目を付けられ、紆余曲折有ったのだがなんとか存続を認められるも、闘鶏や相撲は禁止にされた。まあその頃には軍鶏は全部食ってしまっていたから問題ではないのだが。

 20年くらい経ってそろそろほとぼりも冷めただろうと軍鶏を飼い始めたのが、喜味子の家だ。
 本来ならば闘鶏もやりたいところだが、さすがに賭博は許されない。
 かっては橋も無く本土から切り離されて物辺神社の治外法権ぽかったのだが、コンクリの橋でつながって便利になった反面、アンタッチャブルな面は歴史の闇に消えてしまう。
 元締であった城ヶ崎の家も市会議員に立候補する有様で、すっかりお天道様に隠れも無い健全長閑な島となった。

 

 そういうわけで喜味子は補習の嵐追試の山に追い込まれる。
 ゲキロボなんかやっている場合ではない。

「物辺村正義少女会議ー。」

 議長は花憐である。議題は七夕祭り前、開港祭の時に清正髭の高等宇宙人さんによって持ち込まれた直訴状の処理である。
 鳩保、

「や、花憐ちゃん。華道部部長就任おめでとうございます。」
「あ、どうもどうも。」

 日頃部室を我が物顔に占拠している物辺村一党であるが、この度部長職を奪取しておおぴらに出入りする。
 経緯は簡単。二年生部員が他に居ない。三年生2人二年生1人一年生2人というのが生徒会公認の華道部員であるが、じつのところ三年生は幽霊だ。
 つまり、前の年の部長が員数合わせに集めた者が三年生の幽霊部員。一年繰り上がって見事幽霊部長へと昇格する。
 何故こんなに華道部は人気が無いかと言えば、顧問がキツいのだ。厳しいだけならまだしも、嫌味がきつい。

 そのキツい顧問に花憐は最近よく褒められる。立ち居振る舞いや姿勢に根性が座ってきたと。故に部長が認められる。でなければアノ人は部をぶっ潰して後悔もしないだろう。
 花憐がそこまで成長したのは無論ゲキの力を得た後に遭遇した艱難辛苦の賜物である。これだけの目に遭えば、幾らなんでも根性が座る。

「花憐ちゃんは元々センスがいいからね。」
「お花を活けること自体は好きなんだけど、それ以外のややこしいのがね。」

 みのりが素直に褒めるのに花憐もにこにこ応じる。
 さて。

 改めて直訴状を畳の上に広げる。持ってきたのが和装の宇宙人だから当たり前ではあるが、結構高そうな和紙に墨痕黒々と「宇宙共通文字」が書かれている。
 内容は前にも紹介したが、掻い摘んで説明すると。

「とある惑星の宇宙人が、とある惑星から来た宇宙人に捕獲され食べられている。弱肉強食は自然の掟ではあるがどちらも高度な文明を持つ知的生命体だ。
 倫理にもとるとさらに別の惑星から来た宇宙人が捕獲を阻止せんと企み、それを自然の理に外れると諌めるまた別口の宇宙人と戦争状態に入る。
 この戦争を支援しようとする宇宙人有り、劣悪な兵器を売りつけてぼろもうけしようとする宇宙人有り、詐欺商売許さじと全銀河的警察機構が介入するは、公権力の介入を許さじと抵抗する左翼宇宙人が居るは、
 挙句の果てには宇宙戦争による周辺環境の破壊を止めようとすべての宇宙人を絶滅させんとグリーン星人が、

「みのりちゃん、もういい。もういいんだ。」

 鳩保は一生懸命宇宙共通文字を解読するみのりを止めた。残りをざっと数えても40種類の宇宙人がこの戦争に関与する。
 こんなものどうすればいいんだ……。
 物辺優子は澄まして言った。煙草なんかは吸わないが、長キセルが実によく似合いそうなくだけた風情。

「最初の二つを皆殺しにすればいいんだ。」
「いや優ちゃん、それはさすがに話が違う。」
「でも実際そうなのよね。この二つの種族をどうにかしないと、他の戦争は止められないわ……」

 花憐、自分が受け付けた直訴状だけあって真剣に考える。
 みのり、素朴な疑問を投げ掛けた。

「でもさ、宇宙人てそんなに美味しいのかな?」
「知らん。」

 

PHASE 148.

「私に聞かないでくださいよ。そんなもの食べるような低レベルな存在じゃないんですから。」

 三組の教室。童みのりは同じクラスで学ぶしゅぎゃらへりどくと星人の戦闘用人型端末「縁毒戸美々世」に尋ねてみる。
 黒髪縦ロールのお嬢様風魚肉ソーセージ製合成人間は、にべもなく回答を拒否した。
 高等宇宙人というものは高次元空間内にバーチャルデータとして存在し、元の肉体をとうの昔に失っている。
 生物同士の捕食行動など原始時代に廃れた風習に過ぎないのだ。

「誰に聞けば分かるの?」
「うーんそうですねえー、食べると言っても種族によって理由は様々ですから一概には。たとえばあなた方の所に居る生首も、地球人を襲って身体を乗っ取るじゃないですか。」
「あー。」

 ろくろ首星人「天空の鈴」こと舞 玖美子さんは、物部神社の森の中でふわふわと漂って暮らしている。
 よくよく考えてみれば、あいつらも他の惑星の宇宙人を捕獲するインベーダーであった。
 しかし彼女は人間は食べない。人間が食べた栄養を奪取する為に消化器官ごと乗っ取るのだ。

 そう指摘されて、美々世も考える。

「やはり当事者の宇宙人に直接聞いた方がいいんじゃないですか。そう遠くの星でもないんでしょ?」
「7000光年。」
「2時間もあれば行けるじゃないですか。」
「うん。」

 

「というわけで、宇宙に行くことになりました。」
「行けねえよそんなとこ。」

 児玉喜味子は全教科補習補講で追試験を受けねばならないから、たかが7000光年とはいえ遊んでいる暇は無い。
 嫁やらシャクティさんやら知り合いの手を借りて、猛勉強の真っ最中。
 悪いのは優子に花憐だ。無茶は言えない。

「じゃあ喜味ちゃん抜きで調べてくる。帰って対策を練ってから、またね。」
「うん。危ないことするんじゃないよ。」

 とはいうものの心配だ。出発の準備に他の4人があたふたとしている最中、神社の裏でなにやら大きなモノを作っている。

「ドラム缶?」
「宇宙船だよ、ロケットだよ。あんた達が遭難した時に助けに行くんだよ。」
「いや、ゲキロボは大抵のことは大丈夫だと思うよ。」
「念の為ね。」

 ゲキロボの株分けである。木の洞に偽装することで分かる様に、ゲキの遺産であるマイクロロボット群は「虚ろなもの」に寄生するのを好む。
 「函」であったり、「鍋」であったり、「洞窟」「家」「聖堂」「髑髏」などなど、中にモノを入れられる形態を欲する。
 だからドラム缶だ。正確には紙缶であるが、結構大きい。喜味子一人が入り込んでまだ余る。
 鳩保も優子も感心した。

「一人用の宇宙船かあ。いいなそれ。」
「もっと早く作れよお、楽しいじゃないか。」
「優ちゃんには貸せないな、危なっかしくて。」

 制御装置は梅安の首である。喜味子は迷った。梅安は鳩保らが連れて行って使った方がいいか、それともバックアップに残した方がいいか。
 しかし花憐の超能力は情報系であるから、サポートメカは要らないだろう。

『あのーわたくしも連れていってはもらえませんかね? その辺りの宙域はちょっと心当たりがありますよというか、庭のようなものでしてエヘヘ』

 「舞 玖美子」さんが露骨に媚を売る。宇宙行きたいな宇宙。
 もちろん鳩保の裁定は却下。クビ子さんがっかりだ。
 あまりに落ち込むので喜味子は慰める。

「なんだったら今作ってるこれで、そこらへんの宇宙に捨てて来てやろうか? お仲間の宇宙船が居るんでしょ。」
『いいですよ。どうせこのナリじゃ乗せてもらえないし。』

 クビ子には首の付け根当たりにゲキロボ洗濯機製の生命維持装置がしっかりと固定してある。
 彼女の種族の審美眼からすると、これがまた醜く我慢の限界を超えるものであって、上等高級な宇宙連絡船に乗せてもらえないのだ。
 地球人の目からしてももんじゃ焼きにしか見えないのだから仕方ない。

 

 土曜日。学校は休み。
 念の為食料3日分と暇潰し用品を大量に積載して、ゲキロボは起動する。相変わらずの魚の骨手足の巨人が立ち上がる。
 こんな姿を物辺神社やら近くの人に見られては困るのだが、どうやら認識欺瞞フィールドを発生しているらしく、誰にもばれないのが不思議。花憐やみのりはいつも冷や汗を流す。
 同時に紙缶の宇宙船も起動する。砲弾型の典型的な宇宙カプセルに仕上がったが、これにも魚の手足を発生させて作業が可能だ。

「いいみたいだね。」
「うん。じゃあ喜味ちゃん留守中勉強頑張って。「七夕」!」

 鳩保、優子、花憐、みのりは変身する。七夕祭りで使った巫女バージョン正義の味方のさらに宇宙用アレンジだ。透明金魚鉢ヘルメットも付いてくる。
 今回喜味子が抜けてスペースに余裕が有るために、変身後の姿もちいさく畳まなくて済む。とはいうものの、三畳一間で何日も泊まりこむのは嫌だ。

「じゃ、ちょっと見てすぐ帰って来るからねー。」
「お土産頼んだよー。」
「食べるものは無しだー」「けちー。」

 ゲキロボは炎を噴いて天空に舞い上がっていった。

 

PHASE 149.

「行ったか?」
「ああ、まっすぐ大気圏を突破したようだ。」

 

 物辺島より約2キロメートル、本土にある旧小浦小学校跡地。
 2名の白人男性が2階教室の窓を開けて、島の空にまっすぐ立ち上がる白雲を観測している。
 ゲキロボが発進した痕跡が、大気中に飛行機雲として描かれた。超高速物体の移動により真空が生じ周囲の水蒸気が凍結する。

「姿を確認したか?」
「いや。やはり光学偽装がなされていたと思われる。発射音も無いから、よほど上手くに大気への影響もコントロールしたのだろう。」
「ではあの雲は何だ。」
「ほんの徴、というところかな。まったくに跡形も無く飛んで行ったら寂しいとでも思ったのではないか。」

 二人ともに物理的に正確な情報を得ていないから分析も憶測だ。
 彼らの周囲には多くの観測機器とノートパソコンが数台設置されているが、いずれも数値に変化を示さない。目の前に立ち上がる雲の柱でさえ、ビデオカメラには青い夏空のみが映っている。
 ゲキの技術の魔法的な力にただ驚くしかなかった。

「上からの情報で、彼女達が近々他の恒星系に飛行すると教えられていたから、今回観測出来たのだ。事前情報無しでは感知は無理だな。」
「アメリカが提供する異星人技術のセンサーというのは何時配備になる?」
「明日。いや、これから夜に掛けて設置して使えるのが明日。残念だな、発進に間に合わなかった。」

 ゲキロボパイロットのお披露目を経て、NWOでは正式に物辺島周辺に観測基地を設置した。
 あまりに近いと宇宙人に攻撃される恐れもあるので、少し離れた小浦小学校校舎を用いる。
 ここは12年前までは使われていた施設で、鉄筋コンクリート2階建ての標準的な学校建築。状態も良好、やろうと思えばそのまま復活出来る。
 物辺島の子供達は廃校まではここに通っていた。残念ながら鳩保らが一年生になる前に潰れたが。

 周辺は田圃や畑が多く、また海も近く開けた土地がいくらでも有る。廃工場や会社の建物も少なくない。
 にも関わらず学校を拠点に選んだのは警備の関係。宇宙人に敵性施設と思われては困るので、開けっぴろげにしたのだ。
 護衛の戦力は周辺の倉庫等に伏せている。緊急時には集結して基地を守るが、平常はまったくにのどかな風情を見せねばならぬ。

 なにせ宇宙人はきまぐれであるから、明確にこちらの意図を発信しないと理解してくれない。
 決して敵対的な基地でないと、わざわざ子供用施設を使って表現する。ここまでしなくてはならなかった。
 故に狭い。いや小学生サイズで小さい。観測員は、そんなことはないのだが常に頭を天井にぶつけそうな気がして戸惑っている。

「もう少し内装を変えるわけにはいかないのか?」
「しばらくは我慢だ。いずれ本格的な観測基地が建設されるだろうから、それまでここをこのままだな。」
 ありがたいことに校舎屋上には小さな天文観測所が設置されていた。二人の最初の仕事は、ここに光学機器を設置し物辺島に向ける事だった。
 下の階では作業員が各種ライフラインの再整備を進めている。電気電話ガス水道、特にトイレは必需品だ。また大電流に耐え得る設備に交換しなければならない。

 計画ではこの観測所には常時13名の要員に4名の警備が常駐する。またNWO諜報員の各種機材の補充修理も受け持つ。
 ただ建物を破壊や改築してはならないので、主要な機器は車載したまま校庭に駐めていた。
 最重要なのが衛星アンテナを有する通信車。軍事用の第一級の装備であり、ギガビット級のデータを瞬時に転送する。
 物辺島で発生するすべての物理現象を観測し他の研究所で解析する為であるが、今のゲキロボ発進では無力をさらけ出した。
 やはり宇宙人技術によるセンサーを早く稼動状態に持ち込まねば。

 携帯電話が鳴る。男の片方が出て報告を受ける。物辺島に滞在する連絡員からだ。

「……分かった。
 光学偽装機能が解除されて、モノベ神社の御神木のウロが消失したそうだ。」
「継承者は全員が地球を離脱したのか?」
「1名、コダマ・キミコ嬢だけが残っている。ハイスクールの追試を受ける為に猛勉強の最中で地球を動けないらしい。」
「追試、か。うん……。」

 世界を裏で支配する組織機関の要員だ。誰もが優秀で、追試の憂き目に遭った者など皆無。喜味子の苦悩は彼らには理解出来ない。
 だが彼らこそが喜味子の下に付き、古代宇宙人ゲキの超技術解析に当たらねばならぬのだ。
 知能レベルが違いすぎると会話が成立しない。研究はとんでもない困難が予想された。

 

PHASE 150.

 校庭が騒がしくなる。
 計画通りにアメリカが供与する宇宙人技術を用いたセンサーが到着した。トレーラーに載せられたコンテナまるごと1個がそれである。

 元が小学校であるから、こんな大きな車両が入るようには出来ていない。既にフェンスを取り払い、校庭への道も整備して外の幹線道路から素通りになっている。
 本来であればコンテナを地上に下ろすべきだろうが、このままトレーラごと置いておく。
 もちろん防秘の為、緊急時には貴重なセンサーを脱出させる。要員の安全よりも優先され、米軍特殊部隊から派遣された常駐1個小隊が500メートル先の飼料工場跡地に陣取っていた。

 これは宇宙人対策ではない。実のところ警戒すべきなのは人間、地球人である。
 宇宙人より供与された技術は、必ずしも全人類で共有されていない。或る国のみに許された技術は、他所から見れば垂涎の的。機会が有れば奪取する為に実力行使も厭わない。
 NWO加盟国同士であっても警戒せねばならぬのだ。参加を許されないアンシエントがいかなる暴挙に出るか。
 いや、争奪戦を感知した宇宙人達がどう判断し対処するか。場合によってはNWO自体がゲキに悪影響を与えるものとして、排除に掛かるかもしれない。
 予断はまったくに許されないのだ。

 随伴して来た普通自動車、今(2008年)流行のトヨタプリウスから女性が1名降り立った。
 白人でサングラスを掛け、髪が赤い。アメリカ政府関係者であろうが、ただの事務屋には見えなかった。科学者、諜報員や軍関係者とも思えず、正体が容易に知れない。
 気配が違うのだ。情景に馴染まない。
 夏の日本の風景に外国人作業員多数というのも変だが、それでも彼女は例外に感じられる。
 まるで、宇宙人のようだ。

 2階から見下ろす二人に気付き、手を挙げる。責任者はどこかと尋ねた。
 あいにく統括責任者は未だ到着しない。というよりも、ここには来ない。物辺村のもっと近くに民家を借りて、直に肉眼での監視を行う。
 仕方が無いので男達は急いで降りていく。子供用階段は妙に段が多く、転びそうになる。
 彼女はハンドバックからIDカードを取り出して確認させる。

「USA連邦宇宙人対策機構地球外技術観測室のミィーティア・ヴィリジアンです。」
「地球外技術センサーの使用許可は、貴女に申請すれば使える規則になりますか。」
「はい。ですが通常帯域のデータはフィルタ無しに出力されますので、解析に許可は必要ありません。」
「それは有り難い。」

 観測員は彼女は神経質そうだな、と感じた。常の人間よりも感受性が高く、また超感覚の一つでも持っているのだろう。
 話には聞いている。宇宙人から与えられた技術を用いて人間を品種改良したり、宇宙人が残した遺伝子を組み込んで地球人とのハイブリットを作ったりと、20世紀には様々な蛮行が行われた。
 彼女は実験体の一人なのだ。

「通常帯域とは、仕様書Bに記される、」
「はい電磁波、超長波からガンマ線までの帯域と各種宇宙線、ニュートリノ及び空間歪曲です。」
「重力波を検出できるというのは、確かですか。」
「宇宙人の科学では重力波とはいうのは正しくないようです。物質波と訳すのが推奨されています。質量に由来しない空間の歪曲を彼らの技術は多用しますから。」

 Pi、と彼女の携帯電話が音を発した。振り返ると、トレーラーの定位置への駐車が終了してケーブルの接続が開始されている。
 開いて液晶画面を確かめて、言った。

「ゲキ・サーヴァントの発進時のデータを移動中でも観測していました。そのデータの転送準備が可能になったようです。」
「おお!」

 男たちは再び観測室に取って返す。ノートパソコンを叩くと、新たにアメリカ合衆国提供のデータチャンネルがアクセス可能となっている。
 女も後から部屋に入ってきた。眉をしかめる。
 小学生が学習をしていた狭い教室に雑然と展開される電子機器。無秩序に這うケーブル。梱包の段ボール箱も隅に重ねているままだ。
 そんな不機嫌に気付きもしない彼らは、液晶ディスプレイに釘付けになり叫ぶ。

「凄い! この物質波データはまったく予想外の数値を示している。」
「なんということだ。地球全体を歪めて、宇宙まで跳ね返して発進したのか。熱放出しないはずだ。」
「赤外線に一箇所だけピークが有る。雲を作ったのはこれだな。やはり雲を作りたいから作ったんだ。」

 まるで新しいおもちゃをもらった子供のよう。だが歓喜するのももっともだ。彼らの機密レベルではこれまで開示されなかった技術、データなのだから。
 あんまりにもはしゃぐので、女は邪魔するのを悪く感じて声を掛けるのを後にする。
 本来は彼らとは別のセクションに彼女は属する。ゲキロボ本体ではなく、ゲキの力の継承者に接触する宇宙人の監視・実態調査が任務なのだ。
 先月使ったポータブルサイズの宇宙人探査レーダーはまったく役に立たなかった。結果を受けて、アメリカ政府も宇宙人技術の投入を決断。センサー一式を軍用輸送機に載せて日本まで送り届けてきた。

 まだはしゃいでいる。地球大気圏を脱出した後に超光速航法に転換したところまでセンサーは記録したから、データの理解に様々な憶測を飛ばして議論する。
 女もいつまでも付き合っては居られない。聞かずともよいと、大声で宣言する。

「このセンサーは38時間に1回18分機能を停止します。自動で再起動しますが、どうしても動かない場合は私を呼んでください。」
 男達はっと振り返る。今なにか、すごく大事なことを言われた気がする。
 女、もう一度繰り返す。

「再起動に失敗した場合の回復手順は私にしか出来ません。資格の問題ではなく特殊能力だからです。必ず呼んで下さい。」
「センサーの状態維持は自動制御機能が働くのでは?」
「働き過ぎれば疲れて寝ます。時々寝坊する事があるのです。人間の声では起きませんから、私にお願いします。」

「生物、ですか。センサーの心臓部は、」
「擬似生命体です。電流だけで生きていますが、そういうものです。だから他の擬似生命体は決して近づけないでください。宇宙人および合成宇宙人も同じです。」
「それはもちろん。ですが、ならばこの環境は良くない。」
「はいそうです。」

 やっと主導権を得られそうになり、女は微笑む。ここに来て初めての笑みだ。

「お掃除してください。トレーラー周りはもちろん、データが通じる端末の付近も。繊維形態のゲキ・サーヴァントが接触しないように。」

 ここは物辺島にかなり近い。人の出入りも頻繁で、物辺島の砂埃が何百年にも渡って蓄積する。
 当然島には無数に居るゲキ虫も運ばれて来た。密度は低いが1アールに1匹は確認出来るだろう。

 ゲキ虫はセンサーの敵なのだ。

 

PHASE 151.

 ゲキ虫とはゲキロボあるいはゲキ・サーヴァントと呼ばれるものを構成する最小単位で、全長1センチ太さ1ミリのX形をしている。ゆったりとカーブを描くX染色体の形とした方が正しいか。
 材質は鉄とシリコン。ただし機械の構造も電子回路も存在しない、のっぺりとした一様な物質の糸だ。
 本当は材質はなんでもよく、その環境に最も豊富な物質を用いて同じ形の物を作る。だから金属や有機質、氷であったりもする。
 どうせエネルギーフィールドで運動するのだから、形さえあればいい。

 一応はロボットであるから自律して行動が出来る。移動は二足歩行でも四足でも可。空を飛ぶのも水を泳ぐのも地に潜る事も容易くこなす。
 だが1センチの身体では大して意味の有る行動は取れない。このロボットの真価は多数集合した時に見られる。
 つまり、結合して大きなロボットを作るのだ。ゲキロボを解体してみると、どこを取ってもこのゲキ虫が規則正しく結合する姿が見られる。細胞、いやキノコの菌糸に似て繊維状に並ぶ。
 故にNWOでは「繊維形態のゲキ・サーヴァント」と呼んでいる。

 10メートルにもなる巨大なゲキロボを本体と考えると只の構成材料に過ぎないのだが、ゲキロボのライフサイクルを考えると話は異なる。
 ゲキの力の継承者が見つかり使役を受けるのは例外的な時間であり、通常は大型の形状を必要としない。ゲキ虫の形で環境中に散在するのが常態と言えよう。
 何の為に。
 それは、本来の主人である「ゲキ」を広い恒星間宇宙で探す為。惑星に降り立ってゲキと同じ形状の知的生命体を探す為だ。
 ゲキロボは大型ロボット形態で宇宙を移動し、ゲキの生存環境に適した惑星を見つけると大気中に突入して自らを構成する部品を地表に振り撒く。
 ゲキ虫と化して隅から隅まで主を探し求めるのだ。

 目的がそうだから、とにかく大量に存在する。地球においても隈なくばら撒かれ、また自ら歩いて拡散を続けている。
 寿命も長い。そもそもが生命体ではないのだから不死であり、生殖ではなく形態の転写によって増殖する。材料さえあれば瞬時に数兆個を複製し、大型ロボット形態を構成する。
 というわけで、ホモ・サピエンスを見出すまで彼らは地球に留まった。地球到着から1千万年はゆうに掛かったはずだ。
 だが地球人をマスターに選んだのはわずか2万数千年前のことである。

 NWOの調査隊が古代人の遺跡を発掘して確認した。いや、21世紀から探索を始めて長年の研究の結果、見出した。
 2万年、人類が文明と称するに足る活動を歴史に刻み始めてようやく、ゲキロボは許可を出したのだ。
 NWOでは彼らを「古代英雄人種」と呼ぶ。只の人間ではなく、自らを選んだ者として高い尊敬を捧げる。現代文明の雛形を作り、イメージとして文化に固定させた。
 「神・精霊」「超能力」「善悪」「死後の世界」「世界の終末」「宇宙」「塔」「都市」「戦争」「文字」その他抽象的概念の多くが、彼らによって編み出された。
 想像力だ。実体が存在しない事物を自らの想像力によって構築し、発展させ、組み合わせ、精密化し、秩序立てた。
 のみならず想像力を持たない人間「民」に対してもイメージの共有を成功させる。
 それまでは出来なかったのだ。人類は必然として知性に目覚めたわけではなく、文明の最初の一歩を一群の天才によって導かれた。

 ゲキロボも彼らに惹かれた。彼らのイメージを物理的に実体化する手助けをする。
 何人もの「古代英雄人種」がゲキロボに乗り、奇跡の王国を打ち立てる。幻影を空中に描き出し、神話を自ら編み上げた。
 だが永続的なパートナーには遂にならなかった、と調査隊は結論付ける。
 彼らは想像力の天才であり、豊かなイメージの海に暮らしている。それに比べるといかに超絶的な宇宙人科学による実現だとしても、現実はあまりにもみすぼらしかった。
 いや、最重要のパーツが欠けていた。「民」だ。
 彼らは自らの異常である事に自覚的で、本来の人間社会は想像力に劣る「民」によって構成されるべきと考える。
 ゲキロボが創りだした現実の奇跡に、「民」は適応出来ない。「文明」を受容出来る段階にまで進歩していなかったのだ。
 「古代英雄人種」はゲキロボを退け、再びイメージの中に生きる。そして自ら姿を消した。

 彼らの偉業はもちろん彼らの思惑の通りに「民」達に受け継がれ、古代文明の急速な立ち上げとして結実する。「国家」が生まれ「宗教」が人を支配する。
 だが新しく人類の主役となった「王」達もゲキロボを受け入れなかった。「古代英雄人種」の記憶が未だ生々しく、それは「神人」にのみ許される境地だと忌避された。
 時折変わり者が現れてゲキロボを駆るが、意味有る事には使わない。
 ゲキロボを力として用い始めるのは、神への畏れが薄れ人間自らを世界の頂点と崇めるようになって以後。

 つまり、現在だ。

 

PHASE 152.  

 児玉喜味子は鳩保らを宇宙に送り出すと、自分は街に出ていった。嫁子と図書館で勉強をする約束がある。

 追試に向けての猛勉強に個人教授として嫁子とシャクティさんを動員したが、カバー出来る科目がまだ足りない。
 やむを得ず禁じ手とも呼べる手段を選択した。
 男、である。
 元々喜味子は男子に案外と人気が有る。妙な話だが、容姿の醜さにも関わらず誰にも嫌がられずに普通に付き合えるのだ。
 不思議ではない。
 喜味子は手先が器用で幼少より様々な機械物を分解してきた。いやでも知識は増え、車両や武器にまで興味が及ぶ。
 男子の趣味にまともについていけるから、話も弾むわけだ。

 さらに言えば、男子は元々怪獣やら怪人、恐竜、昆虫に親しみが深いものだ。奇妙な形状の生き物がお友達である。
 そういう観点からすれば喜味子の人間離れした容姿はむしろ面白い!
 180度ぐるっと回って、壮観奇観に見えてくる。ひょっとすると正視している内に脳内に別の審美眼が生まれたのかもしれない。
 ともかく嫌がられないのだ。

 妙な現象である事は喜味子自身も気が付いた。理由を考える。

「そもそもが美醜の評価というものは標準となるものとの対比によって生じ、自らが理想とするものとの格差を認識する時に人は絶望を覚え、劣等感を有する。
 つまりは脳内にある自己のイメージと現実の肉体とが異なるが故に、人は容姿で悩むのだ。
 しかし私は、自己のイメージと現実の肉体の認識との差を持たない。持てない。
 鏡で見る姿はあまりにも圧倒的で幻想の入り込む余地が無く、為にイメージと現実の齟齬を来さず精神に軋轢が生まれずのほほんと肯定していられるのだ」

 自分がびびらないから他人も変に思わないという仮説を立ててみたが、嫁子と鳩保に話してみると言下に否定される。
 普通の人間にはそんな事は不可能なのだ、と説かれた。他人と比べる事を放棄するなどあり得ない。

「喜味子は肝が座っているのよ。」
 嫁子は言う。
 簡単な説明だが、こちらの方が真実を衝いていると鳩保も同意する。二人が言うなら、たぶんそうなんだろう。

 また物辺優子は言った。
「あんた、いじめられた事無いからね。」

 喜味子は見た目あんまりにも怖いから、たしかに誰にもいじめられた例が無い。それどころか、いじめられてる子を救いに行くのも何度もやった。
 というか周囲と軋轢を生じて状況を作り出すのは、派手で横柄な鳩保芳子だ。
 ぽぽーが問題を起こすとなぜか喜味子が参加する羽目になり、なんとなくなんか片付いている。
 喧嘩はした。が、いつも勝っている。運動は苦手だが絡みあって地面に落ちて寝技ステージになると、いつの間にか勝っているのだ。
 手先の器用さの勝利だ。

 

「なんだかよく分からないが、得なのだろうか?」
「損はしてないんじゃないかしら。」

 嫁子の言葉にうなずくしかない。

 さて、男だ。手が回らない科目は男子に助けを求め、物好きが教えてくれる事になった。有り難い。
 とは言うものの、なにせ全教科赤点だ。教える方にも長時間の迷惑が掛かる。
 義理堅い喜味子はただ働きさせるのを心苦しく思い、なにか御礼をせねばと悩む。
 頬っぺにキスでもしてやれば気絶して喜ぶだろうが、さすがに嫁子が許してくれない。
 そこで肩などモミモミしてあげた。

 効果はてきめん。ぎゃーと叫んで逃げ出した。
 痛かったわけではない、気持良かったのだ。瞬時に意識が飛びそうになり、生存本能が緊急事態を告げ急速離脱を敢行する。
 このまま身を任せたら多分後戻りの出来ない身体になってしまうだろう。脳内に怪しい快楽回路が形成されてしまう。

 それだけはやめてくれ、と懇願され喜味子は断念した。仕方がないからおべんと作ってきて皆に振る舞う程度で留める。

 で、今日は土曜日。嫁子と市立図書館で勉強する。
 喜味子が男子に構うのは、嫁としては容認し難いものがあったのだろう。だから今日は二人きり。

 

PHASE 153.

 頭が悪いものはどうしようもない。頑張って勉強したがなかなか理解が進まない。
 ぶっつづけ4時間はさすがに堪えて、休み時間というか遅い昼ごはんを食べに行く。
 図書館の学習室を出た二人は、だが嫁子が周囲をきょろきょろと見回す。

「なに?」
「なにか、尾行というか監視されてるような気がする。」
「そりゃあ下手な尾行だな。」

 喜味子は当然気付いているが、NWOの監視チームが3組自分の周りをうろついていた。今日は他のメンバーが地球に居ないので、喜味子を見張って仕事するふりをしているのだろう。
 魚肉人間による尾行も有る。巨大なナマズの顔があからさまに覗いているが、認識欺瞞機能により喜味子以外には感知されていない。
 無害っぽいから放って置くと、いつの間にか他の魚肉人間が来て片付けて行ってくれた。魚肉バトルは今も実施中。
 で、嫁子に気付かれる間抜けな素人はと言えば、

「アンシエントだな?」

 宗教関係者特有のむやみと張り詰めた気配が隠れていてもひしと感じられる。超能力なんか使わなくてもバレバレで、こいつスパイ失格と笑ってしまう。
 無論、愉快ではない。特に連れの嫁子はまったくに普通人だ。尾行や張り込みを彼女の周辺でやられては、安全が保てない。
 排除すべきであろう。

 しかし考える。これは人だ、宇宙人ではない。
 地球人相手であれば酷い事をするべきではないだろう。たとえ狂信者であろうとも、人権は尊重しなければならぬ。
 もひとつ言えば億劫だ。誰か代わりにやってくれないかなあ。

 テレビの神様の言葉を思い出す。「人間相手の揉め事であれば、自分たちNWOを使え」と。

「ああ、これ人間相手だわさ。」

 そうだ、代わりにやってもらえばいいんだ。
 喜味子は周囲をくるくると見渡して、手を振り、怪しい踊りをした。
 ブロックサインでNWOの監視チームの一つに合図を送る。口パクで言葉を伝える。

『変な尾行者を排除してください』

 メッセージが届いたか不安であったが、しばらく経つと動きが有る。
 監視チームは自分たちの存在が露見していると悟ると正体を隠すのを止め、公然と陽の下に出てきた。
 そのままアンシエントの尾行者に近付き、職務質問。無論彼らは警察官ではないし日本政府の公務員でも無いのだから明らかな越権行為であるが、アンシエントが相手であれば容赦無い。
 多少の抵抗があったようだが沈黙させ、黒塗りのバンに押し込んでどこかへ運んで行った。
 監視チームはまだ2組有る。そのまま任務を続行している。

「尾行、無くなったよ。」
「え、ええ。うん。だいじょうぶかな?」

 アンシエントの人はだいじょうぶではないだろう。NWO風のきつい尋問をされる。
 ひょっとしたらCTU風の尋問かもしれない。南無。

 

 二人は近所のコンビニでパンとおにぎりを買い、ベンチで昼ごはんを取った。ちなみにこの公園は6月に三年生の相原志穂美先輩が猫男を退治した所だ。
 喜味子の状況は飯食ってる時間も惜しい切羽詰まりよう。食べながら勉強を続ける。
 ひとしきり食べ終わり教えて、嫁子はため息を吐く。

「数学と英語ね……。」
「うん……。」

 なにせ全教科追試だ。効率の良い学習をしなければならない。突貫で詰め込んでなんとかなる暗記物が優先される。
 でクリアしそうな科目に時間を割くと、必然として最も苦手なものが残されるわけだ。
 喜味子天を仰ぐ。

「追追試覚悟しなくちゃね。」

 これもまた計算の内だ。そもそも数学と英語はちゃんと勉強しても追試が見込まれていた。さすがに3度もテスト受ければなんとかなるだろう。
 再び図書館に戻ってくる。ここは近隣で唯一つの図書館だから、少子化の現在であっても勉強に来る学生が少なくない。
 荷物を置いての場所取りが許されないルールになってるから、戻ってみても席は空いてなかった。
 仕方なしに階下の新聞読書室に移る。ここは勉強禁止ではあるがまあ、そこはそれなんだ、人居ないし。

「おや?」

 喜味子は新聞の隣に並ぶ雑誌の棚に目を止めた。英語の学習誌である。裏表紙に見知った男の顔が印刷してある。
 嫁子も覗き込む。

「……暗号?」
「アナグラムだね。」

 文字を入れ替えて文章の意味を取れなくする暗号手法。クイズの懸賞だ。50文字もあるからちょっと大変。
 しばらく無秩序に並ぶ文字列を眺めていた喜味子はノートを1枚引き抜いて等間隔に写していく。嫁子が持っていた可愛らしいハサミで文字をばらばらにすると、新聞を読む為に置かれている広い机に並べる。
 アルファベットの白い紙片が、50枚。
 喜味子は左右の指を奇妙に揺らめかせ、紙片をちゃかちゃかと入れ替える。速度は雷の如し。

「でけた。」
「……、なんでこれが出来るのに、英作文できないのー。」

 見事に英語の文章が浮き上がる。いや、最初から答えを知っていたのだ。ただ指の運動をしたかっただけで、それに頭より指先の方が賢いし。
 元の英語学習誌の裏には、赤い服を着た禿頭の初老の男性が微笑んでいる。

 

PHASE 154.

 宇宙、そこは久遠のワンダーランド。地球人の想像を絶した未知の文物が転がっている。
 7000光年は2時間のすぐと美々世は言ったが、実際問題としてそれほど近いわけではない。
 いや件の惑星自体は7000光年なのだが、戦場は周辺100光年のエリアに広がり、まあ賑やかなものだ。
 混乱を避ける為に迂回や低速航行するから、結局5時間も掛かる。

 運転している花憐は呆れる。

「宇宙って、まっすぐ飛んじゃいけないんだ。もう嫌になるわ。」
「仕方ないじゃないか、超超光速航法てのは周辺重力場への影響が大きいんだから。」
「でも、だって、そんなのおかしいじゃない。ただまっすぐ飛ぶだけなのよ。」

 そうなのだ。ゲキロボはただ飛ぶだけで、重力変動もマクロでは問題無いレベルに抑えている。10メートル至近の石ころ一個だって震えない。
 だが微小な変化は波として広がり、この近辺に集う技術レベルの低い宇宙人の機器を破壊してしまう。
 マイクログラビティイハウリングと呼ばれる、重力偏向機器を近隣で多数使うと発生する公害だ。もちろん防止する技術は有るのだが、ゲキロボには装置が付いてない。
 というか、乗ってない。喜味子が居ないとそれは出来なかった。

 物辺優子は花憐が周囲を気にするのがおかしくてしょうがなく、さっきから笑ってばかりだ。

「だって、だってさ、別に他所の宇宙人の機械が壊れたってあたし達に関係ないじゃないさ。」
「そういうものじゃない。そうじゃなくて、環境問題よ。騒音よ。迷惑かけちゃいけないでしょ。」
「だからー、宇宙は弱肉強食なんだったらあハハハ。」

 

 なんだかんだと騒いでいる内に、目的の惑星に到着。捕食される方の宇宙人の星だ。
 衛星低軌道から地表を観測すると、居た居た。知的生命体が町を作っている。シムシティみたいだ。

 この星は「コグロモト・カテノキタラマ・メゾトント」通称「メゾト」と自らを呼ぶ高等生物が霊長であり、高度な文明社会を築いている。
 体高10メートルの四足歩行生物、足の短いキリンと考えると良い。ただし、表面が昆虫の甲羅のようなクチクラで覆われてらてらと赤く陽を照り返す。

「メトロン星人ぽいんだね。」
 童みのりが操縦室中央のテーブルに置かれる14インチブラウン管テレビで見て、小さく零した。
 頭が大きく目も大きく尻尾が二股で甲殻類ぽい、地球人の感覚からするとあんまり気持ちよくない生物だ。
 手は無い。作業肢を持たないが口から伸びる長い舌が器用で何でも出来る。機械を作り操作する。

 文明の程度だが、鳩保正直なところを述べるしかない。

「冷静客観的に分析すると、この星はー、地球より文明ずっと進んでるね。」
「うん……。」

 この惑星が属する恒星系には、同等の岩石惑星が他に3つ有る。いずれも環境を改変して「メゾト」が移住していた。
 超光速航行技術こそ持たないが、地球の科学技術よりざっと500年は進んでいるだろう。

「芳子ー、こんな連中の手助けを地球人ごときがやっていいものかな?」
「う、うん。そうだね……。」

 コンピュータももちろん持っているわけで、ゲキロボがハッキングして解析した結果、彼らの文明の特徴が判明する。
 彼ら「メゾト」は元来屍体処理生物スカベンジャーだ。積極的に狩りをしたりせず、他の生物の死体を探して腐肉を食べている。
 高度文明を持つ今も性質は変わらず、屠殺という習慣が無い。
 家畜を飼っているが、大事に丁寧に扱って寿命で死ぬのをじっと待つ。そういうおとなしい気長な生物だ。

 だから戦争なんてものも無い。文明は戦争によって発展した、とは歴史家のよく宣うところだが、この星は例外。
 でも武器は有る。彼ら自身が捕食される存在でもあるから身を護らねばならない。

「花憐ちゃん、どうもこいつらには非は無さそうだね。」
「そうね。やはり捕食する側を止めるべきだわ。」

 

 軌道を離脱したゲキロボは恒星系内の宇宙文明を見物して回る。
 ご多分に漏れずここにも小惑星帯が存在し、中に多数の金属反応が有る。おびただしい数の宇宙船の残骸だ。
 捕食行動を阻止しようとするお節介な宇宙人を阻止しようとした他所の宇宙人の戦争の跡だが、ざっと数えて20種類の別口の文明の産物が浮いている。
 その中で活動中なのが「メゾト」の宇宙工作船。異星文明の宇宙船を回収して解体し、再利用する。
 つまり彼らの文明が宇宙的に進歩したのは、ゴミ拾いの成果なのだ。
 元がスカベンジャーの面目躍如たるものがある。

 鳩保またしても考える。
 ひょっとするとこの文明は、自らを餌に他所の文明を誘引して科学技術を収集するという、あざとい戦略を使っているのではないか。
「ひょっとすると、止めちゃいけないんじゃないか、な?」

 

PHASE 155.

 宇宙、そこは夢幻のネバーランド。めくるめく星々の煌きが時間の流れを忘れさせる。
 次に訪れたのは捕食者の方の惑星。「メゾト」の星から7光年の至近に有る。

 水惑星だ。恒星系5番目と遠くにあるが結構温暖で全球を海が覆っている。
 でも陸地はある、浮島だ。サンゴのような生物が固まって巨大な島を作っている。が、ここには目的の知的生命体は居ない。

 この惑星の支配者は名を「ベテルテン・ワォグ・テュマ・シュテルトレアレテアネン・ケパ・シュベルレネオ・ッスススミソ・チュゴレネ・クトルマ・ニト・スミト・ボロフェゲレゲエイテンカポ・クル・シネオ・ゴボロスブ・クバルカ」と言う。
 意味は「この宇宙で最も美しく賢く雄々しく猛々しき、天空の神々といえども我等を見れば嫉妬する、異性にモテモテの俺達に敵う者が居ればいつでも挑戦を受けるぞ、えっへん」だ。本当はこの5倍賛辞が続くが、公式のメディアではここまでで自重する。

 物辺優子は即座に「こいつらクバルカね」と命名した。
 体長8メートル、形状はウチワエビである。ヒレが20枚以上もあり、手足が無い。尻尾のヒレ群がアコーディオンのように開いたり閉じたりして移動する。水中のみならず浮島の空気中陸上でも呼吸・直立歩行が可能だ。
 この星の生態系は面白く、クバルカ以外の動物種が無い。大きいクバルカ、中くらいのクバルカ、小さいの、もっと小さいの、昆虫くらいの、ミジンコくらいの、と全部同じ形状をしている。
 考察するに、この惑星は一度動物がほぼ全て絶滅し、クバルカのみが生き残ったわけだ。その後適応放散をしたが形状の変化を必要とせず、クバルカばっかりの世界が生まれた。
 もちろん植物は存在する。

 知的レベルは高く、水中に立派な都市を築いている。見るからに未来都市だ。
 宇宙船も水中で作ってそのまま飛んでいく。浮島上にはかっての宇宙船基地の遺跡があるが、これは水中からの脱出が技術的に不可能であった時分のものだろう。
 彼らの宇宙船は超光速航行機能を持つ。速度は40Cで遅いが、7光年先に行く分には問題無い。
 名前が派手な分戦闘的ではあるものの、彼らは異星生命体との戦争をやったことが無い。同族同士で宇宙戦争をして技術を伸ばしてきた。

 で、肝心の「何故メゾトを食べねばならないか」だ。彼らの文化を見てみよう。

「……大阪みたいな文明ね。」

 賑やかで華やかで景気良い、とても楽しい街を作っている。クバルカは喧嘩っ早くて議論好きで、酒の代わりに酢で酔っ払いながら通りでクダを巻いている。
 議論の対象となるのが「メゾトの食べ方」だ。単なる好事家美食家のみならず、一般市民も芸術家科学者政治家までもがこぞって議論に参加する。
 テレビに相当するマスメディアの放送で著名人がメゾトの料理法で口論となり喧嘩に発展して殺人事件を起こしてしまったが、双方の支持者の間では熱狂的に称えられ、刑事事件にもならなかった。
 政治家が国会で犠牲者を国家的英雄として追悼するくらいだ。
 それほどまでにメゾト中心に物事が動いており、メゾト捕獲の為であれば国家予算の浪費も厭わない姿勢だ。

 無理も無い。
 彼らの惑星にはクバルカの同種の動物しか存在しない。どれを食べても同じ味がする。
 肉といえばクバルカ、それ以外の味覚が有るとは考えもしなかった。

 ところが宇宙船を作って隣の恒星系まで行ってみると、まったく見たこともない変わった形状の動物が暮らしている。
 食べてみると。

「美味しかったわけね。」
「美味しいんだろうね。」
「そりゃ美味しいさ。」
「うん。」

 味覚に革命が生じたわけだ。もはや後戻り出来ない、メゾト抜きでクバルカの文化文明は成立しないところにまで突き進む。
 ヤメロと言われても困惑するだけだろう。
 他の恒星系に出向いて別の生命体を採集してみたが、メゾトほど美味いと感じる生物は居なかったらしい。
 代用は無い。

 鳩保考える。

「説得は無理だな。」
「そうね、これをやめさせるには皆殺ししか無いわ。」
「殺せばいいじゃん。」

 優子の無責任な言葉に鳩保目を猫のように細める。

「そんな義理は無い。」
「ごもっとも。」

「メゾトの養殖というのはしないのかな?」
 童みのりは漁師の娘だ。養殖という当然の発想を提示する。花憐がゲキロボの検索機能を使って調べてみる。

「初期にメゾトを生きたまま連れてきて、近隣の惑星で繁殖させてみた例があるわね。」
「ふむふむ。」
「でも美味しくなかったと100年も経たずに放棄されてるわ。成果が無かったわけじゃなくて、生体ではなく細胞を人工的に増殖させて下層階級向けの食材として販売している。
 基本的にこの惑星で「メゾト」と呼ばれるのはこれだわ。天然物はあまりにも高価で、そうね大間の本マグロの大トロ並の値段で取引されてるみたい。」
「そうか。偽物ではダメなんだ。」

「大間のトロなら普通のクバルカは食ったことが無いんだな?」
 優子の指摘に花憐は答える。

「うん。捕獲量が厳密に制限されていて、密猟者は宇宙戦艦が撃沈してる。資源は大切に管理してるわね。」
「曲がりなりにも高等知的生命体てわけだ。さーて、どうしよう。」

 考えるだけ無駄である。所詮は女子高生の浅知恵だ。

 

PHASE 156.

 宇宙、そこは灼熱のバトルフィールド。無数の宇宙戦艦が艦首を並べてビームの咆哮が静寂を裂く。
 クバルカ星を出て、近隣の宇宙戦争の現場を視察する。
 基本的にここで戦っているのはクバルカよりも科学技術の優れた宇宙人だ。100C光速をちゃんと実現している。
 だが戦場で骸を並べているのはいずれも亜光速宇宙戦艦だ。ブラックホール機関を備えた超光速戦艦はほとんど見ることが出来ない。

「どういうこと?」

 ここは恒星間宇宙のど真ん中。亜光速宇宙船なら数百年も来るのに掛かる。
 鳩保が双眼鏡で窓の外を確認する。

「この破壊され方はー、爆弾だな。核融合爆弾だ。」
「そんな原始的兵器しか使ってないの?!」
「うん……、やる気無いなこいつら。」

 つまり戦場の様相はこうである。
 超光速航行機能を持った宇宙船を母艦として、亜光速戦艦を大量に積載。戦場に到着したら発進させ、艦列を並べる。
 敵も同様に艦隊戦を挑み、低レベル技術によるマイナーな、それこそ弓槍で戦う古代の戦場を再現するかに互いを破壊し合う。

 鳩保唸る。

「チェスか将棋、いやシミュレーションゲームか。」
「実物を使った模擬戦闘、というところね。問題は人が乗っているか、」
「乗ってないみたいだよ。」

 みのりが真空に浮かぶ人型を発見する。機械が内臓としてでろりんとこぼれているから、アンドロイドだろう。

「無人操縦かロボットアンドロイド、合成人間ばっかりで、本物の宇宙人は観客席か。」
「ひょっとしたらショーとして放送しているのかも。」
「うーん、真剣に付き合うのが馬鹿馬鹿しくなるな。」
「お?」

 操縦席に座って周辺宙域を監視していた優子が、新たなる戦力の展開を確認する。2光年先だ。
 急いで飛んでいって見物する。

 宇宙母艦は味も素っ気もない箱型で、長さ100キロ幅高さ5キロ。100C超光速航行機関のみならず次元航行能力を装備して1万Cで宇宙を飛べる。
 高等宇宙人、低級宇宙人の中間に位置する、中流宇宙人と呼ぶべき存在であろう。
 ちなみにゲキロボは2時間で7000光年以上を飛ぶ。1日10万光年だ。隔絶した航行能力を持つがこれでも3650万Cに過ぎず、宇宙の果てまでは行き着けない。
 100億光年を移動しようと思えば、物辺優子の高次元沈没能力を使うべきであろう。

 中流宇宙人は超光速攻撃能力を持つ。ゲキロボとしても油断は出来ない。
 通信を交わしながら慎重に接近する。数ある宇宙共通言語で何十回も呼びかけて、反応する言語で会話した。

『あーもしもし、そちらは今から戦争ですか。』
『はいそうです。』
『面白いですか?』
『ぼちぼちですね。』
『こんなことして儲かりますか?』
『採算は度外視ですが、意外と損はしないものです。』
『敵は強いですか?』
『同じくらいですよ。どうせこんなもので戦うのですから。』
『勝敗は何で決まりますか? 武器が同じなら戦術ですか?』
『気分ですね。派手な勝ち方をしないと許してくれませんから、犠牲覚悟で突っ込みますよ。』
『許してくれる、というのは誰ですか? 国民ですか視聴者ですか出資者ですか?』
『敵ですよ。』

 なかなかに難しい。

 彼らが用いるのは、長さ150メートルの紡錘形をした亜光速宇宙戦艦だ。主砲はX線レーザー砲と装甲ミサイル、動力は核融合を補機とする対消滅機関。
 ちょっとレトロな趣きのある軽快な、地球人センスでもいい感じのフネだ。
 対するのは長さ200メートル直径100メートルのキノコ型戦艦。艦首に巨大な円形装甲板を装備する。主砲はこの装甲板正面に配置した電磁バリアを利用した核融合バスター。超ショットガンと思うとよい。
 兵力はこちら800敵500、数はキノコの方が少ないが装甲が厚い。肉薄すればショットガンでやられるが、敵は長距離砲を使わない。
 メリハリの利いたバランスの取れた戦力比だ。

 鳩保考える。
 これは戦術が難しいな。敵の後背を取るのがセオリーだろうが、800を分けると押し切られる。
 花憐が聞いた。

「ぽぽーどうする? 戦争見ていく?」
「うー、見たいけど見てもしょうがないような。」
「わたし考えたけど、問題解決の鍵はやっぱりメゾトに有ると思うの。あちらに戻ってみない?」
「うん。確かにクバルカはどうしようもないし、メゾトだな。じゃあそういうことで。」
「じゃあ宙域を離脱しまーす。」

 

PHASE 157.

「結論を言おう。とんでもない茶番だ。」
「でもメゾトが食べられているという事実だけは残るのよ。」

 メゾト惑星軌道上でゲキロボパイロットは考える。
 各勢力錯綜しての宇宙戦争は確認したが、デメリットをあまり感じられない。ちょっと見ただけでは分からない負担や歪が出ているのだろう。なにせ直訴してくるくらいだ。
 物辺優子がチョコ菓子をくわえたまま、評する。

「宇宙的にこういうのは、煙草とか博打みたいな悪癖なんでしょ。」
「無駄だしね。」
「気が済むまでいくらでも兵器を投入して破壊しまくる、壮大な無駄ね。」
「資源を浪費しているわけだし。」

「ぽぽー疑問に思うんだけど、」
とみのりが手を挙げる。手には分厚い少女漫画の月刊誌。暇つぶしの道具は沢山持って来ている。

「メゾトがクバルカに食べられなくなったとして、戦争は終わるの?」
「無理なんじゃないかな、ここまで来ると。」
「不毛だわ。」

 さすがに花憐もイライラしてくる。これは自分たちの手が届くような問題ではないのだ。そもそもどちらの宇宙人も地球人より頭良いのだから、自分達で出来ないものをなんとか出来る道理が無い。
 傲慢な鳩保が物事の方向を決定付けてくれる。

「宇宙戦争はどうでもいいのさ。メゾトが食べられなくなるだけで良しとしましょう。」
「ならいい方法がある。」

 優子は手を挙げる。

「不味ければいいんだ。」
「不味い?」
「クバルカが食べて不味ければ、もう捕りに来ないでしょ。」
「そりゃ理屈だな。」

「それって、おかあさんのおっぱいにカラシ塗るような話?」
「だね。」

 みのりのごく卑近な比喩に優子はうなずく。
 鳩保が具体的に考えてみた。

「さすがにメゾト肉にカラシ塗るわけにはいかないから、元の味が不味ければいいんだ。となると、……遺伝子改良?」
「メゾトって何匹居るの? それ全部遺伝子改良しないといけないわよ。」

 ちこちこと検索してみると、惑星上に1億匹、星系全体で1億4千万匹だ。体長10メートルの大型生物だから、惑星のキャパシティ限界と言えよう。

「うん、じゃあ蚊みたいなロボットを作って、遺伝子改良ウイルスなんか注入しよう。」
「おおー楽チンじゃん。」

 メゾトの惑星に蚊は居ない。居ても厚いクチクラ状の皮膚を貫通できない。シミュレーションの結果、長さ30センチのセミのようなロボットが適当とゲキロボは結論した。
 シミュレーションすればいいのか、とこのロボットを大量生産してばらまいた仮想実験をしてみる。失敗だ。

「……害虫駆除されてしまった。」
「そりゃそうよね。自分に噛み付いてくるムシは、それは駆除するわよ。」

 敵は高度な文明を持つ知的生命体だ。地球より科学も進んでいる。ゲキ虫を使ったロボットも難無く排除してしまう。

「もうちょっと強いロボを投入しないといけない。」
「ええ。」

 シミュレーションの結果、軍隊が出てきた。メゾトは狩られるのに慣れている種族だ。個人で対応できない外敵には軍隊が対処する。
 機動性運動性を向上させて捕まらないようにしたら、向こうもロボットを使って捕獲を始めた。勝てない。
 優子がシミュレーションの結果から、ロボット同士の格闘に注目する。

「向こうのロボットの方が頭がイイ。」
「なるほど。じゃあもっと頭のイイロボットを、」

 出来なかった。プログラムできないのだ。
 頭がイイとはどういう事か、どうあれば頭が良いロボットになるか、人工知能研究の一大問題である。ご存知の通りに地球科学では未だ自律して思考するAIすら実現していない。

「イヌだ、イヌの脳を移植しろ。」
「分かった。じゃあ前に使ったイヌと同スペックの脳を持つロボットを、」

 みのりが大好きな鳩保デザインの合成犬は、並の犬とは出来が違う。人間に匹敵する高度な知能の持ち主だ。しかし、

「負けた……。」
「メゾトのロボットはあんな高性能なAIを積んでいるのね。」

 ゲキロボの敗北ではない。これを使い命じる鳩保ら地球人類の知性の限界である。
 優子は言った。

「メゾト自身の脳と同スペックにしてみればいいんじゃないか?」
「な、なるほど。」

 シミュレーションの結果、敗北。さすがに個々のロボットの知性は突破出来たが背後で操るメゾト自身、また組織化された軍隊全体の機能に負けた。
 だいたい攻撃対象が多過ぎるのだ。そんな高度な知性を持つロボットを大量投入出来ない。
 さらに賢い知性を、という設定はさすがにゲキロボコンピュータは拒否した。それ以上は新生命体の創造に等しい。無茶な要求だ。

「どうしよう。」

 

PHASE 158.

「はい喜味子。」
「喜味ちゃん助けて!」 

 超空間通信で喜味子の首根っこ電話に花憐からの通話が入ってきた。
 用件は先に書いたとおり。

「無茶を言うな、ぽぽーや花憐ちゃんの方が頭イイでしょ。そんな問題解けないよ。」
「でもでも、なんとかしてー。」

 電話から漏れ聞こえる音に嫁子は反応した。現在喜味子はやっと空いた勉強室で特訓中。邪魔は良くない。
 だいいち図書館で電話するのはマナー違反だ。
 喜味子一人で逃げ出してトイレに行く。トイレの戸口で会話を続ける。

「えー遺伝子改造? そんなのやらなくちゃいけないんだ。」
「駄目なのよ、どうやっても防がれてしまうの。進歩した文明てのがどれほど手強いか、わたし達やっと理解したわ。」
「超光速航法を持たない宇宙人でそれなのか……。凄いな。」
「でね、どうしよう喜味ちゃん。」
「うーん、ちょっと優ちゃんに代わって。」

 花憐は鳩保の代弁者であるから、鳩保に代わっても打開策は出ない。救いが有るとすれば変態黒巫女物辺優子だ。

「優ちゃん?」
「あー喜味子、駄目なんだ。どうしても機械モノではあたし達勝てない。」
「生物兵器てのは考えてみた?」
「ダメダメ、万物の霊長てのは強いんだ。メゾトって宇宙人はおとなしい種族なんだけどね、社会システムインフラが凄いんだよ。」
「うん。」

 喜味子、シミュレーション結果を不可視の電話でダウンロードして見直した。なるほど、こりゃ駄目だ。
 しかし、軍隊か。軍隊が出てこなければいいのか。

「ゲキロボで1体ずつ遺伝子改良てのは出来るんだね?」
「それはあたしらが死ぬ、1匹10分でも14億分が必要だ。」
「代理人を立てたらどうだろう。」
「ロボットじゃダメなんだったら。」
「いや、現地人に任せるんだ。ほら、カネで買収するとかさ。」
「ほおー。」

 電話は一時沈黙する。喜味子の口から出任せを討議しシミュレーションしているのだろう。
 鳩保に代わる。

「駄目だ喜味ちゃん、警察力も半端じゃなかった。即逮捕されちゃう。」
「ま、毒注射で世界人類を滅亡させるて話だからね。でもさ、怪人はどうだろう。」
「なにそれ?」
「アメリカのヒーロー漫画に出てくるような、仮面をかぶって超能力を使う悪の戦士だ。つまりゲキロボの力を貸し与えて攻撃力を向上させてだね。」
「おーちょっと待って。」

 またしても沈黙。この間はちょっといらいらする。今覚えた歴史年号忘れそうだ。
 トイレの前で暇つぶしする喜味子を、知らない人が不審げに眺めて行った。変質者扱いされかねない。

「喜味ちゃん、惜しかった!」
「ぽぽー? ダメ?」
「結局警察には勝てなかったよ。怪人は社会の圧力に最後は潰されるんだ。」
「やはり相当なサイコパスでないとダメか。なるほど、漫画のとおりだな。」
「他にいい手は無い?」
「優ちゃん出して。」

「優子だ。」
「その惑星にサイコパスは居る?」
「居ない。精神科学も発達していて、そういう異常者はほぼ見られない。」
「やっぱダメか。」
「異常者が要るのか?」
「常人の怪人化でダメなら、そうなんだ。」
「うん。常識的な発想だと警察に捕まるね、シミュレーションだと。」
「そういうおあつらえ向きな異常者が10体も居れば勝てるはずだ。心当たり無い?」

 自分で言いながら、喜味子自分がアホらしくなる。何を口走ってるんだ私。

「有る。」
「え?」
「まともでない人間が居なければ作ればいいんだ。柔軟で突飛な発想と言えば、子供だ。」
「おお!」
「メゾトの子供を捕まえてゲキロボの力で強化し、頭アホにして社会に解き放つ!」

 

PHASE 159.

 シミュレーションの結果は成功だ。何度やっても、10年以内に惑星上の全メゾトの遺伝子を改造して、肉を不味くしてしまった。
 手段は定まり、鳩保は作戦を練る。
 ガキを確保するのだ。

 メゾトの成体は体高10メートルの足の短いキリンの形をしている。大きい。
 子供も相応に大きく、4メートルはある。保健科学のデータベースを参照すると、4メートルの個体は地球人で言えば6歳に相当する。

「小学5年生くらいがいいんじゃないだろうか?」
 これが6メートル。色々考えて、4から6メートルの個体を収める甲冑を作る事とした。

「でも10年掛かるぞ。その間に大きくなるんじゃないか?」
 心配無用だ。メゾトは成体になるまで40年も掛かるのんびりした種族で、人間換算で6歳から10歳になるまでに10年近くを要する。
 これでいい。

 ゲキロボパイロットは二手に分かれる。
 小さい子供とはいえ巨大生物を収める甲冑を作るのだ。ゲキロボ本体の手で構築しなければいけない。
 ガキを誘拐してくるミッションも同時進行される。文明社会から子供を一人連れ去るのは、なかなかにテクニカルな犯罪だ。

 どちらも童みのりが適任だ。ゲキロボ使ってモノをこしらえるのは喜味子の能力だが、細かい操作ならみのりも出来る。
 またみのりは宇宙人と素の状態で会話できる特殊能力を持つ。誘拐には持って来いの力だが、

「みぃちゃんはロボで怪人の甲冑を作って。私と花憐ちゃんで誘拐してくるから。優ちゃん、みぃちゃん手伝って。」
「うんわかった。」
「あいよ。」

 早速出撃する鳩保と花憐。だが花憐は誘拐は気がひけるし、みのりにやらせた方が適任ではないかと尋ねた。

「いいんだよ、これで。」
「でも異星生物と会話できる能力は重要でしょ。」
「みぃちゃんは駄目なんだ。人が良すぎるから、子供だまくらかすなんて芸当は出来ない。」
「あ、……そうか、みのりちゃんには出来ないわソレ。」
「みぃちゃんに比べて花憐ちゃんは人をたぶらかすのが大得意の悪女であるから、この役適任なのだ。」
「ちょっと待ってぽぽー、それは自分のことでしょ!」
「いやー私は人を怒らせるのは得意だけど、騙すなんてそんなとても。花憐ちゃんには敵いませんわホホホホ。」

 ちなみに鳩保はライフル銃ぽい偽銃装備の銃撃戦仕様。花憐はマジカルステッキ装備の魔法戦仕様。惑星上を10メートルの高さで飛んでいく。

 

 子供用甲冑を作るにしても、部品の製造が問題だ。ゲキロボと同様にゲキ虫を結合させて作るのが簡単だが、この能力はみのりには無い。
 優子がコンピュータを使って担当した。操縦席後ろのテーブル上に乗る14インチブラウン管テレビと白くて四角くて今では売っていないビデオゲーム機。これがゲキロボに繋がる端末だ。
 先ほどまでの各種シミュレーションもこのゲーム機を使って優子が操作した。

「みのりー、設計と生成はこっちで勝手にやるから、出来た部品を組み上げて行って。どうせガキが捕まったらその体型に合わせてカスタマイズするんだから、適当でいいよ。」
「わかったー。」

 ゲキ虫は1匹居ればいきなり兆の数に増殖出来る。材料はシリコンと鉄で、岩や砂があればどこででも発生する。岩石惑星の組成はだいたいケイ素や鉄アルミの酸化物だから、宇宙どこに行っても困ることは無い。
 優子がゲーム機のコントローラーをくりくりすると、近くの地面がざわざわと盛り上がり、部品が形成されていく。まるで砂に埋もれていたものが現れるみたいだ。
 みのりはゲキロボの手を操作して、部品を拾い集めて並べていく。ちょっと困った。小さな部品が結構有る。

「優ちゃん、もっと組立てやすく作れない?」
「えー、実用目的だからちゃんと動かないと困るでしょ。プラモデルじゃないんだから。」

 それはそうなのだが、並ぶ部品の細かさは高級で精密なプラモデル並で、同じ形の輪っかが100個近くも揃っている。こんなの作ったこと無いよお。

「あー、さすがにこれはみのりには無理か。喜味子が居ればねえ。ま、頑張って。」
「にゃあー。」

 

PHASE 160.

 メゾトの町に屋根は無い。10メートルの高さで頑強な皮膚を持つ彼らは、野外に暮らして風雨にさらされるのを何とも思わない。
 だから、壁で四角に囲んだものが家だ。レンガで作ってある。

「レンガ?」

 一見すると原始的文明のアイテムだが、生物が快適に暮らすには自然の素材が一番。レンガは雨ざらしにされる建物を構成するのに実に適した素材である。
 またメゾトは家を自分で作る。高い口から舌を伸ばして、丁寧に一個ずつアーチを作って並べていく。漆喰ではなく接着剤でレンガを結合させるのだが、これはある種の生物の排泄物、自然素材だ。
 素朴過ぎて科学技術文明を持たない風だが、やっぱり機械は有る。

「あれなに、ぽぽー?」
「……、背中掻きロボット、ではないかな。」

 金属の光沢を持つてんとう虫のようなものがメゾトの身体の上を這っている。時々止まってクチクラのなめらかな皮膚を擦りツヤを出す。

「ブラシ、なのね。」
「お洒落さんだな。」

 花憐達が子供を探して町をうろついても、メゾトはまったく関心を示さない。
 この星は案外と生物が多く、人間サイズの動物が町中でも普通に活動している。中には知的生命体も居て道具を使って狩りをしている。地球で言えばカラスみたいなものだろう。

「あ、居た。」

 メゾトの小学校発見。4メートルくらいの小さな子供が10数匹集まって何かしている。よく見るとここでもロボットだ。教師役をする金属製ロボットに引率されて体育の授業の真っ最中。
 500メートル先ではもう少し大きな子供達の授業が有り、大人のメゾトが教師となって教えている。ロボットは低学年用のインストラクターなのだろう。

「花憐ちゃんあっちあっち。」

 鳩保が腕を引っ張るので見てみると、これだ。子供が1匹、仲間と一緒にならずに地面を足で所在無げに引っ掻いている。いかにも暗そう。

「悪の帝王に仕立て上げるには、こういう子が最適じゃないかな。」
「なんだか気が咎めるんだけど、」

 背中を押されて花憐は空中を飛んでいく。子供の顔の正面に浮いた。
 デカい! いくらなんでも地球人に比べるとこれはデカい。子供ではあるしちょっと可愛いんだけど、機嫌を損ねたらいきなり殺されそうだ。

「Tgfhazhogaurao gahoaguaro aghouareoZotewugaho ghoeruao mlmohatuatok[ol[;l@[」

 なんか喋ってる。ぶつぶつと、暗く陰気に。メゾトの子供としてこれは普通なのだろうか?
 マジカルステッキを振り上げた。元々花憐は情報系能力をゲキロボより与えられている。ノートパソコンを使えばアクセス出来るのだが、この魔法杖は飾り部分が本のように開いて情報検索や操作が可能となる。
 宇宙言語翻訳機能を起動した。

『”gfhazhogaurao gahoaguaro aghouareozotewugaho ghoeruao mlmohatuatok[ol[;l@[”』
「…………意味が無いことをしゃべってるのね。」

 杖をぴかぴかと光らせて注意を惹く。さすがに眩しくて反応したのか、大きな頭を花憐に向ける。
 花憐は杖を回して光でメゾト語の「こっちにおいで」の記号を出した。下手に交渉をすると訳のわからない状況に陥るかもしれない。なにせ暗い子との会話はともかく手が掛かるのだ。
 光のサインは効果が有った。子供はふらふらと首を揺らして空中の花憐の後を追う。
 小学校の敷地と思われる領域から連れ出した。

 さすがに警備システムが反応した。子供達を指導する金属ロボットと同じものが数体追ってくる。クラゲみたいな機械。

「ぽぽー!」
「任せて!」

 鳩保の変身姿は肩から腰に弾薬ベルトを掛けている。ビーム砲である偽銃に弾丸は要らないが、ベルトに収められているのは多目的ミサイルだ。
 抜いて投げれば自動で点火し、金属ロボットに衝突する。そのままコンピュータにハッキングを開始、コントロールを掌握した。

「よし逃げるぞ。」

 花憐が子供の目の前でサインを出して誘導し、鳩保が後ろからおしりをつついて急かせた。大人のメゾトも気付いて追ってくる。
 結構早い。また道のあちらこちらからロボットが出現する。大人が顔を出す。
 花憐、青ざめる。

「ぽぽー!」
「仕方がない緊急離脱。」

 鳩保と花憐はただ子供を誑かし易いから来たのではない。
 鳩保の能力はエネルギーの凝集体を意のままに操る事。エネルギーで物体を包んで空中に浮かせるなんて芸当も出来る。
 一方花憐は超高速移動だ。情報処理能力だって、超高速移動で経路上の状況を知る為に有る。
 二人揃って能力を使えばあっという間に。

 

「おかえり芳子。」
「疲れた。」

 メゾトの子供を略取誘拐する事にまんまと成功する。

 

PHASE 161.

 ゲキロボの元に連れてきた後は、みのりが子供の相手をする。なにせ本職だから話が弾む。
 10メートルのゲキロボと4メートルの子供とが膝を丸めてぶつぶつと呟き続ける様は、なにやらしんみりとした。ほんとにコミュニケート出来てるのか心配だ。
 鳩保、花憐、優子は外で見守り、ついでに素手で甲冑組み立てを続けている。
 みのりが降参した細かい部品の接続は、よくよく考えれば人間が素手で組み立てればサイズも合ってちょうどいい。
 3人はあーでもないこーでもないと部品同士を組み合わせ、花憐が間違えて鳩保に殴られる。
 部品をある程度のまとまりにしておけば、みのりがゲキロボの手で組み上げるのに便利であろう。

 お話と説得及び組み立ては2時間に渡って続く。
 花憐、もはや辛抱の限界を超えた。

「きみちゃんたすけてー。」
「喜味ちゃんが居ればこんなのちゃちゃっと作るんだけどねえ。」
「おいみのり、その子はどうなった?」

 優子の問いかけに、メゾト語でずっぽりと話し込んでいたみのりが反応する。

「えーとねえ、愚痴ばっかりでなかなか大変なんだけど、なんだか大人達が悪い社会が悪いとかで復讐してやるんだって。」
「おお、見所の有る若造だな。じゃあそろそろプロジェクトの説明を伝えて。」
「わかったー。」

 メゾトの子供はゲキロボが動いたのに合わせて、ふらりと部品の方にやって来る。口から長い舌を伸ばして確かめると、自分でちゃかちゃか嵌めていく。
 さすがに4メートルと大きな身体で力が有るから、地球人少女3人より遙かに早く丁寧だ。頭もいい。
 優子、尋ねる。

「みのり、こいつ自分が何をしているか分かってるのか?」
「うん。この世の悪に天誅を下す為の正義の鎧を作るんだって張り切ってるよ。」
「た、頼もしい奴。」

「みのりちゃん、この子いじめられっ子なの?」
「いやこの星にはいじめなんて無いんだけど、走るのが遅くてどんくさいんだって。だから運動会の練習は休んで見てたんだって。」
「う。それはまた、なんとも地球でもありそうな。」

「みのりちゃーん」

 鳩保が花憐との受け答えを聞いて、提案を追加する。このマシンを使えば足も早くなるのだと伝えるんだ!
 わかったーとゲキロボから話しかけると、子供はてらてらと光る瞳の無い目を輝かせて甲冑を組み立てる舌を急がせる。
 やがて外部装甲をゲキロボにより纏わされ、身体を覆っていく。

「クマだね? 優ちゃん。」
「可愛いだろ。」
「ほんとテディベアそっくり。」

 丸い球体が上と下に合体し、手が2本足が2本のクマ型体型。色は黒と白でツキノワだ。
 設計者物辺優子に聞く。

「なんでクマなんだ?」
「メゾトは四足歩行だから、クマ型二足で歩くといかにも変態猟奇的に映ると考えました。」
「これホラーなんだ。でも可愛いよ。」
「見解の相違です。この世界の住民が見ると邪悪の化身、地獄の亡者と思われます。文化イメージデータベースを検索して恐ろしい絵というのを参考にしてみました。」
「二足歩行は邪悪なんだ。」
「というよりは、お化けだね。ありえないんだよメゾトには。」
「まああのバランスじゃ二足では立てないな。」

 装備は右手お注射銃。遺伝子改良の為の薬液が入った注射弾が機関砲から射出される。もちろん弾丸は自律誘導飛行で、目標に確実に衝突する。
 この銃は弾種変更も出来て、ロボットや物体を粉微塵に破壊する破砕弾てのも使える。爆発しないで分解する不思議な効果を持った弾だ。
 左手にはメタルソード、金属に輝く6メートルの剣を自在に出現させられる。どのような障壁も電磁バリアも切り裂いて、行動の自由を妨げられない。
 念力を発して物体を自在に操作が出来る。いわゆるトラクタービームで重量は1000tまでを浮遊させられる。
 足にはフローティングエンジン、まったくに熱もエネルギー放射も無しに高速で飛行する。クマ甲冑が近づいてもセンサーが感知する事が出来ない。
 もちろんステルスであるし光学迷彩を有しており、音響を操作して分身音を発生させられる。メゾトが得意とする聴覚による索敵を撹乱するのだ。
 そして最大の秘密が、この甲冑はスイッチ一つで小さな立方体に折り畳めるのだ。
 つまりは昼間は根暗な小学生、夜は全メゾトを恐怖に陥れる狂戦士へと華麗な変身を遂げる。

 みのりが言った。

「この子、気に入ったって。」
「おー。」

 ではミッションをスタートさせよう。選ばれた悪魔の子にはふさわしい名を付けねばならぬ。
 漆黒のクマ甲冑に身を包む小学生は邪悪の気を漂わせ、まさに地獄の皇太子。
 優子はその勇姿に大いに満足し、腕を組み命名する。

「暗黒卿だ。」
「いや優ちゃん、その名前はちょっと版権上問題が有る。」
「なんで? アメリカじゃ日本語使ってないでしょ。」
「だから日本語では色々と問題が有るんだよ。」
「めんどいな。」

「ぽぽー、それじゃあダースなんとかもダメなのかしら?」
「却下。」
「うーん、でもこの姿はどう見ても暗黒卿よねえ。」

 邪悪な子供、クマ甲冑の秘めた力を理解して今すぐにでも威力を振るいたい。センサーを稼働させると子供を探しに近くまで捜索隊が接近する。
 まずは自分を日常に連れ戻すこの一団を血祭りに上げよう。

 優子、めんどくさいのはいやだ。

「じゃあこれ、黒闇トウェルブ卿ということで。」
「いや、ダースは12だけどね。」
「版権も問題無いわね。」

 命名を受けると、トウェルブ卿は宙に躍り上がって襲いに行った。なんともまあ、頼もしく勇ましい奴だ。
 ゲキロボパイロットの4人は自らの仕事に大いに満足し、納得し、平和を確信して惑星を後にした。

 

PHASE 162.

 その後のメゾトの運命を語ろう。

 シミュレーションの通りに黒闇トウェルブ卿は全メゾトを襲い、次々に遺伝子を改良していった。
 遺伝子改良を受けると特殊な光線で蛍光し、未改良の者を識別できる。
 目から光線を発する黒クマ甲冑は、人々を恐怖に震え上がらせた。
 脅威は直ちに全惑星に共有され、各地の警察や軍隊が出動して黒闇卿を逮捕せんと走りまわるが、捕まらない。

 子供の純真無垢な邪悪がゲキロボの演算能力に支援され、あらゆる罠を食い破り、兵士が守る街を嘲笑うかに容易く侵す。
 やがて黒闇卿に従うメゾトが生まれた。あまりの強さに憧れ、自らも倣おうとする者達が一大地下組織を作り遺伝子改良のプロジェクトを支援する。
 何故か? メゾトは元々大人しい温厚な生物だ。何故自らの社会を破壊しようとするか。
 葬送儀礼に問題が有る。

 メゾトは本来屍体処理生物だ。仲間の死体も食べてしまう。
 もちろん積極的には食べない。故人を悼む為に親類縁者が集まって少しずつ食べて葬る儀礼になっている。
 また美味しくも無い。仲間同士共食いをしない為に、自然はメゾトに同類の肉は不味く感じる本能を与えていた。

 この本能の制約が打ち破られる。
 クバルカの味覚にとってはこの上なく不味く感じる遺伝子改良は、逆にメゾトには甘美な味わいを与えてしまう。
 元より温厚な生物であるから積極的に他人を殺して食ったりはしない。だが事件事故で死んだ者を食べるのはやぶさかではない。
 というわけで社会がゆらぎ人死が出る状況を作り出す為に、黒闇卿の活躍を支援する勢力となったのだ。

 黒闇卿は彼らにお注射銃の弾を与える。遺伝子改良薬を彼ら自身が生成し、自ら注射器を振りかざして他人を美味しく変えていく。
 やがて黒い甲冑を纏う軍勢が生まれ、正規軍との抗争が始まった。
 メゾトがメゾト同士で殺し合う世となったのだ。
 だが勝利の翼は黒闇卿にかざされる。正規軍のメゾト達も、仲間がお注射を受けるとその味に抗えない。自らの傷から流れ出る血液がたまらなく美味しく舐め続ける。
 高度な文明は崩壊し、遂に全土が黒闇卿の手に堕ちた。
 メゾト人口は百分の1となる。

 

 事態を座視出来なかったのはクバルカだ。
 クバルカ自身は遺伝子改良されたメゾトを食べられない。資源的価値は消失し介入する動機も無くなった。
 だが記憶が諦めを許さない。あの麗しい味を求めて、メゾトの星に大量の宇宙戦艦を投入した。
 彼らは破壊され尽くした惑星上を精査し、生き残ったメゾトを探す。果たして、人口こそ減ったものの多数のメゾトを見出す事が可能であった。
 生き残りは他の集団と交渉を持たないように少数で籠城して暮らしている。ロボットを使って生産活動を続け、細々と生きていく道を選択する。

 クバルカはなおも調査を続け、惑星外で遺伝子改良が為されていない一団を発見した。わずか数百人、生き残りの中でも千分の1という少数だ。
 クバルカは地上に降り立ち、史上始めてメゾトと直接交渉を持つ。
 現在主流となった遺伝子改良メゾトは、今でこそ戦わないが人口が増えてくるとまた互いを喰い合う可能性が高い。その争いに貴方達が巻き込まれてはならない。
 原種のメゾトが人口を増やし元の状態に戻るまでクバルカは禁猟を貫き、支援を惜しまないと。

 クバルカは事実上メゾトの惑星を征服し、遺伝子改良メゾトを小集団ずつで管理して生活させる。互いに殺し合わないように武力で制御した。
 同時に原種メゾトの個体数を増やす計画を進める。自然に任せての繁殖であるから、数千年の期間が必要と思われた。
 クバルカ本星でも努力を怠らない。改良されて灰を噛む味となったメゾト肉をなんとかして食べようと必死の研究が続き、数百種類のレシピが考え出される。
 遂には味の漂白に成功し、元通りとは言わないまでも十分に楽しめるまでに調理法を完成させた。
 芸術的化学の精華である。

 その後遺伝子改良メゾトは自らに監視装置を付け殺し合いを防止し、クバルカの介入を終了させる。体液に味覚を阻害する薬品を投入して、共食いを防ぐ。
 原種メゾトとの人口比率が1対1となって、ようやく占領部隊は引き上げた。
 それまでの長い期間の交流で、クバルカとメゾトの間に友好関係が生まれた。
 メゾトは自然死した個体をクバルカ側に引き渡す事で莫大な報酬を得て、文明再興の資本とする。また恒星間航行技術も手に入れ深宇宙へと乗り出した。
 互いを友邦として末永く平和に暮らしたという。

 ゲキロボパイロット達がとっくの昔に死んだ後の話だ。

 

 クバルカによるメゾトの捕食を端に発する絶え間なき宇宙戦争は、黒闇卿出現後間もなく終了する。
 戦う理由などはどうでも良かったが、目の前で繰り広げられる真の悲劇に対して新たなる対応を求められたのだ。
 彼ら他所者宇宙人は介入方針を巡って激しく対立、またぞろ武力による解決を図る。
 再開だ。

 宇宙でも、馬鹿は死ななきゃ治らない。

 

PHASE 163.

 夕方バスに乗って帰ってきた喜味子は、いやーな予感がして物辺神社の裏庭に行ってみる。

「やっぱりね……。」

 紙管にゲキ虫を憑けて作ったゲキロボ二号に手が生えて、スカートの中丸出し少女を取り押さえている。右手は目を覆い、前が見えなくしていた。
 もう一人の方の少女は黒髪がうねうねとするクビ子さんに捕まえられて、こちらもやっぱり目隠しだ。
 超絶美少女双子小学生、物辺美彌華&瑠魅花五年生。物辺神社の鬼の末裔で優子の従妹。

 ま、こいつらがゲキロボに気が付くのは当たり前なのだ。なにせ彼女らの家で遊び場だ。
 とはいえこれまでは何も出来なかった。大きなゲキロボは御神木の巨大な洞に偽装して存在し、常に精神欺瞞を掛けている。
 対して小型ゲキロボはー、そういう機能を発動するように命令していなかった。喜味子のミスだ。

「き、喜味子か!」
「はなせこのブスはなしやがれ。」
「あーそうだねー。」

 目が見えないまま双子は悪態を吐く。ゲキロボにちょっかいを掛けたはいいが逆襲され捕獲され、見えないように封じられてしまったのだ。クビ子さんはお手伝いか。

「こらバケ喜味子、この生首のおばけをなんとかしろ!」
 クビ子さんに拘束されているのは妹の瑠魅花。この二人、双子のくせに髪型とか服を変えて別人である事を普段から強調する。髪が短く紺色が好きなのは妹だ。

「見たねあんたら。」
「うう、どうする気だ。あたしらを殺すか殺す気だなそうだなぜったいそうだ。」
「お望みとあればそういう選択肢を取らないでもない。」
「ううこの殺人鬼めおまえはそういうやつだとおもってたこのブス!」

 マジで殺してやろうか。ちなみに姉の方の美彌華はオレンジや赤系統を多用する。髪も長くてポニテだったりツインテだったり。

「どうしようかね?」
とクビ子さんに尋ねた。ろくろ首星人の舞玖美子さんはこれでも生身の体である。長時間ガキを拘束すれば髪の毛も疲れるだろう。

『いいですよお。なんというかこの感触この肌触り、いいですよ。すっきり首を切り落として頂いてしまおうかと、あいえ冗談ですけどね』

 クビ子はうっとりとした表情で締め付ける黒髪をうねうねと動かし美少女小学生の身体を撫で回す。そういえばこいつ、地球人の胴体を乗っ取るのが本職だった。
 27歳女教師のずんだれた肉体にはさほど愛着も無かったようだが、若くてぴちぴちでしかも地球上でも指折りの美女家系のニューフェイスとくれば、少々サイズが合わなくても欲しくなって当然。
 これは危ない。

「二人とも拘束を解いて。」
”いいのですか?”

 ゲキロボ二号を管制する梅安の首が尋ねた。こいつは自力で移動する機能を持たないので御神木の一番低い枝に引っ掛けていた。取り込むの忘れた喜味子が悪い。
 喜味子しばし悩む。この状況をどうやって誤魔化せばいいか。でも今日は上手く言いくるめても、何度も何度も起きるだろう。

「あーいーいー、こいつらは特別だ。」

 ゲキロボ魚の骨手足が緩んで姉を放す。クビ子も名残惜しそうに妹の肢体から髪をずるりと解き放つ。
 自由の身になった双子は弾けるように跳び立つと二人背中を合わせて喜味子に相対する。

「この殺人鬼め人非人め鬼畜外道め。」
「鬼はあんたらの家でしょう。」
「あたしらをどうするつもりだ。殺すのか殺すんだなそうだろ、何者だお前?」
「鶏屋のきみちゃんだよ。」
「いやそれはわかってる。そういうことじゃなくて、そうだおまえオークだろ。ゲームに出てくる。」
「オークには似てないだろ私。」
「いやその性根が豚そのものだ。ぶひぶひと人を貪り食うけだものだ」
「あんたらね、学校の図書館で馬鹿なファンタジーばっか借りるんじゃないよ。赤毛のアンでも借りてこい。」
「あんな電波女ねがいさげだ。」
「スズミヤハルヒ以下じゃねえか。」
「まあ、デンパだけどさ。」

 説明を考えるのもめんどくさい。物辺の双子は母や従姉がそうであるように、生まれつき賢く才能に溢れセンスが良くなんでも器用にこなしてみせる。
 なまじの嘘話で言いくるめられるはずもなかった。喜味子口下手だし。

「あーつまり私児玉喜味子は実は地球人じゃなくて、悪の宇宙人であったのだよ。この生首とロボットが証拠ね。」
「嘘をつけ」
「嘘だ!」
「嘘じゃないよ。ほんとだよ宇宙人なんだよ。」
「宇宙人がそんな醜いわけあるか!」
「もっとまともな顔に整形して来るわ。」
「腹立つなあー。」

 まあ、宇宙人なんてあほなつくり話をした喜味子が悪かった。反省して、今度はほんとの事を言う。

「じゃあこうしよう。あんたたちのオバサンの優子が暗黒ミサを行なって地獄の門を開き、悪魔の召喚に成功したのだ。この生首たちはサタンの眷属ね。」
「おお!」
「優子おばちゃんならありそうな話だ!」
「それは納得するんかい。」

 

PHASE 164.

 物辺の双子美少女小学生美彌華&瑠魅花はついにゲキロボの秘密を知ってしまった。危うし児玉喜味子。

「というわけで、これは他人には知られちゃ困る話なのだが、どうせあんたらはいつか知るに決まってる。」
「うん。」
「いや六月から生首が飛んでるの見てたから。」

 喜味子、クビ子さんに振り返る。貴様そんなヘマをしでかしてたのか。

「秘密を貫くには優子おばちゃんに電撃掛けてもらって記憶を飛ばすのが筋なんだが、ほら優子でしょ、」
「うん。大雑把だ。」
「おばちゃんはいいかげんだから、記憶を消す前に命を消しちゃうかもしれないな。馬鹿だよははは。」
「電撃食らって記憶を無くすのと、掟に従って秘密を守るのと、どっちがいい?」

 双子は揃って手を挙げて、掟に従いますと宣誓した。そりゃそうだろ。

「じゃあ今日からあんたらは物辺村少女遊撃隊だ。私達の手先となってロボの秘密を隠すのだ。」
「あいあいらじゃ。」

 クビ子にも梅安にも振り返って表情を確かめると、二つともに仕方ないなという表情をしている。

「でもさ喜味子ねーちゃん、少女遊撃隊て何をするの。」
「そりゃ悪の組織が攻めてくるのを防ぐんだよ。」
「ばかか、そんなもの居るわけないだろ。」
「いや居るんだよ。というか、七夕の時いっぱい人来たでしょ。アレ半分くらいは悪の勢力だよ。」
「げ!」
「悪がお賽銭置いてったのか?」
「そうだよ。大人の世界はそういう風に面従腹背でおっかないんだ。悪はそれこそニコニコと笑顔で親しみやすく襲ってくるんだ。」
「そうか、うちは狙われていたんだ。」
「喜味子みたいなブスがほんとの善人なんだ。深いな。」
「深くない!」

 やっぱこいつら信用出来ない。なんか首輪みたいなものを付けとかないと。

「あんたら携帯電話持ってないよね。」
「かあちゃんが買ってくれないのだ。」
「うちは貧乏な神社なんだよて、優子おばちゃんばっかりに。差別だ。」
「小学生にそんなもんは要らん。でも喜味子ねえちゃんがくれてやろう。」
「無理をするな。」
「びんぼうなのはおたがいさまだ」

 一々腹が立つがガキのセリフだ怒っても仕方ない。
 喜味子はゲキロボ二号のフタを開けて、中の空洞を確かめる。内部にまでは悪戯されてないな。
 持っていたノートの1枚を使って設計図を書き、そこらへんに積んでいたプラスチックゴミと一緒に放り込んだ。
 ゲキロボ二号は大きいゲキロボと同様に洗濯機機能を持つ。不思議物体を合成できるのだ。しかも直径全長共に拡大しており、より大きなモノも錬成出来る。
 今回は小さいけど。

 ぐるるんと15分で終了完成チンと鳴る。

「はい出来た。」
「うお、ケイタイだ!」
「じょうだんだろ。」
「もちろん悪魔機能搭載だ。まず第一に、電話代が掛からない。」
「おおおおおおお!」
「電話会社に契約しなくても何時間でも自由に話しても大丈夫なのだ。もちろん他の会社の電話にも無料で通じる。」
「すげえ。」
「すげえぜさすが顔に似て金玉も太っ腹だ。」
「まて、金玉てなんだ? あー電話が出来るテレビも見れるアプリもできるゲームで遊ぶのも出来るが全部タダ。
 さらにはインターネット機能搭載。全世界のどんな課金サービスにだって暗号解読して強制的に繋がるし、動画や画像落とし放題。でもエロいのとグロイのはチャイルドロック機能を掛けているから駄目だぞ。
 だがこんなもので遊んでいてはロクな大人に成れないのだ。
 真の機能は攻撃能力! このアンテナの向いてる方の人間をびりびりと、」
「おおおおおおおお!」
「じゃあまずあの黒髪の生首をシュートしてみましょう。」
「はーい。」

 逃げるクビ子を狙ってビームがびしばし飛ぶ。致死性ではないと知ってはいても、痛いのは嫌だ。
『酷いです、児玉さん』

「更には強制脱出能力。このエスケープボタンを押すとあっという間に空間転移して、ここ物辺神社の裏庭に逃げられる。」
「すっげえ、すげえぜ。」
「これさえあれば悪戯やりたい放題だ。万引きも取り放題だ。」
「後で私がチェックするから、犯罪は優子おばちゃんのお仕置きだぞ。」
「うう、じちょーします。」

『いいんですか?』
 クビ子がふらふらと喜味子の傍に揺らめいて浮いて来た。双子シューティングの的となって、髪はぼろぼろ。

『空間転移なんて、あなただって使えないでしょう』
「そんな便利な機能あるわけ無いじゃん。ゲキロボ二号が迎えに行くんだよ、超高速で。」
『ああ! そうですね、地球人なら秒速10キロも出たらもう追随出来ませんからね』
「そういうこった。」
『でもインターネットなんか使ったら宇宙人とかアンシエントに嗅ぎつけられますよ』
「いいんだよ。どうせあのケイタイの機能は全部梅安が管理してるんだから。」
『あ、そうですか。そういうことなら大丈夫ですね』
「そいうこと。」

 双子はさっそくちこちこと携帯電話をいじり始める。モザイク修正の外し方を覚えて、ちんこ見えたーと喝采する。
 ぜんぜん大丈夫じゃない。

 

PHASE 165.

 翌日曜日午後3時半。ゲキロボは30時間ぶりに地球に帰還した。
 ゴゴゴと手足全部の魚の骨から火を噴いて着陸するのを、下で3人が出迎える。

「3人?」

 喜味子と双子小学生だ。ゲキロボの秘密を知るはずも無い双子に、完全にバレてしまっている。

「優ちゃん、これはどうしたもんだろうね。」
「あー喜味子がバラしちゃったんだな。まあ、いずれバラそうとは思ってたんだけど。」
「そうね。物辺の人に何時までも隠し通せるはずは無いものね。」

 ロボ着地。同時に御神木と融合して木の洞に擬態した。扉も消失してぽっかりと開き、巫女変身姿の4人が転げ出てくる。さすがに自然の洞で3畳の広さは作れない。
 双子はでへへと笑う。

「おばちゃん、ぽぽーねえちゃん、変なかっこー。」
「仕方ないなあ、喜味ちゃん?」
「あー、まあそういう事だ。気に入らなかったら電撃で記憶飛ばしていいよ。」
「そんな喜味子ねえちゃん!」

 優子は黒巫女姿で立ち上がり、ぽんぽんと長い髪の埃を払った。ちなみに優子の変身装束は袖の先に銀色髑髏が噛み付いている。
 双子に宣言する。

「一番偉いのはあたしだから、あたしの命令には絶対服従死んでも従わねばならぬのだ。それが出来ない奴は焼き殺す。」
「あいあいらじゃ!」
「うむ。」

 喜味子は宇宙旅行の首尾を聞いてみるが、ばっちしという鳩保らの答えに納得する他無かった。
 鳩保自身、黒闇卿がどこまでやってくれるか分からないし、そもそも10年先の事まで責任を取れるか。

「というわけであたしたち、物辺村少女遊撃隊になりましたーてへ。」「きゃは。」
「きみちゃん、ほんとにだいじょうぶ?」
「だいじょうぶだよ。どうせ攻めて来るならこいつら真っ先に狙われるし、その時はいやでも正体バレちゃうんだから。」
「それはそうなんだけどー。」

 花憐はやっぱり心配する。しかし必然であるからどうしようもない。
 これから物辺島には色んな人や機械やロボや宇宙人がわんさと押し掛けるのだ。事情を知らない方がむしろ危ない。子供は騙されやすいからなおさらだ。
 黒闇卿みたいに成られては困る。

 

 さて、5人はこれから口裏を合わせないといけない。
 土日と物辺村を留守にした名目は「喜味子の追試の勉強の手伝い」だったのだ。
 その割には喜味子はうろちょろして村人にも見られているのだが、ここで鍵になるのは童みのり。
 絶対に悪い事はしないと鉄壁の信用を持つみのりを楯に押し通す。
 逆に言うと、鳩保花憐は信用が無い。優子の変態は世人皆心得る所だが、乳ばっかり大きくて人とよく衝突する鳩保も、意志薄弱で状況に流され易い花憐も危うっかしさでは一緒なのだ。
 3人とも美人だから、非行というより犯罪に巻き込まれるのを心配される。

 その点喜美ちゃんはなんの不安も無いのであった。

「で、追試の勉強はどうだった? 通りそう?」
「英数を除けば普通になんとか。」
「ああ、それはいつもの赤点だしね。」

 よし、と鳩保は気合を入れ直す。喜味子の赤点を2つから1つにすれば、追追試の負担も下がる。夏休みの自由度が上がる。

「じゃあこれから優子ん家で勉強会だ。文字通りほんとの特訓するぞ。」
「げぇー、私はあんたらが居ない間ほんとに猛勉強してたんだぞ。」
「いいんだよ。優ちゃん、腹が減ったなんかして。カップラーメンで2日は飽きた。」
「ええーおばちゃん達なんか作ってくれるかなあー。」

 変身を解いて、優子はずるずると母屋の方に足を引きずっていく。さすがに3畳一間のコクピットに4人で何十時間も過ごすのは腰に来る。背骨が歪む。
 寝よと思う。寝ている間に芳子が喜味子に勉強教えて、芳子がくたばれば花憐が英語教えて、みのりはあんま役に立たないから家の手伝いでもやらせて、それから。
 夏暑ー。

 

PHASE 166.

 夏休みを前にして今週から短縮授業である。午後の授業は無い。
 はずなのだがちゃんと有る。今年は七月二十日が日曜日で終業式は金曜日十八日だ。授業日数が少ない分を、ここで稼ぐ。
 許しがたい暴挙であろう。
 が、そもそも門代高校は受験校であるから夏休みにばっちり夏期講習が用意されている。休みなんざあハナから無いのだ。

 

 週が替わって、鳩保変な空気を感じる。
 なーんとなく避けられてるような気がする。それも、こともあろうに物辺村の仲間からだ。
 常にべったりくっついているわけじゃないしそれぞれに都合は有るが、でもなんとなく違う。

「なに?」
 と聞いてみた相手は、若狭レイヤ。鳩保と同じ数理研究科の女子ではあるが妙に突っかかってくる。彼女、鳩保が大嫌い。

「うぁ? いやいつもいつもあんたの相手する義理は無いでしょ。」
「うーん、なんだろう。」

 妙な事にシャクティさんも学級委員長の安曇女史も鳩保の顔を見て逃げる。いかにも訳知り顔。

「なんか、やだなあ。」

 やはり核心を知る者に直接アタックしてみるべきだろう。物辺優子の傍に行く。
 今日の優子は黒髪がツヤツヤと光り輝き、惚れ惚れとする美しさ。どんなに性格が悪くとも、この髪だけで嫁に行ける。
 長年付き合っている鳩保は理解した。こういう印象を持つ時は、彼女善いことをしているのだ。
 いかに変態であろうとも心の襞に宿る感情の色を消せない。悪の心が強い人は、善なる心も常人を越えて大きい。
 肉体的変貌を引き起こすほどの善行。
 信じがたい話だが、時折そういうモノになる。物辺優子は。

「あー今寄らないで、忘れる。忘れる。」
と頭を抱えてぶつぶつと呟くのは児玉喜味子。昨日鳩保が特訓で勉強させたから、脳が飽和している。
 今日午後から追試が始まるから、いじってはいけない。嫁子でさえ腫れ物を触るかに手を出さない。
 他の女子は、後は夏休みを待つばかりで心ここに無い。ぺちゃぺちゃと喋るばかりだ。

 鳩保、ぽつんと一人になった。
 くるくると辺りを見回す。

「……、アルはー?」

 大きな白人の坊やが居ない。せっかくからかってやろうと思ったのに。
 男子が知っていて教えてくれる。

「カネイは親に呼ばれたとかで東京に行ってるから、今週は帰って来れないかもって言ってたぞ。」
「そう。」

 フリーメイソンの会合だろう。カネイ上院議員は米大統領のサミット出席に随行して来日し、そのまま東京に居座ると聞く。
 世界中のNWO関係者に物辺村の継承者が公表され、状況は明らかに変わる。次なる策を練る必要が有るはずだ。
 アルも新たな任務を授かっているのかもしれない。

 なんか寂しいなあ。

 午前中は素直に授業を受ける。元々鳩保は優等生だ、困る事は何一つ無いがどうにも腑に落ちない。
 昼休みになって三組の童みのりの所に行ってみた。揺さぶりに弱いみぃちゃんならなんかぼろっと喋るかも。

「童さんは居ませんよ。陸上部の用事だそうです。」

 三組で応対したのは弓道部の娘だ。美々世もちゃんと居るのだが、なんか弱味を見せちゃいそうで今日はパス。
 黒髪が肩の辺りまで掛かる日本人形みたいな彼女は、ちょっと有名人。きっちりかっちりして不正やいじめは許せない。
 鳩保はむしろハミ出し者であるから、相性が悪い。

 案の定彼女は、鳩保がみぃちゃんを嬲りに来たと思っている。

「鳩保さん、あなたは物辺村で幼馴染かもしれませんけどね、小さいからって童さんをあんな風に扱うのは止めた方がいいと思います。」
「へい。」
「そういう反省の無い、今だけ誤魔化せばいいってのが一番許せません。こう言っちゃなんですけど、あなた童さんをなめて見てますね。それはあなたは頭いいかも知れませんけれど、みのりさんも一生懸命努力して、」
「あ、ああその、さいなら。」

 今日は日が悪い。美々世も端でクラスメイトと見ながら嗤っていたようだ。魚肉のくせに。

 

PHASE 167.

 ものはついでと一組花憐にまで足を伸ばす。こちらも不在だ。

「城ヶ崎さんは華道部の新入部員の面接に行ってるわよ。」

 如月怜が相手をする。水泳部で陽に焼けてショートカットがぱさぱさの、でもなにか覚めた眼をした娘だ。
 こいつ忍者である。物辺神社の七夕祭りに顔を出して花憐と一緒に潰れていたのは、互いに通じるところがあったのだろう。
 アレ以来二人は急速に仲良くなった。

「華道部で、面接? 新入部員を?」

 通常新入部員であれば無条件ウエルカムだろうが、華道部は顧問がうるさいからやる気の無い者を受け付けないようにしている。事前にトラブルの芽を摘むわけだ。
 花憐は最近一年生の間で人気が高まり、部長に昇格したと聞きつけて志願者が出現したと聞いている。
 ミス門代高校代理を務めたのも無駄ではなかったわけだ。

「悪いね。用事ならわたしが聞いておくよ。」
「うん、いや。いいや。」

 去ろうとする鳩保に背後から如月が声を掛ける。

「あそうだ、これまであなた達華道部部室をいいように使ってきたでしょ、あれもうやめてね。」
「え?」
「部外者が入るのはそれはまずいでしょ。城ヶ崎さん部長になったんだし。」
「あ、……そだね。」

 やり難くなった。よく分からないが、急に物事が流れ出す。

 

 午後の授業も普通に受けて、放課後ふと思い立って科学部に行った。
 門代高校の科学部はちょっと特別な存在で、数理研究科の女子生徒は一年生から三年生まで全員が所属する。
 科は同じでも全学年を繋ぐ組織的繋がりが公式には無いので、科学部を便宜上使っているのだ。三年合わせても女子は15人しか居ないから、これで上等。

 文化部部室棟の一階、廊下にやたらとガラクタを積んでいるのが科学部だ。防災上大問題であろうが、黙認だ。
 鳩保も四月まではちょくちょく顔を出していた。ゲキの力を得て以後はともかく忙しくて存在すら忘れていたが、思い出したらさぼった罪の意識がする。
 風通しの為開けっ放しの引き戸からちろっと顔を覗かせて挨拶する。

「ちわす。」
「おや鳩保だ。ひさしぶり。」

 数名の二年生男子部員を前に打ち合わせをする乳のでかい女が居た。三年生の八段まゆ子先輩だ。科学部女子班の班長である。
 しかしながら彼女は数理研究科の生徒ではない。一般普通科であるが一番やる気が有るので女子の取りまとめ役を任されている。数理研究科の女子生徒は強制加入であるから、皆いいかげんだ。
 先輩はバスト88。93の鳩保の方が、強い。備品の古い扇風機をたくみに横取りする。ああああああぁ。

「まゆちゃん先輩おひさです。」
「元気なのは知ってたけど、どした。最近ぜんぜん顔を見せなかったね。」
「色々と私的な都合がありまして。男じゃないですよ。」
「アメリカ人の留学生捕まえてるじゃないか。なんだって、あれアメリカ上院議員の息子でしょ。で、何故か偽名を使ってる。」
「う、ご存知でしたか。」
「そりゃ当然。」

 インターネットで検索すれば出てくる情報だ。他人が知っていて何の不思議も無い。が、まゆちゃん先輩てのがいけない。
 この人はヤバいのだ。マッドサイエンティストで、しかも正義の味方だ。
 門代高校にはヤバい裏組織が存在する。「女子軟式野球愛好会」、まゆちゃん先輩はその創設メンバーであった。
 他人をこき使う名人のミス門代高校も、「祟り神」相原志穂美先輩も、怪しい天竺少女シャクティさんもメンバーと言えば、そのヤバさが分かるだろう。

 まゆちゃん先輩は「愛好会」の”軍師”だ。つまり、わるいやつらをお仕置きする戦略戦術を考える立場にある。
 科学部に所属するのもその為だ。各種兵器を考案し、設計し、男子部員を使って製作する。
 現在、部の活動のほとんどが武器製作の研究に当てられていると看做して相違ない。まゆちゃんプロデュースである。
 何を隠そう鳩保もその一つをもらって、五月の北海道修学旅行に行ってきた。「クマ避け」だ。随分と役に立ってしまった……。

 用も無いのに着ている白衣を翻し、まゆちゃん先輩は鳩保に椅子を勧める。ちょいとおまえさんに用があるのだ、と逃がさない。

「鳩保、あんた今度の期末でも成績良かったでしょ。」
「はあ、おかげさまで。」
「ならあんたでいいね?」

 科学部女子班の班長になれ、という話だ。他の部活と同様科学部も代替わりの時期で、女子の班長も二年生が引き継ぐ。
 二年で一番成績の良い女生徒は鳩保だから、至極当然。

「はあ、それは問題無いですが。」
「個人的に問題有り、だな。悩み事?」

 まゆちゃん先輩は乳もでかいが髪が重い。髪質が太くて固くて、しかも長いから見るからに重く暑かった。夏場にまったく向いてない。
 鳩保から扇風機を取り返す。

「いえこれまで来れなかったように、これからもちょっと忙しくなるような気がしまして。」
「それは困る、なんとかしなさい。というか、それはあんたら自身の問題だ。」
「そうなんですけどね。」

 まゆちゃん先輩は数理研究科ではない。他人事をこれまで面倒見てくれていたのだ。
 鳩保、無理でもやらずばなるまい。

「やります。」
「うん。それでさ、」

 だからこの人はヤバいのだ。作業をしながら聞いていた男子部員も敏感に反応する。

「最近物辺村周辺に自衛隊や米軍の兵器が無意味に集結してるでしょ? 今度科学部で見物に行くから、ガイドしなさい。」

 

PHASE 168.

 母の病院に行くと嬉しい事があった。

「芳子、おかあさん今週末退院できるから。」
「え? ああ、最近調子良かったからお許しが出たんだ。土曜日?」
「そうね、金曜日でもいいわ。」
「よし、任せて!」

 鳩保張り切る。だから学校でちょっと落ち込んだのは気付かれなかった。
 いつもより長くおしゃべりして、それでも母に疲れた気配が見えなかったので鳩保は本当に安心した。
 だがこれまでの経験からすると、このくらい回復しても家に戻れば長くて3ヶ月でまた体調を崩してしまうのだ。
 抜本的な体質の改善が必要だが、鳩保に許されたゲキの力でも上手くいかない。
 やはり喜味子の言うとおりにゲキ虫を使っての部分サイボーグ化しか無いのだろうか。

「おかあさん、温泉に行ってみない?」
「え? ああ、……何時になるかしらね。家族で旅行に出掛けたのは。」
「退院祝いというわけじゃないけどさ、入院の疲れというのがあるじゃない。家で溜まった用事を片付けるのもいいけど、温泉で湯治てのも悪くないんじゃないかな。」
「うーんでもお父さんなんて言うかな。長く心配掛けてるし。」
「遠くまで行かなくていいんだよ。必要なのはお湯なんだから、温泉の力というかさ。」
「ああ、治療ね。そうねお医者様でも草津の湯でも、て奴ね。」
「いや、それは効かない病気だから。」
「確かに気分を変えるというのは悪くないわね。先生に聞いてみましょうか。」
「うん。爺ちゃんには悪いけどさ、親子三人で、ね。」
「芳子ワガママねえ。」

 ちょいと右手で招かれて頭を抱かれた。うん、これで安心。

 帰り掛け、環佳歩の病室にも顔を出す。
 鳩保の母が退院できると聞いて、彼女も心から喜んでくれた。

「わたしも、二学期からは学校に戻れそうな気がするの。」
「うんうん。だいじょうぶだよ。一年生の時は大丈夫だったんだから。」
「そうね、……ほんとうにそうなのよね……。」

 やや無責任な鳩保の言葉に、環佳歩も自分に言い聞かせるように応える。

 そんなこんなで時間を潰していると、いつの間にか7時になっていた。
 夏の日は長いとはいえ、さすがに道も暗くなってくる。病院内の空調に慣れた身体に、外の熱気が押し潰すかに迫る。
 前に魚肉人間が殺到してバトルロイヤルになった駐車場に、一人佇む影が有った。
 鳩保の目が敏感に反応する。これは紛れも無く魚肉宇宙人、長身細面黒ずくめの女。眼は糸のように細く顔色は青く黒髪はあくまで長く、ついでに黒いケモノ耳が尖る。手には得物を持ってない。
 自分の正体に気付いたと知り、それは近づいてくる。性懲りも無く襲撃か?

『あの〜』
「なに?」
『すいません、”狸塚”って所はどうやって行けばいいでしょう?』
「え? むじなづか?」
『ご存知ありませんか? 困ったな、どこにあるんだろう、そこで大事な会合が有ると聞いたのですが』
「あの、あなた、宇宙人よね。」
『ええ、ごらんのとおりです』
「宇宙人なら情報処理装置で検索とかすればいいんじゃないかな。」
『そうですよねえ、わたしもそう思うんですが、裏コード地名らしいので無理なんです』
「裏コード!」

 鳩保も宇宙人仁義に則った特殊な慣習を知っている。裏コード地名は別名幽霊地名とも呼ばれ、確とした座標が定まっていない。
 知っている人だけ行くことが出来て、知らない人は行けないセキュリティが施されているのだ。コンピュータ等で検索すれば即道筋が変更されて永久に辿りつけない。
 というか、他人にそんなものを聞いただけで、この宇宙人失格だ。

 どん、と女は破裂した。ピンクの肉片ぬるりと粘りつく透明な液体が弾け、鳩保の白い夏制服もしたたかに濡れてしまう。
 セキュリティ保護の為の通常手順として、違反者は破壊された。

「……さいてえだ。」

 今日はとことんツイてない。

 

PHASE 169.

 家に帰り着いた鳩保は、父と祖父から呆れた驚きの目で見られる。

「芳子、なんだその姿は、」
「言わないで。」

 そうは言っても、全身に妙にてかてかする粘液を被り、嫌な臭いを漂わせる娘を放っておけるはずも無い。
 祖父が軽口を叩くかに尋ねる。

「狐にでも化かされたか。」
「むじなよ。」

 時刻は8時過ぎ。本来なら鳩保が夕食の支度をする所だが、男二人でとっくの昔に済ませていた。
 ともかく風呂に入って来い、と言われて素直に引き下がる。

 鳩保の家の風呂は一般家庭より少し広くて、古くて、浴槽までもが小さなタイル貼りになっている。
 遺体のお灌をする洗い場に見えなくも無い。もちろんそんな風に使った例は無いが、病院だからどうしても考えてしまう。
 素っ裸になって風呂椅子を蹴飛ばして定位置に持って行くと、ちょうどシャワーが浴びれる形になる。
 ねばねばがかさかさになって臭気を漂わす粘液を再び液体化しつつ、流し落とす。バストの形に沿ってゆっくりと落ちて行くのを無感動に眺めていた。

 今日はどうにも調子が悪い。バイオリズム最低だ。運気のどん底と言ってもよい。
 だが原因は何だ? 自分に有るとは思えない。物辺村の仲間達が鳩保抜きで企んでいる。
 なんだろう。優子の美しさから考えると、それは善い事だ。悪事を働く際に鳩保を抜きにするのは有り得ない。
 つまり私は悪の女!

「いや、いや。」

 考えが妙な脇道に逸れてしまう。鳩保シャワーの湯の中で頭を振って考え直す。

 鍵はみのりちゃんだ。あの子はいい子だ悪事はしない。
 正確には、鳩保等が悪事をするのには付いてくるが、真の犯罪的行為には絶対携わらない。それを止める為にいつも居る。
 現今の情勢下にあって善い行いとはなんだろう。世界平和か、貧困飢餓の撲滅か、それとも日本経済の復活か、風雲急を告げるアメリカのサブプライム問題の解決か。
 有り得ない。
 そういう公共的問題には優子は何の興味も示さず、故に善行とは捉えない。あんな風には変貌しない。
 もっと卑近なものだ。些細な幸福だ。物辺村内部で収まるような話だ。コスト的にはゼロ円で済む、いかにも女子高生ぽい事だ。なにせケチの花憐ちゃんも一枚噛む。
 で、鳩保を仲間外れにする。

「なにか、こんなこと前にも有ったような気がする……。」

 

 風呂から上がった鳩保はTシャツホットパンツに着替えて、扇風機全開。台所でひとり寂しく夕飯を食べる。
 近所のおばさんからもらったアラカブの煮付けがおかずだ。物辺の海で漁れた、これまた金の掛かってなさそうな善意の形。
 食べながら、居間のブラウン管25型地デジ非対応アナログテレビで野球を見ている祖父に話し掛ける。ちなみに2008年現在物辺村ではデジタル地上波放送は「映らない」。
 父は書斎という名で呼んでいる自室に既に引き上げた。母が居ないのをいい事に、趣味の木の板恐竜模型でジュラ紀の草原と化している。これも、帰ってくる前に容赦無く片付けよう。

「ねえじいちゃん。おかあさん、温泉に行っても大丈夫かなあ。」

 娘であり妻であるところの鳩保このみが今週末にも退院出来そうだ、という話は既に二人は知っている。鳩保がバスに乗る前に電話で伝えた。
 だからそれ自体は話のネタにならない。家族三人共通の懸念は、いつまた体調を崩して入院せねばならなくなるか、一点である。

「おんせん? なんだ?」
「だから湯治よ。体質改善に現代医学では足りないところは、伝統的常識的手段を考えてみようて。」
「湯治か。それはまた古典的な方法だな。」
「効かない? いや、おかあさん大丈夫かな。」
「あー、そりゃ大丈夫だ。前にそういう患者も見たこと有る。湯治に行って、……あんまり効果無かったな。」

 がっくりだ。まあそれで済むならとっくの昔にじいちゃんが考えてるか。

「よしこーあのな、お前に言っておかねばならん事がある。聞くか。」
「うん……。」

 今日はとことんまで落ち込む日なのだろう。祖父の声のトーンの下がり具合に鳩保塗りの箸を咥えながら覚悟する。

「このみの病気はな、原因不明という事になっているが、これは半分正しくて半分間違いだ。」
「ふむふむ。」
「もちろん現代医学で分からないというのは本当だ。だが見たこと無い症例じゃあない。特にここ物辺島ではな。」
「風土病? 固有の。」
「そう言ってもいいか。理由は分からんが妙に体調が狂い、動けなくなる。島から離れると元に戻るが、治ったと思って島に帰るとまたぶり返す。」
「じゃあずっと島から離れていたら?」
「元気になるが、或る日突然ぽっくり逝く。患者は自分でもそれが分かるんだろうな、皆帰ってくるよ。で、調子が悪くなってまた島を離れる。」

 祖父の言うのは、治らないという意味だ。まあ分かっていたけれど、なにせ原因が判明しなければ処方も立てられない。

「つまり温泉に行っても体調が急に悪くなったりはしない、ね?」
「儂がこれまで見た限りでは、そういうものだな。」
「じゃあ温泉行くよ、無理にでも。精神的なリフレッシュを優先した方がいいみたい。」
「うおあ。」

 祖父の生返事は、贔屓のチームがホームラン打たれたから。8回表3点取られて逆転された。

 

PHASE 170.

 物辺島は元々鬼が流れ着いたからこの名を持つわけで、最初から縁起が悪い土地である。
 本土から離れているから江戸時代までは牢屋も作られていた。藩の身分の高い反逆者や影響力の強い人物が閉じ込められている。
 城ヶ崎家はその牢番でもあった。
 閉じ込めたと言ってもここは鬼の社物辺神社の管轄、治外法権で常民には属さない自由な勢力が巣を作っており、それら反逆者の薫陶を深く受け続けてきた。
 案外とインテリな島なのだ。

 だから風土病の一つくらい無いと形が付かないと考える向きもある。
 古くから住んでいる爺さん婆さん連中に聞いてみると、それは鬼神様に魅入られたのだー、とまことしやかに返ってくる。言ってる本人はぴんぴんしているが。

 鳩保考える。
 ゲキのせい、なのだろう。ゲキロボットの構成要素たるゲキ虫が物辺島土壌中にわんさと棲んでいる。これが人体に影響を与えないはずがない。
 してみると、喜味子の言うゲキ虫を使っての半サイボーグ化も別の側面が見えてくる。
 既に人体内に侵入したゲキ虫を適切に制御すれば、体調は回復するのではないか。
 あるいはゲキ虫の電波か行動が影響しているのかもしれない。余剰エネルギーが人体DNAに欠損を生じたりもするのだろうか。

「わからん。」

 ゲキの力を授かっても、すべてを理解したわけではない。人間の、個人の理解力を越えた知識は処理出来ない。
 わからんものは分からない。この話は考えるのは止める。

 

 さて翌日なわけだが、優子喜味子の様子は月曜日とまったく同じ。
 長い黒髪はつやつやとますます輝きを増し、喜味子は昨日の追試の結果がぎりぎりすれすれであった、とまたしてもパニクっている。
 鳩保の方を振り向きもしない。
 アルも居ない。今日も東京だ。

「考えてみれば、……こんなもんだったかなあー。」

 校舎屋上。風に吹かれながら鳩保四月を思い出す。

 二年に上がってクラス替えで、優子は一年生の時も同級生であったが、喜味子が加わって、
 だからと言って物辺村出身者で団結をしていたわけでもない。むしろばらばらだ。
 鳩保は勝手に男子と遊んで全女子の顰蹙を買いまくっていたし、優子は変態の名を恣にして周囲から浮きまくっていたし、喜味子はあれだからそりゃあもう人類からかけ離れまくってたし。
 そんな物辺村が結束すれば、大迷惑極まりない。
 互いに示し合わせたわけではないが、付かず離れず学校内では独自に動くのに干渉しない態度で過ごしていたはずだ。
 花憐は一組で遠く離れて二年生美少女カルテットで名を轟かせていたし、みのりは陸上部で一生懸命砲丸やらハンマーを放っていた。
 各々勝手にやっている。

 ゲキに遭遇するまでは、こんな感じだったのだ。

「要するに普通になった。ふつうのにちじょうを取り戻すのに成功した、てことか。」

 北海道の惨事から2ヶ月。ばたばたと忙しかった自分達も平静に戻っていい頃だ。
 背後に魚肉宇宙人が立っていなければ、だ。

「なんだい?」
「げひひひ。お困りのようですね。」

 黒髪巻き毛の白い肌が夏の陽光に輝く美少女が鳩保に話し掛ける。
 鳩保、目を細めて警戒する。此奴に心を読まれてはならない。

「こまっちゃいないさ。夏の予定を考えていたのさ。」
「お母様が退院なされるようですね。温泉旅行をお考えで、」
「なぜ知ってる?」
「病院のスタッフに廻し者が。あ、ちゃんとした地球人ですよご心配なく。ただ単にお金で転んだだけの。」
「その程度なら許すくらいに、今の私達は寛大になっている。うん。」

 美々世は鳩保の隣に並んで同じ物を見る。校舎の上から眺めれば、遠く門代観光風致地区の美しい姿があった。海は狭いが青くて、自由な感じがする。
 鳩保の顔を見ないままに、魚肉は喋った。

「わたしたちしゅぎゃらへりどくとにも夏の予定がありまして、」
「宇宙人は年中無休ではないのか。」
「夏休みくらいありますよ。人間世界の都合に合わせて、わたしたちも活動します。当然です。」
「うん。」

「ぶっちゃけ魚肉合成人間の在庫が切れました。ここは民力を蓄えて内政に専念すべき時期です。」
「孔明の献策だな。」
「だから当面は戦闘行動を控えさせていただきます。勝手にしてください。」
「あんたたち、そんなに戦っていたんだ?」
「血で血を洗うとはまさにこの事です。ここ500年、こんなに忙しかった例はありませんよ地球上では。
 それにわたし個人でやりたい事もありまして。」

 美々世、振り向いて笑う。これは正真の美少女の微笑み。

「何?」
「おとこあさりなど。せっかく美少女の姿をしているのですから、資源は有効に使わないと。」
「おう、頑張れ。」
「はい。あ、アルバート・カネイさんは対象ではありませんから。念の為。」

 余計な気は回さなくてよろしい。

 

PHASE 171.

 みぃちゃんがしょんぼりしていた。
 屋上から階段を降りて来た鳩保はばったり出くわす。会いたい時には会えなくて、特に用事が無ければ遭遇する。世の中そういう風に出来ている。

「どしたのみのりちゃん。」
「あ、ぽぽー。どうもしないよ。どうもしないけど、どうもしないよ。」
「どうしたんだよ。」

 背中を丸めていたのを伸ばして、大きく息を吸って、みのりは答えた。

「……陸上部、辞めてきたんだ。」
「そりゃまたどうして。」

 みのりは背は低いものの小学校の時分から運動には優れ、体育会ではいつも一等賞。中学校に上がっても陸上部で走ったりモノを投げたりと、結構な活躍をしていた。
 高校生になってからはさすがに身長の差が効いて成績は伸びなかったものの、頑張って練習に励んでいた。
 それが、ゲキの力を受け継いた後は練習に参加する余裕も無く、暇を見つけて顔を出して少しの時間でもとやってはいたのだが。

「ダメなんだ。」
「いや、また元みたいに頑張ればいいじゃない。夏休みになれば練習の時間も取れるようになるよ。」
「ダメなんだ。わたしもう、陸上出来ない。」

 思ったよりも深刻な事態。鳩保驚いてみのりの傍に寄る。93の乳がちょうどみのりのお猿さんみたいな頭と同じサイズ。

「なにがあったの? 宇宙人、宇宙人が邪魔をするの?」
「ダメなんだ。砲丸投げても、ハンマー投げても、わたし、」
「飛ばないの? どこか怪我をして、」
「飛んじゃうの。オリンピック記録を大きく超えちゃって、どう見ても普通の女の子じゃなくて、」

 涙ぐむ。立って棒のように固まったまま、みのりは泣く。
 鳩保もどう慰めていいか分からない。ゲキの力の副作用か。格闘戦においては無敵を誇るみのりは身体能力が強化され、オリンピックどころか人類史上最強の肉体強者と化している。
 こんな人間が高校生女子の陸上競技大会に出場すれば大混乱必至。ドーピングを疑われるどころではなく、それこそ宇宙人扱いされるだろう。
 童みのりが陸上部を辞めたのは冷静客観的な判断であり、妥当なものだ。
 しかし、だからこそ悲しい。

「ごめんねみぃちゃん。気付かなくて。」
「ぽぽーが泣くこと無いよお。」

 廊下に立ったまま二人は数分抱き合った。
 だがなんとか出来る問題でもない。諦めるしか術が無かった。

「もういいよ、ぽぽー。別に運動を禁止されたわけじゃないんだから。」
「そうそう。もっと広い所で、アフリカのサバンナでライオンを蹴飛ばすくらいの派手な運動をすればいいんだ。」
「あはは、うん。そうだね。」

 アフリカ→ライオン→獣、という連想で鳩保は昨日の不快な経験を思い出す。

「あのさみぃちゃん、」
「なに?」
「狸塚って知ってるかな、この近所で。普通の地名でなくて、……ほら宇宙人の裏コードで、」
「知ってるよ。何度も行った。」

 行ったのか。

「どういうとこ?」
「獣型宇宙人の集会所だよ。ご飯食べたりもするんだ。」
「けものがたうちゅうじん、なんだそれは。」
「美々世さんは人型宇宙人でしょ。元々人間の形に相性が良くて、人間の思考や感性と近い存在だから、人間の形を取って人間社会に入り込んでる。
 獣型宇宙人は元々が動物のような体型で動物のような生態で動物みたいに考えるから、地球に来ても動物型をしているの。」

「はあ……。」
「でもあの人達も人間社会で活動しなくちゃいけないから、普通は二足歩行で歩いてるじゃない。」
「歩いてるのか。」
「狸塚に行ったらそれやめて、四足歩行していいんだよ。そういう場所なんだ。」
「うう、理解しました。」

「他にもね、クラゲ型宇宙人とか昆虫型宇宙人、魚型、植物型、キノコ型、時計型宇宙人とかも居て、それぞれに集会所を設けてるんだよ。」
「人型って少ないの?」
「人型は基本だから。でもくつろぐ時は楽な姿勢になりたいでしょ。」
「……服を着替えるみたいに?」
「そうそう。」
「昨日死んだ奴もリラックスしたかったのだな。成仏しろよ。」南無

 

注)「天空の鈴」星人こと舞 玖美子さんは、この分類だとクラゲ型宇宙人に属します。空中をふらふらして触手を使うので、当然です。

 

PHASE 172.

 やはりすべての黒幕は物辺優子である。
 鳩保本来は短兵急が信条。直撃こそ最善の策と教室で仁王立ちする。
 優子は黒髪を机に拡げて眠っていた。悪戯し放題だが、そんな度胸の有る奴は鳩保しか居ない。

「おい優ちゃん、起きろ。」
「ZZZZZZZZZZZZZZZZZZZ」
「そんな古典的な寝たふりはやめろ。起きてるのは知ってるんだ。」
「ZZZZZZZZZZZZZZZZZZZ」
「パンツに手を突っ込むぞ。」
「WELCOME〜」

 さすがに起きた。頭だけをくりっと上げて、大乳を拝む。

「なんだよ。」
「何を企んでいる。正直に白状しろ。」
「世界征服。」
「それはいつものことだろ。今やってるのだ。」
「人体錬成。」
「まだ孕んでない!」

 鳩保に気合が入ってるので、仕方なしに身体を起こす。こう暑いと眠って体温を下げなきゃいけないのに、わからん高血圧女だな。
 ちなみに門代高校の教室にクーラーなんぞは存在しない。熱い。脂汗流すほど死にそうに暑いのだが、このまま夏期講習も敢行する。

「芳子なに?」
「私に隠れてなんかやってるでしょ。」
「うん。」
「白状しろ。」
「あんたの前の男と連絡取り合って、アルと決闘させようかと、」

 うわっと鳩保、優子を抑えつけた。こいつ何を口走る。
 ほら見ろ、周囲の連中までこちらに注目する。

「優子、もっとまともな事を言え。ほんとは何をやってるんだ。」
「今のは口から出任せだけど、……悪くないアイデアだ。スケジュールに入れておこう。」
「きさまあ〜。」

 のれんに腕押しで埒が明かない。もともと蛇女みたいに叩いても引っ張っても堪えない体質なのだ。マゾ耐性も持っている。
 恐れ知らずの天竺少女シャクティさんが、これは是非とも聞いておかねばならぬと、優子に質問を浴びせる。

「鳩保さんの前の男って、どんな人? ね。」
「うちの縁者でねえー、歳は25、いや今年は7か。」
「おおお! 10歳違いですか。」
「ロリじゃあないんだけど、芳子の方がむりやりに噛み付いて、」

「あーわー、こらやめろばか。」

 ちょうど上手い具合に予鈴が鳴る。教室外から返ってくる者でごった返し、追求もそこまでとなる。
 が、そういう話であれば聞く対象はもう一人居た。
 嫁子もシャクティさんも喜味子の近傍に席があり、当然こちらに質問をぶつける。

「知ってる?」
「知らないことはないけど、短かったよ。高校に上がる前の春休みだけだし。」
「いい! それがいい!」
「うんじゃあねえ、」

「こら喜味子、バカをしゃべるな。」

 消しゴムが飛んでくる。喜味子のデコに見事に当たった。
 鳩保の取り乱しようから、クラスメイト全員が悟る。あ、こいつ、その人をまだ好きだな終わってないな。

 

PHASE 173.

 騒動の結果、鳩保は本格的に二人から無視された。自業自得だ。

「で、またここに来たわけだ。」
「はあ。」

 科学部である。まゆちゃん先輩である。コーヒー党であった。
 備品の電気ポットからお湯を注いでインスタントコーヒーを淹れてくれる。暑い時は熱いもの、という理屈だ。

「今何作ってるんです?」
「レールガンも巡航ミサイルもレーザー銃も作っちゃったから、今度はディフェンスの方を考えようとCIWS(近接防御システム)を、個人用のね。」
「どうやって?」
「飛び出すハエ取り紙、と言った方が正しいかな。対象をくっつけて取り押さえる銃だよ。」
「また実用的な、」

 無糖であった。さすがに苦いから鳩保砂糖のスティックに手を伸ばす。
 スプーンでかき混ぜながら、先輩を見る。この人はマッドサイエンティスト・プロデューサーだ。だから話せる事も有る。

「せんぱい、宇宙人て信じますか?」
「宇宙人が売りつけに来る壷とか水晶玉は買っちゃダメだよ。」
「いえ。地球に宇宙人が来ている、という話です。」

 なにを言うのだ、と先輩は鳩保の目を見る。まゆちゃん先輩は重たい前髪の下にくりっとした瞳の、愛嬌のある顔だ。
 しかし、案に反して肯定の意見が戻ってくる。

「信じた方がいいのかもしれないな。天体観測班は最近立て続けに妙な飛行物体を観測したという報告ばかりだ。」
「あ、そんな事態になってましたか。」
「とはいえUFOとも言い難くてね。見るかい?」

 と脇に置いてあるノートパソコンを引き寄せる。開いて写真のフォルダをクリックした。
 示される画像に、鳩保息を呑む。

「これ!」
「どう見てもUFOじゃないだろ。六月の開港祭りの頃だよ。」

 人型だ。人間が空を飛んでいる。髪が長いから女であろう。後頭部にリボンらしきとんがりが有る。
 花憐か。魚肉バトルロイヤルで門代地区の上を跳ね回っていた時に、ばっちり撮影されている。ドジ踏みやがって。
 まゆちゃん先輩は、はてさてどうしたものかと考え込む。

「これ、宇宙人と見做したほうがいいと思う?」
「え、えーどうでしょう。ここまでくっきりと、顔は写ってないですけど、こう人間ですと、トリックを疑った方が、」
「だよねえ。
 こんなのもある。」

 次が、猫男だ。野良猫が10匹ばかり会合する中に、よれよれの背広を着た猫男がしゃがみ込んでうなだれる。どうにも辛気臭い。
 あまりにもはっきりくっきりナチュラルで、合成写真と疑う事すら出来なかった。
 汗。

「このしゃしんはあー、」
「同じ頃、(相原)志穂美が撮った。最初は信じられなかったらしいけど、まあこれ見ての通りに猫だろ。猫が猫の中に居るのは極めて自然だと納得してだ、
 あーそういえば公園で捕まえ損なった時に、鳩保あんたのとこのものべ……」
「わーわー、そ、そうですか。相原先輩は猫が好きなんですかしらなかったなあははは。」

 まゆちゃん先輩と志穂美神先輩は同じ軟式野球愛好会に所属する。
 こう繋がるか! と鳩保冷や汗流しまくり。すっかり涼しくなった。

「CIWSも猫男対策なんだ。薙刀の本身で打ち掛かっていっても爪で受け止めたというから、ここは粘着力で拘束するべきではないかと考えてね。」
「それは素晴らしい是非ともそうするべきです。ははは、じゃあ今日はこのへんで失礼致します。いや諸君頑張ってくれたまえ!」

 開発作業に汗だくで勤しむ男子部員に大きな声で挨拶して、科学部部室から遁走した。
 いや世の中、どこに何が転がってるか知れたものじゃない。

 鳩保、戸口から再び顔を出す。

「先輩、狸塚ってご存知ですか?」
「むじなづか? いや、ここらへんの地名じゃないでしょソレ。」
「ですよねー。」

 まゆちゃん先輩、さすがにそこまでは知らなかった。鳩保胸を撫で下ろし安堵の息を吐く。

 

PHASE 174.

 村に帰った鳩保を白ワンピの小学生二人が出迎える。

「ぽぽーねえちゃん、」
「でへへへえ。」
「あー、そういやあんたらの面倒も見なくちゃいけなかった。」

 物辺優子の従妹の双子小学生美彌華&瑠魅花だ。喜味子から悪魔ケイタイをもらって猿の様にいたずらに邁進する。
 このケイタイは毎日悪事に使っていないかチェックするのだが、喜味ちゃんは今忙しい。よって鳩保が代行する。
 鳩保首の後ろの見えない受話器を取って、梅安のクビに電話する。

 梅安は便利であった。
 そもそもゲキの力を授かった5人の少女達の見えない電話はそれぞれに異なった機能を持ち、故に一人ひとりでは能力に偏りがあって不便な場面が多々有る。
 しかしゲキのロボットの端末でありヒューマンインターフェイスである梅安に連絡すると、可能な限りのアドヴァイスをしてくれる。またロボを遠隔で操作出来た。
 喜味子にのみ許されたゲキロボマニュアル参照機能、花憐にのみ許される宇宙人・未来予測情報も不完全ながらアクセス可能だ。
 機能の共有が叶うわけで、これまで以上にロボの超能力を活用している昨今である。

 梅安はまた双子少女の携帯電話も管理しており、悪事の数々を教えてくれる。

「……まあ、やりもやったり29件か。万引き窃盗覗きに立小便! なんだこれは。被害総額6万3521円。」
「おー。」
「おー、たったあれだけでもそんな金額になるのか。」

 なにを感心しているのか悪魔双子は。
 だが計算が合わない。駄菓子やビーズ玉のアクセサリをかっぱらったところで、こんな大金になるはずが無い。財布をスったわけでもないから、

「お前たち、何を盗んだ?」
「いやー、万引きはいけませんやぽぽーの旦那、ちっとも面白くない。」
「儂ら世界的芸術怪盗としては、スリルもサスペンスも無い安全極まりない犯罪なんざ美学に反して、コカンがうずくであるすよ。」
「あー、近所の駄菓子屋を苦しめるのはもうやるんじゃないぞ。」
「へい、旦那。」

「で、金目のものは何を盗った?」
「これでさあ。」

 鉄砲の弾である。ちょっと曲がったマガジン1個に実弾が詰まっている。拳銃弾ではない、大きい。
 鳩保、梅安が伝える盗品リストを眼前空中に立体表示させて調べて見た。いかにもSFだが、正直携帯電話の画面の方が使い易い気がする。

「M-16A4の弾倉1個、M855弾20発。これか。」
「でへへ。」
「こんなもんどこから取って来た。」
「古い小学校の方。」
「小浦小学校? あそこ閉鎖されてるでしょ。」
「いんや、なんかいっぱい機械が持ち込まれてて、NHKの中継車みたいのが停まってるよ。」
「秘密の研究所みたいになってるんだ。」

 ???

「ちょっと待て、小学校に鉄砲が有るのか?」
「うんにゃ。小学校の近くの廃工場に米軍基地があるのだ。」
「きちぃ〜?」
「うん。米兵が20人くらいも居て、そこからかっぱらって来た。」

 もちろんそんなものは有り得ない。米軍キャンプはここから百キロも離れた海の先で、実包を用いる訓練を市街地で行えるはずも無い。
 どう考えてもNWOから派遣された守備部隊だ。小浦小学校もいつの間にかNWOの基地にされたに違いない。

「こんなのもあります。」
と妹の瑠魅花がちゃらちゃらと提出したのは、さらに大きな鉄砲の弾。3発もある。

「M2重機関銃の弾、.50BMG。ああ戦車の上に付いている機関銃の弾か。戦車も?」
「いや、車だけだよ。」
「戦車は無いな。」

 こんな馬鹿でかい鉄砲の弾で撃たれたら、人間爆発してしまう。NWOが想定している敵には大口径が必要という事か。

「まだあるよ。」
「M203グレネードランチャーの弾M433、40ミリの多目的榴弾……。」

 手榴弾というよりは小さいスプレー缶のような弾だ。爆発したら神社めちゃめちゃになってしまう。

「おまえたち、こんなもの取って来てどうするつもり……、待て、どうやって盗って来た? 兵隊居るんだろう近づけないだろ。」
「そりゃ潜入工作で、」
「鍵とか掛かってるでしょ。」
「でへへ。」

 双子が示すのはケイタイだ。喜味子が作った悪魔携帯電話には種々の迷惑な機能が付いている。

「わたしたち研究した結果、こいつのシューティング機能てのは実はマジックハンドだと判明しました。」
「ビーム銃じゃないの? 喜味ちゃんからはそう聞いてるけど、」
「わたしたちもそのつもりだったけど、鳥を撃ったらそのままこっちに持って来たからマジックハンドだな、と。」
「はー。」

 どうりで弾ばっかり持ってくるはずだ。あまり重たい物は保持できなくて、缶詰くらいのサイズが精一杯なのだ。

「有効射程はどのくらい?」
「100めーとるくらい。それ以上だと手元が見えない。」
「なるほど、目に見えて細かく操作出来るものなら持って来れるわけだ。万引きがつまらないはずだな。」

 こいつは便利だ。喜美ちゃんに言って私も作ってもらおう。鳩保、悪魔機能の通話料タダにも惹かれる。

「それはともかく、駄菓子屋にはちゃんとカネを払いに行くんだぞ。もうこんな事はしない。」
「へい。」
「それからー、この弾丸は、」

 陸地で処分するのは剣呑、爆発させれば音が出る。海に放り込むのが最善であろうが、芸が無い。
 ぽいぽいぽいと宙に放り投げる。6メートルくらいまで上がった所で、指鉄砲を抜いた。
 三種類の弾丸は立て続けに蒸発する。

 鳩保、出てもいない煙を指鉄砲の銃口から吹き消した。

「すげーえ!」
「ぽぽーねえちゃん、師匠と呼ばせてくだせえ。」
「うむ。」

 

PHASE 175.

 間の悪い奴というのは居るもんだ。
 昨日の今日で、東京からアルフレッドことアルバート・カネイが帰ってきた。
 教室の皆は鳩保の昨日の騒ぎを知っているから、どうにも顔を合わせづらい。一人アルだけが蚊帳の外だ。

「WHY? ヨシコー、なんですか教えて下さい。」
「くな!」

 その芳子が問題なわけだ。
 右を見ても左を見ても男子も女子もなんとなく触り難くて目を伏せる。あるいはきらきらと目を輝かせる。が、教えてくれない。
 鳩保がどんな風に相対するか興味津々で、助け舟を出す気配が無い。
 いや、或る者などは鳩保に嫌がらせ目的でべらべら喋ろうとして、友達に口を抑えられている。

 鳩保本人としては別にバレても構わないのだが、というかそんな中学生みたいな対応をされてもこそばゆいだけなのだが、始末を付けねばならぬ。
 こういう時は攻めに出る女だ。

「アル、ちょいと。」
と、教室の隅ゴミ箱の上に引っ張っていく。

「ヨシコ、なんだこれは。僕が居ない間になにか起きたのかい。」
「まあ詳しい事は説明するまでもないが、昼に食堂でね。」
「うん。」
「だいたいね、あんたもステイツに女の二三人は放り出して来たでしょ?」
「!、……あ。そういう話か。なるほど、分かった。」
「よろしい。」

 振り返ると教室の全員がばっと顔を正面に戻す。上手い具合に朝のホームルームで担任教師が入ってきた。

 

 昼休み。暑い。今週末には夏休みが始まるわけで、もう堪忍の効くレベルではない。
 そもそも夏暑くて勉強なんかやってる場合じゃないから休むのであるが、ここ門代高校にはそんなものは無い。教室にクーラーも無いのにだ。
 それでも幻想としての休み前気分というのが漂う。食堂も常の殺伐とした勢いが翳って、席を楽に確保できた。

 門代高校の食堂は校庭の端、ぐるっと渡り廊下を通って体育館を過ぎて随分と遠くに有る。校庭を真夏真昼の太陽が直角に照らし、土埃のするグラウンドに陽炎を揺らめかせる。
 順番待ちをする者は食堂の外に立たねばならず熱気の直撃を受けた。さすがに耐えきらずに客足は遠のき、却って空いているという塩梅。

 食券を買ってカウンターで料理を受け取り、二人四角いプラスチックのお盆を抱えて席に向かう。
 背の高い大きな彼が乳の大きな彼女の後ろをひよこみたいについて行く姿は、微笑ましくも見えた。

「カレー、ね。」
「日本に来て一番美味しかったのはこれだな。」

 鳩保はきつねうどん、アルはカレーを選んだのだが少し説明が必要だろう。
 門代高校食堂のカレーは、カレーではない。カレーのようなもの、だ。「水カレー」とも称される。ずぶずぶに薄い。
 美味いとか不味いとかの評価とは無縁の存在なのだが、他に選択肢が無い。まがい物でも構わないからカレーをと望む者は数知れなかった。独占企業故の横暴である。
 米人アルバート・カネイは泥縄的に日本に投入されたから、日本料理に関しての知識は少ない。それでも、もっとましなカレーが世の中に有ると知っている。
 知ってはいてもふらふらと手を伸ばすのがカレーの魔力であった。

 鳩保おせっかいに忠告する。

「マシなカレーが食べたければ、シャクティ・ラジャーニさんのお店に行けばいいのよ。」
「彼女の家はインド料理店だったかな。でも日本のカレーはインドのものとまったく違うと聞いているよ。」
「私の聞いた話だと、シャクティさんのおとうさんはインドに居た頃はまったく料理に縁が無く、日本のお蕎麦屋さんとラーメン屋さんで修行をしたというから、本格的日本カレーだよ。」
「ヨシコ、何を言っているのか分からない……。」

 とは言うものの、真夏のカレーが不味い道理が無いのであった。アルは顔全体に汗をかき氷水を喉に流し込みながら、必死でスプーンでかき込む。
 一方の鳩保も、真夏のうどんはやっぱり熱い。もうなにがなんだか分からない。せめて食堂くらいクーラー入れろよ、扇風機でなく。

「で?」
「うん?」
「東京だよ。NWOの会議が有ったんでしょ。」
「いや、うん。フリーメイソンの方なんだけどNWOなんだけど、まあその中間みたいなものかな。」
「どう違うんだよ。」
「フリーメイソンはNWOの母体ではないんだ。NWOの設立にフリーメイソンに属する人達が関わったわけで、イコールではない。そもそもメイソンに命令系統というものは無いんだ。」
「うんなるほど。でも無関係ではない。」
「そこが難しいところで、たしかに優先的に利害関係を結んでいるのは確かなんだ。そのままNWOに関与する人も増えている。その人達がまた別の秘密結社を作っていたりする。」
「メイソン内メイソンか。」
「ロッジ外ロッジと言った方が正しいかな。」

 ややこしい。

 

PHASE 176.

 氷水の入ったコップが透明な汗をかく。

「何の話だったの。」
「あんまり君に言いたくないなあ。」

 アルは背筋を伸ばして周囲を確かめる。今更ではあるが、門代高校内部にだって盗聴器や監視カメラが仕掛けられているのだ。
 物辺村の少女5人がゲキの力を授かったと知れて以来、NWOの監視下にある。無論鳩保等はゲキ虫を使って巧みに欺瞞を掛けているから平気。
 食堂は夏休み前の弛緩した空気の中で、生徒もさほど数は無い。少々突っ込んだ話をしても他人目を引かないだろう。

「七夕祭りで突然明かされた君たち5人の事で、それまでと空気ががらっと変わったよ。」
「そりゃ当然。優子だけが対象だったんだからね、普通のNWOメンバーの理解だと。」
「うんそうなんだ。僕は知ってたんだけど、逆にその他の人が何を知らされていたか今回初めて教えられた。モノベ・ユウコ君が5人の男性と関係を持って、生まれた5人の子供がダイナスティ(王朝)を作る、という話だったんだね。」
「信じる方がバカな設定だな。」
「今になって考えれば、……そうだな。」

 元々宇宙人の力を授かって人間を支配しようてのが夢物語なのだ。嘘の上にはいくらでも嘘を重ねられる。素面では信じようも無い与太話にも真実味が出てしまった。

「で?」
「ここからは言いたくないなあ。君たちを、つまり、NWOに参加している各国でその、分割支配というか所有というか。」
「ああーそれね。優ちゃんが日本ので、私がアメリカの担当、花憐ちゃんがヨーロッパで、みのりちゃんがその他民族、喜味ちゃんはNWO直轄てのだな。」
「なんでそれを!」

 驚くアルに、静かな鳩保。ぺろぺろと水を舐める。アイスクリームが欲しい所だがさすがに学校の購買にそれは許されぬ。

「私たちはそのくらい分析してるんだよ。分かってしまうんだ、あんた達の動きから。で、夏休みは好機だからいろいろ攻めて来るんでしょ?」
「まさにそういう話を聞いてきた。次に交渉を持つのがワラベ・ミノリさんだと、欧米系のメンバーの動きが先行していたのに危機感を持って特に中国系の人が騒いでイスラム系メンバーに飛び火して行動を焦っている。」
「知ってるよ。20世紀的国家間序列がそのまま永劫的に保存されるのかとびびってるんでしょ。」
「インド系の血統だと見るからに証明されているミスシャクティの存在でその懸念は薄かったんだけど、いきなり尻に火を着けられたみたいに慌ててるから、何をしでかすか分からないな。」
「ふむ。物辺村の警戒体制をちと強化しないといけないな。」

 アルは改めて鳩保の分析に舌を巻く。巨大な組織が総掛かりでわずか5人の少女を取り囲んでいるというのに、彼女達はとっくの昔に上を飛んでいる。
 さすがはゲキの力の継承者と敬意を払うべきなのだろう。

「あ、あとスーパーコンピューターを建造する事が決まった。」
「すぱーこんぴうた?」
「うん、ほらジャガーマンの分析写真をくれただろ。あれを解析する為にはコンピューターの能力がまったく足りない事が分かったから、これからも同レベルの資料をもらえるのなら専用スーパーコンピューターが必要だって。」
「あのくらいならいくらでもくれてやるわよ。宇宙人取っ捕まえてホルマリンに漬けてね。」
「それはー、さすがに不穏当な、」
「でもねー、あれって所詮は写ルンですの写真なのよねー。」

 光学フィルムに記録出来る程度の資料なのだ。赤青緑の三原色つまり三次元×3のデータでしかない。
 にも関わらず現在の地球のコンピュータで手に余る膨大な情報を持つのだとしたら、地球人類は何時になったら宇宙に遊びに行けるのだろう。
 ゲキの絶大な力を人類なんかに渡すべきではないのかも知れない。などと、鳩保考えてしまう。

「で、あんた夏の予定は? アメリカに帰るの?」
「まさか。こんな大事な時期にほんの僅かでも時間を無駄には出来ない。ずっとモンシロに居るよ。」
「そうか。じゃあ泳ぎにでも行かないとね。」
「モノベ島で泳げばいいじゃないか。」
「フカが出るんだよ。」
「HUKA?」
「SHARKだよ。」
「OH!」

 

PHASE 177.

 こうして仲良く教室に帰ってくれば、もう何を言う者も居ない。鳩保強引にしてあざとさ200%。

 ちなみに夏休み前一週間とくれば短縮授業のような気がするが、門代高校では見たことが無い。授業日数が減った分の強制補習授業がある。
 こりゃあ教師としては大変なんじゃないかなーと要らぬ心配もするのだ。夏休みを控えて様々に準備もあるだろうに。
 第一夏休みでも教師は教師で講習会とかあるだろう。生徒ごときの夏期講習なんかでそういうのは疎かにしちゃいかんだろ。
 世の中どういう風に転ぶか分からない。教師だって終身雇用がいつまで続くか、生徒なんかにかまけちゃいかん。もっと自分を大切にするべし。

 などと屁理屈を語る阿呆な女が居た。若狭レイヤだ。
 テンパっている、暑さで錯乱を始めている。こりゃあ限界だな、あいつ修羅場に弱いからな。
 気づいた友達が、あいつも友達なんて居たんだ、が引っ張って保健室に連れて行く。あそこではちゃんとクーラーが稼働中。
 もちろん職員室にもあるし、図書館やLL、音楽室等特殊な教室には完備する。
 夏の間くらい開放してくれよお、という切なる願いは却下。三年生様お受験勉強専用である。
 一二年生は蒸し暑い一般教室で汗水垂らして刻苦勉励せよ、との有難い仰せ。若い頃に人工の涼しさに慣れるのは身体への害になる、との信仰が学校を支配する。
 根性試しだな。

 という訳で、既に二年五組の全生徒がエネルギーセーブモードに入っている。気合なんか期末試験でソールドアウトだ。
 鳩保へのツッコミも無しだ。

 

 さて上機嫌の態で、もちろん演技だ、物辺優子を見てみれば黒髪はますます艶やかでまるで炭素繊維のように煌めいている。
 が、熱くて机の上にへばり込む。くるぶしまで届く長い髪なんかぶら下げてたら、そりゃあ蒸すだろう。
 ぱたぱたと下敷きで扇いでやる喜味子も完全視野狭窄状態。一週間ぶっ続け追試だからご苦労様なのだが、この女甘く見てはいけない。
 喜味ちゃんは頭悪いけど要領は悪くない。人間関係不器用だが助けてくれる人は多い。
 忙しくても、悪さをする暇は作ってしまうのだ。

 ふと気付いた。優子が潰れているのは、暑いだけじゃないな?
 これは疲労だ。鳩保に隠れてなにか重労働をしているのだ。しかし根が横着な彼女が進んで労働に勤しむはずがない。
 何をやっている? いややらされている。物辺のバケモノ女を潰す何が起きているのだ。

「ちょいと、」
 喜味子に尋ねようとすると、横から嫁子がついたてに入ってきた。
 喜味子は今大切な時だから、ちょっかい掛けないで。

 それは分かるのだが、聞いても喜味ちゃんパニクってるからまともな答えは出ないだろう、だったらあんたでもいいや。
 嫁子に尋ねる。

「この二人、放課後何してる?」
「え、」
 表情を見て納得、図星だ。鳩保に内緒にしなければならない事を、優子と喜味子が二人してやってるんだ。
 おそらくはみのりちゃんも花憐も。
「なに?」
「え?」
「だから、何をやっているの?」

 鳩保93センチの巨乳を大きく突き出して詰問する。強引、横柄、やぶからぼう、圧迫面接なんか大得意の女だ。
 かろうじて80センチを突破する嫁子の太刀打ち出来る相手ではない。蛇に睨まれたカエル状態で今にもゲロりそう。

 くるっと嫁子が回って喜味子と入れ替わる。嫁子のピンチを見て取った喜味子が肩を引っ張って自分との位置を入れ替えたのだ。
 鳩保、テンパッて寝不足で前日前々日追試の結果の慙愧の念と夏の蒸し暑さに加えての連日の陰謀による肉体的疲労が色濃く浮かぶ喜味子の面を至近距離から直視した。
 白目剥いてるの見ちゃったよお。

 石化の霊力を持つメデューサの首に魅入られるとはこの事か。もし背後にアルが立って支えてくれなければ、鳩保確実に床か机に後頭部をぶつけるところであった。
 背中から回す手が乳を揉む形になってるのも許してやる。

 瞠目せよ。喜味ちゃんはこういう気配りが出来る女だ。いかに精神に余裕が無かろうとも、嫁子危うしと見るや自然と手が動き、巧みに盾となってあげたのだ。
 だから嫁なんか出来るわけだな。

「鳩保さん、はとやすさんしっかりして!」

 あ、この声はいいんちょうの安曇女史だ。シャクティさんの声も聞こえる。
 遠ざかる意識の中、鳩保はしばしの安堵感を得た。皆に特に嫌われたわけでも無さそうだ。

 

PHASE 178.

「貧血?」
「いやー、さすがに喜味ちゃんのどアップは心臓に悪かったよ。」

 母の病院。放課後鳩保は退院に向けた準備を整える為に、病室を訪ねた。
 顔色の悪さは母も見て取ったが、まさか鶏屋のきみちゃんのせいだとは想像を絶する。

「またそんな。きみちゃんに悪いでしょ。」
「最近はずっと一緒に居たから耐性が出来たと思ってたんだけど、そんなことは無かったよ。」

 母はさすがに娘の口の悪さに閉口する。こんなだから行く先々で無用の衝突を引き起こして、泣いて帰るのだ。「泣き虫よっちゃん」はちっとも治らない。
 それに比べるときみちゃんは偉い。何度叩かれても平気で、友達やめないのだから。

「でさ、喜味ちゃんも優子も花憐ちゃんもみいちゃんも、なんか私に隠してるんだよ。学校でこそこそ逃げ回って、こっちの方ちらちら見て、何も教えてくれなくて。」
「何か聞いたような話ね、それ。」
「そうなんだ。たしかずっと前にも似たような事やられたような気がするんだけど、思い出せない。」

 母は覚えているのだが、娘に教えてやらない。

「それで、芳子はどうしたの?」
「え、えーとー、優ちゃんは髪引っ張ってみても反応無くて、喜味ちゃんに……消しゴムぶつけた……。」
「こら!」
「すいません、」

 両腕を上げて頭をかばう鳩保。母は叩きはしないけど、こんな所はまだ子供だ。
 しっかりした大人っぽい娘、というのが鳩保のウリなのだが、実際は泣き虫で寂しがり屋で虚勢を張ってごちごちと周囲にぶつかりまくる不器用な子であった。

「芳子あなた忘れてるそれって、村のみんなから仲間はずれにされたってのは、中学一年生の時のお話よ。」
「中学?」
「そう。おかあさん入院してる時に、あなたあの時も寂しくて落ち込んでたでしょ。」
「えーそうだったかなー?」

 自分に都合の悪い話はころっと忘れるのも、鳩保の悪い癖だ。
 小学校を卒業して中学校に入学する忙しい時に、母このみは今のように入院して手を掛けてやれなかった。
 もちろん鳩保は不満な素振りなど毛程も見せず、だが無理があって母の前以外では結構荒れていた。余裕が無いから配慮が出来ず、衝突する。
 新入生で新しい友達が出来る時にこれは最悪だ。たちまちクラスで孤立する。

 で、事もあろうに物辺村の仲間達からも無視されてしまう。

「中学校に上がった時よ。」
「う。なんか嫌な記憶が有る。」
「あの時もおかあさんの所に、優ちゃんに無視されたーって泣きに来たじゃない。」
「お、おぼえてないなHAHAHA。」

「あの時は何でしたか?」

 母の謎掛けに鳩保首をひねる。嫌な記憶だから覚えてないふりをしているが、これは絶対に忘れてはならない事なのだ。
 それのおかげで鳩保は心を入れ替えてクラスに馴染んで後は平和に学んでいけた。

「え、えーとー、あれはたしかー、……誕生会、だっけ?」
「そうよ。芳子に内緒でお誕生会を準備してくれていたんじゃない。」
「     おもいだした    。」

 そうだ。母が入院して落ち込んでいた鳩保を元気づける為に、4人で誕生会をしてくれた。
 考えてみれば凄いことだ。鳩保裏が読めないからただ単純に無視されたと感じて、4人に当たり散らしたのだ、あの時は。
 今思い出しても赤面で顔を上げられない。
 嫌な記憶ではなくて、恥ずかしい記憶だから忘れたフリをしておいた……。

「でも、今年はもう誕生日過ぎちゃったよ。」
「そうね。四月三〇日は修学旅行の準備で忙しくて、忘れちゃったわね。」
「あ。あいつら今年、なんにもしてくれなかった。」

 いや、ゲキロボと遭遇する前は物辺村の少女達はさほど緊密な関係を持っていなかったのだから、これで正しい。
 鳩保は勝手に男子と遊び回りてきとうに誕生日もクリアして終わったし。
 それに、五月七日は城ヶ崎花憐の誕生日である。北海道で事件の真っ最中で、そんなもの考える暇も無かった。

「……? あれ? じゃあ今あいつら何してるの?」

 

PHASE 179.

 診療所のガラス戸を開けると、花憐が居た。今帰る所で、鳩保と遭遇してびっくり。

「わ!」
「わじゃない。私ん家だ。」

 今日の後頭部のリボンはマンダリンオレンジの色とゴールドの縞。真夏の光に映えるのは分かるが、さすがに学校では使えないから村でのみ装着だ。

「あおかえり芳子、花憐ちゃんが来てくれたよ。」

 どうやら花憐に応対していたのは、祖父ではなく父であったようだ。
 鳩保の父親 鳩保昭嗣は40代の地方公務員、なんとか事務所の課長さんだ。基本的に「普通のおじさん」である。
 ここがポイント。どの村民もなにかしらちょっと違う物辺村において「普通の勤め人」というのは、例外的な存在なのだ。
 小学生時代は花憐も喜味子も、鳩保の父のことを「ふしぎなおじさん」と呼んでいた。
 高校に入って門代地区の中心街とも呼べる場所に通いだして、ようやく「普通」が普通である事を理解したが、やっぱり村では気配が違う。
 小市民的幸福を求める花憐にとっては、或る種の理想的存在でもあった。

 もうちょっと丁寧に説明すると、城ヶ崎家は確かに元庄屋で市会議員の金持ちではあるが、花憐自身は東京なり大阪に移り住んでごく普通の絵に描いたような一般的な安定した結婚生活を送りたい。
 そのモデルケースと成り得る人なのだ。

 鳩保本人にとってみれば、爺ちゃんの後を継いで医者になると結構早くに決意しているから、特に考慮すべき何物も無い。
 ただゲキの力を得て世界が闇雲に広がる現状においては、花憐の夢も鳩保の希望も、どちらもおそらくは叶わないであろう。そのくらいは二人共に理解する。

「それではおじさま、失礼いたします。」
 まさにお嬢様の品格を見せつけて花憐は早々に逃げてしまった。やはり鳩保に捕まるとまずいのだ。

「花憐、なに?」
「いやおかあさんが何時退院するか聞きに来てくれたんだよ。」
「はー。」

 鳩保、皆が何を企んでいるかだいたい読めてきた。そうか、お母さんの退院に合わせて何かするわけか。なるほど、腹を立てる話ではないんだ。
 そうならそうと言って欲しいが、それではびっくりしないという配慮なのだろう。考えてみればみぃちゃんが噛んでいるのだから、悪いようになるはずが無い。

「なあーんだ。」

 家に上がった鳩保は着替えもせずにエプロンをつるっと巻いて台所に立つ。時間が間に合えば夕食の準備は彼女の仕事だ。
 いや、母が入院しているからこそ代わって自分が父と祖父の面倒を見る。それが矜持でもある。

 祖父はもう8畳の和室で卓に着いている。新聞を読んでいた。
 男二人が居て孫/娘にすべてやらせるのは少し酷いかもしれないが、一人でやりたがるのを邪魔すると芳子は怒るのだ。
 おとなしくビールでも飲んで待つのが吉。
 鳩保は冷蔵庫の中を物色しながら祖父に声を掛ける。明日は街のスーパーに遠征して食材を多めに買って来よう。帰ったお母さんは料理をしたがるだろう。

「じいちゃん、新聞取るのやめようか?」
「えっ!」

 びっくりして大きな声が出る。あまりにも唐突過ぎて、想像の外の提案だった。

「何を言ってるんだおまえ。」
「いやだって、夕刊まで取ってる家なんて、もう無いよ。そもそも新聞自体部数がどんどん下がってるて聞くし、時代に取り残されてるメディアなんだよ。」
「いやそれはおかしい。そりゃニュースはテレビで見るのが早いが、字にちゃんとまとめたものを読まないと頭に入らないじゃないか。」
「じいちゃん、インターネットというのは全部字だ。」
「う。うう、それはなにか違うぞ。電気でぴこぴこするのと活字とでは。」
「解像度低いからだよ。最近のコンピューターは画面広くなって字も綺麗に見えるんだよ。ねえおとうさん。」

「あ、いやそれはそうだけど、新聞には新聞の良さがあって、ですよねお義父さん。」
「そうだ。インターネットというのは自分が知りたいものしか出てこないもんだろう。新聞は違うぞ、興味の無いこと聞きたく無いことでもちゃんと書いている。」
「でも今マスコミの情報操作が酷いっていろいろ評判悪くてねえ。新聞の部数が落ちるのもそういう事なんだと思うよ。」
「いや、だが、うんこれまで長年届けてくれてる配達所の人に悪いだろう。」
「物辺村までわざわざ届ける方が面倒だと思うけどね。」

 鳩保強硬也。新聞取るの止めればその分のお金を節約できて晩ご飯のおかずが一品増やせるぞとか考えているから、強い。
 だがさすがに祖父も父もこればっかりは賛同してくれなかった。

「とにかく駄目なものはだめだ。この話は無しだ。」
「芳子、だから新聞はこれまでどおりにだな。」
「夕刊も?」
「そうだ。」
「そうだそうだ。」

 仕方ないなあ。と言ってる内にご飯が出来た。豚肉とキャベツの炒め物と、昨夜の残り物や近所から貰った煮物などなどである。
 味噌汁はなめこ。お味噌汁が上手なのはどこに出しても恥ずかしくない鳩保芳子の美点だ。

 

PHASE 180.

 翌日放課後、鳩保は早々に学校を出て街のスーパーマーケットに行った。
 近所の商店で買えばいいものだが、そもそも物辺村近辺にはろくな店が無く、しかも遠い。自動車を使って買い物をするのならば、門代地区の中央に出かけて行った方が良いものが安く手に入る。
 というわけで、最近出来たこのスーパーはミニ主婦である鳩保の目からしても十分に満足出来る良いお店であった。
 さすが既存スーパーを一店閉鎖に追い込むだけはある。

 カートを押して商品の間をあちこちと縫って回るが、客も多い。鳩保のような遠くからの人を呼び込む為に二階三階が立体駐車場になっているのだ。
 ここの成功の秘訣は、これまでは門代地区に自動車での買い物に重点を置いた店が無いところに出店した事にある。
 他所の土地ではそんなの当たり前だが、他のスーパーチェーンよりもちょっと良い商品を置いて集客力を高めたのがミソ。モノに釣られて遠くからやって来る。

 鳩保今回軍資金をたっぷりと用意する。
 母が帰ってきて料理を朝昼晩自分でやるだろうから、食材はかなり多めに買った。カート丸一個を満杯にするが、あまり多くても怒られてしまう。
 それに夏だ。バスで移動するのにずいぶんと時間が掛かるから痛む物は十分注意しなくてはならない。
 こんな事もあろうかと、クーラーバッグの大きいのを用意してきている。これに氷を詰めて運べば物辺村まで十分に。

「うう、買いすぎた。」
 左右両手に背中まで、と自分の積載量の限界まで買うのはさすがに思慮が足りなかった。バス停まで運んでいく事自体が難儀になる。

「どうしよう……。」

 この時鳩保の脳裏に浮かぶのは、ズル反則である。
 不可視の首根っこ電話を取って物辺村梅安の首と通話する。

”はい、梅安です”
「鳩保だあ、迎えに来てー。」
”かしこまりました”

 寸秒もお待たせせずにゲキロボ二号が出現する。ワープではない、超高速でぶっ飛んできた。
 物辺神社の美少女双子小学生が実に便利に使うのを見て、自分でも利用してみた訳だ。
 ドラム缶サイズの胴体に魚の骨手足が生えたゲキロボ二号はちょうど人間が入る大きさ。とんがりノーズコーンを開けて買い物を突っ込み、自分も、

「入れない……。」

 そりゃあそうだ。荷物を先に入れたら、足で自分が踏んでしまう。

「どうしよう?」
”このまま外に抱えて飛べます”

 二号は口も顔も無いのにちゃんと答える。離れてはいてもちゃんと梅安が管制する。
 双子どもが万引き緊急脱出をする時は、内部に搭乗せずに腕に抱えられて物辺神社裏まで飛ぶ。鳩保も同じ事をすればいいのだ。

「じゃお願い。」
”参ります”

 瞬きをすると、物辺神社の裏御神木の洞の前だ。早いなんてものじゃない。
 ちなみにエネルギーフィールドで覆われているから、移動中風圧を受けて顔が歪むなどの物理的変動は一切感じない。慣性制御も行われるから加速過程も覚えない。
 移動手段としてこれほど理想的な機械は他に有り得なかった。

「偉い!」
”ありがとうございます”

 御神木の中に収められている梅安の首が直接に喋った。こいつの価値は双子も理解したので、前のように金髪のかつらの毛をライターで炙ったりなどはせず大事に保管してくれている。
 鳩保ロボの中から買い物を取り出すと急いで自分の家に戻り、冷蔵庫に突っ込んで再び帰ってくる。

「今度はおかあさんの病院に。」
”参ります”

 早い早い。どこでもドアよりも早い。いきなり病院の駐車場だ。
 ゲキロボ二号はちゃんと人目も避けてくれて、誰も居ない場所で下ろしてくれる。不思議はどこにも存在してはならないのだ。

「戻って。」

 もう居ない。定位置である物辺神社の裏に瞬時に戻る。用が有ればまた呼び出せばいい。
 大満足。

「なんか、初めて宇宙人の超技術の恩恵に与ったような気がするぞ。」

 実際、他人を意のままに操る超能力なんて使い勝手悪くてしょうがない。独裁者みたいに人を従えても、自分の実力や威厳の力ではないと思えば面白くもなんともない。
 みいちゃんも力のせいで陸上部クビになるし、花憐ものべつ幕無しの宇宙人情報に神経をすり減らすし、喜味ちゃんはご苦労さんばっかりで追試だし。
 良い事なんて何も無い。宇宙人の茶番にも付き合わないといけないし。

「まあ一個くらい楽出来てもいいかな。」

 両腕を上げて背伸びをして、鳩保は病院の中に入っていった。
 明日はおかあさんの退院日。

 

PHASE 181.

 二〇〇八年七月十八日金曜日、一学期終業式。

 二十日は日曜日であり、土曜日も学校は無いからこういう羽目に陥る。授業日数が減った分は万障繰り合わせて絶対に取り返すのだから、ちょっと早いくらい嬉しくない。
 が、鳩保芳子にとっては好都合。ホームルームが終われば飛んで母の病院に推参する。
 本来であれば父の車で帰るのだがあちらは通常営業中だから、二人でタクシーで戻った。

「あー、せいせいする。」
 母は背伸びして島の空気を吸った。3ヶ月、途中2度ほど戻ったりもしたのだが、病院で四六時中監視される生活とはおさらば。

「やっぱり家はいいわねえ。」
と独創性のカケラも無い台詞を発した。

 芳子が診療所のガラス戸を開けて、両手には母の荷物を抱えているから肩でだ、呼び込む。鳩保このみはこの診療所で育った。
 待合室にはいつものように常連の婆ちゃんが居る。どこも悪くないのに趣味で病院に来る困った患者さん。

「お早うございます、束田さん。」
「あれーこのみちゃん退院かね、良かったねえ。」
「おかげさまで。ご心配をおかけしました。」

 婆ちゃんは88歳であるが足腰耳もぴんぴんして、病院に来る必要は無い。皆知っているから病人扱いはしない。
 看護師の、こちらも60歳近いおばちゃんだ、幸村さんもこのみを見て微笑んだ。

「おかえりなさい。」
「どうも、お手数をおかけしました。」
「いえ手が掛からない先生ですから、なんて事はありませんよ。」

 幸村のおばちゃんはもう20年も勤めている。つまり鳩保芳子が生まれる前からだ。頭が上がらない。
 看護師であるのだが、芳子の居ない昼間はお昼ごはんを作ってくれたり洗濯物取り込んでくれたりとお世話になりっ放しである。

 そのままにするといつまでも立ち話をしかねないから、芳子は母を荷物でせっついてどんどん奥に追い込んだ。
 またあとでー、と手を振る母。居間に入っていこうとする時に、幸村さんは言った。

「あ、芳子ちゃん。皆来てるよ。」
「え?」

「おー芳子ごくろうさん。」
 診察室から声を掛けた祖父の前に、長い黒髪の女が居る。

「優ちゃん、なにしてるの?」
「なにって診察に決まってるじゃない。」
「え〜。」

 祖父の左古礼医師の前に座って胸をはだけているのは、物辺優子だ。診察であるから恥ずかしげもなく両の乳房を曝してる。
 医者だから当たり前、物辺村の子供たちは皆爺ちゃんが生まれた時から見ているのだから論理的に不自然な所は無いが、しかし。

「なにをしてるんだよどこも悪くないのに。」
「失礼な。結核に罹ってないか、センセイに診てもらってるんじゃないか。」
「けっかくだあ?」

 あれだけぴんぴんしてる鬼女がどの面を下げて肺結核だなどと言いはるのだ。ただ単におっぱい見せびらかしたいから見せているに相違ない。
 爺ちゃんもじいちゃんだ。すなおに聴診器なんか当てたりせず、乳を弾いてやれ。
 母は久しぶりに見た物辺優子にも挨拶をする。母が居ない優子は、小学校に上がる前からしばしば家に来て遊んでいる。

「優子ちゃんこんにちわ。おとうさん、どうなの?」
「問題なく健康だが、ちょっと変だな。ずいぶんと妙な疲れ方をしている。勉強のし過ぎかな?」

 絶対有り得ない。こいつが徹夜勉強でやつれるなんて金輪際ありっこない。
 優子の長い艶やかな黒髪を母の洗濯物の入ったカバンごとがしと掴み、引っ張る。

「じいちゃんもそんないいかげんな。優子、こっちにおいで。」
「あん。」
「芳子無茶をするな。優子ちゃんはほんとに疲れているんだぞ。」
「ぇえ?」
「本当だ。まるで毎晩100メートルを全力疾走して何度も繰り返したみたいな疲労の仕方だ。全身の筋肉もよれよれになってるし。」

 そこまで言われては無茶をするわけにもいかない。
 優子はブラウスを着直してちゃんと胸の前も止めて、素直に医者の注意を聞いている。
 若いからといってあんまり無茶をしてはいけない、何をしているか分からないけれどちゃんと自分の限界を考えなさい、と。

 

PHASE 182.

「おばさま、おかえりなさいませ。」

 これは花憐ちゃん。座敷には花憐喜味子みのりと揃って待っている。
 ここまでは想像通りだが、しかしパーティの用意なんかは無い。違うのだ、企んでいるのはそれじゃない。

「花憐ちゃんまあ、門代高校のミスになったんですってね。すごい、やっぱり華があるわよね。」

 母このみはまったく無警戒に娘と同じ歳の女の子の間に座る。ご丁寧に座布団がきちんと並び、みのりちゃんが台所からカルピスを入れて来た。そんなものウチに有ったのか。
 喜味子が扇風機の向きを母に合わせて、目盛りは弱。ちゃんと気は利いている。
 クーラーはもちろん有るのだが、退院したばかりの母には少し強いかもしれない。病院では室温調整で快適に過ごしていたのだが、退院が決まってからは外の空気を吸って夏の温度に慣らしている。

 優子も診療室から上がってきて、女子高生5人が母を囲む。芳子、なにやら不穏な気配を感じた。

「……ええそうなんです。饗子おばちゃんが私にマッサージの資格を取れって。」
「そうよねえ、喜味ちゃん昔から肩揉むの得意だったわよね。」

 これは芳子が病院で伝えたとおり。喜味子が居て話をするとなれば、当然話題はそちらに向かう。いくら母でも心にも無く「喜味ちゃん綺麗に成ったわねえ」なんて言いはしない。

「病院で毎日寝てばかりは疲れたでしょう。ちょっと肩を揉んでみましょう。」
「あらそう? ありがとう。」

 ちょっと待て! と喜味子を制止しようとする芳子を、左右を固める花憐と優子がしがみついて止める。
 母の前にみのりが進み出て、いかにも愛らしく両手を取った。みのりちゃんはポケットモンキーみたいな容姿で、物辺村の皆から可愛がられている。
 その姿に不審は無いが、手の取り方を見て芳子は血の気が引いた。
 拘束。暴れて跳ね回らないよう動けなくする持ち方だ。もちろん軽く触っているだけで母はまったく気付かないが、間違いない。

 喜味子が母の背中に回り、両の手の指をウォーミングアップに蠢かせた。なんだあの動きは、陽炎が揺らめくかに見えないじゃないか。
 まさか、やるのか。猫男ジョシュア・ガリクソンを屈服させたあの指技を、使うのか。

「じゃあ行きますね。」
「はぁい。」

 やめろお。叫ぼうとする芳子の舌が凍りつく。優子が極めて軽く電撃を流していた。舌だけを痺れさせるとはなんというハイテクニック。
 母の肩に喜味子の指がわずかに触れる。

「くけぇ」

 がく、と母の首が落ちる。瞬時に意識が飛んだ。
 喜味子の指は構わずに肩から背筋、首、鎖骨の辺りを極めて弱くに押して、終了。
 はっと、母は目が覚めた。

「え? 喜味ちゃん今なにかやったの。」
「終わりましたよ。疲れは取れたと思います。」
「……、あらほんとう。肩が軽くなってる。やっぱり上手ね喜味ちゃんは。」
「でへへ。」

 芳子、左右の拘束が緩んだので勢い良く立ち上がる。てめえら何をやらかした!
 と声に出さずとも分かるので、3人は芳子を自分の部屋まで連れて行った。みのりはそのままこのみおばちゃんとお話だ。

 

PHASE 183.

 鳩保の部屋。戸の襖を閉めて激昂した。もちろん声は潜めてだ、母に聞こえたら大変。

「喜味ちゃん、だからゲキ虫の治療はやらないって言ったでしょ!」
「やってないよ。」
「いや絶対何かゲキロボの力使ったでしょ。間違いない、しかも全員グルになって。」
「それはあれだから、」

「そうだよ。やっちまったんだよ。」

 人の神経を逆撫でする優子の声。実は彼女、さっき鳩保に髪を引っ張られてちょっとむかついた。
 花憐は二人がヒートアップしないように、両手で間の空気をぱたぱたと扇ぐ。

「ふたりとももうちょっと声を小さくして。みのりちゃんが誤魔化しきれないじゃない。」
「花憐ちゃんもグルだな。」
「そうなんだけどー、言うとぽぽーは反対するでしょ。」
「当たり前だ。」

 花憐や優子に任せては話がちっとも進まない。喜味子が説明を開始する。聞きたくない奴は聞くな、の問答無用の態度。

「つまり発端は優ちゃんの極めて功利的な発言だったのさ。「鳩保のおばちゃんが元気になって退院すれば、芳子は暇になって悪事に時間を割けるだろう」て。」
「悪事って、そんな宇宙人じゃないんだから。」
「で、花憐ちゃんが「それならあたしたち、ぽぽーに面倒な交渉事とか全部任せてしまってもいいわね」と、」
「ちょっときみちゃん、少し脚色が入って、」
「で、おばちゃんを強制的に元気にする方法を話し合ったのさ。そこでみのりちゃんが面白い事を言ったわけだよ。」
「なにを、」

「みぃちゃんはね、「元気でなければ元気になれない」そう言った。」
「? 当たり前……じゃない、か。」
「そう。どんないい薬でも治療法でも、患者の側に受け入れる体力や機能が無ければ効果は薄い。元気でなければ元気になれないてのは、真理なんだ。」

 ちょっと複雑になってきた。鳩保身体の力を抜いて話を真剣に聞こうとする。花憐、鳩保を抑える手を下ろして、ほっと胸を撫で下ろす。

「で、深夜おばちゃんの病院に花憐ちゃんと二人で忍び込んで、病状と体力を分析したのだ。」
「喜味ちゃん、追試の勉強は?」
「それも込みで、私頑張ったんだよ。」
「う、うん。」
「で、原因を突き止めた。やっぱりゲキ虫だ。」
「やっぱり!」

 物辺村の土壌中に大量に存在するゲキロボの構成要素、全長1センチメートルに過ぎないX字型のマイクロロボット通称「ゲキ虫」。これが体内に取り込まれると健康の害を引き起こす。
 鳩保の予想どおりだ。

「これは特別なゲキ虫でね、通常は鉄とケイ素から出来ているんだけど、おばちゃんの身体の中に居たのはタンパク質製のゲキ虫なんだ。」
「それを引き抜けば、治るの?」
「と思ったけど、優ちゃんが反対した。ゲキロボは無駄なことをしないって。」

 優子がやっと出番が来たと口を開く。

「夏場は乳が蒸せる。芳子、この部屋クーラー無いのか。」
「知るか。」

 意味が無かったから、喜味子が続ける。

「つまりだね、ゲキ虫が身体の中に入ったのは偶然や悪意からではなく、そうしなければ生命が脅かされると思ったからじゃないかと。そう主張するんだ優ちゃんは。」
「おかあさんが昔病気をした時に、それを治すためにゲキ虫が入った。そう言いたいのか。」
「だからこれを抜くと逆に身体に悪いのかもしれない。という事は、さらにゲキ虫を身体に入れて修復するって選択肢は止めた方がいいて話になる。」
「うん……。」

 

PHASE 184.

「そこでみのりちゃんの策だ。元気にならなきゃ元気になれない。」
「でも、元が健康を害していたら、」
「気功とか瞑想というのはだね、別に超能力を求めたり悟りを得るばっかりじゃなく、健康を取り戻す為にも有るんだ。」
「へぇー。」
「つまり元気になる為に瞑想する。座禅でもそういう話は結構有る。単に静かにしているだけでなく、積極的に安静にする事で徐々に体質を改善していくんだね。」
「それは知らなかった。というか、ヨガだな。」

「そこで!」

 ここからが少女達の陰謀の核心だ。花憐も必死になって説得に掛かる。

「ゲキ虫のコントロールを諦めた代わりに、おばちゃんの人体そのものをコントロールする事にした。」
「つまりねぽぽー、おばさんの日常生活や家事なんかをしている動きそのものに一種の気功を織り込むプログラムを忍び込ませたの。」
「それが、さっきのアレか。でも、」

 鳩保の懸念は、これまで誰にも試した例の無い療法を直接母に導入して大丈夫なのか、という当然の懸念だ。
 なぜか物辺優子が胸を張る。長い髪が薄暗い部屋の中で窓からの白い光に輝いた。
 喜味子が、優子の貢献をここぞとばかりにアピールする。

「そこで優ちゃんを使って実験したんだ。毎夜おばちゃんと同じ症状になるように超能力の電撃で優ちゃん自身を痛めつけて、身体に運動プログラムを強制的に注入して。」
「そうなの。優ちゃんは毎晩死ぬような目に遭って、おばさんの身体を治す最適の運動法を導き出したのよ。」
「それも通常の百倍の速度で実行して、加速度検査を行ったんだ。」

 だからへろへろだったのか。それより喜味ちゃん、あんた追試は大丈夫だったのか。

「あー、だいじょうぶだよ。普通の試験のような感覚で出来たから。」
「ちょっと待て。あんた普通の試験なら普通に赤点2科目くらい出るでしょ。」
「大丈夫だ。猛勉強の結果、数英2科目に関してはさほど成績は上がらないと判明したから。やっぱ付け焼刃は駄目ですなHAHAHA。」

 喜味ちゃんは既に悟りの境地に在る。
 そうは言っても、鳩保やっぱり心配だ。

「でもおかあさん、ほんとに大丈夫なの?」
「知らん。」
「知らんてなんだよ、優ちゃん。」
「やったことの無いものに保証なんか出来るか。」
「ちょっと待て、実験したんじゃないのか。」

「あのねぽぽー、」
 花憐が説明を付け加える。

「おばさんの体調はこれまで1日あたり1ポイントずつマイナスになっていくようなものだったの。それをね、運動プログラムを注入する事によってゼロかプラス1ポイントくらいに改善しました、て程度なのね。」
「時間が掛かる、ってこと?」
「いや、時間が経ってもマイナスの累積ポイントが大きくならない、というだけなんだよ。うまく行けばプラスの累積ポイントが貯まっていってより元気になる、あるいは別の病気をしても持ちこたえる。」
「わずかなものなのね、でも積み重ねだから。今は効果は分からないんだけど。」

 そういう訳なのだ。
 皆は十分以上に慎重に配慮して、大きな犠牲を払って鳩保の母の為に尽くしてくれた。
 これは、どう考えても、こう言うしか無いだろう。

「あ、……ありがと。」
「うむ。」

 優子、黒髪を蒸し暑い部屋の空気になびかせて、満足気に偉そうな顔。
 ふたたび居間に戻ってみると、みのりちゃんが一生懸命に場を繋いでいてくれて、母もとても楽しそうな笑顔であった。

 

PHASE 185.

 追試ネタは飽きたから喜味子は一学期期末試験追試で全教科クリアした事にする。
 正確に記述すれば、英語は鳩保花憐の助力有って見事クリアしたが、数学はあと少しという残念な成績。だが努力を評価されおまけしてもらったのだ。
 とりあえず夏休みはフリーになった。めでたしめでたし。

 

 さて、七月二十一日月曜日。夏講習初日である。
 夏休みにも勉強なんて、と言うなかれ。随分と楽なのだ。

 まず出席を取らない。誰が来ようが来るまいが問題とせず、単位も関係無しに講習は行われる。
 もちろん生徒によって受ける科目はばらばらだから来る時間も違い、朝のHRも存在しない。
 いやそもそも、通常の授業日は朝講習が存在して始業8時30分の前に一回授業が有る。夏はこれが無いからいつもより1時間寝坊が出来る。
 物辺村から40分も掛かる鳩保らには朗報だ。
 部活で大会や合宿等に参加する生徒は講習をサボるのに特に許しを得なくてもよい。元々来なくてもいいのだから当然。
 しかし休むと風当たりが強かったりする。第一タダで授業をしてくれようという不況の続く昨今有難い思し召しを素直に受けずしてなんとする。タイム伊豆真似なのだ。

 ついでに言うと、鳩保が属する数理研究科は理科学系の進学を前提としたコースであるから、二年生の今からみっちりと勉強しておくと吉。
 国立大学医学部に行こうとする鳩保にとって、遊んでいていい夏ではない。
 でも遊ぶ。

「その前に、」

 物辺村の少女たちは職員用駐車場に集合した。
 新車銀色のプリウスの傍に立つ赤毛の外人女を吊るし上げる為だ。

「なんでお前がここに居る。」
「ひいいいいい」

 ミィーティア・ヴィリジアン、25歳。
 アメリカ合衆国の対宇宙人部隊に属するエージェントにして、自身も宇宙人の遺伝子を受け継ぐていの良い実験材料である。
 NWOにより派遣され、この門代地区での役割は超感覚による宇宙人の探知。感性が人間離れしている彼女は、偽装して人類に紛れ込もうとする宇宙人を看破する能力を持つ。
 物辺村を除けば地区の最重要拠点である門代高校に配置されるのも道理ではある。
 だが鳩保らに連絡なり許可を得るなりするのが筋であろう。
 いきなり朝やって来て、「今日から英会話の授業をネイティブスピーカーのおねえさんと一緒にやっていきましょう」なんて通るはずが無い。

「世の中には仁義ってえものがあるんだよ、ねえちゃんよお。」
「ひぃ、ぃいいいいいいいいい」
「よしなさいよぽぽー、そんなヤクザみたいな脅し方は。」
「いや、これがまたよく効くんだ。」
「だからあ、」

 ねえちゃんは繊細でおっぱいで、とにかく押しに弱い。アメリカンらしくないデリケートな弱っちい女である。
 物辺優子は、このねえちゃんマゾだな、と勝手に決めつけプレイのプログラムの構築を既に始めている。これは酷い。
 とは言うものの、ではねえちゃんを学校から追い出すかと問えば、鳩保それは考えない。「声」を使えば簡単だが芸の有る話ではない。
 むしろ此奴を利用してNWOの組織に逆浸透を掛ける方がいいだろう。

「だいたいあんた、物辺村の近くの小学校ぶんどって秘密基地作ってるでしょ。あっちで我慢しろ。」
「で、でも高校の方にも宇宙人が、」
「そりゃそうなんだが、私達の目障りになるとこ来んな。」
「でも仕事でー、」
「大体なんだその車は。」
「は、はいTOYOTA PRIUSです。今流行のエコカーの。ほらガソリンエンジンと電動モーターのハイブリッドで走行して燃費が」
「そんなもなあ分かってる。」
「ひい」
「なんでアメリカ人のくせに日本車に乗ってるか聞いてるんだよ。」

 ?
 さすがに鳩保のこの台詞は、他の娘にも謎だった。日本に来ているんだから日本車に乗ればいいじゃないか。

「日本にはね、「キャラ立て」というものが有るんだよ。人は自分にあったキャラクターを強調する為に、服装や持ち物、住居や自動車までちゃんとコーディネートしなくちゃいかんのだ。」
「え、え?」
「アメリカ人ならアメ車に乗る。それがキャラ立てというものだ。第一アメリカ人ならバイアメリカンだ、愛国精神を発揮してアメ車のスポーツカーに乗ってこい。」
「え、でも(米国)国産車でスポーツカーなんて、燃費が」
「そうだ。クライスラーだ! 明日からクライスラーに乗ってこい。」
「え、ええええええ!?」

 思い起こしてもらいたい。この物語は二〇〇八年を舞台とする。
 秋にはリーマンショックが発生して世界金融がパニックに陥り、クライスラーも倒産する。この時期、早くも経営危機が叫ばれていた。
 鳩保がその名を出したのも、ニュースで聞く機会が多かったからだ。
 ねーちゃんとばっちりも甚だしい。

「で、でも日本でCHRYSLERの車なんて売ってるところは、」

「売ってるよ。ねえ花憐ちゃん。」(注; 花憐家にはフェラーリが有るから高級外車に関しては花憐が知っている、と鳩保は思い込んでいる)
「え? あたし? え、えークライスラーって日本で売ってたかしらねー喜味ちゃん?」(注; 花憐は、喜味子が機械モノに詳しいから知っていると思い込んでいる)
「ダイムラー・クライスラーになってるからベンツのお店に行けば買えるんじゃないかな?」(注; 喜味子の家には小型トラックのみ。外車なんか縁が無い)
「いや喜味ちゃん、ベンツとの提携は解消したんじゃなかったっけ。」(注; 鳩保、経済記事も読む。〇七年にダイムラー・クライスラー提携解消)
「え? あー代理店どうなったかな。でも輸入会社あるでしょ。そこで買えるんじゃない?」(注; 喜味子、口から出任せ)
「さあ?」
「さあ?」

「あー、ともかく明日からクライスラーのスーパーカーに乗って登校しなさい。でないと学校に入れてやらないぞ。」
「s,SUPER CAR? ひいいいい」

 

 赤毛のミィーティア・ヴィリジアンは、この後自動車販売店に電話を掛けまくり必死になってクライスラーの旧車を手に入れた。
 鳩保の言う「スーパーカー」のオーダーがとんでもない難物で、結局見かけ凄い車であればと理解する。アメ車であれば馬鹿でっかい角張った、キャラ立ちのする車が必要であろう。
 彼女は夏中、駐車する度に他所の車にぶつけないかで神経を磨り減らす。

 

PHASE 186.

 鳩保が高飛車なのには訳がある。赤毛のねーちゃんの命の恩人であるのだ。

 つまり、六月開港祭の頃。アルとねーちゃんと三人でパトロールをして遭遇したナマハゲ宇宙人だ。
 精神欺瞞で正体を隠していたナマハゲを看破した彼女らは、同時にナマハゲの襲撃のターゲットとなる。
 宇宙人を見破れるのは宇宙人だけ、差別しない。いくら私地球人ですと言っても通らない。

 その後、鳩保が手から発生させたライトサーベル(と言ってしまうと商標上まずいかもしれない、「ポポーサーベル」と命名された)で衆目を喚起してしまい、撮影会に突入。
 ナマハゲさんはバトルの契機を失い撤退に及ぶ。

 冷静客観的に考えれば、それで終わるはずが無いのだ。

 

 当時ミィーティア・ヴィリジアンは門代の3つ隣町の安モーテルに宿泊していた。
 普通のホテルでいいようなものだが、中心市街は既に海外からの襲撃者様や護衛様のお泊りで埋まっており、離れた場所しか無かった次第。甚だしい人だと新幹線を使って通っていたとかもある。

 ミーティアは宇宙人の遺伝子を受け継ぐ稀な人材であるが、アメリカ政府やNWOから特別に優遇されているわけではない。
 むしろ冷や飯食いだ。宇宙人との混血児が真に人類に悪影響を及ぼさないか見定める為に飼っている、そんな扱い。
 だから出張費もさほど出ていない。給料も安いし、何日になるか分からない宿泊費を極力切り詰める必要があった。

 そこで安モーテルなのだが、入った時からなんか感じ悪い。
 経営者は中年というにはちと若い男性で、陰気。鍵をもらって2階の部屋に入ると、一応洋室でアメリカ人の彼女はほっとした。
 これが和室だったらあまり良い展開にはならなかっただろう。2時間刑事サスペンスにおいて温泉・共同浴場で事件があった場合、死亡率はほぼ百パーセントに達する。
 洋室であるから各個に風呂が付いてくる。日本だからトイレとバスルームはちゃんと区別されていた。
 考えてみれば、欧米人は何を考えてトイレと風呂をくっつけるのだろう。風呂してる時隣で用を足されては大迷惑。潔癖症の人なら以後風呂の使用を御免被る。
 繊細なミィーティアは現在まで他人と同居・同棲をした事が無く、日本のこの習慣だけは快く受け入れた。

 先ほどまでの緊張を解すかに、衣服を脱ぎ捨て全裸で部屋の中をうろつき、バスルームに篭る。
 ちなみにおっぱいおっぱいと描写されているが、正確な数値は86センチだ。93センチの鳩保に比べれば物の数ではない。形はつんと尖って好いけれど。
 湯船も欧米風で立ったままシャワーが使える。これもラッキー、赤い髪に湯を浴びて緊張を解き、今日の馬鹿げた喧騒から自分を取り戻す。

 ミィーティア、本当は日本になんか来たくなかった。
 実験室でもなんでも構わないが落ち着いた、イレギュラーの無い、状況が目まぐるしく変わらない環境で暮らしたい。それがたった一つの願いである。
 一時ワシントンDCに配置された時は最悪だった。
 彼女には宇宙人の偽装欺瞞を見抜く感性が有り、連邦政府や議会、ホワイトハウスに宇宙人勢力が干渉していないかを監視する役目を授かった。
 が、一目瞭然。宇宙人だらけだ。魚肉製合成人間を初め機械や変身変装立体映像等々、ありとあらゆる形で宇宙人達が「人間」として、政府職員として入り込んでいる。
 侵略ではない。むしろ逆だ。
 彼らは、議員や閣僚といった正真の「地球人」が甘言を弄して取り入る敵対的宇宙人に面白いように操られてバカなことばかりしでかすのを、フォローする。政策に現実的な整合性を与え正常に運営する助けとして存在した。
 好意的宇宙人の助力無しには、アメリカ合衆国なるものは一日だって動かない。それを徹底的に認識させられた。
 こんなもの上司に報告できる筈がない。いやそもそもその上司だって「バカな地球人」の一人なのだ。
 エリートは、自分が他者の思うがままに動かされていると認識するのを何より嫌う。ミィーティアは報告書を適当に誤魔化し、その代償として胃を痛めてワシントンから脱落した。

 一年の療養後に申し渡されたのが今回の日本行きだ。ハードな任務になると聞いてはいたが、なんだこれは。
 宇宙人が戦闘モードで街をうろついているではないか。
 これは駄目、これは私の管轄じゃない。第一戦闘訓練も銃器の取り扱いも教えてもらってない。というか性格的に無理。
 もちろん彼女が戦力として期待されるはずも無く、イラクから回されてきた実戦経験豊富な特殊部隊と共に行動をしたのだが……。

 今日も巨乳女子高生に引っ張り回されて酷い目に遭う。
 だいたい宇宙人を見張るのはリスクが大き過ぎるのだ。こちらが見れば向こうも見るわけで、正体を見破られたと認識して始末しに来るものだ。
 報告書には書かなかったけれど、ワシントンでは見つける度に向こうから接触して来てその都度警告をされている。
 あれが好意的宇宙人だから良かったものの、門代の戦闘的敵対的なのばかりをどうしろと言うのだ。

 そんな事を考えるのも彼女に備わった超感性の賜物だ。心奥では昼間の脅威を正確に分析していたのだが、理性が認めようとしなかった。

 実際、彼女がシャワーを浴びている間に部屋では異変が起こっていた。
 音もなく扉の鍵が開き、彼女は臆病な性格であるから日本の単純な鍵を信用せず赤外線警報器も設置していたが何の反応も無く、不審者の侵入を許している。
 黒い、大きな影。右手には黒光りのする鋼の艶がぬめる。
 降り注ぐ水音に誘われてバスルームの前に立ち、中の様子をすりガラス越しに窺う。
 ミィーティアは湯船の前のカーテンを引いていたから、侵入者の存在に気づかない。ガラス戸がまたしても音も無く開く。
 ビニールのカーテンの一枚向こうには常人の背丈を超える大きな姿が生臭い息を吐きながら立つ。気取られない。
 振り上げる右手には斧かと見まごう大きな鉈いや包丁が。

 流れる湯の中で女は背を向ける。侵入者は顔を確かめもせずカーテン越しに刃を振り下ろした。
 悲鳴が出ない。最初の一撃は切っ先が背中から右肺に到達する。雷が全身を硬直させた。
 肋骨までも切り裂いた鋭利な鋼は引き抜くと同時に肉までも割った。吹き出す血飛沫でバスルームの天井までに赤い水玉が散る。
 何が起きたか振り返る女の目は剥ぎ取られるカーテンに遮られ、次は再度の銀光に撃たれた。天井の白熱電球の灯を照り返して、左の肩口を貫く。
 動いたのが誤りだ。そのまま左の肺までも抉られれば心の臓はたちどころに停止し、身は足元に崩れ落ちただろう。
 肩関節に刺さった包丁は骨を砕きこじ開け、軟骨を掻き回す。激烈な苦痛と炎の衝撃が女に理解を促した。死、すでに自分は死に囚われている。
 驚愕に開く眼に侵入者の顔が映る。朱の睫毛が逆立ち瞳孔はさらに大きく拡張した。
 巨大な赫い顔、和布のように乱れた髪、目は金色に輝き耳まで裂ける口には黄ばんだ牙の列が覗く。
 三度目の攻撃は左の鎖骨を断ち割って胸乳の半ばまでを割いた。
 紅の唇を丸く極限までも丸く、洞窟の如くに開いた口腔から血が天に噴く。だが倒れない。侵入者は左の手で女を支える。
 後はもう、七度八度と包丁が振り下ろされ、主に左の半身が千切れ飛ぶ。細かい肉片白い肌緋い髪が血に塗れバスルームにばら撒かれる。
 そして落ちた。女の頭は灰色の瞳を開いたままに湯船の底に沈み、自らの赤に染まる。
 シャワーの雫は湯気に惨劇を隠し血の色を拭うが、何時までも澄む事は無かった……。

 

 などという目に遭わされてはたまらないから、部屋に入った途端にポポーサーベルはナマハゲ宇宙人をぶった切る。
 鳩保、恩を売ったのだ。故にミィーティアに手加減する必要を感じない。

 

PHASE 187.

「物辺村正義少女会議ー。」

 赤毛のねーちゃんを吊るし上げた5人の少女は、引き続き悪の策動から地球を守る対策会議を開く。
 場所は、茶道部部室。

「そうなのです。華道部ではなく茶道部の部室なのです。当然畳敷き。」
「花憐ちゃん、だれに向かって説明しているのだよ?」

 経緯を説明しよう。
 華道部は城ヶ崎花憐が部長となって部員も増え正常な活動を取り戻した結果、物辺村正義少女の会合の場としては使えなくなった。
 その隣に茶道部が有る。鳩保が目を着けない道理が無い。また運の良い事に、ここの顧問は華道部ほどは口うるさくなかった。

 そこでめでたく陸上部をクビになった童みのりを茶道部に入部させ、今居る部員に鳩保を紹介させた。
 これは卑怯な作戦である。高校になってから始めたにわかの茶道部員なんざ、物辺神社で祭礼ごとにバイト巫女をしている鳩保みのりの敵ではない。
 なにせ礼儀作法のお仕込みは物辺祝子だ。きっちりの鬼だ。
 茶道部員の目には完璧な礼法に見える。裸足で逃げ出したくなる気分。
 「どうすれば?」と尋ねるのも道理。ここで鳩保が「万人が従わざるを得ぬ声」を使う。

 即ち、みのりちゃんの礼儀作法が完璧なのはひとえに筋力! 日本固有の礼儀作法特に茶道は千利休の時代が如くに、武士の作法として完成した。
 山野を駆け巡り重い武器を携えて戦場を往来した強者達が、一時の安らぎを得て人間として深みを増す。それが真の茶道というもの。
 奥義真髄を極めんとすれば、やはり茶道部においても「走り込み」で足腰を鍛えるべきであろう。現に剣道部や柔道部などは正座の姿勢の正しさ美しさにおいて、あんたたちより遙かに上。

 理に適った言葉に茶道部員は愕然となる。
 鳩保、超能力命令の使い方に開眼した。他人に無理強いする言葉はいかに超能力といえども拒絶されたりレジストされる。本性に反するからだ。
 だが論理的に正しい言葉で抵抗を一枚ずつ剥いでいくと、耐えられない。理性が受け入れてしまえば、いかに理不尽であろうとも従わざるを得ないのだ。

 というわけで真夏のくそ暑い中を茶道部員達は体操服に着替えてランニングに行っている。2時間は帰ってこないだろう。
 なに構わない。あいつら茶道部とはいいながら、学校でぺちゃくちゃ茶を飲んでお菓子を食べてお喋りしてただけなんだから。
 このくらい喝を入れてやるのが親切だ。

「でもねぽぽー。普段運動に慣れてない娘がいきなり真夏のランニングって、危ないんじゃないかな? 熱中症になって死んじゃうかも。」
「だいじょうぶだよみぃちゃん。喜味ちゃんが居るんだから。」
「うんまあ。死んでもなんとかするから。」
「ひぃー」

 

 さて。

「優ちゃん、夏の予定有るだろ。」
「うん。めでたく祝子おばちゃんの結婚が決まりました。七月中に式を挙げます、当然うちで神式で。」
「教会でウエディングドレスというのは、」
「許さん。主に饗子おばちゃんが。」
「まあ神社の娘であるからには、仕方ないねえ。で、披露宴は?」
「そんなものあ無い。高砂唄って宴会に突入だ。」
「まあ、和風の結婚式はそんなものだ。」
「でもちょっとつまらないな。天下の美女なのにお色直しも無いなんて。」
「そうね。優ちゃん、別に友達とか集めてお祝いの会なんてやらないの?」
「おばちゃんはあれでも学会を追放された身であるから、個人的な友人というのはそれほど多くない。お披露目で間に合うでしょ。
 問題は物辺神社の跡取りとして正式に決まったから、神社関係の人がわんさと来てご挨拶しまくりという。」
「つらいなおばちゃん。」
「お酒飲んでる暇も無いんだ。」
「うん。」
「というわけで、バイト巫女よろしく。」
「やなこった!」

 え? と優子びっくりする。花憐が結婚式のお手伝いを断るなんて初めてだ。年に数件はある物辺神社での結婚式は、花憐が専属バイトみたいなものなのに。
 まあ、嫌がる気持ちは分からないではない。

「じゃあ芳子お願いするよ。」
「OK、まあ祝子おばちゃんの花嫁姿の横に立つのは誰だって嫌なもんだ。絶対負けるもんね。」
「花憐はそういうわけじゃないと思うけど、そういうわけだろ。」
「いーだ。」

「みのりと喜味子も仕事有るから来て。」
「うんわかった。」
「え?」

 と自分の鼻を指すのは喜味子。結婚式のバイトに呼ばれた例は無い。理由は言わずもがな、逆に葬式の時は真っ先に呼ばれる。
 妙な話で、喜味子が居ると葬式に集まった人の背筋がしゃんと伸びて、滞りなく騒ぎも無く粛々と式次第が進行するのだ。
 物辺神社は鬼の社。だから鬼みたいのが居ると厳粛にして荘厳の風を醸し出せるという塩梅。
 ま、いやなしごとであるからバイト料1.3倍増し、てところは会計の饗子おばちゃんケチだな。

「喜味子に頼みたい事があるんだ。つまりだね、花婿の世話だ。」
「あ。ああ、そういうね。」
「喜味子なら誰も何も疑いはしないから大安心。」
「そりゃあ鉄壁の鉄板の安心だな。」

 喜味子、自嘲する。

 

PHASE 188.

 童みのりは言った。

「夏は西瓜盗り!」
「おお、それもあった。」

 物辺村に古くから伝わる年中行事である。由来は戦国時代にまで遡る。
 当時物辺島には橋は無いから、陸から孤立していた。村人も漁師が多数だが戦国の荒れた気風から、半ば海賊のようでもあった。
 門代地区は古来より交通の要所であり、ここを制するものは物流を一手に独占し儲けを独り占めできる戦略的重要拠点である。
 当然海賊も居る。物辺村の漁師たちが海賊化したのは、それに対抗する為であった。

 対抗すれば対立するのは自然の流れ。海賊と物辺村とが戦争をするハメになってしまう。
 海賊が恐ろしいのは海ではない。実は、海を使ってどこからでもやって来る陸戦隊だからこそ恐ろしい。バイキングがそうであるように、倭寇がそうであるように。
 物辺神社は鬼の社、武勇を尊ぶもののふ達の尊崇を集める。村人も腕に覚えがありなかなか強い。
 対して数で優勢する海賊は周辺海域と島に面する本土の陸地を制圧して、兵糧攻めに出た。
 さらに裏切り者を使って村の井戸に毒を流す。神社の井戸のみが守られて村人は危ういところを救われるが、やはり乾きに苦しむ。

 そこで、血気に逸る村の若人が夜闇に紛れて本土に上陸し、海賊どもの封鎖をかいくぐって瓜を盗んできた。
 実は援軍要請の書状を届けに行ったのだが、ついでに瓜を捕って翌朝海賊どもをバカにしたのだ。
 これがあまりにも痛快であったと後々までも語り継がれ、江戸時代には子供たちが行う年中行事にまで発展した。
 大人が守る瓜畑のちに西瓜畑から夜暗に乗じて盗んでくるお祭りだ。

 問題は子供だ。少子高齢化の今日村の子供は減少の一途にある。
 とはいうものの、物辺村は例外的に子供が多い。子作りを支える経済的基盤が何故か衰退しない。
 現在居るのは高校生が女子5人、中学生男子1人、小学生6人。祭りの主体は小学生である。
 しかしいくら何でも小学生には荷が重くリーダーとして中学生の坊主に任せるが、去年はひどい目に遭わされてしまった。
 高校生になった鳩保等が大人の代わりに西瓜畑防衛に当たったからだ。一昨年まで盗っていた側だから、手加減を知らない。

「男子中学生にとってはご褒美だと思うんだけどなあ。」
「優ちゃん、あれはさすがにひどいよ。」
「涙流してたじゃない。」
「うーん、若い頃に激しいプレイをするとインポになるというアレか。」

 とにかく彼は二度と西瓜盗りしないと宣言している。というより、去年のお祭りから鳩保達に近寄らない。かなりトラウマになっているらしい。

「性的トラウマだよ。」
「だからね優ちゃん、」

 中学生は彼しか居ないのだから、今年も大将をしてもらわないと困る。
 ちなみに小学生側の戦力が低過ぎるのは認識したから、みのりを特別枠で攻撃側に編入して小さい子の面倒を見させた。最終的に西瓜奪取は小学一二年生組が完遂する。
 さすがに今年はみのりの加勢は反則だろう。また子供方戦力も整ってきた。

「優ちゃん家の双子ね、今年はあの二人に大将させたらいいんじゃないかしら?」
「いやー花憐、それはどうだろう? あいつらまともにやらないからな。」
「やっぱり中坊にやってもらうのが最適だ。でも説得難しいなあ。」

 鳩保、優子の蛮行をおもしろがって手伝った負い目がある。セクハラは面白いものだ。
 もちろん優子の説得は無理。色仕掛けで誑かすのは逆目に出るからやはり駄目。
 花憐はそもそも説得力というものを持たない。去年も「やめなさいよお」と叫びながらも、結局助けてやらなかった実績がある。

「喜味ちゃん。」
「しかたないなあ。」

 中坊は児玉家の鶏飼育場の近くに住んでいる。セクハラ時も参加していなかった、その間は西瓜防衛をたった一人で真面目に頑張っていたから道義的責任を負わない。
 また案外と喜味子は男子に嫌われない特性がある。説得役に適任だ。

「なんとかするよ。でも今年またやられたら、ほんとにインポになるぞ。」
「うん。そこは自重する。」
「いやーさすがにそこはねー、やり過ぎたなー。」

 まったく反省が無い。優子は今年こそは童貞卒業させてやろうなどと仏心を起こしている。

「えーと今年はお盆のー、十三日くらいかしら?」
「そだね、そのくらいだな。」
「うんじゃあみのりちゃん、子供盗賊団の結成は任せるよ。いいね。」
「うん。」

 

PHASE 189.

 差し迫った課題がある。みのりは封筒をカバンから取り出した。

「これなんだ。」
「これが例の、」

 旅行クーポンである。凄い。
『夏休み海外旅行 ドバイエキゾチックゴージャスツアー招待券』
 現在(二〇〇八年)金満国家として大ブレイク中のアラブ首長国連邦はドバイの観光地に、タダ!で遊びに行ける。航空券も往復ファーストクラスという豪勢さ。
 ただし1名様限定。

 鳩保はあまりの見え透いた仕掛けに呆れ返る。

「みのりちゃんに来い、て言ってるんだね。」
「例のNWOの、血統がどうのこのうかしらね。」
「それ以外に無いでしょ。ドバイでみのりちゃんを手篭めにしようて策略だ。」

 みのり、真夏なのに身体をぶるぶると震わせる。
 喜味子、だがと尋ねる。

「前に、開港祭りでちょっかいを出してきた怪しい男の子、というのとは違うんでしょみのりちゃん。」
「うん。」

 クーポンを入手した経緯はこうだ。

 物辺神社七夕祭りの前日、七月六日日曜日。バイト巫女隊は饗子おばちゃんから無料券を一人三千円分ももらって、屋台の出店で遊びまくった。
 焼きイカもフランクフルトも小判焼きも食べ放題、お面もかぶり放題の中、みのりは一人の男性に呼び止められた。
 おそらくはイラン人であろう。インドネシアタイフィリピンその他東南アジア系の色の黒い人と、インド人と、イラン人はなんとなく見分けがつく。
 若い、大学生くらいの人だ。留学生であろうか。
 彼は必死になってみのりを呼び止めた。「クジヒイテイッテクダサイ」

 くじは、紐を引っ張ったらその先にある景品がもらえる奴。門代開港祭りでも同じものに遭遇した。
 あの時は、怪しい小学生が一発で最高ランクの景品であるエアソフトガンをゲットする。あまりの鮮やかさに超能力かと思ったものだ。
 同じくじを今度はみのりに引かせようとする。
 ああ、と納得した。お店の人が仲間であればくじの出目なんかいくらでも操作出来る。そうか、あの小学生はそういうトリックを使ってたんだ。

 みのりは言った。「いりません」
 「ソウイワズニ」「いえ結構です」「オネガイダカラ」「いえいえあちらで友達が待っているから」「ソンナコトイワズニ、ゴショウダカラ」
 「あの、ほんとうにやりませんから」「オネガイ、タスケルトオモッテ、コレヒイテクレナイトワタシオコラレテシマイマス」

 まあそうなんだろう。仕掛けを作った組織は彼にみのりを勧誘する役目をさせている。任務を果たせないと、お仕置きされるだろう。
 可哀想だなと思って、しぶしぶ紐に手を掛ける。

「百円ですか?」
「イラナイ、アナタオカネイラナイ」
「それじゃあこちらが困ります。」

と、最後の無料券を使って正式にくじを引いた。ずるずると引っ張って行くと一通の封筒が。

 

「それが、これなんだね。」
「うん。」
「ぽぽーどう思う?」

 鳩保腕を組む。

「ドバイかあ。」
「ドバイって言ったら、今世界一高いビルを作っているわよね。」
「うん、800メートルあるんだっけ。」(注; ブルジュ・ドバイ(建設中の名)は最頂部828メートル。開業は二〇一〇年一月四日)
「ビルの高さもさることながら、その周囲は凄い大金投じてとんでもない豪華リゾート地になってるんだっけ。」
「石油マネーって凄いわね。」
「違うぞ花憐ちゃん、ドバイは金融なんだ。石油マネーを元手に投資に走る拠点となってるんだ。第一ドバイでは石油は取れない。」
「どちらにしろ世界中の富が結集している。それを背景に、……まあ趣味悪いわな。」
「優ちゃん、それを言っちゃあおしまいだ。」

 鳩保言った。

「夏休みの自由研究の課題として、これは好都合。」
「それはそうだけどさ、」
「敵がこんなにゴージャスな罠を仕掛けてくれるのに、無碍にするのも芸が無い。」
「うん、あたしもそう思う。これはもう酒池肉林だ。」
「あんたが呼ばれたら、そりゃ悲惨な目になっただろうな。」

 

PHASE 190.

 みのり、放って置くと勝手に決められてしまいそうなので、勇気を出して言う。

「わたし、これ行かないようにしようと思う。」
「何で?」
「だって、陰謀でしょ。」
「うん。でも面白いじゃん。」
「でもー、」

 喜味子、手を挙げて助け舟を出す。

「みのりちゃん一人で行かせるというのは、さすがに問題があるよ。」
「なるほど、一理ある。」
「でしょ、でも券は1枚しかないから誰か欲しい人にあげて」
「ゲキロボで飛んで行けばいい。」
「そんなあー。」

 優子、手を挙げた。喜味子の言うのももっともだが、敵は一人ずつの各個撃破を目論んでいる。
 罠にわざと掛かるとすれば、こちらも警戒を解いたふりを見せねばなるまい。

「じゃあみのりちゃんを一人でドバイに行かせるの?」
「いや、一般普通人のお供を付ければいいんじゃないか。」
「でも、誰? 高校生は駄目だろ。もちろん美々世も駄目だぞ。」
「そこでさ、うちの新婚カップルを海外にハネムーンに、」

「おおおおおお!!」

 ケチな金持ち花憐が手を挙げる。

「でもそんなお金有るかしら、いきなりドバイ旅行だなんて。」
「心配無用だろ。なんせ旦那はニンジャなんだから。」
「忍者の頭領なんだから、ドバイ行きチケットくらい買えるだろ。」
「それは買えるでしょうけど、でもー。……ドバイってハネムーンにはどうなの?」
「知らん。」
「行ったこと無いな。」
「テレビでは最近良く見るけど、中東っぽいその土地ならではの名物とかが画面に出てきた記憶が無いな。」

「みのりちゃん、ドバイで遊びたい所って有る? あ、世界一ビルは今建設中だから駄目だよ。」
「え、えー、なにかー、……ラクダ?」
「うむ、中東ならラクダだな。」
「そうね、そのくらいしか思いつかないわ。」

「みぃちゃん、心配するな。ドバイの、あのバナナの葉っぱみたいなリゾート造成地は海だ。舟遊びをすればいいんだ。」
「喜味ちゃん。で、でもそれなら物辺村でも、」
「そうよ、みのりちゃん。多分敵は豪華ヨットくらいばーんと用意しているわ。大丈夫なんとかなるわよ。」
「えーそうかなー。」

「よし決まりだ。優ちゃん、今日帰ったら早速ハネムーンの手配だ。祝子おばちゃんは絶対うんとは言わないから、旦那忍者を説得するんだ。みぃちゃんの話をすれば確実に乗る。」
「らじゃ。」

「で、でも、夏講習が、」
「そんなの心配しなくても海外研修をしてくるんだ。人間視野を広くもたにゃーあかんよ。」
「でもでも、」
「じゃあこれから三組の担任のとこに行って、意見を聞いてくればいい。多分問題ないぞ。」

「で、でもおー。」

 

 という訳でみのりは職員室に引っ張っていかれ、二年三組担任教師に意見を伺った。
 無論なんの問題も無い。そもそも童みのりは成績は中の下というところで、難関校への進学なんかは期待されていない子である。
 一夏遊んだってどーという事はない。

 

PHASE 191.

 物辺神社に戻った優子は、仏頂面の祝子おばちゃんと対面した。
 おばちゃん、いつの間にか結婚するハメになって嬉しい道理が無い。とはいうものの、こいつの性格に任せていれば死ぬまで結婚しそうに無いから、強引な方が良いのだ。
 優子、学校の制服を着替えて夏の和装でびしっと決め、叔母の前に正座する。もちろんパンツも履いてない。
 何故和服か。この格好であれば殴られないのだ。殴ると裾が乱れて酷い有様になるから、さすがに父/爺ちゃんが怒る。それほどに祝子おばちゃんは手加減を知らない。
 だから改まった話をする時は優子はいつも和服だ。

 魂胆は祝子にも見え見えで、目を細めて優子の心底を窺う。

「なに?」
「おばちゃん、ご結婚御目出度う御座います。」
「嬉しくないんだけど。」
「いやいや、当今あれほど凛々しいオノコもそうは見つからないですよ。あたしが欲しいくらいの色男だ、参ったなもう。」
「ならやるよ。あんたの方が年の釣り合いはいい。」

 忍者は自称24歳、優子16歳。6つも姉さん女房よりはよほど楽であろう。

「駄目だよ、あたし処女だもん。」
「どの口が処女だなんて言うか、こいつは。」
「それはさておき、おばちゃん、ご結婚おめでとうございます。つきましては新婚旅行へなど、」
「行かないよ。八月は神社忙しいじゃん。」

 物辺神社は武運長久の社である。戦前戦中は必勝と生還の祈願をして皆出征して行った。
 霊験あらたかにして無事生還を果たし御礼参りをする人も多かったが、やはり帰って来れなかった人を忘れてはならない。
 八月十五日には特別のお祭りがある。戦後60年も経ち本人も縁者も途絶え始めたが、やらねばならぬ。
 祝子の旦那も早速にお手伝いをさせられるから、新婚旅行に行く暇は無い。

 話を聞きつけて台所から饗子おばちゃんもやって来た。ちなみに双子は早朝ラジオ体操から早速に暴れまくり疲れ果て、午後は座敷の畳の上で昼寝をしている。

「いいじゃん祝子、新婚旅行行っといでよ。」
「でも今からじゃホテルとか取れないでしょ。めぼしい所は。」
「というか、優子。あんた新婚旅行ってどこに行かす気だ。なんかアテが有るんでしょ。」
「饗子おばちゃん、まさにそれなんです。実はー、」

 と切り出したのが、みのりのドバイ行きチケット。最近流行りではあるが、そこまで人気というわけでもなくホテルや飛行機のチケットも取り易い。
 ただ格安航空券はさすがに断念せねばならないだろう。
 饗子おばちゃん考える。

「ドバイか、悪くはないけど、なんか有る?」
「建設中の世界最大の高層ビルが有る。」
「あまり嬉しくないハネムーン場所だね。でも、」
「そうなんです。カネをたっぷりつぎ込んで整備しているから、快適さ抜群なのは間違いない。」
「ふむ。ホテルもゴージャスなスィートが取れるか。」
「姉さんそれ無理。あちらの金持ちのレベルでゴージャスは、私達にはとても手が出ない。」

「心配御無用!」
 優子、右手をかっと開いて上から順番に五文字ひとつずつを強調する。

 みのりのゴージャスクーポンはもちろん最高級スィートルームが予約されているのだが、ここに二人が泊まればいい。
 呼ばれた本人はもっとレベルの低い、とはいうものの上等の部屋に一人で泊る。
 そのくらいのチケットの融通は鳩保の超能力命令でなんとでもなる。

 要するに必要なものはドバイ往復チケット夫婦分だ。いきなり現実的な課題となる。
 祝子もさすがに心が揺れる。
 いやいやの結婚ではあるが、旦那となる男の質に問題は無いし、やるのだったら豪華絢爛一生の思い出となるものにしたい。

「う、ん。悪くない。」
「みのりも一人で行くのは怖いから、ここはどんと大人の貫禄でね。むしろみのりをメイドと思って色々と御申し付け下さる方が、あの子にとっても楽ですし。」
「そうだね。あの子の性格ならそちらの方がずっと楽だ。どう、祝子?」
「うん、……相談してみる。」

 これだ。やはり結婚間近の二人は互いに仲睦まじく今後の相談をするべきなのだ。
 祝子おばちゃん、しかしこの期に及んでまだカネの心配をする。学会に復讐をする軍資金を蓄えているのに、ケチだ。
 優子が、ここは大人になって忠告する。

「おばちゃん、そのくらいのカネは旦那にも有る。婿入りする男が甲斐性を見せる機会を与えるのも、妻としての務めではないだろうか。」
「おお優子、あんた随分と成長したね。それに比べて、なんだよ祝子。田舎の高校生みたいにびんぼうくさい事言って。」

 祝子おばちゃん、がっくりと肩を落とし畳に両の手を着く。
 負うた子に負ぶわれるとはこの事か。おしめを取っ替えてやった優子に、女人の倫を説かれるとはモウダメダ。
 アタシのセイシュン、終わった……。

 

PHASE 192.

 その夜優子はラブホテルに居た。もちろん男連れ「ではない」。

 これは趣味だ。物辺優子は幼少のみぎりより近所のラブホテルに出入りする。マネージャーのおばちゃんと仲良しであった。
 おばちゃんと言っても、優子が小学生の頃はおねえちゃんである。もう10年も前の話だ。

 近所ではあるが件のラブホは物辺村から1キロほど離れている。物辺島に橋が掛かるまではここら辺りに船着場があったのだ。
 物辺神社参詣専用桟橋という風情で、周囲には土産物屋やら宿屋やら遊郭までもが並んでいたと聞く。ちんけな店ではあったが。
 で、跡地にラブホテルが建っている。

 だいたい神社地の隣にはラブホがあるものだ。
 由来がそうだから、物辺神社の者はここら辺の人に顔が利く。小学生が遊びに行って何が悪かろう。

「紅美ねえちゃん、お茶ちょうだい。」
「あい。」

 元ねえちゃんのおばちゃんは、結婚しているのだが旦那はラブホ経営にはあまりタッチしない。オーナーの娘であるからして週に3日は夜っぴて店番をしている次第。
 暇である。
 故に話し相手に優子が遊びに来るのは大歓迎。最近は友達も所帯を持って子供も居て、深夜遅くまで無駄話に付き合ってくれはしない。

「インターネットもあるけどさ、どうも性に合わないんだ。暇つぶし。」
「字でやりとりすると証拠が残っちゃうからね。何も考えずにやってると、カドが立つよ。」
「喋るように書きこむと、ダメだねやっぱ。デリカシー無いもん自分。」
「映画もいいかげん飽きたよね。」
「あきたあきた。ネットの動画も飽きた。もっと面白い絵ってないん?」
「そうは言ってもそういうのは、あたし向いてなくて。喜味子かな。」
「あのコ、相変わらず、アレ?」
「最近ではブスを通り越して神々しさまで出てきました。生まれた時からの付き合いですが、正直予想外です。」

 優子は別に悪意で言ってるのではない。花憐が五月からのゲキにまつわる過酷な試練を経てカリスマ性が上がったように、喜味子も外見上の変化が生じているのだ。
 容貌が醜いのは確かなのだが、ここに来てもはや魁偉と呼べる水準に到達し、壮観すら覚える有様。
 拝んで損は無い。

「ねえちゃん磐長姫て知ってる?」
「なにそれ、物辺神社の神様?」
「いんやウチよりずっと古い由緒正しい神様だよ。神話的ブスなんだけど、」
「ふん。」
「とある筋では喜味子をそう呼ぶようになってきてる。神様扱いだよ。」
「なにそれ。」

 NWOでのお話。ゲキの力の継承者としての物辺村5人の少女に、彼らは日本神話を元としたコードネームを割り当てる。
 花憐は美人で可憐だからまんま「木花之佐久夜姫」である。おそらくは喜味子の印象の方が強いから、対比する名前を花憐に与えたと思われる。

 鳩保は「須世理姫」。頭が良くて5人のリーダー格と見なされて、神話においても大国主命を良く導き助けた逸話からこの名を与えられる。
 みのりは「豊玉姫」で海に関係する名前。赤子の時に海上をたらいに乗って漂流していた逸話から取られている。

 最も肝心な物辺優子は、他よりも神格の高い女神として「奇稲田姫」の名を与えられる。
 奇稲田姫はスサノオの嫁であり、その娘が須世理姫。つまり鳩保よりは上である。
 スサノオの姉のアマテラスの子孫であるニニギの嫁が木花之佐久夜姫で、その子火遠理命の嫁が豊玉姫だ。木花之佐久夜姫の姉が磐長姫、と神の世代的に違うように出来ている。

 優子本人としては、自身に許された超能力がゲキのロボットを復活させ、エネルギーで敵を焼き、高次元空間に埋没するものだから「イザナミ」でいいんじゃないかとも思う。
 が、どうやらNWOは創世神名を与えるまでには自分たちを評価していないようだ。残念。

「神様のことはわかんないけどさ、優子ちゃんあんたもなんか最近キレイだよ。」
「あたしが綺麗なのは昔からだよ。」
「いや中学校の頃はなんか凄い感じのキレイだったけど、今は良い感じのキレイだ。」
「どうちがうん?」
「うん、そうだねー、男にモテる系の?」
「そんなのいつもじゃん。」

 優子は顔を上げて壁に配置されているテレビモニターを見た。ブラウン管を未だ使ってるように、これはもう10年ものの監視装置だ。
 ラブホテルはやはりやばいのだ。都会のならば多少の犯罪行為があったとしても群に紛れてしまうかもしれないが、田舎のラブホは評判があっという間に近隣に知れ渡ってしまう。
 殺人暴行は一時の災難と受け入れても、薬物使用なんかで警察に目を付けられては一大事。経営破綻しかねない。
 というわけで全室こっそり監視カメラが設置されている。警備装置のカタログを見てみると、洋裁の待ちピンの頭並の小さなカメラまで存在する。客が探しても無駄だ。

 録画も出来るのだが、TVモニタには各部屋の様子が4分割で映しだされ15秒置きに入れ替わる。小さくて見てもつまらない。
 また大きく映してもちっとも面白くない。客は素人だし女はそこらの一般人だ。今時のAVに出演するような美女じゃなく、反応も訓練されていない。
 つまり被写体としての自覚が無いのだ。こんなものバイトでも2日で飽きてしまう。
 面白いといえば時折知り合いが客で来るくらいで、それも紅美ねえちゃんの年になればぱったり途絶えて話のネタも尽きた。
 優子ならば小中高のクラスメイトが処女を捨てていく姿が見れて面白いかもしれないが、そんなものに興味示すのはそれこそ小学校で卒業した。

「カメラ、ハイビジョンに入れ替えた方がよくない?」
「そんなカネどこにありますか、最近はラブホでも景気よくないよ。」
「10年前はもうちっと若くてヤンキーぽいのが多かったよね。」
「そんな子はいまどきカネ無いよ。これも少子化のせいかなあ。」

 そう10年前だ。小学一年生の優子もここに居た。
 優子が変態の名を獲得したのも、このラブホのおかげ。小学三年生の夏休みの自由研究に「アベックのセイタイ」の題名で観察日記を提出した。
 一目驚愕、ラブホに訪れた客の推定年齢容姿金回りとベッドでの生態を観察して技術点芸術点を評価している。珍しい体位であれば上手なイラストまで付いてくる。
 無論小学校教諭はただちに学年主任教頭校長と相談し物辺優子の保護者を呼び出した。が、来たのは饗子おばちゃんだ。
 自由研究のノートを見せられて「なかなか着眼点がいいな」とか評したからさあタイヘン。保護者自身が怒られちゃった。

 もちろんノートは闇に葬られたのだが、そのはずだったがいつの間にか流出して、容姿や特徴の描写特に訪れた際の車両の種別から個人を特定されてしまう。
 何者の仕業であろうか。当時流行りの援助交際も含まれていたから、制裁の意図があったのかもしれない。
 結果、3名ほどが社会的生命を抹殺されたと聞く。

 

PHASE 193.

「ほお!」

 駐車場のカメラに映った映像を見て物辺優子は感嘆の声を上げた。知り合いだ。
 黒塗りのBMWから降りたのは背の高い野生的な感じのする男と、高校女教師。

「竹元すぐり先生だ。」
「優子ちゃんの学校の、門代高校の先生なら頭いいでしょ。」
「数学だよ。ほおお、なるほど。」

 竹元先生は首から下をろくろ首星人「舞玖美子」に盗まれて、今は魚肉ソーセージで作った合成人体を使っている。
 製作者のせころべちょっとみんな星人はこの道一筋二千年の老舗。オーダーに従って竹元先生の身体もエロ美麗に仕上げてくれた。
 もちろん本人は身体入れ替えられた事知らないのだが、風呂に入って触ってみればさすがに異常のエロさに気付く。
 27歳お肌のヘアピンカーブにトップスピードで突っ込んでいるはずなのに、なにこの女子生徒をも凌ぐピチピチ具合は。スリーサイズも変わらないのに、なにこの絶妙なラインは。
 自らの美に自信を深めた先生は、学校でも用も無いのにプールサイドに水着で出現する。男子生徒垂涎の的となる。

 で、校外でも活発に男漁りをしているわけだ。

「……気に食わないな。」

 優子、小声で零す。先生の性活動に苦情を言う立場にはないが、連れている男に不審を覚える。
 身長190センチ超え、スーツの背中も広く腕力が強そうな男性的要素の権化みたいな人物だ。BMWなんか乗ってるからカタギではないのかもしれない。
 獰猛な臭いがする。いや間違いなく野獣の一人だろう。
 サディストとは言わぬ。暴力的性向が無いとしても、女を繊細に抱くタイプではない。性欲に任せれば女がぼろぼろになってしまう厄介な男も居るのだ。
 少なくとも、にわかプレイガールとなった竹元すぐりが扱えるものではあるまい。

 紅美ねえちゃんも優子の懸念を見て取った。

「ちょっと釣り合いが悪いね。」
「でも、止めるわけにもいかないし、」
「うん。まあ、……転落コースかなあ。」

 教師などという固くあるべき商売から、セックスに溺れて人生を転落する。なんてテレビの2時間ドラマでも最近はやらないお決まりのパターンは、だが実際頻繁に発生するのだ。
 それに竹元すぐりはもうダメかもしれない。今日は防いだとしても、肉体の快楽に任せてまた同じような男に引っかかるだろう。
 さてどうしたものか。

 

 物辺優子、知らずににやりと白い歯を剥く。紅美ねえちゃん、優子の悪い癖が出たと肩をすくめる。
 この女、変態である。最近はおとなしくしていたが、立派な変態性欲者だ。
 しかもサディストだ。嗜虐趣味者なのだ。

 だが別に暴力を振るったりはしない。誰彼構わず傷つける暴力主義者はサディストとは明確に区別してもらいたい。
 性的な趣味としての嗜虐とは、対象も十分に吟味する。男なら女なら誰でもいいわけではない。ちゃんと好みが存在するし、それに特化するからこそ芸術へと至る。
 優子の場合対象が尋常ではない。暴力主義者だ。
 つまり女を暴力で支配しようとする、性的に屈服させ奴隷化しようという正真のけだものに対して嗜好が向く。
 残虐な捕食獣を性的に翻弄し、蹂躙し、恥辱を与え高慢な自意識をへし折り、再起不能勃起不全に追い込むまでのプロセスが趣味なのだ。
 無論こんな男生きていても世の為にならない。ぶっ殺した方が道徳的にも有益なのだが、一段階猶予して精神的に死んでもらおうとする情け深さ。
 趣味と実益を兼ねたボランティアを夜毎に繰り広げていた。

 そういう連中は社会的にも暴力権力を有しており犯罪もためらわない外道である。
 対抗する能力をも優子は持っていた。伊達に鬼の家系に生まれたのではない。

 饗子おばちゃんは或る時言った。「優子、お前の名前は優しいの優じゃない。俳優女優の優、わざおぎだ」
 演ずる事こそ物辺優子の真骨頂。演劇で名を馳せた母親物辺贄子の血が沸き上がる。
 実際美貌は優子最大の武器である。中学校時代の「凄い感じのキレイ」とは、趣味を実践していたからの印象だ。
 並の人間であれば、化粧を施し凄みを増した彼女の美貌に手出し出来ない。蛇に睨まれた蛙になる。魅入られ言いなりになってしまう。

 中には常軌を逸した傑物も混じっており、優子の蠱から脱する時もある。が、拳を上げても殴れない。

 この先幾ら求めたとしても、優子と等しい至高の雌に巡り会うなどありはしない。暴力で潰せば屈服させる機会を永遠に失う。
 優子の媚は水面に映った月。触れれば乱れ失せてしまう。
 本物であればあるほど、玄妙の美に敏感に反応した。

 もちろん感性を持ち合わせぬ粗暴な者も居るのだが、しかも結構多くて優子を失望させたのだが、そんなのはカネで雇った鉄砲玉で始末する。
 この時期の優子は巻き上げたカネを腐るほど持つ。単純な肉体バカに餌を与えて使役した。

 というわけで優子は殴られないし一方的に嬲り続けられたし、後腐れなく薙ぎ倒せた。
 ラブホで暇つぶしの監視というのもターゲットを探していたわけだ。

 

PHASE 194.

 だが高校生の現在は変態活動も停止中。ほとんど引退と呼んでもいい。
 近隣のけだものはあらかた葬り去ったから、という事情もあるが、一応改心したのだ。

 転機は中学二年生の三月。卒業生を送り出す式場での出来事。
 前年度の生徒会長は女子であり中学校始まって以来と噂される豪傑であった。「征服者」の異名を奉られる。
 教師にとっては怖いヒトであったが、生徒の側から見れば頼もしい実行力のあるブルドーザーいや戦車みたいな会長だった。

 化物生徒がやっと卒業してくれる、と教師は皆ほっと息を吐き、満面の笑顔で送り出す。
 生徒会からも一般在校生からも拍手と歓声と両手いっぱいの花束とが贈られ、背の低い彼女は身動きが取れなくなった。
 花を半分友達に持ってもらい身軽になった彼女は、いきなり列に並ぶ優子の前にやって来た。

 鳩保は一時期生徒会に関係していたから縁は深いが、優子は知らない。話したことさえ無い。
 にも関わらず、何故と訝しむ。

 「物辺優子さんね」と問うまでもない。彼女は全校生徒上下5年分全員の顔を知っている。
 「はい」と答える優子も、蠱の笑顔で返す。化粧こそしていないが、素面でも表情を作れば他人を意のままに支配できた。
 凶暴本物の異常者に面と向かう修羅場を何度もくぐり抜けた、絶対の自信がある。

 にっこり笑う彼女は、手にした花束を放り投げるとそのまま右ストレートを優子の顔面に叩きつける。
 マジのパンチだ。一撃で優子は正気を失った。
 そのまま連打で10発以上、すべて顔面に食らって体育館の床に昏倒する。
 教師生徒は元より式場に詰めかけた父兄来賓、全員が硬直する。しかし、納得した。

 打撃の瞬間、憑物が落ちたかに人々の間に安堵の声が湧き上がり、自然拍手が起こり、やがて満場の喝采となる。
 気絶した優子にはなにがなんだか分からないが、後で鳩保に聞いたところでは、泣いて喜ぶ女生徒まで居たらしい。
 学校全体が物辺優子が醸しだす得体の知れぬ狂気で毒されていたのだろう。
 だが生徒会長の存在により中和され表面上は平穏を保って居れた。鬼の霊力を打ち消すほどの圧倒的な迫力が彼女には生来備わっていた。

 卒業すれば平衡は崩れ学校は邪魅に支配される。残る生徒は皆内心で予感して不安に思っていた。
 でも会長さんは最後にやってくれた。皆が欲する解決を置き土産にしてくれる。
 鬼を封じてくれたのだ。

 保健室のベッドに横たわる優子は、傍に付き添う担任教師が「物辺、よかったなあ。よかったなあ」と繰り返し呟く声を覚えている。
 優子の危ない遊びを教師達も薄々勘付き危惧していた。いつかは手痛い目に遭い、おそらくは死ぬだろうと予期していたのだ。
 でも留める事は彼らには不可能。霊力の格の違いで触れられなかった。説教されても、優子も聞く気は無い。

 生徒会長は教師にも出来ないことを、優子自身の為にやってくれたのだ。それも自分の拳を痛めてまで。

 

 事件以後、優子は鬼の力に過度の信頼を置かず、自重する。妖しい蠱は清く正しく潔いヒトには効かないのだと理解した。
 世間の高さ深さ、身近にそれが居る狭さを識る。剣呑。

 高校に進んで演劇部に入ったのも、演技しない事を学ぶ為だ。霊力、蠱の力が無制限に垂れ流されるのを抑え、タダの人になる方法を模索する。
 結論から言うとそれは無理で、他の演劇部員の努力を無にしてしまうから舞台に立つのを遠慮する。が、収穫が無かったわけではない。
 自分は演劇に秀でた母贄子とはまるで性質が違い、他者に化ける事が出来ないと知った。物辺優子は物辺優子にしかなれないのだ。

 それに、モノを作ること、パフォーマンスで表現することを覚えた。どうやら自分は、なにか作るのが性に合っているらしい。
 振り返ってみれば中学時代、暴力主義者の精神を折って廃人にするのも「作品」として覚えていた気がする。アートなのだ。

 芸術に目を向けると、学校に師匠が居た。書道部の相原志穂美先輩その人である。
 鬼の優子がひれ伏すほどに目映い、神様の卦を持つ先輩は、それこそ彼女自身にしか成りようの無い存在だ。
 自分であることに毛程も不安を抱かない金剛石の確かさ。そこに惹かれ憧れる。
 新たなる高い目標の前では、中学時代の極道も薄ら寒く浅薄に思える。変態するのも馬鹿馬鹿しくなって開店休業中。

 ちなみに件の中学の生徒会長は、現在門代高校の三年生だ。志穂美先輩の友人である。
 物辺優子、自重せざるを得ない。

 

「でも、」

 久しぶりに、趣味を実行する機会が来るかもしれない。
 そもそもアレは世の為人の為になる行いなのだ。

 モニター映像の中で竹元すぐり先生が男の腕に絡みつきながら部屋に入る姿を、じっと見つめる。

 

PHASE 195.

 部屋に入って早速服を脱がせられる竹元すぐり先生を見て、物辺優子は後ろ髪を掻き上げた。

「これはー、読みが外れたかな。」

 男が思ったよりも遙かに器用なのだ。強引に脱がせるには違いないが愛撫の一貫として実にスムーズに剥いでいく。
 剥くといえば喜味子は0.3秒で卵の殻を剥いてしまうのだが、なかなかどうして彼も匹敵する腕前だ。
 すっかりすっぽんぽんにされた竹元先生が、今度は男を脱がせ始める。
 こちらはぎこちない。一生懸命セクシーにしなだれかかり弄ぶかにスーツに手を忍ばせるが、場慣れしてないのはバレバレ。背丈が足りないから男の首にしがみつく形になる。

 だがせころべちょっとみんな星人謹製の「若干エロぼでぃ」は流石の誘惑で、男もまんざらではない。逸る心を抑え女に食らいつこうとするのを耐えている。
 このあたりの心理はモニター越しでも優子には手に取るように分かる。
 男は、要するにメインのおかずは最後に取っておくタイプなのだ。まずは前菜から丁寧に片付けて、最後に本丸を落とす。
 だからと言って害が無いわけではない。

「物もでかいようだな。」
「さすがに優子ちゃん分かるか。」

 専門家であるから紅美ねえちゃんも気が付いた。
 カメラに対して後ろを向いているので見えないが、先生の反応で察するに尋常のサイズではなさそうだ。

「……ばかだな。」

 見るに忍びない、とはまさに今の竹元先生の顔。戯画的なサイズにすっかり逆上せて喜色満面、期待に心臓ばくばくだ。
 でかけりゃ気持ちいいわけでもないのを、全然分かってない。
 先生はようやく男を全身脱がせて、立ったままご奉仕する。自分の匂いをこすりつけるかにくねくねとしがみつく。
 考えてみれば、二人とも来た早々にプレイに及んでいるからシャワー浴びてない。夏でそれなりに臭いだろうに、そちら方面の趣味か。

「それにしても毛むくじゃらだ、この男。」

 男性的であるからたぶん毛も濃いだろうと予想したが、脱いでみると背筋に沿ってたてがみのような剛毛まで生えている。まるで狼男だ。
 スタイルは良いのだ。手足は長く腰高で、逆三角形によく筋肉が発達し動きも俊敏そう。先程はヤクザかと思ったが、むしろスポーツ選手な感触がある。

「吠えた?」

 マイクはオフにしているから無音だ。それでも先生の様子から男が声を上げるのが分かる。いよいよ興が乗ってきたか。
 竹元すぐり、既に陶酔の表情。声に理性を完全に奪われた。

 男は両腕を左右に大きく開く。羽ばたくかに揺らめかせ、女を翻弄する。
 これは他では見ない動作。人間の性行為ではちょっと例を思いつかない。強いて挙げるならば、極楽鳥のオスがメスをダンスで幻惑し交尾に誘うやり方か。
 効果もあるらしい。先生もふらふらと立ち上がり、手を伸ばして男に絡み付こうとする。
 催眠術にでも掛けられたよう。

「ちょっと、これ、ヤバイな。」

 紅美ねえちゃん、むしろ薬物を疑う。プロだから敏感に察知するが、確かに通常のセックスではない。
 優子、自分が感じた違和感の正体にようやく気付く。

「しまった!」

 男の身体の剛毛が、伸びる。全身を見る間に覆い、獣へと変化する。
 まんま狼男じゃないかあ。

 現在の門代地区の状況を考えれば、むしろこれが当たり前。常に宇宙人やその類縁の干渉を警戒すべきだったのだ。
 第一、竹元先生は既にろくろ首星人の犠牲者だ。しかも身体は作り物。
 気配が常人でなければ、異形のモノが寄って来て当然。

「優子ちゃん!?」

 優子、管理室の扉を開けて二人の部屋に走る。長い髪がティーカップを引っ掛けて床に勢い良く叩きつけた。

 

PHASE 196.

 錠は掛かっているのだが、ゲキの前には自ずから開く定めにある。
 勢い良く扉を引いて物辺優子が見上げると、狼男らしきモノは、まさしく狼男だった。
 全身を灰色の毛が覆う、口は耳まで裂け鋭い牙が覗き、目は黄色く爛々と輝き、耳は……さすがに頭の上にまでは移動しない。
 狼男のデザインも幾つか定番があるが、「人間型狼男」タイプだ。口吻が伸びる事もなく、顔は平たいままである。

 仁王立ちして腕を左右に大きく開き、厚い胸板を誇示する。
 妙な話で全身けむくじゃらなのに乳首周辺10センチほどは素肌のままだ。胸から下腹まで胴体中央部は肉がそのまま見えている。
 その下は推測通りの物体が存在するのだが、

「うわぁっ!」

 優子は左腕を上げて顔をかばう。狼男の全身より発する臭いから身を守った。
 フェロモンだ。一発で女を虜にする圧力が全身の臭腺から噴き出している。竹元先生前後不覚になるのも道理。
 これは優子でも危ない代物だ。いかにゲキの力で守られていようとも、コミュニケートする為にわざと窓を開いている感覚もある。
 おそらくは鳩保芳子だと他愛もなく蕩けてしまうだろう。
 花憐ならガード完璧だから大丈夫、みのりも理解できなくて大丈夫、喜味子はー考えたくない。

 始末の悪い事に、フェロモンはなんと発している本人にまで効果が有る。
 狼男も視線が定まらない。正気も無くて、ただただ肉欲に支配される。目の前に居る女を見境なく犯すのだろう。
 あいにくと今夜の獲物は優子が突き飛ばして床の絨毯に頭から突っ込んでいる。だらしなく尻を天に突き上げ、ひくひくと蠢く。

 自然、ターゲットは物辺優子となる。左右に開いた腕をカニ鋏みたいに抱きしめる。
 さすがに獣姦はプレイの範疇に入れてない。優子は抱きしめる男の腹に右掌を当てる。
 エネルギー放射。

 触れる鋼の腹筋の内部で太陽が生まれた。いかに強固な防壁を築こうとも、優子のエネルギー放射を防ぐことは出来ない。高次元空間からの転送だ。
 狼男は苦痛を覚える暇も無い。膨大な圧力が瞬時に彼を弾き飛ばした。
 腹腔内部で臓物が膨張し筋肉の鎧を内側より押上げ、五体を七つに引き裂いた。頭蓋は中央から半分に割ける。

 物辺優子、軽率を後悔した。
「こいつ、生身だ……。」

 魚肉ソーセージ製の合成人間ではない。血が通い臓物を持つ、天然自然に生まれた生命体。人間か獣かは知らないが生き物だ。
 ひとりにひとつずつの命だ。
 じゃばあっと盛大にぶちまけてしまった。

 弾けるのは血潮、球形に赤い風船が広がり、すべての空間に散っていく。優子の目には瞬間が引き伸ばされて永遠に見える。
 客観的人間尺度で言えば、爆発だ。人体が爆裂して部屋中を血に濡らす。
 もちろん優子も竹元先生も朱に染まる。飛び散る肉片が、舞い飛ぶ臓物の破片が、脳髄が、白骨が壁に、白いベッドに当たって跳ね返る。
 つんと鼻を衝く金属的な血の臭いと、内蔵から分泌される多種の液体が発する重く不快な臭いと、プラズマエネルギーに焦げたタンパク質の煙とが混じり合って五感の平衡を打ちのめす。

 まっすぐ立っているのも億劫な疲労が全身に広がり、優子はさてどうしたものかと長い髪を掻き上げた。
 真上の天井にも肉はへばりつき、今更ながらに落ちてくる。
 べっとりと血潮が粘り付き、始末のしようを思いつかない。清掃は専門の業者に頼まないといけないだろう。費用も相当掛かるはずだ。
 紅美ねえちゃんになんて詫びよう。

「おそらくはー、あたし、人殺ししたな?」

 

 3時間後、物辺優子は警察の取調室に居る。
 午前1時38分。

 

PHASE 197.

 ま、逃げるのは簡単だ。
 すべてを放り投げて竹元先生だけを連れてその場を離れる。唯一の目撃者である紅美ねえちゃんは記憶を消す。
 後は野となれNWOに処理をお任せ。連中は嬉々としてお仕事をするだろう。何の後腐れも無い。

 しかし物辺優子は選択しなかった。
 まず第一に爆発した瞬間、びっくりした紅美ねえちゃんは警察を呼んだ。誰の為でもない、優子が死んだかと思って最善の手段を用いたのだ。
 小さなブラウン管モニターには、まさに人間が爆発する瞬間が映っている。巻き添えで優子も竹元先生も血まみれになった。
 命はともかく大怪我をしたのは間違いない、と判断してどこに過ちがあろう。
 これも好意であるから、無碍にするのは惜しまれる。

 また知り合いの記憶を消すのも嫌だ。
 たとえ自分がやるのだとしても、好いている人間、幼い頃よりの数少ない味方と呼べるねえちゃんの記憶を改竄するのは気が咎めた。
 異常ではあっても共に分かち合った時間が失われるのは、案外と辛い。残念だ。
 だから、ヤメタ。

 NWOに借りを作るのも鬱陶しい。狼男が連中の手先の可能性も有る。
 事件そのものが自分へのアクセスもしくは攻撃だとしたら、組織を使っての隠蔽工作に任せるのはまさに相手の思う壺。おもしろくない。
 別の勢力の仕業だとしても、大っぴらな展開に任せた方が正体の見極めも早いだろう。

 これは一つの冒険だ。常に状況の主導権を握り続けるには、乱を起こさねばならない。逃げ腰は墓穴を掘るばかり。
 ややこしい事態になれば鳩保芳子がいいように処理してくれる。ごねればそれだけ自分達の立場が強くなると、あの女は知っている。
 折角の機会を逸してはならない。

 大体こんな計算だ。だが真の理由はそうではない。

 物辺優子が考えたのは、警察の捜査に任せるとどうなるかの興味だ。
 狼男を殺したのは、実際にもそうなのだが、そして爆死であれば殺人に違いなかろう、第一容疑者は誰が見ても自分である。
 容疑者であれば当然に警察で尋問され、おそらくはカツ丼が出るだろう。
 それは食ってみなくてはなるまい。

 

「や。怪我が無くて何より。じゃあ事情聴取始めてもいいかな?」

 取調室に入ってきたのは、随分と顔の怖いおじさんだ。年齢は50歳程で刑事というよりはヤクザの方が通りがいいだろう。
 もちろん未成年の少女に聴取するのだから、若い女性警察官が筆記役でついてきた。
 優子、改めて尋ねる。

「事情聴取ですか、尋問じゃなくて。」
「尋問じゃない。あくまでもなにが有ったかを聞いた上で、その後の扱いを判断するんだ。現状では事件性があるかすらまだ決められない。」
「殺人事件、じゃないんですか?」

 おじさん刑事、顔をしかめながら机を挟んで優子の対面の椅子に座る。
「病院の検査ではなにも無かった、怪我していないという事でいいんだな。」
「へい。」

 通報により殺到した警察の第一陣によって優子と竹元先生は回収され、病院送りにされた。
 全身血まみれだし、爆発というのだから破片等が身体に食い込んでいるかもしれない。病院で入念に検査するべきであろう。
 事実、竹元先生は飛んできた「足」が頭に当たってこぶが出来ている。
 救急車で搬送された二人は近くの総合病院で検査されて概ね異常なし。ただし先生の方は未だに意識を回復しない。
 そこで、物辺優子が事情聴取されるハメになっている。

 病院でシャワーを借りて全身の血を洗い落とし、服も備え付けであったものを着せられた。
 普段優子が絶対に纏わない”ピンク”だ。Tシャツと短パン、夏場に患者さんが使うものらしい。

「えーと、物辺優子。平成三年十一月二十九日生まれ16歳。高校生、だな?」
「はい。」
「なんでラブホテルに居た。男連れではないんだろ。」
「はあ、ホテルの紅美ねえちゃんが友達で暇つぶしに。」
「うーん、いくらホテルの従業員の知り合いだとしても、補導の対象になるぞそれ。」
「従業員じゃなくてオーナーの娘ですよ。ねえちゃんは。」
「どっちでも一緒だ。」

 優子、その前に聞いておかねばならない事がある。

「あの、おじさん。捜査一課の刑事さんですよね。カツ丼は、」

 

PHASE 198.

「は? カツ丼? なんだそれ。ああ、それと俺は一課じゃないマル暴だよ。」
「え、」

 捜査一課と言えば、テレビでご存知の殺人強盗等凶悪犯を捜査するところ。マル暴は昔の四課、暴力団・組織犯罪専門だ。
 門代地区は古来より交通の要所として栄え、当然のことながら人夫人足を束ねるヤクザの組織も発達した。
 今でも外国から入ってくる貨物船で密輸や密航がしばしば発覚する。警察も暴力団対策には特に力を入れている。

 優子、さすがに驚く。

「あたし、暴力団ですか!」
「そういうわけじゃないが、おまえ物辺神社の子だろ巫女さんだろ。」
「はい。」
「はいと来たか。じゃあ大体分かるだろ。」
「まあ、そうですねえ。関係なくも無いかハハハ。」

 物辺神社は武運長久の社。秩序から弾かれた鬼神を祀っている。博打にもご利益が有ると考える人も居る。
 ヤクザ無頼がお参りに来るのは必然と言え、戦後すぐまでは大々的に尊ばれていたと聞く。
 とある広域暴力団の組長が襲名したとかで報告のお参りに来て、特別警備に当たる警察官と小競り合いがあった。なんてのも聞いている。優子が生まれる前の話だ。
 最近はまんまんさまを拝まない罰当たりのヤクザも増えてご無沙汰だから、とんと忘れていた。

「でもあたしを調べても何も出ませんよ。」
「手口が爆発だから手榴弾かダイナマイトか、ともかく一般人の手に入るものじゃない。暴力団の関与を疑うのが筋てものだ。それに、物辺の巫女さんが引っかかったとなればな。」
「うーん……。」

 言ってる事は正しいが、手回しが良過ぎる。まるで優子を特別にマークしていたみたいだ。
 本来であれば児童生徒が警察に保護されたとなればまず保護者、次に学校の担任教師が呼ばれるだろう。しかし事件発生後3時間経っても未だ姿を現さない。
 故意に遅らせていると見た。

 優子の目の色で自分が特別なターゲットとなっているのに感づいた、と刑事は見抜く。居住まいを正し椅子に座り直す。

「改めて、私は組織犯罪対策課の石室です。」
「石室デカ! おおなんか刑事モノらしくなってきた。」
「物辺優子くん、君は自分が特別に警察に目を付けられていると感じただろうが、それは事実だ。七夕の祭りで警察がどんな理不尽な苦労をさせられたかご存知か。」
「あ、」

 そりゃあそうだ。裏サミットと呼ばれるくらいに厳重な警戒体制を敷いたのだから、警察にもとんでもない負荷が掛かったはず。
 コノウラミハラサデオクベキカ、と関係者の名を記憶するのも当然。法に引っかかるなにかをしでかしてくれたら、喜んで吊るし上げようとも思うはずだ。
 優子、ここは頭を下げるべきと、ぺこりとお辞儀した。長い黒髪がぶるんと振り回される。

「ご苦労様でございます。物辺神社一同、警察および自治体関係者の皆様の多大なるご支援を深く深く感謝しております。」
「あ、まあ、こちらも仕事だから。それで、始めていいかな。」
「はい。」

「単刀直入に聞こう。死んだのは誰だ?」

 これまた本当に単刀直入だ。それを調べるのが警察の仕事だろうに。
 第一優子はそんなの知らない。竹元先生が目を覚ましてから聞けばいい。

「持っていた免許証、それに乗っていた自動車の登録証から身元は割れた。だが連絡したら本人が電話に出た。」
「ほお。」
「つまり、何者かが名義を偽って高級外車を買い偽の免許証で乗り回し、女を引っ掛けていたという事だ。怪しいなんてものじゃない。」
「さいですなあ。」

 宇宙人ならそれくらい普通。むしろ実在の人間を足掛かりにしていた点にびっくりだ。

「その電話に出た本人てのは誰です。」
「今人をやって調べているが、警察には縁の無い人間らしい。まあこの手口は外国人の……おっと。」

 下手に知識を与えると誘導尋問になってしまう。それでは困るから石室刑事は口をつぐむ。
 まあ爆殺されるような人物だ。身分詐称に公文書偽造、顔面の整形もやっていておかしくない。
 生体認証を公的に取り入れてない日本では、他人に成りすますのにそれほど手間は要らない。

 一方優子は、警察がどこまで事態の本質に迫れるか見てみたい心境だ。宇宙人と狼男がどこらへんで絡みあうのか知らないが、地球在住であれば社会に痕跡は必ず残る。
 或る意味、地球人の犯罪者よりも彼らはずさんで追跡し易い。いざとなったら肉体を捨てて取り替えればいいし、死んでもコピーが幾らでも有る。
 死を恐れない彼らに蚤の心臓な猜疑心は必要無い。

 

PHASE 199.

「あたしが見たのはですねえ、」
「うん。」
「紅美ねえちゃんも同じ事を言ってると思うんですが、全身毛むくじゃらの、」
「うん。」
「狼男です。」

 刑事、両手を組んで口元を隠す。確かに現場に到着して事情聴取をした警官は、目撃者2名であるところのホテル従業員と物辺優子からそう聞いた。
 竹元すぐり27歳高校教諭は心神喪失状態で返答出来なかった。

「狼男というのは、なんだ。」
「信じないでしょうけどね、」
「いやすべての証言は事件の解明に役に立つ。狼男と君が言うものを、もっと詳しく話してくれ。」

 優子は頼まれるままに見たものをそのまま語った。別に嘘を吐く必要も無い。隠すべき事実は、優子本人が掌からエネルギーを放出した点のみだ。

「つまり、プロレスラーみたいに背の高い全身に剛毛の生えた割といい男が、女をホテルに連れ込んでセックスの前戯をしている最中に様子が変わって、狼男の風貌に変身した。これでいいか。」
「はい、それでOKです。」
「途中で変わったというのは、どういう。行動が急におかしくなったとか、女に暴力を振るったとか?」
「あたし達が監視していたのは、つまり高校の先生がそうされてはかなわないと考えたからです。」
「うん、筋は通る。」
「途中まではおかしな所は無かったんですけどね、いやあのサイズの男ってのはかなり非常識だとは思いますが。」
「サイズというのは、」
「ぺにすですよ。」
「カメラでそれが見えた?」
「後ろ向いていたから、そこまでは。でも先生の様子でかなりの逸物だとは推測できました。」
「その時点までは女はちゃんと意識があった。そういうことだな。」
「はい。」
「薬物を使用した気配は。」
「あたしはそうではないと考えました。」

 ここはホテル従業員の証言と異なる。彼女は、客が突然錯乱してわけの分からない行動を取り始めたと供述した。
 一方物辺優子は、本人が現場に踏み込んで爆発を浴びているにも関わらずまったくの無傷で、しかも取り調べにも冷静に応じる。
 むしろ不自然だ。あれだけの惨劇にも関わらずなんの動揺も見られず平静に喋るばかりでなく、カツ丼まで食べたがる。
 肉など当分見たくも無いだろうに。

「君が部屋に踏み込んだ時点で、男の様子はどうだった。」
「女の、先生の方の話をしましょう。たしかに薬物によるものと思わしき興奮と酩酊の状態にありました。男はどちらかと言うと頭に血が昇って我を忘れている感じ。」
「正気ではない?」
「たぶん、女なら誰でもいい状態ですね。」
「それで君に襲いかかった。」
「うーん、」

 優子迷う。ここは事件の核心だから、うまく嘘を吐かないといけない。

「逃げられましたよ。」
「乱暴にはされなかった。そういうことか。」
「そのすぐですからね、爆発は。」
「そうか。つまり男の様子を確かめたのはそこまでというわけだ。」
「はい。」

 石室刑事、女性警察官が隣に立っているのに気付く。未成年がこの深夜まで警察署に留め置かれているのだ、配慮せねばならない。
 彼女は言った。

「物辺さん、お茶でもどうですか。」
「あ、熱いのください。この部屋冷房がきつくて。」

 夏だから冷房が入っているが、もう深夜だ。体調のバイオリズムも低下して体温が下がろうというのに、これでは肌に逆毛が立つ。
 なんたって優子は病院で貸してもらった薄いTシャツを着ているだけなのだ。

 彼女が出て行きふたりきりになったところで、刑事は尋ねた。

「君は、カメラ越しでも他人がセックスするところを見て、なんとも思わないのか?」
「せくはらですねえ、その質問は。」
「確かにセクハラになるが、この証言は君がモニター映像を冷静に客観的に見ていた事が前提となる。興奮しながら見ていたとすれば、信憑性に疑問も生じる。」
「大丈夫ですよ、慣れてますから。」
「それは、他人のセックスを見るのが慣れている。あるいは、君自身がセックスに慣れている。」
「さあ?」

 にた、と優子微笑む。

「でも被害者のアレはなかなかに大したものでしたよ。」

 

PHASE 200.

 緑茶を頂いた優子は、ついでにカーディガンも要求した。この刑事さんはクーラー寒くても平気らしい。困ったおっちゃんだ。
 女性警察官が再び筆記の席に着いて、再開。

「もう一度初めから。君の高校の先生が男に暴力的な行為を受けると思って、監視をした。」
「はい。」
「それは何か根拠があったのか。それとも相手が大きいから先入観でそう思ったのか。」
「そもそも乗ってきた車がBMWですから、ベンツなら確定ですがその筋の人間ではないかと。」
「確かにそれはありそうな話だ。で、」
「竹元先生はこのところ浮かれてました。教師にあるまじきと言ってもいいくらいに、色に狂っていたと。」
「学校でもその傾向があった。そう言いたいのだな。」
「もうご存知でしょうが、先生は6月頭頃に失踪しています。警察沙汰になりました。無事に帰ってきたのですが、それ以後ですね。」
「うん、その事件は認知している。トンネル口の身元不明の轢死体だな。あの事件以後に性格が変わった?」
「変わりましたね。色気が出てそれを隠そうともせず、男子生徒に見せびらかす。折よく夏休みになったけれど、あのままならそろそろ厳重注意とかされそうな雰囲気です。」
「つまり性的な問題を引き起こす可能性が十分に高かった、そう考えた。」
「それもタチの悪い男に引っかかる確率がとてつもなく大きい。」
「なるほど、それで筋モノぽい男とラブホテルに入ってきたから警戒した。しかしそんな男なら未成年がどうにか出来るはずも無いだろう。」
「あたしも普通の人間ではありませんから。」

 ふふ、っと優子笑う。この刑事さん、先程から自分に訊きたくてたまらないという顔をしている。
 まるでどうぞと促すような笑みである。刑事も鼻白み、椅子の背に大きく伸びをする。

「物辺優子、くん。君はこれまでに警察に厄介になった事は無い。少年課には記録が無い。」
「はい。」
「だが中学生の時分から既にマークされていたのは知っているな。これは君が通っていた中学校からの依頼だ。」
「ああ。学校てそういう連絡もするんですね。」
「三年生になった頃から行いが改まったと聞くが、それ以前だ。しばしば門代を離れているな。」
「そうでしたか? あの頃は結構忙しかった気がしますね。」

「当時俺は或る人物を内偵していた。もちろん暴力団関係で弁護士の資格も持ってるずるがしこい奴だ。ずいぶんと金回りが良くて夜な夜な女を侍らせて遊び回っていた。」
「そりゃあ悪いことしてるんでしょうね。」
「そいつには酷い癖があって女を虐待するのが趣味だ。それも素人娘を借金のカタやらで連れ出して、ボロボロにして捨てるという外道だった。自殺者も居る。」
「警察はなにをしてるのでしょうか、そいう時。」
「何もできないんだよ、そういうのは。
 だが或る日、そいつが潰れた。死んだのではなく廃人になった。会社も持っていたのだが経営者がそれじゃあ回らない。財産も不動産も全部失って、本人は車に乗って海に飛び込んだ。」
「ほおほお。」
「死ななかったけどな。今は病院だ。怪我は無いが精神的に再起不能でこのまま回復する見込みも無いそうだ。」
「因果応報ですね。」

「何があったか調べたよ、俺たちは。で、妙な噂を聞きつけた。
 少女だ。とんでもなく凄絶な美貌の少女が男を狩っている。しかも裏社会で勢力を持つ危ない奴ばっかりを狙って、てものだ。」

「美少女。あたしみたいな?」

 見つめる二人、同時に笑う。だが双方のニュアンスは正反対だ。
 刑事は表情を和らげて、語る。こいつ相手には遠慮の必要がないと見極めた。

「名は童子姫というらしい。もちろんアダ名だ。
 調べただけで27名がこいつにやられている。いずれも札付きのワルで権力を用いて人を泣かせ、しかも女に対して暴力を振るう変質者だった。」
「警察が手を出せない悪党ばっかりですか。」
「ああ。だがもちろん誰一人として被害届を出してはいない。返り討ちにあった、少女にちょっかいを出して自滅したのが真相らしい。
 らしいてのは、証言した人間は童子姫とやらを見たことが無く、やられた本人との会話の中に少女の噂が出たてだけだ。」
「どんな子です?」
「分からん。とんでもなく美人でとんでもなく狡猾で、カネを腐るほど持っていたそうだ。やられた連中が皆巻き上げられたのなら納得行くな。」

「あたしじゃありませんよ。うちは貧乏な神社です。」
「知ってるよ。物辺神社には行ったこと有るからな。」

 

PHASE 201.

「童子というのは元は仏教僧に仕える子供で、転じて酒呑童子とか茨木童子とかの鬼の名前にも使うそうだな。」
「ええ。物語にはよく出ますね。」
「つまり童子姫とは、鬼姫てことだ。」
「ああ、道理で変な名前と思った。童子と姫とじゃ男女性別食い違うじゃないですか。」
「本人が名乗ったわけじゃないからな。しかし少女、それも子供の姿で男を誑かすのを強調したかったのだろう。」
「中途半端なインテリが付けたみたいですね。」

「結局のところ、つまりは鬼だ。もちろん本物の鬼が居るはずがない。
 俺は鬼に関係のある家系か、シンボルとして使う組織ではないかと考えた。」
「なるほど、鋭い読みです。」
「だが別に被害届が出ているわけでなく、立件されたわけでもなく、鬼畜外道が社会的に抹殺されても誰も困りはしないから捜査はそこでおしまいだ。
 俺たちも事件を潰された恨みはあるが、あそこまで廃人になってくれれば文句を言う筋合いも無い。
 だから詮索は止めた。

 ところがだ、ウチの管内にはそのものずばり鬼の神社があるじゃないか。」
「物辺神社ですか。あそこはいけませんや、まじで不吉な神社です近寄っちゃダメですよ。」
「巫女さんなんだろ、お前。」
「はい。」

「教えてくれないかなあ。……死んだのは誰なんだ?」

 完全に優子を疑っているわけだ。

 

 ぺるるる、と石室刑事の携帯電話が鳴った。下手に着メロなんか使っていたら怒られるのだろう、当り障りのない呼び出し音だ。
 優子と向かい合ったまま話を始めるが、立って取り調べ室を出てしまった。優子に聞かれてはならない、事件についての情報なのだろう。

 物辺優子、ゲキの力を授かった身として超能力を持つ。地獄耳も標準装備だ。
 防音の扉越しにも通話内容を聞ける。

『ああ、検視に回ったか。なにか身元を、うん身体に特徴があれば、』
『なに、毛? 毛深い男とは聞いている。人毛じゃない? じゃあなんだ、』
『イヌ? ばか言うな。イヌが人間になるわけないだろ。イヌの手足、それも大きい、狼みたいな? 馬鹿か』
『うん大学の、それとDNAを。うん、DNA鑑定するのは分かるが、ホトケを組み立てる? ああ爆死だからな』
『爆発物の痕跡、部品のカケラ等は発見出来ず? 手榴弾ではない、そうか。ダイナマイトは、うん、それも破片が残る。なに電気爆発?』
『わかった。明日早朝に、うん、発表は出来ない。そりゃ出来るかイヌの足なんか』

 狼男は死んでも人間には戻らなかった。変身したそのままで肉片が飛び散った。
 胴体中央から爆発したから、末端の手足は丸ごと保存される。つまり狼の手足がそっくり残っている。これは警察として頭の痛いところだろう。

 一方優子の方にもちゃんとバックアップは居る。
 首の後ろの不可視の電話を掛ける。もちろん部屋にはまだ女性警察官が居るから、頭の中で考えたまま通話だ。

「芳子、どう?」
「狼男の仲間らしきものが現場のラブホに近づいた気配は無いよ。まあまだ警官で一杯だし、近所の人も起きて見ているからね。」
「爆発のあった部屋は鑑識が入ってるの?」
「うん、でも状況が状況だけに慎重を期しているみたいだよ。」
「爆発物なんて無いんだけどね、あたしの仕業だから。」
「向こうは知らないから仕方ないさ。」

「花憐、聞いてる。」
「うん。」
「夜分遅くすまんね、みのりは?」
「寝てるから起こしてないわ。格闘がありそうな状況じゃないもの。」
「で、宇宙人情報で今回の事件はなんか出てる?」
「無いわ。狼男なんてまったく話が出てこない。逆に『物辺優子情報局』で」
「なにそれ。」
「あなたは現在宇宙人の間では注目の的なのよ。特別チャンネルまで作られて24時間報道中よ。」
「おお。出演料もらってないんだけどな。」

「優ちゃん?」
「喜味子か、どうだ。」
「死体は大学病院に回されて解剖されるみたい。ちょっと遠いから面倒だ。」
「死体を奪取するわけにはいかないの、ぽぽー。」
「今回はまだ相手の出方が分からないから放置。釣りだよ。」
「でも宇宙人の死体を解剖させて妙な知識をばらまくのは感心できないわね。」
「それもそうだな。喜味子、始末できるか?」
「簡単だけど、最終的にどう処分するか。ちょっとめんどうだな。」
「解剖する医者には見せていいけれど、その後の死体は消滅させて。報告書だけで実物が無いというのがいい。」
「芸が細かいな。じゃあ、死体置き場から紛失したという線で。」

「喜味ちゃん、」
「ぽぽー、何。」
「狼男なんだから、動物の死体と間違えて焼いちゃったて形にして。不思議な力で消滅てのは無し。」
「分かった。」

 

PHASE 202.

 優子は鳩保から不可視の電話の回線を引き継ぐ。

「それで喜味子、狼男というのは実体としては何なんだ。」
「生き物だよ。肉片をちょろまかして分析に掛けたけど、人間とイヌ科の動物のハイブリッド生命体だ。」
「天然自然に発生した生物?」
「そんなんあるもんか。宇宙人か誰かが遺伝子ミックスしたんだよ。でも種族としてちゃんと固定されていて繁殖もできる。狼男の力を子々孫々まで継承できるようになってる。」
「ミックスて何時頃の話だ?」
「遺伝子エラーから計算すると、1万4千年から1万2千年くらい前までに種族化してるね。」
「今回の為に作った種族じゃないわけだ。で、仲間は居そう?」
「居るんじゃないかな。単一の種族が血統を保持するためには、最低でも千体は要るでしょ個体数が。」

 鳩保割り込む。

「喜味ちゃん、でも狼男は竹元センセを犯そうとしていたんだよ。普通の一般の人間を孕ます事ができるのかな、これ。」
「無理だね。劣性遺伝だ。えーと発現プログラムが組まれていて混血児にはほぼ間違いなく狼の力は無く子孫にも受け継がれないけれど、そういう血統の人間同士が結婚して生まれた子に不規則な発現がある、という風に仕組んでる。」
「喜味子、そんなとこまで分析できるのか。」
「いや狼男の血統というのは興味深いものがあったからさ、ちょっと詳しく調べちゃったよ。でも死んだ奴は狼人間同士の繁殖で生まれた純血種だ。」
「じゃあなんでセンセを、」
「そりゃエロかったからだろ。」
「エロいからね、実際。」

 女性警察官は優子が正面を向いたまま無表情になったのに気が付き、心配そうに立ち上がる。まさか脳内で電話を掛けているとは思わない。

「だいじょうぶ、物辺さん。」
「え? ……、え、ああ。大丈夫です。ちょっとお腹が空いたかな。」
「分かったわ、なにか探してみるね。」

 取調室を出る。実は彼女のところにも連絡があり、物部優子の保護者が来て対応を求めていた。
 ちなみに扉の外にはちゃんと監視の警察官が居る。石室刑事が席を外す間も目を離すなと特別に配置しておいたのだ。
 彼の予想では、物辺優子は今も第一級の容疑者である。大した勘だ。

 入れ替わりに石室刑事が部屋に戻る。表情は冴えない。
 被害者が人間じゃないかもしれないと指摘されて顔を曇らせない警察関係者は居ないだろう。
 彼は優子の顔を見た。怖い顔にちょっと情けない色が混じっている。

「えーと、どこまで話したか、」
「私が邪悪少女というところまでです。ところでガイシャの身元割れましたか?」
「まだだ。もう一度尋ねる。男にほんとうに心当たりは無いのだな。」
「全然。」

 まったく悪びれない優子にこれは本当と見做し、観念して資料を出す。
 狼男が所持していた免許証だ。顔写真もちゃんと付いている。

「この免許証は本物だが、名義になっている人間のものではない。見覚えは無いな、名前も。」
「はい。」
「じゃあこっちは。」

 と示されたのは別の男の顔写真が載ったコピー紙。パスポートの写しだ。

「これが免許証の名義の本人だ。こちらの顔はどうだ。」
「全然ですね。さっきの男とまったく違うじゃないですか。警察は一体何をチェックしてたんですか。」
「面目ない。ではこちらは、」

 今度はカラー写真だ。やはり男が写っているが、

「知りません。第三の男が関与するんですか?」
「知らないなら、うん。それでいい。」

 勿論優子は知っている。これが例の「童子姫」とやらに廃人にされた悪党、つまり物辺優子中学生のみぎりの犠牲者だ。
 まったく場違いのところに予想外の人物を登場させて反応を見る作戦だったらしいが、生憎とそんな手が通じるほど鬼は甘くない。

「あたしは思うんですけどね、竹元先生の回復を待って事情聴取した方が、あたしより良く知ってるんじゃないですか。少なくとも口説かれた時に、まあ口から出任せでしょうが、個人情報を曝してるでしょ。」
「それはもちろん聞く。が、未だに意識不明というより寝てしまったからな。朝になるだろう。」
「薬物反応は出ましたか。」

 コレが出ると、さすがに先生学校を追放されてしまう。教師だから特に厳しい。

「いや。麻薬覚醒剤その他一切検出されてない。綺麗なもんだ。だが病院からの話だと、妙に血管を見つけにくかったらしいな。採血に苦労させられたと言っていた。」

 せころべちょっとみんな星人謹製の魚肉合成人体だ。尋常の血管に赤い血潮が流れているはずが無い。
 ただオーダー時に身体検査で異常がばれないよう偽装機能を付けてもらっている。レントゲンやCTスキャンに掛けてもダミー反応が投影される。解剖してみなければ絶対バレない。
 採血しようと注射針を刺せば血の詰まったチューブが蠢いて移動し、血管のふりをする。ミミズが肌の下を這いまわるようなものだ。気持ち悪い。

 

PHASE 203.

「刑事さん、協力したいのは山々なんですけどね、そろそろ解放してくれないですか。もう3時過ぎたんですけど。」

 優子、あまりにも当たり前の要求を突きつけて刑事の不快感を煽る。
 そんな事は最初から分かっている。未成年の、それも非行に走って補導されたのならまだしも、爆発現場に居合わせた言わば被害者の一人なのだ。
 本来であれば労って、ショックから錯乱しないように深夜の聴取は控えるべきだろう。
 物辺優子があまりにもしれっとしているので、つい前提条件を忘れてしまった。

「あ、ああ。そうだな、保護者のお姉さんもいらしているようだし、一度家に戻ってもらう方がいいのかもしれないが、だがもう少しだけ捜査に協力してくれないかな?」
「今でも大盤振る舞いなんですけどね。第一本当に人間なんですか、アレ。あたしも紅美ねえちゃんも狼男を見たと言ってるでしょ。」
「いやだからな、」

 状況は明らかに優子に有利である。狼男が死んだと証言する現場から、人間ではないような気がする変な死体が発見される。
 狼男なんて実在しないと切って捨てる常識が、今回に限って分が悪い。
 ひょっとして、ほんとうに狼男が居たのか。

「もう一度だけ。狼男だったんだな? ねずみ男でもゴリラ男でもなく。」
「割とかっこ良かったですからね、狼男ですよ。」
「そうか……。」

 証言がまったくブレない上に、足場がどんどん固まっていく。
 警察官として刑事としては承服しかねるが、狼男の実在を前提として事件を再度見直すべきではないか。
 だが狼男が殺されたとして、それを刑事事件として扱えるだろうか。

「爆発はどのように感じた?」
「狼男のお腹が血で丸く膨らんだように、いきなり。体内からですね、爆発の中心は。」
「外からの攻撃を受けたとかは無いか?」
「ラブホの部屋ですからねえ、外に声が漏れないようになってますし、クーラーも掛けてるし。」
「密室だった、そう言えるか。」
「あたしが入るまでは二人以外に誰も居ないし、爆弾投げ込まれたのでも銃撃されたのでもないですね。」
「音は、誰か居る気配やら銃撃の、」
「ありません。」

 石室刑事、優子がなにか隠している事だけは分かるのだが、どうしても正体が掴めない。悔しい。
 掌から相手体内に直接エネルギーを転送できる能力者を知らずに、これ以上の推理は出来ない。

 再び携帯電話が鳴った。ちなみに優子のケイタイはラブホの監視室に置いたままだ。
 刑事、もう出ていく事も無くその場で通話を受ける。

「はい石室、はいあ先生夜分遅くにすいませんがお願いし、え! 解剖出来ない。それはまたどうして。」
「え? 人間じゃない。いや、たしかに異常なホトケだろうとは思いますがそこを、え? 肉球。男の手足に肉球がある。それはー、」

 刑事、泣き出しそうな顔で優子を見る。気の毒だがそれが現実だ。

「検視はしない、出来ない。はい、獣医に任せる? いやですが人間の、おおか」

 狼男だから人間の検視をしてくれ、と言おうとして、さすがに止めた。通話もそこで切れる。
 おじさんただ呆然。
 優子、可哀想になった。宇宙人やらクリーチャーの不始末を人間の警察がどうこう出来るわけが無いのだ。
 ここは良い感じに手助けしてやるのが親切というもの。ゲキの力を授かった万能の処女としては、おじさんの一人くらい救ってやらねば罰が当たる。

「あの、刑事さん。ここはどちらさんの顔も立つ形で、「クマ」という事にしてはどうでしょう?」
「クマ? クマと言うと、あの熊か。」
「どの熊かは知りませんが、ここいらへんならツキノワでしょう。」
「     、いやーそれは。それは無い。だって熊がBMWを運転して女を助手席に侍らかしてラブホテルでセックスの最中に爆死だなんて、」

「そこまでは言ってません。つまりですね、ラブホテルに侵入したクマが竹元先生をびびらせて失神させ、男はびっくりして先生を置き去りに逃走。」
「      」(石室刑事考え中)
「クマは部屋の中を物色していて高電圧線に接触。」
「高電圧? なぜ部屋の中にそんなものが通ってるんだ!」
「先生がクマに襲われる映像を狼男と勘違いしたあたしが部屋のドアを開けた瞬間、クマは高圧線を食べちゃって腹の中から爆発。

 これでどうだ!」

 

PHASE 204.

 ハハハ、と二人は笑う。
 そんなわけ行くかい!

「物辺優子、くん。作り話もたいがいにしないと怒るよ。」
「でも狼男の死体が転がるてよりはよほどリアルな設定ではないですか。」
「そんなリアルがどこの世界に、……。」

 狼男がいきなり爆発する現実と比べれば、どちらがリアルな設定と展開だろう。
 石室刑事、実社会特に公務員の生活の中ではまま理不尽に遭遇すると知っている。この事件もひょっとすると、深入りしない方があらゆる方面にとって好都合なのではないか。

「しかし、そんな無茶が、第一ホトケがあるんだから。」
「それは大丈夫。もう処分されたはずです。」

 今会話中にも喜味子から連絡が入った。
 人間の検視を諦めて獣医に任せると決まったところを覗き見して、これ幸いと移送先を入れ替えゴミ処理場に持っていく。まもなく焼却処分されてしまうだろう。
 オーダー通りの手違いによる証拠の隠滅だ。

 刑事、優子の言葉に一瞬遅れて気が付いた。この小娘は只者ではないはずなのだ。死体の隠匿くらい朝飯前にこなしてしまうほどの。

「おい、何をやった。」
「どちらさんも幸せになれる天使のウィンクですよ。」
「まて、ちょっと待て、ちょっと。」
「もう終わっちゃいました。てへ」

 ぺろと舌を出して片目を瞑る優子は可愛いのだが、恐ろしい。人一人の生死などてへぺろだけで左右出来るわけか。
 童子姫は既に此の世には存在しないとしても、もっと酷い化物が厳然として居座っている。
 彼は改めて認識した。鬼になんか関わるもんじゃない……。

「物辺さん、おねえさまが迎えに来ましたよ。」
「それは姉ではなく伯母です。騙されちゃいけません。」

 女性警察官が保護者の饗子おばちゃんに事情を説明して引取りの証明書等の案内をして、優子を迎えに来た。
 石室刑事に確認すると、彼も観念して払うように手を振った。もういい。
 だが明日また様々に状況が判明した後に再度の事情聴取を行うと約束させた。優子ではどうしようもないから、竹元すぐりの方を攻めてみる。おそらくは無駄だろうが。
 優子席を立つと、長い黒髪を連獅子ばりに振り回して石室刑事に礼をした。
 客観的神の視点で観察すると、優子がどじこいて狼男ぶっ飛ばしてしまった後始末を、警察の人はやらされているわけだ。頭ぐらい下げても罰は当たらない。
 彼は酸っぱい胃液を呑むかの微妙な表情をしてうなずいた。
 頭の中では優子が提示した「クマ感電死説」をどうにか上司に認めさせられないか、既に思案に入っている。

 

「ゆうこ!」ばし!

 定石通りに、饗子おばちゃんは顔を見た瞬間優子の頬を平手で張り飛ばした。
 深夜だというのに、ワイン色のブランドスーツで真珠のネックレスして黒のストッキング、黒手袋までしている。完璧、警察に舐められないように完全武装だ。
 叩かれたが、大して痛くない。怒ってるわけでもないのだ。
 紅美ねえちゃんは饗子おばちゃんの舎弟である。いや舎妹か。中高時代に近隣の男子を魅力で従えたおばちゃんの腰巾着的ポジションだった。
 最近では用も無いから行き来も途絶えているが、その分優子が遊びに行ってくれている。
 今回の事件だって、ホテルでなにか本物の怪現象が起きたに違いないのだ。優子は知り合いに酷い悪事を仕掛けたりしない。ましてや自分の妹分に。

 殴られた優子はといえば、さっき女性警察官にもらった飴を舐め始めたばかりで、ごくんと飲み込んでしまった。喉が詰まらなかったのは幸い。

 深夜、いや既に払暁と言って良いほどの時間帯だ。役職の高い人は居ないが当直の警官が何人も並んで二人を見送る。
 彼らは実は饗子を見知っている。七夕祭りの警備で狩り出された時、あるいは警察署に挨拶に来た女神の光臨を受けたのだ。
 半ば蕩けるような、だがいいところ見せようとキリッと顔を作りなおしてもいる。左右の男性に対して決して安くはない軽い笑顔を振りまいて、饗子は優子の首根っこをひっつかんで出ていった。
 駐車場にまでお見送りに出る。

 饗子の愛車はアウディだ。A3とか型番が付いているが、車に興味が無い優子にはよく分からない。新車で買ったから結構高かったはずだ。
 おばちゃんはかってセレブとして名を馳せて、今でもカネはがっちり持っている。
 金持ちは車にケチったら足元を見られるとかで、それ相応の外車に乗らねばならないそうだ。優子もよく説教される。
 「女は見てくれが9割9分。外見を妥協したら即貧乏神に取り憑かれるんだよ」と。
 周囲に男が取り巻く今の状況を見ても、それは真理であろう。自らの魅力を演出する舞台装置を安物で済ましては商売に差し支える。ハッタリ上等。
 とはいうものの、おばちゃんはぐーたらダメ母親でもあるから、車を主に使うのは祝子おばちゃんだ。あと爺ちゃんも。
 一人1台ずつ持てるほどには物辺神社儲かってない。

 助手席に乗ってシートベルトを填めるために長い髪を掻き上げ束ねる優子に、おばちゃんはエンジンを掛けながら尋ねた。

「紅美はだいじょうぶだった?」
「近づいても無いから。」
「そう。ならいいわ。」

 中学生時分の優子の悪行に比べれば、これくらい屁でもない。悪党狩りに関しては饗子も幾らかは感づいている。
 が、放任だ。
 鬼の眷属の娘だから。何時の時代のどの世代も似たような馬鹿をやらかしている。
 姪に説教垂れる資格は、毛程も有してはいない。

 ま、下手をしてくたばっても自己責任だし。

 

PHASE 205.

 2日後の新聞に「ラブホテルに熊が侵入、感電死」という記事が載った。小さい扱い。
 優子が提示したシナリオが若干改変され、ホテルの部屋でなく外の配電盤で死んだ事になっている。ご丁寧に熊の死体まで用意されたらしい。
 もちろん優子の仕業ではない。
 翌日翌々日にも事情聴取されたが、暴力団担当の石室刑事ではなく一課の刑事に代わり、ついで少年課に回された。
 知り合いの所だからと言ってもラブホテルに出入りするのは好ましくない、と説教されてしまった。

 石室刑事は、警察署の出入りの際にちらと姿を見るだけだ。極めて複雑な表情。言いたいことは山ほど有るが、呑み込んで我慢していた。
 死体は無くとも鑑識の報告書、写真、いや血まみれのままのラブホの部屋が残される。
 念の為に血液を採取してDNA鑑定をしてみたのだろう。無駄だ。「人間ではない」と結論されるだけの話。
 署内でも上司と問答が繰り返されたに違いないが、君子危うきに近寄らず世の中平穏が何より尊い。
 無難にクマで処理すればまったく経費も掛からない。

 被害者であるはずの竹元すぐり先生も、本人記憶が無いのだから仕方ない。
 いやラブホテルに行ったまでは覚えているのだ。部屋に入りキスをして脱がされて、そこらへんから飛んでいる。肝心の爆発時にはまったく意識不明だ。
 逆に「クマが出たんですよ」と教えられてびっくりする始末。

 実質被害は部屋を汚されたホテルだけなのだが、中で殺人事件が起きるよりクマが感電死の方がよほど商売に障りがない。一も二もなくシナリオを受け入れた。
 承服出来ないのは、目撃者紅美ねえちゃんのみ。

「どう思う優子ちゃん、これぜったいおかしいよね。」
「はあ。でも狼男が実在するなんて言い出したら、頭おかしいと思われるだけだし。」
「う、……ん。それはそうかもしれないけど。」

 ラブホには狼男の仲間が押し掛ける可能性があったから、周辺の地面にゲキ虫入りの杭を打ち込んできた。物辺神社の警備に使っているものと同じ、拘束機能付き。
 念の為、紅美ねえちゃんと竹元先生とにハエ型監視ロボットも付けておく。周囲をこっそりとうろついて狼男他の怪獣が接近するのを調べている。
 さらには、

 

「どう花憐?」
「うん、ダメ。やっぱり反応が無い。」

 花憐の電話で聞こえる宇宙人放送にも、やはり狼男に関する動きはまったく報道されない。
 解説番組に尋ねてみた。「番組にまったく出てこない宇宙人らしき人たちは、どうしてるのですか」と。
 答えて曰く「宇宙人専用情報コミュニケーター略して宇宙ラヂヲを持っていない可能性があります」。つまり受信機を買えない貧しい宇宙人や、近所に持っている宇宙人が居ない人は情報を収集されないのだそうだ。
 ついでに聞いた通販番組で宣伝されている。日本円だと5890円だった。
 喜味子が買った。

「さすがだね。ダカタ社長が宇宙人だとはまったく気付かなかったよ。」

 テレビショッピング老舗のジャパリンクダカタから、その日の内に商品を送ってきた。箱をグルグル回して調べたら中国製と書いていたのは、まあ許そう。安いし。
 水色プラスチック成型のボディは前後合いが悪く、なんか隙間が有る。動力は単三電池3本だ中途半端。
 ロッドアンテナが付いているが、これはおまけ機能のFM放送受信用。この商品は通常のラジオの基板に宇宙コミュニケーターの部品を増設したチープな構造になっている。
 だが機能は悪くない。スピーカーはステレオなのに、右からは音が出るが左からは出ない。左はマイクなのだ。
 花憐の電話と同様に、ラヂヲに向かって話し掛ければ応答してお望みの番組にチャンネルを合わせてくれる仕組み。便利。

 必死になってラヂヲと格闘する喜味子に、鳩保は言った。

「面白そうだね、喜味ちゃん。」
「優ちゃん、これさ、番組に投稿も出来るようだよ。」
「ほお。」

 ユーザーである花憐に尋ねてみると、そうだと言う。なんでも相談に話し掛けるとかなりの確率でパーソナリティが意見を取り上げてくれるのだ。無論人気番組は競争率が高い。
 優子はちょっと腕を組んで考える。

「喜味子、尋ね人のチャンネルで狼男向けに投稿して。」
「うん、なんて?」
「”狼男に告ぐ。復讐するならウチに来い”」
「ラヂヲネームは?」
「U子たん。」
「OK!」

 早速に尋ね人チャンネルが狼男さんのご家族ご友人に対してメッセージを発し始めた。これは初日は1時間に1回、以後朝昼晩の3回1週間続けてくれるそうだ。

 だが応答は無い。3日経っても誰も訪ねてこない。
 困った。こういう事態は想定していない。敵にしろ味方にしろ、大方の勢力はゲキの力の継承者に接近して交渉、技術の奪取を試みる。これまではそうだった。
 狼男は接触しない。復讐者としては一番タチが悪い相手だ。
 念の為、地球の新聞に広告を出してみる。やっぱり何も無し。”G13型トラクター買いたし”には早速応答があったのに、だ。

 さあどうしたものか?

 

PHASE 206.

 

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