ピルマル薔薇園の解放

 

ピルマル歴240年。超越者光臨より333年を数える年。

 6月24日に起こった反体制活動家エヌク・ヨハリソンのリンチ殺害事件は、7月13日になって警察当局より、
反政府組織内部での仲間割れによる抗争事件として発表され、マスコミ各社はそのまま報道した。

 しかしそれまでの3週間の間に、内務監察治安部の仕業であると全市民の知るところとなっていた。
 テレメール通信網の裏回線を使って、全国土に真相が伝えられた。

 もう誰も、公式の報道を信用しない。
 虚偽の発表をきっかけとして、全国規模での一斉デモへと拡大する。
 デモは2週間続いて首都マルカハイ近郊でも暴動騒ぎを起こすまでに発展し、中央政府は第2首都防衛軍を動員して鎮圧に当たる。
 だがこの治安出動のさなかに、より決定的な事件が起こった。

 7月22日。
 ピルマル理科工業第1特殊兵装販売部長ヨン・ヨト・キオンの乗った自動車がデモ隊に取り囲まれ、暴行を受けたとして車載武器を起動。
 8人が重軽傷を負うが却ってデモ隊の攻撃は激しくなり、ヨンは軍に救出を要請。
 ただちに一個小隊が向かって電気銃の水平射撃を行なって救出した。

 鎮圧行動自体では負傷者は出なかったのだが、
電撃を受けて意識不明のデモ参加者達をヨンが男女を問わず蹴って回る姿がムービーテレコで撮影され、テレメールで放送された。

 ヨンの救出に当たった小隊隊長デンモルク中弐尉は、兵に彼を抑えさせ暴行をやめさせる。
 対してヨンは、ピルマル理科工業の権威を振りかざし更にデモ参加者の射殺を要求した為、平手打ちをして拒絶した。
 ヨンから事件の顛末を報告されたピルマル理科工業は政府要人に働き掛け、軍上層部はデンモルク中弐尉を解任、拘留する。

 この措置に対して第2首都防衛軍は激しく反発し、更に市民団体に情報がリークされるとデモは一気に拡大。
 ピルマル理科工業に対しても矛先が向けられ、全土の支店が焼き討ちされた。

 政府は事態を静める為に第2首都防衛軍を撤収。
 代わって首都近衛兵団、ピルマルレレコ親衛隊による治安維持に当たり、ヨンを車載武器の使用による傷害罪で逮捕した。
 首都周辺は沈静化したが、周辺都市や地方では暴動は更に激化。
 特に西部の中核都市マルハミィ、マルハミラは中央政府より派遣されている総督が市を脱出するまでに至った。

 7月30日。
 政府は全土における無期限の戒厳令を布告、全中核都市で防衛軍が市内に進入して治安回復を図る。
 また経済活動に多大の損害が出るのを怖れてこれまで行わなかった、テレメール通信網の無期限閉鎖が決行され、無線通信も大きく制限された。
 だがこの措置は完全に裏目に出る。

 民衆は新聞や放送の公式報道をまったく信用せず、口コミで情報交換を行なっていたのだが、
戒厳発令から1ヶ月、夏の終わりにある噂が発生する。

 「ピルマルレレコは既に死んでいる」

 この噂はにわかには信じられない。
 それでも民衆の禁忌となっていた超越者「ピルマルレレコ」の権威に対する反抗という、新しい示唆を生み出した。
 各反政府勢力は路線の修正の為に一旦活動を停止する。
 より穏健な勢力や、デモ暴動に反感を覚えていた一般民衆にとっても、奇妙な現実感をもって受け止められた。
 社会は異様な沈静を見せる事となる。

 政府は状況をまったく認識できない。
 現象的には各地の治安は回復しデモも暴動も終息したため、戒厳令の解除を決定。
 首都マルカハイを除いて防衛軍の撤収も開始した。

 9月1日。
 未だテレメール通信は封鎖されたままで夏は終わり、学校が新学期を迎えた。
 だが登校した生徒達の話題は、「超越者死亡」の噂に集中する。

 新しい伝達ルートを得た噂は、これまでは不確定として状況を見守っていた民衆に、確実な情報として一気に拡散した。
 噂は完全に信用を失っているマスコミをも動かす。
 当初は政府発表どおりに「健在」を報じていた報道各社も、まったく動きを見せない政府に対して非協力的態度を募らせ、
生存を示す確かな証しを求めてのキャンペーンを行った。

 政府はまったく動かない。
 従来通り「ピルマルレレコは健在で、薔薇園で研究活動を行なっている」と短い声明を発表するのみだ。
 不動の定理として、証明の必要を認めなかった。

 やがて、各地の大学も不審を発表する。
 理工系大学はピルマル理科工業と密接な立場にあるのだが、この30年間にピルマルレレコが何の科学理論も発明機械も発表していない事に疑念を唱える。
 マスコミ各社も同様に、彼女が王宮に引き篭もり何年も記者会見や撮影を行っていないと、政府広報の欺瞞をを公然と指摘した。

 だが政府は対応しない。黙殺だ。
 「死亡」の噂はもう百年の昔から定期的に発生しては消えていったので、今回もすぐに沈静化するだろうと静観していたのだ。

 9月27日、テレメール通信網復帰。
 経済の停滞が市民生活に重大な混乱を引き起こし始めたからであるが、軍・官公庁・企業に限って、しかも首都マルカハイを経由する回線のみとした。
 情報の独占を図る為に、各都市を直接に繋がない様に十分な注意を払ったものだ。

 9月28日、マルカハイ中央株式取引所、大暴落。テレメールが復帰して再開した株取引は予想通りに大幅な値下がりを見せる。

 9月29日。東南部の都市マルブフハイで狂女踊る。
 大暴落で破産に追い込まれ狂ったとされているが、彼女はピルマルレレコの生まれ変わりだと高言し、かって地下に葬った宿敵の魔法生物達をこの世に復活させると大声で喚いて回った。
 誰にも制止される事もなく2時間以上マルブフハイの中心街を踊って回り、警察に保護される。

 直後、マルブフハイ近郊に眠っていた銅翼龍(カッパードラゴン)が目覚めて都市上空を飛行した。
 マルブフハイ防衛軍のジェット戦闘機2機が緊急発進、龍に発砲するも逆に撃墜される。
 龍は首都マルカハイの方向に向けて飛翔したという。

 この事件はテレメールの裏回線でまたたく間に全土に広まった。
 ピルマル理科工業はテレメール回線による通信事業も独占しており、この種の怪情報はすべて盗受して削除している。
 だが動力線に信号がリークするバグを利用した裏回線は中心のサーバーを経由しないでテレメール回線から直接読み取れる。
 もともと裏回線は経路長1キロメートル以下の通信しか出来ず、個人の通信機を無数にリレーして情報が流通していた。
 原理的にもピルマル理科工業にはどうしようもない。

 10月1日。この日は全国で一斉にデモがあった。
 暴力的なものではなく、むしろ淡々と静かに市民が集まってきて自然発生的にデモになったものだ。
 目的は勿論、政府に対して「ピルマルレレコの生存の真否を明らかにせよ」と求めるものだ。

 対して政府は警察の治安部隊を派遣して抑える。また従来通りの声明を発表したが、計算違いの要素があった。
 警察官といえども最高権力者死亡の噂の真偽を確かめたいのは一緒だ。
 公僕としての忠誠心の根幹を揺るがす疑問に突き動かされ、なしくずし的にデモ隊は各都市の知事公邸や官庁になだれ込んでいった。

 地方自治体の首長も情報を得ていないのは同じだ。
 各地方の知事・市長・町村長、中核都市の総督の連名で、中央政府に対する公開質問状の提出と、最高裁判所にピルマルレレコ生存に関するあらゆる政府情報の開示を申請した。

 10月5日。中央政府首相幹事トゥグ・吉プルルは全土に向けて特別会見放送を行なう。
 公開質問状に対しての正式な解答だ。
 彼は明確にピルマルレレコの生存を表明し、同時に彼女は病に冒されており通常の稼働状態では無いと明らかにした。
 またエネルギーが安定していれば、近日中に特別テレビインタビューを実施する事を全国民に確約した。

 10月7日。各地のデモは終息したが、広場に人が途絶える事は無い。
 母なる超越者の病気平癒を祈念する市民集会へと変化した。
 首都マルカハイでは再び第1、第2首都防衛軍が市内に進入して東西に布陣、ピルマルレレコ親衛隊は王宮正面に陣取り市街は封鎖された。
 ピルマル理科工業の武装警備隊も総本社ビルを囲んで警備を強化した。

 同日、ヤン・ヨト・キオン不起訴決定、釈放。
 また夏のデモ・暴動で逮捕された民衆で、反政府組織の構成員でない者も釈放された。数24.501人。

 10月10日。ピルマルレレコ会見インタビューの特別番組が放送された。
 この番組は当初録画で行われる予定だったが、最高裁判所長官ミドリ・アンカラの勧告で生放送となる。
 会見場はピルマル王宮翔鯨の間、中央噴水となる。
 かって彼女が私的な客に会う為に使ったとされる場所であるが、最後に用いたのは40年も昔の話である。

 会見に参加したのは首相幹事トゥグ・吉プルル以下の閣僚15名、地方中核都市総督8名。
 全人間最高議会上議長 住ミ・キリクルル、下議長シンボ、最高裁判所長官ミドリ・アンカラ。
 人間博士会総帥キンドルフ 、ピルマル科学アカデミー総裁 立花マント、ピルマル理科工業総社長代行ユウ・コウベン・スゥク。
 各テレビ局、新聞社代表が10名。

 「ピルマル科学研究会」主宰であったミツトノ・リトリの末孫であるミツトノ・レレコがインタビュアーとして指名された。

 午後2時00分 特別放送開始。

 全土全国民が注視する中、テレビ中継は首相幹事トゥグ・吉プルルの釈明から始まった。

 彼はピルマルレレコの容体は思いの外悪く、この病が地球に固有の大気に起因するもので彼女の絶大な解析能力をもってしても治療法が見つかっていない事、
また頭の角が異常放電を起こすので普通の人間では近づけなかったと説明する。
 国民に無用の心配を掛けない為にこれまで報道を制限したのは、政府の責任によるものであり誤解の元となったと陳謝した。
 そして現在ピルマル科学アカデミーが総力を挙げて治療法の研究を行なっており、必ず快癒すると約束した。

 ミツトノ・レレコによるインタビューが開始される。
 ミツトノは若い時分にピルマルレレコの侍女をしていたと国民に知られる。
 本物と会った事のある「民間」の生き証人として、これまでも死亡説が流れる度にマスコミ各社は駆けつけ、否定するコメントさせてきた。
 だが今回の騒ぎの渦中において、彼女も会う許可を得られていない。

 ピルマル王宮翔鯨の間、大理石で作られた真っ白い噴水の前に、そのヒトは座っている。
 全身から青い光を放ち、テレビカメラでは輪郭がぼやけて見えた。
 公共の場に姿を現したのはもう40年も昔になるので、一般民衆は誰も本物を見た事がない。
 だが光を発して神々しい姿に、誰もが本物であると疑わなかった。

 会見に列席した面々も同じである。閣僚はともかく各都市の首長総督、民間報道各社代表も今回初めて超越者を見た。

 インタビューに答える「超越者」は民衆の想像していた通りの姿だった。
 それは地上に降りた女神、誰よりも愛し慈しんでくれた人間世界の母、科学と進歩を教えてくれた偉大なる教師。

 彼女は皆に迷惑を掛け心配させたと謝罪し、自分の病気平癒を願ってくれた人達に感謝した。
 そして今も人類社会の役に経つ為に日夜研究を続けていると明かし、まったく新しい飛行機械の模型を見せてくれた。
 この日のピルマルレレコは完璧だった。誰一人健在を疑った者は居なかった。
 その時までは。

 話は自然とプライベートに移り、ミツトノ・レレコが侍女をしていた頃の思い出話になった。
 薔薇園の中央にある神殿で毎日蜜蜂の世話をして、身体に止まった蜂がびっくりしないように放電を我慢している姿を見て笑った話をしていた時、
ミツトノが大粒の涙を双眸から零したのだ。
 61歳になる彼女が泣きながらインタビューを続ける姿にテレビの前の国民は深い感動を覚えたが、

 ミツトノは涙を流しながらインタビューを続けていく。
 ピルマルレレコは楽しそうに会話を続けた。まるで目の前の婦人が見えないかのように。
 やがて、

 ミツトノはいきなり席を立つとピルマルレレコの膝にすがって絞り出すかに声を上げる。
 「やめて、もうやめて、偽者のレレコさまを喋らさないで」と大きく揺すり始める。

 会見場に居た者全てが硬直し、何が起こったのか理解できない。
 最初に理性を回復したのは吉プルルの腹心として知られる内務監察治安部長ベイギルだった。
 彼は大臣では無いが治安維持に関する説明の補足をする為に、特別に同席を許されていた。

 いち早く事態を認識し、ミツトノ・レレコを止める為にカメラの前に飛び出す。
 だが彼が押さえつけるとミツトノはより一層ピルマルレレコを揺すり、大きく傾ける。
 ベイギルが無理やりに引き剥がすと、反動で噴水の中に倒れてしまう。

 水に落ちたピルマルレレコは爆発した。
 電気回路はショートし発光部分の電極がスパークし、モーターが異常回転して身体の部品を引きちぎり、表面カバーを突き破って歯車を周囲に散乱させた。

 この会見で使われたのはピルマル理科工業が作ったよく出来たロボットだった。
 原型は200年前の「ウロボロスの角煮の戦い」で勝利した際のトリックで使用したもので、設計図がピルマル理科工業にまだ残っていたのだ。
 ミツトノ・レレコは吉プルルとベイギル、そしてユウ・コウベン・スゥクに、芝居をしてピルマルレレコの健在を証明するよう強要されていた。

 すべての人間がテレビの前で凍りつく。
 一部始終を見つめていた国民は皆、ピルマルレレコが本当に死んだのだと理解した。
 特別放送はそこで中断終了し、黒いテロップが流れたままで夜までテレビは回復しなかった。

 放送終了直後から全国全都市で市民が一斉に暴動を引き起こした為である。

 その夜の暴動は悲しかった。誰も民衆を止めなかった。
 警察も防衛軍も民衆を規制しようとしなかった。先日は何重にも兵隊が並んだ官庁街も、今は誰一人守ろうとしない。
 公務員でさえ暴動に加わっている。

 各地で庁舎に火が掛けられ、空を焦がす炎が漆黒の闇に消えていく。
 どこからともなく、街の至る所からすすり泣きの声が聞こえてくる。
 何千万人もの嗚咽が火の粉と共に天に昇っていった。

 

 

 

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