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ゲバルト処女
エピソード5 天下泰平火事ぼうぼう、弄せずして果実は掌に転げ落ちる

後篇「ここが峠。」

改修バージョン(2019年7月開始)

 

 

第七章 問われる者の名を、問う者は知らず

 

「わたしじゃないぞ。」

 と、イルドラ丹ベアムは言った。
 妹の様子を不審に思い、ギィール神族イルドラ泰ヒスガパンは尋ねる。

「誰に向かってものを言っている?」
「いえ、こちらの話。」

 イルドラ家の二人の若き神族は、百年以上前から伝わる古式めいた甲冑を着用する。

 黄金張りではあるが七宝で飾ったりはせず、実用本位とさえ言える無骨なものだ。
 防御力には定評がある「兵刃態様」と呼ばれる様式。
 当世の流行ではないが激戦著しい今次の大戦において随分と役に立っている。

 

「わたしであればカエルなどという無意味貧弱なものを戦場に連れて来たりはせぬ。
 だがどうだ、このうすのろ兵の目の愛らしいことは。」

 最近の丹ベアムのお気に入りは、うすのろ兵だ。
 身長2メートル、脹れ上がる筋肉の塊で怪力のみが取り柄のうすのろ兵は、能力に反して威圧感を他に与えない「大きな赤ん坊」だ。

 以前の獣人はまったく人道から外れた哀れな化け物であった。
 全身に鋲を打って装甲を埋めこみ刃を生やし、毒への耐性を与えて肌を紫色に変色させかさぶたで脹れ上がる。
 その上過酷な訓練と運動で筋肉の肥大と戦闘力の強化を図った。
 始終覚える苦痛も、神経の一部を毒で破壊し麻痺させる処置までして運用する。
 戦いの意味も知らず勝利の喜びも覚えず、ただひたすら盲目的に服従する機械に等しい。

 うすのろ兵は正反対の発想で育成されている。

 薬物で筋肉を肥大させ思考力を低下させるのは同じだ。
 しかし肉体に外科的変更は一切加えず、苦痛を伴う薬物投与、更には危険な戦闘訓練も行われない。
 使役するのに鞭を使ったりも無い。
 人の言葉でそれが役に立つ事だと教えて働かせ、喜びを覚えて自発的に従うように訓練される。

 戦場における恐怖もあえて取り去ろうとはしない。
 神族やゲイル、兵と共に在る事で安心感を得る調教を施される。
 故に脱走せず、戦闘技能を知らないので反抗もしない。

 運用経費も低く押さえられ、おまけに寿命も長い。
 こうして出来たうすのろ兵は一般人が見ても親しみ易い無害な印象となる。
 非常に扱いやすい「家畜」に仕上がっていた。

 重量物の運搬や土木作業を楽々こなす彼らは、奴隷兵達に絶大な人気となり親しみをこめて遇されている。
 言語は発しないまでも意は解するので、良好な人間関係を築く事すら可能なのだ。

 というわけで、可愛がってやるとちゃんと反応するうすのろ兵は、丹ベアムの直ちに注目する所となる。
 戦場の無聊を慰めるおもちゃとなり果てた。

「ベアムよ、あまり遊んでないで作業に戻してやれ。総攻撃がもうすぐ始まるのだ。」
「兄上、そうは言っても敵地での工作は剣令剣匠に任せておくべきものです。
 神族たる者、奴隷達の前で忙しく動き回り余裕が無い所を見せるべきではありません。」
「だがうすのろ兵をくすぐるのはやめよ。」

 ネコジャラシに似た草で裸のうすのろ兵のあちこちをこちょこちょと突き回してむずかるのを楽しんでいた丹ベアムは、兄の言葉にしぶしぶと止める。
 ちょこんと御辞儀をして巨大な赤子は奴隷兵の中に戻っていった。

 

 泰ヒスガパンには妹が遊び惚けている理由も分かる。

 この戦争、彼らが出征前に考えていたものよりもずっと大きくなっていた。
 滞在期間も通常の寇掠軍の倍となり当然出費もかさむし財物を略取して足しにも出来ない。

 どの寇掠軍でも財政的な打開を図る策を必要とした。
 幾つもの寇掠軍の連合が役割分担を行い互いの負担を低下させるが、
どこかに面白からざる雑務を引き受ける部所ができてしまう。

 イルドラ兄妹が所属する寇掠軍『永遠の護手との邂逅(ウェク・ウルーピン・バンバレバ)』は、現在そういう位置付けにある。

 無論雑事は剣令に任せておけば済むわけで、ゲイルと神族は暇になる。
 退屈しのぎにうすのろ兵をからかうのも仕方がない。

「そうだ、ベアム。お前が出征前に企画していた色刷りの版画だ。
 帰ったらまた作ろう。戦場の情景を描いて売りつけるのだ。」

「兄上、それは良きお考え。
 なるほどこの戦争の実相を知らしめる努力は必要です。
 絵集として世に広めれば、後世に戦をしのぶ手蔓ともなりましょう。」

 イルドラ丹ベアムは出征の少し前に、七色の版を使った色絵集を売る商売を考えていた。
 「プレビュー版青晶蜥神救世主ッイルベス」に聞いた星の世界の様子を素敵な絵物語にして、物好きな神族に売りつけるつもりだった。
 勃発した大審判戦争で頓挫したが、企画自体にはなんの問題も無い。

 丹ベアムは兄の言葉にしばし考える。

「そうですね、我らは単に戦って勝てばよいというものではありません。
 後世に謡われる、華々しくも美しい荘厳にして偉大な戦をせねばなりません。
 そうは思いませんか?」
「そのような考えは死を招く元ではあるが、神族たる者己が姿を常に歴史に鮮やかに刻みつけねばならぬ。
 他の神族もそうだ。」

「兄上! 販路はそれです。
 今回の戦に赴いた神族全てに売りつけましょう。出征の記念品として。」

「ううむ、我が妹ながら恐ろしい奴。
 では錫箔ではなく金箔を押した極彩色戦絵として、一揃い10金ほども取れるな。」
「百の神族に売れば千金となり、出征に要した費用を取り戻して倍も余ります。
 他に思いつく者が出ぬ前に手をつけておきましょう。」

「では。」
「善は急げ。私は他の隊を回り、注文を取って参ります。
 兄上はどのような絵を描けばよいか考えておいてください。その情景の通りの戦さ場をこしらえましょう。」
「ベアムよ、注文を受けた神族の顔をしっかりと覚えて来るのだ。
 誰も皆、自らの顔が載った絵であれば、買わざるを得ぬからな。」

 ギィール神族は利に聡く、儲ける事に禁忌を覚えない。
 神が互いの威を賭けて争う聖なる戦であっても、あらゆる局面において金儲けの手段を考え実践していた。
 この柔軟性こそが金雷蜒軍の強味である。

 

     ***** 

 泰ヒスガパンはまず上将ガブダン雁ジジに会いに行った。
 寇掠軍『ウェク・ウルーピン・バンバレバ』で形式的に指揮官を務める彼は、50代の遠征経験豊富な神族だ。
 泰ヒスガパンが提唱する「絵になる戦闘」の概念もすぐに理解する。

「言われて初めて気付いたな。此度の戦、ただ勝てばよいものではなかった。
 褐甲角神にも青晶蜥神の使徒にも優る我らこそが地上の支配者と、万人に認めさせる必要があった。」
「故に、現在の寇掠軍連合の方針は多少の修正が必要と思われる。
 上将はいかにお考えか。」

「奴隷共を蹴散らして出血を強いる方針はたしかに効果的だが、却ってガモウヤヨイチャンへの求心力を高めるとも思われる。
 絵になる戦とは、金雷蜒王国に対しての信望を集める手段と考え、互いに諮るべきだな。」

 雁ジジの側で無聊を慰めて居た蝉蛾巫女エローアは、神族の話に口を挟む身分には無い。
 それでも思わず懸念して言う。
 彼女は何回も寇掠軍に参加して、初陣のイルドラ兄妹よりは戦争の実態を知っている。

「ですが、危険が増すのではありませんか。殿様方の御命を損なう怖れが倍に増します。」
「エローアよ、それも込みでの話だ。我らの命の幾つかも天に捧げずしては、美しき伝説とは成り得まい。」
「僭越、御無礼いたしました。」

 雁ジジに諭される巫女を見て、泰ヒスガパンは尋ねる。
 神族の叙事詩を歌う巫女ならば、いかなる情景が最も人の心を揺さぶるか知るだろう。

 本業についてであるから、エローアは熱心に考える。
 不用意な話をして神族の命を危険に曝すのは本意ではないが、遠慮した答えは逆に彼らの怒りを買う。

「やはり、強き敵に一騎で立ち向かうのが戦記物の常道です。
 美々しき若武者が手傷を押してなおも戦い遂に勝利し、美しき姫の懐の中で死んで行く筋書きは、古今最も喜ばれます。」

「若くなければダメか。」
「これは! 雁ジジさま、御許し下さい。」

 上将はエローアの言う情景を思い浮かべ、現実にあてはめて考える。

「敵の強さを引き出すのも演出だ。
 仮に負けて見せて後退し、罠に陥れ殲滅する策が面白かろう。
 そうだな、儂が単騎にて突出して敵に追わせ、貴殿等が囲むのはどうだろう。」

「殿様、御戯れを。」
「いや上将たる者、後進を育てる役回りも受けねばなるまい。あえて前座の任を務めるのも忍ぼうぞ。」

 

「なに上将を? それはダメだ。
 全騎平行に追撃されている状態で、速度を利して後続を切り離し神兵だけを吸い出して殲滅する。
 これが最良だろう。」

 次に話を聞きに行ったのは、キシャチャベラ麗チェイエィ。
 妖艶な25歳の女神族は雁ジジの案を一蹴する。

 これは常識論で、既にベイスラの国境線は非常に高い水準の防衛線が敷かれている。
 かってのような単独侵攻は不可能となっていた。

「絵になる戦か、その必要は認めよう。
 だが今回の戦、私は兵ども、剣令剣匠をこそ真の主役と睨んでいる。」

 常日ごろは男漁りに精を出し、泰ヒスガパンの寝屋に忍んで来ては丹ベアムに殺されかける彼女だ。
 酔狂な振る舞いに反し、見つめる瞳は透徹として時代の核心を貫いた。

「考えてもみよ。この戦、誰が始めた。
 我らではない、フンコロガシ(褐甲角王国のこと)どもでもない。
 青晶蜥神救世主ガモウヤヨイチャンだ。

 アレは民衆の欲するままに方台を塗り変えようとする。
 金雷蜒褐甲角両神が毒地で互いを討ち果てるのも、突き詰めて考えれば奴隷共の欲求に合致するのではないか。」

「では、剣令剣匠奴隷兵どもにも見せ場を作らねば、今の時代を正しく表現する物語にはならないと、」
「私はそう考える。

 だが別の側面からしてみるとだ、彼らに払うべき金が無い。そなたらの家ではどうだ?」
「む。御恥ずかしながら、確かに我が家も報賞が十分に確保できるか心許ない。」
「最終的には三荊閣家のいずれかに金を借りるしかないだろうが、物質的報酬が少ないとなればせめて名誉は与えねばなるまい。

 その絵巻物、下僕共は是非にと欲しがるであろうな。」

 なるほど、と泰ヒスガパンは頷く。
 欲しがるものを与えてこその恩賞だ。財物だけが報いる法ではあるまい。

 ただ、麗チェイエィは心を逆撫でする事も言う。

「その絵巻物、誰でもが与えられるのでは興醒めだな。
 最も貢献の高い者、いや幾人も生命を落とす激戦でなおも生き延びて勝利を掴んだ者に与えてこそ、最高の誉となるだろう。」

「もしや、貴女は効率良く奴隷の頭数を減らして、報賞の総額を減らすおつもりか。」
「そこまで非道ではない。
 この戦限りであればそれも良いが、二度三度の遠征もあるやもしれぬ。出来ぬよ、それは。」

 ついでに注文する。

「その絵物語だが、性的な場面が挿入されたりはしないのか? 戦場における色恋の情景は物語の定番だろう。」

 

 残り二人の神族 カマートラ椎エンジュとチュガ輩インゲロィームアは、例によって仲良くゲイルの世話をしている。

 彼らの騎乗するゲイルには特別に天蓋が設けられ、上から落ちる矢を防ぐ事が出来る。
 この形状の騎櫓は大審判戦争で初めて用いられる新兵器だ。

 カマートラ椎エンジュは尋常の男性の神族だ。
 その恋人たるチュガ輩インゲロィームアは背の低い異形の、奇形的な発育をした人物だ。
 一瞥して連想するのが、カエルの姿。ただし醜くは感じない。

 十二神方台系には両棲類の宝庫であり、特に東金雷蜒王国には千種を超える種が棲息する。
 千差万別ありとあらゆる色と鮮やかさを持つカエルは、美の化身とされた。
 天上の美が、世間一般の常識的美形と異なるのは当然であろう。

 真っ白な肌に血管が透け、羽化したばかりの蝉の翅の繊細さを思わせる。
 非常識に大きな瞳が蒼く天を映す。

 彼はゲイルとの親和性が異様に高い。
 蟲と人とが一体化したと思わせる卓抜した操縦技能を備えている。
 神族の中でもずば抜けて、と表現しても良い。
 『ウェク・ウルーピン・バンバレバ』で最強の戦力なのだ。

 話は主に椎エンジュがする。
 カエルに似た相の輩インゲロィームアは、口腔内で舌がうまく回らず喋るのが苦手だ。
 意図がうまく伝わらないのでいつも癇癪を起こしている。

「キシャチャベラ殿が兵を優先させよと言うは、正しい。
 我らはもっぱら監督のみに留め、雑兵相手の手柄はすべて兵に与えよう。
 とはいえ神兵を殺さねば格好は付かぬ。」

「だが遭遇戦では危険が大きく成り過ぎる。絵的にも美しいとは言えまい。」
「的を選ぶべきだな。
 潜入する物見に都合の良い神兵を見繕わせて、確実に罠に嵌めて絵のように殺す。
 これがよかろう。」

「”名の有る者を選ぶべきだ。”」

 泰ヒスガパンは素直に輩インゲロィームアの助言に礼を言った。

 

     ***** 

 イルドラ家の天幕に戻り、剣令達の意見も聞く。
 しかし問われた彼らは大いに戸惑い、容易に口を開かない。

 困った泰ヒスガパンは別の切り口で話を続ける。絵巻物の企画を打ち明けた。

「……それでは、この大戦の記録となる絵図を作って頒布なさるのですか。」
「うむ。神族の姿のみならず、剣令剣匠に奴隷兵までも描かれるものとなろう。」
「なんと有り難いことでしょう。我らがここで果てたとしても、神族に魂を捧げた武者として末代までも崇められます。」

「であるからには、より良い形で描かねばならぬ。御前達剣令としては、いかなる敵を望む。」
「やはり、黒甲枝の神兵かと。」
「神兵は神族の獲物としよう。他を言え。」

「されば……、出来得るならば、敵国の民衆を圧政困窮より救い出す世の為となる働きを望みます。」
「おおそれだ! 今民草は何を求めている。」

 剣令達は互いに協議し、或る結論を導き出した。

「農地を持ち正しい褐甲角王国の民と認められる常民と、各地を流離う難民とでは望みが違います。我らはこの難民を助けたいと存じます。」
「具体的にはなにをすればよい?」
「やはり農地を与えるのが最良と考えますが、既存の農地はすでに常民に与えられていますので、」

「造作もない。一村丸々常民を追い出せばよい。此所ベイスラにおいて難民を処分する主体は誰か。」
「今次大戦において難民の存在は邪魔になると見定めて、南に移送しております。
 この長は、」
「カロアル某という兵師監だな。ふむ、これを打ち砕けば難民行政は多大な混乱に陥る可能性が高い。」

「殿様方にふさわしき御敵と存じます。」
「うむ、下がって良い。」

 剣令が下がった後、団扇で主人を仰いでいた狗番に泰ヒスガパンは尋ねる。
 猛暑の中でも山犬の面を律義に被る彼らは、改めて主の前に並び頭を下げる。
 イルドラ家では4人を召し使うが、一人は丹ベアムが連れて行った。

「どう思う。」
「我が主よ。褐甲角王国の兵師監を戦場に討つは、百年前の大戦にも聞かぬ壮挙でございます。」
「我が主よ。首尾よく成し遂げればイルドラの家名は方台に鳴り響きましょう。」
「悪くない話だ。」

「我が主よ。先程の剣令達の話には抜けているものがございます。
 難民どもは金雷蜒王国の支配より脱した裏切り者でございます。なにほどかの罰を受けねば帰参は叶いませぬ。」

「よくぞ申した。
 されば難民に触れを出して、罰の代わりとしてカロアル某を釣り上げる策を手伝わせよう。」

 

 夕刻、神族達は上将雁ジジの天幕に集う。
 折りよく丹ベアムも他の寇掠軍の宿営地から戻って来た。
 兄の姿を見て顔をほころばせる。

「兄上、37名の申し込みを受けました。首尾よく行けば遠征費がそっくり稼げます。」
「それだが、剣令達も欲しいと言っている。
 錫箔を押した簡易なものもつくろうではないか。恩賞の代りになろう。」
「なるほど、彼らに報いる分の少なさをそれで補えますか。」

 雁ジジの天幕の外では、麗チェイエィが自ら夕食の支度を行っていた。
 寇掠軍の食事は、神族が交代で腕を揮い他の神族に振る舞う風習がある。
 二児の母である彼女の作る料理は、その性格から想像できない繊細さと優しさを持つ。

 イルドラ兄妹の顔を見て、口が耳まで裂ける妖しい笑顔を向ける。

「西から来た”商人”から卵を買った。故に卵料理となる。」
「寇掠軍で卵とは、いかにも珍しいな。」
「救世主の顔を描いた円貨のおかげだ。
 ばらまいたアレが功を奏し、ベイスラ地方の経済を根底から揺さぶっているぞ。物資もこちらに流れて来る。」

 泰ヒスガパンは定められる自らの席に就き、妹も交えて先程の襲撃の計画を相談する。

「兵師監カロアル某に狙いを定め、難民に釣り出す手伝いをさせて討つか。ううむ。」
「兄上、それは実に野心的な計画だ。
 単に敵を脅かすのみならず、我らの武名が高らかに響き渡るぞ。」

「上将はいかが思しめさる。
 これならば絵物語としても十分に価値があり、我らの戦力でも不可能ではないと考えるが賛同下さるか。」

 左脇に座り夕餉の前の歌謡を楽しんでいた雁ジジは、蝉蛾巫女の顔を見る。
 エローアは白い顔を上げて不安そうに見つめ返す。

 常人であれば一軍の将を直接に討つなどは考えも及ばない。
 ただ神族の身を気遣うばかりだ。

「イルドラ殿、儂には何一つ異存は無い。我が生涯においても最大の戦果となろう。」
「兄上、我も兵師監に矢を突き立てたいぞ。いや、彼の重甲冑を引きずって故郷に戻ろうか。」

「なにやら面白い話をしているな。兵師監か、それは大物だ。」

 料理を仕上げた麗チェイエィが天幕に入って来る。
 給仕はそれぞれの狗番が行うのだが、その前に合同で毒見をする。
 寇掠軍におけるギィール神族の死因の第一は「暗殺」であり、仲間内での暗闘こそが真に恐るべき敵だ。

 麗チェイエィも、遅れて入って来る椎エンジュ、輩インゲロィームアも、天幕の内の話をちゃんと聞いていた。

 彼らの額のゲジゲジの聖蟲は空気の振動を読み取る。
 その気になれば、知覚の範囲内全ての人物の会話を識別できる。
  椎エンジュも頭から賛同した。

「兵師監カロアルとは良い所に目を付けた。
 彼は一軍の将とはいえ難民を主に取り扱う為に実戦部隊を掌握しておらず、麾下に神兵も少ない。
 最前線には出ていないが、難民暴動を兵力の乏しい地域で起こしてやれば必ず自ら鎮圧に乗り出す。」

「彼は難民取締まりにおいて実績の有る人物と聞く。
 これを殺せば制限が薄くなり、毒地から援軍を送って難民の勢力の拡大も図れよう。」

 麗チェイエィが流し目で合図をする。
 それぞれの家の狗番が、己の主の前に料理を載せた小卓を運んで来る。

 美しい色絵の皿に盛られた料理は4品。
 メインとなるのは水鳥の卵に刻んだ香草を溶き、油を含ませてふっくらと焼き上げた「ム」の字型の卵焼きだ。
 周囲にシクラ(陸棲イソギンチャク)のソースが掛っている。
 シクラは馥郁とした香りで森の食材の王として珍重される。かなりの身分でないと口にするのを許されない。

 大山羊の肉を煮込んで缶に封じ込めて後方から届けさせたシチューもある。
 缶詰は弥生ちゃんが毒地を旅する際に初めて用いたのだが、いつのまにかギィール神族の間に製法と利用が広まった。
 今次大戦において非常に有益に用いられている。

 香の物、漬け物は十二神方台系においても盛んに食される。
 発酵して風味を増した食材は各神族に秘伝があるとされ、家ごとの違いを知るのも寇掠軍の楽しみである。

 もちろん旅の空の下では当然に供されるゲルタの粥もあった。
 ゲルタに関しては神族も狗番剣令、奴隷兵の区別は無い。
 美味いものではないが塩をたっぷりと纏うゲルタは夏場の肉体労働に欠かせない。

 神族全員の前に支度が整った所で、上将雁ジジが食前の講評をする。
 普通は毒が入っていない事を証すだけだが、今回彼女の料理に関しては特別に言葉を添えた。

「今日の料理はいかにも芸術的に仕上がっている。見た目に美しさを追求するとは、今までに無い趣向だ。
 この意図はなにか。」
「イルドラの妹姫が青晶蜥神救世主の名代から聞いた、星の世界の料理についての話を我なりに再現したもの。
 ガモウヤヨイチャンの国では味のみならず美しさもまた高く評価されるという。
 その観点に立てば、なるほど方台の料理はつまらぬものが多かった。反省せねばなるまい。」

「イルドラ姫、そなたはそれを知りながら再現せぬのは何故だ。」
「お恥ずかしい限り、我が手腕ではそこまでの配慮が行き届かぬのみにて御無礼つかまつる。」
「うむ、次の馳走を期待しよう。」

 表情を微塵にも動かさず、内心の動揺を見せぬが、とんでもない宿題を押し付けられてしまった。
 丹ベアムは麗チェイエィを恨む。
 兄への誘惑をことごとく邪魔した仕返しに違いなかった。

 

     *****  

「兄上、ジムシが戻ったようです。」

 イルドラ兄妹は自らの天幕に戻り休もうとした際に、スガッタ僧ジムシが潜入工作から帰還したと知らされる。

 ジムシは寇掠軍『ウェク・ウルーピン・バンバレバ』において特異な地位を占めていた。
 そもそも彼は奴隷ではない。
 金雷蜒王国の法では奴隷でない者は法的保護の対象外。
 殺しても捕まえて売っても良いのだが、意に介さず彼は従っている。

 スガッタ僧は生きながらに天河の冥秤庭にあるとされ、命をまったく惜しまぬ者だ。
 彼らは日々過酷な鍛錬と修行を積み重ねる。
 これは開悟を得る為ではなく、地上に在って最も過酷で常識を外れた死を求める故なのだ。
 尋常の運命では尋常の裁きにしか遭えぬと心得る。

 ジムシも教えに忠実に従うが、独自の道を思い定めて今回の大戦に従軍していた。
 神人との対面だ。

 コウモリ神人とは。
 天河の十二神より不死の運命を授かりし者。古より大地に在り続け、人の歴史を見守り続ける。
 戦場にあって聖蟲を戴く武人の死を見届けるとされた。

 彼との遭遇はギィール神族にとっても希有の体験だ。
 占いによって我が隊で叶うと告げられてはジムシの参陣も断れない。
 『永遠の護手との邂逅(ウェク・ウルーピン・バンバレバ)』の名もこれに由来する。

 

 イルドラ家の天幕の前に、土埃に塗れたままのジムシが跪く。
 天幕の帳は下りたまま。狗番が彼の前に主の代理として立ち塞がる。
 スガッタ僧風情にわざわざ神族が姿を見せるまでもない。

 彼は戦場にありながらも防具を身に纏わず、灰色の僧衣と作業に用いる小刀をぶら下げるだけだ。
 もっぱら素手での格闘を行いその道では頂点を極めているのだが、矢石が飛び交う戦場ではあまり役に立たない。
 超人的身体機能を利用して情報収集を行うも、彼の関心は神人にばかり傾くので当てにはならない。

 狗番が主人の言葉を授かり、応対する。狗番は今、神族そのものと扱われる。

「ジムシよ。此度我らは新たなる標的を定めた。
 ノゲ・ベイスラを護り難民を南に移送する任を受けた兵師監カロアル。これを罠に掛けおびき出して討つ。」
「なんと、兵師監を直接お狙いになりますか。」
「単なる神兵ではなく、無辜なる民衆をその身に換えて守らねばならぬ重責を担う者だ。
 これを討てば神人の憐憫に触れるだろう。」

「おお、それこそ。それこそがまさに神人様をお招きするにふさわしい贄でございます。」

「お前はこれより再び国境を越え、祭祀を用意するのだ。」
「早速に立ち戻り、支度を整えます。」
「構えて言うが、この獲物は我が寇掠軍にて捕らえたい。他言は無用ぞ。」
「心得ております。さりげなく他の隊の剣令などを使役して、殿様方の御為の狩り場を整えます。」

 休む間もなく宿営地を離れるジムシを、天幕から出た丹ベアムは渋い顔をして見送った。
 彼女はこの得体のしれない男が大嫌いで、決して近づけない。

 陽に焼けた禿頭に血管が浮き出て、筋骨はコブの生えた枯れ木のよう。
 ギィール神族も聖蟲でさえも価値が無いかに瞳は遥か遠くを見つめ、慇懃無礼に命令を歪曲して勝手な行動を取る。
 話す言葉は抹香臭い。
 神族の合理的な目にはひたすら無駄に思える修行に日々精進するのも、癇に障る。

「兄上。あの者も絵物語に描かねばならないのでしょうか。」
「あのような奇っ怪極まりない僧侶は、芝居においては欠かせない役ではないのか。」
「そんな腐れた物語は火にくべてくれよう。」

 あらぬ方向を苦々しげに見つめて毒を吐く妹に、泰ヒスガパンは言った。

「ベアムよ、天に向かって唾吐く言動は慎むのだ。」

 

     ***** (褐甲角軍のターン)

 ベイスラ県の中核都市ノゲ・ベイスラに設けられている防衛司令本部に、難民移送団司令部もある。
 カロアル羅ウシィ兵師監の指揮の下、主に一般人の剣令を用いて作業を行っていた。

 司令本部が置かれた建物は、ノゲ・ベイスラで政庁として使われている砦だ。
 分厚い土壁がカタツムリの殻のように巻いて積み上がる。
 随所に武者隠しの洞も設けられ、ゲイルのよじ登りにも対処出来た。

 土壁の建物は夏場は降り注ぐ日光を遮断してひんやりと涼しく、冬は暖房の熱を閉じ込めて効率良く温める。
 風の通り道も巧妙に確保されている為に、暑さを感じる事も少ない。

 だが砦は人の熱気で溢れかえっていた。
 大審判戦争は当初の見積もりを大きく越えた規模に拡大した。
 ベイスラの定数3千人の兵員が倍にも脹れ上がる。
 聖蟲を持つ神兵も衛視を含めて30だったのが50名にまで増員され、穿攻隊として更に1百名が派遣された。

 神兵は確かに無敵の強さを誇るが、効率的な運用には通常の兵よりも手厚い支援が必要。
 これだけ数が増えれば物資の確保と輸送に過大な負担を強いる。

 補給の要であるノゲ・ベイスラ市には軍官僚や役人税吏が多数詰めて対応するが、
更に難民移送団司令部までも抱え込んで、戦場をも凌ぐ喧騒の中にある。

 

「兵師監、穿攻隊のサト英ジョンレ様より照会のありました”カエルを偏愛する神族の姫”の身元が判明しました。」
「お、神族名鑑に記載があったか?」

 カロアル羅ウシィは45才、今次大戦にあって「将」と呼べる位の兵師監へ昇進し、難民移送団司令に就任した。
 彼は長く治安関係の部所にあり、難民の武装集団や盗賊団の取締まりに携わって来た人物だ。
 その功績を認められ、難民対策の抜本的解決を任された。

 王都カプタニアや最前線ヌケミンドルに居る多数の難民を全員退去させ、南の涯イロ・エイベント県イローエント市に収容する構想だ。
 およそ400里(キロ)を難民達は歩かされる事となる。
 かなりの無茶であるから、カロアル兵師監はその手前のエイベント県に、またベイスラ県に留める腹づもりだ。
 そもそもイローエント市の受け入れ体制がまったく整っていない。そこに至るまでの街道の準備もまるで無い。
 不可能である。

 報告を持ってきたのは神兵ハギオトロ環マセマシュ、21才。
 家督を相続し聖戴を許されたばかりの小剣令で、重甲冑の習熟訓練中であった為に前線への派遣は見送られた。
 難民移送団に配属されたが、黒甲枝の将来は最初の任地で概ね決まる。
 彼はこの先治安維持や難民対策にもっぱら関わる事となるだろう。

「はい、去年のギジシップでの聖戴式の公示で、女子最年少で聖蟲を戴いてます。
 二人だけで一人は諸派の姫。もう一人が三荊閣ミルト宗家の末の姫17才、これです。」
「ミルト宗家が寇掠軍を出しているのか……」
「ミルト家と言えば北部ボウダン街道に権益を持つ三荊閣ですね。南部にまで出征するのですか。」

 三荊閤ミルト家は高度な武器を供給して莫大な富を得ていた。
 「裏切り者」との誹りを物ともせず、褐甲角王国に強弩や神兵が用いる甲冑を納入している。
 自分が売った武器の威力を自ら確かめたくはなかろうが、それだけ今次大戦においては本気なのだ。

 寇掠軍に参加する神族の顔ぶれを見れば、作戦の概要も規模も或る程度掴める。
 カロアルは兼任でノゲ・ベイスラの城市防衛隊長も務めていた。当然の関心事だ。

 しかし、この任務のせいで彼は自由にノゲ・ベイスラを離れられない。
 難民移送が各所で滞り個別の対処が必要な現在、どうにも不自由を感じていた。
 そもそも市には多数の神兵クワアット兵が集結し寇掠軍も恐れて近づかないのに、何を防衛しろというのか。

「で、どうでしたか。」
「ああ、スバスト様が城市防衛隊を直接指揮なさる事に決まった。これでノゲ・ベイスラを出られる。」

 カロアルはベイスラ県総司令官であるスバスト兵師大監に、難民移送の任務に専念したいと申し出た。
 了承されたと聞いて、ハギオトロは安堵の溜息を漏らす。

 神兵として戦う為にベイスラに来たのに、これまで1ヶ月ずっと砦に閉じ込められ事務処理ばかりをやらされた。
 他所で活躍する神兵達の噂を聞く度に、焦りが心に募っていく。
 これでようやく、出撃の機会を得られそうだ。

 

 だが難民を巡る情勢は混乱を極め、異常な緊張状態にある。
 現在難民の多くはベイスラとエイベントの県境付近に集中して滞在するが、ここより先に進めない。

 原因はイローエント市。
 駐屯軍の中枢部に「人食い教団」が根深く浸透していた事がにわかに判明し、また西金雷蜒王国からの工作活動が明らかとなったのだ。
 難民移送を支援するはずのイローエント衛視局は内部監査に明け暮れて、まったく機能しなくなった。

 カロアル兵師監に先乗りして環境を整えるはずの副官ビジョアン榎ヌーレが、一人で収容所建設に奔走する。

「そのビジョアン様からの報告書です。」

 ハギオトロが差し出す葉片の束には、悲鳴にも似た陳情が切々と綴られている。

 なにより兵の数が足りない。
 彼はクワアット兵30邑兵200を率いている。
 だがこの程度では建設中の収容所を警備するのが精々で、受入れ体制の構築にはまったく至らない。

 そもそも収容所の建設は、イローエントに元から居た難民を使役して行っている。
 彼らもいずれ収容される運びだが、それを嫌って荒野に逃げた。
 武装集団と化して野盗まがいの犯罪を繰り広げる。
 イローエント南海軍の陸戦隊が討伐に出動しているが、新たな難民が脱走してこれに参加する恐れもあった。

 近隣のタコリティ市が独立王国を宣言し、円湾に拠点を移した。
 周辺海域には多数の海賊船が集結し、甦ったとされる紅曙蛸女王に忠誠を誓う。
 東金雷蜒王国からも軍船が続々と来航し、南海軍も即応体制を整えたまま迂闊には動けない。

「榎ヌーレは一度撤退させて、エイベントに収容所を改めて建設する方が早いな。」
「しかし、そんなことをエイベント側が許すはずが、」
「移送中の仮宿営地として家屋を建設せず天幕のみとすればいい。事務局でも検討済みだ。
 この悲惨な報告書があれば審査は通る。」

 

    *****  

「カロアル様。」

 カロアル羅ウシィを廊下で見掛けて、50代の一般人剣令が駆けて来る。
 彼は長年治安対策に励み、特別職を得てこの歳まで王国に仕えている。
 黒甲枝ではないが、旧知の友だ。

 今回カロアルの特命を受けて、ベイスラ・エイベントの前線に配置されていた邑兵部隊を確認に行っていた。

「ご指定のありました30の邑兵隊を後方に下げて、警戒部隊に組み入れるのに成功しました。」
「ありがたい! それで取締まりの半分はなった。」

 各村に置かれた邑兵隊は、クワアット兵出身者を隊長として通常は周辺の治安維持に当たっている。
 中には警察業務に特化した隊もあり、犯罪取締まりに多大な功を成していた。
 彼らは優秀であるが故に今次大戦においても最初から動員され、前線へ投入された。
 これを引き戻し治安維持に当たらせる。

 カロアルは兵師監の権限を手にするまでの僅かな時間に、彼らが消耗するのを恐れた。
 各部隊の指揮官に個人的な書簡を送り、激戦に投入せぬよう依頼しておいた。

「あの添え書きが無ければ、とても後から引き抜くなどは叶いませんでした。」
「引き続き彼らとの間に密なる連絡を取り、伏徒(難民武装集団・盗賊団・脱出者)の情報を共有し連携して取締まりに当たってくれ。」
「は。」

 

  カロアルは難民移送団司令部の大部屋に戻り、剣令達に指示して自身の進発の準備をさせる。

 ノゲ・ベイスラ市は、王都カプタニアと連絡を取り物資の供給を図るには優れた位置にある。
 だが、難民が引き起こす騒動の現場からは遠過ぎた。

 エイベント県との県境に位置するムポルノ村に司令官自ら移動し、直接指揮を執る。
 本部は引き続きここに置くが、残された者にはとんでもない課題が残される。
 難民移送の資金調達だ。

「ワァゲド君、あとは頼む。君だけが頼りだ。」
「そんな無責任な。」

 移送計画の主任主計官として抜擢されたのは、若き税吏ワァゲド・エプ。
 たちまちにこの仕事を受けた事を後悔する。

 当初4万人と見込んでいた王都の東、カプタニア街道沿いの難民が、実際は7万人も居て1万人以上が逃走潜伏中と判明する。 
 加えてベイスラ県エイベント県でも2万人弱を確認。
 このすべてを南岸イローエント市に送らねばならない。

 これまで王国がいかに難民の情勢を把握していなかったか、露骨に判明して誰もが眉をしかめている。
 移送事業の予算も1ヶ月の停滞で使い果たし、3倍を要求せざるを得ない。

 言いたくは無いが、司令官に愚痴を投げる。

「やはりカプタニアの朋民(難民)は動かすべきではなかったのです。」
「今更言っても仕方ない。
 王都が安泰で武徳王陛下が憂い無く御親征できるのも、この策のおかげだ。諦めてくれ。」
「ううーん。」

  他にも折衝で疲れ果てた税吏達が集まってくる。
 司令官がここに居る内に、とにかく言えるだけの事は言っておきたい。
 まずは基本中の基本、食料調達問題。

「無理です! 
 これだけベイスラに兵力を集中して多くの兵糧が優先的に徴発される中、難民に回せと言っても誰も聞きません。」
「すでに周辺各村の備蓄食糧は徴発されて、村人が食べていく分しか残っていません。
 逆さに振っても何も出ない状態です。」

「しかし食料供給が滞れば、朋民は容易に盗賊に成り果てる。地元住民にも危害が及ぶだろう。
 無理でも、なにがなんでも食料を調達してもらいたい。」

「ですが既に穀物価格は4倍にも高騰しております。」
「軍が買い上げているだけではなく、どこかに消えています。」
「売り惜しみ、というのではなく、誰かが意図的に買い集めて隠している風に思えまして、」

 次々と弱音を吐く税吏達に、カロアルは頑張れとしか言えない。
 混乱した状況の中で正常に市場が立つわけも無く、
北方からボウダン街道を下ってくる輸送隊は寇掠軍の格好の餌食であった。
 とりあえずは安泰な王国西方からの物資が到着するのを待つばかりだ。

 ワァゲド・エプが机の引き出しから、一枚の小さな円盤を取り出した。
 間に人が多くかなり離れており、やむなく失礼は承知で兵師監に投げる。
 金色の光が零れて、皆の視線が思わず宙に集まる。

 左手で受けたカロアルは、まずその美しさに驚いた。
 青いガラス製であるが、ここまで精緻な刻印が出来るのは並の技術ではない。

「これは?」
「食糧流通の混乱は、これが原因と思われます。」
「黄金色の、真鍮の輪が嵌った、これは貨幣か?」

「よく出来ているでしょう。図案は青晶蜥神救世主の顔です。
 間違いなくギィール神族の作で種類も多い。
 街道全域で、おそらくは5千枚は流入していると思われます。」

「まて。金雷蜒王国では貨幣は用いないはずだ。何故今さら作る。」
「貨幣の本質は、人がそれに価値があると認める事です。
 今民衆が最も欲しがるものを与えてやれば、それが貨幣の代わりになります。
 私見ですが、この円盤は5金ほどの価値を見出せるでしょう。」

「これで食糧を買い漁る者が居るのか。買った先はどこに行く?」
「わかりません。国境を越えて東に流れているとの情報はありますが、大した量ではないでしょう。
 逆に餓えた朋民に供給する者があれば、彼は朋民の支持を集めて意のままに操れます。」

 とんでもない謀略だ。
 敵は褐甲角王国の経済体制を根幹から覆す策を用いている。
 対策は、

 だが美しい円貨を見てカロアルは思う。
 一度これを手にしたものは決して手放さないだろう。

「これは見つけ次第没収しよう。併せて隠匿食糧の捜索もさせる。」
「兵師監!」

 

 先程命じて使いに出したハギオトロが血相変えて飛び込んできた。
 彼は神兵の間で連絡係の真似をさせられている。早く戦場に出たい道理だ。

「兵師監、それとハグワンド様。スバスト大監が神兵に急ぎお集まりくださいと!」
「分かった。」

 神兵ハグワンド礼シムは城市防衛の任に加えて、難民護衛の部隊配置の調整をしている。
 カロアルと共に兵師大監の執務室に向かった。

 

    *****  

 スバスト源ジュバトム兵師大監は、武の人というよりも管理に長けた能吏である。
 計画に基づいて冷静に事を運んで行くのが彼の手法で、このように急ぎ神兵を集めるなどはかって例が無い。

「スバスト様、何事です。ヌケミンドルで敵の大攻勢でもありましたか。」

 執務室には市を護る6名の神兵が揃った。
 スバスト大監は額にカブトムシを戴かず、賜軍衣を纏う。
 既に長男に聖蟲を譲って今はただの人であるが、政治的行政的手腕に神の力は必要ではない。

「今朝イローエントから特急の軍令便が届いた。
 タコリティに集結していた艦隊が本格的にイローエント港に襲来し、臨戦体制にあるという。沖の20里まで迫っている。」
「まさか!」

 思わず声を発するのは、未熟なハギオトロだ。

 まさかも何も、「新生紅曙蛸王国」を事実上支配するのは、ソグヴィタル範ヒィキタイタン。
 かってカプタニアにて「先戦主義」を唱え東金雷蜒王国への攻撃を強く主張していた「副王」だ。
 その王が、事もあろうに東金雷蜒海軍と同盟して祖国に攻め来るなど、誰が想像しよう。

 いや、褐甲角(クワアット)神の聖蟲を戴く者が武徳王に刃向かえるのか。

 疑問は誰も同じだが、戦場においてはあらゆる事が起き得る。
 多少は分別を備えるハグワンドが、強いて冷静に軍事的意図を分析した。

「たしかに現在のイローエント港の混乱を見れば、攻撃に転ずるのは利に適っている。
 後方より攻めれば我が方も軍勢を割かねばならず、毒地の寇掠軍への支援となろう。だが、」
「ソグヴィタル王が、あの御方がそんな。」

 幼いハギオトロが軍学校に入校して教練に明け暮れたその頃、
王国ではソグヴィタル王がが提唱する「先戦主義」が熱を帯びて語られていた。

 青晶蜥神救世主の到来を間近として、
このままでは褐甲角王国は初代武徳王「クワァンヴィタル・イムレイル」の聖なる誓いを果たせずして終わりかねない。
 最後にもう一度大攻勢を掛けて、千年紀の終わりに誓いを実現させるべき。
 黒甲枝の家に生まれた者であれば、誰でもが納得し熱狂する意見だ。

 王を支持する勢力は元老院にも多く、軍も最終攻勢に向けて着々と準備を整えていった。
 第一番の先陣を承る斬り込み部隊「赤甲梢」に新兵器「兎竜」も配備され、期待は大きく膨らんだ。

 政変によりソグヴィタル王は追放され最終攻勢の計画は頓挫したが、
いずれ復帰した王が自分達を指揮して金雷蜒王国に大規模な進攻作戦を行うと期待していた。
 今この瞬間、今次大戦はまさしく王の予言が成就したもの。
 なのに、何故。

 信頼を裏切られた顔は青ざめ、冷や汗までもかいている。

 カロアルは若い神兵の姿を横目で見て、我が息子を思い起した。
 カロアル軌バイジャンはハギオトロより3つ下で、おそらくは同じ感想を抱くだろう。

 この場で最年長者の神兵として、スバスト大監に問う。

「大監、確かに攻撃はあるのだろうか?
 タコリティの大人重役の多くがレメコフ追捕師の追求を受け、イローエントに持っていた財産も没収された。
 これ以上の介入を防ぐ為に示威行動に出ただけではないのか。」

「イローエントは混乱の渦中にあるとはいえ、南海軍は無傷にして装備も十全に整う。
 東金雷蜒海軍の応援を乞うたとしても、敗れる道理は無い。
 カロアル殿の言われるとおりが正しかろう。
 じゃが、」

「もし攻撃が本当に行われたとしても、応援を出す余裕はベイスラにもエイベントにも、ヌケミンドルにだってありません。
 イローエント一市でしのぐしか無いでしょう。」

 神兵キマル信マスタラムが指摘する。
 彼はベイスラ県において法衛視を務めていたが難民移送団に配属され、ついでに城市防衛の任に当たっている。
 カロアル兵師監に従って難民鎮撫に同行する予定だ。

 純粋な軍人ではないから抱く意見もまた異なる。
 大監はキマルに問う。

「イローエントを孤立させるわけにはいかん。援軍をなんとか出来ないか。」
「されば、西百島湾海軍を回すしか無いでしょうが、西金雷蜒王国もまた攻勢に出ると思われます。」
「なるほど。十二神方台系すべてが戦乱に突入するわけか。」

「まさに大審判戦争だ……。」

 ハグワンドが思わず呻く。

 誰が呼んだか、今次大戦はいつの間にか「大審判戦争」と呼ばれるようになっている。
 金雷蜒褐甲角神双方の使徒がこの千年において相争い互いの正義を証してきた。
 どちらが天の意に叶うか、青晶蜥神救世主が審判を下す。

 若い 神兵達は口々に状況を分析する。
 だが情報はあまりに少なく、実りある結論を導き出せない。
 若いハギオトロは必死で話についていこうとするが、なかなか食い込めずに当惑している。

「大監。」

 カロアルは虚しい議論を打ち切るかに、声を上げる。
 予定を一部修正して、ノゲ・ベイスラ城市の防衛隊麾下にあった神族全員の同行を提案した。
 少しでもイローエントに近い場所に神兵を集め、万が一に備えるのだ。

 スバスト大監も了承する。
 この状況ではイローエント市で難民を収容する計画も中止となるだろう。
 代わりにエイベント県がその場所となるはず。
 難民移送団を先行させて準備を整えておくのも裁量の内だ。

「中央軍制局からの指令が下るまで、ベイスラの体制に変化は無い。
 事態の急変に備えながらも各々の職分を全うせよ。」

 大監が解散を宣言し、神兵はそれぞれ持ち場に戻って行く。

 キマルはハギオトロの背をぼんと叩いた。

「君は未だ重甲冑の操法を会得し切っていないな。」
「は、はい。重甲冑はヌケミンドル防衛線に集中されるそうで、私には今のところ神兵用の甲冑はありません。」
「よし、とっておきがある。型は古いが「丸甲冑」が倉庫に隠れていたのを発見した。これを使いたまえ。」
「ほんとうですか! それは助かります。」

 きらきらと目を輝かせるハギオトロに、だがハグワンドはうさんくさそうに眉をひそめる。

「(キマル)信マスタラム、その甲冑は使い物になるのか?」
「大丈夫だろう。胸に一つ、弩車に開けられた大穴が有るだけだ。」
「う……。」

 

     *****  

 難民移送団は所属する神兵全てが移動する事になった。

 彼らに与えられたのはクワアット兵300に邑兵1千で、発足時に約束された人数を大幅に下回る。
 特に物資輸送の人数が足りない為に、輸送部隊から10隊を借り受ける。
 邑兵200イヌコマ300が新たに配属された。

「兵師監様。」

と、輸送部隊を統括する一般人の大剣令が、個人的にカロアルに相談する。

「御子息のカロアル軌バイジャン殿が指揮する輸送小隊も組み入れましたが、よろしゅうございますな。」

 聖戴拝領予定者は通例あまり危険な任務には用いない。
 継承前に事故でもあったらと慣例で配慮するのだが、生憎今次大戦に楽な現場は存在しない。

 ただ、軌バイジャンはカロアル兵師監の嫡子としての権威をなにかと便利に使われて来た。
 抜けると割と困る事も多い。

 カロアルはたかが輸送小隊の配置に注文は付けないが、こうも言う。

「剣令には不慣れな邑兵を的確に指揮しその命を護る責務もある。あまり勝手をするなと注意しておいてくれ。」
「はい。伝えておきます。」

「兵師監!」

 ハグワンドは重装歩兵装備のクワアット兵百人隊を指揮すると決まった。

 この部隊は、スバスト大監から絶対にベイスラ県の外に出すなと厳命されている。
 いずれベイスラでも敵の総攻撃を受けると見越しての指示だ。
 ただ制限が厳しいと、機動的な運用がままならない。

「なんとかなりませんか?」
「現地に着いてからならごまかしようはいくらでもある。従っておけ。」

「兵師監。」

 今度はキマルだ。
 現在毒地上で確認されている寇掠軍と、ベイスラ・エイベント両県の難民武装集団の関連図を用意して相談する。
 ただの盗賊ならばなんでもないが、剣令が派遣され指揮するとなれば、話が大きく変わって来る。
 統一された行動で寇掠軍と連携し、効果的な攻撃を加えて来るだろう。

「むしろ毒地中の寇掠軍本隊にこちらから攻撃を加えた方が安全になると思われます。
  穿攻隊を回してはもらえませんかね。神兵10でよいのですが。」
「ううーん、ボラ砦に篭りっきりというからな。
 攻撃計画書を作成してスバスト大監に届けておけ。あてにはするな。」
「兵が幾ら有っても足りはしない。ベイスラも広過ぎますねえ。」

 

 あちらこちらと走り回っているハギオトロをつかまえて、命令を与える。
 神兵として不慣れではあっても、小剣令で軍務を2年は務めているのだ。
 役所内より外に出した方がよほど役に立つ。

「(ハギオトロ)環マセマシュ殿、貴君にはノゲ・ベイスラに残る朋民の最終隊列の移送を指揮してもらいたい。
 うん、君が先頭だ。」

「しかし、朋民移送に神兵が当たるなどは、」
「噂というものは風よりも早い。聖蟲を持つ者が朋民を率いていると伝われば、向うも敏感に反応する。
 小隊1邑兵隊3を用いて良い。本隊に先行してくれ。」
「はい、ただちに出発準備をします」

 明確かつ責任が自分に集中する命令を与えられ、ハギオトロは喜んで飛び出して行った。
 彼は間が悪く、聖蟲を授かった身でありながら未だ戦場に顔を出せていない。
 内心忸怩たる所があったのだろう。

「とはいえ、難民を率いている最中に戦闘はしてくれるなよ。」

 早くも兵を叱咤鼓舞する声が聞こえてくる。カロアルは少し笑った。
 傍目には渋い表情が一瞬歪んだ程度にしか思えなかっただろうが。

 その日の内にハギオトロは難民500を駆り立てて出発する。

 

 翌夏旬月十八日。
 ムポルノ村を目指して行軍中のカロアル羅ウシィ兵師監は、行列の後方から一人のクワアット兵剣令が走って来るのを知らされた。

 伝令であれば剣令を用いるまでもない。
 しかし重要な命令であれば、それなりの身分を持った者が伝えねばならない。

「あれは。兵師監、あれは御子息ではありませんか。」

 高台に上って後方を眺めたキマルが、カロアルに確認を求めた。
 神兵の視力は常人の10倍を越え、数キロ先の人相までもしっかりと識別する。

 輸送小隊を指揮して後方から続くはずの彼が、伝令となるはずはない。

「まさか。」
「いや間違いありません。甲冑ではなく軍衣を纏っていますから、よく見えます。」

 行軍を停止してカロアルは伝令の到着を待つ。
 こういう時、徒歩でしか移動手段が無いのはまどろっこしい。

 結局軌バイジャンの到着は姿を確認した10数分も後だった。
 彼は伝令の時に用いる特殊な走り方をした為に、父兵師監の前に跪いても息を切らしてはいない。

「お人払いを。」

 敢えて剣令を伝令に用いるからには、よほどの重大事と予想していた。
 しかし一般人剣令は元より、神兵のキマル信マスタラムまでもが許されないとは。
 意表を衝かれてキマルは思わず怒りを露にするも、軌バイジャンは重ねて兵師監のみにと主張する。
 カロアルは命じて周囲の者全てを遠ざけた。

「何が起った。武徳王陛下の御身に間違いでもあったか?」
「せ、赤甲梢謀叛にございます。」

 息子の言葉の意味がよく分からずに、カロアルはしばし目を瞬かせた。
 重甲冑に真上から照りつける陽光が、物理的な重さを持って感じられる。

「赤甲梢はメグリアル王女だな、何故謀叛を起さねばならぬ?」
「十七日ヌケミンドルの大本営に届いた急報によれば、
 赤甲梢部隊が中央軍制局の作戦から離脱し、単独にて東金雷蜒王国領内に突入したとの由。以後の詳細は不明。」

 やはり、さっぱり分からない。
 赤甲梢は東金雷蜒王国への進攻に備えて組織された部隊であるが、単独で突入して何の益があるのか。
 明敏にて知られるメグリアルの王女焔アウンサ様は、無謀をしても無意味はなさらない御方だ。

 情報に対しての評価を決めかねる彼は、息子に次を促した。
 1ヶ月ぶりに顔を見たのだが、それも忘れるほどに戸惑っている。
 伝える軌バイジャンもこれほどの重大事に思考も停止して、ただ上官の命に服するだけだ。

「スバスト兵師大監様は仰しゃいました。難民移送団はそのままに任務を続行されたし。
 ただし、寇掠軍のにわかの大挙襲来が予想される。十分な警戒を行え、と。
 穿攻隊移動の件は了承したとの事です。」

「うむ、御苦労だった。」

 伝えるべきを終え、軌バイジャンはまっすぐに父の前から下がり、再びノゲ・ベイスラへ走り戻る。
 座を外していたとはいえ、神兵の超常的な聴覚で聞いていたキマルが戻り、問う。

「なにかの間違いではございませんか。赤甲梢謀叛など。」
「わからぬ。だが容易ならざる事態が迫っているのは確かだ。
 我らは自らの為すべきを急ぐしかない。」

 

 カロアルは行軍を再開させ、街道の両脇に民衆が控える中を威風堂々と進んで行く。運命に向かって。

 

 

【真夏の夜の夢】

 紅曙蛸女王国時代以前の千年紀。

 地球で言うと旧石器時代に相当する「ネズミ神官時代」
 方台の黎明期に、既に文字があった。
 絵文字で、後の世代には継承されずネズミ神官と共に歴史の闇に消えた。

 この「ネズミ文字」、だが読める。
 旧い洞窟の壁に無数に描かれているものを、スガッタ僧や学者が熱心に描き取り、解読して文書にまとめている。

 文中に度々登場するのが「火栄渡り」とでも呼ぶべき山火事の記述だ。
 歴史学者はこれに首をひねる。現代(創始暦5006年)に該当する現象が無いからだ。

 紅曙蛸女王時代の歴史書には記される。
 「紅曙蛸(テューク)の行幸」と呼ばれ、救世主でもある巫女王が森を行く際にやはり火を伴ったと伝わる。
 方台に文明をもたらし新しい火の使い方を教えたのも女王である。
 火を伴うは当然とも思われるが、それにしても不思議な記述が多過ぎた。

 「行幸」も2561年の5代テュラクラフ・ッタ・アクシ失踪後は絶えた。

 

 時を越えて5006年夏旬月三日、褐甲角王国サユール県において2400年ぶりにそれが確認された。

 サユールは山国ではあるが森の恵みにより比較的裕福な、世の騒乱からも無縁で居られる閑静な土地だ。
 しかしこの日は違う。
 ずんずんと腹に響く低音が満ち、峡谷に住む人々は天の裁きが下ったと大騒ぎする。
 地震など生まれて初めての体験だ。

 当地に赴任し守護に就いていた黒甲枝の神兵マルッカ某は、住民に乞われて様子を確かめに行く。
 兜に胸甲、左の篭手のみの簡易武装で、数名のクワアット兵と共に地鳴りの中心を求めて深い森に入る。
 すぐに振動の発生源に遭遇した。

「なんだ?」

 それは深紅に輝く巨大なキノコ。
 彼にはそう見えた。テューク(蛸)を方台内陸で見る事は無く、海を知らない彼が認識出来なかったのも無理はない。
 ただ尋常の自然の産物で無いとは理解する。

 キノコと表現した通りに、直径が100杖もあるドーム状の物体だ。
 より正確には、不定形の硝子の包みの中に炎が渦を巻いて燃えている、という代物。
 大量の熱を放出し頬に照り返すものの、不思議と苦痛は感じない。

 周囲の樹々は本当に炎を纏っている。だが燃え広がらない。
 地が歪み蒸気を噴き出し、所々穴が開いて坩堝のごとくに溶岩が沸いている。

 全てはキノコの通った筋に沿って起きていて、深く地を抉った溝が真っ直ぐに続いている。
 炎の煌めきと熱に揺らぐ大気、轟く地鳴りに包まれて、ここが神のしろしめす十二神方台系の一角とにわかには信じられない。

「マルッカ様、あれを!」

とクワアット兵が指差す先に、人が在る。
 曙色の衣の裾を長く宙に翻し、キノコの上に立つ女人の姿だ。
 炎の熱もたなびく蒸気にも冒されず、涼しい顔を進路に向けゆったりと寛ぐまま運ばれていた。
 良くは見えないが結い上げた髪の額の上に、小さな生き物の姿もある。

 眼を凝らすと、他にも多数人が居た。
 半透明の人影が列を為しキノコの周囲を回り、腕を天に突き上げて踊っている。
 百人を越えるが、印が無いので個人を識別できない。

「……亡者の女王か?」

 カブトムシの聖蟲を戴いていようとも、妖怪変化には敵わない。
 クワアット兵が激しく怯えるので偵察はこれまでと諦め、マルッカは現場に背を向けた。

 その夜遅くまで地鳴りは続く。
 遠く森の中を行く炎の照り返しが赤く天を焦がすのを、人々は眠らず見送った。

 二日後。
 多数の村人と共にそれの通った道を調べに行くと、地割れはすっかり新しい草に覆われて居た。
 まるで自然が傷付いた肌を癒すように、草木が信じられない速度で生え伸び痕跡を隠し始めている。

「あー!」
「わあ。」
「きんだ、砂金が、」
「玉もある!」

 振り返ると村人は皆這いつくばって草の根元を探り、次々と宝を見つけ出す。
 坩堝に見えた燃える穴から溶岩が飛び散り零れ、地の底深くに眠る金属資源を表にもたらしたのだ。

「結局あれはなんだったのだ。」
「テュラクラフ様でございましょう。」

 マルッカの問いに、年老いた蜘蛛神官が答える。
 書物を管理する彼の頭には、遠き方台の記憶も有った。

 「紅曙蛸女王の行幸」の詳細を聞くに、なるほどまさしくそうであるなとマルッカもうなずく。

 南岸の「パンヤン・グテ」、「トロシャンテの森」、サユールからアユ・サユル湖に到る経路上でこの事象は何度も目撃された。
 カプタニアに報告されるも、大戦でおおわらわの王都では誰にも注目されない。
 報告書は書庫に収められ紐解かれなかった。

 

 5006年夏旬月十五日。
 アユ・サユル湖上にて警戒に当たっていた警備隊の小艇は水中を行く巨大な「クラゲ」を発見する。

 体内に煌めく幾つもの光玉を有する潰れた球形が、舟の半分の速度で南から北へと進んでいるのを確認された。
 如何に神兵が乗るとはいえ、常識を越えた化け物に攻撃を仕掛けるわけにもいかない。
 あれよと見守る内に沈降し深みに消えて行った。

 アユ・サユル湖は王都カプタニアに面し厳重な警戒下にある。
 目撃情報は速やかに警備隊司令部、カプタニアの中央軍制局に上げられる。
 しかし続く目撃が無かった為に特段の対策は講じられない。
 それどころではない状況にあった。

 ただ情報は御前にも奏上される。
 武徳王カンヴィタル洋カムパシアラン・ソヴァクが断じたので、正式に歴史に記録された。

「ああ、テュラクラフ様だな。」

  

第八章  巡る虚実の万華鏡

(旧題「回る舞台は七色に、虚実の幕が行き交った」)

 

 十二神方台系の長い歴史にあって難民は何回も発生しているが、現在のものは百年前の大寒波に由来する。

 この事件の直前の方台はといえば、実は非常に豊かで繁栄していた。
 誰一人餓える事無く暮らしに困る者も無く、戦争の頻度は極端に減って動乱も無い状態が50年も続く。
 金雷蜒褐甲角両王国の民は繁栄の果実を当然と味わっていた。

 繁栄の理由はかなり複雑だ。
 農業技術の革新が起り方台全土に広まった為と歴史学者は主張するが、それに留まらない。

 長年続く衝突と国家を挙げて用意される過剰な軍備。
 褐甲角王国は自らが救うべき民が疲弊し困窮していると、いまさらに気が付いた。
 神族に生死を恣にされ酷使収奪される民を救わんと、これまで戦い続けてきた。
 だが冷静に振り返ると、奴隷のはずの金雷蜒王国の民の方が褐甲角王国の民よりも豊かで実り有る生活を送っている。

 この事実を認識した褐甲角王国は大きなジレンマに苦しむ。
 結果、東西金雷蜒王国と和解して平和の内に共に発展する道筋を模索する。
 過大な軍事費の負担から解放された褐甲角王国の経済は一気に発展し、民間主体の好景気に沸く。

 反面、拡大する景気は人心に緩みを生じさせ道徳は荒廃し、格差も倍増した。
 好景気が続けばこそ成り立つ矛盾に満ちた社会が長年放置され、心有る者の目にはいかにも危うく映る。

 警告は何度も発せられ、神殿は幾度も風紀の引き締めを呼び掛け、賢人が変革の策を献じたが、取り上げる者は居なかった。
 現状でうまく行っているのに何を変える必要があろう。

 要するにこの時期、黒甲枝は戦う事に疑問を持ち悩んでいた。
 正義の味方がその意志を薄らげていたのだから、ギィール神族も張り合いを無くし日々の遊興に明け暮れる。
 揺らぐ崇拝に信仰を見失い、人々は次の救世主、青晶蜥(チューラウ)神の御使いの到来を忘れた。
 ヒトが己の手で方台を支配し治めるのが当然、とする思想も芽生える。

 武徳王の代替わりによって綱紀は一時的に粛正された。
 弛んだ軍組織を改革してコンパクトな実戦部隊を国境線に配備し、金雷蜒軍に挑戦状を叩きつける。
 ギィール神族も長き倦怠から腰を上げて方台に緊張が走るが、経済にマイナスの影響は無かった。
 いや、戦争の実体は巨大な浪費であり生産を促すものであるから、物価の高騰と共に一種のバブル現象が引き起こされる。

 長期成長が限界に達して沈みかけた時に、この急拡大だ。
 以前にも増して奢侈贅沢が蔓延、富豪は連夜の宴会に財を蕩尽し一般庶民も明日を忘れて酔い潰れる。

 

 息が切れてふっと赤ら顔を上げた所に、それは訪れた。

 『チューラウの訪い』と呼ばれる寒気の到来がその年はばかに早かった。
 秋口に差しかかるとすぐに霜が平原を走り、稔る直前の穀物の穂が白を纏う。
 農民が気付いた時には手遅れだった。
 だが穀物の備蓄は十分にあり、誰も不安に思わなかったのが悲劇の始まりだ。

 次の年も人々は相変わらず蕩尽を続け戦争を繰り返し、秋の実りを疑わなかった。
 なるほど確かに穀物はちゃんと実を付ける。
 だが前年の影響が残るのかトナクの実には中身が無く、チョーチャクの茎は細く固かった。
 2年連続の寒い冬を方台は長く経験しなかった。対応は後手に回る。
 この年はさすがに貧窮に喘ぐ者が続出し、両王国とも国庫を空けて救済を行う。

 結局寒冷な年は5年も続き、世の中はすっかり様変わりした。
 人は餓え凍え、街の灯は消え農村の家の屋根は破れ、兵に応じる者も無い。
 戦争を行う余力も無く、やっとで生き延びた者を集めて畑を耕させるので精一杯だった。
 本当の地獄はこの年に起きる。

 6年ぶりの豊作に沸く褐甲角王国に、東金雷蜒王国から寇掠軍が大挙して訪れたのだ。
 農業力に劣る金雷蜒王国は不足する穀物を戦争で奪おうと当然に考えた。
 奴隷兵を主体とする寇掠軍は以前と意気込みが違う。
 なにせこの5年餓えに苦しんだ末の実りの好機だ、帰りを待つ家族の為にも一粒のトナクさえ見逃さない。

 褐甲角王国の農民も必死で守る。
 黒甲枝の指揮の下、兵士としての訓練を受けていない者でさえ棍棒を振り上げてゲイルを迎え撃つ。

 民間から徴募した兵が多かった為に、結果として褐甲角王国始まって以来の戦死者が出た。
 寇掠軍も無数の屍を毒地に残し、それでも大量の穀物を奪取して撤退する。
 奪われた褐甲角王国では持つ者を持たざる者が襲い、内戦紛いの暴動が繰り広げられる。

 そして次の年、畑を耕そうとして人手が足りない事に気が付いた。
 労働力をなんとかして集めようとする時、ボウダン街道を通って流れて来る金雷蜒王国の民がある。
 寇掠軍が持ち帰った穀物でも足りず生活に窮した奴隷が、食を求めてさまよい西に流れ出た。
 これが難民の始まりだ。

 褐甲角王国の人は最初彼らに対して敵意を向けた。
 なにせ前年激しく戦った間柄だ。だが人手が足りないから仕方なしに彼らを使う。
 勿論待遇は最低であるが、使われる方も素直には従わない。
 互いに恨み罵りながらも隣り合って暮らさねばならない。

 数年後、この関係は固定して農業の下働きのみならず都市でも労働を担うようになる。
 あるはずの無い奴隷的階層が発生し、低賃金で便利に使われるようになる。

 民を救うのが黒甲枝の使命であるが、民自身が民を虐げる枠組みを作ったのでは彼らの正義は意味を為さない。
 褐甲角神も金雷蜒神の使徒もこの状況をいかんともし難いと見定めた時、人は新たな救い主を求める。
 そしていつしか、あの長く続いた冬の年を『チューラウの予告』と呼ぶようになった。

 『予告』

 この世の枠組みをぶち壊し報われぬ社会をひっくり返す救世主が必ず来る。
 人の願いがそう呼ばしめたのだ。

 

     ***** 

 現在難民移送団はヌポルノ村を本陣とし、スプリタ街道の”西側”に難民を集めている。

 スプリタ街道は方台中央を南北に貫く交通の大動脈だ。
 北はデュータム点、ガンガランガから発しほぼ真っ直ぐ南に下り、ヌケミンドルを経てベイスラ、エイベントを抜けイローエントの海に果てる。

 ベイスラにおいてはこの街道の東西で地形が大きく変り、産業も異なる。
 西はベイスラ山地の裾野の森林地帯が広がり団栗、油が主要産品。
 対して東は平原が広がり農地が続き、毒地の風を遮る林を経て荒野、不毛の地に到る。

 逃走した難民が組織する武装集団や盗賊団は主に街道東の林に潜む。

 ベイスラ防衛軍は寇掠軍の侵入を防ぐ為に林の外側に布陣し、盗賊相手にはクワアット兵の追討隊を林の内側に走らせている。
 街道は大軍の移動に便があるので防衛線の重要な一部となり、これに遮られる西側は安泰と見て差支えない。

 だが難民は大人数で混雑する宿営地を抜け出して、勝手に東側にも入り込む。
 悪意があるわけでなく水場を求めて移動せざるを得ないのだ。
 なにしろベイスラ内に2万人、エイベントで3万人、イロ・エイベント県入り口に1万人弱が滞在する。
 局所的には本来の住人の数を大きく越えていて、受入れた村の農民議会から司令部に不安を訴えて来る。

 

「うわあ、これはダメだ!」

 ヌポルノ村に戻って来た輸送隊カロアル小隊隊長カロアル軌バイジャンは、村一帯に溢れる人の波を見て絶句する。

 難民はそれぞれ100人程を単位とする小集団に分れて移動宿営する。
 それぞれの集団に責任者が居るが、遠隔の地で他人を頼りに出来ない。
 代表者がそれぞれの随員と滞在の食糧荷物込で司令部に押し掛け陳情する。
 地元住民代表も負けじと苦情申し立てに来ているので、ヌポルノ村周辺は大混雑大渋滞に陥ってしまう。

 カロアル小隊も道すがら、様々な陳情を受け取った。まだ難民は続々と押し寄せてくる。

「住民側代表と朋民(難民)代表とが各所で小競り合いを起こしている、とかも聞きました。」

 カロアル小隊は現在、小剣令カロアル軌バイジャンを隊長、凌士カドゥヲンを副官として邑兵20名イヌコマ30頭を率いている。
 前に副官を務めた凌士卒ジュンゲは人手不足から、より実戦的な警戒小隊へと移動となった。

 凌士カドゥヲンは20歳。だが軍歴は4年。
 兵学校で6年を学び近衛兵団で1年半小隊指揮の訓練を積んだ18歳の軌バイジャンの方が、経験はむしろ上だ。
 ますます小隊は弱体化する。

 率いられる邑兵も今次大戦で招集されたずぶの素人。
 だが一つ所に輸送隊を集めてみると、自分達がかなりまともな兵隊であると気がついた。
 戦争前からある正統な邑兵隊には及ばない。
 しかし急遽編成された輸送隊はどこも同じ。
 それなりに修羅場もくぐったカロアル小隊の練度はピカイチと言って良いほどに仕上がっていた。

「こら槍を振り回すな。荷車をどけさせるのは棒を持っている奴だ。」

 戦力としては相変わらずクワアット兵二人だけなのだ。
 それでも二人が使う長槍を持ち運ぶ邑兵は尊大に、道端に溢れる難民を押しのける。
 なにせ少し目を離すとイヌコマの背から荷物を盗まれる。
 甘い顔は見せられない。いきおい乱暴にもなる。
 注意するカドゥヲンも諦めた。

「軌バイジャン様、多少は兵を引き締めた方がよいと存じますが、これでは。」
「分かっている。交通整理くらいはしてもらいたいな。」

 難民を掻き分け、さらに建物に入りきれない住民代表を押しのけて、やっとで輸送隊本部に辿りつく。
 報告を済ませた軌バイジャンは、思いがけない司令部からの呼び出しを受けた。

 難民移送団司令部はヌポルノ村農民議会の集会所を用いていた。
 村の中心に有り広場も備え往来が便利と、軍務に用いるのにも都合がいい。
 軍に徴発される事を前提に設計されているので、集会所はどこの村でも立派なものだ。

 黒甲枝、とくに聖蟲を持つ神兵の宿舎は村長など有力者の自宅になる。
 ではあるが、兵師監カロアル羅ウシィは集会所に泊りっぱなし。不眠不休で職務をこなしている。

 やはり人でごった返す司令部。
 軌バイジャンが通されたのは離れにある、ここだけ鎮まりかえった礼拝所だ。
 明かり取りの天窓があるだけで全周を泥壁に塞がれ、息苦しい陰湿な感触を覚える。

 迎えたのはベイスラの衛視局から出向している聖蟲を持たない中剣令。
 治安・諜報関係を担当する者だ。
 彼の任務は輸送とは無縁で、軌バイジャンに直接命令する権限は無い。

 さらにもう一人、民間人が居る。
 農民とは少し異なる。
 土地の者だろう、風采の上がらないそれでいて脂ぎった男はおどおどと目を走らせる。

 中剣令は、この男がさも気になるだろうと言わんばかりの口調で話し始めた。

「君がカロアル軌バイジャン小剣令か。兵師監様から許可は取っている。
 輸送任務とは少し異なるが、私の命令に服してもらう。」
「は!」

「君は”青服の男”の話を知っているか? 
 街道全域に広がるはなはだいかがわしい噂だが、どうやら事実らしい。」

 ”青服の男”は、いまやスプリタ街道沿いの地域では知らぬ者の無い有名人だ。
 複数人居るとされるが、証言はどれも同じ。

 おもしろおかしく村人の前に踊り出て青晶蜥(チューラウ)神救世主が降臨した縁起を語る。
 数々の手品を見せて薬品を売る。
 傷や火傷の薬が今に必要になると半ば脅迫して売りつけ、「逃げろやにげろ」と歌いながら去って行く。

 彼が現われた場所は一両日中に寇掠軍の襲来を受けるという。
 忠告を聞かず逃げなかった者は必ず殺され、ほうほうの態で飛び出した者もあるいは傷付き、薬の世話になるのだと。

「この男は名をカモゾーといい、青服の男と寇掠軍が直接接触する現場を目撃した証人だ。」

 軌バイジャンが見ると、カモゾー目を伏せないままぺこっとちいさく御辞儀をする。

「では青服の男を逮捕する任務でございますか?」
「話はそう単純ではない。
 なるほど青服の男は寇掠軍と関係するが、同時に民衆に逃げろと警告し薬まで売って助けようとする。
 本人が言う通りに、たしかに青晶蜥神救世主に連なる者かもしれない。」
「はい。」

「さらに、連中は売るほど薬を持っている。難民移送団においても医薬品は完全に不足する。
 本来であればトカゲ神殿の協力を仰ぐ所だが、現状十二神神殿は褐甲角軍に対して従順とは呼び難い態度を示している。」
「やはり、救世主の影響ですか。」
「うむ。であるから、なるべく穏便に青服の男とは接触したい。
 そして可能であれば彼らが保有する薬品類をすべて買い上げたいのだ。」

「了解しました。しかし何故私を御選びになりました。」
「私は現在、司令部近辺に集結した朋民に混ざる間諜への警戒で手が離せない。
 また戦闘小隊警戒小隊を戦況に関係しない相手に用いるわけにもいかない。」
「はい。」

「それにこの男はな、寇掠軍の狗番に捕まり酷く脅されたらしい。
 魔法の力で夜中に首を絞められるとかで、逃れるには神兵の威光が要るのだと。」
「それで私に。」

「この者の案内で、まあうまくやってくれ。」

 

     *****  

 輸送隊本部に戻って新しい任務を報告する。
 了承され、ついでと東側難民宿営地への物資輸送に回された。
 難民自身に取りに来させれば楽なのだが、私的に隊列を動かされては迷惑千万。
 どうしても面倒を見なくてはならない。

 30頭のイヌコマに食糧と若干の布を積んでカロアル小隊は出発する。
 カモゾーの案内で道を外れ、林の中を抜けて行く。


 いや青服の人は別に悪さをしたわけじゃないんですがね
 その連れの女というのがそりゃあイイ女で
 わたしはこれはもうどこかのカエル巫女かタコ巫女かと目をまんまると皿のようにしてみてたんですが
 いきなり邑兵が来たのにぱーっと魔法のように消えてしまって
 どこいったかなあと左右の道を眺め回しているとですね
 婆あがやってくるんですよ。

 年の頃なら60くらいですかも少し若いか、ともかく婆あは婆あに違いないんですが
 えーそれはもうわたしもこの歳まで色々と有りましたからといってもそんないい目ををしたわけじゃないんですが
 その婆あが違うんですね腰の辺りがこうきゅっというかぼんというかどう見ても若い女でして
 アレアレと思ってつけて行くとこうまるーく開けた原っぱに出まして
 その真ん中の木の洞から服を取り出してぱーっと変わるんです若い女に
 これが先ほどの青服の男と一緒に居た女でして、

 杣女ですよこれ。」
「お前、喋ると殺されるんじゃなかったか?」

 カモゾーは聞かれもしない事までべらべらと喋る。
 これまで魔法で脅されていた反動からか、息次ぐ暇も惜しんで話した。


 それが親切な人が居まして
 今度村に来られるカロアル様という御方は兵師監てものすごく高い身分の御方であるから
 お願いすれば狗の鬼が喰い殺すのも防いでくださると聞かされてそんじゃあと急いで出かけてみましたら
 集会所がとてつもなく混雑してましてめちゃくちゃ御忙しいとかで
 ともかくカロアル様だカロアル様にしか言っちゃいけないて、」

「あーわかったわかった。その親切な人というのはどんな奴だ。」

「えーと、旅の神官様に見えましたが
 汚れた灰色の服を着て頭が毛一本の無いつるっ禿で陽に焼けてちょっと怖い感じもするんですが
 占いをなさるとかでわたしが歩いているのを呼び止め下さって
 おいお前このままでは死ぬぞって
 一発で取り憑いている鬼を見破りなさったわけです。」

「あからさまに怪しい奴だな。」

 杣女が通ったという泥地はイヌコマが足を取られるので迂回すると、なにやら騒がしい。
 ここにも難民が入り込んで滞在しているようだ。

「この場所は、朋民がよく来る場所なのか?」
「いえ全然。普段は土地の者でもめったには入らない薄気味悪い薮だったんですけど、うわあこんな風になってら。」

 カモゾーが寇掠軍を見た野原にも、難民が多数入って何十張も粗末な天幕を張っていた。
 周囲の林に入って薪を拾い火も起こしている。
 林の中に円形に開けている土地であるから、泊まるには格好の場と見たのだろう。

 だがこの辺りでの宿営は当然難民移送団は許可していない。

 林の間から現われた兵に一瞬騒ぎは止み、ついでばたばたと片付ける騒ぎになる。
 彼らもこの場所が禁じられていると知る。
 正規のクワアット兵に見付かれば即追い出される覚悟をしていた。

 だが軌バイジャンの任務はそれではない。
 実の所、難民移送団でも街道東側への移動も已む無しと認め、規制を緩める通達を出している。
 難民といえども寇掠軍に襲われる可能性は低くない。
 しかし自己の責任で危険な場所に移ったとして、保護を半ば諦めた。

 カロアル小隊が運ぶ食糧も、管理から外れた集団に対し登録と引き換えに供給する決まりとなっている。

「責任者は居るか? この集団の代表者は出頭せよ。」

 成年の男子は先に家財等を運び、また難民移送団の指示に基づいての労役を行っている。
 女子供老人は遅れて別の隊列で移動する。
 男達の逃亡を防止する人質としての目的もあるが、弱者には十分手厚く対処する便宜もあった。

 この集団もやはり老人や子供連れの女性が多い。
 年寄り達が右往左往する中、一人の少女とも呼べる若い女が恐れ気もなく前に出る。

「わたしが、責任者です。」

 これが難民? 軌バイジャンは色には出さないが驚いた。

 黒く澄んだ瞳には下層民に特有の諦めたり荒んだ気配が無い。
 髪も赤く、着衣も決して豪華ではないが中流と呼べるちゃんとしたものだ。
 顔にはうっすらと化粧も施してある。
 普通に町で見掛けても思わず振り向いてしまう美貌は、こんな野原にはふさわしくない。

「もっと大人は居ないのか? あなたはこの集団において、いかなる立場の方か。」
「残念ながらそういう人達から見捨てられたのが、この隊です。
 足手まといとして弾き出された人達を、わたしがまとめてこちらに連れて来ました。
 ですからお役人の指示に背いて東側に入った罪はわたしにあります。」

 気丈に振る舞うが、彼女の肩が震えているのに気が付いた。
 処罰を怖れるというよりは、自分がやってしまった行為の責任を強く感じているらしい。
 野原に降り注ぐ夏の日差しが、額に一筋の汗を光らせる。

 軌バイジャンは彼女をあまり長く脅かしておくのに気がひけた。
 通達を開示する。

「難民移送団司令部は本来スプリタ街道東側への朋民の立ち入りと宿営を許していない。
 だが水や場所の都合でやむをえない場合、願い出れば決められた地域での宿営が可能となった。
 朋民登録票を確認する。君の名は?」

「 あ、    ……アシュトン由ミィヤルです。」
「嘉字を持っているのか!」

 嘉字は、名付け親に聖蟲を持つ者がなった場合にのみ与えられる。
 ギィール神族や黒甲枝は勿論だが、身分や格式の高い者は彼らを呼んで我が子の名付け親になってもらい、嘉字をもらうしきたりになっている。
 単に金が有るだけでは叶わない名誉だ。

「では君はただの難民ではないな。」
「は、はい。元は東金雷蜒王国の神聖宮の廷臣一族です。」

 珍しい話ではない。
 軌バイジャンの婚約者ヒッポドス弓レアルの家も三代前に亡命して来た。

 金雷蜒王国の宮廷人は聖蟲を戴かなくとも高い教養と優れた知識、財務や経営に関しての技能を持つ。
 褐甲角王国は積極的に受入れ相応の地位を与え、国力増進の役に立てている。
 政変によって立場を失い命の危険から逃れてくる者は後を断たない。

「そのような身分の者が何故こんな場所に居るのだ。一族の者とはぐれたのか?」
「そうではありません…。」

 彼女は出自を明かした事を恥じるかに、長い睫毛を伏せた。
 年齢は17歳くらいだろうか。
 王都カプタニアにあっても、これほど美しい人はめったに見ない。
 軌バイジャンが思い当たるのは、見合いの席で少しだけ顔を覗き見た弓レアルくらいだ。

「いかに周囲に人があっても、君のような人がこんな場所に居るのは危険だ。盗賊団に掠われるかもしれない。」
「ですが!」

 彼女は顔を上げて軌バイジャンを真っ直ぐに見詰める。
 交わす視線には、決意と共に或る種の贖罪に似た気配が。
 この感触に軌バイジャンは覚えがある。

 自分も邑兵を任され小隊を指揮し難民を指導する立場になって、初めて気付いたものだ。
 少女は言う。

「わたしも同じ金雷蜒王国から逃げて来た者ですが、この人達とは違って生活に困窮した事はありません。
 それが当たり前だと思っていました。」
「見て、しまったんですね。」
「はい。沢山の人が集められ、南に下って行く姿に驚いて尋ねたのです。
 あの人達はいかなる罪を犯したのか、と。

 でもそれは、わたしと同じ人でした。」
「それで難民を追ってベイスラまで来た。」
「なにかわたしにも出来る事は無いかと考えて、いえ決して褐甲角王国を責めるつもりは無いのです。
 わたしには、難民を王都近くに置いておけない理由もちゃんと分かりますから。
 でも何かしたい、できるはずだと、家族の手を振り払ってここまで来てしまったのです。」

 真摯な瞳に軌バイジャンはいたく感動し、また難民移送事業がいかに人の心を傷つけているか知った。
 もっと早くに対策を行うべきだった、と改めて王国の怠慢に憤りが沸き起こる。

「分かりました。ではあなたをこの集団の代表と認めましょう。
 なにか困っている事はありませんか、若干だが食糧の供給が可能です。」
「ああ! 有難うございます。」

 少女は後ろで心配そうに見守って居た老人達を呼び、具体的な要求をさせた。
 どうやら彼女では日々の生活の細かい所に気が回らないようだ。

 軌バイジャンは邑兵に命じて穀物の袋を10個下ろさせた。
 100人に対しては2日口を糊する量でしかないが、この先にも難民が居るはずだ。
 それに、あまり多過ぎる物資は却って騒動の種になる。

 年配の女性が邑兵をつかまえて訴える。

「あの、鍋や鼎がありませんので煮炊きが出来ないのです。どうにか運んでもらえませんか。」

 十二神方台系では食事の支度に金属器を用いない。
 隊商や軍隊であっても大きな土鍋を担いでいき、専用の人夫が二人は必要だ。
 急に追い出された彼らが持って来れなかったのも無理はない。

「手桶はあるか?あるいはただの瓶でもいい。
 中に広い葉を敷いて水を張り、焼け石を落とせばいいんだ。」

 土鍋が破損するのは良くある話で、軍でも普通に対策を教えている。
 手桶も無ければ石の窪みや木の切り株を抉って水を溜め、焼け石を放り込んで煮炊きする。

「ほら、ゲルタもあるぞ。」

 邑兵が配る干し魚の束に、皆手を伸ばし奪い合う。
 彼ら難民が常に食しているのは出し殻のゲルタであり、今配る塩付きゲルタは結構な御馳走とされている。

 

      ***** 

 すっかり蚊屋の外に置かれたカモゾーが手持ち無沙汰にしている。
 その姿に、軌バイジャンは自分の使命を思い出した。

 少女アシュトン由ミィヤルを再び呼び出して尋問する。

「君の隊の中に、青服の男を見掛けた者は居ないか? 我々は彼を捜しに来たのだ。」
「青服、というと青晶蜥神救世主様のお使いの、あの方ですか?」
「知っているのか!?」
「わたしは見たことがありませんが、えーと、シュセマインさん!」

 乳飲み子を抱えた若い母親が呼ばれてやってくる。この女性も相当にやつれている。

「あなたは青服の人に薬をもらったと言いましたね。」
「はい。ヌポルノ村に入る前にいきなり道の真ん中に現われて、産後の肥立ちを助ける御薬というのをもらいました。」

 軌バイジャンはこうも簡単に目撃者が出る事に少し驚いたが、話を続けさせる。

「で、その人はあなた達に逃げろと行ったのですか。」
「いえ、その時はそのまま御元気でと、お別れしましたが。」

「逃げろ、というのは寇掠軍が来るという事ですよね。
 わたしも噂は聞いています。あの御方を逮捕なさるおつもりですか?」

 いきなり厳しい口調で由ミィヤルが問い質す。
 逮捕、という言葉に周囲の難民も敏感に反応した。

 軌バイジャンは予想以上に青服の男が難民達に支持されると知る。

「いやそうではない。
 だが王国の許可も無しに勝手に噂を広めて回るのは許されない事だ。」
「あの御方は青晶蜥神救世主のお使いです。
 ガモウヤヨイチャン様がわたし達の為に御遣わしになったのです。」
「それを確かめる為にも、会わねばならないのだ。

 それに彼らが持つ薬を購入し、朋民に無料で供給する事も移送団司令部は考えている。」
「では罪には問われないのですね?」
「それは会ってみないと分からない。もし噂通りに寇掠軍の先触れをやっているのだとしたら、    ……?」

 林に囲まれた野原の東隅でいきなり悲鳴が上がる。
 さらに男の野太い怒声が聞こえて来る。

 由ミィヤルは軌バイジャンに振り返る。決意を秘めた眼差しだ。

「これは隣の難民の隊です。
 野原はわたし達が先に取ったのに、後から来たあの人達が奪おうと追い立てるのです。」

 ぺこっと礼をして後ろを振り向くと、伸びる草の中を駆けていく。
 軌バイジャンも彼女を追った。

 だがカモゾーは、二人の後ろ姿に首をひねる。

「あの娘はー、へんだな。こう尻の辺りがもっときゅっと、うーん子供の尻じゃないよな、
 ありゃどうみても男を知ってる。でもどこかで見たような。」

 

 押し掛けて来たのはやはり本来の宿営地を追い出された集団だった。
 難民の間にも出身バンドごとの階級はあり、互いに交わらずに小集団を作っている。
 野原に来たのはそのどれからも追い出された「病人・障害者」だ。
 本来金雷蜒王国のバンド制度は弱者を保護する機能を持つが、窮地に至っては足手まといを放逐する「合理的な手段」を使うわけだ。

 身体障害者といえども人によって症状は様々で、肉体的に弱い者ばかりではない。
 成年男性であれば、老人や乳飲み子を抱えた女性で構成される由ミィヤルの集団に横車を押すくらい出来る。

「知っているぞおまえ達のところにだけ兵隊が来て食糧をもらっているな。オレ達にも寄越せ。」
「そんなにたくさんあるわけじゃない。わたしたちだけでも足りないよお。」
「ええい、とにかく物を見せろ!」

「お待ちなさい!」

 声を荒げているのは隻腕隻眼の初老の男だ。
 右腕が肩から無く右目も火傷痕で潰れているが、筋骨は発達し蟹のように横に膨らむ。
 手下3人はいずれも指が無かったり刀傷で片目だったりで、いかにもならず者。
 障害は有るものの、暴れたり荷を運ぶ程度なら不都合は無い。

 筋金入りの悪党の前に、由ミィヤルは飛び出した。
 胸ぐらを掴まれて怯えていた老婆を解き放つと、敢然と食ってかかる。

「なにが食糧です。あなた方の方が多くを持っているでしょう。
 こちらは移動するだけでも大変だったのに、そちらは荷車まで持って。」
「病人を引き取ったのはオレ達だ、代金をもらっただけだ。
 それとも、デキモノで脹れ上がる病人をこっちにくれてやろうか。」

「口論はやめよ!名を名乗れ、朋民の登録票をもっているか?」

 軌バイジャンが由ミィヤルの肩をつかんで引き戻し、男の前に立つ。
 さすがにクワアット兵には強面も保てず、男達は卑屈に腰を屈める。

「お前達は病人や不具の者ばかりが集まっているそうだな。何故東側に勝手に抜け出た。」
「へ、へへすいやせん。
 長く野っ原に暮らしていると身体も弱くなって、流行病いの者を隊列に抱えてたら感染っちまうんですよ。
 迷惑は元気な内に余所にやってしまおうって、バンドの御大人がオレらにお命じになったってことで。」

「王国は御前達にもちゃんと保護を与える。後でそちらの宿営地に連れて行け。」

 男達が出て来た薮の後ろがまだ騒がしい。
 多勢で荷物を奪いに来たのか尋ねてみると、彼らは4人でしかないと言う。元気に歩き回れる者はそんなに居ないと。

「アシュトン(由ミィヤル)さん、林の中にまだ人が居るのですか?」
「いえ、林の中は目の光る梟が居ておそろしいと、」

 野原の外縁に不用意に近付く幼児をどけようと由ミィヤルが近付いた時、茂みの後ろから黒い影が走り出る。
 とっさに幼児を庇おうと背を丸めて覆いかぶさる彼女に、それは抱きつき、担ぎ上げた。

「きゃああああ!」
「なんだお前は!」

 背の高い禿頭の男が、軌バイジャンに振り向く。

 赤銅色の顔は頬がこけ額には血管が浮き出る。
 少女を抱える腕は枯れ木に似てごつごつと筋肉が瘤となっていた。
 怪しい流紋を描く薄墨色の衣は、難民でも寇掠軍の兵でもない。
 噂に聞く人食い教徒を思わせた。

 口を耳まで裂いて笑うように歯を剥き出す。

「ぐはあ、クワアット兵か。」

 そのままに背後の薮に飛ぶ。人間一人を抱えているとは思えない軽い跳躍だ。
 兵が刀を抜く合間に、林の中に駆けて消えて行った。

 

      ***** 

「アレは! お前達の仲間か?!」
「し、知らねえ、あんな化け物ウチには居ねえ。」

「小隊集合ー!!」

 軌バイジャンの号令でカロアル小隊の全員が飛んで来る。
 難民達を掻き分け、伸びる草を踏み越えて横一列に並ぶ。
 凌士カドゥヲンは弓と矢筒を隊長に差し出した。

「これより私とカドゥヲン、キル・ミルはこの集団の代表者を掠った怪人を追う。

 ショウハン、お前に後を任す。
 日暮れまでに我らの帰りが無い場合はイヌコマ2頭に緊急の札を付けて道に放ち、そのままこの地で応援の到着を待て。
 手に負えない事態になれば躊躇無く撤退しろ。」
「はい!」

 邑兵の中で最も年長なショウハンに隊とイヌコマを托し、3人は怪人が消えた林の中に走っていく。
 連れて行くキル・ミルは一番はしっこく気が利く男だ。
 一応短戈と呼ばれる1メートルほどの武器を携えるが、やはり戦闘はおぼつかない。

「隊長、わたしは何をすれば、」
「お前は戦わなくて良い。我らの後方を警戒し、囲まれていないか見張ってくれ。」
「わかりました。」

 カドゥヲンが先頭となって敵の痕跡を捜しながら行く。
 怪人は少女を抱えているから、いかに軽やかに走るとはいえちゃんと足跡を残している。
 猟人の持つ狩りの秘訣を、クワアット兵も基本として教わる。

「隊長。ここで仲間と合流しています。数は多い、7人は居ます。」
「何者だ。」
「恐らくは脱走した難民の盗賊団かと。靴痕は軍用ではありませんが、得物の柄を突いた跡があります。」

「カドゥヲン、遠慮は要らん。アシュトン殿に当てないように、射殺して良い。」
「心得ました。」

 クワアット兵は弓術と長槍の操法をみっちりと仕込まれる。
 どちらも農作業の片手間の邑兵では習得出来ない高度な技術で、素人が武器を持っただけの盗賊団とは戦闘力の桁が違う。

 与えられる刀も刃渡り60センチと長く幅が厚く、良質で強靱な鋼を用いて甲冑にも食い込む強力なものだ。
 安物の刃なら当たっただけでへし折ってしまう。

 十二神方台系の戦史において、最も組織的に訓練され統率が取れていると評されるのがクワアット兵だ。
 金雷蜒王国においても従来の兵制を改めて、同等の訓練教程を有する重装歩兵隊を作ったほどに優秀だ。

 望み得る最良の兵としてギィール神族が詩にも詠う。

 

 果たして彼らはまもなく怪人の一行に追いついた。
 むしろ怪人のみであれば逃げ切れただろう。
 訓練のろくにされていない盗賊と同行した為に速度が鈍り、追手を巻く偽装もできなかった。

「そこの者、とまれーい!」

 返事の代りに矢が飛んできた。
 なんとか距離は届いたものの狙いはでたらめ、全く脅威にはならない。
 一方カドゥヲンが射た矢はまっすぐに盗賊の射手の胸板を貫いた。
 弓の性能も違うのだから当然の結果だ。

「もう一度言う。女を下ろし武器を捨てその場に停まれ。命だけは助けてやる。」

 遠目で混乱するさまが良く見える。
 盗賊団は逃げようとする者が左右で騒ぎ、隊長らしき男に叱咤されている。

 怪人は未だ由ミィヤルを右肩に担いだままこちらをじっと見る。

 長柄のしゃもじに似た投石器を持つ男を、さらに射殺す。
 ついで軌バイジャンも矢を射た。
 怪人の足元を射てその場に留めようとしたのだが、生憎と外れる。

 だが意図は伝わった。怪人は歯を剥いてこちらを睨む。
 女を抱えては逃げられないと悟ったか、由ミィヤルを地に下ろす。

「キル・ミル、どうだ?」
「はい、敵は他に居ないように思われます。」

 金雷蜒軍もこの戦争では様々な手を用いて来る。
 警戒小隊が少数の敵を追っていく内に誘い込まれ、寇掠軍の罠に墜ちた噂は幾つも伝わっている。

 いかにクワアット兵が強くとも包囲されては苦戦は必至。
 軌バイジャンも慎重だ。
 伏兵が隠れていないか注意深く確かめて、歩を前に進める。

 もう一人、盗賊団の隊長を射殺すと、もう抑えは効かなかった。
 蜘蛛の子を散らして盗賊達は林の方々へ逃げ散る。
 怪人だけが残った。

 彼は右腕の力だけで気絶する由ミィヤルを差し上げる。
 盾としてクワアット兵の攻撃を防いだ。

「もう逃げられないぞ。こちらに渡せ。」
「ぎ、ぎいりぎり。」

 怪人は歯軋りするに似た、いやな擦過音を発する。

 軌バイジャンは弓矢をキル・ミルに渡し、刀を抜いて歩み出る。幅広の刀身が木漏れ日に鈍く光った。

 カドゥヲンが狙ったままなので由ミィヤルを下ろせない。
 怪人は左の半身のみを軌バイジャンに向ける。
 薪の節くれに似た腕が怪しく揺らめき、素手とはいえ凄まじい殺気を放っていた。

 対する軌バイジャンもゆっくりと足元を確かめながら、間合いを詰めて行く。
 素手の格闘者が戦場において主力となった例は古今無いが、暗殺においては現役だ。
 警護も任務の内であるから、兵学校でも教官から徒手格闘を叩き込まれる。
 嫌というほど痛い目に遭わされ、熟達した格闘者がいかに危険か知っている。

 だが怯んではならない。
 呼吸を整え冷静に相手の意図を知り、的確に反撃をしのいで行けば、装備の良い方が確実に勝つ。
 絶対的な勝利の確信と共に歩めば、相手を動揺させ隙を作らせる。

 遂に斬り合いの間合いに踏み込んだ二人は、互いの眼を覗き込む。
 軌バイジャンは怪人に、狂気とは逆の恐ろしく自制の効いた禁欲の意志を見た。

 怪人の腕から放された由ミィヤルが、ふらっとその場に立つ。
 自力ではなく、技によって無理やり立たされたのだ。
 夢遊病の人が夜に誘われるように、眼を閉じたまま風になびいて揺れている。

 カドゥヲンの弓は彼女が邪魔で怪人を射れない。
 軌バイジャンは思い切って踏み込み斬り払った。

 がいん、と刀が拳に叩かれる。
 武器を弾き飛ばさんと刀の横腹を殴ったのだ。
 狂人でもなければこんな真似はとても出来ない。

 更に二撃、振る刀を拳が受ける。
 ついでと言わんばかりに、兜の下の顔面に拳が飛ぶ。危うくかわす。
 腕胸頭、どこを斬られても惜しくないと無防備のまま攻め来る拳技。
 軌バイジャンは恐怖を覚えるも、心を乱さぬ努力をする。

「これは並みの人間ではない。微塵も死を怖れていないな」

 兵ではない剣匠でもない、交易警備隊にもあり得ない。
 こんな武術の達人が一体どこから沸いて出た。

 左腕の小楯に拳の直撃を受けて、軌バイジャンは体を揺らめかせる。
 一撃がとても重く、甲冑を装備していなければ腕を折られ肋骨を砕かれて殺されるはずだ。

 だが格闘はそこまで。
 カドゥヲンとキル・ミルが隊長を追って近づき、死角から矢を射た。

 怪人は振り返る事なく身を躱し、立ち木に刺さる矢を手刀でへし折る。
 無理に叩いたのではなく、手がすり抜けて行くついでに矢を切った、と見える鋭さだ。
 薄墨色の衣を翻し、二三歩大きく飛び下がる。

 飛んだ足の下には、先ほど射られた盗賊団の隊長が在る。
 瀕死の状態であるが、意識はまだある。

「……た、たすけ、た、」
「役に立たん奴!」

 怪人は腰に吊るす石刃の穿刀を抜いて、横たわる隊長の鳩尾を抉った。
 そのままぐいっと首の下まで胸を割り、左手を肉に突き入れて心臓を抜き取る。
 飛び散る鮮血にクワアット兵は度肝を抜かれて動けない。

 怪人は心臓を齧り顎を真っ赤に濡らし、笑う顔面の引き攣りを見せる。
 軌バイジャンに心臓を投げつけた。

「カロアル軌バイジャン。そして兵師監カロアル羅ウシィよ。聞くが良い。」
「!」

 我が名、我が父の名がいきなり出たので、軌バイジャンは驚くよりも戸惑った。
 もしやこの者と自分は過去に会った事があるのか。

「カロアルの一族よ、御前達に最悪の名誉を与えよう。
 うぬが足元にひしめく難民を皆殺しにする。
 黒甲枝の誉れを永劫まで地に塗れさせてやる。
 悔いるがよい、神聖なるゲイルの贄を奪った罪はかくも重いのだと。」

 気を取り直しカドゥヲンに命じて再度射らせるが、怪人は木々の間を抜けたちまち姿をくらました。
 追おうにも、足跡一つ残さない。

「隊長!」

 キル・ミルが由ミィヤルを保護し抱き留めている。
 立っては居ても気絶したままで、なかなか意識が戻らない。

「済まないが、おぶってやってくれ。」
「はい。」

 カドゥヲンと軌バイジャンは残された死体を確かめるが、有益な情報は何一つ得られなかった
 武器の幾つかを破壊して、死体はそのまま打ち捨てる。
 回収して弔うのが原則だが、致し方ない。急ぐ。

 野原に残した小隊がイヌコマを放って応援を求めるのを止めねばならなかった。

 

      ***** 

 気を失ったままの由ミィヤルを運んで元の野原に戻ると、すっかり陽が傾いていた。
 円形の草原が天の赤と林の黒とにくっきりと色分けされている。
 その中央に一本立つ古木の前に難民達は集まっていた。

 一人夕陽を正面から浴びる丈の高い男の前に跪く。語る言葉に耳を傾ける。

 隊長が戻って来たと駆け寄る邑兵に、軌バイジャンは尋ねた。

「あれは、誰だ?」
「いつの間にか、誰も知らない内に居たんです。青服の男です!」

 朱に染まって青いはずの衣の色が良く分からない。
 背が高く体格も良く顔形も美しく精悍な印象を与え、まるでカタツムリ神殿の俳優のようだ。
 方台では見ない袖が広く四角い服を着て、やはり四角に見える布帽子を被っている。

 少し戯画的な扮装だが滑稽さよりもかっこよさが先に立ち、人気が出るのもうなずけた。

 由ミィヤルが帰った事を知り、難民は急いで立ち上がる。
 キル・ミルの背から彼女を受け取ると天幕に連れて行った。

 軌バイジャンはその間じっと青服の男を見詰めていた。
 男も視線を投げ返す。
 対峙する二人の緊張に、声を掛けるのもためらわれた。

「小剣令カロアル軌バイジャン様でいらっしゃいますね。」

 先に口を開いたのは青服の男だった。
 軌バイジャンは邑兵や難民が耳をそばだてるのを承知して、慎重に答える。

「我が名を知るとは、やはり父兵師監の威徳か。」
「もちろん左様でございますが、ここ数日の寇掠軍の注目は貴方様でございます。」
「ほお。一介の剣令にそれほど執着するとは、何故だ。」

「貴方様はお気づきになりませんか?
 世が流れ移ろい変わり行く、今が潮目にございます。
 渦の中心に立たれているのが、カロアル軌バイジャン様。」
「戯れ言はいい。」

 軌バイジャンは刀を抜き下に構える。
 難民の多くが驚き悲鳴を上げた。

 青服の男は涼しい表情のまま、笑みさえ浮かべる。

「剣では私は屈伏させられませんぞ。」
「分かっている。だが答えに命を賭けてもらう。
 お前は本当に青晶蜥(チューラウ)神救世主の御使いか。」
「是でもあり否でもあります。
 我らが主の利益に、ガモウヤヨイチャン様の為される御業がことごとく適う、とご理解ください。」

「お前の主は何者か? 東金雷蜒王国の神聖王か。」
「さあてそれは、私にもよく判りません。
 先祖代々お仕えしても、御姿さえも拝見した事がございませんゆえ。
 ただ命のみ届き従うだけでございます。」

「青晶蜥神救世主が主の利益に適うと言う。なにがどう関るのだ。」
「さあ〜て皆の衆!」

 ぼんぼんと太鼓の音がする。
 彼の後ろには従う女が居て、鳴り物を提げている。

 カモゾーが軌バイジャンの傍に寄り、そっと囁く。

「あれが杣女でございます。魔法を使いますんで御用心してください。」

 青服の男は眼を逸らし、息を呑んで見守る難民達に問いかける。

「さあ〜てさてさて皆の衆。みんなが望む新しき世、ガモウヤヨイチャンさまの王国とは、いかなるものであるべきや。」

「暮らしたい!」
「ひとつところに暮らしたい!」
「誰からも蔑まれずに暮らしたい!」
「賢き人に導かれ、餓えぬように凍えぬように、子供も元気に暮らしたい!」

 邑兵の制止を振り切り口々に叫ぶ難民に、軌バイジャンは心の中でたじろいだ。
 これではまるで褐甲角王国こそが彼らの敵ではないか。

 青服の男は皆の意見を吸い上げるように掌をひらひらと上に振り、また下に押さえて黙らせる。

「おやおやそれではカロアル様がお困りだ。
 勇猛信義で知られる黒甲枝、額に輝くカブトムシをいずれ戴かれる御方だ。
 困らせてはなるまいぞ。」

「ふざけたことを、お前達青服の男は寇掠軍の手先となり、兵を中に引き入れているではないか。」
「さてそれだ!」

 ぱん、と大きな音がして、男の手には半円に広がる扇が有る。
 描かれている絵は、青い頭に輝く金の角、丸い瞳がまっすぐに見る。
 これぞまさしく、ピルマルレレコの人頭紋。

「ガモウヤヨイチャンさまは御憂慮になられる。人は何を求めて生きるべきか。
 安泰か健康か富貴であるか。
 いやいや違うそうではない。そんなものならいと易き。

 生々流転の世の中ぞ、変らぬものなどあるものか。
 朝に黄金に輝く人が、夕には泥に屍をさらす。
 色に迷いて暗中模索、つかむは剣か毒虫か。
 明日の事も分からぬに、ガモウヤヨイチャンさまは千年先をも御覧じになる。」

 左手にかざす扇を翻すと、長い黒髪の少女の顔がある。
 これこそまさに青晶蜥神救世主の写し絵だ。
 難民達が顔をはっと上げるに、ぱんと扇を閉じ、まっすぐ軌バイジャンに突き出した。
 口調を改めおごそかに言う。

「ガモウヤヨイチャン様は褐甲角(クワアット)神の使徒には強きを望まれる。
 民を庇い世を護る、何者にも代え難き勇気の翅をお求めになる。」
「なにを当たり前な、」

「ただ勝てば良いものではない。
 人の目民の目歴史の目、
 観る者無くては勝利も虚し、万人が望む中での勲が必要だ。
 来る千年、黒甲枝はその誉をこそ纏うべき。」

 軌バイジャンは頬が怒りに赤く火照るのを感じる。

 この者が述べるのは、人死を山と積んだ上に功名を競えと神兵をけしかけるのと同じだ。
 民の安寧こそ褐甲角王国の使命であり、青晶蜥神救世主もその志を共有するはず。
 いや、それが無い者を救世主などとは認めぬ。断固として。

「流血を弄ぶお前達が救世主の使いであるはずが無い。そうであっても俺が許さん。」
「そういう御方だからこそ、我らは貴方に注目する。
 否やと申されるなら如何にと問わん。

 さてカロアル様は?」

 ぐっと手にした刀に力を込める。
 夕闇迫る紅の下、囲む誰もが胸苦しい緊張に息を呑む。

 だが軌バイジャンは、
刀を戻し鞘に収め、背を伸ばして改めて青服の男に問う。

「来るのか、ここに。ヌポルノ村に。」
「参ります。」
「難民も埒外ではないな。」
「ギィール神族の殿様方におかれましては、難民達にも自らを救う気概を持たせるべしと、敢えて鞭を振るわれます。」

「お前達は戦の後にも現われて傷付いた者を救うのだな。
 いいだろう、この場は去れ。勝った後にまた会おう。」

 でんでん、と太鼓が鳴り金輪がしゃりんと明るい音を響かせる。

 青服の男は幅の広い袖を翼のように拡げながら御辞儀をし、ばらばらとちいさな包みを幾つも撒いた。
 輪になって取り巻いていた難民達は我先にと拾う。
 中身は僅かばかりではあるが、普段は買えない高価な薬だ。
 主に毒消し胃腸の薬風邪薬で、野外に天幕を張って暮らしている彼らには金よりも貴重な品だ。

 でんでんででんしゃりんりん。
 音が遠く霞んで行くのに我を取り戻し、カドゥヲンが軌バイジャンの傍に寄る。

「よいのですか、捕まえて本部に連行しなくても。」
「あれは捕えられん。それに、それどころではない。」
「はい、寇掠軍が確かに来ると聞きました。」

 青服の男が去った北の先には、遠くカプタニアの聖なる宿り木がある。
 西に黒く聳えるのはベイスラの大山だ。

 軌バイジャンは兜を脱いで髪をそよぐ風に掻き上げた。
 暮れる大気には既に秋の気配が漂っている。夏ももうすぐ終る。

 

      ***** 

 難民移送団司令部は軌バイジャンの報告に、騒然となる。

 寇掠軍のヌポルノ村への襲撃は極めて確度が高いと分析され、対応に追われた。
 しかし純軍事的には大勢に影響の無い場所、集団への攻撃である。
 陽動の可能性も示唆され、ベイスラ・エイベント両兵団の防衛司令部は慎重な対応に留まった。
 念の為、ベイスラ穿攻隊の一部が移動を命じられたのみだ。

 兵師監カロアル羅ウシィには、この攻撃の政治的意味が理解できる。戦慄を覚えた。
 何重にも兵の壁で護られる難民が、にも関らず大量の死者を出せば、王国の威信は地に墜ちる。
 影響は常民にも及び、支配体制に抜きがたい不信を抱かせるだろう。

 褐甲角王国を土台から腐朽させる攻撃は、一身に換えてでも防がねばならない。
 自ら即応体制を取ると共に、麾下の神兵3名をヌポルノ村へ集合させた。

 一方カロアル輸送小隊は、相変わらず東側の難民宿営地を巡る。

 軌バイジャンは自分が狙われていると知りつつも、他の隊と交代するのを拒んだ。
 勇に逸ったわけではない。
 十分警戒している自分の隊の方が退け時の判断を下し易く、生存の可能性が高いと踏む。

 軌バイジャンはこれでもゲイルの顎を頭上に眺めた希有の存在だ。
 あの時死んでいたと思えば、肝も座る。

 小隊はふたたび円形に広がる野原に入った。
 アシュトン由ミィヤルの隊列は彼の勧めにより安全な場所に移動した。
 今居るのはその後に入り込んだ者達で、数も10数名しか居ない。

 カロアル小隊は避難を勧告し物資を少量渡す。
 やはり追いやられた弱い立場の者で、地に身体を投げ出して礼をする卑屈さに兵達も哀れを催した。

 

「隊長! あそこに!?」

 邑兵のキル・ミルが目ざとく彼を発見した。

 林の間に立つ影は、真昼の幽鬼。まぎれもなく先日遭遇した禿頭の怪人だ。
 今回衣が少し変り、スガッタ僧の僧衣に見える。
 やはり武器を携えず、真っ直ぐこちらを見詰めている。

 凌士カドゥヲンが軌バイジャンに警告する。

「これは囮です、迂闊に手を出してはなりません。」
「分かっている。だが敢えて罠に踏み込まねば、別の場所で不意打ちを食らう。
 イヌコマに緊急の札を掲げさせろ、放つぞ。」
「はい、準備します。」

 弓に矢を番え、邑兵も各々武器を構えて、慎重に怪人との間合いを測りながらカロアル小隊は進む。
 イヌコマの背の荷はその場に落とし、難民に拾わせるままにする。

 怪人はかろうじて矢の届く距離を保ちながら後退し、林の奥に紛れて行く。
 表情は無い。先日の獰猛さが嘘に思える静かな、死人の面だ。
 おそらくはこちらが彼の本来の姿なのだろう。

 猛る獣は討つのはむしろ容易い。
 決して動揺せず欲望に走らず、執念深く丹念に合理的な動きを続ける者こそ真に恐るべき敵だ。

 軌バイジャンは小隊の先頭に立ち、兵を率いて林に踏み込む。
 冷静に、慎重に、細心に。
 自分の役割はをしっかりと認識している。

 敵の攻勢を察知し、いち早く襲撃情報を司令部に届ける。

 戦ってはならない、邑兵を傷つけてもならない。
 よりよく敵と遭遇し、速やかに安全に逃げるのが彼に課せられた任務だ。

 

 林の奥に見え隠れする怪人の顔は、心なしか喜びに満ちている。

  

第九章  ここが峠。

 

 創始暦五〇〇六年夏旬月廿五日。
 いつもより暑く激しい夏が終ろうとするこの日、ベイスラは今次大戦始まって以来の大規模襲撃を受ける。

 十九日には北のヌケミンドルにおいて史上最大と呼べる攻撃が敢行された。
 あろう事か武徳王の本陣にまでゲイル騎兵が肉薄する事態まで出来する。
 金雷蜒軍の意気込みはまさに千年紀を締めくくるにふさわしく、巨蟲の骸で山を築くのも厭いはしない。
 相対する神兵もクワアット兵も覚悟を決め、死地を此の場と定めずにはおかぬ。

 ベイスラでも数日前から、国境周辺に多数の寇掠軍の接近を確認した。

 スプリタ街道東側の国境線には、毒地からの風を遮る細長い林と畑とが交互に列を為している。
 これはゲイル騎兵を防ぐ為の防衛施設でもあった。
 ゲイルが歩きにくい木々が密接した林と、大きく開けて見晴らしの利く畑。
 適切に監視すれば、寇掠軍の進入を容易に監視できる。

 だが最近は林の中に多数難民が紛れ込み独自に武装し、褐甲角王国の管理に抵抗する。
 寇掠軍と呼応して領内深くに侵入する手引きを行い、掠奪した財物の輸送を引き受ける始末だ。

 

 難民移送団に従うカロアル輸送小隊は、特命を受けて街道東側の難民宿営地を回る。

 移送中の難民の数があまりに多いため地元住民と衝突を起こし、やむなく立ち入りを禁じられる東側に入り込む。
 彼らにも王国の庇護を与え食料の供給を行うのがカロアル小隊の任務だが、さらにもう一つ。
 浸透する寇掠軍をいち早く発見する警戒任務があった。

 先日遭遇した異様な怪人は、明らかにカロアル軌バイジャンに注目する。
 父兵師監カロアル羅ウシィが守る難民を直接に攻撃し虐殺すると、予告して逃げた。

 無辜の難民を護りきれぬとなれば、褐甲角王国の民衆擁護者としての威信が地に堕ちる。
 来る青晶蜥神時代において、王国存立の根幹が揺らいでしまう。
 極めて政治色の強い謀略として、軌バイジャンの報告は確度の高いものと推測された。

 

 早次刻(午前10時)過ぎ、カロアル小隊は先日遭遇した謎の怪人を再び発見し、林の中に追っている。

「隊長、奴はどこまで逃げるんでしょう?」
「逃げるんじゃない、誘っているんだ。気を抜くなよ、いきなり敵の囲みの真ん中におびき出されるぞ。」
「ひい。」

 カロアル軌バイジャン小剣令は指揮下にある邑兵を2つに分けた。1班を途中の草原にイヌコマ24頭と共に残す。
 運動能力と判断力の高い者のみを選び、自分と凌士カドゥヲンと合わせて計7名、
連絡用にイヌコマ5頭を連れて強行偵察に及んでいる。

 彼らが追う怪人は一見するとスガッタ僧にも見える禿頭の男。
 林の中をカロアル小隊が遅れぬよう距離を保ちながら東へ、国境線の方へと進む。
 木漏れ日の明暗に衣を塗り分けて、跳ねながら走っていく。

 弓で射れない距離ではないが、侵攻してくる寇掠軍本隊にまで案内してもらわねば警報を出せない。
 ヌポルノ村に待機する兵は5百名。広い防風林地帯にわずかの人数を投入するのだ。
 確かな位置情報こそ防衛成功の絶対条件となる。

「先発のイヌコマはもうヌポルノ村に到着したか?」
「おそらくは。」

 凌士カドゥヲンは軌バイジャンの下に付く唯一のクワアット兵だ。
 二人が持つ長弓のみが実質有効な武器であり、寇掠軍と戦うなどは最初から考えていない。
 あくまで偵察に徹し敵の正確な位置を確認通報し、安全に撤退するのが彼らの任務である。

 イヌコマは賢い生き物だ。
 危険に遭うと自分で勝手に走って最寄りの宿場や駅、軍の駐屯地に居る仲間の中に駆け込んで行く。
 この習性を利用して、急を要する救援要請や警戒情報はイヌコマ単独で送られる。
 特に見通しの効かない林の中ではこの方法に依存する。第一速い。

 元々森林地帯にも住むイヌコマは、小さな身体を巧みに使いどんな複雑な茂みも軽く抜けて行く。
 一度通った道はしっかり覚えて間違えず、人が道案内をさせるほどだ。

 軌バイジャンがイヌコマを伴うのも、両方の特性を用いる為。
 敵を発見したら直ちに詳細を待機する班に送り、残して来た24頭のイヌコマによって周辺全域の部隊に迅速に届けさせる。
 偵察班自体は1頭を道案内に残して、林を迷わずに撤退する計画になっている。

 

 怪人を追って早1時間。

 畑に出た。
 怪人は雑草が生い茂り穀物と区別がつかなくなった畑を無防備に走る。
 この辺りはヌポルノ村の端村と呼ばれ、数家族ずつが農期の間だけ住み耕す。
 今年は戦争でまったく農作業が出来ず荒れているが、本来であればトナクがもうそろそろ固い実を着ける頃だ。

「隊長、まだですか?!」
「このあたりでイヌコマを放ってはどうです。」
「まだだ。まだ敵の本隊を確認出来ない。」

 逃げ腰になる邑兵達を叱咤し、軌バイジャンはなおも追う。
 畑の向うの林は国境から3番目の列で、もはや最前線と呼んでよい。
 ヌポルノ村から南に2キロほど下った位置になるか。
 国境線は北に砦が、南にエイベントの支城が設けられ、中間点のこの辺りがちょうど手薄となる。
 監視隊が常駐しているはずだが、

「おかしい。人が居ない。」

 凌士カドゥヲンも同じ感想を述べた。
 いかに端村から村民を避難させたとはいえ、これほど人気が無いのは不自然過ぎる。
 邑兵の監視が1人くらい見えて当たり前だ。
 この畑は寇掠軍の監視の為、横長に拓いて見晴らしを良くしているのだから。

「既に始末されたのかもしれない。イヌコマを1頭、念の為に放っておこう。」
「はい。」

 現状を葉片に記して緊急の赤い板札に挟み、たてがみの前に掲げて尻を叩く。
 イヌコマも長く続いた緊張からすっかり苛ついており、すっ飛んで後ろの林に消える。
 寄り道をするのはイヌコマに限って考えにくい。
 本来臆病な動物で一刻も早く仲間と合流したいのだ。

 いかにも伏兵が潜んでいそうな溜め池の周辺を慎重に確かめ、三の林に入る。
 怪人が遠く振り返るのも構わずに。
 灰色の衣の裾をなびかせ、派手な身振りで奴は走る。
 軌バイジャンを案内するのが自分の役目と言わんばかりだ。

 邑兵でも気の利くキル・ミルが隊長に言う。

「隊長。この辺りまで来ると、もう道案内に奴は要らないんじゃありませんかね?」
「む、確かに東に真っ直ぐ走り始めたな。カドゥヲン!」
「なるほど、これ以上は逆にこちらの位置を敵本隊に知らせるだけかもしれません。」
「良し。奴を射るぞ。」

 偵察班は再び歩みを緩め、怪人が立ち止まり誘うのを待つ。
 軌バイジャン達は慎重に薮を確かめるフリをして、カドゥヲンの姿を隠す。

 果たして怪人は、60メートルまで偵察班に距離を詰めさせてしまった。
 通常の射手ならばなかなか当たらない距離だが、クワアット兵は十分必中を狙える。
 軌バイジャンが指図して「南の方になにかある」と邑兵に騒がせ、怪人の気を逸らせた。

 ふ、と顔を向けてしまったのが命取りだ。
 カドゥヲンが邑兵の壁の後ろから必殺の矢を放つ。
 怪人が気付いた時は遅かった。
 避ける仕草をしたようだが、右腕に当たる。

「!!!……。」

 ぱあんと弾かれるかに木の陰に姿を隠すと、そのまま行方も定めず逃げて行く。
 あまりに早いので有効打ではないとも見えた。
 だが奴が居た場所を確かめるとかなりの血の跡がある。

「先日の借りは返したな。」
「どうしますか、このまま東に進みますか。」
「うん。ただし、手筈通りに草を被り偽装して行く。直ちにかかれ。」

 林の下生えの草を刈り束ねて、巧みに甲冑を覆い隠す。
 夏の暑さ対策にクワアット兵は正規の鎧でなく、藤の蔓を編んだ鎧に鉄の装甲をぶら下げる。籐甲と呼ばれるものだ。
 これは軽くて丈夫、風通しが良く、偽装するのも簡単だ。
 邑兵は装甲無しの籐甲を用いており、偽装はさらに簡単。イヌコマの背にも草を被せる。

 この作業はここ二三日しっかりと練習してきた。
 軌バイジャンも無策で危険な任務に志願したわけでない。

「よし行こう。」

 ベイスラの防風林は木々の間隔が狭く、人の足でも通りにくい。
 完全に平坦ではなく土を盛っており、畑の畝のようだ。身を隠して寇掠軍を迎撃する土塁の代りになる。
 もっともその長所を難民の武装集団や盗賊団に逆用されてしまった。

 軌バイジャン等も身を隠しながら前進し索敵する。

 

     *** 

 しばらく慎重に進んで目標を発見する。

「し、あの白い物は、しろい、」
「狼狽えるな、あれがゲイルだ。」
「で、でかいなんてものじゃない。まるで、まるで、」

 初めてゲイルを目の当たりにした邑兵達は恐怖に包まれぴくりとも動けなくなる。
 骨のように白い肢が林のように立ち並び、屋根の高さに体節がある。
 体長15メートルを超える巨蟲に、1キロほどの距離がありながらも気を呑まれた。

 凌士カドゥヲンが隊長に変わって小声で叱咤する。

「腹に力を入れてぐっと前を見ろ。
 本当に恐ろしいのはゲイルではない、兵の方だ。よく敵を監視しろ。」

 実際の寇掠軍に襲われた場合、ゲイルに気を取られて戦いを忘れ兵に討ち取られる事例が多い。
 クワアット兵でさえそうなのだから、邑兵ならば腰を抜かしても不思議はない。

 その点軌バイジャンはノゲ・ベイスラへの寇掠に遭遇し、ゲイルの顎を頭上に仰ぐ経験をした。
 何故自分が生きているか分からない、まるで夢を見ていたようだ。

 おかげで肝が据わった。ゲイルに惑わされずに済む。
 冷静に敵の配置を見詰め、兵力の展開を分析する。
 彼のここでの判断と報告が、その後の戦の帰趨を決定するだろう。

「ゲイルは8体確認、おそらくは10騎居ると思われる。1寇掠軍よりも多い。
 兵数もやはり多いだろう。だが、カドゥヲン。」
「はい。南北の林の中にかなりの人数が隠れていると思われます。」
「難民の武装集団が寇掠軍に従っているのだ。数は、……たぶん300よりずっと多い。」
「ひょっとすると500ほどはあるのかもしれません。」
「500でいこう。」

 敵の姿を確認した。この場にもう用は無い。
 軌バイジャンは葉片に兵数と場所時間をしたためる。
 イヌコマのたてがみに縛った赤札に挟み、見付からないように班を後退させる。
 せめて林を出て畑に入ってでないと、イヌコマを放すのにも支障がある。

 カドゥヲンが敵の動きを観察して警告する。

「来ます!」
「うん、バレたな。」

 ギィール神族の額に戴くゲジゲジの聖蟲は、直径7里(キロ)の空間を障害物に邪魔されずに知る。
 ゲイルを視界に入れるはるか前から、カロアル小隊の存在を認識していただろう。

 だが神族は些事にはこだわらない。
 むしろ彼らの兵の能力を試すかに知らない振りをするものだ。

 軌バイジャンが兵学校で習ったギィール神族の風習では、そういう事になっている。

 また彼我の距離が1キロ以上も離れて居たら、人の足ではたしかに処理しづらい。
 細かく指示し過ぎるのも問題が多いのだ。

 軌バイジャンは、敵の包囲内にあるとの前提で撤退を行っている。
 イヌコマの報告がちゃんと本隊に届けば彼の勝ちだ。
 だが自分達もぎりぎりのところで逃げ切る勝算は有る。

 改めて邑兵に命ずる。

「これより畑に下りたところで一気に走りぬけ、四の林に戻る。
 決して隊列を乱すな、バラバラになって方向を見失ったら容易く狩られる。
 練習したとおりに、最後まで全員一緒に行動するのが命を拾う最善手だ。」
「はい!」

「よし、イヌコマを放せ!」

 勢いよく尻を叩かれた3頭のイヌコマが先駆けて畑を走り、林の中に飛び込んで行く。
 無事に本隊の元に届けよと祈った。

 偽装の草を振り捨てて見晴らしの良い畑を走る。
 林の中から矢が飛んだ。
 矢飛びに力が無いから、難民の武装団が先手となって追っていると見た。これならば大丈夫。

 カドゥヲンが姿を不用意に見せた敵の1人に正確な一撃を加える。
 ついで軌バイジャンも同じ場所に撃ち込み、草の中に絶叫が上がる。
 弓の性能が違う。

 悲鳴を合図とするかに、左右から数十名の薄汚い兵士の姿が現われる。
 何ヶ月も林に留まり褐甲角軍から逃げ回って来た難民だ。
 葬送用の仮面を被っている者まであり、おどろおどろしく死の雰囲気を掻き立てる。

「難民500では少なかったかもしれないな!」
「はい、もう少し多いかも。」

 カドゥヲンと軌バイジャンは派手に矢をばら撒いて敵の接近を食い止める。
 今回矢は幾らでもある。
 自分が持つ40本に加えて、邑兵達にも予備をたっぷり持たせていた。
 必要であれば高台に留まって敵を釘づけにし味方の到着を待つ事も出来る。

 1頭残ったイヌコマの手綱を引いてキル・ミルが撤退の先頭を務める。
 イヌコマが居る限りは、見通しの効かない林の中でも方向を間違えない。
 彼らには伏兵の存在に備えて、目を鍛えさせてある。
 偵察行に連れて来た5人はいずれも警戒能力に優れている者だ。

 クワアット兵2人を殿に、4番目の林の列に入る。
 立ち木を楯に矢を射て、3人程に重軽傷を与える。
 さすがに追跡も怯み、警戒して足が鈍る。

「うん、行くぞ。」

 

 撤退は小1時間にも及び、ようやく円形の野原がある元の林の列に到達する。

 徐々に増えて行く敵の人数に脅かされながらも、無傷で走り続けた。
 正規の傭兵も追ってくるのを見た。
 寇掠軍侵入の報が放たれたと知り、行軍を早めたのだろう。

 ゲイルの姿もちらちらと見える。
 林の高い梢に白い骨が横に並ぶ姿を確認するが、近付いては来ない。
 ゲイルは人よりはるかに早いが、彼らの獲物としては小物過ぎるのだ。

 やはり追跡の主役は難民だ。
 彼らは手柄を示そうと、小人数で脅威も少ない邑兵をを血眼になって追い続ける。
 近寄り過ぎてはカドゥヲンと軌バイジャンに射られ、地に転がる。

 うおぉおんと角笛が鳴り、ついで金管の喇叭の高い音がする。
 林を走る敵の音がぴたりと止み、自分達だけが突き進む。
 何の合図か?

 きゅああああっと、鏑矢が空高く打ち上げられる音が、青い空を劈いた。

「援軍だ! ヌポルノ村の本隊が到着した!!」

 必死で走り抜き疲労の極にあった邑兵達も歓喜の声を上げ、残る力を振り絞って薮を進む。
 後少し、もうすぐ味方と合流出来る!

 背後からこれまで聞いた事の無い轟音が迫って来た。
 嵐に木の幹が揺れ突風に枝葉がもぎ取られる音に似た、圧倒的な力の証明。
 振り向く事すら許されぬ恐怖を感じ、カドゥヲンも軌バイジャンもただ走る。

 だが追いつかれた。
 このままでは全員が呑み込まれてしまう。
 軌バイジャンは決断し弓に2本の矢を同時に番え、その場に留まり振り向いた。

「隊長ー!」

 カドゥヲンの叫ぶ声を、軌バイジャンは白い死神の懐に包まれながら聞いた。

 

 

     ***** (『永遠の護手との邂逅』のターン)

「ジムシ、やられたな。」
「は。少しばかり敵を侮りました。」
「よい。手当てを受けて、追いついて参れ。」

 

 廿五日のベイスラ県への総攻撃は寇掠軍30隊、神族200名が参加する。
 兵数も3千を超える極めて大規模なものだ。
 しかし兵力を集中することはなく、南北3ヶ所に分れてそれぞれ独自に戦う。
 ヌポルノ村を含むエイベントとの県境付近への攻撃は、神族諸派の連合を主体とする10隊60騎1千人が動員された。

 何故兵力を集中しないのか。寇掠軍の本質がそうであるから、としか言いようがない。
 最強の戦力であるゲイル騎兵は、また最大の弱点でもある。
 ギィール神族は各々の責任と負担で兵を募り参戦しており、戦後は兵士達に報酬を払わねばならぬ。
 神聖王や金雷蜒王国への忠誠などの抽象的な目的に殉ずる事は許されない。

 自らは傷付かず利益は最大に獲得するのが寇掠軍の基本原理。
 今回の作戦のような護りの固い防御陣地は、本来避けるべき目標なのだ。

 またカブトムシの聖蟲を有する神兵は実際に強い。
 ギィール神族をして怖れさせる、常識外れの戦闘力を有している。
 通常略奪目的の寇掠軍であれば、たった一人の神兵に遭遇した場合でも撤退するのが上策とされる。

 神兵が用いる鉄弓は対ゲイル兵器。
 射程距離は神族の黄金の弓の倍以上、鉄箭は強靱なゲイルの甲羅も軽々と抉り貫く。
 通例寇掠軍1隊は6騎程度で構成されるが、射程内に入った6騎すべてが射竦められ逃げ損なう例も少なくない。

 多数の兵で数を頼みに攻撃しても、神兵1人が百をあっさり薙ぎ払う。
 彼らが纏う重甲冑は重量数百キログラム、尋常の白兵武器をまったく受け付けない。
 それでいて常人が走る速さで移動し、疲れる事無く動き続けるのだ。
 こんな理不尽な暴力は無い。

 つまり、神兵を相手にしては命が幾つ有っても足りない。
 敵の備えを拡散させ神兵の手の及ばぬ領域を設定し、常人の兵のみが守る空間を作り出す。
 脆弱な一般兵や民間人に人死を多く出し出血を強いるのが、今次大戦において一貫して用いられる戦術だ。
 本作戦も、それを大規模同時に行ったに過ぎない。

 

 ベイスラの寇掠軍連合は廿三日から国境線近くに進軍し、最前線の防御陣地へしきりと示威行動を繰り返す。
 いずれも防御陣地に神兵の集中を促す為だ。
 裏で国境内部に潜入する工作隊を用いて、長駆侵入する浸透攻撃隊を組織していた。

 ヌポルノ村への浸透攻撃隊は、ゲイル騎兵16騎。
 寇掠軍『ウェク・ウルーピン・バンバレバ(永遠の護手との邂逅)』と『ジョガ・ジョマン・ハプ・リケル(贖罪を求める芝上の誓い)』を主体とし、
個人で出征した神族を予備で交えて構成する。

 隠密理に浸透して攻撃するのではあるが、
ゲイルは神の巨蟲、地味で粗末な戦支度で戦場に引き出すわけにはいかない。
 どの騎櫓の上にも色とりどりの旗幟を掲げ、花が咲いたかの鮮やかさ。
 タコ樹脂製の薄く透ける楯を何枚も重ねた内に、黄金の甲冑で身を包む神族の姿。黄金の槍が林立する。
 彼らの狗番も黒い山狗の面を被り、重厚な蛤様の甲冑で主人を守る。

 白骨の林の如きゲイルの足元には、剣匠剣令がやはり美々しい戦装束で鋼鉄の武器を夏の朝日に煌めかせる。
 そして奴隷兵。今回は寇掠軍として出征・戦闘経験の有る者のみを選りすぐった。
 剛兵と呼ばれる忠誠心の高い者達で、真新しい戦衣に優れた防具を纏い、意気上がる。
 彼らは毒地中はゲイルが牽く陸舟で移動してきたが、林に入っては徒歩となり様々な兵器を担いでいく。

 部隊は払暁に毒地中の拠点を進発し、国境線を越え草原を無事抜けて第一列目の防風林に至る。
 ここで陸舟を捨て、本格的に敵領深奥に侵攻する。
 寇掠軍2隊に属さない4騎の神族はここに留まり、陸舟と退路を守った。

「首尾よく大物を釣り上げて来るが良い。」
「お互いに健闘を祈る。」

 残ると進むと、どちらが激戦に遭うか分からない。
 この場所を監視していたクワァット兵はひそかに始末したものの、連絡が滞れば必ず確認に来るだろう。
 神兵の3人でもが待ち伏せれば、撤退する攻撃隊は全滅する可能性すらある。
 陸舟を失えば、徒歩で逃げる兵は追撃を受けむざと殺される事になろう。

 

     *** 

「よくぞ参った。」

 浸透攻撃隊の上将を務めるのは『_・バンバレバ』のカプタン雁ジジ。
 ゲイルの足元に平伏する難民集団を代表する壮年の男より、歓迎の辞で言祝がれた。

「殿様方の御来駕を仰ぎ恐悦至極に存じます。我ら8百の難民が先導し、金雷蜒王国の御為に命を捨てて尽くします。」
『うむ、よく人数を集めた。王国への帰参を叶える為にも、抜群の働きを示すのだ。』
「ははあーっ。」

 応答は雁ジジの狗番が主人に代わって行う。
 神族が語るギィ聖音の言葉は、並の者には理解できない。
 分からないからこそ有り難みもある。

 難民の武装集団や盗賊団は、元より統一された作戦など望めない素人の小集団ばかりだ。
 それでもここ1ヶ月の内に防風林の木を伐り、ゲイルの為の侵入路を幾つも開く、
 それなりに役に立って来た。
 潜入工作を行い事前の準備を周到に進めた剣令達の成果である。

 剣令の勧めに従い、雁ジジは代表の男を彼らの将と定めた。
 ギィール神族により認められた『支援攻撃バンド(カースト)』の長となる。
 山蛾の絹で居られた肩帯を贈られ、ゲイルの背に乗る蝉蛾巫女エローアの祝福の唄を聞く。
 彼は歓喜の涙に咽んだ。

 

「それにしても兄上、朝のあの報告は真でしょうか?」

 イルドラ丹ベアムは、部隊に難民集団を組み入れる喧騒の中、兄イルドラ泰ヒスガバンに尋ねた。
 神族をして驚かせる報が出陣直前の彼らの天幕に、遠く本国から届けられたのだ。

 泰ヒスガバンも首を否に振る。
 智慧を与え神の知覚を人に許すゲジゲジの聖蟲を戴いていても、遠く東の海の先まで届きはしない。

 『褐甲角王国キスァブル・メグリアル焔アウンサ王女が率いる赤甲梢部隊の神兵がギジシップ島に上陸侵入。
   神聖宮に到達し、神聖王と和平の交渉に入った。』

 これが真実であれば、毒地でも停戦せねばなるまい。
 いかに神族が同格を任じていても、神聖王は一段貴い王国の最重要人物だ。
 彼の人が和平を受入れたとなれば、一度兵を退き王国の方針を討議せねばなるまい。
 戦争の継続は後回しだ。

 泰ヒスガバンは軽く瞑目し、妹に言う。

「せめてもの慰めは、報せの届くのが今朝だった事だ。今更総攻撃は止められない。」
「確かにそれは有り難い。総攻撃も無しに撤退では、戦絵本も締めくくりに困ります。」
「だが次は無い。是非とも今日で目的を果たさねばな。」

 

     *** 

 浸透攻撃隊2隊の寇掠軍は、難民の兵が案内するままに林の中を進んで行く。

 彼ら難民は数ヶ月もの間林の中を逃げ隠れしただけあり、見通しの効かぬ中にあっても間違えない。
 ところどころ木を伐ってゲイルの道を拓いてくれているので、順調に進軍出来る。

 潜入させていたスガッタ僧のジムシから連絡が届く。
 かねてより監視対象にあった「カロアル軌バイジャン」小剣令の小隊が哨戒活動に出ている、との報だ。
 手筈どおり獲物をおびき寄せる。

「上将!」

 キシャチャベラ麗チェイエィが仮面を上げて、白く化粧した貌を見せる。
 彼女は本格的な戦闘が始まるまで、林の中での兵の指揮を自分に任せてくれないかと申し出た。

「許可しよう。」

 彼女のゲイルは先年の出征で肢を1本斬られて戦闘力が落ちた。
 今回の作戦でも補助的な役割に留まると決まった。
 これ幸いと丹ベアムはイルドラ家が持ち込んだ「飛噴槍」を全部預けてしまう。荷物運びさせた。

 浸透攻撃隊は幾重にも連なる防風林の中を戦場とする。
 うかつに火を使えば林に燃え広がって、自身が炎に巻かれて焼け死んでしまう。
 局面によってはやぶさかではないが、全隊の上将であるカプタン雁ジジが決断する。

 彼のゲイルもまた、『ジョガ・ジョマン・ハプ・リケル』の火噴槍を預けられ、重くなってしまった。 
 やはり軽い方が格闘戦では有利。そして面白い。
 補助的任務を任される麗チェイエィは、退屈に違いない。

 雁ジジの許しを得て、彼女のゲイルと剛兵の1隊が難民の案内で先行していった。
 多少荷物が重くとも、ただ走る分には支障は無い。
 巨大な骨の波が、狭い木々の梢を縫って滑らかに駆けていく。

 去っていく姿を見送る丹ベアムは、若干羨ましく思うが自制する。
 それよりも、戦闘において幾分か疑問に感じるところが有る。
 初出征の自分と兄は、戦場のあらゆる局面で未知の事例に遭遇する事が多い。
 聖蟲を通じて、離れた上将に話し掛ける。

「上将。林の中で神兵と遭遇した場合、どのような戦術を用いれば良いのだ。
 左右を木々に阻まれ、ゲイルは自由に動けまい。」
「逃げる事だ。」
「逃げる? 何もせずにか。」
「何も出来ぬのだ。弓矢は木に遮られ相手に届かず、突進するにもゲイルを加速する距離が得られない。
 まごまごしていると木を伝って敵が背に上がって来る。」

 兄も同様に疑問に思っていたのだろう。話に割り込んでくる。

「雁ジジ殿、ゲイルにとぐろを巻かせるのではだめなのか。」
「神兵が1人ならばそれでもよい。だが複数になると単に討たれるだけだ。
 林で戦うのは避けねばならぬ。」
「そのようなものか。」

 ゲイルを用いての機動であれば、チュガ輩インゲロィームアが名人だ。

 カエルに似た奇形的美貌の彼は身長180センチ。
 神族としては例外的に小柄で、弓槍を使っても他の神族に敵わない。
 劣等感を、彼はゲイルの操縦技能の向上へと昇華させ熱意を注ぎ込んだ。
 持って生まれた才能も開花して、この百年で最高の乗り手と讃えられる。

 聖蟲で話を伝え聞き、自らの口で話し掛ける。
 だが彼は、その容貌から舌の動きが妨げられ、声がくぐもりよく伝わらない。
 思念で会話するにも頭の中で概念が先走り、もどかしさに苛ついて言葉にならないのだ。

 それを聞き取る事が出来るのが、恋人であるカマートラ椎エンジュ。
 言わんとする意味を整理解釈し、丹ベアムに改めて助言する。

「”              !!!! ”」
「林の中での戦いは、兵を用いて我の前に敵をおびき寄せ、一気に上から飛び掛かる、と言っている。」

「! 上か。」
「うむ、ゲイルを跳ねさせて押し潰すのだな。
 無論重甲冑の神兵はそう簡単に潰せない。やめておいた方がよい。」
「なるほど。御教授かたじけない。」

 表情は変らない。
 だがなんとなく、カエルに似た大きな瞳が嬉しげに光った気がする。

 

     *** 

 そして、
 矢を右腕に受け傷付いたジムシが、彼らの前に跪く。
 後方に下がり治療を受けるのを、ゲイルの背の丹ベアムは首を後ろに回して見送った。

「あのような者でも、やはり油断はあるのだな。」
「神族とて同じだ。額の聖蟲でなんでも見通せると思うのは間違いぞ。」
「しかし隙を見せねば敵は食いついてきません。」

 妹の言葉に、同じ高さに立つ泰ヒスガパンは少し笑った。
 確かに今回、敵をおびき出し大物を釣り上げねばならない。
 神兵にして兵師監「カロアル羅ウシィ」という魚を。

 先を行く麗チェイエィから、聖蟲を通じて『_・バンバレバ』の5人に通信が入った。
 額のゲジゲジは超感覚の干渉を使って離れた距離でも会話出来る。
 聖蟲同士は常に会話していると言った方が良い。

 ただこれに人の言葉を乗せるにはちょっとしたコツが要り、難しい話は出来ない。
 あくまで補助的な通信だ。

「(例の、カロアル小剣令が率いる偵察隊を発見した。うまく林の茂みに身を隠している)」
「(大胆だな。ジムシに傷を付けた時点で下がると思ったのに)」
「(どこまでやれるか見てやろう)」

 麗チェイエィの指示で剣令が動き、兵を前に進める。
 剣令は詳らかに戦場の様子を知らされるわけではない。
 神族の様子や空気を確かめて隠された意図を知るのも芸の内。
 状況の変化があると気付いて、索敵を強化する。

 果たして間もなくカロアル小隊は発見された。
 剣令の上申によって難民に手柄が下げ渡される。
 「支援攻撃バンド」の長となった男が自ら刀を抜いて先駈け、畑の草むらに飛び出した。

 神族の前で目立つ手柄を上げる最初の機会だ。期待を裏切る訳にはいかない。

 

「ホホホ、逃げる逃げる。」

 麗チェイエィは超感覚で、カロアル小隊が必死で林を逃げる姿を見る。
 もちろん視覚情報ではなく、人の形を撫でるように知るだけだ。
 1キロメートル程度であれば、顔貌表情まで分かる。

 既に難民の兵が追跡を始め、最後尾のクワアット兵2名と激烈な戦闘に及んでいる。

「やはり難民では話にならぬな。好きなように射殺されている。」

 クワアット兵の弓の腕前を知らぬではないが、ここまで簡単に味方を殺されると面白くない。
 感情を捨てた身であっても不快はある。
 足元に従う剣令に命じて、多少は知恵を使わせた。
 左右から囲む動きを見せるが、練度が低く動きは鈍い。獲物を捕捉出来ない。

「まあ良い。敵本隊が到着するまでの遊び相手には良かろう。
 追撃の人数は絞って、尋常に隊列を組み直せ。」

 浸透攻撃を行うに当たって、難民にも重要な役を振ってある。
 いかに練度が低く指図についてこれないとしても、最低限の連動は必要だ。
 泥縄ではあるが、集団で動く訓練を難民にも施していく。

 時折ゲイルを走らせて、兵の向きを制御する。
 ゲイルの姿を見せないと真面目に働かぬ馬鹿者もある。
 怒っても仕方ない、それが民というものだ。
 ゲイル騎兵は直接攻撃を行うのみと勘違いされるが、実際は兵を追い立てる役割の方が大きい。

 

 カロアル小隊を追跡する事1時間。
 そろそろ兵の足並みも揃い集団での動き方をつかめたと判断し、麗チェイエィは黄金の槍を振り上げて合図する。

 それまで伏せられていた旗や幟を難民達は一斉に掲げた。
 新たな林が生まれたように、無数に白が翻る。

「敵が至近にある。戦闘準備をせよ。」
「ははっ!」

 剣令に指図するも、彼らはまだ褐甲角軍接近の報を得ていない。
 斥候はちゃんと出しているのだが、報せが届くのにかなりの時間差がある。
 神族が聖蟲で観測する方が圧倒的に早く正確だ。

 ゲイルを止め葉片にさらさらと敵の配置を描いて、狗番の手から地上の剣令に下げ渡す。
 剣令はうやうやしく頂き、部隊の進行を整える角笛を吹かせる。

 麗チェイエィは未だカロアル小隊が逃げ続け、追跡が追いつかぬのに眉をひそめる。
 使えないとは知っていたが、ネズミ1匹くらいは仕留めて見せよ。
 だがさすがに時間切れだ。

「ネズミが気を惹いている間は戻れぬか。」

 ゲイルの肢を黄金の槍で叩いて走らせる。
 たちまち難民を追い抜いて後尾に迫る。
 巨蟲の接触に梢の葉が激しくざわめき、枝が何本ももぎ取られた。

 はたして、カロアル小隊はあっけなく分解する。造作も無い。

 そのまま林を抜け、敵の姿を確かめる。
 聖蟲の眼で詳細を知るとはいえ、己の五感で確かめねばやはり満足は出来ない。

 1騎のみ開けた畑に進み出て、クワアット兵の隊列の前で巨蟲の体節を翻した。

 

 

     ***** 2(カロアル兵師監のターン)

「兵師監、間に合いましたな。」
「うむ。」

 「敵寇掠軍本隊発見」の迅速な報告のおかげで、
カロアル羅ウシィ兵師監が率いる迎撃部隊は、防衛施設である林の中での戦闘にこぎつけた。
 スプリタ街道にまで進出を許せば、ゲイル騎兵に自由に走り回られ無差別殺傷の可能性もあったのだから、上出来だ。

「穿攻隊が到着すればゲイルは撤退を余儀なくされるでしょう。
 懸念すべきは難民の武装集団がでたらめな襲撃を行う事ですが、林の中で留まるならば問題ではありません。」

 神兵キマル信マスタラムがカロアルの副官を務める。

 ヌポルノ村に駐留する難民移送団に属する神兵は4名。
 カロアル羅ウシィ、キマル信マスタラム、ハグワンド礼シム、ハギオトロ環マセマシュ。
 クワアット兵250を率いて寇掠軍を迎撃する。さらに補助的任務に邑兵300。
 加えて南のエイベントからも神兵3クワアット兵100が参加する。

 数は少なく見えるが、通例寇掠軍の兵数は1百人程だ。
 今回、奴隷兵を交えずすべて専門の傭兵に置き換えたとして、やはり最大でも兵数は200と見込まれる。
 厄介なのは難民の武装集団だが、ゲイルが走り回る戦場で素人が使えるはずも無い。

 だがこの布陣では寇掠軍を防げても、撃滅は出来ない。
 対ゲイル戦闘に特化した剣匠令の資格を持つ神兵が10名、「穿攻隊」から派遣される。
 彼らに連動する技能を持ったクワアット兵50の1隊も、特別にスバスト源ジュバトム兵師大監が融通してくれた。

 他の領域でも同時大規模攻撃が予想される。ゲイル騎兵が殺到するだろう。
 穿攻隊を割いてヌポルノ村に派遣するのは、それだけ重要な戦場であると認められたからだ。

 

 兵力はまずは十分。

 立ち並ぶ木に肢が鈍り、林でのゲイルの移動速度は人間並に低下する。
 怪力ではあっても何十本もの木を連続でなぎ倒すなどは出来ず、常識的に道を行くしかない。
 ベイスラの防風林はその為に整備されている。

 長さ3キロ幅1キロ程の細長い農地を南北に連ねて、その周囲に木を植えて幅500メートルほどの林にした。
 これをパイの皮のように何層も重ねて国境線の護りとする。
 材木としては利用しないので密度が高く植えられており、ゲイルは元より人間が歩くのにも不自由する。
 畦のように地面が高く盛り上がっており、一種の防壁としても使用可能だ。

 林の中での戦闘はクワアット兵の得意とする所。
 木の陰や茂みの中、樹上に潜み矢を射掛ける。
 神族は敵が居るのが分かっていながらも通る他無く、むずむざと兵を失ってしまう。

 まして聖蟲を戴く神兵は森林では無敵に近かった。
 褐甲角神「クワアット」は森に棲むカブトムシの神であるから当然だ。

 金雷蜒軍が浸透戦術をあまり用いないのも、これが原因だ。
 今次大戦においては、林の中に難民が潜み支援して条件が整ったからこそ、自由に侵入を試みる。

 

      ***  

 昼天時(正午)少し前、両軍は対峙した。
 スプリタ街道からは東に4キロほど離れる防風林地帯だ。

 戦場となる農地は、これもまた防御施設の一部。
 幅が1キロもある横長の畑はゲイル騎兵が走り回るのに適しているが、逆に鉄弓で討ち取れる。
 不用意に開けた場所に出る者は、林の中から一方的に狙撃される。

 条件としては褐甲角軍も同じだが、重甲冑を纏う神兵は矢衾の中を平然と進み、斬り込んだ。
 重量が有り運用に不便な「強弩」でも用いねば、止められない。
 双方がすくみ合う事で侵入を思い留まらせ、寇掠軍の撤退を促す。
 これが基本戦術だ。

 

 カロアル兵師監は、ゲイルが1騎畑に下りて挑発的に体節をくねらせるのを見る。

 この時、褐甲角軍はヌポルノ村に集結していた本隊のみだった。
 エイベントからの援軍は林の中を移動中、穿攻隊は未だ到着の報を聞かない。

 カロアルはわざと兵を整列させ、堂々たる布陣を見せる。
 神兵ハグワンドが率いる長槍隊100名、他3名の神兵が50ずつの弓兵隊を率いる。
 敵が怯んで躊躇すれば、時間稼ぎとなろう。
 エイベント勢と合流し、また穿攻隊も間に合うはずだ。

 しかし、さすがにギィール神族は目が聡い。
 迷うこと無く兵を畑に進めて来た。
 ゲイルが2騎3騎と現われ、彼らに守られながら傭兵が林から降りて来る。
 大きな旗や幟を抱えた難民が無秩序に溢れ出る。

 難民の数は多い。千にも届くかと思われ、旗や幟を高く掲げて不器用に列を作る。
 大した武器は持っていないが、皆腹に籐笠を吊るしている。
 籐笠はネズミ神官時代から用いられる防具で、せいぜいが投石避け。
 それでも獣皮を挟んで2枚重ねれば、案外と弓矢も防いでしまう。

 ゲイルが1騎走り回って難民の列を整え、農地の東側に整列させる。
 褐甲角軍は西側に。両軍対峙して戦闘準備が整った。
 だが、

 副官のキマルが進言する。

「我らは一旦林に潜み、エイベントの応援が到着するまで戦を留めるのはどうでしょう。」
「エイベント勢の接近をギィール神族は見抜いている。だから早めに兵を投じたのだ。
 我らが林に戻れば、敵は火を掛けるぞ。」
「!  林で火を使いますか?」
「掠奪が目的では無いからな。」

 翩翻と翻る旗の波に、羅ウシィは思わず口を開いて零す。
 どう見ても、これは決戦だ。

「いっぱい食わされたな。我らは敵におびき出されたか。」

 難民が多数滞在するヌポルノ村に雪崩れ込み、当たるを幸い無差別に殺戮し、もって褐甲角王国の威信を傷つける。
 長期的視点に立って考えれば妥当な策だ。
 が、ベイスラの金雷蜒軍はそれほど遠大な計画を持っていないようだ。

「敵は、堂々たる決戦が当初からの目的であったようだ。嵌められたな。」
「こちらの足元を見ましたか。」
「うむ。難民移送団は純然たる戦闘部隊ではないからな。組し易しと見たのだろう。」
「舐められたものです。」

「目に物見せてくれよう。全員に必勝の覚悟を決めさせよ。」
「はっ!」

 問題はゲイルの数だ。
 通常の寇掠軍は6騎で構成されるが、今回は既に10騎を確認する。神兵4名では長く保ちそうに無い。
 戦いながらも時間稼ぎを主眼とする戦闘を行うべきだ。

 エイベントの援軍は元より、対ゲイル騎兵に特化した穿攻隊の神兵が10名も駆けつけて来る。
 それまで極力損害を出さないよう努めるべきであった。

「神族の数から見て、寇掠軍2隊の合同か。であればゲイルは最低12騎、もう2騎は何処に。」

 ゲイルが伏兵となって側背を突く。
 ギィール神族としては使わない手だが、決戦であれば充分に戦術の王道だ。
 ハグワンドの長槍隊を、南北に細長い農地の北側に配置する。こちらからの奇襲は防げよう。

 攻撃の主体は3隊の弓兵。神兵一人ずつが受け持つが、彼ら自身も最前列で戦う。
 ゲイル騎兵の突入を防ぐには、神兵の鉄弓しか効果が無い。
 射程距離は400メートルにもなり、互いに援護し合ってクワアット兵を守る。

 懸念されるのは最年少の神兵ハギオトロだ。
 聖蟲を授かったばかりで神兵としての戦闘経験が無く、重甲冑も纏っていない。
 装甲が薄いので壁となる役は果たせず、敵も目ざとく狙ってくるだろう。
 北側長槍隊の脇に配置して負担を軽くする。

 指揮官であるカロアルは中央に、キマルの隊は南に布陣した。

 邑兵隊は最後列で西側の林の前となるが、彼らにはまた別の任務がある。
 寇掠軍は武器として火を多用する。
 林の中で火を使えば自身も焼け死にかねないが、思い切った策を用いるのが神族だ。

 邑兵は火を消して退路を確保する重要な役を果たす。

 

     ***  

 褐甲角軍の布陣に対応してゲイルが戦場を走り、難民の兵を再配置した。
 どろどろどろと進軍の太鼓が響き、無数の旗を掲げてゆっくりと進み出た。
 畑の半ばにまで達した所で停止させる。
 彼我の距離は600メートルほど、これより先は神兵の矢が届く。

 しばし静寂に包まれた。
 秋の色を感じ始めた遠く透ける空に、蜻蛉の群れて飛ぶ姿がのどかに見える。

 神兵ハグワンドの指揮する長槍隊が移動を開始した。
 長槍隊は溜め池のある北側に壁となり、敵軍の回り込みを防ぐ。
 基本は留まり牽制するのみだが、ゲイルが一定方向からしか来ない安心感は何物にも換えられない。
 5メートルを越える長い槍が鉄の林のように揺らめき、進んでいく。

 概ね戦場は北側に偏り、南は大きく空いた。
 開けた畑を準備運動でもするかに手隙のゲイルが土煙を上げて走り回る。

 カロアルは敢えて対応しない。
 エイベントからの応援は南から来る。そのまま放置して大丈夫だ。
 各隊に命令を伝える。

「構えて申し渡しておく。神兵は決して格闘戦に及んではならぬ。
 あくまで鉄弓でゲイルの牽制に当たれ。
 反攻は穿攻隊到着後だ。」

 

 21歳の神兵ハギオトロはかなり安全な場所に配置され安堵はしたが、同時に自分に腹が立った。
 未だ聖蟲への対応訓練が終っていないから、半人前と看做されるのは仕方がない。
 だが敵ゲイルが神兵の3倍も居るのだ、自分も十分な働きを見せる必要がある。
 先達に護られていてはダメなのだ。

 ハギオトロ環マセマシュ小剣令は、ベイスラの隣サユール県の出身だ。
 黒甲枝の子弟の慣例に従い王都カプタニアの兵学校で学び、近衛兵団を経てヌケミンドルで軍務に就いた。
 ヌケミンドルは最前線ではあるが防備が堅く、寇掠軍の侵攻はまず無い。
 故に実戦経験は無いに等しいが、これは神兵としては普通の経歴だ。
 その代りクワアット兵の戦闘小隊、弓兵槍兵どちらの指揮も十分に演習を積み重ねた。

 今回神兵として初めての実戦に臨む。
 だが決して格闘戦に参加しないよう固く念を押された。
 軽量の丸甲冑ではゲイルとの格闘は出来ないし、第一聖蟲が与える怪力の使い方に習熟していない。
 あくまで離れて戦うのが望ましい。

「しかし。」

 彼もまた黒甲枝である。
 千年に一度の大戦に巡り合ったからには、王国になにがしかの貢献をと願う。

 彼は着ている丸甲冑の胸甲を触った。ぽっかりと丸く槍が貫いた痕がある。
 甲鉄の円盾で隠しているが、やはり故障中の武具は不安を掻き立てる。

「これを着装していた方はどうなったのだろう。やはり亡くなったのか?
  そうであるならば魂にて我に力を添えて、共に救世主の誓いを果たしたまえ。」

 ぶん、と兜の中でカブトムシが透明な翅で羽ばたき、ハギオトロを驚かせた。
 普段はのそのそと大人しく動き回る聖蟲も、戦に臨んでは緊張し勇み立つ。
 それを知り、なぜか安心した。

 聖蟲は天から遣わされた魔物でも不可思議な精霊でもない。生きた此の世の蟲である。
 現世にこそ価値を持つものだ、と今初めて了解した。

 

     ***  

 改めて、この時代の戦争の形態を説明しよう。
 主力となる兵器は「弓」だ。
 投石も入れてよいが必殺の武器とはならない。
 藤の蔓を編んだ楯や鎧はクッション性が高く、投石には十分な防御力を持つ。それ専用と考えてもよい。

 「弓」にもレベルが有る。

 最強の威力を誇るのは、「強弩」と呼ばれる機械弓。
 長い鉄箭でゲイルの甲羅も神兵の重甲冑も射抜くが、装填に時間が掛かり連射性能が低い。
 強弩を荷車に載せたものを「弩車」と呼ぶ。今回の金雷蜒軍・浸透攻撃隊ではこの形で運用している。
 褐甲角軍のベイスラ難民移送団は保有していない。

 これに次ぐ威力を誇るのが、神兵が用いる「鉄弓」だ。
 「強弩」の弓の部分だけを抜き出したような武器で、威力はほぼ同等。速射性が増している。
 鉄箭を使った場合の射程距離は400メートルに達するが、驚くべき事に神兵はこの距離でゲイルに当てる。
 的が大きいからではあるが、ゲイル騎兵にとっては接近を阻む恐るべき攻撃だ。

 そしてギィール神族が用いる「黄金の弓」。
 強靭なタコ樹脂を塗って張力を補強した長弓だ。極めて精妙な射撃が可能。
 神族は2メートルにもなる雄大優美な肉体を用いて、これを引く。
 射程距離は200メートルにも達するが、真に恐るべきはその命中度だ。
 神族の額に宿るゲジゲジの聖蟲は、矢の軌道を計算して視覚的に神族に提示する。
 この通りに射れば百発百中外す事は無い。どのような風が吹いていようが必ず当たる。

 狗番にも「黄金の弓」を許される者が居るが、所詮は人間技。神族には劣る。
 狗番が通常用いる弓を、褐甲角軍クワアット兵も使っている。
 便宜上「戦弓」と呼んでおこう。
 合成弓の長弓で、黄金の弓には及ばぬが非常に高い精度と長い射程を持つ。
 最大射程は山なりで150メートルほどだが、必中は100メートル以下。
 狗番もクワアット兵もこの必中距離で確実に当てる技量を持つ。

 そして雑兵が用いる「短弓」。
 射程距離は100メートルほどで、至近距離でないとまず当たらない。
 戦弓を持つクワアット兵が相手だと間違いなく射負けるので、使わない方が良いくらいだ。
 ただ威力の不足を補う為に毒矢を用いる場合がある。
 決して侮ってはならない。

 このように各種の射程距離の違う弓を用いて、比較的少人数の部隊が戦うのだ。
 どの弓の射程距離内で戦闘するか。間合いの取り方こそが戦術の要点と成る。
 刀槍を用いての格闘戦は、この際考慮しなくても良い。
 とにかくゲイル騎兵や神兵の接近を防ぐだけに終始し、失敗したら敗走するばかりだ。

 

 なお神兵ハギオトロが着装する「丸甲冑」とは、神兵が用いる海戦用の甲冑だ。
 重甲冑翼甲冑とは異なり、自重を支える機構が内蔵されていない。
 つまり普通の甲冑で比較的軽量、装甲も薄い。
 もちろん一般人には重すぎるのだが、これを着たまま泳ぐ事も想定されている。

 背中に6対のタコ樹脂製の小翅が装備されており、聖蟲の精気で振動させて水中を移動する。
 兜が丸く頭全体を覆い、故に「丸甲冑」と呼ばれた。

 海戦用ではあるのだが、重甲冑に比べてかさばらず一般家屋への進入も可能である。
 要人護衛の際に屋内に随行出来るのも利点だ。
 その為、内陸部の部隊でも結構多く用いられていた。

 

 

     ***** 3(戦闘開始)

 戦闘は誰の予想にも反して極めて地味に始まる。
 銅鑼も太鼓もならない。
 剣令の指示の声が響いただけで、旗竿が揺らめき白い林が進み出る。

 ゲイルは前に出ない。もっぱら難民の兵の制御に徹し走り回る。
 神兵との数にこれだけの差があれば、いきなりゲイルで攻め掛かってもおかしくないのだが、。

「(兵師監、これが金雷蜒軍の戦術でしょうか?)」

 ハギオトロが戸惑って、聖蟲を通じて質問を投げ掛けて来た。
 カブトムシの聖蟲もやはり離れたまま会話が出来る。精気の振動が共振して通じるらしい。

「(こういう手もある。人の群れを壁とする策だ)」

 兵が十分に多い場合、いきなり混戦にもつれ込むのもあり得る戦術だ。
 だが、これだけゲイルが居て取る策でもないだろう。
 カロアルも内心ではいぶかしむ。

 

 金雷蜒軍側からすれば当たり前の戦術だ。
 神兵に守りに徹せられると困る。

 いかに多数のゲイルがあっても、神兵が集団で「守り」に入ると攻め口が無い。
 ではどうやって「攻め」に転じらせるか。
 クワアット兵の弓の射程にまで、こちらの兵を前進させる。
 兵と兵同士が殺し合い、神兵が状況打開の為に自らゲイル騎兵を討つと決意させるのだ。

 とはいえ、ゲイルが前に出ないと難民は動かない。
 3騎のゲイルが首を並べ、鉄弓の射程内を悠然と歩く。
 最大射程では、鉄箭の軌道が読めるギィール神族にそう当たるものではない。

 その姿を見て、ようやく踏み出す勇気を得たようだ。
 旗幟を斜めに構え、鬨の声を上げて一斉に走り始める。

 一気に鉄弓の射程に踏み込み、ゲイルを追い抜いて敵陣間近に突撃する。
 が、旗を掲げたままだからそう早くはない。
 ゆらゆらと白い布が風を孕んで揺らめいて、そこで終る。

 当初からの指示通りに、難民は弓の届くはるか遠くの地面に旗竿を突き刺して、そのまま撤退する。

 ハギオトロはようやく敵の狙いを理解した。

「旗に邪魔をされて、敵の動きが読めなくなるのか。」

 第二陣は先ほどと異なり、かなり大胆になる。
 突き立てた旗竿の所まではまっしぐらに走り、そこから決死的覚悟で突進し、また旗竿を立てる。
 距離は300メートルにまで近付いた。

 さすがにクワアット兵もこの距離には焦れて来た。もう一度突進されると、長弓の射程に到達する。
 カロアル率いる弓兵隊の隊長が、こちらも前進して迎撃すべきかと進言する。
 無論却下された。

「出ればゲイルが突っ込んで来る。今しばらく待て。」

 林を背に置くからこそ、ゲイルに回り込まれずに済んでいる。
 不用意に飛び出せばたちまち四方から食い千切られるだろう。

 3度目の突撃で、ようやく矢が放たれる。
 クワアット兵が用いる長弓の有効射程外だが、飛ばすだけならば届く距離だ。
 この時初めて、難民は自分達が掲げ持つ旗幟の意味を知った。
 これを持っていれば矢が当たらない!

 山なりに飛ぶ矢は、距離が遠過ぎて力に欠ける。
 布に矢柄が触れれば簡単に勢いが削がれ、空中で転倒する。殺傷力を失った。
 当たらないと知るや、難民は図に乗る。
 旗竿を斜め前に突き出し奇声を上げて突っ込んで来る。

 とわぁっ、と妙な声を吐き出して男が畦に転げる。
 いかに巧みに防いでも当たる時は当たる。
 こちらは射たれ放題なのだから、いつかは誰かが犠牲になる。

 持ち手の無くなった旗竿はその場に突き刺し、残った者は前進を続けた。
 頬をかすめる矢の音に慄き怖じ気づいて、進めなくなった所で旗竿を立て撤退する。
 その陰に隠れて、また次が突撃する。

 だが或る距離に到達すると、急に矢が当たり出す。
 弓術に優れたクワアット兵が、はためく布の下を掻い潜って当てる芸当を見せる。

「うわ、うあわあ!」
「逃げるな、もう少し、あと一歩進め!」

 葬送用の死者の仮面を被る呪い師が叱咤する。
 だが籐笠の楯ににずばりと突き立った矢を見ては、堪えようがない。
 これまでと旗を地面に突き刺し逃げようとする。
 突き刺す作業の無防備な背中を抉られ絶命した。

 難民の兵は総崩れとなり撤収するが、目障りな位置に旗竿が立ち並ぶ。
 弓兵隊長が許可を求める。

「あの旗竿を斬りに行かせてようございますか?」
「また来る。放っておけ。次はまともな兵が来るぞ。」

 

 旗の後ろにちらちらとゲイルの姿が見え隠れする。
 大胆にも鉄弓の必中距離にまで踏み込んだ。

 もちろん重い鉄箭は薄い布など貫通し、軌道を曲げる事も無い。
 各神兵はようやく射撃を開始する。

「だが鬱陶しい。」

 神兵キマルの隊は、東と南で旗に包囲される。
 何体ものゲイルが誘うように肉薄し、鉄弓の射程を潜り抜ける。

 彼の背後のクワアット兵が、遮られる視界に不満を漏らした。
 難民はなおも繰り出して来る。
 掲げる旗はゆらめき、背後には装備の整った傭兵の姿も見える。

 キマルは鉄弓に太矢を番え、難民の小隊長らしき男を射殺した。
 鉄箭ほどの貫通力は無いが、小型の槍と思わせる木製の太矢はゲイルにも十分効果がある。
 仮面の男の首がもげ、その隊全員が仰天して撤退する。

「(キマル、遊んではならぬぞ)」
「これは! 兵師監、拙いものをお見せしました。」

 叱責され、キマルは小さく見えるカロアルに平身低頭する。
 鉄箭太矢は人間相手に使わないのが原則だ。
 いざゲイルに対面した時、矢が尽きていたとなれば謝って済む問題ではない。

 その点ハギオトロは、命令通りに愚直にゲイルを牽制し続けていた。
 神兵は鉄箭は20本太矢は15本、普通の矢も20本携える。
 矢の節約を心掛け、ゲイルに確実に当てようと慎重に狙いを定める。

 ギィール神族は狙いを読んで巧みに回避し、なかなか発射の機会を得ない。
 射れそうで射れない状況が続く。

「(いや、それでよい。射る時は確実に当てよ)」
「は、兵師監有難うございます。」

 自身も鉄箭を放ちながら、カロアルは考える。

「今少し、敵の狙いが絞れぬな。この旗にはさらに隠された意図があるのではないか?」

 まさか自分をを直接に狙うとは、流石に考えない。
 そもそも黒甲枝・神兵は誰をとっても同じ力同じ技能を持ち、自由に入れ換えが利くものだ。
 甲冑にも個人を識別する印は無く、特定人を狙うなど聞いた事も無い。

 カロアル羅ウシィは自身の価値を見誤っていた。

 彼は難民対策、難民犯罪取締まりの専門家で、他に代え難き人材だ。
 単純に戦利品として彼の首を狙うわけではない。
 ヌポルノ村の難民を害さずとも、彼を殺せば十分な混乱を引き起こせるのだ。

 

 南の林の先から天高く、きゅあっと鏑矢が上がる音がした。
 矢の高さから鉄弓から放たれたものと分かる。
 エイベントからの援軍が到着した合図だ。

 神兵3クワアット兵100が戦場に進入する。
 カロアルは彼我の状況を確かめて、うなずく。
 敵も援軍に気付いたようだ。ゲイル騎兵が1箇所に集まった。

 前哨戦は終り、両軍本格的な戦闘へと移る。

「いよいよゲイルの突入が始まるか。」

 

     ***  

 ゲイル騎兵と褐甲角の神兵との戦いは、装輪装甲車と戦車の戦いのようなものだ。
 ゲイル騎兵は速度と機動力では圧倒しても、神兵の重装甲と長射程の攻撃に抗し得ない。
 接近戦になればなおさら正面から戦わない努力が必要だ。

 脆弱性を補う方法は幾つも考えられたが、所詮ゲイルは生きた蟲。
 適用可能な策は乏しい。

 だが今次大戦において金雷蜒軍ではゲイル強化が様々に試みられた。
 騎櫓に屋根を付けたり密閉式にしたりと、背の神族を守る装甲強化は当然。
 タコ樹脂の薄い楯を何枚も配してゲイルの頭部や背を覆う試みもなされている。

 ただ肢は覆えない。
 高さ4メートル17対の長大な肢はゲイルの攻撃力そのものだが、同時に弱点でもある。
 大剣や斧戈に伐られると、1本失っただけでも戦闘力は激減する。

 今回初の出征となるイルドラ丹ベアムと兄の泰ヒスガパンは、特段の対策を施していない。
 二人が考えついたのは、極めてまっとう常識的な戦法だ。

 2体のゲイルを連動させ神兵の狙いを分散させて回り込み、後方のクワアット兵に攻撃を仕掛ける。
 速度を利する寇掠軍いつものやり方で、誰でもが使う。

 上将カプタン雁ジジは少し危ぶんだ。あまりにも芸が無さすぎる。
 いつもの手であれば、対する神兵もいつもの対応をする。勝ちは難しい。

「良いのです。」

 と、泰ヒスガパンは答える。

「我らは本来の目標である兵師監カロアルを釣る為に、あえて囮となって見せる所存。」
「おお! そこまでの覚悟か。」
「いつもの手順で対処できると考えれば、まんまと誘き出されてくれるでしょう。」

 

 他のゲイルもおおむね2体1組で行動する。
 エイベントの援軍が現われ神兵が7人にもなったから、ゲイルにも最大限の能力を発揮させねばならない。
 数が均衡してようやくやる気になった。腕が鳴る。

 カプタン雁ジジとキシャチャベラ麗チェイエィは突入はせず、兵の指揮と支援に専念する。
 その裏で、密かに秘密兵器を準備する。
 『ジョガ・ジョマン・ハプ・リケル』の神族も知らない事だ。

 今回の主役は雁ジジが戦場に伴った「剛兵」である。
 「剛兵」とは、特別に神族の信頼の厚い奴隷の一族で、寇掠軍に従軍して忠義を示す。
 寇掠軍マニアでもある雁ジジは、他家の「剛兵」をも戦場に誘って経験を積ませる「徳の高い」神族であった。

 「今次大戦は一般の民衆・奴隷達が望むもの。彼らを描かずしては「大審判戦争」の実相は描けまい」
 麗チェイエィが語った通りに、絵物語は進行する。

 

      ***  

 寇掠軍を観測して、ゲイル騎兵が2体ずつ6組になったのを確認する。
 やはり2騎は直接攻撃に参加しないようだ。
 難民の兵を後退させ、専門家である傭兵を投入してきた。

「やはり、火は使わないか。」

 兵師監カロアル羅ウシィは、今回の敵の戦術に或る方向性を見出した。
 煙幕を張り視界を制限すれば、ゲジゲジの聖蟲を持つゲイル騎兵は極めて有利になる。
 にも関わらず、使わない。延焼を防ぐ以上の配慮が感じられる。

「常人の兵を十分に使う作戦と見た。
 クワアット兵はゲイルに目を奪われず、全体の状況をしっかりと把握して援護せよ。」
「は!」

 戦場を走り回るゲイルに応じて、神兵も前進する。
 カロアルも自身50メートル進出した。
 エイベントの援軍は到着したばかりで、まだ状況を把握できない。
 防備を任せて、カロアルの隊が攻撃を受け持つ。

 旗幟の林が風に煽られはためく背後から、黄金の槍がゲイルの肢を叩く音が幾重にも響く。
 ゲイル騎兵の突撃の前触れとしてつとに有名な撃音だ。

 カロアルは改めて声を上げて神兵に命ずる。
 エイベントの神兵に対しても届くように、大音声で。

「神兵の皆々に申し渡す!
 穿攻隊の到着までは決して格闘戦をしてはならぬ。
 鉄弓にて牽制を続けるのだ、良いな!」

 ゲイルの肢は速い。
 射程外に居たものがあっという間に眼前に飛び込んでくる。
 必中距離であったとしても、神族は巧みに鉄箭を避け、新兵器で抉り込む。
 思わず大剣で応じたくなるが、それが罠。
 一人が鉄弓を手放せばカバーする範囲が失われ、クワアット兵の部隊への直撃を許す事となる。

 彼の命令を嘲笑うかに、いきなり1騎のゲイルが飛び込んだ。

 正面から迎え撃つのは丸甲冑の神兵ハギオトロ。
 とっと前に走り出て水平射で鉄箭を放つが、巨蟲とは思えぬ巧みな横っ飛びで避ける。
 ゲイルの腹をこれ見よがしに露わにして誘い、再び幟の後ろに去っていく。

 これを合図として、全領域でゲイルの突撃が始まった。

 

 ゲイルによる攻撃はまっしぐらに突っ込んでくるものではない。
 現状5組10騎が散開しているが、彼らは列を為して回っていた。
 突入番が目当ての神兵に肉薄する間、他の組は射撃で神兵の援護を牽制する。

 意外と射程が長い。神族の弓を遥かに越えた距離を飛んでくる。

「……、ゲイルの上に強弩を載せている者もあるのか。」

 高速で疾走する巨蟲の上で、強力な弩を再装填するのは困難だろう。
 だが余計の人数を乗せてまで神兵に対抗する兵器を用いた。

 防御の目算が若干狂う。
 重甲冑の神兵は敵の攻撃を跳ね返し無傷であるからこそ、圧力となり敵を押し返せる。
 強弩が相手なら、鉄弓と同等の貫通力で無事では済まない。
 そして神族は確実に当ててくる。
 こちらの攻撃は遠間では巧みに避ける。

 当初考えていた静的な防御を捨てて機動戦に持ち込む必要があるかもしれない。

 

 ゲイル騎兵の輪の中央、特に突入が多い場所を受け持つのは、神兵キマルの隊だ。
 幾度も斥けるが、時に閉口する事もある。

「くそ!こいつは何者だ?!」

 キマルは次々と押し寄せるゲイルの中に、とりわけ目立つ動きをする個体が有る。
 神族の姿は見えない。
 赤い文様で縁取りされた箱型の騎櫓に閉じ籠もり、自身では攻撃しない。
 ゲイルが突進するのみだ。

 射撃が無いなら対処もし易いはずだが、

「なんでこいつには矢が当たらないのだ!」

 特に避ける素振りを見せない。
 他のゲイルは派手に跳んで鉄箭を避けるが、これはまっすぐに走りぬけるだけだ。
 だが当たらない。当たったはず、
キマルが必殺を期して至近から射た矢が、巨蟲の大き過ぎる的をすり抜ける。
 まるで矢に対して透明であるかに、無造作に進み来て顎を開く。

 矢で攻撃してくるのは続くゲイルだ。
 緑の縁取りの箱型の騎櫓だが、ちゃんと神族は姿を見せ弓を引く。
 前のゲイルに気を取られるキマルは、したたかに受けてしまう。

 確かに重甲冑は無敵だが、あらゆる箇所が重装甲ではない。
 顔面関節手指足、薄い部分はいくらでも有る。
 この神族は非常に精密に危険部位を射抜いてくる。

 だからとて、後ろのゲイルに集中しようとすると、前のゲイルが襲ってくる。
 箱型の櫓に閉じ籠もるが、攻撃手段を持たないわけではなく、ちゃんと矢狭間が開いていた。
 危うく眼を射抜かれるところだ。

 体勢を立て直して反撃を試みるも、既に2体は通り過ぎた後。
 虚しく二股の尻尾を見送った。

 矢が尽きた。
 夢中になって応戦している内に、手持ちの鉄箭太矢を使い果たす。
 残るのは通常の矢のみ、これではゲイルには通用しない。

「おい! 太矢を持ってこい。」

 背後のクワアット兵に命じて予備を届けさせる。
 が、いきなりその兵が倒れた。

 次の番のゲイルから狙撃を受けたのだ。
 今度は尋常の動きをするが、勢いが良い。まだ若い神族と見えて怖れを知らぬ。

「おのれ!」

と、通常の矢を番えてみるが、思い切り引き絞って鉄弓の勁さに矢が裂けてしまう。
 大剣を抜く暇も無く、鉄弓を振り回して飛び来る矢を叩き落とすばかりだ。

 2体のゲイルにさんざん矢を射掛けられ、ようやく後退を迎える。
 しばし呼吸を整える間を、と安堵した瞬間。
 自分でも知らず手が動き、空中の矢を叩き折った。

 鏃は強い鋼の先端を敢えて平たくしたもの。
 徹甲矢で、重甲冑でも薄い箇所なら確実に貫く。
 ほぼ同時に二の矢がすり抜け、直撃する。
 運良く急所部ではないが、装甲の隙間に挟まり矢が突き立ったように見える。

「!」

 先程の異様な動きのゲイル。
 こちらの矢が尽きたのを見抜いたのだ。
 取れる、と踏んで直接突っ込んでくる。

「これはまずい!」

 一手遅れてゲイルに跳ね飛ばされるが、大剣を抜いて格闘を。

 ぶっ、と足元に太矢が突き刺さる。
 危うしと見たエイベントの神兵が、自分の矢を届けてくれたのだ。

 「有り難い」と拾い上げ、即座に鉄弓に番えるが、
目前にはゲイルの白い肢の林が、薄灰色の胴体が視界を覆い塞ぐ。

 半分だけ引いた太矢は威力に欠けるが、至近距離だ。
 全身を甲羅に覆われるとはいえ、ゲイルも腹が急所には違いない。
 こんどこそ。
 重甲冑を地に倒しながらも放つ矢が、    そんなバカな。
 かわされた……。

 巨大な肢の林が幾度も踏みつけて、抜けていく。
 そのまま何の未練も見せずに去って行った。ゲイルの輪に戻る。

 隣に位置していた丸甲冑のハギオトロが駆けつける姿を、地に伏したまま眺めている。

「キマル様、ご無事ですか!」

 ハギオトロの隊は、エイベントの神兵が代わって守っている。
 キマルを救うために彼を走らせたのだ。

 倒れた重甲冑を神兵の怪力で助け起こす。
 安全を見極め、クワアット兵が4名走ってくる。鉄箭太矢の換えを届けた。
 表情は皆、生きた心地が無い。

 ようやく自らの足で立ち上がった神兵キマル信マスタラムは、背に負う大剣を抜いて地面に突き立てる。

「無様な。神兵も戦わねば錆びるか!」

 彼はベイスラにおいて、軍務よりも衛視として主に務めてきた。その面では有能を自負する。
 もちろん神兵として定期的に国境線を守り、日々の武芸を怠ったつもりも無い。
 それでこの体たらくだ。

 自分に腹を立てた。勝てぬ神兵に何の価値があろう。

 ハギオトロに元の配置に戻らせ、憤然として敵軍に向く。
 これよりは、肉弾相討つ格闘戦の覚悟無しに戦わぬ。
 弛んだ精神を矯めるには、ゲイルの緑白い血で大剣の刃を洗わずばなるまい。

 

     ***** (狩りの時間)

「神兵の鉄弓は恐るべきものだな。」

 初めて食らったわけではないが、イルドラ丹ベアムは改めて神兵の力を思い知る。

 ゲジゲジの聖蟲は自らの宿主に指向する攻撃、矢弾の軌道を一条の白い光として提示する。
 放たれる前から、鏃や投槍の穂先の延長線から延びている。
 風や動き、射手の技能まで物理的変動要因をすべて解析して精密な予測を導き出す。

 ただこちらがあからさまに避ければ、向こうも狙いを変えてくる。
 放たれるまでは動じないのも、回避率を上げるコツだ。

 

 カロアルに弓を向けた丹ベアムは、向こうも自分のゲイルの動きを先読みして狙いを修正していると気付く。
 さすがは歴戦の勇士、老練と呼ぶべきか。
 ゲイルも所詮は生きた蟲、良く観察すれば肢の運び体節のうねりのリズムが有る。
 いかに背の神族が無理を強いても、瞬間ごとに可能な動きは限られた。

 カロアルは鉄弓の軌道を読まれていると知り、それを武器として神族の次の操縦を誘導する。

「下手に思案してはならぬな。
 ゲイルも平静の状態に留め闘争心を抑えねば、付け込まれる」

 ゲイルと神族は聖蟲を通じて交わり、支配が成り立つ。
 神族の不調は逐一ゲイルに伝わる。
 負けたと思えばゲイルも怯み、恐怖に囚われれば狂乱に陥る。制御を受けつけない。

 だが、ただ走らせても戦にならぬ。
 ゲイルを制御しつつも自ら弓槍を操り敵を討ち、狗番や兵を指揮して隊を勝利に導く。
 集中しつつも別個に精神を統一し、肉体の運動も精緻を極める。
 その上で更に敵神兵の意図を推測し、先回りせねば。

「無理!」

 丹ベアムはあっさりと諦める。
 読まれるままに火のように激しく攻撃し、敵に反撃する隙を与えない!

 あはは、と妹の心の動きを読み取った兄泰ヒスガパンは笑う。

 人の裏を掻き矛盾した思惑を自在に操り奇怪極まる社会を築き上げたのが、ギィール神族だ。
 黒甲枝の神兵など、初代の救世主からして単純簡単。
 策を弄するなど思いもつかぬ朴訥な連中だ。

 射らせてやれ、撃ちたいように的になれ。
 神族を取れると思えば、その先を読んだりしない。
 こちらが相手の心理を支配するのだ。

 

 狙うは二本足で立ち上がる黒鉄の甲虫。一軍の将だ。
 真正面から突っ込む丹ベアムに真っ直ぐに鉄箭を向ける。
 鉄箭の威力は絶大で、鋼の甲でも防げはしない。が、手が無いわけでもなかった。

 黄金の弓を振り上げて輝く羽の矢を番える。
 狙うは鉄弓そのもの。
 流れる動作の女性的繊細さで、2本を連ねるように放った。

 黄金の弓はゲジゲジの聖蟲の軌道計算と神族の高い精度の技能を得て、神器と化す。
 まさに鉄箭を番える手元、細いタコ樹脂の弦を徹甲矢は目指す。

 さすがにこれは想定外だ。
 カロアルも鉄弓を振り、続く2本の矢を弾く。攻撃どころではない。
 そこを泰ヒスガパンが襲う。

 彼もまた矢を射るが、ゲイルに同乗する狗番が大弓を引く。
 固定式大型の弓で、放つのは投槍。もちろん工夫の品だ。
 当たると砕けて紐となり動きを拘束する。鉛の錘が幾つも付いている。
 わずかの時間を稼ぐだけで十分死命を制せられた。

 矢と同様、カロアルは鉄弓で叩き落とすと見たが。

 すっ、と重甲冑が姿勢を下げ左に動く。
 総重量300キロを超える塊が、なんの重さも感じさせずに。
 空飛ぶ槍を鋼鉄の指で掴み取った。
 全身で引き絞る大弓から放たれた投槍を、いともあっさりと柔らかく。

 そのまま地面に突き刺すが、力に耐えきれず砕けて紐となり、だらりと垂れる。
 下手に砕くと少々危うかったと、この時カロアル初めて気付く。

 参ったな、とゲイルの向きを変える泰ヒスガパンを、クワアット兵の集中射が襲う。
 さすがに深入りし過ぎた。
 ジグザクと左右にゲイルを振って狙いを逸し、あっさり後方へと逃げていく。

 妹がゲイルを寄せてきた。表情は無いが心配はしている。

「兄上、やはり簡単にはいきません。」
「ベアムよ。易しい獲物では絵物語も売れはしないぞ。」

 

 

「上将、そろそろよろしいか。」

 キシャチャベラ麗チェイエィの言葉に、上将カプタン雁ジジも許可を与える。

 一度後退した難民の兵を林の中で迂回させ、褐甲角軍を後方から撹乱する。
 当初からの作戦通り。そもそもが訓練もされていない難民に望み得るのはこの程度だ。

 投石と棍棒手槍、短弓は使うが弓術を修めた者は居ない。
 甲冑も無く、籐蔓の陣笠を楯の代わりにかざす。
 クワアット兵と直接対峙すれば瞬時に壊滅する戦力だが、林の中なら数が優位となる。
 所詮は嫌がらせに過ぎないが、クワアット兵が開けた畑から出て神兵が守る必要が薄れれば。

 狩りの時間だ。

 雁ジジは、『ジョガ・ジョマン・ハプ・リケル』の神族に聖蟲を通じて連絡する。
 彼らは兵師監カロアルを直接に狙う作戦を知らされていない。
 「狩り」と聞けば、それぞれの神族が好き勝手に神族を取りに行くと理解する。

 元々神族の間に協調性などは無く、己が欲するままに傍若無人に振る舞うのが本性だ。
 互いを縛る行為は最も嫌われる。

 皆「応」と返事をして、それぞれの率いる軍勢の元に一度戻る。
 『_・リケル』にも独立した隊としての戦術があった。

 

「(イルドラ殿、狩りを開始する。御二人はカロアルに狙いを絞って、剛兵の姿を隠してもらいたい)」
「{手筈どおりに、だな。了解した)」

 エイベントから応援の神兵は『_・リケル』に任せる。
 イルドラ兄妹はカロアル羅ウシィを引きずり出し、残るベイスラの神兵3人は4騎兵で相手をする。

 主戦力として期待されるチュガ輩インゲロィームアから聖蟲の通信が入る。
 概念ばかりで理解しづらいが、意味するところは単純だ。

「(こちらでも神兵を討ち取って良いか?)」
「(兵師監カロアルを討つまでは控えてもらいたい。混戦になると神兵が入り乱れる)」
「(心得た)」

 言うが早いか彼とカマートラ椎エンジュは、ゲイルを駆る。
 神兵ハグワンドが率いるベイスラの長槍隊の前に飛び込んだ。
 神兵ハギオトロ率いる弓兵隊に背後を射られる事になるが、まったく気にしない。

 長槍隊はいきなりの突入に蜂の巣を突いた大騒ぎとなった。

 一方兵師監カロアルと神兵キマルの弓兵隊は、互いに接近し連動して防御する。
 ここからカロアルを釣り上げるのが、イルドラ兄妹の手腕だ。

 雁ジジも戦場に進出して、キマルをその場に拘束する。
 麗チェイエィが傭兵剛兵を采配して、罠を完成させる。

「ベアムよ、こちらも始めよう。」
「はい、兄上。」

 

     ***  

 ゲイルの突撃が繰り返される戦場では、しばしば味方の中にも勢いの付いたゲイルが飛び込んでしまう。
 これを身体を張って防ぐのもゲイル騎兵の役目だ。
 雁ジジと麗チェイエィは兵を守りながら、兵師監カロアル攻略を開始する。

 イルドラ兄妹が全力疾走を繰り返すのを間近に見ながら、剛兵傭兵が展開される。

「フフ、驚くがよい。」

 カロアル率いる弓兵隊を指向して並べられた10両の「弩車」の列を、麗チェイエィは満足げに眺める。
 強力ではあっても重く取り回しが悪く、しかも発射速度の遅い「強弩」は寇掠軍では普通用いない。
 ましてや野戦では、兵が運用に難儀して十分な威力を発揮できない。

 今回も1両を3人掛かりで運んできた。
 弦を引き直し次の矢を装填するのにも多数の人手が必要なのだが、

 剣令の報告をゲイル上の狗番が取り次ぐ。

「弩車、準備完了しました。」
「よし、順次発射を許可する。」
「は。」

 旗幟が立ち並ぶ戦場の中央に板楯を配して設置され、剛兵が操作する弩車が攻撃を開始する。
 神兵を通り越し、背後の弓兵隊に直接だ。
 カロアルはゲイルに掛かりきりで対応できない。

「発射!」

 びん、びん、びん、と強い弦の音が響き、太矢が発射される。
 射程も威力も鉄弓をも凌ぎ、クワアット兵の弓では対抗し得ない。
 重甲冑であってもまともに食らうと行動不能に陥る威力がある。

「慌てるな、弩は矢数が無い。当たらぬように注意して射撃の切れ目に反撃せよ。」

 弓兵隊の隊長が叫ぶ通りに、再装填に時間の掛る弩は野戦ではほとんど意味がない。
 当たれば即死には違いないが、数が飛んで来ないと分かれば気を使う必要は無い。
 とはいえ的は遠く、こちらからは有効な反撃手段が無い。

「隊長、また来ます!」
「なに?」

 信じられない迅速さで次の太矢が発射される。
 板楯の後ろに並ぶ弩車は10両程度と思われるが、その全てが同時に発射してくる。

「ま、また来ます!」
「何故だ、弩を引く機械でも発明したのか?!」

 板楯の後ろで何をしているか、クワアット兵からは見えない。
 味方の不利を見て取ったカロアルは振り返り、弓兵隊の一時後退を指示する。
 神兵の背後を援護できなくなるので隊長は渋ったが、このままでは無為に損害を出すばかりだ。

「一時射程外に後退して、決死隊を突入させ弩を潰す。」
「しかし敵はギィール神族の直接支援を受けています。ここはやはり神兵の、」
「ええい。とにかく下がれ!」

 

 麗チェイエィは黄金の仮面から覗く赤い唇に笑みを浮かべる。

「戸惑っておるな。この早さで撃てる道理が無いからな。」

 仕掛けは驚くほど単純だ。
 剛兵の中にうすのろ兵が混ざっており、鈎を使って弦を引いて回る、これだけだ。
 うすのろ兵にしてみれば、なぜこんな簡単な事ができないのかと思うだろう。
 1秒ほどで終る作業をちょいちょいとこなしている。
 林の中で弩車を運ぶのにも彼はたいそう働いて、イルドラ丹ベアムに頭を撫でてもらった。

「そうだ、カロアル兵師監を孤立させよ。次は左手の弓兵隊に指向し牽制せよ。」

「ハンバーグァム!」

 上将雁ジジが傭兵の剣匠の長を呼び出した。
 彼は雁ジジの寇掠軍に何度も従う、信頼も厚い有能な戦士だ。
 ゲイルの傍に跪き、命令を受ける。
 雁ジジも狗番を通してでなく、直接に言葉を掛けた。

「今から右手の弓兵隊に圧力を掛け、混乱に陥れる。”鐡兵”で斬り込みを掛けよ。」
「おおせのままに。殿様の御為に我が命を捧げて参ります。」
「うむ、頼むぞ。」

 ”鐵兵”とは、強い傭兵の雅称だ。
 かって鋼鉄を用いる武器はギィール神族にのみ許された。
 何物をも断ち斬る鋼の剣は、石の鏃の矢を受け付けない鋼の鎧は、当時の人を驚かせ神族を「不死」と思った。
 神の一族のみが使う奇跡の武器を、やがて特別に鍛えた信頼厚い兵達が許される事となる。
 これを”鐵兵”と呼んだ。まさに鉄で戦う兵である。

 現在ではすべての兵が鉄の武器を用いるが、誉は今も残る。
 傭兵の中でも神族への忠義厚き者が自ら名乗る。

 

 雁ジジの合図でエイベントの神兵と交戦していた『_・リケル』のゲイル騎兵が反転する。
 神兵キマルの隊にも攻撃を仕掛けた。
 クワアット兵の射程内にもゲイルが駆け込んで来るので、夢中になって矢を射掛ける。
 いつしかキマルの隊は南方に引き出され、羅ウシィの鉄弓がカバーする範囲を外れる。

 ばしぃ、と黄金の槍で肢を叩いて、雁ジジのゲイルが単騎で進み出る。
 キマルの隊に狙いを付け攻撃に参加しようとする姿だ。

「むん!」

 雁ジジの狗番が全身の力を込めて背を逸らし大弓の弦を引く。
 ゲイルの上から「煙幕筒」を放り込む。
 ここに来て初めて火を使う武器を投入した。

 煙を発生させる筒を縛った投槍は、10本が畑に刺さる。
 吹き出す煙は白く激しく吹き出し、たちまち視界を塞ぐ壁を作った。
 キマルとカロアルを分断する。

 煙に隠れてハンバーグァムはクワアット兵への斬り込みを開始した。
 一騎当千の傭兵を40人率いる彼は、50のクワアット兵と互角以上の戦いが出来るだろう。

「いかん!」

 異変に気付いたのは、一人孤立して見通しが良かったカロアルだ。
 だがイルドラ兄妹が執拗に彼を狙い、応援に動けない。
 後方に下がった弓兵隊に合図を送り、弩車の狙撃を覚悟でキマルの弓兵隊の援護に向かわせる。

 

「(麗チェイエィ殿)」
「椎エンジュ殿か、いかがした。」

 カマートラ椎エンジュは戦場の端に行き、林の先の遠くにまで感知の枠を伸ばした。
 次の戦場の変化を予告する。

 ギィール神族は7里(キロ)の範囲を知ると言われるが、遠すぎれば精度も相当に落ちる。
 人が居るか居ないかを知る程度だ。

「(穿攻隊の到着が近い。狩りの機会は多分これ一回のみで終わるだろう)」
「任せておけ。それよりも穿攻隊に喰われるなよ。」

 

     ***** 

 金雷蜒軍の動きがにわかに慌ただしくなったのは、穿攻隊の接近を感知したためだろうと羅ウシィは考えた。
 ギィール神族の超感覚は戦場にしばしば不可解な動きを引き起こす。
 その意味を読み解くのも黒甲枝の務めだ。

 褐甲角軍は情報的には常に神族に遅れを取る。
 いかなる事態に陥っても混乱しないため、真っ当正攻法の用兵のみを心掛けている。

 穿攻隊が到着した後、金雷蜒軍はいかにするだろう。
 最早これ以上の進軍は望めない。
 ヌポルノ村に侵攻し殺戮の限りを尽す、という第一目標は消えた。

 第二目標は、通常クワアット兵となる。
 無理して神兵と戦わずともクワアット兵の死傷者を多数出せば、褐甲角軍に多大な損害を与えられる。
 今次大戦において、金雷蜒軍はこれを目的とした攻勢を多数行っている。

 今回の総攻撃が失敗に終ったとしても、クワアット兵の数が足りなくなれば第二第三波の攻撃を防げない。
 内部への浸透を防ぐのも困難になる。
 警戒網が手薄となり、難民の武装集団の跳梁を防げない。

「そういえば、バイジャンはちゃんと逃げ切れただろうか?
  最後の連絡以降報告が上がって来ないが。」

 カロアルは息子の小剣令軌バイジャンを思い出した。
 彼は未だクワアット兵の身分に留まり、今回の襲撃を早期に察知する大役を果たしてくれた。
 この戦を終えた後、自分のカブトムシの聖蟲を引き継いで、新しい時代の褐甲角王国を担ってくれるはずだ。
 彼の世代こそが、青晶蜥神時代の主役となる。

 携帯する矢が少なくなったので、背から大剣を下ろして地に刺しておく。
 矢が尽きればそのまま斬り込んで弩車を蹴散らし、再び戦場の支配権を奪取する。
 穿攻隊の到着はその直後となるだろう。

「む?」

 煙がこちらに流れて来て、彼の視界を遮った。
 加えて麗チェイエィのゲイルが、今度はカロアルを対象に煙幕筒を投入する。

 神兵は煙幕には惑わされない。
 夜の闇と同じで、視覚が制限されるとむしろ勘が鋭くなる。
 より剣の切味が増すと金雷蜒軍は怖れていた。

 であれば、この煙幕の目的はクワアット兵に対してだ。
 カロアルの指示でキマルの隊を救援に向かった弓兵隊を攻撃するのだろうか。

 煙の中から淡い影が膨らむ。轟音と共にゲイルが至近に突入した。
 泰ヒスガバンの肉薄攻撃だ。
 弓矢では重甲冑を纏う神兵には通じない。
 効かぬを承知で手持ちの鉄箭太矢を消費させる攻撃を繰り返したが、今度は違う。

 ぎゅんと横殴りに飛んできたそれは投槍、いや銛だ。
 全鉄製の銛の後ろに綱を結わえ、ゲイルの速度を利して振り回し殴りかかる。

 これを鉄弓で受けたのは失敗だ。
 いかに鍛えた鋼であろうと所詮は弓として作られたもの。
 重量のある銛の衝撃に弦が外れ、持ち手を止める鋲が延びてしまう。

 羅ウシィは鉄弓を諦め、大剣を地から引き抜いた。

 大剣には特別な力がある。それは神兵の魂の叫び、大いなる血の昂ぶりだ。
 巨大で強力な敵に肉薄し危険を顧みず打ち合い斬り結ぶ。
 これこそが額の聖蟲が求めるもの。

 まもなく息子に聖蟲を譲る齢であっても、こればかりはなかなか諦め切れない。

 またも煙が膨らんで、今度は丹ベアムの攻撃だ。
 黄金の槍を用いてすくい上げるように斬り込んで来る。

「青いな。」

 大剣を用いる神兵に対しては、ゲイルを犠牲にする覚悟が必要だ。
 ゲイルの全体重を相打ち覚悟でぶつけなければ、有効打は望めない。
 丹ベアムの攻撃は軽くいなされ、虚しく二股の尻尾が煙を巻いて去っていく。

 

 視界全てが煙に覆われ、ゲイルの走る轟音、鉄弓の甲高い弦の響き、鉄同士がかち合う声、武者の雄叫びが聞こえる。

 カロアルは何故か独りになった。
 敵意は感じる。だがゲイルが自分に向かって来ない。

「退いた? 先ほどまでの若い神族は、退いたな。」

 ゲイルの音が下がったのは、執拗に攻撃を繰り返していたイルドラ兄妹が一時後退した証しだ。
 展開中の剛兵をゲイルの尻尾に巻き込まぬよう、一時煙の外に出る。
 羅ウシィを包む罠は、ひたひたと完成しつつあった。

「兵師監さま!」

 羅ウシィの姿が煙に巻かれたのを懸念して、数名のクワアット兵が近くに進み出る。
 視界の定かならぬ中、四方を警戒しながら兵師監を呼んだ。
 この煙であれば弩車には狙撃されないだろうが、ゲイルに巻き込まれる危険は有る。

「あまり近付くな! 右耳3分50歩を射よ。」
「は! 了解しました。」

 クワアット兵はゲイルに対抗する為に、集団で同じ目標を狙撃する術を教え込まれている。
 煙や闇で目標が見えなくとも、指示に基づいて矢を集中させる技能を持つ。
 指揮者を基準として方位を定める符丁も有り、かなりの正確さで矢を集める。

 果たして羅ウシィの指示通りに射ると、剛兵が一人引っ掛かった。
 煙の中に上がる悲鳴に、クワアット兵も意を強くする。
 敵はなにかを狙っている。

 剛兵に死者が出たと見て麗チェイエィがゲイルを寄せ、大弓で投槍を打ち込んだ。
 カロアルが既に鉄弓を使っていないと知り、大胆に接近する。

 ばり、と耳をつんざく音を立てて、投槍は大剣に引き裂かれた。
 羅ウシィはクワアット兵に合図して、自分に近付くのを差し止める。

 剛兵達はその音を目当てに、矢を何本も打ち込んだ。
 常人の矢など重甲冑に通じないが、クワアット兵は危ない。
 射返すが、さすがに当たらなかった。

 麗チェイエィが、まさにここだと見極めて剣令に指示を出す。
 黄金の槍でゲイルの肢を甲高く叩く音を聞いた剣令は、剛兵の囲みを詰めさせて最後の攻撃に移る。
 煙幕が薄れる中、カロアルは重装甲を利して壁となり、クワアット兵を護る。

 難民の兵2名が再び大きな旗を掲げて突き進む。
 これは死兵だ、あらかじめ死を命じられている。

 大胆な突撃にカロアルはなにかの策かと、一瞬戸惑った。
 しかし、再び投槍が飛んでくるので雑兵に構っていられない。
 ぐいと進んで無造作に斬る。ゲイルの所在を確かめた。

「ここだ!」

 剛兵の一人がギィール神族より託された秘密兵器を使用する。
 強酸の瓶を投射する小型の弩。瓶を保護する為に仕掛けを筒の中にしまい込み、携帯を便利にしている。
 射程距離は短くせいぜい20メートルだが、彼はさらに近付いて発射した。

 やはり神兵に油断は無い。
 大剣を手首で返して空中で斬り払う。が、強酸性の液体が散乱し右手に襲いかかる。

「しまった! これを忘れていた」

 いかに無敵の重甲冑でも、弱点はある。
 炎の中でも平気で歩む事が出来るのだが、或る種の酸には弱かった。
 そもそもが重甲冑翼甲冑、神兵が用いる兵器のほとんどにギィール神族の手が入っている。
 その特性も弱点も知り尽くしていた。

 混乱するカロアルを、すかさず第二撃が襲う。
 剛兵、名はバロアがとどめを刺した。
 強酸瓶は2つしか用意しておらず、必中しか許されない。
 狙いの神兵が酸を浴びたと見てバロアは必死に走り、大剣の間合いにまで踏み込み重甲冑の胸部を狙う。

 この強酸瓶はただの容器ではない。
 正面先頭から衝突すれば想定通りの機能を発揮して、装甲を穿つ。内部に吹き出す圧力を発生させる。

 重甲冑の装甲は、布や鉄箔・金網をタコ樹脂で何層も塗り固めたものだ。
 整形がし易く思い通りの形状が実現可能。軽量強固で打撃斬撃刺突に強く、木材が燃える炎では冒されない。
 あらゆる面から無敵であるが、化学薬品には弱かった。

 通常戦場には強酸など持ち込まない。そもそも扱いが難しく、神兵の至近で液体を掛けるなど不可能だ。
 考慮せずとも問題のない弱点である。

 

 カロアルの胸部で破裂した瓶は、直ちに化学反応を起こして内容物を強烈な勢いで噴出する。
 振り払うまでのほんの数瞬で分厚い装甲を貫通し、肉の身体にまで到達した。

 いかにカブトムシの聖蟲が無双の肉体を与えるといえども、薬品はダメだ。
 刀槍の傷なら血止めして抑えるが、肉を焼く酸には神の力も効果が無い。

「ぐ、ぐぐうううううう、」
「や、やった…、
 やた、やた、やったあ、雁ジジさま、御館さま、やりま!」

 ゆるやかに地に膝を突く重甲冑を見て、バロアは両手を振り上げ喜びを露にする。
 驚いて飛び出したクワアット兵に気付かず、そのまま射殺された。

 カロアルの周囲に5人が駆け寄るが、300キロの装甲を常人の力では脱がせられない。
 無理して手を出した者も、表面を濡らす薬品に手を焼かれる。

「兵師監さまが、カロアル様が!
  誰か、神兵の方お助け願いたい! 誰かーあ!」

 

 

 必死に叫ぶクワアット兵の声で、異変はたちまち戦場全体に知れ渡る。
 カプタン雁ジジははしと騎櫓の枠を叩いて、足元にうずくまる蝉蛾巫女エローアを引き出した。

「歌え、凱歌を。金雷蜒神に黒甲枝の魂を捧げるのだ。」
「かしこまりました。」 

 その時、北側で長槍隊と戦っていた椎エンジュから、全員に対して通信がある。

「(穿攻隊が到着した。翼甲冑を纏った神兵10、遅れてクワアット兵が2隊従っている。
 上将、一度兵をまとめ陣を立て直すべきだ)」
「(上将、我らが時間を稼ぐ。剛兵を仕舞われよ)」

 イルドラ兄妹も北に向かい、その猶予を用いて雁ジジは剛兵傭兵の撤収を開始する。
 林で撹乱をしていた難民の兵を再び投入し、投石での牽制攻撃を命じた。
 ハンバーグァム率いる斬り込み隊も薄れる煙の中、畑の草を掻き分けて上将の元に集う。

 丹ベアムが雁ジジに先程の戦果の確認を求めた。

「(上将、兵師監カロアルの首は誰が取った? 確実に殺したか)」
「(いや、とどめは刺していない。ほぼ間違い無いと思われるが、既に近づける状態に無いのだ)」

「(最も近くに居たのは麗チェイエィ殿だな。何故突っ込まない)」
「(……済まぬ)」

 勿論、薬瓶の直撃を目視した麗チェイエィはただちにとどめを刺そうとする。
 だが、出来なかった。

 彼女の額の聖蟲がはっきりと告げていたのだ。
 カロアルからまっすぐに伸びる大きな白い光、重甲冑が肉弾となって飛んで来る。
 神威がほとばしる『吶向砕破』がまっすぐ自分に向かっているのに、彼女は竦んでしまった。

 最後の力を振り絞りゲイル騎兵と相打ちを図ろうとする神兵の覚悟が100メートルも伸びる。
 不用意に踏み込めばゲイル諸共両断されていただろう。

 雁ジジには事情がよく分かる。
 瀕死の黒甲枝が何をしでかすか、戦場を幾度も往復する強者の良く心得る所だ。
 責めるのを打ち切って、告げる。

「(イルドラ姫、カロアルを仕留めた剛兵の名はバロアという。覚えておいてもらいたい)」
「(むう。神族の名が残らぬのか。それは困るな)」

 

 戦闘はまだ終わらない。
 北の林に真紅の翅の輝きが差し込んでくる。
 緑の葉陰から陽光の下に躍り出る有翼の神兵の姿が、次の激戦を告げる。

 

 

     ***** (穿攻隊到着)

 穿攻隊に配置されている赤甲梢の神兵は現在微妙な立場にある。

 ミンドレア・ベイスラの穿攻隊およびガンガランガの兎竜掃討隊には、かなりの人数の赤甲梢神兵が配置されていた。
 彼らが本隊に同心して反乱を起すのでは、という疑念は当然誰もが持つ。
 いや期待していると言ってもよい。

 それだけ敵国領内に単身突入する作戦は黒甲枝の琴線に触れた。
 赤甲梢こそ褐甲角神「クワアット」の真の使徒だと、人目もはばからず高言する上層部の人間もある。
 多くの神兵や黒甲枝出身のクワアット兵も同じ気持ちで、命じられれば
いや赤甲梢達が立ち上がるならば応援に行きたいと願っている。

 

「教官、ぶしつけではありますが一つお聞かせ願えませんか。
 あなた方は今回の作戦を何時から知っていたのです。」

 ベイスラ穿攻隊から難民移送団への支援に10名の神兵が派遣される。
 率いるのは、赤甲梢中剣令 ロク陽ハンァラトレ。
 サト英ジョンレが剣匠令の資格を取った際に教官を務めた人物だ。 

 近隣の村で出撃準備をする中、意を決してサトは問い掛ける。
 遠慮して口をつぐんでいた他の神兵も一斉に振り向いた。

 ロク陽ハンァラトレは32才で、位こそさほど高くないがずば抜けた剣技を持つ。
 出自も確かな黒甲枝であり、王都の神兵戦技研究団に教官として招かれた事もある。
 実績と忠誠心を認められ聖戴を許された点からも、尊敬すべき神兵だ。

 それだけに赤甲梢総裁キスァブル・メグリアル焔アウンサ王女から詳細を知らされてしかるべき。
 と皆に思われている。
 秘密作戦にいかに関わったか、興味は誰もが持つ。

 これまではほのめかし韜晦するだけであった彼も、サトの真っ正面からの攻撃には窮した。
 今より向かう戦場において指導力を疑わせぬ為にも、この問いには答える必要がある。

「我々は、赤甲梢は、神兵は元より所属するクワアット兵一人ひとりに到るまで、作戦が立案される最初の段階で打ち明けられた。
 総裁御自らの口からだ。」
「おお!」

 彼が逡巡し覚悟を決めて発した言葉に、驚嘆と羨望の声が上げる。
 明らかに軍令違反を伴うだろう作戦を末端の兵士にまで伝えて漏れるのを怖れない、その信頼。
 焔アウンサ王女の人望の厚さに誰もが憧れた。

「では誰一人として反対する者が居なかった、という事ですか。」

 隊長の次に年長のジュアン呪ユーリエが、その場を仕切る形になる。

 反対、と聞かされてロクは首を傾げる。
 彼ら赤甲梢の使命は、敵領内への侵攻と要塞陣地への殴り込みである。
 ソグヴィタル王 範ヒィキタイタンの提唱した侵攻計画に基づき、尖兵となるべく鍛え上げられた。
 長年の夢が遂に実現すると聞かされ、尻込みする者があるだろうか。

「たしかに軍の秩序を考えれば反対すべきだったのかも知れない。
 だが我々にそれは出来ない。
 あまりにも喜ばしく、血の滾りを抑えられない作戦だからだ。」
「それは分かります。しかし無謀だとは考えませんでしたか。」

「無謀か……。」

 ロクは東の空を、窓の外に繁る夏の緑を見上げる。その遠き先は本来彼が在るべき戦場だ。
 無謀に無謀を積み重ねているだろうな。

「では穿攻隊に回された時、隊長はどのように思われました。無念とはお思いになりませんでしたか。」

 若い神兵の言葉はロクの胸を深く抉った。
 十年待った作戦からむざと外されると知った彼の心境を、伝える術は無いだろう。

「最初から分かって居た話ではある。
 本隊の作戦発動を滞り無く行わせるには、誰かが後方支援をし、また中央軍制局の目を欺かねばならない。
 だから籤を引いたよ、誰も引き受けたいとは思わないからな。」

 ジュアンは、ここで改めて聞かねばならぬ問いを突き付ける。
 神兵の王国への忠誠を疑う者は居ない。
 しかし法の支配と信仰とを天秤に掛けた場合、どちらに傾くかは人それぞれなのだ。

「赤甲梢として、あなたはこれからどうなさるおつもりです。
 要請があれば、法を冒してでもメグリアル王女をお救いに行きますか。」
「諸君らは勘違いしているようだ。

 現在の赤甲梢総裁はキスァブル・メグリアル焔アウンサ様ではない。現在あの御方は総裁代理だ。
 真の総裁はウラタンギジトに在られるメグリアル劫アランサ王女だ。
 我らは総裁の命に従う。私的な意見など関係無い。」

 はぐらかされたようで、聞く者には少し不満が残った。
 その気配を察して、ロクは自分の行く先を明言する。

「わたしは確かに赤甲梢本隊の侵攻作戦に心惹かれている。
 だが、だからと言って目の前の敵を無視するなどあり得ない。
 そこにゲイルがあり民に危害を加えているのであれば、何を差し置いてでもこの身を捧げ神兵の使命を果たす。
 それだけだ。」

 付け足して言う。

「だが今次大戦においてわたしは大いに不満である。
 ベイスラ穿攻隊は何度か激戦を繰り広げ、絶え間ないゲイルの襲撃を撃退し続けた。
 にも関わらず、確とした戦果が上がっていない。これはまったくもって受入れ難い。
 東金雷蜒王国突入を諦めた代償として相応しくない!」

「では?」
「戦わせてもらおう。ゲイルへの一番傷はわたしが頂く。」
「いや隊長がそれでは困ります。我らを指揮してくれないと」
「という訳だ。わたしの鬱憤晴らしの邪魔をするなよ。文句が有れば、剣で聞く。」

 

 そして今、彼らは林の中を走っている。

 求める敵は10騎以上。既に王国深くに進入し、激戦の渦中にある。
 装備も意欲も十分な、申し分の無い獲物と言えよう。

 翼甲冑の肢の爪が木の根、草の茂みに突き刺さる。
 鉄の刺を持つ拳が樹の幹を抉り白い傷痕を残して、強引に突き抜けた。
 タコ樹脂の広い翅が細かく振動し、赤い甲虫に矢の勢いを与える。

「遅れるなよ、誰にも獲物は譲らないぞ!」

 

     ***

 薮を掻き分け林の中から飛び出した穿攻隊の神兵は、広がる空間に満ちる不協和音に一瞬たじろいだ。

 神兵はカブトムシの聖蟲が帯びる精気の振動を音として認識する。
 ベイスラ・エイベントの神兵7名が戴く聖蟲と共振し、感じ取れた。
 だがこのうなりは、明らかに異常事態を示している。

 刀槍弓矢で宿主が殺されても、このような狼狽えぶりをカブトムシは示さない。
 聖蟲本体に対しても不可避の危険が迫っているとしか考えられない。

 穿攻隊は左右を見定め敵を選び、同時に異変の元を探る。
 翩翻と翻る無数の旗幟、白くたなびく煙幕の帳。ゲイルの疾走に伴う土煙が幾重にも重なり、敵味方の様子が掴めない。
 答えは声で示される。

「誰かーー! 神兵の方御助力を! 
 カロアル様が、兵師監さまが手傷を負われました。なにとぞ、なにとぞー。」

「隊長! ロク様」

 必死に叫ぶクワアット兵の声に、サト英ジョンレが敏感に反応する。
 長く恩顧を受けたカロアル羅ウシィ兵師監が敵の攻撃に倒れたとなれば、彼が救いにいかねばならぬ。
 隊長に願い出た。

「! よし行け。」
「隊長、わたしも参ります。兵師監の指揮していた隊が統率を失っているでしょう!」
「任せる!」

 サトに続いてジュアン呪ユーリエも走る。
 このように神兵が倒れた時こそが、ゲイル突入の好機なのだ。
 神兵の援護の無いままに巨蟲の攻撃を受けては、いかに訓練を積み重ねた兵でも瞬時に潰される。

 

「どうしたー! 兵師監さまはどこだ!」
「こちらです、こちらですー!」

 走りながらもサトは兜の蟲の面を取る。
 視界が制限されていては、この状況では敵の矢面に迷いこむ。
 そこはすでにクワアット兵が囲む場所となっていた。
 円陣を組んで守る中央に横たわる巨大な黒い影は、

「カロアル様!」
「おお! サト様ですか!?」

 カロアル兵師監を必死で確保していたのは、ノゲ・ベイスラ市で長く防衛隊に配属されていた小剣令だ。
 当然サトも知っている。
 旧知の神兵の到着で胸を撫で下ろし、勢い込んで兵師監の状態を説明する。

「カロアル様は敵の兵が用いた薬瓶での攻撃で強力な酸を浴びられたのです。
 一発は右腕に、胸にもう一度。」
「胸の、装甲部か?」

 重甲冑の胸といえば、この世で最も強固と思われる非常に分厚い装甲だ。
 強弩の太矢が直撃しても耐えるのに、一目見たサトは絶句する。

「貫通している……。」

 拳大の径で黒褐色の装甲が酸に冒されてへこみ、さらに指の太さの穴が内部まで届く。
 傷としては極めて小さいが、その奥にたぎる熱気が篭っていた。
 装甲に用いられるタコ樹脂が、目に見えない焔を上げて燃えている。

「どけ!」

 クワアット兵を殴り飛ばすいきおいでカロアルを抱きかかえたサトは、急いで装甲を引き剥がそうとする。
 無論重甲冑はちゃんとした手順を踏まなければ、脱着出来ない。
 改めて、首の装甲の裏にある脱落釦を押してバネを一本ずつ外していく。
 左右の肩3本に脇2本、腹の3本ずつを外して、ようやく胸部装甲を排除出来る。

 クワアット兵が首を並べて見守る中、サトは慎重に装甲を前面に引き出していく。
 脇を固める補助装甲を手伝わせて外し、初めて内部の様子を確かめる事が出来た。

「          。」
「         カロアル様……」

 内部に浸透した酸と激しく燃えたタコ樹脂の熱とで、カロアル羅ウシィの胸部腹部はすっかり焦げ内臓まで黒く抉られている。
 いかに聖蟲の加護がある肉体でも、耐えようが無い。

 サトはカロアルを地に横たえ、兜と面を外す。
 空気が入ったと思うその瞬間、中からカブトムシが飛び出して来た。

 聖蟲はあくまでも宿主を守り抜くが、これほど激烈な攻撃にさらされては自身にも危険が及ぶのだろう。
 尋常の死を迎えたのであれば、こんな勢いで逃げ出す事は無い。

 兜と面を取り去り、顔を風に曝す。
 胸腹部に篭った熱気は、胸部に内装される呼吸具を通じて頭部にまで至る。
 火炎の中でも活動できる仕掛けだが、この時は逆に。

 大恩ある神兵の死顔を見て、改めてサトは零した。

「もうしわけ、ございません。サト英ジョンレ遅れましてございます。」
「どうした、兵師監は!」

 残された長弓隊の指揮権を委譲されたジュアンが鉄弓を手に近付いた。

「カロアル兵師監は、……なんということだ!」

 ジュアンも毒地で何度も戦い、味方の神兵が討たれる場面も見た。
 しかしこの死顔はどれよりも凄惨なのものだった。
 だが怯んではいられない。
 戦闘は未だ終らずゲイルの勢いは止らない。神兵を討ち取って士気は上がっていよう。

「英ジョンレ、兵師監を林の奥に曳いていけ! 
 その後は隊長に従い戦線に復帰しろ。今すぐだ動け!」
「   呪ユーリエ殿ありがとう。」

 為すべきを忘れ呆然とカロアルの傍にひざまずくサトは、言葉に撃たれて立ち上がる。
 重い甲冑を着た遺体を曳き始める。
 戦場に神兵の亡骸を残したままでは、味方の士気が落ちる。

 ジュアンは長弓隊を再編し、兵師監を曳くサトを援護させる。
 近付いたゲイル騎兵に統制された集中射を浴びせた。
 神兵を討ち取ったのであれば、その印を求めるのが必定。これ以上の恥辱を兵師監に受けせてはならぬ。

 1騎のゲイルが煙の中から静かに姿を見せる。攻撃に移る気配が無い。
 距離は遠い。弓兵を留めてしばし観察した。

 背に乗る神族は身体の線の美しさ甲冑の優美さから女人と推察される。
 顔は面で隠され、表情は伺い知れない。
 赤い唇が妖しく蠢く、自分に語りかける。

 聖蟲で強化される眼なら見えるだろう、ということか。

”兵師監カロアルは本作戦の第一目標である。汝も彼の仁ほどの責を負うや”

 答える代りに鉄箭を射た。
 大きく山なりの軌道を描いて、まさしく彼女の位置に落ちる。
 造作もなく巨蟲を操って避け、再び唇が動いた。

”復讐を望むならば、我を求めよ”

 

「呪ユーリエ殿!」
「来たか。」

 西の林に兵師監の姿を隠し邑兵に護らせて、サトが再び戻ってくる。
 戦意を取り戻した彼に、ジュアンは遠くの神族を指し示す。

「あの神族が兵師監の仇らしい。」
「なに?」
「だが挑発に乗るな。隊長の指示に従って討てるゲイルから確実に仕留めていく。」

 穿攻隊10名、高速で疾走する翼甲冑の神兵の参戦は、危険極まる要素である。
 だが敵軍は大して混乱を見せない。すでに撤退を開始しているようだ。

 カロアル兵師監を討ち取り、褐甲角王国の難民行政に多大な損害を与える。
 当初の目的は完遂された。
 これ以上の戦闘はいたずらに兵を損なうのみ。剛兵や傭兵は撤退させる。

 だが戦場から常人の兵が消えれば、神族神兵ともに真の実力を発揮できる。
 これこそが神に選ばれし者が求める戦い。
 純粋な死力の激突だ。

 またその激闘の間に、兵達は国境へと退き安全に帰還するわけだ。
 ジュアンは敵の意図を推察する。

「どうやら一般の兵や難民は林の中で戦闘を行うようだ。」
「撤退支援ではなく?」
「追撃をあらかじめ封じる為に、クワアット兵に打撃を与える。定番の策だな。」

 サトに弓兵隊の指揮を任せて、ジュアンは穿攻隊長のロクの元に走る。
 ベイスラ・エイベントの神兵と協議して新たな作戦を組み立てねば。
 ゲイルとの格闘戦にかまけている間に兵を損ないかねない。

 サト英ジョンレは改めて翼甲冑の仮面を着け直す。
 蟲を形どる面は神兵の感情を見せず、怒りを持って敵を倒すのではないと表現している。
 仇は討ちたいが、カロアル兵師監は人の命を救う事こそ望まれただろう。

 彼の息子を思い出す。輸送隊の小剣令は今どこで戦っているのか。

「バイジャンよ、しばし許してくれよ。
 神兵としての責務を果たすのは、なかなか辛抱が要るんだからな。」

 

     ***** 

 穿攻隊の投入と共に、クワアット兵は林に退避させる。
 損害は小さいものの、弩車の連射と傭兵隊の斬り込みで結構負傷者が出た。
 休息と再編をさせる。

 ジュアン呪ユーリエの進言で、クワアット兵の防御の為に神兵1名を林に配置した。
 ハギオトロ環マセマシュは、ゲイル騎兵との格闘戦には防備が弱すぎる。
 一人だけ丸甲冑のしかも破損したものを着装するから、万が一跳ね飛ばされたら無事には済むまい。

 ハギオトロも神妙に受け入れた。
 神兵キマルがゲイルに蹂躙され、カロアル兵師監が戦死したのだ。
 現実を直視すれば、自らにふさわしい場所で戦うべきと腹を括る。

 

 ゲイル騎兵と神兵が斬り結ぶ格闘戦は、双方共に求めぬものだ。
 なにしろ犠牲が大き過ぎる。
 どちらも1人死ぬ度に戦力が大きく損なわれた。

 にも関わらず、しばしば発生する。
 理由は簡単、他の兵が付いて来れないからだ。

 ゲイルは時速50キロもの高速を誇るが、神兵が纏う重甲冑・翼甲冑にはタコ樹脂の翅が生えている。
 カブトムシの聖蟲の精気の振動で推進力を生み出し、翼甲冑で24キロ、重甲冑でも15キロを叩き出す。
 人間が武装して出せる速度ではない。
 故に神兵は単独で前進してゲイルを自ら引き受け、後方に控えるクワアット兵を守る形となる。

 だが防風林に囲まれたベイスラの畑は狭い。
 限定された空間にゲイル騎兵12騎、神兵16人は多すぎる。
 金雷蜒軍は戦場で走り回る数を6騎として、順次交代して走り続ける策を取った。

 褐甲角軍は、新たに参戦した穿攻隊が格闘戦を担当し、ベイスラ・エイベントの神兵は鉄弓で支援する。

 穿攻隊の神兵の武器は斧戈、長さが3メートルで大きな斧刃を備えている。
 ゲイルの肢を刈る為に特別に頑丈に作られた。だから長くは出来ない。
 赤甲梢ではあまり用いない。
 彼らは兎竜に乗ってゲイルを追い、また城壁を登って敵を薙ぎ払う。
 携帯に便利な大剣の方が好まれた。

 翼甲冑と重甲冑では操法が大きく異なり、戦力としてもずいぶんと性格が違う。
 だが正直なところ、翼甲冑の性能を一般の神兵や黒甲枝は知らない。
 連携をするにも動きが予想出来なくて戸惑うのだ。

 また穿攻隊として今次大戦で初めて用いた者は、やはり赤甲梢より習熟度で劣る。
 この狭い空間に高密度で詰め込まれたゲイルと戦えるのか、かなり不安だ。

 

 一方ゲイル騎兵は。

「この竜巻のようなゲイルの隊形は?」
「北で赤甲梢がさんざん兎竜でいたぶったからな、ゲイルを連動して用いる新たな操法が確立されたのだ。」

 もしトカゲ神救世主「ガモウヤヨイチャン」が居れば、「電車が襲ってくる」と表現しただろう。
 複数のゲイルのうねりのタイミングを合わせ、あたかも一匹の長虫のように振る舞う。
 この陣形は今次大戦で初めて確認された。

 高速の兎竜隊に背後を取られない為のもので、それぞれの神族が分担して複数の目標に対処する。
 敏捷な翼甲冑での斬り込みも効果的に防ぐ事が出来た。

 この陣形への対処法は、さすがに穿攻隊長ロク陽ハンァラトレも知らない。

「致し方ない! 走れ、敵を走らせろ。」

 これは対ゲイル戦闘でのセオリーだ。
 巨蟲も所詮は尋常の生き物、動き過ぎれば当然に疲労して動きも鈍る。腹も減る。
 長期戦になれば疲れを知らぬ神兵が有利。

 だからこそ、ゲイル騎兵は激烈な戦闘力で早期に打撃を与えようと襲ってくる。
 順次交代してゲイルを休めようとする。

 

     *** 

 浸透攻撃隊の上将カプタン雁ジジの懸念も、そこにある。
 すでに一戦交えて、ゲイルにも休息が必要だ。
 水が要る。

 平常であれば2日に1回しか飲まないゲイルだが、この炎天下で戦闘し走り回ればもちろん渇く。
 移動時にはゲイルの上に水樽を乗せて運んでいる。
 だが戦闘中は軽くする為に下ろしておく。
 適宜休ませて飲ませねばいくらも保つものではない。

 戦闘前に用意した水は、これまでにおおかた消費し尽くした。
 雁ジジとキシャチャベラ麗チェイエィは、水場の確保に当たっている。
 畑の北側の溜め池は、今はどちらの制圧下にも無い。
 ここに剣匠ハンバーグァムが率いる傭兵隊を差し向け、奪取に及ぶ。

 麗チェイエィが特に指示し剣令に命じる。

「もしも傭兵隊で果たせねば、剛兵に防毒面を着けさせて毒煙筒を使用する。準備させよ。」
「は?、ははあ!」

 毒煙の中でもゲイルとギィール神族、褐甲角の神兵は無事だ。そういう毒を用いている。
 夏場の防毒面の使用は極めて暑く苦痛であるが、忠誠心の強い剛兵であれば耐えてみせる。
 しかし事故は必ず起こるものだから、剣令は尻込みした。

 

 一列になって疾走するゲイルは、曲がりくねって大きく外に膨らみ、遠心力を発生させる。
 さすがの穿攻隊も、ここでは斬り込めない。あまりの迫力にたたらを踏む。
 背で矢を放てば加速して更に威力を増し、止まった神兵に大きな打撃を与える。

 上将雁ジジから聖蟲で連絡があった。 

「(『_・リケル』の2騎が休息する。イルドラ殿、入ってくれ)」
「(了解した)」

 抜けたゲイルの後釜に潜り込むイルドラ兄妹。たちまち遠心力に振り回される。

「いやあ、爽快だな。」

 神族であればそのような感想になるが、同乗する狗番はたまらない。
 やむなく紐や鎖で自らの身体を騎櫓に結んで、振り落とされるのを防いでいる。
 乗り物酔いなど当たり前で、気が遠くなりそうなまま戦った。

 疾走状態では弓で戦うしかないが、翼甲冑の神兵相手に槍を振るいたくもなる。
 兄泰ヒスガバンが振り回す綱付きの鉄銛が羨ましい。
 遠心力で神兵を効果的にぶん殴る。

「兄上はこのような戦をいつ考えた。」
「ベアムよ、背の狗番が気絶しておるぞ。」

 だが兄は、いきなり銛を振り回し、地上の何かを打った。
 がつんと跳ね返る。
 釣竿を上げるように綱を上に跳ねさせ、銛を回収する。「く」の字型に折れ曲がっていた。

「兄上、それは。」
「姑息な奴。地面を大剣で薙いで、ゲイルの足の爪を斬ろうとした。
 地味だが確実に効果は有る。気をつけよ。」
「はい。」

 敵は下だけではない。遠くから鉄弓での攻撃もある。
 頭上から落ちてくるから適切に対処すれば当たらないが、一列となって疾走する状態だとまた難しい。
 1騎のみ下手な避け方をすれば隊列が乱れ、神兵に思わぬ馳走をしてしまう。

 また敵は神兵だけではない。
 真夏の暑い日差しがゲイルの背を直撃し、騎櫓の神族を焼いた。
 疾走する風で効率的に冷却されるが、黄金の兜に熱が籠もってくる。

 額に汗が滝のように流れ、眼に入り視界を塞ぐ。
 丹ベアムはしきりに瞬きをした。仮面が、手甲が邪魔で拭えない。
 狗番に拭わせようにも、気絶している。
 彼が騎櫓を飛び出さないように尻で押さえつけていた。

「いっそ眼をつぶった方が戦い易いかも。」

 余計な事を考えた瞬間、人の顔が見えた。
 思わず指が矢を離す。あらぬ方向に飛んでいく。

 他とは異なる真紅の翼甲冑を纏った神兵だ。
 蟲の面を外して顔を晒し、大きく息をする。
 当然だ。自分の足で走り回る神兵の方が、ゲイルの背の神族よりも暑いし汗をかくだろう。

 彼の大剣は要注意。穿攻隊の神兵の中でもずば抜けて鋭い。
 深手ではないが損傷を受けたゲイルも出ている。
 騎乗する『_・リケル』の神族は十分に注意して適切に対処したにも関わらず、だ。

 

 光を感じ、ぶんとゲイルを右に振る。肢がたわみ胴が浮き、重さを失う。
 すり抜ける白骨の林が有った場所を、別の神兵の斧戈が虚しく過ぎた。
 後続のゲイルの騎手が矢を射掛ける。

 遠目で、赤い神兵を見た。
 彼はまた、大きく進路を曲げて突入してくる先頭のゲイルに挑まんとする。
 神族達は彼を一番の難敵と見て、集中攻撃を行う。
 それが分かっていながらの、凄まじい愚かさだ。

「あれが噂の赤甲梢か。馬鹿だな」

「ベアム、」
「兄上?」
「あの神兵には飛び道具以外では手を出すな。刺し違える羽目になる。」
「心得ております。」

 神族は皆、穿攻隊の働きを一人ずつ確かめている。
 ほとんどに動きのムラがあった。
 赤褐色の者は、新型甲冑にまだ慣れていないのだろう。
 重甲冑の癖が抜けずに斧戈を振り回し、効率的に力を使えない者もある。

 狙い目はそういう神兵だ。

 

     *****  (激闘)

 戦場の動きを遠目で確かめていたジュアン呪ユーリエは敵の狙いに気付いた。
 畑の草を掻き分け、大剣で盛大に斬り結ぶ隊長ロク陽ハンァラトレの傍に来る。
 夢中で戦うロクに、聖蟲を通じてのささやかな通信は聞こえない。
 大声でぶん殴るように叫ばねば、振り向いてもらえなかった。

「隊長!」
「どうした。」

「敵は戦場の北にある溜め池を抑える気配があります。ゲイルに水を与える為でしょう。」
「う、うむ。防がねばならぬな。」
「いえ逆に、水場を明け渡しましょう。」

「なに?」

「現在6騎のゲイルが縦横に走り回り、順次交代しています。
 水場が安全となれば北側に敵は集中します。
 我らが南に下がれば、縦方向に押し込む形となります。」
「狭い場所に数を押し込んで動きづらくさせる作戦だな。
 いいだろう。君はベイスラ勢に伝えてクワアット兵を溜め池から撤収させてくれ。」

 司令官たるカロアル兵師監亡き今、全軍の指揮を誰が執るか定かには決まっていない。
 だが正面切って主役として戦う穿攻隊に便宜を図るのは当然だ。

 ベイスラ・エイベントの神兵はジュアンの提案を承認し、クワアット兵の部隊を戦場南部に集結させた。

 

 かくして金雷蜒軍は溜め池を易々と占拠したが、直後に隠された意図も明白となる。
 実際、ゲイルの走る空間が狭まった。

「これは勝負あったな。
 黒甲枝の鉄弓が6張、縦長の戦場を押し上げてくれば、撤退するしかあるまい。」

 これまで横に広く用いて来た空間が、縦に長いものと置き換えられてしまったのだ。

 この戦、負けと悟った雁ジジは兵に撤退を命じる。
 剛兵傭兵は徒歩であるから移動速度が非常に遅い。
 早めに撤退して陸舟の待つ国境線に戻らねばならない。

 ゲイルはその間敵をこの場に留め、追撃を阻む。
 林の中の追撃戦となれば、クワアット兵神兵の独断場だ。
 最低でも1時間の遅延が必要になる。

「(という事になった。各自、流血で応じてくれ)」
「(上将。理解はするが、個別戦闘に頼るのは安易過ぎる。策は無いか?)」
「(火の使用を許可する)」
「(う、うむ)」
「(それならば)」

 

 ゲイルの疾走が止り、北の溜め池周辺に集結する。
 横列に並べて突撃の姿勢を見せるも、後列のゲイルは池に首を突っ込み乾いた喉を潤す。

 圧倒的不利に陥った金雷蜒軍だが、もう一つの目的を果たす機会は残っている。
 クワアット兵を直接に減らす作戦だ。
 これまで用いなかった火を使う兵器がまるまる残っている。
 飛噴槍に毒煙筒を縛りつけて飛ばせば、備えの無い兵は重軽傷者を多数出すだろう。

 雁ジジ、麗チェイエィのゲイルに預けられていた飛噴槍が地上に下ろされ、持ち主に返却される。
 各々封印してきた工夫の新兵器も開放され、牙を剥く時を待っている。

「御上将! カプタン様、ジムシ再びの参戦お許し願いたく存じます。」
「おお、傷は大事無いか。」

 手傷を負ったスガッタ僧ジムシが、ようやく戦線に復帰する。
 彼は右腕に深く矢を受けたが、これからコウモリ神人の顕現を拝むのにどうして休んでいられよう。

「私にも飛噴槍をお与え下さい。敵の脇腹を衝いて御覧に入れましょう。」
「林にも敵の護りはあるぞ。一人で出来るか?」
「常人の兵であれば容易うございます。」

「よし、2本授ける。
 毒煙筒を縛りつけ、クワアット兵を混乱させるのだ。狗番に点火法を習うが良い。」

 

 

 褐甲角軍も一時休息して部隊を再編する。

 穿攻隊10名、いずれも無事ではあるが早くも翼甲冑に破損を生じた者が居る。
 何より暑い!
 戦場ではあるが甲冑を脱ぎ捨てて水を被りたいところだが、それは叶わぬ。
 クワアット兵に桶で水を持って来させて、翼甲冑の上からぶっ掛けた。
 たちまち湯気が上がる。

 額のカブトムシは不滅ではあるものの、蒸せ返る兜の中が快適なはずもない。
 盛んに前肢で触覚を撫で宿主の額を叩き、水を要求する。

 ベイスラ・エイベントの神兵はカロアル兵師監に代わる指揮官を、エイベントの最年長中剣令が務めると決めた。
 この機に一度クワアット兵邑兵を集結させ、損害を確認する。
 林の中での戦闘を指揮する事となったベイスラの神兵ハギオトロ環マセマシュが報告する。

「難民の兵が用いる弓は短く威力もありませんが、毒矢を使用しております。
 クワアット兵には通じませんが、邑兵は百人ほどが矢を受けて負傷しております。」
「毒か。死者はどれほど出た。」
「それが、邑兵達が持っていた「青服の男から買った毒消しの薬」が殊の外よく効きまして、急所に当たった者以外は軽傷で終わっております。」

 神兵達は改めて今次大戦が「大審判戦争」と呼ばれている事を思い起こした。
 すべては青晶蜥神救世主の出現から始まり、その手のひらにある。

 確認した損害は、戦死者 神兵1、クワアット兵・ベイスラ20エイベント8穿攻隊5、邑兵13。
 負傷者はクワアット兵邑兵合わせて100名を越えた。
 武器特に神兵の鉄弓用の鉄箭太矢が底を尽き、邑兵に命じて戦場に突き刺さる使用済みを回収させるほどだ。

 結論として、新しく決まったエイベントの指揮官が言う。

「これ以上の戦闘は望ましくない。だがみすみす敵を撤退させるのも口惜しい。」

 穿攻隊長ロク陽ハンァラトレが進言する。
 彼も中剣令であり同格だが、指揮権は譲る。

 今回のベイスラ難民移送団を中心とした防衛隊は、兵師監の下に副将としての大剣令が居なかった。
 この為に、カロアル兵師監が討たれた後に混乱を招いてしまった。

「せめてあと一つ、ゲイル騎兵を1騎討ち果たす事が叶えば、撤退もよしと考える。」
「同感だ。カロアル殿の仇を討たねば我らとても顔向けできぬ。」

 これは神兵全員の総意でもある。異論は無い。
 だが金雷蜒軍の状況を監視していたジュアン呪ユーリエが警告する。

「敵は、戦術の転換を行うように見受けられます。」
「なに、これ以上ゲイルに何をさせるのだ。」
「彼らはまだ火を使う武器を使っていません。
 林に延焼しては撤退にも苦労するから当然ではありますが、既に兵を下げた今ならば。」

「なるほど、確かに。」
「そう言えば奴らはこれまで、工夫の武器は使っていなかったな。」
「弓や投槍ばかりを用いて、まるで狩猟の様相だった。」

「未だ戦ではなかったか……。」

 

     *****  

 1里(キロ)を隔てて、両軍悠長とも言えるほどの長い準備時間を費やした。
 不可思議にも思えるが、これが十二神方台系の戦争だ。
 特に協議をしたわけでも紳士協定があるわけでもなく、ただ互いの様子を見定めて休息と準備を行う。

 奇襲も闇討ちも存在するが、神族神兵が参加する堂々の決戦においてはあまり意味が無い。
 神競べにおいて小賢しい策を弄するのは、天の采配への侮蔑と看做される。

 第一、真正面から全戦力を叩きつけねば神族も神兵も殺せはしない。

 

 双方共に支度が整った、と感じ合う。
 奇妙な連帯感が敵味方に生まれ、互いの牙と角を正面からうまく噛み合せて接近を開始する。

 既に戦場には、難民の兵が命を懸けて設置して回った旗幟は残っていない。
 準備時間中に邑兵を用いて抜いて回った。
 だがそんな目眩ましはもう意味も持たないだろう。

 ギィール神族はゲイルの背に立ち黄金の鎧を陽光に煌めかせる。
 長い槍で巨蟲の肢を叩き拍子を取り、歩調を合わせてゆっくりと進む。
 先ほどまでと異なり騎櫓の上には火壺が炊かれ、空気が揺らめく。

 

「着装ーーー!」

 神兵ハギオトロの合図で、後方に布陣するクワアット兵は用意の防毒面を被る。
 今まで用いなかった毒煙筒をここで用いて来ると読んだ。
 毒煙筒など誰にでも操作できる。林の中からの一般兵の攻撃でも十分に脅威だ。

 しかし、真夏の日差しで革袋を被るのは地獄の苦しみ。視界も制限される。
 正直戦えるものではない。
 だからこその統制射撃である。
 毒煙に冒されぬ神兵の指揮に従って、自らは見えない敵を集団で射る。

 ハギオトロの責任はより一層重くなった。 
 彼はもう鉄弓用の矢を持っていない。通常の矢を力を加減して引く。
 前線でゲイルと戦う神兵に乏しい鉄箭を渡していた。 

 

 前列に並ぶ10人の穿攻隊、翼甲冑の神兵は斧戈を手にして立ち塞がる。
 一人赤甲梢のロク陽ハンァラトレのみが大剣を構える。

 後ろに続くベイスラ・エイベントの神兵5人も、鉄弓は2名のみ、他は大剣だ。
 少ない専用の矢を集中運用する。
 ここぞという場面にのみ鉄箭を使うから、最早援護射撃には使えなかった。

 その代わりの新兵器も有る。
 抜いて回った旗幟の長い竿を斜めに切って、即席の投槍とする。
 神兵の腕力で投げれば、ただの木の棒でも必殺の武器となる。
 数が有り、思いの外遠くまで飛ぶから十分に援護で使えた。

 

 2体を残して10体のゲイルが横列で静々と前進を開始。右方に方向転換。
 連動して一つの連なる蟲へと変わり疾走を開始する。

 さっきまでとは異なり、戦場の横幅が無い。
 長く連ねたゲイルが自由に走り回る空間が得られないが、戦術を変えない。
 ゲイルの軌道は真円となって最高速に達する。

 風が巻き土煙が舞い上がり、地鳴りが林の木々に跳ね返りこだまする。
 白い甲羅の軋む音が何重にも響いて、怪鳥の叫び声かと惑わせる。

 穿攻隊長赤甲梢ロクが叫ぶ。

「突撃ーーーーー!」
「放て。」

 上将カプタン雁ジジの命令で、地上の狗番達が一斉に飛噴槍に点火する。

 戦争前までは、飛噴槍の射程は1千歩(700メートル)が限度であった。
 それが、わずか2ヶ月の改良で1里(キロ)を越える。
 様々な攻撃手段を載せて、恐るべき威力を与えられた。

 山なりに飛ぶのみならず、水平飛行する飛噴槍もある。
 鋼のコウモリの羽を有し後方に長く火を曳いて、ゲイルに先んじて穿攻隊を襲う。

 

     *** 

「おお、始まった。」

 林に紛れ褐甲角軍の脇腹を衝くジムシは、戦場を舞う焔に歩みを早めた。

 さすがにクワアット兵は林の両翼にも小隊を配置して警戒を怠らぬ。
 邑兵は既に居ない。
 この状況で迂回攻撃してくるのは手練の傭兵と考え、遠くに退避させている。

 林を見つからずにすり抜けるのは、さすがにジムシでも難しい。
 敢えてクワアット兵に見つかるように出ていった。
 まぬけな難民の兵が降参したかのように。

 武器を持たず素手の男だ。
 完全武装のクワアット兵3人が、そこまで警戒する必要も、

「わ、きさ、」
「ぐああ。」
「が……、が。」

 カロアル軌バイジャンに射られた右腕は使えないものの、左手と両脚で3人をなぎ倒す。
 格闘戦にも決して弱くはないクワアット兵だが、虚を突かれた。
 しかも素手の攻撃という常識外れに、一方的にやられてしまう。

 ただ打撃で即死、は無い。
 着ている鎧は藤の蔓を編んだもので衝撃を吸収する。甲板も吊るすから貫けない。
 むしろ鉄の兜を殴られて、昏倒してしまった。

「夏の戦に備えて籐甲を用いているのだな。案外とこれは難物だ。」

 地に横たわるクワアット兵に跨がり、ジムシは感想を述べた。
 生きているのなら仕方ない、とどめを刺さねば。
 石刃の穿刀を抜いて一人ずつ頚動脈を切っていく。

 邪魔が居なくなったところで、木の陰に隠していた飛噴槍を取り出した。
 特に発射台が無くとも、地面に柄を刺せば十分使える。
 ジムシが与えられたものは全長が150センチ、噴射器が小振りの旧型だ。
 毒煙筒を縛って発射する。

 しかし、標的のクワアット兵部隊は皆、革袋を被っている。
 防毒面を着けていれば効果は薄いだろう。

「では、こちらの機能を使わせていただこう。」

 狗番の説明にあった、飛噴槍のもう一つの攻撃法を使用する。
 飛噴槍は元々が投槍だから当たらねば効果が無く、せいぜい一人にしか傷を与えられない。
 為にギィール神族は、複数の敵を傷つける機能を様々に工夫した。

 動力となるのはこの戦争で初めて多用された新素材「陶炭」だ。
 極めて小さく、陶器のように堅い炭が超高温を発して燃える。
 この熱で推進剤を気化噴出させ、空気と交わって点火する。

 地球の産物で例えるなら、ペットボトルロケットが火を噴いて飛ぶ、ようなもの。
 火薬の発明が神に封じられている方台で、このような機構が開発されたのは奇蹟とも言えよう。

 東の林の中から焔が弾け、畑のクワアット兵に襲いかかる。
 距離は400歩(280メートル)で十分射程内だ。
 兵達は驚いたが慌てず、訓練の通り迅速に行動し着弾地点を開ける。

「毒煙筒だ!」

 たしかにそうだが、煙幕としての機能が今は有効。
 地面に刺さった飛噴槍はなおも噴射を続け、頭部から柄が脱落する。

 細い紐で繋がれた柄と噴射器が、地面を走り始める。
 それは頭部を中心として、直径10メートルの円を描く。
 紐に繋がれた柄が振り回され、逃げ遅れたクワアット兵の脚を薙ぎ払う。
 刃は無いものの焔を被り、隊列は混乱を来した。

「もう一発来た!」

 再度発射された飛噴槍もやはり柄を振り回す。
 今度は柄にも刺があった。
 脛を強打して倒れた者が、旋回して戻って来た柄に再び打たれる。

 

「……あまり効果が無いな。数が足りないか。」

 爆発という手段を持たないので、ギィール神族の超兵器は破壊力に欠ける。
 ジムシは林の奥に一時撤退し、戦況が混乱に陥るのを待つ。

 

     *** 

 キシャチャベラ麗チェイエィが脇役に甘んじてきたのは、ゲイルに飛噴槍を大量に積載していたからだ。
 身軽になったからには自身も攻撃に加わろうとしたが、上将雁ジジに止められる。

「何故?」
「我らは撤退時までゲイルの力を温存しておこう。殿軍は非常な苦痛と犠牲を必要とする。」
「ああ、ゲイルを棄てる覚悟が必要か。であれば自重せねばならぬな。」

 だが遊んではいない。
 林を回ってクワアット兵が後ろから襲って来る。
 雁ジジと東西の端に分れて警戒する。
 西側は先ほどまで褐甲角軍が陣を張っており、今も兵が出入りする気配が濃厚にある。

「神兵には手を出さないがな、少し慌ててもらおう。」

 麗チェイエィが手を後ろに回す。
 背の狗番が主人に手渡したのは、先ほどまで弩車に積んでいた強弩だ。
 威力射程もさる事ながら、精度も十分に高い。
 ギィール神族の射撃管制能力に十分応えられる。

「目障りなのは、……小剣令か?」

 ぎゅん、と放たれた矢は太矢である。
 射られたクワアット兵は弾かれて薮に消える。
 強弩を後ろに回して狗番に渡し、すぐまた戻って来る。

「今度は、こいつは火を放つ気か? 悪くない考えだ。」

 金雷蜒軍を背後から火で燻し、飛噴槍を焼き尽くす。有効な戦術だろう。
 松明を隠すように抱えていた兵がやはり貫かれる。

「次は。」

 矢継ぎ早に弩が装填されるのは、うすのろ兵をゲイルに乗せ弦を引かせているからだ。
 落ちぬように、騎櫓の後ろに腰を縛って乗せている。
 うすのろ兵は最初おっかなびっくりだったが、戦場の様子がよく見えると無邪気に喜び手を叩く。

 ゲイルは高速で走るが、乗る位置が高いから案外速度を感じない。
 かなり快適な乗り物だ。

「我が主よ、穿攻隊がこちらに気付きました。」

 狗番の注意に麗チェイエィは畑にも目を戻す。
 疾走するゲイルの脅威で容易には近づけないものの、無視して良い敵ではないと判断したようだ。

「壷から火穿矢を。」

 先端に「陶炭」を鏃として付けた「火穿矢」が狗番から手渡される。
 鉄をも溶かす高温を発し、重甲冑の装甲をなんなく貫く能力がある。
 穿攻隊もボラ砦攻略で遭遇した新兵器だ。

 高温を発するが、一方その炭自体に断熱の効果がある。
 一端からじわじわと燃えていく反対側は冷たいままで、矢や槍先に接いでいてもしばらくは大丈夫だ。

 強弩に番えると、矢を乗せる板がじわと焦げ始めた。
 燃える前に狙いも定めず射る。どうせ神兵は避けるからといい加減な射撃だが。

「お。翅に穴が開いたぞ。」

 当たらないと見越して避けなかった翼甲冑の神兵は、自身の背中に大きな翅があるのを失念していた。
 すぱんと貫通され瞬時に燃え広がり、掌大の穴となる。
 通常の矢が相手なら盾としても使える強固なタコ樹脂製の翅だ。
 無残な姿に神兵は怒りに震えるが、麗チェイエィには届かない。

 

 10連のゲイルの疾走は解除されて、2体3体の組での同調疾走を行っている。
 火を用いる武器、特に「火穿矢」を使えば、単体のゲイルでも神兵に勝てる。
 ならば個別に攻撃をした方が効果的だ。

 残念ながらイルドラ家では「火穿矢」を使わない。
 鏃として使われる「陶炭」がべらぼうな値段がして、購入出来なかったのだ。
 だからイルドラ家の飛噴槍は射程の短い旧型だ。

 イルドラ丹ベアムはこれまで同様、泰ヒスガバンとゲイルを同調させて疾走する。
 兄が前で敵を防ぎ、妹が隙を捉えて攻撃する。この姿勢を崩さない。

 だがさすがに兄のゲイルに傷が目立ち始めた。
 神兵の斧戈も容易に当たるものではないが、果敢な攻撃に避け切れない時もある。
 黄金の槍でかばうのも間に合わず、ゲイルの第一肢に無数の切り傷が走る。

「ベアム、先頭を交代してくれ。」
「わかりました。」

 前後を代わった兄妹の前に立ち塞がるのが、例の赤甲梢の神兵だ。
 戦場のど真ん中に立つこの男は幾度となく集中攻撃を浴びるが、依然として最大の脅威のままだ。

「兄上、これを避けるのは無理のようです。獲ります。」
「やめよベアム!」

 丹ベアムはゲイルに精神を集中して、より高度な制御に入る。
 自分の身体がゲイルに変じたかのように、巨大な体節が自在に動く。
 赤甲梢を中心に渦を描き、背を大きく傾けて敵を狙う。

 神速の手腕で通常の徹甲矢を3本立て続けに射る。後ろの兄も続いて射る。
 さすがにすべてを避けられない。
 肩口に1本突き立つが怯まない。
 深紅の甲虫は巨大な刃を振り、丹ベアムに直接届くと思われるほど深い一撃を放った。

 だがこの大振りを兄妹は狙っている。
 瞬時に同調を解除して、2体の蟲へと変わる。

 丹ベアムは大剣を黄金の槍で防ぐ。
 タコ樹脂で被覆されるこの槍は刀槍の斬撃に十分耐えうる強度を持つ。
 が、あっけなく両断された。

 妹を囮とし、背を泰ヒスガバンが攻める。
 綱の付いた鋼鉄の銛が空中で急に角度を変え、後頭部を貫く。

「!」
「!」

 背後に目が有るかの的確な動作で身を沈め、必殺の一撃を潜り抜ける。
 そのまま跳躍し、泰ヒスガバンのゲイルの顎を真下から切り上げた。

「兄上!」

 泰ヒスガバンも良く読んだ。大剣の切り上げと同時にゲイルを上に跳ねさせる。
 辛くも刃を逃れて赤甲梢の頭上を飛ぶ。が、距離が無い。
 近間に落ちたゲイルを見逃さず、刃は横に走る。
 2度目の跳躍に入る直前、二股の尻尾の刺を2本とも切り裂いた。

 丹ベアムは一瞬遅れて兄のゲイルを救い損ねる。
 だが、見事に矢を当てた。
 自らのゲイルの姿勢を低く伏せさせ、水平に赤甲梢の顔を捉えた。

 思い切り薙ぎ払った瞬間、伸び切った人体は次の一手に対応できない。
 無防備の間を突いて胸元に、ほんのわずか上、装甲の薄い顔面を直撃した。

 砕けた面に突き立つ矢。
 赤甲梢は面を捨て、矢を口から吹き出した。
 歯で噛んで致命の一撃を止めたらしい。

「      なんて化け物だ……」
「ベアム、一度撤退する。」
「はい。」

 

     ***  

「なんて化け物だ!」

 サト英ジョンレも思わず零した。

 彼はジュアン呪ユーリエともう一人、3人で1組のゲイルを相手をしていた。
 神兵の名はュスケイア奔カムタラ、西岸から来て海戦が得意だと言う。

 2体で1組、他とは異なり同調疾走はしていない。
 勝手に走る前の方、が常識外の機動を行っている。

 体節の脈動が音楽的なまでになめらかで、重量を感じさせずに飛び回る。
 17対の肢の1本ずつを独立して操り、複数の神兵と同時に格闘が可能。
 3人は斧戈をゲイルに取られてしまう。
 神兵が力の限り打ち込む武器をあっさりと取り押さえ、鉄の柄をへし折るゲイルなど聞いた事も無い。

 赤い装飾の閉鎖式箱型騎櫓を用いるので、操る神族の姿は見えない。
 だが乗り手の個性が肌にひりつく程鮮明に感じられる。
 ゲイルに人の脳が移植されたと思うほど狡猾な誘いを見せた。

 ジュアンは背中合わせに疾走に対処するサトに叫んだ。

「こいつの中身が人間じゃなくても、私は不思議には思わない!」
「まったく! ゲイルに直接聖蟲を植え込んだんじゃないですかね。」
「それは凄い。」

 かたや後方に続く緑の文様の騎櫓のゲイルは、常識的な動きをする。
 前のゲイルを活かす補助に徹し、神兵を狩り易い位置におびき出す。
 遊戯の駒を操るように、何手も先の動きを計算して追い立てる。

 3人は為す術無く疾走の渦に取り込まれ、大剣を高く掲げて威嚇するのみだ。

「どうします! こいつにはとても!」
「……投げる。私が大剣を投げるから、君達はアレの注意を惹いてくれ!」
「な、なげるんですか?」

 ジュアンの提案した大剣を投擲する戦法は、もちろん最後の手段だ。
 とても推奨されるものではない。
 しかし尋常ならざる怪物にまともな策は通じない。
 一か八かの賭けを2人は承認する。

「どちらのゲイルに」
「後ろだ。前のには当たらない!」

 サトとュスケイアが囮となってゲイルを誘導する。
 進路を一定に定め、横合いから騎櫓に直接大剣を叩き込めば、

「!」

 後方のゲイル騎兵に策を読まれた。
 彼は一瞬気配を消して、前のゲイルと同調する。
 1匹の蟲となって巧みにすり抜け、次に解除してジュアンを後方から襲う。

 あっと囮は慌てるも、真に恐るべきゲイルが2人に飛び掛かる。
 サトは夢中で大剣を振るうが、肢の林の下に居ると見えるのにまったく手応えを感じない。

「ぐわあぁっ」

 振り向くとュスケイアが弾き飛ばされていた。
 大事は無い、自分で畑を転がって受け身を取っている。

 更に振り向くと、なんとジュアンが2体掛りで嬲られている。

「こ、こいつらあ!」

 サトが背の翼を強く振動させ大きく跳ねて斬り掛かると、2体ともすすっと去っていく。
 ジュアンはがくっと地面に膝を突いた。

「大丈夫ですか?」
「だ、だいじょうぶだ。だがあれを二度やられたら、生きていられる自信が無い。」

 前後左右をゲイルに包まれて無数の肢で殴られる。
 稀有な経験をした彼は仮面を外して息を大きく吐き出した。

 

「御上将! 雁ジジ様」

 騎櫓の中、雁ジジの足元に隠れている蝉蛾巫女エローアが急に頭を出し、訴えた。

「いかがした。」
「お出でになります。感じます。」

 蝉蛾巫女は霊感に優れ風を読み、寇掠軍を導くのが仕事。
 どの巫女も半ば宙に視線を泳がす没我空想的態度を示すものだ。
 例外的にしっかりしているエローアではあるが、能力に関しては他にひけを取らない。

「来るとは、神人か?」

 雁ジジも神族の名に恥じぬ明敏さを見せる。
 実の所、彼も戦場の空気に尋常ならざるものを先程から感じていた。
 不吉を拭い去れずに居る。

 彼ら『ウェク・ウルーピン・バンバレバ(永遠の護手との邂逅)』が求めるのは、コウモリ神人への拝謁。
 神人が現われる戦場では、聖蟲を持つ者の血が流れると伝わる。

 エローアは上将の問いに瞳の色で答える。唇が青い。

 

 

     ***** (弔い合戦)

 戦闘は3度小休止を挟んで続行する。

 最初の戦闘は「火穿矢」と呼ばれる高温徹甲矢が穿攻隊の翼甲冑を貫通し、撤退を余儀なくされ、
 2度目はベイスラ・エイベントの重甲冑を主体として投擲で挑み、ここぞとばかりの飛噴槍の集中攻撃に閉口する。
 3度目はやはり肉薄攻撃以外では決定打にならないと、再び穿攻隊が前面に出て激闘を交わした。

 褐甲角軍の損害はかなり大きい。

 穿攻隊の神兵ュスケイアが飛行中の飛噴槍を切ってしまい、燃料を浴びて焔を吸い込み戦闘不能。
 ベイスラの神兵キマルとハグワンドが飛噴槍の直撃を受けて重甲冑破損。
 キマルは頭部装甲の変形で使用を断念、自身も負傷。
 ハグワンドは左腕部が動かない。

 火穿矢により小さいながらも損傷を多数受け、穿攻隊は誰一人として無傷な者が無い。
 特に隊長のロクは顔面に矢を受けて口を負傷し、歯が数本折れてしまった。

 指揮を執るエイベントの神兵は、この辺りが潮時だろうと停戦を持ち出した。

「敵にも十分な損害を与えた。
 殲滅を目的とせず、敵に撤退の余地を与えよう。」

「報告によれば、国境線で同時に起きた総攻撃もおおかた目処がついたらしい。
 この部隊も今は時間稼ぎをしているだけだ。」
「うん。無理をしてこちらの損害を多くするのは、後の防衛体制に支障を来す。
 神兵の犠牲をこれ以上出すべきではない。」

 穿攻隊長ロクは特には反対しなかったが、消極的な態度には納得しない。

「敵の戦意はいまだ高く、戦力の中核も打ち砕いていない。もう一度来るぞ。」
「だがゲイルももう限界だろう。神族も討ち取った。」
「それはそうだが、」

 戦果は十分に上げている。
 ゲイル騎兵1騎完全撃破。背に乗る神族ごとゲイルを横倒しにして、どちらも完全に仕留めた。
 もう1騎、神族には逃げられたがゲイルを戦闘不能に追い込む。
 太矢で神族に重傷も負わせたし、背の狗番を射貫いて撤退に追い込んだものもある。

 残りは8騎。
 兵は既に撤退を完了し、この地に留まる理由も少ない。
 火を用いる武器も底を尽き、矢や投槍も乏しくなった。
 追わねばこのまま大人しく帰ると思われるが、

「いやダメだ! まだ我々はカロアル兵師監の仇を十分に取ったとは言い難い!」

 若輩であるから指揮に口を挟まなかったサト英ジョンレが、声を大きく上げ主張する。
 この意見には賛同する者が多かった。

 間を取る形で、ジュアン呪ユーリエが進言する。

「これより先は双方とも意地で戦う事になる。
 ならばいっそ、カロアル兵師監の弔い合戦の決闘を呼び掛けてはどうか?」
「応じるだろうか?」
「応じなければもう戦闘しないと告げればよい。林の中での追撃戦に切り替える、と聞けば決断するだろう。」

 正面には出なかったクワアット兵だが損害は少なくなく、また防毒面の装着で熱中症に倒れる者も続出した。
 追撃戦が出来るか疑問であるが、脅しの手段としては有効だろう。

 指揮官は、クワアット兵の剣令を呼んだ。

「使者として、向こうの狗番と協議してきてくれ。」

 

「弔い合戦か? なるほど、こちらの足元を見て来たな。」

 カプタン雁ジジは、使者のクワアット兵の口上を受けて考える。

 浸透攻撃隊の損失は甚大だ。
 『ジョガ・ジョマン・ハプ・リケル』の1人は思わず南に突っ込み過ぎ、鉄弓の集中射を受けて転倒。
 クワアット兵の長槍隊に寄って集って突き上げられて戦死した。
 また赤甲梢に肢を何本も斬られてゲイルが擱坐し、神族と狗番のみが逃げて麗チェイエィに救われる。

 そして『ウェク・ウルーピン・バンバレバ』では、
 イルドラ泰ヒスガバンが左の肩口に太矢を受けて重傷を負う。
 彼の甲冑は無骨で防御力が高く、命だけは取り留めたものの予断を許さない状態だ。

 妹の丹ベアムはゲイルを降りて地上に横たわる兄の傍らに付いている。
 兄のゲイルも損傷が激しく、もはや戦闘は不可能だ。

 

 すでにゲイルを2体も失い戦闘の継続は無理だ。
 一方褐甲角軍は、面子の問題にカタがつけば見逃しても良い、と言外に言う。

「そこで決闘か。少数同士で討ち合い、儀式的に勝敗を定める。」
「悪くはない。だが、誰が死ぬ?」

 麗チェイエィの問いに誰もが口ごもる。
 『_・リケル』の上将が、意を決して不参加を申し出る。

「既に我らは仲間を1人失い、ゲイルの2体が討たれた。これ以上の損失は許容出来ない。」
「うむ、御苦労だった。撤退はそちらから行ってくれ。」

 雁ジジは自ら残ると主張する。
 彼のゲイルは補助的な戦闘を行って来たので、まだ余力が残っている。
 決闘を行うとすれば、このゲイルを用いる以外の選択肢は考えられない。

「”上将!”」

 異形の神族チュガ輩インゲロィームアが動きにくい唇を開いて、申し出る。

「”上将のゲイルを貰い受けたい”」
「む、そなた受けるか?」
「”向こうは弔い合戦のつもりだろうが、こちらもむざと死ぬ気は無い”」
「なにを考える?」
「”勝つのみだ。私ならば赤甲梢3名でも、負けない。”」

 カマートラ椎エンジュが驚いて、恋人に再考を促す。

「まて、勝てば向こうは更に人を出すぞ。ほどほどに負けてみせるのも作法の内だ。」
「そうだ、どうあっても討てぬと決まれば、双方共に押し出して戦を棄てる習わしだ。」

 だが輩インゲロィームアは下がらない。
 勝てるものは勝つのが道理。
 敵も兵師監の恨みを晴らすのに、決定的な結果を求めるだろう。

 やむを得ず椎エンジュも付き合う事となる。
 彼は常に恋人と行動を共にするから、最初から定まっていた。

 丹ベアムが兄の傍に立ち、上将に申し入れた。

「上将、私も出よう。麗チェイエィ殿のゲイルを貰い受けたい。」
「なにを言う。私にも出番を寄越せ!」

 不意の申し入れに困惑する麗チェイエィに、丹ベアムはこう言ってのけた。

「この度の出征で分かった事がある。
 麗チェイエィ殿よりも私の方が、ゲイルの操縦ははるかに上手い。これは客観的な事実だ。」
「く!」

 遠慮して誰も口には出さなかった事実をはっきり表されて、麗チェイエィは真っ赤になって怒った。

 丹ベアムは出征前はほとんどゲイルに乗らなかったが、幾度もの戦闘を経て急速に熟達する。
 今やベイスラに集まった神族の注目を浴びるまでになっている。
 足元の兄が妹を咎めた。

「これベアム、口は慎むものだ。」
「ですが兄上、勝算の無い戦こそ厳に戒めるべきです。」

 上将雁ジジは大きく笑い、全員に告げた。

「エローアがこう唱える。間もなくコウモリ神人の顕現を見ると。」
「おお!」
「であれば、我ら流血を望むべきだ。
 勝てると豪語する者にこそ、神人に拝謁する機会を与えよう。」

 上将に説得され、麗チェイエィはやむなくゲイルを丹ベアムに譲る。
 もちろん嫌味をたっぷり付けてだが、最後にこう尋ねた。

「そなた、私に子が有るのを案じて申し出たのではないな?」
「ああ、そんな話、今の今まで忘れて居た。」

 心持ち背の低い丹ベアムの瞳をじっと見詰め、25歳の二児の母は言う。

「そなたが戻らぬ時は、愛しの兄者の身柄は私がもらおう。」
「む。」

 イルドラ泰ヒスガバンの傷は重く、しかるべき施設に到着するまで付っきりで看護が必要だろう。
 後事に気を取られては、いざという時の決断が鈍る。
 丹ベアムは素直にこの申し出を受けた。

 

     ***** 

 北の溜め池周辺で協議していた神族が動き始めた。
 3騎を残して東の林に撤退する。

 これに応じて褐甲角軍もクワアット兵を林の中に退避させた。
 神兵の負傷者も戦場を離れる。
 残ったのは、ベイスラ・エイベントの神兵4名,穿攻隊9名。
 ただしベイスラの神兵は、丸甲冑を用いるハギオトロ環マセマシュのみが健在だ。

 ベイスラの兵師監カロアル羅ウシィの復仇の決闘で、これは大変な責任を負う。
 幸いにしてベイスラに所属する穿攻隊のサト英ジョンレが名乗りを上げた。

「ハギオトロ君、今の君では無理だ。悪く思うな。」
「分かっています。我らの分までお願いします。」

 翼甲冑の神兵3名を先頭に、三角陣を組んで進む。

 3体のゲイル騎兵も三角形になって歩き始めた。
 地にはそれぞれの狗番が従っている。

 先頭のゲイルは、騎櫓の形から金雷蜒軍の上将が用いていたものと確認できる。
 だが乗る神族の姿が違う。 
 身長は神族の平均よりも小さく180センチほどか。
 それまでの戦闘で彼の姿は誰も確認しなかった。

「……、小さいな。子供か。」

 続く2騎のゲイルは介添である。
 男女のギィール神族が乗るが、男性の方は緑の文様の縁取りを持つ箱型騎櫓だ。
 このゲイルは、凄まじい機動をして神兵を翻弄した赤い箱型騎櫓のゲイルと対になって行動していた。

「では決闘の相手は、アレか!」

 

 狗番とクワアット兵剣令が1人ずつ前に出て、復讐戦の取り決めをする。

 射撃戦ではなく格闘戦、ゲイル1騎に対して翼甲冑の神兵3名で行う。
 他の神兵神族は見守るのみで、どちらが不利に陥っても加勢は許されない。
 もし違反すればこの決闘自体が無効となり、戦闘を終了後双方共に無条件に撤退する。

 互いの約定を認め、狗番が同伴する蝉蛾巫女が高らかに歌い始めた。
 この決闘は天に捧げるもので、それぞれの神の使徒として命を賭しての誓約となる。
 ただ、その唄に違和感を覚えた者も居ただろう。

「コウモリ神人を呼ばう古歌か。神族が戦場に斃れる歌ではないか、何故?」

 復讐を誓うのであればカニ神の、挑発するのであればゲジゲジ神を讃える唄を捧げるはず。
 彼女が歌うのは、高貴なる死者を弔うものだ。
 あまりにも適切過ぎて、寒気がする。

 なにか、戦場の空気に禍々しくも慕わしい成分が混ざっているようだ。

 

 

 サト英ジョンレが決闘に応じるのに異を唱える者は居ない。

 だが復讐戦が格闘による場合、通例ゲイル1に対して神兵2で行う。
 当初2人で決闘を申し込んだのだが、決闘者の神族によって拒否された。
 重甲冑であるならばゲイルに跳ね飛ばされても生命は助かろう。だが翼甲冑にはそこまでの頑強さが無い。
 弱すぎるから3名だ、と。

 翼甲冑の専門家として、赤甲梢のロク陽ハンァラトレは同意せざるを得ない。
 重甲冑は元来、ゲイルと正面から衝突しても神兵を護るように設計されている。
 甲冑自体が衝撃を吸収する。

 対して翼甲冑は、軽量化と高速性でゲイルに対処する。
 衝撃吸収の機構は廃され、神兵自らが受けねばならない。
 ゲイルの17対の肢で踏みにじられて、助かるとは思えなかった。

 ロク自身が2人目の決闘者となる。

 さらにもう1名。穿攻隊のハミコン珠イーゴンが志願した。
 彼はサユールの剣匠令で背が高く、翼甲冑も特別に調整をして戦場でも目立つ。
 『ジョガ・ジョマン・ハプ・リケル』の神族を討ち取った際には中心的な活躍をした。
 金雷蜒軍の側からしても仇と呼べるだろう。

 

 神聖なる決闘の場に、東側の林から灰色の衣の男が乱入した。
 西の林のクワアット兵が騒ぐが、ゲイルの上の女人神族に招かれて、その者は走る。

「ジムシよ、我がゲイルの背に乗るがよい。」

 思いがけぬイルドラ丹ベアムの言葉に、彼は驚いた。
 ゲイルが肢を折り片側を下げたので、躊躇せず乗り移る。

「イルドラ姫様、我が身に余る御厚情、有り難く存じます。」
「よい。地面に這いつくばっては神人の姿が見えぬからな。
 それよりもだ、ジムシ約束せよ。」

 騎櫓の後ろにしがみつくスガッタ僧を、大弓を抱えた狗番が迷惑そうに見る。
 主人が抹香臭いこの男を嫌っていると承知するからだ。

「これほどまでに礼を尽くしてコウモリ神人を招いたのだ。
 それでも現れぬ時はそなたに運が無いものと諦め、以後神人への拝謁は断念せよ。
 持てる力を人の為に使うと誓え。」

 丹ベアムは、役にも立たぬと見えるジムシの生き方がずっと気に食わなかった。
 他人の為にならぬ修行など、何の実りと報いがあろう。

 彼はほんのわずか考えて、答える。

「ジムシ心得ました。
 この日この場所で神人様にお目にかかれぬ時は、我が身にその資格が無いと見定め、スガッタの教えを捨て只のヒトに戻ると誓いましょう。」
「うむ。」

 

     ***  

 長い独唱が終り、蝉蛾巫女エローアがゲイルの傍に下がる。
 彼女はカマートラ椎エンジュのゲイルに拾われた。狗番もそれぞれの主人のゲイルに登る。

 決闘者チュガ輩インゲロィームアがゲイルを前に進め、深い精神の没入に入る。

 瞬間、その場の神兵は全員が息を呑んだ。
 額のカブトムシの聖蟲を通じて、ゲイルと神族が一体と成り、巨蟲の体節が精気で倍以上に膨れ上がるイメージを得た。
 赤甲梢において数多くゲイル騎兵と戦ってきたロクも、これほどのものは初めてだ。

 褐甲角の決闘者、3人の翼甲冑の神兵も前に出る。
 残りの神兵は陣をそのままに維持しつつ、大きく下った。

 彼らの武器は3メートルの斧戈。背には大剣を負っている。
 ロクもまた、最初は斧戈で戦う。
 自分の大剣は戦闘で酷使し過ぎて刃こぼれが激しく、他の神兵に取り替えてもらった。

 3人の中央に立つサトは、恐怖に震える自分を発見し、むしろ呆れた。

「勝てぬと直感する敵に巡り会えるとは、なかなか黒甲枝冥利に尽きるじゃないか。」

 改めて、この戦場に突入して初めて、妻のマドメーを思った。
 マテ村で自分の帰りを待つ彼女に、もう2ヶ月も会っていない。
 だが春の陽のようにやわらかな彼女の雰囲気に、これまで護られる気がしていた。

 今日は、無理だろう。

「マドメー、死んだらごめんな。」

 でも少し怒られるだろうな、と思う。
 そっちの方がコワイから、斧戈の刃の鈍い光に賭けてみる。

 

 

 いきなり、という形で戦闘は始まった。
 これは決闘であるから、ゲイルが走り回り神兵を翻弄する手は使わない。
 真っ正面から攻撃に入る。

 対して神兵は三手に分れて包囲する。
 通常のゲイルであれば左右どちらかに注意を惹けば、片方は動きがおろそかになる。
 生き物だから当たり前の反応だが、これは。

「頭が二つあるんじゃないか。これは?」
「だから、こいつはそうなんです!」

 カプタン雁ジジの乗蟲に換えても、自分のゲイルとまったく変らない。
 運動性が隔絶した飛躍を遂げ、巧緻性が蟲の水準を越え、それでいて全体の速度や破壊力も格段に向上する。
 ゲイルの神経節に直接干渉し、17対と二股の尻尾を独立して操作する。
 ピアニストにも似た才能だ。

 たちまちハミコンが肢の下に取り込まれた。
 まるで人の手の繊細さで斧戈を抑え、拘束する。
 身動き一つ出来ないままに肢の林の暴虐に見舞われた。
 大剣を抜こうにも、背に手を回す事も出来ない。

「今助ける!」

 重甲冑であれば、キマルがそうだったように即死の攻撃とはならない。
 ゲイルの足爪には装甲を貫くだけの硬さが無いからだ。
 重さも、重甲冑なら潰れない。

 だが翼甲冑は運動性を向上させる為に、殻のような構造にはなっていない。
 手足の関節の自由度は高く、踏まれれば容易にねじれる。
 神兵をも凌ぐ怪力であれば、脱臼もするだろう。
 首も外れる。

 サトとロクが風車のように斧戈を振り回し追い払い、状態を確かめる。
 ハミコンは息があった。

「どこをやられた!」
「ど、どこがと、わからない。」

 脳震盪を起こして反応が定かではない彼を、そのまま放置する。
 外見上の大きな傷が無いのを信じて。

 見守る神兵は、救いに駆けつけようと逸る心を必死に抑える。
 これは聖なる決闘、戦闘不能になったからとて離脱は許されぬ。
 たとえこのまま踏み殺されたとしても、誓約通りだ。

 或る意味、戦場に設置された罠ともなる。
 ゲイルで踏み殺さんと試みる事で、残る神兵の行動を制御出来る。
 選択肢が一つ増えたのだ。

 

 幸いにしてまだ赤甲梢ロク陽ハンァラトレは健在だ。
 彼ならばなにがしかの結果を残してくれるはず。

「援護しろ!」

と言い置いて、ゲイルの顎に飛び込む。
 巨蟲の懐に飛び込んで頭部の感覚器官を狙うのは、効果的だが自殺にも等しい攻撃だ。

 サトも遅れじと縦に斧戈を奮い続ける。
 横に薙ぐのは軌道を読まれると知って、ひたすら手数で勝負する。

 蟲はまったく動じない。
 真っ直ぐ「後退」する。
 ゲイルの肢の構造上極めて難しいとされる後退を、輩インゲロィームアは実現する。

 眺める丹ベアムは少し苛立つ。
 熟達したとはいえ自分にこの真似は出来ない。
 彼のゲイルの操縦技能は、神の領域にまで踏み込んだと思う。

 

 決闘は一方的な展開に陥った。
 後退して適正な位置を確保したゲイルは、二人の神兵を真正面に据えて思う存分に殴りつける。
 後方の肢で支えて前体節を浮かし、6本の肢で掻きむしり打ちつける。

 こうなってしまえば神兵は抵抗すらできない。
 斧戈を振り回す余裕が無く大剣も抜けず、ただひたすら耐えるだけだ。
 抜け出そうにも、狡猾の極みと言える逃げ道を想定しての連撃で、下がった所に大きな一発を食らう。
 サトは頭部を殴られ、蟲の頭を象った兜が吹き飛んだ。

「いかん!」

 ロクは瞬時にサトを蹴り、前に、ゲイルの腹の下に押し込んだ。
 立ったままだと頭を潰される。
 緊急避難で決して最善手ではないが、他は無理だ。

 サトは気絶しないよう必死で意識を強く持ち、ひたすら頭を抱え込んだ。
 腹の下でも肢は無数に飛んで来る。
 赤褐色の甲冑の破片が細かく砕けて弾け飛ぶ様が、つぶったままの瞳に浮かぶ。

 がつ、と腕を蹴上げられ、顔が露出した。
 思わず開いた眼の前に、ゲイルの体節の乳白色の境目が見える。

「は  、腹?」

 腹か! とサトは気付いた。
 ゲイルの甲羅は背よりも腹の方が若干薄い。槍で突く時もまず横倒しにして狙うのだ。

 だがこの状況では大剣は抜けない。
 今も丸太の太さの足の爪が、がしがしと踏みつけて来る。
 短刀、神兵用の楔刀であれば。

 左腰に差していた三角の金属杭を左手で一瞬で引き抜く。
 神兵の力を受け止めるにはこの太さが必要だ。

 両肘を大地に打ちつけた。あおむけのまま一瞬体が宙に浮く。
 足を地面に叩きつけて飛び上がり、ゲイルの腹にしがみつく。
 刺さらない! 体勢が悪く力が入らない。

 短刀を握った左手を外し右手だけでぶら下がり、渾身の力で再度打ち込む。
 位置が悪い。継ぎ目でなく甲羅そのものを突いている。
 だが位置を変える暇など無い。もう一度。

「?」

 輩インゲロィームアは、自分の腹に小さなトゲが刺さる感触を得た。
 ゲイルに深く没入すると痛覚までも共有する。
 制御の自由度の高さは魅力だが、下手をすると蟲の痛みで自分が死ぬことも有る。

「?」

 腹の下の神兵が小さな刃物を突き立てている、とようやく理解した。
 致命傷には程遠い。
 だが怒りがかっと沸き上がる。眼の前が真っ赤になった。
 そんな攻撃で我を倒せると思ったか。

 正面の赤甲梢を突き飛ばし、ゲイルは疾走を開始する。
 受け身を取って顔を上げたロクの眼に、ゲイルの腹の下にしがみつくサトの姿が映る。

「それだ! 決して放すな!」

 再び斧戈を振り上げ、ゲイルの尻尾を追う。
 頭を振って起き上がって来たハミコンの甲冑の背を叩き、攻撃を促す。
 彼も再び戦線に復帰する。

 

「どうしたイングェ! そちらは違う!!」

 決闘の相手を違えて後方の神兵に突撃するゲイルに、椎エンジュは悲鳴を上げた。
 彼の恋人は怒りに支配されると何をしでかすか分からない。
 手当たり次第に敵を討ち果たすつもりか。

「お出でになります……。」

 彼の足元に潜むエローアが、ぞっとする暗い声で言った。
 蝉蛾巫女が予告する者とは、やはり。

「イルドラ殿! あれを、あれを止めるぞ。」

 巫女に構わず彼は丹ベアムのゲイルに叫んだ。
 コウモリ神人への贄に輩インゲロィームアを捧げるわけにはいかない。

 エローアの小さな声を、丹ベアムの聖蟲はちゃんと拾って聞いていた。
 彼女の胸の奥にも暗い響きがこだまする。
 心臓を直接鷲掴みにされる感覚は、現世から発せられるものではない。

 敵陣に真正面から突っ込むゲイルを目で追い、混乱する黒甲枝の中にそれを発見する。

 背は高い、黒い服、髪も黒く長く顔のみが真っ白で、まったく場違いにそこに居る。

 にも関わらず、隣の神兵は気付いていない。
 丸甲冑を纏う若者で、その人が肩に手を触れても振り向かない。

「ジムシ、居た! コウモリ神人だ!」
「どこです?!」
「私の指先を、いや、今後ろに隠れた」

 ジムシはゲイルの背から飛び降りた。
 4メートルを難なく飛んで、必死に闘争の渦に駆けていく。

 丹ベアムの耳には、椎エンジュの悲鳴にも似た声が聞こえる。
 「彼を止めよ」
 だが翼甲冑重甲冑に包まれて、どこから手をつけて良いか分からない。

「大弓を。」

 背の狗番に命じて最後の火焔筒を発射する。
 焔を吹きながら飛ぶこの武器ならば、多少は牽制出来るだろう。しかし、

 丹ベアムは知ってしまった。
 既にギィール神族チュガ輩インゲロィームアは此岸を離れ、冥秤庭の神の御前に足を踏み出した事を。

 彼は戦い続ける。
 ゲイルは翅を持ち飛ぶが如くに軽やかに、
多数の神兵を引き連れて永遠の舞踏に酔い痴れる。

 

     ***** (帰還)

 夕闇迫る草原に長い影を引いて、隊列は帰還の途にあった。
 寇掠軍『ウェク・ウルーピン・バンバレバ(永遠の護手との邂逅)』はすべての作戦を終えて撤退する。

 1名死亡1名重傷、ゲイル1体喪失という結果は、出撃前に見込まれた損失の許容範囲を出るものではない。

 戦果としては、最重要目標とされた敵将カロアル兵師監を討ち取り、更に2名の神兵を死亡させた。
 ベイスラの防衛体制と難民行政に重大な損失を与える事にも成功する。
 満足すべきであろう。

 だが、勝利に沸き立つ帰還ではない。
 親友であり恋人を失ったカマートラ椎エンジュの落ち込み様に、慰める言葉も無い。

 イルドラ泰ヒスガバンは担架に縛りつけられ、キシャチャベラ麗チェイエィの操るゲイルで運ばれる。
 後に追いついたイルドラ丹ベアムはそのまま肢を伝って移乗し、兄の容態を見守った。

「一度、ヌケミンドル攻略の基地に向かい、そこでしばらく養生して本国に帰ると良い。」
「ベイスラの砦は放棄するのか?」
「10日の内にはそうなるらしい。
 維持するにも毒霧が無いと、一軍を構えるほどの費用と兵数が必要なのだ。
 毒地全体の防衛体制を根底から組み直さねばなるまい。」
「神聖王の裁可が必要だな。」

 

 この日ベイスラ全域で繰り広げられた総攻撃は、おおむね褐甲角軍の勝利に終った。
 帰り掛けの駄賃として、これまで貯えた兵力を残らず使ってみようと企画された戦だ。
 最初から結果は望んでいない。

 ただ褐甲角軍の被害も小さくない。
 神兵もさる事ながら軍の中核を担うクワアット兵に多数の損害を出し、今後の防衛体制に深刻な不安を抱える事となる。
 浸透攻撃は3ヶ所で行われ、1ヶ所ではスプリタ街道にまで進出を許し民間人の犠牲も発生した。
 民衆の黒甲枝への信頼は揺るがないが、従軍した兵士の言から神兵の無敵伝説は崩壊するだろう。

 それほど彼我の戦力は均衡しており、褐甲角軍が本拠地の利で優位にあっただけだ。

 伝令として駆けてきた神族からベイスラ全域の状況を聞き、上将カプタン雁ジジは神族全員に告げる。

「寇掠軍『ウェク・ウルーピン・バンバレバ』の戦いはこれまでだ。
 イルドラ姫の証言では確かにコウモリ神人の出現を目撃し、我らの望みは見事叶ったと認識する。」

「うむ。思ったより上手く行ったな。」
「上将の言われるとおりに、ベイスラでの戦いは終えよう。
 だが本国、王都ギジシップに赤甲梢が侵入した件にはどう対処する?」

 雁ジジはゲイルの背で振り返り、手を振る。

「これより先は各々の判断で行動しよう。ベイスラを離れた時点で隊を解散する。
 儂は剛兵を率いて一度故郷に帰るが、麗チェイエィ殿は同行されるか?」
「そうしよう。
 家に戻って報賞の算段をせねばならぬ。次の戦に赴くにも金を工面せねばな。」

 丹ベアムも叫ぶ。

「我らは兄の傷を癒す為にしばし留まり、後はチゲル湯で湯治をしようと思う。
 ゲイルも相当に痛んだから仕方がない。」
「それが良い。次の戦はギジジットに集結している連中に任せよう。」

 椎エンジュは答えなかった。どこに行く気もアテも無いのだろう。
 チュガ輩インゲロィームアが気まぐれに行き先を考え、彼が嬉々として応じる。
 そういう間柄だったのだ。

 雁ジジは草原の風を受ける蝉蛾巫女エローアを促し、勝利の唄を歌わせる。
 闇に還る高い声は勝ちを誇るにしては何故か物悲しく、心に遠き故郷を想わせた。

 曳かれていく陸舟の上の剣匠剣令、兵達もエローアの唄に涙する。
 この2ヶ月、通常の寇掠軍の倍以上の時間を費やし多くの友を失って、結局誰が何を得たのか。
 自問している風にも感じられる。

 

 担架の上の泰ヒスガバンが右手を上げ、妹は優しく握った。

「兄上。」
「ベアムよ、お前は帰ったら約束を果たさねばならぬ。
 戦場で注文を受けた絵物語を早急に完成させねばな。」
「兄上もお手伝いください。

 それにしても、このままでは兵師監カロアルを討ったのは、神族でなく剛兵と記さねばなりません。
 どうにも締まりが悪い。」
「よいではないか。事実こそ真に人の心を打ち、歴史を作るものだ。
 兵師監カロアルを仕留めたは、上将カプタン雁ジジが剛兵バロア、そのままに記せばよい。」
「そうですね。」

 バロアも戦場の露と消えた。
 彼の名をこの世に留め置くのも神族の慈悲であろう。
 麗チェイエィがかって語った、これからの時代は一般の民が主役、という言葉を思い出す。

「そういえば、ジムシは神人に会えたのだろうか。奴の物語も描かねばなるまいな……。」

 

 遠く闇の中に宿営地の灯が瞬いて見える。
 無数に煌めく幾つかは、それぞれの主人を弔うものだろう。

 こうしてイルドラ丹ベアムの最初の出征、大審判戦争は幕を閉じた。

 

 (仮改修 2019/07/16)

 

 

 

第十章 なんでもつくるよ弥生ちゃん

 

第十一章 巨いなる蟲の巣籠に眠る人は

 

第十二章 毒殺鬼アルエルシィ

 

最終章 喪服の女達

 

 

  

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