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ゲバルト処女

エピソード3 弥生ちゃん、錯綜する正義に歪む

仮改修バージョン(2020年12月開始)

 

 

明美「そういえば最近、弥生ちゃんの姿見ないね」
じゅえる「なんか、生徒会の全国組織の集まりで東京に行ったんじゃなかったか」
まゆ子「国会議事堂を見学するんだっけ?」

志穂美「京都で世界中の学生が集まって、国連の腐敗と怠惰を批難する決議集会に出ると聞いたが」
しるく「それは先月の話です。結局弥生さんは行かなかったようですが、……なんでも主催者の筋が悪いとかで」
ふぁ「そうなんだ」

聖「 ……          ……。」

明美「ふむ。聖ちゃんが言うにはね、
 弥生ちゃんは案外、どっかの異世界に飛ばされて救世主の役でもさせられてるんじゃないかって」

 あははははは。

じゅえる「いかにもありそー」
まゆ子「そうなったらもう、嬉々としてやるね、弥生ちゃんは」

釈「あの、弥生ちゃんキャプテンなら、今職員室に居ましたよ。
 なんだかもの凄く忙しくて、身体が二つ有っても足りないとか言ってました」
志穂美「なんにでも首突っ込むからだ   」

 

【天文のお話】

 十二神方台系と地球とでは暦が違うのは当たり前。

 私が地球から持ってきた腕時計(祖父から中学入学時にプレゼントされたもの。太陽電池で動くから電池切れは無い!)
で計測したところ、一日は27時間もある。

 地球人は25時間周期で睡眠を取るという話だが、時差の狂いは、まあかなり早い段階で慣れた。
 だがこの世界の人間はきっちり12時間眠る。
 短い人でも8時間は絶対睡眠時間に当てる為、夜中に私一人が起きている、というはめによく陥った。

 一日が24時間以上あればもっと色々な事が出来るのに、という人がたまに居るが、
増えた時間は寝るというのがどうやら答えらしい。

 一年は333日。地球時間に直すと374日になる。
 年齢の換算は地球時間とほぼ同じと見ていいだろう。
 333=9×37。一年を9で割れば実に便利なカレンダーが作れる。
 実際に「九季」という区分もあり、「春・夏・秋」×「初・中・旬」で「夏初月」という呼び方をする。

 冬は季節としては無く気象現象だ。年末に霜が降りて寒冷化する事を言う。
 無い年もあるが翌年は病虫害に悩まされる不作の年になるらしい。
 冬至の日が1月1日。これは遠日点。
 わずかに楕円な軌道を描いて回っているから、一年で太陽の視直径がちょこっと大小する。

 衛星は二個。
 黄道面を素直に周回する「白の月」が28日、北極南極を周回する極周回衛星「青の月」が33日で回っている。
 「青の月」の方が遠く小さい。
 「白の月」を基準とした太陰暦も採用されている。28×12ヶ月=336日。
 閏月がめんどくさい。

 「白の月」と「青の月」は33ヶ月に一度「劫(合)」を起こす。
 この日はどこかで大災害が起きるとされる。
 実際、毒地で大地震があったしね。
 二つの月の軌道では長年月経つとややこしい軌道変化を起こすはずなのだが、
三千年の観測記録を見るとほとんど関係が変わらないらしい。

 太陽は一つ、惑星は四つが知られている。
 彗星は100ほども確認されて皆名前が付いている。

 彗星は「テューク(タコ)」の仲間と思われており、創世神話によると、
天河を遊んでいた無数のテュークを神々が海に投げ落として十二神方台系の土台を作ったとされる。
 南岸タコリティの隣の円湾ではその姿が本当に観察出来るのだが、
実際はこれは何なのだろう。

 ギィール神族はちゃんと天動説を知っているけれど、それ以外の人は天体の方が動いていると信じている。
 当然世界は真っ平らで、海の端は天と接触してそのまま泳いで登っていける。
 死んだ人の魂は魚になって天に上り、天河の神様によって生前の罪を裁かれ、
善い人は神様の庭で楽しく遊んでやがてまた地上に生まれ変わるが、
悪い人はカニ神に首をちょん切られ河原の机に長く晒し続けられる。
 干からびて粉になるまで生きているそうだ。

 重力はおそらく0.92程。この世界では私はちょっとしたスーパーマンだ。
 でなければ、こんなに長く歩き続けられる訳が無い。

(蒲生弥生)

 

 

第一章 女王の吐息は南海をさざめかせる
旧題『古の女王の吐息は、南海をさざめかせる』

 

 イローエント。

 十二神方台系南岸中央に位置する最大の港町で、褐甲角王国南端国境の鎮守府である。
 東百里(キロ)の隣に無法海賊都市タコリティがあり、それに対抗する重要拠点だ。
 「円湾」で産するタコ化石の様々な素材はイローエント港のみで輸入・取引され、街は大層賑わっている。

 にも関らずその名は黒甲枝の心を重くする。
 それは『左遷」と同義だ。
 派遣されれば中央政界からもゲイル騎兵との戦闘からも隔離され、虚しい数年を過ごす事となる。

 海岸線を西に往けば「緑隆蝸(ワグルクー)神の苗木箱」と呼ばれる大山地の森林が海岸線まで溢れ出る。
 住む人とてまばら、産業も特に無く開発は行われていない。
 イローエント、 タコリティ周辺は逆に乾燥した不毛地帯で農業に適せず、寇掠軍すら寄り付かない。

 たまに海賊船が近くを航行するが、食い詰めた農民が海に活路を見出したものだ。
 東西の金雷蜒王国をつなぐ交易路であり、褐甲角王国との公然の密貿易の主役である。
 イローエント港はタコリティを介する三角貿易により潤っていた。

 故に海賊船と言えどもむやみに沈めるわけにはいかない。
 鎮守府とは名ばかりで、実際は馴れ合って平和に暮らす方台の縮図だった。

 

 レメコフ誉マキアリィ、
ソグヴィタル王 範ヒィキタイタンとの決闘に破れた追捕師が心身を癒すのに、
イローエントはまことふさわしい場所である。

 彼は官舎ではなく、街場の家を借りて傷ついた身体を寝台に横たえていた。
 暗い部屋から窓越しに見る通りには、夏の日の強いコントラストに彩られた人の影がひっきりなしに往来する。
 世界は常に進んでいると、否応なしに現実を突きつける。

 看護をするのはクワアット兵の従者だが、今は所用で外出。
 代わりに傍に居るのは、カニ巫女のクワンパだ。

 粗末な梁の天井を見詰める。巫女に振り向かない。
 見ずとも感じる怒りのオーラがいつまでも収まらないのを、マキアリィは不思議に思っていた。
 決闘から既に一月。人間はそれほど長く怒りを持続出来るものだろうか。

 彼女は言った。

「起きられますか」
「褐甲角「クワアット」神の聖蟲が憑いていても、怪我が癒る時間は常人と変わらない。
 左側の肋骨をすべて折られたんだ、無理を言うな」
「でも元気そうです」
「痛みは軽減されるからな。だが、こうして喋るのもまだ苦痛だ」

 カニ巫女は黙った。黙ったがじっと視線で抗議し続ける。
 彼女の怒りが正当なものである事は、彼も認める。

 「王族に対する復讐」は、カニ神官巫女にとっては特別に栄誉なお役目だ。
 そもそもが褐甲角王国においては、王族の犯罪者はめったに発生しない。
 当然に高位の者に任されるはずが、二十歳になったばかりのクワンパが指名された。

 神殿制度が生まれて三千年、これほどの重大事が未熟な巫女に委ねられた例は無い。
 最初はもっと高位の、五十歳の恐ろしげな女だった。
 クワンパは二番目だ。

 

「なあ、」

 マキアリィは前々からの疑問を投げ掛ける。

「なぜおまえのような若い巫女が、こんな大役を割り当てられたのだ」
「あなたが不甲斐ないからです」

 間髪を入れずに答える。鈍い刃のようにマキアリィの傷に突き刺さった。

「カニ神殿ではソグヴィタル王の追捕の任がまっとうされず、いずれ復権が果たされる可能性が高いと予想しました。
 であれば、見届ける巫女は誰でもかまいません」
「そういう話か……」

 政争に破れたソグヴィタル範ヒィキタイタンだが、その敵手たるハジパイ王 嘉イョバイアンは高齢だ、
 十年もすれば政局も変わり、帰還も叶うだろう。
 その間追捕師は差し止められカニ巫女も待機し続けるとなれば、高位の巫女はもったいない。
 見習いから昇格したばかりのクワンパで上等と見定めたのも道理。

 マキアリィは笑う。
 さすがに胸の傷は痛むが、こうして普通に話が出来るのも十日ほど前からやっとだ。
 聖蟲を持つ神兵には生半可な打撃では効果が無い。とはいえ、ヒィキタイタンも随分とやってくれたものだ。

「悪かったな。折角一緒に死ねる機会が巡って来たのに」
「期待したわたしが愚かでした」

 クワンパは任に着いて一年半で待望の機会を得た。
  復讐の儀式を成し遂げるのなら良し。
 もし失敗し敗れれば追捕師は死ぬだろうし、カニ巫女も殉死し共に神殿に捧げられるはずだった。

 だのに、仇に情けをかけられ命長らえるとは。

 化粧気の無いかさついた顔を向けて彼女は見詰め続ける。
 憎悪に満ちた瞳を見るに、なぜこの娘はそれほどまでに死にたがるのか不思議に思う。
 そもそもカニ巫女に成りたがる女とは一体どんな背景を持っているのだろう。

 夕呑螯神「シャムシャウラ」は規律道徳の神、監査と不寛容、復讐を司る。
 若い娘が一生涯を捧げるのにふさわしいとはとても思えない、人気の無い神だ。

 

「起きられますか」

 再びクワンパは同じ言葉を発する。
 立てる訳が無いのに、嫌でも復讐に人を駆り立てようとする。
 それがカニ巫女の使命であるのは承知するが、

「聖蟲を持っているのですから、動けるでしょう」
「肋骨がくっつかない内に無理をすればこのまま傷が固定して、大剣も振れず弓も引けない身体になる。
 それこそヒィキタイタンには勝てなくなる」

「昼間から寝て居ては、それも大動員令が発せられた今休んでいるのは気が重いでしょう」
「言うな。」
「こうしている間も未曽有の大戦争が勃発しようというのに、何もしないで居られるのは、
 ひとえにヒィキタイタン様のおかげですね」

「おまえは、  く」

 思わず上半身を起したマキアリィだがさすがに痛みが走り顔を歪めた。
 クワンパはじろと目を向けただけで動こうとはしない。
 カニ巫女の務めには看護や介護は入っていない。それはトカゲ巫女の仕事だ。

 ゆっくりと姿勢を元に戻して、マキアリィは彼女に尋ねた。
 カプタニアに居る間はほとんど口を利く機会も無かったが、どん底の状況に陥ってようやく接点が出来たようだ。

「なあ、聞いていいか。おまえは何故、カニ巫女になりたいと思ったんだ」
「わたしの話、ですか」
「そうだ。他の巫女ならばその動機は推測出来るが、夕呑螯(シャムシャウラ)神に仕えようとする者はまったく分からない。
 おまえは一体カニの神になにを求め、そして死のうと思えるんだ」

「わたしは、……」

 さすがにクワンパも口ごもる。
 そもそもカニ神殿に務める者は様々な儀式の作法を教え、神官巫女の行状を取り締まる任を持つ。
 風紀委員のような存在で、憧れて志望する者など居るはずの無い職だ。

だがそれでも、その恐ろしげな姿に光を見出す者もある。

 ゆっくりと口を開く。
 自分の事を喋るのはこれが初めてだ。必要も無かったし、話すべき相手も居なかった。
 いや、過酷なカニ巫女の修行に過去など意味は無かったのだ。
 徹底的に私情を排し感情を殺し、後先を考えず規則に従うのがカニ神殿の流儀。

「……わたしの親は、難民でした、東金雷蜒王国から流れて来た。
 今となっては何が不満で国を出たのかもわかりませんが、もう何十年も方台中をさ迷って居ます。
 奴隷をそのくびきから解放する。
 そう褐甲角王国では宣言していますが、それは嘘です。ここはひどい国だ。

 私達一家はどこに言っても除け者扱いされ、安くこき使われ季節が代わり仕事が無くなると村を追い出されました。
 何度も金雷蜒王国に帰ろうとしましたが、一度奴隷の籍を失った者は野の獣と同じです。
 どこにも居場所がありません」
「そうか……」

 難民の問題は近年深刻になっていた。
 褐甲角王国では各々の町村は民衆の会議によって治められ、黒甲枝や官僚の直接支配は行っていない。
 自治会議は構成員の権益のみを考えるから排他的で、外部の人間、特に流れ者の難民には冷淡だ。
 難民は季節労働者として薄給でこき使われ、必要が無くなると躊躇無くクビを切られる。

 どこの村に行ってもそうだから都市に集まって来るが、彼らの作る貧民街は治安悪化の元となる。
 金雷蜒王国からの間者の巣窟として衛視局や警邏の厳しい取締まりに遭う。
 火災時延焼防止の為と称して町を取り壊されたりもする。

「そんな中で育ったわたしが、まともな人間になれるわけがありません。
 家族から離れて自分の居場所を探しましたが何処にも無い。
 たちまち悪党の食い物にされ、偽カエル宿で客を取らされるようになりました。

 そこに来たのがカニ巫女の行列でした」

 カニ巫女は神官巫女の行状取締まりが任務だ。
 特にニワカカエル巫女、つまり売春婦の管理が重要な役目である。

 本来のカエル巫女は教養も深く技芸にも優れた上流階級の間でのみ奉仕する傾城の妓女だ。
 下層階級の女性が生活の為にやむなく身体を売る時には、カエル巫女の鑑札だけを買ってニワカカエル巫女になる。

 これはヤクザが女達を食い物にするのを防ぐ為で、
カニ巫女は毎晩歓楽街を練り歩き鑑札の無い売春婦を取締まり、ヤクザやヒモを棒で叩きのめす。

「わたしには衝撃でした。
 カニ巫女はなにも考えずに他人の為に棒を振るいます。
 身の危険も顧みず無謀にもヤクザと立ち回り、めちゃくちゃに店を壊し、女達を引っ掠い連れていきます。
 助けたからとて何の役にも立たない、自分でも救われることを諦めた女達をです。

 わたしはなぜかと尋ねました。どうしてこんな余計な事をするのか、と。
 でもそのカニ巫女は恐ろしいひとでした。こう答えたのです。
『おまえの言い分など知るか。こうすればいいから、こうしてるだけだ』

 そしてめちゃくちゃに棒で叩かれました」

「それが、おまえがカニ巫女になった、理由……」
「はい。たしかにそうすればいいから、そうしただけなんです。
 ヒモやヤクザが居なければお金は溜まります。お金さえあれば、家族はなんとか暮らしていけるのですから」
「まあ、そんなものか」

「だからわたしは考えるのをやめました。振り返るのもやめました。
 わたしは神に仕えているのではありません。
 そうすればいいと見定めたからこそ、わたしはカニ巫女なのです」

 マキアリィには正直よく分からない。
 分からないが、この娘にとってカニ神は確かに救いとなっているのだろう。それは理解した。
 だからこそ追捕師としての自分に従い、共に死のうとする。
 そこに意味など求めない、そうするのが正しいからそうしているだけなのだ。
 そして自分は、そんな彼女の姿に、そうする事がやはり正しいのだと確信を深めるしかないわけだ。

 

 クワンパは言った。

「起きられますか」
「おまえなあ、」

「タコリティの周辺では最近怪しい輩が蠢いています。
 ソグヴィタル王の指導から外れて、タコリティの独立を勝ち取ろうとする者が、
 この度の大戦争に乗じて西金雷蜒王国と手を結ぼうとしています」
「! ……おまえ、なんでそんな事を知っている」
「カニ巫女は町を練り歩きヤクザを叩きのめしますから、裏の話には詳しいのです。
 ……起きるのですか」

「当たり前だ」
「今動くと大剣も振れなくなりますよ」
「常人を斬るのにそんな大げさなものが要るか。その話、イローエントの衛視局はまだ知らないのだな」
「はい」

「まったく。ヒィキタイタンも足元の注意が甘いな」

 マキアリィは誰の助けも借りずに寝台から下り、賜軍衣を引っ掛け普通の剣を右手に提げて病室を出ていった。
 クワンパも自分の背丈よりも長いカニ巫女の棒を取って彼の後に続く。

 

      *****    

 テュラクラフ・ッタ・アクシ
失われた古代紅曙蛸王国五代目の支配者と言葉を交わしたソグヴィタル王 範ヒィキタイタンは、

彼女が歴史書に書かれている「悲劇の女王」などではないとすぐに理解した。

 古の記録では、歴代の女王は神に等しい智慧を備えていたという。
 彼女達はなんでも知っている。
 いや知るはずの無い、あるいは情報ですらない事までも知っている。
 同じものを共有していない臣民は、女王の言葉の背景が読めずに戸惑った。

 女王の意志と意図を測るのに彼らは全精力を費やす。
 会話を記録し前例を紐解き王宮内外のあらゆる事象を観測して類推し意味を探り、
遂には記録と算術に優れた「番頭階級」を生み出した。

 紅曙蛸神の女王とはそれほどまでに「知る」を極めた存在だ。
 番頭階級が徐々に腐敗し私服を肥やし、民衆を苦しめる存在になっていくのを女王が知らなかったはずがない。
 恐らくは救世の最初の一歩が踏み出された時に、初代ッタ・コップは滅びを知っていた。

 

 全知の神人が地上においていかに振る舞うべきか、
目覚めたテュラクラフは明解に示してくれる。

 彼女はなにもしない。ただ訪れる人に二言三言語るだけだ。
 その言葉の重さは聞く人ごとに違っている。
 或る者はまるで理解出来ずけげんな顔をして退出するが、
別の者は瞬時に顔を青ざめ、あるいは真っ赤になって逃げるように去っていく。
 逃げ去った彼らはやがて突飛な、滑稽な、時には悲惨で残酷な行いに及ぶ。

 新生紅曙蛸王国の臣民はそれを女王の詔の故だと理解した。

 でたらめな結果はむしろ人々の女王に対する信仰と崇拝をより掻き立てる効果を持つ。
 人の期待を裏切らないという点においては、これが正解であるのだろう。
 だが政事を司る者としてはひたすらに困惑した。

 ヒィキタイタンと忠実な腹心ドワアッダは、発生する矛盾につじつま合わせを考え出すのに苦心惨憺している。

 

「どうにも、困ったな」

 テュークによってタコリティが崩壊した後、守備隊だけを残して住人は船に乗り、
街全体を東に数十キロ離れた「テュークの円湾」に移動させていた。
 ここには街を作る平地は無い。
 長年タコ化石を採掘した坑道跡に家財を持ち込んで、家や店や倉庫を作り始めている。

 現在テュラクラフの神殿は百人漕ぎの軍船を用いていた。
 ヒィキタイタンは絡みつくテュラクラフの四肢をようやくに振り払って、船長室兼執務室に飛び込んで来た。

 女王は全知であるが、情報になんの価値も見出さない。
 自身の安否に関るものでさえ、足元を蟻が歩いているのを見るように無感動だ。
 あまりにも膨大な情報に一々拘泥している暇が無く、機械的処理を行うのみだ。

 彼女の興味はむしろ自らの肉が享受する快感、食欲や睡眠、遊戯、無駄な会話、そして男女の営みに限定される。

 戸惑いながらも女王の要望に確実に応えていくヒィキタイタンの姿に、ドワアッダは胸を撫で下ろした。
 この仕事は他の誰にも真似が出来ない。
 ヒィキタイタン以外の者であれば、瞬く間に新生紅曙蛸王国は崩壊しただろう。

 褐甲角の武者が夜の格闘にも強いとは寡聞にして知らなかったが、
考えてみれば褐甲角「クワアット」神は婚姻の神でもある。
 聖蟲を戴きしかも王と称えられる者がその道の第一人者であって何の不思議があろうか。
 だが、

「カプタニアの御妃様と御子様は、なかなかに御むずかりでございましょうな」
「言ってくれるなよ。あれらが居ると思えばこそ、俺も正気を失わずに済むのだから」

 ヒィキタイタンは、しかし元気そうだった。
 神秘の女王との交わりでは消耗する事は無い。
 むしろ彼女から精気を絶えず与えられていると感じる。
 常人であれば麻薬的陶酔と根拠の無い万能感を覚え有頂天となるのだろう。

 王は聖蟲の作用についての専門家だ。
 自身を見失わず、さりとて女王を満足させる事も忘れず、日々真剣勝負で常勝を誇っている。

「それにしても、紅曙蛸神の女王がこれほどに、……淫蕩であったとは」
「弁解するわけではないが、違うぞ、ドワアッダ。
 彼女の頭の中では膨大な知識が渦を巻いていて、人間の処理出来る量をはるかに超えている。
 それに流されず溺れない為には、自分が今ここに居る、肉体を持って地上にある事を確かめねばならぬのだ。
 そうでなければ、彼女はたちまちに人間に対する興味を失ってしまうだろう」

「では古代の紅曙蛸王国が滅びたのも、自ら人を御見捨てになられた、という事ですか」
「多分、それも天河の計画どおりなのだろう」

 番頭階級は専横が過ぎて、交易警備隊が中心となったクーデターで一掃された。
 勝利した反乱勢力は強権を以って民を指導する専制国家を望んだが、テュラクラフは応じない。
 巨大なテュークを呼び出し地を割って姿を隠したと伝えられる。

 ヒィキタイタンはようやく古代紅曙蛸巫女王国の在り方が理解出来てきた。
 書物では汲み取れない深い意味を知ると、単純には紅曙蛸王国を復活出来ない理由も知る。

「ガモウヤヨイチャンは言っていた。『この世界の神様は実にお節介だ』と。
 俺もそう思う。つまりはこうだ。

 ッタ・コップ、初代の紅曙蛸女王にして最初の救世主は方台の人間に「支配」というものを教えた。
 王国によって統べられる人間世界の形を示した。

 だが王国自体は神の直接支配を必要とするものではない。
 人間が人間の王を戴いても十分に成り立っていく。
 故にいつまでも神の力にすがりつくなよと、自ら姿を消し人間共を放り出して自らの王国を築かせた」
「では、」

 ドワアッダの問いはタコリティ全ての人の懸念だ。
 女王は今後、新生なった紅曙蛸王国をどこに導くのだろう。

 ヒィキタイタンはそれに対しての答えを持っていない。
 テュラクラフ自身が持っていないからだ。
 今や青晶蜥神救世主の御代であり、ガモウヤヨイチャンが十二神方台系をどうするかによってタコリティの姿も決まる。

「ともかく、タコリティを独立した王国と為すのはテュラクラフ女王抜きで進めるのがてっとり早い。
 人間が自らの力で治める国に、神女王が君臨する。この形だ」
「分かりました。重役達にはこれまでどおりに円湾内の新タコリティ建設を進めさせます。ですが、」

「ああ。なんらかの女王の印が必要だな。
 幻想でいい。それが核となって王国の結束力を高めるものだ。

 ……、なんだ?」

 

     *****  

「騒いでおりますな。何事でしょうか」

 甲板上で兵士達が騒ぐ声がするので、ヒィキタイタンとドワアッダは外に出た。
 左舷に兵士達が集まって弓を構えている。
 ドワアッダは禁衛隊の隊長である中剣令マウペケムに質した。

 禁衛隊はソグヴィタル王を慕って集まったクワアット兵出身者で構成される傭兵隊で、
タコリティの軍勢内で唯一信頼を置ける部隊だ。

「丸木の小舟に怪しい風体の者共が、10艘で1百人以上が本船を囲んでいます」
「なに! 海上の警備は何をしていた。警戒の鐘も狼煙も上がっていないぞ」
「わかりません。いきなり現われたのです。まるで海の中から浮かび上がって来たような」

「”驚くことはありません。彼らは妾のこどもたちです”」

 いつの間にか、タコ巫女を引き連れて女王テュラクラフが甲板に上がっていた。
 改めてタコ神官が楽を奏で、女王の出座を告げる。

 身長は弥生ちゃんよりは大きいが、十二神方台系の女性としては小柄な方。
 曙色の薄衣で首までを覆い露出は少ない。
 装飾品は控えめでわずかに玉帯を一本腰に巻いているだけだ。
 髪を高く結い上げて額のタコの聖蟲を際立たせるスタイルにしている。

 見た目には若く美しく肉感的ではあるが、目の光が常人とは異なり荘厳さと深遠を感じる。
 タコリティの重役達は口を揃えてヒィキタイタンに訴えた。
 聖蟲を持たぬ者としては、女王の前に出ることはむしろ恐ろしいのだと。

 従うタコ巫女はいずれも美しいが、皆目に光が無く憔悴しきっている。

 女王は男女を問わずに寝所に引き入れ皆餌食としてしまった。
 数名の巫女を一度に愛撫し、そのいずれもが快楽に意識も飛ばしてアメフラシのようにのたうつばかりだ。
 それでいてテュラクラフ本人は涼しい顔をしてまるで情欲を感じさせない。
 愛撫を続けながらにヒィキタイタンと冷徹な打ち合わせを行った。

 支配者としてのテュラクラフは実に見事な女王ぶりだ。
 霞に包んだ婉曲な物言いで、神の託宣に類する詔を的確に発していく。
 意味は難解だが言葉は平易で、庶民の語彙を中心に喋る。
 ギィール神族による韜晦した言辞の装飾を経ていない、古代の王宮の言葉であろう。

 彼女は政治向きの発言は滅多にしない。
 再建される紅曙蛸神殿の様式についてと、祭祀の手順を古代式に変更したのみだ。
 それが却って人々の心証を良くするのを、ちゃんと心得ている。

 タコリティの人間はテュラクラフに神話的存在である事を望み、政治軍事はソグヴィタル王に求めた。
 理想的な分担で、新生紅曙蛸王国はその威容を整えつつある。

 

「妾が招いたのです。この者達も永い時を待ちわびていました……」

 雅な「ギィ聖音」に換えて、平素の言葉で改めて伝える。
 ヒィキタイタンはマウペケムに合図して、禁衛隊の兵に矢を番えるのを止めさせる。
 兵士達は警戒を解き船縁を離れて、女王の為に場を開けた。

 兵が退くのを見て丸木舟も軍船の側に寄せて来る。

 彼らはまったくに異界の住人だった。
 頭髪は無くほぼ裸身で赤く焼けた肌の大部分を複雑な刺青で鎧っている。
 その文様の細かさが目に突き刺さりどうにも正視できない。
 武装は丸木の弓に槍だけだが、穂先には毒が塗られているようで陽の光をてらてらと赤黒く照り返す。
 楯は持たず丸い藤笠をそれぞれが負う。タコの図像が黒々と描かれていた。

 接舷すると、彼らは身を屈め、次の瞬間猫のように大きく飛び上がり甲板によじ登った。
 船縁の上で様子を確かめ、テュラクラフの姿を確認すると足元にひれ伏した。
 その数は8名。金の飾り紐を帯びているので、首長達と思われる。

「なんでしょうか。彼らを見ると、目が」

 マウペケムの言葉に、ドワアッダはそれが自分だけの錯覚ではないと知る。
 裸身に施される文様は生き物のように蠢き、天地がひっくり返るかの目眩いを与える。
 一番向うに居る者の姿がなんとなく霞むのも文様の力だろうか。

「”蕃兵”でございます」

 ヒィキタイタン達の背後からタコリティの最高神官トバァリャ神官長が教える。
 彼は60歳だがやはりテュラクラフの毒牙に掛けられて腰を痛めてしまった。
 船室で休んでいたが、騒ぎに尋常ならざるを感じ無理をして起きて来た。

「タコ神殿の旧き言い伝えによると、
 初代ッタ・コップ様は御自分の生まれの部族の者に特別な文様をお与えになりました。
 見る者の目に留まらぬ不可思議な兵として召し使っていたそうでございます。
 テュラクラフ様の御隠れの後には彼らの記述も途絶えましたが、やはり末裔は生き続けておりましたか」

 甲板に額を擦り付ける彼らの内一人が進み出て、女王の足に頬擦りした。
 テュラクラフはそのままに許し彼の頭を優しく撫でる。
 まるで忠実な飼犬が主人に甘える姿に見えた。

 テュラクラフはヒィキタイタンに振り返る。澄んだ高い声で甲板上の者すべてに聞こえるよう喋った。

「ヒィキタイタン殿、此処は暑い。妾はもっと涼しい場所に移ろうと思います」

 此処、とはテュークの円湾のみならずタコリティのある南岸をも指す。
 気温が高いだけでなく雨も振らず飲料水にも事欠く環境は、確かに夏場は地獄にも等しい。

「今しばらくの御留まりを。
  いずれ良き地に紅曙蛸王宮を築こうと計画しております。それまでは御辛抱なさってもらいたい」

 ヒィキタイタンも追放の身ではあっても王である。
 伝説に彩られた古代の女王に対しても、引け目を感じて謙ったりしない。
 それ故にタコリティ独立の現実派から根強い支持を得ている。

 同じ「王」というものがテュラクラフには物珍しい。
 だがタコの聖蟲を戴く者が女王唯一人だった古代と異なり、現在は聖戴者は何千人も居る。
 真の意味でテュラクラフと対等なのは、
青晶蜥「チューラウ」神救世主ガモウヤヨイチャンあるのみだ。

 

 テュラクラフは話を続ける。
 彼女の言葉は託宣であり予言である。決定であり覆す力を持つ者は世にありえない。

「この者達の導きで一度陸に上がります。半年先には妾の力を欲する者がタコリティを訪れるでしょう」
「半年? なにが起こるのです」
「トカゲ神救世主がしばし方台より姿を消します。
 不在の混乱はこの地にも及びましょう」

「我らが命を賭けて女王をお護りいたしましょう。どうか御留まりを」
「干上がって死んでいく者を見るのは不快です」

 テュラクラフは婉然と微笑む。
 甲板上の者は、裸形の異人を除いて皆衝撃を受けた。
 予言が正しければ、テュークの円湾の出口を金雷蜒もしくは褐甲角軍の軍船が封鎖し兵糧攻めを行うのだろう。
 30年前に両軍が戦った際には500隻もが集結した。その再現か。

 しかし陸上で未曾有の大戦争に臨む今、何者がタコリティを侵すだろう。

 ヒィキタイタンは混乱する。
 女王の確度の極めて高い予言は、逆に人々を惑わせる。
 何をやっても逃げられぬ運命が襲い来ると思えば、また自身の対応すらも読まれていると考える。
 既に運命に織り込まれている感触は、狂気へと駆り立て自暴自棄へと走らせた。

 未来はテュラクラフには明瞭簡潔なのだろうが、まるで蕃兵の文様に似て迷いの森へと誘う……。

「ソグヴィタル王!」

 ドワアッダがヒィキタイタンの腕を強く掴み、思考の陥穽から現実にひき戻す。
 見えない触手が王を包み込むと思われたのだ。
 タコの象徴する意味は「混沌」、女王はまさしく藍色の深淵に潜む怪物だ。

 だがドワアッダには確信がある。状況を打破する光はただ一つ。

「ソグヴィタル王、鍵はガモウヤヨイチャン様です。あの方は決して方台の民を御見捨てになりません。
 タコリティにも必ず善き道をお示しになります」
「そうだった。今や世は青晶蜥神救世主の御代なのだ。
 テュラクラフ女王とて覆す事はできない」
「はい!」

「テュラクラフ女王、貴女はどこに神座を移されるお積もりか」

 ヒィキタイタンは気を取り直して女王に向かう。
 今消えられては王国再建が頓挫する。伝説の女王の姿は今こそ必要なのだ。

 テュラクラフはふふと小さく笑う。
 彼女はなんでも知っている。ヒィキタイタンが何を問うのかに、心当たりが幾つもあったのだろう。
 どれを最初に問うか、賭けていたのかもしれない。

「トカゲ神救世主さまは面白い遊びをお始めになりました。妾もそれに倣いましょう」

 船縁から新たな異人が飛び出して、ヒィキタイタンの前に跪く。
 小柄で、女だった。
 髪を泥で固めて丸く、禿頭に見せている。
 腰に草を編んだ帯を巻いているだけの裸体で、やはり全身には蠢く文様が刻まれている。

 ばっと顔を上げたその女は、尖った若い乳房を露にした。
 胸にまでも文様を彫り込んであるが、顔面には泥の化粧をしているだけ。
 ほっそりとした面差しがテュラクラフに似ている。

「……影武者ですか」
「テュークの化身も無いと困りますね」

 袖口からずるりと小さなタコが這い出て、テュラクラフの右掌で頭をもたげる。
 異人の一人にそれを与えて、彼が娘の額に載せた。
 この二人はどうやら親子のようだ。

「いずれ妾も戻りますが、それまではこの女王を守り立てなさいませ」

 と言うや、テュラクラフは身を異人達に預ける。
 彼らは女王を担いだまま船縁を乗り越え、各人が連携して器用に女王を丸木舟に移乗させた。
 タコ巫女も兵士も手が出せない、あっという間の出来事だった。

 テュラクラフは手を上げ、軍船の上のヒィキタイタンに言い置いた。

「トロシャン・トロシャンに参ります。
 用があればタコの印を描いた笠をお持ちなさい。彼らが案内するでしょう。
 では、ご健勝をお祈りします」

 ”トロシャン・トロシャン”は古語で”いないいないばあ”を意味する。
 「緑隆蝸(ワグルクー)神の苗木箱」と呼ばれる南西部の深い森は、古代にはこう呼ばれていた。

 名の通りに、この森に人が踏み込むと不思議な現象に巻き込まれる。
 必ず迷い、最後には行き倒れて朽ち果てる死の森と怖れられた。
 ギィール神族の超感覚でさえも阻まれるので誰も近付かず、開発も伐採も行われていない。

 

 丸木舟は軍船から離れると、そのまま円湾の出口に向けて漕ぎ出した。
 いくらも離れない内に海面に異様な渦が巻き、皆が驚いて注意を逸した隙に全ての舟の姿が無い。

 夢を見ているかと思ったが、只一人異人の娘だけが甲板上に在る。
 現実と証していた。

 

 ヒィキタイタンは彼女を優しく助け起こす。
 よく見れば歳は弥生ちゃんと同じほどで、文様さえ無ければ普通のたおやかな娘のようだった。
 手を引かれるままに立ち、ヒィキタイタンの胸に身体を預ける。

「∬∝⊇▽○◎♀♂刀v
「おまえ! ギィ聖音で喋れるのか」

 ギィール神族が用いる象形文字「ギィ聖符」を直接音読みした言葉が「ギィ聖音」だ。
 褐甲角王国では学匠と王族以外ほとんど誰も理解出来ない超難解な言語である。

 ドワアッダはなんと喋ったのかをヒィキタイタンに尋ねた。
 もしや、テュラクラフ女王から特別な命令を受けているのかもしれない。

 ヒィキタイタンは複雑な表情で忠実な友に振り返る。 

 

「『貴方のお望みのままに』と言っている」
「……テュラクラフ女王は、ヒィキタイタン様をそのようにお考えでありましたか……」

 

 

第二章 救世主は眠れない(仮
 旧題「沸き起こる歓呼の声に、救世主は眠れない」

 

「うーん、あまり良くない。」

 「偽弥生ちゃん」ッイルベスを診察して、弥生ちゃんは言った。

 ッイルベスには体調の異変は無い。
 ただこれだけ神剣による癒しを行い青い光を浴びていれば影響があるかも、と予備的に調べられた。

 女だけの天幕の中で、ッイルベスは一糸纏わぬ姿となり、ハリセンで撫で回され、
目の下をあっかんべされ、舌を引っ張られ、胸に耳を当てて心音を聞かれ、背筋の歪み腕脚の関節を一々曲げて調べられた。
 その結果が、この言葉だ。

 最も年嵩のトカゲ巫女が尋ねる。
 彼女は権之巫女という高位にあり、ボウダン街道全域のトカゲ巫女を統べる者だ。

「ガモウヤヨイチャンさま、ッイルベスの身体にはいかなる異変がございますか。
 それは命に関りますか。」

 トカゲ神官巫女は青晶蜥神の命に従って病に苦しむ人を救う。
 その過程で病を伝染されて倒れる者も少なくないが、それは宿命。神の命じるままだ。
 たとえッイルベスが命を落とそうとも、
千年一度の救世主の名代を果たした故であれば名誉には思っても恨みは無い。

 しかし弥生ちゃんの次の言葉は、誰にとっても意外であった。

「このままだとこの子、不老不死になっちゃうよ。」
「え? それは神人になる、という事ですか。」
「ああ、この世界ではそういう人は”神人”と呼ぶんだったね。」

 トカゲ巫女達はざわめいた。
 だがそれは、神の恩寵とは言えても身体に悪いとは思えない。
 弥生ちゃんは続ける。

「不老不死とは、この姿のままいつまででも変わらず生き続ける、という事だ。チビのままね。
 もちろん子供を産む能力も備わらない。」
「ですが、それは特別な運命を授かった者として甘受すべきではありませんか。」
「特別な人間であればいいでしょう。
 しかし凡人に耐えられる運命ではない。」

 トカゲ巫女の代表として、権之巫女は頭を下げた。
 確かに只の人が不老不死を授かっても良いことなど無い。

「それにトカゲ巫女心得にもあるじゃない。『人の痛みが分からない者が治療を行うのは許されない』て。
 不老不死になっちゃうと、そういうのは分からなくなるね。」

「では、神剣を長く行使し続けるのはやめた方がよい、とお考えですか。」
「うん。二年を期限として次の者に代わるよう決めよう。
 ッイルベスは既に大量に浴びているから、一年半で。」
「かしこまりました。」

 まだ一年以上も救世主の名代を続けられると知って、ッイルベスは安堵した。
 ただやはり不老不死にはなりたくはない。
 人の幸せは、人と共に在って初めて得られるものだ、と自分でも思う。

 ッイルベスは衣服を纏い装いを整えた。
 宣伝用の名代であるから、本物よりも立派に見えるよう衣装も凝ったものになっている。

 胸に「ぴるまるれれこ」の縫取りがある筒袖の青い上着、はデザイン上外せないが、
下は長く引きずるスカートになっていて、脚がにょっきり見える本物とは随分違う。
 肩にも金糸の組み紐があり、額にはガラスのトカゲが聖蟲の代りに飾られる。
 よく落っこちて割れるのでスペアの用意が欠かせない。

 

 ッイルベスの支度が終ったところで、トカゲ巫女会議となる。
 弥生ちゃんがトカゲ巫女に直接指図するのはあまり無い。
 トカゲ神官を通して巫女を使役するのが、当たり障りの無い仕儀。

「”偽弥生ちゃん”計画は、まずは大成功と言えるでしょう。
 ッイルベスはよく私の名代を務めてくれました。
 これからもやってもらいますが、新たに二人増やしたいと思います。」

「ッイルベス一人では足りませんか。」
「これから私はウラタンギジトにしばらく逗留して、青晶蜥王国を建てる準備をします。
 民衆の治療はかなり難しくなるでしょう。
 それに一人では方台全土に手が行き届きません。褐甲角王国、東西金雷蜒王国に一人ずつ派遣する。
 中でもッイルベスはこれから激戦が予想されるカプタニア周辺に留まってもらいたい。」

「かしこまりました。良き巫女を選って近日中に御前に上がらせます。」
「必ずしも私にそっくりでなくてもいいよ。」
「心得ました。やはり心根が名代に耐える、礼儀を良く弁えた者にいたしましょう。」

 妙な話だが、本来一元的に統べられるはずのトカゲ神官巫女にも派閥抗争が始まっている。
 ッイルベスは当然東金雷蜒派で切り札でもあるが、
聖山に近い自らを本流と看做すボウダン街道派は今回の新名代選定で大いに力を増すだろう。

 表では決して争う姿を見せないが、弥生ちゃんはその動きに気付いている。
 だから無理を言って困らせる。

「人の言うことを聞かない強情な巫女がいいな。戦争中に敵地に乗り込んでも潰れない娘。」
「は? はい。それは勿論、よくよくに選びます。」

 

     ***** 

 巫女達を残して天幕を出る。
 外に控えて居た男達の中、旗持ちのシュシュバランタを伴って低い丘に上り景色を眺めた。

 ここはボウダン街道の始点で四街道が合流するデュータム点。
 十二神方台系の北側で最も繁栄している都市だ。
 「点」が付くが要塞ではなく、防壁もおざなりなものしかない。
 褐甲角王国の深奥にあり攻められる可能性は低い。
 また聖山に向かう神聖街道の始点でウラタンギジトに向かうギィール神族も受入れる国際都市だ。

 丘の上に翻る水色の「ぴるまるれれこ」旗を仰ぎ見て、参拝に訪れた者がこちらに振り返り跪いて拝礼する。

 人があまりに多いからデュータム点の郊外に天幕を張って、市内の受入れ準備が整うのを待っている。
 のだが、むしろ街から人がこちらに溢れ出て市を為すほどだ。

「チュバクのキリメは、」
「こちらでございます。」

 ギジジットで王姉妹より貰い受けた暗殺者だ。
 風采の上がらない中年の参拝者にしか見えない姿で情景に紛れ込んで立って居た。
 呼ばれてやっと、弥生ちゃんの前に跪く。

「例のあれは出来た?」
「はい。ガモウヤヨイチャン様のお役に立つ者を数名集め、デュータム点を調べさせております。」
「どの筋の仕事かは、知らないね。」
「無頼の者の顔役を通しておりますので、各々は繋がりがありません。」
「うん。」

 と弥生ちゃんは遠眼鏡を取り出して覗く。
 これまで東金雷蜒王国で見た都市とは異なり、褐甲角王国の建造物には華が無く造りも雑だ。
 実用一点張りなのは、搾取をしておらず無駄な公共事業を行っていない証明でもあるが、観光客には面白くない。

「位置はいいわね。この辺りに城を作ったら便利がいい。」

 旗に気付いた人が続々と丘の下に集まって伏し拝む。
 このまま引っ込んでしまってはサービスが悪い、と弥生ちゃんはカタナを抜いて青い光を放った。
 皆両手を拡げて光が自分の方にも注がれるのを乞い願う。

 暫くかざしてカタナは仕舞ったが、表情が重い。
 チュバクのキリメが気付いて尋ねる。

「いかがなさいました。」
「風が、重い。人が死ぬ時はこんな気配があるんだ。」
「何者かが狙って居ますか。」

 チュバクのキリメは謀略と暗殺に対応する為に求められた者だ。
 弥生ちゃんとその周囲の者に変事が起きぬよう、裏で警戒し続けている。

 だがそういう話ではない。

「デュータム点にも陰謀はある。都市は魔物だよ、必ず人を陥れる仕掛けがある。
 例えば、あれ。」

 弥生ちゃんが指差したのは北側の山にある石造りのダムだった。
 神聖金雷蜒王国時代の建築物でデュータム点に水を送っている。
 これがあるからこそ、都市として栄える事が出来た。

「ギィール神族の建築物には必ず自壊装置が付いている。私が街に入ったところでアレを壊されたらかなわないな。」
「すぐに調べさせます。」
「いや、例えばだよ。」

 人がどんどん集まって来るのに辟易して、丘を下る。
 再び天幕の列に戻りながら、思った。

「私一人が襲われるならなんとでもなるけれど、これだけの人数に害を為そうという敵にはどうやって対処するか、な。」

 

     ***** 

 デュータム点は褐甲角王国の重要拠点である。
 しかし黒甲枝が直接行政を受け持ってはいない。

 褐甲角王国の基本理念として、民衆は奴隷ではなく自らの意志で生きていくタテマエがある。
 実際は兵站基地としての役割が非常に大きいので常に軍の指導を受けているが、
基本的には富商達が自治会議を作ってこの街を仕切っている。

「いや、よくぞおいで下さいました。メウマサク神官長様。」
「いよいよ、いよいよ待ちに待った青晶蜥「チューラウ」神救世主様をデュータム点にお迎えします。
 この良き日に青晶蜥神殿をあずかる貴方様には、千歳の誉れとなるでしょう。」

 メウマサクはデュータム点のトカゲ神殿を率いる大神官の最上位で、ガモウヤヨイチャン受入れの最高責任者だ。
 医術の名手としても知られ、請われて他の都市にも出向いて術を施している。
 おそらくはガモウヤヨイチャンとの会見で権之神官に、あるいは更に上の法神官にまで昇進するのではないかと噂されていた。

 彼はしかし、居並ぶ自治会議の面々に対して曇った表情を見せた。

「いかがなさいました。」
「いえ。青晶蜥神救世主を迎えるのはトカゲ神殿の悲願。
 されど、ガモウヤヨイチャンという御方は戦いを好まれます。
 人を癒す術しか知らぬ我々に救世主様のお手伝いがどの程度可能かと。」

「確かに。人を癒す聖業と、青晶蜥王国を打ち立てて方台を繁栄に導くのと、
 二つの異なる目的を達成せねばならぬのですからな。」
「左様。神殿に仕える者が、必ずしも廷臣として取り立てられるものでもない。
 金雷蜒王国も褐甲角王国も、神官巫女はどちらも重きを置かれなかった。」

「そうなのです。
 無論我ら神官団は持てる力の全てを挙げてガモウヤヨイチャン様に従いますが、重きを置かれるのは、
 ……俗世に生きる貴方がたではないかと考えるのです。」

 会議に参加する富商達は皆喜び、もしやデュータム点が王城に選ばれるのではと妄想を逞しくする。
 まあこれもリップサービスだ。
 メウマサクは十分に俗世を操る策も用いる。高位神官としては当然の技能だ。

 富商達が弥生ちゃんに寄進をする取り纏めをして、実務の打ち合わせを二三して、メウマサクは会議の広間から退出した。
 彼に付き従うヒラの神官ヨエテが少し憤慨して上司に言った。

「彼らはトカゲ神殿にも宗教的な教義があるのをすっかり忘れています。
 救世主は教義についても新たなる時代を啓かれるものを、まったくに無知で、」
「俗人であれば、神殿も救世主も具体的な実利のみで評価するのがよいのだよ。
 私が心配するのはむしろ、救世主がこれまでの教義を逆転する概念を持ち込まぬか、という点だ。」

「どうなのでしょう。我ら三千年の修行と研鑽が否定される事にはなりませんよね。」
「無理解であればまだしも、と願うよ。」

 神聖神殿都市に暮らす神官達の関心はそこにある。
 そもそも神官巫女の制度は紅曙蛸神救世主巫女王ッタ・コップによって作られたものだ。
 その後、金雷蜒神救世主により神聖の位より追い落とされ、故に抽象的な教義の確立を余儀なくされた。
 さらには褐甲角王国の成立後は王国の定めた法律によって縛られる身となる。

 救世主が出現する度に十二神信仰は大きく姿を変えられてきた訳だ。
 今回、青晶蜥神救世主の出現は更なる変化をもたらすだろうと警戒を強めている。

 杞憂ではない。
 弥生ちゃんは方台降臨の直後に南都タコリティで会ったトカゲ神官達に、
薬品類の効力と副作用の系統的な分析と記録の整備を指示している。
 個々の神官の経験によって決められていた処方箋の共通化も始められた。
 医術と魔法の分離、これが弥生ちゃんがトカゲ神殿に突きつける変革の刃だ。
 神学の教義から医学が解放される日も近い。

 ヨエテは嘆息した。

「もしも高位の神官が、たとえばメウマサク神官長様が救世主に選ばれて居たらと思うと、悔しくてなりません。
 何故に地上の人間では無いのでしょう。」
「愚痴を言っても仕方がない。既に救世の聖業は始まっているのだ。
 たとえここでガモウヤヨイチャン様がお隠れになっても、最早時代は後戻りをしない。」

「戦争ですね。どちらの王国が勝つでしょう。」
「大勢の人が死ぬ。これだけは確かだ。
 方台に刻まれる傷痕を癒すのに何十年も掛かるだろう。医術が必要だ。
 拒んでも顔を背けても、否応なく我らの時代になるのだよ。」

 

     ***** 

 デュータム点を守護する黒甲枝は、救世主到来に熱狂するどころではない。

 ボウダン街道西端と南のガンガランガの野が彼らの守備範囲だ。
 そして東端最前線「カプタンギジェ関」を後背より支援する。
 既にボウダン街道全域に実戦部隊の展開は終えており、各所でギィール神族の寇掠軍と戦闘を行っている。
 デュータム点は兵站基地としての機能の強化が要求されていた。

 年間取り扱い量の3倍もの物資がデュータム点に集積され送られているのだから、人手不足も甚だしい。
 そこにトカゲ神救世主の到来だ。
 警備に割く人員などあるわけが無いし、
荷物運びの人足達が総出でガモウヤヨイチャンのお出迎えに行ってしまうので対応に苦慮していた。

 故に、メグリアル劫アランサ王女が救世主関係を一手に引き受けてくれるのは大歓迎される。
 彼女は「赤甲梢」総裁という一軍の将の位を持っており、デュータム点の司令官と同格に当たる。
 本来ならばどちらが主導権を取るかで争う所、今回に限ってはすべてお任せすると丸投げされてしまう。

 

 赤甲梢総裁護衛職ディズバンド迎ウェダ・オダは歩きながら王女と話した。
 彼は実務には疎いアランサに代り、デュータム点の責任者全てとの交渉を受け持っていた。

「或る意味ではこれは我らにとっても最大の幸運です。
 本来ならば何度も査問を受けカプタニアから検分に来るのを一ヶ月も待たされたはずです。
 アランサ様がまだ若く御しやすいと思われたのも、彼らの警戒心を解きました。」

「ええ。叔母上はそこまで読んでいらしたのですね。」
「警備は邑兵ですら余裕がありませんが、街の自警隊が使える事になりました。
 一時的に我らに編入されますので、隊長達にお目通りください。」

 二人は警護のクワアット兵を数名だけ連れて、自治会議に顔を出す。
 本来なら立派な議場があるのだが、大動員でそこも借り上げられて兵站指令所になってしまった。
 自治会議は近くの蜘蛛神殿の別館に移っている。
 都市の神殿は彼ら富商の寄進に依るものだから、普通に大きな顔をして入っていた。

 アランサは入り口で見知った顔に出会った。

「あ、メウマサク神官長様。」
「これはメグリアル劫アランサ様。このような場所にお出でに。」

 アランサはメウマサクをよく知っている。
 4年前彼女が死の病に冒された時、侍医となったのが名医の誉れ高い彼だった。
 結果的にはアランサの病は彼が癒したと看做され、ますますその名を高めるのに貢献した。

 だがさすがに千年一度の救世主の到来だ。
 神聖神殿都市より最高位の神官達が外界に下り、弥生ちゃんの前にひれ伏す。
 俗世を預かるメウマサクは下っ端の随員として扱われてしまう。
 救世主の一向に伺候する席で劫アランサ王女の姿を見かけても、話をする機会も得られなかった。

 メウマサクとヨエテは廊下に跪いて王家の者へ臣従の挨拶をする。
 アウンサは恩人に立つように言ったが、そのままの姿勢での会話となった。

「メグリアル劫アランサ様は、この度青晶蜥神救世主様を御案内される御役を務められると伺いました。
 こちらからご挨拶に出向くべきをこのような場所でとなった事を深くお詫びいたします。」

「国運に関る重大事が私の初仕事となりました。
 貴方にはデュータム点に居る間、幾重にも迷惑をかける事になりましょう。お許しください。」
「何を申されます。
 青晶蜥神救世主様は我らが千年の永きに渡りお待ちして居た御方です。
 どのように申しつけられようとも、皆喜んでお受けいたします。」

 迎ウェダ・オダが先を促すので、アウンサはもう一言言い置いてその場を後にした。

「街に入る前に、メウマサク様もガモウヤヨイチャンさまにお目通りなさいませ。
 普段は楽しい御方ですよ。」

 

     ***** 

 翌日メウマサクはヨエテを連れて、弥生ちゃんの天幕へ挨拶に伺った。

 既に何人ものトカゲ神官巫女を派遣しており、また各地から参集する神官達の世話をして一行に便宜を図ってきた。
 だが神官長自ら出向くのは初めてだ。
 弥生ちゃんは、トカゲ神官はそれぞれの部署において民衆の為に本分を果たすべし、と自らの歓迎の為に業務を疎かにするのを禁じた。
 為に神官長自身が一番最後に伺う事となる。

 弥生ちゃんは『謁見の間』と呼ぶべき豪奢に飾った天幕で彼を迎えた。
 無論趣味ではない。
 タコ巫女ティンブットが「世の中には財貨の量で人の値打ちを測る馬鹿者が居るのですよ」と助言したから、
それらしい人物にはこちらの天幕を利用する。

 室内の装飾はすべて”偽弥生ちゃん”が巡行中に寄付されたものだ。
 褐甲角王国の産とは質も意匠も豪華さも格段の違いで、東金雷蜒王国の産物に慣れたデュータム点の者にとっても目を惹く品ばかりだ。

 弥生ちゃんの前には、狗番ミィガンに代り武術に名の有る神官戦士が2名立っている。
 これもティンブットが弥生ちゃんのお役に立つ者をと探して来た。
 神官戦士は普通甲冑は用いない。
 それでも救世主の護衛となり楯として立ち塞がるのが仕事だから、胴鎧だけは着けている。

 

 メウマサクの目の前に居るのは、確かにただの少女だった。
 割と上機嫌だ。
 天幕に入る前に派遣したトカゲ巫女から、昨夜何事か異変があり救世主様はほとんど寝ていない、と聞いたが、
素振りも見せない冴え渡った表情で壇上にある。

「ごくろうさま。
 先日来あなた方デュータム点のトカゲ神殿には大変迷惑を掛けています。ごめんなさい。」
「なにを仰しゃいます。我らは千年の長きに渡り救い主の到来を待ち望んで居たのです。
 喜びに沸きこそすれ、誰一人迷惑に思う者はございません。」
「ふむ。」

 彼女の額には方台の者皆すべて、彼も長年待ち望んで居た神の化身が鎮座する。
 輝く鱗に飾られた流線型の身体から蒼く燃える焔が微かに立ち上る。
 サファイアのように透明な長い尾を振り、周辺に霊気を巻き起こしていた。
 これこそが青晶蜥神「チューラウ」が聖蟲。
 すべてのトカゲ神官が憧れ求めた救世の使者の証。

 メウマサクは思わず全身が細かく震えるのを感じた。
 これがふさわしい者は、叡智に優れ人を導く才を天性として与えられた神々しい偉丈夫であるはずだ。
 女であるとは、ましてそれが天空より遣わされた異世界の少女であったとは。

 伝え聞くところ、またギジジットより供奉してきた神官巫女の報告で、
星から来たこの少女は尋常ならざる眼力と知性、ゲイルを前にしてもたじろがない胆力を備えた、ほとんど超人であると知っている。
 それでもなお、……。

 救世主蒲生弥生ちゃんは、壇の右隣に立つ丸い硝子を目の前に付けた蝉蛾巫女に話し掛けた。

「この人は、褐甲角王国でも一二を争う医術の名人だそうだよ。」
「そうですか。ではさぞかし慕う人も多いのでしょうね。」
「聖山に上って次の法神官て偉いヒトになるらしい。ひょっとするとトカゲ神救世主になるのかも、と思われていたんだって。」

「そのような戯れ言をお信じにならないでください!」

 メウマサクは思わず声を上げて、弥生ちゃんの言葉を遮った。
 既に人をやって自分の素性や評判を確認済みか。
 抜け目の無さ、国を治めるに必要な要素のひとつを確かに備えているようだ。

「我らトカゲ神殿に仕える者は、次に現れる救世主が思わぬ所より出ると心得ておりました。
 星の世界から、とはさすがに考えませんでしたが、意外な人物がその任を得ると誰もが予想していました。」
「ふむ。」

 と弥生ちゃんは自分の背中に手を回し、無尾猫を一頭引っ張り出した。
 人の噂で糧を得るこの自堕落な生き物が天幕の周りを何十頭もうろついているのは、彼もすぐに気がついた。

「ネコの話とはちょっと違うねえ。
 貴方は若い頃、自分が救世主になるんだと周囲に強く語ってたらしいね。
 督促派行徒と間違えられて警邏に捕まったこともある、って。」

「そのようなことまでご存知であられましたか。
 申し訳ございません。若気の到り、時代の風に当てられて自らの分を弁えず高言したことがありました。」
「そりゃいいんだけどね。」

 弥生ちゃん、ネコに対して小声で話し掛ける。
 ネコは寝そべったまま首をもたげて、二言三言答える。

「お嬢さんがいらっしゃいますね。双子で13才の。」
「はい。」
「でも、誰も見たことが無い。声は華やかで明るく聞こえるけれど、姿はどこからも確認されない。」

「我が家のしきたりで、女子はみだりに表に出るべきでないと躾ております。」
「医術の上手で功名に逸る者は、しばしば家人に対して実験を行うのです。それが心配。」

 背筋に冷たい汗が吹き出すのをメウマサクは覚えた。

 この少女は確かに尋常でない洞察力を備えている。
 トカゲ神官が必ずしも救世主に忠実でないのも見切っている。

「悪とは、」
「はい。」

 頭を垂れて救世主の言葉を聞く。

「悪とは、必ずしも顕かなるものではない。むしろそれは正しいもの、議論の余地無く当たり前の事として存在する。
 救世主が意外な人物であるのはその為です。
 思考の枠の外から攻撃されるから世界にとって衝撃で、狼狽え虚飾を忘れ実相を露わにしてしまう。」
「はい。」
「人を救う試みがいつも称賛されるとは限らない。全ての人が救いを求めているわけではない。
 それを見極めてなお且つ救うのが青晶蜥神救世主の仕事です。」

「……、私ごときが救世主を志すなど僭上の沙汰だと、今改めて思い知りました。
 ガモウヤヨイチャン様、どうぞ方台を善き世にお導き下さい。」

「ということを、昨夜思い知らされたわけなんだ、わたしもさ。」

 

     ***** ↓ 

 弥生ちゃんは神官長に対して表情を崩す。
 とても複雑な笑顔をしていた。
 母親が子供に諭されてその成長に気がついた、そんな顔だ。

「ガモウヤヨイチャン様。」

 天幕の外から呼ぶ声がある。

「お時間ですのでお越し願いたいと、ジャバラハン様が、」
「今行く。

 貴方も付いてらっしゃい。青晶蜥神救世主の仕事を見せてあげます。」

 返事も聞かず振り向きもせず、天幕から颯爽と弥生ちゃんは出ていった。
 頭を下げて見送るメウマサク。護衛と随員が全員外に出た後に立ち上がり、付いていく。
 供のヨエテと一緒にだ。

 神官戦士の案内で、彼らは弥生ちゃんのすぐ後ろの位置で従うのを許された。
 参拝者の群れや立ち並ぶ仮小屋天幕からかなり離れた森へと行く。
 人気の無い場所へ、木々が立ち並び薄暗い道を進む。進んでいく。

 不安になったヨエテがメウマサクに尋ねた。

「神官長様、この先にいったい何があるのでしょう。」
「分からぬのか、もう姿が見えているではないか。」

 言われて先を仰ぎ見たヨエテは、木々の梢の上に白い大きな骨が並ぶのに気がついた。
 長く連なるそれの名は死と同じ響きをもって、かすれた声で発せられた。

「ゲ、ゲイル……。」
「神餌人です。」

 二人の後を行く神官戦士が説明する。

 昨夜救世主の天幕に、ウラタンギジトへ移送中の「神餌人」、つまりゲイルの餌となる人間が救いを求めて迷いこんできた。
 彼は罪人であり、自ら裁きを得る為にゲイルに喰われる事を志願した。
 だがウラタンギジトに近付くにつれ恐怖に囚われ錯乱し、どうにも自分を抑えられなくなって隊列を脱走。
 青晶蜥神救世主の一行に飛び込んだという。

「神餌人であれば、褐甲角王国との取決めで一切干渉がならないはずでは。」
「左様です。しかしその取決めに青晶蜥神救世主は拘束されません。
 ガモウヤヨイチャンさまは昨夜その事でお悩みでしたが、お答えになりました。」

 森の中の開けた野に、巨大なゲイルと神官、奴隷、そして神官服に似た白い衣を着た10名程の人が並んで居た。
 彼らは「神餌人」と呼ばれ、金雷蜒神聖王と王族が用いるゲイルの餌となる特別に選ばれた人間だ。
 しかし無理強いされたわけではない。

 ゲイルは神聖な生物であるから、餌となる者にも名誉が求められる。
 彼らは自らが犯した罪の重さを自覚し、それを償う為に敢えて地上で最も恐ろしい刑罰に志願した。
 彼らの命は金品によって購われ、賠償金として犯罪被害者とその遺族に贈られる。

 弥生ちゃんは彼らの傍で説教をしていたゲジゲジ神官に話し掛ける。
 ギジジットより従い行列を束ねる大神官ジャバラハンだ。
 神餌人達は彼より近づく人の素性を教えられ、ひれ伏して拝礼する。

「どう、話は着いた?」
「はい。キルストル姫アィイーガ様は地上において金雷蜒神と交信なされ、既に王姉妹様と同格の御方です。
 神祭王の神餌人を頂いても、格式においてなんら不足する所はございません。」

 ゲイルは既に装飾を取り払われ、本来の獰猛な姿を取り戻した。
 木々の間を揺らめく姿は、蟲というよりは博物館で見た鯨の骨にそっくりだと弥生ちゃんは思う。

 アィイーガは二人の狗番に支えられ、丁度ゲイルに乗る所だった。いつでも儀式に取り掛かれる。

「あの人は、どちらに。」
「はい。」

 二人の兵に見守られ、その男は立ち木の根元にしがみ付いていた。
 小刻みにその身を震わせ、ひたすら裁きの時が来るのを待っている。
 近寄る姿に金雷蜒軍の兵も跪く。
 気付いた男が転がるように飛び出して、弥生ちゃんの膝にしがみ付いた。

 

     ***** 

 それは一見すると滑稽とも思える光景だった。
 娘のような歳の少女に中年の男が恥ずかし気も無く泣きじゃくり、よだれや鼻水を垂らしながら縋り付く。
 少女は嫌がるでもなく幼子をあやすように優しく髪を撫で、彼がとりとめもなく口走る言葉に一々頷いている。

 メウマサク神官長は案内をした神官戦士に尋ねた。

「彼の罪は、なんなのです。」
「過失です。採石場の責任者で、彼の指示に従って3人が死んだと聞いております。」
「東金雷蜒王国の法では、奴隷を上位の者が殺しても死罪にはならなかったはずだが、」
「だからこそ、その責任を負おうとする真摯さ誠実さに感じ入って、神祭王の神餌人とされたのです。」

 後ろから神官ヨエテが、まさにメウマサクが聞きたい事を尋ねる。

「ガモウヤヨイチャン様は、青晶蜥神救世主はいかなる処分を下されたのですか。」
「それは、」

 10分以上も男が喋り続け息を切らした所で、弥生ちゃんは二言三言声を掛ける。
 優しく静かに、微かに、その横顔はあくまで穏やかで日常的だ。
 神の代理たる神秘性威圧感などは微塵も感じさせないが、その場に臨む者全てに美しく映った。

 神官戦士は自分が声を発する事で透明な時間が壊れるのを怖れたが、振り切るように説明を続ける。

「キルストル姫アィイーガ様が解決策を見出して下さいました。彼はここでゲイルに呑まれます。」
「ここで?!」
「はい。恐怖に足がすくみ一歩も歩けない者にこれ以上の旅は無理だと。
 青晶蜥神救世主に見守られながら逝くのは、神餌人が望み得る最も幸運な旅立ちです。」

「救世主様は、人が死んでいくのを良しとされたのか     。」

 ジャバラハンが二人に近付いて、準備が整ったと告げる。
 男はそれまで泣きじゃくっていたのを止め、誰の助けも受けずに自ら立ち上がり、弥生ちゃんと対面する。
 恐怖の色は隠せないが、無理をして笑みを浮かべていた。

 弥生ちゃんは彼を仰ぎ見て、また一言告げた。
 彼は少し頭を下げて礼を言い、振り返る。
 黄金の鎧に身を包んだギィール神族が駆る白い骨の列柱が、がらがらとぶつけ合う音を立てて広場の中央に位置を取った。

 彼はその前に歩いて行く。
 歩いて行こうとするが、動けない。

 弥生ちゃんもジャバラハンも傍を離れて、残る神餌人達の近くに寄った。
 これ以上彼が動く事は無いと見極めたアィイーガがゲイルを前に進め、大きく鎌首をもたげさせた。
 高さは7メートルにもなる。

 彼は目を必死で瞑り両手をしっかりと握って頻りに上下に振り金雷蜒神に祈り続ける。
 弥生ちゃんの背後の神餌人達も必死で経文を唱えた。

 アィイーガは二度ゲイルをけしかけては留める。
 試すように、目を瞑っていても感じるように、日差しを遮って影を投げ掛ける。
 彼は壊れた人形のように腕を上下に振り続けた。

 三度目に、アィイーガはゲイルの口をゆっくりと近づけさせて、その吐息を彼に浴びせた。
 ぴたっと、男の動きが止る。
 白い衣に包まれた肉体の中で、恐怖が膨張していく様が誰の目にも明らかだ。

 だが全ては一瞬で消えた。
 四度目はアィイーガはゲイルを留めなかった。
 男を一口で呑み込み、顎を閉じる。

 ゲイルの殺戮は、むしろ慈悲に溢れている。
 口腔内に並ぶ百列の歯は、瞬時に人の身体を切り裂き肉を削り取り、苦痛を覚える暇を与えない。
 ただ多少の血が顎から吹き出る事で、やっと見る者に何が行われたか伝えるのみだ。

 

 全てを終え、神官戦士達が粛々と後片づけをしていく。
 神餌人の前に弥生ちゃんは立ち続けていた。
 身じろぎ一つ、瞬きさえせずに殺戮を見届けた。

 青ざめた唇で、メウマサクとヨエテは弥生ちゃんに近付き話し掛けた。問うべきがあった。

「真の救世主ならば、彼を助けられたのではありませんか。」

「……そうね。助ける方法なら7通りほど考えた。
 後悔の無いように記憶を奪ってどこかへ流すか、足腰立たないくらいぶん殴って本国に送り返すとかも。
 でも彼がそれを望まなかったから。」

「生きようと、助けを求めて飛び込んできたのではないのですか。」
「それならば、いくらでも助けられたのだけれど、違う。
 彼は、トカゲ神救世主ならば恐ろしさに留めようもなく震える身体を治して、心静かに死の元に歩み続ける方法を教えてくれると信じていたのよ。」

「先程は、どのように説得なさったのです。」
「何も。ただ彼が喋るのを聞いて居ただけです。
 彼の家族の事、生まれてこの方の事、お仕えした神族のこと、友達のこと。
 何を求め生きて来たか、なにを見て心に感じたか。
 そして事故が起きた時自分に何が出来なかったか。牢の中でいかに悔やんだか。

 でも一言も「助けてくれ」とは言わなかった……。」

「最後になんとお言葉を掛けられたのです。」
「あれは、『天河の冥秤庭にて、チューラウの隣の席でお待ちしております』と。」
「冥秤庭に行かれた事が御有りで?」
「まさか。そう言えば安心すると、ゲジゲジ神官に言われたから。
 青晶蜥神救世主は用があれば嘘だって吐きます。アィイーガ!」

 一仕事終えたアィイーガがゲイルから降りて狗番と共に弥生ちゃんの方に歩いてきた。
 感情を殺して育った彼女は、平静とまったく変わらぬ様子を見せる。

「どうだ、ガモウヤヨイチャンどの。まだゲイルに人を食わすのは許せないか。」
「いえ。私はこの件に関してはもう口を出さないと決めました。
 あなたたち十二神方台系の人々が自らそれを止めるべきだと決断する時まで、救世主ごときが干渉すべきではない、とね。」
「いい心掛けだ。」

 

 再び回り出す日常の時間に、
耐え切れず追われるようにその場を離れたメウマサクに、ヨエテが必死で追いすがる。

「なんだ、なんだ、なんなんだ、アレがほんとうに我らの救世主なのか。」
「神官長様ー!」
「あんな者が世界を導くならば、世界は一体何処に向かうのだ。チューラウはアレに人を殺す権を認めたのか。」

 

     ***** 

 薮を掻き分け飛び出したのは、夥しい参拝者の海の中だった。
 メウマサクの目の前に、ガモウヤヨイチャンに救いを求める人が幾重にも列を為していた。

 急に立ち止まった背中にヨエテはぶつかる。
 尊敬すべき神官の先達は、人々が目に入らぬかのごとくに遠くを見詰め、つぶやいていた。

「糺さねばならぬ。神ですら道を誤るのだ。私が、人々を滅びの手から救わねばならない……。」
「メウマサク神官長様、」

 彼に声を掛けたのは、デュータム点から派遣したトカゲ巫女の一人。メウマサク子飼いの者だった。
 彼女は神官長の耳元で、秘された事実を打ち明ける。

「なに? ッイルベスが神人になりかかっているだと。」
「はい。
 神剣を長く使い過ぎると不老不死になると、救世主様はお禁じになられました。」

 

 トカゲ神殿の脇にある神官長の職邸に戻ったメウマサクは、そのまま庭園の隅にある岩窟仕様の祭壇に向かった。
 紅曙蛸王国時代の洞窟祭壇を真似たそれは、
しかし入り口に太い鉄の棒が何本も嵌まって獣の檻のように改造されていた。
 暗い祭壇の中に向かって、彼は優しく声を掛ける。

「娘よ、お前達が父の為に働く時が遂に来たぞ。
 もうしばらくの辛抱だ、今太陽の光を見せてやろう。」

「おとうさま、私達が人前に出ても良いのですか。」
「おとうさま、お外で遊んでもよろしいのですか。」

「ああ、思う存分に駆けるがいい。この日の為に、おまえたちは生まれたのだからな……。」

 

 

第三章 北の都に咲く花は、可憐な毒に彩られ(仮
 旧題『北の都に咲く双輪の花は、可憐な毒に彩られ』 

 

「獣人の処方だ、間違い無い。
 毒への耐性が与えられているから、500年は前の文献に基づいているな。」

 その薬品リストを見せられたアィイーガは即座に答えた。
 念の為に確かめてみるが、絶対だと請け負う。

 獣人の処方は元々ギィール神族が奇跡の肉体を作る霊薬「エリクソー」から発している。
 とはいえ、ひたすら戦闘力の強化、筋肉の増強に務め、寿命が極端に短くなる事も厭わない処方は神族に忌避された。
 絶対やってはいけない見本として皆が心得ているそうだ。

 弥生ちゃんはこのリストをチュバクのキリメから受け取った。
 デュータム点に忍び込ませた数名の間諜は、都市の内情を探り今後の交渉を有利に進めるはずだった。
 が、トカゲ神殿の内部情報を探った者からは、この驚くべき書類がもたらされたわけだ。

 弥生ちゃんはため息を吐く。
 出来るならば、自らの直接の配下となるトカゲ神官巫女を信じたかった。
 しかし、これでは。

「大量の薬品の横流し、しかも戦闘用にしか使い道の無い獣人の処方、毒殺対応、と来たもんだ。
 メウマサク神官長の狙いは、なんだ。」

 アィイーガが事もなく答える。

「それは、トカゲ神救世主になる気だったんだろう。
 獣人の能力を上手く使えば、奇跡の一つくらいは起こせるからな。」
「だろうね。不正の1ダースくらいは覚悟していたけれど、最悪。」

「……申し訳ありません。」

 誰に求められてもいないが、消え入る声でメグリアル劫アランサ王女は謝罪した。
 デュータム点は褐甲角神殿都市エイタンカプトのお膝元で、事実上メグリアル王家の管轄。
 アランサもたびたび訪れているなじみの街だ。

 メウマサク神官長には彼女自身も治療を受けている。
 名医の誉れ高く誰からも尊敬され、神官としての最高位も間違い無しと見られていた彼にこんな裏があったとは。
 褐甲角王国の王女として不明を恥じるばかりだ。

 しかも弥生ちゃんは城内に入る前に、既にデュータム点を救ってしまっている。

 都市に水を送る山間のダム。
 神聖金雷蜒王国時代の見事な建築物であるが、ギィール神族の作で秘められた自壊装置を持つ。
 デュータム点自体も元は神族の設計で、ダムと連動し大破壊を実現させる趣向となっていた。
 これを発動させ青晶蜥神救世主諸共押し流そうとする陰謀を事前に察知。
 犯人を捕らえて処断したのが昨夜の話。
 これもまた督促派行徒の仕業で、しかも王国に禄を食む学匠であった事実がアランサを落ち込ませた。

 民衆を救うべき褐甲角王国の内部がこれほどまでに腐っていたとは。衛視局はなにをしていたのか。
 彼女自身の咎ではないが申し開きのしようも無く、
逆に弥生ちゃんに慰められるのも腹立たしく情けなく、一夜を悔し涙で明かしたのだった。

 弥生ちゃんはアィイーガに尋ねる。

「てことは、今の獣人は毒の耐性が無いの?」
「褐甲角王国は毒矢を使わないからな。
 毒を受ければその部位の血を止め、すみやかに毒消しの治療を行うのが、現在の標準的な手法だそうだ。
 少しでも獣人が長持ちするように耐毒の処方は止めている。
 皮膚に青黒く斑紋が出て見た目にも美しくない。」
「ふむ。」

 神殿取締りは本来カニ神官の役目だ。
 トカゲ神救世主自ら処分を下すなど大事になり過ぎるので、正規の監査ルートに任せるとした。
 デュータム点滞在中に何事も無ければ、

 アィイーガはせせら笑う。

「何も起きないはずが無いじゃないか。」
「そりゃまあ、あるだろうねえ。」

 アランサは、弥生ちゃんがアィイーガに簡単に同意するのを不審に思う。
 まるで何事か起きるのを期待している風にも見えた。
 思わず尋ねる。

「なにか前兆でもあるのですか。」
「いや、さっきまでそこの天幕の裏で、私達の会話をトカゲ巫女の一人が盗み聞きしてたから、ねえ。」
「デュータム点から派遣されている奴だな。メウマサクとやらの手の者だろう。」

 またしてもアランサは頬が赤らむ。
 と同時に、ガモウヤヨイチャンが十二神方台系に降臨して以来ずっと、謀略と密殺の危険に曝されてきたと知る。
 並に優秀な人物が救世主に選ばれたのであれば、既に百回は死んでいた。

 

     *****  ↓

 夏初月廿七日、弥生ちゃんはデュータム点に入城した。

 青晶蜥神救世主として認められ最初から歓迎されての大都市への入城はこれが初めて。
 この日を以て、歴史上は救世主降臨を公式に認定する事となる。

 ガモウヤヨイチャンの行列はタコ巫女ティンブットの指導の下、デュータム点の全神殿神官巫女勢揃いで行われた。
 タコ神官の隊列が星の世界の音楽を奏で艶やかに巫女が舞い踊り、
蝉蛾神殿の歌手が弥生ちゃんを称える歌声を天高くに響かせ、
カタツムリ神殿から神話の時代から今日までの歴史を物語る扮装をした俳優達が、
カエル神殿からは婉然と微笑む妓姫が沿道に待ち受ける人々を楽しませる。
 そして、

 今日だけは輿の上に高く担ぎ上げられるのを許した弥生ちゃんが、精一杯愛想良く手を振った。

「おお、アレが青晶蜥神「チューラウ」の聖蟲か!」
「なんと神々しい」「ありがたや」

 人が注目するのは当然に、額の上で尻尾を調子よく振るカベチョロだ。
 地上に降り立った第四の神の化身。冬の冷気と医薬を司る。
 これが誰の額に分け与えられるか、新しい神族神兵はどのような人達であろうか。
 あわよくば、と自らの額を擦るのも無理からぬ事だ。

 必然的に、人の視線は弥生ちゃんの顔に集中する。さすがに照れた。
 とはいえこの瞬間にも家の屋根から弓で狙うとか、人々の列に毒樽を投げ込むなどのテロ行為も有り得るのだ。
 にこにこしながらも自分で見張らなければ気が済まない。
 実際輿の上から何人か不審者を発見。
 ネコを通じてチュバクのキリメ率いる隠れ警護隊に連絡。人知れず拘束させた。

 弥生ちゃんに続くのはキルストル姫アィイーガの『あまり恐くないゲイル』
 ギジジットから供奉してきたゲジゲジ神官団だ。

 金雷蜒神殿都市ウラタンギジトへの巡礼路にあたり、騎乗したギィール神族がそのまま通行を許されるが、
さすがにデュータム点市内へのゲイルの進入は忌避される。
 住民もゲイルを見慣れていないが、この熱狂の中恐ろしさももうどうでもよくなり、
いっそ殺せと無謀にも触ろうと近づいて神官戦士達に追い散らされた。

 次は、イヌコマに乗った”偽弥生ちゃん”ッイルベスと神剣の輿。
 東金雷蜒王国から行列に付いて来た様々な階層の人々も続く。

 彼らは「プレビュー版青晶蜥神救世主」の巡行で寄進された様々な宝物を担ぎ、左右を埋め尽くす人に見せびらかせる。
 東金雷蜒王国の威勢はこれほどのものだと言わんばかりだ。
 デュータム点、褐甲角王国の富豪達の心にむらと対抗心を沸き起こさせる。
 これはティンブットの計略で、デュータム点においても寄付寄進を目一杯集めるつもりだ。

 

 弥生ちゃんが乗る30人で担ぐ大輿に、真っ白な無尾猫が一匹するすると登ってきた。
 耳打ちする。

「すごいすごい。こんな行列見たことない。聞く人皆喜ぶ。」
「よしよし、この話をよその町でも目一杯喋りまくってよ。
 で、例のアレはちゃんとやってる?」

 ネコ達は行列の見物に人が出掛けて空になった街を走り、安全を確認して回っている。
 特に付け火には注意するよう言われているが、今の所無事だった。
 ネコは更に念を押す。

「ごちそうごちそう。」
「わかってる! 後でフィミルティの所にみんなで行きなさい。」

 

 行列の目的地はデュータム点の中心広場に隣接する蜘蛛神殿、つまり仮の自治会議議場である。
 その庭に特設された舞台の上で自治会議の議員達、
デュータム点の褐甲角軍を率いる兵師監(将軍)とその配下の神兵黒甲枝、
そして褐甲角王国第三王家のメグリアル劫アランサ王女が待ち受けた。

 アランサはデュータム点の衛視局を率いる黒甲枝から、
この歓迎は必ずしも王国全体が青晶蜥神救世主の聖業に全面的に協力するわけではなく、
ましてや新王国樹立に賛同したわけでもない、と念入りに説明された。

 褐甲角王国は天河の神々の意志に逆らうものではなく、その御使いを最大限に尊重する姿勢を表明する、だけ、だそうだ。

 またこれから始まる大戦争、
巷では誰言うとなく「大審判戦争」と呼ぶようになった未曽有の大戦において、
その遂行を青晶蜥神救世主が妨害する言動を見せた場合、弥生ちゃんを躊躇なく拘束軟禁する、と言う。

 神兵ジンハ守キンガイアが呆気なく敗れる姿を見たアランサは、彼らの言に空しさを感じる。
 そもそもこの度の大戦争だとて、ガモウヤヨイチャンが毒地を浄化した事が発端だ。既に世の人皆が知っている。
 だからこそ天意に基づく「大審判」と呼ばれるのだから、何をかいわんや。

 しかしメグリアルの姫は呆れた素振りを黒甲枝に見せるわけにもいかず、「善きように」と微笑むしか無い。

 そしてアランサの後ろでは、

「メウマサク神官長様、まさしく新時代の到来でございますぞ。
 ごらんなさい、あの人の群れ、あの喜びよう。歓喜の渦!
 自分の生きている内に救世主様の御降臨に巡り合えるとは、天河の神に感謝を幾ら捧げても足りませんぞ。」

 高齢の議員の言葉に、メウマサクは仮面の笑顔で応じる。
 既に子飼いのトカゲ巫女から、ガモウヤヨイチャンが自らの不正に気が付いていると報告を受けていた。
 滅びは目の前に迫っているというのに、何を喜べるのか。

 

 興奮はさらに高まり、舞台に大輿が横付けされ弥生ちゃんが降り立った時に頂点に達した。
 今日ばかりはちゃんとぴかぴかに飾りを付けた弥生ちゃん。
 昆虫の薄翅を摸した衣装に身を包むメグリアル劫アランサ王女と並び立ち、大群集の歓呼に応える。

 式典の次第では、次にメウマサクを頂点とするデュータム点トカゲ神殿の者が打ち揃って弥生ちゃんに忠誠を宣誓する。
 舞台の上にあった彼は一段と低い位置に降りる。
 他の神官巫女達と共に地に跪き額ずいて、救世主の降臨を喜びその聖業に献身し命をも捧げると誓う。

 これは屈辱だ。

 本来であれば何者が務めるのであれ、青晶蜥神救世主に対してこのような思いをメウマサクは抱かなかっただろう。
 しかし、

 ガモウヤヨイチャンだけは別なのだ。
 彼女はメウマサクの立場を、矜持を、野望をずたずたに引き裂いていく。
 長年積み上げた全てが故も無く崩壊していく様を、指を咥えて見ているしか彼には術が無い。
 望みがあるとすれば、それは。

 

 弥生ちゃん吃驚。式典の最中であっても本当に嬉しく思える事も有る。

「い。烏賊だ。」
「はい。西金雷蜒王国の海で取れましたティカテュークで御座います。」

 それは舞台上で捧げられた数々の贈り物の内の一つ。神への供物。
 飴色に透ける身体に白い粉を吹いた懐かしい姿がそこにあった。

「イカだ、熨斗イカだ!」
「はい。西岸百島湾の名物にございます。」
「ひぃ〜〜ん、懐かしいよお。」

 手にとって頬擦りする弥生ちゃんに、群集は再度熱狂した。
 もう止めようもなく涙が噴き上がる。
 星の世界からお出でになった救世主様が、十二神方台系の産物にこれほどお慶びくださるとは。
 望外の答礼にデュータム点の人々は皆感涙に咽せた。

 

     ***** 

 その晩は街を挙げての大歓迎会となる。
 自治会議の宴席に顔を覗かせたメウマサク神官長は、明日以降の準備があるからと早々に抜けた。
 他とは異なりひっそりと静まり返るトカゲ神殿に戻ってきた。

 デュータム点のトカゲ神殿は以後「救世主神殿」と称して、弥生ちゃんの宿舎に用いられる。
 人を癒やす医院というよりは、政治の舞台となるであろう。
 また救世主の神秘を証す数々の品も安置される。

 「神剣」もその一つ。
 「プレビュー版青晶蜥神救世主」として東金雷蜒王国を巡ったッイルベスが授かり、人を癒やした青く輝く剣が、
神官戦士団により夜通し警護されている。

 メウマサクは神殿を預かる総責任者として、ッイルベス本人に案内を乞うた。
 尊敬すべき神官長を誰が拒むだろう。

 神剣は運ぶ輿に飾られるそのままに置かれていた。
 輿の上では触る事は出来ない。
 警護する神官戦士も遠く長い旅を共にしてきた者達で、神官長といえども勝手を許さない。
 彼らは新参と区別する為に「東金雷蜒組」と呼ばれる。

 これもまた、ッイルベスと共に旅して人を癒やす手助けを行ったトカゲ神官が指図する。
 許されて「剣の巫女」が輿より恭しく剣を抜いた。
 鞘から抜き出されると、たちまちに青く清しい光が部屋全体を染め上げる。

 メウマサクも、ほっと安堵の吐息を漏らす。
 ただこれだけで病が癒え健康を取り戻す者さえあるのだ。
 なんと絶大な神威。

「あ、ご注意下さい。不用意に神剣に触りますと、柄であっても指くらい簡単に落ちますよ。」

 手を伸ばし触らんとしたメウマサクに、ッイルベスが警告する。
 神剣に直接触ろうとする者は後を絶たず、邪な心を抱いて罰を受ける者も少なくない。
 無警戒に触って無事なのは聖蟲を戴く人だけだ。

 神官長の威厳を保ちつつ、ゆっくりと指を元に戻す。
 護衛の目を気にしながらも、触りたくて仕方がない。
 しかし神剣を自由に扱うには、別して救世主ガモウヤヨイチャンの勅許が必要であるだろう。

 尋ねる。

「鉄をも切り裂くと聞いたが、」
「はい。東金雷蜒王国においてギィール神族の方々が何度も剣で打ち掛かりましたが、ことごとく断ち切られてしまいました。」
「御前はこれでケガをした事は無いのか。」
「どういう理屈かは分かりませんが、私に限っては刃が刺さらないようです。」
「なるほど。」

 ッイルベスは神剣を鞘に戻す。
 たちまち辺りは暗くなり、ただ篝火の灯のみに戻る。
 燃える焔がこれほどに頼りない光であったとは、と逆に驚きを覚えた。

 輿から降りた巫女に、メウマサクは神剣の治癒について詳細を尋ねた。
 彼女だけでは症例をうまく説明出来ないので、トカゲ神官も説明に加わる。

「すると、この剣でも人を癒せない事もあるのだな。」
「外傷や流行病いには劇的に効果を示しますが、反面内臓の損傷に由来する症状においては、痛みの軽減と全体的な体調の回復こそありますが根本的解決は無いと思われます。」
「表層的に働く、という事か。」
「慢性の病や毒にも効き目が顕著です。しかし重篤な症状ではやはりガモウヤヨイチャンさまがお持ちになるハリセンでないと無理です。」
「ハリセンを他の者が用いた例は無いのだな。」
「ありません。ですが多分、用いても救世主さまのようには使えないでしょう。
 ハリセンの真の力は、人体を解体して修復する秘術にあります。あれは青晶蜥神の聖蟲を持たぬ者には到底無理かと。」
「なるほど。」

 メウマサクは鞘に収まって居ながらもわずかに青い光を湛える神剣を見上げた。
 この剣を使用して人を癒し続ければ、青い光を自らも受けて不老不死の神人になると聞く。

「この剣の効力は、いつまで続くのかな。」
「いつまで、と申されますと。」
「つまり、ガモウヤヨイチャン様が十二神方台系にあられる間だけ、という事は無いのか。」

 これに関してはッイルベスが知っていた。

「ガモウヤヨイチャンさまに伺いました。
 地上にチューラウの御姿が有る限りは、霊力は絶えず供給され続けると仰しゃったので、千年の間はおそらく大丈夫です。」
「それは良い。実にいいな。なるほど、なるほど。」

 

     ***** 

 翌日。
 舞台をトカゲ神殿に移して、弥生ちゃんの大治療大会が行われた。
 全ての人を分け隔てなくハリセンで治癒していくという、誰もが待ち望んでいたイベントだ。
 が、来るのは病人ばかりとは限らない。

 むしろ、一人の病人をダシにして十数人もの一般参拝客が弥生ちゃんのお傍に近付いて、ハリセンで撫でてもらおうとする。
 大混雑必至で、却って本物の病人が体調を悪化させかねない。
 本当に治癒を望む者には別会場のッイルベスが神剣にてまっとうな処置を行う。

 弥生ちゃんの傍を固めるのは兵士ではなく神官戦士だ。
 彼らは大群集の中にも分け入って不審者不心得者が居ないか眼を光らせる。

 トカゲ神官巫女も総動員で治療看護に当たる。
 近郷近在からあらゆる症例の様々な段階の病人が杖を突き、這ってでも、担がれて連れて来られている。
 救世主の前に辿りつく前に死にそうになるのを、神官らが迎えに出て途中で食い止める仕組みだ。
 治療費は今回出血大サービス、なんとまったくのタダ! 

 但し会場の周辺には屋台が並び、青晶蜥神救世主ガモウヤヨイチャンの関連グッズ、
お札やおみくじ、ぴるまるれれこワッペンにペナント、青ガラス製のカベチョロ、神剣のミニチュアまでもが売られる。
 ぴるまる印の薬入れには救世主様新開発めちゃ良く効く胃腸薬に石鹸試供品まで入ってお買い得。
 儲けはこちらで出すようになっていた。

 デュータム点入城が遅れたのも、ティンブットが発注したこれら関連グッズの生産が間に合わなかったからだ。
 グッズ販売では定評のある蜘蛛神殿から売り子の応援を募っている。

 

「これはまた、凄まじい人数だな。」
「外から来た人だけで5万人は居るのでしょうか。よくもまあデュータム点に泊まる所があったものです。」

 アィイーガとフィミルティは何事もせずに神殿の屋根から高見の見物。
 ギィール神族アィイーガは、敵地であるデュータム点を勝手にうろつき回るのは許されない。
 蝉蛾巫女フィミルティは弥生ちゃんの私用を承る為に待機している。

 大活躍なのは、いいかげんなタコ巫女ティンブットだ。
 正規のタコ巫女衣装をかなぐり捨て、神族より賜った典雅な姿で富商富豪の自治会議を回って寄付寄進を呼び掛ける。
 ここで稼がなければいつ金儲けするのだと言わんばかりに。

 悪辣なことに、「プレビュー版青晶蜥神救世主」の一行が東金雷蜒王国でいかに厚遇されたか、
ギィール神族が毎回どのようにもてなしてくれたかをさりげなく、感動的に、印象深く、
押し付けにならないよう注意しつつも吹聴して、
彼らの自尊心をいたく刺激する。

「『青晶蜥神聖王国』建国準備委員会を、ここデュータム点で立ち上げます。
 聖山に近く青晶蜥(チューラウ)神の滑平原に連なる此の地は、王城を構えるにふさわしい場所の一つとして、
 ガモウヤヨイチャンさまの覚えもめでたいようですよ。   ……。」

 こんな事を言われては、富豪達も乗り気になるしかない。
 ボウダン街道の中心にはかって古代紅曙蛸王国の都テュクルタンパがあり、きらびやかな栄華を誇ったと歴史書には記されている。
 その再来にデュータム点が成り代わるのだと、彼ら自身も妄想に酔った。

 

 弥生ちゃんは、神殿入り口の壇上で民衆の握手責めに遭っている。

 握手というよりもしがみ付く、あるいは手が抜ける程に引っ張られており、
警備の神官戦士も手荒な真似が出来ないから、
優しくそれでも強引に参拝者を引っ剥がしていく。

 しかし次から次に押し寄せる参拝者に、彼ら自身も踏み殺されそうだ。
 なにせ、千年一度の救世主の前で死ねたら極楽往生間違い無し、と言わんばかりに、
生命の危険も省みずトカゲ神殿に突っ込んで来る。
 貧者もこの日の為にと全財産をはたいてデュータム点の路上に泊まり込み、順番待ちをしていたのだ。
 必死さの度合が違う。

 この熱狂ぶりは十二神方台系においてこれまで見られなかったものだ。
 少なくとも前二神の救世主はここまで民衆に密接していない。神威に畏まりひれ伏すのが常道。
 だがもはや権力の制止すら恐れもせず、自らの意思で救世主にのめり込む。
 「大衆動員宗教」の始まりとして歴史書に特筆される。

 さて弥生ちゃん、
この状態になってしまうともう個々の病人の状態を確かめるどころではなく、
当たるを幸いハリセンで参拝者の頭をどつき回す「バナナの叩き売り」の様相に成り果てた。
 戸板に乗せて運び込まれる病人は、明らかに瀕死の、あるいはとっくに死んじまってる者まであるのだが、
ハリセンでどつけば何割かは息を吹き返す。

 効かなかった場合でも、そのままコウモリ神殿に直行して合同葬儀に突入だ。
 トカゲ神救世主さまのお導きで天河の冥秤庭に赴けば、そりゃもう悪い扱いを受けようはずも無く、
それを見込んで自ら毒を呷る馬鹿者までが発生した。

「にゃああああああ〜〜!」

 いきなり弥生ちゃんの嬌声が群集の頭上に響き渡る。
 警備上不手際があった、と神官戦士達は血相を変えて駆け寄ったが、状況を確認するとさらに頭に血が上る。

「こ、この、この不届き者がああ!!」

 デュータム点近郊に住むレロン・ゥエンゲと名乗る男が、犯人だ。
 彼は両足が萎えて歩けない患者に化けて、身体障害者専用ルートを這って壇上に辿りつき、
助け上げようとした弥生ちゃんの尻をまんまと触る事に成功した!

「ふ、不覚!」

 弥生ちゃんは頬を真っ赤に染めてスカートの後ろを押さえる。
 レロン・ゥエンゲは屈強な神官戦士達に寄って集って袋だたきの目に遭った。

「この者、いかが致しましょう!」
「逆さ磔!!」
「ははあーーー!」

 レロン・ゥエンゲは人が押し寄せる参道の上に、高々と逆さに吊るされた。

 彼の物語はここで終わりである。
 その後解放されてどこに行ったのか、誰も知らない。
 しかし、この一事をもって彼は千年先までも名を知られる大有名人、歴史に名だたる大痴漢となった。
 「逆さ磔の男」はその後の演劇や小説、絵画彫刻において好んで描かれるモチーフとなり、
また経歴やその後の活躍が捏造されて一大ヒーローに上りつめた。
 ガモウヤヨイチャン救世の聖業を助ける謎の快男児として持てはやされる事になる。

「不覚!」

 

     ***** 惨劇 

 壇上に押し寄せる人波の中、少女は花束を抱えてゆっくりと近付いていた。

 参拝者は病人1名に対して付き添いが平均5名。
 ほとんどが野次馬根性で救世主様を拝みに来ているから、何らかの献上品、花や御菓子を持っていた。
 後に「イノコ」と呼ばれるようになる食用タヌキを抱えている者すら居る。
 警備に当たる神官戦士も一々荷物検査するのは諦めた。
 ただ顔色を見て悪心が無いか判別しているだけだ。

 身分の高い子供の服装「法子」姿に頭巾を被った彼女も、ほぼ素通りで登っていく。

 献上品を持った者は患者とは切り離されて、供物台に案内される。
 供物台は弥生ちゃんの背後を回って少し離れており、何人もが列となって巫女に言付けて御札をもらっている。
 壇からは柵で隔てられ神官戦士が杖を持って警備していた。

 だが手の届く傍に救世主が居るのに、参拝者が冷静で居られるはずも無い。
 人が脹れ上がり柵を倒さんとし、神官戦士達に押し戻されている。
 花を抱えたおばさんが伸び上がり柵から転げ落ちて、救世主様に走り寄ろうとして捕まった。

 少女は前後を見回して、前に立つ20代後半の婦人の手を爪で引っ掻いた。
 白く小さな指にわずかに伸びた爪。掻き痕も細い3センチほどの線。
 内出血したように青黒く走りすぐにミミズ腫れと成り、婦人は左手を押さえて列に倒れ込んだ。

 行列内で倒れる者は少なくない。
 神官戦士と前後の参拝者が彼女を助け起こすが、警備にわずかの隙が出来た。

 飛び出したのは一人ではない。誰もが近付く機会を窺っていた。
 たちまちに6人が柵を乗り越える中に、少女も居る。
 頭巾の下の白い、べったりと白粉を塗った顔に思わず笑みが走り、歯を剥き出した。

 

 瞬閃! 
 左手一本で腰に吊るしたカタナを抜き、後ろも見ずに横に薙いだ。
 飛び出した6人の中で只一人、少女だけが顔を押さえて壇の上に転がる。

 絡みつく患者達の手を振り払い、右手にハリセン左手にカタナを逆手に握るまま、仁王のように厳として向き直る。
 何事か異変が起きたと察知して、雪崩来る行列も粛然沈黙する。
 弥生ちゃんは命じた。

「触るな! 毒を持っている、杖で取り押さえよ。」

 瞬時茫然の神官戦士達は、だが明確な指示を得て気を取り直し、起き上がって来る少女を輪に囲んだ。
 彼女は口を押さえて血を流しているが、傷を受けたようには見えない。
 再度弥生ちゃんは注意する。

「引っ掻かれるな!」

 少女は獣の敏捷さで暴れ回り、打ち下ろされる杖を叩き折り、遮二無二弥生ちゃんに近付こうとする。
 2名が爪を受けて、たちまち顔や腕を大きく腫らして倒れ込んだ。

 弥生ちゃんハリセンを腰の後ろに戻してカタナを握り直し、傷ついた神官戦士に峰打ちを食らわす。
 青い光が弾けて毒を散らした。
 カタナであってもこの程度なら瞬時に治癒を完了する。

 ついで、瞬間移動のように少女の真正面にばんと立ち塞がり、
息を呑んだ刹那に右頚動脈を峰打ちで強打して、昏倒させた。

 トカゲ神殿の建物からフィミルティとアィイーガが飛び出して来た。
 黄金の鎧に身を包む神族の姿を見て、弥生ちゃんは叫ぶ。

「双子だ、もう一人居るはず!」

 アィイーガにはそれで十分だ。
 獣人の処方を与えられた双子の少女が、トカゲ神救世主の命を狙って群集を巻き添えに襲って来る。
 数万人の中からでも、額のゲジゲジの聖蟲は瞬時に対象を発見した。

 もう一人の法子姿の少女はまだ100メートル先に居る。
 しかし自らを射貫くアィイーガの視線に敏感に気付き、白粉で固めた顔を上げる。

 ぱあん、とアィイーガの額から赤い光条が走った。「金雷蜒神の雷」と呼ばれる聖蟲の直接攻撃だ。
 空気にレーザー光線を吸収させプラズマ化して膨張破裂させ、大音響と打撃を与える。

 視線が合った瞬間身を翻して、少女は直撃を免れた。
 「雷」は頭巾を飛ばして白い顔、白い短い髪を露わに曝す。
 群集の上を驚異的な跳躍力で飛び越えた。頭を踏んで走り逃げる。

 

 場内の群集に紛れて不審者の警戒をしていたチュバクのキリメが追跡を開始する。

 壇上からは遠くて状況がよくつかめないが、アィイーガの雷はなにより雄弁に事態の深刻さを物語った。
 標的は、今跳び上がった「法子」姿の白い髪の少女。
 尋常ならざる腕力で男を一人突き飛ばした。

 キリメは人の波の中を魚が縫う滑らかさで抜けて、少女を追う。
 王姉妹の特別の許可を得て選抜した「ジー・ッカ」の工作員が5名、彼を支援する。
 街に網を張り、逃げる獲物の行く手を阻む。

 

 壇の上では弥生ちゃんが倒れた少女を調べている。
 いつ息を吹き替えすかも知れないので手足は縛り、上下に引っ張って拘束されている。

「口の中に、紐がある。これを噛み切ると腹の中のなにかが反応する仕掛けだね。
 最初に歯を斬ってよかった。」
「何を仕込んでいるのだ。毒でも吐き出すのか。」

 アィイーガもこのような特別な仕掛けを施された獣人を見るのは初めてだ。
 さすがに金雷蜒の聖蟲でも人体の内部までは透過出来ない。
 弥生ちゃんは小刀で少女の服を切り裂いて胸から腹を露出させた。
 そのおぞましい姿に、フィミルティが悲鳴を上げる。

「酷い……。」

 少女の全身には青黒い斑紋が無数に浮き出て、正視に絶えない。
 顔と手だけを白粉で誤魔化しているが、化粧が無ければ人前に出ることが叶わぬ醜さなのだ。

 弥生ちゃんは慎重に腹に手を当てて触診する。
 額のカベチョロの聖蟲が感覚を支援して、胃の中の異物の詳細を教えた。

「どうやってこんなものを呑み込んだんだ?
 喉の大きさよりも太い筒だ。中に劇物が入っている。
 紐を噛みきり引き抜けは強烈な反応を引き起こして爆発する   」

「……毒を含んだ全身の肉を、ガモウヤヨイチャンに浴びせる策か。」
「そんな! これを施したのはこの子の父親なのでしょう?!」

 フィミルティは既に少女の身元を教えられている。
 トカゲ神殿神官長メウマサクの双子の娘。
 13歳だが身体を見るとまだ11歳程度の幼さで、胸も膨らんでいない。

 そんな物騒な奴はさっさと殺して埋めてしまうのが一番だ、とアィイーガは思うが、
トカゲ神救世主はそんな事はしない。

 弥生ちゃんは神官戦士と壇上の巫女に命じて参拝者を大きく後ろに下げさせた。
 トカゲ神官は助手を務める。
 ハリセンを引き抜いて腹の上に当て、慎重に位置を確かめる。

「腹をかっさばいて中の筒を取り出す。それ以外に方法は無い。」

 突然少女がかっと目を見開き、斬られて血が吹き出す歯で噛みつこうとする。
 毒を含んだ血を顔に浴びればまず失明、脳まで侵され狂い死ぬ。
 が、
動きを予測していたかに無造作に血飛沫を避け、ハリセンの柄で少女の顔をぶん殴り再び眠りに就かせた。

 ハリセンは青い光を篝火の大きさに膨らませ、滴らせ、遠目で見る群集までをも照らし出す。

「術式を開始します。」 

 

     ***** 

 少女、双子の妹の方は街を逃げ続けていた。

 父メウマサク神官長の言った事と全然違う。
 自分達は父の手で何者にも負けない力を与えられたはずなのに、どうしてこんな目に遇うのだろう。

 彼女は確かに並の人間をはるかに越える速度で走る。
 人を飛び越え高い塀を登り、家々の窓をくぐって逃げているのだが、追跡者を振り切れない。
 デュータム点の街区を縦横に疲れも見せず駆抜ける自分に、どうして普通の人間が追いつけるのか。

 格闘戦で敵を倒そうにも、追跡者はたくみに姿を隠し前に立ち塞がろうとしない。
 それでいて思わぬ陰から投げ矢で攻撃してくる。
 痛くはないがちくちくして気持ち悪く、涙が出る。
 顔に塗った白粉も剥げて、自分でも酷い面相になっているのが分かる。

 もういやだ。
 でも、一度始めたからには勝たなければお父様は許してくれないだろう。
 お薬をもらえないと激しく骨が痛むのだ。
 お父様の言葉に逆らうと、姉妹ふたりともあの痛みの中で一晩中苦しまねばならない。
 あれはほんとうに痛い、骨が捩じられて一本一本が縦に裂ける気がする。
 あまりの痛みに瞼を閉じる事が出来なくて、目が乾いて涙が止らない。
 あんな御仕置きはもうたくさんだ。
 でも言うことをちゃんと聞いて、ちゃんと結果を出すとお父様はほんとうに優しい。
 お薬を手ずから匙で飲ませてくれると、身体の芯からぼーっと熱くなって、空を飛んでいるみたいな軽い気分がする。
 そのままお姉ちゃんと一緒に一日中なにも考えずにぼーっとしているのが一番楽しい。
 雨が振って洞窟のお部屋に水が沁みてくるのも、なんだか許せる広い心になる。
 何しろ私達はお父様を救世主様にする為に生まれたのだから、がんばらなくちゃいけない。
 偽者の救世主は火焙りになるんだ。
 私達が火焙りにすると、お父様の偉大さを王様もちゃんと分かって、救世主様として崇め奉るというおはなしだ。
 大きなトカゲ神殿の、その十倍ものお城が私達のものになる。
 何百人もの家来を使って、悪い連中を皆殺しにするんだ。
 だから私はがんばらないといけない。

 

 チュバクのキリメ以下「ジー・ッカ」の暗殺者は、獲物のあまりの持久力に正直参っていた。
 毒を塗った投げ矢はもう5本は刺さっているのに、まったく支障を起こさずに走り続けている。

 彼らも獣人を相手にするのは初めてだ。
 慎重かつ大胆に攻撃をしているが、これでは止められない。
 進路を予測して先回りし、人込みに入らないよう誘導するのが精一杯だ。
 それも限界がある。

 少女はやがて、家の屋根を越えて再びトカゲ神殿の傍に戻ってきた。
 沢山の人がなにが起きたのかも知らずに続々と詰め掛ける先に、彼女は青く光るものを見つけた。

「あれだ。あれが偽者の救世主ガモウヤヨイチャンだ。」

 ”偽弥生ちゃん”ッイルベスが神剣で治療を行う舞台だった。
 弥生ちゃん本人には野次馬を含めた熱狂的な参拝者が押し寄せるが、本当に治療を必要とする者はこちらに案内される。
 ッイルベスの手に負えなければ、とりあえず体調の改善を図って後日直接ハリセン治療をする。
 そう説明して、トカゲ神官巫女が合理的に患者をさばいていた。

 行儀よく順番に並ぶ患者の列に、いきなり上から少女が舞い降りた。

 背は低くとても13歳には見えない小柄な姿。
 街中を逃げ回り泥に塗れ、投げ矢を受けた傷からはどす黒い血が零れている。
 流れる汗で白粉が溶け落ちて青い斑紋が浮き出た顔に、

だが患者達は驚きつつも優しく語りかける。

「あ、あなた。ガモウヤヨイチャン様に癒しておもらいなさい。この先でッイルベス様が神剣の御力を御授けになりますよ。」

 少女は小さく頷いて、再び駆け出した。
 あの青い光の所に、お父様が救世主になるのを邪魔する女が居る。
 髪が長くて頭にトカゲを付けている奴だ。

 ッイルベスの元にも順番を待つ患者が何百人も居る。
 トカゲ巫女が彼らの間を回って体調を悪くする者が居ないか、日差しを浴びて弱っていないかを確かめている。
 おおむねの者は大丈夫だが、しゃがんで静かに列が進むのを待って居た。

 だから、飛び越えて進むのに人はまったく障害にならない。
 なにが通ったのか誰も気付かない内に、200歩(140メートル)も続く行列の先頭に到達した。

 

 神剣を用いるのはかなり神経を使う。
 青い光はッイルベスが必要を感じなければ発せられないし、患者の症状に応じて光の強さを変えねばならない。
 内臓が弱っている人には深く染み透る光を、皮膚が冒されている者にはまんべんなく柔らかく当たるよう。
 時には神剣の刃を当てて患部を焼き尽くすといった具合に。
 症状を見て一人ずつ丁寧に治癒していく。

 脇目も振らずに集中している。だから直前まで気付かなかった。

 神剣が青く震えて危険を報せる。
 はっ、と宙を見るッイルベスは、もはや少女の手の届く先にある。

 神剣の震えから、非常に強い毒の危険を知る。
 長く神剣を使ったから、なにを癒すべきか読み取る事が出来るようになった。
 広い範囲、恐らくは数十メートル内に毒が撒き散らされるイメージが脳裏に浮かぶ。

 斬らねばならぬ。
 ガモウヤヨイチャンさまを慕って集まった人を守る為に、神剣で敵を討たねばならない。
 瞬時にそう思ったが、
剣術を知らず身体も小さく、重い剣を支えるので精一杯の彼女には無理だ。

 飛び掛かる少女は鈍く振り上げられる神剣を造作もなく潜り抜け、
ッイルベスにしがみ付き、
胃の中の筒から延びる紐を噛み切った。

 それが本物のガモウヤヨイチャンでは無い事には、たぶん気付かなかっただろう。

 

     *****   

 トカゲ神殿の壇上で双子の姉の体内から破裂筒を摘出するのに成功した弥生ちゃんは、
直後別会場のッイルベスが襲われたとの報せを受けた。

 もう遅い、とは知ってはいても走る。
 多くの参拝者がすぐ脇を駆け抜ける弥生ちゃんに手を差し伸べるが、強引に振り払って進む。

「ガモウヤヨイチャン様……、……。」

 トカゲ神官巫女、警備に当たっていた神官戦士が茫然として救世主の顔を見上げる。
 誰もが悔恨に打ちのめされている。
 その周囲には多くの患者があって、正面に大きく沸き上がる神剣の光に瞬き一つせず見入っている。

 弥生ちゃんは立ち尽くす神官戦士を押しのけて、青い光の中に踏み込んだ。

 ッイルベスが石の床に横に倒れている。
 彼女がしっかりと抱いた神剣は通常よりもはるかに大きな光を放ち、直径が2メートルもの球光となってすべてを包んでいる。
 剣に触れ、光を鎮めたがなおも煌めきを留められない、

 彼女の前には、腹から胸にかけて身体の前面がすべて弾け飛んだ少女の死体がある。
 爆発の衝撃で腰椎が折れて、逆にくの字になっている。
 顔はほぼ無傷で残り歓喜の表情を浮かべたままだ。
 周囲に散乱した内臓と血液は、ほぼすべてが青い焔を上げて燃えていた。

「青晶蜥神の神威で浄化されているな。毒の効力はもう無いだろう。」

 弥生ちゃんに遅れてきたアィイーガが、額のゲジゲジの聖蟲で危険を確かめる。
 フィミルティと神官戦士達も駆けつけるが、惨状に言葉を失う。

 弥生ちゃんはこの会場の責任者であるトカゲ神官に尋ねた。

「ッイルベス、だけ?」
「   申し訳ございません ……  。」
「答えろ、ッイルベスだけか?」

「は、い。ッイルベスだけにございます。
 その他の者も爆発に巻き込まれましたが、同時に青い光も大きく弾け、誰も影響を受けずに済みました。」
「ならばよし。」

 弥生ちゃんは跪き、ッイルベスの身体に手を当てる。
 まだ暖かいが、すでに決定的なものが失われている、と何人も瀕死の人間を救った聖蟲が教えた。

 甲冑のアィイーガが隣にしゃがみ、救世主の様子を確かめる。
 だがその顔には彼女が期待する、あるいは心配する表情は無い。

「50人目だ。」
「そうか。」
「この世界に来てから、私の為に死んだのはッイルベスで50人目だ。
 敵として死んだのはもっと居るだろうし、私の知らない所で私の為に死んでいる人間は更に多い。」

「……御気になされてはなりません!
 彼らは皆ガモウヤヨイチャン様の御降臨を心から願い、命を捧げた事を悔いてはおりません。
 敵であっても、この日の為にこそ生きて来たのです。だから、決して。」

 フィミルティが必死になって弥生ちゃんの心が挫けるのを防ごうとするが、その必要は無かった。
 アィイーガには分かる。
 天河の十二神は、方台の為にまことにふさわしい救世主を選んでくれている。
 この程度で諦める心の弱い者に、世界を救う大事を任せたりはしない。

 弥生ちゃんは立ち上がり、毅然として神官達に振り返り命を下す。

「ッイルベスとこの少女の亡骸を丁重にトカゲ神殿に運び、コウモリ神官の指図に従ってふさわしい様式で準備を整えなさい。
 メグリアル劫アランサ様に事の仔細を説明し衛視局の検分をお願いし、     メウマサク神官長を拘束しなさい。
 カニ神殿に使いを出して最高位の神官にお出でを願いなさい。
 残りの者は、」

 その場に居る者全ての顔を見渡した。
 神官巫女だけでなく患者参拝者も未だ多数有り、救世主の様子を窺っている。
 いやむしろ、騒ぎを聞きつけてこの場に集まって来ている。

「残りの者は、更に別の会場を用意して患者を移し、治療を再開します。
 次の青晶蜥神救世主名代に選ばれていた者は!」
「はい!」

 2名の若いトカゲ巫女が名乗りを上げる。
 彼女らはッイルベスの神剣の使い方を学習する為にこの場に居た。

 弥生ちゃんは再びッイルベスの傍に跪き、
諭すように一言語りかけるとその手から神剣を取り、立ち上がる。
 柄を上に提げ、二人の巫女に差し出した。

「剣を任せます。ッイルベスに劣らぬ働きを期待します。」

 

      ***** 

「裁判は行われません。これほど明白な証拠があれば、裁判の必要がありません。
 処刑は明日昼天時に行われます。」

 メグリアル劫アランサ王女は最悪の結末に言葉を失った。
 だが粛として自らの責務を引き受ける。

 本来であれば長期間の取り調べで背後関係を明らかにするべきであろう。
 それが無益であると、衛視局自身が心得る。
 人食い教団は末端を捕えても決して本体にたどり着く事は無い。

 危惧すべきはむしろ褐甲角王国に対する民衆の眼だ。
 怒りの矛先が失態を見せた警備に、そして王国に向けられる恐れがある。謀略と邪推もされよう。
 求められるのは責任と処断。
 迅速さこそが必要とされる。

「人喰い教徒に薬品を横流ししていた、この一事でも既に死刑が確定です。
 最も大きな罪は青晶蜥神救世主に害を為そうとした事ですが、これは法に規定がありません。
 単なる殺人未遂として扱われます。
 さっそくにカプタニアに使者を送って元老院で該当する刑法を定めますが、今回は遡及して適用されない事をお許し願います。」

 

 メウマサクの計画は巧妙で長期に渡るしっかりしたものだった。

 獣人の処方を手に入れた彼は、必要とされる薬品を横流しして人食い教団内部でも獣人の育成を行い、
黒甲枝の連続暗殺で世情を混乱させる。
 それを自らの双子の娘に解決させて権威を高め、十二神神殿から独立した新たなる「救世主教」を作り上げる。
 信者を組織して自治会議を開き、宗教を中心とした半独立の王国を築こうというものだ。

 本物の救世主が出現した場合は教団に囲い込み民衆から隔離し、飾り物として布教の具に使う。
 教団の運営はメウマサクが全権を握る。

 地球の宗教団体を知っている弥生ちゃんは、メウマサクが実に的確に「大衆」というものを理解していると感心した。
 反面、褐甲角王国が大衆の心理から乖離し始めているのに気付いていない、と憂慮する。

 

 アランサはまた睫毛を伏せた。

「メウマサク神官長は名誉有る死を望んでいます。」
「名誉有る、とは?」
「褐甲角王国では、通常身分の高い者には毒杯が送られますが、」

「トカゲ神官に毒だなんて!」

 フィミルティの憤りにアランサも同意する。毒で人を殺そうとした者を毒で殺すなんて、出来過ぎだ。
 弥生ちゃんに尋ねた。

「星の世界には、名誉有る死罪というのはありますか。」
「そうね。一般的とは言えないけれど、
 自らの赤心を露にする意味合いで、小刀を以って自分の腹を真横に切り裂く、ってのが名誉だね。
 今はあまりやらないけれど。」

「トカゲ神官にそんな真似できるものですか。」

 フィミルティが毒づくのに、アィイーガがにやりと笑った。

「名誉有る死が望みなのだな、メウマサクは。」 

 

 

 デュータム点の城壁の外には火除けの広場がある。
 普通はこういう空間には難民街が勝手に作られるのだが、
デュータム点は物流の要路であり、荷物や兵の集合地としてそのままになっている。

 ここはまた、刑の執行が行われる場所でもある。
 十二神方台系の流儀では刑罰は共同体の外で行われ、そのまま山野に屍骸を打ち捨てる。

 メウマサクの処刑は昼天時(正午)過ぎに行われた。
 朝から野次馬が列を為し十重二十重に広場を囲み、兵に槍で脅されては後ずさりする。
 急造の柵が人だかりで今にも倒れそうだ。

 なにしろ罪人は、皆が待望した青晶蜥神救世主を直接に弑逆しようとした、
それもトカゲ神殿を預かる神官長で名医の誉れ高い人物だ。

 これもまた歴史の転換点として人々は受け止めた。
 旧体制がぼろぼろとその正体を曝け出しながら崩れていく第一歩と考える。
 彼の名声は時代の供犠としてまことに十分、処刑の方法も十分に豪勢なものだ。

 ゲイル。
 ギィール神族キルストル姫アィイーガの騎乗する神の似姿、巨大な死の蟲。
 これに呑まれる事は、褐甲角王国においても一種のステイタスを認められる。

 人一人を殺すのにこれほど大がかりな舞台装置を。
 見世物としても荘厳で過激。
 背に跨がるアィイーガの黄金の鎧が夏の日に煌めいて、いやがおうにも群集の興奮を掻き立てる。

 

 執行の指揮をとるのはメグリアル劫アランサ王女。
 城壁の上にある楼塔から広場の兵に指示を出す。

 デュータム点の衛視局は、事もあろうにギィール神族のゲイルが国事犯を処刑するのに強く反発した。
 しかし千年に一度の救世主への反逆にどのように対処すればよいか前例も無く、
アランサが全責任を受け合ったのでやりたいままに任せた。

 楼塔の上に水色の人頭紋、弥生ちゃんの王旗「ぴるまるれれこ旗」が掲げられる。
 救世主の臨席を合図として、処刑は始まった。

 傍で準備を調えていた狗番、ゲジゲジ神官、神官戦士らが離れ、
がらがらと肢がぶつかる音を立ててゲイルは広場に進み出る。
 飾りをすべて取り去り、本来の兵器としての姿を取り戻した巨蟲は長い頭をゆっくりと犠牲に向けた。

 メウマサクは処刑場を囲む群集に何事か喚いた。
 演説の一つもぶつつもりだったのかもしれないが、歓声と怒号と肢の音に遮られ、誰にも届かない。
 己の無力さを悟り改めてゲイルに向き合い、そこで初めて自らの死を現実のものと意識する。

 千年の救世主の夢に誰よりも深く酔っていた事に、彼はようやくに気が付いた。

 裂けるほどに大きく口を開き、誰にも聞こえない叫びを上げ、周囲を必死で見回す。
 逃げようにも背後は城壁に阻まれ左右の柵は遠く、ゲイルはあまりにも早かった。
 駆けては転び、起き上がってはまた転び、
小石を拾ってはゲイルに投げて届かず、また音にならない叫びを上げる。

 その様に、群集は怒りよりもむしろ笑いを催した。

「興醒めだな。」

 アィイーガはゲイルの向きを返した。
 最初から分かっていたが、この男はゲイルの餌としては卑小過ぎる。
 一幕の笑劇として多少遊んでみたが、こんな愚物を呑み込ませては先に食べさせた神餌人の魂が迷惑がるだろう。

 ゲイルの二股の尻尾が向きを返す際に地面の石を巻き上げ、飛び散らせる。
 意図せぬものだが、メウマサクは脚に怪我を負った。
 満足に走れなくなった身ではあっても、必死に逃げ場を求めて処刑場をさ迷う。

 いつしか、誰からとなく彼の元に小石が飛ぶ。
 やがて礫の雨となって降り注ぐ。
 彼は頭を抱えて刑場中央城壁の前、群集から最も遠い場所に避難する。

 群集による投石は十二神方台系においてポピュラーな処刑法だ。
 石は重ければ遠くに飛ばず、小さければ致命傷とならず死ぬまでに何時間も必要とする。
 最後には罪人は全身ずたぼろとなって息絶える非常に残忍な方法で、
褐甲角王国ではほどほどの時点で投石を止めさせ、兵が射殺する事で慈悲とする。

 

 射殺の指示は処刑を取り仕切るアランサの責任だ。
 彼女は弥生ちゃんの表情を窺ってタイミングを見極めようとする。

 弥生ちゃんはしかし、メウマサクではなく彼に石を投げる群集の顔を見ていた。
 思う。
 メウマサクはいかにも罪人だが、つい先日までは誰からも尊敬され慕われたデュータム点一の著名人だ。
 彼を処刑するのにこれほどまでに楽しそうに石を投げる人々を、自分は救わねばならないのか。
 いや、だからこそ救わねばならないのだ。

 弥生ちゃんは呟く。
 その言葉を聞いて、アランサも決断を下す。

「青晶蜥王国においては死刑は斬首と磔だけにして、どちらも兵のみが罪人を害し、民衆は見るだけにしよう。」
「慈悲を。」

 

 

「……件の少女は現在、カニ神殿の地下牢に拘禁しております。
 薬剤の効力が切れるまで一年間掛かるという話でありますから、そのまま留め置きます。
 その後はカニ神殿がふさわしい処遇を与えます。巫女の一人として民衆に奉仕して贖罪する道もございます。
 未成年ですから、父親にそそのかされたものとして罪には問いません。」
「任せるよ。

 で、願いの筋というのは?」

 カニ神殿は神殿取締りを責務とする。
 メウマサクの背信を裏付ける数々の証拠を提示され、自らの不明を恥じカニ神官長は自害して罪を償おうとした。
 もちろん止められる。

 彼は二人の神官戦士を伴っていた。
 兄弟で、ッイルベスの巡行に出発点のガムリハンから従った者だ。
 「剣の巫女」の霊廟がデュータム点に作られ神剣が安置されると聞いて、専属の守護者となる事を願い出る。

 襲われた時、二人も近くに居ながら何の力にもなれなかった。
 せめて残りの生涯を墓所を守って過ごしたいと言う。

 弥生ちゃんはいい顔をしなかったが、結局許す。
 彼らが辞した後、フィミルティにヤムナム茶を淹れてもらいながら、愚痴った。

「……いい人は早死にするというけれど、使える者はつまらない仕事をやりたがり、賢い者は勝手に滅びる。
 最後まで私の前に残るのは、一体どんな奴なんだろう。」

 フィミルティは元々毒舌の歌姫だ。神族と共に毒地を旅して飽きさせぬ話術を心得る。
 彼女の台詞に、弥生ちゃんはただ茶を啜るしか無かった。

「ネコ、なんじゃないですか?」

 

 

第四章 薫風

  (旧題「奮い立つ若武者に、薫風は微笑む」)

 

 褐甲角王国毒地に面する東辺にあって、スプリタ街道中央よりわずか南に位置するベイスラ地方は防衛の第二線と見られている。

 東金雷蜒王国が正規に軍を進め攻略せんと思えば、戦略上の要所はやはりヌケミンドル大要塞、その背後に抜けるカプタニア街道だ。
 さもなくば北部ボウダン街道を西進してデュータム点を冒し、褐甲角王国の中枢と呼べる西部沃野に雪崩れ込むか。
 いずれにしろ南部のベイスラ、エイベントには用が無い。

 だが今回「大審判戦争」においては動員されるギィール神族・ゲイル騎兵の数が違う。
 尋常の攻め口に殺到してあぶれた寇掠軍が搦め手に回る恐れが十分にあった。

 ベイスラ県の通常の防衛体制は、国境線毒地の縁に沿った15ヶ村に神兵5名がそれぞれ1個小隊20名のクワアット兵を率いて常時駐留し、
その背後に神兵大剣令1名が率いる神兵5名兵100人が緊急展開部隊として待機する。
 更にスプリタ街道西側に位置する中核都市「ノゲ・ベイスラ」に指令所が置かれ、中核軍神兵5兵200、および都市防衛3名50人が駐留する。
 また民政を管轄する黒甲枝10名も予備戦力として随時参戦する。
 加えて邑兵が県全体で2000を数えクワアット兵を支援する。

 しかしながら全兵力が常に部署にいるとは限らず、ローテーションを組んで休暇と訓練を行っている。邑兵であれば農作業にも従事する。
 悠長なようだが、その程度でも平時の防衛は間に合った。
 県全体の司令官である兵師監でさえ常駐せず、ヌケミンドルとカプタニアを往復して会議と折衝に明け暮れた。
 今回の大動員に当たっても、休暇組が戻っただけで体制の変更は無い。

 だが別して、神兵のみで結成される特殊攻撃部隊「穿攻隊」が配置された。
 若手の神兵100名がベイスラを拠点として毒地内部に強行侵入して寇掠軍を叩き、防備が完成したヌケミンドル大要塞に誘導する。
 彼らの最初に任務は国境線の近くの古い砦を奪取して、毒地進攻への橋頭保とすることだ。

 

「君は生まれるのが4年遅かったんだよ。惜しい事をしたな。
 でも気にするな、この戦争はかなり長くなるさ。
 死ななければ必ず聖蟲を戴いて戦列に参加出来る。」

 ベイスラを守る若き黒甲枝 サト英ジョンレは「剣匠令」という特殊部隊章を持つ。
 おかげで地元からそのまま「穿攻隊」に選抜された。

 彼はノゲ・ベイスラで研修を積むカロアル軌バイジャンを良く導く役目を負っている。

 軌バイジャンは19歳になった。
 予定ではこの夏王都に戻って結婚するはずだったが、すべてが怒濤に流されてご破算となる。
 だからと言って残念がる者や運命を呪う者は皆無だ。

 なにしろ黒甲枝、褐甲角王国のすべての兵は金雷蜒王国との最終戦争、
ギィール神族の完全制圧をこそ目的としてこの一千年鍛え上げてきた。
 その機会が自らの生涯で、兵役を果たし得る年齢の内に来ぬ事をこそ無念がる。

 それが今、まさに今目の前で起こっていた。
 千載一遇、たとえ聖蟲を戴かずとも約束された戦場を駆けるは武門の誉れここに極まる。

 状況をお膳立てしてくれた青晶蜥神救世主こそ、彼らの歓呼の対象となって然るべきだ。

「残念には思いませんよ。むしろ、よくぞ間に合った、と感謝です。」
「そうだな。クワアット兵であっても、いや聖蟲を持たねばそれだけ危険。武者としては儲けものだ。
 防御線を突破して来る寇掠軍は必ずあるからな。」

 寇掠軍の到来はめっきり減った。
 代わりに姿を見せるのは、常人の専門兵による偵察隊だ。
 本格的な攻勢に備えての下準備を着々とこなしていた。

「でも正直、こちらにどれくらい来ますかね。」
「うむ、それはまったく分からないな。
 寇掠軍が100隊来るとして、ヌケミンドルとミンドレアに70隊は集中するだろうから、南北に分かれて10隊以下かな。」

 寇掠軍1隊には通常6体以上のゲイル騎兵が備わっている。。
 1体のゲイル騎兵に対処するのに重甲冑装備の神兵3名を必要とする。
 それが60体……。 
 前回ノゲ・ベイスラへの寇掠軍侵入を体験したバイジャンには、絶望的に思えてくる。

「常時10隊の寇掠軍が攻めてくるとなると、蜂の巣を突いた状態になりますね。」
「2500の兵数では完全に不足だな。内側から難民が呼応する事もあるだろう。」

 それを防ぐ為に穿攻隊はある。
 敵に先手を取られる前に毒地に踏み込み、進撃路の横腹から痛撃する。
 黒甲枝1百名、神だとて退ける強大な攻撃力だ。

 

     ***** 

「しかし、重甲冑が使えないのは苦しいですね。」

 重甲冑「ヴェイラーム」を穿攻隊は用いない。原因は夏の暑さだ。

 重甲冑自体は炎天下の使用にも十分耐えられる。
 燃え盛る炎の中にも踏み入れるよう、装甲は特殊な表面処理を施されていた。
 極めて細かい塗料のヒビの間に微量な水を循環させ、蒸発する気化熱で甲冑を冷却する。

 甲冑内部にも小さな翅が何枚も生えていて、カブトムシの聖蟲が発するオーラで振動し風を送る。
 煙を吸っても内部で濾過して無害化する機能を持ち、毒煙筒による攻撃も防ぐ。
 完全に甲冑内で閉鎖しての生命維持が可能であった。

 問題は、その水の供給だ。
 飲料水のみならず重甲冑運用に必要な大量の水の確保が毒地中では出来ないと諦めた。

 代わりに持ち出したのは、赤甲梢で用いる翼甲冑「ソグヴァール」
 重甲冑と異なり中の神兵が外部に露出して、冷却水を必要としない。
 その分人間が水を消費するのだが。

「どうですか、ソグヴァールの着心地は。」
「軽くて動き易いのはいいとしても、楯にはなれないな。無敵というわけにはいかない。」
「装甲が薄いから仕方ないですよ。」

 英ジョンレが纏うのは、赤ではなく薄褐色の鎧。
 重甲冑を見慣れた目にはいかにも薄く感じられる。
 もちろん神兵の怪力が無ければ一歩も歩けない重量があり、常人の攻撃など受け付けないのだが、
なにせ相手は巨蟲ゲイルだ。

「悪くはないんだ。だがこの翅がな、どうにもおさまりが悪いぞ。」
「格好はいいですよ。蟲みたいで。」
「これを使えば早く動けるらしいのだが、イヌコマみたいに長距離は走れないし、矢ほど早くも無いからなあ。」

 翼甲冑の背にはタコ樹脂で作られた大きな4枚の翅が付いている。
 重甲冑にも小さな翅が13対装備され、聖蟲のオーラで振動して前進力・跳躍力を生み出すのだが、
翼甲冑の翅は加えて空力的に揚力を生み出し、自重を軽減してくれる効果を持つ。
 装甲が減って軽くなった上にまだ軽さを生み出そうとした。

 なぜこのような甲冑が必要とされたのか。

 近年寇掠軍では大型で強力な弩や据え付け型の大弓をゲイルに乗せて用いる事が増えてきた。
 いかに重甲冑が無敵の防御力を誇るとはいえ、それを破る兵器も進歩を続ける。
 かっては戦列の正面に立ち塞がり盾としての機能をも果たした重甲冑に、破損が目立つようになってきた。
 戦術を再考せねばならない時期になったのだ。

 この事態を憂慮したのもソグヴィタル王 範ヒィキタイタンだ。
 彼が主導しての機動性を重視する甲冑神兵戦略が、さらに赤甲梢において兎竜戦術へと昇華する。
 ゲイル騎兵を待ち受けるのではなく、追い回す事が可能となった。
 時代は機動戦だ。

 

「しかしまあ、うまくやるさ。矢に当たらなければいいだけの話だ。
 それはそうと、王都から手紙が来たんだって?」

「え? ああ、はい。婚約者のヒッポドス弓レアル嬢から、なぜかネズミ神のおみくじ袋に入って来ました。」
「いいじゃないか。白穰鼡(ピクリン)神の袋ってのは、手柄を立てて来いと励ましてるんだ。」
「安産祈願をもらったみたいで落ち着かないんです。」

「で、カプタニアについてなにか書いてるか?」
「城内はあまり、半分はトカゲ神救世主のことですね。」
「見ていいか。」
「はい、……どうぞ。」
「照れるなよ。」

 敵の間諜に内情を知られぬよう、国境線スプリタ街道沿いの領域では民間の郵便がすべて禁止になっている。
 黒甲枝であれば軍令便が使えるが私信はさすがに控えられ、情報不足に陥っていた。
 特に政治的な面での激動が続き中央の動向が注目される中、前線では不安に思う者も出てきている。

 その状況下で奇跡的にバイジャンの元に辿りついた婚約者からの手紙。
 どのような奇跡を用いたのだろうか。
 ネコ、である。
 令嬢ヒッポドス弓レアルは無尾猫に特に人気があり、特別なお願いも聞いてもらえるという。

 書状は2通。
 もちろん婚約者バイジャン宛てが主であるが、その父カロアル羅ウシィ大剣令に対してもご挨拶が届けられた。
 弓レアルの家庭教師ハギット女史が極秘の政界情報などを。
 もちろん内緒のお手紙で、バイジャンは知らない。

 英ジョンレは甘い恋人への手紙を読まされている。
 山蛾の絹を縁取りにした高級な葉片で、上流階級か王族しか使えない品。黒甲枝家ではとんとお目にかかれぬ代物だ。
 噂通りのスゴイ令嬢だ、と感心するが、

「救世主の噂ばかり、なんだな。面白いが。」
「どう思います? ミョ燕を剣で斬れるとトカゲ神救世主に勝てるというのは。」
「イヤ無理だろ、あの鳥、矢よりも早いぞ。第一高い所飛んで届かない。」
「でも星の世界にはそれを可能とする剣士が居るそうですよ。」

 ちょっと待て、と英ジョンレはミョ燕が近くを飛ぶのを待った。
 抜き打ちは電光の速さだが、殺気を警戒する燕は寄り付かない。

 この話、実はバイジャンの妹カロアル斧ロアランが北方デュータム点より伝えてきたものだ。
 彼女が仕える輔衛視チュダルム家の姫 彩ルダムが補佐する赤甲梢新総裁メグリアル劫アランサ王女が、青晶蜥神救世主ガモウヤヨイチャンより直接に聞いた。
 出元を辿るととんでもないお宝情報である。

 英ジョンレ、負け惜しみでなくか弱い罪無き燕を斬るのはやめて剣を納める。

「ギィール神族なら飛ぶ経路を予測できるから、斬れるかもしれんな。」

 なんとものどかなものだが、二人が会うのも今日が限り。
 明日は穿攻隊は毒地に出発し、軌バイジャンは輸送小隊を任されてそれぞれ活動を始める。
 英ジョンレは思いついた。

「そうだ。輸送隊ならマテ村の傍も通るだろう。たまには家に寄って室の様子も見てくれ。」
「はい。毒地入りしては当分帰れないでしょうからね。」

 マテ村はノゲ・ベイスラの隣にあり、黒甲枝やクワアット兵の家族が多く暮らしている。
 英ジョンレの家もあって、二年前に結婚した妻と住んでいる。
 黒甲枝は聖戴前に結婚して、派遣される任地に若妻を伴うのが普通だ。

「おまえの金持ちの嫁さんは、村で暮らせるかなあ。」
「考えた事もありません。そうかー、そういう問題も有るのか……。」

 

     *****  

 新米小剣令は黒甲枝の出身だとはいえ、若造と見做されても仕方ない。
 だからクワアット兵3邑兵20の輸送小隊でも文句は言わないつもりだったが、与えられた邑兵を見て驚いた。
 ただの素人の農夫だったからだ。

「戦闘訓練は、邑兵の訓練は受けて、……いないのだな。」

 訓練も武具甲冑も必要無い、と司令部は見切ったのだろう。
 単純に荷運びの人夫を配属して良しとする割り切りに、カロアル軌バイジャンは先行きの不安を感じる。
 クワアット兵の凌士長(軍曹相当)が言う。

「隊長、ものは考えようです。
 こういう連中であれば寇掠軍に襲われても立ち向かおうとせず逃げ出しますから、死なずに済みます。」
「そ、そうだな。良いように考えよう。」

 もちろんこの輸送小隊は比較的安全なスプリタ街道西側での活動を命じられるはず。
 だが戦況によってはそんな配慮も消し飛ぶ。

 まずは輸送任務第一回として、イヌコマ20頭を受領する為にノゲ・ベイスラの北、ミンドレアの県境まで出発する。

 

「行ったか。」
「ええ。別に心配する事はありません。まだ大丈夫です。」

 ノゲ・ベイスラの駐屯砦で、都市防衛隊隊長カロアル羅ウシィは息子が出立した報告を受けた。

 副官のビジョアン榎ヌーレは心配するなと言ったが、
実際バイジャンは寇掠軍とすでに交戦した経験があり、ゲイルの顎を覗く目にも遭っている。
 新米ではあって一人のクワアット兵隊長として十分やっていくだろう。

 羅ウシィは息子の事は一旦忘れて、職務に邁進する。
 彼も神兵の一人だ。古今未曽有の大戦を前にしてひとしおの感慨を覚える。
 褐甲角神救世主初代武徳王の神聖なる誓いを自分の代で果たせるのに、喜びを覚えない訳が無い。

「スバスト兵師監様はこちらに入られるのか。」
「二日後です。
 司令部付きの黒甲枝が入りますから我らは東の砦に移る手筈になっていますが、大弩はそのままにしておきます。」
「この間のような浸透攻撃は無いだろう。監視網を強化して途中で撃破するから、それで構わない。
 英ジョンレの代わりは。」
「キマル信マスタラム殿とハグワンド礼シム殿です。4名の体制に強化されますが、その分守備範囲が少し広がります。」
「南北2名ずつで行こう。

 しかし民政を司る者を軍に引き上げては、民の暮らしが滞るな。」
「致し方ありませんが、今年の穀物の収穫は諦めざるを得ないかもしれません。
 刈り入れ前に最前線の村に火を放たれるのは、おそらく防げまいと存じます。」
「今年はな。来年無事収穫できるのを祈ろう。」

 防衛体制自体は羅ウシィもさほど心配はしていない。
 なにしろ神兵100名の穿攻隊が配属され、攻撃側としてベイスラは機能するのだからこれで十分なはずだ。
 問題があるとすればむしろ、王都で定められる政治的な策動にあるだろう。

 その策動に羅ウシィも多少関っている。
 彼自身が提唱した一人ではあるがこうも早くに、それも極めて大規模に行われるとは予想もしなかった。
 だが現実にそれは行われる。

「カプタニア、ヌケミンドル、ミンドレアの難民をすべてイロ・エイベントに移送する作戦については?」

 榎ヌーレも羅ウシィの複雑な胸中を理解する。
 この措置が行われるのはノゲ・ベイスラが浸透攻撃を受けたが故なのだ。

「スバスト兵師監様が直接に御指図なさいますので、こちらに詳細は届いておりません。ただ、……」
「ただ、なんだ。難民狩りの件か。」

「既に民間に情報が漏れているようで、姿をくらます者が増えているとの報告が上がっております。
 ベイスラ山地に逃げる者は良いのですが、草原に潜む者を捕らえるのはかなり人数が必要になり、」
「本来の防衛態勢を損なう、のだな。
 だが未だ指令が下っていない段階で、予備的に拘束する法的根拠が無い。仕方無い。」
「はい。」

 中核軍と異なり、都市防衛隊はこのような政治的活動を割り当てられる向きが強い。
 衛視局と協力して治安活動に当たるのが平時の主任務と言えるほどだ。
 不穏分子と呼ぶべき何万もの難民を移送する任務は、おそらくは羅ウシィに任される事となるだろう。

 

     *****  

 バイジャン率いる輸送小隊は四日の道のりをただ歩くのも勿体ない。
 最低限の調練をしながら行く。

 歩調を揃えるとか号令に従うなど基本中の基本が無いのだからかなり難渋する。
 ただゼロから始めるのも結構面白くて、
バイジャンは王都の教育軍で小隊を任された時を思い出しながら進んだ。

 ずぶの素人邑兵であっても、いつまでも素人であろうとは思わない。
 そもそもが邑兵は村でも尊敬される立場である。

 クワアット兵はそれぞれの村で組織された邑兵隊から、優秀者を選んで送り出す。
 黒甲枝の下で本格的な戦闘訓練を受け、神兵に率いられて直接金雷蜒軍ゲイル騎兵との戦闘を経験し、
やがては手柄を立てて隊長にも出世して、村に凱旋する。
 彼らは英雄として迎えられ、邑兵隊長を任され村の治安を守っている。
 村の自治会議の役員でもあり、平民としての出世の王道だ。

 ヌケミンドル南端の補給基地でイヌコマ20頭を受領したバイジャンは、その背に「夏用クワアット兵の鎧」を百両積んで出発する。

 「夏用の鎧」とは言うが、本来暑さ厳しい夏季には寇掠軍は攻めてこない。
 草木一本も生えない毒地を炎天下防毒面を被って歩くのは無理だからだ。
 褐甲角軍でも装備は涼しい時期を想定しての革鎧が主で、とても夏場は使えない。

 それでも万が一を考慮して用意してある。藤のツルを篭状に編み上げた「藤甲」だ。
 空気が通って涼しいのは間違いないが、勿論矢の貫通は防げないし、鉄の剣で突かれれば貫ける。
 ただし投石にはめっぽう強く、棒での殴り合いであれば十分な防御力を持つ。
 鉄板の胸甲を首からぶら下げ、手甲などを用いれば十分に戦闘に耐えられた。

 邑兵達も運ぶついでに着用して、なんとなく本物の兵隊になった気分がした。

「隊長ー。こんどはたたかい方を教えてください。」

 その気になった邑兵達は催促するが、残念ながら武器の支給は受けていない。
 バイジャンは部下のクワアット兵と相談して投石のやり方を教える事にする。

「いいか、投石は戦闘の基本中の基本の攻撃だ。
 これさえ覚えれば、当たり所さえ良ければギィール神族だって撃退が出来る。」

「棒や槍を使っての格闘がやりたいんですが。」
「そんなもの一朝一夕に出来たら、クワアット兵の何年もの調練は要らない。
 投石を覚えれば万全だ。
 まず石は大小の二種、これだけを使う。大は握り拳大のもの、小はワグラ(食用カタツムリ)大のもの。
 大は接近戦で、小は遠距離で使う。
 これより小さなものは当たっても効果はほとんど無く、大き過ぎるものは遠くに飛ばないからまず当たらない。」
「はい。」

「大の石は10数歩という近距離で格闘戦時に使う。
 破壊力は十分に大きく、間合いは槍よりも長いのだから或る意味最強の武器だ。
 ただし大きく重いから、一人3個を持つのが精々。与えられた投石の機会は確実に生かさねばならない。
 誰か、投げてみろ。」

 と言われて、元気のいい者が一人前に飛び出して見本にやってみようとする。
 が、肝心の石が無い。

「隊長、石がありません。」
「そんな事で戦争が出来るか、探せ。」

 大あわてでそこら中を這いずり回る。
 ようやくそれらしい大きさの石を持ってきた、と思ったが赤土が固まったものだった。
 適当な石はそうそう無いのを教えるのが目的だが、さすがに笑えた。

「良い大きさの石はそう簡単には見つからない。手に入る時に確保しておく。
 投石ならばどこでも出来ると考えるのは間違いだ。
 だが大の石は持ち運ぶのに苦労する。小の石を常時携帯しておく事が投石の最大の要点だ。次!」

 代わって別の邑兵が前に出た。
 さすがに小さい石ならば容易に見つかり、十個以上を両手に抱えて戻って来る。
 投げろと言われて投げたが、とんでもない方向に飛ぶし距離も無い。

 バイジャンが見本を示して投げると、真っ直ぐに飛び距離も3倍はあった。

「正規の邑兵訓練ならば誰もが同じ距離を飛ばせるまで厳しく訓練するが、時が無い。
 まっすぐ前に投げる事に留意して自分の飛距離を掴め。
 全員練習開始。」

 20名の邑兵はてんでに石を投げ始め、クワアット兵3名が一人一人指導する。
 四半時(30分)も投げるとへとへとになるが、なんとか形になってきた。
 副官のクワアット兵がバイジャンに耳打ちする。

「ですがこの程度では、矢で射られる前に先手を打って投げる、というわけには。」
「そんな難しいこと出来ない。逃げるのに多少役立つくらいで十分だ。」
「模擬戦闘をしてみなければ投石の恐ろしさと限界は分かりませんからね。」

 敵が居るわけもなく、輸送小隊は普通に進む。
 地元住民も心得てちゃんと炊き出しをしてくれた。
 食糧を自前で運ぶ必要が無ければ、輸送隊は最大限の荷物を運ぶ事が出来る。
 これが無いと、数日分の食糧と土鍋までも担いで運ばねばならない。

 バイジャンの隊は北部の出身者が多く、知り合いが出向いて色々と便宜を図ってくれる。
 邑兵は彼らに甲冑姿を見せて誇らしげだ。

 

     ***** 

「盗賊ですか。」
「いや、難民がなにごとか嗅ぎつけて草原地帯に逃げ込んでいる。
 彼らの一部が徒党を組んで盗賊を働き、我らはこれから討伐に向かう。
 貴殿らも警戒されよ。」
「了解しました。」

 バイジャンは警戒小隊と遭遇して武装盗賊団の情報を入手した。
 難民の盗賊団ならば装備も無いに等しいから、三人のクワアット兵が持つ弓で十分対抗出来る。
 だが、邑兵達は緊張して格闘戦の訓練を懇願する。

「捕獲するわけではないのだ、投石で追い散らせば上等だぞ。」
「しかし棍棒くらいあったほうがいいと思います。」
「我らは輸送小隊だから長柄の武器は邪魔になるのだ。」

 いつまでも教えてくれないので、邑兵の一人は自分で石斧を作って腰にぶら下げた。
 籐の鎧に石斧投石とは、まるで古代紅曙蛸王国時代の兵隊だ。
 バイジャンもさすがに折れて棍棒の自作を許し、格闘の演習を始めた。

 実際は、盗賊団が武装した輸送小隊を襲って来るはずも無い。
 何事もなく小隊は進み、丸木の棍棒をぶら下げた奇妙な集団と冷たく見られながら、輸送先の前線部隊に到着する。
 着用していた藤の鎧も全数引渡し、また元の農民姿でノゲ・ベイスラに帰還する。

 

「お、ほら。出ました。」
「あんな鎧でも威嚇効果は随分とあったんだなあ。」

 盗賊団の斥候と思われる汚い服装をした男が一人、高台の上からバイジャン隊が行くのを眺めている。
 イヌコマが20頭が食糧でも運んでいると思ったのだろう。
 しかし襲ってくる事は決して無い。
 クワアット兵が一人でも居れば勝ち目が無いと、よく心得ている。

「射ますか?」
「我らの任務ではない。無視しろ。」

「あの、隊長。あんな遠くに居るのを弓矢で当てる事が出来るのですか。」

 邑兵の先頭を行く者がバイジャンらの話を聞いて尋ねた。
 100メートルも先に居る盗賊に矢が当たるとは、素人には想像も出来ない。
 バイジャンも配下のクワアット兵に尋ねてみる。

「御前達、あれが当てられるか。」
「そうですねえ、3本に1本という所ですか。」
「当たっても防具を着けていればあまり期待出来ませんが、あれならばまあ。」

 見本ということでバイジャンが弓を引き絞り、男に狙いを定めた。
 斥候を務めるだけあって目は良いらしく、こちらを狙うと気付いて男はさっと姿を消す。
 が、構わずバイジャンは射た。

 すーっと飛んでいく矢の行方を邑兵皆首を伸ばして確かめる。

 男がさっきまで居た足元の土に刺さった。
 邑兵は皆感嘆の声を上げる。なるほど確かなものだ。
 副官のクワアット兵は言う。

「二本射れば当たりましたね。」
「風が無いからな。行くぞ。」

 

 ノゲ・ベイスラに戻った輸送小隊は休む間も無く次の任務を受けた。
 今度は矢を2000本運ぶ。
 ついでにマテ村に寄って前線の黒甲枝に届ける私物を家族から受け取る。

「マテ村か。英ジョンレ様の奥方とはどんな人だろうな。」

 バイジャンは英ジョンレに頼まれた事を思い出す。

 彼と父の羅ウシィは家族はカプタニアに残しているので、マテ村には縁遠い。
 思い返せば王都カプタニアの実家には、母と従者が居るだけだ。
 妹の斧ロアランも遠くデュータム点で勤めを果たしている。
 この夏には帰るはずだったのに、気落ちしていないか少し心配になる。

 バイジャン隊の邑兵に生まれの村から装備が届く。やっとまともな姿になった。
 邑兵装備は自治会議の負担であるから、村の経済状態によってばらつきが激しい。

 藤の胸甲、藤の笠、手甲は木の皮を重ねたものを紐で結わえる。さすがに軍衣は指定の通りだ。
 ただ武器に関しては軍から正式に支給された。
 「割棍」と呼ばれるもので、短い棍棒に鉄の楔が付いている。
 鋼ではないから斧ほど鋭くないが、さすがに石斧よりは強い。
 こんなものでも邑兵は大喜びだ。

 

 マテ村はノゲ・ベイスラから5里も無い。
 バイジャン配下のクワアット兵も二人がこの村に家族を置いている。久しぶりの帰還を喜び合っていた。

 バイジャンは人に尋ねて、サト英ジョンレの家に向かう。

 妻の名はマドメー、歳は二つ下の22歳。子供はまだ無いのをすこし気にしている。
 英ジョンレの父が南海イローエント港に赴任した時、近所に住んでいた幼なじみだ……。

「まあ、貴方がカロアル様の御子息ね。御噂は夫から聞かされていますよ。」

 春の陽の包み込む優しさを持った美しい人だった。
 髪は丁度解いていて緩やかに風にそよぎ、豊かな胸に掛かる。
 瞳は黒く大きく、バイジャンは吸い込まれる錯覚を覚えた。

「小剣令カロアル軌バイジャンです。
 サト英ジョンレ様には兄のように良くしていただいております。」
「そんなに固くならなくてもよくてよ。お茶でも飲んでらして下さい。
 彼に持っていってもらいたいものもあるし。」

「は、はい。では失礼します。」

 

 

第五章 金雷蜒少女、鬼谷の妖気に美身を震わせる

 

 

 

第六章 針の穴から覗く天は、どこまでも青く

 

 

 

【闘猫】

 

 

第七章 いぬのはなし

 

 

 

第八章 赤き矢は平原を貫いて、旭日を望む

 

 

 

第九章 誘うは泥濘の戦戯(仮
  旧題「戦戯の棋盤に列する駒は、泥濘に転ぶ」 

 

 ヌケミンドル正面軍の総指揮を執るのはクルワンパル主席兵師大監だ。
 23代武徳王カンヴィタル洋カムパシアラン・ソヴァクから直々に指名を受けて、王国中枢を守る最重要防衛線の指揮を執る。

 クルワンパル明キトキスは41歳。
 兵学校に在籍中から将帥の器を認められ、20代で兵師監に抜擢された英才だ。
 黒甲枝の主要家系の出身ではないが、聖戴の直後より軍政局に配属され兵師統監直々の薫陶を受ける。

 重用される理由はもう一つ。
 ソグヴィタル王 範ヒィキタイタンを領袖とする「先戦主義」派とは一線を画し与しなかった。
 元老院からも好意をもって迎えられる。

 当時若手黒甲枝に人気の「先戦主義」に彼が同調しなかったのは、
多分に神話的な脅迫観念に基づく「大侵攻計画」が、一時の勝利以外の展望を持たなかったからだ。
 「計画」自体には十分成功する見込みがあったものの、勝った後どうするかを考えていない。
  数年の内に必ず逆襲されると予想した。

 もっともソグヴィタル王としては、その頃までには必ず青晶蜥神救世主が降臨して、
方台が新しい局面を迎えるだろうとの予測があった。
 今現在、青晶蜥神救世主「ガモウヤヨイチャン」の降臨で大変動が起きているのだから、
結局はどっちでも良かったわけだ。

 褐甲角軍としては、ソグヴィタル王の遺産である大動員計画がそのまま今次大戦に流用できて、非常に助かっている。
 クルワンパルも感謝する。

 

「はてさて。人の死ぬを見るは楽しからざる体験であろうが、兵師であればむしろ喜ぶものであるかな。」

 前線視察するクルワンパルの隣を歩くのは、元老員ガーハル敏ガリファスハル。
 武徳王から直接派遣された督戦使だ。
 黒甲枝クルワンパル家の累代の後見役でもある。

 元老員はおおむね奇矯な者が多く、その言動にいちいち腹を立ててもしかたないが、
機嫌を損ねて武徳王陛下に妙な讒言をされても困る。
 丁寧に隔離しようと司令官自ら案内する。

「主席大監、いや司令官殿と呼ぶべきか。
 そなたはこの戦、勝つおつもりか、それとも勝利以上のモノを得るおつもりか?」
「それはまた、突拍子も無いお尋ねです。
 私は陛下より与えられた使命を愚直に果たすだけです。」

「いや、そういう話ではない。
 つまりは青晶蜥神救世主ガモウヤヨイチャンの存在を踏まえてのことだよ。
 戦が終った後の方台の状況にどう落とし所を着けるかという問いだ。
 明敏なそなたならば当然その程度は考えておろうし、またそうでなければ主席大監など務めてもらっては困る。」

 クルワンパルは顔をしかめた。
 元老員というのはとかく論が中空に浮かぶものだが、彼の言葉はその最たるものだろう。
 黒甲枝は愚直である事を美徳とする。
 それ以上は元老院が考えて法として定めるものだ。

「いささかお言葉が過ぎると思われます。そのような問いはハジパイ王殿下にこそ、お尋ねください。」
「あれはダメだ。ガモウヤヨイチャンを殺す気でいる。」

 クルワンパルは瞬きした。

「……まことですか。」
「無論、その程度で時勢が旧に復すはずも無い、とは王も理解しているがな。
 こうは思わないか。すべてのカブトムシが翅で飛び立った後、一人だけ居残っている奴が居る。」
「どこに飛んで行くかは元老院でお定めになるべきでしょう。
 あるいは、ガモウヤヨイチャンを王宮にお呼び下さい。」

「いや。……そうたとえばだ、
 このヌケミンドル正面軍、これがこぞってガモウヤヨイチャンの軍門に降ったら面白いだろう。
 元老院も陛下も飛び越えてトカゲ王国を樹立してしまい、後でつじつまを合せる。
 そなたの才ならば可能だ。」
「御戯れを。」

「ハジパイ王の頭の中は、そんなことで一杯なんだよ。

 黒甲枝は畢竟民衆の生命をこそ大事として、王国そのものの存立にはさほど拘らない。
 青晶蜥神救世主が新しい枠組みで人を救うとなれば、それが善であり正義と見做すのもやぶさかではない。
 もちろん国法的には、謀反なんだがね。
 とりあえず疑っているのは赤甲梢だな。」

 「キスァブル・メグリアル焔アウンサ様ですか。
 あの御方は、なるほど新しく面白い事がお好きですか。」
「彼女だけではないぞ。その姪の劫アランサ王女も既にガモウヤヨイチャンに取り込まれている。
 殺す理由には事欠かないのさ。」

 どこまでが真実か知らないが、ガーハルは武徳王から直接信任を得ている。
 ハジパイ王の動向も、褐甲角神聖宮の注目する所となっているのだろう。

 

     *****

「という話を前提に置いてもらい、この人物が最前線にて戦況を観察する事をお許し願いたい。」

 元老ガーハルがそう前置きして紹介する人物を、クルワンパルは眩しく見上げた。
 身長2メートル、彼よりも頭二つ分も大きい。
 ガーハルの黄金の鎧に対して、その者は白銀の鎧を身に纏っている。
 羽飾りの派手な兜の下から、花のように柔らかい茶色の髪が零れる。

「女性、ですか。」
「胸を見れば分かるだろう。見たとおりのものを信じたまえ。」

 銀の鎧の胸部には、乳房の膨らみが盛り上がる。
 だがタコ樹脂と鉄板で象られたものだ、ギィール神族の作ならば女の形に意味は無い。
 趣味でいかようなものでも着るだろう。

 兜の下から現われた頭には、ゲジゲジもカブトムシも無い。
 美しく整った顔だが、ただの人だ。この身長でこの体格とくれば、

「神族の出身で、亡命者ですか。」
「少し違う。青晶蜥王国より観戦にいらした救世主の廷臣だ。胸の印を見て欲しい。」

 甲冑の胸部、ちょうど豊かな胸の谷間には七宝が嵌め込まれる。
 青く描かれた角のある女人の顔だ。
 青晶蜥神救世主ガモウヤヨイチャンの紋章「神殺しの神」ピルマルレレコ。今や方台中の人が知る。

 女性は、身長からは想像出来ない美しく澄んだ声で自己紹介する。

「この度、青晶蜥神救世主ガモウヤヨイチャンの宮廷にて、青晶蜥王国建軍準備委員会が発足されました。
 委員会で観軍評論員を任じられた ューマツォ弦レッツオです。以後御見知り置きを。」
「軍政局より報せは受けていましたが、まさか女性の方だったとは。」

「男です。」
「は?」
「エリクソーの服用を失敗し、体型が女性の外見と化してしまった者です。
 故に聖蟲に嫌われて聖戴の栄を受ける事が叶いませんでした。」

「真正、男なのだそうだ。おもしろいだろう。」

  と、能天気にガーハルが笑う。弦レッツオも口元に手を当ててころころと笑う。

 服用の失敗など嘘だ。
 ギィール神族の中には自ら薬品の調合を行い生まれた性を転換する者が居る、と聞いている。
 聖蟲がそのような者を選ぶはずが無い。

「それで、観戦をお許しねがえますか。」
「お断りします。
 ここ第三列の城塞まではガーハル様のお計らいで見る事が出来ますが、
 これより先は司令官の権においてお断りいたします。」

 ガーハルと弦レッツオは互いに目くばせして肩をすくめる。
 想定内だ。次の手もちゃんと用意している。

 弦レッツオは澄んだ声で、再度懇願する。

「それでは私がガモウヤヨイチャン様から受けた使命を果たせません。
 どうか、もう一度御考え直しください。」
「私は、武徳王陛下と兵師統監様以外より命令を受ける立場にありません。どうか御引き取りください。」

「ではいたしかたありません。ガモウヤヨイチャン様にはその通りにお伝えいたします。
 褐甲角王国では戦場において悪逆非道を働いていると。」
「そうだな。人に見せられぬとあれば、そう判断せざるを得ないからな。
 武徳王陛下もさぞお悲しみであろう。
 誇りとする主席大監がそれほど腐っていたとは、御想像もされてないだろうからな。」

「なんと仰しゃられても決定は覆りません。
 また敵が王国に仇為す者であれば、いかようにも我ら非道を働きますぞ。」
「うむ。精励なされよ。」

 言いながらも、ガーハルは胸元から山蛾の絹布を取り出す。
 勅状を記すものであるから、クルワンパルはやっぱりそう来たか、と覚悟する。

「勅命であるぞ。」
「は。」

「青晶蜥神救世主ガモウヤヨイチャンが遣わした観軍使に対しては、最大限の便宜を図りその使命を全うさせよ。
 観軍使は常に督戦使ガーハル敏ガリファスハルの傍にあり、彼により行動の制限を受けその指示に従うよし、
 協定に定められている。」
「御錠に従います。」

 弦レッツオは婉然と微笑む。

 いつのまにカプタニアは救世主と協定を結んでいたのか知らないが、まさか元老ガーハルの方便ではあるまい、
とクルワンパルは自らに言い聞かせた。

「うむ。殊勝である。最前線の防塁に案内してもらおう。
 いや、司令官直々でなくてもよい。誰か黒甲枝を寄越してもらおう。」

 

     *****

 褐甲角軍は方台中央部に位置する抜けミンドルに最大最強の防衛線を敷く。
 これは地形上当然の理由だ。

 ヌケミンドルは南北を貫くスプリタ街道の中点にして、方台西部に繋がるカプタニア街道の起点。
 西には、方台最大の湖アユ・サユル湖が拡がる。
 直径100キロメートルの湖と北のカプタニア山脈に挟まれて、街道は1本しか無い。
 湖南岸のサユールまたベイスラ側はえぐられたかの切り立った断崖となり、通行は不可能。
 徒歩で移動できるのはカプタニア経由しか無い。

 カプタニアを扼すれば、方台中央の東西交流を阻止出来る。
 褐甲角王国はこの地を占領して初めて国家としての基盤を手に入れた。

 東金雷蜒軍が褐甲角王国を攻略しようと思えば、カプタニアを陥さねばならない。
 ヌケミンドルが決戦の場となるのが必定だ。

 

 東西南北交易の十字路であるから、ヌケミンドルでは幾多の戦争が繰り返される。
 この時問題となるのが、地形だ。

 ヌケミンドルの周辺は、アユ・サユル湖に毒地平原の水を引き込むかに低くなっている。
 何度も水が溢れ泥が堆積し、泥地となっていた。
 神聖金雷蜒王国時代、ギィール神族が土地改良に乗り出し巨大な運河を作って流路を拡張し洪水を防ぐ。
 以来泥地は広大な乾いた土地となり、都市を築く基盤をなったが、
雨が降ればまたぬかるむ。

 天候によって戦況ががらりと変わる、難度の高い戦場だ。

 褐甲角軍はこの地に大要塞群を築く。
 野戦は避け、要塞に籠もっての防御戦を選択する。

 要塞はまた人心を安定させるのに貢献した。
 いかに無敵の神兵が守るとはいえ、ゲイル騎兵は神出鬼没。
 毒地平原の側が開けていれば、どこから襲われるか安心して眠れない。
 恒久的な防御施設が必要であった。

 現在ヌケミンドルは軍都として繁栄を遂げている。
 だが人が多く住む都市で戦闘を繰り広げるのは不適。ゲイルは10メートルを越える城壁でも平気で登ってくる。
 故に毒地側にさらに進出して、土塁を並べた最前線防衛陣を敷いた。

 ギィール神族との攻防は、此処で行われる。

 

 誰言うとなく自然と定まった今次大戦『大審判戦争』において、
褐甲角軍政局は、ヌケミンドル防衛の基本戦略に修正の必要を感じなかった。

 2年前に着任したクルワンパル主席大監も同意したが、改めて考えると
これほどの規模の大戦では戦線全領域との釣り合いが取れていない。
 ヌケミンドルが強すぎるのだ。

 今回金雷蜒軍の攻撃対象は「褐甲角王国自体」である。
 具体的には民だ。
 王国存立の基盤である国民を害され為す術も無いと露呈してしまうと、青晶蜥神救世主に王国の大義を説く事が出来ない。
 褐甲角王国は存在理由を失ってしまう。

 民への直接攻撃を止め、ギィール神族と神兵を直接対決させねばならないが、
ヌケミンドルは防御が厚すぎて、神族が忌避し他に眼を向ける。
 防御陣をわざと手薄に見せて、神族の攻撃を誘引せねばならなかった。

 クルワンパルは考える。それでは足りない。
「ギィール神族の知的好奇心をくすぐり、なんとしてもヌケミンドルの難題を攻略してみせると虚しい挑戦をさせる」
 不本意ながらも自らに冠せられる「智将」の虚名を利用して、知恵比べをさせようと思い至る。

 

 クルワンパルは最前線のさらに前に、いくつもの小さな防塁を作らせた。
 一見すると無防備そうだが互いを補い合い、容易には攻略を許さない。
 全体として迷路のような陣形だ。

 この陣の妙味は、知恵を絞り適切に兵を用いると、必ず攻略できるようになっている点だ。
 本物の防御線に達する前に、金雷蜒軍はパズル解答に精力を使い果たす。
 一隊が疲れ果てれば、また別の隊がパズルに取り掛かる。
 神族を飽きさせぬように常に新しいパズルを用意する。それが可能なのはクルワンパル唯一人だ。

 もしもこの陣を、弥生ちゃんの地球の友達「八段まゆ子」が見れば、即座にこう叫んだろう。
 「三元奇門遁甲八陣の計!」
 真に知恵ある者であれば、早速に迂回するものだ。

 しかし、ギィール神族は引っ掛かる。
 おもしろいから、以上の理屈は要らない。

 

      *****

 果たして、ヌケミンドルに先着した寇掠軍は、この防塁を見て考え込む。

 なるほど、急ごしらえの防塁は実に小さい。10人も詰めれば一杯だろう。
 しかし、土を盛った小山の上にあり掘や垣根で守られているから、歩兵ではとても攻められない。

 多人数を犠牲にしひたすらに押しつぶす作戦は、兵数が少ない東金雷蜒軍にに無理。
 弩車を持ち込むにしても、防塁は土と粘土で出来ており効果は薄い。
 火を掛けても燃え広がらない。
 少数の剣匠で殴り込みを掛ける、またゲイル騎兵で乗り込むにしても、
待ち構えるのは間違いなく神兵だ。
 割が合わない。

 防塁間は200メートル程で、黒甲枝の鉄弓ならば相互に矢が届き援護も出来る。
 無理に防塁の間を抜け浸透しても、四方八方から鉄箭を射られて針ねずみになって死んでしまう。

 大砲と爆弾があれば話は別だろうが、どちらも持ち合わせていない金雷蜒軍だ。
 こちらも地道に陣を作り兵力を増強してじわじわとすり潰すしかない、と見定める。

 だがもちろん、ギィール神族はちまちました作戦は大嫌いだ
 防塁の配置を詳細に検討し地図に正確に記してみると、敵将クルワンパルの意図が見て取れた。

「我らに対する挑戦だな。」
「矢の届かぬ回廊が何本か作られている。ここに来い、と言っている。」
「罠以外の何物でもないが、どんな罠か興味が湧くな。」
「面白い。手並みを見せてもらおう。」

 

 クルワンパルが設定した回廊は幅が30メートル程度。
 ゲイルも一列に並んで進まねばならない。
 身を隠す場所も無く左右に退避する余裕も乏しく、後退して逃走するのも困難だ。
 しかしゲイル騎兵はむりやり押し通る。

「この防塁は取られて取り返す、そういう考え方で作られているな。」
「ああ、西側からは取り易いようになっている。
 つまり奪還時にはこの回廊を通って歩兵を乗り込ませる事が可能だ。」
「我らが取ってもあまり有利にはならないが、取らねば不利のままで空しく時を費やすのだ。」

 そして当然のように待ち伏せに遭う。
 予想に反して、クワアット兵の集団だった。
 長槍と弓の百人隊が道の左右に埋伏していきなり姿を現す。

 常であれば物の数ではないが、ゲイルで蹴散らそうとすれば防塁からの射程圏内に入ってしまう。
 思う壷だ。
 さすがに額にゲジゲジを持つ神族は慌てず、まっしぐらに正解を進み、ついには包囲から脱出する。

 出た先が弩車の射界であったとしても、最適解なのだから迷いは無い。
 これまで温存してきたロケット槍(飛噴槍)を直撃させて、辛くも虎口を脱した。

 過酸化水素を用いる「飛噴槍」は、ギィール神族の間では結構知られた新兵器である。
 だが寇掠軍で用いるのはこれまで控えられてきた。あまり使い所が無かったのだ。
 今次大戦においては存分に披露する。

 

 ヌケミンドルの国境線は約100キロ。
 全域に渡って小防塁が作られているのではない。
 或る程度まとまった数が集中して、それ以外の場所は神兵の機動防御に依る。

 狙い目に見えなくもないが、

「神兵が強弩を担いでいるぞ。何時でも何処でも防御陣を張れるな。」
「クワアット兵で補えるか。ここもクルワンパルとの知恵比べだな。」
「兵が10万あれば効率的に攻められるが、ゲイル百騎を並べても黒甲枝に手柄を与えるだけだからな。」
「結局は我らも砦を築くべきか。」

 強弩は対ゲイルに、また対装甲神兵に有効な兵器であるが、金属製で大変重い。
 通常は移動に荷車を必要とする。
 一体化して「弩車」と呼ぶが、道路が車輪を想定していないので移動は制限される。
 人間が担いで運ぶのはとても無理だが、神兵の怪力であれば可能であった。

 なお褐甲角軍が用いる「強弩」は東金雷蜒王国製。
 ギィール神族は喜んで敵方に最新兵器を売る。
 売らねば新兵器開発の意欲が湧かない。面白くならない。

 

      ***** 

 金雷蜒軍でも土塁・砦の構築が始まる。
 クルワンパルの小防塁の展開を考えて、こちらの有利に布石を打つ。
 まるで囲碁のような状況となった。

 こちらにも強弩や投石器が装備されるが、さすがに東金雷蜒王国本国製。
 褐甲角軍には売らない「分解可能」な製品で、部品を分けて奴隷に運ばせる事が出来る。

 もちろん褐甲角軍は建設に手をこまねいてはおらず、盛んに攻めかけ妨害する。
 これを防ぐ為にも、土塁が必要なのだ。

 

「暑い……。」
「奴隷どもに十分な水と食糧を与えねば、たちまち倒れてしまうぞ。」

 季節は夏、日差しを遮るものの無い平原での土木作業だ。
 付近の草木はすべて刈られ、地面は掘り起こされて泥と粘土が陽に乾く乾燥した場所になっている。
 二日に一度はざっと通り雨が降り、たちまち泥濘と化して足元が沈み身動きがとれない。

 泥の中で奴隷兵達は土を捏ね、袋に詰め背に負って運んでいる。
 いかに肉体労働には慣れていても、絶えず褐甲角軍の突入に怯えながらの作業は遅々として進まない。
 寇掠軍はただ荷物を運び掠奪するだけ、と聞いていた者も多く、予想が外れて不満を見せていた。
 しかし、代わりの奴隷は運河の舟に乗って続々と到着する。

「アユ・サユル湖からの用水は、いつ水を止めるだろうか。
 我らが先に堰き止めて舟による運輸を確保するべきではないか。」

 神族の懸念はアユ・サユル湖から毒地に水を引く運河だ。
 神聖金雷蜒王国時代に築かれた運河は水量も多く、物資を輸送する舟がひっきりなしに往来する。
 ヌケミンドルには運河をまたぐ巨大な石造りのアーチ橋「大拱橋」が有る。
 方台三大不思議建築として観光地ともなっていた。

 褐甲角軍としては、金雷蜒軍の補給路を断つ為に水を堰き止めるのがセオリーであるが、
何故か今も止められていない。

 クルワンパルはギィール神族のヌケミンドルへの集中を図るから当然の策だが、
便宜を受ける方はさすがにそこまでは見抜けなかった。

 気付いた。さすがに。

「ひょっとすると、攻塁は奴等に作らされているのではないか?」
「少し考え方を変えてみよう。」

 

 褐甲角軍最前列の小防塁を一つずつではなく、一斉に壊滅させる。
 もちろん十分な防御力を持つ防塁を簡単には破壊できない。
 が、そこはゲジゲジの聖蟲を持つ者だ。
 火攻めを用いる。

 ゲイルの上に大弓を搭載して、神族特製焼夷弾を放り込む。
 普通に射ても泥土の外壁に遮られ、表面が焦げるだけ。土塁に火は効かない。
 だがゲジゲジの超感覚により極めて精密に弾道を計算できる神族は、ごく僅かに覗く狭間を狙う事が出来た。

 内部には大量の矢や物資が集積される。
 燃え移り、竈のようになった。
 たまらず飛び出すクワアット兵を、黄金の矢が射抜く。
 今回神族は煙幕筒も併用する。
 煙に燻され眼を奪われ、どこに敵が居るか分からぬままに褐甲角軍は死んでいく。

 重甲冑の神兵が突撃する。
 視界は無くともゲイルの気配は隠せない。
 まっしぐらに神族の元に駆け込み、岩をも砕く大剣を降り下ろす。斧戈を振り回す。

 

 一方神族は、別働隊をクルワンパルが設定した回廊に突入させる。
 こちらは毒煙筒を用いた。

 褐甲角軍も防毒面を装備するが、装着しては視界も狭まり矢も当たらぬ。
 高速で疾走する標的にはなおさらだ。
 防塁に放り込むと、なんと兵ではなく神兵が飛び出す。

 甲冑装備の神兵は、装備に防毒面の機能を持つ。
 冷却機能も有り、限定的ではあるが火中ですら行動できた。
 毒煙筒の攻撃を予期し待機していたのだ。

 しかしクワアット兵の支援は無い。
 ゲイルと神兵直接の格闘戦が始まる。
 大剣と斧戈が、黄金の槍が弓が、その他様々な新兵器が威力を奮う。
 巨蟲の肢に刃が食い込み緑の体液は弾け、
跳ね飛ばされた重甲冑が毬のように転がり、泥に嵌る。

 ゲイルは防塁を乗り越え、回廊も何も無視して三次元の機動を行う。
 無傷の防塁からもやはり神兵が鉄弓を振りかざし、ゲイルの腹に深く鉄箭を打ち込む。
 背の狗番が大弓を引いて、火炎弾を神兵に命中させる。

 まさに血みどろの戦闘で、その日5人の神族が戦死した。
 両軍はさらに高い緊張状態に突入する。

 

      ***** 

 翌朝、金雷蜒軍はあり得ないものを見る。

 いきなり目の前に新しい小防塁が出来ている。
 これではせっかく作った攻塁が意味を為さない。

 兵ではなく神兵が怪力を活かして粘土を詰めた袋・籐篭を運び、
 たちまちの内に積み上げた。
 敵将クルワンパルは何時でも好きな所に防塁を築き、自在に戦略を構築する。

 神族は協議して新たな攻略法を模索せねばならなくなった。
 そして数日。今度は褐甲角軍が我が目を疑う。

 ゲイルが土を運んでいるのだ。
 巨大な泥の玉をを無数の肢で転がし、寄せて来る。
 さらには地面にとぐろを巻いて泥を掘り、盛り上げた。
 あっと驚く暇に、土塁が完成する。

 ゲイルは額の聖蟲と形を同じくする尊い蟲だ。
 その神蟲にこのような卑俗な真似をさせるとは、神聖金雷蜒王国の昔を紐解いても見られぬ蛮行。
 そこまで神族は思い切るのか。

 褐甲角軍の前線は狼狽し、クルワンパル主席大監に指示を仰ぐ。

 

 

「穴はどうなのだ。地底をくり貫いてゲイルが城塞の内部に侵入するなどは無いか?」

 督戦使ガーハルは報告に来た中剣令に尋ねるが、そんなもIFは分からない。
 代わってクルワンパルが答える。

「さすがにゲイルの構造では地底を掘り抜く事は出来ないでしょう。
 ミミズかオケラのような形でないと。」
「たしかにゲイルは地を走る蟲だ。では地底からの攻撃は無いか。」
「すくなくとも最前線の小防塁にはありません。労多くして功が少な過ぎます。」

「兵の代わりに防塁を駒として配置しあう。まるで『ダル・ダル』のような展開だな。
 主席大監はこれを予想していたのか。」
 (『ダル・ダル』とは十二神方台系のすごろく)

「まさか。ゲイルがこのように用いられるなど、神族でさえ予想していなかったでしょう。
 ゲイルが神の化身と思われていた時代なら、口にしただけで暗殺されます。」
「時代が変わって、ゲイルをただの便利な道具と看做すようになったわけだ。

 さもありなん。千年に一度の大戦、大変革だ。
 神威にのみすがっている者は最早カプタニアにしか居るまい。」

 ガーハルはこの後一度下がって、武徳王への報告に赴く。
 だが対処法を携えてでないと、陛下の納得は得られないだろう。
 クルワンパルを急かせて策を絞り出させる。

「そうですね。当初の計画は今も有効ですが、防塁同士の攻防で20日は時間が稼げるでしょう。」
「その後は?」
「神族が飽きますから、今度は平原に出ての戦闘を考えます。
 その間に防塁を整理して要塞群までの道を空けましょう。攻城戦をさせます。」
「ふむ。より大規模にな。」

「神兵が足りませんね。」

 青晶蜥神救世主の観軍使ューマツォ弦レッツオが、優しい口調で弱点を指摘する。
 ガーハルもうなずく。

「敵軍のゲイルは200を越えるだろう。
 重甲冑の神兵3人が当たらねば、ゲイル1騎を確実に屠るのは無理なはずだ。」

 部外者の口出しにクルワンパルは内心怒りを覚えたが、指摘はごもっとも。
 最前線ばかりに配置は出来ず、機動防御にも十分な数の神兵を当てねばならない。
 ゲイル騎兵の数が増えれば、搦手から攻めようと考える者も増える。

「後方の、カプタニア街道口の防衛はクワアット兵に任せて、神兵は前面に出そうと思います。
 陛下の御親征を願って近衛兵団を前進配備出来れば、と考えます。」
「うむ。そこは儂に任せてくれ。」

「ゲイルは最終的には500騎になります。今朝報告がありました。」

 ぎょっと二人は麗しい観軍使を見る。
 なぜそんな事を知っている。

「レッツオ、それは青晶蜥神救世主の情報網からか。」
「あの御方は情報に関しては非常に大きな関心を持っており、一日にして方台全土を知るまでに整えております。
 その一端はわたくしにも伝えられ、わずかばかりではありますがクルワンパル大監のお役にも立つでしょう。」

「救世主はギジジットの諜報網をすべて使える、というのは本当ですか。」

 ガーハルに代わってクルワンパルは尋ねる。
 レッツオは花のように綻ぶ笑顔を見せる。

「王姉妹さま方の御利益に、ガモウヤヨイチャンさまの成される事は完全に叶うのです。」
「それで500騎の内訳は。」
「東金雷蜒王国においてこれまでに出征なされた神族は800名、計画なされている方は500名です。」

「おお、ゲイルも既に800騎が毒地に入っているか。」

「北方ボウダン街道は赤甲梢の兎竜が猛威を奮っており、戦果も芳しくありません。
 スプリタ街道沿いの前線を目指す方が多く、およそ500となります。
 しかしヌケミンドルがこのように堅守を示せば、200は南のベイスラにでも向かうでしょう。」

 これは良くない。クルワンパルも悩む。
 ベイスラをゲイル騎兵が200も襲えば、壊滅しか考えられない。
 ヌケミンドルの軍勢を割くのは不可能だから、別を考えねば。

「……わたしの権限ではありませんが、西岸の「装甲海兵団」より応援を、」
「うむ。請願書を書いてくれぬか。」
「早速に。」
「兎竜はどうだ。赤甲梢に話を付けて一部隊を回してもらおう。」
「お願いいたします。」

 だが懸念はまだ有る。
 神兵が過重の戦闘で疲弊が目立ち始めていた。
 人はいい。装備が問題だ。

 重甲冑も翼甲冑も褐甲角王国では製造できない。
 金雷蜒王国の神族の工匠によって作られていた。
 補修部品も当然に輸入で、他の代替が利かない。特にタコ樹脂製の部品は手に負えない。
 損傷すれば修理もしなければならないが、このままでは。

 ガーハルに伝えると目を瞑り大きくうなずく。

「破損の著しい重甲冑は無いか。陛下にお見せして状況を認識してもらおう。」
「ご用意いたします。」
「だが、   」

 とガーハルはにたと笑う。
 クルワンパルも理解して、笑顔で応じる。

 

「計画はすべて順調です。
 ヌケミンドルは未だ、敵に対して存分に魅力を振りまいています。」 

 

 

第十章 金雷蜒少女、初めての接近遭遇

 

 

 

第十一章 聖戦に沸く武王の都は、今日もいいお天気

 

 

 

【羅針盤】

 

 

第十二章 破れし者の名は、栄光の翼に乗ってはばたく

 

 

 

最終章 青晶蜥神救世主は明日を越えて、明後日に向かう

 

 

【エピローグ】

 

  

***********************************

 Episode4 『忙中閑あり姦計あり』

に続く

 

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