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ゲバルト処女

エピソード2 弥生ちゃん、激闘の渦中に在り

仮改修バージョン(2019年7月開始)

 

 

 褐甲角王国第23代武徳王カンヴィタル洋カムパシアラン・ソヴァクは、青晶蜥救世主を公式にはいかに位置付けるべきか問うた。
 政務を司る副王 ハジパイ嘉イョバイアンが答えて曰く

「悪と。
 褐甲角救世主初代武徳王の神聖なる誓いに基づいて正義と公正を旨とし、
 民を寧んずるを目的とする王国の有り様に疑義をもたらす者は、悪と見做すほかありませぬ」

 武徳王は眉をひそめ否と応じ、次の如くに各所に通達した。

「青晶蜥救世主は一身をもって領土とする国と見做し、その饗応の格式は金雷蜒神聖王、褐甲角武徳王と同列とする。
 その行動の制限は国法をもってする事能わず、必ず褐甲角王宮の判断を仰ぐものと定める」

 

 

第一章 赤甲梢実験戦闘団

(旧題 「褐甲角王国赤甲梢部隊、不可思議なる光に遭遇する」)

 

 赤甲梢。
 その名の通りに、彼等が戴く聖蟲は甲羽が赤く輝く。

 特にその優秀さを認められた武人が、一代限りでカブトムシの聖蟲を許される。
 褐甲角王国の神兵最精鋭だ。
 何の門地も無しに武勇のみで昇進を果たした者も多いが、黒甲枝家の相続を得られない次男三男も見られる。

 黒甲枝は世襲で聖蟲が与えられ、軍役に適した年齢の嫡子が相続する。
 だが傷病により軍務を果たすのが困難となれば、代わりとなる男子を用意するのも責務だ。
 それが故の悲劇も存在する。

 相続から外れた者にも養子や婚姻による他家での相続という手があり、むしろその方が一般的。
 だが、敢えて赤甲梢にならんとする者にはそれなりの理由がある。

 彼、ディズバンド迎ウェダ・オダも訳ありの一人だ。

 年齢30才。
 威丈夫の揃う赤甲梢の軍団においては小さい、173センチの普通の身長。
 鍛え込んだ筋肉は大きく盛り上がり、聖蟲を戴く前からでも剛力を讃えられていた。
 武技の才にも優れるが、状況判断・部隊指揮に巧みが有り、困難な任務も見事こなして来た。

 彼は妾腹の生まれである。
 黒甲枝ディズバンド家には正妻が産んだ弟があり、これに相続をさせようと栄達の道を放棄した。
 兵学校を卒業して最初の任地で地元の女性と結婚し、勝手に家を構えてしまう。
 他家への養子縁組も当然に無くなり、父を怒らせて半ば勘当の扱いとなる。計画通りに。

 ただ王国の大義聖願から外れる事は無く、己の力のみを頼りに軍務に邁進する。
 兵学校時代の学友も彼を惜しんで軍制局に嘆願し、またある筋の推薦を得て赤甲梢入りが叶った、というわけだ。

 

 彼は人を待っていた。

 現在赤甲梢の部隊は新たな総裁を迎える準備に忙しい。
 現総裁が型通りの継承式はうっとうしい、いきなり演習中の部隊を新総裁に見せてやろう、と会場を平原に指定した。
 割を食ったのは一般人のクワァット兵で、数ヶ月を掛けて準備した式典の用意をすべて平原に持ち出すはめになる。

 新しい総裁も副王メグリアル家の姫であり、格式は正しく豪華であらねばならない。
 赤甲梢部隊の政治的地位を高める為にも必要だ。
 千人の部隊は式典と演習を同時にこなす無茶な状況に右往左往している。

 迎ウェダ・オダが待つのは式典の要となる人物。
 王都カプタニアから総裁任命の勅令を持ってくる輔衛視だ。新総裁のお目付け役となる。
 名をチュダルム彩ルダムといい、黒甲枝の重鎮チュダルム家の一人娘だ。

 褐甲角軍の最高指揮官である兵師統監は彼女の父であり、西金雷蜒王国方面司令官である兵師大監は伯父に当たる。
 本来であれば彼女は、将来栄達間違いなしの極めつけの御曹司を迎えて室に納まるはず。
 だが、28才の今日に至るも結婚していない。
 その原因は、

「……まだルダムちゃんは来ない?」
「おお、これはアウンサさま」

 迎ウェダ・オダの背後にいつの間にか現総裁が立っている。平原を続く道を遠く見通す。

 キサァブル・メグリアル焔アウンサ王女。
 彼女は36才で、もう20年も赤甲梢「戦技研究実験戦闘団」の総裁職を務めている。
 キサァブルとは彼女の現在の夫、元老院キサァブル家の姓だが、彼以前に2度も離婚を繰り返していた。

 褐甲角神「クワァット」は、契約と婚姻の神である。
 王族の姫はまた巫女であるにも関らず、拘泥しない破天荒だ。

「アウンサ様、あの噂は本当でしょうか」
「どの噂」
「今度来るチュダルム彩ルダム様の、その婚約者が」
「2番目だ」

 事も無げに答える総裁に、迎ウェダ・オダはため息をついた。
 それではチュダルム姫も行かず後家になろう。

 アウンサの2番目の夫は4つ年下。
 1年程の結婚生活後叩き出されるように離婚され、世をはかなみ聖山で神官の修業をしていると聞く。
 常識人の彼にアウンサの不行跡を留められないのが原因と、世間は噂した。
 赤甲梢でも話題になったものだ。

「確かにあれはまずかった。ルダムちゃんならお似合いの夫婦になったかもしれないが、知らずに手を出してしまった」
「実は知ってて、じゃないですか?」
「う〜ん。そう言えば、ウェダ・オダ、あなたその時にはもう赤甲梢に居たわね」
「そういうことになります」

「あなたはあまり可愛くなかったな。あの頃はなんか筋肉団子みたいな」
「それはどうも」

 焔アウンサの好みは、ほっそりとした知的で繊細な優男だ。
 2番目の夫も現在の夫もそのような質で、芸術家肌だと聞く。
 どのような困難な状況でもナタでぱかんと力ずくに割ってしまう彼女と、相性はまったく反対だろうに。

 だから、赤甲梢の武者に手を出そうとは考えない。
 長年実戦部隊の総裁を務めるだけあって、筋肉男も武骨者も大好きなのだが、床を共にしたいとは思わないらしい。

「そっか。ルダムちゃんも、うちから旦那を探して帰ればいいんだ。これは面白い事が増えた」
「総裁。愚考しますに、引退したらさっさと元老院の旦那様の下で大人しく室に収まっている方が、チュダルム彩ルダム様の御為かと存じますよ」
「なんという愚考! 罰としてあなたには兎竜から降りて新総裁の護衛役となるを命じます」
「それは3日前に拝命しました」

 迎ウェダ・オダは双鞭という金属のしなる短槍を両手に持って戦う武術の達人である。
 が、その技は兎竜の上ではあまり意味が無い。
 兎竜も百頭しか居ないから乗れない者の方が多い。
 クワァット兵を指揮して裏方を務めるのが、彼の平生の任務だった。

「あ、アレだね」

 カブトムシの聖蟲は、戴く者の肉体を強化する能力を持っている。
 視力を強化して遠くまでも細かく見る事が出来る。
 地平線の彼方で砂粒ほどの人影を判別するのも容易だ。

 その隊列は10名で、女性は4名。1人は女人であるにも関わらず、賜軍衣の長い裾を翻している。

 賜軍衣は黒甲枝が甲冑を着装せずに王宮に上がる時に用いるものだ。
 単に豪華なだけでなく、聖蟲の神気をはらんで身を守る機能も有している。
 一般人はおろか黒甲枝の家人でも聖戴の経験の無い者には許されぬ、格式の高い衣装だ。

「彩ルダム様は聖戴をされているのですか」
「女のくせにね」

 褐甲角神は闘神であり、通常は戦に赴く男子にのみ聖戴を許される。
 焔アウンサは王族だから例外だが、黒甲枝あるいは元老院金翰幹家で跡継ぎに男子が居ない場合、暫定的な措置として女子の額に聖蟲を戴く事がある。
 誰かのせいで、彩ルダムもその憂き目にあっているわけだ。

「迎えに行こう。誰か、兎竜を」
「総裁!」

 止める迎ウェダ・オダを無視して焔アウンサが草原に手を挙げる。
 6騎の赤甲梢が応じて、ただちに彼女の前に兎竜の首を並べた。

 兎竜は体高4メートル。馬というよりもキリン、古代中国の神獣「麒麟」に似た草食動物だ。
 体色は白、首を上ではなく前に伸ばす。肩高ならキリンと同等。
 あまりにも大きくて人が飼いならす事もなく、その姿の優美さで古来より保護されてきた神獣である。
 草原を十数頭の家族で群れて平和に暮らし、白いたてがみが黄昏に霞む光景が余りにも美しく、数多の詩文に謳われてきた。

 走行速度は時速60キロ。
 家の2階ほどの高さから落ちればほぼ確実に死亡するので、一般兵の騎乗はあり得ない。

「総裁、いかがなされました」

 赤い甲冑で顔まで覆った神兵が一人兎竜の背から降りてくる。

「ちょっとこれ貸しなさい」

 と、焔アウンサは彼の肩を勝手に踏み台にして、兎竜に乗ってしまった。

 この世界は馬具が発達していない。
 騎乗に適した生物が存在しないので無理も無いが、敷物を三重に重ねて帯で留めているだけの簡素な鞍。
 鐙も無くハミも無いから手綱も無く、首に回した綱を絞って兎竜を制御する。

 常人では背に留まる事すら無理で制御不能だが、さすがに彼女も黄金のカブトムシを戴く者。
 たちまち向きを返して、地平線の向こうからやって来る隊列に走っていった。
 残る5騎も慌てて追走する。

 

 兎竜から降りた武者は、兜を脱いで迎ウェダ・オダに尋ねた。
 8隊ある兎竜実験隊の一つ、赤旗団長のシガハン・ルペ 29才。
 赤甲梢神兵頭領でもある。

 彼の名には嘉字が無い。一般の兵士から武勲を重ねて昇進し、聖戴の栄に浴した傑物だ。
 しかしその顔は優しげで武張ったところは無く、むしろ文人に見える。
 実際、部隊運営の事務においても有能だ。

「なにがあった」
「カプタニアから配属される事になっていた輔衛視がおいでになったようだ。ルダムちゃんと言ってたなあ」
「ああ、あの可哀想な」

 

          *** 

 チュダルム彩ルダム。
 王国を担う黒甲枝の名門チュダルム家の一人娘は、自らの意志に反して王都の有名人である。

 これだけの名門の息女でありながら、最早婚き遅れと言える年齢まで独身を貫く。
 のみならず聖蟲を戴き「衛視」という法を司る役目を担い、民政の裁判官を務めていた。
 女性としては初の衛視監にもなって、ゆくゆくは武徳王直属の宮法監にすら目されていた。
 しかし、突然の人事で赤甲梢総裁の輔衛視を命じられた。

 位階としては上だが左遷と言ってよい。中央政界から体よく追っ払われた事になる。
 だがこの人事は、個人的な嫌がらせまでは意図していなかっただろう。
 総裁が速やかに交代すれば、焔アウンサ王女と共に仕事をせずに済むのだから。

 もちろん彩ルダムは、そのような安穏な展開は神にも期待しなかった。
 王女がどのような人物であるか、誰よりも深く知っている。

「……それでは彩ルダム様は、王女様にお妹のようにお世話していただいたのですね」

 傍らの年若い女官が無邪気にも尋ねる。

 この娘、カロアル斧ロァランという。
 元老院で大狗の飼育番をしていた、なかなか胆の座った少女だ。
 しかし、いかんせん齢が若過ぎて配慮というものが無い。
 いや自分のことで手一杯で、他人まで心配する余裕が無いのだ。

 彼女が今回の任務にこっけいなまでに緊張しているのを、彩ルダムは興味深げに眺めていた。
 初めて自分が王宮に上がった時の姿を見出したのかもしれない。

 それは4才の時だった。
 幼児ではあったが、負わされる責任の重さを確かに理解していたと思う。

 カプタニア城の最上部、武徳王の坐す神聖宮で、王家の姫君の遊び相手をする。

 頑是ない幼児には荷が勝ちすぎる仕事だが、同時に晴れがましく胸踊るものもあった。
 遠くエイタンカプトから一人で参られたお寂しい姫、メグリアル焔アウンサさまをお慰めする。
 黒甲枝随一の名門に生まれた自分の責務であるのだろう。と、ぼんやりとしたプライドにも支えられていた。

 焔アウンサ王女は想像した以上に美しい人であった。
 絵本に描いた姫君のよう、と今も覚えている。
 12才でありながらも大人びていて、細い身体を凛と張り、並み居る女官侍女を手足のように命じ使っていた。
 褐甲角王国は質実剛健を旨とし、神聖宮であっても華美な装飾を施されていない。
 それでも、彼女の居る周辺だけが特別に豪奢に感じられた。

 彩ルダムは、自分が彼女のおもちゃとして呼ばれた事は知っていた。
 だからかなり酷い扱いを受けるのも覚悟していたが、案に反して王女は自分を見た瞬間こう言った。

『卑劣な。王都にはもう私と同年代の娘は居ないとでも言うのか』

 

「そうですね。アウンサ様には、妹というよりはむしろ栗鼠に芸を仕込むように、色々と教わりました」
「リス、ですか」

 彩ルダムは、丁寧に斧ロァランに答える。
 これから彼女も王女の暴虐の餌食になるだろう。
 先入観を与えないように慎重に受け答えしていく。

 よいことだってあったのだ、
 お話が難し過ぎて眠ってしまったらミカンの汁を眼に入れられた事まで話さずともよいだろう。

(注;十二神方台系にはサル・霊長類は居ない。
  厳密に言うと、人間ですら霊長類ではない。樹上に居るカシコイ生物は「リス栗鼠」なのだ)

 

「チュダルム様、あちらよりなにやらおおきなものが、……ああっ、こちらに走って来る」

 王都から来た一行に兎竜を見た者は居ない。彩ルダム自身も初めてだ。

 土煙を上げてつむじ風のように近づいてくる生物の早さ大きさに、皆おののいた。
 護衛の兵には、ギィール神族が騎乗する巨大な「ゲイル」を遠目で見た経験がある。
 兎竜の迫力もそれに劣らず強烈だ。

 騎乗の一団はギジジットよりの一行を取り巻き、輪を描いて走る。
 荷物を運ぶイヌコマが驚いて跳ねようとするのを従者が必死で留めていた。

 一人昂然と顔を上げて彩ルダムが、兎竜を駆る集団の頭目を確認した。
 蹄の音に負けない大声で叫ぶ。

「やはり! アウンサ様、赤甲梢総裁付き輔衛視チュダルム彩ルダム、只今着任いたしました!」
「ご苦労!」

 王女は兎竜をなだめて集団の輪を解き、停止させる。
 6頭の巨大な獣が首を並べ、深紅の甲冑を着けた武者が一行を見下ろす。
 二階の窓よりも高い背から、長い裾を翻して焔アウンサ王女が飛び降りる。
 赤い髪を指で掻き上げて直し、昔なじみに微笑んだ。

「ルダムちゃん、あいかわらず、眉をしかめているねえ。」
「誰の所為ですか!」

 

 総裁就任式は予定より3日遅れると決まった。
 肝心の新総裁が未だ到着しないからだ。

 本人だけならば兎竜を迎えに出せばよい。
 だが会場を草原の演習地に変更したために観客、とりわけ正式な重職に就く娘の晴れ姿を見んとするメグリアル王の御行に手間が掛かっている。
 考えてみれば、「デュータム点」で行われた焔アウンサの就任式にも、先代である父王が閲兵に来た。
 もう20年も昔の話だから、そこらへんの事情をころっと忘れていた。

 デュータム点は東西をつなぐボウダン街道、南北を貫くスプリタ街道の結節点であり、また北方聖山街道の起点でもある。
 メグリアル王が御座所である神殿都市「エイタンカプト」の膝下に当たり、メグリアル副王家の影響力の強い都市だ。

 会場となる演習地は、デュータム点を出てボウダン街道を東に2日、草原に入って1日の距離。
 毒地ももう目の前の、最前線に近い土地だ。

 赤甲梢の使命は、毒地より時折出現するギィール神族の寇掠軍を撃退して、ボウダン街道の安全を保証するものだ。
 またボウダン街道出口、東金雷蜒王国への入り口となる大要塞関門「ギジェカプタギ点」の城壁をよじ登り突破する任務を与えられている。

 未だ果たされぬ大戦争の宿願に備えて、彼らは連日の猛訓練を行い、新兵器「兎竜」運用を磨いていた。

 

          *** 

 翌日、彩ルダムと女官達は兎竜部隊の演習を見物する。
 焔アウンサ王女が、式典の予行練習を見せつけてやろうと、上機嫌で彩ルダムを引っ張り出したのだ。

 今回はさすがに王女も兎竜に乗らない。乗せてもらえない。
 王族は本来、部隊の最高指揮官ではなく、旗印なのだ。
 総裁職といえども運営業務のみで、戦闘・作戦行動の指揮を執ったりしない。
 それが褐甲角軍のならわしであり、聖なる誓いでもある。

 ただ、何事においても破天荒で例外を貫く焔アウンサは、その限りではない。
 特権を認めさせるまでには、長年の労苦とハッタリと宮廷内での政治闘争と、とにかく大変であったのだ。

 

 カロアル斧ロァランはカブタニアに住まい、近衛兵団を目にする事も多い。
 また黒甲枝の家人として武術の嗜みも有るから、激しい演習に驚きはしないと思っていた。
 それでも、最前線の部隊の演習はさすがに迫力が違う。

 一壇高い式典用舞台の上で、共に眺める上司に言った。大声で。

「彩ルダムさまあ、わたくし、兎竜とはあもっと穏やかな、いきものだと思っていましたが、」
「え、なに、聞こえない?」

 蹄の音、兵が走り武器がぶつかり合う音で、耳がつんざけそうだ。

 詩に謳われる兎竜は穏やかで、ゆったりと長いたてがみを風に靡かせて草原を歩くとされている。
 それが戦闘用に使われると、猛獣と形容せざるを得ない荒々しい猛々しさを見せていた。

「さすがだわ」

 彩ルダムは兎竜騎兵の戦法に見入る。
 兎竜の兵器としての利用は、赤甲梢総裁としての焔アウンサ王女の命により始められた。
 褐甲角王国の戦史においても特筆される、画期的な成果だ。

 なにしろこの乗り物が生まれるまでは、草原を疾走するゲイル騎兵を神兵が走って追いかけねばならなかった。
 いかに怪力を誇る神兵といえども、走る速度までは向上しない。
 否、特別に重い甲冑を纏ったまま常人が軽装での最高速で延々と走り続ける事が出来た。
 十二分に異常だが、それでも「早くはない」

 赤甲梢神兵の甲冑は背に4枚の大きな薄い透明な翅を持ち、これを振動させて推力を生み出す。
 故にその名を「翼甲冑」と呼ぶ。
 黒甲枝が用いる「重甲冑」に比べて軽量化もされ、高速性能が上がっている。
 だが、やはりゲイルに追いつくものではない。

 それが、兎竜の背に乗ることで同等以上の速力で戦えるのだ。
 なお一般人の歩兵が兎竜に追いつくのは困難で、神兵が騎乗する兎竜のみ単独で運用する。

「どうです。早いでしょう。
 早ければ強いというものでもないが、早さがあればこちらの被害を最小限に出来るのです」

 案内役の神兵 迎ウェダ・オダが説明するが、彼も演習に参加したくてうずうずしている。
 轟音に負けないように大声で、彩ルダムが尋ねる。

「貴方は、どこに配属されて居たのです?」
「平常は、私は兎竜に乗る事は無く、クワァット兵を指揮する役となります。
 ですが、演習においては、あそこです!」

 彼が指差すのは、大きな幟を連ねた不思議な隊列。
 神兵7人が高い旗竿を掲げ、長い旗を地に着かないよう走ってたなびかせる。
 旗にはなにやら足の多いムカデの絵が描かれている。

「仮想敵のゲイルです。兎竜部隊の演習では、敵ゲイル騎兵の役を赤甲梢神兵が行います。
 さすがに本物ほど早くはありませんが、なかなかに強敵ですよ」
「たいへんですね!」
「はい!」

 見渡す限りに何も無い草原での演習は見応えがある。
 遠く緑が尽きて白茶色になっている部分から先が、毒地だ。
 風に漂う毒により、地面に草が生えず土がむき出しの荒れ地となる。

 斧ロアランは、これが褐甲角軍最強精鋭部隊かと、目を輝かせて見ている。
 彼女の兄も兵学校を出て既に軍務に就いており、いずれはこのような戦場に出るだろう。
 その頃には父も引退して、聖蟲を兄に譲っているのかも。

「迎ウェダ・オダ様、あれはなんでしょう?」

 と指差したのは、遠く南東の空の先、毒地の真ん中に当たる方向だった。
 つられて彩ルダムと女官達、また迎ウェダ・オダも視線を遠くに向ける。

「なんでしょう。空に赤い焔が、」
「失礼。今しばらく、確認いたします。あれは、   ギジジットの方角か」

 目を凝らす。
 聖蟲の力で強化されて視力も常人を超え、空中にちらつく赤い蜃気楼に似た光を確かめる。
 ほんのわずかの点であったものが、どんどんと広がって焔の円盤に見えた。

 やはり聖蟲を額に戴く彩ルダムも首を傾げる。

「よくあるものですか?」
「いえ、初めて見るものです……」

 迎ウェダ・オダは演習を監督する焔アウンサ王女の元に走っていった。
 二言三言話すと、焔アウンサも空を眺め、演習を中止させる。

 直ちに部隊は隊列を整え元の位置、総裁の前に戻ってくる。
 背後を振り向き遠くの赤い焔に気付き、皆動揺を覚えていた。 

 円盤をはやがて白い光に代り、一気に弾けて空全体を光らせた。
 音はしない。
 光の発散と共に空中の雲が放射状に順次消滅していく光景を、唖然として眺める。

 異変はそれで終ったが、とても尋常とは思えない現象だ。

 焔アウンサは赤甲梢の幹部に次々に指令を出し、伝令を走らせる。
 輔衛視 彩ルダムも女官達を率いて王女の傍に行った。

「アウンサ様、何事でしょう」
「知らん! しかし、非常に良くない予感がする。
 誰か、兎竜を伝令としてメグリアル王の御行列に使者を送り、進行を留めて来い。急げ」

 王女は唇を噛んでギジジットの方角を見詰める。
 次に襲い来るものを待つように、いつまでも空を睨んでいた。

 

           *** 

 それが起きたのは深更の刻。
 赤甲梢全員が即応警戒体制で交替で仮眠を取っている中、誰かが叫んだ。

「光だ! ギジジットから発している!」

 誰も眠れずに悶々としていたから、この言葉で全員が飛び起きた。
 彩ルダムと女官達も天幕から出て、見張りが指差す方向を見る。

「カプタニアだ……」
「いや違う。ヌケミンドルまで光は届いていない」

 暗い地平線の上を低く、青い光が細く長く連なっている。
 薄い光の幕がかすかに揺らいで襞を作り、夢かと思うほどの美しさだが、その下はどうなっているのだろう。

「…………              。なにこれ」

 呆然と天を眺めていた彩ルダムは、急に足元がふらつき地面に倒れる。
 身体に妙に震えがくる、と思うが違った。世界が、地面全体が震動していたのだ。

 「地震」という言葉は古語にはあっても、誰も体験した例が無い。
 紅曙蛸巫女王国時代には頻々と発生したがここ二千年は記録に無い。誰にも分からなかったのも道理だ。

 赤甲梢全員がが必死になって暴れる兎竜やイヌコマを押えている。
 焔アウンサ王女も自分の天幕から出て、兵に指示している。
 斧ロァラン以下の女官達は地に伏せ必死で草にしがみついていた。

「御無事ですか?!」

 と、迎ウェダ・オダが女達の元にやってきた。
 クワァット兵を20人率いているが、彼等も揺れる地面に足を取られて転びそうだ。
 さすがに彩ルダムも体勢を立て直して、言った。

「アウンサ様は?」
「この程度で慌てる方ではありません。ですが、貴女方に対してこれだけの人数しか割けないとおっしゃっておられます。
 揺れが収まると同時に、途中までお出でになっているメグリアル王の御行列を救いに参ります」
「我らは大丈夫です。あの光はやはりギジジットからでしょうか」
「間違いありません、測量して確かめましたが、ギジジットから発せられています」

 揺れは徐々に小さくなったが、小刻みに続いている。
 女官達もほとんどが黒甲枝家の出身であるから皆しっかりしており、まもなく威儀を取り戻した。

「王都(カプタニア)も揺れているのではありませんか?」

 青い光は毒地の中心からまっすぐ西に伸びてカプタニア山脈を指している。
 迎ウェダ・オダも地平線を凝視して、光の行方を確かめる。
 揺れは光の下から発しているようにも思われた。
 だがやはり、毒地の端で留まっていると見受けられる。

「毒地、ですね。毒地の外には出ていないようです」
「金雷蜒神の御業でありましょうか」
「我らには分かりません。金雷蜒神の雷とは異なります。
 ですが、ギジジットから発せられているからには無関係とは考えられません」

「揺れが、収まってきましたね」
「はい。むしろ、何も無い草原の中に居たのは幸運だったのかもしれません」
「アウンサ様にご挨拶申し上げ、我らも御指示を仰ぎましょう」

 

 赤甲梢は部隊を整列させて点検し、メグリアル王の行列の安全の確認に出発する。
 百頭の兎竜部隊は焔アウンサと共に先行するが、徒歩の神兵と千人のクワァット兵はイヌコマに物資を積んで移動する。
 演習中であったから、装備は遠征と同様で食糧も10日分を確保してあったのが幸いした。

 チュダルム彩ルダムとディズバンド迎ウェダ・オダはこの地に留まり、式典舞台の保全と青い光の帯の行方を観察する。
 万が一これが東金雷蜒王国の策であれば、ギィール神族の寇掠軍の襲来もあり得る。

「あ、白い」

 天を見上げた斧ロァランが、ふと漏らす。
 気付くと白い月と青い月の二つが完全に丸い姿で共に中天にあった。
 「灼劫」と呼ばれる33ヶ月に一度の天文現象だが、これが起きる夜には変事があると噂される。
 二つの月に照らされて空は真っ白く輝き、夜である事を忘れそうだ。

 

 青い光は南の先に消えたかと思うと今度は東に移動し続けているのが観測された。
 どうやらギジジットを中心に毒地全体をぐるっと一周して照らしているようだ。

「一周? 一周すると、また元の所に戻るのではないの?」

 地震が収まったから一段高い式典の舞台の上で観測していた彩ルダムと迎ウェダ・オダは、同時にその事に気が付いた。

「まずい、それはまずいぞ。光はまずカプタニア山脈を目指して発していた。
 それが南周りで一周するとなると、最後に巡って来るのはここだ!」
「兎竜はもう残って居ませんか、アウンサ様が。いや、ここに居る兵達にも準備を止めて再びの揺れに備えさせなければ」
「御無礼します。
 おい、誰か! 灯矢を持ってこい。先行する兎竜隊に警戒の合図を送るのだ」

 彼が走って他の神兵達と話をすると、部隊は準備を取りやめてイヌコマから荷物を下ろし地面に引き倒し始める。
 兎竜部隊が向かった北西の方向に、火の点いた矢が高く高くに打ち上げられた。
 聖蟲を持つ者が放つ矢だから、高さは100メートルを越えて更に上がる。

 彩ルダムと女官達も舞台を降りて地面に避難するが、階段を下りようとした斧ロァランが光の異変に気付いた。

「ルダム様、光が、光がこちらに参ります!」

 ギジジットから発した光の帯は、遠く東金雷蜒王国を巡って、ついに北を照らし始めた。
 徐々に大きく幅が広くなる青い光に皆恐慌をきたす。 

 ほどなく、光はその全貌を露にした。
 高さは約1キロメートルで垂直に立ち上がり、大瀑布となり青い光の粒が降り注ぐ。
 光が接する地面は遠目からでも盛り上がるのが分かる。
 これが地震の原因で、光によって掘り起こされているのだろう。

 まるで地面に落ちた籾を板でかき集めるように光の帯が進んでいる。
 それがほぼ1時間で毒地を一周するから、最端部では時速1000キロにもなろう。
 激しい揺れの中、赤甲梢は逃げも隠れも出来ず、間もなく光に呑み込まれた。

 斧ロァランは、光に包まれた瞬間ふわっと自分の体重が無くなったのを感じた。
 まるで空を飛ぶ感触がして、まったく地面の揺れも無くなった。
 音も無くただ目映い光に包まれて、身体が芯から暖かくなるのを覚える。

 見回すと周りの人も同様で、彩ルダム、女官達、迎ウェダ・オダ、神兵クワァット兵も何が起きたかと首を左右に振っている。

 やがてゆっくりと地面に置かれるようにじんわりと身体の重さが戻ってくる。
 青い光が薄らいだと思うと、いきなり地面の揺れが戻ってきた。最初に感じたものよりも遥かに強い。
 だが地割れなども起きず、光が離れるに従ってゆるやかに収まり足で立てるまでになった。

「なんでしょう」

 光に包まれた後は、皆妙に落ち着いた心持ちとなる。
 人間だけでなく、イヌコマももはや怯えていなかった。

 光の帯はそのまま進み、最初に発したカプタニアの方向に到るとふいと消滅した。
 ちょうど一周して終った事になる。

 

 以後何事も起こらぬと見極め、神兵達は気を取り直し兵に命じてメグリアル王救援の準備を再度始める。
 舞台の破損を兵に点検させる迎ウェダ・オダに、彩ルダムは言った。

「メグリアル劫アランサ様の赤甲梢総裁就任式は、延期となるでしょう。場所もたぶん兵営のあるデュータム点で。
 ご苦労ですが撤収の手配をなさった方がよろしいと存じます」

 倒れた天幕から荷物を引っ張り出して、女官達は火を熾そうとする。
 斧ロァランはふと思いついて彩ルダムの側に寄って話した。

「ルダム様。私、カプタニアを出立する前にネコの噂に詳しい人から伺いました。
 青晶蜥神救世主様が毒地を通ってギジジットに向かっているのではないか、という話です。
 ひょっとして、あの光の帯は。青い色でしたし」

「青晶蜥神といえば、噂の「ガモウヤヨイチャン」様ですね。
 しかし、地震は紅曙蛸神の御力だと古文書には書かれていますよ」
「ガモウヤヨイチャン様は南海円湾にて、紅曙蛸巫女王五代テュラクラフ様の神像を掘り出されています」

 さすがに王宮勤めをしていただけあり情報収集に長けている。
 彩ルダムは改めて若い女官を見直した。
 だがしばし考え、斧ロァランの唇に指を当てる。

「滅多な事を申してはいけません。その考えは、以後口に出してはなりませんよ」

 青晶蜥神救世主がこれほどの奇跡を起こせるとすれば、神兵精鋭の赤甲梢ですら幼児のように無力に見えるだろう。
 無敵不敗という信仰の上に成り立つ褐甲角王国にとって、それは致命的な打撃ともなろう。

 

 翌早朝。
 焚き火の前でうたた寝をしてしまった斧ロァランは朝霧の中眼を醒ます。

 無尾猫が真っ直ぐ前脚を揃えて座り、自分の顔を覗き込んでいた。
 白い体毛、体長は1メートル。
 頭が小さく髭が細いので、相当若いネコではないか。

 彼は昨晩走りづめに走ってここまで来たと言い、斧ロァランにせがんだ。

「青い光に巻き込まれて空を飛んだのはおまえか。兵隊は忙しくて取り合ってくれない。話をしてくれ」

 

           *** 

 閑話休題。

「カロアル斧ロァラン、と申すのは、どちらか」

 新総裁の警護役となるディズバンド迎ウェダ・オダは、行列が到着するまで輔衛視チュダルム彩ルダムの世話係を命じられた。
 赤甲梢に合流したその晩、彼に呼ばれて天幕の中から若い女官が夜服に着替えた姿で現われた。

「はい、わたくしですが、なにか御用ですか」
「あなたに届いた荷物がある。王国の軍令便で、ヒッポドス商会の荷札が付いている」

 荷札を確かめて斧ロァランは驚いた。荷物の方が先回りしたのか。

「ああ! これは義姉さまです」
「ヒッポドス弓レアルだろ。あれは俺の又従妹にあたるんだ。
 おまえさんの事もちゃんと力になってくれ、と書状が届いている」
「そうなんですか。それはうかがっていませんでした」

 荷物は小さめの木箱で鉄の枠でしっかりと補強してある。貴重品用のものだ。
 しかし、すでに封が切られている。

「悪いな。何が入っているのかとりあえず確かめてみるのが、ここの規則だ。だが、これは一体なんだ?」

 話が込み入ってきたのを案じて、天幕から彩ルダムも顔を覗かせた。
 この天幕は本来は新総裁メグリアル劫アランサ王女が使う予定になっており、それなりに豪華なものだ。

「なんですか」
「ルダム様お騒がせして申し訳ございません。王都の、私の義姉になる方から届け物がありまして、……これは!」

 中から三つの小箱が現われた。
 非常に美しい刺草模様で彩られた黒い箱で、中央には正面を向いた女人の顔が描いてある。
 丸いおかっぱ頭で、先が丸くなった二本の角が生えている。

 その紋を見て彩ルダムは思わず口走った。

「ぴるまるれれこ紋!」
「ぴるまる、とはなんです」

 演習に明け暮れ世情に疎い迎ウェダ・オダに、斧ロァランが説明する。

「これは、此の度方台に降臨された青晶蜥神救世主ガモウヤヨイチャン様の御紋です」
「なんと。救世主に縁の品なのか」

 小箱を開くと、中から象牙色の蝋のような立方体、が現われた。
 これにも中央にぴるまるれれこ紋が刻印してある。

「……セッケンヌだわ」

 その言葉に彩ルダムが敏感に反応した。
 また、彼女に続いて顔を見せる女官達も驚きの表情となる。
 セッケンヌといえば、王都においても婦女子の間で評判の、用いると美しさが倍になる妙薬ではないか。

「義姉さまが、わたしの為にわざわざタコリティから取り寄せてくださったのですわ。
 これは、一つはメグリアル劫アランサ様へ、一つはキサァブル・メグリアル焔アウンサ様への献上品として、もう一つがわたしの」

 彩ルダムは、はあーっとため息を吐いた。
 チュダルム家は名門であり裕福ではあるが黒甲枝の手本として質素倹約を尊び、化粧品の類いに大金を掛けるなど許しはしない。
 家訓に疑問を抱かぬ彼女ではあるが、それでもセッケンヌには憧れる。

 女官達も、草原の真ん中で思いがけずに遭遇した秘宝に胸をときめかせた。

 

 迎ウェダ・オダと彩ルダムの助言で、斧ロァランは早速セッケンヌの献上に行った。
 責務として、彩ルダムも付き添う。

 王女は自分の天幕で旗団長達と演習の打ち合わせをしていた。
 今回、単に新総裁の就任式をするだけでなく、兄「メグリアル副王」に最新式の兎竜運用法を披露する事も計画している。

 かって王都にて「先戦主義」を主張したソグヴィタル王こと範ヒィキタイタン等と共に大胆な軍編成の改革を研究した、その成果の一つだ。
 高速の兎竜騎兵集団を用いて長大な毒地の防御線を引き受け、余った神兵をギジェカプタギ点攻略に振り向ける。
 壮大な進攻計画の一端を担うものであった。

 キサァブル・メグリアル焔アウンサ赤甲梢総裁は、ソグヴィタル王の盟友として王都元老院では警戒されている。
 新総裁に替えるのも、叛逆の牙を抜く為であるのだ。

「……セッケンヌ、て、何?」

 衣装や宝飾品に関してそれなりに詳しく浪費もしている焔アウンサだが、さすがにセッケンヌの情報は耳に入っていなかった。
 赤甲梢の本拠地があるデュータム点が、南海タコリティと正反対の北方にあるからだ。

「ふーん、ヒッポドスと言えばこれでしょ」

 と、指先で天幕の布を引っ張ってみせる。
 ヒッポドス商会は軍用天幕や一般クワァット兵の軍衣の布地を一手に供給する国策商人として知られている。

「アランサと私と一つずつ。もう一つは貴女用にと義姉様が用意してくれたと。持つべきものは金持ちの身内だわね。
 ねえ、もう1個頂戴」
「は、はい」

 斧ロァランはどう振る舞って良いのか分からず、言われるまま貴重なセッケンヌを差し出してしまった。
 王女は三つの小箱を色々と確かめると、一つを取って言った。

「はいこれ、ルダムちゃんの分」
「え。私ですか?」

「カロアル家の斧ロァランとやら、覚えておきなさい。こういう事は自分の直接の上司に対してまず行うべきなのだよ」
「は、はい、気が付きませんでした。お教え有り難く御礼申し上げます」

 彩ルダムは自分が物欲しそうな顔をしていたのか、と頬を赤らめてしまう。
 焔アウンサはこういう具合にいつもルダムの心を読んでしまうのだ。

 驚くほど勘が良く、為に周囲の人を苛立たせ傷付ける。それが王女の悪い癖である。

 

 

第二章 ゲルタ売りの少女

(旧題 「ゲルタ売りの少女、王都にてなんだかわからない話を聞かされる」)

 

 15才のトゥマル・アルエルシィは、父親に尋ねた。

「ね、私が学匠の人と結婚したいと言ったら、怒る?」

 言わずもがなであったから続く言葉は聞いていない。

 アルエルシィの父トゥマル・ッゲルは、出汁用大ゲルタの薫製で巨万の富を築いた。
 わずか20年で百島湾の漁師が、王都でも注目の「トゥマル商会」を率いる身となったのだ。
 父の次なる野望は、娘アルエルシィをなんとしても黒甲枝の家に嫁として送り込む事にある。
 孫に嘉字を与えたいと、願っていた。

 「嘉字」、つまりギィ聖符の一文字を名に添える習慣は、神聖金雷蜒王国時代に始まる。
 金雷蜒神聖王がその廷臣にあだ名として与え、名誉有る特別な存在として表し、ギィール神族達の横暴から守った。
 後に神族も我が子の名に一文字を添える習慣となり、聖戴者の家に生まれた証とする。

 褐甲角王国でも採用され、黒甲枝・金翅幹家また高位の官僚の子女に与えられている。
 聖蟲を持つ者が名付け親となった場合にのみ嘉字を授かる事が出来た。
 生まれが庶民であれば、いかに富を積もうが一生叶わない。

 故にッゲルは、娘を黒甲枝に嫁がせようとやっきになっている。
 だが、さすがに神兵の嫁は欲張りすぎかも知れない。

 黒甲枝家の出身者でも軍務を継ぐ者ばかりではない。
 官僚や、民間に下って官営商人として王国の発展に尽くす者も居る。
 婿を迎えてトゥマル商会が官営となるのも、選択肢としてやぶさかではない。
 その場合でも、本家の総領である神兵が出世して王国の上層部に食い込んでもらわないと。

 

 自分で言い出したから仕方ないが、父の説教は延々と続く。
 アルエルシィは巻き毛の黒髪をくりんくりん指で弄びながら、窓の外を見上げた。

 空は青く澄み渡り夏の訪れを告げるように小さな赤ミョネ燕が舞っている。

  そういえば今年の夏の閲兵祭には何色の服を着て行こう。
  去年は薄紅を着たから今年は青紫でまとめてみようか、でも少し大人っぽ過ぎるかも。
  それが終ったら急に予定が繰り上がったヒッポドス弓レアルの結婚式がある。
  カロアル家というのがどの程度の家格かはよく知らない。
  でも義妹になられる斧ロアラン様がハジパイ王にお仕えしていたから、お言葉も届くかもしれない。
  きっと黒甲枝の殿方も多数お見えになるのでしょうね。
  もう一着、山蛾絹で白を作っておかないと。
  下手に小細工したお見合いをするよりも、こういう時にこそ希なる出会いがあるのだわ。
  とは言うものの最近軍関係はどこも殺気立っているそうだから、普通にしていたら注目されないかもしれない。
  そうね、レアル様になにか目をひく贈り物を宴の席でご披露しましょう。
 まだ説教終らない、あーうっとうしい。

「お父様、わたくし少し街に出てきます。黄輪蛛(セパム)神殿に。」

 「セパム」つまり蜘蛛神殿では星を読み占いをし、おみくじを売っている。
 また結婚出生や死亡といった戸籍業務も司っていた。

 黄輪蛛神「セパム」は文字と記録の神であり、神殿は文書館として公的にも支援される。
 文書を長期保存する為の専用の倉が設けられており、私物の蔵書を預ける者もある。
 各人の好意によって一般人の閲覧も可能となっていた。

 学匠の利用も多い。

「もちろん、わたくしの結婚相手がどちらの方角に居られるかを占いに参るのですよ。」

 もちろん嘘に決まっている。

 

     ***

 褐甲角王国の首都カプタニアは王城を中心に東街と西街に分かれている。

 カプタニアはアユ・サユル湖の湖畔の町で、急峻なカプタニア山脈との間に挟まれる狭い「カプタニア街道」を扼する位置に有る。
 陸路で方台中央部を横断しようと思えば、ここを通らざるを得ない。
 つまりこの地に関所を設ければ、東西方向の移動と交易を自在に制約出来た。

 軍事拠点として極めて重要であり、神聖金雷蜒王国の時代から城が築かれている。
 それが、現在では双子門の入口となっている、白い石造りで芸術的瀟洒な「旧カプタニア城」だ。
 褐甲角王国の「カプタニア城」は、この旧城を活用してさらに大規模な要塞として築かれている。

 当然に敵は金雷蜒王国であり、東の方から攻めてくる。
 一朝事ある時は東街を焼き払い、防衛陣を張る事が定められていた。
 だから簡素な建物が多く、低所得の下層労働者が主に住んでいる。

 対して経済の中心地である商都「ルルント・カプタニア」に通じる西街は、王城によって護られ安全。
 裕福な商人や中級以上の官僚が居を構え、百年保つ立派な建築物が立ち並ぶ。
 元老院議員である金翅幹家の私邸もこちらにある。

 もちろんトゥマル商会も西街にある。
 派手な作りの3階建てで、赤い壁土で良く目立つ。人にも知られていた。

 主要な神殿も西街にあるが、お布施がこちらの方が断然多いからだ。
 ただし、トカゲ神殿とカニ神殿は東街にある。貧しい者に奉仕するのが彼らの役目であった。

 

 アルエルシィは下男下女と合わせて7人で出掛ける。

 最近は世情も混乱し、王都と言えどもまったく安全とは言い切れない。
 富裕な者は近所に出るにも護衛が必要となってしまった。

「お嬢様、いかに神殿へのお参りとはいえ、滅多にお出ましにならない方がよろしいと。」
「なにを言うのよ。お前達はちゃんと市まで買い物に行ってるじゃない。」

 婆やが止めるのも聞かずに飛び出した。

 なるほど、通りを歩く人の表情が以前と違う。
 切羽詰まった、あるいは思いつめた顔の人が多くなった。
 救世主降臨の噂が伝わり街中が浮き立っていた1カ月前とは大違いだ。

「やはり救世主様のお噂が不確かになったのが、皆の心に重くのしかかってるのね。」

 一人アルエルシィは、確かな情報を掴んでいる。
 ヒッポドス商会の弓レアルの家で、無尾猫が伝えた青晶蜥神救世主「ガモウヤヨイチャン」のかなり詳しい消息を聞いていた。
 ただし、この噂はめったな人には教えられない。父親に対しても、だ。

 ネコにはネコ仁義というものがある。
 噂の出処の人物の頼みに応じて、特定の情報を秘匿する。

 ネコの生態に疎い人は、この自堕落な動物はのべつ幕なしにぺらぺらと喋ると思い込んでいるが、とんでもない。
 彼らには独自に生存戦略が有り、人に応じて「歪曲した」情報を伝えている。
 無尾猫を軽蔑し自らを霊長と信じる向きは、決して真実には辿り着かない。

 だから、ヒッポドス弓レアルの存在は貴重であった。
 全面的にネコの好意を受けられる人はめったに居ない。
 多くのネコが集い親しみ、偽り無く全方台の情報を伝えられる者を「ネコの長者」と呼ぶ。

 

 蜘蛛神殿もまた、ネコの噂の集約点だ。
 大抵の蜘蛛神殿はネコの集会場となっており、蜘蛛巫女はネコ用ビスケットを焼くのが重要な仕事となっている。
 なにせ蜘蛛神殿は知恵と情報を集積するのが責務であり、ネコはまさに神の使いと言えた。
 彼らの語る噂を書き記し、まとめて編集し、書庫に何十年分も保管する。
 いずれは歴史書を編纂する際の貴重な資料として扱われた。

 重要な噂は抜粋して1枚にまとめた「おみくじ」にして庶人に売る。
 一種の新聞で、大好評を博していた。
 なにせ芸能や政財界のゴシップも載っているのだから、人気も当然だ。

 楽人や舞姫であるタコ神、歌手の蝉蛾神、俳優でもあるカタツムリ神、夜の傾城として人気のカエル神。
 神官巫女の中にもスターやセレブが数多く居る。
 黒甲枝や赤甲梢の武人の活躍も熱狂の対象であるし、遠く金雷蜒王国のギィール神族の中にも人を魅了する者が少なくない。

 若い娘が蜘蛛神殿に入り浸るのも当然であった。

 

     ***

 蜘蛛神殿は西街の中心部、軍道に沿って1里(約1km)ほど歩いた繁華街の傍にある。
 少し高い場所に設けられ、参拝客を受け入れる幅の広い石段には屋台の物売りも出ている。

 黄色い土壁に赤茶色で蜘蛛の巣文様を描いた輪形の建物が神殿だ。
 黄が蜘蛛神を象徴する色で、神官巫女もこの色の服を纏っている。

 周囲には木を植えて木陰を作り、池に里魚を放ち居心地良く整えてある。
 無尾猫たちが怠惰にまちまちに過ごしていた。

 

「これはトゥマル商会のアルエルシィ様。ようこそお出で下さいました。」

 蜘蛛の巣をかたどった神門をくぐると、馴染みの蜘蛛神官が現れて出迎える。
 まあ、常連なのだ。
 いろいろ関連商品も買ってくれる上得意で、他の参拝客を飛び越えて優先的に案内してくれる。
 これもまたお布施だ。

 30過ぎの下女1人を伴って、残りの者は待たせておく。
 彼彼女らもそれぞれおみくじなどで楽しめるから、役得と言えるだろう。

 下女の名はメショトレ、彼女を連れて暗い神殿内を歩く。
 アルエルシィが主に買うのは、黒甲枝の武人の肖像画だ。

 蜘蛛神殿では、各地から届いた情報を立て看板にして掲示している。
 話に出て来る人物の絵姿が一緒に並ぶのも珍しくない。
 この肖像画、一定期間の展示の後に希望者に売却される。

 時価であり競争者も多いが、アルエルシィは金の力で敵を退けてきた。
 黒甲枝の家系人脈の知識を与える為と、父も積極的に買い与えていた。 

「珍しい。黒甲枝の女人の方の絵ですね。」

 現在神官が描いている最中の肖像画を覗き込んだ。
 お手本となる絵が40センチ四方の木の板に描かれ、これを大きく拡大する。
 額にカブトムシの聖蟲を戴く成人女性の顔だった。
 これは本当に例外的な事だ。

 案内の神官が説明する。

「この御方は、黒甲枝の重鎮チュダルム家の御令嬢、チュダルム彩ルダム様です。
 この度代替わりをされる赤甲梢総裁の輔衛視となられ王都を離れる事と成りましたので、記念に御写しを願いました。」
「あああの、メグリアルの王女さまに縁の。」

 チュダルム彩ルダムは、カプタニアにおいてはかなりの有名人だ。
 と言うよりも、赤甲梢総裁「キサァブル・メグリアル焔アウンサ王女」こそが大スターである。

 兎竜を駆り草原を疾走してボウダン街道を縦横に支配する無敵の神兵団「赤甲梢」を、今日の姿に育て上げた功労者。
 その生き方は破天荒にして華やかで機知に富み、社交界の花形。
 金翅幹元老院でも輝かんばかりの活躍を見せている。

 彼女の数多い逸話の中に「被害者」として登場するのが、「彩ルダム」なのだ。

「これは奇しき縁ですね。ヒッポドス商会の弓レアル様はご存知でしょう。
 あの方がこの度御輿入れなさる「カロアル」家のお嬢様が、チュダルム彩ルダム様に御仕えする事になったのですよ。」

「左様で御座いましたか。それではこの絵はヒッポドス様に御届けした方がよろしう御座いますね。」
「私が買って届けましょう。何時になります?」

 1ヶ月後に、と完成前から売約済みの札が貼られる。
 これから北のデュータム点で赤甲梢総裁交代の式典が続くので、それらの話題が一段落した後との事だ。

 

     ***

 回廊を進み「おみくじ売り場」に行くと、部屋も明るくなる。
 参拝者が引きも切らず押し寄せて買っていた。

 おみくじとは名ばかり、その実態は新聞である。
 甘くて香ばしい、美味しそうな臭いが漂ってくる。

 おみくじの作り方。
 紙が無く印刷技術の無い方台において、どうやって大量の文書を安価に複製するか。
 粘土板に文字を彫り込み、焼いて陶板とする。
 これを熱して、穀物の粉のいわばクレープを焼くと、文字が生地に焼き込まれる。
 程よく焦げ目をつけて読みやすくして、一丁上がり。

 何枚も焼いたものを積んで、蜘蛛巫女が売り子となり参拝客の相手をする。
 それぞれの関心事のおみくじ売り場に列をなしていた。
 売り場の背後には、やはり立て看板。
 良い話楽しい話ばかりではなく、犯罪や災害に関連するおみくじも売っている。

 人で賑わう売り場の端に、参拝者がまったく居ない空間があった。
 領域は広く取られ何枚もの記事が書かれた看板や絵が掲げられている。
 だのに、その一角には入れないよう綱が張られ、見張りの神官戦士が立っていた。

「ここはやはりだめですか。」

 つい先日まで、青晶蜥神救世主関連のおみくじが売られていた。
 それは大層な人だかりで、焼くのがまったく追いつかない騒ぎであった。

 次から次へと大事件の報が飛び込んで、立て看板を書く神官も書いてる途中に新しい情報に書き直す始末。
 発掘された紅曙蛸巫女王五代テュラクラフ様の神像、聖神女ティンブットさまのお姿、
そして謎の男、正体は分からないがとても立派なお侍の絵も飾られている。

 警備の神官戦士も詫びる。

「申し訳ございません。
 衛視局から、青晶蜥神救世主様のお噂は確認された事実のみを静かに伝えるように、ご指導がございました。」
「タコリティの話もダメですか。」
「そちらの方は軍政局から禁令がございまして。」

 当然至極の措置である。
 金雷蜒褐甲角どちらの王国の支配をも受けない無法都市「タコリティ」は、密貿易の公然の中継地となってきた。
 どちらにも属さぬ利便性が評価され宙ぶらりんの状態を続けてきたが、突如独立を宣言。
 発掘されたテュラクラフ女王の神像を中心に「新生紅曙蛸王国」を名乗るのだ。

 そして独立運動の首謀者と目されるのが、「仮面の男」。
 現在は「ミストレクス」を名乗るが、どう見ても、かって「副王」として王都で人気の「ソグヴィタル範ヒィキタイタン」ではないか。
 彼が提唱した「先戦主義」の信奉者は今も黒甲枝にもクワアット兵にも多い。

 情報の勝手な流布が禁じられるのも道理であった。

 

     *****  (シバ・ネベ)

「しかたがありませんね……。」

 とおみくじ売り場でろくに買いもせず、文書館に足を伸ばす。
 さすがに文書館は定められた資格を持たねば利用できない規則だが、ちょっと見るだけならアルエルシィは許される。

「居ない。」

 ネコの噂話を記録した時事録の棚を覗いて、溜め息を吐く。
 左右を見回しても、戸籍簿の棚を覗いても誰の姿も無かった。
 部屋を移って学術書の棚で学匠を1人発見したが、彼女が探す人ではない。

 付いてきた下女のメショトレが尋ねる。

「お嬢様、どなたかをお探しですか。」
「この間お話を伺った方で、大層ためになる事を教わったのです。続きを聞きたかったのですが」

 諦めて神殿の輪の外庭に出た。
 ここは林になっていて梢が蔭を作り過ごし易く無尾猫達がたむろする場所だ。
 蜘蛛巫女がお昼のビスケットを配った後で、1匹も残っていなかった。

「今日は灼劫の日だから必ず居る、と言ってたのに。」
「……灼劫だから星読台に居ると言いましたが、お聞き逃しでしたね。」

 振り返ると灌木が揺れて、葉の陰から青年が姿を見せた。
 盛り上がった樹の根に手を付いて乗り越えると、アルエルシィの前に立った。

「星読台は神殿の内庭です。輪の外に出ては巡り会えないでしょう。」

 男は年齢は25才、背は高いが体付きは細く肉体労働とは縁の無い白い肌をしている。
 ただ写本をするので右手の指にタコが出来て少し曲がってもいる。
 神官の服に似た裾の長い灰色の上着を着ているが、所属を示す紋章は見られない。

 しかしアルエルシィは勉強した。
 彼が腰を縛る紐に吊るした青銅の丸い牌符は、王立の学問所「博士寮」への入館証だ。

「この間のお話の続きをうかがいたくて、参りました。」

 メショトレが眼を鋭くする。
 彼女の役目は言わずと知れたお目付け役で、父ッゲルの言いつけで悪い虫を追っ払う。
 男は尋ねる。

「お供の方は、こちらの人だけですか。」
「はい。神殿の中にはメショトレだけです。」

 警戒を解く為に、男は自己紹介をする。

「私は博士寮で城塞建築を研究している学匠のシバ・ネベと申します。
 アルエルシィさんが市中で私の顔を覚えられて、先日この蜘蛛神殿で偶然に出会い声を掛けられて知り合いました。」
「ほら。弓レアル様とトカゲ神殿に参拝に行った時の事よ。」

 メショトレは理解する。つまりはお嬢様がナンパしたのだと。
 ますますこれは要注意だ。

 外庭には、どこからか美味しそうな匂いが漂ってくる。
 おみくじを焼く香ばしい煙もさる事ながら、これは肉を焼く匂いか。

 アルエルシィはぐぅとお腹が鳴り、頬をぱっと赤らめる。
 弁当は用意してきたが、さすがに神様への礼儀の上から参拝した後だ。

 シバ・ネベはわずかに笑う。
 自分が子供に思えたのだろう、くやしい。

「すこし遅いですが、ご一緒に昼食はいかがでしょう。
 私達学匠は蜘蛛神殿には毎度お世話になっているのです。」
「は、はい。」

 二つ返事してしまった。くやしい。

 

     ***

 蜘蛛神殿ではネコの為に専用ビスケットを焼いている。
 これを大鼠の血に浸して柔らかくして食べるのが、ネコ的には実に美味しいのだそうだ。

 ネコは吸血捕食生物であるにも関わらず、おそろしく狩りが下手だ。
 肉屋で人間に買ってもらうていたらくで、蜘蛛神殿にも出入り業者が生きたネズミを届けてくる。
 ネコは血だけしか食べないから、残飯である肉の方は神官や巫女が美味しくいただく。

 神殿で研究をする学匠も、お相伴に預かる事が多い。
 若手学匠は貧乏な者も少なくなく、お布施の多い蜘蛛神殿のお世話になっていた。

 男の案内で、アルエルシィとメショトレは神殿の厨房に入っていく。
 神殿の設備とは思えぬほどに大掛かりで、このまま百人を相手に商売が出来そうだ。
 働くのは蜘蛛巫女だが白い調理服に着替えて、ただの賄いのおばちゃんに見えた。

 アルエルシィは、生まれついてのお嬢様ではない。
 子供の頃は貧しくはないが普通の漁師の娘で、その後とんとんとお金持ちになり、王都カプタニアにまで出てきてしまった。
 だから、下層階級の労働の様子もよく知っている。
 父親からも言われている。「町で働く人達を決して馬鹿にしてはならないぞ。みんな同じ仲間なのだからな」
 この教えは正しいと思う。

 

 食堂で、アルエルシィはシバ・ネベと向い合せに座る。隣にはメショトレが居るけれど。

 出てきた料理は、ネコ用ビスケットと、大鼠の肉と大根の煮汁だ。香草がわずかに乗る。
 薄い大山羊の乳が飲み物に付く。

 ネコ用ビスケット「ネコ煎餅」は、本来は人間が食べるお菓子だ。
 結構な高級品であり、ネコにはもったいないくらいなのだが、だからこそネコは要求する。
 蜘蛛神殿では若干レシピを工夫してどんぐりの粉を混ぜており、食感がねちょねちょする。
 栄養的にはいいのだろう。でもちょっといただけない。
 お土産としても売っているが、「名物にうまいものなし」は真実であった。

 メショトレは、大鼠の煮汁に眼を丸くする。
 一般の労働者が肉を口にするのは、それこそお祭りの日くらいなもの。
 日々の生活ではゲルタの粥に芋やら野菜やらを混ぜたのがせいぜい。
 それでも十分に食べられるだけで幸せだ。
 さすがは蜘蛛神殿。

 

     ***

 蜘蛛巫女が屋外で食器を水洗いしているのが見える。
 明るい窓際の席で、アルエルシィはシバ・ネベに先日の話の続きを聞いた。

「そう、督促派行徒のことですね。
 そのとおり。本物の救世主が現れた現在、彼らの試みは失敗に終わったと言えます。
 彼らは天に自らを認めさせ救世主として選ばれる為に、事件を引き起こしていたのですから。」

 督促派行徒とは、世間を騒がす破壊分子である。
 千年に一度の救世主、次はトカゲ神救世主の訪れがいつまで経っても起きないので、自ら救世主になろうと志した者達だ。
 もう百年も前から活動する。

 ちなみに弥生ちゃん降臨は、予定された千年からわずかに6年ずれただけに過ぎず、天に文句を言う筋合いは無い。
 だがこの6年、焦れた彼らがどれほどの悪行を積み重ねたか。

 メショトレは、いきなり王都でも最悪の話題に眼をしろくろする。
 え、お嬢様はこの方に何を聞こうとしてるのですか。

 

「ですが、元々が督促派行徒の中のただ一人が、天に選ばれて救世主となるのです。
 その他大勢が外れるのは分かっていました。
 誰が救世主となったとしても、同じです。」

「しかし、世間では未だに不可解な殺人事件が起こり続けています。むしろ増えていませんか。」
「増えていますね。もっと増えるでしょう。
 天に代わって、これからは生身の人間であるガモウヤヨイチャン様がご覧になります。
 確とした審判者を得て、行動はより直接的明示的になるでしょう。犯罪の規模も大きくなります。」

 

 なぜこの人は、こんな恐ろしいことを知っているのだろう。
 学匠と聞いたが、学匠って不穏分子についても詳しいものなのだろうか。
 いや、お嬢様はこんな話を詳しく聞いて、一体何をなさるのか。

 下女の懸念を知らぬ気に、アルエルシィは話にのめり込む。

「それでは、彼らはガモウヤヨイチャン様に何を期待するのでしょう。
 人を殺し続ける目的は何なのでしょう。」
「複数あります。また彼らの中でもそれぞれに立場が違う勢力に分かれています。

 まずは一つ。既存の支配体制、褐甲角金雷蜒両王国の在り様に対する抗議ですね。
 市中を殺人鬼がうろつき、権力がこれを止められないとなれば、その国は悪と見做されてもしかたがない。
 新たに立つ青晶蜥王国に取って代わられるのも必然です。」
「ああ、トカゲ王国が出来ることが前提なのですね。」

「二つ。
 自身の存在を誇示し、影響力の高さを示して青晶蜥王国において彼らの意思が結実するように働きかける。
 彼らもいたずらに救世主に成りたかったわけではない。
 何事かを成し遂げる志があったのです。
 これを青晶蜥王国にて実現する為に、自らの意思を表してガモウヤヨイチャン様にお汲み取りいただく。

 ほとんどの者が今はこの線で動いていますね。
 でも青晶蜥神救世主がこのような者達の意見を取り入れるとは思えません。」
「はい。」

「三つ。彼らはガモウヤヨイチャン様を真の救世主とは認めていない。」
「え? そんな考えを抱いているのですか。」
「ガモウヤヨイチャン様は天河の星の世界からお出でになった、いわば神人です。
 この御方が方台を永続的に支配するとは考えにくい。
 一時の支配を預かり、いずれ方台に生まれた人に救世主としての使命を引き継ぎ、星の世界に戻られるのではないか。

 と考えれば、次を対象として行動するのも必然です。」
「なるほど。それは考え及びませんでした。」

「四つ目は一番頭が悪い。
 ガモウヤヨイチャン様を害してこの世から失わせれば、新たな選定を天が行う。」

「そんなバカな。もし人が救世主を殺したりしたら、天罰が下るでしょう。二度と救世主を遣わしてはくださらないでしょう。」
「あなたの言葉は正しい。
 この考えに取り憑かれた者は、督促派行徒からも蔑んで見られています。
 ですが、歴史は必ずしも理性によって動いているものではない。
 いかに愚かで取り返しのつかない暴挙でも、影響は大きく社会を揺り動かすものとなる。侮ってはなりません。

 そして最後は内的、病的な要因でしょう。
 彼らの内の幾人かは、人殺しが癖になった。もはや自分では止められない。
 人を殺さねば生きている実感を得られなくなった。
 希望も未来も志も失われ、ただ殺人鬼がそこに残るだけです。」

 

 メショトレは、肉の汁の味がしなくなった。
 どうしてこの人は、いえお嬢様も、こんな気持ちの悪い事を喋りながら食事が出来るのか。

 

     ***

 アルエルシィはメショトレに振り返る。

「お話の話よ。作り事の。」

 近年褐甲角王国、特に文字を知る階層の人の間に「小説」というものが流行り始めた。
 葉片の束に絵空事を面白おかしく書いたものを回し読みして、人気となる。

 蜘蛛神殿では重きはおかないが、彼らの仕事には「写本」がある。
 専門技能を生かして小説を書き写し、また新たに市中に流していく。
 神官巫女の中にも愛好家が出現した。 

 メショトレはやっと納得する。
 このシバ・ネベという学匠も、そういう愛好家だったのか。どうりでよく知ってるはずだ。

 物語の中においては、人食い教徒や督促派行徒は悪役として大人気。
 現実の時流と結びついて、実態以上に大きな影を世間に投げかけている。

 

 アルエルシィは男に先を続けるよう促した。

「”フェビ”はどうでしょう。」

「フェビ? それはなんですか。」
「フェビとは、星の世界の言葉で、”足の無いトカゲ”を指す言葉だそうです。
 ガモウヤヨイチャンさまの国では、あれは草むらに普通に居る生き物だと聞きました。」

「凄いな。そんな話は蜘蛛神殿でも聞いた事が無い。」
「ネコに詳しい人は、外にも居るのですよ。
 で、督促派行徒がフェビを使うのはどういう意味が有るのでしょう?」

 男はしばし顔を窓の外に向ける。
 庭木の枝が風にそよぐのを見た。
 アユル・サユ湖に面したカプタニアはこれから夏にかけてが一番良い季節だ。

「褐甲角神の千年紀の終わりに、私達は”足の無いトカゲ”を天から頂きました。わずか10年前の出来事です。
 そして青晶蜥神の千年紀の初めに、ガモウヤヨイチャン様を得ました。
 このどちらも、天の意思と考える他無い。」
「はい。」

「ガモウヤヨイチャン様は、蒼く光り輝く善なる存在。
 天河の計画を実現する為にこの世に遣わされた救い手癒やし主、誰もが疑いません。

 ですが、”足の無いトカゲ”は悪なのでしょうか? 
 アレに噛まれたら、人は直ちに眠りに落ちて、そのまま一月を眠り続けて死に至る。
 これは暴虐でしょうか、それとも安息でしょうか。」

「死んじゃうのはイヤでしょう。」
「ですが、もし死がすべてこのような安らかなものであれば、むしろ神の恩寵と呼ぶでしょう。

 督促派行徒がこれを好んで用いるのも、だからです。
 神の恩寵をもたらす自らは、既に青晶蜥神救世主そのものである。」

「おー。そういう理屈でやっているのですね。ありがとうございます理解しました。」
「いえいえ。ですが、”フェビ”ですか。
 督促派行徒にとって、これはもはや「聖蟲」なのです。」
「おあー、なっとくしました。そうですか、自分達の手で得られる聖蟲、なのですか。」

「ですから、「人食い教徒」などは好んで捕まえ、食べてしまいます。
 天の御使いとしての力を自らに取り入れることで特別な存在となる。
 実際、”足の無いトカゲ”には特別な薬効成分も認められ、怪しげな効能が幾つも発見されているそうです。」
「おおおお。あなたは、食べたことありますか?」

「あ、いや私はさすがに、」

 

     ***

 ちなみに下女のメショトレは、別に”足の無いトカゲ”に特別な嫌悪感を示さない。
 そもそもが10年前までこの世界に居なかった生き物だ。
 彼女が子供の頃には、見たことも無い。
 いや、ほんとうに姿を見た経験の有る人はまだ少ないだろう。

 生理的嫌悪感が発生する状況には無かった。
 ただ、怖い話をしているなあ、と耳を話が素通りするだけだ。

 

 学匠シバ・ネベは、趣味の世界から自らの本分に立ち返る。
 本日蜘蛛神殿に居るのは、特別な日であるからだ。

「そういえば、今日が「灼劫」の日だと覚えていましたね。」
「はい。」
「青い月と白い月が同時に南中する、非常に稀な日です。
 私は今日は徹夜で天文観測を行いますよ。」

 アルエルシィは、なにがどのように特別なのかよく知らない。
 ただ、「灼劫」の日には天変地異や動乱がよく起きる、という迷信は知っている。

「どうですか、中庭の星読台を見学していきませんか。」
「是非!」

 また二つ返事だ。メショトレが眼を吊り上げる。

 

 黄輪蛛神「セパム」は、天の星座の神でもある。

 星々を線で繋いで図形を描く風習が何時出来たのかは、定かではない。
 始めたヒトが居るならば、それはやはり「神」だろう。
 天河左右の河岸には12個の星座が並ぶのを、人は「神」として崇めた。

 実は方台の人々は、天文に関してほとんど関心が無い。
 みだりに天河の計画を覗き見たら、天罰が当たると考える。
 与えられる運命をただ黙って受け取ればよいのだ。

 だから、蜘蛛神殿の天文観測は或る意味罰当たりな行為だ。
 そうは言っても暦を定めるには、星の世界を丹念に調べる必要がある。
 学匠達に星読台の使用が許されていた。

「でもシバ・ネベ様は砦の建築がご専門なのでしょう。天文が関係あるのですか。」

 後ろに続くアルエルシィの問いに、彼は首を背に傾け笑う。

「城砦と星読みは関係ない、とお考えですね。ごもっともです。
 ですが、毒地を渡るギィール神族の寇掠軍は、天文に基づいて攻めてくるのです。
 まだ褐甲角軍では解明していませんが、毒地の霧が晴れる時期が星の配置で決まっているような気がします。」
「そうなのですか。」

 

     ***

 蜘蛛神殿を車輪と見れば、その軸にあたる位置に星読台はある。
 土を盛った高い壇に4階建ての塔が立ち、その上に設けられる。
 塔の中は、

「これは、思ったものとぜんぜん違うのですね。機械ばかりです。」

 塔の上り下りは急な梯子段だ。かなり怖い。
 メショトレは頑張って2階まで登ったが、これ以上は無理。
 でもアルエルシィの声が聞こえるように、階下で聞き耳を立てている。

 4階は球形の天測儀が設けられ、関係者以外立ち入り禁止。
 下手に触られるとせっかく観測した記録が損なわれる。数年の成果が台無しだ。

 アルエルシィが通されたのは3階まで。でもここで十分だ。

 ずらりと並んだ観測機器は、まるで話に聞くギィール神族の工房のよう。
 金雷蜒王国の学問を理想とする学匠達の憧れが、この部屋に実現している。 
 少女の感想に、シバ・ネベも頷く。

「あ、それは触らないで下さい。日の出の位置を記録しているのです。
 太陽を直接見ると目を痛めるので、この眩晶儀を使うのです。」

「太陽というものは、実際あれは神様なのですか、それとも篝火なのですか。」
「篝火、と考えるのがよろしいでしょう。
 神であればもっと自由に動けるはずですが、何百年観測してもまったく経路を狂わせません。
 やはり神の力で縛られているのでしょう。」

「昼間は星はどこに隠れているのですか?」
「太陽を篝火と考えると、太陽の無い空は真っ暗なはずです。
 星は昼間もずっとそこに有る、と考えるべきですね。
 ただ太陽が明るすぎて見えないだけで。」

 熱心に説明してくれるのだが、実はアルエルシィあまり興味が無い。
 むしろ、その真剣な横顔にこそ見入ってしまう。

「眩晶儀を用いれば実は見えるのですよ。空の世界は人の眼で見るばかりではなく、」

 促されるままに、何枚ものガラス板の集合体を覗いて見る。
 極めて微細な溝が幾重にも彫り込んである色ガラスで、これを通して空を眺めると、

「なんでしょう、これ。」
「何に見えますか。」
「お空に黒い丸が、大きいですね?」

 紫色の空に黒い丸い光の無いものが見える。物体と言うよりはむしろ、

「「空の穴」と呼ばれていますが、私は「黒の月」と呼ぶのが正しいと思います。
 白の月、青の月と同様に天空を巡っているのですが、完全に黒色なので夜空でも見えず昼の空ではなおさらです。
 「灼劫」という現象は白と青の月が同時に並ぶものと思われていますが、実はこれも同時に有るのです。」

「へー、なるほど面白いですね。なにか白い線が何本も光ってますよ。へー。」
「え? 白い線ですか。」
「ええ。」

 失礼、と男は少女に代わって眩晶儀を覗く。
 天に浮かぶ黒い円盤の表面には幾筋もの白い線が走り、周辺から中央にかけて弧を描いて集中していく。

「これは、    一体どうしたことだ……。」
「どうかなさいましたか。」

 眩晶儀から目を話して直接天を仰いだ男は、空の異変に気が付いた。
 浮かぶ雲が一瞬にして蒸発して、青い空が拡がって行く。
 東の空を中心に放射状に雲が消えて行く様に、男は狂喜した。

「始まったはじまった、天穹星神の画変がついに始まったんだ。私の計算通りだ!」

 男はアルエルシィを放って梯子段を滑るように降り、メショトレを突き飛ばす勢いでいずこかへ去ってしまった。
 階下を覗くアルエルシィは、見上げる下女と顔を見合わせる。
 言った。

「うちに帰りましょう、     か。」

 

 

 その晩、東のスプリタ街道沿いの全域で大地震があり、多数の人が被害にあったという。
 しかしカプタニアではほとんど揺れを感じず、

アルエルシィも朝になるまでまったく気付かず、安らかな眠りの時を過ごしたのだった。

 

【トゥマル商会沿革】

 「トゥマル商会」を一代で立ち上げたトゥマル・ッゲルは、西岸百島湾の出身だ。

 彼の家は代々続く漁師一族で、船も持って家族で操業していた。結構裕福であると言えるだろう。
 トゥマル家は季節ごとに様々な魚を扱っているが、注目すべきは「大ゲルタ」だ。

 ゲルタ、といえば塩を全身に纏った干物が全方台に運ばれて食の根幹となっているが、大ゲルタは形こそ似ているもののまったくの別種である。
 ゲルタと違って身にアンモニアを含まず、そのまま食べられる美味しい魚だ。
 肉は柔らかく味も良いが、さすがに日持ちはせず上がった漁村周辺でないと楽しめない。

 漁師達は大ゲルタを加工して保存を考えたが、干し魚にしてもさほど長持ちはしなかった。
 しかしトゥマル家では、ッゲルの祖父が特別な製法を考えて実現した。
 三枚にさばいて身だけにしたものを数日日干しにして、特別な液に漬けて燻煙する。
 こうして出来た燻製は、どこに出荷されるでも無く、トゥマル家でのみ消費されていた。

 トゥマル・ッゲルは5人男兄弟の3男。もちろん漁師である。
 家族全員体格が大きく、立派な体でよく働いた。

 ある日彼は、たまたま漁村を訪れた料理人にトゥマル家秘伝の「大ゲルタの燻製」を食べさせる機会を持つ。
 料理人は生の魚を調理したよりもはるかに美味しいと激賞する。
 これに気を良くしたッゲルは、近隣の町に燻製を売りに行き、有名料理店への売り込みに成功。
 独占供給をする事となる。

 トゥマル家では大ゲルタを専門に漁をする事となり、家族総出で燻製作りに励む。
 やがて料理店から人伝に美味さが広まり、他の店からも注文が舞い込む。
 ッゲルも船に乗って漁をしようとして、親兄弟に止められた。
 「お前は売る方に専念しろ。漁るのは俺達がする。」

 ッゲルは生来の商才があったようで、どんどんと販路を拡大していく。
 その儲けで兄弟一人ひとりが船を持つまでになり、人を雇っての大ゲルタ漁を行い、やがて村全体を巻き込む主要産業となる。

 しかし、儲かると知ると真似をする者が現れるのは必定。
 ッゲルは他の村にも買い付けに行き、漁師に有利な形で契約を結び信頼を得る。
 大量に確保した商品の販路を拡大する為に、遂に王都カプタニアにまで遠征した。

 王都において彼は、大成功を収める。
 内陸部の都人にとって、雄大な百島湾の情景を感情たっぷりに訴えるッゲルの言葉は実に魅力的であった。
 大ゲルタの燻製は様々な料理に応用が利き、上品な出汁が取れると富裕層お抱えの料理人も注目する。
 やがては金翅幹家の献立に採用され、王宮にまで納入される事となった。

 他の業者に圧倒的な差をつけたッゲルであるが、心は今も海の上である。
 漁師達の暮らしを一番に考え、漁村の生活を助ける様々な寄付を行った。
 「トゥマル商会」の評判はますます高くなり、信用を生み出す元となる。
 道徳的態度に褐甲角王国も信頼を置き、「王室御用達」の金看板を手に入れた。

 

 トントン拍子の出世を果たした「トゥマル商会」だが、挫折が無いわけでもない。

 トゥマル・ッゲルの妻は、同じ漁村の出身の田舎者だ。
 田舎で燻製を家族で作るのには喜んで参加したが、王都に行って大商人の妻達との社交を行うのは無理だった。
 王都に店を構えてわずか1年で、彼女は元の漁村に帰ってしまう。

 残されたッゲルだが、一人娘のアルエルシィは幸いにして王都の金持ち生活にちゃんと適応した。
 大商人としては欠かせない家族ぐるみの付き合いを、娘を中心に据えて行う事でなんとか乗り切る。
 やがて、娘を立派な家に嫁入りさせて、王都に確固たる基盤を築こうとの野望を抱く。
 さらには、可能であれば黒甲枝家に、とまで願うところとなった。

 ッゲル本人も少し舞い上がり過ぎではないかと思うが、娘は拒む気配も無い。
 金持ちで居るのも才能なのだ、と改めて父は思う。
 自分には無い「高貴さ」というものを、娘の中に見出す事となる。

 

 

第三章 ソグヴィタル王、撃剣にて天意を占う 
  (旧題「ソグヴィタル王、紅曙蛸女王の市で天意を撃剣にて占う」)

 その日、その時。
 弥生ちゃんが神聖首都ギジジットにて巨大金雷蜒神と激闘を交わしていた時間帯に、
ソグヴィタル範ヒィキタイタンも闘いに身を投じていた。

 

 本来褐甲角王国の王族が自ら剣を取って戦う事は無い。
 それは神兵・クワアット兵との契約のようなものだ。
 神ではなく、人が戦う姿を公正に判定し見届ける事こそ、上に立つ者の職責と心得る。

 とはいえ軍神たる黄金の聖蟲を額に戴く王族だ。
 男女を問わず武芸も達人と呼ばれる域にまで鍛え上げる。
 人を討つ為のものではない。
 罪有ると認められた我が身を躊躇無く処断する覚悟を養うのが目的だ。

 自らに追捕の手が伸びれば、抗うことなく生涯を終らせるべきである。

 褐甲角王国は公明正大にして無謬の裁きを地上に実現する、正義の国。
 頂点に立つ王族が罪を犯すなどあってはならぬ。
 一身の命と王国千年の齢と、どちらを優先すべきか論ずるまでもない。

 

「にも関らず、ソグヴィタル王は追捕師と戦う途を御選びになった」

 決闘はタコリティの西側城門外の広場で行われる。

 独立武器商人にしてヒィキタイタンの忠実な友ドワアッダは、
自ら選んだ信頼の出来る傭兵と共に城門を背に見届ける。
 追捕師レメコフ誉マキアリィの兵百名が対峙した。

 多数の旅人と野次馬が輪になって囲み、
城壁の上からは交易警備隊を主体とする千人の兵が観戦する。

「これで彼は完全に褐甲角王国から解き放たれた。
 まったくの自由人になった、わたしと同じですな」

 ドワアッダの隣で物見遊山に眺めるのが、金貸しのジューエイム・ユゲルだ。

 彼は十二神方台系における最初の銀行家と呼べる人物だ。
 自らの資産だけでなく他からも資金を募って投資先を探し、貸し出し先の事業を成功に導く手伝いもする。
 かってない職業を一人で作り上げた。

 場合によっては間者も使って事業主の人間関係をずたずたにすると、
裏世界で覇を競うタコリティの有力者でさえ忌み嫌う男だ。

 ドワアッダは答えた。

「カプタニアを出奔した日に、こうなる事は定められていたのだ。
 聖蟲を戴く者は運命から逃げはしない」
「だがタコリティで王となる、までは予想されておられぬでしょう。
 私は未だ疑っているのですよ、ドワアッダ殿。
 ソグヴィタル王はほんとうは王国での復権を願っているのではないですかな」

 ヒィキタイタンは政争に破れたとはいえ、
武徳王23代「カンヴィタル洋カムパシアラン・ソヴァク」に含む所は無い。
 また彼自身の罪とは公式には、元老院の召喚に応じず人質であるカタツムリ巫女を死に追いやった、これだけである。

 彼の主張そのものは今も元老院や黒甲枝で支持する者が多い。
 反発を懸念して元老院の首座ハジパイ王は、追捕師をタコリティに派遣するのをこれまで控えてきた。

 しかし、

 

     *****

ガイン……。
 鉄の鳴る音がして二人は話を止め、決闘の行方に注目する。

 ヒィキタイタンと追捕師レメコフ誉マキアリィは、二人とも神兵が用いる大剣で闘っている。

 刃長150センチもある両刃で、重さも5石(17kg)になる。
 聖蟲の加護を受ける神兵が剛力にて振り回し、
巨蟲ゲイルの肢を斬ったり、盾甲冑に守られるギィール神族をそのままに両断した。

 ただこの剣は神兵にしても重過ぎる。
 振り回す腕力は十分だが、反動を受け止めるのに人間の体重では軽過ぎた。
 故に重甲冑を着用し、全備重量300kgをカウンターウエイトとして剣を振るう。

 生身の状態では振る度に勢いを殺して止め、足元の踏んばりを確保して、
一撃ごとに構えを取る悠長なスタイルに成らざるを得ない。
 隙だらけに見えるが、対歩兵用にはコンパクトで小刻みに攻撃する技もちゃんとある。実用上問題は無い。

 追捕師レメコフ誉マキアリィは33歳。
 ヒィキタイタンの一つ下で、幼少時より彼の小姓として共に学び鍛え、育った。
 黒甲枝の名門レメコフ家の次期当主であり、長じては元老院で「先戦主義」を唱えるヒィキタイタンに呼応して支えていた。

 その彼が追捕師の役目を引き受ける。
 余人に彼を討たせるわけにはいかない。時期を待つ、青晶蜥神救世主の到来あれば機会も得られよう。
 再起の猶予を与える為だった。
 褐甲角神聖宮からの内々の意を受けてのものでもある。

 出立を促すカニ巫女の嘆願状を何度も握り潰す。
 人に叛意を噂され疎外されもしたが、今は。

 

ガイン!
 ヒィキタイタンの打ち込みを大剣で払う。

 嬉しかった。
 ヒィキタイタンの攻撃はまさしく必殺を狙う渾身の一撃だ。
 マキアリィを認め全力を尽している証明、彼が未だ未来を諦めていない何よりの表れだ。

 同時に、自分に対しても黒甲枝の、追捕師としての本分を全うを要求する。
 二人は互いに呼び合う。

「マキアリィ、連撃を出して来い。一撃ごとに打ち合っていては明日の朝になっても決着はつかんぞ」
「そういう貴方こそ、なぜ青晶蜥神救世主の剣を用いない。あれならばもっと楽に勝てるでしょう」
「あれは斬れ過ぎてなあ」

 弥生ちゃんはヒィキタイタンの剣にも青晶蜥神の神威を与えた。
 元もギィール神族が自ら槌を振るった名剣であるが、抜けば青い光のしずくが零れ落ちる。
 鋼鉄をも易と両断する斬れ味は、人の目を惹き付けずにはおられない。
 いつしか「王者の剣」と呼ばれる所となる。

 この剣をかざして兵を民を指揮する姿は、まさに王者の風格。
 ヒィキタイタンある限り、タコリティ独立王国の夢も叶うと人々を熱狂させた。

 今、神剣はドワアッダが預り右の腰に吊るしている。

 追捕師マキアリィとの決闘に臨み、ヒィキタイタンはあえて黒甲枝の大剣を選択した。
 褐甲角神の聖蟲を額に戴く者として、他神の力を用いるのを適当でないと考える。

 これまでの自分の有り様を今ここで清算する、
褐甲角神「クワアット」の審判を頂くからには、勝敗の行方など考えない。
 ただ渾身の力を込めて大剣を振るう。

 マキアリィも応えるように、容赦の無い一撃を繰り出して来る。
 互いの術技を知り尽くして、小細工手加減など許されないと分かっている。

 マキアリィが現在着用する甲冑は、常人が用いるもの。神兵正式の重甲冑ではない。
 作りこそ身分格式にふさわしく上等であるが、大剣に対してはまるで防御力が無い。
 一方のヒィキタイタンも革鎧で手足の袖を縛っている程度。
 互いに一撃でも当たれば戦闘不能に陥る。

 

ガインン。

 マキアリィの左上からの打ち込みを払う、
だが払われた剣は下段から腹に向けて鎌首をもたげるように返って来る。
 ヒィキタイタンはかろうじて胸を反らせてこれを避けるが、マキアリィは体を反転させて第三撃を横に払う。
 この技は体勢が大きく崩れる為に、虚を突かれない確信が無ければ使えない。

 ヒィキタイタンは大剣を上から突き下ろす形で踏み込み、敢然と受け止めた。

ギュアンンンン。

 これまでの剣声と異なる、金属が震える音がする。
 神兵大剣は聖蟲が与える怪力に耐える為に、折れず曲がらず欠けない特別な技術を用いて鍛え上げた。
 刃は無く単に左右が尖っているだけだが、これだけの重量を怪力で振り回すのだ。
 城門の大かんぬきですら一刀の下に叩き切る。

 通常の使用では、たとえゲイルの肢だろうが甲冑武者を頭から両断しようが、剣が損傷する恐れは無い。
 しかし大剣同士が、それも聖蟲を戴く者同士が死力を尽してぶつけ合えば、さしもの剛剣も。

 マキアリィの三撃を受け切ったヒィキタイタンは、一度間合いを開けて剣を構え直す。

「それほど長くは保たないな」
「大剣が砕けるところなど、見たことありませんよ」
「俺もだ。楽しみだな」

 ヒィキタイタンが用いる大剣には不安がある。
 ドワアッダが調達したものだが、かなり昔の作品で戦場往来の古傷が目立つ。
 剣同士の耐久力を比べるならば、不利と言えよう。

 

     *****

「ドワアッダさま!」

 背後から呼ぶ声がして、ドワアッダとジューエイム・ユゲルは振り返った。

 テュラクラフの神像を安置している紅曙蛸仮神殿のタコ巫女の一人だ。
 赤い巫女衣装を翻し、裸足で走って来た。
 ドワアッダに耳打ちして報告すると、疲れてその場にへたり込んでしまった。
 よほどの必死、また緊張だ。

 ドワアッダは決闘の間近に一人進み出る。あえて邪魔をする。
 大音声でヒィキタイタンに告げた。

「ご多忙の所申し訳ございません。”ミストレクス”様に報告したき事がございます」
「構わん。申せ」

「は。紅曙蛸神殿の巫女が申すに、
 紅曙蛸巫女王五代テュラクラフ・ッタ・アクシ様の御体を覆うタコ石が全て消え去り、尋常の人のごとくに呼吸を始められたとのこと。
 お目覚めになられるのも間近と思われます。いかがなされますか」

 見守る人皆、褐甲角軍の兵ですらこの報せには動揺した。
 奇跡がまさに成就したのだ。決闘どころではない。

「マキアリィ、聞いたか」
「ソグヴィタル王はどうなさるか。一時休戦というのなら聞かぬでもないぞ」
「いや。
 ……ドワアッダ、私の剣を抜け! そして左右に振ってみよ」

 ドワアッダは指示の意味がよく分からないが、右の腰に吊るすヒィキタイタンの剣を抜いた。
 青く滴る流れる光が鋼を伝い、周囲を清々しく照らす。

「おお。これが青晶蜥神から神威を頂いた、王者の剣か」

 ジューエイム・ユゲルは思わず感嘆を口に出す。
 これは質草。これあるからこそ投資を肯んじた。
 古代の紅曙蛸王国を復活させる荒唐無稽な茶番も成り立つのだ。

 ドワアッダは剣を天にかざし、左右にゆっくりと振った。
 青い光が長く糸のようにたなびく。
 すーっと、剣の周りに風が巻くのを感じる。
 振る度に風は強くなり、やがて剣を離れてタコリティの街の中を走っていった。

「これは!」

 剣の風が触れるものの感触を、ドワアッダはそのままに得た。
 風はタコリティ市街を隅々まで渡り、逐一その状況を報せて来る。
 話に聞くギィール神族の超感覚に似た機能を、この剣も持っているのだ。
 風は最後に鉄の触れ合う響きを伝え、消えた。

「だれだ!?」
「デェヨルニダの百人隊です!」

 ヒィキタイタンは、テュラクラフの目覚めと同時に謀反が起こる事を察知していた。
 いや、タコリティを出発する前、弥生ちゃんにその可能性を示唆された。
 だからこそ旅に同行せず、タコリティに残ったのだ。

 叛乱者の目的は幾つか考えられるが、
タコリティ最大の実力者フィギマス・ィレオの対抗手と目されるゲバシューラの配下、傭兵隊長デェヨルニダが反旗を翻すとすれば、
テュラクラフを拉致して東金雷蜒王国に逃げ込む筋書きだろう。
 ギィール神族の後押しで、ゲバシューラがタコリティの支配権を奪取する算段だ。

「いかが致します!」
「放っておけ。フィギマス・ィレオが対応する。次は?」

 再びドワアッダは剣を振る。風は走って紅曙蛸仮神殿の方へ飛んでいった。

「……! 火です。 仮神殿の近辺で火事が、いやこれは故意に放火したものだ」
「そっちが本命だ。
 ドワアッダ、一時剣を預ける。行ってテュラクラフ様をお守りしろ」
「はい!

    メルギス、シバーウラフ、引き続き城門を固めよ。他の傭兵は続け!」

 ドワアッダは決闘を見守る兵の半数を率いて、紅曙蛸仮神殿に向かう。
 後には傭兵隊長メルギスとシバーウラフが残り、ヒィキタイタンとマキアリィの決闘を見届けた。

 この二人は、使える側近の少ないヒィキタイタンにジューエイム・ユゲルが斡旋した。
 いずれ毒を含んではいるのだろうが、それを言い出すとタコリティ全ての者を疑わねばならない。
 相応の優秀さと従順を持ち、ただ金銭にのみ従う彼等は、むしろ善なる存在と言えよう。

 

      *****

  タコリティは本来人が住まない不毛の海岸地帯にある。
 木も生えず水も得られぬこの土地は、すべてを外から持ち込んで作られている。
 20年に一度は大火が起こり市を焼き尽くし、それでなくとも毎年嵐が吹き寄せて被害を出す。

 重要な商品や有力者の住居は船の上にあり、いつでもテュークの円湾に逃げ込めるよう準備していた。
 一般の住民達も災害には慣れている。
 改めて避難の指示をしなくとも整然と安全地帯へ逃げて行く。

 人の流れを遡るように、ドワアッダの率いる傭兵隊は紅曙蛸仮神殿へと向かう。

「! 右、階段上に伏兵。射よ!」

 ドワアッダは青く輝く剣を掲げて突き進む。
 風に感じるままに敵を指し示し矢を射掛けると、待ち伏せを狙う反乱勢は慌てふためき算を乱して逃走する。
 指摘する標的のあまりの正しさに、従う兵も驚いた。

「この剣は魔物だな…… 」

 ドワアッダはただ剣風の教える通りに攻撃を命じているに過ぎない。
 風が渡る所、たとえ物陰や壁上に姿を隠しても、敵意を感じ取れる。
 面白い!
 まるで自分の器が倍にも三倍にも拡大した良い気分になり、却って恐ろしくなった。

 この剣を用いるのは、元々が衆に優れ人の上に立つのを義務づけられた者であるべきなのだ。
 凡人が帯びるとたちまち身を滅ぼす。

 

 ドワアッダの傭兵隊はあらゆる妨害を跳ね除け突進する。
 反乱勢の予想を遥かに越えて早く、対応する隙を与えずたちまち紅曙蛸仮神殿に突入した。

 フィギマス・ィレオが自邸を提供した仮神殿は、立て篭るにも適した城塞風の造りになっている。
 門を閉めてしまえば反乱勢の為すがままだったろう。
 だがドワアッダ隊に押されバラバラに撤退し立て直せず、諸共に内部に雪崩れ込んだ。

 反乱勢は所属・装備がばらばらで、誰が敵だか味方だか分からない。

 各所で護衛の神官戦士が切り結んでいるが、神官戦士同士が戦う姿も見受けられる。
 仮神殿内部にも手の者を忍ばせておいたのだろう。
 周到に計画してテュラクラフ覚醒の時を待って居た。

「我はドワアッダ、ソグヴィタル王より神剣を借り受けてテュラクラフ様の危難を救いに参上した。
 我に与する紅曙蛸神官、名乗れ!」

「ドワアッダ殿! 敵は目印に黄色い鳥の尾羽を刺しておりますぞ」
「トバァリャ神官長殿か! かたじけない」

 有り難い事に仮神殿を預かる神官長は敵では無かった。
 ドワアッダ隊は拝殿内に躍り込み、黄色い羽根を付けた者に片っ端から打ち掛かる。
 彼等は全て褐甲角王国の出身者だ。

 所詮は傭兵、タコリティにヒィキタイタンが信頼をおける者はほぼ居ない。
 ドワアッダは褐甲角王国に人をやって、王に従う者を募ってきた。

 「先戦主義」を唱えるヒィキタイタンの主張に意を同じくする者は、黒甲枝クワアット兵の中にも多い。
 兵役を離れて故郷に戻っていた有志100名が応じ、「禁衛隊」を名乗っている。
 王を傍近くで護る武者のみが、その名を許された。

 統一された指揮の下一糸乱れず戦う様には、タコリティの他の隊はまったく敵わない。

 だが反乱勢にも逆転の機会はある。
 ドワアッダよりも先に女王テュラクラフ・ッタ・アクシの身柄を押さえれば良いのだ。

 一人、装備の良い武者が神官戦士2名をたちまちに斬り伏せて、テュラクラフの眠る洞窟状の祭壇に踏み込んだ。
 最後の護りとして紅曙蛸巫女が短剣を振るうが、武者は無造作に女達を斬り散らす。

「なんという事を」

 ドワアッダは怒りを覚え、一気に彼の元へ向かおうと激闘を繰り広げる両勢の中に踏み込んだ。
 怒りに呼応して神剣はなお強く発光し、周囲の者の目を眩ませ動きを止める。
 一瞬ドワアッダの前には誰も居ない通路が開ける。

「くわあけえええええぃいい」

 真一文字に突き進み、非道の武者に必殺の一撃を打ち込んだ。
 敵も相当に武術の達人であったが、鋼をも切り裂くガモウヤヨイチャンの剣だ。
 打ち込みを防いだ刀も、兜も、両断され左右に弾け飛ぶ。

 ドワアッダは兜を割られ呆然と立つ彼を蹴り倒し、面体を検める。

「お前は、インバルエか」
「……いかにも、ドワアッダ殿。私がテュラクラフ様を王に戴く者だ」

 インバルエはタコリティ独立の当初からヒィキタイタンを支えてきた有能な軍人だ。
 元は褐甲角軍の中剣令で、それ故に信頼され重きを置かれた。
 黒甲枝の出身でなく一般のクワアット兵から身を興し、中剣令にまで登ったのだ。
 よほどの逸材であったろうが、不思議には思っていたのだ。

「貴様が、何故にヒィキタイタン様の信頼を裏切る」
「それは私の台詞だ。何故にソグヴィタル王はテュラクラフ様を担いで自らの王国を築く。
 聖なる女王を戴くのは、我ら栄光の番頭階級の継承者のみだ!」

 番頭階級とは、古代紅曙蛸王国時代の知識層・高級官僚だ。
 あまりに専横が過ぎて、立ち上がった交易警備隊長ギダルマーにより一掃されたが、
テュラクラフ女王はそれを喜ばず、巨大なタコ脚で地を割って隠れたという。
 王国は四分五裂、各地の有力者「小王」達が支配地を広げ、
番頭階級の生き残りも彼らの下で命脈を繋いだとされる。

「インバルエ、言え。番頭階級の末裔は何人ここに居る」
「ヒィヒャハハハ、古の栄光を受継ぐ者が何人も居るわけ無いだろう。
 残りは人喰い教や督促派行徒、紅曙蛸神の盲信者ばかりだ。
 誰もがテュラクラフ様を欲する。ヒィキタイタンがそうであるようになあ」

 それだけ聞けば十分だ。
 ドワアッダは神剣を右手にかざしたまま、左腰に下げる自らの刀を逆手で抜く。
 インバルエの喉を抉った。
 裏切り者を屠るのに、神剣は勿体無さ過ぎる。

 

 正義が示され、王者の剣は眩く輝き洞窟祭壇を青く染め上げる。
 流された血を拭うように。

 タコ巫女達の後ろに庇われる女王テュラクラフがうっすらと眼を開け、
眼下に拡がる惨劇の様をぼんやりと眺めていた。

 

      ***** 

 ヒィキタイタンとマキアリィの決闘は既に百合を打ち合う。決着はつかない。
 だが傍目にもマキアリィの優位が分かるようになってきた。

 大剣の破損を気遣って、ヒィキタイタンは思い切った打ち込みが出来なくなった。
 対してマキアリィは変わらず渾身の一撃を繰り出して来る。
 双方とも傷を負っていないのは見事だが、さすがに汗だくとなる。
 マキアリィは暑くて邪魔だと甲冑の胴部を脱ぎ捨てた。

「なにやら城市に煙も見えるが、大丈夫ですか」
「戦っているのは我らだけでは無いという事だ。そろそろケリを着けねばなるまいな」
「ではアレをやりますか」
「うん、そろそろだな」

 二人は一旦剣を引いて、間合いを開ける。

 マキアリィは後ろに控えるクワアット兵を一人呼び出した。
 彼の持ってきた水を一口含み、地面に吐き捨てる。

「次でケリがつく」
「「吶向砕破」を使いますか」
「たぶん私が勝つだろうが、無傷で済むとも思えない。
 勝った後は向うの兵が仕掛けて来るから、逃げろ」

「もしや、ソグヴィタル王に殉じるおつもりではありませんか」
「どうかな。
 とにかく私は自力でなんとかする。お前達の事まで手が回らない」
「ご心配なさらぬよう。我らも褐甲角軍の兵として、整然と威厳を持って引き上げます」
「頼むぞ」

 一方のヒィキタイタンにも傭兵隊長メルギスが寄って指示を受ける。
 ジューエイム・ユゲルも近寄った。

「テュラクラフ女王はもう目覚めただろうか」
「存じません」

「ドワアッダ殿は鎮圧に成功しましたよ。そうでなければ、私の所に手の者が指示を仰ぎに参ります」
「それは確かでよいな。
 ドワアッダには伝えてくれ。万が一私が負けたら、船にテュラクラフ様の座乗を願って出港し、ガモウヤヨイチャンと合流しろと」
「タコリティは捨てると仰しゃいますか。それもよいですな、ここは褐甲角王国に近過ぎる。
 円湾に新しい街を作るという手もございますよ」

「金なら返せんぞ、自力で取り立てろよ」
「ご心配なく、今回は20年の長さで帳尻を合わせる計画になっております。
 最初から儲けを出そうなどは、臆病者の算術です」

 メルギスが眉をひそめて尋ねる。
 彼も武を以て立つ男だ、決闘の行方にこだわる。

「ソグヴィタル王、勝算は最早失われたとお考えですか」
「いや。……実のところ、負ける気がしない。勝ってしまった後の方が面倒でな」

 メルギスはヒィキタイタンの顔を見る。確かにこれから死ぬ者の色は無い。
 これだけの激闘を交わしていながらも涼しげでさえある。

 向うで準備を整えるマキアリィに目をやり、大剣の握りの紐を直しながら、王は言った。

「ガモウヤヨイチャンどのから学んだ秘術があるのだ。星の世界の剣術だよ」

 

 二人はそれぞれ支度を整え、再度対峙する。
 打ち合わない。
 静かに互いの気配を読み、間合いを計って精神を集中する。

 「 吶向砕破」の剣とは、褐甲角の神兵のみに許される必殺技だ。
 カブトムシの聖蟲の羽ばたく霊力を借りて一気に間合いを詰め、高速で激突する。
 爆発的とすら呼べる加速力だ。一撃で城門をすら破壊する。

 ただ用いる剣に十分な強度が無いと耐えられない。
 ヒィキタイタンの大剣は既に耐久の限度を越えていた。

 二人の額の聖蟲が甲羽を開いてしきりに翅を震わせる。
 マキアリィの黒褐色のカブトムシは乾いた低い振動音を発し、
ヒィキタイタンの黄金の聖蟲は場違いとも思える美しいハミングを響かせた。

 固唾を飲んで対決を見守る者達は、やがて二人の姿が見えにくくなったと感じる。
 空気が揺らめいて決闘者の全身を包み、神威の発動を待ち受ける。

 

      *****

「シ!」
「しゃ!」

 10メートルの距離が瞬時に埋められ、金属が砕ける音が広場全体に轟いた。
 ヒィキタイタンの剣が根元から砕けて粉となり破片を撒き散らす。
 しかし、衝撃でマキアリィの突進も止った。

 大剣を振り上げ、留めとなる頭上からの一撃。
 ヒィキタイタンは頭蓋を割られ脳を散乱させる。

 

 『これは、ぜったい使っちゃいけない技なんです。
 効果が無いのではなく、あまりにも物語で濫用され過ぎて陳腐になり、誰ももう驚かなくなったんです。
 だからこれを使う時は世間から失笑されるのを覚悟して、
 でもやっぱり使わない方が身の為ですよ』

 ガモウヤヨイチャンは笑っていた。

 星の世界の剣術の幾種類かの型を見せてもらい、木の剣で打ち合って術理を解説してもらう。
 「困った時につかう最終最後の奥義」と言われるこの技も、ヒィキタイタンは教わった。

 もちろん常人に使えるものではない。
 彼ほどの達人であるからこそ、短期間で覚えられた。
 それでも死の前に平然と立つ覚悟こそが、この技の要諦。

 

 大剣が宙に止まる。
 脳に割り込んでいる筈が、ヒィキタイタンの額のすぐ上をかすめて静止する。
 しかもヒィキタイタンの姿が無い。

 マキアリィには信じられない。
 何事が起きたかを認識する前に、彼は地にめり込み敗北を喫していた。

 「真剣白刃取り」
 だがその瞬間を眼に留めた者は居ない。

 弥生ちゃんが教えた技は単に剣を両掌で挟み込み止めるものではない。
 挟みつつも擦り上げ、敵の力を無効化しつつその勢いを活かし、我が身を外して地に叩きつける。
 一瞬ですべてが終わる逆転技。

 マキアリィ電光流星の一撃が、そのまま自身を激突させる力へと転化する。

 

 見守る者も何が起きたのか理解出来ない。
 ただ金属の砕ける音がしたかと思えば、ヒィキタイタンのみが大地に立っている。
 手品を見せられたかに唖然とし、動くを忘れた。

 静寂の中、ヒィキタイタンが拳を振り上げ、地に伏すマキアリィに決闘の終了を告げる一撃を加えた。

 一人、傭兵達の元へ戻ってくる。
 まだ誰も動かない。ざわめきも起きない。
 目の前で起きた光景を現実として認識するに至らないのだ。

「      勝ったの、ですか?」

 ジューエイム・ユゲルが呆然と見詰め、戻ってきたヒィキタイタンに確認する。

「ああ」
「なにをなされたのです」
「説明するな、と言われているのだ。ガモウヤヨイチャンどのにな」

「星の、世界の、剣術、」

 ざわと見守る群集の中から声がする。
 城壁の上の兵達が武器を鳴らす音がして、やがて歓呼の声が轟音となって降り注いだ。
 これで初めて、ジューエイム・ユゲルもメルギスも勝利を確信する。

 追捕のクワアット兵から二人、三人と人が出て、地に伏すマキアリィの元へ向かう。
 メルギスが尋ねた。

「殺しましたか?」
「骨は砕いたがね、3月もあれば癒るだろう。この技は人を殺さない為のものだからな」

「星の世界の、不殺の剣……」

 

 ふと気配が変わったのに気付き城門を振り返ると、歓声が悲鳴に代わるところだった。

 城壁の上の兵が左右に揺れている。
 地震かと思ったが、外は揺れていない。ただ、門の上を逃げ惑う姿だけが見える。

「なにごとか」

 いきなり門の向うで大きな破裂音がした。
 柱や屋根の材木が、葺いていた板が宙に舞う。
 泥壁が空中で回転しながら崩壊し、土塊を撒き散らす。
 西から東に砕けた家が放り投げられ、空中で順番に解体していく。

「ソグヴィタル王、これは一体?」
「どうやら、テュラクラフ女王が目覚めたようだな」

 重い扉が軋んで城門が開き、夥しい人が街の外に溢れ出す。
 顔は一様に恐怖に引き攣り、制止すべき門兵も一緒に逃げて来る。

 ヒィキタイタンと傭兵達が流れに逆らって門内を窺い、古今に絶無の神秘を見た。

 

 タコリティの街を巨大な赤い棍棒が薙ぎ払う。
 長さは100メートル、その全長に無数の大きなあばたがあり、呼吸するかにそれぞれが収縮する。

 例えて言えばまるで巨大な蛸の足。
 地面を割って持ち上がり、人為の諸物を微塵に砕く姿と見る。 

「テューク(紅曙蛸)!」

 今を去ること2500年前、
紅曙蛸巫女王五代テュラクラフ・ッタ・アクシが交易警備隊長ギダルマーの粛清を厭い、
地下にその身を隠す際に一度だけ現れたその怪物の名を、

十二神筆頭の神の名を、逃げ惑う者全てが叫んだ。

 

 

第四章 金雷蜒神と共に王姉妹帰還す 

 神聖金雷蜒王国時代の旧王都、金雷蜒「ギィール」神の地上の現身が今も在り続ける聖なる都
 「ギジジット」

 この地に至って10日。弥生ちゃんは多忙を極めていた。
 神秘のパワーで世界を変革する一般的な救世主であれば、めんどくさい事は他人におまかせするだろう。
 だが自分でやる。

 十二神方台系の表音文字「テュクラ符」は、すでにマスターした。
 聖蟲の助けが無くとも日常会話なら不自由が無いまでに言葉も覚える。
 神官達が持ち込む各種資料もほぼ読み込めるようになった。
 会計の帳簿も理解してギジジット運営の実態を把握すると同時に、直接支配にも乗り出す。

 神官長・大神女また十二神殿の各大神官を一人ひとり呼び直接面談した。
 彼らの身分を保証すると同時に、金雷蜒王国・王姉妹への忠誠を再度誓わせる。
 トカゲ神救世主にではない。ここが重要!

 これまで通りに「金雷蜒神」をお祭りする巨大な神殿都市としての在り方を守らせる。
 軽挙妄動して自発的に「トカゲ王国」なんぞを立ち上げられては迷惑千万。

 神官戦士達には、これまで毒地で遮られてきた褐甲角軍が侵入する危険を伝え、城市の防衛計画を再構築させる。
 ギィール神族も多数が援軍に押し寄せ、場合によってはギジジットの実権を握らんとするだろう。
 付け入る隙を与えない確とした軍備が必要で、閲兵を行い即応体制を整える。

 ミミズ神官には引き続き水路の整備を滞り無く続けさせる。
 だがこれまで毒を撒き散らしてきた施設の破壊を命じた。
 ゲジゲジ巫女達には、半壊して悪臭が立ち込める神聖宮から各種お宝を回収させ、
金雷蜒神と王姉妹の為の神殿を新たに整備させている。

 

 反発する者は少なくない。
 だが巨大神の体節を破壊され、茫然自失した王姉妹が完全に沈黙。
 指揮命令系統が凍結した状況だ。

 代わって本来の姿を取り戻した金雷蜒神と意思を通じるのが、キルストル姫アィイーガ。
 彼女は慣れぬ行為に脳を酷使して、あまり体調が良くない。

 王姉妹は幼少時より聖蟲を戴き、金雷蜒神と交信する能力に特化する。
 これを一般神族にやらせるのは酷だ。
 他人の聖蟲との直接交流すら危険と見做され忌避されていた。

 それでもアィイーガは神の意を受け、数多の神官達を率いてギジジットの運営と改革を進めていた。

「なるほど。
 ガモウヤヨイチャンがあまりにも金雷蜒王国に好意的であるのに、お前達は薄気味悪さを覚えているのだな?」
「はは。青晶蜥神救世主様は賢明にも王姉妹様方に、引き続きギジジットをお治めになられるよう希望なさっておられますが、
 天河の計画はそれでよろしいのでしょうか。
 新たなる千年の王国を築く事こそが救世主の使命にして、旧き王国の存在は妨げになるとお考えになりませんか」

「フンコロガシ(褐甲角王国)どもを念頭に置いているのだな。
 心配するな。あやつはな、我々がいずれ滅びると知っている」

 にわかの不穏な台詞に、神官達は戸惑い、無礼を承知で各所で論じ始める。
 神官長が騒ぎを鎮め、改めて問う。

「我々とは、金雷蜒王国の事でございますか」
「聖戴者だ。ゲジゲジを額に宿す我ら神族は遠からず地上より消え失せるのだ」
「如何なる由にてそのようにお考えになられるか、お解きくだされますか」

「別に不思議なところは何も無いぞ。
 ゲジゲジ神は旧き躯を捨てて、新しい身軽な本性を取り戻した。
 もはや天に戻るのに何の支障も無い。
 神が天に戻れば、その眷属たる聖蟲も去り、ギィール神族は地上から居なくなる」
「まさか、そのような、」
「ゲジゲジだけではないぞ、フンコロガシどももいずれ去る。
 それが天河の正しい計画で、千年前は王姉妹によって阻まれたのだ」

「直ちに天にお戻りになられるでしょうか」
「本神はともかく、聖蟲は数百年は居るんじゃないか。
 人が生きて死ぬに比べて十分長いものとなる。
 今ある王国を尊重するのも自然だろ」

 されど、と乗り出す神官達を、狗番ファイガルとガシュムが睨みつける。
 アィイーガは慣れぬ交信で頭痛がして、長椅子に寝そべっている時間が長い。
 常に侍女に囲まれ世話を受けている。
 これ以上主人を悩ませるのは許さない。

 本当に斬るつもりだと感じ取った神官達は、おとなしく退出した。
 開けた広間の真ん中に、部屋の隅で寝そべっていた無尾猫が進み出る。
 神族を向いて言った。

「今のハナシ、誰にも言ったらダメだな?」
「ダメだ。あいつらもお前たちくらい賢ければいいんだがな……」

 

     *****

 新生なった金雷蜒神の神殿及びアィイーガの政庁は、神聖宮の脇にある「外宮」を用いる。
 かっては百官が集い政務を司っていた役所の集合体だ。
 古くはあるがよく管理され、手を入れればすぐに使える状態に維持されてきた。

 弥生ちゃん御一行様は、その一角を占拠して宿泊している。
 なにせ神聖宮は半壊状態で、しかも巨大金雷蜒神のずるりと長い体節が燃えた悪臭が篭もっていた。
 とてもじゃないが使えたものではない。

 しかし、その内部に王姉妹4人は今も留まっている。
 滅びた神の抜け殻を悼み、呵責後悔の念に浸っていた。

 2千年の永きに渡り代々の王姉妹が為してきた全てが、金雷蜒神にとって重荷であり地上に縛り付ける枷でしかなかった。
 この現実を認識するのは、甚だしい苦痛である。
 壮麗にして醜悪な残骸こそが罪の証しにして、彼女達自身であった。
 滅びるに際して殉じるのも、また当然の責務。

「まあ自業自得なんだけどさー」

 弥生ちゃんは王姉妹が今後もギジジットを支配し続ける事を前提に、改革し運営している。
 この状況はちと困る。

「おいたわしい事でございます」

 蝉蛾巫女フィミルティも心底から案じる。

 王姉妹の苦痛を和らげるには葬送の儀礼が必要と考え、歌を捧げる為に蝉蛾神官巫女は神聖宮に入った。
 中枢となる巨大な壁で形作られる円筒、また底が見えぬほど深く続く縦穴。
 その全てに悪臭が立ち籠め、毒煙が燻っている。
 歌うどころではなく、逃げ出すしか出来なかった。

「あのような場所に王姉妹様方は一日中お出でになられるのです。
 いかに聖蟲の護りがあれども、必ずやお身体を悪くしてしまいます」
「付き合わされるゲジゲジ巫女共が哀れだな」

 アィイーガはこころにも無い心配をした。

 ゲジゲジ神官は彼女の支配下に置くが、巫女は適当にやらせている。
 あいつらは性格が悪い。
 美女揃いではあるのだが、だからこその癇の強さ、自己主張、そして互いの足の引っ張り合いと、女の醜さばかりが強調される。
 王姉妹の侍女は彼女達が務め、当然にアィイーガにも仕えるべきだが、御免こうむる。
 温和なカタツムリ巫女で済ませていた。

 なお、金雷蜒神と常に行動を共にするアィイーガは、現在歴史の最重要人物の一人に違いない。
 専属のネコが1匹、終日付き添ってすべてを見聞する。
 彼らも、いじわるなゲジゲジ巫女より、胸がふっくらとして優しいカタツムリ巫女がだいすき。

 弥生ちゃんは、

「王姉妹の気力を取り戻す、なんかいい手は無い?」
「無いな」
「それでは困るんだよ」
「困らないぞ、王姉妹を入れ替えてしまえば良い」

 アィイーガが言うには、東金雷蜒王国王都「ギジシップ島」には別の王姉妹が居るらしい。
 ゲジゲジの聖蟲の繁殖はそちらで行っており、王姉妹が司る。
 ギジジットの連中よりもよほど人間的にまともで、信頼出来るそうだ。

「じゃあ今居る王姉妹はどうするんだよ」
「ぶっ殺すかな」

 そんな事したら反乱起きないか、と尋ねたら、ギィール神族全員が喜んで殲滅に来るという。
 それだけギジジットの王姉妹の悪行に、神族は怒りを募らせているのだ。

 ほんとかな、と狗番のミィガンに顔を向けると、そうだと眼で返事する。
 アィイーガの二人の狗番も同様。
 口に出しては言えないが、王姉妹はよっぽど憎まれている。

 理解した。
 金雷蜒神の地上の化身を守る大義が無ければ、ギジジットはとっくの昔に焼き払われているのだ。
 ひょっとすると、王姉妹に肩入れするのは弥生ちゃん唯一人で、
それが故に神族の恨みを買ったりする?

 考え込む救世主に、フィミルティは慌てて助け舟を出す。

「あの、なにか気晴らしをお考えになられてはいかがでしょう。
 生臭い神聖宮の中ではなく、新鮮な外の空気を吸えば王姉妹様も気分が晴れるでしょう」
「うーーむ」

 

     *****

 数日後、弥生ちゃんはいきなり全部署の責任者を招集して特別の命令を与えた。

「ピクニックに行きます。」

 ギジジットの神官巫女神官戦士その他合わせて千人にもなる大人数を繰り出して、城外の景色の良い場所で大宴会という企画だ。
 目的は、王姉妹に元気を取り戻してもらおうとなっているが、もちろんちゃんと裏がある。

 御馳走の準備に3日を費やし、花を摘み、風の穏やかな朝に数十艘の小舟に乗り込んで出発する。

 運河の水は長年毒に晒されて水中生物が居らずあくまで清く透明で、一見すると鏡のように美しい。
 水面に色とりどりの旗で飾ったきらびやかな舟が映り行く。

 先頭の舟には青晶蜥神救世主とその随員が「ぴるまるれれこ」旗をたなびかせて洋々と進む。
 続く舟にはアィイーガが黄金の鎧を身に着け二人の狗番と高位神官と共に乗り込む。
 3番目は大舟で、新生なった金雷蜒神が黄金の焔をたなびかせて乗り込む。
 王姉妹の4人と共に姿を見せて、運河の岸で見送る人にあまねく恩寵を授けている。
 随伴する多くの小舟の上には鋼輝く神官戦士が凛と威を誇り、
着飾った巫女達が思い思いに楽を奏で舞い踊り、花を撒いて運河を飾っていく。

 弥生ちゃんの舟に蝉蛾巫女フィミルティは乗っているが、なぜか狗番のミィガンは居ない。
 ネコは5匹が3艘に分かれて乗っている。
 弥生ちゃんの傍で舟縁から水面を引っ掻いていたネコが言った。

「素敵すてき。こういう奇麗なお祭りをしてくれると、話をするとき助かる。
 喜んで真似するヒトがいっぱい居る」
「うん! やっぱ華やかなイベントが無いと、噂話も面白くないもんね」
「ガモウヤヨイチャンもネコの苦労が分かるようになってきた」

「おりゃフィミルティ。こんな時こそ蝉蛾巫女だ。
 なにか佳い歌を唄いなさい」
「心得ました。では、金雷蜒神族の舟遊びの情景を歌った詩を」

 

 舟団は3時間進んで一度上陸し、そこでお昼を摂って再び3時間漕ぎ出した。
 ギジジットの高塔がまったく見えなくなった場所で岸に着け、ようやく宴会となる。
 放棄された古城の跡で、大きな石組みが舞台となり千人が囲むのにちょうど良い感じだ。

 神官戦士、巫女の舟が先に岸に着き、準備を行う。
 その間王姉妹の舟は金雷蜒神と共に近くの運河をぐるぐると見物して回った。

 火を熾し大山羊の肉を焼き、酒甕を据え付け、毛氈を敷いて七色の幕を張り、花を散らして準備を調えると、
神官巫女、神官戦士は列を作り楽を鳴らして貴人を迎え入れる。
 特に最大勢力のゲジゲジ巫女は、今日を生涯の晴れ舞台と心得て精一杯金銀で飾っている。

 まずはキルストル姫アィイーガの一行。
 次に弥生ちゃん青晶蜥神救世主の一行。
 最後に金雷蜒神を乗せた王姉妹の舟が着き、陸に上がる。

 王姉妹「ギジメトイスの娘達」は、神聖宮深くに住み外部の神族とも交わらずに生きて死ぬ。
 だが通常の神族と同様に身長は高く、身体能力も常人を凌ぐ。
 40、50代であるが、優美な肉体は年齢を思わせぬ。

 元々がギィール神族はアウトドアで狩り・戦争を前提として鍛え調整しており、
その肉体は野外でこそ真価を発揮する。
 王姉妹も幾分は気鬱も和らぎ、額のゲジゲジの聖蟲が喜んで尻尾を盛んに振るのにも励まされる。
 金雷蜒神を案内して、深紅の毛氈の上に二人ずつ左右に分かれて座を構えた。

 めんどくさい挨拶も抜きで、いきなり宴は始まる。

 ギジジットでこのような大遊行が行われた話は、数百年も聞いた事が無い。
 金雷蜒神の地上の現身「顕身」が坐す神殿都市であるから、儀式は荘厳かつ深遠でなければならない。
 楽しさを意図した企画など、いずれの神聖王の御代で途絶えたか。

 ましてや王城の外に神を誘うなど、物理的にも不可能であった。
 神聖宮の円筒壁と縦穴に一体化して張り付き、ギジジット全体にとぐろを巻く巨大な御身体節。
 これが極めて異常だと、金雷蜒王国の者は今日この日まで気付く事が出来なかった。

 

 美しく装ったゲジゲジ巫女を何人も従えて、アィイーガが踊る。

 霊薬エリクソーを服用して成長した神族の巨体は運動神経も抜群で、舞踊をさせても稀代の名人だ。
 長い手足を前に後ろに差伸ばし磨かれた黄金の甲冑は陽を照り返し、周囲に光の粒を撒き散らす。
 観る者の眼を射て、開く事さえ叶わぬ。

 あらんことか、金雷蜒神さえ進み出てふわふわと巨大な身体を左右に揺らす。
 神とは、これほどに人と親しげに触れ合うものであったのか。

 

     *****

 誰もが眼前の光景の不思議さ珍しさに心奪われる中、
弥生ちゃんは神官長と神官戦士の指揮官を呼んだ。

「わたしがハリセンで合図するから、何も残さぬように」
「心得ましてございます」
「ゲジゲジ巫女はバカだから絶対残ると言う。むりやり舟に叩き込め」
「承知しました」

 アィイーガが舞を終え席に下がるのと入れ代わりに、弥生ちゃんが王姉妹の正面に出る。
 流し目で合図するのを、彼女もこくっとうなずいて返す。
 二人の狗番にこっそりと指示を出した。

「えー、宴もたけなわでございますが、ここでワタクシが、世にも珍しい聖蟲の芸をご披露したいと思います」

 パン、と右手でハリセンを開くのに、周囲の皆がびっくりする。
 青晶蜥神が救世主に与えたハリセンの妙威はギジジットの誰もが心得るが、遊びで発動して良いものだろうか。

 更には、聖蟲の芸と言う。
 世にこれほど尊い物も無い聖蟲が、人の言うままに芸をするのか。

 

 弥生ちゃんは左手で吊るしたカタナの柄を握り、抜かぬまま腰の後ろにぎぅっと真一文字に横たえた。
 右手のハリセン左手のカタナ、と美しい形のままでひーらひらと小さく扇ぎ出す。
 初夏に向かう薄っすら暑い日差しの中、涼しげな風がひうと一陣起こり、軽く全員の額を撫でていく。
 ふわーりふわりと扇ぐ度、すぅーっと冷やく駆抜ける。

 ふいっと上にハリセンを差し上げると、あらんことか、
王姉妹の額のゲジゲジのまでもが、ふわーりふらりと揺れ出して、4人の4匹もがぽぽんと紅い毛氈の上に跳び降りた。

 王姉妹にはなにが起きたのかまったく理解出来ない。
 聖蟲が額を下りるのは、宿主が死んだ時のみ。
 生きた身のままで去るなどあろうはずが。

 聖蟲達はちよこちょこと右に左に歩いては二股に分かれた尻尾を振り、やがてささーっと弥生ちゃんの元に駆けていく。

 ようやくに聖蟲が自分から離れた事を認識した。
 王姉妹は立ち上がり自分の分身を追うが、すばやい蟲を捕えられるはずもない。
 4匹すべてが、あっという間にハリセンの上に飛び乗った。

 青く透けて輝くハリセンの上で、金色のゲジゲジ達は話し合うように頭を突き合わせた。
 赤い双眼を王姉妹に向けて、調子を揃えて尻尾を左右に振る。
 まるで「バイバイ」をしているようだ。

「パン!」

 いきなりハリセンが閉じられて、ゲジゲジ達は呑み込まれる。
 閉じた厚みはわずかに5cm。隠れるスペースなどありはしない。
 潰されてしまった?!

 弥生ちゃんはハリセンを頭上に高く掲げて宣言する。
 「日本三大バカ声」を自称する、朗とした良く徹る声だ。

『撤収!』

 嵐のように神官戦士達は動いた。
 あらゆるもの、食糧、焼いた肉、御菓子、酒甕、香水、幡、幕、綱。
 宴に持ち込む全てを分担して引っ掴み、運河に並ぶ小舟に放り込んだ。
 事前に練習したとおりに。

 ゲジゲジ巫女達も手伝うのだが、躊躇する者も多数居る。
 どう考えても王姉妹への叛逆だから無理もない。
 神官戦士が女達の両腕を掴んで舟に叩き込み、満杯になると早急に岸から離れさせた。
 来た時の5倍の早さで櫓櫂を漕いであっという間に運河の端に消えていく。

 その間、王姉妹は聖蟲を取り返そうとするが、ゲジゲジ神官達に阻まれて弥生ちゃんに辿りつけない。

 アィイーガは額のゲジゲジから赤く細い光条を発して金雷蜒神と通信し、
弥生ちゃんは撤収作業を仁王立ちになって確認する。

『完了!』

 と叫ぶと、次にはゲジゲジ神官達も王姉妹から離れて走り、舟に飛び乗る。
 アィイーガも二人の狗番も、フィミルティも乗せて、全ての舟が岸を離れる。

「こ、これは、これはどうしたことじゃ」
「ガモウヤヨイチャン、これは何事か」

 唯一人残った弥生ちゃんに、王姉妹は詰め寄る。
 だが弥生ちゃん、ぽーんと10メートルも跳び、最後に待機する舟に乗り移った。
 舟には真新しい王旗が翻る。

 大きく瞳を見開く女人の正面からの顔、頭部は丸く髪は水色、左右に金色の角を生やした図柄が青い地に描かれる。
 弥生ちゃんが纏う高校制服の左胸に描かれる最強の証、
「神殺しの神ぴるまるれれこ」を描いたものだ。

 荒野に取り残される王姉妹に呼び掛ける。 

「ギジジットへのご無事のお帰り、お待ちしております。
 聖蟲はそれまで大切に預かって居ますから、ご心配なくー」

 「ぴるまるれれこ」旗が水面の陰に小さく消えると、
残されるのは撒き散らされた花びら、焚き火の跡、取りこぼした毛氈が数枚だけと、虚しい光景が広がっている。

「…………、置き去りに、……された      。」
「聖蟲も無しで!」
「わ、わら、妾を誰と、誰と思ってか。わらわがぎじめといすの、」
「うわああああああああああああああんん」

 彼女達はまだ気付いていなかった。
 全てが去った後も、未だ金雷蜒神の地上の姿だけはそのままに留まっている事を。

 

     *****

「どう?」

 王姉妹から離れる事1キロメートル。
 うねる土手の陰に隠れた1百名の神官戦士を率いる狗番のミィガンに、合流した弥生ちゃんは尋ねた。

「どうと申されましても、あまりにも痛々しく、見ていられません」
「そりゃそうだよ。これは試練なんだから」

 ミィガンから受け取った遠眼鏡で、弥生ちゃんは王姉妹を観察する。

 この遠眼鏡はガムリハンでフィミルティ用の眼鏡を作った際に、ついでに拵えたものだ。
 レンズの使い方を説明していて、こんなこともできる、と勢いでやっちまった。
 倍率は4倍となかなか。
 だが、アィイーガが加わった後は聖蟲の超感覚で間に合い出番が無い。不憫な逸品である。

 

 弥生ちゃんの計画はこうだ。

 王姉妹にとって金雷蜒神とは、あくまでも滅びた長大な体節。
 神聖宮全体を包み込み王城の大地と一体になった巨大な存在以外を認めない。
 幾世代もの王姉妹が仕えたこの巨神こそが、彼女達が知る唯一神なのだ。

 弥生ちゃんの力で新しい若い姿へと脱皮した金雷蜒神を、もちろん神とは認めるだろう。
 だがどうしても魂が受け付けない。新しい時代へと自らも脱皮する事ができなかった。
 こんなに可愛くフレンドリーなのに。

 だから、意地でも神様を認めさせる。
 聖蟲が無ければ王姉妹はまったくの無能力、赤子同然になってしまう。
 何の、誰も頼りに出来ない荒野に置き去りにされた4人を助けるのが、ナマ神さま。
 デザートクルーズで信頼と崇拝、使命感を取り戻させよう、との作戦だ。

 問題はどうやって王姉妹の額のゲジゲジを取り上げるかだが、
アィイーガが金雷蜒神さまと直接交渉して、ダイレクトコントロールで離脱させてくれた。 

 さすがの神姫も己の罪深さを自覚する。

「我ながら、惨い仕打ちを強いてしまった。 
 神族と違って王姉妹は聖蟲無くしては生きられぬ。我が身そのものと言って良い。
 喪失感は神族の覚える比ではないだろう」

「そこまで違うものなの?」
「ギィール神族は聖蟲を許されるまでに、その任に耐えると自らを証す7つの試練を受けるのだ。
 7つ全てを潜り抜けた者は、聖蟲を戴かずとも常人ではない。
 もし聖蟲を失ったとしても、優れた人間が残るだけだ」

「王姉妹は、自らを一個人として鍛えていないんだね。」
「巨大な金雷蜒神と交信する為の道具として、育て上げ作られている。
 交信を行う聖蟲こそが、彼女達の存在意義そのものだ」

「自殺はしないかな?」
「今回に限り、その心配は無い。自殺する知恵も気力も無いだろう。
 廃人のごとくさ迷うのみだ」

 

 神官長が十二神の大神官を率いて、観測する弥生ちゃんの背後に整列する。
 跪いて拝礼した。

「それでは我らはギジジットに戻り、王姉妹様の御無事の御帰還をお待ちいたしております」
「ご苦労さん。
 そこらへんに隠れているゲジゲジ巫女をちゃんと連れ帰ってね。巫女は5人も居れば十分」
「はっ」

 彼らは当然、王姉妹の試練の全てを見届けたいと思っている。
 だが神官戦士が百人も居れば十分以上であるから、高位の者も強制的に帰した。
 アィイーガもギジジットに戻り彼らを統制をする。
 仕事は山のように積んでいるのだ。

「じゃあよろしく。3日もあれば帰り着くとは思うけど、逐一ネコをやって報告させるから」
「フィミルティも連れて帰ってよいのか?」

「私も残る事をお許し願えませんか」
「こんな日差しの下に女の子が居たら、陽に焼けちゃうよ」
「そんな!」

 

     *****

 貴人に侍女が1人ずつではさすがに足りないから、三四12人のゲジゲジ巫女を残した。
 いずれも年重で王姉妹に長く仕える者ばかりだ。

 神官戦士が百人に、医者であるトカゲ神官巫女。
 常に運河に10艘の舟を用意し、ギジジットに往復させてネコに現状報告をさせる。
 そして神威奇跡の治癒者弥生ちゃんとその狗番ミィガン。

 これ以上どんな体制で見守れば万全と呼べるのか。
 過保護過ぎるくらいだ。

 見守ること2時間。
 結局王姉妹はその場を一歩も動かなかった。
 誰かが戻ってくるのをじっと待っていたのだ。

 忠誠心が有る者が一人くらいは居るはずだ、と見込んでいたのだろう。
 確かに居るが、全員捕まえてギジジットに後送した。

 日が西に傾き空が茜に染まる頃、ようやく動き始めたが、右に左にうろつくだけで出発しようとしない。
 時をいたずらに費やし、用も無い地面の花など拾っている。

「今日は動かないな」

 遠眼鏡で覗いた弥生ちゃんは呟いた。

 完全に日が落ちて辺りがとっぷりと暗くなると、さすがに危ない。
 神官戦士に命じて「焚き火」をセッティングしようと考えた。
 「調理の火がたまたま残っており、焚き火として使えた」という設定であったのだが、
王姉妹の周囲がにわかに明るく光り始めた。

 金雷蜒神さまが自らの身体を輝かせ、王姉妹を照らし出す。
 遠目にも暖かさが感じ取れた。
 王姉妹は地面に残されていた毛氈を拾って、身を包む。

「どうやら今夜は大丈夫そうだな。ミィガン」
「はい」

 少数の見張りだけを残して、神官戦士にも休息の令を出す。
 こちらは王姉妹と異なり、火が使えないから風をひかないよう注意しなければならなかった。

 

 弥生ちゃんも丘の裏にバレないように設置した天幕に退いた。
 火が使えないから夕食はギジジットで調理したものを運んできている。
 光が漏れないよう数本の蝋燭を用いるのみで暗い。

 天幕は10畳ほどの広さ、さほど大きなものではない。
 控えるのは狗番のミィガンとネコ、ゲジゲジ巫女の管理職で「頭之巫女」3名。
 尋ねる。

「他の巫女は?」
「は。天幕の一つに全員が揃い、待機しております」
「ミィガン?」
「はい、神官戦士が囲んで、逃げないように厳しく監視しております」

  弥生ちゃんの給仕をするのは、トカゲ巫女。
 さすがにこの状況でゲジゲジ巫女に飲食を世話させる気にならない。

「まったく頭来るよね、これ。どうやって覚えてるのあなた達は」

 弥生ちゃんは暇つぶしに「ギィ聖符」の初歩的教科書を持ち込んでいた。
 ギィール神族が使う難解な表意文字だ。
 表音文字の「テュクラ符」はマスターしたが、ギィ聖符は難易度の桁が違う。
 これが読めなければ、ギジジットに蓄えられた膨大な文献を参照出来ない。

 報告の為入ってきた神官戦士の指揮官に、一般人の習得法を尋ねてみる。
 が、神官戦士では読めなかった。

 二三の質問の後、暗い蝋燭の灯に目をやりながら、振り返るでもなく小声で言った。

「……、闇に乗じて、」
「は?」

「闇に乗じて、かろうじて目に入る距離の所に、最小限の食糧と水を置いといてあげなさい。一食分だけ」
「ありがとうございます!」

 ゲジゲジ巫女だけでなく、神官戦士もまた王姉妹を非常に心配している様子が見て取れる。
 やむなくわずかの救援を認めて指示した。
 指揮官は、表情にこそ出さないが大喜びで急いで天幕を後にする。

 ゲジゲジ巫女達も地に深々と額づいて礼を言う。

「有り難うございます。
 王姉妹様方に仕える我ら端女を代表し、心より感謝いたします」

 奴隷の気持ち、というものは弥生ちゃんにはまったく理解出来ない。
 しかし巫女達が王姉妹を慕うこと、親に対する愛よりも深いのは分かる。
 虐待されて殺されても、だからこそ天国行きだくらいに思っているのだろう。

「あなた達はこれで遊んでなさい」

 ハリセンを腰から抜いてパシと広げると、中から王姉妹のゲジゲジ4匹が飛び出した。
 原理は分からないがハリセンの内部はドラえもんポケットに似た構造となっており、聖蟲を隠す事が出来る。

 尊いゲジゲジが黄金に煌めきながら天幕を走り回る。
 巫女達は大慌てで、それぞれを追っかけ始める。

 

     *****

 翌日。日が昇ると同時に弥生ちゃんはトカゲ巫女に起こされる。
 ハリセンにゲジゲジの聖蟲を仕舞って天幕を出ると、既に神官戦士達が勢揃いしている。

「荷物には気が付いた?」
「は。王姉妹様の御一人が気が付かれ、取りに行かれました」
「それは上々。じゃあ、我々も出発準備。
 多分、運河に沿って移動するでしょう。遮蔽物が無いから気をつけて」
「ははあ」

 本日神官戦士を指揮するのは、本職。昨夜報告に上がった指揮官だ。
 役職は「神殿総守護」といい、大神官相当のかなり偉い人だ。
 彼の身分でも、王姉妹に拝謁するのは叶わないらしい。

 ミィガンは本来の役目に戻り、弥生ちゃんを傍近くで護衛する。
 王姉妹への試練に反対する勢力が暗殺を目論む、との情報も得た。
 事前の計算の範囲内の状況である。

 

 案の定、それ以外に無いから仕方なしに、王姉妹は運河に沿ってギジジットの方向に歩き出した。
 最短とは言えないが聖蟲を持たず西も東も分からない彼女達には、他の手段を思いつけない。
 計画どおりだ。

 金雷蜒神は、王姉妹の進むとおりに付いていく気らしい。
 特に指示らしいものを出している素振りも無い。

 神様の能力であれば、背に女4人を乗せてあっという間に走って帰れる。
 アィイーガが伝えたイベントの趣旨通りに振る舞ってくれるのは、ありがたい。

 弥生ちゃんが今回の試練を強行するのも、ひとえに金雷蜒神の、神としての善良性を信じてのものだ。
 困難な状況の中で、聖蟲ではなく神そのものに王姉妹の依存対象を移し替えようとする。

「金雷蜒神がそうであったように、王姉妹もまた一度死なねばこの世界で行きていけない……」
「あ! どなたかが、運河の水を飲もうとしております!」

 弥生ちゃんから遠眼鏡を借りて覗いていた総守護が叫ぶ。

 運河の水はトカゲ神の神威で浄化されたとはいえ、つい最近まで毒に晒されてきた。
 水中植物も動物もまったく存在しないので非常に澄んで美しいが、大量の無機物を含んでいる。
 飲用にはまったく適していない。
 飲めばたちまち腹痛を起こし、最悪死に到るであろう。

「止めねば、水を飲んでしまいます」
「……、いや。だいじょうぶ、神さまが止めた」

 取り戻した遠眼鏡で様子をうかがい、神官戦士達が飛び出そうとするのを強く制止した。
 このくらいの世話は神様がやってくれるだろう、と見切っての試練だ。

「神が、王姉妹様方を御護りくださると、そう仰られますか」
「親切なヒトだよ、金雷蜒神さまは」

 総守護は押し黙り、再び監視を続ける。
 ただひたすらにガモウヤヨイチャン様を信じよう。
 それ以外に王姉妹を救う道は無い。

 神官戦士にとって神とは、近寄り難く恐ろしく、どのように理解するかも分からぬ深遠な、
ヒトを省みる事無く無慈悲に時を進めていく絶対の運命、と理解されている。

 今はこの人こそが、神。運命を司る存在。

 

     *****

 王姉妹は金雷蜒神に阻まれて水に近付けず、運河の脇をただ歩いて行く。
 そろそろ日も高くなり、暑さを感じる時刻だ。
 常日頃宮殿内に閉じ篭もる高貴な女人には堪えるだろう。

 監視をする方も楽ではない。
 砂塵の舞う荒れ地に寝そべり、見つからぬように延々と見守り続けるのだ。
 砂埃を吸ってイヤな咳をする者も居る。まだ毒が残るのかもしれない。
 日に炙られて、身体が熱を溜めた。

 見かねてミィガンが傍に寄り、耳打ちする。

「ガモウヤヨイチャンさま、少しはお休みください。他の者も順次交代して休ませます」
「でも、今にもやらかしそうだし」
「あなたがお休みになられなければ、他が休めません。範を示してください」
「ちぃー」

「お一人! 倒れられました!」

 そら来た、と遠眼鏡を構える。
 朝方とはいえ2時間も直射日光を浴びれば、そりゃ倒れもするだろう。
 だがこの程度で出ていっては試練にならない。

 神官戦士達は救援の命令が出ぬのを気を揉んで焦っているが、

「なんと! 金雷蜒神様が日陰を作ってくだされます。
 その御身体節に王姉妹様方をお隠しになられました」
「だろう」

 と弥生ちゃんはうなずいた。
 だから心配する必要なんてないのだよ、と何度も言ったのに誰も聞きゃしない。

「次は霧でも吹くんじゃないかな。
 運河の水は神さまには毒ではない。雷で気化させて霧を作れば、温度も下がるし」

「白い煙が、いや、あれは、霧でしょうか!」
「だからさあ、」

 ミィガンが再度耳打ちした。

「ガモウヤヨイチャン様、やはり貴女はお節介すぎます」
「うむ、……。」

 

 

 結局、王姉妹がギジジットに帰還したのは4日目だった。

 最後の日はすでに城内からその姿が見えており、
誰もが飛び出していこうとするのを各部署の責任者が必死で留める。
 結局は王城外周の運河水門前で、全員打ち揃ってのお出迎えだ。

 荒野をひたすら歩いた疲労から2人が動けなくなり、金雷蜒神の背に乗っての入城となる。
 さすがに神さまにここまでされると、彼女達も弥生ちゃんの心底を理解する。
 感謝の心を取り戻したが、
それでも神聖宮に辿りつくと弥生ちゃんの前にひれ伏して、聖蟲の返還を懇願した。

 もちろん弥生ちゃんは快くハリセンから聖蟲を取り出して、それぞれの額に戻す。
 後は押し寄せる神官巫女その他大勢の祝福の波から脱出するのに往生したのだった。

 フィミルティが持ってきた濡れ手拭いを額に乗せて、カベチョロごと冷やしながら言った。

「救世主てのは、どうにも疲れるなあ」

 

 

【神官戦士】
 神官戦士とは、十二神殿を守護する警備員である。
 特定の神殿に所属するのではなく十二神殿全体を守る者だが、「武・契約」を司るカブトムシ神殿と「監査」を司るカニ神殿の指導を受ける。
 信仰の守護も行っており、十二神信仰を損なおうとする破壊分子などを追討する事もある。
 またニセ救世主を捕縛する権限も持つ。

 集団での戦闘を前提とする正規の軍隊には敵わないが、個人の武技に重きを置く伝統を持つ。
 思わぬ武術の達人が所属している事もあり、武術教師をしている者も少なくない。
 褐甲角神救世主初代武徳王「クヮァンヴィタル・イムレイル」は神官戦士の家系の出身である。

 学識も高い者も多いのだが、神官と違ってギィ聖符で書かれた経典を読む事が出来ない。
 その為、正規の神官に対して一歩引く形となる。

 なお、各神殿は業務に合わせてそれぞれ職能集団を抱えている。
 トカゲ神殿の薬草取りや、コウモリ神殿の墓掘り人などだ。
 彼らも自らの権益を守る為に集団で暴力を振るう事がある。
 広義の神殿警備員と呼べるだろう。

     ***

 神都ギジジットにおいては、神聖宮自体がゲジゲジ神殿の総本山であるから、特別な警戒体制を取っている。
 金雷蜒王国正規の兵、王姉妹が召し使う暗殺者集団、およびゲジゲジ神殿直属の神官戦士だ。
 それとは別に、王都全体の十二神殿を守護する神官戦士団も組織される。

 「神殿総守護」とは、外部の神官戦士団の実働部隊の総指揮官だ。
 人員の規模から言うと、軍隊の大剣令に相当する。
 神聖宮の神官戦士団の長「宮内守護」の方が格が上となるが、直接の指揮命令系統には無い。

 ギジジット全体の防衛は東金雷蜒王国正規軍の管轄で、ちゃんと将軍職も存在する。
 神官戦士団は警察業務を通常行っている。

 

第五章 ギジジット神聖宮にては  (仮
 (旧題「弥生ちゃん、頑に拒む暗殺者を無理強いに下僕とする」)

 かくして王姉妹ゲジゲジ神官巫女、その他奴隷達に仁慈を垂れた弥生ちゃんだが、
その網に漏れた者も居る。

「ここに来るまでに巻き添え食って亡くなった奴隷や一般兵たちが三十人ばかし居るもんでね。
 あなたたち暗殺部隊に対しては寛大になるわけにはいかないのよ。」

 王姉妹が召し使うギジジット直属の暗殺部隊「ジー・ッカ」(”爪刃”という伝統的な暗殺武器の名、”卑劣”をも意味する)
の長を召し出した弥生ちゃんは、2メートルも上の壇に据え付けられた王姉妹の椅子に座って面談する。

 黒色の礼服を身に着けた彼は年齢不詳だが思ったよりも若く見えた。
 この部隊の構成員は、聖山東側に棲み紅曙蛸巫女王国以前の未開の風習を今に伝える「ネズミ族」の一派から特に呼び集められると聞く。
 彼はその族長の係累であろう。
 血族を重視しない十二神方台系においては「ジー・ッカ」は珍しい集団である。

「とはいうものの、あなたたちを皆殺しにする、などは無い。
 やっても構わないが、どうせ方台中の至る所に草を忍ばせているのだろう。復讐がめんどくさいだけだ。」

「草、とはなんでございましょう。」
「私の世界で言う、現地に長年何世代も住み着いてまったくの普通人に見せかけながら、命令があればいつでも組織の為に働く工作員の家系のことだよ。
 居ない、とは言わないよね。」
「     。」

 秘中の秘である。
 十二神方台系にはもちろん忍者小説のたぐいはまったく存在しない。
 故に刺客や密偵などの暗黒面の知識に詳しい者は、一般読書人や表で働く官僚、神族や黒甲枝にもほとんど無い。
 それを、救世主を名乗るこの小娘は当たり前のように指摘する。

 弥生ちゃんは、手元の資料の葉片をちろちろと眺めながら、冷たく話し続けた。
 額の聖蟲、青晶蜥神の化身である「ウォールストーカー」は赤く燃える舌をちらつかせ、暗殺者の長を睨み続ける。
 二人の間には狗番のミィガンが盾として立ち塞がり、いつでも斬れるよう腰の刀に手を掛けている。
 左右には護衛兵が十名ずつ並び、しかも抜刀状態で警戒している。

 弥生ちゃんはちろと目を戻し、彼を見る。
 暗殺者を束ねる者だけあってその表情にはまったく色が無い。
 無論必要があればいかなる友好的な表情でも乗せて見せるだろう。

 資料から指を戻し、傍らのカタナを掴んで鞘の鐺で石の床を突き、ガシャンと音を立てる。
 これはギジジットで始めた習慣で、以降弥生ちゃんの言葉は命令として機能する、というサインだ。

「処分を幾つか言い渡す。
 その一、以降ギジジットの暗殺集団「ジー・ッカ」は金雷蜒神聖王族および王姉妹にのみ仕え、その命令に従い、それ以外の者の命を拒絶すること。
 この意味分かる?」

 暗殺者の長は慎重に考えて、分からないと答える方が良いと判断した。
 現状維持以外の何物でもない。
 またこの命令に従うとは、目の前の青晶蜥神救世主にすら逆らえとの意味ではないか。

「これが罰則として理解出来ないなら、現状分析がなってないぞ。
 従うのならトカゲ神王国にした方が絶対に得だ。
 またこれから乱世になるわけで、あなたたちの技術と才覚をもってしたら小王国くらいは手に入るかもしれない。
 それは許さぬ、ということだ。

 技術を他に売る事も許さん。
 あなたたちは王姉妹にのみ従い、王姉妹の為にのみ人を殺す事を許される、そういう事だ。」

 弥生ちゃんの言には、当の「ジー・ッカ」の長よりも周囲を固める護衛兵の方が感嘆した。
 時代が大きく動く事は、彼らも漠然と理解していたが、今救世主が自ら世界の行く末を決めていく姿を目の当たりにした。

 弥生ちゃんは王姉妹の力を限定し、固定する。
 ギジジットの力をギジジット自身の防衛にのみ集中させ、世界全体を動かす因子を一つ削ぎ落とした。

「二番目は、ひとり人間をもらおう。
 暗殺や謀略に詳しく、裏社会の事情に通じた者。
 私よりもわたしの随員の方が暗殺には弱いのでね、彼女達を守る要員が必要だ。

 そうね。……腕も実績もある、頭も良く知識も深い。
 でも原理主義的で頑に王姉妹への忠誠を守り他の価値観を受け付けず、上役の命令であっても曲がったことには従わず、扱いに困り昇進が遅れてる。
 こんな感じの奴がいい。居る?」

「ございます。チュバクのキリメと申す男が、まさにそのような者でございます。」
「それを説得して、忠誠の対象を私に切り替えること。むずかしいだろうけれど。」
「心得ました。」

「三つ目は情報だ。
 方台中の裏事情をギジジットに集積しているだろう。それをもらう。特に褐甲角王国について知りたい。」
「かしこまりました。」

「四つ目は、芸を見せてもらおう。」
「芸、でございますか?」

 長はここで初めて不審に思う。
 暗殺者の芸と言えば、もちろん人殺しの技であろうが、そのようなものを貴人が鑑賞するというのか。
 歴史を紐解いてもまったく例が無い。

「要するに、手の内を明かせ、という事だよ。
 チュバクのキリメとやらを貰い受けるとしても、わたし自身も知っておきたいものでね。
 イヤだと言うのなら構わんよ、部隊全員の両手の親指をもらおう。そのくらいの価値はあるでしょう。」
「   かしこまりましてございます。」

「じゃあ、明日から。下がってよろしい。」

 促され、護衛兵に追い出される彼は、扉の向うで狗番が弥生ちゃんに猛烈に抗議する姿を見た。
 あの人の狗番となるのは並み大抵の覚悟では務まらないだろう、と他人事ながら同情した。

 

     ***** 

「やはり、違うね。」

 翌日から1時間半のスケジュールを空けて行われた「ジー・ッカ」暗殺技の披露には、弥生ちゃんだけでなくギィール神族キルストル姫アィイーガ、狗番達、
蝉蛾巫女フィミルティ、神官戦士の責任者、護衛兵の責任者等々が集められ、
一つ一つ解説付き質問有りで行われた。
 技は丁寧に記録され、後に「ジー・ッカ暗殺教本」なる書物となり、歴史上初めての武術書として世に伝えられる。

「ガモウヤヨイチャンどの。やはりとは、そなたと我々とでは人体の作りが多少違うという、アレか?」

 アィイーガは弥生ちゃんがハリセンを使って人を癒やす際に、毎度口にする言葉を覚えていた。

 ハリセンは重傷者に対しては静的な組織再生のみならず、人体を分解しての修復をすら行う。
 狗番のミィガンもガムリハンにおいて魔法的な手術を受けた。
 その際に人体の構造を観察した弥生ちゃんは、地球の人間とは臓器の配置が若干異なる事を看破した。
 なにか見知らぬ臓器も有る。

 その後も何度か同様の手術を行い、様々な臓器の内部を観察したが、やはり異なる。
 構造が違えば機能も違う。
 弥生ちゃんには生理現象の違いが十分に理解出来ず、手当てに齟齬が生じるのは否めない。

 人殺しの技は、人体の構造と生理、反射と習慣とを長年月に渡り考証した末に確立する。
 見落としを気付かせるところが多かった。
 一見不条理非合理的に感じられる技も、細かく分解して解説させると、なるほどと思わせる論理的な裏付けがある。
 表面しか人間を観察しない異界よりの訪問者では、絶対に気付かない知恵がそこにあった。

「でも悪趣味ですよ。こういう、いかに簡単に人を殺すか、などは一生見なくても困らないとは思いませんか。」

 蝉蛾巫女フィミルティはさすがに殺伐とした見世物には耐性が無く、口元を押える事が多かった。

 狗番達、ミィガン、ファイガル、ガシュムには参考になったが、違う世界を覗いてしまった悔いもある。
 神族を暗殺する為の、どうやっても狗番では防げない技が多数出てきたからだ。
 万全を尽くせないと知るのは、責任有る者にとっては苦痛でしかない。

 結局技の公開は4日間で終了し、応用編を見る事は無かった。
 為に「ジー・ッカ暗殺教本」は基礎編・術技編しか作成されず、更に深い奥義は歴史の闇に埋もれてしまうのだが、
そんなところにまで弥生ちゃんは責任を持てない。

 

 その間、「ジー・ッカ」の長と隊長達は、チュバクのキリメの説得に当たっていた。

 案の定彼は頑強に抵抗し、忠誠の対象を王姉妹より換える事を拒絶する。
 いかなる弁舌も命令も脅迫でさえも受けつけない。
 そういう人間だからこそ信頼に値すると選んだのだ。
 でも結局、弥生ちゃんが直接説得するしか方法は無い、と泣きついて来た。

 最後の説得は神殿に付属する円形劇場、直径30メートルほどの瀟洒で明るい広間で行われた。

「青晶蜥神救世主の、天河で定められし神の計画に従い民草を救わんとする聖行の為り難きを、汝も心得ぬではあるまい。
 身辺を堅固に護る必要を改めて説かぬ。持てる技を用いて供奉するのみじゃ。
 だのに何故、命に従わぬ。」

 ゲジゲジを再び戴き公務に復帰した王姉妹達も、説得の場に同席した。
 彼が忠誠を誓う王姉妹の命であれば、さすがに従わざるを得ないであろう。

という目論見は、だが頑固者には通じない。
 死を賜って忠誠を証す方がはるかに楽だ、と言わんばかりだ。
 4人の王姉妹がそれぞれに言葉を与えるという栄誉に浴したからには、最早この世に思いを残す事も無い。

 遂には誰もが音を上げ、正面に座る弥生ちゃんに顔を向ける。

 神都の主である王姉妹、至尊の神の顕身と通じる神族のアィイーガ、
日頃は顔を仰ぎ見る事すら叶わぬ高位の神官、「ジー・ッカ」の長、といったお歴々が一段高い客席の円壇に座を構え、
それぞれの狗番や護衛が主人の下にきらびやかに立ち並ぶ舞台の中央に、

4人の護衛兵に挟まれたチュバクのキリメは、ひたすらに面を冷たい石の床に伏せる。

 彼はこの広間に通されて2時間、未だ顔を上げる事を許されていない。
 数々の説得の言葉に恐れ多くも拒絶の意志で応じ続け、ようやくに青晶蜥神救世主の言葉を聞く。

 

     *****

 彼の耳に届いたのは、伝えられる年齢に比して高くもなく低くもなく、よく徹り石造りの劇場全体に心地好く反響する、
されど自分に覚悟を問う、強い意志を帯びた女の声だった。

「つまり忠誠というものは自ら誓うものではなく、運命によりそれぞれに定められており、都合により対象を換えるなどはできない、んだね。」
「……はい。」

「誰かに仕えるのではなく、天に定められこの職にあり、損得を超越して運命として生死を賭ける。
 その結果がどうなろうとも、自らの意志は関係無い。
 ただ要求されるものを実現するための不断の努力を怠らないだけ、と。そう言うのだね。」
「はい。」

「神に等しい王姉妹や、千年に一度しか現われない救世主の命といえども、運命を覆す事は出来ない。
 いや運命だからこそ、自らの忠誠の強さ固さを示さねば、生きて死ぬ者としての一分が立たぬ。それがあなたの哲学なのですね。」
「そのようにご理解頂けると恐縮であります。」

「致し方ないなあ。」

 弥生ちゃんは、周囲の人の顔を見る。
 王姉妹の一人、最も歳の若いギジメトイス七数妹が三人の姉に換って再度説得の言葉を与える。
 王姉妹は下々の者に命令を下す際には、一番若い者が代表して伝える慣習が有る。
 今回も彼女がほぼ一人で喋っている。彼女は未だ42歳である。

「汝、自らが如何に晴れがましく栄誉有る位置にあるか、まだ弁えぬか。
 名乗りを上げる事さえ許されぬ卑しい働きの奴隷に、世々伝えられ詩にも数えられる役目を賜らんとするのだ。
 万年望んだとてもあり得ぬ珍事ぞ。」
「ひらに、ひらにご容赦を。」

 床に額を擦りつけ王姉妹の命にさえ逆らう彼の姿に、こいつ死ぬ気だな、と悟った。
 これほどまでの説得を受け、それでも譲らぬとあれば、以後仕えるなど出来はしない。
 「ジー・ッカ」の組織においても、ギジジットの秩序からしても、彼が生きて在る事は許されまい。

 弥生ちゃんは左手で自分の頬をするりと撫でる。
 背後に居たゲジゲジ巫女に合図して、香料の入った冷水をもらう。
 金の盃に花を浮かべた水を一口啜り、また返し、
腰の後ろに束さんだハリセンを引き抜いて膝の上に横たえる。

「面を上げなさい。」

 周囲の者がはっとして弥生ちゃんの顔を見る。
 最終的な結論、この場合は彼に死を賜うことにしかなりえない、が言い渡される覚悟する。
 チュバクのキリメも同様に理解し、神妙に顔を上げる。

 彼は、極めて普通の顔をしている。年齢は40歳前後。
 霊薬エリクソーを服用する王姉妹やギィール神族とは異なり、この世界の一般人が老けるのは早い。
 「ジー・ッカ」の正装である黒衣を脱いで一般奴隷の服を着れば、どこの市場に居ても誰にも気を留められない。
 日々の生業に疲れた生活者以外には見えない。

 戦闘力のかけらも感じさせない凡庸な容姿である。

「ほお。」

 やり手だな、と弥生ちゃんは感心する。
 なるほど、真の暗殺者とはこういう顔をしているべきなのだ、と得心が行った。
 市井に溶け込み誰にも覚えられず、忍び込んでも怪しまれず、追う者もなく危うい目にも遭わずに戻る事が可能であろう。

「最後に問おう。つまり、生きて死ぬ者であれば、生きてる間は運命に従わざるを得ない。
 死んで後はどうするね。」
「それは死んだ後に考えまする。」
「うむ。ではそのように。」

 弥生ちゃんは手の中のハリセンでポンと自分の膝を叩き、そっぽを向く。
 円形劇場に居る全ての者が、死刑宣告であると理解した。

 チュバクのキリメは再び額を床に擦り付けると、どこからともなく刃渡り5cmほどの骨のナイフを取り出した。
 骨のナイフは古代に使われていたもので、金属の包丁が手に入らない貧家では今も調理に用いている。

 円形劇場に引き出されるまで5度も身体検査を受けた。
 木のボタンでさえも取り上げられた彼が、どこにそんなものを忍ばせていたのか。

 躊躇なく遅滞無くナイフを自分の首の左に突き立て、一気に頚動脈を切断する。
 切れ味の悪い刃では思い切りが悪いと肉に拒まれ凄まじい苦痛を伴うのだが、彼のナイフ裁きは練達神技。
 これで何人も屠ってきたと物語る。

 自分の血が噴出して敬愛する王姉妹に飛ばないように、服にて覆いとする気配りをすら見せた。

「気に入った!」

 彼との間の空間12メートルを1歩半で飛び越えた。
 手にするハリセンを左に揮う。
 張り飛ばされた男は大きく放り投げられ、劇場の壁に激突した。

 青い光が彼とハリセンとの間に名残のように数本糸を引き、
磨かれた石の床に飛び散った血が光に巻き上げられて身体に還っていく。

 護衛兵が円壇を乗り越え観客席に落ちた彼を引き起こすと、既に首の傷は跡も残さずに完治していた。
 ただ衣服に着いた血の跡が、現実であった証しとなる。

 骨のナイフを取り上げられ、再び下の舞台に引きおろされたチュバクのキリメ。
 まだ何が起きたのか理解出来ない。
 席に戻る弥生ちゃんの後ろ姿を呆然と見詰めていた。

 

     ***** 

「次はどちらに参られますか、ガモウヤヨイチャンさま。」

 遂に、弥生ちゃんは旅に戻る事を決めた。
 引き止める声も多かったが、救世主の到来を待ち望む人が十二神方台系中に溢れているのは誰もが知っている。
 「ギジジットでやるべきは全てやった」と弥生ちゃんが口に出したからには、諦めざるを得なかった。

「北へ行こうかと思うんだ。」

 アィイーガ、フィミルティ、狗番達と、今後の計画を練る会議がこじんまりと行った。
 弥生ちゃんが使っている部屋の一つで、バルコニーには小さな緑園が設けられて温室もある。
 爽やかな風が吹いている。
 浄化された毒地には、命が芽生え香りがわずかに変わってきた。

 アィイーガも金雷蜒神と交信する役割を王姉妹と交替し、ほぼ完全な体調に戻っている。
 役目が終ると、最早ギジジットに用は無いと思い始めるのも早かった。

 神族の女性が普段着用する金糸で彩られた紗のローブを纏い悠然と腰かける。
 なんだか女王様のようだと弥生ちゃんは思った。
 彼女はギジジットで明らかにステータスを上げた。

「東金雷蜒王国の首都ギジシップ島に行って金雷蜒神聖王に会うのも悪くはないよ。
 でも、褐甲角王国の状況を早く確認したくてね。
 特に、毒地が浄化されたことで彼らがどのような手に出て来るか、早急に見極めなくちゃいけない。」

 皆うなずいた。
 今懸念されるのは、毒地が通行可能になることによって発生する衝突と戦闘だ。
 褐甲角王国がどの程度の規模の戦争を企図するかは、ギジジット防衛においても重要な情報である。

「ならば、ウラタンギジトに行くのが良い。
 ウラタンギジト金雷蜒神の神殿都市で、褐甲角王国との外交折衝の舞台でもある。
 西金雷蜒王国の使節も常駐しているから、金雷蜒神新生の経緯を東西の王宮に説明するのにちょうどいいだろう。」
「ウラタンギジトと褐甲角神殿都市「エイタンカプト」は「神聖街道」を挟んだ東西にあり、聖山のふもとでございます。
 神聖神殿都市の大神官さま方とも会見なされた方がよろしいと存じますよ。」

 蝉蛾巫女フィミルティは、巫女らしくさりげなく聖山を立ててみせる。
 が、弥生ちゃんにはすこし解せない点がある。

「ね、なぜわざわざ『神聖・神殿・都市』って強調するのかな。神殿ならば神聖でしょ。」

 アィイーガがヤムナム茶を啜っていたのを下ろし、微笑んで教えた。

「ガモウヤヨイチャンどのには分からないだろう。「神聖神殿都市」はまったく神聖ではないのだ。」
「どうゆうこと?」
「あそこには聖蟲が一匹も居ないのだよ。」
「ああ。」

 聖蟲は、金雷蜒褐甲角の両王国の神聖王族のみが与える事が出来る。
 聖戴の儀式や資格の審査に、十二神の神官組織はまったく関与しない。

「十二神の名を借りて民に奉仕するのは、紅曙蛸巫女王国時代に始まった。
 ッタ・コップが有り余る富を民衆に還元する為に、日常の便宜を図る専門家を育成したのだな。
 神聖金雷蜒王国時代には彼らも奴隷として仕えたが、その中枢が地上にあるのは目ざわりなので、山奥に追放したのだ。」
「ですが、これから参られます救世主様の聖業を助けようと待機しているわけですから、神聖には違いないのです。」

 フィミルティはアィイーガに対して一歩も退かない。そこらへんが、神官巫女の矜持という奴だろう。

「そうです。なによりもまず聖山の青晶蜥神最高神官さまに、ガモウヤヨイチャンさまはご報告に上がらねばならないのでした。」
「無用無用。第一、これまで青晶蜥神殿はガモウヤヨイチャンどのの助けにはなってないだろう。」
「ですが!」

 二人が際限無く言い争いそうなのを抑えて、弥生ちゃんは宣言する。

「ともかく北へ参ります。
 ウラタンギジトにおいて金雷蜒神新生の報告をして、ギジジットの今後を東金雷蜒王国のしかるべき責任者と話し合う。
 褐甲角王国のお偉いさんとも会談して、聖山の神官に青晶蜥神救世主降臨の公式発表をさせます。」

「決まりだな。ファイガル、ガシュム、出立の準備だ。」

 

 ウラタンギジトに向かう、と聞かされた神官長は、それならばと神官団を同行させる事とした。
 弥生ちゃんがギジジットで行った全てを、王都ギジシップ島のみならずウラタンギジトにも高位神官が出向いて報告せねばならない。
 神殿都市には宗教面を司る「神祭王」と呼ばれる人が居て、神聖王に次ぐ権威を有しているそうだ。

 報告、と言われれば同行を断る事は出来ない。
 神官団の団長は、王姉妹の試練で弥生ちゃんと共に働いたギジジットで三番目に偉い神官だ。
 神官戦士団が100名護衛として付くのも決まった。さらに人足の奴隷も倍で。

「あのねー、そんなに大勢で行ったら褐甲角王国を刺激するでしょ。」

 弥生ちゃんは難色を示すが、人数も格式の内だと譲らない。
 これはあくまで神官団の護衛であり救世主様の為ではない、と詭弁を持ち出されて止められなかった。
 神聖街道に到るには、途中必ず褐甲角王国の領土を踏まねばならない。
 軽武装の神官戦士であれば暗黙の了解があって通れるが、神族であるアィイーガや狗番はなかなかに難しいとも教わった。

「いや、付いていくよ。当然だ。」
「主から言い遣っておりますから、ガモウヤヨイチャン様がお出でになられればどこにでも付いて参ります。」

 アィイーガもミィガンも、退く気はさらさら無い。
 そもそも褐甲角王国の法は弥生ちゃんには適用されないのだから、その随員である自分達も法の適用外だと強弁する。
 同行してくれるのは心強いが弥生ちゃん、例のようにウラタンギジトで何をするかまったく考えてない。
 彼らを連れて行ってどう転ぶか、見当もつかない。

 

「ガモウヤヨイチャン様、お目通りを願っている者が御座いますが、いかが致しましょう。」

 結局チュバクのキリメは弥生ちゃんの警護役として随員に加わった。

 彼は、一度死んだ者として戸籍を処理され、「ジー・ッカ」からも除籍された。
 自由身分、と呼べば体裁も良いが、金雷蜒王国において「自由」とは逃亡者落伍者追放者を意味する。
 殺しても罪に問われない哀れな身の上だ。
 弥生ちゃんの奴隷、という名目ならばまだ身分の保証もあったが、自らが拒んだのだから仕方ない。

「誰?」
「旗持ち役です。彼も随員に加わる事を願い出ております。」

 ギジジットを制圧した弥生ちゃんは、ゲジゲジ神官の勧めに従って王旗を作った。
 「ぴるまるれれこ」の人頭紋、弥生ちゃんの制服の左胸に刺繍された青い頭の宇宙人の顔、をそのまま拡大した。
 一辺2メートル、水色正方形の旗だ。
 これがあるところ弥生ちゃんの本陣を表し、格式は金雷蜒神聖王、褐甲角武徳王と同等である、らしい。

 のだが、その旗持ちをてきとうに選んだのが間違いだった。

 軍旗を掲げる専門のバンド(職業カースト)があり、
その中でも王の旗を掲げるのは最高の名誉として、最上位の家系にのみ許されるという。
 まして千年に一度の救世主の旗を持つとなれば、末代までの誇りとなる。
 青晶蜥神救世主の叙事詩にも謳われるとくれば、一度掴んだ栄誉を手放すまいと必死になるのも仕方がない。

「……ダメだ、と言ったら、どうなるかな?」
「死にます。」
「だろうね。」

 致し方なく、旗持ちの奴隷シュシュバランタも随行を許された。彼は身長190センチで肥満質の巨漢である。

 

     *****

 どんどん膨らんでいくウラタンギジト行きの隊列は、結局総員300名、イヌコマ50頭、ネコ5匹の大行列となった。
 途中まで舟で運河を行くのだが、ここまで増えるとピストン輸送で何日にも分けて出発せなばならない。
 先遣隊を出してベースキャンプを整えさせた後に、弥生ちゃん本隊が出立する手筈となった。

 

 明日はギジジットを立つ夕方、弥生ちゃんは再び高塔の上に居た。
 陽は未だ高く空もまだ色を変えていないが、日差しが和らいで過ごし易くなってきた。

 十二神方台系は夏に向かう。
 弥生ちゃん正直言って夏場は弱い。荒野の炎天下を旅しなければならないのは、さすがに躊躇するところ。
だが、世界が自分を待っている自覚から、すでに心はイヌコマの背にある。

 背後にある櫓がガラガラと鳴り、下から籠を巻き上げている。
 神聖宮殿の上に聳える塔には水力を利用したエレベータが据え付けられていた。
 扉が開く音がして、振り向いた弥生ちゃんの前に4人の長身の女性が立っていた。

 ギジメトイスの娘達。金雷蜒神への忠誠を新たとし、ギジジットの主としての風格を取り戻した王姉妹だ。
 弥生ちゃんも彼女達も従者を伴わず、本人達だけでの会談になる。

「よくおいでくださいました。」

 弥生ちゃんがにったりとネコのように微笑むと、王姉妹も礼をする。
 聖蟲を戴き人に頭を下げるのを恥とする金雷蜒神族には独特の礼儀作法がある。
 すっと膝を折るだけだが、それすらも彼女達は神聖王と上の代の王姉妹にしかした事がない。

 慣例として、ギジメトイス七数妹が代表して話し掛ける。

「青晶蜥神救世主殿、重大な相談とは、やはり十二神に関ることであろうな。」
「はい。そして、貴女達にとても関係の深い事です。」

 弥生ちゃんは腰の後ろに右手を回し、ハリセンを引き抜いた。
 長さは30cm幅5cm厚さは4cm。
 青くサファイアの透明さを持ち雲母のように何層も重なり折り目は無い。板というより棒だ。
 用いようとすると不自然に形状を変え若干大きく長さ40cmになる。
 開くと更に拡がり直径1メートルの円形の盾にもなる。

 王姉妹は弥生ちゃんがハリセンを前に出したのをぎょっとして見詰める。
 このハリセンで聖蟲を取り上げられたのはつい先日の話だ。
 また取られる、と一人は額のゲジゲジを手で覆った。

 弥生ちゃんはまたにこっと笑い、ゆっくりぱたぱたとハリセンを開いていく。
 7段まで開いて扇型にすると、横たえて左手で下からぽんと叩く。

 青いハリセンの面に、いきなりゲジゲジが現われた。
 金色の身体13対の肢、赤く輝く双眼二股の尻尾。
 王姉妹は誰もが息を飲んだ。

「……ゴブァラバウト上数姉の!」
「さすがに分かりますか。貴女達の聖蟲をハリセンに取り込んだ際に、なぜかもう1匹そこに居たんです。
 たぶんそうじゃないか、と思ってました。」

 一番年上のギジメトイス二数姉が、直接話し掛けた。

「確かに上数姉の聖蟲だ。あの時一緒に天空に飛ばされたはずなのに、何故。」

 弥生ちゃんはハリセンを伸ばして、ゲジゲジを王姉妹の方に差し出した。
 ギジメトイス二数姉はうやうやしく聖蟲を両手で受けとる。
 白い掌の上で、ゲジゲジはくるくると周囲を見回した。

「この聖蟲は、私が十二神方台系に招かれて最初に会った生ある物です。
 白霧の中、道を教えてくれました。
 私がこの世界に好意を抱いたのは、最初にこのゲジゲジと出会ったから。過言ではありません。」

「ああ……。左様であるのか。
 我らに対しても敵意を示さず、ただ天の定めるままに力を揮われたは、この聖蟲が救世主殿をお導きくださったからか。」

 王姉妹達は自然とゴブァラバウト四数姉の聖蟲を囲むように集まった。
 涙は無い。彼女達にとって、真の肉体とは各々の聖蟲の体節である。
 宿主が死ぬと、聖蟲も肉体から離れやがて巨きなる金雷蜒神の元に還っていく。
 ゴブァラバウト四数姉の骸が見つからなくとも、聖蟲が居れば弔いの儀式は滞り無く行える。

「これがいつ私のハリセンの中に飛び込んだのかは、まったく分かりません。
 それ以前に何故あの時、もう4ヶ月前になりますが、あの場所にこれが居たのか。それを教えて下さい。
 時間を遡って飛び出したのは、その時分に貴女方が何かをしたからではありませんか。」
「4ヶ月前。いや、その頃は特にギジジットでは祭礼は行っていない。」

 弥生ちゃんは、青晶蜥神救世主としての責務を十二分に果たすつもりだが、この世界に骨を埋める覚悟はまだ持ち合わせていない。
 どうやって帰るかは、どうやってこの世界に来たかを調べれば自ずと判明する筈。
 手掛かりが欲しかったのだが、ギジジットは関係無かったようだ。

「むしろ、」

 と3番目の王姉妹がぽつんと喋り出す。
 王姉妹には変わった人格の持ち主が多いが、特に霊能に優れた者は人とコミュニケーションを取るのが難しい。
 ギジメトイス六数妹もそのタイプで、他の王姉妹よりも奇跡や神の力に対する感受性が強い。

「むしろ、未来に原因があるのではないか。」
「みらい?」
「おしだされたのであろ。上数姉の身体は過去に落ちた。だが、跳んだのは未来の力に押されたのだ。」

 真偽のほどは分からない。
 だが確かに、神の力で時空をねじ曲げる技が今後二度と発動しないとは考えにくい。
 妹の言葉を受けて、二数姉が言った。

「ご油断召されるな。不思議の敵は我らだけではないぞ。」

 王姉妹は、青晶蜥神救世主にとってはやはり敵である。
 全ての王国を終らせ新たな秩序を築かねばならない弥生ちゃんにとって、真の味方と呼べる者はほとんど居ない。
 居るとすればそれは。

 弥生ちゃんは王姉妹を頂上に残してエレベータの籠に乗った。
 呼び鈴の紐を引き、塔の下に居る作業員に合図して地上に降りる。
 一人籠の中で王姉妹の言葉を反芻していた。

「……この世界から私を排除しようとする力。それがあれば地球に帰れるのかもしれない……。」

 

 翌日、弥生ちゃんを乗せた大舟がギジジットを出発した。

 神聖宮の運河水門にはゲジゲジ・トカゲ・その他神官巫女、神官戦士護衛兵、
ギジジット全ての者が集まって青晶蜥神救世主との別れを惜しむ。

 金雷蜒神も見送りに下りてきたが、王姉妹は誰も来なかった。
 金雷蜒神聖王族はあくまで青晶蜥神救世主と対立すべき存在だ、と知らしめたのだろう。
 だが神官巫女の見送りを留めなかったのは、ほのかに感謝を表すものだったのかもしれない。

 舟は大きく「ぴるまるれれこ」旗をはためかせ、奴隷が漕いで運河を進む。

 金雷蜒神はゲジゲジ巫女を従えて運河の岸を付いて歩く。
 かって巨大だった自分の体節が円形の壁として取り囲む城市の端まで見送った。
 舟上の皆が立ち上がり礼をすると、二股に分かれた尻尾を振って金色の焔を吹き上げた。

 蝉蛾巫女フィミルティは、弥生ちゃんの傍らで神の姿を拝みながら言った。

「ガモウヤヨイチャンさま、カプタニア山の褐甲角神の顕身ともお会いになられますか。」
「うん、そうなったらいいなと思う。」
「此度のように、仲良くなれたらよろしいですね。」

「……そうだね。」

 弥生ちゃんは徐々に遠くなる金色の焔を眺め続けていた。
 巨大金雷蜒神との激闘がまるで歴史の彼方の遠い出来事に感じられる。

 あの闘いは、ギジジットに来るまでは想像もしなかったものだ。
 褐甲角王国は信に篤く正義と公正を旨とする国と聞くが、真の姿はどうだろう。

 今回以上の激戦が待っているのだなあ、との微かな予感を肯定するように、
頭のカベチョロが前足でおでこをちょんちょんと叩く。

 

 

第六章 プレビュー版トカゲ神救世主の恩寵(仮
 (旧題「偽弥生ちゃん、東金雷蜒王国にて人々を病苦から救う」)

 ギジジットにて巨大金雷蜒神を撃破し毒地を浄化して十日、弥生ちゃんは書状を言付けた。
 首都ギジシップ方面に帰還する補給隊に、東岸を巡業するタコ巫女ティンブット宛だ。
 彼女は現在、偽弥生ちゃんこと「プレビュー版青晶蜥神救世主」を伴って撹乱行動を行う。

 書面には、

「……とまあそういう訳で、私達はギジジットを出ると西には向かわずに、北のボウダン街道に出ると思われます。
 ギジェカプタギ点より先の褐甲角王国領に直接出るはずです。
 貴女は偽弥生ちゃんを連れて1ヶ月後にそこまで来ていて下さい。あらかしこ」

 つまり弥生ちゃんは、アィイーガやフィミルティに相談する前にウラタンギジト行きを決定していた。
 いや毒地の旅に出る前、ティンブットと最初から打ち合わせている。
 彼女の夫である「蜻蛉の隠者」、弥生ちゃんに最初に出会う事を宿命漬けられた男は、
北の聖山に赴いて申請神殿都市の最高神官達に「救世主降臨」の報告をしに行った。

 そろそろ宗教勢力のリアクションが有るはず。
 ティンブットも夫に会いたいだろうと、なるべく早い時期の北方行きを考える。

 

 手紙をティンブットが受け取ったのはそれから更に10日過ぎ。 
 ガムリハンから150キロも北上していないジュータンバ市、大三角州の出口にあたる大きな港にあった。 
 ここの西方山間に少し入った所が、
キルストル姫アィイーガが所属していた寇掠軍『シンクリュアラ・ディジマンディ(救済と回復の霞嵐)』の本拠地である。

「来た! 来ました! ガモウヤヨイチャンさまは御無事です。 
 いえそれどころか、ギジジットにてなにやら、
 ……なにやら、
   ……、……なにやらどでかいことを、やらかしてしまってます、ね。」

 書状の封板を大急ぎで紐解いたティンブットは、弥生ちゃんが直々に書いたテュクラ符の文面を食い入るように眺め、
その後具合を悪くしてその場に倒れた。
 プレビュー版の巡業隊に加わって事務手続きの一切を任されたトカゲ神官は、
ティンブットの介抱をトカゲ巫女に任せて自分も手紙を読み、同様に貧血を起こしてその場に崩れ落ちた。

「おお、なんということだ。その場に居なくて良かったというか、
 青晶蜥神救世主様はまさしく神人であらせられるが、 
 だとしてもそれはさすがに、天も驚く所業と言うか、」

「いったい何事です。この間の地震以上に驚く事がございますか。
 気をしっかり持って下さい。」

 彼を助け起こしたのが、件の「偽弥生ちゃん」トカゲ巫女見習いのッイルベスだ。
 彼女は未だ修業中の16歳。とっくに髪色が変わる歳にも関わらず未だ真っ黒髪で、ゆえに弥生ちゃんのニセモノに選ばれた。
 身長もほぼ同じ「公称150センチ」。
 髪型を弥生ちゃんに似せ先細りのトカゲの尻尾ヘアにしたので、ちょっと見ではティンブットでも見間違える。

 神官は告げる。

「その地震だ。 
 あれはガモウヤヨイチャン様がギジジットに御わす金雷蜒神の地上の顕身の御力をお借りして、
 毒地全体の毒を浄化した際の已むを得ぬ仕儀だと、書いてある。」
「! あれが、ガモウヤヨイチャンさまの。」

「それどころではない。
 それに先立ってガモウヤヨイチャン様は、恐れ多くも畏くも、身の丈1里を遥かに越える巨大な御身体節の金雷蜒神と、 
 ハリセンにて対決し激闘の末にこれを撃破した、と書いてある……。」

「   ふう。」

 ッイルベスも気絶した。

 

     *****

 プレビュー版青晶蜥神救世主とは、弥生ちゃんがギジジット行きの意図を眩ます為にこしらえた陽動の具である。
 が、まったく無意味なものでもない。

 そもそも救世主なるものは、世界を、方台人間社会を再編し旧悪を打ち破り新たなる王国を築いて民草に次なる時代を示す、
実におおげさな存在である。
 であるから、下層の大衆とは縁がないと普通は思う。
 やはり神族や神兵、額に聖蟲を戴く者。あるいは高位神官や偉い役人、町の分限者のみが対面を許される。

 さらに言えば、彼ら支配層は民衆が直接救世主と接するのをよしとしない。
 やはり神秘神威は高く険しい所に奉り、神聖秩序に基づく難解な礼法を経ずしては触れないのが有り難い。

 これは良くない。と考えるのが弥生ちゃんだ。

 また不用意に救世主を名乗ると、これまで数多現れた「ニセ救世主」と同様に扱われるかもしれない。
 彼らは世を乱し人心を惑わす者として尽くが火炙りに処された。
 金雷蜒王国褐甲角王国いずれにおいてでもだ。

 民衆に救世主降臨の期待を与えながらも、現地行政当局にはよしなに協力を求めるために、
その予告としての「プレビュー版」は重要である。

 ましてや青晶蜥神「チューラウ」は医術を司る神だ。
 その使徒たる救世主にも、神秘の癒やしを求めるのは当然。
 遠く南岸タコリティの街での奇跡の報せは、瞬く間に方台全土に広まった。

 長らく病に苦しめられた人々は今や遅しと到来を待ち望み、いや増す期待に逸る心にむしろ容態を悪くする。
 一刻も早く、不十分でも恩寵を授けねばなるまい。

 

「とはいえ、どうも、これはいけません。」 

 優れた舞姫であり紅曙蛸巫女王五代テュラクラフ・ッタ・アクシの発掘に立ち会い「聖女」と讃えられるまでになった、
かなりいい加減な性格のタコ巫女ティンブットは、
偽弥生ちゃんが乗る輿に文句を付けた。

「飾りが、足りませんか。」
「ちがいます。ガモウヤヨイチャンさまは、そもそも輿にはお乗りになりません!」

 十二神方台系には乗用の生物はほとんど無い。
 ギィール神族が用いる巨大なゲイルくらいで、貴人といえども奴隷が担ぐ輿あるいは重たい山車で移動する。

 千年に一度現われる救世主ともなると自ら歩くなど論外で、
 たとえ偽物であろうともその身を輿にて担ぐ事に、人夫達も喜びを感じている。

「輿でなければ、車を用意せねばなりませんか。」
「ちがいます。ガモウヤヨイチャンさまはちゃんと自分のお御足でお歩きになられます。」
「ですがそれでは我ら青晶蜥神に仕える者の分が立ちません。
 偽物といえども格式にはこだわらないと、人々の尊敬を集める事が出来ません。」

「演出が必要なのはよく分かっています。
 私とて、あれがメグリアル王の御前で花宴の舞を披露したと人に知られる紅曙蛸巫女です。
 そのくらいは心得ていますが、違うのです。

 ガモウヤヨイチャンさまはこうではない!」
「弱りましたなあ。」

 担がれているッイルベスも、輿が気持ち悪いのは同感だ。
 彼女は弥生ちゃん本人とほとんど接する時間を持てなかった。
 わずかの暇に心得を諭され神剣の用い方を手ずから教わっただけで、人となりはよく分からない。
 それでもあの御方は二本の脚で大地に立って、人々の間を燕のように飛び回り人を癒やし、また様々な打ち合わせを行ったと覚えている。

 それに自分が偉いわけでもないのに、大勢に輿で担がれて尊敬と憧憬の眼で見られるのは恥ずかしい。

 

 ティンブットはああでもないこうでもないと輿を弄り回した挙げ句に諦め、
そこら中をきょろきょろ見回し、
遂に偽弥生ちゃんが用いるべき乗り物を発見した。

「イヌコマですか。
 いやーしかし、イヌコマなんかに乗るのは、せいぜい子供くらいなもので。」
「いいんです。ガモウヤヨイチャンさまは、御覧の通りに小さな御方です。
 イヌコマの背にあってもなんの不思議もございません。」

 イヌコマは、地球のロバと同程度の小さな馬で、耳が犬に似てぺこんと折れているのでこの名がある。
 自分の体重と同じ60kgを載せるともう動かない非力な生き物で、大人が乗用に使うなどはできないが、
弥生ちゃんの体格ならば十分だ。

 ッイルベスも試しに乗ってみると、これがなかなか悪くない。
 輿と違ってあんまり高くなく偉そうでなく、むしろ可愛らしげで人々の反応も上々だ。

 ティンブットはこれとは逆に「神剣」、
青晶蜥神の神威が宿る大きな直剣を念入りに輿の上に麗々しく飾り、大勢の男達に担がせる。

 

 この演出は大成功で、道の両脇にずらと並ぶ人々は、
まずプレビュー版青晶蜥神救世主の愛らしさに眼を奪われ弥生ちゃんの姿を想い、
後に続く大きな輿の、青い光をたなびかせる有り難い神剣に手を合わせて拝むのだ。

 道々の神殿に着くと、偽弥生ちゃんは大きな神剣を手にし、人々に救世主の訪れが間もない事を告げる。
 弥生ちゃんが行った数々の奇跡を説いて聞かせた。
 続いて聖女ティンブットが、
これまた民衆に人気の紅曙蛸巫女王五代テュラクラフをタコリティの円湾から掘り出した体験談を、迫真の演技で再現し人々を驚かせた。

 行列に従うトカゲ巫女がティンブットに尋ねる。

「ティンブット様、なぜに空の銭箱をッイルベスの前に並べるのです。
 御喜捨ならば別して青晶蜥神殿で受け取っていますのに。」

「ガモウヤヨイチャンさまの星の世界では、神殿の前にはこのような箱が必ずあって、
 銭を投げるとこんころりんと音がして神様に願い事が届くと言うのよ。
 どんなに安いお金でも、こんころりんと音がすれば神様は振り向いて下さるらしいわ。」

「ああ、なんと有り難い事でしょう。ガモウヤヨイチャン様は、下々の者にも恵みを垂れて下さるのですね。」

 ッイルベスは神剣を人々の頭の上で、さっと、さっと振って見せる。
 剣が帯びる青い光が飛沫のように降り注ぐと、
長年の病に蝕まれた身体も痛みが和らぎ皮膚の色が生気を取り戻し、わずかながらも症状が改善して、皆喜び涙を流して帰っていく。
 偽弥生ちゃんの前には奇跡を求める人が列を為し、神剣の光に触れる事を乞い願う。

 ッイルベスは思った。
 もしこれが本当のガモウヤヨイチャンであったなら、この人達は全快して小躍りして帰っていくのだろうに、と。

 

     *****

 光が射すと毒虫もあぶり出されて人を刺す。
 偽弥生ちゃんと輝く神剣はたちまちに悪党共のつけ狙うところとなる。

 或る者は無敵の剣を我が物として世に覇を唱えようと妄想し、
 別の者は、偽弥生ちゃんの身体を生きたままかじれば、不老長寿の妙薬としてはたまた意気天を衝く強壮薬として効果があるだろう、などと考える。

 真っ先に気付いたのはティンブットだった。
 彼女は弥生ちゃんと共に旅をし何度も刺客に襲われ、救世主には数多の敵が居ると理解する。
 敵は身分も様々、思想的背景もバラバラで、誰も何も信じられないほどだ。

 だが偽弥生ちゃんの行列は目立たねばならない。
 耳目を集め、本来の救世主弥生ちゃんの行動を隠す役割があるから、逃げ回ってはいられない。

 ティンブットは思案して、常に周りを人で満たしておく事にした。
 連日連夜、偽弥生ちゃんのお言葉や治癒の奉仕、タコ巫女の踊りに地方の役所の官僚との公開問答、と空きを設けず、
移動も御参りに来る人々を引き連れての大行列とする。
 夜も篝火を明々と焚き、地元の兵士の動員も受けて、なんとか安全を確保した。

 なにせ、偽とは言えガモウヤヨイチャンだ。
 暴漢に襲われ食べられたとかになっては、人の希望を打ち砕いてしまう。
 本物の聖業を成功させる為にも、簡単に倒れるわけにはいかない。

 

「怪我は無いか、ティンブット殿。」
「ああっ! イルドラ泰ヒスガパンさま!! よくぞお助け下さりました。」

 奇妙なもので、青晶蜥神救世主に打倒されるべきギィール神族は、偽弥生ちゃんに好意的だった。

 どこの土地に行っても、巨大なゲイルに跨がって現われ、
神威が宿る長剣に斬り付け「おおやはり鉄をも斬り裂くという噂は本当であったか」と感心し、
また奇跡的な治癒力の仕組みを解明しようと下賤の患者と同じ目線で観察する。

弥生ちゃんがサガジ伯メドルイと作った眼鏡のレンズをつぶさに調べ原理に納得すると、
自前で材料を用意して同じものを作り出し民衆に新しい眼鏡を分け与える。

 彼らは日常に退屈し、世が動乱に見舞われるのも一興と待ち望んでいる。
 ガモウヤヨイチャンが噂に違わぬ本物と確認して大いに喜び、一行を歓待する。

 だからこそプレビュー版の隊列を脅かす者を、彼らは許しておかない。
 人喰い教の信者が偽弥生ちゃんを求めて百人もの多勢で襲いかかってきた時も、
地元を治める若き神族イルドラ泰ヒスガパンが妹の丹ベアムと共に巨蟲を駆って、襲撃者を皆殺しにした。

「ちいさい救世主は御無事?」
「イルドラ姫様、ありがとうございます。されど、それは。」
「うむ。ゲイルにも偶には武装した人間を食べる喜びを与えねばならぬ。柔らかい罪人だけでは歯が鈍ろう。」

 腰まで伸びる赤い髪をたなびかせ黄金の鎧を篝火に照らす丹ベアムは、まだ息のある人喰い教徒をゲイルに呑み込ませている。
 自身も槍で何人も突き殺し、寇掠軍出征の予行練習が出来たと満足そうだ。

「奴等はなかなかに執念深い。
 人数を頼んで果たせぬのならば、単独で侵入して来よう。
 今宵は我が館に留まるが良かろう。」

「有り難うございます。
 青晶蜥神救世主ガモウヤヨイチャンになり代り、御礼申し上げます。」

 

      *****

 神剣の真価を余すところなく披露したのは、出発から1ヶ月後に起った大地震でだった。
 東金雷蜒王国では軽い揺れだったが、耐震設計など考えたことも無い泥を塗って屋根を被せただけの建物ばかり。
 かなり大きな被害が出た。
 その割に人命がさほど損なわれなかったのは、揺れが南から北にゆっくりと進行して避難する時間があったためだ。

 それでも数千人もが傷を負い助けを求めて、プレビュー版青晶蜥神救世主の下に押しかけてきた。
 ッイルベスは寝る間も惜しんで人々に神剣をかざして回る。

 剣から降り注ぐ青い光の粉を両手を差し伸べて乞い求め、行列が途絶える事はない。
 重傷の者には直接に神剣で触れ光を身体の奥深くに染み込ませる。
 光は傷ついた内臓を修復し血を止め肉を盛り、化膿を癒やし痛みを取り除き、確実に効果となって顕れる。

 地震の前よりも剣の力は強く顕著になっていくように、ッイルベスには思われた。

「ガモウヤヨイチャンさまの御力です。」
「救世主様が、この剣と今も繋がられているということですか。」

 尋ねられたティンブットはこともなげに断言する。
 彼女は弥生ちゃんと長く居たから、青晶蜥神の奇跡にも納得すべき道理が中心にあるのを理解した。

 人々が思い描くような魔法、因果を無視した不可知の現象は無い。
 無限の力など存在しないと教わった。

「あなたが今使っている治癒の力は、遠く毒地の中央からガモウヤヨイチャンさまが送られになっているものです。
 無闇と使うのはよろしくないのかもしれません。」
「しかし、これほどの人が剣の神威を求めて押しかけるのを拒むなど、……できません。」

「ええもちろん。
 ッイルベス、あなたはガモウヤヨイチャンという人を知りません。
 それは本来無理なのです。それでもあの御方はやってのけるのです。

 夜になると、剣の神威は一時衰えるでしょう。」
「はい。払暁には回復しますが、あれはどういう理屈でしょうか。」
「眠っておられるのです。ガモウヤヨイチャンさまがお休みになっている時は、剣も力を弱めるのです。
 目覚めている時は気合が入り、治癒の力をいくら使われても耐えられれます。
 人には決して消耗を見せません。」

「! それでは、プレビュー版青晶蜥神救世主とは、」
「そうです。貴女はまぎれもなく、ガモウヤヨイチャンさまの名代なのです。」

 

 その日以来ッイルベスは変わった。
 弥生ちゃんの名代としての自覚と責任に目覚め、献身的に人々を癒して回る。
 重い剣を必死に支えて神威を分け与える姿に、彼女自身を崇める者さえ現われるようになった。

「変りましたな。」

 彼女を監督すべき立場にあったトカゲ神官が、ッイルベスの姿に感嘆の声を上げる。
 彼ら医術を司る者達も、弥生ちゃんが示した最新の処方箋に従って効果的に人々を救っている。
 その本分を尽していた。

 トカゲ神官達の活躍には資金が必要。
 地元の富商や神族から物質的支援を仰ぐ裏方に回ったティンブットも迷う。
 もう少しこの地に留まるべきではないか。

 だがそれでも、弥生ちゃんとの約束を果たさねばならない。

「進みましょう。
 人が押し寄せるのは分かりますが、隊列は進まねばなりません。
 方台全ての人が青晶蜥神救世主の御力を欲しているのです。」

 

 弥生ちゃんが北へ進む事をティンブットに手紙で伝えたのも、このような事情を察してのものだ。

 王による神秘的な治療はヨーロッパあたりでは中世頃にはよくあった話で、
青晶蜥神救世主は本物の力を発揮するのだから、人が押し寄せ身動きが取れなくなるのも予測の内。
 ッイルベスが使う神剣に連日霊力を吸い出されているから、現地の状況がどのようであるか聞かずとも推測できる。
 事務処理ばかりやってあまり派手な動きをしなかったのも、消耗がバレないようにしていたから、という側面があった。

 もっとも今や順応して、偽弥生ちゃんをもう一人増やそうか、とも考えている。
 要は気合いの問題で、どの程度の負担を強いられるか理解すれば、対処も容易い。

 無理はしない。自爆的献身とは縁が無い。
 弥生ちゃんは元々長期的予測と達成目標を確固として設定し、着実に布石を打っていくタイプである
 勝てない戦はやらないし、
いきあたりばったりの泥縄に見えるのは、あくまで予測不可能な事態に遭遇した時だけだ。

 

      ***** 

「第二便です。」

 弥生ちゃんから二番目の書状が届いた。

 プレビュー版青晶蜥神救世主の隊列が王都ギジシップ島に渡る祭壇要塞都市「アプリハ点」に居た時だった。
 弥生ちゃんがギジジットを出立して3日後になる。

 今度の書状には大きな荷物が付属する。
 細長い木箱で厳重に封がされ黄金の鎖も巻かれており、神聖宮に務める格式高い戦士が4名で守ってきた。
 何事か、とおそるおそるティンブットが開いてみると、黄金に輝く見事な剣が現われる。
 表面には分厚い鍍金が施され、ギィ聖符の刻印が記されている。

「……読めない。」

 神族や高位神官でないと読めない文字だ。
 幸いアプリハ点は神族が多く集い、学者気質の者も多い。
 青晶蜥神の神剣を拝みに来た神族に無理を言ってお願いし、剣の表面に記される文章を読んでもらう。
 郊外に居を構えるスーベナハ胤ゲナァハンという学究の神族だ。

「驚いたな、これは王姉妹の剣だ。
 ”ギジジットにおいてギジメトイスの娘達は青晶蜥神救世主と和解し、金雷蜒神のしろしめす地平において治癒の力を分け与える神業を許可する。
  官衙の下僕は民草の救済に便宜を図るべし”とある。
 命令書だ。」

「貴重なものです、ね。」
「貴重などでは言い表せぬ。神聖秩序の大いなる転換点だ。
 この剣にも青晶蜥神の神威が籠められている。事実上、青晶蜥神と金雷蜒神が融合したようなものだ。」

 剣は黄金だが、表面に淡く青い光も纏っている。
 試しにッイルベスに触らせると、煌と輝いた。

 あまりの重大事に、ティンブットもトカゲ神官達も声を失う。
 このような重大事を彼らだけでは処理しきれない。

「付属の書簡にはこう書いてあります。
 ”この剣を使えば、地震で傷ついた人を金雷蜒神聖王宮が直接面倒をみてくれます。
 ティンブットは単身にてボウダン街道へ到りガモウヤヨイチャンの一行に早急に合流すべし”。」

 スーベナハ胤ゲナァハンも助言する。

「神聖王宮としても、官としても、
 プレビュー版とやらの青晶蜥神救世主名代が人々の尊敬を集めるのを快く思っていない。
 奴隷達にやがて金雷蜒王国からの離反を誘うのではないかと疑っている。
 官が傷ついた民衆を直接支援をするのであれば、手を引いた方がよかろう。」

 トカゲ神官達も顔を見合わせ、地元の神殿を預かる大神官とも相談して、ティンブットに進言する。

「この剣は、王宮に献上いたしましょう。
 我らの手に余る、重大な政治的問題に深入りしているようです。」

 日頃いいかげんなティンブットも、事態の深刻さに頬を固くする。
 各神族の評判こそ良いが、役所の対応が少しずつ硬化し上位の役人の決済が必要になってきた。
 懸念はしていたのだ。

「しかし、この剣が青晶蜥神の神威を帯びているのなら、それを使う者はガモウヤヨイチャンさまの名代です。
 ッイルベスはここに残していきましょう。」

 ッイルベスは飛び上がる。
 大人だけで勝手に決められていくのを、最早黙って聞いていられない。
 未だ見習いの巫女であるが、眦を決して討議の輪に飛び込んだ。

「わたくしは! 参ります、ガモウヤヨイチャン様の元へ。
 黄金の剣などわたくしの手に余ります。
 鉄の剣で、今までどおりに。お願いします!」

 普段はおとなしい彼女の一世一代の訴えにトカゲ神官達は驚いたが、ティンブットは彼女の頭を優しく抱きしめて言った。

「ごめんなさい。貴女は私と一緒でないと困ります。
 すこし行列が大きくなり過ぎましたね、私と貴女、それだけでよかったのに。」
「もういちど、もう一度、
 今度こそ真っ正面からガモウヤヨイチャン様にお会いして、お言葉を頂きたく思います……。」

 

 ティンブットは隊列を再編してガムリハンを出た時のこじんまりとしたものに戻し、北のボウダン街道に向かった。
 もちろん道々でガモウヤヨイチャンの逸話を語り、ッイルベスが神剣にて人々に治癒の力を分け与えながら。
 それでも急いで弥生ちゃんとの再会を目指す。

 

【科学的なお話】
 旧毒地を抜けてボウダン街道に近付くと植生が変わり緑が増え、野生生物の姿も見られるようになった。

 ゲジゲジ神官戦士達は鳥を捕って食事に添えたが、
毎回のように私(蒲生弥生)に許可を求めに来る。

 何故かな、と聞いてみると、なんと「鳥はチューラウ(青晶蜥)神の眷属だ」と言う。
 トカゲ神の仲間を食べるのだから、トカゲ神の許可が必要だと思う。
 宗教的には正しいのだろうが、何故鳥がトカゲの仲間だと思うのか。

 それはもちろん、鱗があって卵を産むからだ。羽根が生えているのはどうでもいいらしい。
 十二神方台系には始祖鳥のような、トカゲに羽根が生えた風の生き物がちゃんと居るので、
トカゲ→飛びトカゲ→鳥、という進化が一般常識として根付いている。

 しかもあろうことか、魚もチューラウの仲間ではないか、とさえ思っている。
 無論これには異議もある。
 魚はア・ア(カエル)神の眷属だ、と唱える一派もあり互いに論争を交わしていた。

 ア・ア神はカエル、両生類の神である。
 オタマジャクシという水中生活の時期があり卵も魚類と似ているので、
それを根拠に主張されるとチューラウ派は不利だが、なんといっても鱗の存在は大きい。

 魚はサカナで分類すればいいじゃないかという意見もあり、
死者の魂が西の海の涯てから天に帰る過渡的な姿とも唱えられる。
 事は神学論争であるから簡単には割り切れない。

 実の所、十二神方台系はトカゲよりもカエルの方が生息数も種類も桁違いに多い。
 東金雷蜒王国にある大三角州はまさにカエルのパラダイス。
 学者が確認しているだけで300種の形状色彩の異なるカエルが、うんざりするほど繁栄している。

 カエルだけでなくサンショウウオも隆盛を極めており、
巨大なサンショウウオがまるでワニのように河を泳ぎ、水中最強の捕食獣として君臨する。
 また、トドにも似た巨大両生類「歐媽」。
 河に溺れたイヌコマなどを丸呑みするとんでもない化け物だ。

 それに対して、爬虫類は本当に数が少ない。
 大チューラウ、中チューラウ、小チューラウ、飛びチューラウ、の四種だ。
 大チューラウの中には水中で魚を取る水チューラウというものもあるが、外見上はほとんど違いが無い為に、四種とされる。
 これに、最近発見された”足の無いトカゲ”「フェビ」(命名、蒲生弥生)を加えてもわずか五種。
 バランスを取る為に鳥をチューラウに加えるのも当然であろうか。

 似た論争は、バンボ(コウモリ)神、ピクリン(ネズミ)神との間にもある。
 ピクリンは哺乳類の神というのは衆目の一致するところだが、バンボはこの仲間に入れない。
 十二神方台系のコウモリはなんと単孔類で、卵を産む。
 毛が生えて暖かいにも関らず、空を飛ぶし卵を産むので、ピクリンとチューラウの中間の生き物だろうというが神官達の結論だ。

 私(蒲生弥生)が異を挟むのは容易いが、
この矛盾についての考察がやがて博物学となり科学となるのだから、あえて口出ししないと決めた。

 もちろん、鳥を晩ご飯に加えてもよろしい。
 考えてみればタコリティでもギジジットでも、鳥を食べるのに私に許可を求めていた気がする。
 その時は「鳥、お好きですか?」の意にとって軽く流してしまった。
 これだからファンタジー世界は油断ならない。

 ちなみに、十二神方台系には鶏は居ない。
 食用の卵は水鳥のもので、卵取り専門の猟師が居て、頭に水草を付けて擬装し水中を泳いで巣から卵泥棒をしているらしい。

       (蒲生弥生)

 

第七章 王城鳴動し、聖なる誓いが動き出す (仮
 (旧題「褐甲角王国は鳴動し、とりあえず著者は設定を整える」)

 地震が起きてから二十日、褐甲角王国毒地の際では妙な噂が囁かれるようになった。 

 スプリタ街道。
 北方聖山の麓デュータム点から、南岸イローエント港まで一直線に伸びる大街道の両側は穀倉地帯として知られる。
 褐甲角王国の領域だが、ここで作られる穀物は王国のみならず東西金雷蜒王国にまで輸出され、方台全土を養っていた。

 元はただの草原であったが、神聖金雷蜒王国時代にギィール神族がアユ・サユル湖から大運河を掘って隅々まで水を行き渡らせる。
 たちまち豊かな実りで人々の暮らしを支え、高度な文明を花開かせた。

 現在。褐甲角神兵との戦いでギィール神族は神都ギジジット周辺の広大な領域を毒で封鎖し、
隣接するこの地にも風で流され生産量は半減した。
 最盛期400万人に達したとされる人口も、現在は方台全域で250万人程度と推測される。

 

 スプリタ街道の両側を比べると東側の作物の生育が明らかに悪い。
 ギィール神族が撒いた毒が白霧と混じって流れてきて、長時間滞留する。
 これを防がねば実りは得られる為、毒に強い樹を選び一直線に並べた防風林を幾重にも巡らせる。
 幅数キロにもなる防風林、すでに森である、のおかげでようやく農耕が可能となった。

 この霧が晴れた、と言う者がある。
 地震の被害に驚き防風林の様子を見に行って、いつもと違う空気を吸う。
 霧の濃度が濃い時は吸い込んだ肺が血を吹いて呼吸困難に陥るものが、むしろ清々しく息を吐く。

 振り向けば樹々の緑は鮮やかに、新芽が吹いて鳥が鳴き、虫も増えてまるで街道の西側のようだ。

 最初は誰も信じない。そもそも防風林の先には行かない。
 霧に紛れて金雷蜒王国の寇掠軍が忍び寄る。神族が作った防毒面により害を免れる兵が略奪を思うがままに働く。
 周辺住民は常に恐怖に怯えていた。

しかし日を追って正常な空気は人里にまで達し、明らかに例年と様子が違う。
 恐る恐るに確かめに行き、防風林の先「毒地」にまで進んで驚いた。

 見渡す限り荒れ地の平原が一面の緑に、命の草原に変貌していた。
 もはや「毒地」ではない。

 急いで仔細を地元を守護する黒甲枝に伝える。
 半信半疑の神兵達も自ら赴き確認して戻ってくる。

 

 「これは一体どうしたことか。」
「あのー、お殿様。最近は寇掠軍も来ないみたいで、もしお許しが出るのであれば草原に行って開墾など試みてみようかと。」
「いや待て、寇掠軍が来ないのはこの間の地震の影響だ。敵も被害を受けたのであろう。
 隊勢を整え直せばまた必ず襲ってくる。軽々に森に踏み込んではならないぞ。」
「はい、お下知のとおりに。」

 農民集会の長達が帰っていく。
 彼らは本来変化を嫌うが、これほど積極的なのは珍しい。
 確かに慢性的な不作で食料増産は急務だが、開墾には多額の費用が必要となる。
 小心で吝嗇な彼らに、よほどの心境の変化があるのだろう。

「やはり時代が動いているということか。
 無理も無い。青晶蜥神救世主降臨の噂の次は、毒地全体の大地震だ。
 人の心も騒ぐのであろう。」

 神兵大剣令カロアル羅ウシィはスプリタ街道中央から南に100里(キロ)、ベイスラ地方の防衛に当たる。
 単なる軍人ではなく行政官としても有能で、農民集会に適切な助言を与えて国境最前線の安全と繁栄に努力する。

 開け放たれた窓から帰っていく農民の長達を見送り、思わず深呼吸をした。
 流れ込む風は涼やかで透明、心地好く、長く最前線に務める疲れを忘れさせる。

「良い風ですなあ。こんな風はこれまで感じた事がない。」
「毒が消えた、というのは一時的なものではなさそうですね。」

 指揮下にある二人の神兵、ビジョアン榎ヌーレとサト英ジョンレも、風の中にこれまでに無い清々しさを感じている。
 榎ヌーレは37歳で中剣令を拝し民政に優れた中堅どころ、
英ジョンレは24歳の若き俊英で王都の近衛隊を経て、特殊部隊長の位である剣匠令を得ている。

 だが羅ウシィは慎重だ。
 45歳の大剣令は輝くような才気は無いが、深く物事を考えて決して間違えない堅実な人柄を知られている。

「毒は消えたとはいうが、寇掠軍が持つ毒樽の霧まで無効になったわけではないだろう。
 迂闊に人を住まわせて樽を投げ込まれてはかなわん。」
「ああ、確かにそれは生きているでしょうな。」
「迂闊でした。では、やはりこれまでと同様に、」

「うむ。毒地はやはり毒地だ。
 兵を進め50里も国境線を東に押しやった後でないと、農民は入れられぬ。」

 榎ヌーレは言った。彼は農民の案内で毒地の状況を確かめてきている。

「農民達の喜びようは、それは大きなものです。
 彼らにとってこれはまさに、……そうですな、まさに青晶蜥神救世主の御恵みと言っておりました。
 新しい土地に鍬を入れたくてうずうずしている。それほど長く待たせるわけにはいきませんよ。」

「わかっている。が、我らはまた別の思案をせねばならぬ。」
「と申されますと。」

 羅ウシィは窓から離れて、書棚から山羊革の大きな地図を取った。ベイスラ地方の詳しい地形が載っている。

「北のミンドレア、ヌケミンドル、南のエイベンド、イロ・エイベンド。そしてこのベイスラ。王国東の護りはこれまで十全であったが、」
「はい。今の体制で問題は無いと思われます。」
「なにか御懸念がおありですか。」

「思い過ごしであれば良いが、たぶんそうではあるまい。
 もしも毒地全体が浄化されたのであれば、そこを通って遠征してくる寇掠軍にとっても益があろう。
 これまでは防毒面を被り毒霧の合間を縫って少数で渡って来ていたのだ。
 それが、」

「おお。毒が無くなった事は敵にとっても有利だと。」
「しかし我らの迎撃陣も、毒地深くに踏み込んで機動的に防御する事が可能になるでしょう。
 多少敵の兵力増強があったところで、問題は」

「今の十倍来たらどうする?」
「え。」
「可能ですな。毒が無いのなら、一万人の兵力でも自由に動かせます。」

 唖然とする英ジョンレを尻目に、榎ヌーレも地図に指を走らせて陣の配置を検討する。

「敵の補給線が確保されれば、長期戦を戦う事すら可能だ。
 穀倉地帯での長期戦は王国に著しい損失を与える。」

「兵力が足りない。」
「まったく足りませんね。
 兵数が十倍ならまだしも、ゲイル騎兵が十倍となれば戦になりません。」
「農地を拡げるどころではないな。
 城塞防壁の修復と土塁の新設、兵力の増援と輜重の確保、その受け入れ体制の確立を急がねばならん。」

 明らかに自分達の裁量を越えている。
 英ジョンレは恐れをなして進言した。

「ですがそれ程の大事となれば、レメコフ東部大監の指示を煽がねばなりません。」
「うむ、上申書を送ろう。たぶん、一度ヌケミンドルで大会議を開く事になる。」
「夏休みは完全に潰れますな。」
「致し方ない。」

 夏場の高温下では寇掠軍も防毒面の使用が困難になる。
 3ヶ月ほどは襲撃が止むのが通例だ。
 この期を利用して前線の神兵黒甲枝は交代で休暇を取り、家族の居る王都カプタニアに帰る。

 羅ウシィの息子 軌バイジャンも夏休みを利用して婚礼を挙げる予定となっていた。
 彼が一人前になれば、羅ウシィは聖蟲を息子に譲り戦闘任務からは引退する。

 だが予定は変更を余儀なくされそうだ。

 

     *****

 スプリタ街道沿いすべての守護から防衛陣の拡充を進言されて、王都カプタニアは蜂の巣を突いた騒ぎになった。

 カプタニアは毒地を襲った地震の影響をほとんど受けず、元老院も軍政局も状況の認識に深刻さが欠けている。
 被害の詳細報告も届かぬ内に、この進言だ。
 対応に混乱を来すのも当然であった。

「報告によると、毒地全体に地震を引き起こした青い光の滝は、ギジジットより発せられたというのが確からしい。」
「赤甲梢総裁キサァブル・メグリアル焔アウンサの報告書で、王女自ら確認したという。」
「やはりこの度の大地震は金雷蜒王国の策であるのか。」
「これだけの大災害を人の力で可能にするとは考えにくい。
 だが神聖首都ギジジットに本当はなにがあるのか。我らはまったく知らないのだよ。」

「軍政局より上奏された動員計画書の第一案だが、荒唐無稽ではないのか。
 5万人というのはなんだ。」
「この計画書は、かってソグヴィタル王が発案されたギジェカプタギ点・ガムリ点同時攻略計画を下敷きにしている。
 無謀に思えるのも道理だが、」
「今前線から続々と届く上申書を積み上げると5万ではまるで足りない、という計算になる。」
「ばかばかしい!」

「南北500里、いやボウダン回廊全域も解放されたと考えると、10万でも足りないと見る。」
「ばかばかしい、東金雷蜒王国にはそれだけの兵は無い。」
「だがゲイル騎兵がある。一騎で千人の兵に相当するゲイルが数百は駆り出されるだろう。
 黒甲枝の神兵1500をすべて防衛に当てても防ぎきれぬかもしれん。」

「場合によっては、金翅幹元老員の軍への復帰も考えねばなりません。」
「それは問題無いが、その前には武徳王御自らの出陣がござろう。」
「あの青い光が敵の兵器であれば、陛下には前線に近付いてもらっては困るのだが、」

 

 山城であるカプタニア城は、山を削って段を造り宮殿を建てている。
 最上層は褐甲角王国を統べる武徳王カンヴィタル家の居城であり、褐甲角神「クワァット」を祀る神殿を設ける。
 そのすぐ下に金翅幹56家が集う元老院があった。

 元老は褐甲角王国建国の最初期に功のあった家を昇格させ、国政への参与を許したものだ。
 金色の縁どりを持つカブトムシの聖蟲が与えられる。ゆえに「金翅幹」家を名乗る。
 黒甲枝は一家に一匹の聖蟲しか戴けないが、金翅幹家は最大で3人までが聖戴を許される。
 軍事には携わらないものの、元は黒甲枝と同じ神兵だ。
 黒甲枝家はすべて彼らと姻戚関係にある。実質指導を受けていた。

 これに対して官僚を率い行政を司るのが副王。
 ソグヴィタル・ハジパイ王家と、外交のメグリアル王家だ。
 当代のハジパイ王 嘉イョバイアンは50年の長きに渡って元老院と争い、これを手懐けてきた。
 現在までの王国の安泰を実現させる。

 彼の政策は無用の軍事行動を控え、国政の充実を図るもの。
 経済的には東西金雷蜒王国とも密接に繋がり、断交して得する何も無いとは元老員も心得る。

 だがこの方針を、黒甲枝は承諾出来ない。

そもそも褐甲角王国の国是として「金雷蜒王国ギィール神族に虐げられる奴隷民の解放」がある。
 初代武徳王クワァンヴィタル・イムレイルの聖なる誓いに従い、この千年を戦ってきた。
 今千年紀の終わり、新たな神救世主の到来を迎えるにあたり、未だ誓いは成就しない。
「この千年、我らは何を成し得たのか?」
 焦りが生まれるのも無理からぬ事だ。

 どちらにも理があり、利があった。
 それぞれの意見が元老院内にて拮抗し、均衡してこれまでの王国を運営する。
 良しとしなかったのが、もう一人の副王ソグヴィタル 範ヒィキタイタンだ。

 ソグヴィタル王は一大進攻作戦を立案し、一時は王国全体を臨戦体制にまで準備させた。
 ハジパイ王の老練な手腕によって開戦は阻止され、自身は追放の身となったが、
その時に策定された計画は今次動員においても有効だ。
 5年、彼は早過ぎた。

 ソグヴィタル王とハジパイ王、いずれに先見の明があったか。
 今一度問わねばならぬ時が来た。
 武徳王カンヴィタルの御前にて討議が行われる。

 

     ***** 

「まさかこれほど脆いとは思わなかった。
 黒甲枝とは皆等しく自我を殺し、ただひたすらに王国に従う者ではなかったのかな。」

 兵師統監チュダルム冠カボーナルハン。
 赤甲梢の新総裁メグリアル劫アランサの輔衛視チュダルム彩ルダムの父である。
 彼は58歳で、とっくの昔に聖蟲を後継者に譲っている歳だが、
上手いこと娘が婿を取ってくれない。

 チュダルム家は神兵としては最も古い家柄。
 クワァンヴィタル・イムレイルと共に戦った建国の功臣だ。
 金翅幹元老員、いや副王位よりも権威を持つ「破軍の卒」10家に数えられる。
 だがあくまでも一兵卒として軍務に携わる事を望み、金色のカブトムシを戴かなかった。

 現在チュダルム家の聖戴者は3名。
 当主本人、甥のチュダルム海軍大監、そして娘の彩ルダムだ。

 ソグヴィタル王が追放されている為、御前会議でハジパイ王と討論するのは冠カボーナルハンと決まった。

 

 彼が詰めるのは軍政局。褐甲角軍を率いる最高司令部だ。
 カプタニア城の地上階に近い、「兵庭」を望む高さに設けられる。
 「兵庭」は近衛兵団の本部であり、カプタニア城の最終防衛線だ。

 チュダルム兵師統監の幕僚はいずれも年配で、聖蟲を息子や後継者に譲った者ばかり。
 だが脳の働きは聖蟲の有無とは関係ない。

「いやあ、だからこそ。
 新たなる救世主の降臨を受けて、皆おのおのの本分を思い出したという事だろう。」

 階級の上下、家格の差は厳然としてあるのだが、聖蟲を戴く者は等しく一人にて神と向き合う。
 忌憚のない意見を求めて、冠カボーナルハンは対等に接する事を望む。
 長年働き気心の知れた僚友だ。

「むしろ一人であれば楽であるのだがな。
 黒甲枝がそれぞれに単独でゲイル騎兵を追い、神族を殺す。これでも勝てるだろう。」
「民衆の犠牲を考えなければ、そして黒甲枝が自由に物資を掠奪できるのなら、それでも良いよ。
 戦場はたぶん、褐甲角王国全土になるだろうが。」

「本末転倒だな。」

 彼らも若い頃は重甲冑に身を固め、最前線でゲイル騎兵と戦って来た者だ。
 その彼らにしても、現役時代に聖蟲が与える力の全てを出し切った体験は無い。
 神兵が限界に追い込まれる程激しく争う戦場は、稀だ。

 無論神兵といえども不死身ではない。
 それでも刀折れ矢が尽き、総身に傷を負って敵に囲まれたまま絶命する、とはならない。
 限界を極めてみたい、と誰もが一度は抱く想いだ。
 ソグヴィタル王が備えた「最終戦争」は、それを期待させるものであった。

 そして今、本物の最終決戦が目の前に迫る。

 

「戯れ言はさておき、スプリタ街道全域に防衛線を張り巡らせるとすれば、古今未曽有の大動員となる。」

「西金雷蜒王国はどう出るだろう。
 毒地の詳細が向こうにも届けば、一大攻勢に出るかもしれぬ。」
「見切りを付けねばならぬな。西の海はチュダルム海軍大監に現有の兵力のみで任せよう。
 残りはすべて東に結集だ。村々の邑兵も最小限の警備を除いてすべてだ。」

「黒甲枝を十名ずつ組にして戦隊を構成し、毒地の際でゲイル騎兵に対処させる。
 クワアット兵に邑兵を指揮させて国内の警戒と輜重の輸送、敵内通者への対応をさせよう。」

「黒甲枝はすべて前線に。
 これを基本にするとしても、防衛戦を破って内部に浸透する寇掠軍にはどう対処する。」
「ノゲ・ベイスラがやられたアレだな。難民が寇掠軍の進路を手引きするという。」

 チュダルム兵師統監は思い切った策を提示した。

「本営をカプタニアからヌケミンドルに移す。
 前線と第二陣との間を狭くして、寇掠軍には対処する。
 南部は手薄になるが、大局には影響しないだろう。」

 

 彼らの内では、戦争はすでに既決の事項だ。
 未だ元老院の議論は決着を見ないが、軍政局は粛々と動員、防衛計画を進めている。
 軍神である褐甲角神の託宣であろうか、誰一人として疑う者は無かった。

「万が一も無いとは思うが、タコリティが南海から金雷蜒軍の海軍隊を引き入れる、などは無いか。」
「はなはだ不本意ではあるが、ソグヴィタル王は我が息子マキアリィとの決闘に勝利なされた。
 王が居る限りはそれは無いと、信頼して良いだろう。」
「ではイローエント防衛隊も南部防衛に組み込もう。南岸諸都市は軍船の水兵のみで回す。」

「それにしても、マキアリィ殿は不甲斐ない仕儀となったな。」
「申し訳ない。この不名誉は必ず本人に拭わせよう。」

 

      ***** 

 事の重大さを鑑み、カプタニア城最上階の武徳王の神聖宮で緊急の御前会議が行われた。

 白を基調とし石材をふんだんに使ったギィール様式の神聖宮だ。
 高度な建築はギィール神族にしかなし得ず、神聖宮建設の折も関与したと伝えられる。
 神兵と神族は敵同士ではあるが、ギィール神族は奇矯な者が多い。
 敵である褐甲角王国にわざと協力して脅威を強化する神族は少なくない。

 いや、神兵が用いる「重甲冑」ですら、わざわざ神兵にしか使えないものを作り上げた。
 一種の芸術作品であるかのように、聖蟲の霊力を余さず戦闘力として発揮できるように。

 

 神聖宮に黒甲枝が呼ばれる事はまず無い。
 チュダルム家のみの特権と言えよう。

 兵師統監チュダルム冠カボーナルハンが、元老院の代表ハジパイ王 嘉イョバイアンと論争を繰り広げる。

「ハジパイ王に申し上げる。この期に及んで和平などは最早詮無し。
 悪戯に時を費やさず、速やかに国境線の防備を固めるしか手はございませぬ。」
「防備を固めるのに反対はしない。だが、あくまで防備だ。
 毒地に深く侵入して、領土拡張を目論む黒甲枝があるという。如何に。」

「敵が攻め掛かるのを待つのみならず、こちらから攻めて脅威を削ぐのも肝要。
 ただし毒地はあまりにも広大で、多少進撃した所で変化はございませぬ。
 真に効果が有るのは一隊をもって神聖首都ギジジットを陥落させ、毒地に点在する金雷蜒軍の集積所をしらみつぶしにする事です。」

「少し待て、今ギジジットを陥落させると言ったか。」

 褐甲角神武徳王23代カンヴィタル洋カムパシアラン・ソヴァクが直々に口を挟む。

 彼は54歳、無敵の神軍を率いる者には見えぬ痩身だが学識にも武術にも優れ、一応の賢君と称えられている。
 だが本物の名君であるかは、この戦において見極められるだろう。
 武徳王は全軍の総司令官であるから、今回直々に出陣する事も打診しており群臣を驚かせた。

 兵師統監チュダルムが答える。

「陛下に直答をお許し願います。
 神聖首都ギジジットの攻略は黒甲枝千年の悲願ではございますが、今回はそれとは別。
 純粋に戦略上の必要から導き出されたものでございます。

 更に付け加えますと、これは必然でございますので敵もギジジット防衛に死力を尽して参ります。
 ギジジットを防ぐのに最良の策は、我らを国境に釘づけにする事です。
 ギィール神族は討って出る以外方策がございません。和平に道理が無い由縁であります。」

 ハジパイ王が兵師統監の言葉に異を唱える。

「和平の交渉が必ずしも不戦平和を目的とするものでは無い。
 今我らに必要なのは十分な準備を整える時間であり、交渉はそれを稼ぎ出す事が出来るだろう。

 此度の異変は人為に依るものと推測されるがその意図が読めぬ。
 東金雷蜒王国においても状況を把握出来ているのか、はなはだ疑わしい。
 まずは情報収集に務め、事態の明確な概要を掴んだ上でなければ、戦えませぬ。」

「ハジパイ王のご懸念はギジジットより発せられた青い光でございますな。
 あれを兵器として用いられては、為す術も無いと。」

「嘉イョバイアン、如何に。
 あれは兵器と思うか。」

 ハジパイ王はしばし眼を閉じた。
 長く沈黙を続けるのは不敬に当たるが、これは迷う。

「……、思いません。」
「根拠は、」
「光が青うございます。」

 それは青晶蜥神「チューラウ」の色。
 救世主ガモウヤヨイチャンの存在を考慮すれば、ギジジットにて彼女が何事か行ったと見るのが妥当。
 目的は明確で、毒地の浄化。
 なるほど、命を救う青晶蜥神の救世主にふさわしい御業だ。

 問題は、その結果軍事衝突が発生するのを彼の人は考慮したのか……。

「両名に我が意思を伝える。」
「はっ。」

  武徳王カンヴィタル洋カムパシアラン・ソヴァクが決定を伝える。

「もし毒地の異変が青晶蜥神救世主の御業であるのなら、それは天河の指し示す計画に従ってのものであろう。
 既に救世の聖業は始まり、新しい時代が動き出した。
 これを座して見るは聖戴者の不徳、怠惰の誹りを受ける。

 褐甲角王国は時代に乗り、自らの務めを果たさねばならぬ。」
「ははっ。」

「天河が金雷蜒王国との最終決戦を望むならば、これに応じよう。
 いかなる犠牲を払おうとも、だが民に犠牲を強いてはならぬ。
 聖蟲を戴く者が自らを燃やすしかあるまい。」
「そこまでの御覚悟でございますか。」

「だが負けるのは嫌だ。これまでの王国の在り様は一時忘れよ。
 新王国を打ち立てる気持ちで事に当たれ。
 時代の流れを力でねじ伏せるのではなく、力で打ち勝つのだ。」

 

 兵師統監は額を石の床に伏せ、言った。
 ハジパイ王もそれに倣い頭を垂れる。

「状況の設定を他者に任せるな、という御諚でありますな。心得まして御座います。」
「和平を軸に置かず、新たな時代に則した方台の在り方を模索いたします。」

 

 神聖宮を下り軍政局に戻ったチュダルム冠ボーナルハンは、幕僚と共に武徳王の指示を実現する作戦を練った。

「あくまで国境は鉄壁に守り上げ、押し寄せるゲイルを弾き返す。
 その一方で赤甲梢兎竜部隊、また黒甲枝の突入部隊を新編成して毒地中に分け入り、敵の突出を誘う攻撃を断続的に続ける。
 魚のごとくに釣り上げ消耗を強いるのだ。」

 ハジパイ王は元老院議長室に篭ると書簡を数通書き、城外に使いを走らせた。

「方台全体を動乱に導く元凶、青晶蜥神救世主ガモウヤヨイチャンを始末せねばなるまい。
 新たなる人の王国は人の手のみで造られるべきだ。」

 

     ***** 

「ひいいいいいいいいい、なぜ、なんで、どうしてこういう事になるのです。せんせーーーーーーーー。」

 毒地の異変は軍や王宮のみならず一般庶民にまで影響を及ぼす。
 大動員の計画は、情報統制の網を食い破って社会の全ての階層に漏れ出した。
 物資の買い占めや金銭貸借の早期の清算を促す。
 戦場となるだろうスプリタ街道沿いの住民が当局の制止を振り切って逃げ始めた。
 交易警備隊や傭兵、難民ならず者がヌケミンドルに向かい、警護兵として富豪や都市に雇われて治安の悪化を招く。

「せんせー、私が愚かでしたあーーー。
 救世主さまが御降臨されるとなにもかもがうまく行って、世界が薔薇色に包まれるなどと夢見ていたのはまちがいでしたー。ひいいいいい。」

 ヒッポドス弓レアルもまた、動乱の被害者だ。
 彼女の婚礼は当初来年の春に行われる予定であったが、情勢の変化で今夏に変更となり大急ぎで準備をしている最中に、大動員の大騒ぎだ。
 婚約者カロアル軌バイジャンはまさに最前線のベイスラ地方で兵役に就いているから、カプタニアに戻るのも当分先となる。

 家庭教師のハギット女史も世情の変化は見切っていたが、ここまで身近な影響が現われるとは想像もしなかった。

「お嬢様、取り乱さないように。カロアル家の奥様に見くびられてしまいますよ。」
「そうは言っても、これを取り乱さずにいつ乱せば良いのです。
 ああ、どうしましょうどうしましょう。」
「どうにもなりませんよ。ここはバンとお腹に力を入れて、どっしりと黒甲枝の奥方としての威厳を身に付ける好機と思って、」
「とてもそのような建設的な気持ちにはなれませんー。ああー、どうしたら。」

 

「なんだか大変だな。弓レアルは」

「あ、ネコ。なに、また恐ろしい話を持って来たの?」
「噂話は幾らでもあるが、今日はおまえの取り乱しぶりがすこし面白い。ちょっと見せてくれ。」

「せんせーーーーー、こんなこと言いますうーーーーーー。」

 

 

第八章 金雷蜒少女の決意(仮
  (旧題「金雷蜒少女、褐甲角王国への寇掠を決意する」)

 イルドラ丹ベアムは17歳。
 毒地と東岸部をッツトーイ山脈の麓にある小さな村メガアラムを治めるギィール神族だ。

 17歳は聖戴を受けられる最少年齢。彼女より若い神族は居ない。

 聖戴に到る七つの試練は厳しく、一度や二度は失敗して翌年再試験を受ける者も多い。
 丹ベアムも兄の泰ヒスガパンもすべての試練を一発で成功し駆け上った。

 最後の、7番目の試練は神聖王の居城のある「ギジシップ島」で行われる。
 兄妹続けての最年少神族誕生はなかなか無く、全国の神族の間で評判となった。

 ただし、聖戴式を受け神聖王よりゲジゲジの聖蟲を授かるには莫大な貢を必要とする。
 さして歳も離れぬ兄妹が連続して、イルドラ家の財政は破綻寸前だ。

 

「うむー、どうもうまくいかない。」

 丹ベアムは骨筆を投げ棄てて、したためた葉片を引き裂いた。

 十二神方台系には紙が無い。筆記には幅の広い木の葉「葉片」を使う。
 乾かして裁断して、日本のはがきを2枚縦に並べたのと同じ大きさ。
 滑らかで乳灰色の表面を引っ掻くと、下地の層が露出して黒く痕が残る。
 だから筆記に墨・インキは必要ではない。
 雨中でも水中でも字が書ける優れものだ。

「やはり細部の描写をせぬと、現実のように感じてはもらえないだろう。
 しかし、星の世界で青晶蜥神救世主はいったいどんな暮らしをしていたのだろう。」

 彼女が今取り組んでいるのは「小説」だ。散文にて話し言葉で綴られる。
 この形式の文学作品が登場したのはわずか200年前、褐甲角王国で始まる。
 文化に優れる金雷蜒王国側に、珍しく向こうから伝搬した風習だ。

 撥水性のある葉片は印刷に向かない。複製は写本するしか無かった。
 小説を書いて経済的に潤う産業は、未だ確立しない。

 イルドラ丹ベアムはここに目を付けた。
 文書の大量複製をする方法を考えれば、小説でカネ儲け出来るだろう。

 ギィール神族は貴族と呼ぶよりも、まず生産者技術者であり、多くの奴隷を養う経営者でもある。
 商売の方法を日夜考え新たに編みだすのは、美徳とされた。

 では何に印刷するか。
 葉片がダメなら絹布に、あるいは大山羊の革をなめし伸ばしたもので。
 どちらもとんでもない価格となり、大量生産の旨味がない。

 やはり安価な葉片に工夫を凝らして、と考える。
 表面層が剥がれやすいのをなんらかの薄皮を貼って保護し、その上に印刷を。
 兄に相談すると、金箔を貼れば良いと答えた。
 無茶を言うな、とベアムは錫箔貼りの葉片をこしらえた。

 これにタコ樹脂の膜に傷を付け謄写版印刷に似た方法を用いる。
 仕上がりはなかなか見事なものとなった。
 葉片はそれなりに厚みがあるので束ねれば嵩張るが、それは普通の書籍でも同じ。

「宝物でございますねえ。姫様。」 

 女奴隷で乳母のジンケンシュラは本を見せられ、すなおに感想を言った。
 そう、金箔で作るよりは安いのだが、それでも写本の方がずっと安価に出来る。
 奴隷を集めて大量に写させた方がずっと現実的だ。

「で、諦めたのか。」
「いいえ兄上。もう一度検討し直して、色刷りというものを考案しました。
  どうあっても費用が嵩むとあれば挿絵も添えて、付加価値の高い高額商品にしようと。」
「流石だな。ただの文字の列を複製するよりはるかに有益だ。」

「であれば、今最も人の欲する題材を取り上げるべきと考えます。
  青晶蜥神救世主の名代ッイルベスの図像などを頒布するのはいかがでしょう。」

「なるほど、だがただの絵では面白みに欠ける。
 さらにもう一歩踏み込んで、物語仕立てにしてはどうか。
 それに売るのならニセ者よりも本物の青晶蜥神救世主の方がよかろう。」

「ふむ。ではッイルベスより聞いた「星の世界の暮らし」などを描いてみますか。」

 

 ギィール神族は基本的に絵は上手い。
 写実的に描写する事は機械の製作にも必要な技能であるから、基礎教養として一定の水準にまでは鍛え上げる。
 だから逆に写実でない絵は不得手だ。

 それに見たままをそのまま描くのは芸術的とは呼べないと、神族の間の評価は低かった。
 もっと感情豊かに、知性の光から逸脱する自由奔放な絵画こそが価値を認められる。
 技巧よりも精神性を重んじる褐甲角王国の武人画も、高い評価を得ている。

 そういう目の肥えた趣味人の神族を相手に絵画を売ろうというのだ。
 丹ベアムの挑戦は困難を極める。

「ッイルベスの話では、星の世界の街は、
 屋根に陶器の板を葺きガラスをふんだんに使った高楼が立ち並び、
 鉄の車が押す者も無く勝手に走り回り、
 夥しい人が通りに溢れ、稲妻の光で照らされる……。」

 世界の滅亡の光景が出来上がった。

「  ……、これは置いといて。
 建物に丸みと柔らかさをつけて、人々の顔には笑顔を。よし。」

 都市に続けて、空飛ぶ舟で戦う兵士の図、
白い革鞠と棍棒を用いて9人の屈強な若者が競いあう図、
何でも売っている商店でガモウヤヨイチャンが買い物をする図。
 おまけにプレビュー版青晶蜥神救世主「偽弥生ちゃん」ッイルベスの図を描いた。

 5枚一組で物語を紡ぐ。
 絵がいいかげんな分、文章には現実味が必要になる。

「つまり、ガモウヤヨイチャンがいかにして青晶蜥神に選ばれたか、だ。
 ッイルベスもティンブットもそれについては一言も話さなかったな。
 あれらもそのあたりの事情は知らないのだ。」

 やむなく丹ベアムは適当に話をでっち上げた。

「ガモウヤヨイチャンは、星の世界にあっても衆に抜きんでた傑物であり、
 9人の屈強な若者を率いて鞠棍競技でも無敵の強さを誇った。
 だがあまりにも優れていた為に権力者に怖れを抱かせ、陰謀にはめられる。
 空飛ぶ戦士から攻撃を受けたのだ。

 強力な光る矢が身に当たろうとする瞬間、青晶蜥神救世主が惜しんで十二神方台系に召し上げた。
 ……こんなところかな。」

 嘘八百だがなんとなくいい線を行っている気がして丹ベアムは愉快になった。

 

     *****

「! うん?」

 丹ベアムの額のゲジゲジの聖蟲が何者かを感知した。

 金雷蜒神の聖蟲が与える超感覚は、有効範囲約7里(キロ)。遠くなれば精度も下がる。
 だが同じギィール神族であれば、互いの聖蟲の所在は確実に捉える。

 ッツトーイ山脈の峡谷の道を通って複数の神族が、ゲイルに乗って、これは寇掠軍か。
 出征していた寇掠軍が帰還したのだ。
 兵の数は少ない。傭兵は毒地中の傭兵市で調達し、本国に戻れば解き放つ。
 自らの領地から連れてきた奴隷と家令、狗番を率いるのみだ。

 丹ベアムは近くに控える狗番に言った。
 彼はまだ何の異変も気付いていない。

「シンクリュアラ・ディジマンディが帰って来たようだ。出迎えに行く。」

 寇掠軍「シンクリュアラ・ディジマンディ(救済と回復の霞嵐)」はメガアラム村の北方に領地を持つ神族達で構成される。
 丹ベアムが聖戴で物入りでなければ兄泰ヒスガパンも参加して、初陣を飾るはずだった。

 ゲイルは6体が歩く。だが感じる神族の数は5人。
 一人は戦死したのだろうか。それもまた誉れだ。

 

 書きかけの小説と絵画を乳母に託して、丹ベアムは野を駆け出した。
 背の真ん中あたりで切りそろえた黒茶色の髪をなびかせて走る。

 ギィール神族の平均身長は男女ともに2メートル、しかし彼女は190センチしかない。
 まだ少女と呼んで差し支えない幼さを容貌に残している。

 狗番を置き去りに草の丘を鳥の速度で駆け、倒木や小川を無いもののように跨ぎ、
農作業に勤しむ奴隷を驚かせ、あっという間に峡谷の入り口に着いた。

 左右に完全武装の狗番を従えて、6体のゲイルが一列に並んで街道を進む。

 全長15メートル高さは4メートルの巨蟲に、人は表情など見出だせない。
 無機物結晶の柱か、枯れ木の林か。
 薄灰白の肢が13対、わずかにふれあい林が風にざわめくに似た音を立てる。
 そして、最後尾のゲイルの背には誰も乗っていなかった。

 騎乗する神族の甲冑がまもなく夏を迎える日差しを照り返し、黄金と白銀の光を撒き散らす。
 眩しくて直視も出来ない。

 丹ベアムはゲイルの音にかき消されない大声で、先頭を行く神族に挨拶をした。

「ヌトヴィア王、無事の御帰還おめでとうございます!」
「おお、イルドラの丹ベアム殿か! 無事に聖戴の試練を乗り越えられたようだな。めでたいぞ。」

 「シンクリュアラ・ディジマンディ」の上将ヌトヴィア王ハルマイが、ゲイルの背から答えた。
 被っていた兜を脱いで面を見せる。
 ゲイルの背の騎櫓の端から、同乗する蝉蛾巫女が顔を覗かせている。

「予定通りの御帰還ですが、戦利品はございませぬか?」
「もっと凄いものを手に入れた。後でお聞かせしよう!」
「キルストル姫アィイーガ殿の御姿がありませぬ。いかがなされました。」
「彼女は戻らぬ。
 子細は後で語るが、きっと驚かれる事ばかりだ。

 時に!」

 ヌトヴィア王はゲイルの肢をしばし止め、道の脇に立つ丹ベアムを睨んだ。
 彼女の背後にはやっと追いついた狗番が跪き、両脇には道の近くに居た奴隷達が地面に額を擦りつけて平伏する。

「丹ベアム殿、貴女は、青晶蜥神救世主の降臨をご存じか?」

 

     *****

 翌日、イルドラ兄妹はゲイルの背に跨がり、二つ先の村にあるヌトヴィア王ハルマイの館に出掛けた。
 寇掠軍帰還の祝いの宴に大山羊と酒を引き出物とし、奴隷に運ばせている。

 ヌトヴィア王ハルマイは40歳。
 「王」の嘉字を持つ事から分かるように、何代か前の神聖王の血筋だ。

 神聖王の血統の神族は「ゲェ派」を名乗る。
 とはいえ一般の神族と権利的に違いは無い。
 神聖王に世継ぎの男子が無い場合、「ゲェ派」の中から選ばれる率が高いというだけだ。

 しかしながら神聖王の男子血統、しかも神族同士の婚姻により代を継いできた家系は、それなりの権威を認められる。
「王」や「上」「天」という特別な嘉字を用いるには、それなりの条件が必要だ。

 

 ヌトヴィア王の邸宅は屋根に真鍮の板を葺いている。
 黄金で飾りたい所だが、さすがにそれだけの資金が無い。

 ちなみにイルドラ邸は白い石貼り。
 金属葺きと違って毎日磨く手間は要らないが、ヌトヴィア邸に比べるとさすがに見劣りがする。

 庭には既に何体ものゲイルが繋いであった。
 寇掠軍に参加した、あるいは祝いに来た神族らの乗蟲である。
 10数騎が蝟集すると、さすがに大迫力。世界でも滅ぼすかの威容だ。

 ただの奴隷では如何とも出来ず、ただ恐ろしく遠巻きに眺めるのみ。

 実は、神族はゲジゲジの聖蟲を用いて遠隔でゲイルを操作できる。
 番をする必要など無いのだ。
 何も知らぬ奴隷は怯えるばかり、食われぬよう祈るばかりだ。

 

 屋敷に入ると既にタコ神官が楽を奏で、宴会が始まっていた。
 タコ巫女が舞い踊り花を撒き、カエル巫女が客に酒を勧める。

 ギィール神族の宴会には馬鹿騒ぎは無い。
 額のゲジゲジの聖蟲は精神に直接影響を与えるので、酒を飲んでも酩酊するのを許してくれない。
 人事不省になるまで飲むと命に関わるから、嗜む程度に留めるものだ。

 代わりに馬鹿騒ぎ役という専門奴隷が居て様式化した泥酔を繰り広げる。
 それを眺めながら清談に興じるのが宴であった。

 神族の宴は神事に属する。
 白い石の階が神族の座となり、最も高い壇に主のヌトヴィア王ハルマイが座る。
 左の傍らには蝉蛾巫女のエイムールを侍らせていた。

 その一つ下の壇に寇掠軍に参加した神族が4名、左右の壇に祝いに参じた神族が3名座る。
 最下段には、神族の生まれながら聖戴を受けぬ者が位置する。
 聖蟲を持たずとも優れた者、知性の高い学識有る者は尊ばれる。神聖王の廷臣となった者も参じていた。

 用意される席に着いたイルドラ兄妹は、逆に聖戴の祝いを皆から受けた。
 寇掠に出る前に丹ベアムは第六の試練を見事成し遂げて、残る第七の試練「王都にて金雷蜒の聖蟲に選ばれる」のみであった。
 誰も何の心配もしなかったが、改めての祝福だ。

 通常の寇掠軍帰還の祝宴では、戦果の発表を蝉蛾神官が朗々と歌い上げるのだが、今回はいきなり核心に移る。
 丹ベアムは恐れ気もなく尋ねた。

「ヌトヴィア王、キルストル姫アィイーガ殿はいかがなされた。黒甲枝に討たれたか。」

「その事だ。
 結論から申すと、彼女は無事だ。いや、我らが見た最後までは無事であった。
 今は神都ギジジットに居るはずだ。」

 おおおーと祝宴に集まった者から驚きの声が上がる。
 金雷蜒神の地上の顕身が坐す都にして王姉妹の支配する「ギジジット」は、一般のギィール神族にとっては禁断の地だ。
 無用の諍いを引き起こさぬよう、神聖王の勅許を得てでないと踏み入れない。
 アィイーガが勅許を持っている筈が無いから、死罪に値する重大な犯罪だ。

 ハルマイは逆に丹ベアムに尋ねた。

「ベアム殿はトカゲ神救世主が方台に出現したのを御存知か。
 我らは毒地の霧に巻かれ世情に疎くなっており、褐甲角王国の戦利品の中から初めて知ったのだ。」

「おお、それはまことであります。
 現にこのあたりにも青晶蜥神救世主の名代を名乗る一行が参りました。
 青い光を帯びた直剣をうやうやしく掲げ、鋼鉄をも分断し病に苦しむ者を癒して北へと去りました。」
「ほお、鉄を斬るとのお。」

 兄のイルドラ泰ヒスガパンが尋ねる。

「姫アィイーガ殿の御帰還が無いのと、青晶蜥神救世主との間に繋がりがおありか。」

 

     *****

 「シンクリュアラ・ディジマンディ」に参加した神族は互いに見合わせ、ハルマイに任せる。

「我らは救世主に毒地中で遭遇した。」

 驚愕の沈黙が広間に拡がる。
 ただ馬鹿騒ぎ役が痴れ芸を披露する虚しい歓声のみが残った。

 さすがに空気の緊張を察したタコ神官達が楽を奏でるのを止め、ヌトヴィア家の家令に指示を求める。

 ハルマイは傍らに座っているエイムールに小声で指示した。
 彼女が優しく歌い出すのを合図に、再び宴は華やぎを取り戻す。

 寇掠軍に参加した蝉蛾巫女「エイムール」は髪を短く切り少年のような冷めた容貌だが、24歳になる。
 蝉蛾巫女は風の流れ気候の変化を感じ取り、毒地中でも隊列を安全に導く役を務める。

「毒地中に、なぜ救世主が居るのだ。」

 祝いの神族が尋ねる。それが今宵の宴一番の趣向だ。

「トカゲ神救世主は神族の狗番を一人、さらに「フィミルティ」を名乗る蝉蛾巫女を伴っている。
 エイムールの知る者で、盲目でありながらもよく風を読む優れた巫女だそうだ。
 これを伴うは紛れもなく、毒地中を旅するのが目的。
 目指すは「神都」以外にはあり得ぬと知れる。」

「なんと、青晶蜥神救世主はギジジットを冒すか。」
「ヌトヴィア王はそれを看過なされたか?」

「許すわけが無い。
 相手はわずかに3名。女2名に狗番が1人、無尾猫にイヌコマが数頭だ。
 剣令に命じて皆殺しを命じたのだが、」

 ハルマイは銀の盃の酒を飲む。

「ひとり髪の長い少女が前に出た。
 青い筒袖の上着を着て、身の丈には合わぬ長い刀を左の腰に吊っていた。」
「それこそが、まさしく青晶蜥神救世主です。」

 丹ベアムの言葉に、ハルマイもうなずく。

「それがトカゲ神救世主だ。
 右手に青く輝く不思議な扇を持ち、右から左に仰ぐと、百名の兵どもが風に煽られて20歩ほど吹き飛び地に転げた。」
  (注;十二神方台系に折り畳み可能な扇はない。団扇として語っている)

  馬鹿騒ぎ役が静かに泥酔芸を繰り広げる。彼は止まってはならない。
 奴隷も家臣も、神官巫女も、誰もが新たな救世主の話を聞きたがる。
 タコ神官も楽の音を控え、タコ巫女も鎮まる。
 静かに神族の言葉に耳を傾けた。

「兵どもはこれで戦意を喪失し撤退した。
 我らは本物のトカゲ神救世主であると断定して、6体のゲイルで同時に攻め掛かった。」
「青晶蜥神救世主は、徒歩であるのか。乗り物は」
「そうだ。何に乗る、担がれるは無い。
 その者は扇を仕舞い、刀を抜いた。中途半端に長い湾刀でそれを両手で構える。

 我らはゲイルで取りまき輪となって走り、弓で狙う。
 射掛ける寸前にそれは中に跳び上がった。ゲイルの背よりもまだ6杖(420センチ)も高い。
 そして宙に浮き、我らを観察する。誰が最も与し易いか見定める。」

 丹ベアムは驚いた。

「ガモウヤヨイチャンは空を飛べるのか!」
「トカゲ神救世主は「ガモウヤヨイチャン」というのか。」
「この地に参った名代より聞いた。真名は「ガモウヤヨイチャン」らしい。」

「うむ。救世主は飛べるのだ。あまり高くは飛ばない、だが驚くほど早い。
 ミョネ燕のようにゲイルの肢の間を飛び交っていた。

 我らは同士討ちを避け弓を使うのを諦めた。
 槍でひっかけようとしたが、湾刀で穂先をぽんぽんと刎ね飛ばされてしまう。
 確かにあれは鉄を斬る。」

「アィイーガ殿は、救世主にやられたか。」
「そうだ。あれ一人が女であるのを見定めた救世主が、ゲイルの騎櫓の縛り紐や鎖を斬り始めた。
 背から振り落とされて地に落ちた。かなり強く打って失神したようだ。」

 泰ヒスガパンが尋ねる。

「姫アィイーガ殿は救世主に虜にされた、という事だな。」

 彼とアィイーガは歳が近く、結婚の謀が進展している。
 神族同士の結婚は互いに我が強くなかなかうまくいかないが、泰ヒスガパンは性格が良い。 
 ヌトヴィア王の血縁で格式のあるキルストル姫アィイーガにあてがおう、と画策していた。

 ハルマイは彼に答えた。

 

     *****

「毒地を行くには、どうしても神族の能力が必要だ。道案内を欲したのだな。
 アィイーガを虜にすると後は用無しと思い定めたのだろう。
 再び扇を取り出して、我らを吹いた。」

「ゲイルを吹きましたか。して結果は。」

 寇掠軍に参加した者は皆顔を見合わせる。
 ハルマイも苦笑いして傍らのエイムールを抱いた。

「飛ばされたよ。6体のゲイル騎兵が揃って半里(500メートル)も飛ばされた。奴隷どもを笑ってはおれないな。」

 

 さすがにこれは信じられない。宴の者皆笑う。
 奴隷や神官達も追従して笑いを見せる。
 祝いの神族がそれは無いと尋ね返した。

「どれほどの力で吹き飛ばすというのだ。ゲイルなど千人集めても担げぬぞ。」
「それが飛ぶのだから救世主は6千人、1万人力だな。」
「冗談ではなく?」
「本当の話だから面白いのだ。」

 宴席に侍る全ての奴隷が凍りつく。
 今、屋敷の外で林の触れ合う音を立てている巨大なゲイルが揃って宙に飛ばされた?
 想像にも出来ぬ事を為したというなら、その者はまさしく神であろう。

 

「その後アィイーガの狗番が主を迎えに行き、これも戻らなかった。
 主従共に虜となったのだな。」

 神族達が顔を見渡してしばし相談した。
 ハルマイの話があまりにも突飛なので、担がれているのではないかと疑ったのだ。
だが、丹ベアムは続きが聞きたい。

「ヌトヴィア王。貴殿等は姫アィイーガ殿をそのままお見捨てになられたか。」

 ハルマイは笑う。大きく朗らかに笑う。

「こんな面白い話を見過ごして帰る神族があろうか。
 だが奴隷共を引き連れては奪還は無理と思い、2人に任せて3人でゲイルのみで追跡した。
 しかしな、遠くから探ったのみであるが宿営の会話を盗み聞くと、あやつはすっかり籠絡されていたのだ。」
「ろうらく? では諾々とギジジットに救世主を案内したと言うのか。」

「アレの気持ちはよく分かる。
 儂とてそのような立場となったら、喜んでトカゲ神救世主に加勢したろう。」

 若い丹ベアムは分からないが、おおよそのギィール神族は世に退屈しきっている。
 寇掠軍で褐甲角王国を責めるのも暇潰しの一環だ。
 千年一度の救世主が無謀にも神都ギジジットを襲うというのなら、誰だって喜んで付いて行く。

「探っていく内に分かったのだが、救世主の一行を追っていたのは我らだけではなかったのだ。
 少なくとも5組の隊が狙っていた。

 救世主の一行は実に大雑把な計画で動いていてな、人数が少ないから長距離を移動できない。
 そこで経路上にある寇掠軍の補給地や宿場を飛び石伝いに襲って物資を略奪し、ついでに奴隷共を脅して口止めをしていったのだ。
 『黙っていればトカゲ神救世主に協力した事を秘密にしてやろう』とな。

 実に狡猾だ。そのような事実が表沙汰になれば一族皆殺しに遭う。
 誰もが進んで救世主の手伝いをしていたぞ。
 だがそれでも安心できず、霧に隠れて追跡し口封じを目論む奴らが居たわけだ。」

「なにやら悪党の手口に似ているな。」
「実際、救世主は大した悪党だ。

 またこれはトカゲ神の聖蟲の力であろう。
 我らが戴くゲジゲジの聖蟲の知覚では救世主の一行の姿を捉えられなくなるのだ。
 アィイーガの聖蟲もしばしば不明となる。
 気配を消す能力があるのだな。

 この状態で道中出くわした寇掠軍を強襲し、砂塵を吹き荒らして自らの正体を隠し、驚き捨てていった物資を強奪する。」
「……おもしろいな。」

「もちろんすべてがうまくいくわけではない。
 どうやら王姉妹の暗殺団が蠢いていたらしく、集積所では無関係の兵共々火で包み焼き殺さんともしていた。
 正体不明の暗殺者も居たな。
 胡乱な輩は我らが打ち殺して骸を調べてみたが、褐甲角王国の者であったり神官の証を持っている者も居た。

 どちらにしろ、トカゲ神救世主は尋常の街道を行くだけでも襲撃を受けるのだ。
 敵しか居ない毒地を進んだのはむしろ好判断であっただろうよ。」

 聞く神族達は羨望と嫉妬に囚われ、居ても立っても居られなくなる。

 そういう面白い体験をする為にこそ、神族になったのだ。
 千年一度の救世主が下るという事は、世も千年来の大混乱となるに違いない。
 今こそゲイルに跨り戦場に乗り出すべきだった。

「して、探索行はどうなったのだ。」
「20日余りを要して救世主の一行はギジジットの領域に入った。
 これより後は我らにも侵入は難しく、また有象無象も増えてきて、これ以上はと諦めた。
 アィイーガも元気そうだからな。

 他の追跡者は禁域に突入したのだろうが、そのすぐ後であの地震だ。
 青い光の瀑布に曝されて如何なったものかな。」

 

     ***** 

 翌早朝、ヌトヴィア邸を辞したイルドラ兄妹は目映い朝日の中ゲイルを前後に並べて帰って行った。

 ヌトヴィア王以下の「シンクリュアラ・ディジマンディ」は二三日休息を取った後、王都ギジシップ島に向かう。
 神聖宮に参内し、聖上(神聖王)に見聞きしたものを報告する。
 今後予測される事態への王国の対応を進言するつもりだ。

 丹ベアムはゲイルの背に騎櫓の縁に腰を掛け、爽やかな風に髪をなびかせる。
 左右の新緑を鮮やかさ眺めながら。
 今年はッツトーイ山脈の自然も殊の外元気が良い。
 毒地が浄化された影響が山を越えても効いているのかも

 前を行く兄に語りかけた。

「兄上、いま何を考えているか当ててみせましょう。」

 泰ヒスガバンは振り返りもせずに答える。

「わたしこそ、お前が何を考えているか、当ててみせよう。」
「フフ。」

 気持ちは一つに決まっている。
 毒地が浄化され往来が自由になったとすれば、褐甲角軍が攻めて来るのは必然。
 金雷蜒神が御座を設ける神都ギジジットを黒甲枝に抑えられてしまえば、ギィール神族も存立し得ない。

「ギィール神族八番目の試練は「王国を護る為にその命を投げ出す」、ですね。」
「そうだ。お前も私も未だに寇掠軍に出征していない。
 お前には少し早いかもしれないが、」
「ご心配なく、準備は常に整っております。」

 だが泰ヒスガバンは答えず、前を見続けた。

「……ヌトヴィア王の話と、プレビュー版青晶蜥神救世主の一行を率いるティンブットの話と、こうも食い違うものか。
 ヌトヴィア王の申されようでは、ガモウヤヨイチャンはまるで闘神ではないか。」

 丹ベアムもその点には違和感を覚えていた。

「ッイルベスは救世主とうりふたつという話でした。
 あの優しげな少女とおなじ姿を持つ者が、ギジジットを鳴動させる激闘を金雷蜒神と交わし毒地全体を揺るがすとは、確かに解せません。」
「それに、毒地を浄化してしまえば褐甲角王国と必然的に衝突する。
 平和を望む者ならば、決してそのような選択を取るまい。
 まして青晶蜥神救世主は癒しの神の使いだ。」

「まるで我らを戦いに駆り立てる所業です。」
「だが、傷ついた大地を癒すのはいかにも青晶蜥神の為せる業ではある。
 これは一体何者なのだ?」

 聡明なイルドラ兄妹にも、ガモウヤヨイチャンの全貌が掴めない。
 むしろ世界を滅ぼす為に遣わされた天魔と呼ぶ方が、理解が容易かった。
 妹は兄に問う。

「ガモウヤヨイチャンが方台に害を及ぼす者と見定めた時、兄上はどうなさいます。」
「殺す。
 だがゲイル6騎を一度に吹き飛ばす者だ、私ごときでは叶うまいな。」

「ですがもしも、我らが聞いた事全てが正しくその者の姿であり、天河の計画に則ったものだとすれば、いかがなさいます。」

 泰ヒスガバンは振り返り、妹に微笑んで見せた。

「その時は、救世主は我らが遠く及ばぬ崇高なる存在と認め、足元にひれ伏すしかない。」

 

 屋敷についた二人は、すぐさま家令を呼んで寇掠軍の準備を整えさせた。
 兵はメガアラム村からは連れていかない。
 毒地には兵を購う市があり、荷物持ちの奴隷兵やそれを指揮する剣令を調達する事が出来る。
 神族はゲイルと狗番、それと黄金を用意すればいいだけだ。

 寇掠の留守を託す為に、二人して屋敷の近くにある工房へと足を伸ばす。
 そこは年老いた神族イルドラ碑サンマンの鍛冶場となっていた。
 二人の物作りの師匠であり、二人が帯びる剣も彼の作品だ。

 工房の扉を開ける前に、碑サンマンの声が掛かった。

「寇掠軍に出征るのだな。足音で分かるぞ。」

 赤い炭火で照らされる彼の顔には深い皺が刻まれ、眉が歪んで片目が無い。
 長く火を見詰め過ぎて潰れてしまった。
 額の聖蟲の黄金の肢が焔に煌めく。

 泰ヒスガバンは作法に則り深く礼をして、言った。

「留守を頼みます。
 此度の寇掠軍はこれまでに無い激しい戦となるはず。黒甲枝と直接ぶつかる事になるでしょう。
 二人とも戻らぬ事も御座います。」
「トカゲ神救世主が呼んでおるのだな。

 気を付けよ、糞転がしどもはこれを予言の戦と心得る。
 奴等が千年待ち望む雌雄を決する大戦と猛っておるよ。」
「褐甲角神武徳王の予言でありますか。」

「そうだ。そして我ら金雷蜒王国二千年の治世に天河の審判が下る戦なのだ。」

 丹ベアムにはそうは思えない。
 いかな激戦でも二つの王国が滅びるはずも無い。
 最終的には膠着し両軍疲弊、決着をつけずに停戦に持ち込まれるのが明白だった。

「御老体。では審判の後、方台はどのような姿になるとお考えです。」

 兄が止めるのも聞かずに、ベアムは尋ねた。
 師匠に泡を吹かせるのも弟子の務めであると彼女は考えている。
 ここで即答できないようでは、聖戴に到る第六の試練「賢者の質問に淀みなく答え続ける」に通らない。

「そうだな。何も起きぬのではないか。」
「なにも?」
「そうだ。何も起きぬが、すべてが青晶蜥神に塗り替えられている。
 ゲジゲジと糞転がしの争いなど意味が無くなっているのだよ。」

 泰ヒスガバンが引き継いで妹に言った。

「だが人は死ぬ。大勢死ぬ。
 生き残った者にとって、世界はすでに別物と化しているだろう。」

 炉の前に座る老人が立ち上がる。
 年老いた肢体は筋張り樹の枝のような節があり、至る所に残る火傷の跡が年輪にも見える。
 このまま古びて自然と一体化するように、二人には思われた。

 彼は工房を離れて宝物蔵に行き、布に覆われた背丈ほどの筒を抱えて来た。

「持って行くがいい。儂が若い頃に考えた甲冑神兵を殺す武器だ。」

 金属を抉る螺旋の穂先を持つ槍だった。
 過酸化水素水を用いて空を飛び、自ら敵を求めて襲いかかる”眼”を持つ。

 老人は槍を青く抜ける空に掲げて、感慨深げだ。

 「これを使う日が来ようとはな。」

 

未来の話】

 第三代青晶蜥神救世主星浄王「来ハヤハヤ・禾コミンテイタム」は、彼女の国に弥生ちゃんが来た時の話をした。

「ガモウヤヨチャさまはこう仰しゃいました。
 十六神星方臺の人間は、十二神方台系の人間に比べて怠け者だ。
 気候が良く何もしなくても食べて行けるのをいいことに、遊び惚け過ぎている、と。」

 彼女は弥生ちゃんが西の海に小船で去った3年後、同じ船に乗ってやって来た。
 トカゲの聖蟲を授けられ、弥生ちゃんが使ったハリセンを持ち、
 弥生ちゃんの額に居た青晶蜥神の化身ウォールストーカーを伴う。
 十二神方台系を治める為に遣わされたと申し述べ、海岸を警備していた黒甲枝を驚かせた。

 褐色の肌に青い瞳、長く豊かな黒髪という特異な風貌を持つ彼女は上陸時わずかに13歳。
 無邪気な性格ではあったが極めて聡明。
 方台を治めるのに苦労していた第二代星浄王を助けて、青晶蜥王国を磐石にするのに尽力した。

 青晶蜥神のトカゲの聖蟲は初代二代三代の3匹のみで留まる。
 中でも弥生ちゃんが額に頂いたウォールストーカーをもって大聖と定む。

 ハヤハヤはまた、十六神星方臺を救った後の弥生ちゃんの消息も伝えた。
 トカゲの聖蟲を手放した弥生ちゃんはカタナ一本のみを手にさらに西の海の先へと旅立つ。
 やはり救世を待ち望む人達の居る世界へと。

 再び十二神方台系に戻ると信じていた人達は大いに嘆き悲しみ、弥生ちゃんの墓を築いて神霊と崇めた。

 彼女が乗ってきた小船には、弥生ちゃん本人の手によって選ばれた十六神星方臺の有用植物の種や苗木を積んでいた。
 南国の気候に育つ植物の半数は根付かなかったが、それでも世に益となるものが多数有り、
特に香辛料は食卓を劇的に変え人々に喜ばれた。

「ヤヨチャさまは私達を見てよく「ヒンド人もびっくり」と仰っしゃいました。
 どういう意味でしょうね。」

 

 

第九章 若干五月蝿い大地の恵み(仮
  (旧題「弥生ちゃん、平原にて蝗の大軍に襲われる」) 

 ギジジットを発った青晶蜥神救世主蒲生弥生ちゃん一行は、十日余り後ギジェカプタギ点近くの平原に到る。
 ここで長の逗留を余儀なくされた。

 ギジェカプタギ点は方台北部聖山山脈に沿って東西を繋ぐボウダン街道の東金雷蜒王国側の関所。
 対して褐甲角王国も東隣にカプタンギジェ関を設けてある。

 東金雷蜒王国側は褐甲角の神兵の侵攻を恐れて大要塞群を建設した。
 褐甲角王国側は逆にそこまで防備を固めていない。
 やはり神兵の戦闘力は防御に回ると抜群だ。

 ためにギィール神族はゲイル騎兵の機動力を生かして毒地中よりいきなりボウダン街道に、また南北を貫くスプリタ街道に直接出現する。
 これが「寇掠軍」だ。
 毒地の詳細を知らない褐甲角軍は、神兵は通れても一般のクワアット兵や輜重が毒に巻かれて死んでしまう。
 逆侵攻しようと思えば、大要塞ギジェカプタギ点を陥すしか無い。

 というわけ、ギジェカプタギ点の城壁を乗り越える特別戦闘団として「赤甲梢」が組織された。
 一騎当千の強者が、機動力運動能力に優れた軽量の「翼甲冑」を用いて、高さ20メートルもの壁をよじ登る。
 無論激烈な抵抗は当然で、赤甲梢神兵にも多大な被害が予想される。

 

 ではあるが、れっきとした最前線であるのだが、
ここを守る兵士双方に、実は緊張感はあまり無い。

 ボウダン街道は褐甲角王国と東金雷蜒王国とが公式に交流する唯一の道であり、交易の大動脈となっていた。
 褐甲角王国からは穀物や布、木材が、東金雷蜒王国からは工業製品が輸出される。
 高度な技術を要する兵器、大弩や刀剣、神兵が用いる重甲冑すら敵国から買っている。

 また聖山神聖神殿都市へ東金雷蜒王国から巡礼するにもここを通らざるを得ない。
 聖山には金雷蜒神の神殿都市「ウラタンギジト」があり、神聖王と血筋を同じくする「神祭王」とギィール神族が常時奉仕する。
 都市防衛の為にゲイルすら10数騎を所有した。
 ウラタンギジトへ神族が赴任する際にも、神兵の監視が着き限定的だが、ゲイルに騎乗したまま旅する事が許可される。

 事ほど左様に両国は結びついているのだが、公式には国交が存在しない。
 金雷蜒王国側は褐甲角王国を対等の国家とは見做さなかった。
 あくまでも神族の支配に抵抗する叛徒であるのだ。もう千年も国として分かれているにも関わらずだ。

 

 さて弥生ちゃん一行である。

 尋常に考えるとギジジットからウラタンギジトへ向かうのであれば、
一度東金雷蜒王国に入りギジェカプタギ点より褐甲角王国に入国すべきである。
 だが寇掠軍が用いる毒地成立前の古街道を使って、直接褐甲角王国領に入ろうとする。

 王姉妹とギィール神族は歴史的にとても仲が悪い。
 通例の道中でもギジェカプタギ点を管理する神族の将軍から様々に嫌がらせを受けた。
 無用の詮索や荷物検査を、また多額の関銭を分捕られる。
 褐甲角王国側に入っても同様の処遇を受けるのだから、直接カプタンギジェ関に出現して1度で済ます方が経済的だ。

 ましてや今回は弥生ちゃんだ。
 ギジェカプタギ点に出頭したら早速逮捕され王都ギジジット島に押送されてしまう。
 目的地は褐甲角王国内にあるのだから、どうせとっ捕まるなら褐甲角側の方が効率が良かった。

 というわけで、ボウダン街道と古街道の結節点より南に1日の距離に宿営地を設ける。

 褐甲角王国と東金雷蜒王国の毒地平原の境界線はあいまいだ。
 一応は「毒地の毒霧の効果で人の入れない領域からが東金雷蜒領」となっているが、風の向きその年の気候により変動する。
 簡易な木の柵が設けられているが、おおむね「ボウダン街道より南に徒歩1日の距離」が境界と考えられていた。

 結節点には小さな村がある。村から東に3日の場所にあるのがカプタンギジェ関だ。
 健脚の神官戦士を使者として遣わしたが、ギジェ関の神兵は驚いて1日で走ってくるだろう。
 にも関わらずまだ現れない。
 トカゲ神救世主をどのように取り扱うか、会議は紛糾している。

 無理も無い話で、今現在ギジェ関は毒地浄化の影響でとんでもない大混乱を来していた。
 毒地の浄化で往来が可能となった事で、にわかに両軍激突が予想される。
 それに先んじて両軍の間者が双方に侵入を図ろうとするのは必定。
  一般商人の中にも間者が居るのは公然の秘密であるが、倍三倍も入ってくるのは阻止せねばならぬ。

 通常の通関手続きで済ませるわけにはいかず、双方の関所で厳密に身元を調べているからとにかく時間が掛かる。
 係官も不休不眠で超過勤務、人手が幾らあっても足りない。
 さらに加えて、トカゲ神救世主の到来だ。
 対応に手が回らないのも仕方がない。

 もちろん両軍不意の衝突に備えて、関・要塞の軍備を割くわけにはいかなかった。

 こういう時の為に、ボウダン街道には遊弋する特別戦闘団がある。
 「赤甲梢」だ。

 

      *****

「ふーむ。ゲルワン・カプタだね。」

 望遠鏡を覗いた弥生ちゃんは呟いた。

 平原の毒は浄化され草木がすこやかに生い茂る。
 当然虫や動物にとっても良い環境になっていた。
 千分の一しか生き残らないはずの虫の卵がそっくり孵り、ゲルワン・カプタ(蝗)の大量発生となったのだ。

 これは弥生ちゃんの責任である。
 自分で後始末をつけようと、イヌコマに乗って浄化された毒地を走り回っている。
 付いて来るのは、イヌコマに乗れる体重の蝉蛾巫女フィミルティおよび快速の無尾猫だけだ。

 フィミルティはぐるぐる眼鏡を左右に振り宙を飛び交うバッタの群れを見て、おののいた。

「ガモウヤヨイチャンさま、これは一体どうしたことでしょう。
 蝗がこのように大量発生するのは天が人を罰する時とされていますが、救世主さまがいらっしゃるのに。」
「いや、蝗の害というものは自然現象だから天意関係無いんだけど、これは計算外だった。」

 おそらくは、毒地の周辺全てが同じ状況に陥っているだろう。
 ギジジットから地下水道を通って撒かれていた毒は、本来は除草剤や殺虫剤である。
 無くなれば雑草や虫がはびこるのは当たり前だ。

 ギィール神族は毒の成分をよく知っており、取り扱い方も弁えている。
 場合によっては彼らに頼んで再び毒を撒き、害虫退治をしなければならないだろう。
 完全有機農法とは言えなくなるが、背に腹は替えられない。

 ちなみにゲルワン・カプタは食用である。
 煎って食べるとこりこりと香ばしく、また挽いて粉にして調味料としても使われる。
 弥生ちゃんの舌にはどう味が変わるのかよく分からないが、ともかくイヤな感じではない。

「これだけの蝗を捕まえれば、大儲け間違い無しなんだけどなあ。」
「なにを呑気な。いかがなさいます、また氷の槍でも降らせて退治なさいませ。」
「そんな安直な。」

 しばらく行くと東西にまばらに並んだ木の柵に出くわした。
 簡素なもので乗り越えるのに苦もない。
 これが、褐甲角王国と東金雷蜒王国の国境である。

「ガモウヤヨイチャンさま、戻りましょう。」
「そうだな。」

 振り返ると、一面に緑が広がっている。
 わずか二ヶ月前に浄化されたのに、既に自然が回復し草が生え始めていた。
 ただ土壌が薄いので、それほど大きな樹木は生えてこないだろう。
 ここを農地に戻すには、大量の人手が必要だ。

 柵の根元、伸びた草の蔭に、黄灰色の虫が走って逃げた。
 ギィール(ゲジゲジ)だ。口には蝗をくわえている。
 荒野を走って虫を捕食する土の色に迷彩したこの生き物には、緑の原は迷惑だろう。

 

 イヌコマを走らせてゲジゲジ神官達の元に戻る。

 天幕の列の脇に1体巨大なゲイルが居る。
 全長14m、高さは5m。アィイーガの乗蟲だ。
 これが先程のギィールを品種改良したものだとは想像もつかない。

 隊列に戻るとキルストル姫アィイーガが出迎えた。
 額の上の聖蟲は、先程のギィールとうりふたつ。
 ただ身体の色は金色で目が赤く輝き、なんとなく知性を感じさせるところがちょっと違う。

 アィイーガは右手を振って、顔に飛びついて来た蝗を払った。
 食事の用意をする鍋にも水瓶にも飛び込んで来て、ひどい迷惑だ。

「これはどうにかならんものかな。」
「なるよ。毒を再び撒けばいい。」
「おおなるほど。それはそうだ。
 毒樽の持ち合わせは無いが、ゲイルをもらった寇掠軍に分けてもらえばよかった。」

 アィイーガのゲイルはギジジットから連れてきたものではない。
 道中折りよくどこかの寇掠軍と遭遇してこれを撃破、分捕ったのだ。
 ギィール神族は弥生ちゃんが青晶蜥神救世主だと知ると、必ず挑戦して来る。
 隣にアィイーガが居ようがゲジゲジ神官が止めようがお構い無しだ。

 神官と神官戦士達が弥生ちゃんの帰還を地面に跪いて出迎える。
 追いつくものなら供をするのだが、イヌコマは弥生ちゃんを乗せた状態でもとっとこ走る。
 最高時速40キロだ。
 狗番と違い護衛は本来任務では無いのだから、と諦めるしかなかった。

「救世主様、御視察はいかがでございましたか。」
「よくない。地元に農家は無いかな。ちょっと話が聞きたい。」
「そうは申されましても、それは褐甲角王国に入るという事ですから、関を通るまでは御辛抱ください。」

 イヌコマを降りて神官戦士に任せたところで、ようやく無尾猫が追いついた。
 弥生ちゃんの足元にへたり込む。
 ネコは快速だが長距離を走るようには出来ていない。
 口を大きく開けはあはあ息をしながら、言った。

「ネコに優しくない人だと聞いていたけど、あんまりだ」

 今傍に居るネコはギジジットに付いて来た連中ではない。
 人の居る場所に近くなると他の無尾猫が姿を現して、無尾猫決死隊と密着取材の役を交替する。
 一匹また一匹とあいさつも無しに離れて行ってしまう。この薄情さがネコであろう。

 無尾猫は仲間に会うと超音波で自らの体験をそっくりそのままに伝える。
 体験を共有したネコは、人に会って餌の代金として噂を話し、人間社会にどんどん広めて行く。
 風の早さで伝わっていくのだ。

 アィイーガは言った。

「新しいネコの話だと、青晶蜥神救世主のにぎやかな一行がギジェカプタギ点にようやく到着したそうだ。
 プレビュー版とやらだな。」

 アィイーガはティンブットとは面識が無い。
 弥生ちゃんがそれほどにタコ巫女を待つのをいぶかしく思っている。
 しかし、ティンブットは弥生ちゃんの保護者みたいなものだ。
 彼女が居ないと地に足が着いていない気がする。

 救世主なんて座興にやるべきものであって、本気になってはいけない。
 それが、別の世界からやって来て救世主の役をする者の節度というものだ。
 ティンブットのいいかげんさはその事を弥生ちゃんに教えてくれる。

「明日、近くの村に行ってみよう。
 規則通りに関所で許可をもらうのは、やめた!
 どうせ小役人がやって来てあーだーこーだ言うのだろうから、
 逆にこっちから出向いてもっと権限の人間を呼び出そう。」

「おう、それでこそ青晶蜥神救世主だ。
 神官どもと同じ法に縛られねばならぬ理由は無いからな。」
「ガモウヤヨイチャンさま、また胃が痛くなる人間を増やすおつもりですか。」

 

      ***** 

 胃が痛くなる人間は、褐甲角王国にも百人ばかり居た。
 カプタンギジェ関に詰めるのは皆神兵であるが、誰一人として青晶蜥神救世主を扱う権限を持っていない。

「このような案件は、王族の方でないと我々では、」
「それも神聖秩序に詳しいメグリアル王家の方でないと、」

 というわけで極めてご都合主義的に存在する赤甲梢総裁と元総裁がギジェ関に呼び出される。
 メグリアル劫アランサ王女とキスァブル・メグリアル焔アウンサ王女だ。

 新総裁はともかく、元総裁に対してギジェ関の面々は渋い顔。
 常に騒動を引き起こし、また弁が立ちいいように言いくるめられてしまう事も度々。
 軍の秩序から逸脱する事甚だしいが、実績も疑いようのない見事さであるから、黒甲枝は閉口する。

 その焔アウンサ王女は、
目の前で繰り広げられる無益な討論にあくびが出る。うんざりだ。

「我らに許された権限では青晶蜥神救世主を留める事が出来ない。」
「カプタニアからの通達では、恐れ多くも武徳王御自ら青晶蜥神救世主の扱いを定められたとの事。
 それによると、その身柄は一身で王国と成し、褐甲角の国法の適用は能わず、となっている。」
「つまりは、通りたければそのまま通さねばならないが、それで関の番人が務まるのだろうか。」
「務まるわけがない。随員にギィール神族と狗番を伴っているのだぞ。」
「そもそも、真の救世主か否かは、どうやって見分ければよいのだろう。」

 どこの世界にも官僚主義は根強く息づく。
 まして王国に固く忠誠を誓う黒甲枝に柔軟な発想を要求するのが無理な話だ。

 もちろん王都カプタニアに、またボウダン街道起点のデュータム点のメグリアル王家に急使を送って指示を仰ぐ。
 だがどちらにおいても、やはり虚しい会議が繰り広げられているだろう。

 焔アウンサは姪の新総裁を見る。
 実務の現場で正式の権限を持って望む初めての会議だが、これほどの醜態を見せられるとは。
 もちろん端座したままで決して内心を表したりしないが、
焔アウンサは自身の経験から同情する。

 思わず声を出し、応答を促した。
 居並ぶ神兵達も注目する。
 今やキスァブル・メグリアル焔アウンサ王女は赤甲梢総裁職を退き、単なる相談役でしかない。
 実働部隊を指揮するのは若い劫アランサ王女なのだ。

「アランサ、青晶蜥神救世主の隊列を撃滅するかい。」
「何故そうなります。まずは平和的な交渉をおこなうべきではありませんか。」
「この面倒くさい状況において、余計な要素が介入するのは好ましくない。
 トカゲ神救世主の存在が影響して褐甲角王国が負ける事も、十分に考えられるのだよ。

 王族として早急に対処せねばならないが、
 今それが委ねられるのはお前だ。」

 メグリアル劫アランサ王女は17歳。
 焔アウンサの兄であるメグリアル王の長女だ。兄を3人持つ。
 もし未曾有の大戦が目前に迫っていると知っていれば、赤甲梢総裁は兄達の一人に委ねられただろう。

 しかし、どの兄妹が配属されようとも、この場においては同じ答えをしたはず。
 焔アウンサ王女の破天荒は、メグリアル王家には稀だ。

「王都の武徳王陛下の御裁可が無ければ、赤甲梢もギジェ関の軍も、青晶蜥神救世主に対して弓引く事はありません。
 すべては陛下がお定めになる事です。」

 焔アウンサは燃える赤い髪を?き上げる。
 そんな事はこの場の黒甲枝すべてが同じに思っている。
 何の解決にも成りはしない。

「よし分かった! 我らで真実の救世主であるか、確かめに行こう。」

「お待ち下さい。それこそ、誰がどのような権限で救世主を認定するかも定まってはおりません。
 やはりここはカプタニアよりの指示を待つべきだと。」

 ギジェ関の最高指揮官といえども、これしか言えない。
 あまりにも高度過ぎる判断で、如何とも出来なかった。

 ではあるが、劫アランサ王女は立ち上がる。

「さりながら、その方が真実の救世主ではない、との見極めはわたし達にでも出来るでしょう。」
「よく言った。我ら赤甲梢部隊は、青晶蜥神救世主を名乗る人物がニセモノであるか否かを判定に行く。
 本物かどうかはその後に、陛下より勅諚を授かった者に任せよう。」

 ギジェ関の神兵達はどよめく。
 ニセモノと決まれば直ちに撃滅する運びととなろう。
 それは許されるのか?

 王女達に付いてきた赤甲梢総裁輔衛視チュダルム彩ルダムが進言する。
 彼女は黒甲枝の重鎮にして褐甲角軍の総指揮を陛下より委ねられる兵師統監チュダルム冠カボーナルハンの娘である。
 この場の誰よりも、カプタニア中央政界に近い。

「もしもニセモノであると判明した場合は、逮捕してデュータム点に護送し正式に裁判を行うとします。
 ニセモノでなかった場合、赤甲梢は正式な認定使節が到着するまでその人物を保護する事となります。」

「お、おお。そのようにお願いいたします。」

 

 ようやくに会議室から解放された王女二人は、他に立ち寄る事無く広場に向かう。
 軍役に用いるイヌコマ数百頭に荷を上げ下ろしする場所に、場違いに背の高い獣が待つ。

 ギジェ関に来るのに、兎竜を7騎率いている。
 旗団長2名、護衛が2名、焔アウンサは自ら兎竜を駆る。
 劫アランサと彩ルダムは未だ兎竜の騎乗に習熟しない為、常人の甲冑装備の神兵の背に乗る。

 率いるのは黄旗団長カンカラ縁クシアフォン。
 赤甲梢ではあるが黒甲枝の名門の出で、ギジェ関の神兵達に侮られない。
 今回総裁に代わってめんどくさい事務手続きをさせる為に、無理に引っ張ってきた。

「総裁、どのように決まりましたか。」

 縁クシアフォンの問いに、新旧二人の王女は困惑する。どちらに尋ねたのだ。
 赤甲梢の者は未だに焔アウンサ王女を「総裁」と呼ぶ事が多い。
 それだけ深く、焔アウンサに心酔している。

「青晶蜥神救世主に一当たりしてみるぞ。ニセモノか否かを確かめる。」

 答えるのは叔母の方だ。

「ですが、どのように天河の御使いと確かめますか。」
「円湾でテュークの石像を斬り、ギジジットで金雷蜒神の山より大きな地上の顕身を斬ったという神威を喰らえば、
 褐甲角王国としても認めざるを得まいよ。」
「兎竜で勝てるでしょうか。」

 王女たちは考える。ちょっと無理なんじゃないかな、さすがに。

「とりあえずは赤甲梢の部隊が壊滅しない事を祈ろう。
 とはいえ一当たりするんだ、相手が怒る程度には武力挑発はするぞ。」
「はっ!」

 はーっと深く、輔衛視彩ルダムはため息を吐く。
 焔アウンサがそういう人であるとは長い付き合いで心得るが、新総裁までもが同意するとは。

 メグリアル劫アランサは、赤甲梢総裁として20年の長きに渡り職責を全うし伝説と呼べるまでの業績を誇る叔母を、鑑ともし自らも倣おうとする。
 特に風雲急を告げる情勢に、一刻も早く一人前になろうと思う。
 多少の無理も厭わない。

 焔アウンサは、権限が無いままに神兵達に命じる。
 何故だか誰も指揮権を疑わない。

「部隊に使いを出すまでもない。我らが兎竜で取って返す方がよほど早い。
 合流してから隊勢を整える。

 その前に、だ。腹ごしらえをして行こう。」

 ギジェ関は東金雷蜒王国との交易拠点。
 珍しい文物が集積され、東西に運ばれていく。
 暖かい東岸の果実や海産物が干物乾物となって内陸の平原に運ばれてくる。
 ゲルタなどの下魚ではない、ご馳走だ。

 質素倹約質実剛健の軍の糧食では、さすがに王女の忍耐も切れる。

 

     *****  

 弥生ちゃんは翌日、近くの村に遊びに出掛けた。
 「ベギィルゲイル村」という。

 随行するのはアィイーガとフィミルティ、お目付役のゲジゲジ神官が1名、ネコ数匹。
 旗持ちのシュシュバランタが掲げるぴるまるれれこ旗を先頭に、3人の狗番を伴って草原を進んで行く。

 小人数で目立たないように、のつもりだが、王旗を掲げてお忍びとはいかない。
 柵を越えると、たちまちに人に見られて逃げられた。
 アィイーガは金ピカの鎧を着用しているから、それはびっくりして通報するだろう。

「やはり、ゲイルに乗って来た方がかっこ良かったか。」
「騒ぎになるんだったら、いっそその方が話は早かったかもね。」

 ボウダン街道沿いの農地はあまり生産性が高くない。雑穀を植えている。
 しかし貧しくはない。
 畑も道もちゃんと整備され家々もまっとうな造りである。

 ボウダン街道の人足としての副収入が農業のそれよりも多い特殊事情を反映していた。
 ゲジゲジ神官の説明によると、このまま西に進むと紅曙蛸王国時代の女王の宮殿跡が有るそうだ。
 古来よりボウダン街道は交易の主要道路として繁栄してきた。

 村に入る前に、弥生ちゃんは蝉蛾巫女に尋ねた。

「こういう場合はさあ、行列は鳴り物付きで行進するんじゃないかな?」
「でしたら神官戦士達を同行なさればよかったのです。
 仕方ありません、私が歌いましょう。」
「頼むよ。」

 フィミルティは古代の紅曙蛸女王を称える歌を唄って一行を先導した。
 土地柄を考えて、警戒させないようにだ。
 ボウダン街道には今もタコ女王を崇拝し敬愛する者が多いと聞く。

 歌声に惹かれて集まった村人達は、不本意ながら弥生ちゃんではなくアィイーガの金ぴかを見て仰天し、道端にひれ伏す。
 褐甲角王国とはいえ、聖蟲を持つ者に対する信仰は遺伝子に刻まれたかに人々を従える。
 特に二千年方台に君臨してきたギィール神族は、ゲイルという神の似姿に跨り圧倒的な威容を誇る。
 ひれ伏さずになんとしよう。

 おっとり刀で駆けつけた村の邑兵隊も、武器を捨てて這いつくばった。
 弥生ちゃん、自分が要らないような気がしてきた。
 村の最長老であろう白髪の老人を助け起こし、青晶蜥神救世主らしい所を見せる。

 

 ちなみにこのベギィルゲイル村、交易の商人がしばしば逗留する宿場でもあった。
 数日前より東金雷蜒王国からの商隊が留まる。
 彼らも救世主のにわかの視察に大地にひれ伏し拝んだ。

 身をやつし姿を変えたチュバクのキリメの一党だ。
 元「ジー・ッカ」の暗殺者が事前に乗り込み安全を確認していた。

 

「え! この村に王姉妹が来た事があるの?!」

 案内されて、一行は村の広場にて露天で接待を受ける。

 話を聞けば、アィイーガに平伏するのも納得。
 この地は東金雷蜒王国から亡命する人の通行路として、何度もギィール神族や王宮の廷臣を受入れた事があるのだ。

「70年前の王姉妹、と言えば、……それはゴブァラバウト頭数姉様ではありませんか。」

 随行するゲジゲジ神官はさすがに故事に詳しい。
 70年前、神聖王ゴブァラバウトの一の姫がギィール神族と恋に落ち、王宮を終われる事になったとか。
 だが蝉蛾巫女フィミルティの方がよく知っている。 

「これは非常に有名な物語で、唄としても人気の高いものです。

 ゴブァラバウト頭数姉さまは禁を破って王宮外のギィール神族と恋をします。
 秘めやかな恋もやがて隠しきれず、二人はギジジットを出奔して毒地に逃れました。
 ですが聖蟲を戴く身でであれば逃げ切れず、ついには追手のゲイル騎兵に捕まります。

 二人は引き裂かれ、頭数姉さまは幽閉されました。
 ですが恋心已み難く、自ら聖蟲を返上して自由な身に堕ちてまでも恋人を求めました。
 王国を出奔し、方台をさすらって探しますが何処にも愛しい殿方の姿は見つからない。
 やがては自らも行き方知れずとなる、悲恋のお話です。」

 と、その一節を歌ってみせる。
 哀切に満ちた涙を絞り出す歌声に、恋愛モノには鈍感な弥生ちゃんも思わず目頭が熱くなる。

 

「話は変わるけれど、ゲルワン・カプタが大発生した際には、この村ではどういう対処をするの。」

 青晶蜥神救世主とギィール神族の卓に席を同じくする。
 礼典を無視した特別の栄誉に預り、村の長老は今死んでも悔いが無いほどの感激だった。

 弥生ちゃんは、人が下に這いつくばってよく聞こえない声でごもごもと話すのは嫌いだから、誰でも側に近寄らせる。
 狗番や神官達はその度に神経を磨り減らす。

「青晶蜥神救世主様に申し上げます。
 蝗は十年に一度は空を覆うほどに現われますが、人は為す術を知らず、ただチューラウの訪いを待つばかりでございます。」
「”チューラウ(青晶蜥神)の訪い”?」

 ゲジゲジ神官の話だと、それは毒地すなわち青晶蜥神の滑平原に特有の気象現象だ。
 秋の終わりに一夜にして野を霜が真っ白に覆い尽くし、氷雪の数ヶ月を過ごす。
 まさに冬の神「チューラウ」がやってきたと思わせる鮮やかな変化だそうだ。

「そうか、寒いのに弱いのか。そりゃそうだな。」
「冷気で蝗を落とそうというのか。チューラウの救世主だから当たり前の責任だな。」

 アィイーガは呑気にヤムナム茶を飲む。
 村長秘蔵の茶藻だがギジジットから持って来たものには遠く及ばぬ。
 極上品に慣れた舌にはいがいがと粘り着くように感じられた。

「そうは言ってもねえ、たかがカプタ(昆虫)だとはいえ、生き物を大量虐殺するのは気がひけるんだよ。」
「やらねば人が餓えるのだ。」
「そうだよ、だからやると言ってるじゃないか。」

 弥生ちゃんが十二神方台系の文化でで好ましく思うのは、どの生き物に対しても、たかが虫けらであってもちゃんと命を認める点だ。
 日本人である自分にとって普通の感覚がそのまま使える。かなり楽だ。
 もっとも、虫けらを頭に乗っけた人を尊しとする世の中だ。当然の反応ではある。

 フィミルティは平和主義者だから、こういう弥生ちゃんに共感する。
 アィイーガがちこちこといじめようとする気配を感じ取って、助け船を出した。

「蝗は食用になるのですから、拾い集めて市場で売ればよいのではありませんか。」
「……何千万匹を、食えというのかい?」
「  そんなに居ますか?」
「居るよ。」
「居る。」

「えーと。そうだ、畑にすき込んでしまいましょう。簡単です!」

 それではおもしろくない、と弥生ちゃんは首をひねる。
 もっと有意義な、それでいて救世主らしい、後の世の手本となる画期的アイデアが必要だ。
 が、完璧万能の弥生ちゃん唯一の弱点が、独創性に乏しい所なのだ。

 地球で高校生をしていた時は、八段まゆ子というマッドサイエンティスト気質の知恵袋が隣にあって、
奇矯なアイデアを水道の蛇口をひねるようにだばだばと供給してくれたのだが。

「まゆちゃんはこういう時、……汝欲望に従え、と言うなあ。」

 

     *****  

 一度毒地中のキャンプに戻って、翌日。

 弥生ちゃんは村人全員を伴って、平原に出た。
 全員が唐箕とモッコを装備する。
 見上げる空には無数の蝗が雲霞となり、太陽の光を遮っていた。

「一度しかやらないから、ネコもちゃんと見ときなさい。」

 と、腰の後ろからハリセンを引き抜いて大きく開く。
 むんと念を込めると、ハリセンは長さを伸ばして更に大きくなった。
 アィイーガが尋ねる。

「何をするのだ。」
「フリーズドライ!」

 神官巫女神官戦士と村人達が固唾を呑んで見詰める中、弥生ちゃんはハリセンを大きく振りかぶった。
 虫に翳る地平線の彼方を睨み、裂帛の気合いと共に叩きつける。

 そこに見えない壁があるようにハリセンは空気に激突し、青い閃光が炸裂して見る人の目を眩ませる。
 空気の歪みに我が身が吸い出される感触がして、思わず足を地面に踏んばった。

 歪みは平原の遠くにまで渡り、百雷が砕ける衝撃音が全域を包み込む。
 村人は二月前の地震を思い出し身震いする。
 誰かが叫ぶ。

「虫が落ちる!」

 空全体に篭っていた千万の羽音がぴたっと止み、ぱらぱらと雨が振るように落ちて来る。
 弥生ちゃんはハリセンをびゅっと振って元に戻し、腰の後ろに仕舞った。
 得意そうにアィイーガたちに説明。

「気圧を極限まで下げた真空の間隙と、零下80度の冷気で凍結乾燥してみました。?、あた。」
「あた、あたたたたた。」

 固い蝗が降り注ぎ、皆頭を抱えて逃げ惑う。
 それも止むと、平原一面虫だらけ。まさに何千万匹だ。
 弥生ちゃんの指示で、村人が蝗の屍骸を拾い集める。

「ひぇーっ、ゲルワン・カプタが干したみたいにカラカラになってる。」
「ガモウヤヨイチャンさま、蝗を集めて一体何をなさるおつもりですか。」

「瞬間に凍結乾燥させて風味を閉じ込めました。
 これをこすり合わせると手足や翅が落ちて、身だけが残ります。脱穀とおなじだね。」
「それを食べるのか?」

 アィイーガの問いにも、弥生ちゃんは不可解な笑みで答えた。

「私はこの世界に来て、辛いものが無いので大層苦労しました。それと同時に、醤油が無いのも大いに不満でした。」
「ショーユ?」

 フィミルティにもアィイーガにも、なんの事かさっぱり分からない。
 弥生ちゃん振り返ってゲジゲジ神官に尋ねる。

「ね、カエル神官というのは、お酒を作ってるんだよね。当然麹を持ってるね。」
「え? はい。確かに、麹を用いて穀物を酒に変えるのは、カエル神官の仕事です。」

「ふふふ、つくるぞ。バッタで醤油を作るのだ。」

 弥生ちゃんは、中国の方では人間の髪を利用して人造醤油を作ると知っている。
 またそれは、戦時中の日本で大豆を節約する為に編み出された代用醤油の製法である事も知っている。
 要するに良質の蛋白質が大量に手に入れば、そこからアミノ酸を抽出して、醤油が作れるのだ。

 弥生ちゃんの脳裏では額のカベチョロの聖蟲によって、かって図書館で読んだ醤油の製法が、
種々雑多の本を手当り次第に読み漁った膨大な記述が、実に細かく思い出されて来る。

「魚を使って作るニョクマムやしょっつるとかの魚醤を、蝗を代りにして作るのだね。
 ただ、蝗の腸というのはなんか寄生虫が居そうな気がしてコワイから、
どろどろに煮潰して塩ゲルタと共に大きな瓶に詰めて麹を加え、毎日丁寧にかき回す。
 時期的に暑いのは問題だから、冷やっこい洞窟なんかでやらせよう。
 そうすれば三月の内には立派な。」

 誰も聞いてはいないが、弥生ちゃんは一人興奮して計画を口走る。
 ゲジゲジ神官は恐れおののき、フィミルティとアィイーガはまたかと肩をすくめた。

 山と集まるゲルワン・カプタを前に、弥生ちゃんの野望はどんどん膨らんでいく。
 佃煮やら煎餅やらテリヤキも、またこれをベースに焼肉のタレも商品化しよう、
寿司屋も開店して、蕎麦つゆうどんつゆ天麩羅つゆラーメンスープも作れるな、
焼豚、餃子にシューマイ肉まんも、ポン酢醤油で鍋物も忘れてはいけない。

 そうだひょっとして醤油だけではなく味噌も作れるかもしれない。
 何ヶ月味噌汁飲んでなかったかなあ。

 

 世界は弥生ちゃんを中心に東西の王国が総力を挙げて潰し合う究極の大戦争へと突入する。
 だが、間違えてはいけない。
 本当に意味があるものは戦の勝敗、時の権力の移り変わりではなく、生活に密着した些細な変化なのだ。

 何人もそうとは気付かぬまま、青晶蜥神救世主はまたしても方台を劇的に塗り替えた。

 

【髪の毛のはなし】

 私(蒲生弥生)が十二神方台系に来た当初、「随分と髪の色がカラフルだなあ」と思った。
 黒、黒茶、栗、茶、赤茶、赤、桜色、亜麻色、黄土色、乳白色、白。
 だが騙されてはいけない。こいつらは食物で髪の色が変わるのだ。

 基本的に、生まれたばかりの子供は髪の色が漆黒だ。
 13歳くらいまでは皆そうで、思春期に入ると少しずつ色が薄くなる。
 無論個人差があり、また大病を患うと一気に髪の色が薄くなる。
 若くして髪に色がある人は過去に健康を害した目安になる。

 20歳頃には大体髪の色が完成するらしい。
 食生活によって大概の人は自らの出自を示すわけだ。
 肉を良く食べる裕福な者は赤っぽく、ゲルタばっかり食べていれば黄土色に。
 神職にあり菜食だけだと早くから髪が白っぽくなる。

 急激に経済環境が変わった者は妙な縞模様であったりもする。

 ただ元の黒髪に戻る事は無いらしい。
 私(蒲生弥生)は普通に日本人で、自慢じゃないが青味を感じさせるつややか真っ黒なトカゲの尻尾ヘアだ。
 だから実年齢よりも遥かに若い12歳程度と誤解した人も多かった。

 青や紫、緑などの怪しげな色の人は無い。
 また毛染め剤も無い。
 一本ずつまばらには色は変わらず、全ての髪が徐々に脱色するから、白髪染めの必要は無い。

 金髪の人が居ないのは、髪が黄色くなる食べ物がまだ見つからないからだろう。
 カレーでも食べさせたら、あっという間に皆黄色くなるのではないかな。

 

 

第十章 弥生ちゃん、運命の出会いをする
 (旧題「蒲生弥生、運命の出会いをする」)

 ベギィルゲイル村あらためゲルワンクラッタ村で、弥生ちゃん一行は昼ご飯を食べていた。

 「ゲルワンクラッタ」(いなごばったが落ちた)の名はもちろん、ハリセンで大量の蝗を叩き落とした事績にちなむ。
 あまりの奇跡に村人が我が村の誉れと自ら変えてしまった。
 このように『青晶蜥神救世主ガモウヤヨイチャン伝説』は方台に刻まれていく。

 

「それにしても救世主さまは、実に奇妙な道具でお食事なさいますな」

 村長はもったいなくも有り難くも、青晶蜥神救世主様、ギィール神族アィイーガ様のご相伴に与っている。

 蝗で醤油を作る蛮行に夢中になっていたから、食事は村の者に任せきりだ。
 決して豪華な料理ではないが、村人は懸命に蓄えを崩して取り揃える。
 残念ながら弥生ちゃんの眼には素通りする。
 蟲醤油に夢中でそれどころではない。

 幸いにして酒作りを司るカエル神官はけっこうな醗酵技術者で、指示する意図をちゃんと理解する。
 ネコ郵便を通じて適宜指示を与えれば、村を離れても大丈夫だろうと思われた。
 彼らに全部任せる。

「これは”ハシ”という道具なんだよ。使い方は見てのとおり。
 これで御飯を食べていると、手先が器用になるという利点もある」
「とても真似出来るようには思えませんが」
「いやほら、アィイーガなんかもう自由自在だよ」

 キルストル姫アィイーガは旅する間に、すっかり箸の使い方を覚えた。
 彼女は聖蟲を通じて記憶の転送を受けられるので、「醤油」がどういうモノか知っている。

 最近は辛いものだけでなく甘いもの、「チョコレート」やら「クレームブリュレ」やらの記憶の転送も受けて、大変満足していた。
 十二神方台系には香辛料だけでなく砂糖も無く、つる草の根、甘藻、果物蜂蜜しか使えない。
 甘味の御菓子も種類が限られる。

 アィイーガは言う。

「ガモウヤヨイチャンは、へらの使い方は下手だぞ」
「へらで御飯を食べるなんて、ねえ。非常識だよ」

 十二神方台系の食事は、木や骨のへらで食べる。
 洋食のナイフだけで食べる、と考えるとわかりやすい。
 スープやお粥の類いは小さな椀によそうから、スプーンは必要ではない。

 蝉蛾巫女フィミルティも、弥生ちゃんの隣に座って一緒に食べている。
 彼女はゲルタと野菜の漬物が好物で、塩辛い汁も穀餅に含ませて食べてしまう。

「ガモウヤヨイチャンさまは、刃物を使ってお食事になることもございますよ。それも金属の」
「おお。」

 十二神方台系では。食事に金属器を使うのはタブーとなっている。
 調理の時ならまだしも食事にも、となれば庶人の理解の範疇を越える。
 弥生ちゃんの弁明。

「いや、骨をそのままがりがりと齧るとか、腱を生煮えにして思いっきり歯で引っ張って食べるとか、私出来ないよ」
「その固いのが美味いのじゃないか。

 ……迎えが来たぞ」

 アィイーガは警告する。
 ゲジゲジの聖蟲は7里(キロ)の距離と障害を越えて感知する能力を持つ。
 弥生ちゃんもすぐに何の話か理解した。

「来た?」
「大層な行列だ。兎竜も伴って、まるで”ガンガランガ・ギャザ”だな」

 「ガンガランガ・ギャザ」とは古語で「牧神の饗宴」を意味する。
 紅曙蛸巫女王初代ッタ・コップが出現する直前に現われたとされる「神人」のことだ。
 平原にあって多数の野獣を従え人間の干渉を嫌い、夢のような平和の中に生きた。

 当時人間の数が増えて食糧難が発生し、互いの集落で相争う乱れた世となっていた。
 人々は神人に、獲物を分け与えて飢えから救い争いを止めてくれる「救世主」を期待した……。

 

 弥生ちゃんは食事も早々にカタナを手に食堂を離れ、表に出た。
 周囲を警戒していた狗番のミィガンが弥生ちゃんの姿を見て足元に跪く。

「なにか」
「褐甲角王国の然るべき軍勢が青晶蜥神救世主の検分に来たよ」
「いかがなさいますか、迎え撃ちますか」
「一応穏便に話し合うつもりだけど、……相手はバカかな?」

 ミィガンはしばし考えて、答える。
 狗番はギィール神族の護衛として寇掠軍にも出征するから、敵方の戦力についての知識もある。
 ここボウダン街道を守る者といえば、

「赤甲梢と呼ばれる最強の神兵を率いるは、キサァブル・メグリアル焔アウンサ。
 褐甲角王国第三副王家の王女で、数々の機略をもって何度も寇掠軍を破った智将でございます。
 王族でありながらも奔放で、才気溢れる人物だと伝えられております」
「ふむ。おもしろそうな人らしいね」

 アィイーガも食事を終えて表に出た。
 二人の狗番ファイガルとガシュムが直ちに彼女の武装を整える。
 ギィール神族に仕える者は、指図されずとも主の考えを読んで遅滞無く働く。
 それでも、良い狗番はなかなか得られるものではない。

 アィイーガと狗番の姿を見て、弥生ちゃんはミィガンに零す。
 自分はギィール神族ではないから、男性に身体を触られても平然とする彼女の真似は出来ない。

「女の狗番てさあ、やっぱりハッタリ利かないものかな」
「嘴番でございますか?
 やはり戦場で女人に出番はございませんので、敵味方どちらからも良い顔はされませんね」
「神族の女人は特別かー」
「神族の皆様は等しく特別でございます。故に徒士軍兵は男だけとなります」

 「嘴番」とは、女人の狗番の意味だ。
 男が黒い山狗の面を被るのに対して、クチバシの長い鳥の面を被る。
 男性に肉体的に劣り、背の高いギィール神族の盾になる事も出来ないので重用はされない。

「風の噂で特別な狗番が居ると聞いたことがあります。
 男でありながら女人の装束を身に着け、語る声も高く、まるで女人のような者が居ると」

「オカマの狗番!」
「そうですね……」

 ミィガンも山狗の仮面の下で笑う。
 彼は主人であるサガジ伯メドルイの命を受けて弥生ちゃんの狗番を務める。
 だが守られる本人がよほど強くて、最近は代理人の役しかしていない。
 そういう役目であれば、女性の方が便利な時もあるだろう。

「むしろ女人の神官戦士はいかがでしょう。
 神官戦士の家系では娘にも武芸を仕込み、なかなかの達者も居ると聞きます。
 ですが、トカゲ神殿から人を送って来るのではありませんか」
「トカゲ巫女は弱いからねえ」

 そうこうする内に辺りが騒然として、神官戦士や村人が慌ただしく走り回る。
 同行するゲジゲジ神官の長ジャバラハンが、報告に参上する。
 平伏して、

「先程見張りの者が、」
「あーわかってるわかってる」
「はい。『赤甲梢』でございます」

 

     ***** 

 赤甲梢。「赤甲梢戦技研究実験戦闘団」
 武功特筆すべき者に身分の差を越えて赤いカブトムシの聖蟲を与え、軍務に専念させた。
 この時期、赤甲梢ほど経験豊富で熟達する戦闘集団は無い。

 時速60キロで疾走する兎竜に乗る騎兵が1百名。
 加えて150の装甲神兵と精鋭クワアット兵1千が徒歩で続く。
 近年戦闘の続く西海百島湾に展開する『装甲海兵団』が神兵2百であるから、
異常な数の神兵がボウダン街道に集まっていると言えるだろう。

 無論これには理由が有る。
 本来「赤甲梢」は戦技研究と特殊部隊の教育隊であるが、新戦術・新兵器の実験評価も目的とした。
 まったく新しい兵器戦術を、ぶっつけ本番でボウダン街道に出没する寇掠軍のゲイル騎兵で試している。

 10年ほど前に「兎竜」と呼ばれる巨大な草食獣の利用技術が完成し、赤甲梢総裁 焔アウンサ王女が実戦投入にまでこぎ着けた。
 初めてゲイルを越える高速移動手段を手に入れた褐甲角軍は熱狂し、「兎竜騎兵」を中心とした戦略を構築する。

 毒地沿いの長大な国境線、東西のボウダン街道と南北を貫くスプリタ街道を、高速の兎竜でカバーして効率的に防御する。
 配置されていた多数の神兵を抜き出し、結集して東金雷蜒王国への関門「ギジェカプタギ点」に集中攻撃を掛ける。
 これが褐甲角王国千年を締め括る「大侵攻計画」だ。

 元老院で「先戦主義」を唱えたソグヴィタル王の主導で進められ、黒甲枝クワアット兵に熱く支持された。
 武徳王にも承認され、その尖兵たる赤甲梢への予算増額、神兵増強が進む。
 だが政争に敗れたソグヴィタル王は元老院から追放、計画も頓挫。

 それでも、赤甲梢には大動員の準備がそっくり残された。

 

「さて、誰に感謝すればよいものか。やはり青晶蜥神救世主殿かな」

 輿の上でアウンサは一人ほくそ笑む。

 焔アウンサも劫アランサも王族であるから、移動には輿を用いた。
 兎竜に乗った方が面白いが、公務中は我慢せねばならない。
 王族には、神兵の活躍を公正に評価して軍功を認める、実に重大な役目がある。
 自分も一緒に戦ってはならない。

 装甲神兵団紫幟隊長スーベラアハン基エトスが、輿の横を歩きながら報告する。
 神兵頭領シガハン・ルペに継ぐ赤甲梢NO.2だ

「そろそろ報告のあったベギィルゲイル村でございます。
 先行した物見によれば、ギジジットより参った金雷蜒神官の一団も随行して、数はおよそ300と思われます。
 ただし、人数が徐々に膨れ上がっているとの事。
 神威による治癒を求める者が各地より集っています。

 戦力は神族が1名ゲイル1騎、神官戦士が200名ほど。
 神官戦士は軽武装の旅装であります」

 赤甲梢が相手をするべき戦力ではない。
 問題はやはり、青晶蜥神救世主だ。

 輿の上から御簾越しに、焔アウンサは基エトスと謀る。

 彼は一兵卒から武勲を重ねて昇進し、赤いカブトムシを戴くまでになった傑物だが、
出自は元老員金翅幹家。
 何もせずとも聖蟲を戴けた身でありながらも、それを厭った変わり者だ。

 中央政界の派閥抗争に詳しく、また儀礼典籍にも通じ金雷蜒王国の礼法も心得る。
 謀略に関しても天与の才を持ち、焔アウンサの左腕として大いに役立った。
 本人それが嫌で王都を逃げ出したのに。

「誰に救世主の検分を任せるか。アランサにさせようか」
「新総裁がいきなり救世主を認めてしまうと、アウンサ様がお困りでしょう。
 先頭を行くルペにお任せ下さい」

「騒動が見たい。テュークの神像を一撃で切り裂いたという救世主の力が見たい」
「では私が参りましょうか」

 変人にこれほどの重大事を任せるわけにはいかない。
 シガハン・ルペの手に負えなければアウンサが直接検分しよう、と伝令を走らせる。

 

「なに、すべて任せるだと」

 伝令の言葉にシガハン・ルペは目を剥いた。

 兎竜騎兵全隊を指揮する赤旗団長を務め、赤甲梢神兵の頭領でもある彼は、その名に嘉字を持たない。
 庶民の出だ。
 邑兵から始まり武勇と知性と行動力を認められ、
ついには聖蟲を授かる伝説的出世を果たした英雄だ。

 だが軍の位階は「大剣令」に過ぎない。一軍の将ではなかった。
 王国の存亡を懸ける神話的交渉を行うには、いささか身分が低すぎる。
 やはり王族に任せるべきと思うが、この命令。

「再考を願ってはどうだ。
 新総裁に直接持ちかけてアウンサさまを説得してもらおう」

 兎竜の首を並べて進む黄旗団長カンカラ縁クシアフォンが助言する。
 彼は黒甲枝名門の出。この命令の無謀さもよく理解する。

「無駄だ、アウンサさまのお考えは分かっている。乱を望むのだ。
 それに物見の話だと今度の救世主は、……どうやら本物らしい」

「空を覆うゲルワン・カプタ(いなごばった)の群れを一撃で叩き落としたというからな」
「であれば、王族に軽々しく会わせるのも王国の威信に関わるのではないか」
「そう考える向きも有るか。

 だがどういう態度で臨む。
 相手は神威を用いるとはいえ、小柄な少女らしいぞ」
「うむ   。」

 次の物見の兵が救世主の滞在する村から戻る。
 多数の人が平原に出たと報告した。
 ゲジゲジ神官の率いる神官戦士と奴隷で、村人も多く後に続く。
 神官戦士は弓を携えず、本格的な戦闘には対処できない。
 だが意気は上がり戦意も旺盛だという。

「行軍停止。槍兵隊1百、弓戦隊50が2組、前に」

 平原に停止した隊列の脇を、命が下った兵士が速歩で進む。
 彼等は神兵を支援する常人の兵だ。
 しかし赤甲梢は、武勇の者を選りすぐったクワアット兵から更に絞ったエリートである。
 焔アウンサの指揮の下、何度もゲイル騎兵と遭遇し生き残った強者だ。

 シガハン・ルペはまずクワアット兵で様子を確かめる。
 大方のギィール神族に対するのとやり方は同じだが、用いる兵の質が違う。

 

     ***** 

 平原で赤甲梢と対峙する弥生ちゃん一行。
 相手の隊列先頭に兵が前進布陣するのを見詰めていた。

「まずは一般兵でこちらの出方をうかがうわけだね。
 兎竜はずっと後ろの方にあるけれど、なんかあったら逃げる気だろうか」

「3日前にゲルワン・カプタを叩き落としたからな。
 あれを見れば無難に官吏を交渉役に出すはずが、兵で来るな」
「ガモウヤヨイチャンさま。なるべく穏便に」

 アィイーガとフィミルティは互いにまったく逆の期待している。
 当の弥生ちゃんは、そろそろ救世主としてだけではなく王者として振る舞う必要を感じていた。
 最初からガツンと行くのも悪くない。

「アィイーガ、あなたはゲイルに乗ってゲジゲジ神官たちとちょっと離れてくれない。
 金雷蜒王国とトカゲ神救世主はあくまでも別だ、と印象づけるように」
「なるほど、心得た」

「ミィガン、それにシュシュバランタ。あなた達はわたしと行きます」
「は。」「ははあ」

 肥満質の巨漢シュシュバランタは弥生ちゃんの王旗「ぴるまるれれこ」旗を掲げる。
 旗持ち奴隷は名誉の役で、王や指揮官の傍を離れる事は無い。
 しかし敵の目標となるから致死率も相当に高い。

「ガモウヤヨイチャン様と戦場に赴く初の仕事が、名にし負う赤甲梢とは嬉しい限りですぞ」
「ガモウヤヨイチャンさま、私も御供にお加えください」

 フィミルティも同行を願ったが、弥生ちゃんはあくまで武人だけで行く。
 ゲジゲジ神官ジャバラーハンがフィミルティの身体を抑えながら、言った。

「救世主様、なるべく和平の方をお選びください。赤甲梢は真に強うございます」
「分かってる。あんなに統率の取れた兵隊はこっちに来て初めて見た」
「チュバクのキリメはいかがしました」

 暗殺者の行方を尋ねられ、弥生ちゃんはにたと微笑む。

「既に敵の隊列に潜り込んでいるよ。合図すれば煙を焚いて撹乱する」
「おお、では迎え撃つ準備はもう整えておられましたか」
「いやあ、この兵数じゃあどうしようもないな」

 迫り来るクワアット兵を前に、弥生ちゃんは3人で歩いて行く。
 翻る水色のぴるまるれれこ旗を先頭に、草原を進む。

 後に残る者はあまりの無謀さに息を詰め、成り行きを見守る。
 心臓が激しく打って脂汗が流れた。

 

 緊張するのはクワアット兵も同じだ。

 ゲルワン・カプタの群れを一撃で叩き落としたのみならず、
タコリティで一刀の下に巨大な紅曙蛸神の石像を斬った話も、ボウダン街道にまで届いている。

 先夜、野営の陣に音も無く無尾猫が現れた。
 ガモウヤヨイチャンがいかに強いか、ハリセンの威力カタナの切味を思いっきり吹聴して去っていく。
 ギジジット巨大金雷蜒神との激闘は、求められても語らなかったのは何故だろう。

 軍律で取り締まろうにも、するりと抜ける。
 まさに兵が知りたい情報を、知りたいだけ伝えるネコに打つ手が無い。
 こいつらは一体誰が連れて来たのか。

「3人! 3人しか出て来ない?!」

 カンカラ縁クシアフォンにとってもこの展開は予想外だった。
 2百を数える神官戦士団が元の位置に控えるままで、わずか3人の、しかも一人は少女が歩いて来る。

「ルペ、まずいぞ。
 救世主に直接対峙させると、クワアット兵の隊長が緊張に耐え切れず攻撃を命ずる可能性もある」
「停止を命じよ」

「は!」

 ぼおーん、とドラが鳴り、兵の行進は止った。
 5メートルにもなる長柄の槍の林と、左右に分かれた弓兵は、1騎程度であればゲイル騎兵でさえも屈伏させる。
 ゲイルの醸し出す恐怖のオーラに耐えるだけの調練と経験が、赤甲梢の兵には有る。

 しかし神聖な、そして誰もが待ち望む青晶蜥神救世主に刃を向けるには、また別の覚悟が要った。

「3人か。
 よほど神威に自信があるのか、我らが救世主の威光にひれ伏すと思ったか」

 距離は100メートル、弓の射程に十分入る。
 左右から射られれば間違いなく救世主の一行は死ぬ。にも関らず少女に怯える気配が見えない。

 聖蟲によって強化された視力で、シガハン・ルペは救世主の表情を至近のように観察出来る。
 縁クシアフォンも同じものを見ている。
 すべての赤甲梢が彼女を見詰めているだろう。

 あれが真の救世主であれば、そして彼女の王国を築くとなれば、赤甲梢も黒甲枝も全力を挙げて叩き潰さねばならない。
 一つの世界に複数の正義は要らない。

 シガハン・ルペは気が付いた。
 褐甲角王国が青晶蜥神救世主を倒さねばならないのと同じく、金雷蜒王国も彼女を殺さねば収まらない。

「……そうか。彼女は、ゲイル騎兵を相手に戦った事があるのだ。
 常人の兵では物足りないのだろう」
「まさか。いや、そうか。
 ギジジットから神官戦士を連れて来るのは、王姉妹を手玉に取ったからに違いない」
「本物だ。間違いなく青晶蜥神救世主だ」

 遠目で見る弥生ちゃんは悠然として表情を変えない。
 だが、その眼差しに強い煌めきが兆すのを感じた。

「いかん、あれはやる気だ」

 ドラがぼあんぼあんと鳴って、撤退の合図をする。
 クワアット兵は直ちに向きを換え、後退した。

 

     ***** 

「見事な隊列運動だ。本物の兵隊だな」
「東金雷蜒王国であれに匹敵するのはギジェカプタギ点の打撃兵団か、王都の近衛だけでしょう」

 弥生ちゃんが敵を褒めるのに、ミィガンは補足説明する。
 寇掠軍は所詮素人の奴隷兵と個人技にのみ優れた狗番や剣匠が主力で、兵と呼べるほどの統率は無い。
 システマティックに育成された軍隊は、歴史の浅い褐甲角王国の発明だ。

「あれに加えて、聖蟲をのっけた剛力無双の神兵が襲って来るてことか。凄まじいな」

 兵に代わって、兎竜が6騎走って来る。
 赤の旗と黄色の旗を背負った神兵だ。真紅の甲冑に4枚の透ける翅を持つ。
 目前20メートルで停まり、背から下りる。
 まるで翔ぶかのように。

 兎竜は体高4メートル、背中は3メートルの高さになる。
 アフリカのキリンと比較したいところだが、クビは前に伸びあまり高くならない。
 頭は小さく耳はウサギのように長い。尾はウマに似て長い毛が房となり地面にまで届く。
 脚は長細いが力は強く重さを感じさせない。蹄は3。

 灰白色の短い体毛が平原の朝霧に溶け込む姿が大層美しく、古来数多の詩に謳われる。
 全体として幻獣の「麒麟」を思わせた。

 弥生ちゃんは気付く。この獣は騎獣としては未完成だ。
 鞍も鐙も馬銜も無い。毛織の敷物を紐で巻いて背に乗れるようにしているだけ。
 手綱も首に巻いている。イヌコマと同じだ。

 他に背に乗れる獣が居ないのだから、技術が無いのは仕方ない。でも教えない。
 自然のままで人間にこき使われない方が良いに決まっている。

 

 地に降りた赤甲梢は、非常に奇妙な鎧を纏っていた。
 ギジジットには神兵が用いる「重甲冑」のサンプルはあるが、これは最新型。初めて見る。

 重甲冑と比べて装甲がずっと薄い。
 材質は鉄箔・針金の網を交互に重ねてタコ樹脂の塗料で塗り固める。
 「乾漆」に近い技法だ。
 金工では難しい有機的な曲面を可能とする。

 成型色は赤土色だが、表面の塗膜に極めて微細なひびが有り、光が複雑に屈折反射して玄妙な艶を生み出す。
 燃えるような赤に光り輝いた。

 関節は自由度と剛性を確保する為、単なるジョイントでなく腱や膜で繋がっている。
 背部には広く長い4枚の翅。
 まさに甲虫のもので、微妙な振動を続けている。

 そして頭部は蟲の貌だ。
 兜と仮面に覆われて、纏う者の表情を外に見せない。

 先頭に立つ赤い旗を背負った神兵が仮面を外し兜を脱ぐ。
 亜麻色の髪を振って、救世主と対面した。

『おおっと! 赤甲梢には服装規定はないのかい』

 内心で叫んでしまう。
 年齢は二十代後半か、兜を被るのに邪魔っけそうな長髪が風になびく。
 武人と言うよりも俳優が似合う麗しい男性で、思わず同人誌を作ってみたくなる美形だ。

 黄色い旗を背負った神兵も兜を脱ぐ。
 こちらは赤味の強い茶髪で、ドイツ系かと思わせるいかつい顔をして武人らしいが、それでもまあまあだ。

 納得した。

「……赤甲梢の総裁キサァブル・メグリアル焔アウンサ王女の人物を、見切ったぞ!」

 

「ぶしつけに兵で脅す真似をした事をお許し願いたい。
 偽者は力で押すとたちまちにぼろを出し見極めが簡単につくもので、不用意に行ってしまった。
 真の救世主を試す事となり、遺憾に存じます」

 狗番のミィガンが前に出て、まず応対する。

「青晶蜥神救世主ガモウヤヨイチャン様は寛大な御方である。
 役儀で行ったものであれば咎め立てはしない。
 名乗られよ」

「我は赤甲梢神兵頭領にして兎竜嚮導赤旗団長シガハン・ルペと申す者。
 こちらは兎竜騎兵黄旗団長カンカラ縁クシアフォン。
 赤甲梢総裁メグリアル王女 劫アランサの命に従いて、青晶蜥神救世主様を検めさせていただきます」

 赤甲梢総裁の名前が違う、と思ったがまあいいや。
 弥生ちゃんは直々に声を出す。

「話の前に。後ろの4人の武者も兜を脱いでみなさい」

 高飛車に言う。シガハン・ルペも素直に従った。

「これは御無礼をいたしました。お前達、兜を取れ」

 

 弥生ちゃんは額に指を当てて、眉をしかめる。

 地球の、自分の友達に、こんな奴が居たっけな。
 喧嘩早くて刃物を弄び、手裏剣の得意な。
 女子高生のくせに大人の男と遊び歩く。

 権力を笠に着て美男子で遊ぶヤツは、さてどうしてくれようか。

 

     *****

 赤甲梢の隊列は準戦闘態勢で待機し続けている。
 焔アウンサ、劫アランサの輿も地面に置かれて、じっと成り行きを見守っている。

 新総裁メグリアル劫アランサは内心の焦りを身の内でじっと堪えている。
 矢楯を張った重く窮屈な輿の中、御簾越しに外を眺める。
 何も起きる気配が無い。
 護衛のクワアット兵も侍女達も、緊張というよりは事態の先が読めずに戸惑っている。

「彩ルダム」
「お呼びでございますか、総裁」

 輔衛視チュダルム彩ルダムを呼んだ。
 固く結った茶色の髪に黒く艶のあるカブトムシの聖蟲を戴き、賜軍衣に身を包んだ女性が応える。

「叔母上の様子はいかがです。あの方の御気性ならば御自分で飛んで行くように思えますが」
「いえ、輿の中でお待ちです。
 私も焔アウンサ様とは長くお付き合いさせていただいておりますが、これほど我慢強いとは思いませんでした」

 彩ルダムの知るアウンサならば、配下の者に任せず自分で動き、さっさと決めてしまう。
 だが重職を長年勤め、慎重という宝を手に入れたのかもしれない。

 神兵ディズバンド迎ウェダ・オダ、
新総裁の護衛指揮を任される彼は、話を脇で聞き敬愛する前総裁の名誉を守らんとする。

「総裁。アウンサさまは作戦行動中はほとんど指揮はなさいません。
 指導すべきと考えられれば夜、宿営時の天幕でその日の講評の内で行います。
 たとえ御自身の身が危うい場面となっても、我らにお任せくださいます」

「叔母上がよく我慢なさいますね」
「あの方も、やはり王家の出なのです」
「分かりました。私も倣いましょう」

 要するに王宮と同じなのだ。

 神殿都市「エイタンカプト」のメグリアル王宮では、女官達がすべて取り仕切り、王族が指図する必要も無い。
 年中行事のあらゆる段取りが完璧に整えられ、用意されるままに執り行なえばよかった。
 軍の組織はもう少し違うかと思ったが、そうでもないようだ。

 落胆の色が御簾越しに見えたのか、迎ウェダ・オダが慰める。

「ご心配なさらずとも、何事かちゃんと起きますよ」
「何事かあってはならないのでしょう?」
「アウンサさまは強運の御方です。日々退屈しないだけの出来事が向こうから転がり込んで来るのです。
 ……ほら」

 

 アランサが前を透かして見ると、伝令がアウンサの輿に駆け寄った所だった。
 スーベラアハン基エトスが報告を聞き、血相を変えてアウンサに意見する。

 輔衛視は総裁を補佐し、その指揮の法的正当性を審査する役を負う。
 既に総裁職は譲られているのだから、重大な決定を焔アウンサが単独で行うのは許されない。

 彩ルダムは前に進みアウンサの輿に寄り、報告を願った。

「ルダムちゃん、これは大事になってるよ」

 アウンサは幼なじみに気さくに声を掛ける。
 声が華やいでいるのは、彼女好みの状況が前方で展開されているのだろう。

「青晶蜥神救世主は、赤甲梢の総裁が王族と知って会談を求めて来たよ」
「当たり前の事ではありませんか?」
「会談で話し合われるのは、これからの方台の行く末、新たに立ち上がる青晶蜥王国の在り様だ。
 聞いてしまったら即座に決断しなければならない。

 殺すか、従うか」
「カプタニアに報告して検討をお願いするのではないのですか」

「だからさ、もうギジジットでやってしまってるんだよ。
 毒地を浄化したのは救世主の仕業さ。
 もちろん、そうすれば褐甲角王国と東金雷蜒王国が激突するのも勘定の内。
 戦の勝敗もヤツの胸先三寸で、どちらを協力者に選ぶかだ」

 金雷蜒王国と褐甲角王国、どちらを活かして青晶蜥王国を立ち上げるか。
 それを今から話し合おうと言うのだ。

「すでに青晶蜥神救世主との戦いは、始まっているのですね」
「そういうこと。向うが矢を放っているのだ、我々は応戦するしかない。
 だが武力では決して青晶蜥神救世主に叶わない事を、今から証明するんだって」

 話の後を継いで、基エトスが進言した。

「クワアット兵は待避させましょう。
 神兵だけで救世主の前に立ち塞がり、神威とやらを受けてみるしか手がございません」
「ルペに伝えよ。「受ける」と。
 またクワアット兵に命じて北に1里(キロ)下がらせろ」

 彩ルダムは結論を急ぐアウンサに驚いた。
 どう考えても武徳王陛下に奏上し判断を求めるべき案件だ。

 それに神威を受けて部隊が壊滅したらどうなるのか。
 褐甲角王国の威信、神兵無敵の神話が崩壊し、世は混沌の乱世に突入する。
 青晶蜥王国どころではなくなるはずだ。

「せめてメグリアル王太子様の到着まで引き伸ばせませんか。
 兎竜を迎えに出せば、3日の内に」
「向こうも赤甲梢が王国最強と知っての判断だ。
 我々は、世を治める責任を持つ者は、なめられたら終わりだよ。
 カプタニアも同じ結論を出す」

 もしかして、青晶蜥神救世主は既に金雷蜒王国側への肩入れを決断しているのか。
 ギジジットの王姉妹と和解し、ギィール神族をその隊列に加えている。
 それを懸念した焔アウンサ王女が、無謀な賭けに出て救世主の心を覆そうと考えるのか。

 力を示すべき時か。

「赤甲梢は神兵のみにて救世主の前に陣を張る」

 伝令が走り、隊の前後へと急ぐ。
 入れ違いにルペの進言を持って別の伝令が跪く。

「焔アウンサ様に申し上げます。神兵頭領は新総裁の避難をお勧めいたしております」

 なるほど、と新総裁の輔衛視に振り向く。

「ルダムちゃん、どうするね」
「御意志を伺うまでもありません。赤甲梢総裁 劫アランサ様は、前総裁の退避をこそお勧めいたします」
「そういうことだね」

 

     ***** 

 赤甲梢との交渉が決裂したと見て、アィイーガとフィミルティが傍に寄る。
 アィイーガはゲイルに乗って、兎竜の鼻面を見る高さにある。

「で、どうするのだ」
「どうもこうも、なかなかイカれた指揮官らしいから、やる事になったよ」

「また!」

 いつもの行き当りばったりにフィミルティは呆れてしまう。
 彼女はもはや達観し、これも十二神の天河の計画に従うのだと諦めた。
 普段は何手も先の布石を繊細に打った末に事に当たるのに、肝心な時はいつもこうだ。
 異常な精神状態がしばしば舞い降りると、嫌でも気が付く。

 アィイーガも、蝉蛾巫女ほどには心理は読めぬが、
なるほど、今は赤甲梢を屈伏させる必要があるのだな、と理解する。

「ところでねえ、地球の友達の事を思い出してたら、新兵器を思いついちゃったよ」

 と工作用の小刀を取り出す。
 タコリティで求めたもので、なにかと便利に使っている。箸を削ったのもこの小刀だ。
 刃渡り7センチ程度で人を殺すには小さ過ぎる。

「私の友達でねえ、手裏剣が得意な人が居るんだ」
「シゥリケンとはなんでしょう」
「つまり、この世界で言う「投剣」だよ。このくらいの大きさの刀を投げる」

 アィイーガはさすがにピンと来た。トカゲ神救世主がわざわざ言い出すのだ。

「もしや、これを操って空中を自在に飛ばす事が出来るのか」
「こんな感じ」

 小刀が小鳥のように手から飛び立ち、くるくると輪を描いて舞う。

 アィイーガはゲジゲジの超知覚で感じる。
 赤甲梢の神兵達が、その頭領であるシガハン・ルペが、この光景を見ていると。
 宙を自在に舞う刀剣は、なるほど確かに厄介な兵器だ。
 青晶蜥神救世主が用いるのにもふさわしい神威。

 フィミルティには、他愛のない手品にしか見えない。

「これで赤甲梢と戦うのですか」
「いや、平和に行くよ。

 それはともかく、フィミルティ。
 星の世界に居る私の友達にあなたがそっくり、という話はしたっけ?」
「フィジリ様の話ですか。
 私と同じに目が悪く眼鏡を掛けて、髪が短くさらさらとした、歌がずば抜けて上手だと伺いました」

「いや、さあ。
 なんだかこの村に来てから、地球の事が思い出されてならないんだ。
 醤油を作ろうと思ったのもたぶんその影響だ」

 目の前の赤甲梢をまったく無視したとりとめの無い会話に、フィミルティは困惑する。
 アィイーガに助けを求めて視線を送った。

「赤甲梢の奴ら、どういう攻撃を受けるか見当もつかず陣構えを迷っているぞ。
 少し教えてやれ」
「どうでもいいんだけどね、誰が死ぬわけじゃなし。
 ただ私が赤甲梢、いやカブトムシの聖蟲を持つ者を自在に屈伏出来ると示すだけだから」

「なにをなさるおつもりですか」
「ギィール神族は皆大好きさ。
 神族は好奇心が旺盛で新しい体験をするのが大好き。どこでやっても喜んでくれるよ」
「   ああ。
 聖蟲が憑いている者はすべて対象になるんだったな」

「まさか、 それはっ!」

 小刀を手元に戻し物入れに仕舞って、赤甲梢に向き直る。
 脚を大きく拡げて仁王立ちに、右手は額のカベチョロに二指を当てる。

(感覚記憶の転送用意。対象は前方に居るカブトムシの聖蟲を持つ者全て、距離2里(キロ)以内。
 転送データは、そうね初めて「鷹の爪」を丸かじりした時の味覚の記憶。持続時間5秒)
(了解した)

 脳内で深い洞窟に反響する重々しい青晶蜥神の声がする。
 カベチョロは拒否する事も出来るのだが、今回は彼の思惑にも叶うのだろう。

 ミィガンが進言する。

「いきなりはさすがに戦の作法に反します」
「あ、そう?」

「そうだな。せめて鐘でも鳴らしてこちらに注意を向けるくらいはしてやるべきだ。
 親切というものだぞ」
「そういうものか」

 アィイーガは狗番に伝え、狗番は後方に控える神官戦士に命令を伝達する。
 神官戦士団は全員が身につける武具金物を打ち鳴らす。
 赤甲梢の側でも、何事か始める合図だと理解した。

 それでは改めて。
 フィミルティがもう一度諌めたい顔をしているが、無視。
 これ以上平和的な攻撃があったら教えてほしいさ。

 先ほどと同じポーズをもう一度取って、くっと敵陣を睨む。

 赤甲梢の神兵達はそれぞれに身構え、何時でも突撃出来る体勢。
 あるいは身を投げ地に伏せ耐えるのか。
 どんな攻撃を受けるか知らないから、最善を尽くしているつもりだが。

 カベチョロを脳内で呼び出す。

(用意は?)
「いつでも)
(では、)一拍置いて、

「撃ぇー!」

 

     *****

 なぜ鷹の爪を丸かじりしたのか。幼少期の話で状況は忘れてしまった。
 ただ辛いものが大好きな自分にとっても特筆すべき体験であった、それだけを覚えている。
 爺ちゃんに怒られた。

 青晶蜥神「チューラウ」トカゲの聖蟲から褐甲角神「クワアット」カブトムシの聖蟲に伝えられる。
 カブトムシの宿主にはまさに、自身が鷹の爪を齧ったそのままの体験が再演される。

 

 カブトムシの聖蟲は、戴く者に怪力を授けるだけではない。
 五感が鋭くなるのはもちろん、それと気付かぬ勘も敏感になり、ほんの一瞬の未来の予測すら出来る。
 矢や刀槍がその身に食い込めば、目に見えない力が傷口を抑え出血を留め組織の破壊を最小にする。
 痛みを軽減する効果も持つ。

 これが「クワアット」の超能力だ。

 知能は高くならないし、超知覚が備わったり天界の知識を授かる事も無い。
 あくまで人体の物理的機能の補完が主だ。
 とはいえカブトムシの羽ばたきを共振させて、神兵同士で符丁の交換などは出来る。
 他には教えぬ神兵秘伝の通信。

 超感覚による意思疎通は誰も経験が無い。

 更に加えて最悪な事は、
カブトムシの好物は甘い樹液で、それに倣って赤甲梢黒甲枝も皆、甘党であった。

 

「…………。」

 無言の内に悶絶し、卒倒し、兎竜の上から落ちて来る。
 悲鳴を上げる者は一人として居ない。舌が痺れて声も出ない。
 感覚記憶の転送はわずか5秒間に過ぎないが、神兵達は永遠と感じた。
 辛い、とは誰も思わない。
 火の着いた松明を口に突っ込まれた、それだ。

 いかに頑健な肉体と厳しい鍛錬の積み重ねがあっても、耐えられない。
 予期せぬ精神攻撃に抵抗も理解も無く、ただただ激烈な時間に支配された。

 衝撃を受けたのはむしろクワアット兵だ。

 神兵であっても戦死はする。
 胸や頭に重大な損傷を受ければ、聖蟲の助けがあっても助からない。
 絶対の不死身はこの世には無い。
 調練の最初に教えこまれるが、それによって神兵不敗の信仰が揺らいだりはしなかった。

 猛く靭く潔く、他者の為に身を捧げる人の姿。
 一人ひとりが、神の命に従って十二神方台系の民衆を救わんとする褐甲角神救世主そのものだ。
 戦列の先頭を進み、巨大なゲイルに敢然と立ち向かう。

 その人が、いきなり口を押さえて倒れるのだ。
 赤い甲冑に覆われて、遠くからでは何が起きたか事情が掴めない。
 クワアット兵の隊列は、ただおろおろと見守った。

 

 キスァブル・メグリアル焔アウンサも、配下と共に攻撃を受けた。
 いや、これが攻撃だと考えるゆとりも無かった。

 おとなしく輿の中に納まって布陣変更の報告を聞いていたが、
瞬間怪力で輿の壁・矢楯を突き破る。
 手足をばたつかせ屋根を引き剥がし、たちまちに輿を粉砕した。

 停止中で人が担いでいなかったのは幸いだが、本人そのまま地面に転げ落ちる。
 輿の傍に居たスーベラアハン基エトスも、チュダルム彩ルダムも卒倒する。

 しかし、

「     この感覚は、おぼえがある     」

 メグリアル劫アランサだけは味覚の衝撃から免れた。
 ただ一人だけ別の記憶が来たからだ。

 それは懐かしくも鮮やかに覚える一人の少女の姿。
 たおやかに優しく人を包み込む春の陽の温かさを持つ、されど常に”彼女”の前にあり楯となって共に戦う美しい剣士。
 イメージが劫アランサの身体にシンクロする。

 これまで感じていた違和感、
微妙に身体に適合していない感触を削ぎ落とし、肉と霊とが完全に一体化する。

ばあん。

 輿の天井を突き破ってアランサは空中に飛び上がる。
 神秘の怪力に加えて、羽の軽さをその身に覚えた。
 風が渦を巻いて身体を持ち上げ、驚くほどの高さに達する。

 黄金のカブトムシが甲羽を開き薄翅を拡げ、陽光に羽ばたいた。

 白い衣の長い裾に空気をはらみながらゆっくりと降下し、足が地に触れた。
 走る。

 風の流れが身と一体になり、奔流となって推し、疾る。
 背後から呼ぶ声を聞くが、振り向く暇もただ惜しく、駆抜けた。

 たちまちに全ての隊列を追い越し、眼前に広がる草原へ一人躍り出る。
 飛んでいる。
   高く舞上がり、
      数頭の兎竜が並ぶ姿を足の下に見る。
 赤甲梢の、あれは赤旗団長シガハン・ルペ。

 その向かう先に立つ青い服を着た少女が。

 剣を地に刺す勢いでメグリアル劫アランサは着地した。
 後に続いて旋風が巻く。
 舞上がる草の葉と土埃とに長く先細りのする黒髪をなびかせて、その人は驚いたように自分を見詰めている。

 

 青晶蜥神救世主「蒲生弥生」は、言った。

「しるくだよおー。そっくりさんだよおー」

 

 

第十一章 青晶蜥神救世主、西へ
   (旧題「青晶蜥神救世主、西に向かう」)

 十二神創始暦5006年夏初月。
 ゲルワンクラッタ村で行われた青晶蜥神救世主と褐甲角王国赤甲梢総裁との会談は、後に「女達の密議」として知られる事となる。

 会談はガモウヤヨイチャン、キスァブル・メグリアル焔アウンサ王女、メグリアル劫アランサ王女、ギィール神族キルストル姫アィイーガの4人の女性聖戴者にて行われ、
手伝いに蝉蛾巫女フィミルティが、
唯一人男性としてギジジットの金雷蜒大神官ジャガジァーハン・ジャバラハンが書記となり同席した。

 会談の内容は記録したジャバラハンの死後、つまりガモウヤヨイチャン降臨の40年後まで伏せられていた。
 記録からは、救世主がこの会談に臨むまで「青晶蜥王国」の構想についてほとんど何も考えていなかったこと、
そして会談が行われた3日間で奇跡のように作り上げられた、と見て取れる。

 彼女は新王国を立ち上げるに当たって、十二神方台系の住民の幸福についてほとんど考えなかった。
 むしろ徹底的に突き放し、民衆自らの力で社会を作る基礎となるものを用意し、
開かれた競争社会の中で発展的に生きて行く未来を企図している。

 また青晶蜥王国が統べる千年期よりも先、天鳴蝉「ゼビ」神救世主が訪れる次の時代について深く考察し、
その為に必要な全てを青晶蜥王国時代に用意すべきと示唆している。

 この示唆は記録が公開された時代にはほとんど理解されなかった。
 だが王国の治世が300年を過ぎた頃からにわかに注目され、
「ガモウヤヨイチャンの予言書」として十二神方台系を進歩へと駆り立てる原動力となった。

 次の蝉蛾神の時代について、ガモウヤヨイチャンはこう述べている。

『この世界は狭過ぎる。
 星の世界で私が住んでいた国はここよりも更に小さいが、世界中の別の国と密接に繋がっていた。
 千年後には海の向こうの国々と十二神方台系の人々は交流する。広い世界を知る事になる。

 天河十二神が私という異物を放り込んだのは、その予告の意味もあるのよ』

 

「どう思う?」

 赤甲梢「前」総裁キスァブル・メグリアル焔アウンサ王女は、会談の内容を掻い摘まんで説明し意見を述べさせた。

 「赤甲梢実験戦闘団」はゲルワンクラッタ村の外れに天幕を張って野営している。
 村内への兵員の立ち入りは前総裁の判断で差し止めた。
 小数のクワアット兵のみを伴って、焔アウンサと劫アランサだけが出入りする。

 3日目の会談を終えて闇の中を戻った二人は、天幕の暗い灯の下、赤甲梢幹部達と協議する。

 神兵頭領にして兎竜嚮導赤旗団長の「シガハン・ルペ」
 元老院「金翅幹」家出身で主に政略面において焔アウンサの参謀を務める、徒士紫幟隊長「スーベラアハン基エトス」
 黒甲枝の名門でありながらも己の力のみにて聖蟲を獲得した、兎竜黄旗団長「カンカラ縁クシアフォン」
 他。

 計8名の旗団長と幟隊長はいずれも「大剣令」位。他の部隊にあれば千人を預かる立場となる。
 王族に任せられる名誉職「赤甲梢総裁」は一つ上の階級「兵師監」並となるので、当然それより上は居ない。

 大剣令達はいずれも衆に抜きん出る優れた者ばかりだが、
あまりにも広く遠い弥生ちゃんの話についていける者は居なかった。

「外の世界との交流がもし起こり得るのであれば、それは喜ばしい事には違いありませんが、」

「存在自体を疑っているのだね。無理もない、私とてそうだ。
 ガモウヤヨイチャン本人とて、この世において他の方台がある、とは確認していない。
 信じるべきか否か、迷うね」

「青晶蜥神救世主には確信があるのですか」
「ある。そして深く憂慮している。早い話が、
 もし他に国があり、そこが十二神方台系よりも進んだ武器を持っていれば、確実に負けるのだよ我々は」
「褐甲角神の御加護があったとしても、負けますか」
「負ける。敵にだって神の加護はあるだろう。強い方が勝つに決まっている」

「では備えねばなりません。方台全土を統一した国と為し、人材を募り武器を造り兵を調練しなければなりません。
 ですが千年先の戦に備えるのはいささか」
「それが答えらしい。
 人は安逸を欲する、懶惰を求める。千年先の戦の為にこの千年を費やすのは道理に合わぬ。
 人の寿命より先の予見は意味が無いのだよ」

「救世主はいかなる答えをお持ちなのですか」
「それがね、……私に王国を下さる、と言っている」
「えっ!」

 

       *****

 目の前で行われる会議をうつろに眺めて、メグリアル劫アランサ王女はまたため息を吐いた。
 会談の内容の衝撃もさることながら、彼女自身にとって救世主との出会いは不意の一大事であったからだ。

 青晶蜥神救世主が言うには、劫アランサは星の世界に居る友人にそっくりらしい。

 肌が白く姿が美しく、色は違うが髪は長くゆるやかに巻いている。
 背丈もちょうど同じくらい、声の質も同じ。仕草も癖も生き写しである。
 人に接するに柔らかく優しく思いやりが深く、決して争いを好まず、それでいて過ちを糺すのに躊躇しない。
 剣を好み技にも優れ迷いが無く、果断さ冷静さの中に深い思索がある。

 その人、「衣川うゐ」あだ名はシルク、にアランサが似ているのは偶然でない事を、自分は知っている。

 アランサの髪の色は非常に薄い。乳白色で年老いた神女のようだ。
 4年前、黄金の聖蟲を戴く直前に罹った大病で七日七晩熱にうなされた名残だ。
 トカゲ神官の医師にも手の施しようが無く、父王と母妃も娘を失うのを覚悟した。
 その病の床でアランサは彼女に出会う。

 熱で霞む視界の中、その人は青い光を帯びて現われた。
 青い光は青晶蜥神のものであるとアランサは知っており、病平癒を願うと、その人はこう言った。

『まもなく私の友達がそちらに参ります。よろしくお願いします』

 明くる朝、アランサの熱はすっかり下がり、一命を取り留めた。
 喜びに沸く病室の中で、しかし決して夢の話をしなかった。
 褐甲角の王家に生まれた者が他の神を称えるなどすべきではない。

 ましてや千年に一度の救世主の出現を待ち望み、世上は混乱を極める。
 救世主を自称する者が何人も火焙りに処されており、警邏は督促派行徒の取締まりにやっきになっている。

 こんな時に夢で青晶蜥神の使いに会った話をすれば、正気を疑われいぶかしまれ、聖戴の儀式も受けられないかもしれない。
 アランサは永久に誰にも話すまいと心に誓った。そして怯えた。
 ひょっとすると、自分は青晶蜥神救世主に選ばれてしまったのかもしれない、と。

 

「総裁、大丈夫ですか」

 自分を補佐する輔衛視チュダルム彩ルダムが、心配して声を掛けてきた。

 この女性も偽救世主を火焙りにする立場の人だ。
 いや、褐甲角神の聖蟲を持つ者はすべて青晶蜥神救世主の敵である。
 一応の和解が成立した今も、やはりそうなのだ。

 夢の話は未だに誰にも打ち明けられない。

 

 会議は議題を替えて、軍議となっていた。
 前総裁の焔アウンサがはつらつと男達を仕切っている。

 赤甲梢総裁はあくまで名誉職。お飾りとして王族の姫を当てる。
 にも関わらず、在位が20年となる叔母は確とした成果、赫々たる武功を赤甲梢にもたらした。
 今や本物の「兵師監」位に叙せられる。
 女人ながら王都中央の軍政局にも直言する、厄介な迷惑者だ。

 叔母は救世主の言葉に、少々危険な域にまで踏み込んで賛同している。
 あえて救世の聖業の一角に食い込み、時代の変革に赤甲梢を参加させようとする。

 アランサは留めようと思ったが、心のつかえがそれをためらわせた。

「電撃戦? それはどのような戦です」
「ガモウヤヨイチャンの話を私なりに解釈すると、寇掠軍だ。
 強大な破壊力と高速を併せ持つ部隊を集中して投入し、防備を突破し敵領域に長躯進攻して目的を達成する。
 ゲイルがあればこその戦術だが、私達にもそれは出来る」

「兎竜騎兵ならばおそらく。しかし侵攻の目的はなんでしょうか」
「トカゲ神救世主は恐ろしい人だよ。袋の中のものを取るように、金雷蜒神聖王を連れて来いと言う」

 東金雷蜒王国の王都「ギジシップ島」を直撃し、神聖王に直接刃を向ける。
 天幕の内に衝撃が走った。
 誰も夢想だにしなかった究極の解決策、何人がそれを現実のものと成し得るだろう。

 アランサはまたため息を吐いた。
 ガモウヤヨイチャンの話では、それは可能なのだ。

「無理です」
「無理だ。東金雷蜒王国の防備はそれなりに十分なもので、更に加えて各地の神族がゲイルで迎え撃つ」
「ギジェカプタギ点の要塞群を突破するのも尋常ならざる大軍を必要として、事実上不可能だ。
 これまで、ならば」

「毒地が解放され通行可能となった現在なら、ギジェカプタギ点を迂回する進撃路が可能となっている、のか……」
「ああ。それにゲイル騎兵は続々と毒地に進出して、褐甲角王国への総攻撃を準備している最中だ。
 平時よりも国内の防備は薄い。突入さえすれば、」
「しかし、やはり不可能には違いない……」

 焔アウンサは、男達の顔色が青ざめて行く様を楽しげに見渡した。
 驚天動地の計画に興味を示さぬ者など居ない。
 赤甲梢黒甲枝は誰もが究極の戦争「金雷蜒王国の壊滅」を望んでいる。渇望している。
 その方法が今、目の前に魔法のように展開されているのだ。

 更に男達の尻を押す。

「我らは大本営から、毒地中に適宜侵攻して金雷蜒軍を挑発し、国境の防衛線に集中するよう干渉する事を命じられている」
「はい」
「要するにちょこちょこ攻めて相手を怒らせ、大挙して網に引っかかるよう誘導するのが任務だ。
 前座みたいで面白くはない」
「だが理に適っています。十分な準備がなされた防衛線で敵を迎え撃つのは、軍略の常道です」

「ガモウヤヨイチャンはそれに関しても策を授けてくれたよ。
 ”ここボウダン街道において青晶蜥神救世主と赤甲梢は和議を結び、青晶蜥王国の建国に褐甲角王国が参加する協定を策定した”」

「なんですか、それは。まだカプタニアには使いも届いていませんよ。勝手に、」

「”青晶蜥王国はトカゲ神救世主が大王として君臨し、その王権の下に褐甲角神の聖蟲を持つ神兵が軍事と徴税を司り、
 金雷蜒王国ギィール神族を産業と学究を独占する名誉有る身分と為し、三王国を併合した平和な支配体制を築くものである”」

「……冗談ですか」
「冗談だよ」
「悪い冗談です。そんな体制を誰が望むというのです」

「”この路線を確固たるものとすべく、トカゲ神救世主は赤甲梢の案内でカプタニアに赴き武徳王と会談を行うであろう”
 という噂が毒地および東金雷蜒王国内で流れるわけだ」

「そんな話を聞かされたら、頭に血が上ったギィール神族がカプタニアに殺到します。大激戦に、
 ……あっ!」

「電撃戦だ。」

 アウンサは微笑んだ。

 

        *****

 ガモウヤヨイチャンという人は、救世主でなければ強大な侵略者として十二神方台系の歴史に名を刻むだろう。
 天河の神々はどこからこのような人物を探して来たのか。

 もしもこの策が成功したならば、カプタニアを護るスプリタ街道沿いの防衛線で血の河が流れる。
 本来救世主とはもっと穏やかな解決策を、理想的かつ空想的な平和を唱えるべきだ。
 これほど血生臭い政戦略を考えつく人物がその役を務めて良いのだろうか。

 焔アウンサは命じる。すでに命令権など無いにも関わらず。

「紫幟隊長スーベラアハン基エトス、そなたにクワアット兵5百を与える。毒地中に潜入して以上の噂を流して来い」
「私は電撃戦にお連れ下さいませんか」
「おまえは謀略とか得意だろ。元老院の出なんだから」
「そういうのが嫌で、クワアット兵になったのです」

「東金雷蜒王国領への突入は赤甲梢の神兵のみで行う。
 残りのクワアット兵はカプタンギジェ関に留まり防衛陣に参加して、本隊の帰還を待て」

 (「カプタンギジェ関」は、東金雷蜒王国の大要塞「ギジェカプタギ点」に対抗する褐甲角軍の関所。
   防塁は持つが要塞と呼べる規模ではない)

「赤旗団長シガハン・ルペは兎竜隊を率いて先行し、敵防衛陣を突破せよ。
 装甲神兵はイヌコマ軽走兵として各自5頭のイヌコマに補給物資を積載して走る。これを本隊とする。
 全軍の指揮は私キスァブル・メグリアル焔アウンサが務め、本隊に徒歩で同行する」

「お待ち下さい!」「お待ち下さい!」

 と声が二つ飛んだ。
 一つは神兵頭領シガハン・ルペが、もう一つは輔衛視チュダルム彩ルダムからだ。
 王族である焔アウンサがこのような危険の高い作戦を直接指揮するなど、二人の異なる立場からしても認められない。
 だが、

「言いたい事は十分に分かるが、私が行かなければこの作戦は不可能だ。
 誰が金雷蜒神聖王と交渉すると言うんだい。
 ルダムちゃん、それに女は私ひとりじゃないよ」

「新総裁はもちろんダメです」
「アランサは連れて行かない。ルダムちゃん、あなたが来るのだよ」
「え!」
「独立先行するのに輔衛視が不要だと思った?
 頭にカブトムシの聖蟲をのっけているんだ、たまには存分に力を使ってみなさい」

「叔母上!」

 自分を置いて行くというアウンサの言葉に、気もそぞろなアランサもさすがに反応した。
 これほどの重大事から、それも正規の赤甲梢総裁は自分なのに除外される道理があるだろうか。

「私も参ります。止めても無駄です。
 私は私に与えられた権限をもって、私の同行の無い作戦を承認するわけにはいきません!」

 だがアウンサの目は冷たかった。諭すように姪に告げる。
 赤甲梢総裁として偉大な実績を誇る叔母と、正面から向き合って意見を対立させたのは今回が初めてだ。

「アランサには特別な命令を与えます。あなたにしかできない、極めて重要な任務です」
「なんでしょう。ギジシップ島攻略よりも重要な任務がありますか」
「あんと浅墓な。

 メグリアル劫アランサ王女に命ずる。
 青晶蜥神救世主のウラタンギジト行きに同行し、当然そこで行われる金雷蜒王国側との会談に必ず臨席し、
 褐甲角王国の不利となる協定や約定、言質が与えられないよう介入し、
 新王国建国に際しては褐甲角王国の権益を確保する旨をガモウヤヨイチャンに了承させなさい」

「!」

 その場に居る誰もがアウンサの命令に納得した。
 アランサ自身もしまったと臍を噛む。

 確かに青晶蜥神救世主には誰か身分の高い者が貼り付いていなければならない。
 これまでの展開の急速さを見れば、王族レベルで権限の大きな人物でなければ彼女の掣肘も出来ないと分かる。
 後の世までの影響を考えれば、まさしく東金雷蜒王国首都「ギジシップ島」を攻略するよりも重大な任務だ。

「メグリアル劫アランサ、どうしました。復唱しなさい」
「……、メグリアル劫アランサは青晶蜥神救世主ガモウヤヨイチャンのウラタンギジト行きに同行し常に離れず、
 金雷蜒王国側との会談に臨席し褐甲角王国の不利となる全てを許さず、
 また新王国新時代における褐甲角王国の権益を確保する為に働き掛けます。

 無念です」
「よろしい。この任務の重要性は現在全てに優先する。
 首尾よく果たせば、誰もがそなたを赤甲梢総裁にふさわしいと認めるであろう。励みなさい」
「はい……」
「クワアット兵1百を与える。
 またエイタンカプトより援軍を求め、それも自身の指揮下に置きなさい。

 ただし、赤甲梢からの神兵は総裁護衛職のディズバンド迎ウェダ・オダのみとする。
 攻撃軍の人手が足りないから、許せ」
「叔母上のお指図に従います」

 

        *****

 翌早朝。
 弥生ちゃん一行と赤甲梢はゲルワンクラッタ村を出立し、東西に分かれて草原を行く。

 弥生ちゃんの行列には新しく赤甲梢総裁メグリアル劫アランサの輿が加わり、
その侍女および護衛のクワアット兵が百名、西に向かう一行を先導する。

 神兵としては唯一人アランサに従う事になったディズバンド迎ウェダ・オダ中剣令は、前総裁に恨み言をこぼした。

「額に赤い聖蟲を戴く者の一人として、東金雷蜒王国の、それも心臓を衝く絶後の作戦に参加出来ないのは、未来永劫に渡って情けなく思いますよ」
「すまん。だがアランサを任せられる者もそうは居ないのだよ。
 私が心配するのはむしろカプタニアの動向だ。アランサには私の独断専行の楯になってもらう。
 済まなく思っていると、後でこっそり言っといてくれ」

「ハジパイ王が何をしてくるか知りませんよ。帰って来たら赤甲梢が無くなっていたなんて普通にあり得ます」
「基エトスと連絡を密に取って、良いようにしておくれ」

 焔アウンサはまた、夜が明けても塞ぎ込んでいる姪の輿の傍に、侍女を引き連れて訪ねた。

「私の侍女はギジェ関に留めておく。なにかあったらお前が迎えてくれ」
「恨みは申しません。
 ですが叔母上、あなたはこの日が来るのを知っていたのではありませんか。占いは得意なのでしょう」
「私ごときの拙い星読では、こんな大事は分からないよ。
 約束する。これが終って帰って来たら、すっぱりと赤甲梢から手を引く」

「……無事のお帰りを、御武運をお祈りいたしております」

 更にアウンサは、弥生ちゃんの隊にも顔を見せた。
 ゲジゲジ神官の指図で神官戦士達は跪き、王族に対する礼を示す。

 アウンサは型通りの挨拶をした後、弥生ちゃんに今後の予定を尋ねた。
 ウラタンギジトで金雷蜒王国側との会談後、褐甲角王国にはいかなる対応をするのか。
 救世主は少し考えて答えた。

「とりあえずは、あなた方が金雷蜒神聖王陛下をお連れするのを待ちます。
 その間は、あなた方が失敗した時の策を用意しておきますね」
「私に王国を下さるという件は、結局どうなります」
「遠からず、毒地は青晶蜥王国の領土である、という宣言をするつもりです。
 その場合、不毛の大地の開墾があなたの仕事になりますよ」
「いやーそれは遠慮したい」

 弥生ちゃんは表情を真剣なものに改めて、言った。

「金雷蜒王国の神聖王と褐甲角武徳王の直接会談が無ければ、次の時代は始まりません。
 ですが、胸元に剣を突きつけられても、神聖王が同行を諾とする事は無いでしょう」
「誇り高いギィール神族の更に上にある御方ですから」

「これを持って行ってください。青晶蜥神救世主が金雷蜒神聖王の身の安全を保証する誓いの品です」

と、弥生ちゃんは額のカベチョロの尻尾を右手でぎゅーっと引っ張る。
 この行為にはアウンサも、神族キルストル姫アィイーガも、フィミルティもゲジゲジ神官も、その場に居る者すべてが胆を潰した。

 ぴゅんと跳ねて尻尾がカベチョロの聖蟲から切り離され、人差し指と親指の間で左右に元気に振れている。
 青い光を燦と放って朝日のきらめきをも凌駕した。
 弥生ちゃんは平然と語る。

「いや、こいつはこの間から新しい尻尾が欲しいって言ってたから、ちょうどイイ機会なんですよ。
 これを見せれば神聖王もウンと言います。
 それに、実は既に金雷蜒神聖王宮には布石を打っているのです」

 フィミルティに指図して用意の小箱を差し出させた。
 彼女は何の為に使うのか知らされておらず、適当にファッカプタの木箱をもらってきていた。
 「ファッカプタ」とは乾燥させた昆虫をすり潰して粉にしたもので、香辛料の少ない十二神方台系では料理に多用される。

 箱に青晶蜥神の化身の尻尾を納めて蓋をし紐で縛って、差し出す。
 さすがのアウンサもおっかなびっくりに両手を伸ばし、うやうやしく受け取った。

「必ず、金雷蜒神聖王にお届けします」

 背筋に大量の冷や汗が吹き出すのを感じた。
 36年生きてきた中でもこれほど緊張したのは聖戴式以来だ。

 

 先に出立する弥生ちゃんの隊列を、旗団長達を従えた焔アウンサはいつまでも見送る。
 誰に言うでもなく呟いた。

「……去年の秋に行われた定例の星読会で気付いたんだが、
 天河の北岸に位置するチューラウの神座から、四冠星の姿が消えていたんだ。
 聖蟲の助けが無いと見えないほどの微かな星だけど、どこに行ったかと思ったら地上に降りて居たんだね……」

 四冠星とは四つの星が連なったように見える星団の事である。
 日本語で「六連星むつらぼし」とスバルを呼ぶのと同じだ。

 アウンサは知らない。
 弥生ちゃんが王旗に用いている「ぴるまるれれこ」が”スバルから来た希人”の意であることを。

 

      *****

 その日の夕方、そろそろ隊列を止めて野営の準備に入ろうかと思う時刻、
弥生ちゃんの一行は一人の黒甲枝に行く手を阻まれた。

 彼は神兵正規の重甲冑を身に纏い、手に鉄槍を、背には大剣を負っている。
 数名のクワアット兵を伴っているだけで単独行動と見受けられた。
 しかし青晶蜥神救世主のこれ以上の進行を断固として阻む意志で燃えたぎっている。

 大音声で彼は口上を述べた。

「我はベギィルゲイル村(ゲルワンクラッタ村の前の名前)を守護する黒甲枝、ジンハ守キンガイアである。
 ボウダン街道の国境線を護る為に村を留守にした隙に、
 青晶蜥神救世主が我が村の名を変え、守護の許しも無く留まったと聞く。

 許しがたし!

 これより先は王国の深部なれば、我は此の地において汝等を武により留め討ち果たす所存。
 神妙に立合われよ」

 行列の先頭をクワアット兵が先払いを務めるのも無視しての挑戦である。
 慌ててメグリアル劫アランサとディズバンド迎ウェダ・オダが説得に行くのを抑えて、弥生ちゃんは言った。

「彼の言い分は正当だ。私に挑戦する資格がある。
 シュシュバランタ付いて来い」

 と、王旗を掲げる巨漢のみを連れて彼の元に歩いて行く。
 止めようとする二人に、ゲイルの上からアィイーガは言った。

「愚かな奴だ。ガモウヤヨイチャンがどれほど強いか、思い知るがいい」

 勝手にすたすた進んで行く弥生ちゃんの後を狗番のミィガンが追いかけて説得するが、決意は変わらない。

「ミィガン。たまには私のカタナも鉄を斬らなければ調子が悪いのよ。
 それに黒甲枝の神兵がどれほど強いか、知っておきたいじゃない」

 歩きながら左の腰に吊るしたカタナを抜く。
 ずらりと鞘から解き放たれた鋼は夕陽の赤を照り返して、見送る人々の目を眩ませた。

 まさに問答無用の態度。
 黒甲枝ジンハ守キンガイアも大剣を背から下ろして、両手に構える。

 弥生ちゃんはまっすぐ草原を進む。
 その姿には鬼気と呼ぶのがふさわしい凄まじい気魄が漂う。
 ものに動じない元気の良い少女、としか見れなかったクワアット兵の認識を根底から覆した。

 「ぴるまるれれこ」旗を掲げ弥生ちゃんの後に続くシュシュバランタ。

 彼もこれほどまでの緊張感威圧感を主から感じた事は無い。
 戦慄と共に骨の髄から沸き上がる高揚感に包まれた。
 まさに今、自分は燦然たる神話の中に居る。

 弥生ちゃんの気魄に呼応して、ジンハも兜の面を着け大剣を斜めに構えて歩み出す。

 重甲冑は着用者の体重も合わせて、全備重量300キログラム。
 装甲の厚さも赤甲梢の甲冑の倍有り、強力な弩ですら貫通を防ぐ。
 呼吸補助器も装備され火中でも構わず進み、何者も留める力を持たぬ。
 それでいて鈍重ではない。
 聖蟲の与える怪力の作用で、まるで重さが無いと勘違いする軽快さで動く。

 丸く胸部が盛り上がった黒褐色のフォルムは、甲冑武者と呼ぶよりはむしろロボット、いや等身大の甲虫に見えた。

 互いに腕を開き剣を誇示して、二人は接近していく。
 まっすぐに死線へと歩み寄る姿に、1百のクワアット兵も250の神官戦士団も息を詰めて見守る。
 絶対大丈夫だと知ってはいても、蝉蛾巫女フィミルティは両の拳を握り締める。
 天河の神々に祈った。

 改めて弥生ちゃんは名乗りを上げる。

「青晶蜥神救世主、蒲生弥生!
 あなたの村を勝手にした詫びを、カタナでお返ししましょう。
 黒甲枝で私に戦いを挑むのは、あなたが最初です」

「有り難い。青晶蜥神救世主殿、死して歴史が変わろうとも御恨み給うな」

 最後まで歩みの速度を落とすことなく、二人は吸い込まれるように接近し、剣を振り上げた。

 

       *****

 ものの2分で弥生ちゃんはカタナを鞘に仕舞う。

 互いに傷を受ける事もなく、剣が触れ合う音も無く、
しかし、黒甲枝ジンハ守キンガイアは地に膝を突き、敗北を甘受した。

 神兵が纏う重甲冑は単なる鎧ではなく、バネで四肢が繋がっている。
 抗重力筋の肩代わりを鋼鉄のバネが行い、重量を甲冑自体が受け止める構造になっていた。
 これにより着装者は甲冑の重さを気にすることなく普通に振る舞い、遅滞無い運動が可能になる。
 力も、初動時にこそ聖蟲の怪力が必要だが、動き出してしまえば甲冑自体が慣性で動き続ける。
 「着る自転車」とでも呼ぶべき存在だ。

 故にその急所は重量を肩代わりする棒バネだ。
 とはいえ装甲の隙間にわずかしか姿を見せず、鉄斧を叩きつけても弾き返す切断不能な強度を持つ。
 稼働中に急所狙いをするなど、考えるのも無理がある。
 だが、

 斬った。
 翻車の勢いで振り回される大剣を掻い潜り、ジンハの背後に回って四肢のバネを精密に斬っていった。

 神兵は鉄槍大剣を茅棒のごとくに軽々と振り回すが、人間の反射速度を越える事は無い。
 弥生ちゃんの風の疾さに対抗するには甲冑を捨て、剣も常人の使う細身のものを選び、赤裸で立ち向かうべきだ。
 それですら木偶の鈍さでしかない。

 ジンハの敗北は見守るクワアット兵に2度目の衝撃を与える。
 誰も口がきけなくなった。

 最初は聖蟲を通じての精神攻撃であるから、救世主にはただならぬ神通力が与えられているのだろうと諦めもした。
 だが神兵が正式な重甲冑を纏い、一対一の撃剣で正々堂々と立会い、為す所無く膝を屈するとは。

 弥生ちゃんは神威らしきものを使った気配も無く、尋常に戦ったと見える。
 彼らの受けた心の傷はなお一層深かった。

 

 シュシュバランタは人頭の描かれた水色の王旗を左右に大きく振って、叫んだ。

「勝ち鬨を!」

 おおーっ、と神官戦士団から呼応する歓声が沸き起こる。
 弥生ちゃんは高校の青い制服の襟と裾を整えて、身動きが取れなくなったジンハに言った。

「よろしければ、私の事は”蒲生弥生ちゃん”と呼んでください」

 歩を返し隊列に戻る弥生ちゃんとシュシュバランタ。
 入れ代わりに、迎ウェダ・オダが駆け寄った。

 重甲冑のバネの全てが斬られたわけでなく、中途半端に引き攣って硬直した為、ジンハは身動きが取れなくなっている。
 介添えのクワアット兵の力ではどうしようもない。
 ウェダ・オダの聖蟲の怪力でようやく起き上がり、甲冑を脱ぐ事が出来た。

「私は赤甲梢総裁護衛職、中剣令ディズバンド迎ウェダ・オダと申す者です。御無事ですか。
 ……どちらの筋のお指図です?」
「詳しくは分からぬがカプタニアだ。
 青晶蜥神救世主の強さを確かめて来るよう書簡を受け取ったが、……疾い! 姿が視界から度々消える」
「我らにも参考になりました。ありがとうございます」

 

 隊列に戻ってきた弥生ちゃんは、フィミルティから叱られた。

「あのように軽々しく決闘に応じるのは匹夫のする事です! 
 救世主たる者、民に感動をこそ与えるべきで、恐怖させてどうしますか!」

「ゴメン。でもやっぱ直接戦闘でも強いとこ見せとかないと、しめしがつかないでしょ」
「上に立つ者、王者とはそのような心配はしないのです!」
「ごめんー」

 フィミルティ、アィイーガと狗番達に囲まれる弥生ちゃんの姿を、劫アランサは不思議と暖かく感じた。
 そして妙な懐かしさを覚えた。
 彼女も一歩踏み込んで、談笑する輪に加わる。

「青晶蜥神救世主さま、今の刀術はなんですか。私、この太刀筋には見覚えがあります」
「あれが星の世界の剣術だ。十二神方台系のものよりも精妙を極め、相対する者の目に留まらぬ不思議な技を使うのだ」

 本人が口を開く前にアィイーガが説明する。

「あなたには分かるでしょ。アレは、しるくの剣なのだよ」

 弥生ちゃんは笑いかける。
 アランサは心の深奥でその笑顔に応じるときめきがあるのに気付いた。

 自分の身体に重なる「しるく」と呼ばれる人物は、救世主に深い信頼を抱いている。
 孤高の頂にある自身の想いを理解してくれる唯一の人物。弥生ちゃんをそう信じる心を知った。
 王族として生まれた自分も、望んで得られなかった真の友の姿を見る。

「道すがら術理を教えましょう。すぐに覚えますよ、あなた自身の剣なのだから」

 ああその為に、とアィイーガは王女を見た。
 この娘はガモウヤヨイチャンに選ばれたのだ。
 彼女の目覚めを促す為に、今カタナで戦って見せる必要があったわけだ。

 さりげなく深謀遠慮の策を次々と繰り出す救世主に、かなわないなと感慨した。

 

 もう一人、弥生ちゃんに敗北感を抱く者が居る。

 狗番のミィガンは主人サガジ伯メドルイの命で弥生ちゃんに付き従う。
 自身死の淵よりハリセンの力で救い出された大恩があり、これまで主に仕えるのと同じ真摯さで従ってきた。
 だが、彼女には護衛の役は不要だと思い知らされる毎日だった。

 東金雷蜒王国では各地で寇掠軍が組織され、毒地に続々と出征している。
 メドルイは出征に興味を示さないだろうが、場合によっては南の鎮守府であるガムリ点にも戦火が及ぶ可能性がある。

 千年の救世主の御行に従うのに不満などあるはずが無い。
 しかし、心の疼きから目を背けられない自分が居た。

 

 

第十二章 そして舞台は一幕を終え、次なる悲劇を用意する

 赤甲梢実験戦闘団はゲルワンクラッタ村を出立し、カプタンギジェ関の後背に布陣した。

 「電撃戦」東金雷蜒王国の心臓部、神聖王の宮殿のある王都ギジシップ島への長駆侵攻を行うには、色々と下準備が必要だ。
 第一両軍は未だ本格的な衝突を見ておらず、開戦の勅令も出ていない。
 突入には時期尚早。そもそもが、まずは味方から騙さねばならない。

 第一に最優先で行わねばならないのが、
キスァブル・メグリアル焔アウンサ王女を再び赤甲梢総裁として、引き続き部隊の指揮権を確立する事だ。
 然るべき軍の上位者に認めさせねばならない。

 本来であれば一度王都カプタニアに戻って辞令を受けるべきだが、なにせ今は準戦時。
 しかも赤甲梢は「兎竜」という、対ゲイル騎兵の切り札新兵器を装備運用する。
 この能力を十全に活かすには、開発責任者であり戦術を確立した焔アウンサ本人に指揮を執らせるべき。
 また実際、ギジェ関に至るまでの道中でもゲイル騎兵を散々に追い回し撃退した。

 ギジェ関の司令官は兵師監で赤甲梢総裁と同格だが、関の外交上の責任者は「法衛監」という高位の官僚だ。
 本来の総裁であるメグリアル劫アランサ王女が、青晶蜥神救世主に随行して部隊から離れている点も、彼に決断を促した。
 王女が救世主に密着してその行動を掣肘させる重要性は、外交官であればこそよく理解する。
 ならば赤甲梢本隊は、実績の有る前総裁に任せるべきだろう。

 焔アウンサ王女を総裁代理と認め指揮権を委譲する書類に署名した。
 もちろん、可及的速やかにカプタニアの軍政局に出頭して正規の辞令を取り付けるよう進言する。

 誰が聞くもんか!

「謀略の為多少あざとい噂を流します。ですが我軍においては否定せず詳細は不明だと表明して下さい。
 内部に敵の間諜が潜み逐一情報を漏らしています。
 一般の兵士が多少動揺するかも知れませんが、よろしくお願いします」

 日頃高慢な焔アウンサ王女に下手に出られては、ギジェ関を守る司令官達もうなずかざるを得ない。
 また赤甲梢は金雷蜒王国に対する尖兵として、以前より密偵を毒地に送り込んでいる。
 高度な政治的判断があるのだろうと了承した。

 

 

 こうしてフリーハンドで自在に部隊を運用する権限を得たアウンサは、
陣内に『プレビュー版青晶蜥神救世主』の一行を迎える事となる。

「その方が紅曙蛸巫女でありながら青晶蜥神救世主の名代の一行を率いる「ティンブット」・リアゥルであるか。
 面を上げよ。……、見覚えのある顔だな」

「5年前、エイタンカプトで催されました花宴の席で舞を披露いたしました。その時にお覚えになられたのでございましょう」
「ああ。そうか、あの時は見事であった。
 舞もさる事ながら、炎色の違う篝火を用いる演出には感じ入ったぞ。なるほど、おまえか」

 いいかげんなタコ巫女ティンブットは、知る人ぞ知る名舞姫である。

 現在タコ巫女は特定の都市に留まり、上流階級より手厚い支援を受けて舞を披露するのを常態とするが、
本来の有り様としては、村々を回り祭礼でその技を披露して流れ歩くものだ。
 古代紅曙蛸巫女王国時代の舞姫の生き方を今に受継ぐ、古典流派最後の名姫とも呼ばれている。

「して、『プレビィウ版』とはいかなる意味だ」
「プレビュー版とは青晶蜥神救世主ガモウヤヨイチャンさまのお住まいになる星の世界の言葉で、
 『これから来る者の姿を少し見せる』という意味にございます。
 救世主であっても、すべての民草と接してその神威霊験をお授けになられるのは不可能です。
 故に名代を通じて御姿を下々にお披露目になり、また神剣より発せられる青き光にて病に苦しむ者に癒やしをお授けになられます」

「なるほど。では私にはそなたらは必要無い。
    もう本物に会ったからな」

 アウンサの天幕の前に跪く”偽弥生ちゃん”一行の者達は狂喜した。
 ティンブット、トカゲ神官巫女、楽人のタコ神官お供の舞姫、護衛をかって出た神官戦士・武人の有志、
一目ガモウヤヨイチャンの姿を拝もうと付いて来た奴隷達。そして、

 青晶蜥神救世主名代 トカゲ巫女見習い「ッイルベス」は、礼儀も忘れて正面に座る褐甲角の王女の顔を仰ぎ見た。

 真っ正面から見返して来る少女をしげしげと観察して、アウンサはふんと鼻で笑う。

「確かに。髪が黒くて細長ければ、似ているというわけだ。
 ティンブット。ガモウヤヨイチャンは私の姪と共にウラタンギジトを目指して西に進んでいる。
 今朝の報告ではここよりおよそ5日の距離にある。急げば追いつくぞ」
「ありがとうございます。
 して、ガモウヤヨイチャンさまの御様子はいかがでございます。
 御体に御変わりはございませんか」

「別れてすぐに黒甲枝を一人、完膚なきまでに叩きのめしたという話だ。ぴんぴんしてる」
「ああっ、それは御無礼をいたしました。
 どうもあの方は、その、……全然変わってないのですね」

「街道沿いの関所は現在厳重警戒中だ。急いで通れるように、私が鑑札を書いてやろう」
「御厚情、感に耐えません。幾重にも感謝、」
「礼に一差舞って行け」

 舞姫ティンブットはタコ神官に命じて早速に舞台を設えた。
 こうした突然の公演は彼らの大得意で、手品師の手際で周囲を飾りたてる。
 神剣を載せた輿も持ち出して青い光で観る人を包み、
ッイルベスも人形のように剣に寄り添って華やかな舞台を作り上げた。

 ティンブットは、王族にのみ献ずる事が許された特別な舞『玉枝金紗が靡く』を演じる。
 並のタコ巫女が舞うのは許されず、衣装にも厳しい規定がある曲だが、
東金雷蜒王国を巡業中に地元の神族や富豪から贈られた最上級の舞衣装や装飾品は、当然にそれを満たす。

 はっきり言って、貧乏くさい褐甲角王国ではとうてい見られない、金雷蜒王国の宮廷ばりの豪華さが舞台上に繰り広げられた。

「艶やかなものですね」

 黒甲枝と違い、日頃宮廷儀式に参列する事の無い赤甲梢達は名姫の舞に目を奪われた。
 アウンサも変わらぬ見事な技量にしきりにうなずく。

「この様子だと、東金雷蜒王国に布石は打っているというガモウヤヨイチャンの言葉に、偽りは無さそうだな」

 謀略に勤しむスーベラアハン基エトスに代わって、黄旗団長カンカラ縁クシアフォンが脇に侍る。

「アウンサ様。しかし青晶蜥神救世主は赤甲梢と必ず連携する、と最初から決めていたわけではありません」
「そうだ。おそらくは、タコリティに居るソグヴィタル範ヒィキタイタンを担ぎ出すつもりだったな」
「ソグヴィタル王を?
 なるほど。タコリティにおいて追捕師レメコフ誉マキアリィを退けた、と聞きます」

 謀略によって王都を追われた副王ソグヴィタルは、「先戦主義派」の頭目でありアウンサの盟友だった。
 救世主降臨に先んじて最終戦争に挑もうとした王の予見は、今まさに現実のものとなっている。
 彼を担ぎ出せば同調する黒甲枝やクワアット兵は多く、褐甲角王国の情勢は一気に動く。
 アウンサもその渦に呑み込まれただろう。

「あるいは戦を故意に起こして、傷病に苦しむ兵士達を神威で救っていく。
 民や兵士の支持があれば、褐甲角王国を乗っ取る事だって叶うだろう。
 陛下(武徳王)から先に篭絡する手もあるさ。

 どちらにしても、プレビュー版救世主という布石は生きて来る」
「まさに神謀と。ですが踊らされるばかりでは、」

「うん。」

 

 キスァブル・メグリアル焔アウンサから通行の鑑札をもらった”偽弥生ちゃん”一行はボウダン街道を進み始める。
 幸いというべきか、本物が先に通ったのだから当たり前だが、
これまでは神威神剣に群がってきた地元住民が進路を塞がないので、可能な限りの速度で草原を急いだ。

「もうすぐガモウヤヨイチャン様に会える。
 今度こそ、真っ正面から向き合って、救世主様にお言葉を頂こう」

 ッイルベスも心が急き、おもわず騎乗するイヌコマの背を蹴った。

 

       *****

 さて弥生ちゃん一行である。

 250の神官戦士団と100のクワアット兵に守られる彼らには、一つ大きな懸念があった。
 キルストル姫アィイーガの乗るゲイルである。

 いくらギィール神族によって完全な制御が行われているとはいえ、人を喰う15メートルの巨蟲だ。
 なんの恐怖も感じないわけにはいかない。
 ましてやここは褐甲角王国。
 金雷蜒王国とは異なり、ゲイルの目撃はほとんど死と同義の体験だ。
 口には出さぬがクワアット兵の緊張は極に達する。

「ガモウヤヨイチャンさま。なんとかなさった方がよろしくはありませんか」
「そうは言っても、アィイーガはなにもする気が無いからね」

 弥生ちゃんも最初は、ゲイルに人を食べさせるのを止めさせようと考えた。
 しかし詳しく話を聞いてみると、倫理的道徳的にこの慣習が誤っているとは思えなくなった。

 ゲイルは、ギィール神族の額にある金雷蜒神の聖蟲とそっくりの姿を持つ。
 つまりゲイル自体も神聖な蟲だ。これに害される事は古来より名誉とみなされてきた。
 死の壁に等しいゲイルに立ち向かう敵は、勇敢さと無私の忠誠を称えられる。

 寇掠軍において、時に兵がゲイルの餌食に選ばれる。
 戦死をも越える名誉ある死として、遺族には最大限の補償が行われた。
 危急の折に主人を救う為に、自らゲイルの口に飛び込んだ狗番や奴隷の忠義話は枚挙に暇が無い。 

 一般社会においてゲイルの餌となるのは、通常は罪人である。
 但しそれは、高潔なる者だ。

 自らの罪を悔い社会的責任を負おうとする誠実な者が、敢えて地上における最大の恐怖と向き合い報いを受ける。
 その勇気と真摯さは称賛に値した。
 死後魂が西の海を越えて天河の冥秤庭に至っても、居並ぶ神々に何一つ恥じる所は無い。

 更に、餌食となる罪人は牢から購われるのだが、代金はそっくりへ弔慰金として犯罪犠牲者の遺族へ支払われる。
 名誉ある命の代償が、犯した罪の償いに用いられるのだ。牢番や役人が中抜きする事は許されない。
 この制度の無い褐甲角王国では、犯罪犠牲者への公的補償は一切無い。

 牢に繋がれた罪人は、ゲイルを連れた神族の到来を待ちわびている。
 自ら望む者のみを、ギィール神族は贄に選ぶ。
 神族の選択から逃れた者は臆病な卑劣漢として、民衆の石投げにより意味も無く無残に殺される刑罰を受けるしかない。

 ここまで聞いてしまっては、弥生ちゃんも返す言葉が無い。
 十二神方台系ではこれが正義だ、と納得するしか無かった。

 

 狗番のミィガンに、こういう場合お供をする狗番や剣令はどう注意をするのか尋ねてみる。
 彼は最近元気が無い。いつも遠く草原の南の空を見つめている。

「これは仕方がありません。ゲイルの足元に人が近付かないよう、追い散らすだけです。
 もっともゲイルに近寄ろうとする者は普通居ませんが」

 アィイーガはゲイルの背の上で呑気に天を眺めて詩などを作っている。
 ギィール神族はそのような卑近な話にはまったく興味が無い。
 聖蟲の超感覚で兵の心境など手に取るように分かっていて、これだ。

 弥生ちゃんがなんとかしなければならないと、蝉蛾巫女フィミルティは無責任に言う。

「青晶蜥神さまの神威を借りて、どうにかなりませんか?」
「世の中そんなに便利に出来てない」

 やむなくゲジゲジ大神官ジャバラハンに相談してみる。
 神聖首都ギジジットにおいて三番目に高位の神官である彼は有職故実に詳しく、たちどころに解答を提示する。

「え、王室で慶事がある際には、ゲイルを飾り立てて危なくないようにして、行進するの?」
「目的は違いますが、周囲に人を伴わせ儀礼的に人払いをして粛々と進みます。
 ギィール神族の方々は本来兵器であるゲイルを飾るのを好みませんが、神聖王は趣味に合わせて麗々しく飾ります」
「出来る?」
「お任せ下さい」

 ゲジゲジ神官が自らの領域に属する事柄で否という筈が無い。
 神官戦士達に指図し近隣の村から材料を集め、アィイーガに恐れながらと相談し協力してもらって、
ついに『あんまり恐くないゲイル』が完成した。

「キルストル姫アィイーガ様は、8代ゲチョメル神聖王の末孫に当たる御方ですので、
 ”瑞媛”(神聖王の側室で未だ子の無い女人)と同等の飾りが許されると思います」

「かっこ悪いな。ゲイルというものは血化粧こそがふさわしいのに。見ろ、このまぬけな姿を」
「いやー、なんというか歩く山車だね」

 ついでにもう一つの懸念も尋ねてみる。

「ウラタンギジトでは、ゲイルの餌はどのように調達しているの?」

 「ウラタンギジト」は北方聖山にある東西金雷蜒王国の衛星都市だ。

 十二神の正式な神殿は聖山山中に揃っているが、金雷蜒神と褐甲角神は本物の神が地上に顕臨する。
 別格として神殿を中心とした都市が築かれていた。
 金雷蜒神殿「ウラタンギジト」と褐甲角神殿「エイタンカプト」が、聖山への巡礼路「神聖街道」の東西両脇に設けられる。

 だがここは、褐甲角王国のど真ん中だ。
 ウラタンギジトは篭城戦も視野に入れて規模が大きくなる。
 城壁も完備され、軍のみならずゲイルも十数体が飼育されていた。

 ジャバラハンは弥生ちゃんの問いに答える。

「本国より餌となる罪人を特に選って輸入しています。
 神殿都市で供儀に捧げられれば死後も聖別間違いなく、
 本人がそうと希望するので、褐甲角王国が彼らの解放に動く事はないと聞いております」

「ぜんぜんさんこうにならない……」

 

      *****

 そうこうしているので行列は全然前に進まない。

 ティンブット率いる「プレビュー版」の一行がギジェ関を抜けた情報が伝わり、待っているのもそうだが、
東西南北から青晶蜥神救世主弥生ちゃんの姿を一目見よう、
ハリセンの神威で病を癒してもらおうと人が集まり進路を塞ぐ。

 弥生ちゃんは物惜しみをしないタチで、せがまれればがんがんハリセンを揮っていく。
 無数の患者がぴんぴん飛び跳ねて帰って行った。

 しかしハリセンの効力にも限界はある。不治の病はやはり痛みを留める程度しか効かない。
 不思議に思ってフィミルティは尋ねた。
 天河の神の力でも癒せないとは、どんな病なのか。

「それはさだめとしか言いようがないね。
 先天的に身体が不具合を起している場合、それがその人にとっての正常な状態だから神様は癒そうとはしない。
 自らの生活習慣で陥った病では、生活改善をしなければ結局は再発する。
 またケガ等で臓器や手足が欠損した場合、新しい部品は作ってはくれないから、これも癒らない」

「生まれながらに心臓に穴の開いた人、という患者をガモウヤヨイチャンさまはお癒しになりました。
 それは神様がお許しになるのですか?」
「ならない。だから私は刃物で心臓を突き刺して、その傷を癒す過程で同時に人為的改変を行っている。
 裏技的な使い方だからカベチョロはいい顔をしないよ」
「……自ら神の法度をお破りになって、人を救っておられるのですか」

 そんな弥生ちゃんでも、この人を癒すべきなのか迷う事例もある。

「うーーんん。どうしよう」

 身なりの良い中年の武人であった。
 将とも見て取れる立派なお侍であったが、しかし脚が悪くて戦場に出られない。
 目前に未曽有の大戦が迫っているのにこの体たらくと、自らを責め嘆いていた。

 弥生ちゃんの診察ではアキレス腱の断裂がそのまま固定したもので、命にはまったく障りが無い。
 一度脚を切り開き腱を繋ぐ手術が必要だが、大した手間は要らない。
 それでも、迷う。

「私になにか、救世主様の御心を害する点が御座いますか」
「そうじゃない。
 見たところ貴殿はとても優れた人物で、今でも重要な職を務めていらっしゃいますね」
「いささかなりと王国に貢献している自負は有ります」

「だが脚が癒ると、やはり戦場に赴く。
 そのままにしておけば世の為人の為になる人材を、死なせてしまう事もある」
「それが武人の本懐でございます」
「トカゲ神救世主さまというのは、それをお認めになりたくはないわけだよ。うーん」

 だが弥生ちゃんはそういう生き方をする男達が好きだった。
 結局手術をする事に決めたが、条件を出す。

「本来私は人を活かす為にこの世界に連れて来られたから、癒ったら死にに行く人は癒したくない。
 だけど、それでも望むと言うのならば、賭けをしましょう」
「どのような御無理でも、お受け致します」

「これからちこっと手術をしますが、普通ならばまったくの無痛で私は出来ます。
 でも貴殿には、めちゃくちゃ痛くします。
 その時に、あ、とか、う、とかちょっとでも痛い素振りをしたら、もう止めます。
 終るまで平然としていたならば貴殿の勝ちです。よろしいですか?」
「願ったりです」

 通常ならば冷気で神経を麻痺させて無痛にする所を、普通に小刀で切る。
 脇で見ていたフィミルティは血がどくどく流れるのに卒倒したが、男は世間話をし微笑みながら痛みに耐えた。

「仕方のない人ですね。御武運をお祈りします」
「かたじけなく、有り難く存じます」

 この話が広まって、弥生ちゃんの元には物理的機能を喪失した武人や兵士が多数押しかけるようになる。
 彼らは皆この武人と同じ条件での治癒を申し込み、大半が試練に耐えた。

 勇んで隊列を後にする男達を振り返って、フィミルティは感想を述べる。

「私はこれまで、人を癒す行為がこのように勇ましいとは知りませんでした。
 今ではガモウヤヨイチャンさまは、武人を戦場にいざなう戦いの女神、として知られていますよ」
「それが治癒者の宿命なのだよ。馬鹿馬鹿しいが、不可分だ。

 私が青晶蜥神救世主でありながらカタナを帯びている意味が分かったでしょ」

 

      *****

「       !?  来た?」
「はい、この楽の音は」

 フィミルティと共に治療の天幕から飛び出す。
 居並ぶ人々を背にして走り、草原の遠くが見える所にまで来た。

 警備の神官戦士が跪き報告する。
 東の端に多数の人影と、聞き慣れない楽がする、と。

「ティンブットだ、やっと来た」
「はい。この楽はまぎれもなく、ガムリハンでタコ神官にお授けになった星の世界の曲です!」
「ミィガン!」

 と狗番を呼んで、手近に居たイヌコマの背に飛び乗った。
 フィミルティも遅れてイヌコマに乗り、東に駆け出す。
 ミィガンと幾人かの神官戦士が後に続いて走る。

 ガムリハンで毒地行きの準備をしていた時、
先行して出発する”偽弥生ちゃん”に随行するタコ神官達に、星の世界の音楽を幾つか教えた。

 最初は無難に「荒城の月」とか「春のうららの隅田川」とかを伝えたが、もっと景気の良い曲をとせがまれる。
 じゃあと「軍艦マーチ」をやってみるが、さすがにこのテンポの曲は十二神方台系では速過ぎた。
 タコ神官は泣く泣く別の曲に替えて欲しいと願い、
間をとって「ラバウル小唄」が偽弥生ちゃんのテーマソングとなる。

 次第にはっきり聞こえて来る「ラバウル小唄」に、走るイヌコマの背から手を振った。
 向うの隊列から、何人かが飛び出て来る。

「なんだアレ?」

 金満マダム張りに全身きんきらきんの女性が、倒けつ転びつしながらこちらに向かって来る。
 あれはひょっとして、ティンブットだろうか。
 彼女は出立する時は、曙色のタコ巫女旅装であった筈だが。

「ガモウヤヨイチャンさまあーーー」

「あ、やっぱりそうだ」
「あの衣装はなんでしょうか。とても自前で買ったとは思えません」

 手綱を引いて止めたイヌコマの足元に、ティンブットは身を投げ出すように跪き平伏し、がばっと顔を上げた。

「ガモウヤヨイチャンさま! この商売は、儲かります!!!」
「そ、そう。」

 ティンブットに続いて一行の主要な者が次々とやってきて平伏する。
 ガムリハンで見なかった顔が多数あり、道中様々な出来事があったと推察された。
 そして。

 トカゲ巫女達の先頭に押される形で、”偽弥生ちゃん”ッイルベスが弥生ちゃんの前に出る。
 草の上に跪き、頭を下げるが、どうしても顔が上げられない。
 あれほどガモウヤヨイチャンさまに正面から向き合おう、お言葉を掛けていただこうと誓ったはずなのに、
身体が萎縮して上を向けない。

 そんな彼女に、一言だけ与えた。

「御苦労!」

 ははーっと、また頭を下げる。
 どうして自分はこうなのだろう。
 道中あれほど神剣を使い人を癒して、ガモウヤヨイチャンさまの霊力を頂き御体を損なったというのに。
 自分は詫びの一つも言えないのか。

 

 「プレビュー版青晶蜥神救世主」の隊列全員が、真実の救世主の足元にひれ伏す。
 こうして見ると種々雑多。
 神官巫女・神官戦士は当然として、武人や官吏、学者に隠者、農民町人商人に浮浪者まで。
 老若男女、東金雷蜒王国全階層から抽出されたサンプルみたいだ。

 人数は500人ほどだが、これでもカプタンギジェ関で制限された人数だ。
 全員連れてきていたら何千人になったろう。

「ほら、やっぱりこうでした!」
とティンブットはトカゲ神官達に勝ち誇る。
 彼女はッイルベスを輿に乗せるのをやめさせ、よりガモウヤヨイチャンらしさを演出する為にイヌコマに乗せたのだ。
 本物もちゃんと乗っているではないか。

「なんだ? 成り損ないが混じっているな」

 『あんまり恐くないゲイル』に乗って、アィイーガがやってきた。

 「成り損ない」とは、ギィール神族七つの試練を越えられなかった神族出身者だ。
 霊薬エリクソーを服用して成長し、神族同様に2メートル近い巨体と優れた運動能力を持つ。
 知能も並の人間より優れているが、それでも落第する者は少なくない。
 ”偽弥生ちゃん”の一行には十余名が従っていた。

「金雷蜒神ではなく、青晶蜥神救世主の廷臣となって自らの生きる道を立てるか。
 乱世であれば、まあ賢い選択と言えるな」
「アィイーガ、ほら」

 ティンブットの案内で自らが神威を授けた剣の輿に近付く。
 当然ッイルベスも付いて行くが、高位のトカゲ神官や巫女に阻まれて後ろの方になってしまう。
 ますます遠く離れていく。

 救世主は手を伸ばして、地面に据えられた輿から神剣を抜いた。
 抜き身のままで飾っている剣は常に青い光を零す。
 これを見るだけでも体調が整い不快感が遠のくと評判になっている。

 剣を左手にかざし右の二指をすっと根元から剣先に滑らせる。
 光は収まり、鋼の刀身が姿を見せる。
 アィイーガは感嘆の声を上げた。

「ほお。これはどういう作用が働いたのだ」

 神剣は、光が収まると異様に変質した本体を現した。
 元は普通に鉄製の剣なのだが、刃の部分が透明な結晶に置き換えられる。
 全体もなんとなく透ける気配を見せている。
 明らかに尋常ではない物質変換が起こっていた。

「これが、人を斬らずに癒す事だけに力を使った剣の姿だよ。
 青晶蜥神の神威を帯びた剣は、使われようによって自ら姿を変えるんだね。初めて知った」

 再び指を滑らせて青い光を神剣に戻すと、剣の行使者ッイルベスに振り返り、
弥生ちゃんは言った。

「よくぞここまで剣を使った。素晴らしい」

 ッイルベスはその言葉にも何も答えられなかった。
 ただただ頬が熱くなるのを感じ、双眸から涙が零れ落ちるのを知った。
 全身が震えるのを止められない。

 救世主様に認められた。ガモウヤヨイチャンさまに振り向いて頂けた。

 立ち尽くすッイルベスは仲間のトカゲ巫女達に抱きしめられる。
 その温もりの中、ガモウヤヨイチャンの為ならばこの命も惜しくない、と心底から思った。

 

      *****

 弥生ちゃんの隊列は脹れ上がり、更に大きくなろうとする。
 その中でただ一人、孤影を深める者が居た。

 狗番のミィガンは自らの存在意義が日々薄らいでいくのを感じずにはいられない。

 護衛の任は元から弥生ちゃんには要らない。
 ただこれまでは人数が無かった為に、自分が役立つ時が多かった。
 今は警備を務める者も多数あり、ミィガンより腕の立つ武人が何人も馳せ参じている。

 神族相手の案内役も果たして来たが、識見においてはるかに優るゲジゲジ神官が今では相談相手を務めていた。
 聖山に近付けば最高位のトカゲ神官が救世主の代理人となるだろう。

 聖戴者キルストル姫アィイーガは、ウラタンギジトでの神祭王との会見で重要な役目を果たす。
 彼女の狗番ファイガルとガシュムには活躍の場面は幾らでもある。
 しかし自分は、……。

 ため息を吐く。

 遠く南の空、毒地の先に目をやる度に、故郷に残るサガジ伯メドルイの事が思いやられた。
 主は今、なにをしているのだろう。ガムリハンでは騒動は起こっていないだろうか。
 寇掠軍の出征が重なれば流れ者も多くなり、村の治安が悪くなる。
 大丈夫だろうか。

 想いに沈む彼の後ろ姿に、親しい者は皆気づいた。
 だが口にするのはためらわれる。
 狗番にとって主に暇を出されるのは死に勝る屈辱だ。

 意を決して、フィミルティは弥生ちゃんに忠告した。
 ガムリハンからの毒地入りに最初から従うのは、ミィガンとフィミルティだけだ。

「ガモウヤヨイチャンさま、実は」
「言わなくても分かってる。わかっているけど、……うん」

 

 二三日は弥生ちゃんも思い悩む日が続く。

 ひっきりなしに人が押し寄せ、弥生ちゃんに神威を分けてもらい治癒を望み、
 あるいは会見し天下の情勢を論議し、
 青晶蜥王国の廷臣になろうと売り込みに来る。
 ミィガンも不審人物を見張るのに忙しく、互いに声を交わす場面も無い。

 向かい合う事を避け続けていた二人に決意をもたらしたのは、無尾猫の噂話だった。

「タコリティが半分砕けて人が住めなくなった。
 町の大将”ミストレックス” 本当の名前はソグヴィタル範ヒィキタイタンだけど
 はタコリティには兵隊だけ置いて、町は全部テュークの円湾に持っていった。

 でもあそこには何も無いから、ぐるっと周ってガムリ点から色んなものを運んでる。
 その船を狙って海賊がいっぱい出て」

 ミィガンから言い出す事はあり得ない。
 弥生ちゃんが口火を切るしかなかった。
 しかしながら、これほどデリケートな問題は方台に生まれた者でも手に余る。

 アィイーガの狗番ファイガルとガシュムを連れ出して、狗番が勤めを辞める時の話を聞き、決断する。

 幾張もの天幕の前では焚き火に土鍋を掛け夕餉の用意を始めた。
 押し寄せる参拝者の列も今宵の宿を求めて近くの村に下がっていく。

 人影もまばらになった真っ赤な空の下、弥生ちゃんはミィガンを連れて草原に出た。
 隊列から百メートル程離れた位置にある大石に、二人並んで座る。
 既に東の方角には薄紺色の闇の帳が兆していた。

「もう随分と時が経ったように思えるけれど、ガムリハンを出てからまだ3ヶ月なのよね」
「……はい」
「あなたには随分と迷惑を掛けました。
 狗番というよりも、私の暴走を留める役で、無理も無茶も言いました」

「出過ぎた真似をしたと反省する所もあります。
 私ごときの卑小なる者では、十分お役に立てなかったと後悔します」
「なあに、要はその時々で間に合えばいい。あなたの仕事は満足すべきものでした」
「有り難うございます   」

 遠くから眺めるフィミルティ、アィイーガ、ファイガル、ガシュム、そしてティンブットは、二人の姿をとても奇妙なものに感じていた。

 主人と狗番、ではない。
 むしろ兄と妹のようなつり合いで、小さな弥生ちゃんがミィガンを慰めている、そんな光景だった。
 アィイーガはふと別の可能性を思いつき、ははっと笑う。

「そうか。あの二人は、男と女でもあったのだな。全然気付かなかった」
「主と狗番ですよ、そんな関係は、……。
 いえ、ガモウヤヨイチャンさまはこの世の人ではありませんでした」

「ガモウヤヨイチャンさまは年齢を大きく越えた深い智慧をお備えですが、そういう面ではまだ全然子供なのです」

 フィミルティとティンブットは並んで二人の後ろ姿を見る。
 夕陽の影で表情は見えないが、弥生ちゃんは説得をしている訳ではないらしい。

 

「……私はこの世界の人間ではありません。
 だから狗番の心、奴隷の気持ちはわかりません。
 ミィガン、あなたを辞めさせると死ぬと聞きました。それが狗番の道だとも。
 ですが、私はあなたの主ではない」

「ガムリハンの主の言葉に逆らうのは、死に値する背信です。
 私はあなたに、どこまでも付き従う事を命じられております」

「失敗するのはどうなのです。使命を果たせずに主の元に戻るのは、恥ですか?」
「それは、   時と場合によります。人の身であれば、何事も必ず成し遂げるとはいきません」

「私は奴隷を持つ事を望みません。
 私と共に居るのならば、あなたには奴隷であるのをやめてもらいます」
「ガモウヤヨイチャンさま、」
「私がこれからする事、そして私が去った後で残るものを、護り育て花開かせる為には大勢の人が必要です。
 あなたは私の為に、青晶蜥神の聖蟲を戴いてくれませんか?」

 ミィガンは立ち上がり、改めて弥生ちゃんの前に跪き、頭を下げた。

「申し訳ございません。その儀は遠慮させていただきたく思います」
「ガムリハンの主の為に?」
「いえ、私にその資格が無いからです。
 いと尊き青晶蜥神の聖蟲を額に戴くのは、今の世で最も優れた方々、最も御身の為になる御方をお選びください」

 狗番とは出世を求めぬ者だ。
 一人の神族の為に生き、生涯を主に捧げ、主の死と共に滅びる運命にある。
 理不尽なようだが彼らはそのように育てられ、また自らその道を望んで生きていく。
 神の一族の傍に在る喜びは、地上のいかなる富貴よりも勝ると信じている。

 ミィガンに聖蟲を戴くかと問えば当然拒絶されると、弥生ちゃんは知っていた。
 だからこそ問うた。
 彼が本当に欲しているものを、自分では与えられないから。

「では仕方がない。あなたの使命は失敗しました。
 毒地を越え、ギジジットを平らげ、褐甲角王国に到るまではよく仕え見事に働きをしましたが、そこで終りました。
 と、サガジ伯メドルイにはお伝えなさい」
「はい。必ずそのように伝え、主の裁きを待ちます」

「でも私は、ほんとうに、あなたにカベチョロをあげようと思ったんだよ」
「そのお言葉以上を望むのは、私の分に余ります」

 ミィガンは少し迷ったが、背に負った狗番刀を外して差し出した。
 この長刀は彼がサガジ伯メドルイから授かったものだが、青晶蜥神の神威を与えられ青い光を帯びている。
 狗番を辞めるに当たって返上すべきだと考えたのだ。

 しかし弥生ちゃんは笑って押し戻した。

「退職金代わりに持っていきなさい。
 それを持っているからと言って、後に特別な便宜をはかったりはしませんよ」
「では我が主サガジ伯メドルイに献上致します」
「あなたの気の済むように」

 弥生ちゃんは立ち上がり、ミィガンを助け起こした。
 こうして二人並んでみると、まるで大人と子供ほどにも背が違う。

「出立は明日に。イヌコマを2頭あげるから、必要なものを積んでいきなさい」
「ありがとうございます」
「道中はかなり危険です。毒地を通るわけにはいかない。遠回りしてでもギジェカプタギ点から戻りなさい」
「はい」
「鑑札と手形をアランサとアィイーガに書いてもらおう。それからティンブットが通った道のトカゲ神殿に紹介状を」

「ガモウヤヨイチャンさま、あなたはお節介が過ぎるのが、玉に瑕です」
「アハ。」

 

 

 翌早朝、ミィガンは旅立った。
 見送るのは旅の仲間。
 後に残る二人の狗番に弥生ちゃんを託して、隊列を後にした。

 救世主に見えんとする参拝者の列に逆らい、一人彼のみが東に向かう。
 朝日に向かって、そして振り返りはしなかった。

 アィイーガは尋ねる。

「ガモウヤヨイチャンどの、昨日そなたは青晶蜥神の聖蟲を与える、と言っていたな」

 地獄耳の背の高い友人の、額の黄金のゲジゲジを見上げて弥生ちゃんは答える。

「もうその気は無くなっちゃった。トカゲ神族というものは永遠に幻のまま消えました。
 たぶん、あの時が歴史の転換点だったのね」

「聖蟲を期待する者は無数に居る。奴らは怒るぞ」
「知ったことじゃないな」

 すっかり小さくなった狗番の姿を最後に振り返る。
 そして、ッイルベスが一人で頑張っている治療の天幕に戻る。
 もう一日はここに留まって、病人をさばいてしまおう。

 

 誰も知らない。ガムリハンに戻るミィガンの背を、陰で見つめる存在を。

 

 

最終章 カプタニアより愛と共に。

『夏初月の爽やかな風が大湖(アユ・サユル湖)よりそよぐ頃となりました。
 御身体に変わりはございませんか。

 私は元気です。
 結婚式の日取りが延期になった時には取り乱しましたが、もう落ち着きました。
 これも黒甲枝の奥方になる試練と、再び精一杯頑張って居ます。
 なによりもバイジャン様が命を掛けてのお仕事に臨まれるのですから辛抱いたします。

 カロアルのお家にお邪魔して母上様に黒甲枝の奥方となる心得を教わっています。
 御妹様の斧ロアランさまも王都を離れられて、母上様も心なしか寂しそうに感じられます。

 赤甲梢付きの女官となられた斧ロアランさまよりガンガランガからお手紙をいただきました。
 私からもこころばかりをお届けしておきました。
 兎竜を斧ロアランさまも触られて、ほんとに大きく耳が長かったそうです。

 先ごろ赤甲梢の方々は青晶蜥神救世主の「ガモウヤヨイチャン」様と御会合をなされました。
 なんでも新しい総裁のメグリアル王女様がお空をお飛びになられ、
 救世主様の神威に赤甲梢の神兵の方々も大いに驚かれたとの事。

 メグリアル王女様と救世主様はとても仲の良いお友達になられたそうです。
 「ガモウヤヨイチャン」様は気さくな御方で誰とでも親しくお話をなさるそうですが、王女様とはさらに親密だと。
 ですが千年先の未来をお語りになり、よく分からないそうです。

 現在は赤甲梢の部隊は救世主様の御行列と分かれて、王女様だけが救世主様のご案内をなさっています。
 西の方デュータム点を目指してお進みになられております。
 やはり聖山に御参拝なさるのでしょう。
 斧ロアランさまは王女様付きとして従っておられます。

 これはネコより伝え聞いた噂ですが、
 救世主様は剣を用いて1対1の勝負で神兵の方を斥けられたとのこと。
 あまりにも速く、大剣の切っ先では追いつかなかったとネコは語ります。
 ネコの眼で見て見えないくらいに早いのです。
 王女様護衛の神兵の方の言では、これは神威ではなく本人の力であろうとのお見立てです。

 カプタニアの街はこの夏はまるっきり様子を変えてしまいました。
 都に元居た黒甲枝の方が旅立たれ、西から来た方にそっくり入れ替わっています。
 私の父も財務官僚とならないかとお誘いがありましたが、
 王国の大事に本業でも力を尽くしており、それは叶いませんでした。

 家庭教師のハギット先生は、黒甲枝に命の心配をしてはならないと言いますが、
 レアルは軌バイジャンさまのご無事のご帰還をお祈りいたしております。
 また御父君のカロアル羅ウシィ様のご無事も同様にお祈りいたします。

      南の方に褐甲角神の御薄翅の護りが届きますように。

        貴方の妻になるヒッポドス弓レアル』

 

「先生できました。こんな具合でどうでしょう。」

 と弓レアルは葉片に書き上がった書簡の草稿を家庭教師に見せた。
 婚約者カロアル軌バイジャンへ届けようと書いていたのだが、
ハギット女史は細かく指示して、どうしても救世主の話を手紙に盛り込みたがる。

「そうですねえー、……もう少しバカみたいな、
 知恵の足りない少女らしさというものが有ればよいのですが。お嬢様には無理ですかね。」
「   なぜです。どうして馬鹿な女の振りをして手紙を書く必要があるのですか。」
「それが核心だからです。」

 と、ハギット女史は上から弓レアルを見下ろした。
 この人は普通の教師ではなくかなり奇矯な癖をもっている事に、最近ようやく弓レアルも気が付いた。
 能力と学識に問題は無いが、芸が無いのは許せないと小細工を弄するのが大好きなのだ。

「男という生き物は、元来賢い女を好みません。
 この私が言うのですからまちがいありません。」

 ハギットは29才で独身。
 既に嫁き後れに三重に輪を掛けた身の上であるから、説得力は非常に高い。
 醜くはないのだが、男に声を掛ける気を起こさせないしんばり棒の固さがある。

「はあ。」
「もし賢しらぶった金雷蜒王国からの亡命廷臣の裔であるのを鼻に掛けた文章を送ってごらんなさい。
 殿方が何を思うか想像に固くありません。
 きっと地元の若い女に目が移るようになるでしょう。」
「それは困ります。でもこの手紙に、そんな賢しらぶった点が見えますか?」

「分からないでどうします。というより、長い!
 葉片2枚内で終わらないと、殿方は飽きます。
 それだけで、ああこの女はオレを理解してくれないだろうな、
 カプタニアから出る気は無いだろうなと思いますよ。」
「ええ〜、なんで、」

 黒甲枝の、それも神兵は結婚をするとおおむね地方の任地に妻を伴い共に暮らす。
 カロアルの父母も若い頃は南岸のグテ地で勤められたと聞く。
 それを嫌がる女を妻とは出来ないし、金持ちの令嬢であればその傾向は強かろう。

「言葉の多い人間は真心を隠す。それは手紙でも同じです。
 文章の量でごまかさねばならない裏がある、本当の気持ちを伝えてきてない。そう解釈する人は多いのです。
 やむにやまれぬ心の衝動が声になって言葉として溢れ出す。
 その最初の一滴で十分ですよ十分過ぎる。」

「でもバイジャンさまはそんな御方では、」
「というほどはお嬢様は軌バイジャン様を知らないでしょう。
 蜘蛛神殿には数々の恋文を集めた書庫もございます。その分析から短いほど効果的と結論するのです。」

「でもだったら、青晶蜥神救世主のくだりを省いた方が、」
「救世主のお噂をお届けする為に、こうして知恵を搾っているのではないですか!」

 

     ***** 

 ハギット女史は絶対の正義としてレアルに指示する。

「軌バイジャンさまに、いえ御父上のカロアル羅ウシィ様に青晶蜥神救世主の動向をお伝えするのが、この書状の目的です。
 それが妻となられるお嬢様の務めです。」
「でもそれがよく分からないのです。
 ベイスラにも蜘蛛神殿がありますよね。世間の動向は神殿がお伝えして、」

 女史、ぬんとレアルを睨みつける。情勢認識が甘いあまい。

「既に衛視局により神殿が自由に世間の噂を伝える事は禁じられています。
 まして黒甲枝にも兵にも、なにも教えないのが軍略です。」
「軍略?」

「今回の大戦、尋常の戦争ではありません。
 青晶蜥神救世主の降臨を受けて、地上の両神の使徒が自らの正しさを証明する聖戦です。
 神兵もクワアット兵も目の前の戦場にのみ専念し、他を考えない。迷わないのが何より必要です。」

「でもネコが、」
「ネコが毎日遊びに来るのはお嬢様の所だけです。
 軍では通例、ネコは棒で追っ払います。」
「でもそれなら、私達も書き送るべきではないのではと思いますが、」
「そこです!」

 

 ハギット女史は窓辺に立ち、逆光で向き合った。

 夏の日差しが庭木の梢に照り返して、緑の陰を作っている。
 黒い影が左右に飛び交うのは、ミョ燕が子育てに勤しんでいる姿だ。

「黒甲枝もクワアット兵も、死に急ぎます。悪い癖です。
 大義の戦で自らの命を捧げるのは、褐甲角神に従う者としてまことにふさわしい天晴な態度でしょう。
 命も惜しまぬ故に褐甲角軍は強い。ですが犠牲も多いのです。」
「そう、……聞いてます。」

 弓レアルは眉をひそめ表情を曇らせた。

 ハギット女史の実家は黒甲枝に仕える従者であった。
 先祖代々神兵に付き従い戦場を往来した家系であるが、彼女が幼い時分に戦役で父を失う。
 主人である神兵も戦傷でその後亡くなり御家が断絶して、女だけの世帯が市中に放り出された。

 支援してくれる人は多く困窮はしなかったが、子が女子のみでは兵になれない。
 黒甲枝とは完全に縁が途切れてしまう。
 頭の良かったハギットは蜘蛛神殿で巫女見習いとなり、やがてヒッポドス家の当主に見出され秘書の役を務めるようになった。
 つまり弓レアルの祖父だ。

 祖父亡き後は主導権を巡って御家内でも多少揉め、側近の一人であったハギットも家宰などに厭われた。
 弓レアルの家庭教師という閑職に追いやられる。

「わたくしも、せっかくお世話したお嬢様がいきなり寡婦となられるのを見るのはしのびない。
 ですが、真面目な方であればあるほど今回の大戦、死に急ぐのです。

 そもそもが武徳王陛下も、軍政局も、チュダルムの兵師統監様も、
 大戦が終わった後の予定は持ち合わせていないでしょう。
 天河の計画に従って民衆を救い続けた1千年。その総決算としてすべてを裁きに委ねるおつもりです。」

「はい……。」

「それでは困ります。次の時代は既に走り始めている。
 大戦の次、を考えていただくよすがとして、救世主様のお噂をお届けするのです。」
「それは生きる道を考えるという事ですね!」

 ハギットはうなずくが、それでもまだ足りない。 

「ですが、あまり考えられても困ります。
 戦場では余計な心配を抱えるとたちまち死に結びつきます。

 だから、さりげなく馬鹿みたいに他愛も無く、救世主様のお噂を書くのです。
 次があるのを知っている、それだけで十分。」

 納得。
 なるほど、知恵のある人の考える事は普通人とは二枚も三枚も違う。

 

「さて、書き直しは頭を冷やした後として、今度は書字の稽古を致しましょう。
 今日の課題は白穰鼡(ピクリン)神の御籤袋の偽造です。」

「偽造、ですか。神殿のお札やおみくじ袋を偽造して罰が当たりませんか。」
「高価いじゃないですか。今回、お手紙をネズミ神の袋に入れてバイジャン様に送るのです。」
「なぜ?? ネズミ神ですよ。」

 白穰鼡神「ピクリン」は安産子宝の神様で、商売繁盛も司る。利殖の神だ。
 さすがに戦場は場違い。
 戦勝祈願であればそれこそ褐甲角神「クワアット」を、
無事の帰還を願うのなら、青晶蜥神「チューラウ」の方がふさわしいだろう。

 ハギットは笑う。黒甲枝の従者を長く勤めた家の出だ。

「黒甲枝の御家ではあまり見ませんが、クワアット兵にはピクリンも案外と喜ばれるのですよ。
 やはり武勲です。出世するには戦場で手柄を立てるのが王道。
 戦を商売と考えると、ネズミ神に繁盛を願うのが実は一番正しいのです。」

「そうですかあ?」
「さらに言うと、いかに黒甲枝の武人宛とはいえ、軍に書簡を送れば検閲を受けます。
 係官もネスミ神の意味を知っていますから、大目に見てくれます。
 咎め立てされるにしても、単なる勇み足としてヒッポドスの家が処罰されるのを免れるのです。」

 考え過ぎだと思ったが、既に前線への書簡の配達は制限されていた。
 私的通信は全面禁止で、黒甲枝にのみ特別に許される。
 前線の士気に関るのもさることながら、金雷蜒軍に奪われて内情を知られるのを怖れての措置だ。

 

「ところで先生。先生は、前もお札の偽造をした事があるのですか。」
「得意技です。蜘蛛神殿で巫女見習いをしていた時に覚えました。
 奥様に是非にと頼まれてやった事もありますよ。
 2年前、ですね。」

「じゃあわたしの、……お見合いの時に母からもらった、カエル巫女アハヴァエラ直筆のお札は。」

 2年前、お見合いの席で初めて黒甲枝カロアル軌バイジャンと会ったレアルは、緊張と不安に卒倒し掛かった。
 その時母からもらったカエル巫女のお札に安堵して事なきを得る。
 首尾よく婚約が成立したのだった。

 カエル神、紫醸蟾神「ア・ア」は変化の神。美しさと毒と酒、少女の神、愚かさと恋愛を司る。
 神官は酒を醸し、巫女は酒宴にて華を添える。
 非常に格式の高い、教養も豊かな遊女であった。

 カエル巫女のお札の効果は「恋愛成就」
 高名な巫女の御札は霊験あらたかで婦女子の憧れの的。
 レアルがもらった巫女アハヴァエラとは、一晩呼ぶのに百金を要する王国きっての傾城で、
王都から少し離れた商業の中心地ルルントカプタニアの神殿で奉仕する。

 ハギット女史はしれっとした顔で答える。

「アハヴァエラのお札が簡単に手に入る訳がないでしょう。」
「だだまされた。」

 

     ***** 

 夕暮れの街を影が走る。

 カプタニア城東門外。
 赤と黒に染め分けられた貧民街を、強獣が無人の野のように傲然と駆け抜ける。
 難を恐れてその姿を見まいと、人は顔を背け道の端に身を隠し、通り過ぎるのを見送った。

 ハジパイ王 嘉イョバイアンの大狗サグラバンダが、
強靭な筋肉のバネに身を躍らせてアユ・サユル湖畔を駆けていく。
 尋常の外出なら付き従うはずの女官も護衛の兵も無く、一頭のみで人気の無い葦原へ向かう。

 振り向けば岸の向こうに、カプタニアの王城が山陰から覗く僅かの夕陽に赤く照らされる。
 短鼻短毛、体長は2メートルにもなる獣は四肢を踏ん張り、その場に待機する。

 生い茂る葦の葉陰より、大胆にも覗く者が居た。
 人は誰も見ぬフリをするが、無尾猫は違う。
 王家の狗が単独で解き放たれるのに、不審とネタを感じ取る。

 額に緑金色のカブトムシを戴く大狗は、ハジパイ王の化身。
 その眼を透かして市中の様子を探っている。
 とは、カプタニアに住む者なら誰しも心得る秘密。
 それが人目を忍んで、またこの情勢下においてとなると、よほどの用ではなかろうか。

 見つからぬよう、臭いを嗅ぎ取られないよう細心に注意しつつ、微妙な距離を保って追跡した。
 快速のネコにしか出来ない芸だ。

 果たして3番目の到来者を感じ取る。
 水の上、葦の間を縫って進む縁の低い小舟。水鳥の卵を取る漁師が使うものだ。
 人が1人乗っている。それは分かるが、ネコは頭を上げない。

 死臭を嗅ぐ。
 いや、その者が不吉を纏うのをひげが敏感に告げている。

 

「なんとまあ、臆病なことだ。」

 女の声だ。
 大人、揺るぎない自信、王の飼い狗と知っても退かぬ。
 人一人引き裂くのも容易な猛獣を前に、余裕すら感じさせる口調。

 ネコはカプタニア中の無尾猫と体験を共有する。
 この声に符合する記憶はわずか数匹しか持たない。

『……ぐぎきしゅ。し、ひぃ、  久しいな』

 大狗の喉が機械的に絞り上げられ、不自然に人間の声を発する。
 狗の表情は歪む。
 遠隔の操作に耐え難い苦痛を覚えるのだろう。

『お前、は、……年老いるをしら、し、知らないか』
「褐甲角の聖蟲を持っていながら無様に老いるおまえの方が不自然だ。
 なんだそのナリは、無敵の怪力を持ちながら城を離れるのも怖いか。」

 ネコはそっと首を上げる。
 この女、王族を相手に対等に、むしろ強圧的に喋っている。
 どんな偉いにんげんだ。

 逆光にはなるが、姿はよく見えた。

 背は高い、高すぎる。これではまるでギィール神族だ。
 髪が長く黒く、黒く?
 黒い髪は子供の色、大人になれば人は皆赤や茶色になるというのに、この女は黒。そして長い。
 着る服も黒。全体が真っ黒なのに、肌は抜けるように白い。

 距離は150メートル。
 大狗に見つかっても逃げ切れる間合い。少し大胆に見る。
 声は十分聞こえている。ネコの耳は鋭い。

 サグラバンダは、遠目にも怯えているのが分かる。
 この女の雰囲気に、野生が潜在的な恐怖を教えてくれる。
 だが声は搾り出す。

 『ぎ、ぃじ、ぎちち、』
「さあ何なりと頼み事をするがよい。望み通りに姿を見せてやったぞ。」
『き、きゅ、……、きゅ・うせいしゅ、の事だ』
「殺してほしいか?」
『それはいい、それはこちらで、やる。みきわめ、見極めて、おまえの眼で、神を』

「ああ不安なのだね。自分のものさしで測れぬ人物に会うのが怖いのだ。」
『こあ、い? ……』

 女は笑う。
 遠く、影で見えないにも関わらず、唇の紅さのみがくっきりと分かる。
 薄く口の端で笑う。

「いいだろう。アレが何者であるか、私が試してやる。
 だがイョバイアン。
 救世主ガモウヤヨイチャンは神の無い星から来たそうだ。」

『ぎっ……。』

「元から神の無い国から、チューラウ神によって連れてこられた救世主だ。
 おまえが望む世界を作り出してくれるだろうよ、彼女は。」

『見・きわめよ。ころすもよいぞ。おまえは喰らいたい、違うか。』

 

 やはり、とネコは納得する。
 この女は人間世界で有名な、人喰い教徒の首領に違いない。

 方台全土に張り巡らせる裏の世界の秘密の王。
 残虐さと貪欲さを兼ね備え狂気を操り世界を混沌に酔わせる導き手。
 神人に選ばれ千年の齢をもらった伝説の貴人。
 名は無い。人喰い教徒からは「白の母」と奉られる。

 

 女はふぃとこちらを見た。
 にいと笑う口元だけがはっきり見える。

「面白いじゃないか。ガモウヤヨイチャンはおまえと同じ種類のにんげんだよ。
 いや、おまえより遥か上を行く策謀家だ。

 アレはネコを味方につけ、噂を自在に利用する。
 それに比べておまえはどうだ。
 死命をも制する密談が、ネコに盗み見されるのも気付きはしない。」

 ばっと、ネコは駆け出した。
 姿を見られるとかどうでもいい。ただこの場を離れ大狗の牙から逃れるだけだ。

 まずい事になった。
 為政者と呼ばれる人間は、都合の悪い噂話を葬る為にネコの大虐殺を試みる。
 このネタは十分過ぎる動機となる。

 大狗も直ちに追うが、これほどスタートダッシュに差が有れば捉えられない。
 程無くして女の前に戻ってくる。
 嘲りを覚悟の上で。

「聖蟲で獣の本性を縛るから、ネコごときに逃げられるんだ。」
『……どうせだれも信じぬ。それより救世主・だ』

「それだがな、おまえの息子に任せてはどうだ。」
『王、太子?』
「40年前この葦原でわたしに預けた赤子の方だ。
 今では救世主の力を奪い取れる地位にまで昇っている。」

『だれだれ、だれ、だ』
「もっともあいつはわたしを実の母だと思っているからな。わたしの真似ばかりをする。」

 女は再び小舟に乗る。あぐらをかいて座り、竿を手にする。
 大狗は首を伸ばして見送る。

 すでにハジパイ王の望みは聞いた。
 決して裏切らぬのがこの女の絶大な力の源だ。
 たとえ望んだ本人の希望通りではなくとも、約束は必ず果たしてくれる。

 望んだ者が結果に恐怖し反逆を起こして、滅ぼされるだけだ。

 葦の茂みから竿で舟を離しながら、女は言う。
 そよぐ風にたなびく長い髪が降る闇に溶ける。

「救世主を殺すのが無理なら、またつなぎを寄越すがよい。
 アレを倒すのに都合のよい品を手に入れた。逸品だ。」
『イいくがよい、おまえは私の、……』

 

 湖の中に女を乗せた小舟は消えていく。
 既に闇に閉ざされ、西の果てにわずかの空に紫が残るばかりだ。
 静かに、風が葉を揺らす音のみが聞こえる。

 狗は湖の中心、はるか先に浮かぶ島を思い眺める。
 マナカシプ島。
 ハジパイ王にとって懐かしくも心疼く地だ。

 いつまでも見つめている。

 

     *****  

「ここまでくればだいじょうぶ。あー恐かった。」

 カプタニア城東門外の街まで戻って、ネコはようやく警戒を解いた。

 ヒトの街はネコにとって最高に安全な場所だ。
 入り組んでいて、飛び上がる屋根も隠れる塀も穴も溝も幾らでもある。
 人は鈍重で隠れんぼにまったくついて来れないし、どれがどのネコか見分けも付かない。

 大狗だって、これほど複雑な地形では敵じゃない。
 その気になればネコは、都市で最も有能な殺戮者になれるのだ。

 とはいえ、ネコはそんな必要をまったく感じない。
 自分で捕らえる小動物より、人間の食べ物の方がずっと美味しい。
 大ネズミは人間が丁寧に大切に飼育して、丸々と太り毛艶も美しい。
 水を泳ぐ魚なんて溺れそうでとても手を出せないが、これも人間が奢ってくれる。

 噂話も毎日どこでも発生し、聞く人を探す手間も要らない。
 都市はまさにネコ天国だ。

 今日はどこの軒先で寝るか、星がよく見える場所とするか。
 それとも夜通しカエル横丁をそぞろ歩いて、人間達の酔態を観察しようか。

 

 酒場の裏の樽の隅に黒い影がちらとよぎる。
 まったく不用心な奴だ。
 人の食べ物はは美味しいが、目の前に飛び出す泥ネズミを見逃すはずも無い。
 なにせネコは捕食者だ。怠惰でなければそちらの勤めも欠かさない。

 暇潰しにネズミを狩るのもまた楽し。
 血を吸った抜け殻を売春宿に放り込んだら、ニワカカエル巫女がきゃーきゃー大騒ぎする。
 噂話は自分で作る、
それもまた仕事熱心で感心なネコというものだ。

 並ぶ樽の脇をするりと抜けて、影を追う。
 ネズミにしては少し大きかった。ひょっとしたら「足の無いトカゲ」かもしれない。
 アレは毒が有って剣呑だが、やり方を心得ていれば簡単に捕らえられる。
 何に使うのか知らないけど高値で買う人間も居て、ネコ達の上得意となっていた。

 すこし違うか。結構早い。
 家々の辺に沿ってするすると抜けて行く。
 姿は見えるが、形がよく分からない。
 長い毛を引きずって、不思議な生き物だ。

 ネコは少し興奮した。
 毛むくじゃらの生き物はネコの本能を直接に刺激する。
 プライドに賭けてもこれはとっ捕まえる。

 路地を横切る際に、それは完全に無防備となる。
 何も遮るものが無い。
 ネコは跳んだ。

 ぴょんと真上に、前足を揃えて押さえ付ける。
 ? 中身が無い。ただの毛だ。
 本体は、身体はどこだ。

 ばしばしと叩くが、それは長い長い毛の塊だ。
 周囲をぐるぐる回って叩き続けるが、手応えがまるで感じられない。
 それでいて動く。
 どこ、どこ、どこ、どこだ。

 気が付くと、自分の回りは全て毛。
 長い黒い人間の髪の毛が幾重にも渦を巻いて、自分はその中心に居る。
 あ、なにか、マズイ。

 黒い髪に一瞬に命が吹き込まれ、ネコの身体に巻きついた。
 逃げるもなにも、気付いた時にはぐるぐる巻き。
 前足後ろ足どちらも縛られ、身体をくねらせても逃げられない。
 緊く抉って食い込んでくる。

 ずるる、と地面に長く髪を引きずり、とても背の高い女が、黒衣の、
先程葦原で覗き見た不吉な女が裏の戸口から姿を見せる。
 街の灯の陰になって顔はよく見えないが、
やはり紅い唇の薄笑いだけが眼に映る。

「は、はなせ。あの話は誰にも言わない。言ったって誰も喜ばない。」
「可哀想だが無駄死にじゃないよ。
 おまえの骸は籐篭に詰めて王宮に送り届けてやる。それでカプタニアに住む何百匹ものネコが助かる。
 優しいカタツムリ巫女が丁重におまえの墓を作ってくれるだろう。」

 ネコの柔軟な身体に、黒髪がじわじわと食い込んだ。
 動くはずの無い髪がまるで独自の生き物のように蠢き、肋を密に締め上げる。
 声が出ない。
 牙にも顎にも絡みつき、鼻を塞いで息を止める。

ばきぼき、ばぎぎ、ぐぎ、びしゃつ

 骨が軋み、わずかに動く足の爪ががりがりと土を掻く音が路地裏にこだまする。
 やがて引き攣り、しばらくそのままで、突然力が抜けてぐったりと垂れ下がる。
 髪はゆるく解けて、次第にネコの身体から離れる。
 地を滑りだんだんと短くなり、元のくるぶしの長さにまで戻り、女の陰に溶ける。

 2メートルに達する優美な肢体を揺らめかせて女は進み、足元に転がる毛皮を拾い上げた。
 両手両足だらりと地に垂れる姿は、人間の子供の大きさがある。

 顔の高さにまで持ち上げる。
 白い短い毛で覆われる小さな頭には、硝子の双眼が赤い灯を虚しく反射した。
 かっと開いた顎から薄桃色の舌が突き出す。

「……長く生きていると、ネコの顔も見分けられるようになるんだよ。さあ、行こうか。」

 

 ギィール神族を思わせる長身の女と、
ひょうきんな操り人形みたいな無尾猫の屍体が、仲良く暗い通りを行く。

 嬌声と怒号と客引きの甘い誘いとが飛び交う華やかな夜に、
誰にも振り返られる事無く紛れていった。

 

 

【エピローグ】

「ガモウヤヨイチャンさま、もう御休みですか。」
「フィミルティ? いや、まだ。ちょっと仕事が残っていてね。」

「書き物ですか、なにを記していらっしゃるのです。」
「数学。幾何の教科書を思い出して、書いている。」
「キカ? なんですか、それは。」

「この世界には、幾何学が無い。
 ギィール神族は知っているけれど、一般人には教えてない。」
「ああ。天界の秘蹟に属する知識ですね。
 それは神族以外には開示されていませんよ。当たり前です。」

「当り前じゃあ、ダメなんだ。
 これが無いととんでもない欠陥王宮に住まわされる事になるんだよ。
 ギィール神族が設計施行すれば問題無いけどね。」

「はあ。でも褐甲角王国にも学匠がちゃんといらっしゃいますよ。」
「いやー、こっちに来てから建築物の構造ががくっと単純になってる。
 幾何学をちゃんと知ってれば絶対やらない設計がいっぱいあるんだ。

 まあね、高校数学全般と物理と化学の教科書は作るつもりだよ。
 なにせ私も来年は大学受験だし、ちっとは勉強もしておかないと錆付いてしまうさ。」

「よく解りませんが、あまり御無理はなさらないで下さい。灯木もタダではないのですから。」
「あ。うん、ほどほどにね。」

「はい。では御休みなさいませ。」

  

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 Episode3 『弥生ちゃん、錯綜する正義に歪む』

に続く

 

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