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『げばると処女』

エピソード1 トカゲ神救世主蒲生弥生ちゃん、異世界に降臨する

近代化改修バージョン(2018年1月開始)

 

 

【プロローグ】

 王都カプタニアの大商人ヒッポドス家の令嬢 ヒッポドス弓レアルは花咲き乱れる中庭の丸机に頭を横にして眠っていた。
 家庭教師のハギット女史がそっと近づいて、頭の上から囁く。声に反応して桜色の長い髪が揺らめいた。

「お嬢様、おじょうさま。ネコが参っておりますよ」
「……ここに呼んで」

 呼ぶも何も、ネコ達はヒッポドスの庭に我が物顔に入り込む。
 普通の屋敷では不吉な客として下男が追っ払うが、ヒッポドス家は、弓レアルは例外的にネコに厚遇する。
 体長1メートル、全身真っ白で尻尾の無い無尾猫は、もちろん功利的に彼女に接近する。

「ヒッポドス弓レアル、起きろー」
「いいはなし持ってきた」

 ネコは人語を喋る。人界をくまなく探索しヒトの間の出来事噂話を収集して、人間に売って回るのが彼らの生業。
 弓レアルが支払うのはネコ専用ビスケット。これを大ネズミの血に浸して食べると得も言われぬ美味なのだ、そうだ。

 ふわり、と桜色の髪が起き上がる。結ってもいない髪は早春の風に吹かれて無秩序にはためく。
 ネコを見て、真白い顔をほころばせる。

「今日は楽しいお話?」
「そうとは言い難い」
「でも面白い」
「みんな待ってた話だ」

「なにかしら?」

「始まる」
「はじまるぞ、弓レアル」
「なにかしら。どこのお話?」
「始まるぞ弓レアル。トカゲの神様だ」

 驚いて弓レアルは立ち上がった。ハギット女史も息を呑む。
 千年に一度、星の天河に住まう神の御使いがこの世界、十二神方台系に舞い降りて人々を苦しみから救う。
 その四番目の救世主が降臨されたのだ。

 

 ヒッポドス弓レアル17歳。これから始まる激動の運命に翻弄される、本編主人公だ。

 

第一章 救世主蒲生弥生、異世界に降臨す

 

 この世は方千里。東西南を大海に囲まれ、北は聖山と人の住めぬ寒冷の大針葉樹林帯に区切られるこの土地は、古来より「十二神方台系」と呼ばれた。
 人間を住まわせる為に天の星河の両岸に座する十二の神がこしらえた、台状の庭園と看做される。

 そこには山があり森があり水が流れ風が吹き、穏やかで暖かな自然と実りに恵まれた麗しい大地だ。
 ほぼ正方形で一辺は人間の足で旅すれば28日、ちょうど一ヶ月の旅程となる。
 中空に浮かぶ二つの月の内、行儀の良い「白の月」が丁度この周期で満ち欠けを繰り返す。
 よって人はこの土地が神に創られたことを疑わない。

 月ですら旅程を定められているのだから、人間が世界を行き来する日数もやはり定められていると思う。

 神話によればこの大地は、何も無い海の真ん中に天空より投げ落とされた巨大な蛸が何匹も何匹も積み重なって土台になったという。
 現に地面を深く割る谷間や断崖を覗いてみると、巨大な丸い生物の化石が折り重なって積み上がっているのを発見する。

 故に大地の神は蛸とされ、第一のそして始まりの神とされる。
 最初に救世主を名乗ったのも、額に神の化身たる小さな蛸を戴いた女王であった。

 以来千年ごとに十二神の化身を額に戴く救世主を迎え、その度世界は変革し文明を一足飛びに進化させる。
 救世主はそれぞれの王国を打ち立て、民衆を千年の繁栄に導く。

 そして四番目の神、トカゲ神の救世主の巡り来る時節を迎え、民人は今や遅しと待ち受けている。

 

 

「人間の社会は天河十二神が千年に一度遣わされる救世主の導きで形作られてきた。
 記録の上では今回の青晶蜥(チューラウ)神救世主が4人目だが、それ以前にも黒冥蝠・白穰鼡の二神の救世主が居ただろうと推測される」
「ネコの記憶にも無い昔のはなしだ。その頃はネコはニンゲンに食べられていたというよ」

 真っ白な無尾猫が灰色の粗布を纏った男に答える。

 体長1メートルほどの大きなネコは、この世界では「記録」の代名詞だ。
 卓越した記憶力とネコ同士のネットワークで交換蓄積される噂話を随時提供することで、人間から食を得ている。
 人語も解する知的生命体でありながら人間社会に寄生して生きている、自堕落な生物だ。

「ネコを狩る方法を人間に教えたのも、救世主だ。ネコと共存することを教えたのも多分そうだろう。この世界に十二神に教えられずに存在する知恵は無い」
「ネコが人語を覚えるのは、ネコの神の教えではないよ」
「ネコは十二神には無いからな」

 ネコは少し気分を害して頭を両腕の間に伸ばして寝そべった。80歳を越える長老のネコで、30匹の集団の中核を為す重要な存在だ。
 彼らが人の住まない、つまり食を得られず血を吸う為のネズミも無い荒野にあるのは、男がここに居るからに他ならない。

「そろそろいいだろう、教えてくれないか。私が最初に青晶蜥神救世主に会うと定められたことを、お前に教えたのは誰なのだ」

 ネコは目を細めて答えるのを渋った。この2年間、長老ネコは頑に秘密を守っている。しかし、

「救世主様は参られた。今、青晶蜥(チューラウ)神と対面し啓示を頂いている。谷から戻ればわたしに方台の諸事情を聞き、人界に出座される。
 お前に私のことを話した人も、救世主様に会いたいと願うだろう」

 ネコは薄情な生物ではあるが恩知らずではない。感情を表に見せることは無いが、なにも思わないわけでもない。
 しばし目を伏せじっとして、長老ネコは観念して話し出す。

「頭に硝子のトンボを付けた隠者の噂は、意外と目立った。各地の神官はその話を見過ごしにしなかった」
「そうか。やはり分かる者には分かるか」

 十二神に属さない蜻蛉を敢えて額に戴くのは、この世の秩序を離れる宣言だ。
 大地を分かち治める二つの王国に反旗を翻すにも等しい行為で、異端の教えを信じる者と見做されても仕方がない。
 昨今、千年紀の終わりに合わせて青晶蜥(チューラウ)神救世主を自称する痴れ者が頻繁に現われ、その都度当局に捕縛され火刑に処せられている。
 男が神官達の注目を集めるのも道理だ。

「世を捨てたつもりであったが、世の中の方はわたしを捨てて置けなかった、ということか」
「だけど、一人だけ違うことを言う人がいた。

 トンボの隠者は神さまから特別な使命を授かった者だと。この時期その使命といえば、救世主に会う他無いとも言った。
 だからネコはお前を探してここを見つけた」

 ネコは情報を売り物にして食を得る生物だ。価値の高い情報を常に探している。
 千年に一度現われる救世主の噂は人間の最も欲するものであるから、現在重点的に取材中だ。
 最初に救世主に会う男に密着して降臨の情景を目にしようとするのは、ネコにとっては極めて妥当な生理現象である。

 それが為に、何も無い荒野に集団を一つ丸ごと送り込み、近くに住むネコ達が自らの食糧を割いて彼らに届けている。
 ネコはネコなりに涙ぐましいほどの生きる努力をしているのだ。

 

「その人は、只者では無いね」
「ここだけの話。おまえにしか言わない。約束するか」
「ああ」
「その人は、常に鉄仮面を被っているお侍だ。立派な剣をぶら下げている。背が高い人でお金持ちだけど、人に追われているから秘密だ」

 常に仮面をかぶり面体を人前に曝さないのは、貴人が市中に身を隠す時によくするが、鉄の仮面とはよほどの事情があるのだろう。

 金雷蜒(ギィール)神族ならば、罪に問われ追捕の手が掛かったとしても自らを恥じること無く姿を隠さない。
 場合によっては傭兵を雇って逆撃に転じるのでそれほどの用心はしない。
 武人と言うならば黒甲枝かとも思われるが、褐甲角(クワァット)王国の規律は厳しく、身は潔癖に律し罪有る己を平然と誅すると聞く。
 にも関らず世に在り続けるとすれば、

「……まさかソグヴィタル王ではあるまいか」
「秘密ひみつ」

 ネコを傍に置くことで、男も多大な利益を享受している。
 居ながらにして世界中の全てを知るのだ。これだけの情報の集中は、多分王都にも神殿都市においても無いだろう。

 その情報の一つに、公にはならない褐甲角王宮での宮廷クーデター事件がある。
 首謀者であるソグヴィタル王 範ヒィキタイタンは現在行方不明で、正式な追捕師が出ている。

 単に顔を覆うのみならず頭全体を隠しているのも、彼の額に十二神の一、褐甲角(クワァット)の化身たる聖蟲が宿っているからに違いない。

「彼は、王都カプトニアを出奔する際に侍女頭を身代わりの質として戻らず、狗掛かりの刑により惨殺せしめた。
 そこまでして生き延びたからには、再起の望みを捨てていないだろう。

 だが同時に己が罪を問う大いなる裁きを求めているはず。
 青晶蜥神救世主こそが彼を裁くにふさわしい御方だ。是非にとも会いに行くだろう。

 ネコは、彼に救世主様を引き合わせる約束をしたな」
「ひみつひみつ」

 伝令の若いネコが二人の元に戻ってきた。

 乳白色の霧が辺り一面に立ちこめて視界がほとんど無い中、ネコの髭だけが方向を知る。
 この霧に新しい救世主も迷っていたのを、ネコ達が発見し保護したのだ。

 しかし男は、救世主が非常に正確に西に向けて進んでいたことに驚愕した。

 濃霧に視界を閉ざされ音も無く、目印となるものがまったく無い平坦な地面に、自ら線を引いてまっすぐに、ひたすら西へと進み続けていた。
 その忍耐強さと正確さ、思慮の深さ意志の強さに、十二神がこの人を救世主に選んだ理由を知った。
 だが、

「まさか、この世界の人ではなかったとはな。これはソグヴィタル王も予想外だったろう」
「あんなに小さな女の子とは思わなかった。言葉が通じないと話を聞くことも出来ない」

 彼らの前に現われたのは、黒髪をトカゲの尻尾の様に長く先細りに伸ばした、小柄な少女であった。
 救世主とにわかには信じられぬ年少さであったが、すぐにその身に秘められたエネルギーの強大さに気付かされ、印象を改めさせられる。

「女の子といっても背が低いだけで、歳から言えば子供の一人くらい居てもおかしくはないよ」

 この世界では女子はおおむね15歳で結婚し、ほどなく子供を産む。
 17歳の彼女は若くはあるも若過ぎることはないのだが、ネコは幼く見える容貌に強く興味を惹き付けられた。
 人間に話す時にこの点を十分に表現することが重要だと、アタリを付けている。

 ネコは再び尋ねた。

「ほんとうにこの世の人では無いのだな」

 男も救世主とは会話出来なかった。ただ業を煮やした彼女が地面に絵を描いて説明することで、相互に意志を通じるのに成功した。
 多少の誤解はあるかもしれないが、絵による会話から得た情報によると、

「救世主様は、星の世界からいらっしゃったそうだ。天の神座に住まわれるお一人であろう。つまり、彼女自身が神でもあるよ」
「神は人間じゃない。人間じゃない者が救世主になることはない」
「それは理屈だ。現に救世主様が人間と化してこの地に降り立っている。これは現実だよ」
「絵の言葉での話、おまえ間違っている」

 そうかもしれないが、今は分からない。

 平坦な地面に大きく裂けた谷間で、現在彼女は青晶蜥神そのものと遭っているはずだ。
 啓示の中で方台の言葉も教わるだろう。戻ってくれば詳細を直に聞ける、とネコをなだめる。
 ネコは尋ねた。

「おまえは、トカゲ神に遭わなくてよいのか」
「啓示を受けた時に確かにわたしは遭った気がするが、声だけで姿ははっきりとはしなかった。
 それに二度は無理だ。凡人が神の前に立つことは恐れ多いのだよ。
 目が潰れるとは言わないが、魂がひしがれる思いがする」

「ネコには見えない。人間にだけ姿を見せる。いま伝令が言ったのは、救世主は何も無い空間に向かって話をしている、ということだ」

 ネコ同士は人語では会話しない。
 超音波で会話するので人間には聞こえないし、普通に喋るよりもはるかに多くの言葉を短時間で伝える。
 この優れたコミュニケーション能力のおかげで、大量の噂話を迅速に交換せしめている。
 今も、長老ネコは男と会話しながら、伝令ネコに詳細を聞いていた。

 ネコは互いの体験を、あたかも自分が居合わせたのと同等の迫真さを持って共有する。
 長老ネコがこの場に留まり男と話し続けるのも、自ら体験しなくても十分リアルに感じられる故だ。
 突発的な事態が起きた時の為に情報の中枢である自分を温存している、とも言える。

 2匹目の伝令ネコが帰ってきた。動揺している。
 感情を表に出さないネコにしては、泡を食ったというのが相応しいほどにふらついて走って来る。
 人間である男にもはっきりと分かる狼狽えようだった。

 待機していたネコたちが、伝令ネコの言葉を聞いて一斉にその狼狽ぶりを共有する。
 長老ネコも青ざめたと見える程の不安な表情で男に次第を伝えた。

「救世主の言葉で、トカゲ神が姿を表した。トカゲ神は大きさが家の二階よりもまだ大きなトカゲの姿で水色の光を放つ鱗と長い尻尾を持っている。
 だが意図して姿を見せたのではなく、びっくりして思わず姿を曝してしまった、というのが本当らしい。大きな体がふらついている。かなり不審げな様子だ」

「……そんなことが」
「ネコも分かった。今度の救世主は、十二神と同等の天に住む神さまに違いない。そうでなければ神を驚かすなど出来るはずがない」

 男も思った。
 これから世界は大きく揺さぶられ青晶蜥神救世主の一挙一動に転変する、驚天動地の時代に突入するだろう。
 神をすら驚かす御方なのだから、人の都合や既存の国家の秩序や法を斟酌すまい。
 だがそこに、慈悲はあるだろうか。

 青晶蜥神から託された男の使命は、この地に降臨する新しい救世主に世界の情勢を語り、進むべき途へと誘い、救世の事業を為す最初の手掛かりとなることだ。

     神をすら揺るがす人に、何を語るべきだろう……。

 ネコ達から「賢人」と呼ばれる自分の知恵がいかにも薄っぺらく頼りないあやふやなものに急に思えて、自分の能力を自問し始める。
 そしてこの、自らの立つ世界がいきなり根扱ぎにされる感触こそがまさに世が変わる証しであり、世人が同じ不安を同様に味わうのだと、額に伝う冷や汗の不快感と共に理解した。

「ワ、ゥワモオィヤヒョィチャァン」
「いや、正確にはグワァモオィヤヨヒチャンだよ」

 長老ネコが救世主の名を唱えるのを男は修正したが、それさえも本当の名であるのか確かではない。

 

   *********

 

 救世主は蒲生弥生ちゃん。

 名門受験校である県立門代高校三年生で成績はもちろんトップ。生徒会副会長をこの春まで務めていたかんぺき優等生の美少女である。

 しかしそのような肩書きは門代高校の生徒はすっかり忘れている。
 「蒲生弥生」というネームが大き過ぎ、その他のレッテルは、たとえ総理大臣の表彰であろうともプロフィールの一隅を汚しているだけに思えてしまう。
 印象が強烈過ぎて、真正面から正体を見極める事が出来ない怪物なのだ。

 身長は公称150cmと小柄ではあるが容姿は端麗でスポーツ万能。動きの鮮やかさ切れの良さは一流の武道家を思わせ、平時から人目を惹いて放さない。
 弁舌も爽やかで論理も明解にして的確、聞く人を自ずから従わせる迫力はしばしば学校の教職員すら屈伏させる。
 青味を感じさせるほどに透明なつやのある黒髪は先細りして腰まで伸びて、彼女のトレードマークとなっていた。

 だが霊感や超能力のたぐいは持ち合わせていない。夢の中で不思議な異世界を見ることもなく、日常で幻獣と出くわすこともない。
 天変地異で空中に持ち上げられたのでもなければ、UFOがスカウトに来たのでもない。
 事前になんの予告も無しに、いきなり、

「ここどこ?」

 気が付くと、ミルクのように濃い霧に閉じ込められていたわけだ。

 その後なんやかやがあって無尾猫に発見され、というかネコを捕獲してそのままトカゲ神の居る谷に案内させ、救世主としての使命を受ける。
 証としてトカゲ神自らが変身した小さなカベチョロを頭上にのっけて、谷から帰還した。

 

「言葉、わかりますか?」

 霧の向こうにぼんやりと灰色の影が見える。ネコと共に男が居て、声を掛けてきた。

 トカゲ神に遇う前は彼の言葉はまったく通じず、地面に絵を描いて会話した。
 彼は、自分は”ガイド”でありヒトを待っていた、……そう解釈できる絵を描いた。
 今は頭の上のカベチョロが言語翻訳をしているらしく、耳で聞いても分からない声が、直接意味となって意識に飛び込んで来る。

「分かるー! 私の名前は蒲生弥生。たぶんトカゲ神の救世主なんだという話です」
「はい。我々はあなたがお出でになるを千年待っておりました」
「千年?」
「この世界は千年ごとに救世主を迎え、その度人間世界は繁栄を迎えるのです」

「ネコは?」
「は? いえ、ネコは何時の時代でも特に変りはなく、噂話に興じています」
「つまり、その程度の救世主ということだね」

 弥生ちゃんが近づいて姿がはっきりすると、男は跪き頭を地面に擦りつけた。

「頭を上げてください!」

「は、はい。しかし、聖蟲を直接拝見するのは恐れ多くて、このまま失礼いたします」
「聖蟲って、このカベチョロ?」
「はい。それは青晶蜥(チューラウ)の神の化身にして、世に唯一つしかない至宝です」

「ま、なんか特殊能力があるみたいだしね。これを頭に付けてると、言葉が分かるんだから」
「十二神の救世主は皆額に聖蟲を戴き、その霊力で世を変革なさりました。故に聖蟲は救世主と同じものです」

「そうか。つまり私は乗り物に過ぎなくて、これが救世主の本体だってわけだ。なるほど、簡単なはなしだね」
「いえ、いえ滅相もない。
 もちろん救世主様があってこそ聖蟲はその力を十分に発揮出来るのであり、十二神に選ばれた御方はいずれも衆に抜きん出た優れた資質を備えておいででした。
 貴方様もどうぞ聖蟲を大切にしてお導きを頂き、我ら愚鈍の民に繁栄と平和をお与えください」

 弥生ちゃんは頭のカベチョロをてこてことこづき回してみた。
 ちょっと嫌がるものの、基本的には自分の頭の上を気に入っているようで、下りて来ようとしない。

 たしかに自分はこれに選ばれているようだ。

「世界にただ一匹ということよね。これ」
「はい。青晶蜥神の聖蟲はただいまは救世主様の額においでになるその方のみです」
「ということは、増えることもある、のね?」
「金雷蜒(ギィール)神と褐甲角(クワァット)神の聖蟲は、数多の神族の額にその座を設けてございます」

「……あのお、ちょっといい? 今こいつがね、」

 と、またカベチョロをこづき回す。
 その無造作に、跪く男も居並ぶネコもハラハラするが、弥生ちゃんは平気な顔をして心配にまるで気付かない。

「いまこいつはギィールというのを、”ゲジゲジ”と私の国の言葉に変換したんだ。ゲジゲジという動物は、脚がたくさん生えていて地面を這う虫でね、」
「はい。確かにギィールはそのような虫でございますが、それは形を借りているだけでありまして、一見するだけでも違いが明確なそれは神々しい生物です」

「金色に光っていて目が赤く輝き、怪光線を発する?」
「はい、そのとおりでございます。光線ともうしますか、雷ですね。百歩離れた場所からでも罪人に罰を与えることがございます」
「やっぱり攻撃力があったな」

 まるでギィールの聖蟲を知っている口ぶりなので、男は尋ねてみた。

「そうなんだ。ここに来た直後、つまりこの世界に飛ばされて出現した地点ね、そこに死体があったのよ」
「死体……。」
「身長が私が手を上げたよりも大きな女性で、白髪で年寄りにも見えるけど年齢不明。立派なゲジゲジ模様の刺繍の入った薄い赤い衣を着て、大きな宝石を何個もぶら下げてる。
 その人が地面にあおむけに倒れていて、額にそれが居たんだ」

 男は驚いて弥生ちゃんに告げた。

「ああっ、それは。それはギィール神族の、しかも長老格に当たる御方でありましょう。
 額に聖蟲が居たのであれば間違いありません。この地に住いする者は決して聖蟲を見間違えることはございません」
「確かにあれはただの虫じゃなかったよ。一発で分かった。

 そうか、なるほど。この世界は頭にへんなのが付いている人は特別な地位にあるんだ。その人はゲジゲジの救世主なの?」
「ギィール神族は金雷蜒王国を治める選ばれた一族でして、東西の両国におよそ3千人はおいでになるでしょう」
「3千! 救世主がそれほどたくさん居るってこと」

「いえ、金雷蜒神の救世主と呼ばれるのは2千年前に降臨された初代の血を受継ぐ神聖王のみで、それ以外のギィール神族は神聖王より聖蟲を頂いた方々です。
 代々家ごとに受継がれておりますが、聖戴に到るまでに長い年月の学問と厳しい試練を経ねばなりませぬ」
「つまり貴族ということだね」
「はい」

「こいつはー」
 とまたカベチョロをこづく。

「ゲジゲジの聖蟲より強いだろうか」
「それはわたしには分かりかねますが、初代神聖王、また褐甲角(クワァット)神の聖蟲を戴いた初代武徳王の額にあった聖蟲は、後の聖蟲と比べて霊力が格段に優れていたと伝えられます」

「クワァットというのは、…その…、カブトムシ?」
「はい。黒褐色で固い甲羅と羽根を持つ虫でございます」

 弥生ちゃんの脳裏では、カベチョロが”クワァット”を”フンコロガシ”の意味に変換した。
 しかし、目の前の男がうやうやしく語る聖蟲をフンコロガシなどと呼んではまずいだろう、と遠慮して言い換えたのだ。
 男には弥生ちゃんが何に焦り赤面するのか分からない。

 

 その時、弥生ちゃんの頭の中で声がした。カベチョロが直接に話し掛けて来たのだ。遠く鐘が鳴るに似た深く心に染みる音で、神々しく語りかける。

『今、変換した言葉の意味は、”クワァット”の本来の意味とは明確に異なる。何故嘘を吐くのだ』

 弥生ちゃんも脳内で答える。

『私の脳内の知識を読んでいるんだから、”スカラベ”の神話的な意味は分かるでしょ』
『”スカラベ”なる生物は、そなたの中では特別な意味を持たない。そなたの平素使う言葉では”フンコロガシ”こそが正確な表現である。この地の人に言葉を伝えるに、なんぞ偽りを言えようか』
『いいから私に従いなさい。乙女にそんなことが口に出来るか』

 

「あの、救世主様。いかがなさいましたか」

 いきなり頭の上でカベチョロと喧嘩し始めた弥生ちゃんに、男とネコはおろおろとするばかり。ようやくに出した言葉で弥生ちゃんは平静に戻る。

「ごめんなさい。こいつが頭の中でへんな事言うもので」
「おお!」

 男が驚くのに却って弥生ちゃんが驚いた。

「さすがにあなたは本物の救世主だ。金雷蜒神聖王も褐甲角武徳王も額の聖蟲と会話したと伝えられるが、まさにあなたは青晶蜥の神と対話された」
「ネコはしっかり記憶した。救世主の女の子はトカゲの聖蟲と喧嘩した」
「ふ、ふーん。なるほど。そういうものか。つまり、普通の聖蟲は喋らないということね」
「わたしが聖山で学んだところ、またギィール神族に直接伺ったところでは、意味は通じるものの人語で聖蟲が答えることは無いと聞きます」

「それはそれとして、ギィール神族ね。私が見た死体は、誰?」

 男もネコも首をひねった。長老ネコが周囲のネコ達に聞いてみるが誰もなにも知らない。長老ネコは弥生ちゃんに言った。

「この土地は霧が深くて人間が入ることはあり得ない。近づくことさえできない。ネコとトンボの隠者は特別だ。ギィール神族も特別だ。でも誰も見ていない」
「救世主様。ギィール神族は尊いもので決して一人で出歩いたりはいたしません。必ず供する者を数名は引き連れております。
 ネコの目から逃れて移動するのは難しいと存じます」

「私もそう思う。多分私がこの世界に飛ばされた際に、巻き添え喰って同じ所に吸い出されたんじゃないかな。ネコをやって見て来てくれない?」
「かしこまりました」

 長老ネコが若いネコに指示を与えて、霧の中に探索を出した。
 懸念の一つがなんとか片づきそうなので、まだまだ尋ねたい事柄が幾らでもあるが、弥生ちゃんは男の望みを叶えてやる事にした。

 

「さて、私は一体なにをするべきなのかな?」

 

第二章 弥生ちゃん、タコ巫女の手引きで人界に下る

 

「神の名はあ〜、テューク・ギィール・クワァット・チューラウ、ゼビ・ミストゥアゥル・ワグルクー・セパム、シャムシャウラ・アア・バンボ・ピクリン、これぞ創世十二神。
 天の夜空に流れる星の、大河に架ける十二の神磐」

「タコ、ゲジゲジ、カブトムシ、トカゲ。蛾にミミズにカタツムリに蜘蛛。蟹にカエルにコウモリとネズミ。なんだか気持ち悪いものばかり神様に揃っているね」
「言われてみれば確かに小さくて変な形の生物ばかりではありますが、皆この世を治めるに相応しい役割を仰せつかっている大切な生物です」
「イワシの頭も信心と言うからね」
「ヒゥワシ?」

 乳白色の霧が立ちこめる荒地を無尾猫の助けを借りて脱出した蒲生弥生ちゃんは、街道に出た所で一人の女性に出会った。

 自らをタコ神の巫女と称し、またトンボの隠者の妻という二十代後半の明るい美人だ。名は「ティンブット」。
 ”舞散る穀物の粉”の意味でおめでたいものだと、カベチョロ翻訳が弥生ちゃんに教える。

「紅曙蛸(テューク)神の巫女は村祭で踊るのが商売ですから、平素より明るく華やかでなければなりません。考えては、思い悩んでは光が失せます」
「そういうものなのか。たいへんだねー」

 タコ巫女ティンブットどう見ても能天気な性格に生まれついたとしか思えないのだが、他のタコ巫女を見たことが無いから比較出来ない。
 こんな女がのほほんと生きているこの世界は、ひょっとして案外悪い所ではないのかも、とも思えてくる。

 彼女の衣装は曙色の薄物で端を蛸唐草の刺繍で飾りまことにおめでたい。首のところには御丁寧に小さなタコの飾り物すら付いている。
 地球で言う所のタコ以外の何物でもないのだが、そもそもこの世界には海がちゃんとあるのだろうか。

 

 霧を抜け荒地を離れると、陽はさんさんと降り注ぎ木々に緑は茂り、どうにものどかな田舎道の風情が楽しめた。
 ここは褐甲角王国の南部国境線付近、方台全体を東西に分かつスプリタ街道の南端に当たる。

 ティンブットの話によると、トカゲ神救世主ガモウヤヨイチャンはまず二つの王国の法の手が及ばない自由な街、タコリティに向かわねばならない。
 タコリティは古の女王、紅曙蛸神救世主ッタ・コップの為に作られた街であり、海上貿易の拠点として海賊達が自主独立して治めている。
 金雷蜒・褐甲角両王国もここを緩衝地帯、非公式な交易の場として使う為に、双方の警察権を適用していない。

 つまりは無法の街なのだが、元々タコ神女王の為に作られたのだからタコ巫女にとってはこの上無く居心地が良い。
 ティンブットが弥生ちゃんを案内するのも、当然と言えよう。

「あなたの旦那さんね。なんでついて来ないの? 私が来るのを2年も待っていたんでしょ」
「彼には別の役目があります。北の聖山の神殿都市には青晶蜥(チューラウ)神の最高神官がいらっしゃいますから、ご報告に上がらねばなりません」
「でも隠者なんでしょ」
「もう隠れ住む必要がありませんから」
「そりゃそうだ」

 救世主に初めて遇うことを義務づけられた男ともなれば、自らの使命を伏し世間から身を隠し妨害者を避けて暮すのは当然の責務である。

「私がこの世界に来ることを快く思わない人も多いわけね」
「そんなことはありません。と言いたいところですが、ギィール神族やクワァットの黒甲枝は歓迎なさらないでしょう。
 なにしろ救世主様はトカゲ王国を打ち立てますから、既存の王国を治める方々には邪魔となりますねえ」
「だよねえ」

 褐甲角(クワァット)の黒甲枝、という初出の言葉の意味を、弥生ちゃんは難なく理解する。
 額に聖なるカブトムシを戴いた褐甲角王国の神族の意味であるが、ギィール神族を否定する立場なのであえて「神族」という呼称を彼らは使わない。
 ゲジゲジの聖蟲がギィール神族に智慧と技術を与えるのに対し、カブトムシの聖蟲は戴く者に無敵の肉体と怪力を授けるらしい。

「で、どっちが悪い国?」
「……夫はなにも説明しませんでしたか?」

 トンボの隠者は弥生ちゃんにこの世界の理と成り立ち、政治情勢、救世主の為すべき使命を教えたはず。
 ティンブットがいぶかしむのも道理だが、

「あなたのご主人はどうも私に期待するところが大き過ぎて、なんとも理解しづらい大風呂敷をひろげたから話がよく見えないのよ。
 なに、世界を変革し既存の秩序を再構築し、悪を退け大いなる裁きを成して光が支配する不滅の王国を築くのだ。て、どうすればいいのよ」
「それはー、……アハハ、わたしにも分かりません。
 分かりました、つまりガモウヤヨイチャン様は救世主の使命を自ら掴み取ろうというご意志ですね」

「そんな感じ。自分で調べてみなければ、なにすりゃいいのか見当もつかない」
「そうですねえ、」

と彼女が語る話も夫のそれと大差は無い。

 

 そもそも2千年前にできた金雷蜒王国は、聖蟲の力とギィール神族の行動力で混沌とした世界に秩序を打ち立て、高度な文明を用いる統一国家を実現した。
 だが長年の支配の内に爛熟頽廃し、神族同士が内戦を繰り広げ民衆を戦場に駆り立て、虐殺を日常とする状況に陥る。

 そんな折、民衆を救わんと立ち上がったのが褐甲角神救世主・武徳王カンヴィタル・イムレイル。
 巨大な蟲を兵器に使うギィール神族を無敵の肉体で撃破したものの駆逐には到らず、ゲジゲジ・カブトムシの両王国が並び立つ状況となった。
 以後千年、両王国は思い出したように断続的に戦いを続ける。
 金雷蜒王国を東西に分断するも褐甲角王国は完全勝利の決定打を欠き、ずるずると時を重ねる内に経済的に癒着して、対立しつつも相互に依存するまでになってしまった。

 分裂状況に十二神方台系の百万の住民は疲弊した。
 世界の枠組みを一挙に変えるであろう次の千年の覇者、青晶蜥(チューラウ)神の救世主の到来を今や遅しと待ち受ける。

 待って待って待ちくたびれた中で、救世主を僭称する姦物が各所で人を迷わすも、両王国の警察機構に捕縛され火焙りの刑に処せられた。
 救世主に代り世を導くと称して破壊活動を行う秘密結社や、人を食べて強大な霊力を得るのを教義とする宗教に傾倒する者すら居て、社会不安を増大させている。

 絵に描いたような世紀末の様相がそこにあった。

 

「ひゃくまんにん、ね。」

「はい。百万の大民が救世主様の到来を待ち受けているのです」
「私の居た国は、1億2千万人が人口だ」
「へ?」
「世界全体では60億。もうすぐ百億になろうという。私ってば、どうにもちんけな救世主さまだね」
「ひゃくおく……」

「百億人の国から来た救世主。ネコには数の大きさがよくわからない」

 荒地から付いて来た無尾猫の1匹が素朴な感想を述べる。
 密着レポーターとも言うべきネコの集団が随時5匹程度付き従って、弥生ちゃんの動静を取材していた。
 彼らは次々に入れ代わり野を走って、見聞きした情報を世界全体にネコ同士の口コミで配信している。

 百億の人間の居る世界から来た、という話はどこの街でも驚きを持って迎えられるだろう。

「この世界は正方形で1辺が千里。歩いて渡れば1月、28日で端まで到達するのよね」
「は、はい」
「1日40キロ歩くと仮定して、1辺は1120キロ。起伏や河があって歩行のスピードが制限されると考えて、1000km四方の大地か。1里が1キロ程度ということになる。
 100万平方キロの土地に100万人しか住めないというのは、それだけ生産力が低いということね。
 農地の開発が十分に進んでいないんだわ。あるいは戦乱によって耕地可能な面積が狭められている」

「は、はい。さようでございます。ギィール神族は戦いに破れた際にはその土地に毒を撒き、人が住めない耕作も出来ない、長く居ると血を吐いて死んでしまうようにして、クワァットの軍勢が通れぬようにしてしまいます」
「旦那さんはそういうことは言わなかったよ」

「あの、もうし、百億の人が住める土地というのは、どのような大きな世界なのでしょう」
「丸い」
「は?」

「丸くて天空に浮いてるのだよ。球だね。差し渡し1万3千里の巨大なタマの上に皆で住んでいる」
「端に住んでいる人は下に落ちませんか」
「ああ、万有引力の説明からしなきゃいけないんだ」

 弥生ちゃんは地面に座り込んで絵を描いて説明をする。
 ティンブットとネコ達はそれをじっと見やり、時折疑問点を質し、その度返ってくる答えに驚愕する。

「天空に、天空に太陽が居まし、そのまわりを多くの球が永遠に回り続ける……」
「ネコこわい。ネコ、玉に跳ね飛ばされてしまう」

「いや、この世界がそうなっているかは知らないけどね。やっぱここは天動説の世界だったかあ」

 

     *********

 

「へえ、チューラウの救世主さまは、天空に浮かぶ球の上にお暮らしになっているの」

 褐甲角王国、正確な呼称は「褐甲角の神軍により導かれる正義と公正の王国」という。
 その王都カプタニアに住いする富豪の娘、ヒッポドス弓レアルは、屋敷の庭園にいつものように訪れたネコに、青晶蜥神救世主降臨の第一報を聞いた。

 弥生ちゃんがこの世界に来た4日目の事である。

 無尾猫は優れた運動能力を持ち狭い塀の隙間でもするりと潜り抜けて行く。しばしば軍に通行を封鎖される王都でも、自由に手紙を届けられる。
 また世界中の出来事を独自のネコお喋り網で中継して伝えてくれるので、官民共に重宝している。
 配達・情報料はネコ用ビスケット1枚が相場だ。
 方台には砂糖に相当する甘味料が無くその他の材料も高価なので、一般庶民が気軽にネコを使う事は出来ない。

 その点、弓レアルはお金持ち。ネコ受けも非常によく、カプタニア中の無尾猫が入れ代わり彼女の庭にひっきりなしに遊びに来る。
 カモられている、ともいう。

 弓レアルは17歳。それなりの美形だが特に目立つところの無いごく普通のお嬢様で、来年の春に嫁入りする準備と教育で日々忙しく送っている。
 許嫁は黒甲枝の家の長子で武人、いずれはカブトムシの聖蟲を継承して無敵の神兵となる事を定められた若者だ。
 軍に天幕の布や軍服の布地を納入する御用商人ヒッポドスとしては、首尾よく婚儀をまとめられまずは満足すべき成果と言えよう。

「でもおもしろい。わたしたちもそんな球の上に住めたら楽しいのにね。
 多分上と下がくるくる入れ代わって、どちらが天井で地面か分からなくなりますわ」

 この世界には学校教育なるものは未だ存在せず、ましてや科学教育は王宮の一角にある博士寮でのみ行われているに過ぎない。彼女だけが物理や天文の知識に欠けているわけでは無い。

「ネコや、もう一度教えて。青晶蜥神の救世主様は、聖蟲にその事を教えられたの。それとも最初から知っていたの」

 弓レアルの家庭教師であるハギット女史が、この件に強い関心を示した。彼女は弓レアルと弟の学問の教授で、文学と書字計算、歴史を教えている。
 ただし女性的魅力には乏しく独身者であるので、花嫁修業には向かない。その面にはまた別の家庭教師を用意してある。

「ガモウヤヨイチャンは聖蟲が額に取り憑く前から、地面に絵を描いて天空の星に住んでいると伝えていた。最初から知っていた」
「そう」

 顔色を変えるハギット女史に、弓レアルは不審を覚える。天空に住むのは神様としては当然だろうに、何故彼女はそこにこだわるのか。

「お嬢様、ゲルヒッテン衡ヌバイム王子の『天空に記された幾何学の文様と無形の力を統べる律令の書』を覚えてらっしゃいますか」
「先生。本の名前はかろうじて覚えましたが、内容はまったく理解出来ませんので6分の一も読んでません」
「それは恥ではありません。私も一応すべて読みましたが、まったく理解出来ませんでした」

 1500年以上前の金雷蜒(ギィール)神族の著書であり科学知識を記した事典の一つである。
 科学技術書はいくら平易に書き直しても理解が難しい。ましてそれを文学・神学のテキストとして読む褐甲角王国の一般読書人には、暗号のように思われても仕方がない。
 だが天空の星について書かれているらしいこの書は引用されることが多く、ハギット女史も端々の数行を記憶していた。

「僧ウゴルムの聖山に掛かる星の詩、ゲジョウラゥスの黒冥蝙神への祈祷文。他にもありますが、救世主様が仰しゃる天空を回る球体に似た記述が、確かあの書から取られていたと記憶します」
「じゃあ、やはり救世主さまは天空の神様なのね」
「それだけでなく、救世主様は聖蟲の力を借りずともギィール神族を越える智慧を備えておいでだということです」

「そうなの?」
「ネコに聞くのは筋違いだ」

 と無尾猫は庭の端の蔦の陰に隠れて去ってしまった。
 もっと聞きたいことがあったのにと弓レアルは残念に思ったが、ネコの話を聞きたい人は多い。

 

「お嬢様、これは由々しい事態です。ひょっとすると、青晶蜥神の救世主は世の中を思いもかけない形に変えてしまうかもしれません」

「しかし、博士寮の学匠の方々は今ではギィール神族の持つ知識の大部分を解読したと聞いてますよ。それほどの影響は無いでしょう」
「あれは単なる虚仮威しの強がりです。実際は王国の工芸品の質を見れば一目瞭然。お嬢様の鏡がなぜ東金雷蜒王国の産であるか、考えたことがおありですか」
「あれは良いものです。あれは作れませんね、確かに」
「王宮はどうなさるでしょう。力では褐甲角の神兵は無敵ですが、知識や技術において金雷蜒王国に遠く及ばず、二神の使徒は釣り合いが取れていました。

 しかし新しい救世主が力と智慧を併せ持つ者だとしたら、勝てませぬ」
「……そうなったら王宮は、王国はどうなるのでしょう」

 最初から分かっていたことだが、救世主が世に現われる時、世界は大きく変貌する。
 救世主さまがお出でになれば世の中の悪が打ち破られ薔薇色の理想郷になる、くらいの能天気な想像しか弓レアルの頭には無かった。
 だが本当に変わるとすれば王宮の栄華も、ヒッポドス家の商売も激変するだろう。

 弓レアルはハギット女史の心配をようやくに共有した。
 確かにこれは一大事だ。ひょっとしたらお嫁入りも延期になるかもしれない。

「どうしましょう。ああ、なにをすればいいのでしょう」
「書状をお書きなさい。そしてネコに届けさせるのです」
「お便りって、どこに」

「王宮のカロアル斧ロァランさまです。あなたの義妹になられる御方です。
 あの方は王宮深く元老院にお仕えしていますから、内部の様子とこれからの方針を外に居る私たちよりも良くおわかりになるでしょう。それを教えてもらいます」
「……いいの? そんなことをして」

「何が悪いのです。姉になるお嬢様の為に御骨折り願いましょう。お嬢様は持参金も無しに嫁ぎたいのですか」
「そこまで事態が悪化するのですか?!」
「一戦さございますよ。
 いえ救世主がお出でになられたのです。この機を逃さずに金雷蜒王国を討伐しようと元老院は決するに違いありません。そうでなければ、」

 そうでなければ褐甲角王国の存在意義が無い。

 千年前に初代武徳王は金雷蜒王国を打倒し民衆を圧政から解放する為に、王国を打ち立てたのだ。
 使命が次の救世主の出現までに果たせなかったとなると、この千年はなんの為にあったのかと自問せざるを得ない。
 民衆の王国への忠誠心が急速に薄らぐ危険すら有る。

 そうなれば、

 

      *********

 

「さすがに良い読みをする。あのハギットという家庭教師は切れ者だわね。御嫁入りの際にはウチに御義姉さまと一緒に来るらしいけれど、なんだかやりづらいなあ」

 カロアル斧ロァランは黒甲枝の武人の娘で15歳。弓レアルが嫁いで来ると彼女を姉と仰がねばならない。
 許嫁である兄はほとんど彼女に会っていないが女同士の気安さから斧ロァランは何度か話をした。
 さすがに富豪の娘だけあって浮き世離れした呑気さに呆れるも、優しいし思いやりはあるし、特に反発せねばならないものは無い。

 兄は兵学校で10歳の時から家を離れていて斧ロァランには縁遠く、人となりは知らないも同然だ。
 この女人が嫁いでくるのなら実家にも気軽に戻れるだろうと安心させられる。

 斧ロァランも聖蟲を戴く家に生まれた娘の義務として、カプタニアの王宮に侍女として勤めている。
 本来の侍女は緑隆蝸(ワグルクー)神、カタツムリ巫女がその任を務めている。
 だが、褐甲角王国は武によって立つ国で特別の覚悟無しには務まらない厳しい役目があった。しっかりした性格の少女が黒甲枝から募られ働いている。

 彼女が王宮で任されたのは、極めつけに恐ろしい仕事だった。
 元老院の首座である王族のハジパイ家が召し使う大狗サクラバンダ。これの世話係に斧ロァランは回された。

 サクラバンダは体長2メートルにもなる細身で筋肉質の猛犬で、本来は人に懐かず山野を駆け巡り大羚羊や無尾猫を捕らえる肉食獣だ。
 褐甲角王国ではこれに聖蟲を与え特別な任務を課している。
 つまり、犬でありながらも褐甲角(クワァット)神の化身であった。

 

 ハギット女史の読みどおり青晶蜥の救世主の出現は既定の事実であったにも関らず、王宮元老院をパニックに陥れていた。

 本来なら怯える必要はなにも無い。
 褐甲角は正義と契約を司どる神で、それに従う黒甲枝の兵は無私の軍隊であり、民衆をいたぶったり圧政を強いたりはしていない。

 にも関らず、新しい救世主を迎えるにあたり引け目を感じざるを得ないのは、金雷蜒王国から救い出したはずの民衆が決して幸福とは言い難い困窮の中に暮しているからだ。

 金雷蜒王国ではすべての民が奴隷でありギィール神族の所有物である。奴隷の生殺与奪はすべてギィール神族の手の内にある。
 千年の昔はその権で奴隷を大量に動員して神族同士が内戦を繰り広げ、殺戮をほしいままにした。
 神族の暴虐から民衆を救うという大義が褐甲角王国にあった。

 しかし皮肉なことに、褐甲角軍の脅威にさらされた金雷蜒王国は内戦を止め、奴隷が長持ちするように労働環境を改め、かってほど酷い体制では無くなっている。

 さらに褐甲角軍に攻められるとその土地を毒で封鎖して食糧の調達を不可能とし、領民を押しつける戦略に出た。
 つまり勝てば勝つほど抱え込む民衆が増え、養う為の穀物が不足する。
 科学技術で劣りただでさえ生産性が低いのに、大量の難民を抱えることで慢性的に一般民の困窮が続く。

 奴隷である金雷蜒王国の民よりも生活水準が低くなる、本末転倒な結果を見た。
 これでは民衆解放の大義が成立せず、やむなく戦線の拡大を停止して膠着状況を続けざるを得ない。

 また西金雷蜒王国は島嶼部にある為に、陸戦においては絶大な威力を発する褐甲角の神兵の無敵性が活かせず、攻めあぐねている。

 

「だからこうなる前に決着を付けておかねばならなかったのだ!」
「いや、出来ないものは仕方がない。目的が民衆解放であるからには、それが果たせないと分かっていながら軍を進めるのは愚かだ」

「そもそも毒地に隠れて強襲するゲイル騎兵に黒甲枝では十分に対抗できない。応援に駆けつける前にさっさと逃げてしまう」
「聖蟲を持たない兵は毒地を進めない。敵が持つ防毒面も作れない。我らが技術的に遅れているのは明らかだ。だから内政に力を入れて民力の底上げをするのが、」
「それをもう何十年と言っている。いつまで経っても追いつかぬではないか」

「金雷蜒王国とは今や共存していると言ってよい。彼らが作る工芸品の質に我らの工人は足元にも及ばない。材木や穀物と交換にそれらを手に入れねば、王国の経済が成り立たなくなっている」
「解放したはずの民衆が、再び奴隷に戻っている。これが現実だ」
「民衆の自治を認めるからそうなるのだ。支配者が強権を以って効率的に民衆を使役し生産力を上げる努力をせねば、永久にこのままの状況が続く」

「民衆は支配されることを明らかに望んでいる。だが我らは十分に応えていないのだ。指導する者は民衆よりも知的にも肉体的にも遥かに秀でている必要が有る」
「まるでギィール神族の言い草だな」

 数十年相も変わらぬお定まりの議論が続く。

 褐甲角王宮の元老院は、現実と神聖なる使命との間で自縄自縛に陥っており、結局は現状維持に落ち着くしかない。
 青晶蜥救世主の到来の接近は否が応にも彼らの神経をささくれ立たせ、行動を焦らせる。

 実動部隊である黒甲枝の支持が厚い王族ソグヴィタル家の当主 範ヒィキタイタンは、宮廷クーデターで一気に状況を打破し初代武徳王の誓いの実現に乗り出そうとした。
 それも、内政を司るハジパイ王家 嘉イョバイアンの老練な工作に未然に防がれ、王宮を辛くも脱出する羽目に陥いる。
 現在は、内政を重視し国力の増強を図り然るべき日まで征服は延期しよう、という先政主義が王宮を覆っており、黒甲枝の不満が鬱積していた。

 

「元老院の意見がくつがえることは無いわね。でも動かないわけにはいかない。大動員はあるでしょうけど……」

 一介の侍女である斧ロァランには政治軍事の大局など見えはしないが、王宮全体を覆う空気から未だ深刻な事態を想定していないと察しはつく。
 青晶蜥神救世主の出方を待つ、のが無難な対応なのだろう。
 消極的過ぎるかもしれないが、なにせ天空の星から来たという救世主さまだ。対応も決めようが無い。

 弓レアルへの返書も簡単なものに留まるしか無かった。

『……まずは救世主様の身柄を王宮が保護することになるでしょう。
 救世主様をどちらの王国が抑えるかによって状況が激変する可能性があります。
 金雷蜒王国の手に落ちた場合は救出の為に敵方深くに侵攻する大戦さになると思われますが、』

 褐甲角王国が救世主を手中にした場合、最初から無かったことにして、ひょっとしたらこれまでの偽救世主と同様に火刑に処せられるかもしれない。
 それを書面に記すことはためらわれた。

 斧ロァランは思わず胸で手を組んで、褐甲角(クワァット)神の御加護が救世主にあらんことを願った。
 たとえ元老院が敵と看做そうとも、正義と公正を守護する褐甲角神が救世の定めに従う者を妨げたりしない、と彼女は信じたかった。

 

     *********

 

「あれはなに?」

 タコリティに向かう蒲生弥生ちゃんさま御一行は、スプリタ街道出口付近で薄汚い行列に出くわした。
 男も女も子供も居る。
 周囲にはいかにも人相の悪い武装した男達が居て、彼らをこづき回し道を急がせる。強く引っ張られて転んだ女の子が泣き喚く。

「タコ石の鉱山に売られて行く坑夫ですねー。褐甲角王国から来たんですよ」

 タコ巫女ティンブットは事もなげに答える。特に珍しいものではないらしい。

「褐甲角王国は、奴隷を解放しているんじゃないの?」
「そうですよ。あれは解放された民衆です。黒甲枝はあんなことはしません」
「じゃあ誰がやっているの」
「だから、解放された民衆が、後からやってきた余分な難民を売っているんです。一緒に居ても食べる物がありませんから、売られた方がマシなのですよ」

「金雷蜒王国はどうなの。やはり奴隷を売ってるの?」
「まさか。ギィール神族はそんな恥ずかしい真似はしませんよ。ギィール神族に仕えるのは奴隷として光栄なことです。
 売るのは”バンド”ですね。奴隷同士の組合が、あぶれた口を売ることはありますが、東金雷蜒王国は慢性的に人手不足ですからめったにありません」

「……なるほど。救世主というのは、よほどややこしいパズルを解かねばならない因果な役目のようだね」

 

 弥生ちゃんは腰の後ろに差していた水色の扇を手に取った。この世界には折り畳み可能な扇というものは無い。
 ティンブットは不思議な道具から青い光が発しているように感じて目をこすった。

「なんですか、それは?」

「あのさあ、今この人達を解放して、でどうなる?」
「なにも。なにせ食べる物が無いから売られるわけですから、街に戻ってまた売られるか、自分でタコ石の鉱山に参るでしょう」
「だろうね」

 弥生ちゃんは手の中の扇を少し開いて、ぱんと左手に打ちつけて音を出す。
 思ったよりも大きな音がして、売られる難民も、引き回す警備の兵も一斉にこちらを向く。

「まとりあえず、こいつらに案内をしてもらおう。聞きたいこともあるし。それに、もうちょっと丁寧に扱うくらいはしてもらわないとね。ぶちのめすのは余禄だけれど」

 右手の扇をかっと開いて青い光をそこら中に撒き散らす。
 光に吸い寄せられるように、兵達がゆっくりと集まって来る。

「あれはハリセンだ。救世主の世界の武器だそうだ。トカゲ神はガモウヤヨイチャンにこれを所望されて、驚いた」

 ネコの解説にもティンブットは振り返らない。救世主様は、一体何をなさるのだろう。

 

 弥生ちゃんはハリセンを大きく開いて、なにも知らない警備兵に躍りかかって行った。

 

第三章 弥生ちゃん、市にて剣を購う

「もう強いとかなんとか言う段階の問題ではなくて、ぜんぜん相手にならないのよ。

  ハリセンを右に左に仰ぐと凄い風が巻き起こり、その度兵が転がって立っていることさえできなくて。
 弓矢で射てもそのまま逆風に乗って射た者の所に戻って来る。
 救世主様がそれこそ風に乗って鳥よりも早く駆け抜けて、ハリセンで叩くと鉄の剣でも鎧でも枯れ枝よりも簡単に千切れ飛ぶ有り様なのね」

 

 タコリティは十二神方台系の南海岸中央に位置する独立都市だ。
 金雷蜒(ギィール)・褐甲角(クワァット)双方の王国に属さない中立地帯であるが、実態はあまりにも不毛である為に支配を放棄されたと看做す方が正しい。
 それ故流刑地としては最適で、死罪に出来ない国事犯を追放したり、政治的亡命でもここに留まるならば敵国を利さないとして追捕を出さない慣習がある。
 雨が極端に少なく飲料水すら船で運ばねばならないので反乱の根拠地とも成り得ず、補給を差し止めればいつでも制圧可能と思われているのだ。

 タコリティの東には巨大な円形クレーターが数個穿たれ海水が流れこんで湾になっている。
 ク レーターの周囲は高さが数百メートルの断崖で古代の地層が露出し、直径百メートルにもなる巨大な球形の化石が幾重にも折り重なる姿を見せている。
 まさに壮観であり、この化石をして十二神方台系の礎と見做し、よく似た生物のタコを第一の神と崇める。
 紅曙蛸(テューク)女王国時代には聖地とされた。

 王国が失われた今でも巫女王の直轄地と住民は称しており、現世両王国の支配を受けぬを誇りとする。
 当然タコ巫女は尊ばれており、ティンブットが酒場でクダを巻いて大きな顔をしても、飲み代を払わなくてもまったく問題は無い。

 

「やっぱりね、青晶蜥(チューラウ)神の救世主様なんだからチューラウの神威を備えているわけなのよ。
 冷風がすわぁーっと流れて行ってこちんと兵士が凍りつくところなんてのはまさに、て感じで、」
「いや、しかし何故に救世主ゥワモヲヤヨィチャン? 様はそのような事をなされたのだ。マグレリアント殿の護衛兵がご無礼を働いたのか」

 狭い酒場には百人ほども詰めかけてティンブットの話を食い入るように聞いている。
 が、ただの酔客ばかりではない。
 この地には確とした政治体制は無く、有力者達が独自の兵を貯えて相互の勢力バランスの中で秩序を保っている。
 警察機構も無いのだが、それぞれの有力者が密偵を使い自己の勢力を脅かす者を常時探索監視していた。この中にも何人か交じっているはずだ。

 ティンブットの目の前の男もたぶんそれだろう。であれば酒を奢らせるのに何の遠慮があるものか。
 元より救世主様について見聞きした全部喋りまくるつもりなのだから、ささやかの余禄を楽しむべし。

「ゲルタパス(干魚の焼いたもの)でなくて、パイユラップ(乾し肉の湯戻し)がタベタイナー」

 言うや否や、瞬く間に肉が皿に山盛りで出て、ティンブットは周囲の者にあたかも自分のおごりであるかのように気前良く振る舞う。

「それがさ、そのハリセンという武器は、救世主様の世界では武器じゃないのよ。
 痴れ者に戯れに罰を与えるためのオモチャで、派手な音がするけれどぜんぜん痛くないのね。
 それに神威を乗せることをチューラウに要求したわけだから、神様だってびっくりするわけよ。

 で、それは本来武器じゃないけれど武器としても使えるようになっている。
 でもそんなもの実際に使って見なければ信用できないということで、手近に居た人相の悪そうな奴らで威力を試したわけね」
「た、試し斬りをなされたのか…」
「それだけじゃないんだな。……九真の酒は無いの?」

 最上級の酒が飛ぶように卓の上に並ぶ。
 ついでにお菓子を頼むと、近所の料理屋から大皿で焼き菓子揚げ菓子が届けられて来る。
 調子に乗って果物も頼むと、酒場の小僧が飛び出して買いに行った。

「青晶蜥は冬の冷気と癒しと安息、薬の神なわけよ。当然神威の宿ったハリセンにも癒しの力があるけど、でもこれも使ってみなければわからない。
 ということで、手近に居た人相の悪そうな奴をわざと痛めつけて癒しを試してみた。
 頭良いのよねー、今度の救世主様って。神様の言うことでも一応は疑ってみるんだもの。さすがだわ」

 周囲の男達は絶句する。ティンブットはしてやったりと舌をちょろっと出した。

 実際、救世主ガモウヤヨイチャン様は面白過ぎるのだ。
 やはり星の世界からやってきただけはあり、伝説にある褐甲角、金雷蜒救世主の生真面目さ窮屈さとは無縁で非常に親しみ易い。
 後世、蜘蛛巫女やカタツムリ巫女が青晶蜥神救世主の叙事詩を書いたり演じれば、さぞかし観客に受けるだろう。

 いやタコ巫女としてもガモウヤヨイチャン様の活躍を十分に描き出す見事な舞を作らねばなるまい。
 星の世界の踊りなども尋ねてみよう、とティンブットは商売根性を出してみる。

「それとして、今は救世主様はどこに居られるのだ。ティンブット、お前は救世主様のお傍を離れて良いのか」

 誰か知らないが、自分を呼び捨てにするとはどこの知り合いだろうか。
 さすがに九真の酒は良い加減に酔わせてくれる。安酒のつんと来る不快な心地がまったく無く、柔らかい毛布に包まれるような眠気が襲って来る。

「救世主さまは、……ハリセンの威力が強過ぎるということで、これを滅多に使うのはやめようと思われまして、
 ……そうね。さすがだわ。あんまり便利な道具を使うと、救世主様が尊いのかハリセンが尊いのか分からなくなるって。
 ……で、なんだっけ。そう、もっと手軽な武器をね、剣を買いに行っちゃったの」

「しかし一人で行かせて大丈夫なのか。誰もお供が居ないのでは」
「おともぉー?」

 ティンブットはがばっと席を立った。けらけらと天井に向かって笑う。

「おともだらけで、わたしがついていけなくなったから、ここでこれまでの経緯を説明をしてるんじゃない。ばっかねー」

 

 救世主蒲生弥生ちゃんの周りは無尾猫のお供だらけになっている。

 人里の近くに来ればその村のネコが行列に加わり、交代で別のネコが村人に喋りに行く。
 ひっきりなしに交代し出合ったネコ皆に伝えては、方台中に噂を広げていった。

 近在で最も大きなタコリティの街では多数のネコが活躍しており、救世主様の動向をリアルタイムで伝えようと密着取材を敢行する。
 おかげで通りは白いネコに埋め尽くされた。
 往来の妨げとなり驚いた弥生ちゃんと協議した結果、常時16匹のネコのみがぶら下がりで着いて来る事が許された。
 それでも全長1メートルのネコが16匹である。随分と人目を惹いて恥ずかしい。

 弥生ちゃんは露店で買い求めた編笠で頭のカベチョロを隠している。
 もちろんその程度の変装は意味がなく、そもそも服装からしてこの世界の物ではないのだから正体丸分かり。
 だが、カベチョロの聖蟲が直接見えないから随分と楽になった。

 聖蟲を見るとそこら中の人が、まるで水戸黄門の印篭を見せられたかに地べたに這いつくばって頭を下げるのだ。
 居心地が悪くてしょうがない。

 最初弥生ちゃんは書店に行って街のガイドブックを買おうと思ったが、この世界には書店が無い。
 古道具屋が扱うといい、それも手書きの書物が一冊で家が買えるとかの話なので諦めた。
 活字による印刷も未だ無いし、版木に字を彫って印刷というのも蜘蛛巫女のおみくじ以外は滅多にないらしい。

 それどころか、紙が無い。木の葉を干して伸したものを糸でつなぎ合わせて紙の代りにしている。
 丈夫で葉書を縦に二枚繋げた大きさがあり十分に広いのだが黄ばんでおり撥水性もあり、インクで書字するには向いてない。
 どうやって書くのか、と思えば石で葉の表面を傷つけている。傷のついた表面から葉の内部の層が露出して黒くなり、インク無しでも十分はっきりと見えるのだからうまく出来ている。
 だがこれでは印刷という発明に繋がらないだろう。

 ガイドブックは諦めたがガイドには事欠かなかった。
 よく考えれば弥生ちゃんの足元に絡みつくネコ達は噂話の達人であるから、これに聞けばよかったのだ。

 呆れたことに、ネコ達は店で何を売っているのか全然興味が無い。
 知っていても肉屋の食用ネズミ置き場くらいだが、商品を買った人の事はよく覚えている。
 買った商品に誰某がこういう文句を付けて返品に来たとか、騙されて欠陥商品を使ってケガをした人が復讐に行ったとかは幾らでも喋るのだ。

 段々弥生ちゃんもネコの使い方に慣れてきた。
 武人が武具を買い求めた話をせがむと、案の定武器屋の位置も教えてくれる。
 噂話は人間のエピソードとして記憶されているようで、ネコは百科事典でもデータベースでも無いのだ、と理解した。

 

「それはそうと、」

 と弥生ちゃんは額の上編笠の中で寝ているカベチョロをこてこてと叩いて起こす。

 名前は「ウォールストーカー」と名付けた。『北面の氷壁を守護する者』が本名らしいが、めんどくさい発音をするで簡略化だ。
 こいつの翻訳機能は寝ていても実行可能なようで、サボってばかりいるし飛んできた蝶を食べようとしたりと、あまり神聖なところを感じさせない。

『なんだ』
「あのさあ、その翻訳機能だけど、なにか変よ。
 ネコたちは、タコ巫女、カブトムシ王国、ゲジゲジ神族というのに、人間が喋る言葉では、紅曙蛸(テューク)、褐甲角(クワァット)、金雷蜒(ギィール)に変換されるのは、何故?」

 カベチョロはすこし考えた。頭の上だから見えないが、目をまた白黒させているに違いない。

『……そなたに説明するのはむしろ容易い。

 この世界には、そなたたちの世界でいう”漢字”に似た文字があり、通常使う言葉とは異なる発音を持っている。
 ”ギィ聖符”と呼ばれるものでギィール神族だけが使っているが、固有名詞の場合は一般庶民も同じくその言葉を使う』
「なるほど。だからギィ聖符で呼ばれるモノを翻訳する場合は、そういうややこしい変換方法をつかうんだ」

 弥生ちゃんの頭でのカベチョロの翻訳は音声言語のみで行われているわけではない。
 概念がイメージとして提供されたり、感情表現が色つきで強調されたりと、より正確な意味がつかめるよう複雑なコミュニケーションがなされている。
 よくよく見ればギィ聖符の形もちらちらと脳裏に浮かぶし、それに対応する漢字も対になって表示されている。

「じゃあ、ネコはギィ聖符を使わないから単純な単語を使っているんだ。あのさあ、翻訳する時には人間の言葉もさあ、ネコと同じ単語でやってくれない」
『それでは正確な翻訳とは言えない』
「意味が伝わるからいいじゃない。なんかさあ、うっとうしいんだよね」
『分かった、試してみよう。しかし、より公的な場所での会話では、むしろギィ聖符の正確な翻訳の方が役に立つだろう』
「その時はその時。じゃ、任せた」

 カベチョロはまたサボリモードに入った。

「ん、待てよ。タコリティはタコ女王の直轄地だから、タコリティと呼ぶわけだよね。でもこっちでも「蛸」は”タコ”て言うの?」

 傍に居たネコに聞いてみると、意外な返事が返って来た。

「初代のタコ巫女王でタコ神の救世主様は、”ッタ・コップ”という名前だから、”ッタコッリティ”と呼ぶ」
「え、”タコリティ”でしょ」
「”ッタコップ・リティ”」

 日本人には発音出来ない難しい音だった。
 耳が慣れてないからタコリティに聞こえるだけで、蛸とは関係無いらしい。便利な翻訳機能に依存するとこういうところで勘違いする。
 弥生ちゃんはこの世界の言葉をちゃんと習い覚えると決めた。

 

「で、ここが”武器屋”なわけだ」

 弥生ちゃんの行動原理は単純だ。ここが異世界であるのならファンタジーの法則に従うべき。
 町や村に着いたなら武器屋道具屋は必ず見なければならないと、RPGの定石に従っている。
 所持金は、坑夫の移動に当たっていた武装兵を試し斬りにした際に巻き上げた分が多少有る。

 たぶんこれはカツアゲという不法行為ではないか、とも思うが、救世主様のなさることだと皆諦め顔だったから、良心は黙らせておく。
 どうせ今後多額の支出が必要になるし資金供出を色んな所から募らねばならないわけで、集めた中から利子を付けて返してやろうと頭の中の貸借表に書き込んでいる。

 武器屋の前にも武装兵が居た。警備員であろう。
 ネコを十数匹も引き連れた少女が店の前に立つので怪訝な顔をしている。まさか武器屋に用があるとは見えないのだろう。

 目の前の少女が長年待ち望まれていたトカゲ神救世主である、とは思いもつかないらしい。どうしたものかと立ち尽くす。
 家々の陰からこちらを窺う目付きの鋭い男たちは、間違いなく弥生ちゃんが何者か知っているのだから、周辺に教えて回ればよいのに、とも思う。

「ほら」
「うわあ! ははあーー」

 編笠をちょいと上げて額のカベチョロを見せると、さすがに警備員も正体に気付き、棍棒を捨ててその場に平伏する。
 聖蟲というものへの信仰が凄まじい証拠だが、それが千も二千も居るゲジゲジ、カブトムシ王国はどういう社会なのだろう。

 警備員が地面に土下座しているから、仕方なしに自分で重たい木の扉を開けて店内に入る。
 さすがに武器屋だけあって、扉も厚く頑丈で大きな青銅の鋲で補強してありちょっとした要塞のようだ。

 だが店内には予想に反して武器が置いていない。
 カウンターに店番、いや店主であろう、が居て奥から商品を取って来るスタイルらしい。倉庫に行けばそれらしい光景は見られるだろう。

「剣を見せてもらいたいんだけど」

 聖蟲を拝まされても店主は、顔を青く引き攣らせ脂汗をかいていたが、平伏はしなかった。
 さすがタコリティは度胸が勝負の街だけあって、金持ちの方が胆が座っている。

「あんたのような背が小さく細い女が扱える剣は置いてない。包丁でも買うんだな」
「それは常識的な判断だ。いいよ、良心的だ。でもわたしがただの女じゃないってことは、知ってるでしょう」

 弥生ちゃんはのべつ幕無しに愛想の良い少女ではない。場面によっては冷酷にも高圧的にもなる。
 その表情の豊かさ複雑さで会う人ごとに印象が異なって、複数人の証言を合成しても同じ人物だとは思えないほどに違って来る。
 武器屋の主人は、この異世界において初めて弥生ちゃんの真の姿を見た男、と言えるだろう。

「しかし、剣と言っても色々あって、目的によっても予算によっても選択は変わって来る。
 どのような目的で使うのかをうかがわねば、どれを見せるかわからない」

 武器屋の主人は兵や交易警備隊、ヤクザや人斬りにも会って、怪しげな交渉を幾度となくまとめて来た強者だ。
 そこらの親分衆と伍してもひけを取らない勇気胆力の持ち主である。
 しかし千年に一度現われる救世主の前にはネコに睨まれたネズミも同然で、あっけなく降伏を余儀なくされる。
 この御方はいずれ世界の全てを統べる強大な実力者ともなり得る人なのだから、いかなる要求も無条件で呑んだ方が分がいいと計算した。

「片刃の刀で剣のように細く長い、刃渡りは70cm程度で微妙に反っている。というのは無い?」

 ”70cm”というのがうまく翻訳出来なかったようで、弥生ちゃんは両手で長さを指定する。が、そういうものはこの世界には無いようで、店主は首をひねる。

「反った刀、というのは金雷蜒王国の剣匠が使うがそんなに短くはない。その長さならば直剣だが禁制品で値が張る。すなおに短剣ではだめなのか」
「タコ巫女が持っている湾刀の長いのがあれば、それに越したことは無いんだけど」

 タコ巫女ティンブットは剣舞をする際に使う鋼の短剣を持っている。
 護身用でもあり剣技もそれなりに使えると言うので見せてもらったが、くるくると回りかなり無駄の多い装飾過剰な動きをする。
 あくまで剣舞の延長上の技だ。
 だが試し斬りに掛けた兵の動きから推察するに、この程度の剣技でも十分通用するようだ。

 この世界には未だ剣術の流派というものが無いらしい。
 ゲジゲジ王国の戦闘専門職奴隷が凄まじい技を使うという以外の武術の情報を、護衛兵達から聞く事が出来なかった。

「タコ巫女の刀はあれはギィール神族からの賜り物で専属の刀鍛冶の作だ。おいそれと手に入る代物ではない。しかし、注文を頂ければ半年程掛かるが用意しよう」
「そこまでは待てないなあ、余所にも行かなくちゃいけないし。倉庫見せてよ」
「……ネコはご遠慮願いたい」

 後ろを振り向くと、ネコ達が10匹も店内に入り込んでいた。
 外で待っているように言うが、救世主様の一挙手一投足を記録しておきたいと懇願するので、店主に1匹だけ連れて行くことを了承させた。
 店主としても、救世主を案内する無理に比べればネコくらい些事と黙認する。

 

「うおー、これだよ。これが武器屋だ」

 倉庫に入った弥生ちゃんは興奮して叫ぶ。

 百人分以上の武装が納められており、金さえ払えば即軍勢が出来上がる程の在庫がある。やはりRPGの武器屋の常識は間違っていた。
 だがさすがに雑兵の為のもので、値の張る武器は小さな二の蔵に更に厳重に保管されている。

「こちらの蔵の武器は、先程の全てを足した値段を倍してもまだ足りないほどの高額商品になりますな。ギィール神族や黒甲枝(カブトムシ)の武人が使う物もある」

 中は奇麗に掃き清められており、先ほどのように抜き身で転がっていたりしない。
 それぞれが絹の袋に丁寧に納められ、ひとつずつ棚に安置されている。槍の類いも埃が被らぬように布で覆われて、武器庫というよりは宝物倉に似ていた。

「先程うかがった形に近いものと言えば、これくらいか。ギィール神族の子供用の剣だが、あなたの体格ならば丁度いいだろう」

 棚から下ろしたのは細身で両刃の刃渡りは65cm程度の片手剣だった。柄は黄金で装飾過多に見えて実用もちゃんと考慮してあり、握り具合も悪くなかった。
 店主が勧めるので弥生ちゃんは抜いて振ってみる。刀身は青味がかった良質の鋼で傷一つ無くなかなかの逸品に思えた。

「うん、悪くない」

 弥生ちゃんの後ろから声が掛かる。これは剣に対してではなく、弥生ちゃんの振り回す姿に対しての褒め言葉だった。
 店主も最初はいぶかしんでいたのだが、剣を振る弥生ちゃんの技は想像を遥かに越えて確かなもので、この人は結構な使い手であるな、と見直した。

 弥生ちゃんとネコは振り返り、声の主を仰ぎ見る。身長180cmを越える偉丈夫で、腰には見事な拵えの直剣を吊るした武人だ。
 平服ではあるが身分の高い人らしく、一般庶民には許されない青色を数ヶ所に配している。そして顔には。

「この人は、お店の従業員?」
「いえ客人でして、武具の目利きと試技をお願いしております」

 男の顔は金と銀の透かし彫りがあしらわれた仮面で覆われていた。頭部には雌鳥のトサカのようなカバーが掛かっていて後頭部まで伸びている。
 ギィール神族の戦闘用兜とは弥生ちゃんは知らなかったが、兜の目的は一目で分かった。

「それは、聖蟲を隠すための兜だね」
「わかりますか。さすがは救世主ガモウヤヨイチャン様」

 弥生ちゃんの艶のある黒髪の上で、カベチョロが昂然と尻尾を掲げる。異なる聖蟲の接近に威圧するのだ。
 男は二人+一匹の側に寄り、床に跪き頭を下げる。まるで西欧の騎士のような仕草だ。

「長年待ち望んだ青晶蜥(チューラウ)神救世主様の来臨を賜りまして、我ら十二神方台系に住まう者すべて喜びに身を震わせております。
 ましてや星の世界の神人とあれば、世界を善き変革へと導き人々に永遠の安寧を賜ること疑いようもなく、新王国の誕生を嘉し言祝ぎ申し上げます」
「商売敵、ということになるんだけどね、救世主というのは、あなた方にとって」

 立って立って、と弥生ちゃんが催促するので、男は凛と立つ。王者の風格を備えており、どこから見ても倉庫の隅で燻る人ではなかった。

「ここで何をしてるのか、なんて野暮なことは聞かないよ。どうせ訳ありに違いないんだから。で、この剣はどうかな、少し軽いような気がする」
「女人でそれだけ振れれば十分役に立つと思われますが、護身ではなく敵を討つ為にお使いになりますか」
「そう。それに私はチビだけど、重たい刀を振れないとは思わないでね。このカベチョロは、重たいものでも軽くする能力を持ってるみたい」
「なるほど。褐甲角(クワァット)神の聖蟲は人に怪力を与えるが、青晶蜥(チューラウ)神は逆に物を軽くする力を与えるのですか。
 ドワアッダ。」

 武器屋の主人は仮面の男の言葉にうやうやしく従い、もう少し長い剣を用意した。ドワアッダというのが店主の名前らしい。

「これは女人用の剣ですが、ギィール神族は女人も並の男より遥かに背が高いので、救世主様にはあまりお勧め出来ません」
「長い、かな。ガモウヤヨイチャン様には」

 刃渡りが1mもあり、さすがに持ち歩くのに不都合そうだ。それはパスする。

「出来るなら湾刀で細く長いのがいいんだけれど、長さが70cmくらいの」

 やはり翻訳がうまくいかなかったようで、仮面の男に対しても弥生ちゃんは手で長さを示さねばならなかった。この世界の長さの単位はかなり変な数え方をするらしい。

「湾刀ならばアルバかガルオンの剣匠が使うのが有名だな。この二つの血族は刀術を代々受継いでいて名人を何人も輩出している。
 使う刀も最高の、つまりギィール神族が自ら鍛えた方台で望み得る最上のものを与えられている。あれは、無いだろうな」
「はい。さすがに一本ごとに名前が付いている管理の厳しい刀ですので、おいそれと手に入ることは、……あ。」

 店主が口ごもったので弥生ちゃんと仮面の男の両方の視線を浴びる。黙っていようとしたのだが、さすがに許されない空気を感じて白状する。

「一本折れたものがございます。モノは良いのですが戦で砕かれて中程からぽっきりと。それがちょうど救世主様がお望みになる長さではないかと」
「反っていて、細身で、このくらい?」
「完全なものならば長さはその倍になりますから、所詮は救世主様の御入用にはならないのですが、折れでよろしければ差し上げましょう」

 店主が蔵の奥から持ち出して来たのは、長さが140cmもある黒い革製の鞘に納まった長い刀だった。
 抜いてみると鞘の中程までしか刀身が無く、斧か鉈で叩き折ったかの無残な姿を曝している。仮面の男が先に手に取って折れた断面を指で触って確かめる。

「黒甲枝に斬られたな」
「カブトムシの聖蟲を持った兵のことね。凄い力で打ち当てたみたい」
「黒甲枝も良い剣を持つが造りが剛直で重さが3石(15キログラム程)もあり、剣というよりも棍棒に近いものです。あの打ち込みを並の人間が止める事はできません。
 これほどの刀を持つ者ならば心得ているだろうから、ギィール神族の盾となって死んだか」
「戦場での分捕り品ですから、多分そのような由来かと思われます。縁起が悪くて救世主様の御物には相応しくないかもしれませんが」

 弥生ちゃんは折れた刀を受け取り、振って感触を確かめる。
 折れて半分になったとはいえ相当の重さがあり、片手で振るのはなかなかに難しかったが、二度三度と段々と早さと正確さを増して行く。
 傍目にも、何らかの目に見えない手助けがされているのだと分かった。

 が、握りを換えて両手で刀を振ると印象は一変し、彼女自身の力と技で早さと重さを十分にコントロールして見事に四方を斬ってみせる。二人は改めて驚かされた。

「それが、星の世界の剣術なのですか」
「まあ私も剣術の専門家では無いから一応振れますというレベルかな」
「いや、これは良いものを見せて頂いた。世に剣の達者は数居りますが、そのどれとも違う太刀筋で、救世主様の前に何代もの達人の練磨の跡が見える、深い歴史のある剣ですな」
「うむ。黒甲枝でも赤甲梢でも、ここまで洗練された剣の使い手は居ないだろう」
「そんなに褒められると照れちゃうな」

 弥生ちゃんは友達に、本物の剣術を修行する娘が居る。
 その子に手ずから指導されているので割と刀を使えるし、真剣で巻藁も斬った事がある。

 もちろん彼女には遠く及ばないが動きはしっかりと見て記憶しており、額のカベチョロが極めて澄み切った形で忠実に思い出させてくれる。
 動きをトレスするだけで彼女が乗り移ったように本物の技が使えた。
 だが弥生ちゃんの観察力が完璧に技の要点を抑えており、追随出来る運動神経があればこそ実現出来る芸当だ。

「この折れた先の部分を少し整形して引っ掛かりの無いようにして、鞘を短くしてもらえないかな。腰に吊るすように拵えて」
「かしこまりました」
「で、代金なんですが」

 仮面の男はそれには及ばない、と言った。
 既に十分な代価を支払っている、と先程弥生ちゃんが使った子供用の剣を指し示す。

 部屋の隅に置かれたそれは、陰に隠れているにも関らずボーッと青い燐光を放って存在を主張していた。

「これは、……わたし?」
「青晶蜥(チューラウ)の神威がわずかばかり乗り移ったのだな。千金を投じても求める者が押し寄せるだろう」

 仮面の男が剣を抜くと、青く透き通った光で蔵が満たされた。
 金床に押し当ててみる。鉄の塊であるにも関らずまるでバターにナイフを刺したかに切れ目が入った。
 ますます青く強く輝く。

「ドワアッダ、礼金も出すのだぞ」

 

 

第四章 弥生ちゃん、喪なわれた紅曙蛸神巫女王に見える

 

 救世主蒲生弥生ちゃんはこの地に参ってすでに二つの偉業を成し遂げた。フライパンと石鹸の発明である。 

 タコリティの街で弥生ちゃんは、至極当然に青晶蜥(チューラウ)神、トカゲ神官巫女の大歓迎を受けた。
 彼らはトカゲ神の象徴する癒しと安息にちなんだ役目を司る。医術と治療、薬品の製造販売を任務としている
 だが所詮は中世のレベルでの知識技術であり、ど素人とはいえ現代人の弥生ちゃんの医療知識に比べると呪い師よりちょっとマシ程度でしかなかった。

 なにせ傷口を縫う事さえ知らないし消毒もしない、血を無闇と抜く、効能を確かめてもいない薬草を煎じて呑ます、などなどデタラメに近い医療類似行為をさももっともらしく行っているのだ。
 ちなみに縫い針も鉄ではなく骨製で、こんなぶっといものを肉に刺したらそれは無理だろうと納得。

「これは、抜本改革が必要だな」

 と衛生知識と方法の普及を、まずトカゲ神官巫女から始めた。

 とりあえず感染症の予防の為にお湯で食器類を洗うことから始めよう、と厨房に入って驚いた。
 金属の鍋釜が無い。
 聞けば納得。高貴なるギィール神族がこの地にもたらした貴重な金属を料理などという卑俗な行為の為に使えない、と皆が思っている。

 金属はなによりも武器に使われるべき特別な存在で、それ以外は金属で無ければ実現出来ない用途にのみ使うのがこの世界の常識だった。
 確かにそれは一理ある。金属が無ければ生きて行けない程、人間はやわではない。石器時代だって文明はあったのだ。

 というわけで、厨房の中身はタコ女王が土器をこの地にもたらした時のまま、という有り様だった。
 鍋は土鍋や鼎であり、しかも素焼きである。形状はさすがに進歩して合理的に整えられているが、いいとこ弥生式よりちょっと上程度の水準の粗末なもの。
 釉薬を掛けた陶器の製造は金雷蜒王国時代に始まるということで、一般庶民にまで普及していない。2千年も前なのに。

 もっとも、さすがにギィール神族の作は大した物で、タコリティの有力者の屋敷で自信満々に見せられた皿は芸術的だった。
 厳格に形状が整えられており、彩色も三色四色に金泥までも用いて細かく正確な幾何学文様が描かれている。

 ギィール神族は、聞くところによると半分は工人であり、彼らは武術や統治にはあまり興味を示さないらしい。
 つまり貴族でありながらも熱心に汗水流して働いており、その作品は時代の水準を遥かに越えて不自然に高度な文明を実現していた。
 彼らが自ら工業を担う為、平民の技術者は育っておらず、平民主体の褐甲角王国は低水準の工業とそれに帰結する劣った武器で金雷蜒王国と戦わねばならない。
 それで千年の永きに渡っても両国の決着がつかないと教えられた。

「そうは言ってもフライパンくらいあったっていいじゃない」
「ガモウヤヨイチャンさま。ですから、そのヒュライバンなるものはなんなのですか」

 トカゲ神官巫女は誰一人弥生ちゃんの意を汲んでくれない。彼らは真面目過ぎ、故に思考が硬直し切っている。
 弥生ちゃんが死ねと命じれば文句も言わず笑って断崖から身を投げるだろう。
 千年待ったトカゲ神救世主様のお言いつけなのだ。その意のままに従うことで、天空の神座の傍に永遠の栄光の中で転生すると信じて疑わない。

 だがそれでは困る。

「え、わたしですか。アハ、しかたないなあ」

 結局お供としてふさわしい者は、かなりいいかげんなタコ巫女ティンブットしか居なかった。
 タコ巫女も相当数タコリティに居り、総じて能天気ではある。だが弥生ちゃんに恐れ入らない不埒者は、この26歳の女だけだった。

「というわけでフライパンを作るのだ。鉄の鍋は火が通り良く焼ける。メニューのレパートリーも広がるというものなんだ」
「メヌゥアのレバンダなるものはわかりませんが、しかしそんなの必要ですかね。物を焼くのならば石盤で上等だと思いますが」

 この世界では焼き物は丸い平たい石の上で行う。火の上に薄くスライスした石を乗せ、よく焼いてその上で調理する。
 石だから長年使っても劣化することはなく、食品の油が染みこんで真っ黒になった石盤はなんとも食欲をそそる匂いを出すのだと、ティンブットは主張する。

「だがなんと言ってもフライパンは作らせてもらう。これは単に私のわがままによるものではなく、もはや意地なのだ」
「救世主さま。それは理にかないませんよ」

 そんなものは作った事が無い、ひらにご容赦を、と地にひれ伏して哀願する鍛冶屋の尻を蹴飛ばして、無理やりフライパンをこしらえた。

「で、食用油は」

 油も高級品だった。至極当たり前で、この世界では未だ食用の植物油の大量生産は行われていない。
 くるみに似た木の実を絞るのだが、栽培ではなく山に行って採集してくる非効率な方法での生産でどうしても高価になり、これまた一般庶民の手にはおいそれとは入らない。
 むしろ、獣脂の方が入手に容易だ。

 自らが実権を手中に収めた暁には食用油の大量生産を、と心に誓う。

 で、折角作ったフライパンだが、残念なことにあまり活躍しなかった。
 完璧究極優等生でありながら、料理の腕は弥生ちゃん大したことが無い。
 女の子らしい技芸は興味の対象外だったからで、目玉焼きとゲルタ(雑魚の干物)を焼いただけで、泊っていた屋敷の料理人に早々に下げ渡してしまう。
 だがその事実はネコ達により十二神方台系の津々浦々にまで伝えられ、調理に金属器を使うという新しい考え方が導入されるのだった。

 石鹸はもっと簡単に出来た。

 弥生ちゃんが入浴して荒野の埃を落したいと願うと、女奴隷が5人も付いて沐浴場に案内された。
 なにより水が貴重だというタコリティにおいて、25メートルプール一杯分もの湯水を使うのは最高のぜいたくではある。
 のだが、やはり石鹸が無くては爽快感も8割引きで十分納得がいかなかった。

 そこで石鹸を自作する。フライパン製作に比べるとこれは簡単だった。
 食用油に灰汁と花の香料を混ぜてぐるぐるとかき回すと、それらしいものが浮いてくる。最初は泥かクリームのようだったが、研究を重ねた結果ちゃんと固体の石鹸が出来上がった。
 これで女奴隷の一人を手ずから洗ってみると、随喜の涙を流して沐浴場の石の床にひれ伏した。
 あまりの気持ちよさにこのまま天界に連れ去られるのだと覚悟した、という。

 ティンブットも呼んで洗ってみると、これも大感激。
 女奴隷5人を全員きれいさっぱり流して皆の前に出ると、魔法にでも当てられたかのように皆の見る目が違う。神々しく輝いている、と誰もが口を揃えて誉め称える。

 気を良くした弥生ちゃんは石鹸の製法をトカゲ神官に教えて、十二神方台系で売る事を許可した。

 元々売薬はトカゲ神殿正規の事業であり、そこに救世主ガモウヤヨイチャンさま直々にお作りになったという「石鹸」が並ぶのだ。
 瞬く間に世界中が石鹸パニックに襲われ、富者が争ってこれを求めることとなる。

 

「なんとなく、やるべき事はもうやっちまった、という感じだな」

 連日歓迎の祝宴とひっきりなしに訪れる謁見者にへき易すること7日間、弥生ちゃんはようやくにタコリティの街を脱出するのに成功する。
 一度見ておきたいと、タコ石の鉱山に船で連れて行ってもらった。
 当然お供のティンブットも船に乗る。水が嫌いな無尾猫も勇気を奮い起こして7匹も乗った。

「そんなこと言わないで、もっと人々をお救いくださいな」
「いや。実はもう救ってしまったんだよ。石鹸というのはそれほどまでに力がある。人を病気から防ぐ効果があるんだ」
「そんな妙薬だったんですか。いやー良いものを頂きました。ありがたやありがたや」

「あのね、石鹸と言うのは毎日使わないと意味が無い。一般庶民にまで行き渡らないと、世界全体で人を救った事にはならないんだけど、ま、ほっとけば百年後くらいにはそういう風になるだろう。
 つまりもう救い終わってるんだ」

 よく理解できないティンブットを尻目に、仮面の男が話し掛ける。
 ドワアッダの武器屋で出会った彼もまた、救世主ガモウヤヨイチャンに付き従って護衛の役を果たしている。

「セッケンヌはそういう意味がある物だったのですか。なるほど、それはまさしく青晶蜥(チューラウ)神の救世にふさわしい賜り物だ。
 しかし一般庶民にまで行き渡らせるのは、とても百年では実現出来そうにありませんね」

「油が無いからね。この世界は灯油だって使わないんだもん。もっとたっぷり油が搾れる作物を発見して、是非ともなんとかしよう」
「恐れ入ります」
「油が無いと、天麩羅だって食べられないもんね」

 TENPURAという言葉はティンブットにも彼にも分からなかった。
 ティンブットは弥生ちゃんの耳元に口を近づけ、声を潜めて尋ねる。

「あのー、ガモウヤヨイチャンさま。こちらの、……素晴らしい御方は一体」
「見ての通りだよ。正体不明の謎の怪人。顔を仮面で隠さねばならない凶悪なお尋ね者なのだ」
「し、しかしこれはどう見ても、聖蟲を、」

 仮面の男が被る金銀の飾り板で彩られた兜には、額から頭頂部にかけて聖蟲を納める為の膨らみが雌鳥のトサカのように付いている。

「ギィール神族なんだ」
「ギィール神族です」

 仮面の男がにこやかに答えるが、そんな言葉に騙される者は十二神方台系には居ない。
 ギィール神族は平均身長2メートル。金雷蜒の聖蟲が与える科学知識に基づき作られた「エリクソー」と呼ばれる霊薬を日常服用することで、偉大なる体躯を手に入れる。
 それに対して仮面の男は、確かに雄大で整った立派な身体ではあるものの身長185cm程度。明らかにギィール神族ではない。

 ギィール神族でなく、聖蟲を額に戴き、しかもお尋ね者とくれば……。

「はわわわわ。口が裂けても言えない」

 心当たりは一人しか居ない。しかしそれを言えばただちにお手打ちにされるかも。
 もしこの人の所在が褐甲角(クワァット)王宮に漏れたりすれば、ただちに追捕の軍勢が押し寄せる。

 引き攣るティンブットの肩を弥生ちゃんはぽんぽんと叩いてなだめる。

「そういう人の事を、私たちの世界では”退屈のお殿様”と呼ぶんだよ」
「ハハ、なるほど。それは良い名だ。しかし救世主さまのおかげを以って、今はまったく退屈しておりませんぞ」

 船は追い風、軽快に波を分けて進む。100人漕ぎの大船であるが、帆柱は一本で横桁にむしろの帆が掛かっている。
 この世界には木綿も無いから白い帆掛けて絵のように、とはいかない。

 弥生ちゃんは甲板上を物珍しく観察して回るが、背後から取材するネコ達は船酔いで今にもひっくり返りそう。
 それでも職業倫理に基づいて必死で甲板に爪を立てて堪え、救世主の一挙手一投足を見逃すまいと血走った目で追い続ける。

「縦帆が無いね」
「縦の帆、とはいかなるものですか」

 仮面の男も船には詳しくなかった。船長を呼んで質問するが、船長にも分からなかった。

「縦の帆、とはいかなるものでございましょう。長年海の上で生きて参りましたが、そのようなものを見たことはありません」
「まあ、無い所には無いだろう。私たちの国でも、近世になって初めて余所の国から入って来たんだし」

「しかしガモウヤヨイチャンさま、帆を縦に張ると風を受けられず走れないのではありませんか」
「三角形の帆をね、まっすぐ舳先から帆柱に張るのだね。そうすると順風の時は横帆には及ばないにしても、逆風の時でも走れるんだよ」
「まさか」
「いやほんと」

 仮面の男も船長も本気にしない。
 まあ、あまり性能の良くないむしろの帆では縦帆にしても効果が無いかもしれないので、それ以上は弥生ちゃんも言わなかった。

「で、この船は大きいにも関らず帆柱が一本だけれど、遠くの沖にまでは出て行かないの」

 船長は仮面の男の顔を見上げて、答えるべきかを目で尋ねた。
 たぶん、船員としては常識中の常識を真っ向から尋ねられて呆れた、というところなのだろう。

 仮面の男が代って答える。

「この海の向こうには、何もありません。島も無いのです。
 かってキルギルギス将軍というギィール神族の船長がまっすぐに船を出して一月も航海しましたが、東西南、いずれの海にも島影一つ見当たらなかったと記されています」
「まったく、何も無い?」

 弥生ちゃんには一つ疑問がある。
 この世界は一体どのような姿をしているのか、ひょっとしたら球体でなく本当に住民が言うように平面上にあるのかもしれない。
 太陽や二つの月はちゃんと巡るから、球体であると思うのが正しいのだろうが、その確信が無かった。
 世界全体の、十二神方台系の外の国についての情報も欲しかった。

「北は1ヶ月ほど陸を行きますと、いずれ大氷壁に突き当たります。人が登ることを拒む氷の大絶壁です。それが地の果てですね。
 海は、キルギルギス将軍はいずれの航海においてもやがて暴風に吹き寄せられて十二神方台系に戻っています。

 ここ正方台だけが人間に許される世界なのだと、皆は心得ています」
「うーん、つまり海岸線が見えなくなる先には船は出さないものなのか。そりゃ困ったな」

 弥生ちゃんは、救世主の役を不快に思ったり重荷だと感じたりはしないが、それでも本来の世界に帰ろうと考えない時は無い。
 船で漕ぎ出し別の領域に行けば、帰るための情報も得られるかもしれない。

 いや、十二神と呼ばれる、自分をこの世界に召喚した連中に直接アクセスしなければ帰れないと分かっている。
 額のカベチョロはタダの端末に過ぎず、どこかになにか実体と呼べる施設やらご神体やらがあるはずだ。

 

「あ、ガモウヤヨイチャンさま、見えましたよ。タコ石の採掘場です」

 船は岬を回って湾に進入した。途端にこれまでと一変した荒涼とした景色が広がる。
 一片の緑も無くただ灰色の地面がえぐり取られ、視界全てが断崖に包まれる。直径数十キロの円形クレーターの内部に入ったわけだから、右を見ても左を見てもまったく同じ光景になる。

「なんというか、これは地獄のありさまだね」

 高さが100メートル以上の断崖は、ほとんど地層らしいものが無い。最上部には土が数メートル重なっているものの、それから下はほとんどが砂利と土の混合物で堆積岩でも火成岩でもない。
 強いて言うならば、コンクリートに水を入れなかったもの、に近いだろう。
 それが30メートルほど一様に占めていて、次に岩石層になる。城壁の積み石かと思うほどに大きな岩石が無秩序に重なり、その隙間を火山灰状の土が固めている。
 その下が、

「…………。」

 誰もが声を失う。
 差し渡しが100メートルになろうかという巨大で扁平したドームがいくつも折り重なっており、上の積み石層、コンクリ層を支えている。

「……いつ見ても、十二神の偉大さを思い知らされます。これが紅曙蛸(テューク)です。
 天の冥秤庭に住んでいたテュークを神々が海中に投げ落とし、大地の礎を作ったと伝えられます」

 仮面の男が語る十二神方台系の創世神話はいかにも未開民族のそれらしく荒唐無稽だが、この光景を見てしまっては信じざるを得ない。
 さすがの弥生ちゃんもあんぐりと口を開けてただ見上げるしか無かった。

「これの、下はどうなってるの」

 その問いには誰も答えられなかった。用も無いのに無理やり深くを掘る者はいない。
 諦めて話を変えた。

「で、タコ石ってのは、どんなの」
「これです」

 ティンブットが首に下げているタコの飾りを見せた。ゴルフボール大の彫り物で足はけちって4本しかない。
 紅い琥珀、といったところで半透明で柔らかい光を反射する。

「これがごろごろ出て来るの」
「いえ、そんなに簡単には」
「テュークを掘ると、まずタコ炭という消し炭のような部分に突き当たり、タコ網タコ筋タコ骨タコ腸タコ殻、と順に奥に進み、魚卵のような銀タコ石に覆われた赤タコ石を得る、と言います」

 仮面の男はタコ石採掘にも相当に詳しい。聞くと、これらは皆戦略物資なのだ。

「タコ炭は真っ黒い煙を出して燃えます。煙幕を張る時によく使います。
 その他どの部分も色々と用途が有り、特にタコ骨は特殊な処理をすると甲冑の材料や鉄弓の弦にもなります。
 タコ腸はギィール神族独自の製法で特殊な毒になり、これで農地を封鎖する戦術を使う為に我らは攻めあぐねているのです」

「われら、ね」

 ティンブットの首のタコ石を触ってみる。
 宝石というよりも珊瑚に感触が似ており、生物由来のものだと思われた。

 見たまんま、この巨大なタコの化石は大昔は生きていたのだろう。
 しかしこんな巨大な生物が折り重なって死ぬとは、どういう破局を迎えたのか。

「で、これは高価なものなの」

 ティンブットが答える。

「この私のが、踊りの師匠である先代から譲られたものですが、大体屋敷が1軒建つと言いますね」
「握り拳大で、一生遊んで暮せるといいます。
 だが坑夫達は掘っても自分のものにはなりませんから給金分しか報われません。長く掘っていると身体を悪くするとも聞きます」
「紅曙蛸巫女王時代はお金の代りに使われていたんですよ」

 

 弥生ちゃんは首を傾げる。

 なにか遠くの音を聞いている感じなので、誰も声を掛けずに返事が返って来るのを待った。弥生ちゃんの視線の先には、

「おお、あれはテュークの神像ですな。もう着きますぞ」

 船長が指差すのは、一体だけ断崖から突出して姿を見せている化石だ。
 ほぼ完全な姿で海中より突き出ているそれは、他とは異なり扁平しておらず球形を保っている。
 これだけが特に美しいので、坑夫達は紅曙蛸神の在りし日の姿を映すものとして丁重に祭って来たという。

「……あの中にも、タコ石があるよ」

 気の無い、他人事のような頼りない口調で、弥生ちゃんがつぶやく。
 いつもと違う調子なので、ティンブットと仮面の男が顔を覗き込む。
 足元に寝そべり船酔いに耐えていたネコ達も首をもたげる。

「あの中に、タコ石の大きいのが有る。たぶん世界記録級の大きいのが。ね、誰もあそこを掘らないの」

 弥生ちゃんは首を振って気合いを入れ直し船長に尋ねる。とんでもないと船長は手を振った。

「あそこは手を掛けると必ず災いがある、いわくつきの場所なのです。
 千年程前はあの周囲にもいくらかテュークが積み重なっていたとのことで、他は掘り尽くしたもののこれはどうしようもなく、やむなく神像としたという話です」

「罰当たりな。蛸足が地面を割ってそなたを引きずり込むように」

 タコ巫女が眉をひそめて呪いの言葉を吐く。
 だが弥生ちゃんは、

「掘りなさい」
「え。」
「今すぐ行ってアレを掘りなさい」

「いやしかし、あれは、ですから神像で祭っていて災難が降り懸かる、」

「青晶蜥(チューラウ)神救世主が命じます。あのテュークの化石を掘って中に有るタコ石を発掘しなさい」
「いやでも、あれに手をかける坑夫はどこにも。それより採掘場の領主が承知しないと、」
「えーいじれったい。じゃあ私が掘ります!」

 と、船着き場に着く前に海に飛び込もうとする弥生ちゃんを掴まえて、仮面の男が言った。

「どうしたのです。アレを掘るのがそんなに重要なのですか」
「私じゃない、あなた達に重要なのよ」
「なにがあると言うのです」
「だから、特別大きなタコ石なのよ。出してくれ、と呼んでいる。聖蟲が憑いていながらそんな事も分からないの?」

 既に右舷に大きく覆いかぶさるテュークの神像を前に、甲板上の全ての者が成り行きを固唾を飲んで見守っている。

 明らかに弥生ちゃんの言うことは変なのだが、千年に一度現われる救世主が常識的な事をする筈も無い。
 従うべきかなだめて止めてもらうか、誰も決めかねていた。

 さすがに船長はこの状況はまずいと感じて、進言する。

「それでは、まず船を着けて坑夫を募りましょう。手続き上許可も二三得なければなりません。
 なによりあそこは海の上ですから、作業用の小舟が無いと近づく事も出来ません」

 

 弥生ちゃんはじっと神像を見つめている。唇に右手の人差し指を当てて考え続ける。
 額の上のカベチョロも同じ方向を見て、ひたすらに尻尾を振っていた。
 その様子に初めて仮面の男が気付く。

「まさか、青晶蜥神が直接お命じになられたのですか」

 弥生ちゃんは予想外の事を言われたかに、ふっと顔を上げて振り向いて、笑った。

「あ、そうか。こいつが言ってたのか。気付かなかった。私はてっきりタコ石が喋っているのかと思ってた」
「タコ石が喋った!?」

 と今度はティンブットが驚き慌てた。彼女はタコ巫女であるから、自身の管轄であるに違いない。

「もしや、ガモウヤヨイチャンさま。紅曙蛸(テューク)神がお話になっているのですか」

 弥生ちゃんは即答しなかった。結局掘ってみなければ答えは得られない。

「船長。わたしからも頼む。これは容易ならざる事態らしい。
 もし誰も手を上げないのならばわたしが掘ろう。舟だけ出してくれればよい」

 仮面の男が船長に命じ、船長も応諾した。
 方針が決定した為に船員達はようやっと胸を撫で下ろし、それぞれの職分に戻る。

 船長はてきぱきと入港の指示を出した後、仮面の男の側に来てこっそりと話した。
 彼もまた、男の素性を知る者だ。

「人が死にますぞ。あなたも危ない」
「致し方ない。王事と心得よ」

 

 案の定、災害は起きた。
 落石や海水の噴出、不意の地震に蒸気が立ちこめ、人の接近を拒み続ける。まるで神像に意志があり防衛するかに。

 だが弥生ちゃんもその場の誰も怯まない。むしろこれだけの事が起きるからには間違いなく何かがある、との確信を深めていく。

 無論、坑夫は誰も来なかった。来るべきではなかった。
 作業に当たる仮面の男は、並の人間ならば七度死ぬ目に遭っている。
 彼の無双の怪力と驚くべき跳躍力が無ければ神像に乗り移ることすら出来なかったろう。

 小舟で来たのは弥生ちゃんとタコ巫女ティンブット、職務上付き合わねばならなくなった哀れな現場責任者。

 来た時乗ったのよりもさらに小さな舟に渋った無尾猫も、弥生ちゃんに首根っこを掴まれて2匹叩き込まれた。
 「見よ」と命じられては従わないわけにはいかない。

「!」

 異変を感じて弥生ちゃんが気を飛ばす。
 それに仮面の男の聖蟲が感応して、ばっと右に跳ぶ。途端、今居た所に大石が落ちて来る。
 こんな事ばかりで、とても掘るまでに至らない。

「救世主さま、これでは中深く掘る訳にはいきません」

 タコ石はテューク化石の中央深く、直径100メートルとして50メートルはトンネルを掘らねば得られない。
 だがこんなに様々な妨害があるのならば、坑道を掘れば中で押し潰されるに決まっている。

「わかった。斬ろう」

 と、腰の後ろに挟んでいたハリセンを取り出す。さすがにティンブットは慌てて弥生ちゃんの前に立ち塞がった。

「あの、ガモウヤヨイチャンさま。さすがに全部破壊するというのは、紅曙蛸神に恐れ多いのでは」
「そこをどけ。どかぬと言うのなら、テューク神に殉じさせてやろう」
「どきます。どきますからもっと穏便に」
「分かってる。一発で決めるから」

 舟の上に立ってハリセンをかざし、慎重に切断線を吟味する。
 切るだけでなく切った岩塊がちゃんと落下して、中心核への通路を作らねばならないのだ。
 幸い奇麗に直立した半球状である為に、斜めにスライスすれば自然と上部が海に滑り落ちると見た。

 だが意図を感じ取ったのか、風も無いのに徐々に波が荒くなり、小舟を転覆させようとする。
 全員船べりにしがみつき必死で振り落とされまいと耐えるが、弥生ちゃんだけは舟に根が生えたかにすっくと立ち続ける。

 ぱあん、とハリセンを開く。

 途端に波が静まった。正確には、舟の周りだけ波が無くなり、不自然に滑らかな静水になる。

 神像にしがみ付く仮面の男は状況を見てまずいと思う。ガモウヤヨイチャンは時折前後を弁えず行動を起す癖がある。
 後で帳尻が合うようにちゃんと計算しているのだが、他人がその勘定に入ってない場合も。

 もしもの場合でも、これでは逃げ場が無い。手元が狂わないよう祈るだけだ。

「        。ぃええい!」

 ハリセンは開いたまま、左から右に30度の角度で振り下ろされた。
 しばしの沈黙。
 やがて、水平線の彼方から殺到する氷風に再び小舟は弄ばれる。

「……ちょっと、狂った」

 氷風が転じて長さ200メートルほどの薄い氷の刃が白い弧を描き、神像をすり抜ける。
 刃が通過した跡には神像に斜めに真っ直ぐ氷のラインが入り、氷が溶けると同時に断ち切られた上部がずると滑り始めた。
 何千トンもの岩塊が徐々に速度を増し、海に駆け降りていく。

 その振動で至る所から小岩が跳ね飛び、至近に居る仮面の男に襲いかかる。
 男はノミのように跳んで岩を避けるが、さすがに全ては無理で、人の身体大の丸石の直撃を食らって海に沈んだ。

「ああっ、ヒィキタイタン様!」

 ティンブットは思わず禁断の名を口に出す。
 だが、弥生ちゃんは知らん顔だ。

 褐甲角(クワァット)神の聖蟲は人に怪力と不死身の肉体を与える。このくらいでは死ねはしないのだ。
 それに彼が戴くカブトムシとカベチョロは今も会話し続けている。海中の安否は見ずとも分かっていた。

「よし」

 ついに切った岩はすべて海に落ちた。
 スイカの上部をスライスした形であり、上から直接中心部を掘る事が出来る。もはや落石を考慮する必要はない。

 仮面の男が海面に浮かび上がって来た。うつぶせで意識が無いようだ。
 さすがにこれは助けねばなるまいと、風采の上がらぬ割には偉そうな現場責任者の小男に漕がせて舟を近づける。
 櫂で引っ掛けると、手を伸ばして掴んできた。
 やっぱり生きてる。

「……直撃、骨は大丈夫だった?」
「ハハ、救世主様と居ると、退屈しませんな」

 ずぶ濡れになってもさすがにいい男の返事は違う。
 ティンブットも手を貸して彼を舟の上に引き上げ、妨害の無くなった神像に皆で上陸した。

 タコ化石は頭部を輪切りにされた為、内部の構造がよく分かる。
 単純な何層もの球体ではなく、それぞれ内蔵に相当するかなり込み入った襞があり、血管神経の通っていた跡が顕である。

「たしかにこれは生物だ。ひょっとしたら造り物かとも思ったんだけど」

 ぽつりとつぶやく弥生ちゃんの感想に、仮面の男が尋ねる。造り物とは一体どういうことなのか。

「いやね、こんな大きな生物は私の世界には無いのよ。あり得ない、と言ってもいいわ。
 第一こんなに重くては形を保つ事が出来ない。
 海に浮かぶのがせいぜいなのに、大地を支える程に頑丈だなんて、生き物では絶対不可能なのよ。
 だから、ひょっとして神様とやらの乗り物かなんかかと、」

「なるほど。天の神座を行き交う舟ではないか、とそう思われたのですな。そういう言い伝えも無くもない。
 わたし達もテュークとはなにか常々考えていたのですが、中身はこんな形になっていたのか」

 神像の中心部にタコ殻が露出していた。この中には銀タコ石が詰まっており、もう数メートルで核である赤タコ石に突き当たる筈だ。

「タコ殻は非常に固い為、穴を開けるのに特殊な鏨が必要です」

 現場責任者は専門家らしく助言する。
 が、弥生ちゃんが使う折れた刀ですぱんと断ち切られたのを見て、二度とこの人達には説明すまいと心に固く誓った。

「はああ、ああああ、あああああああああっ」

 つるはしを捨て、三人で慎重に銀タコ石を掘った先に、それは有った。居た。
 赤く陽の光を照り返すまでに全体の姿が露出してくると、ティンブットはもはや手を動かす事が出来ず、涙を流して伏し拝む。

 仮面の男の怪力で陽の下に引き出されたそれは、人の形、弥生ちゃんと同じ背丈の小さな婦人の像だった。
 額には小さな蛸が宿り共に眠っていた。

 ティンブットは彼女の名を知っている。

「この方は、この御方こそが、創始暦2561年に地中に御隠れになった、紅曙蛸神巫女王五代テュラクラフ・ッタ・アクシ様でございます」

 紅曙蛸王国最後の、悲劇の女王が自ら地中に没した姿の立像である。

 

「生きてるよ、これ」

 

【十二神創世の物語】 

『十二神創世の物語

 天の星河の両岸に住む十二の神様は、今度はどこに新しい世界を創ろうかと相談していました。

「今度はあの海の真ん中に大きなゲーム盤を作ろう」

 しかし、海の中には何も無く、陸地を作る基いがありません。そこでタコの神様は、星河で自由に泳いでいた仲間達に言いました。

「お前達、あそこに行って陸地を支えてくれ」

 こうして夥しい数のタコが天から海に投げ落とされて、皆折り重なって大きな大きな島を作りました。
 神様達はタコ達の上に粘土を敷き詰めて四角い陸地を作りましたが、まだ地面は乾いておらず、誰も住めません。
 そこで、ゲジゲジが熱く焼けたコテを持って、地面を急いで乾かします。
 カブトムシは地面の土を丸く固めて転がして、穴を埋めたり山を作ります。トカゲは水晶の棒で地面を均して行きました。

 しかし、一生懸命に地面を乾かしていたゲジゲジは、カブトムシのお尻も焼いてしまいます。
 「熱い熱い」とカブトムシが泣き、トカゲは冷たい水晶で冷やしてやりました。
 火傷したカブトムシが埋めなかった大地の真ん中の穴ぼこは、のちにアユ・サユル湖になります。

 そこでお昼休みをとり、皆でご飯を食べました。

 午後は蝉蛾が大きな羽根を広げて地面を煽ぎ、細かい埃を吹き飛ばします。
 埃が目に入って神様達の目は真っ赤になりました。蝉蛾はすっかりきれいになったのに満足してぎるぎると良い声で鳴きました。

 地面があらかた出来たので水を張って森を作ります。水は北の氷をゲジゲジの焼きごてで溶かして作ります。
 しかし、あんまりコテが熱いので、手が滑ってアユ・サユル湖に落してしまいました。
 水が沸き立ってぼこぼことあぶくが何時までも浮いてくるので、皆で一生懸命氷を放り込んで、やっと冷たくなりましたが、今でも時々あぶくが出ます。

 次にミミズが地面を掘り、水の通り道を作ります。しかし、特に念入りにトカゲが均した真ん中の大地は、粘土が固くなって掘れません。
 ミミズはトカゲに文句を言いますが、「そういう事はもっと早くに言うものだ」と知らぬ顔。怒ったミミズは二度と口をきいてくれません。

 森を作るのはカタツムリの役目です。丁寧に丁寧に一本ずつ木を植えて行きます。
 あんまり丁寧過ぎて、このままでは夜が来るまでに出来上がらないと、皆で手分けして木を植えます。
 しかし、カタツムリのように上手には植えられないので森はまばらになりました。トカゲが固めた東の大地は、やっぱり木は植わりませんでした。

 やっとで出来た森の木を、一本一本蜘蛛が調べて、証拠に糸を巻いて行きます。「これをやらないと、カニがうるさいんだ」
 気に入らないとカニは木をばっさりと切ってしまいますから、注意して丹念に調べて行きます。おかげで結局出来上がりは夕方になりました。

 カニが大地の出来上がりを調べて周ります。地面を這ってどこか文句を付けるところは無いか、目を突き出して調べます。
 どんなに頑張って調べても、変な所は見つかりません。東のつるつるの地面は、カニはむしろ気に入りました。「ここに家を建てればよい」 皆、ほっと胸をなで下ろします。
 しかし、文句を付けられなかったカニは、ちょっと不満で、腹いせに西の海岸の端をがじがじと切り裂いてしまいます。そして、西の海の夕焼けの中に帰ってしまいました。

 後はみんなで大宴会です。夜に明々とかがり火を焚いて、神様達は昼間の苦労を労いました。
 カエルの女の子が皆にお酌をしてまわり、蝉蛾が歌ってたいそうな盛り上がりで、それにつられて、地面の下にいたタコが南の端からぼこっと抜け出てしまいました。
 タコは酔っぱらって真っ赤になり八本の脚を振って面白い踊りをしました。

 はしゃぎ過ぎて疲れて皆が寝てしまったので、宵っ張りのコウモリが皆に毛布を掛けてまわります。しかし、ごそごそとする音でネズミが目を覚ましてしまいました。
 ネズミは言いました。

「今度できた地面にはどんな生き物が住むんだい」 
「ニンゲンというこれまでに無い生き物なんだ」
「それはどんな形をしているんだい」
「形はカエルのようで尻尾は無く、色はミミズ色、ネズミと同じで身体が温かく、カニみたいに大きく手を上げて起き上がり、顔はコウモリに似てるかな」

 「よくわからないよ」とネズミが言うので、コウモリは粘土でニンゲンの人形を作ってみました。
 ふっと息を吹き込むと、カエルのように手足が二本ずつしかなく、ミミズ色でつるつるした、顔がコウモリに似た、でもニンゲンじゃない怪獣がカニのように起き上がり、大きな声で吠えました。

 ネズミはその声にびっくりして、百の姿に分裂し、出来たばかりの大地のあちこちに隠れて行ってしまいました。 

 そうして朝が来て、ニンゲンの世界が始まったのです』

 

 十二神神官巫女の制度は紅曙蛸巫女王国時代に、タコ女王の肝入りで民衆の生活全般に渡って便宜を図る為に作られたと知られる。
 だがその元となる創世神話は、似た物語がネズミ族時代の洞穴壁画にも残されており、よっぽど古い時代から十二神信仰の萌芽があったものと推察される。(蒲生弥生)

 

 

第5章 武徳王の都

   旧題「ゲルタ売りの少女、王都にて混乱のるつぼを覗く」

 

 褐甲角(クワァット)王国の首都はカプタニア。
 十二神方台系のまさに中心にあたり、アブ・サユル湖とカプタニア山脈に挟まれた一本の街道である。天然の要害だ。
 方台中央部で東西を繋ぐ唯一の交通路であり、ここを扼する事で世界を分割出来る戦略上の最重要拠点となる。

 褐甲角王国は此処を奪取して初めて王国としての体裁を整えたとも言え、面目を賭けて大城塞を築き威容を整えている。

 とはいえ、首都であり王都であるこの街が王国最大の都市、という訳でもない。
 西隣に商都としてルルントカプタニア、東に穀倉地帯から物資が集積されるヌケミンドルという大都市が有る。
 カプタニアは褐甲角神の象徴するそのままに、派手さのない堅実で重厚な、面白みの無い都市に仕上がっている。

 

 カプタニアに住む少女アルエルシィは西大門にて、王城の外庭に住む友人のヒッポドス弓レアルを待っていた。

 カプタニア城は、「王宮」「内庭」「外庭」「兵庭」 およびそれらを貫くカプタニア街道本道から構成される。
 「王宮」は王族、「内庭」は黒甲枝の神兵の一族が、「外庭」は官僚街であり王城に勤める役人が居住する地域だ。

 この世界では役人と御用商人の区別がはっきりとしておらず、都合によって民間人であっても官職を拝命する。
 外庭に住む資格は家格によって定められており、外庭に住めるからこそ官僚にもなれる、という仕組みだ。
 弓レアルも曽祖父が東金雷蜒王国の財務官僚であり、亡命した後もその階位のまま褐甲角王国で遇され功績を上げた名家の令嬢である。

 トゥマル・アルエルシィは家格においては単なる一般人だ。
 だが、実家のトゥマル商会はヒッポドス家と同様にクワァット軍に軍需物資の納入を行っており、まずは富商の一つに数えられる。
 取り扱い品目はゲルタ、つまり塩魚である。
 ゲルタ業者は多いが、トゥマル商会は大ゲルタと呼ばれる近縁種を特に扱っており、秘伝の製法により普通のゲルタよりも優れた出汁が取れるように改良した。
 つまりカツオ節ならぬゲルタ節を売って巨万の富を得た。

 トゥマル家の次の野望は王宮へのより強い結びつきを得る事であり、その為に娘アルエルシィを黒甲枝のいずれかの家に嫁入りさせようと伝手を探っている。
 一足先に決まった弓レアルの縁談に、アルエルシィの父は地団駄踏んで悔しがったという。
 だが当の娘はそんなには頓着していない。

 むしろ千年に一度の激変期にあたるこの時期に、従来通りのやり方で良いのか。少し疑問に思っている。
 救世主ガモウヤヨイチャン様が今まさに降臨された報せを聞き、城中街中が大きく揺らいでいるのを見るに、もう少し慎重に将来を考えるべきだとの想いを強くする。

 

 さりとても人は自らの欲望に忠実なもの。
 彼女の今日の目的は、弓レアルと共に城外東街に赴き、青晶蜥神官が放出する数々の薬品化粧品を購入する事だ。

 青晶蜥神殿に勤める神官巫女は、傷つき病んだ人を癒し薬を売るのが御役目だ。
 しかし救世主ガモウヤヨイチャンが売薬を神威にて検査したところ、効能が不確かなもの、期待通りの効果が得られないもの、あるいは効能書きとは逆に実は毒だった、などが判明して、旧来の薬を全部改めねばならなくなったという。
 そこで青晶蜥神殿では在庫の薬品類をすべて半額以下の大安売りにして、併せて救世主様の降臨をお祝いする大祭を行っているのだ。
 これは是非ともいかねばならぬ。

 青晶蜥神殿は低所得者が多く住む東街に有る。身分有る身としては安全確保に留意し、お供の下男の数を増やさねばなるまい。
 弓レアルと相談して今日一緒にお参りすると決めた。

 願わくば、現在市中の婦女子の間で評判になっている、救世主様自らがお作りになられたとされる”セッケンヌ”が欲しい。
 使うと美しさが倍増する奇跡の妙薬だ。噂が噂を呼び、方台全土の女性が皆目を輝かせる。
 絶対欲しいが、さすがにカプタニアにはまだ届いてないだろう。
 南海の街タコリティに人をやって買い求めることが可能か、その辺りもトカゲ神官にうかがってみなければなるまい。

「……アルエルシィさま」

 振り向くと、弓レアルが供を連れて大門から下りて来る所だった。
 アルエルシィは5人の男に下女を2人連れて来たのだが、弓レアルは護衛を2名に家庭教師のハギット女史を伴うだけだった。
 ただし、護衛は元クワァット兵であり腕は確かで心強い。

「レアルさま、どうなさいました」

 近くに寄ってみると、なぜか弓レアルの顔が青い。
 ハギット女史も同様で、護衛達が二人の様子を気にしている。身体の調子が悪いのかと思ったが、それならばここには来ないだろう。

「なんでしたら、青晶蜥神殿参拝は取りやめに致しましょうか」
「いえ、そうではないのです。そうでは」

 そうは言われても弓レアルの様子はただ事ではない。優しいものの気丈というわけではない弓レアルに無理強いに訊くのも難しく、振り返りハギット女史に尋ねてみた。

「なにがあったの」
「私の口からはとても。お嬢様、お話になりますか、それとも紅曙蛸神殿に報せが届いた後に致しますか」
「ネコが、ネコが」

 無尾猫は人に噂を伝えるが、伝えるべき人の優先順位は厳密に差別している。
 要は一番高く噂を買う者に真っ先に話をするわけで、優しくて気前が良くネコ好きの弓レアルは、カプタニアにおける頂点の優先度を持っている。
 また口の堅い順でもある。
 ネコが伝えるよりも早く噂が駆け回らないように、しばし口外を控えてくれる人を選ぶのもネコの嗜みというものだ。
 無理強いはネコとの仁義に反する。

 そうは言っても、青晶蜥神救世主が降臨したこの時勢において、他人よりも早くに噂を手に入れる事は死命をも制する。
 ここは是非にでもうかがわねばならない。

 アルエルシィは下男下女達の耳を塞がせて、こっそりと教えてくれるように頼んだ。かなり悩んだ末に弓レアルは観念して、最新情報を教えてくれた。

「ガモウヤヨイチャン様は、タコリティを離れました。そして、円湾のタコ石採掘場に参りまして、紅曙蛸神の化身と称される巨大なテュークの像を破壊しました」
「なんですって!」
「中から、これまでに誰も見たことの無い大きなタコ石の塊を取り出しました。それは、それは、……」
「なんです。そのタコ石がどうしたのです」
「そのタコ石は、人の形、ああっ、なんてことでしょう」

 これはダメだと、ハギット女史を振り向くと、こちらは肝が据わっているから、狼狽えもせずに耳打ちして教えてくれた。

「そのタコ石は人の形をしていたそうです。女性で、額に小さなタコの聖蟲を頂いた姿の、」
「まさか!」
「そのまさかです。失われた古代の紅曙蛸神巫女王五代テュラクラフ様を象ったものという噂です」

 絶句した。
 もしその噂が本当ならば、ガモウヤヨイチャン様は新王国を打ち立てるのみならず、紅曙蛸巫女王国の復活すら成し遂げるかもしれない。

 五代テュラクラフと言えば今もなお人気のある女王だ。
 たとえ石像とはいえ地上に御姿を現わしたと知れば、参集する人は数知れない。
 昔ながらの交易警備隊は今なお紅曙蛸巫女王に仕えると標榜しているくらいで、呼びかければ瞬く間に軍勢を揃えるだろう。
 救世主ガモウヤヨイチャンは既に自前の軍隊を手に入れたも同じだ。

「うそ、みたい。」

 新しい救世主が降臨すれば世の中は激変する、と誰もが知るところではあるが、これほどまでに早いとは何人の予測にも無かった。

「どうしましょう。青晶蜥神殿はやめて、紅曙蛸神殿に行ってみましょうか」

 紅曙蛸神殿は青晶蜥神殿とは逆に城外西街の、それも大門傍にある。つまり目の前だ。
 ネコの知らせが届けられた紅曙蛸神殿は大騒ぎになるだろうが、自分達をかまう暇も無くなるはず。それは面白くない。

「レアルさま、やはり青晶蜥神殿に参りましょう。明日になればまた何か起きて、それどころでは無くなるかもしれません」
「お嬢様、それがようございます。紅曙蛸神官様も、自分より先にこれほどの重大事を知らされた者が居ると知れば気を悪くなさるでしょう」
「そうですね」

 弓レアルも気を取り直して頷いた。騒いだところで自分になにが出来るわけでもなく、ただ今を悔いの無いように生きるしかない。
 いずれ世が変わるのならば甘んじて受け入れるまでだ。

「セッケンヌ、はやはり無いでしょうね」

 アルエルシィは苦笑する。さすがに考える事は皆同じだ。

 

 弓レアルはカプタニア城外庭の住人である。
 待ち合わせ場所に行くには、まず城の西大門を出て、西街に入り、もう一度西大門に向かうという手順を踏まねばならない。
 アルエルシィと落ち合った後は、もう一つの西側の大門「隔壁門」へと向かう。

 つまりはカプタニア城には城内を抜ける本街道と、湖に面した南側城壁の下に設けられた脇街道が有る。
 一般民間人や物資の移動には、主に脇街道の方が用いられる。
 弓レアルの持つ権限であれば城内を通る事も可能だが、最近は警備が厳しく長く待たされるので、外周りを行く事とした。

 脇街道には難民や港人足も多く、荷車もひっきり無しに往来してあまり通りたくないのだが、こちらも今は警備の兵が多く安全面の心配は無い。
 人足街や水夫街は有事の際には焼き払われ、脇街道を通行不能とする防衛計画である。
 救世主降臨の混乱が拡大すれば遠からずそれもあり得ると思えば、市場の賑わいも薄ら寒く表面だけで空騒ぎしているかにも感じられた。

 アルエルシィは道すがら、三千年の昔の紅曙蛸巫女王国を想う。
 ひょっとすると、新しいトカゲ神の救世主「ガモウヤヨイチャン」様は、古代の女王「テュラクラフ」の生まれ変わりではないか。

 この世界はだいたいが、男性の権力者によって支配されている。
 金雷蜒王国も褐甲角王国も、武を以て争う王国は男性の力こそが絶対的な正義として尊ばれる。
 これを覆すのは、逆の原理。女性的な包容力で平和の時代を導くのかも。

 そうであったら嬉しいな。

 

 湖畔の脇街道をぐるっと回って「双子門」まで来ると、いきなり混雑し始めた。

 双子門とは、旧カプタニア城の左右に設けられた東の大門である。
 そもそもが二千年の昔のこの地を領有した金雷蜒王国ギィール神族が、カプタニア街道を護る為に築いたのがカプタニア城だ。
 褐甲角王国がカプタニアを占領した際に、このカプタニア城の背後に巨大な要塞を作り、完全に街道の出入りを支配してしまう。
 王宮も要塞内に設けられ、改めて「カプタニア城」を名乗り、旧城はその一部とされた。
 さらに湖に面する要塞外壁に脇街道を設け、旧カプタニア城は左右に同じ形の大門を備える形となる。

 旧カプタニア城は神聖金雷蜒王国時代の建築様式を今に留める、貴重な大石を積み重ねた繊細で優美な楼閣である。
 軍事施設としては華奢に見えるが、ギィール神族の設計であるから実用上の合理主義も十分に反映される。
 しかしながら、やはりこれは一個の芸術品であろう。
 アユ・サユル湖に逆さに映る姿が美しい。

 一方の新カプタニア城は、カプタニア山の山肌を段々に削り防塁と城壁を積み重ねた、如何にもな軍事要塞。大きければ良いという代物だ。
 材質も土を突き固め粘土を塗った、いわば土塁で華麗さ優美さとはまるで縁が無い。
 もっとも土塁だからとて弱いわけではなく、むしろ石造りの城のように砕かれたり焼かれたりせず頑強である。

「なんでしょう」

 双子門の周辺は元々混む場所だ。アルエルシィは下男をやって先を確かめる。

 左右を見ると、旅人や荷運び荷車引きの人夫だけでなく、服装の整った裕福そうな人も混じっている。自分達のように使用人を何人も引き連れている者も居た。
 やはり、青晶蜥神殿参拝が目的なのだろう。
 この様子では神殿周辺はもっと混雑して、前後に身動きも出来なくなるかも知れない。

 人をかき分け汗だくになって帰って来た下男が報告する。

「お嬢さま、なにやら王宮からの視察があるそうで、中央門が開いております」

 双子門の北側、城内を貫く本街道の方を「中央門」と呼ぶ。
 中央門の内は幅が200歩もある広い道路で、軍隊が隊列を組んで布陣するだけの広さを持つ。

 この大路、別名を「死の庭」とも言う。
 中央門を突破してカプタニア街道を突き進む敵の軍勢は、本街道左右に聳える高い城壁から弓矢や投石を受けて皆殺しにされる仕組みとなっていた。
 この左右の城壁の内に設けられているのが黒甲枝の住まう「内庭」と、近衛兵団の兵営が有る「兵庭」だ。
 褐甲角王国の中枢心臓部であり絶対の防備を誇っている。

 また広場としても用いられ、重要な儀式や見せしめとしての刑罰が執り行われる事もある。
 近いところでは、かの「ヒィキタイタン事件」に連座して、王宮侍女頭ファンファネラがソグヴィタル王の身代わりとして虐殺された。
 「狗掛かり」と呼ばれる恐ろしい刑罰だ。

 

「どうしましょう。やはり今日は取り止めた方がよろしいのでしょうか」
「お嬢様、アルエルシィ様。これでは折角薬を買い求めたとしても日暮れまでに戻れないかもしれません。誰ぞをやって私達は戻りましょう」

 そうは言っても、背後から押し寄せて来る人の波で戻るに戻れない。
 視察が終わって警備が薄くなれば途端に速やかに流れ出すかもしれず、迷っていた所に、

 どん、どん、どどんどん、ぱあーあああぴらぴらぴらばー、どんどん

 隔壁門から笛や太鼓の音と共に、更に大勢の人数が押し寄せて来る。しかし後ろを振り返っても、背の低いアルエルシィには何も見えない。

「ジドッゴ、背を貸してわたしを上に押し上げて」

 名家の令嬢であれば恥ずかしくてとても出来ない破廉恥な行為ではあるが、下男の一人を踏み台として背に乗り、アルエルシィは高く身を乗り出して後ろの列を見る。
 トゥマル家は、アルエルシィの父が一代で築き上げた新興の商会だ。
 彼女も幼い頃はお嬢様呼ばわりされなかった。

「紅曙蛸神官様だ……」

 全体が真っ赤に彩られた山車が、秋の大祭にのみ使われる人を乗せる車が、こちらに向かってやって来る。
 山車の周囲を楽器を携え奏でながら歩く神官と、五色の衣装に身を包み薄布を翻す麗しいタコ巫女が何人も付き従っていた。
 にわかのお祭りに人々はあっけに取られる。釣られて踊り始める者も出る始末。
 車を引くのは手空きの難民であろう。餅や銭を山車の上から景気良く撒いて、人手は十分足りているようだ。

「……お嬢様、これは紅曙蛸神殿にも報せが届いたと見えます。紅曙蛸神官様が青晶蜥神殿に御礼を申し上げに行くのでしょう」

 ハギット女史はそう断じたが、アルエルシィはなおさら行かねばなるまいと思う。
 こんな光景は千年に一度も見られるかどうか。
 この場所この時代に生きて折りよく巡り合ったというに、背を向けて家に帰っては死ぬまで、否末代までも後悔するに違いない。
 前進有るのみ。

「レアルさま、山車よりも早くに進まねば、人で溢れてしまいます」
「そうですね、しかし、ここは双子門を抜けて本道の方に退きましょう。とても青晶蜥神殿までは行けません」

 この大混乱では幾ら護衛や供が居ても迷子になりかねず、下手をすると拐かしにも遭ってしまう。
 嫁入りを控えた弓レアルが慎重なのも当然で、アルエルシィも従わぬわけにはいかなかった。

 検問を弓レアルの鑑札で速やかに潜り抜け、中央門から城内に入る。広い大路を横切って兵庭の城壁の下に陣取った。
 東街はもうすぐなのだが東からも人が押し寄せていて、とても安全を望めない。

「しかし、今頃何を視察なさるのでしょう。お出ましになるのはどちらの王族でしょうか」

 ハギットは警護に居並ぶ兵の一人に尋ねてみるが、答えてくれない。

 最近は、いきなり通りに現われて人を刃物で斬って回る「通り討ち」という犯罪が横行している。城内と言えども安全とは言い切れない。
 闇雲に人を殺すのが特徴で、噂によると「督促派」という政治思想が関与しているらしい。

 千年の約束の到来を待ちきれず、また創始歴5000年の節目を経過しても一向に現われない青晶蜥神救世主に痺れを切らし、自ら「救世主」を名乗り世を変えると称して人を害して回る。
 犠牲が多い程に旧体勢を揺るがし、真の救世主への道が拓けると信ずる狂気の反体制運動だ。

 東街の刑場では自称救世主が何人も火刑に処されている。

 

「来た!」

 王城中央門の下から無装甲で短槍の猟兵装備でクワァット兵が二列縦隊で進んで来る。
 神兵の丸い大きな甲冑の姿は今だに見えない。
 聖蟲を戴く無敵の戦士である黒甲枝の神兵は王族が視察する際には必ずその露払いをするので、弓レアル達はあれおかしいなと思った。では誰が視察に来るのか。

「……下げよ、下げよ。ハジパイ王の御視察である。こうべを下げよ。地に伏せよ」

 かかっと地面を蹴る音がして、兵の列の間を大きな狗が走りぬける。

 体長3杖(2メートル)、細身で筋肉質で四肢が長い。
 灰褐色の身体の毛は短く、短鼻で肉厚の頬が垂れる貌。黒い口の中から鋭い牙が光を放っている。
 いかにも精悍で、獰猛な肉食獣の本性を顕にして隠さない。その額には、

「聖蟲! サクラバンダだわ……」

 弓レアルが思わず口に出した。
 北方森林地帯の産の大狗で淡緑色に輝くカブトムシの聖蟲を戴くサクラバンダは、ハジパイ王 嘉イョバイアンの飼い犬として知られている。

 ハジパイ王は、カンヴィタル武徳王に代わって行政を指導する役目を負う二人の副王の御一人で、元老員議長。
 同じ副王であったソグヴィタル王 範ヒィキタイタンが王宮を追われた今、王国最大の実力者と言えよう。

 山上の王宮に篭り俗世に下りて来ない老人が、サクラバンダの聖蟲の目を借りて市内の状況を覗いている。
 王族が額に戴く黄金のカブトムシはそういう「覗き見」の能力を持つと、狗付きの女官が教えてくれた。
 しかし、このように恐ろしい狗の前で誰が真の姿を晒すだろう。

 弓レアルは、サクラバンダの背後を目で探した。
 必ず居るはずだ。大狗の世話役を授かった、自分の義妹となる人が。

「お嬢様、居ました。斧ロァラン様です」

 ハギット女史も同じ人を探していた。

 行列する兵の間を抜けて、狗の引き綱を丸く束ねて提げた3人の女官が走って来る。
 その中の一人がカロアル斧ロァランだ。
 ヒッポドス弓レアルの婚約者である、黒甲枝「カロアル」家の御曹司カロアル軌バイジャンの妹。
 自らも幼くして王宮に勤め、ハジパイ王の側近くに仕えている。

 サクラバンダが快速で疾走するのを必死で追って来たのだが、さすがは黒甲枝の家の者。女人ながらも息を切らさず、狗の後ろ10歩程にぴたりと控えて動かない。

「ロァランさま、レアルです」

 と無謀にも呼んでみたが、聞こえているのかいないのか反応してくれない。再び声を掛けようとしてハギットに口を抑えられる。

 サクラバンダは中央門の前に傲然と立ち、周囲を睥睨する。
 並の男よりも大きな狗であり、皆怯えて目を合わせようとしない。
 一歩進むとそれに応じて人の波が二つに割れる。大狗を避けるように大路の東西の端にそれぞれ寄った。

 足音が途絶えると再び息を押し殺した沈黙が支配する。ただ西から進む紅曙蛸神殿の山車行列の楽の音だけが響いていた。

 首をちょっと振ったので、後ろに控えていた女官達がサクラバンダの元に近づく。
 年嵩の女官が狗の口元に顔を近づけ、何事か聞き取り斧ロァランを呼び、ロァランが双子門の警備隊長を呼んで王の意向を伝えた。

 隊長は関所に指示して西から来る者を下げさせ、紅曙蛸神殿の行列を優先させる。

 双子門にたどり着くと山車から老神官が下りて来て、サクラバンダの前に両膝を着いて畏まる。
 五色の衣を纏った美しい巫女も、楽器を抱えた神官も整列して跪き、見事な吉祥図を描き出した。
 彼らは祭礼や式典に招かれて楽を奏で舞を踊るのが仕事だけあって、王宮にもよく出入りする。サクラバンダも見知っていて、怖じ気づいたりの無様はしない。
 おそらくは、今このまま巫女の一人が噛み殺されたとしても隊列を崩さず控え続けるであろう。

 年嵩の女官が老神官の前に立ち、行列の目的を問い質す。

「ハジパイ王の御下問であります。何故に紅曙蛸神官は祭礼でも無いのに行列を繰り出すか」

 70歳を越える、この世界では大層な高齢である神官の長は、北方の神聖神殿都市に居る最高神官・巫女に継ぐ世界で3番目に偉い紅曙蛸神官である。
 天地に響く大笑で縁起が良いとカプタニアの住民から慕われる生き神のような人で、黒甲枝や元老院にも尊ばれている。
 彼はハジパイ王の化身であるサクラバンダに額ずいて言祝ぎを申し上げ、事情を説明する。

「南都タコリティに御わす青晶蜥神救世主ガモウヤヨイチャン様が、円湾鉱石採掘場において紅曙蛸巫女王五代テュラクラフ・ッタ・アクシ様を象ったタコ石の像を掘り出したという、我らにとっては天から零れたような吉報が今し方ネコによりもたらされました。
 その喜びを諸人と共に祝い、青晶蜥神殿に御礼を申し上げに参るところで御座います」

「真であるか」
「ネコは我を欺いた事は御座いません。またティンブットなる紅曙蛸巫女が救世主に付き従い、御業の全てを目にしたとも伝え聞いております。
 この者はかって北方聖都エイタンクァプトにてメグリアル王の御前で舞を奉じた事もある、身元も技芸も確かな巫女でございます。
 幸いにしてガモウヤヨイチャン様御降臨の始めより供し仕えるを許されております故に、まずは間違い無しと」

 「メグリアル王」は褐甲角王国第三の副王であり、北方聖山にて武徳王に代わってカブトムシ褐甲角神「クワァット」を祭っている。
 この名をわざわざ出したからには、ハジパイ王に対してもよもや疑いはするまいな、と婉曲に言ったも同然だ。

 十二神の聖なる秩序に関しては世俗の権力の介入を許さない、と主張するのは神官の義務であり、決して神の意志を曲げなかったテュラクラフの遺訓が今も生きていた。

 

     ぎい、ぎぎぎぎぎぎざじゃ、しゃだ、じゃぢゃぎぎるぎぎうぎるじぃ

 サクラバンダが歯軋りをし始める。
 その表情は万力で頭蓋骨をねじ上げられかに不自然で苦痛に満ち、自発的にしているものではない。

 女官達は慌ててサクラバンダに駆け寄るが、狗は大きく背を伸ばし、首を高くに上げた。

『ギジジ、が、ガモウヤヨイチャ、のする、はことごとく、常軌を逸している、……信用するに、アタイしない』

 女官も含め誰もがそれが喋るとは思わなかったので、皆一斉に驚いた。
 その言葉は人間の声、あるいはネコのものとも異なり、金属を擦り合わせるに似た無機質の、非現実的な声だった。

『救世主は我ら。救世主は、ガモウヤヨイチャ、ンは、世を救わない。救う気は、無い』

 サクラバンダの喉を借りて喋っている。
 唸り吠える事しかできない喉と舌を酷使して、狗の背後より覗く者が直接語りかけている。

『王国は不滅、ギィール神……滅びなかった。これからも、同じだ。……滅びは自らの内にありて。理由が、ある。自ら滅び、を、のぞ、む』

 

 眼前に展開する奇跡に皆が目を奪われている最中、かすかな異変にアルエルシィは気付いた。

 大路の反対側、西側に近い人込みの中に一人、不審な動きを目撃した。
 誰もが凍りつき固唾を呑んで見ているのに、その男だけ動いている。それだけだが妙に印象に残った。
 服装は港の人足と同じものだが汚れておらず、体つきも華奢な優男という感じで、やはり変なのだ。

 人の視線とは逆に、男は大路の外へと離れて行く。滅多に見る事の出来ない奇跡を前に、何を急ぐ用があるのだろう。
 隣の弓レアル、いやハギット女史に告げようとした時、男が居た人込みから声が上がった。

「きゃっ」

 女の軽い悲鳴で、足元を何かがすり抜けた、そんな感じ。

「うわああ」

 今度は男で、確実になにかの脅威を発見した、そんな声。
 吉祥陣を組んで控えている紅曙蛸神官巫女が座ったままざっと向きを180度換え、立ち上がった時にはサクラバンダを中心に包み込む芙蓉陣へと隊形を換えていた。

 貴人の前で楽を奏で舞い踊り傍近くに侍る事も多い彼らは、万が一の際には身を捨てて貴人を守る芸も身に付けている。
 それに納得いかないのは警護に当たっていたクワァット兵だ。紅曙蛸神官巫女をどけて自分達の職分を果たそうとする。
 兵士に押されて陣形が崩れ、ばらばらに行列に戻ろうとした時、一人の巫女が声を上げた。

「!   ”足の無いトカゲ”!!」

 それは数年前にいきなりこの世界に現われた生物だ。
 出現以前には、こんな異様な怪物は絵空事の絵巻の中にも居なかった。
 トカゲ神救世主を待ち望む十二神方台系の人々にとって、足元の死角からいきなり現われ死の罰を与える”足の無いトカゲ”は悪夢そのもの。
 「救世主の代りに死のトカゲを与えたのは、神が世界を見捨てたもうた証拠だ」と主張する者さえ居た。

 脚を咬まれた巫女は崩れ落ち、たちまちに顔色が青く変わっていく。
 これの毒は咬まれた部分を青く大きく腫れ上がらせるが、痛みも感じずにそのまま眠りに就き、昏々と何日も眠り続け遂には目も醒まさぬままに冷たくなるという。

 無形の拘束を解かれてサクラバンダは大きく唸り、一跳びで地面に倒れた巫女に覆い被さる。
 彼女のふくらはぎに絡みつく”トカゲ”を一瞬で噛み砕くと、その残骸を驚く人群れに吐き出した。
 逃げ散って空白となった地面には、七つに千切れた胴が無残な姿を曝している。

 アルエルシィは地獄にも等しい光景から無理やりに顔を背けて、男が去った方向を見た。
 押し寄せる、あるいは逃げ去ろうとする人の波に、彼の姿は無い。

 

 

【巫女王五代テュラクラフ・ッタ・アクシの憂鬱】

 紅曙蛸(テューク)巫女王国は今より三千年前に興った方台史上最初の王国、最初の統一国家だ。

 それ以前の十二神方台系はネズミ神官時代と呼ばれている。
 洞窟に穴居する少人数の村に住み、狩猟採集で生きていく。他の村と領域を争う事など無い旧石器文明の時代だ。
 「国」という枠組み自体が未だ存在せず、紅曙蛸女王が初めて概念をもたらした。

 初代巫女王「タ・コップ」はタコ紅曙蛸神「テューク」の使徒にして救世主を自称し、いきなり世界全体を掌握する。
 何故と言われても困るが、万民が彼女を崇め従う事を予め定められていた。そのような存在だ。

 華やかで聡明、楽天的で人々の未来を信じ神秘的な予言を数為し正しく導く。
 後の時代においても手本規範とされる、まさに救世主の鑑とされる人物である。
 多分に誇張も混じっているのだろうが、彼女がそういう印象を努めて人に与えていた事は確かだ。

 ッタ・コップが何者であるか、は歴然と証される。彼女は紛れもない火の女神だ。

 それまでは限られたネズミ神官のみが火を熾せたものを、火打ち石で誰でも使えるようにした。
 草原を焼いて畑に穀草を植え、増え過ぎた人々を餓えから救う。
 土をこねて火で焼き土器を作り、木を焼いてくり貫いた舟で運び、交易して多くの財貨を蓄える。
 狼煙を上げて数百里の先の敵を知り、野火を放って一網打尽に打ち砕く。
 貨幣も文字の使用もここから始まり、まさに文明が人々の目の前で手品のように繰り広げられた。

 王国は女王の指導の下繁栄を続け、ッタ・コップは老いることなく美しいままに140年を生きた。

 紅曙蛸王国には後の時代の「神族」に当たるものは無く、聖蟲を戴くのは唯一人巫女王のみ。
 不老長寿でその治世は長いが、或る朝突然姿を消し、玉座には新しい女王が額にタコの聖蟲を戴き座っている。
 それが紅曙蛸巫女王の代替わりで、前の女王は蛸脚で地面を割って地の底に帰る、と人々は噂した。

 噂が実証されたのが、五代「テュラクラフ・ッタ・アクシ」の悲劇で、だった。

 

 建国より早500年を数え王国は繁栄の絶頂にある。
 だが副作用も深刻で各地に貧富の差が生まれ、本来平等であったはずの人々の間に階層が出来上がっていた。
 富める者は自ら武力を貯え村を支配し、交易に用いられる商品作物の栽培に人々を駆り立てて食糧生産を怠り、餓えを引き起こした。
 王宮に仕え交易を公正に管理するはずの役人「番頭階級」も私腹を肥やすことに走り、各地の有力者と結託して勢力争いを繰り広げる。
 人々はタダの人間による支配統治が決して幸福をもたらさないと見定め、紅曙蛸巫女王に絶対的支配体制の確立を要求するまでに追い込まれた。

 しかしテュラクラフは肯んぜなかった。多分に人々の善意を信じたかったのだろう、
 詔を発して私利私欲と暴力による村の統治を止めるよう諌めたが、聞く者はどこにも居らず、却って番頭階級と謀って偽の詔を連発し、勝手に街道に関所を設け関銭を取り立てるようになった。
 これに怒った交易警備隊は再三女王に直訴するも通らず、独断で目に余る関所を焼き討ちして往来を旧に復したものの、女王は悲しい目を伏せるだけだった。

 おそらくは初代ッタ・コップから、紅曙蛸神の天意として人の世に強制的に介入するべきではない、と伝えられて来たのだろう。

 交易警備隊長達はそう解釈し、それならばと最終的な手段を独断で講じた。
 宮廷において腐敗した番頭階級を一掃し各地の有力者を征伐して、全土を統一した一元的な支配体制を自分達の手で築き、その上に紅曙蛸巫女王を戴く王国に再編する。
 人の意志として成し遂げられた王国であれば、女王もこれを受入れるだろうと考え、行動に出た。

 番頭階級は女王の官僚である。当然殺戮は紅曙蛸王宮において最も激しく凄惨に行われた。

 番頭達は読み書き算盤の達人であり、弁舌においては人を完膚なきまでに叩きのめすのを常とする高慢な者だ。
 武を卑しめ交易警備隊を自らの配下と見做し、無理強いに汚れ仕事や私益の為の不法行為をさせる事も多かった。

 その鬱憤を晴らす復讐の意もあったのだろう。
 粛清は厳格を極め、番頭のみならずその家族や使用人にまで及ぶ。
 多くの者は城を逃げ出し街道に待ち構えていた兵に殺され、逃げ切れなかった者は最後の救いを求めて女王の内宮へと転がり込んだ。
 侍女達も番頭階級を深く恨んでおり交易警備隊に同情的で、番頭達を内宮から兵の待ち構える表に突き返し、あるいは城壁から投げ落して殺した。

 制圧を終え、交易警備隊総頭役ギダルマーが女王の下に参じたのは事が始まって三日後だった。
 もはや王宮を蝕む者は無く、新しい穢れの無い真に人々の幸福を考える、強力な指導力を持った王国を作る好機が訪れた、と申し述べる。
 それに対しテュラクラフは、「お前達の望むモノはッタ・コップより千年後に与えられるであろう」と最後の予言をして、地面を割り巨大な蛸の脚を召喚して自ら地の底に姿を消したのだった。

 

 その後やむを得ずギダルマーを主席とする統一王国を建てたものの、紅曙蛸巫女王を失っては求心力があるはずも無く、ほどなく瓦解。
 各地の有力者は生き延びた番頭階級を配下に迎え制度を整えて「小王」を名乗り、それぞれ勝手に国を建て互いに争う乱世となる。
 だがそれ故に人々の暮らしは逆に楽なものへと落ち着いた。

 交易路が寸断され関銭を取られて自由な商売が不可能になると、交易商品の栽培や生産が停止して本来の食糧生産に労働力を戻した。
 方台世界全体の動きに一喜一憂する必要も無く、他から流れて来る者も激減した為に、血縁のみが住むあらかじめ秩序が確立した村社会が復活する。
 自らの領地を防衛する為に小王達は村人の機嫌を取らねばならず、以前ほどに横暴を働く事も出来なくなった。

 文明の停滞により本来世界が在るべき姿を取り戻したとも言え、魔法が解けたように人は紅曙蛸巫女王国の治世を忘れ、ただ栄華の記憶のみが語り継がれる事となる……。

 

 

第6章 寇掠軍

   旧題「金雷蜒寇掠軍、救世主の御業の片鱗に触れる」

 

 金雷蜒(ギィール)神族の間には階級や階層が無い。

 神聖王だけは聖蟲の繁殖と聖戴授与携わる特別に高い位置を認められるものの、神族同士は対等の関係にある。
 元より互いに傲岸不遜で傍若無人であるし、聖蟲によって能力が高い水準で均質化されており、命令を下す受けるという関係を構築出来ず階層を分けられないのだ。

 必然的に金雷蜒王国の軍隊は烏合の衆となり、集団指導体制を取る。将軍やら元帥やらはどこにも居ない。

 もちろん統一的な軍勢の運用が出来ないのは困るので、普通の人間をその任に当てている。
 軍人、とは呼べない。
 ギィール神族の一群に雇用されているのみの存在だ。直接の支配下にある奴隷ですらない。
 神族に兵隊を供給しその運用を手助けして勝利を得る枠組みを提供する奉仕業、と言った方が正しい。
 軍事専門技術者であり、組織管理業者だ。

 ギィール神族は冷酷な支配者であり圧政者であるが、同時に有能な経営者企業家でもある。戦争も、価値の創造として兵を起こす。

 或る意味彼らは敵を欲していた。
 より見事なより難度の高い、克服するに値する強敵こそが社会の発展、技術の進歩に貢献すると理解する。
 以前は神族互いを敵として行っていた戦争であるが、褐甲角(クワァット)王国建国後は格好の敵手と見做してクワァット軍と黒甲枝を育成する投資を惜しまなかった。

 不思議な話に思えるが、ギィール神族は彼らの敵を喜んで強化発展させ続けた。
 それこそがゲジゲジの聖蟲の授ける知識と技術を最大限に駆使する場を用意し、問題解決の為に新しい発明新しい産業を興し雇用を発生させ、奴隷を養っていける。
 つまりは儲かる商行為なのだ。

 戦いはまた、奴隷達が新しい境遇を得る数少ない機会でもある。

 奴隷は、そもそもが金雷蜒王国に住む一般民衆はすべてが神族の支配下にあり、等しく「奴隷」と呼ばれる。
 それぞれがギィール神族に隷属するが、過酷な重労働で圧殺されるものでもない。大切な労働力を苦しめる愚を賢者は行わない。

 奴隷はまた横の繋がりを持つ。同じ職業に従事する者同士を繋ぐ「バンド」と呼ばれる組合だ。カーストでもある。
 「バンド」に拘束される奴隷には、職業選択の自由も移動の自由も、結婚の自由すら無い。子供の数さえ繁殖計画に基いて定められている。
 ギィール神族は「バンド」から労働力を買い、有用な労働者としての奴隷を「バンド」は供給する。
 故に、先祖累代で同じ神族の家系に仕える、というのはよほどの僻地以外は稀である。

 いや、ギィール神族に仕えるのならマシで、場合によっては一般人の、高位の奴隷に奉仕しなければならない。
 往々にして高貴な神族よりも、なまじ富と権力を手にした高位奴隷の方が酷薄残忍な主人となる。

 この「バンド」の拘束から脱出する唯一の手段が、ギィール神族の募兵だ。

 兵になれば、職業組合である「バンド」から解き放たれる。
 戦場で経験を積み重ね技術を覚えて、他の職業に就くのも夢ではない。
 除隊後元の職業に戻るとしても余所の土地に移り別の「バンド」に移籍し、あるいは別の神族に仕えてのやり直しが可能になる。

 戦場で勇猛さを見せて、軍事技術者の「バンド」に加入するのも一身の出世として希望がある。
 恐れ多い事ではあるが、出征の最中であれば緊急の状況としてギィール神族から親しく声を掛けてもらい、覚えめでたければ取り立ててもらえる事すらある。
 最悪最後の手段として敵地である褐甲角王国に脱出という選択肢すら可能だ。

 これほどまでに利点に溢れる「戦争」にどうにかして行きたいと望む空気が、東西金雷蜒王国には満ちていた。
 民衆である奴隷こそが、戦争を望んでいる。
 死の危険も問題ではない。ギィール神族は慈悲にも篤く、遺族に対して弔慰金も払ってくれる。
 カネがもらえるとなれば、神族の御為に働いて立派な盾となって死んで来い、と我が子を万歳して送り出す風習が確立する。

 戦争を企画し、奴隷を戦場に連れて行ってくれるギィール神族こそが徳が高いと尊敬されるのだ。

 

 東金雷蜒王国独立寇掠部隊「シンクリュアラ・ディジマンディ(救済と回復の霞嵐)」は六人のギィール神族が組織した遠征部隊だ。

 ヌケミンドルの南東100里(キロ)の毒地中、つまり救世主蒲生弥生ちゃんがこの世界に出現した白色の濃霧の荒野の北近くに遊弋している。
 毒地に留まること3ヶ月、その間青晶蜥神救世主が降臨した事も知らずに、襲撃の機会を窺っていた。

 「独立寇掠部隊」の目的は単純で、絶え間なく褐甲角王国に打撃を与え兵力を国境線に薄く広く分散させて、大侵攻の為の兵力結集をさせない事に有る。
 60の部隊が輪番で12隊ずつ、毒の大気に隠れて警戒の薄い村を攻撃する。おおむね1千の村が対象だ。
 千の村に対して12隊は少な過ぎるようだが、国境線700里のどこにも防御の焦点を絞らせず黒甲枝の神兵を分散させる。
 神族の乗るゲイルが数騎と兵100ほどで針で突くように寇掠を仕掛け、褐甲角軍の迎撃体制が整う前に引き上げる作戦だ。効率的な掠奪を行っている。

 「シンクリュアラ・ディジマンディ」は現在、大胆にも国境線から40里も突出し、通常は寇掠軍に荒らされない安全圏と思われる街道の拠点都市を窺っていた。

 連年続く襲撃に国境沿いの村は手元に貴重な財物を貯えないようにして、身一つで逃げる対策を取っている。
 それでは折角の寇掠部隊が手ぶらで帰らねばならない。実入りを求めて、最近はより内側の町村に目標を換えていた。

 長駆侵攻は行軍を村人に目撃され迎撃線を敷かれて失敗する確率も高い。
 だが褐甲角王国には難民が多く居て、その中には間者も多数混じり、それらの手引きで見つからぬ経路を策定して侵入する。

 部隊の構成は、ギィール神族が乗るゲイル騎兵が6、その従者が20、軍事バンドに所属する士官級技術者「剣令」「剣匠」10、募兵で集められた奴隷兵100で標準的な寇掠部隊よりも少し兵数が多い。
 一般兵は戦闘を期待されておらず、ただひたすらに財貨を漁り運搬する。
 この世界には牛馬に相当する使役に適した家畜が存在しないので、人力のみが唯一確実な運搬手段だ。人手はどうしても必要となる。

 金雷蜒王国軍の主力兵器となるのが「ゲイル」 大人の男10人分の背丈よりも長く家よりも高い巨大な蟲、ゲジゲジだ。
 無論このような生物が自然にあるはずがなく、ギィール神族が品種改良と特殊な飼料を与える事で育成したものだ。
 人を食らう。
 30人の装甲兵を一瞬で撃破する兇悪さで、これの前に立つは死と向かい合うのと同義だ。

 ギィール神族はこれに櫓を担がせて乗り、黄金の弓で地上の兵を射る。 
 乗る神族自身も平均身長が3杖(70センチ×3)に届き、優美雄大な体格を誇る。
 常人とは比べ物にならない腕力で射程300歩(200メートルほど)の強弓を使うのだから、誰にも止められない。

 神族には「狗番」と呼ばれる忠実にして勇猛、主の為には喜んで命も捨てる従者が付き従う。
 また「剣匠」と呼ばれる凄腕の武術家も随行し、ゲイルの足元を固めている。
 陣容こそ薄いが、神兵を擁さぬ村の守備隊程度では太刀打ちできない。

 実際、各村の守備隊は黒甲枝の神兵が来るまでは決して戦おうとしない。
 寇掠隊は虐殺が目的ではないし、毒地に女を掠って行くのも面倒だから、住民が逃げれば追っては来ない。
 あまりに見苦しい真似をすると却ってギィール神族に背後から射られるので、奴隷兵もさほど悪事は行わない。

 第一、褐甲角王国の民衆も、元は金雷蜒王国からの脱出者だ。定住した難民と言えよう。
 知り合いや親戚に出くわす例も珍しくはない。攻める方も攻められる方も半ば馴れ合って応じている。

 

         ***  

 しかし、今日襲撃された町「ノゲ・ベイスラ」は違っていた。
 国境より離れた内奥部に有る為にそういった作法が住民に徹底していない。また町であるから、普通の村よりも高価な財物に溢れている。

 この町はベイスラ地方の中心都市で褐甲角(クワァット)軍の駐屯砦が有り、常時3名の黒甲枝神兵が詰めている。
 だが今日は、3名共に前線に視察に行って留守だった。
 「国境線より寇掠軍が接近している」との住民の通報を受けてのものだ。

 神兵の不在は、間者により「シンクリュアラ・ディジマンディ」に伝えられ、今夜の襲撃が定められた。

 砦に残るのはクワァット軍の正規兵10名と地元の邑兵のみ。

 邑兵とは、各地域で若く壮健な男子を選んだ自警団で、通常は警察業務を行っている。
 彼らを指揮する邑兵隊長は、元クワァット軍正規兵だ。

 今回僅かな兵を指揮するのは、若干18歳の小剣令 カロアル軌バイジャン。
 黒甲枝の子弟のみを訓練する兵学校を出て、首都カプタニアの近衛軍で初年の指揮訓練を終えて、初めて前線に配属された新米士官だ。
 小剣令の位は得たが未だ実戦経験も無く、ましてや神兵抜きでゲイル騎兵に当たるなど考えもしなかった。

 警戒を怠ったつもりは無かったが、所詮は夜盗を防ぐ程度の配置でしかない。
 町の防壁内の建物に火の手が上がったとの報せを寝床で告げられ、飛び起きた。
 時刻は午後11時頃。この世界には機械式時計が無いから、「夜半」という以外の言葉は無い。

 垂直の壁さえ乗り越えるゲイル騎兵に防壁が役立たないのは常識だが、いきなり内部に入られたのは痛恨事だ。
 ノゲ・ベイスラは小高い丘の上に築かれた比較的護り易い町で、土塁防壁も全周に巡らし垣根も空掘も掘ってある。
 どこからも破られたという報告が無いのは、内通者が関門を開けたからに違いなかった。
 いやそもそも、ここまで見つからずに寇掠軍が入り込んだのは、王国内に手引きする者が居て周到に準備しなければありえない。

 国境線から40里、ゲイル騎兵なら往復するのに造作も無いが、徒歩では1日以上絶対に必要だ。掠奪品を抱えて逃走するにはそれ以上掛かる。
 狼煙を上げ周辺の村から兵を結集して待ち伏せるのに、1日もあれば十分だ。
 完全にしてやられた。よほど念入りに準備していたのだろう。

 であれば逃走にも手引きが有るはず。難民を動員して掠奪品を毒地まで運搬させ、戦闘部隊は単独で離脱するなどの安全な撤退策も取れる。
 不審者対策をぬかった、とほぞを噛むしかない。

 そもそもが、ベイスラの民衆自治会議がなっていない。
 彼らは先んじてこの村町に住んでいるのをいい事に、難民に対する態度が無慈悲すぎる。
 元は同じ金雷蜒王国からの脱出者であるのに、片方は家を持ち畑を持ち裕福に暮すのに対し、難民は単なる季節労働者としてわずかな給金でこき使われ、冬場には村を追い出される。

 追われた難民は行く所が無く、中心都市であるノゲ・ベイスラに流れて来る。無論町でも彼らの居場所は無い。
 昼の内は町に入れるものの、日暮れと同時に門外に追い出され、防壁の下の空掘にでも身を潜めざるをえない。
 駐屯砦から支援を受けたトカゲ巫女やカタツムリ巫女が食を与えねばあの者達はどうなるのか、と思っていたが案の定こういう羽目に陥った。

 間違いなく、彼らの内に寇掠軍の内通者が居る。だがそれは彼らを冷たくあしらった自治会議の、住民達への復讐なのだ。

 

 

 軌バイジャンは正規兵と邑兵60名をなんとかかき集めて整列させる。

 ノゲ・ベイスラの町は狭い上に入り組んでいる。逃げる住民と掠奪する奴隷兵達とが鉢合わせて大混乱になっているだろう。
 ゲイル騎兵には抗いようもが無いが、奴隷兵は押し返して住民の逃げ道を作らねばならない。
 それと、火を消さねばならない。
 この世界には瓦屋根が無く、駐屯砦以外は板屋根か小枝葺きだ、火には弱い。既に放火された一角は放棄して、せめて他への延焼を防ぎたかった。

 邑兵20を火消しに当たる第二隊として邑兵隊長に任せ、軌バイジャンは武装した隊を率いて駐屯砦から出撃した。

 軍衣に兜、甲冑を身に着け胸盾を垂らす。武器は弓。
 邑兵には短戈と大楯を持たせ、残りには松明を掲げさせ矢を運ばせた。
 掠奪には構わず、人を襲っている時のみ相手にしろと命令する。
 金雷蜒軍の一般奴隷兵は財貨を漁るのが任務で、荷を背負っているとほとんど危険性が無い。
 これを担いで生きて帰ることしか頭に無いから、守備隊が姿を見せただけで逃げ散るのだ。

「火を持っている者は射殺しましょう。町を焼かれてはこの地方全体の防備が危うくなる」

 軌バイジャンに継ぐ指揮権を持っているのが、凌士長ヤヨアだ。
 彼は30歳で実戦経験も豊富な、黒甲枝に仕えて駐屯砦の運営を取り仕切る下士官で、軌バイジャンにとっては師にも当たる人物だ。
 彼が居なければ兵すら集まらなかっただろう。

 町に入ると、いきなりの緊張感が隊列の全員を包む。
 敵が駐屯砦の反対側を攻めたのはもちろん計画どおりなのだろう。連絡が行き届かずこの辺りの住民は単なる火事かと戸惑い、避難する様子も無い。

 軌バイジャンは第二隊に住民を駐屯砦に避難させるよう指示した。
 ギィール神族の寇掠だと認識した住民はほぼ身一つで避難する。何か持っていると掠奪に遭い却って殺される確率が高くなるからだ。

 隊列は広場の石畳に差しかかる。縦列から横列に変更し、警戒態勢で進軍を続ける。
 遠くから見えていた火事で燃える家も、ここからだとかなりはっきりと識別出来た。
 燃えているのは北門の付近の食糧倉庫3棟で、まだ他には延焼していない。
 掠奪が行われているようで悲鳴や怒声が上がるのは、逃げ遅れた者がかなり居るということだろう。

「広場の南口とカエル口に障壁を築きましょう。これ以上の侵入を許すわけにはいかない」

 ヤヨアは金雷蜒軍が町全体に拡がらないように、道を塞ごうと進言する。
 防壁を潜られたとはいえ、町全体も戦闘時には防塞になるように設計されている。
 高塀や池を作って真っ直ぐには進軍できないよう道路をねじ曲げており、普段は通行に支障を来すほどだが、いざ侵入されてみるとその配慮が有り難かった。

「しかし逃げ遅れた者を救わねば、」
「ここを封じねば、逃げる先を作る事も出来ません。障壁の先はお諦め下さい。今はまだ敵は侵入口付近の掠奪に気を取られているから、こちらに注意が向かない内に塞ぎましょう」
「火は掛けて来ないか?」
「もうしばらくは。自分達がそこに居る間は、敵も控えるでしょう」

 風は北北東の微風で火の粉がこちらには飛んで来ないのは幸運である。

「この風であれば、むしろこちらから火を掛けて、ゲイル騎兵も焼き尽くすことが可能です」
「……わかった。広場の守備を放棄する場合、風がこのままならば考えよう」

 手近の材木や家具を集めて邑兵に障壁を作らせ、正規兵は通りを逃げて来る者の中に金雷蜒軍の奴隷兵が混じっていないか監視する。
 難民が同調して掠奪に荷担していることもあり、見分けるのが困難だ。
 大通りの南口から逃げてきた者が多いが、カエル口 色町がある通りの方からも化粧臭い女達がわらわらと逃げて、障壁の構築を邪魔する。

 中に一人、奴隷兵が混じっていた。
 どこの世界にも、欲よりも色を優先させる者がおり、掠奪を放り出しても女を襲いに来たのだろう。胸に一矢突き立てられて絶命する。

 クワァット軍正規兵と地元の邑兵の違いは、まず弓の技術の差と言ってよい。
 弓は長年の修練が必要でゲイル騎兵には離れて攻撃する方法しか通用しない為、正規兵は念入りに訓練を積み重ねている。
 長槍で集団運動をして敵の突撃を防御し多勢を突き崩す技術も、邑兵には無い。

 住民の避難に当たっていた第二隊が、民間の男達も組織して広場に合流する。
 軌バイジャンはそれらに、広場の反対側出口に第二の障壁を築かせた。

 第一の障壁が破られるのは既定の事実。
 広場に躍り出たゲイル騎兵、上に乗るギィール神族を二番目の障壁を利用して射られるかで勝敗が決まる。
 最初の障壁は、熟練の戦闘員である「狗番」や「剣匠」がすぐには続かないようにする意味合いしかない。
 もっとも二番目が間に合わなければ家の屋根から射るまでだ。

「弩車は使えないかな」

 強力な弩を荷車に積んだ、対ゲイル騎兵用の兵器も駐屯砦には備えられている。
 本来ならば街道に面した砦の方から金雷蜒軍に攻められるはずなので、そちらに設置されていた。

「何騎いるか分かりませんが、ゲイルは4騎より少なくは無いでしょう。矢数で押すしかありません。弩車は砦で、最後の」

 並の人間が射た矢では巨蟲ゲイルの外皮を貫くことは出来ないが、上に乗る神族は優れた鎧を纏い盾に隠れているものの、当たればちゃんと死ぬ。
 あくまで神族を狙うのが、神兵が居ない彼らが取り得る最善の方法だ。
 しかし、

 

 

「来ます」

 風が止み、火の粉が天に真っ直ぐに昇って行く。
 今からでは町ごと敵を焼き尽くす方法は取り得ない。それと見て風上だったこちらへ寇掠を続行するだろう。

 全員を一番目の障壁から下げさせて戦闘態勢を整える。
 邑兵に大楯を持たせて、正規兵は弓を構えて二番目の障壁と家の屋根に分かれて待ち構える。
 残りは投石器と短戈を構え、壁や家の後ろに身を隠す。

 不思議と広場は静けさに包まれ、火が家を焦がし材木が弾ける音のみが響いている。
 土壁の家屋は屋根以外は火に強いので、壁としての役目は最後まで果たしてくれる。襲撃は道なりに進んで来る。
 空気が妙に乾いて喉が渇きに貼り付き、大きく唾を飲み込んだ。

 一番目の障壁に身を乗り出す影がある。影はやがて障壁の上に大きく立った。

 耳が尖り鼻面の長い山狗を模した黒い仮面に黒光りのする甲冑、右手には長い刀を携え弓と矢筒を背負っている。
 甲冑は前後を大きな蛤状の鉄板で挟んだ形の独特なものだ。
 ギィール神族の従者であり凄腕の護衛である「狗番」だ。

 神族は奴隷といえども彼らを大切に扱っており、その紐帯は主従の枠を越えて肉親に近い。
 障壁の上に立つ彼は、主人の乗るゲイルがここを越えても無事なのかを確かめている。

「アレを射てはいけません。ギィール神族は狗番が死ぬ事をなにより嫌い、場合によってはそれを理由に撤退しますが、あれは囮です」

 ヤヨアの言葉に軌バイジャンはうなずく。それは兵学校でも教わった。
 だがこれ見よがしに晒す姿に、誰も手を出さない筈が無い。
 距離は少し有るが、クワァット兵の弓術ならば確実に仕留める。
 一人が盾の陰で弓を引き絞るのを見たヤヨアが、慌てて止める。

「待て、まだだ、身を見せるな!」

 その兵はほんの僅か、盾の陰から出て狗番を狙った。時間にして1秒も無い。

ぎゆん…………ん

 鉄の兜を貫いて額に1本の矢が立ち、彼は矢を番えたままふらりと立ち上がってそのまま倒れ、あおむけに障壁の裏に転落した。
 即死だ。松明の明かりに矢羽根が金色に輝き、射手の身分を証明する。

「         。」

 軌バイジャンは唇を噛んだ。

 人が死ぬのを見るのは珍しくないが、自らの部下が実戦で死ぬ所を初めて見たのだ。
 あまりのあっけなさ、自分の無力さに身体の芯が崩れて目眩いを起しそうになる。

 ギィール神族は「エリクソー」と呼ばれる霊薬を幼少より服用する事で、人体の理想型とも思える雄大で優美な肉体を手に入れる。
 単に大きいだけでなく筋力も動きの早さ正確さも、常人を遥かに越えた。
 まさに神人と呼ぶにふさわしい奇跡の身体だ。

 彼らの弓も常人が用いるものより強力で、射程は300歩(210メートル)を越え貫通力も高い。
 しかも額のゲジゲジの聖蟲はギィール神族に智慧と知識を与えるに留まらず、周囲の状況を目で見るよりも正確に的確に教えてくれる。
 闇の中でもはっきりと標的を見極め、風向風速までも測定し補正して軌道を提示するので外すという事が無い。

 兵達はさらに身を縮めてゲイル騎兵の矢を避ける。
 火は一層大きく燃え上がり、広場をも明々と照らし出すほどになった。だが誰も前を見られない。

 揺らめく影の中に、人の足音怒声、材木が焼け弾ける、壁が崩れて地に落ちる音に加えて、カチカチと無数の硬いものが石畳を叩く音がする。
 やがて、材木を引き裂く不快な亀裂音を加え、ばりばりと障壁を砕く轟音へと変わる。

「……射撃用意! 目標は最前列ゲイル騎兵。二射せよ」

 ヤヨアが声をかすらせて全員に指示する。
 ふがいないが軌バイジャンでは攻撃を開始すべき呼吸間合いが掴めない。経験豊富なヤヨアが進言するのをただ追認するだけだ。

 カチカチと鳴る無数の音、ゲイルが17対の肢で這う爪音が広場全体にこだまして、何体居るのか掴みかねる。
 奴隷兵達の声も交じっていた。第一の障壁を排除し始めたのだろう。
 ゲイルの爪音は次第に近づき、しばし止まり、揃って地面を叩く音となる。これは、ゲイルが歩調を整えて鎌首をもたげ姿勢を高くする時の音だ。
 今まさに第二の障壁に飛び移ろうとする準備姿勢。

「射よ!!」

 ヤヨアが背を叩いたのを合図に、軌バイジャンは攻撃開始の下知を飛ばす。
 正規兵達は一斉に盾から身を乗り出し引き絞った弓から矢を放った。

 ゲイルは障壁の30歩手前に立ち上がっていた。高さは9杖(約6メートル)、その背のギィール神族目がけてニ連射18本の矢が殺到する。
 しかし、すべて騎櫓の盾に防がれた。ゲイルの背には神族を保護する箱櫓が組んであり、タコ樹脂を張った見事な盾が並べてある。

「射よ、射よ!」

 後は狙いも付けずに矢を続けざまに射るだけだ。
 放つだけならば、クワァット兵は毎分60本を発射出来る。実戦ではそこまでは早くはないが、気付くと手元に30有った矢がもう無い。
 控えていた邑兵が次の矢筒を差し出すのを受け取り、広場に矢の雨を降らす。
 だがゲイル自体は常人の弓では傷もつかない。ギィール神族も盾に隠れて無傷で押し通る。

ばりばりばりっ。

 第二の障壁を形作る丸太や荷車が一瞬に弾け飛ぶ。更に2体のゲイルが広場に姿を見せる。

 石畳の上に落ち一瞬意識を飛ばした軌バイジャンが振り向くと、ゲイルの顔を仰ぎ見る位置に居た。
 松明の明かりを照り返し紅く輝く大きな双つの複眼と七つずつの副眼。
 二重になった顎口の周囲には無数の長い髭、歯か刺だか分からない突起が数列口腔内に輪を作り獲物を呑み込んで離さない。
 比較的短い3対の前肢が障壁の残骸を乗り越えて前に進もうとし、白骨を思わせる太い柱が何本も揺らめいて伸び上がる。

 肢の林の上に、黄金の鎧に身を包んだギィール神族が自分を見下ろすのに気が付いた。

 その瞳には何の感情も無かった。敵意や殺意をみじんも感じられない。
 彼らにとって褐甲角王国寇掠は単なる狩りに過ぎないのだ。
 獲物は無敵不死身の黒甲枝の神兵で、それに従うクワァット兵邑兵は森の下生え程にも見えてはいない。

 もう一つの視線を感じた。
 ゲイルの上に設えられた騎櫓の隙間から誰かがこちらを覗いている。普通の人間の、女の眼だ。
 怯えているようにも憐れみを自分に注いでいるようにも見える。

 ふとギィール神族が天に顔を逸らし、ゲイルも身を起こし頭を持ち上げて様子を窺う。
 びぃいいーんと、蟲が羽ばたく羽音に似たうなりを聞く。

きゅあ

 騎櫓の盾が流星にでも撃たれたかにいきなり跳ね飛ぶ。
 それはゲイルの甲羅を抉り傷つけ、石畳の地面を砕いた。

 第二撃を避ける為、騎乗する神族はゲイルの巨体を大きく返し向きを変え、他のゲイル騎兵もそれに倣って元来た南口へと後退し始める。

 かろうじて無事であったヤヨアに助け起こされ立ち上がった軌バイジャンは、奴隷兵達が剣令や狗番に率いられ広場から撤退するのを見た。

「これは、」
「信じられないことですが、殿様方がお戻りになられたのではありませんか」
「父上が? そうか!」

 ノゲ・ベイスラの司令官 大剣令カロアル羅ウシィ他3名の神兵がなんらかの手段で異変を察知し、急いで引き返してきたのだろう。

 この世界には馬に相当する高速の移動手段は無いが、実は人間が走るのが一番早く便利がよい。
 カブトムシの聖蟲によって怪力を与えられた神兵は、専用の重甲冑を装着したまま素裸の者と同じ速さで走る事が出来る。疲れも知らず、一日百里(キロ)の移動も不可能ではない。

 神兵の主武器は鉄弓、並の人間が十人掛かりでも引けない鍛鉄の弓で重い鉄箭を射る。
 その威力は一抱えもある花崗岩の大石をも微塵に砕く程で、いかなる盾もゲイルの甲羅も易々と貫く。
 射程距離も600歩(420メートル)に迫り、さすがのゲイル騎兵も敵し得ない。

 軌バイジャンが残兵を集めて隊を再編し燃え盛る南口に前進した時には、金雷蜒軍はかたちも無かった。
 一人、黒い影が焔を物ともせず瓦礫の上に立ち続けている。
 全身を覆う甲冑は丸く黒く甲虫を模し、人の姿をした褐甲角神そのものに思えた。背にある旗は軌バイジャンの肩の徽章と同じ紋様だ。

「父上!」
「無事か」

 昆虫の面頬を付けたままくぐもった声で羅ウシィは答えた。
 他の神兵は居ない。

 寇掠軍接近の報せを受けて視察に出た彼らだが確認できず、また他の村人の証言も無く、この通報自体が策略である可能性に気付いて、主要な町に3人が分散して走ったのだ。
 神兵は一人であっても複数のゲイル騎兵と互角の勝負が出来る。

「父上、いや、大剣令。追撃を」
「いや、火を消せ。それと狼煙と松明信号を出して、退却路に当たる町村に警戒を促せ」
「申し訳ありません。留守を任されていながら迂闊にも敵の侵入を許してしまいました。この責は」

 羅ウシィは崩れ落ちた家の上から兵達の前に下りて来た。
 重甲冑は火の熱を帯び、白い蒸気を上げている。冷めるまでは甲冑を脱ぐ事は出来ず、誰も触れない。
 だが皆一様に安堵の息を吐いた。
 火にも焼かれず戦い続ける神兵の無敵性こそが彼らの精神的支柱なのだ。

「戦とは常に敵に裏を掻かれるものだ。自分が予期したところと違っていても、落ち込まず次善の対応をを心掛けよ。
 それにしても」

 邑兵と町の住民達が燃え残る家財や負傷者の回収をすでに始めている。
 寇掠軍の後に続いて空掘から火事場泥棒に上がっている難民達を追い散らしていた。
 放置すれば難民と住民が互いに殺し合う事態へと発展しかねない。だが、クワァット軍はどちらの民をも守護せねばならなかった。

 羅ウシィは誰にも聞かれぬ甲冑の中で嘆息し、一人呟いた。

「青晶蜥神救世主であったなら、この世界を救い得るのだろうか」

 

          *** 

 「シンクリュアラ・ディジマンディ」は追撃も受けず無事に毒地中の城塞に帰還した。

 毒地平原にはクワァット軍の一般兵は入って来れない。

 この地の空気を吸うとたちまちに気分が悪くなり、へたり込み、一日後には血を吐いて死ぬ。
 元々はタコ腸から作った殺虫剤や農薬で、正しく使えばなんでもないのだが、無知蒙昧な一般人や黒甲枝にはギィール神族の呪いとしか思えない。
 撒く方法もよく考えていて、散布に疎密を作り風の通り道を計算して、無事に通れる街道や長期滞在が可能な基地を作っていた。
 神族の導きが有れば、奴隷兵達も安全に毒地中に留まれる。

 戦闘から戻ると部隊は掠奪品の検査をする。
 取った者がそのまま私する事は出来ず、すべてを差し出して値打ちを鑑別し階級に応じて等分するのだが、時々妙なものが見つかり問題となる。

「一見すると蝋のようですが、すこし感触が違います。包みを見るにカプタニアに送られる特別便で木箱に厳重に納められ封印も三重に施されており大層な宝物と誤解したのですが、わかりません」

 掠奪品を鑑定していた剣令の一人が、正体不明の物体を抱えてギィール神族に指示を仰ぎに来た。
 神族は掠奪品の分配には関心が無いが、敵方の情報を知る書簡や資料等があれば必ず報告させる。
 新兵器も興味の対象で、使い方が分からない道具や薬品は神族に鑑定してもらい重要度を決定する制度になっている。

 上将であるヌトヴィア王ハルマイは、ゲイル上に同行させた蝉蛾巫女が砕けた盾の破片で負傷したのを気遣い席を外していたので、残りの五人の神族に鑑定を仰いだ。
 ギィール神族同士に階級の上下は無いが年長者を立てて「上将」と呼び責任者とし、他を「列侯」と呼び習わす。

 列侯はその小さな象牙色の直方体を見て、同音を口に出した。

「”石鹸”だ」

「何故”石鹸”がここにある」
「否、問うべきはそこではない。我ら金雷蜒神族は二千年もこの地を治め種々の文物を発明しながら、なぜ”石鹸”を作らなかった」
「知れたこと。我らの内誰か一人でも、自ら何かを洗ったことが有るか?」

 一人だけ交ざる女性の神族キルストル姫アィイーガが それをとって匂いを嗅いでみた。
 彼女もまた男性の神族に劣らぬ大きく優美な肢体を持っている。ギィール神族にとって男女の差は衣装の型の違いしかない。

「良い香りがする。それに形も美しい。これを作った者は”石鹸”がなんであるかを熟知している」

 アィイーガの片手に納まる小さな石鹸は、単に四角く切っただけでなく四隅も丸め、上に人頭の文様が象られていた。
 それと同じ絵柄が、トカゲ神救世主蒲生弥生ちゃんの左胸に刺繍されている事を、彼らは知らない。

「では、これを作った者はギィール神族か」
「そんな話は聞いたことが無い。まして褐甲角王国で新奇な文物が受入れられるなどあり得ない」
「西金雷蜒王国の産なのか?」

 剣令は慌てて掠奪品に混じっていた書簡類を調べてみる。だが答えを待たず、手の中の石鹸を見詰めるアィイーガがなぜかそわそわし始めた。

「どうした」
「……湯浴みがしたい。これを使うと大層気持ちが良いと、聖蟲が教える!」
「確かにそうだが、しかしこの城塞では水は貴重だ。もう半分も残ってはいまい。本地へ帰還するまで湯浴みは控えろ」

 その時、ヌトヴィア王ハルマイが蝉蛾巫女エィムールを伴って部屋に入って来た。
 蝉蛾巫女は風の流れを読む能力を持ち毒地を行く寇掠軍には欠かせない道案内だが、彼女はハルマイの愛妾ともなっていた。

「なにかあったか」
「なにという程ではないが、不思議なものを発見した」
「エィムールが褐甲角王国の風が変わったと言う。難民の上を覆う空気に淀みが消え、ざわつき猛り流れ出していると。変化が起きているはずだ」

 エィムールは本来の蝉蛾巫女の衣装ではなく軍衣を身に着けており、元々表情が乏しい為に少年のようにも見える。
 右の肩を吊っているが腕の骨にヒビが入っただけで、ハルマイが自ら包帯を巻いて固定した。

 ハルマイはアィイーガの手の中の物を見て言った。

「”石鹸”か。毒地に居ては分からぬなにかがあったやもしれぬな」
「一度ここを引き上げるべきではないか」
「少し早いが、奴隷達が満足する戦果はあったはずだ」

 

「上将列侯、一大事が御座います!」

 書簡を調べていた剣令が、蜘蛛神殿のおみくじが混ざっていたのを発見した。
 蜘蛛神殿は時事の話題をもじった警句をおみくじに書くので、世情を知る上でよく参照される。

 彼の言葉に、さすがの神族達も表情を変えた。

「青晶蜥神救世主が現われたそうです……」

 

【長さの設定】
 1杖=1歩=地球約70センチメートル  古代の紅曙蛸女王「ッタ・コップ」の身長は2杖だったとされる。
 1里=1000√2歩=約1キロメートル  1辺千歩(700メートル)の正方形の対角線の長さが「里」で道程の単位である。

 

 

第7章 救世主弥生ちゃん、東金雷蜒王国に上陸する

 

 青晶蜥神救世主蒲生弥生ちゃんは密輸船に乗って隠密裏に東金雷蜒王国に入国した。

 みだりに救世主を自称する者はほとんどが捕まって焚刑に遭っていると聞く。
 なにせ金雷蜒王国も褐甲角王国も「救世主」と自認し、正統なる座を巡って1千年争い続けているのだ。
 新たなる救世主など認める道理が無い。

 のだが、本物の救世主はまた別の問題を抱えている。

「……やれやれ。ガモウヤヨイチャンさま、やっと静かになりましたね」

 タコ巫女「聖女」ティンブットも同じ悩みを共有していた。
 弥生ちゃんが「ついうっかり」タコ女王五代「テュラクラフ」の赤石像を掘り出してしまったので、目撃者もまた「聖女」として崇められる立場となる。

 これまでは弥生ちゃんのお供でのんびり物見遊山、有力者達の御接待を受ければ良かったのが、真摯で敬虔な巫女の鑑を演じねばならなくなった。
 いいかげんな性格の彼女にとってはかなりの負担になる。

「こういう事は夫がやってくれるべきものだと思うんですけどねえ、あたしも聖山に付いて行けばよかった」

 と、霧の平原で弥生ちゃんを待ち受けた「トンボの隠者」を恋しがる。

「でもあなた、タコ巫女なんだからテュラクラフ様の側に居なくていいの?」

 女王の石像は現在タコリティの街に厳戒体制で保管されている。

 なにしろ、掘り出した弥生ちゃんが「これ生きてるよ」と言い、
昼夜を分かたずお護りする巫女達も、「睫毛が動いた」「唇がなにか言っている」「聖蟲の蛸の足が蠢いている」とか証言するから、石像がいつ目覚めるか皆固唾を飲んで見守っている。

 皆に請われて奇跡のハリセンで二三度しばいてみたものの、並の病人なら完全治癒でスキップして家に帰る威力でも、やはり女王は目を醒まさない。
 古事来歴に詳しい学者や古老を呼び集め智慧を絞ってみるが、常人の頭では想像も及ばぬ神秘である。
 結局は青晶蜥神救世主に最終判断を仰ぐしかなかった。

 弥生ちゃんの託宣。

「あー、テュラクラフさまが生きているのは間違い無いけれど、外からなにかをして起きるとは思えない。
 これは自発的な意志によって石に姿を変え身を守っている状態でしょう。脅威を取り除けば、自然と起き上がって来るんじゃないかな」
「おお! してその脅威とは」
「もちろん、そこらへんの人間やらじゃあないね。もっと大物の、神様クラスの凄い奴。どこに居るかは知らないけれど、そういうの心当たり無い?」

 彼らは即座に三つを挙げた。

 一に毒地中にある金雷蜒神聖王国時代の旧首都ギジジットに眠るゲジゲジ神。
 ニがカプタニア山中に棲まうと聞くカブトムシ神。
 三に聖山神聖神殿都市にある大洞窟に巣食うと噂される不可思議な怪物。

 中でも有力なのが

「ギジジットです。紅曙蛸王国の次に参られた神ですので、紅曙蛸神が強く意識なさるのは当然と思われます」
「よし決まった! ギジジットに行こう!!」

 という経緯で弥生ちゃんは船に飛び乗った。
 何時までもタコリティに居続けては救世主の任が果たせないし、金雷蜒褐甲角両王国の実態を見なければ何をするにも計画が立たない。
 今こそ旅立つべき時だった。

 

「いいんですよお。あそこにはお世話する巫女は何十人も居るし、偉い神官様も聖山からやって来るし、あたしなんか邪魔なだけです。
 それにガモウヤヨイチャンさまがテュラクラフ様の御為に冒険なさるのに、タコ巫女が付いて行かずにどうします。
 皆が幸運の舞で送り出してくれましたよ」

 救世主を護衛しようと申し出る強者は百人を下らなかったが、弥生ちゃんは全てを断った。
 大勢で押し寄せれば警戒されるに決まっているし、なによりこの世界の真の姿を見失う。
 水戸黄門はお忍びで行くから大活躍できるのだ、とティンブットと無尾猫のみを伴って船出した。

 一番残念がったのは「仮面の男」だ。冒険を求めるのは彼にとってふさわしい姿であろう。
 だが頭にカブトムシを憑けて金雷蜒王国を歩き回るわけにはいかない。
 タコ女王の石像を守るのに彼ほどの適任者は居ないのだから、仕方がない。

 いや、それをいい事に弥生ちゃんは全てを彼に押しつけて脱出した。
 人の上に立つべき人間なのだから、これが一番良い選択だと思う。 

「それはそうと、前から気になっていたのですが、」

 とティンブットが遠慮がちに弥生ちゃんに問う。何故だか左の胸ばかりをじろじろ見る。

「なに、このワッペン?」
「その、極めて細かな糸で刺繍されている人頭の絵は、なにか謂れの深いものでしょうか。ガモウヤヨイチャンさまはその図柄を正式な紋章にされましたが」
「これは、”宇宙人ぴるまるれれこ”という。私の学校で特別な生徒に代々受継がれてきた由緒正しいものなんだよ」
「おお、”宇宙の人”というのは、天空に住いする神ということですね。して何をなされた方です」

「神殺し」

「…………。」

 

 

 金雷蜒王国は現在、「東金雷蜒王国」と「西(百島湾)金雷蜒王国」の2つに分かれている。
 十二神方台系の西半分を褐甲角王国が領有し、分断されたのだ。
 「西金雷蜒王国」は西海の「百島湾」と呼ばれる領域を占める、海洋王国である。

 東海岸は暖流が遡っているらしく、温暖湿潤で海浜部にまで樹木が茂っている。
 一面見渡すかぎり乾燥した荒れ地の南岸部とは大違いだ。

 故に「東金雷蜒王国」は、人の風俗もトロピカル。
 男性は半裸で腰巻のみ、女性も胸と腰巻のみでかなりセクシーな衣装を身につけている。

 さらに目立つのが、ほぼ全員がしている刺青だ。
 聞けばこれは身分証明書で、出身地や職業組合「バンド」の種別、奴隷の所有者を表している。
 奴隷解放を謳う褐甲角王国では、故に原則として刺青禁止となっているのだそうだ。

 ティンブットの腹と背にも、ちゃんと図案化されたタコが彫ってある。

 船は王国最南端の防御要塞「ガムリ点」を軽く通り抜けて、その先にある普通の漁港に入った。

 臨検も無い。出るのは厳しいが入るのは至極簡単で警戒も薄いそうだ。
 有用の製品や最新武器、書物、あるいは技術者学者が出て行くのは困るが、褐甲角王国からはせいぜい間者しか入れるものが無い。
 不審者は刺青の身分証明で簡単に見分けが付く。

 密輸船の船長は言う。

「もし万一聖蟲を戴く方がいらしても、ギィール神族は遠くからでも分かります。奇襲される心配は無いのです」
「ちょっと待って。じゃあ私が乗っていることは、」
「はあ。関所の役人は救世主様には決して手を出すな、と言い遣っているらしいですね。
 円湾のテューク神像をぶち壊した噂が誇張されて伝わっているようです」

「君子危うきに近寄らず、隙を見て策を弄して取っ捕まえようて腹か」

 こっそり来たのに正体バレバレと、あまりの間抜けに弥生ちゃんも次の手が思いつかず、茫然と船縁に立ち尽くす。
 可哀想な姿にティンブットが見かねて口を出す。

「あの、どうします。なんでしたら船上からハリセンで煽いで港を一気に火の海にする、とかしてまぎれ込みますか」
「いや、度胸を決めて上陸を強行しよう。出たとこ勝負だ」

 ガムリ点から5キロ北にある「ガムリハン」は本当に小さな漁港だったが、家々の造りが良く裕福そうに見える。

「この港を治めるのはサガジ伯メドルイと名乗られる神族で、政治軍事にあまり興味を示さない方です。工業、魚皮細工を主になさっておられます」

 魚皮を使った製品は丈夫で防水機能があり、笠や合羽によく使われている。
 ギィール神族が作るものは品質も高く装飾も華美で、金箔等を裏打ちした高級品は大層な高値で取り引きされる。
 この世界は魚皮・樹皮を好んで使う傾向があり、獣皮の革製品は武具以外はあまり使っていないように見受けられた。

 

 港に着くと、密輸船に同行していた無尾猫達はすっ飛んで他のネコを探しに行く。

 もちろん水、海の上が大嫌いなのだが、彼らには独自の習性がある。
 見聞きした光景をすぐに他のネコに話さなければ、気持ちが荒れて落ち着かない。
 万が一事故で死んでしまい貴重な情報が失われたら、と思うとおちおち寝てもいられないらしい。

 港の村は空だった。小舟が浜に何艘も引き揚げられて、誰も居ない。
 探してみると、小高い丘の上に人の気配が有る。村人全員が主人である神族に招集されたようだ。

 ちなみに、神族でない者は皆「奴隷」と理解してよい。金雷蜒王国はそういう社会システムだ。

「楽の音が聞こえます。お弔いでしょうか」

 とタコ巫女ティンブットは辺りを見回した。
 彼女の話によると、祭礼を行うにしても暦に吉日があり、今日はそれには当たらないので祝いは無いとの事だった。
 誰も居ないのをこれ幸いと、弥生ちゃんは家々を勝手に覗き込む。

「……ゲルタは無いね」
「あんなもの、漁港にあるわけがないじゃないですか。もっとおいしいお魚がいくらでも獲れますよ」

 呆れた顔でティンブットが言う。
 南岸で見た貧しい漁村では、延々1キロメートルもゲルタが干されて異臭漂う光景を目にするのだが、ここでは大型魚の皮が奇麗に短冊に剥がれて吊るされている。

「あの魚は食べられないのかな」
「ミョサンマですね。両手を広げた程もある大型の魚で大層な美味と聞きますが、痛み易いので港の近くでないと手に入らないものです。取れる港も限られていて、珍味と言ってよろしいのではないですか」
「それは是非とも食べなくちゃいけないな。ワサビと醤油があればお刺し身で頂けるんだがねえ」
「ワシャビ? ショーユ?」

 楽の音に誘われるように、二人は丘を登って行く。

 背後からネコが駆けてきて合流するのだが、タコリティから付いて来たのは1匹も居ない。全て別のネコだ。
 弥生ちゃん生情報を他のネコに伝えるのに大忙しなのだろう。遠く近隣の町村にまで走っていく。
 どのネコも同じ顔同じ声喋りで個性が無いから、なじみで無くても構わない。

 丘を上がった所に、銀色に輝く大きな屋敷があった。
 木陰からそっと覗くと、庭で大勢の男女が入り乱れて踊っている。
 弔いには見えず祭礼のように陽気で、不審に思ったティンブットが一人事情を探りに行く。
 踊りの輪から二三人引き出して話し、いそいそと戻って来る。

「やはりお弔いだそうです」
「誰の?」
「いえ、青晶蜥神救世主さまが降臨なされたからには今の世が終わるに決まっていると、御主であるメドルイ様が仰しゃったそうです」
「つまり、私の為に踊っているってこと?」
「これは正規の葬礼ではありません。コウモリ巫女もカニ巫女も居ないお弔いがあるわけがない。戯れでお祝いしてるのですね」

 と、ティンブットは背に負った荷物を下ろして身軽になる。なにをするかと聞くと、祭の輪に入って踊らねばならないのだそうだ。

「お祝いをしているのに踊りも披露せずおひねりも貰わないでは、タコ巫女としての職業倫理に反します。では一踊りして参ります」

 弥生ちゃんとネコを置き去りにして、ティンブットは人の輪に飛び込んだ。
 輪の中心には地元タコ巫女が4人居たのだが、ティンブットの乱入に応じて踊りを変え彼女を中心とした隊形に替わる。
 音楽もより華やかでテンポの速いものとなり、民衆は踊りの手をしばし止めて新たなタコ巫女に注目する。

 踊り手としてのティンブットは、達人の名に恥じない見事な技量の持ち主だ。
 彼女が踊るとその場の空気が光輝き、皆我を忘れて見入ってしまう。
 人を操るのも得意で、彼女が手をひらひらと振る度に民衆は左右に揺らいで自然と列を成し、花弁が拡がるように四つの組に分かれ揃って手足を振る。
 4人のタコ巫女はひとつずつを受け持ち、波が打ち寄せ帰るが如くティンブットの周りに渦巻いた。

 惜しむらくは彼女が旅装のままで艶やかさに欠けることだ。
 と弥生ちゃんは思ったが、どこからともなく五色の鮮やかな衣が舞い降りてきて、石舞台に駆け上がったティンブットがこれを取る。

 どうするかな、と見ているとそのまま舞台の上で素っ裸になって着替えをする。
 踊りながらも扇情的に服を脱ぎ裸身を揺らしてひとしきり披露した後、翻すように衣装を羽織ってみせる手並みに、これも芸の内なのだと納得させられた。
 エロティックであるものの爽やかで女性にも嫌味を感じさせない。この真似は自分には出来ないな、と弥生ちゃんは舌を巻いた。

 

 ぼわんとドラが鳴り、正面にそびえる屋敷から狗の面を被った若者が現われ、石舞台より続く階段の上に立つ。
 ギィール神族の護衛「狗番」だ。

 その姿を見て奴隷全員が地面に両膝を付いてひれ伏した。タコ巫女達も衣の裾をなびかせ膝を折り頭を垂れる。
 一人、ティンブットのみが進み出て階の段に身を横にしなだれかかり、乞うように手を伸ばした。
 狗番は周囲を睥睨し様子を検めてまた下がり、銀色に光る正面扉を観音開きに引き開けた。

 その男が非常に背が高く均整の取れた美しい肉体の持ち主である事が、遠目で見る弥生ちゃんにもよく分かる。
 タコリティにも何人かギィール神族は居たのだが、誰もが皆美しい。
 これが神の一族を自称すれば普通の人は信じるに決まっている、と納得させられた。人種からして違うのではと思うほどだ。

 彼、「サガジ伯メドルイ」も半裸の姿に金銀の箔で飾られた肩飾りを垂らす美々しい姿で、太陽の光を反射して庭全体を照らし出した。
 人々は一層地面に額をこすりつけるが、ティンブットのみが身を起す。

「あれは、スターだけに許される特権てものなんだろうな」

 音楽は荘厳なものに代わり、メドルイが階段を一歩ずつ下りて来る。潤んだ瞳でそれを見上げるティンブット。
 彼は手を差し伸べて舞姫を優しく引き起こし、わずかに頭を傾けて慇懃に挨拶をする。
 それに応えてティンブットは舞衣装の長い袖をひらと振り、空気をはらんで裾を翻して4人のタコ巫女と同じく膝を折り畏まる。

 彼が右手を上げると狗番がドラを叩き、民衆が、彼の奴隷達は頭を上げ再度両手をかざして礼拝する。
 手を下ろして、掌を上に向け横に滑らすとティンブット達舞姫は立ち上がり、彼の周りを舞い始める。
 音楽も元へと戻り、奴隷も立って踊り出した。

 石舞台の上でティンブットとメドルイが踊る。
 本職のティンブットに劣らず、彼の踊りも達者だった。
 身体の使い方が常人よりも遥かに巧みで、大きな肉体がしなやかに滑らかに弧を描き、重力を感じさせない身軽さで高く飛び上がり旋回する。
 その度衣装の金銀が煌めき、粉粒のような光が周囲に散乱して奴隷達の目を刺した。

 おそらくは奴隷身分は、神族の額の黄金のゲジゲジを直視する事が許されないのだろう。皆みに目を逸らして踊り続ける。

 突然太鼓の音が高く、2度3度と轟いた。
 メドルイは舞台から階段へと戻り、ティンブットも弥生ちゃんの方に踊りながら走ってくる。後ろにはタコ巫女奴隷達も続いている。

「青晶蜥神救世主ガモウヤヨイチャンさま、金雷蜒神族サガジ伯メドルイ様にお招き頂きました。どうぞこちらへ」

 ティンブットは先程メドルイにしたのと同じように、弥生ちゃんの足元に跪く。
 今更のような礼に弥生ちゃんはこそばゆくなり、階段の上に立つ彼を仰ぎ見た。

「ぜんぜん、隠れてた意味ないじゃん」

 

 屋敷を飾っている銀色の正体は、”ブリキ”だった。
 鉄板に錫をメッキしたブリキは地球上では西暦1240年頃ボヘミアで発明されたと伝えられる。ギィール神族が作ってもまったくおかしくない素材。
 なのだが、いきなり現代文明に直面したようで弥生ちゃんはちょっと気が抜けた。

 ギィール神族は金属をこの地にもたらした一族であり、その屋敷もブリキや銅板あるいは金で屋根を葺いていて遠目からでもすぐに分かるそうだ。
 それでいて瓦は焼かないのだから、技術の偏り具合が面白い。

 サガジ伯、と言っても「伯爵」ではない。ギィール神族には「神聖王」と呼ばれる頂点以外の爵位が無いそうだ。
 聖蟲を戴く者、皆等しく「神の使い」であり「救世主」である。
 つまりは自称なのだが、「伯」「侯」は中央政界に手を出さない神族が好んで使う字だという。

 それゆえ王国の法などには囚われず、不審者弥生ちゃんに特に咎めも詮議も無い。
 単に珍しい客が来たとして心尽くしの接待を受けた。

「……うーーむ」
「どうなされた。ガモウヤヨイチャン殿は天空より参られたと申されるが、この地の食はお気に召さぬか」

 タコリティでは大都市全体が総力を上げて弥生ちゃんを歓待してくれ、御馳走にも事欠かなかった。
 ギィール神族とはいえ漁港を支配するに過ぎないメドルイの歓待の膳は、確かに簡素と言えばそうだし、平民の食事に比べれば目が眩む高級なものとも言える。
 ただ、

「それとも、毒でも盛られていると御懸念か」
「ハハハ。毒ですか」

 と、弥生ちゃんは軽く笑った。釣られてティンブットも笑い、慌てて口元を押える。

「タコリティにおいて、5度ほど毒を盛られました。寝ている最中に天井から口元に毒を垂らすという目にも遇わされましたし、寝所に”足の無いトカゲ”を放り込まれもしましたよ」
「おお、それは」
「でもねー、あいつらバカばっかりなんだよねー。私が何者なのかすっかり忘れてるんだもの」

 弥生ちゃんはトカゲ神救世主だ。青晶蜥神「チューラウ」は冷気と癒し、薬の神である。
 神官巫女はその神殿において医薬品化粧品を調合販売している。
 暗殺に用いる毒薬もトカゲ神官が作ったもので、頭にカベチョロを乗っけている弥生ちゃんに効く道理が無い。

 舐めてみなくても一目で毒が入っているのは分かるし、それを入れた者も即座に見抜いて、食えるものなら喰ってみろと意地悪もした。
 田舎の子だから「蛇」なんかへっちゃらで、頭をカタナで叩いてのばし尻尾を掴んでくるくる回しながら朝起きて来て、皆の度肝を抜いたりもした。

「そ、それは申し訳ない。そのような無粋な刺客しかお眼に掛けられなかったとは、世を治める一族として情けなく思う」

 メドルイも弥生ちゃんの憂鬱を理解して恐縮してみせた。千年に一度の救世主を襲うのに間抜けしか居なかったのかと頭を抱えたくもなる。

「して、御不快はいかなる理由で」
「いや、御馳走は有り難いのですけれど、東海岸に行けば違った香辛料があると聞いていたもので、」
「味ですか。ファッカプタは試してみましたか」
「ゲルワン・カプタ、ミオ・カプタ、ジューデン・カプタ、アリストタラ・カプタ、皆試しました。貴重なギンゲスヒト・カプタも頂きましたし、カプタ・メノーマは遠慮しました。あれは寄生虫です食べちゃダメですよ」

 ここ十二神方台系においては香辛料と言えば「カプタ」、昆虫を干してすり潰し粉にしたものになる。
 植物由来のもので強い刺激を与える食用に適した香辛料はほとんど見当たらない。
 そこで虫粉を混ぜるのだが、苦かったり甘ったるかったり粉っぽかったりと、ろくな味にならない。
 この地の人であれば当たり前と疑問も感じないのだろうが、辛いものが大好きな弥生ちゃんにはこの仕打ち地味に堪えている。

 ちなみに「カプタ・メノーマ」とはカミキリムシのような白黒の昆虫を生きたまま腹を割いて緑の腺を引っ張り出して生食する、ゲテモノ食いだ。

「それは困りましたな。辛いものと言われても塩を多量に入れるくらいしか味つけは出来ぬ」
「十二神方台系は良い所ですが、こればっかりは我慢出来ないのです」
「星の世界の味とはどのようなものであるか。後学の為お教え願えないか」

 弥生ちゃんは思いつく限りの形容詞で説明してみるが、さすがに言葉では伝わらない。メドルイも首をひねるばかりだ。
 が、

「あ、こいつ。なんだって」

 いきなり弥生ちゃんが頭の上のカベチョロと喧嘩し始めたので、宴席に侍る者全てが驚いた。

「いかがなされた」
「いや、こいつがね、今、”聖蟲が頭に憑いた者に対しては、感覚の記憶を転送して共有できる”って教えてくれたのよ」
「おお、私にはその資格がある」

「ついでにね、自分の気配を消してゲジゲジの聖蟲の特殊知覚を騙して隠密裏に行動できる、って今更のように教えてくれるのだよ。このやろう」
「ああ。それは迂闊だ」

 周囲の顰蹙もなんのそので、カベチョロにしばしお仕置きをした後、弥生ちゃんは威儀を正して座り直した。

「それでは、私の世界の味がどんなものであるか、ちょっとお楽しみ頂きましょう。どの程度正確に再現できるか分からないけれど」
「これは、ガモウヤヨイチャン殿をお招きした甲斐があるというものだ。では、どうぞ」
「とりあえず、”カレー”とか」

 弥生ちゃんは通常の十倍の辛さのカレーを甘いと感じる辛味のスペシャリストだ。その記憶を転送されたメドルイは、いきなり口を押さえて悶絶する。
 驚いた狗番が主人を守ろうと抜刀して弥生ちゃんの前に立ち塞がるが、

「だ、だいひない。きへんはなひ」

 メドルイは舌を突き出して味覚に抗する。周囲の女奴隷やカエル巫女が慌てて彼の傍に水やら手拭いやらを持って来る。

 弥生ちゃんは記憶の転送を止めた。
 瞬時に刺激から解放されて、メドルイはようやっと息を吐く。いくら理想的な肉体を持っていたとしても、未体験の味には耐えられない。

「……あー、これは序の口です。私はこれじゃあ全然物足りないんですけど。どうします、これ以上は止めときますか」
「いや。いや、素晴らしい。このような味覚があり得るとは。
 私は今、金雷蜒王国二千年の内で最も貴重な体験をした。さあ、もう一度感覚を頂こう」

「では、次はワサビなど。これは生魚の切り身をショーユというものと合わせて食べる時に最高の美味となります」

 メドルイは今度は額を押さえてのけぞった。
 狗番は狗の仮面の下で脂汗を流して、主人ののたうつ姿を見る。何も出来ないのがいかにも口惜しい。

「では次はマスタードとか」
「青とうがらしで柚胡椒とか」
「胡椒忘れてましたね」
「山椒です」
「七味唐辛子は辛味は薄くても風味がよろしくて、すっきりとした味わいの」
「今流行のハバネロはどうでしょう」(注;執筆当時)

 ほぼ30分ほど感覚の転送が行われメドルイはすっかり消耗して寝込んでしまう。
 弥生ちゃんとティンブットは客室に案内され広間を去った。

 メドルイは新しい体験に大変満足で興奮すらしていたのだが、周囲の者は気が気ではなく主人の身を案じている。

「大丈夫だ。これほど愉快な気分は生まれてこの方無かったぞ」
「御主よ、聖蟲に関る御事に口出しはいたしませぬが、これはあまりに無謀が過ぎます」
「言うな、分かっている。他の聖蟲に、特に今から世を変えんとする青晶蜥神の聖蟲に意識を接続するなど正気ではとても出来ぬ。だが痛快だ」

「青晶蜥神救世主をいかがなさいますか。あの方は危険過ぎます。いっそ命を奪った方が後の世に益するのではありますまいか」
「ミィガンよ、我が忠実なる狗番よ。御前は金雷蜒王国が万年までも続く事を望むか。

 私は違うぞ。この世は狂っている歪んでいる。歪みを修正出来ずに淀んで行く。
 ガモウヤヨイチャンは、その淀みを打ち破る為に遣わされたのだ。お前達が何者にも束縛されずに生きていける世が待っているかも知れない」

「いかに世が変わろうとも、人から愚かしさを拭い去る事を出来ますまい。真賢き人に仕える事でのみ自らを全う出来る者も居るのです」
「そうか。ガモウヤヨイチャン殿は苦労されるのであろうな。
 よい。今宵は安らかにお泊り頂くのだ。明日になればまた考えよう」
「は。」

 

 弥生ちゃんとティンブットとネコ3匹は女奴隷に案内されて、”救世主の間”に案内された。
 メドルイは弥生ちゃんがここに来る事を3日も前から知っており、わざわざ屋敷を改装させていた。
 多分、密輸船の船長がカネをもらって連れてくると約束したのだろう。油断も隙もあったものじゃない。

 部屋は金属できんきらしてはおらず、青晶蜥神を象徴する青を基調とした落ち着いた内装となっている。

「ガモウヤヨイチャンさま、ここは素直に感謝いたしましょう」

 タコ巫女はしこたま酒を食らって今にも潰れそう。足元もふらついている。
 弥生ちゃんは未成年でもあるし、元から固いにんげんであるから酒は一滴も飲んでいない。実は強いのだが。
 それが災いして、自らに仕えるべき巫女を介抱する羽目になってしまう。

 女奴隷の力も借りてティンブットを寝床に放り込み、自分もその脇に座ってもういいよと言ったのだが、女奴隷は下がらなかった。

「ガモウヤヨイチャン様、ご無礼を承知で申し上げます。一つお伺いしたき儀がございます。よろしゅうございますか」
「うーーーん、だいたい貴女達が何を言って来るかは決まってるんだけどね。許す」

「ありがとうございます。それではお尋ねいたします。
 青晶蜥神救世主様は、金雷蜒神族をいかがなさるご所存でしょうか。褐甲角王国と同じく滅ぼそうとお考えですか」

「それね。私にも分からない。これは無責任で言っているのではなく、何も知らない私だからこそこの世界の人では考えもつかぬものを見出せる、とトカゲ神が期待してるんじゃないかな」
「分からない、決めかねているのではなく」

「私はこの世界の誰に対しても、恨みはありません。私を襲って来る暗殺者にさえも。今のところ私は憎しみからは自由です」
「それだけ伺がえれば安心です。
 では隣の間に夜通し控えておりますので、御用が御座いましたなら鈴でお呼びください」

 枕元には金色の鈴がある。
 複雑でありながら継ぎ目の無い青銅の鋳物で、つる草を模した繊細なデザインは鈴の部分を葉のように薄く仕上げ彫金で飾り文字を施している。
 これだけのモノを手作業で作れる職人が、地球には何人居るのだろうか。

 

 朝起きると、人が死んでいた。

 客室の扉を開けると、昨夜案内してくれた女奴隷と狗番が床に横たわっている。
 その他、見たことの無い男達が数名、これは庭に転がされていた。メドルイも左肩に傷を負い、奴隷達の手当てを受けている。

「呼んでくれれば良かったのに。ハリセンなりカタナなりの威力をご披露いたしました」
「我が家の客人を守るのは、これは私の義務だ。とはいえ”なりそこない”が混ざっていたので要らぬ犠牲を出してしまった」

 なりそこない、とは聖蟲を戴く為の七つの試練を全う出来なかったギィール神族の子だ。
 「エリクソー」と呼ばれる特殊な薬液を服用して成長した身体は神族と同等に雄大で、戦闘力としては変わらぬ強さを持っている。
 庭に骸は転がっていないから、彼は逃げ果せたのだろう。

「何者です」
「鳥を食らうたからといって、空が飛べるわけではなかろうに。貴女を食べに来たのだ」
「え、」

 この世界には十二神信仰とは別の宗教もちゃんとある。
 その一つが通称「人喰い教」
 人を食べることでその霊力を我が物とし、聖蟲を戴かずとも超人になれると唱える思想だ。

 神官や巫女を特に狙い、ギィール神族や黒甲枝にまで手を伸ばすという。
 千年に一度しか現われない十二神の救世主を是非とも食べずばなるまいと固く誓っているだろう。

 弥生ちゃんは自分を守る為に死んだ二人の亡骸を検めた。
 女奴隷は左の肩から腹にかけてばっさりと骨まで断ち斬られ即死している。狗番の方は全身に何ヶ所も傷を負っているが、致命傷は腹を抉られたものだろう。

「? ……あ、まだ生きてる」

 ほんとうに微かだが、狗番には息があった。だが内蔵を抉られては手の施しようが無い。
 メドルイが奴隷に支えられて立ち上がった。

「私の狗番だ。忠節の終わりを与えてやろう」
「まあ待って。私は青晶蜥神の救世主だよ。治癒の力を持っている」
「救えますか」

「わからない。今までやったことのない大手術になりそうだし。失敗しても恨んじゃダメだよ」

 弥生ちゃんは腰の後ろに束さむハリセンを抜き出した。青い光が周囲に満ち朝日の目映さを凌駕する。

 

 

第8章 弥生ちゃん、毒地にて金雷蜒姫を虜とする

 

 漁港ガムリハンの領主、金雷蜒(ギィール)神族サガジ伯メドルイの元に逗留して、弥生ちゃんは準備を調えた。

 目的地は神都ギジジット。神聖金雷蜒王国時代の旧首都であり、現在でも金雷蜒神の地上の化身が居る場所だ。
 ギィール神族が騎乗する生物兵器、巨大ゲジゲジ「ゲイル」の繁殖地でもある。

 道程はいくらなんでも秘中の秘過ぎて、協力的ではあっても、メドルイの口を割らすのにてこずった。
 だが日数が掛かった分、弥生ちゃんはギィール神族についての理解をかなり深めた。

 彼らは確かに奴隷を使役する。過酷な支配も有る。
 反面、一般人の社会は強力な支配者が無いと一気に崩壊する脆弱さを持っていた。
 「神族」という大きな幹に「奴隷」と呼ばれる一般人が寄り掛かっている。こう表現した方が正しいだろう。

 また神族は単なる為政者ではなく、「働く貴族」だ。

 彼らのみが高度な匠の技を持ち、機械や建築物を構築できた。
 各種産業も彼らが経営する事により効率良く運営され、高い収益を生み出している。
 神族が働く事を止めれば、生産性が半分以下にも下がって大量の餓死者が出ると想像された。

 古事を聞くに、千年前のギィール神族同士の内乱も脹れ上がった人口問題を端緒とし、それぞれが抱える奴隷を養う為の利権争いが元らしい。

 

 技術者としてのギィール神族は相当に興味深い。

 メドルイの工房を覗いてみると、水車を利用した回転動力を様々に利用している。
 魚皮を圧延したりふいごを回して火を焚いて乾燥を早めたり、または鉄を溶かしたりと随分と進んでいる。
 弥生ちゃんが江戸時代のカラクリ茶汲人形の話をすると、次の日には大体おなじものを作って来た。
 野原に行って過酸化水素水を利用したロケット槍を飛ばして遊んだりもした。

 これほどまでに技術に明るい彼なのだが、火薬についての知識がまるで無い。
 無ければ無いで結構だが、化学の分野でも博識なのにまったくに興味を示さない。
 火薬を利用した武器についての話をしても、上の空で理解しようとしない。いや、言語を解さないかの反応だ。

 弥生ちゃんは直感的に、”この種の知識はプロテクトされている” と感じた。
 額に宿る黄金のゲジゲジが知識を彼らに与えないのだ。

 考えてみれば当たり前だ。
 最も原始的な大砲でも巨蟲「ゲイル」を殺せるし、爆薬1樽もあれば無敵を誇る黒甲枝の神兵を屠る事が可能だろう。
 弥生ちゃん自身も、雨と降る弓箭は払えても、大口径の鉄砲玉を防げはしない。

 頭に聖蟲を載せて人々を導くシステムにおいては、火薬はバランスブレイカー。忌避すべき反則技なのだ。

 

 弥生ちゃんの逗留を知って、館には色々な人が忍んで来た。

 弥生ちゃんは隠密行動中(!)である。
 メドルイは気心の知れた友人にのみ伝えたのだが、驚いたことに神族のみならず普通の人も混じっている。
 彼らは「賢人」と呼ばれた。

 神族の友となるくらいだから皆相当の秀才だが、彼らは単なる奴隷であり、漁師をしたり灯台守をしたりとごく普通に暮している。

 メドルイに言わせると「聖蟲を憑けていても、バカはバカ」
 個人の資質が聖蟲によって高まるという事は無いのだそうだ。

 聖蟲の能力を十二分に使いこなす為には、戴く者も並外れて優秀でなければならない。
 故にギィール神族は聖蟲を戴く前に資格を試す七つの試練を受ける。

 褐甲角王国でも25歳くらいまでは厳しい軍務を経て、軍人としても執政官としても十分に訓練を積んだ後に聖戴を受けるそうだ。

 

「ただし、例外もある。
 ”王姉妹”、金雷蜒神聖王の姉妹達は誕生直後から聖蟲を戴いて、生まれついての神として生きている」

 メドルイは神族のみが知る最高機密を語っている。
 主に弥生ちゃんにだが、賢人達もついでにご相伴に与る。

「現在の王都は東のギジシップ島であり、ゲジゲジの聖蟲の繁殖が行われている王国の中枢だ。
 しかし、神都ギジジットは金雷蜒神「ギィール」の地上の化身、地上に唯一柱の巨大なゲジゲジの巣となっている。
 心臓部と呼ぶならこちらであろう。

 王姉妹はこの神に仕える巫女だ。神のみを崇め、王国自体の存亡や奴隷達の生命など全く意に介さない。
 神族に対して、いや神聖王にすらわずかの価値も認めず、ギジジットの運営に障りだと思えば容赦なく命を奪っている。
 暗殺者の集団を用いてだ」

「ガモウヤヨイチャン様、本当にギジジットにお出でになられるおつもりですか」
「我等下賤の者の立場からすれば、千年の定めによりて天河から与えられた救世主様を、そのような奸計の巣窟に送るわけには参りません」
「お考えを替えていただくわけにはなりませぬか」

 初対面の人に弥生ちゃんは決まって、「蒲生弥生です。”やよいちゃん”と呼んでくださいね」と挨拶する。
 だからこの世界の人は”ガモウヤヨイチャン”こそが真名と理解し、敬称を付けて呼ぶ。

 彼ら賢人を見ていると、「竹林の七賢」という言葉を思い出す。
 この世界に来て初めて会った「蜻蛉の隠者」の素性が大体分かって来た。

 メドルイも再考を促す。

「そなたは円湾で発掘した紅曙蛸巫女王五代「テュラクラフ・ッタ・アクシ」の赤石像を蘇らせる為にギジジットに向かうのであったな。
 なるほど、紅曙蛸神「テューク」の王国の後に来たのは、金雷蜒神「ギィール」だ。
 金雷蜒神の地上の化身を恐れて身を堅めるのも肯ける。

 だが、今の世に古代の女王が必要なのか?
 現在の救世主は青晶蜥神「チューラウ」の使徒ガモウヤヨイチャンであろう」

 まあ、それはそうなんですけどね、と弥生ちゃんは笑う。

「これは、勘です。理性で判断したわけでも、神が命じる計画に従うものでもありません。
 直観に基づいて、私が行くべきだと考えるのです」

「ほお」

「論理的ではありません。ですが、時に直観は一気に真実に至ります」
「そなたがそう思い定めるのであれば、もう止めまい。可能な限りの助力は惜しまない」

 メドルイの言葉に、賢人達もこれぞ天河が定め給うた救済の計画と諦めた。
 如何に尊い救世主であろうとも、聖業を成し遂げるのに安楽の途は用意されていないはず。
 冒険こそが神話を彩る。当たり前ではないか。

「メドルイ様、ギジジットへ至る地図を描いて賜りませ。ガモウヤヨイチャン様は必ずや成し遂げましょうぞ」
「そうはいかんのだ。季節により、また月の配置により毒の密度は動いている。計算によってのみ無毒の経路が見出せる。神族の者でなければ」
「大まかなものでよろしいのではございませんか。
 ギジジットの王姉妹様が救世主様を感知なされば、必ずや刺客を放って参りましょう。彼らの道を辿れば間違いなく」

「あ、それは名案」

 

          *** 

 ギジジット行きの目処は立った。しかし問題続出で弥生ちゃんは本当に困ってしまう。

「申し訳ありませえーん、私、わたしがガモウヤヨイチャンさまに付いて行かずに誰がというのに、ご一緒出来ないなんて、うわあああああああん」

 毒地で使う防毒面のテストをしたら、ティンブットがアレルギー反応を起してマスクの着用が出来なかったのだ。
 5人に1人はこの症状を示し、体質的に毒地の瘴気にも劇的に反応するとの事で、その見極めをする試薬を面に仕込んである。

「テュラクラフさまの御為に救世主さまがお出でになるのに、タコ巫女の私が随行出来ないなんて!
 ”腹かっつあばいて” お詫びいたしますうぅぅ」
「ほら泣かない」

 切腹の風習はこの世界には無い。ないが、弥生ちゃんから日本のお詫びの仕方を教えられた。
 万が一の場合はわたしも、と広言したが、まさかこうも早くに機会が巡って来るとは。
 タコ巫女必携宝の短刀をへそに当てて、弥生ちゃんに止められた。

「だいたいねえ、毒地にタコ巫女が行ってもやること無いでしょ。踊りが役に立つ訳もなし」
「うわあああん、そうなんですけどお」

 自分の代わりとなる者を、とティンブットは東奔西走。随伴する蝉蛾巫女を連れてきた。

 風の流れを読み天候の変化を知る天鳴蝉神「ゼビ」の巫女は、本来歌姫だ。
 踊りと音曲を生業とするタコ神官巫女とはもともと縁が深い。
 地元紅曙蛸神殿の全面支援で、とびきり腕っこきの蝉蛾巫女を探し出した。

 名は「フィミルティ」
 身長”公称150cm”の弥生ちゃんよりも更に小さな女の子だが、二十歳だという。
 栗色のさらさらした髪を短く丸く切っているので小学生の男の子のようにも見える。
 この世界ではボーイッシュなカットは女性の髪型には無いので、かなり異質。

 ただ、彼女は視力がほとんど無かった。
 極端な近視だと判明したのだが、案の定この世界には眼鏡が無い。

 弥生ちゃんはメドルイに頼んで、近視用の凹レンズを作ってもらった。
 メドルイも面白がってレンズ用ガラスの鋳型を何個も作りフレームも自ら金属をひねり、フィミルティ専用眼鏡を作り上げた。
 圧縮レンズなどは無いから分厚い牛乳瓶の底になる。

「ガモウヤヨイチャン様、この度は毒地への旅のお招き有り難く存じます。

 されどご存知でありましょうか。
 ギィール神族の随伴無しに毒地を、それも神都へ向かうなど天の掟に逆らうもの。見つかれば我等随員までもことごとく成敗されてしまいます」
「あ、いやー、まあ。うん、そうなんだけどね。
 もちろん行きたくない、イヤだと言うのなら無理強いにはしないんだけど」
「参ります。我ら天河十二神に使える婢女が、千年一度の救世主様の御召しに従わぬなどありません。たとえ火炙りにされようが磔で腸を抉り出されようが拒むなど思いもよらぬことです」

 蝉蛾巫女は、実はギィール神族の毒地行には不可欠の存在だ。
 吹き渡る風の瘴気の流れを読み、計算を超えた気象の異常に敏感に反応する彼女達は、安全な旅を保証する最後の切り札である。

 フィミルティも一度ならず褐甲角王国への寇掠軍に参加している。
 専門家として、メドルイからもらった毒地の地図に目を近付ける。せっかく眼鏡をもらったんだから、そこまで近付かなくてもいいのに。

「旅の予定は最短で20日、迂回するとして1ヶ月を考えておいでですか」
「もっと長くなるかな?」
「いえ、通常の旅程です。手形などが完備して関所を無事通過出来るのであれば。

  補給地を経由する、と書いておりますが、まことですか」
「ダメかな」
「確実に見つかります。強行突破なさるのですか」
「いやちゃんと泊まって、物資の補給もするよ」

 殴り込みを掛けるつもりか、とフィミルティは尊い救世主を呆れた顔で見る。
 眼鏡の恩恵ではっきりと見えるが、憎らしく思えた。

「補給地に詰める兵や奴隷は皆殺しでありましょうや」
「そんなバカな。物資集積所を強襲して、奴隷兵やら指揮官やらを虜にして補給の手伝いをさせて、それを口実に脅迫するという手口を使う」
「ああ!」

 たとえ脅迫されようが、敵性の存在であるトカゲ神救世主に協力したとなれば、彼らは確実に皆殺しにされる。
 その場に居合わせただけだとしても、阻止しなかった罪でやはり死刑だ。
 だが、誰が額にトカゲの聖蟲を戴く者の言葉に逆らえるだろうか。

「ギィール神族の御方々に、ガモウヤヨイチャン様に協力したとバラされたくなければ素直に言うことを聞けと。
 賢いお考えです。奴隷の心理をよくご存知で」

 

 だが荷運びの人夫が見つからない。
 なんだったら青晶蜥神官巫女を動員しても良いのだが、フィミルティほどに肝の座った者はそうは居ない。

 結局、イヌコマという可愛い馬を5頭買って運搬させる事とした。
 小さなポニーと同じ大きさで、イヌのように毛が生えたとんがった耳を持つ。
 速度はあるが非力で、60kgを載せたらもう歩かない。人も乗れない。
 軽い荷しか運べないが他に代わる獣が無く、交易の主力を担っている。食肉にもされる。

 供と言えば、ネコが大問題だ。

 彼らは当然の責務として救世主に付いて行くのだが、なにせ毒地。ネコが住める場所ではない。
 ギィール神族の寇掠軍にネコを同伴した例も無く、普通ならば諦めざるを得ない。
 なのに、雄ネコが5匹、決死隊として同行する。

「あなた達は命知らずで豪胆無比らしいけど、どんなことをしたの」

「オレは、”足の無いトカゲ”を捕まえたことがある」
「オレは、火事場泥棒の後をつけていった」
「オレは、ゲイルの庭に忍び込んで食べられそうになった」
「オレは、カニ巫女に棍棒で殴られながらも密着取材を敢行した」
「オレは、海で溺れたことがある」

 おおおーーー、と相互に武勇談を讃え合う。
 額を押さえて聞く弥生ちゃんだが、彼らの食事を考えるとまた頭痛がしてくる。
 無尾猫は本来吸血生物で小動物の生き血を吸うのだが、現在ではビスケットに血を吸わせたものを常食とする。
 つまり彼らの餌として食用大ネズミなどを生きたまま持って行かねばならないのだ。無理。

「どうしよう」
「生き血が必要ならば、イヌコマを」
「それはダメ!」

 ネコたちの為に生き血の缶詰というものを作らざるを得なかった。
 メドルイにブリキで缶を作ってもらって、湯煎した大ネズミの血を海綿に含ませて封じ込め蓋を蝋付けする。
 この缶は何度も使用して補給地ごとにネコ用缶詰を作る。だからハンダではなく白蝋で封印した。むしろ瓶詰めだ。
 物資集積所の幾つかでは食用ネズミの養殖もしている、という情報に賭ける。

 メドルイは言った。

「ガモウヤヨイチャン殿は、細々とした生活の端っこに位置するモノをお作りになる」
「我ながら実にせこい救世主だよ」

 

 そしてもう一人、弥生ちゃんに同行する者が居る。

「ミィガンよ。御前はガモウヤヨイチャン殿に従ってギジジットまで供をするのだ」
「しかし、御主よ。私は、」
「よいか、私を守るのと同様に、私の命に服するのだ。ガモウヤヨイチャン殿の為に生命を捨てよ」
「……はっ。謹んで御命を承ります」

 本来狗番とは、主人である神族の為に全生涯を費やす。主の為に死す事を喜びとする。
 だから主の命令は絶対だ。

 メドルイの狗番ミィガンには、弥生ちゃんに死の淵から救われた恩も有る。
 彼の治療は青く光るハリセンを用いたものであったが、それは奇妙な光景だった。

 ハリセンの発する青い光は一種のフィールドとなり患者を包み浮遊させ、人体をバラバラに解体して組み直す。
 損傷して足りない組織や器官は、彼と一緒に殺された女奴隷の臓器を抜き出して挿入移植する荒業を使用。免疫拒絶反応も遺伝子を書き換えて対処したらしい。
 奇跡には違いないが、とても医療には見えないものだった。

 まるでUFOのアブダクション、キャトルミューティレーションだよ。そんな感触を弥生ちゃんは覚えた。

 

          *** 

 こうして3人と5匹と5頭のキャラバンは毒地の中へと出発した。

 ティンブットは数日前に出発し、東路を進んで王都ギジシップ島方面へと移動している。
 彼女は道中デマを振り撒く。
 弥生ちゃんが街道を通って民衆の中を移動しているとの欺瞞情報で、ギジジットへ注意が向かないように工作する。

 なあに、トカゲ神の神威が宿った宝剣を用いれば、誰でも簡単に人を癒やして救世主ごっこが出来る。
 トカゲ巫女が化けた「偽弥生ちゃん」も連れて、大宣伝だ。

 メドルイは見送りに来ない。
 やるべきをすべてをやったからには、祈りを奉げる必要もあるまいと、いつもの生活の予定を崩さなかった。
 次第に遠くなる銀色の館を、ミィガンはいつまでも何度も振り返る。

 

 ガムリハンを立って2日後、弥生ちゃん一行は毒地に入った。一片の緑も無い。

 ほぼ乾燥した礫漠なのだが、時折昔の住居や村の跡に出くわす。
 溜め池も残っているが、溜っている水を飲むと黒い血を吐いて即死する、とミィガンは言った。
 それでも、紫色のなめくじが生きていたのには驚嘆する。

 地図に従って北上するも、いきなり毒の霧に出くわして進行を妨げられる。

 弥生ちゃんの治癒能力が無ければ全滅しかねない状況で、進むにつれて環境はどんどん悪化していく。
 ハリセンで進路上の毒をいきなり全部浄化してみたのだが、幅1km長さ6kmに渡って浄化された空間もわずか数時間で旧に復す。

「やはり、ギィール神族の案内が無いとちょっと無理みたいだね」
「風がデタラメに吹いて来ました。どうします。今なら引き返せますが、戻りますか」

 ミィガンの言葉に弥生ちゃんはちょっと考えて、額のカベチョロをてこてこと小突いた。

「消している私の気配を一時解放して、ギィール神族をおびき寄せよう」
「何をなさる御つもりです。それでは戦闘に陥ることが必至では」
「だからさ、道案内をとっ捕まえる」

 

 果たして2時間後、弥生ちゃん一行は金雷蜒軍寇掠部隊の一つと遭遇する。

 「シンクリュアラ・ディジマンディ(救済と回復の霞嵐)」
 ノゲ・ベイスラ市を襲って青晶蜥神救世主の降臨を察知し、急遽帰還を決めた部隊だ。
 彼らはガムリ点より100キロ北、大三角州の河口付近を領地とする神族達によって組織される。
 東へまっすぐ移動して、弥生ちゃんの進路を横切る形で遭遇した。

 両者矢の届かぬ300メートルの距離で対峙する。弥生ちゃんはギィール神族の礼儀に詳しいミィガンを使者に立てた。

「これなるは天の神座に御わす十二の創造手が一星、青晶蜥(チューラウ)神により方台に遣わされた世にも奇なる尊き救世主、ガモウヤヨイチャンさまが御行列なるぞ。
 金雷蜒神族といえどもゲイルに騎乗のまま挨拶するは許されぬ。地に下りて威儀を正されよ」

 居丈高である。喧嘩を吹っかけているのだから。
 だが、大声で伝えるミィガンは今にも心臓が裂けるほどに鼓動が激しく、ギィール神族への罪悪感で一杯になる。
 戦力を考えても、相手はゲイル騎兵6騎に兵士が100余。こちらは男1人に女が2人、ネコ5匹だ。

 向うも狗番を1名出して来た。互いに黒い狗の面を被るが、細部のデザインが異なる。

「今一度伺いたい。真正なる青晶蜥神救世主様であらせられるか」

「ギィール神族御方々におかれては、答は無用であろう。聖蟲が真実を明らかにされる」
「されど、なおも問う。青晶蜥神救世主であれば、何故この地にあられる。どちらへ参られる」
「ギジシップへ。金雷蜒神聖王に拝謁し、方台の行く末あるべき姿を談合し、王国を快く譲られん事を申し述べる御考えだ」

「……国を、譲れと」

 ミィガンは、弥生ちゃんの指示通りに嘘八百を吐いた。
 現在の王都ギジシップ島へ向かう、というのも大胆な話。
 それでも金雷蜒王国の心臓である旧首都ギジジットを直撃するよりは、遥かに現実的で理解可能な策であった。

 相手の狗番は明らかに自分の裁量を越える事態に動揺し、しばし待たれよと歩を返し主に指示を仰ぎに行く。
 弥生ちゃんもミィガンを呼び戻した。

「戦うのは私がするから、あなたはフィミルティとネコとイヌコマ達を守ってて」
「しかし」
「しかしも案山子も、あなた一人加勢に付いたって何の役にも立たないよ」

「攻めて来ますか」
「当り前じゃない」

 

 当たり前に、軍勢が押し寄せて来た。ゲイル騎兵はその場に留まり、歩兵だけだ。
 青晶蜥神救世主がいかなる力を持つか、見極めたいのだろう。

 狗番ではなく、剣令が指揮する武装兵と奴隷兵が剣を抜き槍を構え棍棒を振りかざし、まっしぐらに駆けて来る。

 ぱあーん。

 腰の後ろに束さんであるハリセンを抜いて、大きな音立てて開き、青い光と共に突風を吹き起こした。

 兵達はまとめて左に弾き飛ばされる。弥生ちゃんに辿りつく200メートルも前だ。コロコロと荒れ果てた地面を転がる。

 ミィガンもフィミルティも、救世主の真の姿を目の当たりに見て声を失う。
 さすが「神殺し」ピルマルレレコを紋章とする御方だ、と納得がいった。

 立ち上がった兵は誰一人、再度弥生ちゃんの方に向かわなかった。
 代りにゲイル騎兵が揃って前に出る。
 狗番は続かない、足手まといとされたのだろう。逃げ散る奴隷兵達を取り纏めている。

 弥生ちゃんはハリセンを戻して「カタナ」を抜く。

 本来ならば何処かの狗番の差し料だった湾刀は、戦場で砕かれ長さを半分にされた。
 切っ先と呼べる部分は無く先端が平たいが、ほぼ日本刀と同形に見える。
 手の中で刃先に青い光の滴を宿し、刀身に鬼気をはらむ。

 6騎のゲイルはトカゲ神救世主を囲み、輪を走る。

 ゲイルは全長12メートルを超える巨大なゲジゲジだ。長い二股の尻尾を持つ。
 色は白骨に等しく、肢は17対を備える。背の高さは4メートルにもなり、家の2階ほどであろう。

 しかし弥生ちゃんは、案外と不快感を抱かない。あまりにも大き過ぎて虫の感じがしないのだ。
 むしろ、博物館で見たクジラの骨格標本が歩いているかに思える。

 ゲイルの背には箱型の「騎櫓」が載せられている。何枚もの盾に守られ、ギィール神族が黄金の弓を引く。
 いずれも雄大な体格で、女性であっても身長2メートルに達する。見るからに一般人とは異なる優美な姿。
 金銀に彩られるきらびやかな甲冑を纏い、神話の一コマを思わせた。

 生贄を狩る神々だ。

「これはコワいな」

 17対6組の肢は白樺の林のよう。ざわめき揺れて互いにぶつけ、がらと音を立てる。鉄道列車の轟音を思わせた。

 とん、と土を蹴る。跳んで、いきなり神族よりも高い6メートルに達する。
 だが鏃はすかさず狙いを正し、上方を射る。黄金に輝く矢が6本同時に集中した。

「風が、救世主さまを包んでいる」

 蝉蛾巫女フィミルティは、風が救世主の身体を持ち上げ自由に宙を走らせるのを感じる。
 弥生ちゃんの周囲を風が巻き、放たれた矢をすべて絡め取った。

 そのまま返す。正確にそれぞれの射手の元に矢は帰るが、空中で新たな矢に撃ち落とされた。
 初撃が外れた瞬間に、すかさず新たな矢を番え、間髪を入れずに放つ。
 どちらの方が奇跡を演じたのだろう。

 弥生ちゃん、再びとーんと空を蹴り更に上にと昇る。何の足場も無いのに。
 くるりと旋回して神族の品定めをした。

「大体、わかった!」

 神族の中に一人、女性が居る。これをターゲットとしよう。
 また神族が乗る箱「騎櫓」は、ゲイルの胴に帯や鎖を巻いて固定している。これを斬れば、箱がずり落ちて戦闘どころではあるまい。

 高度を利用して、弥生ちゃんは凄まじい速度で駆け下りる。本人が矢の速さとなれば、誰にも捉えられない。
 燕が家屋の軒をすり抜けるように、ゲイルの肢の間を貫き、カタナを振るう。

 神族は弓の使用を諦め、長槍や戈を振り回す。
 しかし騎櫓を繋ぐ鎖がいとも容易く斬られて緩み、足場がもろくも揺らいでいく。
 巨蟲ゲイル自体の制御すら難しい。

 ただゲイルそのものは斬らなかった。映画『エイリアン』みたいに強酸性の体液とか出てきたらどうしよう、と懸念したからだ。

 

 神族が振るう槍戈また刀剣は神族自身が鍛えた逸品。この世界で手に入る最高級の武器だ。
 しかし「カタナ」に接触するとあっさりと刃先穂先が刎ね飛ばされ、使い物にならなくなる。

 その上で、狙いの神族の女性をゲイルの背から蹴り落とす。
 彼女の名は「キリストル姫アィイーガ」、兜の面で顔を隠すので年齢の推定は難しいが、多分若い。
 激しく地面に落ちて意識を失う。

 死んではいない事を確認し、弥生ちゃんは「カタナ」を左手に持ち替え、再びハリセンを抜いた。

「ぃえええええええいいいいいいいいい」

 主を失ったモノも含めて、6匹のゲイルが揃って吹き飛ばされる。およそ500メートルは飛んだ。
 無論死なないように手加減はしてあるし、地面に激突する前に風が巻いて、割とふんわりと落ちたはず。

 ちょっとやり過ぎたかな、と思ったら不意にがくっと膝の力が抜けた。
 ハリセンは使い過ぎると自分にもダメージが入るのだ、と今更に知る。

 

 戦いの様子を遠くから見守っていた「シンクリュアラ・ディジマンディ」の兵達は、慌てて飛ばされたゲイルと神族を追う。
 主人達が無事であると確認すると、一目散に霧の中を逃げていった。正しい対応だ。

 狗番が2名だけ戻ってくる。弓の届かぬ300メートル付近に地に膝を付いて控える。

「……この方の狗番でしょう。主が居ないのを知って取り戻しに来たのです」

 キリストル姫アィイーガは気絶し、脱げた兜の下から金色のゲジゲジがけなげに尻尾の刺を振って彼女を守っている。
 小さな頭をもたげ、赤い双眼が輝く。

「おっと。」

 避けた所を、赤い光条がすり抜ける。
 世に言う「金雷蜒の雷」、ギィール神族に無礼を働いた者が撃たれる神罰と聞く。

 だが弥生ちゃんは、これを見るのは2回目だ。十二神方台系に降臨した初日に体験して、よく知っている。

「そんなレーザー光線は効かないよ」

 人差し指でゲジゲジを押さえて捕まえる。きゅーきゅーと聖蟲は可愛らしい声を上げた。
 聖蟲をとっ捕まえる光景を初めて見て、ミィガンもフィミルティもあまりの罰当たりさに全身を硬直させた。

 弥生ちゃんは、遠くこちらの様子を探る2名の狗番を見て言った。

「あいつら、主を救えないと知ったら、死ぬかな」
「死にます。御主を失って故郷に帰る事の出来る狗番は居ません」
「そりゃかわいそうだな」

 弥生ちゃんの意を受け、ミィガンは彼らの元へと歩んで行く。

 

 こうしてトカゲ神救世主御一行様は人数が倍に増えた。

 

 (ここまで近代化改修初期バージョン済み)

 

   

第9章 仮面の男、自らの罪を語る

 

 

【ゲルタのおいしいいただき方】

 ……そんなものはありません、というのが十二神方台系の住民大方の意見だろう。

 方台を取り巻く海のどこででも取れる雑魚の「ゲルタ」は、有り難みの無い魚だ。
 季節になれば嫌でも網に掛かって大量に上がって来る。

 これで美味ければ神の御恵みと称えられようが、あいにくと強烈な臭いがする。大量のアンモニアを含むのだ。
 脱臭の処理を施したら、かすかすになって食べるのに徒労感すら感じる食品になってしまう。

 とはいえ、海辺の漁師達はゲルタを食用にする方法を色々と試行錯誤した。
 海が時化れば食べるものが無い。だがアンモニアを含むゲルタはなかなか腐敗せず、長期保存が利いた。
 とりあえずは飢えをしのげるのだ。

 また長期間まとめて置く内にアンモニア発酵が進み、蛋白質が変性してある程度は美味といえる味に変化する。
 ただし保管方法が問題だ。壺漬けにすれば良いのだが、近くに有るのは嬉しくない。
 特に気温の高い南海岸方面では、発酵するに従って殺人的な臭気を発生させ、実際死んだ。

 そこで南海の漁師達は、ゲルタを捌いて吊るし干しにする。放っておいても腐らず強い日差しの下で勝手に干物になってくれた。
 しかもゆっくりとであるが、内部で発酵が進行する。

 更に漁師達は塩を付ける事を考えた。

 海岸線にずらとならんで悪臭を放つゲルタを見れば潮水くらい掛けたくなるのが人情。乾いた塩がまとわりつけば、臭気も或る程度封じ込められる。
 2週間ほど毎日潮水をじゃばじゃばと掛けてやれば、真っ白な塩に包まれる「塩ゲルタ」が完成する。
 この塩を掻き落とせば製塩完了なのだが、それはやらない。このまま出荷される。

 理由は流通上の問題だ。

 塩は古代の交易においても最重要の価値を持つ優れた商品である。
 食塩の精製は紅曙蛸王国時代に始まるが、モノが良過ぎた。
 各地に勝手な関所が作られ関税を取るようになると、精製された塩はまっさきに取り上げられる。
 消費地まで届かない。

 一方塩を纏ったゲルタは、同じ塩を扱っているのにノーマーク。価値に大差がついて最低の扱いをされた。
 皮肉にも、つまらないからこそ、どこででも流通する標準的な商品となる。
 方台上のどこででも同じ価値で取り引きされ、交換レートの目安となる。

 つまり通貨の代替物として機能するようになった。

 

 目先の利いた商人はゲルタの形で塩を安全に安価に運び、都市内で精製作業をして高価な食塩として販売する。

 塩抜きされた大量のゲルタは廃棄するのも勿体ないから、安価で下げ渡され市場で一般庶民の蛋白源として売られている。
 これが狭義の「ゲルタ」である。価格としては、「塩ゲルタ」の10分の1。
 主な調理法は、焼くくらいで特に無い。調理しようという意欲も起きない。
 出しガラを焼いているわけだから美味い道理も無かった。

 故に、「ゲルタのおいしいいただき方はありません」

 出しガラになる前の塩ゲルタなら、色々と使い途がある。

 大鍋に水と塩ゲルタを放り込み炊くと、案外と良い出汁が取れる。塩気もあるから穀物や野菜、その他の具を入れるとお粥やスープが出来上がる。
 冷水に一夜漬けておくと塩水が取れるからこれで漬け物を作る。
 また細かく砕いて、調味料として料理に入れても良い。
 ぐつぐつと煮潰してペースト状にしたものを、焼き餅に塗って食べてもいる。(餅といってもとうもろこしで作るトルティーヤに似て粘りは無い)

 とにかく庶民の料理の大半はゲルタになんらかの依存をする。
 十二神方台系に住む人は生まれてから死ぬまでゲルタを食べ続けるわけだ。いいかげんウンザリもする。
 不慮の死を遂げた人の家族に対して、「ゲルタからは解放されたのだから」と慰める言葉まであった。

 近年製法の改良も試みられ、徹底的に発酵熟成させた後塩で包む、味わい深い商品も発売された。
 近縁種である大ゲルタ(親ゲルタともいうが別の魚)を使って、熟成後燻製にしたものは特に良い出汁が取れると好評を博している。

(蒲生弥生)

 

 

第10章 金雷蜒王姉妹の挑戦

 (旧題「金雷蜒王姉妹、毒地神聖首都より魔手を伸ばす」)

 

【ミミズ神殿】

 

第11章 虚空の災姫狂瀾す

 (旧題「巨大金雷蜒神、虚空より災厄の女神を召喚する」)

 

 

 【十二神信仰の主要聖地】

 

第12章 青晶蜥神救世主、巨大金雷蜒神に勝利する

 

 

最終章 青晶蜥神救世主蒲生弥生ちゃん、大地を浄化して新時代の扉を開く

 

(ゲバルト処女 エピソード1 「トカゲ神救世主蒲生弥生ちゃん、異世界に降臨する」 了)

 

 

 

 

  

  

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