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『罰市偵』

 

1(十二神方台系”タンガラム”)

2(神様の並び方)(十二神信仰の概要)(十二神信仰の歴史)(聖蟲信仰)(ピルマルレレコ信仰)(ゾンビと魂)

3(タンガラムの通貨)(タンガラムの食)

4(タンガラム民衆協和国国会)(司法機関)(大審法会)(絶対禁令)(巡邏軍特任捜査班)(法論士と法衛視の違い)

5(カレーライス)(醤油)(昆布)(箸)

6(餅・飯・麺・麭・麸・粥)(カニ神殿)

7(トカゲ神殿)(トカゲ神殿2)(大学校)(大学校2)

8(万年筆)(ゴム)(電話)(電話その2)(電話その3)(角力)

9(タンガラム警察行政における民衆参加)(タンガラムにおける学制)

10(イヌコマ)(卵)(ふらいどちきん)(金髪)

11(軍隊兵士の階級)(海軍)(剣令と掌令)(中央司令軍)(特別戦闘員)(公務員の階級)(民間企業の役職)(中央法政監察局)(外交法事局)(護法官)(煙草)

12【護剣】【護剣による決闘】【軍服】【礼装】【タンガラムにおける鉄道網建設の歴史】【内燃機関動力車】

13【姓・名】【シキワーハァメル著『現代詩人悪評伝』】【コングロア接続駅】【バシャラタンの食】【時法】

14【靴】 【メイドさん】【地獄】【未発見方台】 

15【みかん男爵はうどん派だ】【捜査員】【特別強行制圧隊】【制圧銃】【手動拳銃】【軍事探偵】

 

【異世界設定その1】

 「罰市禎」の舞台となるタンガラム国は、別名「十二神方台系」と呼ばれる1辺1000キロメートルの正方形の大地である。
 通称は「方台」、これは「大地」と同じ意味である。
 かっては幾つもの王国が分割支配していたが、創始歴6215年現在は「タンガラム民衆協和国」と呼ばれる民主主義国家が統一する。
 単一民主主義体制となって、おおむね200年が経過する。

 1年=333日=9×37 であるから、1週間=9日である。
 また1年を3つの季節で分けて1季=111日=37日×3月 とする暦が使われる。これを「季月」と呼ぶ。「春・夏・秋」の3季ある。

 28日周期で回る衛星「白の月」が存在するから、1年=12月とする太陰暦が長く使われてきたが、これだと12月=336日で余ってしまう。

 そこで近代タンガラムでは2つを折衷した太陽暦を採用し、28日の大の月と27日の小の月を合せて使う。
 28日+28日+28日+27日=111日 で1季、 4ヶ月に1回小の月が来ることで、暦を調整する。
 春1・2・3・4月、夏5・6・7・8月、秋9・10・11・12月
 太陰暦と間違えないように「春3月」という風に呼ぶ。
 小の月は、4月「雨月」、8月「暑月」、12月「冷月」とも呼ぶ。春1月は「正月」だ。

 「冬」は、タンガラムでは気象現象である。
 秋12月から春2月の間に、北方の強力な寒気が方台に流れ込み、一夜にして氷雪で凍えさせる。これが「冬」だ。
 だから暖かい年には「冬が無い」こともある。

 春3月になると冬も終わり、新年度がスタートする。農耕種蒔が本格化する。
 残念ながら、桜の木は存在しない。

 1週間=9日で、法律で定められる休日は1日。
 8日働いて1日休みとなるが、銀行や役所は事務手続きの関係上、週の真ん中で1日休む。
 つまり4日営業日で1日休み、3日営業日で公休。
 百貨店等大規模店舗の店休日も法律でこの日に定められている。故に通称「店休日」
 店休日の前後を、 慣用的に「週の表/裏」と呼ぶ。
 むろん農村などでは関係ないが、都市社会はこのリズムで動いている。

 

 この物語の舞台となる惑星の自転周期は地球時間で27時間。
 タンガラムにおいては1日を12で割って1「時間」とする。地球時間だと2時間15分。
 1時間を12で割ってさらに10等分したものを「分」と呼ぶ。地球時間の1分とほとんど変わらない。
 1時間を12分割したものを「刻」と呼ぶ。「半刻」は1時間の真ん中を意味する。

 深夜0時から午前2時までを「1時」と呼ぶ。「0時」というものはタンガラムには存在しない。
 午後10時から12時/0時までは「12時」である。だから「12時48分」というのはまだ今日の内だ。
 同様に「刻」も1〜12刻だが、十進法の「分」は0〜9分と数える。
 最近はめんどくさいから刻ではなく分で表現する。

 ちなみに「12時48分」は「午後10時48分」である。
 「午後11時48分」は「12時108分」、「12時半48分」とも表現する。

 1日における絶対的な区切りとして、日の出、正午、日の入り、深夜0時がある。
 が「午の刻」なんて無いから、午前正午午後という呼び方は無い。
 正午の事は「南昼時」と呼ぶ。
 南昼時を基準に「昼前」「昼後」と呼ぶが、これには夜は含まない。
 夜を含む場合は「日の表/裏」と呼ぶ。

 日の出日の入りは季節によって違うが、便宜上午前6時を「暁」、午後6時を「暮」と呼ぶ。
 また深夜0時で日付が換わる時を「極点時」と呼ぶ。

 タンガラムの時計は1日12時間制であるが1時間が120分になる。
 アナログ時計は1周120分割で「分」を表示すると見辛い為に、60分2周で表現する。「半刻」を用いるわけで、時計に合せて現在は60分刻みで読むのが一般的な慣習。
 故に文字盤の「時」表示枠は前後半で色を白黒に塗り分けている。
 デジタル表示する時計は120分表記が主流。数字がぱたぱたと入れ替わる機械式で、液晶表示やニキシー管表示はまだ無い。
 鳩時計は、鳩の代わりに十二神の神様の人形が出てくる。好みの神様の時計を買ってくるのだが、1時間ごとに神様が代わる高級柱時計もある。

 

【異世界設定その2】

 時計時刻における神様の並び方
 (極点時1時)コウモリ・ミミズ・ネズミ・(暁)タコ・カブトムシ・カタツムリ(昼天時7時)ゲジゲジ・蝉蛾・カニ・(暮)カエル・トカゲ・蜘蛛 
 それぞれにちゃんと意味が有る。

 季節も十二ヶ月に神を割り当てる慣習があった。主に太陰暦で使うものだが、現在の暦に援用される。
 (1月正月)トカゲ・カニ・カエル・(4月雨月)ミミズ・カタツムリ・蝉蛾・カブトムシ・(8月暑月)ゲジゲジ・蜘蛛・タコ・ネズミ・(12月冷月)コウモリ

 ちなみに神話での並びはタコ・ゲジゲジ・カブトムシ・トカゲ・蝉蛾・ミミズ・カタツムリ・蜘蛛・カニ・カエル・コウモリ・ネズミで、これが正しい順番。
 干支と違って順番が一定しないのは、それぞれの神に属性があり、時刻や季節の属性に合わせる為。
 例えばタコ神は「紅曙蛸神」と正式には呼ぶから暁以外の時に用いるはずが無い。同様にカニ神は「夕呑螯神」で夕方以外はあり得ない。
 またトカゲ神「青晶蜥神」は氷と「冬」と北の神で、一番寒い1月に当然に現れる。ちなみにタンガラムのトカゲは寒さに強く北方に多く生息する。
 ゲジゲジ神「金雷蜒神」は明るく烈しく輝く太陽の化身とも言われ、昼正午の太陽また盛夏にふさわしいと考えられる。

  ※ 詳しくは『げばると処女』設定集”神さま数え歌”を参照のこと ※

 

【十二神信仰の概要】
 十二神信仰とは方台の大地を創造し自然を育て動物を生み出し、最後に人間社会を築き上げたとされる12の神を信仰する体系である。
 正確には「天河十二神」と呼ばれ、天の川の両岸に住む12の蟲とされる。星座の事だ。

 十二神は森羅万象を司る自然神であるから、特に信仰の証を捧げなくともその恵みは万人に平等に行き渡るとされる。
 ただそれは獣の生き方であり、知性を持ち観測する手段を持つ人間は神に近付きその意図を汲み取り、真に命ずるものを理解して地上世界で実現するべきであろう。
 これを「天河の計画」と呼ぶ。計画に従って千年に一度方台には神の代理人たる救世主が遣わされ、民衆を指導し新たなる王国を立ち上げ社会を変革してきた。

 十二神を信仰するとはつまり、新たなる救世主の到来を望む思想である。
 確固たる計画に従い人間が神の命じるままの姿に、立派で有用な存在に進歩できるように導き手を求めるものだ。

 また生死も当然に信仰体系の中に位置づけられている。
 人はこの世に生まれるとその生涯において魂が擦り切れ汚れくたびれてしまう。罪を犯す者も居る。
 人が死ぬと魂は西の彼方太陽の沈む方向から夜空に昇り天河の川原、十二神の聖座の有る場所で審判を受ける。
 地上において悪を為した者はカニ神のハサミによって首を切り落とされ、川原に並べた長机の上に晒され乾き黒く小さくなってもなお意識を保ち罰し続けられる。

 善人の魂は天河の両岸で神と共に生き、遊び、地上のしがらみが抜け落ちるまで過ごし、すっかり軽くなったところで東の海から地上に降り方台に戻って、赤子として再生する。
 一種の輪廻転生思想を基盤とする。
 しかし因果応報の原則は無く、地上に降りる時はどの魂も等しく無垢であり、ただ偶然のみが地上での身分や境遇を定めるとされる。
 むしろ地上に降り生まれて後に神の命を受け、聖蟲を戴き救世主となって天河の計画に従うのを理想とする。

 故に十二神信仰においては血統はさほど重視されない。
 無価値ではあり得ないのだが、聖蟲を持つか持たぬかのみが最重要でありソレ以外の権威の在り方は取るに足らないものと思われている。
 現在では聖蟲の存在自体が無いので、万民は平等が合言葉である。

 十二神殿は民衆の信仰の拠点であるが、それぞれの神同士が仲が悪いというものではない。それぞれに守護する分野が有り、まんべんなく拝むことで完全な加護を得る。
 ただしどの分野を重視するかは個々人の事情で違う。
 人の一生において必ず関わってくるのは、出生を守護するネズミ神、結婚の契約を取り仕切るカブトムシ神、病平癒を司るトカゲ神、死後の魂を守り葬祭を行うコウモリ神、であろう。
 また死後の裁きにおいて厚遇を願ってカニ神を詣でる者も少なくない。

 学業成就であれば文書を司る蜘蛛神、または頭を司り煌めく才能を愛でるゲジゲジ神を、出世を願うならば一家隆盛のカタツムリ神に頼ることとなる。
 もっと単純に金持ちになりたいならば財宝の神タコ神、商売繁盛ならばネズミ神を拝む。
 蝉蛾神は音曲と歌、また大気の神であるから、航海の無事平穏また順風満帆を願う。
 恋愛成就であればカエル神。特にカエル神の御神籤はよく売れる。
 憎き者や裏切り者、浮気者に天誅を加えるにはミミズ神を拝むと良い。ただし仇討ちはカニ神の管轄。

 

【十二神信仰の歴史】
 信仰・宗教というものが民衆に意識されたのは創始歴2000年、初代タコ女王ッタ・コップが王宮神殿を創建したことに始まる。
 タコつまり紅曙蛸神の巫女であり地上代行者である「女王」は方台に文明をもたらし、自らが召し使う官僚組織の一部として神殿組織を立ち上げた。
 それ以前にも十二神信仰の萌芽は記録されているが、信仰と支配が渾然として分離不能で独立した宗教ではなかった。
 タコ女王が定めた神殿組織は民衆に様々なサービスを提供するのを目的とする。つまり奉仕によって人々を導く合理的健全なものであった。

 しかしながら創始歴2500年頃にタコ女王の制度は忽然として崩壊し、官僚組織の中枢であった知識人「番頭階級」が方台を支配する。
 彼等は「タコ女王の代行者」として「小王」を名乗り、各地を分割統治した。
 失われた絶対的権威を補うものとして精神性と抽象性を強化した『火焔教』と呼ばれる宗教が勃興し、これに対峙する形で十二神殿も独立性を高め組織化を進めた。

 残虐な儀式を用いて人々を惑わした火焔教は、創始歴3000年頃に出現したゲジゲジ神救世主「ギィール神族」により駆逐され、改めて十二神信仰が方台の精神的主柱となる。
 知性学識指導力に優れたギィール神族は良く民衆を統治したが、半神が如き支配者に民衆はひたすら隷属する事を喜びとするようになった。
 為に十二神殿も神族の端女のような存在に堕し、統治機構に補完的に組み込まれた。が、これはタコ女王により創設された当初の姿を取り戻したとも言える。

 創始歴4000年に登場したカブトムシ神救世主「クワァンヴィタル・イムレイル」は「神兵」による反乱軍を組織して、当時放埒と独善に陥って内戦を繰り返していたギィール神族から民衆を解放せんと新しい王国を建設する。
 以後千年ゲジゲジ神・カブトムシ神を奉じる2つの王国が方台を分割支配し戦争を繰り広げるが、どちらも十二神信仰に基づいた神権王国体制である。
 歴史上初めて民衆は「信じる神を選ぶ」機会を与えられ、個々人の意志により信仰に参加する自由を得た。
 長く続く戦乱は全体としては宗教を深く民衆の間に植え付け、個人の信仰を統合する場として神殿を確立させたとも言える。

 創始歴5000年頃に出現した第4の救世主トカゲ神の使徒として知られる「ヤヤチャ」は近代合理主義を体現した存在であった。
 旧態依然とした方台の精神世界はヤヤチャにより啓蒙され、やがて神権王国体制から独立した、人間を主体とする合理主義に基づいた統治機構が模索される事となる。
 これを「民衆主義」「民衆国家運動」と呼ぶ。
 時代の流れに従って十二神殿が独占していた各種の奉仕活動・事業が民間業者が行う営利事業となり、実益を基盤とした十二神殿体制は崩壊し純粋な宗教組織への変化を余儀なくされた。

 ヤヤチャはまた、新たに13番めの神「神殺しの神ピルマルレレコ」の存在を提示した。物理的な死ではなく、十二神による地上支配の権能を終了させる機能を持った神だ。
 ピルマルレレコ神は既存の十二神信仰に飽きたらぬ新しい知性の発露を大きく助ける概念とされた。
 民衆主義の信奉者活動家であっても、ピルマルレレコ神を自らの旗印として使うまでになる。
 創始歴5500年代には擬似一神教となったピルマルレレコ教が猖獗を極め、社会制度特に神殿組織と奉仕業務に致命的な損傷を与え、神権王国体制を揺るがせた。
 5555年に突如としてピルマルレレコ教は解体され無力化したが、この時の神権衰退が民衆主義の発展を促進したと言えよう。

 しかしながらヤヤチャは十二神信仰最強の救世主であり、ピルマルレレコ神の生きた権化でもある。
 ピルマルレレコ教の解体は500年の時を越えて再臨したヤヤチャ本人に依ると伝えられる。
 無論物理的にはあり得ない事象だが、十二神信仰は新たな息吹を与えられ民衆の熱烈な支持を集め、近代的な宗教へと脱皮する助けとなった。

 創始歴6000年から200年を過ぎた今日まで、未だ5番めの蝉蛾神救世主は現れない。

 現在の十二神信仰は、近代合理主義民衆主義が及ばない精神的な苦しみを救うためのほぼ形而上の存在へと進化した。
 また「神殺しの神」思想は、行き過ぎた合理主義・人間中心主義による独善的な支配や蛮行、冷酷非情な市場主義資本主義の横暴圧政環境破壊に対抗する、
自然な民衆の感情の発露を統合するものとして、政治的にも強く影響を及ぼしている。

 虐げられた民衆を救わんと志す者の多くはヤヤチャに範を求め、自ら救世主にならんと行動する。
 また世の為人の為に自らを顧みず民衆に尽くす者を救世主と人は呼ぶ。英雄探偵もその一つであろう。

 なお「ヤヤチャ」は仮名愛称である。
 真名は確かに有り伝わっているのだが、5555年のトカゲ神国王により真名を呼び助けを求める事を禁じられた。
 神佑天助奇跡をアテにせず、方台民衆が自らの手で世を正しき道に導いていく誓いとされる。

 

【聖蟲信仰】
 神に選ばれた者のみが額に戴く事を許されたとする超能力を備えた蟲がかっては存在したと、十二神信仰では説いている。これを「聖蟲」と呼ぶ。
 古くは初代タコ女王「ッタ・コップ」が額に白く小さな神々しいタコを戴いていたとされ、当時盛んに作られた女王の治世を称える石碑にも描かれている。
 ゲジゲジ神の救世主である「ギィール神族」は一人ではなく社会の支配階級として多数が居たのだが、彼等が神族に昇格する資格とは聖なる王から黄金に輝くゲジゲジを授けられ額に戴く事であった。
 カブトムシ王国の「神兵」もまた世襲の救世主「武徳王」よりカブトムシの聖蟲を授かる事で無敵の怪力を手に入れ、或る者は空までも飛んだとされる。
 トカゲ神救世主「ヤヤチャ」の額には青く輝くトカゲが居り、傷つく者病に伏す者をたちどころに癒やして見せたという。

 無論そのような奇跡的生物が存在するはずもなく、救世主の不思議な能力を説明し神性を明らかにする標識のようなものと考えられている。
 また実際、ガラス製の蟲の頭飾りが多数遺跡より出土しており、神族神兵と呼ばれる支配階級がこれらを用いたのは確実とされる。
 しかしながら歴史上の記録によればゲジゲジ・トカゲ神の聖蟲が存在したのは創始歴5998年まで、カブトムシ神に至っては6000年を過ぎても存続し続けたとある。
 ほんの200年ほど前まで実際に有ったものの実体が分からないのは如何なる理由であろう。

 現在では聖蟲を戴く者は皆無であり、また十二神信仰の儀式においても聖蟲を授けるものは無い。
 ただ不思議な蟲が居たことは民衆の間に深く根強く知られており、神様に一心に願えば蟲の御使いが訪れて願いを叶えてくれると信じられている。

 

【ピルマルレレコ信仰】
 基本的にピルマルレレコ神はトカゲ神救世主ヤヤチャの属性の一つに過ぎない。「神殺しの神」と呼ばれるのも、ヤヤチャ本人が方台地上に留まるゲジゲジ神・コウモリ神の化身を倒した神話に由来する。
 ただヤヤチャ本人が別の神格と見做して自らとは異なる存在と唱えた為に、ピルマルレレコ神は13番め、星の世界から訪れた神として十二神神話体系に位置づけられた。

 ピルマルレレコ信仰の核心は、ヤヤチャ本人またピルマルレレコ神が星の世界異世界よりの稀人である点だ。
 地上世界十二神方台系、また死後魂が訪れる天河の川原に加えて第三の世界が示された事となる。ならば転生するのであれば星の世界に生まれたいと願うのも必然であろう。
 ではどうすればピルマルレレコ神の御心に叶い星の世界に招かれるか、この工夫と魔術的論理の展開こそがピルマルレレコ信仰の最重要点となる。
 最終的にはピルマルレレコ神を既存の十二神よりも上位の存在と見做す擬似一神教へと進化し、十二神殿の上に立つピルマルレレコ教団組織への絶対的帰依を転生の資格として強制するようになった。

 この教義と体制は創始歴5555年に他ならぬヤヤチャの再臨によって完膚なきまでに打破された。とヤヤチャ神話では伝わる。
 新たに変更された教義では、ヤヤチャ本人が抱く救世の理想こそがピルマルレレコ神であり、実体としての神格が独立して存在することは無いとされた。
 さらに拡張されて、地上世界において民衆を苦しめる魔術的勢力を打ち破る英雄的戦闘行為こそがピルマルレレコ神の実体であり、それを実現する者こそがピルマルレレコ神の化身とされた。
 つまりは行為こそがピルマルレレコに近づく唯一の手段であり、その究極は自らをヤヤチャと同等同格の者と実感する事である。

 新ピルマルレレコ教はこのように信仰と呼ぶよりは行動指針であり、宗教教義や儀式を特に必要とするものではない。
 現在の新ピルマルレレコ教の活動状況は、社会悪を暴き不正を糺す民間運動組織であり宗教的色彩が極めて薄い。
 ヤヤチャの行いを神格化せず、ほとんどお伽話レベルの言い伝えにより素朴な尊敬心を涵養するに留めている。秘儀と言えばヤヤチャの真名をこっそりと教える程度だ。
 経典と呼ばれるものも無いが、同系列の説教師・演説家の文言集を教科書として用いる。

 民衆主義運動家・民衆国家活動家は既存の宗教組織とは疎遠であるが、新ピルマルレレコ教の文言集をよく引用して演説に用いている。

 

【ゾンビと魂】
 十二神方台系には幽霊という発想が無かった。
 人が死ぬと魂が抜けて西の海から天に昇り天河の川原にてカニ神の裁きを受ける。つまり地上に留まる魂は無いから、幽霊も無い。
 残るのは屍である。人体が損なわれ動かなければ問題ないが、時折魂が抜けても動く屍体が発生する、と考えられている。
 つまりはゾンビである。
 医学的に考えれば精神異常を来した生存している人体であるが、人の言葉や常識から離れて無秩序に行動する人間は実害が有る分幽霊よりも恐ろしい。

 ゾンビの発生は、屍体から魂が離れた瞬間に悪しき蟲が身体の中に忍び込み乗っ取る事で発生する、と考えられる。一種の怪物だ。
 怪物退治はコウモリ神の担当。
 コウモリ神は夜無防備な人間を守護するために、異形の眷属を率いて森を彷徨い悪しき怪物を食い殺して回ると信じられている。
 人が死ぬ時死ぬ前にコウモリ神の御札を枕元に備える。死後の肉体を守ってもらい正しく滅びるように祈るのが、方台における葬式である。
 また事故や殺人事件等で正しく死ねなかった人を弔う為に、現場にコウモリ神の御札を貼る。
 御札の数が多ければ多いほどよいとされ、凶悪事件の現場であれば一面御札だらけになったりする。

 幽霊の概念は創始歴5000年頃に救世主ヤヤチャにより伝えられたとされる。
 元々は、どのように人の願いが天河の神に届くかという説明で、ヤヤチャは「人の魂はプラズマで出来ており、電波を発して天河の神の元で受信される」と唱えた。
 また実際に天の北極方向から発せられる電波を捉えて音声に変換する「羅針音棋」なる機械を作り、電波の実在を証明した。
 「羅針音棋」はその後方向を知る「指北棋」となり航海術の進歩を促す。プラズマと電波は物理学上の常識となった。
 (方位磁針は磁化された方台の大地では役立たない)

 当然に十二神信仰にもプラズマの概念が組み込まれ、天河に願いを伝える方法としての研究が盛んに行われた。
 つまりはプラズマを留める手段を講じれば魂が地上に留まり続けるわけで、これが自然に起きた場合幽霊なるものが発生する。
 これまでは蟲の仕業として考えられてきた現象も、実はプラズマの仕業であるかもしれない。

 最も簡単なプラズマとして炎を用い、ロウソクが百本灯される密室で死者の思い出話をする事で、天河に居る死者の魂に地上の声を届ける「百物語」の風習も始まった。

 

【異世界設定その3】

 タンガラム民衆協和国で用いられる通貨は3種に分けられる。
 第1は金貨で呼称も「金」、1金は日本円に換算すれば10万円の価値を持つ。
 しかしながら金貨自体は市中に流通していない。海外貿易で決済する時に用いるものだ。
 1金紙幣もあまりにも高額だからやはり流通は盛んではない。庶民にとってはおおむね「金」は銀行預金通帳上の存在だ。

 2番めは銀貨で「ティカ」、日本円換算で5千円の価値を持つ。ただし銀貨自体も貿易決済に用いて市中では流通しない。
 ティカとは正式にはティカテューク、「烏賊」の意味だ。創始歴5000年代に一般的な食用が始まり、高級品として珍重された。
 冷蔵技術が存在しない時代、烏賊は干物のスルメとして交易されていた。つまり1枚の板としてだ。
 貨幣経済が進展して紙幣の流通が始まった頃に、高額紙幣は「烏賊」と同等に価値あるものとして発行された。故に「鯣札」とも呼ぶ。
 現在は4ティカ(2万円相当)、1ティカ(5千円)、2分ティカ(10分の2ティカ=千円)の三種が発行流通されている。

 低額の硬貨の単位はゲルタと呼ぶ。1ゲルタは日本円換算で100円相当の価値を持つ。
 ゲルタとはかって方台で広く親しまれていた交易商品である魚の塩干物の事で、どこの地域に行っても等しい価値があったという。
 そこで通貨としてゲルタ自体が用いられる。1包25枚入が一般人足の1日の賃金に相当した。
 現在は鉄道の発達や動力車・船舶の普及で食品流通が進歩し、ゲルタの食品としての価値は激減したが通貨単位として存在する。
 5ゲルタ白銅貨(500円)、1ゲルタ青銅貨(100円)、2分ゲルタ黄銅貨(20円)の3種。魚の絵が描いてある。
 1金=20ティカ=1000ゲルタ

 補助的に5爪ゲルタ陶貨(5円)、1爪ゲルタ貨(1円)があり「葉銭」と呼ばれる。
 少し前までは鉄貨と錫箔を貼った厚紙の貨幣であったが贋金が出たのでかさばる陶器製にされてしまった。
 あまりにも評判が悪いから、各商店街では2種の陶貨のおつり分を紙製のシールで払いポイントカードに貼り付けて溜まったら2分ティカ相当としてお買い物できるようにしている。

 1ゲルタ以下の数え方は10分の1を単位とした、たとえば「0.4ゲルタ=4分ゲルタ」、100分の1を単位とした「0.04ゲルタ=4爪ゲルタ」
 「2.1ゲルタ=2ゲルタ1分」「2.14ゲルタ=2ゲルタ14爪」
 0.5の場合は「半ゲルタ」と呼んだりもする。

 ちなみに日本円換算は物価がまるで違うから目安にすぎない。
 こどもの小遣いとしては2分ゲルタで上等、1ゲルタあれば駄菓子屋で豪遊が出来る。
 ネコ手紙は送り手前払い2分、受け手2分の計4分ゲルタが相場である。

 

【タンガラムの食】
 タンガラムの主食はトナクと呼ばれる穀物である。ポップコーンのような形で実が弾ける真っ白な種子で、そのまま蒸したり粉にして餅にして食べる。
 創始歴5000年頃に外来作物として麦や米が導入されたが、今も第一の食の王として君臨する。
 トナクの餅は古代エジプトの発酵させないパンを想像してもらいたい。だが通常は数種の穀物あるいは芋を混ぜて嵩を増やして焼く。

 ゲルタとは方台近海で驚くほどたくさん獲れる雑魚で、塩干物にして保存食とする。かっては方台全土に行き渡る重要な交易品であった。
 現在は冷蔵庫が使えるようになり生鮮食品肉魚介類の流通が盛んとなったから、ゲルタの価値は激減している。
 それでも軍隊を中心に保存食を大量に必要とする場所では重視され、独特の臭いと味にも関わらず常食されている。
 逆に言うと、一般社会で好んでゲルタを食う者は変わり者と呼んで差し支えない。

 イカは紅曙蛸神(タコ神)の眷属とされ、漁師はともかく方台内陸部では食べる事が忌避されてきた。
 だが創始歴5000年に現れたトカゲ神救世主「ヤヤチャ」の大好物であり、「星の世界」にも住んでいる生物と知りいきなり大流行した。
 その裏にはイカ販売業者が当時の褐甲角王国と金雷蜒王国の宮廷料理への積極的な売り込みを行った為とされる。
 高級な美味として認知されたイカは値段が高騰し、イカバブルの様相を見せる。
 だが良心的な業者が定価で王宮への納入を続けた為、イカ1枚=ゲルタ2包(50枚)の値段が定着した。
 この値段が後に紙幣ティカと硬貨ゲルタの交換比率となる。

 タンガラムは古くから微生物の存在を知り発酵のメカニズムを解明し、効率的な利用が進展した。
 毅豆と呼ばれる大豆に似た豆を用いて醤油や味噌を作っている。これはシンドラやゥアム帝国に輸出され外貨を稼いでいる。
 毅豆は極めて硬く食用が非常に困難であったが、圧力鍋が開発されて様々に加工され多くの種類の食品を生み出した。
 かって毒地と呼ばれた方台中央の平原で特に多く栽培され一大産業となっている。

 この世界の人間は特定のタンパク質を常食すると髪の色が変化する特色を持つ。幼少期は全員が黒だが、16才頃に一夜にして変わる。
 値段の高い肉ばかり食べていると赤く、安いゲルタばかりだと茶色になる。ゆえに髪色で社会的身分を推察する事が可能。
 毅豆タンパクばかりを食べていると髪は黄色になるので、毒地地方の人間は一目で分かる。
 なお髪の色がまだ黒い未成年が短期間(1ヶ月)の内にイカ百枚を食べると、髪の毛の色素が破壊され青く透き通った美しい髪色になる。
 イカ価格が下がった現在といえども百枚は大金が掛かるが、ヤヤチャ信者の少女がよく挑戦ししばしば青髪を獲得している。

 

 鉄道技術の進展、冷蔵技術の発達と普及、さらに外国との交易によりタンガラムの食環境は大いに変化した。
 まず香辛料の種類が格段に増えた。
 タンガラムは創始歴5000年初頭の一時期シンドラと拘留があり、シンドラ産の香辛料が幾種類か伝来して栽培普及が進んだ。
 だが香辛料王国であるシンドラとの正式な交流が始まった6049年以降、驚くほどの質と量で雪崩込んでくる。

 またゥアム帝国から唐辛子(トマトぽい実だが辛い)とニワトリが輸入された。
 空を飛ばない大きな卵を産む鳥は方台には居らず、水鳥の巣で自然に生まれた卵を獲って利用していたのが、計画的な大量生産体制を持った卵産業が可能となる。
 また食肉としても普及しタンパク源となり、タンガラムの人間の体格が向上した。

 他方、タンガラムにおいては北方で育った砂糖芋から砂糖を作る産業が有る。
 ゥアム帝国には砂糖が無く、タンガラムとの交流が開始された直後から精製された砂糖を大いに輸入する。
 それでも需要に追いつかずより多くの輸出を望んだが、タンガラム国内需要も逼迫して応じられなかった。また砂糖芋は熱く乾燥したゥアムの大地に根付かない。
 為にゥアム帝国は実力による砂糖確保を図り、大規模な艦隊を仕立ててタンガラム攻略に臨む。これが創始歴6072年に起こった「砂糖戦争」である。
 現在ゥアム帝国はシンドラから砂糖キビで作った砂糖を輸入し、大きく貿易赤字となっている。タンガラムは自給出来るものの、輸入品による砂糖価格の低下に苦しんでいる。

 タンガラムの固有の植物を使う「茶」には2種類有る。
 ヤムナムと呼ばれる甘藻を使う高級なヤムナム茶と、主に一般庶民が喫する蕎麦殻に似た実を煮出すチフ茶だ。チフ茶は麦茶に味わいが似る。
 また昆布茶も存在する。昆布の食用は創始歴5000年頃に突如始まり、瞬く間に庶民に広がり愛された。
 だが三者ともにカフェインもタンニンも含んでいない。
 薬効物質を含む本物の「茶葉」は南方のバシャラタン国でのみ生息し栽培されているので、すべて輸入品だ。
 バシャラタンでは「茶葉」「コーヒー豆」、ゥアム帝国では「カカオ」類似物が栽培されている。
 タンガラムの人間はカフェインへの耐性が低い。

 バシャラタンの人間の髪色は緑。カフェインを日常的に摂取している影響と見られている。

 なおタバコはこの世界には存在しない。
 にも関わらず一部の者が細かく刻んだ昆布を紙で巻いて燻して煙を吸う偏執的行為に走っている。

 

【異世界設定その4】

 十二神方台系は現在「タンガラム民衆協和国」によって統一支配されている。
 創始歴6000年までにすべての王国は吸収合併されたが、他に幾つかの民衆協和国が並立し最終的な統一がなったのは6035年。
 だが名目上はそれらの国家は「タンガラム_」体制が方台民衆を人道的合理的に幸福に導く事を前提として統治の枠組みに加入しているだけで、条件が満たされない場合は離脱する権限を持つ事になっている。
 実体としてのそれらの国家は既に存在しないが、各政党・政治組織はそれぞれが独立した存在としていつでも離脱する意思を持ち行動出来る、事に法的にはなっていると唱える。

 

 「タンガラム民衆協和国」国権の最高機関は「民衆総議会」国会、である。
 「民衆総議会」は議員定数247名の一院制。任期は6年だが3年毎に半数を改選する。

 ただし、三権分立にはなっていない。
 というよりは、「タンガラム_」憲法における三権分立とは、立法+行政(「権政」)・司法・軍権 である。

 国家元首となる「総統(総議会統領)」は国会での議席第一党党首もしくは連立与党代表者であり、つまりは立法と行政の最高責任者が同一人物となる事が決まっている。
 であれば立法と行政が独立はしていないし、立法機関が行政と対立しては国家運営が混乱を来すことは明白である。
 故に立法機関と行政機関が分離して存在するとは考えない。

 「総統」は行政の責任者として総理大臣に相当する「大臣領」を任命する。国会議員でなくてもよい。
 「大臣領」が各国務大臣「佐相」を任命して「内閣」を構成する。
 「総統」が自ら「大臣領」となって行政を掌握する「総統臣領」という役職もあり得るが、これには大きな制限が課せられるので一般的ではない。
 具体的には任期制4年、再選不可、任期中の憲法改正発議禁止等々で、戦時中でもなければほとんど用いられる事はない。

 

 「タンガラム_」においては軍権、軍隊による武力の行使は行政権から分離されている。

 これは歴史的な経緯によるもので、そもそもが外敵の侵略がほとんどあり得ない事態である為に、軍隊がおおむね国内内乱で行使される事に由来する。
 統一政体となる前の各民衆協和国が並立していた時代、統一の最大の障害はそれぞれの国家が有する軍隊の存在であった。
 故に、政体の統一の前に軍隊の統一が行われ、どちらにも中立な存在として軍隊の庇護の下で統一事業が執行された。
 完全統一された現在においても、やはり軍隊は政府からは独立した存在として認められる。

 また憲法においても軍隊の存在意義を、「タンガラム国民に対し危害を加える存在を排除し国家を保護する為」と記される。
 この「危害を加える存在」は国外の敵・侵略軍、あるいは国内における反乱勢力のみならず、国家権力による誤った政策・人道を無視した法律の行使、も含まれる。

 「タンガラム_」は政権および国会が大混乱腐敗して機能不全になる度に軍隊によって正常化されてきた。
 現在は「第五民衆政治」である。
 しかしながら軍部の一部野心家による冒険的行動を看過するわけにはいかない。その為に行政側抑止力としての「巡邏軍」が存在する。
 「巡邏軍」は平常時は警察・消防・救急救助を業務とする。

 「国防軍」は「総統」に直接属し、行政府から独立した「タンガラム国防委員会」の指導を受ける。
 最高責任者は「将帥」で三軍「大将」を率いる。法的には「将帥」は「大臣領」と同格である。
 三軍とは「陸軍」「海軍」「国外派遣軍(実力軍)」

 一方「巡邏軍」は「大臣領」直属の組織で、内閣行政府国民安全部に属する警察局と対等の存在である。最高責任者は「巡邏軍総監」で国務大臣級である。

 「国外派遣軍」は極めて政治的な存在で、方台領海外の無所属島を巡る利権を諸外国と争い、また海外に流出したタンガラム国民の利益と安全を守るために活動している。
 その性質上国防の域を越え、長期的な戦略に基づいて派遣が決定される為に「国防委員会」ではなく「内閣」外交部局が主となって派遣計画を策定する。
 為に内閣と軍部の齟齬が発生しやすい。

 

[司法関係改定されました17/01/20]

 司法機関は最高裁判所に当たる「中央法院:頂上法廷」の下に各種地方裁判所が位置して業務を行っている。

 裁判は二審制だが、まず「法衛視」と呼ばれる官僚が民事・刑事・商事の紛争の裁定を行い、これに対して納得いかない場合に裁判が行われる。
 裁判は「法論士」と呼ばれる法律の国家資格を持つ者同士の論戦を裁判官が裁定する形になる。
 「法衛視」とは「法論士」資格を持つ官僚の意味である。
 刑事事件の場合、最初の裁定を行う「法衛視」が裁判において検事の役を務める。

 刑事事件の裁定を行う「法衛視」は、また「警察局」において捜査官を指揮して事件の解決を図る責任者でもある。
 つまりは捜査の最高指揮官がそのまま検事になる。事件の詳細を最も知る人物が最初に裁定を行う事となる。

 無論恣意的に裁定を歪める事は十分に考えられる訳で、被告人の依頼を受けた「法論士」が弁護人を務め、捜査資料を精査し「刑事探偵」を用いて事実を検証して裁判に臨む事となる。
 また事件の初動捜査を行う「巡邏軍」と、その後専門的な捜査を行う「警察局」捜査部は異なる組織であり、互いに牽制しあう関係となる。
 「巡邏軍」は被告側に対しても差別する事無く捜査資料を開示し、裁判の進行を助けるよう義務付けられている。

 なお裁定による処罰が死刑に相当する事件では、被疑者の意志と関係無しに裁判が行われる慣例となっている。

 経済事案または税務に関する公的な訴訟においても、当該行政機関の「法衛視」が最初の裁定を行い、また裁判時には原告となる。
 行政機関に属する「法衛視」が原告となり、地方裁判所に属する「法衛視」が裁判官を務める、という形である。

 判決に納得出来ず上告すると「法衛監」と呼ばれる上級裁判官による話し合いが持たれ、第一審の再検討が行われる。
 通常「法衛監」は地方裁判所に1名のみ、地方裁判所長を務めている。「法衛監」が配下の「法衛視」を指導して裁判業務を行う。
 「法衛監」地方裁判所長が上告に同意すると、再審手続きが動き出す。

 高等裁判所に相当する中位の裁判所は無く、再審請求は「中央法院」の下位に属する「中央法政監察局」にて審査される。
 「中央法院:頂上法廷」では単純な案件の裁判は行われない。
 法律や政策に不備が有り修正を必要とする場合や、判決がきわめて重大な影響を社会に及ぼす場合にのみ行われる。
 「中央法政監察局」は各地での裁判の交通整理をする部局であり、また複数の犯罪が絡んだ重大事件や広域犯罪の裁判を管轄する。司法関係者の監察も行う。

 「中央法政監察局」で再審に十分な事由が有ると認められた場合、「中央法院」の認証を経て差し戻し第二審が行われる。
 この場合、一審とは異なる別の地域の裁判所と別の「法衛視」による裁判となるが、これで下りた判決は上告出来ず確定する。

 なお地方裁判所の下に「裁判所出張所:簡易調停署」というものがある。
 地方裁判所はおおむね各県の中央市に存在するが、遠隔地での訴訟や軽微な犯罪等を処理する為に各地に設けられているものである。
 警察局の「法衛視」による綿密な捜査でなく、巡邏軍の段階で検挙・捜査が終了した事件などはここで処理される。
 裁判は行わず、裁定または調停で済ませる。不服な場合は地方裁判所での裁判を申請する事となる。
 これに携わるのは通常は裁判官資格を得た「法衛視」で「調停官」と呼ばれるが、官員でなく民間人法論士で「裁判官」資格を持つ者に委託される事もある。
 よほどの僻地の場合、単なる法論士に委託される事例もある。

 

 「中央法院」は最高裁判所である「頂上法廷」を中心に、国家規模での法律業務を司っている。
 タンガラムの政治においては、国会での立法過程に司法が最初から関与する事となっており、立法機関の補助を務める役を持つ。
 単純化して説明すると、「国会」でいい加減にこしらえた法案を「中央法院」が審査して法律として有効な条文を策定し、これを「国会」に提出して可決される事で成立する。
 「中央法院」の主任務はこちらであり、裁判の審理に関しての最高権威である「頂上法廷」はその権威の根拠という形で存在する。

 「頂上法廷」の判事は6名の「司法大監」と裁判長である「法正鑑」により構成される。「法正鑑」が司法権の最高責任者である。  また「中央法院」の主要幹部はすべて「法衛監」であり、「法衛視」はその補助を務める事となる。

 「法理学院」は裁判官を養成する為の学校で方台に1箇所のみ、首都ルルント・タンガラムに存在する。
 入学資格は「法論士」試験合格者、つまり法律の実務が可能な人間のみである。
 2年の研修で「裁判官」資格を得るが、実際には裁判所の採用試験に合格して実務に数年携わる必要が有る。

 「法衛監」となるには「法衛視」実務10年を経て再度「法理学院」にて研修を行い、「法理博士」の資格を得る必要がある。
 「頂上法廷」の判事「司法大監」と「法正鑑」はまた「法理学院」の教授と学長である。

 

[「大審会」改「大審法会」も改定されました17/01/20]

【大審法会】
 旧時代に方台を分割支配していた王国レベルでの地域で定められた地方独自の法令により審査する法廷。

 西岸区(旧褐甲角武徳王国領および百島湾金雷蜒王国領)、首都特別区(首都ルルント・タンガラムおよびカプタニア)、北山区(旧メグリアル王国領および聖山区)、
 東岸区(旧東金雷蜒王国領)、平原区(旧ギジジット央国および毒地開拓領)、中央区(旧ソグヴィタル王国領)、
 南岸区(旧黒甲枝諸侯国およびグテ地)、緑山区(南西トロシャンテ自治区)、円湾区(旧紅曙蛸王国領)
 の計9区に分けられる。
 選挙区割もこの区分を基準とし、人口の少ない緑山区と円湾区を他外縁部と合わせた特別区に再編し、計8区と成る。

 判事・委員は各区領域に属する各県の県令・首長経験者。もしくはそれらから推薦を受けた法論士・裁判官の資格を持つ者であり、おおむね法衛視経験者である。
 数は区域の人口により6〜12名。区域に属する各県から派遣されるが、県議会で承認を受けての事となる。

 古い王国の領内では独特の習慣や掟が定められており、場合によっては国法よりも強い影響力を持ち特別な措置が必要となる。
 特に余所者との間での訴訟や紛争が起きた場合は、双方の慣習が衝突して混乱に陥る。
 これを解決するのが大審法会である。
 基本的には瑣末な訴訟には関与しないが、各地方裁判所から勧告が上がって来て必要と認められた場合に開かれる。

 また区内各県で有効な共通地方法令を策定する。法案は各県の県議会で審議されて成立する事となるが、もちろん拒否も出来る。
 さらには中央政界での動きを監視して、あまりにも偏った政治が行われている場合には是正を勧告し、また市民に警告する。
 政府による人権侵害に対しても、法的拘束力は持たないが大審法会に告発して、是正勧告を行う事が決議される。

 大審法会は中央政府が崩壊時には、タンガラム方台を代表する最高機関となる。
 9区すべての合議によって軍部による政権回復機能を支持し、その行動に大義名分を与える。
 逆に言うと、大審法会の決議が無ければ軍部クーデターは公的に認められない。

 ただし、事後追認が多い。

 なお緑山区の判事は現地固有民族代表1名のみである。主にトロシャンテ自然森林地帯の伐採を厳禁する「絶対禁令」を死守する為に居る。
 この禁令は創始歴5000年に降臨した救世主「ヤヤチャ」の布告であり、トロシャンテの命でもある。

 

【絶対禁令】
 創始歴5000年頃にタンガラム方台に降臨した青晶蜥神救世主「ヤヤチャ」が青晶蜥王国星浄王に即位した後に発した全国的に有効な法令。
 開発厳禁の森林地帯を2ヶ所定め、その他の森林においても絶対面積を死守し樹木の数が減らないように管理し、これに背く者にはいかなる理由があろうとも極刑を以て臨むというもの。
 いかなる同情すべき理由があろうとも、禁じられた樹木を伐採した場合には死が与えられる故に「絶対禁令」と呼ばれる。

 非道なように聞こえるが、そもそもが救世主「ヤヤチャ」は人の命を救う事で世を変革に導いた者であり、その布告法令の数々は人道に則り慈愛に満ちたものであると万人に納得させている。
 その「ヤヤチャ」をして過酷な禁令を発するのであるから、当時の人はこれは天河の神々より与えられた人類を導く計画に違いないと理解し、国家の枠を超えて固く遵守するのである。

 この禁令は方台中で一箇所だけ、ベイスラ山地には適用されなかった。
 当時、長く毒によって封印されてきた「毒地」と呼ばれる方台中央の平原が解放され開発可能な環境になった為に、ここを開発する資材としての木材をベイスラより供給せよと「ヤヤチャ」が命じた、と人々は理解した。
 大量の木材の供給により毒地開発は急速に進み、豊かな農地となり増加する方台人口を支える基盤となった。
 ベイスラ山地を領有するソグヴィタル王国は空前の繁栄を遂げ、方台中で最も豊かな国と呼ばれた。
 しかしこれは罠である。調子に乗って山林を伐採した結果、ベイスラ山地は完全に禿山となり雨水の保持が出来なくなり、洪水が頻発して農業生産力が激減する有様となった。
 人々はこの結果を「絶対禁令が無い方台の未来の姿」と捉え、「ヤヤチャ」が本当は何を伝えたかったのかをようやくに理解する。
 ソグヴィタル王は青晶蜥星浄王に跪き、改めてベイスラにも「絶対禁令」を施してもらう事となる。300年を費やしてようやく森が戻った。

 創始歴5600年以降、聖戴者支配体制が緩み民衆王国に権力を奪われていく中で、「絶対禁令」をも軽んじ森林伐採を無秩序に行う時代が訪れたが、当然に同様のしっぺ返しを食らい、改めて同種の禁令を布告する羽目となった。
 現在創始歴6200年代においても、「絶対禁令」は固く守られているがその意義は改めて強く認識され、学校教育現場においても特別に教えられている。
 もしもこれが無かったら、とっくの昔にタンガラム方台は激増した人口によって食い荒らされ、環境は崩壊して食料生産に適さぬ気候へと変貌して人は滅び国家は崩壊していただろう。
 今現在我々が生きていけるのも、救世主「ヤヤチャ」のおかげだと。

 

【巡邏軍特任捜査班】
 巡邏軍は犯罪の初動捜査を行うと決められているが、継続的な捜査活動が無ければ組織犯罪や常習犯を止めることは出来ない。
 また破壊活動を常習的に行う政治団体などは捜査員を貼り付けて動向を監視する必要が有る。
 その為に巡邏軍にも捜査専従班が存在する。おおむね凶悪犯罪を対象とするが、スリやカッパライ等の常習犯を担当する部署も存在する。
 考え方としては「火付盗賊改方」である。

 ちなみに詐欺は警察局の担当。警察局は広域捜査・方台全土での捜査権を持つ。FBIのようなもの。
 故に警察捜査官はヒラでも警部補クラスの権限を持つ。

 

【法論士と法衛視の違い】
 法衛視はすべて法論士の資格を持つ。だから官職を辞めれば私立の法論士として働くことが出来る。

 法衛視はその名の通りに法を守る立場の人間だ。逆に言うと、法論士は法律を扱う資格を持つが、法を守る義務を持たない。
 これはそもそも十二神方台系の法律がプラトン的なイデア論を背景に持たないことに起因する。
 つまりは法律とはただの文章・言葉にすぎないのであって、永遠不滅絶対の真理などとは関係の無い概念と思われているからだ。

 しかしながら古代においては法を公布した王の言葉として厳格に守られ、制定した者が想定する意図を越え私的な解釈に従って行動した場合、問答無用で処罰され修正されてきた。
 「このはしわたるべからず」と書かれた立て札を私的に解釈して真ん中を渡った一休さんなどはたちどころに真っ二つに斬殺されるのである。

 現在、立法のプロセスは国民全てに開示されその同意をもって施行されている。
 要するに、議会国会で年中乱闘騒ぎを繰り広げている勢力分布も日ごとに変わり誰が主導権を得ているかも分かりづらくそもそも公益性がちゃんと配慮されているのかも疑問に思える過程を経て強行採決によって成立する法律なるものに
どこまでの権威を認めるべきであるか、という根本的な疑問に直面するのであった。 

 民衆の間での法意識は、もちろん特に法学を学習したことが無い人が大勢であるから、自然に社会生活で獲得した感覚のみである。
 現代法を学習した「法論士」であっても歴史的社会的軛から脱する事はできず、自然な感情に基づいて現代法を適用する態度を示す者も多い。
 であるから、裁判は同じ言葉を使いながらも異なる理屈で戦う修羅場と化す。

 現代的に公正であろうとする「法理学院」の重要性はいや増すばかりである。

 

【異世界設定 その5】

【カレーライス】
 そもそも十二神方台系には稲が自生していないからコメという食品は存在しなかった。
 創始歴5000年代初頭、1隻の帆船が未知の方台「十六神星方臺:シンドラ」より流れ着く。
 この船には女人が1人乗っており、十六神星方臺の有用植物が百種類も移植可能な形で積まれていた。
 コメ・ムギ、木綿もこの時十二神方台系にもたらされた。また各種香辛料も栽培される事となる。

 女人はシンドラにおいてそれらの植物をどのように利用するかを教え、香辛料を用いる料理も伝えた。
 中でも「カリ」と呼ばれる炊いたコメに黄色い香辛料の液体を掛けて食べる方法を勧めたが、さすがにシンドラほどには多種の香辛料は無い。
 方台に根付いたシンドラの香辛料で特に広く栽培されたのが「カラシ」である。
 黄色いカラシは「カリ」の主材料として用いられ、コメにカラシ汁を掛けて食べるようになった。後にはコメではなく十二神方台系で主食のトナクを砕かずに炊いたものに掛けるようになる。

 そして創始歴6000年代。
 ついにシンドラとの正式な国交が樹立され、特産物も多く輸入されるようになった。
 シンドラは香辛料王国であり、カラシのみならず驚くほどの多品種が十二神方台系改めタンガラムにもたらされた。
 当然に「カリ」の製法も訂正され、シンドラ風正式なものが食されるようになる。
 が、長年タンガラムにおいて食されてきた「カラシ・カリ」も随分と工夫が凝らされてタンガラム国民の舌に合うように改良されてきた為、2種類の「カリ」が存在するようになった。

 現在ではシンドラ風を「カリ」と呼びコメに掛けて食し、タンガラム風を「カラリ」と呼んでトナクに掛けて食べるようになった。

 なお「唐辛子」はシンドラではなく「ゥアム帝国」の特産品である。「ゥアム辛茄子」と呼ぶ。
 「トマト」「トウモロコシ」「サボテン」系列の食品はすべて「ゥアム」産だ。

【醤油】
 古代より漁村では魚のアラや内蔵を壺に入れて塩辛や魚醤を作り食してきたが、方台全土に行き渡ることはなかった。
 醤油の製造が本格的に開始されたのは創始歴5000年の救世主『ヤヤチャ』に端を発する。
 その年「毒地平原」を長らく汚染してきたギィール神族の毒が神威によって一掃され、不毛の大地に緑が戻ってきた。
 同時にイナゴバッタの類も大量に発生し、周辺地域の農地を襲う害となる。
 ヤヤチャは神威を以ってこれを討伐したが、見渡すばかりの平原に落ちたバッタの骸を哀れに思い、せめて人の役に立てんと民衆を使ってこれを集めて巨大な壺に塩ゲルタと共に入れて醸した。
 壺の管理はもともと酒造りを行うカエル神官に任せ、数ヶ月後に「天露」を得る。人の舌を虜とし、贈られた褐甲角王宮金雷蜒王宮にても大いに賞賛された。
 しかしながら再び醸そうにもそう簡単にバッタは手に入らない。原料を大豆に似た「毅豆」に換え植物性の「天露」を作る。
 これが「ショウ油」の始まりである。
 その後毒地平原では農地の開墾が始まり、土壌を改良する性質を持つ毅豆が盛んに植えられ一大産業となる。
 ショウ油も大量生産される事となり、方台全土に広まり食の世界を大きく広げた。

 だがイナゴバッタ製の「天露」は伝説となり、幻の食材として長く人の関心を惹き続けた。
 イナゴバッタの大量入手は確かに難しいので、容易に手に入る山蛾(野生の蚕)の幼虫やカタツムリなどを用いての実験が進められた。
 研究の結果、昆虫より作ったショウ油も商業的に流通する事となる。特にカタツムリは元が高級食材である為に珍重される。

 ちなみに十二神方台系タンガラムにおいて昆虫食は、かっては普通であった。
 現在では肉魚鶏などが容易く手に入る為にあまり食されないが、文化としては根強く残っている。
 「イナゴバッタの天露」と聞けばよだれが出てくるほどである

【昆布】
 創始歴5000年に現れたトカゲ神救世主『ヤヤチャ』が方台の民に贈った「四珍」と呼ばれるものがある。
 いずれも食に関するもので、「イカ」「昆布」「天露(ショウ油)」「ラヲ麺」だ。

 「イカ(ティカテューク)」は古来より方台でも食されてきたが、タコ神『テューク』に姿が似る為に積極的に食べようとは思わなかった。ほとんどお供え物である。
 だがヤヤチャが住んでいる星の世界にも居る生物で、ヤヤチャの大好物と知れ渡ると民衆は挙ってイカを求めた。
 またイカは干物となり運搬が容易である為に、贈答用としても珍重される事となる。
 ついには高額紙幣の単位が「ティカ」になるほどだ。

 「昆布」は、医神としても知られるヤヤチャが塩ゲルタばかり食べている方台民衆がゲルタ病に罹るのを防止する為に見つけ出した食材だ。
 塩ゲルタはそのまま鍋に入れて出汁を取る。方台の食の根源とまで呼ばれるほどに重要な食材だ。
 また塩を補給する元としても重視される。どのような貧乏人であっても1日に1枚は食べていた。
 これに代わるには大量供給可能で安価、取り扱いに便利で長距離の輸送に耐えて塩との相性がよく、鍋に入れて出汁が出るもの、と困難な条件が揃っている。
 昆布は唯一の代替品となり得る品であった。ヤヤチャ本人が西海に行って産業化の指導を行ったと伝えられる。

 昆布のみならず、板海苔、ひじきの佃煮(ショウ油が必要)、ところてん寒天も同時期にヤヤチャが食材として発明したと伝えられる。
 それ以前の方台では海藻を積極的に食べる文化が存在しなかった。
 狭義の「四珍」は昆布を含めた海藻類である。

 「天露(ショウ油)」は別項。
 「ラヲ麺」は本編参照。ただしヤヤチャは自らの手でのラヲ麺の再現は失敗したと伝えられている。そもそもがあまり料理は得意ではなかったらしい。

 「ラヲ麺」でなく「香辛料」を挙げる者も少なからず居る。
 ヤヤチャ降臨当時の方台にはろくな香辛料が無く、昆虫をすり潰して粉にしたものを用いていた。
 あまりにも淡い味わいでヤヤチャの舌に合うものではなかったので、方台中を駆け回って辛い味のする食材を探してきた。
 「イグスリの葉」などがそうであるが、方台内においてはさほどの収穫が無かった為に遂には海を渡ってシンドラにまで赴き求めたと言い伝えられている。
 だが「ヤヤチャが伝えた香辛料」となると十数種類にもなるので、「四珍」には収まりきらない。

【箸】
 十二神方台系で伝統的に食事に用いる道具は、ヘラである。木の薄い板を用いて飯を食べる。
 信仰上の理由から金属器を調理に用いるのが長らく禁忌とされてきた為に、木もしくは骨で作る。
 またヘラのバリエーションとして匙も存在する。

 だが創始歴5000年初頭、トカゲ神救世主「ヤヤチャ」が現れ、星の世界での食事の流儀として2本の細い棒を使う「箸」を方台に紹介した。
 別に強制はしなかったものの、器用に使う姿を見て当時の支配者階級であるギィール神族が直ちに真似するようになり、一般にも広がった。
 当初は神様へのお供え物を素手で触れない為の作法として認識されたが、慣れる者が増えるにつれて平素の食事でも用いるようになる。

 今ではヘラも箸も区別なく用いられる。
 なお食卓でナイフ・刃物は提供されない。タンガラムの人間は歯がとても強いから、骨でも噛み切る。

 

【異世界設定 その6】

【餅・飯・麺・麭・麸・粥】
 タンガラムには幾種類もの穀物があり様々な調理法で食されているが、おおむね「餅・飯・麺・麭・麸・粥」の6種に分けられる。

 その内「餅・粥」は古代から用いられる最も基本的なもので、トナク・ジョクリの古くからタンガラムに自生する穀物は主にこの形で食される。

 トナクは、星の世界から到来したトカゲ神救世主「ヤヤチャ」が「ポップコーン草」と呼んだと伝わっている。
 タネを囲む実が弾けて白い可食部を外部に曝け出した時が収穫期である。方台の食の根幹を為し、「食の王」とも呼ばれる。
 ジョクリは、「ヤヤチャ」により「カタクリ草」と呼ばれた。
 水辺に生える葦の一種で、細長い葉で覆われた茎の内部にびっしりと白いデンプンが詰まっており、こそげ落として利用する。
 水に溶くと透明になり、熱すると白く柔らかく固まる。粥、または菓子として用いられる事が多かった。

 

 「餅」は穀物を粉にして水で練り、あるいは臼で搗いて丸めて焼く、蒸す、煮る等加熱して食する。
 最も基本的な加工法であるが、古代からあまり進化した形跡が無い。素朴な田舎料理はだいたいこの形である。
 穀物がもったいないから芋や野菜を混ぜて増量したものも、餅と呼ばれる。古代はむしろこの方法が主流であり、トナク単独の餅は大変な贅沢品とされた。
 焼いて乾いた餅は「煎餅」と呼ばれる。保存食携行食として用いられる。

 「粥」は穀物の粉を湯に溶いて加熱して食べる方法。工夫はむしろこちらの方で進展した。
 出汁を様々な手法で取ったり山羊乳で煮たり、野菜や肉魚を共に煮込み、虫の粉で味付けをする。
 餅・煎餅を粥の中に浮かべて食べるなども行われる。

 「飯」はシンドラから米や麦が伝来して後の食し方で、穀物の粒を破壊せずそのままに炊いて食する方法。
 トナクは品質を揃えるのが難しくそのまま炊いても美しくないので、それまでは避けられてきた。
 現在ではトナクも品種改良が進んで、炊くのに適した粒ぞろいで収穫出来る。
 また圧力釜を用いて熱し、急激に減圧することでふくらませる、いわゆる「ポン菓子」と同じ方法で調理したものも「飯」と呼ばれる。
 とにかく穀物の形が残っているものが「飯」だ。

 「麺」は穀物の粉を水で溶いて棒で伸ばしたもので平たいまま、あるいは細く紐状に切る、伸ばして紐状にして加熱して食する方法。
 紐状の「麺」をタンガラムに教えたのは「ヤヤチャ」とされる。
 星の世界の料理を懐かしく思い、自ら再現してみせたのをタンガラムの人間が真似したものである。
 近年に登場した料理法であり、料理人の注目を集めた為に極めて特異な発展を遂げ、他の国の料理とタンガラムとを隔絶して見せる特徴ともなっている。
 平たいままの麺で惣菜を包んで食する方法も発達する。油で揚げる料理もある。
 ジョクリを使いところてん式に押し出して湯の中に放ち紐状のまま固定する方法も「麺」の内に入れられる。

 「麭」は餅の一種であるが、発酵させる、また発泡によって膨らませて加熱調理したものである。パンやら饅頭のたぐい。
 小麦がシンドラから伝来した後に大いに発達した方法で、ふっくらと柔らかく食べられるので大いに人気となった。
 ただ専用窯が必要で職人が焼いたものを買ってくるのが主流。蒸しパンは家庭でもよく作られる。
 「麭」は現在のタンガラムの進歩した食生活によく適合し、フランチャイズ方式によるチェーン店が展開されている。

 「麸」は小麦のグルテンから作ったものに留まらず、毅豆と呼ばれる大豆に似たタンパク質を豊富に含む豆から作ったものも範疇に含む。
 つまり豆腐にしてがんもどきや厚揚げ、あるいは高野豆腐にして中に空洞が出来たものを「麸」と呼ぶ。便宜上湯葉も含む。

 毅豆は古くからタンガラムに自生する作物であるが、成長して完全な豆になった後は煮ても焼いても硬くて食べられない利用不能の物体と考えられてきた。
 食用にする場合はまだ熟さない枝豆状態で収穫し、野菜として用いていた。
 「ヤヤチャ」はこれを利用する事でタンガラムの食糧事情を改善しようと試み、タンガラムの存在する惑星の大気圧が低いことを発見。水の沸点が低いために加工できないと見定めた。
 解決策として圧力釜を発明し、毅豆の産業化に成功。ショウ油味噌豆腐また豆油を製造する。納豆も存在する。
 青晶蜥王国領となった毒地南部の開拓地にて大いに栽培を奨励して一大産地へと変貌させた。
 ちなみに豆腐自体は「豆羹」と呼ばれる。ジョクリや寒天ところてん、煮凝り等の液体が固まってぷるぷるしているものは全部「羹」だ。

 タンガラムのみならずこの惑星に居住する人類は、食事に含まれるタンパク質の違いによって頭髪の色が変化する特性を持つ。
 獣肉であれば髪の色は赤く、魚肉であれば茶色から黄土色に、植物性タンパク質であれば黄色へと変化する。
 為に、毒地南部で毅豆食品ばかりを食べて育った人間は全員が黄髪であり、出身地の判別が容易である。

 なお当然のことであるが、タンガラムでは「漢字」は使っていない。だが似たような文字体系である「ギィ聖符」と呼ばれるものがある。
 現在ではほとんど使われていないが、ギィ聖符の発音はそのまま単語として残り現代タンガラム語の大きな部分を占めている。

 

【カニ神殿】
 十二神殿システムを最初に作ったのは、方台に初めて王国を築いた女王ッタ・コップと伝えられている。
 時に創始歴2000年。創始歴自体がッタ・コップが定めたものであり、建国時をもって2000年とする。
 (天地創造で1000年、人類誕生で1000年を費やした、と考える)

 タコ(紅曙蛸)神『テューク』の遣わした救世主であるッタ・コップは方台に文明をもたらした最初の文化英雄と認められる。
 神殿組織も、当初は女王に従う「王宮」の侍従侍女を組織化したものに過ぎなかったが、やがて三極化。
 国家システムを担う徴税官僚「番頭階級」と軍隊「交易警備隊」、そして女王の慈愛を民衆に届ける為に奉仕する「神殿」として異なる役割を果たす事となる。

 建国後まもなくはまだ国家という意識が民衆の間に無く、「神殿」が各地に作られて民衆を教化。女王が伝えた文明を移植して産業の育成、生産力の向上を図る。
 開発された拠点を繋ぎ交易を活発にさせるのが「交易警備隊」の役目、やがて集積される富を有効に活用してさらなる発展を推し進めるのが官僚「番頭階級」の仕事であった。
 「神殿」は未だ分かれておらず、1つの神殿に12の神の神官巫女が集い奉仕を行っていた。

 だが創始歴2500年頃に紅曙蛸王朝は途絶。民衆の精神的指導者が不在となった。
 失われた光を補おうと各地に淫祠邪教が発生し、人身御供を行う『火焔教』が最大勢力となり人心を惑わす。
 各地の有力者達も新宗教を背景に独立を宣言、「小王」を名乗り方台を分割支配した。
 十二神殿も新宗教に対抗するために組織を強化。正統なる紅曙蛸神救世主の再来を目指して民衆への奉仕を続ける。

 創始歴3000年の最初の1世紀間に、ゲジゲジ(金雷蜒)神『ギィール』の救世主を名乗る「ギィール神族」が登場。
 金属を用いた強大な武力で瞬く間に方台全土を統一支配した。
 ギィール神族の長は「神聖王」を名乗り、すべての宗教の頂点に立つ者と自らを宣言。火焔教他の新宗教をことごとく壊滅させた。
 唯一正統なる方台の下僕として十二神殿を選択。ただし信仰の中央拠点を紅曙蛸王国「王宮」跡から北方山岳地帯に移して政治への干渉を禁じた。
 十二神はそれぞれの神殿を持ち、独立してギィール神族に奉仕し、彼等の指導の下で民衆に相対する事となる。
 この時をもって十二神殿組織の成立と呼ぶ。

 

 カニ(夕呑螯)神『シャムシャウラ』の使徒は十二神殿すべての監督と監査を役目とする。
 また十二神信仰が求める道徳の規範を民衆に教え伝える者とされた。
 しかし既に文明が敷衍して千年を経過しており、人の心は荒み容易に教化は出来なくなっている。
 そこで実力にて巷の悪を叩き潰し、正義のなんたるかをその身をもって示すカニ神殿独特の奉仕活動が発生する。
 容赦の無い折檻は時としてギィール神族をも辟易とさせ、民衆の恐怖の的となる。
 だが身近な悪、神族の威光の影に隠れて行われる卑劣陰湿な不正を打破する笞として深く尊ばれた。

 

【異世界設定 その7】

【トカゲ神殿】
 十二神殿システムが最初に作られたのは、方台に初めて王国を築いたタコ(紅曙蛸)神女王ッタ・コップの指示によると伝えられている。
 だがそれ以前に信仰の芽生えが無かったかと言えば、そうではない。

 タコ(紅曙蛸)神『テューク』は第一の始めの神として崇められるが、その前に第十二神ネズミ(白穣鼡)神『ピクリン』の時代が有ったものと考えられている。
 ネズミ神時代は未だ国としてのまとまりは無く、村・集落レベルの小集団が「ネズミ神官」と後に呼ばれる長老によって指導されて生活していた。
 文字は無く農耕も行われず原始的な土器の製作も無いが、洞窟を中心に定住して安定して世代を重ねていたと、遺跡発掘の結果は教えてくれる。

 また洞窟絵画の形で様々な情報が記録されており、彼らが歴史を記述する習慣を持っていたと推定される。
 これは明らかに文字の前段階のものであり、ッタ・コップが創造したとされる方台最初の文字『テュクラ符』の原型となったに違いない。
 現在も発掘が続き鋭意解読中であるが、後に神話として語り継がれるエピソードの幾つかも洞窟絵画から見つかっている。
 その中の一つに、薬を作った翁の話が有る。

 ネズミ神の力を授かり人々を導く使命を与えられた長老の一人が、山野に分け入り自ら味を確かめ効き目を調べて薬と毒を探して行った。
 彼が探した幾つもの薬は長老達の共通の知識となり、人々を病から救うことが出来た。

 時は流れて、タコ女王の「王宮」で薬物の知識を専門に扱う事となったのが、トカゲ神官である。
 元々がトカゲ神は方台大地創世の時代に火傷を癒やす神話を持つ。
 治癒医術が専門の能力に分類されたのも当然の成り行きだ。

 なお紅曙蛸王国時代にはガラス器の製造も始まる。ガラスの切片は最も良く切れる刃物として扱われた。
 医療用として外科手術にも用いられた。
 トカゲ神は本来冬と寒さの神であり氷や結晶を守護アイテムとするから、ガラスも当然にトカゲ神の管轄となる。
 刃物の守り神ともなった。

 

【トカゲ神殿2】
 十二神殿システムが最初に作られたのは、方台に初めて王国を築いたタコ神女王ッタ・コップの指示によると伝えられている。
 だがそれ以前に信仰の芽生えが無かったかと言えば、そうではない。

 タコ(紅曙蛸)神『テューク』は第一の始めの神として崇められるが、第十二最後の神ネズミ(白穣鼡)神『ピクリン』の時代が有ったものと考えられている。
 文明発祥以前であるが洞穴絵画の形で様々な情報が伝えられ、現在でも解読作業が進行中だ。
 この洞穴絵画は明らかに文字の前段階のものであり、ッタ・コップが伝えたとされる文字『テュクラ符』の原型となったに違いない。
 後に神話として語り継がれるエピソードの幾つかが洞窟絵画から見つかっている。
 その中の一つに、薬を作った翁の話が有る。

 ネズミ神の力を授かり人々を導く使命を与えられた長老の一人が、山野に分け入り自ら味を確かめ効き目を調べて薬と毒を探して行った。
 彼が探した薬は長老達の共通の知識となり、人々を病から救うことが出来た。
 タコ女王の「王宮」でこの知識を専門に扱う事となったのが、トカゲ神官である。
 元々がトカゲ神は冬と北、冷気と氷の神であり、創世の時代に火傷を癒やす神話を持つ。治癒の知識としての薬が委ねられるのは当然の成り行きだ。

 だが薬だけでは人を癒やすには不十分だ。外科的治療を行うには人体に対しての深い理解と試行錯誤が必要で、時には非人道的とも思える追求を要する。
 この試みは古代タコ王国が崩壊した後に発生した新宗教「火焔教」によって進められた。
 「火焔教」は人を犠牲として祭祀に捧げたが、真の目的は人間を深く理解する事により天河の神との交信を行いたいとの純粋な動機である。
 人体の構造と機能の解明は彼らの研究の中心的課題となる。また先史時代より受け継がれた薬物の知識も、より専門的合理的に研究される。
 薬品を処理する様々な手法が考案され、幾つもの未知の物質を抽出する事に成功した。
 まさに錬金術の誕生である。

 一方、生体の反応に関しては「火焔教」の分派である「スガッタ教」により進められた。
 彼らは修行の末に生きたまま神と通じる方法を模索し、人体の可能性を極限まで追求する。
 考え得る限りのあらゆる修行法を試し、時には命を落とした修行者の肉体を切り開き修行の成果を確かめようとした。
 だが彼らは結局は、いかに魔術的な修行を繰り広げたところで人間は人間以外には成りようがない、という真理に突き当たり、「火焔教」の人身御供の秘儀を否定する事となる。
 両者は創始歴3000年代に共に『ギィール神族』に拠る征服を受けたが、火焔教は滅ぼされたものの既に犠牲を必要としないスガッタ教は山中にての存続を許される。
 両者が追求した人体の神秘の知識はギィール神族によって統合編集され、彼らが用いる事となり、一部はトカゲ神殿にも導入され医術の進歩を成し遂げた。

 

 創始歴5000年、方台はトカゲ神救世主『ヤヤチャ』を迎える。
 星の世界より降った彼の人は明らかに異なる科学技術体系を会得しており、方台の人間がまったく予想もしない新しい知識を授けた。
 その最大の恩恵が、「微生物の存在の実証」である。
 感染症とはいかなる現象であるかを具体的に説き、また研究する為に必要な機材も発明してみせた。石鹸や顕微鏡や寒天培地の事だ。
 (もっとも寒天は自らが食する為であったとも伝わる)
 またそれまでに積み重ねられてきた薬品知識の正誤を明らかにし、有害物を取り除き効果の薄弱なものをより有効なものへと置き換える作業を行った。
 彼の人の知識は「トカゲ神救世主言行録」の内「神癒経」として現在までも伝えられている。

 新しい知識と科学的合理性の概念を身に着けた方台の研究者は医療においても長足の進歩を遂げる。
 だが真の発展は科学技術文明が進展し、機械力によって効率的な生産が可能となった後だ。つまり現代である。

 トカゲ神殿は「ヤヤチャ」が興した「青晶蜥王国」時代に絶頂期を迎えたわけだが、しかし統治行為や行政に携わる事は無かった。
 「星浄王初代ヤヤチャ」は改めて「救世主神殿」を建て、また「青晶蜥王宮」を首都となる新都市「テキュ」に築いた。(実際の起工はヤヤチャの方台退去後に星浄王二代によって行われた)
 トカゲ神殿があくまでも中立的存在であり、誰をも平等に治癒すると宣言する為である。
 「ヤヤチャ」はこれまでの救世主とは異なり自らの手での方台統一は最初から企図せず、幾つもの王国が分立して互いに政治制度を競い最も優れた政体を持つ国が勝利する「大競争時代」を目指した。
 この競争に巻き込まれず人々を癒し続ける為に、トカゲ神殿が中立的である事が必要だったのだ。

 だがその一方で「ヤヤチャ」は学問の自立・自治を認める「大学校」の設立も促した。
 本人が設立に協力したのは「サンパクレ女子大学堂」のみだが、ここをモデルとして方台各地に王立の大学校が次々に設立された。
 それまでの学問は一種の徒弟制であり、また王室・行政による直接の管理を受けており、学問の自立という観念が無かった。
 「大学校」の設立により学者という職業が独立して存在する事が許される事となり、学問の中立性独立性が確保される事となる。
 医術も、科学的合理性を備えた「医学」へと変貌を遂げ、宗教を背景とするトカゲ神殿からの独立が可能となる。
 やがて「民衆王国運動」が進展し、「民衆協和国」が樹立されると医者と看護者の育成は公的な機関が行うべきと定められ、トカゲ神殿はその役割を大きく減じていく。

 そして現在。

 トカゲ神殿は医療機関として認定される事は無くなり、神殿での医療行為は法律で禁止される。
 だが一方で看護者の育成を行うにあたってはトカゲ神殿が有するイメージ、人に癒やす責務を果たす神聖な人間像が大きく役立ち、行政も募集の頼りにしている。
 さらに言えば高度で専門的な治療が可能になった現代医学は、他方で莫大な治療費を必要とする金食い虫へと変貌を遂げ、富裕者階層にのみ奉仕する高級病院の乱立を招く。
 これに反対して一般庶民にも広く医療を普及させる運動が方台全土で広がり、トカゲ神殿は再び脚光を浴びている。
 安くて平等な医療を、という庶民の要求に政治も応えざるを得ず、全国民が加入する医療保険制度が整備され、また無償で医療を施す慈善病院の設立も進んだ。

 だが資金的には常に不足状態にあり、現実の要求にはとても応えられていない。

 

【大学校】
 タンガラムの人口は1000万人居ないので、大学の数もさほど多くはない。
 見てのとおりに、タンガラム民衆協和国の教育行政は法政経以外の文系学部には冷たい
 国立・国策大学にはおおむね医学部は付いていて各地の医療の中心となっている。

 (旧王立→国立大学)
 カプタニア法学堂(カプタニア);法学 「法理学院」併設
 ヌケミンドル大学(ヌケミンドル);総合大学、産業・商業 (王立大学ではなく民衆王国時代の設立、前身はカンヴィタル産業研究院
 ソグヴィタル大学(ノゲ・ベイスラ);文学・社会科学 (「民衆主義・民衆協和国運動」発祥の地 法政経以外の人文学関係の国立大学の選択肢はほぼ此処一択になる
 デュータム大学(デュータム);医学・獣医学・農学・産業 (旧メグリアル大学堂
 三荊閣大学(シンデロゲン);数学、建築・構造物、ゥアム帝国に関する専門学部 ゥアム理学部

 (国策大学)
 タンガラム中央大学(首都ルルント・タンガラム);主に国家官僚を育成
 百島湾大学(ミアカプティ);植物学、地学・博物学 またシンドラに関する専門学部 および北方大樹林帯専門学部 (元は王立大学でエイントギジェから移転
 ギジジット中央工科大学(ギジジット);工業技術、物理化学 (元は王立大学
 産業鉱業研究大学(タコリティ);鉱業、エネルギー開発・漁業
 シンデロゲン海外大学(シンデロゲン);総合・海事 特に海外派遣要員を育成
 イローエント海軍学校(イローエント);軍事大学、特に海軍装備や海外軍事情勢の研究
 タンガラム軍大学校(トロントロンド);軍事大学

 (私立大学)
 サンパクレ私立女子大学堂(ガンガランガ);古典文学、歴史学、哲学 (方台最古の大学
 テキュ救世主大学(テキュ);歴史、考古学、天文学 ヤヤチャ学部 (旧王立
 紅曙蛸歴史研究院学堂(テュクルタンバ);戦争学 国際関係史 (旧王立
 芸術院大学(ジュータンバ);芸術、外国文学 (旧王立
 十二神殿学府(神聖神殿都市);宗教学
 南方学舎(イエロ・カプタ);総合 特に南方グテ地の貧困地帯の学生を対象とした大学 (旧「黒甲枝諸公国」立
 首都”ヴァヤーラィル”大学(ルルント・タンガラム);総合 お金持ち学校として特に有名

 

【大学校2】
 十二神方台系における学問の発展は、主に「賢人」と呼ばれる人々によって担われてきた。

 元々はタコ女王国における官僚であった「番頭階級」に由来する。
 彼らは計算と書記によって王国の情報を一手に握り、やがて女王の管理下を離れて独自に権力を模索し、増長する事となる。
 やがて彼らは富を独占的に掌握して自らを特権階級化する事となり、専横を極め、やがて軍事階級であった「交易警備隊」に滅ぼされる事となるのだが、
 「番頭階級」に反発してタコ女王の理想に基づき学問を万民の為に役立てようと模索する独立勢力「賢人」が生まれる事となる。
 幸いにしてタコ女王は、書物記録の管理を「番頭階級」のみならず「蜘蛛神殿」にも任せていた為に、「賢人」は知識の独占から免れ独自の発展を遂げる事が出来た。

 専横を極めた「番頭階級」は「交易警備隊」により「王宮」から追放されるのだが、一連の血腥い騒動を嫌って当時のタコ女王は失踪を遂げ、タコ王国は崩壊してしまう。
 地方に逃げた「番頭階級」は現地の行政機構と結びつき、やがて独自の権力集団を作り上げ「小王」を名乗る事となる。
 「交易警備隊」もいずれかの「小王」と結びつき武力を担い、方台は群雄割拠の分割支配状態となる。
 同時に空白となった宗教権威を補うべく新興宗教が多数勃興し、中でも最大のものとなった「火焔教」が広く「小王」達の間に広まった。

 「火焔教」が広く支持された背景には、この宗教が知識の集積を基本原理としていた事にある。
 「小王」達は「火焔教」のネットワークを利用して当時の最新知識を得ることが可能となり、統治や戦争、産業振興に役立てた。
 「火焔教」は本拠地に巨大な図書館を設立し、タコ女王国時代をも越える知識の集積を成し遂げた。

 創始歴3000年代、「火焔教」は「ギィール神族」によって駆逐され表面上は消滅した。
 だが集積された膨大な知識。書物を貴重と考える人々により密かに保護され、地下王国として存続し続ける事となる。
 以後の「賢人」と呼ばれる人々は、ひそかに「火焔教」と通じて知識の共有を行ったと言えるだろう。
 他方で表の王国においても知識や技術は大いに価値を認められ、王国自ら、またギィール神族個人によって「賢人」は支援を受け、徒弟制度的な手法で研究を継続していった。
 「ギィール神族」は彼ら自身が「賢人」でもあり、学問に傾倒し高度な科学技術を用いて巧妙な工芸品を製作して文明の発展を成し遂げた。

 しかしながら学問に自立は無く、宗教的権威に従って選別され偏った発展を強いられたと言えよう。
 より自由な発展を求めた「賢人」はなおのこと地下に隠れた「火焔教」を信奉する事となる。

 創始歴5000年に現れたトカゲ神救世主「ヤヤチャ」は、十二神方台系のものとは異なる遥かに発達進展した科学技術の知識を備えていた。
 彼の人は方台の実情をつぶさに観察した結果、地下に隠される膨大な知識の宝庫「火焔教の図書館」に注目。
 この膨大な文献を地表世界に取り戻し、「賢人」達に表の世界での学問の自主性・自立性を獲得させようと画策する。
 その為に、かっての「小王」の流れを汲み「火焔教」の理事の座を得ていた名門中の名門、褐甲角王国パクトレア副王の妃サンパクレを抱き込み、その財力をもって「サンパクレ女子大学堂」を設立した。
 何故「女子大学校」かは推測の域を出ないが、主に男性による徒弟制の学問継承構造に痛烈な打撃を与える為には、当時の想像を絶する枠組みを提示する必要が有ったためだろう。

 「ヤヤチャ」は同盟する褐甲角王国の武力を背景に「火焔教」の地下図書館を幾度も襲撃し、大量の書籍文献を獲得。
 「賢人」達はもはや「火焔教」にすがる必要もなく、日の当たる場所で独自に研究を行う事が可能となる。
 また膨大すぎる文献知識を処理するには徒弟制度ではもはや追いつかず、「ヤヤチャ」の示した「大学校」システムに参加していった。

 創始歴5000年代に創設された「大学校」は、当時方台を分割支配していた諸王国それぞれに1箇所以上、計8校。
 その後方台全土が統一民衆協和国体制になった後に、大学校は国立に改編され、さらに各技専門学校が設立される事となる。
 国立化を良しとしない一部の学者と大学は公的補助を拒絶して、私立大学校を独自に設立。
 最も古い大学校である「サンパクレ女子大学堂」は設立当初からの私立である。

 

【異世界設定その8】

【万年筆】
 タンガラムで紙が発明されたのは創始歴5010年頃。トカゲ神救世主「ヤヤチャ」がその原型を提示し、学匠に命じて完成させたと伝わっている。
 それ以前は筆記するのに絹布、板、獣の皮を用いており、おおむねは毛を束ねた筆と墨で書いている。
 だが最も広く庶民にも用いられていたのは「葉片」と呼ばれる、表面を引っ掻くと下地が黒く変色する特別な木の葉を乾かしたものだ。
 四角く裁断して、日本の郵便はがきを縦に2枚繋げた大きさ。同じ大きさの薄い木の板で挟んで破損を防ぐ。
 これに用いられる筆記具は「骨筆」と呼ばれる、ただの尖った棒だ。骨もしくは木で出来ておりインクを必要としない。
 地面や木の板、石などに字を描くのにも普通に使える便利な道具だ。

 紙に文字を記すにあたっても、やはり骨筆を基本として考えられた。
 この場合インクが必要であるが、骨筆にはインク溜めの機能が無い。
 そこで様々な形状と材質の骨筆が考案された。最終的には金属とガラスに収斂するのだが、その過程で管型の骨筆が発生した。
 つまり中の穴にインクが詰まって筆先から適宜流れ出る。
 現在のタンガラムで「万年筆」と呼ばれるものは、この管型の筆先を持つものだ。
 軸の中にスポイト式のインクタンクを持ち、筆先からインクを吸入して補充する。
 筆先が割れたペン型は考案されていない。

 だが万年筆は高価いので、一般事務ではインク壺を使うガラス製骨筆が用いられる。
 おおむねガラスペンのような形状をして、ペン先にインクを溜める事が出来る。
 ボールペンは未だ発明されていない。
 マーカーの類は毛筆の進化の流れで筆ペンのバリエーション的に発生している。

 学校教育現場では主に鉛筆が用いられる。シャープペンシルは発明されていない。
 消しゴムは存在するのだがあまり品質が良くなく、上手く消すには技術が必要となる。
 学生の間に「消しゴム名人」が存在するほどだ。

 なお鉛筆と黒板と白墨はヤヤチャが発明した。
 紙が生まれる前にタンガラムを退去したから印刷技術、特に活字を使う印刷に関してはヤヤチャは貢献しなかった。

 

【ゴム】
 この世界に生ゴムは無い。”コニャク”と呼ばれる芋がその代替物となる。
 方台北方聖山山脈に自生する植物の塊根で、食用にはならないので人の興味の外に長く置かれてきた。
 創始歴5000年頃、トカゲ神救世主「ヤヤチャ」がこれを「コニャク」と呼んで、食用にする為の研究をにわかに始める。
 大勢の学匠を動員しありとあらゆる科学実験を繰り返した結果、「コニャク」が食用出来ない事を実証。
 代わりに強力なゴム糊である「コニャク糊」の開発に成功した。

 コニャク糊はそれだけでも非常に優れた有用性を持つ。
 糊だけで組み上げられた木造建築物や合板の製造など、タンガラム建築界に革命をもたらした。
 後には熱気球の貼り合わせにも使われ、史上初の空中飛行を成し遂げた。
 現代においても木製飛行機の製造には欠かせない。

 だがコニャクを素材としてさらなる研究を重ねた結果、固体で弾力を持つゴム状樹脂へと発展する。
 本来ゴムで作られるはずのモノがすべてコニャク樹脂によって作られる事となる。(というよりは、この世界”ゴム”という言葉は無い。)
 中でも特筆すべきは、コニャクで作られた車輪のタイヤだ。
 コニャク製のタイヤを用いた車両は鉄輪の車両に対して静粛性安定性に優れ、路面の凹凸による衝撃をある程度吸収する事で乗り心地を改善する。
 当時急速に発達した和猪(去勢された荒猪)が牽く荷車の効率が劇的に高まり、方台内交易が倍以上に拡大し、社会近代化の道筋を整えた。
 それまであまりにも重くて人力では運べなかった重火砲が迅速に移動可能となり、戦場の様相を大きく変える事となった。

 現在では中に空気を詰めたより高速走行可能なタイヤが実用化し、内燃機関の発達も併せて、自動車が鉄道に取って代わる勢いを見せている。

 コニャクはタンガラム(十二神方台系)特産の植物で、他国ゥアム・シンドラ・バシャラタンには存在しない。
 その為に輸出産品として非常に大きな価値を持ち、北方のコニャク産業は隆盛を見せている。
 シンドラにはコニャクの代替となり得る「ゴムの木」類似の植物が繁殖するが、病害に弱く産業化は進展していない。
 軍事大国であるゥアムにとっても、タンガラムから供給されるコニャク製品は第一級の戦略物資であり、その自給は喫緊の課題であるが、
残念ながら熱暑乾燥の気候であるゥアム方台ではコニャクは育たない。
 その為に寒冷湿潤なバシャラタン方台にコニャク農園を作ろうと画策している。

 

 なお、コニャク糊はモノに接着しないかぎりはそのまま乾かずにネバネバしたままで強力な接着力を保ち続ける性質を持つ。
 この性質を利用して、狩猟の罠や保安警護設備、場合によっては武器として甲冑武者を絡めとるなどの応用がされた。

 コニャク糊の開発を指揮したヤヤチャ本人も、木片に塗って天井から吊るし極めて効率的にハエ捕りをして人を驚かせた。
 ハエ取り棒は以後民間で大いに使用され、方台衛生環境改善に大いに役立つ事となる。

 

【電話】
 タンガラムの電話機は普通にダイヤル式でパルス数によって通話先を送信するものである。
 電話であるから特に変わった機能も無いが、電信機になること、電話回線を使ってラジオ放送を聞く事が出来る。
 ラジオは後述する。

 電信機はつまりトンツートンとパルス信号を出して通信が出来る機能。専用鍵盤が付いている。
 音声通話が可能であるのに不要と思われるが、実は便利に使えるものだ。
 タンガラムの公共電話網は遠隔地や途中の中継局の機材によって回線品質がかなり悪化する。「電話が遠い」という状態だ。
 この場合確実に伝わる電信機能を使って文章を送信した方が、正確な通信が可能となる。

 電信符号は中学校で習う基礎知識で、誰でもが使えて認識できる。というよりは、ただ数字の列を送るだけだ。
 10進法2桁でテュクラ符1文字を表すから文字符号表さえあれば解読可能なわけだ。
 高級電話機であれば、受信した数字を電灯で表示する機能。または数字の列を紙テープに打ち出す印刷機能が付いている。
 またダイヤル式でなくプッシュホン式でパルスを送信するタイプも実用化されている。この機能搭載型は鍵盤よりも簡単に数字送信が可能となる。

 なお「デタラメ電信法」と呼ばれる通信技術も存在する。
 これは鍵盤を、喋る発音に合せて打鍵するもので、電信符号としては意味を持たない。
 だが聞く者によってはイントネーションを感じ取って直接単語を理解する事が可能な場合も有る。
 結構多用され、案外と役に立つ。

 

 文字を直接送受信して印刷するテレタイプは、軍用公共機関用としては普及しているが民間ではほとんど見る機会が無い。
 ほとんどが暗号変換機能付きで、つまりは暗号通信機となっており機密指定をされているからだ。

 

【電話その2】
 公共電話回線はタンガラム民衆協和国の国営企業「タンガラム電気通信事業公社」の独占事業だ。
 国営であるから公共機関と軍関係が優先されるのは当然とするが、逆に民間一般市民の通信にはさほど関心を持たず投資も活発ではない。
 大企業は自ら電話施設への大規模投資を行って通信を確保しているが、小規模事業者や個人では電話回線の確保が難しい。

 そこで現在のタンガラムでは町の一区画全体をひとまとまりとして、電話施設を共同運営する形となっている。
 町内に電話交換所を私費で設置し、町内を内線電話として個人にまで繋げるわけだ。
 もちろん資金規模が小さいために自動電話交換機の導入は不可能であり、人力手作業の交換業務が行われる。
 個人や零細事業者では導入が不可能な電信印刷機や磁気録音機などの高価な通信機材も町内交換所に設置される。
 交換手が不在の通話先に代わって伝言を受け取る「留守番サービス」も存在する。

 ただ通常は夜勤の交換手は居らず、夜間の通信は不能となる。主に人件費の問題。
 夜間でも技術者は常駐しメンテナンスを行っているのだが、その費用をひねり出すのにどこも苦心しているのだ。
 もしも夜間通信をしたければ、各事業者が自ら交換手を派遣する事となる。
 「ヱメコフ・マキアリイ刑事探偵事務所」からも女子事務員が派遣される。

 

 ラジオ機能とは、せっかく各家庭・事業所に電線がつながっているのに通話以外に使わないのはもったいない、との発想で行われているサービス。
 電話線を通じて音楽やニュース、トーク番組等の音声放送を流している。

 タンガラム世界の大気圏は電離層が荒れており、電波通信が短距離しか伝わらない。
 放送はもっぱら有線で配信されるが、もちろん専用線を個人の家庭にまで伸ばすのは大変な資金が必要となる。
 そこで放送配信局から町内電話交換所にまで有線放送回線を引き、既存の電話線を用いて配信する。もちろん有料。
 チューナーは交換所に有るから、聞く方には要らない。
 電話機には外部スピーカーを接続する端子があって、大型スピーカーを用いて聞く。モノラル放送。
 当然のことながら通話中は番組が聞けない。

 テレビ放送は音声放送とは格段の機材設備が必要となる。さすがに町内交換所では無理だから、サービスを行っていない。
 そもそもがテレビ本体が極めて高額で一般庶民の手の届くものではない。
 映画館と同様の見世物興行として、「伝視館」と呼ばれるテレビ上映の小劇場で有料視聴を楽しむ事となる。

 

 ちなみに、街頭に立ち並ぶ「電線柱」は「タンガラム電力公社」の所有物であり、「タンガラム電気通信事業公社」は直接関係を持たない。
 だから電線柱に私的に電話線を伸ばす事は「タンガラム電力公社」の許可があれば可能となる。
 近隣の町内電話交換所同士を直接に私有回線で結び無料通話を行う事も、法的に問題はない。

 

【電話その3】
 町内交換所方式により小規模事業者や一般個人で電話が利用できるようになったのはここ30年の話。
 電話そのものは100年以上前から存在するから、タンガラムにおいての普及と発展は非常に遅いと言えよう。
 これはこの世界が対外戦争がほとんど無く、おおむね平和を保つが故だ。
 大規模戦争による科学技術の急速な発達と産業化が無いわけだ。

   (タンガラムでは創始歴5000年に中世から脱し、近世・近代に突入したと考えられている。
    地球では500年掛かった科学技術と社会の進歩に、1200年を要した事となる。)

 では30年前まではどうやって電話を利用していたか、と言えば、公共施設には設備が整っていた。
 役場や郵便局、国営銀行、駅といった施設の一角に「公衆電話処」が儲けられ、利用者は列を作って順番を待つ。
 また電話を受ける人も待合室で、係員が受信を確認して呼び出してくれるのを待つ。
 緊急電話であれば、あらかじめ住所を登録していれば伝言を書面で届けてくれるサービスになっていた。電報と同様。

 もちろん有料であり、通話時間が砂時計で計られ、時間が来ると容赦なく接続を切られた。
 支払いは前金で、順番に並ぶ前に払い込む。受信も同様。

 この頃の人達は不思議とこの方式が不便だとは思わなかったらしい。
 むしろ商業情報などの交換所となり、情報の売買で儲ける業者も居たという。

 なお、グテ地(タンガラム南部の海浜地帯で不毛の土地とされる)などの田舎では、今もこの「公衆電話処」方式が主流である。

 

【角力】
 一般的に打撃技を用いずに相手をひねり倒す事を目的とする格闘技・競技を広義の「角力」と定義すると、タンガラムにもそれは有る。
 「サンガス」あるいは「パンジャ・ロ」と呼ばれ、非常に盛んと言っても良い。

 競技者は裸体にパンツを履いただけの姿で、胴体に帯などは巻かず身体に油を塗ったりもしない。
 競技場は八角台であるが、四角台であっても平面でもアリ。平面の場合は地面に線を引く。台で行うのは見世物興行のルールで派手に見せる為。
 線や台から外に出ると、相手のみを叩き出した場合には勝ちとなるが、自身も落ちると引き分け再試合になる。平面では事実上これは無い。

 ルールは簡単、相手の背中の中心を触った方の勝ち。相手の体幹が地面に接触しても勝ちとなる。
 公式競技あるいは興行では、選手の背中に色の違うチョークの粉を塗って、それが手に着いたのを接触の証明とする。
 体幹とは、背・腹・胸・尻・腰・脇、である。手足頭および肩は地面に接触するのを許される。体幹の接触が無ければ故意に転ぶ事も許される。
 ルール上抱きつく事はほとんど自殺行為である。故に試合は敵の両手をいかに抑え込むかを焦点とする。

 打撃は禁止、特に顔面への攻撃は厳しく判定される。
 しかしながら見世物興行の場合、「なぎ払い」という技が使われる。
 手や拳でなく腕の柔らかい所ででなぎ払うことになっているが、殴るのとほとんど変わらない。
 また「蹴たぐり」も多用される。これはアマチュア競技ではかなり厳しい判定をされるが、興行であればアリ。
 あくまでもダメージでなく相手を倒す為の方法として使われるべきもの。

 実は”ドロップキック”は無制限許可がされている。
 このルール上でのドロップキックは威力はほとんどなく、ただ相手を倒す効果しか期待できないから、足で押した程度にしか判定されない。
 蹴った本人が地面に落ちて即負けが起きる危険な技だが、そこは受け身で華麗に回避する。もちろん蹴られた方も受け身で逃げる。
 興行では見事な受け身合戦が見せ場となっている。

 

 相手の背を触ると勝ちになるルールはいかにも競技的なもので、実戦上は有害無意味とみなす批判も多々有る。
 実際角力の稽古では背中ルール無しの組手が中心であり、その教育的効果は十分に理解されている。→「サンガス練法」と呼ばれるもの
 だがゲーム性を高め試合展開が非常に早く、動きが大きく見栄えの良いモノになるから、廃止は考えられない。
 そこで新しいルールの角力を作って「実戦派」としての普及を進める団体もあるのだが、さほど人気ではない。やはり地味だ。

 角力はもちろん賭けの対象となっている。
 そもそもがタンガラム人は賭け事にほとんど興味を持たず、一種の異常行為、病的な嗜好と考えられている。
 だが悪徳を求める人はいつの世も尽きず、ヤクザが主体となって執り行う。

 単純にどちらが勝つか、でもよいのだが、玄人はどの勝ち方をするかで大きく賭けている。
 背中ルールも、賭け事における偶発性を高める為に導入されたと考えた方がよい。
 ただ「反則」負けは胴元が被る仕組みになっているから、選手に対する興行元の監視は厳しい。
 公正なルールの順守が求められ、「紳士のスポーツ」として仰ぎ見られる事となる。

 

【異世界設定 その9】

【タンガラム警察行政における民衆参加】
 そもそもタンガラム、以前は十二神方台系と呼ばれたこの土地は、聖蟲と呼ばれる神聖ななにかを帯びた「聖戴者」と呼ばれる存在に支配されてきた。
 「聖蟲」は天河十二神の化身とされ、「聖戴者」に特別な能力を与え俗人とは隔絶させると信じられた。
 肉体的にも精神的にも知力においても、「聖戴者」は特別な存在である事を義務付けられた。もちろん倫理面においてもだ。
 「聖戴者」が王国を作り社会を組織する時代においては、社会秩序は彼らによって厳格に守られ不正を許す事は無い。

 時が流れて創始歴5000年代以後。
 長く十二神方台系を治めてきた「聖戴者」支配体制が崩れ、一般人による国家・共同体の自治が盛んになる。
 だが「聖戴者」支配体制において人々は、尊いものは「聖蟲」でありそれを戴く者であると理解し、血統には重きを置かなかった。
 事実「聖戴者」は、もちろん血統の存続と「聖蟲」の継承を結びつけ独占してきたのであるが、個人にその資格無しと見ればいかに王族の出身であろうとも容赦なく権力を剥奪した。
 つまりは血統のみでは特別な権威を認めない。
 幾つもの事例を通じて、血統による政治の独占が出来ないと理解した方台民衆は、民衆の合議により自分達を支配する「民衆主義」「民衆王国」を志向した。

 失敗の中には、警察力の恣意的な行使による民衆の弾圧、恐怖政治も含まれる。
 もちろん軍隊による防衛と警察力による治安維持は効率と成果を要求され、一元的な指揮命令系統を持ち厳密に迅速に執行されるのを絶対条件とする。
 或る程度の独善は許容されるべきであるが、民衆の代表者による恒常的な監視を制度的に作り上げるべきと考えた。

 それが法論士である。法律を駆使し権力を監視してその横暴を阻止し、民衆の権利を守る存在としての職業が誕生した。
 だが失敗であった。
 法律を盾にあらゆる行政活動を監視し介入しようとする法論士は各所で無用の混乱を引き起こし、民衆暴動の火付け役ともなる。
 未熟な民衆主義体制においては不十分な体制や半ば犯罪的な民間業者の介在が市民活動において不可欠ともいえ、これら全てに法律で定められる正当な処置を求めると成り立たない場合が多かった。
 やむなく法論士の活動は制限され、権限の範囲が縮小される。

 犯罪裁判においては、捜査活動に関して十分な経験と知識を持った専門家その多くは元警察関係者、を法論士に付けて捜査活動への理解を求める仕組みとなる。
 刑事探偵・商事探偵の誕生だ。刑事探偵は一般刑法犯や組織暴力犯罪、商事探偵は経済犯罪や脱税に特化する。

 

【タンガラムにおける学制】
 タンガラム民衆協和国における学制は4・3・2である。

 8才から通う初等学校(小学校ともいう)で4年間が義務教育である。
 が、小学校入学時には読み書きが出来るようになっている事、という条件がある。実質は5才程度から学習は始まる。
 義務教育であり、民衆協和国の国民としての自覚を幼少期から刷り込む「国民教育」が最重点課題とされる。

 12才からの3年間は中等学校(中学校)で、推奨教育とされている。義務ではないが全児童が通う事を推奨する。
 だが実際はほぼ強制で就学する社会的行政的圧力が掛けられる。地方のよほどの貧困地域で子供までも生産活動に回さなければ生存が危うい土地でなければ、免除されない。
 これは児童福祉の観点からではなく、最低限の教育を受けていないと近代工業社会においての労働力として機能しないから、である。
 すでにタンガラムは頭数さえ集めればなんとかなる産業水準を越えて、かなりの機械化組織化が進み、労働者にも相当の理解力を必要とする。
 中学校卒業程度の教育は不可欠と言えよう。

 15才からの就学は任意である。基本的に授業料が必要。
 2年制の上級学校(高等学校ではない)と、3年制の各種職業技術専門学校に分かれる。専門学校も無料ではないが、奨学金制度が整備されている。
 上級学校は基本的に大学進学を予定する者だけが通うものだ。卒業認定は厳しく、落第する者もかなりの比率で居る。
 専門学校卒業者の場合、更に上位の3年制高等専門学校に進学する事が出来る。工業技術者であればこちらのコースが王道である。

 上級学校の男女比は7:3 男性優位の原理が働いているのだが、20年前までは上級学校の共学も無かったのだからこれでも進歩をしている。
 それ以前は女子高等教育学校と呼ばれるものがあり、3年制であった。
 女子には徴兵制が無いので大学授業料等の減免措置が無く、経済的に大学進学は相当に困難。
 その為に、ここを最終学歴とするのが普通であった。
 現在は女子限定の上級学校という形で存続する。3年制はそのまま。

 上級学校卒業者の多くが1年制の大学入試予備校に通うこととなる。私立校であるが、公の補助をされ学費が安くなっている。
 本来であれば上級学校を3年制とすべきところだが、徴兵制の絡みで一定期間教育の場から離れる者もあり、学力の回復補強の為に設けられている。

 大学教育には当然に高価い学費が必要であり、よほど富裕な家庭でないと支払う事が出来ない。
 だが体力知力ともに優れた者を対象とした選抜徴兵に応じると、大学の奨学金、また授業料減免措置が適用される。
 故に大学志望者はまず選抜徴兵制の合格を目的とした準備を、上級学校時代に行う事となる。
 大学入試予備校が設置されるのも、上級学校が学力偏重の受験対策校になるのを防ぐため、と言えよう。

 選抜徴兵を望まない・体力的に無理だと考える者は「国策大学」と呼ばれる授業料の安い大学を志望する。
 政府によって必要とされる高級官僚や法律家の育成、特定産業技術の重点的研究開発などに特化した国立大学だ。
 高度で均質であるが没個性な人材を育成する機関で、他の大学とはあまり友好的ではない。
 志願者が多く倍率が非常に高い難関校である。

 大学校・大学堂には卒業の年限が無い。
 単位が必要な数だけ揃った時点で大学卒業資格を認められ、卒業となる。
 だが奨学金・授業料減免措置の期間がおおむね4年、長くても5年であるから、それまでに卒業しなければならない。

 学士修士博士号という概念はなく、各教授の構える講座の「講座員」というものになるのが大学院入学に相当する。
 講座員→助手→講師、と身分が上がり、講師になると大学から給与が支払われる事となる。この時点で博士号を取得したのと同義といえよう。
 講師昇格までは、大学入学からおおむね10年を目処とする。
 以後、講師→教授輔→副教授→(正)教授→大教授→師頭教授 へと出世する。

 

       ***

【異世界設定 その10】

【イヌコマ】
 イヌコマとは小さな馬である。日本のホンシュウジカの角が無いもの、と考えるとちょうどの大きさ。
 「イヌコマ」の由来は、耳がイヌみたいな形で感情をよく表すところから来ている。色は焦茶色で馬っぽい。

 古来よりタンガラム方台において食用、また荷役に用いられており、方台の人間にとってはイヌよりも親しい生物である。
 荷役と言っても、自分の体重よりも重い60キログラムを載せるとびくとも動かなくなる習性を持つ。どんなに叩いても引っ張っても動こうとしない。
 だがこれを50キログラムに減らすと、最高時速40キロメートルでとっとこ走っていく。長旅も苦にせず歩いてくれる。
 このため、イヌコマに運ばせる品は軽くても値打ちの有る交易商品が選ばれた。代表的なものは塩ゲルタ、布など。
 集団での移動も特にばらばらになる事もなく素直に従って動いてくれる、長距離の交易に適した優れた特性を持つ。

 元々が森林地帯の生物なので、多少の地面の起伏も関係なしに歩く。場合によっては狭い谷や川を飛び越える事もある。
 非常に頭が良く人間の言うことをよく聞いて行動する。一度通った道は忘れず、人間なら迷う森の中なども間違えずに移動出来る。
 さらには人間が引くのではなく、単独で荷物を運ばせても勝手に行って帰ってくるほどで、とても便利。
 普通は乗用にはしないが、女性および子供なら乗る事も出来る。手綱はハミを用いるのではなく、首に革紐を巻いているだけでちゃんと動く。

 タンガラム方台の人間はイヌコマは非常に愛している。
 創始歴5600年代に導入された荒猪の去勢技術やハミ、鞍といった異国の騎乗技術が普及した後でも、イヌコマに適用する事は無かった。
 現在では鉄道や自動車、それ以前には和猪車(荒猪を去勢して制御しやすくしたものを和猪と呼ぶ)といった大量輸送技術が進展した後は、イヌコマの需要は激減している。
 それでも農家は必ずイヌコマを飼い、農作業に便利に使っている。

 乗ることが出来ないので騎兵という兵種が発生する事は無かったが、武器や食料を積載したイヌコマを連れて行動する兵士は居た。
 状況によっては走るイヌコマに掴まって自分も走るという方法で、通常よりも遥かに高速に移動することが出来た。
 これを「イヌコマ軽走兵」と呼ぶ。
 タンガラム将棋にも「桂馬」と同じ動きをする「イヌコマ」と呼ばれる駒がある。

 イヌコマは非力であり、また集団行動は得意だが協調しての行動は難しいので、馬車を牽くという使われ方はしなかった。

 

 なおイヌコマより大きい家畜としては、大山羊と呼ばれる獣が居る。体重が100〜160キログラムにもなる大きな草食獣だ。
 これは跳ねるから荷役は出来ない。牽引もできない。
 もっぱら食肉用および乳用として飼育される。現在のタンガラムにおいても、乳といえば大山羊のものだ。
 牛はシンドラに水牛が居るのだが、風土の違いから導入されていない。

 大山羊の飼育はかなり難しい。なにしろ跳ねるから、柵では閉じ込めておけない。
 だが馬鹿であるから、好物の植物を栽培している場所に定着して、人間に簡単に捕まってしまう。
 身体が大きいから暴れると致命的な損傷を人間も受ける事になるので、なるべく怒らせないように、機嫌を取るように飼育する。
 むしろ困るのは、あまりにもバカすぎて想像を絶した行動をしばしば取ることだ。
 家の屋根の上に登って踏み抜いて動けなくなるなど、日常茶飯事である。

 

【卵】
 タンガラムにおいても卵は重要な食材であり、古代より様々に利用されてきた。
 しかし、食用卵の供給源は水鳥に依存する。この鳥は人間の飼育に適さなかった為に、池や湖の葦原の中に作られた自然の巣から卵を盗っていた。
 その後、水鳥を飼育しないまま数を増やす方法が生み出され、卵供給も順当に確保されていたのだが、さすがに収穫量は少ない。
 値段が高価い、立派な高級食材であった。

 創始歴6000年代となり、ゥアム帝国との交流が始まると、互いの有用植物・動物を交換するようになる。
 ゥアム帝国には、「鶏」という極めて便利な飛ばない鳥が居た。
 自然の鳥よりも豊富な肉は味も良く、毎日卵を陸上で産んで収穫できる、奇跡のような便利さだ。
 水鳥の卵は瞬く間に駆逐され、タンガラム各所に養鶏場が幾つも設けられ、卵が大量供給されるようになった。
 値段も大幅に安くはなったが、それでも限度というものはある。

 6215年現在では鶏卵1個1ゲルタ(百円相当)が相場である。もちろん地方によって異なる。
 対して、水鳥の卵は1個1ティカ(5千円)という、信じられない高値となった。今では幻の食材として、それなりの需要を認められる。

 

【ふらいどちきん】
 鶏の食肉としての供給も大々的に開始された。
 それまでは食肉としての鳥類は飼育ではなく猟による供給が主であった為に、不安定で高価なものとなっていたが、劇的に安くなり庶民でも手を出しやすくなる。
 以前は一般庶民は年に一度の祝祭日くらいしか鳥は食べておらず、赤い髪色による階級の峻別も極めて明快なものであったとされる。

 鶏肉は上流階級の培った様々な調理法がそのまま使えるので、普及と共に各種の料理が出現する。
 その中で最も庶民に好まれたのが「カラアゲ」だ。
 カラアゲは創始歴5000年頃に出現した調理法で、それ以前にも油で揚げる料理が無いではないが、トカゲ神救世主「ヤヤチャ」伝説と結びついて大いに持て囃された。
 一時期の王宮・貴族階級の宴会では油を波々と湛えたカラアゲ鍋が麗々しく登場し、賓客の求めに応じてその場で好みの材料を揚げる風習が広まった。
 しかし、高熱の揚げ油は危険物でもある。宴会に出席した重要人物に煮えたぎる油を浴びせ掛ける暗殺手段が盛んに用いられ、高貴な者を殺害する方法として広く一般人にも認識される。
 最も有名な事件は、「ヤヤチャ」の後を継いで二代青晶蜥王国星浄王となったメグリアル劫アランサ暗殺未遂事件である。

 その後食用油の供給が潤沢になり一般庶民にも手軽に利用できるようになると、主に魚を揚げる料理が好まれる事となる。
 鶏が導入された後は、当然に鶏カラアゲが爆発的に人気を博す。

 創始歴6000年代の鉄道、冷蔵庫の普及によって様々な食材が新鮮なままに食卓に供給されるようになると、カラアゲ業界も第二の飛躍を遂げる。
 街頭で安価にカラアゲ料理を供給する、フランチャイズ店が幾つも出現したのだ。
 味も、シンドラやゥアムから新種の香辛料が輸入された事で、新次元の展開を見せる。
 今や世は「カラアゲ戦争」の様相となった。

 ・鶏カラアゲ系 〜高級路線で主に都市部富裕層を対象とする
 ・白身魚・イカカラアゲ系 〜同じく高級系であるが、より庶民的
 ・すり身カラアゲ系 〜何がすり身になっているか分からない不思議系 パンに挟んで食べる
 ・芋カラアゲ系 〜とにかく安さで勝負するお腹いっぱい系 ソースが色々
 ・パンカラアゲ系 〜パンの中に色んなモノを挟んで揚げる、面白系

 

【金髪】
 タンガラムを含むこの惑星の人類は、食物中に含まれるタンパク質の種類によって髪色が変化する。
 子供の頃は全員が黒だが、思春期の終わり頃一夜にして髪色が変わる現象を経験する。
 主に食するのが獣肉であれば赤くなり、そうでなければ茶色に。栄養不足で病気がちだと白っぽくなる。
 以後年齢が上がるにつれて徐々に色が薄くなり、白髪となっていく。

 だが毅豆を主原料とする植物性タンパク質が加工食品として豊富に供給され始めると、新しい髪色が生まれた。
 毅豆製品を常食すると、黄色くなるのだ。
 基本的には肉が食べられない下層階級の為の食品として扱われた為に、あまり自慢するものではない。

 だが、毒地南部青晶蜥王国開拓領「救世主村」付近の人間は異なる。
 そもそもが毅豆栽培を奨励し、圧力鍋を開発して方台人民を飢えから救ったのは、トカゲ神救世主「ヤヤチャ」である。
 「ヤヤチャ」の直接の領民・青晶蜥王国民として、毒地開拓領の人間は黄色の髪を誇りに思う。
 出稼ぎで都会に出てきても必ず毅豆製品を毎日食べて、髪色を固定するのであった。

 なお毒地開拓領の人は、黄色い髪を「金髪」と呼ぶのだが、他の地域の人にはあまり受け入れてもらえない。

 

【異世界設定 その11】

【軍隊兵士の階級】
 タンガラムにおいては陸海正規軍と巡邏軍の二種の軍隊があり、ほぼ同等の階級制度を持つ。
 ただし巡邏軍の最高司令官は巡邏統監であり、将帥と呼ばれる位は無い。巡邏軍を統率指揮する最高位が総理大臣だからだ。

 「将帥」と呼ばれる存在は陸海軍全体を把握して戦争指揮をする事となる。
 陸将・海将の他に、最近出来た「海外派遣軍」を指揮する「外派将」が居る。更に総統府で作戦計画全般を管理する「帥史」など。
 彼らはほとんどが軍事関係の政治家と考えてよい。
 国家元首である「総統」の諮問機関として総統府に隣接する軍務省に詰めており、戦地に赴く事は無い。

 軍部、と呼ばれた場合、タンガラムにおいては一般的には彼ら「将帥」は含まれない。
 何故ならば彼らは政治家であり、「総統」が操る政治機構の一部として看做されるからだ。
 もしも政府が破綻した場合、彼らの発する命令は総統自身の権力維持を第一義に考え、国民や兵士の生命財産権利を優先するとは考え難い。

 これは歴史上そういう視点を民衆が獲得した故に、制度として定められている。
 軍部の暴走の懸念よりも正当な政治勢力の暴走の方が害が多いと考えるからだ。逆に言うと、軍部には政治能力は無い、と見極められているからでもある。
 あくまでも実戦部隊を掌握するだけで、それ以上の機能を持たない者、これが軍部とされる。

 

 将帥の下に大きく、監・令・兵と3区分の階級がある。
 「監」は実戦部隊の指揮官である。統監・大監・軍監(監)・監輔の4種。
 統監が事実上の一軍の総司令官である。「部将」「隊将」などと呼ばれる事もある。
 大監が大佐、軍監が中佐、監輔が少佐、と考えておおむね間違いではない。ただし軍監はもう少し偉く準大佐という感じである。

 巡邏軍には軍監の上に「上査監」と呼ばれる階級が存在する。首都ルルント・タンガラムやイローエント市などの特別な都市を守護する者で、准大監と呼ぶべきものである。
 大監は広域を大局的に支配するのに対し、上査監はピンポイントで徹底的に監督する役職と考えるとよい。

 「監」の下の現場指揮官が「令」である。伝統的に「剣令」と呼ばれる。
 大剣令・中剣令・小剣令の3種。
 監輔は大剣令の代表者が選出される事が多いので、正式な位というよりも大剣令長という感じである。ほぼ役職だ。
 監輔が無い部隊もあり、軍監の下がそのまま大剣令であったりもする。ここは人員の数・責任分担の便宜で決まる。
 その場合大剣令の権限はもう少し高くなる。
 中剣令は中隊長、小剣令は小隊長でほぼ間違いない。だいたい少佐・大尉・少尉くらいの感覚である。

 扱う人数は、統監から始まって、
 1軍全体>1万人>5千人以上>(補佐が多い) >1千人>2百人>30〜50人  程度の歩兵を指揮する事となる。

 また「掌令」と呼ばれる階級もある。
 管理業務や特殊な技能、軍医、戦闘兵器の操縦者に与えられる位で、高度な専門教育を受けての事となる。
 権限的には剣令に相当するが、歩兵の集団を指揮して戦闘する教育を受けていない士官とされ、そのような任務には投入されない。
 掌令長・掌令正・掌令・掌令輔の4種 掌令輔は兵曹長に相当する。
 軍監に相当する階級は「掌監」となるが、軍監が直接歩兵を指揮して戦闘をする事はあまり無いので、警備等の戦闘部隊を有する集団を「掌監」が統率する事もある。
 大監に相当する階級は無く、普通に大監に昇進する。
 軍医大監や武器開発に当たる造兵大監などは戦闘任務をそもそも考えられていないので、掌監出身である。

 なお「剣令」の大・中・小の区分と「掌令」の長・正・()・輔の区分は独立している為に、剣令と掌令の両方の権限を持つ士官を表現することが出来る。
 そのような士官はおおむね特殊兵器や特別部隊の任務を帯びる事になるから、「掌令」としての身分を明らかにする為に「大・中・小掌令」と呼ばれる。
 しかしながら「大掌令正」「中掌令長」はこれまでに存在するが、「大掌令長」は現在までのタンガラム軍で見たことがない。
 やはりどちらを優先するか選ばされるわけだ。

 

 剣令の指揮の下で戦闘を実際に行うのが「兵」であるが、古語っぽく優雅に「凌兵」と呼ばれる事もある。
 兵は5種。兵曹・兵士長・上兵・壮兵・少兵。また兵曹の指導役である兵曹長がある。
 壮兵はまた正兵とも呼ばれる。戦闘員として規定の能力を備えた兵士である。
 少兵は初年兵・徴兵訓練兵で基本的に戦闘部隊には居ない。実戦時においてもせいぜい輸送隊だ。
 巡邏軍においては徴兵を受けた少兵も街頭で職務に当たる為に、普通に小隊に居る。
 無論補助的な任務しか与えられないが、一般社会の治安警備は慢性的に人手不足であるからちゃんと働く現場がある。

 上兵はおおむね「伍長」である。4+1(本人)のユニットで伍兵隊を形成する。伍兵隊3個で1個分隊、2個分隊+αで小隊を形成する。
 あるいは三分隊と言って、伍兵隊2個10人3隊に編成する事もある。これは任務の性格や装備によって変更される。
 分隊長は兵士長が務め、兵曹は小隊長補佐・代理である。
 海外派遣軍では小隊に必ず無線通信機班が付属するので、伍兵隊1個+になる。
 巡邏軍街頭詰め所においては伍兵隊が基本となる。24時間活動をしているから、伍兵隊単位で交代をする。兵士長が詰め所責任者である。

 下士官が兵曹・兵士長の二階級しか無いように見えるが、実際そうなのだが、運用上あまり困らなかったりする。
 同じ階級でも役職があって、その違いで命令順位が決まる形式になっている。

 というよりは、細かく階級を分けるという思想があまり無い。
 同一階級内の序列は流動的で、手柄を立てた者が出世する原始的な軍隊の形を保っているとも言える。
 さらに言えば小剣令という下級将校が、昔の軍勢の切り込み隊長的な感覚で指揮をしているわけで、近代的な士官将校とはやはり違う存在なのだ。

 それ以前に、タンガラム民衆協和国の人口は950万人であり1千万人に到達していない。
 軍隊も相応に人員は少なく、戦闘能力を持った正規軍よりも社会治安維持に当たる巡邏軍の方が倍以上多い。
 人数が少ないから階級もそこまで多く分ける必要が無いのだ。

 軍人・兵士である事に特別な権威を認め、自らもそのように振る舞う。
 第一次世界大戦以前の軍隊が持っていたような社会的ステータスがタンガラムの軍部には認められる。
 各国が海で隔絶して国際戦争が起きる可能性が低く、また実際に総力戦などを経験していないのであるから、近代的も現代的にも成りようがない。

 

 なお軍に属するが戦闘員でない者は「夫」と呼ぶ。
 軍属という事になるが特殊技能保持者や高等教育を受けていて軍組織の運営に当たる者はそれなりの権限を有する。
 階級は部署によって数が異なるが、(職種)官・夫長・大夫・上夫・夫卒の序列となる。権限的には「兵」の序列と同等になる。
 兵曹に相当する「官」は国家試験に合格した正式な国家公務員である。(警察局の捜査官、等と同様)
 「官」の内での序列はおおむね役職で決まることとなるので、課長・係長・主任・ヒラ 的な感じとなる。
 「掌令」は「夫」の管理監督を行うのだが、「掌令」自体は軍人である。
 「官」から「掌令」になるには軍人教育を受けねばならず、高等専門教育を受け国家試験合格をしなければ昇進とはならない。
 特別に能力が有り貢献度の高い者が「掌令輔」に特別昇進する事が有る。

 「夫」は戦闘員ではないのだが、兵士としての経験を積んだ主に徴兵終了者が改めて軍に属した場合、戦闘員としての資格も持つ事となる。
 「夫兵」と呼ばれる者でもちろん戦闘を主任務とはしないが、出来ないわけではない。
 非常時には彼らも武器を取って戦う事になり、その時は戦闘員として除隊した時点での階級を任命される。
 徴兵終了者は除隊時に1階級昇進して正兵になっているので、正兵として扱われる。
 兵器・機械整備員はおおむね徴兵経験があるので、正兵である。(というよりは、工業学校出身者を徴兵により整備員として養成している。

 軍独自の諜報工作機関「軍偵」は、「兵」ではあるが昇進しても剣令ではなく掌令になる。士官教育を別に受けて剣令になる事は出来る。

 戦闘機・飛行機操縦士は、特殊技能を有する戦闘員ではあるが、陸戦において歩兵を指揮する事は無いし出来ない。
 それでも戦闘員には違いないので「兵」の階級が適用される。事実カリキュラム上「正兵」と同程度の歩兵戦闘技能は必須である。
 戦車・特殊車両や船舶舟艇の操縦運転技能者も同等で、階級はあっても歩兵戦闘指揮をする事はない。
 彼等が士官に昇進すると、掌令になる。つまり戦闘機隊、戦車隊の隊長指揮官は剣令ではない。
 なお戦闘機操縦士の階級は兵曹以上、連絡・偵察機等の操縦士は兵士長以上の階級となる。

 

【海軍】
 タンガラム方台においても海軍・水軍は陸上の軍隊とは異なる発展を遂げた。
 とはいえ現在の近代軍においては統一性のある軍組織として運営されている。

 基本的にタンガラム海軍は3つに分かれており、さらに海外派遣軍も海軍主体である為に、4つの艦隊をを有する事になる。
 東岸・西岸・南岸艦隊 派遣軍艦隊 および陸上の湖沼を守護する湖上水軍も範疇に入る。
 それぞれの艦隊の最高司令官は「艦隊統監」である。
 首都に近い西岸艦隊を預かる「艦隊統監」が全水軍総指揮官を兼ね「総水帥」とも呼ばれるが、通常は西岸艦隊のみが直接指揮下にある。
 「艦隊統監」は「提督」と呼ばれる事もあるが、あまり使われない。

 「提督」の呼称は派遣軍艦隊のみにて使用される。
 本来ゥアム帝国の慣習であり国際交流上必要であるから使うのであり、国内では意味を持たないわけだ。
 故に派遣軍艦隊総指揮官である統監は「提督」とは呼ばれない。タンガラム国内にあって他国艦隊と接触しないからだ。
 各方面分艦隊、偵察艦隊の司令官に「提督」の称号は冠せられるが、彼等の正式な階級は「海軍大監」である。

 各主要艦艦長は通例「海軍監」である。ただし巡洋能力を持たない沿岸戦闘のみを目的に建造された戦闘艦艦長は「大水令」の場合もある。

 陸上の「剣令」と同等の現場指揮官を「水令」と呼ぶ。戦闘力を持たない補助艦艇であっても指揮官は「水令」。
 「掌令」は海上には居らず、陸上での事務や造船の現場等で働く。
 大水令>中水令>小水令 >水令輔 の4種。俗に、艦長>船長>艇長とされるが、規則で定まっているわけではない。

 ただし、近年派遣軍は水上戦闘機や偵察機を運用する事が多く、また陸戦部隊を輸送して島嶼部での戦闘を行う事もある。
 この時の現場指揮官は「掌令」「剣令」である。

 水令輔は、掌令輔と異なり兵曹長より上のれっきとした階級であり、準士官である。これは他国海軍との絡みでそう分類されている。
 海軍士官学校卒業生がまず任じられる階級であり、兵曹長から昇格する事は無い。
 (兵曹長が特別に能力と貢献を認められて昇格する場合は、一度特別訓練学校に送られて小水令になって戻ってくる)

 「兵」の分類は陸上と変わるところはない。
 (兵曹長)>兵曹>兵士長>上兵>正兵>少兵 である。兵曹長が明確に定められている場合が多いので、下士官は3種と見做して良い。
 戦闘艦においては兵員すべてが戦闘員と看做される為に、「夫」は存在しない。
 補助艦艇においても、全員が「兵」として扱われる。それ以外の非戦闘員はすべて「客」であり、軍属ではない。

 ただし民間船を船員諸共に徴発した場合は、船員は「夫」扱いになる。
 船長は「船長」という役職の夫長扱いになる。船長が軍隊経験者で士官であった場合は「特任船務官」という下士官扱いになる。
 「特任船務官」は便宜上の存在であり、下士官と言っても船の規模で兵曹長から下級の兵曹まで様々に異なる待遇を受ける。

 

 派遣軍艦隊は、基本的には国内3艦隊よりも規模が小さいものとして設立された。
 しかしその後の国際環境の変化により膨張を余儀なくされ、今ではタンガラム最大の艦隊へと進化した。ただし、国民には昔と変わらず小さなままと伝えていた。

 現在派遣軍艦隊はゥアム帝国・シンドラ連合王国・バシャラタン法国の3方面に分かれて活動する。
 分艦隊と言えども結構な隻数を有しており、本来であれば一個の艦隊を名乗るべきであるが上記の理由により小さなものとして扱われている。
 さらに未発見島・方台を探す偵察艦隊が10ほど存在する。
 ただし、分艦隊旗艦であっても最大で1万トン程度、偵察艦隊に至っては5千トン程度の機帆船である。偵察艦隊司令官は旗艦の艦長でもある。

 国内海軍艦隊と派遣軍艦隊の装備上の違いは、国内艦隊が巡洋能力を持たず沿岸での戦闘のみを目的に建造されているのに対し、派遣軍は全数が巡洋能力を持つ艦船である点だ。
 現在のタンガラムの工業水準では、巡洋能力を持つ船に十分な装甲を与えることが出来ない。装甲するのに十分な排水量を持つ巨大船を建造する能力も無い。
 また巨大船の動力に必要な大量の燃料供給で艦隊自体が破綻してしまう。
 これはタンガラム一国のみならず、他の国でも同様で、現代技術とくにエネルギー問題に起因する物理限界と言えよう。

 であるから、もし遠路はるばる他国の艦隊が攻撃してきた場合、十分な装甲とそれに応じた砲力を持つ沿岸艦艇があれば確実に撃退できる事になる。
 魚雷と潜水艇、爆撃・雷撃可能な水上飛行機も装備されているから、想像を絶するほどの超重装甲艦でも投入しない限りは、外敵の艦隊による攻撃はあり得ないと言って良い。

 この常識故に、ヒィキタイタンとマキアリイが解決した「潜水艦事件」で暴露された「巡洋能力を持つ巨大潜水艦」の存在で、タンガラムの国防は震撼したわけだ。
 航続距離の短い潜水艇であれば長距離航海は潜水艇母艦により運ばれるのであるから探知は容易く、脅威としてはさほど大きなものとは呼べなかった。
 巡洋潜水艦は探知が非常に難しく、沿岸艦隊が一方的に魚雷攻撃を受ける可能性が高くなる。
 より高密度の索敵網を常時展開する必要が発生して、タンガラム海軍は水上飛行機を主軸とした本質的な変革を遂げることとなる。

 ただ艦船装甲の努力をすべて諦めたわけではなく、巨砲への防御力は無いとしても30_程度の機関砲で穴を開けられるようではさすがに脆すぎるわけで、不十分ながらも巡洋艦艇の鋼鉄装甲化は進んでいる。
 魚雷機雷に関しても、国内沿岸艦隊においては防御可能な大型艦が建造されている。鋼鉄を装甲材とせず分厚いコンクリートで爆発力を受け止める策が用いられ、「重防御艦」と呼ばれている。
 さすがにコンクリート製の船に巡洋能力を与えるのは動力的に無理があるのだが、十分な大きさの巨大艦であれば可能だとの試算もある。

 なお国内沿岸3艦隊にも巡洋能力を持った小艦隊が存在する。護衛艦隊と呼ばれるもので装備的には派遣軍艦隊と同等。
 外国航路の安全と領海の巡察を主任務とする。海難救助も行う。

 

【剣令と掌令】
 剣令と掌令の違いは、その発祥による。
 そもそもが古代から近世に至るまで、戦力というものは人間であった。弓等の遠隔兵器はあるものの、なによりも個人の武勇に裏打ちされる力である。
 剣令は、武勇に秀でた武人階級を率いる名誉ある位である。長らく高い地位を認められ尊敬を一身に浴びていた。
 この構図が銃火器の発明によって大きく変わる。

 一般人を多少訓練しただけの下級兵士であっても、代々継承されてきた武人家系の出身者を簡単に射殺出来る銃の出現は、軍隊における身分制度を大きく揺さぶった。
 それでも剣令の高い地位は変わらずあくまでも軍の主力であり続けた。
 故に、下級兵士を多数動員しての新時代の軍勢を率いる新しい位階が求められ、「掌令」と呼ばれる存在が生まれる。
 時代が進むにつれて旋転銃・鉄矢銃による命中精度の革命的な向上、軽量砲による爆裂弾の砲撃という大量殺人手段の投入、和猪の牽く車両による輸送革命と、個人の武勇を背景としない軍事革命が続く。
 剣令はあくまでも歩兵を指揮する士官としてあり続け、それ以外の兵種の指揮は掌令に任されるようになる。

 現在においても、やはり軍隊というものは歩兵による戦場の支配こそが決定力であり、その他兵種は歩兵の支援に当たるべき、という思想が根強く残っている。
 これは軍隊内部だけでなく、一般社会内における軍・軍人の位置づけとも深く関連しており、前時代的であるとは承知しておきながらも二種類の士官が存在する事を許容する。

 だがさらにもう一点、中世までタンガラム方台は聖戴者という特別な宗教的存在によって治められてきた歴史を持つ。
 聖戴者は神によって聖蟲を授けられ、超人的な能力を備えていたとされる。これは戦闘力においても人知を越えた力を持つという意味でもある。
 現代においてはそれが真実であったかを知る術はもはや無いが、聖戴者による軍隊と一般人軍人による軍隊とではまったくに異なる存在であった。
 剣令は聖戴者に従い崇め、一般兵士を導く役目を与えられていた。しかし聖戴者が軍隊の階級を超えて命令するというものでもない。
 餅は餅屋でどちらもが他が出来ないことをする、という役割分担を行っている。

 また古代金雷蜒王国においては、聖戴者であるギィール神族が自分の領土から奴隷(一般民はすべて奴隷と呼ばれた)を選抜して連れてきた者を正規兵と見做し、
 戦争の専門家を傭兵として補助に用いる、という慣習があった。剣令とは本来こちらの中間指揮官を意味する言葉である。
 当然に両者の間での指揮命令系統は異なり、矛盾も無い。

 つまり最初から、二つの指揮階層という認識が存在したのである。

 

【中央司令軍】
 「将帥」の作戦指導を支える為の官僚組織である「中央司令軍」と呼ばれる役所が存在する。

 参謀本部もここに設置されるのだが、案外と生え抜きの作戦参謀という者は居らず、どこかの部隊特に海外派遣軍経験者を採用している。
 これはタンガラム民衆共和国が正式な戦争を長年行っておらず、現場経験の無い者は空論に走り非現実的な作戦を実行してしまうのではないか、との懸念による。
 また外交使節に随伴する駐在武官として各国の情勢を視察して来た者も多く居る。工業・技術・産業現場の知識が豊富な者も含まれる。
 参謀本部とは言いながらも実態は、国家の軍事を含めた外交政策を立案する部署だ。

 中央司令軍は警備・儀仗・憲兵以外の戦闘員は有しないが、およそ軍に関係する事務処理、徴兵制度の実施から軍人教育、人事移動、退役後の年金制度に至るまでをすべて管理する。
 つまり戦闘任務を帯びた士官があまり居ないから、掌令ばかりが勤めている。
 軍諜報機関もここに属するが、それとは別に「軍偵」と呼ばれる諜報員組織が各軍部隊に設置されている。

 国民的英雄である刑事探偵ヱメコフ・マキアリイも、本人はまったく認識していなかったが、実は徴兵除隊後も延々と軍籍が持続しており中央司令軍の所属となっている。
 中央司令軍公報部国民宣伝課長付き非常勤特任広報員、という立場になる。もちろん軍籍に無い者は式典等で軍用兵器の操縦や使用が出来ないので、軍人としての登録がされている。
 特任広報員には他にも、「空中三姉妹(兵士長)」「少年擲弾兵(上兵)」「ぬいぐるみ(?)」などがあり、軍の式典や民間人を招く基地祭りなどで広報活動を行っている。
 「国家英雄」」ヱメコフ・マキアリイは歴代特任広報員の中でも最高位である掌令(6215年6月昇進)だ。士官としての広報員は彼の後も出ていない。

 

【特別戦闘員】
 タンガラム軍には特殊部隊と呼ばれる存在は無い。
 日本で言う「特殊部隊」は「強行制圧隊」と呼ばれている。
 また山岳地帯や海浜部から、また空挺により強襲する高度な戦闘能力を備えた部隊は、「強襲戦闘隊」と呼ばれる。
 では「特殊部隊」は存在しないか?

 タンガラム軍には、「特別戦闘隊」「特殊戦闘員」「特例戦闘員」と呼ばれる異なるものが有る。

 「特別戦闘隊」は、文字通り特別に重大で危険度も通常の任務より高い場合に、志願者で結成される戦闘隊である。
 特別任務手当が付くから「特別戦闘隊」だ。
 基本的に彼らは普通一般の陸海軍の兵士であり、特別に教育された存在ではないが、志願した後に専門教育を受ける事もある。
 無論志願しなければ選ばれないのであるが、そこは部隊内部の人間関係やら雰囲気やらで誰かが供出される事となる。
 特別任務に志願しない兵員は、特にペナルティは科せられないが、昇進もしない。
 5年も軍隊に居ればたいていの者は上兵にまではなるが、分隊長である兵士長、また専門教育を受ける兵曹への昇進は特別任務への志願状況が大きく関わってくる。
 更には給料も違うわけだ。
 「国外派遣軍」はそれ自体が特別戦闘隊であり、志願者により構成される。事になっている。

 「特殊戦闘員」とは、文字通りに特殊技能を有する戦闘員の事である。
 特殊な武器や機器、新兵器、特殊車両や航空機の操縦技量、爆発物処理や金庫解錠、その他一般の兵士が技能を持たない事が出来る兵員を指す。
 特に戦闘に役立たない技能でも、任務で必要であれば投入される。一応は武装しているから戦闘員扱いだ。
 場合によっては政治関連の人脈や経験を持つ者、歴史や文化財芸術に知識を持ちそれらの保護の任務に当たる者、幼稚園の保母保父の資格を持つ者までもが投入されたりする。
 女性兵士は正面戦闘を行う任務は現在のところ運用上避けられており、戦場に有る時は特殊戦闘員扱いである場合が多い。

 「特例戦闘員」とは、軍以外の場所で戦闘技能を身に付けた者を指す。軍の正式なカリキュラムを経験していないから兵士扱いはできない。
 基本的にオブザーバーとして任務に参加し、終われば離隊するのが通例。
 彼らの運用はその時々の状況による。多くが軍とは異なる指揮命令系統に従って行動する。
 だが害獣退治などで猟師が小隊に同伴する場合などは、小隊長である剣令の指揮命令に従う。
 組織犯罪壊滅などで軍隊が動員される場合、軍側から見て警察局の人間は「特例戦闘員」扱いである。

 

【公務員の階級】
 公務員には国家公務員と地方公務員とがあるが、タンガラムには機関・団体公務員という区分もある。
 国家機関や地方行政、また複数県にまたがる公的組織がその地に配置した部署・役所において雇用される職員の事である。
 公務員であるから相応の義務が発生するが高度な意思決定に携わる事は無いので、そこまで重大なものではない。また他県への移動転勤も普通無い。
 単純に、上級の公務員との昇進体系を分けるものである。

 公務員の階級は、まず最上級の行政官である総理大臣以下内閣の大臣に相当する「臣領」がある。
 臣領はその頂点である総理大臣「大臣領」が国家元首たる「総統」から任命され、大臣領が他の臣領を指名して決定される。
 (「総統」は「総議会統領」の略 おおむね「統領」は選挙によって選ばれた長の意味を持つ)
 各省の長は臣領であるが、目的別に分化した一レベルの下の「庁」の長官も同様に指名任命される。「司領」と呼ぶが普通に「庁官長」とも呼ばれる。
 巡邏軍は国家保安省に属する庁であるが、その最高位は「巡邏統監」である。

 臣領の下に付く行政官のトップは「佐領」と呼ばれる。また単純に省庁のトップという意味で「省官長」ともいう。
 「佐領」は国会内で答弁に立つ時の呼称である。というよりは、古代王朝風の雅語を国会内では用いている。
 「佐領」と「司領」の違いは、「佐領」が政治家である大臣「臣領」によって指名内閣に任命されるに対して、「司領」は大臣領によって直接任命される官僚であるという点。
 基本的には省の方が庁よりも権限が上だから、佐領>司領の序列となるが、直接に任命される司領には独立した権限がある。

 各県の知事である「県令」は市民による選挙で選ばれる民衆主義的な存在であり、国会内では「佐領」と同格の「統領」と呼ばれる。
 特別市の「市長」は国家計画に基づいて特別の機能を果たすことを求められている為に、「司領」とほぼ同格の「参政(参政市長)」と呼ばれる。
 それ以外の市長、郡長、(大型の)島長は、「持領」という位を認められるが、扱いは様々でそれぞれの土地の格によって定まる。

 

 省官長の下の階級は「従侍」と呼ばれるが、これも国会内での呼称である。一般には「従侍官」という。
 主に中央省庁の局内で活動する。また地方部局の長である。
 国会において「佐領」の代理を務める者は「佐侍」と呼ばれるが、これは省内では単純に「省官長代理」と呼ばれる。
 ただ「佐侍」を務められる者は次の省官長候補である。
 地方公務員においては、各県・地方の行政機関の最高位が「従侍」扱いとなるが、区分の為に「参事」と呼ばれる。後ろに「官」は付けない。
 これが転じて、中央省庁でない地方部局の従侍官は「参事官」と呼ばれる事が近年多くなっている。

 従侍官の下の階級は「参議」、一般には「参議官」と呼ばれる。
 文字通りに国会に出席して発言できる最低の階級という意味。
 司法機関における「衛視」、軍における「剣令・掌令」と同じレベルで、ここから上級公務員となる。
 地方公務員においては、上級職が「参議」扱いである。後ろに「官」は付けない。
 市町村レベルでは、行政職の最上位でも「参議」に留まる。

 参議は上級公務員一般の総称でもあるので、より詳しく身分を説明するために役職として「〇〇使」「〇〇司」という呼び方をする。
 「〇〇使」は国家公務員、「〇〇司」は地方公務員であり通常「参議〇〇司」と呼ぶ。

 

 中級公務員は「官員」と呼ばれるが、上級中級合わせてが「官」である。下級公務員は「吏」と呼ばれる。
 ただし、地方公務員の中級は「官」ではなく「事」と呼ぶ。

 「官」を名乗る中級公務員は普通、「職分」+「官」、という形で呼ばれる。
 「官」と「参議」の間にはかなり大きな壁があり、階級による細かい序列は無く、通常は「官」内部の役職によって指揮系統を明らかにする。
 「官」から上が国家公務員であり、国家資格を取得してその職分に命じられている。
 地方公務員は「事」と呼ぶが、同等の国家資格を得ている為に権限的には同等である。
 国と地方の官僚を区分する為の呼称で、一般社会ではどちらも同等に「官員」であり「役人」だ。

 下級公務員に国家公務員は無く、国家機関に属する場合は「団体・機関公務員」として扱われる。故に他県への転勤は普通無い。
 4段階に分かれて、吏長>吏事>吏員>補員 の序列となる。
 ひっくるめて「吏員」である。
 最下級の「補員」は臨時雇いであり雇用期限が定まっているが、公務員には違いなく当然の義務も課せられる。
 昇進は、国家資格を取らなければ「官」「事」にはなれないのだが、特別に優秀で実績も十分であれば「官補」という資格を得られる。
 「官補」は専門教育学校に派遣されて普通に「官」に昇進するので、実務に関わる事は普通無いのだが、昇進を頑として拒むへそ曲がりは何処にでも居る。
 なお俸給は、官補の資格を取るくらいだと年功もあって、新米のヒラの「官」よりも倍くらいはもらっている。役所のヌシみたいなものだ。

 

 なお役人という呼称は公務員全般を指し示す。しかしながら本来役職を意味するものであろうから、不適切である。

 ちなみに、「参議」と「官」の違いは、端的に学歴の違いである。
 「参議」は大学卒であり多くの者が「法論士」の資格を持つ。対して中級の「官」どまりの役人は高等専門学校もしくは上級学校卒である。
 だがタンガラム社会において「大学卒」は人口の2割以下、上級学校・高等専門学校卒を合わせても5割に満たない。
 中級の「官」と言えどもそれなりのエリート扱いされるのだ。

 

【民間企業の役職】
 タンガラムにおいて民間企業と言ってもぴんからきりまであるわけで、単純一般化して語ることは出来ないが、大手財閥系企業はおおむね国家官僚機構に準じた組織形態を持つ。
 比較的小規模な「カドゥボクス財閥」を例にとって説明すると。

 まず「財閥総帥」が居る。「カドゥボクス財閥」の最高権力者であり支配者である。
 財閥総帥は普通血統で就任するのであるが、ごく稀に系列会社社員が姻戚関係により就任する事も無いではない。
 「太帥」、引退した「財閥総帥」である。現在「カドゥボクス財閥」では空席となっている。またこの役職を設けていない財閥も多い。

 「総帥代行」、「財閥総帥」の意思を受けて「理事会」の運営を行う。基本的に「財閥総帥」が総帥になるまでの教育係から昇格することが多い。
 その性格上「太帥」から任命される事が多く、現「財閥総帥」があまりにも勝手な運営を行わないような首輪の役でもある。
 権力者ではなくあくまでも「財閥総帥」の便宜を図る為の役職で、万が一の場合遺言執行人ともなる。

 「財閥理事会」がその財閥における経営最高意思決定機関である。半分は財閥外部から招聘された人材で、銀行から派遣される者も居る。
 あくまでも「財閥総帥」が最終決定権を持つのだが、株式発行等であまりにも無謀な経営は許されない為に「理事会」が設けられている。
 財閥によってはこれが完全にお飾りとなっているところもあるが、「カドゥボクス財閥」では十分に機能する。
 「理事」は通常10人以下。「カドゥボクス財閥」では「財閥総帥」も含めて8名となる。「総帥代行」は「理事」ではなく司会者となる。

 「部会長」、財閥はひとつの業種ではなく複数の分野の産業を手掛けている事が多い。その業種それぞれに「部会長」が置かれている。
 無論1業種のみで財閥を名乗るところもあるのだが、その場合は「業会長」単純に「会長」と呼ばれる事が多い。
 「財閥総帥」に直接指導されるが、そのまま「理事」に入る者も居る。
 俗に「総番頭」と呼ばれる。

 「社長」、「部会長」の下でそれぞれの会社の経営を預かる総責任者。経営陣「経営会」を率いて実質的に社を運営する。
 「社長」は「経営会代表」である。
 「経営会」には専務常務取締役等々に相当する役職が居るのだが、各社ごとに呼び名が違う。「カドゥボクス財閥」では全社統一している。
 「幹事」「主幹事」]「大幹事」「監査事」「財務事」などなど。「事」の字は地方公共団体の役人の役職に倣う。

 俗に「社長」を「頭領」、「幹事」を「番頭」などと呼ばれる事もあるが、「カドゥボクス財閥」では用いない。
 「頭領」はかなり普通に用いられており、老舗の家族経営の企業ではそう名乗るところも多い。特に「〇〇社」と名乗っていない会社はその傾向が強い。

 一番下の「幹事」は「分野長」とも呼ばれる。上から見たら「幹事」で、下の従業員からすれば「分野長」である。(業種により呼び方は変わる)
 その下が「部長」であり、「課長」であり、「係長」である。管理職だ。
 ひっくるめて「事長」と呼ぶが、世間一般では普通に「部長さん課長さん」で通る。

 ココから下は各社ごとにばらばらで呼び名の統一がされていないのだが、ふつうに「従業員」である。
 ホワイトカラーの職種であれば社員の構成もまた変わるわけで、一筋縄ではいかない。
 「カドゥボクス財閥」は化学工業を主とする為に、工場労働者を扱う社が多い。工員を例に取ると。

 総業長(幹事・分野長)>工場長(部長)>運営長(課長)>工程長(係長) >工員長>(上工主任)>上工>正工>補工

 という軍隊や公務員に似た体系である。
   (有事の際の徴用を考えて、わざとそうしてある。労働関係省庁の指導による)
 大工場でなければここまでややこしくはしない。町工場であれば、社長>親方>職人>見習い で終わったりする。

 基本的に「事長」は高学歴者、上級学校・高等専門学校卒であるが、公的機関とは違って国家資格等は必要ないから裁量で末端の一社員からでも抜擢される事はある。
 さすがに「経営会」は大卒ばかりだが、実績が何よりも重要な私企業であれば絶対の条件とは言わない。

 当然のことながら、一私企業内の序列は外部にあっては何の拘束力も持たない。であるから、公的機関や軍隊の階級とは根本的に異なるものである。
 国家公務員である「捜査官」の内にあって「捜査課長」という役職があっても、私企業の「課長」とどちらが偉いとかは無いわけだ。
 だが官公庁にあっては「官」の「課長」は同等の存在であり、別の部署との折衝においては権限において似たようなものを持つ事になる。

 

 伝統的一般の商家の社員制度。つまり会社化されていない事業者の場合。

 頭領(総領とも、ご主人様) >(大番頭)>番頭>番役 >手役>大丁(兄丁とも)>本丁(正丁、本手とも) >助丁(いわゆる丁稚)

 ただし、フルセット揃っているのは何軒も支店を持つ相当の大店あるいは大勢を使用する工場など。
 通りで目にする小売店はだいたい 主人>番頭>手役>本丁 (>助丁) で済む。
 経営構造は古いまま会社化した事業者などは、社長(>事長)>部長>課長 >丁長>大丁>本丁 (>助丁・見習い)と呼ぶところが多い。

 

 

【中央法政監察局】
 裁判関係の交通整理を行う役所で、全国の裁判所で扱われた事件の記録を管理し不正が無いかを検査する。
 また複数の地方にまたがる大きな犯罪や、幾つもの犯罪が絡んだ事件を取り扱って適切に裁判所に配分して処理を行う。
 もちろん法曹関係者の不正も監視する。
 中央法院の下位の機関となるのだが、独立して運営されている。トップは監察局長官であるが、中央法院頂上法廷の裁判官の一人「護法統監」を更に戴いている。

【外交法事局】
 タンガラムにおいては滞在する外国人の数は少なく、特定地方に局在する傾向にある。
 外国人また外国企業、さらには外国政府が関係する犯罪事件および訴訟に関しては一般の裁判所では扱わず外交法事局が一括して取り扱う事となる。
 また外国から逃げてきた犯罪者等外国政府から処罰を依頼された場合にも、こちらの管轄となる。
 タンガラムの刑法で裁くのが基本ではあるが、国ごとに刑法は違いそれぞれの慣習によっては犯罪ではなかったり極端に重罪だったりするので、或る程度配慮する必要がある。

【護法官】
 司法関係全般を守る警護官。警察官でも軍人でもない、司法独自の執行機関である。
 司法は三権分立の重要な一柱であるから、それ自身を守る為の実力組織を備えるべきであり、単なる警備員を大きく超えて武器の使用や捜査権限までも持つ。
 ただし本物の護法官はあまり多くなく、法廷の秩序を守るのは警護士と呼ばれる警備員だ。

 護法官の主たる任務は裁判に外部からの不正な干渉が行われないかを警戒し、防止する事にある。
 また裁判で扱われた秘密の保護、証人の安全などを守る事も職務の内である。
 故に秘密任務が多く、存在が公表されていない護法官も居る。法衛視の資格を持つ者も居る。

 基本的には中央法政監察局に所属するが、中央法院頂上法廷に直属の護法官も存在し特別な任務を与えられて活動している。
 護法官の頂点は「護法統監」と呼ばれる役職で、頂上法廷の裁判官の一員である。

 黒甲枝の総帥チュダルム氏が現在の護法統監である。

 

【煙草】
 タンガラムを含むこの世界、ゥアム・シンドラ・バシャラタンの何処にも、タバコに相当する植物は存在しない。
 強いて言うならば大麻草は有るのだが、燻して煙を吸ってもこの世界の人間にとっては快適とは言い難い効果しか望めなかった。
 バシャラタンの茶葉を炙った香りの方が薬効を期待できるほどだ。

 昆布の削り屑を燻した煙を吸う習慣はタンガラム一国のみに限られる。
 そもそもが昆布が食用とされたのは創始歴5000年頃。青晶蜥神救世主「ヤヤチャ」により、ゲルタの代わりとして塩と出汁を取る材料として勧められた。
 直接に食べる事を期待したかは定かではないが、食材として徐々に広がり、やがて食卓に欠かせないものとなる。
 戦場においても、緊張を和らげ集中力を切らさない為に常に口中で噛むものとして、塩昆布が利用された。

 ゲルタがそうであるように、昆布もまた容易に中毒患者を生み出す。無論身体的な害は無いのだが、精神依存症となる。
 或る者が手持ちの塩昆布に火を着けて匂いを嗅ぐ、という奇妙な習慣を生み出すと、依存症患者の間に何故か広がってしまう。
 煙がより長持ちするように昆布を細かく細く削って、紙に巻いて火を着ける習慣も出来上がった。

 一種の香木として考えれば特に規制すべきものでもないのだが、街中至る所で勝手に火を着けられては困る。
 政府当局ではこの習慣を絶滅させようと様々な手を使ってみるが、効果は芳しくない。
 紙巻き昆布煙草を嗜むのが主に裏社会の人間であり、映画や小説等においてカッコイイ習俗として描かれるのを未成年者が真似するなどの悪影響も発生している。

 

(※)

・水上機のフロートは、旧軍日本語では「浮舟ふしゅう」と呼ぶ。

・タンガラムではカメラのレンズは「眼鏡玉」と呼ぶのだが、公式には「扁晶」と呼ぶことにする。扁豆=レンズ豆のことだ。

 

【異世界設定 その12】

【護剣】
 「護剣」」とは、タンガラム軍軍人の礼装に付属する短剣。かって軍人階級が特別な存在であった頃に常時帯剣していた名残だ。
 陸・海・巡邏軍でそれぞれ違い、見分ける特徴ともなっている。

 陸軍では細長い銃剣そのもので全長40センチ。実用銃剣は黒染めされているが、ニッケルメッキで銀色に光るタイプもある(主に士官用)
 海軍では片刃の銃剣でサバイバルナイフを兼ねる。携帯に便利なように30センチと短めで、黒染めはしていない。
   銃剣ではあるが平時と遭難時の便宜を優先しており、光を反射しての通信にも使えるように鉄の地肌となっている。
   国外派遣軍も海軍と同様。
 巡邏軍は護拳に金属の環が着いた白磨きの棒状小剣で35センチ、刃は一部のみ。尖った十手みたいなもので、護拳部分で対象を殴り倒して制圧逮捕する。
   格闘戦時には長い方が有利で警邏では警棒を普通装備するが、護剣の方が常時携帯には便利でとっさに抜く事も出来るので好む者が多い。
   任務上その存在を誇示する為に、目立つ銀色になっている。

 護剣は通常私物である。軍隊在籍者しか購入は出来ないが、特に許可は必要とせず兵舎売店で売っている。
 入隊後正規兵となった際に、社会的身分が認められる立場になった証として軍人礼装を誂え、護剣も購入する。
 陸海軍では銃剣は正規装備であり貸与されるのだが、これは官給品であり隊外への持ち出しは禁止。故に私物が必要となる。
 官給品と区別する為に、柄の部分の素材が異なっている。多くの場合官給品より上等。
 海軍銃剣は平時の使用により刃が損傷や研ぎ減りをして、有事の際に十分でない可能性もある。そもそもが短くて戦闘力が低い為、陸戦任務の際には陸軍銃剣が小銃にセットとして装備されている。
 船上での白兵戦の場合は短い銃剣の方が向いているとされる。

 特に護剣にこだわるのは陸軍で、一般兵士用黒染め銃剣、士官用メッキ銃剣に加えて、下士官兵曹用黒光り(ガンブルー)仕様の銃剣も売っている。
 むろん礼装着用時にしか使用出来ないが、かっこいいので憧れの的にもなっている。
 陸軍銃剣は刺突を目的とするもので平時は刃を付けておらず、またさほど切れる刃物にはならない。
 しかしタンガラムは刃物の斬れ味にはうるさい国で、私物護剣は特別に刃物として優秀なものを売っていたりする。

 除隊時には所属部隊名と除隊年を刻印して、現役の兵士ではないと証明する。これは海軍でも同じ。
 巡邏軍除隊時には護剣は返上する。民間人が所持する事での悪用を防ぐ為。代わりにタダの鉄の棒を護身用に携帯する。

 

 軍人のみならず、国会議員、行政官では参議官以上、司法では法衛視以上が礼装に帯剣を許される。かって宮廷人であった証である。
 国会議員と参議官は陸軍士官と同様の銀色銃剣を用いる。刀身に所属が金文字で刻印され、国会議員は鞘の装飾が派手になる。刃は付けていない。
 法衛視は巡邏軍護剣の赤色仕上げのものを用いる。
 国家の頂点である総裁、国会議長、また最高裁判所「頂上法廷」裁判官は本物の刀剣を礼装で帯びる。ただし重いから鞘の中身は空の儀礼刀だったりする。
 簡易的には黄金で装飾した護剣を用いるが、これも鞘だけあるいは刃が極端に短かったりする。

 警察局の捜査官等行政に属して格闘の現場で働く者は、身分を隠して私服で行動する事も多いので護剣は特に定められていない。
 護身用であれば小型拳銃の携帯も許可されているから必要無いのだが、あえて格闘戦を行うのであれば20センチ程度の鉄棒を携帯する。
 これは鈎の無い十手のようなもので、市中で普通に売っている。

 なお軍人の公務外での拳銃携帯は、制服もしくは礼装着装時に外部に明示する形での携帯が許される。
 無論私物であるが民間人の軍用拳銃所持は禁止されている為に、除隊時には返上する事となる。
 拳銃携帯では入館出来ない公的施設も多いので、護剣のみで留めておく方がよい。

 

【護剣による決闘】
 決闘は法律により禁止されている。とはいえ禁じられているからこそやってしまうのが人間というものである。
 ましてや血気盛んな若き兵士ともなれば喧嘩決闘など日常茶飯事と言えよう。

 護剣は基本的に、休暇外出時に礼服を着用する公的な儀式に参加する際に帯びるべきものだ。
 しかし一般兵士は市中に出ても武器不携帯なのを心許なく思い、私物の護剣を帯びる事もままある。
 むろん隊規により禁じられているのだが、市中で携帯していたとしても軍服姿であれば治安当局により規制される事は無い。
 巡邏軍も手を出さない。基本的にはその兵士が属する部隊の憲兵の仕事である。

 というわけで、当然に他の部隊の兵士とのトラブルが起きた際には決闘が発生するわけだ。

 護剣による決闘は、陸軍と海軍では様相が異なるのであるが、双方に中立な立会人を置いて行われる。
 まず使用される武器は護剣に限られる。銃や飛び道具が禁止なのは当然として、護剣よりも長い刀剣も禁止される。護剣を投げるのも禁止だ。
 さらには使用される護剣も、陸軍においては刃の無いものに限られる。
 刃の無い護剣は刺突以外では殺傷力を持たない。つまりは護剣による決闘では人はめったに死なない。
 決着の付け方は、どちらか先に流血した方の負け、となる。

 護剣以外の攻撃方法としては、拳で殴るというものがありこれのみが許される。
 足で蹴る、掴んで投げる等は禁止。組み付いてしまうとむしろ刺しやすくなり却って危険が増すために厳しく禁止される。
 ただし決闘相手の背を押して突き飛ばすと、地面に倒れた時点で負けが確定する。これは「サンガス」と呼ばれる相撲での決め技に由来する。
 「サンガス」では背中を触られると負けになるというルールが有る。これを恐れて、選手は常に正面を向き勇敢に戦わねばならない。
 決闘においても、自ら背を向けて逃げるなど見苦しい振る舞いを避ける為にこのルールが適用される。

 護剣で人を殺そうと思えば、突き刺す他無い。しかもかなり深くにだ。
 偶然ではなく明確な殺意があったとして認定され、刑事事件となった場合には「殺人」として処理される事となる。
 無論決闘自体が法的に禁止されているのだから情状酌量される事は無く、軍法会議においても最大級の処罰を受ける。
 故に、「流血したら負け」で留めている。

 なお海軍の護剣は常時刃が付いているので、様相が幾分異なる。
 突くのが禁止となる。護剣は逆手に握って突き難くして斬り合うのだが、刃が有るからには危険度はより大きい。
 陸軍と海軍兵士とで決闘になった場合は、海軍の持ち方は防御に優れるので刃の無い陸軍兵士は相当に強く突く事となる。結果、かなり死亡率が高くなる。

 巡邏軍においては軍服での外出は常に公務中と判断される。治安を預かる立場であるから当然だ。
 公務中での私闘は当然のことながら有無を言わさぬ違法行為であり、処罰の対象である。
 決闘自体があり得ないとされる。
 市中で暴漢や犯罪者に突然襲われた際に身を守る実用品として護剣は見做されており、遊びで抜いたりはしない。

 

 

【軍服】
 当然のことながら軍隊において階級が上がるにつれて軍服も変わる。
 現在は階級が上位の指揮官を狙撃する戦術が多用される為に、戦場においては兵士も士官も同等の戦闘服を用いるが、平時の軍服は峻別されている。
 ただし、タンガラムにおいては破片避けの甲冑・防具が古くから利用されており、これを着用し鉄兜を被れば軍服だろうが戦闘服だろうが見分けが付かなくなってしまう。
 また故に迷彩服というものも無い。防具の上から偽装を施すからだ。

 兵士・下士官・士官・将官および軍属、陸軍・海軍・巡邏軍、士官も剣令と掌令とで制服が異なる。
 海外派遣軍はおおむね海軍準拠。
 軍礼服はそこまで区分が無く、兵・士官・将官となる。陸・海・派遣・巡邏軍で色違い、制帽等で差異を出す。
 軍属の場合は礼服を軍では定めておらず一般社会のものを使う。

 タンガラム軍服の特徴としては、ボタンを使わない。これは防具を着ける関係上、その下に堅いものが有るのが不都合だからだ。
 そもそもボタンはゥアム帝国から来たもので、伝統的タンガラム衣装には使われていない。とはいえ便利であるから、隠しボタンとして見えないように使っている。
 軍服でも、柔軟素材のボタンを隠す形で用いている。

 なお軍衣と呼ばれる古くからの伝統的な衣装は、主に布紐を用いて締めるようになっている。現代の軍服も布紐を一部に用いて古代風に見えるデザインだ。
 また古くは首から楯を吊るして鎧の代わりにする習慣もあった。これを踏襲し前掛け的な布を配置して正面を飾る。

 

【礼装】
 タンガラムにおいて公的な服装は、式服・礼服・行服・作業服・平服とに分けられている。

 式服は神事や政府式典のみにて用いられる服で、一般人であれば結婚式か葬式でしか用いない。
 国会においても開会式でのみ議員は着用する。ただし、国会議長は会期中式服着用。
 裁判官も式服である。

 礼服は一般に公的な場所で威儀を整える為の服装で、大抵の行事であればこれを用いる。
 「礼装」とは通常はこれを指す。軍人には式服は無いので、礼服が最高の権威を示すものである。
 裁判で証言する際にも慣習として礼服着用が義務付けられる。
 特別に格式を要する施設や会合では、礼服着用でないと断られる事がある。

 行服は、一般社会活動において公的な存在である事を意味する服装。背広のようなものである。
 おおむね制服は行服であり、学生服も行服の一種となる。
 平時の軍服も行服だが、戦闘服は作業服扱い。汚損の危険の無い場所で用いる制服は行服と考えるとよい。
 行服を着ていれば基本的には入館入室を断られる事は無い。

 作業服は文字通りの作業用の衣装である。汚損を前提として対応が簡単なものだ。
 作業で着ていればなんでも作業服とも言え、職種によっては判斷が曖昧な場合がある。

 平服は私的普段の服装で、公的な存在としてのものではない。
 いかに豪華な飾りが付いていようと、素材仕立てが特別であろうと、平服と見做されれば公的には扱わない。
 ただし飾りすぎると礼服になってしまう事もある。
 女性用の流行の服は「美装服」と呼ばれ、ものによっては礼服扱いされる。

 

【タンガラムにおける鉄道網建設の歴史】
 タンガラムの鉄道建設の歴史は、創始歴6072年「砂糖戦争」を端緒とする。
 当時タンガラムを治めていたのは、タンガラム民衆協和国第六体制と呼ばれる政体だ。
 この時期の特徴は、ゥアム帝国との外交関係が拡大し砂糖輸出に関する貿易紛争が発生し、またシンドラ連合王国との国交が樹立されるという対外的に華々しい時代であった。

 当時既に蒸気機関は海運水運で利用されており、また工業動力として普及が進んでいた。
 また魚油を燃料とする内燃動力自動車も開発されており、少数ではあるが利用が進んでいた。
 ただし蒸気機関を搭載した陸上自動車、蒸気機関車の実用はされていない。機関自体が重く、車輪が車体を支えきれなかったからだ。
 これを解決するには鉄の線路を用いれば良い事は内外の事例から分かっていたが、長距離の線路の敷設には多額の資金を必要とし、また不断の保線整備作業を不可欠であるので商業的に成り立たないと判断されていた。

 当時主要な陸上運搬手段は、運河を用いる水運と、和猪が牽く荷車である。
 特に運河を用いる輸送舟は、当時まだ非力であった試作型蒸気機関車よりも遥かに大量・大重量の貨物を運ぶ事が出来た。
 運河網は国土の隅々まで行き渡り、多額の投資が成されて運営されていて、今更に鉄道網を必要とはしなかったわけだ。
 一方内燃動力車は、たしかに存在するのだが燃料である魚油自体が自動車での大量使用を前提とした供給体制が整っておらず、非常に高価なものとなっていた。
 これを運用出来るのは軍の兵器程度で、産業基盤として大々的に使用する事は最初から求められていない。

 だが「砂糖戦争」によりゥアム帝国の圧倒的科学技術力の脅威を体験したからには、タンガラムも早急な産業構造の転換と近代化、大規模化が必要とされた。
 運河の新規増設はすぐには無理で、また利用可能な水源も限られる。
 もはや鉄道以外に策が無いと見極め、タンガラム政府は国策としての鉄道網敷設事業を開始した。

 この時制定されたのが、タンガラム公式鉄道軌道規格「標準軌条」である。1杖半(105センチ)幅の線路が標準とされ、コレ以外の幅の線路の敷設を禁じた。
 しかし、この当時の技術力産業力では「標準軌条」に用いられる線路は非常に高品質の鉄で作る事になり、大量生産自体が難しい。
 やむなく当時採掘現場などで用いられていたトロッコの線路を流用した「簡易軌条」が制定される。1杖(70センチ)幅で線路自体も鉄の少ない簡単なものである。

 「標準軌条」はタンガラム全体を繋ぐ幹線鉄道においてのみ使用される事となり、各県での産業育成の為の輸送網は「簡易軌条」を用いると定められる。
 また「簡易軌条」では必ずしも蒸気機関で車両を牽くのではなく、和猪、または人間により運行されていた。
 場合によっては鉄ではなく木製の線路を用いて日常の輸送移動の便宜に務める事まで行われる。

 なお第六体制時のタンガラム民衆協和国の首都は、北部デュータム市の傍に政治都市「人民会堂」として設けられていた。
 東西南北の主要街道の結節点であり、全土に連絡を取るのに最適な土地である。かっての青晶蜥王国王都「テキュ」も、その便宜からここに設けられた。
 しかしゥアム帝国の再度の侵攻を危惧して、より安全な場所としてカプタニアの西「ルルント・カプタニア」に移転される事となる。
 カプタニアはアユ・サユル湖の北岸で狭い街道となっており、交通の要衝である。広大なアユ・サユル湖と共に交通を阻害しており、ここを死守すればタンガラムの中枢は守られるという防衛計画が策定された。
 ルルント・カプタニアは新たに「ルルント・タンガラム」の名を与えられ正式な首都として発展する事となるのだが、その為に絶対に必要なのが、カプタニアに幹線鉄道を敷く事である。
 カプタニアはかっての「褐甲角王国」「カンヴィタル武徳王国」の首都であり、それ自体が十二神信仰の聖地である。歴史遺物も多く、旧「褐甲角王国」の貴族であり軍事を司ってきた「黒甲枝」も多くが鉄道敷設に反対した。
 反対活動を押し切りカプタニア幹線鉄道は敷設され、ついに全国幹線鉄道網が完成する事となる。

 

 ここまでが、タンガラム第六協和国体制での事業である。
 しかしながらカプタニア路線開設の為に強権を用いて反対運動を弾圧した為に、民衆の支持を失っていく。急速な鉄道敷設により社会に無理を生じ、また鉄道関連産業との間での癒着も看過し得ないものとなった。
 その後政権は腐敗の末に打倒され、第七協和国体制へと移行し、新たなる鉄道政策が施行された。

 鉄道敷設により急速に発展したタンガラム経済は、まもなく「簡易軌条」の能力不足問題に突き当たる。
 線路によって発展した経済が線路自体を乗り越えていったわけで、政府はより大量の貨物を運送できるように幅を広げた「拡張簡易軌条」1杖2分(84センチ)、さらには「標準軌条」と同じ幅だが線路の品質が劣る「簡易標準軌条」(105センチ)を定める。
 各県主要鉄道網は改めて「簡易標準軌条」が敷設し直され、輸送力不足の解決にあたる。
 後に主要鉄道網は本来の高品質線路を用いた「標準軌条」へと変更され、タンガラム全土での鉄道整備事業が完了する。

 ほとんど泥縄であるが、しかし古い線路は取り払われた後にも再利用され、未だ鉄道敷設されていない地方部へと持ち込まれ路線延長をしていった。
 車両もそれら地方部で再び就役する事となり、設備は無駄にはしていない。最終的には町村レベルでの短距離路線で最後の務めを果たす事となった。
 また簡易軌条用に蒸気機関を用いない動力車、木炭や薪を不完全燃焼させる事で発生する可燃ガスを用いたガス機関車が導入された。

 こうして鉄道網整備が完成したわけだが、これにより発展した工業経済また市民生活での需要の急増により、早くも輸送量の不足が指摘されるようになった。
 何よりも燃料が薪炭である為に大量の木材を必要とし、これは各工業での需要さらには市民生活での需要と衝突し燃料価格の高騰を招く。
 燃焼で発生する煤煙による環境汚染、健康被害も叫ばれ政府は対応を迫られる。

 

 ここまでが、タンガラム第七協和国体制の事業である。
 その後政権は腐敗の末に打倒され、第八協和国体制へと移行し、現在に続くのである。

 新生なった第八体制では、第七体制での鉄道政策を是としたものの新たなる開発方針を打ち出さねばならないと誰もが考えた。
 まず新型蒸気機関車の導入による高速化、燃料消費量の抑制を図る効率化、煤煙対策も車体に施す事となる。
 さらに、都市内交通では主流となってきた電車を幹線鉄道でも用いる事が検討され、水力等の大規模電力確保事業が進展する。
 だが最も手っ取り早い策は、既存の鉄道路線に並行する新軌道の建設で、これにより輸送力は倍増すると見込まれた。
 これを電力での路線とし、既存路線は貨物に振り分ける事で、旅客の増大と高速化を同時に実現させる事となる。

 ここで問題となったのが、既存の幹線鉄道の線路の品質だ。高速化を実現する為にはこれまでの古い規格では限界があった。
 そこで「標準高速軌条」規格が制定され、主要路線はこれに準じた高精度の軌道へと変更されていく。
 しかし更なる高速化はこれでも無理と判断され、ついに軌道幅を広げて2杖(141センチ)の「高速幹線軌条」規格が設けられた。
 この規格は当然にこれまで以上に敷設に資金を必要とし、また車両も既存のものが使えない新型となる。
 全国の主要幹線鉄道を入れ替えるのは不可能と考えて、最も重要な路線にのみ新規格の路線を並走する計画が持ち上がった。
 これに伴い、各県内の主要幹線鉄道路線は「在来路線」と呼ばれる事となり、新規格鉄道が「幹線鉄道」と新たに呼称された。

 現在(6215年)、幹線鉄道はほぼ完成しており、4路線が営業中である。
 タンガラムの国土を東西にまっすぐ横断するボウダン路線、南北に中央を貫くスプリタ路線、西海岸から首都ルルント・タンガラムにまで達する首都海岸線、東海岸を走る東岸線。
 また計画中の路線として、ボウダン路線から分岐して毒地中央の工業都市ギジジットに繋がる「ギジジット線」、延長してスプリタ路線ヌケミンドルに通じる「中央線」構想である。
 なお「中央線」構想は更に延長して、ヌケミンドルからカプタニアを抜けて首都ルルント・タンガラム通じるものである。これにより全国幹線鉄道計画は完全なものとなる。
 しかし第六体制の轍を踏まないで反対運動を避けるには、アユ・サユル湖上に延々と鉄橋を建設しなければならず費用が膨大となり、現在は見送られている。
 代わりにフェリーで幹線鉄道幅の車両を輸送してスプリタ路線に渡す計画もあるが、カプタニア在来路線の縮小に繋がると反対が強い。

 幹線鉄道は更なる高速化を目指すものであるが、現在の技術では飛び抜けて早く走る車両は実験レベルでしか実現できていない。
 時速200キロを越える「弾丸鉄道構想」も、完全に蒸気機関車が排除された後の話となり、今はまだ夢物語である。

 また簡易軌条の新規路線開設が法的に禁止され、既存の路線も順次「簡易標準軌条」へと置き換えられていく事に決まる。
 既に設備も車体も老朽化が進んだ簡易軌条は、内燃動力車の発展と普及、自動車道路の整備に伴い徐々に競争力を失い、資本力の無い路線は閉鎖されていく。
 だが燃料効率を考えると鉄道路線の優位は明らかであるから、現在(6215年)においても古くて狭い幅の鉄道路線は地方部では随所に見られる。

 

【内燃機関動力車】
 自動車は、つまりは動力機関を搭載した陸上車両の発明はタンガラムにおいてはかなり早い。
 蒸気機関車よりも早くに内燃機関車が作られた、と見做して良いほどだ。
 なぜならば、創始歴5000年頃に魚油を使った人工動力を青晶蜥神救世主「ヤヤチャ」が作った、と言う伝説があり、魚油動力機関が科学者の夢となったからである。
 5700年頃には早くも、筒状爆発推進器を搭載した荷車を走らせた記録があるが、これは発展せずに終わった。

 この頃、タンガラムは輸送手段に革命的進歩を得ている。去勢して馴化に成功した荒猪を用いて牽引させる「和猪車」の爆発的普及だ。
 これ以前には荷車を牽くのは人間に限られ、道路も荷車の利用を前提としていない為にさほど効率的なものではなかった。
 他に車を牽くほど強力な家畜が居なかった為に、長らく長期運搬は人間が背負うか、イヌコマと呼ばれる小型の馬の背に乗せるしか方法が無かった。
 人間やイヌコマではせいぜい50〜60キログラム、荷車もさほど頑丈には作られておらず150キログラムの運搬が可能な程度のものであった。

 「和猪車」はこの状況を一変させる。強力で高速走行も可能な和猪は牽引動力として理想的であり、1匹が1トン以上を荷車に積載しても問題なく移動出来たのだ。
 ただ騎乗には適しておらず、あくまでも車を牽く動物として扱う。
 既にこの時代の戦争は銃砲が主体となった近代戦争に突入しており、刀槍は脇役に追いやられている。
 戦場の帰趨を制するのは火力であり、より大量の銃砲を戦場に投入できた者が勝つわけだが、これを戦場に持っていく手段が人力しかなかったのだ。
 和猪による牽引で大重量の火砲をらくらくと運搬が可能になった。当然に戦術もこれまでとは一変する。

 ただし、ここに誤算があった。和猪は爆発音に弱いのだ。
 去勢によって制御可能になったとはいえ元は猛獣とも呼べる巨大な獣で、去勢で悍が抜けたのは良いが逆に臆病になってしまっている。
 爆発・発砲音が轟く戦場では和猪は使えず、戦場のすぐ傍にまで運んだ火砲を、多数の人力で設置位置まで牽かねばならないという状況が続いた。
 戦場で使える和猪に変わる牽引動力が軍事の現場で切実な要求となる。
 そして、「梯道」と「動力牽引車」が生まれた。
 「梯道」とは鉄道線路のことである。まだ恒常的な線路敷設は考えられておらず、戦場における重量物運搬の為の簡易仮設で用いられる。
 線路と枕木を一体化して人間で運べる大きさにユニット化されたそれは、まさに梯子の様相で、故に「梯道」と呼ばれる。
 動力牽引車はこの梯道で牽引する為の低速の車両である。

 一方「和猪車」も発展を続ける。
 大量の荷車の運用が始まった為に道路の改良が行われ、路面の平滑化が進み高速走行が可能になった。
 その為に「和猪車」も改良が進み、サスペンションが装備され人間の移動にも適したものとなる。
 さらにはコニャク樹脂を用いた車輪(ソリッドタイヤ)で地面の凹凸を吸収して高速走行を容易なものとした。
 動力牽引車にもこの改良技術は投入され、「自動運搬車」が生まれる。
 これは梯道を使わずに直接道を走って重量物を運搬する車両で、当然に軍用である。従来の梯道上の動力車にすぐに取って代わった。

 この頃には主に船舶で利用されていた蒸気機関も熟成して、陸上車両に導入する事が試みられ始める。
 大出力化が容易な蒸気機関を用いれば、「自動運搬車」では不可能な重量物の運搬も可能となる。
 機関自体の重量も大変なものだが、「梯道」を用いれば問題とはならない。
 こうして「梯道蒸気機関車」が生まれる。
 既に線路は仮設ではなくしっかりとしたものを設置する事が可能になっており、大いにその強力さを誇示した。

 他方「自動運搬車」は発動機の出力増強が進まず、燃料消費量が増大の一途を辿り、大重量の運搬は困難と考えられるようになった。
 むしろ高速化に力点が置かれ、中口径の火砲を迅速に運搬して機動戦を行う新戦術が誕生する。
 これを「戦闘砲車」と呼び、榴弾砲の普及も伴って一斉を風靡する事となる。
 その後戦場での将官の移動用に「乗用自動車」が生まれ、防弾装備を施した「兵員自動車」へと進化する。
 ただタンガラム歩兵が用いる「鉄矢銃」は強力な貫通力を持ち、生半可な装甲では防御できない。重装甲された自動車は非常に速度の遅いものである。

 

 ゥアム帝国の海を越えての侵攻である「砂糖戦争」後、「自動車」も大きく発展を遂げる。
 なにしろゥアム軍は、重装甲を施した水陸両用自動車により上陸戦を敢行したのだ。彼我の科学技術の差は歴然としており、早急な技術力向上が望まれる。
 自動車技術の停滞は、なによりも発動機の停滞である。大出力化、燃料消費の効率化、冷却、信頼性の向上と改良すべき点はいくつも存在した。
 地道な技術開発しか解決方法は無く、ひたすらに努力を積み重ねる。

 結果、軽量で高出力の発動機に結実し、やがて初期の飛行機へと搭載されタンガラム初の空中飛行に成功する。
 とはいえ燃料の魚油供給は未だに十分とは言えない。魚油需要は右肩上がりで増大し、民間での自動車の利用はまったくに経済的とは言えないものであった。
 それでも官公庁では乗用自動車が利用される事となり、一部企業では和猪車に代わって運搬に用いる事となる。主に「簡易軌条」を利用しての貨物車牽引である。
 充電池を搭載した「電動車」も発明されたが普及する事は無かった。

 特筆すべきはタンガラムから輸出されたコニャク樹脂を研究して、ゥアム帝国が発明した空気タイヤである。
 これまでのソリッドタイヤとは格段に異なる優れた走行性を実現し、走行効率を大幅に向上させ燃料消費量の削減に寄与し民間への自動車導入を促す事となる。
 タンガラムでもこの発明はすぐに導入され、研究の結果タンガラムの工業力でも製造が可能となり、以後全ての自動車に空気タイヤが装備される事となる。

 大規模動力船による漁獲が開始され、大量の魚油供給が行われるようになって初めて民間での自動車利用が進展するようになる。
 その後普及モデルと呼ぶべき小型自動車が発売され、都市内交通の一翼と見做され始める。タクシー「賃走自動車」の営業も開始された。
 「乗り合い自動車」も製造され、線路の無い地域での公共交通を担う事となる、
 この頃になると「自動車専用道路」が構想されるようになり、試験的に整備される事となる。とはいえ陸上貨物輸送の主力はあくまでも「簡易軌条」を用いた鉄道である。

 6150年頃、首都ルルント・タンガラムへの「和猪車」乗り入れ禁止が条例で定められる。
 個人貨物輸送の主力とされてきた「和猪車」であるが、自動車の普及によって和猪が発動機の音に驚き暴走する被害が頻発していた。
 その防止策として、思い切って「和猪車」乗り入れ禁止を打ち出したのである。
 もちろん郊外や農村部、僻地では依然として「和猪車」は立派な移動輸送手段だ。
 しかし首都に続いて乗り入れを禁止する大都市が現れ、現在(6200年代)では都市住民にとって「和猪」は珍しいものとなった。

 

 自動二輪車は、当然の事ながら自転車の発明の後に生まれるわけで、和猪車が発展してコニャク製ソリッドタイヤが生まれた後の話となる。
 当初は二輪で安定しての走行が出来る速度を実現できなかった為に自動三輪車となりやはり荷車の牽引用だったが、発動機の小型化が進み単独で走行する自動二輪車が開発される。
 だが実用品とは見做されず、遊戯に過ぎないものに貴重な魚油を浪費させて良いだろうかとの疑問が突きつけられ、魚油に代わり一価酒精(メタノール)使用が義務付けられてしまう。
 腐食性を持つメタノールは良い燃料とは言えず、整備能力を持つ技術者にしか運用できないものとなってしまう。が、これが功を奏し、改良が格段に進む。
 遊戯であるからもっぱら高速性能を追求され、ついには時速80キロメートルを突破するまでになる。
 軍も高速性に注目をするが、未だにソリッドタイヤでの走行では安定した運転は難しく特殊技能を必要とするものであるから、少数の二輪車偵察部隊として採用されるだけであった。

 その後、ゥアムでも独自発展を遂げた自動二輪車が空気タイヤを装備しタンガラムでも披露されると、たちまちに輸入品の空気タイヤ装備へと代わり、真の実用性を満たす事となる。
 タンガラムでも空気タイヤが製造されるようになっても、信頼性からゥアム製品が長く使用された。
 ゥアムからの輸入車両は性能も精度も信頼性も高く、タンガラム製車両よりも高速での走行が可能であった。なによりかっこいいので人気を独り占めの状況となる。

 タンガラムの自動二輪車産業はジリ貧のところで、シンドラ連合王国から新製品がもたらされる。
 実用自動三輪車である。ゥアム、タンガラム両国が自動二輪車の遊戯性を追求し高速性能の向上に血道を上げてきた中、後発で技術力の劣るシンドラでは自動車の代替品としての自動三輪車がひっそりと普及を果たしていた。
 出力の低いこれは、当初は自動車の普及の妨げとなる技術の後退と見られて、タンガラム国内での製造は見送られる。
 しかし自動車を購入するほどの資金力を持たない企業や商店・個人が必要を訴えて、同種の三輪車を製造するとたちまちの普及を果たす。
 普及率統計も当初自動車と自動二輪三輪車を区別していたものを、自動三輪車を自動車枠に組み入れて発表するまでになった。
 より小型の発動機を搭載した軽自動二輪車「動力自転車」も実用車として発売され、二輪車市場の主流へと躍り出る。
 とにかく小回りの効く車両が当時のタンガラムでは必要とされていたのだ。

 

 なお軽二輪車の発動機の排気量はお猪口サイズであるから、1盃口と呼ばれる。出力増強モデルでは2盃口が標準。(だいたい1盃口は50〜70CC、メーカーによって若干違う)
 「1盃口」は軽二輪車・動力自転車の俗称でもある。
 免許は「軽自動二輪車運転免許」一種のみで、原付き免許は無い。大型高速自動二輪車は「高速二輪車免許」を必要とする。

 大型高速車では2盃口4気筒以上となる。中型二輪車というものはなく、自動三輪貨物車に2盃口2気筒モデルが有る程度。
 2盃口(140〜100CC)以下の気筒を用いる発動機を「軽車両動力」、3盃口(210〜)以上の気筒を用いる発動機を「自動車動力」と呼び税金が高くなる。
 最低価格帯の自動車は3盃口2気筒(420CC)の発動機を装備する。(大出力発動機では1盃口=70CCで換算する)
 また10盃口=1椀口(700CC)と呼び、総排気量が1椀に達する発動機を装備した車両を「本格自動車」と呼んでさらに税金が高くなる。
 2盃口4気筒(560CC)を搭載する大型高速二輪車は、税制上卑怯な設計と言える。

 現在(6200年代)においても状況は変わっておらず、低出力軽自動二輪車は商業の現場で多用され、大型高速車は趣味性の高い遊具に留まっている。
 軽二輪車は燃料規制が緩和され魚油使用が許されているが、大型車は相変わらずのメタノール使用を義務付けられた。
 軍用では偵察連絡用に大型車が採用されているが、平時の駐屯地においては軽二輪車が便利であるので連絡用にはもっぱらこちらが用いられる事となる。
 巡邏軍の街頭警備活動や自動車運転取締などでも小回りの効く軽二輪車の出力増強モデルが主に使われ、大型車はあまり顧みられない。
 出力増強モデルは輸出もされ、外国でのそれなりの人気を保っている。ただしシンドラでは自国産業育成の為に軽二輪車は輸入禁止されている。

 ただ自動車道路の整備が進んだ現在、路上で最高速が出せる乗り物は大型二輪車であるから、街道レースがしばしば開催され人気を博している。
 このレースは自動車道路の性能向上をアピールするものとして、公的機関による支援が行われる。公営ギャンブルとしても開催された。
 ただしアスファルト舗装ではなく、土舗装路面だ。「方台横断1千里レース」などは地獄の様相を呈す。
 なお二輪車レースはゥアム・シンドラでも開催される国際競技である。「ゥアム砂漠横断レース」「シンドラ山岳レース虎が出るよ」などが有名。
 海外遠征時は燃料にメタノールだけでなく二価酒精(エタノール)を混ぜた混合燃料を用いる、
 これは飛行機、特に戦闘機で用いられるものと同等である。パワーは出るがかなり高価なものだ。

 

【異世界設定 その13】 

【姓・名】
 タンガラムの人名は基本的には、姓+名 となる。父方の姓を名乗るのが通常。

 ただし女性が結婚すると、夫姓+名+実家姓 へと変更する。男性でも養子縁組を行った場合、姓+名+養子先姓 になる。後ろの姓は略す事が可能。
 結婚に際して相続権等が発生しない特殊な形態を選択する場合、実家姓+夫姓+名 という変則もある。これは法的には何の規定も無いが、慣習として行われる。
   (というよりも、これは妾に対して公的身分を与える「契約結婚」と呼ばれる方法だ。タンガラムは一夫一婦制ではあるが、金銭的余裕があればそういう事も特に禁忌とはされない)

 死別の場合はそのままだが、女性が離婚すると夫姓が外れて、名+実家姓 となる慣習。
   (ただし戸籍上は元の、実家姓+名 である。というよりも戸籍の記載は最初から変更しておらず、婚姻関係と記されるのみ)

 子どもは普通は、父姓+名 であるが、厳密に言えば母方の姓が後ろに付いているものと見做す。もしも母方の家系の方が世間的階級が上であった場合、敢えて母方姓を名乗ったりもする。
 だが父母が離婚して子が母と共に離れた場合は、父姓+名+母姓 となる。が、母姓+名 に改名する事は役所で手続きをすれば可能。

 合成姓というものが一部地域には存在する。〇〇=×× という形であるが、これは地域全体が同一姓で見分けがつかないから、「八百屋の佐藤さん」的に区別を付けたものである。

 ヱメコフ・マキアリイの名前は例外中の例外で、姓+姓 である。
 彼が選抜徴兵に応募する際に、武術の師匠でありマキアリイ氏からその名をもらった為にこのような変則的なものとなった。
 つまりは「マキアリイ」は名であるのだが、普通は姓として使うものであるから、世間の人は「マキアリイ」姓だと勘違いする。
 「ヱメコフ」姓が実に平凡である為にあんまりかっこよくないという事情もある。
     (要するに、マキアリイの名前は「田中 十文字」的なものである)

(注;漠然としたルールは作っていたが、改めて考え直したから、これまでに登場した名前の中でルールから外れるものも有るかもしれない )

 

【シキワーハァメル著『現代詩人悪評伝』】
 ジド・シキワーハァメル(6038〜6072)は第五民衆協和制時代の作家、詩人。風籟派に属する。
 風籟派は当時の詩人の一流派で、政治や社会に積極的に貢献しようとはせず、日々の暮らし特に流行や風俗に流されるままに生きていく姿を描く事を信条とする。

 『現代詩人悪評伝』は創始歴6059年に著された。レメゲン出版新人小説賞受賞。
 シキワーハァメルの詩人仲間の放蕩無頼ぶりを描いており、当時でも常識派に指弾されるが最新流行の都市芸術集団を良く描写しており、地方部の作家芸術家の指針ともなった。
 彼は一躍時代の寵児となるが、酒色に溺れ破滅的な日常を送り「瘋癲派」とも揶揄される。
 それが祟って実家を勘当され、父方の姓ではなく母方のシキワーハァメルを名乗る。
 以後は小劇団の劇作家として戯曲を書いていたが、6072年「砂糖戦争」の勃発に伴い義勇兵として参戦。
 主戦線ではなく南岸イローエント港の守備隊に配属されるが、当地の高温の気候と風土病により入院、死亡した。
   『それは彼の非』『アノシタラ・アクシタラ(詩集)』『明日はないから』『巡業日誌(ボゥラ賞受賞)』 等々

 戦後、社会の風潮が一気に硬化して戦前の自堕落な都市風俗を厳しく戒める運動が起き、彼の著作も顧みられなくなる。
 しかし地方部では遅れて流行が伝わる為に、芸術家の一種の理想像として長く語り継がれる事となった。
 悪書追放運動で槍玉に挙げられるも、何故か生き残る本の一つ。

 第六・第七協和制が腐敗打倒され新時代になった頃に、社会強化産業建設一点張りだった反省から一種のリバイバルブームが起きて再評価された。
 しかし古典の域には至らず、現在(6215年)では当時の風俗を証言する記録文書としての位置付けとなる。

 

【コングロア接続駅】
 スプリタ街道幹線鉄道路線で、イローエント県とエイベント県の境目に有る駅。通常は旅客列車は停車しない。
 接続駅の名の通りにエイベント県の在来線とスプリタ幹線鉄道との貨物積み下ろしをする事が出来るのだが、正直ここで積み下ろしするべき物資が存在しない。
 鉄道関係者、保線作業員が移動する為の基地という意味合いが強く、近くに鉄道関係者専用の町まで建設されている。
 近代的な設備を整えた中程度の病院も開設されており、幹線鉄道の旅客列車で急病人が発生した場合ここで処置する事もある。
 だが近代的な病院はこの近辺では此処のみであるので、近隣住人が病人を遠方から運んでくる。
 将来的には大規模発電所も建設される計画がある。

 

【ヤヤチャ漂流文明圏】
 タンガラムでは「ヤヤチャ」と呼ばれる青晶蜥神救世主は、タンガラムを船で出た後にシンドラに漂着した事が知られている。
 シンドラでも救世主として存分な働きをして社会を変革させた後に、また別の方台へと向かった。
 ゥアム帝国、バシャラタン法国でも同様にほぼ同一人物と見られる救世主が外界より訪れ、社会の大きな変革を促している。
 とは言え、年代的には数十年のズレがあるのに外見的特徴が同じなのはあり得ず、実際は何者が居たのかは定かではない。

 4カ国に伝わる伝説を詳細に分析すると、おそらくは10数個の有人方台(大陸)が未発見ながらも確実に存在する事になる。
 実際最も新しく発見されたバシャラタン法国においても「ヤヤチャ」伝説が確認された事により、この仮説は実証された。
 想定される一群の有人方台を「ヤヤチャ漂流文明圏」と呼ぶ。
 むろんタンガラムにおいての名称だ。
 シンドラでは「ヤヨチャ」、ゥアムでは「ゥワモウチャ」、バシャラタンにおいては「ヤスチャハーリ;キルマルリリコ尊」と救世主を呼ぶ。

 現在、大規模艦隊を有するタンガラム、ゥアム、シンドラの3国は総力を挙げて未発見方台探索を続けている。
 他国に先んじて発見できれば新しい航路を独占して、文物や資源、未知の技術を得る事が出来るだろう。

 

【バシャラタンの食】
 バシャラタン法国は全体的に寒冷で鬱蒼たる大森林に覆われた方台である。
 「樹海」と呼ぶべきであるが、バシャラタンの人間は海を知らない人が多く、「樹界」と呼ぶ。
 人間の居住地は中央山岳地帯の南、太陽の当たる斜面のみで、面積は全土の1/10に満たない。「人界」である。
 そもそもが枯れた土地であるので農業での収穫量も少なく、限定された穀物しか育たない。

 主食はソバであり、最上のものとする。アワ・ヒエ他も栽培しているが全般的に貧しい。
 タンポポのような野菜とニガウリ、ツルイモツルマメ、ゴボウ(というよりも木の根っこ)が栽培される。
 またバシャラタン特産として「茶」が存在する。葉に薬効成分を持ち、煮出して飲むばかりでなく、葉をそのまま食べたり茎を料理に使ったり、粉にして調味料としても有用である。
 採集した葉の処理方法により効能が違い、大別して7種の茶葉を作る事が出来る。
 香辛料としては、舌が麻痺する「花椒」に似たものが良く使われている。ドクダミやセンブリ、ニガヨモギなど苦味のある植物を多用する。

 森林中に自生する食用の植物は多種存在するが、大きな木に絡みつく蔦葛も食用となり甘味料として重宝される。アケビやヤマブドウも成り、実を取って酒を作る。
 基本的にバシャラタン人はツル植物に依存する。食用のみならず編んで籠に、繊維を取り出して衣服に、建材にも多用する。
 ツル植物以外の木も、樹皮を剥がして食べたりする。「飯の木」と呼ばれるものもあり、幹にでんぷん質を含み調理すると食べられるようになる。

 特筆すべきはキノコ類で、自生する様々なキノコを食用とするのだが、バシャラタン森林中にはかなり危険な種類も生えている。
 食用キノコとして最上とされるのが「黒ウズ」と呼ばれるキヌガサタケに似たキノコで、黒い網目状の傘に粘液をまとわせて近づく虫や小動物を捕らえて養分とする食虫キノコだ。
 栄養十分であるから美味と認められ、また薬用としても高く評価される。捕らえられたアリが何十匹も絡みついて見た目最悪。
 食虫キノコはいくつも種類があり、中には小動物を狩る為に進化したものも有る。
 樹上に網のように広がって、バサッと落ちて粘着し動きを拘束し収縮して絞め殺し、死骸を養分化するもの。小さな槍のように尖って動物が通りかかると射出されて突き刺さり毒で即死させるものなど多様。
 食虫キノコの食感はおおむね肉っぽいとして好評。

 害になるキノコばかりでなく、薬用としての成分を多量に含んだ種類、強壮剤や興奮剤として用いられるもの、キノコ毒の解毒剤、妊娠を促す薬効を持つものなどなど、キノコ世界は多彩に広がる。
 キノコ栽培は人里ではやらないが、森林中で倒木を見つけるとキノコを取ってきて菌を植え込み育成する。
 キノコは人間だけでなく動物の好物でもあるので、食害を防ぐ努力が必要である。

 

 大型獣で家畜になるものは無く、せいぜいが犬か無尾猫が居るくらいだ。飼育ではなく森林に分け入って狩りで食肉を求める。
 バシャラタン森林中で最大の肉食獣が、巨大ナマケモノである。体長が2メートルを超え、昼間は呼吸すら確認できないほどの不活性状態となり、夜間に活動して獲物を狩る。
 バシャラタンの戦士階級は成人の証として、槍を持って単身で森林に入りナマケモノを狩ってくる。成功率は4割以下の難行だ。
 ナマケモノ自体は食用としては重要なものではなく、同じように樹上に棲むナマケシカ、ナマケネコ、ナマケムジナなどが食肉となる。
 「ナマケ」と名前が付く動物は、おおむね爪で木の枝から逆さにぶら下がる生態を持つ。

 コウモリや鳥も食用とされる。ウズラが野生で居て、木の上を走る。
 ナマケニワトリ(ナマケトリ)と呼ばれる木に逆さにぶら下がる鳥が人間を恐れずに近づいてくるので半分野生のまま飼っている。
 ちなみにコウモリは卵胎生で妊娠中は逆さにぶら下がり続け、オスに餌をもらっている。
 妊娠中のメスをぎゅっと絞ると卵が出て来る。おおむね中で雛が育っているが気にせずに食べる。

 魚は川魚を食べる。海の傍に住む人はほとんど居ない為に、川を遡ってくる魚のみを食べる。
 中には湿った泥や森林の落ち葉の中に住む陸生魚が居て、これも食べる。ハゼに似ていて噛み付く。
 ヘビの代わりにウナギが木に絡みついて登り、虫を食べていたりする。爬虫類はほとんど見ない。
 甲殻類、陸棲貝類も豊富だが、毒針を持ったイモガイみたいなものも居て危険。貝毒による食中毒で死ぬ人が毎年出る。
 ちなみにタンガラムにも陸棲イソギンチャクが居て、食用にされる。高級品。
 昆虫類も重要なタンパク源として積極的に利用される。シロアリはごちそうとされるのは、タンガラムでも同じ。蜂蜜は珍重され酒も作る。

 ある種の動物が特定の果実を木のウロに溜め込んで、発酵させてアルコール分を作っている事がある。見つけたら喜んで持って帰る。
 穀物で酒を作ることは許されておらず、もっぱら森林中のものを用いる決まり。穀物を食べる以外に転用するほどの量を生産できないからである。
 蒸留酒とニガヨモギで薬酒を作るのだが、これは中毒患者が多く出ており禁制品だ。

 保存の為に肉はよく燻製にする。燻す燃料の木の種類によって様々に等級が生まれ味わいも異なり、高価で珍重されるものともなる。
 燻製はごちそうであるという認識であるので、わざわざ木酢液でにわか燻製を作ったりする。
 鰹節みたいに硬くなったものは削って調味料とする。
 油はおおむね獣脂。巨大ナマケモノは肉自体は不味いので、脂を煮出す為のものとされている。脱脂されてサラシになった脂肪も食べる。
 油脂で固めた保存食(コンフィ)もよく見受けられる。

 塩は特に求めないが、動物の内臓をよく食する。また血も重要な食材である。血のソーセージもよく作る。
 動物は特定地域の泥を舐めて塩を得ている。この近辺には葉に塩分を溜め込む草(アッケシソウ)が生えている事が多く、これを塩代わりにも使う。
 つまり塩は商品として成立していない為に塩蔵はしない。
 ただ近年外国との交易が始まって精製塩が持ち込まれ、バシャラタンの料理に革命的変化をもたらした。
 タンガラムの塩ゲルタ、発酵ショウ油も人気である。
 海の水を煮て蒸発させれば塩が取れるのは知っているから、自国で生産しようとする業者も生まれて海岸線の開発が進んでいる。

 なお金属の鍋は使わず土器を使用する。
 土器陶器の製造は巧み。紋様を描いた彩陶も作られており、芸術性が高い。仏像も焼いて作る。
 包丁も石包丁を普通に使うが、鉄製包丁を「ヤスチャ」と呼ぶ。1000年前に訪れた救世主「ヤスチャハーリ」が用いたものとされ特別な道具と見做している。
 救世主はキノコ栽培に多大な貢献をしたと伝えられる。ただ苦い味は嫌いだったようで、救世主神像には塩味の草がよくお供えされている。

 

【時法】
 この惑星の1日は地球時間換算で27時間である。

 タンガラムでは12時間制で数えるから、1時刻=2時間15分=135分の地球時間換算となる。
 本文中では通常1時刻あるいは半刻を用いて時間を表現するから、それぞれ「2時間ちょっと」「約1時間」の端数として取り扱うが、
 長時間を換算する場合は正しく補正しなければならない。

 当然に時計も12時間制を前提として設計されている。
 だが文字盤は12時刻みと60分刻みで地球のアナログ時計と変わらない。さすがに1周120分を細かく刻むのは見難いと考えた。
 そこで現在普通に使われている時計では、1時刻短針が進む間に、長針が2周するように出来ている。
 1時刻を半刻ごとに分け、短針は前半後半で2色に色分けされた領域を示して、見やすくなっている。デジタル時計でも「2時:(半)43分」のような形で表記される
 この時計の都合から、1分=60秒に分割と定められた。

 午前0時からの1時刻は「1時刻」と呼び、0時という概念が無い。ただし分には0分があり、1時1分は日付が代わった1分後からである。

タンガラム1日(12時刻)=地球27時間 
タンガラム1時刻=地球2.25時間(135分)  
タンガラム1分=地球67.5秒 
タンガラム1秒=地球1.125秒 

 

 シンドラ連合王国は16時間制を採用する。シンドラは昔「十六神星方臺」と呼ばれていたから、16が聖なる数字である。故に時刻を神が宿る「宿」と呼ぶ。1時宿だ。
 タンガラムとの違いは、タンガラムでは12の神様1柱ずつが1時刻を支配するという考え方に基いているが、
シンドラでは16番目の終わりの神様が支配するのは0時0分0秒のみで、日付の変わる午前0時から1時宿は神様の支配の無い時間帯「無時宿」として考えられている。
 つまりは0時の概念が有る。
 なお1時宿は80分、16×5=80で分割される。1分=80秒。

シンドラ1日(16時宿)=地球27時間 
シンドラ1時宿=タンガラム(3/4)時刻=地球1.6875時間(101.25分) 
シンドラ1分=タンガラム1.125(9/8)分=地球75.9375秒
シンドラ1秒=タンガラム(27/32)秒=地球0.94921875秒 

 

 ゥアム帝国では1日を32分割する。1刻みを「候」と呼ぶ。1時候だ。ゥアム帝国では時刻に神様は関係しないが、善悪二神で神話が構成されるから2進法を主に使う。
 便宜上、1日を8分割する。これを「節」と呼ぶ。1節=4候。日の出を「1節」と呼びその日の始まりとするが、現在では太陽の南中時を基準として第1節を概ね午前6時で固定している。
 1節1候が時間の始まりで、0時の概念は無い。
 「2節3候」という呼び方も出来るが、「7候」とも言えて、どちらも対等に使う。8節それぞれに名前があるのだが、割愛。
 1候=64分。これも8分割して「節」と呼ぶ。つまり1候=8節=64分。「時節」と区別する為に「候節」と呼ぶ。0分の概念も無かったのだが、近年変更された。
 1分=64秒。これもまた8分割して「節」と呼ぶ。「分節」だ。

ゥアム1日(32時候=8節)=地球27時間
ゥアム1時候=タンガラム0.375(3/8)時刻=シンドラ0.5(1/2)時宿=地球0.84375時間(50.625分)  ゥアム1節(4候)=タンガラム1.5(3/2)時刻=地球3.375時間(202.5分)
ゥアム1分=タンガラム(45/64)分=シンドラ(5/8)分=地球47.4609375秒
ゥアム1秒=タンガラム(675/1024)秒=シンドラ(25/32)秒=地球0.7415771484375秒

 

 バシャラタン法国は1日を108で分割する。108劫と呼ぶ。(2×2)×(3×3×3)、2と3を使うのが発想の根幹である。
 108を4×27として、1日27相とする。つまり、1時相=地球1時間、である。1劫=地球15分。
 ただこれは民衆にとってめんどくさいからさらに3で割って、9時勝とする。1時勝=3時相=12劫 である。3つの相を「始」「発」去」相と呼ぶ。
 27であれ9であれ奇数である。そこで昼を5、夜を4として、正午あたりに1時勝を設ける。
 1劫を72分割する。これが秒になるのだが、便宜上「抄」と呼ぶ。1抄=地球12.5秒 
 72分割が多すぎるということで、9で割って8抄を1「抹」と呼ぶ。1抹=地球100秒
 ゥアム帝国、タンガラム民衆協和国との外交交渉が始まってから後に、「1秒」という単位が必要と認識して、1抄の12分の1「秒」を作った。1秒=地球1.0416…秒

バシャラタン108劫=地球27時間
バシャラタン1劫=地球15分
バシャラタン1時相(4劫)=地球1時間  1時勝(3時相)=地球3時間
バシャラタン1抄=地球12.5秒 1抹(8抄)=地球100秒
バシャラタン1秒=地球1.0416…秒

 バシャラタン法国では、科学技術導入に際してもっとも進歩したゥアム帝国の単位を採用している為に、時法もゥアムに倣う事が現場では多い。案外と考え方が近いとも言える。
 バシャラタンでは回転時計を歴史上作っていない。水時計から発展した一直線的な時間表現をする時計を使った。回転時計の輸入先もゥアムに限定している。
 ちなみにゥアム製バシャラタン時法アナログ回転時計は、1周72分刻みである。9×8で9時勝を短針で、12×6で長針で1時勝内の劫を表現出来る。108進法は案外と便利。

 なおこの惑星の公転周期は333日である。故に、9×37  3×111 は神聖な数字としてどこの国でも確実に暦に使われている。
 333×27=374.625×24 で1年は地球より長い。

 

 「世界標準時策定計画」と呼ばれるものが4カ国の間の学者の間で議論されている。
 それぞれの国の時法が異なると何かと不便である為に、世界標準となるまったく新しい合理的な時法を策定しようというものだ。
 現在はおおむね、100進法派と64進法派との間で議論が進んでいる。もちろん64進法派はゥアム帝国の科学者が主張する。
 対して主にシンドラ連合王国の科学者が100進法を主張する。他の物理量が十進法で計算されるのだから計算上の便宜を考えると当然だと。
 ただし、シンドラの16・80を基準とする時法とはかなり異なる為に、シンドラ国内でも賛成が多いとは言いかねる。
 タンガラム民衆協和国では120進法を、バシャラタンでは当然に108進法を主張する。
 つまりは現在は64進法派と、100を越える数を基準とすべき派が対立する。前途は多難だ。

 

【異世界設定 その14】

【靴】
 タンガラムの靴は基本的には木靴である。サンダルだ。ただしそれは古い時代の話であり、今は様々な材料が使われている。
 木靴の趣を残すのは靴底で、現代に至るも木を削って作ったものが多い。この木底の上に獣革や魚皮、木の皮やワラ縄、布を用いて足を包み、靴とする。釘は使わない。
 しかしながら木底では割れる可能性があるので、創始歴5000年頃に発明されたコニャク糊で貼り合わせた集成材を用いる事が多くなった。
 その後コニャク糊の性能品質が上がるにつれて木底を形成する技術も進歩し、革との貼り合わせやコニャク樹脂を用いた靴底へと耐久性軽量化が進む事となる。
 靴底の進歩に併せて上部も進歩して、今では多種多様な靴が生産される事となった。木製部品を使わない商品も多い。

 タンガラムの家屋では、靴は外靴と家靴の2種に分けられる。
 外出用の外靴は家の中では履かない。かぽかぽと音のする木底を使わず、布製の家靴を履く事になる。
 故に土間というものが存在する。おおむね三和土(みたいな)土間と、10センチほど高い木の廊下で分けられている。

 古い時代では外靴はあっても家靴は無く、屋内は裸足であったと伝わる。床が土でない上流階級の屋敷では屋内はすべて絨毯を敷き詰めてあったという。
 というよりも昔は上流階級でも裸足をあまり嫌がらなかったらしい。
 古典舞踊はおおむね裸足で演じられ、その為の足の化粧が今も存在する。

 

【メイドさん】
 タンガラムにおいても家庭内で家事労働を行う女性の職業は存在する。一般には家政婦と呼ばれるが、歴史的背景によりピンからキリまでランクがある。
 当然に宮廷で仕えていた女性の召使が最上位であり、これは「官女・宮女」と呼ばれる。高い身分の家系の出身者も多く格式が高い。
 実際には彼女たちが家事労働を行う事は無く、もっぱら王族の事務や祭祀を補佐する役目である。

 宮廷で実質的に労働を行う者は「侍女」と呼ばれる。
 基本的には「官女・宮女」は公務員であるが、「侍女」は王家が直接雇用した私的な従業員である。よってその給与は宮廷費ではなく王族の私費から賄われる。
 私的な存在であるからその採用は各王家の恣意によって定められ、特に高い身分を必要とはしない。
 しかしながら最低限の教養と礼儀作法を身に着けている必要があるので、多くの場合十二神殿の巫女とくにカタツムリ巫女が選ばれた。
 カタツムリ巫女は本来神話劇を演じる女優である。
 為に容姿端麗にして声も美しく、記憶力にも優れ古典礼法にも通じ、その場に応じた適切な対応を瞬時に選択できるアドリブに強い職種だ。
 「侍女」に必要とされる要素を全て高いレベルで備えており、長く宮廷に仕える事となった。

 国によって認められる高い身分の家系、貴族に類する家で労働する女性もまた「侍女」と呼ばれる。
 もちろんその家において最高位を認められる有能な女性であり、一般的な家事労働・肉体労働に携わる者は普通に「下女」と呼ばれる。
 その中間。ある程度の教養を持つ、出身の家柄も確かな者は別に「仕女」と呼ばれた。
 「下女」の監督役を務める事が多いが、貴婦人の命ずる雑務の中でも信頼を持って任せる必要の有る仕事は彼女達が受け持った。

 なお宮廷にも「下女」は居り、「婢」「端女」等で呼ばれた。
 しかし出身身分的には「仕女」に相当する者も居て、低い名称だからといって本当に身分が低かったわけでもない。
 むしろ、低い身分の女性労働者が常雇いになる事は少なく、外から派遣されて随時職務に当たったので「外女」などと呼ばれた。

 

 爵位や官位を持たない民間の富豪の家においては、「侍女」に相当する役割を果たすのは「仕女」である。
 ただし一般の貴族よりも裕福な富豪であれば、その妻女は高貴な家系より嫁した人も居る。彼女らに仕える者は「侍女」と呼ばれる。おおむね実家より付いてきた者だ。
 それ以外で雇われる者は「侍女」の呼称は遠慮して「仕女」を名乗る。

 おおむねこの民間の「仕女」以下が「メイドさん」である。綺麗なエプロンドレスに似た服を着てひらひらと美しいイメージはタンガラムにおいても存在する。
 ただし若い女性限定となると、「仕嬬」と呼ぶべきではないだろうか。

 現在のタンガラム民衆協和国においては公的に認められる爵位は無く貴族制度は廃止されており、民間人が伝統的にそう名乗っているに過ぎない事になる。
 故に「官女・宮女」「侍女」は存在しない。(旧王族の家にてそう呼ばれる事はあるが、職種としてのそれらであり身分的なものではない)
 「仕女」のみが残っている状況である。

 「下女」という呼称は近年(創始歴6200年代)では差別的であると考えられ、あまり使われていない。
 「家政婦」または「お手伝いさん」である。また年齢から「ねえや」「ばあや」と呼ばれる事もある。
 だが会社組織に属する場合は普通に「女性従業員」という呼称になるべきであろう。

 なおウェイトレスは「女給仕」である。必ずしもメイド的な格好はしていない。

 

【地獄】
 タンガラムの世界観宗教観によると死後の世界は二つ有る。

 一つは伝統的な十二神信仰に基づくもので、人の魂は死後西の海に魚として進み、夜空の海に登って天河の十二神の元へ還る。
 天河の河原にてカニ神の審判を受け、罪有る者は首を切り落とされ長机の上に並べて晒され、陽に照らされて乾き萎み真っ黒に小さくなって砕けて埃となって消え去るまで意識が残り続ける。
 無垢な魂は神の元で楽しく遊び、やがて地上の全てを忘れ去った頃にもう一度魚に戻って下界に降り、東の海から太陽と共に人界に居たり母親の胎から人間として再生する。
 つまり、この一連の過程において「地獄」と呼ばれるものは無い。

 もう一つは救世主「ヤヤチャ」がもたらしたピルマルレレコ信仰に基づくもので、この世には星の世界・人界に加えて、「冥界」というものが有る。
 人界でどのような悪事を犯しても冥界に赴く事は無いが、天河の神特にピルマルレレコ神を侮辱した者は不死者、不滅の屍となって地底の大隧道に送り込まれる。
 そこは永久に陽の当たらぬ場所で、溶岩の焔によって照らされる。が、草木も虫動物も居て特に残酷な環境ではない。溶岩に落ちても復活する。
 問題はそこは弱肉強食の世界であり、人間は特別に優秀な存在ではなく、獲物を狩って食べるが逆に狩られて食べられもする。
 丸呑みされれば排泄物として、死骸が残ればそのまま再生して生き続ける。
 地域によって棲む生物は異なり、人間が非常な劣勢に立たされる場所を「地獄」と呼ぶ。

 天河であれば、罪有る者であってもいずれは消え去り無に還り苦痛から解放されるが、冥界に在る限りは苦痛が失われる事は無い。
 唯一つの可能性は、かって冥界を訪れ3頭のイヌコマで駆け抜け人界へと復帰した救世主「ヤヤチャ」に遭う事だ。
 千年に一度「ヤヤチャ」は冥界に現れ、罪人を人界に連れ戻し死すべき運命へと戻してくれる。と信じられている。

 それを妨害する者として、「冥界の七皇子」と呼ばれる魔人の支配者が居る。
 彼等は「ヤヤチャ」を奸計に陥れ、煮えたぎる油鍋に落としてから揚げにしようとした。
 「カラアゲ」という料理はここから始まったとされる。
 創始歴5000年代初頭には、貴族の宴席ではかならず「から揚げ鍋」が設けられ、賓客が好みの食材を目の前で揚げてもらい大いに舌鼓を打ったという。
 また救世主をすら害するほどであるから、煮えたぎる油鍋をひっくり返して高貴な者を暗殺しようと積極的に利用される事となった。
 青晶蜥王国二代星浄王「メグリアル劫アランサ」もこの罠に掛けられ、自身は辛くも逃れるが腹心である宰相輔を失った。

 

【未発見方台】
 現在タンガラム民衆協和国政府が認知する有人方台国家は4つ。タンガラム、シンドラ連合王国、ゥアム帝国、バシャラタン法国。
 しかしこれ以外の有人方台が存在するのは確実であると見られている。根拠も幾つか存在する。

 まず人間。4カ国で交流が始まり人間の行き来が行われるようになったのだが、どこの国の出身か判別しない者が少なからず混じっている。
 おおむね船に乗っていて嵐に流されて4カ国のいずれかに流れ着いたが、彼等の殆どは自らの出身地の記憶を喪失しており、地理的識別は出来ない。

 次に技術。
 タンガラムは創始歴5600年代に「外国から」家畜の去勢技術を手に入れた。これにより猛獣「荒猪」を馴化して家畜利用に成功、近代文明が急速に発展するのだが、
これがどこから来たのか未だに分からない。
 ゥアム、シンドラにおいても似たような由来不明の技術や知識が存在する。

 三に、「救世主ヤヤチャ伝説」
 タンガラムにおいては創始歴5006年に現れた青晶蜥神救世主「ヤヤチャ」である。
 彼女はわずか4年間で救世の事業を成し遂げた後に、西の海に帆船に乗って去っていった。
 数年後同じ帆船が西から戻り、シンドラの少女を自らの使いとしてタンガラムに届けている。後の青晶蜥王国星浄王三代「来ハヤハヤ」だ。
 彼女の証言により「ヤヤチャ」の消息を知ることが出来た。つまりタンガラムの住人は、昔からシンドラの確実な存在を知っている。

 同様にシンドラにおいても、シンドラの西の海の果てに「ヤヨチャ」は去り、「ハイドランケ」の国に着いた、との言い伝えが有る。
 ゥアム帝国においては、「ゥワモウチャ」は「シャバターの地獄」から来て、「ワングルムの蒼国」に去ったと伝わる。また自らの旅行記として数か国での逸話を語っている。
 バシャラタン法国においては救世主は「ヤスチャハーリ;キルマルリリコ尊」と呼ばれ、「ランクトゥル」「ワンガルムー」「キンドラ」「メンドースヤンタ」「シベリ」「ォットーグ」「ゥワム」を通って、最終目的地「シュミの山」に登ったと伝わる。
 バシャラタンの言い伝えには明らかに「シンドラ」「ゥアム」が存在するから、おそらく他の国も確実に存在するだろう。

 現在、大規模艦隊を有するタンガラム、ゥアム、シンドラの3国は総力を挙げて未発見方台探索を続けている。
 他国に先んじて発見できれば新しい航路を独占して、文物や資源、未知の技術を得る事が出来るだろう。

 なおタンガラムでは、創始歴5000年代にはまだ自国名を表す「タンガラム」という語が用いられていない。
 大地自体を「十二神方台系」と呼び分割統治しており、統一された一国とは考えていなかった。
 シンドラにおいてタンガラムは、シンドラ語で「12」を意味する「デデュケー」と呼ばれているから、「ヤヤチャ」は「12神国」と伝えたのであろう。 

 

【異世界設定 その15】

【みかん男爵はうどん派だ】
 タンガラムではうどんは「ドゥ麺」と呼ばれ、「ラヲ麺」と対比するものとなっている。どちらも手打ちで平たく伸ばして包丁で切って麺にする。カンスイは使わない。
 「ドゥ麺」は「ラヲ麺」と比べて太くて柔らかいのが特徴。
 どちらも小麦だけでなく様々な穀物粉が混ざっているが、ラヲ麺にはどんぐり粉を混ぜて強いコシを出す。ドゥ麺には入らない。
 手で伸ばしただけの一本うどんみたいなものもある。
 近年はバシャラタン法国から導入したソバを使った麺も登場する。現在は「変わりラヲ麺」扱いでしかないが、後にはちゃんと「ソバ麺」と名乗るようになる。

 「ッホ麺」はそうめんと同じ製法で引っ張るのが特徴。極限まで細くなる。ラヲ麺と同じ太さでどんぐり粉が入るものもある。
 「ッホヲ」が乾燥という意味だから、太かろうが細かろうが乾麺は「ッホ麺」である。湯で戻した後は乾麺とは言わないので。
 揚げ麺は「カラアゲ麺」と呼ばれる。かた焼きそばは無い。
 突き出しで作られるところてんみたいな麺は「突き出し麺」とまんま呼ばれる。

 出汁は、ドゥ麺もラヲ麺も大して変わらないのだが、むしろ地方による区別が大きい。地方ごとにドゥ麺に用いる出汁・ラヲ麺に用いる出汁が分けられており、なかなかうるさい。
 味噌・ショウ油・塩昆布・燻製ゲルタ・干しゲルタ・海鮮・煮干し・塩辛・スルメ・陸貝カタツムリ・陸イソギンチャク・サワガニ・川エビ・獣肉・獣骨・鶏ガラ・蝙翅・トカゲヘビ・山羊乳・乳脂・山菜・香草・薬草・キノコ・どんぐり・砂糖・はちみつ・果汁・辛子カレー(カラリ)・唐辛子(ゥアム辛茄子)・蟲粉・ヤムナム茶(甘藻)・チフ茶・酒・酢・油・酒粕麹・お粥・謎の白粉 などなど様々な種類がある。
 というよりも、タンガラム各地の汁料理はすべて網羅する。
 みかん男爵が好きなドゥ麺は昆布・ショウ油出汁で肉うどんの甘味が絡む。お子ちゃま味と呼んでもいい。カプタニア近辺の流儀。
 キリッと苦味の有るゲルタ出汁はラヲ麺で用いられるのが主流で、ドゥ麺では苦味の無い大ゲルタの燻製出汁を使う。
 なお煮込みうどんはドゥ麺とは決まっておらず、むしろ細いッホ麺を使う所が多い。

 細いッホ麺は冷麺として食べられるのが主流であるが、麺料理としてではなくスープの具として突っ込まれる事もある。
 太いッホ麺は手打ち麺とは異なる扱いをされており、店で料理として出される事は少なく家庭用保存食として扱われる。

 突き出し麺は丼ではなく平皿や浅い皿に盛られるスープ麺的に食される。こちらは東岸の神族風としてまためんどくさい流儀がある。香草ソースで大山羊の乳のクリームが乗ったりする。
 焼きうどん焼きそばはドゥ麺ラヲ麺の違いであるが、基本的には家庭料理であり太い「ッホ麺」を用いる。焼きそばというよりもスパゲッティのようなものになる。
 露店夜店で焼きそばは売っていない。(ソースがない) 汁なしソバの形のゆで麺を売る。経木(極めて薄い木の板)のお皿で売っている。

 インスタントラーメンは「カラアゲ麺」と呼ばれ袋入りで販売されているがカップラーメンは未だに無い。袋麺も油紙の袋に入っている。ビニール袋というものが無いのだ。
 1個1ゲルタという結構なお値段。(感覚的には300円くらい)
 カラアゲ麺はもちろん鍋で茹でて作るのだが、スープは別添えでなく麺に味を付けている。だからそのままバリバリ食べる者も居る。
 燻製麺という妙ちきりんなものも売っている。茶色で半生で硬くそのまま食べて歯ごたえがある。駄菓子の一種でチューインガム的なもの。軟弱者が食べると腹を壊す。

 なお刀削麺のような細長くないものは「餅」扱いの別料理となる。

 

 

【捜査員】
 タンガラムの警察機構において「捜査員」と呼ばれる者は3種類居る。
 1つめは警察局に所属する捜査官および捜査員、2つめは商業犯罪・詐欺・脱税を取り締まる商法監視局の捜査官および捜査員。3つめは巡邏軍の専任捜査員 である。

 捜査官と捜査員の区別は簡単で、国家公務員が捜査官、地方・団体公務員と呼ばれる所属なのが捜査員であり、一般的には捜査官の指揮で捜査員が動く。
   (団体公務員とは、国家機関や地方公共機関などの各施設・団体に直接雇用される者であり、その管轄においてのみ権限を持つ)
 捜査員は「吏員」と呼ばれる下級公務員の範疇であり、県を越えての転属は普通無い。

 警察局・商法監視局の捜査官・捜査員は上級公務員である法衛視の捜査指揮を受ける。

 巡邏軍の専任捜査員は、そもそも軍人はタンガラムの国家制度において「軍人」という存在であり、「公務員」とは異なる存在と看做される。
  (死を前提とした任務を命じられて、拒否権も無いとなれば、特別な存在と見做す方が法的整合性が有る。という見解)
 基本的に兵・下士官であり、士官の捜査員は居ない。

 

 そもそもがタンガラム民衆協和国において、犯罪捜査は2段階の監視機構を持って行われている。
 巡邏軍と警察局は互いを監視する事によって権力の恣意的な執行、民衆の弾圧を防ぐ仕組みである。
 巡邏軍は犯罪発生当初の初動捜査を担当し、一定時間以上の経過後に警察局に事件処理が移管される。
 本来的には巡邏軍の使命は治安の維持であり、暴動等の鎮圧に主眼を置いた重武装で街頭警備に当っている。
 故に長期間の捜査活動は行わない。、
 捜査資料は警察局に提示後は民間の刑事探偵有資格者にも開示されるものである。

 ただし、特定の常習犯罪者や組織犯罪に関しては長期間の監視と捜査活動が必要となる。
 これらは犯罪発生時のみに注目しておいては摘発が困難である為に、専任捜査員を置いて対処する。

 警察局は捜査を専門とし、また犯人逮捕等事件解決後の司法手続きを行うものである。
 巡邏軍は定められた管区内でのみ捜査権を持つが、警察局は全国組織であり県の枠を越えた広域捜査が可能である。
 また潜入捜査など長期間の隠密活動も警察局で行っている。

 なおこれは例外的措置であるが結構多い例として、人口の少ない地方の県においては警察局の人員が少なくほとんど司法手続きを行うのみの機能しか無い場合がある。
 このような地域では巡邏軍の専任捜査員が事件解決まで捜査活動を行う事になる。
 この場合、専任捜査員の上に捜査士官と呼ばれる者が配属される。
 捜査指揮を効率的に行い、公訴手続きを円滑に問題なく進められるように巡邏軍でチェックする為である。

 

 巡邏軍と警察局はその存在上は互いに相反するものであるが、捜査官・捜査員レベルにおいては必ずしも対立するものではない。
 警察局の捜査員の多くが、巡邏軍の専任捜査員から引き抜かれて転職した者であるからだ。
 捜査官は警察局の捜査官養成学校を卒業した生え抜きの人材であるのに対し、その下に付く捜査員は地元を熟知した経験豊富な者となる。
 巡邏軍の専任捜査員において下士官である者は、警察局に転職後に捜査官養成学校で短期研修を行い、捜査官として配属される事にもなる。

 捜査官養成学校への入学も、その募集要項で「徴兵終了者を優遇する」となっており、巡邏軍において2年間治安維持活動を行った者も多い。
 要するに二者は制度上分けられているのみで、さほど縁遠いものではないのだ。
 逆に言うと、捜査官・捜査員になろうと思えばまずは巡邏軍に入るべきである。

 選抜徴兵制度は第一種が陸海軍においての練兵となり、将来的には社会のリーダー的な役割を果たしうる資質の者を選抜する。
 第二種が巡邏軍において実際の治安維持活動に従事する。資質は第一種に次ぐが社会参加意識の高い者を選抜する。
 警察局捜査官養成学校の入学者の多くは、この第二種選抜の経験者である。第一種はあまり居ない。

 第一種選抜経験者は身体のみならず学業においても優秀者であり、徴兵終了後は優遇制度を利用して高等教育機関、大学校に進学する者が多い。
 その中に大学で学位を得て法論士の資格を取り、警察局で捜査活動を指揮する法衛視となる者も居るわけだ。
 また士官学校に入学し、巡邏軍において専任捜査員を管理する部門に配属される者もある。(第一種合格者はだいたい士官学校にも受かるし、徴兵の手間を省いて入学する者も多い)
 第一種第二種共に徴兵終了で得られる教育機関での優遇制度、学費の減免等に大きな差は無い。

 それ以外の道で捜査員になろうと思えば、巡邏軍に一兵卒として入営し、専任捜査員への配属を希望するところから始める。

 警察局の捜査員から捜査官に昇格するには、そもそもが国家公務員と団体公務員との区分があるから、捜査官に必要な資格を取得後に国家公務員採用試験を受ける必要がある。
 採用後に捜査官養成学校に入学し、経験を加味して期間短縮をされるが、正規の養成ルートを経て捜査官になる。
 ただし配属先は元勤めていた警察局とは限らない。
 なお団体公務員であるから俸給が安いとは必ずしも言えず、勤続年数と実績によって新任の捜査官よりも遥かに高い者も少なくない。
 であるから、昇格しない方が得な例もある。勤務地が変わればそれまでの人脈や知識が使えなくなる事もある。

 

 商法監視局の捜査官・捜査員になるのは別のルートで、商業専門高等学校、または大学の商学部を卒業しての事になる。
 ここでも選抜徴兵で巡邏軍経験者は優遇される。

 (ちなみに選抜徴兵制度は、第三種「地元連隊で軍事教練合宿3ヶ月」 第四種「地元で軍事教練年何日」 第五種「地元奉仕活動および戦時動員徴用訓練」 選外「無し」になる。
  実はタンガラムの軍事費はさほど潤沢なものではなく、徴兵制度もなるべく節約しようと考えられており、どうせなら優秀な者に技能教育をした方が良いだろうという方針を取っている。
  また民衆協和主義の教育手段の一つとしての徴兵であり、表立っては近年まったく戦争が無い状態での愛国心を喚起する手段としても考えられている。
  つまりは軍のイメージアップである。優秀者を優遇する事で社会的ステータスを上げている。

  しかしながら、第一種第二種共に2年間というかなりの期間を拘束される。これをスキップして大学教育に専念する方が得策である者も居るだろう。特に富裕層であればなおさらに。
  第一種第二種への応募は志願制である。第三種以下の徴兵制度は選挙権登録時に男子にのみ課せられる国民の義務である。
  また長期の兵役を終える事で、優遇措置に対する不公平感を感じなくする効果もある。

  一般兵士の勧誘も随時行っているのだが、雇用調整の受け皿としても機能する為に毎年同じ人数を採用しているものでもない。
  一般兵卒は5年毎に契約更改を行い継続雇用をするかを決めるのだが、5年限を経過しての除隊後は選抜徴兵第一種と同等の高等教育機関での優遇措置を得る事が出来る。ただし利用者はかなり少ない。
 )

 (厳密に言うと、軍の憲兵隊の中にも捜査部門は存在するし、国民保健局麻薬取締部門も専門捜査官を有するのだが
  巡邏軍はそもそも憲兵隊が発展独立したものであるし、麻薬取締は巡邏軍に派遣の形で間借りしている。
  税関業務はタンガラムにおいては海軍の管轄になるので、海軍巡邏部と呼ぶべき存在がある。捜査官というよりは軍偵である。密輸や密入出国に対応する。)

 

【特別強行制圧隊】
 タンガラムにおいては、地球で言う「特殊部隊」のことを一般に「強行制圧隊」と呼ぶ。
 陸海軍のいわゆるレンジャー部隊に関しては、山岳や空挺、海浜・船舶への攻撃ごとに名前が違うのであるが、おおむね「○×強襲隊」と呼ぶ。

 特別強行制圧隊は、強行制圧隊の中でも特に人質や重要機密、貴重な物品類の確保を目的とするもので、より専門性が高く練度の高い部隊である。
 場合によっては任務に応じた専門家を伴っての強行軍も行われるので、人命優先が重視される。

 ただ装備に関してはどこもさほど違いがない。
 拳銃、制圧銃(散弾銃を含む)、カービン銃(空挺小銃)などの小火器を使用する。
 短機関銃は陸軍の一部部隊においてのみ配備されるが、海外派遣軍においては特別にゥアム帝国製の短機関銃を入手して少数使われている。

 なお警察局・商法監視局には強行制圧隊は無く、必要に応じて巡邏軍の協力を仰ぐ事となる。
 巡邏軍はその名称からも分かる通りに軍隊であるが、常時戦闘を行っているわけではなく軍事演習の機会も少ないので、戦闘力を疑問視される事もある。
 そこで貴重な戦闘の機会を巡邏軍に集中して、実際的な戦闘力の維持を図っているとも言えよう。
 陸海軍とのバランスを保つための、行政権「政権」側の都合だ。

 それ以外は、政府中枢の総統府付きの「特命強襲隊」と、法制監察局の「護法執行隊」が知られている。
 護法執行隊は、極めて重大な裁判における被告人および核心的な証人の保護や移送、あるいは奪還確保を担当する。「護法官」によって指揮され、極秘任務が多い。
 つまりは、三権分立する「政権」「法権」「軍権」の三者にそれぞれの武力執行機関が有るわけだ。

 故に法的にはそれ以外の強行制圧隊は無い事になる。
 だが存在自体が秘匿され、国家総統の命令を越えて活動する部隊が確かに有るとまことしやかに噂される。

 

【制圧銃】
 タンガラム民衆協和国は工業技術においてはゥアム帝国に劣る。兵器技術も同様で、特に機関砲や機関銃、自動小銃などの連射兵器に差が生じる。

 しかしタンガラム軍は、機関銃の能力不足に関しては「要するに弾数をばらまければ良い」と理解して、機関銃の配備数を増やす現実的な策を講じている。
 そもそもが過剰な発射速度を実現しても給弾機構に支障が生じ、また弾薬補給に過大な負担が掛かる。
 戦場においては機関銃は真っ先に敵に潰される優先目標でもあり、数を増やして生存性を高める方が戦力的に正しいと考えたわけだ。

 さて機関銃自体の性能が低いわけだから、その小型版である短機関銃の質も推して知るべしである。
 ゥアム帝国がいち早く実用化した短機関銃のコピーを作ってみるが、その弾薬をタンガラム軍採用の拳銃弾用に改造してみたものがまったく使い物にならない。
 そもそもが回転拳銃用に設計された弾丸をそのまま短機関銃・自動拳銃に用いようと考える方が間違いであった。

 それでも戦場の要求に従って短機関銃を量産し実用化するに当たって、使用弾薬に特別な措置を施す事となる。
 既存の拳銃弾とまったくに同寸同型でありながら、品質を均質化した高精度の弾薬をわざわざ短機関銃用として供給しているのだ。
 回転拳銃用としては明らかに過剰品質であり、値段も倍以上掛かるものであるから、本末転倒と言わざるを得ない。

 この失敗を乗り越え、タンガラム兵器廠は弾薬から新たに設計し直した短機関銃・自動拳銃および自動小銃量産化計画を立ち上げた。
 自動小銃に用いられる弾薬は拳銃弾ではないが、同様に高精度で均質化した銃弾が必要であると考えられ、弾薬供給体制の抜本的改革を目指している。

 

 新短機関銃の開発であるが、それ以前に自動拳銃においてタンガラムはつまづいた。
 ゥアム帝国製の自動拳銃は銃把の中に弾倉を仕込んで非常に洗練された構造を持つ。これを真似てことごとく失敗した。

 原因は工作精度に求められるが、しかしこの形式の欠点にも気がついた。しょせんは拳銃のレベルを越える事が出来ないのだ。
 自動拳銃であれば高速での連射性能が要求されるだろうが、さすがに制御が難しく命中率が極端に下がる。
 単発で撃っていくのであれば、回転拳銃でもさほど実用で劣るわけではない。

 タンガラム兵器廠では、兵士個人に配備する簡易短機関銃としての自動拳銃を目指す事となる。
 そこで短機関銃と同様の構造を持ち、より小型軽量化した自動拳銃を設計した。
 弾倉は銃把の中ではなく、銃爪の前に配置される。銃自体は大型化するが、そもそも小型拳銃では連射出来ないのだから、可とされる。

 結果、モーゼル拳銃のようなものが出来上がった。
 新型拳銃弾と合わせて採用され、試験でも十分に満足すべき成果を見せる。
 しかしながらあまりにも新しすぎる上に秘密兵器扱いであり、未だ公式には導入されていない。秘密部隊に配備しての実戦投入試験が続いている。
 なお補助的な部隊へはこの自動拳銃は配備されず、同じ新型拳銃弾を用いるように設計変更された回転拳銃が支給される計画である。

 

 というような状況であるから、テロリストの拠点等を強襲して制圧する特殊部隊「強行制圧隊」には未だ短機関銃は装備されていない。
 そこで、今あるものを活用して「制圧銃」と呼ばれるものが作られた。
 陸軍機動歩兵に装備されている新型小銃の銃身を切り詰め、銃床を切り落とし、減装薬を用いて威力を弱くして制御しやすくしたものである。

 この小銃はボルトアクションライフルであるにも関わらず、ポンプアクションと同様の操作で次弾を装填する。
 腰だめに構えて移動中でありながらも連射出来る仕組みとなっていた。
 箱型弾倉で10発と従来の小銃より装弾数が多く、また弾倉の交換が迅速に可能となっている。
 この利点を活用して、屋内突入時での過剰な銃弾威力を弱めて任務に最適な性能としたものが「制圧銃」である。

 ただ減装薬の扱いは紛らわしく、切り詰めた銃身が銃弾特性には合わないので、新型拳銃弾を用いるように設計変更が現在行われている。
 おそらくは新型拳銃弾は、まず「制圧銃」用としてデビューする事となるだろう。

 

【手動拳銃】
 ゥアム帝国製の自動拳銃のコピーはタンガラムでは失敗した。
 とはいうものの、デッドコピーならば可能である。国産銃弾への変更も含めての量産化で頓挫した。

 さてタンガラムの銃職人は、国家がやらないのなら自分で作ってみようと考える。
 そして無数に作られた試作品。動くものも有るし動かないものもある。新機軸を突っ込んで大失敗したものもある。
 その中で、多くの銃職人はこういうことを考え始めた。「何が何でも自動で装填しなくちゃいけないものか?」

 というわけで、自動拳銃と同様の機構を持っていながら、自動では動かない拳銃というものを作り上げた。「手動拳銃」である。
 もちろん速射性に関しては自動拳銃に勝てるはずも無く、ワンアクションで次が撃てる回転拳銃にも劣る。
 だが武器として考えた場合、1秒ほどで次弾が装填できる「手動拳銃」は十分に実用的な代物だ。
 むしろ自動機構を排した為に、射撃時には安定した命中率が期待できる。不具合でジャムも起こさない。
 装弾数も10発以上と回転拳銃より明らかに優位にある。

 というわけで、主にヤクザの間で手動拳銃は広まった。と言っても金属薬莢銃や連発銃の私的所持は法律で禁止されている。
 だから普段は倉庫に仕舞っておき、ここぞという抗争時に引っ張り出してくる秘密兵器扱いだ。
 また単発での命中精度の高さを好んで暗殺者がこれを使う例も見受けられる。
 機構の単純さから頑強に作る事も可能で、より強力な銃弾を用いる事も出来る。この場合銃職人にオーダーメードで作ってもらう。

 なお護身拳銃と呼ばれる1爪杖(7ミリ)幅の拳銃弾用自動拳銃は、タンガラムの公的兵器廠では製造していない。
 すべて民間の銃職人の手製であり、手動拳銃も多い。
 注文生産であるから華麗な装飾を施しているものもある。
 ただし民間人の金属薬莢銃・連発銃保有は基本禁止されており、富裕層といえども特別な資格者(主に軍・警察関係者)でなければ許可されない。
 非力な護身拳銃はその制限がかなり緩いのだが、それでも登録と銃弾購入の申請書、発射使途の報告が必要である。

 

 

【軍事探偵】
 タンガラムには色々な種類の探偵が居るが、だいたい調査員と思っておけば間違いない。

 まず典型的なのが「刑事探偵」
 刑事事件の裁判において弁護側の法論士の指示を受けて証拠の裏付け調査や証人探しなどをするのが本来の役目。軽微な犯罪であれば刑事探偵の調査結果のみで刑事罰から免れる事も有る。
 また容疑者の取り調べ段階においても訊問を監視して、容疑者の人権を保護する業務もある。
 時折、巡邏軍警察局の手が足りない時など、捜査を外注されて行う事もある。
 その資格要件に「捜査機関において所定の年数の実務経験を積むこと」というものがあるので、有資格者は全員元捜査官・捜査員である。

 そして「商事探偵」
 刑事探偵の経済事件版であり、民間経済における専門知識を踏まえて訴訟対策に従事する。刑事探偵と違って刑事罰ではなく、互いが対等な訴訟も多々有る。
 経済事件の裁判の審理は専門の裁判所で行われている。
 商事探偵もまた資格要件に実務経験が有る為に、元捜査官・捜査員に限られる。一般的な傾向としては、刑事探偵よりも儲かる。

 この二者は原則として法論士の指示に従って調査を行う事となる。
 タンガラムにおいて「法論士」の資格を持つ者はかなりの社会的信用を得ており、公的に振る舞う事を要求される。地球の弁護士よりももっと偉い存在だ。
 裁判に臨む際の調査は専門家を用いる事となっており、法論士は大所高所から彼らを指揮する。
 また各行政機関も本来は門外漢である法論士よりは、元は自分達と同じ業務を行っていた刑事・商事探偵の方があしらい易く業務に支障を来さないという利点がある。

 法論士制度が成立した直後のタンガラム社会において、法を乱用して裁判を大混乱に陥れ依頼人の利益をもっぱらに追求する「法論士禍」と呼ばれる状況に陥った事がある。
 この反省から、刑事・商事探偵の制度は作られた。

 

 普通一般の人間が考える探偵は、「民事探偵」と呼ばれる。
 上記二者が国家資格であるのに対して、民事探偵は基本的に無資格でも行う事が出来て、単純に調査員であったりする。
 だが普通の民事探偵は警察局に「探偵登録」をしており、調査の際もそれを明示して行う。怪しい者ではない事を示す為に、警察局に問い合わせたら即身元照会出来るようにしているわけだ。
 この警察局への登録をしていると、行政当局への取材を行う際に非常にスムーズに手続き出来る事が多い。その為、新聞記者も職務上の便宜の為に登録している。
 また民間の協会が「民事探偵資格」を発行しており、通信教育で技能を学ぶ事が出来る。法的には何の意味も無いが、能力を推し量る際にはある程度役に立つ。

 犯罪映画やドラマ、小説などに出てくる探偵はおおむね刑事事件を解決するわけだが、民事探偵が刑事事件解明の為に雇われる事はまず無い。
 刑事探偵や法論士でないと捜査資料の閲覧許可が出ないからである。

 政治探偵と呼ばれる者も居る。
 本来の身分は議員秘書だったり事務員だったり政党職員だったり、あるいはフリーランスで雇われるのだが、つまりは政治の社会における工作員である。
 もちろん何事かを行うよりも、現在何が誰によって行われているかの背景を探索する任務の方が遥かに重要であり、ほとんど探偵と呼ばれるほどの調査能力を必要とする。
 公式の国家資格ではないが、官公庁総統府への出入りを許される公式な登録証(バッチももらえる)を持つ者が、自らの職業を「政治探偵」と任ずる場合がある。
 さすがに行政探偵と呼ばれる者は居らず、行政機関の不正等を民間人が監査しようと思えば、政治探偵を自称する者がその役を務める事となる。

 

 軍事探偵は、タンガラムにおける軍部の存在が非常に大きく、また社会的にも高く評価されている事を前提として認識しなければ理解できない。
 タンガラムにおいては三権分立とは、立法行政をひとまとまりとした「政権」、司法である「法権」、軍部が司る「軍権」の3つを指す。
 つまりは軍部とは国家における最重要の柱の1本であり、当然に民間人有権者に対してその公明正大さを自ら証明しなければならないものである。
  (巡邏軍は行政府内閣大臣領(総理大臣)直属の機関であり、「政権」の軍隊である。故に「軍権」とは対立する事に法的にはなる)

 軍独自が自らの権限においての情報公開を行うのであるが、もちろん専門知識を持たない者を相手にしていては埒が明かない。
 また任務の性格上秘匿すべき情報も多く、その理由を理解できる能力を調査者が持つ事を保証しなければならない。
 故に「軍事探偵」と呼ばれる専門家を必要とする。
 基本的に軍事探偵は職業軍人経験者であり、そのほとんどが憲兵出身である。
 巡邏軍は行政府の直属機関であり、純粋な戦闘力としての軍部とは異なるのだが、巡邏軍出身者が軍事探偵を務める例も有る。
 この場合、資格上刑事探偵も兼ねている事が多い。

 軍に対する訴訟を起こす場合、法論士の指示に従って軍事探偵が調査を依頼される事となる。
 近年はタンガラム海外派遣軍が国外で様々な活動を行っており、民間人との間で衝突を多々起こしている。軍事探偵が国外に赴き外国人の為に活躍する例も多い。

 なお軍における秘密工作員・諜報員は「軍偵」と呼ばれ、軍事探偵とはまったく性格を異にするものである。

 

 

 

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