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「前回までのあらすじ」

 タンガラム民衆協和国には古来より「型札」と呼ばれる占いの道具があった。
 紙が発明される前であったから薄い木の札に聖句や図像が描かれる。
 発祥は古代紅曙蛸王国とされるが、その後聖戴者による王朝が新たに立つ度に内容が変更され、
4番目の救世主「ヤヤチャ」降臨以後は固定された。

 「型札」は7×7の49枚で構成される。
 ただし札の説明や詩文を描いた「読み札」が同数付属するので98枚と予備の計百枚で売られている。
 7×7の正方なので「正方形」を意味する”タンガラム”、
 タンガラム・カヴァロと呼ばれる。

 「型札」は「天界札」と「人界札」の2種に分けられる。
 天河十二神に13番目「神殺しの神」ぴるまるれれこ神を合わせたものが「天界札」
 ぴるまるれれこ神は例外・原点として「天元札」とも呼ぶ。
 残り36枚を「朝・昼・夕・夜」×9つの人間世界の象徴で構成するのが「人界札」

 人間世界を表す9つの象徴とは、
1;「英雄」男性の生涯を表す 冒険と献身
2;「皇帝(大王)」政治・権力を表す 歴史に現れた四神の救世主が描かれる
3;「宝玉」金銭・富・商業を表す
4;「信仰」伝統的な十二神信仰に基づく事象、また不可解をも意味する
5;「軍兵」武力あるいは脅威を表す
6;「理想」社会正義を求める賢人の姿で表される 学問とも
7;「愚者道化」批評や諧謔を意味する もちろん愚行も
8;「女王」女性の幸福な生涯を表す 否定的な要素は他の象徴が担う
9;「豊穣」農業の実りを表す

 「皇帝」はゥアム帝国より「王を超える支配者」の概念が持ち込まれた際に改称された。

 

 人界札において最低のスカ札とされるのは”3の夜”「侮る毋」
 札にはゲルタの干物が2枚描かれる。
 古来より交易商品として何処にでも届けられ、通貨の代わりとしても用いられた塩ゲルタはタンガラム経済を底辺から支えたが、
富裕層は元より貧困層においてもうんざりする「つまらないもの」であった。

 だがゲルタは2枚描かれる。
 「常に代わりは用意している」と読み解けば意味深な、侮り難い札だ。

 

 

『罰市偵 〜英雄探偵とカニ巫女

   第六巻「英雄と皇帝」

 

第二十五話その1「ヒィキタイタン土下座する」

 タンガラム民衆共和国には「DOGEZA」なる風習は無いけれど、屈辱とも言える懇願法はある。

 「ヱメコフ・マキアリイ刑事探偵事務所」を訪れた国家総議会議員
ソグヴィタル・ヒィキタイタンは、いきなり土下座した。

 

 同行したベイスラ県ノゲ・ベイスラ特別市選出三期
『ウェゲ議政同志會』所属アンマナカ・シーモン議員(47才)も驚くが、
間髪を入れずに後輩の王子様議員に倣う。

 親友ヱメコフ・マキアリイも事務員クワンパも驚き、思わず立ち上がる。

「すまん! マキアリイ。何も言わずに首都に来てくれ。お願いだ」
「ヱメコフ君、これは実に例外的な最終手段なのだ。
 我が党の命運はもはや君の勇名に頼るしかない状況にまで追い詰められている。
 頼む、是非とも、是非ともにソグヴィタル議員と共に首都に!」

「お、お二人共顔を上げて下さい。
 おいヒィキタイタン、これは卑怯だぞ」
「すまん。だがもうコレ以外僕には手段を思いつかないんだ。頼む……」

 

 

 前回『幻人事件』その後の経緯を説明すると、

 ヱメコフ・マキアリイは「幻人祓い」の儀式を見事耐え抜いて、復活。
 ただし医学的には判別不能である為に、常に総統府の秘密工作員が監視する。
 これは、これまでと大して変わらない措置。

 「原子核反応熱発電所」に立て籠もった幻人憑きとその同調者は、
全員が拘束され「幻人祓い」の儀式を受ける。
 タコ巫女タルリスヴォケイヌが改めて録音したゥアム蛮族の音楽を毎日聞かされ、毎食にゲルタを食べさせられる。
 これで十分な効果が得られているように思われた。
 ゲルタを常食していた時代のタンガラムであれば、おそらくは「幻人」は感染出来なかっただろう。

 幻人専門の猟人”細蟹のパ=スラ”は引き続きギジジット市の警察局に拘束される。
 幻人処理に協力させられていた。
 「待壇者」ユミネイト・トゥガ=レイ=セト直々の命令であるから、反発はしない。
 幻人を見破る魔法のランプを複製して、タンガラムでも独自の対策を行う予定。
 彼女の解放はその後となる。

 

 マキアリイの身を案じてノゲ・ベイスラ市まで付いてきた人達もそれぞれの街に戻る。
 特にヱメコフ・タモハミ・ツゥルガは夫の傍で介護したいと願ったが、
マキアリイ奇跡の復活で早々に業務に復帰したので、泣く泣くヌケミンドル市に帰っていった。
 クワンパがニセ病院に案内して、メマ・テラミにも引き合わせる。
 その美しさにすさまじい衝撃を覚えたようだった。

 

 ユミネイト・トゥガ=レイ=セトは南海イローエント市に里帰りした。
 もちろん単身ではなく、ゥアム帝国公館の随員を多数引き連れてだ。
 「首都圏近くに居たら総選挙のダシにされかねないから」と一時退避。
 赤毛のヒョウ柄無尾猫も連れて行く。

 だがさすがにイローエント市は僻地すぎてつまらない。
 またベイスラに戻ってくると宣言した。
 なにせ「英雄探偵マキアリイ」の地元本場なのだ。
 血湧き肉躍る冒険にまた参加出来るかもしれない。

 ユミネイトはゥアム建築を模倣した巫女寮を気に入って、当分はここに厄介になろうかと考える。
 もちろん大家のグリン・サファメルは快く引き受けた。
 カタツムリ巫女ヰメラーム卒倒の日々は続く。

 ユミネイトの侍女であるロウラ・シュスとその恋人「銀骨のカバネ」ノゥ’スヒト・ガン=ポ
の駆け落ち行は、まあ大揉めに揉めている。計算通りに。
 恋愛小説家クリプファト女史が良いようにしてくれるだろう。
 なにせ小説のネタが目の前で展開されるのだ。
 支援しないわけがない。

 

 そして最後にソグヴィタル・ヒィキタイタンは。

 

     ***** 

 マキアリイが「幻人祓い」を終えたその日。
 再び首都ルルント・タンガラムに連れ戻されたヒィキタイタンは、
その足で総統府の総統執務室に出頭した。

 待ち受けるのは国家総統ヴィヴァ=ワン・ラムダ。
 のみならず、内閣大臣領(総理大臣)スミプトラァタ・ドリィヒも一緒だ。
 国家権力の最高峰二人に詰問されてはヒィキタイタンも如何ともし難い。

 スミプトラァタ氏は58才。
 既に9年近く大臣領を務めている実務に有能な政治家だ。
 しかし自ら派閥を作る、政治家の間で首領になる資質が欠け、与党内でも人気は無い。
 ヴィヴァ=ワン総統と共に栄え、滅びる運命だと見切られていた。

 ヒィキタイタンの事件報告も終わらぬ内に、彼が口火を切る。

「で! ユミネイト嬢は同伴していないのかねソグヴィタル君」
「はあ。彼女はタンガラムにおいては一般人の私人でありますから、」
「そうじゃない、そうではないんだ。
 彼女の政治的意義、存在の意味合い、有権者の間の人気は君が最もよく知るだろう。
 何故君の隣に居ない!」
「え、えーー」

 返答に窮してヴィヴァ=ワンを見る。
 大臣領と一介のヒラ議員では接点が薄い。
 頼るべきは「国家英雄」として度々お役に立たせてもらう総統なのだが、

「ヒィキタイタン。ユミネイト・トゥガ=レイ=セト嬢との結婚はいつになるかね」
「えっ!」

 驚くヒィキタイタンに、総統の方が眉を顰める。
 なにを驚くのだ当たり前の話に。

「あ、あの総統閣下。わたしとユミネイトとの間にまだそういう話は出ておりません。
 いえ、まだ帰ってきたばかりでろくに話も、」

「何を悠長なことを言っておるのだね君。
 即断即決、何者をも恐れず突き進み国家の名誉を守るのが「国家英雄」であろう。
 ちゃんとユミネイト嬢に求婚をして来ないか」
「あの、なぜそのような、個人の私的な、」

 大臣領、総統と顔を見合わせ肩をすくめる。
 若いのに肝っ玉の座ってないヤツだと。
 改めてヴィヴァ=ワン説教せねばならなくなった。

「ヒィキタイタン、政治家としては常識の範疇ではあるが、心得ているのか。
 ゥアム帝国とタンガラム民衆協和国は未だ戦争状態にあるということを」
「それは。うやむやになってはいますが、未だ終戦協定も講和条約も結ばれていません」

「そういう事だ。
 砂糖戦争から既に百年を数えても、未だに両国は戦争を止めていない。
 第六政体の時期に通商条約を再締結したが、どちらも戦争の責任については持ち出そうとはせず、そのままだ。
 国民世論、特にタンガラムの民衆が許すわけがないからな」

「はい。ですが現在は双方ともに人も行き来し、何の制限も無く交流を果たしています」
「そうだ。実質に問題がなければ敢えて火中に手を突っ込まずともよい。
 また公式には認めてはいないが、海島権益争奪戦において実際に戦闘が行われ両軍兵士が死んでいる。
 愛国者であれば終戦など以ての外と叫ぶだろう。当然だ」
「はい」

「であれば、だ。
 両国が真の友好を築くには、どでかい花火を打ち上げねばなるまい」
「は、はあ。なるほど」
「ユミネイト嬢はゥアム帝国において国家元首に比肩する「ゥアム神族」の娘であり、自身も高い身分を認められる。
 そしてソグヴィタル・ヒィキタイタン。
 ソグヴィタル王家に連なる家系で、国家に貢献する財閥の御曹司だ。
 マキアリイと共に「潜水艦事件」を解決した国家英雄であり、国家総議会議員を務めている。

 この二人が結婚となれば、両国友好の歴史において特筆すべき大事件と呼べるだろう。
 正式に和平を結び古い戦争を終わらせ、友好条約を結ぶのにこれほどの好機は無い」

「それはそうかもしれませんが、」
「これ以上のものは無い!」

 大臣領も断言する。
 確かに政治家の観点からすれば、絶後の好機と呼ぶしか無い。
 他人事であれば神輿を担ぐのも厭わないが、しかし。

「あ、あーでもユミネイトはですね。
 彼女は一度イローエント市に里帰りして母上の墓参りをすると行ってしまいました。

 現在はゥアム公館の護衛によって守られています。
 そう簡単に引っ張り出すわけには、」

 

     ***** 

「あーなんでユミネイト嬢は6月に帰国してくれなかったのか。
 「潜水艦事件」十周年記念式典に参列してもらいたかった。
 そうではないかねソグヴィタル君!」

 大臣領の言葉には反論せざるを得ない。

「お言葉ですが、式典が事件の起こった7月であればユミネイトは間に合ったのです。
 もっと早くに招請状をゥアムに送っていれば、彼女は来てくれたと思います。」
「そこは我々の落ち度と考えよう。
 いや、この時期に帰国してくれるとは思いもしなかったからな。」

 総統も残念だ。
 しかし式典で起きた様々な妨害工作を考えると、居なくて正解だったと言えるかもしれない。

「とにかくだヒィキタイタン。
 ゥアム帝国との和平終戦はタンガラムの政治家、国家総統の長年の宿願だ。
 それが目の前にぶら下がっているのを座視するバカは居ない。

 このヴィヴァ=ワン、今回の選挙で総統の座を死守出来たならば、
 自らの政治人生を締めくくる華として和平を成し遂げたい。
 ユミネイト嬢と君の結婚式で仲人を務めるのもやぶさかではない。

 どうかね、私の最後の花道を飾らせてもらえないだろうか。」

 卑怯すぎる言葉だ。ヒィキタイタンどこにも逃げ場が無くなった。
 大臣領閣下もぎろりと睨み、強要する。

「ソグヴィタル君、これは君にとっても飛躍の大好機であるぞ。
 政治家として最高の足場を手に入れる。
 将来の外務臣領(大臣)も約束されるだろう。
 どうかね、進捗状況は。」

 進捗かあ。既に既定路線かあ。

 だがその前にまず目前の選挙で総統を、与党の地位を確保せねば。
 ヴィヴァ=ワンが前に乗り出して本題を突きつける。

「そこでだヒィキタイタン。
 現在我が与党『ウェゲ(真人)議政同志會』は風前の灯火である。
 相次ぐ大事件、不正汚職の暴露、「闇御前」の大陰謀、恐怖の破壊工作に外国勢力の魔手と、
 我が党の統治能力を疑わせる案件が目白押しで襲ってきた。
 連立していた『自由タンガラム党』にも逃げられて、万事休す。
 ヴィヴァ=ワン一座も千秋楽だと新聞雑誌はかまびすしい。

 「潜水艦事件」以来の危難を乗り越え選挙で勝利するには、やはり」
「ヱメコフ・マキアリイ君の出座を願うしかないだろう。
 「国家英雄」二人が揃って我が党を支援するとなれば、有権者も必ず振り向いてくれる。
 正義はヴィヴァ=ワン総統と共にアリ、と納得してくれるに違いない。
 どうかね、進捗状況は。」

 この件に関しては、ほんとうに進捗状況を問われている。
 なにせ今年正月の決起大会の時分から、計画を進めてきたのだから。

 だがヒィキタイタン、未だ親友に話を持ち込んではいない。
 ただ協力者として情報を伝えてくれる眼鏡の臨時事務員嬢の感触は、わるくない、だ。
 マキアリイ本人としては総統の我がままに付き合わされるのは毎度の事。
 既に諦観の域にある。

「私自身がベイスラの事務所を訪れて頼めば、おそらくは引き受けてくれるでしょう。
 ですが彼に覚悟を促すには、私一人では心もとないかもしれません。
 ベイスラ県選出の議員と共に訪れて懇請すれば確実かと。」

「うむ、友情だけに頼るのは危ういか。さもありなん。
 総裁、アンマナカ君に同行してもらうのがよいと考えます。」
「彼はノゲ・ベイスラ特別市選出だったな。
 よかろう。二人して必ず英雄を引っ張り出すのだ。」

 

     ***** 

 まあこんなわけで、マキアリイ事務所の土下座までもが計画の内なのだ。

 困ったマキアリイはクワンパの顔を見る。
 俺、どうしよう。

「所長。こう言ってはなんですが現在ヴィヴァ=ワン閣下がお悩みの問題の大半は、
 所長が解決した事件のせいだと思うんですよね。」
「おう……、」
「特に「闇御前」なんか捕まえちゃったら、政権の一個二個ぶっ飛んでも仕方ない。
 なんとかする責任てものが、所長には有るんじゃないですかね。」

「そ、そのとおりだ!
 いや事は政治の問題の、不正を長年放置した我々の罪なのは重々承知するのだが、
 それでもなんでもかんでも一気に表面化してしまった恨みは、我ら政治家の間にもある。
 マキアリイ君、頼む。
 これも事態収拾の一環として君が解決してもらえないだろうか。」

 アンマナカ議員、さすがにヒィキタイタンと違って泥水を啜ってきた叩き上げの政治家だ。
 何時でも好きな時に涙を流すことが出来る。
 こういう真似、こういう台詞を自分では吐けないからこそ、ヒィキタイタンは先輩議員の同道を願った。
 だが自身でも追い詰める。

「マキアリイ、これは言いたくなかったが、君がこれまでに解決してきた政官界・軍絡みの大事件は、
 一般の法律の枠内では解決できないものも多かった。
 その度にヴィヴァ=ワン閣下にお願いして、総統裁可の特別措置として処理してもらった事も二度や三度ではない。
 もし「ウェゲ会」が野党に転落して政権を手放してしまったら、
 これまで通りに君を守れなくなるかもしれない。

 よくも悪くも僕達は、ヴィヴァ=ワン総統という船に乗っているんだ。」

 

 戸惑う所長を他所に、クワンパは壁に貼り付けていた暦を引っ剥がしてくる。
 応接椅子の前の低い卓の上に広げて、赤鉛筆を構える。

「えーと、選挙戦は8月1日から始まるんですね」
「おお、助けてくれるのか!」
「アンマナカさん、クワンパさんはマキアリイ以上に胆の座った女の子なんです」
「おおこれは有り難い」

「おいおいクワンパ、勝手に決めるな」
「そうは言っても所長、やらないという選択肢は無いんですよね。
 ですが、これだけはお約束いただきたいのです。

 所長ヱメコフ・マキアリイの選挙協力は、首都ルルント・タンガラム内に限る。
 地方遊説なんかには行かない。
 首都のみ、ヴィヴァ=ワン総統とヒィキタイタンさまの応援のみに限ると」

 アンマナカとヒィキタイタンは顔を見合わせる。
 さすがは知性に定評のあるクワンパさんだ。
 一度マキアリイを引っ張り出せば、全国行脚も流れでやりかねないと分かってらっしゃる。

「首都、だけかね、」
「首都ならば報道放送の取材の本拠地で、全国に発信できるでしょう。
 地方回りをするよりもはるかに効果的です」
「う、うむ。確かに」

「ヱメコフ・マキアリイの一般市民に与える影響についても考慮しなければなりません。
 所長が「ウェゲ会」支持だと世間に表明するのは、いかにも愚策。
 不偏不党の正義の味方の印象を悪くします」
「おお」
「さすがはクワンパさんだ。
 確かにあまり選挙に肩入れし過ぎると、これからのマキアリイの活動が窮屈になるかもしれない」

「あくまでもヒィキタイタンさまの応援で、ヴィヴァ=ワン閣下には義理でお付き合いしている。
 そういう感じを演出すべきだと思います。
 単に人寄せの芸能人として扱ってもらいたい、その程度を期待するわけです」
「なるほど」

 マキアリイ、背後に立ってクワンパの背を見つめる。
 18才になったばかりというのに、なんという頼もしさ。
 カニ巫女とは違う分野において彼女は適性を持つ。
 なんだったら広告代理店にでも勤めたらよいのではないか。

 

     ***** 

 ソグヴィタル・ヒィキタイタン議員とアンマナカ・シーモン議員はマキアリイ事務所を後にする。

 クワンパとの取り決めで、ヒィキタイタン以外の議員の応援演説はしないと決まったが、
アンマナカ氏には特別にマキアリイと二人で並ぶ写真を選挙戦で用いてよいとした。
 同行していた写真家が、ヒィキタイタンと3人で、またマキアリイと2人だけの写真を撮っていく。

 アンマナカ氏にとってはこれ以上を望めない好遇だ。
 マキアリイ応援団として訴えかければ、選挙戦でも優位に立てよう。
 ひたすらにクワンパに礼を言う。

 二人が去って、マキアリイは愚痴った。

「おまえ、いつからそんな技能を身に付けた?」
「所長がぼやぼやしているから勝手にこんな風になりました。自分でもびっくりです」

 さてと、先ほど皆で確認した予定を見直した。
 8月の暦の上には赤鉛筆の線が何本も引かれる。

「8月1日から選挙戦ですが、所長は2日目のヴィヴァ=ワン総統街頭出陣式から出番です。
 1日の夜には首都に到着していなければなりません。

 あとはもう流れですけどね、投票日直前にはもう所長は居ない方がいいでしょう。
 選挙期間は12日ですよね。1週間(9日間)で私達は撤退しましょう」
「最後の追い込みの方が効くんじゃないのか?」

「いえいえ、ここから先は血の雨が降ると聞いています。所長が現場に居たら大乱闘発生ですよ」
「うーん、否定できない……」

 

 タンガラム民衆協和国国家総議会議員選挙の本選挙は8月に行われるのが通例。
 8月1日から選挙戦に突入し、その2回目の公休日が投票となる。
 タンガラムの暦では8月1日は常に週の6日目になるので、選挙運動の期間は12日だ。

 真夏の最も暑い時期であり、また天河十二神になぞらえて「炎熱の巡礼」とも呼ぶ。
 実際交通機関が今ほど発達していなかった昔は、和猪車に乗って議員は地方回りをしたという。

 クワンパ、顔を上げて所長に問う。

「たしか刑事探偵って、選挙の時お仕事ありますよね?」
「おう。投票箱の警備は刑事探偵と昔から決まっている」

 「民衆協和主義」においては、一般民衆選挙こそが命。
 選挙運動自体はさまざまな妨害や買収・不正が横行するが、
投票日、投票行動に関しては絶対の公正さが保たれねばならない。

 軍や官僚には任せられないから、民間人の「刑事探偵」が執行拳銃の貸与を受け、
投票箱を死守し集計所まで運び、集計活動を監視する仕組みとなっている。

「ですが9日間も業務を休むとなると、またカオ・ガラクさん達にお願いするしかありませんね」
「仕方ないなあ」
「いっそカオさんに副所長になってもらったらどうです?
 いちいち手伝いなんて不確かな関係は、税務申告の際にも困りますよ」

「だがそうなると給料払わないといけないぞ」
「ああそうですね。
 そうだ、「ヱメコフ・マキアリイ刑事探偵組合」に替えてしまうのはどうです?
 カオさんには「組合長」になってもらって」
「ふうむ、一案だな」

 

 電話が鳴った。
 映画会社のヒトだった。

「あ、エンゲイラ光画芸術社さんですかいつもお世話になっております。
 衣装部? あ、はいはい先日のアレですね。その事に関してちょっと急ぐ用事が出来まして、
 はい例の、やっぱり例のようになりました。
 はいそれでは首都で受け取り? はいお待ちしております」

「なんだクワンパ、映画会社と何してる」
「何と言われましても、「英雄探偵マキアリイ」でしょ」
「まさかお前に直接監修を頼みに来たのか」
「まさかあ」
「だよな」

 頭を掻いて引き下がるマキアリイの背に、クワンパはふふふと無音で笑う。
 衣装部ですよ所長。乞うご期待。

 

     ***** 

 ヒィキタイタンはせっかくベイスラに来たのだから、と選挙戦直前の人気取りをさせられてしまった。
 これも王子様議員の宿命。
 クワンパから連絡を受けたカタツムリ巫女ヰメラームは、電話口でありがとうと何度も繰り返した。

 

 巫女寮に帰ると、大家のサファメルと寮監カーハマイサが難しい顔で考え込んでいる。

「どうしました」
「ああクワンパさんお帰りなさい。
 ユミネイトさんがこちらに間借りしたいというのを、どうしたものかと」
「いやなら断っちゃっていいんですよ。
 どうせお金持ちなんだから自分で家くらい買います」

「でもウチで暮らしたいのは、特殊な事情がおありなのではないかしら」

 サファメルは頬に手を当てて困惑する。
 マキアリイを悩殺する美しいヒトだから、憂い顔も風情がある。

「ヱメコフ・マキアリイの近くに居たら面白い大事件が起きるのではないかと考えてるんです」
「もう起こってますよ」

 先日巫女寮が大騒ぎとなったばかりだ。
 ユミネイトが一緒に住むとなれば、また大騒動確定だ。

 クワンパは、なんとなくユミネイトの気持ちが分かる。

「私がユミネイトさんと話した限りの印象ですけどね、
 あのひとはたぶん、ゥアム帝国ではあんまり幸せではなかったですね。
 神経の休まらない日々だったと思います」

「それはカニ巫女の見る目ですか」
「ええ。だから故郷に帰ってきたら思う存分人に優しくしてあげたいと思ってるんでしょう」
「素敵ですね」

 と無邪気に喜ぶ大家さんに、さてそれはとカニ巫女首を傾げる。

「優しさは、裏返るととんでもない残忍さになりますからねえ」
「なるほど優しさの使い方を知らないのですか。それは学習せねばなりませんね」

 カーハマイサさんは元中学校の教諭だ。
 幼い頃に体験を十分しないまま大人になって、欠けた心を知らずに振り回す人は居る。
 教育者として手腕を用いる時だろう。

「わかりましたクワンパさん。グリン巫女寮はユミネイトさんを快く迎えましょう」
「……。安心です」

 ユミネイトもまさか、自分を叱ろうとする人がベイスラに待ち構えているとは思うまい。

 

 

 次の日。
 マキアリイ事務所にさっそく総統府より護衛が派遣されてきた。
 ネイミイと一緒にマキアリイ不在時の相談していたクワンパも閉口する。

「総統府より派遣されました巡邏軍要人警護隊のカズツン兵曹であります」
「同じくネマス上兵であります」
「クワンパさんの警護を命じられたマルスミ・アダ正兵です」

 ご丁寧に女性兵士まで派遣される。
 ネイミイが応じる。

「ご苦労さまです。所長は市内各所で諸々の折衝中です。
 なにしろ世間で大人気の「英雄探偵」が政権与党の応援をするってので、反発する向きも多くてですね。
 特に野党側の人間が卑怯だとか大騒ぎですよ」
「ヱメコフ掌令のご苦労に恐れ入ります。
 ですがこれも公務でありますので」

「公務なんだあ。」

 軍の公務なら命令を出せばいいところ、親友のヒィキタイタンに土下座までさせて頼んでくるのだ。
 ヴィヴァ=ワン総統もエグい事してくれる。

 クワンパ尋ねる。

「護衛と言っても、所長がめったな事では死なないとご存知でしょう。
 ほんとうは何をしに来たんですか」
「はい。我々はヱメコフ掌令が首都に到着されるまでに、
 別の事件にクビを突っ込んで道草されないよう阻止する為に参りました」
「よく分かってらっしゃる」

 ネイミイも呆れる。なるほどマキアリイの信頼度はばつぐんだ。

 

     ***** 

 8月1日。選挙戦突入。

 既に地方の政治家は地元に戻って出陣の第一声を上げるが、
国家総統ヴィヴァ=ワン・ラムダは首都に留まり全国の戦略を指揮せねばならない。
 もちろん国会が空の現在、行政を取り仕切る内閣大臣領の責務は重い。
 自らの選挙区に顔を出せないスミプトラァタ氏は大変だ。彼はあまり選挙は強くない。

 だからこそ首都の報道陣に対して常に話題を提供し、全土に存在感を与える必要がある。
 マキアリイを応援に駆り出すのもその為だ。

 

 今回の選挙はいつもと違って「総選挙」と呼ばれる。
 国家総議会の議員選挙は5年に一回だが、今回は議長選挙も同時に行われる。

 タンガラムにおいては、国家総議会議長は有権者の直接投票による選出となる。
 国家元首である「総統」が国会議員の投票による間接選挙であるのと対称的だ。
 これは民衆協和制に基づく議会制度を200年続けてきた政治の知恵による。

 そもそもが議会制度というものは、論がまとまらず紛糾し只徒に時間を費やして何事も決められないのが通例だ。
 タンガラムの民衆誰も国会にまともな論争を期待しない。
 だからこそ腕力勝負、議会勢力で最多数を誇る者に国家元首を任せるのだ。

 しかしながらまとまらない議会を放置も出来ない。
 そこで国民から直接に選ばれた議長に強い権限を与えて、強引にでも議会運営を進めていく。
 議会を解散する権限は国家総統には無く、議長が持つ。
 あまりにも論議を妨害する議員や政党に対しては、登院禁止の処罰を単独で決定する事も出来る。

 もし国家総統が執務不能に陥った場合、
指揮権の継承順位はまず内閣大臣領、次が国家総議会議長だ。

 それほどの権限を持つから、議長をどこの政党が出すかは国家運営の極めて大きな鍵となる。
 たとえ国家総統を出したとしても、議長を他の政党に取られては
思い通りの政策決定が出来ない。

 国家総議会議長選挙は4年に一度。
 20年に一度議員選挙とかち合う「総選挙」は、天下分け目の大勝負だ。

 

 マキアリイとクワンパの出番は、8月2日ヴィヴァ=ワン総統街頭演説第一声の現場だ。
 ここでの有権者の反応が選挙の行方を占う重要な指標となる。
 だからこその国家英雄、英雄探偵の応援だ。
 ヒィキタイタンマキアリイの二人が揃えば、興味の無い人でも寄ってくる。

 というわけで船でゆっくりルルント・タンガラムまで行ってもよいのだが、
総統府の護衛により二人は「旅客飛行機」を強要された。
 10人乗りの旅客機は目の玉が飛び出るほど運賃が高価く、財閥やら富豪やらの専用だ。
 もちろんクワンパ乗ったことが無い。

「所長、どうせならいつものボロ飛行機に乗りたかったです」
「だよなあ、あっちの方が気が楽だよな」

 そんな気ままをさせるわけにはいかない。

 マキアリイには内緒だが、首都に着いたら財界主催の大宴会に放り込まれる予定なのだ。
 総選挙に際して財界の協力を取り付ける重要な舞台。
 マキアリイの持つ訴求力にヴィヴァ=ワン総統大いに期待する。

 

     ***** 

 8月1日早朝。
 マキアリイ事務所に出勤したクワンパは、事務所前で郵便配達人に会った。
 郵便受けに突っ込まれる事務所宛封書葉書をごっそり抱えて階段を上がっていく。

 事務所には既に旅装のマキアリイ所長と総統府の護衛、ついでにネイミイまで居る。
 クワンパも今回はカニ巫女見習い衣装だ。最小限の荷物を布鞄に入れて肩から下げる。

 何事も無ければ車を回して直ちに飛行機発着場に向かうのだが、
事務机に郵便物を広げてみると、「ハマヴィ」が有った。

 「ヱメコフ・マキアリイ刑事探偵事務所」宛の郵便物は郵便局で徹底的な検査を受ける。
 毒物劇物爆発物生物兵器までもが潜んでいるかもしれない。
 ただよく知る人ならば「ハマヴィ映画興行社」宛で送ってくる。
 業務の迅速化の為の秘密の宛先、世を忍ぶ仮の姿だ。

 ただし、

「ハマヴィ映画興行社ヱメコフ・マキアリイ様、宛ですね」
「ふうーん」

 マキアリイの姓名を隠すための「ハマヴィ」だ。これではまったく意味が無い。
 悪意、を感じた。

 クワンパ、ネイミイに襟をちょこちょこ引っ張られ整えられている所長に宣言する。
 護衛は嫌な顔をするがお構いなしだ。

「開封処理をします」
「おう」

 不審な封書・荷物の検査はカニ巫女事務員の職務。
 慎重に解体を進めていく。
 現れたのは、以前にも遭遇した赤と黒の毒々しい配色の古代の文様。
 魔法の手紙。

”警告 
 草の端より足無きトカゲが脛を喰み目覚めぬ眠りに誘われる 
 悪にはあらじ 悪より庇う闇の慈悲なり
 お厭いになられるな”

 

「警告、とあるのは「ご招待」という意味でしょうかね」
「もう一枚あるな。紙の、カルタか」

 カルタとは遊戯や占いに用いられる薄い札を意味する。
 救世主「ヤヤチャ」が伝えた星の世界の言葉だ。

「占い札ですね。人界札1の朝、”旅立ち”です」

 描かれるのは、若い男性が家を出て長い旅に挑む姿。始まりを意味する最初の1枚だ。
 これより首都に向かおうとする二人には、ふさわしい札ではある。
 まるですごろくの一コマ目みたいだ。

 護衛の隊長カズツン兵曹はマキアリイに尋ねる。

「不審物ですか?」
「紛うこと無く」
「ではこちらで処理させていただきます」

 事務所の電話を取り上げて連絡すると、数分も待たずに警察局の捜査官一行が飛び込んできた。
 件の封書を押収する。
 手筈どおりという事だ。

「以後は警察局が捜査しますので、ヱメコフ掌令はお気になさらぬように」

 

 マキアリイとクワンパは残念に思う。
 たぶんあの手紙の先には大事件が繋がっているはず。
 どんな血みどろの惨劇であろうとも、首都で待つ馬鹿騒ぎに比べればよほど楽しかろう。

 逃げ損なった。無念だ。

 

 

第二十五話その2「燃える夏選挙」

 首都ルルント・タンガラムの水上機発着場の桟橋に降り立ち、待合の建物から外に出た瞬間、
取材の記者に囲まれた。
 ぱしゃぱしゃと轟く写真機の音。真夏の陽光があるのに照明炊いて目が眩む。
 そして突き出される光学録音機。

「マキアリイさん、
 今回の総選挙で政権与党の応援に乗り出すのは、政界への転身を考えてのことですか?」

 さすがに想定外の質問だ。マキアリイ渋面を作る。
 否定するのは容易いし、随行する警備に排除させてもいいのだが、
あえてクワンパを前に押し出す。
 何の準備も心づもりも無しに記者達の前に立たされた事務員は、

「あー所長のヱメコフ・マキアリイの政治家への転身は、
 タンガラム方台の悪を全部逮捕しちゃった後になります。当分無理ですね」

「ではあくまでも刑事探偵として正義のために闘うと?」
「政治は所長の盟友ヒィキタイタン様がよほど上手くにやってくれます。
 今回はそのお手伝いということです。以上!」

 続いて記者達は「ヴィヴァ=ワン総統が」「闇御前の裁判が」と口々に叫ぶが、
警備の巡邏兵達が押し退けて、迎えの自動車までの道を開く。
 乗り込む直前にマキアリイはクワンパの肩に手を置いた。

「よく言った」
「あれでいいですよね」
「完全に否定するよりも考えオチにさせとく方が上さ。頭いいな」
「ども」

 

 迎えは賃走自動車が2両に、自動二輪の巡邏兵が先導する。
 並の議員の移動より高待遇だが、常に悪の魔手に狙われるマキアリイとしては手薄。
 二人と同乗した女性の警備兵は車窓の外をしきりに警戒する。

 後席に二人並ぶ所長と事務員。相変わらずカニ巫女棒の載せ方は無茶だ。
 マキアリイが尋ねる。

「これからヴィヴァ=ワン総統にご挨拶かい」
「一度「ウェゲ会」事務会館には向かいますが、総統閣下とはお会いになれないでしょう。
 大臣領閣下と中央司令軍将軍閣下とご面会になり、辞令をいただく事になります」
「ああ公務でな」

 最初からそうすれば面倒も無いのに、
あくまでも自発的にマキアリイが選挙応援に協力する形を取りたがる。

 ちなみに「刑事探偵」は国家資格を持つ民間人ではあるが、資格取得に捜査官・捜査員の実務経験が必要だ。
 警察局や巡邏軍の経験者は、国家の非常時には徴用されて内閣大臣領の指揮下に入る。
 マキアリイも無縁というわけではない。

 

「あれは?」

 前席の女性警備兵が注目するのは、にわかに接近する軍用自動二輪。側車は付いていない。
 運転者は革ツナギを着て顔まで覆う防護兜を被る。
 右手にゥアム製の高性能写真機を持って、すれ違いざまに車窓から覗くマキアリイを撮影して行った。
 先導する二輪の巡邏兵が気付いて、直ちに追い払う。

「女だな」
「すごい格好でしたね。胸なんか大きくて、あんな派手な」
「並の新聞記者じゃないな。何者だ」

 

     ***** 

 実を言うと、国家総統に会うよりも内閣大臣領に会う方が難しい。

 総統は最初から政治的頂点として選ばれる存在だ。不偏不党はあり得ない。
 しかし大臣領は行政の長として中立公正を保つ義務がある。
 下手に癒着などを疑われないために、訪問面談等はかなり制限される。

 今回マキアリイが呼ばれたのは、大臣領スミプトラァタ・ドリィヒの焦りの現れだ。
 彼はヴィヴァ=ワン総統あっての存在と自らを位置づけており、自身の政治生命も危ういと心得る。

 実務能力には定評があっても人望が無く、派閥を率いていく事ができない。
 そんな人材だ。

「いやあよく来てくれたねマキアリイ君。クワンパさんも、無理を言って済まなかった」
「いえこれも国家の安寧の為を思って、微力ながらお手伝いさせていただきます」
「うんうん、ありがとう。ありがとう」

 クワンパが見るところ、スミプトラァタ氏はただの老境に足を突っ込んだおじさんである。
 10年近く大臣領を努めていればそれなりの威厳などがにじみ出ると、普通は考えるのだが、そうなのだ。
 外見上に人を惹き付けるものが無い。

 それは本人も自覚して、若い頃からたいへんな努力で頑張っていた。
 実務のみならず弁論術も達人の域だ。
 正論を吐かせたらタンガラム随一、またその正論を政策として実現してしまう手腕もある。
 にもかかわらず、という残念さだ。

 

「ヱメコフ掌令、本来は軍人の任ではないのだが国防に資するものと心得て頑張ってもらいたい」
「はっ。恐縮であります」

 中央司令軍総司令官 コタマ・スリンクタ「大将軍」だ。
 55才。マキアリイと並ぶほどの長身で、軍服にいくつも並ぶ記章がキラキラと眩しい。
 マキアリイは普段どおりの服装で、
それでも首都で偉いさんに会うから一張羅を質屋から請け出して着ているのだが、少し気恥ずかしく思う。

 タンガラムにおいては、
戦争の企画・作戦など最上位の意思決定に当たる高位の軍人は「政治家」として理解されている。

 「軍部」とは実働部隊を率いる指揮官までを言い、各方面軍を預かる「統監」が最高位だ。
 そして「軍部」の武力による社会変革と新体制樹立を国権の一つと見なす。
 「政権」「法権」「軍権」の三権分立だ。

  「大将軍」は国家総統の直接の指導を受けて軍事力を運用する大臣に相当する。
 「内閣大臣領」と同格だ。

 マキアリイとクワンパはつまり、国家中枢の最高指揮官二人と対面していた。

 さてそのコタマ大将軍。マキアリイの事をあまり好いてはいない。
 当然である。もう3年前、カニ巫女事務員「ザイリナ」の頃の話。
 マキアリイは軍の兵器納入にまつわる大規模汚職事件を摘発してしまった。

 線路に縛り付けられた兵器産業の社長令嬢を救出するマキアリイを援護するために、
ザイリナは迫りくる貨物列車を脱線転覆させる大活躍を見せた。
 その損害賠償は、巡り巡って中央司令軍が負担した。
 只でさえ汚職発覚で面目丸つぶれであるのに、さらなる追い打ち。

 「政治家」である大将軍も国会に召喚されて野党議員からさんざんに叩かれた。
 政権与党「ウェゲ(真人)議政同志會」現在の苦境を招いた一因ともなっている。
 で、その直後に、
「闇御前」バハンモン・ジゥタロウの殺人教唆による逮捕の衝撃。
 彼が実質的に全権を掌握する「海外派遣軍」戦費調達機構が白日の下に曝される。
 もちろん「軍」関係の事案だ。

 「ウェゲ会」が与党から転落して政権交代となれば、
10年前の「潜水艦事件」から続く一連の醜聞・汚職・秘密工作その他諸々の事情が大暴露される。
 大将軍も失職必至、刑事訴追の対象にもなってしまうだろう。

 これすべてヱメコフ・マキアリイの仕業と呼んで過言ではない。
 そんな野郎に政権の命運を託すとは……。

 

     ***** 

「マキアリイ君、実は君に会ってもらいたい人物が居るんだ。
 そちらの方が本題と言った方がよいかもしれない」

 そして隣室への扉が開かれ、「彼」が姿を見せる。
 白髪の老人ではあるが眼差しは厳しい。だが不寛容の印象は持たない。

 マキアリイもおおと表情を変える。クワンパも息を呑んだ。
 有名人だ。
 大将軍が直々に紹介する。

「陸軍首都近衛兵団統監を務められた アンクルガイザー・オーガストさんだ。
 今回「ウェゲ会」が推薦する国家総議会議長候補だ」

 元軍人が相手であるから、マキアリイも敬礼する。
 彼は小さく会釈した。

 アンクルガイザー・オーガスト、70才。
 彼もまた「英雄」と呼ばれる。
 陸軍軍人として順当に昇進し、首都を直接に守る近衛兵団を任された英傑であるが、
彼が伝説的な軍人となったのもまた「潜水艦事件」に絡んでだ。

 「潜水艦事件」当時の国家総統はアテルゲ・エンドラゴ。
 彼は「闇御前」組織との密接な連携によって政権運営を有利に進めていた。
 しかし「潜水艦事件」の勃発と「闇御前」組織の暗躍が明るみに出て、総統の責任も追及される。
 焦ったアテルゲは、事件の責任をイローエント南海軍統監「クリペン・サワハーァド」に押し付け罷免した。

 これを承服出来なかったのは南海軍だけではない。
 「闇御前」組織は海外でも盛んに工作活動を展開し、「海外派遣軍」は多大なる負担と犠牲を強いられている。
 シンデロゲン東海軍、ミアカプティ西海軍・トロントロンド内海軍、さらには湖上水軍に至るまで海軍将校が一斉に抗議。
「海軍休日事件」と呼ばれる大規模な停止状態に陥った。

 この時、陸軍にも同調者が多数見られた。
 タンガラムにおいては、陸軍と海軍の仲は特に悪くない。
 140年前の「砂糖戦争」以来外敵の侵入は無く、内乱以外では陸軍も戦闘行動を行っていない。
 一方「海外派遣軍」では、ゥアム帝国シンドラ連合王国と非公式ながらも激烈な戦闘を行う。
 単に海上戦のみならず、上陸しての歩兵戦闘も繰り広げられる。
 陸戦隊は陸軍から兵員を抽出し派遣していた。
 つまりは同じ釜の飯を食った仲間である。

 だが陸軍の抗議活動は直接に政権転覆・新政体樹立運動に拡大しかねない。
 市民も固唾を呑んで成り行きを見守る中、
敢然と抗議活動への不参加を表明し、同時にアテルゲ総統への事態収拾要請を行ったのが
アンクルガイザー統監である。

 アテルゲは非を認め「潜水艦事件」でのクリペン統監の責任を不問とし、自らの退陣も表明。
 ヴィヴァ=ワン・ラムダが臨時に国家総統を務め、政権立て直しに動くのである。

 

 アンクルガイザー氏はマキアリイの手を取った。力強く握る。

「君がヱメコフ・マキアリイ君だね。一度会ってみたかった」
「恐縮です統監」
「今は君と同じ一民間人だ、それはよしてくれ」

 

 ここまで室内に居る人間誰も椅子に座っていない。
 大臣領スミプトラァタはせかせかと忙しく働く男で、立ち話で簡略に済ませてしまう癖を持つ。
 威厳が無いのはそんなところにも起因するのだろうが、
まあ悪い習慣ではない。

 以後の会話も立ったままだ。

 

     ***** 

 大臣領スミプトラァタが真の狙いを説明する。

「マキアリイ君、君は親友のソグヴィタル議員の応援をし、ついでにヴィヴァ=ワン総統を支援する事になっている。
 が、もう一人 アンクルガイザーさんの応援もしてもらえないだろうか。
 いや、国会議長選挙の方がとても重要なのだ」

「ヴィヴァ=ワン総統よりもですか」
「そうだ。議長選挙の方が重要だ。
 君も知っての通り我が党は、  言いにくいことだが非常に不利な情勢である。
 総統落選の危機すらあり、政権維持は非常に難しい。
 運良く与党に残れたとしても、連立相手に国家総統の座を譲るのが条件となるだろう」

「そこまで追い詰められていたのですか……」

「無論我々も無策で終わるつもりは無い。
 ここで重要なのが、どの党派が議長を出しているか。これが極めて大切なのだ。
 ヴィヴァ=ワン総統は「軽業師」とも呼ばれるほどに、政界の危ない橋をいくつも渡って来た。
 我が身を捨て死中に活を求めた事も一度ならず。
 今回も政権を失うことを前提で復活する手段を講じているはずだ。

 そこで、」
「なるほど、復活を果たす為には議長を抑えておくのが肝要という話ですね」
「そのとおり!

 議会運営は国民の直接投票で選ばれた議長に任される。
 波乱の中で行われる今回の選挙は、議会内の構成もバラバラに、まとまりの無いものとなるだろう。
 実務能力を打ち出して我が党が主導権を握るのはさほど難しい事ではない。
 だが議会運営が我が党に不利であれば、これは非常に困難と言わざるを得ない。

 議長こそ民衆協和制を堅持する鍵と呼べる存在なのだ」

 

 マキアリイもクワンパも知っている。
 国家総議会は常に怒号と混乱、暴力が頻繁に発生する修羅場である。
 刀槍鉄砲などで殺し合わず議会内で拳で語り合えよ、というのが「協和制」の真髄と言えた。
 だから「審判」の役には高潔にして指導力を備えた強い精神の持ち主が必要だ。

 退任する現議長ホアマレ氏も「ウェゲ会」推薦の元軍人だ。
 大剣令まで務め、軍人らしい果断で規律正しい議会運営にヴィヴァ=ワン体制は随分と助けられた。
 大波乱の10年を生き残れたのも議長のおかげとされる。

 

 マキアリイは、ひょっとクワンパの顔を見る。
 なんだ、と思ったが、つまりはこれやっていいのかな? と本人迷っているのだ。
 未成年にそんなこと聞くなよ、とは思うのだが、
 クワンパ質問する。

「あの、でもアンクルガイザーさんほどの有名人であれば、普通に当選しませんか?」
「そこだ! 難しいのはそこなのだ」

 大臣領、一介のカニ巫女見習いをびしっと指差す。
 ちなみにクワンパ、特別措置としてカニ巫女棒の携行を許されている。
 なんかあったら大臣領でも大将軍でも叩いて見せる。

「アンクルガイザーさんは国民の信望も篤く知名度も抜群で、当選するだろうと誰もが思う。
 だが議長を「ウェゲ会」が握る有利は、野党もよく心得る。
 総統の息の根を止める為には議長の席を渡してはなるまいと、既に大々的に対抗措置を行っている。
 「ウェゲ会」推薦という点が逆にまずいのだ」
「はあ。」

「そこで議長選挙においては「ウェゲ会」の、ヴィヴァ=ワン総統の印象を排除したい。
 マキアリイ君、君に頼みたいのがまさにここだ!

 国家英雄として正義の権化として、日夜タンガラム民衆を悪の魔の手より救い続ける君の印象を、
 アンクルガイザーさんに重ねて有権者に訴えたいのだ。
 党利党略政治家の都合などの邪推から有権者の眼を逸し、
 ただタンガラムの未来の為の最善の選択をお願いしたいと考えている」

 

 クワンパ呆れてしまう。
 思わずアンクルガイザーの顔を見た。
 彼もまた論理の矛盾に苦笑するが、乗りかかった船だからしょうがない。
 そう、眼でカニ巫女に弁解している。

 

     ***** 

 大臣領大将軍そして国会議長候補の前から退出して、マキアリイとクワンパは首をぐるぐると回す。
 二人に随行する護衛もほっと息を吐き、また顔を引き締め直す。

「政治って、疲れますねえ所長」
「まったくだ。政界への転身は四方台の悪が全部滅びてからにしよう」

 そして腹が減った。
 案内の議員秘書に尋ねる。

「この近辺に安食堂はありませんかね」
「お食事ですか。そうですね、会館内に職員用の食堂があります。そこでよろしいでしょうか」
「はは、総統閣下御用達の料理店なんかでなければ、大歓迎です」

 彼はウェゲ会所属の議員秘書で名を「ハグワンド・ムシル」という。
 年齢はマキアリイと同じ、大学出だ。
 マキアリイが首都に居る間の一切を取り仕切るそうだ。
 与党「ウェゲ会」を「私的」に応援するのだから、総統府の官僚は用いない。

「議員秘書ということですが、どなたの下で働いているのですか」
「無任所、という感じになりますね。
 いえちゃんと議員が居たのですが、雲行きが怪しいもので早々にウェゲ会を離脱しまして、
 私はあっさりクビですよハハハ」

 軽く流すが、選挙大敗北議席激減政権転落となれば、失職する議員秘書も大量発生する。
 その先駆けと言えよう。

 

 ベイスラから付いてきた警備の巡邏兵3人も飲食していない。
 マキアリイこれでも「掌令」、軍の士官であるから隊の運用は考える。
 彼らにも息抜きの時間は必要だ。

 政権与党の本拠地の食堂だから、なんとなくすごい感じがする。
 ワクワクしながら案内されて向かうが、断念した。

 凄まじい人と熱気。
 選挙中枢として会館は始終人が出入りし、食堂も全力で回転している。
 弁当も作っているらしい。近隣の運動員に配達する。

「あ! ヱメコフ・マキアリイさんだ!」

 誰かが叫んで、無数の人が注目する。
 今回「ウェゲ会」の応援にマキアリイが加勢するのは、周知の事実となっていた。
 職員運動員達は一気に盛り上がり英雄の名を叫び、国歌まで歌い出す。
 決起集会の有様で、ほうほうの体で逃げ出すしか無かった。

 ハグワンドは詫びる。

「申し訳有りません。議員御用達の料理店に案内すべきでした」
「いやいやもういいから。で、この先の予定は」
「10時(午後6時)より財界主催の選挙応援会が開かれます。こちらにお二人は出席していただく事になります」
「宴会、ですか」
「立食型の宴会ですが、ご出席になるのは有力支援者や財閥の方となられます。
 場合によっては総統閣下もお見えになる可能性もありまして、その際にはヱメコフさんにもご挨拶していただきます」

 マキアリイ、事務員に振り向く。ニタと笑うが自虐的。

「クワンパ、着いた早々「ザイリナ殺し」だ」
「ええー覚悟していますよ。そのくらい」

「財閥というなら、ヒィキタイタンも顔を出すかな」
「今回はありませんが、カドゥボクス財閥の総裁御夫妻はいらっしゃる予定です。
 ソグヴィタル議員の御妹のキーハラゥルさんがヱメコフさんをご案内してくださる予定になっています」
「お、ありがたい」

 ハグワンドは腕時計を見る。

「少し早いのですが、旅館にご案内しましょう。そちらでお食事も用意しておきます」
「おう」
「お願いします」

 

     *****  

 マキアリイ達は賃走自動車で移動するが、首都ルルント・タンガラムの交通の主役は路面電車。
 何路線も走っており、路面電車専用高架橋すら設置されて立体的に張り巡らされる。
 旅館の前にもちゃんと電停が存在する。

 車を降りたクワンパは驚いた。

「所長! 自動販売機です! 飲み物売ってます」
「びびるな。ベイスラにも有る」
「どこです、見たことありません」
「たしかあれは県庁の内部だ。裁判所にもあったな」

 クワンパが驚くのも無理はない。
 これは冷蔵自販機で、つまりは冷蔵庫が組み込まれている。
 金持ちの家以外は氷を買ってきて冷やすのに、それが路上に有るなんて。
 なんという未来都市!

 ハナト系列の豪華旅宿館は期待しなかったが、案内されたのは駅前旅館であった。
 商業客利用の系列旅館。ちょっとだけ豪華なところだ。
 零細刑事探偵事務所の所長が文句をつける筋合いは無い。

 案内人のハグワンドが説明する。

「国会議員と言いましても、そこまで高給をもらっているわけではありません。
 このくらいですねお泊りになるのは」
「ヒィキタイタンは例外か」
「あの方は財閥御曹司ですから」

 入り口待合に入ると、私服の巡邏兵が2名現れた。警護の3人と敬礼を交わす。
 先乗りして旅館の警備を行っていたのだ。そして3人と交代する。
 なにせ英雄探偵マキアリイさまだ。
 恨みを抱く犯罪勢力が爆破工作を行ってもなんの不思議もない。

 交代した護衛と指定の部屋まで行くと、扉前に軍服巡邏兵まで立っている。
 マキアリイは気になってハグワンドに尋ねた。

「ひょっとして、旅館の客を俺の為に追い出したりしたんじゃ、」
「警備の万全を考えるとそれが望ましいのですが、この旅館は議員関係者も多数宿泊しています。
 他に追い出す事も出来ず、全館警備増強です」
「おう、なるほど祭りだからな」

 もちろん国会議員はそれぞれ地方の選挙区に戻る。タンガラム全土で大祭だ。
 それでも首都での選挙戦は直接に政権の行方に結びつく。
 報道の注目も熱い。
 人海戦術こそが最良の方策で、動く資金と物資・人員で収拾のつかない状態となる。

 巡邏軍だって、ほんとうはマキアリイの警護どころではない。
 と言ってみると、ハグワンドはそれは違うと反論する。

「ありていに言いますとヴィヴァ=ワン閣下は、今回の選挙戦においてマキアリイさん独自の大活躍を期待しております」
「事件起こせとな?」
「それも長編映画になる派手なものを。
 閣下は今回総選挙こそ大作映画にふさわしい題材だと、ご自身も主要配役として登場するのをお望みです」

 軽い! それが一国の指導者の台詞だろうか。
 クワンパと顔を見合わせるが、しかしヴィヴァ=ワンの希望はきっと叶えられるだろう。
 なにせ「英雄探偵マキアリイ」の物語だ。

 

 室内には若い女給仕まで待っていた。が、視線が違う。
 旅館の従業員ではなく警護の女性兵士だ。
 思わずマキアリイは抗議する。

「ここまでやるかあ」
「今回は事前の調査で女性兵士を給仕につけても大丈夫と判断しました。お許しください」
「前ならダメだったのかよ」
「はい。シャヤユートさんなら叩き出すがクワンパさんなら許容すると、総統府の分析官が判断しました」
「あ〜。」

 クワンパは自分のことながら納得した。
 なるほど師姉ならばただちに追い出したなー。自分は甘いか。

 

     *****  

 南海イローエント市での「「潜水艦事件」十周年記念式典」の経験で理解した。
 宴会の主賓となる者は、会場にどんな御馳走が用意されていようがほとんど食べられない。
 だから始まる前に食っておくのだ。

 旅館の食堂に出向くのも警備上面倒だから、部屋に料理を届けさせる。
 もちろん調理段階から私服の巡邏兵が監視して安全を確保する。
 なんと毒味もするらしい。

「弁当、だな」
「ご不満ならば別に用意させますが、」
「いや結構。上等だよここの弁当は」

 薄い木の板の箱に入った弁当は、綺麗に美味しそうに盛り付けられる。
 何故弁当かは言わずもがな、移動中でも食べられるようにだ。
 それほどマキアリイは引っ張り回される予定になっている。

 クワンパは何も言わずに冷えたトナクの飯を箸で口に運ぶ。
 所長の不満はどうせまたアレだ。高級弁当には入らないものだから。

「クワンパ、後でお使いを頼めるか」
「ゲルタを買ってくるんですね、自前で」
「燻製ゲルタにしてくれ。あれなら何時でも食える」

 燻製ゲルタとは、ただでさえ硬い塩ゲルタを更に燻製にしたものだ。鋼鉄板の強度を誇る。
 戦場で兵士が口寂しさを紛らわせる嗜好品として用いられる。
 あまりの頑強さでゲルタが砲弾の破片を防いでくれた、などの伝説がまことしやかに語られる。

 

 部屋の外の警備が、中の責任者を呼び出し耳打ちする。
 責任者はクワンパに尋ねた。

「映画会社の社員がお届け物があると伝えてきたのですが、心当たりありますか」
「ああ! ちゃんと来ましたね」
「おお、アレですか。それは総統府でも了承している案件です。通してください」

 案内人ハグワンドも承知する。
 「国家英雄ヱメコフ・マキアリイ」の印象戦略は国家の、ヴィヴァ=ワン総統の重大事でもあるからだ。
 二人の英雄を並べて写真を撮らせる事で、彼がどれだけ国民に支持されてきたか。
 届け物がマキアリイが滞在する旅館に直行できたのも、特別の許可による。

 英雄は尋ねる。

「何だクワンパ」
「首都で世間様の前に姿を晒して写真や映画に写るんですよ。衣装が無くてどうしますか」
「お、そうか。お前の分は?」
「カニ巫女はカニ巫女装束でじゅうぶんです」

 衣装部の人で、肩から大きな衣装鞄をぶら下げていた。
 クワンパを見て、その先に弁当を食うマキアリイを見て大いに喜ぶ。

「ああっ本物のマキアリイだ! これは、失礼。
 初めてお目にかかります。エンゲイラ光画芸術社衣装部のマクロムと申します。
 クワンパさんからご依頼のあった「ヱメコフ・マキアリイの衣装」をお届けに上がりました」
「ごくろうさまです」

「なんだそれ、映画の衣装なのか」
「所長、今回は営業のお仕事と考えてください。
 映画のグェンヌさんと同じ格好をする事で、有権者に与える好印象がぐっと上がるんです」
「お、おお」

 自信を持って言われると、あまり服飾に興味の無いマキアリイは引き下がらざるを得ない。
 マクロムが持ち込んだのは3着。いずれも同型だが、ちょっとずつ色味が違う。

「自由王国とサクレイの衣装部と相談して、それぞれに少しずつ差異を付けようと決まりました。
 特にサクレイは白黒映像の伝視館放送が多いので、明暗がはっきりと出る配色にしています。
 逆に自由王国は天然色映像にこだわりがあるので、抑えた色調となります」
(自由映像王国社、サクレイ映画芸術社)

 マキアリイもどんなものかと首を伸ばし、給仕役の女兵士も視線を向ける。
 現れたのは形こそ同じ男性物の……、
 マキアリイは素直に感想を述べた。

「俺がいつも着ている服と似てるな」
「当たり前です。いつも古着で買ってくるでしょ、それを参考に決めたんですから」
「古着、みたいだな」
「古着みたいにわざわざ作ってもらったんですよ。
 これから映画の「マキアリイ」はいつもこれを着る事になります」
「そういうものか」

 とはいえ真夏で暑い。上着など羽織ることさえ苦痛となる。
 当然にマクロムは夏服も用意していた。これは三社合同の形となる。
 マキアリイも納得。

「首に紺色の紐が付いているのはなんだ?」
「ゥアム帝国の風習でネクタイというものです。最近流行ってますよ」
「知らん」
「知っとってください」

「このネクタイも三社それぞれで柄が異なります。サクレイのが一番派手ですね」
「ふむふむ。ネクタイはこちらで買ってもいいですよね?」
「そうですね、映画とまったく同じでなくてもいいと思います」

 

 事務員が熱心に打ち合わせをするのを、所長は他人事のように再び弁当に戻る。

 

     *****  

 財界上層部主催財閥大集合の豪華決起集会に、古着めいた映画衣装はさすがに着れない。
 用意された礼服を身にまとい、英雄とカニ巫女は乗り込んだ。
 クワンパは神殿から借りてきた「ちょっといいカニ巫女見習い衣装」だ。

 案内人ハグワンドは集会での行動を指示した。

「この集会は財界との癒着を疑われないように総議会議員は出席しません。
 国家総統のみが退任のご挨拶として姿を見せる慣習となっていますが、それ以外の方はお見えになりません」
「ヒィキタイタンもか?」
「ソグヴィタル議員は別です。あの方は元々こちらの会員ですから。

 そして注意していただきたいのが、現役でない元議員や長老の方は積極的にお見えになります。
 また政界の裏業師とか便利屋と呼ばれる怪しげな人物もクビを突っ込んできます。
 これらの方とのお話は極力避けていただきたいのです」

 つまりはヴィヴァ=ワン陣営以外とは繋がるなという話だ。
 クワンパは気になる点を尋ねた。

「「闇御前」関連の企業とか財団の人も来るでしょうか」
「ああ、それは!
 そもそもが経済界はがっちりと「組織」の統制機構に嵌め込まれているのですが、
 バハンモン先生直接の配下と呼べる団体の代表者は、今回どうでしょう?」

「向こうからは接触してこないだろ、そういう奴は」
「そうですね、マキアリイさんは仇ですからね。だいじょうぶでしょう。
 ですがくれぐれもご注意ください」

 「闇御前」バハンモン・ジゥタロウが作り上げた「海外派遣軍」戦費調達機構は、
非公認の統制経済と呼ぶべき体制となっている。
 本人は逮捕されたが機構は無傷で、経済界への統制力も変わらない。
 にも関わらず、政界は選挙への影響を考慮していない?

 ハグワンドが苦笑するような、危惧するような表情で教えてくれる。

「バハンモン先生は偉い御方で、「組織」が国政選挙に関与するのを固く禁じられていたのです。
 どのような政権となっても「組織」は揺るがないとの自信の現れではありますが、
 選挙の公正が損なわれては民衆協和制の根幹が成り立たないと自覚しておいででした」

「あの爺さんは実は民衆協和制の伝道者だと聞いた。この間息子さんから」
「第七政体崩壊時にひどい目に遭ったそうですからね」

 

 ヴィヴァワン総統の到着は半刻(約1時間)後になると聞く。
 それまでの繋ぎ、とマキアリイとクワンパは宴会場に突入した。

 クワンパはすぐに後悔する。
 イローエント市で参加した大歓迎会よりも、さらに大袈裟で派手なものだった。
 ただし、漂う空気は暖かくない。

 全館冷房が入る先進的豪華な会場であるのだが、集う人達は熱気を帯びる。
 絹の礼服や金銀宝石で飾っていても、まなざしは真剣。
 遊びで来てはいない。あれが彼らの戦闘服か。

 会場の司会が高らかに紹介する。

”国家英雄として、また刑事探偵として著名なヱメコフ・マキアリイ氏とカニ巫女クワンパさんが、今回の総選挙の応援に駆けつけてくださいました。
 皆様盛大な拍手でお迎えください”

 あ、なにかが違う。
 それまでは選挙関連で難しい話をしていた人達が、一斉に所長に振り返る。
 その目付きは有名人に対するものではなく、人物を値踏みするようでもなく、
望んでいた人がやっと来た、そんな感じだ。

 マキアリイは挨拶もほどほどに人の輪の中に入っていく。
 やむなくクワンパも付いていくが、
若い女性、比較的と呼ぶべきか20代半ばほどの独身女性の群れに囲まれる。
 ひったくられるように所長から切り離された。

 正面に立つ、お金持ちだから当然の赤い髪、豊かな胸の美人に詰め寄られる。

「クワンパさんならご存知ですわね。
 ソグヴィタル・ヒィキタイタンさまと、ユミネイト・トゥガ=レイ=セト様との恋愛関係はどの程度のものと推察されますか!」

 

 それか!

 

     *****  

 タンガラム民衆協和国の若い女性は現在、阿鼻叫喚の地獄絵図の真っ只中に居る。

 ソグヴィタル・ヒィキタイタン議員とゥアム神族令嬢ユミネイト・トゥガ=レイ=セトとの熱愛発覚の報道は、
電光よりも早くに方台全土を駆け抜けた。
 まず真っ先に死んだのは、巫女寮のカタツムリ巫女ヰメラーム。
 同様に、世を儚んだ女性達が次々に自殺未遂を繰り広げる。が、不思議とほんとに死んだ話は聞かない。

 どの人も分かっているのだ。
 ヒィキタイタンほどの美男に釣り合う女性は限られる。
 それが単なる財閥令嬢だったら、皆怒りで迎えただろう。

 ユミネイトは特別だ。
 彼女だけは例外、彼女のみがヒィキタイタンと恋を語り愛を成就する事を望まれる。
 なにせ「潜水艦事件」のヒロインなのだから。

 自殺が未遂で終わるのも、死ぬ前にお二人の結婚式の光景をその目に焼き付けねば、と思い直すからだ。
 では現在、恋愛模様はどのあたり?
 クワンパが問い詰められるのは、まさにそれ。

「あー〜、教えてあげません個人の秘密、私は部外者でありますから」
「そこをなんとかお願いします。事はタンガラムの将来を左右する、特別な関係なのです」
「そう言われてもですね」

 眼を遠くにやって所長を見るに、同じような質問攻めでおじさん達に詰め寄られているようだ。

 事は単に異国の美女との結婚に留まらない。
 ゥアム神族と言えばゥアム帝国の主権者にして国家元首に相当する存在だ。
 タンガラム人の有力者とその令嬢との結婚がなれば、両国交流の面でも、貿易に関しても大いなる飛躍が見られるだろう。
 歴史の分水嶺と呼べるほどの意味を持つ。
 選挙どころの騒ぎではない。

 

 再び令嬢達に視線を戻す。
 殺気、答えねばぶっ殺すぞ級の気迫がどの人からも感じられる。
 クワンパとしても気持ちは分かるから、無碍に断るのも気の毒だ。

「私が感じた、ユミネイトさんの人となりについては、お話しても良いと思います」
「そ、それです。それをお聞かせください!」

 そもそもが令嬢達はユミネイトがどんな人物であるか、ほとんど知らない。
 イローエント市を拠点とする銀行家の娘の子、令嬢に分類される人ではあるが、なにせ田舎だ。
 首都中央の社交界とは縁がない。
 またタンガラムに居た頃も、外部とはほとんど接触を持たずに育っている。
 ほんとうに「謎のお姫様」なのだ。

「聡明で、知に勝り感情に振り回されるヒトではありません。
 ただしとっつきにくくは無く、ざっくばらんに気軽に無鉄砲に話しかけてきます。
 これは多分、ゥアム帝国で抑圧されてきた反動でしょう。故国に帰って開放的な気分になってるからですね。
 ですからヒィキタイタンさまに対しても、」

「たいしても?」
「積極的、と表現してよいかと」

 令嬢達の表情が見る見る変わる。面白い。
 別の令嬢が叫ぶ。

「ではヒィキタイタンさまのご様子は!」
「それを聞きますか……。
 これは私見ですよ、私個人の意見ですからね。そこは理解してください」
「で、で?」
「ヒィキタイタンさまの方が積極的で、」

 もしこれが公の場でなければ、令嬢達はぎゃーと叫びを上げ卒倒しただろう。いい歳をして。
 切れ長の眼をした眼鏡の令嬢が、気丈にも更に食い下がる。

「御結婚は成立しそうだと感じますか?」
「ユミネイトさんはタンガラムに長居をするつもりです」

 決定的な情報であった。
 令嬢達はまるで屍人のように力無く去っていく。

 その後を襲うのが、20才前後の令嬢達。自分に近い10代の娘も居る。
 こちらはもう、好奇心爆発だ……。

 

     *****  

 クワンパはようやくマキアリイの所に戻ってきた。

「よう、無事か」
「もし私がシャヤユート姉なら、令嬢達をぶん殴って済ませたでしょう。
 己が不徳を残念に思います」
「シャヤユートでなくてほんとによかったよ」

  クワンパは、所長の目線が一つ所に留まっているのに気付く。

「なんですか? 知り合いですか」
「とんでもない人が来てるんだ。アテルゲ・エンドラゴ前総統だ」
「! 政界を引退されたのではなかったのですか?」
「ご子息がだね、なんか立候補しているらしくて」
「はあ、はあ」

「それで、そちらの成果は?」
「来年にかけて、財界では嫁き遅れの令嬢達が次々に結婚するでしょう」
「ほおー」

 

 ここで救いの女神降臨。

「マキアリイ、それにクワンパさんご苦労さま」
「おお、キハちゃんだ」
「あっキーハラゥルさん、助かります」

 マキアリイの「幻人祓い」の儀式とユミネイトの滞在で、彼女は何度も巫女寮を訪れた。
 ユミネイトがゥアムから持ち込んだ大量の衣類等は鉄道を使って一度首都のソグヴィタル家に届けられる。
 そこから必要分をキーハラゥルが持って来た。

「二人ともひどい目に遭わされたみたいだけど、わたしも同様。知り合いに小突き回されたわ」
「そりゃ当人の妹だからな。ご両親はどうだ」
「父も母もいい加減兄には片付いてもらいたいと思ってるから、大歓迎よ。
 そうでないとわたしも出ていく気が無いと、最近ずっとせっついていたものね」

 キーハラゥルは24才。財閥令嬢としてはとっくに政略結婚させられている年齢。
 特に兄ヒィキタイタンが政界で遊び呆けているから、その分を補って然るべき。
 だが両親揃ってぼーっと抜けた人で、娘にやりたい放題させている。

「ところでマキアリイ、誰か気になる人が居るの?」
「あれだ」

 と顔で示すのが前総統。
 ああと彼女も納得だ。

「挨拶に行けば? あのひとに勲章もらったでしょ」
「よせよ冗談は」

 「潜水艦事件」で拐われたユミネイトを救出して国家の名誉を守ったヒィキタイタンとマキアリイは、
国家総統アテルゲ・エンドラゴより「民衆協和国功労者章」を授与された。
 その式典会場に当然 キーハラゥルも両親も参列した。
 王家ソグヴィタル本家の総帥まで呼び出されたほどだ。

 縁者が誰も来なかったマキアリイの方がおかしい。

「あの人ももう70過ぎでしょ、今更政界復帰も無いわね」
(ウェゲ会では議員は70才を超えると長老として公職からは引退するしきたり。他の党も似たりよったり)

「でもこんなところに来ているぞ。未練たらたらじゃないか」
「そうねー、ひょっとするとアレかしらね。
 「闇御前」の後釜を狙っている、って聞いたことがあるわ」
「なんだそれ?」

 

 「闇御前」バハンモン・ジゥタロウも最初から闇の帝王だったわけではない。

 「組織」の設立を命じたのは第八政体発足の立役者の一人、外務臣領を務めた大物議員だ。
 「海島権益」確保の重要性を痛感した彼は、治安維持機構の若手某とその協力者であったジゥタロウを呼び出し、
「海外派遣軍」を実現する為の仕組みを構築させた。
 治安某は国内で産業を統制する事により予算として計上されない戦費をひねり出し、
ジゥタロウは国外諜報機関を設立して海外情勢の分析と工作活動を行う。

 大物議員亡き後は治安某が全権を任され、「闇将監」と恐れられた。
 その彼も死に、ジゥタロウに国内組織の統括も任され、内外の裏組織を統合したのが「闇御前組織」だ。
 つまりはジゥタロウは三代目となる。

 その彼も既に86才。四代目の人選を行っていても不思議はない。

 

     *****  

「聞いた話によると、「闇将監」はれっきとした公務員だったわけね。
 その彼が率いていた組織を、身分的には民間人に過ぎない「闇御前」が好きなように支配する。
 これをよしと思わない組織員も多いんだって。

 もしアテルゲ氏が次の「闇御前」になれば、そういう人達は納得するのではないかしら。
 なにせ国家総統だものね」

「キハちゃん、誰にそんな話聞いたんだ」
「お兄様の第一秘書のシグニさんよ。頭いいのよあの人、お兄様より。
 だから他の議員のところでは嫌われたんだって」

 

 案内人ハグワンドがマキアリイの傍に寄り、耳打ちする。
 マキアリイはクワンパの肩を掴んで引き寄せた。

「出番だぞ」

”国家総統ヴィヴァ=ワン・ラムダ先生がお見えになられました。皆様、歓迎のご用意をお願いいたします”

 司会の言葉に会場の人はそれぞれ規定の動きを始める。
 マキアリイもクワンパと共に所定の位置に連れて行かれた。
 すれ違いざまに給仕の男性を殴り倒す。

 「何事!」と驚くハグワンドに、給仕の右手をひねり上げ袖の中を見せる。

「仕掛け弓だよ。爆薬付きだな」
「まさか、そんなものが持ち込めるはずが」
「凄いな、こいつ義手だよ。よく給仕の真似が出来たな」

 たちまち黒服の警護が詰めかけて、給仕を拘束する。
 処理で会場内は騒がしくなるが、司会が警護に耳打ちされて伝える。

”えー皆様いましばらくお待ち下さい。
 閣下はこのままお見えになります。どうかそのままでお願いします”

 誰からとなく拍手が起きる。
 やがて会場内を埋め尽くす。英雄探偵に対する賛辞が。

 

 すべての給仕が退室させられ、代わりに黒服が戸口を固める。
 予定より大分遅れて歓迎の演奏が鳴り響く。
 国家総統ヴィヴァ=ワン・ラムダ登場。
 お供にソグヴィタル・ヒィキタイタン議員も付いてくる。

 壇の下で待機していたマキアリイを呼び、両英雄を左右に並べ、右手を上げ支援者に挨拶した。

「やあ皆さん、先程はなにやら起きたようですが、断じて仕込みではありませんぞ。

 マキアリイ君ありがとう。またしても国家の危機を救ってくれたね」
「は。たまたまです今のは」
「たまたま刺客に出くわすものかね」

 ハハハと笑い、会場も追従する。
 ヒィキタイタンが眼で「よくやったな」と合図する。が、マキアリイはそのまま視線である人物を指し示した。
 すぐさま懸念を共有する。

 ヴィヴァ=ワンも会場に思いがけぬ人物を発見した。
 主要客については説明を受けていたはずだが、彼はなぜか除外されていたようだ。

「アテルゲ先生ではありませんか。これはお珍しい、こちらへ、壇上にどうぞ!」

 現在の総統と前総統。
 極めて複雑な関係で、しかもこれから臨む総選挙では政権転落の恐れもある。
 「潜水艦事件」当時を思い出させる状況だ。

 だがアテルゲは手を小さく上げて断り、側近に二言指示すると踵を返して会場を出て行った。

 ヴィヴァ=ワンは頭を傾げてマキアリイに寄せ、誰にも気付かれぬ小声で言った。

「あいつが刺客を呼び込んでいたとしても、驚かんよ」

 

     *****    

 ヴィヴァ=ワンは会場に10分も居なかった。
 総統退場と同時に本日のマキアリイの出番も終了。
 いつまでも上流階級の会合に付き合う義理は無い。

 熱烈な質問攻めにしたい令嬢方を振り切ったヒィキタイタンと共に離脱した。

 既に日は落ち、夏の夜空に昼の熱気が放出される。
 冷房の効いた会場を飛び出し、なおさらに暑さを感じる。

「覚悟はしてきたが、とんでもない伏魔殿だな首都は」
「君も政界に進出すると面白いぞ。刑事探偵よりも」
「命が幾つあっても足りないさ」

 クワンパ白状する。

「やっぱり何も食べられませんでした。お腹が空いた!」
「俺もだ。緊張が解けたら急に腹が減ったぞ」
「じゃあどこか食べに行くか。首都なら任せてくれ」

 もちろんそんな勝手は許されない。
 二人共に警護も案内人も付いてくる。
 ヒィキタイタンの第三秘書という人を初めて見た。

「シグニさんは、それにメンドォラ君はどうしたんだ」
「シグニさんは選挙工作に掛り切りで独自に動いてくれている。
 僕の方はヴィヴァ=ワン閣下に貼り付いて身動きが取れないからね。
 第三秘書のデディヲ・ヅダさんだよ」

「お初にお目にかかりますヱメコフ先生」
「デディヲさんはこの選挙から付いてくれているんだ」

 クワンパはデディヲを観察する。
 30代半ば、いや40に近いか。
 男性としては背が低い。2杖4分(168センチ)に足りないだろう。
 風采は上がらぬが、抜け目ないと感じる。
 「ニセ病院」事件で会った地面師「シメシバ・ッェットヲン」を思い出す。

「メンドォラ君は護衛の役じゃないのか。まだ十分にお礼はしていないんだが」
「彼はシグニさんの補助をしているよ。
 危険というなら総統府の護衛に守られる僕より、独自に動く彼の方が危険だと警護専門家が助言してくれたんだ」
「どうして?」
「将を射んと欲すれば、だよ。政治家としての僕を潰す策動もアリ、らしいよ」

 まさに伏魔殿だ。
 ヒィキタイタンは夜空を見上げる。夏の星座が煌めくのを数えるように。

「元々僕は市民運動に乗って無所属で初当選したんだ。
 「ウェゲ会」にこだわる必要は無いってシグニさんは言うんだよ。
 そうは言っても、政権陥落したからと逃げを決め込むのもどうだろうね」

「やはり危ないのか」
「或る意味、どんと大きな騒ぎが欲しいね。政権与党としての存在を有権者に見せつける。
 今更だけどね」

 これは弱音と言えるだろう。
 いかに幸運の王子様でも、自分の手の届かぬところまで奇跡は起こせない。

 

 まだ彼らは気付かない。
 どんと大きな爆弾が既に点火されていたことを。

 

第二十五話その3「総統ヴィヴァ=ワン 街頭に死す」

 夜半。
 駅前旅宿館に辿り着いたヱメコフ・マキアリイとクワンパは素直に自室に引き取ったりはしなかった。
 正面受付でクワンパ大立ち回り。

「だから、そのようなものは当旅館ではお預かりしていませんので、」
「そんなはずは無いんだ絶対。必ず届いてるはずなんです。
 それも、私達が到着した直後にです。さあ出してください」
「そんなこと言われましても、……」

 深夜遅番の受付係に言っても仕方の無いことだが、騒ぎを起こすのが目的。
 荒ぶる声に警備の巡邏兵がなにごとかと寄ってくる。

「クワンパさんどうされました」
「だから受付係が、ヱメコフ・マキアリイ宛の脅迫状が届いてないとか嘘を言うんですよ!」

 遅れて現れた警察局の捜査官が、これはやばいと顔色を変え背を向け逃げようとする。
 だが巡邏兵そうはさせじと責任者を呼び止める。
 巡邏軍と警察局は連動して活動するが、命令系統は明確に分離されており、都合の斟酌はしない。

 カニ巫女棒を突っ立てたクワンパと対面させられた。

「え、えーその件に関しましては昼番の責任者が、」
「来てるんですね脅迫状」
「らしきもの、ですがこちらでは開封はしていませんので内容までは」

「何故開けないで不審物と判断したのですか」
「それは、マキアリイさんがこの旅宿館に泊まるのが決定し到着した直後に届いたものなので、」
「監視されていた、と判断したわけですね」
「はい、ですからそのような対応を取ったわけで、決してマキアリイさんに内緒にしようとかでは、」

 クワンパ、にゅっと笑う。最初から計算通りだ。

 ベイスラの事務所に送られてきた魔法の手紙は、周到な準備を巡らす組織によるもの。
 マキアリイを監視して、その宿所に脅迫状を届けるくらい造作もない。
 であれば、

 まだ30才くらいの警察局捜査官に要求する。

「出発前ベイスラの事務所に同じ手紙が届けられたのは既にご存知でしょう。
 脅迫状、いや予告状であるのなら、最初の手紙と内容を突き合わせて解読しなければなりません。
 それもヱメコフ・マキアリイでないと解けない謎に仕立てているはずです」

「あ、ああ。はい、そういう可能性も検討されていて、」
「実物は要りませんが内容は確実に伝えてください。
 手遅れになれば人が死にますよ。大爆発です」
「は、はい!」

 どちらが年上か分からない。
 見送る巡邏兵も旅宿館の受付も、さすがは有名なカニ巫女だと首筋の毛を逆立てた。

 

 照明が薄明かりのみになった待合室で、マキアリイは新聞を読んで待っていた。
 10紙以上を卓の上に並べているのにクワンパ呆れる。

「どれも同じ事書いてるんじゃないんですか」
「さすがは首都だ。地方紙ではまったく触れない話が細かく書いてるぞ」
「そんなに違うんですか」
「なにせ取材で得られる情報の密度が違うからな。
 政府総統府官公庁軍部に政党本部に宗教団体、主要企業の本社が立ち並び財閥総帥が豪邸構えてる。
 記者も忙しいぜ」

 マキアリイはかって首都中央警察局の捜査官として働いていた。
 単なる刑事事件を扱っていたのではない、全国に繋がる犯罪組織の動向を監視していたのだ。
 経済や政治の動きにそれらは敏感に反応する。

 そして現在、彼自身がそれら組織が敏感に動静を窺う存在になってしまった。

「……、ヱメコフ・マキアリイ氏の政権与党への選挙応援。叩いてるヒト多いな……」
「嘘でも襲撃計画をぶち上げて、所長が街頭に出てくるのを牽制する。とかアリですね」
「有りだなあ」

 別に望んだわけではないが、それほどまでの大駒として扱われる。
 どちらさんにとっても迷惑な話だ。

 

     ***** 

 翌日、朝日の昇る前に動き出す。

 クワンパが身支度を整えマキアリイの部屋に行くと、既に客が居た。
 「ウェゲ会」の政治秘書ハグワンド・ムシルだ。
 マキアリイはカニ巫女の姿を見て苦笑い。

「クワンパよ、朝一番に音声放送に出ろとよ」
「私もですか?」

「マキアリイさんだけでも良いとは思いますが、可能であればクワンパさんにもお願いします」

 二人の顔色から察するに、クワンパが出演するのも予定の内だろう。
 だがなんで。一介の巫女見習いに何を期待する。

「今回の放送への出演は、マキアリイさんが「ウェゲ会」の応援をするに当たって、
 聴取者有権者が疑問に思うところを解き明かしてもらいます。
 つまりは何故ヴィヴァ=ワン総統を応援なさるのか、をですね」

 あー、と納得。
 所長は自分で説明するのが嫌だから、私にやらせるんだ。
 ハグワンドに率直に尋ねる。

「正直に言っていいですか?」
「それは困ります! なにとぞ穏便に、
 当たり障りの無い、それでいて納得できて応援がちゃんと有効に働く説明をお願いします」

 注文の多い人だ。
 しかし、ヒィキタイタン様が土下座で頼まれたから、などと言えるはずもない。

「そうですねー、でも放送で特定政党を応援するのは禁止ですよね」
「明確に選挙違反ですね」
「それでいて応援が有効になるように、ですか」

 さすがにマキアリイも無茶な注文だと思う。が、
クワンパ安請け合いした。

「なんとかしましょう」
「ありがとうございます」

 大丈夫かこいつ、と事務員を睨む。

「それで、
 6時(午前10時)のヴィヴァ=ワン閣下の街頭演説に参加していただきますが、
 その後市中5ヶ所を回って行います。
 ソグヴィタル議員は他に応援に行かれる予定ですが、お二人は本日は閣下と共に。
 さらに議長候補のアンクルガイザーさんの応援もお願いします。
 もちろん随所で取材や撮影を受けると思いますので、お心構えを。

 10時(午後6時)からは伝視館放送の生中継に出演していただきます。
 閣下はいらっしゃいませんが、ソグヴィタル議員とご一緒です。
 音声放送の時と同じ理由を語ってもらうことになりますが、よろしいですかクワンパさん」

 声だけならまだしも顔姿まで……、しかし逃げようが無い。

「はあ。」

「10時半(午後7時)には大臣領閣下による選挙監視員への激励会があります。
 首都の刑事探偵が多数集まりますので、マキアリイさんにお話をいただきたいと思います」
「同業者、ですか」
「刑事探偵正規の栄えある役目ですから、やはり天下の英雄に激励いただくべきと。
 なにか問題がございますか?」
「いえ、」

 さすがにこれは想定しなかった。
 刑事探偵は選挙の公正を保つ働きをする、と心得てはいるが、
まさか自分が偉そうに演説する立場になろうとは。

 

 その他諸々の注意事項を並べ立て、最後にちょっとだけ気になる話を残していく。

「マキアリイさんには公式記録員として写真家を随伴させる事になっています。
 多少ご迷惑でありましょうが、お許しください」

 

     ***** 

 タンガラム民衆協和国には公共放送というものが無い。

 有線音声放送は民間企業の全国3系列と地方独自局が有るのだが、
法律によって何時でも政府が放送時間を専有出来る権限が認められていた。
 民間の方もこれを前提として放送予定を組んでいる。

 平時には、朝昼晩の3回15分ずつの公式報道番組が全局同時に流れてくる。
 さらに5分が政府広報。そして10分の解説番組が朝と晩に組まれていた。
 この10分の枠にマキアリイとクワンパは出演する。

 ヱメコフ・マキアリイ、実は解説番組の常連だ。
 大きな事件を解決した際には、ノゲ・ベイスラの放送局に呼び出され全国中継されていた。
 内容はだいたいが「お詫び」である。
 世間様をまたしても騒がせてごめんなさい、と。

 無論犯罪の責任を彼が負うわけがない。
 おおむね国家権力の側が責められるべきであるが、
その正当な手続きとしてヱメコフ・マキアリイから公正に事情聴取を行っていますよ、
と釈明が行われているのだ。

 でも何故かマキアリイが怒られている印象を聴取者に与えてしまう。

 

 マキアリイの出演を知って、放送局には10名以上の記者が詰め掛けていた。
 警備の巡邏兵に守られ自動車から降りる英雄とカニ巫女は、怒っていた。
 すかさず写真に表情を撮られてしまう。

 不機嫌の理由は、出発直前に旅宿館に届いた脅迫状だ。

 玄関待合で迎えの車が来るのを待機していた二人は、
そしてまだ朝食も食べていない、
朝一番の郵便配達でヱメコフ・マキアリイ様宛が存在する事を知らされた。

 自分達で調べようと思ったが、そうは警察局の捜査官が許してくれない。
 開封する事も無く鑑識官が直ちに裏に持って行ってしまう。

 もちろんこんなものをマキアリイに見せたら、総統府政府与党にとって芳しからぬ展開に突入するだろう。
との懸念は正しい。
 だから腹が立つ。
 先夜談判した前日到着分の内容もまだ教えてくれないし。

「マキアリイさん、いいねその顔! 怒りの表情ってあまり見せないものね」

 いきなりずうずうしく正面に飛び込んできて写真を撮る。
 ゥアム製の高性能携帯カメラを用い、男物の運転ツナギに縁無し帽を被った赤い髪の女だ。
 警護の私服巡邏兵に押しのけられるが、ハグワンドが差し止める。

「いいんだ。
 マキアリイさんクワンパさんご紹介します。
 今回マキアリイさん専属の公式写真家を務めてくれるクニコ・ヲゥハイさんです。
 女流写真家として最近売出し中の注目株で、芸術性の高い作品で賞も取っています」

「よろしくね。それにしても、」

 と女同士で遠慮が無いのかクワンパに鼻突き合わせる。

「さすがカニ巫女はコワイ顔ね。いいわよ強そうで」
「所長、これは殴ってもよい案件ですね」
「まてまて。クニコ、さんですか」
「姓はヲゥハイで。
 父姓はそれなりに名族なものでこの商売では邪魔になるの。隠してるわ」

 だろうな、と二人は察する。
 この態度の横柄さは金持ち特有のものだ。怖いもの知らずのお嬢様だ。
 格好がいいし美人だし高級品着てるし舶来の写真機使うし、
昨日見た時は大型の自動二輪にまで乗っていた。

「よろしくね、英雄さん」

 にっこり微笑む顔を、他社の記者が撮影していった。
 彼女自身が取材対象のように。

 そして改めて警護に、また放送局の係員に取材記者は締め出されるが、
彼女だけは大きな顔して付いてくる。
 実に気に食わない。

 

     ***** 

 大きなガラスで仕切られた収録室。
 放送弁士に政治評論家、そしてヱメコフ・マキアリイとクワンパが突っ込まれる。
 生放送。

 政府広報の時間が終わって10分の解説番組が始まる。
 しかし放送弁士の第一声は、

「ヱメコフ・マキアリイさんにまずお尋ねしたいのは、
 ゥアム帝国から帰国されたユミネイト・トゥガ=レイ=セト嬢のお話です。
 聴取者の皆さんの興味もまずはそこに集中すると思いますが、いかがです。
 ソグヴィタル・ヒィキタイタン議員とのご婚約は事実でしょうか、否でしょうか」

 あー、そこから。と二人とも眼が細くなる。
 そりゃそうだな、ヒィキタイタン本人は絶対喋らないな。
 マキアリイこれは自分が言うしか無いか、と事務員をチラと見て話す。

「悪い感触ではありませんよ。
 と、これ以上は繊細な問題なのでお答えできませんね」
「ありがとうございます。
 それではさっそく今回の国家総議会議員・議長選挙の話題に移りましょう」

 ここで政治評論家の髭のセンセイが解説をする。
 絶体絶命の窮地に追い込まれたヴィヴァ=ワン・ラムダ国家総統が持ち出した禁断の技が、
「国家英雄ヱメコフ・マキアリイ」の応援と説明してくれた。
 放送弁士38才眼鏡の男性が釈明を求める。

「マキアリイさん、刑事探偵としては不偏不党であるべきだと思いますが、
 今回総統閣下の応援に踏み切られたのはいかなる理由があっての事でしょうか」

 

 さあて、クワンパが言いくるめる前に所長本人の力量が問われる。

「あー私としてはたしかにあまりふさわしくない行動ではあろうと自覚はしております。
 刑事探偵として、というよりは
 政治家や官僚、軍人までも絡む事件の数々を暴いてしまった事自体が、
 どうやら政府与党に対する攻撃に相当するものでなかったかと」

「たしかにヴィヴァ=ワン総統がここまで追い込まれたのは、マキアリイさんの活躍の為と皆が認めますな。
 その意味では政治的立場を均衡しようと思われたのかもしれません。
 ですが、さすがに民衆の理解は難しいでしょう」

 髭の評論家はそこは理解してくれる。
 そもそもが「闇御前」なんか捕まえてしまって政権がまだ無事なのが異常事態なのだ。

 さらには、未だ詳細が公表されない数々の「国際謀略」
 「幻人事件」のみならず、去年の年末にはシャヤユート絡みで「新国際交流都市」が大爆発している。
 これもまた、シンドラ連合王国が関与する長編映画級の大事件。
 国家機密ががっちり引っ掛かっているから秘密にせざるを得ないが、
却って有権者の心象を悪くする。

 

 放送弁士がさらなる釈明をマキアリイに眼で要求するが、これ以上は難しい。ボロが出る。
 知性と弁舌に定評のあるクワンパさんの出番だ。

「あーいいですか? これは所長の口からは言いにくい事ですので、私から言わせてください」
「はい。クワンパさんはまだ投票権は無いのですね」
「そうですねまだ未成年ですから。

 今回の与党「ウェゲ会」への応援は、
 ヒィキタイタン様がわざわざベイスラの事務所にまでやってきて頭を下げて所長に頼まれたものです。
 が、」
「が?」

 

     ***** 

 一拍置いて聴取者の注意を引き付けて、

「ですが実は所長ヱメコフ・マキアリイ本人の利益にもなるとして、
 ヒィキタイタン様がお願いくださったものなのです。

 所長はこれまでに幾つも国家規模、政治の暗部に潜む重大な犯罪や不正を暴露してきたわけですが、
 コレ、普通の手続きではもみ消される、
 権力の波に飲み込まれ不問に付される件も少なくなかったのです。

 ヒィキタイタン様から教えてもらったのですが、
 通常の法的手続きでは様々な手管で無かったこと、
 あるいは所長自身が逆に犯罪者にすり替えられる例もあったらしいのですね。
 そこをヴィヴァ=ワン閣下に無理にお願いして、
 「総統令」で直接処理を行う指示が出されて救われてきたのです」

 ほお、と放送弁士も評論家も素直に驚く。
 考えてみれば当たり前の話だが、改めて指摘されると自らの不明に思い至る。

 政界官界の重大な不正や汚職に「闇御前組織」が関わっていないはずが無いのだ。
 うやむやの内に事件が消滅するのが、「英雄探偵マキアリイ」登場前までの常識。
 あまりにあっさりと巨悪が暴き出され裁きを受けるのを目の当たりにして、
正義の困難さを忘れてしまった。

 クワンパの話は続く。

「それでですね、「総統令」でなんとかなっているものが政権交代してしまうと、
 前の「総統令」を取り消し処分される恐れもあるらしいのです」
「なんと、それでは今までの英雄の成果が無に帰す事もあり得ると、」
「信じたくはありませんが、また政権交代しても所長に悪意のある新総統になるとは限りませんが、
 懸念はあると」

 ここまで喋れば、後は専門家が肉付けしてくれる。
 評論家センセイが豊富な知識で「総統令」取り消しについての事例を解説して、
ちょうど時間となりました。
 放送を終わります。

 

 「放送中」の表示灯が消え、収録室の扉が開く。
 撤収する弁士と評論家は、マキアリイとクワンパ双方にねぎらいの言葉を掛ける。
 評論家はまたクワンパに直接、

「それほどの覚悟で今回の選挙に臨んでいらしたとは、私も不明でありました。
 ご活躍をお祈りしていますよ」

と手を握って去っていく。
 ヱメコフ・マキアリイ、呆然として自らの事務員を見る。

「おまえ、あんな話、どこで、」
「私が考えたことじゃないですよ。ほら、首都の裁判所のヒィキタイタン様の従姉の、」
「チュダルムの姐さんか」

「あの人と割と頻繁に電話で連絡するんですよ。
 今回の選挙に所長が応援する話が出て、こういうのもあるから注意しなさいよと教えてもらいました」
「そうだったのか……。いや、最初に言えよ俺に」
「えー、所長もご存知だったでしょ」

 だがマキアリイとんと覚えが無い。
 聞いたのかもしれないが、そしてたぶん聞いたのだろう。
 でも頭からするりと逃げて行ってしまう。

 法的な手続きに関しては、捜査官養成時代の教育で覚えたものからどうしても離れられない。
 「総統令」なんて飛び道具は本来、悪党を解き放つ権力の横暴だ。
 邪魔でしかないはずのものが、実は自分を守っていたなんて。

「……。ヴィヴァ=ワン閣下に足を向けて寝られないなあ」
「そうなんですよ。恩返ししないと」

 

 マキアリイはもう一つ裏事情を知っている。

 本来は国家機関に属すべき秘密治安機関が、所詮は一民間人に過ぎない「闇御前」に統括されるのを厭い、
不正汚職事件の隠蔽を故意に妨害している。
 総統令の効力が発揮できるのも「組織」内部での権力争いの賜物で、
「闇御前」本人が収監される今、どう転ぶか分からない。

 ヴィヴァ=ワン総統は就任以来危ない綱渡りを続けている。

 

     ***** 

 廊下で迎えたハグワンドは、なんとも複雑な苦笑いをしていた。
 顔色を見て、クワンパやっぱりやり過ぎたと感じる。

「ダメ、でしたか?」
「いえ。
 総統令取り消しなんて考えたくもない凶事ですが、
 前提として政界を眺めれば、それを目的とする策動が幾つも見え隠れするな、と改めて認識します」

 マキアリイ、

「やはり「闇御前」の特別法廷を中止させようとする勢力が居ますか」
「居ますね。与党内にも少なくない数で。
 だから、……言ってほしくはない話でした」

 マキアリイに喋らせる原稿を用意しなかったのが失敗だ。
 彼としては、「ウェゲ会」としてはある程度大炎上して欲しかったのだ。
 ヴィヴァ=ワン総統の代わりに火だるまになる都合の良いカカシ役が。

 だが総統応援の観点からは、最高の花火を打ち上げた事になろう。

「やってしまった事はしかたありません。出たとこ勝負で参りましょう」

 

 放送局の外に出ると、取材の記者が誰も居ない。
 一人、自己所有の大型軍用二輪を回してきた写真家クニコ・ヲゥハイが待つばかり。
 彼女は説明する。

「クワンパさんが「総統令取り消し」の話をした途端、
 記者の人達はみんな本社や上司に電話連絡して、あっという間に消えちゃったわ。
 別の取材場所を思いついたみたい」

 首都における英雄の動向、よりもはるかに重大な取材先がにわかに発生したわけだ。
 報道各社にとってもクワンパの言は晴天の霹靂。
 狙撃されたみたいに効いたらしい。

 マキアリイとクワンパはほんの僅かの後悔と、いくばくかの開放感とを感じながら、
玄関正面に付ける自動車に乗り込む。

 これはちょっと怒られるな。

 

 その後も細かい営業に引っ張り出され、
ヴィヴァ=ワン総統街頭第一声演説会場に辿り着いたのが、30分前。
 ろくに腰を落ち着けることが出来ず、車の中でゲルタ挟みの麦麭(サンドイッチ)を食べただけだ。

「よおヒィキタイタン」
「マキアリイ、さっそくやってくれたなお前!」
「クワンパだよ、あれ喋ったの」

 首都でなにかを行う際には必ず用いられ、新聞写真や伝視館放送で映し出される定番の広場。
 クワンパも見覚えがある。
 路面電車や自動車の進入の無い歩道公園と呼べるもので、美しく石畳が敷かれていた。

 平時でも人は多いが、今は演説を見ようと1万人を超えて滞留する。
 さらには動員された「ウェゲ会」応援団が鳴り物入りで待機した。
 もちろん警備の巡邏兵に総統府私服の護衛官。
 新聞雑誌放送の取材記者が撮影録音機材を持ち込み、ごった返す。

「所長。すごい、ひと、ですねえ」
「おう。俺も選挙の警備なんかに動員されたこと無いからな。ちょうどモバルタに飛ばされて」
「あ、首都警察局の捜査官でしたね」

「はは、僕の初当選の頃は島流しだったからね」

 今回演説の有力政治家には控室代わりの天幕が用意されている。
 「国家英雄」の二人もその一つに押し込まれる。
 クワンパも、ついでに写真家クニコも。

 もちろん男二人が揃ったところでパチリと撮る。

(モバルタ県;首都ルルント・タンガラム特別区に近い西部の僻地。
  森林地帯の真ん中のモバルタ湖周辺のみが開発されている。
  捜査官の同僚が関与する犯罪組織を摘発して顰蹙を買ったヱメコフ・マキアリイが左遷された。
  何も無い土地で平穏無事と思われたが、地元有力者の積年の犯罪を暴く羽目になってしまい、政治的大問題を引き起こす。
  結局これが元でマキアリイは首都中央警察局を依願退職する羽目となり、
  ヌケミンドル市に行って「潜水艦事件」映画の関連商品を売って糊口をしのぐ生活を送る)

 

     ***** 

「もうひとりの英雄さんソグヴィタル・ヒィキタイタン議員。よろしくね。
 わたしは、」
「クニコ・ヲゥハイ。知ってるよ妹が撮影された事があるね。
 水上機競技会で女性操縦士を撮りたいって話だったね」
「あの節はご兄妹共々にお世話になりました。
 あの写真は思わぬ売れ方をして、ちょっと不満だけどね」

 マキアリイとクワンパは目を丸くする。
 この二人知り合いなのか、それも結構知ってるみたいだ。
 疑問はヒィキタイタンが解き明かしてくれる。

「うん、有名人だからね彼女も。その、上流階級では?」
「あまりそういう言われ方はしたくないわね」
「とにかくその筋の御令嬢方の中でも跳ね返りで、世間でも流行の発信源とされてる注目株なんだ。
 キハ(妹ソグヴィタル・キィーハラゥル 24才)と同じ歳だね」

 1巻撮り終わり、撮影帯を巻き直して再装填する。
 カメラと同様ゥアム帝国製で、ゥアム文字で「フォトグラフ・フィルム」と描いてある。
 作業しながらクニコは、

「でもねヒィキタイタン。こう言うと気を悪くすると思うけど、
 被写体としては貴方、マキアリイさんに劣るわよ。
 なにせ現役の英雄と元英雄だからね。どうしても勢いが違うわね」

 聞いてるクワンパ血の気が引いて卒倒しそうになった。
 ヒィキタイタンさまのご贔屓筋に聞かれたら、直ちに匕首ぶっ刺しに来る。
 なんだこの女、天下の英雄議員様に暴言叩ける親密度なのか!?

 王子様議員もさすがにこの口撃は堪えたようだ。
 しかし繕わない。

「それは認めるよ。マキアリイこそ本物の英雄だ」
「そこで終わってしまうと困るんだな。まだわたしは貴方見捨ててないもの。
 どんとぶち上げてよ英雄らしく」

 そして彼女は写真家に戻ってしまった。態度が職業人のソレになる。
 ハグワンドが天幕に入ってきたからだ。

「ソグヴィタル議員、マキアリイさん。議員の皆さんがお会いしたいそうです。
 どうぞこちらへ」

 

 警備の都合上クワンパは置き去りにされる。
 殺気立った状況でやはりカニ巫女棒は警戒されていた。
 クニコと二人になってしまう。

 カニ巫女だから遠慮ナシに尋ねる。

「随分とヒィキタイタンさまと親しいのですね。個人的なご関係がお有りですか」
「お有りですよ。
 ヒィキタイタンの破談になったお相手、財閥令嬢の婚約者はご存知?」
「会ったことはありませんが、」
「女学校の先輩だったのよ。たいへん良くしてもらったわ」
「ああー……」

 カドゥボクス財閥の御曹司次代の後継者と目されたヒィキタイタンは、
財界の慣習として幼い時分から縁談が取りまとめられていた。
 お相手となるのは、カドゥボクスよりも古くまた財務体質もしっかりした財閥の令嬢。
 5才も若いが王子様の美貌と行動力、魅力にぞっこんで結婚する日を心待ちにしていた。

 しかしヒィキタイタンが金持ち故の気の迷いから選抜徴兵に応募し、「潜水艦事件」に遭遇。
 マキアリイ共々「国家英雄」になってしまったから、運命は狂う。

 世間は英雄としての振る舞いを期待し、自身も国家に貢献できる道を模索。
 大学卒業後国家総議会議員に立候補して見事当選を果たす。

 一方その頃マキアリイは首都警察局をクビとなり、市井に身をやつし、
やがて「刑事探偵」として華々しく再登場する。
 数々の修羅場をくぐり難事件怪事件を解決。

 ヒィキタイタンも親友に協力して政界絡みの事件捜査に一役買う。
 いや、軍の兵器納入疑惑にマキアリイを巻き込んだのは、彼だ。

 事件は見事解決するも、自身も生命を狙われる。
 暗殺未遂の現場に不運にも居合わせたのが、婚約者の令嬢だ。
 あまりの恐怖に彼女は怯え、結局破談となってしまう。

 クワンパ、事情を了解した。

「なるほど。ここで終わってもらっては困るわけですね」
「せめて英雄探偵と並び立つ手柄を立ててもらわないと。結果生死は問わなくてよ」

 ヒィキタイタンさまに恨みを抱く人も居るわけだ。

 

     *****  

 ヴィヴァ=ワン総統はまた到着していない。
 だが「ウェゲ会」の重鎮は顔を揃えている。

 

「ヱメコフさん? いえ皆はマキアリイ君と呼ぶようね。じゃあ私も。
 今朝の放送やってくれたわね。あれはキツイわ」

 今回選挙対策委員長を任された「ウェゲ会」本流派の領袖で女性議員
ゴーハン・ミィルティフォ・レッヲだ。
 本流派の領袖は彼女の夫ゴーハン・ボメル議員であったが、
今年1月新年決起大会にて不慮の事故により死去。
 弔い合戦の形で彼女が本流派を預かっている。

 もし今回「ウェゲ会」が敗北し政権陥落した場合、
ヴィヴァ=ワンは退陣して、たぶん彼女が総裁になる。
 敗戦処理だから苦労ばかり多いが、初の女性党首として有権者の人気取りをする予定であった。

「総統令取り消し、撤回? 余計なことを。
 そんなのウェゲ会内部でもやりたがってる連中多いわよ。
 総統を後ろから撃たせる気?」

 47才、まだまだお美しい彼女は4期目。
 自身の実力よりも大きな仕事を任され余裕は無いが、部外者マキアリイを前に肩の力を抜く。

「すこし方針を変更しなくちゃいけなくなったわ。
 ”正義を貫く為にはヴィヴァ=ワン総統が留任しなければならない。
  少なくとも「闇御前」裁判の目処が付くまでは”
 これで行けそうよ。ありがと」

「申し訳ありません。
 あれはうちの事務員が迂闊にも聞いた話をそのまま喋ってしまって」
「法曹関係の誰か、ね。上層部の事情に詳しい人ね?」
「はあ、チュダルムの娘さんで」

 政界関係者ならこれで通じる。
 チュダルム彩ルダムの父親は名門黒甲枝家の筆頭「チュダルム家」の当主で、「最高法院・頂上法廷」の裁判官。
 司法独自の実力部隊「護法官」の長官「護法統監」だ。
 すでに老人の域ではあるが、「闇御前」バハンモン・ジゥタロウの特別裁判を直接に仕切っていた。

 ミィルティフォもなるほどと理解する。

「チュダルムの筋か。嫌なところからの援護射撃ね」
「ちなみに僕の従姉です」

 ヒィキタイタンが補足説明するので、彼女も筋書きが読めたとうなづく。
 マキアリイの選挙応援は場当たり的に求められたものではないわけだ。
 さすがは曲芸師ヴィヴァ=ワン・ラムダ。

「曲者め」

 ちなみに彼女の夫ゴーハン・ボメルの死亡事故は、実は暗殺されたのではとの疑惑がある。
 ヴィヴァ=ワン・ラムダは「ウェゲ会」においては非主流派に属する。
 窮地を乗り切る一時凌ぎとして総裁に選ばれたのだが、既に10年。
 その間権力を掌握できていない主流派・本流派とは対決する図式となっていた。

 ボメルの死もヴィヴァ=ワンの仕業では、と陰で囁く声がある。
 その妻を今回重用しているわけだが、さてどう転ぶか。

 

     ***** 

 話題の英雄を彼女だけが独占するわけにはいかない。
 アクの強い暑苦しい男性議員が割って入る。
 当選5回のマヌアド・ノゥホープ 52才。地方戦略本部長を務める。

「マキアリイ君、この度は選挙応援ありがとう。
 だが今朝の放送はアリャなんだ。後の騒ぎを考えていたのか」
「すいませんすいません、うちの事務員が勝手に喋ってしまって」
「まあ、よしとしよう。
 あの放送で野党はヴィヴァ=ワン総統を全否定出来なくなったからな」

 マヌアド議員はヴィヴァ=ワンを支える強い味方であるが、総裁派閥には属していない。
 「農本派」と呼ばれる地方部農村を基盤とする議員だ。

 タンガラム民衆協和国は農村部の人口が半数を占め、
都市近郊農業者や水産・林業等一次産業従事者で7割にもなる。
 政治勢力としても大きく有力議員も多く、マヌアドは末席に過ぎなかった。

 しかし「潜水艦事件」でアテルゲ政権が崩壊し、関係の深い有力議員も軒並み脱落した。
 火中の栗を拾わされるヴィヴァ=ワンに従って、彼は躍進を遂げる。
 波乱こそが出世の好機と総裁後継を狙っていた。

 

 以後も次々に議員が押し掛けて、マキアリイはその度に頭を下げさせられる。
 付き合うヒィキタイタンも困り顔。

「ちくしょお、クワンパのやつめ。えらいことしてくれた」
「頭の切れる事務員に任せるからだよ」

 ふと顔を上げると、周囲の様子が少し異なる。
 陸軍軍服が増えていた。

「警備? じゃないよな」
「議長候補のアンクルガイザーさんの応援団だね。
 軍の期待を一身に集めているから、軍人も積極的に選挙に関与している」

 通例では現役の軍人が選挙活動に参加するのは忌避されるが、特に法律に規定は無い。
 また国家総議会議長選挙は「政治家」を選ぶ選挙ではない。
 政治家の横暴を掣肘するための機構だ。
 国家三権の一角を成す「軍部」が国政に関与する方法として、議長選挙が重視されていた。

 それにしても今回は異例の熱の入れよう。
 それだけアンクルガイザー・オーガスト候補が軍にとっての希望の星なのだ。

 マキアリイ尋ねてみる。

「どう思う議長選挙。俺はアンクルガイザーさんを応援するよう要請されたんだが」
「アテルゲ派への牽制だね。ヴィヴァ=ワン総統は随分と警戒しているよ」
「アテルゲ派ってまだ国会に議席有ったんだ」

 ヒィキタイタンは親友の顔を改めて見る。
 こいつ分かってない……。

「そうだね。アテルゲ派は一度は議席を失ったんだけど、
 前回の補欠選挙で大量に復帰したんだ。元々実力者が多かったしね」
「なにが起きたんだ?」

 そこは言いたくない。君のせいだ、なんて。

 

 誰かが叫ぶ。

「総統閣下、お見えになられました! 皆さん所定の位置に着いてください」

 

     ***** 

 説明によると、
まずヴィヴァ=ワン総統による街頭演説第一声の決起集会の後に、
国家総議会議長候補アンクルガイザー・オーガストによる演説会が「別のもの」として行われる。
 表裏一体のものではあるが、あくまでも議長は議長で独立した運動。
 という姿に見せかけたい。

 総統閣下はいつもの通りに国家英雄二人を並べて景気付けするが、
アンクルガイザーにはマキアリイがクワンパを伴って応援する。
 この際「カニ巫女」が大きな注目点となる。

 国会議長は個々の利権の代弁者ではなく国民の代表であり、
法律に優越する道徳的な存在である事を望まれる。
 道徳と言えば、4千年の昔から「カニ神殿」の責務だ。

「私、頑張ります」
「おう、ほどほどにな」

 

 街宣車を並べて正面に舞台を作ってある。(注;タンガラムの街宣車は小型トラック)
 1万人を超える聴衆を相手に既に前座の政治家が演説を始めていた。

 しかし大半の聴衆の興味は「王子様」ソグヴィタル・ヒィキタイタン議員に向く。
 女性が半数以上を占め、特に若い人が多い。
 もちろん「潜水艦事件」のヒロイン ユミネイト・トゥガ=レイ=セトの帰国と結婚疑惑が原動力だ。

 実はヒィキタイタン、今年の正月にも熱愛疑惑が囁かれた。
 新進気鋭の音楽家タコ巫女「タルリスヴォケイヌ」が首都のカドゥボクス財閥本邸に長期滞在し、活動の拠点としていた。
 彼女がヒィキタイタンの本命か、と女性週刊誌等で騒がれたのだが、

ユミネイトの帰国と合わせて考えると初めて真相が理解できる。
 ゥアム帝国の音楽大学に留学したタルリスヴォケイヌが仲立ちとなって、
ヒィキタイタンとユミネイトは密かに愛を育んでいたのだ!

 そして詳細は未だ伏せられたままだが、
無敵の英雄マキアリイが一時重態となるほどの怪事件・国際謀略。
 噂の二人が協力して死地を乗り越え正義を貫いた、とつい先日報道された。

 選挙運動でヒィキタイタンが恋愛問題を告白するはずもないが、しかし。

「あ。」

 群衆の中で女性が一人、真夏の太陽に照りつけられて崩れ落ちる。
 もちろん近くの人に助け起こされ、警備の巡邏兵に人の波から救い出される。

 

 マキアリイとヒィキタイタンは二人揃って群衆の前に立たされていた。
 ヴィヴァ=ワンのみならず他の議員だとて、天下の人気者の威勢を借りたい。
 ここぞとばかりに二人の隣に立って取材記者に写真を撮らせている。
 自ら写真家を雇っている。

「あれは、警備上よくないだろ」

 マキアリイが懸念するのは、撮影用の反射板だ。何枚もある。
 大きな板に銀紙を貼り人が掲げて舞台を照らす。
 真上からの陽光が顔に影を落とすのを防ぐため、野外撮影では不可欠のものだが、

「たしかに正面から見たら目が眩んで問題はあるけど、
 その後ろに必ず巡邏兵を配置して見張っているから大丈夫だろう」
「たしかにそこら中警備だらけだしな」

 これだけの人数が集まり、政府の重職与党の有力議員が揃い、おまけに国家英雄まで雁首並べる。
 破壊活動を行うのに絶好のお膳立てだが、さすがに巡邏軍警察局が周辺地域を含めて厳戒態勢だ。
 迫撃砲対策で直径2里(キロ)も警戒網を敷いている。

 

     ***** 

 暑い。汗が噴き出す。

 ヴィヴァ=ワン・ラムダ第19代国家総議会統領が登場。
 黒服の護衛に囲まれて人を割って現れる。

 動員勢が主導して広がる拍手の中、舞台前に立つ英雄二人の傍にまず寄った。
 3人並んで手を挙げて群衆に応える。
 ここまでいつもどおり。

 クワンパと女流写真家クニコ・ヲゥハイは出番ではないので、少し離れて並んでいた。
 クニコはヒィキタイタンに見惚れる群衆の顔をしきりに撮る。
 舞台正面に配置され群衆を向いている写真家は、現在彼女だけだ。

 護衛に支えられ街宣車上の舞台に登る。
 舞台上には既にゴーハン・ミィルティフォ・レッヲが待っている。
 首都を選挙区とする長老議員と司会役の放送弁士も居る。
 摂音器(マイク)が用意され、
第一声。

「お集まりの有権者のみなさん、ヴィヴァ=ワンが再び三度奇跡を起こしますぞ!」

 割れんばかりの歓声。
 政権支持率こそ度重なる大事件大失態で低下しているものの、ヴィヴァ=ワン自身の人気は高い。
 かってはヒィキタイタン張りの王子様議員だったのだ。

 難を言うならば、その政治手法が奇を衒い危うい橋を渡る軽薄なものである点だが、
「潜水艦事件」からこの10年、よくぞ持ち堪えたと評価すべき。
 尋常の政治家、尋常の方法では政権が何度転覆したか分からない。

 踊り続ける間は倒れない、それがヴィヴァ=ワン・ラムダという政治家だ。
 しかし、

 

「うむぅ、眩しい」

 舞台上のヴィヴァ=ワンは不快を覚える。

 群衆の間に設置される反射板がちらちらと動き、光が何度も瞬いた。
 ただでさえ熱く、また大勢の群衆の熱気。
 いつ襲撃を受けるかもしれない緊張感。
 背後に控えるウェゲ会議員達も自分に忠実とは言えなかった。

 歳か、今更に自覚する。
 今年で66才、よくぞ今まで国家総統の大役をこなせたものだ。
 人一倍健康には自信があったものの、連日の激務でガタが来る。
 首尾よく今回の選挙で勝利出来たとしても、次はもう引退せねばなるまい。

 目の奥が痛い。
 瞬く光が視界を覆い、目の前が真っ赤に変じた。
 体調に異変か。自分が、この最重要の時期に倒れるのか?
 政権は、ウェゲ会の前途は、タンガラム民衆協和国の行く末は……。

 

 悲鳴が上がる。
 街宣車上で総統ヴィヴァ=ワンがにわかに姿勢を崩し、左隣りに居たミィルティフォに抱き留められる。
 彼女の力では支えきれず壇上の全員で抱きかかえ、
そして軍服姿がハシゴを登って行く。
 軍医だ。
 アンクルガイザーが高齢であるから軍から特別に派遣されていた彼が一番近くに居た。

 群衆は息を呑み、咳き一つせずに事態を見守る。
 黒服の護衛達は下で待ち受け、総統を下ろす準備をする。
 国家英雄の二人は、クワンパと写真家クニコは、

「なんということだ!」

 壇上から大きな叫びがある。
 軍医が横たえられるヴィヴァ=ワンの身体を調べ、小さな矢を見つけた。
 褐色の鳥の羽で飾られるソレは、国家総統の上腿に刺さっていた。

「吹き矢か! 毒なのか!」

 誰が叫ぶのだろう。襲撃があったとしても詳細を今ここで明らかにするのは不心得だ。
 政治的な影響は計り知れない。

「総統、総統閣下! いかん昏睡に陥られた」
「はやくなんとか、解毒薬は」
「わかりません何の毒物か。しかしもしこれが政府機関の工作員が用いる毒だとすれば、」
「いいから、先生とにかく解毒を、」

 

 警備陣が動き、巡邏兵が正面に進出して群衆を遠ざけ始める。
 声が上がり、騒ぎとなり、やがて大異変にふさわしい混乱に。

 街宣車の裏ではウェゲ会の有力議員達が首を並べて、救急車に運ばれる総統総裁を見つめる。
 彼らには落胆も狼狽も許されない。途方に暮れる暇も無い。
 ヴィヴァ=ワン不在を如何に乗り切り選挙で勝利するか。
 絶望と呼ぶしか無い状況に、死を覚悟でも飛び込まねばならないのだ。

 

 国家英雄ヒィキタイタンとマキアリイ、そしてクワンパには為す術もなく必要も無く、
ただ立ち尽くすのみだ。
 写真家はひたすらにゥアム帝国製高級カメラを働かせる。

 

     ***** (その4「キラカルタ」に続く)

 

 

       *** 

【英雄探偵マキアリイ事典】

【街宣車】
 タンガラム民衆協和国で用いられる「街宣車」は小型トラックである。
 派手にデコって祭りの山車のようになる。
 タンガラムの選挙戦は荒っぽくしばしば乱闘沙汰になる為に、
護衛として「突撃運動員」も同乗し、ほとんどヤクザの出入りの状況を示す。

 まだ自動車が発明されていなかった昔は、
和猪が牽く荷車に乗って町村を巡り演説して回った。
 現在も地方農村部に行けば和猪車を使った選挙運動が見られる。

 

【国会議員】
 タンガラム民衆協和国においては、「議員」は国民・有権者の代表ではなく、個々の利権の代弁者と考えられている。
 では利権に関係ない者は代表者を出せないのか?
 そういう者は議会にて争奪すべき利権が無いから代表が必要ない。と考える。
 弱小勢力であっても戦って利権を獲得すべきであり、弱小が多数集まりまた多数に与して勝ち取るもの。
 それが「協和主義」だ。
 武力によって争い殺し合い奪うのではなく、議会内にて殴り合えとする思想。
 綺麗事は抜きの身も蓋もない制度だが、それゆえに現実的であり支持は厚い。

 無論それでは絶対的強者による独占が発生する事もままあるが、
国会議長および司法制度による監視が厳に行われて、
また目に余る専横であれば「軍部」が乗り出して事態の解消を図る。

 

【路面鉄道】
「ルルント・タンガラム」は鉄輪と軌条の街だ。
 この地が首都に選ばれたのは「砂糖戦争」の直後、発足した第六政体最初の仕事だ。

 それまで「タンガラム民衆協和国」の首都は北方の大都市「デュータム」であった。
 東西を繋ぐボウダン街道最大の都市で、南北を貫くスプリタ街道の起点。
 交通の要衝であり古来より栄え、近代国家の首都としてまことにふさわしい。

 しかし、ゥアム帝国の侵攻を受け内陸部まで進軍されると、
交通の便に優れた利点がにわかに弱点と考えられた。
 そこで目を付けたのが、カプタニア街道の要害。その背後に広がる盆地。
 旧「カンヴィタル武徳王国」の商業都市「ルルント・カプタニア」だ。

 王国最大の都市として大いに栄え、歴史的文化的に貴重な建造物を多数有する。
 それを第六政体は完全に無視し、
盛大な破壊と建築を断行して近代都市に作り変えた。

 その武器となったのが、新たに導入される「鉄道」
 道路に線路を敷き、蒸気機関のみならずヒトや和猪が牽引して効率的に資材を運搬した。

 現在は自動車も走っているが、
路面鉄道は効率の良い輸送手段として変わらず使い続ける。
 電力で動けば燃料は要らず、また大気汚染も無く、
大都市を運営するのに必要不可欠な存在だ。

 路面鉄道の軌条は縦横に張り巡らされ、高架まで作られ立体的に、
また発動機を備えた自走貨車が街の隅々まで走っている。

 その分自動車は割を食っているのだが、全市が混凝土で舗装され高速走行が可能だ。
 他の都市は今だに土路面で凹凸が激しいのに比べると格段に優れている。
 線路に車輪を突っ込まなければ、だが。
(混凝土;道路舗装用の混凝石、コンクリート。
   混凝石よりは硬くなく掘り起こしての補修が簡単)

 

【鉄道敷設事業】
 鉄道敷設事業は第五政体の頃から始まっていたが、本格化したのは第六政体から。
 ゥアム帝国の侵攻を受け、単に軍事力のみでなく経済力特に機械工業が劣っていると痛感した。
 さりながら経済力全体の底上げをしなければ肝心の軍事力強化は望めない。
 第六政体は喫緊の急務として、国家を挙げての経済拡大に突入した。

 この際に最重要と考えられたのが鉄道である。
 輸送力の強化こそ経済成長を実現する処方箋と考え、
また大量の鉄材の供給と国産蒸気機関車の製造による工業力の底上げを狙った。
 それこそシャカリキとなって全土に線路を敷きまくる。
 禁忌とされる森林の無秩序な伐採を行って資材燃料を調達した。
 当然山野は荒れ災害が頻発するも富国強兵の大義は揺るがず、非人道的とも呼べる状況を国民も甘受した。

 そして最後に残った重要路線が「カプタニア線」だ。

 既に旧「カンヴィタル武徳王国」最大の商業都市「ルルント・カプタニア」は原型を留めぬまでに開発され、新首都となった。
 だが「カプタニア」市は「武徳王国」の王都であり神聖宮と呼ばれる最重要の宗教施設もあった。
 民衆に未だに支持される褐甲角王国の貴族にして神兵「黒甲枝」にとっての聖地だ。

 都合の悪いことに、カプタニア城はカプタニア街道を扼する関所・大要塞として作られており、
線路を敷くには城を破壊しなければならなかった。

 当然に反対運動が巻き起こり、「黒甲枝」が各地より集合して武力に訴えても阻止しようとする。
 騒乱が巻き起こり、これを契機として第六政体長年の弊害が糾弾される事となり、
ついには政権転覆へと発展した。

 最終的には第六政体の崩壊と引き換えの形で「カプタニア線」の開通が了承され、
カプタニア城にトンネルを掘る形での敷設となった。
 無論鉄道開通の恩恵は多大なもので、第七政体へと代わった後はタンガラム経済は本格的な発展を遂げる。
 しかしそれから50年。
 大きく成長したタンガラム経済にとって、旧来の鉄道路線の輸送力は十分とは言えなくなる。
 鉄道軌条の幅を広げた新しい路線が各地に整備されるが、
やはり最後に残るのが「カプタニア線」だ。
 当時は膨張した資本主義の横暴がまかり通る時代で、
新線建設も無理を働こうとして再びの騒動を引き起こし、やがて第七政体崩壊へと転げ落ちていく。

 新線建設の悲願は第八政体に託されたが、未だ目処が立っていない。
 高速自動車道路もカプタニア街道に通さねばならないのだが、これも手つかずになっている。
 そもそも物流としては陸路ではなくアユ・サユル湖上の水運を用いるべきという議論の蒸し返しが起こっていた。

 

       *** 

 

第二十五話その4「キラカルタ」

「やあマキアリイ君頑張ってるね。毎度のことながら感心するよ君の忍耐強さは」

 翌早朝、というほどは早くないが、
マキアリイとクワンパが宿泊する駅前旅宿館に、法衛視チュダルム彩ルダムが訪ねてきた。
 彼女がねぎらうとおりに、我ながら感心するほど昨日は頑張った。

 

 総統ヴィヴァ=ワン・ラムダ暗殺未遂、意識不明の重態となれば選挙戦略も何も吹っ飛ぶ。
 演説会場に集まっていた与党「ウェゲ会」幹部達は、
その場で驚くべき、そして恐るべき結論に達した。
 「首都は捨てよう」という戦略だ。

 そもそもが相次ぐ政官界の汚職・謀略、治安を揺るがす凶悪犯罪の連続。
 重複しての責任を問われ支持率下がりまくり、政権転落の危機である。
 総統健在であっても難しいのに、これではどうしようもない。
 敗北必至の状況で個々の議員が考えるのは一つ、
「自分の選挙区でなんとか生き残ろう」だ。

 元より幹部それぞれも首都を選挙区としない。
 ヴィヴァ=ワンですら東部ボウダン街道の出口「ギジェ区」選出だ。

 そして、時事報道に一喜一憂するのは軽佻浮薄で意見の揺るぎ易い「都市住民」
 対して地方部農村部の有権者は変化を嫌い、長期的な成果に注目する傾向がある。
 地元密着ドブ板選挙が有効だ。

 政権転落を既定のものとすれば、直ちに選挙区に取って返すべき。

 またヴィヴァ=ワン本人の選挙区も不安だ。
 「国家総議会統領」の肩書があればこそ、地元を離れて全国の戦略に集中できる。
 本人不在の陣営はなりふり構わず票を掴みに走らねばならない。

 首都に残るのは「ルルント・タンガラム特別区」を選挙区とするわずかの議員と候補者、
「大臣領(総理大臣)」スミプトラァタ・ドリィヒのみだ。
 スミプトラァタ氏も選挙区は首都でないのに。

 

 というわけで大臣領閣下が頼みとするのは、
運良く首都を選挙区とする「英雄議員」ソグヴィタル・ヒィキタイタンと、
「国家英雄」にして「正義の権化」ヱメコフ・マキアリイであった。

 ヒィキタイタンは不在のヴィヴァ=ワンの代理として首都全域を飛び回り、主に状況説明に努め、
マキアリイとクワンパは「ウェゲ会」本部運動員に担がれて、
朝方報道解説番組で唱えた「総統令撤回」を叫ばされ続けた。
 クワンパ喉が痛い。

 もちろん今朝もヒィキタイタンは街頭に出陣するも、
マキアリイは活用戦略を再考中という話で、わずかに暇となっている。
 そこに首都警察局の捜査官を伴って訪れたのが、「チュダルムの姐さん」だ。
 待望のアレを持って来てくれた。

 

     ***** 

「はいこれ、脅迫状。
 もちろん今朝来た分も鑑識終了後は直ちにこちらに戻すよう命じてあるわ」
「ありがたい!」
「でもね、まったく分からないわよ。暗号かと思ったのだけど、判じ物ね?」

  チュダルム家は聖戴者、旧カンヴィタル武徳王国の貴族「黒甲枝」家の総元締めだ。
 その当主の一人娘となればお姫様と呼んで差し支えない。
 一応は公務員であるから派手な格好はできないが、それでも上流階級御用達の特注品を纏っている。
 見た目暑そうだがさすがの快適さだそうだ。

 ご本人が卓上に脅迫状を並べて革椅子に陣取るので、クワンパも座って内容を確かめる。

 まずは初日出発前のマキアリイ事務所に届けられた封筒。中身は毒々しい赤と黒の紋様で彩られる。
 そして同日昼、この旅宿館に到着した直後に届けられたもの。
 そして昨日早朝。やはり二人が旅宿館を出る前にはもう配達されていた。
 さらに本日分。これはまだ手元に無い。

 先に中身を確かめている姐さんが説明する。

「昨日配達分、極めて分かりやすい内容が含まれていたわ。
 詩文ね。”ゲルタじゃゲルタ、ゲルタ侍が吠えおるわ”」

 マキアリイもクワンパも渋面を作り対面の姉さんを見る。
 そりゃどう考えても古典演劇『KURANOの復仇』だろう。
 しかも悪の親玉「老人KIRA」の台詞だ。

 姐さんもにんわり微笑む。当然分かるわね、とクワンパに答を促す。

「えーとつまり「爺ぃ」ですね。ヴィヴァ=ワン総統を示唆していると考えるべきでしょう」
「でしょうね。朝の時点で総統暗殺が予告されていたんだ」
「だから脅迫状寄越せと言ったのに」
「警察局を叱っておいたわ。マキアリイ君に見せておけばなんとかなったかもって。
 まあ無理だったでしょうけど」

 部屋の壁際に立つ捜査官が、不本意だとの表情を見せる。
 アレ以上総統の警備を増やす余地が無い。
 暗殺など到底不可能と思わせるのも要人保護の王道だ。

 にも関わらず、
いやそもそも吹き矢は誰がどうやって射たのか。
 彩ルダム、武術の専門家マキアリイに尋ねる。

「あれ吹き矢じゃないの?」
「無理ですね。
 総統閣下の周辺はすべてウェゲ会の議員と党員職員そして総統府の護衛ですよ。誰一人不審人物が居ない。
 もちろん正面からの攻撃なら俺が見てましたし、裏はもう警備の列です」

「長距離からの狙撃では?」
「吹き矢では無理です。空気銃を使う手がありますが、それなら直接心臓なり頭を狙えばいい。
 もちろん射程距離内はすべて警備で固められてます」

「射程はどのくらい?」
「本物の吹き矢なら10歩(7メートル)、筒が長ければ倍もいけますが確実に目立つ。
 特製の空気銃であっても、空気抵抗の大きいあの矢羽では70歩(49メートル)は無理でしょう。
 発射音を聞いた者も居ません」

 さすがに刑事探偵、本職だ。しっかりと要点を抑えている。

 

     ***** 

「で、英雄探偵はどう見る?」

 チュダルム姐さんの問いに、マキアリイは言葉を濁す。

「暗殺事件そのものが狂言である可能性も、」
「でも総統閣下の昏睡はホンモノでしょ。命の危険があると」
「ヘビ毒だそうです。昏睡毒ですね。血清が間に合わなければ永久に眼を覚ましませんでした」
「間に合ったの?」
「それが運良く、というよりも最初から警戒して一応の用意をしていたそうです。
 政府総統府あるいは闇御前組織の工作員がよく使う毒ですから、対策も手の内ですよ」

 これにはクワンパが疑問に思う。
 なんで即死する毒を使わないの?

「ああ。それはだ、ヘビ毒は血清さえ間に合えば確実に死なずに済む毒だからさ」
「殺してはいけない相手に使う、ってことですか」
「暗殺命令を遂行した後でも、やっぱりそれヤメたって指令が来ることも有るんだ。度々だ」
「はあ、いい加減ですねえ暗殺者ってのも」
「政治的価値のある人物に対してはそういう態度もよくある話さ。

 で、やっちまった後で無しよ、とされた時には即血清。
 だが普通の病院では何故昏睡したのか、毒の成分は何かを検査できない。
 血液の試料を送って大学病院で分析判明した頃には手遅れ、という便利なものさ」

「でもねクワンパさん、ヘビ毒はそもそもヘビが1種類しか居ないから血清一つで済むけれど、
 昏睡する毒は一つじゃない。読みが外れたらそれまでよ」

 姐さんと所長は、ヴィヴァ=ワン総統が自らを危地に陥れ工作を仕掛けたと疑うのか。
 だが昏睡では突発事態の制御が出来ないだろう。
 さすがに外れではないか。

 

「という事を踏まえて最初の脅迫状の詩文を読むと、ね」

 ベイスラの事務所で受け取った怪しい赤黒紋様の手紙。
 これはクワンパも内容覚えている。

 ”警告 
 草の端より足無きトカゲが脛を喰み目覚めぬ眠りに誘われる 
 悪にはあらじ 悪より庇う闇の慈悲なり
 お厭いになられるな”

 クワンパにも分かる。カニ神殿にも伝わる古い文句だ。

「ヘビ、を指すものですねこれ」
「あまりにも古すぎて色んなとこで引用されて、どの作品の文句であったのか確認出来ないのよ」
「元ネタは1200年前、救世主ヤヤチャ様の頃に遡るからな」

 そもそもがタンガラム方台には「ヘビ」なる奇っ怪な生物は棲んでいなかった。
 救世主「ヤヤチャ」が降臨するほんの数年前、降って湧いたように出現する。

 トカゲ神の救世主を待ち望む民衆に与えられた「足の無いトカゲ」
 想像も出来ない異形の怪物だ。
 人々はこれこそ、天が人間を見放した証拠だと恐れ慄いた。

 そして創始歴5006年ヤヤチャ降臨。
 救世主は怪物の正体をよく知っており、無闇と恐れるものではないと説いた。
 また十二神殿も教義において、悪ではないとの見解を示す。
 人が自ら悪を為すのを留めてくれる慈悲の神蟲と唱える。
 それが、この詩文。

 クワンパ、改めて赤と黒で毒々しく彩られた手紙を手に取る。

「これがうまく繋がれば、総統閣下の暗殺未遂も防げたかもしれないですね」
「そう上手くはいかなかった、とは思うわね」

 

     ***** 

 残る脅迫状は2通。ここまで来ると予告状と呼んだ方がよいかもしれない。
 クワンパの見解。

「やっぱり、ヱメコフ・マキアリイが動かなければこうなるぞ、という脅迫状ですよね」
「オレに動けと言われても、首都全域をどう探せと言うんだ」

 これに対してクワンパ、同封の紙片を取って所長に示す。
 厚紙製の占い札「カルタ」だ。

「これ! 事務所に来たのには 人界札1の朝”旅立ち”、でした。
 3通め、ヴィヴァ=ワン総統暗殺予告には、人界札6の昼”虚しい説法”です!」

 占い札は正式には「タンガラム・カヴァロ」と呼ばれる。
 7×7枚であるから「正方形(タンガラム)」なのだが、天界札13神と人界札9×4の36枚に分けられる。
 人界札1の4枚は「英雄」と呼ばれ、男性の一生を表している。
 1枚目「朝”旅立ち”」は、若い男性が家を出て社会に旅立つ姿を描いてある。

 人界札6は「理想」。社会正義を求める賢人の姿とされるが、2枚目「昼”虚しい説法”」は、

「ええまさに。まさに立ち会い演説会ね」

 姐さんも同意する。
 占い札に描かれるのは、市場にて大勢の人に説諭する男の姿。ただし誰も振り向く者は居ない。
 焦燥・不遇・無益を表す。
 ヴィヴァ=ワンを示唆すると思えば、まさにそのままの状況であったと言えよう。

「詩文は誰を、占い札は何処で、を示す予告と考えます。所長お考えをどうぞ」
「まだ2通残ってる。これを読み解いてから結論を出せよ」

 もちろん今朝来た1通はまだ届いていない。
 二人が首都に来た当日、旅宿館に届けられたものを解読せねばならなかった。

 

 その前に、クワンパ尋ねる。

「それはそうとルダムさん。貴女はこんなところで油を売っていて良い御身分なのですか?
 色々と忙しいのでは」
「あ、そうそう。本題を忘れるところだったわ。
 ご紹介します。首都警察局主任捜査官のゲルタガさんです」

 脅迫状の謎解きを興味深く眺めていた30代後半の苦み走った男性が進み出る。
 敬礼した。
 もちろん紹介されるまでもなく、警察関係者だなと分かっていた。

「15年選挙期特別作戦主任のゲルタガ・ペイスだ。
 マキアリイ君、君には一度会いたかった。
 首都警察局上層部の君への処遇は承服しかねる。
 私も常々異を唱えていたのだが、今の君の活躍を見て結局はアレで良かったのだろうと納得したよ」

 上層部の処遇とは、
つまりはマキアリイが顰蹙を買った犯罪組織摘発と、モバルタ県地元有力者の悪事を暴いた件だ。
 マキアリイは望まれるままに正義を行ったに過ぎないのだが、
結果は世間と警察局上層部を怒らせ、遂には依願退職へと追い込まれた。
 もちろん本人腹の立つ状況であったが、傍で見ていて憤慨した正義漢も少なくなかったわけだ。

 マキアリイ、先輩捜査官の率直な詫びに慌てて立ち上がり、敬礼で返す。

「これは、どうもありがとうございます」
「うん。では今回の特別作戦について説明しよう。よろしいですかチュダルム法衛視」
「どうぞ」

 

     ***** 

 現在首都警察局も巡邏軍も、総統暗殺未遂事件の捜査に総力を挙げて取り組んでいる。

 が、元々選挙の時期は犯罪者や破壊主義者も大活躍するもので、
全国の警察局では特別体制で取締りを強化していた。
 首都警察局では、悪党共を一網打尽にする特別作戦の実施を恒例とするのだが、
今回その一環としてヱメコフ・マキアリイも巻き込んでの罠が用意されていた。

 姐さん彩ルダムの説明。

「つまりは犯罪者を大量検挙して裁判に放り込むところまで予定だから、
 中央法政監察局でも担当法衛視と裁判所の割り振りを今の内からやってるのよ。
 もちろん札付きの悪党揃いだから、立件する為の資料も揃えてね」

「そして今回一番に狙いを付けているのが、「ミラーゲン」に所属する爆弾魔「ボンビー」だ」

 「BOMBY」その名のとおりにゥアム語で「爆弾」を意味する言葉をもじっている。
 ここ5年で派手な活動を行い、警備関係者の注目対象となっていた。
 本家「ミラーゲン」が大金と時間を費やして用意した大型案件を「英雄探偵マキアリイ」が次々に打ち砕いたので、
単独で破壊工作を行う彼が突出して見える。

 クワンパ、ゲルタガと姐さんが何を企んでいるのかに気付いた。

「所長を囮に使う気ですね、あなた達は」
「まあそういう事ね」

「迷惑ではあるだろう。だが首都で選挙応援をすれば必然的に狙われる。
 それだけマキアリイ君の名声が大きく、社会的影響と衝撃が大きいのだ。
 どうせ狙われるならばご協力願いたい」

 所長を見る。事務員を見返してにっと笑う。
 おとなしく言われるままに選挙応援に駆り出されるよりは、犯罪捜査の囮役がよほどマシ。
と言いたげに。
 無論クワンパも大賛成。

 ゲルタガ、

「私の興味は、君に届けられる脅迫状がボンビーと関係するかだ。
 もし彼奴が絡むなら、多数の被害者が想定される。
 どうせ爆発させるのであれば、我々の用意した檻の中で安全に処理したい」

 マキアリイは、

「爆発魔「ボンビー」に関しては我々民間刑事探偵にはほとんど情報が回ってきていません。
 捜査資料の閲覧をお願いできますか」
「うむ。こちらに民間に開示して問題ない情報を整理してある。これを読んでくれ」

 と手渡される書類綴をクワンパ受け取る。
 所長がそのまま読んでろと眼で指図するので開くと、派手な数字が並んでいた。

「死者3名重軽傷14名、死者8名重傷5名のち1名死亡、死者12名重軽傷32名、死者1名重傷23名軽傷者多数……、」
「なるほど、真っ先に捕まえねばならない対象ですか」

「彼奴の手口は「ミラーゲン」本隊とは異なる。
 「ミラーゲン」は周到に爆弾を設置し、人を呼び込む大掛かりな手配をして、爆弾点火は遠隔で行うのが基本だ。

 ボンビーは爆弾設置は即席迅速、
 しかも本人が現場に居て犠牲者が多数発生する適時に点火する。
 自身も爆風に吹き飛ばされるのも拒まぬ変質者だ」

「愉快犯的な性質も持つのですか」
「しかも変装の名人という。彼奴が動くのを追いかけても決して捕えられんだろう。
 だから罠に掛ける」

 

     ***** 

 とりあえず、予告状が「ミラーゲン」と関係あるか調べるべき。

 クワンパの印象としては、 魔法を掛けられた本人としては、古くて根深い因習を保つ組織の仕業に思える。
 近代的な爆弾破壊活動を行うミラーゲンと性格が異なる。

「3通めの占い札。
 人界札9「豊穣」の「夜”感謝を捧げる”」 宴会の風景ですね。」
「クワンパよ、それは宴会じゃなくて神様に実りの感謝を捧げる神事の絵だぞ。
 カエル巫女じゃなくて、タコ巫女が踊ってるだろ」

「事件現場は宴会場か。それで、対象となる人物は?」

 ゲルタガの問いにクワンパは予告状の文面をしかめ面で睨む。
 やっぱり変な文章だ。

「”あな恐ろしや剣の煌き 藪の潜みのこの暗がりに姿晦まし難をば避けん”

 なんだこりゃ」
「古いねそれ。でもお芝居の台詞じゃないの」
「聞いたことがあるような無いような、クワンパ心当たり無いか。」
「カニ神殿のお経には無い文句ですねー。カタツムリ巫女なら知ってるんじゃないですかね」

 部屋の内外に居る巡邏軍警察局の者に尋ねてみても、誰も分からない。
 やむなくノゲ・ベイスラ市に長距離電話。
 巫女寮のカタツムリ巫女ヰメラームを呼び出した。

 神事にて歴史劇を演じるカタツムリ神官巫女であれば、お芝居の台詞も分かるはず。
 ましてやヰメラームは脚本家志望だ。

 だが出たのは蜘蛛巫女ソフソ。
 彼女は天体の軌道計算を専門とするが、そもそもが蜘蛛神殿は文書・図書館だ。
 分からないでもないだろう、と件の文句の出処を尋ねてみた。
 ソフソ曰く。

”キラカルタじゃん”
「えー、キラカルタにこんな文句書いてないよ」
”そりゃ小学生児童向けの札遊び用なら台詞は簡略化するでしょう。
 そもそもキラカルタってのは、”
「わかったわかった」

 聞き耳を立てる所長らに振り向く。

「キラカルタだそうです」
「そんな文句書いてないよ。ねえマキアリイ君」
「オレは札遊びした事は無くて、そもそも小学校というのが近所に無くて」

「クワンパさん、ちょっと外出て書店でキラカルタの本買ってきてよ。
 もちろん経費はこちらで落とす」
「はい了解しました」

「クワンパ、占い札の解説書もだ。それと、」
「はいはい、皆まで言わずとも心得てます」

 

     ***** 

 首都の賑わう街中にお使いに行くクワンパだ。
 もちろん護衛に私服の女性巡邏兵が付いてくる。
 ベイスラ出発時からのマルスミ・アダ正兵だ。

「クワンパさんはこの辺りの地理にお詳しいですか」
「それが修学旅行に来た時以来で、もちろん単独行動なんかしてません」
「ならご案内いたしましょう。書店ですね」
「それと、所長の要望で「燻製ゲルタ」を買わねばなりません」
「燻製、ですか」

 マルスミ正兵も軍人だ。軍隊生活にゲルタが付き物なのは理解する。
 その常識から言っても、燻製ゲルタはゲテモノの部類に入る。

「……普通のお店では売ってませんね」
「やはり軍隊の酒保とかでないとダメですか」
「退役軍人の為の店が有るにはありますが、」

「巡邏軍では食べませんか」
「食べませんね。基本巡邏兵の勤務地は街中、田舎であっても人の居る場所ですから。
 陸軍や海外派遣軍の兵士には必需品と聞いてます」

 つまりはまともな飯が出るところでは、燻製ゲルタに用は無い。
 第一堅くて食えたものじゃない。
 なにもない僻地や最前線で口寂しさを紛らわせる嗜好品だ。

 

 ゲルタ話をしながら通りを歩いていて、ふと気がつくと隣に古書店がある。
 マルスミは大きな本屋に案内するつもりだったが、

「……あの文句古いし、ソフソも子供向けでないと言ってたし、
 古書店の方が古い詩文のキラカルタがあるかも」

 夏の暑さで開け放たれたガラス戸を潜って、店内に足を踏み入れる。
 案の定の年季の入ったカビ臭さが出迎えた。

 古書店の主人の勧めに従って「キラカルタ」と占い札「タンガラム・カヴァロ」の解説書を入手。
 また旧版の「キラカルタ」一式を購入した。
 ついでに主人の案内で路地の奥の軍用品放出店に行き、マキアリイ念願のブツを手に入れた。

 もう少し買い物を楽しみたかったが、今この瞬間にも破壊活動が行われているかもしれない。
 急いで旅宿館に戻ろう。

 

 部屋に戻ると新聞紙が乱舞する。

「なんですかこれ!」
「おうクワンパ戻ったな。喜べあと半刻(1時間)でまた街頭演説だ準備しろ」
「あ、ウェゲ会から連絡来ましたか。でもこれ何の騒ぎ、」
「予告状で何の事件が起きたのか、首都圏に限ってだが事件事故を探している」

 なるほど、一昨日に来た予告状は既に遂行済みのはず。
 人為的なものであれば新聞報道に記されているだろうから、それを探すのか。
 しかし手掛かりは、
チュダルム姐も新聞紙をばさばさとめくりながら指示する。

「クワンパさん、あなたはキラカルタの本を調べて。詩文が分かれば事件も分かるはず」
「はい」

 紙袋を開けて本を取り出したところで、部屋の扉をいきなり開いて若手の捜査官が入ってきた。
 彼も舞い散る新聞に怯むが、叫ぶ。

「本日分の脅迫状、鑑識から戻りました」

 マキアリイクワンパ彩ルダムにゲルタガ主任捜査官も首を並べて、
茶封筒から取り出される予告状を確かめる。
 持ってきた捜査官が読み上げた。

「文面は、”いやさ甘露と思えば罪をも犯し舐めナメようが、天罰忽ちに下りては近う候”、
 同封の占い札は神界札12の”白穰鼡ピクリン”です」

 クワンパさっと顔色を青ざめる。ピクリン(ネズミ神)と言えば、

「子供の神様です」
「なんと!」
「良くないわね、それは良くないわ」

 さすがにマキアリイはクワンパに注意する。短慮は良くない。

「姐さん、ピクリン神は一般には子供の神様で通るが、もちろん獣の神でありご馳走にも関係する。
 予断は捨てて調べるべきですよ」
「そうね、ああでも対象が広すぎて見当がつかないわ」

 まったくに。見極めの為に詩文が添えてあるのだから、キラカルタの分析を進めるべき。

 クワンパは気を取り直して古書を開く。
 出版から60年は経つ第七政体の頃の本だ。
 カビというよりはホコリの臭いがふわと漂う。

 

     ***** 

 「キラカルタ」とは。

 古典演劇『KURANOの復仇』における悪役「老人KIRA」の名を冠したカルタ、だ。
 創始暦5006年に降臨した救世主「ヤヤチャ」がもたらした、星の世界の物語とも言われる。
 その内容は、

 とある国のとある地方「AKOH」の領主「ASANO」が、
都の大王「TUNAYOSI」の宮廷で神使饗応の栄えある役目を命じられる。
 だが礼法指南の「老人KIRA」に疎まれ度重なる嫌がらせを受け、 忍辱に忍従を耐えかねて、
遂には宮中にて抜刀の沙汰に及ぶ。
 無念にもKIRAを討ち果たせず 捕らえられ、大王激怒で即日「SEPPUKU」の憂き目に遭った。

 ASANOの家臣「KURANO」は亡き主君の仇を討たんと神に誓願し、
家中47名忠義の臣と共に艱難辛苦を乗り越え、様々な敵の奸計を打ち破り、
雪降り積もる都にてKIRA邸に討ち入り、激闘の末怨敵が御印を上げた。

 古今に稀なる忠義の振る舞いに大王もいたく感銘したが、さりとて法を破りし47士の処分に苦慮する。
 学者賢者の議論も紛糾しまとまらぬ中、諮問を受けた高徳の僧侶の言に従いて、
大王はKURANOらに自ら腹を斬る裁きを与える。
 KURANO以下47名全員が神妙にまた礼儀正しく、自らの命を旧主に捧げた。
  世間は「もののふとは斯くあるべし」と称賛し、後世までに語り継いだという。

 非常に長い物語であるが、カタツムリ神殿の俳優達により千年に渡って受け継がれ演じられ、
タンガラムを代表する武者物演劇として知られている。

 特に当時タンガラム方台を分割支配していた聖戴者「黒甲枝」に、自らのあるべき理想と尊ばれた。
 この千年において人々の行動を支配した規範の一つとも言えよう。
 カニ神殿においてもKURANOの命日にお祭りをして、人々に忠節を説教するほどだ。

 

「そこまでは一般常識なんだけど、」

 クワンパが読み進めるのはその先。「キラカルタ」の成立だ。

「えーと、創始歴6006年の「ヤヤチャ様降臨千年祭」において、
 カタツムリ神殿が記念に発売したのが「キラカルタ」
 物語を演じた歴代の名優の絵姿を描いて、当時の人に爆発的に売れた。

 その後、名優達の顔を戯画化した大首絵のカルタが世間に広まり、
子供の遊びに盛んに用いられるようになる。
 子供向けに文面を易しく手直ししたのが、今一般に知られる「キラカルタ」というわけか」

 『KURANOの復仇』に登場する忠義の士は47名。
 これに「ASANO」と「KIRA」の2名を足して、「タンガラム・カヴァロ」と同じ49枚にした。
 だが、ASANO方ばかりで敵方が居ない。
 忠義の士を大きく削って人気者のみとし、その他配役を等分に突っ込んだ。

 KIRA方の悪役、大王「TUNAYOSI」と宮廷廷臣、領主に武者に僧侶に一般庶民、女人などなど。
 総勢49名を7種7枚に振り分ける。

「おかげで顔ぶれが多彩に渡り、子供も熱狂して様々な遊びを自ら編みだすこととなる。
 まあね」

 タンガラムの子供は全員がキラカルタで遊んだ経験がある。
 難しい詩文も、元は芝居のセリフだ。印象的でハッタリが利く。
 日常会話の中にもついつい口から飛び出した。
 KIRAの台詞の「ゲルタじゃゲルタ」などは、イジメにも使われると先生に禁止された。

「さて」

 旧版の本を買ってきたから、古い難しい台詞もちゃんと載っている。
 脅迫状に添えられる詩文もやっぱり見つかった。
  「蛇」を意味する最初の詩文も、キラカルタにこそ無かったが、『KURANOの復仇』本編から見出だせる。

 しかし。

 

「意味が分からない……。」

     ***** 

 買ってきたカルタ49枚を並べて名優達がそれぞれに演じる登場人物の大首絵が揃ったが、面白いだけだ。
 犯罪とどう繋がるものか。

 もちろんヴィヴァ=ワン総統を示唆するであろう「老人キラ」の札はすぐ見つかった。
 いかにも憎々しい、権力を笠に着て我が世の春を謳歌する傲慢な笑い顔。
 なるほど、爺ぃの権力者を揶揄するのにこれほどのモノがあるだろうか。

 残りは2枚。まずはマキアリイ達が首都に来た初日に受け取ったものだ。

「”あな恐ろしや剣の煌き 藪の潜みのこの暗がりに姿晦まし難をば避けん”
 あ、これだ。えーと「重臣クロベエ」」

 殿様アサノの財務を司る家老でクラノと共に御家を支えた。
 有能な経済官僚であったが、御家が潰れると見るや公金を私して遁走。
 追手を巻いて山中に身を潜めたところ、獣の罠に入り込み、
猟師に追われた山荒猪が突っ込んできて黄金をばらまきながら頓死。

 カルタの絵姿には、老境に差し掛かる男性が人目を避けて藪に隠れる怯えた表情。
 元が家老で立派な風采が望ましいが、にじみ出る卑しい根性が顔を歪ませる。

 

「”いやさ甘露と思えば罪をも犯し舐めナメようが、天罰忽ちに下りては近う候”
 これだ。「悪坊主チンネン」!」

 ああ、こういう奴が居た。と子供の頃にキラカルタで遊んだ記憶が蘇る。
 頭を剃って髪の一本も無く、目は細く線を引かれ、口は半ば開いて乱杭歯が露出する。
 笑うような困ったような、見方によっては幼い風にも思える年齢不詳の男性だ。

 小学校の時分を思い返せば、学級に一人はこんな顔の男の子が居て、あだ名に「チンネン」をもらっていた。
 とはいえ子供達は何者か心得ず、ただ面白いからと遊んでいた。

「えー「売僧チンネン」
 神の教えを説く立場でありながら金貸しを営み強引な取り立てで貧しい人を苦しめた悪僧。
 悪行が過ぎて公儀の取締りに遭い財産を没収島流しに処せられるのだが、
 お供え物をこっそりと盗み食いして腹を下し、便意にのたうち回りながら捕り方に縛られて退場。

 うん、面白い役なんだな」

 

 さっぱり分からない!
 マキアリイと彩ルダムも呼んでみるが、カルタの上で首を捻るばかりだ。

 そこにいきなり扉が開いて、ウェゲ会の政治秘書ハグワンド・ムシルが選挙新戦略を携えて訪れる。

「マキアリイ先生、準備してください。15分以内に現場に到着しなければなりません」
「おい、そんな急かよ」
「車はもう回しております。クワンパさんも急いで」

 慌てて部屋中に散乱する新聞紙を片付けて、残りは彩ルダムと捜査官一同に任せるとして、
ばさばさと畳まれていく新聞の中に、クワンパは。

「あっ!」

 それは数日前公休日に配達された新聞別紙で、今回総選挙に挑む候補者一同の紹介が載ったものだ。
 白黒の印刷写真で候補者の顔が並ぶ中に、

クワンパは「チンネン」を発見した。
 片付ける捜査官の手からばっと引ったくる。

「どうしたクワンパ」
「居ました、コレです。キラカルタが示唆するものは」

 大きく開かれ卓に広げられた紙面に顔写真が矩形に並ぶ。
 まるで7×7=49の正方に整列したキラカルタのように。
 クワンパが指し示す「チンネン」にマキアリイは、そして彩ルダムは息を呑む。

 まさにチンネンがそこに居た。

「これはー野党候補ですね。現職ではなく経験者ですが今回復帰を狙う、」
「ルルント・タンガラム特別区ではないわね。
 グルンロン県の「正方台改新党」メアサン・ネチネー候補49才……」

 彩ルダムは捜査官の一人に命じる。

「ただちにメアサン候補の所在を「改新党」に照会して」
「はっ」

 クワンパと共に新聞の候補者紹介を読み進めていたマキアリイが進言する。

「姐さん、この紹介文ではメアサン候補は教育関係を基盤とする政治家です。
 本人でなくても関係者が首都で行っている活動も警戒すべきでは」
「所長、有りました。クロベエです」

 クワンパの指摘に彩ルダムも再び顔を伸ばして確かめる。

「元ウェゲ会の、アテルゲ派ね。この人知ってるわ、カムアネシス・サモンピ議員。
 西岸ティカ県選出の漁業関係に票田を持つ実力者ね。前回補欠選挙当選組よ」
「アテルゲ政権の実力者であれば、家老のクロベエと立場は似ているのでは」

 二人の写真と2枚のカルタの大首絵を並べてみると、室内の全員が同じ感想を抱き嘆息する。
 そっくりではないか。

 いや、新聞に並んだ候補者達の顔写真のなんと多彩なことか。
 いずれも政界の荒波を生きてきた曲者揃い。悪党面が連なって、まさにキラカルタの世界だ。

 クワンパ結論を出す。

「身も蓋もなく、キラカルタに似ている人が攻撃対象ですね」

「同意するわ。ゲルタガさん特別捜査本部に連絡よ」
「はい。これは一大事だ」

 

     ***** 

 カムアネシス・サモンピ議員は一昨日は首都に居て、
かってのアテルゲ派議員、 つまり自分の子分だったウェゲ会議員を切り崩す交渉を行っていたらしい。
 そのウェゲ会議員の選挙事務所に当日、「路面貨車」が突っ込んだ。

 首都ルルント・タンガラムは全市に路面鉄道が複々線で張り巡らされ、貨物輸送にも用いられている。
 各所に引き込み線が設けられ、大規模施設ばかりでなく中小の事業所や店舗でも利用していた。

 路面鉄道の事故は多いとはいえ、車両が暴走して家屋に突っ込むなどはめったに無い。
 だから結構な大きさで新聞でも報道されていた。
 死者2名のち1名追加の大事故だ。

 幸いカムアネシス議員は事故当時その場には居合わせなかった。
 もしヱメコフ・マキアリイ宛の予告状が無ければ単なる事故として片付けられただろうが……。

「山荒猪ならぬ路面貨車が突入か」

 もう1件、本日到着の予告状も手遅れだった。

 メアサン・ネチネー候補が参加予定であった文教関係の会合が、総統暗殺未遂の影響で流会し、
教育関係者のみが集まる小規模なものになってしまった。
 その昼食で提供された料理で30名以上が食中毒に。
 幸い死者は出なかったが、メアサン候補が出席していたら大事件に拡大したかもしれない。

 

 という報告を、マキアリイとクワンパは街頭で受ける。
 本日もまた議長候補アンクルガイザー氏の応援だ。
 議長だけはなんとしても確保しなければ後の復活が果たせない、とのウェゲ会の判断だ。

 おかげで氏と親しく語らう暇も出来た。
 これが策である。
 天下の英雄マキアリイが、一般市民の信頼も篤いアンクルガイザー氏と正義の実現について語るのだ。

 「総統令撤回で闇御前裁判が中止になる」という話は有権者も注目する。
 アンクルガイザー氏が議長になったら食い止めてくれるだろう、と期待する人は多い。
 運動員達も歓喜の涙を流すほどに大勢が押し寄せ、耳を傾けてくれた。

 一方クワンパは、

「ぐわあああああ」

 集まった群衆の中から不埒者を見つけ出して殴りまくっている。

 敵対陣営が動員したヤジ勢や騒乱で引っ掻き回そうとする連中だ。
 だが暴力に訴える者はほとんど居ない。
 なにせ巡邏兵や警備員が十重二十重に囲み、英雄マキアリイへの攻撃を警戒していた。

 刑法犯に問われる手は使えない。であれば、
風紀を紊乱する下ネタ替え歌を高らかに歌う。

 タンガラムの選挙戦においては伝統的な手法だ。
 言論の自由を盾にとって会場の雰囲気をぶち壊す。
 もちろん制止しようとやってくる突撃運動員との乱闘に持ち込むのが目的だ。

  カニ巫女がその場に居たのが運の尽き。

 厳密に解釈すれば暴行罪にあたるのだが、巡邏兵も見て見ぬ振りだ。
 マキアリイは壇上から「困ったな」と眺めている。
 カニ神殿の通常業務の範疇だからどうしようもない。

 アンクルガイザー氏がなだめた。

「やはりどちらが正義かは難しい問題だと改めて認識するねえ」

 論壇の下に戻ってきたクワンパに、護衛のマルスミ・アダ正兵が苦情を言う。

「このような真似をされては護衛の役が果たせません。控えてください」
「宗教戒律に基づく正当な使命でありますから、私本人としては止めようがありません。我慢してください」
「そんなあ」

 見境なく棒を振るうのがカニ巫女だ。
 師姉シャヤユートであれば遠慮なく頭蓋を割っているだろう。自分なんかまだまだ甘い。

 

 マキアリイを支援する政治秘書ハグワンドの元に、ウェゲ会の運動員が走り寄り耳打ちする。
 近辺の公衆電話に張り付いて伝令役を果たしていた。

 報告を聞いたハグワンドは、壇上のマキアリイに声高く呼び掛ける。
 多分に集まった聴衆にも聴かせる為に。

「マキアリイさん、第四の予告状が来ました!」

 

第二十五話その5「これが「民衆協和主義」だ」

 ヱメコフ・マキアリイ宛ての第四の予告状は郵便局から直接に、
首都中央警察局の「ヴィヴァ=ワン・ラムダ国家総統暗殺未遂事件」特別捜査本部に届けられた。
 鑑識が精密な調査を行いながら捜査官も直接に内容を確かめる。

 既に捜査本部は予告状の解読方法を理解して、標的となる議員・候補者の特定に成功した。
 法衛視チュダルム彩ルダムにも伝えられ、本来の宛先であるマキアリイに連絡された。

 

「カプタニア県選挙区のマリツオオ・ロッヒ議員、知ってるわよね」

 電話の向こうで告げるチュダルムの姐さんは心なしか浮き浮きしている。
 マキアリイも知る有名議員だ。
 そして何故姐御が上機嫌なのかも分かるから、気分を害せぬ対応をする、

「聖戴者黒甲枝の家系でしたか、チュダルムの家と同じく」
「違うわよ、金翅幹家。紛れもなく貴族の家柄超名門よ」

 旧褐甲角王国において聖戴者として「神兵」を名乗りギィール神族と戦ったのが「黒甲枝家」だ。
 だがその上位にあり、政治と外交を司ったのが「金翅幹家」である。
 彼らは最初期の神兵であるが、国家としての陣容が整い「金雷蜒王国」と対等の交渉をする為に自ら変革を遂げる。
 刀槍を置き、知性教養芸術等で武装し宮廷人として渡り合う。
 真の貴族にならざるを得なかった。

「チュダルム家よりは下なんでしたね」
「そうなんだけどさあ」

 しかしながら建国の功臣である「チュダルム家」は、頑として軍務を離れず最前線に在り続ける。
 神兵としての本分を忘れず民衆の為に戦う姿は、すべての聖戴者の尊敬を集めた。
 故に黒甲枝の頭領と讃えられ、金翅幹家よりも高い権威を認められた。 

「でも姐さん、「タンガラム民衆協和国」において聖戴者の家系は公職には就けないんじゃないですかね。
 法務以外は」
「そこが上手いことやったんだよ金翅幹の連中は。
 要するに黒甲枝を生け贄に、自分達は軍務に与る立場にはなかったと特別扱いを勝ち取ったんだ。
 駆け引きは彼らのお家芸だからね」

 というわけで金翅幹家の人間には「嘉字」が無い。
 チュダルム彩ルダムの「彩」の字などの、姓名の間に挟まる文字だ。
 聖戴者家系の継承者の証しであるが、あっさりとこれを捨てている。
 だが旧王国の集まりでは当然に嘉字を名乗っていた。改名は単なる方便とするあざとさだ。

 マリツオオ議員の本名は、マリツオオ謙ロッヒ。
 後援会内部でも公然と用いている。

「謙さま、なのよねー」

 

 マリツオオ・ロッヒ議員は42才当選3期。 
 世間に疎いマキアリイが知るのは、ソグヴィタル・ヒィキタイタンと同様の「王子様議員」であるからだ。

 顔良し姿良し家柄良しでお金持ち。
 元は聖戴者で貴族の家系となれば、まさにヒィキタイタン。
 さすがに軍務には携わっておらず「国家英雄」でもないが、御婦人方の人気は絶大。
 再選は鉄板と見られている。

 ヒィキタイタンもソグヴィタル王家の流れを汲むのだが、早々に聖戴者の資格を失った木っ端名門。
 「ソグヴィタル王国」も「カンヴィタル武徳王国」の分家筋に当たり、格が下だ。

 とはいうものの、
ヒィキタイタンの母親は金翅幹「スルベアラウ家」出身。姐さんの叔母である。
 血筋で言うなら、ヒィキタイタンの方がほんのわずかに上と呼んでもいいだろう。

 

 なお本年36才の御歳となる姐さん若かりし頃、20才の砌に、
ロッヒ氏とお見合いした事がある。
 互いに名門であるから婚姻も自然な流れであったのだが、
そもそもがチュダルムの親父殿がまさに黒甲枝の権化とされる難物堅物で、
娘がまた父親とそっくりの性格と来るから、丁重にお断りされてしまった。

 という話を、以前マキアリイは聞かされた。

 

     ***** 

 街頭で選挙運動の最中だ。道端の公衆電話を用いて話をしている。
 マキアリイの背後には「ウェゲ会」の運動員が選挙本部に連絡したくてうずうずと順番を待っていた。
 だが国家英雄マキアリイ様のお邪魔は出来ず、ひたすら我慢する。

 悪いな、とは思いながらも電話を譲る気は無い。

「それで、予告状の内容はどうでした」
「もう解読しちゃったからあなたの出番は無いんだけど、まあ伝えておくわね」

 予告状はこれまでと同じく『タンガラム・カヴァロ』の占い札と『キラカルタ』の詩文の対になっている。

 占い札は人界札8の昼「婚姻」」。女性の幸せな一生を表す札の2番目で、まさに結婚式を描いている。
 詩文は、 
『家門を捨て領地を捨て
 健気な臣の汝らとも別れ別れとなる門出よ』

 古典演劇『KURANOの復仇』における悲劇の君主ASANOの台詞だ。
 宮中にて抜刀し憎き老人KIRAに斬り掛かるも本懐を果たせず、
大王TUNAYOSHIの怒りを買い即日SEPPUKUの憂き目に遭う。
 死の儀式に臨むASANOが移動中、階の下に身を潜める己が家臣に残す言葉のひとつであった。

 『キラカルタ』の絵柄では、白装束に身を包むまだ若き領主が悲痛な面持ちで遠き先を望む姿。
 高貴な相が見て取れて、狙われる候補者もそれなりの身分だろうと推測出来た。
 顔写真で簡単に「マリツオオ・ロッヒ議員」と特定する。

 チュダルムの姐御。

「それがさ、ごく最近の女性向け醜聞紙に載ったマリツオオ議員の写真に、これがまたそっくりなんだって」
「芸能関係の新聞ですか。クワンパなら知ってますかね?」
「知ってるでしょうね。目ざといもんあの娘」

「分かりました。それで襲撃場所の特定は出来たのですか」
「占い札が『婚姻』だからね。結婚式場とか神殿とか、カブトムシ神殿はそういえば結婚の神様だったわね」
「それはー、ご自分が一番よく知ってるのでは」
「うん」

 褐甲角神「クワアット」は武神であるが、司る権能は「契約・約束」であり「結婚」だ。
 その使徒である黒甲枝家も結婚を証明し祝福する仕事がある。神官や巫女に類する存在だ。
 金翅幹家の名門議員であれば、業界の集まりなどに招かれて当然。

「なるほど、警察局の捜査官が網を張るのも簡単ですか」
「だからマキアリイ君は気に留めず存分に選挙運動の応援よろしく。じゃ」

 

 あっけなく切れた通話にマキアリイは受話器を戻す。
 脇で耳を欹てて聞いていたカニ巫女事務員に尋ねる。

「マリツオオ議員て最近なにかしたか」
「女性問題ですね。振られた女性が芸能記者に色々暴露して記事が載りましたね。
 選挙直前のことで、議員を落選させるための工作とも疑われ、女性の方もさんざんに叩かれましたよ」
「そうか、なら渋面で写真に写っていても不思議はないな。

 いや待て、議員はちゃんと結婚してただろ。不倫か?」
「そこがまあ、いろいろでして」

 大人も長くやってればいろいろネタも生まれるだろう。
 一々付き合ってもキリが無いが、それが芸能記者のお仕事だ。
 「英雄探偵マキアリイ」も取材される側としてある事ない事書き立てられた。御同情申し上げる。

 

     ***** 

「ほお、次の襲撃目標はマリツオオ議員ですか。彼はよく存じ上げている」

 戻ってきたマキアリイに事情説明を受けて、
国家総議会議長候補アンクルガイザー・オーガストは頷いた。
 名門議員として数々の式典に出席するマリツオオ議員とは、顔を合わせる機会も多い。
 人となりも理解する。

「彼は女に現を抜かす人ではないが、なにせモテるからなあ。
 突っ撥ねるわけにもいかないから誤解を受けるのも少なくない」

「次の襲撃の手口としては、短刀による直接攻撃それも女性が刺客、ではないでしょうか」
「英雄探偵がそう思うのであれば。
 だが巡邏兵や警護官が厳重に守っていれば、そのような手段では無理ではないかな」
「襲撃対象があらかじめ分かっていれば未然に防げるでしょう」

 予定では、アンクルガイザー氏の首都での選挙運動は今日まで。
 明日からは鉄道カプタニア線で東に向かい、
ヌケミンドル市からスプリタ街道高速幹線鉄道で北部デュータム市へ、
さらにボウダン街道線で東岸に向かい、
東岸各市で運動を行った後に飛行機で南岸中央のイローエント港へ飛んで、
再びスプリタ街道線で北上、
ノゲ・ベイスラ市から首都に戻って今度は西岸各市を訪問する……。
 地獄の方台一周巡りだ。

 高齢の氏にとっては過酷過ぎると思われるが、元が軍人。
  可能な限り全国の有権者と顔を合わせて信頼を築きたいとの本人の要望だ。
 強行軍もものとはしない。
 むしろお付きの運動員、有志で協力する軍人達が大変だ。

 その軍人の中に一人緊張感が漂う若手士官が居る。
 マキアリイをきっと見据えて真正面から挨拶に来た。

「自分は首都近衛兵団司令部付き要人警護中隊の剣匠隊教導ソゥヱモン・ジューソー小剣令であります。
 名高い国家英雄のヱメコフ・マキアリイ掌令とお会いできて光栄です」

 マキアリイも軍人として敬礼で返す。

 彼が自分に特別な関心を払うのは当然だ。
 要人警護隊は銃火器のみならず白兵戦闘、刀剣類を用いての戦闘技術も必須となる。
 剣匠隊とは刀剣での戦闘に特化した訓練部隊。全軍の模範となる存在だ。
 隊員は選りすぐられた精鋭揃い。古流剣術流派の師範までもが在籍する。

 今タンガラムで、全世界においても注目される白兵戦闘の達人といえば、ヱメコフ・マキアリイ。
 武術の神と讃える人すら居るくらいだから、
腕に覚えのある向きならば機会があれば立ち会いたいと願っている。

 実はマキアリイ、剣匠隊とは浅からぬ因縁がある。
 もう10年も前になるが、「潜水艦事件」での活躍で国家英雄に祭り上げられ、
軍の好感度を上げる為全国を引っ張り回された。
 武術の猛者達との模擬格闘を市民の面前で演じさせられる。

 もちろん軍隊であるからほぼ実戦の様相を呈し、
各部隊が名誉を賭けてちょこざいな若造少兵を凹ませてやらんと大人げなく打ち掛かる。
 にも関わらず、マキアリイ連戦連勝。
 ヤラセではないかと疑われ、ますます激しく厳しく攻撃された。

 「英雄探偵」として人気の今では実力を疑う者はさすがに居ないが、
逆に英雄を打ち倒して名を上げんとする輩が増えていた。
 とにかく迷惑だ。

 

 という目でソゥヱモン・ジューソー小剣令を見てみれば、
なるほどクワンパも納得する。
 彼は左の腰に長い軍刀を提げている。黒革の鞘に納められた流麗に湾曲する「トカゲ刀」だ。
 軍の装備品ではない。私物になる。

 トカゲ刀とは1200年の昔タンガラム方台に降臨した救世主「ヤヤチャ」がもたらした星の世界の武器だ。
 斬れ味鋭く髪の毛一筋を縦に裂き、
難しい操法を身に付ければ変幻自在の攻撃が可能となる神器であった。

 つまりは携えているのはタダモノではない。
 カニ巫女棒術も名人達人となれば凄まじい技量を見せるのだが、それでも彼は叩けないかもしれない。

 小剣令は言った。

「お供のカニ巫女の方が自分を睨んでいるのですが、何かございますか」
「あ、申し訳ありません。ですが、
 所長との立ち合いを所望されるのであれば、選挙が終わった後にしてもらいたいと思います」

 ハハハと彼は笑う。こちらの希望はお見通しか。

「確かにヱメコフ掌令と剣を交えてみたいとは思いますが、今回は平和的に選挙運動を行っています。
 残念ではありますが遠慮いたしましょう」

 マキアリイは「ほらな」と常識人の顔をして事務員をたしなめるが、クワンパそれでも疑心を捨てない。

 こういう涼しげで真っ直ぐな若い奴ほど自らの信念に従って非常識をやらかすものだ、
とカニ巫女教育で習っている。
 つまりは、カニ神殿の者と同類だ。

 

     ***** 

 公式写真家の美女クニコ・ヲゥハイも付いてくる。

「次はどんな面白い場面見せてくれるかしら、
 野次連ぶっ叩くの、いい写真が撮れました」
「貴女の為にやってるわけじゃないんです」
「クワンパさん、でも人を叩くのは楽しいんでしょ」

 

 本日午後からの選挙運動は下町の路地に足を運ぶ。

 アンクルガイザー氏も上流社会財閥の有力者や、有名企業の大学卒ばかりでなく、
庶民や低所得者層とも話がしたいと願っている。
 議長という職は直接には貧しい者の味方になれないが、
政治に信頼を与えるとはつまりはそういう人達の信を得る事だ。

 下町であれば英雄マキアリイの得意とするところ。
 なにせ鉄道橋下の刑事探偵事務所がまさにそんな街に有る。

「それではマキアリイ君に案内を頼もう」
「お任せください」 

 随伴するウェゲ会の政治秘書によると、
今日の一般庶民と触れ合いは、 ウェゲ会後援会有志の「協賛会」だ。
 特定個人ではなくウェゲ会候補全員を応援するもので、市内のあちらこちらで開かれている。

 もちろん他の政党も「協賛会」を展開し首都全体、タンガラム方台全土で大騒ぎとなる。
 これが国政選挙、国民が熱狂する12日間のお祭りだ。

 「協賛会」では酒が振る舞われる。
 屋台で串焼きや焼きゲルタも食べ放題。もちろん無料。
 広義の観点では”有権者への饗応”と見做されるが、ほぼ野放し無制限だ。
 なにせ選挙違反を監視するはずの民間「刑事探偵」が酒飲んでるのだから。

 何故「饗応」が選挙違反とならないのか?
 タンガラムの有権者は咎められても皆こう言い放つ。

「オレの一票はそんな安いモノではない!」

 基本的に1食あたり1ティカ(5千円相当)の超御馳走でもなければ饗応とは認められない。
 高級料理店で事前予約で注文しなければ出てこない代物だ。
 不特定多数の有権者にそんな大金で振る舞っていたら、大富豪でもあっという間に破産する。
 事実上不可能であるから野放しなのだ。

 とはいえ特定有力者に対する高額の饗応は普通に「選挙違反」となる。
 摘発された例は聞いたこと無いが、有権者誰もが
「たぶんあいつは買収された」と気付いているものだ。

 

「俺は候補者じゃないから飲んでも違反にはならない」
「それはそうですが、有権者に与える印象がありますので、マキアリイ先生もご自重ください」

 マキアリイ付きの政治秘書ハグワンドが注意するが、
豪放磊落も「英雄探偵マキアリイ」の売りだ。
 自称「夜の英雄」でもあるし、羽目を外さなければ納得してくれない人も多かろう。

「でもこれじゃあ、羽目の外しようが無いぞ」

 随員が多すぎるのだ。

 アンクルガイザー氏は元近衛兵団長にして有名人の英雄で、支持者が元々多い。
 選挙運動を支援する有志には事欠かない。
 さらにウェゲ会が命運を懸けての背水の陣で臨んでいる。
 政治秘書運動員さらには護衛の突撃運動員と百人ほども動員する。
 そして総統府より派遣されている警護官、巡邏軍の護衛兵。
 加えて軍人有志だ。
 軍部においても彼の議長就任は望ましく志願者を絞るのに苦労した。

 同様に、「国家英雄」マキアリイにも要らない人数がまとわり付く。
 なにせ妨害活動の予告状がマキアリイ本人に届いている。
 直接攻撃もあって然るべきと警察局も巡邏軍も考える。

 さらに取材記者、写真家撮影家。
 音声放送の機材や映画の撮影機を積んだ自動車までもがのろのろと付いてくる。
 彼らはやはり「英雄襲撃」の現場を待ち望んでいた。

 ついでに野次馬だ。
 どうしようも無く膨らむ行列はまるで祭りの行進。鳴り物が無いのが不思議なほどだ。

 マキアリイはアンクルガイザーに顔を近付け進言する。

「少数で逃げましょう」
「うん、望むところだ。ゥヱモン君!」

 ソゥヱモン・ジューソー小剣令を呼んで、わずかの供回りで協賛会場に向かう意向を告げる。

「心得ました。しかしどうやって人数を引き剥がしましょう」
「それはこちらに任せてくれ。
 クワンパ!」

「お任せを」

 カニ巫女は所長から離れ、
後に従う人数に3杖(2.1メートル)緋白の紐飾りの棒を真っすぐ掲げながら歩みを止めた。

 

     ***** 

 写真家クニコ・ヲゥハイは重い写真機材を肩に走り抜け、ようやくに息を吐く。

「……はあ、はあ、カニ巫女ってのは便利なものですよ」

 マキアリイとアンクルガイザー、
ゥヱモン他2名の軍人、巡邏軍護衛兵が1名に、写真家クニコのみとなる。
 案内の政治秘書は置いてきたが、路地に入ればマキアリイが慣れ親しんだ常の状況。
 祭りの会所のような協賛会場に難なく辿りつく。

「あれえ、ヱメコフ・マキアリイさんではないですか! こんなところに、こんな、ああっ!」

 いきなり駆け込んできた一行に、会場の世話役らしき中年男性が目を丸くする。
 ついで、予定通りに選挙運動の為にアンクルガイザー氏とやって来たと理解した。
 先乗りしていたウェゲ会の運動員もびっくりする。

「え、先生方はこの人数で、他の者はどうされました」
「ははは、あんな数連れて市民と触れ合えないじゃないか。
 アンクルガイザーさんは一般庶民の生の声が聴きたいんだ」
「うん、よろしく頼むよ」

 さすがは英雄のお二人だ! とその場の者は感に打たれる。

 「英雄探偵マキアリイ」は弱き者貧しき庶民の味方、
軍隊を率いて政治の横暴を制止した伝説の英雄も、やはりものの分かった御人だと。

 簡素な木の腰掛を持ってきて、アンクルガイザーとマキアリイを座らせる。
 会場の男達が、それも年配長老格の者から順に挨拶。一献捧げるのをマキアリイが飲んでいく。
 アンクルガイザーは歳だからそこまで飲めない。

 無双の強者が盃を空にするのを他の年寄り達と共に頼もしく見守る。

 ほとんどお祭りだから女子供も集まっていた。
 揃いの法被(のような服)を引っ掛けて鮮やかだ。
 背にはヒィキタイタンの似顔絵が印刷され「投票よろしくね」と書いている。
 見回すと、会所の中には同じ似顔絵が付いた様々な物品が販売していた。

 饗応は違反に問われないとはいえ、やはり大きな負担。
 初日からばら撒き振る舞っていては、たちまち資金が枯渇する。
 そこで、老舗の政党では選挙記念の物品販売を行う。
 また日用雑貨食料品等に候補者の顔写真や公約を書いた紙を貼り付ける。
 もちろん市価より安値で売れば饗応であろうが、値段はまったく変わらない。
 それどころか少し高かったりもする。

 物品販売で儲けた資金で、選挙運動最終局面に大々的な饗応を行い有権者にダメ押しする作戦だ。
 だから人気の候補者、王子様議員の記念品は当人の選挙区でなくても売っている。
 今回は大人気ソグヴィタル・ヒィキタイタン議員と、

「俺の商品もあるのか」
「マキアリイさんは大人気ですよ。
 ありがとうございます、これで我が方ウェゲ会大勝利まちがいなしです」

 ヒィキタイタンとマキアリイが並んだ写真がそのまま売っている。
 またヒィキタイタンの横顔が芸術的に撮影された大判写真を買っていく若い女性の姿も。
 マキアリイは写真家クニコを見る。
 彼女は苦笑い。

「ええ、この写真私が撮りました。
 こんな風に使われるとは思ってもみなかったけどね」

 20才前の若い衆がこちらにモノを言いたげに見ているのを、クニコは気付いた。
 マキアリイの肩をちょっと叩く。

「……お、おう」

 子供達が十数人もマキアリイに話し掛けたくて集まって、若い衆に止められている。
 偉い人達とのお話を邪魔しない配慮だろうが、天下の英雄人気者の吸引力には抗えない。

「おう、いいぞ!」

 マキアリイ立ち上がって子供達の方に行く。
 わーと群がって脚にしがみ付いてくる。

「ほんもの、本物だあ」
「マキアリイさん、今日はヒィキタイタンさまとは一緒じゃないの」
「すげーすげすげすげー、マジでマキアリイが目の前にいるすげー」

 ついで、隣に立って周囲を警戒するソゥヱモン小剣令も子供に囲まれる。
 マキアリイも一応軍人であるし、本職が厳に警戒する気合を見せればその凛々しさに惹き付けられる。

「わあこの人、カタナ持ってる」
「これトカゲ刀だぁ、すごい切れるやつだ」
「マキアリイさん、この人強いの、つよいの?」
「ああ、めちゃくちゃ強いぞ」

 国家英雄と違って一般人に囲まれる機会など持たない小剣令は、
子供に強く当たるわけにもいかず困り顔を見せるばかりだ。

 その姿にアンクルガイザーも目を細めた。
 ヱメコフ・マキアリイの人徳は周囲の人を明るく変える。
 会所を提供する店主の盃を受けながら語る。

「タンガラム民衆協和国は良い人を得たものだ」
「まったくでございますな。マキアリイさんは暗い世相に光を差し込んで下さいます」
「だが彼一人に任せておいてはいかんよ。
 私が推薦に応じたのも、彼の影響があったのかもな」

 

 しかし子供達を留めていた若い衆は、路地の抜ける先を鋭く見詰めている。
 クニコも気付いてゥアム舶来の写真機を向ける。

 敵が来た。

 

     ***** 

 他党の突撃運動員が数名、手に新聞紙を丸めた棍棒を携えて突っ込んでくる。

 大手政党と違って、弱小政党の候補者は資金力も動員数も劣る。
 協賛会で酒肴を振る舞うなどとうてい無理。
 であれば、他党の饗応を実力で粉砕して条件を五分に整えるべし。

 ではどのように攻撃するか。
 協賛会会場に乗り込んで、有権者に供される酒を飲み干す食い散らかすのだ。

 無論乱入された方も黙っていない。
 突撃運動員が阻止するが、乱闘騒ぎに持ち込めばこちらのもの。
 会場は大混乱に陥り、有権者を懐柔するどころではない。

 警備に巡邏兵なども居るが、用いる武器が新聞紙棍棒であれば制止しようと考えない。
 政治参加の権利侵害などと、いろいろ世間がうるさかった。
 新聞を固く巻いて糊で止めた棍棒は適度な強度と柔らかさを持ち、顔面に当たっても大けがは少ない。
 素手で殴り合うより安全なほどだ。

 しかしながら、

「あ、う、ま、ヱメコフ・マキアリイ?」

 思いがけず国家英雄の姿を拝んで、突入の気迫に溢れた彼らも足が止まる。
 ウェゲ会の協賛会がいきなり盛り上がったと聞いて阻止に来たが、
まさかこんな大物が居ようとは。
 殴るに殴れず、さりとて尻尾を巻いて逃げ出すわけにもいかず、

 だが彼らも選挙運動政治活動に身を投じる若者だ。
 口舌には多少の自信がある。

「マキアリイさん!
 なんであなたのような正義の味方が腐敗堕落した権力与党の肩を持とうとするのか。
 汚職謀略そのまた隠蔽、人も死んでる犯罪事件も多発して、
 それ全部ヴィヴァ=ワン総統の責任でしょお。
 困るんですよあなたが政治に首を突っ込んでもらうと」

「あ、あ〜、」

 言わんとするところは理解する。
 自分だってやりたくてやってるわけではない。
 ましてや彼の言う犯罪事件は「英雄探偵マキアリイ」が暴き出した例ばかりだ。 

 今こそへらず口が必要なのに、なんで事務員ここに居ない。

「確かにヴィヴァ=ワン総統の治世は汚辱に塗れたと表現してもよいだろう。
 だが彼にその責任を負わそうとするのは判断が軽々に過ぎる。
 社会の暗部を暴き出そうとすれば、自らも泥に塗れる覚悟が要る。
 正面切って受け止める度量が必要だ。

 およそ政治に目を向け社会を善き方に変革しようと試みる者ならば、
 自らの意見に固執せず曇り無き眼で冷静に情勢を分析してみるのがよかろう」

  アンクルガイザーが静かに助け舟を出す。
 乱入した運動員も老人が人々に深く信頼される前の近衛兵団統監と認識し、目を丸くする。
 当選確実と噂される国家総議会議長候補ではないか。

 

 マキアリイは言った。

「まあそう殺気立たずに、酒でも一杯ひっかけて行かないか」  

 どうしよう、と進退に窮する若者達。
 最後尾その場駆け足で突入態勢のままでいたメガネの男が叫ぶ。

「初志貫徹、突貫!」

 英雄二人に目もくれず、酒瓶を傾け給仕していた女性を襲い奪い取る。
 他の者も続いて香ばしく焼き上がった串焼きを、網の上から素手でかっさらう。

「あっ、どろぼう!」
「何を言う。饗応は明確な選挙違反だ、これは正義の名の下に押収する!」

 宣言するや酒瓶を口に咥えて天を仰ぎ、唇が焼けるのも構わずに串焼きを頬張った。

 こいつめ、とウェゲ会運動員の若い衆も飛び掛かり、
乱入組思い通りの乱戦、紙棍棒の格闘戦へと移行する。

 

 遅れ馳せながら参上! 
 ウェゲ会が動員した突撃運動員がマキアリイ達を救おうと突入する。

 彼らはすぐに追い駆けたのだが、
協賛会場がことのほか和やか進行していたので合流をためらい、
路地を迂回して逆方向から集合した。

 その動きはしかし、さらに別の政党の運動員に目撃される。
 かなりの大人数が結集すると見るや、今こそ決戦の時と乱闘会場に殺到する。
 噂を聞きつけまた別の集団が。

 突撃運動員は政治意識の高い若者や大学生ばかりとは限らない。
 企業や団体から派遣された肉体労働者や、
裏の顔役に示唆されてこの時ばかりと装いを変えた任侠・ヤクザも参加する。
 むしろヤクザこそ選挙の主役とさえ言えた。

 これが狭い路地でぶつかれば、暴動と呼んで差し支えない事態に発展する。

 

「いかん!」 

 とアンクルガイザー、傍近くに集合した軍人有志に命じて子供や女性を安全に避難させ、
ウェゲ会政治秘書と護衛官の勧めに従い路地を離脱する。

 マキアリイも焼きゲルタを咥えながら同行疾走し、表通りの路面電車道に飛び出すが、
一両の白い小型輸送車が急に止まって彼らの行く手を遮った。

 

     ***** 

”喧嘩はいかんぞ暴力反対! 地に安らぎを人には歌を。
 儂の歌で平和を取り戻すのだ〜”

 いきなり搭載する電気拡声器から大音量が流れてくる。
 頭が半分剥げたおじさんが小型輸送車の荷台の上で直立不動の姿勢を取って朗々と歌い始める。

”ときはながれて千年のを〜 ひとの歴史をひもとけばあ
 あらそいばかりの世のなかの きらりとひかるかがやける……”

 荷台に同乗するべったり厚化粧で伝統衣装をびっちりと着込んだやはり中年女性、
おそらくはおじさんの連れ合いが、
べんべんと弦楽器を調子っぱずれに弾き荒れる。

 なんだと思うがあまりの音量に耳を塞いで確かめれば、これは選挙の街宣車だ。
 政党無所属の泡沫候補、おそらくは運動員も家族だけの候補者が自ら飛び乗り街を遊説する。
 演説ではなく歌をむりやり聞かせている。

 

 国家総議会議員選挙は特に政党所属でなくても立候補できる。
 前科などが無くちゃんと納税証明書があれば、
選挙管理委員会に登録してほとんど何の制限もなしに認められた。
 財産の多寡に関係なく納付金も必要ではない。
 いや無届けで街頭に飛び出す者すら居た。

 選挙は国家総議会だけでなく、県会市会町会とさまざまな段階がある。
 業界団体の役員選挙もある。
 大選挙で顔を売っていれば後に効き目があるだろう、との思惑もあった。

 まったく無意味なものもあろうが、やってる本人は大真面目。
 世間に自らの主張を表現する晴れの舞台として大いに満足なのだ。
 あちらこちらでこの有様で、まさに街全体がお祭り騒ぎ。

 しかしながらこの大音量。
 耳を劈き頭を抱えさせ行動を妨げる。ちょっとした兵器だ。
 さすがの英雄探偵も怯み、アンクルガイザーを促して逃げようとするが、

「うるさいわあ!」

 いきなり三杖カニ巫女棒が振り下ろされ、電気拡声器をぶっ叩く。
 回路が外れてへろへろと妙な音へと変化した。

「クワンパ、ようやく来たか!」
「なにやってるんですか所長。
 そちらの護衛の兵隊さんもこの程度でおたおたして役に立ちますか!」
「す、すまん」
「申し訳ない」

 ちなみに電気拡声器の制限区域外での使用は協定により禁止である。
 街中至る所で大音量で叫ばれてはたまったものではない。
 選挙とは、和猪車の荷台で町村を巡っていた当時のままに、
候補者が自らの声で人々に主張を届けるものだ。

 カニ巫女クワンパ、くるっと通りを振り返る。
 おじさん候補者の歌は迷惑千万なだけだが、人の注意を引く効果はあった。
 通りを歩く人々はこちらを注目し、なにより目立つ英雄探偵を発見した。
 「マキアリイさんだ」「マキアリイさんがいらしているぞ」とささやき合っている。

「所長、」
「なんだ、どうした」
「これ選挙運動ですよね。街を遊説して人々に主張を訴える」
「あ、ああ。アンクルガイザーさんはそうだな」
「どうせだからここでやっちゃいましょう」

 クワンパ小型輸送車の荷台に飛び乗り、
本来の持ち主であるおじさん候補者とおばさんをほれほれと突き落とす。
 カニ巫女の意図を察知して、軍人有志達も協力してアンクルガイザーを荷台に押し上げた。
 今から有権者に向けて自らの主張を演説する。

 選挙違反「演台強奪」だ!
 本来定められた出演者以外の候補者が演説会場に乱入して、自らの主張をぶつけていく。
 褒められたものではないが、電気でへたくそな歌を聞かされるよりははるかにマシであろう。

 アンクルガイザーも覚悟を決め、
軍人らしくびしっと姿勢を正して通りで見守る有権者に丁寧に挨拶する。
 千軍を率いてきた彼だ。
 歳は取っても声には張りがあり、遠く聴く者にもはっきりと透る。
 電気拡声器は必要でない。

「みなさんこんにちは。
 この度ウェゲ議政同志會より立候補しました国家総議会議長候補アンクルガイザー・オーガストです」

 

     ***** 

「やあヱメコフ・マキアリイさんお久しぶり。というほど遠くも無いか」
「あ、あなたは、」

 さすが首都ルルント・タンガラムだ。
 場末の電車通りにも瀟洒で趣味の良い喫茶館が店を出している。
 その窓際開け放たれた席に知り合いの外国人が座っている。
 クワンパは初めて見る人だ。

「たしか、ユミネイトが帰国した際に便宜を図ってくれたカ、かこ? カコキュ?」
「ウルスティン・ワ−ドナルド・フオ=カコ・キェ です」

 東岸アグ・アヴァ市のゥアム帝国公使館に身を寄せる「銀骨のカバネ」
ゥアム神族の3親等以内の家族で社会の最上層特権階級出身者だ。

 「銀骨のカバネ」は公務員を卑しい仕事と見做すが、
変わり者の彼は異国タンガラムを楽しむ為に公使館で食客をしている。
 旧聖戴者貴族の「ギィール神族」と交流を行う人材として、公使館でも重宝している。

「でもなんで、首都にあなたが居るのですか」
「それはもちろん総選挙ですよ。
 選挙見物の為に一番賑やかな首都を観光するのは外国人旅行者としての嗜みですな」

 と、彼の向かいで微笑む肌の浅黒い青年を紹介する。
 頭に青紫の布を巻き緑の宝石を額に輝かせる20才前後のシンドラ人だ。
 その物腰と衣服の豪華さ、どこその太守の若様であろう。

「レクレフア・ヅルタン・トミー、デス。アナタガ有名ナ英雄探偵デスネドモヨロシク」

 さすが特権階級は同等の階級でつるむものだ。
 だが外国人がタンガラムの選挙に関心があるとは知らなかった。

「なにを言いますか。
 一般普通選挙などという愚行をタンガラム民衆共和国以外のどこで行います?
 さして教養も無く政治や経済、歴史哲学も弁えない大衆に一人一票を与え、
 人気投票そのままに政治の実権を許す。
 これほどの酔狂を全土を挙げて12日間も熱狂し続ける。
 こんな面白い見世物が世界に他にありますか」
「ソノトオリデス。
 神様ノオマツリで熱狂スルノハしんどらデモ各地ニアリマスガ、
 神様関係ナクオオサワギスルノハ正気ノ沙汰トハオモエマセン。
 奇習奇祭トヨブベキデス」

「私達だけでなく、外国人旅行者は皆この選挙目当てで各地を飛び回っていますよ。
 いや面白い。
 いや、あなた方も今まさに面白いところを満喫してらっしゃる」

 まあ、その通りだ。
 特に夏の選挙では陽気の加減も相まって、全土が熱狂に包まれる。
 ましてや今回の選挙では、長く続いた政権与党がぶっ潰れる寸前で、
しかも国家総統ヴィヴァ=ワン・ラムダが暗殺未遂で人事不省の重態とくる。

 ここで狂わず何時狂うべきか。

 

「おお、マキアリイ君は外国の方ともお知り合いだったか」

 演説を終えて街宣車の荷台から降りたアンクルガイザーが、
クワンパに案内されて喫茶館に寄る。

 「演台強奪」は災難であったが、天下の英雄マキアリイとアンクルガイザーの二氏の仕業だ。
 泡沫候補のおじさんもおばさんも大感激。
 取材の記者に写真も撮ってもらえ、おそらくは新聞にも載るだろう。
 一生の宝となる体験だ。感謝しかない。

 アンクルガイザーも席に着き、外国の上流階級の旅行者と歓談する。
 まさにウェゲ会関係者が待ち望んでいた選挙的に有効な情景だ。
 散り散りとなった取材記者もようやくに集合し、喫茶館の前で取材大会となる。
 クワンパは一歩離れた場所で見守っていたが、記者達に引っ張られて写真の隅を飾る花にされた。

 喫茶館で本部に電話連絡をした政治秘書ハグワンドが明るい顔で報告する。

「マキアリイさん! 予告状のマリツオオ・ロッヒ議員の襲撃事件、未然に逮捕したそうです」
「おお、無傷で取り押さえましたか」
「襲撃者は女性で、夏前に女性週刊紙で話題になった人だそうです。
 包丁を振り回して襲ってきましたが、女性巡邏兵に制圧されたと」

 まずまずの結果だが、今回直接の犯人を捕まえた。
 おそらくは何者かに犯行を示唆されたのだろう。
 黒幕の正体を探るのも可能なはず。

 ヴィヴァ=ワン総統暗殺未遂事件もようやく解決の端緒を得る。

 

     ***** 

 ヴォヴォヴォヴォヴォ。

 不意に街頭に不快な電気音が鳴り響く。
 警戒警報などを鳴らす街頭放送発音器が異音を発している。
 ついで、

”ぴんぽんぱんぽ〜ん、おめでとうございます!
 英雄探偵マキアリイさん、貴方は我が『ミラーゲン』が用意した襲撃事件の謎を見事解き明かすことに成功しました。
 一般大衆のみなさんも拍手ー!”

「なんだ、この放送は、」

 電車道左右の人達は、取材の記者は、なにより警護担当者が色めき立つ。
 『ミラーゲン』と言ったか。あの破壊集団犯罪組織のあの『ミラーゲン』か!

”このような子供騙しの謎解きがそういつまでも解けなかったら、興醒めというもの。
 でもご安心を。これよりは腕利きの爆弾魔、このわたくし「ボンビー」がお相手いたしましょう。
 まずは小手調べで、3、2、1のハイ!”

 

 どぉーん、と道を走る路面電車が爆発した。
 車体下部でさほど大きな爆発でなく、
驚いた乗客が急停車した車両からわらわらと逃げ出すが、特にケガをしたようには見えない。

 だがまさにマキアリイの前で、
予告状を受け取り謎を解いた英雄探偵の前で爆発した事に、 警護陣の驚きは隠せない。
 『ミラーゲン』はやはりマキアリイを監視し襲撃を企んでいたのか。

 爆発音は続く。
 目の前ばかりでなく、かなり遠い場所からの音が響いてきた。
 市内複数個所で同時爆発か。これはまさに『ミラーゲン』の仕業だ。

”これで本気を信じてもらえたかな?
 ヱメコフ・マキアリイ、次の予告は派手にいくぜ。
 本日夕刊の新聞広告を御覧じろだ。じゃあ待ってるぜ”

 ボッと切断音が聞こえて元の静寂を取り戻す。
 街頭放送機構への不正接続による海賊放送だ。
 首都市内全域で同時に流れたようで、見える範囲でも建物から人が飛び出す姿が多数有った。

「やったー!」「ヤタア!」

 喜ぶのは外国人二人。祭りだ祭り、それも爆弾祭りだ。

 天下の英雄探偵を相手に名うての爆弾魔が堂々の挑戦。
 国政選挙を舞台に大長編映画化間違いなしの大博打。
 その当事者として状況に居合わせるなど、千載一遇万金を払っても望めない特等席だ。

 硬直する警護陣取材陣を尻目に、不謹慎な外国人の姿をぱちりと写したクニコ・ヲゥハイは、
マキアリイとクワンパにもちょっと並べと要求する。

「まさに映画にふさわしい緊迫の情景ね。一枚撮らせてもらうわ」
「所長、こいつ殴っていい案件ですよね」

 

 

「ああ、マキアリイくん?
 うんそう、捜査本部が格上げになって「首都連続襲撃事件対策本部」になったわ」 

 マキアリイとクワンパは警備の都合で選挙応援取りやめとなり、駅前旅宿館へと送り届けられた。
 部屋に入ると間髪入れずチュダルムの姐さんから電話が掛かってくる。
 警護の捜査官が連絡を入れたらしい。

 電話の向こうの姐さんは、さすがに浮き立ってはいないが興奮のほどが聞き取れた。

「爆発事件は市内12か所、主に公共交通機関が狙われて、
 うん高速幹線鉄道にアユ・サユル湖の船着き場、飛行場もやられたわ。
 主に車両等の乗り物ね。
 この意味分かる? 誰も市内から逃がさないということよ。
 特にお偉方が脱出しようとするのは格好の標的ね」

 次なる予告状は主要新聞4紙への一面広告という形で届けられる。
 掲載するのは「タンガラム・カヴァロ」の占い札と「キラカルタ」の詩文のみ。
 誰も爆弾事件の予告状とは思わないから、広告担当者も無警戒で受け付けた。

 ただ直前に絵柄の差し替えが行われたそうだ。
 占い札に代わって「キラカルタ」の役者絵そのものが印刷される。

「ASANOの忠臣「色男キンエモン」と、大工の娘「町娘ツヤ」の2枚よ」
「2枚ですか」
「この2枚は恋人同士で対の札だから不思議ではないけど、どんな意図があるかしらね」

「それで対策本部では次に狙われる議員は誰と睨んでますか」
「解読班では全員一致で色男よ。国会議員で一番の色男と言えばさあ、」
「ソグヴィタル・ヒィキタイタン!」
「だよね、それ以外考え付かないわよね」

「ではもう一枚の町娘の方は?」
「これは候補者議員の中には居ないというのが一致した見方ね。
 本来なら占い札で場所を示す代わりに入ってるのではないかと。
 だから若い女性がよく行く場所で、それも恋人同士が逢引する素敵なところ」
「おいクワンパ、ちょっと来い」

 姐さんはさすがに今時の若い娘とは言い難い。
 カニ巫女に色恋沙汰が分かるとも思わないが、クワンパさんはその点では普通だから。

「首都のことはよく分かりませんが、男女の光星組(アイドルユニット)の野外公演なんかが怪しくはありませんか」
「場所でなく?」
「ヒィキタイタンさまが街頭演説される場所に、そんな所があると思います」

 確かに大企業が応援する候補であれば、商業施設など人の多く集まる場所の、
それも催し物に合わせて呼んだりする。
 財閥関係のお付き合いがあるヒィキタイタンなら、大手百貨店でも演説出来るだろう。

「分かった伝えておく。
 マキアリイくん、
 今回の件は爆弾魔ボンビーが明確に関与していると判明したから、ゲルタガ主任捜査官の班も参加するわ。
 現場では彼の指示に従って、
 まああなたのことだからヒィキタイタンの危機なら自ら飛び込んでいくでしょう。
 ゲルタガさんには協力してやってね」
「分かってますよ。
 警察局が捜査中の事件には口出しません。民間刑事探偵ですから」
「じゃあそういうことで」

 通話を切ろうとしたが、姐さんはちょっと考えてもう一言余計を吹き込んでいった。

「ひょっとして恋人同士ってのは、あなたとヒィキタイタンを指すのかもしれないわね」
「なんですかいそれは!」

 

 振り返ると、カニ巫女がにたにたといやらしい笑いを浮かべている。

 

第二十五話その6「華麗なるテロリスト」 

 主任捜査官ゲルタガは夜、マキアリイの旅宿館の部屋を訪ねて頭を下げた。

「申し訳ない。ヱメコフ君の助力をお借りしたい」
「どうしました先輩」
「うむ、ソグヴィタル議員が特別な警護を受け入れてくれんのだ」

 ああー、とマキアリイもクワンパも納得した。

 予告状で狙われるのがヒィキタイタンと推定され、警察局が警護するのは当たり前。
 だが今や与党ウェゲ会の命運はヒィキタイタンの肩に掛かっている。
 有権者に訴え、勝利とはならずとも敗北を食い止めねばならない。

 また破壊集団「ミラーゲン」に何度も煮え湯を飲ませたマキアリイの親友にして同盟者だ。
 安全な場所でぬくぬくと傍観など受け入れる道理が無い。

「所長、」
「分かってる。ゲルタガさん、やはりそれは無理です。 
 ヒィキタイタンも男ですからね」
「そこが、治安を預かる当局としては看過できぬところであって、困ったな君の説得でもダメか」
「ダメですねえ」

 考え込む二人にクワンパは助け舟を出す。
 いや、もうこれしかないと提案する。

「ヒィキタイタンさまに逮捕に協力してもらいましょう」
「積極的に事件に巻き込むと言うんだな」
「巻き込むも何も、まるっきり当事者じゃないですか。
 安全な所に逃げたってボンビーとやらは追っかけてくるんじゃないですか。
 予告状出したくらいだし」

「うむ、ボンビーという奴はそういう傾向がある。
 なるほどクワンパ君の言う通りだ、むしろ積極策をこそ用いるべきか」
「それならばヒィキタイタンも安請け合いしますよ。
 動いて追う方が安全を確保するのに適しているかもしれません」

 頼むと言われて、ヒィキタイタンに電話を掛ける。
 まずはソグヴィタル本邸の妹キーハラルゥから、
第一政治秘書のシグニ・マーマキアムに連絡を入れてもらい、
直接通話可能な回線を確保する。

 ゲルタガの警察局の筋から掛けてもよかったのだが、
果たして。

「マキアリイ、言いたいことは分かるけれど、僕は、」
「分かってないなあ。爆弾魔ボンビー、捕まえるぞ俺達で」
「そうか。よし乗った!」

 

 次の問題はボンビーをどうやって捕まえるか。
 全市内に放送で、さらに有力新聞に1面広告を堂々と載せた大胆過ぎる予告にどう対処するか。

 無論逆用して罠に掛けるべきだが、群衆を排除しては成り立たない。
 観客が居るからこそボンビーは真正面から仕掛けてくるのだ。
 下手に遠ざければ腹いせに無差別の攻撃を誘引するかも。

 そうは言っても市民を危険には曝せない。
 電話の向こうのヒィキタイタンも懸念した。
 ゲルタガ、

「もちろん現場には十分な数の巡邏兵と捜査官捜査員を配置するが、万全とは言い難い。
 なにか妙案は無いだろうか」
「クワンパ妙案は無いか?」

 これは甘えと呼ぶものだ。英雄なら自分の頭で考えろよ。

「そりゃもう、人が大勢見ている場所でないとボンビー釣れないでしょう」
「だよな」

「奴は人的被害を出す事に喜びを覚える性だ。
 公会堂や広場など人を多く収容できる施設を好んで爆破する」
「でもヒィキタイタンさまを巻き添えに爆弾を仕掛けなくては意味が無いでしょ」
「うむ。あくまでも襲撃の対象はソグヴィタル議員だ」
「だったら大勢の群衆が遠くから見守る中心に、ヒィキタイタンさまを配置してはいかがです」
「む?」

 マキアリイが例を挙げる。

「塔の上、またはシュユパンの球場、競技場。とにかく観客席と中心の演者が遠く離れてかつ注目される。
 そのような場所だな」
「なるほど、観客だけを大量に殺すのは可能だが、それではソグヴィタル議員は殺せない。
 ボンビーの気質からは失敗と言わざるを得ない状況だ」

「だがクワンパ、成功できないと判断したら奴は自暴自棄にならないか」
「実はボンビーの対象はもう一つあります。
 英雄探偵マキアリイ、所長です。
 ソグヴィタル・ヒィキタイタンとヱメコフ・マキアリイがとある瞬間にのみ同じ場所に居る、
 と最初から分かっていればどうでしょう」

 ゲルタガはうむとうなずいた。
 衆人環視の只中で国家英雄二人をまとめて始末できる機会があれば、
我が身の危険も顧みずに最も派手で最も華々しい攻撃を自ら行うだろう。
 それが奴だ。

「ヒィキタイタン、聞いていたか?」
「博打だな」
「いやか」
「でもある程度の時間、観客をその場に留める必要があるだろう。
 僕達だけでは難しいぞ」

 

     ***** 

「国民の皆様おはようございます。朝の時事解説の時間です。

 本日の話題は、まさに今首都ルルント・タンガラムで進行中の連続襲撃事件。
 国家総統ヴィヴァ=ワン・ラムダ閣下暗殺未遂、
 そして破壊集団『ミラーゲン』による首都一円同時爆発、
 さらには「ボンビー」を名乗る怪人物による大胆不敵な襲撃予告の一連の事件についてです。

 解説は首都警察局主任捜査官ゲルタガさん、
 そして再びの御登場を国家英雄ヱメコフ・マキアリイさんとクワンパさんにお願いしました」
「「どうぞ、よろしくおねがいします」」

 男二人は声に出して聴取者に挨拶するが、カニ巫女は座ったままぺこりと頭を下げた。
 3日前にも出た朝の解説番組だが、まさに今こそ必要だ。
 司会の放送弁士がまずはゲルタガに質問する。

「ゲルタガさんは「ボンビー」を名乗る爆弾魔の専従捜査官でもいらっしゃるそうですね」
「さようです。
 奴はタンガラム近代犯罪史上でも特筆すべき破壊工作者であり、一刻も早い逮捕が必要です。
 警察局巡邏軍は最大の努力をしておりますが、国民の皆様のご協力も必要とします」

「ボンビーについては後程またおうかがいしますが、マキアリイさん。
 ヴィヴァ=ワン総統の襲撃現場にもいらっしゃったのですね」

「はい。私とソグヴィタル議員は総統閣下が演説をなさる街宣車の前に立っておりました。
 ですから襲撃は正面からではなかったと断言できます」
「つまりは背後の、それも政界関係者や護衛の中に刺客が居たというのですか」
「そこは現在捜査中であり、民間刑事探偵が口を差し挟むところではありません。
 公式の発表をお待ちください」

 

「それで、新聞等で報道されているのが、
 マキアリイさんの手元に何通も犯行の予告状が届いていたとの事ですが、
 これは真実ですか」
「現在までに5通封書で届けられました。
 さらに今回街頭放送を不正に使用しまた新聞紙面で大きく掲載されているのが6通目となりますね」

「それはすべてヴィヴァ=ワン総統暗殺についてであったのですか」
「違います。
 3通目こそが総統閣下を直接に示すものでしたが、他は議員・候補者への直接の襲撃を暗示していました」
「暗示ですか。暗号による示唆ですか」

 ゲルタガ
「判じ物で襲撃の対象者、場所、襲撃方法を示していましたが、まったくに理解できませんでした。
 解明したのはカニ巫女のクワンパさんです」

「おお! クワンパさん。お手柄でしたね」
「そんな、偶然によるものですから」

「それで次の予告状、国民の皆さんも新聞紙面にてご覧になっておられると思いますが、
 ずばりお聞きします。次に襲撃されるのはどの議員でしょう、ゲルタガさん」

「これまでは与野党問わず国会議員を対象としました。
 今回の予告状は『キラカルタ』より美男子色男と町娘の二人の札が掲載されましたが、
 現在の国会議員で色男といえば、」
「やはり、ソグヴィタル・ヒィキタイタン議員?」
「特別捜査本部においても同様の分析結果を得ております」

「クワンパさんも同じご意見のようですね」
「そもそもが予告状は所長ヱメコフ・マキアリイに対して送られてきたものです。
 親友でいらっしゃるヒィキタイタンさまを無視して進むわけがありません。
 狙われるべくして狙われたと考えます」

 

「ですが、ボンビーという犯罪者はどのような人物なのでしょう。
 逮捕できる見込みがございますか」

「ボンビーなる破壊工作者は神出鬼没、変装の達人とも言われ、
 これまで捜査当局は奴の顔写真も入手に成功しておりません。
 それゆえ不特定多数を標的に破壊工作を行う事件では、警戒も捜査も極めて困難でありました」
「なんの手掛かりも無いのですか」
「女である可能性すらあります」

「なるほど。では今回どのように警戒するのでしょう」
「ソグヴィタル議員が標的とされると判明した時点で、
 議員には安全な場所への避難をお願いしましたが、拒絶されました。
 自身のみが安寧を得て国民有権者を危険にさらすわけにはいかないと」

 マキアリイ
「そこで、狙われる我々から逆に挑戦をします。
 本日9時(午後4時)野外音楽堂において行われる歌唱会に、
 我々ソグヴィタル・ヒィキタイタンとヱメコフ・マキアリイが出演します。
 本日は他の場所で私達二人が一緒になる機会はありません」

「なんと!
 では9時にのみお二人が揃っている場所でしか、同時に暗殺する機会は得られないということですか。
 罠ですか、なんと大胆な」

 クワンパ
「もちろん歌唱会でありますので、歌手の方もお見えになります。
 自由映像王国社10月公開の大作映画『英雄探偵マキアリイ 古都甲冑乱殺事件』の宣伝会で、
 主題歌を歌われる光星組「デラ・ルント」のお二人です。
 男女お一人ずつの組ですから、掲載された予告状のままの状況と言えますね」

 ゲルタガ
「もちろん警備は厳重に水も漏らさぬ鉄壁で行いますが、
 取材の記者、放送関係者も入れての大々的なものとなります。
 本来は事件とは関係なく予定されていた歌唱会でありますが、特別にご協力を願っております」

「観客は入れないのですね」
「さすがにそこまでの危険を冒せません。ですが、くれぐれも聴取者の方に訴えたい。
 現場には決して近付かないでください。奴は大変危険な人物です。
 特別捜査本部は今回、犠牲を承知で確実に身柄を確保したいと考えております。

 ソグヴィタル議員とヱメコフ氏、
 お二人の協力がある今回だからこそ、ボンビー逮捕は叶うと確信しております」
「逮捕が首尾よく行われ、首都の治安が回復する事を切に願います。

 それでは今朝の時事解説の時間は終わりといたします。
 出演は首都警察局主任捜査官ゲルタガさん、
 国家英雄のヱメコフ・マキアリイさん、そしてカニ巫女のクワンパさん。
 聞き手は私スニトモがお送りしました」

 

     ***** 

 来るな、と言われれば行きたくなるのが人情。
 命知らずの野次馬達は、どこの野外音楽堂でボンビー逮捕の罠が仕掛けられるのか、
必死になって推理している頃合いだろう。

「なにやらボンビーの奴が周到に仕掛けた罠に乗っていく気がする……」

 主任捜査官ゲルタガの懸念はもっともだが、クワンパは何を今更と思う。

 派手な予告状を出せば捜査当局が罠を仕掛けるのは当然。
 男女の組を大きく掲載すれば、逆手に取ろうと策を巡らす。
 折よく映画宣伝の歌唱会が催され、
それが「人の出入りを制限できて安全を確保できる野外音楽堂」の傍の商業施設で行われていたのも、偶然ではない。

 すべてボンビーの計画通り。
 だからこそうまく乗って奴をおびき出せるのだ。

 放送局の玄関でマキアリイは言った。

「ゲルタガさん、警察局の準備に俺は要らないですよね」
「ああ、民間人の君達に要求する事は無いが、連絡が付く環境に居てもらいたい」

「所長、何をしますか」
「ボンビーは忍者の技を使うんじゃないかと思う。
 そちらの視点から探ってみれば出方も分かるんじゃないか」
「そうですか、消えるんですね」
「クワンパ、任せるぞ」
「はいお気をつけて」

 不穏な言葉にゲルタガが止めようとするが、クワンパが引き取った。

「困るなあ、警察局の計画通りに動いてくれる前提なのだが、」
「それに収まらないからクビになったんですよ、所長は」

 

 

 百貨店「ィップトゥス萬客城」、
首都ルルント・タンガラムにおいても特に賑わう商業施設だ。
 中所得層を主な対象とし催し物も毎週行い、買い物客以外も多数足を運ぶ。
 週末は家族でお出かけの定番だ。

 この百貨店の総合演出には「ィプドゥス商会」、
ノゲ・ベイスラ市にてクワンパもよく知る猫のお嬢様の実家が絡んでいる。
 おしゃれな雰囲気づくり、店舗の選定、催し物の企画などかなり大きな役割を果たしていた。

 そして資本を提供するのが、ソグヴィタル・ヒィキタイタンの元の婚約者の実家だ。
 カドゥボクス財閥よりも古く財務状況もしっかりとした大財閥で、
この百貨店も系列企業であった。

 今回爆弾魔「ボンビー」逮捕の罠を仕掛けるのに、
「萬客城」で行われていた催し物、
10月公開の映画『英雄探偵マキアリイ 古都甲冑乱殺事件』の
主題歌挿入歌の発表歌唱会を利用する。

 交渉を百貨店社長と行ったのは、ヒィキタイタン本人だ。
 親会社の財閥総帥に自ら掛け合い、快く了承をもらう。

 映画会社「自由映像王国社」にはマキアリイが連絡し、
これは快諾というよりは是非にともの態度で協力してくれた。
 急遽撮影の人員資材を投入して、罠の舞台となる野外音楽堂に設置を始めている。

 問題は、

「あ、本物のクワンパさんだ」
「おお、すごい。本物のカニ巫女ヒロインに会えるなんて、感激です!」

 光星組「デラ・ルント」のアリシャン・メイヲールとカジツ・スコルオのお二人だ。

 アリシャンはクワンパとほぼ背丈の変わらない女性で21才。
 歌唱力に定評があるが特にその声量が注目で、電気的に拡声しなくても音楽堂すべてを震わせるという。
 カジツは活劇映画にも出演した事のある光星で、運動能力も高く男らしさで売っている。20才。

 二人組になった初めての仕事が、この映画主題歌挿入歌。
 マキアリイ映画に抜擢されるのだからよほどの期待が掛かっている。
 カジツは俳優としても、後に出演があるかもしれない。

 二人は百貨店の催事部長と共に、今回の作戦における自分達の役割の説明を受けている。

 

 どうも、と挨拶をするクワンパの隣に座る捜査官が説明する。
 ベベット・ミズィノハ上級捜査官26才。女性捜査官だ。

「もちろんお二人に危険な場所に行ってもらう事はありません。
 替玉を使います。すでに巡邏兵の男女2名を選抜し踊りの特訓を行っています」

 アリシャン、それは無茶なと声を出す。
 素人の巡邏兵がいきなり光星の舞台上の演技を真似できるはずがない。
 カジツも同意する。いくら自分達の振付師が教えるとしても。

 ベベット、微笑む。

「女性兵士の方は全国女子学校舞踊競技会団体3位、男の方は中学校競技会個人準優勝です。
 ご心配なく」
「なんでそんなひとが巡邏軍に勤めているんです……」

 

     ***** 

 クワンパもさすがにびっくり。巡邏軍も人材豊富だなあ。

「野外音楽堂では客席を空けて、観客は遠巻きに観る事になります。
 遠いので顔かたちははっきりせずバレないでしょう。
 歌も離れた場所から電気的に繋いで拡声器で流します。
 伴奏も録音盤からのものになります」

 そういう事であれば、と安堵する。
 だが催事部長、それでも気にかかる点がある。

「あの、こちらの軍人の方はどのような役割で、」

 近衛兵団剣匠隊のソゥヱモン・ジューソー小剣令が立っている。
 刑事事件の現場に陸軍軍人が居るのはいかにも場違い。
 べベットもさすがに説明に窮する。

「ヱメコフ・マキアリイも忙しい身体ですから、代わりに腕の立つ武術家を配置しているのです。
 なにせ『ミラーゲン』ですからどのような手で来るか分かりません。
 突発的事態に対処する要員とお考え下さい」
「なるほど。剣令殿よろしくお願いいたします」

「うむ。捜査に支障のない範囲で警戒を行うので心配なく」

 

 打ち合わせを終えて、クワンパ、べベット、ソゥヱモン小剣令は催事部事務所を出た。
 クワンパも実は納得いかない。

「なんで小剣令が単身で居るのです。アンクルガイザー氏の警護はしなくてよいのですか」
「私もそうは思うのだが、
 首都の治安を守るのに近衛兵団が手をこまねいているのも癪だから、手伝って来いと命じられてしまった。
 もちろんボンビーなる爆弾魔は確かに斬らねばならぬ」

「斬ってもらっては困ります。
 逮捕してミラーゲン本体の情報を尋問しなければ」

 ベベット・ミズィノハ上級捜査官は、マキアリイと捜査官養成学校の同期である。
 卒業後は二人揃って首都警察局に配属された。
 「国家英雄」でありヴィヴァ=ワン閣下の引きもあるマキアリイが首都に留め置かれるのは当然だが、
彼女は本当に実力を認められ選抜された。
 まだ若いのに上級捜査官に昇進しているところからも実力をうかがい知れる。

 彼女は特捜部の所属だが、
現在首都警察局はヴィヴァ=ワン総統暗殺未遂事件に爆弾魔「ボンビー」予告事件と、
上を下への大騒ぎ。
 特捜部も応援に駆り出されて、ゲルタガ主任捜査官の下に配置された。

 今回ゲルタガは「ボンビー」逮捕作戦の総責任者となるが、
最重要の要となる光星2人とマキアリイクワンパをべベットに任せてくれている。
 彼女への信頼のほどが見て取れた。

 小剣令が尋ねる。

「ところで、ヱメコフ・マキアリイは何故居ないのですか」
「所長はすでに捜査を行っています。
 巡邏軍でも警察局でもできない捜査が、英雄探偵なら可能ですからね」

「困るなあマキアリイくんは。
 民間刑事探偵は事件の進行中はおとなしくしてくれないと」

 少し甘えた口調になるのは、ベベットが彼をよく知る人だからだ。

 警察局捜査官養成学校への入学は、男性はおおむね選抜徴兵を終えてからになる。
 彼女は年上の同期男性から妹のように扱われた。
 それだけでなく、養成学校時代もマキアリイは命を狙われ、同期生も度々危地に陥れられる。
 共に死線を乗り越えた同志としての紐帯があった。

 

 3人は百貨店の事務所の一室を借りた対策指令所に入る。
 ミラーゲンの周到さを考えると、
数日前から百貨店に工作員を潜入させていた可能性がある。

 何故この歌唱会が選ばれ、近くの野外音楽堂が罠の舞台となると予想できたのか。
 元々がこの歌唱会に飛び込みで、
ソグヴィタル・ヒィキタイタン議員が出演して選挙応援を呼び掛ける段取りになっていたからだ。

 もし予告状を解読出来ていなければ、まったくの無警戒でヒィキタイタンは襲われただろう。

 入って来たベベットに書類を確かめていた捜査官が報告する。

「本日百貨店に勤務する職員に臨時雇いや代替の派遣員などは居ません。
 職員相互に顔を確かめて、不審者も混じっていないと確認出来ました」
「それは上々。でも客として入って後に化ける手口もあるわ。警戒は続けて」
「はい」

 小剣令、

「爆弾が設置されていないか確認は済んだのですか」
「その点は」

「巡邏軍爆発物処理班による捜索が行われ、全館全階異常なし。
 地下も外部の広場も異常なしです。
 ですが客の荷物は検査しておりませんので、万全とは言い難い状況です」
「下で起きなければよいけどね……」

 対策指令所には百貨店全館の見取り図が貼られ、検査済みの個所には赤く丸印が付けられている。
 捜査官捜査員がひっきりなしに出入りし電話が何台も鳴り響き、本当に戦場のようだ。

 

     ***** 

 映画『英雄探偵マキアリイ 古都甲冑乱殺事件』について説明しよう。

 この事件は先代カニ巫女事務員シャヤユート在籍中に起こったもので、北方「テキュ」の街が舞台だ。

 「テキュ」は1200年前に光臨した救世主「ヤヤチャ」が築いた「青晶蜥王国」の王都である。
 隣のデュータム市が経済流通の中心地として拡大を遂げるのに任せ、
テキュには王城・政庁しか作らなかった。
 一種の神殿都市だ。

 近代の工業化に伴う大規模な開発とは無縁であったので、華麗な城塞建築がそのままに残る。
 現在は観光都市となり、救世主を慕って毎年百万人が訪れるという。
 夏の初めには「ヤヤチャ」を記念しての大祭が行われる。

 この祭りの最中に起きた奇妙な殺人事件。
 全身に甲冑を纏い顔を仮面で隠した戦士が、剣を振るって祭りの群衆の中に斬り込んでいく。
 何か所もで同時多発して賑わうテキュの街を血祭りに上げた。

 マキアリイの活躍はいつものことだが、
半裸の祭り衣装の肉感的な女刺客と恋愛物の様相を呈す。今回の目玉。
 シャヤユートも刺客軍団と激闘を繰り広げ全員叩きのめして大満足。
 黒幕は古代より続く暗黒邪神教で、救世主の遺産を巡っての内紛が背景となる。

 という筋書きすべてが実際にあった話。毎度の事ながら驚きだ。

 制作は自由映像王国社。監督は時代劇を専門として映像の美しさには定評がある。
 画作りを妥協せず実際の大祭の情景を撮影した為に、今年の初夏まで撮影が終わらず、
エンゲイラ光画芸術社『シャヤユート最後の事件』よりも公開が遅れた。

 主演はもちろんカゥリパー・メイフォル・グェヌ。
 シャヤユート役は自由映像王国社の「シャヤユート」である。

 

 映画主題歌挿入歌の発表は今週頭に行われた。
 方台全土で大々的に流れている。

 光星組「デラ・ルント」の発表歌唱会は、百貨店「ィップトゥス萬客城」の屋上広場で催される。
 1日3回、6時半(午前11時)、8時(午後2時)、9時(午後4時)の予定だが、
最終9時の回を近くの野外音楽堂に移って行う。

 当初の予定だと、8時の回に主演「マキアリイ」グエンヌが飛び入りで出演して客を驚かすものだった。
 が、 選挙運動の一環として親会社財閥のねじ込みで、
ソグヴィタル・ヒィキタイタン議員が登場する。

 もちろん予定は中止され、ヒィキタイタンは9時からの野外音楽堂の出演になったはずなのだが、

 

「え?」

 8時の部の公演が始まった。
 屋上広場に大勢の買い物客や「デラ・ルント」の応援団が集まり盛り上がっている。
 巡邏軍警察局の密かな監視の下で安全は確保され、何事も起きてはいない。

 のだが、
対策指令所で待機していたクワンパの前に、ソグヴィタル・ヒィキタイタンが立っている。

「え? なんで、ヒィキタイタンさま、なんで今いらっしゃるんですか?」
「何って、ゲルタガ主任捜査官から指示があって、この時間に来る予定が……。
 だよね?」

 ヒィキタイタンは振り返り、第三秘書のデディヲ・ヅダに確かめる。
 風采の上がらぬ中年男性、それでいて抜け目なさを感じさせるデディヲも、
慌てて革表紙の予定手帳を開いて調べる。

「間違いありません。
 5時半(午前9時)にゲルタガさんからの直接の通話で指示されています」
「符丁で通話の真贋を確かめる手順にしておいたんだけど」
「もちろんです。
 ニセ電話ニセ通達は選挙運動において常套手段ですので、確認は完璧に行います」

「でもそんなはずがありません。
 今ヒィキタイタンさまに来られては困ります」

 ヒィキタイタンの代わりに特別出演するのはクワンパなのだ。

 現役の国会議員で国家英雄をなるべく危険にさらさず、
それでいて百貨店側に損失とならないよう配慮する。
 実際に英雄探偵と共に戦うクワンパの登場で、十分それが果たせるはずだった。

 指令所に居た捜査官も驚いてベベット上級捜査官を呼びに行く。

 

「やられたわ。ミラーゲンの組織力を甘く見過ぎた」

 舞台袖で監視していたベベットが、同じく剣を引っ提げたソゥヱモン小剣令と共に駆け込んでくる。

 ゲルタガの通話を捏造されたのであれば、
おそらくは首都警察局内部に、あるいは電話局本体に盗聴回線が仕込まれている。

 「ミラーゲン」は施設建設当初から基礎や柱、設備に爆弾等をあらかじめ仕込み、
何年も後に発動させる。
 手口から考えると、首都警察局の建物にも盗聴器くらい当然と考えねばならなかった。

 捜査官が進言する。

「ただちにソグヴィタル議員を避難させます」
「もう遅い!  百貨店全体が、「萬客城」そのものが舞台と化してしまった。
 下層階で爆発を起こせば客は上に昇るしかなく、
 屋上広場は大混乱となってかっこうの餌食よ」
「ではどうすると?」

 ベベットはヒィキタイタンに向き直る。
 この提案は他の国会議員であれば拒絶されるかもしれない。
 マキアリイと共に何度も死線を潜り抜けたヒィキタイタンだからこそ可能な策。

「ソグヴィタル議員には歌唱会に出演してもらいます。
 計画が滞りなく進行していると「ボンビー」に思わせて、
 その間に下層階より整然と静かに買い物客を退避させます」

「分かった。警察局の良いようにしてください」
「ありがとうございます」

 ベベットは命じて、百貨店の警備部長を呼び出させた。
 ついでに社長にも連絡する。
 これよりは警察局も先の読めない綱渡り、ボンビーの一人舞台となる。

 ソゥヱモン小剣令は左の腰に吊るトカゲ刀をぐっと握る。

「ヱメコフ・マキアリイは来ないのか」
「所長は来ますよ。英雄探偵はここぞという見せ場には必ず姿を現すものです」
「なるほど正念場だな。よかろう、私も助力しよう」

 

    ***** 

 司会のお姉さんが摂音器(マイク)で観衆に呼び掛ける。
 ちなみに彼女も巡邏軍の女性兵士が代わっている。

「さあみんな! 今日は特別なお客様がいらっしゃっていますよおー。誰かなー。
 「英雄探偵マキアリイ」の映画ですからねー、さあお呼びしましょう。
 だーれかなー!」

 

 「萬客城」の屋上は他の百貨店とは異なり、子供向け遊園地にはなっていない。
 家族連れだけでなく、恋人達の逢瀬を支援するとして庭園となっていた。
 装飾も華麗に東岸金雷蜒王国風の建築を模す。

 出店もあるが一般的な飲食物でなく、おしゃれな外国の軽食を提供する。
 東側には3階建ての塔があり展望食堂が営業中。結婚式も出来る。
 さらにその上に箱型の大看板が設けられていた。

 この塔の下に常設の舞台がある。百人が踊れる広さだ。
 音響・照明設備が完備して、夜間に演劇を催す事も可能だ。

 光星組「デラ・ルント」の二人が舞台の中央に立つ。
 彼彼女を囲む観客は、親子家族連れ、恋人たち、
また「デラ・ルント」結成前からの応援団に、マキアリイ映画の愛好者と様々で、
およそ1千人もが集まっていた。

 黄色い子供の声で、司会のお姉さんに答えるのは、

「まきありいー!」
「残念ーん、マキアリイさんはお出でになりません。ですがあ、
 マキアリイさんのお供のカニ巫女クワンパさんが、
 本物のクワンパさんが「萬客城」に遊びに来てくれましたあ」

 3杖の長さ、緋白の組紐でカニ神「シャムシャウラ」を表す棒をぐるんと回して、
カニ巫女見習い衣装のクワンパが登場する。
 わあ、と湧き上がる歓声。
 すでにクワンパ単体でも十分に人気者となっている。

 しかし、その隣を歩む背の高い男性に主に女性客が息を呑む。
 司会のお姉さんも、これは予定に無い人物だ。

「な、なんとお! ソグヴィタル・ヒィキタイタンさまです。
 えーなんで、なんでヒィキタイタンさまがいらっしゃるのでしょうか!」

 二人の後にはトカゲ刀を腰に提げる若い軍人が続くのだが、これには説明は無い。

 「デラ・ルント」の二人も驚き、思わず立ち位置を空けた。
 自然と招かれるように中央に歩むのはさすがのヒィキタイタンだ。
 クワンパは多数の観客にちょっと面映ゆい。

 遠く観客の背後に目をやると、
密かに指示を受けた制服私服の巡邏兵と捜査員が出店を回り、
従業員や歌唱会に関心を見せない客を誘導して屋上を退去させていた。
 観客が一斉に避難する道を開ける。

 司会が手渡す摂音器を受け取って、ヒィキタイタンが第一声を放つ。

「みなさんこんにちは。
 ルルント・タンガラム特別区で国家総議会議員に立候補したソグヴィタル・ヒィキタイタンです。
 映画の歌音楽を楽しみにおいでになった皆さんには、
 少々ご迷惑でしょうがお話したい事がございます」

 と、右隣のクワンパに摂音器を渡す。
 クワンパ恐れげも怯みも無く、会場の全員に届くように話し始める。

「本物クワンパです。
 初めてお目にかかる方も多いでしょうが、所長ヱメコフ・マキアリイの代理として参りました。
 皆さんにお願いがあります。

 近くに居る警備の人の指示に従って整然と、慌てずに静かに、ゆっくりと屋上を退去していただきます。
 今からこの舞台は、」

 この舞台は戦場となる。

 

 観客達は左右を見回し、どうするべきか考える。
 もちろん全員が昨日の爆発予告騒ぎを知っている。
 朝の放送で百貨店近くの野外音楽堂で捕り物が行われると聞いている。

 でもいきなり此処で、こんな場所で異変が起きるのか。

 何か起きるのなら見届けたいとの欲求もある。
 だが女子供に年寄りと逃がさねばならない人も居る。
 この際は指示誘導に従って退去するのが順当であろう。

 残ろうとする者も居る。
 マキアリイ映画の愛好者はこれこそが状況、後には映画化される一場面と心得る。
 英雄探偵と共にその場面に居たと自慢も出来るだろう。

 少数ではあるが取材記者も居た。
 事件が起きる瞬間を見届け、写真に収めねばなるまい。特ダネだ。

 二つの勢力がゆらと動いてそれぞれの道を決めようとする、その瞬間。

 

 「萬客城」の上空、大看板とほぼ同じ高さの空中で爆発した。
 五色の煙を噴いて花火が舞う。

 

     ***** 

 舞台から20杖(14メートル)の上空。地表からは15柱(53メートル)となる。
 赤桃色黄色の広告気球が風になびく中、煙を噴いて弾が飛ぶ。
 噴進弾(ロケット)だ。

 誰もがあっけに取られる中、一人冷静な声で放送で呼び掛ける。
 この場の責任者ベベット上級捜査官だ。

「屋上警備全員に告げる。警戒は不要、観客の誘導避難に専念せよ」

 直ちに行動が開始される。
 何が起きたか認識できず戸惑う男女の観客を、定められた近くの避難口まで誘導する。
 私服の捜査員も犯人逮捕は放棄しての避難作戦だ。

 その場に留まるのは舞台上の人間のみ。
 一人武器を携帯するソゥヱモン小剣令がクワンパ達の前に進み出る。
 刀の柄に手を掛け警戒する。

 「デラ・ルント」の二人は首を左右に振るばかり。
 ここでは捕り物は行わないのではなかったか。

 司会のおねえさん正体は女性巡邏兵が空を指差す。

「あれは!」

 蝙蝠の翼、黒く広がる布を張った細い骨組みが展開して地上に降りてくる。
 大看板の頂上から飛び、空気を孕みながらもかなりの速度で着地する。

 ソゥヱモンが着地点に駆け寄ろうとしたが、爆風に顔を覆う。
 舞台に投げられたのは、炸薬のみで鉄の破片を出さない爆風弾だ。
 翼で受けて速度を殺し、華麗に二本の脚で降り立った。

 黒光りする革の靴。
 自動二輪の競技者などが使う強固な靴底のものだが、最高級品だ。
 蝙蝠の翼の下も黒の礼服。絹の高級服地を有名店で仕立てた伊達姿。
 胸元には紅の薔薇まで飾っている。
  (注;タンガラムの「薔薇」はチューリップの仲間)

 頭に被るのも黒革の防護兜。
 飛行士などが使う風防眼鏡は黒ガラスが嵌る。
 目は窺えないが口元はにやりと捩れ、人を馬鹿にする表情。

 これが爆弾魔ボンビーか。
 ソゥヱモントカゲ刀を抜き放ち、鏡の如くに光る鋼の刃を突き付ける。

 その動作の滑らかなこと。相当の達人だとクワンパも見る。
 カニ巫女は棒術を鍛え巷の悪を殴りまくっているから、相手の力量戦闘力を見抜く目も持つ。

「おおっと、短慮はダメだな。
 俺は爆弾魔なんだから、首が飛んだらどかーんと行っちゃうぞ」

 爆弾魔ボンビー、背丈はさほど高くない。
 靴底込みで2杖半(175センチ)か。
 細身の身体に纏う礼服と、蝙蝠の翼との間になにやら筒が見える。
 これが爆弾か。

 ソゥヱモン、刺さる間際で手首を返して刀を左脇、鞘の横に戻す。
 さっと2歩3歩と退き、ちらとクワンパを見る。
 やはり安全を優先せねばならないか。
 しかたがない、まだ屋上には避難する客が残っている。

 ヒィキタイタンが左手を伸ばして「デラ・ルント」の二人に退くよう仕草で伝える。
 マキアリイが居ない今、交渉役は自分となるだろう。
 また予告状の対象は自分だ。

 にやにやと笑いを浮かべる爆弾魔に、クワンパは冷たい目線で応じる。
 正義の側の男達に伝える。

「どうせこいつは爆発させません。やっちゃってください」

 なに? とボンビー目を剥いた。風防眼鏡の下でもよく分かる。
 さすがにその判断はいかがなものかと、軍人ソゥヱモン尋ね返す。

「斬ってよいのか」
「構いません。
 どうせこいつはヱメコフ・マキアリイがこの場に来るまで切り札を使えません」
「なるほど、マキアリイ待ちか」

 改めてトカゲ刀を両手で握り直し、次は一刀の下に叩っ切ろうと黒衣の男を狙う。
 だがボンビー、そんなに簡単に殺られるわけにはいかない。

「まてまてまて、まて。落ち着いて考えろ。
 あんたらは軍人だろカニ巫女だろ、警察局と巡邏軍の警備だろ。
 人命を最大限に尊重する義務があるだろ。

 おい、英雄のヒィキタイタンさんよ、なんとか止めてくれ」
「クワンパさん、さすがにもう少し慎重な態度で臨まないと」

「いいんですよ。だってこいつ毛頭死ぬ気無いんですから」

 

     ***** 

 爆弾魔ボンビーが左に小さく首を傾げて尋ねる。
 その根拠は。

「だってあなた、もともと姿を見せない正体を隠したまま、
 爆弾で人死に犠牲者をたくさん出すのが手口でしょ。
 それが、バカみたいな派手な格好をして景気良く花火と共に現れるなんて。

 どう見たってマキアリイ映画に出演したいって言ってるじゃないですか!」

 おおなるほど。とその場、舞台に居る全員が納得した。
 ボンビーも残念ながら認めざるを得ない。

「クソ、頭のいい女は嫌いだ」

 クワンパダメ押しに舞台正面、観客席背後の2階建て東屋を指差した。

「だから、報道映画撮影中よ!」

 こちらに合図を送って来たと、撮影技師が手を振って応える。
 同じ場所から大砲みたいな望遠鏡で撮影する写真家クニコが顔を上げて片目を瞑った。
 なんだその美人ぶりは。

 ボンビーも納得した。

「なるほどなあ。
 じゃあさしずめここは、マキアリイの前座の軍人さんとチャンバラかい」
「前座で終わる舞台もいいぞ!」

 電光の疾さで繰り出される白刃を、
さらりと躱したボンビーは蝙蝠の翼を翻しふわりと宙に浮き上がる。

 右手に握るは、いつの間に取り出したのか六連回転拳銃。
 それもタンガラムの野暮ったい実用本位ではなく、
シンドラ連合王国の太守階級が用いる優美な逸品。
 精度も高いがこの距離で当てるのに苦労も無い。

「そして左の手の中には、爆弾の遠隔起爆装置があるというわけさ。
 どうするよ軍人さん」

 

 犯罪者が拳銃を取り出したと見て、屋上で客の避難に当たっていた巡邏兵が反応する。
 それぞれが携帯する執行拳銃を抜いて構えるが、
拡声器を手に楽屋裏から舞台に出てきたベベット上級捜査官が止める。

「発砲は許しません。
 屋上で水平発射をすれば、流れ弾が地表の通行人に当たります。
 ソゥヱモン小剣令に任せなさい」

「へへっ、あんた相当買われてるな」
「期待には応えないとな」

 拳銃と刀と、しばしば交錯させながら二人の男は命を削り合う。
 ボンビー折角の拳銃だがめったに発砲しない。
 6発しか入ってないから確実に効く場面を狙っている。
 その代わり、

ぽん! と舞台の混凝石(コンクリート)の床が弾ける。
 爆弾と呼ぶには小さすぎる金属の釦のようなものを投げてきた。
 拳銃弾の空薬莢だ。
 ただし普通より鋭敏な雷管を装着し、火薬ではなく爆薬を詰めている。
 当たれば手指くらいは軽く吹き飛ぶ爆発力。

 さすがにソゥヱモンも怯んで間合いを開けるが、今度は拳銃で狙われる。

「卑怯な、」
「バカ言うな。刀で拳銃と渡り合うバケモノなんかとまともに戦えるか」

 

 高度な格闘戦が続く中、クワンパはこの勝負ソゥヱモンが不利だと見る。
 腕が悪いのではない。
 相手がふわふわと逃げて正面から相手をしていない。
 命を楯に正々堂々の斬り合いを本分とする小剣令には、相性が悪かった。

「……こういう敵なら私が相手をした方がよかったかも」
「クワンパさん!」

 ヒィキタイタンに不意に肩を引っ張られ後ろに下げられた。
 あらぬ方から飛んできた薬莢が足元で弾ける。

「ありがとうございますヒィキタイタンさま」
「どうしよう、このまま長引くと敵の仲間が加勢に来るのでは、」
「ええ。そろそろだと思うのですが」

 

     ***** 

「ええい、飽きた!」

 ボンビー、剣戟勝負に決着がつかないのでイライラする。
 やはり爆弾魔は爆弾で戦わねば、と左手に握る遠隔起爆装置の釦を押した。

 ぽこん、と舞台外に仕掛けられていた花火が動き、五色の紙吹雪をまき散らす。
 舞台演出用の装置だが、なんで今動いたのか。
 ボンビーも驚く。

「……、点火装置を繋ぎ替えたな?」
「32個だ」

 ヒィキタイタンの隣で聞き慣れた声がする。
 振り返ると、ヱメコフ・マキアリイ。

 爆弾魔もようやく本命主役が登場か、と戦うソゥヱモンから離れて、
にやっと歯を剥き出し笑う。

「来たな英雄探偵」
「36個だ。一式6個の1石(3.43キログラム)爆弾が6組。
 4個はたぶん、お前が飛んできた「萬客城」大看板の裏だろう。
 だが下に仕掛けた20個、屋上庭園に仕掛けた9個、舞台の3個はもう解除した」

 なに、とボンビーの表情が固まる。ソゥヱモンも話を聞きたい。
 英雄探偵マキアリイ、今まで爆弾解除をしていたのか。

 だが英雄の口から出るのは愚痴だ。

「ボンビーよお、此処を襲撃の舞台に選ぶのは上出来だ。
 爆弾を1ヵ月も前に商品在庫に紛れ込ませるのもいいんだ。
 巡邏軍の探索を避けて外壁にくっつけるのもいいだろう。
 建物倒壊を目的としないんだから。

 でもなあ、設置は自分一人でするなよな。

 扱いやすいように移動防止も解体防止機能も無いじゃないか。
 電波信号で起爆するのも、空中線(アンテナ)曲げただけで受信しない。
 無線中継器もずぶの素人巡邏兵に見つけられたぞ」

 ベベットが叫ぶ。

「マキアリイくん、爆弾は全部処理したの?」
「最後の4個、無線装置を無力化して巡邏軍の爆弾処理班が片付けている。
 さて、」

 ぐりぐりと肩を回し筋肉のコリをほぐしながら、マキアリイは前に進み出る。
 選手交代だ。
 ソゥヱモン小剣令も刀を引き、鞘に納めて爆弾魔に声を掛ける。

「それでもまだ奥の手はあるんだろうな。期待しているぞ」
「まあ、有るといえばあるんだけどさあ」

 

 雄大な体格の英雄に比べて、いかに高価な衣服で飾っても爆弾魔が見劣りするのは避けられない。
 既に己の武器は解体され、最後に何を用いるか。

 マキアリイは詫びた。

「すまん、今朝から放送でぶち上げたお前を捕まえる罠な、あれ全部嘘だ。
 昨日おまえがど派手な犯行予告をした時に、これは陽動だと気付いたぞ」
「む、」

「ゲルタガ主任捜査官は、派手な予告で首都に目を向けさせて、
 実は方台全土で同時多発に破壊工作を行うと見抜いている。
 ミラーゲン本隊とおまえは別の、囮だとな」

「ばれちまっては仕方ないな。でもなあ英雄さん、俺は、」
「分かってる。囮が大成功して悪い道理は無いからな。
 芸術的爆弾魔としては手を抜くつもりはさらさら無い。

 これまで秘密にしてきた正体を曝け出すのも、その覚悟だ」
「わかってるねえ」

 ボンビー、舞台の上から屋上全体を見渡す。

 既に一般客は退去を終え、巡邏兵捜査員が集まってくる。
 だが爆弾を警戒して密集しようとはしない。
 それにボンビーの拳銃にはまだ弾が残っている。
 ヱメコフ・マキアリイがどのように取り押さえるか、見物する事となるだろう。

 風防眼鏡の下の顔で、彼は苦笑いする。

「やっぱ電波信号で起爆は、信頼性に欠けるな」
「有線爆弾が安心だな」
「俺の趣味じゃないんだよな、ずらずら長く線を引いて、あんなのすぐ見つけられちまうじゃないか。
 だがな、最後に頼るのはやっぱり信頼性の高い奴さ」

「なに?」

 

     ***** 

 ボンビーすっと右手を伸ばし、拳銃の照準を高くに向ける。
 舞台の背後、展望食堂の塔の下に麗々しく左官で盛り上げられた「萬客城」の商標。
 その中央に艶が輝く七宝焼の印を撃ち抜いた。

 マキアリイも、まさかそれは想定しない。
 ボンビーも気の毒な、むしろ敗北を認めるかに口を歪める。

「俺だってなあ、10年前に仕掛けられた爆弾なんか使いたくないんだ。
 お前が悪いんだぞ。
 ミラーゲンが建設時からあらかじめ爆弾仕掛けるの、忘れてたんだからな」

 

 そして身体から煙を噴いた。
 煙幕に隠れて逃げる気か、と手を伸ばそうとして、マキアリイばっと後ろに跳び下がる。
 勘で、だが大正解。
 大きく爆発して爆風が煙を吹き飛ばす。

 爆風弾の圧力を利用して、ボンビーは再び宙に舞い上がる。
 蝙蝠の翼を広げて屋上庭園から空中に離脱する。

「無理だ!」

 この大きさの翼では人一人の重量を支えられない。
 多少の速度の低下、方向の制御は出来ても、最終的に地面に叩きつけられる。

 だがボンビーは屋上から高く上る広告気球の一つを掴み、縄を切って解き放つ。
 気球の浮力でさらに速度を殺すのか。

 屋上の高さからみるみる高度を下げていく。
 百貨店の外に避難してきた買い物客が心配そうに見上げていたが、その頭上に落ちていく。
 人の悲鳴が上がる。

「おっといけねえ」

 地上では通報を受けてゲルタガ主任捜査官が、
巡邏軍3個小隊1百人を引き連れて応援に駆け付けたところだ。
 宙から落ちる蝙蝠の翼を正しく悪と認識した。

「あれがボンビーか、続け! 必ず逮捕するぞ」

 そいつは願い下げ、と爆風弾を投下して地上に浮力を作り出す。
 人が吹き飛ぶのもお構いなしだ。

 本来これで着陸するはずだったが、最後の1個を使ってしまった。
 広告気球を手放して、人の頭のすぐ上をすり抜ける。
 自動車で疾走するほどの高速だ。

 車道に出て、路面電車の架線の下を潜り、公園の植え込みに突っ込んだ。
 着陸というより衝突だ。

 ゲルタガ率いる巡邏兵が車道の往来を強制的に停止させ、一目散に突っ込んでくる。
 だが植え込みの中から飛び出したのは、自動二輪車だ。

 巡邏兵を蹴散らし、車線を逆走して逃げていく。
 さすがにこれには追い付けない。
 ゲルタガは手にする無線で周辺封鎖の指示を捜査本部へと伝達する。

「ちくしょお、ボンビーの奴。だが顔は見たぞ次は逃がさん」

 

 「萬客城」屋上。
 ずず、と舞台が斜めに傾ぐ。

 鉄筋の柱の内部に仕掛けられていたミラーゲンの爆弾が作動し、致命的な破壊を実現する。
 大看板が乗り展望食堂が設けられた塔が根こそぎ切り取られ、ゆっくりと倒れていく。

 下から仰ぐ人は阿鼻叫喚、建物東側の広場から走って逃げていく。

 塔の根元に設置してある舞台も引きずられて跳ね起き、ただ逃げるのがやっとだった。
 壁は割れ、備品什器がこぼれて落ち、もはや留める術が無い。
 だが人は、

 まずは箱型の大看板が拉げて外れ、地面に落ちていく。
 爆弾解除に当たっていた巡邏軍処理班が逃げ遅れ、留まる事などもう無理だ、そのままに。
 そして、

 舞台の裏、楽屋に避難した光星組「デラ・ルント」の二人が、割れた壁から顔を覗かせる。
 避難させられたのはよいが、ボンビーが現れたどさくさで案内する者が居らず、
そのまま留まっていたのだ。
 銃弾・小爆弾の脅威は無かったが、 まさか建物自体が崩れるとは。

 ベベット主任捜査官は顔を青ざめる。
 既に傾き落ちようとする塔に飛び込み2人を救うなど、人間に叶う技ではない。
 人間に、

「ヱメコフ・マキアリイ!」

 

     ***** 

 何の迷いも見せずに跳躍し、見事壁の割れ目に飛び込む英雄探偵。
 まずは女性の光星アリシャンを抱え上げ、丸太を投げるかに乱暴に放り出す。

 いかに女性で軽いとはいえ、人間これほど飛ぶものか。
 背の高いヒィキタイタンがしっかと受け止める。

「マキアリイ、来い!」

 塔と建物本体との間が開き、鉄骨鉄筋が姿を覗かせる。
 着地位置を間違えると串刺しだ。

 男性光星カジツを問答無用で肩に担ぎ、マキアリイは跳んだ。
 大きく、
その背後で遂に支えを失い落ちていく塔が、展望食堂が。

 足場が悪かった。
 マキアリイの跳力なら十分可能な距離ではあるが、力が逃げて届かない。
 崩れ落ちる塔と共に、二人も。

「所長ーっ」

 伸びるカニ巫女棒に手が掛かる。左手一本で掴み手繰り寄せると、足がわずかに外壁に触れた。
 これで留まれる。
 だが男二人の重量をクワンパ一人で支えられない。

 ソゥヱモン小剣令が、ついでヒィキタイタンが、また捜査官が飛び付いてクワンパを引き戻す。
 それでもカニ巫女棒を握るのはクワンパのみだ。
 手が抜ける、腕が折れる。強固な棒がたわみ異音を発する。

 かろうじて外壁に留まるマキアリイとカジツを、身を乗り出した巡邏兵が掴まえた。
 二人三人と手を伸ばし、ようやく確保。
 その途端、さしものカニ巫女棒も高い音を立てて割れてしまう。

 急に引っ張る重さが消えて、クワンパと支える男達は後ろにひっくり返った。
 それでも呼ばう。

「所長、無事ですか!」
「ああ、クワンパ。助かったぞ。二人ともだ」
「よかった……、」

 腕が折れるかと思った。痺れて動かず立ち上がれない。
 青い夏空を見上げて、思う。

「これってやっぱり、破壊工作阻止、しっぱいなのかな……」

 

 

 昨夕ゲルタガ主任捜査官は、首都の予告状が囮であり、
全土で「ミラーゲン」が破壊工作を行う恐れがあると、秘密裏に上層部に警告した。

 各地の警察局は隠密で探索し、8市において犯行の阻止に成功。
 だが5市で決行され、3カ所で大規模破壊に成功されてしまう。

 その一つがノゲ・ベイスラ市。
 役所や裁判所、また選挙で賑わう市の中心部が狙われたなら阻止できただろう。
 だが襲われたのは刑務所だ。

 凶悪犯罪者が百人近くも脱走し全市を、ベイスラ県全体を脅かす。

 結局爆弾魔ボンビーを取り逃がし、百貨店を大破壊させてしまったマキアリイとクワンパは、
ほうほうの体で旅宿館に辿り着く。
 部屋で寝っ転がろうとした瞬間、電話が鳴り響いた。

 通話先はノゲ・ベイスラ市のマキアリイ事務所。
 臨時事務員のネイミィだ。

「所長今すぐ帰ってきてください。
 刑務所から逃げ出した犯罪者が、ヱメコフ・マキアリイに復讐するって事務所にまで!」

 電話向こうで悲鳴が上がる。
 あの気丈なネイミィが、これは本当の一大事だ。

 

 

第二十五話その7「空中戦闘」 

 破壊集団「ミラーゲン」の爆弾魔ボンビー逮捕作戦は、
結論から言うと”大失態”と評価される。
 ボンビー本人の逮捕に失敗し、
事件現場となった「ィップトゥス萬客城」も屋上展望食堂が倒壊落下する大惨事。
 巡邏兵に死者も出たとなれば批判は甘んじて受けるしかない。

 一方、方台全土での同時破壊騒乱計画は、
多くの都市で阻止されて評価を受けるべきであるのだが、
起こらなかった事件は勘定に入らないのが世の常。いかんともし難い。

 地方地元の選挙区に散っていた閣僚、ウェゲ会幹部も急遽首都に戻ってくる。
 「選挙を中止すべきではないか」との声も持ち上がった。

 

「まあわたしは凄い絵が撮れたらから文句は言いませんよ」

 と不謹慎な台詞を吐くのは、写真家クニコ・ヲゥハイ。
 新聞朝刊一面に大きく掲載されて名を上げた。
 自由映像王国社の撮影技師と共に事件の一部始終を撮影に成功。
 今週の内には全国映画館で報道映画として公開されるだろう。

 旅宿館マキアリイの部屋になんとなく集合している面々。
 マキアリイにクワンパ、クニコ、ベベット、おまけにチュダルム彩ルダム。
 女だらけだ。

「姐さん、こんなところで朝早くからいいんですかい。忙しいんじゃ」
「忙しくない訳は無いんだけど、それよりもこれからよ。
 爆弾魔ボンビー、再度襲ってくるわよね?」
「十中九分まで」
「ですね。ヱメコフ・マキアリイもヒィキタイタンさまもどちらもピンピンしてますからね」

 クワンパの言葉にベベット上級捜査官が補足する。

「再襲撃があるとすれば、有るというのが対策本部も大方の意見ですが、
 本来ボンビーは予告無しで攻撃してくる犯罪者です。
 ゲルタガ主任捜査官は次はさらに困難になると予想しています」
「全国破壊計画の陽動作戦だったからなあ」

 ベベットが居るのも、まさにマキアリイが直接狙われるのを警戒してだ。
 この旅宿館ももはや安全とは言い難い。
 別の、もっと警戒厳重な施設に移ってもらう必要がある。

 クワンパ、南海イローエント市での「潜水艦事件」10周年記念式典を思い出す。
 安全の為と称して、
ヱメコフ・マキアリイは巡邏軍街頭詰所の牢屋に放り込まれていたな。

 だがマキアリイは宣言する。

「俺は一度ベイスラに帰らなくちゃいかんのだ。
 刑務所が爆破されてお礼参りの犯罪者が襲ってくるそうだからな」
「それは現地の巡邏軍に警備を任せればいいでしょ。
 第一公共交通機関はどこも動いていないわ」
「そこはヒィキタイタン家(ち)の飛行機を借りてだな」

 入口の扉が開いて男性の捜査員が中に声を掛ける。

「ヱメコフ・マキアリイさんに電話です。発信元通話相手確認しました」
「ありがとう、こちらに回して」

 ベベットが仕切るのは当然だが、自分宛電話でこの扱い。
 いよいよ撤退時かと思ってしまう。
 室内の電話が鳴って、ベベットがさっと受話器を取った。
 カニ巫女事務員出番無し。

「はいマキアリイの部屋。はい、代わります。
 マキアリイくん、ベイスラの飛行機協会だって」
「おう、なんだろう」

 アユ・サユル湖畔の水上飛行機発着場の民間飛行機協会からだった。
 マキアリイが愛用するおんぼろ機「ルビガウルVゼビ」が、
折よく首都の発着場に待機しているという。

「うん、ミカルモさんがこっちまで乗ってきて帰りの操縦士が居ない?
 分かりました、俺が乗って帰ります。もちろん、もちろん使用料払います。
 はいそれではお願いします」

 英雄探偵がいつものように大活躍していれば、助力したいと願う一般人も多い。
 ましてやマキアリイが常連お得意様の飛行機協会が、
ミラーゲン騒ぎで交通機関がマヒしているのを聞きつけ、便宜を図ってくれた。

 ベベットが尋ねる。

「そのミカルモという人は信頼できる人?」
「50代の実業家で、俺が生まれる前から空を飛んでいる。
 ルビガウルVで操縦訓練を受けた世代だな。だからよく使っているよ。
 人となりも知ってる」
「罠ということは無さそうね」

 姐さんが、

「でも機体に爆弾仕掛けられたりしない?」
「昔の飛行機ですから、至る所隙間だらけで何処に設置してもすぐ分かりますよ。
 発動機の中の奥底まで、全部俺承知してます。
 分解したって直せるほどです」
「ならいいけどさあ」

 問題はウェゲ会が選挙運動応援のマキアリイを今手放せるかだ。

 

     ***** 

 ヒィキタイタンの手を煩わせるまでもなく、マキアリイの帰還は了承された。
 そもそもが大きすぎる博打だったのだ。

 「英雄探偵マキアリイ」の行く所犯罪謀略が湧いて出て、
新聞号外放送特番、果ては映画で大公開となってしまう宿命だ。
 ましてや天下分け目の総選挙で首都を舞台とした時点で、何かが起きなきゃそりゃ嘘だ。
 重々承知の上であったが、まさかここまで大事になるとは。

「帰っていいって」
「では戻りましょう」

 クワンパも事務所が気になる。
 刑事探偵の溜まり場だからめったな事にはなってないだろうが、
それでも凶悪犯罪者。何をするか分からない。
 一刻も早く戻って安全を回復しないと。

 そうか、と姐さんも揃えた膝をぽんと打った。ちょうどいい。

「この旅宿館の警備も撤収させましょう。
 マキアリイくん一人に大人数割いてたからね。
 無駄人員じゃあなかったんだけどさあ」

 これほどの警備を敷いていながら、
相手が「ミラーゲン」となると盗聴を懸念せねばならなかった。
 ゲルタガ主任捜査官がボンビーの公開予告が陽動ではないかと気付いた瞬間から、
電話回線での通信は避けた。

 マキアリイも晩に旅宿館を抜け出して、探索を開始する。
 まだ百貨店「ィップトゥス萬客城」が協力を了承する前から、
閉店深夜の建物に忍び込み仕掛け爆弾と工作員を探す。

 ボンビーは単独での犯行を好む犯罪者だが、
支援する「ミラーゲン」の工作員は11名も居た。
 すべて逮捕したのだがマキアリイの「勘」に基づく法的に正しくない拘束で、
尋問も総統府工作員によって行われた。
 表に公開できない措置だから、マキアリイが表彰されたりしない。
 骨折り損だ。

 クワンパ立ち上がるが、その手にカニ巫女棒は無い。
 さすがに折れては使えない。
 神聖な神罰棒を捨てるわけにもいかないから、
後日カニ神殿に奉納してお焚き上げをしてもらう。

 その間の保管を自由映像王国社の撮影班が乞い願ったので、任せてある。
 ひょっとしたら映画の宣伝に使われてしまうかもしれない。

「ヲゥハイさん、というわけで公式写真家のお仕事はここまでです。
 ご協力ありがとうございました」
「あらつれない。
 クワンパさん、やっぱり新聞に大きく写真が載ったの、怒ってます?」
「いえ、お仕事であれば仕方ないですね」

 もちろん新聞一面は爆弾魔「ボンビー」の姿だが、
ヱメコフ・マキアリイが光星カジツ・スコルオを担いで宙を跳び、クワンパが必死に繋ぎ止めた姿も裏面に載った。
 仕掛け爆弾で屋上全体が揺れる中、写真機を抱えて舞台に駆け上がり、
決定的奇跡の瞬間を撮影に成功した決断力は称賛に値するだろう。

 ただのお嬢様ではないのだ。

 

 アユ・サユル湖畔の首都水上機発着場にまで付いてきたのは、
ベイスラから警護してきた巡邏兵だ。
 さすがに飛行機では随伴するわけにはいかない。

 カズツン兵曹ネマス上兵マルスミ・アダ正兵の3名は、
正直首都で起きた様々な事件に流されて、
最後はマキアリイ自身が姿を消して捜査に当たって、
ほとんど役に立たなかったと言ってよい。
 それでも護衛対象は無事ピンピンしてるから、任務達成だ。

「それでは我々は此処で失礼いたします」
「ああ、ご苦労様」
「ですが単独飛行での道中は危険が伴います。
 やはり湖上水軍に警備を願った方がよいのでは」
「よせやい。戦闘機護衛に付けて飛んだりしたくないよ」

 実際機体に爆弾を仕掛けるでもなければ、どうやって空中のマキアリイを襲うのか。
 「ミラーゲン」が戦闘機なんか飛ばすだろうか。

 水上機発着場にはもう一人見送りの美人が居る。
 ヒィキタイタンの妹のキーハラゥルだ。
 考える事は誰も同じで、
マキアリイの移動の便宜を考えて自分の飛行機を持って来てくれていた。

「すまんな、こちらの飛行機は帰りで戻さないといけないからな」
「いいわよ。あなたが使わないのならお兄様が使うでしょう」
「ん、ヒィキタイタンも飛ぶのか」
「ウェゲ会の重鎮議員が続々と首都に戻ってきてるから、お兄様は逆に全国巡りに回されるって。
 まあ、十分以上に活躍させられたからね。あなたに」

 どうにも彼女は、ヒィキタイタンが冒険に飛び込むのはマキアリイのせいと思ってる。
 兄が自ら好んで危険に首を突っ込むとは考えない。誘う方が悪いのだと。
 だが今回の選挙運動だって、ヒィキタイタンが頭を下げに来たんだぞ。

 

     ***** 

 「ルビガウルV」原型初号機が軍に納入されて今年で50年にはなる。
 一線機として運用されたのは10年ほど、
その後は地方隊に配備され、海上での運用は禁止されて民間に放出。
 20年前には軍から教材としても一掃されたが、まだ民間では飛んでいる。
 それだけ頑強な機体構造を持ち、発動機出力にも余裕を持った傑作機、ではあったのだ。

 発足したばかりの海外派遣軍でも使用されたが、
武装が後部観測席に機関銃を設置するのみで、戦闘では出番がない。
 むしろ現地住民の武装勢力に供与する「賄賂」として重宝したと聞く。

 扱いやすく整備しやすく、部品の複製も一般の鍛冶屋で出来て民間修理も利く。
 魚油でも酒精でも発動機が動いて燃料供給の難が無い。

 ソグヴィタル・キーハラゥルは言った。

「なにこの空飛ぶガラクタ」
「俺の愛機になんてこと言うんだ」

 クワンパはよく分からない。
 もちろんソグヴィタル家の競技用水上飛行機はピカピカと光った最新鋭だし、
発着場の埠頭に繋がれる飛行機達もなかなかに金持ち趣味に思われる。

 良し悪しは専門家に聞くべしと、
「ルビガウルVゼビ」の全体を検査して異常を調べている整備員に尋ねる。
 40代で多くの飛行機を見てきた熟練だ。
 カニ巫女の問いに彼は、

「ここ10年はアユ・サユル湖でルビガウルVは、ベイスラ所属のこいつしか飛んでないねえ」
「じゃあ墜落しそうな危ないおんぼろ飛行機なんですか」
「飛行機というのは、落ちるまでは飛んでる代物だからね」

 まあ英雄探偵が飛ばせている限りは大丈夫だろう。悪運強いし。

 ルルント・タンガラムからベイスラの発着場まで、
円形のアユサユル湖の直径ほぼ100里(キロ)を飛ぶ。
 仕様書どおりの速度を出せば半刻(1時間)も掛からず着くはずだ。

「半刻ならお弁当も要りませんね。じゃあ帰りますか所長」
「おう。そういえばお前、飛行機乗ったこと無かったか」
「はい。乗りたくもありません」

 カニ巫女棒を携えていないから手間も要らない。
 衣類のみを詰めた鞄を2、3個積むだけだ。
 映画会社に作ってもらった「英雄探偵」衣装がちと重荷。

 整備員の後はマキアリイ本人が安全を確認して、クワンパを後席に放り込み、
じゃあと挨拶を残す。

「たぶん首都にはもう一回戻ってくると思うが、その時はよろしくな」

 

 下を見なければ怖いなどとは感じない。
 後席観測手は目の前操縦士の後ろ頭が見えるだけで、大して面白くない。
 前席に話しかけるには漏斗状の送話管を使う。

「所長、これ高度ってどのくらいですか」
「300(柱、1柱=5杖=3.5メートル)は出てないなあ。出力上がらないからな」

 軍用機であれば燃料に魚油や酒精(エチルアルコール)の混合燃料を使う。
 だが民間で趣味の飛行機には毒酒精(メチルアルコール)の使用が義務付けられた。
 発動機もそれ用に調整してあるが、
熱量に劣る毒酒精では定格の出力を出せない。2割減というところだ。

 右手を見れば青くベイスラ山地が霞み、
左手後方にはカプタニア山脈がくっきりと緑の木々を印象付ける。
 二つの山脈は東西交通を遮る険所で、
その真ん中に巨大な陥没としてのアユ・サユル湖が広がる。
 ベイスラ側の湖岸はまさに抉ったと表現するのが正しい切り立った崖になっており、
陸地の移動は北岸カプタニアの隘路を通るしか無い。

 カプタニア街道出口の「ルルント・タンガラム」がいやでも発展する事になる。

 クワンパ、空中にキラリと光る何かを見た。たぶん金属の反射だろう。

「所長、アユ・サユル湖の上空って飛行機たくさん飛んでますか」
「そりゃそうだ。飛行機より早い移動手段は無い。
 湖上水軍の飛行訓練もほぼ毎日上がってるはずだぞ」
「そうですか、じゃあアレも飛行機ですね」

 左側方、おそらくはヌケミンドル市の方向からこちらに向けて飛んでくる、のだろう。
 1つ2つ、いや4つか。

「4つ光るというのは飛行機の群れですね」
「編隊っていうんだよ。イローエントで模範飛行を見ただろ」
「ああ、じゃあアレも軍の訓練部隊ですか」

 マキアリイもとうに気が付いているが、しかしヌケミンドルからは納得いかない。
 湖上水軍の戦闘機訓練隊はベイスラに拠点を設けていた。
 演習空域も概ね湖の南側、ベイスラからサユール際だ。
 主要民間航路帯から外してある。

 ヌケミンドルに訓練隊が移動する時もあるだろうが、
ざらっとした違和感が有る。

 

 ただの点にしか見えなかった4機編隊が、徐々に姿を見せてくる。
 高度は400柱(1400メートル)、かなりの速さだ。

 

     ***** 

 『コンパーク50』 複葉複座、軍用ではない。黒と灰色に塗装される。
 民間用の競技機ではあるが、軍への採用を働きかけた例もある高性能機。
 二昔前の話だが、
『ルビガウルV』よりはもちろんずっと新しい。

 そして脚に浮舟ではなく車輪が付いている。陸上機だ。

「ちょっと待て、機関銃積んでるぞ」

 遠目に武装を確認してマキアリイは驚いた。
 機体前方発動機の上、本物の戦闘機と同じ位置に設置してある。

 この位置で不用意に発砲すれば回転推進翼(プロペラ)が被弾して破損する。
 であれば、本当に戦闘機と同じように、推進翼と同期して発砲する機構を持っている……。

「陸上戦闘機かよ!」 

 軍用機でない戦闘機を有する正規の武力集団なんか、タンガラムに有るものか。
 非合法、犯罪者の、おそらくは、いや他に考え付かない。
 破壊集団「ミラーゲン」の戦闘部隊だ。

 後席に落ち着いた声で話し掛ける。

「クワンパ、緊急連絡だ」
「はい?」
「ヌケミンドル、いやもうベイスラ管轄か。航空管制に無線連絡して救援を乞う、違う!
 戦闘機編隊に攻撃されるんだから、湖上水軍航空隊だ。
 中央司令軍所属ヱメコフ・マキアリイ掌令の要請で援軍を、」

「あの、無線通信機を使えってことですか?」
「あああっ、そうだった。おまえど素人だ!」

 ルビガウルVは最初に無線通信機が標準装備された小型偵察機だ。
 洋上遠方から打電ではなく無線電話により状況を詳細に伝達できた。
 通信は後席観測員の仕事だが、今は機材も新しくなり操縦席でも可能。
 なのだが、今はそれどころではない。

 既に敵編隊が攻撃態勢を取りながら散開し、包み込むように高度を下げてくる。
 速度の遅いルビガウルVでは逃げても無駄。隠れようも無い。
 だがそれでも有利な位置取りは有るので、複雑な機動を開始する。

 クワンパが確認する。

「湖上水軍航空隊に、ヱメコフ・マキアリイ掌令が緊急要請で援軍を呼ぶんですね?」
「ああ。だが今はいい、しっかり掴まってろ」

 仕方ないな、とクワンパ無線機を弄り始める。
 なんだかややこしい目盛りもあるが、この辺かなと周波数つまみを回して、

「こちらアユ・サユル湖上空中央司令軍所属ヱメコフ・マキアリイ掌令。
 湖上水軍航空隊に緊急要請。
 現在当機は正体不明の戦闘機4機編隊と遭遇し戦闘状態に陥りつつある。
 至急援軍を乞う。
 繰り返す、援軍要請……。」

「おいなんでおまえ、クワンパ、無線機使えるんだよ」
「なんでもなにも、五月の闇御前裁判で証人を護送したでしょ。
 あの時イヌコマに無線通信機積んで夜の森の中を彷徨ったんですよ。
 使い方まだ覚えてます」

 そうだった。
 色んな事が有り過ぎて霞んでしまったが、まだ3カ月しか経っていない。
 通信機の使い方もその時みっちり教えている。

「あの、所長。返事が返ってきません」
「繰り返せ、誰か出るまでずっとだ」
「はい」

 

      ***** 

 一般的に水上飛行機と陸上機が戦闘をすれば、陸上機が勝つ。
 空気抵抗が大きく重い浮舟をぶら下げていれば当たり前の話だ。

 どちらも複葉機だから運動性能は高いのだが、なにせ速度に差が出る。
 速ければ空戦で有利な位置取りが出来るし上を取れる。
 背後に回られても引き離せる。
 加えて余分な重量をぶら下げていないからその分武装に回せる。
 機体全体に装甲などは無理だが、操縦席に防護鉄板くらいは追加できる。

 いやそもそもがマキアリイが乗るルビガウルVは武装していない。
 しかも4対1。
 ついでに老朽機体で無理な機動は禁止され振り回す事が出来ない。
 だいたい敵機に比べても機体の技術水準が3世代は古いのだから、どうしようもない。
 おまけに燃料も弱くて出力が上がらないと来たものだ。

 それでもわずかばかりの期待はしていたのだが、
上から襲ってくる編隊に、マキアリイは絶望する。

「……実戦経験者か」

 おそらくは海外派遣軍に出征した飛行兵だ。

 ヱメコフ・マキアリイも操縦訓練は、イローエント海軍の腕扱き飛行教官に教わっている。
 実戦経験豊富な一線級の操縦士達の中に放り込まれて、飛行技術を叩き込まれた。
 つい最近だって湖上水軍の戦技訓練隊長、本物の撃墜王と知り合いになったばかりだ。

 だから本物はよく分かる。
 陸軍機は勝手が違うだろうが、手抜かりなどありはしない。
 万に一つも勝ち目は無かった。

「どこからそんな人材雇ってくるんだよ。カネはどうしてるんだ」

 今更ながらに「ミラーゲン」の異常さに悪態を吐く。
 連年、いや季節の変わり目ごとに大規模破壊活動を画策しやがって、
おまえらの資金源は底無しかよ。

 後席のクワンパは無線で何度も救援を乞う。だが反応無し。
 確かに無線機には空電雑音が混じり稼働しおり、遠くかすかに通信音も聞こえるのだが、
何故反応しない。

 自分で無線を操作しようと思ったが、そんな暇があるはずも。

 

ぞっと、機体の脇をなにかが通り抜けた。
 一連の機銃掃射だ。

 半指幅(口径7.5ミリ)の標準機関銃だろう。
 歩兵銃と同じ銃弾を用いて強大な破壊力貫通力を有しているが、
どうせこんなおんぼろ機、拳銃弾だって致命傷だ。

 相手が狙いを外したのではない。マキアリイが避けた。
 勘や予測ではなく、ただ機体を左右に振って当たり難くしただけだ。
 それしかできない。

 発射音は聞こえない。発動機の爆音にかき消される。
 ただ命中した時のみ強烈な破壊が鳴り響くばかりだ。

 続けて3機が代わる代わるに撃ってくる。
 なにしろ相手は優速、空中に浮いてる的を狙うだけの戦闘訓練に等しい。
 だが、

撃った方が不思議に思うだろう。
 4機すべてが外してしまう。
 マキアリイ、かなりの無茶をやっている。
 機体を起こして風に煽らせ、速度をごっそり落としてふわっと浮き上がる。
 まるで蝶々がひらひら舞うかに躱して見せた。

「何度も効く技じゃないからな、頼むぜー頼むぜ」

 諦めるわけが無いだろう。
 敵はぐるりと大きく輪を描いて再び50柱(175メートル)上で編隊を組み直し、
高さを生かして背後から撃ってくる。
 操縦席を真後ろから。

 

 クワンパ、宙に浮いた。
 いきなり重さが消失し、座席から抜け出るような気がしたが、
またいきなり重力が掛かってギュッと下に押し付けられる。

「ちょと、しょ、」

 ふらりふわりとマキアリイは機体を上下左右に振り回す。
その度速度が落ちて、どんどん高度が落ちていく。
 まるで舞い落ちる木の葉のように。

 

     ***** 

 再び三度の銃撃を見事避け切って、だが100柱(350メートル)にまで高度は落ちる。
 横を見ればアユ・サユル湖の青緑の湖水が広がり飲み込まれそうだ。

 敵編隊もこれほどまでにマキアリイがしぶといと想像しなかった。
 次は一直線に4機を縦に並べて急降下連続、至近で撃ち果たす。
 絶対逃しようの無い必殺攻撃だ。

「クワンパすまん!」

 思わず叫んだマキアリイ。だが一緒に心中するのを詫びたわけではない。
 ルビガウルVはぐるっと捻って腹を見せ、いきなり真後ろに方向転換。
 4機の急降下を背に逃げる。

 あまりにも機体速度が遅いから出来る離れ業。一つ間違えれば空中分解。
 どう考えても老朽機に可能な機動ではなかった。

「所長! なんか噴き出しました!」
「機械油だ、気にするな」

 もちろん後遺症が無いはずが無い。
 クワンパが気絶しなかっただけ上出来だ。

「クワンパ、まだ無線出ないか?」
「すいません、どこにも繋がりません」
「そんなわけあるか、ほんとにどこに掛けている?」

 ここでマキアリイ、疑問に突き当たった。
 クワンパはどの周波数で誰に向けて救援要請をしているのだ。

「おいクワンパ、周波数どこに合わせた」
「前に習ったとこです」

 五月「闇御前」裁判の証人を預かって森の中を逃避行したクワンパは、
イヌコマの背に巡邏軍から借りた無線通信機を乗せていた。
 上空を旋回するマキアリイの飛行機に援護射撃して助けてもらう為だ。

 つまりクワンパが覚えた周波数は民間一般用、この機体に搭載する無線機に向けてのものだった。
 カニ巫女クワンパは紛れもなくど素人である。

「周波数!」
「はい?」
「今から言うところに合わせ直せ!」
「はい!」

 

 湖上水軍の航空管制周波数に合わせた途端、無線に声が明瞭に飛び込んでくる。

”ヱメコフ・マキアリイ、2分保たせろ!”

 聞き覚えのある声、しかも湖上水軍で。思い当たるのは一人しか居ない。
 ただ2分は絶望的、永遠の長さだ。

 それだけの余裕があれば敵は今度こそ、ほんとうにもう逃がしようもなく確実に当ててくる。
 撃墜し、湖面に激突し、トドメを500発ほど撃ち込んでおまけがある。

「クワンパ、発煙筒。後席に有る」
「あ、はい、あります」
「煙幕だ」
「了解です」

 さすがにこれはすぐに理解する。
 救難合図の為の発煙筒が2本、さらに信号弾を打ち上げる拳銃まで装備してある。

 クワンパ急いで1本を引き抜き点火栓を引き抜いて発火を確認、
噴き出す煙を、

「うわああ」

 目の前に煙が噴き出して自分の顔に被ってしまう。
 驚いて思わず手を放し、座席の下に落っこちた。

「うわああああ、所長すみません」
「見てろ、下見て、引火させるな」
「煙で見えません!」

 

     ***** 

 ルビガウルVは後席から煙を噴いて長く尾を引いた。
 その間小刻みに機体を揺するから、効果的に煙幕を展開できたのだが、
襲撃者の側から観測すると、発動機に被弾して操縦不能に思える。

 ダメ押し、と再度の一連射4連の攻撃。
 ついに機体後部クワンパのすぐ後ろを銃弾が貫通していく。

「    。」

 悲鳴も出ない。ほんとうに死の恐怖を感じたら声も出せない。
 だが機体への打撃は無かった。
 強力な銃弾が4発も命中したのだが、中身すかすかの飛行機では特に効果を見る事もなく、
ただ布張り外装に穴が開いただけだ。
 仰げば上翼にも穴が。

「クワンパ、もう一発発煙筒!」
「は、ひぃ」

 引き攣って声も出せないが所長の意図は分かる。
 今度こそしっかりと手に握ったまま、追加の煙を振り撒いた。
 と同時に、足元の発煙筒を靴で踏み、蹴飛ばし追い出し、穴から外に捨てる。
 機体が焦げて燃え広がり穴が開いた。これを消すには消火器が。

 左右にふらつき続ける機体はまったく煙に覆われた。
 だが未だ飛んでいる。着水しない。
 まだ生きているのか、と編隊は4方向に分散した。

 もう連続攻撃は必要ない。各個に襲って仕留めるだけ。
 さらば英雄探偵マキアリイ。

 

 

 一般的に水上飛行機は陸上機には勝てない。
 だがそれは機体の水準が同等同世代で、価格が同等であれば、だ。

 海外派遣軍における主力戦闘機は水上機。
 実戦経験豊富で、多くの戦訓を取り入れて毎年の革新が盛り込まれていく。
 割と大きな島ならば飛行場を整備して陸上機を導入している所もある。
 これとだって戦った。

 対してタンガラム国内の陸上戦闘機は、
「戦争」と呼べるほどの状況に陥った事が無い。
 新型機の導入の必要も無く、そもそも陸上機をわざわざ開発する必要も無く、
水上戦闘機から浮舟を取り外し車輪に替えるのみで上等だ。

 海水で腐食する事も無く、戦闘によって損耗する事も無く、
嵐に揉まれず荒れる海面にも着水せず、
構造骨組みに疲労が蓄積もせず整備も十分、
穏やかな陸の環境でずいぶんと長持ちをする。
 十分新品な状態のまま、水上戦闘機に世代を引き離されていった。

 もちろん第一線の水上戦闘機の価格はうなぎ登り。
 おいそれと更新出来るものではない。
 だがそれをせねば生き残れないのが海外派遣軍だ。

 そして湖上水軍戦技訓練隊は、
これから派遣軍で戦う操縦士を選抜し、実戦形式で鍛える場。
 用いる機体も最新鋭。
 彼らを率いる隊長は歴戦の英雄、撃墜王だ。

 

 マキアリイを上から抑えるかに飛行し、他の3機に攻撃をさせていた隊長機が、
いきなり操縦席に銃撃を食らう。

 群青色の影が恐ろしい速度ですり抜け、下の陸上機をかすめて前方に大きく弧を描いた。
 旋回し、正面から襲い掛かる。

 ミラーゲンの襲撃機は新たなる敵の出現に対応を瞬時迷った。
 彼らの使命はヱメコフ・マキアリイの抹殺。空戦の勝利ではない。
 煙を噴いて飛び続けるマキアリイ機の状況は分からず、
殺害に成功したか確認できない。

 だが援軍として飛び込んで来たのは、海外派遣軍に配備される新型戦闘機。
 搭乗するのも恐るべき技量を持った空の勇者だと、直感する。
 実戦経験者独特の皮膚感覚だ。

 勝てない。今すり抜けた速度は自機の倍だ。

 

「間に合ったか!」

 

     ***** 

 メテヲン・ゥェケタ掌令正はベイスラ近辺の空域1千柱(3500メートル)に居た。
 高空戦闘での連携を教えていたのだが、
管制からヱメコフ・マキアリイが空中戦闘を行っているのでは、と照会を受ける。

 なんでも民間周波数で援軍要請を受信した一般人が巡邏軍に通報し、
巡邏軍から湖上水軍に確認の連絡が来たそうだ。
 電波探知(レーダー)では確かにアユ・サユル湖上空で5機が観測され、
航空管制に申請していない異常な飛行を繰り返していると判断された。

 高度1千柱からでも視認できる距離ではないが、
メテヲンの戦傷を受けた左目が煌めく点を検知する。
 眼帯で覆われていながらも見るべきもの、
今日死ぬ人間の運命が見えた。

 同時に飛び込んでくる、周波数を変えたクワンパの救援要請。

 「ヱメコフ・マキアリイ、2分保たせろ!」と無線に叫んで、隊長機単独で飛び出した。
 1千柱の高さから降下して増速する。
 機体の耐久限界ギリギリまで攻めた。

 だが2分。
 4機編隊の戦闘機で1機を嬲り殺しにするのに十分すぎる余裕がある。
 マキアリイはいつもの老朽ルビガウルVだろう。
 通報がこちらに届くまで5分は掛かったか、もう致命傷を食らっているかもしれない。

 焦ってもただ直進する他無い。
 己の呪われた左目が見るままを信じるだけだ。

 視界に飛び込んでくる敵機の配置・意図、友軍の位置取り・状況。

 迷いも無く操縦桿の引き金を引く。
 訓練の最中であるから実弾は搭載していない。
 威力の無い訓練弾と曳光弾のみだ。
 ただ操縦席に直接叩き込まれて無事で居られるものではない。

 すれ違いざまもう一機、と思ったが、
ヱメコフ・マキアリイの状態を確かめるのを優先した。
 煙を噴いているが、発動機に被弾した際に発するものではない。
 機体そのものに打撃は認められず、飛行に支障は無さそうだ。
 であれば少なくとも操縦士は無事であろう。

「さすがは英雄探偵。冗談のような生命力だな」

 旋回し残り3機の敵と正面から相対する。

 正規の軍用機ではない。
 民間用の機種に機関銃を搭載したもの。それも1基で戦闘力としては低い。
 半指(7.5ミリ)標準機関銃であろうが、どこから調達したものか。

 対してこちらは三分二指幅(10ミリ)強機関銃2基搭載。
 敵がまっすぐ連射する射線を巧みに外して、瞬時引き金を引く。
 そのまま大きく右に捻って敵を躱す。
 果たして正面から銃弾を受けた1機がぐるりとひっくり返って湖面に落ちていく。
 操縦席に正面から食らえば訓練弾といえどもひとたまりもない。

 

 たちまち2機を喪失して残りは算を乱して逃走を図る。
 全速力でも追い駆けるのに造作も無い。出力、速度いずれも桁が違う。
 とはいえ目的は既に達した。
 管制に通信する。

「こちら隊長機メテヲン、ヱメコフ掌令の救出に成功。
 2機撃墜2機逃走、行方を追跡してくれ」
「管制、ヱメコフ掌令は無事か」
「機体に損傷を受けているが墜落はしない。乗員は、たぶん大丈夫だ」

 後席のクワンパが伸び上がって腰を上げ、消火器の白い粉を振り撒いているのが見える。
 操縦席のマキアリイが右手を挙げて挨拶をするが、
余りにも速度が遅すぎてこちらが並走できない。
 無線で声が飛び込んでくる。

「メテヲン掌令正、助かった。もう死んだかと思ったぞ」
「なんで生きているのかこっちが不思議だ。
 優速の4機に襲われてどうやって生き残った」
「こいつが遅すぎた、というのが勝因かな」
「武装は無いのか」
「俺は正義の英雄マキアリイだぜ。
 人を殺さず生かして罪を償わせる。それで映画で大人気さ」

 メテヲンは改めて英雄マキアリイの非常識に呆れてしまう。
 話には聞いていたが、新聞等で読んではいたが、
現場に立ち会うとこんな気分になるものか。

「機体に損傷は無いか。一度着水して救援隊を呼ぶか」
「まだ飛べそうだ。燃料に不安はあるがベイスラの発着場まで保つだろう」
「無理はするな、格闘戦をして使い果たしたはずだ」
「俺の計算だと発着場の2里(キロ)手前までは飛べると思う。
 行ける所まで飛んでみるさあ」

 メテヲンは旋回してマキアリイの機体全周を確かめる。
 機体後部、観測席の辺りから下部の布張り外装が燃えて骨組みだけになっている。
 後席クワンパは足を空中に投げ出した形だ。

 なんとか飛行速度を調整して隣に並ぶ。
 お供のカニ巫女も相当胆が据わっているな、と心配をやめた。

「では幸運を祈る。だが当分空は飛ぶな。狙われるぞ」
「電探(レーダー)の情報を「ミラーゲン」は自由に入手できるみたいだ。もう無理だな」
「それがいい。乗るんだったら湖上水軍に申請して戦闘機を借りろ。
 じゃあ」

 互いに敬礼して分かれていく。
 今頃隊長機を追いかけて訓練機の編隊が到着した。

 

     ***** 8 

「燃料槽にも穴が開いてますねえ。中身入ってたら炎上でしたよ」
「おお。」

 結局ベイスラの水上飛行機発着場の1千歩(700メートル)手前で着水止まってしまった。
 動力舟に引っ張ってもらって無事帰還。
 なによりめでたいのが、借りた機体をちゃんと飛べる状態で持ち帰れた事だ。

「いやあ全損廃棄、弁償させられなくて万々歳だ」
「こんな老朽機そこまで高くならないんですけどね。
 でもご無事でよかった。クワンパさんも」
「ありがとうございます」

 マキアリイ馴染みの若い整備員にクワンパも礼を言う。

 今回の襲撃は確かに死ぬかと思った。
 地に足を着けた状態なら、無敵の達人マキアリイがなんとか凌いでくれそうだが、
空中では機体の優劣武装の有無が決定的な結果を生む。
 いかんともしがたい中、よくぞ生き残った。

「クワンパ、行くぞ。事務所が心配だ」
「はい。それでは修繕費等のご相談は後日伺います」
「ええ、待ってますよ」

 

 電車に飛び乗りノゲ・ベイスラ市に戻り、
懐かしの我が家鉄道橋下の刑事探偵事務所に辿り着いたら、
特になにも無い。

 電話口では泣きそうに金切り声を上げていたネイミィも、
留守番刑事探偵の皆さんも、
おや御大帰って来たぞ、と暢気な面。
 凶悪犯罪者が脱獄して襲ってくるのではなかったのか。

 刑事探偵の師匠にあたるカオ・ガラクが、夏の涼しい格好で団扇を仰ぎながら説明する。

「破壊集団ミラーゲンか、
 あいつらも大袈裟な作戦をぶち上げるのは感心だが、時節を読む能力が無いな。
 選挙運動でごった返す都市の真ん中に凶悪犯罪者を解き放ったら大混乱、
 頭で考えるなら上手くいくんだろう。
 だが実際はな」

 巡邏軍が大作戦を展開して脱獄囚を全員逮捕したのではない。
 たまたま選挙で街中に広く展開していたヤクザ達が、
自分達の縄張りに入って来た囚人を片っ端から捕まえたのだ。

 選挙といえばヤクザの季節。
 街の顔役有力者、大企業に政党と、人手を頼まれ派遣する。
 政党同士が互いに物理的に衝突し相手を追い落とそうとするのに、ヤクザの戦闘力が実によく効くのだ。
 金主に自分達の力を見せつけ信頼を抱かせる檜舞台であった。

 そこに荒らそうと脱獄囚をぶち撒けられて、黙って見ているわけが無い。
 蛇の道は蛇で、裏社会に戻ろうとする犯罪者を簡単に見つけて捕まえた。
 巡邏軍に突き出せば、日頃は対立する国家権力から「表彰」なんかされてしまう有様だ。

 脱獄囚を突き出す際に民間刑事探偵も付き添って、思わぬ稼ぎが得られたらしい。

「だがなマキアリイ、ほんとに此処を襲ってきた奴も居るんだ」
「どうなりましたそれは」
「それがな、」

「それがですね、所長」

 とネイミィも困り顔。

「誰にやられたか分からないんですが、頭蓋をぱかーんと叩き割られて階段のところに転がってて、
 事件処理に大変だったんです」
「お、……おう」
「誰なんでしょうねえ。まあ、そういうことです」

 クワンパ理解した。師姉だ、シャヤユート姉が守ってくれたんだ。
 でも正体がバレたら刑事事件になってしまうから、内緒ないしょ。
 ガラクは、

「だからなマキアリイ、せっかく戻ってきてくれたのはいいんだが、ご苦労様だ。
 お前も首都で大活躍だったらしいから、家に帰って休め」
「は、はあ。そうですかい」

 マキアリイ、クワンパと顔を見合わせる。
 ちなみに今事務所内に居る人達は、
帰りの道中空中でマキアリイ絶体絶命の危機に遭ったなんて知りもしない。
 なんの為の冒険だったのか。

 クワンパ、自分を慰めるようなものだが、所長に助言した。

「こういう時はですねえ、所長。酒でもかっ食らって寝てしまいましょうよ」
「お前はほんとうに頭がいいな」

 

     ***** 

 首都ではカニ巫女棒を折るほどに頑張ったクワンパさんだ。
 所長マキアリイもねぎらう必要を認め、昼飯おごってくれる事になった。

 事務所を任せて二人で外に、
クワンパは先々代のカニ巫女事務員ザイリナが置いてあった予備の棒を携えて町に出る。

 首都に劣らずノゲ・ベイスラ市も選挙一色。
 だが英雄探偵とカニ巫女を見つけて満面の笑顔で語りかけてくる。

「マキアリイさん、ご苦労様でございました」
「クワンパさん、大活躍おめでとうございます。カニ巫女棒凄いです」
「マキアリイばんざーい」

 ミラーゲンの予告爆破事件の顛末は、今日の朝刊にばっちり載っている。
 音声放送に伝視館放送でも特別報道番組で事件の概要を説明し、
警察局関係者また政治学者、
さらには光星(アイドル)評論家まで動員して盛り上げた。

 第一ここベイスラではミラーゲンの襲撃が成功して、囚人大脱獄が起きたのだ。

 街全体が異様な興奮に包まれ、選挙運動にも一層熱が籠る。
 あちらこちらで乱闘が発生し、酒を飲み大音声で歌を歌い、
ご禁制の電気拡声器も大いに威力を発揮する。

「店、開いてますかね」
「なんかその辺の選挙の屋台で食えそうだな」

 

 おっ、と知り合いに出会わした。
 強面のおじさん、「マギヴァグ會」の若衆別頭グラガダルだ。
 夏用の涼しい伊達な服を着込んでいるが、顔が怖いから服にまで目が向かわない。

「よおマキアリイ。ずいぶんとご活躍だったな」
「グラガダルさんか。なんだか大活躍でベイスラの治安を守ったそうだな」
「おうよ、正義の味方はお前だけじゃないってことさ」

 当然彼が独りで出歩くわけがない。
 チンピラ数名を伴ってカニ巫女と火花を散らす。
 だが偉い二人は別の話題で盛り上がる。

「まあ選挙だからな、裏で策謀が渦巻いてどえらい騒ぎに発展してるそうだな」

「ん? ミラーゲンの話じゃないのか」
「おいおい、政治の季節だぜ。しかも総統閣下が暗殺未遂だろ。
 こりゃもう政治が機能してないて、上の方では見做してるらしいぞ」
「上の方ってどこだよ」

「そりゃ上だ。偉い人金持ち財閥、それに軍部だな。
 第九政体をぶち上げようなんて話がこちらの業界では流れてきてる」
「第九政体……」

 タンガラム民衆協和国においては、
「政体」は憲法を大幅改定した際に代替わりする。

 政界が大混乱に陥り自浄作用がまったく機能せず、
民衆蜂起で打倒され、軍部の介入によって新政府が暫定的に成立した後に、
新たなる憲法の制定と共に新政体発足となる。

 現在は国家総統ヴィヴァ=ワン・ラムダは昏睡状態にあるが、
内閣大臣領は健在で統治能力に疑問は無い。
 だがミラーゲンの跳梁が続くのなら、強権を行使して治安回復を図らねばならない。
 陸軍が出動して首都を封鎖するのも無い話ではない。

 その際連年発覚する汚職・政治腐敗・謀略等々の責任を現政権に問う流れになって当然か。
 新政体は大袈裟にしても大改革が実現するだろう。

 世の動き裏の流れに敏感なヤクザが風向きが変わるのを察知した、ということか。

 

 定食屋でいつものゲルタを頼むマキアリイと、夏場に辛いカラリ飯のクワンパ。

 戸口は開け放たれ、通りの土道が灼熱の太陽に炙られて埃が舞うのもお構いなし。
 とにかく吹き抜ける風の中に、音声放送の時事解説が流れてくる。

 ミラーゲンの全国襲撃がおおむね阻止されたのは評価されているものの、
警察局の手抜かりを糾弾する声も高い。
 実際事件予告が無ければ察知できず、タンガラム全体が火の海に包まれてもおかしくなかった。

 巡邏軍総員街頭投入の非常時で、警備の人数はいくら有っても足りない。
 陸軍を動員という観測も公に語られてきているようだ。

「第九政体か……」

 

 そんな憂いも苦い焼きゲルタを齧れば一発蒸発。

 頭すっきりとして事務所に戻ると、臨時事務員ネイミィが電話の受話器を差し出した。
 不審な顔をしている。
 相手が要件を言わないのだと。

「新聞社、「タンガラム全国日報」のサーセンさんです」
「うーん新聞社かあ」

 今取材されたくない。
 昨日の今日でそりゃ聞きたいだろうが、話すに話せぬ事ばかりだ。
 いっそ弁の立つクワンパに任せようか。

「はい、ヱメコフ・マキアリイです。いつもお世話になっております」
「サーセンです。マキアリイさん、落ち着いて聞いてください」
「はい」

「ヌケミンドルからの至急報です。

 

 ソグヴィタル・ヒィキタイタン議員が変死体で発見されたという未確認情報が、」

 

第二十五話その8「the英雄ショー」 

 一瞬、タンガラムの時間は止まった。
 音声放送によって全国に届けられた
「ソグヴィタル・ヒィキタイタン死亡」の報に、
人々は押し黙り、互いに不安な顔を見合わせる。

 マキアリイ事務所にも各新聞・雑誌社からの電話がひっきりなしに鳴り、
真偽を確かめようとする。
 もちろんベイスラで分かる道理が無い。
 事件はどうやらヌケミンドル市で起きたらしく、
しかもかなり確実な情報と伝えられる。

 重苦しい空気を吹き飛ばし、再び時間を動かしたのは、
ソグヴィタル・ヒィキタイタン議員本人。
 ヌケミンドル市の放送局からの一声だ。

”僕はちゃんと生きています。
 ヌケミンドル市には自家用の飛行機で飛んだので、
 その間連絡が付かなかったのが誤解を呼んだようですね”

 そして噂の真相が伝えられ、再び衝撃が全土を包む。

 「潜水艦事件」映画第一作
エンゲイラ光画芸術社制作『南海の英雄若人 潜水艦大謀略を断つ』で
主役の「ソグヴィタル・ヒィキタイタン」役を演じた光星コンタクラ・リゥテンダ氏が、
撮影所近くの運河に浮いていたのを発見された。

 近年は氏の不行状が目に余り、芸能界を半ば追放された形になっていたが、
未だ人気は衰えない。
 撮影所界隈に留まって夜毎良くない仲間と飲み歩いていたが、
泥酔の果てに運河に落ちて溺死したのだろうと推測される。

 要するに映画のヒィキタイタンが死んだのが、
本人ソグヴィタル議員の死亡と勘違いされただけだ。

 もちろんコンタクラ・リゥテンダには今も熱狂的な信者が居て、
彼女達は大いに嘆き悲しみ声を上げ泣き崩れるが、
本物応援団はほっと胸を撫で下したのだった。

 だが相棒ヱメコフ・マキアリイにとっては背筋が凍りつく誤報であった。

 ヒィキタイタンが空飛んでヌケミンドル市に行ったのが実によくない。
 なにせ自分も、ヌケミンドルから飛んできた戦闘機編隊に襲撃された。
 ヒィキタイタンの機体は最新鋭高速機だが、弾丸より早い飛行機は無い。
 もしこっちを襲われていたらと思うと、血の気が引く。

「クワンパ、戻るぞ首都に」
「やはりすべての解決はルルント・タンガラムでなければ出来ませんか」
「まだ爆弾魔ボンビーも捕まっていない。
 ミラーゲンだって失敗したまま終わるはずが無い。
 背後で操っている奴も見え隠れして、どうにもこの事件好かない」

「首都ならば、ですか」
「俺の手の内で納まる事件であってくれればいいがな」

 もちろん民間刑事探偵に、国家規模の謀略を解決する義務は無い。
 骨折り損のタダ働きだ。

 それでも臨時事務員ネイミィは止めようと思わない。

「あ、クワンパ。あなたに良い届け物がある。
 この間サユールで怪物退治したでしょ。
 あの時の依頼人が槍と棒を送ってきてくれたの。

 なんでも最も良い木を厳選して作った最高の品で、
 正義の実現に役立ててくださいって」
「おおおお」

 なんとも有り難い。
 これからカニ神殿に行って代わりの棒を授けてもらうつもりだった。

「所長、私はこれからカニ神殿に行って紐飾りで封じてもらいます。
 出発はその後で。
 て、なにで行きますか。湖上客船ですか」
「そんな悠長にしてられるかよ。船なら爆弾で沈められるだろ。
 飛ぶんだよ」
「飛びますか。え、えへへへ」
「ふははは」

 乾いた笑いの二人に、周囲の者は理解できず戸惑った。
 まだ誰も飛行機襲撃の件は聞いてない。

 

     ***** 

 サユール武術の郷、当代一流老練の達人が、
天下の英雄マキアリイの為に特に選って見出した稽古用チュダルム木槍。
 そしてカニ巫女蛮勇の実用に耐える棒をこしらえてくれた。
 カニ神殿に持ち込んで謂れを説明すると、
神官巫女の先達も大いに納得してくれた。

 緋と白色の紐を巻いてカニ神夕呑螯「シャムシャウラ」を象る飾りを作る。
 クワンパが神罰棒を失った件は報道で知られていたから、
ヱメコフ・マキアリイ刑事探偵事務所の歴代カニ巫女事務員が集まって
儀式を執り行う。

 今や方台中部における最優秀の巫女として名高いケバルナヤ神姉が、
祭壇の前に座り直々に紐を巻く。
 見守るのはクワンパの指導に当たったザイリナ姉と、
不本意ながら早期退職を余儀なくされてなお事務所を陰ながら守るシャヤユート姉だ。

 最後に赤い紐を結んで鋏を入れ、「シャムシャウラ」の祭壇に祝詞を上げて、
ケバルナヤはクワンパに神罰棒を差し出した。
 神妙に受け取る際に、ただ一言だけを授けてくれた。

「また折りなさい」

 

「えええええ、乗るんですか! これから、夜なのに」

 再びアユ・サユル湖の水上飛行機発着場に来たマキアリイとクワンパに、
若い整備員はただ驚き慄くばかりだ。

 あんた達はついさっき4機編隊の戦闘機に襲われて、
機体に穴開けられて帰って来たばかりでしょ。
 まだ機体の修理も済んでいませんよ。

 マキアリイは平気で言う。

「ん? 破れた所は紙でも貼っとけばよくないか」
「いえ帆布張りますよ、コニャク樹脂も塗って硬化させますよ。
 第一燃料槽に穴開いたじゃないですか銃弾で」
「その燃料槽は元々使わないやつだからな」

 ルビガウルVの航続距離は規定の燃料量で400里(キロ)。
 だが老朽機体に長時間連続飛行させるのは不安だからせいぜい3分の1、
アユ・サユル湖を横断出来る程度しか積まない慣習になっていた。
 銃弾が貫通した燃料槽も普段は空だ。

 整備員も考える。
 そりゃ飛ぶかと言われれば飛ぶのだが、
なにせここまで無事帰って来た。
 しかしもう夕方、これからとなると真っ暗闇を飛ぶことになる。
 いくら湖上に障害物が無いとはいえ、無謀。

「でもなあ、普通に飛び立ったら、
 また電探(レーダー)で捕捉されて戦闘機上がってくるかもな」
「そうですそうです。夜でも電探は使えるんですよ」
「だったらやはり、水面10柱(35メートル)を匍匐飛行していくしかないな」
「げええええ」

 クワンパにはさっぱり分からないが、
そんな高度は離着水か曲芸飛行でしか飛ぶものではない。
 ましてやアユ・サユル湖には定期客船や貨物船も運航されているのだ。
 マキアリイ、

「だが待てよ。
 波が立たないアユ・サユル湖では10柱でも電探に引っかかるかもな。
 5柱(17.5メートル)で行くか」
「ちょっとクワンパさん、なんとか言ってくださいよ!」

 説得まるで聞かないと、
まだまともそうなカニ巫女に止めてほしいと嘆願する。
 あんたの背中に銃弾当たっていたんでしょうが。

「ん〜ん、でもこの間五月には、闇の中でもちゃんと水の上に降りてきたから、
 大丈夫じゃないかな」
「大丈夫じゃないです」
「そうなんだあ。飛行機のことは分からないな」

 整備員諦めて、仲間と共に大至急突貫で応急修理を開始する。
 機体に張る帆布を太い縫い針で刺していく。
 マキアリイその姿に満足そうに笑みを浮かべるが、
また不埒な事を言い始めた。

「しかしな、やっぱ空中戦の武装が全く無いのは考え物だな。
 なにか手を考えよう」
「そうですよ。
 天下の英雄マキアリイは人に狙われているんですから、
 無防備な空中で襲われるのは当然です。
 ほんと湖上水軍から戦闘機借りてきてください」
「軍務で飛ぶなら借りようもあるんだがな」

「所長は軍人扱いなんですから、銃を積んでもいいんじゃないですか」
「俺がいやだ。
 だがクワンパ乗せるとなると、さすがに親御さんに申し訳ないからな。
 撃墜されてしまうと」

 聞いてる方が金玉縮み上がる。
 この人達襲撃されるの前提で話してやがる。

 とりあえず機体外装みっともなくない程度に繕って、
燃料入れて探照灯も点灯確認して、
さらに新しくなったクワンパカニ巫女棒を念入りに丁寧に機体に括り付けて、
二人は笑顔で乗り込み水面を滑走し始める。

 既に陽は落ち残照が赤く、山影が湖面を暗く塗り潰す。
 整備員達は並んで英雄を見送った。

「やっぱり映画になる人ってのは、タダモノじゃないなあ……」

 

     ***** 

 首都ルルント・タンガラム。
 度重なる破壊工作で市民は怯え街頭から姿を消す、
などの常識的対応は忘れ、
選挙の混沌へと身を投じ、激動する歴史の一部に成りたがった。

 一般庶民は怒っている。
 景気はいいが物価は上がりなにかと苦しく、
よく分からない閉塞感で息が詰まる。
 どこかに穴が開いて漏れているかに、足元の不安が付きまとう。
 気のせいではない。
 英雄探偵マキアリイが幾つも実証して見せた。
 この社会は狂っている。

 女達も怒っている。
 特に若い女性が「ソグヴィタル・ヒィキタイタン死亡」の報に激怒し、
憤懣やるかた無きを行動へと転化させた。
 具体的には、選挙運動の屋台で酒を飲みくだを巻く。

 「民衆協和主義」は元々男女同権を謳っているが、
社会の上層部を占めるのはやはり男。
 女子には選抜徴兵の制度も無いから奨学金も難しく、大学卒も少なかった。
 女権拡張を主張する候補はことごとく落選。
 男社会の既存政党に頼るしかない。

 これはもう、酔いに任せた乱闘以外に鬱憤晴らしの手はあるまい。

 この混乱こそ現政権、
総統ヴィヴァ=ワン・ラムダの総決算と呼ぶべきもの。
 機を逃してなるものかと野党陣営はいきり立つ。
 対して与党「ウェゲ会」は政権を担う立場から守勢に回るのを常としたが、
事ここに至っては攻勢あるべしと、積極的に乱闘を繰り広げる。

 あまりの無法に本来ならば暴力で治安を乱すべきヤクザが、
見かねて割って入り仲裁する羽目に。

 

 さてこの状況、実は「面白くてしょうがない」
 元々選挙はお祭りだから、政治に興味の無い者も心浮き立つ毎日だ。

 なるほど爆弾破裂して百貨店の屋上が吹っ飛ぶ大惨事だが、
「英雄探偵マキアリイ」映画の一場面が現実に目の前で起こったみたい。
 次は何が飛び出すか、ドキドキワクワク見守っている。

 そしてこんな時だからこそ、
『母とこどものふれあい演劇会 英雄探偵マキアリイのだいかつやく』
の催し物が開かれた。

 もちろん数カ月前から予定されていたもので、
混乱の最中でも子供たちの心に安定を取り戻すべく、
和やかな開催が決断された。

 「ひょっとすると映画の「マキアリイ」・グェンヌさんがお見えになるかも」
と話題になって、 入場は抽選で選ばれた人のみである。

 会場は露天、市民遊園地の一角にある混凝石作りの円形劇場だ。
 一階地面の円形広場がそのまま舞台となり、
二階三階の観客席、桟敷から楽しむ事が出来るのだが、
今回は地面に特設された観客席のみに客を入れる。

 「母とこどもの」と銘打つ割には大袈裟な劇場だが、
元より選挙期間中は騒乱が予想された。
  不意の闖入者がいきなり演説を始め、
させじと他党が乱入するのも定番。
 隔離するにはこのくらいの規模が必要だ。

 季節は夏。まだ6時(午前10時)でも気温は最高点に。
 広場中心に高く築かれた舞台では係が最後の点検を行っている。

 会場に真っ先に誘導されたのは本来の観客である母と子で、
指定の席に規則正しくおとなしく着いている。
 父親が同伴する組もあるが、休日ではない。
 さほど多くは無かった。

 最後に大人の一人客が案内されるが、いずれも通路脇の座席で出入りは自由。
 子供向けの演目だから途中で席を立つ者も居るだろう。

 

 だが一人客はいずれもなにかおかしい。

 夏向き色とりどりの遊び服を着ているのだが、
顔が全然似合ってない。
 偏見かもしれないが、黒服黒覆面で血刀握ってるのがふさわしい。
 そんな面相が揃っていた。

 

     ***** 

 司会のおねえさん登場。

「みなさぁ〜んこぉんにぃちわー」

 わーと子供の黄色い声。
 このおねえさん、
先日の光星組「デラ・ルント」映画主題歌発表歌唱会を観た人なら気付くだろう。

「ざんねんなお知らせがありまぁ〜す。
 今日はー、マキアリイさんは会場にお出でになりませぇーん」

 え〜、と不満な声。

「なぜならぁ。この会場にはわるいひとが誰も居ないからでーす」

 ふっ、と一人客が鼻で笑う。
 なるほど、ヱメコフ・マキアリイにやられる悪党が昼日中出歩いて、
子供のお楽しみ会に顔は出すまい。

「だからみんな、今日は映画のお歌を歌いましょう」

 舞台に楽器を携えた2人が上り、
おねえさんが『英雄探偵マキアリイの歌』を歌い始める。

♪君のおうちが狙われる 悪の魔の手が突き刺さる
  助けを叫ぶその口を 抑えて息を止められる
  もうダメだーもうダメだ 
    ダメじゃないぞ俺が来た
  喰らえ空中三段キック
  みんな苦手なゲルタが大好き 
  強いぞ漢だマキアリイ〜

 子供も声を揃えて歌いだす。
 客席全体が高い声に満たされ、母親達の手拍子に震える。

  怖いぞカニ巫女理不尽だ〜♪

 和やかな舞台に怪しい影が忍び寄る。

「うきぃ〜」「い〜ぃ」「はゃぁ〜!」
「きゃああああ」

 赤と黒でたらめの縞を描き身体にぴったり張り付く服の覆面悪漢登場。
 しかも4人もだ。
 悪漢は楽器の2人を蹴り飛ばし、おねえさんを拉致しようとする。

「こら貴様ら何者だ!」

 反対側から巡邏兵の服を着た2人が護剣を手に舞台に上がる。
 おねえさんを救い出そうと悪漢に立ち向かい、
だが多勢に無勢たちまち劣勢に。
 おねえさん、

「みんなぁ〜たすけてぇ〜」

 子供たちわあわあと悲鳴を上げ、救い主の名を呼んだ。

「たすけてまきありいー」

 ぼん、と舞台真ん中から白い煙が上がり、晴れた中から現れたのは、
五頭身のヱメコフ・マキアリイ。
 着ぐるみ英雄参上だ。
 つい最近決まったばかりの「英雄探偵マキアリイ」独自の衣装を纏っている。
 最新版だ。

”来い悪党ども、このヱメコフ・マキアリイが相手をしてやる”

 声は映画のマキアリイ。録音が流れてくる。

 

(「護剣」とは軍人が平時に携帯を許される護身用の短剣。
 小銃の銃剣としても使える。もちろんお芝居の小道具)

     ***** 

 大きな頭の着ぐるみマキアリイ、だが動きは軽快だ。
 脚を高く跳ね上げ、悪漢どもを蹴散らした。
 子供たちの歓声が上がる。

 だが悪漢、短刀を抜いて着ぐるみ英雄に立ち向かう。
 無双の英雄も4対1だと分が悪い? そんなことはない!

 短刀が拳銃だろうが、
素早い動きでかすり傷一つ負わずにやっつける。
 たちまち地面にねじ伏せて、助けた巡邏兵が逮捕を手助けする。
 おねえさんも憧れの英雄の腕の中。

”だいじょうぶですか”
「はい。ありがとうございますマキアリイさま」

 これにて悪は滅び平和は取り戻された。
 と思いきや、流れる音楽が重く沈む。
 全身黒づくめ、顔にも黒い布を垂れた「黒子」がすすと進み出て、
舞台の真ん中に広い黒い布を敷く。

 これはなんだろうと皆が見守る中、
布は中心が膨らんで、上から吊り上げられるように持ち上がっていく。
 どんどんどんどん持ち上がり、人の背丈まで立ち上がる。

 着ぐるみ英雄に促され、巡邏兵が布を剥ぎ取ると、
中から現れたのは、

「! 爆弾魔ボンビー?!」

 新聞にも大きく掲載された破壊集団「ミラーゲン」の悪魔。
 今やタンガラム全国民が知っている。

 今日は蝙蝠の翼を纏っていないが、黒の礼服。胸元には薔薇。
 ごつい軍靴は修羅場をくぐる実用本位。
 革の防護兜を被り、黒いガラスの防風眼鏡。
 そして、にやついた口元が大胆不敵を表した。

 きゃあと客席に悲鳴が上がる。
 こいつはヱメコフ・マキアリイが取り逃がすほどの怪物。
 円形劇場まるごと爆破されるのか。

 

「出たなボンビー、待っていたぞ!」

 後方出入口から颯爽と登場するのは、
首都警察局主任捜査官ゲルタガだ。
 広場を囲む円形全周の建物から巡邏兵1百人も姿を見せる。

 舞台上のボンビー、

「おおっとこいつはいかんね。罠だったよ」
「全員逮捕しろ、かかれぇ」

 号令一下、巡邏兵が中央の舞台に殺到する。
 と思いきや、通路脇に座る一人客目掛けて飛び掛かる。
 驚く一人客達。

「なにいい、しまったこれはすべて罠かああ!」

 同時に座っていた母子連れも立ち上がり、正体を白日の下に晒す。
 彼らも皆巡邏兵の変装だ。
 子供の役は女性兵士が扮し、母親役は屈強の男子が化けていた。
 背丈の高さがバレないよう観客席を上げ底にし、足を突っ込み誤魔化した。
 声は母子共に女性兵士の二役だ。

 入場時に並んでいた本物の親子連れは、
先に入って素通りして外に抜け出ている。

 まんまと騙された一人客。否!
 たくみに誘引され、
今日の舞台を襲おうと集まった 全国指名手配の凶悪犯、破壊主義者の面々だ。

 彼らも危険は承知で劇場に乗り込んだ。
 ただ舞台が最高潮に達するのは、
映画の俳優「マキアリイ」・グェンヌが登場した時と思っていたから、
頃合いを間違えた。
  爆弾魔ボンビーいきなり登場ですべてが狂う。
 大人が子供に化ける大胆さにも、まんまと嵌ってしまう。

 女装母のままの姿で飛び付く巡邏兵に、
通路を全速力で走り来る巡邏兵に、
たちまち取り押さえられ無念の悲鳴を上げる。

「ちくしょおおお」

 いい響きだ。

 

     ***** 

 これがゲルタガ主任捜査官が計画した、
’15年選挙期特別警戒破壊主義犯罪者一括逮捕作戦
『おこさまぼんち』だ。

 元々国政選挙運動期間中は全国的に騒乱状態となる。
 これを機として犯罪組織も蠢き、窃盗犯も活発になる。
 拉致監禁もしばしばだ。
 そして世間を騒がせようとする破壊主義者達も。

 近年は「英雄探偵マキアリイ」により大規模な破壊活動、
特に大手老舗の「ミラーゲン」が長年月を掛けて準備した皆殺し作戦が、
ことごとく失敗の憂き目に遭っていた。

 闇の勢力を自任する輩にとって、これは屈辱。
 一泡吹かせてやらねばと、各々が鬱屈を抱えていた。
 とはいえヱメコフ・マキアリイは強い。
 また国家も高くその活躍を賞し、厚く支援を行った。

 尋常ではマキアリイに対抗できないと思えば、
卑屈卑劣により脆弱な対象を攻撃しようと狙うはず。
 映画の俳優「マキアリイ」が訪れるならなおさらだ。

 『母とこどものふれあい演劇会』は、輩を一網打尽とする為に用意された。

 もちろん本物の母子を危険にさらせない。
 だが大人が子供に化けるわけにもいかず、犯罪者達もそこまではと踏んでいた。
 まさか観客席に細工をしてまで大人の巡邏兵を伏せているとは、
ゲルタガの天才が冴え渡る。

 さらには暗黒街に密偵を放ち、常習破壊犯の耳に入るように
「マキアリイの野郎の鼻を明かしてやりやしょうや」
と触れ回り唆す工作までしておいた。

 

 犯罪者を確保した巡邏兵の報告の叫びが上がる。

「”毒殺将軍”ホヌマツア・メメント逮捕ー!」
「”華麗なる刃の姉妹”ガニミト・レンデ、ホノウ逮捕ー!」
「”轢殺の貴公子”クルアンマゴフォーク、逮捕!」
「”血管教授”ラッツ=ィンガー逮捕―、なお救急班が必要」
「”草履盗み”ジバコ、舌を噛んで窒息状態。救急班を!」

 錚々たる面々が次から次へと捕らえられていく。
 舞台上のボンビーも、荒唐無稽な光景に唖然とするばかり。
 お前達、悪党なら自爆するとか毒ガス撒くとか、もっと派手に散ってくれよお。

 そのボンビーの喉元にも突き出される銀色の刃。
 細く伸びるトカゲ刀が、着ぐるみ英雄の右手に握られる。

「あ、あれえ。
 普通こういうところは、本物マキアリイが中に入ってるんじゃないかな」
「生憎と民間刑事探偵は、
 巡邏軍警察局の作戦遂行中は手を出せないらしい」

 巡邏兵の軍服を着た巡邏兵が着ぐるみの大きな頭を取る。
 汗に蒸せながらも笑顔を見せるのは、
先日百貨店屋上で相対した軍人剣士。

「首都近衛兵団剣匠隊教導ソゥヱモン・ジューソー小剣令。
 覚えておいてもらおう」

「陸軍さんが巡邏軍に手を貸してもいいのかよ」
「着ぐるみの中身は意外性が無いといかんそうだ。
 先日の借りを返させてもらうぞ」

 パンと発砲音。
 左右の腕をちゃんと露出して武器は握っていないと確認したが、
ボンビーの礼服左脇から拳銃弾が飛び出した。
 服の下に仕込み銃が入っているのか。

 だがソゥヱモン剣令、
着ぐるみの動き難さをものともせず華麗に避ける。
 大きな頭も無いから自由に動けた。

 

 発砲に驚き、
舞台上の巡邏軍服の巡邏兵、悪漢模様の巡邏兵、
おねえさん巡邏兵も飛び降りた。

 観客席では今も捕り物が続いているが、一斉に舞台に注目。
 ゲルタガ主任捜査官が命じる。

「各対象を確保次第この場を退避。
 執行拳銃装備の者のみ残れ」

 だが観客席では最後に難物、
”鋼腕怒髪”アミ・ナガ・イークが大暴れしている。
 10人の屈強な巡邏兵を振り回し、
警棒棍棒で殴られながらも荒れ狂い跳ね返す。

 ゲルタガ、此奴は自身で処理せねばと舞台上に声を掛ける。

「剣令! そちらは任せる」
「任された」
「任さないでくれよ。俺の方がそいつより大物だろ」

 

     ***** 

 上着を脱ぎ棄て巡邏兵を下がらせて、
ゲルタガが荒れる巨人と相対する。
 彼が逮捕に失敗するなら、もはや射殺以外の手段は無い。

 アミ・ナガ・イークは伝説的な強盗犯である。
 その手口は腕力で障害を排除し、
とにかく強引に目当ての財物を奪い取る。

 だが人はあまり殺さない。
 殺すほどの価値が無いと見極めている。

 なにせ雄大な肉体が生み出す破壊力は、
木製とはいえ頑丈な観客席を爆弾でも破裂したかに砕き散らす。

 彼が「母とこどものふれあい会」を訪れたのは、「常連」だからだ。
 巡邏軍警察局は国政選挙ごとに一網打尽作戦を展開してきたが、
彼は何度も罠に落ち、その度腕力で脱出した。

 己の肉体を牢獄に繋ぎ止めるのは、 天下の英雄無双の達人
ヱメコフ・マキアリイ以外に無いだろう。
 そんな仲間内の評判を聞き、ならばと腕試しにやって来た。

 

「きさまが巡邏兵の親分か。ふん貧弱だな。
 どけ。ヱメコフ・マキアリイ以外に用は無い」
「私の手に負えぬならマキアリイ君を紹介しよう。
 だがヤワな鍛え方ではないぞ」

 ぶははと笑い飛ばして巨人は丸太の腕を振り回す。
 技も狙いもありはしない。無造作に弾き飛ばせばそれで済む。
 アミ・ナガ・イークはその類の格闘者だ。
 技巧があるとすれば、
様々手を替え彼を屠ろうとした敵との豊かな経験か。

 ゲルタガは両腕を十字に組んで拳を受け止める。
 受け止められた、ここがまず驚異。そして一歩も退がらない。
 まるで鋼鉄の肉体だ。

 巨人も内心驚いたが、経験に無いわけではない。
 相手はゲルタガよりも大きい武術家で、受けの技術を極めていた。
 そいつには頭突きを何度もぶち当て、
脳をぐずと砕いて倒している。

 今度も、と巨大な掌で掴み固定しようとして、逆に右腕を取られる。
 出鼻を上手く誘導され、逆一本背負いで投げられた。

 なるほどこいつは投げ技の武術家か。
 しかし岩よりも頑丈な身体は、
地面に叩きつけられてもなんの痛痒も感じない。
 観客席の残骸が砕けて肉に刺さっているが、こそばゆいだけだ。

 ではまた立って今度こそ、と姿勢を起こそうとして動かない。
 ゲルタガは投げて伸びた右腕を、伸びたまま地上に固定する。
 仰向け天を望む形で巨体を大地に縛り付けた。

 左腕、胴体、頭、両脚も、どこも何も自由なのに、
右腕が伸ばしきりにされているだけで動けない。
 痛みは無い。
 渾身の力で抑えられるが右腕にかゆみも覚えない。

 だがこの極め方は背が反って、動きを自由に出来ぬのだ。
 左腕両脚をじたばたと激しく振るが、
自身の体幹が意に反して逃げるを許さない。

 左手を伸ばしてもゲルタガには届かない。
 巧みに関節可動の死角に居る。
 腕を抑えられながらもここだけ自由な右掌、
人の3倍まるで芋の太さの指が蠢き、掴もうとする。

 この指だけでも人の骨肉を引き剥ぎ裂く。
 衣にわずかに触れ引っ掛けられても、一瞬で逆転となるだろう。

 恐怖に怯えながらも周りを囲む屈強選抜された巡邏兵が飛び掛かり、
取り縄で四肢を絡めていく。
 首にも縄を巻き、口を布で塞ぐ。息が出来ない窒息する。
 おまけに水まで被せられ溺れ死ぬ。

 悶絶痙攣が筋肉を震わせ、必死で取り押さえる兵士達を戦慄させた。
 彼らの勇気をゲルタガが奮い立たせる。
 今も必死に兇獣を地に縫い付け、揺るがない。

「捜査官、気絶しました。もう大丈夫です手足の拘束も完全です」
「よし、右手を縛ってねじり上げろ。
 なあにこんな奴、息が止まったくらいで死ぬものか。油断するな」
「はい!」

 柔よく剛を制す。
 鋼鉄の漢ゲルタガに、兵士達は思わず敬礼を返した。

 

      ***** 

 さてボンビーだ。

 右手には前回百貨店屋上でも使ったシンドラ製回転拳銃。
 左手にも異様な形の拳銃を握る。

 握把の下に刃渡り2分(14センチ)ほどの短剣が生えた自動拳銃だ。
 弾倉は交換できないから、
歩兵銃のように排莢口から装弾子で弾を流し込む。
 シンドラの有名銃匠の作。
 自動拳銃につきものの不具合がほとんど発生しない逸品だ。

 どちらの拳銃も支配者・太守階級が用いる装飾過剰の美術品。
 ただ刀剣付き拳銃が戦闘で役に立った例が無い。

「豪華二丁流だぜ。勝てるかい」
「貴様を相手にするのに、前回心得違いをした。
 真正面から打ち崩す紅蓮の位は向かぬ。
 変幻自在の流水の位がふさわしい」

 剣令ソゥヱモン、
流麗な刀を水流れるが如くに滑らか淀みなく振っていく。
 見守る人はまるで絵画の美しさに息を呑んだ。
 たとえ着ぐるみ英雄を着たままであっても。

 

 前回同様に腕を広げて舞い踊るように射撃するが、通じないと知る。

 タンガラム剣術における「流水の位」は、
流れる水のように敵の動きに対応し付かず離れず最適の剣捌きを見せる。

 突き出した腕の銃の狙いを巧みに外し、
切っ先跳ね上げ手首を削ぎ落とす。
 慌てて腕を引っ込めた。
 ボンビー得意は狙いを定めずとも無造作に当てる曲芸撃ちだが、
脇に構えてだとさすがに落ちる。

 一方ソゥヱモンも手品師の手管にまたしても翻弄される。
 両手が塞がっているのに、身体のどこからか雷管をばら撒いてくる。
 爆発力は限られるが手指くらいは吹き飛ばす。
 これを牽制として射撃の間合いを開けるのだ。

「! 待てよ」

 ボンビー抗議の声を上げる。
 舞台は木の床、雷管への衝撃が足りず不発もある。
 ソゥヱモンこれを刀で掬い上げ、自分に投げて来やがった。

「ずるいぞ俺のだ!」

 爆ぜる雷管に顔を背けつつ左右で銃撃。
 ソゥヱモン、出ようとした足をその場に釘付け、身体を反らせて弾を避ける。
 完全に見切り、巧みに身体を操作する。
 体術的には双方とも同等の水準。

 ボンビー右手の回転拳銃は6発、左手自動拳銃は8発。
 どちらも半ばまで撃った。
 弾を残さねば逃げる際に困る。拳銃装備の巡邏兵に制圧される。

「仕方ねえ、奥の手だ」
「む、なんだ」

 いきなり床を走り始める3つのネズミ花火。
 ただし火薬量が尋常でなく、焔を噴き出し舞台を焦がす。
 続いて上にも放り投げ、ソゥヱモンの頭に降ってくる。

 煙も吹いて乱れ暴れる火の輪を、刀で掬って舞台外に投げ捨てる。

キン、と刃金が触れ合う音。

「……、大胆だな」
「へへ、カタナにはカタナだよ」

 ボンビー左の拳銃短剣でトカゲ刀と鍔迫り合い。
 合体武器は普通用を為さないのだが、この短剣は実用に耐えた。

 思いの外の腕力で ソゥヱモンもあしらいかねる。
 ただ違和感も感じた。本気が足りない。
 此奴はなにかを待っている。

「……ここまでやっても、ヱメコフ・マキアリイは来ないのか」
「英雄探偵はお忙しいのさ!」

 

 ソゥヱモンすっと下に沈む。
 押されるままに床に滑り込み、ボンビーを上に跳ね上げる。
 巴投げの形だが、ひらりと空中で体を返された。

 へらへら笑う口元がきつく引き締まる。

 

     ***** 

 巡邏兵の声が円形劇場に響き渡る。

「”鋼腕怒髪”アミ・ナガ・イーク、確保ー!」

 巨人をゲルタガ主任捜査官が制し、逮捕を成し遂げた。
 湧き上がる歓呼の声。
 残る悪漢は爆弾魔ボンビー唯一人だ。

 既に執行拳銃装備の巡邏兵が舞台を取り囲み、
射撃の機会を窺っている。
 ソゥヱモン小剣令と絡み合って戦う内は撃てないが、
既に劇場全体を制圧した。
 合理的な戦術に切り替えるべき時間だ。

 潮が変わり、それでも英雄探偵は現れない。
 ボンビー遊びの時間もこれまでと、表情を固くする。

 まったくの無駄足だった。

「……飽きた」

 けれんを捨ててソゥヱモンの額にまっすぐ回転拳銃を向ける。
 これまでとは違う、冷酷に死を求めての一発。
 決して外しようの無い、

ぎりりりん、と鋼の刃が唸りを上げる。
 発砲音と同時に鳴り響く。
 ソゥヱモン、自らの額を狙う銃弾を放たれた瞬間に斬り払う。

 あまりの非常識にボンビーも開いた口が塞がらない。

「おまえ、なんだその芸当は」
「こうでなくてはな。
 狙いが明確に定まれば、その弾道に刃を置くのは容易い。
 最初から必殺の意思で戦ってくれよ」
「やってられるか!」

 黒礼服の上着をばっと開き、またしても小爆弾をばら撒いた。
 今度は黒い煙幕だ。
 逃走に移った、とソゥヱモン横に薙ぐが煙を斬るばかり。

 舞台下で拳銃の狙いを定めていた巡邏兵が宙を仰ぐ。

「あれだ、逃がすな」

 蝙蝠の翼を持つ黒い影が火薬の焔を噴き出して舞い上がる。
 ボンビーまたしても空を逃走経路に選ぶのか。

 大敵を下したゲルタガ主任捜査官が叫ぶ。

「発砲停止! 弾丸が劇場外に飛び出す」

 拳銃を構える巡邏兵は一斉に止まる。
 さして大きくない円形劇場の外に弾丸が飛べば、
思わぬ被害も出るだろう。
 空中の犯罪者を狙うのは街中では難しい。

 だが、蝙蝠の翼は撃ち抜かれた。
 焔で丸く軌跡を描きながら、劇場内部に墜落する。
 ゲルタガ問い質す。

「誰だ、今撃った奴は、」
「あれは私のところが配置していた狙撃兵です。
 奴が空中に逃げるのは想定済みで配置していました」

 ソゥヱモン小剣令が申告する。ゲルタガ苦い顔をした。

 これはあくまで首都警察局の作戦だ。
 陸軍の手を借りるのは最小限に留めている。
 ソゥヱモンに着ぐるみの中に入ってもらったのも、
あれほどの腕前を持つ白兵戦の達人が他に居なかったからだ。

 部外者民間人のヱメコフ・マキアリイを除いて。

 

     *****  

「ゲルタガ捜査官! これは偽物、凧です!」
「やはりそうか」
「なるほど、脱出の囮だったか」

 蝙蝠の翼を確かめた巡邏兵の報告に、
ゲルタガもソゥヱモンもうなずく。
 いくら何でも噴進筒(ロケット)で空を飛ぶのは常軌を逸している。
 爆発するかもしれないし、第一推力がまるで足りない。

 ゲルタガ、苦々しく劇場円形広場を見渡した。

「奴は変装の達人だ。巡邏兵に化けてまんまと脱出したか」
「劇場の周囲の警戒は」
「万全だ。だがそのくらいをかわす技術は持っているだろう」

 

「やあ、まんまと逃げられてしまいましたね」

 と、暢気に姿を見せるのは背の高い男。
 古着のように見せながらも案外と派手な服を着た、
国民誰もがご存じの人気者。

 ヱメコフ・マキアリイ、今更ながらの登場だ。

 ソゥヱモン小剣令、トカゲ刀に歪みがないか確かめて鞘に納める。
 なぜ今、遅い。
 まったく役に立たない英雄に苦情の一つも言いたくなる。

「貴方は何故戦わない」
「ボンビーが仕掛けていったのは、今回は爆弾3つだよ。
 それほど大きくない攪乱用だな」
「爆弾解除に当たっていたのか」

 確かにその役は重要だ。
 前回百貨店でも大方の爆弾を発見して被害を最小限に防いでいる。
 余人に代えがたき働きではある。
 だが余興に爆弾魔逮捕に協力してくれてもよいだろう。

 ゲルタガ主任捜査官、

「マキアリイ君は今回「動体解析」の専門家として協力してくれている。
 遊ばせていたわけではないよ」
「動体解析?」
「武術家や忍者といった特殊な運動能力を持つ者の行動を読み取り、
 犯行の手口や侵入経路を導き出す。
 ボンビーの逃走経路もあらかじめ割り出しておいた」

 では、今もボンビーはマキアリイの術中なのか。
 円形劇場二階席付近を見回す小剣令。
 そこに、スイカを叩き割るかの派手な打撃音が鳴り渡る。
 観客席や舞台で処理中の巡邏兵・捜査員も思わず振り返る、景気のよい音。

 マキアリイは説明する。

「つまりは変装して逃げ延びるのは予測の内。
 奴も逃走経路を予測されると承知している。
 劇場周辺はベベット上級捜査官によって完全封鎖されており、
 もう一段意表を衝く手段が必要だ。

 劇場上層階から空を飛ぶと睨んで、クワンパを伏せておいた」
「カニ巫女を? だが彼女の手に負える相手では、」

「カニ巫女を舐めてはいけないよ。
 あいつらには「ネコ叩き」の秘術があるから」

 

 「ネコ叩き」とは、カニ神殿に古くから伝わる棒術の技だ。
 不心得者ヤクザ者を街で打ちのめすカニ巫女は、
逆にからかわれ翻弄されるのもしばしばだ。
 相手は棒の届かない距離に留まり、遠くから揶揄し挑発する。
 まともに追っても逃げるばかりで、却って相手を喜ばせた。

 こういう不届きな輩を打ち据える特別な技を必要とする。

 へらへらくねくねと逃げ回ると言えば、無尾猫。
 人間には不可能な運動能力でカニ巫女棒をすり抜ける。
 牽制や欺瞞も程よく使い、殴られないよう悪さをする。

 だから「ネコ叩き」の技は無造作に殴るに見えて、
極めて高度な制御が行われた。
 相手は自分が優位に立っていると信じるままに、
気が付いたら脳天かち割られている。

 なおこの技は、背丈の低い二代目事務員「ザイリナ」は苦手だった。
 マキアリイを殴るのにしばしば失敗して歯噛みし、
結局マキアリイから槍術の「刳り」と呼ばれる技を習う。

 「刳り」とは棒を振り上げずに手元で操作して跳ね上げる技で、
習得後ザイリナは世間でも恐れられる懲罰者へと変じた。

 マキアリイ事務所退所後は、カニ神殿で後輩巫女見習いの指導に当たる。
  クワンパも「刳り」を習っていた。

「ボンビーの奴は逃走経路にカニ巫女が伏せていたら、
 ヱメコフ・マキアリイの鼻を明かしてやろうと、必ず姿を見せる。
 カニ巫女棒の一振りも避けて見せると思ったさ」
「では、」

 

 円形劇場三階の窓から、クワンパが顔を覗かせる。
 下の広場に所長が居るのを確認して手を振った。

「爆弾魔ボンビー、とっ捕まえましたー。救急班呼んでくださーい」

 

     ***** 10 

 「カニ巫女クワンパさん大手柄、爆弾魔ボンビー劇的逮捕」
の報は新聞号外で世間に伝えられる。
 その日の夕刊には爆弾魔ボンビーの哀れな姿が一面に載った。

 革の防護兜に黒ガラスの防風眼鏡。
 しっかり頭部を保護していたにも関わらず、
カニ巫女棒会心の一撃でぱっかり頭蓋を割られてしまう。
 だらしなく開いた口には額から垂れる血の流れ。
 黒礼服に身を包む端正細身な姿をだらりと伸ばして、巡邏兵に拘束される。

 また首都警察局のゲルタガ主任捜査官によって
立案指揮された凶悪犯罪者一括逮捕作戦も、
特別指名手配犯13名、その協力者共犯者51名逮捕の大殊勲。
 首都警察局近年に無い大戦果だ。

 

 これに狂喜したのが、内閣大臣領スミプトラァタ・ドリィヒ。
 早速に公衆の面前での表彰式を執り行った。

 昨日の今日で早すぎる、とは誰も言わない。
 社会を覆う暗雲を吹き晴らし、選挙を正常化するのに今しか無いと納得する。

 表彰式は昼7時(正午12時)から。
 選りにもよってつい先日ヴィヴァ=ワン総統が遭難した同じ場所。
 歩道公園に舞台を突貫徹夜で急造した。

 国家英雄マキアリイとヒィキタイタン、カニ巫女クワンパ、ゲルタガ主任捜査官、
重要な協力者としてソゥヱモン・ジューソー小剣令も表彰される。

 ヒィキタイタン、

「僕はなにもしていないのだが、居なくちゃいけないかな?」
「そこは大臣領閣下に尋ねてくれ」

 今回、ヒィキタイタンは表彰する側として列席する。
 マキアリイだって表立って活躍したわけではない。
 ただ二人を抜きにしては、正義が実現した喜びも半減となるだろう。

 ちなみに昨夜マキアリイとクワンパは、「何処にも泊まっていない」
 巡邏軍の中央指令所待合室の長椅子で仮眠を取ったのみ。
 朝食も巡邏軍の食堂で食べた。
 焼きゲルタ定食がちゃんとあるのでマキアリイ的にははまったく不満が無い。

 クワンパは事情聴取と取材攻勢でとってもお疲れ。
 悪党の頭かち割って何が悪いんだよ。法律が間違ってる。
 だってほら、大臣領閣下からも表彰されるじゃないか。

 

「カニ巫女見習い「クワンパ」ことメィミタ・カリュォート殿。

 貴殿は6215年選挙期特別警戒犯罪者一括逮捕作戦に民間人として協力し、
 爆弾魔ボンビーなるを逮捕する際に大いに貢献した事をここに賞し、
 正義実現の為尽力する一般市民の鑑として広く社会に知らしめるものである。
 以後の活躍も国民皆の期待に沿うものである事を切に願う。

 内閣大臣領スミプトラァタ・ドリィヒ。
 クワンパ君、ありがとう」

 単独で舞台上表彰されるのは、なかなかに背筋に悪寒の走るものである。

 それはゲルタガ捜査官も同様だ。
 彼は何度も顕著な功績を挙げ現在の地位を手に入れたが、
大臣領自らに一般市民の前で大々的に表彰される経験は、さすがに無い。
 クワンパの隣に立って、そっと囁いた。

「こんな体験を日常にしているとは、マキアリイ君は心臓に毛が生えているのだな」
「ははは。だと思います」

 クワンパは元から「ちょっと良いカニ巫女見習い服」を着ているから公の場でも怯まないが、
所長マキアリイは自前の軍服を持って来ていない。
 急遽用意できるのは、軍の中枢「中央司令軍」本部広報課で、
ヱメコフ・マキアリイ掌令が受けた勲章褒章をすべて保管してあるからだ。

 キラキラ具合はほとんど「将軍」、見ている方が恥ずかしい。
 これを羨ましいと思う人物が国家の中枢にて出世するのだろう。

 すっきり簡素なソゥヱモン小剣令も表彰され、
軍人並びとしてマキアリイの左に立つ。
 彼の表情に「光栄」や「満足」は無い。
 やはり小声で話し掛ける。

「ヱメコフ掌令、これで事件は本当に終わったと思うか」
「まさか。
 首都で事件予告をして人の注意を惹き付け、
 全国で同時多発に破壊活動を行う。
 地方で最大の警戒をして応援の部隊を送れないよう留め、
 首都で本番の大事件を起こす。

 戦略、いや兵法だな」
「私もそう思う。
 なのに政府上層部がこれほど浮かれて良いものだろうか」

 

     ***** 

 正直に白状すればこの表彰式、選挙運動の一環である。
 壇上には「ウェゲ会」主要幹部が並び、
大臣領スミプトラァタの演説を退屈さを表さぬよう見守っている。

 席に戻って来たヒィキタイタンに、
女性議員ゴーハン・ミィルティフォ・レッヲが話し掛ける。
 47才当選4期、今回は選挙対策委員長を務めている。
 今年の1月、正月決起大会において、
彼女は夫を不意の事故で亡くしていた。

 事故? いや関係者は皆「謀殺」と心得る。

「ヒィキタイタン、ようやく分かったわ」
「何がです」
「今回の騒動の目的よ。
 ウェゲ会を政権から突き落とし、取って代わろうとする勢力。
 自作自演で破壊活動を連続させて、
 統治能力が現政権に無いと証かそうとするのね」

 そういう見方は多い。
 犯罪集団「ミラーゲン」は、
長期的計画的に粘り強く奥行き深い破壊工作を仕掛けてくる。
 無目的なはずが無い。
 やはり現実社会での成果に繋がるもののはず。

 ヒィキタイタンは先輩議員を振り返る。
 その表情にかって見たもの、
夫ゴーハン・ボメル議員を失った時と同じものが有る。

「ヴィヴァ=ワン総統を暗殺する、少なくとも政務が不能なまでに負傷させる。
 ここまでは分かる計画ね。
 でもその時、ウェゲ会に代わりを務め得る強力な二番手が居ると不都合。
 あらかじめ排除しなくてはならなかったのよ」

 復讐心だ。
 彼女の内で燃え広がる炎が見える。

「具体的には誰の指し金かは分からないでしょう」
「もう分かったわ。この件で政界再編を目論んでいる勢力よ。
 アテルゲの連中ね」

 やはりそこに思い至るか。
 ヒィキタイタンは暗澹たる思いに捉われる。

 前総統アテルゲ・エンドラゴの派閥に居たウェゲ会旧議員が、
最近活発な動きを見せている。
 連立与党を解消した「自由タンガラム党」を軸として、
野党を結集し救国政権を樹立する。
 ウェゲ会からも脱党を促し自陣営に組み込めば、アテルゲ党の出来上がり。

「ですがボンビーも逮捕して「ミラーゲン」の破壊活動も一段落、
 治安も正常化するのではありませんか」
「甘いわね、次を用意してないわけないでしょ。
 本番はこれからよ」

 私語を止め、未だ続く演説を見つめる。

 大臣領スミプトラァタの演説は教養深く、政治課題の核心を突き、
なるほどもっともな名文であるのだが、
どうして人の心に引っ掛かりを覚えないのだろう。
 相変わらずの残念さだ。

 ミィルティフォは誰聞かずともよしと、静かに決意を言葉にした。

「早く尻尾を出してくれないかしらねあのクソ爺ぃ。
 ボメルの仇を討たせて欲しいわ。
 『KURANOの復仇』みたいにさ」

 ああ、とヒィキタイタン得心に至る。
 爆弾魔ボンビーの予告状はそう繋がっていくのか。

 そして私怨が絡めば政界混乱の終息も頑なに拒まれ、
黒白を明らかにしようとする。
 不寛容。

 背後で操る者の思惑通りだ……。

 

     ***** 

「ソゥヱモン・ジューソー小剣令? いい顔ね、こちらを向いて」

 不意の親しげな声に振り向き、ソゥヱモンは左腰に提げる軍刀を鳴らした。
 若い美女が舶来の写真機を手に自分を呼ぶ。

「君は確か、ヱメコフ掌令の公式写真家の、」
「クニコ・ヲゥハイです。よろしくね」
「お嬢様育ちで怖いもの無しと聞いたが、本当にそうなのだな」
「誰がそんなこと言ったの」
「クワンパさんだ」

 あー、と納得する彼女。
 だが本当に怖いもの知らずだ。

 ソゥヱモンと共に歩いてきた若手将校・有志の軍人は怒りに身を滾らせる。
 取材記者は恐れをなして道を開けるばかりのところ、
彼女一人が足を止めさせた。
 女でなければ叩き斬られたかもしれない。

「やはり政府の対応がお気に召さないようね。正義派の軍人さんは」
「今はまだ軍部の出番ではない。
 だからこそ我々はアンクルガイザー・オーガスト氏を国家総議会議長に推している」

 同道する士官が取材の記者に構うなと注意する。
 現役軍人が真正面から政治に口出しをするのは、さすがに憚られた。
 アンクルガイザー氏の選挙運動にも差し障る。

 クニコはもう1枚写真を撮る。
 下士官がやめろと手で押さえるのを、さっと写真機を引いた。
 扁晶(レンズ)に指紋でも付けられては大変だ。

「なにするのよ。表彰された軍人さんを撮影して何が悪いの」

 そんな殊勝な気はさらさら無いのに、
ソゥヱモンさすがに笑いがこみ上げて来る。
 確かに頭に血が昇り過ぎていたようだ。

 先に行っていてくれと仲間に合図して、彼のみ残る。
 クニコはにっと微笑んだ。

「わたしの今回の被写体はヱメコフ・マキアリイよ。
 どうせなら一番かっこいいところを撮りたいわ」
「なるほど、それで自分に何を望む」

「あなたはマキアリイの敵になってくれるかしら。
 今の内に好敵手の表情を抑えておきたいの」

 構えた写真機で顔を隠し、そして返事を期待せぬかに零す。

「……第九政体って、どう思うかしら」

 新政体樹立。
 それは軍部が力によって古く淀み腐りきった権力を打倒し、
新たな憲法の下に再出発する理想の第一歩。
 軍人が政治に関与する正統な、だが瞬間的にしか発生しない歴史の転換点だ。

 現状の政治に我慢できないなら、自分の力で変えちゃえよ。
 女は無責任にも言い放つ。

「アテルゲ総統が復活するなんて、嫌でしょ」

「現在の、第八政体は発足から60年を数え、
 いささか疲労し膿が溜まり、噴き出している。
 だがその闇を暴いたのは政治家でも報道でも、ましてや市民の結集する力でもない。
 一人の英雄が地道に犯罪と対決し、道を示した。

 敵は必ずしも現政権ではない。
 そこを諸君らが理解してくれれば、剣を抜かずに済むだろう」
「抜いた方がかっこいいわよ」

「女は映画になりそうな話ばかりを期待する。
 私は地道に前進すればよいと思う。本心でだ」

 クニコ・ヲウハイは膨れた。
 いい子ちゃんな返事はつまらない。
 ソゥヱモンもそう思う。

 

「ボンビーの奴は、斬りたかったな」
「そうそう。その顔よ」

 

第二十五話その9「醜い蛇」 

 一度はウェゲ会の応援から外れたマキアリイとクワンパである。
 首都に舞い戻り悪を退治してまたしても英雄の名を上げたのは良いが、
宿泊する場所が無い。

 元の駅前旅宿館は人手不足でもう重点警備ができない、
と巡邏軍が悲鳴を上げる。
 それほどまでに首都の、
タンガラム全土の治安が劇的に悪化していた。

 

 標的はヤクザである。
 まさかと思う対象にミラーゲンは全土で攻撃を開始した。

 現在タンガラム民衆協和国は選挙運動一色で、
各地の有力者からの依頼でヤクザも街頭に繰り出し、
情勢の安定を図っている。

 ヤクザ任侠の側からすれば選挙協力とは、
地元政治家や有力者に自らの能力を誇示し、
社会運営に不可欠の存在であると強く印象付ける晴舞台だ。
 敢えて騒乱など起こさない。

 これを衝き崩す。

 ミラーゲンの戦闘員は爆弾や銃器を用いて、
ヤクザの事務所や関連の飲食店などを襲撃した。
 複数勢力の縄張りが絡んで一触即発な物件をだ。

 ヤクザ同士であれば互いの動静を監視し合い、
機動的に対処して大過なく収める。
 だがまったくに無関係無縁のミラーゲンは防げない。
 そして一度勢力の均衡が崩れたら、
抗争以外の手段では回復できなかった。

 巡邏軍警察局の公権力も、まさかヤクザの安全を護ったりしない。
 つまりはやりたい放題だ。

 

 シンドラ連合王国夏の清涼飲料、
スゥっとする香草を浮かべた冷たい茶を、
精緻な紋様を焼き付けた薄い磁器の茶碗で飲みながら、
ヒィキタイタンも嘆息する。

「これを事前に計画していたと思うかい。マキアリイ」
「切羽詰まって、かって検討した攻撃計画を引っ張り出したって感触だな」
「これまで用いる場を見出せなかった。そういう手か」

 

     ***** 

 3人は現在、
シンドラ資本の国際高級ホテル『ワゲンベヴェイド』の喫茶室で無聊をかこっている。

 泊まるアテの無くなったマキアリイを、
「銀骨のカバネ」ウルスティン・ワ−ドナルド・フオ=カコ・キェが誘い、
自身が逗留するホテルに引き入れた。

 宿泊料は目玉が飛び出るが、タンガラム政府が払ってくれる。
 特別な警備が出来ない代わりに、
と内閣大臣領スミプトラァタ閣下が小切手を切ってくれた。

 なにせこの”ホテル”はタンガラム政府ですら手を出せない外交上の特別地域。
 傭兵団を雇って自己防衛するほどに厳重な警戒を誇る。

 首都のど真ん中に治外法権のような場所が何故有るのか。
 これもまた「闇御前」バハンモン・ジゥタロウの仕業。

 ガチガチに固めて国外勢力を排除すれば、
付け入る旨味が見い出せず接触が無い。

 敢えて首都に謀略の拠点を設けてやる事で、各国諜報機関、
非政府組織反体制勢力、地方独自勢力、豪族部族財閥などの有力者、
宗教団体政治組織犯罪破壊集団等々がそれぞれの思惑で現れて策動し、
交渉や協力、情報交換の場として機能するわけだ。

 国益自国の安定安全すらも囮とする悪辣な手口に、
しかしタンガラム政府も十分な恩恵に与る。
 謀略は有ると知っていれば対処もし易い。
 経験値も上がる。

 それだけに宿泊客の身元は厳正に審査され、
一般客はいかに大富豪であろうともお断りする。
 またそれぞれの国における身分や爵位、階級などにうるさく、
品位に欠けると追い出される事もある。

 ヒィキタイタンは財閥御曹司で王家の血を引く国会議員だ。問題無い。
 だがヱメコフ・マキアリイは、
「国家英雄」として持て囃され著名であったとしても、対象外となる。

 この点に関して「銀骨」ウルスティン・略は一言教えてくれた。

「ユミネイト・トゥガ=レイ=セト様にお口添えいただきなさい」

 南海イローエント市に里帰りしているユミネイトに電話を掛けると、
一発でホテルの対応が変わった。
 さすがは「待壇者」さまだ。

 

 ちなみにヒィキタイタンは当初自分の家、
カドゥボクス財閥本邸に泊めようと思ったのだが、
妹キーハラルゥに強く反対された。

 「家人およびカドゥボクスの従業員が危険にさらされる」と。

 実際安全なはずの屋敷の庭で、ヒィキタイタンは狙撃された。
 婚約者は恐怖に陥って縁談破棄の憂き目に遭っている。

 もっともこの事件は軍の兵器納入疑惑を調査していたヒィキタイタンが、
事態の急変に際してマキアリイの協力を要請したからで、
つまりは何も悪くない。
 にも関わらず妹は、

だがマキアリイも懸念は是とした。
 確かに民間のカドゥボクス財閥ではミラーゲンの攻撃に対抗できない。

 キーハラルゥ本人はマキアリイに対して、
極めて、と付けても良いくらいに好意的だ。
 それでもなお拒絶せねばならなかったのは、
むしろ兄ヒィキタイタンが緩すぎる。
 妹の方がしっかりしているから、であろう。

 

     ***** 

「それで、なにか打開策は無いかしら。
 とあなた達に聞くのもなんだけどさ」

 4人目はヒィキタイタンの従姉チュダルムの姐さんだ。
 彼女もタンガラムでも指折りの名門、
黒甲枝の頭領チュダルム家の令嬢だから、
ホテルの格にも問題ない。

 今日は緑色の薄い伝統織物で仕立てた古風な衣装。
 露出は少なくとも夏に涼しい服だ。
 このホテル、案外とタンガラム人の利用は少ない。
 異国の伝統衣装だらけの中、一人気を吐いていた。

 他方ヒィキタイタンとマキアリイは、さほど気を遣わずに、
それでも高級仕立屋の特注品を着て過ごす。
 もちろんマキアリイは借り着で、
映画会社の衣装部に連絡したら二つ返事で届けてくれた。

 問題がありそうなのはカニ巫女クワンパだが、
侍女枠として付き従うのを許されている。
 常のカニ巫女見習い服だが、このホテルは宗教関係者も利用する。
 それぞれの宗派で衣装の基準は違い、
泥に塗れ継ぎを当てているからこそ尊いと見る価値観もある。

 このあたりの見極めは歴史宗教文化芸術の学者や専門家の意見を取り入れ、
ホテル独自の指針を作っていた。
 「比較芸術論」バハンモン・ジュンザラゥ教授の独壇場だ。

 

 マキアリイは、今現在多忙なはずの姐さんに何故ここにと問い返す。
 特定犯罪者一斉検挙作戦が大成功して、
取り調べや起訴の作業で大忙しのはず。

「いいのいいの。
 そういうのはもう夏前に終わって、あとは捕まえるだけだったから」
「捕まるかどうかは不確定だったでしょう。そんないい加減な」
「確かに今回大漁過ぎた。あの半分でも大成功よ。
 拘置所では手に負えないから、
 直接重犯罪刑務所に叩き込んでおいたわ」

 姐さんの懸念はむしろ政治状況だ。

 爆弾魔ボンビーを逮捕して連続襲撃事件を解決し、
治安は回復して政府への信頼・支持率が戻るはずだったのが、
この有り様。
 「救国政権」の噂がますます現実味を増していく。

「このままでは本当に「闇御前」特別法廷も消滅するかもね」
「ですがルダム姉さん、最高法院は断固貫徹するでしょう。
 罪状は明白です」
「そうなんだけどね、ヒィキタイタン。

 司法と政府とどちらが強いかと言えば、
 やはり国家の運営を担う政府の判断の方が優先するのよ。
 総統令と大臣領令ついでに国会での議決なんか出た日には、ムリよ」

「奴らの思い通りってわけか……」
「悔しいですね。奴らの計画に負けるなんて」

 

     *****  

 マキアリイとクワンパが愚痴る「奴ら」とは、
もちろんアテルゲ派議員のことだ。
 裏から糸を引くのが透けて見えるのに、いかんともし難い。

 政界の当事者ヒィキタイタンもため息を吐く。

「このままでは本当に首都近衛兵団が出てくるかもしれませんよ」
「陸軍が政府を停止させて、第九政体を作るってあの噂?」

「国会ではもはや選択肢の一つとして語られるほどですが、
 報道放送にも唱える政治評論家が出てきましたね。
 今回一連の事件の裏に謀略があると、
 素人目にも見える状況ですから」

 クワンパ、ちょっと目を見張る。

「じゃあアテルゲ派の議員って、
 一般の国民からは支持をされていないってことですか」
「シグニさん(第一秘書)の話だと、
 世論調査で新たに救国政権の質問が追加されて、
 その結果は惨憺たるものらしいよ。
 誰もがアテルゲ派議員は反省が無いと思っている」

「なんでそんな議員が選挙で当選したんだよ……」

 マキアリイの言葉に、
ヒィキタイタンと姐さんは「この能天気野郎が」という目を向ける。
 その冷たさは感じ取れるが実態を知らないクワンパが、
恐る恐る尋ねた。

「所長が、やらかしたんですか」
「おい待て、なんで俺のせいになるんだ」

「マキアリイ、君のせいではないのだが、
 君が原因なのは間違いないんだ」
「あなたは正義を貫いただけなんだけど、裏目に出てしまったわね」
「えぇ?」

 

 「潜水艦事件」によって失職したアテルゲ・エンドラゴ総統の
敗戦処理を任されたのが、ヴィヴァ=ワン・ラムダ。

 前任者の責任をおっ被されて連立与党は崩壊。
 中軸となるウェゲ会も次の選挙で大量失職必至であったが、
幸いにして任期は4年も残っていた。

 が、ヴィヴァ=ワン総統この際はウェゲ会総裁としての判断になるが、
任期を待たずに所属議員が次々に離脱して、
ウェゲ会自体が消滅すると危惧した。

 一刻も早く国民に懺悔し審判を仰ぐべきと、
中間補欠選挙で勝負に出る。

 ウェゲ会全議員辞職して、背水の陣で立候補し審判を仰ぐ。

 総力戦の様相を呈し、
そこまでの準備が無かった野党を覚悟の差でぶっちぎり、
ほとんどの議員が見事復活を遂げた。

 

 この時同調しなかったのが、いわゆる「アテルゲ派」だ。
 議席にしがみ付き日和見をしたツケを、
次の本選挙で嫌というほど思い知らされ議会を去る。

 が、2年半後の補欠選挙で数名が復活を遂げた。
 その間に何があったのか。 

 

     ***** 

「なにがあったっけ?」
「君が、第七政体末期の大量失踪事件の集団埋葬墓地を発掘しただろ」
「あ、ああ」

 

 「英雄探偵マキアリイ」が一躍名を馳せた、
初めて国家規模での謀略を解決した事件である。

 今を去る事60年、第七政体末期の混乱において、
およそ6千人もの学者・報道関係者・活動家が拘束され、
そのまま行方不明となる事件があった。

 当時の秘密治安警察の活動であるが、
第七政体崩壊後も真相が語られる事は無く、
失踪した人の所在は明らかにされなかった。

 第八政体においても秘密治安警察は名前を替えただけで存続し、
脆弱な新政権を支援する役目を果たし続けたからだ。

 その後非合法部門は分離され、
「闇将監」シュラ・トーシュウの管轄となり、
海外派遣軍戦費調達機構の実行部隊として隠然たる権力を持ち続ける。
 「闇将監」亡き後は協力者であったバハンモン・ジゥタロウが引き継ぎ、
国外諜報謀略機関と統合され、 「闇御前組織」として恐れられる。

 その威に押し黙り誰一人手を出そうとしない失踪者の調査を、
縁者の 老婆から頼まれたのが、
初代カニ巫女事務員ケバルナヤ。
  マキアリイと共に数々の脅迫妨害を跳ね除け、
遂に集団埋葬地の発見に成功した。

 被害者の遺骨が続々と発掘される中、
それでも報道機関は沈黙し世間で語られる事は無い。

 マキアリイは「国家英雄」としての知名度を逆用し、
国会議員に初当選したばかりのヒィキタイタンの助けを借りて、
総統ヴィヴァ=ワンに直訴。

 ヴィヴァ=ワンは自らの政治生命を賭して、
失踪=大量殺人事件の真相を明らかとし、
政府として公式に謝罪する偉業を成し遂げた。

 ヴィヴァ=ワン政権と「闇御前」との対決は、ここから始まったと言えよう。

 

「もちろん60年も前の事件に現政権は何も関与しない。
 でも国家総統としてヴィヴァ=ワン閣下が責めを負うことになる。

 この際に糾弾する側に回ったのがアテルゲ派の元議員だったわけさ」
「なんで?
 それまで政権を担っていたアテルゲ派こそ責められるべきじゃないのか?」
「彼らはね、マキアリイくん。

 連中は「闇御前組織」とずぶずぶの関係だったから、
 当時の事情をよく知ってるのよ。
 他の野党では入手できない情報を最大限に生かして、
 効果的に政権批判を展開して、まあ、その……。

 有権者をうまく抱き込んでしまったわけね」

 有権者アタマわるっ、とまだ選挙権を持たないクワンパは呆れた。
 何の根拠も無いが、思いつくままに言葉に出す。

「アテルゲ派とミラーゲンが繋がっているとしたら、
 橋渡し役は「闇御前組織」でしょうね」
「だよなあ」
「それ以外考え付かないわねえ」

「でもこれほど世間に人気が無く支持を得られないとしたら、藪蛇ではありませんか?
 陸軍が政権を停止して謀略を暴き出せば、
 アテルゲ派との連携も明らかとなります。
 「闇御前組織」がそんな稚拙な謀略に手を出すとは思えない」

 ヒィキタイタンの言葉ももっともだ。
 謀略があるのは見えるのだが、意図が分からない。
 ミラーゲンは、「闇御前組織」は一体何を求めているのか。

 

     ***** 

「不躾で失礼ですが、貴方がたは国家英雄の
 ソグヴィタル・ヒィキタイタン様とヱメコフ・マキアリイ様ではありませんか」

 喫茶室の別の席でゥアムの苦い飲み物を啜っていた
老年の紳士が声を掛けてくる。

 ホテル『ワゲンベヴェイド』は、
基本的に タンガラム人には用の無い場所だ。
 喫茶室に居るのは、
外国の要人と密かに接触し情報を交換する為と見てよい。
 誰彼構わず話し掛ける客は居ない。

 二人に代わって姐さんが立ち上がり、応対する。
 なにか御用ですか。

「おお、貴女は。チュダルム彩ルダム様もご一緒でしたか」
「わたしも御存知でしたか。何方だったでしょうか」
「さて、様々な会合で御顔を拝見していますが、
 ご挨拶をした事はございませんね。

 私は画廊を営む者です。
 ですが少々長く生きておりますので、
 貴女がたの疑問にお答えできると思いますよ」

 通路を挟んでの会話だ、多少は声も大きくなる。
 にも関わらず喫茶室の従業員は止めようとしない。
 いや、彼らの間に誰も近づかないように止めているかに見えた。

 御老体に対して座ったままでは失礼、とヒィキタイタンも席を立つが、
彼にそのままと止められた。
 ルダムも座り、老紳士は語る。

「貴方がたは「醜い蛇」という策略をご存知でしょうか。
 戦略と呼ぶよりは政略に属するものですが」
「ヘビ、ですか」
「そうです。叢の中より不意に現れ脛を噛んで毒で害する、
 誰からも嫌われる生物です。

 「醜い蛇」の策略は、誰もが恐れ厭う存在を退治する者は、
 たとえ多少の乱暴者無法者であったとしても歓迎される。
 そのような効果を狙うものです」

 ヒィキタイタン、

「つまりわざと社会を攻撃する存在を送り出し、
 それを自ら退治する事で社会に自身を受け入れさせるのですか」
「ええ。
 ですが蛇は十分に強く、おぞましいものでなければなりません」

「ミラーゲンが蛇でしょうか。そしてアテルゲ派の復権が狙いで、」
「いやいや。
 ミラーゲンは既にヱメコフ・マキアリイ様により幾度も打倒されておりますよ。
 恐怖するに値しない」

 マキアリイが答える。

「ならば「闇御前組織」こそがその蛇に相当するでしょう」
「でもマキアリイくん、アテルゲ派は「組織」と連携してるでしょう」
「ああそうか。表には出てこないか」

 

 ふわ、とクワンパは腹の底から背筋に沿って、
冷たい氷の塊が浮き上がる感触を覚えた。
 脳髄が痺れるほどの直感に全身の毛が逆立つ。

「りくぐんが、」
「おお! さすが噂に違わぬ利発な御方ですね」

 老紳士が目を細める。
 だが聞いたマキアリイヒィキタイタンルダムの3人は驚愕する。

「陸軍をダシに誰が利益を得るですって?」
「いや、陸軍を打倒できるほどの兵力を誰が、」
「クワンパ、巡邏軍でも対抗できないぞ」

「ですが所長、
 戦うのは民衆で、それを支援する勢力として出てくるのが、」
「民衆協和制の大義を護る。
 その名分で民衆を煽り立てるのね?」

 陸軍の蜂起による政権の停止はあくまでも緊急避難的なもので、
法的根拠を持つものではない。
 後に正当性を最高法院頂上法廷と「大審会」に認められて成立する。

 騒乱を鎮圧する過程で無辜の民衆に犠牲が出るとすれば、
そしてわざと民衆の反発を煽り、軍隊の前に立たせたならば。
 また銃火器を民衆に提供して軍隊に打撃を与えるとすれば。

 「闇御前組織」なら可能だ。

「内戦が起きるわ……」
「民衆と陸軍を踏み台にして、
 「組織」が表の社会で公的な立場を認められる。
 これを目的とするのなら、アテルゲ派も計画の駒の一つに過ぎない」

 ヒィキタイタンの言葉に、マキアリイは世論調査の結果を思い出す。
 不人気のアテルゲ派にわざと主導権を取らせるのは、
つまりは陸軍を引っ張り出す釣り餌か。
 頼りにならない政治に代わって民衆が直接立ち上がる布石なのか。

「しかし陸軍だって、首都近衛兵団だってそういう裏を読めれば動かないのでは、」
「いいえマキアリイくん、
 罠を承知で敢えて踏み込み、踏み破る。
 行動を起こす若手士官ってそういう連中が集うものよ」

「「闇御前組織」は軍隊にとってもいずれ打ち破らねばならない敵でしょうな」

 老紳士の補足に、4人は納得する。
 表と裏で二重の戦争が起きるのか。

 

 

【大審会】
 「大審法会」、通称「大審会」とは、
県令(県知事)や特別市の市長を長く務め、
優れた行政手腕を認められた者のみを委員とする、国家総議会の付属機関である。
 全国を9区に分け、それぞれに有る。

 国家総議会で定められた法令や制度が、
著しく地方の権益を冒さないか判定する役目を持つ。
 また中央で政変が起きて政府内閣も国家総議会も機能不全に陥った際には、
これを代行する。

     *****  

「元より我らが目的とするのは闇御前組織の壊滅だ。
 アテルゲの一党に恨みはあるが些細なこと。
 むしろ後に彼らを断罪する為に生かしておかねばならぬ」

 

 陸軍首都近衛兵団はルルント・タンガラム市の東西2ヶ所に分かれて、
異なる役目を果たしている。
 アユ・サユル湖岸で湖上水軍および航空隊と連携して
東から来る侵攻軍を迎撃する砲兵隊と、
西岸部の平原に進出制圧する高速展開部隊だ。

 兵団司令部は西側、
高速展開部隊の駐屯地に存在するが、
実際は首都にあり全軍を統括する中央司令軍から直接の指揮を受ける。

 中央司令軍は、軍とは名が付くがほぼ役所・官庁であり、
警備以上の兵力を有さない。
 実質に運用できるのは首都近衛兵団であり、
特に政治中枢に配置される即応常駐部隊とは密接な関係があった。

 即応常駐部隊は歩兵二個中隊が輪番で警戒に当たり、
戦車装甲車、強行制圧隊、化学生物兵器対応部隊、
剣匠隊などの要人警護部門も設置されている。

 一般社会で「近衛兵団」と言えば、この常駐部隊を指す事が多い。

 中央司令軍は常に政界の事情に左右され、
理不尽な展開に腹を据えかねる士官も多い。
 「闇御前組織」跳梁跋扈の直接な被害者と言えた。

 一方常駐部隊も政治情勢が混乱すれば市内に展開して、
一般市民の批難の矢面に立たされる。

 両者が気脈を通ずるのは不可避であり、
立場の改善を求めて政治活動に走るのも無理からぬ話であった。
 そして、密談である。

 

 密談が行われるのは「軍人街」にある料理屋「三祥亭」
 さして高級ではないが、そこは軍士官が用いる店。
 小・中剣令級の専用とされる。

 密談とは言うが、
ここに来る士官達はおおむね愚痴を零しに訪れるもので、
どの客、どの部屋でも軍事機密が飛び交っている。

 店の主人も良くしたもので、
わざわざ中央司令軍に出かけて防諜設備の指南を受け、
客が心置きなく罵詈雑言を垂れ流せるよう配慮していた。

 店で軍の蜂起国家の転覆が企画されたのも一度ならず。
 今も別の部屋別の面子で同様の企てが進行しているかもしれない。
 ほとんどは実行に移す機会は無く、ただの与太話で終わるのだが。

 

 今回作劇の都合上匿名での会議とする。
 ABCDEFGHI、そしてJ
 ソゥヱモン・ジューソー小剣令は「G」に相当する。
 彼らは常駐部隊にあって特に志篤く、
蜂起を実現させる具体的な能力を持つ者だ。

 

     ***** 

「ところで君はヱメコフ・マキアリイに会ったのだな。
 どういう男だった」

 ソゥヱモン・ジューソー小剣令に尋ねたのは、
歩兵中隊長B中剣令である。
 未だ訪れぬA大剣令に代わって、この場の座長を務める。

 ソゥヱモンは座敷の上で背筋を伸ばして正座し、
他の士官達の寛いだ姿とは一線を画す。
 剣の道一筋で、密談政治談義はあまり得意ではない。
 もちろん軍刀拵えのトカゲ刀を携える。

「ヱメコフ・マキアリイですか。一言ではとても言い表せないですね」
「難解な人物には見えないが、」
「あまりにも裏が無さすぎて、逆に怪しい。
 たしかにその功績は目覚ましく、実際の活躍も見ましたが常人ではありえない。
 自分と立ち会ってはくれませんでしたが」

 ハハハ、と一同笑う。

 タンガラムにおいて宴席の正式は敷物が広がる座敷でとなる。
 椅子席の部屋もあるのだが、たいていは座敷を選ぶ。
 皆あぐらをかいて座る。

 

 F小剣令は憲兵隊の所属。
 首都近衛兵団の憲兵隊は中央司令軍直属となっている。
 政府が軍の暴走反乱を懸念して特別に目を光らせているわけだが、木乃伊取りだ。

 軍律厳しく姿も端正な彼は、
もちろん不作法無遠慮極まる闇御前組織に業を煮やす。

「ヴィヴァ=ワン政権において闇御前組織は多大な打撃を被ったが、
 それも英雄ヱメコフ・マキアリイ一人の手柄。
 彼は敵に回したくない」
「確かに。我らの大義を示すのに国家英雄は強い味方となるだろう。
 ソゥヱモン君、彼をこちらに引き入れられないか」

 B中剣令の言葉に、ソゥヱモンは戸惑う。

「あれは飼い馴らせる男ではないと思います。
 カニ巫女を口説く方がまだ簡単だ」

 「カニ巫女を口説く」とはタンガラムの慣用句で、
「わざわざ自分から墓穴を掘りに行く」の意味だ。

 ヱメコフ・マキアリイが総統ヴィヴァ=ワンの秘蔵子であるのは誰もが知る。
 せっかく政界の刷新を目指すのに、
現政権とわざわざ繋がりを深くせずともよいだろう。

 

「ヱメコフ・マキアリイと言えば、アレだ!
 「潜水艦事件」式典で起きた襲撃事件で、高速艇を狙撃して転覆させる。
 アレは本当に可能なのか」

 E小剣令は常駐する3両の戦車隊の指揮官。
 豪放磊落ではあるが少々軽薄な気味がある。
 ただ見かけによらず繊細で政治的配慮も怠らないから、
「威圧」目的である戦車の運用を任されていた。

「出来ない」

 答えるのは狙撃の専門家 J特務掌令輔だ。
 一兵卒として海外派遣軍に出征したが、
狙撃の才能を見出され何度も奇跡的な任務を達成し、
首都近衛兵団に招聘されるまでになった。

「そもそも機器が銃弾による操作に耐える強度があるのか不明だし、
 海面を激しく揺れながら疾走する高速艇からの狙撃など考えたくも無い。
 まして標的が同じ高速艇の、それも小さな釦なんか」

 その場の全員が頷いたが、
では映像として記録されたアレは何なのだろう。
 機動歩兵小隊長C小剣令が尋ねる。
 彼もまた銃の名手として名を馳せる。競技会優勝者だ。

「ヱメコフ・マキアリイはそれを2度成功させている。
 狙撃の専門家が無理だと思うなら、彼は何者なのだ」
「さあ。
 武神でも乗り移っていると思わねば、本職としてはやってられない」

 J掌令輔はぐいと酒を呷る。
 まさに飲まねばやってられない話だ。

 

     ***** 

 この集まりで一人、場違いを感じている者が居る。

 H掌令、この春に首都近衛兵団に配属された通信士官だ。
 彼の眼から見ると、この場に居る人は皆只者ではない。

 そもそもが首都近衛兵団は最精鋭、
総統閣下の信頼も厚く忠誠心溢れる部隊だ。
 出世においても最短経路、
中央司令軍に転籍して将官へと昇る例も多いと聞く。

 だが現在のタンガラム軍においては、
昇進するには海外派遣軍に出征せねばならない不文律が存在する。
 もちろん例外は居るが「海外派遣軍で苦労しなかった者が!」
というやっかみを考慮すると、経験者を優先すべきであった。

 近衛兵団は最精鋭であり、
国内政治情勢をよく勘案して行動できる人材を育成する。
 それ故に海外に派遣される事も無く、
長く務めれば不文律のせいで昇進が遅れる不思議な事態が発生した。

 F小剣令は憲兵であり中央司令軍所属だから別としても、
歩兵中隊長B中剣令も、歩兵隊長C・支援隊長D、戦車隊のE小剣令も、
本来ならもっと上に行くべき人材だ。

 ソゥヱモン・ジューソー小剣令は剣の達人であり要人警護の花形で、
J特務掌令輔は伝説的狙撃手。
 I特務掌令輔に至っては首都国策大学卒業で、
本来なら中央省庁で高級官僚を目指す人材がわざわざ軍に入っている。
 軍中枢の将官がわざわざ引き抜いて来て、将来の政争に備えていた。

 それなのに何故自分が。
 しかし今回の作戦においては、H掌令こそが最重要の任務を担当する。

 

 

 彼ら即応常駐部隊の有志によって計画された作戦は、
あくまでも「闇御前組織」を排除する為のものだ。

 しかし、海外派遣軍による海島権益争奪戦の重要性は理解する。
 戦費調達機構が絶対に必要であり、
しかも現状では国家総議会にてその承認を得られない事も確定的だ。

 海外派遣軍を維持するには、組織の機能を正常なままに奪取して、
バハンモン・ジゥタロウの支配から脱却させねばならない。

 だがバハンモンのみが悪ではなく、
長年組織に染み付いた慣習とそれに基づき活動してきた人員とが、
自身の権益を維持する為に抵抗する。

 その中核は、
かって「闇将監」と恐れられたシュラ・トーシュウが率いた国内秘密治安機関。
 暴力と脅迫により産業界を支配し、戦費を捻出する役を果たしてきた。
 また組織自体の統制も厳しく管理している。

 外部からではその実態は分からない。
 とある筋より組織内部の詳しい情報が与えられ、
公的な存在として変革させる処方箋が示された。

 6215年国家総議会議員選挙および議長選挙に合わせて、
組織が目論む政界操作。
 破壊集団「ミラーゲン」と連動して方台全土で起こす争乱に陸軍を介入させる計画に、
自ら乗ることで主導権を奪い取り、
特に実行部隊である国内秘密治安機関に壊滅的打撃を与える。

 実行部隊の脅威が喪われれば、組織内部の統制も弱体化し、
萎縮していた人員も公権力の指導に服すだろう。

 

 とある筋とは、前の首都近衛兵団統監アンクルガイザー・オーガストその人であった。
 組織が正常化するまでに発生する様々な軋轢と騒乱を、
自ら責任を持って制御する為に国家総議会議長に立候補する。
 信頼に足る人物だ。

 ただ組織には国内秘密治安機関とは別に、
バハンモン自身が育て上げた国外謀略機関、通称「バハンモン機関」も存在する。
 こちらに関してはアンクルガイザー氏も詳細を知らない。

 どう転ぶか分からないが、バハンモン機関を制御するには、
バハンモン・ジゥタロウ自身を抑えるのがやはり適切であろう。
 場合によっては殺害する事が最適解となるかもしれない。

 そして今、彼は特別監獄に囚われている……。

 この機を逃しては永劫に組織を打倒できない。
 乾坤一擲の大勝負に、今こそ挑むべきであった。

 

     ***** 

 既に準備は整い出番を待つばかり、
今更集まって相談するまでも無い。
 とはいえ何時号令が掛かるのか。
 不断の緊張と待機の中での葛藤を、全員が共有する。

 逸っても仕方がないから、現今の社会情勢へと談義は移っていく。

「闇御前バハンモン・ジゥタロウは獄中にあるが、
 今現在奴は、どれほどの指導力を「組織」で持っているのだろう?」
「今のミラーゲン騒ぎにどこまで関与、掌握しているか、だな」

 C小剣令の疑問を受けて、
E小剣令がいささか酔いの中切り込んでいく。

 E小剣令は28才。
 将来を嘱望されていたが病気療養で2年を棒に振り、
未だ小剣令に留まる。
 そのおかげで今回の作戦に参加出来た。

 政治の専門家 I特務掌令輔こそ、この問いに答えるべきだ。
 彼は常駐部隊の司令監付き。
 政府総統府から直接にねじ込んでくる「要望」に対処する要員だ。

「闇御前組織にとっても、
 組織の中核であるバハンモン・ジゥタロウが収監されている今の状況は
 絶好機であるのです。
 組織の若返りを図りジゥタロウの影響力から脱するのに、
 今回の選挙ほどふさわしいものは無い。

 ですがジゥタロウに心酔するこれまで主流派の反発も強烈なものとなります。

 ミラーゲンの策動がどちらの勢力によって行われているか。
 ひょっとすると両派の動きを引き出す為に、
 獄中よりジゥタロウが糸を引いている可能性すらあります」

 B中剣令、

「三派が存在するのか」
「主流派にしても、
 ジゥタロウが高齢でまもなく退場せざるを得ないのは承知しています。
 上手く代替わりをしたいと思うか、
 それでもなおジゥタロウ本人に従うか。

 またジゥタロウ本人が、
 権力をいつまでも握り続けたいと妄執を抱いているか。
 法曹関係者から聞くところでは、
 各地の法廷に連れ出されたジゥタロウは、
 まったく衰えを見せていないとの事です」

 部屋の全員が溜め息を吐く。
 ソゥヱモンが決意を語る。C小剣令も賛同した。

「やはり、斬らねばならぬな」
「うむ。今回の決起においても、
 最重要の目標であるのは間違いない」

 だがJ掌令輔が懸念を示す。
 近衛兵団の手により闇御前バハンモン・ジゥタロウを処断してしまうのは、
 脱却派にとっては好都合、思惑通りではないだろうか。

 I掌令輔もうなずく。

「ですが、今必要なのは「組織」に決定的な変革を強いる事です。
 ジゥタロウを盲目的に支持する派閥も、
 本人が失われれば態度を換えねばなりません。

 脱却派、組織内部では「国僚派」と呼ばれているそうですが、
 彼らは良くも悪くも官僚的で柔軟性に欠け、
 ジゥタロウが率いてきた国外諜報機関を運営するには無理があります。

 主流派が結束を固めれば勢力が拮抗するでしょう。
 両者共に必ず外部に協力する公権力を必要とします。
 「組織」が次にどういった形を取るべきか、対話をせねばなりません」

 B中剣令がそこは、と口を挟む。

「そこは我々より上の立場の方が行ってくれる。
 まずはその対話を生み出す足場作りを成功させねばならない」
「アンクルガイザー氏が総議会議長になられれば、
 必ず成し遂げてくれるだろう」

 口数は少ないD小剣令の言葉に皆が賛同した。
 我らだけが時代を動かしているのではない。
 十分に深い厚味がある企てなのだ。

 

 H掌令が手を挙げる。

「あの、追加の料理、注文いいですか?」

 

     ***** 

 それなりの格の料理屋であれば、ゲルタを客に出したりはしない。
 だが軍人を相手に商売するなら話は別。
 ゲルタ無しには酒が飲めない中毒患者が多数存在する。

 B中剣令もその一人。

「すまんな、臭いがきついだろう。
 だが海外派遣軍に行くとどうしても塩ゲルタからは逃れられなくてな」
「分かります」

 J掌令輔も数度の出征をしている。
 長時間集中して標的を狙う狙撃兵は、身動きも許されない状況を強いられる。
 それでも唯一嗜めるのが硬い燻製ゲルタ。
 噛み過ぎて奥歯や顎を痛める者も出る。

 E小剣令も療養中ゲルタの摂取を禁じられ、
病床で禁断症状に悩まされた経験がある。

「聞くところによれば、
 闇御前の国外謀略機関ではゲルタを食うのは禁止だそうだ」
「それはまたどうして」
「ゲルタの臭いでタンガラム人とバレてしまうからな。
 どこの国の人間か誤魔化すには、その国固有の臭いを取り去らねばダメなんだ」
「なるほど」

 と言いつつ箸で突くのは、大ゲルタの焼き物だ。
 これはほとんど臭いのしない味の良い魚。
 そこまで高価では無いから、士官といえども薄給の身でも躊躇しなくて済む。

 肉だの鳥だの、世間は選挙運動一色で屋台でどんどん焼いて、
タダ酒と共に有権者に饗応を行っている。
 大音量で唄も歌って踊って回り、乱闘騒ぎだ。

 料理屋に閉じこもっての密談もいい加減うんざりする。
 決起の時はまだか。

 

「誰だ?」

 ソゥヱモンが部屋の出入り口の引き戸の背後に誰何する。
 料理を持って来る足音とは違う。

 開ける前から声を掛けられ、戸惑いながらも答える。

「店の者でございます。A大剣令様がお着きになられました」
「そうか、ありがとう」

「おお、やっと参られたか」

 即応常駐部隊の実質総指揮官であるA大剣令の到着に、
部屋の全員が顔を明るくした。
 決起するにしても留まるにしても、彼の口から発せられる。
 今日こそは待ちに待った命令が出るか。

 案内を受け座敷に姿を見せた大剣令は、廊下に立ったまま宣言する。

「首都近衛兵団機動歩兵第一第二大隊の出動命令が先程発せられた。
 明払暁より順次市中に展開する。
 我ら常駐部隊の特別警戒態勢も解除され、標準待機へと移行する。

 やっと自由に動けるぞ、諸君!」

 おお、と一同意気上がる。

 近衛兵団本隊が市中に進出し、
手隙となった常駐部隊が「闇御前組織」への暗闘を開始する。
 これまでは「組織」が常に先手を取り、また政治的に封じられてきたが、
混乱し市中に兵士が溢れる状況こそ、彼らが待ち望んだものだ。

 

 「しかし、」とJは考える。

 上手い具合にお膳立てされ、我々は動くように仕向けられてはいないか。
 敵の策動を逆用するつもりで、罠を仕掛けられているのでは。
 だとしても、止まるという選択肢は持ち合わせていない。

 当分こいつとはおさらばだな、と改めて盃をぐいと飲み干す。

 

     ***** 

 特別警戒態勢でありながら隊長達が酒を飲んでいるのはいかがなものか。
 だがタンガラム軍ではさほど珍しくも非常識でもない。

 そもそもが酒が薄い。
 酔えるほどの度数は「九真」と呼ばれ高級品だ。
 下手に禁止しても兵士達は様々な手段で入手する。
 甚だしきは燃料用の酒精から有毒成分を分離して、飲めるものにしてしまう。
 危険を承知で、さらには火災なども発生させかねない。

 そんなことで兵力を損なうくらいなら、
最初から薄い酒を許可しておいた方がマシ。
 いやむしろ適度に緊張を解しておけば、長期の戦役に耐えられる。

 集中力を高める興奮剤として塩ゲルタがちゃんと効いているのだから。

 

「うん。君達にもゲルタを食ってもらう時が来たぞ」

 料理屋の別室も軍人ばかりが集っている。
 A大剣令の来店に色めき立ち、様子を見に顔を覗かせる。
 誰もが考える事は一つ。
 そして皆が待ち望む台詞で答えてくれる。

 ”ゲルタを食べる”
 戦闘状態に突入する意味の隠語だ。
 軍隊経験者なら誰でも分かる。

 大剣令に敬礼を返し、それぞれの部屋に足早に戻る。
 宴はお開き。立ち上がる時が来た。

 ソゥヱモンを露払いに、A大剣令と共に一同部屋を引き払う。
 どの顔も凛と引き締まり酔いの陰も見せない。
 夏の祭に挑もうと威風堂々の行進だ。

 

 支払いを済まそうと店先の帳場に顔を向けると、
入り口に居る者すべてが上に注目する。
 兵も、店の者も、酌婦までもが同様に。
 その表情があまりに真剣である為に、異変かと訝しむ。

 ソゥヱモンはA大剣令に随伴してきた兵曹に言葉を掛ける。
 彼は店外で状況を確かめ警戒していたはず。

「何が起きた?」

 だが上官の問いにも答えず、柱の上の発音器を注視する。
 音声放送、臨時の報道があったのか。
 ならば明朝の首都近衛兵団の出動を報じるものであろう。

 機械を通して放送弁士の緊迫した声が再び伝える。
 意気上がる士官達も昂揚を打ち砕かれた。

 

”ただいま入りました情報によりますと、
 首都ルルント・タンガラム特別市において今夕
 市中警備に出動している巡邏軍歩兵小隊同士での銃撃戦が発生したとの事です。
 詳細は不明ですが、未だに混乱は続いている模様です。

 首都の皆様は屋内に留まり、決して街頭には出ないでください。
 決して自ら状況を確かめようとしないでください危険です。

 繰り返します……”

 

(本日の出演)

A:アララコ大剣令(39才 即応常駐部隊実戦指揮官 ←実質司令官
B:ベナ=ガシワ中剣令(32才 歩兵第一中隊長
C:セハヤ小剣令(26才 機動歩兵第一小隊長、切込み隊長的存在
D:デネコフ小剣令(27才 支援歩兵第一小隊長、政治的な対応が必須の専門職的
E:ヘベレスク小剣令(28才 戦車・戦闘装甲車隊長、車外から総合的な指揮する
F:フェブトコ小剣令(25才 中央司令軍憲兵隊
G:ソゥヱモン・ジューソー小剣令(24才 要人警護中隊剣匠隊教導
H:レモイ=ワレ掌令(23才 通信隊新任
I:ヰザ特務掌令輔(26才 中央司令軍分析課所属、常駐部隊司令監(軍監)付き、政治関連
J:ヂダイ・キェス特務掌令輔(27才 狙撃隊特任

 

     ***** その10「動く大地」に続く   

 

【英雄探偵マキアリイ講座】

【そもそも闇御殿とはなにか】
「闇御殿」とは「闇御前」ことバハンモン・ジゥタロウの私邸であるが、
海外派遣軍関連の事務施設および戦費調達機構、さらには国内秘密治安機関の本部も有する。
軍に準じる施設を何故個人が所有するところとなったのか。

そもそもがこの土地は、
カンヴィタル武徳王国で宰相位を務めた「ハジパイ」家の邸宅である。
広壮にして豪華、また堅固な塀がめぐらされ防衛拠点としても考慮されている。

時は流れてタンガラム民衆協和国の時代。
「砂糖戦争」の教訓から第六政体は首都をルルント・カプタニア、
現在の「ルルント・タンガラム」市に改めた。

第六政体は敵国「ゥアム帝国」との国交修復を課題としたが、
国民感情から正式な迎賓館を使えない。
そこでハジパイ邸を「平等苑」と名付け、国家総統の私的な別邸とする。
非公式な外交交渉の場として何度も機能した。

だが第七政体、資本主義が暴走し貧富の差が拡大する中、
財界と政官界が癒着して夜ごと「平等苑」で豪華な宴会を繰り広げると、
まことしやかに報道され市民の怒りを買う。
怒れる群衆が「平等苑」に雪崩込み、破壊と略奪の限りを尽くした。

新たに第八政体が成立し秩序を回復したが、破壊された「平等苑」は放置される。
10年後にわかに海島権益確保の重要性が認識され、艦隊の派遣が急務となった。
秘密裏脱法的に戦費調達機構が発足したが、
隠蔽の為荒れたままの「平等苑」に事務所を置く。

 

バハンモン・ジゥタロウはこの敷地利用計画に当初から関与する。
彼は国外での諜報工作活動を担当していたが、
タンガラムに現地有力者を呼び歓待し、また子弟を留学させて、
それぞれの国で政局に関与出来る協力者を育成する策を提示した。

この提案は表の政府でも是とされ、「平等苑」を華麗に再建する運びとなり、
また隣に国際交流大学も建設される。

ただ敷地内には戦費調達機構を支配する「闇将監」シュラ・トーシュウの自宅もあり、
国内秘密治安機関の中枢とされた。
塀も物々しく堅固に再建され、「鬼哭舎」と呼ばれ人が寄り付かない。

シュラが亡くなり、バハンモン・ジゥタロウが組織の全権を掌握するが、
所詮は一民間人である彼の指導を拒む者は多い。
そこで、組織の中核に自ら乗り込み居住する事で睨みを効かせる。

殊更に財界有力者を呼び集め権勢を誇る宴を繰り返すのも、
組織内部に見せつけるものであったろう。
その様子をわざわざ取材記者まで招いて披露したら、
週刊紙等に「闇御前」とあだ名され揶揄された。

バハンモンはこれを面白がり、「闇御前組織」と呼ぶように各社に通達する。
また「闇御殿」と呼ぶ事も要請した。

 

【軍関係設定の基本条件】
地球の標準的な軍の編成と同じわけが無いのだが、
基本として押さえておきたいのは、タンガラムも他の国も1千万人規模しか人口が居ないという点。
人口が少なければ兵数も当然少なく、軍の規模も小さくならざるを得ない。
組織構成も単純となる。

また外国からの侵攻を受けて戦争を行ったのもわずか1回きり。
古代の兵制の名残を引きずって、完全には近代軍へと進化していない。
もちろん大規模大量に兵器兵員を浪費する総力戦の経験もないから、対応も出来ないし考えた事も無い。
これは世界中どこの国の軍隊も同じだ。

 

 

 

 

 

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