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「前回までのあらすじ」

 

 テレビドラマ『罰市偵 〜英雄とカニ巫女〜』制作に当たって、
 長らくヱメコフ・マキアリイを補佐した”ネイミィ”こと ゥエルダ・セィネイさんに伺いました。

  ・どのカニ巫女が一番印象に残りましたか。

「そうですね、
 ケバルナヤさんはわたしが所長と知り合った頃にはもう離れていましたから、数回顔をあわせた程度ですね。

 なんと言ってもザイリナですよ。彼女と一緒にわたしは一人前になりました。
 印象深いなんてものでなく、全部が青春だったですね。
 ザイリナはおでこからぶつかっていくような子でしたから、見ていて気持ちよかったですよ。

 その次3番目のシャヤユートは、事務所の業務何もしない腹の立つ奴でほんとぶっ殺してやろうかと思いました。
 いやほんと殺さなかったのはわたしがもう大人になってたからです。十代だったらほんとにやってましたよ。

 5番目のポラヴァーラも何もしない子でしたが、金払いは良かったから経理をあずかる者としては文句は言いません。
 あの子、もらう給料より自腹の方がぜったい多かったですね。

 ヤャラアタは、あの頃オブロォ君が刑事探偵として就職しましたから彼の担当で、わたしはあまり関与していません。
 カニ巫女の自覚の無い子で問題児でしたが、子供ですからね。

 で、シスメィとカトラマヤ。
 わたしも子育てで忙しいところをガキが二人も飛び込んで、うるさいの鬱陶しいの。
 おまけに所長が社長業でも大成功して、営業もわたし達夫婦に押し付けられて、巫女の世話どころじゃないですよ」

  ・それで、本編主人公である4番目の巫女「クワンパ」はどうだったのですか。

「彼女は、  一言で言うならカニ巫女です。世間一般の人が考えるカニ巫女そのものです。
 まとも過ぎてマキアリイ所長の自堕落さについていけなかったんですかね。
 彼女の考えることはわたしも同じことを考えている、分かる子だったのが幸いです。

 一番忙しい時期でしたから……」

 そうして彼女は遠く、昔を懐かしむように宙に目をやった。

 

 

『罰市偵 〜英雄探偵とカニ巫女

(第二十一話)

 夏。

 タンガラムの夏は、熱帯シンドラ連合王国また高温乾燥帯にあるゥアム帝国出身者に言わせれば、「地獄」だそうだ。
 温度も高いが湿度も高い。
 湿度ならシンドラも負けないが、とにかく絡みついてくる熱気で気が狂いそうになる。らしい。

「タンガラムには冬が有るからな。温度差への対応が外国人には出来ないそうだ」
「いえ、タンガラム人にも出来ませんから」

 「ヱメコフ・マキアリイ刑事探偵事務所」は風通しが悪い。
 通りに面する側は全面窓で良いのだが、入り口の向かいは壁で空気の流入は狭い鉄扉と明り取りの窓一つだけ。
 どう考えても風が抜けていかない。

 クワンパは事務所に1台のみ有る文明の利器「扇風機」を独り占めしながら、事務机に頭を乗せて茹だっていた。
 所長の席は窓辺だから風はちゃんと入るでしょお、と強引に分捕る。

「何故大家はあの壁ぶち抜かないんですか。(隣の)代書屋のお爺さんの命も危ないでしょ」
「あそこに新しい部屋作って2階全部貸し出す予定だったらしい。もう何年もあのままだがな」
「あー下の皮革問屋みたいにですか。あー」

 どうにも暑くて、クワンパは最終手段を所長に訴えた。

「氷、買ってきます」
「おう」

 小さいながらも「冷蔵庫」というものが事務所にはちゃんと備え付けられている。
 ただし電気で動く科学の産物ではない。氷を買ってきて入れておくだけの木箱だ。
 電気冷蔵庫の普及はタンガラムでは未だ進んでいない。しばしば停電するから非常用発電機も必要で、導入の敷居は高い。
 クワンパが住む巫女寮にはちゃんと有る。さすがはお金持ち。

 幽鬼のように立ち上がり、入り口傘立てに突っ込んだカニ巫女棒と氷鞄を手に取った。
 大きな氷の直方体を入れる専用の布鞄だ。

 所長のマキアリイ、椅子に座ったまま横着に腕だけ伸ばし、10ゲルタ紙幣(千円相当)を突き出す。

「ついでに昼飯買ってこい。お前の分も」
「はい」

 と言われても、氷1本5ゲルタする。残りで二人分どうするか。
 ちなみにクワンパ、弁当はちゃんと持ってきている。
 この熱気で腐るものは無理だから、ただの煎餅でしかないが食えるだけマシか。

 

 クワンパの選択は、ガラス瓶入り甘酢飲料を2本買う、だった。
 氷鞄に入れて合わせて冷やして帰ってくる。

 所長の昼飯はショウ油ゲルタを買ってきた。砂糖ショウ油で焦がしながら焼いたゲルタである。
 自分の弁当が煎餅であるから、不足するタンパク質を補う為。
 炭水化物は無いが、まあ文句は言わないだろう。

 事務所の金文字のガラス扉を開けると、というか開けっ放しなのだが、

「あ。お客様ですか」

 男性、眼鏡、マキアリイとさほど歳は変わらない。一目で依頼人ではないと分かる。
 この感触、同業者か。

「クワンパ、こちらは商事探偵のカシタマ・クゴヲンさんだ」
「こんにちわクワンパさん。初めまして、カシタマです」
「わあ、商事探偵ですかあ」

 商事探偵とは、刑事探偵の経済犯罪版だ。詐欺や脱税、闇商売、違法な高利貸しなどの事件を扱う。
 もっともカネが絡めば刃傷沙汰に及ぶし、闇商売はヤクザも絡んでいる。
 刑事探偵と不即不離の関係と言えよう。

 実は商事探偵は、ヱメコフ・マキアリイ憧れの職業でもあった。
 なにせ儲かる。
 カネを稼ぐならカネを商売にするのが一番。
 そして商事探偵は、犯罪絡みだけでなく民間同士の訴訟でも活躍する。
 ただやっぱり商業高校か高等専門学校で商法を学ばねばならず、マキアリイにはどだい無理な話であった。

「クワンパ、すまんが茶を淹れてくれ」
「あ、それなら」

と、氷鞄から甘酢飲料を取り出した。ちょうどよく冷えている。
 マキアリイも、気が利くなと褒めてくれる。
 自分の分は無くなるが、所長のお友達なら致し方ない。

 

       *** 

「カシタマさんには、ニセ病院の地所の相続権者を探してもらっているんだ」
「失踪人名簿をぺらぺらめくってるだけだけどね」

 クワンパ改めて、ニセ病院が本来は他人の土地であり、マキアリイはただの管財人である事を思い出した。
 大きな屋敷を空けて居ると人が勝手に入り込んで住み着くから、どうせならとニセ病院やってるだけなのだ。

 

 「古屋敷乗っ取り事件」とでも呼ぶべきであろうか。
 かっては富豪であった老婦人が従僕と共に長年住む屋敷を、ヤクザが狙って脅し取ろうとした。
 そこにさっそうと現れたのが、暇人マキアリイ。
 だが騒ぎの中で従僕の爺さんは命を落とし、病身の老婦人も間もなく息を引き取り、後事をマキアリイに託した。

 彼女の遺言では、もう何年も音沙汰の無い身内が見つかれば屋敷を相続させ、見つからない間はマキアリイが好きにして良い、というものであった。
 だが大きいだけで人気の無い家は保安上無理が有る。
 以前は従僕の爺さんが鉄矢銃担いで守っていたが、マキアリイには刑事探偵の職務があって屋敷に常駐出来ない。
 どうしたものか、と酒場で思案していたところで、ソグヴィタル大学医学部副教授のゥゴータ・ガロータ先生と知り合って、ニセ病院開業となったわけだ。

 ちなみに相続税は他人に貸していた別の地所を売り飛ばして、屋敷本体は確保する。
 ここは老婦人一族のかっての栄華を物語る、思い出の場所でもあったのだ。

 

「残念ながら相続権者はまったく進展が無いが、近頃気になる噂を耳にしたんだ」
「ほう」

 マキアリイは応接用の革椅子に移る。
 お客様に扇風機を明け渡したから、クワンパは風の入る窓辺の席で話を聞く。
 下の通りを歩く人も今はまばら。最も暑い時間帯だ。

「あのニセ病院のある辺りの貧民街、あいや、みたいなものが有るだろ」
「れっきとした貧民街だよ。元は立派な屋敷町だったそうだが」
「その一帯だ。あそこを取っ払って大きな自動車道を通す計画が有るんだ。もう決定の段階らしい」

「うーん、つまり住民は全員追い出されるのか」
「地価が上がるからな。既に買い占めに動いてるところも有るらしい。工事着工前に大部分の人が離れるのを余儀なくされるだろう」

 マキアリイも事態の深刻さに考え込む。
 クワンパも驚いた。それは大変な話ではないか。
 思わず口を差し挟む。

「なんで、あんな人の多い所に自動車道作ろうと思うんですか」
「逆だよ。あそこは元々、和猪車の車道が通って栄えた場所なんだ。
 鉄道が敷設されて物流の経路が変わったから寂れてしまったが、新たに自動車という輸送手段が発達してきたから、元に戻るんだ」

「貧乏人ばかりで立ち退きも簡単だからな」

 マキアリイは最初から諦め顔だが、カニ巫女として貧しい人々に尽くす身としては、不利益を看過出来ない。
 ニセ病院でわずかながらも関わってしまった、その縁からも。

「それはちょっとひどくありませんか?」

 カシタマは、しかし逆に不思議そうな目を向ける。

「新しい自動車道は4車線の立派なもので、物流の動脈になり得るものだよ。
 当然に道の左右には新しく会社や工場なんかも建設されて、おそらくは病院も作られるだろう。
 人の為と言うのなら、悪い話は何もない」
「でも、ですが、」

「クワンパが言いたいのは、その新しく出来た職場に、今の貧民街の人達が雇用されるかって事さ」
「それは難しいかもしれない。
 でもノゲ・ベイスラ市は食品や衣料などの人手を多く必要とする産業で成り立っている。
 市が繁栄して人手が足りなくなっても、あぶれるって事は無いよ」

「そうかも知れませんが」

 話をしていく内に、クワンパは何が正しくて良い事なのか、分からなくなった。
 貧民街に住む人がいつまでも貧民で居てはならないはず。
 改善しようと思えば産業を振興させて給金を上げる以上の策は無い。
 理屈は正しくても、そこに至る過程で割を食わされる人は出るはずだ。

 

 カシタマは本題に入る。

「というわけでね、ニセ病院の地価も上がる。財産としての価値がぐんと高くなる。
 となれば、これまで探しても見つからなかった相続権者が、のこのこと姿を見せる可能性も高くなるさ」
「ああ、なるほど」

 マキアリイも納得する。だが相続権者であるのなら屋敷を引き渡すのに異存は無い。、
 そう伝えるが、カシタマは首を横に振る。

「本当の相続権者であるか疑わしい連中や、その代理人とやらが押し掛けて明け渡しを求めてくるんじゃないかな」
「うーん、それはあるなあ。またヤクザも絡んでくるなあ」
「という話さ。ニセ病院のトカゲ巫女に注意して、これからは不審者の警戒をさせた方がいいと思うよ」
「ああ、ありがとう」

 

       *** 

 ちょうど話の切れ目で電話が鳴った。
 すかさずクワンパ動いて受話器を取る。

 その姿にカシタマは目を見張った。
 事務員が電話に反射的に動くのは当たり前だが、前任の巫女事務員を見ているからだ。

「はい、ヱメコフ・マキアリイ刑事探偵事務所です」
”こんにちわクワンパさん、マキアリイは居るかい”
「あ、ヒィキタイタンさまですか。お電話ありがとうございます。所長に今代わります」

 安物の革椅子から立ち上がったマキアリイは、受話器を受け取る。
 カシタマは無言のままクワンパと合図で会話する。
 天下の英雄国会議員ソグヴィタル・ヒィキタイタン氏からかい。はいそうです。

 マキアリイは普通にくだけた口調での会話だ。友達相手に気取る必要も無い。

「よお、国会忙しそうだな」
”選挙間近のゴタゴタで、とんでもない状況だよ。首都に釘付けにされて身動きも出来ない”
「そりゃ大変だな。新米議員の最初の改選だから、正念場だしな」
”国民の審判というものは案外と楽しみにはしているんだ。これまで5年間の評価だからね。

 だけど、マキアリイひとつ頼まれてくれないか”
「なんなりと。急ぎの用事か」
”極めて特別な用事で、本来であれば僕が飛んでいくんだが、言ったとおりに身動きが取れない。
 他に頼める者は君以外には居ないんだ。
 これは僕達二人にだけできる、やらなければならない約束だからね”
「ほおお、なんだろう」
”実は、”

 

 

 翌日、クワンパはニセ病院を訪ねて行った。
 所長のマキアリイは出張で、事務所も今日は早仕舞いする。
 マキアリイ不在時の事務所の回し方が別に組まれており、臨時事務員ネイミィにそこらへんを習った。
 彼女曰く「シャヤユートと違って、あんたはちゃんと留守番をするから教えておくよ」

 クワンパ内心忸怩たる思いが有る。
 つまりは前任者と違って自分は、英雄マキアリイに密着しての冒険のお供をしていない。と言外に責められているのではないか。
 とは言うものの。

「ヒィキタイタンさまのお頼みだけ、ってわけじゃないからねえ……」

 トカゲ巫女の扮装ではもはやクワンパの正体を隠すことが出来ない。
 蜘蛛巫女ソフソの発案で、巡邏軍女性兵士の格好で行った。
 さすがに効果は絶大で、やましい所の有る者は顔を見ようともしない。

 ただ、ニセ病院の患者までもがぎょっとした。
 貧すりゃ鈍すで、それぞれなにがしかの違法行為に手を染めている。
 そもそもが、ニセ病院だとて。

 

「もちろん市の保健当局からしてみれば、ニセ病院は排除の対象です」
「法的には問題ないと聞いてはいますが、ダメですか」
「国の定める医療施設の水準からかけ離れた環境に病人が多数居るのです。
 もしも公となれば、市には改善の義務が生じます。
 しかし医療関係予算は公立の慈善病院で使い切っていますから、取り得る手段は一つしかありません。

 強制解散です」
「カネの為にですか」
「カネの為にです」

 ニセ病院の運営を取り仕切るトカゲ頭之巫女「ヴァヤヤチャ」は、事もなげに言ってのける。
 それが大人の世界の世知辛い実情だ。

 彼女も、クワンパに伝えられた懸念にため息を吐くばかりだ。

「道路建設ですか。そして地価が上がって住民が追い出される……」
「ひどいと思いますか。私には何が良いのか悪いのか、分からなくなりました」
「市が発展するのに悪いものはありませんが、面倒ですね」
「面倒なんですよ」

「こういう事例には何度も遭遇しています。追い出された無産住民はまた別の場所に行って同じような街を作ります。
 それだけです。
 そこでまた病人が出て、ニセ病院を作る必要が発生するわけです」

 トカゲ巫女達が守銭奴になるのも当然だ、とクワンパも納得する。
 結局は貧乏が悪いのだ、とお定まりの結論しか無い。国だって市にだって無限の財源は無いのだから。

 ヴァヤヤチャはもう一つの懸念を重視した。

「そして相続権者が現れて、この地所の引き渡しを要求する、ですか。ありそうな話です」
「しかもニセモノです」
「来るでしょうね。ヤクザは目ざといですからね。
 その手段として、ニセ病院の存在をおおっぴらに公表する。ここまで既定路線と考えてよいでしょう」

 クワンパ卒爾ながら進言する。怪しいやつは片っ端からぶん殴ろう。
 もちろんトカゲ巫女を率いる者として、それは却下。

「どうせやるなら息の根を止めねばなりませんが、さすがに正義に反します」
「はあ、そこまで必要ですか」
「穏便に交渉に臨み、最後はマキアリイさんの御人徳と虚名に頼るしかないでしょう。
 面倒で厄介ですが、それは責任者である私の仕事です。
 クワンパさんは気にしなくてもよろしい」

「御用が有れば、いつ何なりと。及ばずながらカニ巫女棒をお役立ていたします」

 

       *** 

 厨房に行ってみると、晩の病人食を作るために皆で毅豆の青いさやを剥いていた。
 おばちゃん4人に、メマさん、加えて変な仮面をかぶる中学生が居る。

「お、みかん男爵が豆剥いてる」
「剥かなくても枝豆ならさやごと食べられると思うんだけど、違うのかな」

「そりゃ違うよ。病人が食べるんだから」

 アチャパガおばさんは言い切った。
 クワンパも詳しい事は知らないが、毅豆には毒性があるとかないとか。食べ過ぎるとお腹壊すと聞いたかもしれない。

「うらなりの毅豆にはごく微量の青酸が含まれているそうです。茹でればほとんどが出ていきますから、茹で汁を飲むなんてしなければ大丈夫です。
 でも今日は豆をすり潰して料理しますから、さやは要らないんですよ」

 メマ・テラミさんが美しい指先で剥きながら正解を教えてくれる。
 彼女は普通に掃除洗濯等の水仕事をしているはずなのに、なぜか手が荒れたりしない。
 特に手入れしていないはずなのに、髪も艷やかで麗しい。特異体質なのだろうか。

 アチャパガさんはだが注意する。

「さやは別の料理に使うから、粗末に扱うんじゃないよみかん男爵」
「了解している」

 病人にも等級があって、重病人なら消化のよいもの、軽度の者なら一般人と同等と作り分ける。
 ついでに医師や見習い医学生、トカゲ巫女、近所の手伝いが食べる料理も必要だ。
 さらに加えて、大家のマキアリイの分も。

 心の底より尊敬する所長が食べるものと思えば、みかん男爵も熱が入る。
 クワンパも女性兵士姿のまま席に着き、作業に加わる。
 ついで自動車道建設について話してみた。

 手伝いのおばさん達はいずれも取り壊されるはずの貧民街、正確には街ですらなく増改築を繰り返した貧乏長屋の集合体、の住民だ。
 クワンパの懸念に反して、さほど困惑して見せない。

 アチャパガさんも感慨なし。

「やっぱりねえ。いずれそうなるとは思ってたしね」
「よくある事なんですか」
「だって、貧乏人ばかり住み着いたら土地建物売るに売れないでしょ。
 だいたいこちらも、悪いとは思いながらも押し掛けて住み着いた人ばっかりでね」

「賃貸契約とか無いのですか」
「契約は有るけれど、家主に払っているわけでもない、てのが多いのかね。
 勝手に他人の建物を改造する業者が居るんだよ。違法建築どころか不法占拠なんだわ」
「ああ……。所長が住民追っ払うのは簡単て言ってたのは、そういうことですか」

「だからさ、ヤクザが出向いて住民追い出して更地にしてくれるなら、大助かりな地主も多いのさ。
 道路反対する人居ないでしょ」

 分かってはいたが、クワンパも現実の複雑さ面倒くささに当惑する。
 貧しい弱い虐げられる階層の人達が、お行儀よく暮らしているはずも無いわけだ。

 

 豆は剥き終わったが、さやの処理が残る。
 おばさん達は豆をすり潰しにかかり、メマさんクワンパ男爵が作業を続行する。
 ヘタ取って筋取って、柔らかいところだけにする。

(注;地球の枝豆のさやと同程度の硬さが、毅豆の枝豆のさやには有ります。でも食べる)

 

       *** 

 クワンパは右隣に座るみかん男爵に話し掛ける。

「おまえさあ、ヌケミンドルの試写会来た?」
「マキアリイ様が珍しくも出席なさるのに、永遠の従者たる吾が行かぬわけ無いだろ」
「ひょっとして、「潜水艦事件」十周年記念式典も、来た?」
「当然に。ヒィキタイタン様とお二人で上空に煙で模様を描くのを見たぞ。

 クワンパお前もあの式典では大人気だったな」
「それは言うな」

 クワンパの向かいに座るメマさんは、別世界の話のように聞いている。
 彼女は所長の出張中は留守を守り、ただ帰りを待つばかりだ。

「みかん男爵は本当にお金持ちなんですねえ」
「金で買えないものがね、ホントは欲しいんですよ」

 メマさんと男爵は割と仲が良い。頻繁にニセ病院に顔を出しているおかげだ。
 ヱメコフ・マキアリイを伴侶にと望む者であれば、身の回りの世話を焼くメマの立場を欲するであろう。
 そこは言わない。

「ところでクワンパ、」

 いきなり話を振ってくる。

「さる筋から聞いたのだが、おまえヌケミンドルで「アレ」に会ったらしいな」
「アレって?」
「「妻」を名乗る女だ」

 メマさんも、ちらと瞳をクワンパに向ける。深い藍色に繊細な輝きが屈折する。

「なんでそんな事知ってるんだ」
「マキアリイ様をお慕いする同志があの日あの場所に集っていたのだ。忍びの術を心得る女も居る」

 マキアリイの妻を自称するヱメコフ・タモハミ・ツゥルガとの会合は、秘密を厳守する特別な旅館で行われた。
 にも関わらず筒抜けとは、ひょっとしたら事件の真相もバレているのではないか。
 背筋に冷や汗をかくクワンパをよそに、男爵追求を深める。

「で、どんな女だった」

 メマさんもついに豆のさやを整える手を止めた。こればっかりは平静に聞いていられない。

 クワンパ考える。外見の印象だけでなく、その中身の人格についても、まあ分からないではない。
 或る意味単純な女だった。
 ではあるが、自分も大して変わらないなと。

「……根性の入った奴だったね」
「やっぱりかー。ヱメコフ・マキアリイを愛する女は、やっぱりかー」

 メマさん、再び緑のさやの筋を取る作業に戻る。
 男爵同様に納得したのだろう。

 

 みかん男爵、再び豆のさやとの格闘に集中する。
 細かく指先を使いながら、語る。

「実はこの度、マキアリイ様をお慕いする有志連合が『クワンパぶっ殺すの会』を結成した」
「なんだそりゃ」
「本来は『シャヤユートぶっ殺すの会』だったんだけど、あの人にはとても勝てそうになかったから」
「師姉の強さ苛烈さはカニ巫女でも随一だしな」
「でもクワンパなら殺れそうかなと、皆思い始めてる」

 舐められたものだ、とクワンパ渋面を作る。
 そりゃあシャヤユート姉に比べれば楽かもしれないが、正規の修行を積んだカニ巫女見習いを簡単に倒せると思われては困る。

「気をつけろよ。
 ヒィキタイタン様の親衛隊と違って、マキアリイ様をお慕いする者はどいつも筋金入りの武闘派だからな」

 男爵は一応は好意で忠告してくれている。
 クワンパも、ならばとお礼をするべきだろう。

 

「おまえさあ、所長の永遠の従者として誓いを守れるよな」
「誰にものを言う」
「拷問されても秘密はバラさないな」
「言わずもがな」

 メマさんは聞かないふりをしている。が、クワンパ彼女にも伝えるつもり。
 秘密の保持というなら、男爵よりよほど信頼できる。

「所長はね、今はヒィキタイタンさまのご依頼でとある人を迎えに行ってるんだ」
「とある人?」

「ゥアムから帰国したユミネイト、だよ」

 

           *** 

   外伝「ユミネイト、船上の旅」

  (第二十二話)「その女、ヒロイン」

 

(第二十三話)『危うしニセ病院』その1

 カオ・ガラクはヱメコフ・マキアリイの刑事探偵の師である。
 捜査員歴20年。私立探偵としても10年を越える。
 半人前の内に放り出されたマキアリイとは、年季がまるで違う。
 ベイスラ県においてそれなりの顔であった。

「というわけではないんだがな、こんな事もしている」

 

 マキアリイが東岸シンデロゲン港に伝説のお姫様を迎えに行っている間、
クワンパは所長が留守の事務所の回し方を習っている。
 講師はネイミィとガラクさん。
 そして見慣れない男性が2名入ってくる。

 所長のマキアリイよりは年配。
 背が高く目つきが険しい人と、ガラクさんよりは高いが低い人。
 どちらも身なりから判断するに、それほどカネは持っていない。

 さすがにクワンパも業界人を見分ける眼が出来た。
 自己紹介を受ける前に正体を知る。

「刑事探偵のご同業ですね。おはようございます」
「おう。俺はサンプ・ヒヤだ。巡邏軍で10年捜査員をやって刑事探偵は8年目だ」
「ビィディルストン・ワグド。ヌケミンドルの警察局で16年捜査員をやった」

 あー、とクワンパも納得。
 所長のマキアリイは首都の中央警察局の所属であったが、養成学校を出てわずか2年ほどでクビになっている。
 業界ではぜんぜん下っ端なんだ、と今更ながらに認識した。

 臨時事務員ネイミィは二人共に知り合いだ。説明をする。

「クワンパ、あんたはザイリナ、シャヤユートと違って事務所でまともに働くから、教えておくよ」
「いや前から不思議には思ってたんですよ。依頼の数と帳簿の着手金の数の違い。
 この人達に仕事流していたんですね」

 知性に定評のあるクワンパさんだ。
 人をぶっ叩くしか能が無かった前任シャヤユートとは洞察力が違う。
 ガラクがカラクリを教えてくれる。

「まあそういう事だ。
 マキアリイは知名度が有るから事件依頼がどんどん転がり込んでくるが、本人忙しくて全部はこなせない。
 一方、ここに経歴だけは長いが依頼が少なくて経済的に困窮している刑事探偵が居る」
「それはガラクさんだけかと思ってました。他にも居たんですね」

 ビィディルストンとサンプが追加で自分の立場を説明する。

「つまりだな、刑事探偵が扱う事件は、あんた達カニ巫女が思ってるものと違うんだ。
 普通の依頼は闇の勢力とか破壊集団は出てこないし、
 捜査の途中で襲撃を受けたり死人がごろごろ発生なんか無いんだな」
「そうそう。映画になるような事件は、俺達普通の刑事探偵が一生に一度も遭遇しないもんだ」

「はあ。私にはちょっと、その感覚が分からなくなってきています」

 クワンパもマキアリイの異常性に慣れてきて、同時に一般常識の水準を見失いかけている。
 ガラクも何度もうなずいた。

「そういうわけで、マキアリイの所にはあり得ない事件がいつも転がり込んでくる。
 しかし普通の刑事探偵が扱うような、地味で面白みが無く面倒臭くて手間ばかり掛かる依頼も多いんだ。
 そんなのばかりと言った方がいい」
「選り分けられるんですか、ソレ?」
「出来る。」
「え!」

 クワンパは刑事探偵3人の顔を見る。
 どの人も自信に溢れている。世の中無難に平穏に過ごす術についての。

「捜査員としての年季が違うからな。ヤバい事件は勘が働く」
「そうそう。こう、尻の毛が冷や汗をかくような嫌な感じだ」
「マキアリイには悪いと思うが、こっちも命あっての物種だ。無難な事件ばかりを選ばせてもらっている。スマンな」

 さてどうしたものか。
 英雄探偵の従者としてのクワンパは、この措置をどう評価すべきか。
 ネイミィの基準は簡単だ。

「あ、心配しなくて。無難な事件てのは無難に安いから」
「高価い事件、儲かりそうなものはこっちに来るんですよね?」
「うーん、どうかなー」

 とガラクに振り返る。彼も肩をすくめるばかりだ。

「すまん。本当にすまんが、捜査員の勘でも儲かるかどうかは分からない。
 だがこれだけは知っているんだ。命がヤバい事件で儲かった例は無いってな」

 

 ヱメコフ・マキアリイという人はかわいそうだな。
 クワンパは改めて思う。帰ってきたら優しく棒でぶっ叩いてやろう。

 

     *****  

 ネイミィは冷たく眼鏡を輝かせる。
 この人、質屋の仕事の方はいいのだろうか。

「あんたもそろそろ分かってるんでしょうけど、
 所長は刑事探偵の業務でちっとも儲けていない。むしろ持ち出しよ。
 じゃあなんで儲けているかと言えば、「英雄」業ね」
「そんなにはっきりと言ってしまいますか」

「刑事探偵では儲けていなくても、
 遭遇する数々の厄介で困難で命が危ない事件を解決した見返りとして、
 映画や伝視館放送での監修で細々と稼いでいる。
 でも軍や総統閣下からのお呼び出しで式典に参加させられるのは、ちっとも儲からない。
 改善を求めるとしたら、ココね」

 そこは改善したのです。
 クワンパの活躍によって、所長は毎月軍隊から正式に俸給をもらえるようになりました。
 私の週給並だけど。

 

 クワンパは、非常に言いにくい事だが聞かねばならない点を質問する。

「あー、どう言ったらいいでしょうか。
 皆様は選択して担当する事件の報酬を、マキアリイ刑事探偵事務所に幾分か納めてますか?」
「ほんとうに済まない!」
「いえいえ。だと思ってました。帳簿に書いてませんからね。
 つまりは仕事を割り振っているだけなんですね」

 ガラクが釈明しようとするところを、ネイミィが遮る。

「あんたがそこを追求する気になったのは、偉い。確かに重要な問題ね。
 でもね、この人達は所長が危ない事件に首突っ込んでる時に、役立つ情報を集めてくれたりもするのよ。
 無料でね」

 ビィディルストン、サンプも釈明する。

「そこのところは確かに悪いとは思っているんだが、刑事探偵の報酬ってのがそもそも安くてな」
「知ってます」
「そうなんだ。悪いとは思うが、別のもので埋め合わせをするから許してもらいたい」

「他にも2、3人世話になってる奴が居るが、女房子供が居て老親が居てと、」
「分かりましたわかりました」

 

 ここでクワンパは気がついた。
 この人達、ちょっとダメ人間ではないだろうか。マキアリイ所長と同じ意味で。

「民間刑事探偵には口入れ屋みたいな存在は無いのですか」
「大手事務所ならそういう業務を集中して処理してくれるんだろうが、個人事務所だとなあ」
「営業努力というものは、」
「……、さすがカニ巫女だ。痛いところを突いてくるぜ……」

 3人の中年男達は肩を落とす。
 ネイミィは、まだ10代のクワンパにこの世の哀しい現実を教えてくれた。

「クワンパあのね、捜査官捜査員の人達は、長く在職すればするほどそういう事出来なくなっちゃうのよ」
「知ってます、カニ神殿で教わっています。
 職人気質の人がよく陥る罠ですね。転職しなければならなくなった時、上手く適応できないて聞きました。
 決して怠けているわけではないと」

「潰しが利かねえ、んだな」
「……シャヤユートさんは優しかったなあ。そんな事ぜったい言わない」 

 ガラクに続いて、呻くようにサンプは昔を懐かしむ。

 

「そういう俺達の前に救いの女神が現れた。ネイミィさんだよ」

 ここでようやく、臨時事務員嬢は頬を和らげる。
 クワンパも納得し、感心する。なるほど彼女がその役を引き受けてくれるのか。
 そういえば、事務手伝っても正規の給料もらってなかったなこの人。

 眼鏡の姐さんは真正面からカニ巫女に向き直る。

「覚えておきなさいクワンパ。
 捜査官捜査員としての技能と経験・人脈を、私利私欲安直な金儲けに使わない正義派の刑事探偵が、この方々なんです」

「……、所長は前々から言ってました。オレも商事探偵になりたいよ、と」
「夢見るな」

 

     *****  

 それはそれとして、
狭い事務所の隅っこ、籐を編んだ衝立の方に注目。

「今日は用心棒要らないと思うぞ」
「知りませんよ。マキアリイさんに頼まれたんだから」

 巡邏軍監カロアルさんの御子息、カロアル・バイジャン君が何故か試験勉強をしている。
 上級学校一年生の彼は、夏休み前の模擬試験で良い成績を取らないと父母妹から怒られてしまう。

「あんたさあ、バイジャンくん。あんた所長が居ない時ばかり狙って来ていない?」

 用心棒であればそれが正しいのだろうが、マキアリイの弟子になって「男を磨く」修行のはず。
 居ない時来たって意味無いだろう。

 ネイミィも、なるほどと冷たい目で見る。邪魔ではないが何しに来てるんだコイツ。
 バイジャンはさすがに空気を読んで、釈明の必要を認める。

「皆さんは勘違いしているみたいですけど、僕がマキアリイさんと会う時間は昼間じゃないんです。早朝です」
「事務所に来る前?」
「そうです。河原で「ヤキュ」の練習をしている所に連れてかれてるんです」

 ほおー、とガラクも感心する。

 「ヤキュ」とはマキアリイの活躍でつとに有名となった最強武術である。
 秘密主義を貫き誰が修行者かも定かではない中、唯一人天下に名乗り覇を唱えている。

「坊っちゃんは、マキアリイから「ヤキュ」を習ってるんですかい。そいつは豪気だ」
「坊っちゃんは止めてください。
 いや僕は練習には連れて行かれるんですが、技とか修行とか全然まったくやらせてもらえませんよ。
 というか出来ないです」

 バイジャンかなり真剣な表情。
 冗談抜きで所長は彼を武術の道に引っ張り込んでいるのか。
 刑事探偵3人も男として、また常に危険と隣り合わせの職業経験者として興味津々。

 サンプは巡邏軍に10年勤めたが、捜査員でも軍事教練はせねばならず、それなりに鍛え込んである。
 ガラクもビィディルストンも、警察局に移籍する前は巡邏軍捜査員だ。
 今も現役でチンピラを取り押さえたりもする。

「坊っちゃんはマキアリイの武術の弟子でしたか」
「だから無理なんですよ、ヤキュなんて。
 まだ日も昇らない真っ暗な中で練習始めるんですよ。
 それも黒塗りの球を投げて見えないように。
 マキアリイさんは普通の普段着でやりますが、他の人は黒ずくめで忍者衣装です。見えないです。
 それが陰に隠れて背後から黒塗りの振り棒で殴りかかるんです」
「……半端じゃねえな」

 「ヤキュ」についての知識は、彼ら刑事探偵もほとんど持たない。
 「ヤキュ」から発展した安全な球技「シュユパン」であれば、タンガラムの男なら誰でも齧った事はある。
 その知識で知った気になってはいたが、全然違うもののようだ。

 バイジャンの告白は続く。

「そもそもですね、その黒ずくめの忍者てのが冗談じゃない人達なんですよ。
 僕はびっくりしましたよ、あの人達マキアリイさんと同格なんです。同じ事出来るんですよ、天下の英雄の。
 むしろマキアリイさんが普通に見えるくらいの。
 黒塗りの球持ってみましたが、アレ絶対中に鉛入ってます。当たると死ぬやつです。
 それぶん投げて、かっ飛ばしてるんですよ」

 ネイミィ、少し危惧する。バイジャンくん、そんな現場に居合わせて大丈夫?

「だいじょうぶじゃないです。耳元を黒い見えない球がすっ飛んでいくんです。打ち損ね投げ損ねがぎゃわんと空気を切り裂いて音を残して。
 でも暗闇ならまだいいんです分からないからびっくりしない。
 一番危ないのは暁です、下手に太陽が登ってきて目が眩んで見えない中、構わずやってるんですよあの人達」

「坊っちゃん、それお父上に言ってやめさせてもらった方がよいぞ。今に大怪我する、死ぬぞ」
「何度も言ってるんですけど、父は「死んだって構わんからヱメコフ・マキアリイを理解してこい」って。
 分かってないんですよ父は! いっぺん河原に行ってみればいいんだ!!」

 バイジャン、はげしく興奮。このクソ暑いのに汗だくになって。
 クワンパ可哀想だから、ガラクさんに向けていた扇風機を少年に向けてやる。

 

     *****  

「でもさバイジャンくん、あんた技師に成りたかったんだっけ」
「そうですよ、工科大学行って技師になるのが僕の夢です。だから勉強してるんですよ」

「じゃあ坊っちゃんは巡邏軍に入らないので、」
「子が親の職業を継がねばならないって時代じゃないです。だいたい巡邏軍の司令官なんて世襲じゃないんですから」
「そりゃそうだ。成ろうたって成れる地位じゃないですからね。
 でも勿体ないなー」
「子供を情実で昇進させるとか、今の巡邏軍には無いですよ。ほんとにめいわくなだけです」

 巡邏軍警察局の実情については、子供よりはずっと詳しく知る大人達だ。
 たしかに今の世の中そういう建前になっているのだが、実際は。
 いやそれでも工科大学から巡邏軍監へは無理か。

 ネイミィ鋭く追求。

「じゃあバイジャン君。あなた何の為に武術教わっているの」
「教わっていませんよ。何の為に連れてかれるのかこっちが聞きたいくらいだ」

「マキアリイはなんか言ってないんですかい」
「なんでも、恐怖を知る練習とかで。いやですよ、そんなの」

 ああー、とガラクも他2名も納得。
 そうか度胸を付ける練習なのか。坊っちゃん、線が細くて弱っちそうだからな。

 

 クワンパ、「技師」と聞いて考える。
 てことは、機械に詳しいってことか。

「バイジャンくん、あんた「冷蔵庫」って分かる?」
「故障ですか。冷蔵庫は素人が手を出したらやばいですよ。冷媒が漏れ出してどうしようもない」
「いやうちの巫女寮にね、立派な電気冷蔵庫あるんだけど、動いてるんだけど、発電機がおかしいらしくてね」
「ああー」

 バイジャンはクワンパが何を言いたいか、すぐ理解した。

 電気冷蔵庫は「臭漿(アンモニア)」を冷媒として用いる大げさな機械である。
 一般家庭には普及していないが業務用に、また富裕層の豪邸には備え付けられている。
 ただ、タンガラムの電力事情はあまり良くない。
 しばしば停電して何時間も冷蔵庫が使えなくなる。この時活躍するのが、魚油発動機で動く簡易発電機だ。
 この発動機が問題。

「魚油、入れっぱなしで固まりましたね?」
「え、分かるの?」
「素人がよくやる間違いです。魚油は動物性油脂燃料ですから、安定剤入ってますけど長い期間入れっぱなしだと固まっちゃうんです」
「あー、それそれ。ソフソが言ってた」

 蜘蛛巫女ソフソは、クワンパが住む巫女寮においてただ一人の理系である。

「それって直る?」
「よくある失敗ですから、一度温めて油を抜いてやれば比較的簡単に。発動機の設計もそれを考慮したものになってますからね」
「いやソフソが自分で直そうって言ってるんだけど」

 バイジャンの顔色がすっと白くなった。
 蜘蛛巫女ソフソには5月頃に会って「男を磨けよな」とかひどいこと言われた。
 その時の印象では、決して機械技術に詳しいというものではなく、むしろ。

「ヤバいですね、特にソフソさんはヤバいですね……」
「坊っちゃん、クワンパさんと一緒に行って直してやればいいんじゃないですかい」

 サンプの言葉に、クワンパもおおそうだと手を打った。
 専門家呼ぶより安くつくかも。

「あ、いやそれはどうですかね。やはり専門家の、」
「できないの?」
「科学部で発動機ばらした事ありますから、出来ないかと言われれば出来るんですけど」

「なら決まりだ。今すぐ行かないとソフソが分解してしまう」
「わああああ、それはダメだ」

 

     *****

「まあ巡邏軍監の御子息ですか。
 この寮は男子禁制ですが、特別に許可いたしましょう。
 ヱメコフ・マキアリイさんに続く2例目ですよ」

 規則に厳しい巫女寮寮監のカーハマイサさんも、治安維持組織の司令官の息子には緩くなる。さすがの信頼力。
 だがそれ以上に事態は切迫緊急の様相を示していた。

 クワンパ叫ぶ。

「まともな奴を呼んできたぞー」

「ありがとうございますクワンパさーん。もうわたしには限界でしたー!」
「クゥワンパさああん、たすけてー」

 厨房から大家さんとカタツムリ巫女ヰメラームの声がする。
 駆けつけると、二人が工具を手にするソフソから冷蔵庫を守っていた。

 髪を振り乱した大家のサファメルが、クワンパの顔を見て涙を零す。

「お電話をいただいて、それから必死にがんばりました」
「ちっ。」

 ソフソが舌打ちする。
 どうやら冷蔵庫を別の者に直させると聞いて、にわかに修理を強行しようとしたらしい。
 大家さんとヰメラームが必死になって抵抗して、ようやく間に合った。

 とりあえずカニ巫女棒を振るって、ソフソを一撃。
 だが彼女、「ねじ挟み」で受け止める。素直じゃないな。

「……だから、わたしが出来ると言っただろ。ちゃんと修理手引書読んだんだから。
 製造社の整備員しか読まないやつまで、蜘蛛神殿には揃ってるんだ」
「あなたは読むばっかりで自分の手で練習しませんよね。紙と鉛筆だけで済ませる質ですよね」
「だから、頭いいヤツはそれで出来るんだったら。要点外さないから失敗しないんだ」
「そういうセリフは塩ゲルタからちゃんと骨取れるようになってから言ってください」

 ソフソは18才正巫女、クワンパは17才の巫女見習い世間修行中だ。上下の礼は当然にある。
 だが、寮の設備を無闇と壊して余計な金銭的負担を皆におっかぶせるわけにはいかない。

 ここ3ヶ月観察した結果、ソフソは明らかに不器用と判断する。
 蜘蛛神殿でも回転式計算機を使うの許してもらえないと聞く。
 絶対実物触るの禁止だ。

 あくまでも抵抗するソフソ。
 怪我させるわけにもいかないから、カニ巫女棒でひどく叩くわけにもいかない。
 こんな時カニ神殿ではどうするか?

 クワンパ、腰をぐんと揺らす。
 カニ巫女棒を押し込んで、そのままソフソを床にねじ伏せる。
 棒で身体を拘束し、腕を絡ませて身動き出来なくした。
 直接打撃のみならず逮捕術としても使えるのが、カニ神殿流の棒術だ。

「いたいいたいいたい、」
「ヰメラームさん、紐持ってきて」
「は、はい」
「ちくしおおクワンパめ、巫女見習いのくせになんてことしやがる」
「あー私世間修行中ですから、正式には巫女でも見習いでもない一般人なんですよ。遠慮しません」

 捕縛され、引っ立てられていくソフソ。
 へとへとに疲れ切ったサファメルとヰメラームが床にへたり込む。
 二人共に荒事に向いた性格ではない。

 カーハマイサさんに厨房に案内されたバイジャンの眼に、強烈な光景が飛び込んできた。
 格闘の結果下着がずれて、ただでさえ大きな胸の形が服の上からでもくっきり顕に。

 声をかすらせながら、バイジャンはようやく言葉を発す。

「あ、発電機はたぶん外です」

 

     *****  

「さすが男の子ねえ」

 夜行性のミミズ巫女ミメが騒ぎで起き出して、バイジャンの発動機修理を見守っている。
 全身に絡みつく長い髪、女の色気を凝縮したような魔女だ。
 日頃から身体の線がびっちり浮き出る服しか着ないから、少年目も上げられない。

 なお、ソフソは縄目を受けたまま修理を見学させられている。

「だからその手順は修理手引書そのものなんだったら。誰でも出来る」
「はいはいわかったわかった」

 クワンパも、ソフソにやらせなくて大正解。と胸を撫で下ろす。
 少年はちゃんと怪我しないように防備して作業に当たっている。この暑い中大変だ。
 ずるっと長い蜘蛛巫女装束でやろうとするソフソとは大違い。

 外した鉄管を酒精(エチルアルコール)の灯で炙ると、とろんと固まった魚油が垂れてくる。

「なかなか出てこないね」
「はい。もっと早く気付けば楽だったんですが」
「温めたら出てくるんだ」
「ですが、もっと温めれば沢山出ると思った人が、よく発動機全体を燃やしてしまうんですよね」

 クワンパ、ソフソを見る。なぜかこいつ眼をそらした。
 ヤバいところであった。巫女寮全焼もあり得たのか。

 ミメが尋ねる。

「この油はもうダメなの?」
「いえ処理業者に持ち込めば再生できるんですが、この量じゃ少なすぎて引き受けてくれないかな」
「なにか美味しそうな匂いがするけど」
「ダメですよ食べたら。添加剤が色々入ってますから」

 厨房の勝手口が開いて、カーハマイサさんが外に顔を見せる。クワンパを呼んだ。

「クワンパさん、ニセ病院からお電話です」
「む!」

 この間のアレが来たな?

「ミメさんカーハマイサさん、後お願いします。バイジャンくん、ちゃんと直しとくれ」
「はい、発電できるまではやります」

 ソフソは腕を縛られたまま放置される。
 この後彼女は本で読んだ「縄抜けの術」を実行し、なんだか分からない形に全身がねじれて大変な目に遭う。

 

 

 貧民街をカニ巫女棒に風を巻いて突っ切ってニセ病院に飛び込んだが、遅かった。

「クワンパさん! 今帰ったとこです」
「ちぃい、一足違いか」

 なぜか女の子は受付嬢をやりたがる。
 本日受付の中学生は、有名カニ巫女の登場に飛びつかんばかりの喜びを示す。

 事務室にはニセ病院の運営上層部が、そして商事探偵のカシタマ・クゴヲンが居た。
 彼はクワンパに、「僕も今来たところだよ」と告げる。

 クワンパ、事務長のトカゲ頭之巫女「ヴァヤヤチャ」に尋ねる。

「ゥゴータ先生は、」
「本日は大学で実習があるので午後はお出でになりません。居ても役に立ちませんけどね」

 ヱメコフ・マキアリイもゥゴータ・ガロータ副教授も、組織のはみ出し者のお人好しだ。
 組織運営で法律絡みの交渉など、一番向いていない人種。
 だからこそニセ病院という厄介事を担ってくれるが、護る人は別に募らねばならない。

 クワンパ、突っかかる様に尋ねる。

「どんなヤツです」

 今そいつが居ないのが残念、ぶっ叩き損ねた。

「背の低い、小男です。年齢は50才に届くかどうか。
 頭が大きくて、髪がべたっと貼り付いていて、なんだかいやらしい目つきと口元が笑って。
 妙に舌が滑らかで、言葉が巧みです」
「むー、」

 カニ巫女とは天敵みたいなヤツらしい。
 カシタマが助け舟を出す。

「そういう相手こそ商事探偵に任せてください。法論士のセンセイを呼んでくるまでもありません」
「そうですね。たぶんヤクザ絡みでしょうから、まずはあなたにお願いするべきでしょう」

 

     *****  

 ヴァヤヤチャは事務机に置かれた「明け渡し要求書」を手に取る。
 最初から居丈高に「明け渡し」を求めるのだから、穏便な解決など求めていない。

「とにかく彼は代理人です。「相続権者の孫」と称する人物が実在するか、まずは確かめなくてはなりません」

「その要求書は法的に効力を持つものなのですか」
「いやクワンパさん、これ自体はただの通告書に過ぎない。
 順当に交渉を行ったという実績作りから始めるわけだよ」
「無視してもいいものですか」
「そうすると、裁判所の心証が悪くなる。あくまでも法的な解決を求める姿勢を示す、形式が大事だね」

 カシタマに代わって、ヴァヤヤチャが自分たちの弱味を指摘する。

「問題は、ここがニセ病院という点です。
 公的には認められない施設ですから行政の支援は得られません。空き家の明け渡しに等しいのです」
「うーーーん」

 婦長の巫女チクルトフ、また物品調達を取り仕切る巫女が顔を見合わせる。
 チクルトフが発言した。

「ニセ病院の運営が揺らいでいると知れると、寄付を募る際の説得力が失われます」
「致命的な障害です」

「分かっています。ですが、混乱は既定の事実として対処してください」
「長引きますか。保ちませんよ」
「これから相手はニセ病院の存在を広く公に発表するでしょう。病院自体を潰します。
 護る者をまず追っ払うのが、常道の戦術です」

 ヴァヤヤチャの憂鬱は単に法的なものではない。
 「ニセ病院」は無償で貧困層に医療を与えるものだ。当然、対応できる人数には限度が有る。
 存在自体が知られていないからこそ、近隣の住民に限っての奉仕が可能となる。
 もし、ノゲ・ベイスラ市内全域の貧しい病人が殺到したとなれば。
 そして行政が看過するはずも無く。

 改めての指摘に、クワンパは腹の底から怒りが煮えたぎる。
 やはり息の根止めておくべきなのか。

 カシタマがまずは最初の一歩を解決しようと提案する。それ以外に無い。

「とにかく継承権者を探します。代理人なんかと交渉しても仕方ない。
 そもそも50年も音信不通の人が都合よく見つかるはずが無いでしょう」
「そうですねお願いします。
 私達は私達に出来ることをやっていくしかありません」

 

 いつものように厨房に顔を出す。
 案の定、調理手伝いのおばちゃん達も不安な顔で、作業の手も止めてああでもないと喋ってばかりだ。
 メマ・テラミも作業机の前に座り、長いまつげでクワンパを見つめてくる。

「この部屋は案外と涼しいんですね」
「窓を広く開ける事が出来ますから。虫が入らないように網戸が入っているのはここだけです」

 アチャパガおばさんがクワンパを見つけて寄って来る。もちろん、

「マキアリイさんは来ないのかいクワンパさん。こういう時こそ」
「所長は現在東岸に出張してます」
「あああー、役に立たないねえ。いつものことだけど!」

 そうは言っても、ヱメコフ・マキアリイの威光によってこのニセ病院は成り立っている。

 クワンパ自身も無策ではない。
 事務所に連絡して、カオ・ガラク達刑事探偵に「相続権者」と「代理人」の素性を洗うように頼んでおいた。
 特に小男の「代理人」はどうせその筋の者だろうから、彼らの専門分野だ。
 名を「シメシバ・ッェットヲン」という。

 ガラクは電話で、

「ッェットヲン? ジェットヲンじゃなくて?」
「知ってる人ですか」
「ジェットヲンなら知った名だ。50才くらい小男頭がデカいのも特徴が合う」
「偽名でしょうか」
「かもしれん。調べておく」

 さすがに長年捜査員・刑事探偵で飯は喰っていない。

 

     *****

 現在「ニセ病院」として使われている屋敷は、3年前まで老婦人とその従僕の2人に護られてきた。

 周囲の屋敷町が荒み、住人も低所得・貧困層ばかりとなり、不法占拠された豪邸が違法改築の集合住宅にされる中、
孤高を貫きかっての栄華を留め続ける。

 老婦人の名は「レオローエン・シュベルシーク・ライトー」
 かってベイスラでも名を知られた「ライトー」一族最後の生き残りだ。
 彼女は一度結婚して家を出て、しかし夫と死別。
 「ライトー」家の家督相続者であった長兄も病没した事で家に戻る。
 以来50年。一族の没落と離散の歴史の中、彼女だけが威厳を保ち父祖の地に在り続けた。

 タンガラムの民法では不動産相続権は四親等以内。
 「ライト−」家は叔父叔母も既に亡くその子の代も絶え、シュベルシーク自身は子を産まなかった。
 だが2人の兄、弟1人の子・孫の所在が分からない。

 

「アチャパガさん、詳しく知ってる古い人、誰か知らない?」
「あたしも10年くらい前からだからねえ」
「クワンパさん、この近辺が貧民街になったのはここ20年です。
 30年前はまだ品の良い場所と知られていたらしいですよ」

 メマも若いのに古い話をよく知っている。何故?

「患者さんの中には古くからこの近所に住んでいる人もいます。昔を懐かしむ人は多いですよ」
「わざわざ聞いて回ったんですか」
「マキアリイさんのお役に立てるかと」

 おお、内助の功。
 メマの話によると、

 ライトー家が没落したのは60年前、第七政体が倒れた際に巻き添えを食ったためだ。
 政変前は羽振りが良かったものの、様々な事業に手を広げすぎたのが裏目に出た。

 シュベルシークには兄が2人弟が1人居る。

 家督を相続した長兄は、家を立て直そうと奮闘するも上手く行かず、逃避するかに遊興に耽り病を得て早逝。
 妻とは早々に別れて子は無いが、放蕩の際に隠し子をもうけた可能性アリ。

 次兄は独自の事業が波に乗って拡大を続けていたが、外国貿易で大損失を出して自殺。
 妻子が居たのだが、いつの間にか音信不通に。

 弟の三男は軍人となり海外派遣軍に参加したと伝わるが、帰って来なかった。戦死とされる。
 長く屋敷を守った従僕の爺さんは、同じ部隊に所属していたらしい。

 以来50年、ただひたすらに彼女はこの地に留まり続けたが、それまでだ。

「その次兄の家族って、以後接触は無かったのかな」
「30年くらい前に一度現れて、1週間ほど滞在したらしいです。でも……、
 ニセモノじゃないかと。わたしが聞いた人は言ってました」

「え、ニセモノが財産目当てで来たのかい?」
「おそらくは」
「そりゃ婆さんも閉じ籠もるはずだわ。金持ちもたいへんだねえ」

 アチャパガの言葉に、クワンパは少し考える。
 ほんとうにニセモノだったのか。ならば何故バレたのか。
 いや、何故本物と誤認したのか。

「ひょっとしたらそのニセモノは、身内の証となる何かを持っていたのかも。
 本物が居ると確信できるような何かが」
「そうかもしれません。ですが今となっては」
「もっと詳しい話が知りたい。そんな人居ませんかメマさん」
「お屋敷に出入りしていた人は、もうほとんどが亡くなられて」

「あたしら貧乏人にはハナも引っ掛けない金持ちだしね」

 クワンパ、あ、と気がついた。

 ニセ病院に来るような人が、金持ちの家の事情を詳しく知るはずが無い。
 知っているのは、

 

     *****  

 トカゲ巫女で婦長の役を務めるチクルトフは、クワンパの言葉を聞いて眼を見張る。

「それは盲点でした。
 あの方は貧民街の真ん中に長年居座っていましたから、上流階級と交際していないと思い込んでいました」
「昔の社交関係をたどれば、私達が知らない情報を持っておられるヒトが居るかもしれません」
「そうですね……」

 チクルトフは自らの失策と、これは考える。
 ニセ病院の寄付を募る際、相手に場所や由来をあえて伝えようとはしなかった。
 知らないからこそ無償の善意を頂ける。
 中にはライトー家と付き合いがあった人も居たかもしれない。

「心当たりを訪ねてみましょう。ですがやはり古い話です、覚えていらっしゃるか」
「私も知り合いのお金持ちに聞いてみます。ネコと話が出来るヒトです」
「それは頼もしい」

 

 クワンパは改めてチクルトフに頼む。
 自分はこれまでニセ病院について表面的な事しか知らない。もっと詳しく実情を教えてもらいたい、と。

 チクルトフはしばらく考えて、別のトカゲ巫女を呼び出した。
 先程事務室で会った、物品調達を取り仕切る巫女だ。
 「セレヴェータ」と名乗る。
 他のトカゲ巫女とは印象が異なり、看護手の感触が無い。事務系の巫女のようだ。

「クワンパさん、この者に案内させましょう」
「はい。よろしくおねがいします」

 トカゲ巫女「セレヴェータ」は25才、聞けば本当に「看護手」の国家資格を持っていない。
 組織であるから後方で事務処理を専門とする者も必要だ。
 カニ神殿にも棒を振るわない者が居る。

「チクルトフ姉が案内をしないのは、あなたがまだ10代の巫女見習いだからです」
「やはり、私では不足しますか」
「そうではありません。そもそもトカゲ神殿でもニセ病院に10代の巫女見習いを連れて来ないのです。
 それだけ衝撃が大きく、以後の進路に大きく影響を与えてしまいます。
 過酷な現場なのですよ」

 だからこそクワンパは見なければならない。

 

「このニセ病院、「ライトー館」は母屋・離れの使用人住居・蔵 の3つの建物を病棟として用いています。
 大変大きく、設備も古いですが整っていて、ニセ病院としては破格の贅沢さと言えるでしょう。
 ですが病院として設計されたものではありませんから、やはり無理は出ます」

「母屋の本館は3階建て。
 1階は診療室と手術室、一時病室つまり緊急の患者や容態が急変する患者、手術直後の患者が入ります。
 事務棟と厨房は別に張り出しているのは、ご存知ですね。

 2階は女子病棟と子供病棟。
 3階は職員控室、仮眠室、物品倉庫となっています。

 一番上に職員が常駐するのは、患者が屋根裏の物置に手を出せないようにする為です。
 屋根裏には、この「ライトー館」に本来備え付けの高価な家具や道具類、金銭的価値の高いものが納められています。
 これを患者が盗まないようにする措置です」

 クワンパびっくりする。
 タダで病気を治してもらっているのに、恩を忘れて盗みを働くとは。
 セレヴェータも苦笑いする。

「どの人も生きていくだけで必死ですから。他人の薬を盗んで呑んで、過剰摂取で重体になるヒトも居ます。
 あるいは酒ですね。
 病院は飲酒厳禁ですがどうしてもやめられない、でもカネも無いとなれば見境なく手を出して質屋に駆け込みます。
 周辺の質屋や故買屋には通達を出して「ヱメコフ・マキアリイの家のものを扱うな」と警告しているから、だいたいのモノは返ってきますよ。
 従わない店はニセ病院総掛かりで殴り込みに行きますが」

「行ったんですか」
「おもしろかったですね」

 

     *****  

「入院患者は常時百名以上。これがいかに異常な数であるか、分かりますか?

 私共が募ってくる浄財で、国が定める医療基準に則った病院施設を運営するとなれば、10床の個人病院がせいぜいなのです。
 通常のニセ病院でも入院10名程度が普通、30名だともう手が回りません。
 それだけの寄付しか得られないのです。
 「ライトー館」がここまで大規模に運営できるのも、ヱメコフ・マキアリイさんのお名前があればこそ」

「虚名ですね」
「はい。とてもありがたく使わせていただいてます」

「その百名ですが、各々病状は異なり、また男女で分けねば問題が起きてしまいます。
 さらには治る病人と治らない病人、この選別が非常に重要になります。
 ありていに言えば、治らない病人に延々金をつぎ込むくらいなら、治る病人を10名治した方が人道的効率的。
 無償で医療を施すニセ病院においては、常に突き当たる問題です。

 当院はマキアリイさんのご意思に従って、治らない死ぬ病人でも受け入れます。
 まさにお人柄ですが、実際に運営する我々にすれば大変な負担となるわけです」

 クワンパもそこは考える。
 厨房に行っていつも見ているが、毎日用意する食事だけでもとんでもない負担となる。
 長期入院となればどれだけの金額が必要だろう。

 質問して、セレヴェータも苦笑する。

「マキアリイさんはその点に関しても助力してくださいます。
 幸いにしてノゲ・ベイスラ市は食品・衣料を扱う会社と工場が多い。
 マキアリイさんの直接の説得によってニセ病院に賛同して下さる会社はいくつも有り、非常に安い価格で食材や衣類の調達が可能となっています」
「そんなところまで所長が手を貸していましたか」

 本人はゲルタを齧るばかりなのに。

「それでも寄付が滞る事がございます。
 たとえば、「闇御前事件」ですね。
 あの時、産業界全体が闇組織の報復に萎縮して、ニセ病院への協力も手控える状況に陥ったのです。
 たちまち食料に困窮し、1日1食にしてもまだ足りない。
 どうしようかと途方にくれた雨の夕暮れ時に、
 マキアリイさんが軍用輸送車で乗り付けられて、お仲間の方々と糧食が入った木箱を多数置いていってくださったのです。

 かっこ良かったですよ」

「軍用ですか。そんなツテがあったんですね」
「もちろん大量の塩ゲルタも置いていかれました。
 たしかにタンガラムの食の基本ですが、病人食としてはあまり適したものではないんですけどね。

 ですが、この近辺の貧民街の人達でも今はそんなに飢えるという話は無いのです。
 基礎的な食料は安価で供給されているので、餓死はしません。
 でも品目が限られるので栄養に偏りが生じて、病気になってしまうのです。
 特に皮膚病の患者は多く、ニセ病院でも最重点の課題となっています。
 皮膚病治れば退院してよい、くらいですね」

「そして食べれば排泄するのが人間です。
 この「ライトー館」には大型の屎尿槽が設置されていますが、百人が常駐するようには出来てはいない。
 汲み取り業者に週に1回は来てもらわなければ溢れてしまいます。
 この支払いがまた大きい。

 さらには水ですね。もちろん炊事や洗濯に大量の水を消費しますが、排出する量もただごとではない。
 工業施設並となりますが、本来下水管を新設しなければならないところを既存の設備でなんとか処理しています。
 病院から出る排水は近所のヒトも忌み嫌いますから、溢れないように細心の注意を払っています。

 で、その上下水道料金が、」

 

 クワンパ頭がクラクラしてきた。
 新人トカゲ巫女を携わらせるわけにはいかないはずだ。

 それにしてもやっぱり所長はゲルタか。

 

     *****  

「母屋の外の元は使用人が暮らしていた別館です。ここは男性患者を収容する病棟となっています。

 ですがあまり良い環境ではありません。
 トカゲ巫女は若い女性ですから、性的な嫌がらせを受けたり、場合によっては強姦されることすら有るのです」
「病人でもそういうのがありますか」
「身動き出来ない病気や怪我ばかりではありませんから。
 もちろん患者同士でも犯罪は起こります。
 誰も盗まれるものは持ち込んでいませんが、食事や薬を弱い者から取り上げるなどはいつもの事で、暴力沙汰も起きています」

「対策はしていないのですか」
「幸いにしてカニ神殿の方が日に3度は訪ねてくださいます。その方が不届き者に仕置を下してくれますので」
「おお! その方々には私もご挨拶をしなければ」
「クワンパさんには病棟に近付くな、とその方々のお言葉がありました。
 あくまでもヱメコフ・マキアリイさんの従者としてのお役目を果たしていただきたい。そういうお申し付けです」

 

 それでも、クワンパとセレヴェータは男性病棟に踏み込んだ。
 まだ昼間だし、クワンパが入ると聞いて「墓掘人」のンゴアーゥルも入ってきた。
 筋肉の団子のように盛り上がる彼の存在は、それだけで病棟の空気を一変させた。

「でも、そんなに危険ではトカゲ巫女が奉仕するのも困難でしょう」
「多くの患者さんはいい人なんですが、ヤクザ者ならず者で食い詰めた人がどうしても紛れ込むのです。
 普通の病院、公立の慈善病院だと断られてしまう人が最後に駆け込むのがニセ病院ですからね。

 私共も断るべきだとは考えるのですが、マキアリイさんもゥゴータ先生も患者を区別なさらない方で」
「やはり、カニ神殿に増援を頼むべきでは」
「ですが、マキアリイさんは特別な措置を考えられていまして、」

 

「そこでオレっちのような患者も受け入れてくださるのですよ。カニ巫女のヒト」

 不意に患者の一人が話に割り込んでくる。
 振り向くと、割と若い男。頭には包帯を巻き、腹にもぐるぐると。
 どう見ても堅気ではなく、入院の理由もおそらくは刃傷沙汰による負傷では。

「クワンパの姐さんでいらっしゃいますね。
 オレっちはマキアリイの兄貴の特別のご配慮で入院を許されているヤクザもんでござんす」
「ヤクザはそれなりにカネ持ってるんじゃないの。医者だって」
「もちろん、それぞれのヤクザの親分にゆかりのヤクザ医者というのが居りまして、普通はそちらにご厄介になるんですが、
 ちとワケアリで破門にされてしまいますと、この天地に身を寄せる場所も無くなるて寸法ですや」

「あなた、ひょっとして仲間と斬り合ってそんな怪我をしたの?」
「お察しのとうりで」
「じゃあニセ病院の中にまで刺客が入り込んでくるのでは、」
「そこがマキアリイの兄貴のご人徳で、
 オレっちが入院したのを聞いて、関係の親分衆に「こちらにそいつを保護している」と通達を出してくださりやした」

「わざと居所バラしたの?」
「ニセ病院の中に居る間はヱメコフ・マキアリイの預かりだ。手を出したら組ごとぶっ潰すぜ。
 という脅しでございやすよ。出ていくまでは手を出すなと。
 そんなわけで、病院内に居る限りはオレっちも命は安泰で、せめてもの御恩返しに不心得者を蹴り倒しておりやす」

「でも退院したらどうするの? 出たら殺されるんじゃ」
「そん時は、汚穢の舟に身を潜めるか、死人の棺桶に一緒に入るか。
 知恵を使って逃げ延びますんで、ご案じ無く」

 

 クワンパ、日頃から思っていたのだ。
 所長のマキアリイはヤクザに対してちょっと甘くないかと。
 どうせ今の男だってそれなりのワルに決まっている。そんな奴に恩を施してどうする気か。

「トカゲ神殿としては、ああいうヒト、いいんですか?」
「いいも悪いも、ここはそういうニセ病院と納得せざるを得ませんね。

 よその町でも、ニセ病院にヤクザは絡んでいるんですよ。
 いい親分さんが貧乏人を見かねて、という例もありますが、金儲けの為に病人を食い物にしている所もございます。
 そもそもがどちらも社会のはみ出し者で、近い存在ですからね。

 マキアリイ親分が仕切るシマ、と割り切ってます」

 

 英雄ヱメコフ・マキアリイ、ヤクザになっちまったよ。

 

     *****  

 母屋・使用人住居から少し離れた場所にある蔵の一つが、「治らない病棟」として使われている。
 「余命幾ばくも無い」と表現した方が適切だろう。

 セレヴェータも案内しようとはしない。

「この病棟はトカゲ巫女でも特別な資格を持つ者しか入れない規則となっています。 
 むしろ、この病棟に出入りする巫女を他の病棟の患者が嫌がると言った方がいいでしょう」

「患者は多いのですか」
「はい。ですがニセ病院の医療水準や費用の問題ではありません。
 もはや手の施しようの無くなった末期の患者を、せめてと置き去りにしていく人が多いのです。
 ほとんど2、3日しか生きられない患者を、葬式代を省くために捨てていく」
「身内ではないんですか?」
「さあ、そういう人も居るでしょう。それぞれの理由があるのですが、私共は彼らを裁く責務を負いませんので」

 むしろカニ神殿に託されるものだろう。
 しかし、そんな患者に今さら医療行為が意味が有るはずも。

「ですから、ここの管轄はコウモリ神殿から神官巫女がお出でになって奉仕されています」

 クワンパ、振り向く。
 「墓掘人」のンゴアーゥルは本来コウモリ神殿に仕える者だ。
 ニセ病院では毎日のように死人が出るから、墓場に直送する為に常駐している。

「なんとか出来る患者は居ないのですか」
「居たら、ゥゴータ先生が八方手を尽くして慈善病院や大学病院に送り込んでくださいます。
 どうせニセ病院の設備ではどうしようもありません。
 ですが、やはり費用の問題が」
「最後はそこに行き着くわけですね」

 カネが無いから適切な治療が受けられず重症化してニセ病院に捨てられるのだ。
 前提条件が変わらない限りは、結果も変えようが無い。

 

 蔵の戸は風を通す為に開け放されている。
 空気が抜けず中に熱気が籠もるかと思ったが、工業用の扇風機が設置されて送風している。
 これもまた、どこからかツテを頼んで調達したものだろう。

 クワンパは戸の前まで行ったが、カニ巫女棒を頼りに立ち尽くす。
 容易には足を踏み入れてはならない雰囲気が漂い、これ以上進めなかった。
 ただ内部の様子を覗くばかりだ。

 黒衣の男性が出て来る。かなり年配で髪は白い。
 コウモリ神官だろうが、神殿で見る姿とは異なり作業に便利な簡素な衣装。
 クワンパも、このような現場で彼らを見るのは初めてだ。
 近付いて挨拶しようとして止められる。

「近くに寄ってはならない。他の病棟の患者が貴女を遠ざける。
 死穢への怖れは理性では容易に拭い切れぬものだ」

「黒冥蝙(コウモリ)神殿の方ですね。ご苦労さまでございます」
「貴女はマキアリイ殿に仕えるカニ巫女のクワンパですな。
 ニセ病院立ち退きの件は我々も聞いている。迷惑な話だ」

 クワンパは、彼の後ろに覗く病人の様子が気になる。
 良くは見えないが、窓からの光で中は明るい。蔵ではあっても病棟として十分な建物だ。
 病人は10名ほどか。コウモリ巫女とトカゲ巫女がゆったりと歩き、世話をしている。
 もはや急いで何かをするまでも無いのだろう。

 コウモリ神官は背後を振り返り、また前を向く。

「既に我らの領域の人達だ。気にせずとも良い」
「私にも何かお手伝いできることは、」

「咄! 夕呑螯「シャムシャウラ」の使徒の任にあらず。
 貴女は、彼らが此処に至る前に救いなさい」

 思いがけず強い言葉で拒否され、クワンパははっと気付いた。

 カニ神殿は、人々が安楽に平和に暮らせるように勤勉を促し、妨げ搾取しようとする輩を追い払い、道を外れる者の尻を叩いて引き戻すのが役目。
 この蔵にはカニ巫女が為すべきなにも存在しない。
 それぞれに相応しい任務があり、ただ黙々と自らの務めを果たすのみ。

 貴重な教えを頂き、深々と頭を垂れる。ありがとうございました。

 

 コウモリ神官は頬を和らげる。

「貴女の所で、我が神殿の見習い「ビナアンヌ」がお世話になっていますな」
「はい」

 巫女寮の住人、コウモリ巫女見習いで中学生。一番の下っ端である。

「あの子は不憫な者でな、
 幼き頃より次々と係累を亡くし、家族に何かをしてやろうと思う頃には誰も残っては居なかったのだ。
 ただ傍に居る事だけが愛と考え、死の近くに在るコウモリ神殿に身を寄せる」

「そうだったのですか」
「だが年若い者にはふさわしい姿ではない。
 貴女がよろしく導いてくれれば、嬉しく思う」

 それは彼女の信仰心を覆せとの意味だろうか。
 確かにまだ中学生なのに葬式の手伝いに奔走するのが人格形成に良いとは思えない。
 しかし、個人の心の中にどう踏み込んで行けばよいか。

 それを考えるのも修行なのであろう。

 

 神官は再び蔵に戻っていく。
 やはり中の空気は心安らぐものではないのだろう。
 照りつける夏の日差しが、降り積もる心の闇も灼く。

 踵を返すクワンパに、正面からトカゲ巫女セレヴェータが告げる。

「クワンパさんは、常識的な方なのですね」
「はい?」

「シャヤユートさんは、何も考えずに蔵の中に入っていきましたよ」

 

 ……!

 

【英雄探偵マキアリイ事典】

【トカゲ神官について】
 本編中に描かれている通りに、
ニセ病院はおおむねゥゴータ・ガロータ副教授がソグヴィタル大学医学部から連れてくる新米医師や医学生と、
看護手を務めるトカゲ巫女によって運営される。

 では、「トカゲ神官」は関与しないのか?

 「トカゲ神官」は永く「医師」の役割を果たしてきた。
 しかしながら、社会が進展し民衆の経済力が強くなると、神殿に属さない「医師」が生まれる。
 トカゲ神殿が設ける相互医療補助の負担を嫌い、富裕層が実費での医療を望んだ為だ。
 「民衆協和国」が成立し全土を支配すると、国家による医師の資格認定が始まる。
 国立大学に医学部が設けられ、国家の定める教育課程を受けた者のみに資格を発行するようになった。

 ここで留意すべきなのは、
現代的な医師制度が確立する過程において、外国からの医学知識の流入が無かった点だ。
 ゥアム帝国シンドラ連合王国との交流が始まった後も、大々的な改変を必要としていない。

 タンガラムの医学はトカゲ神殿で行われてきたものが発展しており、医師も神殿の束縛から解放されたに過ぎない。
 所属が変わっただけなのだ。

 それでも神殿に留まり、宗教を前提として医療の現場に携わる者は少なくない。
 現在「トカゲ神官」と呼ばれる者の多くは「薬剤師」である。
 ニセ病院においても、処方箋に従い調剤をするのはトカゲ神官だ。

 科学技術文明全盛の現代であっても、化学合成される医薬品はまだ少ない。
 生物により生成される、あるいは自然物を採集したものを原料とした。
 大規模な工場で精製される以外は、トカゲ神殿で行っていた頃と状況は同じだ。

 であるから、トカゲ神殿は今も薬品に関しては態度を変えていない。
 またトカゲ神殿の中央組織は、民間の製薬会社に幅広く出資する。
 製薬会社の創始者が元トカゲ神官である事例も多い。

 さらに、全国のトカゲ神殿がその流通網としても機能する。
 医薬品業界を牛耳っているとさえ言えた。

 「ドラッグストア」的な商店はタンガラムには存在しない。
 「薬局」は各町村にあるが小規模なものだ。
 店先にはもちろん、トカゲ神殿を象徴する「逆さトカゲ」図が掲げられている。
 売薬の行商人として伝統演劇等でおなじみの「角袖青服の色男」図を飾っている所も有る。

 

 なお男性の看護手は「医療助手」と呼ばれる。彼らはおおむね軍の「衛生兵」出身だ。
 現代文明のタンガラム医療であっても、人力に頼る部分は極めて大きい。
 エレベーターだってまだ珍しい存在だ。
 女性よりも力の有る男性医療助手は看護とは別の現場で働く。特に救急医療で活躍していた。
 ニセ病院では、急患を運び込む時に見る事が出来る。
 また救急で慈善病院や軍病院に担ぎ込まれた貧困層が、医療費負担能力が無いとしてこっそりとニセ病院に突っ込まれる例も多い。

 

【ヤクザについて】
 タンガラム方台における「ヤクザ」は極めて多様で、一意に語れるものではない。
 あえて言うならば、市中を巡回し悪を懲らしめるカニ神殿の神官巫女も、その枠に認めざるを得ない。

 

 初めてタンガラムに「国家」という枠組みが生まれた紅曙蛸女王国時代、
最初の治安機関として組織されたのが「カニ神殿」だ。
「交易警備隊」と二本柱で、方台全土に「文明」と秩序を確立した。
 各地方・集落においてばらばらであった倫理基準を全国統一して、「犯罪」の枠を定める。
 交易警備隊は後に軍隊となり、カニ神殿は警察業務を受け持つ。

 紅曙蛸王国崩壊後、地域の領主「小王」が群雄割拠した。
 商業の主体も「小王」となり、「交易警備隊」を私兵化する。
 治安維持は「小王」の勢力が受け持ち、カニ神殿は道徳を維持する存在へと縮小した。
 権力の裏付けの無いまま棒を振るい続ける。

 「小王」はあくまでも私的な存在であり、個々の利益を優先した統治を行う。
 公益性に関する意識はほとんどない。
 彼らの横暴に反発して、民衆の味方となり支持を集める者も出る。
 また神殿の警備員である「神官戦士」も、不正を糺す役を果たす。
 これが伝統的任侠「ヤクザ」の祖と言われる。

 褐甲角王国の始祖武徳王初代「クヮァンヴィタル・イムレイル」も神官戦士の家系であり、民衆擁護の為に蜂起した。
 彼の存命中の称号は『兄貴』である。

 十二神殿はそれぞれに支援をする職能集団を抱える。
 タコ神殿であれば祭りを盛り上げる興行師香具師、トカゲ神殿では薬草取り、コウモリ神殿では墓掘人。
 いずれも自らの権益を守るためには暴力も辞さず、また神殿の危機に際しては防衛の任に当たる。
 これもまた広義のヤクザであろう。

 神官戦士・交易警備隊が戦ってきた盗賊・追い剥ぎの類も、現在まで続く犯罪集団となっている。
 強固で厳格な身分制度を持ち、新興の犯罪組織とは区別する形で「犯罪王国」を名乗る例も多い。

 

 民衆協和運動が盛り上がりを見せた創始歴5000年代後半。
 「近代」となって、政治運動を行う集団がいくつも生まれる。
 中には暴力行為・犯罪・破壊活動によって自らの主張を通そうとする者も居た。

 特に有力な政治集団が「素寒(無産)主義」勢力だ。
 彼らの活動で最も顕著であったのが「方台理性化運動」だ。

 「民衆協和国」が方台全土を統一して政治的にも安定した時期。
 しばしば独自の主張で政界を混乱に陥れる素寒主義勢力を、政権中枢から追放する運びとなった。、
 追い出された素寒主義者は失地回復、政権を脅かすために、
方台に古くから伝わる習慣・伝統を「迷信因習」として排斥する風潮に世論を誘導した。

 この時やり玉に挙げられたのが、人に噂を伝えて餌をもらう無尾猫だ。
 国家権力に民衆の秘密を伝えて弾圧の助けとなる、と煽り立て、次々にネコを駆逐していった。
 十二神殿も同時に群衆の攻撃を受けたが、逆襲に転じたのがカニ神殿である。
 ネコを保護し、棒を振るって押し寄せる群衆を叩きのめして蒙を啓く。
 運動自体が素寒主義勢力の陰謀であると暴き出した。

 やがて軍隊が投入され、「方台理性化運動」は強制解散させられたが、素寒主義勢力はなおも現存する。
 以後無尾猫は人と話をしなくなったという。

 

 タンガラム民衆協和国においては政治活動は常に暴力に曝され、自衛を余儀なくされる。
 特に選挙時には衝突が起こりやすく、政党は「突撃運動員」を用意して対処に当たる。
 彼らは平時には政党それぞれの利害を解決する為に働き、場合によっては暴力に訴えるとも知られる。
 弱小の運動家、集団においても同様だ。何事かを公に発言する勢力には必須の存在となっていた

 新興宗教もまた自衛組織を持っている。

 

 これまでの暴力集団は宗教的・道徳的また政治的信条によって裏付けされるものであった。
 だが現在流行するのは、功利的に暴力を手段として用いる新興勢力だ。

 「新ヤクザ」と呼ばれる存在で、非合法手段を用いて企業の発展を助ける役目を果たした。
 時に公権力とも結びつき、開発計画の後押しに活躍する事もある。
 多くは合法的な事業を隠れ蓑として、また事業に関連するグレーゾーンを活動の場とする。
 組織全体を摘発するのは困難で、個別の犯罪において逮捕者を出すに留まる。

 偽装する事も無くあからさまに犯罪を繰り広げる集団も生まれる。
 まさに「犯罪組織」だ。
 既存ヤクザとは対立するが、新ヤクザとは時に結託し彼らの走狗となる事もある。
 巡邏軍警察局では潜入捜査員を送り込み根絶を図るが、はかばかしい成果は得られていない。

 ゥアム帝国・シンドラ連合王国、さらにはバシャラタン法国との交易が始まり、外国人も多数来航する。
 中には四カ国どこにも国籍を持たない、民族も判別の出来ない者も混じっている。
 彼らは海外既存の犯罪集団と結びつき、独自の勢力を形成した。
 一般外国人はタンガラム内陸部への侵入許可を得られない。南海イローエント港に「滞留街」と呼ばれる居住区を作っている。
 ここと連絡を繋ぐのが、タンガラム内陸の犯罪組織だ。
 違法な物品や麻薬類を流通させる役目を果たし、また密入出国・人身売買も取り扱う。

 さらには、ゥアム帝国シンドラ連合王国のスパイ組織も「滞留街」を拠点とし、彼らを使役するとまことしやかに語られる。

 

 このように、タンガラム民衆協和国はヤクザ・暴力集団・犯罪組織がひしめき合って、混乱が日常である。
 この物語が『罰市偵』の名を冠する由縁だ。

 

      *****  

      *****  

外伝『少年よ、海外に雄飛しろよ』

 お茶を一喫して、カロアル・バイジャン少年は巫女寮からの脱出を許された。
 実に恐ろしい1刻半(約3時間)であった。

 台所外の冷蔵庫用簡易発電機を修理するのは良かったが、
その作業を見守っていた蜘蛛巫女ソフソが、拘束から脱出しようと本で読んだ「縄抜けの術」を実行。
 身体がよじれて妙な場所で絡み、肋骨が締め付けられて呼吸出来なくなる。
 バイジャンが気付いた時には眼鏡を落とし、既に泡を吹いていた。

 こんなこともあろうかと、手ぐすね引いて待っていたのが、元トカゲ巫女の大家グリン・サファメルだ。
 「看護手2級」の免許を持つ彼女は、昔取った杵柄とソフソ蘇生を試みる。

 占い師ミミズ巫女ミメの卦は、「大凶」!
 そもそもがサファメルは、生前のワッドシラ会長を病院で介護して3度殺しかけた前科が有る。
 たちまちソフソは仮死状態に陥った。

 結局はバイジャンが「軍事教練」の授業で習った「応急措置法」で、冥秤庭に半歩踏み込んだソフソの奪還に成功。
 しかし瀕死の蜘蛛巫女が開口一番吐いたセリフは、「わたしにもそのくらい出来る」であった。

 

 とりあえず発動機の修理を完了し、発電もちゃん確かめて巫女寮を辞す。
 非常に濃厚な女体との接触の多い、性癖が歪みかねない体験をした。
 心臓摩擦の際、さして大きくもない蜘蛛巫女の胸にもちょっとだけ触ってしまったし。

「オンナってきついなー」

 今さらにして考えてみるに、
世話は焼くが必要以上に接触しようとしない、女性的魅力もさして豊富ではないカニ巫女クワンパが、いかに気楽な存在であるか。
 改めて納得するのであった。

 

 家に帰るには、最寄りの路面電車の停留所に行かねばならない。
 巫女寮のある高台を降りていく途中で、1匹の小猫を見た。

 頭の黒い、身体は白い、手足尻尾の先の黒い妙に人懐っこいやつ。
 マキアリイ刑事探偵事務所の近所に住む「黒ぴったん」ではないか。

「なんでおまえこんな所に居るんだ」

 こいつは鞄に入って何処かに連れて行ってもらうのが趣味の、変な奴だ。
 今日もまた誰かに運ばれてきたのだろう。
 だが帰りはどうするのか。こんな遠くから鉄道橋町まで戻れるのか。

 黒ぴったん、なあと鳴く。
 常識的に考えれば自力で帰れるわけないだろう、と言わんばかりだ。

「ちくしよお、俺の家と事務所は正反対なんだぞ!」

 見つけてしまったからには連れて帰る他無い。幼女がぴったんの帰りを待っている。
 学校の布鞄を開いてしゃがむと、さも当然のように潜り込む。
 夏休み前だから教科書少なくて良かったな。

 鞄の端から黒い頭だけを出す。
 その姿を見た女子小学生がうわーと顔を綻ばせた。
 バイジャン妙に注目され、困る。

 しばらく行って高台を降り、車道の脇を歩いていると後方から警笛を鳴らされた。
 なんだと振り返ると、ものすごくかっこいい競技用高速自動車が。
 車体は磨かれ、夏の日に煌めいている。
 深い青と黒に塗り分けられて、派手なのか渋い趣味なのか分からない。

 自動車は低速に落とし、バイジャンの横を並走する。
 発動機の太い響きに腹まで震える感じがする。黒ぴったん、驚かないのが驚き。
 夏だから素通しの窓越しに、運転手が話しかけてくる。
 歩道と運転席は反対側だから、ちょっと喋り難い。

「カロアル・バイジャン君!」

 

     *****  

「え、僕をご存知ですか?」
「私が分からないかな。分かるわけがないか」

 バイジャン背を屈めて、車窓を覗き込む。
 若いとは言えないが精悍な印象の、男臭い人。身なりの良さよりも、鍛えられた肉体の方が目に付いた。
 琥珀色の派手な枠の眼鏡を掛けているが、度付きではないのか。
 涼やかな瞳の、おだやかな印象。だが動くとなれば凄まじい迫力で活躍するはず。
 ヱメコフ・マキアリイを思わせる。

「すいません、何方だったでしょうか」
「これを見れば分かるかな」

 空の助手席の上に置いていた紙袋の中から、黒い球体を掴み出す。
 ぽんと放ってバイジャンに渡す。
 受け取ってびっくり。ずっしりと手の中に沈んでいく。
 革張りの球、漆黒に塗られたこのシュユパンの試合球に似たものは。

「あなたは、河原で「ヤキュ」の練習をしている、忍者!」
「覆面をしているから顔は分からないはずだね」

 車を停める。
 運転席から降りてくる。

「自己紹介をして居なかったね。だが忍者の本名なんか信じるものじゃない。
 仮名でいこう。
 フリシュケル・サーヴァ。職業は貿易商、また国の内外で交易品の即売会などの企画をやっている」

 ”青闇の魔剣”、などといかにも物語的な名前を持ち出されても、困る。

「企画屋さん、ですか」
「それでいい。君への用件もその絡みとなる」
「でも、僕は上級学校の生徒ですよ。貿易の企画とか言われても、」
「詳しく説明をしたい。乗ってくれないか」

 あからさまに怪しい話であるから、逃げるべきではないだろうか。
 でも彼は英雄ヱメコフ・マキアリイの友人である。どう判断するべきか。

 布鞄から顔を覗かせる黒ぴったんが、バイジャンに催促する。かっこいいクルマに乗ろうよ。

「この猫、僕の気を惹くために連れてきたんですか」
「それは君のネコなのか。いや、さすがにそこまでの偶然は作らない。
 男の子を釣るのにネコは使わないだろう」

 もっともな意見だ。
 覚悟を決めて彼の誘いに乗ってみる事とした。

 競技用高速自動車の助手席は狭い。身体がすっぽりと収まって身動きできないほどだ。
 黒ぴったん入りの鞄はやむなく、申し訳程度に存在する一層狭い後席に配置する。

「後席って、要りますか?」
「ただの物入れにした方がマシだな」

 

 案内されたのは、極めて現代的なガラスを大きく使った設計の家だ。

 バイジャンは建築にも若干の興味を持っており、ゥアムの有名建築家の模倣だと見抜く。
 人間の背丈より大きなガラス板は目の玉が飛び出るほど高価い。
 彼が相当な金持ちであると理解した。ヱメコフ・マキアリイとは大違いだ。

「まあ入ってくれたまえ」

 使用人が何人も居るらしい。
 鍵を自ら開けるまでもなく扉が開き、内部へと進む。
 玄関先に乗り捨てた自動車も、再度轟音を吹かせて動き出す気配がした。駐車場に回される。

「迎えに出ては来ないのですか」
「鬱陶しいだろ」

 確かにそうだが、いや忍者の家ならこれで良いのか。

 

 2階には大きく展望の開けた居間がある。
 広い。全面ガラス張りで空中に浮いているかのようだ。
 装飾は特に施されていない。美術品が何点か、それも目立たないように飾られている。
 大きな安楽椅子や長椅子が据え付けられており、
とびきりの装飾が座っている。

「カロアル・バイジャンね。やっぱり拉致してきたんだ」

 この家の主人が答える前に、布鞄の中からネコがするりと抜ける。
 まったくに一目散に走り、彼女の腕の中に飛び込んだ。

「ふふふ、あなたこのネコの名前は?」
「黒ぴったん」
「黒Pっ太ね。いい子ねー」

 美少女、髪は黒褐色で短く、自分とさほど年齢は変わらない。
 タンガラム人ではあるだろう。
 だが何が違うわけではないが、印象がとんでもなく非日常だ。

 あえて言うならば、古の聖戴者であればこんな雰囲気か。

 

     *****  

 忍者フリシュケル・サーヴァは、彼女を紹介する。

「バイジャン君、彼女は「ワム・レフ」と呼ばれている。
 見てのとおりに君とほぼ同じ歳だ。
 女子学校の生徒だが、色々と忙しくてあまり登校出来ていない。
 命を狙われているんでね」

 うわ、いきなり英雄マキアリイ案件か。

「というのは冗談として。
 私の企画に参加してくれる最初の少年少女だ」

「え、企画? 彼女が最初なら、僕が2番目ですか!」

 さすがにこの流れで気付かぬはずも無い。
 ワム・レフも黒びったんの頭に頬を寄せて、自分を見る。

「そうだ。英雄ヱメコフ・マキアリイの弟子として、君を招待したい」
「あ、待ってください。僕はマキアリイさんの弟子というわけでは、第一何も教わっていないし」

「ヱメコフ・マキアリイは人を導く師匠としては、まだまだだよ。
 彼の強さはまだ伸びる。自身の成長を促す為に日々努力してもらいたい。
 君を鍛える責務は、我々が請け負おう」
「いえ僕は、」

「何言ってるのよ。もう修行は始まっているのよ」

 冷ややかな声で美少女は少年の運命を強制的に決定する。そんないつの間に。
 サーヴァも頷き、種明かしをする。

 

「まず私は、企画の趣旨に沿って少年少女を集める事にした。
 ただの子供ではいけない。
 タンガラム社会の各層代表と成り得る者だ。

 ヱメコフ・マキアリイに相談すると、君の父上カロアル巡邏軍監を紹介してくれた。
 彼の息子バイジャンこそが、その任に適うだろうと。

 私は既に御父上にも会っている。そして了承を得た。
 その上でヱメコフ・マキアリイに君を預けて気性素質を確かめてもらった」

 とんでもない成り行きがぽんぽん出てくる。
 父が認めているのなら、これはもう既定の路線なのか。

「あの、僕は武術の素質とか運動能力とか、一切ダメですから。
 鈍くはないとは思いますが、運動選手として競技に出るほどのものではなくて、むしろ機械いじりとかの」
「機械いじり、いいね。技師になる夢がある、いいね。そういう少年も必要だ。
 だが君には、君にしか無い非常に貴重な資格がある」

「え〜、なんですか」
「君は、巡邏軍監カロアル・ラゥシィの息子である」

 

 バイジャン、しばし凍りつく。
 ここに来て血筋とか関係有る?
 ウチは確かに父親は巡邏軍の偉い人だが、祖父は軍関係無いし、そのまた祖先も聞いたことが無い。
 なんで。

 ワム・レフは笑う。ネコも笑うかに鳴く。

「本人にはまったくどうしようもない資格だわね、ソレ」
「子供は親を選べないからな。
 だが君には、巡邏軍という実力組織の司令官の息子として生まれた責務がある。
 そう自覚してもらいたい」

 

      *****  

「君はバシャラタン法国についてどのくらいを知っている?」

 いよいよ本題であるのだろう。
 彼は貿易商と言っていた。であれば外国については専門家だ。
 上級学校生として恥ずかしくない答えを言わねば。

「バシャラタン法国は今から50年前に突如として存在を確認された有人方台です。
 タンガラム方台の真南3700里に位置しますが、荒天により年の半分以上航路が使えず、往来も盛んではありません。

 直径が1500里(キロ)のほぼ円形の土地で、内陸に海が割り込んでいない。
 タンガラム方台に似ているとも言えます。
 1500柱(5250メートル、1柱=5杖)を越える高山が中央にそびえ立ち、全土を深い森林が覆っている。
 冬は寒さが厳しく雪と氷で閉ざされ、夏の気温も低く農業に適した土地ではありません。
 人口も300万人と少なく、社会の発展も低い段階にあります。

 氏族制社会ですが、政治の中枢は「僧会」が担い、政治僧による支配を受けます。
 科学技術文明はいまだ無く鉄器の使用もありませんが、青銅器・陶器の技術は高い水準に達している。
 手工業に巧みで、独力で木製時計や自鳴琴を開発しています。
 主要産物は、」

「そのくらいでいい。さすがは上級学校生だ」
「このくらい当たり前よ。説明する手間が省けたってだけね」

 とりあえず合格だ。ほっと息を吐くが、安心は出来ない。
 忍者サーヴァが企画の説明に移る。

 

「バシャラタン法国は、今説明をしてくれたとおりに遅れた文明段階にある。
 タンガラム・ゥアム・シンドラにとっては、格好の餌が転がり込んできたようなものだ」
「    そこまで侵略的に語りますか……」
「これが現実の外交だよ。文明三国はバシャラタンを食い物にしようと虎視眈々。
 もちろんバシャラタンの心ある人は危惧を覚え、如何にして祖国を守るか日夜探っている。

 だが結論は一つしか無い。
 科学技術文明をバシャラタンに実現し、産業を育成して国力を増進し、軍事力によって対抗できるまで進歩し続ける事だ」
「はい、ですが、」

 それが簡単に叶えば誰も苦労はしない。

 何もない国にいきなり工場を建てても、そこで働く人が居ない。
 高度な機械文明は、高度な教育制度によって生み出される知的労働者が必要となる。
 学校制度もろくに整備されていないバシャラタン法国が一足飛びに近代文明を実現させるなど、夢のまた夢。

 サーヴァはバイジャンを見て微笑む。策が無いわけではない。

「いかに一握りの目覚めた人達が頑張ろうと、国家全体の意識が変わらない事には、バシャラタンの未来は無い。
 だがバシャラタンには報道・出版業すら存在しないんだ。
 情報はすべて僧会が握り、民衆は僧侶が説く教えのみを信じて世界を認識する。
 外国との交流が始まって50年経つのに、未だその事実を知らない人が居るんだ」

「圧政、ですか?」
「そうとは言えない。バシャラタンの僧会は元より争いを好まない。
 だが外交とはどうしても武力が背景となるものだ」
「人々が国土防衛に目覚めたとしても、戦う武器が無いわけですね」

「そして、いたずらに武力に訴えての外国排斥は、逆に侵略を呼び込むものにもなる。
 慎重な対応を要求されるのさ」

 

 なんとなくバイジャンにも、バシャラタン法国の危機が分かってきた。
 なんとかしなければと思う人は外国にも居るのだろう。

 英雄ヱメコフ・マキアリイは弱きを助け強きを挫く。
 バシャラタンの味方にもなってくれるはず。

 

     *****  

「そこで私は考えた。

 バシャラタンの人が知らないのであれば、目の前に突きつけて教えてやろう。
 近代科学文明とはいかなるものか、実物を持って行き実際に動かして、その威力を肌身で感じさせる。
 『三ヶ国文明博覧会』を開こうと決意した」

 パチパチと、ワム・レフが黒ぴったんを抱いたまま手を叩く。
 これが企画か。

「電気で、蒸気で、内燃機関で動く機械を持ち込んで、鉄道を敷いて実際にバシャラタン人を乗せてやる。
 飛行機飛行船を飛ばして、人間は空をも征服したと見せつけてやる。
 もちろん伝視管表示機も持ち込んで、遠くのものがそのまま見えると。

 映画も上映する。『英雄探偵マキアリイ』だ。
 彼の噂はバシャラタン人も知っている。無敵の英雄がタンガラムで活躍すると、聞き及ぶ。
 その偉業を映画を通して知る事となるんだ」
「はあ、それはスゴイ」

「そして兵器。
 鉄と火薬の芸術品が、どれほどの破壊力を生み出すのか。いかに恐ろしい、抗い難い脅威であるか。
 もちろん販売もするよ」

「え、兵器売るんですか」
「売るさ。売らなきゃその威力が分からない。
 バシャラタンにも武人階級があるんだよ。彼らは外国と戦う為の武器を欲している。
 既に入手している人も居る。見境なく売るヤツが居るからね。

 でも本物の、最新強力な実際の戦争で出て来る兵器を彼らは知らない。
 おもちゃのような旧式兵器を掴まされ、得意になっているのが現状だ」

「……ひどい話、ですね」
「そうとも。世界は酷いんだよ。
 だからまず武人階級から洗脳する。国防努力は一朝になるものではないと、教え込むんだ」

 

「まったく大人はひどい話ばかり考えつくわね。ムカつくわ」

 嘲るかに、ワム・レフが口を挟む。
 バイジャンも彼の話に説得力は覚えたが、もっとマシな手は無いのか。

「平和的には、無理なんですかね?」
「無理だね」
「無理ですよね……」

「男の子なら分かるのだが、女の子は納得してくれないんだよ。
 そこで、カロアル・バイジャン君。君の出番となるわけだ」

 

 

 背の高いほっそりとした若い家政婦が、お茶とお菓子を用意してくれる。
 外国風の綺麗で洒落た焼き菓子だ。

 バイジャンは家政婦を見て、この人もまた忍者なんだと感じる。
 よくしなるバネ鋼の勁さが肢体に潜んでいる。
 背後から殴り掛かっても、あっさりとかわして何事も無かったかに給仕を続けると予想出来た。

 であれば、ワム・レフも。

「あ、このお菓子おいしいです」
「気に入ってくれてなにより。
 これはゥアム帝国の伝統菓子をタンガラムの材料に置き換えて作ってみたものだ。
 たぶん、こちらの方がずっと美味しい」

「タンガラム人の味覚に合わせているからね」

 女の子は辛辣だ。

 

     *****  

「この『三ヶ国文明博覧会』はバシャラタン人を文明に目覚めさせる為の企画だ。
 強烈な衝撃を与え危機を自覚させ、防衛の必要を、発展の不可避を国民誰もが持たねばならない。

 だが見方を変えれば、バシャラタン人に一生癒えぬ心の傷を深く与えるものでもある。
 あまりにも痛みが強いと人は挫折し、心を閉ざし、外界の変化を受け付けようとしなくなる。
 これでは博覧会も、文明に驕る強国が未開の蛮族を愚弄しに来たようなものだ」

「ああ、はい。そのきらいはありますね」
「そもそもバシャラタン人には、自らを一つの国、一つの方台に住む共同体としての自覚が無い。
 国家意識を持っていないんだ。
 それぞれの氏族によるまとまりが全てで、他所の氏族は外国人。
 ただ僧会のみが方台全土を繋ぎ、一体感を生み出している。

 これではダメだ」
「はい」

「そこで彼らには、外からの視線を意識させる必要がある。
 バシャラタンという「国」を外国が注視しており、興味を抱いて知ろうとする。
 バシャラタン人の誇りや矜持を確かめようとする。
 そういう真摯な観測者を求めている」

 バイジャン、自分がこの家に呼ばれた理由を知る。

「まさか僕が、」
「タンガラム・ゥアム・シンドラから10名ずつ少年少女を呼び寄せて、バシャラタンの文化文明・生活・信仰その他すべてを体験してもらう。
 まだ汚れを知らぬ若者達に、先入観の無いままにバシャラタンという国を理解してもらうんだ。

 これにより、彼らは逆に自らを問い直す。バシャラタンとは何物であるかを自ら考える。
 国家意識を初めて抱く事ができるんだ」

 

 ワム・レフ、くすくすと笑う。
 バイジャンがにわかに落ち着きを無くし、身体を揺すり始めたからだ。
 さすがに癇に障る。

「ワム・レフさん、笑わないで! 
 ? ワム、レフ? どっちが名前?」
「わたしは、「ワムレフ」で呼んで欲しいわ。姓名別にしないで」

「バイジャン君、彼女の名前は姓も名もやたらと長い。「ワム・レフ」は既に短縮された愛称なんだ」
「だから、そのまま呼んで」

 黒ぴったんがバイジャンの足元に戻ってくる。
 すりすりと身体を脚にこすりつけて、抱いてもらう。
 座る膝の高さがお気に入り。会話に入りたそうだ。

 

「でも、なんで僕なんですか。他にふさわしい人は幾らでも居るでしょう」

「バシャラタン側でも、少年少女体験団の意義はよく理解する。
 その上で彼らは、ただの人が来るのを歓迎しない。
 やはりそれぞれの国でなんらかの身分を持つ若者を期待する。

 ゥアム帝国においては、最高支配層ゥアム神族の家族「銀骨のカバネ」を、
 シンドラ連合王国からは太守の若様を招くのを求めている。」
「それは理解できますが、」

「我がタンガラム民衆協和国には、身分制度は存在しない。
 かっての聖戴者の一族は居るが、現在のタンガラムを代表するものではない。
 そこで、君だ。

 先程も説明したとおりに、バシャラタンにも武人階級がある。
 氏族社会において最も高い位置を占める、名誉ある人達だ。
 彼らが外国使節に期待するのは、同じ武人階級に属する者。武人の名誉を理解する者だ」

「でも僕は、巡邏軍監の息子というだけで特別な身分では、」
「いいんだよ、向こうがどう受け取るかだ。

 カロアル軍監は、首都近辺のベイスラという大都市の守護を任される、政府中枢の信頼厚い人物だ。
 近衛軍に準ずる存在と考えてもいい。武人としては最高の名誉と言えよう」

「ベイスラて、首都圏でしたか?」
「外国の地理の教科書では、
 ルルント・タンガラム、ヌケミンドル、ノゲ・ベイスラは、アユ・サユル湖岸の首都圏工業地帯として一体のものと考えられているよ。
 バシャラタン人にしてみれば、ノゲ・ベイスラ市は立派な未来都市だ。

 その守護を任されるカロアル軍監は武人として最高の栄誉を与えられている者で、
 しかも息子は無敵の英雄「ヱメコフ・マキアリイ」の弟子ときている。
 どうだい、凄いだろ!」

 

 嵌められた。
 ようやくにして自分が悪辣な罠に最初から突き落とされていたと、バイジャンは理解する。

 「男を磨け」と父にも言われたが、磨き過ぎだ。
 でっち上げじゃないか。

 

     *****  

「でも、僕は、武術なんかまったく向いていない、ひんじゃくな、」

 HAHAHAと、忍者は笑う。  
 彼ほどの立派な筋肉、素晴らしい運動神経が無ければとても武術を一人前に修められないだろう。
 ヱメコフ・マキアリイの真似なんか、百年修行しても無理。

 忍者サーヴァは、

「君は、「ヤキュ」の業が誰からもたらされたか知っているかい。
 星の世界から降臨されたトカゲ神救世主「ヤヤチャ」様だ。
 言い伝えによると「ヤヤチャ」様は、君たちとほぼ同年代の少女。普通よりも背の低い人だったらしい。
 何も心配する事は無いんだ」

「わたしが教えてあげるからね」

 ワム・レフも「ヤキュ」を習っているのか。
 でも彼女の腕では、鉛の入った黒塗りの球を投げられないだろう。

 

 まだ不審げな少年に、サーヴァが「ヤキュ」の極意を教えてくれる。
 ヱメコフ・マキアリイ無敵の秘密だ。

「君は、何故マキアリイが勝ち続けるか分かるかい?
 人間どれだけ武術を鍛えても、短機関銃を携える一個分隊に襲われて無事な者なんか居ない」
「はい。でもマキアリイさんは無傷で切り抜けて」

「筋肉で弾丸を跳ね返しているわけじゃないぞ。当たらないように逃げている。
 いや、自分が居ない場所に敵に弾を撃たせている。
 詐術だよ」
「敵を騙して、あらぬ所を攻撃させて、自分は無傷なのですか」

「これが「ヤキュ」だ。
 真正面から打ち当てるばかりでは、3日と生きられない。
 兵法を駆使し、敵を詐術に掛け思う通りに操り、勝利を掴む。なにより無傷で生還する」

「なんか卑怯ですね」
「卑怯上等。だから私は忍者だよ」

 ワム・レフがニコッと笑い、膝の上の黒ぴったんが自分を見上げてにゃあと鳴く。
 ネコってそう言えば、本人に触らせる気が無ければ、するっとすり抜けて捕まらないな。
 アレか。

「君には「ヤキュ」の業でも、特に「逃術」を覚えてもらう。
 バシャラタンで各国の代表に会えば、彼らはもちろん英雄マキアリイの弟子に注目するだろう。
 いきなり後頭部に殴りかかってくるのも、普通に想定される。
 ここでやられてもらっては困るんだ」

「当たらなければ良いわけなんですね」
「そうだ。
 しかしどんな技でも心が平静でないと使えない。
 恐怖に身が竦み持てる技をまったく使えなかった話は、武術の達人の間でもよく語られる。
 だからこそ、君には河原に来て我々の稽古を見てもらった」

 「度胸を付ける」訓練か。
 でも、あんなもの見せられてもただ硬直するばかりだよ。

 

「あの、」
「何かね」
「ワム・レフさんは、どんな役目で使節に選ばれたのですか」

 自分に話題が向いたと、美少女は姿勢を正して向き直る。
 余裕綽々の顔をしているが、彼女も河原に行けば自分と同じはずだ。

「彼女は、霊能に優れた家系の末裔だ。タンガラムにおいても特別な存在と言える。
 とはいえ近代文明の世の中では肩身が狭いばかりでね。
 昔は信奉者支持者も多く居たが、皆忘れて散り散りになってしまった。

 バシャラタンに行くのも、向こうはまだ神秘が高山の頂に、深い森の奥に隠れているからだよ。
 特に喪われた古代文明の遺跡を発掘して、彼女の家系に繋がる証拠が見つかったとなればね」

「妙な連中がつきまとうようになったの。
 命を狙われている、てのも半分はホントよ」

 なるほど、彼女にとって「逃術」は生きるために不可欠の技なんだ。

 

     *****  

 再び、青と黒に塗り分けられる競技用高速自動車。
 バイジャンは助手席に乗って鉄道橋町に送り届けられる。
 自分の家に送ると提案されたが、黒ぴったんを届けねばならない。
 待っている女の子も居るのだから。

 操舵輪を握るフリシュケル・サーヴァは、素通しの眼鏡の下で遠く車線を見つめている。
 自動車の性能にまったく見合わない速度での運転に、退屈しているのだろうか。

「バイジャン君、
 この企画に参加してくれる事で、君自身が得する点も有る。
 政府と交渉して、少年少女体験団に参加してくれた者には大学奨学金を支給する特典を用意しておいた」
「それは嬉しいですね」
「バシャラタンに約半年、事前の準備と訓練で1年間は拘束することになる。そのくらいは用意するよ」

 道が少し混んでくる。
 ここノゲ・ベイスラ市でも自動車が増えて、車道の狭さが問題視されていた。
 道路整備は喫緊の課題であろう。

「バイジャン君をマキアリイに預けて資質を見極めてもらうと言ったが、実は君は一発合格だったよ。
 河原の「ヤキュ」の稽古に参加して、最後まで見届けたのは君が初めてだ」
「そうなんですか」
「君の前にも、軍人志望の少年や格闘競技で全国大会に出場した少年でも試してみた。
 二人共、一目散で逃げ出して戻らなかったね。

 だが君は最後まで立ち続けた。
 それだけでなく、何度でも参加する。やめようとしない」

 バイジャン、ちょっと困る。
 それを武術に適していると考えられるのは、読み違いだ。

「あれは勇気なんかじゃなくて、あなた達忍者が何をしているのか全然見えないから、どんな手品を使ってるのか見破ろうとしてただけですよ」
「好奇心が恐怖に勝ったのか……」

 信号で高速自動車は停止する。
 止まっていても、発動機の太い振動が足元から湧き上がる。

 サーヴァは改めてバイジャンに振り返った。

「おめでとう、カロアル・バイジャン君。
 君は立派な、タンガラム民衆協和国を代表する少年だ。
 我らが同門の士となった」

 

 鉄道橋町ヱメコフ・マキアリイ刑事探偵事務所前に降り立ったカロアル・バイジャン。
 肩から掛ける布鞄の中には、ネコが疲れて眠っている。

 既に夕方。空は茜に染まり、   どう考えても門限はもうすぐだ。
 また母親に怒られるのか。

「おにいちゃん」

 足元から声を掛けられる。
 4才の幼女が、真っ黒な髪を伸ばしたお人形のような姿で問いかける。
 黒ぴったんの友達 トトリーちゃんだ。

「おにいちゃん、黒ピッ太知らない?」

 布鞄のフタを開くと、黒い頭を持ち上げて外を覗く。
 納得して自分で降りてきた。
 立ったままネコが鞄を出るのを支えるのは、かなり揺れて大変だ。

「黒ピッ太〜、おかえりー」
「こいつまたとんでもない所に居たぞ。誰に連れて行ってもらったんだよ」
「しらなーい」

 ネコを両手で抱え上げて、幼女は行ってしまう。おにいちゃんさよなら。

 

 一人、土舗装の道に立ち尽くすバイジャン。
 今日は色々有り過ぎて、なにがなんだかよく分からない。
 とりあえず自分は今何を為すべきなのか。

「……、腹が減ったな……」

 

     ***** END 

 

 (第二十二話)その2「不確定性の猫」

 

(第二十三話)『危うしニセ病院』その2

「ははあ、やっぱりこうなっていましたか」

 クワンパは、ニセ病院を詐取せんとする悪辣な詐欺師を撃退せんと、どっかり腰を落ち着けた。
 事務所の方はネイミィに任せてきたが、ちょっと無責任だったかなと思う。
 思うが、やめる気はさらさら無い。

 ヱメコフ・マキアリイのねぐらはニセ病院「ライトー館」の庭にある小さな小屋だ。
 庭の番小屋であるが、かって屋敷を護っていた従僕の爺さんはここを寝所としていた。
 母屋には主人である老婦人が一人で夜を過ごす。
 何十年も二人きりなのに、頼りとするのに、決して近付きはしない。
 この二人の関係性は、どう表現すればよかったものだろうか。

 クワンパが注目したのは、衣装棚だ。
 そもそもが庭番小屋に衣装箪笥も無いが、部屋の一角を仕切って吊るしてある。
 甲斐甲斐しく世話を焼くメマ・テラミの仕事。
 マキアリイ本人がさつでいい加減なのは、男だから仕方ない。
 事務所でもクワンパが、そしてネイミイが躾けておかないとどんな惨状になるか。

 メマの案内を受けてクワンパは、所長の衣類を確かめる。

「見事っとに、古着ばっかりですね」
「はい。マキアリイさんはどうせズタボロに引き裂かれるから古着で上等だとおっしゃられます」

 それは理解できる。
 悪漢共と戦って、鉄砲で撃たれ、刀剣で斬りつけられ、爆弾ですっ飛ばされるのだ。
 いっそ包帯ぐるぐる巻きだけで十分かも。

 そうは言っても、国家英雄として国民の手本となるべき人物が外見にカネを使わないのもどうだろう。

「……改善の必要がありますね」
「何度もおすすめするのですが、どうしても言うことを聞いてくれなくて」
「それは衣装代を気にしての事でしょう。自分なんかどうでもいいと思ってる」
「はい……」

 しゅんと小さくなるメマだ。
 彼女を見れば、所長の気持ちもよく分かる。
 自分の服買うカネがあれば、この美しいヒトを着飾らせたいだろう。
 もっとも着ていく公の場を本人が望まないのだが。

「要するに映像的な問題ですよ。『英雄探偵マキアリイ』は絵になる格好でないと許されない」
「それは映画のお話ですよね」
「そうです。映画に出て来るかっこいい主人公は、それぞれに決まった服装扮装があるのです。
 『英雄マキアリイ』にももちろん必要ですが、今のところまだ決まった形は無い」
「ああ、映画の俳優のグェンヌさんの着ている服を真似ればいいのでしょうか」

「いいですねそれ。本家が自分を演ずる役者の服を真似る。アリです。
 今度映画会社の人と相談してみましょう。所長の衣装を提供してもらうのです」
「マキアリイさん、嫌がりませんか」
「なあに、ここに吊るしておけば何も考えずに着ますよ」

 メマ、あーと感嘆する。
 クワンパはよくマキアリイの性格を理解している。あの人は確かにそういう人だ。

 

 部屋を観察して、次に湯沸かし兼用の炭火コンロに注目。
 従僕の爺さんは冬季にはこれで暖を取り、侵入者の見張りをしたのだろう。

「これ、頻繁に使ってますね」
「あ、はい。マキアリイさんは何時帰ってくるか分かりませんから、お食事を温めたりします」
「ふむふむ」

 微笑ましい図を脳内に描く。
 メマが所長を好きなのは間違いないが、一定の距離を保ちつつ接していると聞く。
 万人が称える正義の英雄と、裏社会で犯罪に手を染め悪の手先として使われてきた女だ。
 結ばれる道理が無い、許されるはずも無いと思っている。

 だが、なんとか大丈夫らしい。
 他人の恋愛を心配できる身分ではないが、クワンパちょっと安堵した。

 その他の私物もきれいに片付けてある。
 古書が数冊、鍛錬用の棍棒やらシュユパンの振り棒、白球もある。
 刀剣にナタに手斧、長い鉄矢銃は爺さんの遺物だ。

「貴重品や金銭は母屋の事務所ですか」
「はい、金庫の中に。わたしがお預かりしている分もあります」
「お金、預かっていますか」
「はい」

 ならば問題なし。
 メマさんに1ゲルタも渡さないような男なら、カニ巫女としてぶん殴らねばならなかった。

 

      *****  

 次に母屋のメマの部屋に行く。
 詐欺師が来るのを待つのはいいが、用も無いのに事務室やら厨房に居るのは迷惑だ。

 彼女の部屋には「施設管理人室」の札が掛かっている。

 管財人ヱメコフ・マキアリイの立場からすると、ニセ病院として屋敷を使われるのはよしとして、
だからと言って何でも許すわけにもいかない。
 トカゲ巫女の連中は医療の為なら手加減を知らないし、病人がとんでもない真似をやらかす時もある。
 本人は刑事探偵の職務で留守がちだから、番をする人間を私的に雇わねばならない。
 という理由で、メマ・テラミが「施設管理人」と名目上はなっている。

 クワンパ、理屈は納得はするが複雑な顔。

「……世間的に見たらこれって、愛人を雇ってるように見えるよねー」

 一応管理人室であるから、内部はすっきりと整っている。
 女の部屋らしい飾りはほとんど施されていないが、それでも簡素な美しさが漂う。
 そして、お邪魔な奴。

「おまえまで待機しなくていいんだよ」
「マキアリイ様が東岸にて活躍される留守を護るのも、永遠の従者の務め。気にするな」

 女子中学生みかん男爵だ。今日は学校の制服姿。
 珍妙な仮面は外しているが、クワンパの顔を見て付け直す。

 こいつも、敵が現れるのを待ち受ける。
 何の役にも立たないと思うのだが、本人が言うところでは自動車で尾行して正体を突き止める、だそうだ。
 お付きの爺やと自動車は、貧民街からちょっと離れた場所に駐車して出動要請の電話を待つ。

 メマが厨房に行ってお湯をもらいお茶の準備をする間、
クワンパは男爵と座って雑談をする。
 男爵は精緻なおもちゃを持ち込んでいた。

「どうだ!」
「はあーよく出来てるねえ。『「潜水艦事件」10周年記念式典』仕様だね」

 真紅の複葉水上偵察機で、男の顔のぬいぐるみが操縦席に据え付けられている。
 翼幅は手を開いた長さ。小さなものだが戯画化に逃げてない。
 機体各部の継ぎ目まで正確精密に再現され、通信空中線(アンテナ)まで張っている。
 模型専門家の作と一目で分かる。

「献金集めの英雄探偵人形第二弾! 「空飛ぶ英雄マキアリイ」だよ」
「誰が作ったんだよこんなの」
「出入りの業者さんにお願いしたんだ。さすが本職あっぱれな出来だろ」

「おまえんとこ何の商売やってるんだ」
「駄菓子製造販売だよ。ほらよくあるでしょ、
 お菓子の中におまけが入ってたり、くじ引きで大きなおもちゃもらえたり」
「あーーーーー。あれか、なるほど本職だ」

 確かにあっぱれだが、これは失格。

「おまえなあ、ニセ病院の近所のおばさん達が作れるものて言っただろ」
「あ。」
「そうだよこんなの誰が作れるよ。原価幾らだよ」
「考えなかった……。ただただマキアリイさまの雄姿を再現するのに必死で、」

 これは最低でも20ゲルタで売れるだろう。
 子供のおもちゃにはぜいたく過ぎるが、英雄探偵の応援者には飛ぶように。
 ヒィキタイタン様の水色と薄緑の単葉機も合わせれば10倍売れるかも。

「これで商売すれば、   ……ダメか。政府広報局が許さないか。
 とにかく却下だ。もっと簡単なやつ。
 素人が手作りしたと分かるお粗末な、でも心の篭もった温かみのあるのでないと献金の訴求力が無い」
「そきゅーりょく、うん。
 これどうしよう」
「自分家に吊るしとけばいいんじゃない」

 扉を叩く音がする。
 クワンパが開くと同時に、金属の盆に茶器を載せたメマが叫ぶ。

「来ました、代理人!」

 

 

「いや〜あ皆さんお揃いですな。
 初めての方もいらっしゃるようですので、改めて自己紹介を。

 わたし、シメシバ・ッェットヲンと申します。
 ライトー一族に最後に残った継承権者”ライト−・ゼブレハフ孫キュルィダ・ネス=ワハヤン”様よりすべてを委任されております」

 妙な名前を持ち出されて、ニセ病院責任者「ヴァヤヤチャ」も眉をひそめる。
 それは本当にタンガラム人の名前なのか。

 応接室には「ヴァヤヤチャ」以外にもニセ病院の主だった関係者が揃っている。
 看護長「チクルトフ」、経理担当「シュルチャヒト」以上トカゲ巫女。
 住民代表として町長を務めるハリスケさん男性53才古紙業経営、患者代表としてミネツマルさん男性60才膀胱結石。
 屋敷の管理責任者「メマ・テラミ」と、「ヱメコフ・マキアリイ刑事探偵事務所」事務員「クワンパ」はマキアリイの代理として。
 もちろんカニ巫女棒を突っ立てる。

 院長であるソグヴィタル大学医学部副教授「ウゴータ・ガロータ」44才は、現在患者を診察中であり、役に立たないから呼んでいない。

 そして交渉を担当するのが、男性30才。

「商事探偵のカシタマ・クゴヲンです。
 管財人ヱメコフ・マキアリイの依頼で、この件を担当します」
「いやー商事探偵さんですか、それはーこわいな」

 シメシバ・ッェットヲンは、前に聞いたとおりに実に嫌らしい顔をしている。

 小男なのに頭が大きく、薄い髪がぺたっと貼り付き油で固めてテラテラ光っている。
 にやけた笑いが張り付いてどうにも親近感を持てない顔。
 最初から全力で人をペテンに掛ける気を隠そうともしない。
 服装は金回り十分そうだが、靴が意外と質素で運動しやすそう。逃げ足も速いと見た。

 

     *****  

 カシタマはクワンパに振り向いて、顔で合図する。
 やはりカオ・ガラクに心当たりがあった「コォロ・ジェットヲン」と名乗る詐欺師と同一人物だろう。
 まずはそこから攻めてみる。

 

「我々の調べによれば、あなたの本名は「コォロ・ジェットヲン」ではありませんか」
「改名しました。姓名判断で縁起があまり良くなかったものでしてね」

 まったく悪びれない。
 つまりはこちらが詐欺師として取り扱ってもどうぞご自由に、という腹だ。

 双方必要な関係書類を互いに提示して、確認する。
 カシタマが管財人マキアリイの依頼を正式に受けた事、
そして管財人が代理人として相続税を、また今日までの固定資産税の納入書を食い入るように見つめている。

 彼は言った。

「なんとも、これはいただけませんなあ。
 借地料が入ってくる土地を手放して、屋敷地を存続するなんて」
「それがライトー家当主であった夫人の希望ですから」
「管財人だってタダで働くわけじゃあ無いでしょ。あなたへの依頼料だってどこからカネが出るんです」

 まあいいでしょう、と了承する。
 なにせライトー邸の地所はこれから確実に値上がりするのだから。

 カシタマは、核心の本題に入る。

「相続権者を主張する”ライト−・ゼブレハフ孫キュルィダ・ネス=ワハヤン”さんの出生証明が、この書類では不十分です」
「そりゃそうでしょう、タンガラム人じゃないんですから」

 え、と部屋中のニセ病院関係者全員が驚いた。

 シメシバは満足そうに舌なめずりする。
 せっかく用意したネタだ、意表を衝かれて驚いてくれなくちゃ。

「ライトー家の御三男であられたライトー・ゼブレハフ小剣令は、海外派遣軍に出征して行方不明。
 後に戦死扱いとして一階級昇進されておりますな」
「ヱメコフ・マキアリイからはそう聞いています」
「死んでないんですよ、実は」

 緊張に満ちた沈黙の中、鍛え抜かれた弁舌が回転する。

「ライトー小剣令はたしかに戦闘の結果負傷され、海洋の孤島において療養生活を余儀なくされました。
 その後回復したのですが、新たに軍より特命を受けたのです。
 身分を隠して現地の海洋民族の間に溶け込み、間諜となって情報収集を行えと」
「その証明は可能jなのですか」
「出来るわけないじゃないですか、間諜密偵の正体を軍が明かすわけ無いでしょ。
 それが分かっていましたからね、ライトー小剣令は自らの存在証明としての「家族」を現地に持ったんです」

 カシタマはヴァヤヤチャに振り返る。作り話にしても突飛すぎる。
 彼女も困惑するばかりだ。

「ライトー小剣令は現地の女性と結婚して、女子を1名授かっています。
 その後任務の最中に危難に見舞われ、今度は本当に亡くなったと当方で確認しています。
 結婚証明は現地にてタンガラム軍の憲兵事務所が、出生証明は現地の宗教施設から発行されています。
 出生証明に法的根拠があるのか、と言われますとタンガラム政府的にはどうなんでしょうね」

「ライトー一族に連なる者だとの証拠が、別に有るわけですね」

 シメシバ我が意を得たり、と大きくうなずく。

「それが無ければ荒唐無稽に思える話を持ち出したりはいたしません。
 今回わたしが代理人を申し受けるのは、御令嬢の御子息、御三男のお孫さんに当たります。

 現地では各国民族入り交じっての婚姻と出産が行われておりまして、
 誰がどこの血統国籍であるかを示す為に、父祖の名をそのままに冠すしきたりになっています。
 だから「ライト−・ゼブレハフ孫キュルィダ・ネス=ワハヤン」が正式な名前ですよ」

 

     *****  

 ライト−・ゼブレハフは、マキアリイに後事を託したレオローエン・シュベルシーク・ライトーの弟だ。
 その孫であれば、十分に財産の継承権者である。
 問題は、別の証明手段だ。

 シメシバは懐より大事そうに写真を数枚取り出した。
 机に広げてカシタマに示す。

「現物は貴重なものですので、継承権者自らがお持ちになっています。
 写真で十分に証明能力が有ると聞いてますので、お確かめを」

 ヴァヤヤチャも席を立って、カシタマの背後に回る。
 写っているのは金属製の丸い徽章だ。
 古いものらしい。表面に記される文字が旧字体のテュクラ符で、それも飾り文字となっている。

 商事探偵は古文書には不案内だが、トカゲ巫女だとて得意ではない。
 現実の病人を手当するのに最新の情報こそ覚えても、カビの生えた古い文書は用が無い。
 祈祷書を読むなどは信仰の専門職に限られた。

「クワンパさん、あなたなら読めるのではありませんか」

 その点カニ神殿は古臭い道徳倫理を振りかざし、人をぶん殴って回る。
 古い文字で書かれたお経も読んで頭に叩き込む。
 旧字体のテュクラ符なら養成所での必須科目だ。

 はいはい、と近づいて写真を受け取る。
 徽章の表面と裏面、それぞれに字が書いてある。

「えーと、表面の方はですね。
 ”理性と力は共に備えるべきものであり、それを為したる者に祝福のあらんことを”
 裏面は、”ヌケミンドル”と、これはタコ数字ですよね?」
「ああ、数字の方は分かる」

 カシタマも同意するのは、「タコ数字」と呼ばれる特殊な表記法だ。

 そもそもがテュクラ符は発音のみならず、文字自体に意味と数字の両方を持っている。
 科学技術書や設計書などでは紛らわしく誤読の危険をはらむ。
 そこで、”1”を意味する文字”テューク(蛸)”に様々な修飾を加えて、12進数の表記が出来るようにした。
 これを「タコ数字」という。
 現在では10進数を表す専用の数字があるので、めったにお目に掛からない。

 ヴァヤヤチャは尋ねる。

「どういう事です?」
「ええ、これ以上は私の知識では何が何やら。
 たぶんこれは、なんらかの記念品です。それも百年以上前の。
 おそらくはライトー一族にとって特別な意味を持つものではないかと」

 ほはあー、とシメシバは感心した。
 若いカニ巫女なのに良く勉強している。さすがは噂の「クワンパ」さんだ。

「まあそのような由来を持つものです。
 もちろんわたしどもは読み方由来について承知しており、ライトー一族の確かな証明であると理解します。
 お教えしても良いのですが、それではあなた方も気持ちがお悪いでしょう。
 ご自身で由来を確かめていただく方が、納得しやすいのではありませんかね」

「この写真、しばらく預かってよろしいですか」

 カシタマの申し出に、うんうんと大袈裟にうなずく。

「差し上げましょう。写真ですから何枚でもあります。
 ですがこうもお考え下さい。
 この品がライトー家に縁のものだとの言い伝えを受け継いで来られた方々が確かに居ると」

 

     *****  

 応接室の扉を乱暴に開き、勢いに任せて飛び込む男。
 歯医者用のやっとこを手にしたウゴータ・ガロータ副教授44才だ。

「どこだああ、訳わからん事を騙って病院潰そうとする奴はあ!」

 お怒りである。ごもっともな反応だ。
 しかし応接室の中の者は、とっくにその反応は消化して現実的に対処に当たろうとする。
 今更激昂されても困る。

 一方のぶん殴られる対象の詐欺師殿は、

「ああーこれは先生ですか。お初にお目にかかります、シメシバ・ッェットヲンを申します。
 ウゴータ先生のお名前はかねてより存じ上げておりまして、あの名門ソグヴィタル大学のそれも副教授を務められるとか。
 まさに尊敬されるべき社会の鑑でございますねえ。
 さすがは英雄ヱメコフ・マキアリイさんの盟友でいらっしゃる」

 やっとこ、振り下ろすに下ろせない。
 この手の人間に脅しは通じないのだ。日頃からヤクザなんかとやり合っている。

 荒事はカニ巫女の担当。
 居てももう用が無さそうなクワンパに、ヴァヤヤチャは処理を頼む。

「クワンパさん、お願いします」
「はい、先生行きますよ」

 カニ巫女棒を斜めに当てて、ウゴータを戸口に押し出す。
 ついでに患者代表膀胱結石さんも退場。なんの為に居たのかよく分からない。

 隣の控え室にはこの前案内してくれたトカゲ巫女「セレヴェータ」と、応援に連れてきた医学生数名。
 そして、もちろん中に入れてもらえないみかん男爵が。

「離せ、まだ言ってないことがたくさん、」
「先生、ウゴータ先生。これはお任せしましょう」
「そうですよ商事探偵が相手するのに、医者が口出ししても意味ないですよ」
「だからぁ!」

 医学生は20代初めの若い男性ばかりだから、クワンパの出番は無い。
 みかん男爵に振り向く。

「おまえ、帰ってもいいぞ」
「わたしはこれからあいつの正体を探るんだよ」

「はなせー」

 まだ暴れる副教授。少し不自然なものも感じる。
 ニセ病院はしょせんはニセものであって、本物の病院ほどには患者を救えない。
 ウゴータもだからこそ気軽に院長を引き受け協力してくれる。
 何時辞めても誰も咎めはしない。
 本気でないのが長続きの秘訣とも言えるのだが、この暴れようは。

 

 受付の女子中学生が荒れる室内に顔を見せる。
 同年代のみかん男爵を探して告げた。

「ダンシャク、お電話です。爺やさん」
「おう、かたじけない」

 彼女の運転手はもう老人と言って良い白髪の紳士である。
 ニセ病院の有る界隈は物騒だから、高級自動車を近隣の安全な地区に駐め、電話の有る喫茶館で待機する。
 なにごとか起きたのか。
 あるいはみかん男爵の両親からバカな真似はやめろと警告が。

 ライトー邸には電話は1台きり、電話室のみに存在する。
 古い時代の慣習で、当時は富裕層であっても屋敷に1台しか持っていなかった。
 召使いが取次ぎ、主人を呼んでくる。それが「電話室」だ。

 

 みかん男爵が部屋を出て、ひとしきり暴れたウゴータ先生も疲れて止まり、医学生の皆さんが手を緩めて、
クワンパは話し掛ける。

「先生、なにかお心に気掛かりがあるのですか。
 ニセ病院の存続にそこまでこだわられるとは思いませんでした」

「ああやっぱりカニ巫女は人を見る目があるんだな。
 まあ私憤、いや八つ当たりか。
 私自身の身の上にも、だ。変化というのは容赦なく訪れるもんでね」
「何がおありなのですか」

「どうも、正教授になってしまいそうなんだよ……」

 

     *****  

 なんでこれ悩むの? 出世じゃないですか。
 そう考えたクワンパは医学生達の顔を見る。
 彼らもまた、喜びこそすれ戸惑う気持ちが理解できない。

 ウゴータ・ガロータ副教授がその心を説き明かす。

「これまで頑張ってきた業績が認められた、のであれば私も嫌とは言わないんだがね、
 どうにも今回の昇進は学内政治絡みなんだよ。
 それも、ニセ病院が関係してくるわけだ」

「ニセ病院をやってるから、正教授に成れるんですか。なんで、」
「ヱメコフ・マキアリイだよ。彼に協力している事で、私を見る目が変わってきた。
 ほら、奴はさ国家英雄だから総統閣下とも親しく話が出来る立場だろ。
 実際6月には記念式典で、ヴィヴァ=ワン総統の命も救った」
「はあ、それで総統閣下との繋がりがウゴータ先生にも有る、と思われたのですか」

 ウゴータは身体の力を抜き、小さくなる。ようやく暴れる気力も無くなった。

「……、ソグヴィタル大学の医学部は他の大学のとは違うんだよ。
 医学研究は本当に小規模でしか行われない。その予算が出ていない。
 うちの国策的使命は、軍医また遠隔僻地に派遣する医者・医療従事者の養成なんだ。
 そして医学生は奨学金という名の借金で勉強して、返還の為にそのような現場に送り出される。

 悪いとは言わないよ、絶対に必要な仕組みだ。
 私だってその仕組みに乗って、ようやくここまで来れた。

 だがねー、それを良しとはしない教授連中も居てね。
 ソグヴィタル大学でも高度な医学研究を行う予算が欲しい。
 その為には総統閣下に直訴しよう、て話さ」

 医学生達の顔を見る。
 表情でクワンパの問いに答えた。

 彼らはもちろん非常に優秀な学生だ。国立大学の医学部に受かったのだ。
 しかしその未来は必ずしも明るくはない。
 莫大な奨学金を返す為には、10年以上を遅れた医療現場で過ごさねばならない。
 最新の医療技術に触れる機会が無ければ、医者としても時代遅れとなり、ますます僻地から離れられない。

 彼らの運命を変えてやろうと願う教授が居るのは当然であろう。
 だがそれが学内政治の勢力争いの元となるのは。

 

 話を聞いていたトカゲ巫女セレヴェータが口を挟む。

「ですが先生。御昇進なさるのはめでたい話ではありませんか。
 正教授となられれば出来る事も多くなるでしょう」

「研究派だけでなく、国策派の教授陣からも昇進を持ち掛けられてるんだ。
 あいつらは私を厄介払いしたいけれど、総統閣下の機嫌も損ねたくはない。
 だから昇進と同時に毒地開拓領の国立病院の院長にならないかと、持ち掛けてきたんだ」

「毒地開拓領って、「救世主記念病院」ですか!」

 医学生達も顔をぱっと明るくする。
 ウゴータもうなずく。

「君達も卒業後何人かはあそこで研修を積む事になる。
 救世主記念病院の院長はソグヴィタル大学から出していてね、ベェヨン師頭教授(名誉)がもう40年も務めていらっしゃる。
 だがさすがに80才にもなれば引退で、現在の新しい医療技術を導入できる人材を求めていてね。
 これ幸いにと、私に話を持ってきたわけさ」

 セレヴェータも医学生達も同音で頭を下げる。

「おめでとうございます」

「どうかな。そちらに行けば当然ニセ病院にはもう来られない」
「ですが、先生の御力を求める患者さんは毒地にも大勢居るでしょう」
「ああ、……そこなんだ。何処に行ってもやることは同じなんだ」

 

 クワンパは思う。
 ウゴータ・ガロータ先生は離任する前に後継を定めてくれるだろう。
 だがニセ病院自体がもう先が無いという。
 そうでなくても、管財人としてマキアリイが屋敷を預かる年限が有る。
 相続人がどうしても見つからなければ10年で国庫に没収されてしまう。

 今が、潮時なのか。

 

     *****  

 みかん男爵が控え室に戻ってくる。つかつかと靴音も荒い。
 そのまま応接室の扉まで開けて、大声で伝達する。

「やられました! 新聞の夕刊に出ています!」

 皆、何の話だか分からない。
 唯一人、シメシバ・ッェットヲンだけがいやらしい笑顔で女子中学生に振り返る。

「出ましたかー」
「なにを白々しい。あんたが新聞記者を巻き込んだんだろ!」

「男爵さん、新聞の記事に何が出たんです」

 商事探偵カシタマが全員を代表して尋ねる。
 まさかニセ病院の存在を大々的に特集でもしているのか。

「メマさん、メマ・テラミさんが「英雄探偵マキアリイ」の愛人か?疑惑です!」

 クワンパ、応接室に飛び込んでメマの表情を確かめる。
 案の定、美しい顔が蒼白に硬直する。

 

 そもそもがヱメコフ・マキアリイがニセ病院をやっているのは公然の秘密である。
 新聞雑誌とくに芸能記者も、マキアリイの動向を日々監視し取材するが、
ニセ病院に関しては一切報道しない不文律を自然と作り上げていた。

 理由は怖いからだ。
 たいていのニセ病院はヤクザが絡んでいて、営業妨害と思えば血相変えて乗り込んでくる。
 行政当局が看過出来ないまでに知れ渡ったら、強制解散。商売上がったりだ。
 責めは、報じた者が負うべきだろう。

 マキアリイのニセ病院は例外的にヤクザが運営に関与しない。
 それでも撤去解散となれば周辺住民が怒る。当然だ。
 住民の中には粗暴で直情径行な奴も居るし、ニセ病院関係者に恩を覚える者もあるだろう。

 「報道の自由」で報復から免れる、などと無邪気な記者は生き残れない。

 しかし国家英雄の愛人疑惑となれば、一社が抜け駆けすれば後追いせざるを得ない。

 事情をよく心得るマキアリイと親密な記者であれば、メマ・テラミが深刻な理由ありだと知っている。
 が、走り出したら止まれないのが芸能報道だ。

 あからさまにはニセ病院に言及しないが、世間は詳細を求める。
 運営実態にまで踏み込まねば許されないだろう。
 そして、或る意味これは「英雄マキアリイ」の美談である。
 貧困に苦しみ家族からも見捨てられる病人を救うマキアリイと仲間達。
 中に一際目を惹く大輪の花が咲くとなれば。

 

 責任者ヴァヤヤチャも、巧妙にしてやられたと苦虫を噛みしめる。

「ニセ病院を世間の目に曝すとは予想していましたが、こういう手で来ましたか」

「人聞きが悪いなあ。新聞記者さんが熱心に仕事をした結果じゃないですか。
 まあ今日はこれからお忙しくなりそうですから、わたしは退散しますよ。
 それではまた明日」

 シメシバも立ち上がり、帰り支度を始める。
 終始笑顔を絶やさない、人をバカにした態度に誰もが怒りを抑えられない。

 戸口の左右に立つクワンパとみかん男爵の間を通る。
 殺気漲るクワンパにすれ違いながら喋りかける。にやけた笑いのまま。
 小男ではあるが、クワンパと同じ背丈だ。

「まあお互い文明人として、平和的に行きましょうや」

 床に座り込んだままのウゴータにも、「それじゃあ先生、よろしくお願いしますよ」と、案内も無しに去っていく。
 あまりの平静さがますます憎らしい。

 

 追いかけて後頭部を叩き割ろうかと考えているクワンパと、もっと強烈な妄想を繰り広げる男爵。
 二人の背中にカシタマが呼び掛ける。暴力はいけない。

「不動産の詐欺師はあんなものです。
 まだまだ序の口ですから、冷静さを失わずに辛抱強く対処してください」

 

     *****  

 クワンパはみかん男爵の高級車に同乗して、鉄道橋町のマキアリイ事務所に急ぐ。

 夕刊でマキアリイの愛人疑惑が報道され、野次馬がいっぱいかと思えば、まだそれ程でも無い。
 周辺住民はニセ病院の世話になっており、メマ・テラミの存在はもちろん知っている。
 他から覗きに来るとしても、周辺が貧民街であれば二の足を踏んでしまう。

 結局は報道関係者が集まるばかりで、それもクワンパも知る人が多かった。
 彼らは自分の顔を見ると済まなさそうな顔で挨拶する。
 業界人の哀しい性として、このネタには食いつかない選択肢が取れないのだ。

 

 既に夜。通りの店も、事務所一階靴皮革問屋も閉まっている。

 みかん男爵がマキアリイ事務所に来るのはこれが初めて。
 車を降りて爺やを置き去りに、クワンパに続いて狭い混凝石の階段を駆け上がる。

 既にネイミィが事務所を閉めて無人であった。
 クワンパ鍵を開けて中に入ると天井蛍光灯に電気を通し、
チラチラと瞬く暗い光を見上げながらカニ巫女棒で天井を小突く。

 トントン、トンと定められた符丁を響かせると、しばらくして暗い階段踊り場の上から音がする。
 ガシャと天井裏が開いて、木のはしごが降ろされた。
 いつものように頭を下にして、怪人物が這い降りてくる。
 男爵びっくり。

「呪先生!」
「クワンパさんいかがなされましたマキアリイさんはいらっしゃらないのですか」
「所長は今東岸に出張中です。
 それより、先生に鑑定してもらいたいモノが有るんです」

 シメシバ・ッェットヲンが示した、「ライトー一族の証」の写真だ。
 鑑定できる人物が居ると、クワンパが全部預かってきた。

 さすがは呪先生。一瞥で正体を見破った。

「これは「新ぴるまるれれこ教団」の「福引者」の証となる記章ですな」
「貴重なものですか」
「教団の信者にとっては大層重要な意味を持ちますな年に1人2人しか「福引者」は選ばれませんから。
 ところでこちらの仮面のお嬢様はどなたでありましょう」

「わたしはっ!」

 みかん男爵名乗りを上げるのを、呪先生根気よく聞いている。
 「男爵」の称号について薀蓄を一席ぶちたいところだろうが、クワンパ先生を引き戻す。

「それで、「福引者」とは何ですか」

「十二神殿でご奉仕なさる方ならばご存知でしょうが「新ぴるまるれれこ教団」の前身である「ぴるまるれれこ教団」は
 創始歴5555年に再臨なされた青晶蜥神救世主「ヤヤチャ」様の怒りを買い滅ぼされてしまいます。
 しかしながら悪は教団上層部指導層のみとして一般末端信者に罪は無いと「ヤヤチャ」様は慈悲深くも新たな信仰の場をお許しになられました。
 それが「新ぴるまるれれこ教団」

 前の教団の罪を謝する為に新教団は民衆への無償の奉仕を信仰の中核に置き熱心な信者は私財をなげうって公に尽くす道を選びます。
 「福引者」とはまさに奉仕にてその年最も民衆に貢献した者を称える賞であります」

 長い、と男爵は思うが、たぶんとても賢く教養深い方なのだろう、と固唾を飲んで見守っている。
 クワンパ、

「つまり、年毎に1人しか選ばれないわけですね」
「この裏面の写真に描かれている数字が表彰された年でありますね創始歴5982年とあります」
「タコ数字のところですね。
 ということは、「新ぴるまるれれこ教団」に照会すれば、その年に誰が受賞したか記録が有る?」

「ございますよライトー一族でありますか。
 その昔はベイスラでも指折りの大富豪で盛んに寄付なされたり公益事業で名を上げていらしたと当時の名士録に記載されてありますね。
 血筋を証明する手段としてこれをお持ちになられたのですかなるほど良いところに目を付けられておりますねえ」

 

 男爵は長口舌を聞かされて、とにかく写真は証拠能力を持つと理解した。
 だが気になるのはやはり、夕刊に載っていたメマさん愛人報道だ。
 世間ではどのように受け止められているのだろう。

「クワンパ、この事務所音声放送聞けない?」
「放送? ああ、ちょっとまって」

 クワンパも思い出した。
 しかし夕刊で発表されたものがそうすぐに音声放送や伝視館でやるとも思えない。
 取材が本格化する明日以降でないと、録音や映像は用意できないのでは。

 電話の鈕(つまみ)を操作して、音声放送に切り替えた。
 タンガラムの一般社会では、有線放送は電話線を使って町内電話交換処から送られてくる。
 電話使用時には当然音が止まる。

 外部発声器から流れ出るのは、この時間帯は音楽番組。
 だが司会者の声は、

”今入った情報によりますと、東岸区アグ・アヴァ市聖王室芸術院大学において発生した監禁事件の解決に、
 国家英雄の「ヱメコフ・マキアリイ」氏が関与している模様です。
 氏はシンデロゲン大学堂で発生した物理学者自殺事件を調査しており、
 その際ゥアム国籍の美女を同伴していたとの証言もあり、正体が様々に取り沙汰されています。

 もしも自殺事件と監禁事件が関連するものであれば、連続殺人を試みた可能性も考えられ、
 警察局も捜査を開始するとの見方もあります”

”また英雄マキアリイの武勇談が追加されるのでしょうかね”
”映画級の大事件になると、また聴取者の皆様のお楽しみが増えますね。
 それに謎の美女、誰なんでしょうか”
”気になりますねえ”

 

 クワンパとみかん男爵は立ち尽くす。
 「謎のゥアム美女」って、「潜水艦事件」のユミネイトさんだろう。
 ユミネイトさんとメマさんの、ゥアムタンガラム間愛人疑惑戦争がはじまってしまう……。

 そりゃもう大騒ぎさ。

 

     *****

 (第二十二話)その3「昔日の面影」

 (第二十二話)その4「怪力線交響曲」

 

(第二十三話)『危うしニセ病院』その3

「ええ、バイジャンさんは人気者なんですよ。ご自身はそうは思われていないでしょうが」

 

 クワンパは、「ネコのお姫さま」ィップドス・レアルの屋敷に遊びに行った。
 目的は、「ライトー一族」の相続人に成りすました詐欺事件についてだが、
さすがに30年は無尾猫にとっても遠すぎた。
 幸いベイスラには50才の年寄りネコが居て、1匹に頼んで聞きに行ってもらっている。

 ィップドス・レアルは19才になった。
 薄い桃色の髪が豊かに夏のそよ風になびいて、ほんわかと優しい雰囲気を醸し出す。
 素敵な美人であるのだが、あまりにも柔らかすぎて人物がよく分からない。

 ひょっとするとこの人はすごいのかもしれない。
 記憶力は抜群だし、大学生で頭は良いはず。
 多くのネコの噂を聞き適切な助言を与えているらしいから、分析能力にも優れるのだろう。

 お嬢様の隣に控える女家庭教師を見る。
 これは間違いなく切れ者。博識にして多芸、才溢れる印象がびんびん伝わってくる。
 腹黒策士だな、とも感じるのは、探偵業に携わって4ヶ月経験の賜だ。

 今回はカロアル・バイジャン君を連れて来ていない。
 自然と彼の話になった。

「来年の春に、バシャラタン法国において「三ヶ国文明博覧会」が大々的に催されるのです。
 近代文明のなんたるかを、バシャラタンの人達に教えてあげようというものですね。
 タンガラムシンドラゥアムから少年少女が派遣されて、現地の人達の風習や文化を学び交流する計画もあります」

「ほおほお、バイジャンくんはそれに選ばれたんですか」
「今年のお正月にはカロアル軍監のご子息に、と決まっていました。
 それでベイスラ財界の交流会にもバイジャンさん連れて来られていたのです」
「へぇー、そんなに早くから」

 バイジャン少年が忍者から「三ヶ国文明博覧会」について知らされたのは、つい一昨日だ。
 本人預かり知らぬところで、着実に用意されていた。

 クワンパ、ィップドス家の家政婦が淹れてくれるヤムナム茶を上品に喫す。

 豪邸の庭には相変わらず無尾猫が20匹ほど白い綿ぽこのように屯する。
 こいつら、白い毛が生えてるから案外と夏場も平気だ。

「でもなんでバイジャンくんなんですか。もうちょっと見栄えのいい男子を選ばない?」
「カロアル・ラウシィ巡邏軍監は非常に信頼されている御方なのですよ。

 一例を挙げると、ヱメコフ・マキアリイさんです。
 英雄探偵のマキアリイさんの活躍は、巡邏軍や警察局の面子を潰すものとなります。
 現場の人間が反発するのも当然でしょう。
 ですがカロアル軍監はそれらの声をなだめて抑え、マキアリイさんの正義を全うさせてくれているのです」
「ああ……」

 それはクワンパもなんとなく分かる。
 狭量な人物が率いていれば、営業を妨害して街から追い払ってしまうだろう。
 現に、ヌケミンドル市から所長は逃げてきた。

「でも親は親、子はあのバイジャンくんですよ。ちょっとねー」
「バシャラタン法国は近代工業を未だ持ちませんが、カラクリ工芸には非常に優れているのです。
 指先も器用で、木製の歯車で自動演奏機を作っているそうです。
 バイジャンさんは工科大学を希望されていますから、交流するにふさわしい人材でしょう」
「なるほどなるほど」

 

 理屈は分かるが、しかしと考える。
 男子たるもの異国にあっては国の代表として雄々しくあるべきではないかな。
 見た目通りに弱っちいのは、バシャラタン人に舐められるのでは。

「ああ! だから所長の弟子にされたのか」
「はい。国を発つ前に箔を付けようとのお話になりました」

 クワンパの閃きに、レアルは優しく微笑む。

 

     *****  

 お茶受けにはタンガラム独特の練り菓子が出ている。
 繊細にして文化的な飾り付けで美しい。食べるのは勿体ないが食べちゃう。
 いずれの高級菓子店の作か、めったに味わえない上品な甘みが口の中で蕩けていく。

 バシャラタンの博覧会では、こんなものも展示されるのだろうか。
 ゥアムシンドラのお菓子も勢揃いとなると、それは素晴らしい見ものであろう。

 クワンパ質問する。家庭教師のハギット女史が答えた。

「たしか、バシャラタン法国への航路は冬の間は無理なんですよね」
「3月までは海は荒れて、4月から9月までしか通れないはずです。飛行艇も難しいと聞きます」
「なるほど。春に行って秋に帰ってくる半年の計画ですね」

 この銀縁眼鏡の家庭教師なら色々知っているかもしれない。
 秘書っぽい感じもするし。

「あの、ベイスラ県でかって栄華を誇った「ライトー一族」について、ご存知無いですかね。
 やっぱり没落して何十年だと、もう分かりませんか」
「そうですね、社交界からは脱落なされた一族ですから私もほとんど存じません。
 ですが、かって婚姻を通じて誼を通じた御家は結構今も残ってますね」
「あ、他家に親類とかまだ居るのですか」

 彼女はクワンパの状況をちゃんと調べている。
 なにせ今をときめく「英雄探偵マキアリイ」のカニ巫女事務員だ。興味本位でも探るのが必定。
 「ニセ病院」の窮地もご存知だ。

「「ライトー邸」の最後の主、「レオローエン・シュベルシーク・ライトー」様ですが、
 レオローエン家は今も健在で、我がィップドスをご利用いただいてます」 
「シュベルシークさんは最後まで戸籍上は婚姻関係が続いていたんですね。

 レオローエン家の方には相続権てのは移らないのかな」
「おそらくは、相続放棄の手続きをなされたのでしょう。
 実家に戻って相続した際に、ライトー家の財産がレオローエン家に移らないように。
 不思議ではありません」
「そういう理屈ですか。ほお」

 『イップドス』は全国展開をする高級服飾店で、上流階級の顧客も多い。
 流行の発信地は首都ルルント・タンガラムだが、繊維・衣料の工場はベイスラに多く有る。
 ィップドス家も本宅は首都に、だが本拠地はノゲ・ベイスラ市にあり、レアルお嬢様が鎮座している。

 

 レオローエンと聞いて、レアルがぽんと手を打った。

「レオローエン家の御次男は16才ですね、バイジャンさんと同い年です。
 彼は一つ歳下の従妹にご執心なのですが、そのお嬢様が園遊会にいらしたバイジャンさんに一目惚れをなされて、
 御次男がバイジャンさんに突っかかって行かれましたよ」

「おお!何時のことです」
「夏前、6月ですね。
 バイジャンさんがタンガラム代表としてバシャラタン法国に赴かれる計画で、
 しかもマキアリイさんに武術を指南されていると評判になっていました。
 御曹司の皆さんとしては生意気だと、示しを付ける予定だったのでしょうね」

「ふむふむ、それで」
「バイジャンさんは喧嘩なさる方ではありませんが、レオローエンさんも食い下がって掴みかかる形で、」
「ふむ」
「ですが、バイジャンさんひらっと身を翻すと、もうレオローエンさんは掴まえられないのです。鮮やかです」
「おー」

 それは武術の技だろう。所長に習った「ヤキュ」の手だ。
 だがバイジャンくん実戦経験も積んでいる。
 クワンパがそうとうぶん殴ってやったから、殴られ慣れしているのだ。

「それを見ていた従妹のお嬢様はますます惹かれる事となり、
 わたしがバイジャンさんと個人的に親しいと知って、
 なんとか仲を取り持ってもらいたいとお願いされてしまいました」

 

 楽しく語るレアルを見て、クワンパは深く気の毒に思う。

 バイジャンくん、これはダメだ。まったく芽が無いぞ。

 

     *****  

 帰ってきたネコの報告によると、50才ネコは確かにその事件を知っていた。
 しかしもっと詳しく知ってるネコが居ると紹介してくれたので、もう一度お使いに行ってもらう。

 

 レアルの屋敷からの帰り道、クワンパはいつもの繁華街を通る。

 伝視館の戸口から覗くと、ちょうど芸能情報番組をやっていた。
 最新の話題はもちろん、「ヱメコフ・マキアリイ、謎のゥアム美女と密会!」
そして、「ニセ病院で絶世の美女と同棲?!」疑惑である。

「観てきなよお〜い。あ、クワンパさん」
「邪魔するよお」

 店番に挨拶して観覧料も払わずに中に入る。
 クワンパの代になって、「市中情報収集」と称して伝視館番組を視聴するのも仕事になった。
 必要経費として計上し週極めで払う。

 映画館ほどではないが、伝視館も中は暗い。
 タンガラム国産の2色伝視管映像表示機は小さく、画面の前に溝板扁晶(フレネルレンズ)を置いて拡大する。
 画像はかなりぼやけるが、元の映りがそれほど良くないから誰も気にしない。

 昼下がりこの時間の客層は、おおむね主婦だ。買い物帰りにちょっと寄っていこうとなる。
 だから俳優や歌手の話題や醜聞ネタを面白おかしく扱う。

 ただ最近は犯罪事件の詳細を伝えるものも多い。
 『英雄探偵マキアリイ』大活躍で、犯罪や猟奇事件への興味が掻き立てられた。
 宵の時間帯に放送される生放送演劇枠も、刑事モノが人気である。

 ちなみに夕方半刻(1時間ほど)は子供向け番組が放送される。
 客席後ろの戸板を跳ね上げて開き、外から自由に観覧できた。
 飴を買う子は前の方で、買わない子は後ろ遠くから人の頭を掻き分けて必死に観る。

 「みかん男爵」の実家駄菓子製造業が提供する番組も全国的に流れていた。

 

 この伝視館は座席は30、立ち見で50人ほどは入る。
 特に混む時間帯でないから、隅の椅子に腰を下ろして画面を覗く。
 思わず息を呑んだ。

”えーこれが、マキアリイさんが主催されるニセ病院の一緒に住むという謎の美女ですが……”

 番組の司会者はどう評価すべきか口籠る。
 画面に映るのはニセ病院を隠し撮りした写真で、もちろんメマ・テラミが写っているのだが。
 出演者も首をひねる。

”絶世の美女であるのは間違いありませんが、これは。ゥアム人でしょうか?”
”そう、ですね。ゥアム帝国の民族衣装の「ドレス」と呼ばれるものを着ていますね”

 してやったり! と心の内でクワンパ凱歌を上げる。

 昨夜事務所でマキアリイ最新情報を耳にした時、閃いた。
 すかさずニセ病院に取って返し、メマを着替えさせたのだ。
 みかん男爵に借りさせた貸衣装で、結構な逸品。宝飾品も数点。
 これで「ニセゥアム美女」を作り出す。

 いかに誤魔化そうともメマの美しさは隠しようが無い。
 いずれ撮影され、新聞雑誌伝視館放送で暴露されるだろう。
 屋敷内に匿えば、却って疑惑が深まる。

 であれば積極的に写りに行き、しかし正体不明とするべきだ。
 今東岸部では所長マキアリイが謎のゥアム美女を同伴すると、話題になっている。
 こちらもゥアムぽい格好をすれば、事件関係者の態となろう。

 クワンパの悪知恵は大当たり。だが、

”しかし、何故彼女はニセ病院に身を潜めているのでしょう。まったく理解できません”
”確かに。姿を隠すなら、いえこの身なりでは天下に自分がここに居ると大きく主張するようですね”
”英雄マキアリイの計略、ではないでしょうか?”
”なるほど。彼女は大きな闇の存在と連なっているのかもしれない”

 

 愛人疑惑こそ吹っ飛んだものの、無用に疑惑を深めてしまっている……。

 

     *****  

 芸能情報番組は、メマ・テラミ愛人疑惑が不発に終わった為、
自然と「ニセ病院」そのものに話題が及ぶ。

 司会者が出演の医療関係の専門家に尋ねる。

”ヱメコフ・マキアリイさんが主催されるニセ病院ですが、これは法的に問題は無いのでしょうか”
”業として、つまり医療の報酬を取らずに行う場合に限り、黙認されるものです。
 例えて言うならば、天災や疫病などで傷病者が1箇所に集まっている所に、医師が駆けつけ治療を行う。
 そのような存在ですね”

”では無報酬であれば許されるのですか”
”そこが難しい。
 たしかに非常緊急時は黙認されるのですが、常設の病院施設となれば市の保健当局の管理を受けねばならない。
 だが無報酬で、しかも支払い能力の無い貧しい人を対象に医療行為を行うのです。
 掛かる費用をどこから捻出するか。病院施設をどうやって確保管理維持するか”

”善意の寄付を募るしか無いんじゃないですかね”

 別の出演者が口を挟む。この人は芸能人で、口が悪いのが有名。
 医療専門家も肯くが、しかし。

”マキアリイさんのニセ病院は出資者も多く、破格の寄付を集めていると聞きます。

 ですがニセ病院の多くが、そのように恵まれた環境には無い。
 運営主体がヤクザであって、医療報酬とは別の形で金銭を巻き上げるのが横行しているのです。
 「旅館」として宿泊費と食費の名目で、などをよく聞きますね”

”そんなの本当にまともな医療を行ってるんですか?”
”医療水準、そこもまた大きな問題です。
 しかし、そもそもが民間病院や公設の「慈善病院」を利用出来ない貧困層なのです。
 健康保険にも加入しておらず、治療費を払う余裕も無い。
 彼らにとって必要なものは、今自分達の手が届く救済であって、医学的に完璧な治療ではない”

”政府がわるいんだよ政府が”

 まあ、そうだね。とクワンパも思う。
 そうは言っても、政府にも余分なカネが有るはずも無し。
 実際「慈善病院」の運営費を捻出するだけで、各地の行政は四苦八苦。
 国民全員が満足のいく医療を受けるとなれば、どれだけの重税を課さねばならないか。

 似たような事を専門家が説明する。
 貧乏人の為に金持ちの税金を上げる、と言ったら、政府が悪いと悪態を吐いた口がそんな理不尽あるかと反発する。
 実に正直だ。

”結局はヤクザが悪いとする以前に、底辺にまで目の行き届かない行政の怠慢なのです。
 中には義侠心の厚い親分が私財をなげうったニセ病院も有ると聞きます。
 マキアリイさんの所も同様の経緯があったと思いますね”

 司会者、

”では今後、マキアリイさんのニセ病院はどうなるでしょう”
”ノゲ・ベイスラ市の保健当局の出方によりますが、普通は査察が入ってほとんどが取り潰しとなります。
 しかし、マキアリイさんの所は入院患者が百人も居るそうで、これを慈善病院で受け入れるとなると”

”そんなのダメだよ。慈善病院に何人病人が並んでると思ってるんだ。
 横入りとかひきょうじゃないか。
 しかも、カネ払わないんでしょそいつらは”

 あまりにもあけすけな正論に、専門家も司会者も立ち往生。

 ちゃんと健康保険料を払っている市民だって、医療費が少なくて済む慈善病院に長蛇の列を作っている。
 ニセ病院を潰すとは、貧しい病人を市中に追放し、その多くが野垂れ死ぬ決定をする事だ。
 市長だって見なかったふりをしたい問題。

 だが一旦火が点いてしまったからには。

 

”それでは次の話題に参りましょう。
 目前に迫った国家総議会議員・議長選挙を巡って、各党の運動員の間で衝突が頻発して……”

 これまで、とクワンパは伝視館を抜け出した。

 

     *****   

 ニセ病院は、

「どうしようもないな、これは」

 クワンパの眼前に広がるのは人の海。
 取材の記者は元より、マキアリイ所長応援団やら「英雄探偵」映画愛好家、
とりあえずは芸能ネタに飛びついてみるお調子者に野次馬と、
これだけでも十分な数。

 加えてノゲ・ベイスラ市内で行き所の無い病人達が惨めな姿を晒して救いを求める。
 もちろんニセ病院近辺のいつもの患者も入るに入れず、押し問答を繰り返し、
病人同士が喧嘩の有様。
 警備に派遣された巡邏兵が割って入るが、こちとら命が懸かってるのさと退く気配が一切無い。
 殺伐とした空気が今にも炎を噴いて燃え出しそうだ。

 

 クワンパ、カニ巫女棒をおっ立てて正面突破を図る。
 当たるを幸い蹴散らして、ニセ病院正門まで一直線に突き進む。
 鉄柵の扉を死守するトカゲ巫女に迎え入れられる。
 看護手資格を持たない「セレヴェータ」さんだ。髪が無茶苦茶に乱れている。

「クワンパさん手伝ってください。敷地内に人が入るのをまずは防がないと」
「まあそうでしょうが、私にちょっと考えがあります」

 と、手伝いの近所のおばさんが持たされていた拡声筒を受け取った。
 鉄柵の傍に寄り、大声で宣言する。

”あーあー。おいでになられている皆様に申し上げます。
 私、「ヱメコフ・マキアリイ刑事探偵事務所」のカニ巫女「クワンパ」であります。

 えー、皆様ご存知のとおり、現在当ニセ病院は大変な危機に直面しております。
 ただでさえ多い患者が現在は倍も詰めかけて、処理能力の限界を超えました。
 この状況を打開するには、なんと言ってもカネ! カネが足りません。

 ご病気で治療を受けようとなさる方以外の、ヱメコフ・マキアリイを正義の使徒と信じてくださる皆様にお願いいたします。
 募金箱を用意いたしますので、お志を是非とも施してください。
 というか、それくらいしても罰は当たりません。
 では、そのように!”

 

 セレヴェータ、クワンパから拡声筒を受け取り、ただ呆れる。
 これだけの人数が興味本位で詰めかけているのだ。カネを分捕るべしと、よくもまあ思いついた。
 実際、報道記者からは取材料を受け取ってしかるべき、とはトカゲ巫女達も感じている。

 適当な大きさな郵便受けの木箱を3個定位置から引っ剥がし、塀の外の人達に手渡した。

 さすがに知り合いの記者連中は迷惑掛けている自覚があるのだろう。
 またマキアリイを応援する為に訪れた人達に、何の否やがあるだろう。
 喧騒がしばし収まり、募金箱がぐるりと回っていく。

「お見事です! クワンパさん」

 いつもは受付を務める女子中学生達3人が、本館に入っていくカニ巫女の後ろ姿に見惚れている。

 本館入り口では、運営を取り仕切るトカゲ頭之巫女「ヴァヤヤチャ」が出迎えた。
 開口一番クワンパを称える。

「さすがですクワンパさん。あのような手で人々を鎮めるとはトカゲ巫女には思いもつきません」
「ですが一時の事です。それより、他の街から来た病人は、」
「軽く千人が来てますね。とても処理できません。
 今庭に天幕を張って、重病人だけを受け入れる準備を進めています」

「警備の方は」
「それが、   みかん男爵さんが一人で頑張っていて」

 まあ、そんなとこだろう。あいつ学校行かなくていいのか。

 

     *****  

 「ライトー邸」の庭は広い。
 老夫人が健在であった頃は、庭番の爺さんが鉄矢銃を担いで警備し、また自ら植木の手入れをして整えていた。
 マキアリイの管理に移って後は伸び放題だが、それでも下草は刈っている。

 今、多くの人に踏み荒らされ、各所に亜麻色の天幕が張り巡らされる。
 いつもは来ない男の人が働いてくれていた。
 手伝いのおばちゃんの旦那達だろう。

「ご苦労さまです」
「あ、クワンパさんですか。いつも家内がお世話に」

「この天幕はどこから持ってきたのですか」
「マキアリイさんのご手配という話で、朝方軍用輸送車が積んできたと聞いとります」
「ああ。こんな事態も想定済みか」

 もちろん不在のマキアリイが事情を把握しているはずが無い。
 所長を手助けしてくれる多くの人が、皆優秀なのだろう。
 彼は人に恵まれている。人徳か。

「みかん男爵は見ませんでしたか」
「あ、あの変な格好の中学生の女の子ですか。凄いですよ塀の上を飛び回って、」
「あのバカ!」

 

 広い庭を囲む塀に沿って走り、みかん男爵とその一党を発見した。
 近隣の悪ガキどもを集めて手下にし、塀を乗り越えてくる者を撃退して回っているのだ。
 相変わらず怪鳥のような高い声を上げて威嚇する。

「ひゅはひゅはひゅは」

「おい男爵。状況を説明しろ」
「お、クワンパだ。いや面倒だよ。
 取材の記者や野次馬なら強行に追い返せるけれど、病人が塀を乗り越えて這ってくるんだ」
「あー、でも正面正門から来る病人しか受け付けない。
 とにかく怪我をさせないように、あんたも塀から転げ落ちないようにな」
「誰にものを言ってる。わたしはっ!」

 また高笑いして名乗りを上げる男爵を放ったらかして、次に向かう。
 この間案内された男性患者病棟だ。
 庭先から開いた窓に呼びかける。

「クワンパです! この間の、ヤクザのあにさんはいらっしゃいますか」

 しばらく間が空いて、窓から首を出すヤクザ者だ。
 さほどの歳ではなく、腹をぶっ刺されたにも関わらず元気そうだ。

「あーこれはカニ巫女の。あっしになにか御用ですかい。
 及ばずながらお手伝いいたしやすよ」

「あなた、怪我の具合はもう大丈夫?
 もし動けるようなら今の内に、この人混みに紛れて逃げた方がいい」
「ニセ病院を出ていけと?」

「どうにも病院の存続が難しい状況です。
 数日中に閉鎖されて、病人もここから追い出される可能性が高い。
 そうなったらあなたも、」

 彼は所属していたヤクザの組織に歯向かって、粛清される対象だ。
 瀕死の重傷を救われて、英雄マキアリイの威光により入院中の安全が保たれている。
 しかし、ニセ病院を追い出されてしまうと。

 男も状況を理解した。

「わかりやした。本復とはほど遠いすが、なにこの程度は我慢の内で。
 さっそくずらかりやしょう」
「済まないね。でも門前であなたが血祭りに上げられたら、私が所長に申し訳立たない」
「長のご厚情感謝いたしやす。御恩はいずれ必ず」
「変装する服とか用意させます。要るものがあれば、」
「ご心配なく。ずらかる算段はとうの昔にできてやす」

 さすが追われる身であれば、何時でも逃げられるよう警戒しているものだ。
 心配無いなと、クワンパは後を振り返らず次に走る。

 

     *****  

 トカゲ神殿カニ神殿、さらにはコウモリ神殿からも応援が駆けつけ、
ようやく人心地が付き、ニセ病院主要関係者は事務室に集まった。

 院長ゥゴータ・ガロータ副教授は、押し寄せる病人を奮迅の働きで片付けている。
 防衛計画は彼抜きで進めよう。居ても役に立たないし。
 責任者「ヴァヤヤチャ」が口火を切る。

「クワンパさんそれで、以前に訪れた詐欺師について分かりましたか」
「すいません。ネコにとっても30年は長くて、昔に詳しいネコの所に使いを出してもらってます」
「そうですか。
 私共もご寄付を頂いている方々を巡っていますが、ライトー一族とのお付き合いの有った方はもう70代以上ですから」

 本日は商事探偵カシタマ・クゴヲンは来ていない。
 相続人と称する「ライト−・ゼブレハフ孫キュルィダ・ネス=ワハヤン」の身元照会に手こずっている。

 ヴァヤヤチャは椅子の背に大きくもたれかかる。

「現状打つ手無しですね。
 ですが今やるべき事は、市衛生健康局の査察です。どう対処すべきか考えましょう」

 婦長「チクルトフ」は病人の世話に忙殺され、この場に居ない。
 物品管理担当の「セレヴェータ」が代わって務める。

「既に市当局の看過出来ない事案となってしまいました。
 遅かれ早かれ解散に追い込まれると考え、撤退戦略を構築すべきではないでしょうか」
「致し方ありません。そのように取り計らいましょう」

 そんなに簡単に、と驚くクワンパにヴァヤヤチャは説明する。

「トカゲ神殿ではこのような事例に何度も遭遇しているのです。
 立ち上げも簡単ですが、締めくくりも定番の対処法が確立しています。任せてください」

「でも、その後はどうするのですか?」

 施設管理者であるメマ・テラミが発言する。

 ゥアム帝国の美麗な衣装に身を包む彼女は、女達の目の毒だ。
 世の中ほんとうに絶世の美女が実在し、一般人とは隔絶して違うと雄弁に証明する。
 なんでこんな天上人が薄汚い巷に居るの、と不思議に思ってしまう。

 ヴァヤヤチャは、

「他の場所であれば、ほとぼりが冷めた頃にまた初めから、となりますが、
 ここはマキアリイさんが有名過ぎますからね。再起は無理でしょう。
 最初からマキアリイさんの虚名にすがっての運営です。当然の帰結と諦めざるを得ません」
「そうですか……」

 クワンパにはメマが肩を落とす理由も分かる。

 「施設管理者」として雇われている彼女は、ニセ病院が撤退しても屋敷から離れる必要が無い。
 だがマキアリイと二人で、となると、いずれ白黒付ける瞬間に追い込まれる。
 彼女が取るべき道は一筋しか考えられない。

 人が沢山居る現在は、付かず離れずで最適な距離感だったのだ。

 クワンパ少し考える。
 メマが所長から離れて自立するには、ひょっとしたら神殿の導きが必要かも。
 もちろん年若い自分には無理だ。
 巫女寮に帰って、世間一般女の事情に詳しいミミズ巫女「ミメ」に相談すれば、
というか、彼女専門家じゃないか。ドロドロした男女の愛憎劇の。

 

 事務室の扉を開けて、受付女子中学生が1人顔を覗かせた。
 ぶっきら棒に告げる。憤懣やる方ないのを押し殺して。

「代理人、来ました。役人もいっしょです」

「いやー皆さんお揃いですか。いや、大変な有様ですなあハハハ」

 

     *****  

「ノゲ・ベイスラ市衛生健康局監察室のマナカハ・ヂドーです。
 ヴァヤヤチャさん、お久しぶり。2年半になりますか」
「あなたもお元気そうで」

 代理人シメシバ・ッェットヲンが連れてきた役人は、中年でそこまで怖い感じではない。
 保健行政の人だから荒事にもならないはず。

 応接室に案内され、彼はヴァヤヤチャと対峙して座る。
 首を巡らせ、周囲に並ぶ関係者をちらりと一人ずつ確かめていった。

「2年半前は、たしか外来の患者のみで入院は受け付けないという話でしたね。
 随分と大きく膨らんだものです」
「動けなくなった病人を追い出せないでしょう。ニセ病院はそうなる宿命です」

 クワンパがセレヴェータにこっそり尋ねる。
 彼はマキアリイニセ病院が発足した直後にも査察に来たらしい。

 診察・治療費を受け取る業として行っていれば、即閉鎖の措置を取る。
 あくまでも一時的な存在としてしか認めない。
 行政としての当然の態度だ。

 とは言うものの、その後目を瞑ってきたのは、
民間の善意に頼らねば貧困層に医療を届けられないからだ。

 せっかく上手く回っていたものをぶち壊しにして、と彼も内心憤激している。

 

「いやあわたしもですねえ、これほど多くの人が治療を求めていたとは想像の外ですよ」

 応接椅子に座るもう一人。張本人がぬけぬけと言ってのける。

「それで、市としては今後どのような手順で進めていくんですかねえ」
「まずは査察を行い、医療水準・衛生基準に満たなければ即日営業停止命令が出ます。
 次に改善勧告を出しますが、ニセ病院がこれを実現できた例はほとんど無く、
 解散命令が出るでしょう。

 診療器具や病院設備、薬品類も押収されます。
 これは後に金銭的な補償がなされますが、通例は罰金と相殺されます。

 入院患者が居る場合は適切な施設に強制的に移動させる事になります。
 この際の患者の医療費は、当日以後分は市の負担となります。
 ただし当局が依頼する医師による再診断で、あらためて治療方針を定め、必要が無ければ退院の措置となります。
 軽症者の場合はほぼ退院措置ですね。これまでの事例からは」

「おーわー、それは酷い。血も涙もありませんなあ」

「病院経営者・管理者は略式起訴されます。
 この病院は主催者がヱメコフ・マキアリイさん、そして院長としてソグヴィタル大学医学部副教授のゥゴータ・ガロータ先生になりますね。
 これは市としても容易には対処できない事案でして、おそらくは示談という形を取らせていただくと思います」

 ッェットヲン、最重要の件を確認する。

「ニセ病院が入っている建物、地所はどうなりますかね?」
「解散命令、閉鎖の措置の際には、建物等は消毒作業を行う事となります。
 その際、敷地内に違法に死者の埋葬をしていないか発掘調査を行います。
 現状復帰はー、まあ所有者・管財人の負担となるのが通例ですね」

「所有権等の移動は、」
「ありません。
 ただし、著しい犯罪行為が施設内で行われていたと確認された場合、別途刑事罰が科され、
 罰金賠償金の形で金銭的な制裁を求める事例があります」

 

 対応する管理者ヴァヤヤチャはふぅと長く息を吐く。

 通常通りの手順なわけだ。
 もしも此処がマキアリイの関与しないニセ病院で、世間的にも話題となっていなければ、
10日は余裕が得られるのだが。

 マナカハは宣言する。

「さっそく明日より査察を開始し、同時に封鎖措置を行います。
 新規の病人受け入れは停止とし、診療行為も差し止めです」

「それでは入院患者はどうなりますか」
「それはこちらの方で手配いたします。
 このニセ病院は、正規に雇用する医師・看護手は居なかったはずです。
 雇用関係の無い方は入所禁止とさせていただきます」

 ッェットヲン、さらに追い打ちする。

「撤去作業の際に、泥棒とか入りませんかねえ?」
「作業の際に建物等の毀損が生じる例、また家財道具が紛失・窃盗で失われる事例は過去少なくありません。
 所有者の側で立ち会われる方ををご用意されるようお願いいたします」
「あーそりゃ大変だ。「ライトー一族」の歴史的な遺産が失われかねないなあ。

 ヴァヤヤチャさん、
 というわけですからわたし、こちらに控室を用意していただきたく思いますよ。
 万が一でも間違いがあれば、依頼人に申し訳が立ちませんからねえ」

 胸がムカつくが致し方ない。

「ええ。ご用意いいたしましょう。
 なんでしたらお食事もお届けしましょうか」
「いや、それは結構。病人と同じものを食わされるのは勘弁」

 

     *****  

 話を聞きつけて、診療中のゥゴータ先生が応接室に現れた。
 多数の病人を相手にして、白衣は汚れよれよれだ。

「ヂドー君、君が担当かね」
「ゥゴータ副教授、ご無沙汰しております。
 えーと、この度はいかんともし難い仕儀で」
「ダメかね」
「市長直接の命令ですから、私共の裁量では無理と申し上げる他ありません」

 どうもこの二人、知り合いというよりは教師と教え子の関係らしい。
 保健行政の担当者が医学部で研修なりを受けたのだろう。

 ヴァヤヤチャが尋ねる。

「先生、患者は後何人並んでますか」
「今日の受付はもう締め切った。
 入院患者は70人も出て、全員庭先の天幕に突っ込んでいる。
 緊急手術もこれからやる」

 マナカハはさすがにこれは止める。

「先生、明日以降は医療行為が差し止められます。
 手を付けない方が移送先で治療するのに有利な場合も、」
「今死にそうな病人にそれは通らん。
 そうか、明日はもうダメか」
「そうせざるを得ませんので、申し訳ありません」

 再び病人の元に帰ろうと踵を返すゥゴータ。
 ッェットヲンを一瞥する。
 どうしても一言突き付けねば居られない。

「あんたの名前も大きく報道してもらうべきだな。違法施設排除の功労者として」
「わたしはただの代理人ですから。へへ、」

 卑屈に浮かべる笑みは見ずに、ゥゴータは去ってしまう。
 ッェットヲンも応接椅子から立ち上がる。

「そういうことで、公務をお邪魔しないようにわたしは一時退散しますよ。
 控室の用意をお願いしますね」

 

     *****  

 ッェットヲンは本館外回りの回廊を歩く。

 改めて観察するに、この古い屋敷は酷使されているにも関わらず壮麗なものだ。
 ライトー一族の在りし日の栄華が偲ばれる。
 ただ、屋敷を首尾よく手中に収めれば、上モノは潰して平地にして売り飛ばす事となろう。

 彼は十分警戒している。
 ニセ病院関係者また病人が何時物陰から襲ってくるか、闇討ちされるか。
 反発を食らうのも覚悟の商売だ。

「まあ英雄探偵マキアリイが慈善でやってる施設だ。乱暴は無いでしょうな」

 独り言つが、それでも護衛は用意しておこう。
 なにせ数日は泊まり込むつもりなのだから。

 

「おうーむ、おめえゼットンじゃないか」

 酒でしわがれた声が呼ぶ。

 改名前の本名「コォロ・ジェットヲン」、いや「コォロ」の姓も何時だったかでっち上げた。
 「ジェットヲン」を無理に訛らせて「ゼットン」呼ばわりするのは、悪ガキどもに付けられたあだ名。
 齢50を過ぎて呼ぶ奴は。

 振り返ると自分と背丈の変わらぬ老人が、定まらぬ視線で歪んだ笑いを見せる。
 短い白髪頭に顔にはシワが深く、しかし実際の年齢はもう少し若いのかも。
 長年の貧乏暮らしに深酒が過ぎて、すっかり老いぼれてしまっている。

「ほおらやっぱりゼットンだ」
「ぅ、……おまえ、向こう三堀のクオポタだな」
「へへ、懐かしいの。お前ドブに頭逆さに突っ込んで死んだと思ったさ。
 アレから見んくなったからな」

 もちろんニセ病院近辺に住んでいたのではない。
 ノゲ・ベイスラ市は発展と共に変化を続け、どこかに必ず貧民街が生まれている。
 あちらこちらに転々と移り住み、一生を泥に沈んだまま終わる人も少なくない。

 ッェットヲンは、まかり間違えば自分もそうなっていた可能性を示され、無性に腹が立ってくる。
 いじめっ子が落ちぶれても、ちっとも嬉しさは湧いてこない。

「ああ思い出すさ。お前らオレが助けを求めても、大笑いして犬のクソ蹴りつけてくれたな」

「ははあやっぱりゼットンだあ。
 なんだそのナリは、ずいぶん金回り良さそうじゃないか」
「俺は社会の落伍者にならないよう努力したんだよ。てめえらとは違うわ」
「まあ、そうなんだろな。そうなんだろな。
 だが、やっぱりゼットンだあはははあ」

「ち、クソ野郎が」

 酔っ払いの昔馴染に絡まれて得する何もあるはずが無い。
 飲み代たかられる前に足を速めて逃げ出した。

「ちくしょう。だからこんなケチくさい町に足を向けたくなかったんだ。
 あいつら、貧乏の隅に必ず湧いて出てきやがる」

 

 クオポタは追おうとしたが、足が付いていかず見送るばかり。
 諦めて向きを換え、診察室の方にふらふらと千鳥足で歩いていく。

 診察はとうの昔に終わっていたが、彼は常連。
 止めようとしたトカゲ巫女も、にたにたと笑う彼に仕方ないなと許可を出す。
 ゥゴータもまた、いつものようにいつもの小言を言う。

「クオポタさん、また飲んでるね」
「っへえすみません。でもねせんせい、人間飲める内に飲んどかないと、死んだら飲めねえからね」
「そんなだから娘さんに見放されるんだ。あー、こんなんじゃ薬も呑んでないな」
「飲んでますよ、規則正しく酒でがっと流し込んで。これだけはウソじゃない……」

 

     *****  

 翌早朝。
 まだ日も差さぬ貧民街を、いそいそとシメシバ・ッェットヲンは早足で抜ける。

 衛生健康局の執行は、抜き打ちで行うと聞く。
 相続代理人としては現場に立ち会い、不利益が発生しないか見極めねば。

 ニセ病院「ライトー邸」は、増員された巡邏兵に夜通し警備された。
 また正門鉄柵の扉の後ろには、筋肉が山のように膨れ上がる大男がどっかと座り、睨みを利かせる。
 コウモリ神殿から派遣された墓掘り男のンゴアーゥルだ。

 門前の道路には各所から集まった病人がうずくまり、そのまま眠っている。
 昨日溢れてしまった者が道端に留まり順番待ちの野宿をした。
 クワンパが呼び掛けた募金は、彼らに提供した食料また敷布の代金で消えている。
  (注;タンガラムでは毛布の代わりに厚い敷布を使う)

 取材記者達もやはり路上で一夜を明かす。
 うつろな表情ながら目を開き、人の出入りを確かめる。
 何事か起きんか、虚しい時間を過ごしていた。

 

 中に一人、旧知の記者を発見する。
 他とは異なり、眼光鋭く周辺を観察する。凡百の記者とは視線が違う。
 まるで腐肉を探る野犬のよう。

 ッェットヲンはにたりと脂ぎった笑顔を浮かべて挨拶する。

「いやあ、週刊『破廉恥三昧』のイヤヴェさんじゃないですか。
 あなたのような花形記者まで取材に来るとは、さすがヱメコフ・マキアリイですなあ」

「ああ、ジェットヲンさんか。
 そうか、英雄マキアリイのニセ病院を詐取しようとする地面師って、あんたですか」
「人聞きが悪いなあ。わたしは正式の依頼を受けて、交渉に当たっているだけですよ」

 イヤヴェは上着胸の物入れから、紙巻き昆布を取り出した。
 口の端に咥えて身体を探すが、目的のものが見つからない。
 ッェットヲンは持ち合わせていた燐寸の紙小箱を差し出す。

 記者は箱を受け取ると、使わずそのまま自分の懐にしまってしまう。
 昆布を口に貼り付けたまま、話始める。

「じゃあ何も知らないカタギの新聞社に、マキアリイの情婦の噂を売り込んだってのも、あんたか」
「何のことですかね。
 まあ、あれほどの美人が今まで見過ごされてきたなんて、
 芸能記者さんはどこに目を付けているんですかね」

「「メマ・テラミ」、別名を”シュクルヴィンヴァータ”と呼ばれたヤチャッタだ。
 「黒裂きジンブラ會」の會頭「チ=タオゥ」の情婦でもあった」
「え、そんな有名な女だったんですか」

「政官財軍のお偉いさんに可愛がられ、極秘情報を収集しチ=タオゥの覇権を支えていた。
 「黒裂き會」が壊滅した際、彼女の握る秘密を巡って争奪戦が始まるはずだったのを、
 ヱメコフ・マキアリイが保護する形で小康状態を保っている。

 ジェットヲンさん、あんたヤバいネタに足を踏み入れ過ぎだ」

 イヤヴェ、昆布を咥えたまま口だけを斜めに傾げ、気持ち悪い笑いを作る。
 ッェットヲンの顔面に張り付く笑みは、凍りついた。

「ま、俺としてはそっちの抗争が再燃するのを取材に来たわけだが、
 ここの記者連中はほとんどの奴が気付いてねえな」

 

 ッェットヲンは血の気の失せた表情で、道端に転がる病人と同様にふらふらと歩く。
 正門の向こうにうずくまる筋肉の瘤みたいな大男に小声で話し掛け、鉄扉を開けてもらった。

 ちょこちょこと小刻みに足を運び、自らに充てがわれた控室に向かう。

 

 それから半刻(1時間)後、ニセ病院正門前に3両の貨物輸送車が停まる。
 荷台から降りてきたのは、白い消毒服に身を包む男達30名。
 彼らを率いるのは、昨日訪れたマナカハ・ヂドーだ。

 電気拡声器を口に当て、屋敷に向かって宣言する。
 強制査察を開始する。

 

     ***** 

 (第二十二話)その5「『原初の焔』計画」

 

(第二十三話)『危うしニセ病院』その4

 川原で九死に一生を得たカロアル・バイジャンは、
朝届いたばかりの大山羊の乳をガラス瓶のまま一気に飲み干した。

 他人事ではないが、ざまあみろの気分。
 多少あっちの方が先に覚えていたとしても、忍者の前では自分と同じじゃないかははは。

 

 振り返ると、父カロアル・ラウシィが出勤するところだった。
 巡邏軍監という地位にあるから、平日でも軍礼服の着用になる。記念章なんかはぶら下げていないが。
 護衛が常駐する官舎から従卒が従い、専用自動車での送迎となる。

「父さん、50年前の失踪人て巡邏軍でも見つけられないの?」

 送り出す挨拶の前にいきなりの質問だから、後に従う母と妹がきっと眉尻を上げた。

 ラウシィは、息子がニセ病院の話をしている、と気が付く。
 ヱメコフ・マキアリイはノゲ・ベイスラ市における最重要警護対象であり警戒人物である。
 動向は巡邏軍でも常時把握するし、ひそかに関係者の調査も行っていた。

「人間は、社会で活動するかぎりなんらかの痕跡を必ず残す。
 特に経済的には姿の隠しようが無い。
 また行政や医療などで手続きが必要であれば、公的機関に記録が残る。
 だがそれで辿れるのは10年がせいぜいだな」

「10年以上昔だと分からない」
「各種書類が検索容易な形で保存されるのが10年。以後は専用書庫に納められて手間が掛かる。
 それも30年を過ぎると廃棄されたりするからな。
 50年前だと死亡記録から当たるのが早いか」
「死亡記録だと分かる?」
「全国に照会となるとかなりの時間が必要だな。殺人事件等捜査で最優先の取り扱いをしてもだ」

「無理かあ……」

 諦めて天を仰ぐバイジャン。
 マキアリイ事務所でいいカッコしたかったけれど、親の七光でも無理だった。

 父は従卒に先を促されながら、尋ねる。

「マキアリイ君によく指導してもらっているか」
「……、バシャラタン行きの話を聞きました。忍者の人から」
「そうか」

 さすがに内緒が過ぎてへそを曲げたかと思ったが、バイジャンの様子に変わりはない。
 勝手に重大事を決められても怒った素振りが無い。
 我が息子ながら意外と胆が据わっているのだな、と見直した。

「行ってらっしゃいませ」

 二人並んで母娘が父親を送り出すのに、息子もちょこんと頭を下げて続く。
 巡邏軍監の俸給はそれなりのものだが家政婦などは雇わず、母が一人で家事を行う。
 官舎の警護や従卒の人にも世話を焼くから大変だ。

 そして母に戻る。

「バイジャン、早く学校の支度しなさい。それから朝食!」
「はいはい」
「はいは一回!」
「はい!」

 こちらも登校の準備をしなければならない妹のロアランも、眼をにゅっと細めて兄を睨む。

「なにか、おんなのにおいがする」
「なんで汗臭いのにそんなの分かるんだ?」
「分かるわよ、いやらしい」

 バイジャン、妹の辛辣な言葉に反論を心の内に押込めた。
 おまえな、兄がそんなに女の子にモテると思っているのか……。

 

 食堂食卓の上、父が読んでいた全国紙の朝刊が置いてある。
 きちっと畳んでいるのが性格か。
 一面大見出しが嫌でも眼に飛び込んでくる。

『マキアリイニセ病院、本日強制閉鎖執行か』

「クワンパさん、大変だあ」

 

     ***** 

 5時半(午前9時)
 市衛生健康局によるマキアリイニセ病院の施設封鎖・患者移送作業が開始された。

 前日から係官が入り、経理資料や大型医療器具の院外持ち出しを防いでいる。
 ありていに言うと「夜逃げ防止策」だ。
 もっと小さなニセ病院なら、主催する事業主や医師のみが単独で逃亡して別の場所で開業する例もある。

 クワンパも前日より泊まり込む。
 彼女の役目は、ここ「ライトー邸」の管財人ヱメコフ・マキアリイの代理。
 施設管理人のメマ・テラミと共に館自体を守る。

 

 作業は若干遅くに開始された。
 患者に朝食を食べさせ落ち着いてから、という理由だ。
 そうでなければ、市が患者への給食を行わねばならない。
 妙なところで節約をする。

 ニセ病院関係者は朝の3時(午前4時)から大奮闘だ。
 単に食事の準備をするだけではない。
 封鎖作業はまず医療器具施設とくに薬品類を真っ先に抑える。
 だから患者それぞれに投与すべき薬を1人ずつ小分けにして紙袋に詰め、持たせるのだ。
 診療記録も同じ袋に入れる。

 個人の私物扱いであれば、市当局も没収は出来ない。
 トカゲ神殿は何度もニセ病院を運営し、その度取り潰しに遭っている。
 撤退の手引書を持っていた。

 そして、

「鍋とられた!」

 アチャバガおばさんが厨房から院長室に駆け込んでくる。
 ニセ病院の実質運営責任者「ヴァヤヤチャ」とクワンパのみが部屋に居る。

 今回の摘発に際して、トカゲ神殿から多数の神官巫女の増援を得た。
 主に事務経理関係の人員だ。
 彼らに任せれば、責任者が直接係官に対処する必要は無い。

 クワンパが尋ねる。

「鍋って、何個ですか」
「一番でかいやつ、他のも全部!」
「うーん」

 入院患者だけで100人以上。毎日3食お粥を炊いて休む暇も無く働いた大鍋だ。
 味は感心できないものの、栄養こそが健康の大元。
 もはや温かい食事を提供する事は不可能となった。

 ヴァヤヤチャはクワンパを見る。

「あの大鍋は館に最初から有ったものですね。
 固有の財産として没収は避けねばなりません」
「はい。それは私が交渉してきます」

 おばさんに遅れて、料理長も姿を見せる。
 彼はマキアリイの知り合いで元は軍人、陸軍の厨房で働いていた。
 もちろんちゃんとした給料をもらってニセ病院に勤めている。

「食料貯蔵庫と電気冷蔵庫、両方とも封印されました。食材も押収されどうしようもありません」
「ご苦労さまです。やはり昨夜の内に全部食べておいて正解でしたね」

 ニセ病院は資金繰りの都合でしばしば供給が滞る。
 最低でも10日分の食材を備蓄せねばならない。
 数日前から密かに搬出して押収を免れているが、生鮮食品の類は消費せざるを得ない。
 昨夜は大盤振舞となり、食べる気力のある患者は大喜びした。

 「ライトー邸」は元が大富豪の屋敷であるから、大きな冷暗貯蔵庫を設けている。
 加えて、旧式ではあるが臭漿(アンモニア)を用いる電気冷蔵庫まで装備。
 自ら氷を作り出し、また繊細な医薬品の保存も出来るマキアリイニセ病院の自慢であった。

 アチャバガおばさんが不安そうに聞いた。

「あの、昼ごはんの準備はどうしましょうかね」
「トカゲ神殿から応援を得て、ニセ病院外の路上で炊き出しを行います。
 あなた方はそちらに合流してください」
「わかりました。
 あのーそれでー、あたしらのお手当の方は」

 ニセ病院周囲の貧民街から手伝いに来ている人は、基本的には有志だが、幾ばくかの手当をもらっている。
 無賃で働かせると横領や横流し等に走ると、経験からトカゲ神殿は知っていた。

「運営資金はまっさきに凍結されますが、職員等の給与は個人財産として最優先で確保されます。
 書類はこちらで用意しますから、心配しなくて結構ですよ」

「そ、そうですか。
 は、ハハハ、だったらあたしら行きますね。外で道端で、ですね」
「はいお願いします」

 

     ***** 

「いやそうぞうしいですなあ。埃が舞い散って、これじゃあ飯を食べるどころじゃあない」

 

 院長室にはひっきりなしに報告にトカゲ巫女が駆け込んでくる。

 設備封印のみならず入院患者を慈善病院に移送するのだ。
 市当局から派遣された医師が3名、患者をそれぞれ診察して診療記録と照らし合わせて、緊急度の等級を決める。
 重症かつ緊急性を要する患者から収容する手筈。

 殺気立つ室内にひょっこりと顔を出すのが、
「ライトー家」相続権者の代理人を称するシメシバ・ッェットヲンだ。

 これはクワンパの担当。

「申し訳ありませんねシメシバさん。
 現在たいへん忙しくて、あなたの相手をしている余裕が有りませんので」

「ああいいですよ、分かってます。
 私としましても、「ライトー一族」固有の財産がしっかりと護られていれば問題ない訳です。
 昼過ぎでしたかね、最上階天井裏の家財道具の検分を当局が行うのは。
 その時間まで私は退散しておきますよ。お邪魔はいたしません」

 彼も前日より泊まり込む。
 「貴重な財産が密かに隠匿されるのを防止」 していた。

 物置の脇の一室をあてがい、病人用の簡易寝台に寝かせたが、まるで堪えていない。
 根っから図太く出来ている。

 ただし朝食は食べていない。
 ふにゃふにゃした貧相な病人食なんか食えるか、と言い放つ。が、まあ理解は出来る。
 運営関係者だって自分達用にちゃんと固い料理を作るから。

 小男がきざな挨拶をして出ていくのを、部屋に居た巫女達は憎々しげに見送った。

 間髪入れず、院長室に子供が飛び込む。
 近所の悪ガキのひとりだ。

「クワンパねえちゃん、みかん男爵がもうもちこたえられないって!」
「やはり中学生には荷が重かったか」

 みかん男爵の持ち場は、庭番小屋。マキアリイ所長の居室だ。
 どう見ても病院施設には思えないが、敷地内に有れば当然に査察される。
 個人の住宅だと抗弁しても通るはずもない。

「私、行ってきます」
「暴力沙汰はいけませんよ、クワンパさん!」

 

 庭番小屋。
 本来であればメマ・テラミの受け持ちだが、現在「施設管理人」として係官とつきっきりで書類とにらめっこしている。
 様々な場所の封印措置に「同意」の署名を書かねばならない。
 もう少し法律を勉強していれば、と無力を噛み締めているだろう。

「うわちょっとやめてお嬢さん違うこれは法律にもとづいてがあ噛みつかない!」

 珍妙派手な仮面と黒い鍔広帽に左右の手まで伸びる黒い幕を翻して、
完全戦闘装備のみかん男爵が作業員に襲いかかる。
 非殺傷武器を用意するとは言っていたが、痛くないとは言ってない。
 迷惑この上なく、大人達はどう取り押さえたらよいものか、遠巻きに思案するばかりだ。

 クワンパ、カニ巫女棒を堂々正面に推し頂きながら、輪の中に突入する。

「男爵、それまでだ。
 お話は私が伺いましょう」
「ああ、クワンパさんですか、マキアリイさんの所の。困りますよこんな乱暴な、」

 仮面の中学生は、前に立つカニ巫女にちょっと腹を立てる。

「おい、ここは棒を振り回して蹴散らすのが筋じゃないか?」
「刑事探偵ヱメコフ・マキアリイは、あくまでも法律に則って活動します。
 そこを理解しないから子どもって言われるんだあんたは」

 

     ***** 

 健康局の作業員は驚いた。

 大の男なら3人は入れない狭さ。
 質素簡素を通り越してみすぼらしいとすら形容出来る、素っ気なさ。
 剥き出しの木の板の壁。柱。天井もそのまま屋根の裏が見える。
 窓は昔風の小さな格子に区切ったもので、大判の窓ガラスが高価かった時代の様式だ。

 もちろん装飾など微塵も無い。
 布を柱に渡して仕切りとして衣類箪笥の代わりとする。
 木工作業用の机としか思えないものに、ただ栄光を表すかに白球が1個転がった。

 一番奥まで進んだ作業員が、扉の外のクワンパに呼び掛ける。

「本当に、ここが国家英雄マキアリイさんの居室なのですか……」
「居室であり寝所ですね。ここで寝ますよ」
「いや寝床だって、これは板ですよ。板に薄い布団を敷いているだけで」
「網焼き屋の階段で燻されながら寝てた人です。何の不思議がありますか。

 これが真実ヱメコフ・マキアリイです。
 ご不審のものはございますか?」

 一番に眼に入ってくるのは、長大な鉄矢銃。弾も火薬も用意してすぐにも使える。
 庭園剪定用の刃物類、短い丸太にしか思えない素振り用棍棒、シュユパンの振り棒も無造作に傘立てに突っ込んである。
 すべて病院業務には関係ない。

 書簡書類もほとんど無く、
昨日の内にメマと掃除して大事なものは施設管理人室に移しておいた。

 白い服の作業員達は皆無口となる。
 だが、さすがに押収すべきが1個は有った。

「クワンパさん、」
「なんですか」
「これはさすがに見逃せません。病人食として使えるものですから」

 少し大きめな缶函の中から、白い紙に包まれ若干の異臭を放つ物体が引き出された。
 開けて見ずとも正体は分かる。誰でも皆知っている。
 塩ゲルタ1包25枚入り。

 塩ゲルタは1枚で鍋1杯分のお粥を味付け出来る。およそ10人前だ。
 25枚も有れば、ニセ病院入院患者全員を1日食べさせられる。

「これは押収させていただきますね」

 だが紙包みが開いていたので、念の為に中を検める。
 出てきたのは、昨今眼にする塩ゲルタとはかなり様相が違う。
 全体に白い塩をまとう。ほぼ塩そのものだ。

「なんだこれは」
「あ、それは「古代ゲルタ」です」

 クワンパには覚えがある。ちょっと心に痛い思い出だ。

「現代のゲルタは製造法の進歩により2週間で速成するのですが、
 交易品としての「ゲルタ」は塩で包まれるこの状態から、さらに1ヶ月から半年以上寝かせて熟成させるのです。
 古代のままの姿であるから「古代ゲルタ」と便宜上呼んでいますね。」

「高価なものですか」
「タンガラム全国でも今は作る人はほとんど居らず、流通にも乗っていない貴重品だと聞きました。
 ヱメコフ・マキアリイ唯一の趣味嗜好品ですね」
「私物、ですか」

 と言われても、ゲルタはゲルタでしかない。
 規則に従い押収しようとする彼らは、クワンパの物言いたげな視線に静止する。

「なにか?」
「いえご心配なく。
 ただそれは、本当に所長唯一の趣味なんですよ。ゲルタが本当に好きで」
「はあ。映画でもそのように描いてますね」

「正義の為に働き銃弾に身を晒して無辜の市民を守り、誤解されることも多く報われることの少ない彼が、
 富貴とは縁もゆかりも無い街に傷ついた身体を引きずり戻ってきて、
 夜更けでも病人が苦しむ声を耳にし、社会の不平等に心を痛めながらもようやくに辿り着いたこの部屋で、
 唯一安らぎを得るのがただゲルタを齧る一瞬だと思えば、

 私達カニ巫女はいかにして彼の助けとなるか。己の無力を思い知らされます」

 

 静かに語る言葉に、作業員の心も沈む。
 法律が定めるところに粛々と従って、ではあるが、自分達悪役みたいじゃないか……。

 しばらくの沈黙の後に、先輩格の者が言った。

「あ、あー個人の嗜好品であればニセ病院業務には関係ないと、思われます、ね。
 これは私物として対象外です」
「そうですか」

 作業員達は皆ほっと息を吐き、そそくさと退散して別の現場に向かう。
 残るのはカニ巫女と中学生のみ。

 みかん男爵は改めてクワンパを見直した。

「おまえ、すごいな口車」
「このくらいは出来ずにヱメコフ・マキアリイの事務員は務まらないさ」

 

     *****  

 庭番小屋を二人して出たら、ネコが待っていた。
 朝霧のような白い毛並みの身体をしゅっと伸ばして、ちんと座る。
 首には綺麗な布を巻いていた。

「あ、レアルさんとこのネコ手紙か!」

 クワンパはひざまずいて、ネコの首の布を解く。
 さすがは有名服飾会社の社長令嬢、単なる手拭いでも上流階級御用達だ。
 中から淡黄色の封筒が現れる。

「”前略、ライトー様を30年前に訪れた詐欺師の方の身元が分かりました。
  本名を「クーリン・ザバド」という男性で、ライトー様の事件から3年後6187年に巡邏軍に逮捕されています”」

 以下ちまちまと書いてあるが、とにかく電話で確かめよう。

「男爵、ネコにごほうびやってくれ。ネコありがとー」

 と風を巻きカニ巫女棒を引っ提げて走っていく。振り返りもしない。
 男爵とネコは呆気に取られて見送った。
 一人と一匹、顔を見合わす。

「おまえ、ウチの駄菓子食べられるか?」

 男爵は懐中より果物砂糖煮付けを挟んだモナカの包みを取り出す。
 お店で1個半ゲルタ(50円)の品だ。

 

 行きがけに院長室に飛び込み叫んで抜ける。

「30年前の詐欺師、名前分かりました!」

 続いて電話室に飛び込む。順番待ちを蹴散らして。
 神殿に報告していたトカゲ巫女が通話を切った瞬間だ。すかさず受話器を分捕る。

 ィップドス・レアルの邸宅にすぐ繋がったが、応対するのは家庭教師ハギットだ。

「お嬢様は現在大学にお出でになっています」
「そうですか、ネコの話でこの間の、」
「その件ならば私の方が詳しいと思いますよ。お嬢様は喋りがトロいですから」

 

 ネコ達が集めてくれた情報によると、
 詐欺師の名は「クーリン・ザバド」男性、生まれは6160年頃。
 ライトー一族最後の男兄弟3人の内、次兄「ライトー・リンタナオ」の息子「クラムシュ」を名乗る。
 ただし父親が事業の破綻で自殺した後は、悪意の噂を恐れて母方の姓「クラムシュ・オヴェー」で通したという。

 彼は正面から堂々と現れ、父親が相続するはずであった財産分与として4分の1を請求した。
 詐欺師であれば全財産の相続を求めるはずで、応対した当主シュベルシークも困惑する。
 とにかく身元確認で各種書類の提出を求め、さらに子供の頃の記憶などを尋ねてみる。
 残念ながらリンタナオが結婚していた時期は、シュベルシークも嫁ぎ先に居て兄の家族と会う機会が無かった。
 古くからの使用人に確かめさせたが、子供から大人へと成長してはなかなか判別できない。
 父親の思い出を聞くが、語るのはリンタナオ死後いかに母親が苦労し傷ついたかばかりで、身元確認には使えない。

 「どうしても認めてくれないのなら、最後にこれを出してダメならば諦めろと母に言われました」
と提出したのが、なんらかの歴史的な記念品。これによりライトー家の血筋だと確定した。
 どういう由来かは、事件を記憶するネコは知らない。

 しかしシュベルシークは複数の興信所を雇って彼の身元を調べていた。
 名前からではなく顔写真のみで身元を探った結果、ライトー一族とは縁の無い「クーリン・ザバド」であると判明。
 館を追われる事となる。

 巡邏軍に被害届を出したが、しかし損害としては彼を2週間館に泊めた分の食費くらいだ。
 彼はあくまでも遠い縁者としての節度を崩さず、カネの無心などもしなかった。
 それ故にシュベルシークも「ひょっとしたら」と思ったらしい。

 

「それで、記念品は彼が持ち去ったのですね」
「そこまではネコは知りません」

 ハギット女史は憶測を交えたりしない、信頼できる語り手だ。
 ネコの噂を聞く権利を持つのはお嬢様のレアルだが、分析は彼女が行うのだろう。

「その後、巡邏軍に逮捕されたのですね?」
「6187年、ライトー家を訪れて2年半くらいですか。
 ルリティムの街で、この事件とは別の詐欺事件で捕まっています」

「ルリティムって、あのルリティム市ですね」
「はい。ヌケミンドルとベイスラの県境です」

 その他付随する情報を得て、クワンパは電話を切った。
 振り返ると順番待ちが5人も並んでいる。

 整理すると、
「クーリン・ザバド」はルリテイム市で逮捕されて、ライトー一族に対する詐欺についても取調を受けた。
 投獄され5年ほどで出所したが、さらに2回逮捕された。
 13年前に医療刑務所を出た後の消息は不明。
 彼と「ライトー・クラムシュ・オヴェー」の関係については、ネコは知らない。

「本人を探すより、巡邏軍の調書を調べた方が早いな」

 

     ***** 

 電話の順番なんか待たない。
 館の管財人ヱメコフ・マキアリイの威光を駆り、強引に受話器を奪い取る。
 なにせ緊急だ。

「はい、ヱメコフ・マキアリイ刑事探偵事務所」
「あれ? ネイミィさんじゃない?」
「その声は、クワンパさんか。
 ネイミィさんは今銀行に支払いに行って、俺が店番している」

 声の主は刑事探偵ビィディルストンだ。
 ガラクさんに話を聞きたかったのだが、本職の刑事探偵であれば誰でも同じか。
 果たして、ビィディルストンは電話口での簡単なやり取りで事態を理解した。

「つまりルリティム市の巡邏軍の28年前の調書を調べたいんだな」
「お願い出来ますか」
「本業だ、本職に任せてくれ」
「お願いします」
「それでー、必要経費だがー、」

 彼はマキアリイ事務所に寄生的に世話になっているのを済まないと思うのだろう。
 本来であれば、マキアリイの為に無償で働いてもよい案件。
 クワンパは、

「もちろん、ヱメコフ・マキアリイ刑事探偵事務所からの正式な依頼です。
 領収書お願いします」
「わかった。決して失望はさせない」

 と、景気よく通話を切られた。
 電話室を出たクワンパは、順番待ちの怨嗟の眼差しに応えもせず、考える。

「ルリティム市かあ……」

 クワンパ、ちょっとだけ詳しい。
 カニ巫女事務員前任「シャヤユート姉」の出身地だから。

 ルリティム市は。ヌケミンドル県に属するアユ・サユル湖畔の港町。
 かっては「カプタニア武徳王国」と南部「ソグヴィタル王国」の境目にあり、
どちらの税金も免除される自由港として結構な繁栄を遂げている。
 今も、ヌケミンドル市とノゲ・ベイスラ市の大市場を介さずに産品を出荷したい場合に使われた。

 

 子どもが館内を走り回って、ようやくクワンパを発見した。

「ねえちゃん、蔵がたいへんだって!」
「おう。」

 伝令役の子ども達にも後でご褒美をあげないと、と思いながらクワンパは走る。
 緑の庭に飛び出し、幾張も連ねる天幕の間を走り抜ける。

 結局ニセ病院最終日に受け付けた入院患者は70人。
 院長ゥゴータ・ガロータは昨夜立て続けに7件の手術を行い打ち止めにした。
 若手医師・医学生達と共に泊まり込み徹夜で患者の容態を見守る。

 朝になって健康局の医師達が病人の選別に訪れると、彼らに任せて撤収。
 今はみかん男爵の爺やさんが待機に使っている喫茶館隣の宿屋を借りて爆睡中。
 ついでに男爵の自動車に最低限の医療器具・薬品を積んで押収から免れている。

 夜、役人が撤収した後にこっそりと戻ってきて、残された病人を診る計画。
 全然悪びれていない。

「人が悪いな」

 庭を駆け抜けながら、医師達の病人選別の作業を見る。

 そもそもが彼らは病人の容態と緊急度、入院の必要性を判定する為に来た。
 しかしゥゴータが丸投げしたからには、最低限の医療措置を引き受けねばならない。
 ニセ病院側の人間はすべての医療行為を禁止されているから、仕方がない。
 一人ひとりの病状を説明するトカゲ巫女も傍観するだけだ。

 

 塀の外をうかがうと、昨日と同じで人が騒ぐ声がする。
 取材の記者も野次馬も多いだろうが、貧しい病人達が未だ押し寄せている。
 ニセ病院が取り潰しと聞かされても止まるものではない。

 クワンパ、役人のヒトに同情する。
 こんなことやりたくは無いだろうな。

 

      ***** 

 蔵の前に立つ。
 市衛生健康局の係官と医師、作業員の10名以上を押し留めているのが、
この間説明してくれたコウモリ神官だ。

 黒衣の神官は静かな姿ながら、一歩も退く気配を見せない。
 法を振りかざしても、実力行使をちらつかせても、日頃死と向き合う彼が怯むはずもない。
 明らかに役人側は困惑して立ち竦む。
 誰かが助けてあげないと。

 

「ヱメコフ・マキアリイの代理人クワンパです。どのようになっていますか」

 振り向くのは、昨日来たゥゴータ先生の知り合いマナカハ・ヂドー氏だ。
 自分の顔を見て、ほっと息を吐き出した。
 神官の相手をするには、やはり同じ神殿関係者でないと。

「クワンパさん、お願いします。この方がどうしても退いてくれなくて、」
「重病人の慈善病院への移送ですね。
 でもこの蔵の病棟に居る人は、」

「そうだ。彼らは死ぬ。誰も、医師であっても留められない運命だ。
 彼らはここで死ぬ。それでよいではないか」

 コウモリ神官の言葉に、生ある者の為に働く人々は抵抗できない。
 それでも法律はあくまでも非情を貫けとを要求する。

「これは既に決定した事で、特例扱いは出来ません。
 ですから、どうかそこを退いて我々を中に入れてください」
「何をしようと言うのだ。今更に何が出来るのだ。
 まさかとは思うが、彼らを設備の整った近代病院に連れて行き治療するとでも言うのか」
「え、ええ。そういう事になります。
 少なくともニセ病院の貧弱な設備で出来る以上の治療が可能です」

「それで彼らを何日生き延びさせるのだ」

 症状の判定に来た医師は、蔵の病人の診療記録を既に読んでいる。
 答えようとしない。
 何も出来ないと、彼こそが知っているからだ。

 マナカハは責任者として無理を通そうとする。

「とにかく中に入れて、患者の判定をさせてください。 
 後の治療に関しては、そこで決定します」

「そして緊急性を認める病人は、慈善病院への移送を決定する。
 だが救急車の中で死んだらどうするのだ。
 動かせば死ぬと分かっている者をあえて動かし死なすのは、未必の故意と呼ぶものではないのか」

「それはー、……」

 

 クワンパには分かった。
 コウモリ神官はただ静寂を欲しているだけだ。
 死を迎えんとする病人の心を乱したくないだけなのだ。

 言った。

「あのー、ここは後回しでいいのではありませんか」
「しかし、緊急性を要する重症の患者から先に保護する規定となっているので、」

 マナカハも、クワンパの言うとおりに出来れば、と顔で助けを求めている。
 なにか口実があれば、

 クワンパ、コウモリ神官に尋ねる。

「病状がこれ以上悪化する患者は居ますか?」
「それは居ないな。もうこれ以上は」
「だそうです」

「だそう、ですか。なるほど」

 マナカハ・ヂドーも腹を決めた。

「この病棟は後回しとしましょう! 次へ」

 医師も作業員達も安堵して、男子病棟へと向かう。
 マナカハは少し会釈して続いて行った。

 コウモリ神官はクワンパに礼を述べる。

「さすがに噂のマキアリイ氏の代理人だ」
「正直な話を聞かせてください。何日保ちますか」
「最後の1人は、10日保つかもしれない。他は3日を必要とするか」

「そうですか。では10日を護りましょう。
 夕呑螯神殿は生きる者のみを相手としますから」
「お願いします、クワンパ」

 

 神官は再び蔵の中に戻っていく。
 入れ替わりに出てきた黒衣の巫女が、クワンパに深く頭を下げた。

 

     *****  

 日が暮れて係官作業員が撤収し、館の周囲を警備する巡邏兵のみとなる。
 取材の記者も野次馬も、病人も諦めて閑散とする。

 

 ゥゴータ・ガロータ院長と医学生達がニセ病院にこっそり戻ってきた。
 院長室で主要幹部およびクワンパ、メマを集めて報告会だ。

「何人が移送された?」
「50人、ですね。まだ百名以上が放置されたままです」
「ヂドー君もいい加減だなあ」

 ゥゴータ先生の批難に対して、マナカハ・ヂドー氏の作業を見ていたクワンパは異を唱えたくなる。

 緊急性を要する患者が50人も居たのだ。
 いきなりそんな数を受け入れられる病院があるわけがない。
 1回線しかないから電話室に陣取って、何時間も受け入れ交渉を繰り返していた。

 なお次点の入院が必要な患者は60数名、自宅療養でなんとかなりそうな患者が50余名。
 そして蔵の中には6人。
 担当マナカハが神経やられそうで、ご苦労さまだった。

 運営責任者のトカゲ頭之巫女ヴァヤヤチャが総括する。

「全部やられました。便所が閉鎖されていないのが不思議なほどです」
「うん。水道もダメですか」
「幸いに井戸がありますから多少は。ですが患者さん全員の飲水を汲み上げるのも大変です」

 婦長役のチクルトフも追加する。

「明日からは病室の寝台も撤去するそうです。夜具なども没収されますから、いよいよ無理です」
「これまでかあ……」

 既に勝負は決して、撤収有るのみだ。
 病院外に退避させていた医療器具も薬品も、とうてい足りるものではない。
 処方薬は患者個人に持たせているから、トカゲ巫女達が回ってそれぞれに呑ませた。
 しかし何日も保たない。

 ヴァヤヤチャが宣言する。

「既に資金的にも凍結されました。マキアリイニセ病院は終了です。
 皆様、長い間のご協力ありがとうございました」

 全員が頭を下げる。悔いは無い。
 元々ニセ病院はこれほど大規模に出来るものではないのだ。
 ヱメコフ・マキアリイの虚名に乗っかりトカゲ巫女が暴走した結果、市当局が無視できない規模にまで膨れ上がる。

 病人が尽きる世は来ないのだから、一時何人かの助けになれれば可。
 また次の機会を探すだけだ。

 それぞれが席を立って、最後の宿直の準備をする。

 塀の外の炊き出し現場では今も鍋に火が入り、ニセ病院の世話になれなかった人に粥を振る舞っていた。
 頑張ってくれる人はまだまだ居てくれる。

 

「やああ皆さん、お集まりですな。昼間はたいへんな騒ぎでしたなあ。
 わたしも忙しい一日でしたよ。ライトー一族の財産がちゃんと保存されていると分かり、安心です」

 殺気がそれぞれの瞳から発せられ、一人に集中する。

 シメシバ・ッェットヲン。
 この館内で誰一人彼の味方をする者は居ない。
 にも関わらず、満足そうに脂ぎって登場だ。

 彼は市当局の作業が終わると早々に外出して、夕食を食べに行った。
 病人達とおなじゲルタ粥はいかがですか、と嫌がらせを言ってみたがさすがに乗ってこない。

 ちなみにもちろん、マキアリイ秘蔵の「古代ゲルタ」はクワンパの手により鍋に放り込まれた。

 既に嫌味も意味無いが、ゥゴータは一言言わずには済まされない。

「ニセ病院は今夜で本当に終了するが、当局に通報して止めさせないのか」
「しませんよお、そんな不人情な。
 貧しい病人を見殺しにする、そんな残酷な真似わたしに出来るわけないでしょう。
 控室に籠もって見ないふりをして差し上げますよハハハ」

 

     ***** 

 引き上げるッェットヲンと暗い廊下ですれ違ったのが、みかん男爵だ。
 彼女も一旦家に戻り、様々に偽装工作をしてニセ病院に戻ってきた。
 院長室のヴァヤヤチャに進言する。

「闇討ち、しませんか」
「今更意味がありません。それより中学生は家に帰っておとなしく寝なさい」
「ヱメコフ・マキアリイの永遠の従者としては、それはご勘弁を願います」

 クワンパは男爵の腕を引っ掴む。こいつの担当は自分以外無い。

「それでは私は所長の庭番小屋で、夜通し湯を沸かします。メマさんと一緒に」
「頼みます。すいませんね、カニ巫女の人には筋違いの仕事で」
「私にとっては、これも給料分の内です。ご案じなく」

 

 結局ライトー館で火が使えるのは、庭番小屋だけになってしまった。
 夜間とはいえ、そして夏とはいえ、病人の中には様々な症状を示す者が居る。
 深夜に夜具を取り替えねばならない事態も起こる。

 石鹸・消毒液まで押収されたからには、もうひたすら湯を沸かすしか無い。
 宿直の医師医学生トカゲ巫女の為にも、茶も淹れる。

 さすがにメマ・テラミもゥアム帝国の美麗なドレスから着替え、汚れてもいい姿に戻る。

「薪は押収されなかったんですね」
「まだ切ってない丸太状態でしたから。ンゴアーゥルさんが夕刻から割ってくれました」
「感謝いたしましょう」

 コウモリ神殿に属する墓掘り人ンゴアーゥルも、夜通し館の警備を行っている。

 小屋の中で火をガンガン炊くのは物騒なので、外に炭火コンロを持ち出した。女3人には重い。
 男爵は首を傾げる。

「薪、直接突っ込んでだいじょうぶかコレ」
「燃えりゃあいいでしょ」
「そうかなあ」
「とにかくお前は水汲んでこい」
「げえ〜」

 鉄板製の手桶を両手にぶら下げて男爵は庭の井戸に向かう。
 今も天幕が幾張も残され、裸電球が灯っている。さほど暗くはない。

 メマとクワンパは鍋の用意をする。
 厨房の鍋を押収されたから、近所の質屋に行って中古を借りてきた。
 コンロの上にがっしりと据え付ける。
 水が来る前に薪に火を熾す。流石に面倒だ。

 

「くわんぱー、」

 みかん男爵の間抜けな声が呼ぶ。水を両手で持ってきてる割には気楽そうだ。
 闇に目を凝らすと、隣にとても大きな塊の影がある。
 館の門で警備しているはずのンゴアーゥルだ。手桶を軽々と持って来る。

「ち、あいつめ」

 クワンパは舌打ちするが、男爵は空手で駆けてくる。真剣な表情だ。

「クワンパ、たいへんだ。門前に急患が来ている」
「え、ダメだろ。もう何も出来ないぞ」
「と言っても追い返せないって、ンゴアーゥルさんが」

 手桶を地に置いてメマに渡しながら、巨大な墓掘り人はぺこと頭を下げた。

「すいません。何度言っても聞かないし、それにほんとに具合が悪いようで」
「どんな人?」
「近所の知ってるお母さんと子どもです。子どもの方が苦しそうに腹を押さえて」

 クワンパ、即決した。

「すぐ連れてきて。私がゥゴータ先生に話し付ける」
「分かりました」
「おう、任せろ!」

 

     ***** 

 クワンパが何を言うでもなく、ゥゴータ・ガロータは承諾した。
 元々ここは近所の貧乏人の為のニセ病院だ。
 いきなり急病で誰にも頼れない人達を救うのが目的だ。

 それに初診の患者ではない。
 この子は生まれつき病弱で、何度もニセ病院の世話になっている。
 母親が駆け込む先に此処以外を考えつかないのも無理はない。

「すいません先生。でもいつもと違う痛がり方で、」
「わかったわかった。心配ない。
 詳しく順序立てて何時から痛がり出したかを話してください」
「昼間から調子がわるいような感じはしてたんです。でも、……」

 診察と言ってもろくな機器道具は無い。
 せいぜいが医者が往診で使うかばんに入る程度だ。

 ンゴアーゥルが両手で寝かせたまま抱いてきた少年は8才。
 貧乏人の子であるから栄養も不良で身体もあまり大きくない。
 それでも両親は懸命に育てているのが分かる。

 診察台で触診するゥゴータは、眉をひそめる。
 この子の既往歴からは外れた症状だ。ひょっとするとこれは、

 助手を務める医学生に振り向く。

「ちょっと見ていてくれ。他の病院を当たってくる」

 医学生とトカゲ巫女に任せて電話室に向かう。
 クワンパ、様子が尋常でないのに慌てて付いて行く。

「先生、今のニセ病院では無理な患者ですか」
「早急に透過線撮影(X線)がしたい。急がないと手遅れになる」

 もちろん高価な透過線撮影機材など、元からニセ病院には無い。
 通常であれば知り合いの病院に頼んでこっそり借りたり、病人を慈善病院に押し込む手順を取るところだ。

 だが今は、

 

「   くそ、やっぱりダメか!」

 3回立て続けに断られ、ゥゴータは受話器に八つ当たりする。

 今やニセ病院は善意を使い果たした状態にある。
 そもそもが昼間、市当局によって選別された患者を無理を押して複数の病院に収容した矢先だ。
 受け入れ可能な所など残っていない。

 クワンパの報告により、ヴァヤヤチャも電話室に来た。
 トカゲ神殿の力でなんとかする方法も有るのだが、通例と違い、

「すみません。やはりこちらでも受け入れは無理なようです。
 それどころか、通常の救急医療にも支障が出ているらしくて」
「だからニセ病院潰すなと言ったのに、  と愚痴を言っても仕方ない。
 最終手段だ、ウチの医学部を頼ろう」

 そしてやっぱり裏切られる。

「あいつらめ! ヱメコフ・マキアリイに協力して総統閣下に媚を売るつもりじゃなかったのか。
 今更に世間の報道なんかに踊らされやがって、くそくそ、くそ!」

 電話の合間にも頻繁に診察室に戻って、少年の容態を確かめる。
 為す術なく、子どもの顔色が変わっていくのを見守るばかりだ。
 母親にすがり付かれて、宣言する。

「ニセ病院ではなんともならん。
 どこか知り合いの個人診療所に押し入って、手術台を勝手に使おう!」
「先生、それはさすがに犯罪です!」
「ええぃ、どこか手近な医者は居ないか、電話帳探せ」

 

 みかん男爵も心配になって、こっそりと様子を見に来ている。
 廊下の暗がりから診察室を覗き、クワンパに状況を尋ねた。

「他の病院、ダメなの?」
「今は何処も、ニセ病院からの患者は受け付けてくれないって。
 私立の病院はもちろんお金の問題で、」
「ダメなの? ほんとうに?」

「やれやれ、本当に騒がしい病院ですなここは」

 呑気な眠そうな声に、二人は振り返る。

 

     ***** 

 50絡みの頭の大きな小男は、寝間着のまま無遠慮に診察室を覗き込む。
 今は誰も彼を構う余裕が無い。
 手の空いたクワンパと男爵が押し戻すべき。

 ッェットヲンは無責任に言い放つ。

「貧乏人を受け入れる病院が無いんでしょ。当たり前だ。
 いくらなんでもね、損を承知で抱え込むバカは居ませんよ」

「うるさいな、ちょっと黙っていてくれ」

「金持ちに見せかければいいんだ」

 その場の眼が彼に振り返る。何を言い出すつもりだ。

「ヤクザがよく使う手ですよ。
 まっとうな病院ならどこもヤクザとの関わり合いを恐れて患者を受け付けようとしない。
 だったら正体経歴を偽装して、そうですな、ヌケミンドルから来た富豪が急病とかで。
 入ってしまえばこっちのものです。脅すなりすかすなり幾らでも手は有る」

 

「……、……。アリか、それも」

 ゥゴータが小さく零した言葉に、クワンパは低い声で吼える。

「男爵ぅーーー!」
「おぉう!」

 みかん男爵、診察室の明るい照明の中に踏み込んだ。

「わたしの従弟という事にしましょう。服を着替えて、自動車で乗り込めば怪しまれません」
「だが、それでいいのか、キミは」
「みかん男爵はヱメコフ・マキアリイ永遠の従者です!」

 誰も止めようとしない。いや、期待が中学生に集中する。
 ゥゴータも決意する。

「わたしも一緒に行こう。いざとなったらわたしが責任を取る」
「では、患者の移動の準備を、」
「車を呼んできます!」

 飛び出し電話室に向かう男爵に、母親は自分も一緒にとすがろうとする。
 ヴァヤヤチャに止められた。

「貴女が一緒に行くと正体がばれてしまいます。ここは信じてお任せしましょう」

 

 バタバタと詐欺の準備が調えられていく。
 その姿を他人事と眺め、薄ら笑いを浮かべながらッェットヲンは背を向ける。
 ぼんやりと暗く灯る廊下を戻っていく。

 クワンパは彼を追った。

 

     ***** 

 本館外回りの回廊に彼は出て行った。

 館の庭は茂る樹の葉が重なり暗く、だが闇の中に喧騒がある。
 未だ天幕には50名の病人が野宿し、トカゲ巫女や医学生が巡回して様子を確かめている。
 小さな白熱灯が幾つか輝き、魚油灯をかざして天幕を覗き込む。

 塀の外も人の気配が未だ収まらず、なにやら演説口論の声もある。
 八月には国会総選挙が行われるから、政治運動に利用する人もあるのだろう。
 貧困層の処遇に報道機関の眼が向くこの事件、使わずにはおられない。

 夏の夜の空気は熱く重く、木を燃やす煙まで漂っている。
 庭番小屋でメマとンゴアーゥルが湯を沸かし続けていた。

 もちろん病室の窓は風を入れる為に開け放たれ、蚊遣の香も臭っている。
 冷静客観的に評価すれば、ニセ病院は患者が密集してちょっとではなく臭い。
 夏だから特に感じられる。

 

 手すりにもたれ掛かるッェットヲンは、いつまでも消えない背後の気配に振り返る。
 いつものにたりといやらしい笑いが、夜目にもくっきりと。
 だがクワンパ、ちょっと違う感触を覚える。

「なんでわたしがあんな事言ったか、不思議に思うんでしょう」
「あなたはそういう話には関わらない人だと思っていました」
「だろうなあ。わたし自身もそう思うからね」

 しばらくまた庭を眺める。

 塀の向こうに電灯の光が差して、自動車が到着したと知れた。
 みかん男爵の高級車だろう。
 まもなく少年を乗せて大芝居が始まるはず。

「わたしもね、ガキの頃死にかけた覚えがあるんですよ。
 ちょうどこんな、いやもっと酷い貧民窟でね。生まれた時からそこしか知らない。
 ろくな親でなし、食うものもろくにない。それでよく育ったもんだ。
 で、親からもはぐれてガキ同士でたむろして、何の病気だったかひっくり返ってしまったんです。
 ドブに頭を突っ込んで、身動きも出来ず、誰が助けることもなく、ガキ仲間はイヌの糞投げて笑ってました」

 クワンパには想像の利かない世界だ。
 いかにカニ神殿で弱者に眼を向けろと教えられても、さらに一歩を踏み出す覚悟は容易には得られない。
 だからこその、神殿から外れての世間修行だ。

「で、もうダメかと思ったんですが、気が付いたらふかふかの白い布団の中に居た。
 小綺麗な部屋の、上品そうな婆さんが椅子に座って俺を見ていた。
 誰かが助けてくれたんですな。医者にも診せて治療もして」

「たぶんそれはカニ神殿の者だと思います」
「ちがいない。あんな汚いドブからボロクズみたいなガキを拾ってくるのは、他に居ないですな」

 遠くを見つめ過去を振り返る小男。
 裏社会に生きる人間は皆それなりに年輪を重ねている。クワンパは改めて思う。
 誰も侮ってはいけないと、神殿では強く教えられた。

「それでわたしは、その家に1ヶ月ほど世話になったんです。
 字の読み書きも婆さんに手ほどきしてもらった。学校なんか縁が無かったからですね。

 その家を出た後は、どこかの孤児院に連れて行かれました。
 胸糞悪い場所でしたが、ドブで死ぬよりはマシですからね。
 その甲斐あって今は立派な詐欺商売。不自由無いご身分てわけです」

 クワンパの顔を見る。
 やはり自分でもらしくない真似をしたと、照れていた。

「……今回の仕事も、英雄ヱメコフ・マキアリイが絡んでると聞いて嫌な予感があったんですよ。
 来てみたらやっぱりだ。
 何の得にもなりはしないのに、貧乏人の為に走り回るバカばっかりだ。
 こういう連中にオレは助けられたんだと思うと、

    あの婆さん、もう生きちゃいないよな……」

 

 ッェットヲンはちょいと左手を上げて、付いてくるなよと挨拶して自室に戻る。

 クワンパは彼とは逆、庭の天幕、病棟の見回りに行く。
 カニ巫女棒が必要な事態も起きているだろう。
 ニセ病院最後の夜は、まだこれからだ。

 と思ったのだが、あと2日同じ夜を繰り返す。
 お役所仕事はなかなか埒が明かない。

 

      ***** 

 (第二十二話)その6「メタトロン・ポリス」 その7「リドル・プリンセス」

 (第二十二話)その8「舞台裏の攻防」 その9「幻人あらわる」

 

第二十四話「シンプル・プラン」

 幻人の攻撃を受けたヱメコフ・マキアリイは、ユミネイトに殴り倒され昏倒した。
 そのまま両手両足を縛られ、頭にはすっぽりと頭陀袋を被せられ拘束される。

 なにせ無敵の達人マキアリイだ。
 しかも何をするか分からない幻人に取り憑かれている。
 彼の能力に幻人の狂気が加わった時、どのような破壊をもたらすか。

 原子核発電所完全解放の連絡を受けて突入した「組織」の強攻制圧隊と、
ヒィキタイタン、ユミネイトは火の出るような交渉を行う。
 結果、マキアリイの身柄はギジジットの警察局が預かった。
 マキアリイの先輩にあたるコレイト上級捜査官が管理責任者となる。

「いざとなれば、ヒゥーギニティ・ゴウ氏みたいに精神安定剤をぶち込んで眠らせておくさ」

 しかし、仮にも国家英雄のマキアリイを監獄には収容できない。
 医療刑務所も、アグ・アグヴァ市の事例から万全とは言えない。
 むしろ孤立した建物で周囲を兵で囲んだ方がよい。

 ヒィキタイタンの申し入れでソグヴィタル家の別荘を用いる。
 ただちに囚人護送車で送り届け、巡邏兵二個小隊が守った。

 

「発電所の研究員に幻人は何人居ましたか」

 ヒィキタイタンはユミネイトと共に、コレイト上級捜査官と協議する。
 応接室。
 財閥の別荘としてふさわしい豪華な部屋だが、今は警察局関係者や医師が始終出入りして寛げない。

 別荘番のミッタル夫妻もいきなりの大人数に驚いたが、
坊ちゃまは国家総議会議員で大事なお勤めをなさっている、
しかも英雄探偵マキアリイさんの大事件を共に解決なさるのだから、と納得だ。

 コレイトは給仕された冷たいシフ茶で喉を潤す。
 高価なヤムナム茶だと「饗応」に当たって面倒だが、シフ茶なら制限無しだ。

「ゥアム帝国の狩人の女が持っていた不思議な「ランプ」で調べたところ、
 発電所に立て籠もった106名の内、
 幻人の反応が見られたのが31名、
 かって憑いていた者が18名。これにはタタンゼ元科学技術総監も含まれる。
 幻人の影響力で盲目的に従ったのが51名。
 無反応でただ巻き込まれただけの人が6名だ」

「加えてヱメコフ・マキアリイが1名ね」
「全員隔離ですか。大変ですね」

「ああ。精神安定剤を用いているが、君達の助言に従って「愚者の檻」も用いている。
 案外と要員を探すのが難しいんだアレ」

 幻人の治療法は無い。
 長期間の拘束を行うと、やがて集団自殺とも呼べる惨劇を引き起こす。
 ゥアムの劇作家「シェ=ェクス・ピア」が描いたように。

「結局は、バハンモン教授がゥアムの魔法書から「幻人祓い」のおまじないを探してくれるのを待つだけですか」
「それなのだが、本当に効果があるのだろうか。
 魔法、なんだろ」

 男二人がユミネイトを見る。
 ゥアム神族のお姫様も返答に窮した。

「わたしも父も、そのまた前の『トゥガ=レイ=セト』も幻人祓いの儀式はやった事が無いので、
 ほんとうに効くかこっちが聞きたいです」
「だろうな。ゥアムでも300年も音沙汰なしだったそうだからな」

 

 バンと派手に扉を開く音が響いた。
 応接室は現在開けっ放しだから、どこの扉だ。

 高い靴音と共に男性が乗り込んできた。
 妨げようとする巡邏兵を押し退ける。

 ヒィキタイタンその顔を見て怯む。まるで悪戯っ子が現場を押さえられたかに。

「先生! いつまで遊んでるのですか。総議会はもう大変です!」

 

     ***** 

 ヒィキタイタンの第一秘書シグニ・マーマキアム。
 国策タンガラム中央大学卒で、何人もの国会議員の補佐をした切れ者だ。
 些事に拘る不良議員を正論で叩きのめす。

「国家の非常事態なんかマキアリイ君に任せておけば済むでしょう。
 事件も終わったのに帰って来ないとか、総議会を舐めてますか!」

「し、しかしマキアリイが幻人に取り憑かれてたいへんで、」
「大変なのはこっちの方です。閉会前で死人が出るほどの騒ぎなんです。
 今すぐ帰ります」
「でも、だけど、」

 ほんとうに腕を掴んで、シグニはヒィキタイタンを引っ張っていく。
 王子もただ叫ぶだけだ。

「メンドォラくんは残しておくから、マキアリイを頼むよー」

 唖然とするユミネイトに、対面のコレイト上級捜査官は静かに諭す。

「これでいいのです。
 そもそも国会議員がなんでこんな事件に首を突っ込んでいるのですか」
「あーー、それはー、たぶんわたしのせい」
「貴女の為ですね」

 

 旅客飛行機でルルント・タンガラムに引き戻されたヒィキタイタンは、
その足で直接「ウェゲ議政同志會」本部に出頭。
 国家総統にして党総裁のヴィヴァ=ワン・ラムダに事件の報告をする。

 ほぼ無傷で解決した事に総統は大変満足した。
 国民に大っぴらに公開出来ないが、多額の国家予算を注ぎ込んだ一大計画だ。
 灰燼に帰さずに済んだ功績は非常に大きい。

 総統に同行して総議会議事堂に乗り込むと、そこはもう修羅場。
 任期終了独特の空気に満たされ、弾丸も飛び交いかねない緊張の中にある。
 ヒィキタイタンが初めて遭遇する「解散」の風物詩だ。

 ボロボロになって議事堂を出てきたところで、事務員に伝言紙を渡された。
 バハンモン教授からだ!

 

「やあソグヴィタル議員、ギジジット市では大活躍だったようだね。娘から聞いているよ」

 議員控室ではなく、玄関受付で電話を借りてバハンモン・ジュンザラゥ教授に連絡する。
 「褐甲角王室芸術院」の研究室だ。

「マキアリイ君が幻人に取り憑かれたらしいね。なんて羨ましい」
「それで、魔法書の幻人祓いの儀式は分かったのですか」

「『Grimoire』と『Mabinogion』から同じ記述が見つかって、かなり確度の高い情報らしい。
 すでに写真複製で当該頁を送ってもらい、翻訳もしてもらったけど、
 大きな問題があるんだ」

「なんです。タンガラムでは出来ないとかですか」
「それに近い。見つかったのはゥアム古音階の楽譜なんだ」
「音楽ですか」
「そう。タンガラムにはゥアム古音階を理解できる者が居ない。
 それどころか演奏出来る者が居ない。
 記述によると、儀式を行うには練達の奏者が必要で、失敗すると死ぬと書いてあるんだ」

「なんとか出来ませんか」
「まずゥアム帝国で奏者の募集をする。それも古音階を理解できる音楽博士を。
 だが死を懸けて、それも外国人の為にとなると」

 絶望的な状況だ。
 だがヒィキタイタンには奇跡の巡り合わせと感じられた。
 さすがマキアリイ、幸運の女神が12人は加勢する。

 

「はい、グリン十二神巫女寮です。
 はい、はい。タコ巫女のタルリスヴォケィヌさんですね。はい、タルちゃんです。
 今楽器の練習中で、はい居ります。
 それでそちら様のお名前は、……、……ひっ

 ひぃきたいたん、さま、でいらっちゃいまちゅか……。」

 巫女寮の電話で応対したカタツムリ巫女ヰメラームは卒倒した。
 まさか伝説の王子様と直接お話出来るなんて、
これは夢じゃ、夢に違いない、あああたしもうしぬんだ。

 寮監のカーハマイサが落ちる受話器を拾い上げる。
 中学校の教諭を定年退職した彼女は、さすがに滅多な事では驚かない。

「お電話代わりました、巫女寮に御用ですか。
 えっ、あの、ソグヴィタル・ヒィキタイタン様ですか。国家総議会議員の、
 ええ、はいタルリスヴォケイヌは確かに居ます。
 今すぐ、ですかルルント・タンガラムに。
 迎えがもう来る?」

 ゥアム木造建築様式の瀟洒な巫女寮の前に、黒塗りの賃走自動車が止まる。
 警笛を鳴らして存在を呼び掛けた。

 カーハマイサは何事かと首を出したコウモリ巫女見習いビナアンヌに指示する。
 今すぐタルリスヴォケイヌを呼んできて。

 

     ***** 

 賃走自動車はベイスラのアユ・サユル湖水上飛行機発着場で停止する。
 おっとり刀で何も持たずに乗り込んだタコ巫女タルちゃんは、長く車に揺られて視線がふらつく。

 待っていたのはヒィキタイタンの妹キーハラルゥだ。

「タルちゃん!」「キハちゃん!」

 わーい久しぶりだ、と近づくタルちゃんに、いきなり飛行帽を被せ風防眼鏡を掛けさせる。
 発着場整備員の手を借りて、水上飛行機の後席に放り込んだ。
 もちろんマキアリイが使うオンボロ機ではない。

「説明は空中で。マキアリイが危ないの」
「おにいちゃんが? 行く!」

 直接首都ルルント・タンガラムの発着場に着水した飛行機から、
また迎えの車に乗せられる。
 着いた所は大学だ。ヒィキタイタンが待っていた。

「ヒィキタイタン!」
「タルちゃん、実は君に頼みがある」
「知ってる! ゥアムの古音階だって? 任せて!」

 案内されるのはバハンモン教授の研究室だ。
 写真撮影で大きく引き伸ばされた『Grimoire』の数頁を見せられる。

「ソグヴィタル君、彼女が「栄光の音叉」の、」
「はい。タンガラム人として初めて「ゥアム七楽聖記念奉音舎」を卒業して学位を取得した天才です」
「おお、話は聞いていたよ。君の知り合いだったとは」

 タルちゃんは叫ぶ。

「分かるー」
「分かるのかい!」

 驚くのは教授だ。
 『Grimoire』自体は極めて難解な「ゥアム聖符」で書かれている。
 タンガラムの「ギィ聖符」と同系統の文字とはいえ、一般人にはまったく読めない。

「読めないけど、楽譜のところは習ったのとよく似てる。
 というより、習ったのより新しい形式で描いてる」
「そうかい、まさか古音階の解読が出来る人がタンガラムに居るとは思わなかったよ」

「タルちゃんタコ巫女だから、タコ神殿の古い音楽はちゃんと知ってる。
 ゥアム古音階はそれに比べるとすごく簡単。表記も単純だよ」

 おおー、と教授は感嘆する。これは素晴らしい人材だ。
 まさに比較芸術論の生きた体現者だ。

 タルちゃん、タンガラム語に訳された文章をしばし眺めて、ヒィキタイタンに向き直る。

「楽器!」
「よしきた」

 

 「褐甲角王室芸術院」はその名の通りに、哲学と神学を裏付けとする芸術を専門とする。
 神に捧げる音楽も当然研究対象。
 必要な楽器も一揃い収集してあるし、外国楽器も購入する。
 ゥアム製の「ピアノ=トラベラ」がちゃんとあった。

 音楽科の教授も興味深々でタコ巫女を案内する。

「ふふふふふふふふふふふ」

 両手の指をぐにぐにと蠢かせて、白黒の鍵盤に叩きつける。
 いきなり流れる異国の音楽は如何にも禍々しい旋律だ。
 音楽科の教授は戸惑ったが、バハンモン教授は血圧が上がる。

「そう、それだ! ゥアム外周の蛮族に伝わる魔法の旋律だ。
 素晴らしい、録音を、録音を用意しろ!」

 

 ピアノの旋律はますます複雑に精緻に組み上げられていく。
 ヒィキタイタンにも理解できた。

 この曲は聞く者に先の展開を予想させない。
 音楽的な快感を逆撫でするかに裏切っていく。
 もちろん奏者自身の内部の音楽こそが、侵され捻じ曲げられていく。
 単なる超絶技巧ではなく、自らを理不尽に矯める精神的な毅さを必要とした。

 失敗すれば死ぬのは、音楽家として崩壊するという意味ではないだろうか。

 譜面を何度か確かめて精度をますます高めていく。
 曲の終わりにバンと鍵盤を叩きつけ、ガインと金属の弦の余韻を漂わせて、
タルちゃんは振り向く。

「音色が違う。ピアノじゃない。
 巫女寮の「クラヴィカ=グランテ」ならたぶんぴったりなの」
「じゃあ幻人祓いはベイスラでやろう」
「うん」

 バハンモン教授も興奮する。興奮せずに居られるか。
 ゥアム帝国でも数世紀は行われていない秘儀が、目の前で執り行われるのだ。
 叫ぶ。

「撮影だ、撮影隊を用意しろ!」

 

     ***** 

 「幻人祓い」が可能だ、との報を受け取ったユミネイトは、マキアリイのベイスラへの移動を開始する。

 ギジジットを中心とする毒地平原は「陸内潮汐」という現象を利用する水力発電が盛んだ。
 鉄道も全線電化されており速い。

 残念ながらギジジットにはまだ高速の幹線鉄道が敷かれていない。
 ボウダン街道線ギジェカプタギ市から南下してギジジットに至り、
毒地平原を抜けてヌケミンドル市に通じる「毒地横断線」が計画されているが、何時の完成になるか。

 貨車1両を借り切り、拘束されたマキアリイを移送する。
 精神安定剤を投与して沈静化させているが、暴れて他の乗客に危害を及ぼさない為の措置だ。

 ユミネイトとメンドォラ、ネコ1匹、ギジジット市警察局の捜査官1名、巡邏兵10名も護衛に付く。
 狩人「細蟹のパ=スラ」は警察局に身柄を抑えられ、幻人憑きの管理を強制されている。
 コレイト上級捜査官は同行しなかった。

 

 1日半を掛けてヌケミンドル市に到着。
 待っていたのは「ヱメコフ・マキアリイの妻」を名乗る女性だ。
 チンピラの男2名を従える。

「あなたが有名なユミネイトさんですね。
 お初にお目にかかります。主人がお世話になりました。
 ヱメコフ・タモハミ・ツゥルガと申します」

 あーーーー、とユミネイトは思い出す。
 映画にはなっていないが、そういう話も「英雄探偵マキアリイ」にはあったなあ。
 芝居の脚本も読んだことがあるぞ。

 ヌケミンドルからは船でノゲ・ベイスラ市まで移動する。
 タモハミが知人から小さな貨物船を借りて用意していた。

 桟橋から船に乗り移る際、タモハミはマキアリイに縋りつく。
 目隠し猿轡、鉄の担架に革紐で手足を縛り付けられ身動きも出来ない夫に、涙で語る。
 手下のチンピラ シャケとタラも泣く。

「旦那様、なんとおいたわしい」
「兄貴ぃ〜」
「さすがはマキアリイの兄貴だ。外国の怪人と戦うなんてスゲえスゲ過ぎる」

 湖上を行くのは、鉄道だとヌケミンドル−ベイスラ間は路線が入り組んで、しばしば信号停止するからだ。
 万が一情報漏れでマキアリイの移動がバレたら、絶好の襲撃場所となる。
 復讐を目論む奴は枚挙に暇がない。

 

 ヌケミンドルの3人を加えて一行は進む。
 特に問題も無くベイスラの港に到着。
 待っていたのは、

「なんて情けない姿ですか、所長」

 ヱメコフ・マキアリイ刑事探偵事務所の事務員、カニ巫女クワンパだ。

 ここからは貨物輸送車で行く。
 護衛の巡邏兵やヌケミンドル組は他の車で随行。
 荷台にはユミネイトとメンドォラとネコ、捜査官、クワンパが乗った。

 目隠し猿轡の所長の頭をクワンパこんこんと叩く。

「これ、耳は聞こえてるんですか」
「精神安定剤を大量に呑ませて朦朧としてるけど、意識は有るはずよ。
 おしっこ我慢出来なくなったら合図するし」
「あー情けない。で、食事は」

 ユミネイトはカニ巫女を見る。
 今度のカニ巫女は、前の「シャヤユート」に比べて美貌では劣るが、割と使えそうだ。
 普通の感性を持っているのだろう。
 でもマキアリイに対して遠慮が無い。やっぱり人でなしなのか。

「それがね、好物のはずのゲルタを食べようとしないのよ。舌が受け付けないって」
「それは重症だ」

 クワンパは顔を引き締める。
 ヱメコフ・マキアリイ最大の危機ではなかろうか。

 

     ***** 

「ぎゃーあ、ぎゃーあ、ぎゃあああああ」

 喚き散らすのはヰメラームだ。

 クワンパが巫女寮に帰ってきたと思ったら、巡邏兵が担架に縛り付けられるマキアリイを搬入。
 「潜水艦事件」のヒロインである「ユミネイト・トゥガ=レイ=セト」嬢が優雅な姿で乗り込み、
その筋では有名な「ヱメコフ・マキアリイの妻」までが同行する。

「や、来たね」

と手を挙げ輝かしい笑顔で入ってきたのが、世紀の王子様「ソグヴィタル・ヒィキタイタン」
 タコ巫女「タルリスヴォケイヌ」と共に光臨した。

 これで錯乱して死なずに済むものか。
 ヰメラームを抱え上げるゲジゲジ巫女ッイーグも、さすがに呆然。
 間近で見る王子様のなんと王子様なことか。

 

 一方大家のグリン・サファメルと寮監カーハマイサも困り顔。

 ヒィキタイタンの訪問と同時に、大学関係者が各種機材を搬入してくる。
 首都「褐甲角王室芸術院」と「ソグヴィタル大学」が共同で、
「ヱメコフ・マキアリイ幻人祓いの秘儀」の学術撮影を行うのだ。

 なにしろその筋の第一人者バハンモン教授の呼び掛けだ。
 両大学とも一気に盛り上がる。
 「幻人」の名を、その歴史的意義を、今回の秘儀の価値を、
専門の研究者なら誰でもが理解する。飛び付いてくる。
 撮影機を3台も用意し、本格的録音設備も持ち込んで万全の体制。

 しかも対象が天下の英雄マキアリイだ。
 異変に気付いて襲ってくる輩が無いとは言えず、ベイスラの巡邏軍も一個中隊を派遣。
 巫女寮のある閑静な屋敷町は厳戒態勢となってしまう。

 

「クワンパさん、一応呼ばれてきたけどね。私は場違いじゃないかな?」
「そんな事ありません。誰が所長を診るというんです」

 医療関係者として「ソグヴィタル大学」医学部副教授ゥゴータ・ガロータも顔を見せる。
 さっそく診察鞄を開いて、マキアリイの様子を確かめる。
 猿轡はそのままに目隠しは解いた。

「どうですか」
「これ、精神安定剤は抜いてるんですね」
「はい、儀式に邪魔になるというので1日前から投与していません」

 答えるのはギジジット市からずっと随行するメンドォラだ。
 彼がマキアリイの体調管理を担当する。

「食事をろくにしておらず、少し脱水状態で、しかも長旅を拘束されたまま。
 長時間同じ姿勢を取らされて良好とは言えないが、元が頑丈過ぎる男だからね」

 クワンパ尋ねる。

「頭の中に別の人が居るって、現代医学ではなんともならないものでしょうか」
「精神医学は専門外でね。あまり進歩もしてない分野だからどうしようもないんだが。
 それよりだ、これは君達の領分じゃないのか」

 不意に振られてクワンパは眼を丸くする。何?

「いやだって、これは世間一般の表現で言えば「蟲が憑いた」状態じゃないのか。
 十二神殿の「蟲祓い」は、こういう事例の為のものじゃ」

 

     ***** 

 あっ、とカニ巫女。自分の額を平手で軽く叩く。
 そりゃそうだ。カニ巫女棒は怠けの蟲を人から叩き出す為のものだ。

 ゲジゲジ巫女ッイーグも寄って来る。

「頭の中がおかしいってのなら、ゲジゲジ神殿だ。専門だよ。
 焼けたかんざしで折檻すればいいんだ」
「ああなるほど。魔法が入用と言うのなら、ミミズ神殿だねえ。
 浮気の蟲を体内で殺す蟲下し薬を用意しようか」

 ミミズ巫女ミメだ。ゆらりと色っぽい姿で漂い出る。
 負けじとコウモリ巫女見習いビナアンヌが中学生のくせに口を挿む。

「この世のものならぬ怪物は、もちろんコウモリ神殿が担当です。
 御札を貼りましょうべっとりと。糊も魔除けになるんです」
「ちょっと待て。古今東西憑き物祓い悪魔祓いの事例は蜘蛛神殿に幾らでも記録が残る。
 今回の事例に該当する事件も必ずあるはず。任せてよ」

 ぜったい失敗する事請け合いの蜘蛛巫女ソフソも参戦だ。
 元トカゲ巫女の大家さんも入りたそうな顔をする。

 このままでは収拾が付かないので、クワンパが提案した。

「とりあえず一個ずつ試していこう!」
「おー」

 

 一方その頃、マキアリイの脳内。
 精神安定剤が抜けてシャッキリとしてきた意識に、幻人が現れる。

「おいマキアリイさんよ。表のお嬢さん方を止めた方がいいんじゃないか。
 このままだとあんた、拷問されてしまうぞ。

 オレはいいんだオレは。痛みはあんたが引き受けてくれるから、こっちには届かない。
 でもな、宿主が弱ってしまうとオレも辛いんだ。考えるのも億劫になる。
 そんなもんじゃ出ていかないぞ、と忠告してくれないか」

「俺は痛いのか」
「痛いに決まってるだろう。おまえさんの身体だよ」
「うん、まあ、そうだよな。ひょっとして俺死にかけてる?」
「悪魔祓いの拷問って、だいたい失敗すると死んでるぞ。世間の常識だ」
「だよなー。まいったな」

 現実のマキアリイは担架に拘束され、猿轡を噛まされる。声が出せない。
 しかし頭で考えた言葉でそのまま会話出来た。

 ぴしっ、と肌にミミズ腫れが走る。
 カニ巫女棒は撮影機材照明等に引っ掛かるから、物差しを使ってクワンパが折檻を始めたのだ。

「痛えいてえ」
「だからよ、無駄なんだって言えよ」
「言って聞くなら殴らないさ、カニ巫女ってのは」
「そりゃあそうかもしれないがさあ」

 

     ***** 

 意気揚々と乗り込んできたバハンモン・ジュンザラゥが見たものは、
蜘蛛巫女ソフソが考案した画期的な拷問であった。
 コニャク紐(ゴム紐)の端をマキアリイの顔面に固定して、ぎゅっと引っ張って手を放す。

 もちろん教授は世界各国の悪魔祓いに詳しく、その類だろうとは推定した。
 今から本番を行うのに支障があると、英雄救出に人員を投入する。

 

 幻人祓いの儀式は、庭で行われる。

 『Grimoire』によると、対象者にはある程度の自由度が与えられる。
 のたうち回って手足を振り回す程度には解放しなければならない。

 だが天下の英雄マキアリイだ。
 その戦闘力は測り難く、しかも錯乱した状態となれば常人でも尋常でない力を見せる。
 地面に太い杭を打ち込んで鎖で繋ぐ事となる。

 使用する鍵盤楽器「クラヴィカ=グランテ」も庭先まで運び出した。

 問題となるのは、真夏の炎天下。
 幻人祓いにどれだけの時間が必要か、『Grimoire』にも書いていない。
 おそらくは様子を見ながら効くまでやる。
 場合によっては半日も費やすかもしれない。
 対象者も奏者も生命の危険が案じられる。

 ヱメコフ・マキアリイは担架から解き放たれた。
 と言っても、首輪の後ろに鎖、革手錠、両足首にも鎖。
 それでも立って動けるのは何日ぶりか。

 ほぼ下着姿のマキアリイに、ヒィキタイタンが呼び掛ける。

「マキアリイ、幻人祓いの儀式を行うが、いいな?」
「何でもやってくれ」

 ようやく猿轡も外されたが、唇が上手く動かない。

「幻人は、どうだ。そこに居るのか」
「ああ。……、異国の野蛮人がどれだけやれるか楽しみにしてると言ってるぞ」

 ヒィキタイタン、バハンモン教授に確認する。
 この状況はいいのだろうか。

「よしやろう、すぐやろう」
「はあ、はい」

 

 鎖の届く範囲を示す縄が円形に張られ、多くの人がその外に囲む。

 屈強の巡邏兵が長い警護棒やはしご、捕縄、網を持って待ち構え、
麻酔銃や執行拳銃までも用いて脱走を阻止する。

 巫女寮の面々も、カニ巫女棒を携えるクワンパを盾として覗き込む。
 バハンモン教授が注意する。

「あーカニ巫女の人。神罰棒をマキアリイ君に取られないようにしてください」
「はい、自重します」

 鎖で繋がれる哀れな英雄は、誰に語るでもなくブツブツと呟いている。
 異常であるが行動には出ない。
 心中必死に幻人を抑えているのだろう。

 ざわ、と声がする。
 寮の中から鮮やかな曙色の衣装を翻し、タコ巫女タルリスヴォケイヌが姿を見せる。
 薄い紗が夏の風に靡き、普段の印象を覆す艶やかさだ。
 背後にはタコ神官が、これまた派手な装束で続く。

 タルちゃんは楽譜を確かめ試みに弾いて、打楽器の伴奏が必要だと判断した。
 ベイスラのタコ神殿に行き、練達の奏者を連れてきた。
 ただ演奏が上手いだけでなく、神事としての演奏の経験豊富な神官だ。

 「褐甲角王室芸術院」で録音した曲を聞き、即座に太鼓で合わせてくれる。
 的確で、タルちゃんの演奏の意図を瞬時に見抜き即興で続く。

 奏者は「クラヴィカ=グランテ」の傍に立ち、左右の人に会釈する。
 正面を向いて鎖に繋がれる男を見る。

「おにいちゃん、いま助けてあげるからね」

 

     ***** 

「ほほお、こいつは素敵だ」

 鎖で繋がれるマキアリイの隣に幻人は立つ。
 当然に眼に映る光景の中に彼も存在する。
 古代めいたタコ巫女の装束に、ゥアムの道化衣装は妙に調和を見せた。
 彼らは結局旧世紀の住人なのだ。

 マキアリイは問う。
 猿轡を外されてちゃんと口が動くから、言葉が声としても発せられる。

「これから悪魔祓いの儀式を行うらしいんだが、どんなのか分かるか」
「そうだなー、実はオレ達はゥアム神族の頭の中に居た時は、そんな目に遭った事が無い」
「そうなんだ」
「神族とオレ達は対等な関係で友人だからな、
 友人が好まない人間に取り憑いていると知ったら素直に別に移るさ」

「じゃあ今からやる儀式は何なんだ」
「それはオレも興味がある。どんな手で祓われていたのか、忘れちまったなあ」

 だがタコ神官が並んだ太鼓をタカタカと叩き始めると表情が青ざめる。

「まさか……、」

 タコ巫女が最初の音を発した時に、彼は理解した。
 爆発的に感情が迸る。

「ちくしょうお! なんてもの使いやがる!!」
「おいどうした」

 マキアリイには理解できない。
 タルちゃんが奏でる旋律は確かに音楽的に突拍子もなく、まるで感性を逆撫でするものだが、
それでも不快なわけではない。
 むしろ奏者の超絶技巧に感銘を覚える見事なものだ。

 だが幻人は狂ったようにのたうち回る。

「おい、おい、これの何がよくない」
「ちしょおお、なん、なんくっそおおコレ考えた奴は誰だ、オレか!」
「なんだ、おい。説明しろ」

 説明の代わりにマキアリイを殴る。
 幻人が宿主を直接攻撃すれば自身にも痛みを覚えるのだが、それにも構わず、
むしろ自らを痛めつける為に痛める。

 脳内でも鎖に縛られるマキアリイは殴られるままだ。
 だがわずかに身体を動かし、決定打を喰らわぬよう防いでいる。
 その配慮が必要なほどに幻人は見境がない。

 

「おお! 文献にある通りに、奇妙な「ダンス」を始めたぞ。
 効いている、「幻人祓い」の儀は確実に効果がある!」

 バハンモン教授以下の研究者達は全員興奮。
 確かにマキアリイは七転八倒のたうち回り、大きく逃れようと飛び跳ね鎖に引き戻され地に叩きつけられる。
 自らの肉体の損傷も考慮せず、人間に可能なかぎりの力でだ。

 研究者以外のマキアリイ関係者、また巡邏軍の兵士達も青ざめる。
 特に暴力に関して理解のある者ほど、その過激さに懸念する。
 これは本当に危ない。ひょっとするとマキアリイは再起不能の負傷をするかもしれない。
 というより、今の落ち方は背骨が折れても仕方ないほどだ。

 ヒィキタイタンは教授に尋ねる。これで本当に大丈夫なのか。

「あ? あ、ああもちろん。
 幻人は所詮宿主が無ければ生きていけないから、宿主に生命の危機が及ぶまではしないだろう」
「いやあれはもう限度を越えてますよ」
「そう、……かな。うん確かにちょっと過激ではあるが、今更止めても意味がない。
 意味が無いんだよ」

 これはダメだとユミネイトに助言を求める。
 ゥアム神族の娘は、これまた頬が青ざめ美貌を引き攣らせる。

「ユミネイト、君の御父上はこれでいいと思うか」
「ヒィキタイタン、そもそもが「幻人祓い」「悪魔祓い」は生きるか死ぬかの大勝負よ。
 でも無敵の英雄マキアリイなら、たぶん、おそらく、そうだといいけど、大丈夫よ」
「ぜんぜんだいじょうぶじゃない!」

 ユミネイトはむしろマキアリイが切れ目なく発する言葉に注目する。
 これはゥアム人である自分以外の誰も理解出来ていないだろう。
 いかに専門研究者であろうとも、蛮族を含めたゥアム諸語すべてを使えるものではない。

 幻人に取り憑かれ暴れるマキアリイは、
あらゆるゥアム語を駆使して罵詈雑言を喚き散らしていた。
 良心的ゥアム一般人がこの場に居たら、魂を折られるほどの汚い言葉を吐いている。
 間違いなくマキアリイの中には、彼とは違う人格が宿っている。

 そして苦しんでいた。効いている。

 

     ***** 

 巫女寮の面々の最前列で見守るクワンパは、奇異を感じる。
 暴れる所長の姿に不思議を感じていた。
 のたうち回るこれは、苦痛ではないのではないか。

 カニ巫女棒で何度も殴ってきた自分には分かる。
 肉体的な痛みで彼はこれほどに暴れない。
 むしろ、  羞恥に身悶えしている?
 そう感じられた。

 

 脳内マキアリイ。
 やっと幻人の気持ちを理解する。

「ひょっとしてこれは、この音楽は、お前の出自と関係するのか。
 思い出したくも、振り返りたくもない過去の亡霊を、自分の不始末の記憶が蘇ってきてるんじゃないか」
「うがああああ、くぞがあああ」

 人間誰しも黒歴史がある。
 若き未熟な時分には取り返しも付かない失敗を幾度もやらかして、心の傷を積み重ねていく。
 人を誑かし劇的な破滅に追いやる彼であっても、幾度も敗北し恥をかかされてきたはずだ。
 これまで生きてきた数千年分の……。

 心の奥底深く石棺に封じ込めてきたそれを、意識に引っ張り上げる秘密の鍵が、
この音楽か。

「まきありい、マキアリイ助けてくれ。おれはもういやだ、こんなのはやだ聞きたくない。
 なまじ演奏が上手いから耳を塞いでも染み込んでくる。
 耳を潰しても聞こえるんだ」

 物理的に耳を抉られては迷惑。マキアリイがなだめる。

「俺が肉体の主導権を取り返すぞ。それでいいな」
「たのむ、なんとかしてくれ、これはだめだ。涙が出る」
「じゃあ、やるぞ」

 

 鎖に繋がれるマキアリイは姿勢を伸ばし、まっすぐに立つ。
 やつれる中にも威厳と呼ぶべきものが見える。
 彼をよく知る人は、これこそがヱメコフ・マキアリイと呼ぶだろう。

 英雄は叫ぶ。
 延々と喚き散らして声は掠れるが、力強い。

「クワンパあ、居るか!」
「は、はい!」

 カニ巫女間髪を入れずに応える。遂に出番か。

「ゲルタだ、ゲルタを持って来い、今すぐだ!」
「はい!」

 ソフソとビナアンヌを引き連れて巫女寮の厨房に駆け込む。
 年中金欠の巫女達にとって、塩ゲルタは救いの主だ。
 常備して毎日のように、うんざりするほど食べている。

 本来なら焼いたり炊いたりするが、今は非常時。
 発酵食品で塩まみれだから生でも腹は壊さないだろう。

 ソフソに焼かせてビナアンヌに届けさせる間、クワンパは生のままを掴んで駆け戻る。
 カニ巫女棒をッイーグに預け、恐れ気もなく規制の縄を乗り越える。
 所長の傍に寄った。
 もしまだ幻人の支配下にあるとすれば危険な位置だ。

「所長、ゲルタです」
「おう、待ちかねた」

 クワンパの手からひったくり、そのまま2枚重ねて噛みちぎる。
 くちゃくちゃと口の中で咀嚼した。
 焼いてもいない塩ゲルタはかなりの硬さだがお構いなしだ。

 マキアリイの瞳が光を発する。

 

     ***** 

「うがげぇええええ、なんだこの舌の痺れる、纏わりつく、灰を噛んだかの、
 ゲロ純粋不味さの塊みたいなものはなんだくそバカ野郎、食うなマキアリイ!」

 幻人あまりの不味さに正気に戻る。
 儀式の音楽で錯乱していたのが一気に冷静さを取り戻した。

 だが、マキアリイが不敵な笑みを浮かべながらゲルタを齧る姿に怯む。
 これで対等。どちらが有利は無い。

「よお、やっとまともになってくれたな。
 お前という”人間”がようやく理解出来たぞ」
「理解だと、その低能頭で何が分かると言うんだ」

「分かるさ。お前は誰に取り憑こうが決して自分を崩さない奴だ。
 自分の趣味嗜好は絶対に変えない。
 宿主が好みに合わない事をしないよう、巧みに誘導していくんだな」

 幻人は表情を隠せない。
 脳内に棲む彼は、これまで必要を覚えなかった。
 マキアリイに対して弱点を曝け出す。
 素直な奴だ、と楽しくなる。

「お前、実は田舎者だな?
 だから故郷を思い起こさせるものに激しく反応する。
 都会に出てたいそう恥をかかされたな。分かるぞ」
「くそっ、くそぅオレは、そんな安っぽい男じゃ、」

「分かるさあ俺も田舎育ちだからな。
 だが自分も騙してお前は生きてきた。
 今更戻れないから、必死で押し隠すわけだ」

「やめろ、ころすぞきさま、今すぐ口を噤め!」
「黙らせる力がもう発揮できないのか。
 正体バレてしまうとダメなわけだ。
 無条件に強くて立場が上、何でもご存知で裏を掻けない、という幻想が必要なんだな。
 ハッタリが無いと宿主を操れない」

 

 いきなり幻人が哀れな姿に見えてきた。
 これが実相。他人の脳に寄生しなければ、現実社会に何一つ足跡を残せない。

 巫女寮の庭の灼熱の太陽の下で、
寒風吹きすさぶ路上に無一文で立つかに、うらぶれる。
 派手な道化の衣装がかえって哀しみを表現した。

「ちくしょう……」

 さすがにコレ以上の追い打ちは可哀想だ。
 マキアリイはその場にどっかと座る。
 まあじっくり話そうぜ。

「お前、これからどうする。まだ俺の頭の中に居るか」
「他のヤツの脳には移らせない気だろ」
「当然」

「いや、出ていくさ。こんなとこ二度とゴメンだ。
 だがな、あんたがその気になってくれればオレ達二人手を組んで、ほんとうに世界を握れると思うぜ。
 王様にだってなれたはずさ」
「その発想が田舎者さ。
 タンガラム民衆協和国は、英雄は必要でも王は要らねえんだ」

「ちくしょう。やっぱり時代遅れかよオレは」

 

 幻人はマキアリイに背を向けた。
 多くの人が固唾を呑んで見守る輪の中心から、一人離れていく。
 誰も気付かぬ、誰の目にも止まらぬままに規制の縄を越えた。
 囲みを抜け、去っていく。

 これが「幻人祓い」の儀式の結末か。

 マキアリイは最後に言葉を発する。
 周囲の人は誰もが聞いたが、誰に向けての言葉か分からなかった。

「もっと、マシな手は無かったのかよ。
 ぶん殴って叩き出す方がよほど精神的に楽だぞ。なあ!」

 

     ***** 

 ニセ病院、
いやもはや元「ニセ病院」のライトー邸に関係者が勢揃いした。

 今日は相続権者の代理人である「シメシバ・ッェットヲン」に対して最終回答を行う。
 元「院長室」である応接室に集い、詐欺師と対面する。

 施設管理人として「メマ・テラミ」
 実質運営責任者であるトカゲ頭之巫女「ヴァヤヤチャ」、事務方として「シュルチャヒト」
 マキアリイが相続人の正体の調査を頼んだ商事探偵「カシタマ・クゴヲン」
 立会人として地元代表の「ハリスケ」

 ただし既に患者は誰一人居ない為に「患者代表」は無く、
看護者代表としての「チクルトフ」も居ない。
 代わりとして、一連の事態に深く関与した中学生「みかん男爵」が同席し、
事務的な手続きには必要の無い「院長」ゥゴータ・ガロータ副教授も立ち会う。

 カニ巫女「クワンパ」を伴って、
管財人「ヱメコフ・マキアリイ」が初めて正面に立つ。

「ではまず、商事探偵のカシタマ君に調査結果を披露してもらいます」
「はい」

 第一番に詐欺師の前に座る彼は、何枚もの資料を卓に並べる。
 元々のライトー邸の備品である応接家具一式は、古くはあっても重厚豪華なものだ。

「ライトー家相続人を自称する”ライト−・ゼブレハフ孫キュルィダ・ネス=ワハヤン”の身元調査の結果をお伝えします。

 キュルィダ・ネス=ワハヤンを名乗る人物がタンガラム民衆協和国に入国したのは、(62)13年3月20日。
 入国はイローエント港で海軍が審査しました。
 この際は「ライト−・ゼブレハフ孫」は主張せず、当然にタンガラム民衆協和国の国籍も申請していません。
 国籍は「海洋諸民族ワハヤン所属」であるので、本名はキュルイダ・ネスでしょう。
 男性。入国時の年齢は18才となっていますが、外国人の年齢はよく分からないので本人の申請のままとします。

 約2年後の本年1月18日に、タンガラム国民としての公民権登録を行っており、
 この際の申請が「ライト−・ゼブレハフ孫キュルィダ・ネス=ワハヤン」です。

 ですが、この際申請書類に添え付けの顔写真がどうにも不可解で、
 入国時の書類の写真と同一のものではないかと思われます。
 登録はイローエント市で行われたので、現地の刑事探偵に頼んで登録時の住所を調べてみましたが、
 現在は所在不明。居住の実態も無かったと思われます」

 シメシバ・ッェットヲンはこの程度では眉一つ動かさない。

「それは妙ですな。
 依頼人は宿屋暮らしが多かったと聞いていますから、そのせいでしょう」
「確かに有権者登録時には固定した住居が不可欠ですから、仮の住いで申請する人はあります。
 ただその後の行方を追跡してみましたが、所在を確認できないのはどうでしょうか」
「それは、わたし共の方に依頼があった、という事で確認になるのではありませんかね」

 

 クワンパもみかん男爵も息を詰めて問答を見守っている。
 さすがに熟練の詐欺師は本当に顔に何も出さない。
 始終いやらしい笑みを浮かべるままで、怯みの色が無い。

 所長を振り返ると、立ったまま腕を組んで余裕すら覗えた。
 「幻人祓い」の儀式から2日、疲労はあるだろうが外見上は既にまったくの健康体だ。
 さすがに鍛え方が違う。

 ただ未だ「幻人」を完全に払拭できたか疑問であると、ギジジットから派遣された捜査官が随行する。
 今も応接室の外で待っている。

 

     *****

 商事探偵カシタマは話を続ける。

「タンガラム国民としての有権者登録が無い場合、不動産の相続は出来ません。
 このキュルイダ・ネス氏がライトー家に繋がる血筋である事を証明し、保証人となった人物が居ます。
 「ライトー・クラムシュ・オヴェー」です。
 彼は、ライトー家当主であられた「レオローエン・シュベルシーク・ライトー」の2番目の兄「ライトー・リンタナオ」の息子です。
 キュルイダ・ネス氏は弟「ライト−・ゼブレハフ」の孫に当たりますから、
 一族の証明をするのに十分な資格があると言えます。

 ですが、」

 クワンパは知っている。
 「(ライトー・)クラムシュ・オヴェー」は、30年前にライトー邸に現れた詐欺師が自称した名前だ。
 ライトー家の事情を俯瞰して知る者であれば騙されないが、
有権者登録に当たる役人が知るはずも無い。

「そして一族の証明とする品が、
 キュルイダ・ネス氏が所有する「新ぴるまるれれこ教団」の記章です」
「わたしが提供した写真に写っていたものですな。
 こちらには提出しませんでしたが、「新ぴるまるれれこ教団」が発行した証明書もございますよ」

 ぬけぬけと詐欺師は喋ってみせる。

「わたしが依頼人から聞いたところでは、それ以外にも祖父リンタナオの遺品は幾つもあり、
 複数の証拠から一族と認定されたそうです。
 本年1月であれば、既にご当主のシュベルシーク様はお亡くなりになっており、
 他に係累が無いのであればクラムシュ様の認定で十分でしょう」

 いやいや、それはおかしい。とニセ病院関係者は皆突っ込みたくなる。
 もし本物の一族であるのなら、まずは「クラムシュ」こそが相続人の名乗りを上げるべきだろう。
 30年前の詐欺事件で名前を覚えられているかも、と回避してみせたわけだ。

 

 ここで、クワンパの出番。
 所長に促され、持っていた資料綴をカシタマに差し出す。
 最初から渡しておけばよかったものを、わざと代理人の目の前に突き出すのがケレンというものだ。

 カシタマは、新たなる証拠を卓上に広げる。

「ここで「ライトー・クラムシュ・オヴェー」の素性についての調査が必要となります。
 30年前、此処ライトー邸に現れ「クラムシュ・オヴェー」を名乗った人物もまた、
 一族の証明としての記章を提示しております。

 この人物は当時の調査により、一族とはまったく関係の無い「クーリン・ザバド」なる詐欺師と判明しました。
 正体が露見しライトー邸を追われた後の6187年に、ルリティム市の巡邏軍に逮捕され服役しております」
「ではその人物が再び現れたと言うのですかね」
「ではないでしょう。
 問題は30年前に使われた記章の行方です。

 刑事探偵ビィディルストンがヱメコフ・マキアリイ氏の依頼でルリティム市で調査した結果、
 現地の「詐欺質屋」で、その品を扱った証言を得ることが出来ました」

「「詐欺質屋」とはなんですか」

 トカゲ巫女ヴァヤヤチャがマキアリイに尋ねる。
 捜査関係者でなければたいていの人は知らないだろうから、説明する。

「「詐欺質屋」とは、詐欺師から預かった詐欺のネタを長期間保管する役目を果たします。
 一度成功した詐欺は、ほとぼりの冷めた20年後などにもう一度行っても成功するものなんです。
 ただ犯罪の証拠となるネタを手元に置くのは物騒だし、詐欺師本人が20年後も犯行が可能とは限りません。
 そこでネタを預かり、またそれを必要とする別の詐欺師に斡旋仲介をする職業があるのです」

「そんな商売が、でも素直に自白してくれるのですか?」
「ビィディルストンは店主が「快く」情報提供してくれた、と言ってましたよ」

 刑事探偵として、彼は十分に満足すべき結果を出してくれたのだ。
 カシタマは続ける。

「「クーリン・ザバド」は巡邏軍に逮捕される前に質屋に関連の材料を預けていました。
 巡邏軍ではその点は関知していません。
 犯罪の物証を手元に置くわけがありませんから、処分したと聞けばそれまでです」

 

 マキアリイが引き継いで、立ったまま詐欺師に話し掛ける。

「どうするね、依頼人の身元がまったく怪しいものとなってしまったが」

 シメシバ・ッェットヲンは大袈裟に驚いて見せる。

「いやーこれは参りましたな。
 わたし共としては依頼人の素性調査などはいたしませんから、そこまでの事情があるとは存じませんでした。
 ですが、おそらくは正真の相続権者としての確かな証を別に有しているでしょう。
 早速立ち戻り協議して、改めて伺わせていただきます」

 ぬけぬけと、いやッェットヲン自身も詐欺集団から外部の人間として雇われているのかも。
 立ち上がり資料をまとめて退散の準備をする彼も、そう臭わせる。

「ですがわたし共としましては、
 ライトー邸の土地建物が不法にニセ病院として使用されている状況を止めさせられた事で、
 一定の成果を得たと考えましょう」

「こいつ、やっぱりそれか!」

 これまで口を噤んでいたみかん男爵が、ここだと声を上げる。
 もう怒られたりしないだろう。

 自動車道路建設にあたって、貧民街の住人の拠り所となる施設を破壊する。
 英雄マキアリイによって運営されるニセ病院を潰した功績は大きい。
 不動産の詐取は失敗しても、おおむね成功と呼べるだろう。

 誰の見送りも期待しない詐欺師は、そそくさと応接室を出ていく。

「それでは皆様御機嫌よう。再び会う日を楽しみに待っていてください」

 

     ***** 

 ライトー邸応接室。

 勝利はした。だがそれだけだ。
 後に残るのは徒労だけ、損害は測り知れず復元は不能。

 ご近所代表は館を辞し、商事探偵カシタマも去る。
 引き続きライトー家の相続権者を探すあての無い調査が続く。

 応接室ではヱメコフ・マキアリイが、ゥゴータ・ガロータが、
 二人のトカゲ巫女が、そしてクワンパが思い思いに座り放心していた。
 さてこれからどうしよう。

 メマ・テラミとみかん男爵が厨房に行ってお茶の支度をしている。
 既にニセ病院としての機能は剥奪され、患者も全員が退去して、施設の封印は解かれた。
 厨房も浴室も使用可能だ。

 

 最後まで残っていた「蔵」の患者も公立の慈善病院に移り、そこで亡くなった。
 コウモリ神官はクワンパに尋ねる。

「何故彼は慈善病院に移ることに同意したのだろう」
「蔵で死ぬのがイヤだったからではないでしょうか」
「どこに行ってももう意味がない、と分かっていたはずだがね」
「でも蔵はイヤだったんでしょう」
「そうか、コウモリ神殿の者に看取られるのはイヤだったか」
「たぶん」

 本館も離れも蔵も、すべてが真っ白に消毒され、
庭にはあちらこちらに穴が掘られてそのままに。
 死体が埋葬されていないか調べた跡だ。
 墓掘り人ンゴアーゥルも憤慨する、
 なんの為に自分が居て、墓場まで運んでいったと思うんだ。

 屋敷の周囲に詰めかけていた野次馬も記者も今は無く、
ただ貧乏な病人が未練がましく中を覗いていく。
 正門前には「ニセ病院は閉鎖されました」の立て札が虚しく陽を浴びて立っている。

 

 仮面の男爵にシフ茶を給仕されたヴァヤヤチャが、中学生を労う。

「あなたにも無理をさせてしまいましたね」
「ヱメコフ・マキアリイ永遠の従者の宿命です。気にしないでください」

 さすがにニセ金持ち戦術は3回目には見破られた、
 ベイスラ市内全病院に「仮面のお嬢様が連れてくる患者は受け入れるな」との廻状が届く。

 当然のように実家に連絡が行き、中学校にも呼び出しを喰らい、
まあ存分に怒られてしまった。
 それでも彼女の両親は、英雄にいささかなりと貢献できたと褒めてもくれた。
 娘の命の恩人に感謝するのに誰をはばかるものか。

 クワンパはメマから茶器を受け取る。
 メマ・テラミだけは何も変わらない。
 それでも、多少の関係のゆらぎは有るだろう。
 問題は、

 クワンパ声を上げる。

「それで、今後どうしますか」

 マキアリイも、ゥゴータも、トカゲ巫女も皆顔を上げるが、誰も答えない。
 既に終わったニセ病院で、何をどうしたものか。
 その怠惰を許さないのがカニ巫女という存在ではある。

 

「あのー、……。」

 

     ***** 

 昼間っからよれよれの爺さんが応接室の入り口から顔を覗かせる。
 爺さんとは言うが、そこまで歳ではない。
 ただ深酒が過ぎて見た目老けただけの、

 ゥゴータが驚いて声を上げる。

「クオポタさん、また飲んでるね!」
「へぇどうもすみません。でもなんですか、病院に誰も居ない。
 今日は休みなんですかい」

「なんでも何も、ニセ病院は閉鎖されたんですよ。知らないのですか」

 驚くのはトカゲ巫女ヴァヤヤチャだ。
 たまたま来なかった患者は居るだろうが、あれだけの騒ぎだ。知らないはずが、
いや、酔っぱらいにはこれが自然なのだろう。

「え、閉鎖? もう病院やらないんですか、そりゃ困ったぞ。
 せんせいどうにかなりませんか」

 さすがに事態を認識するが、さりとて他所に貧乏人を相手にする病院は無い。
 無ければこのまま病状も悪化で死ぬしか無い。

 ゥゴータは手元に置いた私物の診察鞄を取り上げた。

「あーいいよいいよ。ここで診ていこう」
「すいませんねせんせい」
「と言ってもね、もう薬が無いからね。来られても何もやれないんだ」

 にわかに始まったお医者さんを、マキアリイは楽しそうに見る。

「ゥゴータ先生、そう言えば最初はこうでしたね」
「そうだよ、網焼き屋で酔っぱらいが酔っぱらいを診察してるのを、
 君が「だったらウチに来てやりませんか」なんて言ったんだ」
「そうでしたねえ。なんで入院患者が百人なんてなったんですかねえ」

 これにはトカゲ巫女が赤面する。
 英雄の虚名を利用して浄財を求めれば面白いように集まり、
気が大きくなってどんどん患者を増やしていった。
 他所のトカゲ神殿でも羨ましがって、勝手に虚名を利用していると聞く。

「先生、これでいいんじゃないですか」
「そうだな。見つからないように細々と、酒飲みながら患者診て、
 十分じゃないか」

「へへ、それなら俺たちも大安心だ」

 患者代表の声を聞き、トカゲ巫女は立ち上がる。
 二人顔を見合わせた。
 マキアリイは尋ねる。

「行くんですか」
「はい。またご迷惑をおかけします」

 クワンパも男爵を見て、またメマを見る。
 美しい人も微笑んだ。

 

 

「……、という次第で、ゥゴータ副教授もマキアリイさんも、
 保健当局の目を惹かないようこっそりと、と笑顔の内におっしゃられました」

「それでは今後もニセ病院は続くのですか」
「はい。お二人の熱意になんら陰りはありません」

 トカゲ巫女チクルトフが訪れたのは、とある富豪の屋敷。
 その先代の老婦人を相手に、ニセ病院閉鎖の顛末を語っている。

 彼女の手の中には、ニセ病院の近所の女達が縫った「英雄探偵」の素朴な人形が。
 細く枯れた手の甲に力を入れて、しっかりと握られている。

「もちろんこれまでのように大人数の入院患者を受け入れる事は出来ません。
 自動車道路建設で徐々に住民も減っていくでしょう。
 ですが病に苦しむ人が少なくなるわけではありません。
 求められる限りは、そして与えられる限りは、トカゲ神殿としても全力を尽くしていきたいと思います」
「ああ!」

 思わず涙が人形に零れる。
 この夏の騒ぎでマキアリイが好奇のやり玉に挙げられ、彼女も胸を痛めていたのだ。
 ニセ病院が閉鎖され、多くの病人の行方にも心は疼いた。

 チクルトフは一度姿勢を正し、頭を下げる。

「ですが当局に全てを没収され、運営資金がございません。
 直近にも御喜捨いただきましてまことに心苦しく思いますが、」
「何をおっしゃいます!
 ゥゴータ先生もマキアリイ先生も諦めないものを、なんでわたし達が諦めましょう。
 ましてやマキアリイ先生はわたくし共の恩人です」

「ありがとう御座います。イダンツ様」

 本日チクルトフが訪れたのは、「サマアカちゃん事件」で話題となったカンパテゥス家だ。
 トカゲ巫女というものは、金銭に関しては非常にタチが悪い。

 

     ***** END

【第五巻全編之終】

 

    外伝「シャヤユート 白い花の蕾」 

 後に「シャヤユート」を名乗ることになる少女ヰィーダ・クロリャウは、
家庭の事情から5月にルリティム女子学院に入学した。

 ルリティム市はアユ・サユル湖岸の港街で、ヌケミンドルとベイスラの県境にある。
 かってはカンヴィタル武徳王国とソグヴィタル王国の国境であり、
どちらの関税からも免れる特別港として発展を遂げた。
 街並みは美しく整い歴史も有り、文化的な成熟も見せる。
 ルリティム女子学院も創立百年を越え伝統を重んじる校風だ。

 クロリャウはその水際立った容姿と鮮やかな身のこなし、運動能力、
他に同ぜず何者も恐れぬ不敵な態度、そして自ずと溢れ出る気品で、
瞬く間に一年生の間で人気となり、やがて全校に波及した。

 これをよく思わなかった上級生も居る。
 中でも生徒会長の座を狙う二年生が、生意気な下級生を〆てやろうと取り巻きを連れて一年教室に押しかけた。

 結果。
 10分後予鈴が鳴る中、彼女は「いやあぁもっとおねえさまと一緒に居るうぅ」とダダをこねて机に齧り付く。
 取り巻きの子等に引っ張られ強制的に連れてかれた。

 正気を取り戻した彼女は態度を一変、クロリャウを生徒会長に推す活動を繰り広げる。
 6月選挙において一年生にして生徒会長に就任。
 二年生の彼女は副会長となり、見事歳下のおねえさまの隣の席を獲得したのだった。

 なにかと行事の多い夏休みも新生徒会長として滞りなく遂行し、運営の手腕と指導力とを証明して、
教職員からも信頼を勝ち取った。
 さらには対外活動においても、元から目立つ容姿ではあるが強く印象を与えるものとなる。
 「これぞルリティム女子学院の生徒会長」、と万人を納得させた。

 

 そして9月新学期。
 生徒会室に二年生が1人訪れた。
 クロリャウと副会長が並んで話を聞く。

「まあちょっとこれを見てくださいこの校則」

 二年青組コリカノ・アルエルシイは誰でも持っている生徒手帳を開く。
 さほど厚くもない手帳の半分以上にルリティム女子学院の校則がびっしりと印刷されており、
その開いた頁が、

『第78条 本校生徒は花の香りのするシヨコラティヲ菓子を作ってはならない』

 会長に代わって副会長クラリッパ・アィイーガが応じる。
 同じ二年生でアルエルシイとも顔見知りだ。

「ああ! これね。本校七不思議の一つ「謎の校則」」
「なに?」

 一年生のクロリャウが知らないのも無理はない。
 そもそもが他に同ぜず、噂話の輪からも身を遠ざける習性だ。
 アィイーガが説明する。喜んで。

「私は前年度の生徒会にも居ましたから知っていますが、
 毎年この校則の改正を求める生徒が陳情に来るのです。
 教員会議でも理由が分からなくて、でも害が無いなら放置しようという話になっているのです」

 おねえさまに対してはとても丁寧な言葉で喋る。
 アルエルシイもうなずいた。

「とにかく分からないんですよ。
 シヨコラティヲ菓子ってのは昔の言葉で、「チヲコレイト」の事です。カカポ豆から作られる。
 ゥアム帝国からの輸入品で高価ですが、今では普通に食べられてますよ。
 でもこれは「食べるな」ではなく「作るな」です」
「なるほど」

 確かに理解に困る。
 チヲコレイトが身体に害を与えると考えているなら、「食べるな」と書くだろう。
 だが「作るな」とは意味が分からない。
 校則にするくらいだからよほどの理由があったのだろうが、何だ?

 クロリャウは立ち上がる。
 その姿をアィイーガは眩しく見つめた。

「とにかく分からないものは、聞きに行こう」

 

(注;「子丑寅卯…」と同様に、タンガラムでは神様の順番さらには神様の色で分ける習慣がある。
 1曙色、2金色、3褐色、4青色、……)

     ***** 

 生徒会顧問の教諭はデメコフ先生36才社会経済で、一年生を担当している。
 クロリャウ生徒会長とアィイーガ副会長が揃って尋ねて来たのに、首を傾げる。

「うーん、それか。僕はよく知らないんだ。
 前任の生徒会顧問の先生から申し送りされたけれど、「78条は触るな」が不文律らしいよ」
「理由が知りたいです」
「それを知らないんだ。校長ならたぶん、でも……。
 ああそうだ、今一番古い国語のシンタップ先生なら知ってるんじゃないかな」

 どうせ同じ職員室だ。移動してシンタップ先生に尋ねる。
 55才定年を間近に控える彼もまた首を傾げる。

「ああ校則第78条ね。
 2、3年に一度生徒が疑問に思って尋ねてきたり改正を求めたりするんだが、私も知らないな」
「なんの説明もされていないのですか。そういう時は」
「古い話でね、その校則が何時からあるか誰も知らないというものなんだ。
 ただ校長になら申し送りされているんじゃないかな」

 やはり校長だ。
 クロリャウは怖れも見せず校長室の扉を叩く。
 果たして、

「まあ珍しい。生徒会長と副会長が揃ってなんの御用でしょう」

 ルリティム女子学院の校長は女性で、シッバ・フィリアム。60才になる。
 校長は定年制ではなく理事会が任期を定める。
 教育者としての実績もたしかな、名門校を率いるのにふさわしい人物である。

 クロリャウは応接の椅子を勧められるのを辞退して、単刀直入に尋ねる。

「第78条ですか。申し訳ないですが、校長の私も詳細は知らないのです。
 校則見直しは定期的に行われますが、古株の先生達がこれは外してはならないと常に仰っていたので、そのままにしていますね」
「古株といえばシンタップ先生もですか」
「そうですね。今残られている先生ではシンタップさんが一番、」

 やっぱりそうじゃないか。事情を知っているんだ。
 だが更に尋ねる。

「理事会の方からは何も言われてはいないのでしょうか」
「学校の伝統を守るべきだとは就任時より度々言われていますが、特に78条に関しては無いですね」
「そうですか。ありがとうございました」

 そして再びシンタップの前に立つ。
 彼もさすがにちょっとムッとする。

「校長でも分からなかったかね」
「古株の先生達に改正は常に反対されてきた、と聞きました」
「ルリティム女子学院では古株の先生から長居をしそうな先生に、78条は必ず守れと口頭で申し送りする習慣があったんだ。
 私も、そうだねもう20年も前だね、当時居た一番古い先生からそう言いつかったね。
 たしか、カムリアム先生だ」

「その方は今どちらに」
「退職されたのが20年前だから、今は生きておられるかも分からないな。
 そうだな、そう言えばという話になるんだが、
 その20年くらい前の教職員会議で校則第78条廃止が取り上げられて、カムリアム先生が火が着いたように反対されたな。
 あの方なら事情をご存知だったんだろう」

 クロリャウは次に事務室に押し掛け、退職した教員名簿の参照を申し入れた。
 事務長は渋ったが、古い教員に現役の生徒会長が尋ねると言うのだから、最終的には折れてくれた。
 20年前の連絡先に電話をすると、たしかに御家族には繋がったのだが、

「……、そうですか、お亡くなりになっていらしたのですか」

 

     ***** 

 現状報告を受けた告発者アルエルシイは、だったらと言う。

「前任またその前の校長先生なら事情をご存知なのではないかしらね」
「なるほど」
「その手はありますわね」

 だがとりあえずはカムリアム先生が何者かを調べてみる。

 現在6212年9月。
 カムリアム・サイダル先生が退職されたのが、6192年3月。ちょうど20年だ。
 教職員名簿の記述から、ルリティム女子学院に赴任したのが6160年3月。
 途中5年間ほど別の学校に移動していたようだが、再び本校に戻って以後定年まで勤め上げる。
 担当教科はゥアム語、ゥアム文学。
 厳しい評価をする人だったらしいが、生徒には慕われていたという。

 クロリャウはふと気が付いた。

「78条制定されたのは何年なのだろう。
 ひょっとしてカムリアム先生が関わっていたのではないか」
「なるほど。それならばカムリアム先生が居た時期はずっと守られていたと理解出来ますね」

 アルエルシイが提案する。

「教師が独断で校則を決めたのではないでしょう。
 生徒会の資料にその際の記録があるのでは」

 だがいつ78条は決まったのか。
 これは学校資料室に保管されていた歴代の生徒手帳に記されていた。
 生徒手帳は毎年印刷されるわけではなく、ある程度まとまった数量を調達して数年間は生徒に配布する。
 資料室には、校則等の変更で内容が変わった版を歴代保存していた。

 クロリャウ、アィイーガ、アルエルシイそして生徒会書記の一年生が付いてきて、

「ありました。6161年版です」

 書記が見つけたのは51年前の生徒手帳だ。
 アルエルシイもうなずく。

「やはりカムリアム先生が78条制定に大きく役割を果たしたんです」
「うん、何があったんだろう」

 であれば、生徒会との協議が行われたのは6160年だ。
 資料を漁るのはこの年であろう。

 さすがは伝統を誇るルリティム生徒会。
 52年前の資料まで完璧に保存してあった。
 当時の書記の手書きの議事録は文字も美しく、しかし50年前の字体が今とちょっと違うのに驚いた。

 アィイーガが資料を読む。

「えーと、夏前ですね。6160年の生徒会が発足した直後です。
 生徒会の顧問の先生とカムリアム先生が同席して、新しい校則の条項を追加する協議を行っています。
 内容は、……、わかりませんね当時の書記の理解が足りなかったのでしょうか。
 やはり花の香りのするシヨコラティヲ菓子の校内また家庭での製造を禁止し配布も禁止すると。
 なんのことだか理解出来ずに反論した様子が覗えますわ」

 さらに読み進める。

「ははあ、槍玉に上がったのは「お料理CLUB」です。現在の「料理研究部」ですね。
 部長が反論して顧問の家政科の先生がシヨコラティヲ菓子の弁護をしていたのが、
 ある回から突然意見を翻して「裏切り者」と部員が叫んだと書いてます」
「カムリアム先生に説得されたんだろう。たぶん事情の説明を受けたんだ」
「なるほど。教師の間では了解が行われたという事ですわね」

 アルエルシイが考える。
 こんなどうでもいい校則に気がつくくらいだ。彼女も凝り性で思案する質。

「これは、ゥアムのお菓子に対してゥアム語の教師が禁止を訴えた、という話ですね。
 家政科の先生は最初反対していなかったのだから、毒性とかではなく」
「ゥアム語、なるほどゥアム帝国の知識ではシヨコラティヲ菓子が良くない理由があったのですわ。おねえさま」

「ちがう……」

 クロリャウは立ち上がり、生徒会室を出ていこうとする。
 アィイーガも資料を捨てて立ち上がる。

「どちらにお出でになりますか」
「「料理研究部」にシヨコラティヲ菓子を作らせてみる」

 

     ***** 

 「料理研究部」部長三年生マドメー・ルンダは、いきなりの生徒会長一行の訪問に驚いた。
 だが校則78条と聞いて納得する。

「ああああ! あの謎の校則ですね。「秘伝のRecipe」ですよ!」
「「料理研究部」には当時の事情が伝わっているのですか」

 アィイーガが代理人として交渉を行う。
 だが部長マドメーは、

「いえ全然。当時の資料もまーったく残ってません。なにせ何十年も前ですから。
 10年前の資料だってありませんよ」
「でも秘伝は残っているの?」
「残ってるんですね、いざという時の必殺技として」

 クロリャウは生徒会長としてちょっと眉を顰めた。
 必殺技とは何に使うものなのか。

「うーん、よく分かりませんが、これを作ると先生に怒られるというやつで、嫌がらせに作るらしいんですが、」
「あなたは作った事があるのですか」
「ないです」

「作ってください」

 頑としての生徒会長の命令だ。
 「料理研究部」の部員はすっと顔色を変え、だが部長の指示で調理を開始した。

「えーとこの「花の香りのシヨコラティヲ菓子」というのは、ゥアム帝国においても現在のRecipeではないんですね。
 ほらゥアム帝国はタンガラムを発見して国交を結ぶまでお砂糖が無かったでしょう。
 だから甘いものといえば蜂蜜だけだったんですよ」
「なるほど、蜂蜜味のチヲコレイトなのか」
「だから「花の香り」というのは、良い香りのするお花の蜂蜜を使うんです」

 部員が材料のチヲコレイトを湯煎する準備を進める中、調査は続く。

「この蜂蜜を使うのは、なかなか固まらなくて加減が難しいんですよ。
 蜂蜜の量を増やすとダメだから、花の香りを出すために別にお花の花弁を煮るという作業がですね、」

「「料理研究部」では78条についてどう思ってますか」
「まあチヲコレイトは危ないから、やむなしですかね」
「危ない?」
「チヲコレイトはネコ、無尾猫やイヌにとっては猛毒なんですよ。食べたら死んでしまう」

「おお!」

 驚くべき知識に生徒会の面々は声を失う。そんな危険物だったのか。
 部長マドメーはしてやったりと威張る。

「もちろん高価な輸入菓子をイヌネコにあげる人は居ないんですけど、
 料理の工夫をしていたら失敗作が色々出来て処分に困るんですよ。
 たぶん当時流行りのゥアム菓子をさんざん研究した末に、失敗作をイヌネコに食べさせた人が居たんでしょう」

「なるほど。それで校則で禁止になった」
「このRecipe、当時校内で流行っていたみたいですからね。
 犠牲ネコ続出だったのでは」

 

 生徒会室に戻った面々の目の前に、「花の香りのシヨコラティヲ菓子」がある。
 だが毒物と聞かされては誰も手を出さない。

 クロリャウは何も考えずに取って、その美しい唇の間に放り込む。
 アィイーガがドキドキしながら見守った。

「美味しい」
「そう、ですか。まあ食べるのは禁止されていませんからね」
「「料理研究部」に校則破らせてしまいましたね」

 アルエルシイも手を伸ばす。
 なんとなく柔らかい感触の、たしかに花の香りが鼻腔にふんわり漂うお菓子だ。
 アィイーガは、とにかくこれで一件落着、と締めくくる。

「たぶんご家庭でネコかイヌが死んで、父兄から苦情が入ったのでしょう。
 校内でシヨコラティヲ菓子が流行っていたから、悲劇を防ぐために校則を定めたと」
「あー、それでじゅうぶん納得は出来ますね」

 アルエルシイも引き下がる。
 実害が、それも命に関わる問題であれば、そりゃあ禁止にもなるだろう。
 しかし生徒会長クロリャウは、

「違うな。まだ足りない」
「なんでしょうか、おねえさま」
「イヌネコであれば教員会議で理由を説明すればいい。生徒にも教えればよい」
「たしかに」

「まだ有るんだ。カムリアム先生だけが気付いたなにかが」

 

     ***** 

 翌日放課後。
 クロリャウ生徒会長とアィイーガ副会長、そしてアルエルシイは、
ゥアム文学教師のヤーパル先生に話を聞いた。

「昔この学校にいらした先生が、ゥアム語教師だからこそ気づくゥアム菓子の秘密、かい。
 またピンポイントで聞くねえ」

 ヤーバル先生は28才の新婚。奥さんはルリティム女子学院の卒業生だ。

「それはまあ確かに、ゥアム文学にはお菓子について結構な数の記述があるよ。
 それはシンドラ文学でもタンガラムでも同じで、描写にリアリティを増そうと思えば食の描写にも拘るわけさ」
「シヨコラティヲ菓子でいいんです」
「チヲコレイトねえ。あーでもね、チヲコレイトが塊としてのお菓子になったのはごく近年の話なんだ。
 科学技術が進歩して物性に対する知識が充実して、カカポ豆から脂を抽出できるようになって、固体化に成功した。
 150年前くらいかな」

「ではそれ以前の文学作品にはシヨコラティヲ菓子は登場しない?」

 アルエルシイの言葉に、いやそれはと言葉を濁す。

「……、お菓子じゃないんだ。
 昔は戦争に挑む勇者が気分を高揚させる興奮剤として、飲み物として用いていたんだ。
 酒や蜂蜜、さらには血だね。敵の首を斬って噴き出す血にカカポ豆のペーストを溶いて、
 美味しいというものではなかったんだろう」

 アィイーガもアルエルシイも、いきなりのゥアム帝国の血腥い暗部を聞かされ困った顔。
 涼しいままのクロリャウが話を引き継いだ。

「では戦争文学の中の記述になるのですか」
「そうとも言えない。平時においては滋養強壮の、君達には言いたくないが媚薬としても使っていたな。
 女の人をその気にさせる、」

 隣の席の国語の女性教師がジロとヤーバル先生を睨む。
 純粋無垢なルリティム乙女に何を吹き込むのか。
 ヤーバル先生声を潜める。

「だから文学作品には菓子としてではなく薬品として出てくるんだ。
 たとえばほら、「戯曲の王」として有名なシェ=ェクス・ピアの、……」

 クロリャウ気付く。真相にようやく触れたと。

「シェ=ェクス・ピア作品に出てくるんですね?」
「あ、うん。ああ、たしかに出る。一箇所ではないけれど、最も印象的と言えばだ。
 君達は読んだことがあるかな、『吝王の憐れ極まる生涯』は」
「長いです」
「あ、うん長いね読みにくいね」

 

 『吝王の憐れ極まる生涯』は、シェ=ェクス・ピア四大惨劇の一つで、
とある国を治める「吝王」は、あまりに専横が過ぎて世継の王子に王位を奪われ城を追放される。
 王は他国に嫁がせた3人の王女の元を「道化」と共に巡って、
様々な人間模様と愛憎渦巻く悲喜劇を引き起こし、最も優しい末娘の婿を王自らの裏切りで戦死に追い込み、
やがて荒野で発狂して終わるという物語だ。

「出てくるんですか。シヨコラティヲ菓子」
「という名前ではない。カカポ煎汁だ。昔は薬品だからね、病人にも飲ませていたんだ。
 『吝王』においては、次女の王女が他国の王に嫁いでいるんだが、
 その夫王の妾妃が妊娠していて、これに王女がカカポ煎汁を与えるという話だ」

「ふむふむ」
「もちろんカカポ煎汁は苦いから、蜂蜜を入れて飲みやすくする。
 ただそこに、王女の年老いた侍女が進言するんだ。
 「白い花咲く野で集めた蜂の蜜を用いれば、お妃様の思し召しが叶うでしょう」と」

 白い花?

「君達は知っているかな。蜂蜜はどの花の蜜を集めてきたかで成分が異なる事を。
 白い花というのはこの場合、白キツネメクサだ。
 これは薬草でね、ゥアムの民間療法では多用されるものだが、花の蜜にも効能がある」

 また女性教師に睨まれないよう、クロリャウを傍に招く。
 耳にこっそりと教えてくれた。

「堕胎薬だよ」
「流産を引き起こす毒ですか!」
「だから、お妃様の思いどおりの結果になるんだ」

 

     ***** 

「堕胎薬入りのシヨコラティヲ菓子ですか」

 生徒会室。
 クロリャウとアィイーガは図書室に行って、シェ=ェクス・ピア全集の1巻を借りてきた。
 どの頁に該当する記述があるか、図書委員をこき使って調べさせたが、
ヤーバル先生から聞いた以上の詳細は載ってなかった。

 アィイーガは、

「このルリティム女子学院で堕胎薬が出回っているなんて知れたら、それこそ大問題です。
 極秘裏に始末隠蔽しようと思ったのも無理はありません」

 純粋無垢清純乙女の園ではあっても、数年に一度は妊娠騒ぎは発生する。
 そこに民間療法的な不完全な流産法があったとなれば、どんな悲劇に発展するか。

 アルエルシイは二人が図書室に行っている間、園芸部に聞いてきた。

「白キツネメクサは本校では栽培していないそうです。
 ゥアムの植物もシンドラの植物も、薬草含めて多数が植えられていますが、白キツネメクサは知る限り数年はやってないと言ってます」
「白キツネメクサってアレですよね。白い長い花弁に褐色の細いキツネの目みたいな線が入っている。
 街のお花屋さんで普通に売ってますよ」

「普通に売る綺麗な花でも、本校では栽培しない。そういう事だ」

 クロリャウの言葉に二人もうなずく。
 だが単に危ないというなら、それこそ注意指導で済む。
 校則にまでしなければならなかったのは、

「誰か、使った者が居るんだ」
「……、そうですわね」

 押し黙る。
 そして次の言葉でさらに黙る。

「シェ=ェクス・ピアの本の通りに、騙して堕胎薬を呑ませたんだ」

 

 やがてアルエルシイが一つの推論を出す。

「ゥアム語教師のカムリアム先生が、赴任早々に禁止の指導を開始したんです。
 つまりその前年にはもうシヨコラティヲ菓子が流行っていた?」
「生徒会の資料にその頃の出来事とか、残ってないかしら」

 50年前の生徒会資料、さらには新聞部の古い記事も参照してみたが、それらしいものは無い。
 むしろ明るく楽しく清純に過ごす少女達の日常が、今とまったく変わらないと思わせるだけだ。
 クロリャウが指示する。

「学校史はどうだろう」

 

 再び図書室。
 水際立って美しい生徒会長の姿に、図書室に居た生徒達も息を呑む。
 どんなに素敵なお話をなさっているのか、と遠巻きに想像するが、

「そのような記事は無いですね。ほんとうに何も無い」

 50年前の学校史にはありふれた学校生活の出来事しか載っていない。
 ただ、今となっては理解に苦しむものもある。

「6159年10月 学院祭
 ジュバンチ夫人ヨドネ氏来校 本校生徒と交流会。
 誰?」

 誰も知らない。図書委員も知らないから、文学関係者ではない。
 様子を見ていた年配の司書が教えてくれる。彼女もルリティム卒業生だ。

「ああ懐かしいわね。ジュバンチ様の奥様ね」
「ご存知の方ですか」
「まさか。でも懐かしいわ」

 アィイーガがおねえさまの代わりに気を利かせて尋ねる。
 本人を正面に出さない事でより一層の崇高さを演出できた。

「ジュバンチというのは何をされた人でしょう」
「そうね。今で言うとヒィキタイタン様よ。
 ソグヴィタル・ヒィキタイタン議員のような、軍の英雄でしかも二枚目美形のお金持ち。
 当時の若い女の子はみんな熱狂したわ」
「はあー、なるほど。その夫人が本校にいらしたわけですね」

 黒い革表紙の学校史を自ら取り上げて司書は懐かしそうに見る。

「夫人もお綺麗でね、女の子達はジュバンチ様と結婚するならあのくらい美人でなければと、頑張ってたのね。
 夫人も大人気でしたが、そうね憎まれることもあったでしょう。
 何しろ王子様を射止めてしまったのですからね」

 そして彼女はほんのわずか、表情を曇らせた。
 何事か思い出したと、クロリャウは読む。

「なにかお気づきになられたのですか」
「この後すぐになるのでしょうね。
 ジュバンチ夫人はたしか列車の中か、旅行で移動中でしたか、流産をなされて。
 しばらくは健康を害され表に出ない期間があったわね……」

 

 少女3人は息を呑む。
 犯罪を発見した。

 

     ***** 

 そうと心得て調べれば、証拠は幾らでも見つかった。

 6159年といえば第七政体が崩壊した混乱から間もない時期だが、
生徒の姿は明るく楽しく、華やかに学院祭を執り行っている。
 学校新聞は手書きの謄写版で写真の掲載が無く、資料として写真綴が添え付けてある。
 若干色の褪せた白黒写真には、学院祭の様々な催しものに力を注ぐ彼女たちが、

「ありましたわ」

 生徒会主催の交流会に来賓としてジュバンチ夫人ヨドネ氏が、当時の最新美装服で写っている。
 どのような伝手で呼んだのかはしらないが、有名人の来校に学外からも多くの客が来たようだ。

 アルエルシイも覗いて、

「これですね」

 交流会の最後に学院生徒会からの贈り物として綺麗な紙で包装した小箱が渡される。
 夫人は右手にそれを掲げて生徒達の好意に応える写真だ。

「「お料理CLUB」のお手製お菓子です。
 目録にありますが、”ゥアムのシヨコラティオ菓子”と」

 クロリャウは生徒会長席に深く座る。

「状況証拠は確かだ。だが事件としての立証は出来ない。出来なかったのだろう」
「そうですわね。犯行に気付いたのが翌年春にカムリアム先生が赴任なされてからですから」
「そもそも流産がシヨコラティオ菓子によって引き起こされたのかも、定かではない」
「ええ」

「どれくらいの蜜を入れたら効力を発揮するか、それすら製造者は知らなかったでしょう」

 アルエルシイもクロリャウの考えるところを支持する。
 この犯罪は実体としての成果を求めてのものではないのだ。
 悪質な嫌がらせ、犯行を行った当人の自己満足のみで終わる行為に過ぎない。

 アィイーガも同意する。

「もし追求しても、知らなかったとシラを切られてはおしまいです」
「だが、」

 クロリャウは身を起こす。
 二人は彼女の身体に怒りが纏わっているのを、心の眼で見た。

「罪を問われるべきは、お菓子を作った生徒ではない。
 彼女達にそれを示唆した者こそが責められるべきだ」

「そして、それは、ゥアム文学の造詣の深い人。
 ゥアム語ゥアム文学の教師です、わね」
「カムリアム先生と入れ替わりとなった人、です……」

 

 当時の教員名簿を見れば、誰かは分かる。
 顔写真こそ無かったが、教職員集合写真で確認出来る。
 女性教師だ。

「マグレリアル・エローア 
 6158年3月大学新卒で赴任21才、6160年3月退職。
 担当教科はゥアム語。部活顧問は担当なし」
「本校卒業生ではないのですね。
 そして大学は、「サンパクレ女子大学堂」ですって!」 

 「サンパクレ女子大学堂」はタンガラム最初の大学校であり、女子高等教育の先鞭をつけた名門だ。
 1200年前の救世主ヤヤチャが、大富豪サンパクレ家の女当主に命じて設立させたという。

「大学卒で高校教員、ですか」

 通常女性の教員は師範学校出である。大学卒はほとんど居ない。
 選抜徴兵制度による学費の減免措置が女子には適用されず、そもそもが人文学分野は奨学金制度も薄い。
 大学に進学するのはよほどの天才でなければ、資産家令嬢となる。

「親の伝手でルリティム女子学院で短期間教師を勤め、大学に戻ったのですかね」
「教員名簿ではそこまでは」

 

 翌日放課後、クロリャウとアィイーガは市図書館を訪れた。
 名士録を紐解きマグレリアル家を調べる。
 「マグレリアル・エローア」の消息は、思ったよりも簡単に判明した。

「サンパクレ女子大学堂で「シェ=ェクス・ピア」研究で講師になって、ソグヴィタル大学で副教授にまでなっています」
「思ったより大物だったな」

 著書も幾冊も出版しており、一般向けとしては、

「『シェ=ェクス・ピア文学とゥアム植物の自然世界』、どう思いますおねえさま」

 

 クロリャウの言葉にアィイーガは震える。

「会おう。」

 

     ***** 

 再びの生徒会長の訪れを受けた校長は、たっての願いを聞いて驚いた。

「ソグヴィタル大学のマグレリアル・エローア副教授に会いたい、ですか」
「53年前、本校で教鞭を執られていた方です。
 校長先生からお願いしていただければ可能だと思います」
「でもなんでいきなり。何か理由が有るのですか」
「校則78条に関してご意見を伺いたいのです」

 校長も困惑する。そこまで大事になっているのか。
 しかし生徒が大学教授に会いたいというのを、無理に留める理由は無い。
 むしろ向学心に燃えていると称賛すべきではないか。

「ソグヴィタル大学に連絡を取ってみましょう。
 不本意な結果に終わるかもしれませんが、構いませんね」
「はい」

 

 数日後、生徒会顧問デメコフ先生より校長の言伝があった。

 マグレリアル・エローア、結婚してジュエイム・エローア・マグレリアル女史は、
現在はソグヴィタル大学を退官されている。
 ご自宅はなんとルリティム市にあり、そこで病気療養中。
 既に75才のご高齢であり、もし生徒会長が是非にとも面会を希望するのであれば、
校長が付き添ってお伺いする事になる、と。

「はい、お願いいたします」

 ついで副会長に願う。

「アィイーガ、あなたも付いて来て。
 面会時には私が一人で話す事にしたいのですが、たぶん人手は要るでしょう」
「分かりました、生徒会長」

「ちょっと待て。何をするつもりだ」

 

 その週の公休日。
 ルリティム市の外れの高級住宅街に3人は居た。

 ルリティム女子学院校長シッバ・フィリアム、生徒会長ヰィーダ・クロリャウ、
副会長クラリッパ・アィイーガは調査資料を携えている。
 たぶん本人には必要無いが、校長先生に説明する助けになるだろう。

 また手土産に「料理研究部」が焼いた「ゥアムのクッキー」の包みを持参する。
 もちろんチヲコレイトは使っていない。

 事前の調査では、ジュエイム家も結構な素封家。
 ただしエローアと結婚したのは三男で、事業継承等には関与しない人物だ。
 エローアが学究の道を選んだので、それにふさわしい夫を見繕ったのだろう。

 旧カンヴィタル様式の伝統国風建築の結構なお屋敷だが、離れはゥアム木造建築となっている。
 シェ=ェクス・ピア研究家が余生を送るのにふさわしい建物だ。
 庭にもゥアムの植物が植えられ、秋の花が咲き始めている。

 校長のフィリアムが説明する。

「現在はエローアさんは旦那様を亡くされて、ご長男の一家とお暮らしになっているそうです。
 心臓を悪くしているようですから、あまり騒がないようにしてくださいね」
「はい」
「まあ、あなた方に注意するものではありませんね」

 

 門柱の電気呼び鈴を押してしばらく待つと、屋敷から少女が走ってきた。
 中学校の制服でおそらくは三年生。クロリャウとは1才違いになるだろうが、幼い印象。
 鉄柵の扉を開きながら話し掛ける。

「ルリティム女子学院の方ですね。おばあさまがお待ちしておりました」

 そして門内に入ってきたクロリャウに一撃で魅了されてしまう。
 こんな素敵な方が生徒会長だなんて……。

 後に続くアィイーガにとって、実に満足すべき反応だ。

 

 母屋に案内され、生徒二人は持参の上履きに履き替えた。
 少女が応接室の扉を開けると、既に女史は待っている。
 まずは校長が謝意を述べた。

「この度は不躾なお願いを快く承知していただきありがとうございます。
 私がルリティム女子学院校長シッバ・フィリアムです。
 そして生徒会長のヰィーダ・クロリャウに、副会長クラリッパ・アィイーガ。
 この子達が是非先生にお会いしたいと申しますもので、ご無理とは思いましたが」

「まあ、綺麗なヒト。貴女が生徒会長なのね。
 お初にお目にかかります。ジュエイム・エローア・マグレリアルです」

 クロリャウ、アィイーガ共に完璧な挨拶をして校長も満足させる。
 そもそもが伝統を誇る名門女子学院の、しかも生徒会だ。
 全校生徒の模範となるべき存在で、学院の顔として地域にも知られる。 

 3人は椅子を勧められ、少女が銀の盆で茶器を運び給仕をする。
 ちゃんと家政婦も居るのだが、あえて彼女がかって出た。

「孫のエイムールです。来春にはルリティム女子学院への入学が決まっています。
 校長先生に生徒会長さんが訪れたので、よいところを見せたいのですね」

 もう、と照れる少女。
 クロリャウはアィイーガに指示をする。美しく包装された紙箱を取り出す。

「これは、学院の「料理研究部」が作った「ゥアム帝国の焼き菓子」です。
 ささやかではありますが、お受け取りください」

「料理研究部?」
「50年前は「お料理CLUB」と称していました」

 

     ***** 

 しばしの歓談の末に、本題を切り出す。
 アィイーガに指示して少女エイムールを別室に連れて行ってもらう。
 おそらくは、思う存分にクロリャウ生徒会長についての質問を受けるだろう。

 校長と顔を見合わせ、クロリャウは話し始める。

「本日お伺いしたのは、本校校則第78条についてのご意見を承りたいと思ったからです」
「校則? まあなぜ50年も前に辞めた教員の了解が要るのかしら」
「78条はマグレリアル先生が本校を去られた直後に定められたものです。
 ご存知ではないでしょう」

 自分が読むよりは校長が読んだ方が権威はある。
 差し出された生徒手帳を開いて、当該条項を読み上げた。

『第78条 本校生徒は花の香りのするシヨコラティヲ菓子を作ってはならない』

 怪訝な顔をする老教授。

「この条項は、先生が本校を去られた年に赴任されたゥアム語のカムリアム先生が中心となって制定されました。
 以後50年、謎の校則として生徒の間で知られてきましたが、
 今回改定するに当たって制定当時の状況と理由を調査した結果、」
「わたしに会わねばならない、と思ったわけね」

 校長は調査結果を知らない。何が起きているのか見当もつかない。

「ヰィーダさん、どういう事ですか。まず私に説明するべきでしょう」
「資料を持ってきております」

 それは53年前の学院祭の様子を伝える学校新聞。
 当時の光景を撮影した写真綴も持参する。
 「お料理CLUB」から綺麗な紙包みを渡されて喜ぶジュバンチ夫人の姿が写る。

「「花の香りのするシヨコラティヲ菓子」です。
 当時の生徒会は贈り物の目録をちゃんと残しておいてくれました」
「ええ、そうね。ゥアム風俗の流行にのった舶来のお菓子。
 ゥアム語教師としてたしかにわたしが相談を受けました」

「その後学院ではこのお菓子が流行って、おそらくは新任のカムリアム先生ももらったのでしょう。
 そして、昨年の学院祭で何が起きたかを察知した」
「そう……、気付いた人がいらしたのね」

 

 姿勢こそ崩さないが校長はびっくりした。
 これはただならぬ様相だ。
 生徒会長はかっての教員を糾弾しに来たのか?

「ヰィーダさん、説明しなさい。「花の香りのするシヨコラティヲ菓子」とは何です」
「それはわたしから説明いたしましょう。
 ですがあまりにもあいまいで、自ら効能を確かめたわけでもなく、ただ文学作品に記されるものを子供じみて真似ただけの悪戯で」

「ですが、悪意に満ちています。
 私が知りたいのはその動機です」
「告発はしないの?」
「証拠は50年前からありません。だから校則が出来ました」

「ヰィーダさん説明しなさい。何なのです」

「毒ですよ、薬と呼んだ方がよいでしょうか。
 シェ=ェクス・ピア作品に記される毒入りのお菓子を、学院祭の来賓に贈った。
 生徒会長さんはそれを調べているのです」

 校長フィリアムは顔面蒼白となる。それは紛れもなく犯罪行為だ。
 老教授をしばし見つめて、ようやく声が出た。

「  ……、あなたが、」

「でも動機が分からなかったのね、無理も無いわ。
 わたしも当時は、なぜそんな事をしてしまったか理解出来なかったもの。
 ただの嫉妬や羨望ではない、もっと奥深い魂の欲求からだった。
 と、この歳になってようやく得心出来たわ」

 クロリャウが補足説明して、フィリアムは50年前の軍の英雄ジュバンチ剣令を思い出した。
 子供心に、若い女性達が熱狂する姿を眩しく見た光景を。

 ようやく犯罪の構図が脳裏に組み上がり、冷静に検討出来るまでになる。
 では、

「ヰィーダさんあなたは結局、何を求めているのです」
「第78条をどうするべきか決めかねています。
 廃止するにしても存続にしても、存在理由を明らかにせねばならないでしょう。
 もし秘密裏に処理するのであれば、せめて校長先生にはご理解いただかねばなりません」

「なるほど、誠実ですわね」

 

     ***** 

 屋敷を辞す際、玄関まで見送りに来てくれた。
 孫のエイムールに支えさせて、ジュエイム・エローア・マグレリアルは最後にと教えてくれた。

「60年シェ=ェクス・ピアを研究してきたわたしが、その総論として教えられる事があります。

 ゥアム文学はゥアム人の心を持たなければ理解出来ません。
 ゥアム人は、すべての人が心に凶暴な悪を宿しています。
 生まれた時は無垢だとしても、生まれ育つ社会の内でやがて悪を宿します。そうでなければ生きていけない。
 ゥアム帝国ではこれを「現罪」と呼びます。誰も逃れる事が出来ない。

 だから「現罪」を超越し自由な存在となった「ゥアム神族」が社会の頂点に君臨するのです。
 たとえ自らの手が届かなくとも、神族の存在が救いとなる。

 タンガラム人には分からない。
 心に悪を、毒を宿さなければ」

 そして微笑んだ。

「またお会いしましょう。遠からずその時が来ますよ」

 孫娘は理解が及ばずきょとんとした顔で祖母を見つめる。
 ルリティム女子学院の素敵な方々、を門まで送っていった。

 戻ってきた彼女に手を差し伸べる。

「花壇まで連れて行ってちょうだい」

 

 ゥアム木造建築の離れの庭には、ゥアムの植物が植えられている。
 シェ=ェクス・ピア文学に出てくるものを集めて、ひとつの小宇宙を作っていた。
 厳しい夏に咲き誇った華やかな花々は終り、秋の色に席を譲り始めている。

「ジギタリス、オレアンダー、コルチカム、ベラドンナ、ウルフズベイン、そしてフォクスゲイズ。
 美しい花は美しさだけで人を惹きつけるのではないわ」

「毒ですね、おばあさま」
「これらの花は気高いの。人に、獣に脅かされない。
 世界中どこの人でも敬意をもって花々を称え、その力を譲り受けてきた。
 古代の人にとって魔法とは花々草種の力だったの。

 だから文学には、演劇には何度でも描かれる。
 人はその力に恐れを抱き、強く惹きつけられ、またそれが虚構であったことに安堵するの」

 白い花は今や遅しと蕾に豊かさを増し、咲き誇る日を待っている。
 まるで舞台袖に立つ踊り子のように。

 萎びた指を伸ばし蕾を触る。
 懐かしい、愛しいひとに再会したかに。

「素敵な方々でしたねえ……」

 祖母の話とはまったくに関係なく、別れを惜しむ。
 来春にはあの方々と共に同じ学舎で学ぶと思えば、心が弾む。
 エローアは寂しい微笑みで後ろから彼女の頬を見つめた。

「あの人達が来てくれるのをもう何年も待っていました。
 おそらくは死の瞬間まで訪れてくれないと思ってたのに、
 50年の時を越えて、時間を時代を遡り、わたしを探してくれた。

 ありがたい事だわ」

 未だ強い日差しが祖母に当たるのを、孫娘は気付いた。
 促して建物の陰に移る。

「今年の学院祭は11月にあると聞きました。
 友達と一緒に行って来ようと思います」
「懐かしいわね。ほんとうに、なにもかも夢のようだわ……」

 

「つまり、生徒に堕胎薬の入ったお菓子を作らせて、それを妊娠していたジュバンチ夫人に食べさせたと言うのですか。
 なんと卑劣な!」

 帰り道、クロリャウとアィイーガはフィリアム校長に事件を説明した。
 その衝撃に60才の彼女はわずかに足元をふらつかせた。

「ここで問題になるのは、事件を糾弾すれば何も知らない生徒が矢面に立たされる事です。
 正義を追求するよりも遥かに重大な結果が発生します」
「50年前の先生方は、それを懸念して表沙汰にされなかったわけね」
「ごく少数の教員のみが事情を理解して再発を防止していたのでしょう。
 でも長年の内に忘れ去られ、78条は形骸化してしまった」

 フィリアムは立ち止まって考える。
 実行犯に仕立てられた「お料理CLUB」の生徒達は、50年だ、まだ存命であろう。
 既に遠い昔の話、としても公表出来るものではない。

「ヰィーダさん、クラリッパさん。この件の処理は私に任せなさい。
 あなた方はこれ以上手を出さないで。もちろん他の生徒にも言わないで。
 他に誰が知っていますか」

「二年青組コリカノ・アルエルシイさんです。彼女が今回78条を疑問に思いました」
「分かりました。彼女にも私が直接にお願いします。
 いいですね、この件はもう教員会議に移りました。生徒会の仕事ではありません」
「はい」

 口の堅さに関しては、生徒会長クロリャウは万全の信頼をおける。
 だがこれですべてが終わったとは、3人誰も思わなかった……。

 

     ***** 

 週が明けて3日、クロリャウは一人校長室に呼び出された。
 校長、教頭、生徒会顧問の3人が待っている。
 この3人が学校側で事情を知る者となるのだろう。

「校則78条の処理が決まりましたか」
「いいえ、ヰィーダさん。準備をしてください一緒に参ります」

 フィリアム校長の言葉にまばたきで返す。

「先日お伺いしたジュエイム・エローア・マグレリアルさんがお亡くなりになったと、御家族の方から電話がありました。
 私共が訪れた翌日の朝にはもう冷たくなっておられたそうです」

 クロリャウは動じない。次の言葉にむしろ校長が驚いた。

「ああ、やはりそうですか」
「やはり?! あなたはこうなると予想していたと言うのですか」
「いえそうではありません。ですが、
 あの方は別れ際に「救い」の話をされました。

 ご自分の罪をいつか、どのような形でか償わねばならない、と思っていたのでしょう。
 そして私達が訪れて古い罪を暴いた。
 これ以上生きて待つ必要は無い、と心の荷を下ろしたんです」

「あなたは、……それを承知であの話をしたのですか」
「もちろん責任は私も負う事になります」
「責任?」
「了解しました。お葬式に参列するのですね。直ちに準備をいたします」

 これ以上の問答は無用、とクロリャウは校長室を出ていった。
 フィリアムも道々話をすればよいと留めなかった。

 

 2日後、学級の担任教師に引っ張られてクロリャウは校長室に押し込まれた。
 何事かとフィリアムが尋ねると、

「こいつ、いきなり退学したいとか言い出したのです」
「なんですって!」

 悪びれるところも無く、困ったなの顔をしている。
 既に自分では決定して後戻りはしない、そんな覚悟が透けて見えた。
 だが一年生の生徒会長に簡単に辞められてたまるものか。

「ヰィーダさん、説明しなさい。これがあなたの言う「責任」ですか」
「その形のひとつではあります」

「マグレリアルさんがお亡くなりになったのは寿命で、あなたが訪ねていったからではありません。
 人の生命はそんなに簡単に他人に左右されるものではない」
「私もそうは思います。ご自分の命をご自分で納得されたと、この間も言いました」
「では何故!」

 眼の色を見れば分かる。そして最初から分かっていた。
 ヰィーダ・クロリャウという少女に外界の、他人の意見は意味を為さないのだ。
 自分が考えて自分で行動する。損得は考えない。
 世の中で一番迷惑な人種だ。

「選択を間違っていた、と改めて認識しています。
 私は、私が生きていくだけでおそらくは多くの人の過ちを糾す立場となるのでしょう。
 人を裁く覚悟と準備が予め必要だったのです。
 女子学校(高校)に入ればなんらかの有益な体験も出来ると考えましたが、急ぐべきだと改めて思い知りました。
 本来あるべき進路を目指します」

 担任が尋ねる。学校を辞めて行く当てがあるのか。

「カニ神殿に入ろうと思います。
 両親や親戚などには昔から、「おまえは生まれつきカニ巫女なるしかない」と言われて来ました」

 天河十二神の一つ、夕呑螯神「シャムシャウラ」の神殿は道徳倫理・社会規範を守らせる役目を負う。
 神官や巫女は棒を担いで巷に分け入り、不心得者を叩いてでも人の道に引き戻す。
 ヤクザチンピラに刺されて死ぬ例も多い苛烈な職業だ。

 再び担任は尋ねる。これがもう最後の説得だ。

「後悔はしないんだな?」
「私は、選択は常に後悔する方を選ぶべきだと思います。
 そちらの道に確かに価値があると自分でも認識し、それを振り捨ててでも険しい道を選ぶ覚悟を乗り越えてきた印だからです」

 こんな女だ。普通の生徒と同じに扱ってはならなかった。
 フィリアムがもう一度引き止める。

「本校生徒にはあなたを慕う者が多く居ます。その子達にはなんと説明するのです」
「悪いとは思いますが、」

 大きくため息を吐いて諦めるしか無い。
 生徒会長が丁寧に礼をして校長室を出ていくのを見送るだけだ。

「……そうですね。あの子を導いてくれるのは、たしかにカニ神殿しか無いのでしょう」
「いいんですか校長。さすがに父兄からも問題にされると思いますが、」
「あの子がやってくれた事を思えば、我々も少しは汗をかかなくては」

 

     ***** 

 朝礼。校庭に全校生徒が並ぶ。

 本来ならば生徒会長もまた正面に立つはずが、今朝は副会長クラリッパ・アィイーガだけだ。
 号令台に立つ校長シッバ・フィリアムは、不審に思う生徒達に謝罪する。

「まことに残念ですが、生徒会長のヰィーダ・クロリャウさんが本校を退学する事となりました」

 悲鳴。

「ヰィーダさんに非は何一つありません。
 彼女は本来であれば私達教師がやらねばならなかった仕事を自ら引受け、その責任を負う為に学校を去る決断をしました。
 詳細は申し上げられませんが、そのような真似をさせてしまった事に私達の無力無策を反省し、
 また生徒のみなさんが敬愛する生徒会長を失わせてしまったお詫びをいたします」

 動揺した生徒達は列を乱す。
 責任を、いや学校に引き戻す嘆願をしようと前に、前にと溢れてくる。
 指導の教師達も出て押し留めようとするが、

ぴーっと、鋭く呼笛の音がする。

 アィイーガの鳴らす笛により騒ぎは鎮まり、再び整列した。
 日頃よりそのように躾けられている。
 本来であれば生徒会長が行うべき使命だ。

 フィリアム校長は壇上より副会長に話し掛ける。

「クラリッパさん。ヰィーダ生徒会長より言付けがあります。
 残りの任期は副会長であるあなたが代行して、11月の学院祭を成功に導いてください」
「はい。その他には?」

「短い間だけしか一緒に居られなくてごめんなさい、と」

 アィイーガは泣いた。
 親が死んでもかくばかりは、と自分でも思うほど泣いた。

 

 教員会議で検討した結果、校則第78条はそのまま残されると決まった。
 ただし条項に補足が付く。
 末尾に”(解決済み)”と記される。

 何が解決したのかわからないが、これ以上の詮索は無用という意味に皆は受け取った。

 

 

 カニ神殿に身を寄せるクロリャウの決断に、両親はまったく反対しなかった。
 むしろやっとかと尻を押さんばかりだ。

 カニ神殿はどこの街にでも有るが、新人養成機能を持つものは限られる。
 やはり大都市で大人数を受け入れられて、
それも近隣に貧民街や治安の悪い場所を持つところでないと実地の訓練が出来ない。

 ルリティム市のカニ神殿の門を叩いたクロリャウは、案内に従いノゲ・ベイスラ市を選んだ。
 隣県ベイスラの中心都市であるノゲ・ベイスラ市は繊維衣料・食品・木工産業で賑わう工業都市で、
南部の田舎から出てくる労働者が多く、それを食い物にする悪党もはびこっている。

 

 カニ巫女の訓練は志望者を日々ふるい落とす為とも思える厳しさだ。
 最初の9日間で半数が逃げ出すとされるが、クロリャウは涼しい顔で乗り切った。

 1ヶ月を過ぎた頃、事件が起こる。
 今をときめくカニ巫女見習いの先輩「ケバルナヤ」姉が、1年半の世間修行を終えて神殿に帰還したのだ。

 7年前に国際謀略『潜水艦事件』をソグヴィタル・ヒィキタイタン氏と共に解決し「若き国家英雄」と称えられた
ヱメコフ・マキアリイ氏が、不遇の状況に燻っていたのを正義に導き、
共に数々の難事件重大犯罪を解決して世間の喝采を浴びる事となる。

 中でも特筆すべきは、ベイスラのヤクザが二手に分かれて数百人の決闘を行う中、
ヱメコフ・マキアリイが素手にて割って入り、並み居る暴漢共を投げ散らすのを、
ケバルナヤもカニ巫女棒を振るって背後を守る。
 その姿を新聞記者が撮影した映像が全国的に放送されて世間に衝撃を与えた。

 『英雄探偵マキアリイ』と題して映画にもなる予定。

 ヱメコフ・マキアリイ氏はノゲ・ベイスラ市内に正式に「刑事探偵事務所」を開設。
 ケバルナヤの後任として新しいカニ巫女見習いが助手として働く事が決まった。

 神殿に戻ったケバルナヤは正規のカニ巫女に叙せられる。
 そのお披露目の会に、クロリャウ達訓練生も参列した。

 

     ***** 

「あれが、ケバルナヤ姉?」

 物心付いた頃から周囲の人に、「おまえはカニ巫女でもなるしかない」と言われ続けたクロリャウだ。
 自分では何故皆がそう言うのか、まるで分からなかった。

 だが今ケバルナヤ姉を見て、なるほどと納得する。
 確かにこの人はカニ巫女だ。
 他の、指導にあたる大人の巫女に比べても、やはり隔絶して違って見える。
 神に選ばれたと呼ぶしかない。

 などと呑気に考えるクロリャウだが、訓練生の間ではやはり自然と抜きん出て級長的な立場になってしまった。
 今も訓練生の最前列に立って代表みたいな形になる。
 目の前を尊敬すべき先輩が通るのを見送った……。

「?」

 ケバルナヤ姉が自分の前で立ち止まる。
 正規のカニ巫女となった印の神罰棒を右手に、振り返る。

「聞きたいことがあるのでしょう」

 カニ巫女訓練の最初の最初に叩き込まれるのが、間髪を入れずに反応する教えだ。
 思い煩う、考え込むなど許されない。
 問われて即答える、躊躇しないのが絶対の掟。

 クロリャウはもちろん、今の今まで何も質問を考えてない。
 口を開いて飛び出したのは、

「人を裁く資格というものは何でしょう」
「人には人を裁くことは出来ません。規範が人を裁きます」

 もちろんケバルナヤも打てば響く。
 ただそれは、神殿の教えの通りに過ぎず、少し物足りない。
 自分が問いたいのはそこではなく、もっと。

「責任とは」
「そのような事を考える前に、棒を振るい人を指導することです」

 そしてまた歩み出した。
 他の訓練生が見惚れて後ろ姿を見送るのに、クロリャウも倣う。

 そうか、思考と規範と覚悟と身体と、すべてが一体になってあの人は居るのだ。
 動く姿がそのままにカニ神「シャムシャウラ」を体現する。
 なるほど、それがアレなのか。

 クロリャウは考えることをやめた。

 

 ケバルナヤの後任となったカニ巫女見習い「ザイリナ」は、わずか15才であったがその任を全うし、
数々の武勇伝と共に1年半の任期を終えて、神殿に戻ってきた。

 だがザイリナの後任が決まらない。
 「英雄探偵マキアリイ」の勇名は天下に轟き、犯罪を解決する映画も何本も制作される。
 もちろん助手のカニ巫女も注目され、新聞雑誌・放送で大きく取り上げられる。

 英雄と共に正義を追求するのを躊躇うカニ巫女は居ないが、
世間の偶像として持て囃されるのはよしとしない。
 志願者は現れず、半年も決まらなかった。
 そもそもカニ巫女見習いをマキアリイが引き受けなくてもいいだろう、とも思い始める。

 しかしながら、そもそもが地味で儲かりもしない責務を果たすカニ神殿だ。
 「英雄探偵マキアリイ」の流行に伴ってカニ神殿への注目も高まり、ご寄進もうなぎ登り。
 全国的に財政状況が好転を見せるこの流れを断ち切ってはならない。

 前任「ザイリナ」と上層部が協議して、新たな巫女見習いが選出された。

 巫女名「シャヤユート」を与えられたヰィーダ・クロリャウだ。
 訓練を終えて世間修行の時期を迎える。

 カニ巫女の世間修行とは、神殿の権威から離れて一介の人に戻り、世俗で自活しながら自らを見つめ直す修行だ。
 若気の至りで飛び込んだ者も、思いもかけぬ出会いで人生を歩み直す事もある。
 ヤクザに刺されて死ぬよりはマシ、と考える者もあろう。
 巫女をふるい落とす最後の試練だ。

「刑事探偵事務所の事務員、ですか」
「経理の監査はカニ巫女の必須技能です。あなたは成績も良い。
 なにか問題でもありますか」

 指導の巫女に問われて、拒絶する理由があるか自分の中を探してみる。
 「正義の味方」を謳われる英雄の助手になれ、と何故言わない。
 それならきっぱりとお断りするのに。

「あれほどの人気者に、もはやカニ巫女は必要ないのでは、」
「断言しましょう。あれは世間が見ているような立派な人間ではありません。
 怠け者で酒好きゲルタ好きのお調子者だと、1年半付き合ったわたしが言うのです。間違いありません」
  (ゲルタとは塩干し魚のこと。苦くて不味いが妙に執着する人が居る)

 えらい言われようだな、と英雄を気の毒に思う。

 指導の隣に立つザイリナ姉は、刑事探偵の助手として八面六臂の大活躍をした。
 主役であるマキアリイはその倍は働いたはず。
 なのにこの評価。ちょっとは息抜きの時間も必要だろうに。

「つまり、ヱメコフ・マキアリイの尻を叩いて働かせればいいのですね」
「はい」
「思う存分働かせてやれ」

「なるほど」

 「シャヤユート」は承諾した。

 

 そして6214年3月、「ヱメコフ・マキアリイ刑事探偵事務所」のガラス扉を開く。

 

     ***** END

 

     *****     *****

【夏季特別講習】

【バハンモン教授独演会】
 聞き手;ヱメコフ・マキアリイ

「君達はバシャラタン法国でのコニャク栽培・生成事業についてどう考えるかね。
 文明国が未開の国を好き勝手に利用して、利益だけを吸い上げていく。そう考えるのではないかな。
 もちろんそういう側面は有る。
 ゥアム帝国と連携するこの事業計画は、まさにと言い切っても良いさ」

「バシャラタンの住民には何の得も無いわけですか」
「そうだね、普通ならただ単に労働者として酷使使い捨てが王道だろう。未開国の住人はそうなる運命だ。
 だが親父はそうは考えない。叛逆者だからね、弱い者の味方だよ。
 なにせ第七政体崩壊の時期に、秘密治安警察から拷問を受けたくらいさ。

 で、今回の事業で親父が現地住民に何を与えるかというと、産業だ」
「産業計画ですからね」
「そうだよ。効率的な生産体制を構築するには、現地に基礎的な産業基盤を築かねばならない。
 ゥアムは本国から技師・熟練労働者を連れてくるつもりだけど、タンガラムはバシャラタン人を訓練することにした。
 一人ひとりの労働者に付加価値を付け、賃金を与え購買消費力を上げ、タンガラム製品の市場とする。
 未開の文明では用の無い工業製品を売りつけるんだ」

「はあ。」
「つまり市民社会の創出だ。社会にカネが回れば教育にも力を注ぐ。
 義務教育の体制を根付かせ、氏族社会ではなく一市民として独立出来る教養を身につけた上で、
 民衆協和政体へと移行するんだね。
 特権階級の支配から解放される道筋だ」

「それがタンガラムの王道ですか。すごく胡散臭いですよ」
「でもゥアム帝国が考える奴隷的支配よりはマシだろうさ。

 だがね、マキアリイ君。君が悪いんだよ」
「は?」

「君がうちの親父を捕まえた通称「闇御前事件」
 あの時、君は新興宗教団体による移住計画を潰しただろ」
「はあ、はい。
 確かバシャラタンに新しい宗教国家を建設するという。
 全国から少年少女を拉致同然にかき集めて送り込む計画でしたね」
「あれ、この計画の一環だったんだよ。

 バシャラタンで長期間働くタンガラム人労働者を用意するだけでなく、
 定住させて現地人に近代文明社会の生活様式、さらには民衆協和制に基づく社会運営を体験させる。
 政治運動の教師役を育成する計画だったんだ」
「う。そうなんですか」

「まあね、それで現地の政治僧に生きた美少女の吐露肉なんて贈ってたら、
 邪悪と謗られてもしかたないけどさ。」

 

「さてそこで問題になるのが、何の産業を与えるかだ。

 もちろんコニャク樹脂生産が柱となるのだが、基本的な熱量・電力の供給が無いと困る。
 周辺の深い森を伐採して燃料とするにも、発電所を建設するにも道が要る。
 まずは道を作るさ。

 そして伐採した木材を現地だけでなく、タンガラムにも輸出する。木炭化する工場も作る。
 当然港湾施設が無ければ輸出できない。コニャクだって運べない。港湾整備を行うさ。

 またバシャラタンはあくまでも森の中だけで完結する文明で、海への進出がまったく無い。
 だから周辺海域には水産資源が手付かずで残っている。
 特に油ゲルタが幾らでも穫れる。そうなれば、魚油精製工場を建てないわけにはいかないだろ。

 そして油ゲルタ滓を用いた肥料づくり。
 現在では臭漿(アンモニア)製造の原料としても珍重される。近代化学の根本材料だね。

 さらには農業だ。
 タンガラム北部で栽培される主要作物としては、コニャクだけでなくサトウイモも有る。
 シンドラのキビ砂糖に押されて価格競争力に劣るが、バシャラタンでは基礎的食料として大いに注目されている。
 他にも北方の寒い環境でのみ育つ作物が、タンガラムには幾つも有る。栽培法も確立している。
 食料問題が解決すれば、バシャラタンの人口も増加して国力増進を図れるだろう。

 イヌコマも注目されている。バシャラタンには犬以外にろくな家畜が居ないからね。
 本来森林を住処とし、冬の寒さにも強い生き物だ。険しい山道も平気で歩く。
 さすがに厳冬期は屋外に出せないが、それは人間も同じ。
 服を着せてわらじを履かせれば、ちゃんと雪の中でも走ると聞くよ。

 人間が担いで歩く以外に無かったバシャラタンにおいて、イヌコマは画期的な運搬手段なんだ」

 

「凄まじい発展ですね」
「もちろん、これだけの過激な社会の進展をバシャラタン人がすんなり許容するとは思えない。
 そこで、近代文明を受け入れて進歩を繰り広げるとどう変わるか、
 現地の人達の前に展示して啓蒙する博覧会が、予定されているんだ」

「あ、それは!」
「ん? 君も興味あるかね」

 

【バハンモン教授独演会2】
 聞き手;ヱメコフ・マキアリイ

「マキアリイ君、君は戦争は好きかね?」
「いえ、嫌いです。軍人ではありますが」

「ボクも嫌いだ。第一、互いを憎み合って交流を断てば、ボクの商売上がったりだ。

 だが今現在、タンガラム・ゥアム・シンドラの三方台は「海島権益争奪戦」というれっきとした戦争を海上で繰り広げている。
 タンガラムでは「見えない戦争」なんて呼ばれているけど、
 実際に人が死に船が沈む激闘なのは君も知るところだね」
「はあ。
 たしかに水上戦闘機が猛烈に進化しているのは、海外派遣軍で実際に空中戦を行っているからですね」

「そこで、世の中の愛国者と呼ばれる人はこう唱えるんだ。
 「戦争が現に行われているのなら、国家の全力を挙げてこれに挑み、確実に勝利を掴むべきだ」とね。
 これはどう思う」

「うーん、普通ですね。当たり前、いや人間の命をやり取りする戦争なら、勝たねばならない。
 全力の努力が当然の責務です」
「間違いではない。だがそれで、誰が得をするんだね?

 考えてもみたまえ。
 ボク達はゥアム人と恋を語り合い、バシャラタンから来た茶を淹れて、シンドラの磁器で飲んでいる。
 ゥアムの辛茄子の刺激に舌を痺れさせ、黄金色に輝くシンドラの絹に包まれる。
 タンガラムから輸出したコニャク樹脂が文明生活を支えるんだ。

 これはすべて平和の恩恵だ。戦争なんかしていたら、こんな豊かな生活は送れないだろう」
「それは、確かに」

「第一、タンガラムの「民衆協和制度」なんて、
 帝国支配のゥアムや、太守が権力を独占するシンドラにおいては毒そのものの反社会思想だよ。
 にも関わらず、どちらの国でも誰でもが自由にタンガラムの政治思想書を読み、学問として研究が許される。

 『英雄探偵マキアリイ』が大活躍する娯楽映画が、ほとんど修正もなしに異国の大衆の前で上映される。
 平和であるからこその風景ではないかね?」

「はあ。でも海外派遣軍は戦争し続けているんです」
「そうだ。戦争は現に継続し、互いに憎しみを醸成し合っている。
 ならばみんな揃って一丸となって、戦争遂行に邁進すべきだろうかね」
「えー、それはー、」

「これが、親父が築き上げた海外派遣軍が行っている「海島権益争奪戦」の実態なんだ。
 戦争は確かにあり、敗北は許されず、されど方台本土の一般大衆はその事に気付いてはならない。
 気付いて本気になってしまったら、すべてが破綻して何の味気もしないつまらない国際関係が始まってしまう。

 嬉しくないよね?」

 

「ですが、どこか一カ国が一方的な勝利を収めて、すべての権益を独占してしまう恐れが」
「あるんだね。

 この戦争、懸かっているのは国の未来だ。
 広大な海洋に存在する様々な資源や権益を確保し続ける事が、国民の安寧な未来を保証する。
 他に代替手段は存在しない。
 人の血が毎日流れていても、決して止めるわけにはいかない聖戦だ。

 でも、なんでこの戦争はいつまでも決着がつかずに均衡し続けるんだ?」
「え?」

「考えてみたまえ。
 科学技術に優れ強力な兵器を多数装備するゥアム海軍が、なんで勝利しないんだ?
 タンガラムよりも数等遅れた海上兵器を使用するシンドラ軍が、なんで我が物顔で海原を走り回っているのだい?
 なにかおかしい、と君は思わないか」

「均衡は、努力の成果ではない。そう仰るのですか」
「不自然だね」
「何者かの意思が働いているのですか?」

「それを、海の上の民は「ネガラニカ」と呼んでいる。

 どこかの誰かが一方的な勝利を収め、総てを支配する事が無い。
 すべてゴチャ混ぜで、一色に染まらない。絶対の権力が君臨しない。
 これが海洋の秩序だ。

 誰かが均衡を取っている。
 実際の武力行動としては発動しないのかもしれないが、確実に蠢いている。
 「青い肌の船員」は、その誰か、と思われているんだね。」

「では海外派遣軍の敵はゥアムシンドラだけでなく、ネガラニカもなのですか。」
「はっきりと区別できれば、もっと研究も進むんだがね。

 見えないんだよ、組織としてのネガラニカは。
 宗教的な繋がりでもなく、祭祀を行う集団も居ない。
 ただ怪談のように密やかに語られる。そして痕跡を残していく。

 謀略という爪痕をさ」

 

【バハンモン教授独演会3】
 聞き手;ソグヴィタル・ヒィキタイタン

 バハンモン教授は別れ際に、ヒィキタイタンだけにこっそり教えてくれた。

「政治家の君には教えておこう。

 原子核発電技術の導入はコニャク移転ではまだ足りず、莫大な技術使用料を支払っている。
 表の予算では現れないがとてつもない金額で、利敵行為とも判断されるだろう。
 そしてこのカネはゥアム帝国の国庫ではなく、ゥアム官僚が密かに築き上げた裏組織に直接流れて消えている。
 組織の活動資金として用いられるんだね」

「それは、御父上は良しとするのですか?」
「そこが親父の恐ろしいところさ。

 ゥアム官僚の理想は、神族や「銀骨のカバネ」に指導されない直接の統治なんだ。
 もちろん帝国本土では無理だから海外の、彼らが言うところでの「新領土」にて築き上げる。
 原子核発電所の技術料も、その為に使われるんだね」

「海外侵略が、もう既定の事実になっているんですか」
「だが考えてみたまえ。
 上に超越的な支配者を戴かず、伝統的世襲の支配層も無く、
 ただ優れた能力により一般庶民から選抜された人材による効率的な社会運営。
 これってまさに、「民衆主義」だよ。

 またゥアムタンガラムその他の互いに対立し利害の一致しない集団が、合議によって組織を運営していく。
 「協和主義」さ。
 親父はゥアム高級官僚の中に「民衆協和主義」の芽を確実に植え付けていく」

 

 背筋が震えるような陰謀だ。
 ほとんどの人が「闇御前」バハンモン・ジゥタロウを、私利私欲で権力を恣とする亡者と理解する。
 だが真実は、タンガラムが拠って立つ理想の体現者であったのか。

「しかしそこで終わりじゃない。
 ゥアム神族は慧眼だから、遠からず彼らの組織は粛清の憂き目に遭う。
 活動資金が豊富なら、派手に動き回って当然にバレるんだな。

 ゥアム帝国だと叛逆罪は首チョンだね。公開処刑でさらし首数十個の壮観さ。
 組織も、絶滅はしないまでも根本的な変革を余儀なくされる。

 その時、追い詰められた官僚達の生命を助け、恩を売る。
 隠匿される大量の資金の逃避先として、タンガラムに呼び込む。
 彼らが獲得した海外利権を名目上タンガラムに付け替えて、肩代わりする。

 投じた技術使用料に倍する利益を回収する。
 そこまでが、『原初の焔』計画なんだ」

 ヒィキタイタンは声も無い。
 敢えて言うなら、悪鬼外道の仕業。
 人の生命など一片の重きも置かない冷酷残忍な計画だ。

 バハンモン教授はだから、と忠告する。

「もし君達が正義を天下に示し謀略を暴くとしても、ゥアムの組織については口外しない方がいいよ。
 親父の計画が中途半端で止まると、タンガラム国民のカネが戻って来ないからね」

 

 

     *****     ***** 

          *****   ☆☆

    プロキオン女子大学人形劇同好会「彷徨えるユリシーズ」座公演
    ジゥヌ・ヴェルル作『メタトロン・ポリス』より

~メタトロン・ポリス

            上演時間30分

      (開幕)

主人公サイトシーク登場 左右を見回して感嘆する

「ここがメタトロン・ポリス。現代科学最高の機械都市。人類の叡智の結晶だ
 素晴らしい発展ぶりだなあ

 わたしは観察者サイトシーク、思考工学者だ
 今日はメタトロン・ポリスを完璧に管理する人工人格「メタトロン」を視察に来た」

案内人登場
「ようこそお客様。
 メタトロン・ポリスは世界中の科学者を歓迎いたします」

「案内の方、よろしくお願いします
 それにしても素晴らしい。あれは自動販売機ですか」

市民1・2・3がそれぞれ街を楽しんでいる
市民1は自動販売機で商品を買う

案内人
「はい、売り子が無くてもお金を入れるだけで欲しい物が手に入ります」
「動く歩道に自動運転の路面電車。交通整理まで自動信号だ
 街のあちこちに映像表示装置がありますね」

ピンポンピン
市民達は一斉に空を向く
サイトシークと案内人も、街頭に響くアナウンスに耳を傾ける

”非常警報。市内各地で原因不明の火災が同時に発生しています
 市民の皆さんは落ち着いて、「マリア(仮」の誘導に従って避難してください”

サイトシーク
「これは何事です。こんな科学都市で事故が起きるのですか?」
案内人
「破壊工作です。機械によって人間が支配されるのに反発する勢力が、放火して回っているのです」
「なんと! 人類の叡智を拒否するのか」
「でも御覧ください」

ウーウー、カンカン
消防車登場 消防隊員が飛び降りて展開する(割り箸の紙人形)

サイトシーク
「消防車が、これも自動制御か」
「人間が動かしていますが、「メタトロン」により効率的に配置されます」
「おお、瞬く間に消火されていく。なんと手際の良い」

ピンポンピンポン
自動表示画面に女の子の姿が映る 少し人工物ぽい感触 (表示装置の画面も紙の絵)

”市民の皆さま、わたしはマリア(仮
 市内6ヶ所の火災は無事鎮火し、犯人も検挙されました。もう安全です
 それでは「メタトロン」を讃えて一曲歌います”

♪〜

サイトシーク
「人工人格「マリア(仮」だ。これが見たくてわたしはやって来た」
「マリアは皆の人気者です
 「メタトロン」が如何に人間に寄り添っているかを表現する、一番の表示計器なのです」
「見た目で分かるというのですね」

 

     *** 

サイトシークと案内人歩いていく
目的地の「思考塔」に到着 (紙の書き割りの「塔」)

トゥルース博士登場

「ようこそメタトロン・ポリスの心臓部「思考塔」へ
 私は「メタトロン」の主任開発者トゥルース博士です」

「おおあなたが、この偉業を成し遂げた思考工学者の星
 私の名はサイトシークと申します。お会いできて光栄です」

「さっそく「メタトロン」お見せしたいところですが、この思考塔
 これ全部が「メタトロン」なのです」
「やはり、これだけの偉業を実現するには大掛かりな機構が必要ですね」
「これでも人工人格を再現するには十分ではない
 やっとマリア(仮を一人動かせるだけなのです」

案内人 知らない知識にびっくりする
「え? 「メタトロン」はマリア一人だけなのですか」

「彼女が全てであり、またどこにでも居る
 市全体に張り巡らせた36000の人工眼により、すべてを監視し市民の安全を守り快適な暮らしを約束する
 もっとたくさん人工人格を作れたら、とは思いますよ」

 

「思考塔」内部の都市管制室に入る (書き割り、室内の様子に代わる)
何人もの思考工学者が働いている(紙人形)

サイトシーク
「処理能力の不足をどのように補っていますか」
トゥルース博士
「人間です。熟練の技術者達が「メタトロン」の力を借りて各所の処理を行います
 事務作業の効率化こそ、「メタトロン・ポリス」最大の業績ですよ」
「素晴らしい!」

人造人間「マリア(仮」、登場

「サイトシークさん、ようこそおいでくださいました」
「おお機械の身体だ。なんと滑らかに動くんだ」

トゥルース博士
「美しいでしょう。マリアは常に改良され進歩し、最も良い状態で動いている
 だからこそマリア(仮。毎日新しくなっていく「テンポラリー・マリア」です」

マリア(仮、歌い踊り始める
その姿を愛おしく見つめる博士

「マリアの外観は、30年前に亡くなった私の妹マルガリタを模したものです
 私が研究していた自動操縦路面電車の事故で死んでしまった、不憫な娘です」
「そうだったのですか」
「しかし、性格はこんなに善良ではなかったな

 マリア(仮には、誠実で思いやり深く、人に優しく誰に対しても公正で決して裏切らない、人間として理想的な徳性を与えています
 本物の人間とはかけ離れた存在ですね」
「いえ、それこそが我々思考工学者が到達すべき最終目標です
 人間に出来ないものを機械が実現する。それでいいのです」
「ありがとう。サイトシークさん」

 

     *** 

 場面転換 夜になる

暗い街。路地裏(書き割り 少しくたびれた古い街の様子)
案内人ふらつきながら一人歩く 少し酔っ払う

案内人
「たいへんな秘密を知ってしまった。「メタトロン」はまやかしだ」
群衆A
「何を知ったというのです」

集まってくる人達「群衆」 (「群衆」人形は5体ほどがくっついて一まとまり)
先頭には群衆Aが居る 
木の杖をついた代表者らしい高齢の男性が歩み寄り、尋ねる

代表者
「あなたは「メタトロン」について何を知ったのだ」
案内人
「恐ろしい。ほんとうに恐ろしい秘密だ」
「話してくれませんか
我々は、人間の尊厳を回復するために戦う仲間たち
 メタトロンによる冷酷な支配に抵抗する自由の戦士。機械に縛られぬ自由人だ」

案内人
「メタトロンには、思考塔には人間一人分の思考力しか無い
 マリア(仮を動かし喋らせるだけで精一杯なんだ」

群衆
「なんだって?」
「そんなバカな。こんな大都市を、たった一人でどうやって運営していくんだ」

案内人
「官僚だ。多くの役人がメタトロンの裏で自分達のやりたい放題にやっている
 メタトロンはただの隠れ蓑に過ぎないんだ」
「おおおおー」

代表者
「聞いたか諸君。我々が思っていたとおりだ
 機械は、科学は未だ人間を越えるものには至っていない。まったく能力が足りないのだ
 科学の叡智の名に隠れ、臆病者どもがこそこそと悪事を働いている
 これが許せるか!」

群衆Aが群衆の先頭に立って叫ぶ
「許さない!」
「ではどうする?」
「打ち壊す!」

代表者
「立ち上がれ同志諸君よ。人間の、真に正しき人間の社会を取り戻すのだ」

湧き上がる歓声 金属の打ち鳴らす音が続く

 

代表者、舞台正面に立ち観客に独白

「私は元はマルガリタの婚約者
 だがあの女は私を裏切り、歌手として人気者になろうとした
 それを止めようと私は、彼女の兄が研究する自動操縦電車に仕掛けをした

 その罪の亡霊が、今機械の身体を得て蘇ってくる
 打ち払わねば、亡霊は墓場に深く埋めねばならない」

 

     *** 

思考塔の書き割り
暗く焔が揺らめく背景
群衆が押し寄せるのを、警備員が押し留めようとする 
  (「警備員」人形は「群衆」人形と同じく3体一まとまりで紺色の制服)

群衆A、先頭に立って叫ぶ

「メタトロンの欺瞞を許すな」
「俺達は歯車、機械の部品じゃない」
「人間をなめるな」

わあと人垣が崩れて雪崩込む。
思考塔内部の都市管制室

トゥルース博士が群衆の前に立ちはだかる

「何事ですか。何故あなた方はメタトロンに反対する
 どこか市政に至らぬところがあったのですか」

代表者、木の杖をトゥルース博士に突きつける

「メタトロン・ポリスの繁栄はすべて偽りだ
 我々人間が正しい姿にこの街を蘇らせる
 メタトロンを破壊しろ!」

盛り上がる群衆
そこに美しい歌声が聞こえてくる

♪〜
「マリアだ。マリア(仮が、」

人造人間マリア(仮 登場

「市民の皆さん、ご不満があればわたしが意見を伺います
 マリア(仮はその為に作られました。おはなしをしましょう」

群衆A
「だまされるな、これは偽物だ。機械の女だ」
群衆
「でもマリアには罪は無い。ただ操られているだけの」
「そうだ、マリアは皆に愛されている」

マリア
「わたしは市民の皆さまの幸福を実現する為に作られました
 皆さまと一緒に歩む為に、機械の身体を与えられたのです
 共に幸せな生活を実現させましょう。至らぬところが有れば教えて下さい
 メタトロン・ポリスは皆さまの街なのです」

代表者、歩み出る
木の杖を振り上げて、マリア(仮を力いっぱい殴る
群衆驚く

群衆
「なんということを!」
代表者
「騙されるな、これは機械の女。歯車の腹わたで動く怪物人形だ
 醜い姿を暴き出してやる」
トゥルース博士
「やめろ、やめてくれ。マリアー!」

代表者に続いて、群衆がマリアを鉄棒や角材で殴り壊す
内蔵する機械を撒き散らしながら、マリア破壊され群衆の波に呑まれる

トゥルース博士
「やめろ、マリアが、マリアはわたしの、」

人造人間マリア(仮 2号登場
先ほどと変わらぬ新しい姿

マリア
「市民の皆さま、暴力では何も解決しません
 わたしは機械の身体です。でも思考塔に勤める多くの人は人間です
 暴力はやめて話し合いましょう」
群衆A
「別のマリアだ。やっぱりあいつはただの機械だった」
「ぶっ壊せ!」

マリア、たちまち群衆に取り囲まれ、殴り壊される
マリア3号登場 まだ外観が整っていない銀色の姿

マリア
「やめてください。このままでは市民の皆さまの安全な生活を維持できなくなります」
群衆
「うおおおおお」

トゥルース博士
「やめてくれ、マリアが、わたしのマルガリタが再び殺されてしまう」

代表者、正面観客に陶酔するかに訴える
「これでいい。これが正解だ
 人間の社会に機械の神は必要ない。誰も理想など実現出来はしないのだ
 さらば亡霊よ。革命バンザイ」

 

思考塔、炎に包まれて崩れ落ちる。
銀色のマリア(仮、力なくひざまずいて動かない

 

     *** 

すっかり様変わりした街
通りを歩く市民1・2・3も途方に暮れて行方が定まらない

 サイトシークと案内人も驚きながら左右を見回す

「何という事だ
 人類の叡智を極めた「メタトロン・ポリス」の繁栄が、まるで泡沫のように消えてしまった」

案内人、悲嘆に暮れながら
「私は、こんなつもりじゃなかった。なんでこうなった」

群衆、バンザイしながら通りを練り歩く
神輿の上に代表者が乗って周囲に手を振って進む 「警備員」も彼の手下になっている
群衆Aは側近として偉そうに振る舞う

代表者
「市民の皆さん、メタトロンの悪夢は滅びた
 これからは人間の、人間の手による、人間の為の政治が始まるのです
 私が「ヒューマン・ポリス」の初代大頭領となって皆さんを必ず幸福に導きます」
「よっ、大頭領!」
「大頭領!」

市民1
「あのー、大頭領。自動操縦電車が動いてないのですが、いつ復旧します」
「もはや人間の操縦しない乗り物は動きません
 運転手を配置しますのでしばらく待ってください」

市民2
「信号がむちゃくちゃで、事故がたくさん起きています。なんとかしてください」
「それはいかん。さっそく人数を増やして交通整理を」

市民3
「自動販売機が動きません。壊して中身を取っていいですか」
「そんな事は許さない。ちゃんと人間の店で商品を買うのだ」

群衆
「火事だー、誰か消防車を呼べ」
「一番近い消防署はどこだー」

群衆Aあらため側近A
「大頭領、市民が食料の配分を巡って争っています。配給制度を早急に整えましょう」
「なぜだ。食料は十分に足りていたはずだ。どうして供給が滞る」
「金融機関がすべて停止して、市の外からの物資の流通が止まっているのです」
「なんということだ。これは反革命だ。銃殺にしろ」

群衆、大規模デモ行進を始める

「パンをよこせー」
「電気を通せー。夜が暗いぞ」
「水道を止めるな。作業員はちゃんと働け」

大頭領
「ううむ、みんな勝手な欲求ばかりで、人間としての尊厳を忘れたか
 機械にも劣る連中は排除しろ。第2革命だ!」
側近A
「はいっ、ただちに武装隊を差し向けます」

 警備員と側近Aが敬礼する

 

群衆も大頭領たちも立ち去って閑散とした街
市民1・2・3があてもなくうろつく

サイトシーク
「なんという事だ。これがあの麗しき未来都市「メタトロン・ポリス」なのか
 まるで獣の争いではないか」

市民1
「なんでこうなった。俺達はなにを間違えたんだ」
市民2
「機械のマリアに出来たことが、なんでわたし達に出来ないのだ。なにが違うというのか」
市民全員
「マリアは、いったい何が優れていたのだろう?!」

案内人
「マリア(仮は、常に市民の幸福を求め、優しく弱者を見守った
 誰も泣き苦しまないように先回りして手を伸ばしてくれた
 善良で正しく、笑顔と歌を忘れず、ただ楽しく人と共に」

サイトシーク
「ああ、それは!
 それは私達人間が求めて得られぬ、理想の姿。誰もが憧れる市民のあり方
 たった一人そんな人が居れば、
 そんな人が皆の上に立ってくれれば、それだけで頑張れた
 みんなで黄金の都が作れたのだ」

 

♪〜

マリア(仮の歌が何処からともなく流れてくる
だが姿は見えない
悲嘆に暮れる人々の上を、虚しく歌声だけが流れていく

 

     (終幕)

 

*********************************** 

(テレビドラマ『罰市偵〜英雄とカニ巫女』 出演者インタビュー)

※第六回 「みかん男爵」役の ササァラ・プリュマエンデラフォンメクリタジンジャガハランさんをお迎えしました 

「え、えーとササァラ・プリュマエンデラフォンメクリタジンジャガハランさん、でいいんですよね?」
「ササァラでいいです。嫌がらせで付けたような芸名ですから」
「皆さんご存知のとおりにササァラさんはあの有名な俳優の   さんのお嬢様です。
 二世タレントですが、お父様は芸能界入りを反対なされたんですね」
「だから母方の姓をずらっと並べてこの芸名です。
 でも親父いやらしいですよお、こんな目立つことすれば誰だって父方の姓を知りたくなるじゃないですか。
 ぜんぶ計算なんです」
「あはは、それもまた親心ですよ」

「ササァラさんが演じるのは架空のキャラクターである「みかん男爵」ですが、みかん男爵ご存知ですか」
「あ、この役をいただくまではまったく知りませんでした。なんでもアニメのキャラだとかで」

(注;『英雄探偵マキアリイ』シリーズ最初のテレビアニメ作品 『マキアリイ少年探偵団』に出てくる男の子のキャラ
  放映は40年前で、伝視館上映形式だけでなく家庭へのテレビの普及も始まった頃の人気番組。
  家庭用テレビは白黒が多かった為に「白黒アニメ」と勘違いされる事が多い)

「ササァラさんは15才ですね。それじゃあ知らなくても無理はないです」
「頑張って勉強したんですけど、フィルムが残ってなくて当時の番組を見れないんです。
 劇場版アニメだけですね、ちゃんと観たのは」
「本当は男の子だった、という点は役作りに関係しましたか」
「どうせリメイクするのなら超えてやる、敢えてかぶるキャラで行くと監督に指示されました。
 マキアリイの心底よりの信奉者で、とにかく全身全霊好き好きの疑いようのない尊敬を顕に、もう全力で表現しています。
 クワンパとの問答シーンでぶっ倒れるのも本気で倒れるまでやりました。過呼吸です」
「おおおー」

「 パチヤー監督もギリギリ世代じゃないはずですが、よくこんなキャラを引っ張り出しました」
「なんでも今回の『英雄とカニ巫女』はマキアリイドラマの集大成がテーマで、これまでの作品からいいとこ取りしたらしいです。
 それで「みかん男爵」も出てきたんですね」

「ドラマも後半に突入しますが、みかん男爵の意気込みをお聞かせください」
「第六巻は首都ルルント・タンガラムが舞台ですから、みかん男爵の出番は無いです。
 第七巻第八巻ですね活躍するのは。大暴れ確定です。
 これまで以上に大笑いしてみせますよお任せください」
「ではマキアリイとの絡みも出てきますか」
「それはー監督さんにお尋ねくださらないと」

「ますますのご活躍を期待しています。本日はありがとうございました」

 

 

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