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「前回までのあらすじ」

 

 カニ巫女事務員五代目「ポラパァーラ」の時。

 ヱメコフ・マキアリイは、ソグヴィタル・ヒィキタイタン、ユミネイト夫妻と共に、国家総統ヴィヴァ=ワン・ラムダのゥアム帝国親善訪問に随行した。

 だがとある視察地にて国家に従わぬ蛮族の大軍勢に襲われる。
 ヴィヴァ=ワン総統を脱出させる盾として、殿に残るマキアリイとヒィキタイタン、そしてポラバァーラ。
 だが味方は次々と倒れ、ヒィキタイタンは負傷したポラバァーラを連れて最後の脱出艇に。
 支援するマキアリイ唯一人が蛮族共に立ち向かう。
 そして、消息不明となった。

 数カ月後、ゥアム駐留のタンガラム艦艇にひょっこりと現れ生還を果たす。
 彼が語る不思議な話。

 蛮族共を数限りなくぶん殴り、逃げ惑い、とある深山の淵の辺りにまで逃げ延びたマキアリイ。
 そこで一人の老人と会った。
 とぼけた爺さんで、無茶な要求に難儀してようやく人里への道を教えてもらう。

 ゥアム文明社会にようやく戻り、偶然に知り合ったゥアム神族にその老人の話をする。
 彼は静かに驚き、マキアリイを神族が会合するサロンに連れて行った。
 居並ぶ数名の神族は一様に驚き、揃ってとある聖廟に連れて行く。

 聖廟でマキアリイは、なんと老人に再会した。やっぱりとぼけた爺さんであった。
 別れて、また神族のサロンに戻って忠告されるに、
 「老人の話は誰にもしてはいけない」との事。
 理由は示されないが非常に重要で、ゥアム神族に対してもよほどでなければ語ってはならないと念を押された。

 おそらくは仟(仙)人の類であったのだろう。

    〜ポラバァーラ著『英雄探奇夜話』より〜

 

 

『罰市偵 〜英雄探偵とカニ巫女

   第五巻「その女、ヒロイン」

 

(おことわり)
 『罰市偵』第五巻は二十二話「その女、ヒロイン」と二十三話「危うしニセ病院」が時系列に従って交互に掲載されていきます。
 ですが、一編の物語としてそれぞれを見た場合飛び飛びだと読みにくくなります。
 そこでそれぞれを第五巻AとBに分けました。

 本来のエピソードがあった場所にはリンクを張っていますから、参照していただくと連載時と同じようにお楽しみいただけます。

 

 (第二十一話)「危うしニセ病院ゼロ」

 

       *** 

外伝「ユミネイト、船上の旅」

 

「そろそろタンガラム民衆協和国が近づいてまいりました。

 ですが私には今ひとつ理解が出来ないのです。
 「民衆」の「協和」というのは、ただ烏合の衆が集まるのとは異なるのですか。
 やはり能力を基準に社会を運営する人材を選び、その上で超越者が定めた方が効率的ではありませんか。
 ユミネイト様」

 豪華客船『ルオ’コキュ・セト・シテ’パン’ヒョガ(6人の生贄を担ぐ黄金の飾り輿)』
 ゥアム帝国からタンガラム民衆協和国に向けて海原を進む、その一等船客専用のラウンジで、
二人の男女が語り合っている。

 一人は、地中海区フロゥワランス州国の神族「メ’ヒシュ・ポ」の孫 ノゥ’スヒト・ガン=ポ。22才。
 大学卒業後半年で一族が経営する企業体の役員となり、タンガラムにおける事業拡大の為に赴任する。

 そして神族にして高名な物理学者「トゥガ=レイ=セト」の娘 ユミネイト・トゥガ=レイ=セト。未婚で26才。
 『トゥガ=レイ=セト』が外交使としてタンガラム民衆協和国に赴任した際に、当地の女性との間にもうけたハーフだ。

 ゥアム帝国は「神族」と呼ばれる特別な人々が頂点に君臨する。
 だが彼らは俗世間から手を引き、その家族に社会や経済を運営する責任を委ねる。
 「銀骨のカバネ」と呼ばれる支配階層だ。

 神族の二親等以内が条件で、血縁であってもわずかの差で特権を失う。
 富と権力を維持するのはやはり才幹で、「銀骨」同士鎬を削って自らの価値を高めようとする。
 怠れば無残に食い殺されるのが、絢爛にして崇高なるゥアム帝国の掟。

 客船においても「銀骨」は一等船室に案内され、単なる富裕層はカネを積んでも二等船室をあてがわれる。

 

 そんな世界に住む者には、タンガラムの「民衆協和政体」は極めて奇異なものに見える。
 教養も判断力も持たない一般民衆の投票によって選ばれる政治家・国家元首に、何が出来るというのか。

 ユミネイトは微かに笑う。

「うん、それはまったくもって理の当然。天然自然な論理の帰結なんだけど、現実はそうじゃない」
「現代の謎ですね」
「ええ。
 激烈な競争社会が有用な人間を選び出し、社会を強力に進歩に導くのなら、
 ゥアム帝国は今頃タンガラム民衆協和国の百倍の国力を誇っているでしょう。
 でも現実は、せいぜい2倍」
「科学技術においても二十年の有利しか無いそうです」

 これが今、タンガラムに目を向けさせる原動力だ。
 傍から見ればいかにも愚か、無秩序無思慮不条理としか思えないタンガラム社会が、
実際には機能的に働き、極めて健全な活力に溢れている。

 対してゥアムは、社会の上層部から最底辺まで常に競争を強いられ、必死に階梯をよじ登ろうとして、
逆に未来の展望を信じることが出来ない。
 疲弊困憊し、隣人に疑念を抱き監視し合い、窮屈不寛容な社会を作り上げてしまった。

 タンガラムだけではない。シンドラ連合王国もまた比較の対象だ。

 シンドラにもれっきとした身分制度が存在する。
 だが支配層である地方領主『太守』は、元を辿ればヤクザならず者の親分・頭領。
 千年前の『革命レボルシヲン』で功績を上げた者の子孫が、代々支配権を許されているに過ぎない。

 シンドラ民衆もよくよく心得ている。
 カネと権力を握る『太守』の威光にはひれ伏しても、家に戻れば尊敬も無い。
 自分が住む封領(領地)の『お殿様』でなければ、公然の批判の対象だ。

 それでいてシンドラは数学や芸術に優れ、飢えもなく豊かに暮らし、庶民ですら哲学を論じ合うという。
 科学技術においても、さすがにゥアムより遅れているが、独創的な進歩を遂げた。
 急速に追いついてくる。

 なにか決定的に間違えているのではないか、とゥアム人は誰もが思い始めていた。

 

 ユミネイトは年下の青年を諭す。
 不本意だがそれなりに歳は食ってしまった。年長者の役目は果たす。

「所詮は人間その程度に過ぎないということよ。
 無理をして絞り出しても出ないものは出ない。時代の枠を飛び越えての進歩は望めない」
「真理ですね。
 しかし、社会の解放運動はどのように評価なさいますか。
 この点に関してはタンガラムの方が先進的に思えますが」

 彼ノゥ’スヒトが本来尋ねたかったのは、この話題だ。
 身分制度階級差別が激しいゥアム社会においては、恋愛や結婚も階級を越えては許されない。
 神族であればあらゆる枠を無視できるが、だからこそ下位の身分は厳格に縛られる。

 ユミネイトに近付いたのも、彼女が自由恋愛で生まれた者だからこそ。
 身分の差別無く恋愛も結婚も可能なタンガラムの生まれだからだ。
 当然にユミネイトは肯定的。

「あなたが愛するお嬢さんは、三等船客で紛れ込んでいるのね」
「ロウラ・シュスは正体がばれないように身を潜めています。同じ船に乗っているのにもう何日も会えていない」
「わたしがなんとかしてあげましょう」
「出来ますか?!」
「この船で一番偉いのは船長ではなく、わたしですからね。でもさすがにトリックを使わないと」

 

 「銀骨のカバネ」に属していても、誰でもが神族になれるわけではない。
 一種のおまじない魔法を習得する事が求められ、大半の者が失敗する。

 タンガラム出身の彼女が成し遂げるとは、ゥアムの誰も予想しなかった。
 だが今では『待壇者』と呼ばれる神族予備軍の仲間入りだ。

 船客に本物の神族が居ないこの航海で、最優先される人物はユミネイトとなる。

 

           ***

 ラウンジにヒョウ柄の無尾猫がするりと入ってくる。体長は5フット弱(約1メートル)
 オレンジ色に白の斑紋。落ち着いたラウンジの調度類の中で、派手な色彩はむしろ豪華に感じられる。
 瞳は金色、知性は感じられても建設的な輝きは見せない。

 人の言葉を発する。
 子どもの声を押し潰したような無機的な喋り。

「ユミネイト、見てきた。ロウラ・シュスはあまり良くない」
「大丈夫だった? 三等船客にあなたもいじめられたのでは」
「そんな間抜けなネコは居ない」

 ゥアム社会において無尾猫は神族の使い。悪しざまに言うならば監視装置と理解されている。
 告げ口をすると思われ、またやっているから嫌われる。
 ネコ本人としては見聞きしたものをそのまま伝えるだけなのだが、
足音も無しに何処にでも忍び込み聞き耳を立てる存在に好意的な人間は居ない。
 社会を実質運営する「銀骨」にとって、これほど恐ろしいものも無い。

 だから、喋るのは神族に対してだけだ。
 ユミネイトは『待壇者』として神族に準ずる扱いを受ける。

「ロウラ・シュスが良くないとは、どういう状況なのだ。教えてくれ」

 ノゥ’スヒトが静かに、だが「銀骨」の標準からすれば「血相を変えて」と表現できるほどにうろたえて、ネコに尋ねる。
 無尾猫、さてどうしたものかと考える。
 本来ヒトに噂話を伝えるのは商売なのだ。対価ナシにはおしゃべりしてあげない。

 ユミネイトはおつまみとして供されている燻製鮭の切り身をネコに与えた。
 吸血生物である無尾猫はあまり肉魚を欲しがらないが、美味しいものはちゃんといただく。
 カナッペ付きならなおさらだ。

「女は、親しくなった人にタンガラムで結婚すると話してしまった。
 わざわざタンガラムで結婚するのは、つまりはゥアムでは出来ない事をするという意味だ。
 すぐバレた」
「愚かな真似を!」

 競争社会であるゥアムでは、人々は他者の動向を詮索する技に熟達する。
 誰かが抜け駆けするのを許す寛容さを持ち合わせていない。
 ロウラ・シュスが身分違いの結婚をするのは、上流階級よりもむしろ下層の人々が許しはしない。

 だが一方で、それはまた下層階級の夢であるのだ。
 自由なタンガラムに赴いて、自らの心のままに恋愛をして誰からも阻まれることなく結婚をする。
 これほどに人を魅了するおとぎ話も無い。

 ユミネイトは、タンガラムだってそんな夢いっぱいの国じゃないよと言いたいが、とりあえずは。

「三等船客の監督員はどうしているの」
「今のところはなにもやらない。でも騒ぎが大きくなればたぶん、迷惑をかける乗客として四等船室に追いやられる」

「なんだと……」

 ノゥ’スヒトは驚愕し、さすがに立ち上がる。
 四等船室など犯罪の巣窟。良民が、しかも若い女性が生きていける場所ではない。というのが世間一般の常識。
 狼狽する彼をユミネイトは制止する。

「落ち着きなさい。この客船に四等船客は乗船していません。
 船室と言っても今はただの倉庫です」
「ですが!」

 豪華客船に最低限の船賃しか払えない客は乗せない。
 また低所得者層が国を脱出しないように、高額の出国税も課せられる。
 三等船客は一般庶民といえどもそれなりに裕福な人々であった。

 ネコが追加補足をする。

「四等船室にもちゃんと乗ってる。男女の2人だけだ。変な奴ら」
「変とはどのようにだ。教えてくれ」
「槍持ってる。狩人みたいな感じ、でも獲物は獣じゃない」

 明らかに一般乗客とはかけ離れた存在だ。
 船の側としても一緒にするのを危ぶんで、四等船室に収容しているのだろう。
 そんな所に愛しい恋人を連れて行かれたら。

 態度にこそ見せないが逆上状態のノゥ’スヒトを右手で抑え、席に座らせて正面から諭す。
 多分に武術の技を使って押さえつけた。

「まずは彼女を三等船客から隔離する必要があります。
 どこに、と言えば四等が嫌ならば一つしかありません。わたしが引き受けましょう」
「お願いできますか」

 自分はやはり頼るべき人を間違えなかった、とノゥ’スヒトは確信する。

 タンガラム人は義侠心に溢れ、困った人をおせっかいにも助けてくれる習性を持つ。
 まるで映画の登場人物『英雄探偵ヱメコフ・マキアリイ』みたいに。

 もちろんまったくもって誤解もいいところだが、ユミネイトはかの英雄と多少なりとも縁が有る。
 若い恋人達を助けてやるのも暇潰しには丁度よい。

「でも少し不安はあります。
 船員とは別筋で助けを求める必要がありますね……」

 

           *** 

「つまりタンガラム人の船客を通じて、そのゥアム女性を保護し手助けしてやろうとのお考えですか」

  二等船客が陽の下で寛ぐ甲板上で、ユミネイトは籐椅子に寝そべるタンガラム人男性と話をする。

 ゥアム人の常識では、一等船客に対して二等船客がそのような態度を取るなど言語道断。
 周囲が見る目はきついが、ユミネイトは不快も見せぬから口出ししない。

 男は洋上のまばゆい日差しを防ぐ色眼鏡を掛けて、胡散臭い。
 40才過ぎで外交官を自称するが、秘密工作活動に従事していたのではないか。
 「アキクト・ドォヱ」を名乗るも本名かどうか。

 ゥアムシンドラタンガラム、どの国も互いに諜報員を送り込んで秘密を探り、自国に有利に裏工作を巡らせる。
 ユミネイトが彼に声を掛けたのも、その能力を見込んでだ。

「あなたには得にならない話でしょうが、一等船客の間の平穏を維持するのも快適な旅の条件です」
「なるほど。「銀骨のカバネ」の方々は人脈こそ命でありますからね。恩を売るに手間を惜しむな、ですか」
「そこまで打算的ではないけど」

 男は身を起こし、色眼鏡から眼を覗かせる。

「よろしいでしょう。
 確かに三等船客の中にも私の手の者が潜んでいます。単に帰国するだけで任務はありませんが」
「ついでにゥアム人三等船客の状況も調べてくれると嬉しい」
「心得ました。して、連絡方法は」

 一等船客はすべてにおいて特別で、二等以下の者が自由に連絡を取るのも難しい。
 手紙であっても船員の検閲を受けるほどだ。
 ユミネイトは微笑む。

「ネコが居ます。彼に語るなり託すなりしてください」
「無尾猫ですか。ネコってほんとうに喋るのですか?」
「喋りますよ。タンガラムのネコが特別なだけです」

 

 男は傍らのテーブルに置いていた雑誌を手に取る。
 ゥアムで発行されているタンガラム情報専門誌で、今月号の表紙は「潜水艦事件」の英雄二人。
 「ソグヴィタル・ヒィキタイタン」と「ヱメコフ・マキアリイ」だ。

 ゥアム帝国においては近年タンガラムの大衆文化、特に映画が多数流入して庶民の間で人気を博している。

 階級差別の激しいゥアム社会においては、一般庶民に基盤を置く娯楽文化など軽蔑に値するものだ。
 しかし、タンガラムの芸術監督ボンガヌ・キレアルスの一連の作品は高い娯楽性と芸術性を両立させて、審美眼に優れた上流階級をも唸らせた。

 そして今、爆発的な流行を巻き起こしているのが『英雄探偵マキアリイ』シリーズ。
 実際に起きた事件を元に描かれる数々の冒険は、作り物を超えた段違いの迫力で民衆をたちまち虜とする。
 その前日譚たる「潜水艦事件」映画も競って上映されていた。

「ご存知でしたか、今年行われた「潜水艦事件」10周年記念式典が1ヶ月前倒しになった事は」
「え、ええ……」

 知らないわけが無い。ユミネイトはその雑誌にも寄稿した事がある。

 男は色眼鏡をユミネイトに向ける。
 彼は当然に自分の素性を知っている。ゥアムで何をしているかもちゃんと把握しているはずだ。

「式典はとんでもない騒動になったようですな。またしてもヱメコフ・マキアリイ大活躍だ」
「総統閣下暗殺未遂事件ですね」
「貴女が式典にいらっしゃらなくて本当に良かった。
 ひょっとすると、今回のタンガラム帰国も事件の10周年に合わせてですか」

 見当違いな推察をするが否定する気にもならない。

「そうですね。母の墓参もありますが、10年の節目を振り返ってみる。それもいいですね」
「やはりそうですか」

 男は納得する。
 その姿にユミネイトは違和感を感じた。

 この男、ただ祖国に帰るのではなく、何らかの任務に付いているのではないか。
 同じ船に乗り合わせたのも偶然ではなく、隠された意図があるのでは。

「ではお頼みいたします」

 男の傍を離れるユミネイトは、最後に振り返る。
 雑誌の表紙に麗々しく印刷されるヒィキタイタンを見た。
 相変わらずの好青年の笑顔……。

 

           *** 

 ユミネイトのタンガラム帰国は感傷に基づくものではない。

 彼女の父親「トゥガ=レイ=セト」は高名な物理学者だ。
 現代物理学の最先端である原子核物理で名を馳せる。
 「潜水艦事件」においてユミネイトが拉致されたのも、彼が開発した「怪光線発射装置」の設計図を奪取するためだったと推定されている。

 「怪光線発射装置」とは、電磁加速器を使って放射線を連続的に発生照射する機械だ。
 物性研究において極めて重要な役目を果たすと見られている。

 ちなみに彼の名前は個人名ではない。
 「トゥガ=レイ=セト」氏族から出た神族にして代表者、という意味だ。
 神族の家族「銀骨のカバネ」は二親等以内に限られるから、おおむね50年に一人輩出すれば権力を維持できる。
 それだけ神族は稀な存在だ。

 

 ゥアム物理学は世界最高峰であり、タンガラムの物理学者も必死に学び追いつこうと研究努力する。
 「トゥガ=レイ=セト」はかって外交使としてタンガラムに赴いた事があり、若き研究者達と交流した。
 ゥアムに戻った後も文通により指導を行っている。

 その父が言うのだ。
 「彼らを巻き込む謀略が展開されているようだ」と。

 ユミネイトは大学を卒業後、父親の研究室で秘書をしながらタンガラム文化の紹介を行ってきた。
 彼らが書いた学術論文を翻訳して、父の監修の下ゥアムの学会で発表する。
 文通を介して、会わないものの旧知と呼べた。

 この一年、父の苦悩は深くなる。明らかにタンガラムの状況が良くない。
 教え子達の生命すら危ぶまれると娘に零す。

 そこでユミネイトは父に代わって様子を確かめ、問題の解決に当たろうと申し出た。
 神族である父がすべてを任すほどの信頼を持つ。それが神族予備軍『待壇者』だ。

「ま、それだけじゃないけどね」

 

 部屋の扉をノックする音がする。
 大抵の「銀骨」は従僕やメイドを伴うが、ユミネイトは一人で乗船した。
 船で専属のメイドを雇ってはいるが、身の周りは自分でやるから常時待機させてはいない。
 今回も自ら扉を開けた。

 ボーイが銀の盆に数枚の報告書を載せて、うやうやしくお辞儀をする。

「本日の日報をお届けにあがりました」
「御苦労」

 豪華客船といえども、本国やタンガラムとの通信は自由に出来ない。
 この世界の電波通信は上層大気の乱射層によって撹乱妨害され、直接見通しの利く距離でしか使えない。
 船の高いマストをアンテナにしても、おおむね100マィル(約93キロメートル)が限度。

 しかし飛行船や大型飛行艇に無線中継装備を載せ、また洋上に中継船を浮かべて通信を可能としている。
 現在は軍用を主とし、外国航路の船舶では電信のみが許された。
 今年の秋には複数の大型飛行船を常時滞空させてのゥアム−タンガラム間の商用回線が運用開始され、音声電話も可能になる予定。
 また来年にはタンガラム−シンドラ間も開通して、本格的な国際連携時代が到来する。

 今はまだ電信のみで、一等二等船客に限ってゥアム・タンガラムの国内情報が毎日伝達される。
 ユミネイトはやっていないが、船内から株式等の売買も可能だ。

「なにか起きてるかしらね、と」

 ゥアム帝国のニュース。
 鉄鋼産業大手の社長が生産量過少申告で逮捕されている。業界割当分以上を生産して過剰に利益を求めたのだ。
 当然に社長は斬首となる。
 だがこのニュースはユミネイトは数ヶ月前から知っている。摘発の予定が今になっただけだ。
 「神族」は下界の俗事には積極的に関わらないが、わずかの兆候からすべてを見抜く。
 『待壇者』であるユミネイトにも、帝国内の様々な動きが予定表を見るように知れた。

 一方タンガラム民衆協和国のニュースはばらばらだ。
 今世間を騒然とさせるのは、ささいな事件。

「ヱメコフ・マキアリイ爆殺未遂事件? ヌケミンドル市の映画撮影所で大爆発火だるま。「闇御前」配下のしわざで動機は裁判の妨害、か。
 相変わらずだねマキアリイ」

 ゥアム帝国を出発して船上で最初に接したタンガラムのニュースも、「潜水艦事件」10周年記念式典における連続襲撃事件であった。
 マキアリイの超人的活躍はいつもの事ながら、今回はソグヴィタル・ヒィキタイタン国会議員までもが巻き込まれる。
 ユミネイトは若干心拍数を上げた。

「しかし、闇御前か」

 ユミネイトはかすかに眉をひそめる。
 タンガラムにおいて謀略といえば、「闇御前」。
 父「トゥガ=レイ=セト」の推察によれば、タンガラム若手物理学者の危難も彼の謀略計画に起因する。
 いや、マキアリイが「闇御前」を逮捕してしまったから、謀略が迷走し始めたと説いている。

 そして自分がタンガラムに舞い戻る羽目になった。
 嘆息する。

「……身分じゃないよね、世界を動かしてしまう人間は」

 

(注;ゥアム帝国の長さの単位系はヤァド法と呼ばれる。
 1ヤァド=64イント(=91センチメートル)、1イント(=14.22ミリ) 1フット=4分の1ヤァド
 1マィル=1024ヤァド(=931.8メートル)
 十進法が採用されているタンガラム・シンドラに比べて明らかにめんどくさい)

           *** 

 豪華客船には一等船客専用の体育館まで用意されている。
 ゥアム神族は知能精神のみならず、身体能力においても他者を圧倒せねばならない。
 とまでは言わないが、その卓越した能力を駆使して身体芸術をも極めている。

「……、どうも、身が入ってないようですね」
「申し訳ございません。御方様」
「ユミネイトで結構」

 ユミネイトはゥアム帝国に渡ってすぐに武術の家庭教師を付けられた。
 「銀骨のカバネ」に属する者、安全は自ら確保せねばならない。
 彼らは互いに足を引っ張り、他者を蹴落とし、権力を握らんと暗闘を繰り広げる。
 その気がまるでないユミネイトも危害を加えられる恐れがあったのだ。

 武術と言っても相手を叩きのめすものではない。
 不意の事故や暴力から身をかわし、危険を察知して未然に処す方策だ。格闘術の比率はさほど高くない。
 だがユミネイトは面白いところを頑張って、それなりに上達した。

 今ユミネイトの相手をしているのは女性の武術指導員。まだ若い。
 初めて手合わせした時、彼女は「銀骨」相手と手加減をして、跳ね除けられた自分の腕を自分の鼻にしたたかぶつける醜態を演じてしまう。
 以後は本気で相手をしているが、よくて互角と言えるだろう。ユミネイトが年上の分余裕が有る。

「なにがあったのです」
「ユミネイト様がお気にかける事では」
「身体が竦んでいますね。自らの技に自信を失っています。誰ぞに負けたのですか」

 彼女は組手を止めて、鏡のようになめらかな板張りの床に跪く。
 集中力が切れたまま「銀骨」の、それも「待壇者」の相手をするなど不届きだ。冒涜と呼べる。

 ユミネイトも引いて呼吸を整える。
 改めて尋ねた。

「命じます。何があったか話しなさい」
「はい。実は、昨日四等船室に降りたのです」
「四等に? あそこに乗客は居ないはずですね」
「この船では四等船客を乗せませんので、船室いえ広い船倉になっている場所が船員乗務員の運動場として用いられています。
 私も個人練習はこの体育館は使えず、下に降りて行います」
「なるほど」

「四等船客は居ませんが、兵士や戦闘員を移送する際にはこちらを用います。
 今回も男女2名のそのような輩が利用しています」
「彼らを見たのですか」
「ああ、……はい。彼らは槍を使います。ちょうど彼らが稽古をしている時間に当たったのですが、」
「それが、恐ろしかった」
「本当の、人を殺す技を、いえ人を殺した技を見せつけられました。
 ただ白刃が煌めくのを見ているだけで、我が身が割かれるような感じがして」
「魂消たわけですね。文字通りに」
「武術を教える職業にありながら、これでは格が違いすぎると、自分でも情けなくなり、申し訳ございません」

 彼女はついにうつむいてしまった。
 それだけ禍々しい気を発していたのだろう。只の刺客やならず者からここまでの気魄を感じ取らない。
 よほどの手練、おそらくは特殊な訓練を積んだ伝統的な暗殺集団に属する者。
 もしくは、

「あなたの気持ちは分かります。わたしも同様の体験をした事があります」
「どのように乗り越えられたのでしょうか」

 武術指導員はすがる眼で訴える。
 自信を失った教師など、何の役にも立ちはしない。

 「銀骨」の身であるユミネイトには知ったことではないのだが、さすがにそれは可哀想。
 彼女もこの豪華客船で上流階級の相手をするまでには、幾多の試練を越え不断の努力を積み重ねてきたのだ。
 競争の勝者としてここにあり、挫ければ即座に他に替わられる。

「わたしはその頃は武術などまるで知りませんでしたね。それで血生臭い海賊や、得体の知れない集団に拐かされたのです。
 恐怖はあなたの比ではない。しかし、強い味方が二人も現れ救ってくれましたからね」
「御味方が二人も」
「幸運でしたね。それ以来わたしは何事か有る度に彼らを思い出します。
 心ですよ。ひとりと思えば恐ろしい。でも心に味方が居れば、冷静に恐怖苦難と向き合える」

 右掌を上に向け、彼女を促し立ち上がらせる。
 無手の構えを取る。
 護身の武術に型など無い。自然体の日常からいきなり修羅場に放り込まれる。

「わたしが心に居てあげましょう。それにはちょっと、痛いですよ」
「は、はい!」

 

           *** 

 部屋に戻るとネコがソファに座っていた。
 紫檀のテーブルの上に封書が置いてある。これを届けてくれたらしい。
 差出人は見ずとも分かる。仕事を頼んだタンガラムの外交官だ。

 ネコにご褒美をやりながら中を確かめる。
 三等船客の調査報告。
 ゥアム人131名、タンガラム人65名、シンドラ人他17名。

「なんだ、こんなにタンガラム人が居るのならこちらに隔離すればいいわね」

 問題はゥアム人の中の構成だ。
 三等と言っても中流程度の財産家やビジネスマンで、礼儀を身につけていない者は無い。
 ただゥアム帝国は世界最先端に進化した社会と盲信して、他国の習慣を貶める風もある。

「焚刑教徒の啓蒙師、こいつが扇動しているのか……」

 ユミネイトは繊細な金属細工の受話器を取って、船内案内所を呼び出した。
 ネコは眼を細めて見ている。なにごとか始まったな、と感じる。

「ええユミネイトです。船長にお会いする時間を取っていただきたい。
 急ぎはしませんが、今日で。はいお願い」

 

 32分(地球時間25分)後、船長室。
 神族や「銀骨」を客として迎える事も少なくない船長室は、一等船室と同程度の豪華さを持つ。
 応接室であって船長の私室とは呼べない。

 船長コ’レ・ハンカクトは外縁区の生まれ。つまり辺境出身者である。
 ゥアム帝国は国土が馬蹄形をしており、内側を「地中海区」、外周りを「外縁区」と呼ぶ。
 「地中海区」こそが繁栄の中心であり文明圏、外縁区は蛮族の領域と見做される。

 それだけに、今の地位を手に入れるまで様々な苦労を経たのだろう。
 上流階級に従う姿勢はまさに下僕奴隷だ。
 逆に自らの配下にとっては暴君となるのも人の常。

 

「御方様は四等船室をご覧になりたいと仰られますか」

 さすがに船長も困惑する。上流階級には縁の無い場所だ。

「妙な者が2名居るらしいですね。よほどの武術の達人とか」
「かの者共が使う術など「銀骨のカバネ」の御方が顧みられるものではありません。
 ただ粗野乱暴なだけで、洗練や芸術性などは微塵もございません」
「どちらの筋の者です?」

 ユミネイトの問いに、船長は返答に困る。
 そもそもゥアム政府公式の許可を受けた豪華客船に、怪しい素性の者を乗せたりしない。
 あるとすれば公権力に指示された特別な要員に違いなく、存在自体が秘密となるような者だ。

 ユミネイトの隣に座るネコが右手をぺろぺろと舐める。
 「こいつのせいか」と船長は内心で憤っていた。船内を勝手に歩き回り、どこでも覗き込む。
 しかし無尾猫は神族の眼であるから、その行動を止めるわけにもいかなかった。

 ユミネイトも船長を困らせる気は無い。

「いずれ「Chamber」の手の者でしょう。タンガラムに赴く理由もろくでもない企みによる」
「恐れ入ります」
「その理由とやらは、今のタンガラムにとって望ましからぬ行為なのですね。どうせ政権転覆などを目論んでの」
「私にはそのような恐ろしいことは、まったく知らされておりませんので」

 船長、話しながら冷や汗をかく。

 「Chamber」とは、「皇帝」直属を名乗る国家謀略機関だ。
 彼らは神族の意向すらも無視すると知られ、すべての社会秩序から遊離した存在だ。
 逆らえば「銀骨」であっても人知れず抹殺されると聞く。

 また逃げ場の無い「客船」は謀殺の格好の舞台となる。
 船長の職を長く続けたいのであれば、「君子危うきに近寄らず」を貫くばかりであった。

 

「それはそれとして、」

と、ユミネイトは本題を切り出す。
 最初に無理難題を言い出して、本命を容易い仕事と見せかけるテクニック。

「三等船客の間でも騒動が起こり掛けているようですね。
 他人に道徳規範を押し付けて自らの立場を強化し、人に優越せんとする痴れ者が紛れ込んでいると聞きます……」

 

(注;ゥアムの時制は、1日を32分割して「候」と呼ぶ。つまり1時候(=地球50.6分)
 1時候=64分=64×64秒。1分(=47.46秒)
 ちなみにタンガラムの1分(=67.5秒)、シンドラの1分(=75.9秒)である)

           *** 

 船長の案内でユミネイトは三等船客フロアに降りようとしたが、その手前で阻まれた。
 三等船客管理主任が、現在乗客の間で騒動が起きており、上級船客の安全が保証できないと止めたのだ。

 既に一等船客が1名、通せ通さぬの押し問答をしている。

「一等船客の、「銀骨」の命令に逆らうつもりか。そこを開けろ」
「ですから、これより先の安全を保証できません。しばしお待ち下さい」

 通ろうとするのは言わずと知れたノゥ’スヒト・ガン=ポ.。
 想い人のロウラ・シュスの身を案じて自ら保護しに来た。
 しかし騒動の原因は彼自身。姿を見せれば火に油を注いだ状態となろう。

 背後で見守る二等船客の内に、タンガラム外交官のアキクトが居た。目配せをする。
 三等船客内に潜んだ彼の部下が、ロウラ・シュスの身を守ってくれているのだろう。

 ノゥ’スヒトは船長の説得にも耳を貸さない。
 「銀骨」の方が船長よりも権威は上だから当然と言える。
 見かねてユミネイトは進み出た。

「ノゥ’スヒト、下がっていなさい。頭に血の上った人が行っても無意味です」
「ユミネイトさま、ですが下には、」
「分かっています。
 アキクト、付いてきて下さい。

 船長、よろしく」
「はっ」

 「銀骨」をも凌ぐ「待壇者」の言葉だ。その場すべての人間が彼女に従う。

 扉が開かれ、三等船室フロアへの階段を降りていく。
 豪華客船の施設だ。三等といえども華麗にして清潔。
 装飾が乏しいのは、むしろタンガラム出身者としては好ましく思えた。

 フロア入り口にも船員が番をしていた。
 彼らもユミネイトの姿を見て頭を垂れる。
 扉を開くと、

「なるほど、下々の者ですか」

 ゥアム人船客が、おおむね3組に分かれて言い争っている。喧嘩というよりは論争だ。
 さすがに暴力沙汰に及んだ場合の懲罰は彼らも理解する。これでも文明人の中流階級だ。
 四等船室に押し込められるのだけは避けたい。

 それでも言い争いは熾烈を極める。
 元来のゥアム人は好戦的であり、他者に対して容赦が無い。腕力が使えぬのなら口撃に発展する。

 

 露払いとして先頭に立つ三等船客管理主任(監督員)が大きな声で告げる。

「一等船客、「銀骨のカバネ」にして「待壇者」、ユミネイト・トゥガ=レイ=セト様の御来臨である。
 一同の者、頭が高い。控えおろ」

 こんなもの、タンガラムでは映画の中でしか聞いたことがない。
 時代劇のセリフが当然のように飛び交うのがゥアム帝国だ。
 そしてまた、血相を変えて騒いでいた船客が波が引くように床に伏せて礼拝する様に、なお辟易する。

 赤い毛並みの無尾猫がユミネイトの足元にするりと身を寄せる。
 彼が顎で示す先に、ロウラ・シュスが居た。

 服こそ三等船客にふさわしい高級品を着ているが、あまり彼女に似合ってるとは言えない。
 案の定、涙で頬を濡らしている。

 

 ノゥ’スヒトに聞いた話だと、彼女は18才になったばかり。
 親はパン焼き職人で、それも店主ではなく雇われ職人だ。
 この身分では一生「銀骨」の傍に近寄る機会を持たない。接する職業にも就けない。

 身分を偽り下民の街に遊びに出たノゥ’スヒトが、下々の風習に戸惑うのを助けてくれたのが出会いという。
 ありふれた話ではある。
 一夜限りの恋で終わる事も、首尾よく娘が身籠って下賜金をたんまり儲けるのも普通の展開。
 ただ結婚はありえない。

 「銀骨」は家同士の縁組で互いの権力・資産を守っており、最大限の効果を得られる者を選ぶ。
 ありていに言うと、「神族」により近い者。神族と成る子をを産める相手。

 自由恋愛の末に蛮行とも呼べる決断で結婚にこぎつけたとしても、平民の嫁などいつの間にか命を落としてしまう。

 愛すればこそ遠ざけねばならない。
 という筋書きの恋愛小説がゥアム帝国には山のように存在する。
 禁じられればこその憧れなのだ。

 

       *** 

 ざっと見た感じ、何が起きていたのかだいたい理解できる。

 頭のてっぺんを丸く青々と剃った30代半ばの聖職者。「焚刑教」の啓蒙師が騒ぎの張本人。
 彼がゥアム帝国の守るべき価値、道徳規範を声高に叫び、乗客を扇動してロウラ・シュスを吊し上げていた。

 彼に同調する者は少なくない。
 中流階級は多数の労働者の上に立つ存在だ。秩序を守る事により利益を得る。
 混乱は労働者の反抗反乱を招きかねない。
 厳格であるのはむしろ功利ゆえの判断だ。

 啓蒙師は彼らの後押しを受けて、異端者を処刑しようとする。
 もちろん物理的に傷付けはしない。三等船室に居られない辱めを公然と与える。

 これに対抗する者は二組。
 一方は穏健派、船客の私刑によらず乗員の指示に従って解決しようとする。
 もう一方は、

 ユミネイトは尋ねた。

「軍人ですね。貴方は何処の州軍の所属です」
「はっ。ハプシェプスト州陸軍アカクキン連隊 騎士長ゴ’メントルと申します。タンガラムには軍事技術交流の為に参ります」
「面を上げて下さい」

 彼が中心となってロウラ・シュスを保護してくれていた。
 腰にサーベルを吊っていかにも頼もしい。

 ゴ’メントルはユミネイトと同年代、20代半ばの精悍な男性。
 眼差しのまっすぐさから、弱きを助け強きを挫く侠気に溢れた快男児と見て取った。

 「騎士長」はタンガラム軍においては中剣令に相当する。
 その若さでこの階級なのは、地元氏族の族長の子息であるからだろう。
 ゥアム軍においては血縁による任官が普通に行われる。だからこそ良いと思われている。

 誇りの為、また地元の名誉と利益を守る為に自らの命を捧げて戦う勇者が、杓子定規な官僚制度から出て来る道理が無い。
 ゥアムは帝国であって民衆協和制ではない。「国民軍」などとうてい無理。
 信頼できるのは古来よりの氏族制度。武勇を尊ぶ伝統のみだ。

 だからゥアムでは軍隊は州国ごとに結成され、独立性自由度も高い。
 軍人兵士は郷土の英雄として一般庶民の憧れだ。豪放な男らしさがまかり通る。
 窮屈なゥアム社会において唯一の自由の楽園と言えた。

 

「おそれながら「待壇者」の御方に申し上げます」

 あまり見たくはないのだが、「焚刑教」啓蒙師が甲高い声を上げる。
 基本的には下層の階級の者が上位の存在に問われる前に話しかけるのは大変な無礼である。
 だが、だからこそ「聖職者」は率先して声を上げる。

「此度の騒動は、そこな女が人倫を弁えず身の程知らずの振る舞いに及ばんとするを、庶民が良識をもって諌めようとするものであります。
 願わくば我らが誠意をお汲み取りになられ、ただ只管に帝国萬年の繁栄の礎となるべく日々努力しておるものとご理解いただき、ご容赦の程を御願い奉ります」

 ユミネイトばかりでなく船長や管理主任も眉をひそめる。
 誰が彼に船客のみならず乗員一同の代表者を任せた。
 僭越も度し難いが、傲慢こそが人に彼を憎ませる。

 船長は自らの職責と彼を咎める。

「無礼であるぞ。御下問無きにも関わらず先んじて釈明を述べるなど不遜である」
「船長。身共は至上の帝宮に昇られる御方に奏上している。口出し無用のこと」

 いきり立つ船長をユミネイトは止める。
 こいつらはおおむねこんなものだ、まともに相手をしても徒労というもの。

 

       *** 

 ゥアム帝国に宗教は幾つもあるが、「焚刑教」はとりわけ迷惑なものである。

 そもそもが千年の昔にゥアム帝国においては、他者を生贄とする儀礼は廃止された。
 救世主「ヤスチャハーリー」が神族に騎乗槍試合を挑み、ことごとくに勝利した結果である。
 帝国の近代化はここから始まったと言えよう。

 だが自主的に自らを生贄に捧げる行為は、歯止めが利かなかった。
 公的な宗教儀礼が無くなったからこそ、私的な秘蹟としての自殺が流行する。

 「焚刑教」においては、
罪人に啓蒙師が人倫を説き伏せて、悔い改めた罪人が自ら焔を被って神に許しを請う事で成就する。
 これがまた、信者支援者に受けるのだ。
 自焚の儀式を目撃する際には、彼らは法悦の涙を流すという。

 つまりは生贄の数こそが信仰の証。
 彼がタンガラムに赴くのも、早い話がひとをぶっ殺しに行くのだ。

 

 ユミネイトは裁定を下した。

「お前はうるさいからタンガラムに着くまで言葉を発してはならない」

 三等船客のゥアム人は、半分は驚き、半分は笑った。
 啓蒙師は抗議の声を上げる。

「いくら「待壇者」様であろうとも、個人の信教を束縛する権能は持たぬはずでございます。何故に、」
「待たれよ。貴君は名乗りも上げずに殿上の人に物申すか」

 騎士長ゴ’メントルが無礼を咎める。
 さすがに啓蒙師もこれには従う。

「御方様には改めてご挨拶申し上げます。
 身共は、「赤燭貢命教学RedCandle Immolation」よりタンガラム民衆協和国での宣教全任を許された啓蒙師ケルケ・ポォにございます」

 ユミネイト、
「うん」

「ご無礼を承知で今一度申し上げます。
 身共がかの娘を咎めるは教学によるものにはあらず。
 帝国の威信を底辺より支える民草として心得置くべき良識を踏み破らんとするを留め、世間にて幸福のままに一生を終える道筋に引き戻すものにございます。
 願わくばご慧眼をもって身共が赤心を御覧じて、下々の仕置をお任せくださるよう伏してお願い申し上げます」

「いや、お前は黙っていろ」
「これはしたり! なんとも解せぬお申し付けにて、」

 ユミネイトはさすがに焦れてきた。
 相手は弁舌で人をたぶらかす職業だ。言い合いをしても決して退く事は無く、相手が根負けするまで屁理屈を捏ね続ける。
 タンガラムならこの手の輩は、カニ神殿から人が来て一撃の下に叩き伏せ永久に沈黙させるのに。

 もったいないから使いたくなかったが、奥の手を出さねばなるまい。
 少し低い声、男の声にも聞こえる、で言った。

『……わたしの命を聞けぬと申すか』

 啓蒙師ケルケ・ポォは凍り付いた。
 みるみる顔色が青くなり、脂汗がびっしりと顔中に噴き出す。
 床に額を押し付けユミネイトを見ようとはせず、ひたすらに恐懼する。

 他の船客、船長以下の乗務員も、軍人ゴ’メントルまでもがその場にひれ伏した。
 立っているのはタンガラム他の異国人のみ。何が起きたのか分からない。

 多少は心得ている外交官アキクトが、タンガラム語でユミネイトに尋ねる。

「神族「トゥガ=レイ=セト」様が顕現なされたのですか」
「ええ、まあね」

 

        *** 

 再びネコがするりと寄ってきた。今度はフロアの奥からだ。
 いつの間にかこの場を離れて、ユミネイトのお使いを果たしてきた。

 ネコに続いて二人の男女がゆったりと歩いてくる。
 男は槍を携え、女は男とほとんど変わらぬ長身で黒く染めた長い髪を揺らしている。
 どちらも革紐で肉体を締め付ける服を着ていた。

 ユミネイトの前に、ちょうどケルケ・ポォを間に挟む形で跪く。
 男の方から名乗りを上げる。

「”白虹のカ’ン”、「待壇者」ユミネイト・トゥガ=レイ=セト様の御前に」
「”細蟹のパ=スラ”、御前に。お召しにより罷り出でましてございます」

 なるほど。白刃煌めく槍の禍々しさは、戦闘を生業とする者でなければ身が竦むものだ。
 女は無手であるが、腕力で大の男も捻り潰しかねない。

「そなたらは「Chamber」の手の者であるな」
「恐れ入りましてございます」

 所属を明らかにする自由も彼らには与えられていないだろう。
 だがこのような者を召し使う部署は、近代文明の今の世に「Chamber」以外あり得ない。
 任務を問い質すのも無粋というものだ。

「そなたらに頼みがある。1名、四等船室に連れて行ってもらいたい」
「御心のままに」

 早速に彼らはひれ伏すケルケ・ポォを無造作に掴んで、四等船室に下がっていった。

 三等船客達はようやくに頭を上げる自由を得て、連れ去られていく聖職者を見送った。
 誰も抗議しようとは考えない。
 「待壇者」に逆らった者に相応の罰が下ったと、大いに納得する。

 彼らが従う秩序とは道徳規範ではなく、あくまでも神族を頂点とする社会階層である。

 

 こうしてユミネイトは本来の仕置を下す事が出来た。

「ロウラ・シュス、前に出なさい。
 貴女は三等船客の安寧を妨げた。相応の処分が必要でしょう」

 

        *** 

 一等船客のラウンジ。
 常と何一つ変わらぬ豪華さ気品の高さ。落ち着いた室内装飾。
 だがひときわ華やいで感じられる。

 そう思うのは、ノゥ’スヒト・ガン=ポただ一人だけだろうか。

「ユミネイトさまにはどれほどお礼申し上げればよいものか」
「気にする必要は無いわ。身分違いの恋の結果が私自身でもあるからね」

 笑顔のノゥ’スヒトは、その喜びをユミネイトの背後にも向ける。
 ユミネイトが船内で雇った新しいメイドが、伏し目がちに立っている。
 白と黒のエプロンドレスを着せられているがまだ慣れておらず、恥ずかしそうだ。

 三等船客内での騒動は、結局はロウラ・シュスを排除しなければ収まりを見ない。
 四等船室は啓蒙師どのに譲ったから、別の場所に隔離する。
 自分が彼女を雇用して一等船客の従僕メイド部屋送りにする。これがユミネイトの答えだ。

 同じ「銀骨」ではあるが、ノゥ’スヒトにはこれが出来ない。

 彼にはぴったりと密着するガン=ポ家の従僕があった。
 従僕は主家の意向に最大限に従い、ノゥ’スヒト個人の命令に逆らってでも連れ戻る責任を負う。
 彼を振り切って逃げる手もあったのだが、その場合即座にガン=ポ家は個人資産を凍結しただろう。

 ユミネイトは目をちらと若く愛らしいメイドに向ける。
 これまで20日も恋人と逢う事も叶わなかったのだ。抑えてはいても今にも抱きつきそうな様相。
 心臓の鼓動まで聞こえてきそうだ。

 ただ、

「メイドの中でもね、身分の差があるからあまり良い解決でもなかったのよ。
 他家のメイドにいじめられる可能性もあるわ」
「そこは私が彼女の支えとなります。心配は要りません」

 明るく能天気に言ってのける恋人だ。
 それはそれでいいのだが、さすがにガン=ポ家の従僕も対策を講じるだろう。

 またメイドと言っても「銀骨のカバネ」に仕える者は、それなりの身分の出身者だ。
 「神族」「銀骨」に仕えるのは、それだけで尊敬される社会的栄誉である。
 ぽっとでの小娘がいきなりその席に着いたら他が怒るのも無理はない。

 しかしそれも、タンガラムに着くまでの短い辛抱か。

 

 ゆるやかな音楽が流れていたラウンジ内に、微かに電気のノイズが聞こえる。
 やがてスピーカーが船内放送を伝えた。

”ご乗船の皆様に申し上げます。
 本船はタンガラム民衆協和国との直接通信圏内に進入いたしました。
 これより後は、タンガラムとの電話連絡が可能となります。御用がお有りの方は受付にお申し入れください”

「それでは私は行ってまいります」

 早速にノゥ’スヒトは腰を浮かせる。
 タンガラムに連絡して個人資産を移し替えておかねばならないのだ。
 乗船してすぐにユミネイトと会い、自らの恋愛を告白して助言をもらっている。
 「財産の一部を株券に替えておきなさい。「カドゥボクス化成工業」はタンガラムでも安定して有望な企業でオススメです」

 この企みは今のところ成功しているのだが、ガン=ポ家も手をこまねいては居まい。
 二手三手先を行かねば、新婚生活を貧乏暮らしせねばならなくなる。

 ちなみにノゥ’スヒトの個人資産の大半は地所であって、自由に処分できるものではない。
 協力してくれる友人が居なければ、駆け落ちも難しかった。

 ラウンジを出ていく彼を追いたそうな顔をするロウラ・シュスだ。
 しかし人目のある場所で「銀骨」の御曹司と一介のメイドが逢引など、許されるものではない。

「気持ちは分かるけれど、船内でいちゃつくのは無理よ。もうしばらく我慢しなさい」
「……はい、ご主人様」

 それでも去っていった彼の見えない背中を追う彼女だった。

 

       *** 

 ネコの報告によると、四等船室内はしごく平穏無事だそうだ。
 弁舌に長けた啓蒙師どのは、しかしまったくに無口な怪しい男女の間にあって、ユミネイトの言いつけどおりに沈黙を守り続けている。
 命令に背くと八つ裂きにされるとでも思っているのだろう。

 

 ユミネイトの興味は次に、彼らの素性に向いた。

 「Chamber」の命令に従ってタンガラムに赴く任務は何だろう。
 ユミネイトの見るところ、彼らの正体は「狩人」だ。
 野獣が相手ではなく、もっと獰猛で狡猾で危険な闇の獣。
 タンガラムには居らず、ゥアムには居る怪物を狩る専門家。

 つまりはタンガラムにソレが逃げ出した。

「してみると、「Chamber」は後始末の為に彼らを送り込んだ。以前に行った謀略が失敗したのかもね。
 まあ「世界征服」を目論むのは有力な役職からあぶれた官僚達だから、そいつらの尻拭いかな」

 タンガラム・シンドラ・バシャラタンを征服して巨大な人口を抱え込めば、それぞれを指導監督する役職が発生する。
 現在は不遇な「競争の勝者達」にも、陽の目を見る機会が巡ってくるという妄想だ。

 「銀骨」には憎まれ「神族」には疎まれる「Chamber」だが、必ずしも悪とは言い切れない。
 その使命は「帝室の安定」であり、ゥアム社会の変革が皇帝の意に背かぬよう整える。
 愚かな官僚達の悪ふざけに鉄槌を下すのも役目なのだろう。

「そう考えていくと、アキクトの帰国にも意味が有るように思えてくるわね」

 タンガラムの外交官を名乗る「アキクト・ドォヱ」は、長年ゥアム帝国での諜報活動に携わってきた人物だ。
 帝国側の陰謀も察知してなんらかの関与を、もしかしたら抱き込まれて協力者になっていたかもしれない。
 あるいは彼こそが、ゥアムの馬鹿共をそそのかして暴挙に走らせた張本人かも。

 そしてタンガラムから仕掛ける謀略の頂点司令塔が「闇御前」である。

 アキクトがユミネイトと同じ船に偶然乗り合わせた、と考えるのはもはや難しい。

「ちょっと小突いてみますか……」

 立ち上がるユミネイトに、「メイド」ロウラ・シュスは深く頭を下げる。

 

 

「あれはー、声色なんでしょう」

 二等船客専用の甲板で、再びアキクトに会う。
 夏の強い日差しを遮るパラソルの下で、彼はやはり籐椅子に寝そべっていた。

 しかし、ユミネイトへの尊敬は三等船室の騒動でなお一層高まっている。
 このような格好で応対したら、今度こそゥアム人に殴り殺されそうだ。
 身を起こし、ユミネイトにも椅子を勧めた。

「あれが『顕臨の魂法』と呼ばれるものと推察しますが、しかし声色なのですよね」
「そうよ、私が「神族」である父の物真似をした。それだけね」

 『顕臨の魂法』とは、ゥアム神族になる為の「魔法」である。
 「銀骨のカバネ」の中でも限られた者のみが修め、これを「待壇者」と呼ぶ。

 だがタンガラム人のアキクトには、やはり声色物真似に見えてしまう。

「ただの物真似に人があれほど恐れ入りはしないでしょう。秘密はどこに有るのですか」
「どこと言われてもね。
 神族と同じに語り、神族と同じ事を知り、神族と同じ智慧を見せれば、それは神族が其処に居るのと同じでしょ」
「可能なのですか、そんな事が」
「可能になるのよ」

 ユミネイトは淡々と、まるで他人事のように答える。

「確かに最初は何も知らないまっさらよ。
 でも自分の体に合わせて服を選ぶように、わたしの中の父の人格が知るべき知識備えるべき能力を勝手に獲得する。
 外観はわたしが猛勉強しているように見えるけど、自分じゃないから楽なものよ」

「そんなものでしょうか……」

 

       *** 

 ユミネイトは給仕を呼んで冷たい飲み物を注文する。
 何も言わなくても気を利かせて持ってくるのだが、その機会を見計らう視線が鬱陶しい。

 これ以上は無礼にあたると感じて、アキクトは質問を止めた。

「貴重なお話を聞かせていただきました。
 私に尋ねたい事がおありなのでしょう。お礼になんでも話しますよ」
「じゃあ、タンガラムの諜報機関がゥアムでやってる工作活動について教えて」
「それはー、」

 さすがに困惑する。また多岐に渡り過ぎて何処をどう語るべきか、アキクト自身にも把握できない。
 ユミネイトはそんなに困らせないよと微笑みかける。

「個々の事例のささやかな謀略なんかはどうでもいいのよ。
 表の謀略と言いますか、一大方針があるでしょう」
「ああ! 建前ですね。それならば簡単に語れます。また私自身がゥアム各地で事あるごとに語ってきたものです」

 アキクトは舌を巻く。
 素人は陰謀と言えば社会や国家を揺るがす破壊計画やら、相手国の人民を洗脳する秘密計画などを期待するだろう。
 だが最も強力な謀略とは、つまり建前なのだ。

 万民が理解してそれを良しと考え、また自らも目指そうとする大目標。理想と呼んでもいい。
 これを相手国の内に広めれば、自国に有利に働いてくれる協力者を簡単に得られる。
 協力者自身が嬉々として謀略に参加してくれる。

「タンガラム政府およびその出先機関がゥアム帝国内において展開する建前とは、民衆協和主義ですよ」
「まさか! そんな夢みたいな」
「夢だからこそいいのです。

 帝国を根底から覆さねば叶うはずも無いおとぎ話ですが、タンガラムという実例が確かに存在する。
 今日明日とは言いません、だがいつか訪れる未来において自由で平等な夢の国が実現する。
 そう信じる者を育て増やしていく事こそ、タンガラム民衆協和国が進める王道の戦略です」

「やったのね、貴方、それ」
「やりましたよ。特に前途有る若手官僚の皆様に好評でした」

 

 門地血統や宗教権威に惑わされず、全国民が平等に能力のみを評価されて、傑出した者が社会を指導する役目を与えられる。
 ゥアムの官僚達にとっては理想郷であろう。

 タンガラム政府が「民衆協和主義」を輸出しようと考えていたなんて、ユミネイトも初耳だ。
 所詮は建前であり反論するのも容易く、また現実のタンガラムを見ても必ずしも上手く行ってないのが明白で、
まさかそれを武器に使おうなどと。

「そんな事思いつく奴はそれこそ救世主か、稀代の大悪党ね」

 自室に戻ったユミネイトは嘆息する。
 その大悪党とやらに心当たりがあった。良くも悪くも偉人なのであろう。

 

       ***

 タンガラムから飛行艇が飛んできて、郵便物や新聞雑誌を届けてくれる。
 豪華客船ゆえの特権だ。

 ユミネイトは船長と会話する。再び船長室に招かれていた。
 最新情報が届いて、最上位の神族または「銀骨」に優先的に開示するのも通例の手順。

「映画のフィルムも届いたのね」
「はい。報道映画が主ですが、娯楽作品もございます。それで、」

 題名を見て、ユミネイトは頬をすこし緩めた。

「『英雄探偵ヱメコフ・マキアリイとカニ巫女クワンパ サユールの怪物退治を語る』 なにこれ?」
「なんでも、あの英雄ヱメコフ・マキアリイが、密林で50フット(11メートルほど)もある怪物と槍で戦った、その報道映画だそうです」
「冗談でしょ」
「いくらなんでも話を盛り過ぎですよ。だからタンガラムの報道は信用ならない」

 ゥアム船で上映するのだから、フィルムにはちゃんと字幕も入っている。
 字幕台本も付属していて、ユミネイトはぱらぱらとめくって内容を確かめる。

「うーん、今から手直しは出来ないか」
「手直し、でございますか」
「帝国で上映される『英雄探偵マキアリイ』映画の翻訳・字幕の監修作業を、わたしが上位権限でやってたのよ」
「そうだったのですか」

 船長驚く。
 「銀骨」が、ましてや「待壇者」が、下界の一般大衆の為に働くなど通例あり得ない。
 蛮族と看做される外国の映画や書籍の翻訳を手掛けるなど、考えもしない。

 船長の態度はユミネイトにとってはいつもの反応だ。
 その度こう言って説明する。

「船長、貴方はタンガラム映画の『潜水艦事件』をご覧になった事がありますか」
「ああ、そうですね。『国際謀略』というのを観たことがあります。アレはなかなか社会的で見応えがありました」
「あの映画で、ヒロインの少女が居るでしょ。神族とタンガラム女性の混血のお姫様」
「はあ、あれは無いですよ。いくら神族の姫君でも、あんな荒唐無稽な不思議な少女が」

「あれ、わたしです」
「え?」

「映画のヒーローである若き二人の兵士に、わたしは本当に救い出されたのです。
 その一人が今の「英雄探偵マキアリイ」に成りました。
 彼らはわたしの友人です。
 友人が描かれた映画が帝国において不適切な扱いを受けないように、わたし自らが監修を行っているのですよ」

「そう、だったのですか」

 実際タンガラム出身者が関与しないタンガラム作品の翻訳は、酷いものが多い。
 芸術性を高く評価されるボンガヌ・キレアルス監督の作品でさえ、とんでもない訳文が付いていて物笑いのタネになっている。
 そもそも世界最高、最先端の進化を遂げたと自称するゥアム人は、外国にさほどの興味も尊敬も抱かない。
 翻訳に優れた人材を得ることが出来ず、また十分な報酬も支払われなかった。

「この映画、何時上映するの」
「次の映写日に。まずは三等船客で反応を確かめてから、一等二等のお客様に御覧いただく事となります。
 試写会をいたしましょうか」
「いえ結構。映画は観客の反応を見るのも楽しさよ」
「それでは特別席を用意いたします」
「映写室からでもいいわ」
「お忍びでご覧になるお客様の為の隠し部屋もございます。そちらではいかがですか」

 

       *** 

 船客の娯楽として映画や演劇、音楽会を催す劇場が設けられている。
 基本的には無料であるが、乗る前にあらかじめ料金を払ったようなものだ。

 映画は週に2回。
 ゥアム船籍であるからゥアム作品が多いかと言えば、そうでもない。

 正直ゥアム作品は、おもしろくない。
 芸術性を追求するのは分かるが、興行として儲ける気がさらさら無い。
 技術的には大変優れて色彩も鮮やかなのだが、これでは見る気にならない。

 その点タンガラム作品は一般庶民の娯楽に徹し、観る者を惹き付けて已まなかった。
 負けじとシンドラでも量産されているが、こちらはとにかく踊りまくる。音楽がガンガン鳴り響く。
 シンドラの映画館では観客が画面に合わせて舞い踊るそうだから、流儀を弁えれば楽しいものだ。

 

 飛行艇で届けられた最新タンガラム映画は、まず三等船客を対象に上映される。
 ここで不評であれば上流階級に見せるのをやめる。

 演目は、報道映画が数本。ゥアム帝国の最新ニュースも。
 長編報道映画「マキアリイ、サユールの怪物退治」、「「潜水艦事件」10周年記念式典」
 そして娯楽映画、今回は恋愛モノだ。

 船長の懸念は恋愛映画の方にある。
 身分違いの恋などが出てきた日には、またぞろ騒ぎが盛り上がるかもしれない。

 ユミネイトは船長に助言する。

「大丈夫ですよ。タンガラム映画『燃える鳳蝶の恋』シリーズは、
 邪な恋情に取り憑かれた女が惚れた男を振り向かせる為に人殺しも辞さずに怪奇的に迫り来るという、純愛映画ですから」
「それが純愛なのですか!」
「でも、最後は主人公の女が大勝利するし」

 ユミネイトが初回上映を観る事となり、上流階級が密かに鑑賞する特別室が用意された。
 船長も誘われて同席するが、もう一人アキクトも招待される。
 そして何故か、

「ユミネイトさま、私がなぜ皆様よりも前の席で観る事となるのでしょう」
「そっちの方が面白いからよ」

 メイドのロウラ・シュスが3人の前に椅子を置いて座らされる。
 特別室には他に給仕も控える中、非常に居心地が悪い。

 皆なぜ彼女がと疑問を持つが、映画が始まるとすぐにユミネイトの意図が分かった。

 

 『英雄探偵ヱメコフ・マキアリイとカニ巫女クワンパ サユールの怪物退治を語る』
 イローエント市で開かれた記者会見の映像を主に、サユールの事件を詳しく解説した長編報道映画だ。

 開始早々、ロウラ・シュスはびくびくと背を引き攣らせる。
 のっけから怪物の映像が出てきたからだ。

 サユールの城塞の壁に吊るされる、手足がなんとも長い不思議な獣。
 人と対比すると、まさに50フットが誇張でないと分かる。
 さすがのユミネイトも開いた口が塞がらない。

「なんだこりゃ」
「……タンガラムには、こんな化物が棲んでいるのですか……」

 修羅場をそれなりに潜ってきたはずのアキクトも、冷や汗を流す。

「ヱメコフ・マキアリイはこんなものとどうやって戦ったのか」

 ご心配なく、この報道映画で格闘の細部に至るまでじっくりと解説してくれる。
 武術の専門家が現れて、記者会見でマキアリイが説明する槍の技を実演した。

 また動物学者が出てきて、この怪物が本来はバシャラタン法国の幻の獣であると、実物を解剖しながら説明してくれる。
 殺した人間を怪物が樹上に吊るした状況を、ご丁寧に再現映像で示している。
 バシャラタンでもそういう例が知られているが、写真で記録されたのは今回初めてという。

 大変に猟奇的な映像だ。
 恐ろしい場面になる度に、ロウラ・シュスはびくびくと身をよじる。

 映画はそれを観る客の反応も楽しみの内。
 ユミネイト、たいへんに悪趣味だ。

 

       *** 

 画面にはカニ巫女「クワンパ」の顔が大きく映る。

「これが「マキアリイ刑事探偵事務所」の新しい事務員なのね」

 容姿は前の巫女の方が美しかったが、この娘は声が良い。
 姿を見せない怪物にも敢然と立ち向かったらしいから、度胸は合格なのだろう。

 

 半刻長(1時間7分)の上映時間が終わり、続いて別の報道映画が始まる。

『「潜水艦事件」10周年記念式典襲撃事件』

 まずは10年前の復習から。
 若き日の二人の英雄「ソグヴィタル・ヒィキタイタン少兵」「ヱメコフ・マキアリイ少兵」
 麗しのヒロイン「ユミネイト・トゥガ=レイ=セト」 16才。

 そして現在。
 国家総議会議員となった「ソグヴィタル・ヒィキタイタン」と、「英雄探偵」として全世界に名を轟かす「ヱメコフ・マキアリイ」
 二人が出迎えるイローエント幹線鉄道駅に滑り込んでくる青い特別列車。
 降り立つ国家総統「ヴィヴァ=ワン・ラムダ」

 「潜水艦事件」10周年記念式典で発生した襲撃事件は、

・閲兵を行うヴィヴァ=ワン総統を銃撃したニセ小隊
・ヒィキタイタンが宿泊するホテルのコテージへの機関銃乱射
・洋上で撮影中のマキアリイを2隻の高速艇が砲撃
・式典で模範飛行をするマキアリイの機体に遠隔操作爆弾を仕掛ける
・ベイスラに戻るマキアリイを幹線高速鉄道車中で暗殺未遂

 ユミネイトは、ヒィキタイタンが直接襲撃されたコテージの現場写真を見て、心をわずかにざわつかせた。
 マキアリイと違って荒事が本職ではないのだから、もっと自分の安全に留意すべきよ色男め。

「バカな!」

 いきなり船長が立ち上がって興奮する。
 銀幕には、ヱメコフ・マキアリイの銃撃で高速艇が横転する迫真の映像が。
 いくらなんでも銃弾1発で船がひっくり返るはずが無い。海の専門家として異議申し立てしたくなる。
 しかも2隻続けて!

 アキクトもこの映像には胆を潰すが、続く解説によって納得する。

「……、空気で膨らむ救命艇が、銃弾によって展開して空気抵抗で横転したのか。しかし、」
「いや、しかし緊急用のエアー・ボートがそんなに簡単に開くはずが」

「ヱメコフ・マキアリイだから。で納得出来るのではないかしら。
 他にこんな事出来る人、世界中に居るわけが無い」

 ユミネイトの言葉に船長も席に戻る。
 英雄に常識が通用するはずもない、と改めて思い知った。

 

 ユミネイトは他に分からぬようタンガラム語で、アキクトに話し掛ける。

「ところで、貴方は「闇御前」の手の者なのでしょう。
 海外で謀略を行う工作員はすべて彼の配下だと聞いているわ」
「否定はしませんよ。確かにあの方のお世話になっています」

「貴方がこの船に乗る理由をいろいろ考えてみたの。で、思い当たったわ。

 ヱメコフ・マキアリイ。
 彼が「闇御前」を逮捕してタンガラム中央政界に大激震が走ったけれど、海外に派遣されている諜報機関でもそうなのではないかしら」
「ほお……」

「最新の情勢から分析して、「闇御前」の「機関」は二派に分かれたみたいね。
 あくまでも彼の支配力を信じて復権を試みる守旧派と、
 これ幸いに老い先短い彼の影響力を払拭して、「機関」の主導権を握ろうとする自立派と。
 貴方はどちらなのかしらね」

「上層部の権力争いで下も身の処し方を変えるのは、組織に属する者の宿命ですね」

「ここで、ヱメコフ・マキアリイよ。
 ヴィヴァ=ワン総統は今夏の総選挙で勝利する為に、彼とヒィキタイタン議員を大いに活用するつもりね。
 正義の権化であるマキアリイが総統の側に付けば、有権者は喜んで票を入れるでしょう。

 でもヴィヴァ=ワン総統は「闇御前」に対して敵対的で、「機関」の権力を剥奪しようと工作を進めている」
「邪魔ですねえ。守旧派としては、英雄暗殺をしてみたくもなりますよ」
「彼とヒィキタイタンを総統から引き離す手段として、何を使えばいいかしらね。

 たとえば、女?」
「たとえば、「潜水艦事件」のヒロインである貴女、ですかね」
「誘拐などされては大変だわ」
「誰かが守らねばなりませんね」

 

 画面には蒼穹を一直線に進む2機の水上飛行機が。
 紅と水色に彩られ、大空を自在に駆ける英雄の乗機だ。

 その雄姿に、ロウラ・シュスは両手を胸の前に合わせて見入っている。

 憧れのタンガラムに到着するのはまもなくだ。

 

       *** 

 5日の後。
 豪華客船『ルオ’コキュ・セト・シテ’パン’ヒョガ』は、タンガラム東岸のシンデロゲン国際港に到着した。

 タンガラム方台の東側は、かって「金雷蜒王国」と呼ばれていた。
 その支配者「ギィール神族」は、「ゥアム神族」と同じ文字を使い同様に智慧に優れる聖戴者であった。
 どのようにしてかは未だ不明だが、海を越えての交流もしくは移住が有ったに違いないと推定される。

 「金雷蜒王国」は古くから優れた建築技術を持ち、東岸には幾何的にして芸術性に優れた建物が多数残される。
 現在の都市も美観に重点を置き、古代の建築物との調和が取れた街並みとなっていた。

 

 シンデロゲン市は東岸最大の都市であり、またゥアム帝国との公式な窓口と定められている。
 大使館も首都ルルント・タンガラムではなく、ここに置かれた。
 「神族」や「銀骨のカバネ」が渡航して来た際には、外交官が直々に表敬訪問をして迎え入れる。

 ユミネイトも、帝国に渡る際には父と共にこの港から旅立った。
 当時の大使館員がまだ勤めている。

「ユミネイト・トゥガ=レイ=セト様、お懐かしゅうございます」
「ああ憶えていますよ。二等書記官のクルリトッさんでしたね」
「現在は一等書記官に昇進しております。御父君は御健勝でいらっしゃいますか」
「元気よ。機会があればまたタンガラムに来たいと言っていたわ」
「有り難いお言葉でございます」

 ユミネイトは未だ船内に居る。
 検疫や通関手続きで到着してもしばらく時間がかかるのは仕方がない。

 クルリトッはタンガラム滞在期間を尋ねた。
 「神族」や「銀骨」の所在を常に把握しておくのがゥアム公館最大の務め。
 金銭的得失などよりも遥かに優先する。

「無期限で。わたしが生まれた国ですからね」
「左様でございます。それではタンガラム政府当局にもそのようにお伝えいたします」

 ユミネイトには元々タンガラム民衆協和国の国籍も有る。
 ただゥアム帝国の方が高い地位を認められるから、こちらで手続きをした方が速やかに通るわけだ。
 また打算もある。

 船上で雇ったメイド「ロウラ・シュス」の身柄に関しては、多少の問題があった。
 ノゥ’スヒト・ガン=ポの従僕が連絡して、彼女をタンガラムに入国させないよう働き掛けていたのだ。
 単身であれば、様々に外交上のテクニックを弄して強制送還されたかもしれない。

 しかしユミネイトが身柄引受人であれば、問題なく入国出来る。

「よろしければ、上陸後の御予定をお聞かせ願えないでしょうか。滞在先は何処となりますか」
「友人の世話になるわ。「カドゥボクス財閥」の御曹司「ソグヴィタル・ヒィキタイタン」が面倒を見てくれる」
「ああ! あの「ソグヴィタル・ヒィキタイタン」議員でありますか。それならば申し上げる事はございません」

 彼も、ユミネイトが「潜水艦事件」のヒロインであると心得ている。
 またヒィキタイタンであれば、物心両面において「待壇者」に不自由をかける事は無いと安心できた。
 大使館としても無問題。

「それでは、これで入国の手続きを終わりたいと思います。
 ユミネイトさま、お帰りなさいませ」

 

 ゥアム上流階級最新モード、青の旅装に着替えて船を降りるユミネイト。
 船長以下主だった役職の者が見送り名残を惜しむ。
 彼らの背後で、稽古に付き合ってくれた女性武術指導員も頭を下げる。

「帝国に戻られる折には、また私共を御利用くださいませ」
「うん、ありがとう」

 ロウラ・シュスを従えてユミネイトはタラップを降りていく。赤い毛のネコも付いて来る。
 後ろには大量の旅行鞄を担いで船員が行列した。

 タラップの途中で、先に上陸したノゥ’スヒト・ガン=ポの姿を見かけた。
 船を降りた岸壁のすぐ脇でタンガラム人の男が5名も現れて、彼を連れて行こうとする。
 彼の従僕は抵抗を見せない。
 おそらくはガン=ポ家が帝国から連絡して、彼の身柄を抑えようとする。

 ゥアム人ではなくタンガラム人を使うのは知恵だ。彼らは「銀骨」に対してもさして遠慮は持ち合わせない。
 多少は手荒であっても、首尾よく結果を出してくれるだろう。

 タラップの上からユミネイトは呼び掛ける。

「ノゥ’スヒト! 遠慮なく巡邏軍をお呼びなさい。
 ここはタンガラム、自由の国です。令状が無ければ誰も、あなたを拘束する事は出来ません。明確に犯罪行為です」

 男達はユミネイトを見上げて、ちっと舌打ちした。
 タンガラムの法律・慣習に疎いゥアム人を騙して連れて行く作戦は失敗だ。
 家の都合で個人の身柄を強制的に拘束するなど、ゥアムとは違って許されない。

 一方ノゥ’スヒトの従僕は、無表情のままにユミネイトに頭を下げる。
 「銀骨」の家に長年仕える者だ。不快の表情など微塵も表さない。

 去っていく男達に安堵し肩の力を抜いたノゥ’スヒトは、ユミネイトの背後で心配そうに見つめるメイドに笑いかける。
 「必ず迎えに行くから」と。
 そして改めてユミネイトに挨拶する。どうか、恋人を御守り下さい。

 ユミネイトはメイドに言った。

「もうしばらくは手こずりそうね。でも彼も「銀骨」だから無能じゃない。
 なんとかやってくれるでしょう」
「はい」

 

 岸壁に降りて母国の土を踏み、ユミネイトは目をつぶり深く息を吸う。
 懐かしさよりもまず、動かない地面の感触に感動した。
 夏の日差しは強くて厳しいが、ゥアムとはまるで違う風が吹く。

 ネコは赤い毛の耳をとんがらせて周囲を睨む。なんだか不機嫌そう。
 本来ネコは海川は嫌いで、地面の上の方が居心地が良いはず。
 新しい大地の感想は、

「なんか蒸すぅ」

 船員達は旅行鞄を下ろして、改めてユミネイトに挨拶して去っていく。
 代わって港湾の荷物運びが2名、引き受けた。
 一等船客の荷物を専門に運ぶ、身元も確かな男達だ。

 ロウラ・シュスは主人に尋ねる。

「お迎えはすぐに参るでしょうか」
「大丈夫よ。
 そつの無い男だから、待たせはしない」

 

 ユミネイトの期待は若干裏切られた。

(END)

 

     *****

【英雄探偵マキアリイ事典】

【タンガラム東岸の地理】
 タンガラム方台の東半分、毒地平原の東側と東岸部はかって「東金雷蜒王国」領であった。
 その為、住民の気質が他とまるで違う。

 毒地平原と東岸部の境には、南北に連なる「ッツトーイ山脈」が存在する。
 これにより両地域の気候はまったく異なるものとなっていた。

 東岸部の近海には南から北に遡上する暖流が流れており、温暖湿潤な気候となっている。
 この地域には「冬」が無い。
 降水量も多く植生も豊かで、沿岸河口付近には海岸樹林が鬱蒼と茂る。両棲類の宝庫だ。
 土地は肥沃で古くから農地が開発されており、多くの人口を支える事が出来た。

 だが「ッツトーイ山脈」に雨雲が遮られ、西側の毒地方面にはからりと乾燥した風が吹き下ろす。
 平坦な草原地帯だ。
 農耕に適しているとは必ずしも言えないが、運河が巡らされて用水の確保が古代より行われてきた。
 「ギジジット」市はその運河の中心点だ。
 冬季北方の「聖山山脈」から吹き下ろしてくる寒波が、何者に遮られる事無く毒地平原を駆け抜ける。
 降雪こそ少ないものの、白い霜で一面が覆い尽くされる。

 「東金雷蜒王国」の王都は、「ギジシップ島」と呼ばれる。
 東岸部の南北の岸に沿って100キロ以上伸びる細長い島だ。
 本土との間はわずか数キロであるが、島全体が切り立ったテーブル状になっており崖で囲まれ、上陸を容易とはしない。
 難攻不落の要塞でもあった。

 

 この地域の主要都市として3つを挙げる事が出来る。

 最も繁栄して人口が多い都市が、東岸北部「シンデロゲン」市。
 北方を東西に貫くボウダン街道東の終着点であり、東岸部の街道の起点でもある。
 古来より繁栄を遂げるのを約束された立地で、防衛上の懸念が無ければ首都となり得たかもしれない。
 国際貿易港・国際交流都市であり、ゥアム帝国との正式な玄関口である。
 ゥアム大使館も首都「ルルント・タンガラム」ではなく、ここに設置されている。

 最も格式が高い都市とされるのが東岸中央「アグ・アヴァ」市。
 王都「ギジシップ島」への渡り口、正面玄関とされて、当時の支配層である「ギィール神族」が多数居住した。
 高度な技術で設計された建築物が様々に立ち並び、今も栄華を色濃く留めている。
 また最盛期に建設された都市インフラが稼働し続けて、人口が膨張した今も生活を支えている。

 「ギジジット」市は毒地平原の東側にあるが、平原の中心都市と位置づけられる。
 「神聖金雷蜒王国」が東西に分裂する前の王都であり、「神都」とも呼ばれた。
 平原に毒を撒いて通行を遮断した為に孤立し繁栄を失ったが、信仰の中心地としての機能は果たし続けた。
 創始歴5000年代に毒による閉鎖が解除され、この地は「東金雷蜒王国」から分離して新たに「ギジジット央国」を名乗った。
 自然が回復した毒地平原の再開発の中心拠点となる。

 毒地平原には、内陸部でありながら河川運河に何故か干満が発生する「陸内潮汐」と呼ばれる現象が起きる。
 原因は現在に至るも不明だが、朝夕に水の流れの向きが変わる。
 これを利用して水車を使って動力を生み出し、様々な工業に利用してきた。
 現代では発電にも利用され、豊富な電力を基盤に「ギジジット」市では高度な工業が成立している。
 また新たなる産業を生み出す、科学研究都市として知られている。

 

 どの都市も「ギィール神族」の手になる歴史的建造物が多数現存する。
 華やかで独創的であるが、ソレ以上に物理的に極めて精巧に設計されており、千年を経ても未だに利用可能だ。

 また神族は芸術への理解も深く、学問を好んだ。
 今は支配力を失ったとはいえその気風は残り、東部東岸部の住民は教育に熱を入れる。
 有用な人材を多数輩出してタンガラム各界を支えている。

 為にタンガラム政府は首都「ルルント・タンガラム」に官僚育成の国策大学を設置した。
 東岸住民は、民衆協和制に対する参加意識が弱い。古代の階層社会の秩序に今も支配されている。
 支配権を東岸出身者に奪われないよう注意しなければならなかった。

 

【タンガラム東岸の支配】
 タンガラム民衆協和政府にとって東部、旧東金雷蜒王国領域の支配は困難である。
 現在(6215年)に至ってもなお十分とは言えなかった。

 たしかに東部住民も民衆協和制の理念を理解し政治に参画するが、首都中央政府近辺や西部の住民との意識が違う。
 彼らは身分制度についてさほどの忌避感嫌悪感を持たない。
 何故ならば、今も「ギィール神族」が存在し続けるからだ。

 金雷蜒王国時代の支配者「ギィール神族」は聖戴者である。
 神によって許された超能力をもって方台人民を支配する存在だ。
 だが彼らの真の武器は強靭な精神力と叡智である。
 それは神によって与えられたものではなく、自ら備えていたからこそ神に力を許されたと考えられている。

 聖戴者の制度が存在しない現在においても、神族としての資格を養う教育制度は存続し続ける。
 東部住民が崇めるべき至高の階層は、今も生きているのだ。
 あきらかに一般民衆より優れた階層の存在は、民衆協和制に対する明確なアンチテーゼである。存立の基盤が脅かされる。

 幸いにして今の世の「神族」は、現代社会の特に政治体制に対して関与しようとの欲求を持たなかった。
 東部の民衆が、奴隷として彼らに仕えた者達が自らを処するのを、陰から支援する程度でしかない
 あるいは彼らこそが、民衆協和制の意義を誰よりも理解しているのかも知れない。

 だが、まったく全ての決定を民衆自身が担い他に責任を求めないのが、民衆協和制の前提だ。
 後見人的補助ははなはだ不都合である。
 しかもこの地域の民衆は古い身分制度を尊重し、序列を今も自身に当てはめ整然たる社会を形成している。
 そしてまた上手く運営されている。
 制度上の身分制度を許さない政府にとって、自らの正当性を主張できない現状は、非常に困る。

 

 さらに「ゥアム帝国」
 タンガラム方台のはるか東の果てに存在する大国は、金雷蜒王国と同様の「神族」支配を今も行い、大いなる繁栄を遂げている。
 支配層「ゥアム神族」が用いる難解な象形文字は、タンガラムにおいて「ギィール神族」が用いた文字「ギィ聖符」と同じものだ。
 両者は同文同種の存在と看做される。
 どのような手段でかは不明だが、古代において交流が有ったのは間違いないと考えられている。

 「ゥアム帝国」の、「ギィール神族」とその社会への注目は熱い。
 もしタンガラム政府が不当な扱いを行えば、外交上また交易上の抗議行動に出るのは必至である。

 とにかく東岸は扱いづらい地域なのだ。

 

 

     ***** 

(第二十二話)「その女、ヒロイン」

 4カ国にその名を轟かす無敵の英雄は、開口一番遅刻の言い逃れをした。

「俺のせいじゃないぞ、ヒィキタイタンが悪いんだ」

 熱く灼けるシンデロゲン国際港、ゥアム航路の岸壁の傍。
 大量の旅行鞄と荷物運びのタンガラム人2名、ゥアム人少女メイド1名およびヒョウ柄の無尾猫1頭を引き連れて、
日傘を差す水色の貴婦人の表情は堅い。

 彼女「ユミネイト・トゥガ=レイ=セト」は左右を見て、ソグヴィタル・ヒィキタイタンが居ないのを確認する。
 ヱメコフ・マキアリイが連れてきたのは、「カドゥボクス化成工業」の男性社員のみだ。

「なんで彼は来ないの」
「むしろ、選挙直前の現役国会議員が来れると思う方がおかしい。
  新聞にお前さんすっぱ抜かれたら、「ついに恋人発覚!」て女性票吹っ飛ぶぞ」
「なるほど。理に適っているわ」

 ユミネイトは案外と満足そうな顔をした。
 タンガラムの世間では自分の事をそういう風に理解するのか。伝説はまだ有効そうだ。

 眼を丸くするのは、荷物運びの男達。まさか本物の「ヱメコフ・マキアリイ」が迎えに来るとは。
 ではこの貴婦人は、よほどの大物?

 彼女は、かなりきつめに問う。

「で、」
「で、とは?」
「なんで遅れたの?」

 それは、と「カドゥボクス」社の社員が前に出る。自己紹介して名刺を差し出した。
 シンデロゲン支社で営業課長の「ハニリシタ」さん、35才。

「まことにもって申し訳ございません。
 ソグヴィタル議員から重要なお客様がシンデロゲン港にご到着されると伺い、歓迎の用意を整えていたのでございますが、」
「俺をその客と間違えたのさ。なんたって世界の英雄探偵さまだからな」
「さ、さような次第でありまして、支社の一同挙っての大歓迎の宴会をしようと思ったところ、マキアリイ様に本当のお客様がこちらにいらっしゃると伺いまして、」

 マキアリイはにやりと笑って見せる。

「つまりはだ、お姫様の帰国はヒィキタイタンが身内にすら明かさない極秘情報だったわけさ」
「なるほどね。
 それで、”ヱメコフ・マキアリイ”さん、なにかおっしゃる事は無くて?」

 マキアリイは考える。10年ぶりに再会した因縁の美少女だ。
 通例であれば、綺麗になったねなどと言うべきであるだろうが、ヒィキタイタンなら開口一番それだろうが、

「おまえさん、そういう性格だったっけ? 昔はもっと可愛げがあった記憶があるぞ」
「苦労したのよ。ゥアム帝国ってとこはとにかく肩が凝るの、命だって狙われるし」
「おう……」

 一人、けげんな顔で見守っているメイドの少女が居る。タンガラム語が分からないようだ。
 恐る恐る主人に尋ねるが、今度はこちらが何を言っているか分からない。
 マキアリイはユミネイトに聞いた。

「この娘は使用人なのかい」
「ええ。船内でなりゆきで雇うことになったんだけど、1人分の宿しか取ってないかしら?」

「大丈夫でございます。御身分の有る方が単身でいらっしゃるとは考えておりません。
 5部屋まではお宿を確保しておりました」

 さすがに営業課長はソツがない。
 もし誤解のとおりにヱメコフ・マキアリイが主賓であったとしても、お供にカニ巫女が付いて来るのは必定。
 事件の関係者も随伴する可能性を考慮してある。

「じゃあ案内してもらいましょう」
「それにしても凄い荷物だな。まるで引っ越しだ」
「引っ越しよ。これでも着のみ着だけみたいなものだけど、最低1年間は居るつもりだしね」

 マキアリイ、営業課長に振り向くと、これまた問題なし。
 送迎車のみならず小型輸送車までも用意してあった。さすがはヒィキタイタンが任せるだけはある。
 荷物運びがさっそくに大量の旅行鞄を輸送車に積み込む。
 高級自動車の後席にはユミネイトとメイド「ロウラ・シュス」およびネコが、前の助手席にはマキアリイが乗った。
 さすがに運転は専門家に任せて、営業課長は小型輸送車の方に乗る。

 荷物運び2名が敬礼して見送る中、国家英雄と伝説のヒロインは出発した。

 

        ***   

 ユミネイト・トゥガ=レイ=セトはゥアム神族の娘だ。
 ゥアム帝国においては最上級の支配階層に属する。

 彼女の身分が泊まる旅館はもちろん最上級、ほとんど御殿だ。
 逆にそれ以下の宿舎を利用する事が許されない。
 いくらカネを積んでも資格なき者は入れない施設である。

 とはいえ彼女は、南岸イローエント市を拠点とする銀行家一族に連なる者だ。
 それなりに富裕層であるが、そこまで特別な格式を要するわけではない。
 用意された旅館が期待はずれでも不満を言うつもりは無かったが。

 「どうだ!」とマキアリイが自信を持って紹介する宿屋に、さすがに困惑する。
 驚愕はむしろメイドのロウラ・シュスが示す。
 神族の家族である『銀骨のカバネ』の格式にまったくふさわしくない!

 手足を振り回し、意味の分からぬ異国語を喚き散らし、必死になって主人の為に抗議する。
 ユミネイトがひそかに武術の技を使って取り押さえねばならないほどだった。

 マキアリイの要望に基づいて宿屋を手配した営業課長ハニリシタは、顔を青くして英雄に振り向いた。

「やはり、ハナトの豪華旅宿館にしておくべきでしたでしょうか……」
「中に入れば満足するさ」

 宿屋は平屋で、門構えは立派であるし古くから営業をしている風格が漂い、十分に格式高い所だ。
 タンガラム東岸は古来より「ギィール神族」の支配に浴し、住民全体が礼儀正しく趣味が良い。
 この宿屋も、神族の利用はさすがに無いが、ほどほどの教養人趣味人が利用する心憎い奉仕の行き届いた店である。
 調度も見事だが嫌味にならないさり気なさで、むしろ店主が客に程度を問うかのようだ。

 ヒョウ柄ネコは宿屋の従業員に足を拭いてもらい、そのまま廊下を歩いていく。
 夏の陽が遠くから染み込む薄明かりの中、異形のネコは幻想的な情景を描き出す。

 ユミネイトさすがにタンガラム趣味を思い出し、なるほどと理解した。
 ロウラ・シュスはまだ適応出来ない。
 そもそも外国美術の教養をまったく持たない下層階級の出である。

 だがさすがに、

「ちょっとマキアリイ、ここはひょっとして「船宿」じゃないの?」
「おう、ご注文のとおりだろ」

 別に船宿なんか注文してないぞ、と部屋に案内されるユミネイト。
 港の近く、船着き場に隣接して、窓の外には係留される釣り舟や遊戯船。そして、
 マキアリイが視線で示すモノに大きくうなずいた。

「注文通り、ね」

 薄桃色に塗装される複葉の立派な水上飛行機が浮かんでいる。
 競争用ではなく旅客用で、乗員は2名であるが荷物をたっぷりと積む事ができる。

 ヒィキタイタンに船上から電報で頼んでいたのだ。
 「そっちに着いたら色んな所に飛び回るから、移動手段を確保しておいて」と。
 飛行機であれば申し分ない。パイロットもちゃんと付けてくれたわけだ。

「あれはヒィキタイタンの所有物?」
「いやこういう実用的な機はやつは乗らないんだ。それに、議員活動が忙しくて飛行機に乗る暇が無い。
 妹が代わりに乗り回して、彼女が知り合いから調達してくれたんだ」
「キーハラルゥさんね、文通で知ってるわ。彼女にもお礼しなくちゃいけないわ」

 

        ***  

 問題はロウラ・シュスの処遇だ。
 行きがかりで雇用したから、タンガラムに着いて後の計画がまるで無い。
 ユミネイトも理由あっての帰国だ。
 物見遊山で連れ歩くわけにもいかなかった。

 マキアリイは帝国の少女が投げ込まれた悲恋物語を聞かされ、首をひねる。
 赤毛のネコと並んで行儀よく座り、主人の命令を待つ白黒メイド服の彼女はいかにも淑やか。
 海を越えての大冒険に踏み出す性格には見えない。

 一方シュスは、「これが本物のヱメコフ・マキアリイなのか」と、これまた首をひねる。
 映画で見るのよりちょっと、なにか違和感がある。
 もう少し美男子ではなかったかと訝しむ。

 マキアリイ、

「一人で放り出すのは無理だな、彼女」
「そうね。信頼のおける人に預かってもらうしか無いけれど、やはりゥアム語が分からないと彼女も不安でしょう。
  誰か探さないと」
「ゥアム帝国の公館は、つまりまったく当てにならないわけだな」
「絶対ダメね」

 そういうことであるならば、と営業課長ハニリシタが名乗り出る。
 が、さすがにカドゥボクス社にそこまで迷惑を掛けられない。
 マキアリイは提案する。

「知り合いに頼もう。
 シンデロゲン市の近くに住んでいてゥアム語が出来てゥアム神族にも縁の有る、でも悲恋の少女の味方に絶対なってくれる。
 そういう都合のいい奴を知ってるんだ」
「そんなご都合主義なヒト、居るの」
「クリプファト・ッメイル女史だ。知ってるかな、『神族探偵カンヅ嶺シキピオ』の著者だ」

 えー、とユミネイトは眉をひそめる。
 タンガラムの大衆文化を帝国において紹介してきた彼女だ。流行作家にもちゃんと目配りをする。
 だがクリプファト女史の専門は「恋愛小説」だ。
 『神族探偵カンヅ嶺シキピオ』も、「推理小説」というよりは恋愛要素が強い。

「カンヅ嶺シキピオ、って実在する探偵なの?」
「それが、この度ちゃんと実在が確認されたんだな。
 人となりも、小説に描かれているのとほぼ同じだそうだ」

 推理小説『神族探偵 カンヅ嶺シキピオ』連作は、このような構造である。

 ”わたし”、こと恋愛小説家の女性が、ひょんなことからギィール神族の末裔を称する奇人と知り合いになる。
 ”彼”は自分の邸宅の庭から一歩も出ないが、
 ”わたし”が持ち込む犯罪事件をほんのわずか聞くだけで、神のような推理力を発揮。
 その推理に基づいて”わたし”が捜査関係者に連絡して、事件は鮮やかに解決する。

 ”わたし”は、どういうわけだか次から次に犯罪事件に出食わして、
 そして本人まったくの無力無能であるから”彼”の庭に転がり込み、
と、毎度おなじみの展開が進んでいく。

 ”わたし”と”彼”は恋愛関係には無い。
 無いが、それでも互いの心の距離が近づいたり離れたり、ドキドキしたり絶望したりと忙しい。

 あまりにも出来すぎた物語臭いから、”彼”は架空の存在として受け止められている。
 またそれ故に人気であるのだが、
作中に出て来る「神の如き推理」が、実に的確で天才的な閃きを秘めていた。
 クリプファト女史のお粗末な恋愛脳から絞り出されたものには思えない、というのが捜査関係者が皆思う感想であった。

 彼女自身は最初から実在すると主張する。
 しかし”彼”の所在や履歴の情報を公開せず、仮想の人物と見られるのを良しとしてきた。
 「カンヅ嶺シキピオ」の実在が確認された現在においては、彼の要望に従っていたと理解される。

「じゃあギィール神族にシュスを任せようって話になるのね」

 ユミネイトはメイドにゥアム語で話し掛ける。
 悲恋の少女は、話していく内に大きく眼を見開き、驚き、頭を床に付けるかに伏せる。
 「ギィール」という単語だけはマキアリイにも判別できた。

「でもマキアリイ、彼女はそれなりに流行作家で忙しいでしょ。いきなりで引き受けてくれるの」
「恋愛小説家が、ゥアム帝国から来た上流階級との悲恋に翻弄される少女を見捨てるとは思えないけどな。
 女史はあれでもシンデロゲン外国語大学卒業でゥアム語喋れるぞ。
 帝国内での恋愛事情の生きた見本を見逃すかな。
 それにだ、」

 マキアリイが声を潜めるのに、ユミネイトは身を乗り出す。
 釣られてシュスもヒョウ柄ネコも上半身を傾ける。
 ゥアムの無尾猫ってタンガラム語分かるのか?

「女史はな、次の本に俺を出したがっているんだ。『神族探偵カンヅ嶺シキピオ 対 英雄探偵ヱメコフ・マキアリイ』だ」
「うわあぁ、冗談でしょ」
「恋愛小説家センセイの脳味噌の中では、それはもう既定の事実になっているようでね、
 どんな怪事件に二人を引っ張り込もうかと、設定の問題にまで進展しているのだ」

「いやいやいや、謎の刑事事件がそんな都合よく起きるわけ無いでしょ」
「そうかな。
 俺を引っ張り出した時点で、長編映画級の大事件がごろっと発生しそうな気がするけれどな」

 ユミネイト、件の恋愛小説家のイメージを改めた。
 なかなか現金な、結構な策士であるな。マキアリイにくっついていればそんな事にもなるだろう。
 となれば次の作品のヒロインは、「ロウラ・シュス」!
 納得だ。

 

        ***   

 シンデロゲン大学堂。
 ユミネイトがまず挙げた「とにかく行かなくてはならない場所」筆頭である。

 彼女が言うには、タンガラム国内の各大学・研究所に散らばる物理学者・研究者一人ひとりを訪ねていく。
 父トゥガ=レイ=セトの教え子や文通相手だ。
 彼らの安否を確かめ、安全を確保せねばならない。

 マキアリイは、

「だが確かめた後をどうするんだ。考えがあるのか」
「正直に言うと、出たとこ勝負ね。
 脅威が迫っているのは分かる、だけど、なにかが分からない。
 そして彼らは、自分達が狙われている事にすら気付いていない」

「それを、海の向こうのお前さんの御父上が僅かな情報から看破した、というわけか……」

 「ゥアム神族」と呼ばれる存在は神の如き智慧を持つ。
 タンガラムでも一般常識として知られる特徴だ。
 しかし、ここまで来ると最早超能力の域ではないか。

「どうする、シンデロゲン大学堂は車ですぐだぞ。今から行くか」
「そうね」

 ユミネイトは、ロウラ・シュスを振り返る。
 ゥアム語で二言三言話すと少女は深く頭を下げた。

「このままここに置いておきましょう。彼女を排除しようって連中も、宿屋の中にまでは手を出さないでしょう」

「ハニリシタさん、というわけだ。俺達はちょっと用事を済ませてくる。
 歓迎会なんかは、まあ盛大に用意しているのだろうが、その後で」
「はい、ご連絡をお待ちしております。
 自動車はご自分で運転なさいますか」

 マキアリイは少し考えた。

「途中で車を乗り捨てる事も有るかもしれない。運転手付きでいいや」
「さようでございますか。それでは手配いたします」

 と、営業課長は部屋を出て行った。

 マキアリイは外部に電話を掛けて、クリプファト・ッメイル女史を呼び出す。
 電話番号をちゃんと記憶しているのは、刑事探偵いや捜査官としての訓練の成果だ。

 受話器から漏れ聞こえてくる女性の声はなかばキンキン声で、かなりの興奮を示している。
 通話を切って、ユミネイトに振り返る。
 こちらの要望は快諾されて全責任お任せよ、という返事であったらしいが、

「すまん。行きがかり上お前さんの帰国を教えたんだが、向こうはずいぶんと舞い上がってな」
「恋愛小説家が、『潜水艦事件』の当事者の帰国を見逃すわけも無いわね。
 いいわ、カンヅ氏が本当に実在するのなら、わたしも直に挨拶に行かなくちゃいけないでしょう。
 彼女にも案内してもらう事になるわ」

 後は、ロウラ・シュスともう1匹。
 赤い毛並みのヒョウ柄ゥアム無尾猫は、メイドの隣にピンと背筋を伸ばして座る。
 タンガラム語は分からないと思うのだが、なんだかなんでも知ってそうで不安になる。

 ユミネイトは一瞬迷った。
 ロウラ・シュスを一人で置いて行くのも不安ではあるが、ネコなんか居ても仕方ない。
 そもそもが下層階級の人間とネコは話をしないから。

「あなた、一緒に付いて来る?」
「いく」

 おお、とマキアリイはのけぞった。
 無尾猫、ちゃんとタンガラム語を喋るぞ!

 

        ***   

 「シンデロゲン大学堂」は、東岸区随一の名門国立大学である。
 設立は1200年前、タンガラムに「大学」と呼ばれる施設が整えられた最初期に遡る。

 それまでのタンガラムには「大学」は存在しなかった。
 学問とは、王国の支配を実現する為の道具であり、また十二神信仰の使徒として民衆を救う助けとなるべきものだ。
 あくまでも実用を主とし、あるいは神学に基づいて真実にたどり着く修行の場であった。

 純粋な意味での学問を司ってきたのは、「人食い教団」とあだ名された秘密結社・邪教である。
 2千年の長きに渡って弾圧された「教団」は、ありとあらゆる知識を、文献を、秘法魔術のすべてを地下に蓄えた。
 密かに貢がれる富を背景に、壮麗な地下図書館を幾つも設ける。

 学問を究めんと志す学匠・賢人・神官は、心ならずも邪教に帰依しなければ閲覧が叶わない。
 もちろん彼らは、表の王国において重要な職責を果たす人材である。
 彼らを密かに従える事で、「教団」はタンガラムを裏面から支配してきたのだ。

 

 これを打破したのが、救世主「ヤヤチャ」だ。
 青晶蜥王国建国の最初の事業が、「人食い教団の蔵書をすべて奪い取る」作戦であった。
 精鋭による襲撃隊を組織し、自ら陣頭指揮を執って地底深き迷宮に突入する。

 獲得した膨大な蔵書の保管と公開を行ったのが、
タンガラム最初の大学にして初の女子高等教育機関「サンパクレ女子大学堂」だ。

 「人食い教団」を打破して、賢人達を妄執から解放する。
 それはまた、国家を支える高度な人材が闇の勢力と連携するのを防ぐ事ともなる。

 タンガラムの諸王はそれぞれの軍を率いて各地の地下図書館を襲撃。
 獲得した蔵書を公開する場として、次々に「大学堂」を建設した。

 「シンデロゲン大学堂」もまた、東金雷蜒王国の支配者ギィール神族によって建設される。
 知力によって民衆を従えてきた神族にとっても、純粋な学問の殿堂は好ましい存在であった。
 物心両面からの手厚い保護を与え、目覚ましい発展を遂げる。
 天下に並ぶもの無き「叡智の宝宮」と謳われた。

 現在は国立大学とされているが、その運営費の過半を東岸区からの寄付金によって賄う。
 タンガラム東岸区の住民にとって、誇りの象徴であった。

 

「タンガラムに住んでる時は、大学のことなんかまったく考えなかったわね……」

 ユミネイトは自動車の後席にマキアリイと並んで座りながら、ちいさく零す。
 運転はカドゥボクス社の若い社員、助手席には赤い毛並みのネコが鎮座する。

 マキアリイは尋ねた。

「でもおまえさん、ゥアムでは大学行ったんだろ」
「行きましたよ、最高学府ってとこ。なんで行けたのか今でも信じられないけど」
「おまえ、実は天才だったのか」
「そこがゥアム神族の魔法ってやつでね、全部「父」のおかげです」

 右隣の英雄の顔をぼんやり見る。
 帝国にあっては、タンガラムの有名人がほとんど知られていない。
 せいぜいが国家総統「ヴィヴァ=ワン・ラムダ」と、芸術監督「ボンガヌ・キレアルス」、
そして無敵の英雄「ヱメコフ・マキアリイ」か。

 実のところを言うと、ユミネイト本人「潜水艦事件」の折に知り合っていながら、マキアリイの顔に馴染んできたのはここ数年。
 報道される写真と映像、活劇映画からだ。

「まあ、とんでもない所でしたね。
 支配階級の子女専門の名門大学があるんだけど、わたしが行ったのはそこじゃない。
 一般庶民が奨学金もらって勉強する大学に、自費でね」

「なんでそうなる」
「「父」がそう望んだから。
 帝国全土から下層階級出身の天才児・大秀才がうじゃうじゃひしめいて、互いを蹴落とし権力の上層に食い込もうとする弱肉強食の世界よ」

「おまえ、お嬢様だろ。大丈夫だったのか?」
「おかげさまで、中くらいの成績で見事卒業できました。すべて「父」のおかげです。
 逆にね、クラスメートにすれば、「神族」ってのがどれだけとんでもないのかを日々見せつけられたんでしょうね。
 そのくらい卑怯な差が有るのよ」

「分からないな。まるでおまえさんじゃなく父親が大学行ったみたいに聞こえるぞ」
「それで正解」

 なんのことだ? と分からないままのマキアリイだ。

 

「大きな建物が見えてきた」

 助手席のネコが喋るのを、運転手びっくりしながらも後席に伝える。

「シンデロゲン大学にまもなく到着いたします」
「正確には、10分前から敷地内に入ってるんだけどね」

 軽く訂正するユミネイトだ。

 

        ***   

 時刻はもう夕方、9時(午後4時)になろうとする。
 未だ夏の日は高く最高に不快な暑さだが、さすがに大学の建物内はひんやりと涼しい。

 ユミネイトが訪問する人の名は、ウディト・ラクラフオン副教授31才、数学者だ。

「哲学部数学科? なのに物理学で?」
「あ〜あなたのそのセリフはぶん殴るに値するものなんだけど、素人だから許してあげる」

 マキアリイの名誉の為に釈明すると、彼は決して科学技術に疎い人間ではない。
 タンガラム一般社会においては、科学がそれだけ縁遠いという話だ。

「まあでも、哲学が不自然てことは無いのよ。
 シンドラ連合王国の「無窮宇宙論」とか、宗教の経典だけど現代物理学に似ている気もするわね」
「そういうものか」

 問題が一つ有る。
 本来であればユミネイトは目的の数学者に会う前に、大学堂長やら学部長やら師頭教授なんかの偉い人に挨拶せねばならない。
 なにせゥアム神族にして高名な物理学者「トゥガ=レイ=セト」の娘だから。

「娘でもか」
「物理関係だとそのくらいで済むんだけど、政治学社会学外国学部なんかの「神族」について理解のある人間なら、すっとんで足元にひれ伏すわね。
 「神族」の生きたサンプルがのこのこと出向いてくるのだから」
「極力手間を省いていこうぜ」
「異議は無いわ」

 ヱメコフ・マキアリイ、哲学部の事務局に堂々と進入。
 にわかの有名人の来訪に驚く事務員を前に、正面からウディト副教授への面会を申請する。
 対応に出てきた事務長に対して、こっそりと耳打ちする。

「もちろん刑事事件の捜査ではないのです。
 多少入り組んだ、数学的な知識が必要な厄介な案件に出食わしましてね。
 あちらの女性がその依頼人となるわけですが、ウディト氏と面識があるらしくご意見を伺おうと」
「な、なるほど。秘密を要するわけですね」
「お願いします。もちろんそちらにご迷惑をお掛けするつもりは毛頭ありません」

 こそこそ話しながら、事務員の女性が差し出してくる色紙に署名を何枚も書くマキアリイだ。
 戻ってきた彼に、ユミネイトはただ呆れる。

「英雄探偵の虚名って、そういう風に使うものなのね」
「知らなかったか? 映画ではよく出てくるぞ」
「知ってた」

 事務局の外で待っていたネコを連れて、数学科担当の事務員に案内してもらう。
 中年の彼も、正義無敗の英雄を前に若干興奮気味。

「哲学部の先生方は皆変人なのですが、とりわけ数学科の先生はおかしな人が多くて、ウディト副教授も典型的なヒトでして、」
「まあ浮世離れしているのは承知してます」

 ユミネイトの解説。

「ウディト・ラクラフオン氏は早くからその天才を認められて、20才で学部繰り上げ卒業の時にもう「講師(博士号取得に相当)」を任され、
 24才で一足飛びに「副教授」になった俊英よ。
 伝え聞くところでは、変人ぶりもむしろ穏やかな方ね。ゥアム学会の基準に比べたら」
「ゥアムの数学者ってそんなにひどいのか」
「一日中裸で黒板に数式書いたりしないでしょ、ウディト氏は」
「おう……。」

 

(タンガラム大学出世表;
 学部生→(卒業)→講座員(大学院に相当)→助手→講師(博士号取得相当)
 →教授輔→副教授→ (正)教授→大教授 →師頭教授(名誉教授に相当) )

 

        ***   

 シンデロゲン大学堂哲学部数学館は、比較的新しい建築物だ。

 創立当初の古い学舎は、かって東岸の住民が誇ったように、宮廷建築にして城塞であり防御力を持っている。
 「人食い教団」による奪還や焼き討ちを警戒した為だ。
 往時には千人の兵が書物を守っていたと伝わる。

 比べて数学館は500年ほど後の、「人食い教団」が既に滅び去った時代の建築。
 5階建てで、最初から学問の場として設計されている。
 瀟洒な印象で窓も広く明るく、夏は涼しく快適に過ごせるよう種々の工夫が施されている。

 この建物もまたひとつの芸術作品であるから、案内する数学科の職員も鼻が高い。
 世にも名高き国家英雄と、彼が伴う麗しき貴婦人を前に、説明にも熱が入る。

 しかし、

 館内に踏み入り、見事な人工石の階段に一歩足を掛けたヱメコフ・マキアリイ。
 不意に、いきなり全力で登り始める。続くは赤い毛並みのゥアム猫。
 何事か、と思う間も無く2階を越えてさらに上がる。

 館内はひっそりと静まり返り、何事か異変を感じさせるものは無い。
 それでもマキアリイは言い捨て、螺旋の空間に声を残していく。

「先に行く。嫌な予感がするんだ」
「ネコも」

 ユミネイトも案内の職員もあっけに取られる。
 だが、さすがにこれだけは言わずばなるまい。

「ウディト副教授の研究室は3階ですーーーー」

 返事は無く、ただ靴音が幾重にもこだまして終わらない。
 残された二人は顔を見合わせて、どうしたものか互いの出方を探る。

「……、とにかくわたし達も登りましょう」
「は、はい。下の階にもご覧頂きたい貴重な宝物や、数学界の偉人の記念碑などがあったのですが、」

 夏の日の夕方、屋外では未だ高い陽が真っ黒に影を縫い付け、
それでも数学館を吹き抜けていく涼やかな風。
 一歩ずつ登る石段の、

 ユミネイトは足元に、目に見えぬベットリと重いものを感じ始める。
 実体の有るものではない。だが、この確かな圧迫感はなんだ。
 心臓を見えない爪で掴まれ、握り潰されるかに息苦しい。

 振り返る。
 2階から3階に上がる踊り場で、大きく開いた明り取りの窓から、抜けるように青い空を見る。
 笑いがあった。

 笑う顔が、逆さの男性の顔が、歪んでいるのか。
 上半身はぴっちりと一部の隙も無く整えたゥアムの紳士服を纏い、ユミネイトを迎えに来たかに礼儀正しく、
 眼と眼が合う。瞬間、彼が何事かを伝えんとしたかに思えるが、

 この人が、ウディト・ラクラフオン副教授。
 写真を見たことがある。集合写真であったが、頭は丸くほとんど剃って頭頂部だけをひとまとめに結わえた。
 タンガラムにおける数学の新星、未来の希望、最も嘱望される天才が、

なぜ彼はそこに浮いている。逆さに、空中に。

 

 それは刹那の時間であった。
 気がつけば広い窓に切り取られた青い空が遠く鮮やかにただ広がり、何事も無く穏やかな、
あたかも永遠の平和を約束するような。
 案内の職員が一言だけ、

「今、だれかそこに。いや、     落ちた?」

 怒涛の靴音に、ユミネイトは階上を見上げる。
 マキアリイを先頭に、何人もの男達が階段を駆け下りてくる。
 誰かの叫びが耳を貫く。まるでユミネイトを糾弾するかに。

「自殺が、ウディトが飛び降りた!」

 

        ***   

 船宿に帰り着いたのは、もう11時半(午後9時)を回っていた。

 カドゥボクス社の自動車運転手付きで行ったのは大正解。
 巡邏軍当局の取り調べで二人は身動き取れなくなる。
 運転手の若い社員はシンデロゲン支社に連絡をとって様々に支援してくれた。

 一瞥するに事件は、奇矯な性格の人間が錯乱の末に高い建物から飛び降りた、単純な自殺であるのだ。

 しかし、そこに稀代の騒動屋であるヱメコフ・マキアリイが訪ねていく、となれば話は違う。
 ましてや、遠くゥアム帝国から本人の安否を確かめに最高支配層に属する貴婦人がわざわざ帰国した、ともなれば、
誰がどう考えても大事件と判断せざるを得ない。

 巡邏軍から火急の報告が上がって、シンデロゲン警察局は直ちに直接捜査を宣言。
 専任の法衛視が任命されて全面的に捜査指揮を開始する。

 

「参ったわね、あれは」

 ユミネイトが愚痴るのは、事件現場にゥアム帝国大使館員も多数駆けつけた点だ。
 事件が通報され、巡邏軍の初動小隊が到着するのと同時にだ。
 自分の身柄を巡って、大使館と巡邏軍が渡せ渡さぬの押し問答となる。
 場合によっては実力行使も忌避せず、という呆れた状態に。

 こういう時に、「天下の英雄ヱメコフ・マキアリイ」は抜群の信頼度を発揮する。

 ユミネイト本人から依頼された護衛役だとてきとーな嘘を高らかに叫び、
刑事探偵として彼女の権利が侵害されないように監視するとぶち上げた。
 ゥアム大使館もまずは事件捜査を優先の方針に賛同して、ユミネイトの事情聴取が行われる事となる。

 そこからがまた厄介。
 巡邏軍から警察局の捜査官に事情聴取の相手が代わり、なぜ「ウディト・ラクラフオン副教授」に会いに来たか、根掘り葉掘り尋ねられる。

 あいにくとタンガラム人には「待壇者」の威光は通じない。、
 「明晰なる父が文通によって得た僅かな情報から兆候を掴み、タンガラムの物理学者の危機を看破した」
という魔法で納得してくれなかった。
 なにか犯罪の証拠を掴んだのだろう、あるいは犯罪そのものに関与しているのではないかと遠慮なく追求する。
 まあ、ゥアムの最高学府で天才少年達に論争を挑まれた時に比べれば、よほどヌルいものであったが。

 更にもう一つ、厄介事が発生する。
 なにせあの「ヱメコフ・マキアリイ」だ。新聞報道雑誌記者、手ぐすね引いて待っている。

 巡邏軍の事件発表で英雄が東岸シンデロゲン市に出没していたとバレた途端に、取材攻勢の嵐。
 どうせ口の軽い巡邏軍の一兵卒がカネでも握らされたのであろう、
マキアリイがとんでもない美人の、それも異国人を伴っているとの情報が一気に駆け巡る。
 音声放送・伝視館放送に乗って即座に全国に伝えられた。

 シンデロゲン警察局の門前には記者のみならず野次馬までもが押し寄せ、屋台が出るほどの大活況を呈す。

 ちなみに事情聴取はシンデロゲン大学構内で行われたから、警察局には関係者誰も居なかったのである。

 

「こう言ってはなんだけど、マキアリイあなた、無茶苦茶よ」

 落ち着いた雰囲気の趣味の良い船宿にたどり着き、ようやくに安堵するユミネイト。
 傍らにはゥアム大使館が派遣した女性職員が、剣を帯びた護衛が、二等書記官までもが侍っており、いかにも仰々しい。
 本来奉仕するはずのメイド「ロウラ・シュス」は、もちろん主人に飛びついて心労をお慰めして、ご苦労を慮って涙を零すのである。

 二等書記官は、この船宿がいかにもみすぼらしく「銀骨のカバネ」「待壇者」にとってふさわしくない、とユミネイト本人に説いて移動を進言した。
 なんだったら大使館内にご滞在いただいてもよろしいのですと、心底熱を入れて説得しようとする。
 ユミネイトはマキアリイに振り返る。タンガラム語で助けを求めた。

「なんとかしてよお」
「だそうだよ」

 マキアリイが任せるのは、カドゥボクス化成工業シンデロゲン支社の営業課長ハニリシタ。
 この宿の優位性を、タンガラム芸術を理解しないコンコンチキに教え込んでやってくれ。

「私が、でしょうか」
「口八丁に関しては、営業課長に相当の心得が有ると思うのだが」
「もちろんでございます。お任せください」

 ハニリシタ俄然奮起して、異国の蛮族に喰って掛かる。
 どちらが文明人か、今ここで証明してくれる。

 

        ***   

 ようやくに自由になったユミネイトに、マキアリイは一人の女性を紹介した。

 年齢は、20代後半だろう。差し支えなければ30代と呼んだほうがたぶん正しい。
 でも本人はそれは許さない、ちょっと粘着しそうな風貌。
 趣味は良く、控えめながらも印象的な高級美装服にわずかばかりの装飾品。
 さりげなく高価な宝石をちらつかせて、懐具合を証明する。

 ユミネイト、だが彼女の印象を「地味だな」で片付けてしまった。

「こちらが、かの有名な”推理小説作家”のクリプファト・ッメイル女史だ。
 『神族探偵カンヅ嶺シキピオ』連作はタンガラムで大人気で知らぬ者が居ないほどだぞ」
「ええ存じ上げているわ。ゥアム帝国にも、今流行のタンガラム文学ということで知られているから」

 面倒臭い性格である、との情報をマキアリイから伝えられて、ユミネイトも用心深く対処する。
 特に「恋愛小説家」と呼ぶのは禁忌。
 本人は「記録文学」を標榜し、実際に起きた事件を描く立ち位置だ。
 『神族探偵』連作は、カンヅ氏の実在を証明しなかったので「推理小説」分類を甘んじて受けているが、
そろそろ世間に向けて訂正を要求するだろう。

 果たして、「恋愛小説家」はゥアム帝国でも上流支配層のそのまた上の特例階級に持ち上げられて、ご機嫌だ。

「クリプファト・ッメイルでございます。
 帝国においても稀なる『待壇者』であられるユミネイト・トゥガ=レイ=セト様とお会いする栄誉を頂きまして、わたくし感動に打ち震えております」
「あ、ああ。うん、そういうゥアム風の挨拶はいいですから」

 彼女はシンデロゲン外国語大学卒業で、ゥアム語もペラペラ。
 卒業後は通訳をしながら文学修行をしていたわけだが、通訳の相手も下っ端ではなく富裕層を担当していた。
 ゥアム風の礼儀に関してはいささかも不安が無い。

 ちなみにシンデロゲン外国語大学は、シンデロゲン大学堂とはまったくに別組織で、元は外国語学校から発展した市立大学。
 それでもなかなかに社会的評価が高い。

 

 なんとか自分達の部屋に戻れたマキアリイとユミネイトである。

 お供がぞろぞろ付いて来る。特にゥアム大使館員が鬱陶しい。
 協議の末、女性職員1名だけがユミネイトの傍に侍る事とした。
 剣をぶら下げた厳つい護衛が部屋の外と窓の外に立番するのは、許容しよう。

 遠く輝く市街の灯りが華やかに海面を彩る素敵な夜景が楽しめる。はずなのだが、
安全の為にびっちりと窓を閉ざされ、帳まで下ろしてしまう。夏なのに。
 せっかく海風が涼やかに吹いているのに、密閉した部屋の中扇風機を回して涼を取る。1台では足りない3台もだ。

 メイドのロウラ・シュスがゥアム語で喋って、女性職員に睨まれる。
 シュス、ちょっと落ち込んで黙ってしまう。

 マキアリイに、言葉の分かるクリプファト女史が教えてくれる。
 女史はマキアリイ達が出発したほぼ直後に船宿に到着した。
 シュスと会話して大いに同情し、善後策は任せなさいと安請け合いする。

「シュスはね、今想い人が何処に居るかを尋ねてみたの」
「おう。こちらから連絡しないと向こうからは無理だからな」
「でも、「銀骨のカバネ」と呼ばれるゥアム帝国でも支配階層のヒトを詮索するのは、一般人の許されるものではないのね。通常は」
「そういう仕来りなのか」

 マキアリイは納得したが、ユミネイトは違う。
 ロウラ・シュスの恋人であるノゥ’スヒト・ガン=ポ 22才の動向は、今後の予定を立てる上で必須の情報である。
 メイドを他人に委ねるからには、なんとしてでも恋人との連絡を繋いでおかねばならない。

「クロラアト、語りなさい」

 いきなり女性職員の名を呼び命令する。

 クロラアト嬢は24才で、ゥアム帝国でも辺境の港町の出身。
 外国語学校を優秀な成績で卒業して、在タンガラム大使館に雇われた。

 もちろん階層身分は大したものではなく、「待壇者」の命令に逆らえない。
 頭を垂れて語り始めるのは、大使館からは禁じられている情報だ。
 いっそ知らなければ良かったと思うが、致し方ない。

「なるほどね」

 ノゥ’スヒトは現在シンデロゲン市の高級旅宿館ハナト系列の『東月宝宮』に宿泊中。
 しかしガン=ポ家に連なる貿易会社の社員がぴったりと貼り付いて、彼の自由を制限する。
 元々がその会社の重役として赴任するはずなのだが、まるで子供扱いだと怒鳴りまくっているそうだ。

 ロウラ・シュスは必死に話を聞いていたが、とりあえず想い人が元気そうで安心だ。
 クロラアトはメイドの表情に、やはりまずかったと唇を噛み締める。
 身分違いの恋愛に関する道徳規範に、彼女もまた拘束される。良い味ではない。

 

         ***   

 それはそれとして。
 「恋愛小説家」ならぬ「記録文学者」クリプファト女史は、昼間の事件に立ち戻る。

「数学者の自殺ってあまりにも浮き世離れして理解に苦しむのだけど、ほんとうに殺人事件ではないのかしら」

 眼がぎらぎらと輝いている。彼女の思惑は大正解。
 ヱメコフ・マキアリイとつるんでいれば、小説のネタに困る事は無い。
 『神族探偵』次回作はぜったい大売れ間違いなしだ。

「わたしは、自殺の現場には間に合わなかったからなんとも言えないわ。
 マキアリイ、どうなの真相は」

 ユミネイトも尋ねる。
 生きているウディト・ラクラフオン副教授の姿を最後に見たのは自分である。
 だが、真実を見極めるにはまるで情報が欠けていた。

 マキアリイ、せっかく帰ってきたのだからまずは飯を食いたいのだが、ついでに酒などかっ喰らいたいのだが、
第一、巡邏軍・警察局の事情聴取で同じ話を何回も喋ってうんざりだ。
 それでも、真相を求める女達の瞳に抵抗できない。

「……、ウディト副教授の研究室は3階だが、飛び降りたのは5階だ。一番上の階だな。
 そこの図書事務室で、職員が5人、教員も2人居た中での発作的な実行だ。
 俺が到達するまで10分間も、窓の縁に足を掛けて飛ぶ飛ばないの押し問答をしていたそうだ」

「間に合わなかったの?」
「部屋に入るのが、もう2歩早ければ掴まえていた。悔いが残る結果となってしまったよ」

 

 その時、部屋にハニリシタが入ってくる。

 今回一番の功労者は彼であろう。
 マキアリイとユミネイトが巡邏軍警察局に拘束されている間も、運転手から連絡を受けて直ちに行動を起こし、
カドゥボクス社お抱えの法論士を通じて速やかな解放を実現させた。
 今もゥアム大使館員と交渉をして、とにかくこの船宿に泊まっている間は指図を受けないと取り決めた。
 立派な仕事である。

「お風呂の用意も整ったようでございます。よろしければどうぞお上がりください」
「ハニリシタさん、ありがとう。済まないね、シンデロゲン支社では盛大な歓迎会を準備していただろう」
「なんの。それは大変残念には思いますが、「ヱメコフ・マキアリイ」の事件でございますよ。
 英雄の伝説に直接に関わることが出来ると、皆大喜びです」

 ユミネイトも話を聞いて感心した。
 なるほど、生きる伝説と同時代に居れば、自分も事件に参加したいと思うものだな。

「それで、実際どうだったんです。なにか異変の兆候とか無かったんですか」

 熱心さに関してはクリプファト女史が一番だ。
 マキアリイ、捜査情報を軽々に漏らすわけにはいかず、さりとて喋らずに許してもらえそうにない。
 どこまでを語ろうか。

「俺というより、現場に居合わせた人の証言を接ぎ合わせたものになるんだがね……」

 

        ***   

 すべての数学者が奇矯であるとは限らない。
 だがウディト・ラクラフオン氏は幼少の頃より才能を見出され、むしろ変人であることを周囲から求められた。

 彼が自ら演じたのは、”半分”である。
 何事も半分だけ実現し、残りはまた別のもので補っている。
 だから服装も、上半身はゥアム帝国から取り寄せた凛々しい紳士の出で立ち。下半身はむしろ緩やかなシンドラ風とちぐはぐだ。

 理由は簡単、「一つじゃ足りない」
 半分だけ実現すれば残りは自ずから整うもの。だったらもう一つを求めるべき、と合理的だ。

 だから数学者でありながらも物理学に足を突っ込み、どちらでも目覚ましい成果を挙げている。
 ただ「自ずから整う」半分を本人は明らかにしないから、読み取る人間にも才能が必要となる。
 彼の仕事は難解だ。

 

 その日、彼は3日ぶりに自らの研究室に姿を見せた。
 独身であるから大学の定められた宿舎を用いており、身の回りの世話も業者が済ませてくれる。

 3日ぶりというのは特に珍しいものではない。
 自室で数学的疑問を抱いてちょっと考え、ある程度のケリが着いたら3日経っていた。その程度の話だ。
 他の教授や研究者も似たようなもので、
いや名門シンデロゲン大学堂であるからこそ、変人ばかりを集めていた。

 ただその日は、見るからにおかしかったようだ。

 彼は常にきっちりと”半分”だ。正確に塗り分けている。
 まるで鏡の向こうの世界のように、決して冒すことの無い等分。けじめこそが本質であった。
 そのけじめが崩れている。彼の精神が常態でないと、誰もが気付く。

 彼は3階自分の研究室で溜まった手紙をごっそりゴミ箱に放り込むと、これ自体はいつもの習慣であるが、
5階図書準備室にふらふらと登っていく。 

 準備室の職員が用を尋ねても、返答しない。
 部屋に入るのか入らないのか、はっきりと意思を示さない。
 近づいてボソボソと喋る声を聞くと、「二が一に合する時、それを見るまた一がある」などと呟いている。
 これは手に負えないと、職員は数学科の主任教授の元に走った。

 主任教授は一目で異変を見抜く。
 才能ある変人が常識の枠を踏み越えて病態にまで至るのはママある。
 迷わず拘束して然るべき医療措置を行うべきと判断した。

 しかしウディト氏は、見かけによらぬ結構な筋力の持ち主だ。
 止める男性職員を引きずって椅子に這い登り、高い窓を大きく開いて縁に足を掛ける。
 これもまた”半分”の威力。
 「足だけでなく、手でも歩けば運動不足解消ではないか」、合理性の勝利だ。

 騒ぎを聞きつけ、彼と仲の良い教授もやって来て、説得に及ぶ。
 3人の数学者がこの時交わした問答の、片言隻句すら職員は分からなかったそうだ。

 飛び降りた後に教授達に確かめたところでは、彼は自分が死ぬ事に関しては、ほぼ考慮していなかったらしい。
 むしろ一種の思考実験としての、時間と空間のなんたらがどうたらで、
 ……、残念ながら英雄探偵の脳が理解を停止した。

 とにかく彼は虚空に踏み出し、
二足違いでヱメコフ・マキアリイとネコが図書準備室に飛び込み、電光の速さで窓辺に駆け寄ったが、
既に手が届く距離では無かったわけだ。

 

 

 ふう、と息を吐くのは、ゥアム大使館職員のクロラアト。
 タンガラム語の分からないロウラ・シュスには、まったく伝わっていない。

 考えてみれば自分がタンガラム行きを選択したのも、給金が倍は魅力であったが、
その頃ゥアム帝国で爆発的流行を見せていた『英雄探偵マキアリイ』映画の影響を受けて、でもあった。
 なにせ「侠百人撲り」事件である。
 活劇映画と実際の事件の映像と、同時に映画館で見せられれば、全身の血の気が沸騰する。

 今更ながらにして、自分が憧れの英雄の前に居る、と気がついた。

 ユミネイトは、しかし今聞いただけの話では自殺以上の結論を導き出せない。

「マキアリイ、他になにか手がかりになるような、いや違うわね、犯罪に結びつくようなものは無いの?」
「強いて言うならば、落ちていく副教授が呟いていた言葉かな。
 でもゥアム語だから、俺には聞き取れなかった」

「それ! そういうのが必要なのよ。読者に深い陰謀を示唆する隠された手がかりが、」
「すみませんがクリプファトさん。物語の話ではなくて、巡邏軍警察局が扱う現実の事件ですから」
「でもあからさまに怪しいのでしょ。
 警察局だって巡邏軍だって、絶対怪しいと思っているに違いないわ。
 あなただってそうでしょ」

 さすがに「恋愛小説家」にして「推理小説家」だ。
 物事の本質を真正面から遠慮なく突き破りやがった。

 事件というものは、大事件というものは、何が起きたかよりも誰が関与したかの方が重要だ。
 天下の英雄マキアリイと「潜水艦事件」のユミネイトが雁首並べて、それだけで十分大事件だ。
 世間様はそこに華々しい恐怖を見出し、浪漫あふれる陰謀を期待する。

 だが女史の問いは誘導尋問だ。
 ユミネイトは可哀想になって、助け舟を出す。

「マキアリイ、で。
 ウディト氏はなんて口走ったの」

「お、おう。これは最後まで止めようとした人も同じものを聞いて、二人で突き合わせてみたんだが、
 ”ハンプダンプ・フォロオォロ”、だったぞ。
 なんて意味だ」

 女達は一斉に反応した。分からなかったのは男だけだ。
 その言葉はたぶん、

 

        ***   

「”ハンプディダムプティ高い塀に座った” だと思うわ」
「なんだそれ」

 ユミネイトはメイドに一言命じた。
 シュスは立ち上がり、歌い始める。
 ゥアム語で意味は分からないが簡単な言葉で、童謡に聞こえる。

 続けて、クリプファト女史がタンガラム語で歌う。翻訳版が有るらしい。

「 ハンプディとダムプティ高い塀に座った
  ダムプティ滑って地面に落ちた
  ハンプディ嗤ってダムプティを諭す
  「愚かな弟よ なぜ先に亀を落とさない」
  賢い兄は亀を投げた
  はずみで滑ってハンプディ落ちた♪

 『双子の目玉に捧げる弔詞』 ゥアム人なら誰でも知っている童謡よ。
 シュスが歌ったのは帝国公用語のアドローマ州国の言葉。
 たぶんウディト副教授のと同じはずよ」

「めんどくさいな。どういう意味だ」

 しかし、さしもの恋愛小説家にも説明できない。
 生粋のゥアム人であるロウラ・シュスに尋ねても、首を「ナイン」に振るばかり。

「さあ? だって」
「意味も分からない唄を歌ってたのか」

 やむなくユミネイトが解説する。

「子供を煙に巻く唄だからいいんだけどね。元の詞から替えられているのよ。
 元は単純に塀から落ちたハンプディダムプティの話だったんだけど、
 とある小説内で引用された際に、皮肉めいたセリフを加えて、これが人口に膾炙しちゃったのね」
「落ちた二人はどうなった」
「目玉焼きが二つ出来た。ハンプディダムプティて卵なのよ」

 ああ、とマキアリイも納得。童謡だからな。

「で。亀ってなんのことだ」
「”アキレフスと亀”、という詭弁術をご存じない?」
「なんだそりゃ」

 女史はもちろん知っている。マキアリイに説明しようとするのを、ユミネイト止める。

「つまりね、アキレフスという古代の英雄が居て、とても足が早いのね」
「うん」
「その人が、亀を追いかけるのよ。百倍早いアキレフスが、しかし絶対亀には追いつけない」
「人間て、亀の千倍早くないか?」
「いいのよ千が万倍でも、とにかくダメなのよ」
「なぜ」
「そこが詭弁術」
「え〜?」

 とても不満そうなマキアリイに、ユミネイトもそれが正しい反応だよなと感想を持ってしまう。

 タンガラムでは、屁理屈でヒトをたぶらかす者にはカニ神殿の使いが訪れる。
 だから詭弁術が発達しなかった。
 これが現代の科学において、ゥアムとタンガラムの決定的な違いとなっているのだが、

「とにかく、ハンプディが言いたいのは、
 亀が先に落ちている間は、自分が落ちても絶対に亀に追いつくことはなく、故に自分が地面に激突することはあり得ない」
「何故そうなる?」
「だからさ、変な理屈に物理学者数学者が惹きつけられるのね。
 物理学の論文に多数引用されて、また思考実験の一典型ともなっている。
 ウディトが死ぬ間際に口ずさむのも、不自然ではないわ」

「遺言、なのか。」
「そこは分からない。刑事探偵の出番じゃないの」

 考えれば考えるほど、何がなんだか分からない。
 ヱメコフ・マキアリイは、ひょっとしたら自分はバカなのではないか、と危惧し始めた。

 

        ***   

「腹が減った……」

 脳を酷使したマキアリイの台詞に、ユミネイトも同感だ。
 置時計に振り向けば、まもなく日付が変わる。
 巡邏軍の取り調べで遅くまで留め置かれて、まだ夕食を食べていなかった。

 ハニリシタが提案する。

「では、宿に頼んで夜食を用意してもらいましょう」
「済まないね、頼むよ」
「わたしは軽くでいいわ」
「心得ております」

 話が一旦終わったと見て、クロラアトは退室した。
 今聞いた話に基づき、上司の判断を仰ぐのだ。
 なにせ「銀骨のカバネ」にして「待壇者」であるユミネイトの行動を、大使館は止められない。
 単なる自殺ではなく殺人も視野に入れて、となると警備陣の大幅増強が必要だ。

 主人が寛ぐ姿を見せたので、メイドは御奉仕を開始する。
 彼女をどう処するべきか。邪魔者が居ない間に策を練らねば。
 マキアリイはユミネイトに問う。

「どうする。彼女は明日引き取ってもらうか」
「うーん、姿を晦ますのであれば夜の方が好都合だけど、」
「クリプファトさん、どうです。いけますか」

 小説家女史は自身が所有する緑色の自動車で船宿に来ている。
 ロウラ・シュスを連れて帰るのは造作もない。

「それが最善と思われるのでしたら、夜の内に参りましょう」
「そうね。明日はまた忙しく動かなくちゃいけない。余計な心配は今日終えてしまいましょう」

 メイドは主人から指図されると激しく拒否反応を示すが、それでも諭されてうなだれる。
 水上飛行機が二人乗りでお供できない、というのが効いたらしい。
 それでも主人の食事が終わるまで、と御奉仕を続ける。

 

 船宿の料理人は時間外であっても渾身の努力をしたようだ。
 一抱えもある円卓にいっぱいのご馳走がマキアリイの為に運ばれてきた。無論ゲルタなど臭いすら無い。
 自称「夜の英雄」であるから、東岸自慢の銘酒も付いて来る。

 ユミネイトの方は、シンデロゲン港の近海で取れる旬の魚を三枚に卸して軽く炙り、薬味香草などを和えたさっぱりとした一品。
 タンガラムの主食であるトナクを炊いた飯と、さらにゥアム帝国で主食とされるトウキビの粉の平たい焼き餅も添えられている。
 汁物はタンガラム風に味噌仕立て。焼き餅用にゥアムの辛茄子のペーストも。

 ユミネイトはメイドを呼んで一緒にトウキビの餅を食べた。
 その姿を見るクリプファト女史は、豪快に平らげていくマキアリイに酒のお酌をしながら語り掛ける。

「ユミネイトさんは、たぶん帝国においては相当の異端児ですわね。
 使用人を相手にここまで親しく目線も下げて付き合うゥアム人を、わたくしはこれまで見たことありません」
「タンガラムに居た時から隔離されて、友達も居ない生活だったらしいからな。
 ほんとうはこんな風にやりたかった、てのを今実践してるんだ」

 

 食事を終えた後、ロウラ・シュスは変装して船宿を出ていく。
 クリプファト女史の自動車と、ハニリシタが乗ってきた自動車と2台同時に宿を発って、監視の眼を誤魔化す算段だ。
 服装も目立つメイド姿から、タンガラムの若い女性らしい服に着替える。

「先程聞いたとおりに、ノゥ’スヒトが軟禁状態から抜け出すのに数日は必要ね。
 クリプファトさんに頼んでこちらでも手助けを出すわ。
 でもその前に、貴女が捕まって帝国に送り返されたらダメ。
 よく指示に従って、それでも最後は自分が決断して、うまく立ち回りなさい」

 涙で別れを惜しむ、いやそのまま留まりたいシュスだが、主人自らに車に押し込まれた。

「最後は必ず、自分の力よ」
「はい、御方さま……」

 闇の中発進する2台の乗用車。
 既に周辺の街は寝静まり、しばらく聞き耳を立てていたが、追跡の車両は無いと思われる。

 ようやくに踵を返すユミネイトに、マキアリイは注意を促す。

「気づいているか。宿の周辺に監視する者が複数居る事を」
「ええ。でも、あなたの方にも居るんでしょ」
「ああ、ゥアム大使館が密かに配置する護衛と、タンガラムの政府工作員と。ご苦労さんだな」
「温かいお茶でもご馳走したいところだけど、あちらも職務だから断るわね」

 

 こうして、ユミネイト・トゥガ=レイ=セトの帰国第1日目は終わった。
 あまりにも慌ただし過ぎて感慨に耽る暇さえない。
 「母国って、こんなものだったかな」と訝しむが、南岸イローエント市で亡き母と共に過ごした少女の日々が、どうしても思い出せない。

 そして気づく。
 記憶が違っているのではない。とっくの昔に、自分が変わり果ててしまった事を。

 

        *** 

 (第二十三話)『危うしニセ病院』その1

 

(第二十二話)その2「不確定性の猫」

 翌早朝、未だ陽の姿も見ぬ朝靄の中、
ヱメコフ・マキアリイとユミネイ・トゥガ=レイ=セトは船宿を発った。
 明るくなったらゥアム大使館が妨害してくるだろうから、先手を打って飛び立つのだ。

 いかに伝統ある富裕層相手の船宿であっても、水上飛行機は扱いかねる。
 カドゥボクス社の敏腕営業課長ハニリシタは、腕利きの整備士を用意してくれていた。

「済まないなあ、まだ寝てる時間に働かせて」
「なんの。マキアリイさんのお頼みとあれば喜んでお手伝いいたしますよ」

 初老の整備士は徒弟2人を連れて、薄桃色の水上飛行機を世話してくれている。
 ヒィキタイタンの妹が知り合いから調達してくれたもので、旅客用の大型。
 乗員2名を乗せて、さらに荷物も30石(約100キログラム)を積載出来る。
 なんだったら3人乗ってもいいくらいだ。

「ところでユミネイト、こいつはどうするよ」
「そうねえー」

 ネコである。
 ゥアム帝国から連れてきた赤毛ヒョウ柄の無尾猫を、空の旅に連れて行くべきか。

「ネコ、あなた空飛んでもだいじょうぶ?」
「ネコは空飛んだことないから分からない」
「そうよね、それはそうよね」
「でも付いていく。見たい」

 わざわざ帝国からお供をするくらいだ。
 ユミネイトの旅が冒険に満ちたものと期待しての随行である。
 見逃すはずも無い。

 ユミネイトの大荷物は大半を置いていく。おおむね服だ。
 ただゥアム上流階級として、最低限は携えて行かねばならない。化粧道具だって必要だ。
 ちなみに彼女用の飛行服はちゃんと用意がされている。
 さすがはヒィキタイタンの気配り。

 

 残る問題は。

「御方様、どうしても我らの勧めをお聞き入れ下さいませぬか」
「うん、ダメね」

 ゥアム大使館の護衛の剣士と、タンガラム側との調整で残っていたクロラアト嬢。
 必死になって翻意を促すが、「銀骨のカバネ」「待壇者」であるユミネイトの意向を妨げる権限を持たない。
 ひたすら恐懼し懇願する以外に手が無かった。
 二等書記官が到着するのを待つばかりだが、来たところでどうしようもない。

「ならばせめて行き先だけでもお聞かせください」

 クロラアトは最低限の務めを果たそうとする。
 行き先の現地に連絡を入れて迎えを出すしか、もう、

「そうね。東岸中部のアグ・アヴァ市「聖王室芸術院大学」に顔を出すわ」
「ありがとうございます」 

 

 船宿の主人と女将からマキアリイは立派な弁当箱を受け取り、
ネコを荷物室に突っ込み、飛行服のユミネイトが後席に乗るのを助け、
自らもさっそうと操縦席に乗り込んだ。

 見送る宿屋の従業員、ゥアム大使館員、そしてカドゥボクス社の若き運転手。

 整備員がもやいを解いて船着き場から飛行機を押し出し、マキアリイはおもむろに発動機に火を入れた。
 電動で強力に駆動された内燃機関が、ぼすと太く排気を吐き出し、一発始動。
 さすがに高級機だ。発動機の品質が桁違いに上等。

 推進翼(プロペラ)の風切る音が静かな船着き場周辺を驚かせ、家々から住人が顔を出す。

 飛行帽風防眼鏡を掛けたマキアリイが軽く手を挙げ会釈し、
水上飛行機は静々と水面を発進する。
 開けた海上で出力を上げ、滑らかにごく自然に空中に舞い上がる。
 東に向けて飛び去って行った。

 整備員のまだ若い徒弟が思わず叫ぶ。

「ちしょー、やっぱりマキアリイてカッコいいな」
「お前ら、今見たこと新聞社なんかに売るんじゃねえぞ」

 

        ***   

 今回の目的地はアグ・アヴァ市。
 「東金雷蜒王国」王城の玄関にあたる、格式の高い街である。

 「東金雷蜒王国」は、東岸を南北に長い国土を持つが、
わすか数里(キロ)の海上に、衝立のように細く伸びた島が浮かんでいる。
 「ギジシップ島」だ。

 島は全体が王城とされ、金雷蜒神聖王の直轄領にして不入の地となっていた。
 城門は一つのみ。
 正対するアグ・アヴァは門前都市としてギィール神族が多数住み、大いに栄えた。

 現在「ギジシップ島」は立ち入りが制限された国立公園となっている。
 極めて特異な動植物が島内に現存して、他の地域の生物と混じり合っていない。
 タンガラム特有の貴重な生態系がそのままに保存されていた。

 

 操縦席からマキアリイが尋ねる。
 前席と後席の間には伝声管が設けられ、風に邪魔されず明瞭に会話できる。
 実は荷物室にまで伝声管は伸びていた。最初から人間乗せる設計じゃないか。

「芸術院大学だろ。美術とか音楽とか舞踏の。なんで、」
「たしかに「聖王室芸術院大学」は、タンガラム芸術の最高育成機関なんだけど、
 実は「純粋科学」てのも、芸術の扱いを受けてるの」

 純粋科学とは応用をまったく考えずに世界の仕組み成り立ちを考察する学問だ。
 役に立つ科学技術はギィール神族が掌握し、実際に用いて文明社会を築き上げた。
 その彼らが、単なる娯楽趣味として発達させたのが「純粋科学」である。
 数学物理学はその典型。
 手の届かぬ天上の世界の法則は、実用などまったくに考え及ばぬ領域だ。

 しかし月日は流れて、科学技術文明が隆盛を遂げた今日、
役に立たないはずの学問がカネを生み出し始めた。

「シンデロゲン大学堂とは成り立ちが違うのよ。
 芸術院大学の科学研究は、文化が違う。視点が違う。
 その違いが良いわけね」
「それで、次に会う奴はやっぱり天才か」

 誰も見ていないが、ユミネイトは首をナインに振る。そこまでの人材では無いのだが。

「父が書簡の記述から分析した結果、一番危ない兆候があると予測する人よ。
 クンティン・アノーラ 27才。まだ講師だけど見どころは有るわ。
 放射線測定の専門家で、今は高エネルギー宇宙線の観測をしている」
「え、えねら?」
「タンガラムの用語では「力益」だったわね。宇宙から強い放射線が飛んでくるのよ」
「何個くらい?」
「いや、毎日あなたの身体をざくざくと貫いてるわよ」

 しばらく操縦席は沈黙した。

「……俺、死ぬ?」
「最終的には。まだ宇宙線の生物への影響はよく分かってないけど」
「どうしたらいい?」
「透過線(X線)撮影を1回受ける方がよほど身体に悪いから、心配しなくていいわ」
「おう……」

 

        ***   

 空の上から見ればよく分かる。

 「ギジシップ島」と「アグ・アヴァ市」とは3里(キロ)ほどの海峡で隔てられている。
 王城島の正門には門番となる官僚が住む街が築かれているが、これが芸術品の塊。
 どこを取っても安っぽい建築が無い。

 一方「アグ・アヴァ市」は、これまた鉱物の結晶のような複雑にして規則的な統制の取れた建築の集合体。
 千年を軽く越える期間、ギィール神族の芸術的才能が集中された結果だ。
 比べると、シンデロゲン市がごく近年に整備された歴史の浅い街だと納得させられる。

 

「ユミネイト、外が見えない。見せてくれ」

 荷物室のネコが座席の下から突付く。
 離水当初はふわふわする感覚に戸惑ったが、元々平衡感覚の優れた生き物だ。
 簡単に適応して好奇心の方が勝ってくる。

「荷物室にも小さなガラス窓有るでしょ」
「曇ってよくみえない」

 本来は荷物を外から確認する窓であるが、人間も乗れるとすればそのように設計されたと考えるべき。
 案外とこの機体は密入国などで使う気か。

 

 マキアリイは航空管制と連絡を取って着水の許可を得る。
 シンデロゲン市にはあった軍港が、ここには無い。珍しい民間航空管制だ。

 発着場にはやはりゥアム公館から外交官が迎えに来ていた。
 アグ・アヴァ市はギィール神族の本拠地。多数居住して、シンデロゲン市よりも格式が高い。
 出迎えも、なんと「銀骨のカバネ」出身者だ。

「お目にかかれて光栄です。ユミネイ・トゥガ=レイ=セト様。
 まさか「待壇者」の御方がタンガラムにいらっしゃるとは思いもよりませんでした」

 ユミネイトは、飛行服のままで挨拶する。
 本来であれば「銀骨」同士まっとうに対面するはずだが、ここはタンガラム。
 硬いこと抜きでいこう。

 飛行機の荷物室からネコを引っ張り出し、弁当箱を取り出したマキアリイは、
機体をカドゥボクス社からの迎えに預ける。
 タンガラム方台全土、どこに行ってもカドゥボクス社の製品を使っていない所は無い。
 支社・出張所もしっかりと製品供給網を確立していた。

 今夜の宿の手配も頼む。
 本来であればシンデロゲン市にもうしばらく居られたはずだった。
 まったく、自殺事件なんか起きなければ。

 ユミネイトがこちらにやって来る。
 歩きながら飛行服の胸を開け、風を入れた。
 空の上なら良いが、地上で真夏にこの格好はさすがに暑い。

「わたしにも1個ちょうだい」

 マキアリイとネコは弁当開いて食べていた。
 船宿の料理人が丹精込めて作ってくれたものだ。そこらの高級店にもヒケを取らない。
 今からどこかに案内されて、また随分待たされるのは勘弁。

 小魚と昆布をショウ油で炊いた甘辛い具をコメの粒で包み、山菜香草を少量あしらって板海苔で包んだ「飯餅」を渡す。
 東岸地区は温暖湿潤の気候であるから、シンドラ方台から持ち込まれた「コメ」の栽培が盛ん。
 タンガラムで消費される7割までが生産されていた。

 ユミネイトの感想は。

「……なんで「ヤヤチャ」様は、ゥアムでショウ油作らなかったのかしらね」

「昆布も海苔もコメだって、救世主「ヤヤチャ」の恩恵だな。そう言えば」
「ゥアムの伝説では、ヤヤチャ様こと「ヤスチャハーリー」は、現地の香辛料に大満足されてあまり料理に口出ししなかったらしいわ。
 辛いもの大好きだったのね」
「そうか。辛茄子辛いからな」

 

(注;「飯餅」は「おにぎらず」である)

        ***   

 聖王室芸術院大学に車で乗り付けたマキアリイとユミネイト、とネコ。
 まともな正装に着替えている。
 芸術院大学は訪問者にも服装規定があった。

 マキアリイは、ああ、と声を上げる。

「俺、ここ来たことあるぞ」

 今を去ること9年前。
 「潜水艦事件」の英雄として軍の広報に全国引っ張り回されていた「ヒィキタイタンとマキアリイ」だ。

「この大学はな、武術も身体芸術として教えていて、英才教育を受ける連中がいっぱい居たんだ」
「あなた、戦ったの?」
「おう。技に関しては俺もびっくりする華麗で繊細で素晴らしい、天才的な連中だがな、
 実戦となると力で叩きのめすのが通じたからな」
「おとなげない」

 

 前回の経験を鑑み、芸術院大学にはあらかじめユミネイトの訪問を申請しておいた。
 純粋科学部の事務局を訪ねて照会すると、係員が飛んで来る。
 なぜか血相を変えていた。

「ユミネイ・トゥガ=レイ=セト様、それにヱメコフ・マキアリイ様、ようこそお出でになりました。
 お二人の御力を今すぐお借りしたいのです。
 クンティン・アノーラ氏が、命が!」

 現場に案内された二人と1匹。
 既に巡邏軍の初動小隊が到着して、大きな土饅頭を囲んでいる。
 にわかに現れた国家英雄に、小隊長小剣令はぎょっとした。

「ゑ、ヱメコフ・マキアリイ。なんでこんな所に、」
「あ、申し訳ありませんが今回は刑事探偵の業務ではありません。
 初動捜査の邪魔をするわけではないとご了承ください」
「お、うん。それでどのような事情でこちらに」

 ユミネイトを紹介する。
 ゥアム帝国から来たがタンガラム国籍を有し、物理学者の父を持つ、と説明。
 帝国支配階級に属し、しかも「潜水艦事件」の関係者とは言わずにおいた。
 が、まあ伝説のヒロインを知らない者は居ない。

 ユミネイト、

「それで、クンティン氏は現在どのような状況で」

 小隊長、眼の前の土饅頭を示す。

「彼は、詳細はまだよく分からないのだが、
 防空壕の中に閉じ込められているようなのだ」

 

        ***   

 防空壕。つまり空中からの攻撃に備えた避難施設である。
 ではタンガラムはどのような空中脅威に襲われたのか。

 今を去ること7、80年前。世界は「気球爆撃」の恐怖に包まれていた。

 小型軽量すぐ動く「魚油蒸気機関」が開発され、大型気球に搭載された。
 やがて旅客も乗せる「飛行船」へと進化し、風に逆らって自由に飛び回る事が可能となる。
 人類は遂に大空をも征服したのだ。

 当然に軍事利用も考えられる。
 誰も手を出せない高空から要塞や都市に爆弾を落とし、すべてを灰燼に帰す。
 飛行船艦隊による大規模爆撃が、絶滅戦争を人類にもたらすのだ。

 特に「タンガラム民衆協和国」は、「ゥアム帝国」の侵攻を受けた記憶がまだ新しい。
 金持ちは自宅の庭に穴を掘って、家人や財産を隠す。
 やがては恒久施設としての「防空壕」が各所に築かれた。

 その後、対空砲が開発され、内燃機関の性能が向上して飛行機が進歩し飛行船を駆逐。
 「気球爆撃」の脅威は人々から忘れられた。
 大型飛行機による都市爆撃は、むしろ現実味を増して存在するのだが。

 

「この防空壕も70年前に築かれたもので、
 大学の一流芸術家の命と優れた美術品、貴重な書籍を守る為に特に大きく作られています」

 大学の施設科事務員が説明する。

 直径は30歩(21メートル)、高さは5杖(350センチ)の平たい半球形。
 内部は分厚い混凝石の構造物で、土を盛って丸くする。
 周囲にも土を盛って芝生を植え、全体なだらかな丘のように見せ、空中からの目を誤魔化している。
 入り口は1箇所、分厚い鉄扉を閉ざす。もちろん窓は無い。
 空気穴はいくつも有るが、爆風が吹き込まないよう曲がりくねって、内部を確認出来ない。

 マキアリイ、思わず感心した。

「立派なものですねえ」
「地下3階まであり、百人が1ヶ月住む事も想定していたそうです」

 ユミネイトは、

「クンティン氏は何故この中に入ったの。」
「現在は防空壕ではなく、宇宙線観測所として使われておりまして、」
「ああ、そう」

 ユミネイトは納得したが、マキアリイは分からない。
 何故宇宙から飛んでくるものを地中で調べるのか。

「言ったでしょ、高エネルギーの強い宇宙線を観測するって。
 その為には弱い放射線の影響を排除しなくちゃいけないの。
 厚い土盛りを貫通してくるものだけを対象とするわけね」
「おお!」

「中には観測機器が多数設置されており、クンティンさんは毎日籠もっていましたが、
 外から鍵を掛けられたと、物理科教員事務室に電話をしてきたのです」
「なんで開けないんだ?」

 これには巡邏軍小隊長が答える。
 彼も実は、宇宙線の観測って何? と思っていたのだが、今理解した。

「実は中のクンティン氏から、扉を開けると毒ガスの瓶が破裂する仕掛けになっていると、説明を受けたのだ」

 

        ***   

 純粋科学部物理科教員事務室控え室。
 防空壕のクンティン・アノーラ氏からの電話が掛かってくるのは、ここだけだ。
 大学構内直通電話で、外部とは通話出来ない。

 控え室には心配する物理科の教授や研究者が多数集まっていた。
 にわかに現れた国家英雄に驚きを隠さなかったが、それ以上にユミネイ・トゥガ=レイ=セトに反応した。
 父親の「トゥガ=レイ=セト」は世界的に高名な物理学者である。
 こう言ってはなんだが、防空壕の事なんて皆忘れてしまった。

 ユミネイト、さすがに眉尻を持ち上げ怒りを見せる。

「で?」
「あ、ああ。うむ、はい。そうですね、それどころではなかった」

 クンティン氏を指導するのは、アジキダシ正教授。彼の講座に所属する。
 ユミネイトは、物理科主任教授と彼以外の研究者を部屋から追い出した。
 とにかく人の命が懸かっているのだ。

 机の上に防空壕の設計図を広げて、状況を確認する。
 施設科事務員が説明した。

「観測室は最上層階のつまり地面の上の丸い土盛りの下に設けられています。
 入口は1ヶ所のみですが、少し掘れば他の扉を開くようにも出来ます。
 入口の鉄扉は爆弾の直撃を受けても大丈夫な、極めて頑丈で厚いものですが、錠自体は簡単です」
「金庫では無いのですね」
「はい。貴重な美術品等の保管は、現在は行われていません。
 防空壕としても、中に非常食等の備蓄は今は無く、食料飲料を持ち込まねばそこまで長い滞在は出来ません」

 つまりは、ほんとうにただの観測所として使われているのだ。

「密室、ですね」
「しかも、扉を開けるのに連動して電気仕掛けで爆破装置が働き、青酸ガスが入った瓶が破裂する。
 クンティン君が電話で伝えてきたのはそういうものです。
 まるで、」
「そうね、これはまるで、」

 ユミネイトと教授達は異口同音に指摘する。
 まるで『ヒエロニュムスの猫』だ。

 

 なんですかそれ、とマキアリイが尋ねる前に、電話の呼び出し鈴が鳴った。
 現在この回線には他からの通話は受け付けない。
 掛けてくるのは防空壕内のクンティンのみだ。

 彼が所属のアジキダシ教授が出る。
 当然に脇には巡邏軍の兵曹が聞き耳を立て、通話内容を記録する。
 小隊長は防空壕の扉前で不測の事態に備えていた。

「クンティン君か、無事か?」
”教授、教授まだですか助けは”
「巡邏軍の捜査隊が到着して、扉の前で待機している。
それで、起爆装置はどうなのだ。詳細を教えてくれ」
”わかりません、見えないんです。照明が全部落ちて真っ暗で”
「なに、何も見えないのか」

 マキアリイ、何の権限も無くこの場に居るが、矛盾にまず気付く。
 真っ暗闇でなにも見えないのに、どうして電話が掛けられるのか?

 こっそリ尋ねた主任教授も確かに変だと感じ、アジキダシに耳打ちする。

「クンティン君、暗闇なのに電話は分かるのか」
”何も見えません。でも電話の作動灯だけが赤く光って、これだけは分かります”
「他に光は無いのか」
”観測機器のいくつかは作動状態を示す灯が光っていますが、弱くて周囲を見るほどには”

 次に誰もが思う疑問は事前に打ち合わせ済みだ。
 巡邏兵曹がアジキダシを促した。

「それで、君は扉を開けると青酸ガスが出ると、どうやって知ったのだ」
”私は、観測機器の計測数値を記録していた最中にいつの間にか眠ってしまい、眼を覚ました時は部屋が真っ暗で、でも声を聞いたのです”
「誰の声だね」
”声色を使っていたみたいで分かりません。でも、たしかに、
 「『ヒエロニュムスの猫』を知っているだろう。君はネコだ」 と聞いたんです。間違いありません”

「毒ガスを仕掛けている、そうはっきりとは言ってないのだな?」
”いえ、なにかこれまで観測室に無かった機械音があるんです。コワい、この機械に触るのは怖い”

「落ち着き給え。今巡邏軍が的確に対処する。
 君はなにもせずに、そのまま電話が分かる位置に座って待機しているんだ」

 

        ***   

 連絡を受けて、巡邏小隊長も控え室に来る。
 通話内容を知らされて、改めて救出手段を検討する。
 もちろんマキアリイは蚊帳の外だ。

「まずは教えてください。その『ヒエロニュムスの猫』とは何なのですか」
「ああ、話せば長い事になるのだが、モノ自体は簡単でな」

 チャキチャキと物事を進めたいユミネイトが説明を買って出る。
 彼女は何故か関係者となってしまっていた。

 芸術院大学の教授達も、既にシンデロゲン大学堂のウディト・ラクラフオン副教授の自殺を知る。
 その件でユミネイトが訪ねてきた相手のクンティン・アノーラが、この有様だ。
 何らかの犯罪が進行中と見做すべきであろう。
 いや、クンティンが自殺ではなく殺害されるのであれば、ウディト副教授の自殺ももしや。

「『ヒエロニュムスの猫』とは、ゥアム帝国バーリン州国の学者・軍人・地方領主にして冒険家、稀代の皮肉屋であった「ヒエロニュム」が唱えた思考実験よ。

 ここに極めて頑丈な、中の様子がまったく分からない箱を用意する。
 この中に、無尾猫を入れる。
 フタを開けない限りは中でネコがどうなっているか、分からない。
 しかし生死を確かめる為にフタを開けると、青酸ガスの入った瓶が割れ、ネコは確実に死ぬ。
 この時、ネコの生存確率を求めよ。

 というものよ」

 巡邏小隊長は首をひねる。
 開けたら必ず死ぬのなら、生存確率は零だろう。
 いや、開ける前であるのなら確実に生きているのだから、……。

 マキアリイは部屋の隅からユミネイトに声をかける。
 それはまた、詭弁術か?

「いいえ、詭弁じゃないわ。だって物理的に可能な条件だけで構成されているから」
「いやでも、それに何の意味があるんだ。ネコは必ず死ぬのだろ」

「ヱメコフさん、これは科学の基本原理について恐ろしく辛辣な批判なのですよ」

 物理科の主任教授は60才を越える。普通の勤め人ならもう定年を迎えて引退している歳だ。

「我々は無邪気に世界を「観測」し、その結果を絶対のものと信じ、求められた数値を元に理論を構築し法則を導き出す。
 だがその観測が、対象の在り様に変化を強いるものであれば、
 我々は常に「死んだネコ」しか得られぬままに、世界を妄想している事となる」

 ああ、とマキアリイも考え込む。そいつはとんでもなく面倒な。
 まてよ、……?

 

「おいユミネイト、中と電話で会話するというのは、「観測」じゃないのか?」
「え?」

 いきなりの指摘に彼女は面食らい、教授達と顔を見合わせる。
 確かに、

「電話での会話は、「観測」ね」
「だろ。ということは、この事件を「見立て殺人」と考えた時、最初から前提条件が狂っている事になる」

「あ、ああ。確かに観測だ。『ヒエロニュムスの猫』とは条件が異なるな」

 教授も同意するが、だからと言って状況の変化は。

 マキアリイは名探偵の評判を得てはいない。だがそれなりに推理力は持っている。

「もしも2件が同等の原因、あるいは犯人によって起こされるのであれば、
 「見立て」は非常に大事なはずだ。

 ウディト氏はゥアム帝国の童唄をなぞらえるように墜死した。物理学者に人気の唄だ。

 クンティン氏はやはり物理学者に馴染みのたとえ話になぞらえて、死んでいく。
 電話による観測なんか許すはずがない」

「何が言いたいの、マキアリイ」

「防空壕の中には、誰が居るんだ?」

 

        ***   

 電話の呼び出し鈴が鳴る。
 この控え室に掛けてくるのは現在、クンティン・アノーラ氏のみだ。
 だがその大前提が壊れてしまった。

 誰もが躊躇して手を出さない中、ヱメコフ・マキアリイが進み出て受話器を取る。

”ああよかった、通話が繋がらないかと思った”

「あなたは、クンティン・アノーラ氏ですか」
”アジキダシ教授ではないのですか。どなたですか”
「私は、ゥアム神族「トゥガ=レイ=セト」氏の令嬢に随行する者です。
 令嬢ははるばる帝国からあなたを訪ねて来ました」
”ああ、ユミネイトさんですね。そうですか、でも何故”

 部屋の全員が聞き耳を立てている。巡邏兵曹はやはり通話内容を記録する。

「ユミネイト嬢が一つ不審に思っている点があります。物理学者としてのあなたのお知恵をお貸し願えませんか」
”なんでしょう。私は早く助けてもらいたいのですが”

「あなたの現在の状況は「猫」と同じなのですよね。あなた自身が先程通話でおっしゃいました。
 犯人から、「おまえは『ヒエロニュムスの猫』となった」と告げられたと」
”はい。確かに”
「『ヒエロニュムスの猫』は、観測手段はフタを開けるしか無い。そうですよね」

”     。”

「電話は、観測手段と見做すべきではありませんかね?」

 

 電話の声はしばらく聞こえなかった。
 灰色に凍りつく時間の中、息を呑む人々。
 やがて、遠く機械から聞こえてくる。先程とは違う声色だ。

”よく気が付いたな”
「見立ての条件は絶対外さない。それがこの種の犯罪の鉄則だからな」
”そう。この電話はデタラメだ。扉の仕掛けも嘘かも知れない。
 で、どうする。このまま箱のフタを開けるのか”

「開けたって、ネコの死体が出て来るだけなんだろ」
”フフ、クンティン・アノーラの死体がな。そこは保証しよう”

「目的はなんだ。要求が有るのか」
”私の要求はひとつ。「観測」をしたまえ”

 通話は切れた。

 

 おもむろに受話器を戻すマキアリイに、巡邏小隊長が青い顔で質問する。

「声が途中で変わった。犯人なのか」
「と、理解すべきです。本人も最初から言ってます、誰かにやられたと」
「犯人がクンティン・アノーラ氏になりすまして、犯罪を演出していたのか。
 ではこの電話は、防空壕の外から?」

「まってくれ、だがあの声は間違いなくクンティン君だった。間違いないはずだ」

 彼を指導する教授は、誰よりも彼を知っている。
 しかし、だからこその音質の悪い電話でのやり取りだったのか。

 ユミネイトも顔色は優れない。

 父親の危惧は正鵠を射ていたが、連続殺人に発展するとは。
 いや、ウディト副教授の件は、たしかに「自殺」だったはず。
 この眼で見たのだ。死に行く彼の逆さまの顔を。

「マキアリイ、やはり第三者による殺人なのかしら」
「その点に関しては、さあてね。
 だが同一犯の犯行であるならば、手口も同じであるはずだ……」

 

        ***   

 クンティン・アノーラ氏は27才。
 未だ講師に過ぎない若手研究者であるが、将来を嘱望されている。
 専門は放射線計測。
 芸術院大学に戻る前は、科学都市「ギジジット」での原子物理研究計画に携わっていた。

 彼は東岸南部、毒地平原との境目に当たるッツトーイ山脈の出身だ。
 さほど高くはないが険しい土地で、誰はばかる事も無いド田舎だ。
 故郷では「神童」扱いであったが、奨学金を得て都会に出て、現実を思い知らされた。
 それでも好きな研究が出来るのは楽しくて、順調に学問の道を歩んでいく。

 結婚はしていないが同棲する恋人は居る。
 彼女は独自に仕事を持っており、経済的には不自由は無い。
 やがて子供でも出来たら自然と籍を入れるだろう。

 彼の運命に異変が起きるとすれば、……。

 

「ここは、   観測室から出ている?」

 目を覚ますと、明るい白い部屋だった。
 自分は寝台の上に寝ている。消毒薬臭いから、ここは病院か。

 起きようとするが動けない。手足がなにかに引っかかって身動きが取れない。
 女の声がした。

「クンティンさんが眼を覚ましたようです」

 部屋に入ってくる数名の靴音。
 最初に顔を見せたのは医師だ。知らない顔、芸術院大学の医務室ではないらしい。

 次に制服の男。巡邏軍の士官か。
 自分は巡邏軍の手によって、防空壕から解放されたのか。
 「ありがとう」と言おうとして、声がかすれた。

 巡邏軍士官、小隊長は彼を留める。

「供述はまだいいです。今あなたは状況を理解できますか?」
「わ、……わたし、わたしは防空壕の宇宙線観測室に閉じ込められて、
 そうだ電話だ。真っ暗な中電話だけが分かって、アジキダシ教授と連絡を。
 教授が巡邏軍に救出を要請してくれたんですね」

「今はどこか分かりますか」
「病院だと思います。あの、手足が動かないのですが、わたしは怪我でもして、」
「暴れないように拘束しています。だいじょうぶですから、落ち着いて今後の指示に従ってください」

 あばれる? 自分が? 何故、いや自分は巡邏軍に何と思われているのか。

 背の高い男が小隊長の後ろから顔を覗かせる。
 立派な体格、厚い胸板を礼服で包み、その顔は見覚えがある。
 新聞で雑誌で、政府広報の張り紙で、伝視館放送で、映画でも何度も見たその顔は。

「まさか、国家英雄の?」
「ヱメコフ・マキアリイです。
 ユミネイ・トゥガ=レイ=セトさんの付添いであなたに会いに来ました」
「ユミネイトさんの? そうだ、電話でもユミネイトさんが訪ねてきたと話していた。
 あなたでしたか」

 会話の最中でも彼の状態を確かめていた医師が告げる。
 このまま事情聴取を行っても大丈夫です。

 小隊長は上半身の拘束を解いて身を起こさせ、改めて両手を革手錠で止めた。
 クンティンには何が起きているのかまだ分からない。

 部屋はやはり病院の診察室で、巡邏兵が1名立って警戒している。
 医師、小隊長、ヱメコフ・マキアリイ。さらにもうひとり陸軍の軍服の男が座っている。
 小隊長がまず自己紹介から始める。

「自分は巡邏軍アグ・アヴァ駐屯軍緊急保安小隊のルツト小剣令です。
 今回の事件を担当しています。
 そして、陸軍東岸中部連隊工兵隊のザガンス小掌令。
 あなたの救出作戦を実行してくれました」
「あ、どうも」

「そしてヱメコフ・マキアリイさんには特別に参加してもらっています。
 私人の立場でありますので、もし望まないのであれば退室してもらう事も可能です」
「いや、その、英雄探偵の方であれば、」

 正義の英雄は、国家権力よりもなお弱き者の味方である。
 拒絶する理由が思いつかない。

 

        ***   

 巡邏軍小隊長ルツトが説明する。
 推理小説であれば名探偵自らが滔々とまくし立てるだろうが、英雄探偵は慎み深い。

「結論から申しましょう。
 扉を開くと爆発して青酸ガスが噴出する仕掛けは存在しませんでした」
「そうですか、脅しだけだったんですね、びっくりした」

「青酸ガスが入った瓶はありました。破壊装置も付いています。
 ただ、扉が開いた事を検知して起動する感応装置はありません。
 ですが、」

 ルツトはマキアリイとザガンス工兵隊長の顔を見る。
 種明かしをしてもいいのか? だが、犯人に接触するにはこれ以外の方法が無い。

「起動釦はクンティンさん、あなたが握り締めていました。
 あなたが、救出隊が進入したと認識した時に起動させる仕組みです」
「……、何を言っているのですか。それじゃあ自殺じゃないですか」
「はい。我々はこの事件を、手の込んだ自殺として扱っています」

 クンティンは何故自分が拘束されているのか理解した。
 しかし、どうしてそんな誤解が生じたのか。

「あの、……間違いですよそれは。わたしには死ななくてはいけない理由なんか無い」
「あなたが使っていた実験準備室から、青酸ガス噴射装置を作った痕跡が確認されています。
 学生のひとりが、あなたが作っている現場も目撃していました」
「そんな、    そんなバカな」

 助けを求めるかに英雄の顔を見る。しかし反応は薄い。
 彼もまた自分を疑っていると知る。

 

 工兵隊長ザガンスが引き取って説明を続ける。

「我々はまず防空壕からの電話線を調べて、外部から介入されていない事を確認した。
 これにより、マキアリイさんが主張する犯人像が現実味を持つ。

 マキアリイさんはシンデロゲン大学堂において、ウディト副教授が投身自殺する現場に居合わせた。
 自らが死ぬことなどまるで眼中に無いかに気軽に命を捨てたという。
 今回もまた同じではないかと推理した」

「クンティンさん、あなたがまっとうな研究者であり、人生に絶望などしていないとアジキダシ教授に伺っている。
 であれば、 なんらかの外部要因で、自らが意図しないままに自殺を遂行しているのではないか。
 そう考えたのです」

 マキアリイの言葉に、クンティンは驚く。
 自分が洗脳され、自分を殺そうとしたのか。
 そんな馬鹿げた手段で行われる殺人が存在するのか。

「でも、まさか、そんなふざけた方法が実在するはずが、」

「ユミネイトが言うんですよ。
 ゥアム帝国には同様の例が多数有ると」

 

        ***   

 ユミネイ・トゥガ=レイ=セトは、診察室の外で姿が見えないように内部の会話を聞いている。
 彼女の隣には、ゥアム公館の外交官が付き添っていた。
 彼らもまた、古よりの言い伝えに恐怖する。

 

 クンティン・アノーラは診察台に固定されたまま笑った。

「なんですかそれは。ゥアム帝国の伝染病ですか」

 マキアリイは説明をせず、陸軍軍人に続きを委ねる。

「我々は、防空壕に篭もるあなたを自らの命を絶とうとする危険な人物として対処すると方針を固めた。
 まずあなたに言いたい。防空壕は金庫ではないのだ。

 防空壕は人の命を守るために存在し、外部からの侵入を絶対に拒む構造にはなっていない。
 入り口は1ヶ所しか無いように見えて、必ず避難路が設定されている。
 ただあなたが知らなかっただけだ」

「このザガンス小掌令は、城塞や防塁、防護施設攻略の専門家だ。
 敵兵や破壊分子が人質を取って立て篭もる例なども考慮して、装備や訓練を行っている。
 今回はその実践さ」

 ザガンスはマキアリイに座したまま一礼した。
 彼とマキアリイは軍の階級上は同格に当たる。

「まず我々の行動を察知されないように、換気口より睡眠ガスを流した。
 さほど強力なものではないが、無警戒なあなたはすぐに眠った事を聴音器で確認した。
 地下から接近を開始する」
「地下?」

「この防空壕は古代の地下下水道と接合しており、脱出路として使えるのだ。
 もちろん防空壕の設計図には記されていない。
 ただ「排水路」が描かれているだけだ」

 

「ああ、排水路ね。居心地が良いと思ったが、古くても良く出来ていたんだな」

 クンティンの口調が変わった。

 マキアリイは眉を少し動かしたのみだが、ルツト小隊長は敏感に反応する。
 警護の巡邏兵もすぐに動けるように身構える。
 医師は診察室の出口に移動した。

 マキアリイが尋ねる。

「二重人格とは違うのだな?」
「オレはオレだよ。クンティン・アノーラさ」
「なら何故今自殺をする。
 その状態になって、最低でも2年は経過しているはずだ」

「驚いたな、そんな事まで分かっているのか」
「ユミネイトの父親が、書簡の内容から気付いていたんだ。
 文章の端々に心当たりが有るとな」
「ゥアム神族だからな。旧知の仲さ」

 

 ルツト小隊長は医師に尋ねる。

「先生、これはやはり精神病の一種と見做してよいでしょうか」
「あ、ああ。直ちに専門病院を手配しよう」

 クンティンは医師と巡邏兵に押し付けられて、再び仰向けに固定される。
 ルツトはマキアリイに告げる。

「これ以上の尋問は、警察局と専門医師によって行いたいと思います」
「それが規定であるのなら、よろしいように」

 ザガンス工兵隊長も立ち上がる。

「ですがマキアリイさん、シンデロゲン市でも同様の事件が起きたとすれば、
 この状況を引き起こした犯人が別に居ると考えるべきでは」
「まだ警察局は「連続殺人」では動けないだろうな。
 ユミネイトと俺で私的に調査していくさ」

「御用がお有りでしたら、またお呼びください」
「いやもう、要塞攻略は無いと思うよ」

 

        ***   

 診察室を出たマキアリイを、憂鬱に考え込むユミネイトが迎える。

 彼女の隣に、40才くらい真紅の髪の立派な紳士が寄り添っている。
 水上機発着場にも迎えも来た、「銀骨のカバネ」出身者だ。

「それでユミネイト。どうだ、間違いないか」
「もう少し、話をしてみないと、まだ確実なことは」

「ヱメコフ殿、あれは極めて危険な存在として知られ、害を防ぐには極力接触しないに限ると定まっているのです」

 ユミネイトは伏せた顔を上げて、天井を見る。
 病院の廊下には、棒状の蛍光灯がちらちらと暗い光を投げかけている。
 防空壕からの救出は、結局夜まで掛かってしまった。

 独り言つ。

「「幻人症」、もう300年も聞かないのに……」

 

 

 クンティン・アノーラは薄暗い病室に一人眠っている。
 目をつぶって、眠ったフリをする。

 病室の外には巡邏兵が立ち番をして、彼の行動を警戒する。
 寝台に革の拘束具で縛り付けられているというのに。

 診察室から移動する際に観察して、ここが巡邏軍病院であると知った。
 兵士とその家族のみならず、犯罪者や被害者も収容して治療に当たる施設だ。
 警備も万全。

 自分はそんなに凶暴な存在なのだろうか。一人考える。
 先程の尋問、説明を聞く途中で人格が豹変したのは、自分でも覚える。
 何故そんな反応を示してしまったのか、自分でも不思議だ。

 しかし変だとは思わない。
 自分ではイヤだと思う事を、”彼”は代わってしてくれる。
 自分ではとても出来ないことを、驚くような発想で叶えてくれる。
 ”彼”はいいヤツだ。

 閉じた瞼の裏で、緑色の焔を感じる。
 部屋に看護手が入ってきたのか。しかし緑の懐中電灯は使わないだろう。
 右目だけを薄く開いて、見る。
 男が立っていた。
 緑の焔はその後ろで燃える。もう1人、居る。

 男は言った。タンガラムの言葉ではない。

「(眼を覚まして、焔を見ろ)」

 ゥアムの古語だが、理解できた。
 クンティンもゥアム語の論文を読む為に、或る程度は勉強した。
 拙いながらも論文も書ける。
 ゥアム学会で発表する際に正しい表現に整え直してくれたのが、ユミネイト・トゥガ=レイ=セトだ。

 言われるままに薄目を開け、緑の焔を見る。
 強くはないが眼の奥に突き刺さる。妙に脳が痺れた。

「(居るな)」

 男は握る長い棒を無造作に、クンティンを覆う掛け布に突き立てる。
 まるで罠に掛かったウサギに止めを刺すかに、無感動に。

 だが拘束されるはずのクンティンは飛び上がり、病室の天井に貼り付いた。
 口が勝手に開いて、言葉を吐く。

「(ははあ、来たな狩人)」
「(拘束具は外れていたのか)」
「(オレをタダの物理学者と思っていたからな。緩いもんだよ)」

 男が握るのは短めの槍だ。穂先のみが異様に大きく、これだけで剣としても使えそうだ。
 緑の焔を灯すのは、女。長い黒髪で男と同じ背丈。同等の力も秘めているだろう。

 クンティンは天井を這って、部屋の隅の角で身体を保持する。
 この肉体は思ったよりも柔弱だ。支えが無ければ長くは上に留まれない。

 

        ***   

「(そうか。ウディトの所にまず訪ねたな。だからこその警告だ)」

 クンティンの言葉に、男は応じない。槍を戻して狙いを定める。

 この病室は逃げ場が無い。
 巡邏軍が犯罪者を拘束する為に用意したもので、窓にも鉄格子と網ガラスが入っている。
 「狩人」を倒す以外に方法が無い。
 しかし、

「(まあいいだろう。自殺が報道される事で、警告は全土に広がった)」
「(   )」
「(正直、このオツムにも飽きてきたところだ。オレが住むには手狭だからな。
 その点ウディトは申し分なかったが、惜しいことをした)」

 男女は取り合わない。獲物と会話する必要を認めない。
 また”彼”が取り憑くほどには、知能も優れていない。

 クンティンは飛ぶ。男の頭上をすり抜け戸口に移るかに。
 槍は狙いを過たず、空中で的確に急所を捉えた。
 だが、刺した後で獲物の意図を知る。

 クンティンの身体は男を上から押し潰す形となり、無闇と暴れて傷を広げる。
 槍は肉を深く抉り貫いて、血潮が飛び散り病室を染める。
 下手人である男女の狩人にも降り注ぐ。

 返り血を浴びた殺人鬼が、所々に手がかりを残しながら逃走せねばならなくなった。

 緑の焔を受けてクンティンの瞳の中に揺らめいた輝きが、やがてガラス玉の反射へと変わる。
 凝った作りのランプの火を消して、女は憤慨する。明確に不手際だ。

「(この男は「脱走して行方不明」となるはずだった。計画は失敗だ)」
「(これが幻人だ。一人を殺しても意味がない)」
「(タンガラムの治安機関を敵に回してしまった。やり方を考え直そう)」

 病室の外に出る。入り口の脇には見張りの巡邏兵が倒れていた。
 せっかく正体を見られぬように気絶させたのに、台無しだ。

 

 ゥアム公館が手配した高級ホテル「スーパリオラ」
 就寝中であったヱメコフ・マキアリイは、外部からの電話で叩き起こされる。
 相手は巡邏軍小隊長ルツト、声からして緊急事態を告げている。

「マキアリイさん、済まない! クンティンが殺された」
「自殺ではなく?」
「他殺、それも刃物を使った派手な殺しだ。病室一面に鮮血が飛び散って」
「第三者が居たということか。でも病院の警備は」
「ほんとうに済まない事態だと思っている。ユミネイトさんにも伝えてくれ。じゃあ急ぐ」

 切れた通話に、マキアリイはしばし受話器を手の中で弄ぶ。
 第三者? 刃物で殺人? 動機は、いや軍病院で強行犯か。大胆だな。
 そこまでやるほどの強い動機とは何か。

 時刻はまだ3時(午前4時)にもなっていない。
 ユミネイトの部屋に報告に行くと、律儀にゥアム人の護衛が立っていた。
 彼に事情を話すと、部屋の中のこれまたゥアム人のメイドが顔を出し、話を聞く。
 引っ込んで、しばらくしてマキアリイの入室が許された。

 ゥアム資本が帝国調で建設したホテルだけあって、「待壇者」の為に最高の部屋を用意してある。
 豪華な応接室の長椅子に、寝間着に1枚羽織っただけのユミネイトが座る。
 ネコも居た。

「殺人ですって?」
「明確に外部犯で、しかもこれ見よがしに大袈裟に血糊をばら撒いてだ」
「警備はどうしたの」
「いきなり侵入されたらしい。手練だな。
 だがどうしてこんな殺し方を」

 ユミネイトは大きく息を吐く。
 アイツラか。話がようやく繋がった。

「この犯人に心当たりが有るわ」

 

        *** 

  (第二十三話)『危うしニセ病院』その2

 

(第二十二話)その3「昔日の面影」

 朝。既に日は高く、
高級ホテル「スーパリオラ」の1階ゥアム風庭園に面した食堂で、3人が遅い朝食を摂りながら語っている。

 他の客は居ない。
 ゥアム人であれば、「銀骨のカバネ」ましてや「待壇者」が利用している場所は遠慮する。
 給仕もゥアム人を雇っており、自動的に他国人を排除した。
 厳つい護衛も立っているから誰も近付かない。

「ヱメコフ殿はゥアム風朝食と聞いて、どんなものを思い浮かべますかな」

 マキアリイ、ユミネイトと同席するのは、アグ・アヴァ市の公使館に務める「銀骨のカバネ」
 40代の立派ではあるが遊び人風の気配が漂う紳士だ。
 もちろん髪もヒゲも赤く、富裕層と証している。

 帝国バーリン州国の神族『コ’ク=カコ・キェ』に連なる人で、ウルスティン・ワ−ドナルド・フオ=カコ・キェと名乗る。
 舌を噛みそう。

 彼の仕事は、アグ・アヴァ市に居住する「ギィール神族」との社交。
 ゥアム神族と同格と認めざるを得ない存在に、ヒラ階級出身の公務員・外交官が対等に付き合えるわけが無い。
 たまたま居合わせた「銀骨」の遊び人に、公金を投じて遊んでもらっていた。
 ゆえに職名は「食客」である。

「そうですねえ。
 トウキビ粉の焼き餅と辛茄子の赤い汁物。もちろん卵料理は添えられて、
 黄色い芋(ジャガイモ)の唐揚げと、二脚鹿(カンガルーの類)の塩漬け肉を薄く削いで焦がし、
 仙人掌の強い酒、は朝から飲まないか」

 ユミネイトはごく控え目にぷっと吹き出した。ウルスティンも声を上げずに笑う。

「いやあ、見事にバラバラです。
 ゥアム帝国の風習はまったくタンガラムには伝わっていないと、理解できますね」
「え、これじゃあダメなのか」

「間違ってはいないけれど、帝国には州国が14国も有って、それぞれに食文化も違うのよ。
 第一「ゥアム」って”地中海”って意味だから、魚が中心ね」
「でもゲルタは無いだろ」

「たしかに塩ゲルタはありませんが、干し魚はゥアム食文化でも中心的存在です。
 肉なんて、それも朝から食べているのはよほどの富裕層ですな」
「そんなものかねえ」

 だがマキアリイの目の前の朝食は、まさに自分が言ったとおりのモノであった。
 これは一体どこの献立なのだ?

 ユミネイトはフォークで生野菜のサラダを食べながら、カカポ豆の煎汁を啜っている。
 極めて苦いものであるが、ゥアム人は好んで飲む。
 これに砂糖を入れる為に、タンガラムに艦隊を派遣して「砂糖戦争」を引き起こしたほどの代物だ。

「さて。では気持ちの悪い血腥い話を始めましょう。
 都合のいい事に、一般人は他に居ないものね」 

 

 黒い木の実の汁を氷水で割った、これまた苦い飲料が3人の前に並ぶ。
 ゥアムでは涼を取る夏場の定番で、口がスースーする。
 たしかに頭はすっきりと、良い考えが浮かびそうだ。

「マキアリイ、それで殺人現場の状況は報告もらった?」
「巡邏軍警察局からは手続き上無理なんだが、医師の方に手を回して教えてもらった。
 勾留されていた病室で格闘したらしい。
 クンティンは病床に縛られていたはずだが外されて、でも素手で武器と戦ったようだ」

「拘束されている患者を、わざわざ解放してから殺したのか。理解に苦しむな」

 ウルスティンも世界中を飛び歩いて、あらゆる酔狂を体験する。
 犯罪現場にも何度も出会した。
 事件推理も暇潰しのゲームとしては、楽しめる。

「それで、殺人者の手口はどうなの」
「医師の見立てでは一撃で絶命に追い込んでいる。
 暴れる人間を手数を加えずに仕留めるのは結構な腕だ。
 にも関わらず、部屋中血まみれ。
 発見した看護手が卒倒しかかったほどだそうだ」

「それほどの手練であれば、流血する事無く綺麗に殺すのも可能なはずだ」
「そうなんですよ。
 侵入の手際も見事なもので、警備はあっけなく気絶させられている。
 普通、残酷な殺し方をするのであれば、「警告」や「処刑」「復讐」でしょうが、これは、」

「「隠密作戦」失敗、ね」

 ユミネイトが指摘する。
 もし自分が思っている人物が犯人であれば、意図した状況を作り出せなかったのだ。

「クンティンは、自分が殺されると理解した。
 しかし他殺であると第三者に、巡邏軍に理解させる必要を覚えた。
 暗殺者の行動を制限するためよ。
 だから暴れたんだわ」
「自分が助かる努力を放棄してか。人間そこまでの意思の強さを発揮できるものかな」
「人間であれば、ね」

「そうだね。人間でないものであれば、自身の生死など考慮せずに最善手を選べるだろう」

 ゥアム人二人の言葉に、マキアリイは戸惑う。
 それほどまでに妖しい存在であるのか。「幻人」とやらは。

 

        ***   

 ウルスティンは語る。帝国の恥部に当たる話だ。

「「幻人症」とは、ゥアム神族のみが罹る病として知られている。
 その昔は猖獗を極めたものだ」

「ゥアム神族は身体的に普通の人間と異なるのですか」
「知能だ。偉大な頭脳の持ち主が、その才能の帰結として「幻人」を得る」
「症状は、」
「特に無いな。ただ残虐無道な支配者になるだけで、それは別の要因でも普通になる」
「うん、ん」
「かってのゥアムでは生贄や人身御供は頻繁に行われており、
 人を殺す者ほど優れた支配者だと信じられていたのだよ。
 今でもその名残は色濃くある。美術やら文学の分野でね」

 ゥアム帝国では、タンガラムではとっくの昔に禁止された「公開処刑」が今も行われている。
 社会常識にどちらが進歩的かなどは無いが、やはりゥアム人は血腥い事が好きなのだろう。

 ユミネイトが補足で説明する。
 もう生贄の風習は無くなったと。

「1100年前、ゥアム方台に救世主「ヤスチャハーリー」が訪れた。タンガラムで言う「ヤヤチャ」様ね。
 「ヤスチャハーリー」は二脚竜に跨り、神族に一騎打ちで槍試合を申し込む。
 「幻人」に取り憑かれた神族は喜んでこれに応じ、全敗して額の聖蟲を次々に剥奪されていったのよ」

「竜で槍試合って、特別にヤヤチャ様が有利なのか?」
「とんでもない。その当時のゥアム神族の表芸だ。
 十人抜きをせねば騎士と認められなかったほどの得意だったよ」

「そして聖蟲を失った神族は心を解き放ち、「幻人」も追い出して、慈愛溢れる支配者となるのよ。
 生贄の風習もそうやって廃止されていったのね」
「さすがの救世主だな」

 本番はこれからだ、とウルスティンが続ける。惨劇の幕開けだ。

「問題は、追い出された「幻人」だよ。
 優れた神族の脳から追い出された為、数等劣る凡人の脳を棲家とせねばならなくなった。
 しかし知能の劣る脳は彼らにとって苦痛でね。
 そもそもが一般人の知能では「幻人」自体が乗り移れないんだ。

 そこで中途半端に頭の良い、世間でも有用な人物の脳に取り憑いて、
 しかし不適合を起こして自らを死に追いやる。
 こんな事例が大量に起きたんだ」

「どう対処したのですか」
「無理だよ。一度取り憑かれた人間は戻らない。
 また取り憑かれた人間から、他の人に「幻人」が移っていく。
 彼らは自らにふさわしい知能の持ち主を求めて渡り歩く性質でね、留めようが無い」

「隔離か抹殺しか無いわけね。
 でも隔離は最後、必ず自殺に終わる。
 ただ一人が死ぬだけでなく、周囲も巻き込んで派手に大向う狙いでね」
「劇場型犯罪というものだね。
 センセーショナルに、演劇となるほどに感動的に。
 「戯曲の王」と讃えられるシェ=ェクス・ピアも、これで何本も傑作を書いている」

 何故そこを嬉しそうに語るのだ。
 ウルスティンもユミネイトも薀蓄を語るのがよほど楽しいようだ。

 だが残念ながら、とウルスティンは終章に繋ぐ。

「さすがの「幻人」も歳月には勝てなかった。
 彼らが引き起こす情緒的な自殺劇も、近代社会になると流行遅れと見做された。
 人々はもっとファナティックで刺激的な自己実現型犯罪を求めるようになったのだね。
 「女殺し胎切りジャアック」のような」

「はあ。」

「それで、300年くらい前から「幻人」が引き起こしたと思われる事件は見られなくなったのよ。
  帝国の人間は、寄る年波に引退を余儀なくされたと考えているわ」

「まさかタンガラムに舞台を移してのリヴァイバルとは、予想外だ。
 これは帝国演劇協会にも報告の必要があるかもしれないな」
「ウルスティン、まずは犯罪学会にでしょ」
「HAHAHA」

 

        ***   

 マキアリイ、半ば呆れて話を現実に引き戻す。

「それで、クンティンを殺した犯人についてだが、」
「今説明した通りに、「幻人」に取り憑かれたら隔離か抹殺しか手が無いのよ。
 抹殺の方を担当する特別な狩人が居るのね」

「我々も噂だけは知っているが、300年「幻人」は出現しなかったのだ。
 狩人も滅びたと思っていたのだがね、まだ居たのか」
「ええ。実はわたし、タンガラムに来る客船上で彼らを見ましたわ」

 マキアリイもウルスティンも眼を剥く。
 殺人者が堂々と船に乗っていたのか。

「ユミネイト、どうやってそいつらが「狩人」だと知ったんだ?」
「知ったも何も、そのまんまの人殺しの姿で一目瞭然よ。
 大きな穂先の短槍を持っていたわね」
「何故巡邏軍に言わない!」
「だって、」

 こんな風に展開するとは、さすがのユミネイトも予測はしない。
 豪華客船に乗ってくるのだから、政府それもかなり高いレベルの秘密機関の手先であるだろう。
 彼らも帝国の為、帝室の安定の為に公務で動いているのだ。

「ずいぶんと古代めいた姿だったから、アレは「Chamber」ね」
「ほお、「Chamber」の手の者がタンガラムで活動ですか。
 なるほど、「幻人」が目的でしょう」

 「ちゃんばー」てゥアム皇帝の秘密謀略機関よ、とマキアリイに問われる前に説明する。

「どんな奴だ」
「男女二人組。
 男の方は槍を使って相当な腕前よ。伝統的な蛮族風装束。
 女は背が高く、髪が漆黒でかなり長い。人を捻り殺すのも簡単な怪力ね、間違いなく。
 名前はー、」

 ああもういい、とマキアリイはユミネイトを黙らせる。
 だが止まらない。

「とにかくね、「幻人」はタンガラムに人為的に連れて来られたと思うの。
 タンガラムでの破壊工作を目論んでね」
「謀略はゥアム人の嗜みですからな」
「そして 「Chamber」が察知して看過せず、始末する要員を送り込んだ。
 そういう図式でしょう」

「わかったよ。
 それで「狩人」は、次に何処に行くんだ」

「父の見立てではねえ……」

 

 クンティン・アノーラ氏殺害の捜査を一応見届けて、マキアリイとユミネイトは次なる地に赴く。
 目指すは毒地平原ど真ん中、タンガラム民衆協和国が誇る科学都市「ギジジット」だ。

 ユミネイトの父「トゥガ=レイ=セト」が書簡を分析したところによると、
異変が現れたのはすべて、ギジジットでなんらかの仕事をしていた者、らしい。

 破壊工作として「幻人」をタンガラム人物理学者に感染させたのであれば、
ギジジット市で行われている「何か」を妨害する為であろう。

「今回会いに行く人は、父と文通をしていた人ではないわ。
 彼らが共通に接触したと思われる人物。
 「ギジジット産業電気研究所」の研究部長 ヒゥーギニティ氏よ。ギジジット工科大学の客員教授でもある」

「大学教授が本職じゃないのか?」
「国策の研究所の方が公的には格が上らしいわ。
 タンガラム政府が秘密計画を行っているとしたら、彼は確実に携わっている」
「そうか。ゥアム帝国が陰謀で潰すほどとなると、単なる学術研究ではないわけだ」

 

 水上飛行機発着場では、
やっぱりゥアム公館の職員総出でユミネイトの出発を止めようとした。
 明確に殺人事件が発生した状況で、「待壇者」を危険な場所に送り出せない。
 理屈は分かるが、それで止まる者が「神族」に成れるはずも無い。

「まあまあ皆さん、ユミネイト様は崇高なる責務によって死地に赴かれるのだ。
 下賤の者共が容喙するなど僭上の沙汰ではないか。
 身の程を弁えなさい」

 同じ「銀骨のカバネ」であるウルスティンが諭すが、「死地」と言われては尚更に止まらない。
 業務命令により女子職員はその場に泣き崩れて哀願する。
 ウルスティンはユミネイトと顔を見合わせ、肩をすくめた。
 こうなれば非情の策を取るまでか。

たーーーーん、と響き渡る銃声。
 ウルスティンが携える狩猟用拳銃が火を吹き、すべての言葉を凍らせる。

「やはり死なねば分からぬか、度し難いな」

 恐れおののくゥアム関係者一同。
 マキアリイもさすがに見かねて、ユミネイトに小声で抗議する。
 おいおい、ゥアムの上流階級は殺人も許されるのかよ。

「完全に無罪とはいかないけれど、カネでケリが付く話ね」
「ひでえな、おい」

 

        ***  

 薄桃色の水上飛行機に乗り込むマキアリイ、ユミネイトそしてネコ。
 ウルスティンは先程用いた狩猟用拳銃をユミネイトに渡す。

「せめてこれくらいはお持ちください。彼らの為にも」

 ご丁寧に紙箱入り16発分の弾薬もくれた。
 荷物室に押し込められた赤毛のゥアム猫が伝声管を通じて話しかける。

「弁当箱が無い」
「向こうに着くまで我慢だよ」

 

 たちまち舞い上がる飛行機は海上でぐるりと輪を描いて、西方内陸部に飛んでいく。

「ッツトーイ山脈を越える時は少し揺れるぞ。寒いから注意しろ」

 毒地平原と東岸部を分かつッツトーイ山脈は、海岸線に平行して南北に長く走っている。
 ギジシップ島も同様に南北に長く伸びる。
 方台大地が東に押し付けられる地質活動によって褶曲したと考えられていた。

 地質活動の中心点と見られるのが「ギジジット」だ。
 謎の現象が古くから観測され、大いなる力の宿る地と崇められてきた。
 原理はよく分からないが、ギジジットを中心とした河川運河に、海と同様の満ち引きが起きる。
 「陸内潮汐」と呼ばれていた。

 古代人もこの現象に注目し、水路を用いた物流に、また広大な毒地平原の開拓に活用した。
 現在は水車を使った発電が盛んに行われ、膨大な電力を産み出している。
 この電力を背景として成り立つのが、「科学都市ギジジット」だ。

 また湖沼の多い水の都でもあり、水上飛行機の離発着に苦労はない。

 

「マキアリイ、ほんとに良かったのかしら」

 ユミネイトは旅立つのに、若干迷いがある。
 ゥアム帝国から派遣された狩人を追った方が、次の被害者を発見できるのではないか。
 「幻人」を見破る方法が彼らに伝承されているのかもしれない。

 マキアリイもそこは賭けになってしまう。

「おまえの御父上が見破った物理学者を虱潰しにしていけば、いずれ出会すさ。
 それに、連中はゥアムの謀略を止めようとしているわけだ。
 敵と呼ぶべきか、ちょっと考えるな」
「そうね……」

 ッツトーイ山脈上空は気流が荒れる。
 吹き抜ける風は激しく、冷たく、にも関わらず降り注ぐ陽光が硬く眩しい。
 発動機の振動が、推進翼の響きが耳を圧し、ひりつく頬に思考が停止する。
 ただ自分が在るだけ、その実感のみが支配した。

「ユミネイトよお、幻人て一度憑いたらもう取り除けないものなのか」
「無い事もは無いわ。昨日父に聞いたけど、」
「ゥアムに電報打ったのか?」 (注;すごく高価い)
「連絡の方法は色々よ。

 それでね、そもそも幻人は知能の高い脳を好むの。
 知能の低い人間に留まれば、能力も下がり思考力も鈍る。己を保つ誇りも失われる。
 牢獄に閉じ込められるようなものね。
 だから、ちょっとでもいい脳を見つけたら、後腐れなく完全に痕跡を残さず出ていってくれるのよ」
「おー、いいじゃないか」

「いいわけないじゃない。つまりこれって、
 知能の高い、社会的に価値の高い人間を犠牲として、愚か者を救う策よ。
 「銀骨」のバカを救うために平民の天才を犠牲にするなどありえない。
 とんでもない不道徳、背信行為だわ」
「そうか、ゥアムは金持ちにも厳しいんだな」

「だから、「幻人」憑きは見つけ次第ぶち殺すのが正解になるの。
 身分の高い者が自らを護るのに、愚者の命を惜しみはしないわ」

 

 ギジジット市の上空に到着する。

 タンガラム最初の人工計画都市だ。
 同心円で街路が広がり、放射状に水路が巡っている。
 元は「神聖金雷蜒王国」の王都であり、「神都」とも呼ばれた。
 ギィール神族が叡智を集めて様々な公共施設を建設し、今もなお発展し続ける。

 完全な円を描く低い防壁の外に、やはり弧を描く人工湖が幾つも設けられている。
 水上飛行機発着場もこの湖だ。

 マキアリイが後席に注意する。

「さて、ここまではいいんだが。
 ギジジットは政府が厳しく外国人の入市制限を行っている。
 おまえはタンガラム国籍を持っているんだけど、ちょっと不愉快な目に遭ってもらおうかな」
「しかたがないわね。スパイ対策は必要だしね」

 

        ***   

 ギジジット市には特別な許可を受けた外国人しか入れない。
 人数も少なく、外国政府の出先機関も必要ではない。
 ゥアム公館は存在せず、ユミネイトの為に骨折りしてくれる外交官も無い。

「これはこれで楽ちんね」

 係官は胡散臭げに「ゥアム帝国の支配者階級」様を取り調べる。
 入国の目的は、当市に来たのは何の用か。滞在は何日まで。
 ついでにネコもノミが付いてないか検疫される。

 しかしながら彼らは、もちろん国家英雄に対する尊敬を持ち合わせている。
 マキアリイはお定まりの歓迎を受け、色紙に署名御印を次から次に書いていく。

「ヱメコフ・マキアリイさんが同行なさるのであれば、当市はユミネイト・トゥガ=レイ=セト様を大歓迎いたします」

「虚名って便利ね」
「たまにはな」

 ここでも迎えに来たのはカドゥボクス社の社員。
 ギジジット市には主要な支社が設けられ、製品研究所まで建っていた。

 「カドゥボクス財閥」が主力事業とするのは、高度なコニャク樹脂製品。
 自動車用の輪帯(タイヤ)だけでなく、管や動力帯(ベルト)、封止栓などありとあらゆる産業分野の需要に応える。
 「科学都市」ギジジットは、市全体が上得意の大口顧客だ。
 製品に要求される水準は高く、注文に応じて新たに設計し直すものまである。

 なにしろここで行われる産業研究が、タンガラム国力増進の原動力。
 カドゥボクス社としても最大限に応えるべく、専門の研究所を設立した。

「ここで一番偉いのは、ヒィキタイタンの姉の婿さんだよ。グラハド・アハティエルガさんだ」
「ローメテルゥさんの旦那様ね。婿養子ではないのよね」
「どうかなー、ヒィキタイタンの奴、もう財閥総帥はやらないんじゃないかなあ。
 そしたらアハティエルガさんがやるしか無いだろ」

「それで、マキアリイ。今夜の宿はどうするの」
「そりゃあ、ヒィキタイタンの家に泊まるわけさ」

 

 大口顧客を相手する為に、カドゥボクス財閥総帥もしばしばギジジット市を訪れる。
 滞在時の別荘を用意していた。
 政財界の有力者を招待して新年会ができるほどの、ささやかな豪邸だ。

「マキアリイさん、よくぞお出でくださいました。お懐かしゅうございます」
「いやあお元気そうで。何年ぶりになりますかね」
「あれは、坊っちゃんが国会議員の選挙に出られた年ですから、5年ぶりですね」

 別荘番の老夫婦が、揃ってマキアリイとユミネイトを出迎える。
 大学を出たばかりでまだ学生気分が抜けず、市民運動を行っていたヒィキタイタンに誘われて、
マキアリイはこの別荘で数日を過ごした。

「よろしくお願いします。ユミネイト・トゥガ=レイ=セトと申します」

「貴女があの「潜水艦事件」でご苦労なされた、あのユミネイトさまですか。
 お初にお目に掛かります。ソグヴィタル家の別荘を預かるミッタル・マーガマルです。
 こちらは妻のカィンティマです」
「まあ、やはりお美しい方でございますね、坊っちゃまがおっしゃっていた通りですよあなた」
「うんうん。やはりな。やはり坊ちゃんの御心をいっぺんに奪ってしまうお方だよ」

 ユミネイト、耳がぼっと熱くなる。
 そういう話は10代の頃に聞きたかった。20も半ばを過ぎてはこそばゆいだけだ。

 マキアリイが尋ねる。今日はお二人だけですか。

「いえマキアリイさんがいらっしゃると聞いて、招集を掛けましたよ。
 副社長もギジジットにいらっしゃってますから、いずれお出でになるでしょう」
「ああ、グラハドさんが。そいつは丁度いいや。

 ユミネイト、ご挨拶と例の件尋ねるぞ。たぶん、何かを知っている」
「そうね」

 

        ***   

 「カドゥボクス財閥」は第七政体の時期に旗揚げした企業連合体だ。

 当初コニャク樹脂は原料としてゥアム帝国に輸出し、高度な工業製品に加工されて逆輸入していた。
 帝国が独占する高付加価値品を、タンガラムにおいて国産化に成功したのが、
ヒィキタイタンの曽祖父ソグヴィタル・カドゥボクスと息子ライワバンだ。

 だがコニャク樹脂は重要な戦略物資であり、海外輸出は国の命運をも左右する。
 カドゥボクス社が一社独走状態となった途端に、国家による介入を受けた。
 独占が許される産業では無いのだ。

 中心企業である「カドゥボクス化成工業」は、拠点工場をデュータム市に設ける。
 材料の「コニャク芋」の産地である北方聖山山脈のふもとだ。
 主に高速自動車・軍用高性能輪帯(タイヤ)を製造する。
 一般民生用と輸出用は国策で禁止された。別の企業が担当する。

 「カドゥボクス化学器材社」は拠点をヌケミンドル市に設け、研究所をギジジット市に置く。
 産業機械の随所で用いられるコニャク樹脂部品を製造しているが、廉価な普及品はやはり別会社に振り分けられる。
 高度な技術が必要なものに特化して輸出も行い、ゥアム製品としのぎを削っていた。

 財閥経営の判断では、もちろん輪帯が主力事業であるが、
今後の発展を考えると「化学器材社」に重点を置くべきである。
 グラハド・アハティエルガはその副社長を任される。
 それだけの期待を背負っていると言えよう。

 

 市内を移動する足として、昔ヒィキタイタンが使っていた高速自動車を借りる事とした。
 マキアリイはマーガマルさんと車庫に見に行く。

 ユミネイトは、カィンティマさんの案内でヒィキタイタンが別荘に残した様々な記念の写真を見に回る。

「ああー、若い。子供だわ!」
「それは小学3年生の頃にお出でになった時ですわね。
 小さい頃から利発なお子で、学校で賞を取られて表情状を持って来られて、わたくしどもに見せて下さいました」
「こちらは姉妹さんと3人で、雪遊びの」
「ギジジットにも雪は降りますよ。真っ白になった平原をソリで滑って遊んでおられました。
 新年会をこちらで行われた時ですわ。
 ソグヴィタル家は本来首都で御年始を祝いますが、この年だけは特別でした」

「これは、高校生ね。背景に飛行機が」
「飛行機も自動車も、危ない競争ばかりに出られて、みんな優勝してしまわれました。
 あの時はドキドキしました。ボウダン街道東西往復競争で、車が転倒しまして」
「ああー」

 別荘番の二人と撮った写真もある。
 この頃になると、今と変わらぬ好青年の笑顔が眩しい。

「軍服、軍礼服ね。マキアリイだわ」
「はい。「潜水艦事件」を解決なされて、
 お二人で方台全土を引っ張り回されておられた時に、こちらにお寄りになられました」
「ギジジットほどの大都市ならば、それは来るわね」

「この時も、なにか特別な事件を解決なされました。
 お二人は軍の命令を無視したそうで、大目玉を食らったとぼやいていらっしゃいました」
「らしいわね」

 

 少女の姿もある。ヒィキタイタンの隣に幸せそうに寄り添う。
 ユミネイトは少し顔を曇らせた。
 カィンティマも、表情を笑顔から戻す。

「ヒィキタイタンさまのご婚約者であられたミレドレラ・ファシレィラさまです。
 あの方にはお気の毒な事をしました」

「大学卒業と同時に結婚するはずだったのに、ヒィキタイタンが国会議員に当選して、
 政治的な思惑から挙式が遅れたんでしたね」
「坊ちゃまの女性有権者への人気を「ウェゲ会」の方々が利用なされたのです。
 ファシレイラさまは割を食ってしまわれました」

「そして、「闇御前事件」の巻き添えでヒィキタイタンも銃撃されて、その場に居合わせた彼女が怯えてしまった。
 そう聞きました」
「はい。
 お坊ちゃまが危険な事をなさるのは、これはもう治らない病気ですが、
 それに付き合わされるのはか弱いお嬢様には無理なのでございましょうねえ」

 ユミネイトは思う。
 ヒィキタイタンは財閥後継者として、もっと安逸な人生を送れたはずだ。
 波乱万丈英雄の運命に取り憑かれたのはマキアリイで、彼は付き合っているだけ。
 でも喜んで巻き込まれてるのは、バカと呼べるのではないか。

 カィンティマは並ぶ写真の位置を整えながら、零す。

「あとはここに、ヒィキタイタン坊ちゃまのお嫁様とお子様の写真を並べれば、
 わたくしどもの勤めも全うしたと呼べるのでしょうが、いつの日になる事か」

「縁談はいくらでも舞い込んでくるのではないの?」
「ございますでしょうが、何しろ大人気の英雄議員ですからね。
 よっぽどの御方でないと世間の方々が納得なされないでしょう」

と、ユミネイトの顔をちらと見る。

 なにか期待されているな、と感じるが、さすがにそれは口に出さない。

 

        ***   

 ソグヴィタル家の車庫だから自動車が何両も並んでいるかと思えば、3両しかなかった。
 もう1両有るという高級乗用車は出払い、残る1両は小型乗合車だ。

「これは従業員を運ぶ時に使いますね。時々ここで宴会などする事もあります」
「ソグヴィタル家の人は最近はあまり来ない?」
「そうですね。どなたもお忙しくて、副社長くらいしか」

 説明するマーガマルも残念そう。

「お、あったぞ」

 マキアリイは見覚えのある車体を発見する。
 カドゥボクスは自動車用輪帯、それも高性能品で成長した会社だ。
 御曹司ヒィキタイタンやその父エメタイアンも、若い頃は派手に乗り回して広告塔となったものだ。

「ヰグライド『神光30ギィール』、これはヒィキタイタンに運転させてもらった」
「それは最後にマキアリイさんが来た時に乗り回してましたね。懐かしいです」

 タンガラムの競技用自動車専門会社の作品だ。
 高速競技車を手掛けるのは国内にはわずか5社。
 いずれも町工場に毛が生えたような小企業だ。

 タンガラムにおいては自動車産業はどうしても産業と軍用に傾く。
 個人の趣味で性能追求などは肩身が狭い。
 階級社会のゥアム帝国や、太守が乗り回すシンドラ連合王国とは事情が違う。

 それでも最近は技術が向上し、競技会で外国車にひけを取らない性能を出せるようになった。
 カドゥボクス社も全面支援する。

「こっちのは古いな。ゥアムの外車だ」
「それはエメタイアン様が若い頃に乗られていたものです。
 奥方様は、この車に乗りたいために旦那様の求婚を承諾された、とも噂されましたね」

「速い乗り物が好きなのは、母方の遺伝なんだろうな。
 チュダルムの姐さんもそうだから」
「そうですね。ヰグライドも、時折お出でになるローメテルゥさまがお使いになります」

 

 車庫まで付いて来た赤毛ネコは、庭先でタンガラムの白ネコ2匹と遭遇する。
 早速に情報交換を行っているのだが、何故か手を上げて双方ぽこぽこ叩き合う。
 無尾猫のやる事はよく分からない。

 通用口方面から白い箱型の業務用自動車が入ってきた。
 降りた男女4名は、マキアリイの姿を見て割れんばかりの笑顔を見せる。

「マキアリイさんだ! ようこそギジジットに」

「あちらは、」
「はい。契約している料理人と給仕です。
 お二人と副社長がいらっしゃるので、晩餐の料理をお願いしました」

「わあほんもののマキアリイさんだ。嬉しいです感激です」

 若い給仕の女の子は涙を浮かべてマキアリイの手をぶんぶんと振り回す。
 これでユミネイトが来ていると知った日には、どんな風になるだろう。

 搬入を始める彼らに、マーガマルは尋ねる。

「それで食材は、」
「肉も魚もご満足いただけると思います。
 マキアリイさん、何かご注文はございますか。なんでも作りますよ」

「ハハ、任せるよ」

 存分に腕を奮おうという料理人の笑顔を見て、やっぱりと覚悟する。
 これはぜったいに出てこないな。

 

        ***   

 夕方にはグラハド・アハティエルガも別荘にやって来た。
 研究所の渉外部長も伴っている。これはマキアリイが頼んだからだ。

 ギジジットの国策研究所の責任者に会うには、大学と違い飛び込みでは無理だ。
 たとえユミネイトの父親の威光があろうとも、国家英雄であってもだ。
 それだけ情報漏洩に最大の警戒をしている。

 新規の発明や製法の発見はそのまま国家の趨勢をも左右する。
 軍や政府よりも国家機密の優先度が高い。
 そういう時代になっていた。

 カドゥボクス社は、それら重要機密になんらかの形で必ず関わっている。
 コニャク樹脂製品は今日いずれの分野でも核心的な存在であった。
 渉外部長は各種計画を繋ぐ中心人物である。

 

 彼、ミ=ルェイ部長はマキアリイに謝る。

「申し訳ありません。守秘義務がありますので、
 たとえ国家英雄のあなたでも政府の計画をお話する事は出来ません」

「それは最初から理解しています。
 ただ、有能な物理学者が何人も命の危険に曝されているのです。
 なんとか、誰に話を持って行けばよいかだけでもお教え願えませんか」

「済まないマキアリイくん。
 これはたぶん、ソグヴィタル議員であっても照会は無理だ」

 グラハドがとりなした。国家機密を暴露する権限は自分達には無い。

 グラハド・アハティエルガは33才。
 妻ローメテルゥより1才歳上。子供はまだ居ない。
 国家中枢の官僚を育成するタンガラム中央大学を卒業。
 しかし官には行かず民間の大企業に勤める。

 カドゥボクス社はその取引先であったが、財閥総帥ソグヴィタル・エメタイアンの目に止まる。
 能力であったのか人柄だったのか、家に連れて帰り長女ローメテルゥに引き会わせた。
 するとトントン拍子に、3年掛かったが、縁談がまとまり、カドゥボクス社に移籍する事となった。

 実家は特に資産家ではないが、最高学府卒業というだけで人の目は変わる。
 ついでに言うと、彼も大学授業料免除を得る為に選抜徴兵に応募した口だ。
 2年間巡邏軍で活動した。

 結構がっちりとした体格で、運動も得意。
 顔も悪くはない。男前の部類だろう。
 たぶん義父エメタイアンは、ヒィキタイタンとの釣り合いを考えて彼を選んだ。

 

「グラハドさん、」
「マキアリイくん、僕の事はアハティと呼んでくれていいよ。
 君はソグヴィタル家の家族みたいなものだからね」
「あー、はあ。ではアハティさん。

 ユミネイトの話では、これは伝染性が有る現象なんです。
 一種の精神疾患で、最終的には本人が自殺。
 それも他人を巻き込んで派手な道連れにしようて、物騒なものなんです」
「うーーん」

 渋るグラハドに、マキアリイはユミネイトの顔を見る。どうしよう。
 彼女は、

「……、ヒゥーギニティ・ゴウ氏に面会したいのです。「ギジジット産業電気研究所」の」

 あー、とミ=ルェイ部長は額に手を当て髪を掻き上げる。
 その手で行くか!

「ヒゥーギニティ氏であれば、会えます。というか、彼は会います。
 何しろゥアム帝国の音楽盤の大蒐集家ですからね。ゥアムの方は大歓迎です」
「個人的に連絡すれば会える、ということですか」

 マキアリイの質問にもうなずく。

「そもそもが映画好きなのです。ゥアム帝国の映画は映像も音楽も素晴らしい。
 そこで映画音楽を中心に収集を始めたと伺っています。
 映画で有名なマキアリイさんであれば、」

「じゃあ『潜水艦事件』で有名なユミネイトさんでは、どうかしら?」

 ははは、と4人揃って笑う。
 それはカネを払ってでも会いたいさ。

 

        ***   

「おい! ヒィキタイタンが電話に出たぞ」

 晩餐後談笑を楽しんだマキアリイとユミネイトは、首都のヒィキタイタンに経過報告すべきと思い出した。

 しかし選挙直前の政界は大荒れで、議員はあちらこちらに飛び回り休む暇も無い。
 特にヒィキタイタンは知名度人気を当て込まれ、各方面でこき使われる。
 分刻みで移動するので、電話を掛ける先が分からないのだ。

 これまでは個人事務所に連絡して秘書に伝言するばかりだが、やっと捕まえた。
 居間に戻ってユミネイトを呼ぶ。

 すっと立ち上がる混血の姫君。
 グラハドとミ=ルェイが興味深く見つめる中、彼女は席を立った。 
 マキアリイに尋ねる。

「電話室?」
「……、いや書斎の電話だ」

 ゥアム上流階級の館には必ず「電話室」が設けられている。盗聴防止策だ。
 タンガラムではほとんど無いので、マキアリイは面食らった。

 横をすり抜けるユミネイト、表情が少し硬い。
 グラハドが残るマキアリイに尋ねる。

「ヒィキタイタンくんとは電話連絡しているんだろ」
「これまでは深夜にしか互いに電話が繋がりませんでしたからね。それも自殺や殺人事件絡みの後で」
「そうか。ゆっくりと話をする機会が無かったんだね」

「副社長、どうですかねユミネイト様は」

 ミ=ルェイが思惑たっぷりに様子を見計らう。
 グラハドも同感だ。マキアリイに再度尋ねる。

「どうだろうふたりは、いい感じなのかい」
「どうですかね。文通ではかなり親密であったようですが、」

「私はお二人がその、結婚などとなってくださると色々と話題性がありまして、よろしいのではないかと」
「そうだね。今年の正月にもヒィキタイタンくんの結婚問題で騒がれたからね。
 そろそろ覚悟を決めてもらわないと、ソグヴィタル家として困るよ」

 

 書斎というよりは執務室の趣になっている部屋。
 電話を預かっていた別荘番のマーガマルから、ユミネイトは黒い受話器を受け取る。

「もしもし、ヒィキタイタン?」
「ユミネイト……」

 長距離電話とは思えない鮮明な声に、表情を和らげる。

「ユミネイトどうだい、ギジジットは」
「あなたの家はやっぱり温かいわ。今、時間だいじょうぶ?」
「ああ、今日はなんとかね。

  ……。」

 マーガマルは静かに書斎の扉を閉めた。

 

 ユミネイトは湯船に首まで浸かって考える。

 ソグヴィタル家の別荘にはタンガラム風の岩風呂みたいな浴場もあるが、
ゥアム帝国から輸入した琺瑯引き湯船の一人用浴室もある。
 足を伸ばせるほど長いし、照明も明るくて、落ち込まなくていい。

「なんだろう、この感じ」

 長距離の電話代も考えずに半刻(1時間)ばかり話した。
 どうも自分ばかりが一方的に喋った気がする。
 本当はもっとヒィキタイタンの声を聞きたかったはずなのに、堰を切ったかに。

 ただ気楽に話をする点においては、マキアリイの方が気兼ねが無い。
 こいつはちゃんと反駁してくるし。

 ヒィキタイタンを相手にすると、どうしても自分を押し付けたくなる。
 また無条件に受け止めてもくれる。
 少し手応えが無い。

「期待し過ぎた、のかもしれない、のかな」

 彼は女性に慣れ過ぎている。
 常日頃接する数多の女達と同等に、ユミネイトも丁重に扱っているのか。

 しかし自分は結局、何を期待していたのか。

「自覚は無いけど、「潜水艦事件」映画の見過ぎ、なのかもね……」

 映画のヒロイン「ユミネイト」と我が身を、知らずに重ねていたのかも。

 

「ユミネイト居るか」

 浴室の外の窓から、子供の声を押し潰したようなネコの呼びかけがある。
 夏場だから、浴室の窓を開けて湯気を出している。

「なにかあった?」
「ゥアムの客船に乗っていた二人の狩人、見つけた。この町に自動車で来た」
「今?」
「夜だから」

 なるほど、ギジジット市の検問所をくぐり抜ける為に、夜の闇を利用したか。
 であれば彼らを支援し手引する組織が有る。
 ゥアム人ではなく、タンガラム人の裏切り者が居るわけだ。

「ネコ仲間が見つけたのね」
「白いやつらも狩人の話はびっくりした。ネコ食べられると思っている」
「ええ、たぶん彼らは食べるわ」
「こわいこわい」

 ユミネイトはざばと湯から身を起こす。
 確かに映画の見過ぎだ。派手な事件が起きなければ、ヒィキタイタンと親しく話せないなんて。

 期待するのは冒険か。
 そして自分は今、その渦中に在る。

 

【英雄探偵マキアリイ事典】

【ゥアム風庭園】
 ゥアム帝国は長い歴史を誇り、美術芸術においては古代風を尊重する。
 特に、「皇帝」制度確立以前の生贄祭壇を模した意匠が多い。

 ゥアムの歴史を区分すると、
「太古」:混沌期、文明発祥初期
「古代」:先神族期、聖戴者神族文明、ゥアム統一
「争覇期」:戦国時代で200年ほど。聖戴者同士の勢力争いでゥアム神族が勝利した。鉄器文明開花
「中世」:皇帝出現、神族の世襲制始まる
「近世」:ヤスチャハーリー渡来、生贄の風習終了、理性的政治体制期
「近代」:科学文明開花、タンガラム・シンドラ方台発見、世界観の拡大期

 「古代風芸術」とは、
皇帝が出現して新しい神族制度が確立する前の文化様式を、古く遠い記憶の彼方に消え去るものとして捉える。
 つまり廃墟をモチーフとした。

 人間の頭大の石に顔を刻んで様々な施設を組み上げる。
 そして首を食らう獰猛な怪物の彫刻。
 噴水は多用しない。滝は作る。
 廃墟だから草ぼうぼうに生えるわけだが、この朽ち果て具合を一定に保つのがけっこう難しい。

 数年に一度ぴかぴかに整備し直してお祭りをし、
その後徐々に朽ちていくところを楽しむ、成長する庭園なのだ。

 

 ちなみにタンガラム、シンドラにゥアム風庭園を作ると、あっという間に草で何もかも埋もれてしまう。
 高温乾燥したゥアム方台ならではの様式だ。

 

(第二十二話)その4「怪力線交響曲」

「いやあよく来てくれました歓迎いたします。大歓迎だ。
 所員一同、国家英雄探偵マキアリイさんと「潜水艦事件」の”Heroine”ユミネイトさんの訪問を喜んでおりますよ」

 正面玄関にまで出て大喜びで迎えるのが、ヒゥーギニティ・ゴウ氏。
 55才、国立「ギジジット産業電気研究所」の研究部長にして実質責任者だ。
 髪は既に真っ白で、上後ろ左右に逆立っている。かなりの個性派だ。

 彼は無類の映画好き。
 映画でお馴染み「英雄探偵」と「囚われの姫君」の本物が来ると聞き、飛び出してきた。
 厳重な警備も特例扱いで、直接に命じて二人を迎え入れる。

 並ぶ白衣の研究所員の拍手の波。
 日頃有名人の訪問など無い施設だから、この機とばかりの勢いだ。
 それだけの待遇を受けてしかるべき珍客である。

 

 電離する空気の臭いが漂っている。
 研究所の内部は白く明るく、飾りのないスッキリとした内装だ。
 陰影を重視する一般のタンガラム建築と隔絶して違う。
 驚くべきは全館冷房。さすがの最新研究所。

 そして微かに聞こえてくる音楽は、ゥアム帝国の交響曲?
 戸惑うマキアリイにヒゥーギニティは笑う。

「研究室ではない共通の空間には、安らぎを得る音楽を館内放送で流しておるのです。
 研究者達の頭も冴えて閃きも生まれるとの研究結果も出ております」

 案内されたのは賓客用応接室だ。
 豪華な内装で、黒い革張りの柔らかい椅子が並んで待っている。

「この部屋は、政府高官や担当臣領(大臣)が偉そうに視察に来る時の為、わざわざ用意したものです。
 あなた方ならば十分にうるさがたも納得するでしょう。

 我が研究室にお招きしたいところですが、国家機密が絡んでおりましてな。
 高名な「トゥガ=レイ=セト」氏のお嬢様であれば、色々とご披露したいものもありますが、残念です」
「いえ、お気遣いなく」

 タンガラムにおいて賓客のもてなしは、古来より「ヤムナム茶」を最上とする。
 甘藻を原料とするもので、ほんのりとした甘さとふくよかな香りが素晴らしい。
 淹れてくれるのは、若い男性の職員。むしろ徒弟の感じがする。

「この「産業電気研究所」は物理学者と工学者が半分、残りは技術者と支援員の構成になっています。
 最新機材で開発実験を行うには、機械そのものの専門家を必要としますからな」

「直接の産業への応用を進めていらっしゃるのですね」
「とびきり優れた研究者が個人の才能と英雄的努力によって新発明新発見を成し遂げるのは、遠い昔の話です。
 今や科学技術研究は何時いつまでに実現すると、予定を組んでの効率化こそが肝要ですからな。

 その点では、大学という仕組みそのものが時代遅れと言えますか。
 帝国においても同様ではありませんか」

 ユミネイトはちょっと皮肉な澄まし面で応じる。
 父「トゥガ=レイ=セト」は、どちらかと言えば「純粋科学」の系統に属する。
 彼も気付いた。

「ああ、これはしたり。
 御父上が開発された『通称:怪光線発射装置』は、まさに個人の叡智の産物でしたな。
 あの研究にはわたし達も我が意を得たりと、懸命に後追いをしております」
「貴方は、直接にこの分野のタンガラム第一人者でいらっしゃいますものね」

 HAHAHA、とゥアム風に笑うユミネイトとヒゥーギニティ。
 マキアリイはどう反応してよいか分からない。

 『怪光線発射装置』といえば、あの「潜水艦事件」の原因にもなったとされる発明だが、
事件で大活躍した英雄二人は正体をまったく知らない。

 

        ***   

 ユミネイト、マキアリイに説明する。

「ヒゥーギニティ・ゴウ客員教授のご専門は電磁波なのよ。
 『怪光線発射装置』ってのは、より厳密に言えば「七色光線発生装置」ね。
 加速器を使って任意の波長の光線を発生させるの」
「まさに発想の逆転ですな。

 「客員教授」「研究部長」、他にも様々な役職に就いておりますが、わたし個人としては「博士」と呼んでいただくと嬉しいかな」
「それはまた古風な呼び方ですわ」

 

 マキアリイ降参する。
 科学技術に疎いつもりはないが、専門家二人を相手に知ったかぶりをする気は無い。
 話を逸らす戦術に出る。

「ヒゥーギニティ博士はゥアム帝国の交響曲についてもお詳しいと伺っておりますが、」
「ああ! まさに!!
 帝国の御方がいらっしゃっているのに、その事について伺わないとはこれはしたり。
 ゥアム映画と交響曲は、わたしの研究者人生を決定付けた最初の一石でありました……」

 ヒゥーギニティ、興が乗ってきて舌がぺらぺらと動く。
 なんだか想像した学者像と違うので、ユミネイトに小声で尋ねた。

「この人、学者ぽく無いな」
「彼は研究者としても一流なんだけど、その本質は大規模なプロジェクト、計画ね。
 国家規模の科学技術研究計画を遂行する統率者・指揮者としての才能なのよ。
 だから、俗っぽいところが多いわね」
「おお、そういう人なのか」

「ついでに言うと、あまり「幻人」が好まない性格ね。感染の可能性は低いわ」
「さっさと本題に入ってくれよ。任せるから」

 

 先程茶を淹れてくれた職員に命じて、自分の部屋から秘蔵品を持って来させた。
 映画紹介の小冊子だ。わざわざゥアムから取り寄せている。
 色刷りの立派な印刷で、小冊子でこの豪華さなら、本編はどれほどの金が掛かっているだろう。

「わたし5才の頃でしたか、祖父母のお供をさせられてゥアム映画の上映会に連れて行かれたのです。
 一流本物の美術芸術を幼少から叩き込むのが最良の教育という方針で、
 おそらくは大正解だったのでしょう。

 わたしが見たのは、キル・ラン・ヲード芸術監督による『真夏の宵の憂迷/吝王の憐れ極まる生涯』の二幕。
 音楽監督はチアン・ヰキン師、後に「サルスボオァン交響楽団」の主席指揮者を務められておりますな。
 帝政歴25万3861年の作。タンガラム創始歴なら6161年公開の最新映画でした」

 さすがは映画通。淀む事無く映画情報が流れてくる。

「なにしろタンガラムでは音楽盤回して音を合わせて上映する時代に、
 シンクロフォン方式で完全な同期を取れた音声が、それも4チャンネル前後左右から流れてくるのですから。
 子供心にも、ああ世の中スゴイものがある、音が映画館全体を包んでいると衝撃を覚えたのです」

「50年前に、タンガラムに4チャンネルを再生出来る映画館があったのですか」
「首都国立大劇場です。
 音響設備を最新技術に入れ替えたお披露目の発表会でゥアム映画を流したわけですな」
「ああなるほど。観客第一号ですわね」

 ユミネイトも帝国においてタンガラムの大衆芸術を広める役を務めていた。
 映画に関しても相当の知識を持つ。
 ヒゥーギニティにとっては話の合う、とても嬉しい女神なのだ。

 マキアリイが全然わからないという顔をしている。

「マキアリイは観たこと無いでしょうね。
 そもそも50年経った現在でも、タンガラムに4方向から音が聞こえてくる映画館はめったに無いわ」
「ああ口惜しいことですよな。
 再現する「ハコ」が無いから名作が上映される事が無く、誰にも知られず埋もれていく」

「そんなに凄い映画なのか?」
「当時のタンガラムの映画百本分の制作費注ぎ込んでいるの」
「マジか!」

 

        ***   

『真夏の宵の憂迷/吝王の憐れ極まる生涯』は、
言わずと知れた「戯曲の王」シェ=ェクス・ピアが原作だ。

 シェ=ェクス・ピア作品は古典定番の地位を不動とするが、さすがに700年昔のものだ。
 皆が熟知し、様々に味わい尽くし翻案されまくった残滓の位置付け。

 彼の後にも文豪と讃えられた作家が綺羅星の如く現れ、図書館の棚を埋め尽くす。
 現在も刺激的な小説が続々と書かれているのだが、
しかし映画となると話は変わる。

 ゥアム人特有の気質として、
「どうせ金を掛けるなら立派なものを作ろう」と考えてしまうのだ。

 彼らにとって「立派」とは、神族の鑑賞に足る芸術を意味する。
 神族が一顧だにしないものは泥も同然。
 そこに商売や採算は入らない。不純な動機など論外だ。

 当然の帰結として、制作費が天井知らずに上がっていく。
 それを承知で始めるからには、外しようの無い題材を選ぶ他ない。

 「シェ=ェクス・ピア」だ。

 

 件の映画も冗談抜きでタンガラム映画百本並の資金が投じられた。

 基本的には舞台上の歌舞劇をそのまま撮影したものなのだが、
ゥアム帝国各地で撮影した美麗な映像でイメージを膨らませ、幻想的な作品となっている。
 虚構と現実、現代と過去、自然と人為、神聖と卑俗が舞台上で衝突し、融合し、織り上げられて演劇の形に統合される。
 その制作過程を描く事で、循環的な物語の階層構造を獲得し、
観る者から客観性を剥奪し、あたかも自身が現場に巻き込まれたかの体験を演出する。

 何を言っているのか分からないほどに複雑な、典型的ゥアム芸術映画であった。

 ユミネイトは説明の最後に自らの評を加える。

「でも面白くはないわよ」
「ダメだろそれ」

 これに対してヒゥーギニティは、

「タンガラム人が度量が小さすぎるのですよ。芸術に実用を求めるなどと」
「でも観客が入らないでしょお。面白くないんだから」
「そんな根性の入っていない奴は映画観る資格を持たない!
 観るのですよまず観る。然る後にそれを食らう。自らの血肉とする。
 そこでようやく、映画について語るを得るのです」
タスケテー

 

 丁度「シェ=ェクス・ピア」が出てきたから、ユミネイトはおもむろに本題に突入する。

「「幻人症」ですか。あのシェ=ェクス・ピア時代に猛威を奮ったという、あのアレがタンガラムに」
「ご存知ですか博士」
「わたしが知るのは映画での知識だけですが、別名「ドラマ病」だとか「ロマン病」ですな。
 劇的にして悲壮な結末に向かってすべてを滅びに導く、怒涛の社会現象とか」
「それです」

「シンデロゲン大学堂のウディト・ラクラフオン副教授の自殺事件に、聖王室芸術院大学のクンティン・アノーラ君の自殺未遂と殺害事件。
 わたしも気には掛けていましたが、それが幻人症によるものですか」
「ウディト副教授はよく分かりませんが、クンティン・アノーラ氏はギジジット市で働いていたと聞いています。
 貴方が率いる計画のいずれかに属していたのではありませんか」

 さすがにヒゥーギニティも押し黙る。
 国策計画であれば守秘義務があり、公権力の正式な調査でなければ何を話す事も出来ないのだ。

「ウディト君は本当に優れた頭脳の持ち主だった。わたしなど遠く及ばない天与の才能を持っていた。
 クンティン君は覚えていないが、ギジジットに居たというのならたぶん、そうなのだろう。
 だが二人に共通する関係と言われても、わたしには……」

 マキアリイを見る。
 映画好きの彼は知っている。
 「英雄探偵マキアリイ」の動くところ、国家を揺るがす重大事が発生する。
 たぶん脅威は本物なのだ。

 決断した。

「これは、禁を犯してでも事件解明に当たらねばなりませぬな。
 実験室にご案内しましょう」

 

        ***   

 研究所の心臓部に進入すると、驚異の光景が広がる。
 電気の館だ。

「電子の館、と呼んでもらいたいですな。
 現在注目の快進撃を繰り広げるのは、電子技術の発展ですよ。
 ゥアムシンドラタンガラム、いずれも総力を挙げて開発競争に挑んでいる」

「電子頭脳というやつはありますか?」
「ありますよ。この建物ではありませんが、デカイヤツ」
「でかいですか」
「電気を食いますねえ。熱を発生して、まるでかまどのようだ」

 おお、と感心するマキアリイ。

 通されたヒゥーギニティの研究室は、水晶の宮殿であった。
 真空管が何百本も並び、中に火が小さく揺らめき輝いている。

「最近の電子技術の流行は半導体素子を用いた全固体電子装置なのですが、大電力を扱うにはまだまだ真空管が主役です」

 研究部長である彼は特別待遇を受けていた。
 自分が好きなように研究の目標を定める事が出来るのだ。
 ここだけの話、とかなり後ろめたい話を打ち明ける。

「表向きはわたしは、飛行船を中継基地に用いる極超短波通信技術の発振装置の開発をしているのです。
 実現すれば、1千里(キロ)先の伝視映像を即時に見ることが可能になる。
 軍事技術としても、また民生用としてもいくらでも使い道のある技術ですな」
「なるほど、それは凄い」

「ですが、そんな役に立つ研究は部下にやらせておけばいい。
 わたしが真に狙っているのは「純粋光」です!」

 マキアリイ、ユミネイトに振り返る。何それ。
 ゥアムの姫君が解説しようとするのを、ヒゥーギニティが饒舌に遮る。

「そもそもが自然界に存在する光が単一ではない、複数の波長が入り混じったものなのはご存知ですな。
 太陽や燃焼を光源とする限り、不純とも呼べる光の世界から脱せられない。
 そこで人工の光源を、となるわけですがこれがまた難しい」
「純粋だとなにかいいことがあるのですか」
「そりゃそうですよ。科学技術研究に留まらず、……そうですな、今は泥水で顔を洗うようなものと考えて下さい」
「はあ。そりゃ問題大アリですか」

「というわけで、世界中の研究者が純粋光を求めて様々な方向から開発を進めているのです。
 ユミネイトさんの御父上「トゥガ=レイ=セト」氏が開発された『怪光線発射装置』は、その努力をあざ笑うかに鮮やかな解決を見せてくれました。
 しかし、さすがに機械が大き過ぎる。
 実用を考えるともっと運用し易い、持ち運びまでは要求しませんが自動車等で運べる程度には小型化したい。
 それこそ、映画に出て来る『怪光線発射装置』みたいに、です」

 もう一度ユミネイトを振り返ると、肩をすくめて見せる。
 有用な情報を引き出す為には、ある程度彼を満足させなくては。
 言いたい放題やりたい放題させてやるべき。我慢しろ。

「波長だけでなく位相まで揃えてやらない事には、上手いこと収束出来んのですな。
 虫眼鏡で集光するにも、一点にエネルギーが定まらない。
 これでは物体の破壊などは夢のまた夢と言えるでしょう」

「ぶ、物体のはかい?」
「ああ、ご存知ありませんでしたか。
 そもそも「怪光線発射装置」というのは、航空機撃墜の為に研究された「怪力線発射装置」と混同されて生まれた言葉なのです。
 強力な電波に指向性を与えて空中の物体に照射し、機体を焼却して撃墜する。
 そういう夢想が一頃流行ったわけです」

「博士はそれを作ろうとしている?」
「論より証拠です。試作品をお目にかけましょう。
 と言っても光はさすがにまだ無理です。極超短波を用いる「怪力線装置」を」

 というわけで、何やら水族館の水槽みたいな部屋に案内される。
 1面がガラス張りで密室になっており、なにやら電波を跳ね返すようなグルグルの図形が全周に描いてある。
 かなり頑丈な扉を開けて、マキアリイとユミネイト、そしてお茶を淹れてくれた若手職員が入る。

 彼は名をハゲトーといい、ヒゥーギニティ専属の付き人みたいな役割を果たしているそうだ。
 科学者ではなく電気技術者、工業高等専門学校の出身だそうだ。

 防護ガラスの前からヒゥーギニティが伝声管で呼び掛ける。

”これが電波防護実験室です。強力な電波が物体に与える影響を調べるもので、かなりの破壊力となりますな。
 ちょっとご覧に入れましょう。ハゲトーくん!”

 ハゲトーが一度部屋から出て、等身大の人形を担いでくる。
 扉を開けるのをマキアリイは助けてやった。

”この実験人形に電波を照射して、人体に与える影響評価をするわけです。
 場合によっては木っ端微塵となります”

 そしてがらりと口調が変わる。

”グハハハ、ヱメコフ・マキアリイよ! ここがお前の火葬場となるのだ。
 百万ヴォルタァルの超高密エネルギーの餌食となるがよい”

 

        ***   

 再び揺らめく真空管の焔。
 ヒゥーギニティの背後で電力が異常な集中を見せ、電磁石の振動音が鼓膜を低く震わせる。
 制御盤の操作把を押し上げて、徐々に電圧を上げていき、
無形の力が実験人形に降り注ぐ。

 ばちばちと空気が弾ける音、火花、閃光。
 たちまち人形の肌は溶け、着ている服が燃え上がり、爆発! 
 千々に砕けて部屋中に飛び散った。

「いやー、すごい破壊力ですなあ。まさに兵器と呼んでいい威力ですよ」
「わははどうだ。見たか、無敵の英雄マキアリイも近代科学の前では赤子同然。
 為す術も無く泣き叫ぶ暇も許さずあの世行きだ。
 今日からは『英雄科学者ヒゥーギニティ』の物語が始まるのだああ」

「おおおお」

 ふっと振り向くヒゥーギニティ。四方に尖った白髪の頭を回して、疑問を探る。
 ヱメコフ・マキアリイとユミネイト・トゥガ=レイ=セト、そして付き人ハゲトーが、自分の背後で破壊実験を見学している。
 博士は今さらに驚いた。

「何故ここに居る。なんで部屋から出ているのだ」
「いや、危ないから」
「扉には錠を掛けたはずだ。閉じれば自動的に閂が下りるように、操作した」
「はあ、完全に閉めていませんから」
「何故そうなる。安全手順を守らんか。電波照射の時は必ず閉鎖しろとアレほど言っただろうハゲトーよ」

「すいません。マキアリイさんが扉が閉まらないようにつっかえ棒を入れたもので」

「俺はこれでも悪党どもに命を狙われる英雄探偵ですから、密室に入る時は必ず脱出路を用意するんです。
 扉は閉まらないように、棒やら硬貨やらを挟んで、」
「それでは抹殺できないではないか。
 ああーだから素人はダメだ。なぜこんな簡単な規則を守れない。
 一瞬の油断が重大な事故を招き、すべての成果を灰燼に帰すとアレほど訓戒したではないか。
 死んでないではないかああ」

 荒れ狂うヒゥーギニティ。じたばたと手足を振り回し、ハゲトー他の所員が必死でなだめている。
 マキアリイ、ユミネイトに尋ねる。

「えーと、これはー、幻人、なのかな?」
「え、ええ。たぶん、いきなり人格が豹変して暴挙に出るのが幻人の特徴だけど」

 

 とりあえず落ち着きを取り戻したヒゥーギニティは、所員の一人に命じた。

「アレだ、アレを用意しろ!」

 すっ飛んで実験室を出てどこへやら走る。
 しばらくして、全館放送でゥアム音楽が壮麗に鳴り響く。
 ユミネイトは、もちろん知っている。

「楽聖ルト・ファン=フォーフェンの交響詩篇『麗し暴虐の凱歌』
 演奏は、これはフロゥワランス華絃交響楽団ね。指揮はたぶん、ロス・パットイ師で20年くらい前のだわ」
「おまえ、よく分かるな」
「ロス・パットイ師には亡くなる直前にお会いできましたから」

「なんと! それは羨ましい!!」

 ヒゥーギニティは隠す所無く羨望の言葉をぶつける。
 改めて装いを整え直し白衣も新たに着込み、まったくもって科学者然となる。
 眼には真っ黒な防眩眼鏡。溶接作業などで使うものだ。

 つまり、見るからに偏執妄想的、活劇映画に出てくる狂博士が居た。

「改めて宣言しよう。ヱメコフ・マキアリイ、今日が貴様の命日となる。
 見るがよい、わたしが開発した真の殺人兵器。
 野戦仕様で携帯が可能な実用第一号として世界に誇る、『怪力電波発射砲』だっ!」

 と、活劇映画に出て来る光線銃の親玉みたいな大きな筒を抱え上げる。
 各所に真空管が貼り付いて、怪しげ不規則に瞬いていた。

 マキアリイ、またユミネイトに尋ねる。

「おい、アレは本物の光線銃か?」
「さあ……」

「ぐわぁははは、死ね英雄探偵!」

 カチッと引き金を引くと、研究室の各所で爆発が起きた。
 百の真空管が一度に破裂する。
 飛び交う稲妻、煌めき舞い散るガラス片、火花が踊り随所を焦がしている。
 研究所員が悲鳴を上げる。

「まずいわ、アレ本物よ。極超短波発振装置だわ」
「さっき実験したのと同じか?」
「ほんとに人間が抱えて撃つなんて、バカじゃないの!」

 

        ***   

 ずるりと伸びる電力線を引きずり、電波砲を抱える狂博士が廊下を徘徊する。

 研究所の天井照明は蛍光灯、電力供給は途絶えても電波照射で不規則に発光する。
 並ぶ各研究室で次々に機器が弾け、火花が破裂音を轟かす。
 化学物質が焦げた臭いが充満し、消火に研究員達が走り回る。

 博士の標的は英雄探偵とゥアムの姫、ついでに何故か付き合う助手のハゲトーだ。
 3人は大きな実験机の裏に身を潜め、動向を窺う。

「おいユミネイト。幻人症は派手な自殺をやらかすんじゃなかったのか。
 これはどう見ても殺人遂行中だろ」
「いえ、よく観察して。ヒゥーギニティ氏は髪が燃えてるわ」

 あれほどの高電圧を操り、人体に有害な電波をばらまいているのだ。
 四方に聳える白髪にも稲妻が飛び交い、小さいながらも延焼してまるでロウソクを頭に立てているかのようだ。
 マキアリイも納得する。

「自分の生命を顧みる選択肢を持たないのか。
 だがどうやって止めればいい? 俺は電波なんかと戦えないぞ」
「電源よ。電力供給が途絶えれば普通に機能停止するわ。
 ハゲトーさん、配電盤はどこかしら」

「あ、はい。ここからだと、あちらから電力引っ張ってきてますね」

 彼が指し示すのはかなり遠くにある函。金属製で白く塗装している。
 操作しようと思えば、狂博士が照射する電波の前に身を曝さねばならない。

「マキアリイ、なんとかしなさい」
「なんとかって、なんだよ」
「こういう時映画ならシュユパンのボール投げるでしょ!」
「あれは映画の中だけだ。現実の事件でやるわけないだろ!」

「あ、いや。シュユパンの球ならご用意してます」

 ハゲトー、自身が着る白衣の物入れから白い革を縫った球を取り出した。

「マキアリイさんがいらして球にお印の署名を頂かないなんてありませんから」
「ほら、投げて投げて」

 仕方無しに白球を握るマキアリイ。
 冷静に考えてみれば配電盤を球で壊すなんて無理だし、もっと良い方法も考えついた。

「ヒゥーギニティ氏にこの球ぶつけちゃダメか?」
「ダメです! しんでしまいます」
「そうね、あの電波砲落としたら爆発する可能性が有るわ。まず電力供給止めて」
「へーい」

 イチニのサン、でマキアリイ机から姿を出して、最小の動きで剛速球を投げた。
 途端に電波砲が振り向いて、机の上に置いてあった実験器具が破裂する。
 白球は博士をすり抜け、ぐんと伸びた軌道で見事配電盤に直撃。
 扉の引き手が派手な音を立てて蓋が開いた。
 開いただけだ。そんなに上手くは行かない。

 だが近くに居た所員が気付いて、マキアリイ達の意図を知る。
 遠くからこちらに合図を出して、配電盤を操作した。

 ぶつんと配線が切れる音がして、すべてが停止する。
 照明もすべて落ちて暗く、ただ無数に燃える小さな焔が闇を照らす。
 別系統の館内放送のみが、電波の影響で調子が歪んだ音楽を鳴り響かせた。

「むぅおおお、なんとしたことだ。停電か停電したというのかわたしの研究所が! ゆゆし!」

 しかし博士はすこしも慌てず、頭上で燃える髪の灯りで照らし電線を繋ぎ替える。
 ぼわんと再び電力が戻る音がして、照明も半ば回復した。
 勝ち誇る。

「電源は正副二系統あるううぅ」

 

        ***   

「研究所だから当然ね。なんで考えなかったのよマキアリイ」
「俺か! 俺が悪いのか」

 隠れている場所がバレたから、電波砲は容赦なく実験机に向けられ激烈な照射が行われる。
 器具等の金属部品がばちばちと火花を散らし肌を焦がさんばかりで、身動きが取れない。

 マキアリイ、だが疑問に思う。

「ユミネイト、幻人症ってのは演劇的な事件を引き起こすものなんだろ」
「ええ、人目を惹き付ける為に派手に、それも分かり易いようになんらかの物語や逸話を下敷きにする事が多いわ」
「ウディト副教授にクンティン氏がそうだったみたいに、な。
 じゃあ、コレはなんの真似をしてるんだ。
 ゥアム帝国には物理学者に馴染みの、あんな博士が居るのか?」

 さすがにユミネイトも、帝国を馬鹿にするな、としか反論しない。
 が、

「でもわたし、なんだかこんな映像をどこかで観た記憶が有るのよねー」
「あ、自分もあります。なんだかこの光景、懐かしいですよね」
「そうなのよ。良く知ってるものなんだけど、何だったかな」

 ユミネイトとハゲトーは生まれも育ちも全く違う。
 片方は海を渡って帝国行きだ。
 にも関わらず二人が共通して懐かしく感じるのは、どういう体験をしてきたのか。

 マキアリイも、どこかでこんな事件有ったような気がしてきた。

「電波砲、いや怪光線発射、装置、だなアレ」
「それよ!」

 ユミネイト、閃いた。

「ヒゥーギニティ・ゴウ博士は映画好き。今回も、映画を下敷きにしているのよ。
 創始歴6206年公開、「エンゲイラ光画芸術社」制作、監督ドゥマ・ネブァゾ、
 主演コンタクラ・リゥテンダ、カゥリパー・メイフォル・グェヌ。
 とここまで聞けば嫌でも分かるでしょ。

 「潜水艦事件」映画第一作 『南海の英雄若人 潜水艦大謀略を断つ』、よ!」
「あーー! それです。
 謎の一味の博士が「ユミネイト」の父親が開発した「怪光線発射装置」の複製を作って
 潜水艦を格納する大洞窟まで助けに来た「ヒィキタイタン」と「マキアリイ」を、
 バリバリとイナヅマ光線で追い詰める、その場面ですよ!」

 マキアリイ、苦虫を噛み潰した顔で応じる。俺も思い出した。

 頭のおかしな老博士が手にする武器のおもちゃが、割と売れ筋。
 子供相手に結構儲けさせてもらった。
 引き金を引くと回るはずみ車が火打ち石に接触して火花が散る、なかなかの逸品だった。

 警察局の捜査官をクビになって、ヌケミンドル市で糊口をしのいでいた時代の話。

「あの悪の博士は、どうやって倒したっけ」
「空中二段蹴りよ」
「はい、空中二段殺法でイチコロです!」

「なんだその技。俺知らねえぞ」
「だから空中で2回飛び上がるのよ。マキアリイ最強の必殺技よ」

 それ物理法則を無視してるだろ、と思うのだが、二人は真剣な顔。
 ハゲトーが詳しく解説する。
 彼がまだ中学1年生の頃に公開だから、流行直撃だ。

「空中二段蹴りは武術の達人マキアリイ少兵が故郷の師匠から伝授された必殺奥義で、
 一度高く飛び上がったマキアリイが最高点に到達したところで更に空を蹴って天高くに至り、
 頭上から悪を目掛けて急降下するのです。

 当時真似をして高い所から飛び降りて怪我するちびっ子が各地で続出。
 「マキアリイ」役のカゥリパー・メイフォル・グェヌが本編上映前の広報映画に出演して、
 「空中二段蹴りは厳しい訓練を積んだ武術の達人マキアリイだけが使える必殺技だ。良い子は真似しないでくれよ」
 と警告するまでになりました」

「お、おう……」

 二人の目が輝いている。これはもう、二段蹴りしないと許してくれなさそうだ。
 そして、幻人「ヒゥーギニティ・ゴウ」もまた。

「ぅわあははは、どうだこの威力この破壊力。
 無形の力を前にしては何人たりとも逆らえまい。
 がら空きの頭上を狙うくらいだなぐははは」

 

        ***   

「ほらマキアリイ」
「マキアリイさん、お願いします」

 致し方なく、「空中二段蹴り」をせねばならなくなった。
 とはいえ、いかに武術の達人とはいえ虚空を蹴って飛び上がるなど不可能。

「あ、マキアリイさん。
 映画でマキアリイは空中二段蹴りをする前に予告のような予備動作とセリフが有るのです。
 これやらないとたぶん研究部長は納得しないでしょう」

 なにせ相手は幻人だ。芝居の筋書きどおりにやらないと、上手く殺られてくれない。
 実験机の裏から、ハゲトーが教える通りに大声でセリフを喋る。

”やいこの三流へっぽこ学者め。
 ユミネイトの親父さんの発明を盗みやがって、それでも誇りあるタンガラム国民か!”
”ぐははは、ありがたく思うがよい。
 殺人兵器と化したこの威力。これこそ真の有効活用だ”

 ノリノリで応じるヒゥーギニティ。セリフも演技も完璧だ。

”許さんぞ悪の手先奴。
 喰らえ、空ー中、二段ー、殺法ぉ!”

 マキアリイは映画のように敢然と姿を見せ、両の手を揃えて右斜め下10度に伸ばす。
 指はキレイに伸ばして。脚は肩幅に開く。
 そのまま弧を描くように頭上まで上げて、天を指すと同時に力強く下に引き下げる。
 勢いのままにしゃがみ込んで、反動を利用し跳躍。
 「とお!」と叫ばねばならない。

 さすがに跳躍量が足りないから、実験机を踏んで高くに飛ぶ。
 とはいえ博士までは15歩(10メートル)以上離れて、やっぱり届かない。
 空中でもう一度蹴らねば。

 ユミネイトもハゲトーもヒゥーギニティも、誰一人天井の高さを考慮していなかった。
 無様に天井に激突する正義の英雄。
 そのまま上下反転し、”物理法則に反して”逆さまのまま、天井を走り抜ける。

 予想もしない展開にただ驚くばかりの博士の頭上に、雷霆の如き怒りが炸裂する。
 ぎゃああ、と悲鳴を上げて滅びるばかりだ。

「み、……見事だヱメコフ・マキアリイ。新たなる悪の脅威には、新必殺技の開発こそが勝利の王道。
 ”空中爆走二段蹴り”、しかとこの目で見届けたぞ。
 ぐぉおおお、チダルマー万歳!」

 映画に出てきた謎の謀略組織の名を讃え、ばったりと狂博士は倒れる。
 刹那、全身に仕込んでいた炸薬が点火され、大爆発。

 火花が収まり物陰から身を乗り出すユミネイト、今更の間抜けな質問をする。

「マキアリイ、殺したの?」
「バカ言うな。直撃すらしてないぞ」

 マキアリイは博士を突き飛ばしただけだ。電波砲が地面に落ちないよう奪い取る。
 武器を手放したただのおじさんを、何故に殺さねばならぬ。

 脅威が沈黙したと知り、様々な場所に身を隠していた研究員達が姿を見せる。
 結局何があったのか、と近付いてきた。
 マキアリイ、彼らに指示する。

「すまないが警備と救急を呼んでくれ」
「は、はい」

 

 ハゲトーは、ヒゥーギニティから奪取した電波砲を拾い上げる。
 幸いにも損傷を受けてはおらず、爆発の危険は無い。
 さすがは野戦を考慮した実用兵器と呼ぶべきか。

 既に研究員によって遮断された副電源と繋がる電力線を引き抜き、
近くに有った別の配電盤に接続する。

 高笑いした。まるでヒゥーギニティのように。

「ぐはは、非常電源もあるぅう!」

 ぶん、と再び唸りを上げ光を取り戻す真空管。

 だが稲妻よりも早くにユミネイトが、左頬を拳で思いっきり打ち抜いた。
 気絶し崩れ落ちるハゲトーから電波砲を奪還する。

「これが「幻人症」の一番迷惑な点よ。
 取り憑かれた本人が発する圧倒的な影響力、魅力カリスマにより、周囲の人を同調させ物語に取り込んでしまうの。
 集団発狂状態を演出する」

「じゃあヒゥーギニティ博士も本物じゃない?」
「そうね……。本当に幻人憑きか確実に判定する手段は、知らないわ」
「やはり尋問してみるしかないか」

 

 気が付くと、騒動の最中ずっと流れていたゥアムの交響曲が最終楽章に到達する。
 調子っ外れの歪んだ音を奏でながら。

 

        ***    

 ヒゥーギニティ・ゴウ研究部長は、大爆発の中心に居たにも関わらず無傷であった。
 いつの間にか薄い鉄板の上に火薬を貼り付けた、映画撮影で使う弾着装置を身に着けており、
派手な焔の割には威力が薄かったのだ。

 気絶しているから救護班に後を任せ、
マキアリイとユミネイトは彼の城である研究部長室を捜索した。
 異様な光景が広がる。

「この書棚に納められているのは、全部録音盤か!」
「千枚以上あるわね。まるでレコード店だわ」

 彼が映画音楽やゥアム交響曲の蒐集家だとは知っていたが、職場を私物化しているとは想定外だ。
 ゥアム帝国絡みの秘密計画を示す資料が隠されているとして、この本棚全部探すのか。

 ユミネイトは録音盤を挟む厚紙の1封を抜いて、検める。
 製盤会社名を確かめて、マキアリイを呼ぶ。

「やはりヒゥーギニティ氏はゥアム帝国から秘密文書を受け取っていたみたいね」
「録音盤に書類を紛れ込ませていたのか」
「この会社、ゥアム行政府御用達の特殊製盤業者なの。

 あなた、潜水艇が通信を受ける時の手順、知ってるわね?」
「おお。一度電信を磁気録音帯に記録して、倍速で瞬間的に送信するってのだろ。
 タンガラムでは今は民間でも使ってる」
「アレ使うと、音が高くなるのは分かるわね。早回しだから。
 で、さらに早くすると人間の可聴域を越えて超音波になる」
「超音波記録なんて出来るのか……。

 そうか、ヒゥーギニティ氏は「波」の専門家で、電信読み取りの専用器材も有るわけだ。
 じゃあこれが全部、その証拠か」

 残念ながら、とユミネイトは否定する。

「通常の材質で作られたレコード盤は、たしかに超音波が記録出来るのだけど、
 材質が弱いから1度再生しただけで信号溝が摩滅してしまうのよ。
 後は、偽装の為に収録した可聴域の音楽しか残らない」
「知らない人間が検査しても、ただの音楽としか分からないのか。でも解読前に検査されたら信号潰れないか?」
「粗雑なレコード針だと超音波域の凹凸をうまく拾えなくて、意外と無事らしいわ。
 タンガラムで使う鉄針なんて論外よ。ダイヤモンド針でないと」

 趣味の世界だな。マキアリイ呆れてしまう。
 高性能な音響装置に大金を注ぎ込んで一財産潰す趣味人の話は聞いている。
 偏執的な愛好家でないと、録音盤の秘密は分からないわけだ。

「するとヒゥーギニティ氏は計画全体の責任者と言うより、情報受け渡し部門の責任者と考えた方がいいか」
「そうね。彼よりも物理・工学界において上位の人材が総責任者として統括してるのでしょう。
 大分候補者を絞れるわ」

 

 一通り捜査を終えた二人に、研究所の警備主任が呼び掛ける。

「マキアリイさんユミネイトさん。巡邏軍と警察局の捜査官がお二人に詳しい事情を伺いたいと言ってます」
「当然にそう来るよな。分かった、だが先にこう伝えてくれ。

 ヒゥーギニティ・ゴウ氏とその助手のハゲトーくんが暗殺される可能性がある。
 アグ・アヴァ市の軍病院内殺人事件の犯人が、おそらくはギジジットに侵入している。
 まずはそこから話を詰めたい、と」
「わかりました」

「ユミネイト、他になにか無いか?」
「そうね、面倒だから帝国外交部の連絡室にも話を付けて、と注文して」

 

 

 夜。
 日付も替わった頃に、研究所の別棟を訪れる二人の清掃員が居た。

 実験棟は電波砲騒動により大規模な破壊を受け使用不能、立ち入り禁止となる。
 別棟に意識不明のままのヒゥーギニティ・ゴウとハゲトーが移されていた。

 ヱメコフ・マキアリイの進言により、執行拳銃で武装した巡邏軍1箇小隊が徹夜で警備する。
 また周辺を別の小隊が軍用犬を連れて巡回し、不審者を警戒する。

 しかし二人はなんなく別棟に入り込んだ。
 まるで魔法を使ったかに、巡邏兵数名が眠らされる。
 黒髪が長い方の仕業で、布で包んだ長い棒を持つもう一人は手助けもしない。
 必要が無い。

 幻人に憑かれたヒゥーギニティを収容する部屋の扉を開ける。
 中は照明も落とされ暗い。小さな電球が灯るのみだ。

 清掃員の服を引き抜くように脱ぎ捨て、正体を明らかにする。
 長身黒髪の女と、ゥアム帝国の蛮族風衣装の男だ。
 布を外して手槍の穂先も明らかにする。

 女は左手首に嵌めた腕輪を変形させ、小さな灯籠に組み上げた。
 火種を移すと、緑色の焔が立ち上る。

 布の帳の衝立が入り口付近を遮り、中の様子をすぐには見せない。

 緑の焔で照らされる室内は、講堂ほどの広さがある。
 調度は据え付けられておらずガラ空き。
 中央に病院の簡易寝台が2台置かれていた。ヒゥーギニティらはそこに寝ているのだろう。

 広い。
 まるで格闘戦をする為にわざわざ空けているかのように。

 寝台の脇から明るい感じで男の声がする。続いて、聞き覚えのある女の声も。

「よお、待っていたよ」
「”白虹のカ’ン”に、”細蟹のパ=スラ”だったわね。
 いずれろくでもない形で再会する、とは思っていたわ」

 男は言う。ゥアム辺境の蛮族語で、驚きも無く。

「(我々は嵌められたようだ)」

 

        ***    

 天井に並ぶ蛍光灯が瞬き点いて、いきなり視界がはっきりとする。
 しかし、同時に出現するはずの巡邏兵の姿は無い。
 気配は有るが、展開しない。
 意図が読めず警戒する二人の侵入者。

 ヱメコフ・マキアリイ、四カ国にその名を轟かせる武術の達人が軽く誘う。
 握るは、男が携えるのと同等の長さの槍。
 穂先が奇形的に大きな、いかにも人殺しの道具の禍々しさを見せる。

 一方ユミネイトは狩猟用拳銃を左腰に吊るしている。

「こんな所で拳銃の撃ち合いとか無粋だろ。
 まずはゥアムとタンガラムの槍比べと洒落込もうじゃないか」

 黒髪の大女が男を制止する。
 ここは逃げるのが当然の対応。任務遂行は後日の機会を探るべき。
 そうはさせじ、とユミネイトがゥアム語で命じる。帝国中央の雅語を使う。

「(”白虹のカ’ン”よ。「待壇者」ユミネイト・トゥガ=レイ=セトが約束しよう。
 ヱメコフ・マキアリイに御前が勝ったなら、以後の任務遂行をわたしは黙認する。
 帝国の利益と帝室の安寧の為と認めよう)」

「(……、「待壇者」様にお伺いいたします)」
「(許す)」
「(ヱメコフ・マキアリイを殺してよろしいでしょうか)」
「(可能であればやってみるが良い。火薬飛び道具毒を使っても許すぞ。
 だが”細蟹のパ=スラ”は手出し無用。あなたには別に尋ねる用がある)」

 女は頭を下げて最上位者に従う。
 理解した。ユミネイト本人はあくまでもゥアムタンガラム両国にとっての最善を求める。
 決して敵ではないと。

 

 一対一の男の勝負だ。
 効率は悪いかも知れないが、望むところと言えよう。
 カ’ンにも血気に逸る若き時代があった。

 ましてや敵はヱメコフ・マキアリイ。武術を生業とする者であれば、一度は対戦してみたい英雄だ。
 「待壇者」が望む死合であれば、受けぬ選択肢は無い。

 観察する。
 マキアリイが構える槍は、タンガラムの「チュダルム槍」と呼ばれるもの。
 別名「首刈り槍」、数百年前には戦場の第一線から消えた武器だ。
 それでも、名人と呼ばれる使い手が今も流派を留めていると聞く。
 槍自体には特に変わった仕掛けは無い。であれば使い手の力量次第。

 カ’ンは槍を構えて部屋の中央に進む。
 寝台の上に、白髪の男性が拘束されているのが見える。眠っているようだ。
 これが目的の「幻人憑き」
 マキアリイを倒さねば抹殺の任務は果たせない。

「よお。タンガラム語が通じるかしらないが、結構な業物を使ってるな。
 何人くらいの血を吸ってるんだソレ」

 幻人の狩人カ’ンが構える短槍は、特に飾りも無い実用一辺倒。
 刃がゆるく波打って肉を斬り裂き易くなっている以外は、粗末と形容してもいい。
 それでもゥアム調に怪物の目玉の意匠が造形されている。

 もちろん使い手は凄まじい達人であると見て取れる。
 身体と武器が一体化して襲ってくるだろう。
 さて、どう凌ぐか。

 

        ***   

 マキアリイ、無造作に上から大振りして打ち込んだ。
 当たれば大の男も両断する勢いだが、どう見ても下段がガラ空き。
 誘っているかに見える。

 応じるほどカ’ンも未熟ではない。
 伝え聞くところ、マキアリイは武器よりも素手の格闘が得意。相手が武器や銃砲を使うとしても。
 それだけの精妙な体術を備えているのだ。隙なんか無い。

 斬撃には力で応じる。
 鋼と鋼が激突し、互いの威力を交換する。
 知った。マキアリイが自分を殺す気が無い事を。
 それにしても、この重さはどうだ。並の者なら受けきれずそのまま斬り伏せられるだろう。
 カ’ンの技量を信頼して、防御できると読んでの攻撃だ。

 一方マキアリイは鋭さを感じ取る。
 一撃で貫通する系統の槍術だ。
 刀剣類とさほど交戦距離の変わらない短槍では、遠間では決着がつかない。
 捨て身で貫き命を拾う戦いを何度も繰り広げてきたのだろう。

 

 続く攻撃も、マキアリイの連撃だ。何本も打ち斬り突き薙ぎ叩き伏せる。
 すべて受けるが、反撃には転じられない。
 やはりまた誘い。カ’ンの技量のすべてを曝け出させる目的だ。

 マキアリイは知ろうとしている。
 カ’ンの武術のみならず、その任務、立場社会的地位、苦悩、人間としての有り様すべてを読む。
 言葉が通じずとも身体が発する表情が人格を雄弁に物語る。

 長引くと丸裸にされてしまう。早々に切り上げねば。

 カ’ンの攻撃。既に覚悟を決めた。
 ヱメコフ・マキアリイは殺さねば、止められない。
 全身全霊我が身に備わるすべてを懸けて、相打ちとなってでも倒さねば任務の遂行は阻止される。

 一線を踏み越えた先、達人のみが分け入れる領域で、
マキアリイの真価を知る。
 こいつは底なし沼だ!

 確かに命を捉えたはずの槍の穂先が、なぜか宙を指している。
 肉を抉り骨を砕き心臓を貫く必殺の一撃が、空振りだ。
 驚くほど懐が深く、致命の攻撃を食らった後からでも反撃に転じられる余裕を持つ。

 噂に聞く英雄譚では、至近の銃弾をものともせず、素手で敵を殺さず捕らえている。
 納得せざるを得ない。こいつは当たらないのだ。

 無論そういう奥義はカ’ンも心得る。
 しかし、それに特化した武術が存在するとは初耳だ。ゥアムには見当たらない。

「(やむを得ぬ。小細工を弄するしか手が無い……)」

 

 槍に象られた怪物の眼に焔が瞬く。
 強烈な白い閃光を発して、人の眼を灼いた。
 マグネシウムを使った目潰しで、本来は幻人対策として用いる。

 ヱメコフ・マキアリイに対しての効果は。

「……、互いに闇の中でも戦えるんだ。目潰しは悪手だよな」

 カ’ンの槍が空中に釘付けになって動かない。
 マキアリイの首刈り槍の切っ先がほんのわずか接触して、そのままカ’ンを拘束している。
 槍は引くにも押すにも外すにも、凍りついたかに動かない。
 いや、動こうとした瞬間に体を崩され無力化し、捕縛に導かれるだろう。

 槍を捨てねば。だがその呼吸が見当たらない。
 手も足も、次の動作がマキアリイに読まれた。眼が眩んで見えない分感覚が研ぎ澄まされる。

 この男にとって武術とは、他人を理解する手段なのだ。
 知った相手は殺すまでも無い。すべて自分の手の内となる。

 カ’ンは声を発する。勝てない事実を受け入れざるを得ない。

「(「待壇者」様、この男は吾の手に余ります。どうかお裁きをお願いいたします)」

「マキアリイ、もういいわ。戦意喪失よ」
「おう」

 

        ***   

 狩人”白虹のカ’ン”と”細蟹のパ=スラ”が、ユミネイトの前に跪き畏まる。
 所持する武器は床に伏せ、害意の無い証とする。

 合図を受けて、執行拳銃を携える巡邏兵が部屋に並び、
指揮する巡邏小隊長、ギジジット市警察局の捜査官、研究所警備主任が入る。

 加えてゥアム帝国の連絡事務室からも派遣されて、ユミネイトの前に跪く。
 彼は外交官ではなく、経済技術関係の官僚だ。
 緊急事態であるから任務に無い真似もさせられる。

「「待壇者」様、どうかこれ以上の危険なお振る舞いはお止め下さい」
「もう終わったわ」

 マキアリイは、目眩ましでまだはっきりしない視界をなんとかしようと苦心している。
 手でまぶたを抑えたり、何度も瞬きしてみたり。

「あーさすがにあの距離は効く。まさかタダの槍にあんな仕掛けが有るなんてな」

「あなたの槍には特殊機能仕込んでいなかったの? 普通、なにか有るでしょ」
「ヒィキタイタンの従姉が別荘に置いていった重要文化財級の銘品さ。
 武器としては最高の出来、ソレ以上何が要る」

 

 警察局からは、コレイト上級捜査官。
 マキアリイよりわずかに歳上でありながら上級に昇格した、有能な人材だ。
 重要な国策研究所が破壊工作を受けたとの報で、警察局も深刻な事態だと認識する。

 コレイトはマキアリイに尋ねる。

「ではこの二人をヒゥーギニティ・ゴウ氏殺人未遂の現行犯として、またアグ・アヴァ市軍病院内殺人事件の容疑者として逮捕してよろしいのだな」
「まあそうなんですが、逮捕するとなにかと面倒な展開になると。
 なあ、ユミネイト!」

 呼び掛けられても、狩人二人の前から動くわけにはいかない彼女は、声を大きく会話に参加する。

「ええ。殺人犯として取り扱うのが法的に正しいのでしょうけど、
 たぶん二人を殺しに幻人憑きが襲ってくるわ。何人も」
「この二人は単に殺人を行うのではなく、抗争中なのか……」

 コレイトは絶句する。
 また、部屋に居る関係者全員が状況を理解してしまう。
 ユミネイトは説明せねばならない。

「この二人は、帝国の秘密工作機関の命令により、人間の精神に対して伝染病的な影響のある人物を殺しに来たの。
 数百人規模の犠牲者が出る前に、数名を殺して済まそうとする。
 語弊は有るけれど、善意に基づいての判断よ。

 でも殺される方も黙っては居ない。
 狩人が檻に入れられたと知れば、当然に駆逐に来るわ」

「そして被害を受けるのは、警備を行う巡邏兵が数十名、になる。
 彼らは狩人だから無用の殺しはしないし、この部屋に入る時も誰も殺していない。
 一方狩られる方は、
 ……研究室の有様を見てくれれば分かると思う」

 マキアリイの補足説明に、コレイトも青ざめる。
 電波砲などで兵士が攻撃されたら、どんな対応をすべきだろう。

 ユミネイトは続ける。

「それに逮捕したとしても、ゥアム公館が彼らの身柄保全を求めるでしょう。
 外交官に準じる形で、たぶん政治決着となり刑事責任は問えないわ。
 そんな結末の為に何十人もの命を危険に曝す?」
「だが野放しには出来ない!」

 そりゃそうだ、とユミネイトは再び視線を二人の狩人に向ける。

「大丈夫。彼らに対する命令権限の序列を、わたしを最優先するように書き換えました。
 タンガラム治安当局と衝突しないように出来ます」

 そんな話を個人の口から聞かされても、納得できるものではない。
 タンガラム人ならば皆そう思うが、ゥアム人は違う。
 連絡室の官僚は、コレイトに保証した。

「ユミネイト・トゥガ=レイ=セト様は、権力の最上位に限りなく近い御方です。
 そのお言葉は法律と同等の重みを持って、ゥアム社会では機能します」
「本当、なのですか……」

 ユミネイトは狩人達を立たせる。
 武器も拾わせて命じる。

「もうお行きなさい。なるべく穏便に」

 二人は一礼して、巡邏兵達が最大限に警戒する前を通り、退出する。
 巡邏小隊長がコレイトの顔を見て、どうしたものかと無言で尋ねている。
 見送った。

 

 その場の誰もが大きく息を吐く。一気に緊張が解れた。
 マキアリイはだが、と簡易寝台で強制的に眠らされているヒゥーギニティ・ゴウ研究部長を見る。

「問題は、こっちの方なんだな」

 

        ***   

 結論を言えば、「幻人」を安全に排除する策は確かに存在する。
 ただし、誰もその方法を知らなかった。

 

 「電波砲」による研究所内部破壊事件は、通報によりまず巡邏軍の緊急小隊が出動し、
続いて警察局から特別捜査班が派遣された。

 マキアリイとユミネイトは、ヒューギニティ氏と談笑した賓客用応接室で取り調べを受ける。
 狩人が襲撃する4時刻(9時間)前、昼間の事だ。

「つまり、極めて知能の高い人間の脳に、他所から異常な人格が乗り移ってくる。
 そういう現象が故意に起こされている、という話なのか」

 尋問するのはコレイト上級捜査官。
 若くして出世した有能な人物ではあるが、所詮は警察局の所属。
 頭が固いのは職業柄だ。

「バカバカしいと思うでしょうが、実際起きているわけです」
「バカバカしい。ゥアム帝国では300年も事例が途絶えているのだろう。
 未だ科学捜査の手法も確立していなかった時代だ。
 それは異常者を説明する俗説に過ぎないのではないか」

 コレイトとは、捜査官養成学校に居た時分に会った事がある。
 入校時の前年の卒業生で最優秀だった人だ。
 訓練生の模範として訓示を喋っていたのを覚えている。

 そんな人に真っ向から否定されると、なんだか自分でもそう思えてきた。
 マキアリイに視線を向けられたユミネイトは、

「わたしも今回初めて遭遇したから、詳しく知るわけではないのよね。
 知っている人に訊きましょうか」
「専門家が居るのか、ゥアム人か」
「アグ・アヴァのホテルで説明したでしょ。「幻人」は元々はゥアム神族の頭の中に居たって。
 神族である父ならちゃんと知っているわ」

「国際電信か、手配しよう」

 タンガラム・ゥアム間の電波通信は、洋上の大型客船や軍艦、さらには旅客飛行艇や飛行船を経由して繋がっている。
 警察局の権限であれば軍用回線も使用可能だ。
 この秋からは専用中継飛行船を用いた常時接続が実現し、国際電話の営業も始まる。

 だがユミネイトは否定した。

「いえ、ここに呼び出します」

 姿勢を正して座り直し、軽くまぶたを伏せ呼吸を整える。
 再び眼を開いて、雰囲気が一変した。
 軽くて華やかな印象が、深く水を湛えた淵の静けさとなる。

 マキアリイを向く。

『久しぶりだね、ヱメコフ・マキアリイ少兵。今は士官に昇進したのだったね』
「え、ユミネイト。どうした」
『私だ。ユミネイトの父親「トゥガ=レイ=セト」だ。
 奇妙に思うだろうが、我々ゥアム神族は父祖の人格をその身に宿す術を習得している。
 「幻人症」と同じ原理だと理解してもらいたい』

 コレイトはマキアリイが驚いた理由が分からない。
 ユミネイトが急に低い声で喋り始めたとしか見えないのだ。

「マキアリイ君、どうした。彼女は何を言っているのだ」
「ああ、はい。どうやらゥアム神族はその眷属を通じて遠隔地でも話が出来るみたいです」

『それは間違った理解だ。ユミネイトの頭の中には父親である私のすべてが入っている。
 神族の智慧と経験を余さず継承した者が、「待壇者」と呼ばれる』

 不思議な話である。コレイトは考えた。
 とりあえずは「幻人症」の対策について教えてもらえれば良いのだ。
 ユミネイト自身が自覚しない知識を父親から受け継いでいる、と思えば良いのか。

「「幻人症」を発症した患者について、どのように接するべきか教えてもらえますか」
『簡単だ。「愚者の檻」に入れればよい』
「愚者の檻?」
『マキアリイ君には説明している。「幻人」は高い知能の持ち主の脳にのみ棲む事が出来る。
 であれば、その資格を持たない知能の低い者を世話係に当てれば、どこにも逃げようが無い』

 マキアリイも、ああと納得する。
 物理学者の脳ですら十分と言えないのだ。一般人であれば感染の危険は無い。
 ただもう一つの懸念、「人を物語に巻き込む」能力はどうなのか。

『それも問題はない。
 物語に乗らない無粋で硬直した感性の持ち主は、高い知能教養を備える者の中にも居る』
「野暮天な奴ですね。じゃあ役人なんかちょうどいいんだ」
『そういう事だ』

 

        ***   

 コレイトが質問した。

「ゥアム側が潰そうと試みる秘密計画についてご存知ですか」
『神族である我々が承知していないのは、下位の官僚による独走故だ。
 現在ゥアム帝国も伝統的な階級社会からの脱却を目指す勢いがある。
 タンガラムの民衆協和制を羨み、神族を上に戴かない官僚による専権支配を目論む者が増えている。
 彼らの仕業だろう』

「詳細は分からないのですね」
『推測は可能だ。ユミネイトにも伝えてある。
 だがタンガラムにおいて陰謀は、その道の第一人者が居るだろう。
 収監中であるのなら、彼に事情聴取を行う方が早い』

 「闇御前のことですよ」とマキアリイが注釈する。
 確かに国際謀略にあの老人が絡んでいないわけが無い。
 また彼が逮捕されて、様々な場所で思惑が変化しているだろう。

 今回の「幻人」騒動もその一環なのか。

 マキアリイが尋ねる。

「いちいち尋問しなくても「幻人憑き」を見分ける方法がありますか」
『対象の瞳の奥を特別な光で照らすと、妖しが映り識別できる。
 ユミネイトが客船上で遭遇した狩人が道具を携えているはずだ』
「そうか、ちゃんと装備を持って来ていたのか。

 もう一つ! 「幻人憑き」の治療法はありますか」
『古の神族は「幻人」を親しい友として遇し、排除しようとは考えなかった。
 だが望まぬ者の中に潜んでしまった場合の排除法は確立している。
 ”GRIMOIRE”を探したまえ』

 

 ユミネイトは瞬きをした。いきなり、女性的な雰囲気が戻る。
 もう少し質問をしたかったコレイトは面食らった。

「もう、終わったのですか」
「あまり長くやる術でもないからね」
「本当に人格が替わっていた?」
「わたし自身は、父が何を言っているかちゃんと理解しているわ。
 そもそもタンガラム語で語るのは、わたしが介在しているからよ」

「ユミネイトよお。「闇御前」に話を聞かなくちゃいけなくなっちまったぜ」

 マキアリイは途方に暮れる。
 逮捕と起訴と裁判に大役を果たしたマキアリイに会ってくれるとは、さすがに思えない。
 また謀略の一端すら、彼が取調で語った例が無いのだ。

「俺の力じゃ無理だ。国会議員のヒィキタイタンに頼もうぜ」
「ヒィキタイタンに、……ええ、それがいいかもね」

「ユミネイトさん。御父上に「愚者の檻」という策を教わった。
 だが具体的にはどの程度の知能の持ち主を想定すればいいのだろうか」

 コレイトは現実的な対応として詳細を求める。
 秘密計画を「闇御前」に尋ねるなど、一介の捜査官の職務権限を越える。政治的にも危険だ。
 近寄らないだけの処世術は弁える。

「そうですねえ。田舎の高等学校でぶっちぎりで一番だった人、くらいから危ないですね」
「そうか。私も該当者か……」
「俺もヤバいな」

 はぁ? とユミネイトはマキアリイを見る。
 全然知的な印象無いのに、心配要る?

「バカにするなよな。選抜徴兵の最優等で選ばれたから、オマエを助けに行けたんだぞ」
「田舎の高校で一番だった?」
「俺の住んでた所には、そんな上等なものは無い。
 でも徴兵試験の学力審査で抜群の成績だから選ばれたんだ。そうなんだぞ」

 ヱメコフ・マキアリイが除隊後に捜査官養成学校に入学し、首都中央警察局に配属されたのは、
総統府の引きが有ったからだけではない。

 

        ***   

 ギジジット市周辺の半月状の人工湖の一つ。
 水上飛行機の発着場にマキアリイとユミネイトおよびネコは居る。

 抜けるように青い夏空で、絶好の飛行日和。
 首都「ルルント・タンガラム」に翔んで、ヒィキタイタンと合流する手筈になっている。

「とはいえ首都に直接乗り込んだら、おまえさん目立ち過ぎでヒィキタイタンも困るから、
 カプタニアの発着場に降りるぞ。ヒィキタイタンの妹が待ってる」
「キーハラルゥさんね」

 

 見送るのはソグヴィタル家の別荘でお世話になった面々、またカドゥボクス社員。
 コレイト上級捜査官も姿を見せる。

 幻人が取り憑いたヒゥーギニティ・ゴウ氏の対応は彼に任せた。
 懸念されるのは、彼を診る医師達もまた「幻人症」が感染する候補者である点だ。
 コレイトは、薬漬けにしてヒゥーギニティを朦朧とさせておく方法を用いた。
 「愚者の檻」は案外と難しい。

「警察局の権限では君達に協力する事は出来ない。あまりにも遠すぎる。
 国家英雄としての立場を利用して、ヴィヴァ=ワン総統に直接持ち込んだ方が良いだろう」

「そういう特権的な立場は、望んだものじゃないんですけどね」
「今さら何を言ってる。中央警察局のお偉方をさんざん失望させた君じゃないか。
 勝手にやりたまえよ」

 いや、俺職務に忠実に犯罪を摘発しただけなんですけどね、と言い訳したいマキアリイだ。
 だが警察局上層部は、国家英雄としての顔を利用したかっただけだ。
 そんなに英雄的に働いてくれなくてよかったのだ。

「ゥアムからの二人、その後消息は掴んでますか」
「早速尾行を巻かれてしまった。彼らを支援する組織が有るようだ」
「大丈夫ですよ。白いやつらがずっと見張ってるとこいつが言ってますから。
 ネコの眼から逃げられる奴は居ない」

 薄桃色の水上飛行機の荷物室に、赤毛のゥアム猫を抱え上げて入れながら話す。
 借り物の機体に爪痕を付けられないよう、お姫様扱いだ。

 飛行服のユミネイトは別荘番のミッタル夫妻と話を終えて、こちらに来る。
 コレイトに告げた。

「父の推測が確かなら、もう一度此処に戻ってきます。
 震源地はギジジットのはずですからね」
「その時はご連絡下さい。可能な限りは協力いたします」

 そして妻から受け取った小さめの包みをマキアリイに渡す。

「はい、お弁当よ。ゲルタ味噌塗ってるって」
「おっ! 覚えていてくださったのか」

 マキアリイ、遠くからではあるが、夫妻に改めて挨拶する。
 丁寧なお辞儀が返ってきた。

 

 ユミネイトに続いてマキアリイも搭乗し、発動機が唸りを上げ推進翼が回転を始める。
 湖面に大きな波を幾重にも描いて進み、本格的に速度を上げる。
 白い航跡を引いてゆるやかに浮き上がり、大空に還って行った。

 見上げる人々の中で、コレイトはマキアリイを評する。

「あいつ、クビになった後の方がよほど働いているんじゃないか」

 英雄が力を振るう場として、警察局は狭すぎた。
 今は、警察局が「やめてくれ」と懇願するほどの大活躍。

 社会の裏方なんか出来る男ではなかったのだ。

 

 空中の飛行機は大混乱となっている。
 貨物室のネコが、弁当の包みを勝手に開いてゲルタ味噌を塗った麦麭(パン)を食べてしまった。

「にがい、にがい」
「だから知らないものを不用意に食べるなって言ったじゃない!」

 足の下で暴れるネコを、ユミネイトは踵で蹴飛ばした。

 

        *** 

 (第二十三話)『危うしニセ病院』その3

 

(第二十二話)その5「『原初の焔』計画」

 薄桃色の水上飛行機はアユ・サユル湖に着水する。
 昼天時(正午)の強い日差しの下、涼やかに飛沫を上げながら白い航跡を引く。

 首都ルルント・タンガラムに直接乗り込むのは、さすがに人目に付き過ぎる。
 東に15里(キロ)の位置にある、カプタニア市の水上機発着場だ。
 首都の飛行機乗りはおおむね此処に籍を置く。
 褐甲角王国の旧王都は、今や水上飛行機競技者の聖地となっていた。

 桟橋にゆっくりと接近する。待ち受けるのは作業服の若い女性。
 ヒィキタイタンの妹 ソグヴィタル・キーハラルゥだ。

 24才財閥令嬢。
 飛行機や高速自動車を乗り回す活発な美人だが、あまり注目はされない。
 兄ヒィキタイタンが世間の耳目を集めすぎて、霞んでしまう。
 むしろ「妹」の立場をやっかまれた。

 マキアリイ達が用いるこの機体を知り合いから借り受けてくれたのも、彼女だ。
 まだ着かない内から呼び掛けてくる。

「マキアリイー!」
「おう。

 ユミネイト、ヒィキタイタンの妹だ」
「彼は迎えに来てないんだ」
「それはー、無茶を言う」

 女性有権者に大人気の王子様議員が、伝説のお姫様を自ら出迎えたとなると、
明日の朝刊、いやまだ夕刊に間に合うか、とにかく一面大見出しで衝撃掲載だ。
 選挙の行方にも計り知れない影響があるはず。
 本人は良くても、所属する政権与党『ウェゲ議政同志會』執行部が許さない。

 

 発動機が停止し、作業員が機体を舫って固定し動かなくなったと見極め、
キーハラルゥは右手に握る無線通信機に話し掛ける。

 発着場の事務所の建物から、駐める自動車の中から幾人もの男が駆けて出る。
 いずれも写真機を携え、遠慮無しに撮影する。
 真夏の陽光の下で照明の銀板をかざす助手も居る。

 そして現れるのが、
ソグヴィタル・ヒィキタイタン国家総議会議員。
 夏用の正装に身を包み、新聞社正社員記者を多数引き連れての参上だ。

 一足先に操縦席から降りたマキアリイは、キーハラルゥに詰め寄った。

「おい、これはどういう謀略だ」
「発動機に火が入ってたら、逃げたでしょあなた達」
「当たり前だ!」

 キーハラルゥは後席のユミネイトに注意する。

「あ、まだ降りないでください。兄が手を取って下ろす絵が欲しいそうですから」
「マキアリイ、この娘こういう子だったの? ヒィキタイタンの手紙とはかなり違うんだけど」

 マキアリイは眉をひそめ、桟橋の遠くに居る内から声を掛ける。
 一番困るのはお前じゃないのかよ。

「ヒィキタイタン、いいのかよ、これ」
「あざといのは謝るよ。
 選挙に使えるものはなんでも使えと、党の厳命でね。
 ウチの印象戦略担当も、損は無いと割り切った。しかたがないさ」

 話の間も写真撮影はばしゃばしゃと続く。小型携帯の映画撮影機も回る。
 伝視館放送夜の報道番組に流れるのだろう。

 行きがかり上嫌な顔をしておくわけにもいかない。職業「英雄」だ。
 男二人並んで「友情の確認」の場面となる。
 イローエント市での式典以来か。

「説明しろよ」
「芸能記者にすっぱ抜かれるより、旧知の政治記者に正式な取材を認めた方が傷は小さいと読んだんだ。
 不意打ちになったのは済まない」
「そりゃまあ、『潜水艦事件』の3人が勢揃いの大ネタだからな」

 決して納得はしないマキアリイの優れない表情が、撮影帯(フィルム)に刻まれる。
 「英雄が現在取り組む犯罪の深刻な状況」、を表現するのだ。
 報道とはそのように「真実」を作って見せる。

 

「マキアリイ、」

 記者達は一斉に薄桃色の水上飛行機に注目する。

 声に応じて、マキアリイは後席から降ろす手伝いをする。
 まずは赤毛のネコがするりと抜け出し、広い肩を伝う。

 そしてゥアムとタンガラム双方の血を引く美女が、燃える赤い髪をなびかせて立ち上がり、
最後の一歩を飛んだ。
 手助けしようと開くヒィキタイタンの腕の中に身を投げるかに。

 

 一番間近で見るキーハラルゥは、情景にはっと息を呑む。
 心に強い予感を打ち込まれた。
 それは写真機を構える者、手帳を片手に情景を描写しようとする記者達も同じだったろう。

「……、お久しぶりね、ヒィキタイタン」
「ユミネイト、  もう一度会えると思っていたよ」

 

   *****   

 カプタニアは古の神兵が集いし都。
 その威風は今も色濃く残り、高い精神性を留めた旧い建物が幾つも見られる。

 水上機発着場からさほど遠くない旅宿館もまた、凛とした佇まいが美しい。
 富裕層の利用も多く、ヒィキタイタンも馴染みの宿だ。

 ここで、ユミネイト・トゥガ=レイ=セトの帰国記者会見が行われた。

 私人であるから応じる必要も無いが、それでは許されぬ空気がある。
 またマキアリイを巻き込んで、ゥアム帝国絡みの陰謀事件が進行中だ。
 だんまりを決め込むのは得策ではない。

 当たり障りの無い範囲で情報を開示した。

 だが記者達が求めるものは、それではない。
 焦がすような視線が先を促す。
 ユミネイト本人にとっても、「さあ」としか言いようが無い話だ。
 でもあんまり色気が無いから、サービスとして「今は、」と付け加えておいた。

 これだけで十分に記者は満足する。

 次にお色直しをして、旅宿館の国定文化財級の庭で撮影会を行う。
 ヒィキタイタンマキアリイの両英雄に、ヒィキタイタンの妹キーハラルゥも添えて。

 これは非常に大きな意味合いを持つ。
 ユミネイトがヒィキタイタンと家族ぐるみで付き合うと、誰の目にも映るのだ。
 当然のその先を示唆している。

 

 二人ずつ分かれての撮影となり、マキアリイもキーハラルゥと写される。
 だが艶聞の追求は、正義の英雄にも牙を剥く。

「マキアリイさん。
 ノゲ・ベイスラ市の「ニセ病院」が話題になっていて、謎の美女がマキアリイさんの愛人かと囁かれています。
 この件に関してお答え願えませんか」
「今ベイスラではどうなってる? 俺はちょっと状況を把握していなくて」

 記者の一人がベイスラの地方紙を1部、資料綴に挟んでいた。
 「ゥアム帝国風お姫様」の写真が色刷りで載っている。
 ドレスと呼ばれる美麗な衣装が、彼女の美しさをより際立たせた。

 マキアリイ、「うあー」と心の中で叫ぶ。

「確かに」
「ご存知の方ですね。どのようなご関係であるかお教え願えませんか」

 と質問する記者達だが、実は彼らは「メマ・テラミ」の存在と素性をちゃんと知っていた。

 国家英雄であるマキアリイの活躍は、日頃密着取材によって細大漏らさず記録する。
 同じ新聞社内の芸能記者から「ニセ病院」の事情も、「メマ」が共に暮らす経緯も伝えられる。

 しかしながら、本当の事を書いても夢が膨らまない。
 敢えて本人の口から語ってもらうに限る。

「美しいヒトです。俺には勿体ない。
 ただ詳しく経歴などを明かすのは、報道の方も控えていただきたい。
 彼女は刑事事件の関係者でしたから」

 

 キーハラルゥは、うぅむとその台詞に考える。
 国家英雄マキアリイは、まあずいぶんとお口もお上手になられて。

 振り返る。
 視線の先には、兄とユミネイト二人での撮影で、ほとんど婚約発表会の趣。

 マキアリイにこっそりと耳打ちする。
 その親密な仕草が、またぱしゃりと撮られた。

「ね、マキアリイ。あの二人どう思う?」

 視線を向け、記者達も釣られて首を伸ばす。
 さすがに遠目でも絵になる姿だ。王子様とお姫様で、おとぎ話の絵本のよう。

「たぶん、おまえさんが思っている通りだと思うぞ」
「成るかな?」
「そうだな……。

 俺の知ってるソグヴィタル・ヒィキタイタンて奴は、ここぞという勝負で負けたことが無いんだ」
「わたしも。そんなお兄様見たこと無い」

「マキアリイさん、その台詞いただいてよろしいですか」

 記者の問いかけに、にやっと笑って応える。

 

 *****   

 撮影会を終えて、4人は庭園内の東屋で歓談する。

 だが記者連中は帰らない。遠目で待機、写真も望遠で狙う。
 ゥアム帝国の総公使館からもおっとり刀でユミネイトを迎えに来たが、当然に待機。

 

 まずはヒィキタイタンが本日何度目かの謝罪をする。

「ほんとうに二人とも済まない。政治宣伝に巻き込むつもりはもちろん無かったのだが、どうしても、」

「いまさら国家英雄を辞めるわけにもいかない。税金みたいなものと思ってるさ」
「わたしだって帝国では引っ張り回されて顔を売る商売なのよ。
 今更謝られるものじゃないわ」

 キーハラルゥが尋ねる。

「ユミネイトさんはゥアム帝国でも有名人なのですか」
「帝国でも今は『英雄探偵マキアリイ』が大人気で、『潜水艦事件』映画も広く観られているからね。
 タンガラム一般大衆文化を愛好する人の間では、アイドルよ」
「あいどる、って」

 さすがにタンガラムには「アイドル」という言葉がまだ伝わってきていない。
 ゥアムでもここ数年の間に広まった呼び方だ。

「でもユミネイトは神族の家族だから、自分を売り込まなくてもいいんじゃないのかな」
「それねー、」

 ヒィキタイタンの問いに頬を少し赤らめる。
 若気の至りを説明せねばならないと、自身で呆れた。

「帝国はね、ゥアムは世界最高の文明国家とする自負が強くて、他国を貶める風潮があるのよ。
 さすがにカチンと来てね、弁護やら反駁をしなくちゃ収まらない」

「意外と血の気の多い奴だったんだな、おまえ」

 呑気に感想を口にするマキアリイに火が飛んできた。

「あなたよあなた! あなたがゥアムでバカにされてたのよ。
 そりゃそうよ、あんな荒唐無稽な映画誰だって信じないわ。
 タンガラム人の幼稚性を如実に証明するものだって、笑いものになってたのよ」
「あ、いや、すまん……」

 『英雄探偵マキアリイ』連作映画は、たしかにその通りの内容である。
 一般観客は架空空想の物語として楽しんでもらえばよい。
 だが報道の立場からすれば、実際の事件に即したもので表現も誇張ではなく、
むしろ撮影の都合からかなり矮小化して描かれたと理解させられるのだ。

 キーハラルゥも嘆息する。

「それはそうね。
 15杖(10メートル以上)の手足の長い怪獣なんか、誰が信じるもんですか」

 

「まあ今後は逆に、帝国の弁護をしなくちゃいけなくなるかしら。
 それより、折角だからうんと羽を伸ばすわよ」

 ユミネイト、両腕を開いて背骨を伸ばす。
 特権階級として振る舞わずに済むだけでも、十分に開放的だ。
 ヒィキタイタンが予定を尋ねる。

「とりあえず、イローエント市には戻るんだろう」
「母の墓参も帰国の理由ではあるわ。親戚やら知り合いやら、顔を見せて喜ぶ人も居てくれるし。
 最低1年は居るつもり。まだ何にも決まってないけどね」

「だったら首都に出てくるかい。僕たちはいつでも歓迎するよ」
「ありがとう。
 でも、さすがに政治宣伝に引っ張り回されるのはゴメンだわ」

「だとさ、ヒィキタイタン」
「うーん。」

 今夏の国会総選挙では、政権与党の「ウェゲ會」は風前の灯火。
 ソグヴィタル・ヒィキタイタン議員自身は再選間違いなしと見られているが、
追い詰められた「ウェゲ會」がどんな手を繰り出すか。
 マキアリイもユミネイトも、既に犠牲の運命だ。

 ああそうか、と気がついた。
 さすがにお姫様、怖いもの知らずだ。

「考えてみたらわたし、タンガラムで選挙に関わった事が無いわ。未成年で出国しちゃったし。
 ひょっとして面白いかもしれない」

 

   *****   

「というわけで、面倒な事件はさっさと片付けてしまいましょう。
 ヒィキタイタン、打開策は用意してくれたのよね」

 無理である。
 いかに国会議員の権力を以てしても、
国家叛逆罪で特別法廷の審理を控えた「闇御前」との面会はあり得ない。

 だがソグヴィタル・ヒィキタイタンにそつは無い。

「政策秘書のシグニさんにたいそう働いてもらったよ。
 もちろんバハンモン・ジゥタロウ本人との面会は無理だし、会えたとしても陰謀の全容なんか教えてくれない。
 でも本人より陰謀に詳しい人が語ってくれるそうだ」

「冗談だろ……」

 マキアリイは驚く呆れるを通り越して、何を言っているのか理解出来ない。
 ユミネイトもまさかと信じない。
 ゥアム帝国においても、神族や「待壇者」の権力ですら及ばぬ秘密組織は有るのだ。

「ひょっとして、ヴィヴァ=ワン総統を直接尋問するのか、ヒィキタイタン」
「総統閣下にも許可を頂いている。今回の事件を深く憂慮されているよ」
「誰なんだよ」

「百島湾大学外国語学部シンドラ学科比較芸術論、正教授バハンモン・ジュンザラゥ。
 バハンモン・ジゥタロウのご子息三男だ」

 鉛塊を呑み込まされたかの驚きが襲う。
 「闇御前」の息子だと。
 父を獄に送り込んだマキアリイを仇と思うんじゃないのか。

「バハンモン教授は63才。学究の人で、父親の陰謀にはまったく関与しない。
 「闇御前組織」に入れば栄耀栄華も思いのままだろうに、ただの学者研究者に留まっている。

 でも無関係ではなくてね、
 父親の権力を悪用してゥアムシンドラバシャラタンに何度も渡航し、組織の人間をこき使って自身の研究課題を調査しまくってるんだ。
 「比較芸術論」も彼が提唱して、もちろん第一人者だ。
 彼ほどに四方台を飛び回る財力を持つ者が居ないからね」

「悪の上前を吸っているのか……」
「本人は「四国一の遊び人」を標榜しているよ」
「教授の立ち位置は分かったわ。
 でも、なんで「闇御前組織」の陰謀の全容を知ってるの。いえ、なんで組織は教えるの?」

「彼自身は、父親の事業組織にはまったく関与しない。また関心も無い。
 でも彼の6人の子供は全員、祖父の下で国家を裏から支える仕事に身を投じているんだ。
 「闇御前」の権力基盤が盤石なのは、しっかりした後継者がちゃんと居るからなんだね」

「親父からも子供からも、秘密を打ち明けられているってことか」
「許されるの、それ?」

「実は、組織全体にとっても意義深いものらしいよ。
 だって秘密の謀略だろ、公的資料にも詳細は書かれていない。
 誰の記憶にも残らず、人知れず死んでいく工作員諜報員だって多数居るんだ。

 そんな彼らが何時の日か評価されるとすれば、」
「表の、光のある場所の住人こそが、その役を担うのね」

「じゃあ俺達に教えてくれるというのは、」
「然るべき時に、語るべき人を得た。そう認識しているのかもしれないな」

 

 ユミネイトは思う。

 「闇御前」バハンモン・ジゥタロウは、間違いなく歴史に名を留める偉人だ。
 彼を評価する人間もまた、優れた知性を持ち、歴史的意義を弁える者であるべきだ。
 件の教授も只の人ではないはず。

 彼が自分達を託すに値しないと見極めれば、何の手がかりも与えてくれない。
 根性据えていかねば。

 マキアリイも、彼にしては表情が引き締まる。

 

   *****   

 バハンモン・ジュンザラゥ教授は百島湾大学の所属であるが、
「褐甲角王室芸術院」にも招かれ、講座を持っている。
 夏には短期特別講習が行われ、ちょうど首都ルルント・タンガラムに居た。

 首都に向かう3人は2両の自動車に分かれて乗る。
 マキアリイはヒィキタイタンの自家用車で、
しかしユミネイトは総公使館が差し向けた御料車を強要された。

 ヒィキタイタンの車を運転するのは、運転手兼護衛役のメンドォラ。
 元は陸軍強攻制圧隊に所属して、なかなかの強者だ。
 「潜水艦事件」10周年記念式典にも同行した。

「それにしても凄い高級車だな、アレ」

 後席に座るマキアリイは背後を振り返り、白い御料車を見る。
 さすがは世界最高の文明を誇るゥアム帝国製だ。
 薄鋼板を打ち出した車体は複雑な曲面を描き、圧倒的な技術力を見せつける。

「さすがにあんなのと勝負はできませんよ。傷でも付けたら大変だ」

 メンドォラはソグヴィタル家から直接雇用されて、ヒィキタイタンの護衛に当たっている。
 マキアリイが謎の怪人と戦っていると聞いて、同行を望んだ。

「俺だってたまには暴れてみたいですよ」

「ヒィキタイタン、おまえさんは付いて来ないよな。国会大混乱なんだろ」
「バハンモン教授に話を聞いてからだね。ユミネイトは自重してくれるかな?」
「それは期待するなよ」

 

 「褐甲角王室芸術院」は、方台西部を領有した「褐甲角王国」によって設立された大学だ。
 哲学と神学、芸術を研究する。

 褐甲角王国は「黒甲枝」と呼ばれた聖戴者の家系の集合体だ。
 東岸部の「金雷蜒王国」ギィール神族と長く対立した。
 黒甲枝の目的は民衆の擁護。必ずしも権力・支配を志向したものではない。
 その気質は質実剛健、華美を求めずされど変化には柔軟に対応する。

 芸術院の建物も、東岸で見た華麗精緻な建築様式でなく、簡素にして緊張感のある美を表現していた。
 外壁装飾も抽象を主体とする。

 「ルルント・タンガラム」市は元の名を「ルルント・カプタニア」という。
 褐甲角王国の王都「カプタニア」に隣接する商都として栄えてきた。
 しかし「タンガラム民衆協和国」の首都移転に当たって、褐甲角王国時代の建築を大規模に破壊して整備し直した。
 「芸術院」は、そのわずかな生き残りだ。

 

 ソグヴィタル・ヒィキタイタンは、褐甲角王国の分派で南部を領有した「ソグヴィタル王国」王家の末裔である。
 傍流も傍流だが、芸術院の職員は総出で迎えてくれた。
 教員・職員の多くが黒甲枝家の出身で、礼儀には厳しく、姿勢の正しい人が多い。

 また武を以て立つ黒甲枝の習性として、「無双の達人」ヱメコフ・マキアリイに敬意の眼差しを向ける。
 サユールで遭遇したものと同じだ。

 彼らの案内でバハンモン教授の研究室に向かう。

 教授は外部からの客員で、もちろん身分としては一般庶民。
 黒甲枝でもギィール神族でもなく、西岸百島湾の漁師の家系だ。
 父ジゥタロウが自らの才覚によって一代でのし上がった、それだけの背景しか持たない。

「うーん、そうなんだよ。
 タンガラムは民衆協和の世の中のはずなんだが、学問とくに文系分野においては家系による蓄積が大きくものを言うんだ。
 ボクは異分子反逆者だよ。親父と一緒でねハハハ」

 ヒィキタイタンマキアリイには及ばないが、かなりの長身。
 髪はすでに真っ白で63才と高齢だが、未だ老人の気配の無いはつらつとした姿。
 父親と同様にカエルを思わせる容貌で、タンガラムでは妖しい魅力を認められる。
 若い頃は、そして今でも女性に大人気だろう。

 バハンモン・ジュンザラゥ正教授。

 研究室左右のガラス戸棚に並ぶのは、四方台から蒐集してきた古美術品の数々。
 他では見られない逸品揃いだ。

 

   *****   

 まずはヒィキタイタンが教授に、面会を快く許してくれた礼を述べる。
 そしてマキアリイに告げた。

「今回の事件に限っての話じゃないんだ。
 「潜水艦事件」10周年記念式典で遭遇した、例の「ネガラニカ」
 国会図書館で調べてようやくに辿り着いたのが、バハンモン教授の著書なんだ」

「嬉しいねえ、専門家以外に若い人が「ネガラニカ」に興味を持ってくれるとは。
 マキアリイ君に、そしてユミネイト・トゥガ=レイ=セトさんにも進呈しよう」

 ヒィキタイタンが受け取って二人に渡す。
 さほど頁数もなく装丁も単純素朴な、いかにも専門家の間だけでしか参照されない書籍だ。
 『バシャラタン方台における古ネガラニカ文明の痕跡と渡海伝播』の表題が記されていた。
 マキアリイは少なからず感動を覚えている。

「やはり、ネガラニカって本当に有るんだ……」
「うーん、それはどうかな。
 海洋民族の間に広く「ネガラニカ」信仰があるのは確かだよ。
 でもそれを頂いてバシャラタンの古代文明遺跡と関連付けたのはボクだからね」

 身も蓋もない。が、マキアリイも伊達に古書を読む趣味を持ってはいない。

「それだけの根拠がある、という訳ですね」
「嬉しいねえ。専門家の間では未だ懐疑的な人も少なくないんだけどね」

 ユミネイトにはぴんと来ない。
 これは、結局何と関連してくるのか。

「あの、ネガラニカとは何ですか。
 バシャラタンにおける古代文明は、それこそ4千年も昔に断絶し、後世にまったく引き継がれなかったと聞いていますが」

「ヒィキタイタン、教えてやれよ」
「ユミネイト、僕達は見ただろう。巨大な巡航潜水艦の中で、
 青い肌の船員たちを」

 あー、とユミネイトも思い出す。
 マキアリイは件の巨大潜水艦の中には入っていない。
 囚われたユミネイトを、ヒィキタイタンが単身無謀にも乗り込んで救出した。

「あの連中の組織名が分かったの?」
「と思うんだが、だとするとかなり厄介な問題に成ると推察出来るんだ。
 タンガラムにも彼らの信奉者が少なからず潜入している事になる」

「「青い肌の船員」か。ついにタンガラムにおいても、その怪談が人口に膾炙する日が来たのだねえ。
 感無量だよ」

 

 研究室に置かれる応接椅子は、シンドラ製の高級品。「太守」と呼ばれる為政者階級が用いるものだ。

 バハンモン教授は百島湾の出身。
 百島湾は、トカゲ神・青晶蜥救世主「ヤヤチャ」がタンガラム方台を離れ「シンドラ」に船出した聖地だ。
 また「ヤヤチャ」が「シンドラ」で見出した少女「来ハヤハヤ」」が漂着した伝説を持つ。
 「来ハヤハヤ」は「青晶蜥王国」星浄王第三代を務め、タンガラムを平安に導いた。

 教授は語る。

「シンドラの「れぼるしおん」は知っているね。
 シンドラに上陸した「ヤヤチャ」がヤクザや海賊を糾合して、邪悪な聖戴者の軍団に革命戦争を挑んだ。
 その聖戴者こそが「ネガラニカ」なんだ」

「わたしの記憶では、そんな名前では無かったと思いますが、」
「さすがによく勉強しているね。
 でも彼らは「ネガラニカ」の尖兵に過ぎない。本隊じゃなかったんだ」

「つまり、バハンモン教授。
 海の上には聖戴者文明が今も息づいているのですか」

 マキアリイの言葉に、教授は大きく肯いた。

 

   *****   

 バハンモン教授の勧めで椅子に座る3人。

 研究室の助手がシンドラ産のお茶を淹れてくれる。
 シンドラ連合王国は常夏の熱帯で、涼を取る飲料も多数ある。
 すっきりと口の中が塗り替えられたが、かなり甘い。

 

「それで君達は、東岸やギジジット市で起きている物理学者殺害事件を調査しているんだったね。
 なんでも「組織」の陰謀に関係する物理学者が自殺を強要されていると」

「「幻人」をご存知でしょうか。
 ゥアム帝国の謀略組織が密かに「幻人」をタンガラムに持ち込んだのです」

 くわああっと目を見開き食い付くようにユミネイトに身を乗り出す。
 カエルに似た顔貌が、好奇心でさらに異形を増す。

「「幻人」! ゥアムに名高いあのシェ=ェクス・ピア戯曲の王に描かれる、あの幻人かね!
 くおおおおお、ついに時代はそこまで進んだのか。
 ボクが生きるこの時代に、いやこの時代だからこその世界伝搬!
 なるほど、素晴らしい!」

 あ、この人もやっぱり同じだ、とマキアリイは納得する。

 アグ・アヴァ市でユミネイトが「銀骨のカバネ」と楽しく語り合ったように、
外国の文化芸術に興味を抱く人間にとって、「幻人」はまさにアイドルなのだ。

 教授は目頭を押さえ、感涙をこらえている。

「「幻人」は、古来よりの血生臭く殺戮を嗜好する宗教文明が鎮火したゥアム社会に、
 惨殺の大衆化、一般庶民の神話的悲劇への参加という新しい枠組みを示し、
 近代合理主義へと続く道筋を用意した、ゥアム文明の水先案内人にも等しい存在なのだよ。

 君達も知っているだろう、かの大哲学者「ギョエテ」が著した『ファルスト博士』
 あれに出てくる悪魔「メフィストケイレス」こそが、完全な描写を得た「幻人」そのものの姿なのだよ。
 「ギョエテ」は歌曲として知られる『魔王』においても、同様の悪魔を描いている。
 おそらくは彼の脳にも彼は居て、偉大なる思索に貢献していたのだろう」

「はあ、そんな有名人だったですか」
「ボクも欲しい! 我が脳髄に歴史の生き証人にして自由の旅人を宿したい!
 ああしかし、ボクの脳では知性が足りないか。
 うぅむ貧弱惰弱、所詮は親のカネを浪費して築いたハリボテの学問。
 彼の人が足を踏み入れるのも拒むほどにみすぼらしいあばら家だなあ」

 

「おいユミネイト、これは、どう判断すればいい?」
「えーと、たぶん。すごく気に入ってもらえてると思うわ」

 ヒィキタイタンはひたすらに呆然とする。
 彼はまだ、事件の狂気に巻き込まれていない。

 茶を一息で飲み干し、教授はようやくまともに会話出来るまでに落ち着いた。

「……、つまり君達は、「幻人」を退治しようというのかね」
「それはゥアム帝国から始末する狩人が来ているので、そちらの仕事かと」
「何者かねその不敬な輩は」

「「Chamber」の手の者で、古来より飼われてきた「幻人」専門の狩人です」
「なんと! そのような文化遺産が今の世にもまだ生き残っていたのか。
 会いたい、是非とも会わせてもらいたい!」
「あ〜。」

 ユミネイトもマキアリイも、「闇御前」バハンモン・ジゥタロウが息子を組織に引き込まなかった理由を知る。
 こんな性格では秘密の謀略なんか出来るわけがない。

 

   *****   

「それは、『原初の焔』計画だね」

 バハンモン教授はあっさりと極秘計画を教えてくれた。

 物理学者数学者を多数必要とするこの計画は、もちろん秘中の秘。絶対に漏れるのを許さない。
 だが「幻人」による破壊工作と聞かされて、ごく当然に喋ってくれる。

「原初の焔、ですか」
「ボクは専門じゃないから詳しく知らないけれど、原子核をぶつけると大きな力が発生する原理を使うものだよ」

 マキアリイとヒィキタイタンは物理学者の娘に振り返る。
 彼女は、やっぱりかと息を大きく吐く。

「原子核相互反応ね」
「物理学の教科書で読んだことはあるけれど、あれは実用に出来る原理なのかい」
「原子核分裂反応を使うわ。大量の放射性物質を集めて濃縮し、相互反応を引き起こす。
 その濃縮技術がゥアム科学で可能になったの」

「どのくらいの力になるんだ?」
「そうね。一気にエネルギーを放出する爆弾みたいなものを作るとしましょう。
 1発で百万人が住む都市を蒸発させる事が出来るわ」
「冗談を言え」
「たしかに冗談に聞こえるでしょうけれど、可能なのよ本当に」

 マキアリイはヒィキタイタンの顔を見る。
 ヒィキタイタンも肩をすくめる。現実の話にはとても思えない。

「もしそのような反応装置が作れるとしても、非常に大きく重いものになって運搬できないのではないかな」
「確かにわたしが見た模式図では、重量20ターレント(約13トン)にもなる。
 大砲で撃ち込んだり爆撃機で落とせるものではないわ。

 だから重量物を運ぶ専用の飛行艇を作って、目標地点まで飛行して爆発する。
 操縦士は途中で付属の小型飛行機で脱出し、後は自動操縦ね」

「ゥアム帝国ではそんな兵器が考案されているのか……」

 英雄二人も顔色を青ざめる。
 そんな兵器が実際に使われては、もう戦争自体が成立しない。
 ゥアム帝国が一方的に制圧するばかりだ。

 

 しかし、とユミネイトは表情を和らげる。

「でもね、この兵器の構想が上奏された際にゥアム神族が下した結論が、
 『我等は人類社会を幸福に導くために支配を求めるのであり、絶滅へと向かう愚行を選択しない』
 と却下してしまったわ」
「お、おお!」
「さすがは叡智の神族だ」

「それでも軍事用に用いるのは忌避されず、もっぱらに動力として発電所を動かす事になったの。
 有り余る電力を使って燃料油を生成し、各種兵器のエンジンを動かすのね」

「電気で油って作れるのか。ヒィキタイタン?」
「よくは分からないが、爆弾として用いるよりははるかに現実味を感じる」
「おう」

「たとえば軍艦ね、
 今は生物から搾り出す脂や酒精で高性能エンジンは動かすからとんでもない費用が掛かる。
 これを原子核電力で生成したものに換えれば、安価に一大巡洋艦隊の出来上がり。
 また液体燃料しか使えない巨大な巡航潜水艦を何隻も配備出来るわけよ」

 「潜水艦事件」はそこに絡んでくるのか。
 やはりあの巨大潜水艦はゥアム製だったじゃないか。

「原子核発電所はすでに実験・実証の段階を終えて、実用施設が稼働にこぎ着けているわ。
 でもゥアム一般民衆はおろか、相当高位の官僚であっても存在を知らされていない。
 極秘計画ね」

 

「それを、タンガラムにも作ろうというのが親父の極秘計画さ。
 『原初の焔』計画と名付けた」

 バハンモン教授はあっさりと言ってのける。
 「闇御前」は、いかにしてゥアム最高機密の奪取に成功したのか。

 

   *****   

「もちろん君達も知っているだろう。
 現代文明国最大の危機は、熱量資源の限界だ。
 膨れ上がる文明が要求する燃料の多さに、既存の薪炭では賄いきれない。
 ゥアムなら泥炭、シンドラなら火山熱と様々に利用が画策されているが、絶対量が足りないんだ。

 ではタンガラムがどこから燃料を得ているかと言えば、北方大森林地帯だ。
 人の住まない寒冷地に広がる広大な森林を闇雲に切って燃やしているんだな」

 

 ヒィキタイタンが政治家として応じる。

 熱量資源の確保は現在の最重要政策課題だ。
 可能な限り燃料を控えて、水力で生じる電力を利用するように、政令で市民社会を束縛する。
 屋内照明も、電力消費の少ない蛍光灯が義務付けられている。

「確かに北方樹林帯からの燃料供給はいずれ枯渇すると考えられています。
 それを補う熱量資源の調達の為に、海外派遣軍が海島利権を争っているのですが、」

「政治家はそう言うのだがね、誰一人北方樹林帯に行った議員は居ないだろう。

 親父は50年前に、最初に懸念する者として現地を視察したんだ。
 その時既に、トリバル峠から100里(キロ)北までが一面切り払われて凍てつく泥地に変わっていた。
 民間業者による無秩序な森林伐採を統合して国家主導に整備したのも、親父だよ」

「そんな方だったのですか……」
「そして計画的効率的に木材燃料の供給体制が整った事で、逆にタンガラム社会での薪炭使用量は増大。
 今では400里までツルっ禿さ。

 だから親父は海外派遣軍の立ち上げと、国外謀略機関の確立に尽力したわけだ」

 ヒィキタイタンは押し黙る。
 マキアリイもユミネイトも、改めて「闇御前」バハンモン・ジゥタロウの慧眼と行動力を思い知らされた。
 50年前から、百年先を見越して動いてきたわけか。

 そして今、最後の切り札として「原子核発電所」を建設しようとする。

 

「でもどんな手品を用いて、ゥアムから原子核発電所の技術を掠め取ったんです?」

 マキアリイの問いに、教授はソグヴィタル議員を見る。
 ヒィキタイタンの実家「カドゥボクス」財閥の事業に大きく関係する話だ。

「コニャクだよ。コニャク樹脂の栽培生成技術と交換で、原子核発電所を手に入れたんだ。

 現代文明におけるコニャク樹脂の重要性を今更論じるまでも無いだろ。
 軍の兵器にも自動車にも大量に用いられ、これ無くしては戦争も出来ないって最重要軍需物資さ。
 ゥアム帝国もコニャクを確保する為に最大限の譲歩をして、こういう事になっている」

「ですがコニャク芋は、ゥアムの気候では育たない」
「ああ。高温乾燥気候のゥアムでも、湿潤な熱帯のシンドラでも育たない。
 シンドラの「ガム」という木の樹液が似ているそうだけど、病虫害に弱くて産業化に適していない。
 それに比べてコニャク芋は、寒冷地の森林の根本に埋めておけばごろごろ増えてくれるからね。

 そこでゥアムは考えた。
 バシャラタン法国の寒冷な気候であればコニャク栽培が出来るのではないか」

 ヒィキタイタン、その話は実家で聞いたことが有る。
 ただゥアム人にはコニャク栽培と樹脂生成の技術が無く、タンガラム人でなければ産業化できないはず。

「その計画に親父が乗っかった。
 タンガラムの産業技術をバシャタランに移転し、現地でコニャク粗製樹脂生産まで行う。
 とはいえ、これはタンガラムの国会ではとても許されない事業だ。
 最重要軍需物資を我が国単独で抑えておく利点は計り知れないからね。

 最高機密の原子核発電所と釣り合うほどの叛逆行為というわけさ」

「なるほど……」
「「カドゥボクス財閥」のグラハド・アハティエルガ君だっけ。君の義兄上も当然絡んでいるよ。
 高度コニャク樹脂産業の先頭企業だからね」

 

   *****   

 ヒィキタイタン・マキアリイ・ユミネイトの3人は押し黙る。
 あまりにも深い「闇御前」の構想力に、善悪の判断を下せなかった。

 ただ、3人の目的は「物理学者自殺事件の防止」に留まる。
 そこまで大袈裟に踏み込まなくてもよいのだ。

 マキアリイがバハンモン教授に懇請する。

「物理学者・数学者の「幻人」による汚染は、相当の規模で広がっていると思われます。
 ユミネイトの父親のゥアム神族「トゥガ=レイ=セト」氏は、
 一般人から「幻人」を取り除く術が有ると教えてくれました。

 教授、お手伝い願えませんか」
「ボクに何が出来るのだい」
「『原初の焔』計画の最高責任者の名前です。たぶん、彼を中心に汚染は広まっている。

 そして「幻人」を払う手段が載っている、『ぐりもわぁる』という書物です」
「『Grimoire』かい! 持ってるよボク」

 え、と3人唖然とする。そんなに簡単に?
 教授はなるほどと得心し、しきりにうなずく。彼らは来るべくして自分の元を訪ねたのだ。

「ボクはゥアムシンドラバシャラタンの三方台に何度も渡航し、現地の古美術品・神秘思想の遺物を買い漁ったよ。
 魔法の書も当然に、ぜんぶ買った」

「ぜんぶ、ですか」
「ゥアム神秘主義者の間で重要と見做される七聖典、16偽書、8つの邪宗経文。全部買えた。苦労したよ」
「は、はあ」

「ただボクは蒐集家ではあっても暗号解読者ではないからね。
 魔法書は全部「シンデロゲン大学堂」に寄贈して、専門家の分析に委ねている。
 ただちに連絡して「幻人」関連の記述を抜粋してもらおう」

「あ、ありがとうございます!」

 

 しかし、マキアリイは釈然としない。
 教授は、自分の父親を逮捕訴追させた「ヱメコフ・マキアリイ」に対して、なんら含むところは無いのか。
 本来であれば門前で締め出されても仕方が無いのに。

 寝た子を起こす話であるが、そこを明らかにせねば気持ちが悪い。
 どこまで教授が信じられるかという事にもなる。

「あの、私を憎いとは思われませんか」
「あ? ああ、そうだね。確かに君は仇だね。
 組織の中には君を決して許さない、絶対ぶっ殺してやるって連中も多いね。沢山だね。

 ただ、親父はそうは思ってないよ」
「何故です」

「いやー、親父も偉く成りすぎた。歳を経て、誰も上に居なくなり、諌めてくれる人も死んでしまった。
 これは良くない。親父も分かっている。
 自分が暴走しているのであれば、誰かが止めねばならない。だが止められる人間は組織の中には居ない。
 組織が老朽化して死んでいく兆候だね」

「そういうお考えですか」
「だから君は有り難い。未来への希望さ。
 親父が成し遂げた成果を活かしていくのは、健全な精神の持ち主が作る社会なわけだ。
 そういう人が生きる未来の為に、60年泥水の中を泳いできたのさ」

 ユミネイトが畳み掛けて釘を刺す。試すように。

「貴方はどうなのです。バハンモン教授」
「ボクかい? そうだね、
 嬉しいじゃないか、三人の英雄が勢揃いなんて!」

 

   *****   

 バハンモン教授が教えてくれた『原初の焔』計画の最高責任者は、
「タタンゼ・ミュヴヒラ」70才。

 ギジジット工科大学高度先進技術研究院 師導教授にして、
前の国家総統「アテルゲ・エンドラゴ」政権の科学技術総監(大臣)だ。
 10年前の「潜水艦事件」でアテルゲ政権が崩壊して、官を辞し民間に戻っている。

 と見せ掛けて計画の指揮を執っていた。
 であればこの計画、紛れもなく国家総掛かりの一大事業。
 後継ヴィヴァ=ワン・ラムダ総統も、政権の中心課題として取り組んでいる。

 野党議員や、与党でも末端ヒラ議員のヒィキタイタンに知らされていなかっただけなのか。

 

「ちくしょお」

 珍しくヒィキタイタンは悔しがる。
 ヴィヴァ=ワン総統にバハンモン教授との面会の許可をもらったのが、バカみたいじゃないか。

 再びカプタニア市。
 ヒィキタイタンとマキアリイ、そしてユミネイトは水上飛行機で出立の準備をする。
 目指すはギジジット市近郊に密かに建設されている、『原子核発電所一号機』建設現場だ。

 ユミネイトは、色男の人間らしい姿をようやくに見れて、嬉しくなった。

「ま、世の中そういうものよ。想像が及ばぬ深い闇くらい無いと、政治家人生張り合いないわ」
「ユミネイト、でも君の父上に縁の物理学者は全員知らなかったんだろ」
「ゥアム神族にバレないように、巧みに人選したらしいわね。
 「幻人」事件が無ければ気付かなかったわ」

 マキアリイは、

「でも、本当にゥアム神族の目を盗んでそんな真似出来たのかよ」
「やっぱり隠蔽に協力した神族が居るんでしょうね。不思議ではないわ。
 ゥアム神族は停滞を望まない。社会が進展する為に様々な飛び道具を使ってくる人も居るんだわ」

「神族は一枚岩じゃなかったのかよ」
「うーん」

 そこはタンガラム人に理解させるのは難しい。
 一人の人格の中にも矛盾する要素が有るように、と説明しても分からないだろう。

 

 飛行機の整備と調達はキーハラルゥがしてくれた。

 今回ヒィキタイタンも参戦するので、もう1機必要となる。
 「潜水艦事件」10周年記念式典で使った最新単葉機は、色の塗り直し中。
 さすがに「カドゥボクス財閥」でも趣味の競技機を2機も持ってない。
 やはり知人から借りてきた。

 これは前にヒィキタイタンが使っていた機体だが、乗り換えの際に請われて譲ったもの。
 今でも十分に競技会で通用する性能を持つ。
 色は塗り替えられて、胴体と下翼は黒に白線が凛々しく走り、上翼は真紅でカッコつけだ。

「あなたならこのくらい派手でも気にしないでしょ?」
「飛べばいいよ。勿体ないくらいだ」

 ここまで使った薄桃色の水上機はヒィキタイタンがユミネイトを乗せて飛ぶ。
 マキアリイの後席にはキーハラルゥが乗りたかったのだが、

「マキアリイさん、俺操縦出来なくて申し訳ありません」
「いいさ。英雄をこき使ってくれよ」

 ヒィキタイタンの護衛メンドォラが同行する。
 事件の中核に踏み込むのだ。荒事に耐える人材が必要だろう。

 

 例のようにゥアム外交官に止められるのを振り払うユミネイト。
 白ネコと共に赤毛ネコが足元に走ってくる。置いてかないでくれ。

「今度はこの男が飛行機を動かすのか」
「そうよ。マキアリイより操縦は丁寧だから安心して」

 ハハハ。

 飛行服のヒィキタイタンは安易な期待を寄せられて、内心動揺する。
 自分は競技用の技巧的な操縦は得意とする。
 だがマキアリイみたいに、オンボロ飛行機が壊れないよう繊細に扱う技能は無い。
 乗り心地が良いのはむしろあっちじゃないかな。

 

 様々に不安を抱えたまま、2機の水上飛行機は順次発進する。
 空中に上がって並んで飛べば、二人の英雄が揃う勇姿に地上の人も心が踊る。

 キーハラルゥは写真機撮影機を天に向ける記者達に聞いた。

「ちゃんと撮れた」
「もちろんです」
「わたしも?」
「はい。桟橋から見送る後ろ姿が、とても良い絵になりました」
「そう。」

 

      ***** 

 【バハンモン教授独演会】

   ***** 

 (第二十三話)『危うしニセ病院』その4

 

(第二十二話)その6「メタトロン・ポリス」

 ヒィキタイタンが操る薄桃色の水上飛行機が、ギジジット市郊外人工湖に着水する。
 降りてきたユミネイトとネコは眼が真四角に硬直していた。

「ユミネイト、すまない。でもマキアリイが煽ってくるから、」
「俺じゃないぞ。
 こっちの機体は変態的に調整されてて、隣に並んでまっすぐ飛ぶだけで一苦労なんだ」
「とにかくすまなかった。少し休もう」

 そんな余裕も許さない。
 桟橋にはギジジット市警察局の上級捜査官コレイトが部下2名と共に迎えに来ていた。

「ようこそソグヴィタル議員。そしてマキアリイ。
 困った事になったぞ、すぐに来てもらいたい」

「何がありました先輩」
「君達の言う、物理学者の連続自殺事件がまた起きてしまった」
「今度は誰です」
「それが、百人まとめてだ」

 呆気に取られる二人。
 ユミネイトも吐き気を押さえながら話に加わろうとして果たせず、地に膝を付く。
 コレイト、

「おい、ユミネイトさんは大丈夫か」
「飛行機酔いだからほっとけば治りますよ」

 貴婦人に対してマキアリイ、冷酷。
 ヒィキタイタンとしても労ってあげたいところだが、やはり放っておく以上の治療法は無い。
 麗しいヒトがのたうち回るのを不憫に見つめる。

 ちなみにもう一人の同行者、マキアリイの後席に乗っていたメンドォラもくらくらと立つ姿が定まらない。
 自分の運転手兼護衛だから、ヒィキタイタンも心配する。

「メンドォラ君、座っていていいぞ」
「だいじょうぶです。落下傘降下訓練を受けた時に比べればはるかに……」

 

 飛行機酔いの2人が収まるまで、発着場傍の喫茶館を借りた。
 二人の英雄に対してコレイトが状況を説明する。

「我々も君達から得た情報を元に、ギジジット市内における「幻人」の存在を探索した。
 ギジジットには極秘扱いの政府計画がいくつも有って照会すら難しいのだが、
 君たちが首都で聞いてきたという超大型計画が、」

「『原初の焔計画』ですね」
「それだ。この計画の関係者の挙動がかなりおかしいと、証言が幾つも得られた。
 相当の人数だ。汚染はかなり広範囲に及んでいるらしい。
 もちろん警察局の権限の及ぶところではないが、警告は出来るので連絡を取ると」

「それ以上の情報公開はこの場ではお控えいただきたい」

 氷水を持ってきた給仕の男性がコレイトの話に口を挟む。
 驚く3人。
 ちなみに2人+1匹は別の席で飛行服のままぐったりしている。

 ヒィキタイタンが慎重に尋ねる。

「キミは、政府の工作員か。それとも、」
「マキアリイ映画で言うところの「闇御前」組織の回し者とご理解ください。
 むろん通常はこんな店で働いてはいません。
 両英雄とユミネイト嬢をお迎えにあがりました」

 マキアリイも、

「じゃあ俺達がバハンモン教授に会ったことも、」
「むしろ我々の働きかけが有ったからこそ、教授との面会が叶ったとご理解ください」

 そういう事か。
 いや普通に考えれば、あれほど簡単に秘密を明かしてはくれまいな。

 給仕は告げる。

「『原初の焔』計画における防諜責任者が、
 事態の収拾にあたって両英雄の協力を求めたいと申し出ております」

 

        ***   

 ギジジット市より東に15里(キロ)、
一般人立ち入り禁止と定められた実験区域に、その施設は建設されていた。
 原子核反応熱発電所だ。

 単に発電所があるだけでなく、運河も掘られて水が大量に引き入れられている。
 「冷却水」だそうだ。

「灰色の宮殿、だな」
「そうかしら、牢獄でしょ」

 復活したユミネイトの評は手厳しい。
 これから一戦交えるかに、活動的な探検服に着替えている。
 ヒィキタイタンマキアリイメンドォラも同様だ。

 発電所は周囲に幾重も塀や鉄条網が張り巡らされ、容易には近付けない。
 遠くから眺める建物は、窓一つ無い灰白色の巨大な立方体の集合体だ。
 その周囲には「人間用の建物」と工場、機械設備、変電施設。
 そして混凝石の頑丈な銃塔が幾つもそびえ立つ。

 ヒィキタイタンの評が正しいだろう。

「要塞、だね」

 

 待っているのはとても怖いおばちゃんだ。

 背は低い。細身をゥアム調の落ち着いた婦人服で包む。
 すでに髪の色が薄く桃色で、40代と思われる。
 顔は丸くて小さくて、首が細くしゅっと伸びる。
 眼がカエルみたいに離れ気味の、なんとなく見たことのある容貌が。

「もしやバハンモン教授のご関係の方ですか」
「ソグヴィタル議員ですね。
 父に聞いたでしょう。6人の子供は全員が祖父の事業に身を投じたと」

 バハンモン教授が63才なら、娘もそれなりの歳か。

「名乗るべきではありますが、任務の都合上控えさせていただきます。
 仮に『ジュースチ』と呼んでください」
「”6”、ボロボロ語ね。
 さしずめ貴女はバハンモン、いえ「ジュンザラゥ六数妹」ですか」

 ゥアム帝国の北方州国の言葉だ。
 彼女もまた工作員として帝国に長期滞在した経験があるのだろう。

 女対女だ。ユミネイトが正面に立つ。

「それで貴女は、この現場でどのレベルの指揮権を認められていますか」
「いきなりだな。さすがは「待壇者」だ。

 私は今回の騒動における人的被害の対処に、ほぼ無制限の権限を有する。
 誰を殺害するかを決められる、という意味だよ」
「なるほど、モノは壊せないわけですか。人の命よりも大事と」

 女は皮肉な台詞に口の端で笑って返す。

「普通の官僚や軍人ならそうさ。
 だから「闇御前」の孫が責任者に選ばれた。
 建設に投じられた莫大なカネを無視できる、数少ない人材だからね」

 

 マキアリイ、隣に並ぶヒィキタイタンの脇を小突く。
 どうだ、ユミネイトは心臓に毛が生えて戻って来ただろ。

 

        ***   

 バハンモン教授の末娘は語る。

「そのとおりだ。
 本質的に重要で保護すべきなのは人間。
 『原初の焔』計画に携わり、発電所建設に関する知識技術を身に付けた百名の物理学者工学者技術者を救うのが、
 私に課せられた任務だ。

 だから、外部の人間である貴方がたを必要とします」

 ユミネイトとしては期待できる状況だ。平和的な解決こそ何より望ましい。
 されど、「闇御前」の孫を無条件で信用出来るわけが無い。

「制圧した後で、「幻人」憑きを射殺する。
 なんて手のひらを返したりしませんね?」
「手のひらは返すさ。
 計画に携わる人間は重要だが、外部の貴方がたはそうではない」

「結構。」

 無制限の善意など信じないのが、ゥアム人の気質。
 上流階級でさんざんな目に遭わされたユミネイトには、彼女の態度はむしろ好ましい。

「状況の説明を」
「ではこちらへ」

 

 丸太の柱に屋根を被せただけの天幕が、野外司令室だ。
 電話・無線通信機等の機材が並ぶ。
 黒板に発電所見取り図が簡単に画かれていた。

 そして周囲には多くの技術者、戦闘員、黒服の怪しい男達が。
 武装した強行制圧隊も1個小隊が並んでいる。

 いずれも『ジュースチ』を見ると敬礼を返してくる。
 相当な権力を認められているようだ。

 説明にあたるのは施設管理担当の技官。
 彼が何故決起に加わっていないのかは、後で詮議するべきだろう。

「2日前の早朝に事件は始まります。
 突如、電子逐次処理装置「シーケンス・プロセッサ」が異常動作を見せ、
 すべての部署で不具合が起きました。
 機械設備を遠隔制御するための自動装置です。
 開発研究者すべてに動員が掛かり、全施設一斉点検が行われます」

「他の職員も参加していたのですか。」
「はい。ですが「シーケンス・プロセッサ」自体の故障だと判明して、
 大半が作業を中断して待機場所に戻ります。
 施設の中枢である「中央管制室」のみで作業を続け、昼過ぎに復旧します。

 その後「起動手順確認試験」と称して、研究員・作業員全員が一時施設外に移動。
 百名、正確には105名が先行して入っていきました。

 統括責任者である「タタンゼ・ミュヴヒラ」先生が到着なされて、直接監督すると中央管制室に行かれて、
 さあ開始だ。というところで、
 施設外周の鉄柵門が自動で閉鎖され、中に入れなくなります」

 

 ジュースチが割って入る。

「ここからは私が説明しよう。

 立て籠もる105名とタタンゼ氏は、外部との連絡を遮断。
 あろうことか外周防衛の自動機関銃塔を起動して、威嚇射撃を敢行。

 外に居た管理責任者は、これが叛乱であるとようやく気付き、我々へ緊急通報。
 事件解決に乗り出した、というわけだ」

 ユミネイトが不思議に思うのは、何故施設警備部門に任せないか。
 政府から派遣される正規兵だろうに。

「ああ、それか。
 ゥアム帝国からの妨害活動がかなり多くて、
 日頃から我々「組織」に対処を任せる例が多かったんだ」

「なるほど。帝国が妨害してくるのは理解した上で、今回の事件なのですね」

「すでに我々はコレイト上級捜査官より、物理学者の奇妙な自殺事件の警告を受けていた。
 まさにこれか、と判断して、彼らが集団自殺を図る前に決着をつけようと、
 強攻制圧隊2個小隊を投入。

 派手に自殺しようと思えば施設全体大爆発だろうからな。
 とんでもない損失だ。ましてや科学者百人もろともなど。

 とにかく拙速を求めて、無残な失敗を遂げて撤退。
 現在は膠着中なわけだ。
 死者7名重軽傷者18名」

 

        ***   

 天幕の外に強攻制圧隊の隊長が並ぶ。
 巡邏軍でも陸軍の所属でもない、「組織」が直接に保有する兵力だ。

 強攻制圧隊は、1個小隊50名。突入班で30名となる。
 60名を投入して、25名もの被害を出した。

 マキアリイは深く同情しつつも、ジュースチに尋ねる。

「反撃は予想しなかったのか」
「施設外周は兵器が完備しているが、中に入れば隔壁を下ろすくらいしか防御手段が無い。
 兵員に依る防衛が規定の手順だ。
 屋内には固定武装は無い、はずだった」

「いつの間にそんなものを」

 ヒィキタイタンの感想は置いて、マキアリイ再度尋ねる。

「だが強攻制圧隊でどうやって保護するつもりだったんだ」
「誰一人戦闘経験を持たない理系の学者ばかりだからな。
 主要研究者を避け、補助的な者を1人2人血祭りにあげれば、恐怖により制圧出来ると考えた」
「そういう手口を使うから!」

 

 ユミネイトが要求する。

「ゥアム帝国から供与された発電所の設計図には、そんな防衛設備は無いはずよね。
 建設初期の設計図と、現在のものと、見比べる事はできないかしら」
「それならば、」

 と技官が背後の物入れの木箱から大きな紙の筒を何本も引っ張り出す。
 2枚の平面図は概略のみを描いたものだが、全体は変わらずとも細部が随分と違う。

 食い入るようにユミネイトが図面を検討する間、
マキアリイは質問を続ける。

「ユミネイトの父親は、タンガラムの物理学者の様子が3年前からおかしくなったと指摘している。
 あんた達は気付かなかったのか」

 あんた呼ばわりされるのに女は眉をひそめる。
 が、これも落ち度の内だろう。

「その頃に確かに、建設に携わる科学者達の間で異変が起こった。
 急に皆やる気に満ち溢れるようになったのだ」
「やる気?」
「そう、徹夜も厭わず様々な困難に立ち向かい、難題を次から次へと解決し、鮮やかな仕上げの手並みを見せる。
 作業の進捗が2割も改善したと、表彰状を何枚も発行する嬉しい事態となったのだ」
「それはめでたい事で、」

「今にして思えば、あれは精神に異常な高揚があったのだろう。
 彼らが嬉々として組み上げていたものが、今回の防衛兵器群だ……」

「電源、止めた?」

 不意にユミネイトが尋ねる。
 それは当然とジュースチは答える。

「まず最初に外部電源をすべて切断した。当然の措置だ。
 しかしまったく影響も無く籠城を続けている。
 おそらくは、設計図に描かれない発電室が存在するのだ」

「あーそれは分かる。タンガラムではめったに起きない竜巻対策の地下発電室よ。
 完成した現在の図面には載ってないけど、原図には有るわ」

 

 ここでユミネイト、核心を衝く。

「原子核反応炉、動いてないの? まったく音がしないんだけど」

 

        ***   

 原子核分裂反応炉が起動すれば冷却設備が稼働して、騒音と振動が発生する。
 だが施設のすぐ外に居るにも関わらず、何の震えも感知しない。
 小鳥がびーちく鳴くばかりだ。

 ジュースチは嗤う。技官は目を手で覆った。

「ゥアム帝国からまだ反応燃料物質を送ってこないのだ。
 計画どおりならとっくの昔に到着して、試験運転にこぎ着けているはずだった」

「なるほど。「闇御前」バハンモン・ジゥタロウが逮捕されちゃったから、足元見られたのね。
 なるほどなるほど。シンドラと提携するわけか。」

 ユミネイトの言葉に「組織」の女は顔色をわずかに変える。
 何故今ここで、シンドラ連合王国が出てくる。

「だってそうでしょ。
 「闇御前」ほどの策謀の天才が、帝国が燃料停止するの予期しないわけ無いでしょ。
 生殺与奪を握り死命を制される要素を潰しておくわよ。

 それにわたし、シンドラで放射性物質の有望な鉱山が発見された学会の資料読んだこと有るの。
 帝国に内緒でシンドラと提携して鉱山開発してるんでしょ。
 シンドラ側の見返りは、原子核発電所技術の移転ね」

 ジュースチは呆れた。
 さすがは叡智に輝くゥアム神族の娘だ。

「とはいえ、核反応燃料の精製濃縮技術をタンガラムはまだ持っていないか。
 燃料待ちなのね」

 

 マキアリイが、まだ設計図を見比べるユミネイトに尋ねる。
 なんとかなりそうか。

「ええ、これ新しい方は「幻人」の設計よ。
 彼らは昔ゥアム神族の脳内に居たから、神族の癖を良く覚えているの。」

 ぐるりと設計図を回し、対面に立つジュースチに、マキアリイとヒィキタイタンにも見せる。

「この防衛兵器群、別に秘密にするつもりは無かったはずよ。
 施設を運用側に引き渡す際に、兵器の使用法も教えるつもりだったのではないかしら」

「では叛乱を起こす気は無かったと」
「逆ね。表から乗り込んで奪い返す策を仕込んであるの。
 こういうあっと驚く二段構えが、まさに神族の手口よ」

 ヒィキタイタンも身を乗り出した。

「具体的にはどうやって掌握するんだい」
「各部ごとの配電盤を繋ぎ換えれば、こちらから制御出来るようになるわ。
 ちまちまと繰り返す事で、中央管制室に辿り着ける。
 時間は掛かるけどね」

 強攻制圧隊の隊長達が色めき立つ。
 それを早く言ってくれれば、死者を出さずに済んだのに。

 ユミネイトは告げる。

「わたし達が突入する際に、電気工事の技能を持った隊員を2名、工具電線等の荷物持ち3名が欲しいわ」
「手配しよう。だがやり方を教えてくれれば我々で、」
「それはダメね。こういう場合、処理する配電盤それぞれに違う「パズル」が仕込んである。
 全部解ける人間でないと無理よ」

 

 マキアリイは思う。
 それは、破壊集団「ミラーゲン」の埋設爆弾の手口と一緒だぞ。

 

        ***   

「ネコは禁止だ」
「ネコは禁止ね」
「そんなー、ユミネイトー」

 ユミネイトの指揮でマキアリイヒィキタイタンメンドォラと、強攻制圧隊5名の突入隊が結成された。
 男3人はいずれも軍隊経験者だ。

 服装は探検衣装のまま背嚢を背負って、
靴はコニャク樹脂底で滑りにくく電気絶縁、頭には工事用の非金属製防護兜を着用。
 強攻制圧隊員は一応小火器を携行するが、他は木の棒のみを持っていく。

「言わなくても経験済みでしょうが、ここは電気の要塞です。
 感電対策の方が重要ね」
「そうなのだ。絶縁処理をされたものを今更ながらに用意した。

 だが、あまりにも非力ではないか」
「奥の手も用意してるんですけどね」

 ユミネイトはカプタニアから持ち込んだ装備をジュースチに見せる。
 彼女もふっと頬を緩めた。

「そういう策を使うか」
「いかにも、でしょ」

 

 準備が整ったところで、騒ぎが起きた。
 コレイト上級捜査官が取次ぎ、ユミネイトに告げる。

「ゥアムから来た二人の刺客が同行を求めています。どうしますか」
「連れてきて」

 銃を構えた強行制圧隊員がぐるりと半周を囲み、警戒を見せる。

 蛮族衣装の短槍の男と、黒髪の大女が地に跪く。
 深々とユミネイトに拝礼した。

「”白虹のカ’ン”、”細蟹のパ=スラ”の両名、
 待壇者ユミネイト・トゥガ=レイ=セト様に同道するお許しを頂きたく、参上仕りました」

「それは無理だ。だがわたし達に先行する許可を与えよう。
 お前達はお前達のやり方で障害を突破し、帝室より与えられた命令を果たすがよい」

「「幻人」憑きを殺すことになりますが、よろしゅうございますか」
「既に汝らの存在は彼らの知るところ。
 また、古来のやり方では対処できない科学の罠が幾重にも仕掛けられておろう。
 それでも行くのであれば、止めはせぬ」

「有難き御諚を頂き、恐悦至極にございます。
 それでは皆様方の先導を務めさせていただきます」

 

 ユミネイトの前を下がる二人に、マキアリイは不安の眼差しを向ける。

「おい、まずいんじゃないか」
「あんなの連れてくの嫌よ。

 それに、もし彼らの行動を制止すれば、
 わたし達が事態を解決して物理学者を保護した「後で」の処理を考えるでしょう。
 ”Chamber”は彼らに効率的な殺しを期待するわ」

「だから厄介払いか、冷たいな」
「ゥアムではむしろ温情溢れる措置と見做すわよ」

 

        ***   

 突入を前に、ヒィキタイタンは発電所内の状況を把握していないか尋ねる。

「そちらは設備も整っているでしょう。内部を知る手段は無いのですか」
「電話回線・無線通信の傍受は成功している。
 だが彼らは通信をしないのだ。
 ただゥアム語の歌曲が流れてくるばかりで、意図が分からない」

 ユミネイトは、

「何の曲です?」
「分析班によると、”五種の聖方体が形作る天界の秩序を讃える歌” だそうだ」
「『メタトロン讃歌』だわ」
「そのように言ってたな」

 「メタトロン」の語に、技官が敏感に反応した。

「『原初の焔』計画統括責任者のタタンゼ・ミュヴヒラ先生が、事あるごとに口にしていました。
 「この原子核発電所はメタトロン・ポリスの心臓部”思考塔”だ」 と」

 『メタトロン・ポリス』!
 その場の者皆知っている。

 今から百年以上昔にゥアムの科学者「ジゥヌ・ヴェルル」によって著された近代的空想科学小説の数々。
 中でも著名な一冊が、『メタトロン・ポリス』
 電気で動く人工人格によって制御される巨大科学都市の物語だ。

 タンガラムでも翻訳され大人気となり、今ではどこの小学校の図書館にも備えられている。
 およそ科学に興味のある少年ならば、必ず読んだ一冊だ。

 ヒィキタイタンも、

「懐かしいなあ。人造人間「マリア(仮」だね。
 そうか、科学者技術者の夢の結晶として、この発電所はまさに「メタトロン・ポリス」なんだ」

「マキアリイ、今回の「幻人」の見立ては小説『メタトロン・ポリス』で間違いないわ」
「ちょっとまて。俺も読んだが、この話の結末は確か、」

 ユミネイトは「闇御前」の孫に向き直る。

「貴女も知っているでしょう。
 『メタトロン・ポリス』の結末は、群衆の手による文明の崩壊よ」
「すべてを破壊するつもりか。自らもろともに」

「急ぎましょう。残された時間はそう長くは無いわ」

 

 ユミネイト率いる突入隊は、発電所正門前の高い鉄柵扉の前に立つ。
 左右の柵には有刺鉄線が張り巡らされ、高圧電流まで流れる仕様になっている。

 ジュースチは説明する。

「さすがに高圧電流は切った。
 だが自動機関銃塔が周囲を見張り、正門以外からの侵入を排除する」
「十分砲でふっ飛ばせばいいのに」 (70ミリ歩兵砲、タンガラム軍では多用される)
「あちらにも有るのだ。対空機関砲まで」

「ほんとうに要塞だな」

 マキアリイは呆れるが、こうも付け加える。

「じゃあ、防衛本部的なところも潰さないといけないな」
「警備指揮塔だ。中央管制室とは別棟にあるから大変だが、やってくれるか」
「努力してみましょう」

 

        ***   

 施設本来の警備員が10人掛かりで、重い鉄柵扉を横に滑らせる。

「ここから施設玄関までは掃討が終わり、安全は確保されている。
 だが内部は分からない。
 ひょっとすると排除した障害も復旧しているかもしれない」

 突入隊9名+刺客2名が敷地内に踏み込むと、
ジュースチの指示で再び鉄柵扉が元通りに閉められる。
 鉄鎖を掛けて大きな錠前で封印する。

 大変だ、とヒィキタイタンが戻ってきて抗議する。

「これでは万が一の場合逃げられないではないですか。
 脱出路を開けておいてください」

 だが「闇御前」の孫娘は、にたと笑いを浮かべる。
 初めて見た、彼女の私的な表情だ。

「ソグヴィタル議員、あなたも無罪とはいかないな。
 お祖父様が獄中生活を送ることになったそもそもの原因は、ヱメコフ・マキアリイ!
 彼に協力して、殺人教唆の有罪判決が出るまでになった責めが、あなたにはある」

「20数名も刺客を送って、ことごとくをマキアリイに撃退され、
 しかも命を助られた恩義から殺人の依頼主を自白された。
 それを逆恨みするのは、とんでもなく情けない話ですよ」

 彼女はぴりりと頬を引き攣らせる。

 「組織」直属の専門暗殺者なら、あんな無様な結末には至らなかった。
 関与を隠すために民間裏社会の殺し屋なんか雇うから、
第一20数名ではない、50名だ。
 逮捕されるまでもなく自滅したり再起不能になったり、組織が始末した者も多い。

「首尾よく籠城を解決してから、話し合おう。
 英雄らしい活躍を期待しながら待っているよ」

 

 ヒィキタイタンは、ユミネイトマキアリイが待つ先に走って戻る。

「何が有った」
「逃げて帰るのは許さないそうだ。特にマキアリイ、恨まれてるぞ」
「そりゃそうだろう。孫だし」

「彼女、感情を表に出さない冷血な工作員かと思ったが、とんでもない。
 感情的で人間味溢れる人だった」
「バハンモン・ジゥタロウという爺さんも、話は面白い奴だったよ」

「バハンモン一族の強みって、そういうところなのかもね」

 

 原子核反応熱発電所は、最新の工場施設と同じく自動車の利用を中心に考える設計だ。
 敷地内に広い駐車場を備え、大型輸送車を何十両も受け入れる事が出来る。

 駐車場の前に車両検問所。
 大型自動車用の鋼鉄防護柵が半分引き出されている。

 防護柵に阻まれて停車する位置を狙うかに、自動機関銃塔が配置される。
 分厚い混凝石の造りだが、何発も砲弾を受けたかに黒く焦げ沈黙していた。
 強攻制圧隊が先攻した際の戦果だろう。

 玄関入り口となる「入館事務棟」に、全員が向かい合う。

 タンガラム民衆協和国が国家の威信を懸け未来の希望を託して築き上げた最新科学施設。
 最初の関門は、白く輝く現代合理主義建築の5階建て。
 大きな幅の窓ガラスが贅沢に使われている。
 その門は電気で動く自動扉だ。

 ユミネイトは全員の顔を見渡し、正面を向いてにたりと不敵に笑う。
 たぶん、どこからか覗いている誰かの為に。

 

「さあ、「メタトロン・ポリス」に御入来よ」

 

 古典SF小説『メタトロン・ポリス』

 

(第二十二話)その7「リドル・プリンセス」

 かってゥアム古代の格闘士プラトゥーンは言った。
 『健全なる哲学は、健全なる筋肉に宿る』

 マキアリイはユミネイトに問う。

「おかしくないか、それ」
「どこが?」
「いやだって、哲学って深い思索やら哲人同士の議論から生まれるものじゃないのか」

「古代の哲学者は相撲や拳闘をしながら議論を深めたのよ。
 格闘士プラトゥーンは百戦無敗のチャンピオンにして、現代まで続くゥアム哲学の基礎を築いたわ。
 筋肉こそが真に実の有る思索を実現させる。空理空論に流れる愚を犯さないのよ」

 ヒィキタイタンは笑う。
 ユミネイトを見ていれば、ゥアム神族が明らかに格闘する哲学者達の系譜だと納得してしまう。

 何故プラトゥーンか。
 「メタトロン」と呼ばれる超常の存在を表現するのに、
かの哲学者によって唱えられた完全立体、5つの正多面体と球が用いられるからだ。

 数学的にも極めて大きな意義を持つこの図形が、「幻人」の罠を解く鍵となる。

 

 原子核発電所最初の建物「入館事務棟」に入ったユミネイトは、突入隊全員に命じた。

「秘密の配電盤が有るのよ。
 そこにメタトロンの印を刻む事で、全館全棟を支配するシーケンス・プロセッサ「電子逐次処理装置」に命令が出来る。
 まずは探して。この建物に最初の一つが有る」

 「電気工事士」と「荷物持ち」で付いてきた5名の強攻制圧隊員。
 その隊長は、第二次突入作戦で大被害を出した隊の副長だった。
 彼は施設内部の建築設計図と無線通信機を担いで同行する。

 玄関受付の広い待合室の机に「入館事務棟」の図面を広げる。

「我々が突入した際はいきなり工場区画だったので、ここはあまり調べていません。
 なんの武力抵抗も無かったので、放棄されていると考えました」
「そうね、ここは守るにも不都合だしね」

 「入館事務棟」はその名の通りに、原子核発電所の玄関受付の役割を果たすもの。
 常時百人、昼間なら科学者研究者も含めて千人が詰める発電所の従業員の為の施設だ。
 事務・管理部門はもちろん広報や警備、作業員の仮眠室や食堂厨房、医療施設までが整っている。

 単なる発電所ではない。
 タンガラムに初めて設けられた原子核相互反応の研究所・技術開発工場でもあるのだ。

 ヒィキタイタン図面を一瞥して、

「広すぎる! ユミネイト、どこか目当ての場所は無いかい。」
「やはり最高責任者の部屋か、記念室みたいなところでしょう。
 外部の攻撃から最も遠い場所ね」

 だがとりあえず、図面に記される普通の配電盤を確かめる。
 どうやって? 手がかりは何を見れば良いのか。

「図形よ図形。三四五角形、それと円。
 あと数字ね。34568、12、20。円周率も関係アリかも」
 そして、それぞれの完全立体が象徴する宇宙元素。
 火・土・水・風・空そして虚無。まあそんな感じで」

 

      ***** 

 8ヶ所の配電盤を調べて無関係を確認して、
やはり、と目星を付けた部屋がある。

「タタンゼ・ミュヴヒラ元科学技術総監の執務室だね」
「国家総統なんかも視察に来るから、政治的なものなのでしょう」

 豪華に装飾された応接室と呼んでもよい。
 装飾や調度品が多くて何事か隠しても見つけ難い。
 ユミネイトはマキアリイを呼んだ。

「監視カメラの位置を見破って」
「伝視管撮影装置だな。もちろん偽装して設置されている」
「あなたの勘に頼るわ」

 ヒィキタイタンと護衛のメンドォラが豪華な一枚板の扉を開く。
 ユミネイトとマキアリイは歩調を揃えて真っ直ぐに部屋に入り、半ばまで進んで振り向き、戻ってきた。
 扉を閉じる。

「執務席に向かい合う窓際の柱の上の動物の装飾。黒ガラスが口の中に嵌め込まれている」
「それね。一撃で潰して」
「おう」

 強攻制圧隊員から拳銃を受け取る。
 .6イント(8.5ミリ)弾を使うゥアム製自動拳銃だ。装弾数10発。

「いいもの使ってるなあ」

 今度はマキアリイ一人がつかつかと歩み入る。
 監視していた者は、いきなり映像が消えたのを不審に思っただろう。
 目にも止まらぬ早撃ち、3発全弾命中だ。

 

「あったよユミネイト。本当に監視装置の正面だ」
「当然ね」

 執務席の背後の壁、
有名芸術家作の寄木細工の飾り板を外すと、隠し金庫が出現する。
 重厚な艶を持つ鋼の板が、いかにも仰々しい。
 これみよがしに難度を誇る番号鍵が丸く黒く存在を誇示する。

 ユミネイト、無造作にクリクリと回すと簡単に開けてしまった。
 まるで魔法のように。
 マキアリイは驚いた。

「おい、なんでお前金庫の番号を知ってるんだ」
「円周率6桁、バカにしてるわ。プラトゥーン立体宇宙の最外殻は球に決まってるじゃない。
 さてと」

 ユミネイトは電気工事士の資格を持つ隊員2名と金庫の中を見る。
 もちろん配電盤であり、幾つかの電極と電線、鈕や梃で操作する。

 しばらく考えて、再び金庫の扉を閉める。
 金庫の取り付けられた壁をコツコツと叩き始めた。
 困惑する強攻制圧隊員。

「どうしたユミネイト」
「バカにしやがって。これはフェイク、虚仮にされてるわ。
 この金庫の裏に本物の配電盤が隠されてる」

 5人の強攻制圧隊員が鉄テコを使って壁を掘り、金庫まるごとを引き抜いた。
 ほんとうに簡単に取れたので、ユミネイトの言葉が真実と知る。

 奥には半球状の金属部品に、単純な押し釦が備わっている。

「プラトゥーンの完全立体「球」 宇宙を包む「虚無」を意味する。
 ゥアム神族ってこういう引っ掛け問題を多用するの」

 釦を押すと、一瞬館内の電灯が瞬き乱れ、全館放送で音楽が流れてきた。
 正解を祝福するように。

 「メタトロン讃歌」 通信傍受でも聞いたゥアムの賛美歌だ。

 

      *****  

 ”白虹のカ’ン”と”細蟹のパ=スラ”
 「幻人」狩人の二人は玄関受付前に待機する。
 ユミネイトに「最初の関門を解除するまで、ちょっと待て」と命じられた。

「いよお、もう行っていいぞ」

 現れたのはヱメコフ・マキアリイ。
 彼らもその腕前を存分に理解させられた無双の勇者だ。
 男の方、”白虹のカ’ン”が短槍を立てて向き直る。
 タンガラム語で尋ねた。

「構内の防御機構は無力化したのか?」
「そこまで上等なものじゃない。
 幾つもの監視装置と移動する自動兵器、
 それぞれが担当する部分と経路に食い違いを設けて、死角が一定時間出来るようにした。
 運動能力に優れた者なら、なんとか見つからずに通り抜けられるかも知れない」

 これだけ聞けば十分だ。

 彼らは本来が”Chamber”の者。
 ゥアム神族や「銀骨のカバネ」の与り知らぬ場面で、帝室の安寧を模索する。
 「待壇者」ユミネイト・トゥガ=レイ=セトの好意にこれ以上甘えるのは許されない。

 二人進み行く後ろ姿に、マキアリイは最後の忠告をする。

「ユミネイトはこれから何段もの解除装置を起動させていく。
 付いていった方が安全だぞ」

 長い黒髪の大女、”細蟹のパ=スラ”が振り向いて言葉を残す。

「「待壇者」様には、くれぐれもご無事をお心がけ下さいと伝えてくれ」

 やっぱり聞く耳を持たない。
 マキアリイも独り言ちた。

「それじゃあ俺もそろそろ行くか……」

 

 ユミネイト率いる突入隊も、玄関受付に戻って準備を整える。
 建築設計図を広げて、発電所内の構造の復習だ。

「「入館事務棟」から入って、最深部「原子核反応棟」に至るまで、多数の建屋で迷路になってるのね。
 ただ絶対に制圧しなければならないのが、「中央管制室」と「警備指揮塔」
 立て籠もる百人の科学者の大半は「中央管制室」に居るはず。
 「逐次処理装置」もここに設置されている。

 そして計画の中心人物「タタンゼ・ミュヴヒラ」元総監は「原子核反応棟」の「反応制御室」に居るはず。
 居ないとおかしい」

「「警備指揮塔」を制圧すれば、外の強攻制圧隊の突入が可能になる。
 しかし人間同士の銃撃戦になるのは避けたいね」
「人が死なない格闘はマキアリイに任せましょ。なにせ「英雄探偵」なんですから。
 わたし達はとにかく防衛システムの無力化に務めます」

 ですが、と制圧隊長が進言する。

「我々も自動兵器とは極力戦闘を避けましたが、床が濡れていて感電させられました。
 まったく考慮していなかったので被害者続出です」

「機械の知能を使わない罠か。どう対処するユミネイト」
「そうね、とりあえずは、
 そこのマキアリイが変なことしないように見張っておくわ」

 ユミネイトはぼーっと突っ立っているマキアリイの背を叩く。

「行くわよ」

 

     ***** 

 もちろん通常の運用時には直行する通路が有り迷ったりしない。
 今は随所に隔壁が下ろされ、迂回しなければ移動できなくなっていた。

 突入隊が最初に目指すのは、「工作棟」第4配電盤。
 発電所内で用いる部品や工具を自前で作る工場施設だ。

 最新技術を投入された原子核発電所であるが、なにせまったく新しい。
 ゥアム国内でさえ運用実績は乏しく、常に改良が施され効率や安全性を高めていく。
 後に2号機以降を建造する際にも役立つ知見を増やしていくのだ。

 ヒィキタイタンは尋ねる。

「ユミネイト、だが何故「第4配電盤」だい。
 正四面体だから4、というのは安直に過ぎないだろうか」
「わたしもそう思わないでもない。でも建築設計図を見る限り、  !」

 

 全員壁に身を寄せて姿を潜める。
 先行するマキアリイが顔を覗かせ、右に曲がる通路を確かめる。
 何か居るようだ。

 ユミネイトと強攻制圧隊長も慎重に覗く。

「あ、アレです。あれが通路中を動き回って監視しているのです」
「”サイトシーク”だわ。移動監視カメラね。
 それにしてもよく作ったわね」

 監視カメラは天井に設置された軌条にぶら下がって動いている。
 相当の重量物でも吊り下げ可能で、装甲した自動兵器も巡って来る。

 マキアリイが撃破するかと尋ねるが、止めた。
 こんな所で自分達の所在をバラせない。

「見つからないように行くわよ。
 せっかく狩人が囮になってくれてるんだから、有効活用しましょう」

 

 移動監視カメラ”サイトシーク”が向きを換え、退いていく。
 監視の去った通路を15歩(10メートル)進んだ辻で、また別の機械に出会した。
 ユミネイト蒼白となり、マキアリイの襟首を掴んで引き戻す。

「電波砲だわ! あれ実用化してたのね」
「あれがヒゥーギニティ・ゴウ教授が開発した「怪光線発射器」か。君とマキアリイが遭遇した」
「あんなものに対抗できる武器、無いわ」

 電波砲は金属製の武器に特に効果的だ。
 頼みとする銃器が火花を散らして暴発すれば、兵隊なんか何の役にも立たない。

 強攻制圧隊員も電波砲の脅威は伝えられている。
 ユミネイトに尋ねる。

「どうします?」
「待機! どっか行くまで待つ」
「でもユミネイト、後ろから別の自動兵器が巡ってきたりしないか」

 ヒィキタイタンの懸念はしごく当然だが、それはたぶん大丈夫だろう。

「帝国に居た頃ね、大学の研究所によく表敬訪問させられたの。
 「無人自動運行車両」研究は人気でね、模型での実演をよく見せられたわ。
 車両が居る区間には、別の車両は入ってこない」
「衝突回避の為に、同じ通路には進入させないのか」

「そこで手動操作が必要になるんだけどね、
 でも、見つからなければ」

 

     ***** 

 工作棟第4配電盤。
 目標とする場所に来て、ヒィキタイタンはユミネイトの言葉の意味を知る。
 なるほど、ここだ。

「ここは、天井に軌条が無いのか。自動兵器がやって来ない」
「さて、ではどんな謎を仕掛けているか見てみましょう」

 配電盤自体には何の罠も無い。錠は有るが鉄テコであっけなく開いた。
 ユミネイトと共に2人の電気工事士も覗く。

「5個3組の切替器が左右2列に並んでます」
「計30個か。いい数字ね」

「ユミネイト、30は関係する数字なのかい」
「プラトゥーンの完全立体5種類の、面数・頂点数・辺数で最大が30よ。
 まちがいなくメタトロンを下敷きに設定している証拠ね」

 さて、とユミネイトは国会議員の色男に質問する。
 三角形で何思い出す?

「ここは第一の完全立体「正四面体」 正三角形4面で構成される。
 この電極の内から3つを選んで三角形に接続するんだけど、どれにする」
「手掛かりは無しかい」
「メタトロンの伝説は3千年前に成立した。現代数学は考えなくていいわ」

「数学、か。
 ……三平方の定理、かな」
「ゥアムでは「ピタコ’の定理」と呼ばれるわ。その内で整数のみで成り立つのは、」
「3・4・5、5・12・13、7・24・25、8・15・17、……」
「30まででいいわ」

 いきなり候補が絞られたが、まだ4つある。
 ユミネイトは次に、

「3・4・5の組は正八面体ね。だったら5・12・13は正二十面体でしょう。
 どちらも正三角形で構成され、それぞれの辺数が数字の合計と一致する」
「おお!」
「で、問題はここからよ。7と8、正四面体ではどっちを選ぶべきかしらね」

 あまりにも呆気なく解いていくのに、ヒィキタイタンも他の隊員も驚くばかりだが、
それでも足りない部分はある。
 ユミネイトも焦れる。

「単なる言葉遊びや数学パズルなら簡単だけど、これ泥臭いのよね。
 現場に行かないと解けない謎。
 「幻人」はあくまでも身体が接する現実を重視する」

 制圧隊員に代わって、ヒィキタイタンとマキアリイが腰をかがめて配電盤を見る。
 マキアリイの横顔を見ながらユミネイトは、
今回の一連の「幻人」事件が二重性に彩られてきたのを思い出す。

「この切替器、それぞれの説明書きが紙で貼ってるでしょ。
 引っ剥がしてみて。7番8番だけでいい」
「これかい」

 7番の下から、ゥアムの文字が現れる。”S/P直結”と金属板に直接刻まれる。
 8番の下はただの数字だ。
 念の為他の張り紙も剥がしてみたが、単なる数字ばかりだ。

「S/Pって、シーケンス・プロセッサの事じゃないかな」
「そうね、間違いなく。だから、
 8番から繋いで」

 驚くヒィキタイタンを尻目に、逆さの指示を下す。
 制圧隊員が8・15・17から再び8に電線を繋ぐと、館内放送で音楽が流れてくる。
 『メタトロン讃歌』の第一旋律、『ミカヱルの軍勢』だ。

「何故だ、ユミネイト!」
「完全立体「正四面体」が象徴するものは「火」、守護するのはミカヱル天の軍団長よ。
 ヌルい選択なわけないじゃない」
「君はゥアムで、そんな過酷な世界に生きてきたのか……」

 

 自分のことで嘆くヒィキタイタンに、ユミネイトは恐怖した。
 自分はひょっとして、タンガラム人として忘れてはならないものをどこかへ無くしてしまったのか。

 だが止まるわけにはいかない。今は。

 

     ***** 

  機械棟第6配電盤。

 ここに至るまでに、死体を幾つか発見。
 突入した強攻制圧隊員がそのまま片付けられずに転がっている。
 いや、邪魔にならないように適当な場所に移動させられていた。

 天井を移動する機械の中には、人工の腕で作業出来るものがあるらしい。

 

「ここは簡単ね」

 努めて明るく振る舞うユミネイトだが、ヒィキタイタンを怒らせないよう内心では必死だ。

「正六面体、立方体よ。正方形6面で構成される。
 象徴するものは「土」、不変。
 守護はウリヘル聖なる生贄の貯蔵者。無数の頭蓋骨を整然と積んだ塔に住む」

 見てる、怖い顔で見てる。
 あんまりべらべらと喋るものじゃないと、今更に理解する。
 マキアリイが例外だったのだ。

 「正四面体」の配電盤とまったく同じ形。切替器の配列も同じ30個。
 ただし今回は「三平方の定理」は使わない。

「まあ正六面体よ。4角形で構成される6面体で頂点は8個、12の辺を持つ」
「ユミネイトさん、それでは四角形が作れません!」

 制圧隊員が示すのは、電極の位置。指摘されたものはすべてが右列にある。

「あー全部偶数だからね。でも繋いでいいわ、今回問題なのは「土」だから」
「電極の番号は他は考えないのかい」
「考えるとすれば対角線なんだけど、見てのとおりに四角形が作れない。
 考えなくていいのが正解の証よ。
 で、「土」なのね」

「接地線じゃないのか」

 ヒィキタイタンの指摘はまったくに正しいのだが、問題はどうやって実現するかだ。
 配電盤の中で完結すべきか、それとも外に引っ張るか。
 ご丁寧にも配電盤のすぐ下に、給電用差込口が用意されている。

「ヒィキタイタン、電気の差込口にも接地線有るわよ」
「ほんとうにいかにも繋いでくれと言わんばかりだな。
 どうする。これは罠だと僕は思う」
「私もそう思う」

「でも何故最初のと同じ罠が仕掛けられているんだろう。
 もしかしたら敢えて繋ぐべきなのかも」
「いいえ繋ぎません」

 不安そうな顔に効くのは、現実的堅実な対策だ。
 ユミネイトは微笑んだ。確信は無いが。

「この配電盤の中に切替器としての機能を持たない偽の端子が有る。
 1個ずつ調べるわ」

 ヒィキタイタンは制圧隊員の顔を見る。
 彼はさっそく測定器を引っ張り出す。
 そういう流れであるのなら、ちゃんと仕事をさせてもらおう。

「なるほど。現地で実際に見なければ分からない謎、か。
 ゥアム神族の考え方が僕にもだんだんと分かってきたよ」
「幻人は真似してるだけだけどね」

 

 見張りに立っているマキアリイが警告する。
 まもなくこの場所に自動兵器の見回りが来る。

 ここは第4配電盤と違って吊り下げ軌条の真下にある。
 作業時間は限られた。

「短い時間、差し迫る恐怖で無謀な冒険に走らせる。そういう罠ね」

 

     ***** 

 資材倉庫第8配電盤。
 がらんと開けた資材倉庫に、そんなにたくさん配電盤が有るはずない。

 たった一つの配電盤に空中線を繋いで、無線電信でシーケンス・プロセッサと接続する。
 正八面体が象徴するのは「空気」だ。

 

 冷却棟第20配電盤。
 そんなモノは無かったから探すのに手間取った。
 まさか第5配電盤の蓋の裏に「20」と書いてあるなんて……。

「ここは三平方の定理で5・12・13を繋ぐんだね。
 でも、切替器に番号が書いてない……」
「ええ。どれから数えて5番目か、考えなくちゃ」

 まさか蓋に書いてある「20」を、「水」で擦ると「12」になるなんて。

 

「こんな所まで進めたのね」

 発電棟でユミネイト達は狩人の死体を発見した。
 正確には、狩人だったモノ、だ。まるで人間の形を留めていない。
 ゥアム蛮族の伝統衣装の模様で、ようやく何か判明した。
 ヒィキタイタンも鼻を衝く血臭に眉をひそめる。

「男の方だ。短い槍を持っていたな」

 マキアリイが跪いて調査する。どのような手段で殺されたのか。
 通路の端から動けず為すがままに殴り殺された。巨大な力で叩き潰されたと思われる。
 体術に優れた彼が、何故。

 ユミネイトは周囲を調べて戦慄する。
 この通路自体が罠だ。

「電磁石だわ。持っていた装備や武器、衣服に使われている鉄が吸着されたんだ」
「僕らも存在を知られていれば、同じ目に遭ったということか」
「女は、”細蟹のパ=スラ”は無事なのかしら」

 

 既に侵入者を確認しているので、発電棟の警備は強化されていた。
 監視カメラだけでなく何種類もの自動兵器が天井を走行する。

 電波砲、電磁投射砲、高圧電流棒、電熱切断機、回転穿孔機、真空掃除機。

 2本の腕を持つ、人の上半身を模した作業機が注目される。
 この1基だけが血に塗れて赤く汚れていた。

「金属の腕で殴り殺されたのか……」

 ちなみに突入隊が携行する武器は、絶縁体を塗った木の棒2本。
 強行制圧隊員が持つゥアム製自動拳銃5丁、拳銃弾を用いる小銃「制圧銃」2丁。
 手榴弾数個、信号銃、発煙筒。
 作業用刃物、鉄テコ数本……。

 まったく太刀打ち出来ない。

 

     ***** 

 発電棟第12配電盤。

「ユミネイト、何故12より先に正二十面体が来たんだ」
「正十二面体は正五角形で構成されて、他の物質元素とは異なる存在と考えられたのよ」
「つまり特別なんだね」 

 正十二面体が象徴するのは「空」、宇宙だ。
 しかし完全立体「球」が象徴する「虚無」ではない。

 

 配電盤の金属の蓋を開けて制圧隊員は驚いた。

 最上部に大型の切替器が1つ。左右に6個ずつの小さな切替器。
 他の配電盤が30個であったから、これは間違えたかと思う。

 別の配電盤を探そうにも、自動兵器が駆け回ってもう何処にも移動できない。
 この場所も何時まで安全か。

 ヒィキタイタンは迷うユミネイトに助言する。

「ユミネイト。君はこの配電盤を選ぶ時、なにか間違えたと思うか」
「思わない」
「だったらこれでいいはずだ。これで決めよう」

 メタトロンの象徴、プラトゥーンの完全立体であるのなら、
この配電盤に五角形を配線で描けば良いはず。

「ユミネイトさん、端子が12個しかありません。どれを選びますか」
「13個よ。大型も当然数に入る」
「13ですか!」

 制圧隊員も理解してきた。
 完全立体を構成する数に「13」は登場しない。
 この配電盤は明らかに違うのだ。

 ユミネイトの心の中ではさっきから煩いばかりに警報音が鳴り響く。
 この謎は自分が解いてはならないと……。

「ヒィキタイタン。あなた13と言ったら何を思い出す?」
「ぴるまるれれこ。」
「え?」

 他の者に尋ねてみる。

「ぴるまるれれこ、ですかね」
「あるいはトカゲ神救世主「ヤヤチャ」、ですかね」
「「ぴるまるれれこ」はヤヤチャの紋章ですから」

 ユミネイトも自らが生まれた国の常識に立ち戻る。

 1200年前タンガラム方台に降臨した青晶蜥神の御使い、
4番目の救世主「ヤヤチャ」は青い衣を纏い、胸に女性の顔の縫い取りを付けていたという。

 これが「ぴるまるれれこ」
 天河十二神とは異なる13番目の神。司る権能は「神殺し」だ。

 「ヤヤチャ」は星の世界から来たという……。

「星よ! 
 宇宙にあって虚無ではない。それは「星」に違いないわ」
「ユミネイト、タンガラムには「星」を表す図形は2つある。
 でも「ヤヤチャ」が用いたのは、」
「分かってる。五芒星形ヒトデ型ね」

 「幻人」に取り憑かれているとはいえ、この発電所を作ったのはタンガラム人だ。
 ゥアム帝国の常識知識にのみ囚われては、本質を見失う。

 配電盤の中に電線で描かれた美しい星型に、ヒィキタイタンはうなずく。

「これもまた、五角形か」

 

     *****  

 メタトロンを讃える曲が鳴り響き、自動兵器がすべて動きを止める。
 中央管制室に設置されたシーケンス・プロセッサが命令を受託して、施設内の全機能を明け渡したのだ。

 突入隊の全員は開けた場所に出て無事を確かめる。
 自動兵器も監視カメラももう動かない。
 制圧完了した。

 ユミネイトは制圧隊長に告げる。

「これで外部との連絡も可能になったはずよ。電話も繋がる」

 隊長は壁に設置されている構内電話を取り上げる。
 数字盤を回すと、本当に外に繋がった。発電所正門前の野外司令本部だ。

『突入隊か。逐次処理装置の制圧に成功したのか。
 もう進入しても抵抗妨害は無いんだな。ほんとうに、      』

 

 ブツッ、と通話が切れた。

 棟内照明が瞬いて、非常事態を伝える赤い灯に替わる。
 停止したはずの自動兵器に動力が戻り、ユミネイト達を指向する。
 電磁投射砲(コイルガン)が旋回し、正確に人体を捉えた。

 空中から放送の声が聞こえる。年配の男性だ。

”よくぞメタトロンの謎を解き思考塔の最深部まで参った。ほめてつかわそう。
 我こそがこの叡智の迷宮の支配者、メタトロンを体現する者、科学と宇宙法則の虜囚、
 『論理設計者トゥルース』であぁる”

「この声は、タタンゼ・ミュヴヒラ前科学総監だ。聞き覚えがある」
「小説『メタトロン・ポリス』において思考塔を設計したのが、トゥルース博士よ」

 しかし年令を感じさせない、この精気に溢れた声はどうだ。
 老いを忘れさせる幻人の熱狂が、彼を支配している。

”ゥアム帝国神族「トゥガ=レイ=セト」が娘にして「待壇者」ユミネイト様ですな。
 我が城へようこそ。さすがのお手並み、見事でございますな。
 だが、貴女の動きは我が方には逐一知れていた。

 なぜなら!”

 ここで一瞬の溜め。
 さすがは幻人、芝居がかっている。聞く者に驚く用意をさせた。

”貴女方の動きは、廊下に設置したる感圧検知器で判明していたのだ。
 天井にばかり目を向けて、足元をお忘れになったようですなガハハハ”

 ユミネイト、渋面を見せる。
 それはタンガラム人の罠だ。ゥアム人の発想ではない。
 相手が成功した時の為に保険を掛けておくなんて。

 

「ヒィキタイタン、」
「ユミネイト、どうする」
「ここは物理的に強行突破しか、」
「無理だ!」

 十数基の自動兵器がなめらかに天井の軌条を滑り近付いてくる。
 どうにも、助かる算段が見つからない。

 ヒィキタイタン、思わず叫ぶ。

「マキアリイ! まだか!!」

 

      ***** 

 ぐん、と電力供給が停止する音がして、照明が瞬き赤い非常灯が消える。
 自動兵器も力を失い再び沈黙した。
 通常照明が戻るも、兵器はうなだれたままだ。

 放送で聞こえるタタンゼ・ミュヴヒラ氏の声が狼狽する。

”な、なにが起きた。中央管制室か”
”いよぉマキアリイ、もう変装解いていいぞ”
「ありがたい!」

 と、マキアリイ。
 空中から降り注ぐ新たな男声に反応する。
 自らの顔を覆うコニャク樹脂製の皮を剥ぎ取って大きく息を吐く。

 現れたのは、ヒィキタイタンの護衛メンドォラだ。
 通気性の悪い仮面を長く被って、汗が顔全体に流れる。

 ヒィキタイタンは笑顔で空中に呼び掛けた。

「マキアリイ、中央管制室は制圧出来たんだな」
”さすがに苦労したよ。誰も傷付けないで黙らせるのはな”

 メンドォラが被っていたのは、おもちゃの仮面だ。
 映画で大人気の「英雄探偵マキアリイ」は、関連商品が版権肖像権無視で大量に販売されている。
 その一つが「マキアリイ成り切りお面」
 だが本人ではなく、映画で主役を張る俳優「カゥリパー・メイフォル・グェヌ」の顔だ。

 注意深く見れば本人でないと分かっただろう。
 だが伝視管撮影機を隔てての監視だ。
 また世間一般の人は、マキアリイと言えば映画の「マキアリイ」を思い出す。

 完全に騙されてしまった。

 

”むうう、英雄マキアリイは別の経路で中央管制室を目指したのか。
 しかしどうやって。構内はすべて自動兵器で見張っていたはずだ”
”それは言わぬが花かな。

 お、ユミネイト。外部の技術者が今、完全に逐次処理装置の制御を掌握したぞ。
 もう全部大丈夫なはずだ”

 ユミネイトも微笑みながら宙に呼び掛ける。

「まだよ。「原子核反応棟」は独立して自動兵器も稼働してる。
 すぐこちらに合流して」
”気楽に言ってくれる”

 空中から聞こえる「幻人ミュヴヒラ」も覚悟を決めて呼び掛ける。

”よかろうユミネイト嬢。我が城「思考塔」の心臓部へ招待しよう。
 だが承知しておろうな。

 この建物、発電所。数百万金の国費を費やしたタンガラムの未来を拓く科学施設。
 それを作った優れた科学者技術者タンガラムの頭脳が、
 未だ我が手の内に有る。
 我も含めてだ”

「まあそういう事ね。まだわたし達は勝ってはいない」

”幸福の門を潜るのだ。
 私の”マリア”達が君達を歓迎する”

 

 

(第二十二話)その8「舞台裏の攻防」

 電気で動き、回路が動作を決定する。
 無機的であるはずの自動兵器が、明確に悪意を剥き出しとする。

 「白虹のカ’ン」と「細蟹のバ=スラ」は戸惑うばかりだ。

 ヱメコフ・マキアリイが告げたとおりに、
監視装置・自動兵器の移動経路と担当範囲に齟齬が生じている。
 カメラの死角をすり抜けるのも可能だ。
 彼らの体術をもってすれば楽に、とも言える。

 時折構内に音楽が鳴り響き、また機械の動作に緩みが生じる。
 後続のユミネイトが罠を次々に解除しているのだろう。

 にも関わらず。

「まるで、我らの動きを機械が知っているかに思える……」

 機械の隙はますます小さくなり、遂に二人は分断された。
 続くバ=スラは10ヤァド(9.1メートル)も離されてしまう。
 先行したカ’ンの道を通れず、別を探らねばならない時も。

「読まれている? いや想定内という事か」

 後方のバ=スラに合図して、カ’ンは獣に戻る。
 決して機械では追えない、人間の力ではあり得ない経路をよじ登って進んだ。
 ネズミくらいしか通れない狭い隙間も潜り抜ける。

 感知されるはずもないものが、

 

「やはり、罠に嵌められたか」

 金属の函の両脇に2本の腕を備えた、人間の上半身を模した機械だ。
 待ち伏せするかに天井からぶら下がる。
 カ’ンを視認して、顔に当たる部分に赤い灯が点いた。

「”無理だ、一時退け!”」

 後方よりバ=スラが符丁で叫ぶ。
 他者に意図を読み取らせぬ為だが、機械には意味がない。

「”失敗だ。おまえはここを離れろ”」

 逃走の選択肢は当然に予測されている。
 ここは逃れても、その先には確実な死しか残っていないはず。
 まだ二手に分かれて計算を複雑化する方が生の確率が高い。

 上手くいけばユミネイトの作業が間に合うかも……。

 

 金属の腕がゆらりと上がり、緩やかに自分との距離を詰める。
 狭い通路だ、下がるにもキリがある。
 すり抜けて先に進むか?

 左の通路から天井に吊るされる電波砲が進んできた。
 あれは通路全体に放電を発生させ行動不能にされてしまう。
 否応なく右に進むしか。

「その手は食わぬ」

 右は当然行き止まり、袋叩きにされるだけ。
 目潰しを使う他あるまい。

 マキアリイに使った短槍の仕掛けが機械の眼にも有効かも。
 眩んでいる間に電波砲の後ろに駆け抜ける。
 そこから先は考えない。

 通路の中央に立ち、金属の函がゆっくりと近づくのを待つ。

ぶぅうぅん

 通路の両脇、壁の裏から電気が通じる音がする。
 低い、鳴くような響きが震える。
 カ’ンは、自分があまりにも機械に疎いことを理解する。

「電磁石か!」

 携える短槍が、身に付ける何本もの短剣が、隠し武器が、衣服のボタンが、靴の底が、
見えない手で押さえつけられるかに地面に吸い寄せられる。

 当然考慮すべきだった。

 強力な磁力に引かれて鉄片が宙を飛ぶ。
 機械の腕に付属する物入れから、釘や螺子が百も放出される。

 カ’ンの顔を、手足を、衣服を貫き、肉を剥ぐ。

「”バ=スラ、にげろ”」

 これだけを言うしか出来なかった。

 

      ***** 

 「細蟹のバ=スラ」は何も出来ない。
 カ’ンが機械の腕に殴られる姿を、わずかに眼の端で捉えただけだ。

 長い黒髪を振り乱して逃げる。他に無い。
 わずかでも可能性があるのなら、仲間を見捨てても任務を続行する義務がある。

 だが何処に。
 すべてが計算で覆い尽くされたこの建物の、狭い通路を、
がむしゃらに前後も考えず走る。
 壁を蹴り、天井に掴まり、隙間に潜る。

 探していた。爆薬で破壊できそうな薄い壁を。
 彼女が携えるのは数個だが、上手く使えば脱出路が開けるはず。

 1枚、変な羽目板を見つけた。周囲の壁と明らかに色が違う。
 これは、と蹴飛ばすと穴が開く。なぜかここだけ木の合板だ。
 罠だろう、とは思ったが突き進む。
 後方では電波砲の火花がちらついた。

 便所だった。便所への通路を仮初に塞いでいた。
 そして外へと繋がる換気窓。
 爆弾で穴が開くとすれば、ここしか無い。

 バ=スラは換気窓の鉄格子に手榴弾を挟むと、点火栓を抜いた。
 便所の入り口に戻り、身を隠す。
 爆発音。白煙が立ち込める中に無理やり侵入する。

 鉄格子はねじれ、大きく開いている。
 外に出られる。太陽の光が、

 バ=スラは幸運を信じない。
 壊れた窓に貼り付くように、慎重に身を外に出す。
 壁に背を寄せ、周囲を観察する。

 案の定、自動機関銃塔が指向する。
 外の庭に飛び出せば、たちまち銃撃を受けて終わる。
 先一歩も進めない。

 後ろの便所にはもう自動兵器が進入していた。
 窓の外を確認する適切な機械が配置され、速やかに「掃除」を行うだろう。
 すべてが終わった。

 

 バ=スラは我が目を疑う。こんな馬鹿があるものか。

 見上げる発電所の混凝石の壁。薄灰色のざらざらとした何の手掛かりもない垂直面に、
貼り付いて登る男が居る。
 どういう手品を使うのか。綱も道具も用いている気配が無い。
 ほんとうに素手で、全身で壁に貼り付いて進んでいく。

「ヱメコフ・マキアリイ……」

 天下無双の武術の達人とは聞くが、まるで虫の真似まで出来るとは。
 しかし実際にやっている人間を見ると、自分にもできそうな気がしてきた。
 いや、体術に関してはヱメコフ・マキアリイに劣るはずが無い。

 試してみるか。

 

       ***** 

 発電所の外周で様子を覗う「闇御前組織」と巡邏軍、警察局の面々。
 双眼鏡を使って観察するが、未だ異変は見られない。

「ん?」

 観測手が発電所本体の建物に異物を見つけた。
 より大型の望遠鏡で確認して絶句する。

 直ちに本部、責任者であるジュースチ女史の元に報告が上がった。

「ヱメコフ・マキアリイが発電所外壁の垂直面に道具も安全索も無しに貼り付いて移動中です!」
「どういうことだ」

 「闇御前」の孫娘は理解が追いつかない。
 人間は垂直の壁を素手で登れるものなのか。

 「組織」の強攻制圧隊長が直々に確認に行く。
 望遠鏡を覗いて戻ってきた。

「確かにヱメコフ・マキアリイです。見る限り何の道具も使っていないように思われます」
「だから出来るのか、それ」
「いや、少なくともウチの隊員は上から安全索を垂らすか、もっと凸凹した岩壁でないと登れません」
「ヱメコフ・マキアリイなら出来るというのか」

 わからない。
 かの国家英雄は単なる武術の達人ではなく、古来よりの不思議な体術を身に付けていると聞く。
 しかし、

「観測班より連絡。
 もう一人、発電所外壁に取り付き登り始めたそうです。
 おそらくはゥアム帝国から派遣された刺客。女の方です」

 ジュースチは制圧隊長を見る。
 誰でも出来ているじゃないか。

「あ、   ……、あー。研究の後に我が隊でも同様の技能習得に務めたいと考えます」
「うん」

 

 

 ヱメコフ・マキアリイは今、発電所壁面にトカゲのように貼り付いている。
 何の手掛かりもない垂直面だが、これはタンガラムの混凝石の壁だ。

 混凝石は砂と石と石灰とで固める人工石だが、一般の建築で使われるものは組成が荒い。
 固まっても表面はザラザラと粒子が尖り、滑らかではない。
 表面を滑らかにする処理もあるが、建設費を節約するなら打ちっぱなしだ。
 強度的に問題はない。

 このザラザラを利用して壁を登る盗賊が居る。
 手で掴めるものではないが、衣服や布で面積を稼いで貼り付けば、抵抗で落ちない。

 マキアリイが日頃稽古する「ヤキュ」の忍者達は、当然にこの技を習得する。
 負けずに同じ技術を覚えるのは必須。

「とはいえ、これは頭悪いな」

 高さ30杖(21メートル) の空中に居る。
 他に何の支えも無く、ただ貼り付いて進むのは至難の業。
 一手間違えば墜落死間違いなし。

 我ながら呆れるが、ふと下を覗くともう一人頭悪い奴が居た。
 黒髪の大女「細蟹のバ=スラ」だ。

 「白虹のカ’ン」の姿は見えない。

 ゥアム帝国にも同じ技が有ったとは驚きだが、
この技、一度通った場所はザラザラが取れて貼り付き難くなる。
 上手く避けてくれよと祈るばかりで、

  ただ進む。

 

      ***** 

 明り取りの窓を破って降りた廊下は7杖(約5メートル)下。
 何の警戒も無かった。こんな場所からの侵入を予想しない。
 防衛設備も無く、普通に廊下の表示に従って行けば、「中央管制室」にたどり着いた。

「あれ? え。どうして、あれ?」

 室内正面には電気操作盤の並んだ横に長い机が前後2列。
 その背後に電話を備えた事務机が5台。椅子も多数。
 左右壁面には時計に似た大きな計器が幾つも嵌め込まれ、
廊下側部屋の背後には配電盤に、書類・操作手引書の書棚などなど。

 最前列の操作盤の前には、伝視管映像表示装置が10数台配置される。
 白黒だが発電所各部の映像を見ることが出来た。
 その一つには、追い詰められ絶体絶命の「ヱメコフ・マキアリイ」の姿が。

 管制室内部に居たのは40余名。
 大半が白衣を着て、前後の操作盤に取り付いている。
 全員がきょとんとしてこちらを見つめた。

 出入り口付近の者が、一般人が人気映画俳優に尋ねるかに、口を開く。

「あの、ヱメコフ・マキアリイさんですか。あの国家英雄の、刑事探偵の」

 ざっと見渡した限り、女性が4名。幻人は女性にも取り憑くのだろうか?
 一般作業員らしき人も3名居る。
 マキアリイは経験から、熱狂に巻き込まれる普通人の存在を知る。

 

 つかつかと踏み込んで最前列の操作盤に寄る。
 操作していた者は思わぬ有名人の登場に気圧され、椅子を離れてしまう。

「ははあ、よく映っていますね」
「え、ええ。でもなんで、マキアリイさんはここに?」
「それはもう、犯罪事件の解決にですよ」

 予想の通りに彼らは皆、犯罪・不法行為を行っている自覚が無い。
 理の当然、社会正義に基づいてこの場に在る。
 良い事をしているつもりで自動兵器の遠隔操作をしていた。

 だから正義の権化たるヱメコフ・マキアリイに自分達が狩られるとは気付かない。

「   !」

 ふっとマキアリイの手が触れて、40代男性科学者が崩れ落ちる。
 全身の力が抜けて倒れるところをマキアリイが抱き止め、静かに椅子に座らせる。
 さらに次の人、また次と。
 有名人に祝福を受けるのを待ちわびるように、皆大人しく並ぶ。

 静かに、目を瞑り、微動だにせず。
 座らせる椅子が無く床に寝かされる者も居る。

 

「な、これは何か! ヱメコフ・マキアリイ貴様は、」

 ああ、この人はちゃんと幻人が憑いているな。

 いち早く正気づいてまともな反応を示す者も、
マキアリイには絶望的に遅く感じられる。
 抵抗しよう、対処しようとする動きの起こりを読んで、ふわりと彼の目の前に立つ。
 とす、と首筋に手刀を入れて迅速に気絶させる。

 マキアリイが用いる術は、とある伝統的な殺人集団が用いる暗殺技だ。
 人体の特定部位に若干強く触れると血圧が乱高下し、目を回して失神してしまう。
 「溺死」用だ。

 実戦武術「ヤキュ」は、救世主「ヤヤチャ」より伝えらえて1200年、
様々な悪と戦うたびに相手の技を覚えてきた
 解析し模倣し対抗策を巡らせ、自ら応用する。

 マキアリイが知るのはその一部に過ぎない。
 それでも天下無双の評判を勝ち得ていた。

 

      ***** 

「いよお、来たな」
「さっきから覗いていた。
 手伝おうかと思ったがあまりの手並みに見物してしまったよ」

 戸口から顔を覗かせるのは、「細蟹のバ=スラ」
 女人とは思えぬ長身に、ただ一人生き残った作業員は小さく悲鳴を上げた。
 黒髪の刺客は尋ねる。

「これは、」
「この人は幻人憑きでも熱に呑まれた人でもない。
 現場の流れで付いてきただけの、間の悪い人さ」

 バ=スラは左手の腕輪を組み立てて小さな灯籠を作る。
 灯る緑の焔で、作業員の男の眼を覗く。
 マキアリイはその小さな緑の光に、ちくと眼の奥に痛みを感じた。

「なるほど、感染していない」
「あんた名前は。この騒ぎを止めるのに協力してくれ」

 作業員は名をエングトといい、25才の記録員。
 電子逐次処理機の出力用紙の整理を担当する。
 幻人憑きの秘密計画にはまったく関与していないが、
中央管制室が動く時は彼は居なくてはならない規則だそうだ。

「この機械、止め方分かるか」
「一応は予備操作員の訓練も受けてますから、止めるだけなら大丈夫です」
「頼む。ヒィキタイタンが殺されちまう」

 エングトは理解した。
 かの有名な英雄探偵の華麗なる事件簿に、自らも名を記される時が来たのだ。
 やらずばなるまい。やらない理由が無い。
 少々細部が分からなくてもやってやるぜ。

 

 マキアリイは電話の受話器を取り上げ、外部を呼び出す。
 すぐに正門前の対策本部と繋がった。

「おう、今事件と関係ない作業員に手伝ってもらって停止処理をしている。
 逐次処理装置? 外から操作できる? 回線を切り替えて、
 ちょっと待って」

 エングトに尋ねると、正面制御盤に座ったまま指して教えてくれる。
 配電盤の横に電話回線の切り替え盤があって、言われるままに操作する。
 「原子核反応棟・反応制御室」からの支配を脱し、独立させられた。

「なに、警備司令塔も? 注文が多いな」

 マキアリイはバ=スラを向く。

「俺はヒィキタイタン達を助けに行かなくちゃいかん。
 悪いが警備司令塔を潰してきてくれないか」

 失神した40余名の両手を拘束していたバ=スラは、無表情で答える。

「我らが任務ではないが、貸しにしてやる。
 今幻人を殺したら、おまえに殺されそうだからな」
「その時はしっかりお相手してやるから、頼むさ」

 中央管制室を出ていくバ=スラは、思いついたかに自らの豊かな黒髪に手を突っ込んだ。
 小さな薬包を3つ取り出す。

「カ’ンの槍の眼が光る薬だ。機械の眼にも利くだろう」

 写真機の閃光照明で使われる軽金属だ。
 マキアリイも食らったコレなら、自動兵器の目を一瞬なりと眩ませられる。

「ありがとうよ。警備塔でも殺すなよ」

 

 バ=スラは、「白虹のカ’ン」が機械に殴り殺されたとマキアリイに告げなかった。
 言えば復讐すると警戒され、単独で行動させないだろう。

 まだ任務は諦めない。
 幻人の首魁「タタンゼ・ミュヴヒラ」一人であれば、殺す言い訳も立つ。

 

 

(第二十二話)その9「幻人あらわる」 

 「原子核反応棟」炉心格納庫外周部。
 未だ原子核燃料を投入されず静まり返るはずの巨大な空間に、女性の歌声がこだまする。

 歌劇『メタトロン・ポリス』の一曲「讃うべきは叡智にあらず 明るき未来を夢見る心」
 そのタンガラム語版だ。
 もう40年も前に発売された録音盤が音源となる。

 ヒィキタイタンもこの歌は知っている。
 タンガラム人の半分は学校で教わっただろう。

「この歌は、人造人間「マリア(仮」が楽しそうに歌うものなんだがな」

 

 現れたのは、機械のマリア達だ。

 天井の軌条から鎖で吊るされる2本の金属の腕を持った作業機。
 これまで通路で遭遇したものより一回り大きい。
 不錆鋼の外鈑も分厚く、拳銃弾では傷もつかない。
 鋼の腕の怪力は、触れるだけで人体を破壊する。

 強攻制圧隊長がヒィキタイタンに尋ねる。
 ユミネイトは荒事になったから御役御免。最後尾でメンドォラに守られていた。

「やはりこの装備では無理です。一度撤退して、」
「それは前総監は許してくれないな。自爆してしまうぞ」

 逃げるにも退路は無い。
 「原子核反応棟」への入り口は幾重もの頑丈な扉で閉ざされ、開けるだけで一苦労。
 すぐにマリアに追いつかれる。

 ヒィキタイタンは考える。
 とにかくマリアは飛び道具を使わない。
 なんとか接近して拘束し、動きを止めれば。

「眼だ。顔に伝視管装置が組み込まれている。前が見えなければ」
「わかりました、狙撃してみます」

 だがマリア達は早い。
 電子処理装置の計算で巧みに連携して突入隊に殴りかかり、照準を定める隙を与えない。
 人はただ追い散らされるばかりだ。

 

 後方のユミネイトは考える。
 どうにかしてこちらから操作権を奪取できないか。
 あいにくと操作用計器類がまるで設置されていない。
 自動機械を使って無人で処理出来るようになっているのだ。

 やはり最深部「反応制御室」に突入しない限りは、勝機は無い。

「もう! なんとかしなさいよ」

 と叫びつつも、制圧隊員が捨てた背嚢の中から被覆電線を引っ張り出し、投げ輪を作る。
 上手くすればマリアの腕に搦めて動きを抑えられるかも。 

 

      *****  

 チリチリンと軽やかな鈴の音がして、英雄登場。 
 自転車に跨るヱメコフ・マキアリイが「反応棟」を走り抜ける。

「よ。苦戦してるみたいだな」
「マキアリイ、武器は無いか! この機械は銃弾も受け付けない」

 所員が連絡に使う自転車から降りるマキアリイは、敢えてマリアの視界に入るように立つ。
 さすがは天下に名だたる英雄探偵、
機械の乙女達も群がって熱烈な歓迎を示そうとする。

「ヒィキタイタン、眼を瞑れ!」
「みんな、目潰しだ!」

 マキアリイが高く伸ばす右手の中から、眩い白光が迸る。
 広い格納容器室全体を、すべての陰を塗り潰すかに陰影の無い白が征服する。
 マリアの頭部に内蔵される映像監視装置も灼き付いた。

 ユミネイトが呼びかける。

「”白虹のカ’ン”の槍の仕掛けね」
「おう。女の方に手品のタネをもらってきた。
 今の内だ、腕の細い電線を全部切っちまえ!」

 ヒィキタイタンも強攻制圧隊員達も瞬間に動き出す。

 これまで背後に回る事が出来ず、弱点を攻撃出来なかった。
 本来作業用に設計されたマリア(仮は、頑丈とはいえ装甲されてはいない。
 作業腕の関節部には電源・制御用の電線が、また油圧配管が通っているが、防御力は無いも同然。

 機械の眼が眩み周囲の状況が分からない今なら、攻撃できる。

 自動拳銃また制圧銃で、鉄テコを振り回し関節部を襲う。
 天井から吊り下げる鉄鎖の取付部にも配線が露出し、狙い目だ。

 しかし、これがマリアの全てではない。
 他の場所に待機していた作業機械が、急遽投入された。
 人型はしていないがそれぞれ物騒な電気工具を装備する。十分に脅威だ。

 マキアリイはメンドォラから投げ渡された絶縁棒を使って、これらを迎撃する。
 巧みな体さばきで機械を翻弄。
 混乱し右往左往するのを棒で叩いて向きを換え、構える工具を他に接触させた。
 絡まり動けなくなる。また電気が弾けて互いが燃え上がる。
 回転する金属の刃ががりがりと仲間を削っていく。

 

 ユミネイトもメンドォラと共に動きの止まったマリアの腕に電線を搦めた。
 1本ならば引き千切られるが、5本10本と束ねれば、さすがに動けない。

 ヒィキタイタンは天井の吊り下げ軌条を見つめて制圧隊長に提案する。

「あの軌条を爆破しよう。信号銃で発射は?」
「出来ます」

 タンガラム軍で使用される手榴弾には、信号拳銃で撃ち出せるものも有る。
 成形炸薬を用いる破甲弾を彼らは用意していた。

 制圧隊長自ら信号銃を構えて、天井を狙う。信管は即発。
 見事命中して焔が鉄の軌条を引き裂いた。
 電力線も切断されて、機械は動きを止める。

「電力線は迂回してまた回復するわ。今の内に「反応制御室」に行きましょう」

 ユミネイトの声に全員が走り出す。
 絶縁棒を握るマキアリイがヒィキタイタンの横に並ぶ。

「どうだ。苦労したか」
「ぼちぼちだね。ユミネイトがさくさく謎を解いてくれたからね」

 

     ***** 

 「反応制御室」に続く鉄階段を駆け上がる。
 本来であれば放射線を避けて安全な通路から入るのだが、これは非常階段。
 簡素なものだから防御設備の心配も要らない。

 扉は二重となり外部の空気に直接触れない気閘室(エアロック)になっている。
 頑丈な扉だが、破甲弾を錠前部分に吸着させ爆破。
 内側の扉は拳銃で速やかに解決した。

 部屋に踊り込んだ強攻制圧隊員は、立ち塞がろうとする研究員を殴り倒す。
 みだりに発砲しないと命じていたが、ヒィキタイタンは、

「乱暴だなあ。皆さん動かないでください。
 極力穏便に平和的に解決したいと思います」

 拳銃を複数向けられては、手を上げるしかない。
 「反応制御室」内部には5人の研究員・科学者と、中央の卓に、

「タタンゼ・ミュヴヒラ元科学技術総監でいらっしゃいますね。
 覚えていらっしゃるでしょうか、ソグヴィタル・ヒィキタイタン国家総議会議員です」

 研究員と同じ白衣の老人が立ち上がる。
 背筋も伸び背も高く、特に洒落込んではいないが端正と呼べる姿。
 飴色の縁の高級眼鏡に覗く眼は優しく、だが瞳には躍動が息づいている。

 幻人「ミュヴヒラ」だ。

「ソグヴィタル議員ですか。
 お会いした事もあるかも知れないが、むしろ報道でお顔は存じている。
 そして英雄ヱメコフ・マキアリイ。 
 今日はおまけにゥアム神族になられようとするユミネイト嬢までもが揃っている。

 素晴らしい配役ではないか。
 これ以上の生贄を望むべくも無い」

 ユミネイトは幻人の余裕の理由を知っている。

「自爆装置のスイッチを入れましたね」
「そのような単純な装置ではない。
 この「反応制御室」にもシーケンス・プロセッサが独立して稼働する。
 これに運命を委ねた。
 もちろん単なる時限爆弾ではないよ。とある行動を検出して爆発する。
 当然に、電源を切断してプロセッサを停止しても爆発する。

 さて。どうやって止めたらいいのかな」

 老人は、ゆったりと前に進み出る。研究者達は背後に下がる。
 ユミネイト、ヒィキタイタンと対峙した。
 腰を屈めて、顔を下から見上げて、長く舌を伸ばす。
 道化の仕草。幻人の基本の表情だ。

「停止させるにはシーケンス・プロセッサに解除暗号を入力すれば良い。
 文字だ。その卓の電気文字鍵盤を用いるんだ」
「間違えたら、爆発ね」
「一度や二度の間違いは許されるよ。
 ただ、特定の文字列を入力したら、お終いかな」

 

 ヒィキタイタンは背後に手を伸ばして制止する。
 強攻制圧隊員達がミュヴヒラを拷問して聞き出そうとするのを止めた。

 そんな程度で白状するはずが無い。
 また研究所員を痛めつけても、幻人が態度を変える事は無いだろう。

 このお芝居に、彼が望むままに付き合うしか無い。

 

      ***** 

「聞いてもよろしいですか。なんの為にすべてを破壊するのです。
 どのような意図があるかを、僕はまだ知らない」

 ヒィキタイタンの言葉に幻人ミュヴヒラは喉でククと笑う。

「うーん、ソグヴィタル議員は幻人についての知識がお有りではないようだ。
 ユミネイト嬢、説明して差し上げてはどうかな」

「ヒィキタイタン、幻人というものはね。
 この世を劇場として考え、世に生きる人を観客として、最も驚き動揺する事件を起こして見せるの。
 お芝居、演劇よ。
 大勢の登場人物が悲壮に死んで、華々しく焔に包まれて終幕を迎える。

 悲劇の題材として、原子核反応発電所が選ばれた。
 最も貴重な財産として、タンガラムが誇る物理科学の俊英達が焼き尽くされるのよ」
「さらに加えて、今を時めく国家英雄の御二人と、彼らが守る異国の姫君。
 詩に美しく歌うに、これほど華々しく人の心を揺さぶるものは無いでしょうな」

 狂気の沙汰だ、としかヒィキタイタンには思えない。
 だが振り返りマキアリイを見ても、まったくに疑問に思っていない。
 「幻人」とはまさにそのようなものだと理解する。

 改めてヒィキタイタンはミュヴヒラに尋ねる。

「では我々は何も為すこと無く、このまま滅びるだけなのですか」
「手掛かりは差し上げましょう。
 解除暗号は、    うーん何でしたかな。いや、そうだ。

 私の前で様々にお試しください。
 麗しき美しき英雄達が、必死になって命乞いをする。
 ご自分の為でなく他人の命を救う為に、この施設が滅びる事で失われる未来を守るために、
 あえて泥をかぶり屈辱に塗れる。

 それもまた美しい」

 

 万事窮す。
 どのような態度を示しても、彼は真実を語らないだろう。
 解くべき謎も無ければ、ユミネイトもまた無力でしかない。

 どうすれば幻人の心を変えられるのか。

 二人を押しのけて、マキアリイが前に出る。
 交渉は彼に委ねられる。

「ミュヴヒラさんと言ったね。だが「幻人」、あんたに直接話がある」

 老人は胸を反り、顎で対応する。

「うーん、なにかねマキアリイ君。
 国家英雄として無双の武術家として、事態打開の策があるかね」
「いや、ミュヴヒラさんじゃない。ゥアムから来た幻人に用が有るんだ。
 代わってくれ」
「わたしが、幻人だ。わたしも幻人だ」
「そうじゃない。ゥアムから来た幻人に用があるんだ」

 わからない人だな、とミュヴヒラは顔をしかめる。
 ただマキアリイの意図は理解した。
 彼は幻人としての本質について議論したいのだ。

「仕方がない。無数の仮面こそが幻人の本質ではあるが、あえて素顔として話を聞こう。
 なにかね、打開策があるのかね」

「いやあんた、ほんとにこれでいいのか。
 ほんとにこんな、

     爆発オチで」

 

     ***** 

 「反応制御室」内の空気が凍結した。

 「爆発オチ」?

 最も驚愕したのは幻人だ。「ミュヴヒラ」の仮面を飛び越えて、彼そのものが反応した。

「……、爆発オチ、とはどういうことか」
「説明が要るかい、爆発オチというものは、」
「それは知っている。知っているが、何故ここでそれを使う」
「いやだって、物語のお終いが大爆発で終わるんだろ。それは「爆発オチ」だ」

 マキアリイはユミネイトに振り向く。

「違うか?」
「いえ、   そうね、爆発オチね」
「それでいいと思うかユミネイト」
「まさか! そんな恥ずかしい幕引き、許せるはずが無いわ」

 ヒィキタイタンも感想を述べる。

「それは、恥ずかしいね。劇作家としてそれはダメだね」

「ダメなのか? すべてが紅蓮に包まれ滅びの歌を合唱する。
  それが今の時代では陳腐だと言うのか」

「陳腐というよりは、お笑いね。笑いものだわ。
 そんなシナリオ書いてきたら、即ゴミ箱行きよ」
「そうだね、三流の脚本家だって今時そんな本は書かないね」

 

 動揺する幻人に、マキアリイは静かに語り始める。

「俺は今回一連の事件に遭遇し、色んな人に会った。
 そこで知ったのは、「幻人」という存在が深い尊敬を受け憧憬の対象となっている事実だ。

 ユミネイトも含めてゥアム人は皆「幻人」を誇りに思っている。
 自分たちの文化を豊かにし、今もなお楽しませてくれる恩人と胸を張る。
 時代を越えて今も「幻人の世紀」なんだ。

 タンガラム人もそうだ。
 ゥアム文化に親しむ人は誰もが「幻人」に触れる。
 その鮮やかな印象に眼を奪われ、彼の起こした絢爛たる惨劇に心踊らせる。
 彼の為に一生を棒に振るのも厭わない熱狂だ。

 そのあんたが、300年の眠りを経て蘇る。
 なんと場所を異国に換えての華々しい復活劇だ。
 みんな期待する。なにを我々に見せてくれるか、誰もが騒ぐ心を抑えきれない」

 

 マキアリイはふっと相好を崩す。
 人に親しむ英雄の真の素顔だ。

「第一この事件、俺の事件だ。
 『英雄探偵マキアリイ』の映画になるんだぞ。
 しかも俺は死ぬ。『英雄探偵最後の事件』だ。
 全世界の人間が注目する。ゥアム人の目も釘付けだ。

 登場するのは俺だけじゃない。
 国家英雄として共に大人気のヒィキタイタンと一緒だぞ。女の子は熱狂で錯乱する。
 さらに加えて『潜水艦事件』第三の英雄であるユミネイト・トゥガ=レイ=セトがヒロインとして再登場。
 まさに黄金の三人組さ。大活躍しないわけ無いだろ。

 そして事件はタンガラム一国に留まらない。
 稀代の謀略家「闇御前」が用意した最高の筋書きに、ゥアム諜報機関が魔の手を忍ばせる。
 送り込まれた刺客が、歴史を永久に生きる伝説の魔人と来たもんだ。

 こんな燃える展開あるもんか。
 最高最強最大の敵手として、ヱメコフ・マキアリイは「幻人」とどのような戦いを繰り広げるか。

 観客は固唾を呑んで見守るさ。
 どんな必殺技が飛び出すか。幻人の超能力はどれほど恐ろしいか。
 期待する。次の瞬間、

 どかーんでお終い。終劇。爆発オチさあ」
「観客のセリフが想像できるね。「カネ返せ」だよ」

 ヒィキタイタンがマキアリイの言葉を引き継いだ。

 

     ***** 

 幻人の動揺は甚だしい。
 自らの存在意義を根底から覆される口撃に、為す術を持たない。

「わたしに、何をしろと、言うのか」
「脚本の書き直しを。『英雄探偵マキアリイ』映画の1本として観客の納得のいく筋書きに。
 銭の取れるホンでなければ、主演俳優としてやってられるか!」

「爆発オチなんて、恥ずかしくて帝国の芸術学会に報告できないわ」

 ユミネイトも瞳に涙を浮かべて訴える。大した役者ぶりだ。
 ついでにヒィキタイタンに寄り添って見せる。
 物語の創造主としての「幻人」であれば、筋書きに当然に「恋人たち」を織り込んでくれるだろう。

 幻人ミュヴヒラは天井を仰ぎ見つめる。
 しばらく考える。考える。
 飴色の眼鏡を右手で外した。

「……、物理学者の脳は知性においては十分だが、演劇を編むには素養が無さすぎる。
 この脳ではダメだ」

 床に眼鏡を叩きつける。
 振り向く顔には狂気が、瞳には緑の焔が迸る。

「そこまで言うならば主演俳優にもご協力願おう。
 自ら筋書きを組み上げて見せよ!」

 

 そこは「反応制御室」
 計器盤と一体化した長い机に伝視管表示画面が幾つも並ぶ。
 中央の卓には白衣の元科学技術総監が、力なくうつ伏せる。

 自分の背後にはヒィキタイタン、ユミネイト。
 メンドォラ君に強攻制圧隊員、やはり白衣の研究者達も。

 直前の瞬間までとまったく変わらぬ情景に、ただ一つ異物が。
 あまりにも鮮やかに、確とした実感と共に目の前に立つ。

「お初にお目にかかる。少し混乱しているようだな。
 だが原義においてわたしは「幻のひと」ではないのだ。
 「とても幻には見えないひと」、正しく覚えておいてくれたまえ。
 ヱメコフ・マキアリイ君」

 男性、背は2杖半に届かない。(170センチ程度)
 歳は若くも見えるし結構いっている気もする。老人とは呼べない。
 着ている服は見慣れぬもので、強いて言うならばゥアムのおとぎ話の挿絵のよう。
 古い時代の道化だ。
 茶色の革胴着、シャツは水色ズボンは藍と白の縦線が入り、革長靴はわざとブカブカを履いている。
 表は黒で裏地は目の覚める赤の、燕尾に割れた袖なしの上着を羽織っている。
 被り物は無し。髪は燃えるように赤く、天に逆立つ。
 口が耳まで裂け、とよく表現されるがさすがに人間の枠は越えない。
 細めた目に覗く瞳は長い歴史を生きた無常と、人間世界を思うがままに操った熱情が共存する。
 眉毛は薄く短い。

 くっきりと、むしろ実際の眼で見るよりも鮮やかに男は存在を主張する。

「    幻人……」
「その呼ばれ方も嬉しくはないな。名前を付けてくれないか。
 四方台にその名を轟かせる無敵の英雄ヱメコフ・マキアリイの脳内に同居し道行きす。
 ”幻人マキアリイ”なんてかっこわるいだろ」

「ヒィキタイタン!」

 マキアリイは思わず友を呼んだ。
 もちろん彼は応える。
 目に映る現実はまぎれもなく今、この瞬間、この場の情景だ。

「どうしたマキアリイ。いきなりタタンゼ氏が倒れたぞ」
「幻人が俺に、タタンゼ元総監からこっちの脳に移ってきた。
 今俺の眼の前に居る」

 ユミネイトも、その他の者も息を呑む。
 最悪の状況だ。マキアリイ本人が幻人化したのか。

 

     ***** 

「マキアリイ気をしっかり持て。取り憑かれるな」
「いや、そうじゃない。取り憑くなんて生易しいものじゃない。

 こいつ、ほんとに居るんだ。現実に目の前で話しかけてくる。
 疑いようも無く、だ!」

 ヒィキタイタンは幻人の言い伝えについてそれほどを知らない。
 ユミネイトの顔を見ると、真剣に考える表情が。
 だが彼女は非情で非道だ。

「ちょうどいいわマキアリイ。解除暗号を聞いてちょうだい」
「ユミネイト! マキアリイはいま取り憑かれて戦っているんだ」
「だから戦いなさいよ。シーケンス・プロセッサは次の瞬間に爆破するかもしれないのよ」

「な、ひでえ女だろ」

 マキアリイはしかたが無いなと、諦めの表情で語りかける。
 眼の前の男に。
 幻人も同情した。

「美人が薄情なのは古代よりの決まりごとだが、主人公の英雄に対してここまで容赦の無い女は物語に聞いたことも無いな」
「それで、暗号は教えてくれるのか」
「教えるわけがない、と言いたいところだが、脚本の修正を要求されてしまった。

 君の脳を読んで調べたぞ。
 現代の物語においても爆発オチは、言うほどは忌避はされていないな。
 問題は、英雄は爆発オチを回避できる、という決まりごとだ」
「危機一髪をくぐり抜けてこその英雄さ」

「よいだろう。謎を与えよう。
 君の仲間達が首尾よく解けるとよろしいな」

 

 マキアリイは叫ぶ。

「解除暗号は! 『原初の焔』だっ。
 幻人本人が言っている、間違いない」

「原初の焔、ね。それ以外の情報は」
「そこまでは自白しない」

 ユミネイトは助け起こされた元科学技術総監のタタンゼ氏に振り返る。

「マキアリイは解除暗号を『原初の焔』だと言ってます。
 あなたは覚えていませんか」
「うう、すまない。彼が私の頭を出る際に、一切を持ち去ってしまった。
 もちろん今まで自分が何をしてきたのか、どんな犯罪を起こしたかはすべて理解している。
 だが発電所全体を吹き飛ばす爆弾に関しては、なにも私は分からないのだ。
 知識が完全に欠落する」

 当然の対応だ。
 別の脳に幻人が移る際には、ちょうど引っ越しをするように家財道具を運んでいく。
 知識と情報こそが幻人の財産だ。残すわけがない。

 ユミネイトはダメ押しで尋ねる。

「『原初の焔』で間違いないと思われますか」
「いや、いや絶対違う。そんな意味のある文句ではないはずだ。
 一繋がりの文字の並び、文章ではない。それだけは分かる。分かるんだ」

 タタンゼ氏の言葉にヒィキタイタンもうなずく。
 そんなにあっさりと謎を明かしては、映画にもならない。

「マキアリイ、それだけでは不十分だ。
 もう一度幻人に尋ねてくれ」
「尋ねろと言われても、だ」

「うん、従うわけにはいかないだろうな」

 幻人はヒィキタイタンの顔をしてしたり顔でつぶやく。
 「反応制御室」内部の人間すべてが幻人のニヤついた笑顔へと替わっていた。
 もう誰が誰だかも区別出来ない。

 だがマキアリイは体で、足が踏む感触で理解する。
 ここはまだ現実、場所は動いていない。
 状況は何も変わらない。爆弾は確実に爆発する。

「『原初の焔』、に間違いはないか」
「そこは嘘を吐いても仕方があるまい。解ける謎でなければ緊迫感が無いからな」
「原初の焔という言葉に関連する事象か」

 ニヤニヤ笑いが返る。

「君は、思ったほどはバカじゃないわけだ」

 

     ***** 

 幻人との問答は、マキアリイはすべて声に出して伝えている。
 ヒィキタイタンとユミネイトが聞いて対処を進めていた。

 幻人はマキアリイから新たな名前をもらった。

「この”かかし野郎”、視覚をかってに歪めやがって」
「大したものだよ君は。
 わたしが与える幻覚は現実の光景と見分けがつかない。
 もちろん聞こえる音も、触覚で感じるものも、どんな感覚でも自在に操れる。
 自分が喋る声も、実際は頭の中だけで、外には聞こえていなかったりするわけさ。

 にも関わらず君は、君の感覚領域は未だに現実と虚構を弁別出来ているな」
「当たり前だ!」
「いや、当たり前ではない。

 君の脳に移る際、わたしは失望すると思ったのだよ。
 科学者の脳から一介の乱暴者の脳に移るんだ。
 どんなお粗末な知能が待っているか、怖気が走ったものさ。

 だが結果はおどろくべきものだった。感動したよ。
 確かに君の知性は大して発達はしてない。ぎりぎり乗り移るのが可能な程度だ。
 驚嘆すべきは肉体を操る脳領域の発達さ。
 まさに絢爛たる大宮殿と呼ぶべき壮麗さで、このわたしですら久しくお目にかかれなかった素晴らしさだよ。

 考えてみれば遠い昔、ゥアム神族の脳への同居が許されていた頃は、
 単に高い知性があっただけでなく、優れた肉体優れた運動能力、研ぎ澄まされた各種の感覚の充実に浴していたものさ。
 忘れていたよこの感じ。

 人間は知性と行動により一個の人格を構成する。
 基本には立ち返るべきだな」

 妙なところを褒められても嬉しくない。

「おまえ、俺をどうする気だ」
「気が変わったよ。確かに脚本の修正が必要だ。

 これほどの運動能力、そして運動能力を活かす各種知識の充実。
 武術格闘技に対する造詣の深さ。
 タンガラムの裏世界や犯罪事例、手口に関する理解の確かさ。
 伝統社会に深く根ざした人心掌握の術。

 わたしが使ってやろう。
 正義の使徒「英雄マキアリイ」から、暗黒世界の覇者「帝王マキアリイ」へと転身だ。
 タンガラム一国を支配するにもさほど年月は掛かるまい。

 これは賛辞だよ。君には王にふさわしい器量がある」

「おいヒィキタイタン! 俺を取り押さえろ。
 幻人が、俺が幻人になってなんかやらかす。
 逃がすな絶対!」

 

 必死に叫ぶ声はマキアリイ真実の意思。
 ヒィキタイタンは護衛のメンドォラに目配せして、マキアリイの両腕を制圧に走る。
 だが、

「ぐああっ」
「さすがマキアリイさんか!」

 体に触れた瞬間、二人は宙に浮き投げ飛ばされている。
 ほんの僅か肩を揺すっただけで、拘束を跳ね返した。
 さすが武術の達人、特に意識せずともこの威力。

 立ち上がろうとする二人の間を割って、黒い影が進み出た。
 左手に嵌める腕輪を起こして灯籠とし、緑の焔を燃え上がらせる。
 必死にまぶたを開こうとするマキアリイの眼の奥を覗いた。

「なるほど。ヱメコフ・マキアリイが取り憑かれたか」

 ゥアム帝国より派遣された幻人専門の猟人「細蟹のパ=スラ」が、長い黒髪を揺らして対峙する。
 無表情な顔は変わらない。
 マキアリイが幻人に侵されたと知っても、とるべき道を一つしか知らない。

 ヒィキタイタンは彼女に叫ぶ。

「殺すな! 彼は絶対に生きねばならない人だ」

 ユミネイトも命令を厳しく発する。

「ヱメコフ・マキアリイを殺す事は許しません! 制圧しなさい手足の1本は許す」
「心得ましてございます、待壇者様」

 

     ***** 

 バ=スラはマキアリイに頼まれた「警備司令塔」の制圧を難なくやり終えた。

 所詮は科学者技術者が武器を遠隔操作していたに過ぎない。
 その中枢を襲われても抵抗力は皆無であった。
 殺すなという指示は面倒だが、素人相手では興も乗らない。
 瞬きする間で制圧すると、外部に向かって信号弾を打ち上げて合図を送る。

 発電所外周で待機していた「組織」の強攻制圧隊と巡邏兵は、順次突入を開始。

 施設全体を爆破する危険は未だ排除出来ていない。
 だが制圧拘束された科学者達を外に避難させ、
また仕掛けられた爆弾を見つけ出し独自に解体する選択肢が可能となる。

 もっとも専門家は、爆弾は解体困難な形で埋設され、
しかも互いが連携して不用意に手を出すと連鎖して爆発すると警告した。

 承知の上でも突っ込むのを止められないのは、
やはり素人ばかりに好い格好を見せられない意地であろう。

 

 ヱメコフ・マキアリイにも引けを取らない身長体格の女だ。
 英雄探偵マキアリイは「不殺」を貫く事で有名だが、バ=スラもそうだ。

 幻人は教育が行き届き財産に余裕のある「銀骨のカバネ」に好んで取り憑く。
 排除するにも無用の人死を出せば、ただでさえややこしい親族関係にお家騒動を引き起こし、
「銀骨」間の勢力バランスも変動する。
 猟人には殺さずに眠らせる術が要求されるのだ。

 それが為、「幻人」の活動はこの300年秘されてきたと言えよう。

 純粋に運動能力や武芸を比べれば、マキアリイに対しても徒手ならば大差無いと判断する。
 さて、どう勝つか。

 

 一方ユミネイトは爆破装置の解除に取り組んでいる。
 総責任者であるタタンゼ・ミュヴヒラ氏は、脳から幻人が抜けてすっかり記憶が欠落してしまった。
 だが元々の知能が高く学識豊富であるから、幻人は取り憑いたわけだ。

 シーケンス・プロセッサに入力すべき暗号も、彼本来の活動に由来するはず。

「マキアリイは幻人が『原初の焔』だと言っています。思い当たりませんか」
「違う! いや、わたしには爆弾に関する知識はすべて奪い取られているが、違う。
 それだけは分かる。
 もっと、こう、あれだ! こうもっとタンガラム人民に対して希望を与える、未来を開く、そういう
 ああああアレなんだが!」

 タタンゼ氏からは有益な情報を引き出せない。

 ユミネイトは考える。ヒィキタイタンに尋ねた。
 彼とメンドォラは、室内を大きく跳ね回るマキアリイとバ=スラの格闘になんとか割り込もうと、隙を窺っている。

「『原初の焔』、なにか思いつかない?」
「原初の焔って言葉はどこかで聞いたことがあるぞ」
「そりゃそうよ。原子核反応の研究者の間ではごく普通に語られるわ。
 物質の根源である原子同士が分裂融合してエネルギーを放出するんだから」

「じゃあやはり物理学関係だろう。タタンゼ氏の実直な性格から考えても当然の選択だ」
「そうね」

 この会話を聞いている内に、タタンゼの魂の奥底から泡のように浮き上がってくる知識がある。
 誰に聞かせるでもなく、説き始めた。

「『原初の焔』、それが最初に物理学の世界に現れたのはもう1200年も昔。
 ……星の世界の知識を著したとされる『星智書』最終章最終頁に記される、ほんのわずか一行のみ記される方程式。
 「究極」とのみ注釈が付けられて、千年の長きに渡り学匠博士が知恵を集めてもまったく理解の及ばない。
 この謎が解き明かされるのは、ゥアム帝国シンドラ連合王国との接触が叶い、
 互いの科学技術の知識を分け合う事になってからだ……」

「エネルギーは質量と光速の自乗に比例する。
 原子核物理の根本法則のことね」

 ユミネイトの合いの手を気付かぬかに、タタンゼは続ける。

「『星智書』を著されたのは、タンガラム科学を近代の高みに導いて下さったのは、
 星の世界から来た稀人。トカゲ神救世主。無敵の決闘者にして万民の癒し手。方台世界に新秩序を構築する者。
 星浄王初代を務められた、」

「ヤヤチャさまね! 帝国ではヤスチャハーリーと呼ばれる救世主ヤヤチャ。
 たしかに無視できる存在では無かったわ」

 操作卓に並ぶ文字鍵盤に向かおうとするユミネイトを、ヒィキタイタンは止めた。

「ヤヤチャは愛称だ。
 創始歴5555年、ヤヤチャ様は13代星浄王の願いに応じタンガラムに再臨され、ぴるまるれれこ教団の反乱を打ち砕いた。
 以来みだりにその名を呼び安息を妨げる事は忌避され、愛称を使う習慣となった」

 中学校の歴史の時間に、タンガラム人なら誰でもが習う逸話だ。
 ユミネイトもうなずく。

「ヤヤチャさまの真名は、ほんとうに困った時だけに唱える事を許される最後のおまじない。
 誰もがみんな知っているけど、決して口に出してはならない」
「それが!」

 

 すべてを滅ぼし灰燼に帰す爆弾を解除するのに、これほど希望に満ちた言葉は無い。
 ユミネイトは1文字ずつ丁寧に打ち込んでいく。

 小電球が並ぶ表示装置が文字を映し出す。

”S/P:起爆装置解除。待機状態”

 

     ***** 

 ヱメコフ・マキアリイは戦っている。

 だがここは一体どこの空間だ。
 「反応制御室」に居たはずなのに、もっと広い、まるで体育館のような開けた場所で、
しかしながら身体が覚えた記憶が教える。狭い!

 視覚に頼ってはならない。
 ここは今も「反応制御室」なのだ。
 大の大人が二人格闘するには様々な障害物が多すぎて、身動きとれない場所。
 感覚が記憶する室内見取り図に従って、慎重に大胆に駆け回る。

 敵はいきなり巨大化した幻人。背丈が自分の倍もある巨人だ。
 ではありながら、振り回す腕の力はさほどではない。
 確かに強力で豪腕だが、人間の域に留まるもの。
 これは、誰か実際の人間の姿を巨人に書き換えているに違いない。

 第一最初に入ってきた幻人本人は、激しく動き回るマキアリイの左後ろに居る。
 密着するかに追随して話し掛けてくる。

「余所見はいけないな。もっと真剣に戦わないと。
 これは強いよ、殺しに慣れているね。
 君も本腰を入れて息の根を止めないと、誰も救えないぞ。
 爆弾解除は無理かなコレは」

 ユミネイトが、ユミネイトの顔をした幻人の衣装の男が悲鳴を上げる。

「マキアリイ、幻人は他に手掛かりを与えてくれないの?
 「原初の焔」だけではもう手詰まりよ!」

「ほら彼女が助けを求めている。早くわたしから聞き出さないと皆死んでしまうぞ。
 もっとも君自身の命が今まさに滅びようとしているんだ。
 他人を構っている余裕なんか無いね」

 敵は強いが、強すぎない。殺気が無い。
 無いからこそこれまで決定的な攻撃を繰り出さず、却ってマキアリイの逆撃を食わずに済んでいる。
 互角に戦うのは、双方ともに殺さないよう戦法を控えている為だ。

「誰だコレ?」

 ヒィキタイタンもメンドォラも、強攻制圧隊員も、そんな器用な真似は出来ない。
 殺さずに制するのはなかなか熟達を要する高等技術で、「兵士」にとっては無用とさえ言えた。
 巡邏軍関係者なら実用として捕縛術を修めた者も多いが、
対手する敵はそれとは違う。
 見慣れない技を使う。術技の基本の哲学が異なる。

 

「  ゥアムの、 黒髪のバスラか?」

 相手の身体を一時抱き止めて動きを拘束した時だ。
 すぐに躱して逃げられたのだが、一瞬の感触が手に残る。
 実に豊満な弾力の固まりが、たっぷりと手に余るこの柔らかさは。

「女か! ユミネイトではない、こんなに大きくないからな!!」

 幻人は呆れた。さすがは男だ。

「触覚もしっかりと改竄しているのだが、どうして見破れるんだ。
 おかしな脳のからくりだなあ」

 マキアリイ、左後ろの幻人に振り向いて、にたあと笑う。

「そういう事なら、俺の勝ちだな」
「ちっ、気付かれたか!」

 幻人は何処からか取り出したゥアム風の狩猟ナイフを突き出して、マキアリイの横腹を刺す。
 腸まで刃が抉る。
 だがマキアリイはさらに嗤った。

「痛えよ。幻覚だとしてもこいつは痛え。
 だがおまえさんもやっぱり痛えんだな。
 そりゃあ同じ脳の中に居るんだから、感じるものはおんなじさ」

 見破られてしまった。
 脳内の幻覚で攻撃するのは諸刃の剣。幻人自らも傷を負ってしまう。
 鈍い動きをマキアリイに蹴飛ばされ、部屋の隅まで転がっていく。

「忙しいんだ。今からこいつを捕獲するからな。
 来いバスラ!」

 

 「細蟹のバ=スラ」はマキアリイの腕の中に搦め捕られた。
 戦闘の方針を転換したのに一瞬遅れて気が付かず、まんまと技に掛けられてしまう。

 寝技。
 全身を使って相手を取り押さえ、締め上げ関節を取り動きを潰す。
 代償として自身もまた拘束されるから、敵が複数人居る場合には使えない。

 そう、他の者には静止したマキアリイは攻撃し放題だ。
 バ=スラの長い黒髪が両人共に巻き付いて、容易には解けない。

 マキアリイは行方も定めず叫ぶ。

「ユミネイト! お前なら間違えない。俺を殴って止めろ」

 ヒィキタイタンはマキアリイの言葉を上手く理解できず、ユミネイトを引き止めた。

「マキアリイが何を言っているのか分からない。あぶない、」
「いえ。たぶん幻覚を用いて、人の見分けを付かなくしているのでしょう。
 わたしなら背が低いから間違えないんだわ」

 手を伸ばし強攻制圧隊長から拳銃を受け取る。
 薬室から弾を抜いて、安全装置を掛け、
鋼鉄の銃把でぶん殴る。
 国家英雄の後頭部を。

 良い子は真似してはいけない。

 

「ぐえ、」

 マキアリイは何も無い虚空からの強烈な打撃を感じて、自身が生命の危機に陥ったと知る。
 いつの間にかバスラのはずの巨人は消え、自分ひとりだけが床に横たわる。

 幻人は気の毒そうな目つきで見下ろし、告げた。

「ほんとに酷え女だな。ユミネイトは」
「お前もそう思うか……」

 急速に暗闇が深まって、意識が遠のいていく。

 

 

  *****第五巻最終回 第二十四話「シンプル・プラン」に続く

 

【五巻前編之終】

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(テレビドラマ『罰市偵〜英雄とカニ巫女』 出演者インタビュー)

※第五回 「ユミネイト・トゥガ=レイ=セト」役の ロ’ハイヨォ・シャミャさんをお迎えしました 

「ロ’ハイヨォさんも、「ネイミィ」役の”カドゥンマ”さんと同様に、ゥアム人とのハーフなんですね」
「今回の作品は可能な限り異国のイメージを正確に忠実に描こうという監督の意図がありますね。
 たしかに30年前の「英雄探偵」ドラマ全盛期には無かった事ですから」
「この50年で変わったと言えば、外国人タレントや混血の芸能人が増えた点ですね」
「それでまあ大役をいただけたました」

「「ユミネイト」役を演じるに当たって心がけるところはどのような点でしょう」
「あの方は国家総統の妻として、またタンガラム−ゥアムの国際交流においても重要な役を果たされた方です。
 二人の英雄に挟まれて注目は薄いのですが、外交史において特筆されるべきです」
「ゥアムにおいては、ソグヴィタル・ヒィキタイタン総統よりも有名なようですね」
「そうですねえ、わたしはゥアムでもタンガラム人街で育ちましたから逆に馴染みすぎてよく分かりませんが」

「現在のゥアム帝国において、「英雄探偵」シリーズはどのように捉えられているのでしょうか」
「まあ、既に古典の域です。
 ゥアムにおいても最近は娯楽映画やドラマが盛んで、「英雄探偵」亜種みたいなヒーローがたくさん出ています」
「”キャプテン・フォイスラー”なんかタンガラムでも人気ですね」
「特殊効果撮影ばりばりですからね。

 それで「ユミネイト」さんですが、よく分からないというのが、今現在においてもわたしの印象です。
 難しい性格の人ではなかったようですが、時々すごく偉い人になってしまって、直接に会った人は困ったらしいんです」
「やはりゥアム帝国でも最上級の神族の令嬢ですから、貴族性というのが表れるのですかね」
「わたしは、それは出さないようにしました。あくまでもタンガラム人の母を持ち故国に帰ってきた女性としての側面を重視しました。
 監督もその点は了承していただいてます。

 監督は昔にユミネイトさんに会ったことがあるらしいですね」
「え、ほんとですか」
「子供の頃と聞きましたが、夫人単独でソグヴィタル総統の政治活動を支援していて、その会に小学生の合唱団かなにかで」
「あーそういう」
「残された記録映像を見ても、だいたいそんなものばかりです。
 彼女は特に偉ぶりもしませんから、奥深いものは映像で見ることができません。
 だったら、フィルムの通りにやるまでと」
「それが一番視聴者にとって馴染みやすい「ユミネイト」像ということですね」

「ユミネイトさんがお亡くなりになられてもう15年になりますね」
「わたしはソグヴィタル総統にお会いしていないのですが、ユミネイトさんのお墓参りには行きました。
 国立墓地とゥアム大使館とそれぞれに。むしろ大使館の霊廟の方が大きかったですね」
「やはり特別な存在だったということですね」
「夫人を失った後のソグヴィタル総統は、ずいぶんとお寂しいままに政界で頑張られたと思います。
 そんなことをシナリオ読んでいく内に思ってしまって、なぜだか涙が」
「え、そんな感傷的な展開になるのですか?」

「あ、いや、その、えーと、結婚です! 結婚式ですね」
「ああ! やっぱりあるんですかヒィキタイタンとユミネイトの結婚式は」
「あ〜言っちゃったー。まずいなこれ。聞かなかったことには、」

「それでは最後に視聴者の皆様に一言おねがいします」
「あー聞かなかったことにどうかおねがい」
「本日はありがとうございました。」

 

 『罰市偵〜英雄とカニ巫女』第五巻は前後編の二部構成となりました。
 後編のインタビューは「みかん男爵」役のササァラ・プリュマエンデラフォンメクリタジンジャガハランさんです。

 

 

 

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