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「前回までのあらすじ」

 英雄探偵ヱメコフ・マキアリイはカニ巫女見習い「クワンパ」を従者として、広い世界へと旅立った。
 待ち受けるのはいかなる凶悪犯罪者か、殺人狂か、はたまた想像を絶する怪物か。

 だがここにもう一つ、彼に注目する組織が有る。

「我らが英雄探偵殿はますます御健勝なようで幸いであるな」
「タンガラム国民の一人として頼もしい限りでありますが、さりとて火の粉がこちらに降り掛かってくるのは剣呑」
「左様。思い起こせばこれまでに幾度彼に妨害され企みを覆されたことか」

「流石に対策を講じねばなるまい。またぞろに」
「次は如何なる策を持って彼に立ち向かうか。さりとて連年失敗続きであるからな」
「これまでに被った損害を数えれば、それこそ街が一つ滅びます」
「ハハハ。幾千人もの構成員を持ち、社会各層に浸透し計画を進めている我らが、刑事探偵唯一人を恐れるとは」

「そう言えば、十周年となるのか、もう」
「ああ。彼が英雄となった「潜水艦事件」から今年でもう十年だ」
「では大々的に祝わねばなるまいな」

「それは面白い」
「イローエント港では記念式典が華々しく行われ、我らが陰謀を巡らす格好の舞台となりましょう」
「式典に華を添えるのもまた良し」
「然り」
「賛成します」

 

 ”ミラーゲン”、タンガラム全土を震撼させる破壊主義集団である。
 その起源は古く数百年にも遡り、本来は社会を善き方向に導く為の秘密結社であったとされる。
 ヱメコフ・マキアリイはこれまでに、アユ・サユル湖の豪華遊覧船で、北方デュータム市新競技場落成で、百島湾ゲルトアンティ島に設けられた国際交流都市にて、彼らの謀略を打ち砕いた。
 苛烈なる報復は必至と言えよう。

 「クワンパ」が初めて自らを狙われる、真に恐怖すべき敵である。

 

 『罰市偵』第三巻「世界が彼を待っている」 開演。

 

 

『罰市偵 〜英雄探偵とカニ巫女

 (第十四話)

 そろそろ雨季も終わって陽の姿を拝めるようになった今日この頃、
ヱメコフ・マキアリイ私立刑事探偵事務所は美しき依頼人を迎えた。

「首都の法衛視チュダルム彩ルダム様からの紹介状を携えております」

 と中央法政監察局の印を押してある封筒をマキアリイ所長に差し出す淑女は、推定年齢20歳。身なりも控えめ簡素ながら相応の高級品で固めてある。
 封筒を取り出した革の化粧鞄から、クワンパには彼女の正体が分かる。
 まあチュダルムの姐さんが紹介人となれば、そうに違いないのだが。

 ただ彼女くらいの社会的地位の人であれば、単身で薄汚い事務所を訪れる真似は普通しないだろう。
 そこが少し気になる。
 マキアリイも、「ちょっと厄介な案件らしいぞ」と目で合図を送ってきた。
 用件はおおむね、事務所訪問の予約を取る時に語っているのだ。

 応接の革椅子に促し、彼女の正面に座るマキアリイがまずは自己紹介を行う。もちろん皆様ご存知だ。
 色紙を突き出して英雄探偵のお印を求めない分、依頼人は常識を弁えていると言えよう。

 薄く紅を引いた唇を開いて、彼女は、

「私は姓名を マガン定テレメァールと申します。出身はサユール県で、現在は首都ルルント・タンガラムの経済大学に通っています」
「やはり、黒甲枝の一族の方ですね」
「はい。私の祖先は代々サユール県北部の守護の任を授かって参りました」

 だろうと思った。
 この前、「勲章事件」の時に見た黒甲枝のお姫様と同じ空気を漂わせている。髪だって質素に茶色だし。
 姓名の間に「嘉字」が入っているから、黒甲枝家の正統なる継承者だ。

 

 黒甲枝とは旧褐甲角王国の貴族で、十二神信仰においては「聖戴者」とも呼ばれる。
 かっては「神兵」として己の名利を捨て、正義と民衆の為に戦っていたと謳われる。
 嘘かホントか、頭に聖なるカブトムシを宿した「神兵」は5石(約17キログラム)の大剣を自在に振るい、巨巌をも打ち砕いたとされる。
 強弩の箭すら徹さぬ重装甲の甲冑を身に着けて草原を何十里も走り抜けたという。

 そもそもが褐甲角神「クワアット」は結婚と契約の守護者であり、武神である。
 その化身として尊ばれた神兵も、怪力よりはむしろ信義に厚い責任感の強さにより民衆から支持される。
 既に聖戴者は地上から消え、不思議の力を今では持っていないとしても、信頼感は絶大だ。

 故に民衆協和国は彼らを差別する。黒甲枝家の出身者は公職に就く事が出来ないと、法律で定めるほどだ。
 また「嘉字」の風習も禁じ、旧聖戴者一族の正統後継者にのみ継承を許している。
 とにかく神聖秩序時代の風習は、近代民衆協和社会においては害毒と言わんばかりの警戒ぶりだ。

 ただ法律関係においては、黒甲枝出身者は大いに活躍を許されている。
 近代的な法制度を発明したのが褐甲角王国そのものであるのだから。

 

 クワンパ、既にいっぱしの貴族評論家の顔をして、話に加わりたそうな表情で覗き込む。
 鬱陶しいことこの上ない。

「クワンパ、下行ってお茶淹れてこいよ」
「えーーー」
「いいから動け。

 はい、それでご用件の向きは事件捜査という事でしたね?」

 依頼人は、少し困惑しためらう素振りを見せた。
 マキアリイ事務所を訪れる客の半数はこのような表情を作る。
 「英雄探偵」の虚名が大き過ぎて、些細な犯罪などは扱ってもらえないのではないか。もっと重大な国家的大謀略を持ち込まねばならないのでは、と考えるのだ。

「ヱメコフ様のお働きを考えると、このような定かならぬ件をおまかせするべきではないのかもしれません」
「依頼を受けるか否かは、詳細を伺ってからとしましょう。まずは遠慮なく、お話ください」

「それが、……実は、怪談、なのです」

 

       *** 

 サユール県はベイスラ県の西隣、ベイスラ山地を挟んだ反対側になる。
 巨大な円形湖アユ・サユル湖に面する周円五県の一つに数えられる。
 首都ルルント・タンガラムの南隣という絶好の位置に有りながら、巨大な亀裂が走る溶岩台地により通行を阻まれ、繁栄の恩恵に与る事が出来なかった。
 機械力が発達した現代においても、立派なド田舎として認識される。

 山深く、森林に覆われ住む人も疎らなこの地に妖怪譚が発生するのは至極当然であり、数々の化け物が噂される。
 またかっては褐甲角王国により治められており、王都近辺の抜け道として軍事的価値があった為に、合戦が行われる事も少なくなかった。
 前述の黒甲枝の神兵が大いに活躍し、また討ち死を果たしている。
 その亡霊が森の中を彷徨うとも伝えられる。

 

 依頼人 マガン定テレメァールは言う。

「神兵の亡霊が祟って人に怪我をさせている、というまことしやかな噂がサユールの私の領内で立っているのです」
「領内、とは、領地ですか」
「あ、それは違います。黒甲枝は経営する領地を国王より授かるなどは無いのです。あくまでも守護の任を授かった領域を示します。
 我がマガン家が守護するように定められた領域の、とある禁域の森に先月国から派遣された調査員が入ったのです」
「ほお」

「サユールの森の豊富な水量を利用して水力発電を行い、首都ルルント・タンガラムに送電しようとの計画です。
 下準備として測量に大勢が来たのですが、その人達の中に不可解な怪我人が出て、亡霊が原因とされてしまったのです」
「電力開発事業ですかー」

 マキアリイは少し嫌な顔をする。
 何故チュダルムの姐さんが自分を彼女に紹介したか、その理由がコレだからだ。
 依頼人は追い打ちを掛ける。

「ヱメコフ様はかって、エイベント県で行われた電力開発事業に絡む高度な背任事件を解決した実績がお有りです。
今回もまた、サユール県においてお力添えを頂けないでしょうか」

 マキアリイは興味深げに話に聞き入る事務員を振り向き、表情を確かめる。
 訳知り顔に彼女は、にたりと笑ってみせる。
 この事件は映画になった!

 簡単に説明すると、ベイスラの南隣のエイベント県で同様に水力発電所を建設し軽金属の精錬を行う開発事業を巡って起きた政治的陰謀だ。
 中央省庁建設局の高級官僚が主犯で、事業の早急な成功を自らの手柄として中央に返り咲く為に反対派の一掃を企む。
 反対派と警備側との衝突を画策し流血の惨事を引き起こし、開発に慎重派のエイベント県令の責任問題として、首長を選挙ですげ替えようとしたのだ。
 マキアリイとカニ巫女事務員ザイリナは、深い谷川に掛かった長大な吊橋の前後から攻撃を受け、ザイリナが谷底に転落して行方不明となる。
 気丈なザイリナは誰の助けも借りずに単身で地獄の淵から生還した。ココが映画の見どころだ。

 当時マキアリイとザイリナは、この事件を含む3件の地方政治・高級官僚が絡む汚職背任事件を立て続けに解決し、首都での表彰を受ける事となる。
 祝典に継ぐ祝宴の嵐にさすがのザイリナも体調を崩し、ノゲ・ベイスラ市に戻って暇つぶしに始めたのが「闇御前」事件の発端である。

 この辺りの事情にクワンパはとても詳しい。
 所長に代わって、依頼人が言い出しにくい願いを言葉にする。

「つまり、マガン様はエイベントの事件の時と同様に、所長にサユール県に長期滞在して事件を解決して欲しい、とのご依頼ですね」
「辺鄙な地への出張となりますので心苦しいのではありますが、他に引き受けてくださる刑事探偵の方もいらっしゃいません」
「そりゃあ居ないでしょう、亡霊退治なんて出来る人は。ウチの所長以外には」

「マキアリイ様、無理を承知でお願い致します。英雄のお力をもって我らをお救いください」

 つまりは彼女は、首都ルルント・タンガラムを拠点として活躍する多くの刑事探偵に依頼を持ち込み、ことごとくの拒絶を食らったのだ。
 そこで同じ黒甲枝の重鎮であるチュダルム家の彩ルダムに相談して、物好きでバカな正義の味方を紹介してもらう。
 彩ルダムにしてみれば、彼がこの依頼を断るとは露ほども思っていない。
 なにせ依頼人は年若い美女であるのだから。

 だがさすがに亡霊退治は専門外だ。

「お心に沿う結論を得られない可能性が高いのですが、それでもと仰るのであればやぶさかではありません。
 ただ長期間の調査は今後の予定からも難しく、1週間が限度となります。それで解決できるものかどうか」
「構いません。ヱメコフ様がお出でくださるのであれば、郷の者も勇気百倍となって調査を手伝ってくれるでしょう」
「正規の依頼料に併せて出張旅費・滞在費その他必要経費も掛かりますよ」
「はい、全額の負担をいたします」

 ここまで言われては、男として退けない。
 チュダルム彩ルダムの思惑通りに、物好きなバカを演じてみせる。

「では契約書を作成しましょう。おいクワンパ、用意してくれ」

 

       *** 

 当然の事であるが、刑事探偵依頼料はマキアリイ本人1人分でしかなく、お供の事務員分は入っていない。
 出張旅費を負担する場合でも、依頼人が2人分を負担する義理は無く、
つまりはカニ巫女は余計である。

 にも関わらず、マガン定テレメァールはクワンパの旅客船料金を出してくれた。
 英雄探偵ヱメコフ・マキアリイの伝説にはカニ巫女のお供が不可欠であり、不可分である。との間違った常識に囚われている。
 本来であれば、事務員は事務所で留守番をするのがスジなのだ。

「付いて来るんだな、やっぱりお前も」
「付いて行きますよ、カニ巫女だから」

 マキアリイはいつもの縒れた上着だが、クワンパは初心に返ってカニ巫女見習い正装。
 黒甲枝は褐甲角神の使徒であり、いわば十二神信仰の先達なのだ。自分も威儀を正す必要がある。

 二人は、アユ・サユル湖を渡るサユール行き客船の甲板上で涼しい風に吹かれている。

 アユ・サユル湖は直径が100里(キロメートル)となる巨大な円形陥没湖だ。
 隕石が落ちたと主張する学者も居るが、大多数は巨大火山の溶岩が抜け出て凹んだものと考えている。
 故に湖岸は切り立った崖だ。
 東岸のスプリタ街道に面する部分はそこまで酷くはないが、南岸のベイスラ・サユール間はまさに絶壁が連なっている。
 陸路では到底進む事は出来ず、湖上の水路を用いている。およそ60里の船旅だ。

 ベイスラ県の港は、マキアリイが水上飛行機を借りる発着場の近くに有る。
 首都ルルント・タンガラム、工業大都市ヌケミンドル行きには乗客も多く、それなりの速度が出る新鋭船が使われる。
 だがサユール行きは、乗客は必ずしも少なくはないが、他の航路で使われたお下がりの老朽船が就航していた。
 たった60里が2時刻半(5時間半)も掛かる。

 クワンパは依頼人のテレマに尋ねた。
 彼女は、定テレメァールという正式な名前でなく、愛称のテレマの方で呼んでくれと頼む。
 まだ20歳になったばかりで歳も近く、クワンパとも親しく話をする。

 女二人で船内の様子を確かめに行った。

「サユール行きって結構人多いですね。ベイスラに行くのと首都に行くのと、さほど時間も料金も変わらないんじゃないですか」
「物価の問題です。やっぱり首都はなんでも高価い。ベイスラに比べると倍もします
 だからサユールの商人は、ベイスラに買い付けに来て担いで帰る人が多いのですね」
「はあ、そういうものですか」
「サユール人にとっては、大都会というのはノゲ・ベイスラ市になります。ルルント・タンガラムなんて目が潰れる」
「あはは」

 冗談ではなく、ベイスラ近隣の田舎県では小中学校の修学旅行は、ノゲ・ベイスラ市での「都会生活体験学習」をする事になっている。
 ほどほどに大きくほどほどに進んだノゲ・ベイスラ市は、何も知らない田舎者にとってもほどよい複雑さで、適応出来る限界値だ。
 直接ルルント・タンガラムに行った日には、迷子になって野垂れ死ぬ事間違い無し。

 ど田舎サユール出身のテレマは、首都の大学で勉強をするというとんでもない大冒険を敢行している最中なのだ。

 

 マキアリイの元に二人して戻ると、知らないおじさんと将棋を指している。
 暇だから、甲板や船室のそこここで囲碁や将棋や「ダル・ダル(双六)」を楽しんでいた。

 ちなみに囲碁も将棋も1200年前のトカゲ神救世主「ヤヤチャ」が持ち込んだ、星の世界の遊戯とされる。
 それ以前のタンガラム方台には盤上遊戯はダル・ダルしかなく、対戦型となると本当に無かったらしい。
 負けた方が勝った方に斬りかかるからだ、との説が有力とされる。

「所長、お昼に行きませんか」
「おう」
「おっとあんちゃん、勝ち逃げは許さないぞ」

 盤上、どうやらマキアリイが優勢らしい。尻の後ろに2つ積んだ折り箱をぽんぽんと叩いて見せる。

「俺はこれでいいや」
「またゲルタ弁当ですか。私たちはもっとまともなモノを食べてきますよ」
「おう。テレマさんをよろしくな」

 その場を離れながら、クワンパはテレマに教える。

「ああやって遊んでいるように見えますが、実はさり気なくサユールの現状の聞き取り調査行ってるんです」
「あ! もうお仕事を始めてらっしゃるのですか」
「担ぎの商人やら季節労働者とかヤクザとか、耳の敏いヒトは多いですからね。夜毎飲み歩いていますが、モトはきっちり取ってるみたいです」
「なるほど! 流石は英雄探偵です」

 

       *** 

 船内の食堂で「尼魚定食」を頂いた。
 アユ・サユル湖特産の掌大の淡水魚を甘辛く煮詰めたものだ。サユールの山菜のおひたしも付いてくる。
 ゲルタ弁当に比べればかなりの高級品だ。それでも周囲の客はおおむねこれを食べている。
 親子連れも居て、結構裕福そうだ。

 金銭に余裕が無ければ、所長のようにゲルタ弁当で済ますのだろう。甲板では芋餅なども焼いて売っている。

 右手を見れば遥かに広がる悠大な湖面が輝き、左手を見れば切り立った断崖の奇岩が目を驚かす。
 ゆったりと進む船の旅も悪くない。

「私も、実はマキアリイ様にお会い出来て嬉しかったのです」

 食事を終え、口を拭ってテレマはクワンパに笑いかける。

「サユールに留まった友人に聞きました。先々月ベイスラの「富月城」で投資講演会がありましたね、ゲレータ・カパフルッツ氏の。
 友人はアレに出席して、マキアリイ様にお会いする事が出来たと手紙で書き送ってきました。
 なんでもマキアリイ様が公式には初めて行った講演会で、私とても悔しい思いをしたのです」
「ああ、あれは酷いものですよ。なんで投資の話の席でお笑い演芸をしなくちゃならないんです。いきなりでびっくりです」

 言われてみなくても、テレマもあの場所に居ておかしくない身分のヒトだ。
 クワンパ、機会が有れば黒甲枝のお姫様に聞いてみたいと思っていた。
 ヱメコフ・マキアリイって、貴族の間では人気有るの?

「だってそうですよね、女性であればやっぱり見目麗しいソグヴィタル・ヒィキタイタン様の方が人気ありますよ」
「一般的にはそうですね、やはり美しい方が素敵ですよね。でもマキアリイ様はなんと言っても現役で正義を実現なさっている真実の英雄です。
 本物に惚れない女の子って、ちょっとおかしいとは思いませんか?」
「はあまあ、そういう観点からだとそういう結論になりますが」

「逆に言いますとね、実は黒甲枝の男性の方が、マキアリイ様に強く憧れを感じているのです。
 我々は公職禁止法により軍隊にも警察局にも入れませんから、正義を貫くと言っても法論士になるか、在野で地元民衆の代弁者となるしか出来ません。
 それに比べてマキアリイ様は、方台を縦横無尽に駆け巡り、真に恐るべき殺人鬼共と死力を尽くして戦い、確実に正義の勝利を国民にもたらしているのです。

 黒甲枝の男は、女達からあのように成れとせっつかれて苦労しているみたいですね」
「ははあ」

 なるほど所長本人ではなく、その在り方が古の神兵を彷彿とさせ手本として人気が有るのか。

「クワンパさん、私からも質問があります。
 マキアリイ様には本当に、隠し妻やら心に決めた女人はいらっしゃらないのですか?」

 

 朝一番でベイスラを出たから、昼過ぎにサユールに到着する。「エィクトゥラタ・サユル港」だ。
 切り立ったサユールの断崖が左右に続く中ここだけが地すべりで崩れ、なだらかにアユ・サユル湖に接している。唯一上陸可能な場所だ。
 狭い土地でさほど多くの建物は無いが、町は人が多く活気に溢れている。
 なにせ文明社会への唯一の接点だ。

 マキアリイ一行は、ここから出発する電車に乗って目的地の「マガン庄」に行く。途中、和猪車に乗り換える。
 クワンパは坂道に敷設される線路を見て目を丸くした。

「所長、線路の幅が狭いです」
「ああ、サユール県には標準軌条は無いからな。拡張簡易軌条だけだ」
「こんな斜めの坂道を、電車って走れるのですか」
「蒸気だとむしろ無理だろ」

 なんでも線路の真ん中に鋼線が這わしてあり、それを電車が噛んで進むのだそうだ。
 問題はそこではない。

 この路線が唯一最大の運搬手段であるから、中小の商人また個人もかなりの大荷物を車内に持ち込む。
 ベイスラで購入した様々な商品、穀物の袋、アユ・サユル湖で穫れる魚介類、あるいは家具・機械部品なども。
 甚だしきはイヌ・イヌコマ・籠に入ったニワトリ、自転車、自動二輪車までもが突っ込まれる。
 その為に座席の無い車両が連結されていた。

 テレマも久々の里帰りでお土産を大量に用意していたのだが、
車両の混雑ぶりを一瞥して、あっさりと諦めた。駅の倉庫に置いて後で誰かに取りに来させよう。

「座席車の方に行きましょう」

 

(注; タンガラム鉄道で一般的な線路である「標準軌条」は幅1杖半=105センチメートル、軽便鉄道で使われる「拡張簡易軌条」は幅1杖2分=84センチメートル。
 ノゲ・ベイスラ市の郊外でも軽便鉄道は走っており、クワンパも「闇御前裁判」の証人を移動させる際に乗っている。
 だがサユール県のこの路線は、いわば県の顔であり、最も立派な乗り物であるのだ)

 

       *** 

 この列車編成は「個人荷物車」と呼ばれるもので、あくまでも手荷物を運ぶものだ。
 サユール経済の大きな部分を「担ぎ屋」と呼ばれる個人業者が担っている。

 旅客専用、過度の荷物持ち込み禁止の「座席車」も、それなりに混んでいる。
 だがマキアリイ、クワンパ、テレマの3人がまとまって座る事が出来た。

「これで1時刻(2時間)です」

 テレマの説明にも動じない。サユールほどでなくても地方部に行けば列車も遅く、時間が掛かるものだ。

 クワンパは肩から提げるいつもの布鞄から、水筒を取り出す。
 こんな事もあろうかと、長時間耐久装備を整えている。所長の干しゲルタまでも用意する。
 なにせ英雄探偵マキアリイは何時何処で命を狙われるか知れず、重たい荷物で動きを妨げてはならないのだ。
 普通の列車よりも小さく混んだ車内では、3杖(2.1メートル)のカニ巫女棒も邪魔で仕方ない。

「おいクワンパ」
「所長も飲みますか」
「お前にちょっと頼みがある」

 見つめる先を、クワンパも背を曲げて後ろを覗く。
 明らかに女子学生と思える十代半ばの少女が5人、こちらを見ている。
 どうやら高名なる英雄探偵「ヱメコフ・マキアリイ」を発見してしまったらしい。

「ちょっと行って説明してきてくれ。「極秘任務だから俺がサユールに居るのは内緒にしてくれ」とだな」
「分かりました」

 確かにこれは事務員のお仕事。カニ巫女棒は置いてすくっと立ち上がり、少女達が座る座席に人の間を縫って近付いていく。
 マキアリイ本人ではなくともクワンパも既に有名人。にわかの降臨に少女達は声を噛み殺したまま大興奮大歓喜に躍り上がった。
 血迷った一人が教科書を差し出して「お印をください」とねだるので、仕方なしにクワンパは署名する。
 自分の拙い字のどこにそれほどの価値が有るのか分からないが、これも有名税というものか。
 戻ってくる。

「極秘任務の遂行に差し支えるから、私達がサユール県に入った情報を誰にも拡散させないでくれ、と頼みました。暗殺者が狙っているかもしれないと」
「ああ。まあ、嘘八百ではないからいいだろ」
「でも極秘任務は無いでしょ。なんですかそりゃ」
「依頼人の情報の秘密を守るのは、刑事探偵として当然の責務だ。通常業務の範疇であっても全部極秘任務だよ」
「そういう理屈ですか」

 テレマもくすくすと笑う。本当に国家的有名人は大変だ。

 しかしながら、1時刻も車内に居て他にはバレないなど無理で、結局は歓呼の嵐で目的地の駅を降りる事となる。
 無論、マキアリイがサユール県に居るのは誰にも絶対内緒の国家的極秘事項だ。と乗車した全員が沈黙を誓うのである。
 5分と拡散は防げないであろう。

「こればかりは仕方がありません。無関係であったなら、あの方達と同じことを私もしますから」
「事件現場に野次馬が多数推参、などにならないよう願うだけです」

 

 駅に降りたらまた鉄道。
 今度の線路は幅こそ同じだがより貧相な鉄を使った細いもので、薄い木箱の客車を和猪が引っ張っていく。

「これで半刻半(90分)行きます」

 テレマの説明にも動じない。
 なにせ周囲は深い森、駅と線路以外の人工物が見当たらない。
 和猪だろうがネコが牽こうが、これに乗るしか無かった。

 (注;荒猪あらじし を去勢したものが和猪なごじし である。だから牡しかいない)

 

       *** 

 和猪鉄道から和猪荷車に乗り換えて田舎道を行く。
 鉄道がどれだけ安定して乗り心地が良いか嫌というほど教えられた。

 既に日も傾いて、ようやくマガン庄に辿り着く。
 夕焼けに照らされる郷は、よく手入れの行き届いた畑が整然と並び、積木細工の小さな家々が行儀よく納まって美しい。
 文明の香りこそ薄いものの、人が幸せに生きていく場所として十分に過ぎると感じられた。
 その郷を囲むサユールの森。深く暗く、だが生き生きとして、命をとこしえに育んでいる。

 黒甲枝マガン家はこの近隣を領地として授けられたわけではなく、守護として役人として長年守り続けてきた。
 中央との連絡役を務め郷人の権利を守り、彼らを事々に指導して禍いから救ってきた。
 為に地元住民の支持も厚く、自ら「マガン家の庄」と名乗って誇りとする。

 その姫様が久しぶりに戻られたわけで、住民が総出でお迎えをする。およそ500人。
 どんなに田舎といえども電話線は通じているのが、現在のタンガラム社会だ。
 サユールの港に着いた時点で連絡を付けてある。

「姫様じゃあ」
「姫様、お帰りなさいませ」
「お疲れでございましたテレマさま」

 そして荷車を降りたマガン定テレメァールが誘う男に、全員が目を丸くする。

「こ、これは!」
「マキアリイさまだ。ヱメコフ・マキアリイ様だ」
「あの国家英雄として名高い、潜水艦事件の英雄の、映画で大人気の、あのマキアリイさまかー!」

 地の底から湧き上がるかの太い歓声に、悲鳴とも思える女性の叫びに、特に注目を浴びていないクワンパも閉口する。
 これがもう一人の国家英雄美しきソグヴィタル・ヒィキタイタン様であるのなら、感極まった女性の声で辺り一面耳が痛くなるところ。
 だが武術の達人としても著名な所長は、黒甲枝の郷においては格別の尊さを得るのであろう。
 男達の方が血圧が上がる。

 そして、想像もしなかった言葉を次々に発する。

「もしや、姫様が、この方と」
「国家英雄のマキアリイさまと、マガンの姫様が婚姻なされる……!」
「なんとめでたい」
「マガン家万歳!!」

 テレマは自身想像もしなかったいきなりの盛り上がりに対処を忘れ、背後のマキアリイを振り返る。
 彼は、だがこの程度の話は慣れている。
 なにせノゲ・ベイスラ市に来る前にも、ヌケミンドル市で地元弱小ヤクザの娘と結婚させられそうになり、そして娘自身が鉄矢銃を片手に結婚式に拉致しようとするのを必死で逃げ延びた過去がある。

 傍らに呆然と立つ、3杖の神罰棒を握るカニ巫女事務員に抑えた声で小さく命じる。

「クワンパ、何時でも逃げられる準備をしておけ」

 

 誤解はすぐに解け、歓迎の宴会が始まったのだが、マキアリイを値踏みする視線は収まらない。

 そもそもが当地で起きた事件の解決の為に、都会から刑事探偵を招聘するのは、郷の世話役の間では周知されてきた。
 首都ルルント・タンガラムの大学で勉学に励むテレマ本人が、電話や手紙で伝えている。
 その探偵がたまたま、世間的に大評判大人気の国家英雄であったというだけなのだ。
 ただ、   この機会を逃してなるものか。

 宴会はマガン家の邸宅の庭に篝火を灯し、住民がそれぞれに食べ物や酒を持ち寄って行われる。
 クワンパは、邸が思ったよりも大きくないのが気になった。田舎で有力者であれば相応の贅を尽くした豪邸を構えるものではないのか。
 だが褐甲角王国の軍人階級「黒甲枝」は質実剛健を旨とし、こだわらないのかもしれない。

 世話役の一人の髭面の中年男性が酔っ払って、所長に早くも絡んでいる。
 いや所長の方が既に酒が入っているから、酔っぱらいが寄ってくるのか。

「ははは、英雄殿は何が好物かな。食べるものですぞおなごではなく。このマガンの庄にあるものならば何なりと用意させましょう」
「では、ゲルタなどを焼いてもらえるとうれしいですね」

 おおおおー、とまたしても低い声が湧き上がる。
 古代においては常食されてきた塩ゲルタは、また戦闘食としても重要視された。
 ただの食料ではなく、気分を高揚させ勇気を奮い立たせ臆病を懐に押し込む作用を持つ。と信じられている。

 黒甲枝の郷において、ゲルタを好み酒を食らう男子は勇者としての資質を備えている。

 

       *** 

 マガン家の現当主、つまりテレマの父親は現在心臓を悪くして首都の病院に入院している。母親もそちらで看病をしている。
 祖父は既に亡く、マガン庄に残るのは祖母とその弟、テレマの大叔父が中心となって村の世話役を率いている。
 テレマには5才上の実の兄も居るのだが……。

 テレマが祖母に帰還の報告をして、再び皆の前に戻って来た。

「マキアリイさま、お祖母様にお伝えをして依頼の件の了承を得ました。村をご存分にお調べ頂いて結構です」

 テレマを迎える郷人は、まるで新当主を前にしたかに恭しく礼をする。
 実際このまま推移すれば、テレマが婿を取ってマガン家を継ぐ事となる。
 本来であれば相応の黒甲枝家から男子を迎えるのであるが、タンガラム最強の武術の達人として名高く国家英雄として尊ばれる人物であっても全くに困らない。

 マキアリイが尋ねる。

「では、今マガン庄で責任者と呼ばれる方はどなたに成りますか」
「それは儂ですマキアリイ先生」

 と名乗りを上げるのは頭が見事な艶で禿げ上がっている男性だ。60才くらいであろう。

「村長を務めさせて頂いているゴトノハ・ガゲエンでございます。マガン家の皆様は公職禁止令によって自治体の首長には成れませんので僭越ながら儂が任されております」
「ああ、これはどうも宜しくお願いします」
「本来であればマガン家の大奥様とセドガイアン様(大叔父)ともお会いして頂きたいのですが、あの方々は旦那様不在の折に当主のような真似をするは障りがあると、公的な場にはお出でになりません」
「筋目を正しくされているわけですね」
「それ故にテレメァール様がお二方の、そして首都に居られる旦那様の名代を務めて下さいます。
 法的な事は村長の儂が、村の総意をお尋ねであればテレメァール様にお願い致します」

 これが古い王国時代の秩序をそのままに留める田舎の普通の政治形態だ。
 よほどの悪政を強いて民衆に追われたのでもなければ、旧時代の為政者はそのままの尊敬を現在までも保ち、法的に規制されながらも民衆の自治の柱となっている。
 民衆主義協和国体制にとっては打倒すべき旧弊であろう。

 

 堅苦しい話はおいおいと進めていくとして、テレマを交えての大宴会が盛り上がる。
 やはり女人であるから郷の女達の支持が厚い。女も男をも凌ぐ勢いで酒を飲み踊っている。主におばちゃんが。
 そして子ども達、若者達が。

 クワンパは見慣れない灰色の麺の木椀が捧げられたのを受取り、首をひねる。
 これは何の穀物の麺だろう。
 所長に振り向くと、ちょうど同じ椀を受け取ったところだ。彼には心当たりが有った。

「これはひょっとして、バシャラタン法国のチフの実、「ソバ」と呼ばれるものの麺ですか」
「ほお流石はマキアリイ様、これをご存知でしたか。
 実は「ソバ」の栽培はマガン庄を中心にサユールでは結構な広がりを見せており、収穫量も上々で近く穀物市場で販売しようかと考えておるのです」
「ついこの間イローエント港に行った時、幹線特急列車の食堂車で食べました。そうか、あの時の「ソバ」はサユール産でしたか」

 クワンパも食べてみる。薄いショウ油タレと薬味のおかげで爽やかな、それでいて朴訥な洗練されていないが故の強味が感じられる。
 癖は有るものの好きな人であれば幾らでも食べられそうだ。
 それにしても何故、バシャラタンの穀物がサユールで栽培されているのか。バシャラタン法国との国交が始まってまだ50年も経っていない。

 周囲の大人達は胸を張り、郷土の誇りだと語る。

「実は「ソバ」の栽培は、テレメァール様の御兄君シュトスヴァゥル様がお勧めになったものです」
「シュトスヴァゥル様は幼少のみぎりより知恵に優れ民を慈しむ心を備えた、真に神童と呼ばれるにふさわしい方でございます」
「サユールの決して恵まれているとは言えぬ環境にて産業化出来る品を求めて、タンガラム全国は元より外国にまで伝手を頼って、様々な動植物をお取り寄せになりました。
 「ソバ」もその一つです」
「北方聖山山脈のコニャク芋も、本来はこのような南部には自生しないものですが、栽培実験を進めて遂に成功なさいました。
 その視察に、ゥアム帝国からも研究員がお出でになったほどでございます」

「なるほど、そのような優れた方が居られたのですか。それで、その方は今は?」

 それまでとは異なり、皆口をつぐむ。
 代わってテレマが説明をした。

「マキアリイさま、兄シュトスヴァゥルは”ウェゲ”なのです……」

 

       *** 

 「ウェゲ」、またの名を「天才病」「神童病」とも呼ばれる。
 幼少若年より大人をも超える優れた知性を示す神童が、思春期に入る直前に前触れも無く罹る病だ。

 知性があまりにも高いが故に脳に過大な負担が掛かるのが原因とされる。
 症状は、まったくに無気力となるのが典型。ただ行動しなくなるだけでなく、食事も自発的に取れなくなり、夜眠りもしない。
 排泄もまったくに意思によって留める事が出来ず、ただ自動的に呼吸を行っているだけの有様だ。

 まるで生存に必要な本能が消失したかの姿は古来より不治の病とされ、優れた者がただ死んでいくのを見守るしか無かった。

 この「ウェゲ病」の治療法を確立したのも、1200年前に到来した青晶蜥神救世主「ヤヤチャ」だ。
 「医神」としても知られる彼の人は、北方人跡未踏の大針葉樹林帯に飛ばされ彷徨していた際に、たまたま「ウェゲ」の少年を拾ってしまう。
 救世主自らが少年を背に負い、ネコ1匹を供として密林をさまよい、襲い来る敵と戦い続け数週間。
 筆舌に尽くしがたい労苦の末に、遂に少年に「生存本能」を獲得させる事に成功した。

 この故事を元として、屈強の男が患者を背に負い森林や荒野に入って文明とは隔絶した生活を送り、人間かく生きるべしとの手本を示す事で劇的な改善を得る。
 しかし、赤子として生まれた時よりの成長をもう一度繰り返すようで、完全に復帰するまでに20〜30年を要するという。
 人格の再構成が成った暁には、幼少期と同じに、あるいはそれ以上の知性を示し、歴史に特筆すべき業績を多々残すとされる。
 タンガラムの科学技術芸術の分野で、画期的とされる成果の多くが彼らの手になるものだ。

 「ウェゲ」とは本来、「真人」を意味する言葉だ。
 タンガラムの人間はすべてウェゲであるべきと、とある聖典には記されている。

 

「それでは兄君も森林で治療されたのですか」
「はい。大叔父が背に負って1ヶ月を努めてくださいました。その甲斐あって今は人格をゆっくりと復元している最中なのです。
 ですがこの状態では家督を継ぐ事は望めず、私が引き受けると定まっております」

 座に一瞬の沈黙が訪れた。
 誰が次の口火を切るか、互いを探り合っていた時、末席より若い声が上がる。
 大人達老人達が国家英雄ヱメコフ・マキアリイを独占して良いわけが無い。
 若い世代にも話をさせてもらいたい。

「ヱメコフ・マキアリイ様、卒爾ながらお願い申し上げます。あなたさまは、」

「これ、無礼であるぞ。場を弁えよ」
「何者か、まずは名乗れ。失礼な」

「申し訳ございません。姓名はトク・アーィンと申します。マガンの庄にて武術を嗜む者でございます。
 ヱメコフ・マキアリイ様は天下に名高い武術の達人、数々の犯罪現場を潜り抜けてきた豪傑と伺っております。
 わたくし共に一手ご指南いただければ幸いに存じます」

 地に跪き伏す姿は、およそ17才。髪が茶色でクワンパと同年代に見える。
 周囲の大人に遠慮することなく無礼を承知で申し込むだけあって、身体もよく鍛え上げ、いかにも頑固利かん気に見える。
 おそらくは武術の腕前も相当の域に達しているだろう。

 マキアリイ、嫌いではない。
 腕自慢の若者が後先を考えずに殴りかかってくる事も、英雄生活の中で無数に経験する。
 しかしながら、マキアリイの武術の流儀においては、宴会の余興で武技を披露するのはあまり好ましくない。
 とはいえ、言って聞く相手ではないだろう。

「うん、だいたい分かった。だが今日はもう遅いから、」

 トク・アーィンは伏せたまま身を堅くする。やはりこの人も大人であったか。
 大人は何事につけ用事だの都合だのを引き合いに出し、結論を先延ばしにする。
 天下の豪傑と謳われる国家英雄も、無難な対応をする人であったか。

「……今日はもう遅いから、手合わせはキミ一人ということで許してくれるだろうか」

 望外の言葉に、若者ははっと顔を上げる。
 大人達にもこれは意外で、お止めするべきか対応に惑う。

 思わぬ展開に郷人は、特にアーィンと共に武術の修行に日々明け暮れる若人達が立ち上がり、歓声を上げる。
 英雄探偵として名高い、映画でも無敵を誇るマキアリイの真の実力をこの眼で見る事が叶うとは。

 唯一人、クワンパが冷静に忠告する。

「所長。怪我はさせないでくださいよ」
「そこまでやるように見えるか、オレは。信用が無いなあ」

 

 いきなりマガン邸の扉が開き、庭に男性が降りてきた。
 篝火に照らされる風貌は厳つく、白髪と白髭が剛く伸び、体付きも歳を忘れるほどに雄大かつ引き締まっている。
 一目で名のある武人と察しが付いた。

 彼は、

「アーィン、僭越である」
「はっ! お師匠様申し訳ございません」

「これは、セドガイアン様! 御心を騒がせて申し訳ございません」
「大叔父さま、アーィンを叱らないでください。ヱメコフ・マキアリイ様を実際に目にして冷静で居られる者などありません」

 これが、マガン家で尊ばれ郷の世話役を指導する、テレマの大叔父か。
 古の神兵もかくあらんと納得の偉丈夫である。

 

       *** 

 立ち合いは、トク・アーィンの武術の師匠であるカムリン・セドガイアンが上座で見守る中行われる事となった。

 黒甲枝カムリン家はかってはマガン家に従いサユールの平和を守っていた一族である。
 セドガイアン自身は名に「嘉字」を持たない。家督を継がない次男三男には法律で継承が許されていない。
 だがそのような飾りは無用だ。黒甲枝にとって重要なのは、武術の腕前と固い信念信条である。

 彼は青年の頃サユール県を出て、タンガラム全土を武者修行の旅で巡り、何十年も過ごしたという。
 既に刀槍での闘いは戦場から消え時代遅れも甚だしいが、旧い気質を留める土地では篤く遇された。
 故郷に戻ったのは50才を過ぎて後。
 だがサユールもまた近代化の波を受け変貌し、黒甲枝の気風の色濃く残る姉の嫁ぎ先マガンの庄に身を寄せている。

 その彼が育てた弟子のトク・アーィンは、サユール県全体においても10年に一人の逸材と讃えられる。
 地元では敵無しの状況にいささか増長しており、近頃は振る舞いにも粗暴な所が見られるようになってきた。
 広く世間に目を向けよ、と常々諭しているが、こればっかりは若さゆえ。
 いずれは県外に出て己を知るであろうと、たかを括っていたのだが。

 マキアリイが尋ねる。

「君の得意はなんだ」
「なんでも。特にチュダルム槍には自信があります」
「ほお、チュダルム槍ね」

 チュダルム槍とは、長さはカニ巫女の神罰棒と同じ3杖(2.1メートル)の柄に、8分杖(56センチ)の穂先が付いたものである。
 穂先がまるで本物の剣と同じ大きさ重さがあり、薙刀の一種と考える事も出来る。
 「首刈り槍」とも呼び、手練が使うと人体が真っ二つになるという。

「チュダルム槍が相手なら、こちらも素手というわけにはいかないな。君は真槍を使うかい」

「マキアリイ殿。木槍にての立ち合いをお願いしたい」

 こともなげに本物の刃の付いた槍で試合しようと言うマキアリイに、アーィンは一瞬固まり、師匠が代わって注文を付けた。
 おそらくは練習用の木槍でも、鋼鉄の槍でも、マキアリイにとっては同じなのであろう。
 だが用いる方は平静では居られない。

 数々の練習用の武器をアーィンと師を同じくする練習生が捧げる中、マキアリイは「杖棍」と呼ばれるものを取った。
 長さ1杖(70センチ)の真っ直ぐな棍棒である。ただし本当に戦う為のものではなく、鍛錬用の径の太いものだ。
 手の内を鍛える為に握りきれない太さがある。ほとんど丸太と呼んでもよい。

 戦うには不向きな棒が、マキアリイの手のひらに吸い付くように握られる。
 この所作だけで只ならぬ鍛錬の具合が見て取れた。

 

 アーィンとマキアリイが互いの武器を手にし、正面に座るセドガイアン・テレマ・クワンパに礼をする。
 互いに向き合って、また一礼。マキアリイが呼び掛ける。

「アーィン君、まずは君から打ってきなさい。好きなように、どこからでも」
「はい!」

 アーィンはしばらくマキアリイの様子を観察する。何処にも力みが無く、むしろやる気なさそうに感じられる。
 打てと言われたから肩口からばっさりとやるつもりだが、手加減はしない。そんなに繊細な真似は出来ない。
 反撃を予想しながらも真正面から正々堂々と全力で。

 空を斬った。
 マキアリイに打ち掛かった瞬間、いや木槍が当たる瞬間に、当たったと思った場所に居なかった。
 躱された、と慌てて槍を戻すが、元の場所にマキアリイは居る。
 何事も無かったかに平然と。

 これは一瞬で死角に回って攻撃を躱したのだ、と予想を付けて今度は連撃を叩き込む。当たるも外れるも関係ない。
 しかし、やはり、そこに居るのに当たらない。
 見ている者も、アーィンが一人であらぬ方向に槍を空振りしているようにしか見えない。

「むう……。」

 さすがにセドガイアンには何をやっているかが見える。マキアリイは本当に当たる瞬間に少しだけ体を移動させているのだ。
 また元の位置に戻すから、動かなかったように見える。
 そのまま一歩進めれば簡単にアーィンを打ち据える事が出来るのだが、若者が思う存分納得出来るまで振らせていた。
 これならば真槍でも木槍でも一緒なはずだ。

 

 時々、木の当たる音がする。
 めんどくさいマキアリイが避けるのも億劫と、杖棍で槍を弾いている。ほんのわずか。
 だがそれが、アーィンにはとてつもなく重い一撃を食らったかに感じる。渾身の打ち込みが鋼鉄の壁に跳ね返ったかに思えた。
 そして気圧される。マキアリイがほんの指先ほどの距離間合いを詰めてきていた。
 攻撃しているのはアーィンであるのに、息も詰まるほどに攻め込まれている。
 槍を大きく振り回す余裕すら無くなった。

 「うおおおおお」と叫んで後方に飛び間合いを作り、何も考えずに横振りで薙ぐ。これならばいくらなんでも避けようが無い。

 大きく太く響くのは、木ではなく青銅の鐘のように皆思えた。
 マキアリイが振るう丸太が、木槍に叩きつけられた音だ。
 アーィンは真正面に槍を構えたまま、地面に膝を突き、衝撃をただ受け止める。耐えている。
 あまりにも重い打ち込みに全身に大岩を叩きつけられたと感じるが、ただ握る槍に一撃を与えられただけだ。
 構えたままで、地面に横に倒れる。膝が腰が砕けて落ちる。
 それでも槍が手から離れなかったのは何故だろう。

 周囲で見ている大人達も黒甲枝の郷に住む者だ。多かれ少なかれ武術の嗜みが有る。
 アーィンがまったくに敵う相手ではないと納得する。
 タンガラム随一の武術の達人との触れ込みに、何一つ偽りが無いと認識する。

 少年はまだ立ち上がれない。
 地を這って、なんとか体勢を戻そうとする。槍は絶対離さない。

 マキアリイが言った。

「次は俺が打ち掛かって行こう。君は構えて受けてくれ」

 

       *** 

 暴風、雷霆、大砲の連打。
 ヱメコフ・マキアリイの打ち込みを木槍で防ぐトク・アーィンは生きた心地がしない。

 分かるのだ。マキアリイが非常に慎重に手加減して、アーィンが構える槍にのみ狙いを定めて教育的に攻撃してくるのを。
 先程透明人間のように槍を躱したのと違い、お手本通りに打ち込んでくる。
 それが重い。槍を握る手に痺れが走る。

 隙が有ったら逆に攻めても良いのだが、受けるだけで持てる全技術を必要とし、一心不乱に防がねばならない。
 ほんの毛筋ほども狂っただけで、山が落ちんばかりの強烈な一撃に槍も身体も持っていかれる。
 もはや命も捨てた。怯えてわずかでも身体が萎縮すれば、それだけで死に直結する。
 後は気力で、ただマガン庄の者としての誇りだけで、尊敬する師匠の顔に泥を塗るまいとの意気地で耐え続ける。
 絶対に槍を取り落としてはならない。それだけが彼に出来る唯一の抗いだ。

 無限に続くかと思われた時間は、だが客観的にはマキアリイが十数発打ち込んだだけである。
 気息が途絶えるほどに疲弊したアーィンは、未だ立って居るのが奇跡に思える。
 マキアリイが正面のセドガイアンに顔を向ける。

「彼は大したものですね」
「マキアリイ殿、そのくらいで納めてくだされ。本人もよくよく理解したでしょう。

 他の者も聞け。いつもいつも言っておる事だ、世間は広いと。自らの眼で見、耳で聞き、身体で確かめよと。
 このような草深き山奥で大将を気取っていても、強い者は幾らでも居るのだ」

 アーィンと同年代、またその下の練習生は師匠の言葉にはいと肯く。
 今見たままに、彼らの中で最も強い少年が手も足も出ない、ただ棒立ち出来るだけで凄いと思える目に遭ったのだ。
 その本人は、

「もういい、手を離していいぞ」
「アーィン、もう終わった手を離せ」

 握った木槍が接着したかに少年の手から外れない。握りしめる拳がまったくに固まって開かないのだ。
 彼は立ったままに、ぜいぜいと荒い呼吸を繰り返す。
 終わったと言われても、仲間達が彼を抱きかかえ地に下ろそうとしても、やめられない。

 遂にもぎ取られた木槍をマキアリイが手渡してもらう。

 握っていた部分にべっとりと血が染み付いている。手の皮が衝撃で剥がれて、それでもなお戦い続けた証だ。
 柄を確かめると、一筋の割れ目が長く連なっている。よくぞこれだけの損傷で済ませたものだ。

「いい槍ですねえ。練習用とはいえこれほど衝撃に強い槍は、都会ではほとんど手に入りません」
「サユールでもっとも堅く粘りのある木を念入りに選んで使っている。よろしければ1槍差し上げましょう」

「それはありがたい。チュダルムの姐さんへの土産にちょうどいいや」

 

 「チュダルムの姐さん」、という言葉にその場の全員が反応した。
 黒甲枝の総帥チュダルム家の一人娘、法衛視チュダルム彩ルダムを知らぬ者はこの中に居ない。
 テレマが皆に説明する。この度の調査の依頼も、彩ルダム様によって推薦されたものであると。

 そもそもがチュダルム槍は、かって褐甲角王国初代救世主武徳王「クヮァンヴィタル・イムレイル」に従った「破軍の卒」の一人チュダルムが愛用したものだ。
 黒甲枝チュダルム家は、他の「破軍の卒」が次々に政治家に転身して国家を支える役に回ったのに対し、あくまでも一兵卒として軍隊の先頭に在り続けた。

 マキアリイが語るに、

「どうもあの姐さんは人を実験台か試し切りの相手と間違えてまして、チュダルム槍の本身に立ち合わされた事もありますよ。
 さすがに短い武器では太刀打ち出来ず、同じく槍でようやく五分に持っていけましたが、とんでもない人です」

 チュダルム彩ルダムは、女人ながらもチュダルム槍の最高師範として知られる。
 やはり国家英雄様は付き合う人も最上級だ、と並み居る人は驚嘆した。

 セドガイアンも思わず釣られる。

「チュダルム宗家の頭領 幹ボーナルハム殿とは修行時代に手合わせを願った事もある。ご壮健であられるだろうか」
「元気もなにも、「闇御前」の国家反逆罪特別法廷を控えて張り切ってますよ。一世一代の大仕事だと、娘も東西に振り回されこき使われてます」
「そうか。老いてなお多忙とは素晴らしい事だな」

 これより先はもう言葉は要らない。
 共に酒を酌み交わし、英雄との出会いを神に感謝するまでだ。
 セドガイアンも郷人に交ざって男達の宴が盛り上がる。

 

「クワンパさん、」

 テレマがクワンパに呼び掛ける。ここはもう大人の男に任せた方が良いだろう。
 女子は女子同士、盛り上がろう。

 英雄探偵の従者としてのカニ巫女もまた、少女達の憧れの的だ。

 

       *** (第十四話中編)

 「クワンパさん、私は一つ疑問があります」

 と、テレマが廊下を移動中尋ねてきた。ヱメコフ・マキアリイの安全についてだ。

「マキアリイさんは気さくで誰とでも仲良くなれて、一緒にお食事なさっていますが、よろしいのですか?」
「は? 何がです」
「マキアリイさんほどの方になれば命を狙ってくる刺客も多いでしょう。中には毒殺を試みて食べ物やお酒に仕込んでくる者もあるのでは」

 黒甲枝家は長年民衆の平和を守り行政を担ってきた。
 その歴史の中には政争も含まれ、重要人物を暗殺する卑劣な謀略の記憶もある。
 毒殺など最も普遍的な手段にして、日常必ず心掛けるところだ。
 黒甲枝に実質的な権力を与えない民衆協和制の現代においてでも。

 クワンパは、なんだと肩の力を抜いた。もっと難しい問題かと思った。

「ああ、あれわざとです」

 テレマは意外な返事に目を見張る。
 英雄探偵マキアリイは毒殺を防ぐ秘密の手段を有しているのか。いやそうでなければ、気軽に方台中何処にでも行けはしないだろう。
 クワンパが依頼人の疑問を解き明かす。

「ヱメコフ・マキアリイは人の動きや気配を読んで、その人物が何を考え企んでいるかを気持ち悪いくらいに見抜く能力があります。
 もしも近辺に毒殺を企む者が居れば、またその陰謀を知っている者が居れば、見抜きます」
「そうですか。でも毒味をしなければ、」
「毒味をしてはいけないのです。もしも毒殺を警戒していると思われたら、敵はもっと大掛かりな暗殺計画を試みます。
 所長本人だけでなく、周辺の人、たまたまその場に居合わせたまったくに無関係の人であっても、いっしょくたに害に掛けるでしょう」
「なるほど。あの方を殺そうと思えば、それだけの規模を必要とするわけですか」

「だからむしろ、「あこいつ、簡単に殺せそうだぞ」と思わせておいた方が得策なんです。
 それに、妙に運がいいですからね」

 とても常人には真似の出来ない安全策だ。
 英雄探偵として世間に名を轟かせるには、やはり常軌を逸した面が必要なのだろう。

 クワンパはついでに、マキアリイ暗殺策を授けてくれる。

「私なら毒ではなく、ゲルタを断ちます。1週間もゲルタが食べられなかったら、多分あのヒトは死にます」

 

 女子だけで盛り上がろうと言ったが、実のところテレマと同年代の若い女性はついて来なかった。
 ここサユールの田舎では、女性は義務教育が終わった16〜18才にはとっとと結婚してしまう。20才のテレマと同じ歳なら子供の2人も居ておかしくない。
 彼女達は幼い子の世話をする為に家に戻り、また夜通し続く男達の宴会を支えて忙しい。

 というわけで、主に10代前半の少女がテレマの部屋に集まった。
 テレマは首都の大学で勉学をして不在なのだが、彼女達はしばしば館に来て様々な奉仕活動を行っている。
 「マガンの大奥様」の下での行儀見習いだ。
 だが実は、テレマの部屋にも用が有る。

「クワンパさま」
「クワンパさま、お会い出来て光栄に存じます」
「クワンパさま、ひとつお伺いしたい事が。もちろんマキアリイ様についてです」
「マキアリイ様に隠し妻が居るというのは本当でしょうか?」

 どこに行っても考えるのは皆同じだなー、とクワンパ苦笑い。自分もそうだったし。

 サユールの森では、もう初夏の季節だというのに夜ともなれば肌寒い。
 炉に火を入れて湯を沸かし、皆でお菓子をいただく事とする。少女達手作りの焼き菓子だ。

 十数名に囲まれて四苦八苦するクワンパを苦笑しつつ、テレマは自分が残した蔵書を確かめる。
 テレマは一応は名門富豪の生まれで、田舎の一般人の手に入らない書物も購入出来る。
 学問や農業経営等の実用書ならば別に立派な書庫があるが、少女向けの小説や雑誌はテレマの部屋に集積される。

 ボロボロになった数年前の服飾雑誌をめくって、微笑んだ。4色刷りの美麗な頁の多い高価なものだ。
 そうか、こんな本を買う人は今はマガンの土地には居ないのか。首都の下宿に溜まっている雑誌を送る事としよう。

 

       *** 

「テレマさま」

 少女が一人、炉の炎に目をキラキラ輝かせながら自分を見る。
 何事かと思えば、手の中にある服飾雑誌だ。
 彼女は今年14才、都会で流行する服とお洒落に最も興味を持つ年頃。

「テレマさま、その御本よろしいでしょうか。クワンパさまにご指南頂きたく思います」

 残念ながらと言った方が良いだろう。テレマは上品に洗練されているが所詮は田舎サユール、マガン庄の人間だ。
 対してカニ巫女クワンパは、まったくに飾り気の無い巫女見習い服を着ているとはいえ、生粋の都会人。ノゲ・ベイスラ市の住人である。
 服飾に対する感性においては、田舎育ちの人間とは格が違う。
 ここは本物の都会人にご指南いただこうというお話になる。

「クワンパさん、よろしいですか」
「あー、ええ、まあ。心得が無いわけでは無いですから」

 ぼろぼろの服飾雑誌を目の前に開かれて、少女達に囲まれるクワンパはがっくりと落ち込んだ。
 雑誌が古くて載っている内容が流行遅れだったから。ではない。
 数年前の本であるから、クワンパことメィミタ・カリュォートがグレていた時代を思い出してしまったのだ。
 この時代の流行であれば、自分はとても詳しい。昔取った杵柄だ。
 また現在巫女寮において、理容と装飾の専門家のゲジゲジ巫女や、服飾の専門家カタツムリ巫女と暮らして、彼女達の最先端の仕事を見ているわけだ。
 カニ巫女といえども十分に利があった。

 果たして少女達は都会人の洒落た感性に、やっぱりちがうわ、と歓声を上げる。
 クワンパ本人としても、これまで何年も使わなかった脳の回路をぶん回して、それなりに快感を覚えている。
 チャラチャラと着飾り遊び回っていた時分にも、一時の暴走ではなく必然と呼ぶべき要素があったのだろう。

 

 館の内では明るい柔らかい灯に包まれて、高い少女達の声が飛び交っている。
 庭先では幾つもの燃え盛る篝火に照らされて、豪快な笑い声が遠くサユールの森に消えていく。

 

 目を覚ますと、暗い。時計を探すと大きな柱時計で3時半(午前5時)であった。
 巫女寮でいつも起きる時間であるが、それにしても暗い。まるで冬の明け方みたいだ。
 ここは田舎のサユールだったな、とクワンパようやく思い出す。
 マガン邸の一室、テレマの部屋でいつの間にか眠りこけてしまった。

 一緒に居たはずの少女達も、一人また一人と睡魔に襲われ脱落し、テレマが解散を呼び掛けたのだった。
 眠い娘はそのまま館の別室に移り、テレマとクワンパのみがこの部屋で。

 まだ朝早いのに、館内に人の動く気配がする。窓の外でも片付けをしている物音がした。
 クワンパが動き回った事で、テレマも目を覚ます。さすがに自分の家部屋であるから、寝間着に着替えてちゃんと眠っていた。
 対してクワンパはカニ巫女見習い装束のまま。不寝番の時と同じであるから別に恥ではない。

「おはようございますクワンパさん。昨夜はずいぶんとお騒がせしました」
「おはようございますテレマさん。でも、なんでこんなに暗いのですか。今頃はこの時間だともう空も明るいはずなのに」
「それはここがサユールだからです。ベイスラ山地に阻まれて、日の出が随分と遅いのがサユールの特徴なんです」

 サユールの地は巨大なベイスラ山地の西隣にある。東から昇る朝日は、いつまで待っても姿を見せない。
 ようやく明るくなるのは、夏場なら4時半過ぎ(7時頃)と随分遅い。
 だからこの地の人間は太陽を時間の目安にはしていない。生理的周期に基いて行動する。

 田舎の朝は農作業や家畜の世話など、様々に忙しい。
 昨夜集まった少女達も明るくなる前に退出し、それぞれの家で手伝いをしているのだろう。
 クワンパも身支度を整え、カニ巫女朝のお勤めと棒の素振りをする為に庭に出た。
 巫女たるもの、旅行先であっても神殿規則に従うのは当然。

 昨夜男達が遅くまで騒いでいた庭は、結構な荒れ具合である。飲み過ぎて潰れた者が毛布一枚に包まって草の上で眠っている。
 さすがに村の重役を務める者の姿は無い。歳であるから早々に引っ込んだのであろう。
 若い、テレマと同じ歳ほどの女性達が宴の後片付けをしている。男は全部酔い潰れたということか。
 「おはようございます」とにこやかに挨拶をしてくるのに、クワンパは尋ねる。

「うちの所長、ヱメコフ・マキアリイは何処に居ますか」
「あ、マキアリイ様なら先程お庭の外に出て行かれました。棍棒を持ってましたよ」

 言われた場所に顔を出してみる。
 そこには、既に男達の垣根が出来ていた。マキアリイを離れた場所から見守っている。

「何事です」
「ああ、カニ巫女様ですか。マキアリイ様が素振りをなさっておられます」

 

       *** 

 朝っぱらから武術の稽古とは、そりゃあ感心だ。
 常のベイスラの事務所では、朝はゲルタと酒でへろへろになっている事が多いから、どんなものかと最前列に出て確かめる。
 所長は、

 ヱメコフ・マキアリイは球戯シュユパンの達人としても世に知られている。

 昨夜手合わせをした時に使った太い杖棍を、シュユパンの振り棒に見立てて素振りをしているわけだ。
 だが握るのも困難な太さで、重さも倍有るだろう。
 これを片手で振る。
 一息で10回、様々な軌道を描いて。
 シュユパンと違ってヤキュでは、球が何処から飛んでくるか分からない。あらゆる状況を想定して、隙が生じぬように振る。

 目にも止まらぬ速度であるが、仮初に振っているのではない。その一撃毎に、昨夜トク・アーィンが木槍で受けた威力を持つ。
 岩をも砕く衝撃が、瞬時に10回与えられる。
 そもそもが少年が太刀打ち出来る道理が無かったのだ。と男達は皆納得する。

 これを右手30回、左手30回、両手で構えて40回。計1000本の素振りを瞬く間に終えてしまう。
 ほうっと息を吐いたのが、やはり人間である証拠なのだな、と見守る者皆安堵する。小説や物語で描かれるように、豪傑は息も切らさず、となればもはや人外の妖怪と呼ぶしか無い。
 ヱメコフ・マキアリイはあくまでも現実の世界に存在する常人の英雄なのだ。

 クワンパの隣に腕を組んで仁王立ちするおじさんが、うむむと唸る。この人も若い頃は武術に熱中した組であろう。

「腕だけではなく、全身の力を非常に巧みに柔らかく使って、ほとんど身体に負担なくアレをこなしてしまうか……」
「凄いのですか」
「凄いというよりも、上手い。実に上手い」

 

 マキアリイが杖棍を傍に立て掛けようとすると、少年が一人飛び出して受け取った。
 武術の稽古で普段から行うとおりに、目上の者指導者に対しての礼儀作法である。
 だが一人抜け駆けを許したのに、他の少年達が歯噛みする。あいつだけにいい格好をさせてしまった。ぬかった。

 彼に尋ねる。そろそろ空も明るくなってきた。

「今日は空気もいいし体調もいい感じだから、投げ込みもしておこう。シュユパンの球と革手袋有るかな?」
「ございます!」

 声を聞いた周囲の少年達は、いきなり後方に走り出す。
 吾こそが英雄マキアリイにシュユパンの道具を差し上げるのだ。

 マガンの庄においても、球戯シュユパンは人気である。むしろ広々とした土地であるからこそ好まれた。
 庄内の者で隊を作り、武術と同様に熱を入れて練習に打ち込み、サユール県内の他の隊と試合を繰り広げる。
 なかなかの強豪だ。

 さほど待たせる事も無く、マキアリイの手元に白球と革手袋が届けられる。だが球を受けるのは少年達ではなかった。
 マガン隊において正捕手を務める18才の、もう青年だ。
 シュユパンにおいては捕手が隊長を務める。豪腕から投げられる球を受けるのは、未熟な少年では無理との判断だ。

 投手と捕手の距離は35歩(24.5メートル)。まずは双方立ったままで球を投げて確かめる。
 最初の3球を軽く投げ合って、4球目にマキアリイが少し力を入れて投げる。
 鋭く轟く捕球音に、少年は自分達では無理だと納得した。
 10球目からは捕手は座って受ける。正規の投球体勢での1投目から、青年は尻もちを着いた。
 球を落とさないようにするのがやっとで、自分の格好を気にしていられない。
 昨夜トク・アーィンが何を相手に戦っていたのか、骨身に染みて理解する。胆が震える。

 20球を受けて、捕手が交代した。
 代わる人に、少年達も歓声を上げる。彼はマガン庄シュユパン隊の英雄だ。

「ロクマルさんだ!」

 30才、マガン隊の監督だ。
 彼は数年前サユール県代表選手の一人として認められ、全国大会に出場して活躍した。捕手・隊長である。
 その後、全国の有力選手を結集した頂上選抜隊の一員となり、職業選手団との試合にも出場する。
 頂上選抜隊の選手はその8割までもが後に職業選手となる登竜門と言えよう。
 ロクマルも大いに活躍を期待されたが、どうにも都会の水が合わずサユールに戻ってきてしまった。

 彼はマキアリイに呼び掛ける。

「捕手交代します。よろしいですね」
「いいけれど、ちょっと俺距離を伸ばすぞ。近過ぎるみたいだ」

 35歩では足りずに、最初の捕手を痛めてしまった。ひょっとすると指の骨が折れたかもしれない。
 久しぶりにまともに訓練を積んだ捕手に投げ込んで、マキアリイもつい本気を出してしまった。
 50歩(35メートル)に離れて、先程までとは逆の左手で投げた。

 1球目を受けたロクマルはその球威に眉をしかめる。左右共に豪腕剛球、これはシュユパンではない。

「これは、ヤキュの球だ! 人を殺す事が出来る球だ」

 ヤキュは、シュユパンの祖と言われるが球戯ではなく、集団格闘武術である。
 投げる打つ走る倒す、戦場において基本とされる武技を一つにまとめ、集団戦において実際に用いてみる超実践武術だ。
 安全策など最初から設けられておらず、不意討ち闇討ち騙し討ちも常套とされ、投手は打者に死球を遠慮なくぶつけてくる。

 マガンの庄で鍛えて武術の心得もあったロクマルは、職業選手への勧誘を受けた頃にヤキュの使い手と遭遇し、その恐怖を体験した。
 本物の強さを求めて、武術の師匠であるカムリン・セドガイアンの下に戻って来たとも言えよう。

 傍らで固唾を呑んで見守る隊の選手に命令する。

「おい、もう1個革手袋を用意しろ。二重でなければあの球は受けられん」

 

       *** 

 一流の捕手を得て、マキアリイは普段出来ない最大限の威力で球を投げる事が出来た。
 一球ごとに天地に高く轟く音は、マガンの庄全体に時の鐘のように響き渡る。

 気分が出るからと打者も並べてみるが、シュユパン・マガン隊の監督であるロクマルは厳命する。
 「絶対に手を出すな。振り棒をへし折られるぞ!」
 だがほとんどの者は振るどころか、打席に立つ事すら恐ろしく感じる。まるで砲弾が真横をすり抜ける迫力だ。

 これでも彼らは県内有数の強豪であるマガン隊の選手である。
 隊の名誉の為に蛮勇を奮って棒を突き出した者は、案の定に剛球に砕かれた。
 かろうじて打球は前に飛んだが、矢の速度で走り込んできたマキアリイに華麗に捕球される。英雄は守備においても完璧だ。

 

 響く音と男達の歓声に、郷人は女も子供も寄ってくる。
 昨夜の槍の試合はただただ恐ろしく、目を開けていられないほどであったが、今朝はシュユパンという見慣れた球戯だ
 国家的英雄マキアリイさんはほんとうに凄いヒトだ、と改めて認識し、惚れ惚れとするのである。

 マガン邸からも、郷の重役達またセドガイアン師に付き添われて「大奥様」マガン・ロクニャーァト・カムリンまでもが見物に出座する。
 白髪の老婆で足の運びは不自由であるが、その表情は黒甲枝の家を預かる者としての威厳と気品に満ちている。
 彼女をして、マキアリイの活躍に嘆声を零させた。
 セドガイアン師より先夜の槍試合の件も聞かされているのだろう、頻りに頷いている。

 祖母に付き従っていたテレマが抜け出てクワンパの横にやって来た。やはり本物は間近で見たい。
 だがクワンパには、老人達の言葉の方が気に掛かる。
 人垣の背後に下がり、聞き耳を立てる。村長ゴトノハ・ガゲエンが喋っていた。

「……、この方であればマガン家の頭領としてまことにふさわしいと我々は考えます」
「姫様は今年20才におなりです。マキアリイ様は御年28才、決して釣り合いの取れぬ差ではございません。むしろ理想的と言えましょう」
「しかもあの方は黒甲枝家の出身ではございません。もしもマガン家当主となられた暁には公職禁止法にも抵触せず、人望も厚く県令選挙に打って出て当選間違い無し。
 再びサユールの地をマガン家が統べる日も遠くはございません」

 セドガイアン師までもが後押しする。

「昨夜互いに飲み交わし人物を確かめましたが噂に違わぬ高潔な、礼節を弁えた士と見受けられます。富貴を好まず質実剛健、郷人に偉ぶるところも無く親しく交わり、まさに黒甲枝の範となる武人(もののふ)です。
 天下第一級の人物として、姉上にお勧めいたします」

 老婆は枯れ枝の指先を震えながら伸ばし、白球を放る男を示す。

「……あの者、決して逃すでない。
 鉄の鞋を履いて百年探したとて見つけられぬ、褐甲角神よりの賜りものぞ」

「ははっ」「心得ております」「全てお任せあれ」

 

 クワンパは再び人垣をこじ開け掻き分けて最前列に向かい、テレマの横に飛び出した。
 本人も知らぬ所で進行する陰謀をよそに、彼女は他の少女達と同じに目の前の英雄にはしゃいでいる。
 おそらくは本人にはその気は無いのだろう。

 だが女というやつは信用ならぬ。いきなり何をしでかすか予想も出来ないのが女の本性と、カニ神殿では諭している。
 夫の暴力に苛まれている女性をカニ神官巫女が救い出したとして、その女に背後からぶっすりと刺されるのも覚悟せねばならぬと、教本に書いてある。
 クワンパも慎重にならざるを得ない。

 テレマに頼み事をする。

「地図、ありますか。この辺りの森の」
「はい。……ああ、調査の為にお入用なのですね。分かりました手頃なものを用意しておきます」
「よろしくお願いします」

 まさか夜逃げの為の逃走経路の下調べとは言えない。

 

       ***  

 刑事探偵ヱメコフ・マキアリイは、いい格好をする為にサユール県に来たのではない。
 事件解決の為だ。

 朝の稽古を終え、朝食を頂いた後に早速仕事に取り掛かる。
 ちなみに献立は、トナクの餅とゲルタ汁と漬物のみ。田舎の朝食はだいたいこのようなものだ。
 ただし、トナク10割混ざり物無しの餅はかっては「正餅」と呼ばれた高級品で、賓客をもてなす時にのみ供されていたという。
 農業技術の進歩で生産量も格段に増えた現代においてはさほど珍しくもないが、マキアリイを丁重に遇している証しであろう。

 さて、ところで、マキアリイが依頼を受けた事件とは何だったか?

 電源開発事業でマガン庄の禁域に測量に入った作業員が次々に負傷するも、原因不明。
 禁域に眠る黒甲枝の亡霊の祟りだと噂される。
 しかしながら、負傷の原因が不明であるから現在までこれは事故扱いで、犯罪とは見做されていない。
 問題はむしろ、安易に亡霊の仕業とする無責任な噂による名誉毀損なのだ。

 マキアリイの使命は、事故の原因を解明し亡霊との関与が無い事を明らかにし、世間にそれを公表する。
 まずは被害者に面会して事情聴取をするべきであろう。
 では彼等は今何処に居るか。

 

「あれがマガン砦です」

 テレマと村長の案内で、マキアリイとクワンパは和猪車に乗って村役場に向かう。
 村長が指し示す建物は、白く壁を塗ったかなり立派な城塞である。
 褐甲角王国時代のサユール北部防衛の拠点。マガン家の当主が代々守護を任されてきた砦だ。
 最大で1500人が籠城出来るとされ、黒甲枝の神兵も6名が詰める。平時でも百名の兵士が常駐したという。

「マガン砦は民衆協和国が全国統一を果たした際に接収され、この近辺の政務を取り仕切る役場とされました」
「なるほど。つまりマガン邸は、本当にマガン家の親族が住むだけの家だったわけですね」
「いざという時はご家族の方までもが砦に籠もり戦う手はずでありました」

 旧世代の領主の館は防犯を超えて防衛力をも備えている堅牢な建物が多い。マガン邸にそれが無いのは理由があったわけだ。
 テレマが補足説明をする。

「砦は軍事施設ですから、負傷兵を治療する区画もあります。医師も常駐し、平時には近隣の患者を診る病院でもありました」
「ほお、トカゲ神殿ではなく?」
「トカゲ神殿も別にありますが、お布施の問題がありますから」

 当然ながら医療を受けるには費用が掛かる。
 トカゲ神殿は貧しい人には無料または安価に治療を行うが、富裕な者には結構な金額を吹っかけて来る。総合で均衡を取っていた。
 いきおい、その地域に或る程度の富裕層が住んでいなければ成り立たない。

「では測量の作業員で負傷した人も、砦に入院しているわけだ」
「それだけでなく、電源開発事業の関係者と作業員も全員が砦に寝泊まりしています。この辺りは宿屋がありませんから」

「おかげで村長のこの儂が追い出される始末ですよ。ははは」

ここで事情聴取を行うべきなのは、
まず負傷した測量作業員4名、測量作業の現場監督。そして当然にマガン庄を管轄する巡邏軍担当者。

「ですが、現在マガン砦には中央政府の建設局から計画全体を管理する官僚の人と、事業を請け負った建設会社の重役、電源開発事業を強く推すサユール県会議員がお出でになっています」
「妙だな。なんでそんな大物が出張っているんだろう」
「亡霊騒ぎがそれだけ大きな影響を持つ、という事でしょう。なるべく早くもみ消したいのです」

 テレマの推測であるが、それにしても大袈裟過ぎるとマキアリイは思った。
 あるいは裏に汚職背任事件でも隠れているのか。またぞろエイベントの時のように。

 

       *** 

「わかりませんか、ヱメコフ・マキアリイさん。我々最高責任者と呼べる人間が現場に集結している理由が」

 村長権限で関係者への事情聴取の段取りを付けてもらっていたら、どういうわけだか最高責任者である国土開発省産業基盤建設局の担当参議官が応諾した。
 一番難しいと思えた人物で、しかも最も怪談話から遠い人間が真っ先に、だ。
 これは面倒な事になるなあ、と予想しながら、村長、テレマ、クワンパと共に会議室に乗り込んだ。
 参議官はここを接収して己の事務室として用いている。

 名は、自己紹介はせずに名刺をくれた。「トムタラ・レリンゴーシェム 参議官一等」と書いてある。
 「一等」だからかなり偉い。軍隊でいうなら、大剣令くらいだ。

 マキアリイ答えて、

「はあ。ちょっと不可解ですね」
「あなたのせいですよマキアリイさん。あなたがエイベントや陸軍新兵器導入での不正汚職や背任行為を暴いた結果、全省庁綱紀粛正ですべての計画に再三の監査が入り、再発防止の面倒くさい手続きが追加されたのです」
「はあ、それはご苦労さんで」

 トムタラ参議官は年齢は40代前半。細身で身長は2杖4分(168センチ)よりちょっと上。
 頭を髪油できっちり固め、髭までも麦わらぽくツンと真っ直ぐ左右に伸ばしている。
 髪色は赤味が薄くかって、結構なご身分と見受けられる。おそらくは出身も相応の富裕層なのだろう。
 やはり学資に不自由をしない階層の方が学歴は高く、省庁内部においても出世する傾向がある。

 見掛けどおりに特権意識丸出しの嫌な奴だが、英雄探偵を目の前にしてかなりの不愉快さを感じているようだ。
 彼は愚痴る。もうただ単に愚痴るだけだ。

「だいたいこれは事件ではなく事故なのです。まったくに開発事業とは関係の無い理由で起きた、現場末端のありふれた障害なのです。
 基本的にですね……。

 (中略)

 そもそもからして、なんですか亡霊って。非科学的なカビの生えた話に怯えて野蛮人ですか。
 千年前の小競り合いの落ち武者がこの近代科学の世の中に本当に出るとでも」

 マキアリイとクワンパは、この人は事件について本当に何も知らない無関係者だ、という事を理解した。
 だがテレマと村長は、彼の言葉にいたく心証を害したようだ。
 郷土の誇りと黒甲枝の歴史を傷つける発言が垣間見える。

「お言葉ですが参議官。小競り合いでなく戦争です。歴史書にもそう記述されています。あと1170年前です」
「あーはいはい、そうでした。『カプトゥース戦争』でしたね、歴史上の用語は」

 

 歴史の勉強のお時間だ!

 中学校義務教育の歴史教科書において『褐甲角神聖戴権(カプトゥース)戦争』は、一行のみ「ありました」としか書いていない。
 その歴史的意義も、「黒甲枝諸侯連合国が国家としての体制を確立し、方台新秩序への参加を許された」でしかない。
 つまり、戦争の目的は失敗したのだ。

 試験にもめったに出ないから忘れてしまってもいい事件で、
実際不良少女であったメィミタ・カリュォートは、まったくに記憶に無い。

 だが黒甲枝関係者にとっては一大事件であり、その影響は極めて大きい。
 何故ならば、褐甲角王国の絶対的主柱であり聖戴者継承の全権を掌握する武徳王に対する、唯一の叛逆であるからだ。

 詳しい説明は省くが、創始歴5042年。
 叛逆軍の一団は通行不可能と思われたサユール県の断崖地帯を通り抜け、南海イローエント港を中心に勢力を持っていた「黒甲枝諸侯連合」と接触。抱き込もうとする。
 だが「黒甲枝諸侯連合」はこの申し入れを拒否。連合の結束の中核となる「契約の神剣」を奪わんとするも失敗。
 敗北した叛逆軍は分裂して、一派が進攻の時と同じ経路でサユール県に戻り、王都カプタニアの武徳王を再説得しようと試みる。
 だがサユール県を守護していた黒甲枝マガンの兵に捕らえられ、この地で「セップク」して果てたのだ。

 当時、星の世界から来たとされるトカゲ神救世主「ヤヤチャ」の影響で、黒甲枝の間に「セップク」が大流行しており、
マガン庄の森林の一角において8名の神兵が見事腹を切って、武徳王に聖なる救世主として方台全土統一の誓いを果たすべきと訴えた。
 以後その森は「禁域」とされ、彼等の遺骸を護る為にみだりに人が入ってはならないと定められた。

 

 ここで重要なのは、このお話において「亡霊」はまったく出てこない。という点だ。

 そもそもが「幽霊」「亡霊」の概念がタンガラムには存在せず、近年の通俗小説普及によって広まったほとんど創作と呼べる死者の存在形態である。
 葬儀を司るコウモリ神殿も「亡霊」には一切関係せず、むしろ「魂」の抜けた肉体に魔物が取り憑いて暴れる「尸屍人」を防ぐのに尽力する。
 第一死者の魂は速やかに天河(銀河)に昇ってカニ神の審判を受けねばならないのに、地上に留まる道理が無い。

 にも関わらず、何故「亡霊」話がまことしやかに広まったのか。
 これが今回の事件の謎である。

 

       *** 

「それは反対派の策略でしょう。奴らはほとんど打つ手が無いから、こんな荒唐無稽な戦術を思いついたのです。なんという卑劣な連中だ」

 今回の電力開発事業の送電鉄塔建設を請け負う建設会社の主幹事は、そう憤慨した。(注;民間企業の「主幹事」はだいたい常務相当)
 彼は名をジゴニゴニゴロ・パハンスェといい、年齢50才。定年前の大仕事という事になる。

「そもそも、そもそもですよ。今回のサユールの電源開発事業は、エイベントと異なり環境破壊はほとんど無く、反対派もごく限られた人数のみの運動なのです。
 それも開発事業そのものに反対するのではなく、建設工事にサユールの労働者を多く雇用せよという主張です。
 でもですよ。極めて危険な断崖地帯に鉄骨の送電塔を建設するのに、素人の労働者が使えますか?
 資材運搬でさえも経験豊富な熟練労働者を投入せねばならない、極めて困難な工事なのです。

 マキアリイさん、あなたサユールの断崖地帯をご存知ですか?!」

 絶対知らないだろう、あの過酷な岩だらけひび割れだらけ草一本も生えていない断崖絶壁の集合体を。とよく分からない自信を振り回して彼は主張する。
 だから、続く答えに絶句する。

「はあ、あそこは酷い所ですよ。死ぬかと思いました」
「!、  マキアリイさん、あなた、凝結溶岩断崖地帯に、入った事がお有りなのですか」
「あそこは毒ガスが噴出するんですよ。何が辛いって、呼吸が出来ないままに大荷物を背負って歩くのはダメです。無茶もいいところだ」
「そ、そうなのです。資材運搬こそが最も困難と思われる、非常に重要な作業なのです。
 ですが、なんであんな鳥も通わぬ場所に行ったのです?」

 凝結溶岩地帯とは、首都ルルント・タンガラムとサユールの最短距離に立ちふさがる巨大な溶岩の固まり。溶岩台地である。
 アユ・サユル湖の円形陥没とも関係すると思われ、この地にかって大きな火山活動があった証拠である。
 固まった溶岩は冷えて収縮し規則正しく分裂し、それがまた地下から押されて膨張して空隙が無数に発生した。まさに人間が通るのを許さぬ為に作られたような地形である。

 サユールに住んでいながらテレマも村長も見た事が無い。不毛の地、瘴気に巻かれて死ぬとも噂される場所に好んで行く者は無い。
 クワンパが重ねて尋ねる。もちろん彼女も知らない。

「所長、何故そんな所に行ったのですか」
「首都警察局の捜査官養成学校で、極限環境耐久生存訓練というのをやらされた。陸軍強襲隊ならともかく、捜査官にはまったく必要の無い訓練だ。
 実際俺が入校する前の年までそれは無く、俺が卒業した後には廃止された。
 まるで俺をぶっ殺す為に課程に組み込まれたような嫌がらせだよ」
「はー。当時から恨まれていたんですかね」
「あり得るな。既にもう各方面から恨みを買ってたからなあ」

 マキアリイは当時の情景を思い起こしてみるが、あの土地を通って送電線を敷設するなど正気の沙汰ではない。
 ちなみに彼が背負った大荷物とは、実は負傷した同期の訓練生である。
 他の助けがあったとはいえ、人間1人と生存の為に絶対必要な物資を抱えたまま死の絶壁をよじ登るのは、思い出しただけで身震いがする。

 

「測量自体は簡単に出来ました。断崖地帯ではなくまだ森林部ですから野獣が出てくるのを警戒する程度で、普通の作業ですね」

 主幹事についで、測量技師の現場監督に尋ねる。どちらかと言うと真っ先にこの人に聞きたかった。
 まだ若く20代前半でメガネを掛け、なんとなく自信が無さそうなおとなしい人だ。工業高等専門学校卒業で建設会社に就職した。
 名前はカルト=メ・マクヒスト、出身は地元サユール県だそうだ。

「ええ地元ということで選ばれたのですが、私はもっと南の辺鄙な地の方で、森林地帯は馴染みが薄いのです。
 なんだかんだ言ってもこの辺りはは首都に近く、それなりに華やかですよ」
「作業員が負傷した時、あなたは立ち会っていましたか」
「それが、現場ではないのです、事故は。いや事故であったかどうか、それすらも分からない。
 気がついたら怪我をしていたと、本人達は言うのです。まあよく有る話です」
「よく有る?」
「彼等は何ヶ月も家族と離れて娯楽も無い田舎で作業をしますから、妙な遊びとか賭け事をする者も出るのです。
 それがもつれて、簡単に言うと喧嘩ですが、会社にバレると罰則を食らうので内緒にしますね」
「ああなるほど。つまりあなたは喧嘩で負傷したと考えるわけですか」
「だって、亡霊の仕業よりはずっと合理的でしょ」

 彼の証言が一番腑に落ちる。
 まったくもってその通りなのだが、では亡霊の話はどこから出現したのか。

「そこがよく分からないのです。私達はただ作業員が怪我をして困ったな、というだけだったのですが、
 いきなり本社の方から偉い人が血相変えて飛んできて、「亡霊の眠りを覚ましたのは誰だ!」と怒られてしまって」
「現地では誰も噂をしていない、という事ですか」
「少なくとも上から怒られる前までは、無かったですね」

 

       *** 

「わしは亡霊の正体を知っとります。村長のゴトノハさんもご存知のはずだ」
「いや儂は、亡霊などは信じぬ質だから、それは世迷い言で」

 次から次に証言したい人物が登場する。
 今度は県会議員で電源開発事業の推進者であるミヤマタハラ・ムネ氏。
 村長と同じ60才くらいだろう。だが毛はまだ有る。

「電源開発事業は直接にはサユール経済に及ぼす貢献はありません。だが首都の電力需給は逼迫し、熱量資源の大幅増産も出来ない今日、水力発電による電力生産はタンガラム国家全体の課題なのです。
 それに鉄塔建設で電線敷設が可能となれば、情報通信においてサユールも格段な発展が望めます。
 伝視放送の配信が届き、首都圏の番組が直接に視聴可能になる。これは県民すべての望むものです。
 違いますかな、ゴトノハさん」

 マキアリイは質問する。本当に経済的に潤う者は居ないのか。

「あ、それは発電所建設で大量の資材を運搬する必要が生じるから、この際サユール北部の道路を大型輸送車通行が可能な幅へと整備せねばなりません。
 つまり今は和猪車しか通れない、細い鉄道だけが輸送を担うサユールが自動車化を果たすわけです。これは大きい」
「なるほど。たしかに」
「おわかり頂けますか。この事業は首都の政府のカネを使ってサユールの道路整備を行う千載一遇の好機なのです。
 だから亡霊などに妨害されてたまるものか」

「反対派が居ると聞きましたが」
「反対派? ああ、どこの計画でも湧いて出るんですよ。電源開発事業の重要性が、国家戦略というものを知らない奴が」
「地元労働者の雇用を増やせと主張しているそうですが、他に主張は無いのですか」
「無い、ですね。一部絶対禁令主義的な森林伐採厳禁と唱える者も居ます。だがそれは宗教的な主張であって交渉の余地がありませんから。
 雇用に関しては、発電所建設も鉄塔建設も専門家に任せるしかない工事です。しかし道路整備事業は現地労働者の出番は大いに有る。
 何を心配しているのか、さっぱりですわ」

 

 クワンパがマキアリイの袖を引っ張った。
 県会議員さんは亡霊の正体に心当たりが有る。聞くべきだ。

「ミヤマタハラさん、それで亡霊の正体を知っているというお話ですが」
「もう40年前の話になりますか、」

「あ、いや。それは亡霊じゃなくて」
「すいません村長。まずはミヤマタハラさんのお話を伺いたいのです」

「40年です。あの頃はわし達も若かった。だからにわかにサユールに起こった凶悪事件に血が沸き立った。
 首都だったかヌケミンドルだったか、銀行強盗で何人も殺した凶悪犯が巡邏軍に追われて、サユールの森に逃げ込んだ事件がありました」
「ほお。」
「この近辺は巡邏軍の兵士の数も少なく手薄で、逃げ延びるには好都合と考えたのでしょう。
 実際、うまく南海方面に抜けたら追手を振り切れたと思います。
 ただこの地域は住民が自らの力で治安を維持する気風が強く、凶悪殺人犯が侵入したと聞くや男達が武器を手に立ち上がり、森の中を捜索し始めたのです」

 黒甲枝の郷であり武術に重きを置くマガン庄においても、若者達が正義を求めて決起したのが目に浮かぶ。
 大変なお祭り騒ぎとなっただろう。

 県会議員はここで村長に話を振る。

「ゴトノハさん、あいつらはマガン庄で、あの禁域で死体で発見されたんだったね」
「あいや、そう言われるとそうなんだが、儂はあまりよく知らないんだ。禁域は人の出入りが無いから、犯罪者達が隠れるのに好都合だったと思わないでもない」
「とにかくマガン庄の人間が凶悪犯3名を撲殺したとか、凄まじい殺され方をしたとかで、刑事責任を逆に追求される話になって、そこで「亡霊」話が出たんだ。

 あいつらが死んだのは静かに眠る黒甲枝の墓を暴いてその祟りで殺された、と。

 まあ、体のいい責任逃れですか。
 今となってはそう思えるのだが、当時はマガン庄の者が正義を執行したのに罪に問われるなどあってはならぬとわし達も憤慨して、この決着に納得したのです」

「巡邏軍、あるいは警察局はそれでよしとしたのですか」
「しましたよ。なにせ地元の住民を駆り出して凶悪犯を追い詰めていたのは巡邏軍ですから。
 だいたい連中は銃で武装して、こちらも鉄矢銃を何十丁も持ち出している。無傷で逮捕なんてありませんよ。最初から殺害前提の捜索です」
「つまり、今回の亡霊騒ぎは当時の事件を知っている者が言いふらした。そういう事ですか」
「わしはそう思いますし、間違いないでしょう」

 村長とテレマの表情を確かめてみる。

 当時まだ生まれてもいなかったテレマは困惑するばかりだが、村長は明らかに詳細を知っている。
 だが、であれば彼が今になってわざわざ亡霊話を首都で広める理由が無い。事件の真相を隠したいのだから。

 

       *** 

 マガン砦の病院施設は、通常は老医師1名に、これまたおばちゃんの看護婦が勤務する。
 現在は作業員数十名が滞在し近辺に派遣されて測量作業を行い、それなりに怪我などもするので医療助手が数名増えている。

 亡霊にやられたという作業員4名はここに入院している。
 マキアリイは老医師に事情聴取を行う。

「全員同じ病室ですか」
「うーんまあ、いいじゃろ。同じ釜の飯を食ってるんだから。だいいちそんな小さな部屋は無いよここ」

 元は負傷した兵士を治療する為の施設であり、数十百人を同時に収容する。大部屋しか無いのが道理だ。

「それで、怪我の具合はどうです」
「喧嘩じゃなー、命にもかかわらないし、ほっとけば治るよ。下手くそなやり方でなあ、武術の心得があるこの辺の者ならぐさーあっと急所を一撃じゃ。へたくそじゃなあ」
「でも互いに喧嘩をしたとは認めないのですね」
「いきなり怪我をした、亡霊の仕業じゃと言い張るばかりで、だったら寝とけよと儂も腹がたつさ。
 でもなあ、あいつら病院で寝ているのに、どんどん具合が悪くなる。おかしなもんじゃろ、亡霊が取り憑いたと見えなくもない」

「病院に来たすぐの時でも、亡霊の仕業と言ってましたか」
「知らん。いや、知らん。偉い人が飛んできて事情を聞かれたら、いきなり亡霊とかいい出したような気がするな。なんせ「亡霊か、亡霊を見たのか」と聞くからな」

 老医師はさほど耄碌もしていないようで、証言は具体的で医術的にも誤りは無いと思われる。
 故に治療にも問題ないはずで、入院中なのに体調がおかしくなる理由が分からない。

 マキアリイ、被害者4名が仲良く寝台に収まる病室に踏み込んだ。
 なるほど、30人くらいは軽く収容できる大型病室だ。たった4人をまとめているのは、離しておくと看護がめんどくさいからだろう。

「君たち、怪我の具合を教えてくれないか」
「あ、あんたは、あの有名な英雄探偵の、あのマキアリイさんか!」

 怪我人はにわかの有名人の訪問に驚いて、そしてかすかにであるが怯えも見せた。後ろ暗いところが有る人間の素振りだ。
 クワンパも彼等の表情を確かめて、皆それぞれに目の下に隈が出来たり頬が痩けて疲弊状態にあると見た。
 病室にあっても気の休まる時が無く、常に亡霊に怯えているのだろう。

 

 マキアリイは全員の怪我の位置とその傷を受けた時の姿勢などを尋ね、早々に話を切り上げて退出する。

 調査終了! とマガン砦を出た外の駐車場でテレマと村長に説明する。
 乗ってきた和猪車の傍で、臭くてしょうがない。獣だからどこにでも糞をする。

「あいつら、闇討ちです。互いが闇討ちしようとして、どいつも警戒していたから致命傷を与えられず中途半端に終わりました。
 そして、もう1人居るはずです」
「もうひとり?」
「亡霊の噂をサユール県の外で広めた者が居ます。作業員の1人が何らかの名目で首都に行ったはずだ。
 4人は彼が帰るのをじっと待っています。おそらくは一部を換金しに行かせたのではないですかね」

 クワンパは思わず声を出す。

「埋蔵金!」
「うん、そんな感じだ。あいつら禁域で金目のモノを発見したんだ。
 テレマさん村長さん、禁域の黒甲枝伝説に埋蔵金の噂はありますか」

「ええ、無いわけでもありません。軍資金を幾らか携えていたと記録にもありますし、黄金造りの甲冑を埋めたとの話もございます」
「甲冑は持ち出せないな。じゃあ軍資金か、あるいは銀行強盗の方か」

 なるほど、と村長がうなずき始める。
 奪ったカネを禁域に隠しておいて、発見されること無く40年を過ごし、今回の測量作業の中で偶然にも見つけられた。
 ありそうな話だ。

「それならば、まさに亡霊の復活だ」
「テレマさん、禁域に黒甲枝を記念する塚や祠はありますか」

「石造りの簡単なものがあります。結局は罪人ですから大きなものは作られず、本当に縁の品を納めておくだけの祠が半分土に埋もれた状態であったはずです。
 そうですね、ゴトノハさん」
「姫様、作業員の連中は祠に手を出したのでしょうか。なんと罰当たりな」
「やってしまったようですね。もし銀行強盗がアレに盗んだお金を隠していれば、マガン庄の人間には決して見つけられません」

 マキアリイが最後に最も重要な事を告げる。

「4人の作業員は、手元にソレを隠し持ってはいません。おそらく元の場所から彼等だけが知る場所に移し替えたのでしょう。
 まだ禁域のどこかにありますね」
「では早速彼等を尋問して、隠し場所を白状させましょう」
「いやー、それは難しいな……」

 

 ヱメコフ・マキアリイは迂闊であった。
 彼の知名度を考えると、誰かが自分を常に監視していると考えるべきであったのだ。

 誰も居ない駐車場の、和猪がぶひぶひと鼻を鳴らす脇での謎解きに、密かに耳をそばだてる者が居ると。

 

       ***  (第十四話 後編)

 翌早朝は大騒ぎとなった。

 マガン庄の青年達が、禁域の調査に訪れた数十名の作業員達と「入れろ入るな」の押し問答を始めたのだ。
 前夜よりゴトノハ村長の指示で禁域を守っていた若者が、こっそりと入ろうとする作業員を見つけて追い返し、警備を増強。
 作業員も人数を増やしてこの有様となる。

 テレマとマキアリイに先んじて、村長が両者の間に割って入る。

「何事だ騒々しい。双方ともやめい」
「村長、こいつらが入るなと言うのに無理やり力づくでやって来やがって」
「仕事だと言ってるだろう。測量作業の続きを行うんだ。あんた達こそ迷惑だ、どいてくれ」

 しかしながら、前日に解明した亡霊の正体を知る村長は誤魔化されはしない。
 第一、1ヶ所の測量にこれだけの人数を投入する必要が無い。
 作業員側の責任者を要求すると、昨日会ったおとなしめの現場監督が現れる。

「すいませんゴトノハ村長。上からの指示でどうしても今日中にこの区域の測量を終わらせる事と決まりまして、亡霊とかいう噂を払拭する為にもその方がいいかなと」
「騙されませんぞ。測量自体は既に終了して先の区域に移っているでしょう。何故同じ所を何度も測らねばならないんですか」
「参ったなー、上から命令されてるから仕方ないんですよ」

 村長の交渉は時間稼ぎに過ぎない。
 その間テレマは黒甲枝マガン家の正統継承者として、「カプトゥース戦争」で自刃して果てた8名の神兵に祈りを捧げ、粗末な石の祠の調査を始める。
 思った通りに何も無いが、1枚だけ零れ落ち石の隙間に挟まっていたのを見つけ出した。
 マキアリイとクワンパに示し、クワンパが擦ってみると黄金色に輝く円盤だ。

「所長、これは」
「貿易金だな。1枚で1金の価値がある」

 貿易金とは、外国貿易の決済に使われる金貨銀貨を意味する。
 互いの国の通貨は本国を離れると価値を喪うので、交換可能なものとして金本位制を導入した。
 ただし本当に外国に持って帰るのではなく、タンガラムの然るべき場所に貯留しておいて、それを担保に資金調達しタンガラムで商品購入などに当てる。
 持ち出しは政府崩壊や経済恐慌などが起きた場合に限られ、外国政府および業者が損をしない為の便宜上の存在だ。

 タンガラムにおいては、金貨1枚が1金の価値となる重量の黄金で作られる。また補助貨幣として1ティカの価値を持つ銀貨もある。
 どちらも一般市場では流通せず、貿易港の国際銀行や各国外交施設内に保管していた。

 マキアリイはその場の全員に金貨を示して、宣言する。

「この貿易金は、今から40年前にスプリタ幹線鉄道でイローエント港に運ばれる途中、武装強盗に襲撃され奪われたものだ。
 金額は、実に1千金(1億円相当)。金貨千枚になる。
 その後武装強盗は巡邏軍に追われてサユールに逃げ込み、このマガン庄の禁域において捜索隊に追い詰められ命を落とした。
 だが盗まれた金貨の行方は未だに不明。

 この度測量作業中に偶然に発見されたが、作業員により再び別の場所に隠された。
 今からそれを探索する!」

 昨日ノゲ・ベイスラに電話して、知り合いの新聞記者に40年前の事件を調べてもらったそのままだ。

「待ちなさい、ヱメコフ・マキアリイ! それは政府の所有物です。当方に引き取る責任があります!」

 作業員達の後ろから、男のかん高い叫び声がする。
 電源開発事業の総責任者であるトムタラ・レリンゴーシェム参議官だ。その他昨日会った責任者を引き連れて、騒動に参入だ。
 作業員が左右に分かれて道を作り、彼が前に出るのを助ける。
 このような草深い所には足を運びたくなかっただろう。だが1千金を見過ごすわけにもいかない。

「ヱメコフ・マキアリイ、そしてゴトノハ村長。この件は政府権限により私共の手で解決します。あなた方は必要ありませんからお引き取りください」
「そうはいかないな。もちろん盗まれた貿易金は政府所有物なのは間違いない。
 だがあんたは開発局の人間であって、警察局の者ではない。第一義的には警察局または巡邏軍に盗品を任せるべきだろう。
 ですね、村長」
「もちろんです。参議官、この村にもれっきとした巡邏軍の責任者が居るのです。彼を抜きにして解決は無く、この場の責任者として最もふさわしい。
 お引き取りください」

 スジ論を説かれては官僚は分が悪い。
 うやむやの内に盗まれた金貨を手中に収めようとした計画は既に頓挫したのだ。

 マガン砦に駐留する巡邏軍兵曹が、この村の警察力の責任者である。
 彼の指示に従って、村人また作業員も加わっての金貨探しが始まった。
 クワンパとテレマは、だがまだ腑に落ちない。何故亡霊の噂がいきなり県外で広まったのか。

 マキアリイはキラリと金貨の裏面を示す。

「貿易金には製造時に1枚ずつ番号が刻印されているんだ。
 金貨がどこに移動され、どこに保管され、何時渡されたか。おおかたの記録が残っている。

 だから市中銀行に1枚でも持ち込まれれば、それが盗品である事もバレるわけさ」
「まさに亡霊の足跡なわけですね」
「亡霊騒ぎで金貨の行方が分からないままだったのを、今更になって思い出したんだ。そりゃすっ飛んでくる」

 

       *** 

 得にはならないと知っていても、宝探しは面白いものだ。

 用が無くなったはずの偉い人達は、だが禁域に留まり、探索が続くのを見守っている。
 彼等は4人の作業員に隠し場所を吐かせたはずなのだが、どうもそこには無かったらしい。
 誰か別の人物によって金貨は移動された。その疑惑も発生する。

 嫌味な役人トムタラ参議官は、自分自身に対してしゅぱしゅぱと霧を振りまいている。
 不思議に思ったマキアリイは、クワンパに彼が何をしているか尋ねてみる。

「あいつ、何してるんだ」
「香水ですね。虫除け香でしょう」
「男がそんなもの使うのか」
「そりゃ使うんじゃないですか。それに、あの瓶はお高価いやつですね。たぶんサンパクレ社の高級品です」
「高価いってどのくらいだ」
「1瓶で、私の1週間のお給料吹っ飛びます」

 ご苦労さんだなあ、と思うし、そもそもこんな所には来たくなかったんだろうと同情する。
 そして彼から目を離した。

 

 3刻後。どうしても金貨が見つからない。一度仕切り直して、地域を区分して明日また探索すると決めた。
 だが撤収の準備を進めていると、測量の現場監督カルト=メ・マクヒストが血相変えて飛んで来る。

「マキアリイさん、トムタラ参議官がいらっしゃいません。」
「お腹が空いて帰ったんじゃないですか。俺達もこれ以上の空腹は伸ばせませんよ」
「いえ、それならばお付きの人達も一緒に帰ったはずです。あの人達は居るんですよ」

 言わんとする所は分かるが、休憩無しにはこれ以上の探索は無理だ。
 食事を取った後に、別に捜索隊を編成してトムタラ氏を探す事とする。

 半刻後再開したが、金貨も役人も見つからない。
 とうとう日が沈み始めた。

「まいったな……」

 探索の責任者にされた巡邏軍兵曹は困惑する。
 サユールの森は夜になったら本当に危ない。行方不明者だけでなく、探す人間の安全を保証できなかった。
 既に丸一日探し疲れて、誰もがもう動けない。

 村長と相談し、作業員側とも協議して、禁域の中心である黒甲枝の祠付近に夜通し篝火を焚いて目印とした。
 もしトムタラ氏が森に迷っていたとして、わずかでも光が見えたらそちらの方に寄ってくるだろう。

 夜半、もう一度カルト=メが懐中電灯を手に様子を見に来た。
 責任感が強いのか、トムタラ氏に恩義でもあるのか。とにかく熱心だ。
 だがやはり戻ってないと聞き、宿舎のマガン砦に戻っていく。

 

 まだ日の昇らぬ4時(午前6時)、篝火は既に燃え尽き、白む空にようやく互いの顔が判る頃に、
火の番をしていた若者達は、それを発見した。
 直ちにマキアリイの元に報告が走る。

「居ました、役人の人。木の上に、吊るされて、   惨殺です!」

 おっとり刀で駆けつけたマガン庄の男達が見たのは、
高さが10杖(7メートル)よりも高い枝に両手を広げて蔓で縛られ、磔にされた男の姿。
 左肩から右の脇腹にかけて、2本の赤い筋が深々と抉っている。顔面も右片方が破損していた。

 一目見ただけで絶望する、酷い死に方だ。

 

       *** 

 あまりにも高い枝に吊るされている為に、トムタラ・レリンゴーシェムの遺体を直ちに下ろす事が出来なかった。
 一番長い梯子を用意して、それも何本も立てかけて10人以上の人手を要して可能となった。

 マキアリイと共に、武術の達人であるセドガイアン師も死体を検分する。

「血の臭いに混じるこの匂いはなんであるか。芳しいが場違いな」
「虫除け香水ですね。藪蚊が集るのが嫌で、頻りに自分に吹き掛けていました」

「見事な太刀筋であるが、切り口がそれほどには鋭くない。鋼の刃ではないのかもしれぬ」
「そうですね、これはとんでもない力で凄まじい勢いで振り下ろされていて、鋭さとかは関係ないのかもしれない」
「だが2筋同時に走っている。これは武器なのか?」
「分かりません。3本なら獣の爪と、まあこんな大きな爪を持つ野獣はタンガラムには居ませんが、2本は知りませんね」

「獣を犯人としても、あれほど高い位置に吊るすのは人間と同様の知性と器用さを持つ存在、やはり人間だろう」
「その点に関しては異論はありません。ただ、何の為に、またどうやってという疑問は残ります。
 下ろすだけで大騒ぎなのに、篝火で夜通し見張っていた者にまったく気取られずに行うなど、人間技とは」

「うむ、ううむ、ではなんと見る」
「お手上げです」

 死体が吊るされていた枝は、篝火を焚いていた位置から20歩(14メートル)。祠がある狭い野原が尽きて森に入る所だ。
 篝火の灯りは届かないにしても、深夜静まり返っていれば草むらを虫が跳ねる音でも聞こえる距離だ。
 警戒する若者が気付かぬわけがない。

 ゴトノハ村長は遅れて駆けつけ、既に地面に降ろされた死体と対面する。
 彼はマガン砦に走って、残った責任者達にトムタラ参議官の死を報告し、巡邏軍兵曹以下隊員と共に現場に向かったのだ。
 あまりにも血腥い事件であるから、女人であるテレマは連れて来なかった。

 人々はあまりにも惨たらしい姿に絶句するが、村長の狼狽えようは特別であった。
 まるで己の罪の証を目の前に突きつけられたかに、怯え、慄く。
 口走った。

「亡霊、が……。」

 マキアリイは老黒甲枝に尋ねる。あなたは40年前の凶悪犯が逃げ込んだ事件の時、この地に居ましたか。

「いや、私はその当時東海岸に居て、新聞にて事件を知った。故郷に戻ろうかとも考えたがその内に報道も止み、それきりだ」
「では亡霊騒ぎもご存知ではない」
「後に、そのような決着がついたとは聞く。奇妙な理屈で納めたなと感心したものだ」
「村長は当事者であったみたいですね」

 ゴトノハはおそらく自らが、彼と共に武器を持って集まったマガンの男達が、凶悪犯を追い詰め遂にはなぶり殺しにした現場に居合わせたのだ。
 どれほど主体的に関わっていたかは知れぬ。
 だがサユールに来る前に既に5人を殺しており、この地においても数名を傷つけた凶悪犯に慈悲など要らぬ。

 若い時分はそれで自らを納得させられたのだろう。年老いて、死後の裁きを考えるに至って、罪を思い起こしたわけだ。
 村長と同じ年代の男は皆同様に考えるだろう。

 老黒甲枝はマキアリイに説かれて、彼等の世話は自分が行うと約束した。
 いかなる理由があろうとも人を殺めるのは過ちであるが、生きる上で敢えて踏み込まねばならぬ時も有る。
 その境に立つ者こそが勇者であり、黒甲枝である。

 

 巡邏軍兵曹が責任者に指示を求めて、走り寄って来た。
 もちろん彼も長年マガン庄に住む者で、このような犯罪事件においてはセドガイアン師が非常に頼りになると知っている。
 黒甲枝はまさにサユールの地に住む者の精神的主柱なのだ。

「実は、探してみたのですが、現場監督のカルト=メ・マクヒストさんも居ません。
 昨夜一度この場所に様子を確かめに来て、マガン砦に戻ったと見張りの者は言うのですが、帰り着いていないのです」

 第二の犠牲者か。

 当然に捜索を行わねばならないが、森には正体不明の凶悪な存在が隠れて牙を剥いているらしい。
 武装せねば森には入れない。

 セドガイアン師が立ち上がる。
 長年に渡って郷人に武術を教えてきたのも、このような状況に対処する為だ。

 

 マキアリイは当然に付いてきたクワンパの様子を心配する。
 この間、死体写真だけで嘔吐した女だ。本物の惨殺死体を前にして精神的に動揺しているのではないか。

 だが彼女は、

「案外と平気です」
「なぜだ」
「いやどうも、現実感が逆に無くて、むしろ芝居じみた感触がします」
「本物の死体なんだぞ」
「ですけどね。悪の敵が確かにこの森の何処かに潜んでいると考えると、激烈に退治したくてたまりません」

 つまりは気合の問題だ。
 そういう女だけがカニ巫女を名乗る資格を持つ。

 

       *** 

 2日目の捜索も虚しく終わり、またサユールの森に闇が訪れる。

 篝火を焚いて不寝番をするのは、今夜は見送られた。見張りの者が目を凝らしていても、あの惨劇は起きたのだ。
 夜間誰も禁域に入れないように周辺の小径に通行禁止の縄を張った。
 人家の近い場所には篝火の見張りを配置する。槍刀鉄矢銃を揃えて完全武装だ。

 マガン邸に戻って来たマキアリイに、テレマは頬を青ざめさせたまま尋ねる。
 こんな大事件になるとは、自分はまったく想像もしなかった。
 もしかすると、何も手を出さなかった方がよかったのではないだろうか。

「今となっては仕方の無い話です。もし契約期間内に事件解決が為されなかった場合でも、私はここに留まり目処が付くまで働きます」
「心強いお言葉ですが、さらなる事件は続くでしょうか」

 すなわち、また人は死ぬかとの問いだ。
 マキアリイは返答しないが、現場監督のカルト=メはダメかもしれない。
 だが何故彼か。また、何故最初がトムタラ参議官だったのか。
 偶然ではなく、二人に関係があるとすれば。

 

 マキアリイの寝室と定められた部屋の炉にも火が入り、クワンパが打ち合わせに来ている。
 床の敷物にぺたりと座る。

「なぜアレだけの人が居る中で、トムタラ氏のみが失踪したのか、ですか。普通に考えれば一人だけ特別な行動をしたのでしょうね」
「特別って、なんだ」
「さあ。でもあの時全員で貿易金を探していましたから、一人だけ隠し場所を知っていたのでは」

「金貨を見つけた4人に再び尋問して白状させた。最初の尋問で教えた場所は、嘘だった」
「よくもそんな周到に嘘の隠し場所思いつきましたね」
「何処に隠そうかと試行錯誤して、第二候補の場所を教えたんだろう」

「今は本当の隠し場所は?」
「案内させたが空だった。あいつらも驚いていたぞ」

 クワンパは首を傾げる。であれば、トムタラ氏にも見つけられない。

 ちょうど湯が湧いたから、所長にサユール特産ソバ茶を淹れる。バシャラタンの穀物である「ソバ」の麺は、茹で汁に粉が溶けて茶のようになる。
 塩辛い。

「あ、そうだ。トムタラさんは頭賢い人なんですよ」
「そりゃあ中央省庁の高級官僚だからな。一流大学出で凄いだろうさ」
「だから、作業員の嘘も見抜いて、見抜いていながらも探しに行ったんです。自分だけは真の隠し場所を見破れると思って」
「ふむ。改めて隠す側に立って考え直したわけか。その結果は、」

「彼等は測量作業員です。精密に地面を測る事ができます。
 基準点さえはっきりしていれば、特に目立つ印が無い場所にも隠す事が出来るのではないですかね」
「では同じ測量技術を持つ者であれば、容易に考えつくということか。
 カルト=メさんがそれか!」

 クワンパの筋書きに則れば、
 トムタラ氏は、作業員が測量技術を利用して通常の探索では決して見つけられない場所に金貨を隠したと見抜いた。
 同じく測量技術を持つカルト=メさんを仲間に引き入れて、同様の手法で探す。
 果たして金貨を無事に発見できたが、千枚は重すぎて人目を忍んで運ぶ事は出来ない。
 そこで夜陰に乗じて別に移す事を決めるが、トムタラ氏は失踪。

 トムタラ氏が金貨を独り占めするかと不安に思ったカルト=メさんは、夜中に現場に行って確かめ、まだそこに有った金貨を別に移し替える。
 その帰途で、トムタラ氏と同じく失踪、……。

 クワンパ、敗北を認める。

「この筋書きでは、失踪と惨殺の仕組みを思いつきませんー」
「どう考えても第三者が要るよなあ。
 ああもう、いっそサユールを出て金貨の換金に行った作業員が身の丈4杖(2.8メートル)の巨人だった事にするかあ」

「5番目の男って、そんなんですか」
「いや、カルト=メさんに聞いたところでは2杖3分(161センチ)の小男だ」
「だめじゃん」

 

 そして翌朝。第一の殺人と同じ場所で、悪夢が繰り返される。
 禁域の野原の空中に、何の支えも無く浮く、現場監督カルト=メ・マクヒストの惨殺体が。

 

       *** 

「空中に綱を、蔓を高さ15杖でまっすぐ渡して、その中間に1本垂らして死体を吊り下げる。
 昨日以上に手が込んでいるな」

 宙を振り子のように揺れるカルト=メの死体を仰ぎながら、マキアリイは無感動に解説する。
 完全武装した郷の若者達も、あまりに猟奇な事件が続くのに神経が麻痺しそうだ。

「これは下ろすの簡単だ。刀を投げて蔓を切ろう」
「いいんですか、死体が損壊しますよ」
「巡邏軍に聞いてみな。今更その程度は気にも止めないだろ」

 巡邏軍兵曹は、もうお任せという感じでマキアリイの意のままだ。
 こんな不可解な事件はまさしく英雄探偵の出番だろう。なるべく早く決着を付けてもらいたい。

 刀ではなくチュダルム槍を投げ上げて、空中に渡す蔓を斬った。
 カカシがゆらりと風にそよぐかに、カルト=メが落ちてくる。
 地面に接触すると同時に、金色の貨幣が飛び散った。

「懐に貿易金を何枚も詰めていたのか。つまり犯人はカネ目当てではない……」

 現場に立つ女人はクワンパ一人である。彼女の第一声が、

「虫除け香ですね。金貨から強く匂ってきます」
「何故そんな真似を、そうか目印だな。改めて隠す時に匂いで分かるように目印を付けたんだ」

 しかし、一昨日まで元気だった人間が、それも嫌な感じがしなかった人が、かくも無残な屍を晒すとは。
 世の無常を噛みしめるしか無い。

 鉄矢銃の発砲音が鳴り響く。あまりに異常な光景に腹を立てた一人が、持っていた銃を闇雲に発射したのだ。
 周囲を囲む森の奥に、轟音は消えていく。
 セドガイアン師が吠え、強くたしなめた。

「愚か者が! 冷静になれ」

 そして探偵に今後の対策を相談する。再び山狩りを行うべきか。

「マキアリイ殿、やはり第三の存在、殺人者が森に潜んでいると見做すべきだろう。人数を集めて組織的に探索をすれば必ず発見できる」
「それなんですがね、」

 とマキアリイは、先程まで死体が浮いていた空間を見つめる。
 空中に綱を1本渡し、死体を吊り下げる。
 不可解な猟奇殺人には違いないが、非常識な形態ではない。と直感した。
 むしろ当たり前の簡単な。

「なんとなく似ていませんか」
「何がだ」
「蜘蛛ですよ。蜘蛛の巣を掛ける時、あんな感じでまず1本渡しますよね」
「では貴公は、この殺人は野獣の仕業と言いたいのか」
「なんとなく見えてきました。犯人の捕らえ方も」

 

 死体を移送する行列に付き添ってマガン砦に来たマキアリイは、建設会社の重役も県会議員も逃げ出そうとしている現場を抑えた。

 計画の責任者が死に、現場監督が死んで、もしかしたら次の標的は自分達かもしれない。
 電源開発事業を強行に妨害する過激派破壊殺人分子の仕業か。などと思っているのだろう。

 そう簡単に逃げてもらっては困る。犯人を捕まえた後の手続きが厄介になるではないか。

「お願いがあるのですが、投光器。電気の強烈な奴が無いですかね。夜中でも煌々と照らすくらいの」
「じ、自動車の正面灯を使えばどうかね。あれなら文句は無いだろう」
「そうですね。発電機も必要ですから、自動車という手がありますか。借りますよ」
「好きにしてくれたまえ」

「どうかねマキアリイ君、計画が頓挫などしないだろうな? な」
「森を荒らすと精霊が怒る。これは有史以前から伝わる真実ですね。触らぬ神に祟りなしですよ」
「やはり亡霊の仕業かね! ほんとうに、ほんとうの?」

 

       *** 

 山岳部での工事用として小型輸送自動車を持ち込んでいたのを貸してくれた。
 荷台に天蓋は無く、小型発電機と夜間工事用照明器具を搭載して、禁域中央部の祠の傍まで乗り付ける。
 道が自動車用ではないから結構な苦労をさせられた。

 作業員の中には自動車整備士も居て手伝ってくれる。
 都市部を安穏として走る自家用車と異なり、事業用・作業用車両は突然の故障に対処する為に、運転手であっても自動車整備の技術を必要とした。
 まだまだ未完成な機械である。

 車両正面灯と荷台の照明器で、さして広くない禁域の野原を十分に照らし出す事が出来る。

 ヱメコフ・マキアリイの作戦は、夕闇近くに囮を森の傍で踊らせ、襲ってきた敵を強烈な照明であぶり出し正体を看破するものである。
 もしも殺人犯が野獣であった場合、人工の光に怯えて大きく反応を見せるだろう。
 頭部や胴体など急所が見えた所で、待ち構える鉄矢銃で仕留める算段だ。

 マキアリイが完全に「犯人=野獣」説で押し進めるのに対し、反対する者も少なくはない。
 だが人間であった場合でも、投光器であぶり出す作戦は有効に機能するはずだ。
 知性を持つ人間が罠の前に姿を見せるとは思わないが。

 

 さて、囮の餌だが。

「俺が自分でやってもいいんだが、」
「所長が殺られたら、後の対処をする人が居ないでしょ。敵はとんでもなく強力で狡猾なのは間違いないんですから。
 ここは別の人間が務めるべきです」
「ならばもっと、武術に長けた人間がマガン庄には居るんだが」
「あんまり強そうな人なら、怖くて食いついて来ないでしょ。私でいいんです」

 カニ巫女見習いクワンパが、さも当然に志願する。
 まだ成人もしていない娘に本当に命の危険が有る役を振るのは気が進まないが、止めようとして逆襲された。
 もしも私がシャヤユート姉であったら、ザイリナ姉であったなら貴方は止めたのですか。

 考えてみれば、その二人を囮の役から降ろした日には、マキアリイ自身が殴り殺される。
 最初のカニ巫女ケバルナヤであったなら、他人であれば危険に晒しても良いとする心根の卑しさを厳しく叩き直されただろう。
 クワンパもつまりは、マキアリイ事務所正規の事務員なのである。

 

 ではどのようにすれば敵は誘き出されてくるのか。

 マキアリイの推測では金貨と虫除け香水である。

「クワンパ。犠牲者を空中に宙吊りにする理由は何だ?」
「えーと、示威行動ですか。自らの強力さ偉大さを誇示する為に、その力で成し遂げられるものを示すんです。
 病的な偏執殺人狂であれば、芸術的表現として犯罪を飾り立てるとかも聞いてます」

「それだけか?」
「あとはー、警告もありますか。これ以上自分に関わるとこんな目に遭うぞとの脅しです。
 山賊みたいな恐怖で人を支配しようとする勢力なら普通に行うでしょうが、偏執狂の犯罪であればちっと違いますか」

「示威、誇示、警告。これらは全部同じものだ。
 自らの存在を相手に強く示し、自らの強力さを誇示し、その力との対決を恐れるべきと警告する。

 文明社会の精神の歪んだ犯罪者でなく、正常全うで健康的な自我を持つ存在にとって、これは当たり前の行動だ」
「縄張り、ですか」

 考えてみれば、おかしいのだ。
 人が宙吊りになって2人も死んでいるのに、特に理由が無いと考える方が。
 これまでまったく人の訪れの無かった禁域に、いきなり大勢の人間が毎日押し寄せる。
 ここを縄張りとする存在としては腹が立って当たり前だ。出て行かせる為の行動を取るだろう。

 変態、偏執狂、精神錯乱などと都合の良い理由で非合理無意味な行為だと決めつけるのは、思考の停止である。

「そこで、金貨ですか」
「長く禁域の中心に隠されていたモノだ。他所に持って行かれたら不愉快だろう」
「普通の人間であれば、動物であっても或る程度知性があれば、そう考えますかね」
「金貨を弄んでいる奴は敵だ。そう見做していい」

「最初の作業員達は何故無事だったのです」
「昼間だったし、人数も多いし、金貨がある事をそれまで知らなかったのだろう。
 金貨に対して人間が強く興味を惹かれている。それを認識して護るべきとの意思を持った。学習したと言ってもいい」

「虫除け香は?」
「嫌な匂いだろ」
「人によって感じ方は様々ですが、まあ香水の匂いのキツイのは嫌ですね」
「だろ。嫌な匂いの人間が、大事な金貨を何処かに持っていこうとする」
「はあ。そりゃ阻止しますね、私だって」

 

       *** 

 セドガイアン師率いる鉄矢銃隊は、禁域の外に待機している。
 火薬の臭いが獣を警戒させる可能性も有って、野原からは離れていた。

 マキアリイは「確実に息の根を止めて殺すこと。手負いにして逃がすのは絶対に避けなくてはならない」と警告する。
 その為、銃を持つのは狩猟経験が豊富で自制心の強い者を選んだ。
 発砲許可もセドガイアン師が直接に下すと厳しく定めている。

 師の隣で長槍を構える青年は、

「俺はマキアリイさんを信じます。あんな人間を無茶苦茶にすること、人間に出来るわけが無い。ぜったいにケダモノの仕業です。」
「うむ、信じてみよう。英雄探偵と呼ばれる御方だ。」

 

 サユールの森は日暮れも早い。高くそびえる木々の陰に、太陽はすぐに隠れる。

 マキアリイは右手に借り物のチュダルム槍を握り、クワンパの肩に左手を置く。
 口では強がっていても、まだ17才の小娘だ。内心では怯えているのではないかと気遣う。
 当の本人が悪党ぶちのめすと正義の炎に燃えているのまでは気が付かない。

 自動車整備士も1人だけ居残り、輸送自動車の運転席に座って息を潜めている。
 もし万が一照明が途絶えたら、決死的覚悟を持って修理を行う。
 運転台に備え付けられた時計を見る。窓の外のマキアリイに確かめる。

 警笛を1回鳴らした。作戦決行だ。

 マキアリイの手から離れて、クワンパが歩み出す。
 祠の周辺の広くもない野原をぐるりと一周して、段々と半径を広げていく。
 最終的には森の傍にまで近寄る事となる。

 ただ歩いても仕方がない。
 虫除け香の匂いが染み付いた複数の金貨を、右手でお手玉のように投げ上げながら歩く。
 左はカニ巫女棒だ。こちらを握る手には殺気が篭もる。

 死人の服から出てきた金貨を、死人の持ち物である香水の匂いを振りまきながら歩くのは、心地良いものではない。
 半ばやけくそ、カニ神殿の御詠歌を流行歌の旋律で馬鹿みたいに歌いながら進む。

 森までの距離はマキアリイが随時指示して、慎重に測っていく。
 時々カニ巫女棒を振り、くるりと回る。カッコつけに舞っているようだが、実は背後が不安で全周を確かめている。

 何も起きない。

 戯言を叫ぶ。

「所長ー、私が死んだらおよめさんにしてくださいー」(注;未婚の男女の葬式にはそういう風習もある)
「任せろー」
「ばかやろー」

 再び歩き出して、お手玉を、……失敗した。
 草の中に金貨を全部落としてしまう。拾わねばならないが、下を向いて隙を作るのはいかにも危険。
 マキアリイに顔を向け、無言で指示を仰ぐ。「拾え」
 当然であるが、かなり怖い。如何に所長が厳しい視線で見張っているとしても、敵はどこから襲ってくるか。

 草の根本からとりあえず5枚拾って顔を上げる。
 なにか、空中に浮いていた。
 2本の黒い爪?が生えた黒いもの。爪の長さは半杖(35センチ)もある。
 そして背後に連なる長いもの。白い毛の生えた蛇の胴体を思わせるが、なんだこれは。

 あまりにも自然にそこに有るので、驚かなかった。これは次にどう動くのか、続きを見てみたくなる。
 胴体が、うねる。

 

 黒い爪にカニ巫女棒が、神罰棒が粉砕された!

 

 とっさに殴っていなければ、その身は爪に引き裂かれていただろう。
 カニ巫女の本能が思考を経由せずして正解を教えてくれる。
 日頃悪を憎み正義を執行し続ける地道な努力が命を救う。

 いつの間にか飛び込んできた所長に、クワンパは庇われているのを知った。
 振りかざすチュダルム槍の穂先が黒い爪を受け止め、凄まじい圧力で押し込まれるのを耐えている。
 いくら人を殴っても折れも曲がりもしないカニ巫女棒を、一瞬で砕く力だ。

「下がっていろ!」

 襟首を掴まれ、自動車の方に投げられた。
 春に就職して以来所長に手荒な真似を受けた事が無かったから気付かなかったが、軽いとはいえ女一人を片手で10歩(7メートル)も放り投げる怪力だったのか……。

 吠える発動機の始動音。瞬く二つの正面灯。
 荷台の照明器も全開で野原全体をまばゆく照らし出す。

 輸送自動車の左隣に落ちたクワンパはすかさず扉を開いて助手席に滑り込む。
 工事車両は落石防止に窓に金網を張ってあるから、外から攻撃されてもある程度は無事だろう。
 自動車整備士に鋭く尋ねる。

「何だった?!」
「蛇です。とんでもなくでかい奴が2匹も!」

 誤算だった。これほどの知性を示す生き物であれば哺乳類であるはずと、先入観から思い込んでいた。
 まさか爬虫類が人を宙吊りにするなどの複雑な作業をやってのけるとは。
 それに2匹?

「あ、いや、3匹かも。なんだかたくさん居る!」

 整備士も興奮して分からない。
 彼が蛇と称するものは、蛇の常識から大きく外れて人間の背丈ほどの高さを薙ぐように頭を振っている。
 凄まじい速度で、それが2匹3匹も同時に左右から、あるいは天地から湧き上がってくる。

 だがクワンパが見たものは、蛇ではあるが毛が生えていた……。

「ちょっと待って、あれほんとに蛇? 獣じゃなくて?」
「だって、あれ。あマキアリイさんが!」

 

       *** 

 手筈どおりであれば、森に潜む敵の正体を見極めた時点で輸送自動車が警笛を鳴らして知らせてくれる。
 だが鉄矢銃隊に届いたのは、気が狂ったかにでたらめに鳴らされる警笛の音。
 発動機の音も不規則に唸り、これは尋常ならざる事態だとセドガイアン師は決断した。

「全員、前に! 敵の急所を見極めるまでは絶対に撃つでない!」

 号令一下突撃を開始する若者達は、たちまち禁域の野原に雪崩込んだ。
 まばゆい電光に目を細めて眺めると、彼等の英雄ヱメコフ・マキアリイがチュダルム槍を振るって何かと戦っている。

 それは4匹の巨大な蛇に見えた。
 いずれもが驚くほどの速さで胴を振り回し、頭に生えた角で英雄に襲いかかる。
 前から背後から、死角を衝いて、足元から湧き上がり、あるいは頭上の枝葉から落ちて、
 非常に複雑な連携でたった一人を切り刻もうとしている。

 対するマキアリイは、見事としか言いようが無い。
 敵の動きを見てから反応しては手遅れだ。
 次に襲い来る蛇を予測し、振り返る間も無く槍を回し刃を煌めかせ、的確に確実に弾いていく。
 金属が奏でる音色から、受ける攻撃の威力が知れる。
 明らかに人間真っ二つだ。

「師匠、マキアリイさんに援護を!」
「発砲の許可をください!」

 だが激しく動き回る蛇のどこを狙えば良いのか。またあの速度に当てられるか。
 撃つにしても、蛇もマキアリイも盛んに動き入り交じり、誤射を免れない。

 今ではない。援護射撃は今ではない。

「発砲は待て! 皆待て、マキアリイ殿を信じるのだ。
 槍隊我に続け、攻撃の目標をこちらに分散させるのだ」

 

 クワンパは輸送車の運転台で必死に森の中を探していた。 

 頭部あるいは胴体が必ず有る。
 敵は最初4匹の巨大な蛇に思えたが、その後4つの頭を持つ蛇ではないかと推測し、今では極めて長大かつ柔軟な四肢を持つ巨大な獣と察しが付いた。
 やはり哺乳類の化け物だ。

 であれば急所は手足とは別の場所に有る。それを見つけ出さねば。
 マキアリイの指示で、照明に輝く「眼」を探す。
 彼は言った。

「”誇示”とは、自らの能力の最大最強を見せつけるものだ。自らの得意を第一に示す。
 この犯人が人間を吊り下げ誇示して見せるものは、何か?」

 高さだ。
 高ければ高いほど、それの能力は示される。
 敵は森の中ではなく、樹上にあるはず。

「居たっ!」

 クワンパは危険を顧みずに自動車の外に出た。時折こちらにも何かの破片が飛び、電球の一つが叩き割られた。
 マキアリイに叫ぶ。

「セパム、高さ3杖、木の幹に偽装してます!」

 それはほんの小さな二つの反射だった。巨大であろう身体に比べれば、あまりにも小さな光。
 だが見逃さない。
 輸送自動車の正面を起点に、左回り12分の1。時計の文字盤で蜘蛛(黄輪蛛)神「セパム」の方向、高さ3杖(2.1メートル)を示す。

 声は確実に英雄に届く。
 防戦一方の展開が、今度はこちらから攻める番だ。

「マキアリイ殿、助太刀いたしますぞ!」

 セドガイアン師が長槍を手にした若者達と共に参戦する。
 荒れ狂う蛇の手足に攻撃し、目標を分散させてマキアリイを自由にする。

 英雄は本体急所を狙って森に踏み入った……。

 

 顔を正面から見てみれば、丸く小さくすべすべとして、小さな眼が愛らしい。
 これが凶悪な殺人鬼であったのかと訝しむほどだ。

 マキアリイは諭すように一人で喋る。
 殺し方は残忍至極であったが、数は2名。それもここ一両日で、それまでは誰にも何も危害を加えていない獣だ。

「悪いな。人を殺していなければ別の道も考えたんだが、他に手が無い。許してくれよ」

 何十合と黒い爪と打ち合い、刃がギザギザに欠けたチュダルム槍の穂先を、小さな頭の下、喉元に突き入れる。
 心臓で即死をと思ったが胴体は大きく、毛皮に苔だの蔓草だのが絡みついて自然な森の姿に偽装しており、どこが胸か分からない。
 いやそもそも、胸にちゃんと心臓が有るのだろうか。

 飛び降りたマキアリイの背後で、呼吸が出来ずのたうち回る怪物。正体を曝け出す。
 ここに至って鉄矢銃隊が前に出て、留めの射撃を開始する。

 幾重にも轟く銃声が森を越えてマガンの庄全体に届き、事件の終結を宣言した。

 

       *** 

 それはバシャラタン法国に固有の動物で、深い森に棲み、高い樹上に逆さにぶら下がって生活をする。
 この種の生物は多種多数生息し、その全てに「ナマケ」の接頭辞が付く。

 「ナマケ族」でも最強最大の肉食獣、バシャラタン食物連鎖の頂点に君臨するものを「ナマケモノノケ」と呼称する。
 極めて狡猾な生き物で、巨体の全身に苔や蔦などを這わせてまったくの自然物に偽装して森に隠れる。
 昼間の内は呼吸心拍までもを極限まで低下させて気配を消し、森になり切り、夜になると活動を開始して狩りをする。
 成獣は胴体長3杖(2.1メートル)、剣のように鋭い2本の爪が生えた長く柔軟な肢を伸ばすと10杖(7メートル)にもなるという。

 バシャラタンの戦士階級は、成人の証として若者が単身で森に入り、これを狩ってくるのを儀式とする。
 毒矢鉄砲などを用意して長期戦で望むのだが、成功率は3割にも満たず、場合によっては返り討ちを食らい命を落とす。
 文字通りに森の王者だ。

 だがサユールの森で捕獲されたものは、胴体長5杖(3.5メートル)、手足を伸ばした長さは15杖(10.5メートル)を越える。
 後に調査に訪れたバシャラタンの動物学者ですら困惑するほどの大物だ。
 これほどの怪物は古今に例が無く、強いて言うならば神話伝説に登場する無敵の英雄が退治する幻獣に相当する。

 

 しかし、何故生息地であるバシャラタンから遠く離れたサユールの森に、それは居たのか。
 詳しく記録を調べていくと、テレマの兄マガン・シュトスヴァゥルの仕業であると判明した。

 神童と呼ばれた彼は、マガン庄の殖産興業の為に飼育栽培が可能な動植物を広く内外から集めて研究を行った。
 バシャラタンの「ソバ」もその一つだが、これを輸入した際に貿易業者が愛玩動物も納入した記録がある。
 納品書によれば「ナマケモモンガ」という、果実に集る虫を食べてくれる益獣だ。
 写真も残っており、少年の手のひらにちょこんと座る愛らしい姿だ。

 これが、実は「ナマケモノノケ」の幼獣だったらしい。

 シュトスヴァゥルが健在であれば、取り違えであっても適切に飼育出来ただろう。
 だが彼はまもなくウェゲ病に罹り、知性を失ってしまう。
 騒動に大人達も混乱して、カゴから獣が脱走したのにも気付かなかった。

 サユールの森に逃げ出したナマケモノノケは、やがて人がめったに訪れない禁域を棲家とする。
 いかに食物連鎖の頂点を極める生物といえども、故郷の地には天敵も競合者も居る。
 それが全く無いサユールの森で、何の苦労も無いままに餌を独り占めして成長し、遂にはここまでの巨体を獲得したわけだ。

 昼間はまったくに動きを止め活動せず、人間は昼の間にだけ時折訪れる。
 何事も無ければそのまま寿命が尽きる時まで、平穏に暮らしていけただろう。

 

 「ヱメコフ・マキアリイの怪物退治」はたちまちに報道の知るところと成り、新聞記者が大挙してマガン庄に押し寄せる。
 半信半疑であった彼等も、砦の壁いっぱいに吊り下げられた獣の姿に度肝を抜かれた。
 またこの怪物を、ほとんど単身でしかも銃器を使わず槍1本で戦ったマキアリイの活躍に、原稿を書く手も全力で回転する。

 全国各紙の一面記事に大きく怪物の写真が載り、またしても英雄探偵の名は天下に轟いたのである。

 その英雄は、と言えば。
 マガンの庄を震撼させた亡霊騒ぎが完全に決着したと見定めるや、事務員クワンパと共に即日撤収。
 ほとんど夜逃げ同然にアユ・サユル湖の旅客船に飛び乗り、ノゲ・ベイスラ市に帰ったのであった。

 マガン庄の人々は、まことあっぱれなる婿殿を取り損ねたと歯噛みして悔しがる。
 依頼人であるテレマ、マガン定テレメァールも、ちょっと勿体無かったかなと思うのだ。

 約束したチュダルム槍の稽古木槍と、破壊されたクワンパの神罰棒の代わりをマガン庄の木で作り、後でマキアリイ事務所に届けておいた。

 

 捕獲されたナマケモノノケは、「ナマケ蛮太」と名付けられた。
 「バンタ」とは武勇を誇る暴れ者の名に冠する渾名みたいなものだ。

 動物学者によって毛皮と骨格標本にされて、タンガラム国立自然動物博物館に寄贈される。
 毛皮は再度縫い合わせて綿を入れて、生きていた時と同様に復元された。バシャラタンの生物を集めた展示場の目玉となる。
 また骨格標本もクジラの骨と並んで展示され、来館者の人気を集めている。

 骨格標本の隣に、対比物として大人の男性を模した看板が立ててある。
 その身長は、ヱメコフ・マキアリイと同じ2杖6分1爪(183センチ)だ。

 

 (第十五話)

 まだ雨季の頃の話である。
 ヱメコフ・マキアリイ私立刑事探偵事務所は軍人の訪いを受けた。

 さすがに元選抜徴兵である。マキアリイは金文字の扉を開いてその人が室内に入るや、ばっと立ち上がり踵を揃えて敬礼した。

 クワンパもタンガラム世間一般常識として、軍人の階級の見分け方くらい知っている。
 そもそも兵・下士官と、士官将校は軍服が違う。
 最近では戦闘服の形を同じにして狙撃兵に指揮官が狙われないようにするが、平時の軍服であれば明確な区別を付けている。
 士官の軍服では襟と腕に階級章が付いている。横2本の白線は「中剣令」、大中小の剣令で2番目に偉い位だ。

 ちなみにヱメコフ・マキアリイは「潜水艦事件」での功績と、その後の英雄探偵としての活躍、および百回以上もの政府・軍の広報活動や式典参加により、特別昇進を受けている。
 民間人の名誉軍人としての階級であるから指揮権などは無いのだが、それでも士官に準じる「掌令輔」という結構な地位だ。
 中剣令は掌令輔よりも2階級偉い。直立不動で敬礼するのは当然の礼儀。

 彼はマキアリイに軽く答礼し、事務所内で立って問答が出来る配置に移動する。
 行きがかり上クワンパも、所長の左横に並んで整列。
 名乗りを上げた。

「私は、中央司令軍広報局国民広報課 国家総統付き直令士官 中剣令ィメコフ・アーゴノルドである。

 ヱメコフ・マキアリイ広報特任掌令輔に命ずる。
 来る6月20日、イローエント軍港にて行われる「潜水艦事件」記念式典に出席し、軍用機操縦等各種広報活動に参加すべし」
「掌令輔ヱメコフ、謹んで拝命いたします」

 命令を復唱するマキアリイに代わって、クワンパは不思議に思う。
 若きマキアリイとソグヴィタル・ヒィキタイタンを一躍国家英雄とした「潜水艦事件」は、10年前の7月20日に発生している。
 式典を行うなら当然に7月であるべき。にも関わらず、何故6月に繰り上がる?

 観察するに、ィメコフ中剣令はあまり恐ろしい感じの軍人ではない。
 中央司令軍というのは戦闘部隊ではなく、軍の中枢であり事務をもっぱらに行う部署で、中でも広報局となればほとんど文官である。
 質問しても頭ごなしに怒られないだろうと察しをつけて、口を開く。

「あのすいません。「潜水艦事件」の式典が何故6月に?」
「当然の質問だ。答えよう」

 と、彼は相好を崩した。元から高圧的に命令を押し付けるものではない。
 いやそもそも、所長のマキアリイは政府式典や軍関係で呼び出しが掛かれば何をさておきすっ飛んでいく。
 損得勘定抜きでどんな無茶な命令でも遂行する天晴なる愛国者だ。本物の軍人でも無いのに。

 そしてタチの悪い事に、出席する式典の2割方になんらかの障害が発生する。
 図らずも国家英雄としての名声を高める事件が繰り広げられ、見事解決し、その都度昇進を果たすわけだ。
 もちろん本物の軍人ではないから、昇進したとしても年金が増えたりはしない。
 俸給だってもらっているわけでもないのに、よくもまあ続くものだ。

「今夏8月下旬に国民総議会議員選挙が行われるのは知っているだろう。
 激動する政治情勢の中行われる、これからのタンガラムの行く末を決める非常に重要な選挙だ」
「はい」
「この選挙を間近にして、野党から政府に対して強い異議が提出された。
 「潜水艦事件」の式典を選挙運動開始直前に行うのは、政権与党にとって極めて有利。ほとんど国民の意識誘導に類する悪質な違反行為だという。
 与党総統府においてもこの意見を認め、調整した結果前倒しに行うと決まった。

 急な事で悪いが、その他の予定は日をずらすなど適切に処理して、式典に参加してもらいたい」

 所長を見ると、マキアリイは眼で「だろ」と合図する。
 おそらくはこのようになると、知っていたのだ。伊達で国家英雄をしているわけではない。
 政府の都合で振り回されるのはもう慣れっこだ。

 

 直立はここまでで、後は砕けた話で説明を行うと、中剣令の方から椅子を勧めてきた。
 彼は長椅子に着き、所長の座る椅子の背後にクワンパも張り付いた。

「ヱメコフ・マキアリイ君、式典において君はまたしても昇進を果たす事となる。
 広報特任掌令で、正式に士官となる」
「お言葉ですが、私はこれ以上偉くなっても仕方がないと思うのですが」
「確かに何らかの権限が増えるわけで無く、ただ階級章の色が変わり線が増えるだけだ。
 しかし、反対する者が局内にも多かった事も事実。正式な士官教育を受けていない君にこれ以上の昇進は例外中の例外だ」

「おいクワンパ。お茶だ」

 促され、事務員は急いで準備を始める。
 そこは自分が気を利かすべきであった。ぬかった。

 

            *** 

 そろそろ冷たい飲み物を客に用意すべき時期ではあるが、相変わらずに温いチフ茶。
 それでも文句を言わずにィメコフ中剣令は有難く受け取った。温厚な人らしい。

「君の昇進は総統閣下のお声掛かりではあるが、軍としても君に報いるのに他の方法を知らない。
 政府側からはおそらくは市民栄誉勲章を授けられるだろうが、軍も相当するものを与えねば格好が付かない」

「しかし士官への昇進は過分では無いですか」
「おそらくはそうなのだろう。だがこちらにも言い分は有る。
 今回は「潜水艦事件」十周年の重要な節目だ。君だけでなく、ソグヴィタル・ヒィキタイタン議員にも軍から褒賞を与えたい。
 だが彼は国会議員だ。
 自治体の首長や議員は軍人を兼務できないと、法律で定められている。彼を特別昇進させる事は出来ない。

 であれば、彼の相棒である君に過重に名誉を担ってもらう他無いと結論したわけだ。二人分だ」
「あー。」
「もし君がこれ以上の昇進を望まないのであれば、ノゲ・ベイスラ市議会議員にでも立候補すると良い」
「そういう理屈ですか。まいったなあ」

 ここらへんは軍隊もお役所仕事だなあ、とクワンパは呆れる。
 だいたい名誉軍人なんだから、議員とか一般市民とか関係なくくれてやればいいじゃないか。
 と尋ねてみるが、中剣令はそれもまずいと答える。

「たしかに名誉軍人であれば階級章などタダの飾りで、誰にやってもいいように思えるが、あのソグヴィタル・ヒィキタイタン君だ。
 世間には支持者も熱狂的信者も多い。特に女性が多い」
「ですね」
「その彼が名誉軍人として昇進するのであれば、ヱメコフ君にひけを取るわけにはいかんだろう。同じ階級でなければ許されない」
「確かにそこはこだわりますね」
「ヱメコフ君はいきなり掌令輔になったのではなく、国家的な危難を幾度も斥けた英雄的活動に対しての褒賞として特別昇進を果たしたのだ。
 ソグヴィタル君にしても、過程を無視して人気だけで同格に昇進したとなれば複雑な心境となるだろう。
 あるいは辞退される可能性も有る。これは非常にまずい」
「難しいですねえ政治って」

「それにヱメコフ君は名誉軍人ではなく、予備役でもなく、れっきとした現役の軍人として登録されている」

 意外な言葉に、クワンパは所長を見た。これホント?
 答えるに。

「実はそうなんだ。世間一般では名誉軍人と思っているし納得してくれているのだが、俺現役の掌令輔なんだよ。非常勤の」
「えーじゃあ職業「刑事探偵」じゃないんですか?」
「兼業軍人、だな。もちろん収入の十割が刑事探偵関係でしか入って来ない、無給の軍人なんだが」

「クワンパさん、でしたね。ヱメコフ君はれっきとした現役の兵士なのだよ。
 そうでなければ軍用兵器、それも航空機や戦車などの高価な最新兵器を操縦したり、銃火器の実弾使用を許す事は出来ない」
「そ、そうですか。それは当然ですね」
「しかし、無給の軍人、というのは聞き捨てならないな。もちろん非常勤であるから十分とは言えないが俸給が振り込まれているはずだ」

 中剣令の言葉に所長と事務員は顔を見合わせた。
 特にクワンパは、前任者シャヤユートとは異なり、事務所経理の帳簿は完全に把握するし、所長個人の銀行預金通帳まで管理する。
 軍からの入金記録なんか見たことが無い。

「無いです」
「本当かね、ヱメコフ君」
「選抜徴兵を終了して警察局の捜査官養成学校に入校して以来、銀行振込でも手渡しでも俸給と呼ばれるものを軍からもらった記憶がありません」
「それは何かの間違いだ。現役軍人であればたとえ非常勤でも、いや非常勤であればこそより厳密に俸給は管理されているべきだ」
「そうは言われましても、無いものは無いので」

 謎である。
 そもそもがマキアリイ本人が気付くべきであったのだが、名誉軍人に毛が生えたものと理解していた為に思い至らなかった。
 なにせ非常勤どころか軍関係の部署に一日たりとも出勤していないのだから、給料出るなんて考えない。
 第一、どこに出勤すべきなのか。

 ィメコフ中剣令は首を捻りながらも長椅子から立ち上がる。

「その件に関しては私が調査しておこう。
 式典は6月20日となっているが、おそらくは数日前より撮影等を行うはずだ。
 迎えの兵を寄越すからその者の指示に従ってイローエントに来てくれ」
「了解しました」

「それと、クワンパさん」
「はい」
「総統閣下は英雄探偵の助手を務めるカニ巫女見習いの帯同をお望みだ。
 まったくの民間人である君には拒否する権利もあるが、是非とも式典に参加してもらいたい」
「あーそれは、出張費が出れば考えます」
「もちろんだ。旅費宿泊費その他現地滞在で必要となる経費の一切を軍で保証する」
「じゃあ行きます」
「うん、有難う」

 

 マキアリイが金文字の扉を開いて、中剣令が退出するのを手助けする。
 暗い混凝石の階段降り口の傍に兵士が1名立っており、敬礼する。中剣令の従卒だ。
 事務所の外で警備をしていたらしい。マキアリイの式典参加は一応は軍令であり機密を要するものである。

 表情はまったくに固定したまさに軍人の鑑のようであるが、ひそかにマキアリイの顔を見る。
 天下無敵の武術の達人にして国家英雄である人物を、その眼で確かめたかったのだろう。

 2階事務所の窓から眺めると、中剣令と従卒は歩いて帰っていく。
 移動に自動車は使わなかったらしい。

「軍人て、公務でも(路面)電車で移動するんですか」
「軍人が電車に乗って何が悪いんだ」
「確かに」

 

            *** 

 巫女寮に帰って早速軍事機密を暴露するクワンパである。
 大家さんも含めて全員が興奮に包まれる。

「ヒィキタイタンさまが、ヒィキタイタン様がイラッシャリになるのね、式典には」
「びっくりする事は無いでしょう。今年は「潜水艦事件」十周年だし、式典がイローエント港で開かれるのは誰だって知ってたよ。
 ただ1ヶ月前倒しになったってだけで」
「でもヒィキタイタンさゃまがイラッシャリになるのでしょおお!」

 

 お忘れの方も多いであろうから、改めて巫女寮住人のご紹介。

 寮監カーハマイサさん 55才 元中学校教師、未婚。怖い。
 大家のグリン・サファメル 25才 元トカゲ巫女の未亡人。ワッドシラ建設会長の歳の離れた妻だった。底抜けに能天気な善人だが迷惑なヒト。

 ミミズ巫女ミメ 27才 占い師。マキアリイ事務所屋根裏に住む呪先生の関係者。夜行性。極端な長髪。
 タコ巫女タルリスヴォケィヌ 22才 音楽家。ゥアム帝国に音楽留学をして戻って来た。巫女寮備え付けのゥアム帝国製鍵盤楽器をがんがん鳴らす。

 ゲジゲジ巫女ッイーグ 20才 理容師。ツンケンしているがノリはいい。お洒落だがカネは無い。
 カタツムリ巫女ヰメラーム 19才 神殿勤務で脚本家見習い。よく考えてものを喋るので反応が遅い。カタツムリ巫女は総じて美人で胸が大きい。
 蜘蛛巫女ソフソ 18才 駆け出し算術士。メガネ。クワンパの代役でマキアリイ事務所の事務員になった事がある。

 カニ巫女見習いクワンパ 17才 現在世間修行中で、ヱメコフ・マキアリイ刑事探偵事務所の事務員を勤める。巫女寮の用心棒。
 コウモリ巫女見習いビナアンヌ 14才 中学生。

 

 先程からヒィキタイタンの名を叫んでクワンパに掴みかかり、早口で喚いているのは、実はヰメラーム。
 普段はおっとりしているのだが、人間切羽詰まると本性を曝け出してしまうらしい。
 考えてみれば巫女寮の住人を募集した時に、「あの国家英雄ヱメコフ・マキアリイのお声掛かりで」という話だったから、ヒィキタイタン信者が紛れ込んでいない方がおかしいのだ。

 蜘蛛巫女ソフソも、ここに来れば何か面白い事が起きるかな、と興味本位で応募したのだが、
まさか自分よりもおかしな人間が混ざっていたとは想定外だ。
 ッイーグに歪んだメガネを向け、なんとかしてと訴えかける。
 ソフソ本人は巫女見習いから昇格したばかりで、偉そうに意見する資格をまだ持たない。

 だがッイーグにしてみても、あのヱメコフ・マキアリイに関わっていればもしかして、が有る。
 国家英雄殿本人はゲルタを齧って喜ぶ貧乏人だが、たびたび総統閣下にも召し出され、各界著名人が列を連ねて面会に来て、財閥大富豪から依頼が殺到の福の神だ。
 うまいこと金持ちの旦那筋を捕まえて店を出す出資を頼めるかもしれない、との不純な動機でここに居る。
 国会議員にして財閥後継者、おまけに背が高く美男子で王族の血筋のソグヴィタル・ヒィキタイタンがそうだったらいいよなー、との妄想も描く。
 ヰメラームが取り乱すのも分かるのだ。

 タコ巫女タルリスヴォケィヌが発言する。

「タルちゃんは、イローエント行かなくて、いいの?」
「なんでおまえが行くんだよお」 
「ヰメラームさん、落ち着いて。みんなで行きましょう、列車に乗って」
「そりゃ大家さんなら行けるでしょうが、あたしらは在来線鈍行で行かなくちゃいけないんですよ2日掛かりだ」
「そ、そうだわ。前にソフソがクワンパさんの代役をやったわね。ワタシにだってそのくらい化けられる! カタツムリ巫女だからっ」

「あのすいませんみなさん、ご飯を食べましょう。お腹が空きました」
「なんでこんな事に、」
「女が取り乱すと醜いねえ……」

 

 騒動の最中に、電話がリンと鳴る。
 若い子は誰ひとりとして気付かないから、寮監のカーハマイサが喧騒の輪から抜け出し応対する。
 クワンパを呼んだ。

「クワンパさん、お電話です」
「あ、どうもありがとうございます。誰だこんな夜分に」

 髪の毛をむしられぼさぼさになったクワンパは、よろめきながら受話器を受け取って耳に当てた。
 途端に、

「わたしも行く、ぜったい行く、行くから、式典!」
「お前誰だ」
「フ、分からぬか我こそは、」その人有りと三国四国までに鳴り響く天下無双、      の永遠の従者にして約束されし恋人、云々
「あ、分かった分かったみかん男爵だ」
「そうよ! 式典行くからねわたしも。特等席で」
「ああ、うん。じゃあおまえにはお土産買わない」

「あ、それは困る。カネで買えるモノは要らないけど、マキアリイ様とヒィキタイタン様が二人して写ってる生写真とか、関係者にしか配られない記念品に御両者のお印を頂いて、」
「しらねえよそんなの」

 通話をぶち切るクワンパだが、それにしても奴はどうやって情報を入手したのか。
 自分だって式典前倒しなんか今日の昼間聞いたばっかりだぞ。
 どこぞの諜報機関だってこんなには早く察知しないだろう。

 というか、あいつなんでここの電話番号知ってるんだ?

 

         *** 

 6月16日。式典の迎えの兵が来た。
 中央司令軍の兵曹だ。ちなみにベイスラ県には陸軍・湖上水軍の駐屯地はあっても中央司令軍の事務所は無い。
 わざわざ首都ルルント・タンガラムからの出張である。

「ニカイテン兵曹であります。ヱメコフ掌令輔と事務員のクワンパ嬢をご案内いたします」

 事務所で出迎えたマキアリイとクワンパは、既に旅装を整えてある。
 ニカイテンの表情に、マキアリイに対する尊敬と憧憬が溢れているのを観測した。
 地上最強の男に会えた喜びに打ち震えるが、公務であるから表に出すのは差し障る。しかし光栄で胸一杯。そんな感じだ。

 サユール県はマガン庄で超巨大怪物を退治した報道が今真っ盛りであるから、さもありなん。
 事務所の外でも、新聞1面に大きく刷られた怪物の写真に大人も子どもも興奮して、憧れの眼差しで事務所の窓を見つめている。
 クワンパにしてみれば、所長本人に「あいつはちょっと可哀想な奴だったんだぜ」と言われて、勝利と栄光に酔い痴れる気分には成れなかった。
 というよりも、マガン庄から夜逃げする方が余程きつかったぜい。

 マキアリイは兵曹に尋ねる。

「ちょっと早くないか」
「式典で掌令輔が使用される水上偵察機の教習と編隊飛行の訓練を行わねばならないそうです。また式典に先立って各種広報活動が予定されております」
「そうか。総統閣下のイローエント入りは何日になる?」
「存じません」

 これは国家機密に相当する。
 20日に式典を行うのであれば、移動時間を考えても前日の入りとなるだろうが、暗殺等を懸念して一応は伏されるのだ。

「ソグヴィタル・ヒィキタイタン議員の到着日時も分からないか」
「あの方はご自身が所有する水上飛行機を用いてイローエントまで飛ぶと聞いております。それ以上は」
「編隊飛行の訓練の同日か。うん分かった」

 

 今回の任務は式典参加であるから、マキアリイもいつものヨレヨレの上着で済ますわけにはいかない。
 軍礼服は現地のイローエント海軍が用意すると決まっているが、市や民間主催の祝宴なども有り私服も必要だ。
 幸いにして「勲章事件」の際に購入する羽目になった礼服を、旅宿館「富月城」の衣装担当のなよっとした男性がマキアリイの体格に合わせて再生してくれたから、今回これを用いる。
 さらには、経費政府持ちで上下一式新調させられてしまった。
 国家英雄はスプリタ幹線鉄道の特急列車を降りた瞬間から、待ち受ける報道・芸能記者の注目の的となる。
 ぱりっとした姿を見せてもらわないと、総統閣下の面目が立たないらしい。

 クワンパも同様。
 カニ巫女見習いの正装であれば上等なのだが、公の式典に出る時はそれなりに色々と装飾が増える。
 カニ神殿に相談に行き、いつも着ているものよりちょっと上等な見習い服を貸してもらった。
 カニ巫女棒もサユールで怪物にへし折られてしまったから、飾りがちょっとだけ良いものを持ち出した。

 世話をしてくれたのは、マキアリイ事務所前の前の事務員であった正巫女「ザイリナ」だ。
 彼女はクワンパの用意を整えながらも、はーっと深くため息を吐く。

「……クワンパ、式典というものはだ、戦いだ。尋常の戦場ではない」
「はい」
「何が違うかと言えば、こちらからはぶん殴ってはならない非常に理不尽なものなのだ。自重しろ」
「はい心得ております」
「その上に更に自重しろ。神罰棒は高塔のように不動のものと考え、決して振るってはならぬ」
「はい……」
「重ねて言うが、己の全身に鉄鎖を巻きつけていると考えるのだ」

 経験に基づく忠告であるから、クワンパも痛々しく思う。
 小柄ながらも頑健無比特に胃腸には絶大の耐久力を誇ったザイリナが、首都ルルント・タンガラムでの度重なる式典祝宴で神経を痛め、胃痛で医者の手を煩わすまでに追い詰められたのだ。
 これから向かうイローエントも、同様の修羅場となるだろう。

 

 通常荷物持ちはカニ巫女事務員の仕事だが、今回兵曹の下に上兵と正兵の2名が付いてくる。
 1人は荷物持ちだが、上兵はマキアリイの警護を専門とする。
 国家英雄ヱメコフ・マキアリイは正義を貫く活躍により敵も多く、復讐を試みる者も予想された。
 それ以上に、一般市民が一目見よう触れてみようと押しかける。警備には万全を尽くさねばならない。
 彼等もまた、天下無双の豪傑に会えて頬を紅潮させる。

 スプリタ幹線鉄道ベイスラ駅までは軍の乗用車で移動する。
 乗り込むマキアリイとクワンパを、町内の人が集まり花ビラを撒いて祝福した。事務所下には横断幕が掛かっている。
 事務所1階の靴・皮革卸問屋では「ヱメコフマキアリイさんサユール怪物退治および「潜水艦事件」十周年式典参加記念」と銘打って、大売り出しまで始めたのだ。
 誰が呼んだか、街頭宣伝の楽団がぴこぴこと楽しげに音楽を奏で、子どもが飛び跳ね大喜び。
 群衆の中の新聞記者が写真機の閃光を煌めかせる。

 クワンパは、事務所留守を引き受けてくれた質屋のネイミイに後を託して、それでも何か物足りないと首を伸ばして周囲を確かめる。
 たぶん、アレもこの場に来ているのではないか。英雄の勇姿をその眼に納めずには居られないだろう。
 みかん男爵は。

 

         *** 

 スプリタ幹線鉄道ベイスラ駅通称「ベイスラ幹線駅」は、在来線ノゲ・ベイスラ駅から少し離れた場所にある。
 在来線駅に乗り入れた方が便利であったが、既に線路が立て込んで新たに幹線鉄道を通す場所が取れなかった。
 貨物も取り扱うから広大な敷地が必要だ。故に少し離れた人家の少ない場所に建設した。
 両駅の間には路面電車を運行して旅客の移動の便宜を図る。

 今回マキアリイとクワンパが利用するのは、ヌケミンドル発イローエント行の特急列車『ロクレオン(継矢)11号』。
 「双子替え玉殺人事件」で乗った豪華特急列車『ファイファオン(早風)』 ほどには立派ではなく、個室車両も連結されていない。
 料金も割と安く、業務での移動によく使われる列車だ。

 『ファイファオン』はイローエント市から終点デュータム市までスプリタ街道を縦断する列車だが、『ロクレオン』はヌケミンドル止まり。
 ヌケミンドル市はスプリタ街道の中点であり、東西交通の中枢ともなる重要な都市だ。
 首都とならないのが不思議なくらいだが、交通の良さが禍いして度々戦火が及んでいる。そこを厭われたのだろう。

 式典に動員される官僚や軍人も、首都からカプタニア在来線でヌケミンドル市に至り、スプリタ幹線鉄道に乗り換える。
 乗客は関係者で一杯だった。

 マキアリイとクワンパは二人並んで席に座る。一等車だ。
 『ファイファオン』では二等車座席の車両なのだが、他に上等な車両を連結していなければ一番豪華となる。

「食堂車は有るんですよね」
「有るが、今日はやめておけ。これに乗ってるのはそれなりに階級が上のお役人ばっかりだ」
「ああ、お亡くなりになられたトムタラさんみたいな、ですね。それはご一緒したくないな。」(注;トムタラ参議官 サユール事件にて惨死)
「車内販売の弁当買ってやる。残念ながら、この列車ではゲルタ弁当は売ってない」
「それは素敵な」

 一等車には重要人物が乗ると決まっているが、兵隊の歩哨まで立っているとなれば大事だ。
 乗客は時々確かめに来て、あの国家英雄ヱメコフ・マキアリイが居ると知って納得する。
 庶民とは違ってダメを覚悟で特攻してお印の署名を頂こうとしないのは、さすがに官僚と言えるだろう。

 クワンパは不思議に思う。

「でもタダの式典ですよね。そんな沢山役人を首都から呼ぶ必要があるんですかね」
「生易しい式典じゃないって事だろう。総統閣下がイローエントに出向くのは珍しい。この機に南岸関連の諸政策にケリを付ける折衝とか行うんだな、選挙も近いし」
「もろに政治に行くわけですね」

 

 タンガラムの政治箴言に、「方台の全ては北で定められ、南から覆される」というものが有る。

 ボウダン街道が東西を貫き交易で栄えた北方地帯には、古代から大都市が建設され人口も多い。
 国家の攻防もボウダン街道を巡って繰り広げられた。
 中央部のアユ・サユル湖近辺、かっては毒地と呼ばれた平原地帯も開発こそ遅れたものの、豊かな実りで重要視される。
 だが南方は乾いた大地と高温の気候で生産力に乏しく、せいぜいがゲルタを干して塩するか、海賊にでもなるしか無かった。

 すべてが北方で定められるのも当然であるが、中枢から遠く野放しの状況は秩序に反抗する勢力にとっては格好のゆりかごと成る。
 古くはカブトムシ神救世主「クヮァンヴィタル・イムレイル」の蜂起。またトカゲ神救世主「ヤヤチャ」の降臨。「ソグヴィタル王 範ヒィキタイタン」の新生紅曙蛸王国。
 新しいところでは、方台防衛の根幹を揺さぶった「潜水艦事件」も、統治の手の薄い南岸地方であればこそ。
 決して疎かにしてはならない土地なのだ。

 

 幹線鉄道イローエント駅に降り立ったヱメコフ・マキアリイとクワンパは、あまりにも大勢の人が待ち受けるのにびっくりする。
 大楽団が華やかに奏でるのは、映画『南海の英雄若人 潜水艦大謀略を断つ』の主題曲。もはやマキアリイの為に作られたとしか思えない曲だ。

 イローエント市長はまだ40代で日に焼け精力的で、自ら先頭に立ち出迎え、マキアリイの両手を取って歓迎する。右手を握って大きく観衆の前で差し上げた。
 どうも、市長自身の印象を良くし支持率を高める効果が有るらしい。
 取材記者達が遠慮容赦なくばしゃばしゃと白い閃光を放ち、まるで花畑に迷い込んだかに感じる。

 「潜水艦事件」十週年記念式典の主役は、ソグヴィタル・ヒィキタイタン議員とヱメコフ・マキアリイ、そして国家総統の3人である。
 最も早く到着したマキアリイに歓迎の熱意が集中するのも無理は無い。

「所長、アレなんでしょう?」
「なんだろうなアレ」

 群衆の上に、たぶん公的な歓迎の飾りとは別に市民が勝手に作って持ち込んだと思える大きなぬいぐるみが浮いている。
 蛇のように長い手足がずるりと広がり、数本の竿で下から支えられている。

 市長が教えてくれた。

「ハハハ、マキアリイさん。サユールの怪物のぬいぐるみですよ。いやー素晴らしい、天晴だ、我が事ではなくとも誇らしい気分になりますぞ」

 南の果てではあっても、ど田舎サユールでの英雄的大活躍事件はしっかり報道されている。
 タンガラム中で今最も評判の男が、イローエント市を訪れたのだ。
 式典に臨むにあたって素晴らしいお土産を用意してくれた、とでも思っているのだろう。

 

         *** 

 迂闊なヱメコフ・マキアリイはすっかり忘れていたのだが、
サユール県マガン庄から夜逃げ同然に帰還した彼は、事件後報道陣に対してロクに話をしていない。
 犠牲者も出ている事件で勝ち誇るのもなんだから、公の記者会見を開いたりはしなかった。

 記念式典に先立ち大勢の報道記者の前に立たされれば、怪獣事件に関しての公式な声明を発表せねばなるまい。
 記者達の心境では、そしてイローエント市長の考えでは、マキアリイは今日のこの日の為に敢えて事件について語らなかった、となる。
 期待はいやが上にも高まり、伝視館放送で全国実況中継される。

 何も考えて来なかったマキアリイは、「あー俺って迂闊だなあ」と宙に目を踊らせるばかりだ。
 一方クワンパは、そもそもがこれほどの写真機を向けられるのが初めてで、強烈な照明にまつ毛が焦げる程に炙られ、硬直する。

 共に記者会見の席に着く市長は、式典についての前置きも可能な限りの短さで切り上げ、記者に質問を委ねる。
 代表質問者が集音器に語りかけ、会見場を遠巻きに見守る大勢の市民にも声が伝えられる。

「それではマキアリイさんにお尋ねいたします。サユール県マガン庄にてあなたが仕留められた巨大な魔獣の正体は、何だとお考えでしょう」

 そんなこと分からない。マキアリイは動物学者ではないのだから。
 ただ、それらしい解答は知っている。

 新聞1面に大きく刷られたマガンの砦に吊るされる巨大怪獣の写真を見た瞬間に、タンガラム各地の動物学者は研究室を飛び出しサユールに向かう。
 どう見ても、バシャラタン法国に固有の生物「ナマケモノノケ」としか思えない。ただ異様に大きい、大き過ぎた。
 学者であっても完全に処理された剥製や標本でしか実物を見た事が無い。バシャラタンにおいても成獣が飼育された例は無く、幻の獣であった。
 新聞には喜々として死骸を分析する彼等の所見が載せられて、多くの人が読んでいる。

 だがそんなものを記者達は、見守る群衆は英雄に期待しないだろう。
 さあ、どうするべきか。

「いや、実は私は戦っている最中、アレの姿がよく見えなかったんですよ……、」

 と始まる体験談。聞く者はあっという間に取り込まれ、まるで自身も英雄と共に戦っているかに感じられた。
 クワンパが「勲章事件」で呆れたマキアリイの隠された必殺技「お笑い演芸」が炸裂した。
 これこそがまさに国民が聞きたかったもの。

 単に怪物がどう凄かったかでなく、専門用語が混ざった複雑な格闘技巧の解説も絡めて、全国の英雄探偵熱狂的支援者の玄人魂も満足させる。
 特に大袈裟な身振りも見せないが、聞く人は手に汗握り心踊らせ、目の前に怪物を見るかの異様な圧迫を覚えた。

「……というわけで、戦っている最中はまったくに正体不明で、仕留めて死体になった後でようやく全体像を把握できたわけです。
 だが、私が戦う姿をすぐ傍で一部始終見届け、怪物の正体を看破し、急所を教えてくれた者が居ます。

 ご紹介しましょう。我がヱメコフ・マキアリイ刑事探偵事務所に勤める、カニ巫女見習い「クワンパ」です!」

 こいつ、ネタが切れて私に丸投げしやがった!

 クワンパは頭真っ白に、目の前真っ暗で集音器に喋る。いや、もう意思ではなく自動人形が勝手に動いているだけだ。
 自分は何を言葉に出すのだろう。歌でも歌い出すのでは。

 

 記者会見が終了し、立ち上がったヱメコフ・マキアリイとイローエント市長は強く固く手を握り合い、また市長はクワンパをも抱きしめて親愛の情を示した。
 係員の案内するままに、イローエント幹線駅の貴賓室に通される。

 クワンパが正気を取り戻したのは、カニ巫女棒をその手に戻された時だ。記者会見中は邪魔だからと係員に取り上げられていた。

「はっ、私はなにを!」
「おうクワンパ、やっと意識が戻ったな」

「所長、私、わたし、なにをしました。なにを喋りました。なにをやらかしましたか!」
「よくやったよ。離れた場所の自動車の中から見た怪物との戦いを、よく表現して喋ってくれた。やはり傍から見てないと分からないものがあるんだな」
「なにか、不都合な、失礼な、失敬なこと、言いましたか言いませんよね、私、」
「聞いてる人も感心していたぞ。カニ巫女棒をへし折られてもよく戦ったって。多少は自分の美化が混ざっていた気がしないではないがな」
「なんかやっちゃったんですね私ー」

 果汁の炭酸水割りが出されたが、あっという間に飲み干してしまう。
 全国放送で、私は、何をやっちまったのか。ノゲ・ベイスラの巫女寮の皆も、カニ神殿の訓練生も、実家の家族も見ちゃったと言うのか。

 死にたい。切実に願う。

 案内のニカイテン兵曹が今夜これからの予定を告げる。

「次は市長主催の歓迎祝宴が行われます。ハナト系列旅宿館の大会堂で行われ、宿舎もそのままお泊りいただけます」
「では今日はそれで終わりか」
「はい。ですが深酒をなさらないようにお願いします。明日は朝から水上飛行機の訓練飛行を行う予定となっています」
「了解した。

 来たぞクワンパ、『ザイリナ殺し』だ」

 クワンパ、絶命す。

 

         ***  (式典2日目)

 6月17日早朝。
 ヱメコフ・マキアリイとクワンパは、イローエント軍港区水上飛行機・飛行艇発着場に居る。
 酷く暑い。

 まだ6月というのに、南岸は夏の気候になっていた。
 マキアリイが言うには、イローエントの7月8月はこんなものではなく、照りつける日差しに肌が焼き付き、たちまちに汗が蒸発してかさかさになるらしい。
 選抜徴兵の2年間で実際に体験し、過酷な環境の中で訓練を行ったのだから間違いない。

 「潜水艦事件」の解決で彼は英雄と成り、軍と政府の広報活動に引っ張り回された。
 その間は正規の訓練は免除されたものの、代わりに短期間で徹底的に水上飛行機操縦を叩き込まれた。
 海洋環境耐久生存訓練も本来の徴兵訓練生のものではなく、たまたまやっていた第一線部隊の強攻制圧隊の演習に放り込まれる。
 とにかく通常の訓練生と同量の課程をおよそ3分の1の時間で詰め込まれた。

 後のマキアリイの不死身ぶりを考えると不思議は無いのだが、ソグヴィタル・ヒィキタイタンも同様の目に遭わされる。
 残り半年分であったが、こちらの方が奇跡であろう。

 額からだらりと垂れる汗に、クワンパの顔色は冴えない。
 昨夜市長主催の祝宴にて、あのザイリナですら屈した拷問に晒されたのだ。
 所長が心配して尋ねる。こちらはかなり元気そうな肌ツヤだ。

「だいじょうぶかクワンパ」
「所長は随分と調子良さそうですね」
「皮肉を言うな。昨日はほとんど酒飲ませてもらえなかったからだ」

 翌日訓練飛行を行う事が決まっていたから、祝宴においてもマキアリイは深酒を許されなかった。
 かなり美人の女性兵士が1名張り付き絶対に飲まないように監視する。
 マキアリイに信用が無かったというよりは、海軍が予定を変更されるのを恐れて万全の策を講じている。

「お前はどうだった」
「……生命力指数の7割までも喪失した気分です」

 

 マキアリイは、イローエント海軍航空団水上機部隊第一偵察隊と共に、式典で模範飛行を行う。
 いつもの通りに訓練隊かと思ったのだが、今回初めて実戦部隊と合同だ。
 海軍もかなり無茶をしてくれる。

 第一偵察隊長は掌令正、つまり中剣令と同等の権限を持つ偉い人だ。35才で、実際に戦場で飛行を行う上限の年齢である。

 彼と共に整列した隊員の操縦士、索敵士、整備士その他でおよそ百名。
 水上偵察機を16機と水上救難機、連絡機を運用する。
 「潜水艦事件」以後空中からの不審船・潜水艦の警戒体制が大幅に拡充され、また広範囲になり、偵察隊の重要性は大きく増している。
 イローエント海軍第一偵察隊はいわば花形部署であった。

 マキアリイとクワンパは壇上に立たされ全員に挨拶させられる。
 彼等の目はやはりキラキラと輝き、クワンパの方にまで視線が降り注ぐ。
 昨夕の記者会見は伝視館放送のみならず音声放送でも流されていたから、兵舎で聞いていた者も多いのだ。
 お笑い演芸を披露したマキアリイの選択は、完全に正解である。
 クワンパの認知度も急上昇だ。

 軍用機の操縦は下士官以上の階級を必要とし、洋上偵察機においては兵曹以上となる。
 掌令輔ともなると偵察機分隊指揮、戦闘機隊では敵機撃墜経験者などで、結構な技量を持っている。
 マキアリイの掌令輔は特別昇進によるものと皆知っているが、操縦技量はいかほどか。

 隊長が飛行経験を尋ねた。

「ヱメコフ掌令輔が最近飛行機の操縦を行ったのは何時であるか」
「「闇御前」裁判の頃だから、5月になります。アユ・サユル湖上で夜間飛行を行いました」
「夜間か」
「はっ。無灯火離着水を数度行いました」

 ほおーと声が上がる。
 海上ではなく波の無い湖上ではあるが、一種の曲芸飛行だ。或る程度は腕が分かる。

「使用した機体は何であるか」
「民間飛行機協会から借りた「ルビガウルVゼビ」であります」
「ルビガウルVだあ〜?」

 どよめく隊員達。
 ルビガウルV型偵察連絡機はもう30年以上前の機体だ。洋上での運用が終了になってから20年になる。
 若い操縦士整備士では見た事も無い。

 マキアリイは、自分の所有では無いものの貶された気がしてカチンと来た。弁明を行う。

「お言葉ですが民間にあっては旧型機であってもよく整備され盛んに使用されています。問題はありません」
「あ、ああ。Vは悪くない飛行機だったな。うん」

 ちなみにイローエント海軍偵察隊にあっては数年前まで発展型の「ルビガウルW」が用いられており、「潜水艦事件」以後は南岸全域に偵察飛行隊が増設され機体はそちらに回され、第一飛行隊には新型機が配備された。
 「ルビガウルX」だ。
 昔を知っている古株の整備士も目を瞑って考える。Vは悪くはない機体であったが、現在の進歩した飛行機それも最新軍用機に比べると……。
 旧式機いや骨董品の扱いに長けたヱメコフ・マキアリイは、逆にとんでもない技術の持ち主だ。

 マキアリイは式典で飛行機を操縦させられるのも度々で、「ルビガウルW」にだって乗った事がある。
 あんまり舐めないでもらいたい。

 隊長は皆を鎮め姿勢を立て直して、改めて説明を行う。

「式典においてはヱメコフ掌令輔には特別塗装を施した新型偵察機「ルビガウルX」に乗ってもらう。
 本番では後席には民間の映画撮影技術者が乗る事になる。
 本日はヱメコフ掌令輔に使用機体での習熟練習と、編隊飛行における位置取りの調整を行ってもらう」
「了解しました」
「技量が十分であると確認した後ではあるが、簡単な曲技飛行をしてもらう事もあり得る。
 これは後で合流する予定のソグヴィタル・ヒィキタイタン国会議員の所有機体と操縦技能を確認して判断する」

 ソグヴィタル・ヒィキタイタンの名に、またしても隊員は動揺した。

 なにせ民間人である。しかも自身で所有する飛行機での参加だ。
 「潜水艦事件」においても飛行機を自在に操って名を上げた英雄であるが、マキアリイ以上に心配だ。

 

 壇上に立つクワンパは、ただひたすらに暑い。

 

         *** 

 最新鋭偵察機は陽光にぴかぴかと輝き、目を刺す鮮やかな塗装を施されていた。

「真紅、だな。それに黒い帯が、」
「紅曙色ですよ。タコ(紅曙蛸)神「テューク」を表す色です」

 方台南岸は古来より紅曙蛸女王のものと見做され、今も信仰が篤い。
 イローエント海軍の軍旗もこれにあやかり紅曙色を用いている。

 マキアリイは驚いて、今回訓練飛行の教官を務める兵曹長に尋ねる。

「イローエント海軍旗の色に塗った機体で、俺が飛ぶのか」
「大変な名誉だが、ちょっとあざといと思うよ。国家英雄で無敵のマキアリイ様の威光を借りようてわけさ」

 カルモ・ハテ航空兵曹長はマキアリイより2才下だ。海外派遣軍にも参加した事が有ると言う。
 兵曹長と掌令輔は権限上は同等だが准士官の掌令輔の方が若干偉い。だがマキアリイは実際に軍務に就いている者を優先する。
 めんどくさいから、敬語なんかすぐ二人とも使うのをやめた。

 桟橋に係留されている新型機「ルビガウルX」を「V」と比べてみると、まず大きい。
 「潜水艦事件」以後警戒範囲を大幅に拡張せねばならなくなり、偵察機の航続距離の延伸を要求された。
 ただ伸ばすだけではなく、速くなければ現実的な運用に差し支える。
 発動機の出力が増強され、燃料槽も大型になり、機体規模が大きくなる。
 一昔前の攻撃機並だ。

 機体下部を覗き込んで、マキアリイは唸った。

「爆装だけでなく、雷装も出来るのか」
「小型魚雷ならね。あくまでも海軍の無茶な要求に製造社が応えたってだけだよ。雷撃の訓練なんかやった事が無い」
「爆撃は有るんだ?」
「警戒範囲が大幅に広くなったから、攻撃隊が到着するまでに目標を見失う可能性がある。少しでも足止めする為に爆撃するんだよ。
 偵察任務だから1発しか持って行かないけどね」
「なんだか戦闘機ぽい翼形状だな」
「海外派遣軍の経験から、偵察機狩りに戦闘機が上がるのが常道になってる。空中戦はしないまでも逃げられるだけの運動性が無いと務まらない時代なんだ」

 それでもまあ、主翼が上下2枚付いているのだから、さほど異なった操縦は必要無いだろう。

 カルモ兵曹長は整備員に支えられ機体に上がり、操縦席を示す。

「むしろ中身の方が大きく進化した。無線機は標準装備だし羅針方位盤と統合されて自動測位が可能になった。電波発信で基地からの距離を測る事も出来る。
 そして航法装置だ。方位盤と連動して一定方向を指し示し、自動でその方向に飛ぶ」
「自動操縦……」
「凄いだろ。これで電探が付いてしまったら、もう肉眼で索敵観測する必要無いさ」

 桟橋に跳び下りた。

「とはいえ離着水は操縦士の腕だし、突発的事態での判断力は経験だ。
 国家英雄の操縦技量を見せてもらおうか」

 

 マキアリイとカルモ兵曹長は飛行服に着替えて真紅の機体に乗り込み、水しぶきを蹴立ててさっさと飛び上がってしまった。

 後に残されたのは、クワンパと護衛のニカイテン兵曹以下3名。
 彼等は常にマキアリイの行き先に付いていくが、海軍側にしてみれば余計者だ。
 飛行訓練中はやる事も無く、クワンパと共に宙を見上げている。

 ニカイテン兵曹は紺碧の海の上を自在に飛び交う紅の飛行機に、眩しく目を細める。

「あれは、マキアリイさんが操縦しているのですね」
「ええ。新機体でなければ練習も必要無いくらい操縦は上手ですよ」
「凄いなあ。陸上で格闘をしても無敵なのに、空でも自由に飛んでいる。あの人はどこまで可能なんだろう」

 

 一度下に降りて、カルモ兵曹長は偵察隊隊長にマキアリイの操縦技量の審査結果を伝える。

「ヱメコフ掌令輔の操縦技量は十分なものです。これまでにも模範飛行は何度も行ったと聞きますが、訓練隊仕込みの教科書通りの操縦で癖がありません」
「そうか。では編隊飛行でも問題は無いな」
「また機体に無理をさせない操縦が身に付いており、或る程度振り回しても乱暴な操作はせず確実に立て直します。簡単な曲技飛行も可能です。
 判断も的確にして胆が座り、突発的事態にも十分対処出来る経験も有ると思われます」
「うん」

 十分満足すべき技量だ。カルモはこうも付け加えた。

「ヱメコフ掌令輔は1週間も訓練すれば十分任務に投入できると考えます」

 

 次は第一偵察隊との編隊飛行訓練で、8機が別に上がる。
 またソグヴィタル・ヒィタイタンの機体の代役も共に飛ぶ。この機体も特別な塗装が施されていた。
 ヒィキタイタンは個人所有の水上機で模範飛行を行うのだが、不具合が発生した場合はこれに乗り換える手筈だ。

 これより先は映画撮影も行われるという事で、民間の映画会社の撮影隊が慌ただしく準備を行う。
 総統府直々の指示である。
 今回の式典において、マキアリイとヒィキタイタンは一挙手一投足までもが撮影され、後に広報映画として用いられるのだ。

 マキアリイは暇そうなクワンパに軽口を叩く。

「お前も飛行機に乗ってみるか」
「いえ結構」
「俺のじゃないよ、ヒィキタイタンが来たらその飛行機にだよ」

「う〜〜〜〜〜〜〜ん」 悩む。

 

         *** 

”第一偵察隊空中の全機に告ぐ。申請のあった民間機が訓練空域に接近している。歓迎の隊形を取れ”

 編隊飛行訓練の最中であった第一偵察隊の「ルビガウルX」は4機ずつに分かれて、新たな隊形を組み始める。
 マキアリイが乗る特別塗装機も、後席のカルモ兵曹長が無線の指示を受け前席操縦士に告げる。

「到着されたようだ」
「来たか」

 大きく旋回して遠くスプリタ街道上空を監視する。
 予定通りであれば首都からベイスラ上空を通ってまっすぐに南下するはずだ。

 マキアリイ機は僚機に挨拶をして、単独で出迎えに行く。
 まもなく空中に染みのように点が見えて来る。無線交信の声が聴こえる。

”イローエント海軍管制塔に告げる、こちら386。着水の許可を乞う”
”386に、こちら海軍管制。ようこそ南海軍へ、ソグヴィタル議員。ヱメコフ・マキアリイ掌令輔も既に空中に上がっている”
”386了解。 マキアリイ、聞いてるか?”

 相対する飛行機は、共に相手の姿がはっきりと見える距離に到達した。
 ソグヴィタル・ヒィキタイタンが駆るのは、民間でありながらも戦闘機にも勝る速力を誇る競技用高速機だ。
 水色と緑青に塗り分けられるのは、旧「ソグヴィタル王国」の国旗の色。河川と森林を表し、白線を縦に引いてスプリタ街道を意味する。
 紋章は描いていない。
 ヒィキタイタンの実家は「ソグヴィタル」を商標に使えないので、財閥創業者曽祖父の名を取って「カドゥボクス」を名乗る。その文字が白色で描かれる。

 マキアリイ搭乗機は大きく反転して、ヒィキタイタン機と翼を並べて並行する。
 後席のカルモが唸った。

「スピノヴァ社の競技用最新鋭機だ。それも、」
「単葉機だな」

 発動機の出力が十分大きくなれば、複葉機よりも単葉機の方が高速性で有利なのは分かっている。
 分かってはいても、翼に命を預ける操縦士はこれまで通り変わらぬのを望み、軍用は未だに複葉機が主流である。
 スピノヴァ社は海外派遣軍で運用する艦載用水上戦闘機を納入しているが、やはり複葉機だ。

 マキアリイが無線で呼びかける。

「ヒィキタイタン。考えてみれば俺達、一緒に空を飛んだのはこれが初めてじゃないか?」
”君が後席に乗ってたのは勘定に入らないか。ハハハ、そう言えばそうだ”
「そちらの燃料はどのくらい残っている?」
”四半刻(30分)てところだよ”
「十分だ。付いて来いよ」

 後席カルモに指示して、先程まで行っていた式典での模範演技、編隊飛行訓練に戻る。
 今度はヒィキタイタン機と共に。

 

 地上で眺めるクワンパとニカイテン兵曹以下3名。
 いや、第一偵察隊の操縦士や整備士作業員も皆空を仰いで、二人の英雄が共に駆ける姿を眺む。

 ニカイテンが独り言つ。

「心なしか、マキアリイさんの乗った機体の動きが生き生きとしたような気がする……」

 クワンパも思う。あの二人は互いによく気が付き、即興で変則を仕掛けても絶妙な間合いで反応する。
 周囲に飛ぶ編隊の動きに注意して、見栄えの良いようにだ。
 最初からそういう風に演技を構成しているのだが、まさに中央の2機こそが主役であると納得した。

「あれは、ヒィキタイタン様の御人徳てものですね。生まれながらに主役になってしまうのは」

 華やかさに関してはヱメコフ・マキアリイも数歩劣る。
 それが「潜水艦事件」若き英雄二人の最初から定まっている立ち位置なのだ。

 

 間もなく二人の飛行機が降りてくる。
 複葉機はふんわりと海面に着水するが、ヒィキタイタン機はざっくりと鋭く、だが不安は感じさせない。
 桟橋までゆっくりと前進し、作業員に係留される。

 第一偵察隊隊長と共に、クワンパ達も出迎えに行く。
 ちょうど飛行機から降りて、桟橋から陸に上がってきた所だ。軍とは違う色の飛行服がすっくりと高く、優雅に。
 隊長がまず声を発する。

「ようこそ、ソグヴィタル議員。イローエント海軍へようこそ」

 応える男性の姿に、クワンパは目が眩みそうだ。
 ああっ! 王子様だ。

 

         *** 

 ヒィキタイタンの機体は、スピノヴァ社の整備士が5人も出張して面倒を見てくれる。
 第一偵察隊ではスピノヴァ社の製品は使っていないから整備に困難が有って助かるのだが、大袈裟な話だ。
 聞けば、今回の式典にヒィキタイタンが自社の飛行機を用いると決まった時に、あちらから無償での整備を申し入れて来たらしい。
 またと無い宣伝の好機と見たのだろう。
 次期戦闘機選定の際にも今回の模範飛行は絶好の材料となる。式典は天然色映画で撮影され全国公開もされるのだから、損はまったく無いわけだ。

 マキアリイには機体の色も気にかかる。

「よくソグヴィタル王国旗を使えたなあ」
「そこは総統府からソグヴィタル王家に使者が行って、特別に使用の許可をもらったんだよ。
 一発で分かる印象深い印、ってのは大事だね」

 

 ソグヴィタル・ヒィキタイタン 30才。独身。職業は国会議員。
 コニャク樹脂を使った高度な化学製品を生み出す「カドゥボクス財閥」の御曹司。後継者、であったのだが今は少し様子が違う。

 彼は三人姉弟、姉妹の真ん中の長男であり、当然に唯一の後継者と見做されてきたが、あろうことか国会議員などになってしまう。
 財閥総帥と国会議員の兼業はさすがに問題で、彼自身の意思から議員の職責を優先した。
 やむなく姉の配偶者が後継者として新たに立ち、なんとか繋いでいこうとの話になる。
 つまりは、家業を疎かにして政治にうつつを抜かす道楽者、だ。

 それにしても、とクワンパは夢を見ているかの浮遊気分。

 お金持ちだから髪は赤いし、顔立ちは気品があって美しく、それでいて弱さを見せず精悍なところも有るし、ちょっと物憂げな感じも見られる。単純な美男子ではない。
 背はマキアリイよりも高く、ほっそりして優しそうであるが、これで運動競技は万能。何をやらせても玄人はだしという超人だ。
 学問や芸術音楽であっても、自動車や飛行機の競技に出ても、どれもあっさりと結果を出してしまう。
 弁舌は爽やかであるが、口先ばかりではなく実行を以て信条理念を表現し、実の有る人物として新聞政治記者のうるさ方もが認める。
 おまけにお洒落だし身のこなしが一流俳優のようにひとつひとつが際立って印象深く、自ら流行の発信元と成る始末。

 生まれながらに全てに恵まれたヒト、は確かに居るのだなと納得せざるを得ない。
 小学校の頃からマキアリイ派のクワンパであるが、実物を前にして転向もやむなしと覚悟を決めるほどの圧倒的王子様だ。

 敢えて難を言うのなら、政治家なんかをやっている事か。
 政治で際立って目立つ活躍をするのは非常に難しい。いや、そんな事態は国家の一大事、起きてはならぬ不測の危難を見事解決した時だろう。
 政治家が手柄を立てるなど無い方がマシ。

 社会に与える影響、功績に関してはこの10年至る所で大騒動を巻き起こしてきたヱメコフ・マキアリイに軍配が上がる。
 いや、刑事探偵だってあんまり活躍するのは良くない社会だ。

 折角だから何かお話を、とあたふたと考えていると、もうお終いの時間だ。
 第一偵察隊隊長が申し入れる。

「ソグヴィタル議員、万が一の時に式典で使う代替機の方もお試し願えますか。こちらでも編隊飛行の練習をしてもらいたいのです」
「分かりました。「ルビガウルX」ですね、初めての機体だ。楽しみだなあ」

「ヒィキタイタン、もう水上機でなく陸上機に転向したかと思ってたよ」
「ああ、議員の仕事で忙しくあまりカプタニアには行けないからね。あのスピノヴァも普段は妹が乗ってるんだ」
「ほんとかよ、あのお転婆」
「今度また家で遊んでやってくれ。やわな男とばっかり見合いさせられるってすねてるから」

 

 置いてけぼりを食ってしまった……。

 再び空中でくるくる回る飛行機を眺めていると、知り合いの軍人がやって来た。
 先月事務所に来て、マキアリイに式典参加の命令を下して行ったィメコフ中剣令だ。
 「ィメコフ」と「ヱメコフ」はちょっと似ているけれど、家系的には全然関係無い。

「ソグヴィタル議員も空の上ですか」
「こんにちは、ィメコフさん」
「ご機嫌よろしいようですね、クワンパさん。ヱメコフ掌令輔はアレですか、順調そうですな」
「ィメコフさんも式典で大変なお役目を果たしていらっしゃるのでしょう。ご苦労様です」
「はい。今日来たのはヱメコフ君とソグヴィタル議員を呼びに来たのです。早速出番ですからね」
「出番?」
「クワンパさんもよろしくお願いします」

 彼は中央司令軍の中剣令である。
 同じ所属のニカイテン兵曹以下3名がしっかりと直立不動で敬礼する。
 軽く返して、改めて彼等に指示を伝えた。部外者には分からない符丁を使う。
 クワンパにも説明しておかねば、と向き直った。

「クワンパさん。この3名と同様にソグヴィタル議員にも中央司令軍の護衛が付きます。よろしくお願いします」
「あはい。分かりました」

 

 訓練飛行を終えて戻って来たヒィキタイタンとマキアリイに、ィメコフ中剣令は改めて挨拶をする。
 そして指令を伝える。

「間もなくイローエント幹線鉄道駅に、総統閣下の特別列車が到着する。
 ヱメコフ掌令輔とソグヴィタル議員には駅停車場での閣下の出迎えを務めてもらう。
 これは政治上極めて重要な演出であり、報道陣による過剰な撮影も行われるから、極力協力的にお願いしたい。

 また、ヱメコフ掌令輔に特別に命じる。
 総統護衛任務は他の者が専任で行っている。君には、個人的判断による正義の執行を控えてもらいたい。極力、穏便に」

 

         ***  

  海軍の高級士官用乗用車で「幹線鉄道イローエント駅」まで移動する。

 マキアリイとしては久しぶりに会った親友ヒィキタイタンと話もしたかったのだが、警備の都合により3台に分かれて行く。
 どうも中央司令軍においては、ヒィキタイタン議員の重要性もさる事ながら、自分の安全に関しては特に警戒しているらしい。
 総統訪問を控えて全市が厳戒態勢の中でも、マキアリイ個人の暗殺に走る勢力が無いとは考えない。
 巻き添えを食わぬよう十分注意していた。

 自動車は6人乗りで、運転するのはイローエント海軍兵。
 助手席にベイスラから付いて来た護衛の上兵が、中席にニカイテン兵曹が一人で、後席にマキアリイとクワンパが並んで座る。
 荷物持ちの正兵は別の車での移動だ。

 マキアリイはクワンパに尋ねた。

「生ヒィキタイタン、どうだった?」
「もう死にそうです」

 カニ巫女棒を車窓から半分突き出しても窮屈な姿勢のクワンパだ。それでも興奮は隠せない。
 やはり本物を目の前手の届く距離で見てしまうと、破壊力抜群。呼吸がたっぷり1分間停まるかと思った。
 写真や映画、伝視館放送で何度も見て知っていても、その美男子ぶりには呆れてしまう。

「所長、私改めて不思議に思ったんですが、よくあんな王子様と友達になれましたね」
「あ? そんな事言われてもだな、選抜徴兵で先輩後輩だし、なんとなくつるむようになっただけだなあ」
「いやそこ、他の人たちはどうだったんです? 敬遠されてたりしませんでしたか」
「言われて気が付いたが、たしかにヒィキタイタンは別格だった。そもそもカネの有る奴は応募しないからな、士官になる事は有っても兵になろうってのは」
「ですよね。進学の特典目当てですよね普通」

 

 車は水上機発着場のある郊外から、家の立ち並ぶ市内に入る。
 イローエント市は中心部こそ近代都市だが、一歩外れると伝統的な泥で壁を塗った家が多い。2階建てより上はほとんど無い。
 外国人が住んでいる家はそれぞれの民族色溢れる装飾をして、やはり他とは違う印象だ。

 にも関わらず不思議な事に、思ったほど外国人・滞留者を見ない。
 ニカイテン兵曹が教えてくれた。

「総統閣下がお出でになりますので、全市に検問を敷いて外国人の移動を極力制限しています。
 スネに傷持つ者は中心部に入ってきません」
「そうなんですか」
「ああ、じゃあ市民経済もずいぶん落ち込んでるな」
「今は何処も商売にならないようです。犯罪発生件数も5分の1以下に抑えられていると聞きました」

 「幹線鉄道駅」は市内から少し離れて内陸寄りになる。
 新しい規格の幅が広い線路だから専用の操車場・荷役場を必要として、広大な土地を要求する。
 既存の鉄道線路の方を延長して、幹線鉄道駅にまで通してある。

 そして既存鉄道の「イローエント終着駅」があるのが、今回「「潜水艦事件」10周年記念式典」の舞台となる「イローエント要塞」前だ。
 終着駅というよりも、タンガラムに入出国する窓口である。関所だ。
 だから軍隊が警備する。要塞という名の役所が建設されている。

 タンガラムにおいては通関業務や関税徴収なども、海軍の仕事である。いやむしろ、海軍以外のどこの部署がそれを担当すべきか。
 長く外国の存在を知らず、国内海運のみで行政も成り立った来た。
 海軍自体も戦争よりは密輸や海賊を取締る警備任務を主体として発展したわけだ。

 海外からの侵攻の可能性など、創始歴6072年に起きた『砂糖戦争』まで誰一人として真剣に考慮した事が無かった。
 近代的な海戦に対応できる戦闘艦艇を揃えるようになったのも、それ以降となる。

 

 到着した自動車から、まずはヒィキタイタン、続いてマキアリイとクワンパが降りると
幹線鉄道駅に集合していた群衆は前日に倍する歓声を上げて熱狂する。
 昨日と違って、若い女性の甲高い悲鳴が数百同時に発せられた。ソグヴィタル・ヒィキタイタン議員が来ると知れていれば、致し方なし。
 なのだが……、

「クワンパさあーーーん!」

 と呼ぶ声も少なくない。なんだこれは?

 

         *** 

 昨日は巡邏軍のみの警備であったのが、今日は加えてイローエント海軍の陸戦隊、陸軍歩兵部隊までが参加して厳戒態勢で当たっている。
 さすがに国家総統の来訪は桁が違う。

 昨日に引き続き、イローエント市長、市議会議長、駅長と顔を合わせるマキアリイクワンパ。
 さすがに今回はヒィキタイタン大人気で、軽い挨拶で済まされた。
 ついでイローエント県令(知事)、県議会議長、方台南岸部の各県令首長市長、財界有力者などなど大集合だ。
 誰しもが最強戦士「ヱメコフ・マキアリイ」に興味深々、憧れの眼差しで見つめる。
 ただ、よく分からないがクワンパも妙に人気があった。
 何故この人達、自分にそんなに興味を見せる。

 クワンパは「タコリティ」市の女性市長、女性の政治家は本当に珍しい、が喋り易そうなおばちゃんであったから尋ねてみる。
 タコリティ市はイローエント市の東80里(キロ)に位置する古都で、旧「新生紅曙蛸王国」の王都でもあった。女王国だから、女性市長にも反発は少ないらしい。

「え、クワンパさん御自分が今方台全土で大人気なのを知らないのですか? 昨夜の伝視館放送を、……ああ。本人はそれはご覧になっていませんね」

 やっちまったかー。
 「サユールの怪物退治」記者会見の映像が、全国津々浦々までも放送されてしまったかー。
 こんな偉い人達ですら見るほどの大注目番組だったのか。音声有線放送でも、今朝の新聞朝刊でも大公表だったかー。

 顔面蒼白を通り越して灰色にまで退色した事務員を見て、マキアリイも気の毒に感じる。

 

 ニカイテン兵曹が人の列に割り込んで呼びに来た。
 総統閣下お出迎えの為に主役の二人は所定の準備をせねばならない。
 延々続く挨拶からようやく解放される。

「お久しぶりです、ヱメコフさん」
「ああ、その節はどうも。シグニさん」

 ヒィキタイタンの第一秘書のシグニ・マーマキアムだ。
 37才、いかにも切れそうな有能な政治秘書であるのだが、癖が強すぎて他の議員事務所で敬遠されて新人ヒィキタイタンに押し付けられた、と聞く。
 議員本人は飛行機で飛んできたが、関係者は地道に幹線鉄道で来て今合流したわけだ。
 他に私的な随員も居るのだが、警備の都合上最少人数しか駅には入れない。

 中央司令軍が派遣しているヒィキタイタン、マキアリイ両人の護衛兵も中に入れなくなった。
 軍よりも総統府護衛隊の方が権限が上。総統閣下と同席する間は総統府の管轄となる。

 ちなみにヒィキタイタンの護衛を務めるのはタッミエ兵曹長で、ニカイテン兵曹よりも階級は上。
 彼が「英雄」2人の護衛隊6名の隊長となる。
 重要な政治家の護衛に当たる、政党人脈や利権関係の事情も弁えた特別な人材だ。
 一方ニカイテン兵曹は「本当に切迫した状況で命を狙われている重要人物」の護衛を主に担当してきた腕利きだ。
 本物の危険物「マキアリイ」を護衛するには、修羅場を十分に経験した者が必要と中央司令軍も理解する。

 式典出席者が待機する楽屋に当てられた会議室で、マキアリイは白衣の男女に襲われた。
 海軍の飛行服から自前の礼服に着替えて移動していたわけだが、総統閣下のお出迎えをするのにそんなボロ服着せられないとの判断だ。
 安物を着ているつもりは無かったが、理容服飾を司る責任者としては我慢できない。
 国家総統と王子様ヒィキタイタンと3人並んだ写真をこれから撮って、全国的に報道され新聞一面を飾るのだ。
 妥協は絶対許せない。徹底的に外見を整える。

 マキアリイ専任の装飾品管理人まで居て、これまでもらった勲章の類をまとめて保管している。
 どうせ本人に持たせていてもタンスの隅でくすんでしまうだろう、との判断だ。もちろん式典に律儀に持って来るなど期待できない。
 質屋に預けて現金化される心配などもあるのだろう。

 なおクワンパもかなりいじられた。
 カニ巫女たる者、市井にあって多少はホコリに塗れているくらいが正義道徳の為に頑張ってる感があっていいと思うが、許してくれない。
 しかし衣装はさすがに替えがない。所長ほどには手を煩わさずに済んだ。

 

 なんとかされてしまったマキアリイ、クワンパ、そしてヒィキタイタンは3人並んで座り居心地悪い思いをする。
 黒い制服の総統府護衛隊員に囲まれ、圧迫されていた。
 頼りのカニ巫女棒も安全上の理由から取り上げられてしまった。よっぽど信用が無い。

 離れた椅子に座る美女2名が不安な表情を同様に浮かべている。総統到着時に歓迎の花束を渡すイローエント美人、だ。
 クワンパとさほど年齢は変わらない。
 マキアリイは事務員に命じる。

「あの二人の所に行ってちょっと挨拶してこい」
「なんでですかい」
「可哀想だろ、ヒィキタイタンが目の前に居るのに気付かないほどだぞ」

 なるほど、世間の女性の全てがカニ巫女ほど胆が据わっているはずも無い。

 クワンパが立ち上がると護衛隊員がじろりと睨む。構わず動いて二人の所に行き、3言話し掛けた。
 彼女らはようやく自分達の目の前に伝説の王子様が居るのに気付き、表情も華やかにほころんだ。
 ヒィキタイタンが応えて笑顔を返すと、静かに座っていながらも興奮状態に突入する。

 クワンパ戻ってきて所長の隣に座る。

「知らない美人が相手なら、気も利くわけですか」
「なんだよ、ヤキモチ焼くなよ」

 顔面の表情で応戦しようとするクワンパに、ヒィキタイタンはくすりと笑う。

 

 誰かが大きな声で宣言した。
「総統閣下の特別列車が間もなく到着します。各人、所定の配置に着いてください」

 遂にクワンパ、国家総統との対面だ。

 

         *** 

 停車場のそれぞれの位置に着いて、軍楽団も楽器の調整を終え、美女2名も花束を抱えて。
 40分待たされてようやくに特別列車の到着である。

 スプリタ街道幹線鉄道はイローエント−エイベント間は電化されていない。蒸気機関車で牽引している。
 遠く煙が見えて、広い荒野の先で小さく強く金属の光が反射する。

 

 イローエント市周辺は熱風と塩に晒されて草木も生えぬ不毛の土地だ。
 骸骨のように白茶けた一面の大地と、抜けるように蒼い空、広がる海の残酷な対比が、この世の果てを描き出す。
 所々、思い出したように樹木が突き出しているが、潤いを感じさせるものではなかった。

 緑と言えば、人間が大金を投資して築き育成する庭園のみ。
 貧しい者には一生立ち入りを許されない禁域とすら思える。
 だから願うのだ。このどこまでも続く青の向こうにきっと有る楽園に、いつかは。 

 皮肉な事に、乾燥した気候と海で嫌というほど穫れる不味く臭い魚「ゲルタ」こそが、この地を脱出する切り札となった。
 マキアリイの好物である「塩ゲルタ」は南岸の特産である。古来より交易の品としてイヌコマの背に積まれて方台各地へと届けられた。
 商人となり、また交易警備隊となって故郷を逃れ、富を手に帰ってくる。

 そして道連れとして反逆者達を伴っていた……。

 

 停車場にぎっしり詰め込まれた市民が小さな五色のタンガラム国旗をぱたぱたと振り、軍楽隊が演奏を響かせる中に、特別臨時列車が滑るように到着した。
 流線型の風防を備えた機関車は未来と進歩を感じさせ、藍色に塗装された車体は金属光沢に輝いた。
 車両の扉が「自動で」開き、固唾を呑んで見守っていた人は期待したのだが、まずは黒い制服の総統府護衛隊員が顔を見せる。
 停車場で待機していた護衛隊員も左右に並んで、ようやく主役の登場だ。

 政権与党「ウェゲ(真人)議政同志會」の総裁にして、タンガラム民衆協和国第八政体18・19代国家総議会統領 ヴィヴァ=ワン・ラムダ。

 65才。白髪であるが痩身で活力に溢れ、女性有権者に人気の有る政治家だ。方台東岸部ギジェ県の選出。
 若い頃は「ヒィキタイタン」並の王子様議員だったとされる。
 10年前の「潜水艦事件」の混乱で崩壊し掛けた政権与党を引き継ぎ立て直し、脆弱さを露呈した国防体制を再構築、経済も一時の混乱から脱して好景気に導いた。
 実績のみを見れば、有能にして強力な指導者と評価できる。

 ただその手法は時に詐術的となり、対抗勢力の自滅を導く罠をしばしば用いて政権有利に運んできた。蛇蝎の如くに嫌う政治家も少なくない。
 ここ数年は政治家・官僚による大型汚職・背任事件の摘発が相次ぎ、トドメとばかりに「闇御前」事件で致命的な支持率下落を経験した。
 明らかに総統辞任に値する責任問題であるのだが、しぶとくも政権を延命させ、今夏の総選挙で国民の審判を仰ぐ。

 クワンパもよく覚えている。
 「闇御前」バハンモン・ジゥタロウが逮捕され政官財軍部にまで及ぼす影響力が暴露されて、政府糾弾に立ち上がった野党議員達が、
ことごとく「闇御前」からの献金や利益供与を受けていた事実が発覚し、急速に鎮火。
 中間補欠選挙の争点にすらならなかったのも、ヴィヴァ=ワン総統の仕業であろう。

 流石に今回はツケを払わされてしまうのだが、どう切り抜けるか。3度目の魔術はあるのか、が政治報道の興味となっている。

 

 国家総統を出迎えるのは、まずはイローエント県令、市長。そして美女2人が花を捧げる。
 ヴィヴァ=ワン総統は停車場内の市民に花を掲げて挨拶をする。
 この場に居る人はおおむね政権与党「ウェゲ議政同志會」(略してウェゲ会)の党員党友その家族だ。総統歓迎の為に動員されている。

 そして総統は、二人の英雄の前に出る。抱える花束を受け取るのはクワンパの役目。
 まずはソグヴィタル・ヒィキタイタン議員の手を取り熱く強く握る。
 そしてヱメコフ・マキアリイの手を取って、二人の間に自分は立ち、握る両手を大きく上げて市民に示す。
 万雷割れるが如き拍手の海。「潜水艦事件」十周年記念式典の開幕だ。
 軍楽団も改めて勇ましい行進曲を演奏する。

 

 これを、幹線鉄道駅前に集まった大群衆の前でも行う。
 さっきのは党員支持者の為のもの、こちらは不特定多数の有権者の為。

 外で花束を捧げたのは、小さな女の子だ。真っ白で裾が大きく広がる可愛らしい服を着せられている。
 男3人が大いに注目され、何度も手を上げて市民の声に応える営業活動を行っている最中、少女の手を握っていたのはクワンパだ。
 「えいゆうたんていと共にたたかうカニ巫女のおねえちゃん」と一緒に並んで、彼女もご満悦らしい。

 その後は関係者やら係官やらが怒涛の勢いで押しかけて、流されるままに何かをやらされたのだが、覚えていられない。
 ただ、迫り来る恐怖の予定だけははっきりと認識できた。

「イローエント県令主催のヴィヴァ=ワン総統閣下歓迎祝宴が催されます。ご用意ください」
「おう、分かった。

 クワンパ、まあ頑張ってくれ」

 

 

         ***  (式典3日目)13 

「生命力指数、どうなった」
「7割方喪失です……」
「一昨日で7割減のそのまた7割だと、9分残か。まだ死なないな」

 或る意味ではクワンパは安堵している。
 もしも去年12月の事件が無くてシャヤユート姉が未だマキアリイ事務所の事務員を勤めていたとすれば、
間違いなく血の雨が降ったであろう。宴会で人死が出たであろう。
 それを防ぐ事が出来ただけでも自分が事務員になった甲斐があった。

 という話を所長にしてみると、肩をすくめて頷いた。

「ああ……、その時は俺が身体を張ってシャヤユートを止めて、そのまま惨死するところだったな。
 ところでだ、今晩の予定だがイローエント商工会議所主催の歓迎祝宴がある。外国人の大物貿易商なんかも招待されている。
 明日は、南岸全体の首長が合同で開催する交歓会がある。学生なんかも招待されて、ヒィキタイタンと俺とお前が主役になる。
 明後日記念行事最終日には、総統閣下主催の答礼宴会だな」
「いっそ死ねとおっしゃってください」

 クワンパは、何十個もある白球を磨きながら所長の様子を確かめる。

 昨日と同様にさほど深酒をしておらず、まったくに体調に異常は無いらしい。今朝も旅宿館の芝生の庭に出て、サユールの時みたいに激しく素振りをしていた。
 これも皆、宴会でぴたりと張り付いてマキアリイに酒を飲ませないようにする、海軍派遣のかなり美人の女性兵士のおかげである。
 今回注意して顔を確かめたが、「かなり美人」というのは控えめ過ぎる表現で、軍人であるから化粧が薄く、しっかり整えれば「相当の美人」と賞賛されるべき女性であった。
 なんか腹が立つ。胸も大きかったし。

「ところでクワンパ、そのシュユパンの球はどうするんだ。そんなに沢山」
「所長とヒィキタイタン様が1個ずつにご署名なさるのですよ。「潜水艦事件」十周年記念の品として配布するのだそうです。総統府の係官から任されました。
 引く手数多の大人気商品です」
「売るのか?」
「売れば。こちらからは無料配布となるはずですが、すぐに闇市場に流れるでしょう。愛好家垂涎で値段が幾らになるか見当もつきません」
「おう……」

 クワンパから懐中筆「硬筆型」(注;サインペン インク補充式で芯も交換できる。使い捨てではない)
を借りて、マキアリイはちまちまと球に署名を始めた。指示通りに、隣にヒィキタイタンの署名がかっこよく並ぶように。

 大きな男が細かい作業をするのは傍から見ていると微笑ましいのだが、今部屋の中に居るのは護衛の上兵のみ。
 彼は名前をシバボクといい、中央司令軍警備大隊要人警護隊の所属。その前は陸軍で、強攻制圧隊の訓練を受けたそうだ。
 中央司令軍はそもそも戦闘部隊ではないから、警備大隊以外の実働兵力を持たない。
 訓練部隊も無く、陸海軍から優秀な者を引き抜いてくる。選考基準は戦闘力よりは理解力判断力である。

 なお、もう一人の荷物持ちはアマル正兵で、戦闘経験は無いらしい。

 旅宿館に泊まっている間は、彼ら護衛兵も暇となる。
 総統閣下こそ宿泊していないが、このハナト系列豪華旅宿館「南風城」には各県首長と地方政界の大物が宿泊し、警備も厳重。
 各国外交使節の宿泊も考慮されて、建物自体が万全の設計だ。いざとなったら武装して籠城も出来る作りである。

 扉を開けて、ニカイテン兵曹とアマル正兵が入ってくる。兵曹は今日の予定と警備計画について打ち合わせをしてきた。

「ヱメコフ掌令輔、本日の予定が急遽変更されました。直ちにお出で下さい」
「お、なんだ?」
「詳細は申し上げられませんが、服装は正装でなくてよろしいそうです。クワンパさんもお出で下さい」

 しかしクワンパは白球の入った籠を示す。まだ言われた分の数を書いていない。

「それもお持ちください。たぶん必要になるとの事です」

 ますます分からない。

 

 ヒィキタイタンと共に海軍の乗用車で移動した先は、「潜水艦事件」十周年記念式典が行われる「イローエント要塞」だ。
 まだ朝の内だというのに歩兵部隊が規則正しく配置され、式典本番と同じ陣を敷いている。
 聞けば、今日は予行練習を行うそうだ。

「つまり、我々も予行練習に参加する、というわけですね。」
「そうです。総統閣下のご希望で、お二人とクワンパさんと共に予行練習を視察なさるとの事です。」

 要塞に入り、総統府護衛隊と交代する前にタッミエ兵曹長は教えてくれた。
 しかし式典は観閲式でもあるのだから、本番前に国家元首たる総統が視察するのは不思議に感じる。

「分からないかね、マキアリイ君」

 ヴィヴァ=ワン・ラムダ国家総統は3人に振り返る。
 まだ早い時間なのに、日差しは既に真昼真夏の厳しさで照りつけた。

 イローエント要塞は国際交流の窓口業務を行う役所ではあるが、れっきとした軍事要塞だ。
 分厚い混凝石の防壁を持ち、艦砲で攻撃されても耐え得る強度を備える。
 また広い屋上や回廊に大砲を据え付けて迎撃出来るようになっている。最近対空砲も配備された。
 胸壁も巡らし歩兵による銃撃戦にも対応する。

 この回廊を総統自らが歩いて、要塞周辺に整列した歩兵部隊を閲兵するのが本日の趣向。
 ヒィキタイタンマキアリイクワンパも、総統府護衛隊10数名および軍の随員に挟まれ、居心地悪く進んで行く。

 総統に問われては、マキアリイも答えぬわけにはいかない。

「やはり、式典そのものは選挙目当ての人気取りという事になりますから、それとは別の意味で軍隊との関係を深めたかったと、」
「うん、間違っていない。イローエント海軍が10年前と異なり確固とした防衛力の再整備を完了した、と全国民に示す式典だからな。
 兵士諸君には、改めて政府として国家総統として個々人の権利を擁護し、国家への献身に深く感謝する意を表す場が欲しかった。

 だが、正直なところ君達二人、クワンパさんも含めてだが親しく話をする時間が欲しかったよ」
「はあ」
「マキアリイ君、ありゃーあとんでもない怪物だね。目の玉が飛び出るほどびっくりするとはあの事だ。
 私も若ければな、鉄砲担いで化物退治とか考えてしまうような血湧き肉躍る報道だったよ。いやーすごい素晴らしい!」

 ヴィヴァ=ワン総統とはこういう人だ。
 かなり軽く世間の話題に簡単に食いつく、古参の政治記者からは「軽佻浮薄」と陰口を叩かれる人物である。

 

         *** 

 しかしながら、持ち上げられるとマキアリイも気持ち悪い。

 ヴィヴァ=ワン総統および政権与党である「ウェゲ議政同志會」の政治的立場が、かってなく悪化しているのは承知する。
 新聞によると、次の選挙では与野党議席逆転政権転落が予想される。支持率真っ逆さま。
 原因は、まさしく「闇御前事件」。
 「闇御前」バハンモン・ジゥタロウが構築した闇組織が政官財軍と国家機関の全てに影響を及ぼす実態が暴露され、当然に政権与党が責任を追求されている。

 誰が悪いかと問えば、それはもう、ヱメコフ・マキアリイという奴だろう。

「総統閣下は、私の事がお嫌いになったかと思ってました……」
「うん? これだけの大混乱に陥れてくれたからな。大迷惑なのは間違いない。
 だがね、本当に困っているのは官僚とか高級軍人であって、政治家本人じゃあないんだ」
「え、ほとんど火だるまでは。何人も政治家が汚職醜聞で辞職を余儀なくされてますが」

 総統はヒィキタイタン議員ににやりと笑みを見せる。
 ヒィキタイタンが代わってマキアリイに解説する役を引き受けた。

「マキアリイ、あの人達は全員が議員倫理規定を大きく逸脱し、れっきとした犯罪に加担していたんだ。(総統府)査察部も警察局もその事実は掴んでいた。
 分かっていても闇御前組織によって守られていたのが、今回追求が解禁されたわけだ」
「そこまでの強い影響力が」

「首枷が外れて自由になった気分だよ。これもマキアリイ君のおかげだな。

 政治家という人種は、自分の上に他人が立つのを快くは思わない。
 理念信念を実現させる為には権力を握る必要がある。無力は無能にすら劣る。ひたすらにのし上がる気概が無ければ政治家として失格だ。
 で、頑張って国家総統になったところで、「闇御前」が目の上のコブになる。こんな不愉快な話は無い。
 迷惑どころか、むしろお礼を言いたいところさ」

 なんだかとんでもない話を、総統はにこやかに上機嫌に語る。

 マキアリイは何度も総統と会って慣れているが、クワンパは初めてだから目が点になる。
 あっけらかんに政治の裏面暗黒面を暴露されてしまうと、どう反応していいか分からない。
 政治の現場は妖怪跋扈と聞くが、事実だったらしい。

 

 要塞の上から地上に布陣する歩兵小隊を閲兵する。幾つもの小隊が配置されているが、軍旗の色がしばしば違う。
 南岸部の様々な地区から部隊を呼び集めて並ばせているらしい。
 中央司令軍から派遣されている高級士官が総統に解説する。階級は「軍監」で観閲式の総責任者だ。

「この区画を警備するのは、陸軍グテ大隊ペパ防衛支隊第一小隊です」
「うん、辺境グテ地には今回視察に行けないが、ご苦労」
「恐縮です」

 胸壁の縁に寄ってヴィヴァ=ワン総統が手を振ると、小隊の全員が銃を正面に捧げて最敬礼する。
 ペパはイローエント港から西に300里は離れた港街で、不毛の僻地として知られる「グテ地」の真ん中にある。

 回廊を歩いて先に行くと、また別の小隊が待っている。

「イエロ・カプタ市警護隊です」
「円湾鉱石採掘場海陸戦闘隊です」
「陸軍タコリティ中隊です」

 壁の上から総統が手を振る度に、兵士達が最敬礼する。

 このように、今回の式典では南岸全域の軍人を慰労する目的が有る。
 僻地が多いから民衆への政治宣伝も行き届かず、新聞等が書き記す現政権の悪評が蔓延している。
 軍人は貧しい土地にあっては憧れの職業の一つであり、彼らが国家総統に見えた体験は必ずよい影響を及ぼすだろう。
 選挙対策としては十分なわけだ。

 クワンパにもおおむねヴィヴァ=ワン・ラムダという人が見えてきた。世間の噂ほどには悪い人物ではないと、印象も改める。
 なにしろ「カニ巫女が棒を持っていないのは不自然だろう」と、総統直々の命令でカニ巫女棒を返してくれたのだ。

 しかし棒を右手に持って、左手に白球の詰まった籠をぶら下げるのは、なかなか動きにくい。

「次は、選抜徴兵第42期訓練小隊となります」
「うん。ソグヴィタル君マキアリイ君、君達も手を振ってやりたまえ」

 言うまでもなく、「潜水艦事件」の英雄ソグヴィタル・ヒィキタイタンとヱメコフ・マキアリイは、選抜徴兵の訓練兵として事件に遭遇した。
 二人の大活躍が世間の評判となった後は進学の特典、公的機関への就職資格の為の志願者ばかりでなく、職業軍人の道を歩もうとする者が増えたという。

 総統の背後に従って二人共に胸壁の傍に寄ると、

マキアリイがいきなり動いた。

 

         *** 

 国家総統ヴィヴァ=ワン・ラムダを押し退けて前に出ると、大きく右手を振り上げ何かを投げる。
 総統府の護衛がマキアリイを取り押さえるべきと動く矢先に、

空中に広がる紅蓮の火球。轟く爆発音。
 眼下の小隊も大混乱を来す。

 護衛に混凝石の床に押し倒された総統が喚く。マキアリイとヒィキタイタンが答えた。

「何が起きた!」
「小銃擲弾です!」
「わたしも見ました。小隊前列の兵士が1名擲弾発射体勢を取って、こちらに向けるところを」

 小銃擲弾とは、歩兵銃の銃口に装着した器具を用いて専用の爆弾を発射するものだ。
 タンガラム軍においては多用される、いわばお家芸的な武器で、理論上は命中精度が低いにも関わらず見事に当ててくる。

 そして偶然の暴発は無い。
 そもそもが観閲式において小銃擲弾を装着する兵など居らず、また跪いて歩兵銃を地に据えて発射体勢を取らねばならず、必ず咎められるのだ。
 もし1人が発射可能であったとすれば、小隊全員が反乱者であると見做さねばなるまい。

 そんなバカな、と胸壁から顔を覗かせて確かめようとした陸軍士官を、銃弾がかすめる。
 混乱から立ち直った小隊が一斉に射撃を開始した。

 数十発の銃弾が一度に撃ち込まれ、総統を護る一同は身動きが取れない。
 胸壁が有り角度があるから、回廊を撤退する事は可能だ。しかし、計画的な襲撃であればそこは計算の内。
 再び擲弾を撃ち込まれれば負傷は免れない。

 ヴィヴァ=ワンが伏せたまま尋ねる。

「マキアリイ君、君は今何を投げた」
「あ、これです」

 女性であり守られるべき立場ということで、総統と並んで中央に匿われるクワンパが、籠の中からシュユパンの球を取り出した。
 先程は言われるままに所長に手渡したのだが、まさかあんな風に使うとは。
 マキアリイが説明する。総統府の護衛がお仕事中なので、出しゃばりはしない。

「小銃擲弾の発射体勢となった兵士を見たので、阻止するために球を投げたのですが間に合いませんでした」
「しかし、空中の爆発は、」
「運良く空中で擲弾と衝突したみたいです。狙って出来る芸当ではありません」

 護衛隊員が胸壁から拳銃を突き出して反撃を試みるが、口径の小さな護身拳銃ではまったく相手にならない。
 だが銃撃の音を聞きつけて、左右に配置されている部隊が異変を感知し移動を開始した。
 反乱小隊は正規部隊との衝突を避けて、速やかに撤退を開始する。これも計画の内なのだろう。

 銃撃が止み、やっと頭を上げる事が可能になった。
 随伴の軍監が胸壁から撤退する小隊を確かめる。兵員輸送車まで用意してあり、あっという間に消え去った。
 ヴィヴァ=ワンが当然の疑問を呈した。

「何故選抜徴兵の訓練兵が私に反乱を、」
「いえ、あの小隊は訓練兵ではありません。30才ほどの者も混じっていました」
「ではニセ物か」
「ですが今の襲撃の手並みは十分に訓練された兵士のもので、おそらくは実戦経験もあると思われます」

 現場は陸海軍の歩兵に占領され、回廊の上にも要塞の守備隊が押し寄せてきた。
 あまりに多くの人で、今爆弾を投げ込まれた方がよほど危ないと感じる。

 ヴィヴァ=ワンは懐から老眼鏡を取り出して、白球に書かれた文字を読む。
 ソグヴィタル・ヒィキタイタンとヱメコフ・マキアリイ。両英雄の署名が並ぶ。
 クワンパに尋ねた。

「このシュユパンの球は幾つ名前を書くのかね」
「200個を頼まれました。まだ30個くらいしか書いていませんが」
「うむ、私も書こう。「潜水艦事件」の英雄と国家総統の署名入りともなれば、大層なお宝となるだろう」

 クワンパは頭の中で「えー」と抗議した。
 総統閣下の御署名ではさして付加価値とは思えないなあ。

 

         *** 

 午後の予定がすべて取り止めになるのも当然だ。
 だが襲撃事件の公表は差し止められた。あくまでも「総統閣下御不快」が理由となる。
 元気には見えても65才であり、この南海の陽気であれば致し方なしと誰もが納得するだろう。

 ただし、総統が自由に動けなくなった分を補う為に国家英雄の二人を存分に活用する。こういう風に式典運営部局は考える。

「昼天時(正午)までの全予定は白紙となりましたので、それ以後をお伝えします。
 昼食会は中止となりました。そのまま移動していただいて7時半(午後1時)イローエント市庁舎に到着。無蓋自動車に乗って目抜き通りで行列行進を行います。
 想定される沿道の観衆は7万人で、お三方には市民の歓呼の声に応えていただきたいと思います。
 警備は巡邏軍が行います。計画上は十分な体制ですが、先程の襲撃事件を考慮すると万が一が予想されます」

「おう、自分の身は自分で守るさ」
「そうだね、結局は他人任せにはしておけないよ」

 一度「南風城」に戻ってきたマキアリイ達は、食堂で早めに昼食を取らされている。
 予定されていた昼食会の献立に比べると軽いものだが、ハナト系列豪華旅宿館自慢の一流料理人が腕を奮っており、何の不満があるだろう。
 クワンパはシンドラ産香辛料を利かせた乳白色のタレを掛けて、生野菜をぱりぱりと鉢いっぱい食べてしまった。
 新鮮な野菜を生で頂くのは、近年になってタンガラムでようやく普及し始めたオシャレな一皿である。

 予定を伝えるのは総統府のすっきりとした細身の青年官僚で、感じのいい人だ。まだ政官界の闇に染まってない感じがする。

「有難うございます。

 行進終了後8時(午前2時)より公会堂にて「両英雄との座談会」、主に軍人家族を中心とした観客が2千人ほど集まります。
 9時(午前4時)より二手に分かれて、エメコフ掌令輔は陸軍の広報撮影会。ソグヴィタル議員はウェゲ会所属地方議会議員との交歓会および撮影、これには南岸部選出国会議員も加わります。
 地元商工会主催の歓迎祝宴は取り止めになりますが、商工会有志による私的歓迎会が行われます。ソグヴィタル議員には短時間顔を出していただきます。

 その後お二人は合流して、10時(午後6時)伝視館放送の生出演。伝声(有線音声)放送でも同時中継となります。10時半(午後7時)までです。
 伝声放送はソグヴィタル議員は引き続き出演で、本式典の意義等についてを評論家のロケッテ氏が司会の番組で語っていただきます。
 ヱメコフ掌令輔は海軍の広報活動に向かいます。海軍陸戦隊の猛者を特別に酒場に集合させておりますので、戦士の心意気を存分に語ってください。民間取材記者と映画撮影も入ります。
 そして、」

「まだあるのですか」
「はい、クワンパさんの予定についてです。
 クワンパさんには、行列行進が終わった後は別行動で、女性雑誌記者による合同取材に出席していただきます」
「え、私?」
「はい。今注目のカニ巫女として、是非にと。特に一昨日の伝視館放送によって全方台で人気が爆発的に盛り上がっていると聞きました。
 16社合同ですから、おおむね50人が参加すると思われます」
「そんなに来るんですか、私ごときの為に」
「時間は1刻(2時間15分)を予定しています。その後は、市民防犯活動の参加団体が主催の対話会に参加していただきます」
「なんでですか! そんなの所長が一緒じゃないと意味ないじゃないですか」
「この運動はイローエントのカニ神殿が取りまとめを行っていますので、」
「うう……」
「さらにカニ神殿にクワンパさんをお招きして、修行者訓練生の前で英雄探偵と共に戦う覚悟などを説いていただきたいと」
「所長ー。」

 無駄とは承知で所長に助けを求めるが、無慈悲な言葉が返ってくるばかりだ。

「よかったなクワンパ。これがもしシャヤユートだったら、まさに人死が出ていたぞ」
「ああ、シャヤユート嬢か。麗しの彼女を総統閣下は割と期待していたようだよ。もし居たら、  凄かったな」
「考えたくないなあハハハ」

 

 感じのいい官僚の人と入れ違いに、ヒィキタイタンの議員秘書シグニ・マーマキアムが食堂に入ってきた。
 ちなみにこの食堂は旅宿館に幾つもある中では小さい方で、貸し切りになっている。庭に面して眺めが美しい。

 シグニはいきなり不穏当な話を始める。

「センセイ、どうも総統閣下の周辺に妙なものを感じます」
「なにか起きましたか」
「襲撃事件が起きたから本日の予定はすべて取り止めになったはずですが、南岸の政治家や実業家、各国外交官がぞろぞろと列を連ねて迎賓館に向かっているのです」
「迎賓館が総統閣下の宿舎となっているから、そちらで会談なさるのでしょう。何か不審が」
「手際が良過ぎます。まるで最初から幾つもの会談を用意していたかのように、準備が行き届いている」

 本来であれば、国家総統として不偏不党の立場で各種行事に参加するはずだった。市中での行列にも参加する。
 それを取り止めて、ごく内向きの政権与党に都合の良い形で動いている。
 夏の総選挙での協力要請なども有るだろう。

 クワンパも疑問を感じる。

「今日の伝視館放送って、間が良過ぎますよね。
 本来なら歓迎祝宴で出演出来ないはずなのに、こんなに都合よく番組組めますかね」
「ああ。どう考えても海軍陸戦隊なんて、最初から予定していたな」

 ニカイテン兵曹他護衛兵はこの食堂にも入って交代で昼食を食べている。
 警護対象の前でそのような振る舞いは通常行わないが、マキアリイとヒィキタイタンは大袈裟な扱いを望まない。
 掌令輔権限を行使して、効率優先で行こうと無理強いした。立場は違えど同じ公僕だ。

 だがさすがにこれ以上の詮索は、彼らに要らぬ疑念を抱かせる。
 ヒィキタイタンは顔を寄せて小声で喋る。

「つまり、総統周辺は今日の襲撃を知っていた?」
「今日の襲撃が失敗する事を知っていた、だな」

 

         *** 

 臆面も無く英雄をやってのける男、それがヱメコフ・マキアリイだ。

 マキアリイを批判する者はだいたいこんな感じで悪口を言うのだが、そして通常であればクワンパは反発を覚えるのだが、
なるほどまったくその通りだな、と納得せざるを得ない。

 屋根の無いピカピカの高級自動車に3人乗って、通りの左右を埋め尽くす群衆の中をにこやかに手を振って通り過ぎるのは尋常の神経ではあるまい。
 ヒィキタイタン議員は人気商売だからこれも営業の内だが、刑事探偵はむしろ裏方に徹するべき。
 こんなに目立ってどうするのか。

 などという疑問をクワンパは、自らは手を振る代わりに助手席でカニ巫女棒を揺らしながら、後席の所長に尋ねる。
 答えは意外と即物的なものであった。

「だって、目立った方が狙いやすいだろ。暗殺者とかに便宜を図ってやってるんだ」
「バカですかあなたは」
「でもな、関係ない人を巻き添えにするよりは、暗殺対象が目立って狙いやすい方がいいんだぞ。摘発する者にとってもだな」

 確かに地面に強烈な仕掛け爆弾など埋めて、通行するマキアリイ達を観衆まるごと吹っ飛ばすなんて策を取られたら防ぎようが無い。
 狙撃銃で一人だけを狙ってくれた方がよほど勝率は高いわけだ。

 ヒィキタイタンが、こちらも臆面もなくイローエントの女性達に媚を売りながら、慰めてくれる。

「クワンパさんも大変ですね、こんなのに付き合わされて。
 でも光が強ければその陰に隠れて、護る者の姿も分かり難くなるんですよ」
「そんなものですかね」

 確かに、車両の脇を歩くニカイテン兵曹やシバボク上兵に注目する人は居ないだろう。
 しかしながら、クワンパの耳は鋭くその声を聞き分けた。
 悪意の叫びだ。

「見てあれ、なにあの女。ヒィキタイタンさまのお傍にあんなにぴったりと」
「キィー悔しい、死んでしまえよ」

 もちろんあの女とは、カニ巫女事務員の事である。
 自動車の後席に英雄二人が乗って、クワンパは前の助手席に座っている。
 真後ろがヒィキタイタンで半ば立ち上がり身を乗り出して観衆に応えているのだが、助手席の背もたれに手を掛けてまるでクワンパに親しく寄り掛かっているかに見えた。
 そりゃあぶっ殺したくなるだろう。

 

 イローエント市のカニ神殿から「南風城」に戻ってきたクワンパはぶっ殺されている。
 生命力指数で言えば、極限まで零に近い瀕死状態。行動不能判定だ。

 ちなみにクワンパが時折引き合いに出す「生命力指数」とは、小学校高学年から中学生くらいが行う遊戯「『救世主大戦』の用語だ。
 それぞれが扮する役割の人物の生命力・精神力・武力・防御力・所持金額などを1枚の紙に書いて、サイコロを振り、手引本指定の頁に書かれた事象に従って数値を増減させて遊ぶ。一種のすごろくだ。
 基本的には算数の勉強の為で、手引本は各頁に数値計算の書式が書かれている。他者より早く計算出来た者が優先権を得る仕組みだ。
 結構面白く、成績向上にも繋がるのでこの年齢の子ども達は喜んでやっている。

 時刻は既に10時半(午後7時)を過ぎて日も落ちた。
 今夕の宴会が取り止めになったのは有り難いが、では何をするかが無い。所長もヒィキタイタン議員も未だ戻らず、一人になってしまった。
 居るのは護衛のアマル正兵のみ。要らないと言ったのにニカイテン兵曹が付けてくれた。
 クワンパも重要人物の仲間入りだ。

「あー、今日はもう予定が無いみたいです。以後は旅宿館内のみの行動になりますから、もういいです」
「そうですか。それでは警備室に下がります。外出する事が有りましたら呼んでください」
「はいその時は必ず」

 必ず、を付ければ護衛はとりあえず安心する。敬礼をして部屋を出ていった。
 部屋と言っても、マキアリイヒィキタイタンとクワンパの3人が泊まるのは、旅館本体の外に構えた別館となる。
 瀟洒な作りの2階建てで別荘のよう。部屋数も寝室だけで5室ある。アマル正兵が控える警備室も備えてある。
 どこその金持ちが一家揃っての旅行で借り上げる、そういう用途の宿だ。
 今回ここを使うのは安全上の措置。マキアリイが襲撃された際に他の宿泊客に危害が及ばないよう隔離する為か。

 であればヒィキタイタン議員も別にすれば安全だ、と思うのだが、どうもヒィキタイタン自身が希望したらしい。
 独身だし、親友と夜を徹して語り合うなども考えているわけか。

 

         *** 

 腹が減った。

 カニ神殿で晩餐を共にしてきたのだが、なにせ極度の緊張状態にあり食べた気がしない。
 イローエント市のカニ神殿の一番偉い人。神官長や巫女長、権巫女、頭之巫女以下の怖いおばちゃん達。
 とにかく指を1本動かすだけでも視線を感じずには居られなかった。

 自分が何を言ったかもまったく覚えていないが、怒られなかったから良しとしよう。
 もし不心得をしでかしたなら、たとえ賓客であっても厳しく諭すのがカニ神殿だ。巫女見習いなど教育的指導をしたくてしょうがないはず。

 或る意味クワンパは、勝負に出た。
 イローエント市のカニ神殿とノゲ・ベイスラ市のカニ神殿と、どちらがちゃんとしているかの比較材料として自分が試されるのだ。
 クワンパの敗北は舌噛みきってお詫びしても足りない恥辱となる。
 決死的覚悟で挑んだから、たぶん大丈夫だったはず。

 しかし、と思わないところも無いではない。
 イローエント市は港町だ。海に漕ぎ出せば魚なんかうようよ泳いでいる。にも関わらず、なんで塩ゲルタが夕食で出てきたのか。
 粗末な食事なのはカニ神殿だから当たり前。塩ゲルタが出るのも当然の節約。
 でもなにか違う。干物はそれだけ手間が掛かっているのだから、新鮮な魚の方が安価いのではないか。
 もしも自分がイローエントに住むのなら、神殿の庭に魚捌いて干して自分で作るだろう。もっとマシな魚を。

 がばっと身を起こす。本格的に腹が減ったぞ。

 部屋には呼び鈴が付いており、この別館専属の給仕がすぐに対応してくれる。のだが、巫女見習い事務員の身分で人様を呼びつけるのはどうだろう。
 屋内電話を取って給仕控室に尋ねてみる。

「あの、食事をしたいのですが本館の方に行った方がいいですかね」
”はい。こちらに料理を運んでくる事も出来ますが、そうなさいますか”
「今一人ですから、それは嬉しくない」
”そうですか。ではご案内いたします”

 

 本館までの案内は給仕がやってくれるのだが、アマル正兵も本館入り口までは付いて来た。護衛であるから手は抜けないそうだ。
 帰りの迎えもするので、戻る際は別館の方に電話連絡をすると約束した。必ず。
 本館内警備の巡邏兵にクワンパの保護の申し送りをする。まったくもって私ごときの為に大袈裟な。

 「南風城」に食堂は幾つもあれど、客の等級によって利用先が分けられている。
 クワンパは宿泊客中で最高級の枠組みに入れられているので、当然に最高の食堂に通される。豪華過ぎて落ち着かないたらありゃしない。
 もちろん代金は軍負担。
 何を食べても良いのだが、料理を頼もうにも献立表には外国の文字がずらずらと並びまったく分からない。
 いやタンガラム語でもちゃんと書いてあるが、名前を読んでもどんな料理か見当もつかない。

 諦めて食堂の給仕に尋ねる。

「なにか軽いものを一品だけ食べたいのです」
「であれば、カリなどはいかがでしょう」
「シンドラのカリですか。なるほどその手があった」

 クワンパはカラリ飯が好物のひとつである。カラリの元はシンドラから伝わった「カリ」だ。
 シンドラの材料香辛料が手に入らないから、タンガラムでは辛子を主材としてとろりと蕩けたニセモノを作り上げた。
 現在ではシンドラから多くの香辛料が輸入され市中でも普通に手に入るようになったが、本物のシンドラ料理にはなかなかお目に掛かれない。
 ハナト系列豪華旅宿館の、それも多国籍料理の拠点とも呼べるイローエントであるから、本物のカリも有るだろう。
 うんなるほどなるほど。

「ではカリでお願いします」
「シンドラ風、タンガラム風、ゥアム風のカリがございますが、どれにいたしましょう」

 ちょっと待て、と驚いた。タンガラム風カリはカラリだろう、それは分かる。だがゥアム風とはなんだ。

「ゥアム風とは、ゥアム特産の辛茄子の粉をふんだんに用いた火を吐くほどに辛いカリです。鮮烈な味わいがお楽しみいただけます」
「シンドラのものとは随分違いますか」
「はい。シンドラのお客様ですら目を白黒とさせるほどの刺激となります」

 そこまでの冒険は出来ない。素直に本場シンドラ・カリを頼んだ。

 正直クワンパは舐めていた。ハナト社では高級旅宿館の料理で使う為に独自の農場まで経営している。
 タンガラムにはほとんど居ないシンドラの水牛も特別に飼育して乳を確保し、本場と変わらぬ味が再現できた。
 大山羊の乳で作るものとはまったく違う味わいとなる。

 出てきたのは、銀色の器に収まる山吹色の液体。カラリと較べて薄くさらっとしている。
 平たい皿に盛られたコメの飯に掛けて食べるのだが、掛けるところまで給仕がやってくれた。飯の上には香草の葉がひとひら乗っているお上品さ。
 金色の装飾が複雑に施された銀の匙で食べる。ここまで彫るかと思える大仰さだ。
 もちろん一般庶民はめんどくさい食器は使わない。シンドラの太守が用いる宮廷の宝具である。

 一口含んで、これは、と脳の思考が逆立った。
 ふくよかというか芳醇と呼ぶべきか、複雑な味が絶妙に絡み合って一つの世界を醸し出す。辛くはあるが甘さも深いコクも、それ以上に惹き付ける何かを感じる。
 クワンパも以前に「シンドラ風カリ」と呼ばれるものを一度ならず食べている。そのどれもが美味しかったのだが、
これに比べると料理の域に達していないと評さざるを得ない。
 カラリとも全く違う。違うを通り越して世界が、次元が異なる存在に思える。

 気が付くと、皿が真っ白になっていた。食べ終わったと感じる前に、何を食べたのか未だ理解が追いつかない。
 香りの付いた水をガラスの杯で飲んで、ほっと息を吐く。うん、辛かった。
 終わった、と思ったら、小さな皿に橙色の果物が切り身になって置かれる。口直しだ。
 これもタンガラムには存在しない果物で甘く蕩けて、また身体を熱くする効能があった。

 ご馳走様でした。

 

         *** 

 人心地付いたら頭が回るようになった。クワンパには確かめておかねばならぬ事が有る。
 初日夕刻に行った記者会見だ。
 タコリティ市長の話によれば、全国的に自分の名が知れ渡っているらしい。

 新聞か有線音声放送か、官界では伝声放送と呼ぶそうだが、どこかで情報を仕入れるべきだ。
 よくよく考えれば音声放送は泊まっている部屋でも聞けたような気がするが、生命力指数を削られてそれどころではなかった。
 本館ならば図書室や談話室に一昨日からの新聞が有るだろう。

 広い建物に多くの宿泊客が居るから、不用意に歩き回るのも迷惑だ。係員に尋ねてみる。
 丁寧に案内してくれたのは談話室で確かに新聞は有るが、結構な人数が数名ずつ固まって何やら深刻に話をしている。
 大人の入り組んだ御商売であろう。
 総統閣下イローエント来訪に合わせて各方面から集まって、怪しい密談も花盛りだ。

 未成年のカニ巫女見習いの存在は場違いで、かなり居心地が悪い。しかし物ともせずに新聞を広げる。

 到着初日の朝刊。マキアリイがイローエントに最初に訪れるのは発表済みだったようで、新聞でも大きく伝えている。ここにはクワンパのクの字も無い。
 式典の話よりも、サユールの怪物退治に焦点が当てられている。
 2日目、昨夕の記者会見が大きく一面に写真入りで書かれている。「ヱメコフ・マキアリイ、遂に怪物退治を語る」、見出しも黒々と大活字だ。
 ここでクワンパが出現する。自分の顔写真が結構な大きさで刷られているのは、かなりの衝撃。実に可愛くない。
 悪意の有る表現は見られず、むしろ少女の勇気を賞賛する的な書かれよう。
 とにかく好評だったらしい。
 3日目本日朝刊、「ソグヴィタル・ヒィキタイタン!」 遂にイローエントの地に降り立った王子様の写真が一面最大に。
 「夕刻、国家総統ヴィヴァ=ワン・ラムダ閣下がご到着」は3面に追い落とされ、とにかくヒィキタイタン様。そして飛行機。
 なんと別紙で色刷りの「宙を自在に舞うヒィキタイタン議員とマキアリイ搭乗の飛行機」の写真が折り込まれている。これは確保して壁に貼っておきたい一品。
 所長とヒィキタイタン様が海軍の桟橋で二人並んで笑顔の写真が裏面に。総統閣下が駅で少女から花束をもらう写真は、小さい。

 とりあえず安堵した。
 カニ巫女見習い「クワンパ」は。サユール怪物事件の記者会見で一瞬人気になったが、ヒィキタイタン様の登場で一気に世間の注目から滑り落ちた。
 もはや路傍の石ころか羽虫程度の存在。それでいい、十分だ。

 

 談話室を出て別館に戻ろうとする道すがら、小劇場のような部屋が有るのに気が付いた。
 「伝視放送室」だ。
 さすがに豪華旅宿館だけあって、伝視館まで設置して楽しめるようになっている。
 戸口から覗くと、ちょうどヒィキタイタン議員と所長が飛行機に乗った昨日の映像が映っていた。
 これはちゃんと確かめておかねばなるまい。

 観覧料は、と料金を払う所を探すが存在しない。どうやら宿泊客であれば誰でもが自由に観られるらしい。さすが豪華太っ腹。
 でも誰かに見咎められるかも、と恐る恐る部屋の中に入る。
 30人分の座席が有り、7人がばらばらに座って見ている。クワンパも端にちょこっと座る。

「総天然色だあ」

 ゥアム帝国製の大型天然色映像表示管が入っている。タンガラム製のものと比べて色が断然綺麗。さすがは先進工業大国。
 映し出されるのは、真っ青な空の中をまっすぐに飛び去る真紅の水上飛行機。そして水色と緑の単葉機。
 続いて、英雄二人が取材記者に質問を受ける場面。
 さすが王子様は天然色でも素晴らしく美しい。所長はまあどうでも。

 場面が替わって、放送局の情景となる。どうやら報道番組内で昨日の映像を流していたようだ。
 評論家らしき中年男性がなにやら喋っている。マキアリイがこの度またしても昇進して正式に士官になるのが気に食わないらしい。
 もらう本人も疑問に思うくらいだから、軍経験者にはかなりの違和感を伴うのだろう。
 しばらく話を聞いていると、司会者らしき人物が「サユールの怪物退治」に話を振った。
 それを切っ掛けに、白黒の映像が流れ始める。別に取材した記録映画だ。

「!……、!」

 初日夕刻に行った記者会見の映像だ。自分が映っている。なんだこりゃ。
 一瞥して腰が抜けそうになったが、自らが喋る姿を見ている内に脚がわなわなと奮えて、力が何処へやらに流れ出していく。
 なんだこの一生懸命に喋ろうとして空回り気味の女は。滑舌を良くしようとそこまではっきりと歯を剥き出しにしなくていいだろ。
 そして意外と思える声の良さ。めちゃくちゃ嫌味かこいつ。

 カニ巫女は声が命、と神殿養成所では教えられる。他人を詰問したり説教するのにもごもごと口籠っては迫力が無い。
 だから巫女見習いはとにかく喋り方を徹底的に矯正される。
 答えに詰まったり考えたりは禁止。この人は絶対的な正義と共にある、と相手が信じない事には市中見回りの役には立たない。
 で、クワンパ達の指導教官は、「火の玉」とあだ名されるザイリナ姉だったわけだ。

 教えられた通りに喋っているが、しかしまあ、なんと言うか、これは見苦しい。頑張りすぎだ。
 その上、所長のお笑い演芸的な要素も下手くそなままに取り込もうとしている。他人に媚びてどうする気だこいつ。

 

 気が付くと報道番組は終わって、次の犯罪解明番組へと移っていた。
 どうでもいい。とにかく帰ろう。

 帰って、寝る。それしかもう自分に出来る事は無い。

 

(注;このゥアム製テレビは21インチくらい。タンガラム製は最大で17インチ程度。テレビの発明はゥアム帝国であるからこの差は当然と言える)
(注;犯罪解明番組とは刑事事件報道を中心としたワイドショーで、最近タンガラムでは流行っている。これも、英雄探偵の活躍のおかげ)
(注;ラジオつまり無線音声放送は無いではない。しかし混乱した電離層で反射するとろくに受信出来ないから、FM放送並の近距離でしか放送出来ない。故に普及はしていない)
(注;伝視館放送内で放映される取材映画は、3分の2指(10ミリ)幅の白黒トーキーフィルムを用いる。カラー撮影も可能ではあるが、値段が高く現像が手間取るから報道現場ではあまり使われない。
 今回の式典は特別で、総統府から派遣された専門の映画撮影班がカラー撮影をしており、放送でもカラー映像が使えた)

          *** 

 アマル正兵を呼び出して別館まで送ってもらった。約束通りに。
 別館には既にヒィキタイタンが戻っていると聞いた。思ったより早い。

 庭に面する壁が全て大きなガラスという、豪華オシャレな居間で寛いでいる。
 さすがにお疲れだったようだ。礼服の上着を脱いだだけで着替えもせず、大きな革椅子に身を沈めている。
 部屋には他には、護衛の上兵が1名のみ立っている。

「ソグヴィタル議員、ご苦労様です」
「クワンパさん、ヒィキタイタンでいいですよ。議員なんて先程まで嫌というほど呼ばれて疲れてしまいました」
「あ、はい。ではヒィキタイタンさま。そんなにお忙しかったのですか」
「放送の前に、南岸部の県市町村議員の人達とひとりずつ並んで写真を撮らされました。南岸選出国会議員と一緒に」

 聞けば百人ばかりが押し寄せたという。
 今人気絶頂の王子様議員と二人で並んで親しげに写真に収まる姿を地元有権者の前に堂々と掲げ、自らの政治力を誇示すれば再選間違い無しという寸法だ。
 いい歳をしたおじさん達がニコニコとべたべたと手を力強く握ってくるのに、始終浮かべた愛想笑いで応えるのはそれは大変だ。
 生命力指数をがっつり削られただろう。

 だが政治家の商売であるから、慣れていると言えば慣れている。
 ヒィキタイタンは逆にクワンパの憔悴を見て取った。

「クワンパさんもずいぶんとお疲れですね」
「はあ。本館で軽く夕食を済ませたついでに、伝視館放送を見てきたのですが……」
「そう言えば僕もろくに食べていなかったな」

 卓の上の呼び鈴を押して、給仕に本館から食事を届けてもらうよう頼む。
 その姿は何一つ淀む所無く、この人は生まれながらにお金持ちなのだなあと納得させられた。

 しばらくしてうやうやしく届けられたのは、和猪の厚切り肉の焼物を中心に、海鮮の汁物、エビの和物、生野菜の鉢など。
 けっこうな量でさすがに男性だと感心させられた。
 活動量に比例してヒィキタイタンが健啖家であるとの情報は知っているが、それでいて体型がほっそりとしたまま保っているのは流石である。

 行きがかり上、彼の目の前に座って食事する姿を眺める果報を得たクワンパだ。
 この立場、人によっては万金を払ってでも代わってもらいたいと思うだろう。

「それで、クワンパさんは何を見たのですか」
「イローエントに来て初日に行った所長の記者会見です……」
「ああ、僕もまだ見ていないな。カプタニアで飛行機を弄っていた時間だ」
「見ない方がいいですよあんなもの。もう恥ずかしくて死にたくなって、」

「クワンパさん、あれは大成功でしたよ」

 と背後から声を掛けるのは、ヒィキタイタンの政治秘書のシグニ・マーマキアムだ。
 イローエントにおけるヒィキタイタンの予定と演出は総統府の式典実行委員会により厳密に管理されるのだが、それでも議員本人の政治的都合というものが有る。
 シグニはつい今しがたまで、独善的な官僚達とほぼ殴り合いの交渉を行ってきた。
 マキアリイにはこの役をする人が居ないから、言われるままにやられたい放題の道化役を務めねばならない。

 居間に入ってきたシグニはヒィキタイタンに報告する。

「首都のクルメヤキ女史から連絡がありました。
 首都においても、その他北方の大都市においても、伝視館放送でのマキアリイさんとクワンパさんの記者会見は大好評で、特にクワンパさんへの注目が高まっているそうです。
 センセイもこの波に乗ってください、との事です」

「クルメヤキさんとはどなたですか」
「うちの政治秘書ですが、主に報道や放送番組上での僕の印象戦術を統括する責任者です。
 元は芸能界で何人もの売れっ子光星(アイドル)や俳優を売り出すのに貢献した腕利きです」
「そんな人まで抱えているのですか」

 付け加えて、シグニはクワンパに告げる。

「「サユールの怪物」記者会見は伝視館放送で何度も再放送されていますが、天然色映画でも撮影しており、これを編集して「怪物騒動」の全貌を描く報道映画として急遽全国劇場公開される事が決まったそうです」
「それはスゴイ」
「やめて〜」

 

         *** 

 クワンパの前任シャヤユートは、自らの日常を描いた短編映画によって一躍全国区の人気を得た。
 その過程において、伝視館放送での自らに対する報道に憤り、カニ巫女棒を映像表示管に突っ込んで大破壊を敢行している。
 クワンパもその気分を今味わっている。

 話題を替えよう。

「ヒィキタイタンさまと所長はどのようにお友達になられたのですか。接点が有ったようには思えませんが」
「接点は、確かに無いね。同じ徴兵訓練生と言っても1年違うと課程もまったく異なるし、兵舎も違う。
 自動車教習の訓練だったかな。一緒になったのは……、ああ、思い出した。

 僕は軍隊に入る前から自動車運転出来たから、訓練生の補助を命じられていたんだ。
 地方出身者には生まれてこの方自動車に乗った事が無い者も居るから、僕が彼らを乗せてぐるっと市街を一回りしていたんだ」

「ははあ、では所長も乗ったことの無い口でしたか」
「初めて乗った人は車酔いして吐くのも多いんだ。結構たいへんな仕事だった。
 マキアリイは大丈夫だったなあ。そうだ、彼は無事だったけれど同乗した者が軒並みボロボロになって、その介護を彼と二人でやったんだ。
 かなり車を飛ばして揺さぶったからね」

 ははあ、とクワンパは表情を笑顔のままに保つ。
 お金持ちのボンボンが街道を高速自動車でぶっ飛ばしていた癖のままに運転したのか。ありそうな話だ。

 

 食事を終えて給仕が後片付けをして去っていく。
 大きなガラス窓の居間は照明が落とされ、ふんわりと柔らかい仄かな灯りで穏やかな雰囲気に包まれる。
 急に、外の夜景が目に入ってくる。
 イローエント港のあちらこちらに瞬く作業灯や警告灯、海を行く船の灯りがゆっくりと動いている。

 今更になってクワンパは安全上の問題に気が付いた。護衛の上兵に振り向く。

「あの、こんなに大きなガラス窓で大丈夫ですかね。朝方も銃撃されたのですが」

 彼はヒィキタイタン付きのジォスタカ上兵で、護衛の専門家。経験も十分に積んでいる。
 クワンパは対象ではないが、付帯して守らねばならない存在だ。下手に不安を煽るのは良い判断ではない。
 説明しておいた。

「この別館は確かに見通しが良いように中の人からは見えるのですが、外から狙おうとすれば難しい地形になっています。
 窓から見ても分かる通りに、ここを狙うのに適した高台や建物、樹木が無いでしょう」
「なるほど、まっすぐ海が見えるばかりですね」
「直接銃撃をするには旅宿館の敷地内に侵入する必要が有ります。現在敷地外周には陸軍部隊が配置されており、万全の体制となっています。
 またこの別館自体も、目の前の庭が小山のように盛り上がっているのが分かりますか?」
「はあ。なにか急な角度で歩き難そうですね」
「歩くのもそうですが、銃撃するのに適さない角度を取っています。下から銃撃しても1階には当たらず上に飛びます。よほどの至近に入らねば無理です」
「はあなるほど」

 よくよく観察するに、ジォスタカ上兵は護衛でありながらも小さな拳銃ではなく、軍隊正規の「執行拳銃」を腰に帯びている。
 口径が大きく威力の強い銃弾を用いるから、如何にも侵入者を殺ってやるぞの覚悟であった。
 朝の総統襲撃事件の際には、彼らは排除されて護衛任務から外れていたが、敵が正規の陸軍装備で攻撃してきたのを聞いている。
 より強力な武器を携帯する必要を認識したわけだ。

 ヒィキタイタンも立ち上がり、窓の傍に寄る。

「気になるようでしたら幕を引きましょう。ジォスタカ君、それはいいかな」
「は。2階からの監視のみになりますが、問題ありません」

 彼はただ単に突っ立っていたのではなく、窓から庭を監視していたわけだ。
 そういえば、アマル正兵も外が見えるように立っていた。

 ヒィキタイタン自らが壁一面に広がる巨大なガラスに幕を引こうとするのに、クワンパは慌てる。
 カニ巫女事務員というものは、そういう雑事を英雄にさせない為に居るわけだ。元々は。
 自分が代わろうと急いで寄ると。

「あ。」

 窓の向こう、はるか港の上に光の輪が咲いた。花火だ。
 赤い火球が幾つも同心円を描きながら広がっていく。あ、また一つ上がった。

 ヒィキタイタンもクワンパ同様に夜空の競艶にしばし見とれる。
 式典で総統閣下がイローエント市に滞在中なのだから、おめでたく花火くらい上げたくなるのが人情。
 先夜は祝宴で忙殺されて外を見る余裕など無く、花火が上がるなんて考えもしなかった。

「え?」

 ヒィキタイタンに肩を強く掴まれる。
 引き寄せられ、息がかかるまで麗しき御顔が近づく。彼は笑顔の表情を浮かべたまま。

 どういう状況であるか脳内で認識が整わぬ内に、ねじ伏せられる。床に、そのまま、絨毯の上に。あれそんなご無体な。

 ヒィキタイタンの肩越しに見える、人の背丈よりも高い窓ガラスが、いきなり砕けた、

 

         *** 

 縦3杖横2杖(1杖70センチ)の縦長のガラス板を何枚も横に並べて、この窓は作られている。
 特殊な熱処理が施され、表面に透明な樹脂膜を貼って保護している強化ガラスだ。1枚が1金(10万円)よりも間違いなく高価い。

 ではあるが、銃弾に耐えるまでの強度は持っていなかった。
 1枚が銃弾が貫通した穴を見せたかと思うと、瞬間にヒビが広がって砕け散る。

 樹脂膜のお陰で細かいカケラにはならないが、大きな破片が刃物が打ち下ろされる迫力で床に落ちる。
 ヒィキタイタンがとっさにクワンパを引き戻さねば、ずたずたに裂かれていたかもしれない。

 護衛のジォスタカ上兵は一歩遅れた。「そのまま身を伏せて、下がって!」と叫び、執行拳銃を抜く。
 不審者の姿をガラスが砕けた穴から探そうとするが、危険を察知し素早く屈んだ。

 残ったガラスが次々に砕け散る。
 銃弾の連射でまんべんなく破壊された。

「機関銃か!?」

 おそらくは拳銃弾を用いる短機関銃で攻撃している。これでは反撃のしようが無い。
 ただひたすらに身を伏せて、敵が攻撃を終えるのを待つばかりだ。

 待機室に居たアマル正兵他1名が異変を聞きつけ駆け寄るが、部屋の入口でやはりしゃがみ身を守るしか出来ない。
 ジォスタカ上兵が彼らに指示を出す。「1名、後方確保!」
 玄関口から新手が突入してくる可能性もある。アマル正兵が執行拳銃を手に玄関方向を警戒する。

 クワンパは、絨毯の上でヒィキタイタンに庇われている。
 それはよろしいが、社会的貢献度や重要性を鑑みると、逆に彼が守られるべきではないか。
 だが今出来るのは身を伏せたままとにかく窓辺から離れるだけだ。

 幸いにして庭に角度が有るから、銃弾は全て天井を抉るだけで、下に隠れている者には危害が及ばない。
 百発ほどが乱射された後に、いきなり攻撃が止んだ。
 ジォスタカ上兵がすばやく窓際ににじり寄り、執行拳銃で外を狙う。
 しかし反撃を試みる前に、再びの銃撃が始まった。

 ジォスタカ上兵が確認した状況を叫び伝える。これはヒィキタイタンにも。

「3名確認、全員が短機関銃です。警備は何をしている!」

 本来であればあり得ない状況だ。「南風城」敷地全周を陸軍が囲んで警備している。内部は巡邏軍だ。
 報道こそされていないが、警備陣には昼間の総統襲撃の件は確実に周知されていた。
 ニセ歩兵小隊による襲撃との情報から、たとえ兵員の扮装をしていても厳しく身元確認が行われたはず。
 何故進入を許した。

 だがさすがに乱射の音に反応する。警笛の音が遠く響き、兵士が移動する靴音が聞こえてきた。
 状況確認を求め指示を放つ指揮官の声もする。

 襲撃者はこれまでと諦め、闇の中に撤退する。
 ジォスタカ上兵ともう一人の正兵が砕けたガラスを乗り越え庭に出る。執行拳銃を暗がりに向けるが、既に取り逃がした後。
 追跡はしない。彼らの役割はあくまでも要人警護だ。
 アマル正兵が玄関から本館へ続く経路も確認する。異常なし。
 別室に居た政治秘書のシグニ、別館専属給仕の無事も確認した。

 

 ようやくに警備の巡邏軍武装小隊が駆けつけて、別館周辺を確保する。
 投光器の強烈な光がまばゆく照らし出し、異常を調べる兵士達が黒い影を落としている。
 一先は安心と言えるだろう。

 クワンパは改めてヒィキタイタンに救ってもらった礼を述べる。
 しかし、よく銃撃される前に気が付いたものだ。
 ヒィキタイタンはにこやかに謎解きを語る。

「僕も修羅場を潜ってきた経験はなかなかなものです。マキアリイには負けますが。
 襲撃を受ける時はだいたい勘が働いて、後で考えるとなんらかの兆候を知らずに確認していたようですが、分かるんですよね。
 花火がちょうど良い頃合いに僕達を窓辺に誘き出すように上がったな、なんて考えていたら」
「さすがです!」
「いやいや」

 本館で明日の警備の打ち合わせをしていた、「英雄護衛分隊」隊長のタッミエ兵曹長が急ぎ戻ってきた。
 別館は現場検証で騒がしくなるので、ヒィキタイタンとクワンパには本館の方に移って欲しいと言う。
 クワンパは尋ねる。
 海軍陸戦隊との交流会で未だ帰還しないヱメコフ・マキアリイはどうするのか。

 タッミエ兵曹長は済まなそうに告げる。

「現在市中にも移動禁止令が出ており、各所に検問が設けられています。ヱメコフ掌令輔には「南風城」には戻らず、その場に留まっていただく事となります」
「何処に泊まるんです?」
「それは、ニカイテン兵曹が良いように取り計らうと思われます」 

 ちょっと可哀想な気もするが、巡邏軍の留置場でも平気で寝ているヒトだ。心配の必要は無いだろう。
 ただ、不安な要素はある……。

 

         *** (式典4日目)23 

 夜が明けようやく市内移動禁止令が解除され、いつも通りの日常が再開される。
 ソグヴィタル・ヒィキタイタンとクワンパは先夜襲撃を受けた別館に戻り、庭の方から銃撃の跡を確かめる。
 事件の当事者として自ら現場検証に臨むのだ。
 しかし先客が居る。

「所長!」
「マキアリイ、早いな」

 刑事探偵ヱメコフ・マキアリイは捜査の専門家として既に着手している。まあ権限外では有るのだが、個人的動機から。
 隣には25才くらいの私服の男性が植え込みを漁っている。こちらも細身だが筋肉質で明らかに警察か軍の関係者と見受けられた。
 正体はヒィキタイタンが教えてくれる。

「メンドォラ君、君もか」
「先生の安全に関しては私の職責ともなりますから、一応は事件現場を見分しておきます」

 彼はヒィキタイタンが雇用する運転手であるが、実家のソグヴィタル家から派遣された護衛役でもある。
 元は陸軍強攻制圧隊の所属で相当な格闘強者。政治秘書のシグニと共に今回の式典参加を支援する随員だ。
 とはいえ事件捜査に関してはまったくの素人であるから、マキアリイの指示に従っている。
 首都でヒィキタイタンと会う時は、だいたい彼かシグニが傍に居て顔見知りだ。

 そのマキアリイだが、銃の乱射現場の検証に関してはタンガラムでも有数の専門家だ。
 なにせ自身が何十何百回と撃たれているのだから、他の追随を許さない。

 別館を仰ぎ見る庭の端に立ち、植え込みで仕切られた通路から、襲撃者の射撃時の状況を推察する。
 やはり身長が3杖(210センチ)も無いと直接に1階を視認出来ない。

「マキアリイさん、ありました」

 メンドォラが植え込みの奥に紛れ込んでいた真鍮の空薬莢を発見する。
 巡邏軍が現場検証で残らず浚っていったはずだが、夜間であるから見逃したのだ。

「これはー、6イント拳銃弾の薬莢ですね。ゥアムの短機関銃で使う」(0.6イント=8.5ミリメートル)
「射撃時に弾詰まりが無かったそうだから、タンガラムの短機関銃ではないと思ったがやっぱりだな」

 ヒィキタイタンとクワンパに振り返る。

「ヒィキタイタン、最初お前さんが窓辺に立っている時に1発撃ち込まれ、その後しばらくして乱射されたんだな?」
「ああそうだよ。やっぱり何か意図があるのかい」
「3人居たそうだから、下に誰かが台になれば別館の状況を確認出来るはずだ。
 最初の1発だけなら狙撃できたな」

「そうですね。ゥアムの短機関銃は単射を選択できるから、最初の1発は普通に当たります」
「元々精度の高い銃だからな」

 メンドォラも陸軍強攻制圧隊時代には各国銃器を自ら試して、その特性を熟知させられた。
 正直に言って、タンガラム軍正式短機関銃の性能の低さにはほとほと呆れ果て、優秀なゥアム製短機関銃に惚れたものだ。
 しかしながら、6イント拳銃弾は現在は鉄製薬莢に変わっているはず。
 機関銃として大量に弾薬をばらまく現在の戦闘において、高価な真鍮の薬莢は勿体無い。
 襲撃者はかなり奢ったな、という印象だ。活動資金の豊富さが窺える。

 ヒィキタイタンも近付いて空薬莢を渡してもらう。手の中で確かめるが、さてこれの意図は。

「僕を殺そうとした?」
「違うな。万が一にもヒィキタイタンに当たらないように、慎重に狙いを定めて警告の一撃をしたんだ」
「殺す気は無かった、いや死んでもらっては困るという事か。でも何の為に」
「さあそこだ」

 とマキアリイも途方に暮れる。
 総統閣下襲撃は分かる。国家総統は常に狙われる立場にあり、どの勢力による仕業か見当もつかない。
 自分、ヱメコフ・マキアリイは暗殺未遂事件の常習被害者だ。ぶっ殺したい人間を数え切れない。
 だがヒィキタイタンはどうだろう。
 国民に広く支持され愛される彼を殺して、誰が得をするか。政敵か、犯罪者か、それとも社会不安を引き起こす破壊主義者であるか。
 むしろ、襲撃され「殺されなかった」事にこそ意味があるのでは。

 クワンパも近付いて植え込みと盛り上がる庭を確かめる。
 なるほどここから上に向けて撃っても、別館1階には当たりそうにない。
 所長に尋ねる。

「ヒィキタイタンさまを殺す気は無かった、という事ですか」
「確実に殺すのであれば、俺ならガラスを割った後に手榴弾を放り込む。その後直接踏み込んで室内で掃射だな。」

「マキアリイさん、ここから手榴弾はちょっと遠くありませんか」
「そうかな、普通に届くだろ」

 メンドォラが異を唱えるが、マキアリイには実現可能だ。
 ヤキュの達人で豪速球を正義の表看板とする英雄探偵にとっては造作も無いが、常人にはかなり難しい。とは考えない。

 

       *** 

「それはともかく、所長。昨夜は何処に泊まりました」

 クワンパの問いに、マキアリイは少し返事を考える。
 またカニ巫女棒の餌食になってしまうかな。

「俺は昨夜、海軍陸戦隊の一番獰猛な連中を集めた酒場で、彼らと腕相撲させられた」
「ほう」
「勝てば勝っただけ発泡酒が飲めるという趣向だ。海軍の女性兵士が行司をやってくれる」
「ああ、あの「かなり美人」の女性兵士ですね。で、勝ちましたか」
「おう。7勝2敗1引き分けだ」

 それはちょっと意外な結果。天下無双の英雄探偵が力自慢ごときに後れを取るとは。
 だが所長本人は涼しい顔だ。

「腕相撲だってな、腕力だけでなく技術も必要なんだ。技術を使わずに力比べだけなら俺より強い奴は幾らでも居る。
 だが最後に出てきた陸戦隊のヌシみたいな奴にはそれも見抜かれていて、全部出し切っての勝負を挑まれたさ。口では言わないがな」
「ほおほお、で、そこでは引き分けですか」
「うん、勝とうと思えば骨を砕くしか無い。そこまでは互いにできんよ」

 所長が上機嫌なのは、つまりは昨夜は十分に飲めたからか。大酒飲みの兵士達に混じれば、女性兵士の制止も利かなかったわけだ。
 ヒィキタイタンが二人の会話を聞き、笑いながら尋ねる。

「で、何処に泊まったんだい」
「ああ、ちょうど取材が終わった頃に「南風城」襲撃の情報が入って、俺も安全を確保しなくちゃならなくなった。
 そこでニカイテン兵曹が機転を利かせて安全な政府施設とやらに駆け込んでだね」

「どこなんです所長」
「うん、まあ、巡邏軍の詰め所かな。夜通し警戒中だから、一番安全だよな」

 クワンパはピンと来た。この歯切れの悪い返事はたぶん、アレだ。

「また留置場に寝たんですか、あなたは!」
「わるい悪い、他に空いている部屋が無かったんだよ。仮眠室は交代の巡邏兵が雑魚寝してるし、気を使わせちゃ悪いから隅っこで遠慮がちにだね」
「みっともない真似はダメだと身体に教え込んだでしょ」

 構えるカニ巫女棒から逃げて、ヒィキタイタンの背後に隠れる。

 しかし災難だったのは、護衛のニカイテン兵曹とシバボク上兵だ。
 留置場の鉄格子の前に徹夜で立って警戒し、他人に見られるのをどう思ったのか。
 ひょっとしたら国家英雄に恥をかかせたかどで懲罰を食らうかも。要らぬ心配も掛けたに違いない。

 そんなわけでマキアリイのニカイテン兵曹組も、ヒィキタイタンのタツミエ兵曹長組も夜通し警戒を続けて、朝になったら交代してしまう。
 今朝の護衛は海軍から派遣されている。
 ヒィキタイタンの方にだけ、政治関係の情報を頭に入れた中央司令軍の兵曹が配置され指揮を執る。

 彼らは初顔合わせだから要領が掴めず、マキアリイ達の現場検証を見守るだけだ。
 本来この場を管理している巡邏軍、また旅宿館外周を警備していた陸軍も迷惑顔。
 一民間人に過ぎない刑事探偵が現場を荒らすなど許されないが、なにせ今回名ばかりとはいえ中央司令軍掌令輔であるし、国会議員までもが視察名目で首を突っ込んでくる。
 被害者本人であるから、しかも事件自体が軍の失態に拠るものであるから、目を瞑らざるを得ない。
 誰か止めてくれる人は居ないものか。

 

「ソグヴィタル議員、マキアリイさん。こちらにお出ででしたか」

 昨日昼頃に予定を伝えに来た「割と感じのいい官僚のヒト」が姿を見せる。
 ヒィキタイタン銃撃事件を受けて、今日の予定をどうするかの結論が出たわけだ。

「予定に変更は無いとの事です。
 ソグヴィタル議員のお体に障りが無いのであれば、予定通りにゥアムシンドラバシャラタンの公使との総統閣下の会談に同席して頂きます。
 マキアリイさんは海軍の広報宣伝写真撮影となります。高速艇に乗船していただいて海上で行います。映画も入ります」
「おう。総統府も腹括って来たな」
「明日が本番の式典だからね。強行するつもりなら今日はなるべく平穏無事を演出したいさ」

 しかしながらやはり襲撃事件は気になる。捜査状況はどうなっているのだろう。
 官僚のヒトがヒィキタイタンの耳元で小声で伝える。

「これはまだ関係部署にしか通達されていない情報ですが、憲兵隊が昨日朝の襲撃犯について有力な手がかりを入手したそうです。
 昼にでも行動に出る可能性が、」
「そこまで確定的なものが?」

「おーいヒィキタイタン、朝飯食いに行こうぜ」

 呑気に旅宿館本館に戻ろうとするマキアリイだ。
 やはり人間腹が減っては戦が出来ぬ。
 襲撃されて逃げ回るのだって、空腹のままではちゃんとこなせない。

 

       *** 

 高速艇と偵察飛行機。
 これが新生なったイローエント海軍、否タンガラム連合海軍の防衛体制の切り札である。

 そもそも「潜水艦事件」前まで想定されていた「敵国によるタンガラム侵攻計画」は、大規模な巡航艦隊と輸送船に搭載されている多数の魚雷艇・潜水艇・水上飛行機による飽和戦術だ。
 巡航艦は装甲防御力が弱く、正面からの砲戦では沿岸防衛専門の砲艦に必ず敗北する。
 一方魚雷攻撃を行えば、小型の魚雷艇でも大型艦を一撃で沈める事が可能だ。
 ただし小型舟艇は巡航能力を持たないので大型輸送船に載せて運ぶ。潜水艇・水上機も同様に母艦を必要とする。
 上陸部隊も含めて極めて大規模な艦隊を派遣せざるを得ない。

 大艦隊の接近は早い段階で必ず察知出来る
 東西南岸の3艦隊を結集して、小型艇を発進させる前の敵艦隊を撃滅する計画だ。

 現実的には、そこまで大規模な艦隊を整備するには国家予算数十年分を要するので、ほぼ不可能と見込まれる。
 しかしながら沿岸防備が薄ければ、敵が必要な艦艇数は格段に少なくなる。
 場合によっては、他2国が連合して侵攻を行なう事すら考えられた。
 タンガラム民衆協和国、ゥアム帝国、シンドラ連合王国は無益とは知りながらも海上戦力の拡充を図り、防衛力整備を行っている。

 この均衡状態を破壊するのが、「潜水艦事件」で存在が暴露された巡航能力を持つ大型潜水艦だ。

 

「巡航能力を持つ潜水艦はタンガラムの哨戒網を容易く突破して、沿岸砲艦を自由に雷撃で沈める事が出来ます。
 壁となる砲艦が全滅すれば敵巡洋艦隊も接近できるようになり、港湾を奪取し上陸の橋頭堡とします」
「そこで重要となるのが潜水艦の遠海での発見というわけですね」
「そうです。水上偵察機による大規模な哨戒網展開と、発見した潜水艦を撃沈する高速艇「対潜駆逐艇」です」

 マキアリイとクワンパに得意げに説明するのは、対潜駆逐艇の艇長。大水令である。(水令;剣令の海軍バージョン)
 本来この規模の高速艇であれば指揮官は小水令で十分なのだが、なにせ新戦術・新防衛体制の要である。
 対潜駆逐艇部隊の部隊長自らが乗り込んで、国家英雄に説明の役を買って出た。

 ヱメコフ・マキアリイはまだ掌令輔なので、大水令は3つも上の階級だ。
 だが今回「お客様扱い」であるから、大水令の言葉も丁寧になる。
 映画撮影録音もしている事だし。

 ちなみにマキアリイは今回海軍軍服正装を着用させられている。
 海軍の宣伝活動であるから当然であるが、なんだか胡散臭い。
 正式な所属は「中央司令軍広報特任掌令輔」だから、陸軍軍服と同じなのに。

 クワンパが周囲を見回すと、まあ海軍の熱の入り具合がまぶしかった。

 岸壁には同型の高速艇が10隻以上。その乗員すべてが勢揃いして記念撮影だ。
 今回3隻を使って洋上で撮影する。
 国家英雄マキアリイが乗る船は部隊長自ら指揮を執り、映画・写真撮影班が10名も同乗する。
 もちろん取材記者も、加えてイローエント海軍広報部までも。
 ここ数日何度も顔を合わせる「かなり美人の女性兵士」までもが、撮影に参加する。

 どうやら彼女の立ち位置が読めてきた。
 「イローエント海軍随一の美人兵士」として、これまでにも広報活動に活躍してきた人なのだ。
 撮影では彼女とマキアリイが主役で、今年の募兵や選抜徴兵受付の宣伝広告に二人の写真が大きく印刷される事となる。
 効果絶大であろう。

 カニ巫女クワンパは用無しだ。
 実際高速艇に多勢が乗り過ぎて、マキアリイの護衛兵3名が乗れなくなった。
 本日の護衛兵はイローエント海軍からの派遣であるから、海軍の命令が直接に効力を持つ。
 海上で襲ってくる刺客も無いだろうと、3人共に置き去りだ。

 危うくクワンパも外されそうになる。
 「私は、ヱメコフ・マキアリイ直接雇用の付き人ですから!」と強弁して、渋る海軍広報部を黙らせる。
 どうも海軍さんとしては、女は自前の美人だけで上等、という意見らしい。

 実に面白くない。

 

       *** 

 対潜駆逐艇に乗り込んだマキアリイは、見慣れぬ装備に気が付いた。
 彼が選抜徴兵で海軍に居た頃には無かった。大きな円筒の水槽みたいなものだ。

「これはなんですか」

 尋ねるのは艇の副長ならぬ艇長代理。中水令である。
 本来の艇長は彼であるのだが、部隊長がおちゃめな人事を発動して自ら艇長に就任してしまったから、「艇長代理」という他には存在しない役職に追いやられてしまう。
 まあ式典終了までの辛抱だ。

 対潜駆逐艇は3〜5隻が組となって行動し、敵潜水艦に対してひたすら爆雷を叩き込む。
 ただ闇雲に放り込んでも効果は薄く、敵の意図行動や海底地形、海流などを読んで精密に投下せねばならない。
 中水令はその組の指揮官である。偉い人なのだ。

 彼は笑って答える。この装備の設置にはマキアリイも若干の関わりがある。

「これは気嚢筏です。コニャク樹脂を張った布で作られた風船で、高圧空気を吹き込んで一気に膨らませ、海中に投下します。
 脱出短艇は別にありますが、これがあれば迅速に投下して漂流者の救出が可能となります」
「ああ。そんなものが出来ていたのか」
「既に三海軍すべての艦艇に設置されており、海外派遣軍では兵士の救命にしばしば活躍していると聞きます」

 「潜水艦事件」においては、巨大潜水艦の出現に驚いておっとり刀で出動した大型砲艦「ィト・ハヰム(墨江)」が魚雷で簡単に転覆し、多数の兵員が海に投げ出される。
 夏であるから良かったものの、漂流する兵員を救出するのに非常に手間取り、為に潜水艦を取り逃がしてしまった。
 この反省から効率的に漂流者を救出する装備が求められ、高圧空気で膨らむ筏が開発されたわけだ。

「この安全装置の梃子を外し、高圧空気注入釦を押せば、簡単に作動します」
「ほおほおなるほど」

 クワンパは3ヶ月マキアリイと共に仕事をしてきて、妙な癖に気が付いた。
 所長はどうも機械モノが好きなのだ。
 飛行機を自在に操縦できるから当たり前ではあるが、操縦よりも機構について興味が深いように思える。
 選抜徴兵に応募したのも、色んな機械を触れるからではないだろうか。

 

 全員が乗り込んだのを確認して、艇長たる部隊長は揚々と発進命令を下す。
 ただ艇内に全員を収容する事は出来ない。あまりにも多くの人数が乗り過ぎた。
 狭い甲板にひしめいているが、そもそも外でマキアリイを撮影するのが今回の目的だ。

 港口を出た3隻の高速艇は直ちに速度を上げ、白波を蹴立てて疾走し始める。
 軍事技術はまったく無知のクワンパは、船がこんなに早く走れるとは想像もしなかった。
 これでは自動車よりも早いのではないか。

 所長に尋ねると、

「(魚油)燃料消費量がべらぼうだからな」
「そんなに沢山?」
「おう。札束を燃やして走ってるようなものだぜ」

 などと講釈をのたまう姿を、写真で撮られてしまう。
 軍事に無知なカニ巫女に国家英雄が国防の意義や実情を解き明かしてみせる絵として、新聞紙面を飾る事となるだろう。
 ついでに所長と並んでの姿を撮影される。何が楽しくてそんなもの撮るのだろう。

 艇の後方では、同型の2隻が同じ速度で進んでいる。
 映画撮影班は現在こちらを集中的に撮っている。艇の通信檣には紅のイローエント海軍旗が翩翻とひるがえり、紺碧の海を割り進んでいく。
 如何にも勇壮な、行進曲を伴奏にしたい光景だ。

 結構揺れる。
 これだけの速度で波を切り裂き進んでいけば、当然に上下左右に揺さぶられる。

 クワンパは安全の為に腰掛けに座ると、隣が例の女性兵士だ。
 軍服正装に、今日は強い日差しに色彩が負けないようしっかりと化粧を施してある。
 クワンパは思わず挨拶した。

「あ、どうも」

 

       *** 

 実のところ、到着初日イローエント市長主催のの宴席で、クワンパは彼女の自己紹介を受けた。
 当方錯乱大混乱状態で聞き流してしまったが、名前を覚えていないわけでもない。
 でもまあ、某さんでいいだろ。

 彼女は一応は正兵である。
 初年訓練を終えたまともな兵隊であるわけで、顔がいいからと訓練を除外されてはいないはず。
 それでも常時海上で任務についている水兵とは異なり、これほど揺れる高速艇は不慣れなようだ。

 クワンパ船酔いはしないが若干後悔している。カニ巫女棒、邪魔。

 二人並んで腰掛けに座って、何かの装備の木箱の上だが、横にすっ飛んでいく波を見つめている内に、
とんでもない事に気が付いた。
 隣に話し掛ける。

「あの、」
「はい」
「この船、ひょっとしたら、木で出来てません?」
「ああ、はい。軽量化の為に外板は鉄でなく合板を張っていますね。防水加工しているから大丈夫です」
「鉄砲で撃たれたら、ダメですよね?」
「防弾能力はありませんね」
「だめじゃん、鉄はどこ!」

 振り落とされないように手すりに掴まりながら、艇長代理が笑って教えてくれる。
 それは専門家が語るべきだ。

「この対潜駆逐艇はそもそもが水上戦闘を考慮しては設計されていないのです」
「海の上では戦わないんですか」
「空中の偵察機が確認した潜水艦の座標まで、とにかく全速力で到達して爆雷を海に放り込む。これだけです」
「はあ。でも敵の船が鉄砲で撃ってくる事は、」
「ですから、そもそもが偵察機の通報によって出動し、任務の最中も常に空中からの支援を受けているのが前提です。
 もしも対潜攻撃を妨害する敵船があった場合、空中から既に確認されており、空中からまずは攻撃する事になります」
「はあ。飛行機で、」

「逆に言うと、今日の海上戦闘では航空機の存在を無視出来ません。
 本艇にも対空用に二指高角速射砲を備えています」(1指=約15ミリ、つまり30ミリ砲)

 と、クワンパと女兵士の頭の後ろを指差す。
 でんと据え付けられているのが、高角砲。上の方を向いている。

 一方所長はと言えば、舳先の方で重機関銃に掴まりながらかっこつけて、撮影に応じていた。
 こうして見ると、元々の肉体が筋肉で鎧われているから軍服でも大いにサマになる。

 

 海の上にも撮影に絶好の場所というのが有るらしく、遠く陸地のイローエント港が芸術的背景に見える位置で停止した。
 撮影に使われる対潜駆逐艇は3隻。便宜上マキアリイと部隊長が乗るのが1号、他2号3号と呼称する。
 「英雄撮影艇隊」だ。

 ここで出番となるのが、美人女兵士。
 マキアリイと共に眩しい笑顔を輝かせ、写真映画の撮影を受ける。
 適宜2号3号が接近し、その勇姿を画面に収めていた。無線で細かい指示を出すのは部隊長ご自身。
 今回の主役は対潜駆逐艇そのものでもある。
 国民に対して、新生なったタンガラム防衛力を宣伝し安心を強く印象づけるのも重要な任務だ。

「どうせなら水着で撮影すればいいじゃないか」

 美人兵士を見て、お役御免のクワンパが小さく零すのを、艇長代理が聞いていた。
 あ、しまったと思ったが反応は予期したものと違う。

「なるほど。遠泳訓練にもヱメコフ掌令輔に参加してもらうという手が有ったな。
 この機に新装備「気嚢筏」の実演なども、なるほど提案してみるか」

 この人、国家英雄を海に突き落とす気だ。

 

(注;対潜駆逐艇「英雄撮影艇隊」1号艇に乗り込んだのは、部隊長艇長、艇長代理以下5名(最低乗員人数)
  国家英雄「ヱメコフ・マキアリイ」+付き人「クワンパ」
  映画撮影監督+据え付けカラー映画カメラマン+フィルム管理+録音技師(磁気)+電源管理+照明+補助、公式写真家、同行記者3名(カメラあり)+報道映画カメラ1名
  イローエント海軍広報部:「かなり美人の女性兵士」+広報部撮影担当士官+下士官(「かなり美人」のマネージャー的)+スタイリスト(民間)
  計24名!!)

        *** 

 停まったままでの撮影が一段落して、次は対潜駆逐艇を動かしながらの撮影に入る。
 先ほどとは異なり、2号3号艇が実戦時に用いるような複雑な運動をしながらのものになる。
 敵魚雷艇が出現したり、空中の戦闘機から追われた時などに使うそうだ。

 「すこし揺れますよ」と今更ながらに言われて、命綱を腰回りに巻いて手近の鉄柵に金具で止める。
 ここに来るまでのは揺れの内に入らなかったのか。

 マキアリイ一行が乗る1号艇はさほどの速度は出さないのだが、2号3号艇が全速力で疾走し始める。
 大きな半径で旋回し、戦闘速度で1号艇の近辺をかすめて水しぶきを上げるのだ。
 その度煽られて横波を受け、艇が左右に揺れる。なるほど、これは危険。

 一方映画班は「これこそが求めるべき絵」とばかりに必死になって撮影機にしがみつき、竿で伸ばした集音器を掲げて、水しぶきにずぶ濡れになるマキアリイと女兵士を撮っていた。
 他人事ながら、機材に水が掛かっても大丈夫なのだろうか。
 大丈夫じゃない!

 今来た3号艇は先程よりもよほど近くにまで接近して、とんでもない量の波を被せて行った。
 まるで1号艇の乗員を全部海に流してしまうかに。
 クワンパ、「ちょっと、やり過ぎじゃないですか!」と艇長代理の中水令に抗議してみるが、「ああちょっと操船を間違えましたね。後で注意しておきます」と軽く流された。
 この程度は実戦部隊としては許容範囲らしい。

 ただ同じ波を左右から二度も三度も被されると、さすがに撮影が困難になる。
 沖合とはいえ平穏で風も緩く、何度も間違えるはずが無いのに。
 艇長代理、これはひょっとして1号艇の操船が予定の計画通りではないのかも、と操舵室に首を覗かせる。
 部隊長艇長殿が操舵手にむちゃをやらせているのでは。

 2号艇が正面から衝突せんとばかりに突っ込んでくる。さすがに1号艇も大きく回避しなければならない。
 明らかに撮影計画に無い運動で、部隊長が無線で命令を出す。「ちゃんと練習通りにやれ」
 だが、

 何故か2号艇3号艇共に、舳先の一指重機関銃(15ミリ)に乗員が取り付き、こちらを指向している。
 練習弾でも撃って実戦さながらの映像を撮影するのかと思ったら、ほんとうに撃ってくる。
 橙色の光の玉が十数発、ひゅんとかすめて飛んでいく。

 撮影隊、同行記者またマキアリイとクワンパは、軍も無茶な演出するなあと呆れるばかりだが、操舵室内は大混乱に陥った。
 部隊長は無線で必死に呼び掛ける。2号艇3号艇共に応答無し。
 やむなく1号艇も増速して、海上を2対1の追いかけっこを始める。

 1発、同行記者の鼻先に命中し、合板で作られた艇の一部が弾け飛ぶ。開いた穴の縁はささくれ立ち、木片が鋭く散らばった。
 ひょっとしてこれは、実弾ではないか?

 1連射が頭上をかすめて通信檣の海軍旗がずたぼろに変わる。
 ここに至って民間人一同は自分達が本当に銃撃されていると悟った。
 緊急事態非常事態、これは国家英雄ヱメコフ・マキアリイを狙う武力犯罪集団の襲撃だ。

 しかしながら彼らも専門家である。誇りを持ってこの対潜駆逐艇に乗り込んだ。
 職業人としての矜持に突き動かされるままに、撮影機を写真機を銃撃してくる「友軍」艇に向ける。

 1号艇は高速を出し過ぎて、波頭の上を跳び宙に舞い、また海に落ちる。
 一旦無重力になり、着水の衝撃で振り落とされそうになるのを、必死で命綱にしがみつき堪えた。

 誰かが叫ぶ。

「おい、こっちも撃ち返せよ!」

 残念ながらこの1号艇、事故防止の為に一指重機関銃、二指高角速射砲共に実弾を搭載していなかった。
 無線は呼び掛ける先をイローエント海軍司令部に換えて、救援を求める。
 だが海上でのにわかの反乱に対応は鈍い。どう対処すべきか上層部まで情報が上がり、決断が下るまで最低でも10分以上掛かるはず。

 とにかく今はすっ飛ばし、逃げ続けるしか無い。

 

       *** 

 撮影は中止。撮影班取材記者を艇内に匿って保護したいところだが、収容人数はわずかしか無い。
 出入り自体が操船の邪魔となり、やむなく甲板上に留まったまま、銃撃と波しぶきに晒され続ける。

 マキアリイは濡れて滑る甲板上を優れた運動神経で難無く歩いて、クワンパの居る中央部にまで戻ってきた。

「クワンパ、無事か」
「何事ですか、また襲撃ですね。どこの勢力でしょう」
「分からん、とにかく伏せてろ」

 女性兵士も艇首は危なすぎる為に中央にやって来る。彼女の靴は撮影用で、海水に浸された甲板を歩くのは辛い。
 だが使命感を持ってマキアリイに進言する。

「ヱメコフ掌令輔、貴方は国の宝です。艇内に入って安全を保ってください」
「いや君こそクワンパと一緒に入っていなさい。この状況では、」

 艇尾に搭載されている多数の爆雷がいきなり弾けた。
 3号艇の二指高角速射砲が水平に向いて、爆裂弾を打ち込んだのだ。素人目には凄い爆発だ。
 爆雷は、しかし誘爆はせず、鉄の殻が破片となって襲い掛かる。
 運悪く女性兵士が腕に受け血が飛び散る。

「きゃっ」
「この爆雷は、模擬弾か。大丈夫爆発はしない」

 マキアリイは艇の後方を眺め、大きく旋回してもう一度高角砲での射撃を狙う3号艇を睨む。
 なにか手は無いか。武器は積んでいないのか、この船には。
 女性兵士が答える。

「……臨検用の機動歩兵銃が積んでいるはずです」
「歩兵銃か、たぶんなんとか出来るはずだ」
「取ってきます」
「いやクワンパ、さっきの艇長代理に直接頼め。ヱメコフ・マキアリイが試してみると」
「分かりました!」

 クワンパ、カニ巫女棒を預けて鉄柵を頼りに懸命に操舵室に辿り着き、内部に首を突っ込んで艇長代理を呼ぶ。
 既に指揮は本来の艇長である彼に代わり、応答したのは部隊長の方だ。

 高速艇を相手に歩兵が用いる小銃ではほとんど効果は望めないが、機関銃や高角砲を操作する兵員ならば制する事が可能かもしれない。
 部下である兵士を射殺せねばならぬが、今は非常事態。反乱兵と見做して攻撃するのもやむを得ない。
 部隊長自らが歩兵銃を掴んで甲板に姿を見せる。

 マキアリイに手渡されたのは「機動歩兵銃」、最新の歩兵装備である。

 「機動歩兵」とは、戦場での移動に輸送車や鉄道、舟艇を用いる歩兵である。車両等に乗るのに長大な小銃は邪魔となるので、全長が短いものに替えられた。
 戦場も、これまで想定されていた広大な平原でなく、都市や工業地帯、森林、海岸樹林など入り組んで障害物の多い場所での戦闘に対応する。
 その為に従来の歩兵銃よりも装弾数を多くし、また銃前方の「前床」と呼ばれる持ち手を手前に引く事で次弾を装填できる機構を備えている。
 腰だめに構えて移動しながらも連続発射できて、ゥアム帝国では実戦配備されている「自動小銃」にも対処できるようになっていた。

 この銃はマキアリイ達が選抜徴兵の頃に配備が始まり、訓練でもちょっとだけ触った事がある。

 部隊長はマキアリイに言う。

「銃手を撃つのか、致し方ない。だが操舵室の前面ガラスは防弾だ。これでは破壊できないぞ」
「いえ、もっと穏当な方法を試しますが、ダメだったらすいません」

 無論こんな小さな銃で高速艇が停まるはずが無い。漁船だって難しい。
 だがヱメコフ・マキアリイなら奇跡を起こせるかもしれない。何の根拠も無いがそう願う。

 マキアリイは破壊された爆雷模擬弾の破片を避けて、高角砲の台座に上る。
 命綱の金具を外して、自由になる。激しい揺れは自身の体術で対応する。
 機動歩兵銃の槓捍を引いて薬室に銃弾を送り込み、無造作に構えた。

 狙いは3号艇。先程と同様に艇中央に据え付けられた高角砲での射撃を試みる。
 前方からは2号艇が襲い、1号艇に自由な回避運動をさせない。3号艇と連携しての攻撃だ。
 後方から機関や推進部に二指砲弾を撃ち込まれれば、万事休す。

 慎重に狙いを定めるマキアリイの背後、艇橋操舵室に重機関銃の弾が当たる。残りは至近をかすめ脅かす。
 だが微動だにせず、狙い続けた。

 下から見上げる部隊長、クワンパ、女性兵士が息を呑む。

 

 全力で回る機関音と波を切り裂く衝撃音で、発砲は聞こえない。

 3号艇が、海面上に転倒し、吹き飛んでいく。

 

       *** 

 部隊長は、操舵手が間違った操船をして艇の安定を失ったと思った。
 これだけの高速を出していれば、一瞬の誤りが即破滅に繋がる。

 だが転覆した3号艇の横腹に朱色の旗のようなものを確認した時、事情を理解した。
 片舷右側だけ新装備の「気嚢筏」が急に展張して、風を受けて艇をひっくり返したのだ。
 であれば、ヱメコフ・マキアリイが狙ったのは、

 左手で歩兵銃の前床を手前に引いて次弾装填する。次は2号艇だ。

 そんなバカな、彼はこの揺れ、風、互いに移動して定まらぬ距離が有る中で、「気嚢筏」の操作盤を撃ったのか?
 不可能、あり得ない。操作盤は多少の衝撃を与えたくらいでは誤作動しない。

 2号艇は、もはや銃撃を捨ててまっしぐらにこちらに突っ込んでくる。体当たりを敢行する気だ。
 正常な判断ではない。軍人として、高速艇の専門家として行なう攻撃ではない。
 血迷ったとしか言いようが無い狂気の突撃だ。

 1号艇は必死に逃げるが、たちまちに彼我の距離が無くなっていく。
 甲板上の民間人は皆これまでかと大きく目を開き、衝突を待ち受ける。
 ぶつかれば両艇共に、先程の3号艇と同じ破滅に至るだろう。

 奇跡は二度起きるのか。

 

 左舷の「気嚢筏」が大きく翼を広げるかに展張して、2号艇は空に飛ぶ。
 クワンパは、高速艇は海の上をゴロゴロと転がるものだと知った。

 ヱメコフ・マキアリイは銃を下ろす。既に海上に脅威は無い。
 1号艇の操舵室でも状況を認識して、機関出力を絞り停止させる。

 部隊長は理解した。
 ヱメコフ・マキアリイは明らかに「気嚢筏」の操作盤を狙って、銃弾を用いて操作したのだ。
 彼は今日初めて「気嚢筏」に触れたはず。操作法も習ったばかりであるのに、その欠点を見抜いて銃撃で。
 いや、銃弾1発をよくぞあの状況で当てたものだ。
 たとえ海軍の狙撃兵でも、タンガラム全軍の兵士の中にも、そんな芸当出来る者が居るはずが。

「神業だ……」

 マキアリイが差し出す銃を受け取った。愕然とした表情のままに。
 降りてきた所長にクワンパは尋ねる。

「弾が外れたらどうしたんですか」
「そこまで責任は持てない」

 だがその表情に、万が一にも外さない余裕が窺えた。まるで天が最初から命中を保証していたかに、確たる予感と共に引き金を引いたのだろう。

 1号艇が停止する。緩やかな波に静かに規則的に搖動した。

 ここに至って、映画班の撮影監督が正気に戻る。
 彼は混乱した中でも職業意識に突き動かされ、銃を手にしたマキアリイに扁晶(レンズ)を向けさせた。
 英雄探偵の勇姿を、たとえ彼が銃撃を受けて死んだとしてもその瞬間を、映画人として地獄の底まで付き合う覚悟で撮らせたのだ。

「と、撮ったか! さっきのアレ、撮ったか?!」
「撮りました! ばっちり、帯(フィルム)回りましたっ!」
「よぉし!!!」

 同行取材記者も覚醒する。彼らの目の前でまたしても英雄は奇跡を起こして見せたのだ。
 取材を、今の感想を彼に、録音機回せ!

 殺到する記者達に押し退けられたクワンパは、同様の目に遭っている女性兵士の顔を見る。
 彼女は、まさに今恋に落ちた表情を浮かべてヱメコフ・マキアリイを見つめている。記者達に囲まれて当惑する男を愛しげに見守っていた。
 まあ無理もない。
 あんなものを見せられてしまったら、男だって恋に落ちる。

 

 マキアリイは記者に語る。

「鉄砲は嫌いだよ。当たると人が死ぬから」

 確かにあれほど盛大に転がれば、2号3号艇共に無事では済むまい。
 人間を狙っていないなど、言い訳にもならない。
 正当防衛とはいえども罪の意識をしっかりと自覚しながら、彼は常に正義を求めているのだ。

 なお、
 奇跡的に死者重傷者は出なかった!

 

(注:扁晶(レンズ)は造語です。かっては「眼鏡玉」と呼ばれた救世主「ヤヤチャ」の発明品)

        *** 

 陸に戻ってきたマキアリイとクワンパは、ヴィヴァ=ワン総統が宿舎に使っている迎賓館に送られた。
 当然に装甲車で軍の護衛付きだ。
 重火器を装備した車両が前後を護るが、つい先刻友軍の高速艇に襲われたばかりである。
 疑い出せばキリが無いが、気色の悪さは否めない。

 ちなみに転覆した2隻の乗員を救助するのに、「気嚢筏」は非常によく役立ってくれた。

 

 通された部屋には既にヴィヴァ=ワン総統とヒィキタイタンが豪華な革椅子に座って、二人の到着を待っていた。
 そしてもう一人、今回の式典の主催者とも呼べる人物が。
 マキアリイは踵を揃えて敬礼する。ヒィキタイタンもよく知る人物だ。

 イローエント海軍司令官 ホォームラ統監。
 「潜水艦事件」発生直後にそれまでの司令官が罷免され、代わって防衛力立て直しに尽力したのがこの人である。
 国家英雄二人はこの人の下で、言うなれば国民の目を眩ませる道化役を演じさせられた。

 彼も二人の使い方をよく心得る。

「ヱメコフ掌令輔、ご苦労だった。報告は既に受けている」
「はっ。恐縮であります。」

 ヴィヴァ=ワンがにやりと笑いかけ、マキアリイとクワンパに空いていた席を勧める。
 クワンパはもちろんカニ巫女棒を手にしたまま。

「随分と派手に襲撃されたようだね、マキアリイ君」
「は。既にお聞き及びでしょうが、高速艇2隻に銃撃されて死ぬかと思いましたよ」
「なに銃撃?」

 妙な質問で返される。襲撃なのだから銃弾が飛んで来るのが当たり前だろうに、今まで聞いていなかったかの口ぶりだ。
 厳しい口調でホォームラ統監に尋ねる。

「どういう事か。実弾を使用したのか」
「どうなのだ」

 一軍の司令官が末端の最新情報を知るはずも無し。情報連絡士官がマキアリイ襲撃事件について再度の説明を行なう。
 ヱメコフ・マキアリイ広報特任掌令輔が、港外にて対潜駆逐艇3隻を用いた広告撮影を行っていたところ、2隻がいきなりマキアリイが乗船する艇を実弾にて射撃した。
 対潜駆逐艇部隊の部隊長が同乗していたにも関わらず命令に反して攻撃し続け、負傷者数名が発生。
 部隊長の許可の下、マキアリイが小銃による反撃を行い2隻を転覆させる事に成功。
 反乱した乗員すべての生存を確認、確保して現在取調べ中である。

 統監、重ねて尋ねる。

「反乱の原因はまだ分からぬのか」
「現在事情聴取を行っているところでありますが、乗員それぞれの言い分が食い違い、中には辻褄の合わぬ事を口走る者も居て錯乱しているかにも思われる、そうです」
「錯乱、そんなバカな。本日早朝の時点でそのような兆候は見られたのか」
「現在調査中でありますが、未だ」

 ヴィヴァ=ワンが今度はクワンパに尋ねる。

「実弾というのは本当かね」
「はあ、間違いなく頭の上をかすめて行きましたし、目の前でニセ爆雷が対空砲で撃たれて大爆発しました」
「……どうやら事実のようだな」

「総統、これは私自らが調査を行なう必要が有ると思われます。直ちに現場に出向いて、」

 ホォームラの言葉を遮った。今はそれどころでは無いはず。
 ヴィヴァ=ワンは、また別の連絡士官に発言を促す。憲兵隊だ。

「現在憲兵隊とイローエント海軍強攻制圧隊が、総統閣下襲撃事件の指導者と思われる人物の別荘を包囲しております。
 ご命令が有れば何時でも突入を開始いたします」
「襲撃事件の犯人がもう分かったのですか」

 マキアリイも驚いた。昨日の今日でそこまで出来るものか。
 これも、ホォームラが説明する。

「以前より内偵していた勢力が、今回の式典に合わせて行動を起こすと事前に察知したのだ。
 本来であれば直ちに検挙すべきであるが、勢力の全貌が未だ判明していない為に泳がせていたのが裏目に出た」
「それで犯行勢力の指導者とは」
「クリペン・サワハーァド退役統監だ」

 ヒィキタイタンもそこまではまだ聞かされていなかったようだ。一緒に驚く。
 クリペン・サワハーァド退役統監とは、「潜水艦事件」でクビになった当時のイローエント海軍司令官である。

 

       *** 

 或る意味では悲劇の司令官だ。

 クリペン・サワハーァドは40代半ばでイローエント海軍の総司令官となった極めて有能な人物で、約10年間主にイローエント港を中心とする外国人密輸犯罪組織の摘発と治安維持に活躍してきた。
 軍人としては厳格であるものの、兵士の待遇には常に気を掛けており、特に「海外派遣軍」で負傷疲弊して戻ってくる兵士の除隊後の生活改善に腐心していた。

 「海外派遣軍」による「隠された戦争」はこの頃より社会問題になり始める。
 現在のタンガラム・ゥアム・シンドラは公式には極めて良好な外交関係を保ち戦争どころか衝突すら起こっていない。と、表向きはなっている。
 だが実際は広大な海洋利権を巡って各国が非公式に派遣した艦隊による争奪戦が繰り広げられている。もはや戦争と呼べるまでの熾烈なものだ。
 当然に戦死者負傷者が発生し、兵士は疲れ切ってタンガラム国内に戻ってくるのだが、これに公式に報いる事も無い。
 存在しない戦争であれば「戦死」扱いはされず、単純に「殉職」として処理される。
 しかしながら「派遣軍帰り」の元兵士が続々と市民社会に戻ってくると、実情は次第に明らかとなり密かに語られ広まっていく。

 クリペン・サワハーァド統監は事態の抜本的改善を呼び掛ける高級軍人有志の団体を組織し、その首領となって政府に働きかけていた。
 この集団が提唱したのが『大戦艦主義』である。
 巡洋能力を持った巨大で強力な軍艦を多数配備し、艦隊を外洋に派遣してタンガラムの国威を発揚し、もって戦争を回避しつつも国益を確保する。

 一聴するに単なる軍備拡張論者の戯言に思えるが、要は「海外派遣軍」の任務を海軍の正式なものとして認めよとの運動だ。
 実際「大戦艦主義」で唱えるような大型巡洋艦は、「海外派遣軍」旗艦として実戦投入されている。

 だがこの主張は、「海外派遣軍」を成り立たせている「闇御前」率いる闇の資金調達組織を、国家の正式な機構に組み入れ国会の承認を受ける「予算」に計上せよ、との話にもなる。
 つまりは「闇御前」の権力を剥奪せよ、とクリペンは唱えたのだ。

 世間に衝撃を与えた「潜水艦事件」の背景には「闇御前」組織の深い関与が噂され、おそらくは外国謀略組織との結託が行われていたのだろう。
 責めを負う事となったのが、その「闇御前」と戦ってきたクリペン統監であったのは皮肉である。
 いや当時の国家総統と政府が「闇御前」と謀り、この機を利用して彼を葬り去ったとも言えよう。

 当然に反動も有り、罷免に抗議するタンガラム三艦隊の軍人による騒動は国家を揺るがせ、国家総統自身の辞職内閣総退陣へと追い込まれた。
 荒れる政界と軍の後始末を任されたのが、ヴィヴァ=ワン・ラムダとホォームラであったわけだ。

 

「……たしかに、クリペン・サワハーァド統監であれば十周年記念式典に抗議しても不思議はありませんが、それでも襲撃や反乱などは、」

「だが彼以上に軍の一部隊や兵員を襲撃に動員出来る者も居ないだろう。
 国家英雄である君達が執拗に狙われるのも、彼の指示によるものだとすれば理解も容易い」
「ええ、確かに。この十年の政府とイローエント海軍の宣伝を仰せつかって来ましたから」

 政治家ヒィキタイタンの言葉にホォームラ統監が応えて、反乱の意図を推測する。
 反乱勢力はおそらくは、「海外派遣軍」として隠された戦争に投入された兵士達であろう。
 帰還した彼らは現在の社会情勢において必ずしも恵まれてはいない。何しろ、「戦争など何処にも無い」が世間の常識なのだから。

 敢えて乱を起こし国民の目を覚まさせるのが、今回の目的。
 その為の格好の舞台が、「潜水艦事件」十周年記念式典というわけだ。

 ヴィヴァ=ワンが推測を補足する。

「彼自身が今回の反乱襲撃を企画したとも思えない。むしろ下の者に突き動かされて、混乱を拡大させぬように彼が全体を掌握したのではないか」
「可能性はあります。現在タンガラム三海軍の中水令の3割が「海外派遣軍」経験者となっています。
 また戦死や傷病兵の待遇もこの十年まったく改善が見られませんでした。不満も増大しているでしょう」
「我ら政治家の不徳の致すところだな」

 

 軍が持ち込んだ機器により、ヴィヴァ=ワン総統が臨席する部屋に、憲兵隊と強攻制圧隊による突入の状況が音声で実況中継される。
 黒い電線が何本も床の絨毯を這い、隣室に繋がっていた。

 ホォームラ統監の最終的な命令により作戦は実行される。
 この部屋から直接に現地指揮官に命令出来た。

 憲兵隊の士官に促され、総統に目で了承を取り、集音器に向かって告げる。

「突入を開始せよ」
”了解。強攻制圧隊、突入を開始します”

 

       *** 

 標的の居る別荘はイローエント市の中心部から10里(キロ)離れた高い岬の先端に建てられている。
 包囲するにも一方向だけとなり感づかれ易いが、逆に相手も逃げ難い。
 ただ、だからこそ脱出経路は完備しているはずで、慎重に兵を配置している。

 憲兵隊とイローエント海軍強攻制圧隊合同の作戦とはいえ、まず突入するのは強攻制圧隊だ。
 完全制圧が済んだ後に、憲兵隊が反乱組織の情報収集と逮捕した関係者の尋問を行なう。

 事前の偵察では、別荘内の人数は最低でも5名。おそらくは短機関銃で武装している。
 今回無傷で逮捕すべきなのはクリペン・サワハーァド退役統監のみで、抵抗する者は全て射殺の許可が出ている。

 別荘は流石に前後の見晴らしが良く、昼間の奇襲は難しい。
 そこで強攻制圧隊の1班が正門に続く道から堂々と乗り付けて、まずは正式な令状に従っての家宅捜索を呼び掛ける。
 これに対応して相手が攻撃に移るのであれば、離れた場所に潜伏する狙撃隊が応戦し、正門の班が突入する。
 後続班が別荘外周を包囲して逃亡者を確保もしくは射殺する手筈。
 もし別荘内部に大型火器が存在した場合は、こちらも歩兵十分砲(70ミリ)で榴弾攻撃する事になる。

 

 別荘正門に到着した軍用貨物輸送車から強攻制圧隊員20名が降車する。
 彼らは全員重厚な防護服を着用しているが、実際は銃弾に対する防御力はほとんど無い。
 主に手榴弾の破片避けだ。タンガラムでは手榴弾小銃擲弾の類は多用される為に、一般歩兵でも必須装備である。

 別荘の周辺には高い鉄柵が巡らされ、人の出入りは難しい。庭は狭いがそれでも20メートルの幅が有る。
 屋敷は広壮とは言えないものの、10数人が暮らしていくのに不便はしない大きさだ。
 海からの暴風に耐える為に頑丈な煉瓦造りの2階建て、窓も小さく銃撃戦を行なうには適した造り。
 屋根が高く尖り屋根裏部屋も広く取られているはずだ。

 別荘の先は岬の突端で50杖(35メートル)以上の断崖となっている。
 逃げ道にはならないと見えるが、望遠鏡で観測すると断崖にへばり付くように鉄梯子の付いた道が下の海にまで続いている。
 別荘の地下から隧道を通って断崖に出る脱出路と思われた。

「密輸業者の拠点だな」

 音声での実況を聞いて、ヴィヴァ=ワン総統は感想を漏らす。
 正門に到着した班員に無線通信機を背負う者が居て、見た状況をそのままに作戦指揮所および総統宿舎に伝えている。

 

 正門から呼び掛ける強攻制圧隊先行班の前に、屋敷から男が出てきて応対する。鉄柵の扉を開いた。
 20代半ば、夏らしく薄着で武装はしていない。筋骨が発達しているから元軍人であろう。
 彼は捜索令状を確かめて内部への進入を許す。拍子抜けするほどに平穏な展開だが、逆にその穏やかさが罠に思える。

 敷地内に進入し、屋敷の玄関に到達するが扉は開かない。
 応対した男は正門外に居て、そのまま事情聴取に応じている。
 扉を開けるように声を掛けるが、扉を叩いて中の者を呼び出せと言う。当然に従うが応答は無し。

 班員を左右の庭に分けて進入させ、別の扉を探させる。玄関からの強行突入前に、逃げ道を塞がせる。
 しかし、兵士の一人がそれを踏んだ。

”地雷です! 対人地雷が仕掛けられています”

 まさかこんな母屋に近い場所に地雷が仕掛けられているとは想定外だ。これでは住む者が先に踏んでしまう。

 正門の男は事情聴取を行なう兵士に無抵抗で制圧される。予定通りのようだ。
 残った兵士も敷地内に飛び込むと、先程本隊が通った道でまたしても地雷が爆発。
 電線で繋がって作動状態を変えられる種類と思われる。

 しかし地雷に接触した者はまだ2名で、救護する者以外は玄関扉を破壊して内部に突入する。
 すぐに後続部隊を載せた貨物輸送車が到着して、別荘外周を包囲。負傷者の救出を行なう。

 総統に伝えられる無線通信は、先行する班と後続の2回線になった。

 

        *** 

 別荘内部に突入した先行班は、短機関銃による迎撃を受ける。

 タンガラムの強攻制圧隊は案外と短機関銃を使わない。国産のものの性能が非常に悪いからだ。
 代わりに「制圧銃」と呼ばれる全長の短い銃を使用する。「機動歩兵銃」と同様に「前床」を手前に引く事で迅速に次弾装填出来る機構を持つ。
 使用弾薬は短機関銃用の「強攻弾」。「執行拳銃」で用いる弾丸と同じ規格だが様々に改良を施し威力も強化してある。

 迎撃に使われているのは、おそらくゥアム帝国製の短機関銃。左右2名が応戦してくる。
 昨夜ソグヴィタル・ヒィキタイタン議員が襲われた時に用いたものと同じであろう。
 滑らかに正確に射撃が途切れなく続く。

 双方身動きが出来ない状況に陥れば、手榴弾の出番だ。
 先行班が使用して敵を沈黙させる。死体を確認すると、やはり元軍人らしいが結構年配の男だ。
 直ちに1階を制圧。他の人影無し。

 2階の探索。やはり同様の反撃があるが、これは射撃で制圧した。1名。
 1階制圧を続ける分班が、離れの厨房にて非武装の料理人を確保。これは市内で雇われた一般人らしい。
 料理人を尋問すると、地下室が有るという。やはり外部に繋がっている。

 2階制圧完了。3階屋根裏部屋に進入。
 書庫となっており多数の外国語書籍と帳面が納められている。危険物無し。
 組織全体を解明する資料が隠されているかもしれない。

 2階に上がっていた班長が1階に降りて、改めて地下室への突入を図る。
 武器庫。銃器が10数丁と弾薬、軍用爆薬が集積してある。さほど多くはない。
 庭に仕掛けられた地雷の制御装置と思われる操作盤を発見。慎重に確かめ、タンガラム軍用と同じ製品と確認する。
 操作して地雷の無効化に成功。
 断崖への脱出隧道を発見。3名を先行させるが、人が通った形跡が無いと引き返してきた。
 断崖側の扉が固く閉じられており、爆破せねば通れない。

「クリペン・サワハーァド退役統監の姿は無いか?」
”現在再度探索中であります”

 ホォームラ統監の問いに、無線で班長が直接に答える。
 料理人を尋問したところでは、確かに主人はこの屋敷に居ると言う。ただし今日はまだ姿を見ていない。
 そして奇妙な台詞を吐いた。

「あの方は、我々凡俗の徒とは異なり、深い海層への転成を成された方ですので、」

 疑問を深く追求する前に、クリペンを発見したとの報が届く。浴室だ。
 1階制圧時に見逃したのだろう。隠れていたのかもしれない。
 現場に到着した班長が無線で申告する。

”クリペン・サワハーァド退役統監の所在を確認。統監は、……亡くなっています”
「なに、死んだ? 銃撃を受けたのか」
”銃撃ではありません。これは……、溺死と思われます。ですが、なんだこれは!”

「どうした。正確に報告せよ」
”クリペン・サワハーァド退役統監は湯船に浸かって、頭まで沈んでおります。目を見開いて、死亡しているのは確実と思われます。
 ですが、”
「ですが、何だ」
”これは、人間はこんな風になるのか?
 失礼しました。クリペン統監は全裸であり、その死体がまるで青い染料を血管に流したかに真っ青に変色しています”
「溺死ではなく毒殺ではないのか?」
”可能性はありますが、しかし、”
「死亡推定時刻はどのくらいになる。今か、突入の直前か」
”詳しい事は分かりませんが、少なくとも死後   ……2日くらいではないかと”

 無線に応じていたホォームラ統監は、ヴィヴァ=ワン総統に振り返る。
 これは思惑とは大きく異なる展開だ。どう対処すべきか。
 もちろん総統が何を分かるはずも無い。

 部屋に居るヒィキタイタン議員やヱメコフ・マキアリイの顔も見る。
 どう反応すべきか、ホォームラも見失っていた。
 マキアリイが差し出がましいとは思ったが、助言する。

「もしも最重要の目標が死んでいるのだとすれば、敵はあるいは自爆して証拠隠滅を図る可能性もあります」
「自爆? なるほど、ありがとう」

 ホォームラは室内に居る憲兵隊の情報伝達士官に命ずる。
 強攻制圧隊を一時撤退させて、改めて爆発物処理班に内部調査をさせよ。

 そして大きく息を吐いた。

 突入は一応の成功を見て、最重要の容疑者の身柄を確保。
 ただし、未だ事件の全貌は不明のままである。

 

       *** 

「ヒィキタイタン、おまえさんアノ「潜水艦」の内部に入った時に、見たよな」

 突入現場からの中継が切れた後、マキアリイは急に話し出した。
 いきなりで、クワンパもヴィヴァ=ワン総統も少し面食らう。
 ヱメコフ・マキアリイという男は、基本的には礼儀を外さない。ちゃんと階級の序列も尊重する。

 だからいきなり別の話を始めて、皆驚いた。
 ヒィキタイタンは動じない。長い付き合いであるからマキアリイの癖も知っている。

「何を?」
「ユミネイトを奪還する為に潜水艦に乗り込んだだろ。俺に出来ない飛行機の操縦押し付けて」

 ユミネイト・トゥガ=レイ=セト は「潜水艦事件」で拐われた麗しの令嬢である。
 ゥアム神族の外交官とタンガラム女性の間に生まれ、当時16才。楚々可憐、当然の美人だ。

「ああ、うん。確かに」
「あの時、敵の潜水艦乗りの顔が真っ青だと言ったな」

 この話はクワンパもよく知っている。映画でも効果的に描写されていた。
 「潜水艦事件」で登場する謎の巡洋大型潜水艦の乗員は、全て真っ青な顔、肌をしていたという。
 単身乗り込んでユミネイト嬢を救出したヒィキタイタンが、浮上した潜水艦甲板上で青い船員達に追い詰められた時、マキアリイが慣れぬ飛行機を操縦して突っ込み窮地を救うのだ。

「うん、確かに青い。それは間違いないさ。でも今のと関係が有るのか」
「昨日俺は、「青い船員」についてとても不思議な話を聞かされたんだ。
 そして今日だ。無関係とはとても思えない。

 でも、うーん、この場で喋る話じゃないか」

「マキアリイ君、構わない全部喋ってみなさい」

 ヴィヴァ=ワン総統も興味を惹かれた。
 わずかの繋がりだとしても、数々の伝説的活躍を積み重ねてきた英雄探偵の勘に引っかかった話だ。
 事態の核心に繋がっているかもしれない。

 

 昨夜軍の広報宣伝活動に連れ出され、海軍陸戦隊の猛者達と共に酒を飲み交わす機会を得たマキアリイだ。
 催し物として、「マキアリイに腕相撲で勝ったら発泡酒が飲める」勝負をした。
 「かなり美人の女性兵士」が審判役となって、力自慢と立て続けに10番。7勝した後にやたらとでかい剛力の2名にとりあえず花を持たせて
しかし最後に出てきた陸戦隊のヌシのような兵曹が妥協を許さぬ迫力であったので、こちらも力と技を総動員してなんとか引き分けに持ち込んだ。

 勝負の後で歌と音楽が始まり、ヌシ兵曹と二人同じ卓で共に酒を飲む。
 彼は、

「おまえ、さっきはなんで全力を出さなかった。底力を隠しているのは組んで分かったぞ」
「全力だったさ。ただ俺、イローエントに来てからまだゲルタ食ってないんだ」
「おお! そりゃあすまんかった。食え食え、どんどん食え」

 ゲルタを食わねば戦えないのは、タンガラムの兵士全員が心得る。海軍でも最重要の糧食で、穀物にも優先して決して切らさない。
 炙った塩ゲルタを噛んでいる内に、兵曹も機嫌が良くなった。
 マキアリイが本質的には彼らと変わらないと見て取ったのだろう。口も滑らかになる。

「俺は海軍にもう15年居て、その内海外派遣軍で10年は国外に出ている」
「そりゃ凄い。戦争ほんとうにやってるんだろ」
「ああ。だが俺達陸戦隊は海の上の退屈をどうやって紛らわすかが問題でな。狭い船上でも筋力が衰えないよう訓練三昧だ。
 飯はちゃんと出るのだが、酒は飲めないからな。結構つらいものがある」
「おう」

「で、娯楽となれば映画だな。おまえの活躍する犯罪モノは大人気だし、「潜水艦事件」の映画も何回も掛かる。
 それでな、気が付いたんだが、あの潜水艦に乗っていた船員だ。青い肌をしているな」
「あれはヒィキタイタンが会ったんだよ。俺はあの時それどころじゃなかった」

「その青い肌の船員だ。        俺も会ったんだ、海の上で」

 彼は語る。

 

       *** 

 まだ新兵だった頃、彼が乗った輸送船が国籍不明の軍艦に魚雷攻撃を受け、全員が海に投げ出された。
 折からの悪天候で救援も望めず、彼と戦友は壊れた船体の破片に掴まって海の上を浮いていた。
 投げ出された時点では死ななかった者も、荒れる波間に一人ずつ消えていく。

 彼も力尽きもう駄目かと覚悟した時、灰色の雲の下に遠く灯が見えた。
 友軍が助けに来たと思い、必死で手を振ったが違う。民間の漁船だ。
 何故こんな大海原の真ん中に漁船が居るのか不思議だが、とにかく助けを求める。しかし応答は無い。
 彼らを無視して、漁船員達は海に網を入れ始めた。

 こいつら何を、と思っていたが、その内ゾッと総毛が逆立つ。

 連中は網で溺れ死んだ兵士達を魚のように獲っている。何人もが目の荒い網に手足を絡ませて水揚げされる。

 もちろん全員死んでいる。だが顎を確かめて10人に一人くらいは息を吹き入れる。
 なぜか生き返り、これを漁船に引き上げた。ダメならまた海に捨てる。
 彼らは何かを探していた。死人の中に有るはずの、何かを。

 ふとこちらを見る。今まで価値が無いと無視し続けていたものを、急に。
 気が付くと自分の隣に居た戦友が、力尽き波に漂っている。これを欲したのだ。
 小舟が近付いて、鈎で引き上げる。彼も船縁に掴まり自ら這い上がろうとしたが、驚いた。
 漁船員の顔が驚くほど青いのだ。まるで血管に青い墨が流れているかに。
 思わず手を離し、また元の破片にしがみ付く。
 戦友の死体は息を吹き込んでも生き返らなかった。海に捨てられる。

 だが本船の方で目当てのものが見つかったようだ。彼には、何を探していたのかもう分かっていた。
 青い死体だ。漁船員達と同じ青い肌に変じた溺死体こそが、彼らが漁るモノなのだ。
 それは多分、士官の一人だったのだろう。軍服で分かる。
 肌の青さが灰色の海の上で輝くように目を突き刺す。漁船員達の色とはモノが違う。本物の青だ。
 漁船員達は神の使いでも現れたかに喜び、崇め、船に引き入れる。
 去っていった。

 その海で生き残ったのは彼だけだ。やがて到着した友軍の船に救出される。

 同様の体験を後にもう一度した。
 今度はタンガラム側が勝ち、溺れるシンドラの水兵達を漁る青い肌の漁船を。

 

「俺は、中立島の酒場で他の国の兵隊とも話をした。どの国の船にも同じ体験をしたヤツが居たよ。
 どうやら無国籍の4番めの勢力が大洋の上には居るらしい。

 たぶん所属は、地獄だろうさ」
「にわかには信じられないな」
「信じろとは言わない。だがな、「潜水艦事件」の映画を見て、あいつらホントに居るんだと俺は直感した。
 背筋が寒くなったさ」

 残った発泡酒を一気に飲み干し、最後に兵曹はこう言った。

「年寄りの漁師に聞いた。連中、「ネガラニカ」って名前だそうだぜ」

 

       *** 

「怪談ですね」

 無慈悲に言ってのけるクワンパだ。カニ巫女がお化けに誑かされる事は無い。

「怪談だね」

 ヒィキタイタンも容赦が無い。
 ホォームラ統監は、

「ネガラニカ、という名称には聞き覚えがある。密輸業者や違法旅客業者がしばしば口に出す。
 「海の秩序」という意味合いを持つらしい。多分に宗教的な文脈で使っている」
「じゃあやっぱり法螺話の怪談ですかね」
「そうとも思わない。第4勢力の存在は海外派遣軍においては常識だからな」

 この言には驚くヴィヴァ=ワンだ。
 海外派遣軍問題については、総統自身も十分な予習をしている。
 しかし第4勢力など、どの資料からも見出す事は出来ない。おそらく諮問に応じた学者も心得ていないだろう。 

 イローエント海軍司令官だからこそ知る、現地の状況というものか。

「ホォームラ君、何者だね「ネガラニカ」とは」
「残念ながらこの件に関しては、情報のほぼ全てを「闇御前」バハンモン・ジゥタロウの組織が握っているのです。
 彼らは海上で様々な謀略工作を行なうので、海軍よりも派遣軍よりもよほどの事情を知っておりますが、決して外部には漏らさない」
「「潜水艦事件」にも関係有るのか」
「おそらくは」

 あの野郎、とヴィヴァ=ワンは固く拳を握りしめ椅子の肘掛けをぶん殴った。
 であれば、「潜水艦事件」十周年記念式典での襲撃にも関与しないわけが無いだろう。
 クリペン・サワハーァド退役統監であれば、もっと詳しく知っていたはずだ。

「クリペンの死因を詳しく調べ、他殺であれば必ず犯人を探し出せ。一連の事件の真の首謀者だろう」
「はっ、必ずや全貌を解明してみせます」

 

 マキアリイは革椅子から立ち上がる。
 クワンパに、ヒィキタイタンに向いて言った。

「じゃあ、俺達は式典の準備に掛かろうぜ。自分が乗る飛行機は自分の手で整備しないと落ち着かないからな」
「そうだな。本番は明日だし」

「マキアリイ君、ヒィキタイタン。明日の式典で飛んでくれるかね?」

 ヴィヴァ=ワン総統も思わず立った。
 これだけ襲撃が続けば、本番の模範飛行においてもなんらかの攻撃が有ると予測せねばならない。
 明確な危険が有ると知っていながら無理強いするのは、如何に国家総統の権限であっても行なうべきではないだろう。

 マキアリイは笑って答える。

「俺達は最初から式典で飛ぶために来ているんですよ」
「そうですよ総統閣下。「潜水艦事件」の式典で、ソグヴィタル・ヒィキタイタンとヱメコフ・マキアリイが飛ばないでどうしますか」

 クワンパも椅子を離れ、カニ巫女棒を膝の前で横たえて総統に礼をする。二人を追いかけて退出した。
 ホォームラ統監が総統に言った。

「実に頼もしいですな、我らが国家英雄は」
「うむ。私が言ったとおりに、計画に間違いは無かっただろう」
「式典会場の一層の厳重な警戒に努めます。イローエント海軍として、これ以上の狼藉は許せません」

 

 そして、晴れの舞台の幕が上がる。

 

       *** (最終日)38

 クワンパはげっそりと痩せ細り、それでも威厳を保ったまま式典に臨む。

 昨夕の南岸部各自治体首長が合同で開催した交歓会に、ヱメコフ・マキアリイとソグヴィタル・ヒィキタイタンは遅刻した。
 間に合わないと知っても、式典当日に用いる水上飛行機の点検を自ら行っていたのだ。
 彼らが到着するまで交歓会で場繋ぎを行っていたのが、クワンパである。

 英雄でもなんでも無い自分がそんなおこがましい、と思うが、命がけで明日は飛ぶと言われればカニ巫女として事務員として全力を尽くさねばなるまい。
 しかし、どうせやるなら猛獣や凶悪犯罪者と戦う楽ちんな仕事が欲しかった。
 南岸各地域から選抜された自分とほぼ同年代の学生の、それもとてつもなくお利口さんな才子才女のみなさんに質問攻めにされるなど、辛い。つらすぎる。
 田舎者の彼らが純真な目を輝かせ憧れの眼差しで食らいついて来るのを、どうやっていなせば良かったのか。

「クワンパ、昨日はたいへんな人気者だったそうじゃないか」
「ええ当然です。命を削って焚き火に焼べてるようなものですから、そのくらい出来ないで割が合いますか」
「いやそこまで頑張ってくれなくていいぞ……」

 

 式典会場またそこに至る東西北の道という道全てに人が溢れている。
 割れんばかりの歓呼の声の中、陸海軍の歩兵部隊と共に無蓋自動車で行進するヒィキタイタン、マキアリイ、クワンパである。
 昨日負傷した美人女兵士も、別の車で後ろで手を振っている。

 クワンパは少し学習して、師姉シャヤユートみたいに超然と表情を崩さない事にした。
 媚を売るのは所長とヒィキタイタン様だけで十分で、自分に求められているのはそうではないと気が付いたからだ。
 つまりは従者であればよい。
 世間一般の人が自分達も国家英雄の為になにかをして差し上げたい、その願いを代わりに行なうのがカニ巫女事務員という立ち位置だ。

 ただ時々「クワンパさーん」と声が飛ぶから、そこは小さく挨拶する。

「しかしなんですかこの人数」
「南岸部全域から30万人が来ているそうですよ、クワンパさん」
「イローエント市の人口が同じくらいだから、倍に膨れ上がってるな」

 

 式典会場となるイローエント要塞は、特設観客席から広場までぎっしりと人が詰まっている。
 これは警備も大変だなと思うが、観客は自らも破壊工作の犠牲になるのも覚悟の上。
 総統府の規制によりこれまで3回起きた襲撃事件の詳細は報道されていないが、実はひそかに情報が流れている。
 報道記者が中・北部の新聞本社に送った記事が、おそらくは「故意」に流出したのだ、

 3度あれば4度目もと期待するのが人の常。もしも巻き添え食って死んでしまっても、孫子の代まで語り継がれる武勇伝となろう。
 それほどまでに今回の式典、「潜水艦事件」勃発から続く一連の騒ぎは、僻地南岸部における一大祭典であった。

 軍楽隊の演奏で賑々しく始まった式典は、早くも最高潮。
 国家英雄ソグヴィタル・ヒィキタイタンとヱメコフ・マキアリイの登場で、10里(キロ)先までも届く歓声が沸き上がる。

 ヒィキタイタンには「市民栄誉勲章」がヴィヴァ=ワン・ラムダ総統から授けられる。
 マキアリイは正式に「掌令」の位に昇進し、イローエント海軍司令官ホォームラ統監手ずから階級章を付けてもらう。

 その間クワンパは、にこりともせずカニ巫女棒をまっすぐに掲げ続ける。
 単なる刑事探偵事務所の事務員ではなく、カニ神夕呑螯「シャムシャウラ」の巫女としての責務を果たさねばならない。
 神が求める正義が此処に有り、と示すのだ。

 そして二人の英雄は退場して、水上飛行機による模範飛行の準備に移る。
 その間クワンパはヴィヴァ=ワン総統の隣で、延々続く南岸各地の駐屯部隊の閲兵に付き合わされる。
 また、伝視館放送音声放送の中継取材にも応じねばならぬ。

 命をまさに、ゲルタ節のように削って削って削りまくっている。
 たぶん寿命が10年くらい縮まった。現在進行形。

 

      *** 

 ヒィキタイタンとマキアリイは昨日整備した機体の操縦席・後席に封印の帯を貼っていた。
 式典当日、自らの手で剥がして再度の点検を行なう。

 水上機であれば桟橋に浮かべておいても良かったのだが、警備の為に陸に引き揚げ格納庫に収容した。
 もちろん夜通し兵士が立って、整備士であっても触れないように厳重に見張る。
 破壊勢力が誰に化けてくるか分からないし、正規の兵士・整備士が実は、も考えられた。
 対潜駆逐艇のいきなりの反乱を見ても、油断はまったく許されない。

 最終的な調整点検を行なう二人だが、マキアリイは操縦席に座って電装系を調べていて異変に気付いた。
 無線通信にほんのわずかだが雑音が混じる。

「ヒィキタイタン、そちらの無線に異常は無いか?」
「僕の方は、いや、キレイなものだよ」

 マキアリイが用いる新型偵察機「ルビガウルX」は軍正式採用、電装品無線通信機も最新軍用。
 ヒィキタイタンが用いるスピノヴァ社の最新単葉機はまったくに民間仕様で、通信機も高級品ではあるが機能の制限されたものとなる。
 通信機の性能としては軍用品の方が上だが、

「式典で様々な電波が飛び交っているから、それが混信しているんじゃないか」
「それも有るんだろうが、うん」

 念の為に電装品専門の整備士に確認してもらう。確かに雑音は混ざるが、この程度であれば普通で任務には差し支えないとの答え。
 今更に通信機を載せ替えるわけにもいかず、マキアリイが気にし過ぎという結論になる。

 それよりも重要なのが後席だ。

「本日はよろしくお願いします。ソグヴィタル議員、ヱメコフさん」

 民間の映画撮影技師だ。それも空中撮影専門。
 軍の偵察部隊でも飛行機の上からの撮影は慣れているが、芸術的な映像を撮るのは無理。やはり専門家でないと。
 第一偵察隊員操縦機での撮影訓練を行い、演技構成と見所をすべて把握する。

 ただし、彼らも徹底的に調べられた。
 もちろん飛行機に私物の持ち込みは厳禁。下着に至るまですべて海軍が用意したものに着替えさせられる。
 撮影機も中に爆弾や拳銃刃物、薬品の類を忍ばせていないか分解して検査する。
 場合によっては工作員が自爆する事すら考慮されていた。

 第一偵察隊の隊長が二人の英雄に最後の指示を行なう。

「人事を尽くして万全の警戒をしましたが、それでも最後に頼れるのは自分自身の判断です。
 もし空中でなにかありましたら、迷わず機体を捨てて脱出してください。
 また他の飛行機の襲撃を受けた場合は、単独での離脱をお勧めします」

「ヒィキタイタン、お前さんはさっさと逃げてくれよ。俺はなんとかするから」
「君の真似は出来ないからな」

 ふたり顔を見合わせる。後何か残ってなかったか。
 まあ、いいや。

「じゃあ行くか」
「行こう、マキアリイ」

 

 大勢の整備員が機体を押し出して海に向かう。
 海水面にまで長い斜面が伸び軌条が敷設されていて、台車で発進収容出来るようになっている。
 イローエント海軍旗の紅に塗装されたマキアリイ機が、まばゆい陽光を照り返して輝き、目を奪う。
 続いてヒィキタイタン機の水色と緑青がそよぐ夏風を翼に受けて、進み出る。

 既に第一偵察隊8機が空中に上がり、英雄を待ち受ける。
 海に浮かぶと直ちにマキアリイは発動機の始動棹を引いて、点火する。
 大出力を示す太い排気音と腹に響く振動、海面に細かく波紋が刻まれる。音から判断するに発動機尋常稼働中。
 各種計器も正常値を示し、そして隊長から発進許可が。

 無線通信で管制塔を呼び出す。

「イローエント管制、こちら0401ヱメコフ掌令、水上機第一発着場から発進する」
”管制了解、発進許可します。ヱメコフ掌令、ご幸運を”
「0401、了解」

 

       *** 

 空中に上がったヒィキタイタン、マキアリイ両機は他の8機と合流して、イローエント港から離れた会場で一旦編隊を組む。
 飛行状態を確認して機体に不具合が無いと確かめてから、要塞前の観客の上で模範飛行を行なう。

 マキアリイは伝声管を通じて、後席の撮影技師に話し掛ける。
 彼も空撮の専門家であるから、多少振り回されても動じないだけの経験は積んである。

「さてここで問題が起きました。通信機が動かない」
「え! やっぱり。では一度下に降りて、」
「もう遅い、このままやっちゃおう。どうせ演技中は通信関係なしに互いの機体を見て操縦するんだから。
 当然に、撮影の指示も受けられない。
 あんたの腕を見込んで任せるよ。自由に撮ってくれ」

 元より空中に上がってしまえば、撮影は自分に任される。地上からの指示なんてほとんど意味を為さない。
 であれば、

「行きましょう、マキアリイさん」
「おう」

 マキアリイは真紅の機体をヒィキタイタン機の傍に寄せ、手信号で合図をする。
 ヒィキタイタン機から管制及び空中各機に連絡が行く。

”マキアリイ機の通信機故障で完全に通信不能であるが、飛行に支障無し。
 マキアリイ機はヒィキタイタン機の先導に従って演技を行なう”

 

 イローエント要塞の式典会場上空に、真紅の複葉機と水色の少し小さめの単葉機が飛んでくる。
 その後方には、明るい灰色に塗装された8機の飛行機が。

 観衆は皆声を上げて天駆ける英雄を讃える。
 「潜水艦事件」から十年を迎えるが、これまで二人の英雄が翼を並べて空を飛んだ例は無い。
 これはまったくに特別な、今ここに集った者のみに許される僥倖である。

 だが一方、見上げるヴィヴァ=ワン総統の元に不吉な報が届けられる。
 「マキアリイ機の通信機が故障して連絡不能。このまま演技を敢行する」

 総統は隣のホォームラ統監に心配して尋ねる。

「やはり、なにかが起きてしまった。このまま続行して大丈夫だろうか」
「それは、……中止いたしますか。御命令とあれば、」

「大丈夫ですよ」

 と軽く打ち消すのが、クワンパだ。
 無責任に言い放つのではない。だって、空を見れば分かるだろう。

「お二人とも、練習で飛行した時の二人を見ていないでしょう。
 着いたばかりで何の打ち合わせもしていなかったのに、それは自由に空を駆け回っていたんですよ。
 翼で会話しているんですから、声なんか聞こえなくても」

 なるほど、と納得して再び天を見上げる。
 確かに全ての飛行機が計画通りに美しく、大きく円を描いている。
 主役となる紅と水色の機体も、ここまで出来るのかと声を漏らすほどに、複雑な機動で追いかけっこを見せている。

 機体の後ろから白い煙がたなびき、空中に図形を描いて見せた。

「海軍旗の紋章です」

 統監が上を向いたまま満足気にうなずく。確かに彼らには言葉なんか要らないのかもしれない。

 続いて第一偵察隊の機体が並んで、八色の煙を引きながら空中に文字を描いていく。「タンガラム」と。

 美しい光景は、同時中継でタンガラム全土に伝えられる。
 多くの人が伝視館に詰めかけ、二人の英雄の晴れ姿を見ているだろう。
 彼らは後に思い出す。あの日、あの空に確かに希望があった事を。

 

       *** 

 国家英雄二人の模範飛行に続いて、イローエント海軍が結集しての演習を開始する。
 海上を連なって進んでいく大小の艦艇、また戦闘機爆撃機等様々な最新兵器が登場し、それぞれの任務で用いる技を披露する。
 「潜水艦事件」で傷ついたタンガラム国防に対する自信を、今ようやくに取り戻したと誰もが納得する。
 この十年は決して無駄ではなかった。

 

 一方マキアリイは演技を終え、元の基地に戻ってくる。
 海面に着水し、ゆっくりと船着き場に向かい、桟橋に寄せる。
 発動機を停止して、作業員が機体をもやうのを待って上陸した。

 第一偵察隊隊長と整備主任が飛んできて詫びる。
 とんでもない整備不良で迷惑を掛けてしまった。無線無しでよくやってくれたと。

 だが詫びるのはマキアリイの方だ。電線鋏を手渡す。

「あ、いやすいません。空中線(アンテナ)、自分で切っちゃいました」
「え、わざと通信機を壊したのですか」
「ええ。それに、ほぼ間違いないと思いますが、機体に爆弾が仕掛けてあるはずです。
 それも通常の整備では決して見つからない場所、たとえば浮舟の中とかに結構な量の爆薬がですね」

 あまりの言葉に隊長も絶句する。
 何故そう言い切れるのか、空中では何事も起きなかったではないか。

 だがマキアリイは平然と答える。何も無いのがむしろおかしい。

 マキアリイに続いてヒィキタイタンも陸に上がってきた。
 事情を聞いて、質問する。

「根拠が有るんだろ」
「うん、間違いなく。というか俺だったらさ、いや俺がもし爆弾破壊集団として有名な「ミラーゲン」だとすればさ、
 絶対に見逃すはずが無いだろ、十周年記念式典なんて」
「ああミラーゲンか、連中は派手な演出による大掛かりな爆発が大得意だからね。マキアリイ彼らの陰謀を幾つ潰したか。
 なるほどね、彼らであれば式典を、それも空飛ぶ英雄を狙うはずだね」

「だろ。派手好きな連中が、観衆のまさに真上を飛んでる俺の機体を爆破しないわけが無いんだ。
 それも時限爆弾では上手く演出できない。必ず無線通信による遠隔操作で爆発させると踏んでたんだ」
「無線になにか出たわけだ」
「妙な作動音が空中でぴくっとね。注意してなきゃ聴き逃したと思う。
 それでヤバっと、瞬時に電線切ってしまったさ」

 隊長も整備士達も、噂は聞くがマキアリイがどのような戦いをこれまで繰り広げてきたのか、良くは知らない。
 「ミラーゲン」と言われても、ほとんどおとぎ話の悪役としか思えない。

「操縦席は昨夜から封印していたから、多分電線は機体外部で結線したはずだ。
 見つからないように隠しているだろうが、雑音が混じるのだからそこまで上手くはいってない。
 まあ、当日整備の一瞬の隙で繋げたんだからな。そんな感じで調べてください」

 

 そして半信半疑で調べたら出てくるのだ。
 紅い塗料を塗った応急絆創膏で隠された電線が、機体下面から浮舟の脚に繋がる部分へと。

 整備主任が顔面蒼白で報告する。暑い日差しの中、冷や汗が噴き出てくる。
 この仕業は、どう考えても整備員の中に「ミラーゲン」の回し者が潜んで行ったはず。
 犯人は自分の部下の中に居る。

「……、爆弾処理班を呼んできます」

 

       ***  

 式典6日目。
 公式日程はほとんど終了し、総統主催の答礼宴会も前夜に終えて、後は撤収するだけだ。
 ヴィヴァ=ワン総統は今日の内に首都ルルント・タンガラムに戻る為に、早朝出発の特別列車に乗る。

 それまでのわずかの時間に、ヱメコフ・マキアリイを呼び出した。
 幹線鉄道駅貴賓室において、関係者が勢揃いする。
 ヒィキタイタンは特別列車に同乗して総統と共に首都に戻るが、マキアリイはまだイローエントに用事が残る。

 ヒィキタイタンが改めて一緒に帰らないかと誘う。ノゲ・ベイスラ市は通り道だ。

「だめかい」
「今回の一連の事件、俺も独自に調査したいから知り合いの刑事探偵に会っていくのさ」
「そうか。仕方ないな」

 ヴィヴァ=ワン総統は貴賓室の隅に立っていた中央司令軍の士官を呼ぶ。
 マキアリイ事務所にも来たィメコフ中剣令だ。

「ィメコフ君、君から始めたまえ」
「は。

 ヱメコフ掌令、貴官から質問のあったこれまで10年間の軍人としての俸給の件だ。調査の結果驚くべき事実を発見した。
 総統府政府広報局国民広報課潜水艦事件国家英雄係が全額を受取り、経費に組み込み使い込んでしまっていた」
「え? なんでそういう事になるのですか」

 中剣令も眉をひそめる。これは官僚制度というものが抱える宿痾であろう。

「簡単に説明すると、国家英雄ヱメコフ・マキアリイに関連する諸経費をこの部署が一括して管理する。俸給も入金として組み込んでしまった」
「いやそこが分かりません。本人に支給しないと事務処理が終わらないでしょう」
「それなのだが、どうも役人というものは民間人や一個人を軽視する風潮があって、国家の重要な式典儀典に参加させる事を一種の恩典として考えており、
 早い話が政府の式典に出席できるだけでも有難く思え的な思考をするらしいのだ。金銭的な利益に勝るものを提供していると。
 もちろんそれを有難がる民間人は多い。ただ君は逆に、その、済まぬ」

「それで、組み込まれた俺の給料はどうなったのですか」
「これまでの式典参加において、君の交通費や宿泊費その他経費として使ってしまった。もちろん数字上の事であるから計算をし直して、」
「待ってください。という事はですよ、俺は国の金で豪華に飲み食いしていると思っていたのが、実は自腹であったと?」
「さすがに全額を賄うには足りないが、過言ではないと思う」

 マキアリイは叫んだ。

「クワンパあ!」
「は、ハイ!」
「俺を殴れ!」
「え?」
「間抜けな俺を殴れぇえ。」

 カニ巫女棒に躊躇は無い。
 ヱメコフ・マキアリイは自らの愚かさを戒める為、敢えて容赦無い笞撻を求める。
 この苛烈さこそが彼をして無敵の英雄正義の使徒となさしめているのであろう。

 眼前で神罰棒の威力を思い知らされて、ヴィヴァ=ワン総統および同席する官僚・軍人は胆を縮み上がらせる。
 クワンパさん、ちっとも優しい少女じゃないじゃないか……。

 ただ一人、ヒィキタイタンだけは別の感想を持った。
 前の巫女事務員シャヤユート嬢がここに居なくてよかったな、と。

 

 マキアリイが苦痛から立ち直り自らの席に戻り、部屋に舞い散る埃が落ち着いて、
ヴィヴァ=ワン総統は改めて言葉を発する。さすがに最初の声は少しかすれた。

「あ、あーマキアリイ君。俸給に関しては正しく算定し直して改めて支給するが、それとは別になにか君の貢献に報いる道は無いか。
 物理的金銭的なものでよいぞ」
「私には特には、国家英雄としての務めでありますから」

「あ、」

と、クワンパは手を小さく挙げた。今この時に頼まなくてなんとするか。

「なにかねクワンパ君」
「所長はこれまで式典に参加する為に飛行機操縦士免許を維持して参りました。規定の年間飛行時間を確保するために、民間の飛行機協会で機体を借りての練習になります。
 これもやはり自腹でありますので、事務所的には結構な負担となります」

「ィメコフ君、ヱメコフ掌令は軍用機で練習は出来ないのか」
「広報特任士官でありますから、別命が無い限りは軍用機公用機の使用は出来ません」
「なるほど。クワンパ君、その点はさっそくに善処しよう」
「ありがとうございます」

 やったー。

 

       *** 

「さて本題に入ろう。マキアリイ君ヒィキタイタン君、君達は今回の一連の襲撃事件に対して、どう推理している」

 ヴィヴァ=ワンの問い掛けに、まずはマキアリイが発言する。

「式典当日水上偵察機に仕掛けられた爆弾は、破壊主義組織「ミラーゲン」のものと確認できました。
 この件に関しては「ミラーゲン」の犯行です」

「そこが分からないな。「ミラーゲン」は極めて巧妙に破壊工作活動を仕掛けて、ほぼ失敗する事は無いと聞いている。
 マキアリイ君が解決したこれまでの事件でも、結局は爆発にまで至った例が多いだろう」
「今回は幸運でした。ヒィキタイタンの方に仕掛けられていればさすがにお手上げでしたが、まあ恨みの有る自分の方を優先的に狙いますから」

「どのようにすれば「ミラーゲン」の攻撃を見破れるのかね。コツでも有るのか」
「ああ、そうですね。私くらい暗殺に数多く曝されますと、自分でも考えるようになるのです。「どうすれば俺を殺せるかな」と。
 もちろん仕掛けてくる相手によって手口は違い、ただ殺すだけではなく殺すことによって生じる利益や影響などを考慮して、場所状況なども変わるのです。

 「ミラーゲン」に関しては、そもそもが派手な大爆発を好み、市民社会に与える衝撃を最大に引き出すのを目的としますから、今回の式典を狙うのは分かっていました。
 そして最大の効果を求めるのであれば、式典最大の見ものである国家英雄二人による模範飛行を選ぶはず。
 そこまで考えれば、対処は簡単です。

 まあ今回、美女の刺客が毒の刃物で、という手段が無かったのは若干残念には思います」

 さすが数百回殺されかけた男の言葉は違う。

 実際に「ルビガウルX」の浮舟部分から、1石(3.1キログラム)もの爆薬が発見された。
 しかも真紅に塗装される前に組み込まれており分解不能となっていて、通常の検査では絶対に見つからない。
 ただ無線通信を使った起爆装置の作動には電源供給が不可欠で、不用意な結線をした結果、雑音を生み出す元となった。
 あまりにも仕掛けるのが早くて電池を入れられなかったわけだ。

 となれば、マキアリイが用いる機体の選定の段階から、既に陰謀が始まっていた事になる。

 機体を調査した憲兵隊からの報告を受けて、総統もうなずく。
 確かにこの凝った犯罪は「ミラーゲン」のものだ。
 だが、であればほとんど場当たり的に起きた前3件の襲撃は誰の仕業か。

 

 これに関しては、ヒィキタイタンが推理を披露する。前日マキアリイと共に思案を巡らせた結論だ。

「推理小説定番の思考法を行います。つまりは、犯罪の結果誰が最も得をするか、です」
「うん、それが重要だが国家総統への襲撃はあまりにも対象が多すぎて分からないぞ。ヒィキタイタン」
「はい。またマキアリイも心当たりが多すぎて、まったく絞り込めません。
 ですが私、ソグヴィタル・ヒィキタイタンを暗殺する勢力となると、かなり限定されます」

 ヒィキタイタンはマキアリイに目配せする。これから先の推理、本当に言ってよいものか。
 だが始めてしまった以上、最後まで言わねば許してもらえない。

「私が対象となった事で、犯人の目的が分かります。
 襲撃事件の報道を聞いたタンガラム国民は、「潜水艦事件」の時と同じく、タンガラム民衆協和国自体への攻撃と考えるでしょう。
 国民全員の怒りを掻き立てる、これが今回の事件の目的です」

「だがそれでは犯罪勢力にとって不都合ではないか。当然に警察力による締め付けが厳しくなるだろう」
「はい。ではどういう人物が国民を怒らせて得をするかです。
 失礼ながら、

 今回「潜水艦事件」十周年記念式典の目的は、ヴィヴァ=ワン総統と政権与党「ウェゲ会」の人気取りでもあります。
 10年前は、国家の脅威に対して政府軍部が適切に対処できなかった事に国民の怒りが集中しましたが、
 今その怒りを掻き立てれば逆に、国外の敵に対して国民全てを結集する。国防を担う政権与党の支持率上昇を促します」
「うん、悪くない」

 ヴィヴァ=ワンは少し笑う。
 ヒィキタイタンもなかなか政治というものが分かってきた。

「だがクリペン(・サワハーァド退役統監)の件はどう考える。国外派遣軍経験者の反乱という線は捨てられないだろう」
「それも同じ利害関係があります。

 そもそもが「闇御前」バハンモン・ジゥタロウ氏が健在であれば、このような工作活動は取り得なかったでしょう。
 彼にしてみれば、海の向こうは平穏無事であると、国民に強く納得させねばなりません。
 対決姿勢を正規の海軍が担う構図は、彼が構築した海外派遣軍の枠組みを壊します」

「だが奴は今拘置所の中で、国家叛逆罪による特別法廷を待つ身だ」
「彼が作った利権構造は健在で、組織内部での造反も聞こえてきません。
 総統府では「闇御前」組織からの権力の奪還を進めていますが、現状上手くは行っていません。
 逆に政権転覆を企てて、彼らにとってより好都合な新政権樹立を図る可能性が高い。
 バハンモン氏の赦免も取引材料となるでしょう。

 今夏の総選挙はまさに格好の戦場と言えます」
「先制攻撃が必要だな」

「はい。海外派遣軍の実態を俎上に上げて国民世論を喚起し、もって「闇御前」裁判も有利に運ぶ。
 クリペン退役統監も本来であれば、特別法廷に証人として出廷する予定ではなかったでしょうか。

 隠された戦争の犠牲となる兵士の苦しみに付け込む海外勢力の陰謀。
 この線で行けば、十分な勝算が得られると思います」

 

       *** 

 マキアリイが続きを引き取って説明する。

「まあこの計画自体はかなり賢い人物が企画したと思われます。実際に死人を出す必要も無く、ただ事件が起きれば良い。
 ヒィキタイタンが「南風城」で襲われた時はそうでした。これが本来の計画だと思います。

 ただ、謀略というものは謀略に弱い。
 本来整然とした指揮命令系統に従って行動する軍隊に、不正規な命令を突っ込むと、整合性を保つのが困難になります。
 謀略を阻止する方向でなく加速する方向に指示が捻じ曲げられた場合、異常に気付く事も出来ません」
「計画を他者に乗っ取られた、というのか」

 ヴィヴァ=ワンは、一連の襲撃事件に付きまとっていた違和感の正体をようやく知った。
 連絡が不十分であったり、意図が上手く伝わらなかったと感じられる異常が、実は巧みに命令をすり替えられていたとすれば。
 しかし、

「だがマキアリイ君、結局4件の襲撃は全て失敗に終わった。当初の計画通りに進行したのではないか。」
「分かりません。ただ、最初の選抜徴兵隊の襲撃は、明らかに総統閣下のお命を狙っていましたね。
 これが本来の計画であったのかどうか」
「何故そう言い切れる」
「そうでなければ、自分が投げたシュユパンの球が空中で小銃擲弾と衝突する事はありません。直撃軌道に有ったからこその爆発です」

 ヴィヴァ=ワンはほんの少し顔色を変えた。
 であれば、本当に危なかったのか?

 

 幹線鉄道駅の駅長が貴賓室に来て、特別列車の出発準備が整ったと告げる。
 ヴィヴァ=ワンは置き時計の時刻を確かめて席を立ち、室内の全員も立ち上がる。マキアリイクワンパも共に見送りに行く。
 停車場での総統見送りが式典最後の行事だ。

 貴賓室の扉が大きく開く。
 随行員の行列を引き連れ退出しようとして、マキアリイに振り返った。

「私が首都に到着したと同時に、一連の襲撃事件の報道が解禁される。君はまたしても大人気となるだろう。
 新しい映画が作られるな」
「その時は、「閣下」の役を大物俳優が演じるでしょう」

 ヴィヴァ=ワンは白い歯をにっと輝かせた。

「楽しみだな」

 

 空は真っ蒼で雲ひとつ無く、日差しは地面に影をくっきりと縫い付け、暑いのなんの。
 クワンパは、外国人が営む露店の粗末な木の卓に着いて「なんだか分からない動物の臓物煮」を食べている。

 所長が言うには、イローエント市で一番美味い料理が、この「臓物煮」だそうだ。
 決して高級料理ではなく、豪華な宴席には絶対出てこない。見栄えも灰色で最悪だ。
 だが4カ国の食材調味料調理法が混在した、世界で唯一箇所イローエントでのみ食べる事が出来る逸品であるらしい。

「歯ごたえ噛み心地が良くて香辛料がよく利いて旨味も深くてショウ油も効果的に使われて、美味しいです。なんだか妙な臭いがしますが」
「だろ。コレがいいんだ」
「でも真夏に食うものですかね、ちょっと濃厚過ぎませんか」
「いいんだよ暑い時は熱いもの食うんだ」

 クワンパはガラスの杯のいちご氷水を麦わらで吸う。
 単に色と香りがちょっとだけある安っぽい飲み物だが、この暑さ。非常に心地よい。
 昨日までの大宴会のどの料理どの飲み物よりも、一番印象に残る。
 ようやくに心の平穏が得られたからであろうが。

「ちょっと機嫌良くなってきたな」
「私はいつでも普通ですよ。平静です」

 とは言うものの、さすがに若干荒れていた。
 ヴィヴァ=ワン総統とヒィキタイタンを特別列車で見送った後、停車場に集まった人達で一種の解団式を執り行った。
 「潜水艦事件」十周年記念式典も打ち上げだ。

 「かなり美人の海軍女性兵士」ともお別れする。
 彼女が代表としてマキアリイに花束を渡して、たぶん式次第にはまったく予定しない行為だが、頬に別れの接吻をいきなりやってくれた。

 周囲の人は皆大いに驚き、喜んで、拍手で迎えたのだが、クワンパは違う。
 あれはどう見ても8割くらいは本気が混じっている。実にけしからん。

 

「よおマキアリイ、相変わらずご活躍のようだな」

 振り向くと、白い服の男性が立っている。
 背はさほど高くはなく痩身、年齢は所長よりも少し上か。
 とにかく目立つのは上下輝くほどに真っ白な肩肘張った角ばった服を着ている事だ。これはゥアム帝国の衣装で伊達男が好むとされている。
 有り体に言うと、ゥアム系の外国人ヤクザ組織の構成員がこんな格好だと、クワンパは雑誌で読んだ。

 そして鮫皮の帯を巻いた真っ白な鍔広帽。
 下の顔は、なるほどにヤクザそのものの強面だ。一瞥でその筋の人間と確認できる。

 ただクワンパ、この人は知っている。
 所長は軽く挨拶をする。

「よく来てくれたな。クワンパ、この人は、」
「知ってます。オォォフ・ウロフさんですね、「拳銃探偵」として有名な」

 

       *** 

 オォォフ・ウロフ、32才。職業 私立刑事探偵。
 つまりは同業者だ。

 彼は巡邏軍の専任捜査員として、イローエントを舞台に外国人犯罪組織と戦ってきた。
 独立して私立刑事探偵となった後も、その関係の揉め事や犯罪を取り扱う。
 とにかく物騒なイローエント裏事情に通じ、自身も拳銃を携えての荒事を得意とする。
 付いた渾名が「拳銃探偵」だ。

 「英雄探偵マキアリイ」映画の流行に後追いする形で、他にも探偵映画犯罪映画が作られているのだが、
その一つに「拳銃無頼漢」という連作が有る。
 とにかく荒っぽく銃弾ぶち撒けて人が死に、残虐描写も多い。濡れ場も出てくるし、血気盛んな若い男性に一定の支持を得ている。

 その主人公の雛形となったのが彼オォォフだ。

 

 無頼派らしく、無遠慮にクワンパの隣の席に座る。
 ただクワンパがちっとも動じないのに、少し目を細めた。
 見かけは小便臭い小娘でもさすがはカニ巫女。ヤクザまがいの容貌に怯えもしない。

「クワンパ、オォォフさんはこの間の「双子替え玉殺人事件」でも協力してくれたんだ。
 イローエントの専門家だからな、滞留者街での人探しもお手の物だ」
「よろしくクワンパさん。サユールで怪物を退治した勇者さんだそうだな」

 クワンパ、年長者に対してはちゃんと礼を尽くさねばならないと、一度席を立ってお辞儀する。
 カニ巫女らしくカニ巫女棒を手に持ってだから、オォォフもぶっ叩かれるかと思った。

 彼を呼んだのは他でもない。
 「潜水艦事件」十周年記念式典に絡んで発生した4件の襲撃事件。
 犯人はおそらくは総統府、および「ミラーゲン」であるが、それだけではない。
 裏にもう一つ、なんらかの勢力が絡んでいるはず。これを調べてもらいたい。

 オォォフも唸った。

「ネガラニカ、か。あれは難しいぞ」
「知っているのか」
「外国航路や遠洋で操業する漁師がまるで海の悪魔みたいに崇めるもんで、陸の者には決して喋ってはいけない掟らしい」

「驚くほど身体が青くなる溺死体というのが、なにかそれらしいぞ」
「青い屍体な、うん特別に悪魔に魅入られたってのだ。
 ほとんど怪談だからこれまで注意しなかったが、ネガラニカ関連で活動する工作員が居るって事か」
「無理して突っ込んで調べなくていい。ただ初御目見えの謀略組織だから、或る程度は情報収集しなければと思ったわけさ」

 所長は懐から割と分厚い茶封筒を取り出して、卓の上に置く。
 オォォフは無造作に取ってこちらも懐に仕舞い込んだ。中身を確かめもしないが、多分カネだ。
 お互い私立の刑事探偵だから、商売でなければ動かない。

 彼はすぐに席を立った。

「マキアリイ、あんたの事だ。勘に引っかかったのなら、いずれ現実に牙を剥いて襲ってくるだろう。
 せいぜい役に立つ情報を仕入れてきてやるよ」
「頼むよ」
「それにしても、だ」

 露店の周囲を首を回して確かめ、肩をすくめる。
 軍人が3人少し離れて立ち、マキアリイとクワンパを守っている。ニカイテン兵曹率いる英雄護衛分隊だ。
 おかげで他の客が寄り付かず、外国人のおじさん店主が弱り顔。
 式典警備で外国人移動禁止令が出され、ここ1週間商売上がったりだったのがようやく解除されたのに。大迷惑だ。

「大仰なもんだな」
「ノゲ・ベイスラの事務所に辿り着くまでが式典警備なんだとさ。仕事だから止めろとも言えない」
「ま、せいぜい御国の為に頑張ってくれよ」

 と去っていく。

 マキアリイも用が終わったと立ち上がるが、

「待ってください。まだ臓物煮食べてます」
「クワンパ、やっぱりこの後土産を買うのか」
「そりゃもう。巫女寮の皆にニセ病院の皆さん、ご近所にも配らないといけません。せっかくイローエントに来たんですから異国情緒溢れるお土産買いますよ」
「カニ巫女がそこまで心配するなよ」
「事務員であれば当然です。日頃ご迷惑をおかけしているのですから」

 マキアリイはニカイテン兵曹に向いて渋面を作って見せる。そちらもご迷惑だろ。
 だが護衛対象の私的な行動を制限する権限は彼らには無い。
 荷物持ちにアマル正兵も連れているのだから。

 

 後日事務所に、これまで支払われてこなかったマキアリイの軍人としての俸給をまとめて振り込んだ通知書が郵送されてきた。
 非常勤の軍人という非常識な立場であるから大したものではないだろうと思ったが、本当に雀の涙だった。

 今回士官階級である「掌令」に昇進したのに、俸給月額がクワンパの週給と同じ。
 これで式典参加時の無茶な活躍をさせるのだから、軍丸儲けではなかろうか。

 クワンパが国から頂いた式典参加の「謝礼」の方がよほどに多い。

 

 

 「闇御前組織」について説明しよう!

 今を去ること60年前。
 とある政治家の後援を受けてシンドラ連合王国に遊学に行ったバハンモン・ジゥタロウは、
第七民衆協和政体がまさに崩壊寸前のタンガラムに帰国した。

 秘密治安機関に逮捕され拷問を受けるジゥタロウ。
 しかし、彼に接触してきた若手幹部「治安某」としておこう、は現政権首脳部のシンドラ脱出への協力を持ちかける。
 政権首脳および家族は亡命し、第七政体は崩壊。
 新政府「第八政体」が発足した。

 秘密治安機関は上層部こそ解任罷免されたが組織自体は横滑りで存続し、有能な若手を主体として再構築された。
 「治安某」は中心的役割を果たす。

 一方ジゥタロウは、後援してくれた政治家が新政権において外務大臣を務めたのに従い、大臣個人の密偵的役割を果たす。
 改めてタンガラムの国際的状況を検討した結果、「海島権益」を巡る争いに大きく出遅れているのに気が付いた。

 「海島権益」とは、ゥアムシンドラタンガラムそれぞれ固有の領域以外の、
大洋に点在する島や方台(島より大きく大陸より小さい土地)での権益、漁業資源、海底資源などの利用についてだ。
 第七政体の混乱によって、タンガラム政府はまったくに手をこまねいており回復不能な状態ですらあった。
 しかし未だ新政権発足後の建設段階で、大規模な国外派遣にまで及ばない。
 議会も混乱し、国民に余計な負担を強いる事業は到底受け入れられるものではなかった。

 

 この状況が一変するのが、50年前の「バシャラタン方台の出現」だ。
 今まで何も無かった海域に突如魔法のように出現した巨大な有人方台だ。3ヶ国は争っての権益確保に乗り出した。
 噂によると、シンドラは遠く西の海域に、ゥアムは東の海域に同様の未公表の有人方台との交流を持っているという。
 バシャラタン方台は、タンガラム方台の真南に存在する。
 もしもタンガラムの派遣調査体制が十分であれば、バシャラタンとの国交を独占できたのかもしれない。

 改めて「海島権益争奪戦」に乗り出すと閣議決定したタンガラムだが、莫大な派遣費用と人員装備の調達で頓挫する。
 第七政体を滅ぼした無産主義勢力が未だ力を持ち、議会は余分な出費を決して認めようとはしなかった。

 そこで外務大臣はジゥタロウと「治安某」に命じて、独自秘密に派遣予算を調達する方法を模索する。
 構築されたのが、産業界において密かにカルテルを組織し、みかじめ料的に資金調達する枠組みの創出だ。
 自由競争を標榜する政府としてはまったくに許されないものだが、監督官庁を「治安某」が工作活動により黙らせる。
 カルテルに所属しなければ資源材料自体の取得すら難しい状況を作り、否応なしに各企業を組み込んでいった。

 だが悪い事ばかりでもない。
 強力な産業指導は財閥支配にとってはちょうどよい枷となった。
 一極独占ですべての産業を支配する総合財閥の形成を防ぎ、中規模の財閥が制限された競争社会の中で活躍する。
 各業界においても独占は許されず、必ず対抗する企業を育成した。
 第七政体ではこの制御に失敗し、財閥の巨大化による弊害が格差を増大させ、社会不安を生み出したのだ。

 また密かに続く海洋上の限定戦争によって恒常的に大きく消費が続き、タンガラム経済を下支えした。
 好景気が長く続き、市民社会も改善進歩を遂げる事となる。

 

 国内で派遣軍費用を調達する組織が確立すると、ジゥタロウは本来の役目である海外工作活動に復帰する。
 海島権益争奪戦は軍事力だけで成り立つものではない。
 外交力諜報力産業経済力、科学技術や天文地学、民俗学まで動員しての総合的な国力が要求される。

 ジゥタロウが確立した国外諜報機関は、派遣軍費用調達組織と結びつき一体化して一大政府外機関となる。
 これが「闇御前組織」であるが、そう呼ばれるのはもう少し後。

 外務大臣が死去し、第八政体初期を支配してきた政権が崩壊して新政権が成立し、組織の権益を彼らに認めさせ。
 今から15年ほど前に、国家を裏から支配してきた「治安某」が死去した。
 彼の権力はジゥタロウによって継承され、名実ともにタンガラムを裏から支配する「闇御前」が誕生する。

 絶大な権力を振るう「闇御前」ジゥタロウであるが、「治安某」を失った秘密治安機関の人間はこれを不服とする。
 政府直属の彼らが、政府外の組織に従わねばならないのは屈辱であった。
 この不満を背景として発生したのが「潜水艦事件」だ。

 事件に「闇御前組織」が深く関与している事は、捜査の初期段階から判明している。

 「闇御前組織」と深く関わりを持つ政府・総統府は事態の早期終結と隠蔽を図り、
イローエント海軍統監「クリペン・サワハーァド」にすべての責任を押し付け即日罷免。異例の早さで訴追した。
 この処分に異を唱えて東西南の三海軍士官が揃ってサボタージュする「海軍休日事件」が起こる。
 結局、国家総統アテルゲ・エンドラゴは辞職を余儀なくされた。

 かろうじて政権維持に成功した新国家総統ヴィヴァ=ワン・ラムダは、政権与党「ウェゲ会」の反主流派で、「闇御前組織」との癒着が少なかった。
 新総統と秘密治安機関は協力体制を組んで、「闇御前」への反攻を密かに進めていく。

 

 そして、ヱメコフ・マキアリイによる「闇御前事件」が発生し、ジゥタロウが逮捕起訴される事態となったのである。

 

 

外伝「ソグヴィタル・ヒィキタイタンのお正月」

 この物語はヱメコフ・マキアリイ刑事探偵事務所の事務員にしてカニ巫女見習い「シャヤユート」が、暴行傷害事件を起こしてクビになった直後の正月の話である。
 創始歴6215年1月。カニ巫女見習い「クワンパ」が着任する3ヶ月前だ。

 

 ソグヴィタル・ヒィキタイタンの家族は、父母、姉妹の5人。
 長男であり唯一の男子として誰もが期待する財閥後継者であった。

 確かに彼は周囲の期待に応えて学業においても運動においても社会活動でも抜群の成績を示し、更には社交的活動的であり愛国的で、それでいながらも柔軟にして開放的な誰からも愛される少年に成長した。
 ちょっと不気味なくらいに順調過ぎた人生であるが、18才の誕生日の前日に言い出した一言が全てを狂わせる。

「僕は、大学に行く前に選抜徴兵を受けてみたいと思うんだ」

 無論タンガラム男子であれば国防の為に挺身するのが当然だ。学校教育の現場でも随時に軍事教練が織り込まれている。
 だが選抜徴兵となると少々話が異なる。
 地元を離れて方台各地の軍事基地にて専門的な訓練を2年間受けるのだ。里帰りも出来ない。

 おかげでソグヴィタル家、
いや曽祖父のソグヴィタル・カドゥボクスから取った「カドゥボクス財閥」を名乗るのだから、カドゥボクス家と称してもよい。
 カドゥボクス財閥の将来計画は完全崩壊を遂げてしまった。

 

「全部ヱメコフ・マキアリイというヒトが悪いんです」

 妹ソグヴィタル・キーハラルゥは断言する。
 ソグヴィタル/カドゥボクス家としては、ヒィキタイタンが兵役を終えて帰ってきたら大学進学してそのまま許嫁と結婚。
 卒業後は財閥後継者として社内で研修を積み、40才頃には経営権の全てを譲って、父親は道楽生活に突入しようとの算段であった。

 しかし、南海イローエント港において「潜水艦事件」を見事解決し国家英雄になってしまう。
 世間は彼に社会的英雄となる事を望み、本人も声に応えて政治家への道を歩み始める。
 分かってはいたが、ヒィキタイタンは周囲の期待に完全に応えてしまう体質なのだ。
 これでは財閥後継者に成らない。

 おまけに有力財閥との関係を深めようと様々に手立てを講じて定めた許嫁の令嬢が、破談を申し入れてきた。
 国会議員となったヒィキタイタンがその責務を果たす際にかなり危ない案件に首を突っ込み、自らも暗殺の危機に直面する事態となってしまう。
 許嫁はちょうど襲撃現場に居合わせ、胆が潰れる思いをした。
 これもやむなし。

 だが事件がそこまでの進展を見せ、銃弾が飛び交う事態になったのも、かの有名な英雄探偵「ヱメコフ・マキアリイ」に兄が助力を頼んだからだ。
 ヱメコフ・マキアリイは「潜水艦事件」を兄と共に見事解決し、二人併せて国家英雄として讃えられる。
 警察局の捜査官となったが組織に受け入れられず、早々に民間私立の刑事探偵へと転職して大活躍の連続。
 どうも彼は生来の天命、重大犯罪事件に幾度となく遭遇しこれを解決する責務を負わされているように見える。

 であれば、彼さえ居なければ「潜水艦事件」も起こらず、ヒィキタイタンが巻き込まれる事も無く、平穏無事計画通りに財閥後継者の席に納まっていたはずなのだ。

 

「まったくあいつはとんでもない厄介者なんですよ。まあお兄様が喜んで付き合ってるのだから、どちらが悪いとも言えませんが」
「でもあなた、マキアリイさんが好きなんでしょ」

 と母ソグヴィタル・レンダヌゥ・スルベアラウに言われるキーハラルゥだ。家の中では愛称「キハちゃん」呼ばわりされている。

 ソグヴィタル家は王族の流れを汲むとはいえほとんど貴族とは縁の無い木っ端名門だが、母の実家スルベアラウは「カンヴィタル武徳王国」にて宰相を務めたほどの名家である。
 家格はまったく釣り合わないが、彼女の輿入れが叶ったのは財閥としてのカドゥボクスの富と、父エメタイアンの色男ぶりに依る。

「だって強いもの」
「そうね、あなた強い人大好きよね。えーと誰でしたか子供の頃、サンガス(角力)の力士の、」
「ヱメコフ・マキアリイの強さはそういうのではなくて、実際の命のやり取りの現場での強さだから別格よ」

「キーハ、いっそおまえ、マキアリイ君の嫁に行くか」

 父エメタイアンが簡単に言ってのける。財閥総帥としての威厳など微塵も感じられない。
 両親二人共にかなり軽いのが特徴で、末娘の目からしてもお気楽極楽蜻蛉夫妻に見えてしまう。
 これでよく財閥経営なんか間違えないものだ。

 ヱメコフ・マキアリイは度々ソグヴィタル家に招かれ、父母とも姉夫婦とも会っている。
 いずれも好印象であり、礼儀の正しい立派な青年だ、との評価。加えて刑事探偵としてのアレだけの実績。
 まさに英雄の風格が漂い、使用人達の見る目も尊敬に溢れていた。

 キーハラゥル自身としては。

「そんな簡単な話じゃないでしょ。だいたい私結婚なんて、」
「でもキハちゃん、あなたもう24才よ。世間では普通に結婚して子どももちゃんと居る頃合いよ」
「そういうのはまずお兄様に言ってください。まったく、女にはモテモテのくせに誰にも手を出さないんだから、どこかおかしいんじゃないです?」
「キーハ、おまえが望むのであればお父さんがノゲ・ベイスラに出向いてマキアリイ君に頼んであげてもいいのだぞ」
「そうよそうよ。お母さんも一緒に行くわ」

 キーハラルゥ、さすがに切れる。
 何が悲しくて正月早々に結婚話で責められねばならないのか。
 父母としてみれば、正月だから今年一年の計画を語り合いましょうのつもりなのだが。

 だが元々は、兄ヒィキタイタンの嫁をどうするかという話だったのだ。
 許嫁に逃げられ、本人は財閥経営者となる道を選ばない。
 であれば、さっさと別の嫁を見つけて子作りさせて、その子を後継者に育てようとの遠大な計画だ。

 それまでの繋ぎは、姉ローメテルゥの配偶者に任せて現状維持。
 いや旦那に才覚があれば成長してもらっても全然構わないのだが、そこまで期待していいものか。若干様子見中。

 キーハラルゥ自身は、まあどうでもいい。結婚したければするし、実家に迷惑は掛けないし、商売に役立つ形であればなお良しとする。
 ただアレはダメだろ、ヱメコフ・マキアリイは。
 カドゥボクスの工場が犯罪がらみで大爆発、とか起きてしまいかねない。
 杞憂ではない。アレはそういう奴なのだ。

 

 ガラス窓から眺める空はどこまでも青く、日はうららかで季節を忘れてしまう穏やかさ。
 年が明けてからは気温も上がって、野外に人を誘う陽気だ。

 キーハラルゥはここ数ヶ月馴染みのなにか、が風景から欠落しているのに気が付いた。
 音が無い。音楽が聞こえてこない。

 空を見るまま、父母に尋ねる。

「今朝はタコちゃん、静かね」
「タコちゃんじゃないわ、タルちゃんよ。
 「ウェゲ会」のお正月会でタルちゃん演奏するって、ゥアムの楽器搬出しちゃったじゃない」
「ああそうだった。それは静かなはずだわ」

(注;「ウェゲ(真人)議政同志會」 ヒィキタイタンが所属する政党で政権与党)

 

       *** 

 タコ巫女「タルリスヴォケィヌ」通称タルちゃん、は荒れ狂っている。

 と言っても、モノは壊さないしぶつけないし、振り回す手足が家具に当たらないように十分注意しながら暴れている。
 なにせこの部屋はお金持ちの家らしく高価な調度品に満ち溢れ、傷でも付いたら大変だ。

「楽器がない〜、やだ〜」
「タルちゃん落ち着いて。参ったな、音楽家ってのは演奏出来ないとこんな中毒症状を起こすのか」

 ソグヴィタル・ヒィキタイタンはタルちゃんをようやく抱き留めて静かにさせるのに成功した。
 ちなみにタルちゃんは21才のなかなかの美人であるから、このような姿を他人に特に女性に見られたら大変だ。
 ソグヴィタル家の使用人の女の子でも、タルちゃんを遠慮なくぶっ殺しに来るかもしれない。

「うわぁ〜指が動かし足りない〜」
「困ったな。やっぱりピアノが無いとダメか」

 「タルリスヴォケィヌ」は極めて優れた音楽家だ。タンガラムではまだ珍しいゥアム帝国製の楽器を得意とする。
 かっては天才少女の名を恣とし、才能を見込まれてゥアム帝国に留学し優秀な成績で卒業して、この度晴れて凱旋帰国となる。

 今を去る事9年前。
 「潜水艦事件」を解決して一躍国家英雄となったソグヴィタル・ヒィキタイタンとヱメコフ・マキアリイは方台全土を引っ張り回され、軍の広報宣伝活動にこき使われた。
 当然に東岸地方にも連れて行かれる。かって金雷蜒王国の領域であったこの地方は、「ギィール神族」と呼ばれる元聖戴者の影響が強く、人々は彼等の意向に従って生きている。
 ギィール神族は、ゥアム帝国を支配する「ゥアム神族」と非常に近しく、おそらくは古代においては同族であっただろうと推察される。
 彼等が用いる特殊な表意文字「ギィ聖符」を、ゥアム神族もそのまま用いている程だ。

 故に東岸地方ではゥアム文化の受容が速やかに行われており、専門の学校も作られた。
 ゥアム音楽の学校もあり、「タルリスヴォケィヌ」もその生徒だった。
 ゥアム帝国から輸入された高価な楽器が盗難に遭う事件が起き、関係者として彼女も巻き込まれ、未だ軍籍にあったヒィキタイタンとマキアリイが活躍して無事奪還に成功したのである。
 その際に知己を得たゥアム帝国の外交官に彼女の才能は認められ、留学の話が持ち上がったわけだ。

 ちなみにゥアム帝国への旅路でも行き帰り共にゥアムの会社が運行する旅客船を用いて、船内社交場に据え付けられたピアノをガンガン打ち鳴らして練習三昧であったという。

 しかしながら、タンガラムに戻った後は彼女が自由に使えるピアノが無い。そもそもが高価なものであるし、タンガラムでは製造していないのだから数自体が少ない。
 有力な後援者が無ければそれも借りられないので、伝手を頼って首都ルルント・タンガラムに居るソグヴィタル・ヒィキタイタンの力を借りたわけだ。
 今はソグヴィタル家の居候として、ヒィキタイタンが調達してくれたピアノをガンガン打ち鳴らしているのである。

 なお彼女がタコ(紅曙蛸)巫女なのは、タンガラム芸能界においてはいずれかの芸能事務所か音楽会社に所属しなければ楽器も劇場も借りられないのだが、タコ神殿の神官巫女であれば問題ないという事情による。

「うゎあ〜うわ〜」

 タルちゃんが暴れるのは、本日ヒィキタイタンが所属する政権与党「ウェゲ(真人)議政同志會」の「正月決起大会」が開かれ、その式典で演奏してもらおうとピアノを会場に持って行ったからだ。
 今年は夏に5年に一度の国民総議会選挙が行われる。いつもの年以上に気合を入れていかねばならない。
 特にヒィキタイタンは前回初当選で、初めて国民の審判を受ける事となる。
 人気から言えば再選間違い無しだが、その人気を当て込んで他の議員の応援をして「ウェゲ会」全体の支持率を上げようとの画策が進んでいる。

 渡世の義理から断れないヒィキタイタンであるが、正月早々から道化の役をやらされるのも面白くない。
 タルちゃんの演奏で誤魔化してもらおうとの腹積もりだ。

「しかしピアノかあ。余分が有れば買ってあげたいところだが、今のピアノだって無理を言って貸してもらってるからなあ」
「あれは違うの。タルちゃんが欲しいのはピアノ=フォルテなの。でもとても高価くてタンガラムにはほとんど無いの」
「一番安くても100金(1千万円相当)だからなあ。だが今のだって賃貸料は大層なものだよ」
「あれはピアノ=トラベラなの。折り畳み式の旅行用携帯ピアノなの。簡単に運べるからタンガラムに輸出されてるけど、ピアノ=フォルテとは全然違う音がするの」
「難しいなあ」

 ヒィキタイタンは調査会社に依頼を出して、近隣に存在するピアノの保有状況を調べてもらう。写真付きの報告書が届けられた。
 ルルント・タンガラムは首都であるから高価なピアノ=フォルテが5台も有る。
 ただし大学の芸術学部と音楽会社が保有するもので、関係の音楽家にしか演奏は許されない。
 タルちゃんはゥアム留学で賞まで取ってきた凄腕だが、それが故にタンガラムのゥアム音楽演奏家からは目の敵にされている。

 他は、ヌケミンドル市に2台、ノゲ・ベイスラ市ソグヴィタル大学所有の1台、ミアカプティ市百島湾大学に1台、デュータム市に2台。
 どちらにしろ首都からは遠い。また企業や大学の所有物であるから譲渡も貸与も無理だろう。
 むしろ大学の教員となってピアノを教えれば簡単ではないだろうか。ソグヴィタル大学ならねじ込めそうな気もする。

 ヒィキタイタンは調査報告書の1枚を手に取った。1台だけ個人所有のものが有り、これならば譲渡を交渉できるかもしれない。

「ノゲ・ベイスラ市のこれは、随分と美しく細工の細かいピアノだね。色も白くて綺麗だ。鉄道建設会社のワームワッドシラ氏の個人所有だな」
「それはピアノ=フォルテじゃないの。クラヴィカ=グランテなの。ピアノが出来る前に使われていた古い形式の楽器で、今はもう誰も使う人が居ないの」
「そうか。でもなんでタンガラムにそんなものが有るんだ?」
「誰も弾かないから、多分格安で売りに出たの。飾り物としてはとてもきれいで素敵な楽器なの」
「そうか、骨董趣味で買ったということか。しかし誰も弾けないんじゃダメだな」

「タルちゃんは弾けるの。勉強したの」
「え、そうなんだ」
「ゥアムでコンテストにも出て、競技会ね、優勝したの。出場者4人しか居なかった」
「それだけ人気の無い楽器ということか」

 タルちゃんは、だが残念そうな顔をする。

「でもこれ、たぶん鳴らないの。タンガラムにはクラヴィカ=グランテの調律師は居ないの」
「そうか、楽器には専門の整備をする人が不可欠だからな。特にゥアムの機械楽器は複雑怪奇で、タンガラムの職人にも手がつけられないよ。
 どうしてゥアム人は楽器をこんなに機械仕掛けにしたがるんだろう」
「それはタルちゃんにも分からない。やりたいからやってるんだと思う。

 うわぁ〜練習したい〜」

 ちなみにタルちゃんはタンガラムの楽器も幾種類も完璧に弾きこなす。この部屋にも用意されている。
 だがタンガラム伝統楽器には鍵盤楽器が存在しない。
 鍵盤叩きたくて指が疼いて仕方ないのだ。

 

       *** 

 ソグヴィタル・ヒィキタイタンという政治家は、若く見栄えがして民衆の期待も集める華やかな存在ではあるが、所詮は国会議員一回生である。
 今夏に予定される選挙にて初めて国民の審判を受けて再選を目指すのだが、若手議員の常で特に誇るべき実績が無い。

 更に言えば、選挙区が首都ルルント・タンガラムであるから地元民の為に懸命に働く姿を見せるのも難しい。
 たいていの問題は所属政党である政権与党「ウェゲ(真人)議政同志會」の事務局が官僚と首都圏自治体とで解決してしまっている。

 最初から分かっていた事だ。
 ヒィキタイタンも党本部と相談して全国を飛び回り「ウェゲ会」の為に遊説して回り、所々で有権者と直に語らい社会問題を汲み上げ、また現場に自ら足を運んで調査している。
 努力の結果として、次の選挙でも再選は安泰と見込まれるまでに支持を獲得したのであるが、それでも弱い。

 党の中枢に食い込み内部での地位を上げ、十分な影響力を確保して国政で活躍するにはまだ10数年は必要だろう。
 だが国政のどの分野を自らの専門とする地盤と見定め、見識を深め将来に役立つものとするべきか。
 最近なんとなく定まってきている。 

 人気者であるから伝視館放送や音声放送から度々出演依頼を受けるのだが、ここ最近の話題は一点に集中する傾向がある。
 「英雄探偵ヱメコフ・マキアリイ」だ。
 驚くべき頻度で政官財軍部までをも揺るがす大事件を次から次に発掘し解決していく刑事探偵は、言わずと知れた「潜水艦事件」もうひとりの英雄。ヒィキタイタンの親友だ。
 彼について論評するのに自分ほど適任な者は無い。

 また各事件において、彼が不用意と呼べるほど大胆に真相核心を抉り込み、社会的禁忌を踏み荒らしていくのを批判する人は多い。特に利権者としては強く反発し抗議する。
 親友を弁護し正当性を一般大衆に説く役目も、ヒィキタイタンの仕事となった。
 結果として、犯罪や謀略、腐敗と戦う役目を自らも背負い込んだ。治安維持と政界浄化運動が求められる役割と定められてしまう。

 つまりは民衆は、マキアリイのみならずヒィキタイタンに対しても「英雄探偵であれ」と要求する。
 嫌とは言わぬが、偉大な親友の功績を利用して自身の利益を図っているような気もして、かなり複雑な心持ち。

 

「いいんですセンセイは。それで。
 今人気大絶頂のマキアリイ君の正義に協力する事こそ、一番有権者に訴えかける立派な政治家の仕事です。
 だいたいご自身だとて、巻き添えを食って暗殺され掛けたではありませんか。十分に犯罪捜査の最前線に立って戦っておいでです!」

 と強弁するのは、ヒィキタイタンの第一秘書「シグニ・マーマキアム」だ。
 男性37才、国策タンガラム中央大学卒で何人もの国会議員の補佐をした切れ者。自身が議員になればいいものを、と思うが自分には人望が無いと常々語っている。
 秘書と名乗っているが、その実態は国会議員を裏から操る「軍師」である。「策士」と呼んだ方が適切か。

 政治家秘書にも上中下があり、下は議員としての活動を支える事務処理等をこなす。
 中は選挙区地元後援者等と密接な関係を保ち、彼等の欲するものを議員の政策へと昇華させ、再選への準備を怠らずに地固めをする。
 上は議員が天下国家を論じ国政の流れを読み解く道筋を与え、政党内での権力闘争立場の浮沈に上手く棹差し成り上がる手助けをする。「策士」「軍師」はこれに当たろう。

 まあだいたい政治を志す者は天下国家を論じたいからやっている。
 己が抱える理想を実現するのに自身では無理だと見極めれば、ツラが良いだけで人気抜群の金持ちの坊っちゃんを操り人形にしようとも考えるわけだ。

 ヒィキタイタンは、大学生時代に結成した運動団体を母体として、いわば素人連中の集まりによって政治の道に踏み込んだ。
 議員になったはいいが本物の政治の厳しさを知らない。運動の仲間達の協力では早晩破綻するのも目に見えていた。
 そんな時に「ウェゲ会」党本部から紹介されたのが、彼だ。

 シグニの露骨なまでの権力欲とそれを実現しようとするギラついた行動力は、今の自分には不可欠なものだと考える。
 まあ議員生活も4年を過ぎて或る程度を心得た眼で見れば、彼のあざと過ぎる言動に先輩議員達も持て余して自分に押し付けた、と理解できるのだが。

 

「それで、タルリスヴォケィヌは演奏を承知してくれたのでしょうね」

 何を隠そう、「ウェゲ会」の正月決起大会でタルちゃんが演奏する仕事を取り付けたのは、彼シグニである。
 そもそもが彼は、女性人気で保っているヒィキタイタンが、両親も暮らすとはいえ自宅に若い女性を引き取る事に大いに反対した。
 だが昔からの付き合いのタルちゃんを袖には出来ず後援者となってしまったからには、元を取ろうと考えた。

「シグニさん、ほんとうにタルちゃんが「ウェゲ会」の正月会で演奏して、政治的に得になるんですか」
「センセイはいずれ外交にも関与したいと常々おっしゃっていらっしゃいましたね」
「うん確かに。今のタンガラムの情勢を考えると、外国の影響力が年々増大しているのだから必然だろう」
「私もそう考えますが、希望者は割と多いのです。センセイは人気者ですから、場合によっては外国使節の応対を任されるかもしれませんが、どうせなら大国ゥアム帝国が良いでしょう」
「確かにゥアム関連を手掛けるのは大任で、実力有る政治家でないとダメだね」

「そこで売り込みです。ソグヴィタル・ヒィキタイタンはゥアム帝国との間に音楽を通しての伝手が有る。そう認識してもらう事は決して損にはなりません」
「うーん、でもタルちゃんだよ」
「ああ。そこは少し、問題がありますか……」

 

 部屋の隅でまだタルちゃんは、「指がうずくう〜」とダダを捏ねている。

 

       *** 

 ソグヴィタル/カドゥボクス家の本宅は首都ルルント・タンガラムに有る。
 財閥を名乗るほどの富豪であればどこだって首都には邸宅を持っている。

 では財閥としてはどの程度の規模になるか。
 「中の下」くらいだろうか。ただしカドゥボクス財閥はコニャク樹脂による高度な化学製品を海外にも輸出して貴重な外貨を稼いでいる。
 コニャク樹脂は重要戦略物資でもあり、原料も製品も国家の統制を受ける。
 財閥とはいうものの半分は国策事業の扱いを受けて、なかなか窮屈だ。創業そのものは国家権力とは縁が無かったのに、儲かり始めると手を突っ込んでくる。

 カドゥボクス財閥は今後の舵取りをどうするべきか。悩ましい。
 ヒィキタイタンが政界入りして家業を顧みないのは、非常に迷惑千万至極なのである。

 

 部屋の、タルちゃんの音楽練習室に当てられた広い歓待室の電話が鳴り、秘書のシグニが出た。
 ヒィキタイタンとタルちゃんに振り向く。

「自動車の整備が終わったそうです。お支度をしてください」

 邸内には正月早々にも関わらず理容師や美装士を招いており、二人の外観を徹底的に整えてくれる。

 この手配は、もう一人の秘書クルメヤキ女史が行った。
 彼女は中年の美女である。元は芸能関係で数々の俳優や男性光星(アイドル)の活動を支えてきた、いわば仕掛け人だ。
 ヒィキタイタンの支持者は圧倒的に女性が多く、それも報道や放送での露出によって成り立っている。逆に言うと、選挙区地元密着の支持層が居ない。
 そこで彼女のような人材が必要とされ、有権者に与える印象戦術に大きく傾くわけだ。
 つまりはこれこそが選挙区固め、選挙運動の最前線となる。

 彼女自身はソグヴィタル邸には来ていない。
 正月に行われる各種行事における取材・出演の折衝や段取りを、各団体また報道機関と行っている。
 というよりは、昨年末からずっと彼女は走りっぱなしだ。
 正月放送番組や刊行される雑誌類、新聞正月特集号などなど、露出を図る機会が目白押しで大車輪の大活躍。
 いっそ芸能事務所を立ち上げて交通整理をした方が楽ではないか、と思えるほどだ。

 彼女は言っていた。

「マキアリイ君さまさまです。あーもう、年明け早々にも大事件起こしてくれないものかしらん」

 その言葉を聞いて、ヒィキタイタンは議員宿舎で大きくため息を吐いたものだ。

 12月暮れも押し迫った頃に、マキアリイはまたしても難事件を見事解決に導いた。その結果は世間の彼を愛する人々が驚くものだった。
 彼の相棒であるカニ巫女事務員「シャヤユート嬢」が、
すらりと伸びた麗しい肢体と他を圧倒する美貌を備えておきながらも、野獣のごとき孤高の蛮人な彼女が、
我が子をすら手に掛ける唾棄すべき卑劣な犯罪者を正義の怒りのママに打擲し、自らも巡邏軍に「暴行傷害罪」で逮捕されてしまったのだ。

 これにより彼女はマキアリイ刑事探偵事務所を辞めざるを得なくなり、カニ巫女事務員の座が空席となる。
 世間は大騒ぎとなり、年末の伝視館番組はこれ一色に染まった。
 ヒィキタイタンも放送番組生出演こそしなかったものの、記者会見を開いてシャヤユート嬢を支持する旨を表明したり、新聞座談会で「法的正義実現と聖なる怒りの相克」の題で弁論を戦わせたりもした。
 クルメヤキ女史は嬉しすぎる悲鳴を上げて喜々として対応していたが、もう次か。

 

 支度が整ったヒィキタイタンとタルちゃんは、再び歓待室にある大きな鏡に二人並んで映してみる。

 ヒィキタイタンは伝統的なタンガラムの黒の礼服で、いつもの通りに完璧だ。今更論評するまでもない。
 タルちゃんは、今回ゥアム帝国での留学から帰った新進気鋭の音楽家として、ゥアムの女性礼服「ドレス」を着用する。
 色はタコ巫女らしく真紅。思った以上によく似合う。
 立ち居振る舞いが自然とゥアムの服を活かすものとなる辺り、やはり本場の空気を吸ったものは違うなと思わせた。

 しかし、タルちゃんの表情は冴えない。ヒィキタイタンに尋ねる。

「ねえ。マキアリイはお正月こっちに来ないの」
「彼は忙しいからな。正月でも悪と戦ってるんじゃないかな」
「うわ〜、私から会いに行く〜」

 それもいいかな、とヒィキタイタンも思う。
 ちょっと飛行機を飛ばしてノゲ・ベイスラまで、息抜きに遊びに行くか。

 忙しすぎて飛行機を飛ばす暇さえ無い。
 この分では規定の飛行時間が取れなくて、免許再取得になってしまう。
 せっかく新型機を購入したのにろくに触れず、妹キーハラルゥが代わってぶんぶん飛ばしてくれていた。

 クルメヤキ女史に頼んで、「ヒィキタイタン、飛行機にて親友に会いに行く」の絵を撮影する仕事を作ってもらうべきだろうか。

 

       *** 

 ルルント・タンガラムは、旧名「ルルント・カプタニア」
 旧褐甲角王国時代は王都カプタニアの後背にあって経済的繁栄を一手に引き受けた商業中心地だ。
 「ルルント」は古語で「華やかな」という意味になる。

 タンガラム民衆協和国の世になった後は方台全土の首都と定められ、抜本的都市開発が為された。
 旧時代の遺産を全て破壊するかの強硬な開発は徹底的で、まもなく超近代都市に生まれ変わる。
 改めて、「ルルント・タンガラム」へと名称変更された。

 首都の中心となるのが、民衆主義協和主義の牙城である国会「国民総議会議事堂」。
 国会議員事務会館も、「ウェゲ(真人)議政同志會」の本部も近くにある。

 

 ヒィキタイタンとタルちゃんを乗せた自動車は「ウェゲ会」本部を目指して、整備された自動車道を進んでいる。

 首都だけあって、その交通は近代都市の模範となるものだ。
 タンガラムで初の路面電車路線も「ルルント・タンガラム」に敷設された。今では都市全体をくまなく繋ぐ線路網となっている。
 鉄道線路の上を跨ぐ高架路線まで作られて、立体的な交通を実現した。
 自動車道も他の都市が所詮は土路面なのに対し、かなりの部分で混凝土の舗装が行われている。

(注;混凝土とは路面舗装用に調整された混凝石。固まるが掘り返しやすく修復も容易い。アスファルトではない)

 ただ正月だけあって通行はまばらで、ヒィキタイタンの車は渋滞に遭う事もなくすんなりと政治・行政施設領域に進入できた。
 交差点の中央で旗を振る交通管制員が暇そうにしているのに、タルちゃんも目を丸くする。

「今日は空いてるね」
「全国的に業務はお休みが多いからね。
 もし時間が空いたら、十二神殿の祭礼に行くといいよ。商業施設は今日はどこも開いてないだろ。」
「タルちゃん、タコ神殿に行ったらお祈りさせられる……」
「ああそうか。タコ巫女のお勤めをしなくちゃいけなかったな」

 タコ紅曙蛸神「テューク」の巫女は祭礼の際に舞い踊るのを本来の職務とする。楽器演奏はその伴奏だ。
 今頃タコ神殿は新年のお祝いで、多くの巫女がくるくると舞っているだろう。
 なにせ首都の神殿だ。豪勢なものとなり、参拝客も多数が訪れているはず。

 検問で通行の手続きをして、政治中枢領域に進入する。
 現状タンガラム社会に政治不安は無いものの、常に変事には警戒する。
 巡邏軍の兵士には正月休みも無い。

 自動車に同乗する秘書のシグニが今日これからの計画を説明する。

「お二人には「ウェゲ会」の本部に正面から入ってもらいますが、門前には多数の政治・芸能記者が居るはずです。
 そのまま堂々とお二人で入ってください」
「タルちゃんを見せつけていいのかい」
「構いません。むしろ話題になってもらいます。「謎の美女」として。
 タルリスヴォケィヌは、そうですね、ゥアム語で会話などしてもらいたい。記者に聞こえるように」
「ああ。僕がゥアムに繋がりがある事を強調するわけだね」
「芸能記者はタルリスヴォケィヌの存在を知っています。記事に書く時も音楽家である部分を強調するでしょう。恋愛沙汰として取り上げられますが、深刻な状況には発展しないはずです」

 タルちゃんでいいのに〜、とタルちゃんはむくれた。
 「タルリスヴォケィヌ」なんてややこしい名前、自分でも舌を噛んでしまう。
 親しみ易い愛称でいいのに、シグニさんは言うことを聞いてくれない。一枚距離を取って突き放そうとする。

 

 車は「ウェゲ会」本部総務舎玄関前の車止めに停車する。
 思った通りに新聞雑誌記者が数十名待ち構えており、今度は誰が来たのかと首を伸ばして確認した。

 今年は5年に1度の総選挙の年だ。
 しかも与党「ウェゲ会」は度重なる腐敗汚職背任謀略事件の暴露によって、もはや政権維持すら危うい状況にある。
 「正月決起大会」と言ってもおめでたい雰囲気は微塵も無く、入る議員はいずれも眦を決して真剣な表情だ。
 記者達も有力議員が到着する度に取り囲み今年の抱負を尋ねるが、いずれは落選議員の言として用いられる事となるだろう。

 これも皆全て、「闇御前」を不用意に捕まえてしまった「ヱメコフ・マキアリイ」という男の仕業である。

 彼の親友である「ソグヴィタル・ヒィキタイタン」が豪華な乗用車から姿を見せると、これこそが待ち望んでいた人物だと記者全員が取り囲む。
 ヒィキタイタンに手を引かれて、目の覚める真紅のドレスに身を包む美女が降り立つと、写真機の閃光が幾重にも瞬いた。
 絵のように美しい瞬間で、質問も忘れて記者達はしばらく無言で見守る。
 この美女は、天下の英雄ヒィキタイタン議員の何であろうか。説明は。

 ヒィキタイタンの小さな注意に対して美女が応える言葉は、聞きなれない異国のもの。妖しい響きにますます興味を掻き立てられる。
 だが触れない。
 二人の醸し出す優雅な雰囲気を壊すまいと、近付きたいにも関わらず足が停まる。

 

 下卑た男の声が記者達の背後から大きく聞こえる。

「あれえ〜、その方はタコ巫女の「タルリスヴォケィヌ」さんじゃないですかねえ。
 ゥアム帝国に留学してきた新進気鋭の音楽家で、今はそう、ヒィキタイタン議員の本宅にお世話になって一緒に住んでいるらしいじゃありませんか。
 こんな公の場に連れてくるなんて、さては、アレですかあ〜」

 

       *** 

 ご丁寧な紹介ありがとう、というところだ。
 記者達は綱を解かれた猟犬のように、麗しい男女に食らいついた。

 或る意味もみくちゃにされるのには慣れているヒィキタイタンではあるが、政治記者の結構な年齢の男性が詰め寄ってくるのは流石につらい。
 それ以上にタルちゃんのドレスが汚れないように守るので必死になった。
 ここで登場してくるのが、秘書と運転手だ。
 議員秘書のシグニは既に目的は果たしたと見定め、運転手のメンドォラに命じて二人を救い出す。

 メンドォラは25才、「カドゥボクス財閥」から派遣されているヒィキタイタンの護衛でもある。
 元は陸軍の強攻制圧隊員で素手の格闘でもかなりの腕前。ただしマキアリイには手も無く捻られた。
 彼曰く、「反射神経の桁が違います。こちらの拳が当たる瞬間までマキアリイさんはまるで動かず、当たった瞬間にはもう逆転制圧されて対応しようがありません」

 

 順当に救い出されたヒィキタイタンとタルちゃんだ。だが記者達が排除されてぽっかり開いた空間に、その男が居た。
 右手に取材手帳を開き、にやりと厭らしい笑みを左頬に貼り付ける。

「週刊『破廉恥三昧』のイヤヴェです。いやいやなかなかに仲がおヨロシイようで、これはアレですかあ、お二人は愛人関係と見做していいのかなあ?
 あ〜答えなくていいですよ、分かってます分かってます。読者の皆さんも心待ちにしてましたからねヒィキタイタン議員の艶聞は。
 お正月におめでたい話じゃあないですか。国会議員の諸先輩方にタルリスヴォケィヌさんをお披露目なさるのですね。

 でもいいのかなあ〜、ヒィキタイタン議員には裏で先行している縁談が幾つかありましたよねえ。有力者の御令嬢との。
 あれえ、じゃあこれは愛人止まりで確定かなあ」

 まことにご親切な方である。その場に居合わせた政治記者も記事を書く材料が充実する。
 ただ、その後がまずかった。

「それともお〜、英雄探偵マキアリイさんとの男色関係の隠れ蓑って噂、ほんとなのかな〜」

 紅い疾風がヒィキタイタンの手元から走り、銀色に輝く小型の弯刀がイヤヴェの喉元に突き付けられる。
 もう一本、左手の弯刀は彼の取材手帳を突き刺して奪い取っていた。

 双手で弯刀を握り舞い踊るのは、タコ巫女舞踏の基本技。音楽専攻のタルちゃんも子どもの頃に叩き込まれた。
 そして実際強いのだ。貴人の傍で刀剣を弄ぶには相応の技量が要求され、万が一には護衛の役も果たしてのける。
 左手の刀で奪った手帳が、そのまま空中で八つ裂き十六裂き三十二裂きの花吹雪と化す。

 喉笛に切っ先を触れさせたまま、記者の耳元でゥアム語で囁く。

「(ヱメコフ・マキアリイを侮辱したら許さないぞー)」

 イヤヴェはその場に転び、タルちゃんは両手の弯刀を擦り合わせてシャリンと美しい音色を立てたかと思うと、手の中でくるりと回して手品のように消した。
 悠々とヒィキタイタンの元に歩み、右手を差し出して先導を乞う。
 ドレスの紅い裾が膨らんで、花のように翻った。

 

 「ウェゲ(真人)議政同志會」の本部玄関から入った二人は、というかタルちゃんは、いきなりシグニに怒られた。

「タルリスヴォケィヌ! まさか真剣を隠し持っていたなんて聞いてないぞ」
「だって〜タコ巫女の正装は踊りの剣を持っていくのが正式で、今日は偉いヒトの前で演奏するからやっぱり要るのかなーって」
「要らない。それは両方共、玄関の守衛の所に置いてくるんだ」
「え〜大事なものだよー。ゥアムにも持ってって何も言われなかったのにー」

 シグニは肩で大きく息を吐き、自らを落ち着かせる。
 十二神殿の巫女は古代のままの意識で務めに励んでおり、現代の常識をいとも簡単に踏み越えて見せる。
 油断したのが間違いだ。だが、まあ、良しとする。

「最後のは余計でしたが、おおむね計画通りです。さすがはクルメヤキ女史の手配だ」
「え、まさか今の雑誌記者は、女史の仕業なのかい」
「そこまで露骨ではありません。ただあの手の連中に電話を1本、「ヒィキタイタン議員が若い美女を同伴して正月会に参加する」と伝えれば、自然とあそこまでやってくれます。
 彼にしても、いい記事が書けたでしょう」

 

「ソグヴィタル君!」

 先輩の国会議員が玄関前の騒ぎを見ていて声を掛けてきた。
 議員という職業は人前にて持論を演説したり弁論を戦わせるものであるから、どの人も声には自信がある。なかなかによく徹る低音が廊下に反響する。

 「ルルント・タンガラム」の隣県「ッエットン」選出のリィガクミエリ議員で41才の男性、顎に短い髭を生やしている。
 議員二回生で、ヒィキタイタン同様さほどの重職は務めてない。選挙区が近いから共に行動する事も多かった。

 ちなみにタンガラムにおいては、と言っても身分制度を否定し国民が平等に為政者を投票で選ぶ制度はタンガラム民衆協和国しか無いのだが、選ばれる候補者はやはり美男美女が多い。
 もちろん能力こそが重視されるべきだが、不特定多数の有権者に訴えかけるには露出を多くする他無く、写真写りが良く拡声器から聞こえてくる声が美しいに越したことはない。
 リィガクミエリ議員も相応に立派な風采である。

 彼は先程の騒ぎに好意的に笑いかける。

「ハハ、派手にやっていたねえ。そちらが今回演奏をしてくれるゥアム帝国で留学してきたタコ巫女さんだね」
「はい。「タルリスヴォケィヌ」です。よろしくお引き回しのほどをお願いいたします」

 タルちゃんも礼儀正しく、ドレスの裾を引いてお辞儀をする。
 礼儀はタコ神殿仕込みで、やろうと思えば最上級の作法も弁えているのだ。なにせタコ巫女は古代においては簡単に斬首する絶対の権力者の前で舞い踊るのを責務とした。
 お陰でゥアム帝国で殿上人である「ゥアム神族」の高覧を受けても、まったくに問題なく通した。

 こういう仕草をすると美人度が3倍増になるので、議員も相好を崩す。

「さすがだね。やはり美男子の所には美女が寄って来るもんだ。

 しかしさっきの雑誌記者、痛いところを突いていたね。
 たしかに君もそろそろ結婚して有力な閨閥に入らないと、これ以後の議員活動も思うままに行かないぞ」
「そうですねえ、結婚したくないわけでは無いのですが難しい問題が多くて」
「夏の選挙までは猶予期間として見てくれるだろうが、その先は決断が必要だな。泣く女性支持者が多いだろうなあ、ハハハ」

 と連れ立って当選回数低めの議員が使っている大部屋の控え室に行く。
 タルちゃんは一歩退いて、議員同士が肩を並べて歩くのを背後から見る。隣の秘書シグニがにやりと頬を歪めるのを不思議に思う。
 なにか、思惑通りに事態が進展した、風な笑みだ。

 ひょっとすると、ヒィキタイタンのお嫁さん選びにも彼は陰謀を巡らしているのかもしれない。
 やっぱり政界の大物のお嬢さんを娶った方が、出世も早く大きな仕事も回してもらえる。そういう人脈も彼は十分に把握しているはず。
 いつまでもぐずぐずしているヒィキタイタンの尻を蹴飛ばす為にも、あの雑誌記者は必要だったのかも……。
 こいつ悪い奴だな。

 

       ***   

”えー本年は夏に、国会議員と議長選挙で同時に国民の審判を受ける「総選挙」の年であります。
 この4年半は、我が「ウェゲ議政同志會」にとってまさに悪夢と呼べる苦渋の年月でありました。
 思い出すだけでも腸の煮えたぎる数々の汚職背任事件の暴露に継ぐ暴露。トドメと言わんばかりの「闇御前」悪行三昧の発覚。
 政権与党としては責任を痛感せざるを得ないとはいえ暴風吹き荒れる毎日でありました……”

 延々と愚痴が続く「正月決起大会」開幕の辞である。
 喋っているのは国会議長ホアマレ氏、2期連続で議長を務めているが今年76才の老齢で、次回の国会議長選挙には出馬せず引退すると決まっていた。

 タンガラム民衆協和国の国会「国民総議会」では、本議会議長は国民有権者による直接選挙で選ばれる。
 実質の為政者であり全権を掌握する「総統(国民総議会統領)」は、国会議員による投票で選ばれる間接選挙だが、議長は直接だ。
 政権与党が議長を出すか出さないかで、議会運営は天と地ほどの違いとなる。

 ちなみに国家議員選挙は5年に一度、国会議長選挙は4年に一度行われる。20年に一度両方が同じ年に行われるので、これを「総選挙」と呼ぶ。
 6215年8月は、まさにこれだ。

 

 ソグヴィタル・ヒィキタイタン議員は、話をあまり聞いていない。
 一回生議員であるから演壇から遠い後ろの方に群れとして並ばざるを得ず、故に楽をしている。
 むしろ心配はこの後に演奏を行う「タルリスヴォケィヌ」だ。

 決起会という名の新年会で雰囲気を出すために小楽団も呼んでおり、タルちゃんと共演する。
 同じ音楽家同士の控室に突っ込んできたから騒ぎも起こしてないだろうが、心配だ。

 だがまだ先の話。
 これから派閥の会長の挨拶。内閣大臣領の挨拶に続いて、「ウェゲ会」総裁である「国家総統」のお言葉で締めくくり、宴会に突入する。
 タルちゃんの出番はそのあとだ。

 会場は大広間であるが、政権与党をもう25年も務めている「ウェゲ党」の本部にしては簡素で飾り気が無い。
 世間一般の人が権力者に期待する奢侈贅沢はほんとうに控えめにしか実現されていなかった。

 理由が有って、この大広間はしばしば乱闘騒ぎの戦場になる。
 同じ政党内であっても、いやだからこそ路線対立を巡って派閥同士が争い、遂には実力行使に及ぶ。
 舞台となるのが主に大広間での全体会議で、25年の間に2件も殺人が起きていた。

 

”えー続きましては、内閣大臣領スミプトラァタ・ドリィヒ様、お願いいたします。”
”諸君! 新年おめでとう。そして警戒し武装せよ。本年は戦いの年だ。
 かってない厳しい審判が我らの上に降り注ぐ。だが恐れてはならない、変革だ。我ら自身こそが変革せねばならない”

 言葉は激しいが、あまり響いて来ない。
 大臣領(総理大臣)スミプトラァタ氏は実務能力には優れているが、政治勢力として自ら派閥を率いて影響力を行使するのが苦手な政治家だ。
 万年二番手である事を自ら誇りとするほどで、次の総裁・総統候補とは見られていない。

 ただ彼の手腕が確かであるからこそ、「闇御前事件」後の混乱においても国政に支障が起きなかった。
 国民経済の減退なども今は回復し、選挙の争点は純粋にどの政党が信望を得られるかに移っていた。

 「闇御前」バハンモン・ジゥタロウの政官財界へのあまりに大きな影響力の暴露、相次ぐ高級官僚の汚職背任、そして已むことの無い破壊主義犯罪勢力の攻撃。
 政権与党である「ウェゲ会」の権威は失墜し、この選挙で直接に有権者に自らを必死に弁明し、信頼を取り戻さねばならない。

 信望に関しては、直接選挙で選ばれる「国会議長」の存在は極めて大きい。
 今回引退するホアマレ氏は若い頃は陸軍大剣令まで務め、その果断毅然とした態度によって荒れる議会を御して来た。
 国民の信頼も篤く、2期8年間は彼の印象の良さによって「ウェゲ会」も実力以上の評価を得てきたとも言えよう。

 彼の居ない今年の選挙は大波乱間違い無しなのだ。

 

 つい、と右腕を肘で押された。隣に並ぶリィガクミエリ議員だ。
 「よそ見をしてないで、本命が来たぞ」との合図。
 総統閣下のご入場だ。

 待機していた小楽団が静かに控えめに演奏を開始する。タルちゃんの出番はまだ。
 正面演壇袖の重役用出入り口の扉が開き、照明が集中して、入ってくる白髪の男性を照らし出す。

 「ウェゲ議政同志會」総裁 第八政体18・19代タンガラム民衆協和国総統 ヴィヴァ=ワン・ラムダである。
 65才、だが歳を感じさせない溌剌とした笑顔だ。

 ヒィキタイタンもリィガクミエリも、その場の議員全員が拍手で迎える。

 

       *** 

 新年会恒例、金襴のゆったりとした衣を着せられ「福の神」の扮装となった総統は、上機嫌に集音器の前で語り出す。

「今更危機だの闘争だのと騒いでもしかたない。災い転じて福とするしか、今のウェゲ会が打つべき手は無いのだよ。
 むしろこう考えるべきだ。様々に国民を欺いてきた政界官界の改革を、我々以外の誰が出来るものか。
 綺麗事ばかりを並べる野党に事態の深刻さがどこまで理解出来ているのか。
 今の苦難は産みの苦しみ、変革に伴う痛みである。悪に守られて眼を瞑ったまま安穏と暮らしてきた日々は終わった。
 卵の殻は破られて、もはや自ら足を泥沼に突っ込まねばならんのだ。
 我等議員が大いに苦しむ姿を国民に理解してもらいたい。七転八倒して泥に首まで浸かり、傷つき血を流し、それでも立ち上がれ。

 では新年おめでとう。乾杯!」

 

 ヴィヴァ=ワン・ラムダ総裁・国家総統は、方台東岸部ギジェ県選出で議員7期目。
 彼が国家総統の座を得るのに、ヒィキタイタンは少しだけ関与している。

 今を去る事9年前、「潜水艦事件」の発生で当時の政権は大打撃を受けた。
 タンガラム本土の喉元にまで巨大巡洋潜水艦の侵入を受け、防衛体制の不備が露骨に暴露され、当時のイローエント海軍統監は直ちに罷免。
 政府も責任を追求され連立政権の枠組みも解消となり、国家総統も辞任に追い込まれる。

 後始末を託されたのが、ヴィヴァ=ワン・ラムダだ。
 党内第3派閥に属していたが、本流2派が事件の巻き添えで崩壊。党そのものも脱落者が相次ぎ解体寸前の混乱の中で、党総裁を任された。

 タンガラムの法律では、国家総統には国会の解散権は無い。
 任期5年の中間に行われる「補欠選挙」を利用して乾坤一擲の大博打。所属議員全辞職による禊ぎ選挙を敢行して、見事勝利する。
 「自由タンガラム党」の助勢を得て18代「国家総統」に就任。かろうじて政権維持に成功した。

 次の本選挙でも勝利して党勢を回復し、初当選を果たした無所属ソグヴィタル・ヒィキタイタン議員も合流して入党する事となる。

 そういう人だから、議員自らが見苦しくも足掻いて見せる姿を国民有権者に率直に伝えよ、と言えるのだ。
 だが本人はむしろすっきりと男前で端正な姿。年齢に関係なく活力に溢れている。
 女性有権者の支持も多く、かってはヒィキタイタン並に人気が有ったとも聞く。

 

「しかし、「悪に守られ」とはなんだよ。まるでタンガラムの政治が悪無しには成り立って来なかったみたいじゃないか」
「「闇御前事件」で政界のはらわたが見えたようなものですからね。
 効率を優先すれば法も道徳も人権も踏みにじる。そういう官界の慣習を知らなかったとは、国民の誰も言わないでしょう。巷の常識です」
「ヒィキタイタン、おまえさんがそれを言ってくれるな。支持者が幻滅してしまうぞ」

 乾杯の後は祝宴に突入するのだが、各派閥に属する議員は自らの領袖にご挨拶に行かねばならない。
 派閥ごとに流儀は違うが、親分に直接話が出来る機会はそう滅多には得られない。

 リィガクミエリ議員は本流派、ヒィキタイタンはヴィヴァ=ワン総統派の所属という事になる。
 下っ端議員同士が無駄話をしている余裕は無く、改めて自らの派閥が作る順番待ちの列に加わるべきなのだ。

 ちなみに「本流派」とは、「潜水艦事件」で崩壊した本流2波がヴィヴァ=ワンの手腕で党勢を回復した後に復元し、一本にまとめ直したものである。
 総統総裁の座を明け渡しているから今は雌伏の状態にあり、今夏の選挙を好機としてヴィヴァ=ワンの引退劇を目論むであろう。
 さすがに総統・総裁8年は長過ぎる。更に延長して5年など許せる道理が無い。
 権力の椅子を欲する者は実力者が長居するのを歓迎しなかった。

 

 出遅れたヒィキタイタンは順番待ちの最後尾となってしまった。
 別に総統閣下と話が出来なくても、同じ派閥の先輩議員と情報交換をすればいいのだから無駄ではないが、待たされる。
 と思っていたら前の方から手招きをされて、ヴィヴァ=ワン総統の隣に並ばされた。

 総統は金襴福の神衣装の袖を伸ばして、ヒィキタイタンの肩に手を置く。

「これが私の秘策だよ。選挙で勝つために大いに働いてもらうつもりだ」
「おお! ソグヴィタル議員ですか。最近またしても人気が高まっておりますからなあハハハ」

 目の前の五回生議員が腹黒く笑うのに、ヒィキタイタンも釣られて笑わざるを得ない。
 ヒィキタイタンがヴィヴァ=ワン派に入ったのは、そもそもが「ウェゲ会」に入ったのも、総統閣下直々の勧誘によるものだ。

 「潜水艦事件」で一躍国民的英雄となってしまったソグヴィタル・ヒィキタイタンとヱメコフ・マキアリイ。
 何度も政府や軍の式典に呼び出され、人気取りの道具に使われた。
 事件で壊滅的打撃を受け不死鳥の如く蘇り政権維持に成功したヴィヴァ=ワンにとっては、二人の清新さが新政権の象徴としても使えた。
 特にヒィキタイタンの女性に対する圧倒的人気は、隣に立つ自分をも輝かせ支持率を高くする。

 その英雄が新人議員として国会に乗り込んで来たのだ。
 自らの傍に置くべきと、総統本人の膝詰め談判で獲得交渉に臨む。自分の派閥にも所属させる。
 案の定報道各社は大きく報道し、選挙後新政権発足時の支持率は過去最高のものとなった。

 選挙となればまたしてもその知名度人気が大いに役立つだろう。

 

       *** 

 とはいえだ。

 現在「ウェゲ会」が政権転落の瀬戸際に立たされるのは、主に「闇御前事件」の影響である。
 その直前から汚職背任事件が次々と発覚し、政府与党の責任が厳しく追求されていた中での大暴露。
 おかげで「ウェゲ会」は連立相手の「自由タンガラム党」にも逃げられ、脱党者を出し、単独過半数を割ってしまう。

 総統は目の前の古参議員にそっと耳打ちする。

「ここだけの話にしてもらいたいが、夏の選挙ではヱメコフ・マキアリイ君にも応援を頼むつもりだ」
「なるほど! なるほど。ソグヴィタル議員の頼みであれば彼も断り切れないでしょうな。うんうん」

 巨悪を暴いて正義の為に戦う英雄探偵マキアリイ。
 だが暴かれる悪というのが、政府であったり官僚組織であったり軍隊だったりだ。
 普通に考えると政権与党の敵であるのだろう。

 そのマキアリイが、正義の体現者である彼が盟友ヒィキタイタンと共に、改革を訴える国家総統ヴィヴァ=ワンの隣に立つ。
 痺れるような興奮が、選挙演説を聴く民衆の内に沸き起こるだろう。
 まさに秘策。

 ただヒィキタイタンは、親友が決して喜んで民衆の偶像となっているわけではないと知る。
 正義の味方云々以前に、刑事探偵という職業柄特定の政党や候補者に過度の肩入れをするのは不適当では、

「それはキミがなんとかするんだ。ウェゲ会結成以来の危機だぞ、党への忠誠心、己の実力を見せるところだ!」

 古参議員に怒られてしまった。
 いやまったくその通りで、党の為自らの為ひいては自らが信じる理想の為に、使える手段は残らず行使し、頼れる伝手には余さず願うべきである。

 それに本人は嫌がるだろうが、闇の力が暗躍する不可触の禁域、泥沼地雷原に不用意無思慮に踏み込んでしまう彼を救うには、公的権力の恣意的行使もたまには必要となる。
 実際ヒィキタイタンは、マキアリイを救うために総統閣下に無理なお願いをした事も、二度三度。
 借りを返せと言われれば、喜んでと応じねばならない。

「……善処します」
「うむ。それでこそウェゲ会の一員だ」

 

 宴会の進行をしている事務員の男性が近付いてきて、ヒィキタイタンに耳打ちする。
 タルちゃんの出番になったようだ。
 総統と先輩議員達に挨拶をする。

「演奏の時間となりましたので、しばらく失礼いたします」
「おお、例のゥアム帝国で留学してきた巫女だね」

 タコ巫女「タルリスヴォケィヌ」が政権与党「ウェゲ会」の新年会で演奏する事になったのは、ヴィヴァ=ワン総統の発案でもある。
 新年会恒例「総裁福の神」扮装で分かるとおりに、本来はこの宴は楽しくやろうとするものだ。
 「福の神」としては出席者議員にお年玉をあげなくてはならない。そこで珍奇な出し物を毎年用意する事になる。(注;タンガラムにはお年玉によく似た概念が有る。大人ももらう)

 ヒィキタイタンは総統に今年の出し物を相談されて、それならばとタルちゃんを推薦した。
 ゥアム帝国で優秀な成績を修めて帰国した「タルリスヴォケィヌ」ならば、注文に適うだろう。

 会場大広間内のそこかしこで議員同士の談話が続く。
 これは単なる宴会ではなく、正真正銘の政治の場だ。軽く浮かれて見えても今年一年、そして今後の「ウェゲ会」の命運が掛かっている。
 だからまともに音楽を聞く人など誰も居ないのだが、多少は心に留める議員もあるだろう。

 既に演壇の上にはピアノ=トラベラが設置され、真紅のドレスに身を包む若き女性音楽家が頭を垂れて出番を待っていた。
 少し暗くなった会場で、照明が彼女に集中する。

 集音器の前でヒィキタイタンは語り出す。

”新年おめでとうございます。一回生ソグヴィタル・ヒィキタイタンでございます。
 総統閣下のお許しを得て、皆様に才能あふれる優れた音楽家を紹介したいと思います。
 彼女は紅曙蛸巫女「タルリスヴォケィヌ」。東岸部シンデロゲン県ミレシャ市の生まれで、幼少期より天才少女と讃えられた者です。
 縁有ってゥアム帝国への音楽留学をする機会を得て、音楽教育の最高峰「ゥアム七楽聖記念奉音舎」への入学を許されました。
 抜群の成績にて主席で卒業し、当地の支配者であるゥアム神族上覧競奏会でも見事に優勝を勝ち取り「栄光の音叉」を初めてタンガラムにもたらしております。
 それでは彼女の卓抜した技術と溢れる情感に彩られる繊細にして大胆な演奏をお楽しみください”

 振り返りタルちゃんの顔を見るが、既に音楽家としての本性に切り替わっている。
 促されるまでも無く席に着いて、つややかに磨かれた獣骨製の鍵盤に指を這わせる。
 静かに、細やかに繊細に、人の心に忍び寄る演奏が始まった。
 最初の曲目は『新しい心臓を捧げられた太陽を祝福する唄』 ゥアム帝国の新年を祝う曲だ。

 続いて小楽団もピアノに寄り添うようにタンガラムの楽器で奏で始める。
 タルちゃんがヒィキタイタンの実家で毎日ガンガン演奏していたのも、ゥアムの曲をタンガラム楽器の楽団に合うように編曲していたからだ。
 「ゥアム七楽聖記念奉音舎」で学位を取った最初のタンガラム人として、大胆に替えていく。

 聞く人に心得が有れば、これまでタンガラムで紹介されたゥアム音楽の演奏と根本が違うと気付いたはずだ。

 

       *** 

 演奏を始めてしまえば、タルちゃんはとても信頼できる。度胸も据わっている。
 改めて総統の傍に戻ろうとしたヒィキタイタンを、リィガクミエリ議員が呼んだ。手招きする。
 どうやら「本流派」の列で自分に話があるようだ。

 「本流派」正式には「会報編集部」と呼ぶが、つまりは「ウェゲ会」の基本理念を墨守する派閥である。
 「ウェゲ(真人)議政同志會」は、もう60年以上前の「第七政体」崩壊の前から存在する由緒正しい政党だ。
 連立や吸収合併により党名は幾度も変わったが、その内部で「ウェゲ議政同志會」の名を持つ派閥団体は営々と理念を守り続けてきた。

 「本流派」の領袖は伝統的に「編集長」と呼ばれる。現在は当選六期北方メグリアル・ドート県選出のゴーハン・ボメル議員が務めている。
 55才。前編集長が73才の高齢で党長老へと退き、去年代替わりをした。
 押しの強い強面でいかにもな突破力を持つ、タンガラムの有権者が好む型の政治家である。

 その傍らに立つ美女は47才四期のゴーハン・ミィルティフォ・レッヲ議員。
 選挙区は東岸ガムリハン県で遠く離れているが、彼の妻だ。国会内で知り合って結婚した。
 タンガラム国民総議会240名中わずか13名しか居ない女性議員の一人である。

 まずは妻ミィルティフォが美青年のヒィキタイタンに質問する。

「あの娘、今は貴方のお屋敷に住んでいるそうね。「タルリスヴォケィヌ」と言ったかしら、東岸の生まれね」
「彼女をご存知でしたか。ええ、昔彼女が留学する前に知り合いまして、帰国して行く当てが無いと言うのでとりあえず家で預かっています」
「行く当てが無いんじゃなくて、他に行きたくないんでしょ。あれ程の経歴であれば、どこの音楽会社でも大学でも引く手数多なはず」
「天才音楽家とは我儘なものですから」

 夫のゴーハン議員が低い声を震わせて会話に参加する。地声が大きい人だが、さすがに音楽の邪魔をする事は無い。
 なお彼の背後でリィガクミエリ議員が苦笑している。自らの派閥の長ではあるが、苦手なのだろう。
 ヒィキタイタンを生贄にしてしまった。

「昨今は、誰も彼もどいつもこいつもゥアム帝国の風を尊び真似ばかりしておる。由々しとは思わぬか、ソグヴィタル」
「掛け値なしに大国ですから。ゥアム帝国は我が国よりも進んだ文明を持っており見習うべき点も多いので、或る程度は仕方がないかと、」
「或る程度、だ。限度というものがある」

「でもあなた、編集長。ゥアムでは音楽は学問なのですよ。厳密に定められた法則に従って数学の方程式のように楽曲が編み出され、高度な訓練を積んだ楽士や歌手によって演奏される」
「そこがわからん。音楽などぴーぷーと吹いたり叩いたり、ノリで良いだろ。生来の才能を与えられた奴が好き勝手練習して上手くなっていくものを、聞く者は愉しめばいいのだ」
「それは違うわよ。タンガラム音楽にだって古来よりの音楽の作法はありましてよ。難しいのが」

「編集長。私が聞いたところでは、ゥアム音楽の法則の研究は最新の電子電波装置の設計にも深く関わっており、空間を渡る波としての性質をよく研究したが故に長足の進歩を遂げたという話です。物理学者に聞きました」
「ふん。電波の研究に関してはタンガラムの方が早いわ。1200年も前に救世主「ヤヤチャ」が示しておる」
「そうなんですが、その示唆と知識をタンガラムでは上手く理解出来なかったわけですから」

 

 ミィルティフォが給仕に頼んで飲み物を替えてもらう。
 政権与党の新年宴会であるから美酒美食も揃えてあるのだが、とても手を伸ばす隙が無い。
 なにせこの立ち話は、真剣勝負。

「ねえヒィキタイタン。ヒィキタイタンで、いいわよね?」
「はい、よろしくお願いします」
「貴方、あの娘、恋人? 違うかしら」

「違うだろう。ソグヴィタルはこれでもカドゥボクス財閥の御曹司だ。如何に天才とはいえ一介の巫女との結婚など周囲が許さんぞ」
「そうなの?」
「恋人ではありません。どちらかと言うと妹的なものです」
「ほらやっぱり。じゃあ今度会ってみて欲しいお嬢さんが居るの。お時間いただけるかしら」

 そういう事か。

 ゴーハン議員は今夏の選挙を利用して党総裁の座をヴィヴァ=ワンから奪い取ろうと画策する。あわよくばそのまま国家総統にも。
 総統派はこの8年間でかなり拡充されているが、ヴィヴァ=ワンが頂点に君臨すればこそだ。
 派閥を切り崩してその座から追い落とすのは、ごく当たり前の運動だろう。

 総統派の中でも独力無所属で当選した外様であり、女性有権者に大人気のヒィキタイタンは切り崩しの格好の標的。
 有力者の令嬢との結婚をまとめ上げ自らの派閥に招き入れるのは、常道と言えた。

 もちろんヴィヴァ=ワン総統も手をこまねいてはおらず、近日中にも縁談を持ってくるだろう。
 どう対処したら良いものか。

「あー、ありがとうございます。ですが私は少し特殊な事情がありまして、」
「うんうん知ってる。婚約者のヒトが銃撃戦に巻き込まれて、怯えてしまったのね。それで破談になったって。
 大丈夫よ、その点ご紹介するお嬢様はしっかりとした気丈な方で、御実家も安全には万全を尽くしてくれるわ」

「政治家というものは本来我が身を捨てて国家に尽くす者だ。命を狙われる、襲撃されるなどごく普通に起きている。
 政治家の嫁と成る女性にはそれだけの覚悟を求められるのだ。幼少からしっかりと教育された人でないと困るぞ」
「そうよ。ヒィキタイタン貴方の今後の人生の、政治家として大きな仕事をする上でも頼りになる後ろ盾になってくださるのですからね」

 どうにも逃げようが無い。今この場で即答を迫られてしまいそうだ。

 折よく長老議員が寄ってきて、ゴーハン議員夫妻と話し始めてくれた。
 リィガクミエリ議員と共に離脱する。助かった。

 

「いやまさか、真正面から直接切り崩しに来るなんて、さすがだな。ウチの親分は」
「思わず鞍替えさせられるところでしたよ。総統閣下は、今のを見てましたかねえ?」
「見てただろうな。飄としているようで猜疑心強い人だからな」

 まずい、これは大変だ。

 ヒィキタイタンの内心の動揺を見抜いたかに、演壇上のピアノの音は嵐の予感を漂わせる速弾きに変わる。 

 

       ***   

 長老議員の一人によって辛くも死地から救い出されたヒィキタイタンだ。
 だが今はまた別の長老議員に捕まって、話し相手にされてしまっている。

 新年会であるから派閥の領袖にそれぞれの議員が挨拶を行い、政界の先達である長老議員にも挨拶を済ませて、それが終わった段階で暇になった長老議員達がふらふらとうろつき始めたのだ。
 80才といえば、平均寿命60才のタンガラムにおいては相当の高齢。
 「ウェゲ会」においても70才までは積極的に党の顔として活躍するが、それ以後は後進に任せ「長老」の立場となる慣例だ。
 ヴィヴァ=ワン総統も次の選挙で総統・総裁の座を守り抜いたとしても、政治家人生の締めくくりに入らねばならない。

 老議員は孫の世代のヒィキタイタンに対して、昔話を語る。語らねばならないと使命感を持って話し出す。

「儂の若い頃は第七政体が崩壊して、経済もひどい落ち込みようじゃった。このようなご馳走が目の前に普通に出てくるまでになるとは、考えもせなんだわ」
「それはご苦労さまでございました」
「ああうん。人間はな飯さえ食えていれば、政治が多少おかしくても問題とはせんのじゃ。理想がどうの理念がなんたらは関係ない、国民を飢えさせないようにするのが一番じゃ。
 ただなあ、今の世の中は贅沢過ぎるのではないかと思うんじゃよ」
「はあ。でも国民全員が贅沢な生活をしているわけではなく、まだまだ貧しい人も少なくありません」
「それはな。それは、わざとやっとるんじゃよ。貧乏な労働者、貧乏な田舎が無ければ安価に働く労働力が得られんじゃろ。危険で汚い仕事をする人間が安い賃金で働いてくれないと、タンガラムの産業は回らんからの」
「それはそろそろ是正しなければいけないと、私は考えて立候補しました」
「うんうん、だが考え違いをしてはならぬぞ。贅沢は憧れじゃ憧れ無しでは人は動かぬ、夢を見ぬ。金持ちを潰しても貧乏人が贅沢できるようにはなりはせん、逆に働かんくなるだけじゃ。
 無産(主義者)の連中と連立させられた時は、それはもう苦労したもんじゃよ。全然話が噛み合わん。
 ほどほどがいいのじゃ。上もほどほど、下もほどほど」
「はい」

「それにしても、海老だの鯨だの卵だの、いっぱいじゃの。こんなところを政治記者に見られてしもうては、またぞろ政治家だけが美味い汁を吸っておると叩かれてしまうわ」
「最近の政治報道はそういう無産主義的な論調では叩きませんよ」
「馬鹿にしてはならんぞ。第七政体は贅沢で潰れたようなもんじゃからの。しかし美味いのお。鯨の煮凝りを頂いたがさすがに美味いのお」
「なにか別のものを取ってまいりましょうか」
「いや要らん。鯨といえばあいつじゃ、誰だっけか、あのほら「闇の」」
「「闇御前」と呼ばれるバハンモン・ジゥタロウ氏ですか。今は収監されている」
「それそいつじゃ。奴はな、鯨が好物なんじゃよ。それも脂身のところのサラシの白いのがな」
「ああ、それは珍味ですね」
「奴はな、ゲルタをばかにするのじゃ。そんな貧乏なもの、生まれてこの方食ったことが無いとな。
 それも道理じゃ、奴の実家は漁師だから、百島湾で毎日釣った魚のぴちぴち生きたのをそのまま食っておったんじゃ。そんな奴が塩ゲルタなんぞ食う気にならんわな」
「はあ。」
「それにしても、煮凝りのあのぷるぷるしたところ、美味いのお」

(注;この世界の鯨は、水棲哺乳類ではなくモササウルス系の巨大水棲爬虫類である。商業捕鯨は成立していない為に水揚げは珍しく高価になる)

 

 他の議員が寄って来てくれて、ようやくヒィキタイタンは解放された。
 年寄りの相手は嫌ではないが、どうにも自分は歳以下に若造に見えて説教したくなる顔をしているらしい。

 給仕から清涼飲料をもらい、演壇の様子を窺う。
 タルちゃんの出番はもうすぐ終わる予定で、今はタンガラムで親しまれる古い曲をゥアム音楽の音階に替えて演奏している。
 この後は新年を祝う伝統的な演芸師が登場して、「ウェゲ会」大勝利間違い無しと全員で気勢を上げてお開きになるはず。

 ヒィキタイタンは終了後放送局に行って、有線音声番組に出演する。
 どの議員もそれぞれに忙しく都合が有るだろう。今年の政局はもう始まっているのだ。

 

 ふと、顔を上げる。一瞬違和感を覚えた。
 自分だけではない、会場の半分の人間は気が付いたようだ。
 喧騒が止み、ただ空中をピアノの音だけが過ぎ去っていく。

 うめき声だ。誰かが苦しげにくぐもった声を小さく漏らしている。
 声にならない声で、通常であればこれだけの人数が思い思いに語り合っている中、誰にも注目されないだろう。
 もしそれが、重要人物のものでなかったのなら。

「あなた、だいじょうぶ?」 女性の声、ミィルティフォ議員だ。
 であれば、苦しんでいるのはゴーハン議員か。

 どうも喉に何かを詰めたらしい。喉を抑えてうつむいて、大きな背中を震わせている。
 妻のミィルティフォ議員がしきりに背を擦っているが効果は無く、遂には膝を床の絨毯に付いてしゃがみ込んでしまう。

 これは尋常ではない、と手助けを考えるが、既に本流派の議員が殺到して輪を作ってしまった。
 男の手で背中を叩いてみるがやはり効かない。

「誰か、医者を呼んでくれ!」
「それならば私が」

 議員の中にも医師免許を持つ者は居る。他の派閥ではあるが緊急事態だ。
 彼もしゃがんで、顔を上げようとしないゴーハン議員の喉を探るが、自分の手で押さえて診察を行わせない。

「窒息している。誰か、ガニメアラス先生を呼んできてくれ。それと救急車もだ」

 党事務員が大広間を飛び出し廊下を走る。
 総統に議長、内閣大臣領といった国家の重鎮が居て、高齢の議員も多いので、大きな行事が有る日には専門の医師に待機してもらっているのだ。

 しかし、遠目でも痙攣を起こしているように見える。
 ヒィキタイタンは或る可能性に思い至った。いや、他の議員は真っ先に考えたかもしれない。
 暗殺……。
 誰が、何故、いや可能性であって確証は。党の内部か、外部からか。

 医師の議員がミィルティフォ議員に尋ねる。

「こうなる前は何をしていましたか」
「料理を食べて、少し。喉に詰める量ではありませんが、あなた! ちょっと、誰か止めて、何とかして!!」

 痙攣を通り越して七転八倒、抑えるのに男の議員が何人も取り付いて、渾身の力で。
 急に停まった……。

 

 大広間に白衣の若い男性が黒い革鞄を提げて走り込んで来る。
 ガニメアラス医師は若いながらも腕が立つとの評判で、「ウェゲ会」では特別に依頼して招いている。
 劇毒物にも詳しく、特殊な毒に対応する準備も医療室には整っていた。
 国・政府の最重要人物が急病、あるいは暗殺や襲撃を受ける可能性が常にあるのだ。

 本流派の議員が取り囲むのを掻き分けて一瞥するに、

「気管を切開します。どいてください」

 

       *** 

 ソグヴィタル・ヒィキタイタンは当選回数が低い議員専用とされる談話室『鉄縄の間』で、他の議員と共に待機していた。

 大広間での惨劇はガニメアラス医師が緊急手術を行い、とりあえず心停止は免れた。
 ゴーハン議員は救急車で国立医科大学付属病院に搬送され、今は現場検証の真っ最中。
 政権与党の次期総裁、国家総統とも見込まれている人物が予兆も無く死に掛けたのだ。
 事故か急病か暗殺、とにかく犯罪捜査の専門家に調べてもらう必要が有る。

 その場に居た全員が党本部内に留められ、事情聴取を待っている。
 とりあえずは宴席で出た料理や飲料の検査から始めているらしい。

「捜査に来たのは誰だ」
「コニーヒル法衛視だと聞いた。彼ならば政界絡みの事件を幾度も手掛けているから、何らかの結論を出してくれるだろう」

「放送では何か言っていないか」
「まだ事件報道はされていないようだ」
「聞き漏らすなよ」

 他の議員の会話を聞いて、ヒィキタイタンは複雑な気分になる。
 今現在、この部屋には「本流派」の議員は一人も居ない。
 派閥専用の広間に全員が集まって、誰が彼らの首領を攻撃したか、口角泡を飛ばして議論しているだろう。

 最有力容疑者は、自らの地位を守ろうとする現総裁にして国家総統ヴィヴァ=ワン・ラムダ。
 ただしこのような稚拙な謀略で競合者を排除するのは、まったく彼の人格にそぐわない。
 では、その他総裁の座を欲する議員の仕業であろうか。
 「闇御前事件」により著しく党の支持率が下がっている現今の情勢下では、内紛こそあり得ない。

 となれば外部の仕業か。
 選挙や政変の絡みではなく、あくまでも国家権力に対しての破壊活動で、政治的意図を実現する為の凶悪な示威行動か。
 それとも収監され刑事裁判を受けている「闇御前」配下の仕業か。
 国外勢力の凶行の線も有る。タンガラムの内政が混沌に陥れば、利益を得る国も有るのだろう。

 考え出したらキリがない。

 

「ソグヴィタル君、どこに行く。今はここで待機していたまえ」
「申し訳ありません、連れのタコ巫女が情緒不安定に陥っていないか心配なもので、少し様子を見てきます」

 禁足を食っているのは議員だけではない。
 党の事務員、総統や大臣に付いて来た官僚、宴会の為に呼ばれた民間業者や男女給仕、招かれた楽団員と演芸師、大広間には入れなかったが建物内には居た各議員の秘書や関係者。
 それぞれが分けられて警察局の調べを待っている。
 ただ犯罪だとの確証が得られなければ、そう長く留めおくわけにもいかない。

 休憩室の扉の外には首都警察局の捜査員が立っており、出入りする者を確かめ記録している。

 警察局の懸念はゴーハン議員ではない。彼は他の標的の身代わりとして、誤って被害者となってしまったのではないか。
 本命の対象は、国家総統や大臣領ではなかったか。
 それ故に、一報が入った瞬間に捜査員の大量出動を行い、「ウェゲ会」本部に突入してきた。

 もちろん総統府や内閣の護衛官が常時警戒をしているのだが、不特定多数を巻き添えにしての暗殺攻撃は防ぐのも難しい。
 厨房や配膳は監視できても、宴会の最中で薬物を混入されたのであれば、そしていずれかの議員が実行者であれば。

「女性の音楽演奏者の控室に行ってきます。縁の民間人が居るもので」
「なるべく早くお戻りください」

 捜査員には今現在、議員の動きを制限する権限は与えられていない。ただ疑念を晴らす為良識に従っての協力を期待するのみだ。
 すべての議員が本日今夜の予定を取りやめて捜査に協力している。
 この場に居ないのは、総統に議長に内閣の大臣達とその随員。これだけでも結構な人数となる。

 

 廊下を半ば歩いた時、急に館内の捜査員の動きが慌ただしくなった。
 建物各階の指揮官に急報が届いたのだろう。
 胸騒ぎがする。
 タルちゃんは一先ず置いて、元の『鉄縄の間』に戻る。

 扉を閉めて議員達と合流した瞬間に、館内放送が始まった。

”只今、病院に付き添って行ったゴーハン・ミィルティフォ・レッヲ議員から連絡が入りました。

 ゴーハン・ボメル議員がお亡くなりになったとの事です。
 「ウェゲ会」同志の皆様、故人の冥福を祈って黙祷をお願い致します”

 

       ***   

 ソグヴィタル/カドゥボクス家の邸宅。2日後の早朝。

 ヒィキタイタンの政治秘書シグニが最新予想分析を持ってきた。

「現在巷で流布している陰謀説がそのまま払拭されなかった場合の、8月総選挙結果予測です。

 「ウェゲ会」は現有112非改選22が、71・22に。
 「自由タンガラム党」が52・6が、思ったほどの大勝利とはなりませんが65・6に。
 「青天光日博尽会」が躍進しまして、25・5が37・5に。「無産市民者之会」も17が25になります。

 本議会での勢力は、たとえ「自由タンガラム党」との連立が成功して政権維持に成功したとしても、49対59となり明らかに向こう有利に。
 「国家総統」の座も「自由タンガラム党」に譲り渡す事となるでしょう」
「大惨敗、だな……」

 シグニは首を窓に向け、聞こえてくるピアノの音色に耳を傾ける。

「ピアノ、移動が許されましたか」
「ああ昨夜ね。早速タルちゃんが弾きまくっているよ。機嫌も直った。
 それでゴーハン議員の死因は分かったのかい」
「警察局、大学病院関係に当たって情報収集を行っていますが、今のところ薬物の反応は無いそうです」
「では毒殺ではないと」
「ただタンガラムには存在しない外国の薬物毒物の可能性は有るために、精密分析をしているのでまだ数日は掛かるそうです」

 昨日一日は大変な騒動が展開されて、「ウェゲ会」の議員は誰もが忙しかった。
 各地方の選挙区でも動揺は著しく、ゴーハン議員を選出した北方メグリアル・ドート県では「仇討ち」を叫んで鉄矢銃をぶっ放したウェゲ会員も居たという。

 ただ謀殺であれば犯人は居るだろうが、事故死病死と発表された場合は、

「逆に国民が抱く疑念は深まるばかり、ではないでしょうか。無理矢理にでも敵をでっち上げた方が選挙対策としては有効だと考えます」
「そういう手は野党側も十分心得ているから、逆襲されるのではないかな」
「確かに。この件をうやむやにしてしまう方策を考えた方が良いかもしれません」

 既に死人には何も残されていない。
 潔癖と呼べるヒィキタイタンの所でさえこうなのだ。本流派の間では、そしてヴィヴァ=ワン総統の周辺ではどのような不埒非礼な談合が重ねられているか。

「暗殺と言えばマキアリイに電話して聞いたのだが、とある武術の暗殺術の中には人体のツボの一つを突いて、喉の粘膜が膨張して窒息する技というのが有るらしいよ」
「あの人は特別ですから。そんな魔法みたいな術が現代にそうそう出て来られては困ります」

 

 ヒィキタイタンにはもう一つ、災難が降りかかる。
 自らが招いたとはいえ、タコ巫女「タルリスヴォケィヌ」を新年会に同伴した報道が主に女性支持者の間で大評判大問題になっているのだ。

 幸いにして、タルちゃんの存在は当日夕刻の放送のみで報じられた。翌日の新聞は「ゴーハン議員謎の死去」で一色に染められ、毛ほども載っていない。
 にも関わらず、燎原の火の如くに噂はルルント・タンガラム全域に広まり、「ウェゲ会」選挙事務所前に支持者が押し寄せる騒ぎ。
 彼女達にしてみれば、誰か知らないおじさん政治家の死よりも遥かに重大深刻な疑惑であろう。

 シグニが冷酷に本日の予定を読み上げる。

「夕10時(午後6時)から伝視館放送の生番組で、各界若手で活躍する男性を集めての新年座談会がルーハン公会堂で行われます。観客は2000人ですが周辺にもっと集まるでしょう」
「その番組は先月から承知しているが、内容に変更は有ったのかい」
「はい。12月に発生したマキアリイ事務所のカニ巫女引退事件がセンセイのお時間に取り上げられるはずでしたが、」
「直接攻撃に変わった。はい、理解しました」

「芸能報道各社による合同記者会見を申し入れて来ております。なんでしたら個別でも、独占でも良いと」
「いっそのことタルちゃんも連れて行くかあ」
「それは流石におやめください、本当に暴動が起きかねません。またタルリスヴォケィヌにもタコ神殿より仕事が入っています。別行動です」
「ああ、そうか」
「総裁が「ウェゲ会」議員を緊急招集しての集会も予想されます。
 内容はもちろんゴーハン議員の件ですが、ここで死因の発表が行われる可能性があります。番組欠席や途中で抜けざるを得ないかもしれません。

 あとは後援者の方々への挨拶回りですが、本日は最低でも2ヶ所回ってもらいたいのです。
 緊急事態である事はどなたもご承知いただけますが、後回しにされるとへそを曲げる方もいらっしゃるので」
「効率的な移動経路を。党の為に全力を尽くせとハッパ掛けられたからね」

 

 お兄さまー、と妹のキーハラルゥが打ち合わせを行う居間に入ってくる。
 かなり上機嫌。なにかネタを持っている、そういう顔だ。
 シグニの顔を見て、またニタニタと笑う。悪戯を企んでいるのだろうか。

「お兄さま悪い報せです。マキアリイがまた事件を解決しましたわ。
 ノゲ・ベイスラの百貨店の初売り代金300金を強奪した犯人一味を、たまたま現場に居合わせたマキアリイが追跡の末に全員確保、だそうです。
 なおマキアリイは、現金輸送車ごと谷底に落ちて安否不明だって。
 あいつの事だからピンピンしてるでしょうけど」

 ヒィキタイタン、右手で顔を覆って、左手でシグニに次を促す。
 事件解決は良いが、なんで安否不明なんてとこに落ち込むんだ……。

 シグニが確認する。マキアリイ関連ではもう大抵の危機ではびっくりしない。

「キーハラルゥさま、その情報は何処から」
「事務所のネイミィから。だから確かよ」
「あああの、マキアリイ事務所の臨時事務員ですね。あの娘の話であれば信頼できます。
 センセイ、これは番組で確実に取り上げられますよ。直ちに手配して調査いたします」
「……任せた」

 

       *** 

 ヒィキタイタンは自家用高級自動車で出掛ける。高級車でなければ財閥出身であるのに大衆迎合しやがって、と逆に批難される。実際された。
 タルちゃんが単独で出掛ける際は、賃走簡易自動車を用いる。「他力車」と呼ばれている。

 これはルルント・タンガラムではよく用いられている移動手段で、元は自動二輪車の後ろに人力車を接続していたものだ。
 軽便で小回りが利き料金も安くて人気だが、坂道には弱いのでノゲ・ベイスラ市では流行っていない。

 

 忙しい一日を過ごしたヒィキタイタンは、番組開始時間から10分遅れて会場のルーハン公会堂に到着した。

 公会堂周辺を取り囲む若い女性達、10代の少女も少なくない。
 今日の放送は各界で活躍する若手の男性が集合しているから、ヒィキタイタンの支持者熱狂者ばかりではない。のだが、タルちゃん事件のせいで一部が殺気立っている。
 異様な気配と貫く視線を背後に感じながらも、関係者専用入り口に自動車を着けて公会堂に入った。

 楽屋でさらっと外見を直す。今回クルメヤキ女史が先乗りしていた。
 印象戦術担当秘書であるクルメヤキは、何人もの男性芸能人を成功に導いた凄腕の仕掛け人である。
 ヒィキタイタンが議員初当選した数日後に自らを売り込みに来た。自身の能力を最大限に行使して「国家総統」を作り上げたい、のだそうだ。

「センセイ、今日は正念場です。客の全てが賛同者でも好意的でもない危機的状況です」
「それを作り上げたのは貴女でしょう」
「いいんですこれで。女はちょっとでも油断したらすぐ別の男に目移りします、常に揺さぶる必要があるのです」

 彼女の演出を受けて様々な取材や出演を行ってきたから、法則や方向性なども徐々に理解した。
 今の彼女の懸念は、ヒィキタイタンが今年30才になるという事だ。

 被選挙権を得た直後に立候補当選しても、1期を勤めれば嫌でも30才になる。
 政界にあっては若手でも、世間はそうは見てくれない。
 現に今日集まった出演者も、シュユパンの選手や俳優は20代前半、小説家と実業家も自分より下。
 この面子で埋没しない為にも恋愛騒動は必要だった。という事か。

 また政治家として然るべき女性と結婚せねばならない事情も有る。
 婚姻による有力な後ろ盾が必要なのは説くまでもなく、30才を節目として周囲から決着を求められるだろう。
 下手を打てば女性票をごっそりと取り逃がしてしまう要注意案件だ。

「あ、女史。実は今日、昨夜になるのかノゲ・ベイスラ市でマキアリイが百貨店売上強盗を捕まえたという報せが入ってるんです」
「シグニさんに聞きました。安否不明はどうなりました」
「やっぱり無傷で無事でしたよ。彼らしいことに」

 彼女は考えて、助言した。今回はマキアリイ抜きで行こう。
 その話題を振られても、彼ならば当然にやってくれると驚きもしない態で自分の事を真摯に語る。そういう路線で臨むべし。

「政治の現場で一大事が起きた直後ですから、視聴者に安心感を与える政治家・政党の一員としての務めがあるでしょう。そこを優先するのが今回得策です。
 あと、やっぱり女性問題はきっぱりとした態度を示すべきです。今年の内になんらかの進展があると「確約」してください」
「何があるんです、今年」
「さあ。そこはこれからじっくりと考えましょう」

 確約。こんな事をされてしまったら、ヒィキタイタンの支持者は今年一年ずっと目が離せなくなるではないか。
 無理矢理に自分に注目させるあざとい戦術だ。そのくらいは必要と理解もするが、イカサマだなあ。
 結果をちゃんと作ってやれば嘘にも疑似餌にもならないが。

 

 出番を控え舞台袖から、眩い照明が集中する各界若手注目株を覗いてみる。
 椅子に座った5人の男性。1人は司会者で年配であるが、4人はそれぞれ若く精力的な姿である。
 そしてひとつ空いた椅子。

 誰もがそれなりに成果を上げて自信と輝きが有るように見える。容貌も佳い男ばかり。
 会場に集まった観客は、それぞれの男性の贔屓であろう。

 番組の進行状況を読んで、話の流れを把握する。ちょっと気の毒をするなと思う。
 この流れで自分が登場してしまうと、折角盛り上がったシュユパン選手の出番を食ってしまうではないか。
 期せずして目立ってしまう、人の注目を集めてしまうのは、幼少の頃からの自分の悪癖なのだ。

 放送局の係員が呼吸を計り、右手を挙げてヒィキタイタンに登場を促す。
 舞台上の司会者が椅子から立ち上がり、観客に紹介をする。観客席を向く係員が手を振り回して、割れんばかりの拍手を要求する。

「たった今到着されました! 

 「潜水艦事件」の英雄にして新しいタンガラムを築く改革の旗手。あのヱメコフ・マキアリイさんのご親友、いや今も続く正義の探求を共に旅する冒険者と言えるでしょう。
 ソグヴィタル・ヒィキタイタン国家総議会議員です。皆さん盛大な拍手でお迎えください!」

 

       ***   

「「潜水艦事件」の10周年記念式典を、7月ではなく6月にする、ですか。またどうして」

 総統府、国家総統ヴィヴァ=ワン・ラムダの執務室に呼び出されたヒィキタイタンは、突拍子もない話を聞かされる。
 「潜水艦事件」は10年前の7月に起こったのに、記念の式典を1ヶ月前倒ししようと総統自身が言い出したのだ。
 もちろん奇異に思われるのは承知の上。

「もちろん事件が起きた日に行うのが正解だとは思うが、野党の連中がだ、選挙直前の7月に政府の人気取りを行うのは許せない背信行為だと言うんだ。
 まあ、人気取りなんだがね」

「そもそも10周年記念式典が必要ですか」
「それは必要さ。あの事件で露呈した国土防衛の死角が、この10年で万全に防備し直され何処にも不安は無い事を国民に知らしめねばならない。
 南海軍だとて過去の汚辱を晴らす機会を10周年の節目に得て喜んでいる。
 政府だって、無理やり工面した予算で成し遂げた海上防衛の実力を形として国民に示す事が出来るんだ。苦労が報われるさ」

 既に決定事項である。
 総選挙に突入する直前に支持率を高める広報活動に出るのは、理の当然。

「でも6月ですか。海軍は承知するのですか」
「するさ、まだ半年も有る。兵士だって、熱い真夏に何時間も直立不動で立たされるのは嫌だろう」
「それは確かに助かりますが」

 ヒィキタイタンも選抜徴兵で南海イローエント港での訓練を受けたのだ。夏の残酷な暑さを身に染みて知っている。

「人気取りは軍部だけでなく兵士の為にも行うのだよ。兵士の機嫌を損ねたら、選挙で痛い目を見るぞ」

 兵士1人の選挙権ではない。背後には何人もの家族親族が連なっている。
 そう説かれると悪い考えではないかに思えてくる。

 総統ヴィヴァ=ワンは、ヒィキタイタンに語るでなく、自分自身で納得するように呟いた。

「ゴーハンの奴が死んでしまったから、なるべく明るく見せて盛り上げねばならん。
 政治路線の対立を演出して、政策論議に国民を惹き付ける手も使えなくなってしまったからな……」

 

 全館暖房が利いた総統府から表に出ると、寒風が身体を包み思わず首をすくめる。
 外套の襟を立て、広い石段を降りて車止めに向かう。途中まで秘書のシグニが上がって総統が呼び出した用件を尋ねる。

「ああ、「潜水艦事件」の記念式典のことさ。10周年なのに7月ではなく6月に前倒しにしたんだって」
「そうですか、総統もご高齢でいらっしゃいますからね」

 それは気が付かなかった。
 政治家としてはびりびりと電気が走るほど精力的で鋼の耐久力を誇るヴィヴァ=ワン総統だが、世間で65才と言えば立派なおじいちゃんだ。
 イローエントの厳しい暑さで体調を崩すのを恐れて、気温が上がる前の6月に持ってきたのかもしれない。

 時間は人を置き去りにして無慈悲にも流れ去るものなのだな。自分もうかうかしていたら、成す事も無く年老い引退してしまうかも。

「今日は少し寒いね」
「明日からは天気も崩れるそうです。気象庁は雪が降るとも予測しています」
「ゴーハン議員の政党葬は厳しいものになるね」

 石段を最後まで降りて、運転手のメンドォラが扉を開く自動車の後席に乗り込む。
 シグニが尋ねる。

「ゴーハン議員の件に関しては、何か仰っていましたか」
「特別調査官を任命して引き続き暗殺の線で調べてみると言っていた。本流派で納得がいかない議員の為の配慮だね」
「それでは病死という名目で総統は決着をつけるおつもりですか」

 国立医科大学で精密分析をした結果でも、ゴーハン・ボメル議員の遺体からは特殊な毒物薬物は検出されなかった。
 医師達は協議して、死因は「免疫拒絶反応による急性咽頭炎での窒息死」と発表した。
 原因は宴席で出された「鯨の煮凝り」、らしい。

「でも鯨の煮凝りは、あの場で何人もが食べていたよ。珍しいものだから人気だった」
「誰にも毒にならないものが、特別な人には免疫不全を引き起こす鍵となるらしいです。ほんのわずかな量でも激烈な反応を起こすとか」
「ゴーハン議員は自身の体質を知らなかったのかな」
「それが、ゴーハン議員の主治医も、妻のレッヲ議員も、おそらくは本人ですらまったく知らなかっただろうと、そう噂されています」
「暗殺の方がずっと納得しやすいな……」

 

 明日からはまた国会も再開される。正月休みで裏の駆け引きばかりでなく、政党同士正面からの砲撃戦が開始される。
 ゴーハン議員の死もまた政府攻撃の材料にされるのだろう。

「本日はもう予定はございません。本邸にお帰りになりますか」
「ああ一度顔を出すけど、今日から議員宿舎に戻ろう。財閥の御曹司も終了だ」
「心得ました、連絡しておきます」

「タルちゃんが音楽会社で録音をしているんだったね。もう終わったかな」
「存じませんが、確かめてみますか」
「もし終わっていたら車で拾っていこう。明日からはしばらくお別れだ」

 タコ巫女「タルリスヴォケィヌ」はヒィキタイタン議員との密接な関係を噂され、にわかに芸能界で注目される身となった。
 ついでにその優れた音楽も業界人に認識され、仕事が次々舞い込んでくる。

 シグニは皮相的な世間の評価を伝える。

「世間ではタルリスヴォケィヌは、大人気のヒィキタイタン議員に取り入り自分の売り込みに利用した悪女、というものになっています」
「なんだそりゃ。タルちゃんを利用したのはこっちだろ」
「私達の視点ではそうなのですが、客観的にはそういう風に受け取られます。
 ただ芸能界においては、どのような手段を講じてでも世間の耳目が自分に集まるよう振る舞うのが美徳とされていますから、これでいいのでしょう。
 正当に音楽性を評価されたら、ちゃんとした仕事も取れると思います」

「本人はただ音楽を弾きたいだけなのになあ」
「クルメヤキ女史はタルリスヴォケィヌの才能を十分に理解し、それにふさわしい場を用意してくれた。そうお考えください。
 付かず離れずで、今後もセンセイの印象戦術に役立ってもらいましょう。
 それには彼女の名声が大きくなるのが重要です」

 

       *** 

 既に夕闇に包まれて、音楽会社の録音工房の周囲にも街灯が灯り始める。

 工房の金属扉が開いて、もこもこの綿の外套を来たタルちゃんが転げ出てきた。
 笑顔で見慣れた自動車に手を振る。

 車外に出たヒィキタイタンの胸に、もこもこのまま飛び込んで抱きついた。

「聞いて聞いて! ピアノ=フォルテ借りられた!」
「うん。最初から大手の音楽会社に頼むべきだったね」
「久しぶりに本物触れて、がんがん響きまくるのよ。頭の中まで全部ピアノ」
「よかったね」

「今日の録音を映画の帯に落として、音楽関係の業界の色んな所に配るんだって。そしたらタルちゃんの音楽を気に入ってくれた監督が申し込んでくるって」
「光学録音機か。いい人が反応してくれるといいね。

 そうだ、ボンガヌ・キレアルス監督にも送るといい。世界的巨匠は今、マキアリイの映画を撮っていると聞いたよ」
「ほんとに? マキアリイ映画になるの、また」
「キレアルス監督はゥアム帝国にも名が知れた名監督だから、今度の映画はぐっと芸術的なものになる。巨匠の音楽を担当出来ればタルちゃんもぐっと箔が付くよ」
「ふーん。でも、マキアリイの映画の音楽はいいなあ」

 寒くて暗い中、街灯の蛍光灯が落とす冷たい光に照らされて二人は喋り続ける。
 車の中に入ればいいものを、全身にまとう熱に突き動かされるかに、ただ喋る。

 

 睦ましく見える姿を、陰で窺う者が居た。
 鋭い視線で、憎悪を帯びて、……遂に行動に出る。

 ネコのように素早い動きでまっしぐらにヒィキタイタンを目指して突っ込んで来た。黒い外套を来た、女性だ。
 若い女が腰だめに短刀を構えたまま、明らかな殺意と共に襲う。

 護衛役の運転手メンドォラは迂闊にも運転席に先に座ってしまっていた。間に合わない。
 だがヒィキタイタンも格闘術には心得は有る。なにせマキアリイと共に「潜水艦事件」では悪漢共をなぎ倒したのだ。
 タルちゃんを自動車後方に突き飛ばして避難させ、刺客に応じる。

 のだが、刺客の女はヒィキタイタンを回避して、逃げたタルちゃんを追う。最初から目当てはこちらだった。
 驚いたヒィキタイタンは女を背後から抱き止め、短刀を握る右手をねじり上げる。
 背の高い彼に比べて女は随分と小さく、胸懐にすっぽりと包まれる形になる。

「離して! あいつを、タルボスナントカを殺さないとヒィキタイタンさまが、ヒキ?」

 自分を捕まえているのがまさにそのソグヴィタル・ヒィキタイタンであると気付いて、女は瞬間に脱力してしまった。
 憧れの、思い焦がれても決して届かない高い夜空の星である王子様が、事もあろうに自分を力いっぱい抱きしめてくれている……。
 殺気は雲散霧消して、ただこの時間が永遠に続くことを願う。至福の歓びが全身を支配した。

 ヒィキタイタンもこの後どう処理するべきか、迷う。
 明らかに彼女は自分の熱狂的信奉者であり、恋の噂となったタルちゃんをぶっ殺しに来たわけだ。
 明確に殺人未遂であるが、巡邏軍に突き出すのも可哀想だ。

 自動車の中からメンドォラとシグニも降りてきて、タルちゃんを守りながら前に出る。
 刺客の女の子はようやく、自身が果たすべき役割を思い出した。

「は、はなしてくださいヒィキタイタンさま。あの女はいけません、悪です。この世から消さねばあなた様の光が穢されて、」
「キミは一体何者だい」
「あ、はい。わたしはこの度結成された「タルボスナントカをぶっ殺す会」の戦闘員で、」

 「タルリスヴォケィヌ」の巫女名を覚える気さえ無い、という事か。

 最初から予想はされていた。
 ヒィキタイタンに仮初とはいえ恋人候補などをでっち上げれば、過激な行動に出る女の子の10や20は確実に発生する。
 しかし直接殺害に及ぶとは、クルメヤキ女史でも想定外だろう。

 タルちゃんが男二人の陰から、そーっと手を挙げて発言の許可を得る。
 誰に許してもらう必要が有るのかは知らないが。

「あのー、タルちゃん別にヒィキタイタンの恋人じゃないよ」
「騙されてはいけません、あの女は悪ですメダヌキです、口から発する言葉の全てが呪術を帯びています!」
「タルちゃんはそんな魔法的な力は持ってないよ、巫女だけど」

 刺客の女、じーっと目を細めてタルちゃんを観察する。
 間近で見れば美女というよりも天然の印象が強い、と認識する。だからと言って恋仲ではない、との言葉を信じるほど訓練不足のヒィキタイタン信者ではない。

「あのね、タルちゃんね、どっちかと言うとマキアリイの方が好きなの」

 女、意外の言葉に困惑し、自らを後ろから抱き留める王子様に振り返る。ああなんだかどうでもよくなっていく陶酔。

「あの、いまの言葉は、ほんとうでしょうか」
「うん、タルちゃんはどちらかと言うとマキアリイの方が好きな女の子だ。昔出会った時からそうだよ」

 王子様の言葉は信じる刺客である。
 自らの足に重心を移して、自力でちゃんと立つ。考え始めた。

 抱き留めるヒィキタイタンも力を緩めて、手を離す。短刀はもぎ取って安全を図ってはいるが。

「……申し訳ございません、情報に不備があったようでございます。今一度検討し直して方針を再度立て直して改めて参上仕ります……」

 逃げていった。闇の向こうに消えていく。
 誰も追おうとはしない。

 冷徹なシグニが最初に正気に戻った。まずは議員の身を案じる。

「センセイ、お怪我はありませんか」
「大丈夫、でもとんでもない力だったな。女の子でも必死になるとあそこまでの力が出るんだ」

「あーびっくりしたー、ほんとに殺されるかもしれないと思ったよお。だからさ、弯刀はいつも持ってないといけないんだよ」
「持って無くて幸いだタルリスヴォケィヌ。刃傷沙汰に及んで流血の騒ぎにでもなったら、どう対処していいか分からない」

 

 ヒィキタイタンは思う。これはちょっとまずい事態だ。
 国会が始まって一緒に居られなくなれば、勘違いの襲撃がまたタルちゃんに向かうかもしれない。

 音楽の仕事に専念させる為にも、上手い方法を考えねば。

 

 

 (第十六話)

 いつもながらに思うことだが、この階段は暗くて狭くて急で客商売には適していないと、それに手すりもいい加減鉄製に換えるべき危ないじゃないか。
 などと自分には関係ない事を頭の中で愚痴りながら、靴皮革卸問屋2階のヱメコフ・マキアリイ刑事探偵事務所に上がっていく。
 英雄の名を麗々しく金文字で描いたガラス扉を開けると、眼鏡の女性が「なんだ客じゃないのか」の視線で迎えてくれる。

「こんにちわネイミィさん」
「なんだソフソか。クワンパからは何も言って来ないよ」
「お届け物です。呪先生に、ミミズ巫女のミメさんから」

 お使いで来たのは18才の蜘蛛巫女ソフソである。

 マキアリイ事務所屋根裏に住む老怪人通称「呪先生」は、巫女寮のミメの関係者だ。
 呪先生はその名の通りにあらゆる魔術に通じる学者であり占星術師でもある。占い師のミメが知り合いなのも当然。

 彼を呼び出すには、天井を定められた方法で突付いて合図する必要がある。
 ネイミィは長い棒を事務所の隅から取ってきて、コツコツと叩く。前の前の巫女事務員「ザイリナ」が置いていった「自作カニ巫女棒」だ。

「ところでネイミィさん。呪先生ってなんでこんなとこ住んでるんですか?」
「わたしも良くは知らないけど、とある宗教団体に命を狙われてるんだって」
「そりゃまたどうして」
「なんでも重要な経典の解釈がこれまで間違っていたのを発見して学会で発表したら、その宗教の根幹に関わる部分だったみたいで激怒してね」
「ははあ、流石であります」

 なるほど、天下無敵の国家英雄の頭の上に住むのも道理。
 ところで、とソフソは事務所の隅、棒を取ってきた方向を振り向く。

「なんですかこれ」
「なんですかは無いでしょう。なんですかは」

 男が居る。少年だ、15、6才の学生。机の端に教科書を広げて宿題をしている。
 上級学校の制服を着ているから、割と賢いのだろう。
 ネイミィは、まだソフソに紹介してなかったかな、と思い出す。ま、どうでもいいことだ。
 少年はちょっとむくれる。年上とはいえ女性二人に小馬鹿にされるのは不愉快だ。

「僕にはカロアル・バイジャンという名前がちゃんと有ります」
「依頼人?」
「違うわよ、所長が留守の間の用心棒よ」
「こんなにひょろいのに?」

 ソフソの口が悪いのは性格だが、ネイミィに至っては男の基準というものがヱメコフ・マキアリイである。
 所長もかなりだらしない人間ではあるが、強さだけは折り紙付き。

「ハハハ、巡邏軍監のお坊ちゃまも形無しだな」

 とガラス扉を開けて入ってきたのは、中年でしょぼくれた外見ではあるが独特の険しい雰囲気を漂わせる男性。
 ネイミィはぱっと顔を輝かせた。

「ガラクさん、ご苦労さまです」
「ネイミィ、マキアリイは何か言ってこないか」
「はい、イローエント市でもやっぱり例のように例のごとくに」
「マキアリイだからな、揉め事から逃げられはしないか」

 ソフソもバイジャンも誰だか分からない。
 まあ推理は出来る。たぶん、刑事探偵の関係者であろう。
 ネイミィは二人がぼーっとしているのに、厳しく声を飛ばす。

「この方は所長の恩師に当たる方です!」
「あ、え」
「あ、どうも。はじめまして蜘蛛巫女です」

 カオ・ガラクは遠慮も無しに安物の革の長椅子に座る。態度が大きいのは刑事探偵共通の特徴だ。

「恩師って程じゃないさ。民間の刑事探偵としてマキアリイが開業するのにちょっと手を貸しただけだ」
「ガラクさんはしばしばベイスラを離れる所長の代役をお願いする方です。飛び込みの仕事なんかは代わりに引き受けてくれます」
「持ちつ持たれつさ。マキアリイのところには引っ切り無しに依頼が来るが、無名の刑事探偵はだいたい仕事が無くてね」

 ソフソは簡単明瞭直截に解答を欲する質だ。だから無遠慮で無神経な言葉使いをする。
 蜘蛛神殿は似た者同士で問題も起きないが、一般社会ではなかなか生き辛い。
 今回もまた唐突に尋ねてしまう。

「ガラクさんはどんな事件を解決したのですか」
「ああ、素人はみんなそう聞くけど、刑事探偵って事件を解決したりしないよ」
「え?」

 不審に思うが左右を見回しても、ネイミィバイジャン共にうなずくばかり。

「でもヱメコフ・マキアリイさんは、」
「マキアリイは特別だ。アレは刑事探偵でなく英雄探偵だからな。事件の方から飛び込んでくる」
「じゃあ刑事探偵って一般的にはなにをするんです?」
「だからさ、巡邏軍や警察局に捕まった犯罪者の権利保護や行政処分の異議申し立て、裁判における無罪や減刑の証拠を集めてくるのが本来の仕事さ。
 悪党共の味方なんだぜ」

 え〜、と頭が混乱する。映画でやってるのはじゃあなんなんだ。

 ガラクは喋りながらも億劫に天井を見上げる。
 屋根裏でなにやらごそごそと動き始めた気配がする。

「まあ世の中凡人一般人で出来ている。英雄やら天才の真似をしてたら命が幾つ有っても足りない。
 だからこそ、男は憧れたりもするんだがな。

 そこの巡邏軍監の坊ちゃまだって、男を磨けよと父上様にマキアリイ事務所に押し付けられたわけだ」
「ははあ、だから用心棒ですか。巡邏軍が常に見張ってますよという」

 ソフソは少年を振り返る。またしても余計なことを言う。

「男を磨けよな」
「ほっといてください!」

 

       *** 

 ガラス扉をがちゃがちゃと強引に引っ張る音でクワンパは目を覚ました。
 事務所の革の長椅子の上にカニ巫女見習い衣装のまま毛布一枚かぶって寝る。昨夜遅くに事務所に辿り着いてそのままだ。
 窓の外は既に白むが営業開始時刻にはまだまだ早い。

 誰だと思ったら、いきなり鍵を開け始めた。事務所の鍵を持ってるのなら、所長か。
 毛布から首を伸ばして室内を確かめても、所長の姿は無い。夜半に抜け出して今帰りか。飲みに行ったな。
 であれば、もう少し寝ててもいいだろう。

 がしゃーんと思いっきり、ガラスが割れるかの勢いで開けて、そいつは叫んだ。

「これはなんだあ!」

 なんだよと再び目を開けて闖入者を見たら、ネイミィだ。長い髪を振り乱して、こいつもまた寝起きのままの感じ。
 手に半折した新聞を持って突き出してくる。

「ああネイミィさん、留守番ごくろうさまでした」
「クワンパお前、何をしてきたイローエントで!!」

 行きがかり上新聞に何か書いてあるなと察して、身を起こす。
 そう言えば「潜水艦事件」十周年記念式典で起きた4件の襲撃の報道が解禁されたのだった。
 本日朝刊に大々的に掲載されているだろう。

 突き出す新聞の1面を見て、クワンパも唸る。
 かっこいい!

 機動歩兵銃を手に海を狙うヱメコフ・マキアリイを逆光で撮った写真が、紙面縦半分をぶち抜いて大きく印刷されている。
 対潜駆逐艇に同乗していた公式写真家が立派な仕事をしてくれたわけだ。

「おおおおー」
「事実なのか、やっぱり暗殺されかけたのか」
「たしかにアレは神業でしたからねえ。というか、式典で飛んでる最中爆殺されかけたのは書いてない?」

 ネイミィ、今朝届けられた朝刊1面の写真に逆上してすっ飛んで来て、まだ中身を熟読していない。
 寝巻きに上着を引っ掛けただけのほぼすっぴん状態である。よほどに驚いたか。

「所長は無事なの?」
「その新聞には書いてないですけどね、実は帰りの特急列車の中でも殺されかけたんですよ」
「マジ?」
「車内販売の売り子に化けた美女がね、長い毒針でぶっすりと行こうとして。もちろんさくっと捕まえました。
 ああひょっとして、その件で鉄道保安局に事情を供述に行ったのかな」

 実はこの件に関してはマキアリイは何をする必要も無い。
 売り子が暗殺者だと気付いたのは彼だが、後の処理は英雄護衛分隊のニカイテン兵曹に任せた。
 お上品な幹線鉄道特急列車内で売ってるはずの無いゲルタ弁当を、わざわざ売りに来るところからして怪しかったのだ。

「でさ、目の前に好物のゲルタ弁当があるんだけど、これ毒入りかもしれないからじーっと見ているしか無くてね。一種の拷問だったみたい」
「うん、分かる。分かるよたぶん、ゲルタ食いに網焼き屋に飛んで行ったのね」

 ネイミィはクワンパの向かいの革椅子にどかっと腰を落とす。ようやく血圧が下がって落ち着いた。
 クワンパ、窓の外がずいぶんと騒がしいのに気がつく。段々と人の気配が増えていく。

「なに、下で何かやってるの? あ、取材が来てるのか」
「じゃないわよ。新聞読んで飛んできた人がどんどん集まってる」

 そんな大げさなと通りに面するガラス窓に近寄ってみる。
 下から見上げる大群衆が、窓から覗くクワンパの顔に一斉に注目し大歓声を上げた。割れる、耳が割れる。

「なんだこれ、千人じゃきかないよ。巡邏軍が人を押し返してるじゃない」

 ネイミィはやっと自分を取り戻し、常の平静さに戻る。
 自分の格好を事務所の鏡で確かめて、改めて赤面した。ひどい姿だ。
 こんな事もあろうかと、マキアリイ事務所には女物の服も一揃い用意してある。巫女事務員の尾行変装用で、現在はクワンパの私服を吊るしていた。

 急いで支度を整えながらクワンパを急かす。

「あんたもさっさと顔洗ってきなさいよ」
「なんだよ、まだ始業時間じゃないよ。」
「下の取材記者がそんなの構うわけないでしょ。来るわよすぐ!」

 そりゃそうだとクワンパ本格的に目を開く。あいつら遠慮なんて持ち合わせていない。
 朝の出勤時間前の音声放送に間に合わせる気だ。

 ガンガンとガラス扉を叩く音が鳴り響く。クワンパさんいらっしゃるのですね、一言お願いします。

 水差しから洗面器にぶち撒けて、急いで顔を洗う。あー手拭いが無い。

 

       *** 

「朝方はゾバタ先生の所にお邪魔していた。放送聞いたぞ、あんな騒ぎになるなんて想像してなかったな」

 昼過ぎ事務所に忍び込むように戻ってきたヱメコフ・マキアリイである。
 気の利いた事に、クワンパとネイミィに昼ごはんまで買って来てくれた。卵焼き弁当だ。

 その分位は働いた。

 なにせ放送・新聞記者が4件分の襲撃事件について質問してくる。
 取材を受けている最中にも、帰りの特急列車内での暗殺未遂が警察局発表になって、これまた解説をさせられた。
 全ての事件現場に居合わせた人物は、実はクワンパだけ。
 特にヒィキタイタンと二人で居た時の銃撃事件は、細部に渡って詳しく尋ねられる。まるで訊問だ。

 もっとも、事件の真相犯人の正体については語るわけにもいかない。
 迂闊に喋ってしまわないように、「所長は既に目星を付けている」とだけ仄めかしておいた。

 所長は事務員を褒める。

「クワンパお前、ずいぶんと放送で喋るのが上手くなったな。感心したぞ」
「嫌味ですかそれは」
「わたしも思った。あんたイローエントで放送慣れしたね」
「ゾバタ先生も娘さんも褒めていたぞ。クワンパさんはカニ神殿の広報担当になれるって」

 クワンパは顔をしかめる。
 人が命を削る想いで喋ってるのに、なんだ簡単に言いやがって。

 ゾバタ先生とは日頃お世話になっている法論士で、結構な年齢ではあるが貧しい民衆の権利を守る為に働いている。
 人々に尊敬されているものの、業務内容からしばしばヤクザと衝突する。
 これをなんとか決着させるのが、マキアリイの仕事だ。
 二人共に儲からない仕事を一生懸命にやるのだから、先生の娘さんも苦労が絶えないだろう。

「それで、どうします。所長がどこかで会見を開くまでは記者達は諦めませんよ」
「仕方がない、例の手を使うか」
「使いますかあれ。まあ他に無いですからね」

 と、ネイミィが目を伏せる。冷ややかで諦めの境地を思わせる、なにやら無気力な視線だ。

「というわけでクワンパ、事務所は今日は閉めるぞ」
「あ、はい」
「お前は帰っていいが、カニ神殿に報告に行くか」
「はい。イローエント市のカニ神殿での交流会について報告すべき件があります」
「じゃあそういう事で。俺は記者諸君と飲みに行く」
「え?」

 ネイミィが髪を掻き上げる。なるほど、記者会見ではなく密着取材においていろいろと喋ろうって腹か。
 考えてみればこれまで「ヱメコフ・マキアリイの記者会見」なんて滅多に見ないわけで、飲み屋でくだ巻いて言いたい放題するのが標準なわけだ。
 しかし飲み代はどうするのか。

「所長、まさかとは思いますが取材の記者にタカるのですか」
「向こうはちゃんと経費で落とす。心配するな」
「心配はしませんがその卑しい心根は一発殴っておきます」

 

 夕刻、クワンパは追手を巻いてカニ神殿の門前に立った。
 借り物のちょっと上等なカニ巫女見習い服のままだから、目立つ。今やクワンパの顔と名を知らぬ者は居ない世間だ。

 境内を覗くと、広場で巫女見習い訓練生が全員で棒術の稽古をしている。
 指導するのは「ザイリナ」姉。

 ザイリナは背が低いから、普通に棒を振っても成人男性の頭を直撃するのが難しい。そこで「刳り」と呼ばれる独自の突き技を多用する。
 カニ神殿正統の武技とは異なるもので、たぶん事務員時代にヱメコフ・マキアリイから習ったのだろう。
 下手をすると内臓破裂を伴う、かなり危ない技だ。

 訓練生がクワンパに気付く。
 さすがに稽古中に声を上げる者は居ないが、全員が浮足立って手元が疎かになる。
 指導教官の雷が落ちる前に、とクワンパが手に持つカニ巫女棒を突き出して抑える。

 全員直ちに稽古に集中し直した。意図を理解してくれたらしい。
 ザイリナも、クワンパを向いてこくりと一回うなずく。

 

       *** 

 巫女見習いの世間修行を監督する頭之巫女筆頭「ッベルニハム」は、窓から先程のクワンパの振る舞いを見ていた。

「貴方も先輩らしくなってきたようですね」
「ありがとうございます」
「イローエント市では色々と活躍してきたようですが、向こうのカニ神殿はいかがでしたか」
「はい。厳しくご指導をいただきましたが、譴責は受けなかったので粗相は無かったと考えています」
「よろしい」

 既にイローエントからノゲ・ベイスラ市のカニ神殿に報告は届いている。
 内容は褒めていたのだが、本人に伝えるのは増長を招くだけだから伏せておく。
 あくまでもクワンパは世間修行中であり、自らの行為は自ら評価すべきである。

「衣装と神罰棒を返しに参りました」
「巫女見習いの衣装は貴方が持っておきなさい。また式典に参加する機会もあるでしょう」
「はい。それではお借りしておきます」

「それにしても、貴方に広報の才能が有るとは知りませんでした。そういう役を与えるべきでしたね」

 不穏な言葉にクワンパはぴくりと身体を震わせる。

「伝視館放送をご覧になったのですか」
「ええ。ノゲ・ベイスラでも何度も繰り返し放送していました。サユールの怪物退治だけでなく、式典当日に総統閣下と一緒に映っていたのも」
「なにか、不埒なセリフを私使っていなかったでしょうか」
「感心しました。言葉遣いも丁寧で、内容もしっかりと自分の意見を堂々と表明して。この点に関しては指導する必要を覚えません。
 ヱメコフ・マキアリイが良い教官になってくれているようですね」

 まさか所長得意の「お笑い演芸」を真似しているとも言えない。
 それにクワンパとしては、カニ巫女の理想はあくまでも「シャヤユート」姉なのだ。
 ぶっきらぼうで口数も少ないが圧倒的な迫力を持って街の悪漢共を戦かせ、それでいて普段は力む事の無い自然体で居られる。
 ああいう巫女に自分もなりたいと願っているが、また遠いとも感じる。

 ッベルニハムは、若い巫女見習いに与えるシャヤユートの影響の強さを最近は危惧していた。
 なにしろ巡邏軍に「暴行傷害罪」で逮捕されてしまうまでに、真正面馬鹿正直に正義を自ら体現してしまうのだ。
 カニ神殿の在り様の化身とも呼べる姿に憧れる者は多い。
 だが、馬鹿はよくない。
 無心で棒を振るうのは正しいが、無思慮に振り回すのは明確に違うのだ。

「クワンパ、貴方は「ケバルナヤ」を見習い、あの様に成りなさい。
 神罰棒を振り回すのみならず、言葉にて人に改心を促すのもまた神の御心に沿う行いです」

 

サユールの森で怪物に破壊されたクワンパの神罰棒の代わりは、ザイリナが用意してくれていた。

「さすがに怪物と立ち会って折れない棒は無理だ。普通に人間を叩く用にした」
「飾りは簡易型ですね」
「式典に度々出るのなら正式なのにするが、普段使いで巷の悪を潰して回るならこっちだな」
「はい」

 ザイリナはマキアリイ最初のカニ巫女ケバルナヤと縁が深い。
 彼女は巫女見習いの段階から傑出した人物で、ベイスラ県に流れてきてふらふらしていたヱメコフ・マキアリイを導いて正義の道を歩ませた。
 共に活躍したのは「ソル火屋」網焼き店の屋根裏に事務所を置いていた時期だ。
 鉄道高架橋下事務所を開設すると同時に神殿に戻り、自らの代わりに「ザイリナ」を推薦して最初の事務員とした。

「先ほどッベルニハム様に、ケバルナヤ姉を見習うように教えを受けましたが、私は直接にお目に掛かった事が無いのです。
 ケバルナヤ姉はどのような巫女でしょう」

 ザイリナは少し考える。「聖女」という呼び名は全ての属性が欠け落ちて、まったく参考にならない。

「一言で言うと、棒よりも言葉の方が痛い事を知っている人だ。
 だがカニ神殿では言葉を弄して人を追い詰めるのは禁忌とされている。往々にして、言葉を武器にする者は独善に陥り道を誤る」
「はい。言葉で人をたぶらかす輩が溢れているからこその、身体を張って神罰棒を振るうのがカニ神殿ですね」

「ケバルナヤ姉も棒は使う。だがそれは慈愛に基づくものだ。
 人を諌める時にはあの人は言葉を使う。それが許されるのはまさに聖女だからだろう。
 真似しちゃいかん」
「は、はい」
「そうだな。お前は喋るのが得意だそうだから、人に慈愛を掛ける時によく考えて言葉を使え。
 あくまでも正義は神罰棒に問え」

 さすがはザイリナ姉だ。明確に現実的な解を与えてくれる。
 つまりはクワンパは説教をするなという。言葉は人と寄り添う為に使うべきだと。

「だがこれはあくまでもあたしの考えだ。近い内に機会を作ってやるから、ケバルナヤ姉に直接教えを乞うといい」
「はい。それまで精進いたします」

 ザイリナはちょっと変な顔をした。
 カニ巫女見習いの世間修行というものは本来、神殿の教えから離れて俗世間の理の中で自らを見つけるものだ。
 英雄探偵の事務員であっても、あまり正義にこだわり過ぎては意味が無い。

「前言は撤回だ。ひたすら神罰棒に教えを乞え。特にヱメコフ・マキアリイを念入りにかわいがってやれ」
「はい! 精進します」

 

       *** 

 分かったような分からないような教えを頂き、クワンパは巫女寮に帰る。
 もう夕方だが夏で日が長いから、通りを歩くと周囲の人が皆自分を見つけて何らかの反応を見せる。
 小さく声を上げたりこそこそと喋ったり、とにかく気色が悪い。

 巫女寮の近辺は屋敷町で野次馬は居なかったが、門前には寮の住人全員が勢揃いして紙吹雪で迎えてくれる。
 やめてくれー。

「ごくろうさまでした、クワンパさん」
「大家さん、恥ずかしいですよ。やめてください」
「わたしもそう思ったのですが、クワンパさんは今日はこちらにはお泊りになりませんから、せめて皆でお祝いをと」

 なんだそりゃ。いつの間に決まったんだ。
 説明は寮監のカーハマイサさんが行った。というか、説教された。

「クワンパさん、御両親が心配してらっしゃるでしょう。今日は御自宅に戻って安心させてあげなさい」
「あ。ああ、ええ。やはり心配してますか、ね?」
「何回襲撃事件が有ったと思うのですか、心配するに決まってます」
「はい、ええ。そうですね、それは考えなかった……」

「クワンパ、お土産は郵送でもう届いているぞ。これ勝手に開けていいのか」

 ゲジゲジ巫女のッイーグが無遠慮に言ってくれるのが、有り難い。気を使わないようにしてくれる。
 クワンパは改めて頭を下げる。

「では本日は実家に帰って、明日夕刻また戻ってきます」
「はい、行ってらっしゃい」

 

 路面電車に乗って帰り着いた時は、もう日が落ちて暗くなっていた。
 斜面に立っている階段集合住宅の一番下が「クワンパ」 メィミタ・カリュォートの実家だ。
 通りはだいたいこの型の建て売り住宅で、どの家の窓にも灯りが見える。

 巫女寮から電話連絡が有ったのだろう。小学生の弟ファサナンが門前に立って姉を待っていた。

「ねえちゃん!」
「ただいま。お父さんもう帰ってる?」
「うん、ねえちゃんを待ってる」

 弟の見る目がなにやら複雑な色を帯びている。
 英雄探偵の事務員として国家の式典に参加して光栄に思っているのだろうが、それを素直に表現できないわだかまり。
 両親が、特に母が心配したのを反映しているのだろう。

 玄関の扉を開けると、ふわっと温かい光と共に湯気と香りが包み込んでくる。
 ただいま、と言う前に母カラハナナが走って飛びついた。

「お帰りなさい、カリュ。だいじょうぶ?」
「  た、だいま」

 後ろから父サダスンが姿を見せ、廊下を歩いてくる。
 クワンパは母に抱きつかれたまま、右手に持ったカニ巫女棒を傘立てに突っ込んだ。

「ただいま戻りました」
「うん。ご苦労さまだったな」

 カニ巫女見習いの衣装のままだと落ち着かないから、自分の部屋で着替えてくる。
 母が付いてきそうな勢いだったが、残念ながら夕食の準備を急ぐ。
 クワンパは代わりに弟を連れて行った。

「取材の記者、家にも来た?」

 着替えながら弟に尋ねる。別に見せても困らない。
 弟の方はなぜか頬を赤らめて顔を反らすが、答えた。

「うん、式典の日と、今日のお昼ごろ」
「家の前で待ち伏せしてるかと思ったけど、居ないね」
「町内会長さんが迷惑だからって、巡邏軍に電話したって聞いた」
「そうか。お土産持ってきたぞ」

 そして、これも聞かなくてはならない。

「お母さん、心配した?」
「サユールの怪物退治から。ねえちゃんあの怪物って、ほんとにあんなに大きいのか」
「手足の一本ずつが大蛇に見えたから、そうだね、怪物4匹分の大きさだね」
「すげ……」

「なにか落ち着かないな」

 普段着と言ってもだいたい巫女寮に持って行き、家に残したのは少し前のものだ。
 中学校を卒業したくらいの、カニ神殿に入る前に買ったから趣味が今とは全然違う。
 自分ではないような気がする。

「ちょっと小さいか」
「小さいな。ねえちゃん昔はちびだったな」
「そうだね」

 2年以上も前の話だ。それは背も伸びココロも大きくなる。

 

       *** 

 食堂に戻って両親に姿を見せると、母はやっぱりこう言った。

「カリュの服、買っとかないといけないね」

 食卓の準備を急ぐ母を手伝おうと思うが、その前にこちらを片付けておこう。
 父と弟の前で、いつもの布鞄に入れてきた果物大の紙包みを開く。

「はい、お土産」
「シュユパンの、球?」
「うん、ヒィキタイタンさまとマキアリイ所長と、ヴィヴァ=ワン・ラムダ国家総統直筆署名入りだ」

 男二人は口を大きく開いて驚いた。なんというお宝、これはもうメィミタ家の家宝とするしかない。

「総統閣下ともお話が出来たのか、カリュ」
「ええ。なかなか女性に対しては感じのいい人だった」
「ねえちゃん、ヒィキタイタンってつよい? 強い?」
「ヒィキタイタン様、だ。呼び捨てにするな。
 強いというのではないな。所長と一緒に冒険をするのに十分な度胸と勇気が有り、そして生き延びる点においてはずいぶんと器用って感じかな」
「やっぱり英雄なんだ」
「うん間違いない」

 弟は屈託もなく興奮する。やはり先程までは母親の心配を懸念して素直に自分を表現できなかったらしい。
 父は球を色んな方向からしげしげと眺め、筆跡を鑑定しているようだ。
 「これを飾るガラス箱を買わなくちゃいけないな」と、既に部屋の何処に置くか考え始める。

 弟が何も考えずに口走る。

「ねえちゃんは名前書かないのか」
「そんな大英雄と総統閣下と並んで署名出来るわけない」

「あら、でも私は書いてもいいと思うわ。それだけ頑張ったんですから」

 母が本日の主菜である鶏まるごと1羽の蒸し焼きを大皿で持ってくる。食卓に皆を呼び集めた。
 なんでこんな大御馳走が、今日帰ると決めてもいないのにいきなり用意出来たのだ?

「巫女寮のカーハマイサさんからお電話を頂いて、必ず実家に戻らせるとおっしゃって下さったから、昨日から用意しちゃった」
「昨夜はもう日付が変わる頃に事務所に着いたから、家に戻れなかったよ」
「そこもお電話して下さったわ」

 クワンパが帰還の予定を伝えたのは事務所のネイミィだけ。特急列車に乗る前だ。
 つまりは彼女がカーハマイサさんから頼まれて、予定を伝えていたのだろう。
 さすがに大人は配慮が行き届いている。

「じゃあ頂こう」

 父の呼び掛けで、家族それぞれの定まった位置に座る。この配置もしばらくぶり。

「ほお、カリュの好物ばっかりだな今日は」
「そりゃそうですよ。カリュは頑張ったのですから」

 

 食事の後は話でもしようかと思ったが、風呂に入れられた。

 タンガラムにおいて、湯船いっぱいにお湯を張って浸かるのはちょっとした贅沢である。燃料代高いし。
 ただつい一昨日までは最高級旅宿館に宿泊していたし、巫女寮だって元はれっきとしたお屋敷で風呂も結構な設備だ。不自由はしていない。
 それでも実家の風呂に肩まで浸かって温まると、身体の芯が解きほぐされる安心感が襲ってくる。

 私、相当に無理してたなと改めて実感する。実感するが、気を抜く気は無い。
 カニ神殿に足を踏み入れて以来、常在戦場。わずかの油断が命取りになると叩き込まれている。
 実際カニ神官も巫女も、その死因の上位にヤクザに不意を突かれた、が有る。

 ましてやヱメコフ・マキアリイの事務員となったからには、何時犯罪勢力の襲撃があるやも。
 クワンパの実家は、実は密かにカニ神官によって守られている。また政府諜報員が陰で監視しているとも、所長から聞かされた。
 だが絶対安全とは言えまい。
 やはり最後は自分の手で愛する者は守らねば。だから気を抜くなど慮外の沙汰。

「いいお風呂でした」

 と上がってきて、居間に置かれた布張りの長椅子に座り背もたれに深く、頭を後ろに乗せた途端。
 意識が飛んだ。

 「こんな所で寝たら風邪をひくぞ」と父親が揺すっても、びくともしない。もう前後不覚に眠りに落ちて何をやっても起きなかった。
 やむなく父親がカリュォートを持ち上げて自室の寝床に運ぼうとするが、

「お、重い」

 娘がいつの間にこんなに重たくなったのか。
 母親が手伝って脚を持つがまだ足らず、弟が下から押してようやく運ぶのに成功した。

 だが、父母は、

 

       *** 6 

 翌早朝、クワンパは家を出た。
 実家からマキアリイ事務所までは結構な距離が有り、路面電車でも時間が掛かる。
 始業時間よりも早くに出社したいから、仕方がない。

 母は超特急で弁当を作り持たせ、弟が電車の停留所まで送っていく。
 替えの服が無いから、昨日の巫女見習い衣装のままだ。

 近所の人は夜の内にクワンパが戻っているのを察知して、朝早いのに待ち構えていた。
 理屈がよく分からないが、なぜか皆で出陣のお祝いして送り出してくれる。
 不特定多数の人に持ち上げられるのはイローエントで慣れたが、知り合いにやられるとまだきつい。

 電停に姉弟二人で立って待っている。
 クワンパはそっと、ファサナンに言った。

「シュユパンの球がね、」
「うん」
「球の後ろに、目立たないようにさ、「クワンパ」て書いておいた」
「うん、わかった」

 二人、顔を見合わせる。

「ねえちゃん、事務員て1年半だけだよね」
「そういう予定になってる」
「それが終わったら、カニ巫女になるんだ」
「そりゃそうだよ」

 カニ巫女はちっとも安全な仕事ではない。つまりは今後延々と父母に心配を掛ける事になる。
 マキアリイ事務所に勤めて半年も経っていないのに、この有り様だ。
 1年半後にはどうなっているのか。

「ファサナン、おまえさあ姉ちゃんを真似するんじゃないよ。ヱメコフ・マキアリイもだ」

 

「遅い!」
「まだ始業まで四半刻(30分)もあるじゃない」

 ネイミィが既に事務所を開けて待っている。
 昨日は取材攻勢があまりにも激しくて、十分引き継ぎ作業が出来なかった。
 続きを、彼女が本来の勤め先である質屋に出る前に済ますのだ。

 入り口のガラス扉の向こうでは、昨日に引き続きの取材記者が。今日は雑誌週刊誌が多いらしい。
 ネイミィはさっさと出ていき、クワンパ一人になる。
 とにかく忙しかった。サユール及びイローエント出張にまつわるツケが一度に押し寄せてきたみたいだ。

 特にまずいのが裁判関係の調査依頼。
 一般飛び込みの依頼よりも安定して実入りが多い仕事だ。「英雄探偵」の虚名だけでも勝てる裁判が有り、結構人気ではある。
 だが、こう不在がちだと法論士の先生方もマキアリイを迂回する。
 地道に法律事務所を回って営業努力をして来なければならないが、所長は何処に行った。

 

 マキアリイは昼前にようやく姿を見せた。
 事務所前の通りでぽこぽこと音がするなと思ったら、外からクワンパを呼ぶ声がする。
 窓の外を覗くと、何処から借りてきたのか自動二輪車に跨っている。発動機を吹かす音だった。

「どうしたんですか、その一盃口」
(注;発動機の排気量を表す言葉で50〜70cc おおむねお猪口の容量。一盃口は「原付」に相当する)

「こいつは二盃口だ、ちょっと外回りに行ってくる。後は任せた」
「あ、はい」

 営業の件は所長もちゃんと気に掛けていたわけだ。
 歩きだと取材の記者が纏わりつくから、飛ばしていく。市内各所の法律事務所を巡るのに効率優先だ。

 刑事探偵としてのマキアリイはむしろ堅実である。
 警察局での在籍期間が短く捜査経験が少ないから、大きな顔はしていない。たとえ実績が抜群だとしても謙虚なものだ。
 それが業界における処世術であろう。

 

 夕方終業時刻前に帰ってきた。

「クワンパ、巫女寮にまだ行ったこと無かったな俺」
「そうですね、行かなくても別に困りませんけど」
「せっかく二盃口借りてきたんだから、乗せて帰ってやるぞ」

 だが、寮の前の坂はとてもではないが自動車や二輪車が登れるものではない。
 ぐるっと回って自動車道を使えばよいが、ずいぶんと遠くなる。
 まあ坂の前までで降ろしてもらえばいいか。

「クワンパお前、二輪に乗った経験あるか。後席に」
「無いではないです」

 そう、ある。何でも体験はしておくものだ。

 

(注;タンガラムの自動二輪車は、大型高速車と軽二輪車の二種に分けられる。排気量2盃口(最大140cc)以下が軽二輪車であり、税金が安い。
 中型二輪車というものは無く、業務用小型三輪車がその地位を占める。
 「いーぺいこう」とは読まない)

       *** 

 巫女寮の有る屋敷町は一段高い台地で、下の町とは急な坂で行き来する。

 二輪車の後席にクワンパを乗せて坂下まで来たマキアリイは、聳える斜面に少し声を漏らす。
 前にも一度来たが、思ったよりも急でとても二輪車で登れる気がしない。

 この坂はまっすぐな斜面ではなく、土留めに縁に石を並べて幅の広い不規則な階段のようになっている。
 いわゆる「イヌコマ坂」だ。
 人間やイヌコマであれば造作なく登れるが、車両はまったく受け付けない。
 だから荷物運びの人足の待機所が有り、イヌコマも用意していた。

 クワンパは頭部保護の籐兜を脱いだ。男用だからぶかぶかだった。

「だから言ったでしょ。一盃口じゃ登れないって」
「二盃口だ。うーん」

 人足達が腰掛けに座ったままにやにやと笑う。

「旦那、そいつじゃあこの坂は登れませんや。すなおに回り道した方がいい」
「自動二輪で登った奴は居ないのか」
「さあてね、年に一二度は試してみる若いもんが居るが、成功したのはもう何年も見ないね。
 ましてや二盃口じゃ」
「居ないわけじゃないか」

 クワンパから籐兜を返してもらい、念入りに顎紐を結ぶ。
 向きを返して50歩(35メートル)ほど戻り、また坂を望む。

 おいおいと人足も驚いて立ち上がった。

「旦那、いけねえや。無理だ」
「こいつはちょいと違法な改造車でカドゥボクスも履いている。なんとかなるさ」(カドゥボクス社製の国産高性能タイヤ ヒィキタイタンの実家の製品)
「ならねえよ」

 止めるのも聞かず発動機を高く鳴らして、一直線に坂に挑む。
 危険を感じる速さで坂の最初の段を踏み越えると、かたんかたんと上下に揺れながら登っていく。割と快調だ。

「ここまでは誰でも出来るんだ。その先が、」

 段の幅は不規則で、詰まった所はいきなり急角度になる。また縁石に砂が被り場所によっては滑り、選択を間違えると転倒して落ちてきた。
 マキアリイは難無く乗り越える。登る、登っていく。

「お、おおっ? おお!」

 既に新記録、第二第三の難所も危なげなく通過。
 そして最後の急角度で大きく車体が天を仰ぎ、後輪のみで立ったかと思うと、
 がつんと上の段に乗り上げた。よし。
 ここまで行けば頂上まで後少し。

 少し、……?

 マキアリイが下のクワンパに呼び掛ける声がする。

「発動機停まったー」
「あああっ、くそもう少しだったのに」

 人足達は地団駄を踏んで悔しがる。
 あそこまで行ってなんでだ。タンガラムの機械では無理なのか。

 

 結局はマキアリイは車両を自分で担いで上がる羽目になった。最初からそうすれば良かった気もしないではない。
 ただ自動二輪車を担いでこれみよがしに剛力を見せつければ、いやでもかっこよく見えてしまう。

 クワンパと共に坂を上がり切ったマキアリイは、目を丸くする巫女寮の面々に一瞬戸惑った。
 隣のカニ巫女に尋ねる。

「ちょっとバカをし過ぎたかな」
「そういう反応ではないと思います」

 出迎えたのは、大家のグリン・サファメル、ゲジゲジ巫女ッイーグ、カタツムリ巫女ヰメラーム、蜘蛛巫女ソフソ。
 基本的に英雄探偵に好意的な面々であるが、ちょっと刺激が強すぎた。
 クワンパは思う。そう言えばサファメルさんは後家だったな……。

「お久しぶりですヱメコフさん。よくぞお出で下さいました」
「グリンさん、いつもクワンパがお世話になっています。私の事はマキアリイとお呼びください」
「ではわたしも、サファメルで」

 大家さんは25才。28才のマキアリイと釣り合いが良いのだ。
 ほんわかとした美女だし、胸も大きいし、どうしても考えてしまう。

 サファメルの先導で、マキアリイは巫女寮に案内される。
 前に来た時は人手が足りず庭の世話も十分には行き届いていなかったが、今は綺麗に仕上がっている。
 屋敷全体の手入れをする要員として、巫女の下宿人が集められた。

 玄関前まで和やかに談笑しながら全員で来たが、いきなり屋敷の中から紅い塊がすっ飛んできた。

「おにいちゃん!」

 タコ巫女「タルリスヴォケィヌ」がマキアリイの首根っこにしがみついている。

 

       *** 

「専門家ぁ、状況を説明しろおお!」

 とッイーグに言われても、クワンパとしても何故こうなったか頭の中で認識がおっつかない。

 タコ巫女「タルちゃん」は、さも当然にマキアリイにお姫様だっこをさせて非常に機嫌よく寮の中に入っていく。
 この二人、一体どういう関係が。

「た、タルリスヴォケイヌさんは今年初めに一時ヒィキタイタンしゃまの恋人かと報道で騒がれた事がありますがっ、
 ヒィキタイタンしゃまを応援する秘密結社の突撃戦闘隊員のいち名が、じつはマキアリイしゃま関連ではないかとの未確認情報を持ち込み、
 結社幹部の間で真偽を巡って四分五裂血で血を洗う内紛を引き起こしたと首都の方の状況を聞いておりますのですが、ましゃかほんとだったとは……」

 顔面が真っ白に、ふへふへと妙な笑いを漏らしながら左肩だけを引き攣らせるヰメラームに、ッイーグも心配する。

「おまえはヒィキタイタン様の贔屓だったろ。気をしっかりと持て」
「両対応でしゅ」

 クワンパは納得した。
 ソグヴィタル・ヒィキタイタンの熱狂的信者であっても、実は相方のマキアリイと対で応援している向きも多いのだ。
 二人はまるで異なる属性で対照的でありながら、双方の美点を引き出す形となっており、相乗効果で魅力を増す。

 都会的で洗練され教養も高く財閥御曹司で、新時代の文明の利器をさっそうと乗りこなし、政治家として天下を論じ女性の扱いも得意なヒィキタイタンと、
 朴訥な印象ながらも武術においては天下無双、市井の人と肩を並べてカネが無いのを苦ともせず、暗黒犯罪と常に戦い弱きを助け強きを挫くマキアリイと、
どちらを否定できるはずも無し。

 熱狂的であればこそ、もう片方の英雄の動向に心を揺さぶられ錯乱状態に陥るのも自然な姿であろう。

「タルリスヴォケイヌ! ご迷惑でしょう。降りなさい」
「カーハマイサさん、お久しぶりです。この度は無理なお願いを聞いて頂きありがとうございます」
「いえ若い人達と一緒に暮らすのはいい刺激になります。一人になって自分を見つめ直そうと考えたのは愚かでした」

「所長、カーハマイサさんとお知り合いだったのですか」
「ええクワンパさん。とある事件で教え子の一人が巻き込まれたのを、ヱメコフさんにお助けいただいたのです」

 カーハマイサとマキアリイの出会いは、「闇御前」事件で失踪した女子中学生を捜索した時である。

 

 応接室、今は談話室と呼ばれる部屋で夕食前のお茶会となる。
 四角に囲んだ長椅子の一つに座るマキアリイの隣に、べったりくっつき甘えるタルちゃんだ。
 この部屋には、タルちゃんが毎日ガンガン叩いているゥアム帝国製の鍵盤楽器がある。

「この楽器はタンガラムには整備できる職人が居ないと聞きましたが、使えるのですか」
「ええ主人が生前、自分で修理して直してしまったのです。
 主人は若い頃は機械工で、その頃に覚えた技術を使う機会が会社設立後は無くなったもので、趣味として機械いじりをしていたのです」

「これね、おにいちゃん。ちゃんと直って動いてたんだけど音階がデタラメだったのね。というか、タンガラム音階になってた。
 だからタルちゃん自分でいじってゥアム音階に正しく直したの」
「偉いなタルちゃん」
「えへへ」

 タルちゃんは22才で立派な大人であるのだが、通常時はとても子どもっぽい。
 仕事に行く時はきりっと年齢相応の成熟した美女に化けるのだから、なにか卑怯な感じがする。

「それでね、ソグヴィタル大学のピアノ=フォルテが使えることになったの。タルちゃん大学で教えることになったよ」

「あの、すいません。質問いいですか。
 タルちゃんとマキアリイさんはどのようにして知り合い、どうしてそんなに親密な仲になったのか。ご説明願えないでしょうか」

 ッイーグが意を決して、その場の和やかな雰囲気をぶち壊す覚悟で尋ねる。
 このままではヰメラームが発狂しかねない。

「タルちゃんね、マキアリイとヒィキタイタンと事件したの」
「え?」

「あれは8、9年前かな。ヒィキタイタンと二人してタンガラム中を軍の宣伝で引っ張り回されて、東岸部に連れて行かれた時だな」
「うん。楽器がね、盗まれたのとっても高価いの。ゥアムの。
 それでタルちゃん疑われて、でもなんだかとんでもない事件が隠れていて、

 タルちゃんおにいちゃんの背中におぶわれて、家の屋根をぽんぽん飛び跳ねて悪党どもから逃げたんだ」
「ヒィキタイタンが謎を解いたんだよな」

「所長、そんな事件私知りませんー」

 クワンパが悲鳴を上げるように抗議する。これでは専門家として形無しだ。

「しかたがないだろ。この時は軍の所属で、憲兵隊の管轄になってしまったんだ。
 外交官絡みで国際問題にも成りかけて、事件自体を伏せられた。だいいち俺、その時はまだ刑事探偵でも捜査官でも無いぞ」

 

「あっ! マキアリイさんが来てる!!」

 遅れて帰ってきたコウモリ巫女見習いの中学生ビナアンヌが、部屋に入るなり叫んだ。ずるい。

 後ろからミミズ巫女で占い師のミメが、床までなびく長い髪を引きずって影のように歩いてくる。
 細いながらも出る所が出た身体の線をぴっちりと浮かび上がらせる風紀紊乱な服を着ていた。
 彼女はマキアリイと年が近い。

「やあマキアリイくん、ご活躍だねえ」
「ミメ、今日は酒が抜けてるな」
「毎日は飲まないよ。ここはうるさい御方が仕切ってるからね」

「当たり前です。
 ヱメコフさん、夕食をご一緒にしていってください」
「いえ私は長居をするつもりは、」
「よろしいではありませんか。今日はもうお仕事は終わったのですよね」

 カーハマイサの呼び掛けにサファメルが続いて、英雄を食卓に引きずり込む。
 皆食堂に移動する中、最後に続くクワンパに蜘蛛巫女ソフソが話し掛ける。

「なにはともあれ、ご無事のご帰還おめでとうさん」
「うん。ありがと」

 

       ***

 式典から数日。興奮は未だ最高潮で冷めるのを知らない。
 サユールの怪物退治について喋らされた記者会見が遂に劇場公開されたのだ。
 天然色撮影で、サユール県マガン庄での怪物調査の映像も交えて半時刻(1時間)の報道映画だ。

 おまけに緊急速報として「潜水艦事件」十周年記念式典における襲撃事件の映像までもが初公開される。

「クワンパ、映画見てきてもいいぞ」
「行きません」
「お前が銀幕初登場の記念すべき作品じゃないか。「英雄探偵マキアリイ」映画の専門家として、ちゃんと見とかないと困るんじゃないか」
「行きません」

 今日からは巫女見習い服ではなく、事務員服に戻っている。
 やっと通常営業再開。

 じりりんと事務所の電話が鳴る。クワンパはすかさず取って応対する。
 映画館の座席での責め苦に比べれば仕事で忙しい方がよほどマシ。

”クワンパ、朝一で映画見たぞ”ふふふ吾こそは

 がちゃんと切る。

「いたずら電話でした」
「そうか、最近多いな」

 気を取り直して郵便物の仕分けをしていると、中央司令軍からの通達書が見つかった。
 所長に手渡して内容を確かめるのを聞く。

「ああ、クワンパ。お前がヴィヴァ=ワン総統に頼んでくれた飛行機訓練の話だ。
 (アユ・サユル)湖上水軍の戦技訓練隊で面倒を見てくれる事になった」
「良かったじゃないですか。これでお金も節約できます」

「おお。昼からちょっと顔を出して挨拶してくる」

 

「こういう事になりましたか!」

 アユ・サユル湖上水軍航空隊ベイスラ支隊空中戦技訓練隊の隊長 メテヲン・ゥェケタ掌令正は思わず叫んだ。
 ヱメコフ・マキアリイが国家総統直筆署名入りの命令書を持って、事務所に現れたのだ。
 既に上層部、中央司令軍からも通達が届いている。

 マキアリイも少し笑う。

「いやまさか公務で再び会うことになるとは、私も思いませんでした」
「ああ。広報特任掌令に昇進したのでしたか。いや、私の方が上官であるから」
「上官らしく命令をしてください」

 空中戦技訓練隊は、戦闘機を用いての空中格闘戦における技術習得と向上を目的とする。
 隊員の半数は海外派遣軍において既に空中戦を経験している。
 もう半数はこれから出征する為に各地の航空隊から選抜された上級者だ。

 そして訓練隊隊長を、海外派遣軍で空中戦を行なう事百度。無敗にして機体損耗無しのメテヲン掌令正が務める。

「しかし困ったな。ウチには初等訓練隊が無い。練習機は置いていないんだ」
「戦闘機に乗せて欲しいなどは言いません。ただ飛行時間を稼げればいいのです」
「連絡機を使ってもらう事になるが、教習は要らないのだな」
「はい。十分に単独飛行の技能を持っています」

 そうは言っても此処は高度技能を備えた戦闘機操縦者のみが集っている。
 ただ単に飛ぶだけとはいえ、素人は迷惑だ。隊員の中にはそう思う者も居るだろう。
 たとえそれが国家英雄として著名なマキアリイであったとしても。

 メテヲンは館内電話で教官の一人を呼んだ。もちろん彼も空中戦を複数経験した腕扱きだ。

「ヱメコフ掌令がどれだけの操縦技能を持つか、見極めてくれ。それで決めよう。

 これでいいかな」
「はい。疑念を持たれるのも当然です」

       *** 

 使用したのは複座の観測機である。
 戦技訓練隊においては、空中から技能評価を行なう際に用いる。

 戻ってきて教官はマキアリイをこう評価した。

「十分ですね。戦闘技能こそ持たないものの、ただ飛ぶだけであれば民間操縦士としては上の部類でしょう」
「ウチではそれは最低の条件だがな」
「ですが、面白い事を発見しましたよ。ヱメコフ掌令は空中に上がった他の訓練機を見て、的確に評価できるのです。
 おそろしく勘が良く、空中機動に関しても要点を確実に見抜いているようです」

 ヱメコフ・マキアリイは武術の達人としても世に名高い。
 自らの肉体を用いての格闘においてはずば抜けた感性を持っているはず。
 その延長として、飛行機や車両船舶の操縦も並外れた適性を持つのかもしれない。

 メテヲンは思わず軽口を叩く。

「ひょっとすると、空中戦技を教えたら覚えるかな」
「覚えるでしょうね。自分で経験しなくても、しばらく訓練風景を見ていたら自然と出来るようになるかもしれません」
「天才だな」

 マキアリイも使用した機体の感想を整備員と交わした後、戻ってきた。
 メテヲンは尋ねる。

「君はいつもはどの機種を用いているのだ」
「この近くの民間飛行機協会で借りる「ルビガウルVゼビ」です」
「3?」
「はい。イローエント海軍第一偵察隊でも驚かれました」

 教官は触ったことが無い機体であるからぴんと来なかったが、メテヲンは違う。
 なにかそれは、記憶にあるぞ。

「私がまだ飛行機操縦免許を持っていなかった頃に、民間飛行場で見習いをしていた時分に見た。
 もう10年は前だが、その頃でも既に骨董品だったような気がする……」
「ちゃんと飛びますよ。民間では普通です」

 教官と顔を見合わせる。軍に居ると最新機材しか使わないから、そんな大昔の機体が飛ぶなんて考えない。

「ちょっと、どんなものか見てみたいな」

 

 翌日は公休日であった。
 メテヲンはマキアリイの案内で「ルビガウルV」を使っている民間飛行機協会を訪ねた。
 今回私人だから私服である。

 現役の戦闘機操縦士、しかも空の英雄とも呼べる空中戦技訓練隊長がこんな場末の飛行機協会に顔を出すなど滅多に無い。
 協会長自らが出迎えた。

「これは光栄な事です。私どももメテヲン掌令正のお噂はかねがね聞き及んでおりましたが、まさかマキアリイさんのお友達であったとは」
「正式な会員登録をしなければ、飛行機に乗れない規則ですね?」
「今回は名誉会員ということで、入会金年会費無料の特典でお迎えしたいと思います」

 事務員及び整備士も並んで、皆拍手。それだけの尊敬を受けて当然の操縦士であるのだ。
 ただ彼の興味は、

「これが「ルビガウルV」ですか。ああ、覚えてる。乗った事は無いが覚えてる。整備もした記憶が有るな。
 しかしボロい!」
「ボロいだろ、急降下禁止だぜ。でも空に上がればこれが面白いんだ」

 マキアリイは整備員の顔を見て、ちょいとバツが悪そうにした。
 いつも世話している機体を貶されるのは不愉快だろうが、確かに飛んでいるのが奇跡の代物だ。
 むしろ難しいほど面白い。

「使えるかどうかは飛んでみれば分かる。俺も別の機体で空中戦の真似事でもやってみるさ」
「絶対負けない、と自信を持って言い切れないな。この機体だと」

 

 夜遅くになって、メテヲン・ゥェケタは家に辿り着いた。
 妻のモガナはびっくりする。こんなに酔っ払って帰ってきた夫は初めてだ。
 ゥェケタは妻に身体を預け、よろめきながら部屋に上がる。

「まあこんなにご機嫌になって。マキアリイさんとはそんなに楽しく飲めたのですか」
「モガナ、今日は空を飛んだ。ほんとうにとんだ。ははは」

 とりあえず居間の椅子になだれ込み、崩れ落ちるように座り込む。
 モガナは酔い覚ましに冷たい水を取ってくる。

 ここまで上機嫌で、そして自分をさらけ出す彼を見るのは本当に初めてだ。結婚をする前でも後でも、無かった事だ。
 少し落ち着いたかにゥェケタは語る。

「……今日は自分のカネで、誰の命令も無しに空を飛んだよ。空がこんなに自由だったなんて、これまでずっと忘れていた」
「マキアリイさんもご一緒に飛んだのですね」
「ああ。彼は大したものだよ、あんな旧い機体であんな動きをするなんて、冗談みたいだ」
「良かったですわね。だからわたしは言ったでしょ、あの方とはお友達になれるって」

「予言者さまにはかなわないな……」

 そして目を伏せ、眠りに落ちてしまった。
 明日はまた軍務で飛ばねばならないだろう。もうしばらくはこのままで、幸せなままに眠らせておいてあげよう。

 モガナは夫の傍に座り込み、寝顔を見つめ続ける。
 女では、自分では出来ない癒やしも有るのだと、だがそれを与えてくれる友が居る事に感謝した。

 

       *** 11 

 週が明けて、映画会社の社長がマキアリイ刑事探偵事務所にやって来た。
 なんと業界大手3社勢揃いだ。

 最大最強大作主義「自由映像王国社」の、ヒゲ禿頭ちょっと小太り60代社長。
 2番手光星(アイドル)映画得意の「エンゲイラ光画芸術社」の、細くて背の高い顔も長い50代社長。
 小資本ながらも小回りが利き企画に優れる「サクレイ映画芸術社」、若作りして40代に見せようとする60手前かっこつけ社長。

 壮観である。どの社もマキアリイ映画を何本も制作しそれぞれ大儲けしている。
 そのお三方が、マキアリイ事務所の安物革椅子に肩を並べて納まっている。
 クワンパ、マキアリイ映画専門家として堪えられない光景だ。

 互いに譲り合って発言を誰が先にするか争うが、大資本「自由映像王国社」社長が業界第一位として口火を切った。

「この度は、ヱメコフ・マキアリイ先生のご活躍がまたしても全方台に轟き渡って、私共映画業界といたしましても欣喜雀躍。大変に嬉しい次第であります」
「はい、どうも」

 マキアリイ、他人事のように応対する。実際映画制作に深く関わる気は無いし、これまでもそうしてきた。

「そこででございます。
 この度の「潜水艦事件」十周年記念式典における数々の襲撃事件。まさに先生のご活躍が国家の重大事を救い、タンガラムに正義の光を投げかける空前絶後の壮挙でございます。
 我々映画業界といたしましては各社争ってこの事件の映画化を求めておりましたが、なにせイローエント海軍総力を挙げての式典を描くとなりますと莫大な制作費が必要となります」
「はいはい。大変ですね」

 マキアリイ映画に「ヒィキタイタン」役がちょっと顔を出すだけで映画館は女の子で溢れるのに、今回の事件は全編出放題活躍し放題だ。
 超優良ボロ儲け間違いなし企画で、三社争っての映画化もうなずける。
 しかしながら事件が事件だけに総統府と海軍の協力と内容規制に関する指導を受けねばならない。
 陸海空の最新兵器を総動員しての撮影はカネも掛かる。

 なるほど、「サクレイ社」では難しいだろう。

「ところで、でございます。
 この度総統府におきましては、遂にあの「闇御前」事件の報道映画の制作を正式に許可していただける運びとなりました。
 これもまた先生がタンガラム政財界を揺るがす巨悪に斬り込んだ正義の壮挙でございます。マキアリイ映画の愛好者にとっては待ちに待ったる映画化です。

 この両事件、どちらを手掛けても爆発的人気大入り満員疑いなしでございますが、さすがに事件が大きすぎ一社独占では手に余ります。
 そこで我々、各社ごとに分担して映画制作を行なう事と定めました」
「なるほど。効率的です」

 ここでヒゲ社長、きりっと背筋を伸ばして、改めて頭を下げる。

「「潜水艦事件」十周年記念式典襲撃事件は弊社「自由映像王国社」が手掛けさせていただきます。総統府・イローエント海軍協賛の一大海洋活劇となる予定でございます」

 代わって、顔の長い社長が挨拶する。

「「闇御前」事件の映画化は、我が「エンゲイラ光画芸術社」が担当させていただきます。我が社総力を挙げてこの難事件を極力精密に描いていきたいと思います」
「ほほお」

 ついで、若作り社長。

「我が「サクレイ映画芸術社」は資本力に劣りますので、この二つの事件の映画化を諦めました。
 ですが、先生がご解決になられた「サマアカちゃん誘拐事件」
 被害に遭われたカンパテゥス家は、弊社が20年前に制作し好評を得ました連続放送演劇『細腕頑固立志伝』の原案となったご家族です。
 当時出演の役者を総動員しまして、『細腕頑固立志伝』の同窓会的に「サマアカちゃん事件」の映画化を行いたいと思います」
「いやーサクレイさん、それは美味しい。おいしいな」

 ヒゲ社長が本気で羨ましがるのを、マキアリイ手を挙げて抑える。

「ちょっと待ってください。あの事件は自分はほとんど活躍はしていないのですよ」
「分かっております先生が謙虚な方であられることは。そこは脚本家の腕の見せ所です。ご不満の無いようにまた十分にご活躍を描かせていただきます。

 さらに加えて、「サユールの怪物退治」 これも特撮映画として同時上映を目指して既に制作に取り掛かっております。
 こちらの作品においてはまさに先生奮迅のご活躍を余すところなく描きますので、どうかご期待ください」
「いやーサクレイさん。美味しい、おいし過ぎますぞ」
「これは負けてはいられないな」

 ハハハ、と笑う三社の社長であった。

 

 ちなみに「自由映像王国社」は今秋公開予定の『古都甲冑乱殺事件』の撮影がほぼ終了。
 「エンゲイラ光画芸術社」は『シャヤユート最後の事件』が来月公開、間もなくだ。

 主人公「マキアリイ」役の俳優は、二社の作品において共通である。
 これはマキアリイ自身が、見る人が混乱するからと同じ人物の起用を求めたからだ。
 主演俳優カゥリパー・メイフォル・グェヌは「潜水艦事件」最初の映画、「エンゲイラ社」の『南海の英雄若人 潜水艦大謀略を断つ』のマキアリイ役だ。
 『英雄探偵マキアリイ』連作が始まって、再び演じている。

 映像において「マキアリイ」とはグェヌ氏を指すほどに定着し、公共広告に起用されるまでになった。

 「サクレイ社」は契約金出演料の問題で、グェヌ氏を使っていない。
 別の安価い「マキアリイ」役で自由に撮りまくっている。

 クワンパは傍で聞いていて心配に思う。
 これほど過密な撮影が続いて、グェヌ氏は大丈夫だろうか。
 「ヱメコフ・マキアリイ」はとにかく肉体を酷使する難役なのだ。

 

        *** 

「ところで、「クワンパ」役の女優さんは決まりましたか」

 所長がまた要らぬ事を尋ねる。
 当然に、と三社長はにこにこと答える。

 「マキアリイ」役以外の俳優は、それぞれの会社で独自に立てる事が許されている。
 三社異なる「カニ巫女事務員」役や「ヒィキタイタン」役が居るわけで、人気の競争となっていた。
 自然、選考にも力が入る。社長自らが乗り出す所もある。

「既に我が社においては期待の実力派新人を起用しまして、カニ巫女修行の特訓を行っております。
 彼女は今作『「潜水艦事件」十周年記念式典襲撃事件』にて銀幕お披露目となります」
「我が社においては来月公開『シャヤユート最後の事件』で、最後の場面に一瞬のみ出演しております。どうぞご期待ください」
「既に伝視館放送での事件再現演劇において、「クワンパ」さん役は出演しております。
 今回我が社が制作する「サユールの怪物」事件においては、大活躍をお楽しみいただけるでしょう」

 「サクレイ社」は伝視館放送での生放送演劇も手掛ける。
 視聴者の「クワンパ」に対する反応は上々らしい。

 所長がいやらしい笑みを浮かべて、事務員を見る。釣られて三社長も顔を確かめ反応を見る。
 自分は今、とんでもなく嫌な表情をしているだろうな、とクワンパは思った。

 しかしながら、と顔の長い社長が言った。

「現在公開中の『サユールの怪物退治』映画において、本物のクワンパさんが出演なさっているのを観るに、「クワンパ」役に演技の修正を施さねばならないようです。
 クワンパさんは、前任のザイリナさんやシャヤユートさんとはかなり異なり、社交的な方であるとお見受けしました。
 この点はがっちりと、脚本段階から組み込んでいきたいと思います」

「うむうむ。映像映りの良い方であると、これは本物との競争にもなりますな」
「人物設定を見直す必要がありますか。やはりカニ巫女の方々は強烈な魅力が有る」
「然りしかり」

 ちなみにこの映画は「タンガラム報道映画社」という報道に特化した制作会社の作品である。
 通常は各社の映画の前後に挟まれる10分程度の報道映画を作っているのだが、大事件が起きると長尺報道映画を制作し映画館系列の垣根を越えて配給する。
 今回望外の大当たりで収益がまるごと入って、笑いが止まらないだろう。

 

 三社長が事務所を辞し、クワンパは残ったお茶を勝手に飲む。
 これはイローエントで買ってきたバシャラタン法国のお茶で、「茶色茶」という。茶の葉を焙ったものらしい。
 香りも味も軽やかふんわり。

 マキアリイも啜りながら事務員に勧める。

「映画、見て来てもいいんだぞ」
「ええ、ちょっと確かめなくてはならないようです……」
「天然色だからな」

 しばし沈黙。静かな時間は平和の証だ。

「クワンパ。俺は2、3日ガンガランガに行ってこようと思う」
「ガンガランガですか。なにか依頼でも」

 彼の地はマキアリイの故郷とされている。
 出生地は未だ詳らかではないが、孤児となり山奥で高貴な家柄の人に養育された。と、公式発表ではなっている。
 最強武術「ヤキュ」の達人を師匠として付けてくれるのだから、確かに尋常な家系ではないのだろう。
 ただマキアリイ自身がどのような生まれであるか。両親はどうなったのか。
 まったく謎だ。

「いや、俺は選抜徴兵で出て以来、まだ一度も帰っていないんだ。
 警察局をクビになった頃に一度訪ねたが、「おまえはまだ何も成し得ていない」と門前払いだ。
 その頃は俺も「そうだな」と思って素直に出ていったが、もう10年だ」

「刑事探偵となってからのこの4年は、十分な実績を上げたと思います。
 既に「何事かを成した」と思っていいんじゃないですか」

「実はな、夏はめちゃくちゃ忙しい。里帰りの暇は無いだろう」
「何があるんです」
「今年はほら、国会総選挙の年だろ。ヴィヴァ=ワン総統にまたぞろ呼び出されるに決まってる」
「ああ  」

 クワンパも納得。
 総統閣下の軽い性格なら、そういう話にもなるだろう。
 ヒィキタイタン様の選挙応援にも行かねばならぬ。

「というわけだ。俺はまだ武術の師匠の墓参りもしていない」
「分かりました。不在の間なんとかしておきます」

 

 今回はクワンパも付いていこうとは考えない。
 こういう時に連れて行く女は、おおむね妻となる者だ。

 そんな阿呆な話は夢にも見ない。

 

【三巻之終】

*********************************** 

 

(テレビドラマ『罰市偵〜英雄とカニ巫女』 出演者インタビュー)

※第三回 「ソグヴィタル・ヒィキタイタン」役のレイメイ・サハヤさんをお迎えしました。

「いよいよこの第三巻から貴公子ソグヴィタル・ヒィキタイタンが登場ですが、出番が遅いと怒ったりしませんでしたか」
「まあそういう筋書きですから。ヒロイン「クワンパ」が刑事探偵の職務に慣れてきてマキアリイを理解し始めたところに、大きく衝撃を与える真打ち登場という仕掛けです」

「しかし、レイメイさんは本当はマキアリイをやりたかったそうですね」
「実際問題として、ソグヴィタル・ヒィキタイタン氏は現在もご健勝ですから。しかも国家総統・総統臣領経験者という大政治家です。現代の偉人と呼んでもいい」
「偉人ですよね、ほんとうにほんものの」
「マキアリイは、今回の舞台となるのが50年前。洋上で失踪してから40年になります。世間の人々は映画やテレビドラマに出てくる、俳優が演技するマキアリイしか知らないのです。
 それに対して、ソグヴィタル・ヒィキタイタンはこの40年間がまさに大活躍。テレビに出ない日は無いという」
「誰でもが本当の姿を知っているわけですか。これは演じる方もきついですね」

「さらに複雑なのは、僕達が知っているヒィキタイタンは、まさにその40年前のマキアリイ失踪を機として生まれた人格だ。というところです。
 亡き親友の遺志を受け継ぎ、理想を現実世界で成し遂げる人物は自分しか居ない。それを自覚して魂が震えた時に、僕達が知る偉人が生まれた。そう解釈します。
 であれば、50年前の彼は偉人ではない」
「難しいですね」
「難しいです。監督とも随分長く人物像について語り合いました。もっと言えば、劇中で彼は30歳になります。軽佻浮薄な若者像では演じきれない」
「その人物解釈がドラマの見どころと言えますね」
「期待してください」

「アクションに関してはどうでしょう。出番は少ないとはいえ、ちゃんと用意されていますね」
「ここも酷いんですよ。英雄マキアリイと並び立つのはやはり英雄のヒィキタイタン。ということで、ほぼ同等のアクションを要求されます。
 カ=ヴァ君は毎日鍛えに鍛えていますが、ヒィキタイタンは筋肉が外に見えてはいけないキャラクターであくまでもスッキリとスマートでなければならない。
 それでいて無茶は一緒なんですから、こちらが見劣りしますよ」
「これまでのマキアリイ物ではそこは、二枚目俳優は危ないことをしない、という策で乗り切りますよね」
「でもパチヤー監督はそれこそがリアルだと言うんです。国会議員で文民でそれほど鍛えまくっているはずが無いのに、乱暴な大事件に放り込まれて、でも涼しい顔で潜り抜ける。
 これが英雄だ、と。そうなんですけど、出来ないからこその理想像であって、本気にされると役者が死にます」

「ヒロイン「クワンパ」の役のスミさんはいかがでしたか」
「僕が出る時はだいたいスミさんも出ています。マキアリイと3人で冒険に放り込まれるという形ですね。
 女の子なのに大の男が音を上げる過酷な撮影にもよく付いて来ています。感心しました」
「考えてみれば、いくらカニ巫女だとはいえマキアリイはよく女の子を危険な現場に連れて行きましたね」
「カニ巫女本人が希望したのでしょうが、そこは確かにうなずけない。女性を尊重していたというのとは違う論理で動いていますね」

「クワンパが、マキアリイとヒィキタイタンとの間で心が揺れる。ファンの人達の注目のシーンです」
「実は史実だと、この辺りの時期にヒィキタイタンの嫁取り騒動というのが起きるんです。まあ凄いことになるのですが、ドラマではそこは触れませんね」
「そうなんですか。あくまでもマキアリイとクワンパの関係に注目するという形ですね」
「だからヒィキタイタンは容赦なくクワンパを誘惑しますよ。フリーですからね」

「ヒィキタイタン閣下とはお会いになりましたか」
「僕は試写会の時が初めてです。でも役作りの時に長年を仕えてきた政治秘書の方に人となりを詳しく聞いていましたから、ああ本物だ、と感慨無量でしたね」
「レイメイさんの演技に対しては評価をいただけましたか」
「僕はこんなにかっこよくなかったよ、とおっしゃいました。これまでの映画やドラマでは本当に理想化されたので、パチヤー監督はヒィキタイタンまでもリアルな凡人に描き出しましたが」
「リアルがまだ足りない?」
「足りないんでしょうねえ。演じている方は、これ以下にみっともなくされると僕が信奉者に殺されるとか思ったんですが、まだまだですねえ」

「最後に、読者視聴者の皆様に一言お願いします」
「えー、連続恐怖ドラマ『罰市偵 〜英雄とカニ巫女』は、こんなものじゃないです。これからどんどんエスカレートして最後はもう燃える暴走機関車になってしまいます。
 ヒィキタイタンも死にかけます。演じてる僕も死にかけます。絶対に見逃さないでくださいお願いします」
「本日はありがとうございました」

 

 

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